マイナスの使い魔 (語屋アヤ)
しおりを挟む

第一敗『まるでファンタジーの世界だね』

 澄んだ青の広がる空の下、桃色がかったブロンズの長髪を爆風で揺らす少女――ルイズが佇んでいる。

 ここ、ハルケギニア大陸にあるトリステイン王国の魔法学院では、毎春行われている恒例行事ともいえる授業が催されていた。使い魔召喚の儀式である。

 数々の生徒が召喚を成功させ、多種多様な動物やモンスターを己の使い魔としていく中、ただ一人ルイズだけが未だ召喚の儀式を完遂できていなかった。

 

「やっぱりゼロのルイズは成功率ゼロだな!」

「召喚は爆発を起こす魔法じゃないぞー!」

 

 一度も魔法が成功したことがないがため、彼女に付けられた二つ名は『ゼロ』。トリステイン魔法学院きっての劣等生、それがルイズだった。

 学院内どころか十六余年の人生において彼女は、唱えた全ての魔法のことごとくを失敗してきた。

 だがこの召喚の儀式だけはできませんでしたでは済まされない。このままだと、最悪退学にもなりかねないためだ。

 

 それだけに、ルイズはいつにもまして真剣だった。

 されどその結果は伴わず、起きるのはいつもと同じ失敗の証ばかり。

 

 幾度も自らが起こした爆風によってボロボロになりながらも、ルイズは諦めない。諦めきれない。

 わたしだって誇り高き貴族でメイジなのよ! そう己の内で唱え続けて、彼女はもう一度杖を振り上げ召喚のために叫ぶ。

 

「宇宙の果てのどこかにいるわたしの下僕よ! 神聖で、美しく、そして誰にも“負けない”使い魔よ! 私は心より、求め、訴えるわ! 我が導きに答えなさい!」

 

 ――爆発。

 やっぱりゼロのルイズだと口々にヤジが飛び交うが、粉塵が晴れるにつれ、罵声は驚きに変わっていった。そこに何者かの影が見えたためだ。

 

「やった……!」

 

 召喚の成功を確信し、思わず彼女は歓喜の声を上げた。

 ゼロのルイズが初めて魔法を成功させたのだ、その喜びは格別のものだろう。

 だが、

 

「え、そんな……嘘……」

 

 つい数秒前まで歓喜に満ちていた幼くも美しい顔立ちは、あっという間に落胆の色に染まった。

 原因はルイズが呼び出した使い魔にある。

 幻獣や貴重なモンスターであったなら、ルイズの歓喜はさらに加速しただろう。

 いや、たとえ召喚されたのがそこらにいる小鳥や動物であったとしても、今のルイズなら悔しさより喜びがずっと勝ったはずだ。きっと初めて出せた成果として使い魔を精一杯可愛がったに違いない。

 

「こ、こんなのが……わたしの使い魔……?」

 

 ルイズの召喚よって現れたのは、黒く珍妙な服を皺と泥だらけにしている人間の男だった。歳はいくつか上だろうが、大きくは変わらないだろう。

 少年は気を失っているらしく仰向けに倒れたまま動かない。

 

「おいおい、あれはどう見たって平民だぜ」

「ルイズ、『サモン・サーヴァント』で平民を呼び出してどうするの?」

「むしろ、こっそり何処かで捕まえてたのを隠してたのかも」

 

 ルイズが召喚したのは平民だったと皆が気付くやいなや、また人垣から嘲笑が再開された。

 それに対しショックと失意で頭に血が上った彼女は、勢いに任せて反論する。

 

「何よ! こんなの、ちょっと間違っただけだわ!」

「お前が魔法で間違わなかったことなんてないだろ!」

「やっぱりルイズはゼロがお似合いだな!」

 

 ルイズが言い返しても、周りからの笑い声は大きくなるばかりだ。

 これでは駄目だと、彼女はこの授業を監督している教師に直接声をかける。

 

「ミスタ・コルベール!」

「なんだねミス・ヴァリエール?」

「もう一回、わたしに召喚をさせてください!」

 

 生徒達の人垣を割って出てきたのは、生え際が後退しているメガネをかけた中年の男性、コルベールだ。彼は黒いローブに大きな杖を持ち、いかにも教師という風情を醸し出している。

 ルイズは彼に再度召喚の儀式を要求するが、返された答えはノーだった。

 

「いいや、それは許可できない」

「どうしてですか!?」

「二年生に進級する際、君達生徒は全員この儀式で『使い魔』を召喚する」

 

 何とか食い下がろうとするルイズだが、コルベールはあくまで冷静に一つずつ順を追うよう事情を説明していく。

 

「そのため召喚された『使い魔』の種類によって、今後君たちが進んでいく授業や進路もそれぞれ違ったものになる。よって『使い魔』は一度召喚すると軽々しく変更することはできない」

「でも! 平民を使い魔にするなんて聞いたことがありません!」

 

 周りからはまたもどっと笑いが起きるも、そんなのを気にしている余裕はない。

 使い魔召喚の儀式において召喚されるものは多岐に渡るが、ルイズが知る限り人間を召喚したなどという記録は一つもない。恐らくは、彼女よりずっとメイジとしての経験の多いコルベールだって、こんな使い魔は初めて見るだろう。

 それでも教師として彼の言は揺るがず、首を横に振るだけだ。

 

「それでも、だ。この儀式のルールはあらゆるルールに優先する。春の使い魔召喚は神聖なる儀式ですぞ」

「そんな……」

「前例がないなら、君がその最初の一人になればいい。違うかな?」

「それは……だって……」

 

 いくらルイズが感情で反論しても、コルベールはあくまで正論での拒絶を返してくる。

 そもそも教師と生徒という関係がある以上、彼の言葉には逆らえない。

 

「ミス・ヴァリエール、儀式の続きを」

 

 これ以上食い下がっても無駄だと感じたルイズは、大きく肩を落として未だに眠ったままの使い魔に向き合った。

 トリステインではあまり見ない黒髪でどことなく可愛らしい顔立ちではあるが、それらを併せても今ひとつ特徴に欠けている。

 

 ――どうしてよりにもよってこんなのが召喚されてしまったの? ゼロと呼ばれるわたしには平民で十分だと、始祖ブリミルまでもがそう言っておられるの?

 

 などと考えれば考えるだけ、ルイズの悲嘆は濃くなるばかりだ。

 後はもう諦観に任せて、儀式の仕上げを行うしかなかった。

 

「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我の使い魔となせ」

 

 呪文を唱えて彼女は少年に口付けをした。

 少女のキスシーンで、周りからはより一層声が上がる。それに比例してルイズの怒りは溜まる一方だが、相手が眠ったまま済ませられたのは、彼女にとって不幸中の幸いだっただろう。

 

『うぐ……!』

 

 少しの間を置き、使い魔のルーンが刻まれる痛みで、少年が覚醒した。

 少年は上半身を起こして、呻き反射的に左手を抑えている。

 突然痛みで目覚めたら、知らない場所に飛ばされているのだ。使い魔召喚の儀式によって、自分が主人になったという事情説明は必要だろうと、ルイズは少年に声をかける。

 

『ここは……。安心院さんのいる教室じゃない?』

「あんしん? ここはトリステイン魔法学院よ」

『トリステイン? それに君は……誰かな?』

 

 少年は上半身だけを起こしてキョロキョロと辺りを見回しつつ、ルイズへ名前を尋ねた。どうやら目覚めたばかりだということもあり、現状の把握ができていないようだ。

 

「私はルイズ。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールよ。あんたは私の使い魔としてたった今召喚されたの」

『使い魔だって? それはまた随分とRPGみたいな台詞だね。括弧付けてるさすがの僕もビックリだよ』

 

 RPGとは何のことだろうか。そもそもこの平民は貴族に対してこんな口の聞き方がなってない。

 どうにも噛み合わない会話にルイズはイラっとするも、その怒りが言葉として出るより先にコルベールが割り込んだ。

 

「ふむ、これは珍しい使い魔のルーンだな」

 

 コルベールは手早く紙に少年のルーンを書き写して、生徒達に撤収を告げる。

 

「さてと、皆さん。これにて召喚の儀式は終了です。教室に戻りますぞ」

 

 そして皆が『フライ』の魔法で宙へ浮かび上がり、移動を開始する。その間にも「ルイズは歩いてこいよ」などと、生徒達によって彼女はからかわれていた。

 

『あれは、異常(アブノーマル)……ってわけでもなさそうだ』

 

 ルイズは教師と生徒が飛び去っていく中で、新たな不名誉となった自分の使い魔を見ると、彼はまた聞き覚えのない単語を呟いていた。

 使い魔を見るたび、自分の悲運を始祖ブリミルに嘆きたくなるが、どうしようもなくこれが現実だ。それは受け入れなければならない。

 

「それであんた、名前は?」

 

 ルイズは事実を受容する一歩として、使い魔の名前を問うた。

 少年は人懐っこく可愛らしいのに、どうしてか軽薄に感じる笑みをルイズへと向けて名乗る。

 

『僕の名前は球磨川禊だよ。よろしくね、ルイズちゃん』

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二敗『僕のいた世界には』

 トリステイン魔法学院は全寮制のため、生徒ごとに部屋が割り当てられている。

 ルイズは次の授業を受ける前に、一先ず禊を自分の部屋で待たせておくことにした。

 

 禊にその場で状況説明をしたら時間がかかりそうだったし、何よりこのまま禊を連れるとなると、また他の生徒から馬鹿にされるのは目に見えていた。

 どうせ明日からしばらくは使い魔の顔見せをするために平民を授業へ連れていかねばならない。なら、せめて今日くらいは……という判断だ。

 そして授業が終わり、ルイズが部屋に戻るとそこに禊の姿はなかった。

 

「何をやってんのよあの馬鹿!」

 

 禊は口の聞き方に問題があったがこっちの命令には素直だったので、一応安心していた矢先にこれだ。

 禊は部屋のどこに何がどこにあるかも知らないため、ルイズが帰るまで鍵も開きっぱなしだった。

 召喚初日から鬱憤の溜まる使い魔である。

 

 もしかしたら手洗いにでも行ったのかと数分は待ってみたが、帰ってくる気配はない。

 使い魔の教育は最初が肝心だ。まず上下関係をしっかりさせるべきだろうと思い、ルイズは扉に鍵をかけると、勢い良くベッドに腰掛けて持ち込んだパンとワインで一人晩餐を始めた。

 

 本来なら食堂でもっと豪華な食事を摂るのだが、禊に使い魔としての心得を叩きこむ時間を考えて、今日はこれにしたのである。肝心要の使い魔本人がいないのだけど。

 そして使い魔が帰ってきたのは、ルイズが食事を終えてから更に数十分後だった。

 

『ルイズちゃーん。忠実なる使い魔が戻ったよー』

 

 軽く扉をノックして、禊が自らの帰還を告げる。だけどもルイズはそれを無視した。

 返事がなければルイズが帰ってないものと思い、禊はそのまま扉を開けようとするだろう。

 

 けれど実際には鍵がかかっており、ルイズは既に帰ってきていたとようやくわかる。

 ルイズは、禊が必死に中へ入れてくださいと懇願する姿を思い浮かべ、ほくそ笑んだ。

 

 使い魔が命令違反を大いに懺悔したところを、慈悲深い主人はもう二度と自分の意には逆らいませんと誓わせて、室内へと入れてやるつもりだった。

 しかし、

 

『やあ、ただいま。僕だよ』

「え?」

 

 禊は何事もなかったかのように部屋へと入ってきた。ルイズの気分からすれば侵入してきたという感じだが。

 呆気に取られているルイズに、禊はごく自然に語りかける。

 

『本当にどこもかしこも胡散臭くて、ファンタジー世界そのものだね!』

 

 何が胡散臭いのかルイズにはさっぱりわからないし、酷い言い草の割に禊本人はやたらと嬉しそうだ。

 

「あんた、どうやって部屋に入ったのよ?」

『何の変哲もなく入ってくる姿を、堂々とひけらかしたけど?』

「だって扉には鍵が……」

 

 ルイズ自身がしっかりと覚えているため、鍵をかけたのは間違いない。

 外側から鍵を開けるには『アンロック』の魔法を使わないと無理だが、平民である禊にそれができるはずもないだろう。

 誰か代わりの者に『アンロック』かけてもらうにしても、禊以外に誰かがいる雰囲気ではなかった。

 

『駄目じゃないかルイズちゃん。戸締りはしっかりしておかないと』

「あんたに言われたくないわよ!」

 

 だとしたら鍵が壊れてしまったのだろう。明日にでも至急新しい鍵を手配しなければ。と、ルイズは腑に落ちないながらも、最も考え得る可能性としてそう結論付けた。

 特に、今自分が狼狽するとこの使い魔が付け上がるかもしれない。そのためにも平静を装わねば。

 

「もういいわ。それよりあんた、ご主人様の命令を無視して、勝手にどこほっつき歩いてたのかしら?」

『ファンタジー世界に迷い込んだら、まずは無責任に冒険してみなくちゃ。ジャンプ読者としては当然の嗜みだよ』

 

 わかりやすく意味不明だった。

 しかも話し方が一々馴れ馴れしいのがまたルイズの癇に触るのだが、何度注意しても改善の傾向は見られない。

 

「あんたねぇ、いい加減身分の差をわきまえなさいよ」

『ルイズちゃんは今幾つなんだい?』

「わたしは今年で十六歳よ。それが何か?」

『敬語使えよルイズちゃん。年上だぜ』

 

 身分差より年齢を考慮し重んじる男だった。貴族相手にこれだけ無礼な態度を示す平民は生まれて初めてだ。

 

「それはこっちの台詞よ! あんた平民のくせに貴族を何だと思ってるわけ?」

『僕はファンタジー作品ならドラゴンクエストが好きだけど。嫁は町娘のビアンカ一択なのさ』

 

 しょっちゅう会話が噛み合わなくなるが、これは禊がわざとやっているのだろうとは気付いている。突っ込むだけ無駄だと思ってはいるが、ずっと繰り返しているワードだけは何か意味があるのではないかと、ルイズは思った。

 

「さっきからファンタジーファンタジーって、どういう意味よ」

『やだなぁ。幻想って意味に決まってるじゃないか』

「そうじゃなくて、どうして部屋の外が幻想になるのよ!」

 

 いくら田舎から召喚された平民だからって、トリステイン魔法学院を幻想呼ばわりはしないだろう。

 禊の使うファンタジーのニュアンスも、ありのままに幻想を指しているわけではなさそうだというのもある。

 

『どうせ言っても信じないと思うけど、僕はルイズちゃんとは別の世界から来たんだよ。つまり格好いい語感の互換で呼ぶと、異邦人ならぬ異世界人だね』

「何を言ってるの?」

 

 出会って初めて、使い魔とはぐらかしていない対話をした気がしたが、その回答は想像の斜め上をいっていた。

 

『僕がいくら少年漫画大好きのアニメ脳だからってさー。異世界に連れて来られたなんてにわかには信じられなかったよ。作者の願望投影されまくったオリキャラが、最強設定与えられてアニメ世界へトリップする二次創作じゃないんだから』

「……本当に何を言ってるのよ」

 

 前半はともかく後半は完全に意味不明だった。だけど禊が、ハルケギニアではない全く別の世界からはるばる召喚されてきたと主張してるのは把握できた。そんな馬鹿な。

 

「別の世界って、どんな世界なの?」

『夢と希望が現実に押し潰された、地球と呼ばれる世界かな』

「わたしにわかるよう言いなさい」

『魔法なんて、お伽話と三十歳を過ぎた童貞くらいしか存在しなかったよ』

 

『それに……』と、禊はルイズをはっきり意識しながら、視線を窓へ向ける。

 

『僕のいた世界には、空に輝く月は一つしかないぜ』

 

 ハルケギニアから眺める空には、大きな青い月と、その左に小さな赤い月が寄り添うように並んでいる。ルイズからしてみれば、“それ以外の夜空”なんて空想したこともなかった。

 

「信じられない。魔法がない世界なんて、想像もできないわ」

『世界の異物として扱われるのは、地球でも同じだったから気にしないけどね。こっちも、一つ教えてもらってもいいかな?』

「何よ?」

『召喚した使い魔を送還する魔法はあるのかい?』

「そんなのないわよ。大体、別の世界なんて聞いたことがないもの」

『やれやれ、無責任は過負荷(マイナス)の専売特許だぜ。特許料払えよ』

 

 そんなの知らないわよ。とルイズは思うが、禊の無知についてだけは妙なリアリティがある。

 そうでなくても平民は魔法についての知識が疎いのもあり、召喚魔法については説明してやることにした。

 

「召喚の魔法、つまり『サモン・サーヴァント』は、ハルケギニアの生き物を呼び出すのよ。普通は動物や幻獣なんだけどね。人間が召喚されるなんて初めて見たわ」

『そいつは困ったね、いや本当に。僕には元の世界でやることがあるんだよ』

「わたしだって好きであんたなんて呼びたくなかったわよ!」

 

 ルイズがそう怒鳴って返すと、不意に禊の雰囲気が変わった。

 

『自分の都合だけ押し付けて、こっちは知ったこっちゃないか。ホント、ルイズちゃんは貴族(いいご身分)だねえ』

「う……」

 

 さっきまでと同じ笑顔で薄っぺらなのに、怒った母に睨まれた時のような圧力を浴びた気分だった。ルイズの背筋に大量の虫が這いずるような悪寒が走る。

 吐き気を催す程に、キモチワルイ。

 だけどそれはものの数秒で、禊はすぐ軽薄な調子に戻った。

 

『とは言え、戻り方がわからないんじゃ仕方ない。怒江ちゃんや飛沫ちゃん、蛾々丸ちゃん達には申し訳ないけど、しばらくは僕抜きで頑張ってもらおう』

 

 ――い、今のは何だったの!?

 ドクンドクンと高まる鼓動を抑えつけるように、右手を広げ胸に当てた。

 

『というか、一番過負荷(マイナス)な僕がいない方が勝ちやすかったりしてね。ん、どうしたのルイズちゃん? 何か気持ち悪い(もの)でも見ちゃった?』

 

 禊の挑発に、ルイズは自分が気圧されたことを悟らせように佇まいを直した。そうすることにより、かえって弱気を隠していると読まれてやすくなってしまうのだが、それに気付く冷静さは失っている。

 

『そういうわけで、これからも仲良くベストパートナーでいようね』

「どういう意味よ?」

『ルイズちゃんが僕を身勝手に召喚したくせして帰せない。そんな良心の呵責に責められないよう、ルイズちゃんの使い魔になってあげるよ』

 

 明るく朗らかに、そして何より下から見下したような尊大さだった。

 そんなわけのわからない矛盾を成立させてしまうのが、禊という男なようだ。それに対しルイズは、使い魔にならせてくださいでしょ。とは言えなかった。

 

「……そう」

 

 消極的な肯定をこぼして、曖昧なままに禊の申し出を受け入れた。まださっきの震えから立ち直れていないため、強気に出られないのだ。

 そんなルイズを気にも留めず、禊は次の質問を投げかける。

 

『ねえねえ、使い魔って具体的にはどんな恩恵を受けられるの?』

「逆! 普通その質問逆でしょ!?」

 

 これには思わず、気落ちしたルイズも正面きってツッコミを入れた。

 たとえ禊が本当に別世界から来た住人であるとしても、これまでの会話から使い魔がどう言った存在であるか、大まかにはわかっているはずだ。その上で自分の権利だけを主張してきた。ルイズでなくたって呆れるに決まっている。

 

「使い魔は主人と一心同体となって仕えるのよ! まず、主人の目となり、耳となる能力を与えられるわ」

『ルイズちゃんは、どうしても僕から人間の尊厳を奪いたいようだね』

「安心していいわ。何も見えないし、聞こえないもん」

 

 尊厳を奪うというフレーズで、また禊が妙な気配を撒き散らすかと肩をびくつかせたが、どうやら杞憂だったようだ。何が引き金なのかわからないのも性質が悪い。

 

「それから、使い魔は主人の望むものを見つけてくるのよ。そう……例えば秘薬とかね」

『秘薬っていうと、惚れ薬とか?』

「それはマジックアイテム、しかもご禁制のよ! 秘薬っていうのは特定の魔法を使用する触媒として使うの。例えば硫黄とかコケ……」

『アイテム探しの依頼はRPGじゃお約束のイベントだね!』

 

 ルイズはまだ短い会話歴から推測して、禊がRPGとかファンタジーという単語を持ち出す時は、そんなの自分の世界では知らないと告げているのと同義だと学んだ。つまり期待するなということだろう。

 

「そしてこれは一番大事なんだけど……使い魔は主人を守る存在であるのよ! その能力で主人を敵から守るのが一番の役目! でも、あんたじゃ無理ね……」

『奇遇だね、僕は生まれてこの方誰にも勝ったことがないのが一番の劣等感(じまん)でね』

「最悪じゃない!」

 

 この使い魔、飄々とした態度しているけど、能力面は並の平民より酷かった。その事実がまたルイズを精神的に追い詰める。

 

「まぁいい、いえよくないけどわかったわ。予想してたことだし。あんたにやらせてあげるのは掃除と雑用。その代わりこっちは衣食住を保証するんだから」

『謹んで、そのいっちょ前なギブアンドテイク宣言をお受けするよ、ご主人様』

「その承り方のどこに謹みがあるのよ……。もう、今日は疲れたから寝るわ」

 

 主に精神面で疲弊しまくった一日だった。元々順風満帆な学院生活とは言い難いが、これではさらに先が思いやられる。

 

『ルイズちゃん、それじゃあ保証された僕の寝床はどこになるのかな?』

「あんたは床よ」

 

 ルイズは自分の足元を指指して、毛布を投げ渡した。

 禊は案外大人しく毛布を受け取ると、床に寝そべって丸くなる。

 

『うん、ま、年上の余裕で許してあげるよ。理不尽な待遇には慣れているし、実際僕も疲れてるからね』

 

 ルイズは、自分に背を向けた禊に脱いだ衣服を放った。

 上半身だけを起こした禊が、レース付きのキャミソールと白いパンティーを確認して固まる。

 

「それ、明日になったら洗濯しといて」

『仕方ないね! これも使い魔の仕事だからね! じゃあ明日の仕事の忘れないように、今日はこれをしっかりと握り締めながら眠るとするよ! るんるん!』

「やめなさい!」

 

 るんるんまで口で言って、禊はまた毛布に潜ろうとした。通常、平民の使い魔なんかに下着や裸で恥じらいを覚えたりはしないが、こうまで露骨に変態宣言をされては別だ。

 下着を禊から少し離れた位置に置かせて、ようやくルイズはベッドに体を横たえた。

 

 指を弾いてランプを消して、夜の闇に抱かれる。

 ルイズの初めて成功した魔法は、彼女のゼロというコンプレックスを回復させるには至らなかった。魔法が上手くいったのに、この結果はどうなんだ。

 

 人生で一度も勝ったことがないと、あの使い魔は言った。

 それはまるでまともに魔法が唱えられた試しのない自分と同じではないか。

 

 自分に相応しい使い魔。

 勝利なき使い魔。

 ゼロの――

 二人の部屋で独りになったルイズの頬に、一筋の雫が伝う。

 

 ゼロという蔑称にも絶対に認めはしないが、慣れていた。それなのに、どういうわけか今日は心が耐え切れない。

 悔しかった。

 どれだけ努力を重ねて、いい成績を残しても、魔法が使えないという一点で自分を認めてくれない周囲が。そんな評価を覆せない弱い自分が。

 これからも自分はそうなのだろうか?

 失敗し、嘲りと侮蔑を込められゼロと呼ばれ続けて、そのままで一生を終える。

 

 ――勝利のない使い魔を呼んだ私は、つまり、そういうことなの?

 

 負けない使い魔を喚んだはずが、自分にやってきた使い魔は徹底的な敗北者。

 夜中より暗い、心の闇に希望を喰らわれるような絶望に苛まれながら、ルイズの意識は徐々に眠りへ就いたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三敗『少年漫画の主人公だったら』

 ルイズの衣服、特にショーツをがっちりと掴んで学院内を自由に彷徨(さまよ)い歩く禊は、自分がここに召喚される直前の出来事を思い返していた。

 

 それは七月二十八日、箱庭学園で行われた行事である生徒会戦挙庶務戦で起きた。

 夏休みに入った学園のグラウンドには十メートルにきっちりと図られた立方形の大穴が開けられ、その上には金網を乗せている。ただし金網はポールにはめ込んだだけで固定されていない。そして地の底は、あろうことか猛毒で知られるハブで埋め尽くされていた。

 

 その上で学生二人が決闘をしている。

 禊の対戦相手である、跳ねっけの強いオレンジがかった茶髪をした少年、人吉善吉は、禊の策略により視力を失わされて心を折られかけた。

 そうして禊は善吉を自分と同じ過負荷(マイナス)へ堕とそうとしたのだ。

 

 しかし、善吉はここで思いも寄らない抵抗を示す。残る力と精神を振り絞った震脚によって、金網を地の底に到達させたのだ。

 これによって毒蛇の群れは二人を襲う。善吉は自分の命を引き換えにし、禊を死の間際にまで追い込んだ。

 今の禊にとって死は人生の終点に成り得ないのだが、善吉の命をかけた反撃によって彼が焦らされたのは事実であり、禊は地の底で苦言を零した。

 

『僕が少年漫画の主人公だったら、ここでまさかの逆転劇が起きるのに……』

 

 むしろそれを起こしたのは善吉であり、逆転された悪役こそが禊だった。

 ハブの毒が全身に回っていく激痛で、禊は崩れ落ちる。

 痛みに耐え切れず仰向けに倒れていく禊は、その落下地点で待ち受けているハブを予想して首だけを後ろへ向けた。けれどもそこには蛇なんて一匹もいない。

 その代わりに、彼のまるで予想だにしない物が待ち構えていた。

 

『え? これは、鏡? どうしてこんな物が――』

 

 善吉との激闘や蛇に絡まれることによって、禊は泥に塗れ傷だらけになりながら、鏡に吸い込まれるように、地球から喪失した。

 

『そして僕はルイズちゃんに召喚され、意識を失ってた間に隷属契約を結ばされ現在に至る。ってわけだね』

 

 他人からの迫害には慣れている禊だが、ここまで人権をダストシュートに投げ捨てた仕打ちを受けたのは久しぶりである。

 しかも、契約の結び方がキスだと知らないままそのシーンが終わってしまったのも、過負荷(マイナス)たる禊が故だったのだろう。

 

 禊が目覚めた時、身体の傷やハブの毒は消え去っていた。それはただ単に、禊の保有するスキルが自動発動しただけの可能性が最も高い。

 禊は死ぬと必ず夢で安心院(あじむ)なじみという少女と邂逅するのだが、けれど今回に限ってそれがなかった。

 

 だとしたら、もしかしたら禊はあの時死なずに済んでいて、召喚魔法の効果によって命を助けられたのかもと考えられなくもない。

 どちらにせよ、自らが保有するスキルによって死が大した意味を持てなくなっている禊は、それを恩義として感じることはなかった。

 

 そのために昨日は部屋で待機していろという命令も無視して、ここはどこなのか、そもそも何らかの異常(アブノーマル)によって幻覚に囚われているのかもしれない。などの疑問を解消するため、時間をかけて学院内を探索していたのだ。

 今だって禊が使い魔となって大人しくルイズの命令に従っているのは、異世界の情報を仕入れるためと、合法的に美少女の下着を触れるためである。意外と、健康的な男子としての道は踏み外していない禊だった。

 

 ともあれ、禊の目的はあくまで帰る方法を見つけることだ。それも早急に。

 もし禊がここに召喚された時期が、箱庭学園以外の学校を廃校にして回っていた頃なら、さほど焦りもしなかっただろう。どちらかというと、少年の夢である異世界旅行にはしゃいで、いつも通りに未知のスキルを求めてトリステイン魔法学院を廃校させていたかもしれない。

 常人なら気が触れたかと思う事態であっても、禊はその状況に適応しようとしていた。過負荷(マイナス)普通(ノーマル)では、理不尽への耐性が違うのだ。

 

『次の戦挙までには、ひのきの棒とおなべのフタを装備して、箱庭学園に帰らないと』

 

 しかし、今の禊には共に戦う過負荷(なかま)達がいる。守るべき過負荷(じゃくしゃ)がいる。共に堕落したい過負荷(とも)を見捨てる選択肢など、ぬるい友情を掲げる彼には有り得ない。

 

 昨日の夜、禊が危うくルイズをご臨終様展開に持って行きかけたのは、自分が呼ばれたことによる仲間達への心配を踏みにじるような発言が元だった。

 ただ、不幸(マイナス) 中の幸い(プラス)として、禊の帰還についてルイズは反対の意を示さなかったため、その点については協力も仰げるだろう。

 

『それにしても、洗い場、洗濯板、石鹸、わからないなら誰に聞けばいいけど、何一つとして説明せずにベッドでしくしく泣かれるとは予想外だったよ』

 

 ベッドで嗚咽を漏らすルイズを見てみぬふりをする優しさが、まだ禊にも残っていた。わけがなく、貴族(エリート)平民(ハズレ)を引き当てた絶望感をよく噛み締める時間をプレゼントしただけである。ルイズがひとしきり泣いた後で声をかけ、余計羞恥に塗れされようとも思ったのだが、禊が先に寝てしまった。

 

 そもそも禊が出歩いているのは洗濯のためではない。衣服の汚れなんて禊のスキルでどうとでもできる。

 ただそれっぽい姿を見せず清潔になった下着だけを渡したなら、どうやったのか問い詰められるだろうから、時間潰しに朝の散歩をしているだけだった。

 自分のスキルを教えるのに抵抗があるわけではないのだけど、そういうショータイムはタイミングを大事にする。それが劇場型で人の注目を好む禊の流儀である。

 

「あのー」

『うん?』

 

 せっかくだし、切り上げた散策の続きでもしようかと思っていた禊は、何気なく背後から声をかけられ振り向く。

 そこには、短めの黒髪をしたメイド少女が洗濯物を籠に入れて立っていた。素朴な可愛さで、貴族よりも生活感のある少女だ。

 

『話しかけると、“ここはトリステイン魔法学院です”と言う役が似合いそうな子だな』

 

 どうやら禊は、ハルケギニアにいる間はとことんRPGネタを使い倒すつもりのようだった。少年漫画をこよなく愛する禊は、ゲームも人並み以上には精通している。

 

「はい?」

 

 何が何やらわからないままに、メイド少女は小首を傾げる。どうやら早々に解釈を諦めたルイズと違って、どうにか意味を理解しようとしているようだ。

 

『こっちの話だから気にしないでいいよ。それで、僕なんかに何の用かな?』

「あ、はい。あなたは、ミス・ヴァリエールの使い魔になったという、噂の方ですか?」

『そうだよ。僕が噂の真相、球磨川禊でーす!』

「私はシエスタって言います。それで、もしかしてお洗濯に行かれる途中ですか?」

 

 禊があざとくも人の良さそうな笑みで少女に応えると、少女も笑顔で自己紹介を返した。こちらはわざとらしさのない自然な笑みだ。

 

『正解正解、拍手ー。よくわかったね』

「貴族様の下着を持っているようだったので、もしかしてお洗濯できる場所を探してるのかなって」

『うん、実はそうなんだよ。僕のご主人様は、使い魔使いが荒くってねー』

 

 いくつか、事実との相違があるが禊は黙っておいた。説明するのが面倒だし、ここも手品の種明かしをするタイミングであるはずはない。

 

「それなら、私もこれからお洗濯をするつもりだったので、一緒にご案内しますよ」

『ありがとう。そうしてくれると助かるよ』

 

 珍しくも普通の接し方で、禊はシエスタの後ろを付いていく。

 禊のひねくれた話術も、気立てのいいシエスタはにこやかさを崩さない。尤も、これは禊の主義(・ ・)も少なからず関わっているのだが、結果としてシエスタは貴重な情報源となっていた。

 

「召喚の魔法で平民を呼ばれたと聞いた時は驚きましたわ」

『たった一日で学院中に話が広がってるんだ。閉鎖空間だけあって、情報の伝達は早いようだね』

 

 その事実が意味するのは、平民側のルートでもそれなりの情報収集は期待できるということである。

 しかし、実益を兼ねた和む世間話も長くは続かなかった。会話に気を取られていたシエスタが、角を曲がってきた者とぶつかったのだ。

 

「あっ!」

「きゃあ」

 

 これは禊がタイミング悪く話しかけて起こったミスであり、両手で抱える程の洗濯物を持っていたためシエスタの動きが鈍っていたのも運がなかった。

 相手の少女も不意打ちだったらしく後ろによろめいたが、寄り添っていたもう一人の少年がそれを支える。

 

 男女の二人組はそれぞれマントを羽織っており、少年が黒で、少女が茶色だ。どちらも高貴な身なりであり、一目見ただけで貴族であるとわかる。

 シエスタも倒れることはなかったが、手に持っていた籠を手放してしまった。

 中身の洗濯物ごとひっくり返ったため衣服達はぶつかった少女に振りかかり、被害者の貴族は憤慨を隠そうともせずシエスタに食ってかかる。

 

「もう、何なの!」

「ひっ申し訳ありません!」

 

 それを見たシエスタは顔を青白くさせ、深々とお辞儀しながら謝罪した。その様子は完全に萎縮しており、狼狽し震え上がっている。

 

「大丈夫かい、ケティー? やれやれ、君のせいで美しい薔薇が汚れてしまったじゃないか。どうしてくれるのかな?」

 

 少年はケティーと呼んだ少女から洗濯物を剥がす。それからキザったらしく自らの金髪をかき上げて、手に持った薔薇を嗅ぐようなポーズを取る。

 それを見たシエスタは涙目になって、より激しく頭を下げる。

 

「申し訳ありません! お許しを! 申し訳ありませんでした!」

 

 シエスタからさっきまでの明朗さはすっかり消え去っており、何度も何度も、ひたすらに謝り続けた。まるでそうするための人形になったようだ。非はシエスタにあるとはいえ、その姿からは惨めさが漂っている。

 

「せっかくギーシュ様と二人で朝のお散歩をしていたのに、台無しになってしまったわ。これだから平民は……」

「どうにも不躾なメイドだね。やれやれ、洗濯も満足にできないのかい?」

 

 何を言われても、シエスタは申し訳ありませんを繰り返す。ワンパターンと言うよりは、あまりの畏怖からパニックを起こして、それしかできなくなっているのだろう。

 やがて「もういいわ。こんなひたすら謝るだけしか能のないメイドなんて放っておきましょ」と、貴族の二人が呆れて去っていくまで、シエスタの頭は上がることはなかった。

 

 なんとかその場を取り繕ったシエスタは、二人が見えなくなると糸が切れたように、その場に座り込んだ。余程恐かったらしい。

 その顔には涙と罰を与えられなかった安心感がありありと見て取れた。

 また、シエスタの隣に立っていた禊は一連のやりとりをじっと眺めていただけで、去りゆく二人をただ見送った。

 ただし、その濁りなき瞳に、貴族と平民にある明確な格差をしっかり網膜に焼き付けて。




※ 重要
たまに間違われるので注意事項。

今回は明確に平民と貴族の格差を表す描写を入れました。
今後球磨川さんは原作から解釈した過負荷の流儀で行動しますが、当作品のテーマはいわゆる貴族アンチ・ヘイトものではありません。
(そのためタグにも入れておりません)

もし露骨な貴族へのアンチ・ヘイトを期待する感想を書き込まれましても、私は否定的な返事しかできませんのでご了承ください。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四敗『なんてことを言うんだ』

 気落ちしながら眠りに落ちたルイズは、寝覚めの悪い朝を迎えていた。

 薄らぼんやりした意識で周囲を見回すと見慣れぬ毛布の塊があり、自分が平民を召喚したことを思い出すが、そこに禊の姿はない。

 またぞろ使い魔が勝手に行動しているという事実を確認したら、怒りで目が冴えてきた。

 

「どうしてご主人様を起こしもせず、部屋からいなくなるのよ!」

 

 なんて喚いてみても、昨日の夜と同じく当事者がいないのだから意味はなかった。

 時計を見るとちょっと寝過ごし気味ではあるが、まだ朝食の時間には間に合う。

 ルイズは焦りつつもテキパキと着替えて部屋を飛び出すと、丁度部屋に戻ろうとしていた禊とばったり出くわした。

 

『やあ、おはようルイズちゃん。今朝はゆっくりだね』

「あんたのせいでしょうが!」

『んん? 僕はご主人様を起こすようにとは仰せつかってないよ』

「私の身の回りの世話は全部あんたの仕事なの! 朝はちゃんとご主人様を起こしなさい! というか何また勝手にうろちょろしてるのよ!」

 

 得体のしれない昨日の恐怖は、起き抜けからのストレスで喉元を過ぎ去ったらしく、ルイズは朝から容赦なくまくし立てる。

 

『ヒステリックご主人様が、常に素肌に密着させてないと気が気じゃないアレを、甲斐甲斐しく洗浄しに行ってたのさ』

「どういう表現よそれは!」

 

 ただの洗濯で、どうしてこんな如何わしい話になるのだ。意味もわからず自分がはしたない女みたいな扱いを受けて、ルイズはさらに激昂する。

 

「あら、おはようルイズ。朝から騒がしいわね」

「……おはよう。キュルケ」

 

 ルイズと禊が廊下で騒いでいると、隣の部屋から新たな少女が現れた。燃え盛るような赤の髪に褐色の肌をしており、背も高い。ルイズが年齢より少々幼く見える体型に比べて、キュルケはメリハリのある体つきであり、ブラウスのボタン上二つを外して豊満なバストを強調している。

 そんな自分とは対極的な相手の登場に、ルイズは一度声のトーンを落とし顔をしかめて挨拶した。

 

「そこにいる影の薄そうな顔した平民が、あなたの使い魔?」

「そうよ……ホントに薄かったらまだ良かったのに」

「あっはっは! 『サモン・サーヴァント』で平民喚んだって噂は本当だったのね! さっすがゼロのルイズ」

「う、うるさいわね!」

 

 高らかに笑うキュルケにルイズは悔しがる。それでも事実は事実であり、まともに返せる言葉もない。

 

『それで、これがキュルケちゃんの使い魔かな?』

 

 二人が話している間に、キュルケの部屋の前にしゃがみ込んでいた禊は、そこでじっといる赤いトカゲに傾注していた。

 

「随分と馴々しいわね、あなたの使い魔」

「そういう奴なのよ」

「ふーん、まあいいわ。そうよ、この子が私の使い魔フレイム。当然、誰かさんとは違って一発で成功よ」

『尻尾が燃えてるね。ポケモンには見えないし、RPG的にサラマンダーってところかな』

 

 禊は火トカゲを見るのは初めてのようだが、大型の四足獣サイズのモンスターに物怖じせず、興味津々といった様子で眺めている。その感嘆するような姿勢で上機嫌になったのか、キュルケのお喋りが饒舌さを増した。

 

「その通りよ。わかるかしら。この尻尾、この鮮やかで大きな炎、これは間違いなく火竜山脈のサラマンダー! 好事家に見せたら値段なんか付かないわ!」

故郷(くに)へ帰るんだな。お前にも家族がいるだろう』

 

 禊がフレイムの頭を撫でながらポツリと呟いた。ルイズはそれが強制的に召喚された禊の皮肉だと解釈し、キュルケは彼なりのジョークだと思っているようだ。

 

「ふふ、面白い子ね。それであなた、お名前は?」

『僕は球磨川禊だよ。よろしくね!』

「クマガワミソギ? 変な名前。けどあなた、よく見ると可愛い顔だし、私のところにいらっしゃいな。特別に使用人として使ってあげるわよ?」

『ありがとう、前向きに検討しておくよ』

「何ご主人様を差し置いて勝手な話をしてるのよ!」

 

 キュルケの行為はあくまでルイズを挑発するためで、本気さは欠片も感じられなかった。所詮、平民は平民という扱いだ。

 それはわかっていても、ルイズには禊が嬉しそうにキュルケの誘いを受けようとするように見えたらしい。禊の表情筋は、だいたい笑顔で固定されているのだが。

 

「あら、恐い。それじゃ、お先に失礼」

 

 キュルケを見送ったルイズは、彼女の背が見えなくなったのを確認してから、我慢していた本音を腹の底から吐き出す。

 

「ああもう、悔しー! 毎回毎回嫌味ばっかり! なんなのあの女!」

 

 ハルケギニアには、“メイジの実力を量るには使い魔を見ろ”という言葉がある。

 それに従うならば、ルイズはやはり自他共に認めるゼロの資質を表す者を引き当ててしまった。それに比べてキュルケは、

 

「今日なんて、自分がレアな火竜山脈のサラマンダーを召喚したからって自慢して!」

 

 この格差はなんなのよ! っと、もう朝から不機嫌が止まらないルイズである。

 

『ルイズちゃんは、余程あの子と仲がいいみたいだね』

 

 誰が見ても炎上中のルイズに、禊はためらいなく油を注いだ。火勢を増したルイズの矛先は禊に方向転換される。

「どうやったらそういう結論に達するの!」

『僕の世界にはツンデレという言葉があってだね』

「もっと腹が立ちそうだから、あえて意味は聞かないわ」

 

『それは残念だよ』と言う禊には、悔しさなど微塵も見えやしなかった。

 

『ところでルイズちゃん』

「何よ?」

『“ゼロ”っていうのはルイズちゃんの二つ名みたいだけど、どういう意味なのかな?』

「つ、使い魔はそんなこと知らなくていいの! それより、早く食堂に行くわよ。グズグズしない!」

 

 ただでさえ禊はルイズをご主人様と認めているとは思えない接し方をしているのに、魔法が使えないからゼロという蔑称を与えられている、なんてこと話せるわけもない。

 ルイズは無理があると思いつつも、そこで強制的に話を打ち切り、扉に鍵をかける。

 

「あれ?」

 

 すると鍵はきちんとかかり、扉は開かなくなった。そんなのは当然の事象であり、だけどルイズにとっては不可解な現象だ。

 

「だって昨日は……」

 

 鍵が壊れてちゃんとかかっていなかったはず。それを忘れていて鍵をかけてしまったのだが、今鍵はしっかりとかかっている。

 

『ルイズちゃん、どうかしたかい?』

「あんた……いえ、なんでもないわ。行きましょう」

 

 どうして昨日は壊れていた扉の鍵が直っているのか。何かを仕組んだのだとしたら、犯人は禊以外に誰がいるというのだ。

 しかし、昨日は知らぬ存ぜぬを押し通した禊が、今日になって何かを吐くとは思えない。そんなこともわからないのかと言外に揶揄されるのが嫌で、これ以上の追求はやめておいた。

 

 それに食堂にさえ行けば、こちらには立場逆転の秘策が用意されている。ここまで自由に振る舞い続ける禊にようやく効果的な躾ができるのだ。

 ルイズはこの先にある自分の計画を思い、内心で黒い喜びを宿して、禊に背を向けて歩き出した。

 

          ●

 

 魔法学院の中心に位置する本塔に、“アルヴィールズの食堂”はある。壁際に並ぶ、夜になると踊り出す人形達がその名の由来だ。

 学園内の貴族達は皆、ここで食事をする。三つ並んだ長いテーブルは全てに豪奢な装飾が施されており、一つにつき裕に百人は座れるだろう。

 その中で、二年生のルイズは真ん中に座ることになっている。

 

「気の利かない使い魔ね、早く椅子を引いてちょだい。って、何勝手に座ってるのよ!」

『これは失礼』

 

 ルイズが平民を連れて入室し、それを笑った者達を目で威嚇した僅かな時間で、禊は椅子に座って料理を眺めていた。どれだけがっついているのだ、この使い魔。

 

 ――ここは堪らえなさい、ミス・ヴァリエール。こいつが朝食に興味を示すのはいい兆候よ。

 

 ルイズの椅子を引くために禊が立ち上がると、ルイズはそのまま禊だった席を奪ってしまった。

 

『貴族様は朝からヘビー級の食事をするみたいだね』

 

 そんなルイズを気にした風もなく、禊は隣の椅子の背を掴むが、ルイズにその手を払われる。

 ここでようやく禊がルイズに視線を送るが、今度はルイズが禊の目を見ず、澄ました顔をして床を指さす。

 

「ほら、あんたは床よ。ゆーか!」

『その床にある皿が僕の食事ってことかな?』

「そうよ」

 

 ルイズが肯定した皿には小さな肉の切れ端が浮いたスープに、硬そうなパンが二切れ添えられている、だけだった。

 これは屈辱的だろう。しかも禊はルイズ以外からは食事を得る手段がないのだ。

 

「いいこと? 本来なら使い魔は外で食事する決まり。それを、あんたは私の特別な計らいでここに居られてるの。わかったら感謝して座りなさい」

『そんな! なんてことを言うんだルイズちゃん……!』

 

 ルイズは使い魔を召喚してから始めて、彼の非難の声を聞いた。ようやく自分が主人として立つべき優位に立ったと、ルイズがほくそ笑む。

 

「あら、それが嫌ならあんたも他の使い魔達と一緒に外で食べれば?」

『当然じゃないか!』

「……はあ?」

『いくら自分の使い魔が可愛くてしょうがないからって、そんな差別はいけないよ。いたんだよねー僕の世界にも、ペット持込み禁止の店に家族だからと犬や猫を連れ込む常識のない人が』

 

 怒られている。けれどもそれは、床で粗食を食べさせられるという屈辱ではなく、使い魔を食堂に連れ込んでいるルイズの行為をだ。

 わけがわからず、ルイズははてなマークを大量に浮かべながら禊を見つめている。

 

『そういうわけで、僕も外で食べてくるね。それじゃ!』

「え、あ、ちょっと待ちなさい!」

 

 まるで想定の外な怒りの矛先にルイズが混乱していると、禊は自分の皿を持って立ち上がり、さっさと食堂から出て行ってしまった。

 またしてもやられたと、ルイズが気付いた頃にはもう遅い。追いかけて文句を言おうにも、もうすぐ食事前のお祈りが始まる。

 

 貴族として礼節を重んじるルイズは、後で覚えてなさいと怒りを胸に押し込めて、姿勢を正す。

 そして気付いた。

 

「え? 嘘……」

 

 料理がない。

 それもルイズの料理だけが綺麗さっぱり消えている。まるで始めから何も入ってなかったみたいに、スープの一滴も残ってはいなかった。

 

 いつ、誰が? そんなのまた禊がやったに決まってる。こっちの気を引かせたのはそのためだったのだ。でも、どうやって?

 わからない。わかるはずがない。だって禊は、メイジじゃないから。

 

「本当にあの使い魔は……」

 

 空腹。疑念。そして昨日の恐怖と会話が連なり、禊の語っていた話を思い出す。

 異世界からやってきた平民。そんな馬鹿なと思っていた事柄が徐々に現実味を帯びて、ルイズに不安感を喚起させる。

 

「そんなわけないわ。異世界なんて」

 

 これはマジックアイテムの仕業だ。そうに決まってる。馬鹿な空想よりも、あり得る現実に目をこらすべきだ。

 そうやって異世界という未知の存在を否定する。

 しかしそれと同時に、私は一体()を召喚したのだろう。そんな不確かであるのに確定的な得体の知れなさが増していくのを、ルイズは感じていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五敗『忠実な使い魔だからね』

 ルイズはお祈りが終わってもしばらくはじっとテーブルに座っていた。周りが食事のないルイズの皿を見て怪訝そうにしているが、全部無視だ。

 やがて大きな溜息を一つ吐いて、ルイズは食堂を出た。すると、ルイズを待っていたのだろう禊が寄ってくる。

 

『食事美味しかったよ。ありがとう、ご主人様』

「どどど、どういたしまして。あ、あんたこそ、自分から外で食事するなんて、立場がわかってきたじゃない」

『そりゃあそうさ。なんたって僕はご主人様の忠実な使い魔だからね』

 

 なんて白々しい虚勢だろうと、ルイズは自嘲した。

 一見すると忠誠を誓う従者とその主人の会話だが、その本質はまるで逆。主人が無理に澄ました顔で虚勢を張り、内情を知る使い魔が心の底でニヤニヤ笑ってそれに付き合っている。

 最低な話だった。才能ゼロで平民の使い魔を召喚して、その使い魔をコントロールする能力すらゼロなのだから。

 

『それにしても、ルイズちゃんは食べるのが早いんだね』

「それはあんたがっ!」

『おやおやー? 急にしかめ面になって、早食いし過ぎてお腹痛くなっちゃったかな?』

「……そ、そうかもしれないわね。けど大したことないから大丈夫よ」

 

 堪えろ。これは禊の策略であり、こっちが言い返せば言い返すだけ禊は調子に乗るのだ。

 ただでさえ短気なルイズにとって、禊とのやり取りは生徒達からの嘲笑を上回る、多大なストレスとなっていた。

 

「教室に行くわ!」

『はーい、ご主人様』

 

          ●

 

 魔法学院の教室は三方向に広がるように机が設置され、その集約地点に教師用の教壇と黒板がある。

 その机に座るのは一人で、教室はまだがらんどうだった。

 

 いつもより早く教室にやってきたルイズは、空腹を堪えつつ黙々と予習をしている。

 禊は興味の赴くままに教室をウロウロしているようだ。ルイズからすれば変にちょっかいをかけられるより気が楽なので、好きにさせて放置している。

 

 やがて他の生徒達もやってきて、禊の関心は生徒の使い魔に移っていった。しげしげと使い魔達を観察する禊を、ある者は疎んじて、またある者は見下げて笑う。そのどちらにも、禊は同じ笑みで応えた。

 

『本当に多種多様な種族の使い魔がいるね。二足歩行する哺乳類(にんげん)は僕だけだけど』

 

 一通り生徒が揃って教室のざわめきが大きくなってくると、禊がルイズの隣にやってきた。ルイズは使い魔が座る椅子はないと、口を開きかけたが、禊が座ったのは椅子ではなくて床だ。先読みされている。

 

「昨日言ったでしょ、人間なんて召喚された記録はないの」

『僕を除いて……ね。ルイズちゃんはスゴイじゃない。君は前例にないことをやったんだぜ?』

 

 それが平民召喚なんて、ある意味大失敗に等しい前例でなければね。ルイズは自虐と八つ当たりを喉元で抑えた。

 堪えろ。堪えろ。堪えろ。三回唱えて前を向く。

 油断するとすぐにペースを持っていかれてしまう。いがみ合いにすらならないのでキュルケとも違う。こんなタイプを相手にするのは初めてだった。

 

『バックベアード様もいたね。僕はロリコンじゃないから、怒られずにすんでよかったよ。瞳先生は例外だしね……。ホントに例外なんだよ?』

 

 また意味不明な発言をしているが、それも無視しておく。

 そうこうしていると教室の戸が開き、中年の女性が入ってきた教壇に立った。ふくよかな体型で、ゆったりめな紫のローブと、帽子を被っている。

 

『あのいかにもって人が先生かな』

「当たり前じゃない」

 

 このタイミングで教室に入り教壇までやって来て、まるで部外者なわけがないだろう。

 

「皆さん。春の使い魔召喚は無事に成功したようですね。喜ばしいことですわ」

 

 女教師は授業よりも先にまず笑顔で教室内を見回した。体つきに相応しい落ち着いた柔和な笑顔だ。

 

「わたしはこうやって春の新学期に、この教壇からあなた達が召喚した使い魔を見るのをとても楽しみにしているのですよ」

 

 何気ない言葉の連なりだが、ルイズにとっては今最も触れて欲しくない話題の最上位であり、思わず俯いてしまった。

 そこに、悪意のない追撃がやってくる。

 

「おやおや。変わった使い魔を召喚したものですね。ミス・ヴァリエール」

 

 それが引き金となって、教室が笑いで溢れかえった。不快な声が束になってルイズを叩く。

 

「ゼロのルイズ! いくら召喚できないからって、その辺の平民を連れてくるなよ」

 

 その嫌味を受けて、ルイズがたまらず立ち上がる。召喚したのも認めたくないが、召喚失敗と言われるのはもっと許せなかった。

 

「違うわ! きちんと召喚したもの! この傍若無人な平民が来ちゃっただけよ!」

「嘘吐け! いつもみたいに、『サモン・サーヴァント』だって失敗したんだろ?」

 

 ――あんたはこんな貴族を貴族として扱わない特異な平民がその辺にいると思うの?

