キミと彩る (sumeragi)
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序章 WHiTE
プロローグ


 少女は夢の中にいた。

 

 視界の端で揺れる煌びやかなドレスを纏う女性、スーツを隙なく着こなしている男性、あちこちに並べられたテーブルの上の豪勢な料理、美しい音楽を奏でるオーケストラ、それらを照らすシャンデリア。豪華絢爛を絵にするとこうなるのだろう、きっと。

 

 夢の中なのに。いや、夢の中だから。

 眩しいほどの明かりにくらくらする。

 言いようもない息苦しさを感じて、隣に居た兄のズボンを掴んだ。彼が肩を抱き優しく微笑みかけると、視界がクリアになっていく。

 

 クリアになった景色をもう一度見回すと、先ほどの自分と同じ、むしろ、自分よりも上手く呼吸が出来ないでいるような、そんな少年を見つけた。

 

 少女は兄から手を離し少年に歩み寄る。プラチナブロンドの髪にアイスブルーの瞳を持つ、気の弱そうな少年だ。

 

 少女が何かを伝えようと口を開くが、声が出ない。正確には、少女は確かに何かを言ったが、本人には聞こえていなかったのだ。少年は驚いたように目を開き、二、三度瞬きを繰り返すと、次に微笑んだ。

 自分にだけ届かなかった声。

 

 貴方は何を聞いたの? 私は何を言ったの?

 

――君はなんて答えたの?

 

 

 

 

 

 

「真っ白な鳥は、いつも赤を纏っていたけれど、本当は空のように青かった」

 

 隣でソファに深く腰掛けて座るオリビエが、歌うように言葉を紡いだ。

 

「それは何かの台詞ですか、兄様?」

「違うよ」

「じゃあ謎々?」

 

 メルティアス・ライゼ・アルノールは長い金の髪を揺らし首を傾げた。オリビエは少女と同じ色の瞳を柔らかく細めて微笑む。

 

「僕が今考えた詩だよ。愛する妹が僕の元を離れてしまい、悲しみで青く染まりそうな僕と言う白鳥の、ね」

「そんなくだらない事を考えている暇があるなら、当然各諸侯からの報告書にも目を通しているんだろうな」

 

 ノックと共に執務室に入ってきたミュラーが声をかけると、オリビエは口を尖らせてソファの背もたれに後ろ向きに寄りかかり、ミュラーに抗議する。

 

「全く、ミュラー君ってばつれないなあ。明後日にはここを発ってしまう妹との別れを惜しんで何が悪いというんだい」

「それは俺じゃなく、涙で濡れた枕をセドリック殿下に投げつけているアルフィン殿下に言ってきたらどうだ?」

 

 溜め息こそ出ていないが、顔にはやれやれと書いてある。

 天使のように可愛い帝国の至宝アルフィン皇女は、これまた姉同様、いやそれ以上にオリビエに似て表情もころころ変われば感情表現の方法も豊富だ。彼女に枕を投げつけてもらえる男子は、双子の弟セドリック皇太子を除いて他にいないだろう。

 

「世の男子が聞いたら羨ましがられそうな光景ではあるが……よくここまで来られたね?」

 

「はっはっは」オリビエは笑いながらアルフィンが枕を投げる元凶となったティアに問いかける。

 

「アルフィンとは、明日一日一緒に居るって事で見逃してもらいましたから」

「明日のティアはアルフィンが独り占めか……妬けちゃうねえ」

 

 妬ける、とはどちらに対してなのか。にやりと口角を吊り上げ楽しそうに告げるオリビエは、それを問うたら「両方に決まっているだろう」と楽しそうに答える姿が容易に想像できた。

 

 脱線した話を戻そうとミュラーが静かで無愛想な声を出した。「で、どうなんだ?」

 

「ハハ、終わったからこうして休んでいるんじゃないか」

「ならば次の仕事だ」

「ええぇーっ、ミュラー君の人でなしぃ」

 

 わざとらしく普段は言わない"君"なんて付けて、驚いてみせる。

 

「どうぞ、ミュラーさん」

 

 ずい、と怖い顔をしたミュラーの前にティーカップが差し出された。中には湯気を上げながら芳しい香りを漂わせる飴色の液体が入っている。

 

 顔立ちが似ているわけではない。しかし、この毒気を抜かれるような笑顔を始め、浮かべる表情がそっくりなのだ。

 

「その封筒の紋……学院からですか?」

「ああ。中身までは知らないがな」

「きっと例のアレだろうねえ」

 

 例のアレとは何だ。そもそもアレって何だ。

 答えているようで事実少しも情報が増えていないが、推測するに新しく出来た特科クラス《Ⅶ組》のことだろう。

 

 オリビエが主導して今年度より設立されたティアが入る予定の試験段階のクラスで、特別なカリキュラムもある。らしい。"らしい"とは曖昧な断定である。ティアはⅦ組の存在、その大まかな目的は知っていても、"例のアレ"とやらについては詳しく知らない。

 

 一度だけ、"例のアレ"について訊ねた事がある。兄の返答は単純明快、「最初から全て知っていてもつまらないだろう」だった。

 

「……本当に行くのか」

 

 ミュラーは更に渋い顔をして、声に心配を滲ませて問う。何度も繰り返した問答。すでに止める意思はない。最後の確認だった。

 

「皇族は代々トールズに入学する慣わしでしょう」

「それは男に限った話だ」

「だからこそティアも身分を隠して入学するんじゃないか」

 

 ティアの銃とアーツの腕前に関してはミュラーも十分すぎるほど知っている。自分の身くらいは守る事ができるだろう。

 

「唯一問題があるとすれば、制服くらいですよ」

「僕は気に入っているんだけどねえ」

 

 ティアが兄から手渡された真新しい真紅の制服を思い出して苦笑すると、オリビエは残念そうに溜め息を零した。

 通常ならばトールズ士官学院は、貴族と平民で身分によってクラスが分けられ、制服の色も緑と白で区別される。そのどちらでもない真紅。それこそが、新しく出来たⅦ組のシンボルカラーとなるのだが、今話題に上がっているのはその色ではなく、別の部分である。

 

「あれは兄様の趣味だったんですか?」

「おっと、バレてしまったか」

「適当な事ばかり言うんじゃない」

 

 口に手を当てて驚くティアと、けらけらと笑いながら肯定するオリビエ。慣れた者が聞けば、こめかみに怒りマークを浮かべたミュラーの姿が見るまでもなく連想される光景だ。

 

「さーってと、ミュラーの頭に角が生える前に休憩終わりにしようかな」

「お前が黙っていれば俺もわざわざ怒鳴らなくて済むんだがな」

 

 ソファ同様に座り心地の良さそうな執務用の椅子に移動するオリビエと、三人分のティーカップを片付け始めるミュラーに習い、ティアも立ち上がった。

 

「そろそろアルフィンがセドリックに謝っている頃でしょうから、私も混ざってきます」

 

 可愛い妹達を思い、愛しげな笑みを浮かべティアは部屋を出て行く。

 オリビエはひらひらと手を振って見送っていた。

 

「ねえミュラー、知っているかい?」

「言われてもいないことを、知っているはずがないだろう」

 

 ティアの出て行って扉を見つめたままのオリビエへ視線を移すと、「そりゃそうだ」と彼は眉を寄せて緩く笑った。

 

「同じ色の羽を持つ鳥はいても、同じ羽を持つ鳥はいないんだってさ」

 




初めての方は初めまして、前作から読んでくださっている方はこんばんは、sumeragiです。

リメイクについて思っていた以上にたくさんのご意見を頂けて、自分でも驚いています。
皆様本当にありがとうございました!


新たな第一話は心機一転しようと前作とは違った展開、雰囲気を心がけていましたが、二話目以降はそんなこともなく細かい流れやシーンが違うだけで雰囲気も大して変わっていません。
私はあの可愛い制服が殿下セレクションだなんてこれっぽっちも思っていませんよ!(真顔)

そしてちゃっかり変わっているティアの本名。
候補は6個ありまして、途中から方向性を見失って紆余曲折あり最終的にメルティアスになりました。
色々考えても前作のアルティアナを超えるくらい響きが気に入る名前が出ませんでした…無念。
アルフィンの情報公開された時に、セットでアルアルや!とか思っていたのが懐かしいです(笑)

拙い文章ですがよろしくお願いします。


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特別オリエンテーリング 前編

 七耀暦1204年3月31日、帝国屈指の名門校トールズ士官学院で入学式が行なわれた日だった。ティア・レンハイムはきょとりと目を丸くし、入学式後に旧校舎へ案内されたかと思えば訳も分からぬまま地下へと落とされた事実を咀嚼していた。

 

 朝には兄や妹達に見送られながら皇居を出て、三十分程度列車に揺られてトリスタに到着。それから入学式に出席した。特におかしなことはなかったはずだ。

 強いて言うなら、朝のヘイムダル駅はとにかく人が多かったくらいだろうか。身分柄、車移動が主であり、列車で移動するにしても専用の物が用意される。帝都で暮らす者の大半が一度は経験した事があるであろう朝の混雑も、ティアは今日が初めての体験だっただけではあるが。

 とにかく、取り分けおかしな事はなかったのだ。入学式の後《Ⅶ組》について説明する為に旧校舎へ案内されるまでは。

 

 旧校舎地下の床はクッションになっているわけもなく、タイル張りで少し冷たい。それなりの高さから落ちたはずだが怪我もないのは、笑顔で奈落の底への扉を開いた人物が何かしていたのかもしれない。

 

「何が起こったんだ……」

「いきなり床が傾いて……」

「あの……」

 

 一緒に落とされた人達の戸惑うような声がまばらに聞こえてくる中、毛色が違う、妙にくぐもった声がした。声の主を探しつつ周りを見渡していると、ティアはぎょっとする。

 金髪の女子生徒が、下敷きになっている男子生徒の顔に胸を押し付けるようにうつ伏せで倒れていた。

 

「(う、わあぁ……)」

「ううん……何なのよ、まったく……」

 

 少女も気が付いたのかゆっくり体を起こし、自分の置かれている状況を把握していく。少女はすぐに飛び退いた。下敷きになっていた少年もゆっくりと立ち上がる。何と言ったらいいか分からない。まさにそんな表情だ。少女の体に覆われて分からなかったが、下敷きになっている少年の髪は黒だった。

 少女の体が震えだした。髪の間から覗き見える形の良い耳が真っ赤に染まっている。

 

「えっと……とりあえず申し訳ない……。でも良かった。無事で何よりだった――」

「……っ!!」

 

――パシンッ。

 

 景気の良い音が暗い地下室に鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

「厄日だ……」

 

 件の黒髪少年が頬の紅葉を押さえながら嘆くように漏らす。その隣では赤毛の少年が気遣わしげに声をかけている。

 

 突然、どこかから機械的な音が断続的に鳴りだした。音の発生源は一つではない。ティアのベルトポーチから取り出されたオーブメントも、それらの内の一つだ。

 

『それは特注の《戦術オーブメント》よ』

 

 取り出した第五世代戦術オーブメント《ARCUS(アークス)》からは、ティアを含め十人の生徒を地下へ放り込んだ張本人、自称Ⅶ組担任サラ・バレスタインの声が聞こえてくる。

 訳も分からず地下に落とされた、とは語弊があっただろうか。彼女は旧校舎に入るや否や、Ⅶ組についてかいつまんだ説明をし、特別オリエンテーリングを行なうと宣言していたのだから。

 

 サラの指示に従い、全員が部屋の壁沿いにある台座へ向かう。台座には入学式前に預けた武器と小箱が置かれている。ティアは自身のアークスの中心に、小箱から取り出した蒼耀石のクオーツをセットした。

 直後、アークスと自分の胸元が光りだす。この現象は、持ち主とアークスが共鳴・同期した証拠だとサラがアークス越しに説明した。

 

『それじゃあさっそく始めましょうか』

 

 その言葉と同時に奥の扉が音を立てながら開いていく。これから始まるオリエンテーリングの目的は、徘徊している魔獣を倒しながら旧校舎の地下迷宮を抜け、旧校舎1階に戻ることのようだ。

 

 右手には通信が切られたアークス、腰のホルスターには入学式前に預けていた導力銃が収まっている。マスタークオーツがセットされただけの今のアークスでは下級アーツが使えるのみであるが、戦う事は可能と言えば可能なのだが。

 

 突如幕が開いた特別オリエンテーリングに、扉の前では皆が多かれ少なかれ戸惑いの表情を浮かべ佇んでいる。

 そんな中、一人の少年が扉へ向かっていく。プラチナブロンドの髪にアイスブルーの瞳を持つ、貴族然とした少年だ。

 

「ま、待ちたまえ!まさか、一人で行くつもりか?」

「馴れ合うつもりはない。……それとも貴様は大嫌いな貴族様と連れ立って歩きたいのか?」

 

 緑髪の眼鏡をかけた少年がすぐに引き止める。この眼鏡少年、最初に地上で説明を受けていた時、"身分に関係なく集められたクラス"に真っ先に抗議していた。冗談じゃない、と。彼が貴族に並々ならぬ嫌悪感を抱いている事はこの場に居る者全員の共通認識だった。

 彼らが口論になるのはすでに二回目だ。一回目は地上で説明を受けていた時。二回目が今。

 二人はいがみ合ったまま、競うようにダンジョンの中へ進んでいった。

 

「行ってしまいましたね……喧嘩しながら」

「うむ……。とにかく我々も動くとしよう」

 

 今まで言い争っていた二人がいなくなると、張り詰めていた空気が溶けていくようだった。

 しかし、それで寛ぐわけにもいかない。青髪をリボンで一まとめにした凛々しい少女が言い聞かせるように話し始めた。

 

「少しいいでしょうか」

 

 どこか悠長な口調でティアが口を挟んだ。

 

「この場の人間だけでも、自己紹介しておきませんか?」

「そうだな。互いの名前くらい知っていた方が都合も良いかもしれない」

 

 黒髪の少年が同意した。彼は何かを気にしているようだがその視線の先には少年に平手打ちを繰り出した金髪少女がいる。少女は目を合わせない為なのか顔を逸らしているので気付いてはいないだろう。

 

「ティア・レンハイムです。どうぞよろしくお願いします」

「ラウラ・S・アルゼイド。以後よろしく頼む」

 

 見た目通りの凜とした声でラウラが名乗った。彼女は身の丈ほどもありそうな大剣を携えている。

 

「エマと言います。エマ・ミルスティン。よろしくお願いしますね」

「ガイウス・ウォーゼルだ。帝国に来て日が浅いから宜しくしてくれると助かる」

「エリオット・クレイグだよ。よろしくね」

 

 それから順に時計回りに名乗っていった。エマは眼鏡をかけたスタイルの良い少女。地上でサラから首席入学者と呼ばれていた。長身で褐色の肌の青年はガイウス。帝国人離れした風貌で、やはり留学生のようだ。先ほど黒髪少年を慰めていた赤毛の少年がエリオットである。

 

「リィン・シュバルツァーだ」

「アリサ・Rよ」

 

 簡潔に述べるなら、ビンタされた方とビンタした方。アリサは毛先をくるくる弄りながら、吊り目がちな眼を更に鋭くしてリィンを睨んだ。

 

「よろしくしたくない人もいるけど……まぁそれ以外はよろしく」

「うっ……」

 

 アリサの物言いにリィンの表情が強張る。取り付く島もない。

 

「そ、そう言えば……銀髪の子がいませんね」

「本当だ。いつの間にいなくなったんだろう」

 

 エマが周りを見回しながら言い、エリオットが続いた。二人が行った後、自己紹介している間に彼女もダンジョン区画へ向かっていたのだろう。

 

「いないのは三人か。探す為にも分かれて探索する方が良いだろうな」

 

 異論なし。全員がラウラの提案に頷く。そうすると、次の課題はチーム分けだが、それはすぐに解決した。

 

「ティア、アリサ、エマ。そなた達は私と共に来ないか?」

 

 ラウラは女子三人をそれぞれ見て話しかけた。願ってもないことである。すぐに三人は肯定し、男子の方もリィン、エリオット、ガイウスの三人で進む事に決めていた。

 

「では、我らは先に行く。男子ゆえ心配無用だろうがそなたらも気をつけるがよい」

 

 

 

 

 

 

 ダンジョン区画は如何にも魔獣が出そうな雰囲気ではあるが、探索を始めて約五分。未だに戦闘にはなっていない。魔獣が徘徊している、とはサラの脅しだったのか、先に行った三人の誰かが仕留めたのか。おそらく後者だ。

 魔獣はいなくとも臨戦態勢は崩さない。ラウラは身の丈ほどもある大剣を、アリサは導力式の弓を、エマは中世の魔導士を連想させる杖を、そしてティアは導力銃を構えている。

 

「……いないわね、魔獣」

「私はいない方が正直助かりますけどね」

 

 アリサが呟き、エマが苦笑した。それもそうだとティアも同意したが、ラウラは物足りないようだ。

 角を曲がるとようやく魔獣と遭遇する。約20アージュ先、翼の生えた猫型の魔獣――飛び猫が三匹に、グラスドローメが2体。

 

「噂をすれば、ですね」

 

 チャキとティアが銃の安全装置を外す。

 

「では、互いのお手並み拝見と行こうか」

 

 ラウラの声と同時に四人が動き始める。

 忍び寄る気配に気付いていない飛び猫達に、ティアが一発ずつ弾丸を撃ち込む。全弾命中。急所を撃ち抜かれた飛び猫三匹はふらふらだ。既に距離をつめていたラウラがまとめて斬りかかる。

 

「はあっ!」

「喰らいなさい!」

 

 アリサはグラスドローメに向け矢を放っていたが、ブヨブヨとしたゼラチン状の体には弓や銃は通りにくく、その弾力に押し戻されてしまう。

 ならば、とアークスを駆動し始めたがその間にもドローメの一体は近付いてくる。ゆったりした動きで、発動が間に合うかは五分五分。

 

「アリサさん!」

「ナイス、エマ!」

 

 駆動中のアリサの前に出たエマが魔導杖を振り上げる。魔導杖はアークスから発動されるアーツを駆動時間無しで繰り出せる。ドローメにもアーツは有効なようで、エマの一撃で動きを止めた。

 

「下がってください!」

 

 止まった的に命中させるのも、全く警戒していないふよふよ浮いている飛び猫の急所を撃ち抜くのも大したことではない。銃では致命打にはならないが瀕死のドローメを倒すには十分だった。

 

「やあっ!」

 

 残った後ろのドローメはアリサが発動させたファイアボルトですぐに倒れた。効果は抜群だ。

 その陰からもう一匹、新たな飛び猫が姿を現した。

 

「奥にもう一匹いるわ!」

「任せるが良い!」

 

 最後の飛び猫が逃げようとするがラウラが一閃。最後の飛び猫もセピスを残して動かなくなった。

 

「一丁上がりですね」

「ええ。なかなか良かったんじゃないかしら」

 

 戦闘が一段落して、今までずっとご機嫌斜めな雰囲気だったアリサも笑顔を見せた。美人は怒っていても可愛いらしいが、やはり笑った方がもっと可愛いだろう。

 

「皆さんすごかったです」

「謙遜する事はないだろう。我ら全員の成果だ」

 

 胸をなでおろしているエマにラウラが声をかける。持つだけでも苦労しそうな大剣を振り回した直後なのに、ラウラは息一つ乱れていない。

 

「それにしても、本当にノータイムでアーツを発動できるのね。さっきは助かっちゃった」

 

 エマの持つ魔導杖を興味深げにアリサが見つめる。詠唱にどうしても時間がかかるアーツを即座に発動できるメリットは大きい。先程のアーツでしか致命打を与えられないような魔獣が相手の時は特に。

 

「またあの魔獣が出たら、私とエマが時間を稼ぎ、その間にアリサとティアがアーツを詠唱する……というのはどうだろう」

「そうね。飛び猫ならまだしも、ドローメ相手に私達じゃ厳しいだろうし」

「頑張ります」

「フォローは任せてもらいますね」

「決まりだな。この調子で先に進むとしようか」

 

 ラウラの提案で作戦会議もまとまり、四人は再びゴールを目指し歩き始めた。

 




本編とほぼ同じ展開になるところは出来るだけさくっと進んでいきたいけど、飛ばしすぎると話が繋がらないし説明っぽくなってしまう…この匙加減は前作を書いていたときにも悩まされていましたが、やはり今回もそこが私にとって一番の課題みたいです。ぐぬぬ。


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特別オリエンテーリング 後編

 ダンジョンに入って数分間魔獣に出会わなかったのが嘘のようで、既に倒した魔獣の数は優に三十を超えるだろう。進んでは倒し、進んでは倒し。魔獣が少ないルートがあるので、先行した三人の誰かが通った道だろうと推測する。それでも湧いてくる魔獣はそれなりの数がいる。ダンジョン内の魔獣が弱いとは言え単独で進むのはあまり褒められたものではないだろう。

 

「誰か来ているな」

「一人……でしょうか」

 

 奥から誰かがこちらに向かって歩いてきている。ラウラとエマの言葉にティアとアリサも二人の間から前方を覗き見る。ダンジョン内は薄暗く、距離もある為顔までは判別出来ないが、確かに歩いている者がいる。

 

「君たちが来ているって事は、この方向であっていたんだな」

 

 話しかけながらも近付いてきて、ようやく顔が見えるようになった。金髪の少年といがみ合いながら真っ先にダンジョン内へ進んでいった眼鏡の少年だ。

 

「あってるって……あなた、もしかしてスタート地点に戻るつもりだったの?」

「そうじゃなくて……その、君たちに会えると思ってね」

 

 アリサの問いに、マキアスは考えるように答えた。

 スタート地点に戻るわけでもなく、わざわざ来た道を戻ってきたマキアス。なるほど、とラウラはうなずいた。

 

「頭は冷えたようだな?」

「おかげさまでね」

 

 ばつが悪そうな顔と、表情通りの声で返事をする。貴族が嫌いで熱くなりやすく、周りが見えていない。そんな最初の印象とは随分と雰囲気が変わったように感じる。顔に出やすいのは元々の性格だろうか。

 

「改めて――マキアス・レーグニッツだ」

 

 マキアスが名乗り、女子も順に自己紹介する。

 帝国に住む者ならば、"レーグニッツ"と聞いて帝都ヘイムダルの知事であり、帝都庁長官のカール・レーグニッツを浮かべない者はいない。おそらく、いや間違いなくマキアスが彼の息子なのだ。そう思って彼を見ると、なるほど。確かに似ている気もする。知事本人はその肩書きから連想する厳格さよりも、人好きのするお茶目な紳士と例えた方が近かったのだが、そこは年の功というものだろうか。

 

「その……含むところがあるわけじゃないんだが、身分を聞いても構わないか? 相手が貴族かどうかは念のため知っておきたくてね」

 

 一通りの自己紹介が終わったところで、マキアスが気まずそうに尋ねてきた。それを聞くと四人は顔を見合わせる。

 

「私は平民だけど」

「私もです」

 

 最初に答えたのは腕組みしたアリサだった。エマは学院にも奨学金で入学しているようなので、やはりと言った感じだ。

 

「私も貴族ではありません」

 

 ティアが静かな笑みを浮かべ答えると、黙ったまま訝しむようにしていたラウラがゆっくりと口を開いた。

 

「私の父はレグラムを治める子爵家の当主だが……何か問題でもあるか?」

「あぁっ、そうか! アルゼイドって……!」

 

 思い出したように小さく声をあげてマキアスがたじろぐ。アルゼイドの名ではなく、ラウラの強い眼差しに。

 

「なあ、マキアス。そなたの考え方はともかく、これまで女神に恥じるような生き方をしてきたつもりはないぞ? 私も――たぶん私の父もな」

 

 ラウラはマキアスの眼をまっすぐ見て嗜めるように、静かな、しかし力強い声で告げた。

 マキアスの人並み外れた貴族への嫌悪感は、彼しか知らない事情に基づいた、彼にとって譲れない思いなのかもしれない。とは言っても、譲れないものがあるのはラウラとて同じなのだろう。出会って間もないけれど、ラウラの凜とした立ち振る舞いにはそう感じさせられる。

 

「本当に、他意があったわけじゃないんだ。だが、気分を悪くさせてしまったな。君達も、重ねてすまない」

「別にいいわよ。気にしてしまう気持ちが全く分からないって訳でもないし」

 

 周辺諸国と違い、貴族制が根強く残っている帝国では、どうしても身分の差がれっきとして存在する。大貴族の治める地ともなると、尚更のこと。帝国内で暮らしていてその壁を感じない者は、生まれたばかりの赤子くらいだろう。

 

 アリサの言葉に、マキアスが少しほっとした表情を見せ、これからどうするかを話し合っていると、奥から後ろからリィン達が歩いてくるのが見えた。立ち止まっている間に追いつかれたらしい。

 リィンとアリサだけはぎこちないまま、お互いの無事を確認しあう。

 

「マキアスも合流したみたいだし、いっそこのまま全員で行動しない?」

「えっ」

 

 気を利かせたエリオットの提案に、真っ先に反応したのはアリサだった。思うより先に声が出た、そんな顔をしている。

 

「マキアス君がリィン君達のチームに合流する……というのはどうでしょうか」

 

 どちらも4人のチームになるし、残りの二人を探す為にも、このまま二手に分かれていたほうが都合が良い。

 それらしい理由を挙げ、ティアは苦笑しながらリィンを見た。視線に気付いたリィンは、少し困ったように小さくうなずく。

 

「ああ、俺は構わないよ」

「俺もだ」

「人数が増えると心強いね」

「君達……ありがとう」

 

 リィン達男子陣が快く受け入れ、不安そうだったマキアスも安心したようだ。

 これからの方針が決まった以上、これ以上この場所に留まる必要はない。リィン達と別れ、ティア達は再びダンジョン攻略に踏み出した。

 

 少し歩き、角を曲がってリィン達の姿が見えなくなったとき。顔は下を向いたまま、小声でアリサがお礼を言った。

 

「……ありがと、ティア」

「私は何もしていませんよ」

 

 ティアは隣のアリサをちらりと見やると、また前を向いた。

 余計なことをしたかもしれない。そう思ったが、アリサの言葉を聞き安堵してしまうのだから、単純なものだ。

 

「でも、ずっとこのままではいられませんよ。リィン君もわざとではないでしょうし」

「た、助けようとしてくれた事くらい、私だって分かってるわよ。……謝らなくちゃとも思ってるけど……まだ顔を合わせるのは恥ずかしくて」

 

 言葉尻が小さくなっていく。通路は相変わらず薄暗いが、視界の端に写るアリサの耳が赤く見えた。

 

 

 

 

 

 

 迷路のようなダンジョンを進み続け、一際広い部屋が見えてきた。階段上の扉からは光が漏れている。ここがダンジョンの終点で間違いは無さそうだ。

 

「やっと終わったわね」

 

 少し疲れた様子を見せながらも、誇らしげにアリサが言いながら部屋へ入る。

 

「フン、遅かったな」

 

 階段近くの壁にもたれていた金髪の少年――ユーシス・アルバレアが声をかけた。

 少し離れたところには探していた少女が座っていた。すでに二人はゴールしていたのだから、途中で会わなかったわけだ。

 

「なんでここにいるのよ。早く上に行けばいいじゃない」

「扉は鍵がかかっていた。大方、全員が揃うまで開けるつもりはないんだろう」

 

 むっとしたアリサにではなく、階段の上の扉にユーシスは視線を向けた。あくびをしている銀髪の少女――フィー・クラウゼルが興味なさげに言う。

 

「そう言えば、サラが"全員でゴールに来るように"って言ってた……かも」

「初耳だな」

「私も今初めて言った」

 

 ラウラに対し、フィーはけろりと言ってのける。

 

「それなら、リィンさん達が来るのを待ちましょうか」

「そうだな。鍵を壊すわけにもいくまい」

 

 エマとラウラが言い、ティアも部屋を見渡す。

 部屋の造りはこれまでと同じく石造り。目立つものといえば、大型の魔獣――ドラゴンを模した石像くらいだ。

 

「趣味の悪い石像ね」

 

 その場から動かず、石造を見たアリサは率直な感想を漏らす。

 

 シンとした広間。気まずい沈黙が支配する空間で、視線を感じた。

 

「どうかしましたか?」

 

 視線の主は、離れた場所で壁にもたれたままのユーシスだ。

 

「いや……」

「ああ、マキアス君なら、リィン君達と合流しましたから心配しなくても大丈夫ですよ」

「何を勘違いしているのかは知らんが、俺はあの民草のことなど気にしていない」

 

 少々大げさな仕草で、ティアは両手を合わせた。

 呆れたのか怒ったのか。フイと顔を背けたユーシスの心中を察する事はできない。

 

「図太いって言うか天然って言うか……」

 

 アリサの小さな呟きが静かな空間に溶けていった。

 

 

 

 

 

 

「皆いるってことは、ここが終点で良さそうだな?」

 

 声をかけながら広間に入ってきたのはリィンだ。後ろにはエリオット、ガイウス、マキアスもいる。

 

「これで全員か」

「サラ教官はどこかから見ているのでしょうか」

 

 エマがきょろきょろと周りを見回し始める様子を不思議に思うリィン達に、扉が開かないことを説明する。リィン、エリオット、ガイウスは、全員が外に出ず広間に残っていたことに納得したようだったが、マキアスは訝しげな表情を浮かべた。「そんな奴の言う事を信用できるか」と目が語っている。

 

「僕が確かめる!」

「えぇっ!? マ、マキアスってば!」

 

 マキアスが歩き出し、石造を通り過ぎた瞬間、地響きのような鳴き声が聞こえてきた。

 

「な、何だ!?」

「っマキアス!!」

 

 驚くマキアスにリィンが叫び、石像から距離をとる。

 石像の色がみるみる黒く色身を帯びていき、翼が動き始めた。台座から飛び降り、ズシン、と地面を揺らしながら様子を窺うように歩く。

 

「あれは石の守護者(ガーゴイル)……!?」

「暗黒時代の魔導の産物か……伝承の中だけの存在では無かったようだな」

 

 ユーシス、ラウラが驚いたまま、魔獣の正体を推測する。

 アークスの中央にセットされたマスタークオーツに触れる。ティアの体を帯のような青い光が包んだ。

 

「「アクアブリード!」」

 

 水の塊が二つ、魔獣に向かって放たれた。一つはティア、もう一つはエリオットのものだ。ティアの放った水の塊は羽を打ち抜き、片翼に穴が開く。エリオットは顔面に直撃させており、魔獣が一瞬動きを止めた。

 

「いくぞ!!」

「砕け散れっ!!」

 

 連続で与えられる斬撃。物理攻撃は鋼鉄に覆われたような皮膚に阻まれ、ほとんどダメージが通らない。しかし、数の利はある。前衛が魔獣の動きを止めているおかげで駆動を妨害されることなくアーツを発動出来ている為、徐々にではあるが、魔獣も消耗しているはずだった。

 

「(この違和感は何……?)」

「はああああっ!!」

 

 動きの鈍くなった魔獣の関節部、装甲の薄い両肩に、リィン、ガイウスが同時に強い一撃を与えた。

 魔獣は鈍い唸り声を上げ、地面に突っ伏す。

 

「やったの!?」

「いや……」

 

 後ろから誰に、ともなくかけられたアリサの声を、リィンが否定する。手応えはあったはずなのに、魔獣は再び体を起こそうとしていた。そして、血を流している傷跡が塞がっていく様子が目に映る。

 

「傷が再生してる……!?」

「そ、そんな……」

 

 信じたくない事実に、冷や汗が流れる。そんな十人をよそに、魔獣は再びけたたましい鳴き声を上げると、体が光に包まれた。

 光が消えて現れたのは、大きな翼を持ち、頭には赤い角が二本生えている魔獣。悪魔と言った方が近そうな外見だ。何もなかったかのように両翼を羽ばたかせ、その身を宙に浮かせている。

 

「くそっ、何なんだこいつは……!」

「嘆いているくらいなら腕を動かせ!」

 

 こんな時でも喧嘩腰のマキアスとユーシスだが、今も尚ダメージを与え続けている。自分の置かれた現状を嘆きたくなるのも仕方ない。ダメージを与えた端から再生していく魔獣。疲労だけが蓄積していきそうな状況で、希望を与えたのは、意外なことにエマだった。

 

「再生能力は無限ではありません!」

 

 大人しそうな外見からは想像が付かない凛とした叫び。

 

「そうだな……これだけの人数だ。勝機さえ掴めれば……!」

「――耳塞いで目を閉じて」

 

 言うが早いか、フィーが何かを魔獣に向かって投げた。何事か理解する暇もなく、言われるままに目と耳を覆うと、光と音が襲ってくる。

 突然の事に驚くが、魔獣は更に混乱しているらしく、叫びを上げながら激しく首を振る。

 

