【習作】一般人×転生×転生=魔王 (清流)
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第一章:魔王転生
#00.始まりの罪


護堂が日本で初めての王だというので、カンピオーネが生まれにくい理由があるんじゃないかなと考えた結果、孫悟空の他にも最強の鋼対策があるのではと妄想し、できたのが本作です。
初っ端からかなり重い展開な上に長いので、ライト好きな人には向かないかもしれません。

2013/02/11 カグヅチについて修正。神話は諸説あるので、古事記・日本書記ベースに私の主観で書かせてもらいます。ただ、明らかに間違っている場合はご指摘下さい。
2013/02/15 『跳躍』の術を『猿飛』に変更。同じ術ですが、日本での呼び方は後者なので。


 『神様というものが実在するならば、それは最低最悪の存在だ』

 

 男がその世界で最初に思ったことだ。なぜなら、男には24歳という若さで不慮の事故で死んだという記憶があったからだ。転生したんだから、新しい人生を得たと喜ぶべきなのだろうが、男はかけらも喜ぶ気にはなれなかった。死とはある種の救いであるというが、実際にそれを経験した身としては、もう一度あれを体験したいとは露程にも思わなかったからだ。転生するんだったら、そこは記憶もまっさらにしておくべきだろうとさえ思った。まあ、その場合、そもそも転生したとかそういう認識すらないはずなので、そもそも悩むこともなっただろうが。

 

 輪廻転生とはいうが、まさか己がそれを実体験しようとは、男は夢にも思わなかった。ネット小説等では、順応する者も少なくないが、男は駄目であった。24歳であった男にとって、授乳は恥辱以外の何ものでもなかったし、離乳食はまずかった。成長の為とはいえ、ただひたすらに眠らねばならないことや、思うように動くことができない赤子の体は、あまりにも不自由で苦痛であった。そして、悪いとは思うのだが、現在の両親を父母として受け容れられなかったのである。なぜなら、男にははっきりと生前の記憶があり、彼にとっての父母とはその中でしか存在しなかったからだ。唯一の救いは生前と名前が読みだけでも同じであったことだろう。そのおかげで、どうにか男は生まれ変わった自身を認めることができたのだから。

 

 新しい生に順応できず、かと言って演技をすることもしなかったその結果、男は両親から捨てられることになる。これは無理もないことである。夜泣きもせず静か過ぎる赤子だ。それも赤子特有の行動を尽くしない不自然すぎる赤子である。最初は静かな子ぐらいに思っていた両親は時が経るにつれ不審を抱き、次第に不気味さすら覚えるようになり、それは男が肉体年齢にして3歳に新聞を読み、その内容を理解しているのだと主観で認識してしまったことで頂点に達した。最早、早熟などというレベルではない。天才などと能天気に喜べるような気質を両親は持っておらず、彼等はひたすらに恐怖を覚えた。

 とはいえ、両親には真っ向から捨てることができるほどの覚悟はなかったし、多少なりとも愛情と相応の罪悪感もあった為に、すぐには実行に移されなかった。

 

 実行に移されたのは、男が5歳になろうとという時だ。両親は第二子を授かり、男の血縁的には妹にあたる子供の様子を見て、第一子たる男の異常さを確信したのだろう。必死に自身の情報を集めようと学習に励んでいた男は、ある日突然養子に出されることになった。

 いや、突然というのは的外れだろう。男自身も、自身の異常さを嫌というほど理解していたし、両親が己をどのように見ているかも、薄々理解していたのだから。彼からすれば、来るべき時が来たというだけの話かもしれない。むしろ、孤児院等に捨てられるのではなく、養子に出すというだけまだましであるとすら思っていたし、そういう意味では両親に感謝すらしていた。

 

 まあ、これで養親が救いようのない人間であれば話はまた違ったのだろうが、養親となったのは人の良い初老の夫婦であった。彼等は夫婦である神社を切り盛りして来たそうだが、生憎と子宝には恵まれず、そうこうしているうちに初老の域に達してしまい、子供を望むのは現実的ではなくなってしまった。とはいえ、代々護り続けてきた神社を後継者不在で廃れさせるわけにはいけないと、養子をとることを決意し、それに男がひっかかったというわけだ。

 

 男は、この話を養親から聞いたとき、不思議に思った。なぜ親類縁者から養子をとらなかったのだろうと。血統を重視するなら、絶対にそうするべきだし、実際夫婦の親類縁者には同じような年頃の子供が幾人かいたのだから尚更である。試みたが、親族から強硬な反対でも受けたのだろうかとも思ったが、男が見る限り老夫婦は親族に受けがよく、頼りにもされていたし、その恩恵というべきか、養子である彼にも親族は優しくてくれたのだから、それはないというべきだろう。もし、養子云々で揉めていたら、あのような対応は絶対にないと男には理解できたからだ。

 だが、そうすると尚更己が養子に選ばれたのか、男には全く理解できない。ただの子供であれば、その疑問を放置できただろうが、生憎と彼は前世の記憶とも言うべきものを持っており、放置できるほど無邪気でいられなかったのだ。

 

 だから、男は養親に直接問い質すことにした。老夫婦にひきとられて早一年がたち、宮司としての修行にも慣れてきた頃だ。今までに積み上げてきたものを崩すことになるかもしれないと覚悟しての決死の問であったが、尋ねられた養父は、些か驚いた様子はあったものの、悩むでもなくあっさりとその答を口にした。

 

 「この神社を継ぐのに必要なものがお前にはあっても、彼等にはないからだ」

 

 赤の他人である己にはあって、血族である彼等にはないものと聞いて、男が真っ先に思い立ったのは、前世の記憶のことであった。というか、それ以外に思い当たるものがなかった。表面上は必死に平静を保ちながらも、彼はまさか全部ばれているのかと疑念を持った目で、養父を見た。

 

 「ふむ、なんのことやら分からぬという顔よな。本来なら、もう少し先にするつもりだったが、まあよかろう。早すぎて困るわけでもなし。むしろ、お前に自覚と理解を促すという意味ではよいやもしれんな。ついてくるがよい」

 

 少し思案気になった後、養父は背を向けて歩き出した。なにやら勘違いされたようだが、男にとっては好都合である。ばれているにせよ、そうでないにせよ、あちらが教えてくれるというのなら、彼に不都合はないのだから。そんなことを思って後に続いて導かれた場所は、本殿であった。未だ男には入ることを許されていない場所であり、男自身もなんとなく近寄りがたいイメージを抱いており、入ったことはおろか近づくことすら避けていた。

 

 「本殿に何があるのですか?それに私は未だ本殿に入る許可を頂いておりませんが、よろしいのですか?」

 

 そんなわけで、思わず男がそう尋ねてしまったのも無理もないことだろう。

 

 

 「うむ、遅かれ早かれ必要なことだからな。後継になるお前には避けては通れんことだ。それが今日になったというだけの話だ。

 入る前に一つ聞こう。お前はここにどのようなイメージを抱いている?」

 

 「え、そうですね……。なんというか近寄り難いというか、あまりここにいたくないというか、そんな感じでしょうか」

 

 「ふむ、そうでなくてはな。ここで何も感じんと言われたら、どうしようかと思ったぞ」

 

 「どういう意味ですか?」

 

 「慌てるな、すぐに分かる」

 

 そうして男はそこで転生を認識した時と同等の衝撃を受けることになる。確かに輪廻転生があったのだから、そういうものがあってもおかしくはないと思うし、自身が異常な存在であることも理解していたが、それでも尚認めがたい現実であった。

 

 「見よ、これが御神体だ」

 

 見せられたのは本殿に安置されていた御神体であるという一振りの剣だった。十拳分の長さの剣で、所謂十拳剣(とつかのつるぎ)と呼ばれるものである。日本神話に度々登場し、有名所では伊邪那岐(いざなぎ)迦具土(かぐづち)を斬り殺した時に使った天之尾羽張(あめのおはばり)素戔嗚尊(すさのお)八岐大蛇(やまたのおろち)を切り刻んだ時に使った天羽々斬(あめのはばきり)等がある。

 男が衝撃を受けたのは、御神体が有名な剣であったというわけではない。養父によれば、来歴は定かではなく、これといった逸話があるわけでもないらしく、むしろ無名と言った方が正しいだろう。では何が彼に転生と同等の衝撃を与えたのかといえば、御神体であるという目の前の剣から、凄まじい力を感じたからである。そう、そんなものを感じ取ってしまった己自身の感覚にこそ、彼は衝撃を受けたのだ。

 生前にはけして感じたことのなかった感覚、神秘的な力とでも言うべきだろうか。そんなものを感じ取っていることに男は気づいてしまったのだ。一旦、気づいてしまうと後はなし崩しだった。養父からも大きさ自体は御神体より遥かに小さいが、同種の力を感じ取り、そいてそれが己の中にもあるのだと理解した時、彼は愕然とした。自身がいつの間にか得体のしれない存在になった気がしたからだ。転生しているとはいえ、精神は異常という自覚はあっても、肉体は逸脱しているとは思っていなかっただけに、その衝撃は大きかった。

 

 「気づいたようだな。お前が今感じているものを我々は呪力と呼ぶ。それを溜め込み術を操る素養こそ、このお社の後継者に絶対的に必要とされるものなのだ」

 

 「呪力?これが……」

 

 御神体に触発されたように自身の内で高まるそれを感じながら、確認するように口にする。

 

 「誰しもが持っているものではあるが、大抵の人間は術の行使が可能な程の量を保有するだけの器を持たないのだ。中には、そも溜め込むことができない特異体質の者もすらいる。

 要するに、私やお前のように術行使が可能なほど呪力を保有する者は少ないのだ。

 そして、もう説明するまでもないだろうが、お前が養子として選ばれたのは、私の血族には最低限の素養すら持つ者がいなかったが故だ」 

 

 「私に何をさせようというのですか?」

 

 「お前にはこの十拳剣を扱えるようになってもらう。担い手になることは無理でも、最低限制御し封印を維持できるようにな」

 

 「制御?封印?何のことですか?」

 

 「この十拳剣はこの日の本を、いや世界を護るための封印なのだ。この地にまつろわぬ神が生まれにくする為のな。沙耶宮・清秋院・九法塚・連城の四家との争いに敗れ、今や風前の灯である我等だが、担ってきた役割が無くなったわけではない。権力争いのいざこざの煽りを受けて、忘却されつつあるとはいえ、この役目だけは果たさねばならぬ。この国に眠る最強最悪の『鋼』を目覚めさせるわけにはいかぬのだからな」

 

 「まつろわぬ神?それに『鋼』でしたか?まるで神様が実在するみたいな言い方ですね」

 

 「神は実在する。それどころかそれを殺害する魔王の如き存在すらいるぞ」

 

 冗談のつもりで振った問だったというのに、養父の答は予想した否定ではなく、真っ向からの肯定であった。それも神殺しなんてものを成し遂げた者すらいるというではないか。とても信じられず養父を見るが、真剣な表情で、微塵も嘘の気配を感じることはできなかった。

 

 「神どころか、神殺しができる人間までいるとか、どんな悪夢ですか……。

 というか、人の身でどうやれば神を殺すなんて、だいそれたことができるんでしょうか?」

 

 「さあな、少なくとも私には欠片も思いつけんな。そも、挑もうとすら思わぬからな。それくらい人と神との間には差があるのだ」

 

 「その差を縮めるための術であり、呪力じゃないんですか?」

 

 「私やお前程度の術で、神に傷一つつけることができるものか。それに神は神話に沿った権能を持つ。それらは我等の術では到底及ばぬ規模と範囲で行使されるのだ。たとえ、優れた術者であろうとも、神に挑むなど愚の骨頂でしかないわ」

 

 「……」

 

 「そんな不可能を可能にしてしまったのが、人より生まれし忌むべき羅刹王の化身。今風に言うならば、神殺しの魔王『カンピオーネ』だ」

 

 「『カンピオーネ』……チャンピオン?」

 

 「そうだ、彼らは王だ。神を殺しその権能を奪い、使いこなすがゆえに。同じカンピオーネと神を除けば、誰も逆らうことのできない力を持つが故に。

 特に今は豊作でな。現時点でも3人ものカンピオーネが存在する。一人は死者を操り嵐を呼ぶ暴虐の王、一人は怪力無双の破壊の歌を吟じる武の姫王、一人は永遠の春と無限の冬を呼ぶ女王。いずれも劣らぬ曲者ばかりだ。幸いにもこの日の本には生まれたことがないが、もし会うことがあればけして挑もうなどと考えぬことだ。彼らは天災だ。身を縮めて、通り過ぎるのを待つ他ないのだ」

 

 「何ですかそれ?まるで、暴君か何かのような物いいですね。カンピオーネは、神々に抗う為の最後の砦、人類の守護者ではないのですか?」

 

 「まるでではない。彼らは暴君そのものだ。勿論、お前の言ううことも間違いではない。彼らはまつろわぬ神に対抗できる唯一の存在だ。彼等は紛う事なき人類の守護者であり、最強の矛だ。

 だが、一方で神を殺すという義務と引き換えに、彼等は何をしても許されるという特権をもつのだ。そして彼等はいずれ劣らぬ闘争の王だ。そんな者達が騒動を起こさないわけがあるまい。彼等は時に天災以上の被害をもたらすのだ」

 

 「なんというか、本末転倒もいいところな気がしますが……」

 

 「そんなことはない。彼等がいなければ、我々は神々に抗う術を持たないのだから。彼等は多くの者を救うが、同じくらい厄介な存在というだけだ」

 

 「……」

 

 「まあ、心配することはない。お前が私の後を継いで、封印を護ってくれれば、この国にカンピオーネが生まれることはないし会うこともなかろうよ。

 そも倒すべき神が発生しないのだからな」

 

 「神々が国外から襲来することもありえるのではないですか?」

 

 「確かにその可能性もないわけではない。だが、心配は無用。教えることはできんが、その為の備えはすでに存在するのだからな。

 さて、カンピオーネの話はここまでとして、本題に戻るとしよう。御神体に触れてみよ」

 

 男は養父に促されて、恐る恐る十拳剣に触れる。その瞬間、男は全身から力を抜かれたように感じて、膝をついた。

 

 「こ、これは……」

 