 

 こんなのは言うだけ無駄だ。だって、誰もこいつがどれだけ変な平民なのか、まるでわかっていないから。

 

「ミセス・シュヴルーズ! かぜっぴきのマリコルヌがわたしを侮辱したわ!」

 

 机を叩いた拳は、ただゼロと侮辱されたからじゃない。怒り心頭のルイズだが、それをどこか一歩引いた位置から、冷めた目で見ている自分がいるのを感じていた。

 

『なるほど、そのガラガラ声は風邪を引いてたからだね。いやあ、そんな体調でも授業を受けるなんて、こんなに勉強熱心な子を虐めちゃいけないよルイズちゃん』

 

 思わぬ横槍に、教室には新たな笑いが湧いた。

 ルイズは心中で、ほら見なさいと呟く。こんなタイミングで、貴族相手に皮肉を言える平民が普通にいるわけないじゃない。

 

「僕はかぜっぴきじゃないぞ! 風上のマリコルヌだ!」

 

 ブーメランのように返ってきた自分への嘲笑に耐えられず、マリコルヌも席から立ち上がった。

 そこでシュヴルーズは手にしている杖を小さく一振りすると、ルイズとマリコルヌは足の力が抜けたように、席へと落ちる。

 

「お友達をゼロだのかぜっぴきだの呼んではいけません。わかりましたか?」

 

 そう正論を掲げて二人を諭すシュヴルーズに加担するように言葉を発した者がいた。またもルイズが召喚した使い魔である。

 

『そうだよ、騒動の原因を作ったのが先生なのに、その事に全然気付かないで善人面してるからってさ。皆して空気を読んでルイズちゃんをからかうのはよくないよね!』

 

 教室が別の理由で静寂に包まれた。ルイズが「教師にまで何を言ってるのよ」と小声で禊を睨みつけるが、禊は涼しい顔で受け流す。

 嫌に張り詰めた空気を、シュヴルーズはこほんと一つ咳き込むことで破った。

 

「確かにわたしの配慮不足でもありましたわ。ごめんなさいね、ミス・ヴァリエール」

「いえ……」

 

 平民の指摘でも自分の失態を素直に受け止めるシュヴルーズをルイズは内心で評価しつつ、それを配慮不足とするのは、ルイズの無能を暗に認めているのではないかとも思う。

 いくら悪意がなくたって、心の奥底には変わった使い魔と言うだけの何かがあるのだ。その何かが時間経て膨れ上がり現状(いま)を作っているのも、ルイズは体感でわかっていた。

 

「それでは皆さん、授業を始めていきましょう」

 

 シュヴルーズが杖を振ると、石ころが数個机に現れた。続けてシュヴルーズが自己紹介を行う。

 

「私の二つ名は“赤土”。赤土のシュヴルーズです。これからの一年、“土”系統の魔法を皆さんに講義していきます。まずはおさらいですが、魔法の四大系統はご存知ですね? ミスタ・マリコルヌ」

 

 「は、はい」と自分が当てられたことに僅かな緊張を見せながら、マリコルヌがその四つの系統を挙げていく。『火』・『水』・『土』・『風』だ。

 これに今は失われ伝説として扱われている『虚無』が加わり、全部で五つの系統がある。

 その中でも土は最も重要な要素であるとシュヴルーズは語る。やたらと、自分の系統だから贔屓しているのではないと付け足しながら。

 

「『土』系統の魔法はただ土を操るだけではなく、万物の創世さえも操れる重要な系統の魔法なのです。この魔法がなければ、鉄や銅などの重要な金属を生み出すこともできませんし、同時にそれらを加工することだって不可能です」

 

 要は建築や農産物など、人との生活に結び付きが強い属性が『土』なのだ。

 

「今から皆さんには、土系統の初歩である『錬金』の魔法を覚えてもらいます。奥は深いですが決して難しい魔法ではないので、一年生の時にできるようになった人は多いでしょう。けれども何事においても基本は大事。まずはおさらい致します」

 

 シュヴルーズが杖を軽く掲げて短くルーンを唱えると、それに反応した石ころが光りだす。そして光が収まると、小石は全て光る金属に変わっていた。

 

「ゴゴ、ゴールドですか? ミス・シュヴルーズ!」

「違います。これはただの真鍮です」

 

 キュルケが身を乗り出すようにシュヴルーズに質問すると、シュヴルーズがそれを否定した。なんだ、と落胆したキュルケが席に座り直す。

 

 ――どれだけわかりやすいのよ。

 

 ゴールドの錬金はメイジの中でも最高位である『スクエア』しか錬金できないし、多くの精神力を消費するため簡単には作れない。それに、わざわざここで錬金するような金属でもないだろう。シュヴルーズも同じような説明をした。

 

「私はただの……『トライアングル』ですから」

 

 途中の溜めた部分では、勿体ぶったように咳払いを一つして自分のランクを語った。咳払いが癖なのだろうか。

 メイジは『土』と『火』や、『土』が二つというように、系統をかけ合わせて魔法を使える。また、その足せる系統の数がメイジとしてのレベルを示す。一つなら『ドット』、二つなら『ライン』と言った感じだ。

 中でもトライアングルはそれだけで魔法の優秀さを表しているランクである。

 

 ルイズは魔法こそ使えないが、その分座学の成績は非常に優秀だ。こんな復習なんて、ルイズなら教科書も見ずに全部事細かに説明できる。

 そんな余裕もあり、ルイズは授業を聞くのもそこそこに、自らが召喚してしまった使い魔について思い耽っていた。

 

 普通でない経歴に、普通でない平民。普通でない出来事。

 球磨川禊。自称他の世界から来た少年。

 ふと、床に座る使い魔へ視線を送る。

 禊は階段に座り込んで、食い入るように授業を見ている。

 

 異世界……。別世界なんて、そんな荒唐無稽な話が本当にあるのだろうか。

 今だってそんな馬鹿なと思ってはいるけど、禊を召喚してからたった二日で、ルイズは禊にすっかり振り回されていた。

 

 鍵が解除される。

 食事がなくなる。

 禊は幾つマジックアイテムを隠し持っているのだろう?

 そもそもアンロックと同等の効果ならまだしも、あれだけあった食事がこうまで綺麗に、それも一瞬で消え去るマジックアイテムなんて、成績優秀なルイズの知識にだってない。

 

 そして何より、ルイズが呑まれているのは、禊の独特な雰囲気だ。

 このハルケギニアで育ったとは思えない思考と言葉が、本来なら笑い捨てるような可能性をもしかして(・ ・ ・ ・ ・)というレベルにまで引き上げさせている。

 薄っぺらなのに、心に残る。

 空々しいのに、思いを揺るがす。

 この使い魔は、嘘が意味を持って形を為したような人間だった。その嘘がちょっとずつルイズにも侵入してくるような……。

 

「ミス・ヴァリエール、ちゃんと授業を聞いていましたか?」

「あ、は、はい! なんでしょう」

 

 迂闊だった。いきなり意識を授業に引き戻されたルイズは流れについていけないし、この非はどうしようもなくルイズにある。

 

「授業中に余所見をする余裕があるなら、あなたに錬金をやってもらいましょう」

「私が、ですか?」

 

 自分に錬金の実践が振られたということは、今はまだ錬金解説の続きなのだろう。

 

「先生、それはやめておきませんか……?」

「どうしてですか、ミス・ツェルプストー」

「危険だからですわ。ルイズを教えるのは初めてですよね?」

 

 キュルケがまるで早まるなと言いたげにミス・シュヴルーズを止めようとする。それが却ってルイズの負けず嫌いに火を付けた。

 

「やります。やらせてください!」

「そうですミス・ヴァリエール、確かにあなたを受け持つのは初めてですが、とても勉強熱心な努力家というのは他の先生方から聞いています。失敗を恐れずやってごらんなさい」

「ルイズ……早まらないで」

 

 周囲の反対を押し切り、ルイズが教壇に立つ。

 キュルケは血の気引いているようで、他の生徒達も皆机の下に隠れていく。奥の方に座っていた青い髪のタバサという少女だけは、さっさと教室を出て行ってしまった。禊は……そのままの体勢といつもの笑顔で教壇のルイズを見ている。

 

 そんな禊の姿が、失敗したらどうしようとルイズに僅かな不安を想起させた。

 ここで魔法をしくじり爆発させたら、禊に自分が魔法の使えぬゼロだという事実がバレてしまう。

 そうしたら、あの使い魔はルイズをどういう目で見るのだろう。貴族として見下した目線が、虫でも見下げるようなものに変化するイメージが、ルイズに渦巻く。

 

 だけど、このままならどうせそう遠からずバレるのは変わらない。それなら必死に『コントラスト・サーヴァント』に挑んだように、 ここで一か八かの勝負に出たって……。

 

 ――そうよ。是非はともかく、わたしは使い魔の召喚に成功している。つまりもうゼロなんかじゃない!

 

 『サモン・サーヴァント』とその後の『コンストラクト・サーヴァント』には成功しているという実績。そこから湧いてくる自信が、無謀にもルイズの背を押してしまった。

 

「さあ、集中して『錬金』のルーンを唱えるのです」

「はい」

 

 ミス・シュヴルーズのアドバイスに従い、ルイズは目を閉じて『錬金』の詠唱を始めた。

 

 ――そうだやれる。私はやれる、もう誰にもゼロとは言わせない。

 

 自信と裏返しの不安を籠めて、杖を振り下ろす。

 

 爆発した。現実とは非常である。

 爆心地のルイズとシュヴルーズは吹っ飛んで黒板に叩きつけられた。

 

 しかし被害の規模はそんな程度では収まらない。爆風と悲鳴が織り交ぜられ、使い魔達が混乱と恐怖で暴れ始める。

 睡眠を妨害されたキュルケのサラマンダーは不機嫌を示すように炎を吐いて、マンティコアがガラスを破って飛んでいく。風通しの良くなった窓から大きな蛇が入ってきて、近くにいた烏を一飲みにしてしまう。

 たった一つの失敗で、教室は収集のつかない混沌とした空間となった。

 

「だから言ったのよ! ルイズに魔法を使わせるなって!」

「ほら、やっぱりいつも通りにこうなったじゃないか!」

「僕のラッキーが……ラッキーが蛇に食われたー!」

 

 シュヴルーズは泡を吹いて痙攣したまま動かない。どうやらラッキーに次ぐ被害を受けたのはシュヴルーズだったようだ。

 ルイズがゆっくりと立ち上がる。煤まみれで、ブラウスとスカートも破れており、肩やパンツが覗けていた。とても貴族には見えない、なんともみすぼらしい格好である。

 ハンカチで煤を拭いながらルイズが言う。

 

「ちょっと失敗したみたいね」

「これのどこが“ちょっと”だよ! ゼロのルイズ!」

「なんでやった! いつだって成功の確率ゼロなのに!」

 

 いつもと変わらぬ生徒達からの野次だったのだが、今度ばかりは切実な叫びだった。

 

『やっぱり魔法が成功しないからゼロってわけだ。ルイズちゃんが僕を召喚した理由が少しわかったよ』

 

 いつの間にか禊が烏を肩に乗せて、キュルケの机に座っていた。ルイズの失敗前と変わらぬ笑顔で服にも汚れた形跡はなく、阿鼻叫喚の教室を見回している。

 

「あなた、よくあの爆発で避難もしてないのに無事だったわね」

 

 なんてことない様子で、禊は肩の烏を指さしてキュルケへの回答を返す。

 

『きっとこの使い魔の幸運(ラッキー)が、僕に取り憑いたのさ』

 

[adsense]



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六敗『それが君の個性だから』

 教室を破壊し、シュヴルーズを失神させたルイズが受けた罰は、魔法使用不可での後片付けだった。

 元来魔法が使えないルイズにとっては、付随の条件が機能しないのは言うまでもない。

 

 それでも教室を著しく損傷させ一時的とはいえ使用不能にし、教師に怪我まで負わせたというのに、与えられたペナルティは思いのほか小さいものだった。

 これはシュヴルーズが生徒達の制止を聞き入れず、ルイズに魔法を使わせたことも問題として扱われたためである。

 

 主人と使い魔は一心同体という理屈から、禊も手伝い二人で片付けているのだが、会話もなく無言で黙々と作業をこなしているだけだ。

 ルイズは、禊にとってゼロというあだ名はルイズで遊ぶ恰好の燃料であり、喜々としてなじってくるだろうと思っていた。そのためルイズからすれば、この沈黙は逆にいつ刑が執行されるかわからぬままに、絞首台に乗せられ続けているようなものだ。

 

 まさか余りの哀れさに禊の同情を買ったというのだろうか。たった二日でうんざりするまで弄られていたのだから、その想像をする方がルイズの心には堪える。

 やがてこの沈黙に耐え切れなくなったルイズが先に口を開いた。

 

「ねえ」

 

 話しかけられても、聞こえてないみたいに禊は何も応えない。一人でホウキを使って塵を集めているだけだ。

 

「これが私の二つ名、“ゼロ”って呼ばれている理由よ」

 

 禊は応えず、あくまで沈黙を守る。自ら走りだしたルイズは独白となった話を勝手に進める。

 

「子供の頃からずっとそう。私が魔法を使おうとすれば必ず爆発する。何を唱えてもよ」

 

 禊は応えない。ルイズは続ける。

 

「何度も何度も練習したし、せめて他のことはって、勉強も必死でして魔法学院でもトップクラスになったわ」

 

 禊は応えない。ただ、その視線だけはルイズに向けた。ルイズは止まるタイミングを逸して、独りよがりに加速していく。

 

「でもどれだけ練習したって、勉強したってゼロはゼロ! どれだけいい成績を残したって、魔法が使えないメイジなんて、誰も認めてはくれないわ!」

 

 加速は悲鳴のような叫びとなって、ルイズの魔法と同じように爆発した。もう自分でも止められない。

 

「あんたもそうなんでしょ! 心の中じゃわたしをゼロのルイズって馬鹿にしてるんでしょ! 何とか言いなさいよ!」

『どうして?』

 

 そこでようやく球磨川が反応を示した。独白がキャッチボールとなる。

 

「どうしてって、どういう意味よ?」

『どうしてそんなに必死になっちゃってるんだい?』

「貴族にとってメイジの才能がないというのは、無能の烙印を押されているのと等しいの!」

 

 無能故のゼロ。数え切れないだけの功績を積み重ねたところで、魔法が使えないというだけで全てがゼロとして扱われる。それがルイズの歩んできた人生だった。

 

『ルイズちゃんはそれでいいんだよ』

「いいわけないでしょうが!」

『そんなに落ち込まないで、元気を出して』

 

 やっぱりこの使い魔も安い慰めの言葉をかけるだけなんだ。そんな諦観と、こんな奴にまで同情の念をかけれる自分が、どこまでも腹立たしい。

 

『プライドだけは一人前で、どんな魔法でも失敗させちゃって、普段は強気でもすぐに落ち込んじゃう。貴族としてもメイジとしても半人前の落ちこぼれ。ぜーんぶ中途半端な脆い女の子』

 

 だけど。そう、だけど。

 ルイズが禊を普通だと思ったのは、思えたのは、ほんの一瞬だけだった。

 禊という使い魔は、ルイズがこれまで出会ってきた、どんな貴族とも平民とも違うのだから。

 

 つかつかと、禊がルイズに近寄ってくる。

 

 ――何よ、これ?

 

 罵詈雑言を浴びせながら、禊はそれらを全肯定する。

 気持ち悪い。

 空間が捩れ曲がるような気持ち悪さが、禊を中心に広がっていくのをルイズは感じた。

 

『でも、その弱い子がルイズちゃんだよ。それが、かけがえのない君の個性なんだから!』

 

 もうこれは理屈ではなく、感覚的に禊が気持ち悪くてしょうがない。

 目に映る姿も、聞こえてくる声も、肌にまとわり付いてくる気配も、あまねく全てがだ。

 でも逃げられない。身体が言うことを聞かず、ガチガチと歯の根が合わない音だけが、ルイズの正気を保ってくれている。

 

 ずいっと、禊はルイズに息がかかる距離まで近付いた。これまで感じたことのない気持ち悪さが、ルイズの身体を這いまわり、身体が震える。

 

『無理に変わろうとせず、自分らしさを誇りに思おう! 君は君のままでいいんだよ』

 

 これは慰めなんかじゃない。そんなわけあるものか。

 ルイズの善い部分と悪い部分、そのどちらも一緒くたに混ぜられて、全部を台なしにされた。

 ルイズは堕とされている。その心を、禊という負の塊に魅入られて穢されていた。

 

「うるさい」

 

 ルイズは、自分の心が悲鳴を上げる音を聞いた。

 否定の言葉。そんなのはいつものことだった。キュルケや他の生徒達。自分を馬鹿にする者をルイズは常に否定し続けてきた。

 

 それらは全てゼロという名を否定。

 でも違う。これは……これだけは違う。

 ルイズが今否定しているものは球磨川禊という存在そのものだ。

 

「うるさい! うるさい! うるさい! うるさい! うるさい! うるさい! うるさい! うるさい! うるさい! うるさい! うるさい! うるさい!」

 

 怒りではなく恐怖。

 固まるのではなく凍える。

 投げ出したいのではなく、逃げ出したい。

 

 ――助けて、誰か助けて。お父様お母様エレオノール姉様ちい姉様オールド・オスマンミスタ・コルベールミス・シュヴルーズキュルケもう誰でもいい。誰でもいいから助けて。

 

 心からの拒絶。全身全霊の悲鳴。

 

「こっちに来ないで! わたしに触れないで!」

 ――お願いだから、これ以上、わたしの心を穢さないで。

 

 恐い。怖い。こわい。こわいこわいこわいこわいこわい。

 

「あんたはわたしの使い魔なんかじゃない! あんたはわたしが召喚に失敗して、たまたまそこら辺にいた平民を連れてきただけよ!」

 

 もう貴族としてのプライドなんてなかった。何でもいいから、禊をなかったことにしたかった。使い魔なんていないことにしたかった。現実(なにもかも)をなかったことにしたかった。

 

 気が付けば走っていた。どこにも向かってない。離れたいだけだったから。走れたことを心から喜んだ。

 でも。

 でも、聞こえてしまった。聞かされてしまった。走る出す前の、最期の言葉。

 

『現実さえなかったことにして逃げる。そんな君の無能(ゼロ)を受け入れればいいのさ。そうすれば君は……』

 

 思い出したくない。聞きたくない。消えろ記憶から消えてしまえ。思えば思う程に、その言葉はルイズを支配する。

 色濃く、真っ暗に、ルイズの心を塗り潰す。

 

過負荷(ぼく)と同じになれる』

 

 自分から逃げ去ってしまったルイズの背を見送り、禊はポリポリと頭髪を掻いた。

 

『ちょーっと、やり過ぎちゃったかな?』

 

 最近の相手は異能集団の異常(アブノーマル)だったり、挫折をしない特別(スペシャル)だったり、頑張っちゃった(ノーマル)善吉ちゃんだったりで、禊は精神負荷への力加減が鈍っていたのかもしれない。

 

『ん。まあ、いっか』

 

 禊は己が所持する凶悪な能力(スキル)さえ、これまでほとんどノリでしか使って来なかった根っからの過負荷(マイナス)だ。ルイズを追い詰めすぎた失敗についても、ろくな反省などするわけがない。

 

 それにもし彼女が真に無能(ゼロ)なら、このままルイズに付き添っていれば後は勝手に過負荷(マイナス)へと転がってくるだろう。そういう思いもある。

 

 禊が喚ばれたことに意味があるとするなら、それはルイズを過負荷(こちら)側に引き込むためだろうと、禊はなんとなく解釈していた。ルイズが禊の味方になれば、帰る方法も積極的に探してくれるに違いない。

 

 そういう計算をしながら、禊は残りの片付けを一人で済ましていく。失敗(マイナス)の後始末なら、それがどんな内容であれ慣れたものだ。誰も注目し()てないので、能力(スキル)は使わない。

 教室が元通りになった頃には、昼休みの時間となっていた。

 

『お昼ご飯は……ありそうもないな』

 

 別に食べなくても体調面は困らないのだけど、食べられるなら食べておきたい。考えた末に、禊は一人で食堂へと赴いてみることにした。

 “素直な気持ち”で昼食を分けて欲しいと言えば、きっと貴族の人達は食べ物を差し出してくれるよね。という言葉の意味が何重にもかかっていそうな思惑を持ちながら。

 

          ●

 

 シエスタが昼の仕事に勤しんでいる最中、食堂近くの廊下にて今日の朝と同じ黒い背中を見つけた。

 

「あ、禊さん」

『やあ、シエスタちゃん。朝方ぶりだね』

 

 その朝方が初対面だったというのに、もう長年の友人みたいな気軽さで、禊はシエスタに手を振る。そんな気安さがシエスタにはどことなく嬉しくもあり、すっと禊に並んだ。

 

「ええ、禊さんは今から昼食ですか?」

『そうしたいのは山々なんだけど、ご主人様がご機嫌斜めでね。どうせ準備もされてないだろうから、昼食を食べる貴族様を至近距離から指を咥えて見てよーかなっと』

「そんなことしたら、貴族様から怒られるではすみませんわ!」

 

 どんな物乞いだ。しかも、それをあえてやる意味はどこにあるのだろう。

 今朝からの付き合いでしかないが、シエスタは禊から独特な言動や雰囲気を感じ取っていた。

 

『案外腹ペコの平民を哀れんで、食べ物と全財産を差し出してくれるかも』

 

 禊が言っているのはただのジョークだとわかる。だが、変わり者の禊は貴族に対する畏怖が、とりわけ薄い気がした。

 

「それはないと思います……。冗談でも貴族様を相手にそんなこと言うなんて、禊さんは勇気ありますわね」

 

 シエスタが怒られている時だってそうだった。禊はとばっちりを恐れて逃げたり、嵐が去るのを待って萎縮するわけでもなく、じっとこちらのやり取りを見ているだけ。

 

 貴族の恐ろしさを知るシエスタは、それを薄情だとはまるで思わなかったけれど、怒っている貴族を前にどうして平然としていられるのだろうか? と、そういう疑問は残っていた。

 

『いやあ、それ程でも』

 

 褒めているわけじゃあないのだけど……。まかり間違って実行されたらどうしようとも思うし、食事がなくて困っているのは事実だろうと、シエスタは禊に提案を出す。

 

「よろしかったら、一緒にいらっしゃいませんか? 私達が食べている賄い食ならありますから」

『今朝出会ったばかりの僕にそこまでしてくれるなんて、シエスタちゃんはいい子だね。がっつくようで悪いけど、遠慮なくいただくよ』

「平民が一致団結して助け合うのは当然です。それでは、こちらにいらしてください」

 

 シエスタは屈託のない笑顔で、禊を誘導していった。通されたのは食堂の裏側にある厨房だ。そこにある椅子に禊は座らされて、シエスタがシチューを持ってきてくれた。

 

「貴族の方々にお出ししている昼食の、余り物で作ったシチューですが……」

『ありがとう! 昨日召喚されてから初めてのまともな食事だから、たぶん何でも美味しく感じるけど、きっとこれは特に美味しいよ』

 

 それは褒めてませんよね、などと思うのだけど禊が嬉しそうに食べ始めていたし、シエスタは前向きによしとしておく。

 それより、シエスタには他に気になったことがあった。

 

「昨日から何も食べていないのですか!?」

『正確には、朝スープとちんまいパンは貰ったかな』

「それではとても足りないでしょう。おかわりもありますから、遠慮なく言ってください」

 

 いきなり召喚されて使い魔にされ、ろくに食事も与えられない。それはシエスタだけでなく、ここの食堂にいる者達を同情させるには十分だったようだ。

 

「やっぱり貴族ってのは、どうしようもない連中ばかりだな!」

『おろろ? この人は誰かな?』

「この方は食堂の料理長でマルトーさんです。それで、こちらが昨日ミス・ヴァリエールに召喚された使い魔のミソギさん」

「やっぱりお前が例の不幸な使い魔だったか。災難だったなあ」

 

 たまたま通りかかってこちらの話が聞こえたのだろう。

 マルトーが禊の背を大げさに叩くが、禊はそれを気にせずシチューを食べながら話を続ける。

 

『エリートに迫害されるのは、息をするのと似たようなものですから』

「お前は前いた場所でも貴族の被害を受けてたのか、本当になんて奴らだ! 俺じゃあ食事くらいしか面倒は見てやれないが、食べる物に困ったらいつでも来な!」

『マルトーさんはわざわざ貴族の生産場みたいな学院(とこ)で働いてるのに、わかりやすく貴族嫌いなんですね』

 

 初対面で、しかも食事を恵んでもらっている相手とは思えないような軽い口調でクリティカルな話題を出されたのだが、マルトーはさして気にした風もない。

 

「ここの学園長に誘われたんだよ。あの人は貴族じゃ珍しく、貴族と平民をあまり差別しない人でな。そこが気に入ったんだ」

『へえ。それは僕も機会があれば、一度ご挨拶しておきたいな』

「おう、きっとお前も気にいるだろうぜ。それじゃあ俺はまだ仕事中なんでな。お前はゆっくり食べていけよ」

 

 軽く挨拶をしてマルトーはまた厨房へと戻っていった。シエスタは禊と対面の椅子に腰掛けており、動く気配はない。禊の食事が終わるまで、付き添うつもりなのだ。

 

『どうしたの、シエスタちゃん。僕の顔、シチュー塗れにでもなってる?』

「いえ……。その、禊さんは何ていうか、どこかわたし達と違うなと思ったのです」

『きっとそれは、僕が過負荷(マイナス)だからね』

「マイナス?」

 

 聞き覚えのない単語に、シエスタの返事はオウム返しになった。禊は咥えていたスプーンを縦に持ちくるくると回して、簡潔に説明を付属させる。

 

『人生の負け組だよ。僕達過負荷(マイナス)は常に劣等感(じしん)に満ちていて、人に道を譲(さけ)られて生きてきた』

「えーと……すみません。わたしあまり頭がよくないので、ミソギさんが何をおっしゃりたいのか、今ひとつわかりかねますわ」

 

 どうも禊の話す内容は、シエスタには解釈の難しいものだった。シエスタが言葉遊びに慣れていないのもあるし、それ以前に話が要領を得ないというのもある。

 

『ベタな修飾を外して言うと、よくあるただの虐められっ子さ』

「私にはそう見えませんけど。禊さんはお話をしてると面白いし、苛められるような酷い人だとは思えません」

『シエスタちゃんだってそうだろう? いい子だけど、貴族達に虐められていたじゃないか』

「あれは、わたしが粗相してしまいましたから。それに貴族様と平民じゃ、住む世界が違いますわ」

 

 シエスタにとって、貴族と平民の間にあるものは差別というより差異に近い。平民は貴族に奉仕して生活の糧を得るものだと教えられて育ってきた。それがシエスタにとっての常識なのだ。

 

『その考え、不幸(マイナス)の境遇を受け入れてしまう思考が、過負荷(マイナス)の第一歩なのさ』

 

 禊のそれは小さくポツリと呟いた程度で、シエスタにまで届きはしなかった。

 

「あの、今何て?」

『女の子にここまで優しい言葉をかけてもらったのは、生涯初めての経験だなってね。あ、おかわりもらえるかな』

 

 それからは禊が食事を終えるまで、二人は取り留めもない話をして過ごした。話をすればするだけ禊は普通とは違う考え方をしているなとシエスタは思ったが、その物珍しさはシエスタを楽しませるのに十分だった。

 

『ごちそうさまでした。さて、シエスタちゃんには助けてもらいっぱなしだし、ここで一つ何か恩返しがしたいんだけど、いいかな? 僕は死んだお爺ちゃんの遺言で、助けられたら千倍返ししろと教えられてるんだ』

「恩返しだなんて、気になさらないでください」

『平民は助け合いだと言ったのはシエスタちゃんだぜ? だから何か手伝えることはないかい? できればあっちの食堂関連で』

 

 どうして食堂に絞ったのかはわからない。しかしシエスタは丁度食後のデザートを貴族達に運ぶ予定だったので、それを手伝ってもらうことにする。

 

「なら、デザートを運ぶのを手伝ってくださいな」

『お任せだよシエスタちゃん。僕は前世でパティシエの料理を運ぶ係だったような気がする』

「うふふ。それでは行きましょう」

 

 本当にユニークで面白い人だなと思いながら、シエスタは禊と共に、ケーキを載せたトレイをワゴンに乗せて食堂へと向かった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七敗『君が軽率に』

 トリステイン魔法学院において、ギーシュ・ド・グラモンは有名な女ったらしだった。本人もそれは自覚しているが、考えた末に出した答えは、

 

「ギーシュ! お前、最近よく早朝と夜にいなくなるけど、新しい恋人ができたのかよ?」

「今の恋人は誰なんだ? 俺達だけには教えろよ。友達だろ、なあ、ギーシュ!」

「付き合う? 付き合うだって? この僕にそんな人がいるわけないだろう。 薔薇は、多くの人を楽しませるために咲くのだからね」

 

 これである。金髪を巻き毛にして整えた相貌は美男子といって差し支えないのだけども、いささか自分に自信を持ち過ぎており、ナルシストも併発しているのだ。

 

 友人が自分に注目する様が気持ちいい。ギューシュが食堂にてそんな目立ちたがり屋の自尊心を満たしていた時、不意に彼のポケットから一つの小瓶が転がり落ちた。

 

 ――不味い!

 

 涼しい顔のまま、ギーシュの内に稲妻が走った。

 それはギーシュがモンモランシーから貰った香水が入った小瓶だ。これが誰かに見つかってしまったら、ギーシュとモンモランシーが付き合っていることがバレてしまう。

 それ単体では問題ないが、今この食堂にはギーシュが浮気しているケティという下級生もいるのだ。

 もしここでそれが表に出てしまったとなれば、二人共と破局してしまう。それだけは避けねばならない。

 

 幸い、話していた友人達は小瓶に気付いていないようだ。ならば、隙を見てさっと回収してしまえばそれでいい。

 そうギーシュが安堵していると、近くに給仕の二人組が近くを通りかかった。

 

 黒い服の平民がケーキの乗った皿を持ち、もう一人のメイドがそれをテーブルへと配っていく。あの二人組は朝ケティに洗濯物をぶちまけた平民だったと憶えているが、そんな瑣末な出来事に思うことはない。ギーシュにとってはそれだけの者達だ。

 

 ギーシュは二人を無視して話を続けていたが、黒い服の平民がすっと小瓶に近寄り、ゆっくりとその足を小瓶へ落とした。

 ただの小さいガラスの小瓶が、男一人の体重を支えられるわけもない。鈍く低い音が、平民の足の下で鳴った。

 思わずギーシュが黒い服の男に声を上げる。

 

「おい、平民! 君は何をやっているんだ! それは僕がモンモランシーからもらった大切な香水の瓶だぞ!」

「ミソギさん……! 貴方、なんてことを……」

 

 朝とは比較にならない程の怒りを露わにするギーシュに、もう一人のメイドが震え上がった。しかし禊の態度は踏む前から僅かも変化がない。

 

『ああ、ごめーん。気付いていたけど、踏み心地の良さそうな瓶だったから、ついつい踏んじゃったよ!』

 

 謝りつつも、禊はぐりぐりと割れた瓶を踏み躙る。

 反省心が皆無を通り越して、わかりやすく直接的に挑発してきていた。こんな無礼な平民はこれまで見たことがない。

 

「それは、たまたま僕が気付いていなかっただけだ。そもそも君、貴族の物を足蹴にするとは、どういうつもりなのだね」

 

 ギーシュが球磨川に食ってかかるが、そこに一人の少女が割り込んだ。それはギーシュと朝の時間を共にしていたケティだった。

 

「やっぱり。ギーシュ様はミス・モンモランシーと!」

「ま、待ちたまえケティ。誤解だよ、僕の心の中に住んでるのは君だけ……」

「その香水が何よりの証拠ですわ! さようなら!」

 

 ケティがギーシュの頬をはたき、涙に目を溜めながら別れを告げて走り去っていった。赤く腫れた頬をさするギーシュの受難は、しかしこれだけでは終わらない。

 

 次にやってきたのは、金髪の髪を縦にロールさせた少女モンモランシーだ。

 彼女こそがギーシュに香水をプレゼントした張本人で、ギーシュからしても本命の相手である。

 

「聞いておくれモンモランシー! 今僕達にはとても重大な誤解が発生している。彼女とは一緒に、ラ・ローラシェルの森に遠乗りをしただけなんだ」

『遠乗りって、朝から校内でデートをすることなのか。ありがとう! 一つ勉強させてもらったよ!』

 

 禊のタイミングを見計らった口撃に、ギーシュの顔が青くなる。わざわざ早朝にしたのは、モンモランシーにバレない時間を考慮してのことだった。

 

「あらあら、本当に一年生の子と、仲がよろしいみたいねえ!」

 

 モンモランシーはテーブルに置かれたワインを引っ掴み、ギーシュの頭にドボドボと全部降りかける。そして一言、

 

「嘘吐き!」

 

 怒鳴り、モンモランシーもギーシュから離れていった。修羅場は終わり、そして食堂全体に気不味い沈黙が訪れる。

 モンモランシーの香水瓶を踏み潰された上に、浮気男のレッテルまで貼られた。どうしてこうなったと、ギーシュは心で滂沱の汗を流す。一先ず場の空気を誤魔化し、かつこれらの恨みをぶつける相手はたった一人しかいない。

 

「あのレディ達は、薔薇の存在の意味を理解していないようだ。そしてこうなったのは君の責任だよ、平民!」

 

 ギーシュは一歩踏み出して球磨川に近付き、許し難い相手に話の焦点を絞った。

 

「君があろうことか香水の瓶を踏み潰したために、二人の乙女が傷付くことになった」

『やれやれ、二股を他人に責任転嫁するなんて、近頃の貴族はどういう教育を受けているんだい?』

「黙れ! 何より許せないのは、あれがモンモランシーからもらった大切なプレゼントだと言うことだ!」

 

 瓶を潰されたこの一件については、ギーシュは純粋に被害者だ。というかモンモランシーの香水を駄目にされたのは本当に凹んだし、今もかなり怒っている。

 

『そうだね。そっちは僕の不注意だったよ』

 

 さっきはわざと言っていただろうが。どれだけテキトーな奴なのだ。朝メイドが粗相をした時にメイドへ苦言を呈したのは、ケティがいる前で格好付けたかったためだが、禊に対しては本気で罰を与えるつもりだった。

 

『けれど残念、君は一つ大きな勘違いをしているよ。僕は小瓶を踏み潰してなんてない』

「いやいや、言い訳にしても内容を考えたまえ。君はずっと踏みつけたポーズのまま会話し続けてるじゃないか」

 

 大方罰を受けるのが恐いのだろうが、現場押さえられておいてそれじゃあ、苦し紛れにもならない。

 

『僕はギリギリで踏みとどまったのさ。それを君が踏みつけたと勘違いをして、僕に怒鳴ったんだ』

「こっちは瓶が潰れる音まで聞いたのだよ。これ以上見苦しい嘘吐きを続けるのなら、さっさとその足をどけたまえ。それではっきりするだろう」

嘘吐き(・・・)か……よりにもよって僕を相手にそれを言うなんてね』

「いいかもう一度言うぞ。僕は、モンモランシーの瓶から、平民の汚い足をどけろと言っている!」

 

 引くに引けなくなって意味不明な見栄を張り、余計逃げ場を失う。この平民は悪循環にはまっている。

 

 ――見苦しい!

 

 ギーシュはこのくだらない問答を終えて、もっとはっきりとこの平民を糾弾してやりたかった。

 

『ならば皆さん、とくとご高覧あれ!』

 

 禊がそう言ってわざとらしくギャラリーの注目を集めて、勢いよく足を上げた。

 ギャラリーは皆ギーシュの怒りは本物と捉えており、瓶の話も疑っていなかったのだろう。

 そのため、どけられた足の下にあった物を見て周囲からざわめきが生まれ、ギーシュも思わず絶句した。

 

 ――何でだ!? そんな、あり得ない!

 

 そこにあったのは、その原型をはっきりと留めている香水の瓶だった。

 信じられず、ギーシュは瓶を拾い上げる。瓶には割れた痕跡どころか、傷の一つも付いてはなかった。

 

「おいギーシュ、どう見ても瓶は壊れてなんかないぞ」

「中身だって全然漏れてないじゃないか」

 

 取り巻きの言葉で、ギーシュははっと気付く。

 そう言えば瓶が割れたのに禊の足の下からは、香水が漏れてきたり、匂いが漂ったりもしてなかったのだ。

 

「な……そんなはずは」

 

 ギーシュは瓶を回しながらベタベタ触り、とにかく調べまくる。

 

 ――どうしてだ? 瓶が砕けた音を聞いたのは間違いないのに。踏みにじった傷跡が一つもないのだって、おかしいぞ?

 

『これで僕は転がってきた瓶を踏みそうになったけど、きっとこれは貴族様の私物に違いない。と、何とか堪えた健気な平民だと信じてもらえたかい?』

「ふ、ふざけるな! 僕は見たし、聞いたんだ! お前が喜々として香水を踏み壊して、その上グリグリとその足を動かした所を!」

「ギーシュ、いくら浮気がバレたのを平民のせいにしたいからって、それはないよ」

「どう見たって、浮気をしたお前が悪い! 平民に罪をなすりつけるな!」

 

 ギーシュが自分の正当性を主張していると、彼の友人達が禊の味方をし始めた。友人達は禊が瓶を踏んだ場面は見ていないし、踏みにじっている姿はギーシュに隠れて見えていなかったのだろう。

 この平民なら狙ってそれくらいやりそうな気さえしてきた。

 

 誰かが禊に魔法の使用を確認する『ディテクトマジック』までかけたが、結果禊は白だった。これが単純に踏んだ踏んでないの水掛け論なら、多少自分側が怪しくとも貴族が正しいと押し通せる。

 だが方法はさっぱりだが割れてない香水という物的な証拠がある。

 ほとんどの者が事件現場を見ていないから、誰も彼も、ギーシュが平民に濡れ衣を着せているようにしか思えないのだった。

 

「そんな……」

 

 数少ない例外が禊と一緒にいるメイドだが、彼女は朝叱った身だし、まず禊の味方をするだろう。このままだと背負わなくていい罪までギーシュが背負う羽目になる。

 

『君が軽率に二股なんかしたために、二人の乙女が傷つくことになった』

 

 先程のギーシュが言った台詞を、禊が意趣返しに使用した。それに乗ってギーシュの友人達もそうだそうだと勝手に盛り上がっている。

 

『が、しかし』

 

 被害者にも関わらず謂れのない罪まで着せられたギーシュに助け舟を出したのは、そこに追い込んだ張本人の禊だ。

 

『僕が危うく瓶を踏みかけたことが、二股発覚の発端であるのは認めよう。だからさ、お詫びとして僕がさっきの二人と君の仲を(なお)してあげるよ』

「君がだって? たかが一平民が、どうやってモンモランシーとケティとの仲を取り持つと言うのだい?」

『僕はこれでも、恋愛にかけてはエキスパートなんだよ。少年漫画はラブコメにも精通しているからね!』

「ショウネンマンガ?」

 

 聞き慣れない単語だけど禊は自信満々な様子だ。仮にこの平民が本当に恋愛のエキスパートだったとしても、それはやはり平民間の話である。

 

『もし僕が君達の関係を(なお)せなかったら、好きな罰を僕に与えてくれてかまわないよ』

「なんだって?」

 

 禊がさらなる譲歩を自分から差し出した。絶対的に有利だったのは禊だというのに、たった数回のやり取りでまるで立場が逆転したようだ。

 ギーシュには禊の意図がさっぱりわからない。不気味さばかりが先に立つ。

 

「いや、しかしだね……」

『嫌ならいいよ。そうなれば君は、二股の罪をその辺の善良な平民に全てなすりつけようとした、誇りなき女ったらしの貴族に成り下がるだけさ』

「うぐ……」

 

 まだ渋るギーシュに、禊は立場を利用した脅しをかける。これもかなりの有効打だった。

 ここを何とか凌がなければ、女子二人からの信頼失墜だけでなく、暫くは学院の女子のほとんどがギーシュを白い目で見るだろう。ギーシュにとって、それはもう生き地獄と同義だ。

 

『そう言うことだから、ここは僕に任せてちょーだい、ギーシュちゃん!』

 

 急転直下な展開に、禊がさりげなく自分をちゃん付けで呼んでいることにツッコミもいれられなかった。

 それだけギーシュは動揺していて、とにかくこの場を収束させたいのだ。

 

「わ、わかった。君の申し出を受けよう。ただし、失敗は許されないからね」

『うん。僕のご主人様にかけて誓うよ』

 

 ここでようやく、そう言えばこの見慣れぬ平民は昨日ルイズが召喚した者であると、ギーシュは思い出した。

 “ご主人様にかけて”なんて勝手に明言したが、これでこの一件の責任は彼の主人であるルイズにまで飛び火する。

 黙っていれば自分だけで止まったかもしれない問題に、あえて主人を持ち出すなんて……。この自信はどこから湧いてくるというのだろう。

 

『早速とりかかりたい所だけど、僕はまだシエスタちゃんのお手伝いがあるから。それじゃ、また明日とか』

「なっ!?」

 

 ぽん、と禊が右手をギーシュの肩を軽く叩いた。

 禊の手が服に触れると、感じたことのない悪寒がギーシュの肌を這いまわった。 思わず逃げるように身を引くが、彼は気にした風もない。

 

 その妙な馴れ馴れしさと理由のわからない気持ち悪さにギーシュは一縷の不安を得るが、禊はそのままメイドと配膳の続きへ行ってしまった。

 

「おい、ギーシュ!」

 

 釈然としないまま禊の後姿を見送るギーシュに、彼の友人が驚いたように指をさして声を上げる。

 

「え? 僕の、服が!」

 

 そしてギーシュは気が付いた。モンモランシーにかけられたワインの染みが綺麗サッパリ消えているのだ。しかもそれだけじゃなく、髪の毛も乾いていて、頬の痛みもいつの間にか引いていた。

 

「彼は一体、何者なんだ……?」

 

 あのゼロが召喚した平民。ルイズを知る者達からすれば、彼は無能の象徴とも言えるだろう。しかしギーシュにはそんな平民がこの邂逅によって忘れたくとも忘れられない、奇抜な存在となっていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八敗『夕べはお楽しみでしたね』

 ルイズは自室でベッドの布団に包まり、心身共に打ちのめされていた。

 自分が召喚した使い魔は決してゼロではない。それ以下のマイナスだった。

 

 不幸と不条理を集約したかのような禊の存在に飲み込まれそうになったルイズは、渾身の力で逃げ出した。向き合うことすら拒んだのだ。

 

 それが間違いだったとは思わない。そして、間違いだったと思えないことが問題だった。

 

 ――あんたはわたしの使い魔なんかじゃない! あんたはわたしが召喚に失敗して、たまたまそこら辺にいた平民を連れてきただけよ!

 

 ルイズはあの時、自分が禊を召喚したという事実まで自分の口から否定したのだ。

 大事なのは、その時ルイズがどういう気持ちで禊を否定したかである。ルイズが何を言おうが、禊が召喚されたという現実は覆らない。

 

 しかし、ルイズの心は違う。ルイズは心の奥底から禊を否定していたし、それは今も同じだ。そしてルイズは禊から逃げ出す直前に、もう自分が貴族でなくていいと思った。

 あの瞬間から、ルイズの貴族としてのプライドには、一つの折れ目(・・・)が付いた。

 

 どれだけ一生懸命真っ直ぐ伸ばしても一度付いた折れ目が消えることはない。他の部分がどれだけ美しかろうが、折れ目はくっきりと残って常にただそこにある。

 ルイズが自ら自分が貴族であることを否定したという事実は、痕として一生残り続けるのだ。

 

 ――『現実さえなかったことにして逃げる。そんな君の無能(ゼロ)を受け入れればいいのさ。そうすれば君は……』

 

 そうすれば……。

 

「わたしも同類(マイナス)になる」

 

 恐怖に駆られて逃げた先は、禊と同じ過負荷(マイナス)という行き止まりだった。

 でもきっとこれは予定調和だ。召喚された使い魔はメイジの技量となるのだから、マイナスを召喚したルイズもまた、始めからマイナスだったのだ。

 

 そんなマイナス思考が、弱りきったルイズへと去来している。

 ルイズはずっとずっと悔しかった。ゼロであることが、ゼロと呼ばれることが悔しくてたまらなかった。

 そうであるはずだったのに、今のルイズは、ゼロを否定するのさえ疲れてしまっている。

 

 もういいのではないか?

 どれだけ落ちこぼれても上を向き、光る月を見続けていた誇り高き貴族の少女は、もはや大地へと伏せてぼんやりと泥を眺めている。

 貴族としての道を踏み外そうとしているルイズは、禊が言っていた言葉の意味をようやく悟った。

 

 このままルイズが無能(ゼロ)を受け入れたなら、彼女は真の意味で敗者(マイナス)となるのだろう。

 もう、それでいいじゃないか。

 

 これが現実だと言うのなら、受け入れるべきだ。そうすれば、もう苦しまなくても済む。

 

「わたしは、もうゼロで……」

「何やってるのよ、ルイズ?」

 

 身投げするような最後の一歩を、突然の闖入者が打ち消した。その者は、皮肉にもルイズが最も嫌うクラスメート、キュルケだった。

 

          ●

 

 昼食を摂るため食堂へ漫然と歩を進めていたはずのキュルケは、自分を後ろから追い抜いていった者の背を呆然と見ていた。

 

「あれは、ルイズよね?」

 

 あの子は、昼食も無視してどうして全力疾走しているのだろうか? ルイズは罰として教室の片付けが命じられていたはずだし、あの切羽詰まったような急ぎようはどこか変だ。

 もしかしたらルイズをからかえるネタになるかもしれない。後でどうしたのか聞いてみよう。そこでキュルケは思考を打ち切り食堂へと入っていった。

 

 しかし事態はキュルケの思わぬ方向へと転がっていたようで、昼休みが終わりを告げても、ルイズが授業に出席していない。

 教師も、ルイズの欠席は聞いていなかったらしく、他の生徒達に彼女の所在を確認したりしていた。

 

 結局ルイズはその日の授業を全てサボり、遂には夕食にまで顔を出さなかった。

 理由は不明なままだが、昼間あれだけ走っていたのにその後の音沙汰は一切ない。『もしかしたら』は『どうしてかしら』へと意味合いを変えて、キュルケの足を動かした。

 

 ルイズの様子を見るにしても、隣の部屋であるキュルケは適任だ。本人は興味本位の理由付けとして勝手にそう考えて、ルイズの部屋をノックした。けれど中からの返事はない。

 他の一般的な学生ならここで留守かと引き返すのだろうが、キュルケはそんなお行儀のいい生徒じゃなく、「アンロック」の魔法をかけて部屋の鍵を外してルイズの部屋へと侵入した。重大な校則違反であるが、そんな規約は自由奔放なキュルケの抑止力にはならない。

 

 部屋の中にルイズはいた。制服姿のままでベッドに座り両膝を腕で抱えて、頭にシーツを被っているので表情までは伺えないが、まるで幽鬼のようになっている。

 キュルケの呼びかけには僅かに頭を上げて対応したので、意識はあるらしい。

 

 小さな女の子みたいに、ベッドで縮こまるルイズへ特大の疑念を持ちつつ、キュルケはルイズの隣に腰を落ち着かせる。

 

「独りでシーツに包まって悩みに耽ってるなんて、あなたらしくないわね」

「…………」

 

 ルイズはいつものように食ってかかるわけでもなく、無感動な様子でシーツに包まれているだけ。キュルケの声が届いているかどうかもわからない。

 

「何よ、返事しなさいな」

「キュルケ……」

 

 キュルケの名を呼ぶルイズの姿は、酷く弱々しかった。いつもはしっかりと整えられている桃色のブロンドもボサボサになっていて、肩は小刻みに震えている。そこに、プライドの塊みたいないつもの尊大なルイズらしさは見る影もない。

 

「………………助けて」

 

 その一言で、キュルケはことの重大さを理解した。

 キュルケのツェルプストー家と、ルイズのヴァリエール家は国境を挟んだ隣にあり、長きに渡る因縁を持つ間柄だ。

 戦になると互いに杖を向け合ってきたし、色恋沙汰でもツェルプストーはヴァリエールの婚約者を寝取り、両家は何かにつけて争ってきた。それらは二人の関係にも密接に絡みついている。

 

 自分の家名を重要視するルイズは、キュルケをずっと毛嫌いしていた。キュルケはキュルケで、因縁のライバルであるはずのルイズが魔法を使えなくて、これまた別種の憤りを感じて彼女を弄り倒してきた。

 それはどちらかというと恨み積りではなくて、自分のライバルに足るに相応しい者になって欲しいという願いが強いのだけど。

 

 そうして作られた二人の溝は、そう安々と埋まるようなものではない。

 だというのに、あのルイズが自分を取り繕うのも放棄して、キュルケに助けを求めている。

 

 シュヴルーズの授業から昼休みまでの間に何があったというのだろう。キュルケには想像さえできない。

 しかし、あのルイズが仇敵に無条件で助けを乞うという、どう考えてものっぴきならない状況にまで追い詰められているのは事実だ。

 キュルケの二つ名は『微熱』。ここまで弱った者を突き放せるような苛烈さは、彼女にはなかった。

 

「まずどうしてあなたがそうなったのかを、一から話して」

「駄目……いつあいつが帰ってくるかわからないから……」

「あいつ? あの、あなたが召喚した平民のこと?」

 

 この部屋を使用しているのは、ルイズ本人と、彼女が昨日召喚した使い魔しかいない。禊の名を出されたルイズは、不自然なまでにビクンと反応を示した。どうやら問題はこの使い魔にあるらしいとキュルケは確信する。

 

「それなら鍵を閉めて、入れないようにすればいいじゃない」

「無駄よ、あいつには鍵なんて意味ないもの」

「どうしてよ? メイジでもないのに」

 

 ルイズは答えず、禊の存在にただ怯えるばかりだ。これでは埒があかないとキュルケは代案を出す。

 

「ならわたしの部屋に来なさい。このままここにいるより、よっぽど安全でしょ?」

 

 無言のままその提案に乗ったのか、緩慢な動作だがルイズはベッドから降りて立ち上がる。俯き枯れ木のような佇まいのルイズに、嘆息しながらもキュルケは手を引いて自分の部屋に連れ込んだ。

 ほとんどされるがままのルイズをベッドに座らせ、キュルケもその右隣へ座る。おまけに外部にはサイレントまでかけて、本格的に話を聞く体勢を整えた上で、キュルケは改めてルイズに何があったのかを問いかける。

 

 暫くの沈黙を経て、ルイズはぽつりぽつりと昨日禊を召喚してからの話を語り出した。

 メイジのいない異世界から来たという妄言。

 アンロックも使わずに鍵を開けたり、忽然と消えた朝食。

 

 そして、教室を片付けていた時に感じた、あの得体のしれない会話と気持ち悪さ。

 ここまで弱り切ったルイズが話しているので、それなりのリアリティはある。

 

 だが如何せん、キュルケににはルイズの語る禊の恐さが伝わっては来なかった。気にはなる話だが、話すだけでこうまで気落ちするような気持ちの悪い者というのは、キュルケからすれば想像し難い。

 これがまだ普通の生徒であるなら、禊の鋭い言葉によって心に傷を負ったのだろうと考えられなくもないのだが、相手は何と言ってもルイズだ。

 

 生まれてからこれまでずっと魔法を失敗し続けて、それを責め苦に生きてきた少女。だけどルイズが他人に己の弱さを曝け出す所など、キュルケはこれまで見たことがなかった。

 悔しくて悲しくとも、そのコンプレックスを内に閉じ込めて決して人に背を向けない。貴族らしさを演出するため尊大に振る舞い続ける少女こそがルイズなのである。

 言霊だけで人の心を引き裂く力。禊についての説明を、キュルケは自分なりに解釈して推測を立てた。

 

「あの使い魔が、ご禁制のマジックアイテムを使って、あんたの心を支配しようとしたわけ?」

「違うわ! あれ(・・)はそんなのじゃない!」

 

 これまでずっと大人しかったルイズが、初めて声を張り上げた。その勢いに困惑してキュルケが問う。

 

「そんなのじゃないってどういうことよ?」

「あの気持ちの悪さは、あいつの声から、あいつの心から感じたのよ。マジックアイテムなんかじゃないわ!」

 

 マジックアイテムの効力が声となっているのかもしれない。そういう考え方だってできるはずなのに、ルイズはそれを違うと断定した。

 

「わたしは恐かったの。あの気持ち悪いのがわたしの中に侵入し(はいっ)てくる。それが恐くて、わたしは間違えたのよ」

「間違えたって?」

「わたし、あいつに言ったのよ。わたしはあんたなんて召喚してない。そこら辺にいた平民を捕まえてきただけだって」

 

 ルイズを茶化そうとしたマリコルヌの言葉を、ルイズ自身が認めた。自分が召喚した使い魔を否定したいあまりに、唯一の成功までをも否定したのだ。

 

「わたしは失敗したのよ。貴族として失敗した……」

「あなた、これまで散々失敗してきたじゃない。ホント、今更何を言ってるのよ」

「今回のは今までと違うわ。全然違うの」

「じゃあ、何がどう違うわけ?」

 

 質問しつつも、ルイズが何故ここまで落ち込んでいるかを、キュルケは大体把握していた。

 

 ――そういうことなのね。

 

 禊の気持ち悪さとやらは未だ要領を得ないが、ルイズがショックを受けているのは、ルイズのアイデンティティである立派な貴族(・・・・・)を自分で捨ててしまったためだ。

 

「わたしは、魔法が使えなくても、誰にも認めてもらえなくても、貴族であろうとしてきたわ……。なのに、わたしは自分で自分の誇りを捨てたの。貴族であることを否定したの」

 

 ルイズは魔法が使えないという事実を、貴族らしくあろうとする心で埋め合わせようとしてきた。その支柱を禊が叩き折ったのだろう。

 これが計画的なものだとしたら、それは平民の発想とは思えないわねとキュルケは思った。

 

「同じよ。うじうじしてるあなたも、そうでないあなたも、わたしからすればどっちも同じ」

「同じじゃないわ!」

 

 追い詰められてるくせに、意固地ねとキュルケは呆れながらも苦笑した。

 そしてそれでいい。少なくとも、キュルケの望むヴァリエールという敵はまだ死んでいない。だからキュルケは、ルイズに手を差し伸べてやろうと決めた。自分の人生を面白く、充実したものにするために。

 

「ねぇ、ルイズ。今日のミス・シュヴルーズの授業憶えてる?」

「わたしが今日も爆発させたこと?」

「そうじゃないわよ」

 

 ルイズに睨まれた。やはり弱っていても根幹部分はルイズのままのようだ。そうでなければ助けてやる価値もない。

 

「ミス・シュヴルーズがあの使い魔に指摘されたわよね。ルイズが笑い者になった原因を作ったのはあなただって」

「憶えてるわよ。こっちはすごく心臓に悪かったわ」

 