「ブレイクショット!」

 

 無防備な首に強烈な一撃を受け、一際大きな短く鳴くと、翼の動きが遅くなり、魔獣がうつむくように地に降り立った。

 

「今だ!!」

 

 そう叫んだのは誰だったか。今こそリィンの言っていた勝機。それは全員の思いだ、そんな確信を持ち、暖かな光を感じながら、ティアは駆動を開始した。

 

「(次に彼は魔獣の右から攻める)」

 

 次にとるべき自分の行動は。そこまで考えて、次にどう動くつもりか、と言う意志まで分かっていたことに驚く。

 実際、ティアがそうすると思っていた通りに目の前のユーシスは動いた。振り上げて切り裂くために振り下ろされた魔獣の右腕をかわし、生じた隙にユーシスは素早い多段突きを繰り出す。

 しかし、今は考えている余裕はあまりない。

 竜がのけぞったところにガイウスが力強い突きで追い討ちをかける。ティアは駆動を終え、無防備な魔物にアーツを繰り出す。

 

「任せるが良い!!」

 

 最後には、ラウラが魔獣の首を文字通り吹き飛ばした。

 先に首が、次に切り離された胴体が色を失っていき、元の石像のように固まると、光となって消えていった。

 

「(聞いてはいたけど、これは予想以上かも)」

 

 アークスを見つめながらティアは考える。

 今度こそオリエンテーリングの終わりだろうと安堵し、武器をしまい、最後の謎の光について話し出す。自分だけでなく、全員を包み込んだ光。他者の動きが読める――いや()える感覚。

 

「もしかしたら、さっきのような力が――」

「そう。アークスの真価ってワケね」

 

 リィンの言葉を遮るように、サラが拍手しながら階段を降りてくる。

 

「いや~、やっぱり最後は友情とチームワークの勝利よね。お姉さん感動しちゃった」

 

 うんうん、と満足そうに頷くサラ教官は、オリエンテーリングの終わりを宣言すると全員を見渡す。喜べばいいのに、と言われても、色々ありすぎてそうはいかない。

 

「――単刀直入に問おう。特科クラス《Ⅶ組》……一体、何を目的としている?」

 

 確信を突くユーシスの疑問に、サラは当然のように答える。

 

「君達が選ばれた理由は色々あるんだけど……一番分かりやすい理由はそのアークスにあるわ」

 

 戦術オーブメントとして多彩な機能を秘めているが、先ほど体験した現象――《戦術リンク》にその真価はある。

 どのような状況下でも互いの行動を把握でき、最大限に連携できる精鋭部隊。"革命"を起こすであろうその機能は、現時点では適性に差がある為、新入生の中でも特に高い適性を示した十人が選ばれたとのこと。

 

 その後、サラはⅦ組参加は辞退出来ると伝えた。Ⅶ組は本来のクラスよりもハードなカリキュラムになる。それを覚悟した上で、Ⅶ組に参加するかどうか決めるようにサラは促す。

 

「リィン・シュバルツァー、参加させてもらいます――」

 

 最初にリィンが参加の意思を示した。リィンに続いてラウラ、ガイウス、エマ、エリオット、アリサも参加を決め、サラに決定を委ねようとしたフィーも自分の意思で参加を決めた。そして、ユーシスとマキアスも。

 

「残るはあなた一人……どうするのかしら?」

「ティア・レンハイム……もちろん参加します」

 

 そう言って、一歩踏み出す。これが最初の一歩だ。

 全員の参加が決まると、サラは満足そうに笑う。

 

「ふふ、十名全員参加ってことね! それでは、この場をもって特科クラス《Ⅶ組》の発足を宣言するわ。この一年、ビシバシしごいてあげるから楽しみにしておきなさい!」

 

 

 

 

 

 

「これも女神の巡り合わせというものでしょう」

「ほう……?」

「ひょっとしたら、彼らこそが"光"となるかもしれません。動乱の足音が聞こえる帝国において、対立を乗り越えられる唯一の光に――」

 

 ヴァンダイク学院長と共に生徒たちを見下ろし、オリヴァルト皇子はそう告げる。まだ何色にも染まっていない彼らがこれからどう成長していくのか。

 出自に身分、それぞれの価値観は違う。その違いは、彼らの壁となり立ち塞がることもあるだろう。

 しかし、苦楽を共にし、共に壁を乗り越えた先で得るものは、きっと何物にも代え難く彼ら自身を強くしてくれる。

 

「妹君にも、そうなることを期待されているのでしょうかな?」

「それは勿論ですが……あの子には、学院生活を心から楽しんでもらいたい」

 

 オリヴァルトはティアを見つめながら、ヴァンダイクに聞かせるでもなく呟いた。ヴァンダイクは自身が入学式に言った言葉を思い出す。

 

『若者よ――世の礎たれ。"世"という言葉をどう捉えるのか。何をもって"礎"たる資格を持つのか。これからの二年間で自分なりに考え、切磋琢磨する手がかりにして欲しい。』

 

 短くて長い学院生活が始まった。




忘れられた頃に戻ってくるsumeragiです。

ゲームを見てしまうとどうしてもその通り進めようとしてしまうので記憶を頼りに改変しながら進めようとして、後で確認の為プレイ動画をみると扉なんてなかったことに気付いてしまいました(笑)
オリエンテーリングはこれにて終了ですが、あと一話を挟んで序章も終わりとなります。


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眠らない眠れない夜

 

「……よし、これでおしまいっと」

 

 空になったダンボールを折りたたみ重ねる。

 服や靴、教材など入用なものを全て出してしまえば残りは小物や小説くらいで、すぐに、とはいかずとも、予想よりも早く片付けは終わった。寮生活と聞いて何を持っていくか迷い、最低限のものだけにして正解だったようだ。

 ふうと息を吐いて新品のベッドに腰掛ける。触り心地はさほど悪くない。普段使い慣れたものに比べれば見劣りしてしまうが、十分寝心地は良さそうだ。普段のベッドでないと寝られないと言うほど箱入りでもないつもりである。

 

 ベッドに腰掛けたまま、ハンガーにかけた赤いブレザーを見て、今日一日の出来事を思い出す。

 レーグニッツにクレイグ、アルゼイドにアルバレア、そしてシュバルツァー。名前を聞くだけでも濃いメンバーだ。

 特に常任理事二人の弟と息子が入っていることに驚く。残りのイリーナ会長の子供も入学しているのだろうか、とまで考えて、真っ先に思い浮かぶのはアリサ。ティアの銃――ラインフォルト社製のファントムに詳しいようだった。また、ファーストネームを伏せているが、イニシャルはR。可能性がないわけではないだろう。

 

「(なーんて)」

 

 体を倒し、ベッドに体を預ける。

 あまり名前に囚われたくはないし、隠していることを詮索するのも野暮というものだ。自分にも答えられないことは多い。

 少ししか話せなかったが、良さそうな人達だったな、とそれぞれの顔を思い出し口元が緩む。特に、行動を共にした三人とは仲良くなりたい。出来れば、もう一人の少女とも。

 

 ぼーっと天井を眺めていると、部屋の扉をノックする音が聞こえてくる。コンコン、コンコンと、四回。誰何すれば予想通りの声が返ってきた。

 まさか、という気持ちと、やはり、という思いが混ざり、苦笑を浮かべながら鍵を開ける。

 

「こんばんは、ユーシス君」

 

 最後に分かれたときに見た姿と同じ、赤いジャケットを粋に着崩したユーシスが立っていた。

 

「少し時間はあるか」

「大丈夫ですよ、片付けも終わったところなので。散らかっていますが、入りますか?」

「……いや、遠慮しておく」

 

 少し躊躇う様子を見せ、ユーシスは断る。

 今日のオリエンテーリングで彼の一匹狼っぷりは十分に分かった。その彼がわざわざ部屋を訪ねてきた理由は一つしか考えられず、誰が通るとも分からない廊下で話したい内容とは思えない。

 

「屋上に行かないか」

「そうですね。聞かれると、ちょっと困っちゃいそうですし」

 

 最初からそのつもりだったのだろう。寮の構造、部屋について説明を受けたときに屋上があるとは聞いていた。内側からは鍵がなくても開けられるタイプのものらしく、寮生ならば自由に出入りできるが、初日ということもあり荷物の整理がある。わざわざ今日を選んで屋上へ行く者もいないはずだ。

 

「上着をとってから行きます」

 

 そう言って部屋の扉を閉めた。離れていく小さな足音が聞こえ、扉にもたれかかる。

 

 断ってくれてよかった。親しくない男性を部屋に入れたことなどないのに、よく言ったものだ。

 かけていたブレザーを羽織って誰もいない階段を上がり、屋上の扉を開けて外に出た。

 

「夜はまだ冷えますね」

 

 頬を風が撫でる。心地よいと言うには少し冷たい。

 月と、街の人工の光に照らされたユーシスに目を向ける。

 

「それで、何のお話でしょうか」

 

 聞かれると困る、なんて言ったのは自分だが。それでも問いかけてみる。

 

「話と言うほどでもありません。なぜ皇女殿下が身分を偽っておられるのか、それだけをお聞きしたかった」

 

 先程とは打って変わって丁寧な口調になるが、告げる内容は相変わらず率直なままだ。

 二年間誰にもバレずに隠し通せるとは最初から思ってはいなかった。しかし、これは予想よりも早すぎる。どうしたものか。少しばかり逡巡を覚えるものの、結局は用意していた答えを並べるだけだ。

 

「皇族の男子はこの士官学院に入学する仕来りですが、女子はそうではありませんから」

「では、本当に……」

「はい。私がエレボニア帝国第一皇女、メルティアスです」

 

 ユーシスの横を通り過ぎ、屋上の柵に手を添え振り返る。

 

「こんなに早く気付かれたのは予想外でした。なぜ分かったのか、理由を聞いてもよろしいでしょうか」

「理由、と言っても。殿下のお顔は存じておりましたので」

「あまり顔を知られていないと思っていましたが……油断できませんね」

 

 そう言って眉を下げて笑う。兄弟達の中で、最も知名度が低い自覚はある。それに伴う評価も、もちろん。快く引き受ける兄や妹、断りきれない弟と違って、写真も取材も拒否し続けてきたのは自分なのだから。しかし、だからこそ気付かれないだろうと、高を括っていた。他国とは言え、気付かれずに旅をし続けた兄の凄さを思い知らされる。いろいろな意味で。

 

「覚えておられないかもしれませんが、殿下には一度お目にかかったことがあります」

「覚えていますよ。七年も前のこと、覚えていてくれて嬉しいです」

 

 自分に似ている。気になった理由はただそれだけだった。一度会っただけの、名前も知らない少年。薄れた記憶を辿って、当時を思い出す。随分と彼は成長したなと、目を細める。だが、思い出に浸りたいわけではないのだ。

 

「士官学院にいる以上、学生は皆対等。学院の校則でしょう。ここに居る私は、ただの学生のティア・レンハイムです。……そういうことにしてもらえますか」

 

 人差し指をたて口にあてる。

 

「お望みとあらば、そう致します。ですが、いつまでも誤魔化せはしないでしょう。俺でなくとも、気付く者は出てくる」

「ご忠告感謝します。……では、私からも一つ」

 

 手を下ろし静かに告げた。ふとやわらかくなった表情に、ユーシスが胡散臭そうに見つめる。

 

「今日のような態度をとっていては、勘違いされてしまいますよ」

「それは……貴方には関係のないことだ」

 

 諭すような口調のティアに、ユーシスは眉をひそめる。

 言わんとすることは分かる。そうさせたのはユーシス自身だ。だが、自分はアルバレア公爵家の人間として見過ごすわけにもいかない。心の中でそう反論する自分を無視し、何とか口を開く。

 

「はい。お節介のたわごとだと、聞き流してくださってかまいません」

 

 忠告を聞き入れず突き放すような言葉だったにも関わらず、気にしてなさげに微笑むティアに、胸の奥に何かが刺さる感覚と、ほんの少しの気恐ろしさを覚えた。

 

「殿下が何と言われようと、俺は必要以上にこのクラスに関わる気はない」

 

 話は終わりだと言わんばかりにユーシスは立ち去ろうとしたが、身動き一つしないティアに振り返る。

 

「戻らないのか?」

「もう少しだけ、ここにいます」

「……風邪を引く前に部屋へ戻るんだな」

 

 屋上を出て行く背中を見送る。静かに扉は閉められた。ティアは柵に上半身を軽く預け、ユーシスの去った扉を見た。見つめた。

 

「優しい、なあ」

 

 関わりあいたくないと。一人になりたいと言うのなら、もっと冷たい目をしないと。そんな顔して言われたら、こっちだって怒れないのに。

 

 

 

 

 

 

――眠れない。

 

 予想外のオリエンテーリングに荷解きもあり、体は疲れている。明日からは早速授業も始まるから、と早めに布団に入ったはいいものの、なんだか寝付けなかった。

 部屋を抜け出し、水でも飲もうとキッチンに向かうと明かりがついていた。先客がいるらしい。入り口に近付くと声が聞こえてくる。リィンとアリサの話し声だ。

 

「ハーブティーごちそうさま。おいしかったよ」

「そ、そう? それならよかったわ。片付けておくから、先に休んじゃって」

「でも……」

「いいから! ……その、お詫びってわけでもないけど」

 

 ぎこちなさは少しあるにしろ、アリサはリィンと普通に会話していて、なんとなく状況が掴めた。

 二人の横を通り水を一杯飲むことは簡単だが、それほど喉が渇いていたわけでもない。邪魔をしては悪い。と、部屋へ戻ろうと階段に足をかけた時、リィンがキッチンから出てきた。

 

「ティア」

 

 名を呼ばれ振り返る。

 

「さっき、入ろうとして引き返しただろ。もしかして気を遣わせたかと思ってさ」

「気付いていたんですか」

 

 驚いた。入り口に近付いただけなのに。素直に口にすると、返ってきた返事は「気配があったから」。

 言葉にされると納得してしまった。背後から静かに近付いてもすぐに気付く存在が身近にいたことが大きいかもしれない。武術に精通する者ならば、気配を察知することは基本なのだろうか。

 

「すみません、盗み聞きのつもりはなかったのですが」

「いや、気にしないでくれ。こっちこそ邪魔をしてすまない」

 

 お互いに謝っている。傍から見れば変な光景だ。

 

「アリサさんはまだキッチンに?」

「ああ、先に休んでくれって追い出されてさ」

「まあ。それなら、私が引き止めるわけにもいきませんね」

 

 ふふ、とティアが穏やかに笑うとリィンはなんだそれ、と言いながら嬉しそうに笑った。

 

「ティアもゆっくり休めよ」

「はい。おやすみなさい、リィン君」

「おやすみ、ティア」

 

 リィンが階段上がりだした。気付かれていたのなら、隠れるように戻る意味もない。数段だけ上がった階段を再び下りてキッチンに入りアリサの背に声をかける。

 

「へっ?」

 

 きょとん。アリサはリィンと入れ替わりに入ってきたティアに気付いていなかったらしく、つり目がちな赤い瞳を丸くして振り返った。

 

「ティアも眠れないの?」

「はい。なかなか寝付けなくて」

「一緒ね。私も寝ようと思ったんだけど、目が冴えちゃって」

 

 アリサはふっと笑う。

 ツーサイドアップにされていた髪も今は下ろされている。それだけで印象は変わるものだが、笑った顔を見れば、当たり前だが今日行動を共にしていたアリサだ。

 

「よかったらハーブティーでも淹れるわよ」

「ありがたいのですが……洗い終わったばかりなのでは?」

「いいわよ、そのくらい」

 

「じゃあ、お言葉に甘えさせていただきます」

「ちょっと待ってて。淹れ直すから」

 

 アリサは手際よく準備を始めたので、長机の端、アリサに近い椅子に座って眺めながら待つ。

 

「私の姉みたいな人がね、眠れない時によく作ってくれてたの」

「優しい方なんですね」

「ええ。時々、私のことをからかって面白がってもいたけど」

 

 懐かしむような、大事にしているのだと感じさせる声で告げる。「兄や姉というものはそういうものなのでしょうね」兄や、妹と弟を見る自分に当て嵌めると、自然に言葉が出た。

 言いながら、アリサが湯気の出ているカップを持って来た。りんごに似た香りがする。口に含むと、クセもなく飲みやすい。カモミールだろうか。蜂蜜の甘さとよく合っている。

 

「美味しいです。とっても」

「ふふ、よかった」

 

 成果に満足したアリサは、ティアの隣の椅子を引き腰掛けた。

 

「……実はね、さっきリィンと話してたの」

 

 ティアには言っておこうと思って。アリサは話し始めた。

 知っている。と言うタイミングは完全に逃した気がして、静かに相槌を打った。

 

「眠れなくて起きたら、リィンも降りてきて。今みたいにお茶をご馳走して、なんとか謝れたわ」

「それは嬉しいご報告ですが……どうして私に?」

 

 アリサとリィンの関係を気にかけていた者はティアだけではない。それはアリサ自身も分かっている。

 

「ティアが言ったじゃない。『ずっとこのままじゃいられない』って。分かってるつもりだったけど、言葉にしてくれなかったら、多分今もまた逃げてたと思う」

「そんなことは……」

「あるのよ。確かに、いつかは謝ってたとは思うわ。でもね、この偶然を逃さずに済んだのは、ティアのおかげだと思うから」

 

 それに、とアリサは続ける。

 

「ずるずる先延ばしにしちゃうと、余計に言いづらくなりそうだったし。元々悪いのは私なのに」

 

 謝ることが出来た達成感の浮かぶ安堵の笑みに混じるうしろめたさ。考えていることが、分かる。気がした。

 

「……きっかけをくれたお姉様にも感謝しないとですね」

「そうね。手紙に書こうかしら。詳しくは絶対教えないけど」

 

 はぐらかすように笑うと、アリサもくすくすと笑顔を見せた。カップの残りを流し込むと、月が高く昇っているのが見えた。

 




前作で何を書いたっけ、と読み返してみて顔から火が出そうになりつつ、同じようなシーンをねじ込んでみました。分かりづらいですが。

ひとまず序章はこれで終わりになります。
のんびり10月30日を目指し、Ⅱへ繋げていけたらなと思っています。
まだまだ先は長いですが、お付き合いいただけると幸いです。


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第1章 マゼンタの均衡
千三つトリックスター


 4月17日

 

 突然オリエンテーリングの始まった入学式の日から約2週間が経った。士官学院といえど、軍人として必要な知識、心得を学び、体を鍛えるだけではない。かつては銃火器の扱いや戦闘訓練を重視する本格的な軍事学校であったが、今となっては形骸化しており、一般知識や芸術科目を学ぶ高等教育機関という側面が強い。故に、授業内容も相応の密度の濃さである。

 教官たちの中でも飛びぬけて熱い授業を行うトマス教官が担当する歴史学が終わり、迎えた放課後。明日が初めての自由行動日とあって、学院全体がどこか解放感に溢れている。

 

「入学式からもう二週間か~」

 

 エリオットが机に突っ伏しながら深い溜め息をついた。HRでサラ教官から告げられた実技試験の言葉に肩を落としていると、お疲れ、と声をかけながらリィンとガイウスがエリオットに歩み寄る。

 

「武術訓練だけじゃなくて普通の授業までこんなにレベルが高いなんて思わなかったよ」

「文武両道は帝国の気風でもあるからな」

「僕なんてついて行くのでやっとだよ。置いてかれないようにしなきゃ」

 

 エリオットは体を起こし、両肘をつく。エマとマキアスは入学試験では主席と次席。留学生のガイウスも、帝国の雰囲気に慣れてはいないようだが座学にさほど苦戦している様子もない。なんとか授業について行くことはできているし、休憩時間にリィンやエマ、アリサも解説してくれる。意外なことに、同じ帝都出身者でマキアスも話がてら説明してくれるので不安は少ない。

 

「エリオットは俺達の一つ下だろう? よくやってると思うぞ」

「えへへ、ガイウス。ありがとう」

 

 お人よしが多いのだ、このクラスは。常にギスギスして嫌味の応酬を繰り広げるマキアスとユーシス等、勉強面以外でも不安要素は残ってはいるが。

 皆と上手くやっていけそうな気がすると感じた自分の勘を信じてよかった。

 HRが終わった後すぐに教室を出て行ったフィーやユーシス、マキアス達を横目に、話しながらゆっくりと帰り支度をしていると、アリサが声をかけた。

 

「ねえ、あなた達はもうクラブは決めてあるの?」

「僕は吹奏楽部だよ」

「俺は美術部というところに入ろうと思っている」

「まだ何とも言えないな」

 

 楽器を嗜んでいるエリオットと、独学で絵を描いていたガイウスは、その趣味をそのままクラブ活動で突き詰めることにした。新しいことへの挑戦もいいが、趣味を高めるのもいいかもしれない。リィンはクラブに入るかどうかも迷い中のようだ。ティアとラウラは既にクラブを決めているため、声をかけると教室を出て行った。

 

「私はエマとこれから見学に行くつもりなんだけど、良かったらリィンも行かない?」

「そうだな……」

「よかった、まだ残ってたわね」

 

 いいかもしれない。思った瞬間、狙ったかのようなタイミングでサラ教官が再び教室に入ってきて、リィンに声をかけた。

 

「リィン、昨夜はありがとうね。あと悪いんだけど、この後生徒会室に行ってくれる?」

「はい……わかりました」

 

 カリキュラムや戦術オーブメントの違いから、Ⅶ組専用で発注した為遅れて届いた生徒手帳を、昨夜Ⅶ組生徒に配ったのはリィンだ。その為か、今日も手伝い役に指名されたらしい。内容だけ告げると、サラ教官はすぐに教室を出て行った。

 

「……という事で。アリサ、委員長、折角誘ってくれたのに悪いな」

「何だか色々頼まれているみたいですね」

「ちゃんと断りもした方がいいわよ」

「善処するよ。二人も、いいところが見つかるといいな」

 

 呆れたように言うアリサにリィンは眉を下げて笑った。ハプニングのせいで厳しい態度をとってしまったアリサだが、元来お人好しなためか、雑用を押し付けられるリィンを心配しているらしい。当人にも多分伝わっているだろう。

 

 

 

 

 

 

 そして翌日、4月18日午前7時30分過ぎ。グラウンドを見ても、まだ部活は始まっていない。もう少し経てばそこかしこから活発な声が響いてくるのだろうだろうか。以前通っていた聖アストライア女学院では部活には入っていなかったから、初めての部活に少し胸が躍っているのを自覚する。

 生徒会館でアリサ、エマ、ラウラと朝食を済ませた後、昨日見学に行ったクラブ活動へ参加するために別れた。フィーは既に部屋にはいなかった。気まぐれな彼女のことだから、学院内にくつろぎスポットでも見つけているのかもしれない。

 

 階段を上がった先、二階の角にある教室の扉をノックするとすぐに声が返ってきた。少しばかり早かったかもしれない、とは杞憂だったようだ。

 

「失礼します」

 

 扉を少し開けただけで鼻腔がくすぐられてきて、中を見ずとも何が行われているかが分かる。

 

「昨日見学に来てくれた子だよね。もしかして入部希望かな?」

「はい。改めて、一年Ⅶ組のティア・レンハイムです。よろしくお願いします」

「調理部へようこそ。こちらこそよろしくね」

 

 エプロンをつけた青年――ニコラスがおだやかな笑みを浮かべ微笑んでティアを歓迎した。

 水切り場には洗い終わったばかりであろう食器が並んでいて、すでに何かを作って片付けた後らしい。コンロには鍋が置かれたままで、匂いの正体かと納得する。

 

「お早いですね。もう部活を始められていたのですか?」

「自由行動日は自分で朝ごはんを作ってるから、僕が特別早いだけだよ。八時に始めるところが多いんじゃないかな」

 

 調理部は基本活動の時間も参加も自由。作りたいときに作って、食べたいものを食べるらしい。

 一通りの活動内容に、各調理器具や調理本の収納場所を聞いた後、部活で用意しているという手帳を受け取る。おとといの晩、リィンによって届けられた黒字に学院の紋をあしらった学生手帳とは違い、紅色のカバーに白地で"RECIPE NOTE"と書かれたものだ。

 時間にして約三十分が経った頃だろうか。話を聞きながら、時々、レシピ手帳にペンを走らせていると調理室の扉がノックもなく開かれた。 

 

「ようニコラス」

「やあクロウ」

 

 現れたのは、白いバンダナを巻いた銀髪の青年。突然入ってきて親しげに話しかけているが、ニコラスも戸惑うことなく平然と答えているから、彼の無作法は日常茶飯事なのだろう。耳についているいくつものピアスや着崩した制服からは軟派な印象を受ける。

 

「そんで、お前さんは……」

 

 クロウと呼ばれた青年はティアへ目を向けた。話を振られ、ティアは簡単に自己紹介を行ない、お辞儀をした。うへえ、と失礼なうめき声が聞こえる。

 

「堅ッ苦しいな、後輩ちゃん。オレは二年のクロウ・アームブラストだ。ここにはしょっちゅう顔出すから、まあよろしく頼むわ」

 

 クロウはへらりと笑う。彼の声なのか雰囲気か、人好きのする態度は緊張をほぐすのが上手い。

 

「それで、クロウ? 今日はどうしたの?」

「寝坊したら食堂閉まっちまっててな。何か食わせてくんねえ?」

「仕方ないな。後で作るから、少し待っててよ」

 

 柔和な笑みを浮かべながら、慣れたようにニコラスはクロウの頼みを受け入れる。

 黙っていると暇なのだろうか、彼はニコラスと話す傍ら、学院についてティアに色々と助言をしていた。単位がとれればいい、サボるのも立派な社会勉強、等の内容ではあったが。

 

「帝国史の授業が良かったってマジ? 変わってんな~」

「教科書には載らない伝説や事件についてまで熱く語ってくださって、面白いですよ」

「オレあのおっさん苦手なんだよ」

 

 なるほど、確かに苦手なタイプなのかもしれない。うへぇと舌を出すクロウを見て、ふふと笑う。

 そのまま作業を続けていると、クロウがちらりと調理室入り口に目を向ける。つられてティアも入り口に意識を向けると、ノックの後に失礼します、と聞き覚えのある青年の声がした。

 

「えっ、ティア? それに昨日の!?」

「リィン君? ……と計量器?」

「よっ。偶然だな後輩クン」

 

 予想だにしなかった人物が入ってきてお互いに驚いている一方、クロウは片手を上げて平然と挨拶した。

 リィンガ手に持っているのは導力式の計量器のように見える。なぜ彼がそんなものを持っているのか。問うてみると、修理した計量器を配達しているらしい。なぜ君が配達しているのか。

 

「技術部の依頼で配達に来たんだ。部長さんは?」

「部長は僕だよ」

 

 エプロンで手を拭きながらニコラスが計量器を受け取る。

 

「ジョルジュ君は相変わらず仕事が早いね。本当に助かるよ。君も、届けてくれてありがとう」

「いえ。それにしても……今はこんな器具もあるんですね」

 

 目盛がなく、上皿もないこれが計量器かとリィンは興味深そうに見ている。

 

「アナログ式と違って、細かく正確な数値も出るし、容器の重さだけを引くこともできるんだ」

「へえ……。ティアはよく知ってたな」

「帝都では評判ですから」

 

 感心しているリィンの肩か背後からガシっと組まれ、うわっと声を漏らした。

 

「絶好調だな、後輩クン」

「何がですか……」

 

 胡散臭そうに視線を送り、肩を組まれた腕を外そうとする。口ぶりから初対面ではないことは分かるが、リィンからそんな塩対応をされるなんて。

 

「ところで、昨日の手品のタネは分かったかよ?」

「手に取らず、足元においてあったカバンに入れたんですよね」

「せーかい! いやーカンシンカンシン」

 

 目に見えて好感度が下がっていく様子に、食えない人だと感じさせられる。

 

「ま、50ミラは返してやるから」

「50ミラ?」

 

 ティアがリィンに尋ねると、昨日生徒会室に向かう途中でクロウに出会い、手品に使うためにと渡した結果、持ち逃げされたようだ。

 クロウはズボンのポケットに探るように手を入れるが、すぐに動きが止まる。指で硬貨を一枚摘まみ、リィンに見せるように持ち上げた。

 

「……わりぃ、今10ミラしか入ってねーわ」

「はあ……いいですよ。大した額じゃありませんし」

「そうか? いや~、お前多分出世するぜ」

「なんて調子のいい……」

「クロウったら、だめだよ。後輩にたかったりしちゃ」

 

 呆れ顔で見るリィンにクロウは名乗る。

 

「リィン君、断ることも大事ですよ」

「アリサにもおなじことを言われたよ……」

「まあまあ、詫びにその配達手伝ってやるからさ。ジョルジュの依頼だろ?」

「いえ、結構です」

「じゃあな~。学院生活は楽しんだ方がいいぜ?」

 

 それでも尚リィンの手からヒョイと残りの配達物らしき導力灯を奪う様は、もはやチンピラのそれだ。二人が出て行き、閉められた扉を見つめてしまう。

 

「今日は賑やかで嬉しいなあ」

「(大物だ)」

 

 楽しそうに呟いたニコラスは、調理作業に戻る。

 嵐のような、猫のようなクロウと、何事にも動じないおおらかなニコラス。不思議な関係だというのが、ティアの第一印象だ。

 

 

 




お久しぶりでございます。
入学オリエンテーリングから約2週間でもリアルでは2年の月日が流れておりますこと、心よりお詫び申し上げます。
色々と思うところがありまして一旦今まで書いていた話を消していたのですが、先日閃の軌跡Ⅲの情報を見たらやっぱり好きだなと改めて思い、リハビリがてらに自由行動日の話を書いておりました。
シェフでもないのに気まぐれが過ぎますが、気楽に楽しく書けたらなと思っております。

読んでくださってありがとうございます。


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実技テストの日

 4月21日

 

 春の麗らかな日差しのもと、Ⅶ組のメンバー十人は事前にHRで告知されていた《実技テスト》を行うため各々が自身の得物を手に持ちグラウンドに集まっていた。とはいえ、彼らは内容までは聞かされておらず、サラ教官が来るまでの間いつもの武術訓練とは違うのか。どんなテストなのだろうと話し合っている。

 遅れること一分。サラ教官が到着した。

 

「それじゃあこれから《実技テスト》を始めるわよ」

 

 これから行うのは単純な戦闘力を測るものではなく、『各々が状況に応じた適切な行動』が出来るか否かを見るためのものだと続けられた説明に納得する。その意味で、何の工夫もしなかったらいくら個人で相手を圧倒しようが評点は辛くなる。

 どういった行動をどういったタイミングでとるべきか。自分に合った役割とは何か。剣技や射撃、アーツの実力そのものが重視される武術訓練とは毛色が違う。

 

「単純な力押しじゃ評価には結びつかないわけね」

「ふふ――それではこれより、四月の《実技テスト》を開始する」

 

 最初にリィン、エリオット、ガイウスの三人が呼ばれて前に出る。この三人は先日の自由行動日にオリエンテーリングが行われた旧校舎地下へ再び潜り、探索を行ったことは聞いている。それを知っての人選だろう。

 サラが指を鳴らすと得体の知れないT字型の傀儡めいたものが突然何もない空間に現れた。一言で言うならば機械の人形。忙しく横にも縦にもリズミカルに揺れている。

 

「これは……」

「魔獣なの!?」

「いや……この人形からは命の息吹を感じない」

「こいつは作り物の"動くカカシ"みたいなもんよ。そこそこ強いけど、アークスの戦術リンクを活用すれば決して勝てない相手ではないわ」

 

 常に互いの行動を把握し、最高以上のチームワークを発揮する。アークスの実用試験のため増設されたⅦ組らしいテスト内容だ。

 三人が機械人形――戦術殻に向き合い武器を構える。

 

「――それでは始め!」

 

 サラの掛け声で戦術殻がヒュンヒュンと縦に回転しながらリィンに迫った。リィンはそれを軽く避けると、リィンとエリオットを繋ぐ光の線が現れた。タッタッと軽やかな着地と踏み切りがほぼ同時にされ、今度はリィンが斬りかかる。

 戦術殻は腕から光の剣を出すとリィンの太刀を受け止めた。鍔迫り合いの後、後ろに飛んで距離をとるとエリオットのアーツが戦術殻を襲う。一瞬動きを止めた戦術殻の背後からガイウスの槍が一突き。

 直撃だったがまだ鈍くも動く。そしてリィンが太刀の剣先を後ろに下げ、一気に刀で戦術殻を振り払う。

 

「ガイウス!」

「ああ!」

 