 「ふむ、弾かれず呪力を吸われてとり殺されなかったか……最後の試験も合格だな。これでお前は、私の正当な後継者だ」

 

 驚愕と畏怖をもって、御神体を見つめるながら男を尻目に、養父は満足気に一人頷く。

 

 「……?!……」

 

 男は聞き捨てならない言葉を聞いて、その真意を問いただそうと口を開いたが、言葉にならなかった。御神体から手を放し、収まったはずの脱力感が再び襲ってきたからだ。不意の出来事に、さしもの男も抵抗する暇もなく、意識が遠くなる。

 

 「急激な呪力の消費と契約の反動をもろに受けたか。今まで何の修行も積んでいないのだから無理もなかろうよ。今は休むが良い。

 しかし、心せよ。目覚めてからの修行は今までの比ではないぞ」

 

 そんな養父の声が耳に届くと共に、男の意識は暗転したのだった。  

 

 

 

 

 契約より18年の時が経ち、前世と同じ24歳になった時、私の世界は大きく変わっていた。私の名は『観無徹』になり、自分でもそれを自己だと認められるようになり、養父の後を継ぎ神職となっていた。ちなみに養父母は事故ですでに他界している。

 

 今や封印の護持は私の役目となっているし、御神体に呪力を定期的に補給するのにも慣れたものである。それどころか、前世では全く荒唐無稽だと思っていた数多の術を習得し、一端の術者としてそれなりに知られるようになっていたのだから、時の流れとは凄まじいものだ。

 しかも、前世において仕事人間で、結婚などとは全く無縁なワーカーホリック気味ですらあった己が、今や結婚してもうじき子供すら生まれるというのだから、本当に人生何があるか分からないものである。

 まあ、他ならぬ私自身がもっとも驚いているし、その凄まじさを実感している。あれ程いらん事をと思っていた転生でさえも、今では感謝し喜ぶことができるのだから。

 

 もう簡単に予想できるだろうが、私の意識を改善させ、この世界に本当の意味で新生させたのは結婚相手。つまり、妻である。

 

 妻の名は『美夏』といい、静かで物腰も柔らかな大和撫子である。神職を継ぐにあたって、養父が所属していた術者組織から、半ば強制的にあてがわれた娘であったが、私には不満はなかった。全く地縁も血縁もない私には、どうしても必要なことであったし、何よりも美夏は素晴らしい女性であったからだ。

 美夏は豊富な呪力があっても、それを使うセンスが全くなかった為、家を継ぐ資格を妹に譲ったという不遇の境遇の持ち主であったが、彼女はそれにもめげず性根も曲がらずに立派に成長した芯のある強い女性である。18歳という若年での見合いの場で、仕方ないという雰囲気でやる気の欠片もない私を正面から叱咤した時には、大層驚かされたものである。人は見かけによらないというが、彼女はその典型であった。

 

 元より破談にできる縁談でもなかったのだが、それでも己が見せた体たらくでは、断られても仕方がないと覚悟していのだが、意外にも返事は違った。

 

 「貴方のようなダメ人間は放っては置けません。私が傍でその性根を叩き直して差し上げます」

 

 破談にならなかったことに驚愕しながら、会いに行った私に美夏は開口一番こういったのだった。正直、当初は酷い言われようだと思ったし、彼女がそのままスーツケース一つで押しかけてきたのには、呆れ辟易したのものである。そのまま、なし崩し的に同棲生活が始まり、今に至る。

 

 だが、今になって思えば、美夏の言はどこまでも正しかったのだということがよく分かる。彼女に目を覚まされるまで、私は生きていなかった。言われるままに養子に行き、言われるままに術を学び、役目を継ぐ。そこに私の意思など存在していない。この世界での両親を拒絶し、養親に言われるがままに育った私は、転生を受け容れられず、未練がましく前世にしがみついていただけの生きた屍だったのだ。唯一、自身の意思でやったことと言えば、術を学び開発することぐらいで、それだって前世では知らなかったことを知れるのが楽しくて、既知ではない不可思議な世界に魅せられて、のめり込んでいたに過ぎない。今にして思えば、あれも一種の現実逃避だったのだろう。まあ、その成果が私と美夏を繋ぐことになったのだから、そう捨てたものでもないが。

 

 私と美夏の同棲生活の詳細については、のろけになってしまうのでここでは割愛する。まあ、とにもかくにも、私は苦難の末彼女の心を手に入れ、結ばれることができたわけである。同棲を始めてから2年で結婚し、6年目となった今現在では、ついに待望の子宝にも恵まれた。私は幸せの絶頂にあったと言っていいだろう。

 

 しかし、現実はそれ程甘くなかった。好事魔多しとはよく言ったものである。待望の娘の誕生した日に私は幸福の絶頂から絶望へと叩き落されることとなった。

 

 

 

 

 「遅いな……」

 

 徹は鳥居の傍を掃き清めながら、心配げに呟いた。

 妻の美夏が妹に会っておきたいといって、実家へ出かけたのは昼頃である。大きくなったお腹が目立ってきたこともあり、徹は妻の身を案じて付き添いを申し出たのだが、逆に「お社を空にするわけにはいかないでしょう」と諭され、さらに妻の実家からの迎えもあり、責任持って送迎すると言われてしまえば、流石に無理やりついていくわけにもいかず、渋々ながらも社に残った。せめて身重の妻を真っ先に出迎えてやろうと、その日の勤めをすべて終わらせ、鳥居周辺を掃き清めながら妻の帰りを待っていたのだった。

 

 しかし、日もすっかり暮れて、辺りはすでに夜闇に包まれている。人工の光のない境内では、煌々と篝火が燃えている。余りにも帰りが遅かった。美夏は今日中に帰ってくるという話だったし、たとえ泊まるにしても連絡の一つくらいはあるはずである。否応無く不安が募る。

 

 それを見透かしたかのように携帯電話がけたたましく鳴る。発信者は『神楽美雪』。妻の実妹にして、徹の義妹にあたる人物、すなわち、美夏が会いに出かけた人物にほかならない。

 

 「義兄さん、姉さんはもう帰ってる?」

 

 慌てて電話に出た徹の耳に入ってきたのは、不安を煽るような義妹の声であった。背筋に冷たい汗が伝わるのを感じながら、努めて冷静に対応する。

 

 「美夏はまだ帰っていない。というか、お前に会いに行ったはずだ。なぜ、そんなことを聞く?」

 

 「父さん達が大切な話があるって、姉さんを連れて行ったの。もう3時間も前になるのに、一向に戻ってこないから心配になって、家の中を探したんだけどどこにもいないの!

 それも姉さんだけじゃないの!やけに静かだと思ったら、お爺ちゃんも父さんも母さんも、お弟子さんも含めて家の術者全員がいないの。残っているのは、世話役のお手伝いさんだけで」

 

 「術者が全員いない?何か大掛かりな儀式をする予定でもあったか?」

 

 「お父さん達が何か準備していたのは知っているけど、それが何かまでは……。

 でも、このタイミングにこの状況、姉さんと無関係とは思えないの!」

 

 「美雪は何も聞いていないんだな?」

 

 「うん、私は何も知らない」

 

 どんどん膨れ上がる不安を押し殺すように一縷の望みをかけて問うが、それは無情にもあっさりと否定された。

 

 「そうか……。となると最悪の事態を想定しなければいけないな」

 

 「義兄さん、まさか父さん達が姉さんに何かすると思っているの?!」

 

 「それ以外の何がある。もし、そうでないなら、何かの儀式をするにしても、最高の術者であり『秘巫女』であるお前を外すはずがない。お前にも知らされていない上に、私に無断でとなると、美夏になんらかの負担をかけるものであることは間違いないだろう」

 

 「それはそうだけど……。でも、父さん達にとっても初孫だよ。それを……」

 

 「美雪、お前が庇いたくなる気持ちは分かるが、あの人達は美夏に少しの愛情も持っていない。それは美夏と一緒に育ってきたお前こそが、一番よく知っているはずだ」

 

 美夏は名門の術者の家系に生まれながら、呪的センスが全くない。呪力こそ豊富であったが、使えないものに何の意味があるだろうか。結果、彼女は無能と蔑まれ疎まれて育ってきた。そんな環境下で曲がらずに成長したところが彼女の凄いところだが、それは同時に最大の傷でもある。後に生まれた妹が、天才と称される程、才気溢れていたのだから尚更である。

 

 「でもでも、父さん達も姉さんの妊娠は喜んでたし、今日だって父さん達が姉さんに今までのことを謝りたいって言ったから……!」

 

 その言葉を聞いて、徹のなかの嫌な予感は最悪の確信へと変わる。あの親が己の所業を今更悔いることなどありえないということを徹は知っていたからだ。

 そも、徹が美夏の夫に選ばれたのは、並外れた術の開発力を買われてである。前世では全く縁のないことであったが、徹には不思議とその才能があったらしい。現実逃避の末に幼少の頃からのめり込んだせいもあって、彼は現存する術を応用・改良して、いくつかの独自な術を編み出したり、失伝したはずの古の秘術を復活させたりするのに成功していた。その点を見込まれて、地縁・血縁を欲した徹に応じたのが美夏の両親である。実際、徹は美夏との結婚を引き換えに幾つかの術の開発と改良に協力させられていた。

 

 要するに、彼らは娘を売ったのだ。当初徹はそんなこと夢にも思っていなかったし、全く気づいていなかったが、正式な婚姻の報告に行った時に否が応にも気付かされてしまった。美夏が彼らに愛されていないことを……。

 婚姻の報告を聞いた彼女の両親のどうでもよさそうな表情を、今も徹は忘れていない。押しかけて無理やり同棲した理由に気付かされたのもこの時である。徹が現実から逃げていたように、美夏もまた逃げてきたのだと。それ以来、美夏の実家とは仕事で必要のある時を除いて、美雪以外とは接触を避けてきたのだ。

 今日だって、あの両親の呼び出しと知っていたなら、決して行かせなかっただろう。それくらい、徹は彼らを信用していなかったからだ。

 

 「そういえば今日に限って実家から迎えが来ていたな。身重だからと思っていたが、連中が今更そんなことを気にするわけがない!」

 

 よくよく考えれば、思い当たる点はどんどん出てくる。美雪が同乗しない限り、送迎の車など美夏に出さない連中が今更そんな気を使うとは到底思えなかった。それなら、妊娠が判明した時点からそうしているはずだからだ。

 

 「でも義兄さん、父さん達は真剣だったし、姉さんも嬉しそうで!」

 

 「信じたい気持ちは分かるが、いい加減目を覚ませ!あいつらがそんな殊勝な人間だったら、私と美夏は会うこともなかったし、美雪も大好きな姉と今も一緒にいれたはずだろ!

 それにこうやって電話してきた時点で、本当は分かっているんだろう?でなければ、あんなに慌てやしないはずだ!」

 

 「……ごめん、義兄さん。私、甘えてた。誰よりも不安なのは義兄さんなのに」

 

 「いいさ、あの人達を義理であっても親とは認めたくないが、美雪は私にとっても大切な義妹だからね」

 

 「……義兄さん……私は……」

 

 何かを言おうとしながらも逡巡し、言葉にならない声が聞こえるが、それが何を意味するのか察する余裕は今の徹にはなかった。

 

 「とにかく、今はそんことを言っている暇はない。どこに行ったか分かるか?」

 

 「少し待って。駄目元で父さんの書斎を探ってみる」

 

 それから通話が切れて10分余り。待つ他ない徹にとっては、凄まじいまでの長さに感じられた10分であった。不安と苛つきが頂点に達しようとした時、再び携帯に着信が入る。飛びつくように電話にでると、息を多少荒くした美雪の声が聞こえてきた。

 

 「もしもし、義兄さん。ごめん、遅くなって。案の定鍵がかけてあったから、鍵を壊すのに時間がかかちゃって。姉さんは多分愛宕神社にいる。資料によると迦具土に関連した儀式みたいだけど、なんで姉さんを?何をするにしても、私の方が都合がいいのに……」

 

 「今は、そんなことはどうでもいい!愛宕山だな、今すぐ向かう!」

 

 「義兄さん、私も行く!表参道で合流しよう」 

 

 

 

 

 

 私が美雪と合流し、愛宕神社にある儀式上に踏み込んだ時、全ては手遅れであった。いや、正確には私が踏み込むことが儀式成就の最後の鍵であったのだから、手遅れになったというべきか、何とも間抜けな話である。儀式上の中心に安置された妻美夏と、それを囲むようにして配置された数多の術士達が唱える神言が限りなく不吉なものに感じられ、私はそれを遮るように妻の名を呼んだ。

 

 「美夏!」「姉さん!」

 

 眠らされていたのか、瞑目していた美夏の目が開けられ私と美雪の姿を捉える。

 

 「徹さんに、美雪までそんなに慌てて一体どうしたというんですか?」

 

 どこまでも平静で、常と変わらぬ美夏の様子に一気に力が抜ける。

 

 「どうしたじゃないだろ!連絡もなしに何とも無いのか?どこかに異常は?」

 

 「ごめんなさい。父さん達がこの娘のためにとっておきの儀式をしてくれると言われて、急だったから連絡を忘れてました」

 

 自身のふくらんだお腹を愛おしそうに撫でながら嬉しそうに言う美夏には悪いが、私は少しも安心できなかった。儀式場に乱入者がいるというのに、未だ中断されない術者達の詠唱が否応無く不安を煽ったからだ。

 

 「とにかく帰るぞ!」

 

 私は一刻も早くここから美夏を連れだそうと、儀式場の中心へと足を踏み入れたその瞬間、悲劇は起きた。

 

 凄まじい勢いで火柱が立ち上り、反応する暇もなく美夏の身を包んだのである。自身の内部で何かが弾け飛ぶような衝撃を感じながら、私は呆然と立ち尽くす他なかった。何が起きたのかさっぱり理解できない。いや、理解するのを頭が拒否していた。理解すれば、私は壊れてしまうと……。

 

 「姉さん!姉さんがなんで?父さん、これはどういうこと?!」

 

 私を正気に戻したのは、美雪の悲痛な叫びだった。後に続いた問い詰める声に、この事態を招いたであろう元凶の存在を知り振り返る。

 

 「はははっ、やったやったぞ。成功だ!後は制御に成功すれば沙耶宮を筆頭とする四家も恐れるに足りん!」

 