 細かくは違うが、内容としてはほぼ同じだ。平民のそれも使い魔が教師の揚げ足を取るなんて、キュルケからしても印象深かった。

 

「その後ミス・シュヴルーズは使い魔とルイズに謝罪したわよね」

「したわ。それがどうしたのよ?」

「それって、貴族として間違えたって、ミス・シュヴルーズ自身が認めたってことじゃない?」

「それは……」

 

 ミス・シュヴルーズが貴族としての在り方を間違えた。それはルイズと同じじゃないのか。遠回しに、キュルケはルイズにそう問うている。そして、ルイズはその答えをすぐには出せなかった。

 

「あなたは、もうミス・シュヴルーズが貴族じゃないと思うの?」

「そんなわけないでしょ! ミス・シュヴルーズはわたしに失敗を恐れるなって言ってくれたわ。間違うことは誰にでもあるって」

「そうね、わたしもそう思うわ」

 

 しょっちゅう自分の部屋に男を連れ込むキュルケだが、全ての男がキュルケに陥落され靡いたわけではない。当然失敗したことだってある。

 キュルケはそれを失敗したと思っても、それで終わったとは思わない。

 

「だからやっぱり、あなたの失敗も同じよね」

「え……?」

「貴族として失敗したからどうなの? 誇りを捨ててしまったのなら、また拾えばいいじゃない」

 

 自分に靡かなかった相手はキュルケにとって運命の男ではなかったのだろう、この世に男は他にもいるのだ。ならば、やってしまった失敗は次に生かせばいい。

 失敗が悪いのではない。失敗したからと諦めることと、その失敗から何も学ばないことこそが真の間違いだ。

 

「キュルケ……」

 

 ルイズの目から、さっきまでの濁りが消えた。純真な瞳にキュルケの顔が映りこむ。なんだからしくないと思ったので、オチを付けておく。

 

「まあ、教室壊されるのはもう勘弁して欲しいけど」

「うるさいわね! ちょっといい話したと思ったらこれだわ! ……あ」

 

 思わず出た自分の大声に、ルイズ本人が驚いた。この反応は、いつものルイズだ。どうやら最低限だけは持ち直したらしい。ルイズはこうでなくては張り合いがない。

 

「その意気よ。あなたはそれだけが取り柄なんだから」

「あう……う……」

 

 キュルケに茶化されて自分の心境について、ルイズはこのまま受け入れるべきか苦悩しているようだ。そんなルイズに、キュルケはちょっとした安堵を得た。

 

 ――今日だけは特別よ。

 

 そう思いつつも、きっとキュルケは似たような状況になればまたルイズを助けるだろう。ヴァリエール家との因縁はある。だけどそれとルイズを完全に重ねるつもりもなかった。

 

 ライバルであっても憎悪の対象では決してない。むしろルイズには互いを高めあう者であって欲しいとさえ思っている。

 キュルケにとってルイズは好敵手(ライバル)であり、また自分が全力で競える者であって欲しいのだ。

 きっと男なら、今のキュルケの心情はこうやって言い表すだろう。お前がこの俺以外に倒されるのなんて認めないと。

 

「しかし、確かに気にはなるわね。あなたの使い魔」

 

 ルイズが別人と思うまでに怯えるまでの理由は不明なままにしても、これがたった二日でルイズの心理を読みきって実行した結果だとしたならば、十分警戒する理由にはなる。少なくとも、ここまで人の弱さを的確に読み切る男は、男性経験が豊富なキュルケでさえ知らない。

 

「あいつは、もう、何がなんだかわからないわ」

 

 なんとか立ち直っても、ルイズが頭を抱えているのには変わりがない。だから、キュルケは自分の考えをルイズにぶつけてみることにした。

 

「あの使い魔、本当に人間じゃないのかもね」

「じゃあなんだって言うのよ?」

「亜人よ」

「亜人って、オークじゃあるまいし。幾ら何でも……そうよっ!」

 

 そんなのあり得ないと言いかけたルイズだったが、何か思い当たったる節があったらしい。それは恐らくキュルケと同じなのだろう。彼女は口の端を釣り上げた。

 

「いるわよね、人間と同じ姿見をした亜人の種族が」

 

 多くの亜人は二足歩行であっても外見は人から大きく外れている。しかし、極少数でこそあるが、一見見分けが付かない種族も存在しているのだ。

 

「まさか、エルフ……!?」

 

 そう口にするルイズの顔が見る見るうちに青ざめていく。エルフとは東の砂漠に住まう種族であり、ハルケギニアでは恐怖の象徴とされている。

 

「それなら、これまであの使い魔が使っていた不思議な力にも納得がいくわ!」

 

 エルフが居住している土地にはハルケギニアにおける偉大な聖人、始祖ブリミルが死んだとされる聖地があり、人々はその聖地を奪回すべくこれまで何度もエルフに戦いを挑んできた。そして、それらは全て人間側の惨敗で終わっている。

 

 彼らは系統魔法とは全く別の、しかもかなり強力な魔法を扱うのだ。ハルケギニアではそれを先住魔法と呼び恐れている。

 たった一人のエルフに百の人間で挑む必要があると言われているくらい、互いの種族には途方もない戦力差があった。

 禊が先住魔法を使用できるのだとしたら、鍵や食事の紛失にだって納得がいく。

 

「だとしたら一番厄介だけど、それはないと思うわ。だってあの使い魔にはエルフの特徴である長い耳がないもの。人の姿になる魔法を使っているにしても、向こうだっていきなり召喚されたのよ。始めから人間の姿で現れるのは不自然じゃなくて?」

「そうね、だとしたら他には……吸血鬼とか」

 

 吸血鬼の種族も人間に近い外見をしているし、エルフレベルでないにしろ先住魔法が使用できるこれまた厄介な亜人だ。

 

「禊が亜人なら、その可能性が最も高そうね」

「確か吸血鬼って、人に紛れてグールを作り人を襲うのよ……」

 

 吸血鬼の特性として、彼らは一匹につき、人間を一人だけ自分の意のままに動くグールに作り変えることができる。そうやってグールを使い獲物をおびき出してその血を吸って糧としており、元来人間の輪に忍び込むのを得意としている種族だった。

 

「もしあの使い魔が本当に吸血鬼なら、エルフ程じゃないにしても、大問題には変わりないわ」

「そ、そうね……まずはあいつの正体を、慎重に確かめないと。でも」

「まだ何かあるの?」

「あの気持ち悪さだけは、吸血鬼とは別物な気がするわ」

 

 またそれか、キュルケはそう思うも、口にするのは辞めておいた。下手に刺激して、またルイズに落ち込まれては敵わない。

 この件だって、恐らくは禊を調べていけば判明するだろうから、ここでは保留にしておく。

 

「まずは明日の朝、わたしが使い魔に隠れてディテクトマジックを試してみる。そうすれば、使い魔が何らかの系統魔法に頼っているのかはわかるでしょ」

「そうね。でも、どうしてキュルケがそこまでするの? わたしはヴァリエールの貴族で、これはわたし個人の問題よ」

「あのねえ、わたしはあなたの隣に住んでるのよ? あの使い魔が危険な存在なら、わたしだっていつ襲われるかわからないじゃない。それにあの平民の正体が吸血鬼だとしたら、これはトリステイン魔法学院全体の危機にもなりかねないわ」

 

 ただでさえここは学院と言う名の閉鎖された場所なのだ。吸血からすれば、まさに格好の狩場となるだろう。

 

「ああ、そっか、そうよね」

「しっかりしてよ、あなたの使い魔の話なんだから」

「わかってるわよ、そんなこと」

 

 こんなの少し考えればわかることだと思うのだが、そこまで考えが及ばないのは、ルイズがまだ不安定で、内心動揺しているためだろう。

 キュルケはあくまで第三者という立場から話をしているため冷静でいられるが、自分が召喚した使い魔が実は人を糧にする亜人でした、なんていきなり告げられたらそれこそ気が気ではない。

 

「それじゃ、今夜はうちに泊まっていきなさいな」

「どうしていきなりそうなるのよ? ツェルプストーの部屋に泊まるなんて、冗談じゃないわ! そんなの末代までの恥よ」

「こっちだって、泊めたくて泊めるわけじゃないわよ!」

 

 というか恥って何よ恥って。本当にプライドの高い娘だわ。それでも怒って放り出さないだけ、ルイズよりは大人の対応ができるキュルケだった。

 

「あれが、もし吸血鬼なら、あんた今夜グールにされかねないわね」

「う……」

「最悪、明日部屋で干からびてるかも」

「ぐ……」

「そもそも、あんたは使い魔が気持ち悪くて逃げてきたんでしょ? このまま部屋に戻って耐え切れるの?」

「うううううううううううう」

 

 ルイズはしゃがみ込みながら唸った。考えるべくもない選択肢だが、ルイズからすれば究極の選択になるらしい。その失礼さにやっぱり放り捨て手てやろうかしらと考え始めていたら、ルイズが立ち上がった。

 

「しししし仕方ないから、きき今日は我慢してあんたの部屋に泊まってあげるわ!」

「はいはい、それはどーも」

 

 上から目線で接してプライドを保ち妥協としたらしい。面倒臭いので、その思考に合わせておいてやる。うん、これはこれでルイズが復調しつつある証なのだ。

 というか、立ち直り始めると思っていたより回復が早いので、実は大した話ではなかったのではないかなんて思ってしまう。

 

 ああもういいわ、さっさと寝てしまおう。今日は疲れた、主に精神面で。幸い、今日は恋人達との熱い予定も入っていなかった。

 残り少ない今日の予定を組み上げたキュルケに、またも声をかける者がいた。ルイズだ。

 

「キュルケ……」

「なあに?」

「あの、今日は、その、色々と……なんでもないわ。ないの!」

「本当に、素直じゃない娘だわ」

 

 恋人を作るのに、苦労しそうな子ね。いや、外見はいいから、ころりと騙された相手が一番苦労するかしら。そうやってルイズの将来を苦笑う。

 

「なんか言った?」

 

 そして、同時にキュルケは悟る。ルイズはまだ元通りになんてなっていないし、使い魔の問題はやはり深刻化しているのだ。

 今のルイズは、やはりいつも通りにあろうと強がっているだけでしかなく、すぐこうやって素直で脆い面を覗かせてしまう。

 

「こっちも、なんでもないわよ」

 

 ――やっぱり気になるわ。あの使い魔、クマガワミソギの正体。

 

 こうして、キュルケはルイズという主人を通して、禊に並以上の興味を抱くのだった。彼女にしては珍しく、そこに異性としての関心は含まれずに、自分でもまだ無自覚な友情を胸に灯して。

 

          ●

 

 禊によって貴族のプライドと心を折られかけた次の日、ルイズはキュルケに叩き起こされた。

 最初こそ部屋の違いに驚いた彼女だったが、すぐ昨日はキュルケのベッドで並んで寝たのを思い出す。貴族用のベッドだけあり、二人で寝てもまだ余裕のある大きさだ。

 

 日常とは違う環境に、ルイズの薄ぼんやりした意識もいつもより早く覚醒していく。

 もう駄目だと思っていた自分を暗闇から引き上げてくれたのは、まさかのキュルケだった。

 

 因縁のあるツェルプストー家で、いの一番に自分を馬鹿にしてくる女、それがルイズから見たキュルケの印象だ。

 しかし、それが昨日のやり取りで薄れ始めている。ゼロであんな者を召喚した自分を憐れんだから? それは何かが違う。上手くは言えないけど、ルイズは素直にそう思った。

 

 今のキュルケはもういつも通りで、寝覚めの悪い自分を馬鹿にしてくる。腹立たしいが、下手にいたわったり心配されてないのが心地よくもある。

 そんなキュルケに感謝はしていた。だけどそれを口に出すのはルイズのプライドが邪魔をしてしまい、昨日自分で作った唯一のチャンスすら、やはり自分で潰してしまった。

 

 家柄の因縁を抜きにしてしまえば、ルイズは本気でキュルケを嫌っているわけではない。

 友達では決してないが、憎まれ口を叩きあい続け尚且つ敵よりずっと近い距離を保ち続けている仲。ルイズが認めるなどまずあり得ないのだろうけど、キュルケという少女は悪友(ライバル)であるのだろう。

 

 口で駄目なら行動で示そう。キュルケの助けに報いるためにも、誇り高い貴族としてルイズはもう一度、己の使い魔球磨川禊に対峙すると決めた。

 心こそ一晩かけて平常まで安定させられたが、ルイズの心を蝕んだ禊の気持ち悪さを克服したわけではない。

 だけど自分が召喚した使い魔一匹制御できなくて何が貴族だ。

 

 ――これは自分が誇りを持って貴族として生きるために、始祖ブリミルがお与えになった試練なのよ

 

 最近自分になにか言い聞かせるのが増えているのを自覚しながら、ルイズは自分の部屋の前まで戻ってきた。後ろには制服に着替えたキュルケが控えている。

 

「ルイズ」

「大丈夫よ。もう昨日みたいにはならないわ」

 

 そんな保証はどこにもないのだが、今は一人ではないという事実がルイズにとっては何より勝る力だった。鍵のかかっている扉を開け、ルイズは自分の部屋へと入る。

 そこにいるのは、いつもの黒い衣服の禊だった。

 

『あ、ルイズちゃんお帰り』

「ただいま、留守番くらいはちゃんとできるみたいね。もし鍵がかかってなかったら、朝から躾が必要なところだったわ」

『ルイズちゃんこそ、部屋を出るならきちんと戸締りしておかなきゃ駄目だよ。RPGじゃ他人の家のタンスやツボを漁るのは基本なんだから』

 

 昨日の一件などなかったかのような日常会話。ルイズは禊に文句を叩きつけてやりたくなるが、唇は別の話を紡いだ。そもそも逃げたのはルイズなのだから。

 

「あんたが締め出さないようにしてあげたの。ご主人様の慈悲よ感謝なさい」

『そうだね、僕は鍵を持ってないから助かったよ。ありがとうルイズちゃん!』

 

 実際は鍵を閉める余裕すらなかっただけであり、禊だって鍵かかっていようがまた無視して部屋に入っていただろう。

 

『それで、昨日は忠誠心溢れる使い魔を放置しちゃって、どこに行ってたのかな?』

「キュルケの部屋よ。昨日一晩、二人で勉強をしていたの」

 

 ちらりと、禊はルイズの後ろに立つキュルケを見て、人差し指で自分の顎を撫でる。そして何かを納得したように頷いた。

 

『意外だなあ、二人がそんな関係だったなんて』

「はあ?」

『平日から二人で一晩しっぽりと保健体育の勉強とは驚きだよ。貴族は爛れているんだなあ』

 

 保健体育の意味はわからなくとも、どういうニュアンスであるかはわかり、ルイズは顔を真赤にして反論する。

 

「なななな、何を勝手にへ、へへへへ変な妄想してるのよ! このエロ犬ー!」

『これまたお約束な侮蔑表現だな。でもこれだけは言っておかないと、夕べはお楽しみでしたね』

 

 後ろでキュルケが額に掌をあてて、軽く頭を振っている。どう見てもこっちのやりとりに呆れているのだろう。

 

「ルイズ、ディテクトマジックは反応なしよ」

「そう」

 

 けれど、キュルケはすぐ真面目な顔に戻りそっとルイズに耳打ちした。ルイズと禊が話をしている間、キュルケは禊に感づかれないようルイズの影に隠れるように小声でディテクトマジックのルーンを唱えていいたのだった。

 これで反応ありだったならば、禊からマジックアイテムを取り上げて終わりで済んだかもしれないのに。そんな落胆を得ながらも、予想はしていた。

 ルイズにとって、禊が亜人の一種であるのは、半ば確定事項なのだ。

 

「それじゃ、わたしは外で待ってるから、何かあったらすぐ呼びなさいよ」

「わかったわ」

 

 部屋の扉を閉めてルイズは制服へ着替えをしたが、禊は大人しく今日の洗濯物をまとめていただけだった。

 本当は着替えも禊にやらせたいのだが、直接的な接触を避けるため自分で行なっている。

 

 身支を終えたルイズはキュルケを含めた三人で、食堂へと向かった。できるだけ禊と二人きりの状況にはならない。それが二人で決めた方針だ。

 食堂ではまた質素な食事を禊に与えたが、今日は室内で食べるようにと命令した。自分の目が届く範囲に置いて、怪しい行動はないか様子を観察する。

 幸か不幸か、今日は朝食が消えるような事態にはならず、平穏に食べ終えた。

 

 一限目は座学なので禊の観察は楽だろう。そう思って教室に入ったルイズだったが、禊共々腰を下ろした矢先、予想していな来訪者が自分の下にやってきた。

 いや、その双眸は自分ではなく使い魔に向けられている。

 彼にしては珍しくキザったらしさを捨てて、鼻息荒く怒りを隠そうともせず、いきなりこう言い放った。

 

「使い魔の平民、あの二人に何をした! 貴様だけは絶対に許さないぞ! 決闘だ!」

 

 ルイズへ朝の挨拶すらないままに、激昂したギーシュ・ド・グラモンは禊へ決闘を申し込んだのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九敗『僕はゼロの使い魔だぜ』

 アルヴィールズの食堂近くの角にて、ギーシュは忙しくなく周囲の様子を伺っていた。いつになくそわそわした落ち着かない様子で、彼を横切る者達からはさぞ不審者に見えているだろう。

 

 昨日は浮気が発覚してしまいすったもんだの末に、ギーシュと少女達の仲を禊が元に戻すと約束をしたものの、やはりどうしても信用はしきれないでいた。

 

 禊は普通の平民ではないと薄々感じてはいるが、それでも平民は平民。そういう考えが貴族であるギーシュの根底にはある。

 これは何もギーシュが特別平民を下に見ているわけではなく、魔法や生活水準の明確な格差から生まれたハルケギニアにおいては標準的な社会の在り方なのだ。

 

 とはいえ、昨日の禊には何か確信があるようだったし、もしかしたら機嫌が治ってるかも? という気持ちも、ギーシュの願望として心の何処かにあるのも否定できない事実だった。

 

 不安と期待をないまぜにしたギーシュが悶々として観察を続けていると、反対側から浮気の対象だった下級生ケティがやってきた。だいたい朝の食堂には、モンモランシーより先にケティがあちらの方角からやってくるという習慣を把握しているため、彼はここに隠れていたのだ。

 ギーシュは女性にだらしないが、女性の扱いに対して手を抜いたことは一度もない。

 

 そしてギーシュはさも今食堂にやって来たという風を装い歩き出し、偶然ケティを見つけたような態度を取って、さり気なく彼女に近付いていく。

 

「やあ、おはようケティ。朝から入り口で美しいレディーと偶然出会うだなんて。これは始祖ブリミルの思し召しじゃあないかな」

 

 幾分芝居がかってはいるが、ギーシュからすれば脚色を少なくし、かつ自然と会話をする流れを作った。つもりだった。

 ギーシュを見たケティは驚いたようで一歩後ずさりつつ、辛うじて挨拶を返す。

 

「え? お……おはようございます」

 

 この反応で、ギーシュはケティの機嫌が直っていないことを悟り、心の内で肩を落とした。全然駄目じゃないかあの平民! なんて毒を吐くが、それを外面に出すなんて真似はしない。

 

「聞いておくれケティ、昨日の」

「どうして私の……。あの、急いでますので!」

 

 ギーシュが取り付く島もなく、ケティはそそくさと食堂に入っていってしまった。これじゃあマシになっているどころか、よそよそしくて昨日よりも冷たい扱いじゃないか。

 腫れ物に触るように扱われるなら、まだしも烈火の如く怒っている方が相手はまだ自分に関心を払っている。あの避け方はもう二度と係わり合いになりたくないと思う者がとるリアクションだ。

 

「やはり彼を信じた僕が馬鹿だったのか……?」

 

 一人取り残されたギーシュは、ショックから食堂の入り口近くで立ち尽くしていたが、このままでは往来の邪魔になるしモンモランシーが現れるかもしれないと、食堂内へ入っていった。

 実際、程なくモンモランシーはやって来て他の女子達と談笑している。彼女から離れたテーブルに座っているギーシュだが、しっかりとモンモランシーの様子は伺い続けていた。

 

 ギーシュの友人達は昨日からの経過や、あの平民は上手く二人を取り持てたのかなどを聞いていくるが、そんなのは全部曖昧に濁しながら答えている。ギーシュにとってはそれどころではないのだ。

 

 ケティは駄目だったが、モンモランシーはどうなのだろう。というか前者があの結果だっただけに期待なんて持てるはずないのだが、ギーシュにとっての本命はモンモランシーであり、僅かな可能性でも禊の成功に縋りたい気分だった。

 

 遠くから眺める彼女は、昨日の修羅場など嘘のように楽しそうな調子で笑っているだけに、ギーシュはより都合のいい展開に賭けたくなる。

 

 ――そう、昨日は先にモンモランシーの機嫌を直す方に傾注して、ケティは間に合わなかったのかもしれないじゃないか。いやいやそんなはずはないだろう、自分で誤解を解きにいくべきだ。だとしたら昨日の今日でどんな言い訳をすればいいんだよ。

 

 そんな都合の良い解釈を立てつつも不安がそれを否定するという、煮え切らず終わらない思考のループを延々と続けていたが、このままでは何もしないままに授業が始まってしまう。一番最悪な選択は、無為に時間だけが流れてしまい二人の溝がより広がることだ。

 意を決したギーシュは、食事を終えて席から離れたモンモランシーへと声をかけた。

 

「やあ、モンモランシー」

「え? どちら様?」

 

 他人扱いだった。しかも真顔で。

 もう頭を抱えてしゃがみ込みたい。一縷の望みが砕け散り、本気でそう思った。だけどここで引いたら本当に破局だ。

 

「待っておくれ僕のモンモランシー!」

「僕の? 何を言ってるのあなた……」

 

 気持ち悪いものを見るような目で、モンモランシーはギーシュから距離を取る。やっぱりこっちも昨日より悪化している気がした。平民め、完全に騙してくれたな!

 後でお望みどおり罰を与えてやる。でもまずはモンモランシーの機嫌取りだ。

 僅かな時間で頭をフル回転させて、流れを止めないように口を開く。

 

「そんな怒った顔、君には似合わないよ」

「あなた、二年生みたいだけど、何処かで話したことでもあったかしら?」

 

 ここで恋多き少年のギーシュが怪訝を得る。モンモランシーは怒っているというより困惑しているように見えたためだ。

 モンモランシーが憤怒している時は、大抵ろくに話も聞いてくれないか、一方的に怒鳴られるというケースが多い。けれど今はそのどちらでもなく、どうしていいのかわからないという顔をしている。

 

「それは酷いな、これまで沢山の時間を共に過ごし、愛の言葉を紡ぎ合った仲じゃないか」

「え……?」

 

 やはり変だ。モンモランシーの顔が、血の気の引いたように青くなっている。これは怯えの色だった。これにはギーシュもわけがわからない。

 モンモランシーをかなり怒らせてしまったのは昨日ワインをかけられてよくわかっているし、拒絶されるのは致し方ないと思う。

 それでもこれは変だ。拒絶は拒絶でも、これではまるで恐いから近付きたくないみたいじゃないか。

 

「わたしの憶えている限り、あなたと話すのはこれが初めて(・・・・・・)のはずよ」

「……本気で言っているのかい?」

 

 今度青くなったのはギーシュだった。まず彼は混乱し頭で状況の整理を試みるが、どれだけ思考してもやはりわからない。何がどうなれば昨日の修羅場から、こういう展開に行き着くのか。

 だけど、モンモランシーが次に放った一言が、ギーシュに最悪の展開を想起させた。

 

「ミスタ、あなたは誰?」

 

 はまってはいけない歯車が、カチリと嵌る。この困惑はモンモランシーだけでなく、ケティも同じだったんじゃないだろうか? だから碌に話しもしないまま、怒った風もなく逃げていったのでは?

 

 それはつまり、二人が揃って、ギーシュを忘れてしまっていることを意味していた。

 背骨が氷柱にでもなかったんじゃないかという悪寒が、ギーシュに走る。そう言えば、昨日、あの平民は何と言ってギーシュと約束を交わしていた?

 

 ――『お詫びとして僕がさっきの二人と君の仲を(なお)してあげるよ』

 

 ギーシュはある答えに辿り着いた瞬間、駆け出していた。その鬼気迫る勢いに、周りにいた他の貴族が思わず気圧され道を開ける。

 

「え、ちょっと! なんなのよ!」

 

 当事者であるモンモランシーすら置き去りにして、ギーシュが向かったのは教室だ。ギーシュは朝からルイズの雰囲気がどうにも重々しかったので声こそかけなかったが、モンモランシーだけなくあの使い魔についても少しは注視していた。だから彼女らが先に出て行ったのは知っている。

 

 居た。何が楽しいのか、昨日と同じ笑顔の平民がルイズの隣で座っている。やはりルイズからは重苦しく近寄りがたいオーラが漂っているようだったが、もう関係ない。

 ギーシュは、力の限り禊を怒鳴りつけた。

 

          ●

 

 ルイズは、突然やってきて怒りをぶちまけるギーシュと、それを軽く受け流している禊を交互に見ているだけしかできなかった。

 これは何がどういう話なのだ。事件の全容を知らないルイズにとっては、降って沸いた緊急事態である。いきなりこれで取り乱すなというのが無理な話だった。

 

『やあ、おはようギーシュちゃん。朝から決闘者(デュエリスト)気取りかい? 残念ながら僕の特製デッキはここにはないぜ』

「二人に何をしたんだと聞いている!」

『人の話はちゃんと聞いておくべきだよ? 僕は宣言通り、あの娘達の関係を元通りに(なお)してあげただけさ』

「ふざけるな! それでどうしてああなるというんだ!」

 

 憤怒に任せて、ギーシュの握り拳が机に叩きつけられた。こんなに激情したギーシュはルイズも初めて見る。

 

『二人の記憶がギーシュちゃんと出会う前に戻れば、ギーシュちゃんがどれだけ浮気をしても、あの娘達が裏切られ傷付くことはなくなるだろう? 花は摘まなければ世話をする必要もないのさ』

 

 話を聞きかじっているだけで、嫌な予感が沸々と沸き上がってくる。そのためルイズは禊に説明を求めたのだが、そんな余裕すらもギーシュは与えてくれやしない。

 

「ちょっと、わたしがいない間に、あんた何をしているのよ」

「やはり……。君、自分が何をしたのかわかっているのかい?」

『何をしたかの説明を求められて、僕はきちんと答えていると思うんだけどなあ』

「そういう問題じゃない! 君はマジックアイテムを使って貴族の記憶を消したのだよ!」

 

 記憶を消した!? 記憶を操作するマジックアイテムともなれば間違いなくご禁制の品であり、相手が貴族ならばとんでもない重罪だ。

 

 ――たかが半日放置していただけで、どうしてこんな大事件が勃発しているのよ!

 

『別にマジックアイテムなんてファンタジーの面白アイテムに頼ってはいないけど、それは言うだけ無駄かな』

 

 マジックアイテムを使っていない、その言葉にルイズの心臓がドクンと高く打たれた。ならつまり、禊が二人の女の子にかけたのは、純粋な魔法ということになるのではないか。

 

「大事なのはどうやったのかではなく、何をしたかだ。貴様の罪は重いぞ」

『約束を果たしたのに横紙破りみたいな扱いをされるなんて、僕が政治家なら遺憾の意を表明しているよ。だから……』

 

 人の記憶を操作するという行為を実行しておきながら、禊は悪びれもせず平然としていた。さらに、愛嬌のあるいつもの笑顔でギーシュを嘲笑うかのように言葉の続きを紡ぐ。

 

『僕は悪くない』

「貴様……!」

 

 ギーシュの怒りが頂点に達し、薔薇の杖を禊へと突きつけるが、歯を食いしばって魔法の使用は抑えた。代わりにギーシュは決闘についての続きを投げかける。

 

「今日の昼休み。ヴェストリ広場で君を待つ。逃げることは許さない」

『おや、僕なんかのためにお昼まで猶予をくれるのかい?』

「勘違いするな。君が受ける罰を、貴族の誇りを汚した報いを! より多くの者達に知らしめねば、僕の気が済まないのだ!」

 

 ナルシストで格好付けたがりなあのギーシュが、許せないからという理由で人目の集まる時間と場所を選ぶ。そんな彼の怒りがどれ程のものであるか、想像に難くない。

 

「ちょっと待ちなさい。わたしの許可もなく、勝手に話を決めないで」

 

 まだその正体が何者なのかすらよくわかっていない禊が、ギーシュと決闘するなんて危険過ぎる。しかしルイズが知らぬ間に生じた渦は、彼女が割って入ったくらいで収まるものではなかった。

 

「ルイズ、君は知らないのだろうけど、この平民は君の誇りまで汚しているのだよ」

「それはどういう意味?」

「君の使い魔は、彼女達の記憶を消すのに、ご主人様にかけて誓うと言ったのさ」

「なな、なんですって!」

 

 主人と使い魔は一心同体であり、使い魔の失態は主人の失態となる。それだけでもルイズには大打撃には違いないが、禊はギーシュとの約束にわざわざルイズの存在を出していたのだ。

 禊が一方的に誓っただけとはいえ、禊が自信を持って記憶消去をしたというのなら、それはルイズが同等のことを同様の態度で行ったのに等しくなる。

 ルイズは昨日とはまた違った意味であまりに酷い急展開に、目の前が真っ暗になった。

 

「だが、僕はこの罪で、ルイズを責めるつもりはない」

「え?」

「君が認めようが認めまいが、この平民は君の使い魔なのだろう。だけど彼は特異過ぎる」

 

 怒り心頭のギーシュなのだが、禊の異常性もまた少なからず感じ取っているようだ。そうでなければ使い魔との連帯責任を問わないなど言うはずがない。

 

「それに、この平民が僕と約束をしたのは、使い魔召喚の儀式を行ってからまだ二日だ。たったそれだけの時間で、彼を躾けるなんて君には、いや誰にもできやしないだろう」

 

 軍人の息子である彼のプライドは、貴族の中でも殊更高い部類に入るはずである。そんなギーシュが、自分すら平民一人を制御できないと認めるような言葉を発した。

 何を隠しているか定かではない危険な敵に、それでも立ち向かい記憶を消された女の子達を守るとギーシュは決意している。これは、貴族としてあるべき姿ではないだろうか。

 それだけに、ルイズにかかっている責任は小さくないのだと彼女は自覚した。きっと、この決闘は止められないのだろうとも。

 

「僕は貴族としてその平民に罰を与え、モンモランシーとケティの記憶を取り返す。この杖にかけて!」

 

 ギーシュが一輪の薔薇を掲げ、周りの生徒達は皆何事かと彼に注目していた。貴族の誇りと尊厳をその力で以って示されることになった平民は、やはりいつもと同じ笑顔で人事のような返事をする。

 

『愛する者達と自分の誇りのために戦う貴族の自分格好いい! そんなギーシュちゃんの自己陶酔を守るために戦ってあげるよ。君の中二病にかけてね』

「何とでも言うがいい。君の悪逆非道を裁くのは、あくまでヴィクトリア広場でだ」

 

 禊の減らず口にギーシュはより冷たい視線を投げかけるが、これ以上の問答は無駄であると悟っているのか、そのまま背を向け去って行った。

 その背を見つめる禊は広げた掌を天に向け首を横に振るばかりだ。あの使い魔のことだ、あくまで自分は悪くなくて、勝手に向こうが怒りをぶつけているだけとしか見ていないのだろう。

 

「あんたはどこまで正気なの?」

『僕はどこまでいっても過負荷(ぼく)さ』

「……本気で決闘するつもりなのね」

 

 おちゃらけてこそいるが、禊はわざと決闘になるようギーシュを仕向けているのではないか。どうしてそうなったかの経緯は知らないが、そうでもなければわざわざ部分的に記憶を消すなんて真似をするわけがないだろう。

 

『ルイズちゃんはまさか、僕を心配してくれてるのかい? ならそれには及ばないよ。だって僕が勝てるわけないんだから』

 

 誰にも勝ったことがない。禊が召喚された日に自信満々に言っていたが、あれは本当だったのか。もうこの使い魔の語る話は、まともに聞くだけ馬鹿を見るとしか思えないけど。

 

『なんてったって、僕はゼロの使い魔だぜ』

「だったら好きに戦って、惨めに負けてきなさいよ!」

 

 使い魔にまでゼロ扱いされたルイズの頭は真っ赤になり、彼女は声を張り上げた。ゼロというフレーズは、この最低な使い魔を召喚するような者が自分なのだと、嫌でも実感してしまうのだから。

 今やルイズにとってゼロというコンプレックスは、禊の召喚前よりも遙かに大きくその過負荷(マイナス)を増していた。

 

「だけどその前に、昨日あれから何をしたか、全部わたしに説明しなさい!」

 

 それでも、ルイズはもうこの使い魔を投げ出すつもりはない。昨日の夜、自分の誇りのため、どれだけ最低でもこの使い魔から逃げないと誓ったのだ。遠くの席からキュルケがこちらを見て頷いている姿が見えた。

 

『説明するより先にもう一度断っておくけど、僕は悪くないよ。なにせギーシュちゃんの浮気(マイナス)を、僕が台無し(ゼロ)にしてあげたんだから』

 

 それから教師が教室に入ってくるまで、ルイズの質問が雨荒らしのように禊へ叩きつけられ、事件のあらましを理解したルイズからはすっかり精神的に困憊(こんぱい)しているのだった。

 こうしてルイズは決闘が始めるまでずっと、主人としてこの事態をどうやって収めればいいのかという答えの出ない問題に悩まされ続けることとなる。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十敗『螺子伏せてあげるよ』

 禊を当事者として今朝起きた事件を聞いたシエスタは、卒倒しそうな恐怖に身を苛まれていた。

 

「貴族の方と決闘ですって!?」

 

 そんな大問題を引き起こした当事者の禊は、平常心のままに器のスープを掬っては自分の口に運んでいく。この食事を終えたら広場で貴族と決闘をする者の態度とは、とてもじゃないが思えない。

 

『それで今は決闘準備(デュエルスタンバイ)をしているのさ』

「スタンバイって……」

『僕の国にはね、腹が減っては戦はできぬという、それ普通だよとしか思えない残念な格言があるんだよ』

 要は決闘の前に腹ごしらえしているだけだった。特別に何かをするわけではなく、いつも通りの生活に、いつも通りじゃない決闘という非日常が組み込まれている。

「気持ちはわかるが、いくらなんでもそりゃあ無茶だろおい!」

 

 禊が決闘をするという話を聞きつけて厨房からすっ飛んできた貴族嫌いのマルトーでさえもが、何とか彼を引き止めようとしていた。

 どれだけ貴族に嫌悪を抱いたとしても、勝つ術がないから陰で嫌味を言うだけに留まり、貴族のために働き続けるのが平民という身分なのだ。

 

 金銭や武装で力を蓄えた平民とて、やはり真正面から貴族に反旗を翻そうとする者はいない。だと言うのに、ここにいるただ一人の例外は――

 

『だってあいつら、ムカつくでしょ?』

 

 ――たったそれだけ?

 

 ムカつくから、気に食わないという理由だけで貴族に逆らい戦うというのか。そのシンプルな動機に、シエスタは禊を止める言葉を失った。

 無謀を通り越して、滑稽な物語の登場人物を見ているような気持ちになっていた。だけどこれは本や舞台などではなく現実だ。

 冗談みたいな話をこの少年は実行しようとしている。

 

『それにしても酷いよねー。僕は貴族様の恋路を手伝ってあげただけなのに』

 

 昨日禊は貴族の小瓶を踏みつけたのをシエスタは近くで見ていた。あの行為によってギーシュが怒りこちらに近寄った時は、自分がやったのではないのに泣いて逃げ出したいと思ったが、どういうわけなのか小瓶は無傷のままだった。

 そうして何とかあの場は収まったと思ったのに、次の日には貴族という油にさらなる火を注いでいる。

 

「あれから、ミソギさんはどうしたんですか?」

『あの女の子達から、ギーシュちゃんに関する記憶を消してあげただけだよ』

 

 厨房の皆が絶句し、禊を凝視した。それでもやはり、禊は何食わぬ顔で美味しそうに昼食を頬張っている。

 

「そんな……。あなた、殺されちゃうわ……」

『心配しないで』

「しないでって言ってもよ」

 

 常軌を逸している禊の行動だが、本人にとっては日常の延長線上に過ぎないとばかりに笑顔を振りまく。

 シエスタはもう知っている。この綺麗な笑みは、人を楽しませる言葉と、人を恐怖に突き落とす言葉を見境無く紡ぎ出すことを。

 

『高慢な貴族達に、決闘という単語を聞くだけで吐き気を催すようになる戦いを魅せてくるだけの、簡単なお仕事さ』

 

 簡単? 何が簡単だというのか? マルトーはこりゃ駄目だとボヤいて、自分の作業場へと戻っていった。

 短いながらも色々話をしてきたシエスタからすると、禊の態度はここに至ってもあまりに普段とそのままで、やっぱりこれから決闘に赴く者とは到底思えない。

 貴族の記憶を消したという悪行も、平民たる厨房の者達からは想像できるような範疇を超えてしまっている。

 

 そして皆が困惑していようとも、昼食を食べ終えた禊は両手をポケットに収めたまま厨房を後にした。

 シエスタは勇気を振り絞り、自ら処刑場へと歩む禊を止めようと後を追う。

 しかし部屋から抜けて禊が共にいたのは、シエスタにとってはまさに恐怖の対象となっている貴族だった。

 

『おやご主人様。まさか使い魔の迎えに自らやって来てくれるとは思わなかったよ』

 

 禊の前に立つのは彼の主人たるルイズであり、彼女こそがたった一人禊を押し留められる者だろう。そのルイズがキツい目付きで禊を見据えて、問う。

 

「最後通告に来たのよ。あんた、本当にやるの?」

『やるよ。これからね』

「そう。なら付いて来なさい」

『うん、エスコートありがとう。ご主人様』

 

 それは主従と呼ぶにはどうにもちぐはぐで、温度差のあるやり取りだった。ルイズは短く禊の意思を確認しただけで、あれこれと忠告や説教をすることもなく、彼を先導して歩き出す。

 使い魔の禊が主人であるルイズと決闘のことで揉めないわけがなかったのだ。そしてもう、そんな地点は過ぎ去ってしまっているのだろう。

 

「あの! 待ってください」

 

 禊とは出会ってたったまだ二日しか経過していなくとも、その人懐っこくてひょうきんな姿は、もうすっかりとシエスタの記憶に焼き付いている。

 不思議な少年だ。何を考えているのかもさっぱりで、未だにどうして昨日ギーシュの小瓶を踏みつけたのかもわからない。たとえ時間をかけたとしても理解できそうになかった。もしかしたら本当にムカついただけで、理由なんてないのかもしれない。

 

 自分とはあまりに違う、だけど同じ平民。そんな禊が、シエスタはどうしても気になった。

 それに自分でもわからないけど、シエスタは禊がこれからどうなるかを見届けねばならない気がする。

 それはシエスタが初めて禊と出会った時から、ギーシュという貴族がずっと絡んでいたためかもしれないし、この二日間で少しばかり彼の面倒を見てきたための情かもしれない。

 明確な答えなどないのだけど、シエスタは勇気を出して自分に背を向ける二人を呼び止めた。

 

「わたしも、一緒に行ってもよろしいでしょうか?」

 

          ●

 

 ヴェストリ広場には、ギーシュが前もって声をかけた集めた貴族達でごった返していた。彼らは一様にこれから始まる決闘という名のショーを期待して、沸き上がっている。

 

 ギーシュはそうして意図的に作られた輪の中で、一人眉一つ動かさないまま俯き、その時を待っていた。その様子からはいつもの目立ちたがり屋でキザったらしい彼は見受けられない。本気の怒りを静かに燃やす男がそこにいた。

 

 ふと、彼の正面にある人垣が割れる。来たか、とギーシュは静かに顎を上げ、怒気を孕んだ瞳でそれを睨み据えた。

 歩んでくるのは三人。桃色の髪を揺らすルイズに、すぐ後ろを追従するように、彼女の使い魔である禊が視界に入り、ギーシュの目が細まる。その二人から数歩遅れて付き従うように追うのは黒髪のメイドだ。

 

 あのメイドは食堂で禊と共にデザートを配っていた者で、初めて禊と出会った時も、彼女は禊の隣にいた。

 思えば、彼女こそがこの決闘を引き起こすきっかけになったのかもしれない。ならばあのメイドには、この決闘を特等席で見守る権利があるだろう。そう思ったギーシュは、ルイズと共にギャラリーの最前線に収まった彼女について見て見ぬ振りをするのだった。

 

 遅れてやってきて特等席を陣取ったメイドだが、今回の主賓であるギーシュが彼女について黙認を選んだ。それにルイズ達と一緒にやって来たということは、もう一人の主役である禊の関係者と推測される。そのため他の観客達もジロジロと好奇にそそられ瞥見するだけで、彼女を咎める者はいない。

 

「逃げずに来たようだな」

『ここが僕の故郷なら、今頃朝に買ったジャンプを読んでいる時間だったろうけどね』

 

 どうせ逃げたとしても、見張りに送っていたギーシュの友人が無理矢理にでも引っ張って来ていただろうが、自分の意志で歩いてきた禊にギーシュは警戒を強める。

 怪しげなマジックアイテムを使って少女二人の記憶を奪った男だ。何かを仕込みがあり、決闘の勝算があるからやって来たに違いない。

 

『ねえギーシュちゃん、一ついいかな。決闘を始まる前に確認しておきたいことがあるんだけど』

「なんだい? 下らない時間稼ぎなら付き合わないよ」

『この決闘は、どうやったら負けが決まるのかな?』

 

 禊が右手を挙げて投げかけたのは、ごく単純な決闘のルール確認だった。だけど、これまで二度も禊に手痛く嵌められたギーシュは、重要な部分を聞き逃さない。

 

「杖を落としたら負け。それだけだよ」

「それじゃ、禊の負けがないじゃない!」

 

 こんなのはギーシュからすれば想定していた範囲だ。あからさまなルールの抜けをルイズが指摘するも、彼は鼻で笑って返すだけ。

 

「口での降参を認めれば、きっとその平民は決闘の開始早々に敗北を認めるだろう。そんなのは許さない。そのために、あえて勝利ではなく敗北の条件を聞いたのだろう。違うか?」

『ん? ああ、バレてた?』

「もう君の口車には乗らない。だが安心したまえ、殺しはしない」

 

 殺したいくらい憎らしく、また殺されて当然の相手だが、それは許されない。この決闘は、モンモランシーとケティを救う戦いでもあるのだ。

 ただし、五体満足で帰すつもりだって毛頭ない。

 

「産まれてきたことに対する後悔を、たっぷりと味わうだけさ!」

「っひ……!」

 

 そう言って不敵に口元を釣り上げたギーシュを見て、メイドが両手で口を押さえて短く悲鳴を上げた。それを見た近くの貴族のギャラリー達はこの後に待つショーを予想したのだろう、「貴族を怒らせるとどうなるか教えてやれ、ギーシュ!」と野次のような声援を飛ばす。

 

 そんなのは言われるまでもなかった。ここで禊を私刑(リンチ)にして、モンモランシーとケティにかかった魔法を解除させる。そして二人の前で、禊が行った暴虐非道を懺悔させるのだ。

 それも可能なら大勢の観客がいるこの広場でがいい。そのためギーシュからして後ろになる人垣の最前に、予め二人を連れてきている。

 

『これまで産まれて後悔した回数なんて、おはようと言った数より多いぜ』

「その減らず口も聞き飽きたよ。それじゃあ、覚悟はいいな。平民」

『薔薇を咥えて諸君! 決闘だ! なんてナルシスト面白いことを、まさかギーシュちゃんはやらないよね』

「安心したまえ、これはもはや決闘ではない。僕から君への一方的な制裁だ!」

 

 ギーシュが手に持った薔薇の杖を振るい、花びらを一枚宙へ舞わせる。すると花びらが一瞬にして、女性型で甲冑を着込んだ人形に変わった。

 

「僕の二つ名は“青銅のギーシュ”。従って、この華麗なる青銅のゴーレム、ワルキューレが君のお相手をするよ」

 

 ゴーレムの一体でも召喚してやれば、まずかなり鍛えた剣士や騎士でもなければ勝負にもならず一方的にいたぶられるだけの展開になる。それがここにいる者達の常識だった。

 

「ミソギさん、逃げて……!」

 

 メイドの顔が絶望にへしゃげて涙目になる。これがごく普通(ノーマル)な平民の正しい反応なのだった。

 

「僕はメイジだ。だから魔法で戦う。よもや文句はあるまいね?」

『わお。これは昨日やっていた錬金の応用かな』

 

 しかし安否を気遣われているはずの禊とは言えば、好奇の溢れる目でゴーレムを観察しているように見える。

 面白くない。だが、これだって計算の内だ。

 

 ――さあかかって来い禊。お前の隠している武器を見せてみろ

 

『なら僕は、これ(・ ・)で螺子伏せてあげるよ』

 どこから取り出したのか、禊の手には二つの金属塊が握られていた。六角形のヘッドから円筒が伸び、先端は尖りまるで針のようで、螺旋を描いた溝が掘られている。見たこともない武器だ。

 

「奇妙な武器を……」

『ふうん、どうやらこの世界には螺子が無いようだね。相手を捩じ伏せるのに、ここまで適したアイテムは他にないのに』

「しかし、そんな金属程度で僕のワルキューレがやられるものか!」

 

 ギーシュの意気を乗せるように、ワルキューレが走りだし禊へと特攻する。それでも禊は落ち着き払った様子で破顔したままだ。

 

『まあ、青銅のゴーレムに僕の螺子が通じるわけないだろうけど、ものは試しと言うしね』

 

 ワルキューレが打ち込もうとする拳が禊に届くより先に、巨大な螺子がワルキューレの胴体を貫いた。穴は胴体の半分にも及ばないが、そこから亀裂が広がり身体が上下に泣き別れとなって落ち、それきりワルキューレは動かなくなる。

 

 なんて威力だ! だが、青銅を一撃で貫く威力に戸惑いを見せているのは、ギーシュだけではなかった。

 珍しく笑みの消えた真顔で、禊が自分の腕を見ている。そこで禊とギーシュは確かに見た。彼の左手の甲にある使い魔のルーンが淡く輝いているのを。

 

『これはまあ、後で調べるとしようかな。ただの契約証代わりだと放っておいたのが幸運(プラス)に出るなんて、僕らしくもない』

「まだだ、僕のワルキューレは一体だけではないぞ」

 

 ギーシュは残りの花びらを使い、新たに六体のゴーレムを一度に出現させる。様子見のために一体しか使っていなかったが、複数のゴーレムによる同時攻撃こそがギーシュの真骨頂だった。

 

 六体のゴーレムが、禊を囲むような陣形を組みながら走り回る。

 本来は戦闘向きではないと評価される土属性の魔法だが、このゴーレムは例外だ。ギーシュはドットクラスでこそあるが、ゴーレムの操作術は学年でも高く、生徒同士なら一対一の戦いでは彼に勝てる者はそう多くない。

 

「行けっ!」

 

 ギーシュの号令でワルキューレ達が一斉に禊へと襲いかかった。

 まずは禊の右側の二体目のワルキューレが打撃の体勢を取るも、その頭部にもう一本の螺子が突き刺さり破砕される。

 

『力で敵わないなら僕の死角を狙おうという君の弱さは、既に看破済みだ……』

 

 新たに取り出した二本が禊の螺子が、禊の後方から体当たりしようと身体をせり出す三体目のワルキューレに突き刺さった。

 

『ぜ?』

 

 だが、三体目は前のめりになりながらも禊の身体に抱きついて動きを阻害する。さらに攻撃された三体目を盾のように扱い、後ろで控えていた四体目と五体目が、それぞれ両腕を掴みつつ禊を押さえつけ完全に動きを封じた。

 

「それがどうした。僕の狙いはこれだ!」

 

 そして仕上げとして、六体目にして最後のワルキューレが唯一武装された槍にて、禊の背を穿ち貫いた。

 赤い飛沫が陽の光を受けて光るワルキューレ達の鎧を汚す。

 

「い、い……嫌あああああああああああぁ!」

 

 禊の無残な姿をその視界に写したメイドが絶叫したが、そんな少女一人の悲痛な叫びなぞ、大観衆の興奮した歓声にかき消されるだけだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十一敗『ルイズちゃんはやっぱり』

 自分が召喚した禊は吸血鬼や亜人で、強力な先住魔法を操れる。決闘となればその力と正体がわかるはずだ。ルイズはそう思っていたし、ギーシュが危なくなれば、自分が飛び込んで決闘を止めるつもりだった。なのに、まさか……。

 

 こんなはずじゃなかったとルイズが思っても、もう遅い。

 禊の背に槍が突き刺さり前のめりに倒れ、その上からワルキューレ達の拳と足が打ち下ろされる姿を、ルイズは黙って観戦しているしかできなかった。

 

 どう見ても優勢なのはギーシュであり、一方的に制裁という名の暴力を浴びせられた禊は息も絶え絶えになっている。

 

「もうやめて……ミソギさんが死んじゃう!」

 

 シエスタが止めどなく涙を流し、決闘の結果を拒否するかのように首を振りたくっていた。

 禊が魔法を使えない普通の平民だと思っていた彼女なら、こうなるのはわかっていたはずなのに。

 

 平民と貴族にはどうやっても埋められない格差がある。経済でも力でも、貴族は平民より上に立つ存在だ。これは差別じゃなくて、種別と言い換えていいだろう。

 たった一人の平民が、世界のルールを変えられるものか。事実として変わらなかったらハルケギニアは六千年もの間、貴族が世を治めているのだ。

 

「お願いしますミス・ヴァリエール! 止めて……この決闘を止めてください!」

 ――なのにどうして、わたしは自分にすがりついてくるこのメイドの気持ちがわかるの? どうしてこんなにも、わたしは無念を感じているの?

 

 ギーシュは殺さないと言っていたが、禊の正体が吸血鬼であったとしても、あの怪我では死にかねない。

 それに、ギーシュが禊を殺さないのはモンモランシー達を助けるためであるのは明確だ。逆に考えるなら彼女達の記憶が戻れば、禊が殺される可能性は決して低くない。

 現に禊はそれだけの重罪を犯している。

 

 禊が負ける。それはルイズにとって、制御不能の使い魔から解放されることを意味しているはずだ。

 使い魔が死ねば、召還の儀式はやり直すことが許されるから。

 

 なのに、ルイズの胸には締め付けられるような苦しさがあった。

 ピクリとも動かなくなった禊をワルキューレ達が見下ろし、その手足が止まった時、自分を抑えられなくなったルイズは思わず叫んだ。

 

「ミソギィ――――――!!」

 

 気持ち悪くて、恐い、大嫌いな使い魔だ。

 でも、このまま彼が死ぬのを認めたくないという矛盾した気持ちがルイズに降り積もり、そして破裂した。

 

 この感情の正体が何なのか、ルイズ自身にもわからない。

 禊が自分と同じ負けっぱなしの弱者だからかもしれないし、自分が使い魔に向きあうと決めてすぐこうなったためなのかもしれない。

 考えても、それらがはっきりとした形になることはなかった。

 

 だけど?

 だから?

 ルイズは自分の使い魔の名前を呼んだ。言葉にならないから、ただ、名前を。

 

 背負ってきた貴族としての重責も関係ない、自分の感情にだけ従った。これはきっとルイズという少女の、とても純粋な気持ちの塊だ。

 

『ん? どうしたの?』

 そしてそれ(・ ・)は返された。

 括弧付けた、真意の見えない言葉。日常の一ページみたいなあっさりとした、今この場に置いては異常極まりない返事。

 

 槍が刺さったままで、いつもの笑顔をそのままに、彼は身を起こす。地面に付いた手を離すと、背を大きく仰け反り、血塗れの刃先が天を向く。

 槍。

 流血。

 嘘みたいに薄っぺらな笑顔。

 ぞわりと立ち上る鳥肌。

 

 ――ああ、これ(・ ・)よ。これが私の使い魔だわ(・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・)

 

 魔法より理不尽に、エルフよりおぞましい。

 無能(ゼロ)という下限より堕した過負荷(マイナス)、球磨川禊がここにいる。

 

          ●

 

 急所ではないが胴体を貫通した。傷口から流れた小さな血溜まりと、青銅で殴打されて曲がってはならない方向に曲がった腕。怒りに任せてやり過ぎたとも思い攻撃の手を緩めたのだ。

 だというのに、まるで屠殺人(ゾンビ)のように禊は立ち上がり、ギーシュの心が乱れた。

 

 ただ驚いただけではない。禊が二本の足で直立し直しただけなのに、その姿があまりに気持ち悪いのだ。

 ギーシュの心臓が早鐘を打ち始めて、酸っぱいものが胃をせり上がってきているが、口に手を当てそれは押し止めた。

 

 こうまで肉と骨を破壊したのに、どうして禊は立っている? まだあの笑顔が浮かべているのだ。やせ我慢ができるような軽い傷とはわけが違うというのに!

 ただの平民ではないと策を練り苦戦は覚悟して挑んだはずだったが、これはもうそういう問題ですらない。

 

『可愛い使い魔のピンチに思わず初めて名前を呼んじゃう。ルイズちゃんはやっぱりツンデレだね』

「あんた……どうして?」

 

 禊の名前を呼んだ張本人であるルイズすら、開いた口が塞がらなくなっている。直接禊に手を下したギーシュのプレッシャーは、それよりも大きい。

 それを知ってからずか、禊は何食わぬ顔でルイズと話している。

 そして、折れていない左腕で禊がパチンと胸元のホックを止めると、

 

「ミソギさん……!」

『僕が名前を呼ばれる度に十円貰っていたら、僕は今頃小金持ちになってるぜ』

 

 折れた腕があるべき方向へと戻り、血と泥だらけだった服は新品同様に還って、突き刺さっているままだった槍さえが消え去った。

 これが、ギーシュだけでなく、全員が見ている前で一瞬にして起こったできごとである。周囲からざわめきが起こるが、誰もこの現象を理論的に説明などできない。

 

 ――できてたまるか!