 体勢の崩れたところをガイウスが続き戦術殻をなぎ払い、すかさず両手に持ち直し勢いよく槍を突き刺した。戦術殻が大きく後ろに吹っ飛んだところでサラが「そこまで!」と制止の声をかける。

 クラスでもよく話している三人であり、旧校舎地下の探索の成果も大きいか。戦術リンクを状況に応じてスムーズに繋ぎ直し、彼らはまだ会って3週間とは思えない息のあった連携で戦術殻を倒した。

 

「うんうん、悪くないわね。それでは次! ティア、マキアス、フィー、アリサ、前に出なさい!」

「はい」

「……めんどい……」

 

 満足そうに頷いたサラ教官は、次の組を指名する。遠距離武器に偏ったメンバーだ。

 マキアスの散弾銃から発射された弾が戦術殻に当たり、カキンカキンと音を立ててグラウンドに落下した。フィーが速攻をかける。アリサはアナライズを発動させる為アークスを駆動しているティアの援護と、前衛のフィーの補助。

 

「解析しました! マキアスくんはそのままフィーちゃんの援護を! アリサさんは能力低下のアーツを!」

「わかった!」

 

 駆動を終えたティアが指示を出す。前で戦うフィーを避けての射撃は難しく、スラッグ弾を装填し直すが連射はできずつい攻撃が単調になる。戦術殻が剣を出すと受けきれず攻撃を避けるしかなくなり、全員が思ったように動けないままじわじわとダメージを与えて何とか倒したところでこの組のテストは終わり。ふうと息をつき導力銃に安全装置をかけホルスターにしまった。

 そして最後の一組はラウラ、エマ、ユーシス。個々の技量により倒すことはできたが後方支援のエマが狙われていることに気付かずひやりとしたり、援護のタイミングが合わずと課題は山積みだ。

 

「苦戦したチームもあるけど、今はこれでよしとしましょう」

 

 サラから実技テストの終わりが告げられ、アリサやエマ、マキアスは溜め息をつく。

 そしてアークスの試験運用と別に、もう一つのⅦ組ならではの特別カリキュラム――《特別実習》が言い渡された。何ともそのままのネーミングである。

 

「……な、なんだか嫌な予感しかしないんだが……」

 

 サラが実習に関する紙を配るとマキアスは引き攣った顔で呟きながら受け取った。

 特別実習の内容はそれぞれA班とB班に分かれて指定の実習地へ赴き、用意された課題をクリアしていくといったもの。記された班編成を見ると、リンクも結んでいないのに振り返り表情を見なくてもそこかしこからドン引きしている感情が伝わってくるようだった。

 

 

 

 

 

 

 一日の終わり。夕餉に湯浴み、明日の準備を済ませたティアは自室の机で今朝届いていた手紙を引き出しから取り出す。

 士官学院に通う兄に手紙を出し始めたのがもう十年前か。まさか逆の立場になるなんて当時は考えもしなかったことだ。

 差出人はオリビエ・レンハイム――懐かしいその名を指で撫でる。丁寧に封蝋を外し手紙を開いた。

 

『親愛なる我が妹へ。学院生活にはもう慣れただろうか』

「ぼちぼちですね。色々と新鮮なことが多いです」

 

 お決まりのフレーズから始まる手紙を目で追う。まだ三週間か、もう三週間か。どちらにとるべきだろう。初日のオリエンテーリングに始まり、時間が思いのほか早く過ぎていったように思う。

 

『入学式はスリリングだったね。ちょっとしたイベントを行なうとは聞いていたが、彼女も随分ユニークな性格をしているようだ』

「もう。まだ残っていらしたのなら、顔くらい見せてくださればよかったのに」

 

 オリエンテーリングの終点。Ⅶ組への参加を正式に決めたあの広間にもいたなんて。

 入学式に出席していることは知っていたが旧校舎では気付けなかった。なんだか悔しい。名ばかりの理事長だったのは一昨年まで。Ⅶ組設立を主導したのはオリヴァルトだからおかしなことではないのだが。

 だから、彼女と良い酒が飲めそうだなんてことは考えないでほしい。きっと気が合うことに違いないだろうけれど、ミュラーが苦々しそうに語ったリベールでの顛末とサラ教官の部屋に大量に転がる空き瓶を類えてしまった。まだ自分だって一緒に酒を交わしたこともないのに、なんて思いははただの気のせいだ。

 

 そのまま手紙を読み進めると、ある文字が目に止まった。

 

「アークス……」

 

 まだ全スロットも解放できていない自身の戦術オーブメントを開く。エプスタイン財団とラインフォルト社が共同開発した第五世代戦術オーブメント。中心にマスタークオーツがセットされているだけでまだまだ心許ないが、本当の実力はそこではない。

 戦術リンクはいずれ劇的に戦況を変える。戦場において革命を起こすことが出来る力になる。それが遺憾なく力を発揮する機会はそう遠くないと実感しまうことが、少し怖い。進歩し続ける技術力は止められない。抑止するならば別の方向から攻めるべきだ。

 ――これ以上好きにはさせたくない。固く握り締めた拳がふるりと揺れる。

 

 手紙には当然のごとく特別実習についても書かれていた。特別実習では否が応でもこの激動の時代にある帝国を目の当たりにするだろう。目を背けず、どうすべきか考えざるを得ない。

 しかしあのサラ教官もなかなか人が悪い。苦労を強いられるであろうエマに心の中でエールを送った。

 

『余裕が出来たら帰ってきてほしい。アルフィンもセドリックも寂しがっているし、僕も会いたい』

 

 また手紙を出すよ。そう括られた手紙を見つめると元通りに折り小引き出しにしまい、まっさらな便箋を取り出す。お気に入りのペンを持ち、ゆっくりと手紙を書く。

 

 親愛なる兄へ。どうか見ていてほしい。きっとあなたの力になるから。そして、私が帰るまでアルフィンを宥めてほしい。その内必ず顔を出すから。

 まるで願うように、祈るように。さらさらと便箋にペンを走らせる。まっさらだった紙が立派に手紙と称することができるようになってきた。

 

「もうこんな時間だったの」

 

 時計を見やりながら呟く。明日も授業だ。ペンを置き手紙に封をした。

 カーテンの隙間から夜空を覗く。雲はなく、少し欠けはじめた月がぽうっと光っている。明日も、明後日も晴れたらいい。そう思いながらベッドに横になる。

 

「おやすみなさい、兄様」

 

 そしてティアは目を閉じて眠りに付いた。

 




次回から実習です


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交易町ケルディック

 4月24日

 

 三日前。実技テストが行われた水曜日に、サラ教官から特別実習が言い渡された。おそらく、この実習がオリビエの言っていた"例のアレ"なのだろう。

 説明も程々に実習先と班分けが伝えられる。ティアはリィン、アリサ、ラウラ、エリオットと同じA班で、実習地はケルディック。帝国東部のクロイツェン州にある交易で栄えた町だ。

 一方で、残りのメンバーはB班として紡績町パルムへ向かう。どちらの班にもバランスよくメンバーが分けられており、戦闘面での不安は少ない。発表された瞬間のマキアスとユーシスの顔は推して知るべし、だ。

 

 

 

 トリスタを出発し、列車に揺られること約一時間。目的地であるケルディックに到着したティア達は付き添いで来ているサラ教官を起こして列車から降りた。

 

「凄い……とても綺麗ですね」

「うっふっふ。ここで飲める地ビールは最高よ。君たちは学生だからまだ飲んじゃダメだけどね~」

 

 駅を出てまず目に入ったのは、帝都では見られない木造の建築や点在する風車が特徴的な田舎らしい牧歌的な景色。しかし町は大市目当てで様々な客が訪れており、商人達の活気ある声が響き、穏やかなだけではなく賑やかさもある。

 道中車窓から見えた大穀倉地帯では、実りを迎えた秋撒きライ麦が黄金色に輝き、目を奪われる光景が広がっていた。ライ麦を使った特産品の地ビールが最高だとサラ教官は勝ち誇ったように告げるが羨ましがる者は一人もいない。

 

「ビールはともかく……ライ麦なら、私はパンが気になりますね」

「言われてみれば。昼が楽しみになるな」

「実習じゃなくてただの旅行で来たかったわね」

 

 サラ教官の案内に従い、まずは宿屋――風見亭に向かう。宿の女将マゴットを紹介された後、次は用意されていた部屋へと連れられた。扉の開いた先には五人でも十分にくつろげそうな部屋に、向かって右側にはソファ。左側には、ベッドがそれぞれ手前に三台、奥に二台並べられていた。

 

「一部屋に……ベッドが五台……」

「ま、まさか男子と女子で同じ部屋ってことですか!?」

 

 わなわなと震えながらティアが呟くと、アリサが声を上げた。配慮ゆえかベッドはそれぞれ方向も変え、手前と奥側に分けられてはいるがかなり距離も近い。男女同室はサラ教官の指示のようで女将は申し訳なさそうにしている。

 固まっている二人に、リィンとエリオットがどうしたものかと気遣わしげな視線を送る。

 

「――二人とも。ここは我慢すべきだろう。そなた達も士官学院の生徒だ。それを忘れているのではないか?」

 

 厳しいようだがラウラの言っている事は正論。そもそも軍は男女区別なく寝食を共にする世界。部屋を同じくすることは、いずれは慣れる必要がある。早いか遅いかの問題だ。短く、小さく唸って、観念したと溜め息をつく。

 

「そうね、それにあの二人なら何かする筈もないわよね」

「そうです! あったとしてもそれは不慮の事故です」

「リィンとエリオットなら寝顔を見たりしないだろうし」

「寝起きの顔だってきっと見ないようにしてくれます!」

 

 顔を見合わせて両手の拳を握り、鼓舞し合う。実は楽しんでないか、と3人は言いたくなったがその後の展開は火を見るよりも明らかで、そっと胸の内にしまい込んだ。

 

「おーい、聞こえてるぞー」

「喜んでいいのかなぁ……?」

「ブレードならばまた喜んで受けるぞ」

 

 それは何か違う、とは言いだせず、リィンとエリオットもまた顔を見合わせため息をつく。

 ケルディック行きの列車内で時間つぶしに始めたカードゲーム『ブレード』に、ラウラは案外ハマってしまったようだ。真っすぐな彼女の性格ゆえに勝率は芳しくなかったのだが、何事にも負けまいとする意思にカンパイである。

 

 

 

 

 

 

「これが手配魔獣……つ、強そうだね」

「うむ。あの分厚い皮膚、斬るには少々手間取りそうだが……」

 

 男女同室問題が一段落ついたところで、女将は士官学院の紋が印刷された封筒を手渡して仕事に戻った。その封筒には特別実習における課題と注意点が記された紙が人数分入っていた。実習の課題は合計で三つ。その課題の内の一つが、現在ティア達が退治している魔獣の討伐だ。

 獰猛そうなうめき声を頼りに、東ケルディック街道の外れにある高台で巨大なトカゲのような魔獣を見つけた。手配書のとおり、鋭い牙状の歯が生えており、太く長い尻尾から繰り出されるむち打ちは殺傷力が高そうだ。

 エリオットは魔導杖を握り締め、そっと木の陰から顔を出して魔獣を盗み見る。これまで街道にいた魔獣は後方支援など必要ないくらいにあっさりラウラとリィンが片付けていたが、手配魔獣相手となるとそうはいかない。

 

「今まで楽させてもらった分、しっかりサポートするわね」

「動きは鈍そうですし、狙いやすいですね」

 

 致命傷まではいかずとも、一撃まともに食らうとかなりのダメージになることは必至。回復や補助に足止めと、すべき事は多い。

 

「ここはリィンと私で一気に片を付けるべきではないか?」

 

 リィンの素早い太刀筋なら魔獣を撹乱させることができる。その隙を遠距離から攻撃し、弱ったところをラウラが一気に切り伏せればいい。ラウラはそう反論するが、リィンが高台を見ながら説明する。

 

「闇雲にあの尻尾を振り回される崖が崩れるかもしれないし、あの魔獣が畑に落ちて民家を襲いに行くと怖い。ここは強力なアーツで確実に仕留めるべきだと思う」

「……分かった」

 

 納得いかないところもあるが、仕方ない。そう言いたげな面持ちではあったが、ラウラは了承した。

 

「エリオットは解析が終わり次第指示を出してくれ」

「うん!」

 

 リィンとエリオット、アリサとティアがそれぞれリンクを繋いで、木の陰から姿を現し、手配魔獣に挑んでいく。動く人影に気付いた魔獣がのそりとした動きで振り返ったところに、すかさず頭を狙い撃つ。

 

「かったいわね……!」

 

 貫通することなく硬い鱗に弓矢は弾かれたが、魔獣の注意は完全に引きつけた。崖からまっすぐにこちらへと向かってくる足元、その指先に正確に銃弾と弓矢が撃ちこまれると煩わしさから一気に振り払おうと背を向け大きく尻尾を振りかぶる。

 

「はあ!」

 

 ザシュッ。ラウラが大きくジャンプして、尻尾が地面にかすった瞬間に大剣で尻尾を地面に縫いつけた。

 ぐあああと大きく咆哮を上げる魔獣の背後で、尻尾の餌食にならぬように距離をとり、忍びよっていたエリオットが叫ぶ。

 

「解析完了! こいつ、水に弱いみたい! フロストエッジいくよ!」

「はい!」

 

 言うが早いか、エリオットは駆動を開始した。尻尾を引き抜こうと勢いをつけタックルする魔獣をかわし、リィンが素早く首筋を斬りつけた。そして、ピシっという音をたてて冷気が魔獣を包み、エリオットとティアの手元から淡い水色の光が発せられ、氷の刃となって魔獣に襲い掛かる。

 

「あ、凍った……」

 

 苦痛と怒り混じりの咆哮を上げながら、手配魔獣の顔と尻尾だけを残した全身氷付け像が完成した。

 

「東ケルディック街道の魔獣退治……これで一通り実習課題は終わったか」

 

 リィンが手配魔獣を仕留めた太刀を静かに鞘に収めた。一度深呼吸をすると背後から視線を感じたが、振り返るとすぐに逸らされる。声をかけても「なんでもない」と返され、それ以上続けることもなかった。

 

「少ないと思ったけど、一通りこなすと結構時間かかったね」

 

 エリオットが伸びをしながら言う。

 必須実習課題だった魔獣退治と街道灯の交換。一日ごとにまとめたレポートを、後日担当教官に提出するという特記事項も、極めて特別な内容でもない。特別実習と銘打ったにしては、拍子抜けしても仕方のない課題だ。しかし、必須課題の二つに、薬の材料調達と全ての課題を完遂する為にはケルディック中を歩き回る必要があり、ハードな課題には違いなかったのだが。

 

「お手伝いさんっていうか何でも屋というか……」

 

 まるで遊撃士のような課題だった。町へ帰りながら実習内容を改めて振り返る。士官学院生という立場の為か声をかけられる機会は多くはなかったが、課題を通じて現地ならではの情報を得られたことは貴重な経験だ。

 

「どうして必須と任意に課題を分けたのでしょうね」

「ん~……明確な評価の基準にするためとか?」

「依頼人……は関係ないわよね」

「緊急性の高低はどうだろう」

 

 ふと呟かれた言葉は、脈絡のない言葉のようだったがエリオット、アリサ、ラウラはそれぞれ思ったままの意見を口に出す。どの課題も決して不必要だったり、この実習のためだけに誂えたものではなかった。

 俯きがちに考え込んでいたリィンは合点がいったように顔を上げた。続きを促す視線を送られて、リィンは続ける。

 

「依頼の取捨選択に、俺たちがそれを期間内にこなせるかどうか――その見極めも含めて『特別実習』ってことじゃないかと思ってさ。どれも安請け合いしていいものじゃない。必須の課題は教官が確実に出来ると判断したものだろう。……これが俺の意見だ」

「ふむ。先週の自由行動日のそなたは、随分と有意義な時間を過ごしたようだな」

 

 ラウラは感心しているようだがどこかその目には探るような色が浮かんでいた。が、リィンを見るラウラを見るティアの奇妙なトライアングルはすぐに崩れることとなる。

 自由行動日に学校内どころかほぼトリスタ中を駆け回っているリィンは目を引いた。頼まれていた仕事以外にも、一人でクラブ活動の片付けをしているアリサや、用務員である老紳士の手伝い等、彼が仕事に呼ばれるのか、それとも彼が仕事を呼ぶのか。これからもその姿を度々見ることになるだろう。

 

「どうかな?」リィンがティアを見た。「答えを出すのは私ではありませんよ」ティアはにっこりと微笑む。その表情はアリサやエリオットと同種の満足そうな表情だ。

 

 革新派の台頭により変化しつつあるが未だエレボニア帝国には大国ゆえの保守的な面が強く残っている。突出した個を認めようとしない。その帝国において、学生に考えを委ねるカリキュラムは、確かに"特別"と称するに相応しいかもしれない。

 

 また、実際に足を運ぶまではケルディックについても、トリスタについても本で読んだ知識しか知らなかったが依頼を一通りこなすうちに自然と土地全体を歩き回り、話を聞く機会も多かった。各地を回り、文献情報だけでなく、自分なりに情報の収集・分析をすることが出来るというのは、この広い帝国では得がたい経験だ。

 宿屋に着くと案内は終わったとばかりに昼間から飲んだくれていた担任の姿を思うと、本当にそうだろうか?と素直に感謝できなくなりそうで、ヴァンダイク学院長に心の中で感謝を告げた。

 

 

 

 

 

 

「今日の課題は片付けたしもう少し周辺を見てから宿に戻ろうか」

 

 依頼を出した農家に報告を終えると、ケルディックへ着く頃にはもう日が暮れるだろうという時間。見回りながら戻っていると夕食丁度良い時間になるだろう。昼に食べた特産のライ麦パンはやはり絶品だった為、実習での来訪ではあるが夕食にも期待してしまう。

 宿に着いた瞬間ビールを飲み始めたサラ教官は昼に戻ったときもまだ飲み続けていたが、そろそろ潰れてはいないだろうか。この一ヶ月足らずで、サラ教官がⅦ組生徒と彼女が暮らす第三学生寮の自室や一階のソファで飲んだくれている姿が既に五回確認されている。心配だ。

 

「大市が見たいな~」

「バリアハート産の宝石や毛皮は見ておきたいわね」

「観光ではないぞ……」

 

 苦笑するラウラだが実は彼女は大市のみっしぃぬいぐるみが気になっている。順風満帆に実習一日目を終えられそうだとティアとリィンは前を歩く三人の会話を聞きながら笑った。

 

「今食べ物屋台を見るのは少し危険ですね」

「お腹空いてるときに屋台とか見るとつい買っちゃうんだよね。それでよく姉さんに怒られたなあ」

 

 振り返ったエリオットが照れたように笑う。彼らしいエピソードだ。ユミル、ルーレ、レグラム、育ちの三人は屋台とは縁がなくそういうものなのかと感心している。もっとも、ケルディックの屋台は帝都と違い、食品よりも食材がメインなので余計に空腹感が増すかもしれない。

 

「エリオットくんは確か、帝都出身でしたか。広場の屋台はどこも美味しいからつい覗いてしまいますよね」

「そうそう。ティアも帝都出身だっけ? 僕はアルト通りなんだ」

「ええ。そうだ、アルト通りといえば音楽喫茶がありましたね」

 

 音楽が趣味だという話から恐らく常連であろう店の名前を出してみる。予想通りエリオットの馴染みの店のようだ。そうして話しながら歩いているとケルディックに戻ってきた。

 教官はどうなったろうと報告と確認の為風見亭へ戻ろうとしたが、大市で揉めている声がするので足を運ぶこととなった。過去の自分よ、残念ながら順風満帆にとはいかないようだ。ある種予想通りではあるが心の中で一人ごちた。

 

 




 あえて言葉にするとこういうことだったのかな、と。あくまで私の解釈です。


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夕暮れのケルディック

「ここは俺の出店場所だ! ショバ代だってちゃんと納めてあるんだ!」

「でたらめを言うんじゃない! 私はこの通り許可証だって持っている!」

 

 ケルディックの大市へ駆けつけると二人の商人が激しく言い争っていた。地元の商人と帝都の商人の両人が同じ場所の許可証を持っているため困惑し、話し合いがだんだんヒートアップしてしまったようだ。喧嘩する二人を見ている若い女性に声をかけると、わたわたしつつも丁寧に答えてくれた。

 

「さっきからずっとあの調子なんです」

「ここ最近は揉め事が多くなっててな。折角来てくれたのに悪いね」

 

 困りきったとばかりの表情が浮かぶ。横から別の商人が補足を言い加えた。眉を八の字にして力なく笑っている。

 屋台から覗くように見ている商人もいれば、白けた顔で関わらないようにしている商人も少なくはない。規模は違えど揉め事が多くなっているのは確からしい。

 

「…………」

 

 ふむ、と話を聞きながらティアは考え込む仕草をした。ぽつりぽつりと商人を囲む人だかりが増してきているが、両者一歩も譲らない口争は未だ終結の色を見せない。

 

「まずい……!」

「止めるぞ!」

 

 言い争いだけではなくお互いの襟ぐりを掴み始め、このままでは殴り合いになってしまう。リィンとラウラが急いで二人を引き剥がし羽交い絞めにした。

 

「事情は分かりませんが、まずは落ち着いてください!」

「ガキが大人の話に口出すんじゃねえ!」

 

 身なりの良い商人は押さえられて落ち着いた様子だったためリィンは手を放した。一方、若い商人はまだ怒りが収まらないらしくラウラの拘束を振りほどこうとしている。

 

「少しいいでしょうか」

 

 眉を寄せて真剣な眼差しでティアは声をかけた。若い商人が不機嫌に振り向く。

 

「事情は窺いました。ですが、ここは一度この場を収めてもらえませんか」

「ふざけんな! 嘘ついてやがるのはこのおっさんだぞ! なんで俺が――」

「権利を譲る、ではなくまずは周囲を見てほしいのです」

 

 言葉を遮り一歩近づく。自分達を取り囲む人だかりを見て、大勢に迷惑をかけていたことを認識し、ようやく落ち着いた男は顔を俯かせた。羽交い絞めにされたままの男の顔を覗き込む。

 

「揉め事が増えていて不安なお気持ちは分かりますが、まずは場所を移し、冷静に話をしませんか。嘘をついていないと言うのなら、責任者に判断を仰ぐべきだと思います」

「……」

「元締めだって信じてくれますよ」

「はあ……もういいよ。放してくれ」

 

 若い商人はそれでも無関係の子供に介入されたことが不満で、煮え切らない顔をしているが頭が冷えたのかラウラに声をかけた。

 

「やれやれ、落ち着いたようじゃな」

「元締め……」

 

 落ち着いたところで大市の入り口から大市の責任者であるオットー元締めが現れた。騒ぎを聞きつけてやって来たようだ。元締めが声をかけると集まっていた人々も散り、大市の不穏な雰囲気を払いだんだんと活気のあるケルディックの大市の姿を取り戻していく。

 かくして大市での騒動は収まり、ティア達は元締め宅に招かれ話を聞く運びとなった。

 

 

 

 

 

 

 元締めの話により、今回起こった騒動の背景にある領主――アルバレア公爵家との確執が明らかになった。

 

 陸軍機甲師団の軍備拡張計画が正式に帝国政府より発表された。現時点でも大陸最大規模の軍事力を誇る帝国正規軍の更なる戦力の強化。議会で反発していた貴族院――貴族派がとる行動は自ずと決まってくる。

 常識の範囲を超えた大幅な増税。それに対する商人の陳情。そして急に管理が杜撰になり大市で起こった騒動にも不干渉を貫く――。あまりに"分かりやすい"行動だが、切羽詰まっていることがよく分かる。

 

 大市で騒動を起こしていた二人の商人は交代であの場所を使うことに決まり話は落ち着いた。安心はしても、やはり腑には落ちない。遣る瀬無いままに元締め宅を後にしてもう一度大市を見回ってから風見亭に戻った。

 

「ふぅ……ごちそうさま。流石に野菜とか新鮮で美味しかったね」

「うん。これは明日も気合が入るな」

 

 エリオットが満足そうに笑うとラウラが同意する。

 ライ麦パンのサンドにポタージュ。にがトマトとサーモンをマリネしたサラダ。メインディッシュにはクリームシチュー。地元の食材をふんだんに使った夕食を満喫し、一息ついたところで5人は実習一日目に付いて振り返る。

 

「……本当、僕たちってなんで集められたんだろうね」

「私たちに色々な経験をさせようとしてるみたいだけど」

 

 意図があることは分かるがそれが何なのかは分からない。考えるにはまだまだ情報が少なすぎる。アリサ達は考え込むが答えはなかなか出そうにない。

 

「なんでティアは嬉しそうなのよ」

「いえいえ。こうやって悩む時間もいいなと思いまして」

 

 なによそれ、とアリサがくすりと笑う。Ⅶ組の真の目的は分からないけれど、士官学院に入った以上何かの目的はあるだろう。リィンの一言によって話題はそれぞれの士官学院への志望理由へ移っていった。

 

 目標としている人物に近づくため、とラウラが。

 実家を離れて自立したかった、とアリサが。

 それぞれの入学理由を話した。ラウラの憧れる人物といえば父親の光の剣匠かと思われたがラウラはぼかして話をアリサに振る。実家と上手く行っていないというこれまた意外な動機だった。自然な流れで次はティアの番に。

 

「もっと広い世界を見てみたくなったんです。私は帝都から一人で出たことがなかったので」

 

 多感な時期らしいもっともな理由。より具体的にするならば、現場を知っていれば報告だけでもより詳細に状況が分かる。貴族と平民の生徒がいるトールズならば両者に触れ、それぞれの目線を知ることが出来るから、といったところか。

 ぐるりと女子三人が時計回りに答えていくと次は男子。

 

 エリオットは元々音楽系の進路を目指していたけど、と言葉を濁した。

 

「俺は……そうだな。"自分"を――見つけるためかもしれない」

 

 4人とは違い抽象的な言葉を選んだリィン。エリオットのように追求されたくない様子でもなく、自分でも分からないといった感じだ。

 アリサの言葉を借りるならばロマンチスト。三対の暖かい視線に照れくさくなったのかリィンは目を伏せた傍ら、ラウラだけが無言でリィンを見つめている。一日の間リィンへ視線を送ることの多かった彼女だがその視線は徐々に厳しさを増していた。最早睨んでいるという表現の方が適しているかもしれない。

 

 一通り話し終えるとレポートを書くためにも二階の用意された部屋へ向かう。用意されていた課題に、大市での騒動。その後偶然出会った士官学院生ベッキーの父ライモン商人から提案されたタイムセール中の店番。1日目のレポートを纏め上げると後は明日に備えて寝るだけ。ではあるのだが、その前にしなくてはいけないことが一つ。

 

 

 

 

 

 

 浴槽の縁にもたれかかり大きく伸びをする。少し遅くなってしまった為ほぼ貸しきり状態の浴室。人数を考慮しても浴室そのものが寮のものに比べて広い。木製の趣を感じる風呂だ。

 

「癒されるわねえ……」

「極楽です……」

 

 首までどっぷりと浸かり疲れた体を癒す。西から東へ、北から南へ。ケルディック中を歩き回り、手配魔獣の他にも街道にいる魔獣との戦闘も何度か。街道にいる魔獣との戦闘そのものは呆気ないものではあったが、慣れない街道探索もありティアやアリサ、おそらくエリオットもそれなりの疲労度だ。

 

「満喫しているようだな」

 

 少し遅れて来たラウラが体を洗い終えてティア達に近づく。鍛えられて引き締まった美しい体が湯船に浸かり、小波を立てた。ちゃぷちゃぷとお湯を手で掬い肩にかける。

 

 ちなみにあれだけ飲んでいたサラ教官は顔色もすっかり元通りでB班のゴタゴタを収めるためにパルム市へ向かった。どういう構造をしているのだ。

 

「あの二人はいつまでこじれてるのかしらね……」

 

 やれやれとアリサが肩を竦める。少なくとも。

 

「今晩一緒にテーブルを囲んで食事した光景は……想像できませんね。全く」

 

 アリサに続けてティアが苦笑する。

 

 マキアスが嫌っているのはユーシス個人ではなく貴族そのもの。"貴族は傲慢"――それはユーシス個人に対する評価ではない。ユーシスはそれを理解しているのに訂正せず逆に煽るためマキアスが謝ることも、歩み寄る事もできないのも事実。

 原因ははっきりしているのにこればかりは当人達に納得させるしかない。頭を悩ませるだけで時間が過ぎていく。まあ、とラウラが一旦言葉を切った。

 

「彼らのことばかり気に病んでいても仕方あるまい」

「そうね。こっちだって問題がないわけじゃないんだし。気を引き締めなくちゃ」

「はい。明日に備えて今は体を休めましょう」

「ええ」

 

 

 

 

 

「……それで、さっきからそのジロジロ見てくる視線は一体何かしら?」

 

 穏やかな笑顔から一転、にこにこしながらアリサを見つめているティアの視線を指摘する。

 

「女として憧れちゃうなと思いまして」

「ふむ。確かにこれは見入ってしまうものがあるな」

「も、もうっ! 何言ってるのよ!」

 

 ラウラまで乗ってきた話題に、アリサが伸ばしていた足を抱え体操座りにする。元々小柄なこともありかなりコンパクトなシルエットになってしまった。それでもキッと睨んでくるがじんわりと温まった体は頬までほんのり赤く、あまり期待した効果は得られない。ありていに言うのならば可愛いの一言に尽きるだろう。

 

「ふふ。私は先に失礼する。そなた達も、のぼせる前に上がるといい」

「そうします」

 

 もう少しゆっくりしないかと引き止めるのは憚られて。ラウラを見送り体を反転させる。ちゃぷん。ティアの動きに合わせて波紋が広がった。縁に身を乗り出すようにして体を預ける。視線の先には湯気に隠れてだんだん見えなくなっていくラウラの後姿。いつも颯爽としている彼女らしからぬどこか気落ちした背中だ。

 

「気になりますか」

「そりゃあね」

 

 ティアがアリサに顔を向ける。話題に上がったのはラウラが風呂に来るのが遅れた理由。

 

『――そなたはなぜ本気を出さない?』

 

 レポートを書き終えたアリサ、ティア、エリオットに続いて部屋を出た後でラウラはリィンを引き止めた。怪訝な表情で尋ねられ、リィンは動揺した。

 

『実技テストも、今日の手配魔獣にしても。周りをよく見ていると判断しても良いが、八葉の者ならばあの程度の魔獣、そうなる前に仕留められたのではないか?』

『買いかぶりすぎだよ』

 

 『これが自分の"限界"』申し訳無さそうに告げるリィンにラウラは『そうか』と一言だけ返す。その後、素振りをしてくるとラウラは一度宿を出た。

 まるでリィンがラウラのお眼鏡に叶わなかったように見える一幕だが、彼女が怒っているのは多分、実力ではないのだろう。ティアは剣の道には生きていない。だが、なんとなくその感情を知っているような気がして、じっと爪先を見つめた。

 

「エリオット君も言っていましたが、何かを抱えているのは皆同じですよ」

 

 顔を上げて宥めるような瞳でアリサを見つめた。向かい合わせのまま、少しの沈黙が流れる。ふいにアリサが口を開いた。

 

「……ティアも同じなの?」

「さあ。どうでしょう」

 

 ぽたりと雫が滴る前髪を手で梳かす。そしていつも通りの綺麗な笑みを浮かべたまま、仕切りなおしとばかりにラウラとリィンを仲直りさせる方法について悩み出した。ラウラもリィンも、お互いが嫌いなのではない。逆に、お互いに気を遣いすぎてしまっただけで。落としどころはあるはずだ。そうであればいい。リィンもラウラも。――ユーシスとマキアスも。

 

 




閃の軌跡マガジンが楽しみです。


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ルナリア自然公園

 

 4月25日

 

「ルナリア自然公園……誰もいませんね」

 

 西ケルディック街道を駆け抜けて辿り着いたのは管理人のいないルナリア自然公園。ケルディック北部に位置するヴェスティア大森林の一部区画を整備して作られた観光スポットだ。

 

 ここを訪れることとなったのは今朝に再び大市で起こった出来事――二つの屋台が壊され、商品が全て盗み出された事件がきっかけだ。昨日出店場所について揉めていた二人の商人がまた中心となったこの騒動、お互いに相手に気付かれないよう屋台を破壊し、売り物全てを運び去ったと言うあまりに不自然な推理が領邦軍から押し付けられ収束した。

 

 それで納得できるはずもなく。ティア達は独自に調査を始め、大市での聞き込みの結果領邦軍が怪しいと気付き、領邦軍の詰所へ足を運んだ。話を聞くと、エリオットの機転もあり事件の概要がつかめた。結果、事件の実行犯はここルナリア自然公園を拠点としていることが判明した。