 美雪に詰め寄られながらも、その存在を無視したように狂喜の表情で歓喜の声を上げる壮年の男がそこにいた。

 

 「貴様、美夏に何をした?!いや、そんなことはどうでもいい!美夏は美夏は無事なのか?!」

 

 私は我を忘れて、奴の襟首を掴んで締めあげた。そこまでして、ようやく私の存在を認識したようで、ゆっくりと私を見た。

 

 「おお、遅かったじゃないか。君には本当に感謝しているよ。君のおかげで我々は最強の武器を手に入れることができるのだから」

 

 「何を言っている!美夏は無事なのか?」

 

 わけの分からぬ答に私は苛立ち、締め上げる腕の力が自然と強くなる。

 

 「君こそ何を言ってるんだね?目の前で見たはずだろう、迦具土の焔に焼かれるあれの姿を。伊邪那美すら殺した神殺の焔だ、徒人に耐えれるものか。死体どころか骨すらも残らんよ」

 

 「そ、そんな姉さん……」

 

 どこまでも淡々と己の娘の末路を語る実父の姿に、絶望を顔に貼り付けて崩れ落ちる美雪。それにすら何の感慨も抱かぬ様子の義父の在り方に、目の前の男が私には人ではない何かに思えてならなかった。

 

 「貴様、実の娘を焼死させておいて、その言い様はなんだ!言え、貴様は美夏に、私の妻に何をした!」

 

 「何をそんなに憤ることがある。豊富な呪力以外なんの取り柄もない無能者が神を招来するという偉業を成したのだぞ。喜ぶべきだろう」

 

 「神を招来だと?!」

 

 「おや、儀式の内容を知ったからこそここへ来たのではないのかね?まあ、君は立役者だし説明してあげよう。本来、神を招来するなど困難もいいところだし、どれ程の犠牲を伴うか分からんものだ。だが、我々にはどうしてもそれをなさねばならない理由があった。そこで我々は考えたわけだ。どうにかして犠牲を最小限ににできんかとな。そこで思いついたのが、神話をなぞることだ。まつろわぬ神は神話に縛られる。ならば神産みの過程が神話にある神ならば、その神話をなぞり再現することで、神を招来する呼び水に出来んのかとな。

 そして、それは見事に成功した。見よ、迦具土が顕れるぞ!」

 

 見れば、美夏を飲み込んだ火柱が収束凝縮し、形をとっていくではないか。それは最終的に体を丸めた赤子の形をなし、宙に浮かんでいた。

 

 「おお、見よあれなるはまつろわぬ迦具土。国産みの伊邪那美を焼き殺した通りに、自らの母を焼き殺した赤子に宿りし者よ!」

 

 「な、貴様、妻だけでなく、娘までも!それでも人間か?!貴様の実の娘と孫なんだぞ!」

 

 「何を言うか。なればこそ我が一族の礎になるのは当然であろう。誇りに思うがいいわ」

 

 平然とそんなことすら宣う義父に、最早私は我慢ならなかった。明確な殺意を抱き、目の前の男を殺そうと拳を握った。その時だ、凄まじい呪力の奔流と共に視界が朱に染まったのは。

 

 一瞬後に視界が戻ってきた時、全ては終わっていた。この手で締め上げていた義父はおろか、あれだけいた術者達の姿もない。私以外に儀式場に残っていたのは、火に焼かれたはずの美夏とその上に浮かぶ全身を焔に包まれた赤子、そして崩れ落ち泣き伏していた美雪だけであった。 

 

 「え、義兄さん、父さんは?他の皆もどこに……」

 

 美雪も凄まじい呪力の動きを感じ取ったのだろう。自身の呪力を高め戦闘態勢をとっている。先程まで、泣き伏していたとは到底思えない動きである。流石は京の切り札『秘巫女』である。

 とはいえ、状況を把握できていないのは彼女も同じらしい。困惑したように周囲を見回している。

 

 「……」

 

 私はその問に答えようとして、口にできなかった。突如として、頭に直接声が響いたからだ。

 

 『人の身で神たる我を操ろうとは不遜である。身の程を知るが良い』

 

 耳ではとらえていない厳かで神秘的な声であった。弾かれたように私と美雪はその原因であろう者を見た。

 

 『我が焔は神すら滅ぼす原初の炎。人如きに御せるものか』

 

 「不敬を承知でお尋ね申し上げます。御身は迦具土神にあらせられますか?」

 

 巫女としての美雪の問に焔の赤子はこたえる。

 

 『然り。我は迦具土。神を殺し神を産む破壊と再生を司りし、まつろわぬ迦具土である。巫女よ、そして我が依代の父よ、大儀である』

 

 「依り代だと?!どういうことだ?美夏は、妻は無事なのか?」

 

 遠目には美夏の体に火傷どころか、傷一つないように私には見えた。ゆえに一縷の望みをかけて、問うてしまったのだ。神話をなぞっているのなら、導かれる当然の結末を理解しながら……。

 

 『父よ、汝は我が神話を知らぬか?我は生まれしとき、母たる伊邪那美を焼き殺した。なれば、汝が妻の運命は一つしかなかろう』

 

 「お前が、お前が美夏を殺したのか?!」

 

 「駄目、義兄さん!」

 

 激情に駆られた私は、衝動的に焔の赤子、いや迦具土に飛び掛かった。美雪の制止の声がかかったが、私はそれを振り切り地を蹴った。

 

 『慮外者めが!』

 

 再び頭に声が響いた次の瞬間、私は凄まじい呪力の爆発をとともに衝撃で吹き飛ばされた。

 

 「義兄さん!」

 

 慌てた様子で、私に駆け寄る美雪。それを尻目に迦具土の言葉が紡がれる。

 

 『本来ならば、不遜にも我を呼びだそうとするなど万死に値するのだ。その一因たる汝らも同罪よ。

 骨身残らず焼き尽くすところを、汝らは我を操らんとする企みに加担していなかったが故に、我が依代の身内であったが故に見逃してやったのだぞ。それを感謝もせずに、我を害そうとするとは……』

 

 「ふざけるな、私はお前の存在など望んじゃいない。妻を娘を返せ!」

 

 「義兄さん、駄目。あれには、あの方には、まつろわぬ迦具土には勝てない!義兄さんも、理解しているはずでしょう。父さん含め、この場にいた私達以外の人間はあの一瞬で、燃やし尽くされたんだって」

 

 

 そう、あの視界が朱に染まったあの一瞬で、百名余りの人間を迦具土は焼き尽くしたのだ。それがどれだけ凄まじい所業なのか、私とて理解している。私程度の力量では絶対に不可能な所業であり、そもそも呪力の桁が違うのだということを。

 

 「妻子を奪われて黙っていられるものか!」

 

 「義兄さん!」

 

 とはいえ、理解はできても納得できるはずがない。最愛の妻を、待望の娘を目の前で奪われたのだ。ここで理性に負けるような柔な激情ではない。この憤怒の炎、何があろうと消えるはずもなし。迦具土の焔にも負けるものかと私は術を紡ぐ。

 

 「八岐大蛇の威をここに顕現せん!其は全てを薙ぎ払う激流の刃なり!」

 

 

 水剋火、五行によれば水は火を消し止める。自らが燃え盛る火神である迦具土にも一定の効果があると考え、手持ちの中で最強の水行術をもって、水の刃となす。漆黒の水で紡がれた八の水刃は狙い過たず、迦具土に殺到した。

 

 『愚かな』

 

 そんな言葉と共に一瞬で水刃が霧散する。切るどころか触れることすら叶わず、こめられた呪力ごと蒸発させられたのだ。

 

 しかし、私とてそれくらいは予想している。そも、私の狙いは迦具土ではない。私は術を放つと同時に『猿飛』の術で迦具土の元へと飛んでいた。水刃諸共燃やし尽くされないかは賭けではあったが、どうやら賭けには勝ったようである。目の前には傷一つない亡き妻、美夏の遺体がある。私はそれを抱え込むと再び『猿飛』で離脱せんとする。

 

 

 『ぬう、狙いは我ではなく母であったか?!だが、そうはさせぬ!燃え尽きよ!』

 

 背後から迫る呪力の奔流と灼熱の気配に追い立てられるように、私は逃げた。

 だが、どう足掻いても迦具土の焔の方が早い。万事休すかと覚悟した時、突然それが霧散した。

 

 「義兄さん、援護するから早く!」

 

 いつの間にか弓矢を構えた美雪が、私に向かって叫ぶ。どうやら、私の狙いを理解して『召喚』の術で弓を取り寄せ援護してくれたらしい。

 

 「すまない、助かる!」

 

 私は無我夢中で逃げる逃げる。美夏の遺体を抱えながら、脇目もふらずに。

 だから、私は気づかなかった。途中から焔の気配は消失していたことに。そも援護よりも早く、焔が消失していたことに。

 

 

 

 

 

 

 徹と美雪が合流したのは、愛宕山の参道の入口であった。時刻は深夜とはいえ、神主姿の徹と巫女服の美雪は目立つ。二人は早々にそれぞれの家へ戻ることにした。徹は自宅に気がかりなことがあったし、美夏をこのままにはしておけなかったからだ。美雪は美雪で、行われた儀式の詳細を調べる必要があったからだ。

 

 「すまない、すぐに戻ってくる。ちょっと待っていてくれ」

 

 徹は美夏を夫婦の寝室に運び入れると、すぐさま踵を返し本殿へと向かった。そしてそこでは、彼が想像した通りの事態が待っていた。

 

 「やはりか。あの時の衝撃はこれが原因か……」

 

 そこでは、本殿に安置された御神体『十拳剣』を基点とした封印が粉々になっていたのだ。かろうじて『十拳剣』自体は無事のようだが、封印自体は完全に破壊されていた。

 

 「内部から壊されたようなものだからな。あんな近場で、まつろわぬ神が招来されればこうなるのもやむなしか」

 

 まつろわぬ神が生じにくくするための封印。維持には地脈を利用し、制御には『十拳剣』の契約者、つまりはこの神社の後継者の呪力を用いる強固な封印だったのだが、今や見る影もない。封印術そのものの基盤から壊されてしまっている。これでは修復は不可能である。そもこの封印術自体、とても人間の術者に用意できるものではないのだから、仕方のない事だが。

 

 「おかげで制御に使っていた呪力が戻ってきたが、この程度では迦具土はやれないだろう……」

 

 迦具土の呪力の凄まじさを思い出し、身震いする徹。今思い出しても怖気が走る。文字通り呪力の桁が違うのだ。今更、この程度の呪力が戻ったところで、何の意味があろうか。そう思ってしまうと、自然足も重くなる。戻った先には受け入れがたい妻の死という冷たい現実があるのだから、尚更である。

 

 涼やかな声と花の咲くような笑顔で徹を迎え入れてくれた妻はもういないのだということを、寝室に戻った徹は否が応にも理解せざるをえなかった。そこには傷一つない綺麗な顔で永久の眠りにある微動だにしない美夏の姿があったからだ。眠っているだけに見えても、今この時も彼女の体からは熱が失われているのだ。厳然たる事実として、美夏は死んだのである。

 

 「迦具土を放ってはおけない。依り代にされた娘を助けなければ。そして、美夏の仇を!」

 

 美夏の顔を見れば、自然と覚悟は決まった。力の差があろうとなんだろうと、依代にされた娘を解放し妻の仇を討たねばならない。それが父であり、亡き妻の夫である己のすべきことだと徹は思ったのだ。

 

 一方、美雪は儀式の詳細を知るために父の書斎を改めて探っていた。だが、案の定中々儀式の詳細は見つからなかった。秘密主義の父のことだから覚悟はしていたが、一時間もかけて何の手がかりもないと流石にげんなりせざるをえない。

 

 そこではたと気づいてしまったのだ。ではなぜ、ああもあっさりと姉の居場所を特定できたのかと。父がその気なら、儀式終了まで気づかせないことも可能だったはずだし、その方が何かと都合が良かったはずだ。

 だというのに、施錠された書斎とはいえ姉の行き先を示す資料はこれみよがしに机に置かれていたし、何の隠蔽もされていなかった。万全を期すなら隠すだろうし、美雪をこの家から出さない為に結界くらいはっただろう。あの親は必要あれば、それくらいは平然とやってのける人間なのだから。

 

 「私が儀式に必要だった?いえ、それなら最初から無理やりにでも私を連れて行ったはず。あそこまでやる人達が今更手段を選ぶとは思えないし……私ではないなら、義兄さんの方?でも、義兄さんが妨害しないはずがないし、それを考えたら」

 

 探る手を止めずに思索を続けるが、どうにも結論が出ない。そんな時だ、やけに書斎の壁が気になったのは。なぜかは分からないが、どうにも気になる。一般人なら、ただの気のせいにしたかもしれないが、美雪は巫女である。それも『秘巫女』の称号を持つ京最高の巫女だ。その直感や勘は決して馬鹿にできない。

 

 美雪は自身の感覚を疑うことなく、書斎の壁を調べた。壁の一部に妙なへこみを見つけた。これだと直感し、思いつくままにそれを押す。するとどうだろう。書斎の床が沈み始め、地下へと続く階段があらわれた。

 

 「地下室か、あからさまに怪しいわね。それにしても、書斎の地下に隠し部屋とか本当に陰気なんだから」

 

 亡父にぶつくさ文句を言いながら階段をおりると、4畳あるかないかのこじんまりした部屋に繋がっていた。室内には机が一つと、本棚が一つあるだけで、他には何もない。

 

 「これかな?流石の父さんもここまで入られるとは思っていないでしょうし……これは!」

 

 机に広げられたままになっていたのは、父の手記であった。捜し求めていたものではなかったが、少しでも手がかりがあればと一縷の望みをかけて、美雪は読んでみることにした。だが、詳細を読み進めるに連れ、美雪の顔は蒼白になっていく。

 