 

 冷たい汗がギーシュの頬を伝う。自分は一体何を相手にしているのか、もうわからなかった。

 

「何なんだ、何をやったんだ貴様は!」

『またその質問かい?』

「いいから答えたまえ!」

 

 たまには別のことを聞けよという呆れ顔だが、毎回理解し難い何かを引き起こしているのは禊なのだ。聞くなと言われようがギーシュの知ったことではない。

 

『そんな大袈裟な話じゃないよ。ちょっと君に攻撃されたという事実を無かったことにしただけさ』

「……馬鹿にしているのか?」

 

 無かったことにした? そんなのが説明になると本気で思っているのかこの男は。

 そんな冗談がまかり通るなら、この世界から事故死と殺人は消え去っている。

 

「どんなスクエアの水のメイジが、貴重な秘薬を使ったって、そんな治療は不可能だ!」

『だから回復魔法とかそんなの(・ ・ ・ ・)じゃないってば。貴族は人の話を聞かないのが美徳なのかい?』

 

 やれやれと呆れ顔の禊がふと右へと向いた。

 その先には雲行きの怪しくなってきた決闘を眺める男子生徒が一人。彼はいきなり自分へ歩み寄った禊に理解が追いつかず、棒立ちのままだ。

 そんな傍観者そのものの彼の胸を、青銅の鎧さえ破壊してのけた螺子がぶち抜いた。

 

「うぎぁ!」

「ひっ……!」

「な、なんでこっちに!?」

 

 さらに禊がその螺子を一息に引き抜くと、男子生徒には螺子を刺された傷がなかった。白い制服にはシミ一つなく、破れた痕跡も残ってはいない。

 いきなり当事者となった生徒は衆人観衆が見守る中、突っ張るように自分の両腕を前に出した。

 

「なあおい、どうして急に暗くなったんだ? 皆どこに行ったんだよ?」

 

 周囲を手で探るように歩き回る少年の足が近くにいた女生徒に引っかかり、そのまま彼は倒れた。それでもまだ、少年の腕はもぞもぞと地面をまさぐったままだ。

 

「痛え! おい、今のは何だ? 俺は躓いたのか? なあ、声が聞こえてるんだ。誰かいるんだろ? 隠れてないで出てきてくれよ!」

 

 ここに来てようやく、皆が少年に起きた異常の正体を把握し始めた。そして少年の望みとは裏腹に、その事実に恐怖して皆が少年から離れていく。

 

『とまあ、このように! そこら辺につっ立っていた、無関係な生徒の怪我と視力を無かったことにしてみましたー』

「視力だと……? お前が消せるのは怪我だけじゃないのか?」

『怪我を治す? 過負荷(マイナス)たる僕の欠点(とくぎ)が、そんな幸福(プラス)のわけないだろ?』

「なあ、皆いい加減に出てきて」

『今いいとこなんだから、静かにしてて頂戴』

 

 這いつくばる少年の背にまたも螺子が突き刺さり、痛みで口が金魚のようにぱくぱくと開くが、少年から声が発せられることは二度となくなった。

 声すら出せず体を螺子留めされてじたばたともがく生徒の不気味さが、間接的に禊の気持ち悪さを加速させる。

 

『じゃあ静かに(しゃべれなく)なったので改めて。現実(あらゆること)虚構(なかったこと)にする。それが僕の大嘘憑き(オールフィクション)だよ』

 

 ギーシュの思考は現実に追いつけず眩暈がして、そのまま倒れそうになった。

 左手で頭を支えて、これはプライドとモンモランシー達を賭けた決闘だと堪えたが、いっそ気を失って何もかも忘れてしまう方が幸せだったと本気で思う。

 

「あらゆる、だと……」

 

 ギーシュが視線をズラした先にいるのは隣り合って並ぶモンモランシーとケティである。禊の言うことが本当なら、あの二人は記憶を無かったことにされたのだろう。

 信じたくない。けど全ての辻褄が合致してしまう。割れたはずの小瓶も、モンモランシーにかけられたワインも、ケティに叩かれた頬も、現実(なにもかも)を無かったことっされてきたのだとしたら――

 

「全部、全部その力だったのね……」

 

 禊の主人であるルイズが、あっさりとその理不尽を認めた。それがギーシュの認識を後押しする。

 そう言えば、ルイズの食事だけが無くなったという事件を聞いたことがある。これも禊の仕業だった。たったそれだけの話だ。

 受け入れたくない事実がギーシュの精神を縛り付けていき、今彼の思うことはシンプルにたった一つだった。

 

 ――こんなの、勝てるはずがない!

 

          ●

 

 ルイズよりも小柄で透き通るように鮮やかな青い髪の少女、タバサが広場で決闘を観戦していたのは禊に興味があったためではない。

「普段ほとんど感情を表に出すことのないタバサでも、きっと驚くようなものが見れるはずよ」と、親友であるキュルケに誘われたからである。

 

 それも話半分でしか聞いておらず、決闘が始まってもタバサは立ったままその目線は図書室から借りてきた分厚い本に落とされたままだ。

 どうもキュルケが件の使い魔に人並み以上の興味を抱いているのは今日の様子から薄々感じ取っていた。それがいつものように恋愛対象として見ていなかったのは珍しくもあるが、相手は平民なのでそこまで至らなかっただけと一旦片付ける。

 それより、どうも彼女は ルイズを心配している節があった。

 

 キュルケは普段こそノリが軽くしょっちゅうルイズをからかって遊んでいるが、クラスの誰より()を見ており、心の機微に敏感であるのを知っている。キュルケの惚れっ気の多さは、そのまま自分を磨く原動力として機能していた。

 そんな彼女が必要以上にルイズを気にかけているのなら、それ相応の理由があって、根っこにはあの使い魔が絡んでいるのだろう。

 

 だとしても、それが直接タバサの気を引く理由にはならなかった。禊が瀕死の重症から、理不尽な復活を遂げるまでは。

 螺子とかいう物珍しい武器を使ってワルキューレの一体を瞬殺したのは騎士として僅かに注視したが、すぐに戦い慣れているだけだとタバサは分析し興味を失った。

 メイジ殺しと称される修練を積んだ者達ならば、戦闘の素人であるギーシュを負かすことは難しくない。

 

 しかし、大嘘憑き(オールフィクション)と命名されていた力はまるで別物で、特異で、どこまでも例外だった。

 あらゆる事象を無かったことにしてしまう、にわかには信じがたい、まさに嘘みたいな能力(スキル)

 その荒唐無稽さに、タバサの瞳は禊に釘付けとなった。読んでいた本の内容もすっかり吹き飛んでしまっている。

 

「タバサ、あの大嘘憑き(オールフィクション)って言うの、一体どういう属性の魔法かしら?」

「わからない」

 

 そうとしか言いようがなかった。まず魔法かどうかさえ疑わしい。

 その幼い身体とは不似合いに、数々の死線を潜り抜けてきたタバサでも、そんなデタラメな魔法を使う者とは出会ったことがない。

 もしそんなことが可能な技法を強いて挙げるなら、先住魔法と後はもはや失われてしまった伝説の系統である虚無くらいではないだろうか。

 

 いや、タバサにとって大事なのは、あの力が何の系統でどういった原理で発動しているのかではない。

 そのどちらも、まず確かめねばならない前提に付随するおまけみたいなものだ。

 

 ――もし、あの言葉が真実(ほんとう)なら……。

 

 タバサには使命がある。それこそたとえ、己の人生、その全てを捧げてもやり遂げねばならない生きる目的が。

 大嘘憑き(オールフィクション)の効力が本当なのだとしたら、タバサの人生は大きくひっくり返りかねないのだ。

 

「ミソギ、君にもう一つ尋ねたい。モンモランシー達の記憶を奪ったのも、その大嘘憑き(オールフィクション)とやらを使ったのかい?」

『せいかーい! 初めて的を得た質問を聞いたよ。お利口になったねギーシュちゃん』

 

 その小さなやり取りにタバサの目が細まり、ただでさえ白い肌に青みが差した。

 物静かな彼女の内に、煮えたぎるようなどろどろの感情が渦巻き始めている。

 あの大嘘憑き(オールフィクション)は、タバサの今後とってなくてはならない存在になった。しかし、

 

「何かあるのは確信してたけど、まさか、これ程のものだとは思わなかったわ……。あまりに酷過ぎて、本当なのかすら疑わしいなんてね」

あれ(・ ・)の真相がどちらにせよ」

 

 親友のぼやきもどこか遠くに聞こえるが、確かなものが一つだけ、タバサの胸に迫っていた。

 彼女が内包する、絶対に触れてはいけない不可侵の底にある爆薬。禊はそれに火を点けた。

 

「他人の身勝手で人の心を操るのは、絶対に許されない」

 

 禊の顔が、タバサの大切な人を奪った悪魔の顔と重なっていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十二敗『今日から僕達は』

 何度も。何度も。何度も。

 ワルキューレ達が禊を攻め続ける。新たに持たせた槍で刺し、剣で斬りかかる。鮮血がワルキューレと広場を汚し、生徒達から悲鳴が沸く。

 その声の勢いは最初の歓声に比べると可愛いものだった。なにせ、決闘の巻き添えを恐れたギャラリーの半数以上はもう広場から逃げ去っているのだから。

 

 残った者達は、禊の発する気持ち悪い雰囲気に感化され、凍りついたように足がすくんで逃げることも叶わなくなっている。

 禊の付き添ってきたメイドすら、涙は枯れて禊の気持ち悪さに気圧されていた。彼の仲間ですらこの様なのだ。それ(・ ・)と相対しているギーシュは、もう生きた心地がしていない。

 

『ああこれは肝臓がぐっちゃくちゃかなー。胃の内容物が内蔵に溢れ出しちゃったかも?』

 

 普通の人間ならとっくに死んでいる怪我でも遊び半分の軽い声で解説をする禊に、ギーシュは寒気がした。

 そして手が緩んだと思えば、与えたダメージが即座に無にされてしまう。無かったことにされてしまう。

 そういう不毛な繰り返しに、いつしかギーシュの攻めは止まっていた。

 

 ――攻めなければ禊がこっちへ来る。だけど、何をしたってもう同じだろ。何から何まで、無かったことにされて終わりなんだぞ! 何かすれば疲弊するのは僕だけじゃないか!

 

 ギーシュの練ってきた策の全ては、大嘘憑き(オールフィクション)の前に何の意味も持たなくなっていた。

 ワルキューレが禊を攻撃すればするだけ、彼の狼狽は膨らみを増していく。

 

 決闘が始まったころの勇ましさなんて、ギーシュはとうに失っていた。今はただ死にたくないという生存本能が、彼の意識を支配している。

 

「来るな……こっちに来るんじゃない!」

『僕達って今、何してるんだっけ?』

 

 ギーシュは父が語っていた、“命を惜しむな、名を惜しめ”という言葉が如何に言葉だけであるかを理解してしまった。

 普段の彼がキザったらしく振舞うのは父からの教えを守り、自分がドットのメイジであっても貴族らしく振舞おうとする表れだった。

 

 何より、ギーシュ自身のナルシストな生き方のせいで見えにくくなってこそいるが、父の教えを尊守しようとする彼には困難に立ち向かう勇気がある。そうでなければ、根は小心者のギーシュが正体不明の禊を相手にしてまで、モンモランシーとケティを救おうとするわけがないのだ。

 

「くそ、何もかも無かったことにするだって? そんなの卑怯じゃないか!」

『貴族は魔法を使うんだろう? なら負完全と呼ばれた僕は、過負荷(マイナス)を使っているだけさ』

 

 そんなギーシュの才能(プラス)は、球磨川禊という規格外の過負荷(マイナス)の悪意に晒され、昨日のルイズと同じく台無しにされてしまった。

 涙目になりながら、ギーシュはワルキューレに自分を守れと指令を出す。“戦え”から“守れ”に変わった命令が、彼の心に憑いた(・ ・ ・)折れ目を如実に示していた。

 

『折角ギャラリーを集めたんだろ? 無限ループじゃ飽きられちゃうぜ』

 

 それはほんの数秒の早業だった。ギーシュの戦略によってワルキューレが禊の背後を襲った時とは比べ物にならない速さで、全てのワルキューレが地面に縫い付けられるように螺子を刺し込まれた。

 

「何ぃ……! 僕のワルキューレが! う、ううう嘘……」

『嘘だろ? さっきは力ずくで囲み、槍で倒せたじゃないか! とでも言いたいのかい?』

 

 ギーシュが言わんとしていた台詞を、禊が先回りして語った。そんな一言でも、雪玉が坂を転がり巨大化するように、ギーシュの恐怖がその濃度を増す。

 

『なんてことはないよ。絶体絶命のピンチに陥って、僕に眠っていた真の才能が覚醒したのさ』

 

 そんな都合のいい展開があってたまるか! とギーシュは思う。それを口に出すには、ギーシュの歯の根はあまりに噛み合わず、歯と歯がぶつかる音を鳴らし過ぎていた。

 ある意味でそれこそ彼が辿る敗北だったのだが、そんなIFは彼を含め禊すら知り得ないことだ。

 

『それとも、乙女の叫びによって新たなる力を得た! の方が思春期によくある病気っぽくて格好いいかな?』

 ――こいつ、わざと手を抜いていたな!

 

 気分よく禊を叩き伏せ、自分に悪人を裁く格好いい貴族という理想像を存分に味合わせておいて、それが全部仕組まれたものだと思い知らせた。ギーシュは禊の手の上で踊らされていたのだ。

 これによって、折れ目だらけになっていたギーシュのプライドは、握りつぶされたようにしわくちゃになった。もう元には戻せない紙くずに。

 

 敗北感に打ちひしがれたギーシュの膝が折れ、地に付いた。

 

「ま……」

『参ったなんて言わないよね? なんせ君は僕を一方的に四十六発も傷めつけたんだから。四十六億回は不幸(マイナス)になってもらわないと』

 

 球磨川禊が近寄ってくる。過負荷(マイナス)が這い寄ってくる。遅くもなくて早くもない歩調で、一つ一つ死の宣告を刻むように。

 肌が凍り、総毛立つ。春なのに、まるで真冬に戻ったようだ。

 涙でぼやけて禊の黒い服が滲み広がり、平民が、ギーシュにはもう悪魔にしか見えなくなっている。

 

『それにこの決闘、降参は負けに含まれないと言ったのは誰だっけ?』

「それは……」

 

 敗北の条件を予め確認したのはこのためだったのか。自分が決闘から逃げるためではない、ギーシュを決闘から逃さないために仕組んだ禊の罠だった。

 もう禊はすぐそこまで来ている。ここまで念密にギーシュを背水へと誘導したのだ、下手な言い訳なんて通用しないだろう。

 

「それなら!」

 

 ギーシュはわざと、自ら杖を手放した。もう自分が助かるならばそれでいい。生き延びるためなら貴族の誇りなんて今は邪魔なのだ。

 そんな逃避(マイナス)の意思は、されど禊の練り上げられてきた過負荷(マイナス)に通ずるはずもない。

 

『おっと、大事な杖なんだから手放しちゃ駄目じゃない』

 

 杖を手放した右手の甲に螺子が突き刺さり、しかしギーシュの手にあるのは螺子ではなく一輪の薔薇だった。

 自分から杖を手放して、メイジであることを否定しようとも、禊はそれすら無かったことにされる。

 偽りのプライドを持たせ続ける。

 

「そんな……これじゃあ」

 

 負けられない。

 勝てないとわかっているのに負けることも許されない。そして禊は、もういつでもギーシュを螺子伏せられる距離にいる。

 

「ゆ……許してくれ、僕が悪かった!」

『そんなの知ってるよ。だから最初から言ってるじゃないか』

 

 薔薇の刺を気にせず、ギーシュは両手を目の前に組んで禊へ敗北を懇願する(・ ・ ・ ・ ・ ・ ・)。そんなギーシュに禊は笑いかけた。嘘みたいに愛嬌溢れる、嘘の笑顔だ。

 

『僕は悪くない』

 

 ギーシュの右太ももを、螺子が抉る。

 戦いらしい戦いなんて、ギーシュには子供同士の喧嘩しか経験がない。禊を痛めつけるための策は練ってきたが、その逆なんて考えもしなかった。

 そんなギーシュが、異物で肉が突き破られる痛みに耐えられるわけがない。

 

「ぎゃあああああああああああああ!」

 

 悶えてのた打ち回るギーシュの絶叫が、決闘場を支配した。

 禊を倒す覚悟はあっても、禊に倒される覚悟なんてない。常に勝者(メイジ)として生きてきた無自覚の甘さだ。

 

「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いぃぃぃ!」

 

 だけど這う。それでも這う。鮮烈な痛みが、より深淵な恐怖を喚び起こす。急激にリアルを帯びた、死への恐怖だ。

 後ろを見るな。見ればそこには笑顔の悪魔がいる。

 死へと背を向け、助けを求めて手を伸ばす。前に群がっているのは人だ。悪魔ではない。自分と同じ人間だ。だったら助けてくれるはず。

 

「助けてくれ! 殺される!」

 

 しかし人間は皆ギーシュから目を逸らす。だって人間だから。悪魔が恐いから。

 人だかりが減って、そこには決闘を止めようとここへ来たのだろう、教師達がだんたんとギャラリーに混ざり始めてきた。でも彼らとて同じだ。人間には変わりがないから、悪魔は恐い。

 

 足音が聞こえた。すぐ近く、人間ではない者の足音だ。

 

 悪魔が来る。

 悪魔が来る。

 悪魔が来る。

 ギーシュを殺すためにやって来る。

 

 泣いて、助けを求めるギーシュは這いずり逃げた。砂利とズボンが擦れる音がする。手や顔が土塗れだ。自分がどれだけ惨めな姿になっているか、ギーシュには省みる暇などない。

 ギーシュの手が、人に届いた。それは彼の想い人、モンモランシーのスカートだ。自分が守りたくて、禊と決闘した女の子だった。

 

「助けておくれ……モンモランシー! 僕には君が必要なんだ。誓うよ! もう君しか見ない。絶対だ! 君さえいればいい。愛している!」

 

 スカートを引っ掴んでよじ登る。救済を求めて、愛しい人の名を叫ぶ。なんて単純な話だったのだろう。生きてることはそれだけで素晴らしい。

 好きな子と一緒に生きられれば、それ以上に幸せなことなんてなかった。たったそけだけ。

 ギーシュはそれにようやく気付いたのだ。

 

「わたしに触らないで!」

 

 モンモランシーがギーシュを突き飛ばす。尻餅を付いたギーシュが、唖然として彼女を見つめる。

 

「モンモランシー……」

 

 そして再び弱々しく彼女の名を呼んで手を伸ばすが、それも(はた)かれてしまう。ギーシュはモンモランシーに拒絶されていた。

 

「気持ち悪い! 勝手にわたしをここに連れてきて! 何なの? 誰なのよあなた!? これ以上、わけのわからないことに巻き込まないでよ!」

「待っておくれ、行かないでモンモランシー!」

 

 走り去るモンモランシーに手を伸ばしたとて掴むのは虚空ばかり。ケティの姿はもっと早くからなくなっていた。

 半分に欠けた想い出では、どれだけ求めても残り半分を埋めるには至らない。空を握った拳は無念で、大地を叩いた。

 

『あーあ。また振られちゃったね。せっかくやり直させてあげたのに』

「ひっ……ひぃいいあああああ!」

 

 禊の声にすくんだギーシュの背後から、容赦なき禊の追撃がやってきた。新たな螺子がギーシュの皮膚を引き裂き、声にもならない声が絞り出されて、近付けたはずの人間達はまた遠ざかる。

 教師でさえも広場から逃げ出す者が現れた。

 

 不意の一撃により見えないという新たな恐怖を傷と共に刻まれたギーシュは、悪魔の顔を見た。やはり最初と変わらない、だけどもう恐怖の象徴でしかない笑顔だ。

 手には変わらず二本の螺子。あれがまた突き立てられるのか。今だってもう死にそうな程痛いのに、まだ死ぬような痛みが増えるのか。

 見えていたとしても、あるものはやはり恐怖だけだった。

 

 ――次だ、次が来る。来てしまう。もう嫌だたくさんだ。もう……!

 

 ふっと、ギーシュを影が覆う。ギーシュに映るのは黒いマントと桃色がかった長いブロンドの髪だ。ギーシュと禊に割り込んだのは、禊をこの学院に召喚した彼の主人。

 

「ミソギ、あんたの主人ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールが命じるわ。今すぐその武器を捨てなさい!」

『最近の決闘ってのは横槍も許されるのかい?』

「何が決闘よ! これ以上、続けるならわたしが相手になるわ……!」

 

 この悪魔になんて勇ましい啖呵を切るのだろうとギーシュは慄く。

 だけどルイズの身体は心を正直に体現するように震えていた。これじゃあ悪魔の生贄が一人増えただけだ。

 下手すると乱入者にかこつけて、自分への罰を増やすかもしれない。仲間が増えても、それがルイズ(ゼロ)では何の助け(プラス)にもならないのがありありと感じ取れた。

 

『もー大逆転の雰囲気台なしじゃないか。空気読んでよね、ルイズちゃん』

「それがどうしたの。こんなの誰も望んでないわよ!」

 

 声も足も震えて、それでもルイズは勇ましく悪魔の前に立ちふさがる。二人の戦いが始まるのも時間の問題だろう。

 そうすれば、ギーシュの拷問もまた再開される。今のうちに少しでも逃げてここから離れないと。

 一度折れたギーシュの思考はどこまでも負け犬のそれで、しかし続く禊の言葉はそんなギーシュの逃亡すら止めるものだった。

 

『そもそもさ、僕はこれ以上ギーシュちゃん辛く当たるつもりはないよ?』

「はぁ?」

「え……」

 

 ルイズが眉をひそめて、ギーシュがぽかんと口を開ける。この期に及んで何を言っているのだ。話の流れが全く理解できない。

 それでも、これがまた薄っぺらな嘘だとしとても、ギーシュに小さな希望が灯ったのは事実だった。

 

『僕の国では、全力で喧嘩した者同士はその後厚い友情で結ばれるのさ。僕とギーシュちゃんは喧嘩どころか決闘をしたんだ。これはもう友達どころじゃないでしょ』

 

 軽くルイズを押しのけて、禊が四つ這いのギーシュを見下ろして、握手を求めるように手を差し伸べる。ギーシュがが必死に求めてた救いの手。誰も応えてくれなかったそれを与えてくれたのは、あろうことか禊だった。

 

『さぁ僕の手を取って。今日から僕達は無二の親友だよ!』

 

 羽より軽くて真実味がまるでない、悪魔としか思えない禊の笑顔。それがギーシュには、天使の微笑みと同じに見えた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十三敗『また勝てなかった』

 禊がよく自らを指し示す言葉として使った過負荷(マイナス)とは何なのか、それはこの止まらない鳥肌と、心を濁す不快感がそのまま答えなのだろう。

 禊が吸血鬼かもしれないと、少しでも思った自分が馬鹿だった。ましてやエルフだったらどうしようなんて思い違いも甚だしい。あいつはそれ以下だ。

 

 球磨川禊とそれ以外では、もはや存在の意味が違う。

 エルフは恐るべき種族(・ ・)だが、禊は最低な人間(・ ・)だ。

 

 人間のままで人間から忌み嫌われる悪意の化身、その生き方こそが過負荷(マイナス)であり、過負荷(みそぎ)が使用している大嘘憑き(オールフィクション)はそれを増長させる彼の一部だった。

 

 だから禊は自分を過負荷(マイナス)と分類し、扱う力も同じく過負荷(マイナス)と称したのだろう。きっとこの二つは別てないのだ。

 ルイズは禊と過負荷(マイナス)をそのように結論付けたが、長い理論と思考の果てにそうなったわけではない。球磨川禊に関わり、感覚的に本能が導いた回答だった。

 

 そこまできてルイズが悟り導いた結論は、“こんなの自分の手には負えない”だ。

 認めたくはないが、禊を召喚した自分にも過負荷(マイナス)の素養はあるのかもしれない。けれど禊が散布するこれは、ルイズ一人でどうこうできるものではなかった。

 

 ルイズは決して禊を見くびっていたのではない。あまりに過負荷(みそぎ)がハルケギニアでは規格外で例外で埒外だったのだ。

 それに気付かず観察なんて選んでしまったがために、決闘とは無関係だった生徒まで視力と声を無かったことにされるという、余計な被害が広がってしまった。

 もうこれ以上の喪失は許されない。ギーシュだってこの惨状が浮気した報いだとしても、ここまで苛烈な責め苦を受ける必要はないはずだ。

 

 この決闘を止めよう、それが禊の主人である自分の務めだ。

 戦いにならないという事実は、戦わない理由にはならない。敵に背中を見せないのが貴族なのだ。

 

 メイジとしては失敗ばかりのルイズだが、失敗と敗北から逃げたことはない。

 そうしてルイズは背の後ろにギーシュを匿い、一度は禊の策略によって失いかけた貴族の誇りだけを武器にして、禊と対峙した。

 

 ――だというのに、何なのよ流れは!

 

 せっかくの決起も、禊は見事にスルーしてしまった。

 皿の端へ押し退けられた添えもののパセリみたいにルイズは避けられてしまい、禊はこれ以上の非戦を宣言し、ギーシュに和解を持ちかけたのだ。

 

 これじゃまるで自分が相手にもされてない気分だし、事実されてないのだろう。

 手を伸ばし握手を求める禊と、その手を見つめ返すギーシュ。二人の世界はそこで完結していて、ルイズの入り込む余地はなかった。

 

 そうして脇にどけられたからこそ、ルイズは気付いた。あのギーシュは部屋の中で独り自暴自棄になっていた自分と同じだということに。

 自分の弱さを認めれば心は救われる。それはとても楽な選択で、気持ち悪いはずだった禊の誘う声が甘美にも思えてきて、抗い辛い魅力を宿していく。

 昨日は運よくキュルケが助けてくれたからどうにかなったものの、あのままだったらルイズは今頃過負荷(マイナス)への道を進み始めていただろう。

 ならここでルイズがすべきは、二人だけの閉じた世界をこじ開けて、ギーシュに自分の声を届けることだ。

 

「ギーシュ! その手を握っちゃ駄目!」

 

 言葉は時に人を追い詰め誤らせるが、正しき道を示して導く力も持っている。ルイズはそれを知った。

 ライバルだったキュルケが、それを教えてくれた。

 

「あなたはグラモン家の貴族でしょ! モンモランシーと一年生の子を助けるって言ってたじゃない」

 

 ギーシュが歩むべき道は貴族の誇りある道だ。険しいけれど、二人の罪無き女の子を救おうとしていたギーシュは、確かにその道を歩いていた。ならば、まだやり直せるはずだ。

 ギーシュは一人じゃない。共に支えあえる仲間がいる。それに気付けば過負荷(マイナス)にだって立ち向かえる。

 

「ギー……シュ……」

 

 されど、ルイズの声なんてまるで聞こえてないように、ギーシュは禊の手をしっかりと掴んだ。

 ギーシュが選んだのは厳しく強い貴族の誇りではなく、過負荷(マイナス)の冷たく優しい闇だった。

 

          ●

 

 見知らぬ闇で地を這う自分に、光が降り注ぐように舞い降りた螺子(てきい)のない禊の右手。ギーシュにこれを抗えるはずがない。

 

 ――死にたくない!

 

 ギーシュにあるのはこれだけだから。

 ずっと底の見えない闇に堕ちていくような絶望の中で、そこに一本、蜘蛛の糸が垂らされたようなものだった。そこにどんな意図があろうとも、その優しさを信じるしかない。

 

 ――助かる。僕は生き残った!

 

 開放を求めるギーシュの心は、無条件で禊を信じた。疑問や猜疑を心の隅に押しのけて、モンモランシーとケティの悲しむ顔が脳裏を霞めても、禊の手という“絶対”に抗う強さにはならない。

 誰かの声が聞こえたような気がしたけど、まるでノイズみたいに耳障りなだけで、ギーシュの芯には響かなかった。

 

 易きに流れたといえばそれまでだろう。

 しかし抗い難きが自身の死であるなら、それを許容してでも自分を貫ける者はどれだけいるのか。

 

 名を惜しむな、命を惜しめ。

 掴む。ギーシュは生き残るために、禊という蜘蛛の糸を掴んだ。

 

「ああ……僕達は、今日から親友だ……」

 

 自分はきっと、眉尻を下げて気の抜けた面構えをしているだろう。それで構わない。何の問題があるというのだ。

 だって禊は親友だから。

 だって『僕は悪くない』から。

 

 媚を売るように、へらへらとギーシュが笑う。それは、貴族(プラス)を捨てて、過負荷(マイナス)となった者の顔だった。

 

『なーんて。甘ぇよ』

 

 禊の空いている左手に握られていた螺子が、泣き笑うギーシュの額に迫る。禊という糸は、掴んだ瞬間ギーシュを切り離した。

 

          ●

 

 ギーシュの心が過負荷(マイナス)に流され堕ちた。

 ルイズはその顔から思わず目を逸らしたが真の悲劇はそこからだった。

 皆がこれで決闘は終わったと思った、これはそういう展開だ。そこで禊は自分を信じて手を取ったギーシュに、容赦なく螺子を突き立てた。

 

「あああああああ……」

 

 ルイズから漏れ出す音は、言葉の意味を為さない。ルイズ自身も意図して喋ろうとしたわけじゃなくて、思わず悲鳴を上げようとしたが、気持ちが現実に付いていけなかったのだ。

 禊がギーシュを殺した。

 使い魔が人間を殺した。

 

 受け止めきれない重責がルイズの心身を圧迫し、その場から一歩動くことさえ肉体が拒否する。

 遠くで誰か倒れた。シエスタだった。

 

 禊に懐いていた珍しいメイドだったから、まさかの貴族殺しに心がパンクしたのだろう。自分も同じく気絶できればよかったのに。

 

『うお!』

 

 ルイズが立ち尽くしていても、時間は進む。横合いから、不可視の一撃が禊を叩き飛ばした。

 はっとしてルイズは何が起きたかを思考し、周りを見回す。この魔法は『エアハンマー』で、使用したのはタバサだった。

 

 圧縮された空気弾により弾かれた禊が地面を転がり、タバサとキュルケがギーシュへ駆け寄る。できの悪い映画でも見ているようだ。

 これは全部ルイズが見ている架空のお話で、自分は観客。そうであって欲しいと願うルイズの足は、縫い付けられたようにここから動かない。

 

『何も見えなかったぞ? 今のが風系統の魔法かな』

 

 この世界の魔法を分析しながら、禊が立ち上がる。『エアハンマー』が直撃した右の肘が逆方向に曲がり、だらんと下げた前屈気味のまま歩行し始めるが、どうせ本当はわざとやっているのだろう。

 そこへ、炎の追撃が禊の全身を(くる)んだ。火だるまになった禊は体裁を捨て広場を転げまわる。

 

『ぐあああ熱っ! 熱い! 体が焼けてる!』

 

 その容赦のない炎を操るのは火系統の名手として学院で有名なキュルケではない。むしろキュルケは炎を使ったメイジに驚いている側だった。

 禊を燃焼させたのは、私やタバサ達の反対側から現れた人物だ。

 

「これ以上生徒には手を出させはしない。ここからはわたしが相手だ」

 

 いつもの冴えない風体からは想像できない冷徹な視線を向けたコルベールが、身悶えする禊を見下ろす。

 いつもは「ですぞ」僅かに間延びした言葉遣いも、引き締まったものに変わっている。

 

 高ランクなメイジが一挙に禊の敵へと回り、禊は燃え盛る炎に焼かれている身だ。それでも、ルイズの絶望感は微塵も薄まらない。

 コルベールもそうなのだろう、禊への警戒を緩めず、ここにいる者達に手短な指示を飛ばす。

 

「ここはわたしに任せて負傷した生徒を保健室へ。他の生徒もすぐ避難しなさい」

 

 それにいち早く応じたタバサがすっと立ち上がり、ギーシュにレビテーションをかけて浮かせる。

 でもあの螺子を頭に突き立てられたギーシュは、もうとっくに手遅れじゃないか。

 

「ギーシュは生きてる」

「え……?」

 

 そこでようやくルイズは無意識下で見ないようにしていたギーシュを確認した。

 

 ギーシュは死んでいるどころか傷一つ負っておらず、衣服やマントまで新品同然に戻っている。

 ただ、股を中心にズボンが湿っていて、彼の倒れていた場所には小さな水溜まりができていた。きっと螺子を突き刺される恐怖で失禁してしまったのだろう。

 どうしようもなく惨めな姿だが、それを笑う者などここにはいなかった。

 ルイズだって、ギーシュはよく戦ったと思う。

 

『やだなあ、教師ぐるみの虐めだなんて。週刊少年ジャンプじゃ規制間違いなしの描写だよ』

 

 黒い煙を立ち上らせる禊が俯せに寝そべったまま話している。全身大火傷は免れないはずなのに、両手で顔をぬぐうと健康的な肌が現れた。

 生徒ではなく教師が敵になっても、禊の態度は相変わらずだ。

 

『そのジャンプがここにはないんだけどね。あれを読めないと思うとテンション下がっちゃうよ』

 

 土でも風でも火でも、禊の過負荷(マイナス)は台無しにしてみせた。

 何度倒れても立ち上がる禊は、気高さはなく気持ち悪い。諦めない精神を見苦しいと思ったのは、これが初めてだった。

 

『おっと、僕に抵抗の意思はないよ。ギーシュちゃんとの決闘は、彼の望みに応えただけなんだから』

「ならば、君とミス・ヴァリエールには、このまま大人しくわたしに同行してもらいます。よろしいですね」

「はい……」

『僕も問題ありませんよ。対戦相手のギーシュちゃんが気絶しちゃったから、決闘はこれまでだろうね』

 

 ギーシュの誇りを懸けた決闘は誇りのない結末を迎え、残ったのは後味の悪さだけだ。禊の殺人だけは消えたが、禊がやったことが無かったことになったわけじゃない。

 嘘を取り憑かせて起こした事件は、どこにも消え去りはしないのだ。

 

 ルイズは自分が主人として背負った罪状を思うとここで泣き喚きたくなったが、それは逃げているだけと自分を叱咤する。

 しかしルイズがギーシュの死を確信して、また逃げたという足枷が彼女に新たな縛めを与えていた。

 そんな心情を、きっと禊は知っている(・ ・ ・ ・ ・ ・ ・)だろう。きっとそれだって禊は計画に含めていたはずだ。

 

 だけどそんなことはおくびにも出さず、決闘を行いに来た時と同じ足取りでコルベールの後ろに続いた。

 そして歩きながら告げる。ギーシュが死んだと思った時と、同じだけの衝撃をルイズに与える言葉を。

 

『また勝てなかった』

 

 禊はこれだけの事件を引き起こし、数えきれいない生徒達に消えないトラウマを植えつけて尚、決闘には勝っていなかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十四敗『どうということもないぜ』

 トリステイン魔法学院の女子寮廊下を男女のペアが歩いていた。意気消沈したルイズと定番の笑みを貼り付けた禊である。

 

 ルイズと禊の両名は休校になった午後の授業時間を、学院の会議室で過ごすことになったのだった。

 そこで待っていたのは、保険医を除く全教師からの質問責め、そして糾弾の数々だった。あの酷さは思い出しただけでも頭が痛くなる。主に禊の発言で。

 

 ルイズは自室に戻りベッドへ腰かけ禊を床に正座させた。

 

「あーもう、本当にどうすればいいのよ、これ!」

 

 ルイズが両手で頭皮をかきむしりながら、「わたしの人生終わりだわ」等次々に悲観的な言葉を吐き散らかす。

 

『どうにもならないんだし、希望にあふれた明日でも空想してようよ!』

「だから問題なんでしょうが!」

 

 馬鹿なの? 馬鹿だわ! 馬鹿だから! と三段階で禊を罵倒するが、禊にはノーダメージだ。

 

 教師に質問された禊の出身地は、禊が勝手に東方の国出身の平民だと取り繕った。これは異世界人とか言われるよりはよっぽど説得力があるのでかまわない。

 

 問題は決闘についてである。

 ギーシュについてはあっちから仕掛けてきた決闘であり、話は和解という展開によって一応の決着は付いたため、学院長の判断により部外者が立ち入る話ではないとされた。

 

 しかし、途中禊が視力と声帯を無かったことにした生徒については別だ。

 あれは禊がいきなりギャラリーの貴族を襲ったという別問題にして大問題なのだった。

 

 またモンモランシーとケティも、記憶の改竄しているためにこれも同じく重罪だ。しかしこれについても禊はギーシュを通して話を付けると言っていた。どうするつもりかは知らないが、禊による被害者の増加を防止するにはしっかりと見張っておかねばならない。

 

「どうして決闘の最中に、ギーシュ以外へ危害を加えたのよ」

『それは取り調べでも言ったけど、大嘘憑き(オールフィクション)の効果を証明するためだよ』

 

 そんな理由で貴族の人生を完膚なきまでに破壊しておいて、証明したかったんですで済むわけがあるか。とルイズは憤る。

 

『僕の過負荷(マイナス)は取り返しが付かないからね。派手に使っていきなりギーシュちゃんを再起不能にしちゃ、親友になれないでしょ』

 大嘘憑き(オールフィクション)で最も恐ろしいのは、まさにその取り返しが付かない部分だった。

 

 一度無かったことにした事柄は再び無かったことにはできず、つまり元には戻せないのだ。

 このルールに乗っ取るならば、あのギャラリーにいた少年は二度と日の光を拝めない。これではもう学院にいる意味さえも無くなったのだから、彼は自主退学するしか道はないだろう。

 

 犠牲となった生徒には申し訳がないし、戻せるものなら戻してあげたいが、そもそもにして方法がない。実行者である禊でさえ手の加えようがないのだから、詰んでいるとさえ思う。

 

「どうにもならないわよ、こんなの……」

『じゃあこう言い換えよう。どうにもならないし、どうということもないぜ』

 

 禊は喧嘩を売っているのだろうか。

 どうということはない、が該当するのは禊だけだ。禊なら何が起きても持ち前の過負荷(マイナス)で自分の窮地すら台無しにするのだろう。この男にはどんな脚本だって意味をなさない。

 

「なんとかできるものならしてみなさいよ。ただし、大嘘憑き(オールフィクション)は使わせないわ」

 

 大嘘憑き(オールフィクション)を封じる方法なんてありはしないので脅しにすらなりはしないのだが、ルイズが常に禊へ付きまとってでも被害の拡大を防ぐつもりであるのは本心だった。

 

『僕の大嘘憑き(オールフィクション)がいくら最低(マイナス)だからって、今回は元々ないものを無かったことにはしてないぜ?』

「はぁ? 何の関係もなかった人間の人生を台無しにしておいて、まだ『僕は悪くない』って言いたいわけ? 貴族を馬鹿にするのもいい加減にしなさいよ!」

『なんだ、そんなことかい?』

 ――そんなことですって?

 

 人をいきなり奈落に突き落とすような行為でさえ、禊には“そんなこと”に過ぎないと言うのか。いや、過ぎないからこその過負荷(マイナス)なのだろう。

 好きに勝手を行って、無責任にヘラヘラ笑う。

 

『だってそれ、どうせ無罪放免になるからね』

「あんたまた……」

 

 予め策を仕組んでいたのか。

 過負荷(マイナス)を知らないルイズを、本人の気付かぬよう精神的に追い詰めたように。

 あれだけ勇ましかったギーシュが、いつしか弱さで塗り固められていたように。

 

 あの貴族も、狡猾に計算した上で壊していたんだ。

 しかも恐らくはもう手遅れだ。大嘘憑き(オールフィクション)が必要ないと言い切って尚無罪放免になる理屈があるとしたら、その仕込みはもうとっくに終わっているのだろう。

 

『ルイズちゃんの様子から察して言うけど、僕は何もしていないよ』

「それをわたしが信じると思うわけ?」

『彼は貴族の中でも所謂問題児でね。気に食わない平民を悪戯に痛めつけて、かつて学院から停学を言い渡されたりもしていたんだよ』

「あの生徒が問題児だからって、あんたがやったことは何も変わらないわよ」

 

 もしあの生徒が、罰せられて当然の立場だったとしても禊が裁く権利はない。

 それに、これまでも学院側から処罰を受けているのならば、それはもう決闘と同じく他人がとやかくいうことでもないだろう。

 

『彼は貴族のステレオタイプなのさ。平民を見下して自分の自尊心を満たしてた。そしてそれは彼の実家も同じでね』

 

 ルイズはこれまでとは違う意味で驚嘆していた。禊が計算しての行動だったのは思った通りだったが、やり口はこれまでと大きく違っている。

 

『そんなわけで、天下の貴族様が使い魔の平民にいいようにやられましたー! なんて認めちゃうわけにはいかないのさ』

「あんた、どこからそんな情報を……」

『ここは外界から隔離され閉じられた学院(せかい)だぜ? 自分の無能(ゼロ)がどれくらいの速さで学院中を駆け巡ったか思い出してごらんよ』

 

 学院という閉じられた世界では、あっという間に情報は伝達される。ここで一年以上生活してきたのだ。そんなのは禊に言われるまでもないし、問題はそこではない。

 

「誰かに聞くにも、あんたがクラスメイトとまともに会話できるはずがないでしょ」

『ルイズちゃんらしい貴族(プラス)視点だね。この学院で噂好きなのは何も貴族だけとは限らないよ』

 

 禊がプラスと言う時は、限って上から目線で物を見ていることを指してきた。そして禊の目線はいつも下から見下すように不愉快なのだ。

 プラスとマイナス。

 幸福(プラス)不幸(マイナス)

 そして、貴族(プラス)平民(マイナス)

 

 ――そうだ! あの平民(メイド)

 

 ルイズの中で、禊の決闘にわざわざ引っ付いてきた彼女の存在が繋がった。シエスタとか言ったメイドが、禊と他の平民達を繋げていたのだ。

 その情報網を駆使して、禊は学園や生徒の情報を集めていたのか。ギーシュとケティの浮気だって、その筋から確証を得ていたのかもしれない。

 

「学院で働く平民から生徒の話を……!」

『貴族は平民になら裸を見られても平気なくらい無関心なんでしょ? 言い換えると、平民の目線は、もしろ貴族の本心を覗くのに適してるとすら言えないかな。僕の国では“家政婦は見た”なんてタイトルの物語があるくらいさ』

「だからって、その問題児の生徒が決闘を見に来て、それを都合よく見つけられるなんて限らないわ」

 

 半ば自分の視野が狭かったというミスを指摘され、やけくそになったための返し文句だが、自分で言ってみて的外れではないと思った。

 これまでの話だけでは計画が偶然に頼りすぎている。禊に直接誘導されたわけじゃないなら、あの生徒には昼休みをどう過ごすかの選択肢と自由な意思が残っていたはずだ。

 

『そうかい? 平民を嬲って喜ぶ根っからのサディストなら、僕が合法的に虐められる決闘なんて、最前席陣取ってかぶりつきで観戦すると思っていたよ』

 

 ギーシュは自分で決闘をするという宣言を広げて回っていたのはルイズも憶えている。

 それを耳に挟んだあの生徒は、嬉々として平民がいたぶられる姿を見るため、早めに観戦する準備を整え一番よく見える位置を確保していたのだ。まさか自分が狩られる側に回るなんて思いもせずに。

 

「そこまで計算してたって言うの? だからこの後の展開も」

『家族からもあれこれ言われたみたいだし、よくて自主退学で引き籠り、悪くても勘当されて目が見えなくて喋れない浮浪者になる程度かな』

「貴族としての面子を守るため、向こうは泣き寝入りするってこと……?」

 

 これはあり得る話だ。自身の中身より家柄を大事にするような貴族なら珍しくもないことで、そういう貴族が年々増えているのはルイズだって知っている。

 どちらにしても問題児の人生は、もう取り返しがつかなくて終わっていた。手の施しようがない最低(マイナス)だ。

 

 そういう意味では、彼もまた不幸(マイナス)に堕とされたのだ。

 ギーシュと同じく、台無しにされ堕とされたのだ。

 

「何がしたいのよ、あんたは」

 

 どうして禊はここまでやるのか。

 何がしたくて、他人にこんな仕打ちをするのかがわからなくて、わからないから怖い。澄みきった禊の笑顔が気持ち悪かった。

 

『幼い子供ってさ、よく蟻とか小さな虫を潰したがるよね』

「ミソギの言ってる幼い子供が、貴族と同じだって言いたいの?」

『僕は、幼い子供に踏み潰される小さな虫達の気持ちを、君達にわかって欲しいだけなのかもしれないね』

「そんなの一方的よ!」

 

 貴族達が幼い子供だなんて偏見と間違いだ。少なくとも、平民と貴族にある格差にはれっきとした理由がある。

 

「貴族は魔法によって平民にはできないことをやって、その恩恵で平民達を守ってきたわ。平民が貴族に税金を払ったり、雇われて働くのはその代償よ」

 

 暮らしや身分の差があるのはいつだって貴族が前に出て、世界を引っ張ってきたからだ。

 より優れた力を持つ者が、持たざる者を守る。そうやってハルケギニアは長きに渡る繁栄を得てきた。

 

「そりゃああんたが言うみたいに、私利私欲のために他人を傷付ける貴族だって中にはいるけど、それは法に則って裁かれるべきだわ」

 

 禊みたいに自分の理屈だけで貴族を嫌い貶めていたら、国は成り立たない。だから今禊は学院中から危険視され忌み嫌われているのだ。

 

『それが“持つ者”の世界観なんだろうね』

 

 世界。

 ルイズはもう禊が異世界人であるという言葉を、あまり疑っていなかった。それくらいルイズと禊の考える世界には、大きく致命的なズレがあるのだ。

 

 二人の世界は埋まらないし、埋められない。また埋めたいとも思わない。

 たとえ魔法が使えなくとも、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは貴族(持つ者)の世界の人間だった。

 誰より貴族(プラス)であることに誇りを持った人間だった。

 

          ●

 

 平穏で退屈なトリステイン魔法学院の学院長室で、秘書へのセクハラに精を出すオスマンに急な報せを持ってきたのはコルベールだった。

 

 かつては偉大なメイジと讃えられ学院長の座に付いているものの、今は色ボケジジイでその名を馳せているオスマンである。

 だがコルベールの持ってきた書物と一枚のスケッチを見てその表情が一変した。

 

 鋭い眼光で秘書のロングビルに退室を命じ、コルベールに詳しく説明するんじゃと話の詳細を促す。

 これまで魔法を成功したことがなかった生徒が召喚した平民の使い魔。そんな彼に刻まれた見たこともないルーンに、学者としての知的好奇心を刺激されたコルベールは様々な書物を漁った。

 その末に辿り着いたのは始祖ブリミルについての文献だった。彼自身も全く想像していなかった事態である。

 

 始祖ブリミルとはまさしく神にも等しい、偉人として敬われている伝説のメイジでありハルケギニアにおいて知らぬ者はほぼいないだろう。

 そして世界最高峰のメイジが引き連れていた使い魔のルーンこそが、ルイズの使い魔に刻まれていたものと同じだったのだ。

 

 その名は『神の左手ガンダールヴ』。

 学者肌で、いつも周りに理解されない研究に精を出す変わり者のコルベールだったが、今度ばかりはとんでもないものを見つけてきた。それこそ場合によってはトリステインを覆しかねない大発見である。

 

 時代を塗り替えるかもしれない力を持ち、また一歩扱いを間違えれば同時に大惨事を引き起こす引き金になりかねない情報だ。まずはその真偽を確かめねばなるまい。

 これがただ偶然の一致だったならばそれでよし。もし、本当に……。

 

 さてどうしたものかと思案していた時、扉のノック音が聞こえてきた。そして部屋に戻ってきたロングビルが、ヴェストリ広場にて決闘が行われていることを告げる。

 

 決闘者はギーシュとたった今話題になっている件の使い魔。

 教師達は決闘を止めるため『眠りの鐘』の使用を求めているようだが、オスマンはそれを突っぱね、再び去っていくロングビルを見送った。

 

 暇な貴族は碌なものではないと思うが、これは絶交の機会である。

 オスマンが杖を振ると、部屋にかけられていた大鏡にヴェストリ広場の様子が映し出された。

 そこに映っているのは、決闘を観戦する多くの貴族達。その中心で杖を操りゴーレムに司令を出すギーシュ、そして槍で背を貫かれ地面に横たわり暴行を受けている使い魔の姿があった。

 

 数分見続けても、その状況に変わりはない。

 なんだ、やはり偶然の一致だったか。それよりいくら決闘とは言えこれはやり過ぎだ。

 仕方ないから『眠りの鐘』の使用許可を出し、やんちゃ坊主を叱り飛ばすか。などと思っていたオスマンは、すぐその両目を見開くことになった。

 

 ただしそれは『神の左手ガンダールヴ』の文献とは遠くかけ離れた、全く別次元の力によってだが。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十五敗『人間だから』

 広場で繰り広げられた前代未聞の決闘を観戦し、オスマンは一人溜め息を漏らした。

 

「公爵家の娘は、とてつもなく厄介な者を召喚したもんじゃわい……」

 

 コルベールに決闘の仲裁、そしてルイズとその使い魔の連行を命じ、ロングビルは生徒の治療に関わる者以外で教師全員の召集を命じた。

 

 まずは教師と生徒達への戒厳令を敷かねばなるまい。今、あの使い魔の持つ力が広まればトリステインは大混乱に陥るのは目に見えている。

 貴族を一蹴できる平民、ただそれだけならば、自分の胸に秘め事態を見守るだけでいい。

 

 問題はあれが行使した力だ。あの使い魔の言った『無かったことにする』という能力が本当ならば、最悪たった一人の少年にこの国が滅ぼされかねない。

 王宮は今やひたすら利権を貪りたいだけの者達に溢れている。彼らに任せればきっと事態は最悪(マイナス)な方向に転がっていくだろう。それこそあの使い魔の独壇場になる。

オスマンは再び深い溜め息を吐いた。

 

 しかし、全てがこちらにとって不利に傾いているわけではない。そうでなければ辻褄の合わない部分がある。

 恐らくは、

 

「あの能力は、万能ではあるまい」

 

 もしくは、そうせざるを得ない理由がある。

 わずかな取っかかりを己の希望として、オスマンもまた部屋を後にした。

 

          ●

 

 決闘から数日の後、シエスタは昼食の給仕に精を出している。

 ただしその場は食堂ではなく調理場に備えられたテーブルで、しかも相手は貴族と平民が一人ずつだ。

 

 二人は対等を示すよう対面に座っており、普通では考えられない組み合わせである。

 そもそも、この二人は平等じゃなければ普通(ノーマル)でもない。

 

「これは美味しいよミソギ」

『ギーシュちゃんならそう言ってくれると思ってたよ。この安っぽい味がたまらないのさ』

 

 二人が食べているのはハンバーガーと言うサンドイッチの一種で、禊の要望により味と形は彼がいた国のそれと近くなっているらしい。

 遠回しに安っぽい味が好きな貴族と言われたギーシュは、だけどそれを気にした様子は全く察せられず、にこやかに添えられているフライドポテトをかじっている。

 

「安くて沢山作れるなら、最弱のドットで複数のゴーレムを操る安っぽい僕と同じさ。褒め言葉だよ」

 

 貴族が平民に自分の欠点を指摘されて、それを肯定的に受け止める。この二人は、お互いの悪い部分を見せ合って認め合うというやり取りが多い。

 

『遠慮せず食べてよ。支払いは僕じゃないからさ』

「そう言えばよくルイズは君がここで食事を摂ることを了承したね」

『むしろ僕が食堂にいると食事が不味くなると、謂れのない非難を受けているんだよ』

「そいつは酷い」

 

 ルイズへの不満を話題にしたニコやかな食事風景だった。

 シエスタには、容赦なく禊に殺されかけたのに、その相手と何の抵抗もなく食事をしているギーシュが不可解でならない。気持ち悪くさえあった。

 

『むしろ重畳と言ってもいいくらいさ。僕は弱い者(へいみん)の味方だからね』

 

 ギーシュに勝ったことで、禊は学院内において平民達からはヒーローのように扱われている。

 決闘から間もない頃は、特異な力を持っていたことに対する疑念や、いくら相手が貴族でもあれはやり過ぎだったのではないかという声もあった。

 

 しかし禊の扱う力はあくまでも魔法ではない。そして自分は平民の味方だと、彼は言い切った。

 

 それに加えて、禊が決闘でもう一人の貴族を再起不能にしていた事実が大きく響いたのだ。

 あの貴族は平民を無碍に虐げることで悪評が広まっていた者であり、禊もその話は聞いていた。

 決闘の最中でさえ、自分の身だけでなく他の平民達の身を案じる優しさを持った達人。学院の平民達から信頼の厚いマルトーが禊をそう評価したため、他の平民達も彼を受け入れるようになったのだ。

 

 シエスタは、まず禊に謝罪した。自分から望んで決闘に付いて行ったのに、途中で気を失ってすみませんでした、と。

 それに対して禊は『気持ち悪くて格好悪いところ見せちゃってごめんね』とむしろ自分が不快にさせてしまったのだとシエスタに謝り返して、二人はあっさり和解してしまった。

 