 

 わざと出店場所をかち合わせほとぼりが冷めない内にさらに大きな事件を起こす。そしてどうにも立ち行かなくなったところで領邦軍の存在をアピールする。権限を悪用した方法だが疲弊したケルディック商人たちの心を折るには有効な手段だ。

 

 自然公園入り口の門に落ちていたブレスレットを握り締める。装飾品を扱って帝都商人の商品と同じデザイン。このブレスレットが自然公園に盗品が運び込まれた何よりの証拠になる。荷物を大市から運び出したのは深夜のこと。時間的にもまだこの自然公園から運び出してはいないだろう。盗品は確実にここにある。

 

「このご立派な錠前はどうしましょう」

「内側から掛けられているようだな」

 

 長く自然公園で使われていたものとは思えない真新しい錠前に触れる。

 商品そのものではなく"商品を盗む事"が目的だろう犯人達がまた潜伏しているかは確信を持てなかったが、これが内側から掛けられている事実はまだ内部に人がいることを示している。とすると、あまり大きな音を立てる方法は避けたい。

 すると錠前を眺めていたラウラが一度錠前の感触を確かめると門から離れ、大剣を構えた。

 

「で、出来るの……!?」

「私の剣ならば何とか――」

 

 アリサとエリオットが慌てている。ラウラは出来る、と言いかけたがそれをリィンが遮って前に出る。

 

「――俺がやろう。その大剣よりも静かにできるはずだ」

 

 真剣に見つめるリィンに、ラウラは何も言わずに引き下がった。

 

「ティアも下がってくれるか」

「はい」

 

 これは良い傾向なのだろう。剣の世界は分からないが、リィンがどこかスッキリした表情をしていることは見て分かる。

 先ほどまでラウラがいた場所で、今度はリィンが太刀を腰元の鞘に収めたまま一呼吸。

 

「――八葉一刀流 四の型《紅葉切り》――」

 

 小さく呟いた。

 次の瞬間、居合い切りの一閃。刀を振り抜かれた錠前から火花が散り、キンと高い金属音が鳴る。少し遅れて真っ二つにされた錠前だったものが役目を果たせずに地面に落ちた。

 

「時間もない。このまま犯人たちの追跡を始めよう」

 

 振り返ったリィンに頷き、返事を伝える。所持品とアークス、武器を確認した後、自然公園へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

 公園内を一周できるように整備された歩道から逸れ、森の奥へと続く道を進むと生い茂った木々が日光を遮っていて昼でも暗い。平行ではない足場にはコケも豊富で時折木の根が盛り上がっている。樹海と呼ぶに相応しい場所だ。精霊信仰の名残である小さな石碑があちこちに立ち並んでいることもあり、独特の雰囲気を持っている。

 

「ま、また魔獣!?」

「エリオット! 下がるがよい!」

 

 カサリと地面を踏み小柄なパンダが笹を振りかぶりながら飛び出した。すかさずラウラが反応し攻撃を防ぎ、着地した魔獣をアリサが射止めた。

 

「なんでこんなに魔獣がいるのよ……」

「興奮しているのも気になりますね」

 

 人の手の入っていないヴェスティア大森林や滅多に人が入らない最奥でもない道に魔獣が徘徊している。ケルディック街道にいた魔獣よりも遥かに興奮しているのは魔獣どころか動物も同じことだ。管理する者がいなくなった為か、それとも縄張りを追い出されたのか。もしくは、その両方か。派手な音を立てないように魔獣を下し進むのは慎重さが要求される。

 

「(何よりも、足場が悪い……)」

 

 ずるっと足が抜ける感覚を覚え、とっさに何かを掴もうと手が空を彷徨う。

 

「大丈夫か?」

「ありがとうございます。ラウラさん」

 

 よろついたティアの手をラウラが即座に掴み引き寄せた。公園に来てからだんだんラウラの表情も厳しさを増している。ラウラの故郷レグラムもまたクロイツェン州に属している。見過ごせないのだ。

 

「普段よりも足の裏全体を地面に着けるよう意識したらいい」

「足の裏を……?」

「へえ、慣れてるみたいだね」

 

 前を歩くリィンが顔だけで振り向いた。木に手をつき、足を指差す。感心したように言うエリオットにリィンは曖昧に笑った。

 その様子を見ながらその場でトントンと静かに足で地面を叩いていたティアにラウラが声をかける。上の空だと思われたようだ。ラウラ自身も複雑な思いでいっぱいだろうに。申し訳なさでティアは苦笑しつつ答えた。

 

「考え事か?」

「……窃盗犯を見つけた後のことを」

「見つけた後って……犯人の拘束に、盗難品の回収でしょ。大市の人たちにも謝罪させて。あとは――」

「あ!!」

 

 アリサが指を折りながら数えていると、エリオットが大声を出して口を塞いだ。

 

「そ、そうだよ! ここの治安維持部隊は領邦軍! 実行犯とグルなら、僕達が捕まえたってすぐ釈放されちゃうんじゃ……」

「その可能性もあると思います」

 

 ティアが頷く。このルナリア自然公園はクロイツェン州の公共施設であり、元管理人はクロイツェン州の役人によって解雇された。領主であるアルバレア公爵家がこの状況を生み出したことは明らかだ。断定はしないものの、ケルディックで起こっている問題の殆どを領邦軍が裏で画策していることは元締めも察している。

 陳情を取り下げさせる為にこれだけのことをしたのだ。万が一犯人たちが暴かれたとしても、隠蔽する為にまた何か企んでいる可能性はゼロではない。

 

「(そこまで愚かではないと信じたいけど)」

 

 いらぬ心配ならば良いのだが。眉間に皺を寄せて、最奥の見えない森の道を見つめる。例え正規軍に引き渡せたとしても保釈は時間の問題だろうが――そう考えて一度瞳を閉じる。「それでも」とラウラの声がした。

 

「我らが窃盗犯を拘束することは変わらないだろう」

 

 凪いだ水面のようなラウラの琥珀色の瞳を見つめる。気高く、凛とした彼女はどこまでも真っすぐで美しい。

 

 元締めの、ケルディックの人たちの顔が頭をよぎる。今の行動は決して無駄なことではない。尻込みする必要も、その暇もないのだ。

 

 

 

 

 

 

「ん……?」

「エリオット、どうかしたのか?」

 

 自然公園の奥で窃盗犯たちと盗品が詰められた木箱を発見し、見事無力化したティア達。突然現れた学生達に応戦するものの窃盗犯たちの練度は低く、制圧には時間はかからなかった。

 往生際悪く、口を割ろうとしない犯人たちを連行しようとしたその時。エリオットが立ち止まった。

 

「笛みたいな音が聞こえた気がして……っ!?」

 

 自然公園に咆哮が鳴り響いた。体に電撃が流れたかのような衝撃に身の毛がよだつ。咆哮に続き聞こえ出した地響き。周囲はうるさいくらいなのに、唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえる。

 

「な、なんだよ今のは!?」

「近づいきてるのか?!」

 

 ティア達が驚いているように、窃盗犯達も驚倒している。リィンが音の発生している方向に意識を向ける。ズン、ズンと地面を揺らし、耳をつんざくような一際大きな雄叫びを上げながら木々を押しのけて音の発生源は現れた。

 

「ガアァアーーーッッ!!」

「な……なんて大きさなの!?」

 

 立ち塞がったのは巨大なヒヒ――グルノージャ。その姿にアリサが声を上げる。

 太く頑丈そうな長い腕。荒い呼吸。この自然公園で出会ったどの魔獣よりも殺気立っている。ティア達を獲物と見定めたかのような眼は血走り、どこか焦点が合っていないようにも感じられる。

 傍らには自然公園内で見かけたものと同種の魔獣を数体従えていた。

 

「この自然公園のヌシといったところか……! どうする、リィン!?」

 

 ラウラの問いに、リィンは腰を抜かしている窃盗犯達を見やる。逃げようにも窃盗犯たちは動けない。いや、逃げようと背を向けたら最後。あの巨獣は自分たちを狩るまで追い続けるだろう。窃盗犯たちを囮にすれば確実に助かるが、その方法はリィンには選べない。答えは決まった。

 

「彼らを放り出すわけにもいかない! 撃退するぞ!!」

 

「承知!」

「分かったわ……!」

「了解しました!」

「女神様……どうかご加護を……!」

 

 リィンが太刀を抜くと他のメンバーも武器を再び手に取る。ラウラがリィンと共にグルノージャと魔獣たちに立ち向かう。ティアは犯人たちを守るために後ろへ回り、アリサとエリオットがサポートする形だ。

 リィンとラウラが、アリサとエリオットがそれぞれリンクの光に繋がれる。

 

 ラウラとリィンが駆け出した。それぞれ左右に回り武器を振りかぶり斬りかかる。しかしそれは巨大な腕に防がれた。グルノージャが腕を大きく振ると二人は一度後方へ飛び武器を構え直す。

 

「燃え尽きなさい!」

 

 アリサが放つ火を纏った弓矢はグルノージャを捉えているが硬い皮膚に遮られ、その身に小さな火の粉を舞わせて地面に落ちた。ダメージを与えることは出来なかった。しかし、火の粉に気を取られて出来た隙にリィンが再び斬りかかる。タイミングをずらしてラウラも。

 グルノージャは煩わしげに巨体を振り、リィン達を振り払おうとする。振り回した腕が二人を捉えた。直撃は避けたが勢いに押され吹き飛ばされる。

 

「っ!!」

「くっ……!」

 

 重い一撃。体勢を立て直そうとするが体が少しよろめく。その間にもグルノージャは迫る。周囲の魔獣を足止めするためのアーツを発動し終えたエリオットが魔導杖を掲げた。

 

「皆……元気を出して!」

 

 杖を地面につき立てる。全員が優しい光に包まれた。

 

「ありがとう!」

「そなたに感謝を!」

 

 言いながらリィンとラウラは動き出し、グルノージャをかわす。

 

 その様子を見ながら、ティアは数発の牽制弾の後、左手に持った戦術オーブメントを開いた。回復のアーツはもうアリサが駆動中。ならば自分はどうするか。

 

「くそっ……なんで俺たちがこんな目に」

 

 忌々しげに呟く犯人の一人の声を聞き逃さなかった。聞き逃せなかった、が正しいのかもしれない。軽い気持ちで誘いを受け、大市の人たちを苦しめておいて被害者ぶるのか。

 

「アークス駆動」

「ひっ!!?」

 

 静かに告げる。ティアの体を円状の術式が包んだ。小さく悲鳴をあげた窃盗犯には目もくれぬまま戦術オーブメントの中心にあるマスタークオーツに指で触れる。

 

「ハイドロカノン!」

 

 強烈な水が大砲のように発射され、犯人たちの頭上を越える。そのまま背後から襲い掛かろうとしていた魔獣を吹き飛ばした。

 

「……お怪我はありませんか」

「あ、ああ」

「助かったぜ」

 

 無事を確認し、意識を前方で戦うリィン達に戻す。休む暇もない連撃により、じわじわとグルノージャは弱ってきている。あと一押しがあれば。援護しながら隙を探す。

 

「フォルトゥナ!」

「いくわよ! ――ヒートウェイブ!」

 

 エリオットとアリサがアーツを発動させた。グルノージャが足元から発生した巨大な火に全身を包まれる。焼かれ、斬られてきた強固な皮膚は漸く耐え切れなくなってきたようだ。苦しげに叫び、火を消そうと暴れている。

 

「我が一撃……とくと見よ! ――奥義・洸刃乱舞!!」

「グア゛ア゛アァ"アァーーー!?!」

 

 光を纏った大剣を大きく振りかぶり、グルノージャを何度も斬りつけるラウラ。最後の回転切りを真正面から受けてのけぞる。ぐらり、巨大な体が傾くが腕をついて倒れるのをこらえた。瀕死の状態でまだ立ち上がろうとしている。

 

「オ゛オオ゛ォ゛ッ!?」

 

 その巨躯が突然動きを止めた。体を締め上げられているのだ。

 

「リィン君っ!」

「リィン!!」

 

 高圧空間の正体。ダークマターを発動したティアがラウラ達の後ろで集中しているリィンを見る。リィンとリンクを結んでいるラウラは何かを確信しているようにリィンの名を叫んだ。

 

「焔よ……我が剣に集え!」

 

 開眼と同時にリィンは凄まじいスピードでグルノージャとの距離をつめる。

 焔を纏った太刀を構え、巨体の懐に入った。

 太刀を両手に持ち、渾身の一撃を放つ。

 

「――斬ッ!!!」

 

 右肩から左脇腹へと容赦なく斬りつけられたグルノージャは最後に大きな断末魔の悲鳴をあげてゆっくり崩れ落ちていく。

 身を焦がし、うつ伏せのままぴくりとも動かなくなった。窃盗犯達は信じられないと小さく呟いている。

 

「やった……の?」

「……みたいですね」

「どうなることかと思ったよ……」

 

 アリサとエリオットは緊張の糸が切れたように座り込み、肩の力を抜いた。その表情は安心感から出る笑顔だ。ティアは胸に手を当て、大きく息を吐いた。あとはリィンとラウラだが。ちらりと視線を向ける。

 

「はぁっ……はぁ……」

 

 まだ真剣な表情のままのリィンは呼吸を整えると太刀を収めラウラの前に立った。

 

「ラウラ。昨夜はすまなかった」

「……そなた自身の問題ゆえ、私に謝る必要はないと言ったはずだが?」

 

 大剣を収めながらラウラがリィンを見やる。リィンは首を振って否定する。

 

「いや、そうじゃない。謝ったのは、"剣の道"を軽んじる言葉を言ったことだ」

 

 ラウラは黙ったままリィンの言葉を待つ。

 『ただの初伝止まり』なんて。老師にも、八葉一刀流にも、"剣の道"そのものに対しても失礼な言葉だった。それを軽んじたことだけは謝らせてほしい。

 リィンはそう告げるとまっすぐにラウラの瞳を見つめる。

 

 ラウラは答えた。

 どんな人間も身分や立場に関係なく、誇り高くあれると信じている。自分自身を軽んじた事こそ恥じるべきだ。

 凛と言い放つと、リィンに問う。

 

「……そなた、"剣の道"は好きか?」

「好きとか嫌いとかじゃなくて、あるのが当たり前で……自分の一部みたいなものだ」

 

 言葉にするのは難しいけれど。リィンは自分の気持ちをそのまま告げた。その言葉を聞くと、ラウラは私も同じだと笑顔を見せた。

 

「いい稽古相手が見つかったと……そう思っていいのかな?」

「光栄だ」

 

 リィンも微笑む。脅威を退けただけではない安堵の息がリィンとラウラを包んだ。

 後ろではエリオットとアリサ、ティアが顔を見合わせて胸を撫で下ろしている。

 

「この勝利――俺たちA班全員の"成果"だ」

 

 リィンの言葉を聞き、全員が顔を見合わせた。思わず笑みがこぼれる達成感。

 しかし、その余韻に浸る暇もなく、歓迎できない客が姿を見せた。ピーッと笛の音を鳴り響かせ駆けて来る。

 

 座り込んでいたエリオットとアリサが立ち上がり、リィンとラウラの後方に控えた。

 リィンとラウラは武器を構えはしないがすぐに抜けるよう柄に手を添える。その表情は硬い。

 

「……無粋な方たちですね」

 

 領邦軍隊長の合図で兵士は走り出し、ティア達を(・・・・・)取り囲んだ。

 

 



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《氷の乙女》

 領邦軍隊長はティア達を一瞥すると犯人グル-プに視線を向けた。ティア達を取り囲み動きを封じたまま、隊長の指示で後ろに控えていた数人の兵士が犯人たちのもとへ向かう。兵士の表情は見えないが、捕らえられている筈の犯人たちはニヤニヤと勝ち誇ったかのような笑みを浮かべている。

 

「なぜ我々まで取り囲むのかな」

「君たちも協力者という可能性がないわけではないのでね」

 

 ラウラが当然の疑問を口にする。刺すような視線を受けながら、隊長もまた当然のように言ってのけた。

 

「大人しくしていればすぐに君たちの無実は証明されるだろう」

「それって、つまり……?」

「……あきれ果てたわね」

 

 この件から手を引き、余計なことはしゃべるな。言外に含ませた意味を察したアリサは呆れを隠せない。口には出さないもののアリサ以外の全員も開いた口が塞がらずにいる。

 クロイツェン州領内においては領邦軍は高い権限を持つ。それこそ、ティア達が窃盗の犯人であると言えば、その暴論がまかり通ってしまう程度には。

 

「フン。窃盗事件の重要参考人としてそいつ等を連行しろ」

「はい!」

「待ってください」

 

 命じられた兵士たちに急かされ、犯人たちはゆっくりと立ち上がる。この場を立ち去ろうとする兵士たちをティアが止めた。取り囲む兵士たちがカチャリとティアに向かい銃を構え直す。その様子を確認した後、穏やかに隊長に問いかける。

 

「捜査もしていないはずの貴方がたが、なぜ犯人を特定し、潜伏場所を見つけたのか。納得できる理由をお聞かせいただけないでしょうか」

「弁えろと言っている。ここは公爵家が治めるクロイツェン州の領内だ。これ以上、学生ごときに引っ掻き回されるわけにはいかんのでな」

「では貴方がたは"学生ごとき"に遅れをとっていたことになってしまいますね」

 

 この場に似つかわしくない楽しそうな表情を浮かべたティアに、隊長は小さく舌打ちをすると声に苛立ちを隠さなくなった。

 

「……小娘が。あまり口答えするようなら、貴様らをバリアハートまで連行するぞ」

「なっ!?」

 

 暴挙に踏み切ろうとする領邦軍。一同は驚き、不安そうな眼を向ける。ぎろりとした隊長の視線に、ティアは楽しそうな表情を引っ込め凛とした眼差しで見つめながら口を開いた。

 

「公爵家は……領主は領民を守るためにその権力を与えられています。その領民を守る義務を放棄し、いつまで権利だけを主張するおつもりですか!」

 

 静かな口調だが反論を許さない迫力があった。普段見せないティアの様子にアリサ達は驚き、領邦軍も気圧された。しかし、たかが小娘相手に呑まれるわけにはいかない。隊長は目尻を険しく吊り上げた。

 捕らえろとでも言い出しそうな雰囲気に、リィン達の足がじりりと動いた瞬間。

 

「――そこまでです」

 

 涼しげな、それでいて凛とした声が一帯に届いた。現れたのは灰色の軍服を纏った兵士四人を従えた水色の髪の女性。

 

「クレア大尉……」

 

 軍人たちの正体は帝国正規軍の中でも最新鋭と謳われている鉄道憲兵隊だ。彼らの登場に驚き、両方軍はうろたえている。その焦りと驚きにティアの呟きはかき消された。

 

「この地は我ら領邦軍が治安維持を行う場所……貴公ら正規軍に介入される謂れはないぞ?」

 

 貴族派の領邦軍に対し、鉄道憲兵隊は対立している革新派に属する。犬猿の仲とも言える憲兵隊の女性将校に、領邦軍の隊長は苦々しげに口を開いた。

 向かい合う女性は冷静に、射抜くような視線で静かに話す。

 

「お言葉ですがケルディックは鉄道網の中継地点でもあります。そこで起きた事件については我々にも捜査権が発生する事はご存知ですよね?」

 

 さらに女性は続けた。元締めや関係者の証言から判断するに、彼らが犯人である可能性はない、と。女性は一度振り返ると領邦軍に向けるものとは違う優しげな笑みを浮かべてティアに視線を送った。領邦軍隊長は唇を噛む。

 

「何か異議はおありでしょうか?」

 

 最後に女性はそう問うが反論できるはずもなく、隊長は撤退命令を下した。それを聞いた窃盗犯たちは、話が違うと言い焦りだしたが領邦軍も庇い立てすることなくその場をあとにしようと駆け出す。

 

「……鉄血の(イヌ)が」

 

 最後に残った隊長が女性将校の横を通り過ぎる際に忌々しげに呟いた。女性は言い返すこともなく、一度目を閉じると安心させるように柔和な笑みを浮かべティア達の下へ歩み寄った。

 

「さすがは鉄道憲兵隊ですね。もうここを見つけたなんて」

「元締めや町の方々から、皆さんがルナリア自然公園へ向かったことは伺えましたから」

 

 ティアが女性に視線を合わせにっこりと笑うと女性将校もまた同じように笑った。一拍間をおき、優しい声で女性は名乗る。

 

「お疲れ様でした。帝国軍・鉄道憲兵隊所属、クレア・リーヴェルト大尉です。トールズ士官学院の方々ですね? 調書を取りたいので、少々お付き合い願えませんか?」

 

 クレア大尉の言葉にリィンが応える様子を眺める。ここからケルディックへ戻るには、鉄道憲兵隊に配備されている軽車両で送ってくれるようだ。さすがにここまでは乗り付けられなかったため、途中に止めてあると言い、その案内に続こうとする。

 

 グイ、と腕を引かれた。自身の腕から辿り始め、その正体に辿り着く。不満そうな顔をしたアリサだった。

 

「もう! ティアのバカ!」

「ばっ……?!」

 

 振り返るなりバカと言われ、言った本人のアリサは一歩大きく詰め寄る。予想外の声にティアは一歩後ずさる。驚きで目を開けたティアの目に映るアリサは怒っているがやはり可愛いな、とどこか上の空で考えていた。

 

「本当に怖かったんだからね!」

「アリサさん……。すみません、皆さんを巻き込んでしまうところでしたね」

 

 彼女が何に対し声を荒げているのかを察し、申し訳なさで顔を伏せる。

 

「ア、アリサふぁん?」

「そうじゃなくって」

 

 それも一瞬のことで、ティアはアリサに両頬をつままれて顔を上げた。再び瞳に映ったその顔は怒っているというよりも――

 

「心配したのだぞ、ティア」

 

 頭に手を置き、トントンと軽く叩かれた。宥めるような表情を浮かべたラウラだ。

 頬をつねる手が肩に添えられる。アリサはつり上がっていた眉をゆっくりと下げると、懇願にも似た表情を浮かべた。

 

「……一人で無茶しないで」

「……はい」

 

 二人の心配を感じ取り、もう一度謝る。アリサの表情が柔らかくなり最後に肩をポンと叩くと彼女はティアの前を歩き出す。

 

「行きましょ」

「うん。リィン達も待っているぞ」

「そうですね」

 

 なかなか追いついてこない女子三人を気にしてリィンとエリオットは少し進んだところで立ち止まっていた。アリサが駆けだす。続いてラウラとティアも。

 リィンとエリオットの後ろではクレア大尉が美しく微笑んでいた。

 

 

 

 

 

 

「調書へのご協力ありがとうございました」

 

 ケルディックへ戻ったティア達は、クレア大尉にこれまでの経緯を説明し、詳細に記録をとられた。商人たちや元締めへの報告も済ませて解放される頃には既に空は茜色に染まっていた。

 おそらく今回の事件が帝国時報(インペリアルクロニクル)に載ることはないだろう。正規軍により、窃盗犯に接触した領邦軍ではない何者かについての捜査は継続されるが、領邦軍に責任を問うことは出来ない。しかし、今回の事件を踏まえ、今後しばらくの間は鉄道憲兵隊の人間がケルディックへ常駐することとなった。これで領邦軍がまた騒動を起こすおそれもなくなり、盗品は商人たちに返却されたことで元締めも安心したようだ。

 

「今後また困ったことがあれば、我々を呼んでくださいね。お力になれることも多いと思います」

 

 クレア大尉は最後に腕から指の先までまっすぐに伸びた美しい敬礼をすると颯爽と立ち去っていった。

 

「クレア大尉……すごく良い人そうだったね」

「そうだな」

 

 頬をほころばせ、姿の見えなくなったクレア大尉への感想を口にするエリオットとリィン。アリサがもの言いたげな目で男子二人を見ている。男って……。そんな感じの表情だ。

 まあまあと宥めながら駅に設置された時計を確認する。長針はトリスタ行きの列車が発車する五分前を指していた。

 

「お前さんたちも近いんじゃからまた大市に遊びに来るといい」

「はい、必ずまた来ます」

「お世話になりました!」

 

 五人は一礼し、元締めに見送られながら列車へ乗り込む。漸く緊迫した状況から解放され、人心地つく。学院に戻ればすぐにレポート作成に取り掛からなくてはならなくなる。トリスタに着くまで約一時間。A班の五人は束の間の休息と団欒を過ごしていた。

 こうして初めての特別実習は幕を閉じたが、すぐにまた新たな波乱が幕を開くこととなる。

 

 

 

 

 

 

 夜のしじまに包まれたケルディックに視線を走らせる者が二人。一人は眼鏡をかけ笛を持った壮年の男。もう一人は、黒いマントと仮面で顔を隠した者。体格から察するに男か。マスクでくぐもった声のまま仮面の男は眼鏡の男に話しかける。

 

「あのタイミングで《氷の乙女(アイスメイデン)》が現れるとは……少々段取りを狂わされたな」

「想定内のことだよ。ただ、あの娘は……君の報告通りということか」

 

 眼鏡の男は不適に笑う。

 

「今後の計画の障害となり得る《鉄道憲兵隊》と《情報局》の連携パターンが見えただけでも大きな成果と言えるだろう。計画に支障はない」

 

 自信に満ちたその言葉を聞くと仮面の男はその場を去っていく。

 

「全ては"あの男"に無慈悲なる鉄槌を下す為に――」

「全ては"あの男"の野望を完膚なきまでに打ち砕かん為に――」

 

 深い憎悪を含んだ声で、二人の男はそれぞれ不穏な空気をこのケルディックに残した。

 

 




序章、第1章とダイジェスト進行気味になってしまいましたが一旦終了です。


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第2章 憂鬱なエメラルド
ため息を零すトワイライト


 5月上旬

 

 初めての特別実習から一週間が経った。トリスタの一面に咲き誇っていたライノの花が徐々に散り始め、新緑の色が増してきている。武術訓練や高等教育の一般授業が本格化する中、軍事学をはじめとする士官学院ならではの専門科目もスタートしていた。

 

 最高評価には届かないもののAという上々の結果を修めたリィン達A班に対し、B班は最低評価のE。フォローのためサラ教官が現地へ駆けつける羽目になったのだから当然の結果といえる。特別実習を経て深まった仲もあれば、マキアスとユーシスの他にも新たに生まれた亀裂もある。一部暗雲が立ち込めるⅦ組ではあったが、そんなものは知ったことかとばかりに空は雲ひとつない快晴。夕焼けが舗装されたレンガ道を朱色に照らしていた。

 

 この道も歩き慣れてきたものだ。放課後の校内を歩きながらティアは何とはなしに思う。図書館で本を読み漁ってからの放課後。校門を潜る生徒はまばらで落ち着く空気だ。誰かみたいに歌でも歌ってみようか。リュートはないけれど。軽やかな足取りで自分の影を追いながら歩いていた。

 

「これはこれは……」

 

 学生会館へ足を踏み入れると発せられた声。興味深そうなハスキーボイスに足を止めた。目元の泣きぼくろが色っぽい、ライダースーツを着た麗しい女性がいた。

 

「ご機嫌麗しゅう。噂には聞いていたが、ようやくお会いできたね」

「こちらこそ、ごきげんよう。どこでどのような噂が流れているのかは……あまり知りたくありませんね」

 

 恭しく頭を下げる女性にティアは苦笑う。声が少し小さくなってしまうくらいは許してほしい。数少ない学生会館に残っている学生がこちらを見ているではないか。

 

「十年ぶりくらいかな」

「……私の記憶が確かなら一年ぶりですけれど」

 

 口元を引き攣らせ呆れ顔を作る。対する女性はおどけて笑ってみせた。演技がかった口調で膝をつき、再び語りかける。オペラでも歌いだしそうなくらい様になっている。

 

「それだけ君に会えなかった時間が私にとって大きいということさ」

「――ふふっ」

 

 ティアは長い金の髪を揺らし、唇に手を当ててくすくすと笑う。女性は満足そうに笑うと膝についた砂もそのままに立ち上がった。

 

「相変わらずですね。アンゼリカさん」

「ティア君こそ。ご壮健で何よりだ」

 

 四大名門ログナー侯爵家の令嬢アンゼリカ・ログナー。男性顔負けの紳士っぷりで多くの女性を虜にし、学院内外に恋人が多数存在するなんて噂のある麗人だ。アンゼリカが学院の女子に絡んでいる、むしろ口説いている姿と言うのはそう珍しいものでもない。だからだろうか。ちらりと目をやる者はいても特別気にかける者は少ないようだ。

 その内の一人と目が合った。微笑んでみると訝しむ表情に変わる。何故なのか。アンゼリカは楽しそうに見ていた。

 

「あれは……」

 

 アンゼリカに視線を戻すと視界の端に新緑よりも落ち着いた緑色を捕らえた。階段を降りている。目が合ったので試しに手を振ってみると、手に持っている本が落ちそうになった。びくり、焦るが何とかバランスを持ち直したようだ。器用に眼鏡までかけ直している。

 

「どうやら先約がいたようだね」

「すみません。今日は彼に用があって」

 

 残念だ。非常に残念だ。アンゼリカは体中で表現する。彼女が本気で気にしている様子はないけれど、話している最中によそ見とは無作法だっただろうか。謝罪を述べるとやはり予想通りの返事をした。

 帰る途中だったろうに、目が合った手前どうしたものかとその場を動けずにいる眼鏡の青年は一人気まずそうにしている。

 

 ティアはもう一度くすりと笑うとアンゼリカに礼をするとその場を離れようとする。

 一歩。踏み出した足を一度戻した。

 

「アンゼリカさんのそういう所、安心します」

「それは光栄の至り」

 

 澄んだ赤紫色の瞳を柔らかく細められ、その真っすぐな瞳を見つめ返しアンゼリカは微笑んだ。

 

 背中に視線を感じながら歩みを進める。

 

「部活帰りですか?」

「あ、ああ」

 

 残り二段を残して階段に留まっていた青年――マキアスに話しかける。彼は二度、三度と視線を行き来させると少し近づきティアだけに聞こえるよう小声になった。

 

「あれはまさか……」

「アンゼリカ・ログナー先輩ですね」

「……もしかして彼女から逃げるのに僕を使ったんじゃ」

 

 胡散臭いものを見る目でマキアスはティアを見る。いや、あの状況なら仕方ないのか。しかし……と呟きながらまた器用に眼鏡を押し上げた。

 

「今日は少し、お願いがありまして」

「こんな時間にか? 明日でもいいんじゃ……」

「今日がいいんです」

 

 呆気にとられた顔のマキアスを押し切り、ティアは告げるのだった。マキアスとチェスがしたい、と。

 

 

 

 

 

 

 返却前だった部室の鍵を使い、施錠したばかりの部室の扉を開く。片付けられたチェス盤を取り出し、マキアスは白と黒のポーンを両手に握った。正面に座るティアが右手を指差す。手の中にあったのは白のポーン。先攻はティアだ。

 

 どうして急にこんなことを言い出したのか。聞いてもはぐらかされるだけでマキアスは答えを求める事を諦めた。話にあわせて相槌を打ちながらカチ、カチと駒を並べる。

 綺麗に整列したチェスの駒たちはいつも美しい。盤上でどんな戦局を構築していくのか。考えるだけでも気分が高揚する。

 

 チェスを指す音。クラスメイトの楽しげな話し声。それに相槌を返す自分の声。静かに集中して指すチェスも好きだが、こんな時間も悪くないかもしれない。マキアスはそう考えながら思考を研ぎ澄ませる。

 チェス盤上では一進一退の攻防が繰り広げられる。追い詰めたと思っても逃れられる。そんな一手を繰り返した十数分後。学生会館の二階にある第二チェス部部室は険悪な空気を漂わせていた。

 

――ダンッ!