 それは美雪の知りたかったことそのものであったが、それ以上に吐き気を催す内容であった。書かれていたのはなぜ美雪ではなく美夏を用いたのかという理由と、儀式の詳細だ。

 そも実の姉である美夏は元々神を招来し、憑依させる為の依り代の母体として用いる為に調整されていたというのだ。母の腹にある時から、美夏には呪的処置が施され、美夏は呪力に優れるよう調整されていたのだ。呪的センスがゼロだったのはその弊害だろうと軽く書かれていた。この時点で、美雪は両親に憤怒と憎悪を覚えた。長年の間姉を苦しめた蔑視される原因が人為的に作られたものであり、それを作ったのが他ならぬ両親であったというのだから。

 しかし、現実はどこまでも優しくない。日記に書かれていたことは、その程度序の口でしかなかったのだ。四家への憎悪と羨望。失われた権力と財への執着。そこには人の汚れた妄執がこんこんと書き綴ってあったのだから。

 

 そして、ついに儀式の詳細についての記述部分を見つける。方法自体は単純なものだ。基本的には従来通りの神招来の儀式をなぞる。地脈の流れや星辰も同様だ。とはいえ、今の神楽家に実行に足るだけの術者を揃える力はないし、できたとしても犠牲が大きすぎる。そこで術者の不足と犠牲を最小限に抑えるために考えだしたのが、儀式場で父が言っていた神話をなぞり再現することだ。

 とはいえ、生まれた時の神話がある神は意外に少ない。しかも下手な神を呼べば、その力を利用するどころか諸共に殺されかねない。そうして慎重に慎重を期して選ばれたのが迦具土だったというわけである。不定形である火山の溶岩流を象徴する炎の神で、生まれて早々に殺された逸話を持つ迦具土は赤子に宿らせるに持って来いの神であったし、御しやすいと考えたのだ。 結果、姉は美夏と名付けられた。五行説によれば、火は夏の象徴であるからだ。ゆえに美夏。食事には霊薬を混ぜられ、幼い頃から体質を都合いいように作られてきた。最終的に子を産んだ時に、その子に全てを注ぎ込めるように。なんのことはない。最初から美雪の姉美夏は、子を産んだ時に死ぬように定められていたのだ。

 

 「そんな姉さんが……。それじゃあ姉さんが妊娠したと分かった時、父さん達が喜んだのは……」

 

 美雪が見た両親のあの喜び様は、孫ができた喜びなどではなかったのだ。自分たちが復権する為の生贄ができたことを喜んでいたのだ。姉とその子は、最初から神に捧げられることが決まっていた供物だったのだ。

 

 さて、ここで重要となるのが、美夏の夫である。子には神の依代として高い素質が不可欠なのだから、当然夫にも相応の資質を求めた。そうして選ばれたのが徹であった。徹は呪力自体は平均的なそれしか持ち合わせていなかったが、呪的センスは天才的であった。『秘巫女』である美雪から見てもそうなのだから、両親にはさぞや、魅力的に映ったことだろう。しかも、副作用とはいえ母体となる美夏は呪的センスゼロである。それを補完する意味でも徹はもってこいの人物であったというわけだ。

 

 ここで最初の疑問も解消される。神話を忠実に再現するなら、迦具土が生まれる時には夫である伊邪那岐が居合わせねばならない。つまり、美夏だけでは儀式完成しない。あの場に夫であり、お腹の子の父親である徹が居合わせる必要があったのだ。とはいえ、自分達のことを徹が嫌悪しているのは、両親も理解していたのだろう。もし、両親が呼び出しても、意に沿わぬ可能性が高く、それどころか儀式を潰されかねない。そこで彼らは一計を案じた。名目上美夏との関係修復だと言って、美雪の協力姿勢を引き出し、さらに儀式に徹を呼びこむ呼び水として、美雪はまんまと使われたのだ。

 

 「私は父さん達のいいように使われていたってこと?!全部計算づくで、私は知らず知らずの内に姉さんを殺す為の手伝いをさせられていたの」

 

 それは凄まじい衝撃であった。涙が滲みだし、全身から力がぬけ立っていられない。美雪はその場にへたり込んだ。心のどこでまだあの両親を信じる気持ちがあったのだろう。それも無理ないことである。姉である美夏には悪いと思うが、両親は才気に溢れた美雪には優しかったからだ。姉を粗略に扱うという不満こそあれ、其れを除けば彼女にとって両親は普通に良い親であったのだ。それを根底から覆されてしまったのだ。それも完膚なきまでに。弁護の余地などどこにもない。100人いたら100人が彼らの所業を非道・外道というだろう。美雪も最早異論はない。彼女の両親は人の皮を被った畜生にも劣る獣であると。

 

 「……義兄さんに教えないと。

 でも、私はどな顔して義兄さんに会えばいいの?私さえ気づいていればこんなことにはならなかったのに!あの人達が姉さんを愛していないことなんて、本当は分かっていたのに!ごめんなさい、姉さん。ごめんなさい、義兄さん」

 

 美雪の悲痛な叫びとが薄暗い地下室の中で、誰にも伝わることない謝罪は只々虚しく響いた。

 

 

 

 

 私のところに今にも死にそうな表情の美雪が尋ねてきたのは、迦具土をどうあっても仕留めるという覚悟を決めた時だった。

 

 「一体どうしたというんだ?」

 

 「……」

 

 訝しげに問う私に、美雪は手に持っていた古びた手記を黙ったまま差し出した。口は固く結ばれ、何かを我慢しているようにも、私と口をきくこと拒否する意思表示のようでもあった。

 

 とにかく読めということだろうと私はとり、それを受け取って開いた。その中身の狂気を知りもせず。

 

 「こ、これは……」

 

 それは妄執と狂気の塊であった。実の娘を使い捨ての道具として扱い、何ら良心の呵責を覚えぬ人非人の所業の記録だ。知らぬ内に私自身が妻子を殺す手伝いをしていたことすら書かれており、私は過去の自分を殺したくなった。唯一の収穫は、神の依代にされた我が子を意のままに操る為の術をかけるために敷かれた拘束術式が未だに健在であり、神はあの地よりしばらく動けないということが分かったくらいであった。

 

 「拘束術式は地脈を利用した強固なものだ。いかに神といえど早々に破られんと思うが、いつまでも有効と楽観視はできんな。一日二日と考えるべきか……」

 

 私は淡々と思案し呟いた。憎悪も憤怒もある。言いたいことなど万言を尽くしても尽きぬ。しかし、それでもそれは今やるべきことではない。今、やるべきは一刻も早く娘を迦具土より解放してやることだ。

 

 「…どうして……どうして!私を責めないの?!あの屑どもの娘である私を!あの屑共にあなたの妻子ををみすみす渡す手伝いをした私を!」

 

 私と違い自らの激情に耐え切れなかったのだろう。堤が決壊するように美雪は自身への断罪を求めた。

 

 「なぜお前を責めねばならない?お前が何をしたというのだ?」

 

 「私はくだらない幻想に囚われて、姉さんをあなたの娘を!」

 

 

 「親を信じることに罪があるものか。信じられぬ親にこそ罪あれど、親を信じる子に罪はない。それが長年願ってきたものなら尚更だ。私がお前でも同じ事をしただろう」

 

 確かに美雪には、あの屑共を信じ今回のきっかけを作ったという負い目があるのかもしれない。だが、彼女にとってあの屑共は決して悪い両親ではなかったことや、彼女が心から両親と姉の関係修復を願っていたことを私は知っていた。

 それに何よりも美夏と美雪は仲のいい姉妹であった。夫である私が羨む程に。義妹となる前の美雪が、私と美夏が同棲を始めたその日の内に薙刀を手に怒鳴りこんできたのは、今でもよく覚えている。美夏に怒られたしなめられて小さくなる美雪の姿は滑稽であったが、彼女が心から姉を慕い大事に思っているのは理解できた。美夏との婚姻を「姉さんを泣かしたら許しませんからね」と涙ながらに認めてくれたのを覚えている。妊娠を誰よりも祝福し喜んでくれたことは忘れていない。そんな彼女を大切な義妹をどうして責めることができようか。美夏も決して責めることはないはずだ。美雪が姉である美夏の幸せを誰よりも願っていたように、美夏もまた最愛の妹の幸せを誰よりも願っていたのだから。

 

 「でも、でも義兄さん……私は、私は」

 

 「自分を責めなくてもいいんだ。お前は悪くない。悪いのは、こんな事を計画したあの屑共とまんまとおびき出されたくそったれな神様さ」

 

 涙を流し首を振って否定しようとする義妹の肩を掴み、強引に前を向かせる。

 

 「なあ、美夏はお前を責めるような薄情な女だったか?」

 

 「そんなことない!姉さんはいつも私に優しくて……。怒ることはあっても、それは全部私の為で」

 

 「ならいいだろう。もう自分を責めるのはやめろ。私とて後悔は尽きぬし、恨み言は万言を尽くしても尽きぬ。だが、今はなすべきことをなさねばならん。一刻も早くあの娘を迦具土より解放してやらねば。それにはお前の協力が必要だ。京の切り札『秘巫女』であるお前の協力が」

 

 「あの娘を迦具土から解放する?そんなことどうやって?」

 

 「神話を再現してやればいいのさ。迦具土を十拳剣で斬り殺してやればいい」

 

 「あれは国産みの片割れである神世七代の大神である伊邪那岐であればこそ可能であった神殺しよ。徒人にできる所業では決してない!」

 

 「この神招来の儀式で私にあてがわれた役は伊邪那岐だ。それに誘われた迦具土ならば、我が子を依代としているならば、決して不可能ではないはずだ。まつろわぬ神は神話に縛られるのだからな」

 

 「それでも無理よ!伊邪那岐の役割を果たすことができたとしても、神を斬り裂く刃は用意できない。天之尾羽張はここにはないのよ!」

 

 「いや、ある。来歴は定かではないが、この地を日の本を守護してきた護国の剣がこの社にはある。お誂え向きの十拳剣がな」

 

 「そんな都合のいい話あるわけないでしょ?!」

 

 「ついて来るといい。証拠を見せてやろう」

 

 これ以上は話すだけ無駄だと判断した私は、美雪に現物を見せることにした。後ろも確認せず歩き出す。

 

 「なあ美雪、このお社の由来は知っているか?」

 

 「観無神社、桓武天皇を祀るお社でしょう。そのままだと恐れ多いからということで、観無にしたと聞いているけど」

 

 なるほど、それは一般に誤解された由来だ。正確な由来は秘匿されていたので、時の流れと共にこじつけられたのだろう。本来の由来は、この社の本来の役目は後継者以外の誰にも伝えられない。建立当時は、他にも知っていた者もいたようだが、四家との争乱で絶えてしまった。今や、私以外知る者のいない秘密である。

 

 「それは一般の誤解された由来だな。本来のこの社の名は『神は無し』という意味で神無神社という。流石にそのままだと神社としてまずいんで、『観無』になったというわけだ」

 

 「神は無しで神無?!神社なのに?」

 

 「そうだ、この社は祀る神などいない。強いて言うならば、今から見せるものを祀っていたというべきだろうな」

 

 「一体なんだって言うの……こ、これは!」

 

 そうこうしている内に本殿につき、中へと入る。そこには役目を失った十拳剣が安置されていた。美雪はそれを見るなり絶句した。

 

 「驚いたか?これがこの社の御神体『十拳剣』だ。そして、この地をこの国を長らく守護してきた護国の剣でもある」

 

 「これ程の呪具、いえ神器ともいうべきものに私が気づかなかったというの?この社には何度も来ているのに?!」

 

 「気づかないのも無理は無い。今まで、この剣の力はすべて封印の護持に使われていたからな。存在を知らなければ、認識することすらできんよ」

 

 「封印?」

 

 「そうだ。先程、この社の由来を教えただろう。『神は無し』、それがこの剣が護持してきた封印の役割さ。この国にカンピオーネが生まれたことはないことは知っているだろう?」

 

 「ええ、忌むべき羅刹王の化身、人中の魔王。この日の本より生まれたことはない」

 

 「その一助をしていたのが、この剣さ。この剣を礎にはられた封印は、この地にまつろわぬ神を生まれにくくする効果を担っていたのさ」

 

 「そんな……。でも、それならばこの剣を使うことは無理なのでは?」

 

 「『いた』といったろう。迦具土の招来で、封印は基盤ごと吹き飛ばされたよ。流石にこうも近場でやられてはな。実際、残滓は感じ取れても、封印は感知できないだろう?もう跡形もないからな」

 

 目を瞑り感覚を研ぎ澄ませて感じろうとしたのだろうが、やはり何も感じられなかったようで、美雪は首を振る。

 

 「確かに何かあったのは分かるけど、それ以上は何も……。唯一つ言えのは、相当に特化したものだったことくらい」

 

 「なに、どういうことだ?」

 

 「簡単に言えば、この封印は一定の神々にのみ効果があるものなのよ。妖魔や神獣の類は防げないし、恐らく竜蛇の神格には欠片も効果がないでしょうね」

 

 封印の護持を行なってきた私が知る以上の情報を、この短時間で得るとは流石は『秘巫女』というべきだろう。

 

 「なるほどな。ここ以外にも安全装置はあるそうだし、竜蛇の神格はそっちの担当だったんだろうさ」

 

 「他にもあるの?!」

 

 驚愕の声を出す美雪。彼女にとっては、驚きの連続であるだろうから無理もないことではある。とはいえ、京の術者組織に所属する彼女にこれ以上の事を知らせるわけにはいかない。私はお茶を濁すことにした。

 

 「存在することだけは知っているというだけだ。それが何かまでは知らん。

 まあ、今はそんな事よりも、こいつを天之尾羽張の代わりにできるかだ。どうだ、秘巫女のお前から見て、こいつに代理が務まると思うか?」

 

 まだ何か言いたげだったが、美雪も今はそれどころではないと思い直したのだろう。真剣な表情で、剣を見る。そして、残念そうに首を振った。

 

 「確かにこの剣にはかなりの格と力があるけれど、神代の神剣である天之尾羽張には至らない。原初の神殺しの神であり、数多の神を産んだ迦具土を切り裂けるとは思えない」

 

 「まあ、そうだろうな」

 

 美雪の見立ては、私の予想通りであった。いかに長年護国の任を担ってきた宝剣といえど、敵を切る武器としてではなく、あくまでも封印の礎として使われていたものなのだ。神を斬り裂けないのは、道理であり当然だろう。

 

 「それじゃあ、どうやって迦具土を?」

 

 「伊邪那岐には役者が不足している私に、天之尾羽張には至らない十拳剣。お似合いじゃないか。不完全な神を殺すのには相応しいだろう」

 

 「不完全って、あの娘を依代にしていることを言っているのなら間違いよ。迦具土は軻遇突智(かぐづち)火之夜藝速男神(ひのやぎはやをのかみ)火之炫毘古神(ひのかがびこのかみ)ともいい、火山が噴火し大地を変容させる様から想起された炎の神。溶岩流(マグマ)という不定形の炎を象徴するが故に、その神話上すぐ殺されたが故に、赤子が依代として都合がよかったに過ぎない。かの神は生まれてすぐに伊邪那美を焼き致命傷を与えているのよ。力を振るうのに何の制限もないはず」

 

 冗談めかして言う私に、美雪は厳然たる事実でそれを冷徹に切って捨てる。だが、私にも譲れぬものがあるのだ。

 

 「あの屑共の儀式で呼び出されたものが神であるものか!あんなものが神であるなどと、断じて私は認めない!」

 

 そう、認めるわけにはいかない。妻を殺し、娘の体を乗っ取った者をどうして神と認められようか!