 そうして少なくとも厨房にいる皆は禊をちょっとした英雄として扱う中、ギーシュはやってきた。

 正確には、禊がギーシュを連れてきたのだ。そして禊は自分だけでなくギーシュの分まで賄い料理を注文し、二人で食事をし始めた。

 

 これには真っ先に禊を肯定したマルトーも渋い顔をしたが、貴族が直接の相手ということもあって強くは出られず、指示された通りに禊と同じ料理を出した。

 結局その後もギーシュは毎日厨房へ来るようになり、今へと至る。もう食堂にはギーシュの食事は出されていない。

 

 きっとギーシュには、ここにしか居場所がないのだろうとシエスタは思う。

 決闘で平民に負けた貴族。そのレッテルはこの学院においては大きな孤立(マイナス)要因だ。

 

 しかも決闘の終盤では命乞いまでしてしまい、遂にはその平民と親友になるとまで誓ってしまった。

 何よりも、ギーシュが初めに成そうとしていた、禊に奪われた恋人の記憶奪回までもが有耶無耶のままである。

 

 他生徒からのギーシュに対する信用は、もうとっくに地に落ちている。そして貴族でありながら貴族の誇りと在り方を失ったギーシュを、禊は決闘で宣言したように親友として、今度は嘘なく手を差し伸べた。

 禊という少年は敵に厳しく味方に優しいのだと、シエスタは禊をそう解釈している。

 敵対した相手にはどこまでも苛烈に、その人生を破綻させる。

 

 しかし味方にはどこまでも優しい。禊を信じようとして、しかし信じきれず拒否し心を塞いだシエスタをあっさり許したように。

 貴族として堕ちたギーシュを、こうやって厨房へと招き食事を共にするように。

 

 禊は仲間を見捨てない。

 そんな禊を、シエスタは尊敬した。

 そんな禊だから、シエスタは彼を信頼しようと決めた。

 だから、二人の給仕をやりたいとシエスタは自分から申し出て、彼女はここにいる。

 

「そう言えば、ミソギは一体どこから召喚されたんだい?」

『日本という国の東京って場所だよ』

「聞かない国だけど、名前からして東方の国なのかい?」

『ここかららだと遠い異国でね。僕はそこでずっと天才(スペシャル)異常(エリート)と戦っていたんだ』

「まあ! それって貴族様と戦争してらしたのですか!?」

 

 貴族に逆らう恐さを誰より知っているのは平民だ。たとえ弱いメイジでも、普通の平民を相手するならばまず負けない。

 そのため、この発言にはギーシュよりもシエスタが驚き、思わず二人の会話に口を挟んでしまう結果になった。思わず口を押さえつけるように耐えたが、そんな横槍に二人は気にした様子もない。

 

「それは僕ごときじゃ勝てないわけだよ」

 

 貴族の会話に割って入るのは無礼と扱われても文句は言えないのだが、シエスタの言葉に乗り何の疑問もなくギーシュは会話を繋げていた。

 ずっと貴族に反抗して生きていたというのなら、ギーシュを手玉にとれていたのも頷ける。

 

『戦っていたとは言ったけど、勝ったことは一度もないよ』

 

 そう言って禊が顔を向けたのはシエスタだった。自分にコメントを求めていると判断した彼女は素直に思ったことを口にする。

 

「勝ったことはなくても、ずっと貴族様達と戦ってきたのですね。だからミソギさんはあまり貴族の方を恐がってなかったのだと納得しましたわ」

 

 トリステイン魔法学院は貴族の本拠地と禊は言っていたが、貴族と戦争をしていた禊にとって、ここはまさに敵地そのものなのだろう。

 

 それからも禊は自分がいた世界について語っていた。話によると、禊は貴族に抵抗していた平民グループのリーダーらしい。

 それだけでなく、とても大きな戦いをしている最中で禊はここに召喚されてしまって、何とか帰る方法を模索しているとのことだ。

 

 シエスタは貴族を恐れず戦う禊に、憧れに近い感情を抱いていた。

 わたしもそんな堂々と生きられればいいのに。なんて思うが、自分と禊では生きてきた世界がまるで違いすぎて、真似しようという気持ちにもなれない。

 

「しかし弱い僕が言うのもなんだけど、平民が束になっても貴族を打ち倒すのは難しいよ。君が住んでいた国では、禊みたいな特殊な力を平民達は皆持っているのかい?」

大嘘憑き(オールフィクション)は僕だけの過負荷(けってん)さ。だけど僕と一緒にエリートに立ち向かっていた過負荷(なかま)達は、それぞれの欠点を持っている。これこそが過負荷(ぼく)らの誇る劣等感(じしん)だからね』

「あの、お話を聞いて思ったのですが、ミソギさんが消えてしまってそのお仲間さん方はとても困ってるんじゃありませんか?」

 

 気付けば、シエスタはちょくちょく二人の会話に割りこむようになっていた。そしてやはりそれを咎めようとする者はここにはいない。

 

「僕もそれは気になるな。リーダーが忽然と消えてしまったのだ。組織としては大混乱だろう」

 

 最悪、統率者がいなくなった反乱組織は、勢いを失ってそのまま貴族に負けてしまったかもしれない。

 

『僕としては一刻も早く戻って、仲間達のピンチに颯爽と駆けつけて一緒に負けたいと思っているよ』

「ならば、君の大嘘憑き(オールフィクション)でここに召喚されたことを無かったことにしてしまえば戻れるのではないかい?」

『そんなありきたりの手を、僕がまだ試してないとギーシュちゃんは思ってるのかい?』

 

 禊の反応からしてその手はもう試した後で、結果は芳しくなかったようだ。

 人の記憶や視力を無かったことにできる大嘘憑き(オールフィクション)でも、できないことはあるらしい。

 

『これはまだ仮説ではあるんだけど、どうやら僕は召喚についての事象を無かったことにはできないらしい』

 

 言って禊は左手の甲を見せる。そこあるのは使い魔の証であるルーンだ。

 

「それ、ミソギが僕と戦った時、光っていなかったかい?」

『正解者のギーシュ君に拍手ー』

 

 口だけで禊が拍手をしないので、シエスタが代わりに拍手をしておいた。そして禊は螺子を取り出し右手に持つと、ルーンが淡く輝き出す。

 

「それだよそれ。使い魔のルーンが光るなんて僕は初めて見たから、印象に残っていたのさ」

『僕も理由はわからないけど、武器を持つと光って身体が軽くなるみたいだ。それでねっと』

「きゃっ!」

 

 禊はおもむろに、螺子を自分の左手甲に突き立てた。禊のやることはいつも突然で、シエスタはいつものように悲鳴を上げた。

 だけど血が吹き出したのすら一刹那の出来事で、禊の手はすぐ元に戻る。

 

『ほらね』

「ほらねって……何がだい、ミソギ?」

『僕は今、このルーンを無かったことにしようとしたんだ』

 

 螺子によって開けられた傷は消えたけど、ルーンも同じように復元されており、元のままだ。先の考察からして、今の実験以外でも一度は試しているのだろう。

 

『同じく、僕自身が召喚されたことを無かったことにしたけど、どういうわけか大嘘憑き(オールフィクション)が発動しなくってさー。僕にしては珍しく本当に困ってるんだよ』

「まさかミソギの大嘘憑き(オールフィクション)にそんな弱点があるとはね……」

『元々、過負荷(マイナス)は弱さそのものだよ』

「だからこそさ。君の弱さに際限があるとは思わなかった」

 

 誰にも勝ったことがないのが自慢だと、禊はここに来てから口癖のようによく言っていた。禊は誰より弱いから、誰よりも強い。

 その弱さに限りがあるなんて、この前の決闘からは想像もできなかった。

 

『おいおい、僕だって人間だぜ? 限界はあるよ。人間だから人の弱さがわかるのさ』

「自分が弱いから人の弱さもわかるってわけか。だったら僕なんて弱点だらけだったろうね」

『それに、僕のスキルを潰せるのは、異世界広しと言えど一人だけだと思ってたよ』

「異世界?」

 

 聞き慣れない単語をギーシュがオウム返しするが、禊はこっちの話しさと曖昧に濁す。これも追求しない方がいい話らしく、禊は自分から話題を転換した。

 

『ギーシュちゃんは、召喚の儀式を帳消しにする魔法を知らないかな? 召喚そのものを無効にするタイプなら十全なんだけど』

「すまないが、僕も召喚の儀式を無効にする魔法は聞いたことがないよ」

 

 使い魔とは死ぬまでパートナーで在り続けるとは、魔法の学がないシエスタも学院で聞いたことがある。それが事実なら、禊はもう自分の国に帰れないに等しいのではないか。

 

「もし、そういう可能性が身近あるとしたら、学院の宝物庫かな。最近噂の有名な盗賊も、うちの学院を狙ってるという噂があるぐらいだし」

『その話、詳しく聞かせてもらえるかい?』

「ああ、僕の知ってる限りを教えるよ。友達だからね」

 

 禊の笑みが純真なそれから、何かを企むような怪しさを顕にする。濁りのない瞳が、静かに煌めいていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十六敗『格好付かないでしょ?』

 決闘の後も、ルイズは禊を自分の部屋に住まわせている。

 少なくとも禊は吸血鬼や危険な類の亜人ではなかった。それよりも最低(マイナス)最悪(マイナス)な人間だったけど、主人であるルイズが放置するわけにもいかない。

 

 禊と寝起きを共にすることに抵抗はあったが、そこは貴族のプライドで抑えこんだ。

 それでも重度のストレスが溜まるかと思っていたら、退屈なのか人懐っこく色々喋りかけてくるだけで、それさえ適当に流してしまえば危害を加えることはなかった。

 

 いるだけでも負担になる相手なのだけれど、ルイズからしてみればいささか拍子抜けだ。

 他にもこの部屋で一悶着あって騒ぎになったら、キュルケが直ぐ様飛び込んでくる手はずになっている。そんなの気休めでしかないとわかっていても、ルイズにはそれが安心感に繋がっていた。

 

 そんなある日のある時、唐突に禊はルイズにお願いごとをした。

 

『ご主人様、僕に剣を買ってよ』

「何でわたしがあんたに剣を買わないといけないわけ?」

 

 いきなり図々しいわね。あの決闘騒ぎからまだそんなに経ってすらないのに、どういう理屈で禊の力が増すかもしれないような行動を、それも自分で起こさないといけないのだ。

 

『最初に約束したよね。僕はルイズちゃんを守らないといけない』

「あんたは酷いくらい弱くて、だけど不快なくらいに強いわよ」

 

 それこそ嫌になる程に。まだしも普通の平民が召喚されていた方が救いがあった。

 やっぱり馬鹿にはされるだろうけど、それは“今まで通り”なのだから。

 

「そもそも、あんたはもうネジって武器を持ってるじゃない」

『螺子は本来武器じゃないんだよ。僕のいた世界では武器を携帯所持していると、打ち首にされるからね』

「どうせ嘘でしょ」

『本当に嘘だよ』

 ――話していて面白くはないけど、小気味いいのが微妙に腹立つわね。

 

 過負荷(マイナス)なんて言うくせに、禊は喋るのが上手い。それについてはルイズも認めている。

 

 決闘が終わり、ルイズの生活は不可逆に歪んだ。

 禊の主人であるルイズを他の生徒や教師達が露骨に避けだしたためである。

 

 ルイズに関わると禊関連でどんな理不尽を被るかわかったものではない。それに“メイジの実力を量るには使い魔を見ろ”という言葉が適用されて、ルイズもまた禊と同じレベルの危険人物と認定されていた。

 

 今や例外はキュルケと、そもそも初めからほとんど交流のなかったタバサだけである。

 人と会話をしなくなってから、ルイズは余計に話し上手である禊のトークスキルを実感していた。

 

『けど、理由なく武器を所持してると、憲兵みたいな人に連れてかれて注意を受けるのは本当の本当でね。だから普通(ノーマル)な人は武器なんて持たない世界なんだ』

「それってつまり、あんたが法を無視してるだけじゃないの?」

 

 あれだけ殺傷力あるのに、螺子が武器扱いされないのはおかしい。そして禊は普通(ノーマル)じゃなくて過負荷(マイナス)だ。

 集団のルールに則るような者と思えという方が、普通(ノーマル)から外れている。

 

『螺子は本来物を留める道具でね、ハルケギニアで言えば鋲に近い道具なんだ。それを説明したら、食堂の料理長から“我らの鋲”と言われるようになったよ』

「それって讃えてるのかしら……」

 

 剣や槍ならともかく、鋲ってどうなのだろう。

 そう言えば、禊は平民に人気があるんだったかと思い出す。一緒に決闘を見たはずのメイドは、今でも禊の味方らしいし。

 気絶してもなお禊に付いていくメイドの気持ちが、ルイズにはわからなかった。

 

「鋲だって言うなら、その大きさで何を留めるのよ」

『そんなの人間に決まってるじゃない。馬鹿だなあルイズちゃんは、螺子伏せるのが僕のスタイルさ』

「つまり武器ね」

『そうだよ?』

「………………」

 

 もう今日は禊を無視して寝てしまおうかな。半ば本気でそう思った。

 それでも話を続けてしまうのは、ルイズの真面目さか。それとも人との会話が恋しいからだろうか。

 

「じゃあやっぱり武器いらないわね」

『そうでもないぜ?』

「次変な回答したら、そのまま寝るわよ」

『そりゃあ螺子は一番手に馴染む、僕が過負荷(マイナス)能力(スキル)以外で唯一好む武装だけど、リーチが短いのが欠点(マイナス)でね。武器のリーチは、レベルの高い戦い程とても大きな要素を占めるんだ』

 

 今度はきちんとした説明のなされた理由付けだった。

 しかし、これだけでは禊を強化するという行為に許可は出せない。

 

「そんなの、あんたの大嘘憑き(オールフィクション)ならどうとでもなるじゃない」

 ――武器のリーチや、貴族は魔法があるから強いなんて常識くらい、台無しにできるんだから。

 

 心の言葉を表に出すと、貴族の敗北を認めたような気分になるので黙っておいた。

 

『だけど、いくら僕でも、過負荷(マイナス)でも、突然の事態には対応しきれない可能性がある。その時に武器が届かなくてご主人様が死んじゃまいましたー。じゃ、格好付かないでしょ?』

 

 こいつは自分が襲われても笑顔で見ているだけな気がする。ただの直感だけど、確信もしていた。

 

「あんたの大嘘憑き(オールフィクション)でも、死んだ人の命はどうにもならないのね」

『人を生き返らせる能力(スキル)は、たとえ人外でも使えないさ』

「そう……」

 

 もし、死者を蘇らせることができるなら、始祖ブリミルを再びハルケギニアに降臨させられるのだろうか。そう思ったけど、思うこと自体が不敬な気もしたので、これについて考えないでおく。

 

『それと、“これ”も試しておきたくってさ』

 

 禊が、左手の甲をこちらに向けてアピールする。これに関しては、すぐにその意図を察した。

 

「使い魔のルーンね」

『これが、螺子以外にも反応するか試しておこうと思うんだ。大嘘憑き(オールフィクション)が通じない曰く付きだから、僕としても情報は集めておきたくてね』

「通じないって、あんた、ルーンを無かったことにしようとしたの!?」

 

 これは、禊がルイズとの主従関係を切ろうとしたことに対する驚きではない。禊は自分で、螺子を持った時にルーンが輝き、いつもより早く動けてゴーレムを圧倒できたと説明した。

 そんな聞いたこともない特殊能力の恩恵があるのに、あっさりそれを切り捨てようとしたのか。

 

「そのルーンは、召喚を無かったことにできないあんたには、大事な力でしょ」

『いいじゃない。ただちょっとメイジを圧倒できる速度で動けて、青銅のゴーレムを容易く破壊できる程度の能力だよ?』

 

 大嘘憑き(オールフィクション)は、失わせることはできても、与える力は持ち得ない。

 いつ何が起きるかわからない異世界にやってきた禊にとって、ルーンの恩恵は得こそあれあえて消す要素はないはずだ。

 

「……わかったわ。明日街へ剣を買いに行きましょ」

 

 諦めたとアピールするような盛大な溜め息と共に、ルイズは剣の購入を認めた。

 

『流石はご主人様。素直なマスターを持って、僕はそこそこ幸せ者かもしれない』

「また嘘ね。あんたは誰より不幸が自慢でしょ」

自慢(プラス)じゃなくて劣等感(マイナス)さ』

「だったらせいぜいゼロのご主人様も劣等感(じまん)にするのね」

 

 全然納得できたわけじゃないが、こうまで禊が力説するのなら剣を欲するのには何か意味があるはずだ。

 だとしたら、もしここで無理に断ると勝手に街へ行きかねない。そうしたらどんな問題が起きるかわかったものではなく、監視のためにルイズも付き添うしかなかった。

 

 それに明日は授業のない虚無の曜日だ。きっと禊は、そこまで計算した上で頼んできたのだろう。

 どうしてもイニシアチブ奪われる自分に、彼女は嫌悪したのだった。

 

          ●

 

 魔法学院からトリステインの城下町は、馬で移動しおよそ三時間だ。

 球磨川はこれが初めての乗馬で、ルイズの後ろに乗ることになったのだが、これは彼女にとっては拷問だった。

 

 触れるだけで相手の心をへし折れる球磨川がルイズの腰に腕を回すと、とんでもない怖気が走るのだ。

 全身に鳥肌が立ち、あまりの気持ち悪さにルイズが馬から転げ落ちて、まず出発どころじゃない。

 

 思案した末、ルイズは厚手のローブを借りてきて、それを被り禊との緩衝材にした。

 それでも禊の手が触れる気持ち悪さを完全には消せない。涙目になりながら馬を走らせ続けたのだった。

 

 二人はトリステインの宮殿へと続く大通り、ブルドンネ街を歩く。

 禊がそこらかしこを指差してあれは何の店かと聞いてくるのを、ルイズは律儀に答えている。相手が禊とはいえ、ルイズはその根底に真面目さが根付いているのだ。

 

 狭い路地に入ってから、禊の質問はさらに数を増してきた。

 ただでさえ、この辺はゴミ屑が多く不衛生でルイズは気が滅入っている。それでもはしゃぐ禊の好奇心に、さしものルイズでも嫌気が差してきたが、ようやくそこでお目当ての店を見つけた。

 

 剣の形をした看板を掲げた武器屋だ。二人が店に入ると、店主だと思われる壮年の男がパイプを咥えており、こちらを訝しげに見つめる。

 どうやらルイズを店の査察にしきた役人だと勘違いしたらしく、自分は客だと説明すると店主の態度が豹変した。

 

「こりゃおったまげた。貴族が剣を!」

 

 魔法が使えるメイジは普通武器など必要としない。ルイズを役人だと間違えたのは、それが理由なのだろう。

 

「剣を使うのはわたしじゃないわ」

『ねぇねぇ、ひのきの棒とお鍋のフタはどこにあるのかな?』

 

 店主の愛想笑いも気にかけず、薄暗いに部屋に並べられた剣や槍に見入る禊が、平常通りに意味不明なことを聞いた。

 

「武器屋に、棒と鍋ぶたが置いてあるわけないでしょ!」

「ええと、この方が剣をお使いになるんで?」

「そうよ。適当に選んでちょうだい」

 

 ルイズは剣については素人だ。それなら店の者に見繕わせた方がいいだろう。店主は店の奥に引っ込むと、小奇麗な細身の剣を持って戻っきた。

 

 店主の説明によると、最近は貴族の間で下僕に武器をもたせるのが流行りらしく、このレイピアが売れ筋らしい。どうやら『土くれ』のフーケとか言うメイジの盗賊が、あちこちで暴れ回っており、その警戒のためなのだそうだ。

 店主が持ってきた武器が気になるらしく、禊もこちらを向いて話を聞いていたが、それが終わるとまた他の武器を物色し始めた。どうやらレイピアはお気に召さなかったらしい。

 

 そう言えば禊の螺子はもっと無骨で短いながら大きかったか。

 

「もっと大きい剣がいいわ」

 

 ルイズがそう注文を付けると、店主は使い手の相性がとボヤきながらも次の剣を持ってくる。

 今度はさっきよりかなり大きな剣だった。宝石が散りばめられた刃はピカピカに輝いている、いかにもよく切れそうな両刃式の大剣だ。

 

「こいつは、かの高名なゲルマニアの錬金魔術師シュペー興で、魔法がかかってあるため鉄だって一刀両断! この店一番の業物でさあ!」

 

 店主が自信満々に語る様子を見るに、余程自信のある剣なのだろう。いくら禊でも、これを構えたら少しは見栄えするに違いない。

 

「おいくら?」

「なんせうちでこれ以上の業物はありませんからね。エキュー金貨で二千。新金貨なら三千はいただかないと」

「そんなの、立派な家と森付きの庭が買えるじゃないの!」

 

 ルイズは普段あまり無駄遣いするタイプではないし、今は金銭的にも余裕がある。それに侯爵家の娘である以上、それなりの持ち合わせはあって当然だ。

 しかし、それを加味したってこの値段は高過ぎた。

 

『ルイズちゃん、真の名刀は城にも匹敵するんだぜ?』

「流石は貴族にお仕えの剣士。わかってらっしゃる!」

「何であんたが剣を語ってんのよ!」

 

 そもそも禊は剣士じゃないはずだ。自分と同じで剣の良し悪しがわかるとは思えない。それを代弁するような声が、どこからともなく聞こえてきた。

 

「てきとーなこと言うんじゃねぇ坊主。おめえの体でそんな剣振れるわけがねーだろ。さっき自分で言ってたように棒っきれでも振るってな!」

「誰なの?」

 

 店主と同じくらい年のいってそうな低い声だが、店の中にはずっと三人しかいない。一体どこの誰なのだ? とルイズは周囲を見回す。

 

「わかったならさっさと家に帰りな! おめえもだよ、貴族の娘っ子!」

「何よ、姿も見せずに失礼ね!」

『この世界には喋る剣もいるんだね』

 

 禊が声のする方を探すと、それは一本の剣から発せられていた。しかも、まともな手入れのされていなさそうな錆びの浮いた剣だ。

 

「やい、デル公が! お客様に失礼なこと言うんじゃねぇ!」

「おでれーた。まともに剣も見分けられねえような小僧っ子がお客様だと? ふざけんじゃねーよ!」

『この世界には、まだまだ僕の知らないことが沢山ありそうだ』

 

 喋る度にカチカチと鍔を鳴らせる口の悪い剣を禊が顎に指二本を当て興味深げに見つめている。

 真面目に剣を物色してるだけなはずの姿に、ルイズは僅かな不安を積もらせ始めていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十七敗『僕にはわからないな』

 店の主人がデル公と呼んだ剣は厄介者だった。喋る剣という物珍しさこそあるが、それだけだ。剣としては錆だらけで、ろくに手入れもされてない最低ランクの代物である。

 

「それ、インテリジェンスソードなの?」

「そうでさ。どこの魔術師様が始めたんでしょうかねえ、剣を喋らせるなんて。しかも、あの通りの口の悪さでして、しょっちゅう客に喧嘩を売るんもんでこっちも閉口してまして……。おいデル公! これ以上失礼するなら、貴族に頼んで溶かしちまうぞ!」

 

 あれでも一応売り物ではあるし、魔法で植えつけられたとは言え意思のある剣を本当に溶かすのは抵抗があるので実行したことはない。

 だが、それでも貴族に喧嘩売られるのはたまったもんじゃない。まだ暴言を吐くのなら、こっちに責任をかけられる前に処分も考えなければ。

 

「やってみな! こっちだってこの世にゃもう飽き飽きしてるんだよ!」

「やってやらあ!」

『ねぇねぇルイズちゃん。喋る剣っていうのは珍しいものなのかい?』

 

 売り言葉に買い言葉で剣を取っ掴もうとしたが、貴族の従者が発した質問によってその間を潰された。

 

「ええ。他にもないわけじゃないけど、種類としてはかなり珍しいと思うわ。でもあれじゃあねえ」

 

 そりゃそうだ。剣を知らないずぶの素人なお嬢様だって、貴族があんなボロ剣を買うわけがない。というか、せっかくのカモにあんなガラクタ剣売りつけるのはこっちだって嫌だ。

 

『ボロボロだけど喋る剣。これはまた、見え見えのフラグだね』

 

 しかし、貴族の従者は興味深げにその剣を手に取った。どういうわけだか、あの剣を気に入り始めているようだ。

 

「おでれーた。てめ『使い手か』」

『僕にそんな後付け設定があったなんて知らなかったよ、デル公ちゃん』

「デル公じゃねえ。俺の名前はデルフリンガーだ」

「剣にはミソギの過負荷(マイナス)は伝わらないのね。『物』だからかしら」

 

 デルフリンガーからよくわからない単語が出てきて、貴族の娘は物思いにふけりだした。これはよくない。このままでは、本当にデルフリンガーが買われてしまうかもしれない。

 普段なら厄介払いができたと喜ぶところだが、何故剣の価値もわからない金だけはあるカモに、あんな安剣を売らねばならないのだ。

 

「しかし、『使い手』にしては力が薄いな。まあいいや、てめ、俺を買え」

 

 ――何でこのボロ剣は、こんな時に限って自分を売り込むんだよ!

 

 『使い手』という言葉の意味はわからないが、デルフリンガーが俺を買えなど言うのは、店主もあれを仕入れてから初めてのことだった。

 

「おいデル公! 天下の貴族様がおめえみたいなボロ剣を買うわけねえだろうが! 黙って見てろ!」

「うるせえ! 『使い手』は俺を持つと決まってんだよ!」

「ねえ、あの剣はいくらするの?」

 

 貴族の娘が、デルフリンガーの値段を聞いてきた。

 嫌な流れだ。もうそれなりに安ければデルフリンガーを買ってしまう気だろう。と、千載一遇の金蔓との商談を店主は半ば諦めた。

 

「あれは二百でさ」

 

 ホントならあんなボロ剣、百でも高い位だ。もう半ばヤケになって、せめてデルフリンガーをまともな剣での相場で売りつけてやろう。

 

「あら安いのね。じゃあ、ミソギ」

『うん、決めたよ』

 

 従者も納得したようだ。ここは普通なら当然デルフリンガーを買ってしまう展開だろう。終わりだ。

 

『あっちの高価な剣を買おう!』

「ええ? おい、こら! おめーは何考えてやがる!」

「そうよ、ミソギ。あんたその剣を気に入ったんじゃないの?」

 

 どうやらあの従者は普通じゃなかったようだ。店主も驚きながら内心で小躍りした。これであの従者が貴族の娘を説得すれば、シュペー卿の剣が売れるかもしれない。

 

『だって剣ならこんなボロ剣より、綺麗でよく斬れる方がいいに決まってるじゃないか!』

「やっぱり一流の剣士は見る目がおありでいらっしゃる!」

「そもそも、その剣はいくらなんでも高過ぎるわよ」

『僕は一流貴族の使い魔だぜ? 一流の剣を使わないでどうするのさ。それともルイズちゃんは僕がボロ剣を背負ってる姿を、皆に見せつけたいのかい?』

 

 うっ、と貴族の娘がたじろいだ。どうやら一流と貴族のフレーズに弱いらしい。従者が優勢だ。これならいける。

 

「も、もしかしたらそっちのデルフリンガーの方がよく斬れるかもしれないじゃない」

 

 実を言うとシュペー卿の剣は装飾品であり剣で言うならナマクラだが、そんなのあの二人にはわかりやしないだろう、だから最後の一言はただの苦し紛れだ。

 デルフリンガーさえこれ以上要らない情報を吹きこまなければ、どうとでも丸込める。

 

「いやいや貴族様、そりゃあいくらなんでも」

『ふむ、どう見てもただの苦し紛れだけど、ルイズちゃんの言うことも一理あるね。ならこうしよう』

 

 従者が貴族の娘から主人に目線を移し、すっとシュペー卿の剣を指差した。

 

『この剣の切れ味を試させてくれませんか?』

「そりゃあ、そのどうやって試すつもりですかい? こりゃあ売り物なんで、あまり乱暴に扱われてやっぱやめたは困りますよ」

 

 店主は困った。もし試しで硬いものを斬られたら、この剣はまず折れてしまうだろう。そうしたら一発でこれがナマクラ剣だとバレてしまう。

 

『大丈夫ですよ。試すのはこのボロ剣ですから』

「え、ちょ、おいコラ!」

「ミソギ、また勝手に決めないでよ!」

 

 ヘラヘラ笑いながら、従者が持ったままのデルフリンガーを軽く振ってアピールする。いくらこのナマクラでもあのボロボロなデルフリンガーならなんとか。

 

「わかりました。ただし、剣の切れ味が保証されたら必ず買ってもらいますし、デル公のお代も払ってもらいますよ」

『交渉成立だね』

「ミソギー!」

「おでれーた! こんな最悪な『使い手』は始めてだ!」

 

 デルフリンガーには申し訳ないが、あれ一本で高級な剣が売れるなら安いもんだ。それどころか、デルフの代金だってかなり上乗せして儲かるんだから万々歳だった。

 

「まさか『使い手』に壊されて俺の命が終わるなんてよ……」

『それじゃ』

 

 従者がそっとデルフリンガーを一撫ですると、あのボロ剣に浮いていた錆が一瞬で綺麗さっぱり落ちていた。それも、まるで新品同様の光沢を放っているではないか。

 

『シュペー卿が鍛えた高級剣の切れ味を、面白おかしく立証しよう』

「おでれーた! こりゃおでれーた! いったい何がどうなってやがるんだ?」

「ちょ、ちょっと!」

『なんだい店主?』

「従者の方がメイジだなんて、あっしは聞いてませんぜ!」

 

 どういう魔法なのかはわからないが、一瞬でデルフリンガーがああなるなんて、とてつもない土の魔法に違いない。

 

『僕はメイジじゃないよ。杖なんて持ってないでしょ?』

「で、ですが……」

『それに、デルフは試し斬りの段階で買い取ったようなものなんだから、何をしようとも問題ないよね』

 

 従者は確認するような口調でこそあるが、問答無用で台の高級剣とデルフリンガーを置き換える。そしてシュペー卿の剣を構えた。その姿は意外にも様になっている。

 

「ミソギ、あんたまさか……」

『It’s show time!』

「いてぇ――――!」

 

 従者が剣を叩きつけようにデルフリンガーを斬りつけた。が、ガキンという嫌な音を立てて刃が舞ったのは、高価なシュペー卿の剣の方だった。

 

          ●

 

 何てことなの! やってくれた。またやってくれた。ルイズは禊に金貨三千の剣を折られた怒りで、自分の魔法よろしく爆発した。振れるのが気持ち悪くなければ張り倒しているところだ。

 

「うちの高級な剣になんてことしてくれやがる! 弁償してもらうからな!」

「ミ、ミミミミソギ! あんたって奴はー!」

 

 店内に二人の怒声が響き渡り、全力で剣を振ったために周囲の埃が散っている。騒々しくなった店内で、しかし禊はケロッとした様子で言う。

 

『どうして弁償する必要があるのか、僕にはわからないな』

「なんだと! この剣はどれだけの価値があると思ってやがるんだ!」

『このシュペー卿が必死こいて鍛えた、金貨二百枚の安剣も斬れないナマクラのことかい?』

 

 禊の言葉で、頭に血が上りわめき立てていた店主の顔が、一気に赤から青に下がった。ルイズだけがその意味を理解しきれず、はてなマークを浮かべている。

 

「おめ、あの剣が折れるとわかっててやりやがったな?」

『僕達は騙されていたのさ』

「あ……!」

 

 そうだ。禊の思わぬ行動に気が動転していたが、鉄だって斬れるという触れ込みだったあの高価な剣は、値段が十分の一だったデルフリンガーさえ斬れなかったのだ。いくら禊が錆を無かったこと(・ ・ ・ ・ ・ ・)にしていたとは言え、これは立派な詐欺である。

 

「わたし達が剣の素人なのをいいことに、ナマクラ剣を高値で売りつけようとしてたね!」

 

 沸々と沸き上がってくるルイズの怒りは、真の悪人である店主に向けられた。

 

「ひ、ひぃ!」

『この世界で貴族を騙すのは、軽くない罪じゃないのかなルイズちゃん?』

「そうねぇ、これは打首にされても文句言えないんじゃないかしら。ねぇ……?」

「も、申し訳ありませんでした! どうか、どうか命だけはどうかご勘弁を!」

 

 禊の問いかけに、ルイズは直ぐ様その意図を理解し、二人は互いの視線を交差させ同じような笑みを浮かべる。店主からすればさぞ恐怖に駆られる笑みだったろう。

 始めてルイズと禊の意思が一致した瞬間だった。

 

 

 

 武器屋から離れて大通りに戻った二人は、悠々とした足取りだった。

 禊の背にはデルフリンガーが背負われ、腰にはレイピア、そして右手にはシュペー卿の剣が掴まれている。

 全てこちらを騙した代償としてタダで入手した物だった。

 

 折れたシュペー郷の剣は、禊が店主が見ている前で折れた事実を無かったことにしたため、新品そのものに戻っている。

 唖然とする店主は少々哀れにも思えたが、ルイズを騙して悪徳に代金を得ようとしたのだし、これまでも似たようなことを繰り返してきたに違いない。ならばこれは当然の報いだろう。

 

 経緯はどうあれ、タダで剣を三本も手に入れられたのだ。ルイズはご満悦だった。これで帰りの馬で禊に触られるのも気持ちの上で耐えられる。はずだと信じたい。

 

 あまり禊に切れ味のいい剣を買わせたくなかったので、多少ボロくともデルフを買おうとしたのだが、話がこんな転がり方をするとは思わなかった。

 デルフリンガーはインテリジェンスソードだし、禊の無茶を少しでも食い止めるよう、後で言っておかないと。

 

「一時はヒヤッとしたが、ここまで頭の切れる「使い手」は始めてかもな。よろしく頼むとすらあ、相棒!」

『うん、よろしくねデルちゃん。ところでさっそく聞きたいんだけど「使い手」というのはどういう意味なのかな?』

「あー、それが俺もよく覚えてねーんだ。」

『もう一度聞くよ? 「使い手」の意味を教えて頂戴』

 

 禊は笑顔で再度聞き直す。何も知らなければ、禊がしらを切ろうとするデルフリンガーを問いつめているように見えるが、忘れたという事実を無かったことにしたのだろう。

 止める間もなかったが、禊なら記憶の積み重ねだって良心の呵責一つなく台無しにできる。

 

「だから、憶えてねーんだって」

「え……?」

 

 しかしデルフリンガーの答えは先と変わらなかった。禊はさしたる驚きもなく、自分の置かれた現実を確認するように呟く。

 

「俺はこれでもかなり長生きしてっから、昔のことはほとんど忘れちまってんのさ。悪いな」

『どうやら、デルちゃんの持つ一部の記憶にも、僕の大嘘憑き(オールフィクション)が通じないみたいだね』

「それって、ルーンと同じってこと?」

『だろうね、そしてこうとも言えるよ。デルちゃんは間違いなく、僕が元の世界に帰るための、大切なキーだということさ』

 

 禊は武器屋でデルフリンガーを見つけたのは無駄ではなかった、と言いたいのだろう。デルフリンガーが重要な意味を持つのなら、むしろ運命的なものさえ感じる。

 

「なんかよくわかんねえけど、思い出したら話すぜ」

『お願いするよ。なんせ、僕の下り坂しかない人生の進退がかかっているからね』

「おうよ。ところで、俺も聞きてえことがあるんだけどよ」

 

 今度はデルフリンガーが禊に色々と質問を始めた。自分の錆が消えたり、折れた剣が元に戻った理由が気になっていたようだ。

 

 ――それにしても、禊の買い物にわたしも付いて来てよかったわ。

 

 球磨川禊は徹頭徹尾悪人だ。人を人とも思わず、害悪しか与えぬ存在。

 ルイズがいなければ禊の歯止めになる者がいない。そうしたら奴はもっとあちこちの場所、それこそ悪事を働いてない店でも同じような詐欺をしていただろう。

 

 自分を犠牲にして、禊と無関係な者達を守ったのだ。少なくともルイズ自身は、この買い物を経てそう思っていたのだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十八敗『美少女と悪事は』

 禊の剣を購入した次の日、ルイズは一人で学院の図書館に足を運び、テーブルで書物を広げていた。

 本日の授業はすでに全て終わっているため、今は自由時間となっている。

 

「これも、駄目」

 

 調べ物は召還とルーンについて。つまり禊のあれこれに関するものである。

 

 事の当事者たる禊は、ルイズの了承もなしにギーシュと二人でどこかへ消えてしまったため、いつ帰ってくるかもわからない。

 本音では、もう二度と帰ってきてほしくないけど。

 

 ルイズを守るという名目で買い与えた剣だったが、その役割は果たせそうもない。果たそうともしていない。

 あの使い魔はちょっとでも気を緩めるとこれだ。

 しかし、この件についてはもう手を打ってある。

 

 そのため、目下の問題は今この時だ。

 

「これも駄目だめ……はあ」

 

 溜め息を吐きながらも、積み上げてた本の山から次を手に取る。ルイズは探しものに関係のありそうな内容を、手当たり次第に漁り回っていた。

 それでも欲しい情報はヒットしない。掠りさえもしていなかった。

 

 ルイズ自身、始める前からそれほど期待しているわけではなかったが、もしかしたらなどという淡い希望くらいなら抱いていた。今やそれも風前の灯火ではあるが。

 

「おや、ミス・ヴァリエールじゃないですか」

 

 諦観を織り交ぜながら魔法書に没頭するルイズの背へ、不意に声をかけてくる者が現れた。

 

「ミスタ・コルベール」

 

 今のルイズにとっては、特定の人物以外に声をかけられる行為すら珍しく、ちょっとだけ驚いた様子で自分を呼んだ教師を見ている。

 

「何か調べものですか?」

「ええ、その、ミソギ……使い魔に関する本を」

 

 それを聞いたコルベールはどこか悲しげに眉尻を下げるが、すぐに元の顔に戻り、

 

「そうですか……」

 

 とだけ答えた。

 そう言えば、コルベールは珍しいと言って禊のルーンをメモしていた人だ。もしかしたらルイズの知らない何かを知っているかもしれない。

 本と同じく小さな希望の光を追って、ルイズはコルベールに頼ってみることにする。

 

「でも、どの本でも授業で習ったことしか書いてなくて。あのミスタ・コルベールは何か使い魔のこと、特に召喚の儀式について、ご存知のことはありませんか?」

 

 コルベールはああそういうことかという反応を示したが、本当に申し訳なさそうに首を横に振った。

 

「残念ですが、彼の凶行を止めるのに役立ちそうな資料は、図書室にはありませんでした」

「無かった……」

 

 コルベールが伝えたのは、ルイズが行っている行動の結末だ。これで、ルイズの行動は無駄足だったと決まったのだから。

 

「あれから彼はどうしているかね?」

「大人しくはしていますわ。いつ何を起こすかわかったものじゃありませんけど。ああ、今は他の生徒が代わりに監視してくれています」

 

 決闘以来、禊の表立った動きは昨日の買い物くらいだが、それで安心などできるわけもない。その決闘だって、気付いた時にはもう不可避の事態だったのだから。

 

「ミス・ヴァリエール、君には本当に申し訳ないことをした。謝って許されることではないが、謝罪させてほしい」

 

 一度佇まいを正したコルベールは、ルイズに深々と頭を下げた。コルベールの不測な行動にルイズは慌てて椅子から立ち上がる。

 

「頭を上げてくださいミスタ・コルベール! わたしは謝れるようなことなどされていません!」

「君に彼との契約を強要したのは他ならぬ私じゃないですか。そのくせ、教師でありながら困っている生徒に手も差し伸べられない始末だ」

 

 ルイズはコルベールを恨んだことなど一度だってない。

 召還のやり直しを突っぱねられた時こそ、もう少し融通を効かせてくれてもと思ったが、コルベールはただ儀式のルールに従っただけだ。

 自分が教師だったら、同じようにしただろうともルイズは思う。

 

「ミスタ・コルベールはご自分の仕事をなさっただけですわ。それに資料が無かった(・ ・ ・ ・)ってことは、ミスタ・コルベールは探してくれた(・ ・ ・ ・ ・ ・)ってことですよね」

 

 ルイズには、ただその事実が嬉しかった。あんな者を召還してしまった自分を、それでも見捨てずに助けようとしてくれる。教師の中にも、自分の味方はいるのだと知った。

 

「ミス・ルイズ、これだけは信じてほしい。今は辛いだろうけど、君は一人じゃないのです。私じゃ彼については何の役にも立てないかもしないが、困った時はいつでも相談してください」

「とても心強いお言葉ですわ。ありがとうございますミスタ・コルベール」

 

 それは皮肉ではなくて、心から出たお礼の言葉だった。元々魔法が使えぬ劣等感から心に孤独を抱えてきたルイズだが、禊を召還してからそれはより顕著になっている。

 ルイズにとっての最大の敵は、自分を蝕み、ふと禊を受け入れてしまいたくなる心の弱さだった。

 

 しかし、その弱さを自覚しつつあるからこそ、ルイズは気付けた事実もある。どんな逆境でも、自分を支えてくれようとしている人が必ずいるのだ。

 きっとこれまでだって、自分から周りを威嚇していて知ろうともしていなかっただけで、ルイズを気にかけてくれる人はいたのだろう。

 

「それじゃあわたしは、もう調べる必要はなくなってしまいましたから、この本を片付けてきます」

「ああ。私も自分の用事を済ませるとするよ」

 

 ルイズが気にしなくていいと許したからと言って、簡単に気が和らぐ問題ではないだろう。

 そのため、ルイズは自分からこの場を動くことにした。

 

「すまない、ミス・ルイズ……」

 

 本棚の奥へ去りゆくルイズの背中に、コルベールはもう一度だけ、小さく謝罪の声をかけた。

 

         ●

 

 球磨川禊という人間は、人の視線や動きに敏感だ。それはキュルケが禊を見張るようになってから発見した事実である。

 それに気付けたのは見張りに失敗したからではなく、むしろ成功の報酬として得た情報の一つだった。

 

 人間が駄目でも、人間以外なら禊の認識は甘くなっている。キュルケは自分の使い魔であるフレイムに禊を尾行させたのだ。

 使い魔には視覚と聴覚を主人と共有する能力がある。これを有効活用し、禊の動向はキュルケ本人がチェックしていた。

 

 フレイムはサイズが大きいため監視には不向きという問題があったが、これはタバサが尾行における注意点とコツをキュルケに教えることによって解決している。

 どうしてタバサはそんな方法を知ってるのかという新たな疑問も沸いたが、キュルケはあえて追求しなかった。

 

 元々教えたくない話だからこれまで話さなかったのだろう。

 好奇心旺盛な性格ではあるが、親友が本気で話したくない事情まで無理に聞き出そうとするほど、キュルケは無粋な娘ではない。

 この距離間が、二人の間にある絆と呼べるものでもあるのだろう。

 

「またギーシュと話してるわね」

「ギーシュも要注意」

「大丈夫、わかってるわ」

 

 二人はわけあってルイズとは別に図書室の片隅で禊の監視を行いつつ、キュルケが情報をリアルタイムで報告し続けている。

 禊は授業が終わると、だいたいギーシュや平民達と厨房で紅茶を飲みながら雑談に興じている。本日もその例に漏れなかった。

 

 尾行によってキュルケが最も驚いたのは、禊の行動よりもギーシュの変化である。

 これが禊の周囲に与える影響ならば、こんな危険な存在は他に見たことがない。忌避すべき天敵であるエルフすらが、禊という最悪の前にはとるに足らない存在とすら思えてくる。

 

 ここまで来ると人格矯正や洗脳に近しいレベルだ。それを禊は魔法など一切使わずに実行している。

 これ(・ ・)がさらに広がっていくのなら、禊は誇張抜きで貴族社会を終わらせることができるのではないか?

 

「貴族としてのプライドだけなら、クラスで一番なルイズの使い魔とはとても思えないわね、ホント」

「でも事実」

「なのよねぇ」

 

 慎重に距離をとっての監視なので、厨房の会話までは聞き取れない。それでも和やかなムードであるのは遠目でもわかる。

 

 それが急に、厨房の皆が驚いた顔に変化した。禊だけはいつも通り涼しげに薄っぺらい笑みのまま。これもいつもとそう変わらない日常だった。

 パフォーマーな禊は、やたらと周囲に大きなリアクションをとらせたがるのだ。

 よくもまぁネタが尽きないものだと思う。

 

 キュルケは一応タバサに報告するが、現状維持はそのままで、平穏なる今日は過ぎていった……はずだった。深夜に、ルイズの部屋から禊が一人で部屋を出なければ。

 それに気付いたのは偶然で、キュルケが男子生徒を自分の部屋に連れ込んでいなければ、そのまま眠っていただろう時間である。

 

 監視と自己防衛を兼ねて部屋の前にいたフレイムが、視覚の共有をして禊の新たな動向を報せたのだ。

 そこからキュルケの行動は迅速だった。

 

「どうしたんだい、キュルケ?」

「今ね、一人、とても気になる殿方がいるのよ」

「おやおや、せめて今夜は僕だけを見て欲しいな」

 

 あからさまに機嫌を悪くした男子生徒に、キュルケは妖艶な笑みでその男が誰かを伝えてやる。

 

「ルイズの使い魔のミソギよ。彼がたった今、部屋から出ていったみたいなの。何か企んでるのかもしれないわ」

 

 かも、ではなく何かするつもりだ。とキュルケは確信を持っている。

 

「そ、そうなのかい!?」

「ええ、部屋の前に待機させてたフレイムが教えてくれたの。残念だけど、危険だから今日はこれでお開きにした方がいいわね」

「ああ、そうだね。本当に残念だけど、僕も自分の部屋に帰るよ」

 

 キュルケと夜を共にしていた男子は、顔を青くしてそそくさと帰っていった。

 正しい判断だとは思うが、俺が守るよの一言くらいは言えないものか。キュルケの微熱が再び彼に燃え上がることはないだろう。

 

 手早く着替えたキュルケは、まず隣の部屋にルイズの様子を確認しにいくと、ルイズは自分のベッドですやすや眠っていた。

 

「起きなさいルイズ」

 

 禊ならルイズが眠ったままにちょっかいを出すなんて造作もないことなので、念のためにゆすり起こしてルイズの安否を確認する。

 

「きゅるけー? なによう、もうちょっとでクックベリーパイが……」

「寝ぼけてる場合じゃないわよ! 禊がどこかえ消えたわ」

「ふえ? …………ええええ!」

 

 ようやく事態の重要性を認識したルイズが飛び起きる。そして使い魔専用の寝床である藁で宿主の不在を確認すると、ルイズは部屋を飛び出そうとした。

 

「何やってんのよあのバカ!」

「こら、あんたこそ何してるのよ」

「ミソギを追うわ!」

「少し待って、冷静になりなさいな」

 

 ルイズと比肩しえるプライドの持ち主であるキュルケだが、それでも一人で禊へ立ち向かえると思うような傲慢さはない。

 

「待つ? 待ってたらあいつは何やらかすかわったもんじゃないわよ!」

「だからって、あ、こら!」

 

 結局ルイズは制止の声に耳を傾けず、杖一本だけを手に走り去ってしまった。

 

「あー、もう。あの子ったら着替えもせずに」

 

 あの狡猾な使い魔の主人は、どうしてこう酷い癇癪持ちなのだろうかと呆れるが、禊がルイズをフォローすれば案外噛み合うコンビなのかもしれない。

 そんなことはあり得ないから、こうなっているのだけど。

 

「はぁ。ここまで想像できないイフもないわね」

 

 そもそも禊はフレイムがついて回っているので、追いつくのはそこまで難しくない。

 どうせルイズはネグリジェで行き辺りばったりに走り回って勝手に恥をかくだけだろうと放っておき、キュルケはタバサの部屋を訪れた。

 

 キュルケに起こされたタバサは、ルイズとは打って変わり、キュルケの真剣な面持ちだけでだいたいの状況を察して、二人はコンビで禊の追跡を始めた。

 フライを使えば追いつくのも早いだろうが、少しでも精神力を温存するために走って禊を追いかける。

 

 禊が向かった宝物庫のある塔だった。こんな夜中にそんな場所へ向かうのだから、狙いは一つしかないだろう。

 まともな者ならメイジだらけの宝物庫なんてそもそも狙おうとすら思わないだろうし、まず強力な固定化を突破すらできずに終わるはずだ。

 

 だがキュルケはもうよくわかっている。自分達の相手は、まともや常識を嘲笑の対象として扱う凶人だ。

 

 あの(マイナス)ならあえて狙う。

 あの過負荷(マイナス)なら固定化なんて、それこそ普通にドアを開けてしまうように突破できる。

 

 ここがトリステイン魔法学院だから安全なんて理由は、何の気休めにすらなりはしない。

 決闘時の対応からして、教師達だってアテにはならないからキュルケとタバサは二人だけで禊を追う。

 どんな理屈であれ、禊を無罪放免にして自由に振舞わせている者達など、信用できるものではずもないのだ。

 

 それに、こっちだって闇雲に禊を追いかけているわけでない。戦闘になれば勝ち目もある。

 決闘の日から二人は禊について分析し、どうやったら禊を無効化できるかを話し合ってきた。そして今日、図書室にてその答えを導き出したところなのだ。

 

 とはいえ、どんな策だろうがあの大嘘憑き(オールフィクション)に真正面から挑んでは、返り討ちにあっておしまいだ。

 タイミングは奇襲での一発勝負。フレイムで監視して禊が塔から出てきた瞬間を狙う。

 

 不安がないと言えば、それこそ嘘吐きになる。

 けれども、やれる自信がないというのをやらない理由にするのは負け犬の思考だ。

 

 ――やれる。わたし達ならきっと勝てるはずよ。

 

 キュルケは自分を鼓舞して覚悟を決めた。

 

「え?」

 

 だがその覚悟は、勝利への布石は、思いも寄らない形で霧散することになった。

 

「嘘……どうして? どうなってるのよこれ!?」

「禊に何かあった?」

「禊に、じゃないわ」

 

 キュルケの急変に眉をしかめたタバサが問いかけた。キュルケは焦りを多分に含んだ声色で今しがた起きた事実を報告する。

 

「フレイムから何も見えなくなったのよ」

「何も?」

 

 それは禊が角を曲がった時だった。標的を見失わないようフレイムの足を少し早めさせようとした途端、そのフレイムから送られてくる視界が完全に失われたのだ。

 説明を聞いたタバサはその事態を重く捉え、塔の近くに身を隠すことを提案して、二人はしばし様子を見る。

 

 キュルケはフレイムの身に何かあったのではと気が気ではなかったが、だからこそ冷静なタバサの判断に全てを託して大人しく従った。

 しかし一旦傾いた展開は、まるでずるずると滑り落ちていくように二人を予期せぬ方向へ向かわせていく。

 キュルケとタバサが身を隠してから十数分、その声は二人の背後から聞こえてきた。

 

『やあ。美少女と悪事は闇夜に紛れるより、月の光に照らされるべきだよね』

 

 そこにいたのは二人が追っていた悪事を働く者と、闇夜に紛れようとしていたはずの使い魔フレイム。

 キュルケは声を上げてこの場から逃げたい気持ちに駆られ、だけど不意に握られた友の手が、そんな自分を奮起させてくれる。

 少女達は逃げず、禊に挑むことを決意したのだ。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十九敗『生きてきたんだろうね』

 夜のとばりで対面する球磨川禊に、タバサは少なからず戦慄を覚えていた。

 

 戦いの最中で、恐いと思ったことはある。危険に身を晒して、神経が過敏になって自分の鼓動を感じるのも珍しい経験ではない。

 

 しかし、対面しただけで戦うという行為すら交わしたくないと思った相手は、これが初めてだった。

 禊を見るだけで鳥肌が立ち、気持ちが折られそうになる。

 

 恐い。のではなく、気持ち悪い。

 感情を殺して生きてきた自分が、これだけ感情のうねりを自覚するのはいつくらいぶりだろう。

 

「あなた、わたしのフレイムに何をしたの?」

『大したことはしてないよ。ちょっと主人の眼になる能力をなかったことにしただけさ』

「なんですって!」

 

 監視がバレていた。禊はこちらを油断させるため、あえて尾行され続けて、宝物庫に行くと見せかけたのだろう。つまり、

 

「……誘い込まれた」

「わたしのフレイムを返しなさい!」

『返すも何もこの健気なフレイムちゃんは、ご主人様との接続が切れても僕を捜そうとしていたから、ここまで連れてきてあげたのさ』

 

 フレイムはキュルケの声に応えてキュルケの元へ戻り、禊も邪魔をする気配はない。この隙は逃さずタバサは動く。

 

「エアハンマー」

『うぐっ!』

 

 固めた空気の塊が禊の胸を叩いた。禊は直撃した部位を抑えて後退る。

 タバサは間髪入れず『エアハンマー』を連発して、反撃の隙を与えない。

 

 だが、禊が風を突き押すようにかざした螺子が、『エアハンマー』を消し去る。

 

『その圧縮した空気は真っ直ぐにしか飛ばないんでしょ? 見えないなら、無かったことにできないとでも思ったかい?』

「思ってない」

 

 エアハンマーの弱点を看破されたのは、タバサにとっては筋書き通りだ。

 

「こっちよ! フレイム・ボール!」

 

 欲しかったのは最初の一撃を入れるきっかけだ。そしてそれを達成した今、作戦は次の段階に移っている。

 キュルケが作り出したのは巨大な火の玉。トライアングルの彼女が作れる最大級の火炎弾を禊に撃ち込んだ。

 

『おっと』

 

 禊は背後から迫る炎へ、半身を捻って螺子をそれにぶつける。

 どれだけの力を流し込もうと大嘘憑き(オールフィクション)が相手では、等しく台無しにされて終わりだ。

 

 なら、禊を倒すには、どれだけの力が必要なのか。

 

「相棒! こりゃ二重の罠だ!」

 

 禊に背負われた剣が、カタカタと鍔を鳴らしながら、禊に警告を発する。

 だけど、その手助けならぬ口助けは遅かった。

 

「ほんの一刺しできればそれでいい」

 

 タバサは杖の上下を持ち換え駆け出し、杖の先端に集約させた氷の刃で、禊を一突きにした。

 

「タバサ!」

 

 キュルケの驚いたような、哀しむような表情に、タバサの心にチクリとした痛みが沸く。

 禊を倒すのに大きな力は必要ない。その命を刈り取るための小さな刃物だけでいいいのだ。

 

 タバサの使用した魔法は『ブレイド』。杖に各々の属性に合わせた刃を形成する魔法だった。

 

『う、ぐ……』

 

 小さく唸るように呻く禊に、けれどタバサは何の安心感も得ていなかった。

 禊は先程までの振り向いた体勢ではない。故にタバサが突き刺した部位は即死させる位置ではなかった。

 

『振り向いた現実を無かったことにしていなければ死んでいただろうね。こんな僕だって、死ぬのは、死ぬのだけは本当に嫌なんだ』

 

 ブレイドの魔法は解除され、タバサは縫いつけるように地面へと螺子伏せられた。

 鉄が肉を貫く鮮烈な激痛に、タバサのできる抵抗は呻くような小さな言葉を吐き出すのみ。

 

「ぐ……う……ふ」

「タバサァ――!!」

 

 キュルケが半狂乱で『ファイアー・ボール』を連射する。

 ろくに狙いも付けられていないそれは、何かを燃焼させることもなく、全てが無かったことになるだけ。どれだけ感情を燃やしても、微熱による炎上は起こらない。

 

『おめでとう! 二人で僕の隙を付いて、不可避の一撃を叩き込む作戦は大成功だね』

「黙りなさい!」

『そうかい。なら、蚊のようにか細く痛みを訴え続けるタバサちゃんを、きちんと静かにしてあげようか』

 

 タバサに刺さる螺子の一本を禊は踏みつけ捻った。その外道な行いに、キュルケの憤怒は天井知らずに上がっていく。

 

「な……! あんたって男はどこまで最低(マイナス)なのよ!」

『完全なまでにさ』

 

 感情に任せて荒れ狂うキュルケをさらに挑発するように、タバサを見下ろしながら、彼女の頭上に螺子を掲げてみせる。

 

「ギアス」

『ん? 今何て……』

 

 タバサが禊にも聞こえるようぽつりと言い放った。その言葉を聞いた途端禊の瞳には魔力による光が宿り、急にだらりと両腕と頭を下ろして、それきり動かなくなる。

 

「おい、相棒。突然動かなくなってどうしたんだ? 相棒、返事しろ!」

「あなたの言う通り、大成功」

 

 タバサのささやかな抵抗は、詠唱として結果へと結び付いた。

 普通のメイジがネジで貫かれたら、それだけで心は折れるだろう。

 しかし、タバサはこれまで命のやりとりという、異常(アブノーマル)な経験を幾つも経てきた歴戦のメイジだった。

 

 螺子伏せただけでは、騎士である彼女の心は折れない。

 

「上手く、いったの……?」

「ギアスをかけると同時に、すぐに行動を止めるように命令を設定した」

「こりゃあ重度の催眠魔法じゃねぇか。おでれーた。まさか学生がこんな禁呪使うなんて考えもしなかったぜ」

 

 タバサが禊にかけた魔法は、数ある魔法の中でも洗脳の効果を有する『制約(ギアス)』。

 ギアスは禁呪として学院でも教わらない魔法である。

 それをタバサは禊の暴走を止めるためにのみ使用するという条件の下、コルベールから特別の許可を得て、『フェニアのライブラリー』から詳細を調べだし拾得していたのだった。

 

「タバサ! どうしてこんな真似をしたのよ」

 

 二人が取り決めていた作戦が予定通り決行されたのは、キュルケが『ファイアボール』で禊を引きつけるという部分まで。

 本来はこの間にタバサが制約の詠唱を唱える手はずだった。

 

「確実に、魔法をかけるため……」

「いくら何でも無茶し過ぎよ! ミソギを倒す前に、タバサが死んじゃ意味なんてないのよ!」

 

 タバサが一人で練っていた作戦は、ブレイドをわざと外して、禊に作戦が失敗したと思い込ませる(・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・)こと。

 狡猾な禊ならキュルケが二段構えの囮だということはすぐに気付くだろう。そして魔法には詠唱しなければならない弱点もある。

 

 この二つを同時に解消するために、タバサはわざとブレイドを外したのだ。

 キュルケに何も告げなかったのは、キュルケから作戦が失敗したという反応が欲しかったため。そして何より優しい親友はこのやり方には絶対に反発すると思ったからだ。

 

「すぐに先生を起こしてくから少しだけ待ってて!」

 

 螺子伏せられたままのタバサに、涙目の友人が駆けつける。今すぐ命に関わるレベルでこそないものの、傷自体は決して浅くない。

 

「その必要はない」

「ないわけないわよ!」

 

 焦って今にも飛び出そうとするキュルケに、タバサは簡潔に理由を告げる。

 

「ミソギに傷を無かったことにしてもらう。その方が効率的」

「ああ、そうね……そうしましょう」

 

 目の前で友人が血を流したことにより、キュルケはやや動揺しているようだった。

 

 今や禊の自由は、全てタバサの手の上に乗せられている。

 自分の行った洗脳という行為に、心を壊された大切な人の姿を思い浮かべたが、自分は違う。

 これは禊による犠牲をこれ以上増やさないため、学院にも認められた必要な措置だ。そうやって自分の中で矛盾する行為に理由付けをして納得する。

 それでも、針で指すような小さな痛みが彼女の心には残っているが。

 

 『ギアス』は所詮催眠をかけるだけの魔法だ。大嘘憑き(オールフィクション)とは違い、解除するのは容易い。

 禊から大嘘憑き(オールフィクション)についての情報をあらかた聴きだした後は、その使用を封じる暗示のみを残し、他は元に戻すつもりである。

 

 禊の心を完全に破壊したり、命を奪おうとは思えなかった。これでも彼はルイズの使い魔で、自分にとっても重要な鍵を握る存在なのだ。

 

「ミソギ、わたしの傷を無かったことにして」

 

 その命令を伝えると、ミソギは顔を俯かせたまま、意思のない人形のようにゆっくりと腕を上げていく。

 

「何にせよ、これで一段落ね。タバサ、今回は上手くいったけど、もう二度とこんな危険な真似はしないでね」

 

 そう言ってキュルケが禊に背を向けた。その時、禊の持ち上がった腕は忽然と加速し、背負っている大剣に手をかけると、背後からキュルケを貫いた。

 

「う……そ……」

 

 キュルケが弱々しく振り向き、タバサが滅多に見せることのない驚愕の顔で前を見据える。

 どちらの視線も行き着く先は、見る者の心を凍り付かせる薄っぺらな禊の笑顔だった。

 

          ●

 

 ごぽり。

 と、キュルケの口から大量の血が零れ落ちる。

 

 自分が寒いのは、禊に対する恐怖なのか。それとも、もうすぐ命の灯火が消えようとしているためだろうか?