 

 マキアスが机を叩く。チェス盤を挟んで向かい合う、クイーンを掴む白い指が震えた。叩きつけた拳の鈍い痛みも何も気にならなかった。顔を俯けたままのマキアスをティアは静かに見つめた。

 

「君は……説教をするために僕を誘ったのか」

 

 地の底から響くような低い声。僕はこんな声が出せたのか。今まで知らなかったな。どこか冷静な自分が頭の中で語りかけてくる。うるさい、邪魔だ。

 

 やれ今日の天気は快晴でリィンも元気だっただの。今日の授業は分かりやすかったがユーシスは不機嫌だっただの。一日の出来事を紡いでいく声は弾んでいた。マキアスの言葉数が減るにつれティアの口数が増えていき、遂にマキアスの限界が来た。

 

「はっきり言って迷惑なんだよ! なんとか僕とリィンの仲も取り持とうとしているようだが――」

「いえ、別に」

 

 言葉を遮ったけろりとした声に思わず顔を上げる。友人たちに向けるそれと違わない笑みが浮かんでいた。

 

 特別実習の報告会で告白されたリィンの身分。最初に身分を問うたマキアスに、リィンは"高貴な血は流れていない"と告げていた。それは嘘ではなかったが全てでもなかった。

 ユミル領主のシュバルツァー男爵家の養子。それがリィン・シュバルツァーという男の身分だった。それを聞いたクラスメイト達は平然と受け入れていたが、わざと曖昧な言い方をして誤魔化されたマキアスは到底気分のいい話ではなかった。ユーシスだけでなくリィンのことも避けるようになった自分に説教でもするつもりか。ふつふつと新たな怒りが湧き上がりかけていたが、冷や水をかけられたように静まっていく。代わりに生まれたのは疑問。何を考えているのか知りたくて問いかける。

 

「チェスがしたかったって……最初に言いましたよね」

 

 クイーンを片手に盤面を眺めながら目の前の少女は答えた。

 

「聞いた事があったんです。チェスがとんでもなく強いオスト地区の男の子のこと」

「なんで……そこまで」

「あってましたか?」

 

 ティアが手に持ったままだった白のクイーンを盤上に落とす。

 マキアスは不意に声を漏らしていた。

 

「ステイルメイトですね」

「え……」

 

 盤面を睨むようにして確認する。追い込んだと思ったのに上手く引き分けに持ち込まれてしまっていた。

 体の奥から息を吐き出すようにして椅子にもたれかかる。くしゃりと前髪をかきあげる。なんとも形容しがたい気分だ。もう一度深く息を吸って、ゆっくりと吐き出した後に姿勢を正す。

 

「…………すまない。君に当たるのは筋違いだったな」

「私のことは気にしないでください」

 

 ティアはいつも教室で見る笑みを浮かべている。言葉はそこで終りではなかったようだ。彼女は机の下から両手を出すと、そっと壊れ物を扱うようにマキアスの片手を包んだ。冷たい手だ。少しイメージと違った。

 

「手、痛いですよね」

「……」

「傷つけるようなことだけはしないでほしいです」

 

 それは誰のことか。何のことなのか。分からないことはそのままにしておきたくない性分のマキアスだが、目の前で眉を下げて微笑む少女に問い返そうとは思わなかった。

 チェス一局にかけた時間はさしたるほどでもないが、随分と長い時間を過ごした気がする。もう少し落ち着いたら寮に帰ろう。自分を落ち着ける方法は勉強かチェス以外にないだろう。今やりたいのはどちらか。それを選んだら自然と次の言葉が出てきた。

 

「もう少しだけここに残ってから帰るよ」

「はい。……今日はありがとうございました」

 

 横においてあった鞄を持ち、優雅に会釈して部室を出て行くティアを見送る。扉の閉まる音を聞いたマキアスは窓を見上げた。体がどっと重くなった心地だ。彼女が何をしたかったのかは分からないが、どうしてもある大切な人の名を呟きたくなった。

 

 

 

 

 

 

 部室を出たティアは学生会館の階段を降りていた。そういえば、もう一人の彼はどうしたのだろう。ふと浮かび上がった疑問に答えるべく、階段を降りきると周囲を見渡す。チェス部の部室にお邪魔する前と同じ席に件の青年は一人で座っていた。

 本を読む姿もティーカップを口元に運ぶ動作も洗練されている。図書館で階段の上からその姿を盗み見ようとする少女達の気持ちも多少は分かる気がする。

 

 注視しすぎたのかユーシスは本から目を離し顔を上げた。話しかけてもいいのだろうか。どうしようかと考えながら購買部の前にまで進んだ。

 ユーシスは本を閉じ、片付けを済ませて鞄の持ち手を掴み歩き出していた。後を追うような形で学生会館を後にする。入る前よりも少し藍色が濃くなってきている。

 

「物好きな事だな」

 

 顔だけで振り返ったユーシス。ぴくり。ティアの肩が揺れた。

 

「何にでも首を突っ込んで……いつか痛い目を見るぞ」

「そんなの……もうとっくに……」

 

 やっぱり貴方は優しい。でも不器用すぎて伝わりづらいみたい。

 ティアは目を伏せると聞こえるか聞こえないかの声で呟いた。

 

 その場から動こうとしないティアにユーシスが眉を顰める。何でもない。そう言って笑うと不機嫌そうになるのはきっと気のせいだろう。

 

「帰らないのか」

「一緒に帰ってもいいんですか?」

 

 聞き返すとユーシスは溜め息を吐き、体ごと振り返った。

 

「どうせ同じ行き先なのに別れろというのもくだらんだろう」

 

 咎めるような諭すような口調に口元が緩む。ティアは柔く微笑むと一歩踏み出す。

 

 そんなある五月の放課後。

 

 




閃の軌跡Ⅲ発売おめでとうございます!(滑り込み)


第2章がスタートしました。
特別実習地も四大名門の本拠地で私も筆が乗ります。

今回はティア視点→マキアス視点→ティア視点の変則的な話でした。
特別実習ももちろんですが学生ならではの学院生活も気になるところ。
寮生活の学生の食費ってどうなってるんでしょうね。


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近づく日常

 5月22日

 

 自由行動日を翌日に控えた週末の放課後。部活動に励む者や自由を満喫しようと寮に帰る者、買い物に勤しむ者が多いためか、図書館は普段よりも人が少ない。

 二階に上がる階段の踊り場を左に曲がるとベンチが間隔を空けて並べられている。二階に来る生徒の多くは右手の自習スペースへ向かう。好んでベンチを選ぶ生徒は、二月も経てば顔を覚えられるくらいの人数だ。

 ティアはその少数派に含まれる。人が少なく落ち着くため好んでいる部分はあるが、時々訪れる美しい黒猫に会うことも密かな楽しみである。

 

「あの人って確か四大名門の……」

「へえ。噂に聞いたとおり貴公子って感じね」

 

 ティアの座っているベンチのすぐ近く。声のした方向に視線を向ける。二人の女子生徒が踊り場と二階を繋ぐ階段のちょうど中間に立ち、階下を見下ろしていた。なるほど。どうやら彼が図書館に来ているようだ。

 

 今日は緑の制服を着た少女の二人組。先週は貴族生徒が三人来ていた。さらにその前は貴族生徒が二人だったか。噂される当人はどうか分からないが、周りで聞いているティアにまで馴染みの光景となってしまった。そう感じている学生は他にもいるに違いない。

 入学から二月ともなれば今の生活にも慣れてくるし、他クラスにも目を向ける余裕が生まれてくるものだ。最初は上級生が多かったのだが、だんだん一年生も増えてきたように感じる。もちろん、名前や学年を確認したわけでもなく、ティアが雰囲気から判断しているだけではあるのだが。

 

「一緒にいる男の子はお友達かしら?」

「大貴族の交友関係か……ちょっと気になるかも」

 

 いつもは一人で本を読み、ふらりと立ち去るユーシスが今日は誰かと席を共にしているようだ。すぐに浮かんだのはガイウス。クラスでも口数の少ないユーシスが最も話しているのは彼だ。その次がリィン。エリオットとは用がなければ話すこともなく、挨拶をする程度か。傍から見るとエリオットが萎縮しているように見えるが、先月の特別実習で意外と度胸があることを知っているため実のところよく分からない。四月はマキアスと口論していることが多かったが最近ではそれもない。図書館でユーシスを見かけたから入りづらいと言っていたマキアスに喫茶店を薦めてみたのがもう一ヶ月前のことだ。

 

「でもやっぱ近寄り難いよね、Ⅶ組」

「だって皆いいとこ育ちっぽいんだもん。銀髪の子は見てて癒されるのになあ」

「ミントから聞いたけどあの紅毛の……誰だっけ。あの子はかなり話しやすいって」

「あ、あとこないだコレットがあのリィンって人に手帳探してもらったって言ってなかったっけ」

「聞いた聞いた! それと――」

 

 階下にまでは聞こえていないだろうけれど、言いたい放題である。しかし、これは思わぬ収穫だ。

 男女合わせても十人という特殊性から、Ⅶ組は他クラスと合同で行なう授業が多い。男女別に分かれて行なう科目の場合は必ずと言える。

 リィンを筆頭にラウラやユーシス、異国民であるガイウスや主席入学のエマ、そして貴族と見るや手当たり次第に噛み付いていくマキアス。何かと目立っているⅦ組は合同授業の場で分かりやすいほど遠巻きにされていた。貴族クラス――特にⅠ組相手がやり辛い、とはアリサの談だ。同じラクロス部に入部したフロラルド家令嬢にやたら目の仇にされているそうである。

 

「あ! 寮に戻らないと!」

「わわっ、待ってよ~!」

 

 ぱたぱたと階段をかけて去っていく少女たちに司書が注意した。

 ぱたり。読み終わった本を閉じて本棚に返す。彼女たち同様、そろそろ寮に帰ったほうがいい時間だ。いつもは壁側を歩く階段を、今日は手すりに手を沿わせて歩いてみる。通りすがりに視界に入ったのは黒髪の後ろ姿だった。

 ユーシスと小声で話しているようだったが気配に聡いリィンはすぐに視線に気付いて振り返った。釣られてユーシスも顔を上に向けるがリィンと違って驚いた様子はない。静かに席に近づいていく。

 

「リィン君と図書館で会うのは初めてですね」

「委員長とフィーが放課後に勉強するって聞いて、俺もたまにはと思ってさ」

 

 でも、とリィンは気恥ずかしそうな顔をした。すっと閉じられた本の表紙を見て思わずくすりと笑みが零れた。帝国各地に点在する伝承を扱った本で、興味深い内容な上読み物としてもよくできていた。察するに今月のオススメ本コーナーに置かれていたのを見つけたのだ。

 授業を真面目に受けているリィンのこと。直前になって焦ることもないだろう。時折エリオット達と授業後に復習している姿も見かける。先月も今月も何かと人の為に活動しているリィンの思いがけない一面だ。

 

「ユーシスは結構通ってるみたいだな」

「ただの暇つぶしだ」

 

 先ほどから同じページを開いたままの文庫本に視線を落とし、ユーシスのつんとした声が返る。リィンもユーシスのその話し方に多少は慣れてきたのか、そうかと流していた。

 

「そうだ。リィン君とユーシス君は、今日の晩御飯はどうなさるおつもりですか?」

 

 よかったら一緒にどうか。そう誘われたユーシスは顔を上げて苦い顔をした。

 寮生活の基本スタンスとして、寮職員のいない第三学生寮では毎日の食事は学生食堂またはトリスタ内の飲食店を利用するか、そして自炊でまかなうことの二パターンに分かれる。一部男子に対し比較的良好な関係を築いているⅦ組女子は、エマやティアが用意した料理を食べる事が多い。ふらりとどこかに行くことの多いフィーも、毎朝エマに起こされる為朝食は必ず全員と取るようになりつつある。学食やカフェを利用しているのか滅多に食堂に顔を出さないユーシスやマキアスの食生活はあずかり知らぬところだ。

 

「女子五人と俺が一緒に食事している光景が想像できるか」

 

 仏頂面のユーシスの言葉。ティアとリィンを一瞬の沈黙が襲う。ぺらりとめくれたページが、呆れてため息をついたようだった。

 

「なかなか面白そうですね」

「面白い面白くないの話ではない」

 

 すかさず眉を顰めたユーシスが否定した。

 

「俺はエリオットとガイウスとカフェに行くつもりなんだ。……ユーシスとマキアスには断られてしまったけど」

「必要以上に馴れ合うつもりはないと言っただろう。それに……」

 

 ふと途中で言葉を切ったユーシスは「いや、なんでもない」と手元に視線を落とした。これで話は終わりのようだ。

 高圧的な物言いをすることが多く、表情も無愛想だがただ突き放そうとしているだけではないのだ。悪意には悪意を持って返すといったところか。つまるところユーシスは意外と周りをよく見ている。それを本人に指摘すると不機嫌になりそうだが。

 

「すみません。食堂、私たちが占領してて使いづらいですよね」

「いや。いつもお世話になってしまって申し訳ないくらいだよ」

 

 これ以上突っ込むことをやめたティアがリィンに向き直る。つい話し込んでしまったがだんだん司書の目が厳しくなってきた。話を振ったのはティア本人なので自業自得ではあるのだが。

 それでは、と立ち去ろうとする流れになるはずだった。見誤っていたのはリィンの天然さだ。

 

「ティアや委員長はきっといい奥さんになるな」

 

 さらりと言ってのけたこの男、天然でも天然ジゴロの才能を持っていそうだ。先程よりも長い沈黙が流れる。リィンが首を傾げた。ユーシスは深く息を吐いて再び顔を上げた。

 

「リィン君って誰にでもそんなこと言ってるんですか……?」

「えっ?」

「そのうち夜道で背中を狙われても知らんぞ」

「なんでっ!?」

 

 言い回しが思わせぶりなのだと伝えてもリィンはあまり分かっていなさそうで何とも曖昧な返事だった。例のオリエンテーリングといいリィンには驚かされることが多い。耐え切れなかった笑いが少しだけ口元に浮かんでしまって、リィンがまたばつの悪そうな顔になってしまった。

 

 半目で見送る司書に軽く会釈をして図書館を出て帰路につくと、ちょうど学生会館から出てきたエマとフィーに会った。

 

「ティアさんも今からお帰りですか?」

「ええ。お二人は勉強会……でしたか。お疲れ様です」

「ん。エマの教え方上手いしよゆーだった」

「参考書のおかげですよ」

 

 そう言うエマの手には『よく判る中等数学』と書かれた新品の参考書があった。フィーとの勉強の為に購入したのだと言う。フィーはあくびを漏らしたが反対にエマの顔は満足そうで充実した時間だったことが伝わってくる。

 

「フィーちゃんとっても頑張ってるんですよ」

「そうみたいですね。今度何か差し入れさせてもらいます」

「やったね」

「ふふ、ありがとうございます」

 

 フィーが胸の前でピースサインをつくる。対するエマは慎ましい笑みを浮かべた。こうして見ると親子のような組み合わせだ。姉妹の方が近いのだが、エマのおっとりとした雰囲気が母性を感じさせるのである。教室でも慎ましやかな彼女ではあるが、胸は慎ましさとは真逆の圧倒的な存在感だ。

 そういえば、とエマが話を切り出した。下がりかけていた目線を戻す。

 

「途中からマキアスさんもいらっしゃってたんですよ」

「マキアス君が……」

 

 へえ、とティアが驚きと興味深さの混じった声を漏らすと、エマはうふふと瞳を細めて笑った。

 

「マキアスは教えるの下手すぎだったけどね」

「ふぃ、フィーちゃん……」

 

 こらこらと嗜めながら苦笑するエマ。基礎学力の違いから苦戦したようだ。

 

「今まで委員長なんて大役を任されたことがなくて……。マキアスさんには色々サポートしてもらっています」

「え、ほんと?」

「本当です! ……そのほとんどがサラ教官の雑用ですが」

 

 マキアスは責任感も強く、クラスでもエリオットとは比較的よく話している。一人で行動することが特別実習を境に増えたマキアスではあるが、世話焼きの頼りになる副委員長がおそらく彼の本質なのだ。あと少しだけ押しに弱い。

 

「だから、ティアさんのことも嫌いなわけではないと思います。多分接し方に戸惑っているんじゃないでしょうか」

「……バレてましたか」

 

 エマは文芸部員で、部室はチェス部の真前。その日を境にぎこちなくなったマキアスの態度も把握していたようだ。

 悪戯っ子のような笑みでエマに見つめられると、不思議とそんな気になってくる。

 

「あら。お帰りなさい」

「ただいま、アリサさん。早かったんですね」

「今日は活動日じゃなかったから。新しいハーブティーを買ってきたの。後で飲みましょ」

 

 話しながら歩いていると学生寮に着いていた。寮に入るとアリサが出迎えてくれる。少しご機嫌なご様子だ。これは多分明日の旧校舎探索に参加することになったのだと察する。

 今日の食事当番はティアとアリサ。エマは最初手伝うと申し出ていたが、少しはゆっくりと背中を押すとフィーと共に三階へ上がっていった。

 

 

 

 

 

「手伝いばかりでなく、アリサさんも料理してみてはいかがですか。いつも皿洗いを任せてしまいますし」

 

 収納棚からフライパンを取り出そうとしたアリサが途中で動きを止めた。あーとかうーとか唸っている。最初期の頃の苦い記憶が巡っているのだろうか。こしょうを振ろうとしたら蓋ごと中身をぶちまけたことか、もしくはコンロが爆発したことか。あれは火事が起こらなくてよかったが、どんなミラクルが起きたのか今でも気になる謎だ。アリサの淹れるアロマティーは絶品だったのに。

 

「い、今まで任せっきりだったからまだ勝手が分からないのよ」

「ああ、料理人にですか?」

「いえ、うちはメイドが――」

 

 ティアがあまりにさらりと返してしまったためかアリサも自然と返事をしかけた。すぐにハッとした表情で押し黙る。アリサとしては、ルーレ市出身の平民という設定上、使用人がいることは避けたいのだ。ティアはティアで察しがついているのであまり意味のないことだが。

 

「ち、違うの。姉よ姉。うん、そうだったわ」

「でも今メイドって……」

「メイド服を着てるの!」

「ご趣味で?」

「ご趣味で!」

 

 アリサの姉のような女性はメイド服を着るのが趣味らしい。

 

「でも、そうよね……。調理実習だって助けてもらってばかりってわけにはいかないし」

 

 小さく呟いて拳を握っている姿を目にすると、ふつふつとある衝動が込み上げるのを感じた。

 

「アリサさんはきっといいお嫁さんになりますね」

「な、き、急に何言ってるのよ! もう!!」

 

 やはり言われる側よりも言う側の方が楽しい。くすくす笑っていたらアリサがもう!とぷりぷり怒ってしまった。

 

 




本編でリィンの誕生月が明らかになったのでふとⅦ組メンバーの生まれ季節を考えていました。

春 アリサ、エリオット
夏 マキアス、ラウラ
秋 フィー、ミリアム
冬 ユーシス、エマ、クロウ

みたいなイメージです。クロウが冬か夏かが迷うところ。

番外編のかたちで時系列を無視したお話も書いてみたいですね。
Ⅶ組の子たちは誕生日祝ってくれそう。
和気藹々としているところに「強制監査だ!」とか言いながら乱入したいです(笑)


早く特別実習に行けよ!と思いましたが次は自由行動日のお話です。


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調理室は賑やかです

 5月23日

 

 調理部の活動は自由度が高い。旬の食材を選び季節性のある料理を試したり、日常的な献立を考えたり、デザートやお菓子作りを楽しんだり。士官学校らしさのある軍食やサバイバル料理といった品目が乏しいのは調理部顧問であるエミリー教官の人柄故か。

 基本の活動は以上だが、作りたいときに作って、食べたいときに食べて。そして帰りたいときに帰ることも可能だ。なので、扉を開けた瞬間に踵を返し活動に不参加となる者がいても問題はないのだ。

 

 ぐつぐつとまるでマグマが煮えたぎっているかの鍋からは時折気泡が生まれては激しい音をたてて破裂している。いつ噴火するか気が気じゃない。というか、クッキーを作る過程でどうして鍋を煮ているのだ。

 

「この百倍濃縮の薔薇のエキスでフェロモン注入よぉぉ」

 

 ムフォッ。声の主が浮かべた情熱的な微笑みは風を生み、周囲に置かれていたレードルやスパチュラが少し浮いた。

 その血のように赤黒い鍋の中身が本当に血じゃなくて安心しました。舞い散った小麦粉をさっと払い、風圧で乱れた前髪を直しながらティアは鍋をかき混ぜている女子生徒に心の中で語りかける。

 

 長い金髪のツインテールに、貴族生徒の白い制服をはち切れんばかりに盛り上げている少女はマルガリータ・ドレスデン。ティアと同じく調理部に所属している一年生で、ドレスデン男爵家の令嬢だ。入部理由は花嫁修業。学院への入学理由は花婿探しである。

 備品類の管理は学生が主として行なうが、調味料を含め食材の管理は教官が担っている。事前にエミリー教官に発注しておけばある程度の融通も利く。ある程度なら。鍋の中身はドレスデン男爵家の名産品であるグランローズなのだろう。そして多分自前調達だ。

 

「マルガリータ君の料理は独創性があって面白いね」

 

 物は言いようである。独創性どころか毒しかなさそうだが。恋に燃え上がる乙女のごとく熱そうな鍋は永遠に冷めることはないだろう。

 

 マルガリータは冷蔵庫から取り出した生地を軽く伸ばし、やたらと粘度の高い鍋の中身を流し込む。素手で鍋を持ったことか、エキスが投下された直後に凄まじい勢いで白煙を発生させていることか。何に驚けばいいのか分からない。なんだか目が染みて、ティアは涙を拭った。

 

 刺激臭に鼻を摘まみ、鞄を引っつかんで調理室を出て行く生徒を見送り、窓を開けて換気を試みている内にまるで血のように真っ赤な薔薇色クッキーが完成してしまった。

 

「そうだわぁん。折角だから、試食でもいかがぁ? 今なら出来たてで香りもバツグンよぉ」

 

 マルガリータは以前にも一度特製クッキーを作っているのだが、それは誰も食すことがなかった。その理由が冷めて匂いが消えていたからだとマルガリータは考えている。

 前回マルガリータがクッキーを焼いた際、現場に居合わせなかったニコラスは出来立てのクッキーに手を伸ばした。

 

「た、食べるんですか……?」

「何事も挑戦だよ。それに、食べ物を粗末にするのはよくないからね」

 

 命を粗末に扱う危険を無視しないで下さい。そんな言葉が過ぎったが確かに見た目と異臭から想像しているだけで、実際に味わった事はない。食べてみると案外平気なのかもしれない。それでもクッキーに手は伸ばせないが。

 ニコラスはサクリと予想外に普通の音をさせてクッキーを咀嚼する。マルガリータは特別不器用なわけでも、料理が下手なわけでもない。豪快な見た目とは裏腹に材料は細かく計量し、粉類は丁寧にふるう。生地そのものにおそらく問題はないのだが、だからこそ恐ろしく感じてしまう。

 

 俯きがちになったニコラスは喉を鳴らし嚥下すると顔を上げた。そして、口を開く。

 

「まだ見ぬ新しい料理が生まれるかもしれない……僕の勘は間違ってなかったみたいだ」

「に、ニコラス部長!?」

 

 顔面蒼白になったニコラスがゆっくりと体を傾けていく。駆け寄ったティアが体を起こしても何も発さず、かろうじて弱く呼吸が続いている程度だ。

 

「うふふん。部長も私の魅力にイチコロねぇん。でもごめんなさぁい、部長は私の好みじゃないのよぉ」

 

 上機嫌なマルガリータは開きっ放しの調理室のドアを潜り、廊下へスキップで出て行く。地震と勘違いしそうな床の振動を感じながら、倒れたニコラスの体を支えながらティアは祈りを捧げた。

 

――万物の根源たる七耀を司る空の女神(エイドス)よ、無力な自分をお許しください。あとちょっとだけ楽しんでいたことも。

 

 

 

 

 

 

「疲れた…………」

 

 一人だけになってしまった調理部室でティアは体を伸ばす。

 途中で騒動に気付いたガイウスや同じく美術部員のリンデにも手伝ってもらい、ニコラスと他にも気分が悪いと言い出した部員を医務室に送り届けた。医務室で休んでいるニコラスには、せめて胃に優しいものをと思いクラムチャウダーを差し入れたのだがこれでよかったのだろうか。そもそも症状がよく分からないのだ。大丈夫だと穏やかに笑みを浮かべたベアトリクス教官を信じるしかない。

 

 美術室へ戻って行ったガイウス達を見送り、吹奏楽部の少し拙い練習音に耳を傾けつつ時計を確認する。時刻は正午二十分前。昼食は自炊のつもりだったのだが今日は学食かキルシェにでも足を運んで落ち着きたい気分だった。今から行ってもランチタイムのピークを迎えた両所は学生でいっぱいだろうから、どうせならもう少し時間を潰して行こうと思い、取り出したのは今朝購入した帝国時報。

 部屋か、数時間後に乗る列車で読むつもりだったがたまにはいいだろう。椅子に腰掛け、淹れたての紅茶を傍に置き、ぱらりとページをめくる。

 

 先日クロイツェン州都にて開催された帝国領邦会議に怪盗Bの入国情報。今月は特にきな臭い記事が多い。話に聞いた怪盗Bの人柄から想像すると、入国の情報が流れていることすらわざとらしさを感じる。

 またさらにページをめくる。つい眉を顰めてしまうのも仕方のないことだ。ひとつ息をつきながら紅茶を飲もうとカップに手を伸ばした。

 

「――オズボーン宰相、ジュライを電撃訪問ねえ」

「ひっ!?」

 

 その時、突然背後から声が降って来た。咄嗟に体を前に傾け、顔を後ろに向ける。視線の先ではニヤニヤと些か品のない笑みを浮かべたクロウがクツクツと笑っていた。

 

「随分と色気のねえ声だな」

「……非常に心外です」

 

 クロウの感想に弱く否定の意思を示し、気まずさから少しだけ視線を逸らす。カップに触れる前でよかった。中身は零れていない。

 注意が外れているのをいいことにクロウが帝国時報をひょいと持ち上げた。

 

「食い入るみてえに読んでたから、公爵家のイケメン長男の写真でも見てんのかと思ったら」

「く、食い入ってません。変な言い方しないでください」

 

 喰い気味で否定を挟んだ。クロウが言っている写真とは先日行なわれた領邦会議の記事に写っていたルーファス・アルバレア卿のことだろう。既にこの先輩は発売したばかりの時報をチェックしているらしい。制服を着ていなければチンピラに思われそうな見掛けによらずまめなようだ、とは口には出さなかったが。

 

「ジュライっつったら、去年病院が出来たんだったか」

「はい。去年の九月ですね」

「兄貴に劣らず物好きとは聞くけど、何考えてんのか分かんねえ姫サマだな」

 

 ぺらぺらとティアの帝国時報を振りながらクロウは思い出したように呟く。

 物好きな皇女の提案で新設された経済特区ジュライの聖セシリア病院は、帝国の東にあるクロスベル州の聖ウルスラ医科大学病院並とはいかずとも、レミフェリア公国産の医療機器を導入しており充実した設備を誇る。帝国西部のラマール州よりもさらに西に位置する為、州内や帝都からの患者を多く受け入れている。経済特区として発展を続けているジュライ特区をさらに活気付かせる一因であると言える施設だ。

 なので、クロウが言っているのはそこではなく。

 

「わざわざ併合した地に病院建てるなんてよ」

「さあ。私にも分かりかねますが……」

 

 立ち上がり、窓の外を見つめるティアの表情はクロウからは窺えない。ぽつりと発せられた声からはその感情を今ひとつ読み取ることができなかった。

 

「罪悪感……のようなものかもしれませんね」

「ハッ、んなのはただのエゴだと思うけどな」

「私もそう思います」

 

 クロウが小馬鹿にしたように言って笑った。肩をすくめるクロウに、ティアは描いたような笑みを浮かべて振り返る。

 

「…………クロウ先輩はお嫌いですか? 彼女のこと」

 

 静かに問うたティアの言葉。バンダナで纏めた髪をがしがしと乱して、クロウはニヤリと笑った。

 

「まっ。心優しい皇女殿下は平民からは人気あるみてーだし、美人なら俺も気に入ってるかもしれねーな」

「それならクロウ先輩はメルティアス皇女の大ファンになってしまいますよ。"兄貴に劣らず"美形らしいので」

「……言うねぇ」

 

 口許に手を当ててくすくすとからかうような声音で告げる。美形の兄、天使のように愛くるしい妹弟に挟まれて何かと気を遣っているのだ。このくらいは許されるだろう。

 それを聞いたクロウは数瞬呆けてしまった。ティアには聞こえないぎりぎりの大きさで不可解な音を紡ぐ。そして、「そういや」と思い出したように話題を変えた。

 

「リィン後輩は旧校舎探索なんてやってるらしいじゃねえか。お前さんも行くのかい?」

「お誘いは受けたのですが、私は先約があったので」

「ふうん?」

 

 話題は終了。自分から話題を振っておいてクロウは適当に相槌を打つ。猫のような気まぐれさだ。

 急にやって来たクロウはまたしても急に立ち去っていく。

 

「そんじゃあな~」

 

 ひょいと軽やかに、しかしどこかわざとらしく靴音をさせながらクロウはひらりと手を振って調理室を出て行く。

 

「あ」

 

 ばたんと扉の閉じられた音と同時に思い出す。十数分前まではあった手の重みがなくなっている。

 

「私の帝国時報……」

 

 やられた。まだ途中までしか読んでいなかったのに。

 しんと静かになった調理室で、ティアは深いため息をつく。口許に微笑を携えて温くなった紅茶を飲み干した。

 

 




こういったやり取りが楽しくて2年生の出番がどんどん増えていきそうな予感がしているsumeragiです。

独自設定は多くなってきたら設定をまとめたノートでも作ろうかなと考えています。
あと某作品の黒髪ヒロインとは関係ないです。


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相克

 5月26日

 

 グラウンドを軽快に動き回る戦術殻を銃口が追う。

 銃声の音が続き、四回鳴り響いた後に金属に弾かれるような甲高い音を立てて銃弾がグラウンドに落ちた。上下左右と不可思議に揺れ動いていた傀儡に一瞬の隙が出来る。

 

「ふっ!」

 

 ガイウスがなぎ払って一突き。空中に浮いた戦術核は体をくの字に折り曲げて後方に飛ぶ。徐々に降下して勢いを殺すと再び浮き上がる。

 戦術殻はその離れた場所に留まり体を少し縮めると、体を包むように周囲に赤い陣が浮かんだ。

 

「させるか!」

 

 右足に力を籠めて、砂埃を舞わせたリィンが一気に距離をつめて懐に入る。そしてすれ違い様に一閃を見舞った。左から右へ。一瞬にして斬りつけられた戦術核は詠唱を諦め、代わりに今度は先程よりも更に体を丸め、一気に両腕を広げると眩い電光を放つ。

 リィンは咄嗟に前方へ倒れこむようにして手をつき、その腕をバネのように使って距離をとるが、完璧には回避できなかった電流がリィンを掠めた。

 そのまま狙いをリィンに定めて戦術殻は迫る。

 

「……っ!」

「リィン! そのままで!」

 

 アリサの赤熱した矢がリィンのすぐ横を通過して戦術殻に直撃。その間にリィンは体勢を立て直す。

 

「ラウラさん!」

「ああ!」

 

 体の周りに魔法陣を展開させていたティアが、アークスの中央にセットされたマスタークオーツに続き、一つ、また一つとクオーツを指でなぞる。赤い魔法陣が消えるとラウラの体を黄色いオーラが包み、堅牢さを与えた。

 ラウラが戦術核に肉薄する。すんでのところで戦術核は両腕をクロスさせるようにしてラウラの大剣を受ける。キンと高い音に混ざり、ジジとノイズのような音がした。ギリギリと迫りあう膠着状態を打破する為か、傀儡の右腕から光の剣が伸びる。

 

「ぐっ……!」

 

 左腕をそのままに、一気に引き抜いた右腕に携えた光の剣による回転斬り。ラウラが後方にたたらを踏んで下がる。戦術核は再びあの青白い放電を起こそうとしていたが、それよりも早く槍の切っ先が戦術殻を捉えた。

 

「はああああ!」

 

 再び肉薄したラウラは跳躍するとその大剣を振り下ろし袈裟斬りにする。鉄砕刃。ラウラの重い一撃に戦術核は機能を停止させた。

 

「――止め!」

 

 サラの制止の声が響き、息を吐いて銃とアークスをしまう。

 特別実習で同じ班だったリィンとアリサに、ラウラとティア。また、先日の自由行動日にはアリサとラウラも加えて再び旧校舎を探索していたらしい。五人の連携に、サラは満足そうに及第点と評価を下した。

 

「では次! マキアス、ユーシス、エリオット! それにエマとフィーも、前に出なさい!」

 

 サラが残りのメンバーをまとめて呼ぶと五人が前に出る。先にテストを行なった班と人数は互角で、前衛が三人に後衛が二人の条件も同じ。個々の能力を考えれば決して苦戦する相手ではないのだが。

 

「くっ……とっとと終わらせるぞ!」

「貴様が指図をするな」

「なんだと!?」

 

 険悪なムードの中始まった二戦目。結果は惨憺足るもので、戦闘後も多少の余裕が残っていたリィン達に対し、ほぼ全員が地面に膝をついていた。立っているのはフィーだけだがそのフィーも小さく肩を上下させている。