 

 「義兄さん……」

 

 私の心中を察したのだろう。美雪は沈痛な表情で唇を噛む。

 

 「そんな顔をするな。私も何の策もなしに挑むわけではない。私の術開発も捨てたものじゃないな。まさか使うことになるとは思わなかったが、お誂え向きの術がある」

 

 「そんな都合のいい術があるの?」

 

 「神剣創造の術。いや、再現の術といった方がいいかな。今までは呪力の問題と触媒となる剣がなかったからな。実現不可能だったが、こいつを使える以上無理ではないはずだ」

 

 「呪力の問題って……!!義兄さんの呪力が増えてる?!なんで?」

 

 「封印の制御を担ってきたのは、この社の歴代の後継者なんだ。私もお役御免になった以上、解放されたのさ」

 

 「それでも神剣の再現なんてできるとは思えない!確かにこの十拳剣は触媒としてはこれ以上望めないもののだけど、義兄さんの呪力では無理よ。私にも劣る義兄さんの呪力じゃ」

 

 確かにその通りであった。回復したといっても、私の呪力は美雪の半分にも満たないレベルである。まあ、秘巫女である彼女が規格外ということもあるのだが、それでも尚神剣の再現には至らないだろう。

 

 「足りないのなら、他のもので補えばいい……」

 

 「義兄さん、まさか!」

 

 そう、足りないのなら他から持ってくればいい。私自身の命を薪にすれば、一度だけならば不可能ではないだろう。

 

 「そのまさかだ。迦具土をあの娘を解き放つわけにはいかないからな」

 

 「ダメよ、そんなの絶対許さない!義兄さんが死ぬくらいなら、私が!」

 

 確かにその方が成功率は高いだろう。しかし、この役目を譲ることは絶対にできないのだ。

 

 「それは駄目だ!あの娘を他の誰かに手をかけさせるわけにはいかない。他の誰でもない父親である私がやらねばならない」

 

 「義兄さんは、自分の娘を殺そうというの?!」

 

 「これ以上、あの娘に手を汚させるわけにはいかないんだ!迦具土を山に留めておけるのは精々一日二日。解き放たれたらどれだけの被害ができるかも分からない。……それにどの道、あの娘は助からない」

 

 「え?」

 

 「神の依代になったあの娘がただで済むと思うか?魂も肉体も擦り切れていても、なんらおかしくはない。まして、予定日はまだ3ヶ月以上先だ。これがどういうことか分かるな?」

 

 「早産……未熟児」

 

 「そうだ、あの子は今すぐにでも保育器の中に入らねばならないんだよ!神が憑いているうちはいいかもしれないが、なくなったらあの娘は生きていられるのか?もう生まれてから半日近い。初乳すら受けられないあの娘は一体どうなる?!」

 

 「そ、それは……」

 

 考えもしなかったようで絶句する美雪。そんな義妹を尻目に、私の頭は冷徹な結論を出していた。娘が助かる可能性は限りなくゼロに近いと。そも神を娘から分離する方法がない。自ら出て言ってくれれば話は別だが、それはまずありえないだろう。出ていくつもりがあるのなら、招来された時点で出ていったであろうからだ。制限の多い赤子の体など枷でしか無いのだから。つまり、それができない事情が迦具土にはあるということだ。

 そして、それにはおおよその予想はついている。あの屑共は、迦具土を不定形の神であると定義して招来した。おそらく、器なくしては定形を保っていられないのだろう。神話の再現性を利用した術式で、再現性も高かったが故に、迦具土は神話により縛られているのだ。迦具土の姿形を語られた神話はない。生まれてすぐ斬り殺されていること、生まれた時に伊邪那美に火傷をあたえていることから、抵抗できない赤子・自らが燃えていることくらいしか推察できない。連中はそれを逆手に取り、不定形の炎の神として迦具土を呼び出し、赤子に定着させて操るつもりだったのだ。まあ、ものの見事に失敗したわけだが。

 

 「あの娘の父親として、これ以上手を汚す前に迦具土から解放してやるのが私にできる唯一のことだ」

 

 「義兄さん……」

 

 

 

 

 私には分かってしまった。義兄がどうしようもなく覚悟をきめていることが。もう、この人は止まらないだろう。姉さん以外の誰が止めようとも、決して……。それを悟り、私はかける言葉を失った。

 

 だが、義兄さんが命を薪にして呪力のあらん限りを振り絞っても、神剣を再現できるかは分からない。仮にできたとしても、その刃がまつろわぬ迦具土に届く可能性はいかほどあろうか。百名余りの人間を一瞬で骨身も残さず焼き尽くした荒ぶる神を、神剣を持っただけの唯の人間が殺すことなどできるのだろうか。

 

 本来ならば、私がやるべきだ。その為の『秘巫女』であるし、義兄さんがやるよりも遥かに成功率は高いだろうから。でも、義兄さんはそれを絶対に許さないだろうし、そも術を教えてはくれないだろう。

 つまり、もう私にはどうしようもないのだ。なんと情けないことだろう。最愛の姉を失い、今再び最愛の人とその娘を失おうとしているのに、秘巫女たる私には何もできないのだ。できることといったら、精々が義兄さんの援護くらいで……援護?!

 

 ある!一つだけ今の私にもできることがある!義兄さんの生存率を上げ、確実に力になる方法が!

 

 「……義兄さん、私を抱いて!」

 

 「?!馬鹿を言うな!いきなり何を言い出す!」

 

 「馬鹿なことじゃない!古今東西の様々な術を研究してきた義兄さんなら知っているでしょう。房中術の存在を」

 

 知らないとは言わせない!義兄が術の改良・開発のエキスパートであるのは周知の事実。そして、それを可能とするには様々な術に精通しなければならないのだから。

 

 「知ってはいる、知ってはいるが……」

 

 「私は秘巫女だけに口伝で伝えられる房中の秘術を知ってる。その中には一時的に呪力を爆発的に高めるものもあるの。これを用いれば、義兄さんも命を薪などにする必要ないはずよ!」

 

 言い淀み、明らかに渋る義兄を畳み込むように言葉を重ね、言い切る。今は迷ってはいけない。どのようなことであろうとも、必要ならばやる。その気概を見せねばならない。僅かでも逡巡したり、迷いを見せれば、義兄は決して承知しないであろうから。

 

 「……お前は自分が何を言っているのか分かっているのか?」

 

 「勿論よ。義兄さんこそ、自分が先程から何を言っているのか分かってる?」

 

 「なに?」

 

 「義兄さんは、最愛の姉を失った私に義兄と姪が失われるのを黙ってみていろと言っているの」

 

 姉さんを失い、この上義兄さんまで失ったら、私は壊れるだろう。信じていたものが幻想でしかなく、天涯孤独となった私は最早寄る辺なき者だ。愛した者全てを失って生きていく自信などないし、生きる意味などあろうか。

 

 「そ、それは」

 

 「だから義兄さん、お願いだからできることはさせて!私の貞操なんてどうでもいいから、少しでも義兄さんが生き残ることができる手助けをさせて!」

 

 「……」

 

 私の声も枯れよという叫びに義兄さんは言葉をなくし、立ち尽くした。

 

 「ねえ、義兄さんお願い!私に、私に姉さんの仇をとる手伝いをさせて!」

 

 私は義兄を睨みつけるように目を離さず、懇願した。

 

 「……私は外道だな。本当にいいのだな?」

 

 義兄さんは諦めたような嘆息し自嘲すると、確かめるように問うた。やめるのなら今だぞといわんばかりだ。

 

 「義兄さんは外道なんかじゃない!私は望んで義兄さんに抱かれるの」

 

 私は拒否などしてやらない。覚悟を決めた女をなめないで欲しい。私は自分の意思で、望んで義兄さんに抱かれるのだから!

 

 「分かった、最早何も言うまい。お前の覚悟と気持ちありがたく受け取ろう」

 

 「うん!」

 

 私は義兄にとびきりの笑顔を見せてやったのだった。

 

 

 

 

 全ての準備を終え徹と美雪は、愛宕山の参道に立っていた。徹の手には十拳剣が握られ、美雪は手には薙刀、背には弓矢を背負い、両者とも完全な戦闘態勢である。

 

 「なあ美雪、お前はここで…「駄目!」…まだ何もいってないだろう」

 

 「義兄さん、ここまで来て今更待ってろとかはなしよ。あそこまでしたんだし、今更でしょう。もう、迷うことなんてないはず。私達で終わらせてあげましょう」

 

 美雪の言葉に徹も黙るほか無い。彼にはもう義妹を止める権利などないのだ。それだけのことをしたし、させてしまったのだから。

 

 「そうだな……。ああ、私達で終わらせよう!ただ、一つだけ言わせてくれ。……死ぬなよ」

 

 「義兄さんこそ……というか義兄さんの方が遥かに危険度高いんだから、むしろそれは私の科白でしょ!最後の最後まで絶対諦めちゃダメだからね!」

 

 「フフフ、そうだな。ああ、私はいい義妹を持ったものだ」

 

 「フフフ、感謝してよね。義兄さんも最高の義兄さんよ!」

 

 二人は笑いあった。その様は死出の旅路に向かおうとする者達とは到底思えなかった。しかし、彼らはこれから神という名の絶望に挑むのだ。

 

 「では行くぞ、遅れるなよ!」

 

 「義兄さんこそ!」

 

 両者は競うように飛び出すと、『猿飛』の術で灼熱の戦場へと飛び込んだのだった。

 

 

 

 「これが神か……ゴフッ」

 

 内臓が傷ついたのだろう、血が泡となって徹の口から溢れる。神に挑んだ結果は惨憺たるものであった。

 用意してきた呪符も術も使いきったというのに、未だ神には傷一つつけることができなかった。それどころか近づくことすらままならないというのだから、悪い冗談のような現実であった。

 

 徹も美雪も死力を尽くした。呪力を振り絞り、あらん限りの術と技でまつろわぬ迦具土に挑んだ。矢も術も尽くが燃やされ、あるいは蒸発させられ、近づこうにも莫大な呪力の波動で吹き飛ばされる。切り札である神剣再現用に残していた呪力すら使ったというのに、神には通用しなかった。

 

 「こんなことって……」

 

 美雪はすでに心が折れていた。矢も尽き、呪力も後一つ術を使えるかどうかでもう空同然だ。房中の秘術で高められた呪力でもこれなのだ。平時であれば、とうに燃やされていただろう。最大限の火除けの術をありったけかけているが故か、かろうじて生きてはいるが、最早立つ気力はなかった。

 

 『理解したか?これが神と人との差だ』

 

 神の言葉が言霊となって脳裏を揺さぶる。どだい最初から無理な話だったのだ。脆弱な人間が神に挑もうなどというのは。何をしようが無意味。神と人には隔絶した差があるのだと。

 

 「義兄さん、わ、わたし……」

 

 いつの間にか美雪は泣いていた。ぼろぼろの体で縋りつくように徹に抱きつく。

 

 「美雪……」

 

 「ご、ごめんなさい。私、私……」

 

 そこから先は言葉にならなかった。そも、神の脅威を誰よりも理解していたのは美雪である。秘巫女の称号は伊達や酔狂ではない。彼女は一度の遭遇で、その本質と隔絶した力の差を理解していたのだ。それでも徹に協力し神に挑んだのは、姉の仇討ちや罪滅ぼしの為ではない。義兄への愛故にだ。この結果を予期しながらも、彼女は最愛の男を見捨てることはできなかった。ずっと好きだったのだ、愛していたのだ。姉美夏の夫であったが故に忍んできた想いだった。

 

 皮肉なのは徹が美夏の夫だったからこそ、惚れたということだろう。美夏と正式に婚姻するまで、美雪にとって徹は最愛の姉を奪う略奪者でしかなかったのだから。それを慕情へと変化させたのは、美夏の幸せそうな顔であった。

 今まで見たこともない姉美夏の様々な表情。美雪は知らなかったし思いもしなかった。恋があんなにも人を変えるなんて。徹の隣にいる美夏は実家にいた頃とは別人であった。人格が変わったわけでも、性格が変わったわけでもない。それでも、美雪に言わせれば別人であった。姉はあんなふうに笑う人ではなかった。姉はあそこまで誰かに心を許したりしなかったと。

 気づけば美雪は美夏を羨み妬んでいた。それに気づいた時、彼女は愕然とした。それまで一度たりとも姉を羨んだことなどなかったのだから。妬むなど論外である。姉を変えた義兄徹がますます嫌いになった。

 だというのに、徹は優しかった。嫌味を言われても嫌な顔一つしなかったし、わがままを言っても出来る範囲ならば叶えてくれた。勿論、それは妻である美夏の妹だからこそだろうが。

 そうこうしている内に、気づけば美雪は徹に惹かれていた。姉美夏の隣で幸せそうに笑う姉の夫から目が離せなくなった。彼女は暇があれば夫婦の家に遊びに行き、大いに邪魔をした。彼女自身その自覚はあったし、あの滅多に怒らない姉を本気で怒らせかけたことすらあった。

 だが、それは美雪が徹への想いを表に出さない為の代償行為であった。それくらいは許して欲しいというのが美雪の偽らざる本音であった。彼女は姉の夫である徹が好きなのであって、それを奪うつもりなど露程もなかったからだ。