 

 濡れた剣の赤は、キュルケの体内に流れているはずの液体で、だけどそれらは次から次に体外へと溢れ出している。

 今にも消え入りそうな意識を支えているのは、痛みという死を予感させる恐怖の塊だった。

 

「キュルケ……!」

『おやおや、そんな目で僕を見るなんて酷いな。君達が先に僕を刺したんだぜ? 君達に僕を非難する資格はないよ』

 

 剣を引きぬかれたキュルケは、力なく、その場へ崩れ落ち膝立ちになる。地面に垂れる赤の色が地面を侵食するように広がっていく。

 

『だから、僕は悪くない』

 

 禊の手の平が、キュルケの頭を軽く叩く。死にかけていようとも、その手は気持ち悪かった。

 

「え、あ……あ、わたし、生きて……」

 

 気が付くと、キュルケの身体は元に戻っていた。

 剣が突き刺さっていた胸を撫でると、そこには血痕はおろか、穴の開いた形跡さえない。地面に流れた血液も消えており、恐らくはまたキュルケの中で元通り循環しているのだろう。

 

「キュルケを、離して……」

 

 タバサの周囲から熱が奪われていく。氷を発生させる魔法で自分の傷口を凍らせ、出血を止めた。そうまでして尚戦おうとするタバサに、キュルケが見かねて叫ぶ。

 

「もう止めてタバサ!」

『そうだよ。キュルケちゃんは、もうタバサちゃんの碌でもない作戦で、痛い思いなんてしたくないってさ』

「ひ……!」

 

 キュルケは自分の首に触れた刃の冷たさに悲鳴を上げた。死ぬのは嫌だ。死にたくない。

 ついさっき死の際まで達したばかりの精神が、体裁を無視して生きながらえたいと荒れ狂う。

 

「タバサ……助けて……」

 

 わたしに構わず戦って。わたしなんて気にせず逃げて。本当に言いたいのはそれなのに!

 喉まで出かかる友への想いは、生への執着に押し潰されて、キュルケの瞳からは悔しさの涙が流れた。

 

「わかった。わたしは何もしない。だからキュルケを開放して」

 

 そう言ってタバサは握りしめていた杖を禊の方へと投げ捨てる。これでタバサは魔法という力を、キュルケは戦う心を失った。

 

『いいよ。僕は誰かさん達と違って、争いは好まない優しい人間だからね』

 

 タバサの杖を拾い上げた禊は、そのままキュルケに当てがっていた刃を離す。開放されたキュルケは、身体の力が抜けて地面に手をつき四つ這いの姿勢になった。

 

「それと一つ、教えて欲しい」

『どうして洗脳の魔法が通じなかったの、かい?』

「そうだぜ相棒。無事で何よりだけどよ、てめぇ何で正気を保ってんだ?」

 

 先回りした禊の質問に、タバサは螺子伏せられたままに頷く。

 

 ――そうよ、禊は『ギアス』で何もできなくなってたはずじゃない。

 

 刺されてから精神的に衰弱し続けているキュルケは、タバサに言われて初めてようやく『ギアス』から解放されて自由になっている禊に疑問を感じた。

 

『他人を支配するスキルを扱う子と、僕はお知り合いでね。洗脳の弱点は、命令が伝達するまでのタイムラグと、洗脳がないニュートラルのタイミング。この二つだ』

「でもよ、この嬢ちゃんは相棒にギアスをかけてすぐ動くなという命令を出したんだろ?」

『そうみたいだね』

 

 ギアスをかけられていた張本人の禊は、まるで他人事みたいに語っている。その理由がわからない剣は、カタカタと鍔を鳴らすばかり。

 

『だけど、そんなの関係なく洗脳を解除する方法が、一つだけあるんだよ』

「あなたは……ギアスすらも読んでいた……?」

『ピンポーン! 制約の魔法だっけ? そんなのかけられた瞬間無かったことにしちゃえば、何の効果も及ばさないでしょ?』

 

 ――そんな……。じゃあ何のためにタバサは、あんな怪我までして……。

 

 キュルケの身にのしかかるのは、自分達の無力感だった。

 フレイムを使って禊を監視し、コルベールから許しをもらって禁呪を調べて、そしてこんな大怪我までしてやっと禊に魔法をかけたのに。

 

 それら全てが無駄でしかなかったという結果が、キュルケの戦意や抵抗の意思を完全にへし折った。

 

「どうしてわたしの切札(ギアス)がわかったの?」

 

 それでも、タバサは淡々と会話を続けている。どうしてまだ自分の失敗した理由を探れるのか、キュルケにはわからない。

 

『僕の大嘘憑きを封じる方法は二つ、“殺す”か“意識を奪う”。小柄な女の子が、わざわざ接近して僕を殺そうとしたんだ。捻くれ者の僕は、あえて意識を奪う方を警戒しちゃうぜ』

「そう……」

 

 何かを思い描き夢想するように、タバサはすっと目を瞑る。

 

「きっと、あなたは、ずっと戦い続けてきた。それも人の行動は全て警戒するしかないくらいに、ずっと」

『そう思うなら、きっと君はそういう風に生きてきたんだろうね』

 

 禊に言い返されたタバサは、目を開きそれ以上何も言わず、ぎゅっと拳を握りしめた。

 ただ見ているしかできないキュルケには、敗北感と疎外感のみが募る。

 

「相棒。これから、二人をどうするつもりなんだ? このまま帰したら、また仕返しされるかもしれねえぞ?」

『そうだねえ……。二人で戦い合って生き延びた方だけを助けよう。裸エプロンで僕に傅け。どちらの罰ゲームを決行しようか』

「おい、相棒がそれでいいなら文句は言わねえけど、内容偏り過ぎだろ……」

 

 冗談みたいな二者択一を本気で考える仕草を見せてから、禊は自分の勝ちを決定するために大仰に頷いた。

 

『決めたよ、やはりここは裸エプロンだ』

「相棒! 後ろだ!」

 

 話を遮って大剣が警戒の言を禊に与える。

 狂った世界をさらにかき乱すように、十メイルを超える土でできたゴーレムの巨体が、長い夜はまだ終わらないぞと告げていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十敗『この学院始まって以来の大事件だ!』

『あれは……!』

「ゴーレム。それも大型」

 

 禊がオーバーなリアクションを取ると本気なのか疑わしくなるが、そんなことは無視してタバサはいつものトーンで答えた。

 

 巨大なゴーレムはその豪腕で塔の壁面を一撃で打ち砕き穴を開けてみせた。

 その空洞にフードを被った、ゴーレムを操縦者だろうメイジが飛び込む。

 

 何者かまではわからないが、キュルケの記憶が正しければ、あそこには宝物庫があるはずだった。つまり相手は盗賊だ。

 

『こんなとこでじゃれ合ってる場合じゃないよ! 早く捕まえないと、この学院始まって以来の大事件だ!』

 

 禊が新たな螺子でタバサを突き刺すと、貫かれていた螺子が全て消え失せ、タバサの傷が瞬時に癒える。否、初めからそんな傷などは無かったことにされた。

 タバサは直ぐ様立ち上がり、ゴーレムのいる方へ向かっていく。

 

「タバサ、あなたまさか一人でゴーレムに!」

「深追いはしない。キュルケは安全な場所に」

 

 タバサは今までの戦闘で精神力も消費しているはずだ。もしかしたら禊が傷と一緒に精神力も回復させているのかもしれないが、底意地の悪い禊にそこまで期待していいものだろうか。

 

 それでなくとも盗賊の実力は未知数である。間違いなく固定化がかかっているはずの宝物庫の壁を力で破壊した事実を考慮すれば、低く見積もってもトライアングル以上の実力者だろう。

 そんなハイクラスのメイジが相手では、いくらタバサでも一人で戦うのは辛い。

 

『友情パワーの不足したお友達だね』

「わたしの心配をしてくれているのよ」

 

 しかも今のキュルケは戦いそのものに怖気づいている。共に向かっても足手まといになるだけだ。

 

「そもそも、これはあなたの差金じゃないの?」

『僕は君達をおびき出すために、宝物庫なんて怪しい場所にわざわざ行ったんだよ』

「それを信じてもらえると思ってるわけ?」

『当然! 思ってるよ!』

 

 自信満々に胸を張り、明朗に禊は答えた。張り倒してやりたくなるが、触りたくはない。

 

『だって、二人を螺子伏せた後(・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・)、で僕は宝物庫から宝を盗むつもりだったもの』

「やっぱり盗むつもりだったんでしょうが!」

『けれど、どうして僕がメイジ(プラス)と共闘しなくちゃいけないのさ?』

 

 言われてキュルケは考える。禊が宝物庫から盗みを働きたいなら、わざわざ外壁を壊すなんて面倒な真似をしなくても、堂々と入り口から鍵をなかったことにして入れればいい。

 後は好きなものを盗んで、目撃者がいてもそいつの記憶を消せば済むだけ。

 どう考えても禊の犯行だと学院全員に疑われはしても、決定的な証拠は一つも存在しないのは確定事項だ。

 

「じゃあ、あいつは何なのよ」

『そんなの僕が知りたいよ。あーあ、白けっちゃったなあ。折角積み上げたテトリスを、誰かに最後の長棒だけ刺し込まれた気分だ』

「白けた? それは私からすればいい気味だわ」

 

 言っている意味はまるで理解できないが、禊が一気にヤル気を失ったことだけはわかる。虚勢を張って強がっているものの、先の恐怖がまだ抜けていないキュルケは、本当にここからすぐ逃げ出したかった。

 だが禊を放って置く危険性と、タバサを一人ここに残すという行為に強い嫌悪を覚え、なんとかこの場に踏みとどまっている。

 

『わー。キュルケちゃんたら性格悪ーい』

「あんたにだけは言われたくないわよ」

『そう言うけどさ、あのゴーレム相手に何もできていないのはキュルケちゃんだけだって、気付いてる?』

「それは……」

 

 禊の言葉は、先の螺子と同じくらいに深く、キュルケの胸へと突き刺さった。

 肝心な時に限ってまるで役立たずで、親友のタバサだけに危険な役割を課すことになっている。そんな自分に、キュルケは胸が締めつけられるような悔恨を感じていた。

 

『でもいいんだよ。普段は自信満々で一番を気取るくせに、皆がピンチになると途端に脇役になる。そんな噛ませ犬体質が、キュルケちゃんの立派な個性なんだから!』

「黙りなさい!」

 

 キュルケは声を張り上げて禊を怒鳴りつけた。しかし後に続く言葉が見つからない。

 

 キュルケは素行不良でこそあるものの、メイジとしての成績はタバサ同様学年では頭一つ抜けている優等生(エリート)だ。

 ルイズとは正反対な位置にあり、噛ませ犬なんて呼ばれたことなどこれまで一度もなかった。

 

 にも拘らず彼女は自分の体たらくに泣きたくなった。

 禊との戦いも、あのゴーレム相手にも、足が一歩も動かなかったのは事実だから。

 

『おお恐い。そうやって貴族(エリート)は平民を抑えつけるんだね』

 

 キュルケはもう何も言わなかった。もはや、言い返す気力もなくなったという方が正しい。

 何をしても、何を言っても、禊が相手では等しく台無しにされる。

 

 ――あたしは、こんなにも無力だったの……?

 

 禊に取り憑いた虚構の戯れは、キュルケにやるせない現実を突きつけ、彼女の心に深く消えない折り目が付けられた。

 

          ●

 

 結局禊によってタバサが回復したのは傷だけで、精神力はそのままだ。相手はがトライアングルのメイジであると考えるとほぼ勝つことは不可能だった。

 

 そのためタバサは盗賊を倒すなどとは初めから考えておらず、敵の顔をなんとか見ることはできないだろうかと、それだけを考えていた。

 使い魔の風竜がいればやりやすかったのだろうが、生憎この深夜ではとっくに眠っているし、禊戦ではその大きな身体が邪魔になるだろうと起こさなかったのだ。

 

 結局一瞬だけ見えた盗賊は黒いローブで全身を包んでおり、顔はおろか、男女かどうかさえ判断は付かなかった。

 それでも追跡はかけたが、ゴーレムは逃走中に土へ還りその操者も雲隠れしてしまう。

 

 あの犯人は、禊がいたせいでここまで犯行に及べなかったのだろうか? だとしたら、意図しない間接的な行為とはいえ、自分達が禊を引きつけたからこの事件は起きたとも言える。

 

 タバサは感情を表に出さないが、感性がないわけではない。彼女の小さな体躯には、どこまでも空回りで流れをかき乱すだけだった、己自身への悔しさを押し込んでいる。

 

 ――それでも、収穫はあった。

 

 タバサの歩むのは修羅の道。明かりの差さない闇の道。

 そしてその闇よりも不快で深い、“負完全”という闇の可能性を、タバサは実感としてその身に刻んでいた。

 

 しかし、その先にあるのは修羅の道だ。

 自分を取り巻く(マイナス)を取り払うために、より深遠な過負荷(マイナス)に手を付ける。

 

 その先に何があるのか、あるいは何もないのか、タバサにもわからない。

 

 けれどそれでも行かねばならない。

 壊れた愛する人の(マイナス)が晴れるのならば、全てを投げ打つ覚悟で、これまで戦い続けてきたのだ。

 

 そこに本当に心を許せる相手がいただろうかと、タバサは一人黙考した。

 

 ――きっと、あなたは、ずっと戦い続けてきた。それも人の行動は全て警戒するしかないくらいに、ずっと。

 ――『そう思うなら、きっと君はそういう風に生きてきたんだろうね』

 

 禊のあの言葉が頭から離れない。

 

 信じられる友はいる。

 話せばきっと同情してくれて、色々手助けもしてくれるだろう。

 しかし彼女にさえ自分の闇を打ち明けることはできない。

 

 自分は一人だ。心を繋ぐ使い魔がいても、今根底の根底にある自分は人形(タバサ)でしかない。

 

 このまま生きて自分は何処に辿り着くのか。また、あの日に帰れるのだろうか?

 振り向けばそこにあるのは闇色に塗りつぶされた道。

 

 ――キュルケを迎えに戻ろう。

 

 それでもタバサは足を止めない。自分が止まれば全てが終わるから。ずっと一人ぼっちなのに、一人は誰よりも怖かった。

 

          ●

 

 ルイズはたった一人で学園中を走り回っていた。

 

 頭にあるのは、まるで言うことを聞かない禊への怒りと、あの過負荷(マイナス)がまた何かをやらかしたらどうしようという不安だ。

 

 けれども、ただ感情に振り回されているルイズに、禊の居場所を把握する知恵も能力もありはしない。

 

「何処にいるのよ、あの馬鹿……!」

 

 やがてルイズの駆け足は緩み、徒歩にランクをダウンさせた。

 体力を消耗していくのと、比例するように思考は荒れる。そうしてルイズの中で禊の悪行がリフレインされている最中に、彼は現れた。

 

「やあ、ルイズ。いい夜だね」

「ギーシュ? なんであなたがここにいるのよ、それに……」

 

 月光に照らされ佇むのは、ルイズがよく知った、そしてわからなくなってしまった級友だ。

 元々あまり話すような相手ではなく、ギーシュがクラスで浮いた存在となり禊とつるむようになって、それはより顕著になっていた。

 

 けれど、そんなルイズにもはっきりわかるくらい、ギーシュはあり得ない変貌を遂げていた。

 

「この服かい? これは借りたんだよ」

「借りたって、どうして平民の服なんて」

 

 ギーシュが着用しているのは、いつものキザったらしい白くフリルの付いた特注品ではなく、野暮ったい平民が着る衣服だ。

 

 あの派手好きなギーシュが、よりにもよってこんな服を選り好んで着ているなんて考えられない。

 

「今僕はね、使用人用の宿舎に部屋を借りて寝泊まりしているのさ」

「……は? 何の冗談よ」

「本当だよ。借りていると言っても、他の使用人達との相部屋だしね」

 

 世間話でもするようにニコニコ笑いながら、ギーシュは話している。

 違う。とルイズはすぐに自分の印象を否定する。

 

 あれはニコニコではない。へらへらとした笑い方と呼ぶべきものだ。

 ルイズのよく知る、気持ちの悪い禊と同質の笑い方だった。

 

「どうしたのよ、何でそうなってるの?」

 

 ルイズの背がぞわりとした寒気が走る。

 何で、などとそんなものは聞かなくてもわかる質問だ。聞きたくなんてないはずの質問だ。

「禊が僕に勧めてくれたのだよ」

 

 ああ、なんてことなの。ルイズは思わず空を仰いだ。

 この真っ暗な気分と比べたら、この夜空は星でなんと美しく輝いていることだろう。

 

「禊に脅されたのなら、主人であるわたしに相談しなさいよ」

「脅された? 脅されただって? おいルイズ、君は話をちゃんと聞いていたのかい? 僕はミソギに『勧められた』と言ったのだよ」

 

 呆れ返りながらギーシュはルイズに再度説明する。

 

 二人の会話は致命的にズレていた。そういう問題ではないのだ。貴族にとって平民の宿舎は勧められて入るものではない。

 侮蔑、屈辱、恥晒し。普通の貴族ならそんな感情が先立ち、とても実行できない行為だ。

 そして、そんなことをギーシュがわかっていないはずがない。

 

「あなた、この短期間にそこまでミソギに洗脳されてしまったの? もしかして、禊に記憶の一部をなかったことにされて」

「ミソギは僕にそんなことは一切していない。僕の友達を侮辱するのはやめてもらおうか!」

 

 ギーシュの表情から笑みが消えて、声には怒気が孕む。

 

「全てを失った僕に、ミソギだけが手を差し伸べてくれた! ミソギが僕に新しい世界、そして本当の世界を教えてくれたから僕はここにいるのだ!」

「本当の世界? それが平民の生活とどう関係するのよ」

「そんなこともわからない君は、ミソギの主人に相応しくないな」

「なんですって!」

 

 禊がルイズに相応しくないのではなく、ルイズが禊に相応しくない。

 ルイズにとって、(マイナス)以下というのは無能(ゼロ)扱いよりも耐え難い屈辱だった。

 

「わたしのどこがミソギ以下だっていうのよ!」

「そもそも君は、ミソギの何を知っているのかな?」

「あいつのことなら誰よりも知っているわ!」

 

 好きで詳しくなったわけじゃないけど。と、ルイズは心中で付け加える。

 

「ミソギは自分に近くにいる者を誰彼構わず不幸に堕とす、最低(マイナス)の中の最低(マイナス)よ」

「ルイズ……やはり君は何もわかっていない」

 

 挑発的なこと言う時、ギーシュはわざとオーバーリアクションを取ることが多い。

 しかし、この時はしごくつまらないものを見るような表情をルイズに向けるだけだった。

 

「何がどうわかってないっていうのよ?」

「じゃあ君は、ミソギの大嘘憑き(オールフィクション)に肩を並べられるような特別(さいのう)過負荷(けってん)を持っているのかい?」

「それは……」

 

 自分は何の才能も持たない、無能(ゼロ)だ。

 どれだけおぞましく、近寄り難いスキルであっても大嘘憑き(オールフィクション)の効果は絶対的と言える。

 

 プラスもマイナスもない、単純な絶対値だけならば、ルイズは禊の足元にも及ばない。それは動かし難い事実だった。

 

「いや、これはただの意地悪だったね。ミソギの本質、真の魅力(けってん)大嘘憑き(オールフィクション)なんかじゃないのだから」

「禊の本質……」

 

 ギーシュがこれから語ろうとしている禊の本質は、ルイズが一度も考えたことのない事柄だった。

 何故なら、本質も何もルイズにとって禊は、過負荷(マイナス)という存在以外の何者ではなかったのだから。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十一敗『あんまり虐めちゃ駄目だよ』

「ミソギは誰よりも低い位置にいる存在だ。ミソギは勝てない。誰と戦っても、どう戦っても、ね。彼は常に負け続けることを宿命付けられた存在なのさ」

「それはこれ以上無い欠点(マイナス)じゃない。そんなのが何の自慢になるっていうのよ」

 

 『生まれてこの方誰にも勝ったことがないのが劣等感(じまん)』というのは禊の言だ。ルイズはそれを直接言われたし、あれだけの力を有していながら禊が勝者として誰かを見下ろす様は思い浮かばない。

 

「僕はその意味を、ミソギと決闘をして周りから仲間がいなくなるまで気付かなかった」

「遠回りしてないで、はっきり答えなさい」

 

 元々もったいぶった言い回しの多かったギーシュだったが、禊と関わってからその傾向は更に強くなっている気がする。

 

「ミソギはね、弱者を絶対に見捨てないんだ。僕とミソギが決闘になった発端を君は覚えているかい?」

「ギーシュがミソギに二股がバレた八つ当たりをした、だったわよね」

 

 ルイズはあえて挑発するような言い方をした。

 昔のギーシュなら必死に言い訳して認めなかったそれを、ギーシュはそれをあっさりと認める。

 

「ああ、その通りさ。僕がモンモランシーとケティに二股をかけていた時、彼女達は僕に騙された弱者だった。そしてミソギが自分の居場所として選んだ平民の輪は、貴族社会においていつだって絶対的な弱者だ」

「そんなの、あの時がたまたまそうだったというだけで、偶然でしょ?」

「いいや違う。偶然なものか」

 

 ギーシュはキッパリと否定する。そこには確固たる確信を胸に抱いているのが見て取れた。

 

「決闘で貴族としての誇りが地に落ちた僕のことだって、ミソギは見捨てなかった」

 

 ギーシュは右手の平を自分に向けて、左手で手首を掴む。

 そして悪夢だったあの日を思い出してるはずなのに、ギーシュはヘラヘラと笑っている。

 

「貴族としての地位がひび割れ、かと言って平民の気持ちもわからない。どちらにもなれない僕の手を、ミソギは取ってくれたのだ」

「それもたまたま……」

「たまたまで、君は敵対した相手の手を取るかい?」

 

 偶然に見ず知らずの人を助けるという話ならよく聞く。

 けれど、わざわざ敵対している相手を助けるなんて展開は、ルイズも見たことがなかった。それも決闘までした相手をだ。

 

「僕は僕以外にも、ミソギが平民や弱者を助けるところを何度も見ている。もっともミソギ自身はいつもの様子で、そうと意識して見なければわかりやしないけどね」

 

 それはルイズも初めて聞く情報だった。監視では会話まで聞き取れないため、平民達と仲良くやっている程度の状況しか把握できていない。

 

「だいたい、どうして平民がミソギに助けられないといけないのよ?」

「貴族に真っ向から反発するミソギは、平民から見れば英雄なのさ」

「英雄? あのミソギが英雄ですって?」

 

 あんな害悪が存在であってたまるもんですか! とルイズの胸中は荒波が立つ。

 それ以前に、何故『弱者』の側が禊に理解される必要(・ ・ ・ ・ ・ ・ ・)があるのか。

 

「だって、弱者というからには貴族に虐げられる存在ってことでしょ? 平民の扱いに不平等なんてないじゃない」

 

 貴族と平民には覆りようのない明確な身分の差がある。

 しかしそれはハルケギニアにとっては『あって然るべきの差』なのだ。

 

 貴族は魔法によって、様々な面で社会に莫大な利益を社会に与えている。ドラゴンやゴブリンなど外敵や国家間の戦争から人々を守ってきたのも貴族による魔法の力だ。

 

 貴族がいるからこそ、平民は安定した生活を保障されていると言っても過言ではない。

 ならばこそ、貴族という身分に与えられる特権は成果に値するだけの対価であるはずだ。

 

「それは貴族から見た一方的な視点だよ。貴族は平民の生活を、知識としてしか理解していない」

 

 ギーシュは着ている平民の服の襟口を軽く摘みアピールする。それは今のギーシュにとって、もはや知識ではなく実感だと言わんばかりに。

 

「僕は実際に平民と共に同じ暮らしをしてみて、彼らの貴族に対する思いや憤りを肌で感じとっているよ。平民達が抱いている不平等はルイズ、君が思っている以上にずっと大きなものだ」

「それは具体的にどういう憤りだっていうのよ?」

「教えないよ。これは自分から感じようとしない者に言っても、真に伝わりはしないものだから」

 

 ギーシュの言葉から、ルイズは埋めようがない溝を感じた。

 それは貴族と平民という意味だけでなく、ギーシュとルイズの人間というレベルで生じているものだ。

 

 今やギーシュは完全に禊サイドの住人となっている。

 ならば、ここでギーシュの言い分を全面的に信じる訳にはいかない。むしろ早く目を覚まさせてやるべきだ。

 

「どちらにしたって、そんなのは貴族の苦労を知らない、平民の一方的な文句だわ」

「そうかもしれない。けれど、知りも向かい合いもしないで、平民の意見を切って捨てているのは貴族だ」

 

 ギーシュの言い分は、まるで貴族の不理解が平民との確執を生んでいるような物言いだ。

 貴族はその横暴な振る舞いで平民を虐げ、力によって無理やり押し付けられた生活を送っている。

 つい最近まで貴族として普通に暮らしていた彼が、そんな関係を本気で信じ込んでいるとでも言うのか。

 

 実際、そこまでの虐待が平然とまかり通っているなら、ハルケギニアは六千年もの安定を得ていない。

 いくら平民と貴族に魔法という力の差があったとしても、数で圧倒的に勝る平民が一斉に立ち上がり貴族に反乱すれば、国は大きく傾く。

 

 だが、現実にそこまでの暴動が起きたことなど、トリステインでは一度もなかった。

 つまり、平民の味わう日常が苦いものだったとしても、それを飲み込んで働けるくらいには現状に納得しているということだ。

 

「言っていることが、さっきから随分大げさね。貴方にとってミソギはイーヴァルディの勇者みたいな英雄なのかしら?」

 

 まるで子供っぽい発言だという皮肉も込めてルイズは禊をイーヴァルディの勇者と喩えてみたのだが、ギーシュはさも当然のように答える。

 

「その通りだよ。ミソギはトリステイン……いやハルケギニア大陸にとって救世主だ!」

 

 ギーシュはその両腕を天へと掲げた。その表情は恍惚に浸っており、目はドブのようにどんよりと曇っていて、ルイズはその純真さに寒気すら感じた。

 

「ギーシュ、貴方はミソギに関わり過ぎて少し心がおかしくなってしまっているのよ……一度しっかりと療養しましょう? わたしが腕のいいお医者さんを紹介するから」

「僕は正常だよ。わかっていたけど何を言っても無駄だね。そうやってミソギと向き合うことを、初めからあり得ないと頭から否定している間は、何も理解できないとだけ言っておくよ。やはり君はミソギの主人に相応しくない」

 

 またそのセリフかとルイズはまた苛立つ。その認識がある限り、ルイズとギーシュが分かり合えることは永遠にないだろうことだけは同意できた。

 

「ギーシュ、貴方がなんと言おうとミソギは過負荷(マイナス)よ! それはもう誰にも変えられない絶対の事実だわ!」

「ルイズ、ならば君はこのハルケギニアを……いや、魔法という既得権益だけで平民を虐げる貴族を変えることができるかい?」

 

 またわけのわからない方向に話をズラして! ルイズは話を突っぱねようとするが、ギーシュは制止を入れさせないように勢いのまま話し続ける。

 

「今この世界には自分が貴族という身分という理由で、平民を見下して私腹を肥やす者がいる」

 

 ルイズだって現実を全く知らない子供ではない。そういうどうしようもない貴族がいて、しかも年々その数を増やしつつあることは知っている。

 

「君は彼らに貴族として正しい道を示して導けるか?」

「そうなれるように、わたしはここで貴族のあり方を学んでいるのよ」

「いくらその正しさとやらを学んだ所で、それが貴族の正しさで、君がゼロのルイズという事実は変わらないのにかい?」

「………………」

 

 ルイズはギーシュを睨むだけで、何も反論できなかった。

 貴族の正しさはルイズの信じるべき正義だ。しかし、その正義を学ぶ自分が魔法の使えない学院最底辺のメイジだという事実は、どうあがいても覆せない。

 いくら知識を積んで道徳を身につけ実践しようとも、本来貴族としてあるべき能力を持たないルイズの声は、誰にも届かず笑い者にされるだけだ。ルイズはそれを十年以上、実感として受けてきた。

 

「それとも君はこの国の王女にでもなるつもりなのかな?」

「な……不敬よ!」

「不敬? トリステインの頂点でさえ、この国の不正を根絶やしにできなかったのは、厳然たる事実じゃないか!」

 

 この国の中枢がよくない方向に動いていることは子供のルイズだってある程度はわかっている。

 それを全部正すのには、およそ現実的ではない時間と金銭と人脈が必要だろうということも。

 

「けれどミソギならば変えられる。ミソギだけが変えられる!」

 

 ミソギを称える時、ギーシュは恍惚のような表情をする。

 確かにミソギは変えた。ここにいるギーシュは、過負荷(マイナス)に落とされた成れの果てだ。

 

 それはとてつもない恐怖であり、ミソギによる世界の変革に説得力を与える。

 このカリスマ性が自分にもあるだろうか? などと自問するだけ愚かだ。

 

「貴方、ミソギならなんだってできると思ってるの?」

「ミソギにできるのは台無しにすることだけさ。彼が起こす結果はそれがどういう方向であれ、全てを無茶苦茶に壊す」

 

 そうして台無しにされたはずの少年がここにいる。ギーシュがこの短期間でこうまで禊に籠絡されたのは、自分自身が被験者だからなのかもしれない。

 

「なあ、君も薄々は感じているんじゃないかい? ミソギなら本当にやりかねない、と」

「そんないくらミソギだって……」

 

 そこから先は言葉に出せなかった。嘘でもいいから無理だと答えればいいだけなのに、ルイズは突っぱねることができなかった。

 ただの平民が王族ですらできない偉業を、あるいは異業をやってみせる。

 考えるのも馬鹿馬鹿しいことなのに、“禊ならば”という条件が付くとどうしても頭ごなしにないとすら言えなくなっていた。

 

「いい加減、少しは素直になりなよ。ミソギは君如きじゃどうにもならない、負完全(とくべつ)な存在なのさ」

 

 認めるしかなかった。禊は世界を過負荷(マイナス)に包む力を有しているにも関わらず、その主人であるルイズはクラスメイト一人の心すら一ミリも動かせない。

 

『おやおや、二人してこんなところでどうしたんだい? ルイズちゃんは僕の大事なご主人様なんだから、あんまり虐めちゃ駄目だよ』

「ミソギ……! あんた、勝手にいなくなって何やってたのよ!」

 

 反論の言葉も見つからず棒立ちになっていたルイズへ助け舟を出したのは、そのルイズが否定し続けた禊当人だった。

 

『月がルイズちゃんみたいに綺麗だったから夜の散歩をしていたのさ。そうしたら、そこに暴漢が現れて、命からがら逃げ出してきたのさ。いやぁ大変だったよ』

 

 今度の犠牲者はその暴漢か。ツッコミどころが満載な言い訳だったが、ルイズの脳はまず、禊に心をへし折られる哀れな暴漢の姿を思い描いた。

 

『なんだいその目は。僕はその暴漢に宝物庫が襲撃されて、お宝を盗まれたという事件をいち早く報告しにいく所なんだぜ?』

「宝物庫の宝が……」

「盗まれただって!?」

 

 思ってもない事態に二人が慌てふためく姿を見られて禊は満足したのか、いつもの言葉で説明を打ち切った。

 

『だから、僕は悪くない』

 

 ギーシュは禊を心配してあれこれ聞いているようだが、ルイズはその全てを無視して、剥き出しの感情が命じるまま宝物庫のある塔へと駆け出した。

 息を乱してその場に到着すると、そこにいたのはキュルケとタバサの二人だ。

 キュルケは力なく項垂れて座り込み、タバサはキュルケに寄り添い今にも倒れてしまいそうな上半身を支えている。

 

「二人共、大丈夫!?」

「私は大丈夫。でも……」

 

 タバサはそっと脱力しているキュルケを見やる。

 

「私も心配いらないわ。仇敵のヴァリエール家に心配されるようなことなんて、一つとしてありませんわ」

 

 いつもの皮肉たっぷりなキュルケの挑発が、それとわかるぐらいに弱々しくなっている。

 

「全然大丈夫じゃないじゃない! これも襲ってきた盗賊の仕業?」

「キュルケが弱っているのはミソギと戦闘した結果。盗賊の被害はあっち」

 

 タバサが杖を指した塔を見上げると、そこには大穴という無残な破壊痕が刻まれていた。

 トリステインに賊が現れて、固定化のかかった壁を破壊していく。ルイズにとっては、どちらも信じ難い事柄だ。

 

「犯人は大きめの布に包まれた何かを持って逃げた」

「犯人の姿は?」

 

 タバサは無言で数度首を横に振る。事件はルイズが思っていたよりも酷いものだった。

 

「そう……」

 

 それでも、ルイズは盗み自体に禊が関わっていなくてよかったと大きく安堵していた。

 不謹慎だろうが、ルイズにとって誰が盗んだかは自分の進退がかかっていることなのだ。

 

 そんな見せかけだけの安心は、タバサ達と禊の戦いの話を聞いて、一つ残らず砕け散っていったのだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十二敗『僕が行かねば誰が行く』

 禊と関わるようになって教師に囲まれることが増えたわね、とルイズは思っていた。

 禊がトリステイン学院へ盗賊が襲撃したことを報告し現場はまさに大混乱となり、夜が明けてすぐ事件に関わった生徒達への事情聴取が行われたのだ。

 

 主に聴取すべきはキュルケ、タバサ、そして禊の三名だったが主人の責任としてルイズも同席していた。

 生徒達が話した昨晩の話からは禊達のやった決闘の話だけがすっぽりと抜け落ちていたが、ルイズもあえてそこには触れなかった。トリステイン学院において禊の話題は最もデリケートで注意深く扱う必要がり、ここで話を広げたら事件の収集が付かなくなる。

 

 そして何より、禊についての決着は自分の手で付けなくてはならないという気持ちが、ルイズにはあるのだ。

 生徒達の証言以外にも、破壊された壁には『破壊の杖、確かに領収いたしました。土くれのフーケ』という犯行声明が残されていた。

 

 そこで状況を理解した教師達が次に起こしたのは責任のなすりつけ合いだ。

 昨日の宿直だったミス・シュヴルーズがその槍玉に上げられ、豊満な体をひたすら縮こめている。彼女はまさかメイジの集まりであるこの学院に盗賊が入るなんて夢にも思わず、宿直をサボって寝ていたのだ。

 

「貴女、どうやって破壊の杖を盗まれた責任を取るおつもりですか!」

『そうですよ! よってたかってこんなに貴女を責めるということは、他の先生方は毎晩きっちりと見回りをしていたに違いないんですから!』

 

 禊の責め句一つで、オスマンを除く全ての教師が沈黙し周囲へ視線を逸らした。あまりに露骨な態度に、禊を止めることも忘れてルイズは呆れる。盗まれた理由が慢心というのだから、教師というだけでなく貴族としてもあるまじき失態だ。

 

「もうそれくらいにせんか。責任は我々教師全員じゃ。まんまと賊に忍び込まれて破壊の杖を盗まれたのは、わしらの油断した結果じゃよ」

「問題はこれからどうするか、ですな。ここはすぐ王室へ報告をしましょう」

 

 正論であるコルベールの進言を、されどオスマンは真っ向から切って捨てる。

 

「馬鹿者が! それでは間に合わんわ。フーケに逃げてくれと言ってるようじゃもんじゃ。それにこれは魔法学院で起きた問題、貴族の責任として我々で解決させる!」

「しかし、解決するにもまずフーケがどこに消えたのか、手がかりの一つもありません」

 

 フーケの操るゴーレムは二つ名の通り土くれに還り、その後の行方はどことも知れない。これでは手の打ちようもないのが実情である。

 

「オールド・オスマン、よろしいでしょうか」

 

 そこへ、会議の始まりからずっと姿の見えなかったロングビルが遅れて部屋へと現れた。

 

「ミス・ロングビル、今は学院の一大事ですぞ! どこへ行っておられたのですか?」

「その事件について、ずっと調査をしておりましたの」

「ほう、流石は手が早いのうミス・ロングビル。それで何かわかったのかね?」

「はい、フーケが潜伏していると思われる居場所が判明しました」

「なんですと!」

 

 ロングビルの調べた結果によると、黒いフードを被った男が近くの森にある廃屋へと入っていく姿を見かけた者がいて、そこから証言が取れたという。

 その場所は馬車で数時間もかければ辿り着く位置にあるらしく、今すぐ追跡すれば追いつくことができるかもしれない。

 

「ならば、これよりフーケの捜索隊を編成する。我こそは思う者は杖を掲げよ!」

 

 教師達は互いの顔を見合わせるばかりで、誰一人としてその腕を上げようとする者はいなかった。

 

 ――なんて情けない姿なの!

 

 自分は危険な目に合いたくないので、誰かが代わりに行ってほしい、と言外で訴える教師達の態度。宿直のサボりもそうだが、これはルイズが追い求める理想の貴族像とあまりにかけ離れている。

 模範とすべき者達の逃げ腰な態度は、ルイズにとってフーケの窃盗騒ぎと同じくらいに衝撃だった。

 

 この情けなさにオスマンが「誰もおらんのか」と憤慨した瞬間、誰も予想していなかった一人の少女が杖を掲げた。

 

「ミス・ツェルプストー!」

 

 驚いたシュヴルーズが声を上げたが、ルイズにとっては、彼女以上に意外な人物だ。

 

「キュルケ……! どうして貴女が」

「そんなの、私が納得できないからに決まっているでしょ?」

 

 いつもなら飄々とした態度を崩さず自信満々に言ってのけるのに、キュルケは憮然としたまま真剣な目つきで、オールド・オスマンを見据えている。

 

「貴女は生徒ですよミス・ツェルプストー! ここは私達教師に任せて杖を下ろしなさい」

「その教師が一人でも杖を上げておりまして?」

「ですが……」

 

 言葉を詰まらせるシュヴルーズをよそに、二人目が杖を上げる。

 

「ミス・タバサ! 貴女まで!」

「タバサ、これはわたしが勝手にやったことよ。貴女まで付き合うことはないわ」

「フーケを取り逃がしたのはわたしも同じ。それに、心配」

「……ありがとう、タバサ」

 

 ここまでの緊張を僅かに緩めるように、キュルケの顔が綻ぶ。

 しかし、そんな感動の時間を壊すかのように、三人目が立候補した。しかも掲げられたものは杖ではなく螺子だ。

 

「ミソギ……。あんたもなのね」

『二人の話を聞いてたでしょルイズちゃん。あの場には僕だっていたんだよ? なら僕も参戦するのが筋ってもんでしょ』

「その筋を堂々と無視するのがいつものあんたでしょうが」

『それは酷い言い草だね。むしろこの流れで僕が行かねば誰が行くのさ!』

 

 頼むからお前だけは行くな! という言葉にならない声が辺りから聞こえた気がしたのは、ルイズの妄想ではないだろう。

 

「それなら、わたしも行くわ」

 

 四人目の杖はルイズだった。

 掲げられた腕はあまりに堂々としていて、ルイズは真っ先に杖を挙げなかったことを悔やんでさえいた。

 

「ミス・ヴァリエール……!」

「ルイズはこの事件とは無関係でしょ」

「使い魔の責任はわたしの責任よ」

 

 それに、とルイズは付け加えてキュルケを見つめる。

 

「キュルケには前に泊めてもらった借りがあるわ」

「貴女も馬鹿ね……」

 

 禊に対する事柄だけではなく、こうなったら何を言ってもルイズが止まらないことはキュルケもよく知っている。それ以上彼女を止めるような真似はしなかった。

 

「いけませんぞ君達!」

 

 覚悟を決めた四人を、尚も押しとどめようとするのはコルベールだった。まだしもフーケの事件だけならば、コルベールは彼女達の意志を尊重したかもしれない。

 しかし、禊というフーケ以上に何をしでかすかわからない存在が一緒にいるのならば話は別だ。

 

「オールド・オスマン。フーケの捜索には私があたります」

 

 初めて教師側で杖を掲げたのもコルベールだった。ルイズからすれば学者肌である彼が同行するのは、それはそれで心配である。

 

「君の行動は、教師として純粋に生徒達の身を案じてのものじゃと評価しよう、ミスタ・コルベール。しかし、君が行くのを許可することはできん」

「何故ですかオールド・オスマン!」

 

 興奮気味に食ってかかるコルベールを、オスマンは冷静に押し留めた。

 

「君とはこの後二人で話合いをしなければならぬからじゃ」

「ですが……」

「お気遣いありがとうございますミスタ・コルベール。ですが、ここは私達にお任せくださいな」

「ミス・ツェルプストー。君はその使い魔がどれだけ危険なのか、わからない生徒ではないでしょう」

 

 わかっていても、キュルケは自分の意志を貫くつもりなのは、この場にいる全員がはっきりと感じ取れていた。

 

「貴族には、絶対に退いてはいけない時がある。私にとってはまさに今がそうですの」

「これが彼女達の結論じゃ。生徒を心配するだけじゃなく、信用するのも教師の務めじゃよ」

 

 コルベールは、決闘でただ一人生徒を守るために禊と戦い、図書室でルイズを気にかけてくれた教師だ。

 そして今回も『破壊の杖』を取り戻すためでなく、生徒達を危険から守るためにフーケ捜索を申し出た。これも貴族として一つの在り方なのだとルイズは思う。

 

「それにじゃ、ミス・タバサは若くしてシュヴァリエの称号を持つ騎士じゃと聞いておる」

 

 シュヴァリエという言葉を聞いた途端、教師達達が驚きでざわついた。

 貴族として最も低い爵位ではあるが、この称号は純粋にメイジとして手柄を得た者だけが与えられる。タバサの年でそれが与えられること自体、異例と言って差し支えない。

 

「なるほど……そうだったのね、タバサ」

「隠していたつもりはなかった」

「それくらいわかってるわよ。ただ納得がいっただけ」

 

 キュルケは合点がいったように頷いていた。禊を見張るための方法や、禊との決闘で見せた戦略、その両方がシュヴァリエという称号と合致したのだ。

 

「ミス・ツェルプストーは、ゲルマニアで優秀な軍人を多く輩出した家系で、本人もトライアングルの炎の使い手だと聞いておるが?」

「その評価に恥じぬ働きをして見せますわ」

 

 キュルケは得意気な様子を一切見せず、オスマンに応える。ルイズにはそれが深い決意の現れに見えた。

 

「ミス・ヴァリエールは……」

『ゼロのルイズとして、二人よりも有名だね!』

 

 オスマンが言い淀んだ隙に禊が割り込んだ。学院長が話しているのを茶化すためだけに割り込むというだけでも不敬だが、内容も最低だった。

 

「お生憎様。最近はゼロどころか過負荷(マイナス)の平民を召喚したことで、そっちの方が有名になったわ」

『つまり僕のおかげだね』

「あんたのせいと言うべきだわ」

 

 終わりそもない二人の皮肉に、オスマンはわざとらしく咳き込んで割って入り話の主導権を自分に戻す。

 

「ルイズの使い魔ミソギについては、今更その内容を語る必要もなかろう」

 

 語る必要がない。のではなく、語りたくないというのがオスマンの本音だろうけど。

 

「君達の中で、この三人に勝てるという自信のある者がいるなら、一歩前に出たまえ」

 

 ここまで消極的だった教師勢が自己主張するはずもなく、ルイズ達のフーケ捜索は決定したのだった。

 

          ●

 

 フーケ捜索隊四人を乗せた馬車は沈黙を保ったまま目的地へと進む。

 この捜索隊メンバーを作ることになったキュルケは、これまでの人生で感じたことのない大きなプレッシャーを背負っている。

 

 禊との決闘においてキュルケはあまりに無力で、最後はタバサの足を引っ張ってしまうという、惨憺たる結果だった。

 プライドの塊という意味ではルイズにも引けをとらないキュルケの自信は、昨日の夜に粉々になっている。それでもキュルケが真っ先にフーケ捜索を志願したのは、自分で自分を見限りたくないからだ。

 

 キュルケはこれまで、自分を磨くことに真剣だった。

 女として、貴族として、メイジとして、誇れる自分であることに手を抜いたことは一度もない。

 そうして得た美貌と実力に、キュルケは絶対的な自信を持っていた。

 

 それが崩れた。

 球磨川禊という稀代の過負荷(マイナス)は、キュルケが努力で手にしてきた自信をたった一夜で台無しにしてみせたのだ。

 

 そして、そんな弱く醜いキュルケの心を禊は肯定した。

 いっそその言葉に身を委ねてしまえば楽になれるのだろう。

 

 けれど、キュルケは拒んだ。

 首根っこを掴まれて無理やり見せつけられた弱い自分。そんな軟弱をキュルケは認めない。

 

 そのためには自分の実力を見せつけねばならない。

 誰に? 禊に? 違う。自分に、だ。

 

 あの過負荷(マイナス)が自分のことをどう否定しようが、鼻で笑ってやる。

 

 そのために行く。

 今尚キュルケは愛せる自分を求め続ける。自分で自分を愛することができなくて、誰が愛してくれるというのだろう?