 ガイウスの代わりにエリオットが入っただけの、前回の実習とほぼ同じメンバー。この戦闘だけで、どうしてB班が最低評価をとったのか理解することは容易だった。

 

「……分かってたけど、ちょっと酷すぎるわねぇ。ま、そっちの男子二名はせいぜい反省しなさい。この体たらくは君たちの責任よ」

 

 サラが呆れたように醜態を晒す原因となったマキアスとユーシスを戒める。何時に無く厳しいサラの評価。二人は悔しげにサラを睨むが彼女の言葉全てが事実で何も言うことは出来なかった。

 

 続けて今週末に迫った特別実習の発表が行なわれるが、班分けと実習地のみが記された紙面を見たマキアスが怒鳴り声を上げて話はすぐに中断されることとなる。

 

「――冗談じゃない! サラ教官は何か僕たちに恨みでもあるんですか!?」

 

 ぐしゃりとマキアスに握りつぶされた紙に書かれた実習先は、東部クロイツェン州の州都である公都バリアハートに、南部サザーラント州の州都である旧都セントアーク。バリアハートの人口はセントアークのほぼ倍であり、人口規模では少々劣るものの、どちらも帝国五大都市の一つ。実習地としては釣り合いがとれているのだが、当然そこに問題は無い。

 

「こんな班分けは認められない。再検討をしてもらおうか」

 

 セントアークへ向かうB班のメンバーはアリサ、ラウラとガイウス、エリオットの四人。対してバリアハートへ向かうA班のメンバーは残りの六人。メンバーを確認したユーシスが静かに撥ね付けた。

 

「あたし的にはこれがベストなのよね。特にユーシスは故郷ってことで、A班からは外せないし」

「だったら僕を外せばいいでしょう! セントアークも気が進まないが誰かさんの故郷より遥かにマシだ! 《翡翠の公都》……貴族主義に凝り固まった練習の巣窟という話じゃないですか!」

「確かにそう言えるかもね。――だからこそ、マキアス。君もA班に入れてるんじゃない」

 

 サラの意味深な発言に不敵な眼差し。マキアスがその真意を探っていると、続けて別の切り口から攻めたのはユーシスだった。

 

「……だが、この班分けはどう考えても不公平だ。お望みどおりにこいつを移動させればいいだろう」

「あら、先月の実習は同じ人数なのに評価はAとEだったじゃない。人数は関係ないと思うけど」

 

 先月の極端な成績に加え、先ほどの実技テストでそれは証明されてしまっている。ユーシスは言葉に詰まった。

 

「ま、あたしは軍人じゃないし、命令が絶対だなんて言わない。ただ、Ⅶ組の担任として君たちを適切に導く使命がある。それに異議があるなら、いいわ」

 

 サラの雰囲気が変わる。異様な空気を纏い、底知れぬ威圧感を漂わせ、マキアスとユーシスを挑発する。

 

「――二人がかりでもいいから力ずくで言うことを聞かせてみる?」

 

 サラが自らの得物を取り出して構えた。彼女の髪色と同じ赤紫色の導力銃と剣は禍々しく凶悪な色を放つ。その凶悪さにアリサが顔を顰める。

 その隙の無さにたじろいだものの、マキアスとユーシスは互いに目配せをした後、二人揃って前に出た。

 

「そこまで言われたら、男の子なら引き下がれないか。そういうのは嫌いじゃないわ――。リィン!あなたもついでに入りなさい!」

「は、はい!」

 

 後ろで見守っていたリィンにも参加を促す。その顔からは驚きが読み取れるが、いつもと違うサラの雰囲気に反射的に頷いてしまった。とばっちりである。

 サラに立ち向かうユーシスとマキアス、それとなぜか巻き込まれたリィンにサラは回復薬を投げる。素直に受け取ったのはリィンだけで、苦々しげに受け取るが不要だと使うことを拒んだ二人にサラは「使いなさい」と一言だけ咎めるように告げた。

 これから始まるのは試合ではなく戦い。しかし、無差別に行なわれるものではなく、お互いに合意して始まるものだ。渋々承諾した二人を見て、サラは肩をすくめた。

 

「それじゃあ《実技テスト》の補習と行きましょうか……」

 

 他のメンバーが固唾を呑んで見守る中、リィン達は開始の合図を待つ。サラが目を瞑り、全力でかかってきなさいと煽り不敵に笑った。

 

「トールズ士官学院・戦術教官、サラ・バレスタイン――参る!」

 

 サラの合図と共に二人は駆け出した。リィンはその少し後ろで二人の様子を見ながらサラに迫る。

 

「はっ!」

 

 駆けるユーシスが繰り出すのは高速の三段突き。左手を腰に添えた独特の構えから放たれるのは受け継がれてきた伝統武術だ。相手よりも先に、素早い一撃を叩き込む。

 サラはバックステップを踏んで避ける。予想していたユーシスはその勢いのままに体を右へ捻り、一回転。右足を踏み込み横に一閃。

 

「なっ……!?」

 

 レンズ越しにサラとユーシスの姿を捉えていたマキアスが動揺の声を発する。突然サラが視界から消えたのだ。

 

「ユーシス! 上だ!」

 

 同じくサラの姿を見失っていたユーシスは反射的に視線を上に向けてサラを探す。気付いたときにはもう遅かった。紫色の雷光がユーシスに落ちる。

 着地したサラの足元ではユーシスが片膝をついていた。

 

「くそっ!」

 

 崩れたユーシスを視界の端に捉え、放たれる弾丸は器用に角度をつけて構えられた剣に弾かれる。

 サラがぐっと足に力を籠めた。実技テストでリィンが舞い上げたときよりも更に激しく砂埃が舞う。一気に距離をつめるサラに銃口がぶれる。そこから撃たれた銃弾は掠りもしない。

 

「せいっ!」

「……っ!?」

 

 迫るサラの一撃を、銃を両手で持ち、横に構えることでなんとか防ぐ。しかし両腕で堪えているはずのマキアスの腕が痺れた。完全に押し負けている。ぐらりと前方に傾いた体で攻撃を避けることはできず。導力銃を持った片腕で背中を押され、マキアスが地面に倒れこむ。

 

「完全に遊ばれてる」

 

 フィーがぼそりと呟いた。とても本気を出しているようには見えない。それはサラをよく知っているフィーの目から見ても明らかだったのだろう。

 その場に立っているのはサラとアーツを駆動しているリィンのみ。

 

「さぁ。かかってらっしゃい」

 

 サラは余裕の笑みを浮かべている。そこに生まれている隙はあまりにわざとらしく、リィンの頭の中では警鐘が鳴っていた。

 

「来ないならこっちから行くわよ!」

「っソウルブラー!」

 

 リィンの周囲を包む魔法陣が消えると前方に高密度に凝縮されたエネルギー弾が生まれる。まっすぐ正確にサラへ向かっていくが、サラはひらりと体を捻ることでかわす。

 

「これはオマケよ!」

 

 サラの導力銃から赤紫色を放つ凝縮された光の塊が撃ち出される。至近距離から現れたエネルギー弾同士は相殺し合い、眩い光を放ち消えた。

 

「――四の型……紅葉切り!」

 

 アーツを放った直後に駆け出していたリィンが光の中から飛び出し、サラの姿を目ではなく気配で捉えて一閃を喰らわせようと剣技を繰り出したがそれも虚しく。剣を振りぬいた先にサラの姿はなかった。

 

「はい、おしまい」

「……参りました」

 

 うふ、と笑うサラの導力銃はリィンの後頭部に押し付けられている。嫌な感触にリィンは背筋にひやりとした汗をかき、降参の意を示すと漸く圧迫感から解放される。

 こうして呆気なく補習は終了した。勝ち誇ったようにご機嫌なサラは武器をしまいながらティアとエリオットに声をかける。

 

「ティア、エリオット。回復してあげてくれる?」

「ええ」

「は、はい!」

 

 自他共に認めるⅦ組の回復役の二人だ。

 ユーシスもマキアスも片膝をつき、さっきよりもさらに不快感を示していたが意外なほどあっさりと受け入れた。連携不足で無用な苦戦を招き、身勝手な行動をした挙句の惨敗。頭では理解しているのだろう。

 

「フフン、あたしの勝ちね。A班・B班共に週末は頑張ってきなさい。お土産、期待してるから」

 

 ハートマークでも付いていそうな愉しげな口調でサラは授業の終了を告げて立ち去っていく。

 解散を告げられたものの、先ほどの余韻からなかなか動き出せずにいた。最初に動いたのはアリサで、突然参戦を命じられたリィンに労いの言葉を掛けている。それが合図になったかのように少しずつ動き出し、ガイウスがエリオットに歩み寄り、マキアスの腕を引っ張り起こした。気まずそうに礼を言っているのが背後で聞こえる。エマは実技テストの疲れからか早く寮に帰りたいと苦笑交じりに言って、フィーがそれに同意。ラウラが労わるようにふふと笑った。

 

「お疲れ様でした」

 

 駆動を終えたアークスを閉じて声をかける。膝に付いた砂を払いながらユーシスが立ち上がる。

 

「フン。さぞ呆れていたことだろうな」

「……ユーシス君は、それを肯定してほしいんですか? それとも否定?」

「…………」

「すみません。ちょっと意地悪しました」

 

 いつもの仏頂面で、少し目を細めたユーシスにティアは苦笑を返した。

 

「呆れてなんかいませんよ。ただ……随分と砂まみれになってしまったなとは思いましたが」

 

 にっこりと笑顔と口調だけは慎ましく放たれた痛烈な一言。ユーシスは避けるようにすっと視線を逸らした。

 体力も万全な状態で、三人がかりで挑んだのに一撃すら与えられなかった。今日一日だけで二度も地面に膝をついた。かつてない屈辱に包まれていることだろう。

 

「先月抱いた不甲斐なさに、今日感じた悔しさ。それはきっとユーシス君の糧となります。忘れてはいけないけど、恥じてばかりいることもないと思いますよ」

 

 小指から手首にかけて、小指球にできていたかすり傷。綺麗になくなったことを確認してティアも立ち上がる。気付かれていた自覚があるのかユーシスは突き放すような言葉は口に出せなかった。

 

「……少ししゃべりすぎましたかね」

 

 この後授業は無いがHRがある。動かない二人を気にしつつもグラウンドを後にしようとするアリサ達。行きましょうかと声をかけてティアとユーシスも歩き出す。

 

「……一応、礼は言っておく」

「どういたしまして。どうせなら、マキアス君にも伝えていただけると――」

「それは断じて断る」

 

 拗ねたようなユーシスにティアは控えめな笑い声を漏らすと、そのまま静かに歩いていた。

 




遷都……もといセントアークでの実習も考えたのですがこちらの方がおいしいかなと思い無難にA班にしてしまいました。
次回からバリアハート実習編となります。



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翡翠の公都バリアハート

 5月29日

 

 二回目の特別実習初日の朝。最終の準備確認を終えて実習地へ出発する為集まったトリスタ駅では険悪な空気が漂っていた。駅のベンチに座っているユーシスと時刻表の前に立って時間を確認しているマキアス。同じ駅舎内にいても絶対お互いを視界に入れまいとする意気込みが伝わってくる。ホームに行くまでずっとそのまま待つつもりなのだろうか。

 よくも厭きずにいがみ合えるものだと呆れているのはアリサ。我関せずといった態度を貫いてきたフィーも煩わしさを隠そうとしなくなった。気付いているのかいないのか、露骨に不機嫌な態度を見せる男子二人にエマは苦笑している。

 

「リィン君、リィン君」

 

 リィンがマキアスとユーシスの様子をじっと見つめていると、ティアが小さく声をかけた。あまりハッキリとは話せないことなのだろうと、聞き漏らさない為にリィンは顔一つほど小さいティアに合わせて少し身を屈めた。一瞬固まったティアの表情の理由はリィンには分からないだろう。

 仕切り直しとばかりにこほん、と一つ咳払いする。

 

「リィン君の思いを素直に伝えれば、きっと届くと思います。……諭すよりも、発破をかける方が彼らには合っているかもしれませんね」

 

 心配はしていないかのような、和やかな表情で。最後は少し冗談めかして。

 前回A班として好成績を収め、実技テストでは外部からユーシスとマキアスの拙さを監察し、共にサラへと立ち向かい惨敗した悔しさを共有しているリィン。そんなリィンだからこそ届く言葉もあるのだろう。最も、リィン本人にはあまり自覚はなさそうではあるが。

 

「なんで俺にそんなことを……?」

「だって、そうするつもりだったのでしょう?」

「それはそうだけど……」

 

 元々は小さなズレだったのだ。身分について曖昧に答えたのはリィンが最善の策と考えたから。決してマキアスを騙そうとしていたわけでもなく、リィン自身の中に蟠りが残っていたためだ。悪意じゃないことはマキアスもきっと分かっている。だからこそ、怒りの他に戸惑いが混じってくる。

 だが、そのズレを生んでしまったのなら、それを埋める努力をしなくてはいけない。それは多分、リィンの役目だ。いや、リィンにしか出来ないとティアは考えている。

 

「(――私では痛み分けにしか出来ないから)」

 

 その先を引き出せない。不自然に黙り込んだティアにリィンが小さく首を傾げる。ティアはふるりと首を横に振った。

 

「いえ。いつまでも避け続けていたって、自分以外に解決できる人はいません。ただ、誰かの手助けくらいはあってもいいじゃないですか」

「ふふ、その通りだな」

「ガイウス君?」

 

 今まで黙っていたガイウスが話に混ざってきた事を意外に思いながら背後を振り返る。

 

「俺には無理だったがリィンなら……いや、リィンとティアなら何か出来ると思う」

 

 含みを持たせる言葉だった。ガイウスからも託され、リィンは戸惑いを見せたが深く頷く。一方で、ティアは何故ガイウスがそのように言い直したのか探っていたが残念ながらタイムアップ。B班の乗る列車が到着したアナウンスを聞きながら、微笑むガイウスに小さく首を縦に振った。

 

 

 

 

 

 

 六人は向かい合わせの座席に三人ずつ陣取り、一方には窓側から順にティア、エマ、フィーが。もう一方にはリィンを間に挟んでユーシスとマキアスが座っていた。リィンは異議を申し立てたが、フィーは断固として拒否し、エマも申し訳ない態度を取りつつも絶対に受け入れようとせず。ティアは完全に悪乗りである。

 息苦しい沈黙を破るためにエマが実習地の復習を提案し、ユーシスもそれを了承したのだが。

 

「フン、自分の実家のことを冷静に評価できているじゃないか?」

「事実は事実だからな。それとも、貴様が平民目線のさぞ批判的で気の利いた説明をしてくれるのか?」

「くっ……僕がイデオロギーに歪んだ物の見方をしてると言うのか?」

 

 彼らが口論になるのはすでに二回目だ。一回目は列車を待ちホームにいる間に起こった。マキアスがリィンに素っ気無い態度をとっていると、ユーシスが火に油を注いだのだ。それは列車に乗り込み、ティア達の他にも乗客が乗り込んだことで何も言えなくなり収まった。そして二回目が今。実習地であるバリアハートについて復習しているとユーシスがマキアスを挑発し、マキアスが喧嘩を買ってしまった。不完全燃焼となってしまっていたためか、今度は周りの乗客も気にせずに声を荒げている。

 その喧嘩を遮ったのは珍しくもリィンだった。彼らしからぬキツい言葉を突きつけてユーシスとマキアスを冷静に嗜める。

 

「――なるほどな。道理で散々な成績だったわけだ」

「な、なんだと……!?」

「……………………」

 

 マキアスの怒りとユーシスの苛立ち、エマの驚きにティアとフィーの興味深そうな視線を浴びながら、リィンは続ける。

 

「あんな経緯で選ばれた俺達は、立場も違えば考え方も違う。だから仲良くしろとまでは言わないさ。それでも数日間、俺たちは紛れもなく"仲間"だ」

「冗談じゃない!誰がこんなヤツと――」

「"友人"じゃない、同じ時間と目的を共有する"仲間"だ。だから、ユーシスもマキアスも協力してくれないか。俺はこの実習でB班に負けるつもりはない」

 

 リィンに似合わない勝ち負けを意識した露骨な発言と、ユーシスもマキアスも妥協できるように譲歩するリィンらしいフォロー。そこまで言わせて尚拒絶することはできず、遂にマキアスから"休戦"という言葉を引き出すことに成功した。

 

「フン、そのくらいの茶番に耐える忍耐力なら発揮してやろう」

「ぼ、僕の方こそ……!」

「休戦してるんだよな……?」

 

 あくまで高圧的な態度は崩さないユーシスと対抗するマキアス。一緒に行動できそうだと安心するエマとフィーに、一体どのくらい酷い実習だったのかとティアとリィンは苦笑した。

 そこからは和気藹々とまではいかずとも、話を振れば会話に応じる程度のコミュニケーション力を発揮しているユーシスとマキアスを眺めながら列車に揺られること四時間半。バリアハートまでは残り三十分を切った。

 

「あれがバリアハート……」

 

 ティアが思わず見惚れたのは、大穀倉地帯を抜けて現れた翡翠の街の景色。窓に片手をつき遠くの街の名を小さく呟く。正面に座っているユーシスが同じく窓を眺めながら口を開いた。

 

「だが、綺麗なだけじゃない。そこの男も言っていたが、バリアハートは"貴族の街"だ。お前も、いつもの貴族批判は大通りなどでは控えておけ。領邦軍の巡回兵あたりにしょっ引かれたくなければな」

「言われなくたってそのくらいのことは弁えている!」

 

 リィンを挟んで繰り返される応酬。うてば響くやり取りに実は相性がいいんじゃないかとだれとはなしに思ってしまう。言えば息の合った反論が聞けそうで、いつか言ってみようとティアは企んでいた。

 

 

 

 

 

 

「ユーシス様! お帰りなさいませ!」

 

 バリアハート駅に到着したティア達を待ち構えていたのは四人の駅員だった。列車から降りるや否や全員が駆け寄ってくる。媚びるような笑みを浮かべる駅員たちをユーシスは鋭く睨みつけ強い口調で咎めるが駅員は気にした様子もなく、アルバレア公爵家次男への対応を止めない。

 

「今回は士官学院の実習で戻ってきただけだ。過度な出迎えは不要と連絡が行っているはずだが?」

「いやいや! そうは言われましても」

「公爵家のご威光を考えればこれでも足りないくらいで」

 

 へらへら。にこにこと愛想笑いを貼り付けたまま、ユーシス達の荷物を預かろうとする駅員たちにユーシスが眉をしかめて露骨に不快な表情を浮かべる。大きくため息をつき、もう一度撥ねつけようとしたがそれよりも早く彼らを制したのはユーシスと同じ空色の瞳を持つ、翠色の豪奢な服に身を包んだ貴公子だった。

 

「な……」

 

 何故ここに、とでも続いたのだろうか。ユーシスは珍しく狼狽を顔に漂わせて駅員たちが空けた道を優雅に歩く青年――ルーファス・アルバレアを見つめていた。

 

「親愛なる弟よ。三ヶ月ぶりくらいかな? いささか早すぎる再会だがよく戻ってきたと言っておこう」

「……はい。兄上も壮健そうで何よりです」

「そしてそちらが《Ⅶ組》の諸君というわけか。レーグニッツ知事とシュバルツァー卿のことはよく存じ上げているよ」

 

 Ⅶ組について知っているだけでなく、名乗ってもいないマキアスとリィンのことまで把握済みである。ユーシスを筆頭に、少々混乱気味のリィン達の視線を浴びながら、ルーファスは気品に満ち溢れた笑顔のまま口を止めず。

 

「そちらの可憐な諸君は……初めまして、かな」

「ええ。お初にお目にかかります。ティア・レンハイムです」

「え、エマ・ミルスティンです。その、お気遣いいただき恐縮です」

「フィー・クラウゼル」

 

 その時ユーシスの眉がぴくりと動いたが、柔らかな笑みを浮かべてユーシスをからかうルーファスに流されてしまう。滅多に見れないどころか想像すらつかなかったユーシスのたじろぐ姿にマキアスは目を丸くしている。

 

「さて、立ち話もなんだ。このまま諸君の宿泊場所まで案内させてもらおうか」

 

 各人各様の反応を受けながら、終始笑顔のルーファスは駅の外に停めてあるリムジンまで案内すると言い動き出す。先頭を歩くルーファスの後を付いて行きながら、ユーシスは胡乱げな視線をティアに向ける。ティアは困ったように眉を下げながらも悪戯っぽく笑い、人差し指をたて口にあてた。

 そしてすぐに手を下ろすとそのまま前を向き、ユーシスから視線を逸らした。そして眼の前に現れた壮大な光景に目を柔らかく細める。

 

「……綺麗なものは綺麗ですよ」

「ふふ、お気に召していただけたようで何よりだ」

 

 駅構内から出ると、列車の窓から見た景色とは比べ物にならなかった。白塗りの壁面と深緑色の屋根に統一された建物。美しく舗装された石畳。遠くからでもよく見えた幾つも並ぶ尖塔は空を射抜くように聳え立っている。

 

「改めて――ようこそ、翡翠の公都《バリアハート》へ」

 

 かつて皇帝が居城を構えていた街は、翡翠の都と讃えられるに相応しい、美しく歴史的な街並みが広がっていた。

 

 




エマだけじゃなくユーシスにも胃薬を渡したいと思う今日この頃。
バリアハート実習、スタートです。


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華麗に優雅に内緒事

 

「貴族派きっての貴公子だって噂は耳にしたことがあったが……」

「……すごく出来た方みたいですね」

 

 ルーファスの用意した宿泊先ホテル・エスメラルダに着き、車から降りた六人は礼と別れを告げてルーファスを乗せたリムジンが再び走り去るのを見送っている。これから父であるアルバレア公爵の名代で帝都へ向かうようだ。案内役に名代としての公務。その後も予定は多いのだろうが、最後まで忙しさは全く感じさせない麗しい人物だった。

 

 リィンの父シュバルツァー男爵についてもただ知っているだけでなく、過去にあった交流を振り返りながら話していた。気さくで驕り高ぶることはなく、それでいてどこか茶目っ気のあるルーファスは同様にマキアスにも親を立てて話しかけた後、優雅に一笑。弟をよろしくと言われたマキアスは顔を若干引き攣らせながら前向きな返答をした。

 

「ユーシス、なんだか弟ぽかった」

「……フン。妙なところを見られたな」

 

 フィーの言葉には全員が同意していた。浮かべる表情は正反対だったが、髪の色も目の色も、顔立ちもユーシスとルーファスは似ていた。からかわれ、焦ったり驚いた反応をしながらも、最後は慣れたようにため息をついて流す。ティアにとってはどこか馴染み深く、懐かしくもある関係だ。

 

「社交界の話題を二分していると言うのも頷けますね」

「もう一方って言うと……オリヴァルト皇子のことか」

「ふふ、お二人ともユーモアのある方みたいです」

 

 帝都育ちのマキアスにはすぐに思い当たった。話題を振った張本人である、同じく帝都出身であるティアは平素よりも声を弾ませて答える。愉しげなティアにユーシスは呆れた顔で大きくため息をついた。

 

「おい。いい加減チェックインして実習の課題を始めるぞ」

「そ、そうですね。こんな高級そうな部屋、気後れしちゃいますけど」

「れっつごー」

 

 

 

 

 

 

「まったく……どいつもこいつも」

 

 ホテルで用意されていた待遇は、ユーシスにはスイートルーム、他のメンバーについてもそれぞれ個室と実習で使うには過ぎたものだった。アルバレア公爵家子息にそのような部屋は使わせられないと渋りながらもユーシスの指示で男女に一部屋ずつ用意させる結果に落ち着き、ようやく部屋に荷物を置く。

 全員がホテル入り口に集まったところで実習内容の確認だ。ルーファスから受け取った封筒を開く。中に入っていたのは前回同様に課題が記された書面。魔獣退治に物品調達と多方面にわたる課題がバランスよく用意されていた。

 

「ふん。それはこちらの台詞だ! やはり貴族なんて碌でもない連中ばかりじゃないか」

「ま、まあまあ。マキアスさんもユーシスさんも……一応、依頼については聞けましたし」

 

 エマが宥め、マキアスとユーシスが辟易している原因は実習の任意課題の一つであるバスソルト調達の依頼だ。依頼人である貴族はレストラン《ソルシエラ》のテラス席で友人と談笑中。リィンが依頼について話を進めようとしても聞く耳を持たず。ルーファスから士官学院の実習用に仕事を回すよう頼まれただけで、然程急を要する依頼でもなかったようだ。

 後ろに立っているユーシスに気付くなり慌てて始めた説明によりやっと詳細が判明する。東のオーロックス峡谷道に分布する岩塩《ピンクソルト》を探してほしいというものだった。

 

「まずは職人街に向かおう。依頼について聞かないとな」

「《ターナー宝飾店》ですね。穢れなき半貴石……どんな依頼なのでしょう」

 

 ピンクソルトはオーロックス峡谷道の手配魔獣を討伐する際に採取することとなり、先に職人通りの宝飾店へ向かうため貴族の二人組に挨拶をしてその場を離れ歩いていた。

 

「ユーシス?」

 

 先頭を歩いていたユーシスがレストランの入り口の前でふと足を止めるとリィンも続いて立ち止まった。

 

「……せっかく来たし、オーナーに挨拶でもしておこうかと思ってな」

「えっ?」

「……いいと思いますよ。私も調理部員としてこのレストランが気になっていたんです」

 

 駅員やホテル支配人にはお世辞にも愛想が良いとはいえなかったユーシスが、自分から挨拶に顔を出そうとしたことにリィンたちの頭に疑問符が浮かぶ。しかし特に反対する理由もない。

 店に入るとフィーが小さく口を開きながら、首を伸ばして店内を見回す。

 

「おっきなレストランだね」

「この手の飲食店としてはまだ庶民的な方だがな。……俺もよく利用している」

「へえ、ユーシスの行きつけなんだな」

 

 店内はフィーの言葉通りに広々とした空間が広がっている。落ち着いた赤褐色の絨毯と青碧色の壁は煌びやかなシャンデリアに照らされ、二階からは心地よいピアノの音色が響いてくる。

 

「(笑った……?)」

 

 ユーシスの表情が一瞬和らいだ。ただ行きつけの店に来たからといってユーシスがこんな安心した風になるとは思えない。それも本当に一瞬のことで、気のせいだったのかもしれないが。

 

「大貴族の君に庶民的だのを語られても説得力に欠けるがな」

「ならお前だけ外で待っているがいい」

「ぐっ……」

 

 反論を試みるマキアスを無視してユーシスはカウンターに立っている中年のオーナーシェフに話しかける。

 

「おや……これはユーシス様。お久しゅうございますな」

「士官学院の課題で戻ることになったんだ。急だが訪ねさせてもらった」

「うまく学院生活をこなしていらっしゃるようで何よりです」

 

 今までアルバレア公爵家次男を見ていた者たちとは違う、ユーシスを大事そうに見つめる視線。目尻の皺を濃くした本当に嬉しそうな微笑み。ユーシスにとって居心地のいい場所であることは間違いないようだ。

 

「……いいお友達がおできになったようですね」

「友達じゃない。ただのクラスメイトだ」

 

 ユーシスはオーナーと一言二言言葉を交えた後、友達と例えられたことに不服そうにしていたが今まで見せてきた不機嫌さはなく、ただマキアスが気まずそうにしていた。それを見たフィーがからかおうとしていたがエマに止められている。

 

「時間を取らせたな」

「構わないさ」

 

 丁寧に名乗ってくれたハモンドオーナーに挨拶をしてティア達はソルシエラを後にした。今度こそ宝飾店に向かうぞ、と不貞腐れているマキアスにいつもの覇気を感じられないのは頼りない八の字になっている眉のせいだろうか。前を歩くリィンと話しているユーシスの横顔は穏やかなままだった。

 

 

 

 

 

 

 バリアハート市南部に位置する職人通りは緩やかな傾斜をなしており、宿酒場に仕立て屋、オーブメント工房等様々な店が立ち並んでいる。市内中央部は華やかな婦人たちが多く、優雅な雰囲気が漂っていた。また、先のソルシエラをはじめとして大きな建物が点々と立っていたがここは少し雰囲気が違う。

 小さな建物の密集した通りを下り、件のターナー宝飾店を見つける。

 

「つまり、近々結婚するそちらの旅行者――ベントさんが結婚指輪に使う石を調達するという内容で間違いないでしょうか」

「はい。しかし、《樹精の涙(ドリアード・ティア)》は相当探さないと見つけられないと思いますが」

 

 リィンが依頼内容を確認すると依頼主である《ターナー宝飾店》店主の息子ブルックは申し訳なさそうな顔で頷く。

 目的の石は七耀石や宝石ではなく、価値は一段劣るものの、美しさでは決して引けを取らない半貴石の内の一つドリアード・ティア。その正体は外気に触れて時間が経つと石のように固まる樹液。いわゆる琥珀だ。幸いにも北のクロイツェン街道にはその樹液を採取できる木が豊富に生えているが、珍しいものに変わりはない。

 

「少々骨が折れそうだな」

「いや――そんなことはない」

 

 ユーシスが呟くと、直後に背後から否定の声が飛んでくる。

 

「君たちがこれから探そうとしている無垢なる木霊(こだま)の涙……それを先程、この目で見たと言ったら?」

 

 振り返った先に立っていたのは、所々に髪と同じ青色の飾りや模様を施した白を基調とした衣服に身を包んだ男性。髪をかきあげながらそう言う男性は自分の名を告げる。

 

「フフ、申し遅れたが……私の名はブルブラン男爵。およそ芸術と名のつく物であれば、美術品だろうと調度や工芸品だろうとどんな物にでも愛と情熱を傾ける好事家さ」

「……」

 

 聞き覚えのある名前にティアの顔が微かに強張る。

 好事家であるのは自他共に認めていることらしい。とっつきにくい、喋り方が微妙にうざい、内容もくどいと散々なことを思われながらもブルブラン男爵は演技がかった口調で話を続ける。

 

「土地勘がなく細かい場所まで説明できそうにないのが申し訳ないが……それはそれか。なぜなら、光というものは、自らの手で見つけ出してこそ輝きを放つものだろうからね」

「は、はぁ……」

 

 ダメ押しとばかりの一言。マキアスにユーシス、フィーは完全に白い目で見ているしエマとリィンも若干引き気味である。辛うじて初対面の方に対して失礼ですよと注意しているが早く話を終わらせたいと考えていた。

 

「えっと、情報を頂けるのはありがたいですが……どうして、それをわざわざ俺たちに?」

「単なるミラでは買えない価値を求めようと言う心意気……。この度の話にはこのブルブラン、多大なる感銘を受けた。――というわけで親切心が働いただけのことだが……それ以上の理由が必要かね?」

「い、いえ……」

 

 分かるような、分からないような。酔っているかの言葉にリィンもそれ以上の言葉を返せなかった。

 必要な情報は揃ったし、時間も勿体ない。このブルブラン男爵の話の真偽は街道に行ってみれば分かることだ。笑顔の中に、若干の苦い色を混じらせたティアが明るく話を切り上げる。

 

「せっかく情報をいただいたことですし、そろそろ探索に向かいましょうか」

「そうだな。それではお二人とも。今から出かけてくるので待っていてください」

 

 マキアスがティアに続き、依頼者二人に挨拶をする。当然のように、男爵もリィン達の帰りを待つつもりのようだ。

 

「フフ、ごきげんよう」

 

 店員ブルックに、旅行者ベント、そして微笑むブルブラン男爵に見送られながらティア達は宝飾店を後にした。

 

 

 

「お前は俺と向こうを探すぞ」

「ええと……その、ユーシス君?」

 

 ドリアード・ティアを探すために訪れた北クロイツェン街道でティアは珍しく答えに窮したように曖昧に返事をする。

 

「異論はないな?」

 

 街道を六人で固まって探すよりも分かれて探した方がいいだろうという意見には全員が賛成。魔獣には警戒し、二人一組で行動することになった。エマとリィン、マキアスとフィーがペアを組み、残るティアの相手はユーシスだ。

 マキアスとユーシスが組めばいい、とは多分二人以外の全員が思っていたことで、深い意味はないんです。でも息がぴったりな断固拒否する声が聞けてちょっと満足でした。そんな事を脳裏に浮かべながら、にこり。ティアは短く返事をする。

 

「はい」

「……行くぞ」

 

 ティアが歩き出すのを待って、不貞腐れた顔のユーシスも探索を開始した。

 街道沿いの木を注意深く調べながら、地図で見ると楕円状になっている地を歩く。横道が多く、そちらも確認する。

 