 

 美夏が死に徹だけが残った時、美雪は己の中にほの暗い喜びがあるのを自覚した。姉が死んだのは、本当に悲しかったし、両親を許せないと思ったのも偽らざる彼女の本音である。だが一方で、最愛の男が一人になったことを、自分の手が届く場所に来たことを僅かでも喜んだのは、紛うことなき事実であった。

 房中の秘術だって、なんのことはない。最愛の男に処女を捧げるのだ。何を躊躇うことがあろうか。美雪は最愛の男の腕の中で、ようやく想いが成就したことに歓喜すらしていたのだ。義兄が謝るのではなく、感謝してくれたのも嬉しかった。想いを受け容れてくれたようで、仕方なくではないように思えて。

 

 完全武装して参道に着いた時、美雪はできるならばこのまま徹と二人で逃げたかった。何もかも放り出して、最愛の男と逃げ出したかった。負けると分かっている戦いになど挑みたくなかった。義兄も薄々理解しているだろうに、それでも行くというのを見捨てることできなかった。彼女の世界には、最早義兄しかいないのだから……。

 

 「美雪……そうか。よく頑張ってくれたな」

 

 徹は美雪の想いを知ってか知らずか、美雪の頭を撫でると優しく横たわらせた。

 

 「義兄さん?」

 

 「後は私だけでやる。お前はそこで休んでいろ。体が動けるまで回復したら、すぐに山を降りろ。いいな」

 

 「義兄さん、ダメ!もう分かったでしょう。まつろわぬ迦具土には勝てない。ねえ、お願い。私と一緒に逃げよう。何もかも捨てて二人だけでどこまでも……」

 

 徹の腕に縋り付きいかせまいとする美雪。その目は潤み、抑えきれない情が溢れていた。徹もここまでくれば気づかない程鈍くはない。義妹の気持ちは嬉しかったし、力の差をまざまざと見せつけられた今、その誘いはどこまでも甘美で魅力的であった。

 

 「悪いな、それはできない。たとえここで死のうとも、ここで逃げることだけは絶対にできない!」

 

 徹はそれでも拒絶した。彼には譲れないものがあった。夫として、父親として、退くことのできない意地が理由があった。縋る美雪の腕を振り払い、立ち上がる。美雪が泣き伏せるが、最早見向きもしない。

 

 体は満身創痍。打てる手は打ち尽くした。それでもなお届かない。正直、徹自身が生きているのが不思議になる程の力量差であった。だが、ここで彼は気づく。そう、なぜ今も己は生きているのだということに。

 

 そも、おかしいのだ。あの一瞬で百人余りを骨身も残さず焼き殺した迦具土が、なぜ未だに自分達を殺せないのだ。よく考えれば、あの時己と美夏・美雪が無事であったのがおかしい。あれは無差別の攻撃であったはずだ。だというのに、己は火傷一つ負うことなく無事であった。それはなぜだ?

 そう言えば美雪が無事逃げおおせたのもなぜだろうか。迦具土が動けないと言っても、美雪は明らかに攻撃範囲内にいたはずだ。それを殺さなかったのはなぜだ?

 一つに気づけば、疑問は次から次へと思い浮かぶ。そして、一つの結論に思い至る。迦具土は徹と美雪を何らかの理由で殺すことができないのだと。理由はさっぱりだが、そう考えれば色んな事に納得がいく。

 

 「なら、やることは一つだな」

 

 殺されないならば手はある。考えてみれば、迦具土は徹に接近されることを極端に避けていた。美雪などは一度薙刀を届かせたというのに、徹は徹底して迎撃された。無論、武術の腕の差というのもあるだろうが、それだけだと時に接近していた美雪よりも、遠くにいた徹の迎撃を優先したことを説明できない。つまり、徹に接近されるのは迦具土にとって、何らかの不都合があるということだ。

 

 「とはいえ、どうしたものか……」

 

 『猿飛』では迎撃されるし、死んではいないといっても正直死に体もいいところである。次、迎撃されれば、攻撃自体では死ななくても結果的に死ぬ可能性も少なくない。体力も限界だし、全力で動けるのは最後になるのだろう。つまり、チャンスは一度だけだ。

 

 切り札である神剣再現の術は、命を薪にしても最早発動できるかも怪しい。その上ぶっつけ本番だ。なんと言っても命と引き替えの禁術なので、おいそれと試すわけにもいかない。なにせ神の剣を再現しようというのだ。唯の人間がどれだけ呪力を引き換えにしたところで、不可能な所業である。己の魂と引換にして、初めてその領域に届くのだ。噂に聞く魔王カンピオーネ程の呪力があれば話は別だろうが、少なくとも今の徹には無理な話である。それを知りながらも、美雪の提案を受け入れたのは、少しでも術の発動率を上げ、術の持続時間を延ばす為の苦肉の策に過ぎない。そこには好意などなく、どこまでも冷徹な計算の下で徹は動いていた。

 

 『もう諦めるがよい。これ以上やっても、意味は無い。いらぬ傷を増やすだけだとなぜ分からぬ?』

 

 迦具土の言葉がまたも響くが、それは徹の確信を深めさせるだけだった。『傷を増やす』、『殺す』とは言わない。いや、恐らく言えないのだと。

 

 「悪いがそういうわけにもいかないんだよ!」

 

 徹は『猿飛』を行使し、迦具土へと突っ込む。

 

 『愚かな、同じ結果だとなぜ分からぬ!』

 

 無論、それを見逃す迦具土ではない。炎弾が徹を跳ね飛ばさんと絶妙のタイミングで飛んでくる。確かにそれは完璧なタイミングであった。今までの徹の『猿飛』の術ならば、確実に外へと弾き飛ばすタイミングだった。

 しかし、今回に限っては違っていた。徹は炎弾がとんだ瞬間に着地し、再度『猿飛』を行使したのだ。それは炎弾を背に受けるタイミングとなり、彼を迦具土へ接近させる助けとなる。ここしかないと徹は腹を決める!

 

 「天之尾羽張、天羽々斬、天叢雲剣、日の本にありし数多の神剣よ 我が魂魄と引換に今一時その姿を顕わし給え!」

 

 徹の全身の力が吸い取られるように十拳剣に集っていく。剣身に一瞬の焔が走り、神剣はここに顕現する。徹の脳裏にその真名が自然と浮かぶ。後は斬るだけだ。

 

 「斬り裂け天之尾羽張!」

 

 『なんと!このような切り札を隠していようとはな!』

 

 さしもの迦具土もこれは予想していなかったらしい。慌てた様子で迎撃にでる。

 しかし、天之尾羽張は呪力で編まれたそれまで絶対不可侵であった防壁を紙のように切り裂き、迦具土へと迫る。勝ったと徹が勝利を確信した時、それは起きた。

 

 刃が迦具土へと入って行かないのだ。それまでの無類の切れ味が嘘であったかのように、剣は微動だにしない。それどころか、剣の姿が朧気になっていくではないか。

 

 「くそ、時間切れか……」

 

 『残念だったな、流石に死を覚悟したぞ。だが、天は最後に我に味方したようだな。ここまでされれば、貴様を殺すのに何の躊躇いもあるまいよ!』

 

 そう、なんのことはない。時間切れである。神剣の顕現を維持するだけの呪力が、徹には残っていなかったのだ。あらん限りの力を振り絞って剣を振り下ろそうとするが、やはり剣は微動だにしない。

 

 『素直に逃げておけば良かったものを……。神に挑みし不遜を悔いて黄泉へと逝くがいい。お前の妻が待っているぞ!』

 

 徹の周囲で炎が逆巻き、包み込んでいく。万事休すであった。

 

 「義兄さんー!」

 

 美雪の悲痛な叫びが聞こえる。ああ、死ぬのだなと思ったところで、何の熱さも感じないことに気づき目を開ける。視界に映ったのは想像とは全く異なる光景であった。十拳剣にお迦具土の炎が収束し吸い込まれていくではないか。変化はそれだけに留まらない。朧気だった剣が再び明確になっていき、ついにはその輝きを取り戻した。

 

 「こ、これは……」

 

 呆然としながらも腕は重力に従い動く。刃はするすると迦具土の肉体へと入り込んでいく。

 

 『なぜだ?!なぜこのごに及んで此奴をかばう。此奴は我等をお前をも殺そうとしたのだぞ。お前は自分を殺す手伝いをするのか?!』

 

 迦具土の悲鳴が絶叫が響く。その内容に徹はあることに気づき腕を止めようとするが、すでに時は遅し。その時には、迦具土を剣は両断していた。

 

 「明日香、お前なのか?私は……」

 

 『明日香』、それは徹と美夏の娘につけられるはずだった名。夫婦二人で頭を捻って考えだした祝福の名だ。そう、徹を守っていたのは迦具土の依代たる明日香の意思だったのだ。そして、徹に迦具土を殺害せしめたのもまた……。

 

 娘の名を呼び力尽きて倒れ伏せる徹を尻目に、迦具土は怨嗟の叫びを上げる。

 

 『こんなことがあっていいものか?!おお、口惜しや!我が、まつろわぬ迦具土たる我が、親子の絆に敗れるというのか?!親が子を思うように子もまた親を思うというのか?!唯の赤子が自身に向けられる刃を恐れず、親の命を選んだというのか?この様な結末を父である伊邪那岐に斬り殺された我に認めろというのか?!』

 

 「まあ、迦具土様ったら、死する時も激しくていらっしゃるのね」

 

 場違いな甘く可憐な言葉が響く。いつの間に現れたのか、声の持ち主は長い金髪を二つにわけ、白のドレス姿の蠱惑的な『女』であった。10代半ばにしか見えぬ可愛いという表現の合う童顔と体つきでありながら、どこまでも誰よりも艶かしい女であった。

 

 『おお、その方はパンドラか。忌まわしき災厄の魔女よ!汝が来たということは、我はこの神殺しに簒奪されるのか?!我が父と同じ大罪人に!ああ恨めしや!』

 

 「うーん、実際は凄い迷いましたのよ。この子あんまり私達の子に向いているとは思えませんでしたからね。でも、たまにはこういう一風変わった子もいいかと思いまして。それに後先考えないで突っ込む辺り、私達の子には相応しいでしょう。そういうわけで、やっぱり来ちゃいましたわ」

 

 『おのれ、捨て置けばよいものを!』

 

 「うふふふ、さあ神々よ、祝福と憎悪をこの子に与えて頂戴!6人目の神殺し---大いなる罪を背負いし魔王となるこの子に、聖なる言霊を捧げて頂戴!」

 

 『よかろう、観無徹よ。貴様に言霊を与えてやる!神は無しだという不遜なる姓をもちし、傲慢なる咎人の魔王よ!貴様は我が神滅の権能を簒奪せし最悪の神殺しとなる!我が子を殺して生き延びた己が運命を呪うがいい!我が子を殺して得た力を憎悪するがいい!我は貴様に負けたのではない!貴様の娘にこそ負けたのだ!貴様と次相まみえる時こそ、その魂ごと滅してくれようぞ!』

 

 

 

 

 美雪には何が起きたのか分からなかった。炎に包まれた燃え尽きたと思った徹が、迦具土の絶叫が響いた後に傷一つない綺麗な顔で倒れ伏していたのだから。体は依然としてズタボロだったが、血色はよくとても死にかけだった人間とは思えない。何がなんだか理解できなかった。

 

 迦具土の姿はなく、微塵の気配もない。その残滓を思わせる僅かな灰が徹の前に降り積もっていたが、すぐに風に溶けていった。ただ、なんとなく理解できた。義兄は本懐を遂げたのだと。最後の最後まで諦めず、夫として、父親として、最後の意地を通したのだと。

 

 

 

 

 ただの一般人であった人間は、転生し術者となり、この日再び転生し魔王となった。

 それが幸か不幸か、当の本人以外知る由もない……。




なんかやたらと長くなってしまいました。最初の一話で神を殺すところまで、入れようとしたのが失敗だったんでしょうか。その分、戦闘描写が皆無に近くなってしまいました。まあ、元より神にただの人間が勝てるわけ無いだろということで、ボロ負けさせるのは変わりませんし、負けるのを詳しく書いてもおもしろくないのではとかなりはしょりましたが、どうでしょうか?
とはいえ、無事魔王様になりましたので、次はきっちり書いていくつもりです。ただ権能一つですし、護堂みたく便利ではないのでこれからもしばらくは苦戦しそうですが……。


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#01.咎人の焔

 私は目を覚ましてすぐに自身がカンピオーネとなったことを理解した。私の耳に迦具土の憎悪の言霊がしっかり届いていたからだ。そして、もう一つ朧気に覚えていることがあった。どこまでも蠱惑的で艶かしい女、いや『養母』の言葉だ。

 

 生と死の間、アストラル界とも幽世とも言われる場所で、カンピオーネの最大の支援者たるパンドラはこう言ったのだ。

 

 『新しい息子である貴方には役目があったようね。もし、これからも貴方がその役目を全うしたいと思っているなら、すぐにでもその地を離れなさい。貴方が得たのは神滅の権能。それは数多の神と神殺しを殺してきたあの方と似て異なるものだけど、共通するものは少なくない。あの方の眠りを妨げる呼び水となるかもしれないのだから。それに私の子供である貴方達は、揃いも揃ってトラブルメイカーよ。そこにいるだけで騒動を引き起こす。何がきっかけになるかも分からないし、貴方があの方を眠らせておきたいと思うのなら、一刻も早くその地を離れなさいな』

 

 全てを覚えているわけではない。朧気に頭に残っているだけだ。それでも、役目を果たすならすぐにでもこの地を離れねばならないこと、カンピオーネはトラブルメーカーというのだけはしかと私の脳裏に刻まれていた。

 

 私は、私の覚醒を喜ぶ義妹を尻目にどうすべきかと考えを巡らせた。

 現存するカンピオーネは、なりたての私を含め6人。役目上、彼らの情報を積極的に収集したが、いずれも劣らぬ曲者である。

 