 

 キュルケは、フーケを捕まえられる実力があると自分に見せつけ、もう一度奮い立つために茨の道を歩むと決めたのだ。

 

 ――ルイズが初めて禊に心を折られた時も、こんな気分だったのね。

 

 禊に己の無能(ゼロ)を心に刻み込まれて一度再起不能になりかけたルイズが、自分と同じ馬車に乗り込んで、しかも同じ目標に向かって進んでいる。

 長きに渡るツェルプストー家とヴァリエール家の因縁を考えるならば、これはあり得ないことなのだろう。

 

 だが、今キュルケは初めてルイズを心から尊敬していた。

 ルイズは一度心折られたのにも関わらず、未だに禊と対峙し続けている。

 

 キュルケの部屋に泊まった後も、ルイズには禊に関する試練が幾つも降り注いだことだろう。にも関わらず、あの日以降ルイズが禊から逃げるような態度を取った姿を、キュルケは一度も見ていない。

 

 口先だけで貴族を語ることはいくらでもできる。

 ルイズは、球磨川禊という他に類を見ない過負荷(マイナス)という厄災を背負っても、貴族としてあるべき正しさを貫いていた。今ならそれがどれだけ難しい試練であるかがよくわかる。

 

 少し前まで物足りないライバルだったルイズは、今や敬意を払う相手になっていた。

 

 ルイズは、かつてキュルケの部屋に止めたもらった借りを返そうとしている。

 あの時キュルケがルイズの心を支えたように、ルイズは傷心のキュルケを助けようとしているのだ。

 

 ここで互いに貸し借りがなくなれば、二人はライバル同士に戻るだろう。

 それはキュルケがちょっかいをかけルイズをからかうだけの間柄ではない。お互いに相手を意識し高め合う、正しい意味でのライバルとなるのだ。

 

 だから彼女はそんなルイズに釣り合い、かつ負けない自分でありたい。

 キュルケはその胸に過負荷(マイナス)の恐怖と希望(ともだち)の想いを抱き、フーケが潜む戦闘の舞台へと向かっていくのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十三敗『安心院さんの言葉を』

 馬車は薄暗い森の中で止まり、そこからは徒歩で目的地を目指すことになった。

 

 その道中、ルイズは何とはなしに、昔家族で森にピクニックへやって来たことを思い出していた。

 珍しく家族全員が揃っていたことと、その後一人で森の奥に行こうとしたルイズが亜人に襲われそうになり母と姉に散々怒られたため、未だに忘れられない記憶だ。ルイズにとっては、嫌な方に分類される思い出だった。

 

 ――あれは本当に恐かったわ……亜人に襲われたのも。お母様に怒られたのも。

 

 気が付くと他のメンバーに遅れかけていたルイズは、いけないいけないと頭を振る。

 ここからはこっちを先に見つけたフーケが攻撃してくるかもしれない、もっと集中しなくちゃと気合を入れ直す。

 

 林道から逸れた小道を暫く歩くと、空き地が広がりその中央に廃屋が取り残されたように建っていた。

 

「あの中に、盗賊フーケがいるのかもしれないのね」

 

 木の間に隠れるように、廃屋から少し距離をとってルイズが呟く。

 

『大泥棒との永きに渡る因縁に、決着を付ける時がきたというわけだ』

「何勝手に変な話を追加してるのよ!」

 

 正しくは、昨夜の事件からまだ半日も経っていない因縁である。

 しかし、因縁の浅深を決めるのは時間だけではない。

 

「今度は逃がさないわ」

「状況は把握。次に作戦会議」

 

 少なくともキュルケとタバサにとっては、昨日の借りを返すためここで決着を付けねばならない大敵となっている。

 

「わたくしは万が一、周囲にフーケが潜んでいないかを調べてきますわ」

 

 四人が一旦腰を下ろすが、ロングビルはそのまま見回りに出ようとした。

 

「相手は強力なメイジよ? 一人で大丈夫?」

「わたくしもライン程度ですが魔法は使えますし、何かありましたらすぐに合流します」

 

 ルイズの心配にロングビルはそう答えて、森の中へ消えていった。

 元より、これからフーケの隠れ家に突入する自分達の方が遥かに危険度は高いのだ。タバサは残ったメンバーに立案した作戦を説明する。

 まず囮役の一人が廃屋に侵入して、フーケを外に誘き出す。そして残りが一斉に奇襲をかけてゴーレムを生み出す前に倒してしまう。それだけのシンプルな作戦だったが、問題は誰を囮役にするかである。

 

『僕は囮役にルイズちゃんを推薦するよ』

「開口一番にご主人様を囮にしようってどんな神経してんのよ!」

 

 説明されても一切理解できないとわかるわけもないと思いつつも、言わずにはいられなかった。

 

『だって戦闘力ゼロのルイズちゃんは奇襲なんてできないじゃない』

「わ、わたしだって奇襲くらい!」

「できてもできなくてもルイズの囮は却下よ」

「どうしてよ!」

 

 囮役にされてもされなくても怒っている理不尽さにルイズ自身は気付いていないが、キュルケはそこを指摘することもなく説明する。

 

「囮だって少しくらい戦えないと返り討ちか人質にされかねないからよ、ゼロのルイズ」

「だからわたしはゼロじゃ」

「囮は私がやるわ」

「キュルケ……貴女」

「これは私が言い出したから始まったのよ。だから直接フーケと対峙するのも私。文句ないわね?」

 

 一番初めにフーケ討伐に名乗りを上げたのもキュルケだ。何がキュルケをそこまで駆り立てるのか、ルイズにはわからない。

 しかし根幹にある原因は昨日禊に手痛くやられたことだろう。そこにルイズは一抹の不安を覚える。

 

「なんて顔してるのよ貴女」

「だって……」

 

 キュルケは両目をつり上げて、ルイズの両頬をつまみ引っ張る。

 

「にゃ、にゃにふるのほひゅるへぇ!」

「これで少しは思い出した? あんたと私は敵よ、敵」

「うう……わかってるわよ! これだからツェルプストーは!」

「それでいいのよヴァリエール」

 

 意地悪げに笑いながらキュルケが手を離すと、頬を手で押さえながらルイズは思い切り睨み付けた。

 

「それじゃ、行ってくるわ。作戦開始よ」

「気を付けて」

『キュルケちゃんの無事を心から祈ってるよ。僕はそこら辺でジャンプ読んで暇を潰してるから』

 

 親友がそっけなく、天敵が腹立つ応援するのを背に受けて、キュルケは何事もないように歩き出す。

 

「キュルケ……絶対失敗するんじゃないわよ」

 

 最後にかけられたライバルの言葉に、キュルケは振り返らず胸の杖を抜き振ってみせることで答えとした。

 他の三人もできるだけ音を立てず入り口を囲んで、いつでも突入できるように構える。

 

「中には誰もいないわよ」

 

 キュルケが廃屋へと入ってからすぐ、彼女は外へと声をかけた。ルイズを見張りとして外に残し、タバサと禊も廃屋へと入ってくる。

 

『これは、もう逃げた後かな?』

「破壊の杖」

 

 ちょっとした家捜しだけで、タバサがあっさりと目的の物を見つける。

 

「無用心にも程があるわね」

 

 恐らくは一番緊張感を持って廃屋に入ったキュルケは、拍子抜けの展開に呆れ顔だ。

 しかし、タバサは一ミリも表情を緩めずに呟く。

 

「危険」

 

 その矢先、大きな振動とルイズの悲鳴がない交ぜになりつつ、廃屋の屋根が吹き飛んだ。

 見晴らしがよくなった上を眺めて、禊がへらへら笑いを絶やさず一言。

 

『これは一本とられたね』

 

 そこに見えるのは、全長三十メートルを超える巨大な土のゴーレムだった。

 キュルケは既に抜いていた杖を差し向ける。

 

「ファイヤーボール」

 

 キュルケの杖から発される得意の火球は、ゴーレムの表面の一部を焦がしただけで消えてしまう。

 

「効かない……サイズが違いすぎるわね」

「退却」

 

 全員が急ぎ廃屋から逃げ出し、ゴーレムの巨大な足と拳を避けている間に、バラけていく。

 禊はデルフリンガーを引き抜き、ゴーレムの足を切り裂く。

 しかし切断された部分はすぐに繋がり元通りとなった。

 

『ギーシュちゃんの青銅と違って再生力があるみたいだね』

「何してんの! あんたの大嘘憑き(オールフィクション)なら一発で倒せるじゃない!」

『あれは一日一回しか使えなくてね。馬車の中で枝毛を(なお)すのに使かっちゃったんだよ』

「ここであからさまな嘘を吐いてどうするのよ!」

 

 この非常時にまで余裕の態度を崩さない禊にイライラしながら、ルイズはゴーレムから逃げ回る。

 

『それに、脳筋キャラよろしく力任せにゴーレムを倒しちゃって、その後どうするの?』

「そんなの、フーケを捕まえるに決まってるでしょ」

『そのフーケはどこにいるのかな?』

「え……」

 

 言われてルイズは気付く。暴れているのはフーケのゴーレムだが、フーケ自身の姿はどこにも見えない。恐らくどこか近くに隠れて、ゴーレムを操っているようだ。

 

『僕がゴーレムを無かったことにしたら、警戒したフーケはそのまま逃げちゃうだろうね』

 

 そりゃそうだった。魔法ですらない未知の能力で、学園の壁さえ破壊したゴーレムを消し去ってしまったら、危険を感じたフーケは即退却してしまう可能性がある。

 目的が破壊の杖奪還なので、その任務はもう果たしていると言えるが、このままフーケを逃がすのは貴族のプレイドが許さない。

 

「けど、今だってフーケが何処にいるのかわからないじゃない」

 

 倒せないなら逃げるしかない。そして、このままではこっちがやられるのも時間の問題だ。

 

『メイジは魔法を常に一つしか発動できないんでしょ? だったら空や、ずっと遠くからゴーレムを操作することはできないわけだ』

「つまり、フーケはゴーレムを動かすために近くに隠れてる……!」

『というわけで、フーケの捜索よろしくね、ルイズちゃん』

「ちょっと……!」

 

 禊が勝手に言葉でルイズを送り出した時、ゴーレムが手で足元を払った。手にこそ触れなかったが巨大な風圧に押されてルイズは後退る。

 ゴーレムはそのまま禊を優先して追いかけようとしていた。

 

 フーケがゴーレムを動かしているうちは、他の魔法が使えない。通常ならゼロのルイズが、推定でトライアングル以上のフーケに勝つことは絶望的だが、今ならば別だ。

 ここがチャンスと、禊にゴーレムの囮を任せてルイズは森へと突入していった。

 

          ●

 

 タバサは念の為に後ろを追跡させて付いてくるよう命じていた風竜を呼び出して、キュルケと共に跳び乗り、状況を立て直している途中だった。

 すぐにルイズと禊を回収するつもりでいたが、ルイズは先に森の中へと入っていく。

 仕方なく、禊だけでも拾おうとタバサは風竜の高度を落とす。

 

「乗って」

『安全地帯が見つかる前に一人で森へ行っちゃうなんて、ルイズちゃんは運がないなぁ』

 

 そう仕向けたことのが自分であってもまるで気にせず、そんなことを言いながら禊が風竜に手をかけた時、突如風竜が暴れた。

 

『おろ』

「きゃあ!」

 

 タバサの使い魔である竜は韻竜という、人間とも比肩しうるとても高い知識を持った種族である。

 明確な理性があるが故に、禊に触れられて風竜は本能的に拒絶反応を起こしてしまったのだ。

 

 禊と一緒にキュルケまで一緒に地面へと放り出されてしまい、そこにゴーレムが腕を振り下ろしてきた。

 

「竜にまで嫌われるって貴方どこまで過負荷(マイナス)なのよ……痛っ!」

 

 キュルケはすぐ逃げようとするが、足に鈍くズキリとした痛みが走りつんのめる。それでも何とか足を前に出していくが、これでは到底逃げ切れない。

 

『おいおい頼むぜキュルケちゃん。破壊の杖は君が持ってるんだから、しっかり逃げてよね』

「……こうなったのは誰のせいよ!」

 

 禊はいつものへらへら笑顔でポンポンと破壊の杖を叩いてアピールする。代わりに持って逃げるという選択肢はないようだ。

 

『空気読まずに僕らを振り落とした風竜ちゃんのせいだよ。僕は悪くない』

 

 お前が空気を読め! と思うが、訴えている余裕はない。一歩地面を踏む度に痛みも激しくなっていく。

 風竜はゴーレムが派手に腕を振り回しているため近付けない。

 

 咄嗟にキュルケがフライを唱えようとした時、ゴーレムから跳ねた岩の一つが、キュルケの鳩尾にめり込んだ。

 

「かふっ!」

 

 呼吸ができず、詠唱もままならない。逃げようにも足を動かせば激痛が苛む。たとえ呼吸が戻っても痛みでろくに魔法がコントロールできない可能性もあるだろう。

 なんという不運だと、キュルケは己を呪う。

 

 だが、この依頼を真っ先に受けたのはキュルケだ。その意地とプライドをかけて、破壊の杖だけは守りぬかなければ。

 そうしないと自分は前に進めない。キュルケがキュルケのままであり続けることができなくなる。

 

 ――そんなの、認めてたまるものですか!

 

 ルイズから激変したギーシュのことは聞いている。キュルケはあんな成れの果てになりたくない。

 

 ――私は私! ツェルプストー家、『微熱のキュルケ』よ!

 

 ルイズはルイズで在り続けようとしている。

 タバサも、昨日の決闘からも変わらず一緒に戦ってくれている。

 なのに、自分だけがこんな所で終わるわけにはいかない。変わるわけにいくものか。

 

 しかし現実は非常であり、身体は痛みに反応して、目から勝手に涙が溢れてくる。

 それでも禊への助けは……絶対に借りない! そう内心で決意を固めて立つ。ここで禊に助けを乞うてしまったら、それこそギーシュと同じになってしまう。

 こうなったらいっそ破壊の杖だけでも禊に渡して、と内心で覚悟を決めようとしていたキュルケに、禊が提案を出してくる。

 

『あーあ、このままだと任務失敗でまた勝てなかったと言うしかないね。これじゃあルイズちゃんにも申し訳が立たないし、ここはこれを試してみようか』

「試…………す……?」

『最近夢にも見ない安心院さんの言葉を借りるなら、球磨川さんのこれで負安心(ふあんしん)ゴーレム対策の時間さ』

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十四敗『白状するよ』

 安心院さんって誰よ? なんて、無駄な問答を交わす余裕もキュルケからは消え去っている。辛うじて『さっさと説明なさいな』という視線を送り、続きを促すのがやっとだ。

 

『僕の言う通り、破壊の杖を操作してね』

 

 どうして禊がこれの使い方を知っているのか、そもそも自分で操作しないのか。という疑問が沸くが、あらゆる意味で追求している猶予はない。そもそも禊が相手だと、まともな答えなどあってないようなものだ。

 

 キュルケはもうこのまま一日寝ていたいと思う身体で、禊の指示通りに操作する。これが禊から持ちかけた話で、自分が助けを求めたわけではないという事実が、キュルケの救いだ。

 禊の指示通りに破壊の杖を組み立てると、それはもう杖と呼ぶべき形状ではなくなっていた。

 

『それじゃ、チャンスは一回だから、よーく狙ってね』

 

 説明された通りに破壊の杖を肩に当てて、照準を合わる。狙いは絶対に外さないよう胴体のど真ん中。距離もかなり近い。

 勝てない過負荷(マイナス)が伝える、勝つための情報。その真意を思考する心のゆとりはない。

 

 だから、キュルケはトリガーに指をかけ、ただ引く。

 発射された弾頭は狙い通りゴーレムの身体へ着弾し、これまでの魔法では聞いたこともない爆音を上げて、ゴーレムの上半身を一気に吹き飛ばした。

 

 残った下半身の一部も、程なく崩れて落ちていく。

 

「なん……て……」

 ――なんて威力なの!

 

 確かにこれは、破壊の名を冠するに相応しい力を持っていた。勝利の喜びもそこそこに、キュルケは改めて先の疑問が脳内を埋めていく。

 どうして禊がこの道具の使い方を知っていたのか。

 

「大丈夫?」

 

 ゴーレムが破壊されたことによりタバサが風竜から降りてキュルケと合流する。

 

「ええ……少しやられた……けど、問題ないわ」

 

 呼吸は整ってきたが、足のダメージはそうもいかない。キュルケを苦しめる激痛は、水の秘薬も使ってじっくり治さねばならないだろう。

 脂汗をかきながらも虚勢を張っているが、一人では歩くのにも苦労している有り様だ。

 そんなキュルケのコンディションを察して、タバサはキュルケにレビテーションをかけた。

 

「一人で、歩けるわ」

「こうした方が効率的」

 

 必要以上の気遣いを見せず無表情でそういう友人に、キュルケは自然な微笑をこぼす。

 

「ありがとう……けど、まだフーケを探さないと」

「キュルケは十分過ぎる程戦った。今度は私」

『美しい友情だね! 友達のいない僕はあまりに眩し過ぎて、そこら辺の無関係な人にこの思いをぶつけたくなるよ』

 

 要は友達いないことに対する八つ当たり発言で顔をしかめるキュルケだが、タバサは取り合わずキュルケを風竜の上まで運ぼうとする。

 その時、森の中から、新たなる爆発音が響いた。

 

          ●

 

 早くフーケを見つけないと!

 禊はともかく、キュルケとタバサまでゴーレムの脅威に晒されているのだ。

 

 これまでゼロと馬鹿にされて、家族の期待にも応えられなかったルイズにとって、フーケを探して捕まえるという任務は、久方ぶりの大役だった。

 貴族の誇りだけでなく仲間を守るという使命感も持ち、彼女は敵の影を求めて森の中を走り回る。

 

 そんな願いが届いたのか、ローブを被った盗賊の姿を見つけるまでは、さほどの時間は要さなかった。

 森の茂みに隠れるようなこともせず、堂々とゴーレムを繰るフーケの姿を見つける。それだけ自分のゴーレムに自信があるのか。

 だとしたら、それがフーケの命取りだ。

 

「そこまでよ、観念しなさい土くれのフーケ!」

 

 ルイズは彼女に力強く言い放ち、杖を突きつけた。それでもフーケは無言のままその場から一歩も動かない。

 

「大人しくゴーレムを解除して杖を捨てるのよ。そうすれば命までは取らないわ」

 

 言葉で脅しても敵に動きはなく、ルイズの額に汗が浮かぶ。こうしている間にも仲間は危険な目に遭っているのだ。ここは躊躇わずに攻撃するしかない。

 と、そこで巨大な轟音が響き渡り、たったの一撃でゴーレムが完膚なきまでに破壊された。

 

 その圧倒的な力にルイズまで目をやってしまう。それにゴーレムが破壊されてしまったということは、彼女の安全がなくなったということでもある。

 

「え……!」

 

 続け様に、ルイズは驚愕した。

 まず感じたのは熱だ。次に巨大な何かが腹を進む異物感。そして焼けた棒を突っ込まれてかき回されたような痛み。

 

「ああううぐ……!」

 

 ルイズの肉体を貫通して木にぶつかったのは拳大の石である。それは背中からルイズを撃ち抜いていた。

 

「このわたしを追い詰めた気になっていたようだけど、残念だったわね」

 

 その声が届くのも背後からだ。正面に立っていたローブの人間は、形を崩し土くれになっていた。

 ルイズが振り向くと、そこにいたのは、

 

「ミス・ロングビル……!」

 

 ルイズよりも先に周辺の見回りに出ていたロングビルは、目を細め妖艶な笑みで杖を差し向けている。

 その光景で、ルイズは全てを理解した。

 

「貴女、だったのね……」

 

 土くれのフーケの正体はロングビルだったのだ。そして、あのローブを被った人形はフーケが作ったゴーレムの一体だった。

 ギーシュだってゴーレム六体を並行して操れる。フーケにも同じことができないわけがない。

 しかもあの人形はほとんど動いておらず、目立つ位置に置かれていた。つまるところフーケの囮だったのだ。

 

「安心しなさい。命までは取らないわ」

 

 それは皮肉にも、ルイズが囮のゴーレムに向けて言ったのと同じ台詞だった。

 

「これから貴女を人質にして、破壊の杖の使い方を細かく聞き出さなくてはいけないから」

「ふざけるんじゃ、ないわよ……!」

 

 痛みでうずくまったまま、今度こそ本物のフーケに杖を向けた。その先端は定まらず小刻みに震えている。

 

「その傷でまだ戦おうと言うの? それも、学園で無能(ゼロ)と馬鹿にされている貴女が」

「わたしは……貴族よ」

「魔法も使えないのに?」

 

 ああ、軽い。なんて軽い言葉なのだろう。

 ルイズはいつの間にか、他人にゼロと馬鹿にされるのが平気になっていることに気付いた。

 そうだ、そこらの誰かが浴びせてくる罵声なんて、あの過負荷(マイナス)の中の過負荷(マイナス)が四六時中投げかけてくる気持ち悪い言葉に比べたらなんてことない。

 だから言う。言ってやる。

 

「魔法が使える者を、貴族と呼ぶんじゃないわ」

 

 言葉だけの強がりじゃない。

 それは最早、禊と出会い、過負荷(マイナス)に触れ、そして友達と通じて心に刻んだルイズの誇りそのものだ。

 

「敵に後ろを見せない者を、貴族と呼ぶのよ!」

「馬鹿な子」

 

 フーケは呪文を唱えるが、先に詠唱を終えたのはルイズだった。

 

「錬金!」

 

 詠唱はこれだけ。そして起きる現象はいつだって決まっている。

 フーケの身体が爆発し、爆破の衝撃で数メートル先までふっ飛ばされた。

 

 大事なことは三つ。

 ただ一言で発動すること。

 必ず起こる爆発。

 そして、狙いは外さない。

 

 錬金はその要素を全て満たしている。

 ルイズが授業で錬金を失敗した時、石が爆発した。ならば、錬金の対象をフーケの衣服に設定すれば――

 

「わたしの……『勝ち』よ」

 

 ルイズは魔法が使えない。ゼロの二つ名で馬鹿にされ続けた少女だ。

 けれど、そんなゼロがたった今、学院の教師達すら欺き破壊の杖を盗んだ盗賊フーケを倒したのだ。

 そんなルイズの脳裏に、彼女の心をへし折った禊の言葉が蘇る。

 

 ――『無理に変わろうとせず、自分らしさを誇りに思おう! 君は君のままでいいんだよ』

「どうよミソギ……わたしはわたしのままで……勝って……やった…………わ………」

 

 ルイズは自信に満ちた笑みを浮かべた後、前のめりに地面へ倒れた。

 出血が酷くて身体に力が入らない。最後の気力を振り絞って起き上がろうとするも、うつ伏せから仰向けに変わっただけだった。

 

 傷口を押さえても、血が止まらない。

 手足が痺れてきた。

 呼吸が浅い。

 意識が薄れる……。

 

「ああ、わたし……死ぬのかな…………」

『その通り。君は今から死ぬのさ、ルイズちゃん』

 

 力ない呟きに返ってきた、朗らかでいて冷たく暗い言葉がルイズを包んだ。

 急に身体が寒さを自覚した。なんてことないトーンなのに、重くて深くて、身体から心に染みこんでくる。

 気持ち悪い。

 

「ミソギ……」

『やぁルイズちゃん、さっきぶり』

「ルイズ!」

 

 禊の言葉を押し退けるようにもう一人の叫びがルイズに届いた。それと同時に傷口に流れる血とは違う暖かさを感じ出す。

 

「キュルケ……タバサ……」

 

 青ざめた顔をしたキュルケとタバサが空から降りてきた。

 

         ●

 

 キュルケがフライをかけて爆発音がした森の中へ飛び込んで見たものは、黒焦げで横たわるロングビルと、血まみれで倒れるルイズの姿だった。

 ロングビルに意識はなく、ルイズは弱々しく呼吸を繰り返すばかりだ。

 

 どちらも放っておけないが、まずは状況を確認するしかない。キュルケは、ルイズの傍に着地し衝撃で痛む足も忘れて呼びかける。

 しかし、変わり果てたライバルの姿に気が動転している彼女にとっては全てが後付でしかない。

 

「しっかりしなさいルイズ!」

「ミス・ロングビルが……フーケだった…………の」

「ミス・ロングビルが!?」

「そう、よ……わたし達は、皆騙さ……れて」

 

 確かにフーケの正体は衝撃だったが、それよりもまずはルイズの容態だ。

 今も彼女を中心とした血溜まりは徐々に広がっている。

 

「わかった。もう喋らなくていいわ。だから……!」

 

 タバサが急ぎ回復魔法をかけるが血の勢いは弱まらない。タバサ本来の得意分野は風である上、ここまでの傷を治療するなら例えスクウェアのメイジでも秘薬が必要不可欠だ。

 キュルケの言葉が届いているのかいないのか、ルイズの話は途切れ途切れだが止まることはなく続けられている。

 

「わたし……やった、わよ……フーケを…………」

「ええ、ルイズ! 貴女は私にとって、最大のライバルで誇りよ……!」

 

 キュルケは、ルイズの右手を両手で掴み呼びかける。

 ルイズが意識を失わないように、何度も。何度も。

 それでもルイズの声はどんどんか細くなっていく。血もとめどなく流れ続けていた。

 

「ミソギ、お願い! ルイズの傷を治して!」

『いいよ』

 

 思っていた以上にあっさりとミソギは首肯し、キュルケの心に一条の光が差し込まれる。

 禊がそんな単純な人物でないことなど、再三理解してきたはずのことなのに。

 

『その前にっと』

 

 禊はまずフーケの方に螺子を投げ刺した。あっちも肉が焼けただれており、相当な重症で助けてやる必要があったのは間違いなかった。

 しかしキュルケは敵であるフーケを先に助けるという行為に憤りを憶える。

 

「私達を襲ったフーケより、ルイズの治療が先でしょう!」

『わかってるよキュルケちゃん。あれはちょっと手が滑っただけさ。僕が大事なご主人様を見捨てるわけがないだろう?』

 

 聞くのも馬鹿馬鹿しくなる言い訳をしながら、禊はすぐにルイズを治療しようとしない。

 

『ルイズちゃん。ねえ、ルイズちゃん。僕はここに来てからずっとルイズちゃんと喧嘩ばっかりだったね』

 

 ルイズからの返事はないが、今にも光の消え入りそうな力のない目で禊を見ているのはわかる。

 

『白状するよ。僕がこれまでルイズちゃんに意地悪していたのは、君と仲良くなりたい裏返しだったんだ』

 

 白々しく、あるいは黒々しく禊は語る。友情と親愛を。生ぬるく騙る。

 

『だからさ、もう喧嘩はここまでにしよう。雨はたくさん降らせたから、今度は地面を固めよう』

「何が言いたいか……はっきり…………しなさい……」

 

 ルイズはここにきて、死を目前にして、禊と向き合うつもりのようだった。

 そして禊は、はっきりと最低の言葉を口にする。

 

(マイナス)と友達になってちょうだい』

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十五敗「わたしの人生は」

 キュルケが怒り心頭で、感情に任せて禊を怒鳴りつける。いつもの自信に満ちて余裕を見せる彼女の姿は微塵もなかった。

 

「ふざけたこと言ってるんじゃないわよ!」

 

 こんなキュルケは初めて見る。フーケの追跡だって最初に志願したのはキュルケだった。ルイズにとって今日のキュルケはわからないことだらけだ。

 

「そんなことを言っている場合じゃないでしょう! 本当に貴方はどうしようもなく最低(マイナス)だわ!」

『今は僕とルイズちゃんが話しているんだ。いくら僕の気を引きたいからって、ナンパは後にしてちょうだい』

「あんたって奴は……!」

 

 怒りに任せて禊に掴みかかろうとするキュルケを、タバサが腕をつかんで止める。

 

「今は駄目」

「でも!」

「こういう時にミソギは無駄なことをしない。自分のペースでしか動かない」

 

 その二つが、ここまで禊と争ってきて理解した、数少ない事実と言えた。悔しそうに顔を歪めながらも、キュルケはまたルイズに寄り添う位置に戻る。

 

『墨の世界では人生がプラスマイナスゼロだって言う奴がいてね。でも人生は「プラスマイナスゼロだ」って言う奴は、決まってプラスの奴なんだ』

「そうかも……しれない、わね…………」

 

 いつもなら頭ごなしに反発している禊の言葉が、今は染み渡るようにルイズの中へ入り込んできていた。

 ルイズの心はその流れに逆らわず静かに闇へ沈む。

 

          ●

 

 そうか、わたしは不幸(マイナス)だったんだ。

 わたしの不幸(マイナス)が、きっと過負荷(マイナス)の禊を喚び出したのね。

 これじゃあゼロの使い魔どころか、マイナスの使い魔よ。

 

『君の二つ名はゼロだけど、君の人生は不幸(マイナス)だ。けど、きっと君の横に寄り添うお友達の人生は幸せ(プラス)だったと思うんだ』

 

 キュルケ……。有り余る魔法の才能と、何人もの男に言い寄られる容姿。

 これだけの素質があれば、きっと彼女の人生は輝かしいものに違いないわ。

 

『ルイズちゃん、君は僕と同じ過負荷(マイナス)側の人間だ。だから君は僕のことがわかるはずだ』

 

 禊が、螺子のない両腕を広げる。その姿は、まるで世界中に起こる全ての過負荷(マイナス)を受け入れているよう。

 

『不条理を、理不尽を、堕落を、混雑を、冤罪を、流れ弾を、見苦しさを、みっともなさを、嫉妬を、格差を、裏切りを、虐待を、嘘泣きを、言い訳を、偽善を、偽悪を、風評を、密告を、いかがわしさを、インチキを、不幸せを、不都合を、巻き添えを、君なら受け入れられる。愛しい恋人のように』

 

 そう、受け入れればいいのね。

 受け入れるということは、認めることに等しいのだわ。

 

 そして、わたしはもう自分が不幸(マイナス)だと認めてしまっている。

 胸のつっかえが取れた気分だわ。

 ああ、これでやっと開放さられるのね。

 

 これでわたしは幸せ(プラス)になれるのかしら?

 なれるわけないわ。

 

 だってわたしは不幸(マイナス)なのだもの。

 不幸(マイナス)はどこまで生きても不幸(マイナス)よ。

 今更幸せ(プラス)なことがあったとしても、それくらいでわたしの不幸(マイナス)は覆らないわ。

 

 今日まで受けてきた嘲笑が。罵倒が。侮蔑が。屈辱が。

 どうやったら打ち消されるというの?

 どうやったら報われるというの?

 

 歪んだわたしの心は、歪んだ(マイナス)成長しかしない。

 けどそれでもいいじゃない。

 だって不幸のままでも楽にはなれるから。

 

 自分は貴族だって、貴族(プラス)としての振る舞いを義務付けなくたってよくなるのよ。

 そんなわたしを許してくれる人がここにいる。

 

 ギーシュが言ってた。禊は弱者(マイナス)を助けるのだものね。きっと誰より弱いわたしのことを、助け続けてくれるわ。

 ああ、なんて素敵なんでしょう。

 わたしは、生まれて初めて不幸(わたし)のままのわたしを認めてくれる人に出会えた。

 

 とても心地よい。生ぬるいお湯に全身を浸けているような感覚。

 これが、ミソギの友情なのね。ぬるい友情だわ。

 

 さあ、早くミソギに伝えましょう。

 わたしは不幸(マイナス)よ。だから過負荷(あなた)の友達になるわ。

 だから助けて。

 もうこれ以上、わたしに貴族(プラス)>の真似事をさせないで。

 過負荷(マイナス)として生きさせて! ……………………あれ、これは何かしら。何かが顔に触れる。ぽつ、ぽつ、って。

 

 それに、なんだかさっきから暗いわ。ああ、わたし、いつの間にか目を瞑っていたのね。

 

「ルイズ! しっかりしてルイズ!」

 

 なによ、うるさいわねキュルケ。

 どれくらいぶりかわからないけど、開いた目に泣きじゃくるキュルケが映っている。

 わたしはもういいの。不幸(マイナス)で、過負荷(マイナス)な、マイナスのルイズ。

 それがわたしなのよ。

 

 だからもう、貴族を貫いて死ぬこともないの。

 恐いのを無理しなくていい。わたしは死にたくない。

 

過負荷(マイナス)でもいい! それでもわたしは貴女の友達だから! だから死なないでルイズ!」

 

 私に触れてくるのはキュルケの涙だった。

 わたしが、過負荷(マイナス)でもいいって、貴女も、認めてくれるの?

 

 それから、お腹がずっと温かい。ミソギのぬるさとは違う、少しぽかぽかする熱。

 タバサ、貴女なのね。

 さっきから、一言も喋らないけど、ずっとわたしを治療してくれていたの?

 

 荒々しいけど優しい言葉。恐怖を和らげてくれる暖かな光。

 わたしは昔、同じぬくもりをどこかで感じた気がする。

 

 そうだわ。これは昔家族でピクニックに行った日のことよ。

 さっきも少しだけ思い出した、あの日の出来事。

 

 家族皆と一緒なのが久しぶりで、はしゃぐわたしは一人で勝手に遠くまで行ってしまった。

 そこで亜人のトロルもに出遭ってしまったの。野生で凶暴なトロルは、わたしに襲いかかってきた。

 恐くて恐くてわたしは泣きながらトロルから逃げたけど、途中で石に躓いて、トロルはすぐに追いついてきた。

 

 トロルの振りかぶった腕が、わたしに振り下ろされて――そこで間一髪でお母様が風の魔法でトロルを倒して、わたしを救ってくれたのよね。

 本当に格好良かった。わたしもあんな風になりたいと思った。

 

 なれるわけもないのに。

 あの頃のわたしは、自分には無限の可能性があるんだって、まだ無邪気に信じていた。

 

 お母様は強い。本当に強くて、貴族の鑑みたいな人。お姉様達もお母様の才能を継いで素晴らしい才能(プラス)を持っている。

 そんなお母様が、あの時は泣いていた。わたしが知る中で誰よりも強い(プラス)のお母様の瞳が潤んでいたのよ。

 

 いつも恐いエレオノール姉様が、あの時はもっと恐くて、けれどただ泣くだけのわたしを抱きしめてくた。

 わたしの頬に触れるエレオノール姉様の涙はすごく熱かったわ。

 

 優しいちー姉様は水の魔法で、擦り剥いたわたしの膝を治療してくれた。

 温かい涙と、温かいぬくもりだった。

 

 ああ、なにが嫌な記憶よ。

 わたしはこんなに愛されているんじゃない。

 

 気付いてなかったのは、わかろうとしなかったのはわたしじゃない。

 誰かじゃなくてずっと昔から、わたしが自分をゼロだと認めていたのよ。

 

 そうして自分で作った殻に閉じこもって、わたしは意固地になっていた。

 気付くのが遅いわよ、わたし。

 

 もっと早く気付いていたら、わたしは……。

 いいえ、それも違うわね。

 

 だってわたしには、わたしのために泣いてくれる友達がいるわ。必死に助けようとしてくれている友達が。

 過負荷(マイナス)のわたしを友達にしてくれるのではなくて、過負荷(マイナス)になってもわたしの友達を続けようとしてくれる子達がいる。

 

『さあ、ルイズちゃん。キュルケちゃんもやっぱりルイズちゃんは過負荷(マイナス)だって言ってくれているぜ? 答えておくれよ』

 

 そうね、ちゃんと答えるわ。

 

「ありがとう、ミソギ」

 

 気付かせてくれて。

 教えてくれて。

 貴方のおかげで、わたしはやっと自分に向き合えたわ。

 

「わたしの人生は幸せ(プラス)よ……だから、ミソギとは友達になれないわ」

 

          ●

 

 ルイズの返答に、キュルケは驚愕した。タバサでさえも、大きく目を見開いてルイズを見つめている。

 それもルイズは最後の力を振り絞るかのように、はっきりと答えた。

 

「ルイズ、なんてことを言うの……!」

 

 ルイズが出した結論は、この場にいる誰しもが予想外だったろう。

 何故なら、ルイズは死の間際でなお、『死んでも禊とは友達にならない』と言ったのだから。

 

 そして、ルイズの表情は穏やかに微笑んでいた。

 これから死にいくとはとても思えない。満足している者が見せる幸せ者(プラス)の笑顔。

 そんなルイズの胸に、深々と螺子が突き刺さった。

 

「な……!」

 

 瞬間、ルイズの血が、落ちかけていた意識が、無慈悲に迫る死が――全てなかったことにされた。

 

 連続して起きる予想外の事態に、キュルケは螺子を放った張本人へと振り返る。

 禊は子供が拗ねた様に、しごくつまらなそうな顔で、ルイズの傷が消えるのを見ていた。

 

 けれどキュルケがその顔を見たのはほんの一秒にも満たない時間で、禊が自分の手で顔を覆うと、元の薄っぺらな笑顔に戻る。

 

『これは危ない。まさに危機一髪だったねルイズちゃん。気を付けてよね、死んだら幸せ(プラス)不幸(マイナス)もないんだから』

「流石の嘘吐きねミソギ、しっかりわたしを(なお)してくれてるじゃない」

『僕は産まれてからこれまで、嘘なんて吐いたことがないぜ。憑かれてはいるけどね』

 

 ルイズは最初こそ突然傷が消えたことに理解が追いついてなかったようだが、一度大きく息を吐いて起き上がってからは、禊へいつもの減らず口を叩いていた。

 

「それでも、わたしの『使い魔』として初めて役に立ったことは褒めてあげる」

『ありがとうルイズちゃん! ゼロの使い魔としてかけられた今までの苦労が報われた瞬間だよ!』

 

 まるでさっきまでの駆け引きすらも嘘だったような括弧付けた台詞で、禊はルイズと雑談している。

 

 しかし、キュルケは確かに見た。わざとらしい演技じみたリアクションではない、感情の宿った禊の顔を。

 禊にも、感情と呼べる、人間らしさが存在する。その事実を知った。

 

「わたしの人生はムカつくくらいに嫌なことばっかりよ。マイナスなことばっかりよ。けどね、ミソギ。人生はプラスマイナスでマイナスって言う奴は、決まってプラスになる努力をしてない奴よ」

『そうかもね。努力しなくてもプラスになれる貴族のありがたいお言葉が胸に染みるよ』

 

 貴族は何もしなくともプラス……それこそ、今のルイズにはわからない言葉だ。

 ルイズはずっと努力を積み重ねてきた。重ね続けてきた。

 才能がないゼロだと笑われても、決して道を突き進む努力をやめなかったから過負荷の誘惑さえも乗り越えた。

 

「ごめんあそばせ。貴族という言葉を盾にして逃げている者達の不満なんて、わたしにはわからないわ」

 

 決して成果の出ない茨の道を歩み続けることは如何に想像を絶する苦痛を伴うことであるか、諦観を拒否し続けることがどれだけ難しいことなのか、逆にマイナス達は知らないだろう。

 わかった顔をしている者のほとんどは、中途半端な努力で諦めてわかっている気になっているだけだ。ルイズが貴族と平民の間にある落差をわかったつもりになっているのと何も変わらない。

 言葉だけで平民の立場に逃げている者達の心を弱さと呼ぶなら、貴族達の中で平民と同じ才能の扱いを受けながらそれを跳ね除けてきたルイズの心は強い。

 

「それで、どうしてわたしを助けたの?」

 

 ルイズは真面目な表情になって禊に問う。

 当然ながら死ぬ覚悟をしてルイズは禊を拒絶した。過負荷(マイナス)という存在を否定した。

 これ以上の決別などあるはずもない。

 

『使い魔が主人に尽くすのに理由がいるかい?』

「いるわ。貴方に限ってはね」

 

 やれやれと、禊は肩をすくめるが、その答えは初めから用意していたと言わんばかりに、滑らかな口調で語る。

 

『さっきのルイズちゃんは格好よかったよー。まさに貴族の鑑だね。けどごめーん。誓いとか誇りとか、僕そういうのよくわからないんだー』

「……そう、やっぱりあんたはわたしの敵だわ」

『ん、でも敵って言うのはさ、そこのみたいなのを言うんじゃないかな』

 

 禊が指差した先には、新たなゴーレムが立ち上がっていた。

 しかし、今度は土ではなく、泥でできた人形だ。

 ぼとぼとと体から泥水を滴らせたゴーレムの群れが、覚束ないゆっくりとした足取りでこちらへ向かってくる。

 

「なんなのよこれ!」

「数も十体以上」

 

 終わったと思った落ち着いたところにやってきた増援に憤るキュルケに、タバサが冷静さを保ちながら杖を構える。

 

『これはまるで、ゾンビ映画のワンシーンみたいだな』

「こうなったら、とことんやってやるわよ!」

 

 誰が相手でも一歩も引かない。それがルイズの守った貴族としての誇りなのだから。

 ルイズは錬金を唱えて、ゴーレムの一体を爆破した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十六敗『元の世界に戻りたい』

 ルイズの一撃で上半身が大きく消し飛んだゴーレムは、しかし歩みを止めない。

 さらにタバサからエア・ハンマーの直撃を受け、残った下半身を木に打ち付けられる。ぶつかった衝撃で体が弾けてべっとりと泥の跡が木にこびりつけせて、ようやく活動を停止した。

 

「どれだけしつこいのよ!」

「ほぼ全身を破壊しないと止まらない」

 

 禊がデルフリンガーでゴーレムを叩き切るが、腕や足を切り飛ばした程度ではまだ動き、バラバラにしてようやくぐずぐずに崩れて活動停止する。

 次々と連続してルイズ達に追いすがろうとする泥ゴーレムは、有体に言って弱かった。強度も低ければ動きも鈍いので、こちらが捕まることがなく一方的に攻撃できる。

 

『これはボスを倒した僕達に与えられたボーナスステージに違いないね』

「だったらもっと倒しやすいのにしなさいよ」

 

 弱い。が、とにかくしぶとい。体の一部が壊れただけでは戦闘不能にならず、執拗にこちらを追いかけてくるのだ。

 

「この気持ち悪い動き、まるでミソギね」

「確かに……」

 

 キュルケの意見にルイズは同意する。似ている、というかまるで禊の動きを真似て動いているようにも思えてくる。倒れても立ち上がってくる妙なしぶとさも、それっぽさへと繋がっていた。

 

『侵害だなあ』

 

 その呟きと共に、全てのゴーレムが身体のあちらこちらを螺子で貫かれ、木々に突き刺された。

 

『この程度の気持ち悪さで負完全()>を語らないで欲しいね』

 

 そうして、ゴーレムが泥に戻り崩れ落ちていく。一匹残らずゴーレムの生成が無かったことにされたのだ。残りのヒットポイントなど関係ない、まさしく一撃必殺である。

 

「初めからそうしなさいよ!」

『やれやれ、楽を覚えたら人間終わりだよ?』

「ご心配どうも。既に人間として頭が終わってるあんたには関係ない話ね」

「やられた……」

 

 皮肉の押収を繰り出す禊とルイズを無視して、タバサは周囲を見渡しある一点で視線を止めた。そこは本来、気絶していたフーケが倒れていた場所だったが、

 

「ちょっと、フーケは何処に行ったの?」

「確かにしてやられたわ。泥ゴーレムを囮にされている間に逃げられたみたいね」

「あれだけやられて逃げられましたじゃすまないわよ! まだ近くにいるかもしれないわ。探しましょう!」

 

 肩を竦めるキュルケの隣で、諦めきれないルイズが強く提案すると、元々そのつもりだったのだろうタバサが風竜を呼び出し空から周囲を探索する。

 それでも、フーケを見つけることは叶わなかった。泥のゴーレムからして計画的な逃走だったのだろう。

 

 見晴らしをよくするため周辺の木々を全てなかったことにしようかと禊が提案するも、他の全員が許可をするわけもない。

 本当にそれができたらどれだけいいか、という心中は誰もが思っていたけれど。

 結局フーケの再発見はできず、ルイズ達は破壊の杖のみを手に帰還となったのだった。

 

          ●

 

 ルイズ達の申し訳無さそうな報告を聞いたオスマンは、しかし手放しで彼女達を褒め称えた。

 

「よくぞフーケを討伐して破壊の杖を取り戻してくれた」

「ですが、肝心のフーケを取り逃がしてしまいましたわ」

 

 本願を遂げられなかった悔しさが見えるキュルケだが、オスマンは気にせんでええと言ってのける。

 

「私が命じた通りにこうして破壊の杖は無事戻ってきたんじゃ。皆よう頑張ってくれた。フーケの追跡だけなら、それこそ王室に依頼したらいいわい」

「そうです。皆が無事に帰ってくれただけで安心しましたぞ」

 

 失敗を責められるのではと不安だった所でかけられた教師二人の暖かい言葉で、ルイズはようやく肩の力を抜くことができた。

 

「それはそうと、フーケはどうやってロングビルとして学院に潜り込んだのですか?」

「ああ……それなんじゃが、のう……」

 

 ルイズの素朴な疑問に、オスマンは急にバツが悪そうな態度になる。

 それもそのはずだった。居酒屋でおだてられた挙句、尻を触っても怒らなかったというのが理由だったのだから。

 これには生徒達だけでなく、コルベールまでもが呆れていた。

 

『学院長はエリート中のエリートかと思っていましたけど、案外愚か者の方でしたね』

「うるさいわい!」

 

 禊にまで茶化されるが、こればかりは自業自得だろう。

 あ、これ素で言い返してるなんて皆がこれまた引いていると、オスマンは一つ咳して空気を改めて、真面目な顔に戻る。

 

「とにかく、破壊の杖は無事宝物庫へ収まった。君達には『シュヴァリエ』の爵位を、宮廷に申請しておいたぞ。ミス・タバサについては既に『シュヴァリエ』の爵位を持っているからの。精霊勲章を申請しておいた。各自に追って連絡が入るじゃろうて」

「シュヴァリエ、本当にですか?」

 

 思ってもみなかった褒美に、ルイズは素直に驚いていた。しかし、キュルケは真面目な表情を崩さない。

 

「ありがとうございます、オールド・オスマン。シュヴァリエの爵位、謹んで頂戴いたしますわ。それと一つ、質問があるのですが、よろしいですか?」

「なんじゃね、ミス・ツェルプストー?」

「私は報告した通り、この度起きた戦いで、破壊の杖を実際に使用しました。それも、ミソギに使用方法を聞いてですわ」

「そうじゃったな。三十メイルのゴーレムを一撃とは、やはり『破壊の杖』の名に相応しい威力じゃわい」

 

 ルイズはキュルケが何を問おうとしているのかがわかった。恐らくはオスマンもそれはわかった上で、キュルケを止めていないのだろうことも。

 それはルイズもまたずっと気になっていた事柄である。

 

「あれは私の知っているマジックアイテムとはまるで違いました。上手くは言えませんが、まるで道具としての作りがそもそも全く違うような……。教えてくださりませんこと? 破壊の杖とは一体どうやって作られたのか、そしてミソギが何故使い方を知っていたのかを」

「残念ながら、私もあれがどこでどのように作られたのかはわからんのじゃ」

 

 オスマンは深い溜息を吐きながら、立派な顎の白髭を撫でる。彼の目はまるで昔を思い起こしているようだった。

 破壊の杖は、オスマンが若い頃ワイバーンに襲われた時に、助けてくれた男が持っていた物らしい。

 男は破壊の杖の一本を使いワイバーンを倒したが、その後負っていた怪我が原因で治療の甲斐なく死亡した。その一本は男の墓に埋められたが、もう一本は形見として宝物庫へと収めたのだという。

 

「彼は死ぬまで、うわ言のようにある言葉を繰り返しておった」

『元の世界に戻りたい』

 

 オスマンの言葉を、禊が代わりに答えた。オスマン以外の全員が、驚きの目で禊に注視する。

 

「……その通りじゃよ」

『つまり、その恩人がどうやってきたのかもわからず、彼からすれば見知らぬ地でセクハラジジイ助けて野垂れ死んじゃったわけですね』

「当時はまだ純朴な青年だったわい」

「元の世界って……」

 

 くるり、と禊がルイズに向き直る。本来あるはずの感情を全て塗りつぶしたような笑顔に、ルイズは後ずさりそうになった。

 

『だから言ったでしょ? 僕は別の世界からここに召喚されたのさ』

 

 禊は手の甲をルイズへ向けて、使い魔のルーンを強調するように見せつける。言外にお前が召喚したからだと責任を問うような仕草だ。

 元々妙な信憑性の高さはずっと感じていた話だったが、オスマンとキュルケの話がそのまま裏付けになってしまった。二人が禊のように嘘を吐くわけもないのだから、もう信じる他はない。

 

「そっちのルーンなら知っておるよ。恐らくは、ミス・ツェルプストーへの答えにもなるじゃろう」

「オールド・オスマン! 主人であるミス・ヴァリエールだけにならともかく……」

 

 今度慌てたのはコルベールだ。心底焦っている様子の彼をオスマンは片手で制した。

 

「これ以上隠し立てはできんじゃろ。彼女らにも知る権利はあるわい」

「ええ私達だってここまできたら聞かずにはおられません……というより、ミソギについてもう学園全体の今後に関わる話ですわ」

 

 キュルケのそれはまさしく正論だった。だからこそコルベールは慎重にこの件を取扱たいと考えている。

 されど、オスマンはまたコルベールとは別の意見を有しているようだった。

 

「そのルーンはの、伝説の使い魔と呼ばれるガンダールヴと同じ印じゃ」

「伝説の使い魔、ですか?」

 

 事の当時者であるルイズは、まるで実感が沸かないままオウム返しする。

 

「ガンダールヴは、いかなる武器でも自在に操る力を持っていたという。ならば破壊の杖の使い方を理解できたのも、その力があったからじゃろう」

 

 オスマンがガンダールヴの話をしている間、タバサが目を細めてどこかいつもの寡黙さとは違う雰囲気を醸し出しているように感じたが、まだ付き合いの浅いルイズには気のせいの範疇でしかなかった。

 

          ●

 

 伝説の使い魔、ガンダールヴ。

 タバサは、その単語を何度も頭の中でリフレインさせた。

 

 それは小さな可能性だ。

 しかし、確かな光でもある。

 もし、伝説の使い魔と言われたのが普通の少年だったならば、タバサはここまでの感慨を抱かなかっただろう。

 

 自分には関係ない何処か世界の話として処理していたかもしれない。

 だが、それが禊ならば話は別だ。

 球磨川禊だけは、そこに込められる意味が大きく変わってくる。

 

 過負荷というまさに次元の違う、魔法ですら測れない能力(スキル)に加わり、ガンダールヴの力までもが備わっていたのだ。

 もっとも、それら全てがおまけにしかならない、もっと異常なものが、もっと過負荷なものが、禊にはある。

 

 負完全。

 禊の螺子くれて螺旋を描く特異な精神こそが、禊を禊たらしめる危険性だ。

 禊という危険極まりない精神の上に大嘘憑きとガンダールヴという付加価値が与えられたことに意味がある。

 

 恐らく、タバサはどう足掻いても大嘘憑きを手に入れることはできないだろう。よしんば得たとしても、自分に使いこなすことができるだろうか?

 全てを喪失させる力を得た時、タバサはタバサという人格のままあり続けられるか?

 

 タバサの中にある闇が暴走して、『あの男』だけでなく、この世界の全てを憎み消去してしまうのではないだろうかという恐怖が先に立つ。

 

 それは、同時に禊への疑問でもあった。

 何故、勝利を手にすることができず、どこまでも敗北を重ね続ける禊は、それでも世界に絶望しない。

 

 人生に負けて、負けて、負けて、負けて、負けて、負けて、負けて、負けて、負けて、負けて、負け続ける人生で、禊は何を糧に生きている?

 絶望しきらず世界を壊さない心はいずこから生まれて育っているのだろう?

 もしかしたら、禊の過負荷は禊の歪んだ心根から生まれたものではないだろうか?

 

 禊が大嘘憑きを得たから過負荷であるのではなく、禊が過負荷だから大嘘憑きを得たのではないか?