「それで……兄上と一緒に何を企んでいる?」

「企むだなんて人聞きが悪いですよ」

 

 わき道に入ると行き止まりだった。引き返そうとするとユーシスが口を開く。

 

「やっぱり気付いちゃいますか」

「兄上は聡い方だ。あれだけ話していて気付かないわけがないからな」

「ああ……」

 

 納得したようにティアが頷いた。すかさずユーシスが否定する。否定よりも、ぷんぷんしていると言う方が近いかもしれない。

 

「その"お兄さんのこと大好きですね"とでも言いたそうな顔を止めろ」

 

 おっと。なんて言いそうなわざとらしさでティアは手で口を押さえる。

 

「安心してください。ルーファス卿とは兄の繋がりで少しお話する機会があっただけで、私が彼と個人的に親交があるとか、ましてや好い仲だというわけではありませんから。私の好みはもっと垂れ目な方ですしね」

「…………そこまで聞いてはいないが」

「ふふ、失礼しました」

 

 思わずユーシスがきょとんとなる、やたらと念入りな否定だった。

 それでもユーシスはまだ何か考えている様子で。ティアは気付かない振りをしながら背後の視線を無視して、街道から離れた木を確認していた。

 

「さっき――」

「おいユーシス・アルバレア! まさかサボっているんじゃないだろうな!?」

 

 バリアハートは街も街道も丘陵地帯。当然、このクロイツェン街道も平坦な道と言うには起伏が多い。上方から降ってきたマキアスの声に、ユーシスはげんなりとした顔でその場を立ち去った。

 

「"やかましいお犬様が来たな"って顔をしていますね」

「様など勿体ない。駄犬で上等だ」

 

 隣を歩くティアがひょいとユーシスの顔を覗きこむ。後方からはマキアスがフィーを探す声が聞こえてくる。探しものを増やしてどうする、とはユーシスのぼやきである。

 探し回ること約一時間。北クロイツェン街道の中央部にある一本の木から目的のドリアード・ティアを無事に見つけ出した。

 




閃Ⅲ未クリア勢なので本当にスローペースで進めています。
そろそろユーシス様にもガイウスにも会いたいと思っているのですが…。
もう発売から一ヶ月以上経っているのですね。驚きました。



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爪痕

 

「あれは……領邦軍みたいですね」

 

 目的の半貴石を見つけてバリアハートへ引き返す途中、剣とペガサスをシンボルとしたアルバレア公爵家の紋章が描かれた戦闘車両に遭遇した。

 

「ケルディック方面の部隊だろう。バリアハートの本体に戻るところに出くわしたようだ」

「なるほど……さっきの車両は始めて見たな」

「ラインフォルトの新型装甲機動車みたい。戦車には火力で劣るぶん、機動力で勝る最新の戦闘車両」

「フン、かなりミラがかかっていそうだな」

 

 フィーがけろりと説明を始めるが十五歳の少女の口からさらっと出てきて良い内容ではない。

 巡回の為に最新の装甲車を三台。未だケルディックへ常駐している鉄道憲兵隊へ睨みを利かせる狙いもあるのだろう。

 

「時間も勿体ない。俺たちも街に戻るぞ」

「ああ、そうだな」

 

 七耀石にも勝るとも劣らない輝きを放つドリアード・ティア。透かしてみると向こう側の景色が透けて見えるほどの透明感のある半貴石を大事に持ち、旅行者ベントの喜ぶ顔を思い描きながらバリアハートへ戻っていたのだが。宝飾店を再び訪れて待ち受けていたものは、笑顔ではなく悲しげに曇った表情だった。

 

「その……約束の品をいただけますか」

「はい。では……お渡しします」

 

 沈鬱な店員ブルックにリィンは疑問を頭に浮かべたまま、ドリアード・ティアを手渡す。大事に手に取ったブルックは、その石を何かに耐えるように見つめて目を伏せる。

 すると、店内からは高慢そうな怒鳴り声が飛んできた。

 

「おい店員、何をしている! 品が手に入ったのなら、さっさとよこさんか!」

「えっ……ど、どういうことですか?」

 

 店内で宝石を物色していた男が苛立ったように急かす。エマの戸惑った声に気まずそうに視線を逸らし、ブルックは受け取ったばかりのドリアード・ティアを男に差し出した。

 そして、男は石を手に取り、まじまじと眺めた後――文字通り、口の中に放り込んだ。

 

「えっ……!」

「なんてことを……!?」

 

 ガリガリと噛み砕き、ゴキュルと下品な音をたてて水で流し込む。呆気にとられる中、最初に声を上げたのは、やはりというかマキアスだった。

 

「き、貴様……! 今自分が何を……!!」

「――マキアス!」

 

 リィンが止めるがもう遅い。士官学院でならまだしも、この貴族の街で不用意な発言は控えるべきだと自覚していたのに。マキアスは感情に駆られてしまったことを後悔するように拳を強く握り締めた。

 

「今このワシに向かって"貴様"と言ったか?」

「そ、それは……」

「マキアス君、下がって」

 

 マキアスの拳にそっと手を添え、宥めるように視線を合わせる。小さくマキアスに声をかけてティアは前に出た。マキアスにはいつもの笑顔を見せて、貴族の男には見え透いた愛想笑いを浮かべた。それが愛想笑いだと気付く相手でもなかった。

 

「東方では滋養強壮の漢方薬として使われることがあるそうですね。一部では、若返りの効果もあるとか……。伯爵閣下の博識には恐れ入ります」

「ふむ? そちらのお嬢さんはよく勉強しているみたいじゃないか」

「ふふ、伯爵閣下ほどではないでしょうけれど」

 

 伯爵は得意げに顎を撫でる。人好きのする顔である自覚はあった。謙虚に見せ、そう振舞う方法も気付けば理解していた。天真爛漫な妹や弟と違い、器用さで補っている部分もあるが。あとは矛先を変えればいい。

 

「ですが――貴方は一度、ご自分の胸に手を当てて何をしたか考えるべきです」

「……ふん、やはりいくら賢くとも平民か。これしきのことで事を起こすワシではないが、くれぐれも言動には慎むことだ。ワシがその気になれば、平民風情の首の一つや二つ――」

「やれやれ、言動を慎むべきなのはそちらの方ではないか……?」

「ああ?」

 

 横から挟まれた声に伯爵は明らかに声に怒りを含ませて反応するが、声の主を捉えた途端に驚いて後ずさる。ユーシスに咎められた伯爵はおどおどと、今回の件は正式な契約であり、ちゃんと対価としてミラを支払っていると話し出す。

 

「……話は分かった。さっさと行くがいい」

「ご配慮痛み入ります。では、この場は失礼させていただきます」

 

 ユーシスを相手取るのは分が悪いと踏んだのか伯爵はそそくさと宝飾店から出て行った。

 静かになった宝飾店で浮かない顔のマキアスが頭を下げる。

 

「……お騒がせしてすみませんでした」

「相変わらず頭に血の上りやすいことだ」

「……くっ…………!」

 

 相変わらずの二人である。ユーシスの追い討ちに苦々しげに睨むが返す言葉もない。

 

「ティア君も……すまない、助かった」

「いえ。……その、マキアス君には、あまり気分の良いやり方ではなかったでしょうし」

「あの場を収めるには良い選択だったことくらい、僕だって理解はしているさ。……まあ、一言多かった気はするけど」

「お前がそれを言うのか」

「君もいちいち余計なんだよ!」

 

 ユーシスとマキアスの漫才のようなやり取りを流しつつ、リィンが先程の話についてベントに確かめる。伯爵の話の通り、契約は正統なものだった。ただ、と続けられたのは、伯爵クラスの貴族に物申すことは出来ない帝国の実態。

 

「帝都なんかでは、徐々に事情は変わってきているみたいだけど……。オズボーン宰相の息が届きにくい地方の州では、これが実情なのさ」

「…………」

 

 それは紛れもない本音なのだろう。これが現実なのだ。やり方はどうあれ、旧態依然とした帝国の体制に風穴を開けるべく活動し、それが皇帝の信頼を得て、帝都住人をはじめとした一般民衆からの指示を集めていること。そしてその影響は四大名門の統治している地にはまだ広がっていないことも。全てが事実だ。

 肩を落としたベントは、伯爵から受け取ったミラを頭金にして地元で指輪を用意すると話し、店を出て行った。

 

「折角見届けさせてもらったというのに、まるでくだらない喜劇だったな」

「そんな言い方……」

 

 男爵の皮肉る言い方をリィンが咎めた。やれやれと肩をすくませたブルブラン男爵はゆっくりと歩み寄る。ふわりと漂う薔薇の香りがやけに不快だ。

 

「木霊の涙はつまらない幕引きだったが……ふふ、君たちには期待しているよ」

 

 好き勝手しゃべった後、男爵はまたすぐに会えるだろうと言って立ち去る。

 冗長な話し方で、何が言いたいのか分からない遠回しな表現ばかりだったが、おそらく励ましていたのだろうと予想する。

 

 依頼は結局、本来の目的である『ドリアード・ティアを見つけること』は果たしていたため、達成扱いとなる。後味の悪さと少しの気まずさを残して、ティア達は残りの課題を片付けるために宝飾店を後にした。

 

 

 

 

 

 

 宝飾店を出たティア達はピンクソルトを探しながらオーロックス峡谷道を歩いていた。峡谷とは言っても古いながら補強された舗道は歩きやすいが、本道を外れると整備されていない道が続いている。奥に進むと少し開けた場所に出て、そこには禍々しく鋭利で大きな爪を持った魔獣が徘徊していた。赤茶色の甲羅に両手の爪は手配書とも一致する。

 

「……おい」

「ああ、判っている。アークスの戦術リンク……いい加減成功させないとな」

 

 バリアハートでの実習が始まって以来、宣言通り派手な喧嘩はしないが魔獣との戦闘では一向にリンクを組もうとはしなかったマキアスとユーシス。その二人がようやく歩み寄ろうとしているのは、少なからず危機感と実技テストでの屈辱を覚えているからか。

 強敵を前にした緊張感だけではなく表情を硬くしているが、良い兆候だ。リィンとエマは不安交じりでもほっとしたように頬を緩ませたが、ティアは対称的に顔を心配げに歪ませ、フィーはただ静かに見つめていた。

 

「後ろは任せてください。全力でサポートします」

「ああ、宜しく。委員長は解析が終わり次第ティアのフォローを頼めるか?」

「お任せください」

「じゃあ、私はリィンとかな」

 

 エマが情報解析をしている間にティアが態勢を整える為の補助。フィーとリィンが素早く攻め込み撹乱し、ユーシスとマキアスが続く。それぞれの武器を握る手に力がこもる。

 

 魔獣はティア達の姿を認識した途端、その大きな口を歪ませ足を止めた。フィーが前に出る。その後ろにはリィンが控えていた。姿勢を低くしたフィーは振りかぶられた魔獣の爪を軽々と避けて斬り込む。間髪入れずにリィンの斬撃が魔獣を襲った。

 

「はあっ!」

 

 ユーシスの掛け声で圧縮された空気の塊が魔獣に撃ち出される。風はかまいたちのように魔獣を切り裂く。

 

「いくよ」

 

 フィーが閃光手榴弾を投擲。アーツの駆動はそのままに、腕で瞼を覆った。

 魔獣の叫びも空間もまとめて覆いつくすかのような光だ。怯んだ魔獣にマキアスがスラッグ弾を撃ち込んだ。轟音が響く。普通の魔獣であれば吹き飛んでしまうであろう威力の弾丸も、この装甲の魔獣相手では少しよろめくだけで。しかし、風によって微かに刻まれたひびは広がっていた。

 

「頼もしいですね――フォルテ!」

「解析しました! 水が弱点です!」

 

 リィンが焔のような赤い光に包まれる。ティアはすぐにもう一度詠唱を始めた。今度は補助ではなく中位の攻撃魔法。アークス中央の蒼耀石に触れアークスを――力の流れを読み解く。

 

「おい! ここはアーツで攻めるべきだろう!?」

「なに……? 貴様こそ早く撃たんか! その銃は飾りか!?」

 

 薄く開いた視界で捉えたのは魔獣に肉薄したユーシスが魔獣を切り払う姿。相反する意見を主張し合っている。

 ユーシスの剣戟を受けた魔獣が反撃にその凶暴な爪を振り下ろした時――連携は崩れた。

 

「くっ!?」

「……ちっ!」

 

 振り下ろされた爪が大地を抉る。同時に、ユーシスとマキアスを結んでいた光の線が消えた。

 何が起こったか分からない。いや、頭では理解しているけれど受け入れられていない。お互いを繋いでいた光がなくなり、ユーシスとマキアスは視線を交差させる。その隙を守っていたのは、今尚攻め続けるリィンとフィー。

 

「っティアさん、思い切り!」

「ええっ!」

 

 二人のリンクブレイクを察知したエマが焦ったように叫ぶ。ティアの体を包んでいた術式が消える。

 

「ハイドロカノン!」

 

 強大な水流が大砲のように魔獣に迫る。強烈な水圧に魔獣の甲羅がピキピキとひび割れていく。

 

「行くよ、リィン」

「ああ!」

 

 エマによる補助アーツを受けたフィーがリィンと連携。ぼろぼろになった装甲を砕き、銃声の音を響かせた。

 フィーの倍はあろうかという魔獣がぐらりと傾き、地に伏す。

 

「……ふぅ」

 

 倒れ動かなくなった魔獣を確認し胸に手を当てる。討伐は特に怪我をすることもなく完了。上々の出来と言えるだろう。

 しかし、ほっと息を吐く暇もなく、不穏な空気は続いていた。

 

「……どういうつもりだ、ユーシス・アルバレア……! どうしてあんなタイミングで戦術リンクが途絶える!?」

「こちらの台詞だ……マキアス・レーグニッツ……! 戦術リンクの断絶、明らかに貴様の側からだろうが」

 

 ユーシスとマキアスは互いの胸倉を掴み合い至近距離で睨み合う。お互いの制服に濃く刻まれた皺が、二人の苛立ちを物語っていた。

 

「一度は協力すると言っておきながら、腹の底では平民を馬鹿にする……。結局それが貴族の考え方なんだろう!」

「阿呆が……! その決め付けと視野の狭さこそが全ての原因だとなぜ気付かない……!」

「よせ、二人とも!」

 

 二人の怒りは最高潮。空気は最悪だ。リィンの制止にも耳を貸そうとしない。

 最初に噛み付いてくるマキアスに対し、普段のユーシスはわざわざ火に油を注ぐもののそれなりに余裕は見せていた。そのユーシスも今は熱くなっている。

 

「うるさい! 君たちには関係ないだろう!?」

「この際、どちらが上か徹底的に思い知らせてやろう!」

「危ないっ!!」

 

 拳を振り上げた二人をリィンが体当たりをして突き飛ばした。何事かと振り返り目にしたのは、肩を抑えて膝をつくリィン。その背後には倒したはずの魔獣に止めを刺しているフィーだった。装甲のひび割れた隙間に双剣銃を差込み接射され、今度こそ完全に息絶えた。

 

「リィンさん! は、早く応急手当を……!」

「エマさんは傷の手当てをお願いします。私は……治癒術を」

 

 リィンは肩から背中にかけてざっくりと裂かれていた。何とかブレザーを脱がせるとシャツには血が染みている。ティアがベルトポーチからガーゼを取り出しエマに手渡す。止血の為にガーゼを当てるとリィンが小さく息を漏らした。

 

「すみません、少し痛むかもしれません」

「大丈夫だ。ありがとう……委員長、ティア、フィー」

「リィン……すまない、僕は」

「もう、どうしてマキアスさんが一番辛そうな顔をしてるんですか」

「……っ」

 

 エマは注意深く傷に薬を塗り込んでいく。ユーシスとマキアスは気まずそうに体を起こしリィンの傍に歩み寄る。先程とは真逆の情けない表情だ。エマは安心させるように温和な笑みを浮かべているがその言葉は優しいようで厳しい。どちらが悪いではなく、どちらも悪いのだ。

 

「――いきます」

 

 ティアのアークスが淡い光を放つ。光は白波のようにリィンを包むと傷口を塞いだ。

 

「"関係ない"なんて……そんな寂しいこと言わないでください。リィン君も、エマさんも、フィーちゃんも。もちろんユーシス君にマキアス君も。例え今だけのつもりでも仲間だって、ちゃんと言ったじゃないですか」

「……」

 

 願わくば、それが今だけでなく今後も続くように。治療が終わりリィンは再度礼を述べてゆっくりと立ち上がる。

 

「とにかく、二人に怪我がなくて良かったよ」

「……君は……」

「…………」

「でも、あんまり肩を動かさない方がいいかな」

「そうですね。まだ完全に治ったわけではないので」

「ええ。リィンさんはしばらくバックアップに回ってください」

 

 自分の怪我よりも二人を優先するリィンの姿はユーシスにもマキアスにもちくりと刺さった。しばらくリィンを安静にさせるように話がまとまり、エマを見張り役にしてオーロックス砦へ報告に向かう。

 オーロックス砦は峡谷をあと少し越えた先。夕方までに街に戻るなら急ぐ必要がある。さあさあと急かされてマキアスとユーシスは気まずそうに歩き出す。後ろでは包帯の具合を確かめると言ってエマがリィンを引き止めていた。

 

 リィンは何の躊躇もなく二人を庇った。それはもし狙われていたのがティアでも、エマでも、フィーだったとしても変わらないだろう。"人のための行動"と言えば響きはいいが、自己犠牲を省みないどこか歪で傲慢な在り方。彼が何を抱えているのかは分からないが、これ以上誰も傷ついてほしくないと――傷つけたくないと思うことも、傲慢なのかもしれない。

 





ノリノリで書いちゃいましたがマキアスがすごく……叱られています。
今二人を見返していると本当に「どっちも悪いんだよ」と言いたくなりました。
マキアスが突っかかるから、という部分もあるでしょうが…。
もっと上手く書ければいいのですが、難しいですね。

これからの成長に期待です。


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相性は良くて悪い

 オーロックス砦への報告を終え、バリアハートへ帰る道すがら。砦で見たものを整理する。

 領邦軍に配備されたRF社製の最新鋭の主力重戦車《18(アハツェン)》に、砲撃にも耐えられるように改修され、いずれは対空防御も大幅に強化する予定の要塞。当然、クロイツェン州での増税とこの軍備増強は無関係ではない。

 

  クロイツェン州はカルバード共和国に最も近い土地であり、現在歩いているオーロックス峡谷にはかつてカルバードへ続いた廃道がある。しかし、あくまで領邦軍は治安維持部隊。これだけの戦力、地方の軍が持つには十分過ぎるほどだ。その意味するところは革新派と貴族派の対立の激化。

 

 砦へ配備された《18》は、正規軍の二十を越える機甲師団にそれぞれ百台以上が配備されている。大陸最大規模の戦力と言っても過言ではないその正規軍も、約七割がオズボーン宰相によって掌握されている。実質、その戦力は革新派の戦力そのものというわけだ。

 

「(それに、あの銀色の傀儡……)」

 

 砦から出てバリアハートへ戻る道を歩いていると砦の方角から飛んできた謎の飛行物体を思い出す。こんな時期の砦への侵入者。そしてその飛行物体に乗っていたのは"子供"ときた。今ここで考えても仕方のないことと分かっていても、どうしても気にしてしまう。

 そして今ティアが最も気にしていることは、刺すような二つの視線だった。

 

「……情熱的に見つめられるのは吝かではありませんが……視線で穴が開いちゃいそうです」

「じ、じろじろ見てしまったこちらの非は認めるが誤解を招くような言い方は止めてくれないか!?」

 

 隣を歩くマキアスをからかい混じりに指摘すると、期待通りの反応が返ってくる。

 

「誤解……? じゃあ、マキアス君は遊びで私をからかったんですか……」

「マキアスさん……」

「マキアスさいてー」

「なんでこんな時だけ乗ってくるんだよ!? 違う、誤解だ! ……僕は何の弁解をしてるんだ!?!」

 

 ティアが妙に上手い演技で顔を悲しげに曇らせると、前後から女子の援護が飛んできた。おそらくフィーは意味をよく分かっていないが。

 リィンは後ろで、触らぬ神に祟りなしと言わんばかりの表情で乾いた笑いを浮かべていた。

 

「まったく……茶化さないでくれよ。僕は本当に申し訳なく思っているんだ」

「すみません、つい」

 

 兄の親友に、その弟に、隣の(マキアス)。どういう仕組みなのか、むっと眉間に皺をよせられると少し意地悪をしてみたくなるのだ。

 

「マキアス君が私に謝ることなんてありませんよ? ほら。見ての通り、怪我だってしていませんし」

 

 ティアが軽く肩を竦めて見せる。

 軽傷とは言っても短時間で治るものには見えなかったリィンの傷もすっかり血も止まり、傷口は塞がっていた。エマが使った傷薬の効果なのか。その話をするとエマがあからさまに話題を変えようとしたので深く追求することはなかった。

 

「ふふ。本当に申し訳なく思っているのなら、実習中に必ずユーシス君とのリンクを見せてほしいです」

「うっ……」

 

 実技テストでは連携不足でサラに惨敗し、先程の魔獣戦ではリンクブレイク。戦闘後頭に血が上って掴み合っているところをまだ生きていた魔獣に襲われてリィンが負傷した。はっきり言っていいとこなしである。リィンにも、ティアにも八つ当たりじみた物言いをしたのに、気遣われて言い返すことも出来なかった。

 

「今日の実習はここまでですね」

 

 日も暮れだした時間に漸くバリアハートに到着。西門を潜ると昼よりも人気が若干少なくなった駅前通りに出た。ホテルに戻り、実習内容は夕食時にまとめることにしようと話しながら歩いているとユーシスが上空を見渡していた。釣られてティアが上空を見上げると、遠くから子供の声が近づいてくる。

 

「あーっ! ユーシスさまだー! おかえりなさーい!」

「わあっ、ほんとだ! ユーシス様、じっしゅうはもう終わりですか?」

 

 駆け寄ってきたのは小さな男の子と少年よりも少し年上の女の子。たしか、駅前通りの北クロイツェン街道方面の出口近くのベンチに座っていた子供たちで、名前は――

 

「ラビィ、アネットか…………ああ、今日はこれから休むところだ」

 

 ユーシスは子供たちの名前を呟くと目線を合わせるために膝をつく。ドリアード・ティアを探すため北クロイツェン街道へ向かったときにも見た姿だ。

 

「そろそろ日も暮れる。早く帰ったほうがいいぞ」

「はい。これから帰って夕飯の支度をするんです。お父さんもお母さんも仕事で疲れてるだろうからわたしが用意しないと……」

「もうすぐおとーさんたちが帰ってくるー!」

 

 口調は相変わらずだがユーシスは声だけじゃなく、表情や雰囲気までもが柔らかい。子供たちが今日も二人で留守番をしたと得意げに胸を張ると、ユーシスは頭をひと撫で。

 

「ちゃんと留守番の役目を果たしているじゃないか。偉いぞ、お前達」

「わーい、やったー!」

「えへへ……ありがとうございます!」

 

 ユーシスに頭を撫でられ子供たちは嬉しそうに笑う。ラビィはあどけなく。アネットは少し恥ずかしそうに体を揺らし、はにかんだように。

 ユーシスの手が離れると名残惜しそうに少女は手で髪を梳いた。

 

「えと、わたしたち、そろそろ失礼しますね」

「ああ、気をつけて帰るようにな。大通りで飛び出したりせぬことだ」

「はーい! じゃあねー、ユーシスさまー!」

 

 子供たちは大きく手を振りながら小走りで離れていく。ユーシスも小さく手を振ることで応えていた。角を曲がって子供たちが完全に見えなくなると、ユーシスは手を下ろし安堵のため息を吐く。

 

「……あの奇妙な物体は街には来なかったようだな」

「もしこちらに来ていたら騒ぎになっているか……」

「ああ……遠くに飛び去ったんだろう」

 

 依頼の品であるピンクソルトを貴族の青年達に渡し終えたら一日目の課題は全て終了。遅くならないうちに戻ろうと話しホテルへ向かう。

 ホテルに着いた時、丁度エントランス前に車が横付けに停車し、クラクションを鳴らした。振り返ってその車を認識したユーシスの表情が固まる。

 

「……父上……」

 

 後部座席の窓が開きだすとユーシスは車に駆け寄った。開いた窓から見えるのは横顔だけ。それでも座っている人物がアルバレア公爵その人だと判断するには十分だった。

 

「……挨拶が送れて申し訳ありません。学院の実習ではありますが、ユーシス戻りまして――」

「挨拶は無用だ。ルーファスにも言ったが好きに滞在するがいい。ただ、アルバレア家の名前には泥を塗らぬこと……それだけは弁えておくがいい」

「……っ……はい。学友がおりますのでせめて紹介だけでも……」

「必要あるまい」

 

 親子とは思えないほどの寒々しい会話は一方的に切られ、アルバレア公爵は車の窓を閉めると走り去っていく。一度もティア達に顔を向けずに。一度もユーシスと目を合わせないままで。

 

「……なにあれ」

「ふぃ、フィーちゃん……」

 

 フィーの率直過ぎる物言いにエマが困惑しているとマキアスが初めて直接見るアルバレア公爵の情報を整理しているようだった。ユーシスはその言葉に目を伏せて続ける。

 

「今のがアルバレア公……四大名門の一角にして絶大な権勢を誇る大貴族か」

「そして信じられないことに俺の父でもあるらしい」

「…………」

「詮ないことを言ったな。……腹が減ったことだし、いったん部屋に戻ったら食事にでも繰り出すか」

 

 淡々と、柔らかさも何も感じさせない声でユーシスは語り、ホテルへ入っていく。

 宿泊場所が城館と言われてユーシスが戸惑った理由を全員が察した。最も安心できる居場所であるべき自宅が、居心地が悪いとはどれだけ苦しいことなのだろう。他家の事情に、ましてや親子関係に口を挟むべきではないと分かっていても、組んだ手に自然と力が入った。

 

 

 ホテルで一息ついたティア達は再び《ソルシエラ》を訪れ、料理に舌鼓を打つ。テラス席で五月の心地よい夜風を肌に受けながら一日目を振り返ると、レポートの内容はかなりの量になりそうだ。半貴石の調達も、手配魔獣の件も確かに完了はしたが、完璧とは言い難い。実習そのもの以外に、表面化した問題は多かった。

 

「今回のレポートはちょっと気が楽かもしれません」

 

 エマがにこにこと言うと、ユーシスとマキアスは途端に気まずげに目線を逸らした。先月の実習で、パルム市を訪れたB班が一緒に食事をしているところを想像できないと予想したのは正解だったようだ。

 "胃薬を飲まずに済む"、"一緒に行動できそう"等気になるワードを時々漏らすエマに、本当にどんな実習だったのかとティアとリィンは知りたいような、知りたくないような複雑な心地だった。

 

 食事を終えてホテルに戻ると隣接した部屋の扉の前で男女に分かれる。荷物を整理し、入浴前にレポートを書き終えようとレポート用紙と筆記用具を出した時、コンコンコン、と部屋の扉がノックされた。

 

「リィンさん達でしょうか?」

 

 立ち上がったエマの後をゆっくりと追い、ドアスコープを覗くと爽やかな見た目の青年が立っていた。

 

「ルームサービスでございます」

「……」

「えっ……? そんなもの頼んでいませんよね」

 

 エマが焦るのもその筈。青年バトラーが手に持っているのは薔薇の花束なのだ。そのようなルームサービスが存在することは知っているが、当然利用する気もなければその暇もなかった。

 ドアの前でしゃがみ、小声で相談。何とも怪しい光景だが室内なので問題はないだろう。

 

「私が出ます。多分間違えただけでしょう」

 

 ドアを後ろ手に閉めて出てきたティアを見ると青年は愛想よく微笑んでグランローズの花束を差し出す。花束だけじゃない、むせ返るような薔薇の香りが印象的なバトラーだ。

 

「こちらがお客様宛てに届いております」

「……失礼ですが、どこか別の方の部屋とお間違えではないでしょうか」

「いえ。トールズ士官学院Ⅶ組の方に、と言伝を預かっております」

「そうですか。……ご丁寧にありがとうございます」

 

 ティアが差し出された花束を受け取ると、青年は恭しく頭を下げる。

 

「では、私はこれで失礼させていだきます」

 

 青年が立ち去るとティアはガチャリと少し大きめな音を立ててドアを開く。そこにはエマだけでなくフィーも座り込んでいた。

 

「どうも間違いじゃないみたいですね。私、差出人に心当たりがあるので少し出てきます。エマさんとフィーちゃんは先にレポートを書いていてください」

「えっ、ちょっ、ティアさん?!」

 

 早口に捲くし立てるとティアはあくまで上品に、早歩きで立ち去る。

 それと入れ違いになるようにユーシスが部屋から出てきた。物音が気になったのだろう。隣の部屋でレポートを書いていると思ったらドアは開いたままで、エマがぽかんとしている状況。さすがのユーシスも唖然としていた。

 

「……部屋の前で何をしているんだ」

「ユーシスさん……実は――」

 

 エマがかいつまんで経緯を説明するとユーシスが顔を顰める。直接対応したティアだけでなく、室内で聞いていたフィーとエマですら残り香に気付いた。

 

「……確かに嗜みで香水をつける従業員は多い。だが、そんな濃い物を使っている筈がないだろう」

 

 ホテル・エスメラルダは貴族御用達のホテル。当然接客相手のほとんどが貴族なのだ。対応だけでなく相応の身だしなみも求められる。こういった場に不慣れなエマとフィーはその不自然さを即座に確信に結び付けられなかったが、ユーシスにとっては怪しさしかない。

 

「ユーシス、こっち」

「フィー? ……分かるのか?」

「ふ、二人とも……!」

 

 フィーがティアの去った方を指差しながら部屋を出る。ユーシスの質問にはこくりと頷くだけで答えると、二人は駆け出す。その場には、もう、とため息を漏らすエマだけが取り残されていた。

 

 

 

 

 

 

 ところ変わって、ホテルエントランス。

 夜の翡翠の公都は、昼間とは違った雰囲気を纏っていた。ホテル正面にあるレストランのテラス席には今も座っている人がいるが、昼間と比べるとどこも人気が少ない。その静かさが、夜闇の中月に照らされた翡翠の建物をより美しく見せている。

 

 夜風がティアの髪を揺らす。対峙するのは、羽根のついた仮面を装着しマントを風になびかせた青年。その素顔は仮面に隠されているが、口許は緩やかな弧を描いている。

 

「レディの部屋に直接だなんて、紳士と言うには随分と不躾なのではありませんか」

「おや、これは失敬。しかし、姫君には堅苦しい招待状よりも情熱的な薔薇の方がお好みかと思ったのだが……どうやらお気に召してはいただけなかったようだ。いや、こうして相見えられているという事は、お眼鏡にはかなっていたのかな」

 

 相対する男の名は怪盗紳士ブルブラン。昼間に出会ったブルブラン男爵とは仮の姿。二年前、帝国の南に存在するリベール王国で後に《リベールの異変》と呼ばれる謎の導力停止現象を引き起こした秘密結社の一員怪盗紳士ブルブランであり、神出鬼没の怪盗Bでもある。

 

「……どうしても……聞きたいことがあったので。まさか、そちらから近づいてくるとは思ってもいませんでしたが」

「我が好敵手に最もよく似た妹と聞いていたのでね。しかし、ケルディックでも見ていたが……もう少し肩の力を抜いた方がいいのではないかね?」

 

 まるでその場を見ていたかのような口ぶりでブルブランは語る。前回の実習から見られていたことを知り、背筋を冷たいものが走る。

 やれやれと肩を竦める男を前に、ティアは自身の持っている情報と眼の前の男の情報を照らし合わせる。結社という存在も、この男も。何を目的としているのか掴みづらい。しかし、ティアがここで問いたいのはそんなことではないのだ。ひと呼吸おくと、ティアはブルブランに問いかける。

 

「貴方はここへ何をしに来たのですか? また何かを盗みに? それとも……何かの下見?」

 

 ここにいる理由が大陸で暗躍する結社執行者の怪盗紳士ブルブランだろうが、先月のクロスベル創立記念祭では市庁舎から彫刻を盗み出した怪盗Bだろうが、どちらでも変わらない。帝国に、Ⅶ組の彼らに――(オリヴァルト)に立ち塞がるというのなら、全力で止める。

 

「ふむ、ではこちらも問おう。それは誰の問いかな? 帝国の姫君か……それとも、学院の雛鳥としての君か」

「っ…………」

 

 数瞬ティアが返答に迷っている間にもブルブランはつらつらと美について持論を語りだす。その言葉にティアが無言を返事としていると、突然演技がかった動きを止めた。

 