 バルカンの魔王『ヴォバン侯爵』は数多の神を殺した古強者であるが、暴虐の王として名高い。

 江南の『羅濠教主』は方術・武術双方の奥義を極めし尊敬すべき人物だが、人格的に問題がある。

 アレキサンドリアの『アイーシャ夫人』は100年以上の隠棲の真っ最中で、何を考えているかも不明だ。

 コーンウォールの『黒王子アレク』は魔道の造詣も深き王だが、ひねくれ者で自身の探究心を満たすためならば手段を選ばない悪癖がある。

 ロサンゼルスの守護聖人『ジョン・プルートー・スミス』は比較的真っ当な部類だが、派手好きの仮装ヒーローである。

 

 上3人は論外としても、下2人もお付き合いはご遠慮させていただきたい部類の人間だろう。少なくとも私は好き好んで関わろうとは思わない。

 だが、不幸なことに私は彼らと同格の存在になってしまった。同類とは思いたくないが、全てが終わった今、己の所業を冷静になって思い返してみれば、後先考えないどころの話ではない。誰かにも指摘された覚えがあるし、私にも彼らと同様の資質があるのは認めたくはないが事実なのだろう。

 

 である以上、今は一刻も早く身を隠し、この地を離れるべきだろう。

 なにせ、10にも満たない御同輩である。存在を知られたが最後、好奇心でちょっかいを出してくる輩もいないとも限らない。それにカンピオーネの力と権威を利用しようとする輩も、雲霞のごとく湧くだろう。正直、今回のことで魔術結社の類にはほとほと愛想が尽きたし、今回の原因の一端である四家に力を貸す気にもなれない。ならば、私の存在を知っている目の前で百面相している義妹と共に、姿を消すのが最上の手段だろう。

 

 「美雪、今すぐ現金とパスポート、それに当座の着替えを用意しろ」

 

 「え、義兄さん、いきなり何を言い出すの?」

 

 「今すぐとはいかんが、早急にこの国を離れる」

 

 「な、なんでいきなり?!」

 

 「これだけ派手にやらかしたんだ。あの屑共がどれだけ巧妙に隠蔽したとしても、事は正史編纂委員会に近く露見するだろう。だが、事の詳細を調べようにも肝心の当事者は尽くが死んでいるし、儀式場も跡形も無い。そうなれば神楽家唯一の生き残りであるお前に否応無く矛先が向かうだろう。そうなれば、私のことも露見しかねん」

 

 「た、確かにそうね。それは避けられないか」

 

 「幸か不幸か、生き残ったのは私達だけだ。真相を知る者は他にない。お前は神楽家の当主として、両親と弟子達が無断で神招来の儀式を行い、失敗で全滅した旨を上に報告しろ。それ以上は、説明する必要はない。報告を終えたら、すぐさま旅行の準備をしろ。長い旅になるだろう。当分日本には帰ってこれないと思え」

 

 「分かった。私は反対したけど、私抜きで強行した結果失敗したと報告するわ。強行を知って慌てて止めに行ったけど、手遅れで一族は全滅。儀式場も跡形もなかったと」

 

 「それでいい。どうせ、調べたところで何も分からないだろうからな。一応言っておくが、断ってくれてもいいのだぞ。私がカンピオーネになったことさえ黙っていてくれるのなら、お前は日本に残っても一向に構わないのだからな」

 

 私は親切心で言ったつもりだったのだが、それは美雪の矜持を大いに傷つけたようで、凄まじい顔で睨みつけられる。

 

 「義兄さん、本気で言っているのだとしたら、私を侮辱しているわ。私にも秘巫女としてのプライドと責任があるの。何よりも、こんなことを仕出かした神楽の最後の生き残りとして、私には義兄さんという魔王の行く末を見届ける責任がある!」 

 

 「す、すまん、私なりに一応お前のことを思ってだな…「余計なお世話!」…それは酷くないか?」

 

 「全然酷くないわよ!もう義兄さんは魔王様なんだから、ただ命じればいいのよ。俺について来いってね。

 ……それに、もう私の気持ちに気づいているでしょう?」

 

 「気づいてはいるが、応えるわけにはいかん。理由は説明しなくても分かるだろう?」

 

 流石の私も、美雪の気持ちはもう理解している。彼女が美夏との新婚生活を邪魔しに来ていたのは、私の勘違いでもなんでもなかったわけである。ただ、最愛の姉美夏を奪われた意趣返しだけではなく、秘めたる私への思慕も理由であったというわけだ。彼女の気持ちは嬉しい。一人の男として冥利に尽きるし、誇らしい思いもある。

 だが、それでも美雪を受け容れるわけにはいかない。私の中には未だ消えることない亡き妻美夏への想いがあるし、今まで可愛らしい義妹としか思っていなかった16の少女をいきなり女として見るのは難しかった。

 しかも、己は少しでも術の成功率と持続時間を上げるためだけに、美雪の処女を捧げさせた外道である。言い出したのが彼女とはいえ、受けいれたのは私なのだから、何の言い訳にもならない。そんな私に彼女の思いに応える資格があるとは思えないのだ。

 

 それに何よりも、今回のことで己の中に生まれた「己には女を幸せにできないのではないか」という思いがある。美夏も明日香も、そして他ならぬ美雪自身も、守りきれず不幸にしたのは己ではないかと。もっと調べてからいけばとか、無理矢理にでも付いて行けばとか後悔は尽きないし、結果的にとは言え、娘である明日香を殺したのは紛うことなき己自身である。斬り裂いた時の感触は今も手に残っている。生涯、消えることはないだろうし、それでいいと私は思っている。私は知らぬとはいえ妻を殺す手伝いを間接的にしているし、その妻の忘れ形見である娘すらその手にかけた大罪人だ。そんな私に誰かを幸せにできるとは思えないし、その資格もないだろう。

 

 「義兄さん、それでも私は!」

 

 「美夏が死にその忘れ形見である明日香を手に掛けた時、お前の想い人である『観無徹』という男は死んだのだ。今、ここにいるの魔王(カンピオーネ)『神無徹』だ」

 

 自分で口に出して、なんとなく納得できてしまった。なるほど、最早ただの人間であった己はもうどこにもいないのだ。今、ここにいるのは憎悪と怨嗟、そして血に塗れた闘争の王。神殺しの魔王なのだと。

 

 「義兄さん……」

 

 「もう義兄とは呼ぶな。お前の義兄は死んだのだ。妻子を守りきれなかった無念を抱えて、迦具土の焔に焼かれて死んだのだ」

 

 「いやよ、そんなの認めない!たとえ義兄さんが否定しても、貴方は私の義兄さんで、私と姉さんが誰よりも愛した人よ!」

 

 私の宣言に頑として頷かない美雪。絶対に退かないという意思が全身から溢れており、私は条件付きで折れることにした。

 

 「はあ、好きにしろ。そこまで言うのなら強制はしない。但し、他者がいるところでは控えるようにな。私とお前の関係からよからぬことを考える輩がでんとも限らないからな」

 

 「分かった……ううん、御意に御座います。なれば主様も、その時はこの身を御身に仕える端女として、扱い下さい」

 

 承諾してくれたかと胸を撫で下ろしたのも束の間、美雪の言葉遣いががらりと変わりとんでもないことを言い出したではないか。

 

 「お、おい待て。なんだその仰々しい言葉遣いは。そういうの要らないから!」

 

 「何を言っているの!こんなの当然でしょう。義兄さんはもう紛うことなき魔王なのよ。そんじょそこらの魔術師とはわけが違うんだから」

 

 「いやいや、そういうのは欲しくないから。頼むから普通に喋ってくれよ」

 

 「ええー、あれだけ只の人間だった自分は死んだと言っておいて、それはないんじゃないかしら?ここにいるのは魔王様なんでしょ、主様」

 

 これもかと言わんばかりの勝ち誇った美雪の笑顔に、私は白旗を上げるほかなかった。弱いとか情けないとか言わないで欲しい。ただの一般人でしかなかった私がいきなり王侯貴族のような扱いをされて、耐えられるはずがあろうか。いや、ない!

 

 「悪かった、私が悪かった。条件なんてつけないし、今までどおりでいいから、その言葉遣いは勘弁してくれ。私は美雪のような生粋のお嬢様とは違うんだよ。なんというか蕁麻疹がでそうだ」

 

 そう、これでも美雪はれっきとしたお嬢様である。京の術士の名門神楽の跡取り娘として、蝶よ花よと育てられた生粋のお嬢様だ。それでいて、巫女としての厳しい修行も積んできているのだから、養子でしかない私とは純度が違うのだ。

 

 「ふふふ、この程度で蕁麻疹とか。義兄さん、そんなんでこれからやっていけるの?知られていない今はいいけど、一旦魔王だとばれたら魔術師は皆こんな感じだよ。それどころか傅かれたりすると思うんだけど……」

 

 私が魔王であることを知られてはならない理由が増えた。これは是が非でも隠し通さねばならない。

 

 「絶対に隠し通さないとな!」

 

 「気合入れてるところ悪いけど、無駄な足掻きだと思うけど?」

 

 一人気合を入れる私に、水をさすように美雪がポツリとこぼした。

 

 「なぜだ?」

 

 「いくら真相を知るのが私達だけといっても、義兄さんが権能を使えば、嫌でも分かるわ。それに使わなくても感知や霊視に優れた者なら、容易に義兄さんの正体を暴くでしょうね。なにせ今の義兄さんの呪力は文字通り桁が違うもの」

 

 「そ、そんなにか?」

 

 「多分、自分のことだから分かりにくいんだと思うんだけど……。そうね義兄さん、私と自分の呪力を比べてみて」

 

 言われるがままに目を閉じ、自身の呪力を感じようとする。好調なような気はするが、いつもどりの量に思える。しかし、それが大きな間違いであるとすぐ理解することになった。自身のそれと比べると、美雪の呪力が余りにも心もとなく思えたからだ。かつて回復した上で万全な状態の私の3倍近くの呪力を誇った美雪にも関わらずだ。どうやら、感覚も盛大に狂っているようだ。魔王に新生するとは思った以上に厄介なことのようだ。

 

 「……」

 

 言葉をなくし黙りこむ私に、美雪はしょうがないなといわんばかりの表情で盛大に溜息をつき、私を励ますように肩を叩いた。

 

 「大丈夫、義兄さんには私がついているわ。京の切り札『秘巫女』たる私がね。できる限りの隠蔽策は講じるし、とはいえカンピオーネ程の呪力を隠すものなんて……いえ、よく考えたら術開発は義兄さんの十八番じゃない。ないなら作ればいいじゃない!カンピオーネの莫大な呪力を使って、隠蔽術式でも組み上げればいいのよ」

 

 「おお、確かに!いや、それどころじゃない!よく考えれば前の比じゃない呪力があるんだし、今まで呪力の問題で諦めていたこれとかあれとかの術も実現可能じゃないか!」

 

 まさに目から鱗であった。そうだ、ないなら作ればいいじゃないか。無論、簡単ではないが、この余りある呪力があれば、ある程度の力技も不可能ではないだろう。久方ぶりに術者としての血が騒ぎだし、私の意識はすっかりそっちへと行ってしまった。

 

 「うわ、久々に見たわ。義兄さんのこの状態……。ハア、この術マニアめ」

 

 などと義妹が呆れた様子で溜息をついているなど、私はついぞ気づかなかった。

 

 

 

 

 「本当にいいのか?」

 

 義兄は再度確かめるように私は問うた。心配そうに私を気遣うような表情は、この人が世界に6人しかいない神殺しの魔王であることを忘れさせる程にどこまでも真摯なものだ。

 しかし、実際には義兄は紛うことなき魔王だ。忌むべき羅刹王の化身にして闘争の王。本来ならば秘巫女であり魔術師の端くれである己は傅かねばならない相手なのだ。そんな存在に義兄と呼ぶことを許され、気遣われているというのだから、自分は何様だろうと私はその滑稽さに可笑しくなった。

 

 「ええ、全て灰にしてやって。神楽の罪も術も全て私が持っていく。後には何も残さない」

 

 私は迷いなく言う。義兄が目覚めてから早一週間。私達は後始末におわれていた。並行して旅の準備もしたのだから、その忙しさは筆舌に尽くし難い。幸いパスポートは以前に取得したものがあったし、着替え等の準備はそんなに大変ではなかった。逆に問題だったのは、組織の上に対する報告と正史編纂委員会の事情聴取である。知らぬ存ぜぬを通したし、何よりも私抜きで儀式が強行されたのは事実なのだ。真偽を確かめる読心能力者がいたとしても、裏の事情までは見抜けはしない。半日余りの拘束時間こそあったが、私は目論見通り解放された。これに実質丸一日潰されたのは、中々に痛い時間のロスであった。

 さらにきつかったのは、うちの屋敷で雇っていた使用人達の処遇だ。全部で、20人余り。世話すべき人間が私以外いなくなった上に、その私もこの地を離れるのだから、最早必要のない労働力である。彼らをどうするかは私も大いに迷った。なにせ、小さい頃から面倒を見てくれた人も少なくないのである。住込みの者もいたし、いきなり放り出すのはいくら何でも気が引けた。私は秘巫女としての人脈と神楽家の人脈をフルに使い、どうにか彼らの次の職場の都合をつけた。時間の大半がこれに費やされたしそれなりに資金も使ったが、必要なことだったし後悔はしていない。

 

 一方早々に旅の準備を終えた義兄は、呪力隠蔽の為の術開発に時間の大半を費やしたそうである。それなりの成果はあったらしく、今や平均的な魔術師程度の呪力しか感じ取れないのだから恐れ入る。僅か一週間で、カンピオーネの呪力を隠蔽する術を開発しようとは。いくら元となる術式があったからとはいえ、尋常ではない所業である。正直、カンピオーネでなくとも、この人は十分規格外だと私は思う。

 

 「しかし、ここにあるのは罪だけじゃない。いい思い出もあるんだろう?」

 

 「それでもよ。いえ、そうであるからこそ、ここで失くすべきだと思うの。その思い出を汚さない為に!」

 

 再度の確認に私は断固たる口調で答えた。最早遠慮は無用であると。義兄も私の決意のかたさを感じ取ったのだろう。一つ溜息を付くと、手を屋敷へとかざした。

 

 「我は炎、神を殺し娘を殺せし、許されざる原初の咎人。全てを滅ぼす原初の破壊の焔なり!」

 