 それがタバサの考察だった。

 

 正しいこともあれば、間違っている個所もある。

 全ての解に辿り着くにはまだ遠いが、タバサは一人でずっと球磨川禊とは? 過負荷(マイナス)とは1? という自問自答を繰り返している。

 

 ルイズとキュルケは過負荷(マイナス)に反抗することを選んだ。

 タバサだけはただ一人マイナスの果てを追い求めているのだった。

 

          ●

 

「なる程、完全に、とは言えませんが理解できましたわ」

「なら、これまでの話を質問の答えとしてもいいかのう?」

「もちろんですわ。ありがとうございました」

 

 なんだか、急展開が次々と起こりまくっているが、ルイズは全然付いていけていない。禊が只者でないと言われても――そんなのは疑う予知がない話だが、いきなり別世界の人間が使っていた武器や、伝説の使い魔なる単語が現れ始めたのだ。

 そのどれもこれもが、ルイズの理解を遥かに超えた世界の話である。

 

『学院長。僕からもいいですか?』

「なんじゃ? お主は貴族ではないから、何の謝礼も用意できてないからのう。何か聞きたいことがあるなら、私の知る範囲で答えよう」

『いいえ、僕から一つ提案があるんです』

「提案、お主がか? ……まあ、言ってみい」

『それじゃあ当然の権利を振りかざして遠慮無く』

 

 禊は朗々と、予め用意していたようにその『提案』を語りだす。いやその内容からして用意していないわけがなかった。

 

 それを聞いたルイズは、いやキュルケやタバサでさえ目を丸くして混乱に陥った。

 コルベールに至っては、禿げ上がった頭を手で抑え、忌々しく禊を睨みつけている。

 禊が話を終えた時、ルイズは頭に浮かんだ言葉を、そっくりそのまま禊へぶつけた。

 

「あんた、頭おかしいんじゃないの?」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十七敗『人間は人間だよ?』

 今やトリステイン学院では知らぬ者がいない希代の大盗賊フーケの潜伏場所は、しかしその学院から十分とかからない小さな林の中だった。

 日は陰り夕闇で視界は悪くなっている時間帯ではあるが、それがどれだけ危険な行為であるかの問答など無意味だろう。

 

 先刻に行われた戦闘の後、彼女は逃げ去るどころか予め用意していた馬に乗り、学院へと引き返していた。

 勿論戻ってくるまでに細心の注意は払ったし、今も常に神経を尖らせている。

 

 そしてこれだけの危険を冒すだけの価値が、ここにはあった。

 何故なら、フーケの腕には破壊の杖がしっかりと抱かれているのだから。

 

「すごいな、大成功だよミソギ!」

「あまり騒ぎ立てるんじゃないよ」

『そうだよ。あまりフーケさんを怒らせると、眉間の小皺が増えちゃうじゃないか』

「あんたは人を挑発する天才だね……!」

 

 はしゃぐギーシュを禊がたしなめたのに、どういうわけかフーケの苛立ちは増している。

 とはいえ、フーケの内心はむしろ嬉々として色めき立っていた。なんせ『作戦通り』に破壊の杖が自分の物になったのだから。

 

「青銅を土に変えて、ディティールも簡単にしてゴーレムを作ると“青銅より脆くなってしぶとくなる”。僕の成果もミソギの言う通りだったよ!」

 

 フーケが逃げる前に作り出されたゴーレムの軍勢を作り出したのはギーシュだった。

 ギーシュはフーケ達の乗る馬車をバレないように使い魔と馬で追尾。そしてフーケがルイズ達の目から消えるための時間をゴーレムで稼ぐ。

 最後はフーケを拾ってまた学園まで戻って来るという役目が与えられていたのだ。

 

『泥は錬金術の応用さ。ゴーレムを作る物質を一般的な材質にしたら、一体ずつの精神消費量は目減りするからね』

「その発想もさることながら、もう一つが目から鱗だったよ。ゴーレムの形をこだわらないと、人型の考え自体が曖昧になって人間と認識できるギリギリまで維持できるなんてさ」

 

 ギーシュも喜びようも、己の内面と同じくらいだとフーケは感じていた。なんせここで合流してから、ギーシュはずっとこの調子なのだ。

 しかし、その気持ちも少し分かる。

 

「それはわたしも知らなかったわよ。どこでそんな知識を得たのか聞いてもいいかしら?」

 

 禊はこの学院に来るまで魔法の知識はほとんど無かったと聞いていたが、禊の出したゴーレム案は学院の授業ですら教わらない知識である。

 ある意味ではゴーレムクリエイトとしては反則スレスレの外道技なのが禊らしい。だがスレスレということは反則ではないのだ。

 

 小奇麗で杓子定規な使い方より、外道で泥臭い方が実戦的というのはよくある話だと、フーケはこれまでの経験で理解している。

 

『動かないわけがないじゃないか。知識も何もない。足がもげていようが人間は人間だよ?』

「人間は人間、ね……」

 

 人間かどうかも怪しい力を使う奴がそれを言うとは。フーケは昨日の夜に味わった畏怖と不快感に身を震わせながら、そう呟いた。

 

          ●

 

 ロングビルこと土くれのフーケは、学院の宝物庫から破壊の杖を盗み出すため、潜入調査を行っていた。

 学園への潜入はセクハラさえ耐えれば容易いものだ。オスマンはああ見えて人の能力を見極める目は確かなのがありがたい。

 

 そして宝物庫の調査はそれ以上に苦のない作業だった。なんせここの教師達ときたら、詰め所での警備や見回りをほとんどサボっているのだから。

 真面目にやっているのはせいぜいコルベールくらいのもので、その日さえ外してしまえばそこら辺の平民にだって可能だろう。

 

 万が一見つかったとしても、担当の教師が見回りを行っていないようなので自分が代わりにやっていたとでも言い訳すればいい。その言葉に説得力を持たせられるだけの実績と信頼は築いてきた。

 宝物庫の外壁は以前軽く調べたが、かなり強固に作られている。フーケはトライアングルのメイジであり、それなりの腕利きであるという自負はあるものの、あの固定化を錬金や物理攻撃で破壊しきれる自信はあまりない。

 

 他に方法が見つからなければ力での突破することは致し方ないものの、それはあくまで最終手段だ。

 そのために今日は改めて塔の内部から宝物庫へ侵入する突破口を探りに来ていた。とはいえ、

 

「やはり内側もしっかり固定化されているわね」

 

 壁を直に触り固定化の状況を確認していく。固定化の弱っている所があれば御の字だったが、そんな都合のいい話はない。

 もうゴーレムの力で無理矢理に破壊するしかないか、と妥協しかけた時だった。

 

「これは、そんな……!」

 

 入り口の鍵が開いている。

 教師の誰かが鍵を開けてそのまま忘れた? それはない。宝物庫のマジックアイテムを必要とするような授業はどの学年でもここ最近はなかった。と内心で自問自答する。

 

 誰かが個人で使用する場合には、学院長の秘書ロングビルとして自分が許可証を発行し、オスマンの認可を得なければならない。無論、そんな手続きも受け付けた覚えはなかった。

 だとしたら、結論は一つしかない。

 

「私以外の誰かが盗みに入ったってことだね」

 

 それも、フーケができなかった扉と外壁のセキュリティを破った上でだ。

 

「まさか」

 

 これだけのことをしでかせるメイジは、フーケの知る限りでもかなり限定されるし、こんな所で偶然出くわすなんて考えられない。

 だがメイジでない者ならば身近に該当する人物が一人だけいた。

 

 球磨川禊――彼の名はもう忘れられない。

 数日前にメイジとの決闘で大暴れした平民の少年である。

 

 彼の使用する大嘘憑き(オールフィクション)という特殊な魔法ならば、鍵を解除して中に入ることもできてしまうだろう。

 それに貴族を相手にあれだけ堂々と暴れて見せた男だ。宝物庫への窃盗をやらかしたとしても不思議はない。この予想はフーケの中でほぼ確信の域に達した。

 

 だとしたらどうするべきか?

 フーケにとって重要なのはそこだ。

 扉は閉まっていて、今も中に禊がいるかどうかはわからない。既に宝を盗んだ後ならそこまでだが、問題は禊がいた場合だ。

 

 相手は全てを無かったことにする冗談みたいな魔法を有する、相当に危険な相手である。

 トライアングルのメイジであるフーケでも、真っ向から挑めば返り討ちに合うのは必定だ。

 

 ここでフーケは自分に選べる行動を考える。

 

 一つ、鍵がかかっていなかったことを、見て見ぬ振りして今すぐ立ち去る。

 二つ、この事実をすぐさまオスマンに伝えて、指示を仰ぐ。

 三つ、一人で宝物庫に侵入し、禊を倒して破壊の杖を盗み逃げる。

 

 一つ目はフーケにメリットがないため論外だ。禊がおらず破壊の杖は盗まれていない可能性もある以上、これはあまりに消極的な選択である。

 二つ目は上手くいけば禊を捕まえられこの学院から退去させられるかもしれない。フーケにとっても禊のような不安定要素はいない方が仕事を進めやすいに決まっている。

 

 しかしながら、これは時間がかかりすぎるため先に禊が逃げてしまう可能性は非常に高いだろう。それに侵入者が出てしまうと宝物庫自体のセキュリティは頑強になってしまう。

 

 三つ目は、かなり大きなリスクが伴うものの、その分メリットも大きい。禊という障害さえ取り除いてしまえば、後は破壊の杖を手に入れ悠々と逃亡できる。

 

「………………」

 

 フーケは一分に満たない逡巡にて、答えを出した。

 扉に手をかけて、詠唱を小さく呟きながら、一気に開ける。

 

『おや、これは奇遇ですね、ロングビル先せ』

 

 いた。

 と認識した瞬間には、もうスペルは唱え終えていて、石礫が禊の左胸を貫いていた。

 瞬殺。これがフーケの選んだ戦略だった。

 

「悪く思わないでね。こっちも必死だったのよ」

 

 まともに戦えない相手なら、まともに戦わなければいいだけの話だ。

 禊だってこんな深夜に忍び込んでいる以上は、誰かに知られる前に事を運びたかったに違いない。

 

 ならばいきなり扉が開けばこちらに意識を集中させることができるし、驚きと緊張から一瞬動きが止まる。

 フーケはそこに賭けた。

 

 扉を開けた時にフーケが禊を視認できる位置に立っていることが条件だったが、そこは運が味方してくれたようだ。

 いくら禊でも大嘘吐き(オールフィクション)を発動する間さえ与えず殺してしまえば……。

 

「これは、もう一つラッキーだったようね」

 

 禊が腕に持っていた物は、フーケがこの学院を狙った理由そのものである「破壊の杖」のネームタグが付けいた包みだった。

 フーケは禊から破壊の杖を奪い取って部屋にいつもの犯行声明を残し、すぐに部屋から出ようとする。欲をかいて他の宝も狙い墓穴を掘るなんてことはしない。

 フーケが踵を返すと、そこには大型の火トカゲが出口を塞ぐように四つ這いで立っていた。

 

「こんな所にサラマンダーですって?」

 

 恐らくは入室したフーケからは死角の場所いたのだろう。それよりも、火山にしか生息しないレアな生物が学院にいる理由など誰かの使い魔しかない。

 だとしたら禊には窃盗の仲間がいる。そいつがフーケを報告すれば終わりだ。

 

『その子は僕の大切な、そんじょそこらの畜生ですよ』

 

 その声はフーケの背後からだった。背中につららを突っ込まれたような悪寒と共にフーケは振り返る。

 

「なっ!? そんな、嘘でしょ?」

『嘘だなんて酷いなあ、トカゲだって一生懸命生きてるんだから、差別するなよ』

 

 胸の辺りを真っ赤に染めて、球磨川禊が笑顔でそこに立っていた。

 

「そんなことはどうでもいいのよ! どうして生きてるの?」

 

『やだなあロングビル先生。僕らが負け難きを負ける過負荷(マイナス)だって、死ななければ生きていかざるを得ませんよ?』

「死ななければですって……」

 

 ふざけるな。ついさっき、禊は死んだはずだ。自分が心臓を潰して殺したのだ。

 

「生きてるわけがないでしょ! 今ここで私が胸を貫いたのよ!」

『貫いたって、こんな風にですか?』

 

 禊が、手に持った螺子で自分の頭を貫いた。

 まるで友達との日常会話みたいな軽い雰囲気で巨大な螺子が頭部を横から貫通させて、血飛沫きが上がる。

 それでも、いつもと変わらないたたずまいで、禊はそこに生きている。

 

「うぅ…………!」

 

 フーケは、左手で口元を押さえて絶句した。

 目の前で自分の頭をめちゃくちゃにする人間を見て平然としていられる程、フーケの精神は人間離れしていない。

 

 気の弱い者ならその場で気絶するか、一生もののトラウマになっているだろう。

 しかし彼女は数々の修羅場を乗り越えてきたフーケ。混乱のさなかであっても、あり得ない現実をあり得るものにするために仮説を立てる。

 

「心臓や頭に攻撃が当たると同時に……」

『当たったという現実を無かったことにすれば、死ぬ理由がなくなる。流石はロングビル先生、自分で苦労を増やしてしまいそうな、聡明な頭脳をお持ちですね。それとも、土くれのフーケと呼ぶべきかな』

 

 だったら実際に貫通した心臓や頭脳はどうなっているんだ。そもそもどういう系統の技術ならそんなことが可能になる?

 考えれば考えるだけ自分の魔法が馬鹿らしく思えてくる力だ。

 

 ここで気絶してしまっていた方が、あるいは楽だったのかもしれない。

 そんな思考を片隅に追いやりフーケは杖を禊へと向けて、その腕は上を向いており、踏み出した足は宙に浮いて彼女の身体は壁に磔にされている。

 

「え?」

 

 今度こそ完全に思考が追いつかなかった。

 禊と対峙していたフーケが、瞬き一つする間もなく壁と密着しており、服の上から螺子が食い込まみまるで身動きできなくなっているのだ。

 

 スクエアの固定化も初めからなかったかの如く、螺子が壁をえぐっていた。

 突き刺さるまでのプロセスが何も無いままフーケはこうなっている。

 

 ――もし、こんなことが起きるとしたら……。

 

 この男は、時間すらなかったことにできるのか?

 こいつは、神の化身なのか?

 

 フーケはもう本当に思考を止めてしまいたかった。しかし、そうしたら禊に殺される。

 それを受け入れるわけにはいかない。フーケには帰らなければならない場所と、守るべき人がいるのだから。

 

 もはや、フーケにとってその存在だけが、この現実と自分を繋ぎ止めていると言っていいだろう。

 極限の混乱状態で、フーケが活路を模索していると、禊が笑顔で言った。

 

『安心してよ。僕はフーケさんを螺子伏せようなんて考えてないから。そんなんじゃ、魔法で平民を従わせる貴族と同じになってしまうじゃないか!』

 

 人を磔しておいて、こいつはまた戯れ言を。だが、禊が倒そうと思っていたならばフーケは今頃服ではなく、身体を螺子で刺されていただろう。さながら標本にされた蝶のように。

 

「何のつもり?」

『僕は土くれのフーケの大ファンだからさ。貴女が学院の宝を狙っているという噂がなければ、宝物庫を調べるという発想すら出ていなかったよ』

「その結果、私がこうなっているんじゃ、たまったものじゃないわね」

『土が大好きな余りに壁と同化しちゃったフーケさん。僕と取引をしよう』

 

 ぬけぬけとよくそんなことが言える。フーケの生死与奪を握っているのだから、それは交渉ではなく脅迫だ。

 

「その取引、私にはどのようなメリットがあるのかしら」

『フーケさんが狙っていたこれを安全に盗み出して、使用方法と共に君へプレゼントしてあげるというのはどうだい?』

「プレゼント……貴方も破壊の杖を狙っていたんじゃなくて?」

『やだなぁ、僕はどう見たって慣れない学院で知らない場所に迷い込み、不幸にも名うての盗賊に命を狙われた平民Aじゃないか』

 

 平民Aがトライアングルのメイジを軽く手玉に取れてたまるか。そんな憤りを押さえ込み、死地からの活路を見出す。

 

「そう。なら詳しいお話を聞かせてもらえるかしら? 私の足が床についてからね」

 

 言い終えるとほぼ同時に、フーケは着地する。服には螺子を刺された痕さえも残ってはいない。壁の穴も同様だ。それ以前にあの大きな螺子が全て消えていたのだけど。

 

「ホント、質の悪い冗談みたいな魔法ね」

『僕の過負荷(マイナス)を、魔法(プラス)なんかと一緒にしないでちょうだい』

「私からすれば、その力は失われた虚無と同レベルの理不尽さよ」

 

 禊の使う力はもはや伝説の系統である虚無にも匹敵するだろうと予測していた。

 いや、かの伝説だって死んだからこそ伝説となって語り継がれているが、禊は生きている。大嘘吐き(オールフィクション)の使い方次第では、不老不死になることだって夢ではないだろう。

 

 今やフーケには、エルフの使う先住魔法すら児戯同然と思えてしまう。あれらがどれだけ強力なものか、自分は知っているはずなのに。

 

「それじゃあ、話を聞こうかしら?」

 

 禊を殺せなかった時点で、フーケはもうしてやられている。聞く聞かないの選択肢なんて、あってないようなものだ。

 それに禊は破壊の杖の使い方を教えると言った。

 つまり、これはこのままでは扱えないということになる。まともに使えない道具を売り飛ばすことなどできはしない。

 

 そしてもう一つ。禊は自分を殺そうとした相手に、どのような交換条件を出すつもりなのか。フーケは純粋に強い興味を抱いていたのも、また事実だった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十八敗『今日から僕達が』

 それがよもや、こんなことだったとは。

 ルイズを殺さない程度に痛めつけて動けないようにする。

 そこへ禊が現れてフーケを捕まえる芝居をしながら逆に逃走させ、あのプライドの高い貴族を自分側に引き込む。というのが禊の算段だった。

 

 その報酬として、一度は学院に戻された破壊の杖を、こうしてフーケは手にしたのだ。

 壁の破壊を大嘘憑き(オールフィクション)でなかったことにし、再度保管し直されたところで今度は禊が破壊の杖を盗み出す。いくら禊でも自分で戻した杖をその日のうちに盗むとは誰も考えないだろう。

 そもそも、あの杖は禊にとって本来必要のないものだ。

 

 勝利に安堵した時こそ人の心は脆くなる。そのことを勝てない禊はよく知っている。

 そうして、フーケがルイズの返り討ちにあったことを除けば、概ね予定通りに事は進んだと言えた。

 

 しかしこの提案を聞いたとき、フーケは禊が何を考えているのかさっぱりわからなかった。そして今もわからない。

 

「私の目的は達成されたけど、結局あんたの作戦は失敗したのよね?」

『その通りさ。フーケさんは勝ったけど、僕は負けた』

「結局彼女は、ミソギの思うような過負荷(マイナス)じゃなかったということだよ」

 

 両手の平を上に向けてやれやれといったポーズを取る禊に、ギーシュはつまらなそうな顔で言った。

 

『そうかもしれないね。ルイズちゃんは僕が思っていたよりも過負荷(マイナス)に足を引っ張られていなかった。いや、引っ張られなくなったと言うべきかな』

「引っ張られなくなった?」

『彼女達の様子を見るに、キュルケちゃんの手管かな。彼女は典型的な特別(スペシャル)だったね。僕はキュルケちゃんこそ先に堕としておくべきだった』

 

 キュルケが過負荷(マイナス)に堕ちかけたルイズを一度救いだし、今度は復活したルイズの姿を見てキュルケは堕ちそうになった己の心を奮起させたのだ。

 禊が手を出したからこそ、あの二人の絆が急速に深まってしまったとさえ言える。

 

『でもまあ、不幸(マイナス)幸せ(プラス)で埋められないからこその過負荷(マイナス)だ。いつかルイズちゃんと心を通わせることができる日が来ると、僕は信じているよ』

「そうだね、禊ならできるさ」

 

 ルイズの名前が出ると複雑そうな顔になるギーシュではあるが、それでも禊の意志を尊重するようだった。

 ギーシュのように禊を信用していないフーケは、純粋な疑問を禊にぶつける。

 

「いくら主人とはいえ、何故あんな小娘にこだわるのさ?」

 

 そもそも禊に主人を想うなんて感情があるとは思えないが、必要以上の言葉で刺激を与えることもない。

 問われ禊は右手の人差し指を顎に当て考える仕草をする。

 主人と使い魔の関係性以前に、ルイズは禊の手をはねのけた敵だ。禊の帰還方法を探させるために洗脳するのかとも考えたが、そんなことしなくたってルイズ達は現在禊を帰らせるため奮闘している。

 

『何でだろうね?』

「わからずにやっていたのかい?」

『強いて言うなら、彼女が前の世界で友達になりたかった子に似ているから、かな?』

 

 普通に負けて、普通に努力する。そんな普通(ノーマル)な頑張り屋の少年に、禊は敗北した。

 禊にとって負けは日常だが、彼もまた禊の過負荷(マイナス)を本当の意味ではねのけて、禊を倒してのけたのだった。

 その結果、禊はここに召還されたのだ。

 

『いつだって簡単に諦めるくせに、自分の弱さ(マイナス)を認められない。そんなどうしようもない不幸(マイナス)から、彼女を救ってあげたいのかもしれない』

「……そうかい」

 

 不幸を認めないことが、真の不幸……か。フーケは、禊の言葉を否定しなかった。

 自分が不幸だと気付かず、どんどん深みにはまっていく人間は確かにいる。

 

 しかしそれは、フーケが守っている少女もその一人かもしれない。

 そう思ってしまったため、肯定もできなかった。

 

「まぁ、私は目的のものも手に入れたし、満足さ。学院が宝物庫から破壊の杖がまた消えていると気付く前に、とんずらするよ」

『ばいばい、フーケさん。また会えたら嬉しいよ』

「ははっ! 私は二度とごめんだね」

 

 それが、フーケと禊の別れの挨拶だった。

 けれども言葉とは裏腹に、フーケはいずれ禊と再会するだろうと予感していた。

 もし禊がトリステイン学院で貴族の存在をひっくり返しているように、帰る方法を見つけるため世界ごと変えていくのなら今現在が不幸(マイナス)のあの子もあるいは……。

 

          ●

 

 フーケとの取引を終えたギーシュは使い魔のジャイアントモール、ヴェルダンデの背を撫でながら、部屋で自問自答していた。

 現在無理を言って平民達と同じ部屋に住む彼であるが、他の者達はこの後に控えるパーティの準備で大忙しのため現在はギーシュ一人だ。

 

 今日彼は禊の機転によりワルキューレの素材を泥に変え過負荷(マイナス)成長を遂げた。それはギーシュという人間がより貴族から遠ざかったといえるだろう。

 

 素材を泥に変えることにより戦闘力は激減したが、その分耐久性はそれこそアンデッド並と化した。

 フーケが逃走したため用無しになったゴーレムを、禊の手引きであることを悟らせないよう無かったことにしなければ、もっと足止めの時間は稼げていたことだろう。

 

「ふふ、禊は僕に新たらしい可能性(マイナス)を与えてくれた」

 

 ギーシュはこれでまた一つ禊に対し陶酔した感情を持ったのだが、未だ残る彼の才能(プラス)は冷静に自分と禊を分析する。

 禊の発想はメイジのそれを遥かに凌駕している。

 

 青銅より遥かに劣る泥を戦力とする考え方は基本貴族にはない。

 より高価なもの、格式高きものを求め評価するのが当たり前である。

 

 グラモン伯爵家自体は凝り固まった典型的な貴族なのだが、ギーシュの父は陸軍元帥だ。故に戦闘や戦術においては様々な英才教育を受けている。

 そのために禊の柔軟な戦略にギーシュは過負荷(マイナス)として以外も感嘆したのだった。

 

 メイジとして見たギーシュの才能こそドットではあるが、個人の戦闘力は決して低くない。

 戦闘向けの魔法素質でない土のドットにも関わらず、ワルキューレの戦闘能力が生徒達から評価されていた事実だけでも彼が無能ではないことを証明している。

 

 彼の使い魔も一見はただの巨大なモグラだが、モグラは言い換えれば土竜。土に住まう竜でもあるのだ。わかりにくくこそあるものの、それはキュルケの火竜サラマンダー、タバサの風竜とも比肩し得る才を秘めている可能性もある。

 どれだけギーシュが以前の自分を下卑しようとも、元帥の息子を初めとしたこれらの特別(スペシャル)性が消えるわけではないし、ギーシュもそれは薄々わかっている。

 ならば特別(スペシャル)過負荷(マイナス)の違いはどこにあるのか。今の自分が特別(スペシャル)でありながら過負荷(マイナス)になりつつあるのだとしたら、この二つにはそれ程大きな違いはないのでは?

 

「もしかしたら……考え方なのか? 僕らと禊を分つものは」

 

 禊の考え方を心で理解することによって過負荷(マイナス)になることができるのだとしたら、本当に禊は負完全の思想でこの世界を負完全に塗り替えてしまえる。

 禊が新たなる思想でこの世界を染めつくしたならば、彼は第二の始祖ブリミルと成り得てしまうのではないだろうか……。

 

 そこまでいくと発想の飛躍が過ぎるかもしれないが、それでも期待してしまう。そもそも禊は元の世界に帰ることを第一目標としているのだ。世界を相手に戦っている暇はない。

 けれどギーシュは決めた。この先に何が待っていようとも禊に付いていくと。

 

『やあギーシュちゃん、ちょっといいかい?』

 

 ノックの音と同時にドアが開けられる。疑問系ながらそこにまるで遠慮的な態度は見られない。

 堂々と扉のロックを無かったことにして部屋へは入ってきた。

 

「なんだいミソギ?」

 

 それでもギーシュに驚きはなかった。ただ受け入れるだけだ。

 

『突然なんだけど折り入ってお願いがあってね。ギーシュちゃんにしか頼めない大事(だいじ)大事(おおごと)なことなんだ』

「おいおいミソギ。僕が友達の言うことを無碍に扱ったことがあったかい。何でも言っておくれよ」

 

 そう、ミソギが何を企もうとも、ギーシュがどこまで過負荷(マイナス)に堕ちようとも、底の底まで共に堕ちると決めたのだ。

 その誓いの重さは禊が地球に残してきた三人の劣悪な過負荷(マイナス)と並ぶ、生ぬるい友情が育んだ絆だった。

 

          ●

 

 様々な問題はあったものの本日予定されていた学院の舞踏会は滞りなく行われた。

 アルヴィーズ食堂の上層階にあるホールにて、貴族の少年少女達は皆それぞれに着飾り豪勢な料理を食しながらの歓談、そしてダンスを楽しんでいる。

 

 そこに本来なら英雄扱いでパーティの主役になるだろう、フーケを討伐した三人の生徒達の姿は見当たらなかった。

 とはいえそれで何かパーティの進行に支障をきたすわけではない。

 

 こういう場を壊すのは、いつだって彼の役割であり使命だった。

 突然、場内に響く音楽が中断され誰もが聞きたくなかった声が反響する。

 

『はーい、皆注もーく!』

 

 パーティの司会進行用に設けられていた壇上に、マントを翻した禊が上がっていた。

 その不可解な行動と生理的な嫌悪をもよおす声色に生徒達の戸惑いは膨らんでいく。

 そして彼らが抱く最悪の予感は、ごくあっさりとより酷い現実の前に捩じ伏せられる。

 

『突然のお知らせですけど、このトリステイン魔法学院は、今日から僕がルールブックになります』

 

 ほとんどの者が呆気にとられた顔で互いの表情を伺ったり、説明を求めるように教師の方を向いたりする。

 同時に誰も彼もが球磨川禊という現実から目を逸らしているようでもあった。

 

『この学院は酷いことだからけです。貴族の坊ちゃまは憂さ晴らしのために平民に決闘を申し込むし、先生が実は盗賊で宝物庫から宝を盗み出す』

 

 ギーシュの決闘はもちろん、ミスロングビルが実はフーケで破壊の杖を窃盗したことも既に学院中へ周知されていた。両方共事実なだけに反論がし辛い。

 

『そんな勝手な人達へ対抗する手段として、この度新たに教師と同じ発言権を持つ生徒会という制度を作りました』

 

 『生徒会』という聞き慣れないワードに、生徒達は怪訝顔になる。

 

『皆は知らなくて当然だよ。これは僕のいた学園では実際に運営されている重要度が高い制度でね。まぁ、生徒会を簡単に一言で言い表すなら』

 

 一呼吸置き、禊は宣言する。支配階級である貴族達に宣言する。

 

『君達は今日から僕の下僕としてかしずけ』

 

 気持ち悪い声から発された暴君の言葉に、彼らは固まる。気の弱い者はそれだけで卒倒しそうになっていた。

 

『なーんて、冗談冗談。せいぜい愚民程度だよ』

「本質は人質じゃろうが」

 

 教師用に区分けされている最上段で様子を眺めるオスマンが苦々しく呟いた。

 学院の状況を監視し迅速に情報を得て、帰還する方法を探す。禊はそういう名目でオスマンに生徒会発足の希望を出した。

 

 しかし、事実はそれだけなわけがない。禊は生徒会が持つ権限の一つとして、全生徒での集会を開く権限を提案してきた。

 これは不知火半袖がエリート抹殺のために考案した時と同じやり口である。

 

 オスマンと共にこれらの意味を理解しているコルベールは、怒りと自分の無力を耐えるようにきつく噛みしめる。唇には薄く血が滲んでいた。

 通常生徒会にそこまでの権限などないが、その点においては強力な自治力を得られる箱庭学園生徒会の特殊性を改悪して流用したのだ。

 

 なまじ実例のある制度だけにそれなりの完成度とディティールがあり、オスマンも細かいルール制定を後で行うことで、ひとまず時間を稼ぐ方法にでるしかなかった。

 

「今は耐えるのじゃ。必ず機はやってくる。いつまでもあれの好きにはさせるつもりはないわい」

「はい……!」

 

 尚も混乱は続く。というよりは、生徒達がようやく自分達の置かれている状況を理解し始め、会場はざわめきを増してきていた。

 

「おでれーた! こりゃあおでれーた! 貴族の学校を掌握する平民なんて、見るのも聞くのも初めてだぜ!」

 

 貴族が支配する世界、それも貴族が集中して集まる学園のコントロールを、部分的であっても禊は得たのだ。

 たとえ平民が貴族になれるチャンスのあるゲルマニアでさえ、平民のままで貴族の上に立つことなどあり得ない。

 ハルケギニアの長い歴史においてでさえ、まさしく前代未聞の事件だった。

 

「ふざけるのもいいかげんにしろ!」

「貴族に対してそんな無礼が許されるはずないだろ! 不敬な平民め!」

 

 禊の立つ演説台の前に、二人の生徒が飛び出した。マントの色から学年は三年。両者ともトライアングルのメイジだ。彼らは怒りをそのままに杖を禊へと差し向け詠唱を始める。

 

 しかし一人は暴風で杖を叩き落とされ、もう一人も飛来した小型の火球により杖を焼かれて反射的に手を離してしまった。

 その不意打ちを行ったのは禊の背後にいる二人のメイジだ。

 

『これも生徒会による集会の一つだから私語は厳禁だよ、モブ貴族君。次に、これから僕と一緒にトリステイン学園を支配する、生徒会のメンバーを紹介するね』

 

 禊が半身になり壇上の奥側へと腕を伸ばす。そこには一人のメイドを除き四人の貴族が並び立っていた。

 

『副会長のタバサちゃん』

 

 視線は虚空に、杖は先の貴族に向けられてタバサは人形のように立つだけ。

 

『会計のキュルケちゃん』

 

 先程ファイアボールで杖を焼いた逆徒へ挑発的な笑みを送り、ちろりと赤い舌で唇を舐める。

 

『書記のギーシュちゃん』

 

 もはやかつての高貴な身なりは消え去り、身分証代わりのマントとバラの花以外は平民そのものの姿で、ギーシュが暗く笑う。

 

『そして庶務のルイズちゃん』

 

 名前を呼ばれると、ルイズはあからさまに不機嫌な顔で頬を膨らまし、そっぽを向いた。どうやら庶務という一番低い役職が気に入らなかったらしい。

 

『今日から僕達が初代トリステイン生徒会だよ』

 

 それぞれに思いはあるだろうが、皆楽しむはずだったパーティ会場が一転、学園ごと正体不明の平民から支配宣言がなされたのだった。

 

          ●

 

 キュルケは余裕ぶった笑みを作りつつも、内心はかなり焦っている。

 会場はもはやもはや暴動寸前だ。

 

 いくら禊が学園の生徒達から危険視されていると言っても、それはあくまで平民としての話だ。

 決闘後のギーシュが辿った末路を知る者と生徒会メンバーを除けば、禊の認識はスクエアクラスの魔法が使えるか、特別なマジックアイテムを持った貴族に楯突く悪質な逆徒が妥当だろう。

 

 自分から下手に近付くのは危険極まりないが、これだけのメイジに勝てるわけがない。そんな程度の認識しか生徒達は持っていない。

 それはある意味で正しい。

 

 ここで戦闘になれば禊に勝つことはできるだろう。少なくとも負けない。むしろ一対一の決闘でだって結果は同じだ。

 けれど、禊を相手に勝ち負けなぞなんの意味もないのだ。

 

 ルイズは禊に負けた?

 ギーシュは禊に負けた?

 

 ――わたしは禊に負けた?

 

 負けてない。形式の上では、誰も禊に負けていない。

 禊は一度も勝てないまま、今の状況を作り上げたのだった。

 

 生徒会以外の生徒達でその事実を理解している者は一人もいないだろう。

 大嘘憑き(オールフィクション)は確かに取り返しのつかないスキルだが、それすら禊を構成する一部に過ぎない。

 

 真に禊を禊たらしめているのは、そのパーソナリティだ。

 このまま全校生徒対生徒会の図式になれば、彼は生徒全員の心を折る。それはそれは下劣に、卑屈に、卑怯に、卑劣に、そして鮮やかに、禊はやってのけるだろう。

 

 それを危惧して、キュルケとタバサは自ら生徒会入りを志願した。

 さっきも禊に代わり上級生二名を無力化したのは、禊ではなく生徒達を守るためだ。

 

 ――けれどこれじゃあ、どうしようもないわよ。

 

 キュルケにも周囲から悪評を浴びていた時期がある。その頃のようにせめて自分が悪役を演じて注目を集めようとしていたのだが、禊が相手ではあまりにも役者が違う。

 ほとんど生徒達の視線は禊へと集中している。後一押し禊が余計なことを口走れば、会場は即大乱闘へと発展するだろう。

 

「いい加減にせんかお前達!」

 

 その一喝で会場は急速に静まり返った。声の主はオールド・オスマンだ。

 彼は禊と生徒達の間に立つ。

 学院最大の権力者が登場したことにより生徒達は危険な平民の追放という収拾を期待したが、オスマンの注意は禊ら生徒会でなく生徒達に向けられた言葉だった。

 

「よいか、生徒会の発足はわしの認可を得て決定されたものじゃ。もう覆ることはない」

 

 オスマンから発される信じられない事実に、彼らは別の意味で言葉を無くした。

 

「ミスタ・ミソギが現在羽織っておるマントもわしが直々に与えたものじゃ。無論本物の爵位が与えられたわけではないが、彼は特別に学院内でのみ最低限の爵位を持つ貴族として扱うものとする。彼の傍らに控えるメイドも証の一つじゃ」

 

 慣れない扱いで多少オドオドしながらもシエスタがその場で一礼する。

 何故学院最悪の危険人物にわざわざ貴族と同じ権限を与えたのか、生徒達は全く理解できない。あちら側に立っていたならばキュルケもまた同じ思いだっただろう。

 

 けれどキュルケは生徒会発足の場にいたためその意図を理解している。

 ミソギは生徒会長として貴族と同等の権限を得る代わりに、直接生徒達に危害を加えることをルールとして禁じられた。

 

 例外は生徒会を執行する上でどうしても必要だと認められるか、生徒から禊に手を出した時のみ。

 禊は権利という自由を得る代償として力を大幅に制限されたのだった。

 

 それに生徒会としての活動もあくまでオスマンの監視下で行われる。過度な越権行為や学院に危害を加えるような内容ならば即活動の停止を宣言されることになっていた。

 オスマンはルールの枠に禊を取り込むことで逆に自分が手綱を握ったのだ。

 キュルケは内心で安堵する。オスマンが直接場を収めたことにより生徒達がその場で螺子伏せられるという大惨事は防がれた。

 

 そうして、ここにトリステイン魔法学院暗黒の時代が幕を開けたのである。

 

          ●

 

 日の沈んだ夜空に、一箇所だけ円形の裂け目が開いている。割れた空間の先は教室へと繋がっていた。

 トリステイン魔法学院のように高価な内装からはは程遠いが、随所にトリステインでは見られない材質の器具があり、先進的な加工が加えられている。

 

 言ってしまえばそこは、地球での一般的な教室だった。

 そこでは栗色の髪を腰まで伸ばす少女が教室の壁際にある棚に腰掛け、微笑を浮かべながら裂け目から外を覗いている。

 

「やれやれ、どうにか第一段階はクリアかな。ここまではほとんど僕の手を入れないよう気を使っていたから、正直軽く冷やっとしたものだよ。本当に球磨川君は思った通りに動いてくれないなあ。ライトノベルの主人公ならもうヒロインのフラグを二つや三つは立てているところだというのにね」

 

 言葉とは裏腹に楽しそうな表情で彼女は笑う。人外の平等主義者、安心院なじみが笑う。

 

「お待たせしてしまったが、何にせよこれで君達のシナリオも先に進められるよ」

 

 安心院が言葉と視線を投げたのは空間の先にある世界ではなく、バラバラに教室の椅子に座る三人の男女に向けてだ。

 彼らは一様に振り返り安心院を見ている。

 

 左手の甲にルーンを持ち、両手を頭の後ろに組みもたれかかる白髪の少年、『神の右手・ヴィンダールヴ』雲仙冥利。

 額にルーンを持ち、次々と弁当箱の中身を胃袋へ収めていく少女、『神の頭脳・ミョズニトニルン』不知火半袖。

 そして大きく開いた胸元にルーンを持ち、豪奢な制服に逆立てた金髪、威風堂々腕を組む男、『神の心臓・リーヴスラシル』都城王土。

 

 彼らは目的や思想はどうあれ、かつて一度は禊の宿敵である黒神めだかと敵対し後に友となった者達。

 そして、めだかと和解する前の時系列から集められている『悪役』だ。

 

「さぁ、これでようやくゲーム開始を球磨川君に告げられる。今度は自分で手にしたその似合わない役柄を、最後まで演じきってもらうよ」

 

 かつて試した球磨川禊を勇者にしてどこまで負け続けられるかを安心院は試した。結果彼はいとも容易く敗北し、勇者という役割も手放してみせたのだ。ならば、

 

「彼には負け続けながらハルケギニアの『主人公』になり、そして地球の『主人公』に勝ってもらう」

 

 安心院なじみは考え、そして決めた。彼女が欲してたまらない『できない』ことを。

 長い長い人生、人外生の果てに辿り着いた、挑戦したいと思った『できない』が、敗北の星の下に生まれた負完全を主人公に変える。

 同時にその負完全がもう一人の主人公、黒神めだかを倒すこと。

 

 二つの不可能を同時に両立させる。これが時空を越え平行世界を操るというできないを可能にしてしまった彼女の、次に目指す不可能だった。

 

 彼、球磨川禊がこれから成るべき存在。それは、

 

「戯言遣いいーちゃんのように無為式で、

魔界再建を狙う魔王真奥貞夫のように勤勉で、

下から二番目(セカンドラスト)赤羽雷真のように優しく、

炎髪灼眼の討ち手シャナのように純粋無垢に、

キリサキシンドローム三日月彼方のように真っ直ぐに、

筆記官(ライター)黒間イツキのようにお人好しで、

第16代ザ・ペーパー読子・リードマンのように一途に、

黄金狼(ラグナウルフ)月森冬馬のように誰かを思い、

嘘つきみーくんのように狂気で人を☓☓し、

虚刀流七代目当主鑢七花のように己を完了させ、

付け焼刃(イカロスブレイブ)佐藤光一のように不屈で在り、

シルバー・クロウ有田春雪のように必死にあがき、

正体不明(コードアンノウン)逆廻十六夜のように厚顔不遜に、

幻想殺し(イマジンブレイカー)上条当麻のように熱血で、

超越者(イクシード)藤間大和のようにぶっきらぼうに、

アーバレスト搭乗者相良宗介のようにプロフェッショナルで、

鬼の目調敦志のようにただひたすらに一人の為に事を成し、

不可能男(インポッシブル)葵・トーリのように人を惹きつけ、

吸血鬼の成れの果て阿良々木暦ようにひたむきな……」

 

 次元の向こうを見据え彼女は言う。

 

「そんな主人公に、君もなってもらうぜ」

 

 

 

 

マイナスの使い魔 第一部『球磨川禊の敗北による就任』 完

 




自サイトでも連載中です。
(ストーリーはこちらが先行して掲載されています)

http://quatan.sakura.ne.jp/novel-list/minus-familia/


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十九敗『お話にならない』

 穏やかな水面に太陽の光が反射しきらめく。うららかな午後の陽射しが心地よい小舟の中。

 けれども差し込む光さえ拒否するように、その中で縮こまって丸くなっている少女がいる。彼女――ルイズの心には大雨が降っていた。

 

 今の彼女ではなくもっと幼い頃のルイズであり、記憶の前後が曖昧でつぎはぎのような世界。つまりは夢の中である。

 

 幼い頃、姉妹と比べて魔法の出来が悪く母親に叱られて逃げ出したルイズは、よくここで泣いていた。

 かつての母親は名高い騎士であり、姉二人はその才能を継いで優秀なメイジなので風当たりの強さは殊更である。

 母親の苛烈さはそれこそ彼女の二つ名である烈風の如しであり、ルイズに輪をかけて強かったのも災いした。

 

 幼少時代では母や姉に怒られて逃げ出した時の隠れ家がここだったのだ。

 夢の今も魔法の練習中に逃げ出したため怒り心頭の母が、ルイズの名前を呼びながらすぐ近くの廊下を通り過ぎていった。

 

 悲しくて、悔しくて、恐かった。

 けれど、時々あの人がルイズを見つけて舞い降りてくれる。

 優しく微笑み、慰めながら手を差し伸べてくれた。

 

「小さなルイズ」

 

 彼の声は暖かくて、握った手はしっかりと彼女を掴んで抱き上げてくれた。

 ルイズはそんな彼が大好きだった。

 

 聞こえてきた彼の声に、ルイズは反応して起き上がろうとする。

 

『いいんだよ。それで』

 

 突然、彼の声が変質した。

 記憶に残る懐かしい声ではない。耳にこびり付きじゅくじゅくと鼓膜に侵入してくるような不快音の集合体。

 『彼』は彼でないけども、『彼』もまた、ルイズを肯定する。

 

『才能がなくて辛いとすぐ逃げ出しちゃう。誰もわかってくれないって、小舟で一人寂しく何度も泣いたんだよね? 弱くて情けなくて世界で一つだけの素敵な個性だよ!』

 

 丸まったまま、ルイズは耳を塞いだ。外の世界を否定するために、自分の殻に引きこもった。

 それでも不思議と声は届いてくる。

 

『そんな不幸な君だから、僕は友達になりたいんだ』

 

 いやだいやだと、目を瞑ったまま首を左右に振る。

 命からがら乗り込んだ救命ボートにさっそく浸水が始まったような気分だった。

 

 ――なんで夢の中でもあんたの声を聞かなくちゃいけないのよ!

 

 ここは夢の中だろう? そんなものは目を背けたくなる現実だけで十分だった。

 

「大丈夫かい僕のルイズ。そんなに恐がっているのかい?」

『怯えないで、勇気を出して、負けることを恐れず下を向こう!』

 

 あの頃は、自分を認めて助けてくれる彼に、どれだけ救われていただろう。

 今、自分を認めて堕落させようとしてくる『彼』のせいで、どれだけ酷い目に遭っているだろう。

 

 まるで相容れない水と油の二人が同じことを言う。

 

「僕と行こう」

『僕と行こう』

 

 善いと悪いが一緒くたになってルイズを求めてくる。

 どちらの声についていくか、ルイズは決めた。初めから決まっていた。

 勢いよく彼女が起き上がるとそこにはヴァリエール邸の中庭と小舟が映って――はいなかった。

 

「え……?」

 

 まるで見ず知らずの場所でぽつりと、ルイズは椅子に座っていた。

 背丈と服装も現在通りにトリステイン魔法学院で過ごしているままで、制服をきっちりと身に着けている。

 パッと見て、金属製で丈夫そうな机と椅子だがデザインセンスはあまり感じられないし、座り心地もあまりよくない。

 

「やぁ、初めましてルイズちゃん」

 

 そこでルイズはようやく、目の前にいる人物に気が付いた。

 彼女は教壇の上に腰を下ろしており艶やかな栗色のロングヘアに、整った目鼻立ちが特徴の少女だった。

 年齢的にはルイズとそんなには変わらないだろう。

 

「貴女……誰?」

「僕は安心院なじみ。君をここに召喚した、平等なだけの人外だよ」

 

 どこか超然とした彼女だけは、まったくもって夢の中とは思えないリアリティさを持っている。

 

「貴女がここにわたしを……?」

 

 召喚した。

 つまりメイジであるルイズ自身が他の誰かに召喚されたのだ。まさしく逆転現象だった。

 

「正確に言うとここは君達の心の中で、僕はその狭間を連結して横入りしたみたいなものかな」

 

 言っていることの意味はよくわからないが、あえて理解する意味もないだろう。

 夢の中で見ず知らずの人間に無理やり呼び出されて話をしている時点で無茶苦茶なのだから。

 それよりも大事なことがある。

 

「達ってどういう意味?」

「それはもちろん、そこで死に体になっている球磨川禊君のことさ」

「なんですって!?」

 

 ルイズは立ち上がり安心院の指さす窓際へと駆け寄ると、死角となっていた場所に血塗れになっている瀕死の禊が寄りかかっていた。

 

「安心していいよ(安心院だけに)。死に体だけど生きてはいるから」

「どこをどう安心しろっていうのよ!」

「ルイズちゃんもよく知ってるだろう? 大嘘憑き(オールフィクション)がある以上、この程度は遊びの範疇さ」

 

 今の禊はいつものように演技しているようには見えないし、立ち上がる気配もない。

 先程から驚きと質問ばかりのルイズだが、もうわけがわからなかった。

 

大嘘憑き(オールフィクション)が効かない相手がいるなんて……」

「効いてる効いてる。球磨川君が振り回す大嘘憑き(オールフィクション)は凶悪な過負荷(マイナス)さ」

 

 だから、と彼女は一息、

 

「7932兆1354億4152万3223個の異常(アブノーマル)と4925兆9165億2611万0643個の過負荷(マイナス)、合わせて1京2858兆0519億6763万3866個のスキルで応戦するしかなかったよ」

「……………………は?」

 

 次々と押し寄せる怒涛の展開に加えて数字が出鱈目すぎてルイズの頭がパンクした。もう何が何だかわからない。

 

『安心院さんの言葉を全部額面通りに受け取ってたら話にならないよ、ルイズちゃん』

 

 ルイズの存在に反応したらしく、禊の傷は全て消え失せ何事もなかったように立ち上がる。

 しかし、禊の表情には彼らしくもない明らかな憔悴が見てとれた。

 

「どういうこと? もう意味がわかんないわよ!」

『お話にならないくらい、安心院さんが人外なのさ』

 

 球磨川禊という過負荷(マイナス)が人外呼ばわりする存在、安心院なじみ。

 彼女と出会って数分のルイズに、禊は簡潔な喩えで説明する。

 

『どれだけ上を見たって空より高いものはないだろう?』

「こんなにもか弱い美少女を前にして、よくもそんな酷いことが言えるものだね。やっぱり君は最低なマイナスだよ」

『そんな過負荷(マイナス)を何の脈絡もなく異世界に放り込んだのは安心院さんなんだろ? とんだクロスオーバーだよ』

「え?」

 

 禊の言葉にルイズが固まる。対する安心院は愉快そうにこちらを眺めている。

 

「その通り! 球磨川君をこの世界に召喚するよう仕向けたのは、何を隠そうこの僕さ」

「そ、そんなの、どうやって……」

『聞くだけ無駄だよ。彼女は一京を超える能力者(スキルホルダー)。僕が過負荷(マイナス)なら、彼女は悪平等(ノットイコール)の安心院なじみだよ』

 

 人生をプラスマイナスで語りたがる禊の気持ちが初めてまともにわかった気がした。

 こんなのを相手取って人生はプラスマイナスゼロと唱えられたら、そんなの悪平等としか思えない。

 

「おいおい、この僕に対して、対話が大好きな僕に対して聞くだけ無駄だなんて、球磨川君は意地悪なことを言うね。まぁ君からすれば僕こそ意地悪かな? まぁそれも等しく平等なわけだけどね」

 

 確かに彼女にはミステリアスな雰囲気はあるが、同時に口数も多いらしい。聞き取りやすい声だが軽くマシンガントークである。

 

「球磨川君を召喚させたのはもう一人の悪平等(ぼく)が生み出したスキル、異世界転成(チートルート)さ」

『これはもう「小説家になろう」や「ハーメルン」によく出てくる神様の正体も、実は安心院さんかもしれないね』

「もう一人って……あんたみたいなのが他にまだいるの……?」

「僕みたいなのは一人だし、悪平等(ぼく)は総勢七億人程のちっぽけな集団だよ」

 

 眩暈がした。このまま気絶して起きたら全て忘れていたい。今も寝ているのだけど。

 

「その辺の説明を先に球磨川君へしていたら、おっかないことに元の世界へ戻せと襲いかかってきたんだよ」

 

 そう言えば、禊が初めて敵意を剥き出しにした時は元の世界に帰れないとわかった時だった。恐らく彼には急いで帰らないといけない理由があるのだろう。

 人外へ勝てない勝負を仕掛けるくらいに。

 

『その件については諦めたよ。どうせ安心院さんのことだから帰る方法は用意してあるんでしょ?』

「どうせとか言うなよ。言ってくれるなよ。説明のしがいを台無しにするなんて、今日の球磨川君は一層冷たいね」

 

 口では寂しそうなことを言ってはいるが、そこまでには見えない。実際立ち直りも秒単位だった。

 

「でもまぁそうだよ。出口は僕がきちんと用意してある」

「あるのね? 禊の帰れる方法が!」

「もちろんさ。僕は球磨川君を封印するために異世界に呼んだわけじゃないぜ?」

 

 だったら何故? ルイズは話の続きを待ち構えているが、禊は予想が付いているのかつまらさそうな表情を張り付けている。

 

「最底辺の頂点、球磨川君。君には、ハルケギニアを救う物語の主人公になってもらう」

「…………え?」

 

 今、なんて言ったのだ? とルイズは混乱した。

 しかし聞き取れた言葉を反芻してみても、意味するものはそのままでしかない。

 主人公? よりにもよってこの過負荷(マイナス)が? 球磨川禊が?

 

「タイトルはそうだね。ルイズちゃんの二つ名にちなんで、ゼロの使い魔……いや、『マイナスの使い魔』の方がより君を表しているね」

『おいおい安心院さん。完全で平等な安心院さん。僕はもう既に勇者の剣でそのゲームは失敗したはずだよ』

「そうなの?」

 

 この二人の過去に何があったのかルイズには想像もつかないことだが、過去の因縁として似たようなことを繰り返してきたらしい。

 

「確かに水槽学園で君は、どんな状況だろうと負け続けられることを証明してみたせた」

 

 だからこそ、さ。と安心院は嬉しそうに語る。まるで失敗を尊いものだと愛するように。

 

「僕は君の『勝利』をできないこととして認定した。僕が次に挑む不可能は、君を勝つという宿命を背負わされた存在、主人公にすることさ」

「よりによって、ミソギが主人公ですって?」

「そしてもう一つ、この際だから地球に住まうもう一人の主人公、黒神めだか――めだかちゃんも倒してもらおうかな」

 

 あり得ない! とルイズは考えるまでもなくそう断じた。

 復活した禊はいつも通りでそこに感慨らしい感慨は見えない。薄っぺらな笑顔のまま安心院の話を聞いている。

 

『なるほど、だから僕とめだかちゃんが戦挙という舞台で争ってる最中に送ってきたわけだね』

「ああ、そうだよ。故に安心したまえ、君はちゃんと生徒会戦挙に戻れるし、マイナス十三組のことも保証する」

『時間軸さえ思い通りってわけだ。やれやれ、安心院さんにかかれば時さえ平等かい? 嫌になるぜ』

「酷いこと言うなあ。もっとも、球磨川君相手だと好きになられる方が困るのだろうけどね」

 

 嫌われるよりも好きになられる方が困る。その言葉だけは同意せざるを得ないとルイズは心の中で頷首した。

 

『どうやら僕はリアルRPGで勇者役に抜擢されちゃったってわけだ』

「君達が戦ったフーケは、そういう意味じゃ最初のボスキャラってところかな。もっとも、退治せず、対峙すらせず、君は彼女を退けてしまったのだけどね」

『残念だけど僕は負人気者でね。僕を過負荷(マイナス)たらしめる敗北の星は、世界が変わってもしっかり追いかけて照らしてくれてるよ』

 

 どこにいようが禊は禊のままだということは、ここに来てからの短い間だけで十分証明していた。禊の過去を知らないルイズですらそう思うくらいに。

 

「まったくやってくれるぜ。それでこそ球磨川君で、そうでなければ僕の挑戦は始まってすらいなかったのだけどね」

 

 黒神めだかなどルイズには理解できない部分は多いが、これだけはわかる。

 

「あんた、禊を英雄にするためトリステインを利用するつもり?」

「その通りだけど、だからこそトリステインは国家存亡の危機に、やがてハルケギニア全土がこれから窮地に立たされるというのも事実だよ」

「馬鹿言わないでよ! 禊よりも脅威なことなんてあるもんですか!」

 

 他国では戦争が激化しているのも知識として知ってはいるし、万事うまく回っているとも思ってはいないものの、ルイズが生きてきた間トリステインは平和な国だった。

 そこにいきなり国がピンチになると言われても実感など沸いてこない。

 

「それは時間が経てばわかるさ。一応球磨川君に合わせて物語は一部チューンしているけれど、基本的な流れに手を加えてはいないからね。この僕がスキルを使って未来を見ないという自分ルールを冒してまで確認して繋いだレールだから間違いはない」

 

 一京のスキルならば未来を知ることも可能なのだろう。夢の世界すらこうして支配して思うがまま仕切っている相手だ。そこを疑っても仕方ないのかもしれない。

 しかし理解と納得は同じとは限らない。

 

「あんたの勝手でわたし達の未来を変えるなんて絶対許さないわ!」

「許せないならどうするつもりだい?」

 

 ニヤリと口角を上げる安心院と睨み合う。

 燃え上がる感情とは裏腹に勝機は皆無だ。だが勝てないことは戦わないという理由にはならない。

 敵に背中を見せないことがルイズにとっては自分が貴族であるという証明だった。

 

「あんたの狙い通りなんてさせないわ。禊はわたしが倒して、目的を叶えられないまま元の世界に叩き返してみせる!」

 

 たとえこれから起きる様々な戦いが安心院の仕組んだものだとしても、そこで何をするのか決めるのは安心院でも禊でもない、自分だ。

 どれだけ絶望的な真実だとしても、ルイズは貴族として自分を貫くと宣言したのだ。

 

「その言葉、憶えておくよ。僕は物語の結末まで読み終えてしまったが、ルイズちゃんにとってはまだインクの匂いがしない白紙の物語だ。ネタバレなんてしないし、君が歩みたい道を歩めばいい。君の個性を安心院さんは尊重するぜ」

 

 ルイズは視線一切動かさないまま、自分の拳をキツく握った、安心院は敵として認識していないから、戦おうともしない。

 そんな屈辱的な行為に、しかしどこかで安堵していた。そんな自分がルイズには許せなかったのだ。

 

「さて、ゲーム説明は以上だよ。折角久しぶりに球磨川君に会えたばかりで名残惜しいけど、今回はまだ僕の干渉は最小限に留めておきたくてね。今日のところはそこの扉を開けて進めば帰れるにしておいたから。それじゃあまた会おう。大好きだぜ君達」

 

 目覚めた瞬間、ルイズは飛び起きると部屋はまだ暗いままで夜明け前だった。

 安心院と交わした言葉は全て憶えている。けど所詮夢の中での出来事だ。あれは全部ただの夢だったんじゃないか?

 できればそう思いたかったが、ルイズより先に目覚めて窓から二つの月を眺めている禊の姿を見ると、不思議とあれら全てが事実だったのだと確信してしまった。

 

 『マイナスの使い魔』という名の物語は、これからこそが始まりだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。