「先に質問に答えようか。ここにいるのは単純にプライベートでね。いつの時代も、身分というつまらない物によって人は支配される。……それこそ、恋すら謳歌できないくらいにね。その逆境の中で輝く希望を私は見てみたいのだよ」

 

 天上の調べを讃えるように、物語に心を震わせるようにブルブランは上機嫌だ。対するティアは普段とは真逆の硬い表情。踏み込む事を許さないように凛とした、けれどどこか脆さを秘めていた。

 ブルブランは一歩、二歩と歩み寄ると、次はそちらの番だと示すように手の平をティアに差し出す。

 

「私は……この帝国で随分と好き勝手してくれている"恋多き詐欺師"を見咎める立場……とだけ」

「ほう?」

 

 初めてブルブランが愉快そうに唇の端を吊り上げる。

 

「ふふ、その呼ばれ方も心が躍るが……残念ながら、私の心はすでに盗まれてしまっている。禁断の恋はしばらくお預けかな」

「願ってもないですね」

「そうつれないことを言うものではない。が、私はこれで失礼するとしよう。――予想よりも遅い到着だが、もう時間切れのようだしね」

「え?」

「――ティアから離れて」

 

 ブルブランから視線を外さないまま、後ろから聞こえてきたのは淡々としたフィーの声。どうしてここに、なんて聞かなくても分かる。分かるが、理解したくないのがティアの本音だった。

 今ここで戦って敵う相手ではない。だからこそ、ティアは警戒は解かないが銃を抜かないし、それを分かっているブルブランも武器を手にしていない。見かけはただ話しているだけのブルブランにいきなり斬りかかったりはしないだろうが――一瞬、最悪の想像をしてしまった考えを振り払う。

 振り返ると、フィーの他にはユーシスもいた。フィーは双剣銃を、ユーシスは騎士剣を構えている。ブルブランが動いたら即座に攻撃に入るつもりだろう。ブルブランに視線を戻すと、彼は愉快そうにくつくつと笑っていた。

 

「最後に一つ――美とは何かとだけ問いたい」

「それは…………貴方が私好みの紳士として現れたときにお答えしましょうか」

「やれやれ、随分と嫌われてしまったようだ」

 

 手を出す気はないとアピールするように両手を軽く上げながら、ブルブランはゆっくりと背中を向けてティアから離れていく。前髪をかき上げながら、一歩、二歩。そこでくるりとターンすると、腰を折り、深々とお辞儀をした。

 

「それでは、引き続き麗しの翡翠の都を堪能させてもらおうか。鋼の匂いがするのはご愛嬌だが……宝石が砕け散るときの煌きも悪くはない」

 

 ティアの後ろに立っているユーシスにも目を向け、過剰な軍備拡張を進めていることへの皮肉を告げる。的確だがあまりに不謹慎な言葉にティアが顔を顰めると、ブルブランはまた薄く笑う。

 ブルブランの周囲を風が覆い、薔薇が舞った。

 

「挫折の美か成長の美か……どちらに転ぶか楽しみにしているよ」

 

 その言葉を最後に、ブルブランの姿は消えて、最初から誰もいなかったかのようにその場には何も残っていなかった。

 元々ここで捕らえるつもりも、捕らえられるとも思ってはいなかったが、脱力感が否めない。背後から歩み寄る足音を聞きながら、動揺を吐き出すように大きく息をついた。

 

「今の男……ブルブラン男爵は一体何者なんだ」

「……『美の解放活動』を掲げて大陸各地で暗躍している怪盗B……らしいです」

「奴が……」

 

 ユーシスの声音に少し驚きが混じる。フィーは驚いた様子もなく、ふうんと言って黙った。ティアは普段の表情を浮かべて振り返る。

 

「フィーちゃんも最初から疑っていたみたいですね」

「ん。あの人、すごく冷たい目をしてたから。……用意してたトラップも、遊びみたいなものだったけどかなり性質が悪い」

「と、トラップ?」

 

 それが分かるのも、フィーの並外れた身体能力や手配魔獣相手への即座の対応を"慣れている"と称したことと関係があるのだろう。そんなものまで用意して足止めしていたのか。用意周到さや余裕ぶる態度全てが見逃しているという主張に感じて頭が痛くなる。

 

「……どうしてユーシス君たちがここに……って質問は、しない方がいいですよね」

「分かっているならどうしてこんな真似をした。……あの怪しい男について、宝石店の時点で気付いていたのだろう」

「半信半疑だったのは本当ですよ」

 

 困ったように微笑むと、ユーシスはそれがまた気に入らないのだと言うように渋い顔になる。

 

「この実習が始まってから、ずっと気になっていたことがある」

「はい」

「リィンも、お前も……何の躊躇もなく誰かを庇おうとするきらいがある。正直、俺にはただの人助けには思えない。自覚はあるのだろう?」

「…………まさか、ユーシス君にそんなことを言われるなんて。……少し驚いています」

 

 何が待っているか分からない。巻き込むという発想も、考えも無かった。零した声は天井に吸い込まれ、広々とした玄関ホールには静寂だけが広がっている。

 

「すみません。それと、ありがとうございます。……ユーシス君がさりげ無くフォローしてくれていること、ちゃんと知っていますよ」

「……フン。何のことかさっぱりだが……あいつ達にも言っておくといい」

「はい、もちろん」

「ユーシス照れてる?」

「そんなわけがあるか」

 

 意外なユーシスの言葉に驚きながらも礼を言うと、ユーシスはまた何かを探るように瞳を細めた後、顔を背けた。らしくないことを言ったと感じたのはティアだけでなく、フィーもだったようで。ユーシス自身も自覚があったのか即座にフィーの疑問を否定した。

 

「リィン君達、きっと喜びますよ。今のユーシス君を見たら」

「"リィン君達"……か」

 

 確信ではない。確証もない。何より、それ以上踏み込む理由がない。そして、ティアにも踏み込ませる気はなかった。

 

 

「そうだ、ユーシス君。この薔薇はいかがですか? Ⅶ組宛てのものみたいなので、良ければ」

「…………いらん」

 

 





ティアも実は結構な問題児という話でした。
この後エマとリィンには心配されマキアスにはぷんぷんされたと思います。


バリアハート編では、ラビィ、アネットも個人的に外せないシーンでした。
変態紳士と同じ回にしてしまったことだけが申し訳ないです。



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曇りのち

 5月30日

 

「――」

 

 不意に目が覚めた。薄目を開けて部屋を見回すと部屋はまだ薄暗く、カーテンの隙間から見える青白い光がまだ起きるには少し早い時間だと教えている。もう一度眠るには中途半端な時間だ。少しだけ夢見も悪かったから、頭が冴えている。

 同室のエマとフィーはすやすやと眠っている。物音を立てないようにそっとベッドを抜け出して制服を手に浴室の洗面台へ向かう。豪華なホテルに見合った大きな鏡に映る自分と顔を見合わせる。隈はない。さらりと揺れる金の髪も、自慢の赤紫色の瞳も、浮かべる表情もいつも通りだ。

 

「……よし」

 

 身支度を済ませて浴室を出ると、エマが目を覚ましたところだった。

 

「眼鏡は……」

「おはようございます。エマさん」

「お、おはようございます……?」

 

 眼鏡をかけたエマがティアと時計を交互に確認する。いつもは三つ編みにして綺麗にまとめられているエマのふわふわとした髪が今はおろされていて、ぴょんと跳ねている前髪がなんだか可愛くてくすりと笑みがこぼれた。

 

「早いですね」

「なんだか目が冴えてしまって。緊張していたのかもしれません」

 

 徐々に覚醒してきたのかエマの声に残っていた眠気が消えていき、意識がはっきりしたようだ。軽口をたたくティアにくすくすと笑いを返している。

 

「折角ですし、フィーちゃんも起こしちゃいましょうか」

「ふふ、たまにはいいかもしれませんね」

 

 ぞくり。いやな予感に身震いをしたフィーが布団を引張りその身を隠そうとした。女子の中では断トツ、男子を合わせてもトップクラスかもしれない程身支度の早いフィーはまだ眠れると主張するが、五分後、恨みがましそうな顔でのそのそとベッドから出てくることとなった。

 

 

 一階に降りると、男子達もちょうどロビーに集まったところだった。真っ先に挨拶をしたのはリィンで、ユーシスとマキアスは挨拶以外に会話をする気はなさそうだが、一触即発な雰囲気はなくなっていた。昨夜男子達の間に何があったのかは与り知らぬところだが、良い方向に動いたことは間違いなさそうだ。

 

「委員長、上着補修してくれてありがとう」

「布をあてるだけの応急処置をしただけですよ」

「傷もしっかり塞がったみたいだし、いろいろ助かったよ」

「私は特に……それより、今日の依頼を確認しましょう!」

「あ、ああ……そうだな」

 

 一日や二日で塞がる傷には見えなかったが、にこにこと急かすエマに流されてそれ以上は聞けず、支配人から依頼の入った封筒を受け取り、中身を確認する。必須依頼は手配魔獣の一件しかなく、その他の依頼はソルシエラのハモンドオーナーからの依頼のみだった。

 

「――ユーシス・アルバレア」

「……なんだ。マキアス・レーグニッツ」

「アークスの戦術リンク機能……この実習中に、何としても成功させるぞ」

 

 改まって名前を呼ぶマキアスに、ユーシスが挑発的に答える。そしてマキアスが続けた言葉には、向けられた本人だけでなく全員が驚いた。この中で、戦術リンク機能を活かせていないのはユーシスとマキアスの二人のみ。他のメンバーは出来ていることを出来ないのは不本意だと、真面目な彼らしい理由を添えて昨日のリベンジを提案している。マキアスが歩み寄ろうとしている。その姿勢を感じ取ったユーシスは返事をする前に小さく鼻で笑った。馬鹿にするようにではなく、乗ってやらんとばかりに不敵な笑みで。

 

「やれやれ……我らが副委員長殿は単純だな。大方、昨晩の話を盗み聞きして絆されたといったところか?」

「なっ……!? 決めつけないでもらおう! 君の家の事情やリィンの話など僕はこれっぽっちも――」

 

「あ」と声に出したのはマキアスのみだったが、その場の全員が内心でそう零していた。

 

「マキアス……」

「その素直なところはマキアス君の美点ですね」

「ぐっ……」

 

 更に口を開こうとしたがこれ以上何かを言おうとするとまた墓穴を掘ってしまいそうで口を噤む。代わりに、マキアスは唸っていた。

 リィンも踏み込んだ事情をユーシスに話したのだと察せられるが、知られたことに対しては気にしておらず、むしろきっかけとなったことに顔がほころんでいる。

 

「俺の方が上手く合わせてやるから大船に乗った気でいるがいい」

「それはこちらの台詞だ! 寛大な心をもって君の傲慢さに合わせてやろう!」

 

 互いに言い切ると、同じタイミングでふん、と鼻を鳴らして顔を背けた。

 今日の実習は上手くいきそうだ。嬉しそうなエマの言葉に同意し、実習を始めるためホテルを出ようとすると、ホテルの正面口から来訪者が現れた。歩み寄り会釈をする壮年の男性は、アルバレア公爵家執事のアルノーだ。

 アルノーは、アルバレア公爵がユーシスを館に呼ぶよう命じたというもので、ユーシスは戸惑いを隠せなかった。

 

「父上が……?」

 

 昨夜あったときは個人的な用があるどころか、関心すら感じさせなかった。その公爵が今日になって突然呼び出す理由が分からなかった。

 

「僭越ながら閣下にしても、昨日のやり取りを省みられたところがあったのではないかと」

「っ……」

 

 ユーシスが息を呑んだ。信じたい気持ちと、信じていいのかという戸惑いがない交ぜになった表情を浮かべている。

 

「行ってください、ユーシス君」

 

 迷いを見せるユーシスに最初に声をかけたのはティアだった。

 

「だが……」

「折角の機会を逃してしまっては、きっと後悔します」

「そうだな。午前中は僕達だけで進めておくから遠慮せず行ってきたまえ」

 

 ティアに続いてマキアス、リィンとエマ、フィーにまで背中を押され、ユーシスは呼び出しに応じることにした。午後から合流すると決めると、ユーシスは執事と共にホテルを出ていく。ユーシスの姿が見えなくなると、エマがにっこりとアキアスを見つめ、他の三人もそれに続いた。

 四対の生暖かい視線にマキアスはたじろぎ、その何か言いたげな顔を止めろ、と強い口調で告げるが、紅潮した頬を見て怯む者は居らず。

 

「リィン、君とのわだかまりだってまだ無くなったわけじゃないんだぞ……!?」

「え? そうなのか?」

「き、君な……」

 

 きょとんとしたリィンはさらりと問い返した。マキアスは呆れを通り越して若干キレ気味になっているが、考えるように口を閉じ、一度大きく息を吐き出した。そしてリィンとその隣に立つティアに視線を向け直す。

 

「……すまなかった。昨日のことも含め、君達にはちゃんと謝らせてくれ」

「マキアス……いや、こちらこそすまなかった。最初に曖昧な言い方をした俺にも非があった」

「私は……マキアス君に謝られることがありませんよ。寧ろ、出過ぎた真似をしたくらいで……」

「まあ、それは否定できないところもあるが」

「ええぇ……」

 

 素直なところが美点だといったのはティアだが、この素直さは果たして美点なのか。マキアスの謝罪と意趣返しを受け取ったティアは、口元に優しく笑みを浮かべた。

 

「丸く収まったみたいでホッとしました」

「これぞ青春って感じ」

「本当ですね。一時は夕日が照らす浜辺で殴り合いに誘われるんじゃないかってハラハラしてしまいましたが……」

「茶化すんじゃない! というか、ティア君の青春はどういうイメージなんだ!?」

 

 明らかにからかわれていると気づいたマキアスは、この空気は分が悪いと察した。リィンは微笑んでいるが巻き込まれないように黙ったままだ。マキアスは改めて声を張り上げる。

 

「っそろそろ出かけるか! 随分と時間を取らせてしまったし!」

「マキアス声でかい」

「なんだと!?」

 

 マキアスの催促は尤もなのだが、フィーの注意も全くもってその通りであった。スタスタと歩いていくフィーを早足に追いかけるマキアス、それに続くようにリィン達もホテルを出て行った。穏やかで、心地よい賑やかさに包まれているが、ホテルを出てふとアルバレア公爵家のある方角を見つめる。

 

「(良い話が聞けるといいのだけど……)」

 

 浮かない表情を顔に出さないよう、胸に手を当て少し力を込めた。

 

 

 

 

 

 

 手配魔獣を片付ける前に、ハモンドオーナーに話を聞くこととなり、五人はレストラン《ソルシエラ》へ向かう。ソルシエラにつくと、昨日バスソルトの依頼を出した二人の貴族が今日もテラス席に座っていた。

 聞かせるつもりはないのだろうが、二人の会話は通り過ぎざまにも耳に入ってきて、ティアが思わず足を止めた。最後尾のティアが立ち止まったことに気付いたリィンが声をかけようとするが、その前に会話がを聞いてしまった。

 

「ユーシス様がアルバレアの当主様に呼ばれているらしいな。やれやれ、今さら何の用があるというんだろうな」

「違いない。平民の血が入っている以上、あの方についていく者もおるまい。次の当主はルーファス様だしな。あの方はせいぜい、いざという時のスペアだろう」

 

 隠そうとしない悪意にリィンの顔が強張る。血統主義のエレボニア帝国で庶子であるユーシスを快く思わない存在がいることは想像に容易い。だが、身分や出自だけを基準にして、ユーシス個人を見ようとしない。それを疑問とも思わない。

 

「だから……あの時……」

「あの時って……?」

 

 吐息のような声だったが、リィンにはしっかり聞こえたようで、思わず聞き返した。俯くティアの顔は見えなかったが、そう問うたときにティアが息を呑む音と、小さく揺れた肩は見逃さなかった。

 

「すみません。少し夢見が悪くて、まだ寝ぼけていたみたいです」

 

 何でもないと。酷くお粗末な言い訳だった。だがその言葉の奥に怒りを隠しているように聞こえて、リィンは追及を止めて「早くソルシエラに入ろう」と声をかけた。ティアもそれに乗った。ここで反論しても無駄だと分かっていたから。

 

 レストランの中に入ってマキアス達に合流し、ハモンドオーナーに依頼について話をする。依頼内容は材料調達で、魔獣の油脂は既に必要数をクリアしていたため、残りのキュアハーブを大聖堂へ受け取りに行くのみだった。

 薬の調合に使われるキュアハーブは独特の苦みがあるため、美味しく食べるには調理にひと工夫が必要になるのだと大聖堂のシスターは話した。どのように調理するのか、懐かしのメニューとはいったい何なのかと考えながら食材をハモンドに渡し、案内されたテーブル席で待っていた。

 

「お待たせいたしました。『特製ハーブチャウダー』です。皆様、どうぞご賞味下さい」

 

 程なくして運ばれてきたのは具だくさんのスープ。一口大に切られた具がじっくり煮込まれて柔らかくなって、牛乳でまろやかに仕立てられている。ハーブの香りが食欲をそそり、身体の芯から温まる心地だった。苦みもなく、飲みやすいスープを夢中になって食し、感想を伝えるとハモンドは顔をほころばせた。

 

「このスープは懐かしのメニューということですが……ユーシスもよく飲んでいたんですか?」

 

 リィンが尋ねると、ハモンドは深く頷いて答えた。このレシピを編み出したのはハモンドの妹――つまり、亡きユーシスの母であること。このスープは幼い頃に体調を崩したユーシスのために作られたもので、教会に行って身体に良い薬草をもらい、食べやすいように試行錯誤を繰り返した結果出来上がったレシピなのだと。何よりユーシスのことを考え、愛していた母だったのだ。

 

「というか……ハモンドさんってユーシスさんの伯父さんだったんですね」

「うん、ちょっとだけ驚いた」

「ああ、そういえば三人には話していなかったな」

 

 ハモンドとユーシスの関係はそうと聞くと納得のいくものだったが、彼の話に含まれている事実はそれだけではない。アルバレア公爵家の人間がわざわざ教会まで自ら足を運び、薬草を貰いに行く違和感。それは、八年前にユーシスが公爵家に引き取られた庶子であると知っているティアには、八年前までは平民として母と暮らしていたからだとすぐに繋がった。

 フィーは分からないが、エマならば今までの話から凡その事情は掴めるだろう。

 

「あ、マキアスがユーシスのこと考えてる」

「そ、そんなわけないだろう!」

 

 渋い顔をして黙り込んでいたマキアスをフィーが茶化すと、マキアスは即座に否定する。

 

「ふふ……皆様とこういった話を出来て嬉しく思います」

 

 出来ればユーシス様にも召し上がって頂きたかったのですがと続けたハモンドは、屋敷に戻っているユーシスを心配するように顔を潜めていたが、リィン達が礼を言うとハモンドは優しく笑った。

 

 そして最後にこのスープの原型となったレシピをリィン達に教えた。ティアは受け取ったレシピの複製を眺めて思う。レストランで使われているレシピとはここまで詳細に書かれているものなのかと。

 具材を入れるタイミングやハーブの調理法だけでなく、一つまみとは親指、人差し指、中指の三本でつまんだ量のことで、ハーブは一度手の平で叩いておくとより香りが出る、等の初歩的なことまでが、隙間に赤ペンで書き足されていた。

 

 第三学生寮の厨房ではほとんど姿を見かけることのない、プラチナブロンドの誰かがこのスープを作る姿を想像して、レシピを丁寧に畳んで手帳に挟んだ。

 

 



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垣間見える

「待ってください! いったい何の容疑で……何かの間違いじゃありませんか!?」

 

 バリアハート市、駅前通りにて。焦った様子のリィンが語気を強める。対峙する青い軍服を身にまとった数人の領邦軍兵士は、街道から帰ってきたばかりのティア達を取り囲んでいた。

 

「容疑はいくつもあるが……最大のものは昨日の午後の《オーロックス砦》への侵入罪だ」

 

 手配魔獣を退治し、オーロックス砦への報告を終えた十数分後に現れた侵入者が銀色の傀儡とそれに乗っていた子供であることはティア達も目撃していたし、それを追う領邦軍ともすれ違っている。明らかな濡れ衣だ。加えて、それで何故Ⅶ組全員ではなくマキアスだけが容疑をかけられるのか。理解は容易だが到底受け入れられる話ではなかった。

 

「マキアスが昨日単独行動をする時間がなかったことは俺達も、ユーシスも証明できます!」

「だからどうした?」

 

 横暴な物言いに、リィンが自身に銃を向ける兵士の手首を掴み、銃口を逸らす。

 しかし、ユーシスの名前が出ても兵士は気にした様子もなく、リィンの手を不快そうに振り払い答えた。

 

「重要なのはそちらの彼に容疑がかかっており、そして我々には取り調べる権利があることだ」

「彼を拘束するつもりなら、私達全員を取り調べるのが筋ではありませんか?」

「我々が目撃した侵入者は一人だ。もし共犯者がいたと主張するなら、我々がその確証を得てから話を聞こうではないか」

「……」

 

 あくまでこの場で用があるのはマキアス一人だけだと主張する領邦軍。

 少し考えたが結局、ティアは押し黙ったまま領邦軍が抵抗できないようにマキアスを取り囲み、立ち去る背をただ見送ってしまった。明らかに不当であるにも関わらず。彼の置かれるであろう環境を察していたにも関わらずに。

 

 

 

 そして四人は職人通りの宿酒場に立ち寄り、今後について話し合っていた。

 領邦軍本部に行くも兵士たちは聞く耳を持たず、ホテルの部屋も捜索されており、昼には合流する予定のユーシスも戻ってこない。

 

「今回の一件は革新派の有力人物であるレーグニッツ帝都知事の息子を拘束するのが狙いとみて間違いなさそうだな」

「……そうとしか考えられませんね」

 

 砦への侵入者が現れたのは不測の事態。その犯人を取り逃がしてしまい、ちょうど実習でこの地に来ていたマキアスが目を付けられた、というところだろう。だからその場で領邦軍を引かせることが可能なユーシスを予め屋敷へ閉じ込めておいた。もし砦への侵入者が居なかったとしても、別の理由で連れて行くつもりだったのかもしれない。そのリィンの推測は恐らく正しいのだが、ティアには何かが引っ掛かった。

 

 昨日の様子ではアルバレア公爵はユーシスにもそのクラスメイトにも関心はなく、見向きもしていなかった。それがどうして今朝になってマキアスの存在を知ることになったのか。そして、何故ティアのことは把握していないのか。事前に少しでも気にしていたのなら、公爵であればさすがに気づいた筈だ。ティアがメルティアス皇女であると。

 ティアのことを意図的に伏せて、マキアス・レーグニッツの存在のみを伝えることが出来、アルバレア公爵に口添えが可能な人物に心当たりがある。だが仮にそうだとして、そんなことをする必要も、メリットもあるとは思えない。杞憂に終わればいいのだが。

 

 リィンの言葉に同意だけを返しながら、一度頭の中を整理するために息を吐き出す。反対に浅く息を吸ったのはエマだった。

 

「で、でもさすがに傷つけたりはしないですよね?」

「どっかな。最悪痛めつけるなりして脅迫される可能性はありそう」

 

 その場面を想像してしまったエマは顔を引きつらせた。対するフィーは真顔だ。だが、無関心なわけではなく、フィーもどうにかマキアスを救う手立てを考えていた。

 協力を求められる人物としてルーファスが出てくるが、生憎と彼は今帝都で公務中。いつ帰ってくるかも分からず、この状況で力を借りることは難しいだろう。そこでフィーはより真剣な表情で言った。

 

「ここはもう、わたしたちが直接奪還するしかないと思う」

「直球ですね」

 

 フィーの言葉にティアは悪戯っぽく笑い、リィンとエマは苦笑した。フィーの考えでは、市内にある詰め所ならば侵入できる余地はあるが、もしもオーロックス砦に移送されたら奪還の可能性は相当低くなる。

 

「……腹を括るか」

「はい。マキアスさんを奪還するにしても、あくまでこっそり侵入していつの間にか居なくなっている……という形が理想ですね」

「何の罪もない学生を不当に拘束した挙句に脱走されただなんて。とても報告できないかと」

「だね」

 

 何とかユーシスと合流し、秘密裏にマキアスを奪還してバリアハートを脱出する。これが唯一の方法だろう。だが、奪還するということが何を意味するか。

 

「領邦軍を敵に回すことになる……それは理解していますか?」

 

 エマが息を呑んだ。フィーはただ無言を貫く。

 侵入がバレた時、仮にマキアスと合流できたとしても、空港に駅を押さえられてしまえば、バリアハートからの脱出すら困難になる。その可能性を含んだ問いだった。

 

「それでも、可能性があるならそれに賭けたい。このまま黙って見過ごすなんて出来ない」

 

 リィンは真っすぐティアの目を見て答えた。

 

「……分かりました。水を差すようなことを言って、すみません」

「でも、ティアの言ったことも覚悟しておくべきだと思う」

「そうですね。最悪の場合も考えておかないと」

「あとはどう侵入するかが問題だな」

「ああ、それなら……」

 

 より一層気を引き締め、これからどうやってマキアスを救出に向かうか。侵入経路について考えていたところ、事もなげな様子で口を開いたティアに視線が集まった。

 

「一つ、提案があります」

 

 

 

 

 

 

「例えば、峡谷道で見た橋梁や城塞。バリアハートは中世期の遺構が多く存在していますが、その内のいくらかは改修して今もなお利用されています」

「要塞化したオーロックス砦もその一つってことだね」

「はい。そして、中でも広大な地下水道は街全体に張り巡らされています。直接は無理でも、地上から攻めるよりも詰め所に近づける可能性は高いと思います」

 

 水路に沿うように探し歩き、駅前通りの階段を下りた水路横の道に、施錠された扉があった。

 

「風が吹いてきてる。ここが入り口で間違いなさそう」

 

 フィーが扉の隙間に手を当てる。けっこう広い空間が広がってるっぽい、と続けたフィーは最後に、ビンゴかもねと言ってティア達へ振り返った。

 

「中がどうなっているのかは、私も詳しくは知らないんです。ただ、現時点ではこの方法がベストではないかと」

「地上のどの位置にあたるかはわたしがだいたい分かる。賭けてみる価値はあると思うよ」

 

 乗るか乗らないか。リィンとエマに問おうとするが、その表情を見て愚問だと悟る。

 残った問題は扉に掛かっている南京錠だ。鍵がかかっているのは予想通りではあるが。アークスを取り出し、セットされているクオーツを確認する。イメージするのは最小限の範囲かつ、最大限の威力。掛け金の一部だけが破壊された錠前だ。駆動を始めようとしたティアを見て、エマがぎょっとする。

 

「ちょ、ちょっと待ってください! まさかアーツを使う気ですか!?」

「壊すのは南京錠だけですので、遠目には扉は普段通りですよ。勿論、後で報告はしますけど」

「そんなこと出来るんですか……?」

「試したことはありませんが……そこはそれ、ぶっつけ本番という言葉もありますから」

 

 焦ったエマがティアの右手を掴んで止めた。ケルディックでリィンが見せた剣技を再現してもらおうにも、街中で刀を抜こうものなら即通報案件だ。フィーの爆破という案も当然却下である。

 入り口の鍵なんて当然持っていない。とれる手段が破壊一択となるのも必然ではあるが、思い切りがよすぎやしないか。アーツもそれなりに目立ちますよと。エマの顔が青ざめ、足元がふらつきそうになる。

 

「ええと……私がやってみてもいいでしょうか」

「まさか、ピッキング?」

 

 ヘアピンを取り出したエマを見てフィーが首をかしげる。確かにそれが出来るならば最善の手ではあるが、素人がやろうとして簡単に出来ることではない。三人が見守る中、エマは鍵穴にヘアピンを差し込み、カチャカチャと動かす。そして一瞬手を止めて、ティア達には聞こえないように何かを呟いた。

 

 次の瞬間、エマの手が今までよりも大きく動く。同時に鍵が開くような音が聞こえてきた。漏れ出た驚きの声にエマは苦笑するように立ち上がり、膝についた砂を手で払った。

 

「凄いな……」

「器用なもんだね」

「前に呼んだ推理小説にコツが載っていて……覚えていて良かったです。あはは……」

「へえ……私も読んでみたいですね」

「あっ、でも、タイトルを忘れてしまって……すみません。それよりも、早く行きましょうか!」

 

 何を呟いたのかが気になりはしたが、エマのピッキング技術にティア達は素直に感心した。錠を外し、さあさあと急かすエマに従って地下水道へ足を踏み入れる。

 

 地下というだけあり薄暗くはあるものの足場を踏み外すような心配はなく、通路も水路も整備が行き届いている。水路には綺麗な水が流れていて悪臭もせず少し拍子抜けだ。

  中世の遺跡風のギミックを解き、詰め所を目指して石造りの通路を西へ進んでいく。一際広けた場所に出ると、前方からやって来た人物を見て胸を撫で下ろした。

 

「こんな場所までわざわざ入り込んでくるとはな」

「よかった……ご無事でしたか」

 

 推測通り、ユーシスは屋敷に戻るなり部屋に閉じ込められていたようだが何とか抜け出してこの地下水道にやって来たらしい。マキアスが拘束されている状況についても把握していた。今朝の呼び出しの意味についても。しかし、それを理解しているということは、つまり。

 

「結局、俺と話すつもりなど父には最初から無かったわけだ」

「っ……」

 

 ユーシスはまるで諦めたように呟き、自らを嘲るように冷ややかな笑みを浮かべた。

 期待していたのだ。期待、してしまった。親子とは思えない寒々しいやり取りを繰り返しながら、心のどこかでは、自分に関心を持っていると信じていた。

 

 結果は最悪。ただの障害として扱われただけだった。父が黒幕であると、淡々と告げるユーシスに今はかける言葉がなかった。

 

「まあ、俺のことはいい。地下水道の構造は兄から聞いて大体把握している。詰め所まで先導するからさっさと行くぞ」

「一人でマキアスさんを助けに行こうとしていたんですね?」

「先月の実習とは大違い」

「父のやり方に納得いかなかっただけだ。それに、今頃ヤツも心細くてベソをかいているに違いない。それを目撃できるだけでも助けてやる価値はあるだろう」

 

 ぞんざいな物言いではあるが、ユーシスがマキアスを心配してこの地下水道まで来たことが分かっている今ではそれが頼もしく感じる。先導するという言葉の通り、迷いなく歩き出したユーシスの背中を、先月実習を共にしたエマとフィーだけでなく、リィンとティアも笑みを浮かべて見ていた。

 まったく、素直じゃない。

 

「マキアス君のこと、絶対助け出しましょう。少しくらい鼻を明かしても、罰は当たりませんよね」

 

 少し後ろから、敢えて明るい声をかける。この地での実習が始まってから、ずっと燻ぶっていた。それはクロイツェン州統括者のアルバレア公爵への怒りよりも、父親であるヘルムートへの怒りに近かった。それが独りよがりだとも。

 少し目線を上げ、ユーシスの顔を視界に映す。どんな顔をしているのか。迷いなく前を見ているのか。そう思っていたら、彼は少し意外そうな顔つきで目線を向けていた。

 

「私の顔に何か……?」

「別に……少し、意外だっただけだ」

 

 今度はティアが驚く番だった。パチパチパチと、三度瞬き。目を丸くして問いかけた。

 

「ユーシス君に言うことではないかもしれませんが、私だって、人並みには怒りますよ」

「……そうか」

 

 見咎めることはあっても、怒りだとはっきりと口にしたのは初めてのことだった。躊躇いもなく言葉にしたのはティアにとっても意外なことだったが、不思議と嫌な気持ちではなかった。

 

「そうだ、アネットちゃんが心配していましたよ」

 

 入り口を探す途中で出会った少女を思い出す。小さな弟の手を引き、大きな青い瞳を揺らしていた少女は、全身でユーシスへの心配を物語っていた。領邦軍がマキアスを連行していくところを目撃し、ユーシスの姿も見えない。何が起こっているのかが理解できず、心細かったのだ。

 

『私達はユーシス君の味方だよ。眼鏡のお兄さんのことも、ユーシス君のことも助けるから、今はユーシス君を信じてあげて?』

 

 アネットの手をそっと握り、そう約束した。ラビィはよく分かっていないところもあるようだが、アネットの安心した顔を見て大丈夫だと悟ったようだった。

 短いやり取りだったが、二人がユーシスを慕っていることはよく伝わってきた。

 

「そうか」

 

 先ほどと同じ言葉。だがその語調はやはり柔らかいもので。やっぱり素直じゃないと思いながらティアは控えめに、しかし嬉しそうに笑った。

 



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