 それは神々の詔であったはずの聖なる詩句であったもの。義兄はそれを自己のものに改変し、高らかに謳う。なんと冒涜的な詠唱であろうか。なんと苦悩と悲哀に満ちた声だろうか。義兄は神々に対し己が神殺しであると名乗りを上げ、同時に自身の咎に今この時も苦しんでいるに違いない。私は、知らず涙していた。

 

 しかし、次の瞬間、それを吹き飛ばすかのように爆発的な呪力の高まりを感じ、世界が白く染め上げられる。あまりの光量に目を開けていられず、思わず目を瞑ってしまった程だ。

 

 「ヤバ、初めてだったから加減が効かなかったか……」

 

 聞き捨てならない義兄の科白が聞こえたので、恐る恐る目を開けた私はその惨状に絶句した。そこには何もなかった。屋敷があったはずの場所は根こそぎえぐれているというか、巨大なクレーターになっている。それが凄まじい火力の仕業であったことは、ガラス化した地面が物語っていた。

 

 これが義兄が迦具土より簒奪した権能。これが魔王カンピオーネの力。なるほど、勝てるはずがない。これだけの惨状を作りだしながら、義兄は何の疲れも見せていないのだから。

 しかし、これなら何の心配もいらないだろう。間違いなく何も残っていまい。最早、ここから何かを調べ出すことは不可能だろう。正史編纂委員会とうちの組織が、どれだけ調べようと無駄だろう。あの外法と邪法の数々は葬り去られ、すでに私の頭の中にしか無いのだから。

 

 「美雪、早々に逃げるぞ!」

 

 「えっ?」

 

 一人考えにふけっていると、正気に戻すように義兄の声が響く。どこか慌てた様子すらある。

 

 「初めて使ったせいか、加減が効かなかった。予めはっておいた隠蔽とかの結界ごと燃やし尽くしてしまったんだよ!つまり、ここで起きた呪力の反応は感づかれているということだ!おまけに急造だったせいか、自身にかけた隠蔽術式までぶっ壊れている。今、踏み込まれたら、確実にばれる!」

 

 「ええー!」

 

 とんでもないことを言い放つ義兄に、私は蒼白になった。いくら、京の連中が間抜けでも、ここまでの呪力の爆発を見逃すはずがない。すぐにでも、近くの術士が来るだろう。儀式場の現場検証をしている正史編纂委員会だって気づいただろう。今すぐに逃げなければ、国外に出ることすら困難になるだろう。

 

 「とにかく逃げる!捕まれ!」

 

 「何やっているのよ!義兄さんの馬鹿ー!」

 

 私の文句を尻目に、私を抱え上げ『猿飛』の術を使う義兄。カンピオーネの呪力で使われたそれは通常のものとは比べ物にならない推進力とスピードを生み出す。たちまちに遠ざかる屋敷跡を見ながら、カンピオーネがトラブルメーカーであることを私は嫌というほど実感するのであった。 



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#02.神滅の魔王

ええ、まずはお詫びを。前回、予約投稿の設定ミスで完成前のものを掲載してしまいました。心からお詫び申し上げます。


 【21世紀初頭に確認されるまで、長らく不明であった六人目のカンピオーネについて書かれたであろうある魔術師の手記】

 

 私がその魔王と出会ったのは、本当に偶然だった。所属する魔術結社から、北欧に突如出現した神獣らしき巨大な狼の調査を命じられ、単独で急行した際のことだ。巨大な呪力のぶつかり合いを感じ追跡していた私は、突如その気配が消えるのを感じ取り足を止めた。ここで原因を考えることなく、現場に急行していれば、かの魔王の残滓は感じ取っても会うことはなかったであろう。

 

 しかし、私は不幸にも足を止めてしまい、結果予期せぬ魔王との謁見に望むことになってしまった。思わず足を止め、己の考えに耽っていた私の思考を断ち切るように突如魔王は現れた。魔王は美しい黒髪の巫女を従えた東洋人だった。特段、美男子というわけでもないが、不細工というわけでもない。強いていうならば、平凡な顔立ちというべきだろう。ただ、滲みでる雰囲気がどこか陰を感じさせる青年であった。

 私は最初彼が魔王であるなどと露程に思わなかった。私同様に調査に急行した他の魔術師だろうとあたりをつけ、協力若しくは情報提供を求めるつもりでいた。彼等の身なりは薄汚れていたし、服はところどころが裂け、いくつかの傷も見えることから、彼等が調査対象と交戦したであろうことを察していたからだ。私はこれでも大騎士の位階にあり、それなり腕の覚えもある。とはいえ、神獣と真っ向勝負をしたいとは思わない。だから、少しでも情報が欲しかった。応じないなら少々強硬な手段をとることも辞さないつもりですらあった。

 

 今になって考えれば、その不埒な考えを魔王に感づかれたのかもしれない。彼等カンピオーネは異常なほどに勘が鋭いことでも知られているから、そうであっても不思議はないだろう。どこか疲れたような表情は一変し、莫大な呪力が瞬時に空間を埋め尽くしたのを私は感じた。私は自身の生存本能の命じるままに、できうる限りの防衛術を己にかけた。そして、かの魔王は私を認めると億劫そうに手を私に向けた。私はその時の衝撃を生涯忘れないだろう。思わず目を閉じるほどの白い閃光が起こり、私が張り巡らした術の全ては一瞬で霧散したのだ。それにもかかわらず、私の体には何の外傷もないのだから。何が起きたのかさっぱり分からなかった。後に気づいたことだが、身に着けていた護符なども総じて損壊していたので、あれは神秘か其れに類するものを破壊する権能なのだろう。

 

 一瞬とはいえ感じられた底が見えない莫大な呪力と理解できない未知の事態に恐怖し、私はその場で凍りついてしまった。平凡そうな青年は最早どこにもいない。目前にいるのは横溢した呪力を宿し、数多の権能を使いこなす歴戦の魔王だ。彼がここにいるということは私の調査対象を滅ぼしたところなのだろう。私など一瞬で薙ぎ払える魔王はただ一言私に命じた。

 

 「今、見たことを誰にも話すな。お前はここで誰にも会わなかった。いいな?」

 

 「破ればどうなるかは分かりますね?」

 

 そう付け加えたのは、黒髪の巫女だ。長い髪をポニーテールにした美しい少女であったが、私はその眼の冷徹さに怖気すら覚えた。彼女は私が王命を破れば、すぐさま私の命の灯火をかき消すであろうことは考えるまでもなく本能的に理解できたので、私は一も二もなく頷いた。

 

 魔王はそれを退屈そうに見やると、次の瞬間白銀の巨狼へと変身した。私が驚愕でへたり込んでいるのを余所に、巫女をその背に乗せた巨狼はあっという間にその姿を消した。

 

 恐らくはあれも権能であったと思うのだが、ヴォバン侯爵の『貪る群狼』とは些か趣の異なる権能であったように思う。もっと酷薄で寒々しいものを感じたのだ。あれはきっとよくないものだ。

 私は結局今に至るまでその勅命を護り続けている故か、幸いにも私とかの魔王の出会いはこの一度のみだ。だが、私は今も思い出す。かの王の極寒の覇気を、終末を思わせる雰囲気を。ヴォバン侯爵が暴君ならは、かの王は……。(手記はここで破かれ、血に染まっている) 

 

 

 

 『カンピオーネはトラブルメーカー』

 

 分かっていたことではあったが、実際に身近で体験してみるとそれは比喩や誇張ではない。彼等はただ存在するだけで、呼吸するように騒動を巻き起こし、厄介事を呼び寄せる。生ける災厄そのものだとすら美雪は思っていた。

 

 「私、よく生きてるよね……」

 

 その声には切実な響きがあった。実際、そう思うのも、どこか万感がこもっているのも、どこか疲れ切って表情で哀愁を漂わせているのも無理はない。美雪が義兄でありカンピオーネである徹と共に世界を旅したこの二年間で、彼女が死の危険に瀕したのは一度や二度ではないからだ。ぶっちゃけ両手の指の数よりも多いのだから、仕方のないことだろう。

 

 「行く先々で神とか神獣とか遭遇するし、義兄さんが来た途端騒動が始まったりするんだから、これはもう呪いというか、宿業とでもいうべきね」

 

 深々と溜息をつく美雪。声には諦観の色が深い。

 

 「ははは、いやー話には聞いてけど、実際にはそれ以上だな」

 

 徹は乾いた笑いをもらすほかない。実際、ありえないほどの騒動に巻き込まれ、待ち構えていたかのようにまつろわぬ神と遭遇するのだ。 

 なにせ、徹がカンピオーネになって以来、滅ぼした神の数は9柱にものぼるのだから……。

 

 「どうやったら、たった二年の間に9柱ものまつろわぬ神と遭遇できるの?正直、確率にしたらありえない数字でしょうに。

 しかも、それだけの神を滅ぼしておきながら、簒奪できた権能は僅か一つだけなんて」

 

 「そうは言うが、仕方ないだろう。正々堂々とか趣味じゃないし、何より命あってのものだねなんだ。新しい権能よりも安全さ。卑怯結構、不意討ち上等じゃないか」 

 

 カンピオーネとなる為には、ただ神を殺すだけでは駄目なのだ。神殺しの母たるパンドラを満足させ、己が養子にしたいと思わせるだけの勝利が必要なのである。そして、これはカンピオーネが新しく権能を得るときも同様のことが言えるのだ。

 

 そこをいくと徹は、この二年間1柱たりとも正々堂々と戦おうとしなかった。ある時は罠にはめ、あるときは不意を討ち、またある時は相手の射程距離外からの一方的な飽和攻撃等、彼はお世辞にも褒められた勝ち方をしていない。はっきり言えば、勝つ為なら手段を選ばなかった。まあ、これは自身がカンピオーネであること秘匿すると同時に、同行者である美雪をできうる限り危険に晒さないためでもあったのだが……有り体に言ってやり過ぎであった。

 

 その徹底振りは、パンドラから直々に忠告というか、注意される程であった。徹は覚えていないが、あまりの所業にあのパンドラを呆れてさせたほどなのだから、その所業おして知るべしである。

 

 そんな徹も奇跡的に1柱とはそれなりの戦いを繰り広げ、新たな権能を簒奪することに成功したのだが、それだって結果的にそういう状況に追い込まれたのが、たまたまいい方向に働いての話である。

 

 「義兄さんの言いたいことは分かるけど、でもやっぱり効率悪すぎじゃないかな?先達の王達は複数の権能を持っているのに、義兄さんときたら……ハア」

 

 美雪は他の魔王達との差を思い、深々と溜息をついた。

 美雪自身、義兄がカンピオーネになったことについて深く関わっており、複雑な想いがあるが、なった以上はやはり強くあって欲しいのだ。なにせ今の彼女は義兄に仕える巫女を自認しているし、最愛の男には最強であって欲しいとも望んでいるからだ。

 

 だが、肝心の徹の反応はつれないものであった。

 

 「そうは言うがな。実際、パールヴァティーの時は勝てたのが不思議なくらいだったからな。私は流儀を変えるつもりはないよ。勝てば官軍だろ?」 

 

 実際、その時は権能を一部とはいえ無効化され、絶体絶命の状況だったのだから、徹の言は無理もないことである。

 

 パールヴァティー、「山の娘」を意味する名を持つヒンドゥー教の女神で、ヒンドゥー教の3最高神の一柱にして破壊を司るシヴァの妻でもある。実はかの神は非常に徹との相性が悪かったのだ。

 

 この時、徹が所持していた権能は唯一つ、迦具土より簒奪せし炎の権能なのだが、この炎というのが曲者であった。パールヴァティーは、神話によればシヴァの最初の妻サティーの転生とされているのだが、この転生のきっかけとしてサティーは焼身自殺をしているのである。

 

 まつろわぬ神は神話に縛られるがゆえに、その神話に由来する権能を持つ。つまり、パールヴァティーは炎による新生という凄まじい権能をその身に秘めていたのである。しかも、徹の所持する唯一の権能は炎を攻撃手段とするのであるから、かの女神との相性は言うまでもなく最悪であった。

 

 実際、徹は驚愕させられ、散々に苦労させられた。顕現したばかりのパールヴァティーの不意をつき、最大火力で葬り去ったと思いきや、かの女神は火傷一つ無い美しい裸身で何事も無かったように立っているのを見せ付けられて……。

 それからは酷かった。パールヴァティーは、ドゥルガーやカーリーとも同一視される為か、そちらにも自在に変化し、徹は実質3柱の神と代わる代わる戦うことになったのだから、たまらない。必殺のはずの自身の権能は、女神の転生の権能に阻まれるし、ドゥルガーの対抗策を見つけたと思えばカーリーにかわられるなどされ、攻めるも護るも困難な状況に追い込まれた。

 

 文字通り絶体絶命であった。あの土壇場で愛娘の予期せぬ助けがなかったら、私はここには立っていないであろう。正直、今でも徹自身勝てたのが不思議なくらいであるから、それがどれほど危機的状況であったか想像は容易であろう。

 

 「実際に戦うのは義兄さんだし、ほとんど何もできない私がこんなこと言える筋合いじゃないのは分かっているけど……」

 

 美雪とて、徹の言い分はよく理解できる。実際、神獣ならともかく、神に対して手加減はおろか手段など選んでいられないというのは、嫌というほど分かっているのだ。なにせ、彼女は常に徹の傍らに侍り、数多の神と相対してきたのだから。

 だが、それでも尚強く王らしくあって欲しいというのが、美雪の偽らざる本音であった。

 

 「あまり自分を卑下するな。美雪がいたからこそ、今まで勝ってこれたんだと私は思うぞ」

 

 「そんなことない。私にできたのは精々が時間稼ぎか、占いくらいじゃない。そんなものなくても義兄さんは勝てたわよ。

 ううん、それどころか、私という足手まといがいなければ、義兄さんはもっと楽に勝てたはずよ。いえ、もしかしたら、今よりもっと沢山の権能を簒奪していたかもしれない」

 

 元気付けるように徹は言うが、美雪には慰めにはならない。吐き出された言葉に力はなく、自己嫌悪の色が濃い。

 

 京の切り札『秘巫女』としての矜持が、かつての美雪にはあった。だが、徹と共に世界を回る内にそんなものは粉々に砕かれてしまったのだ。上には上がいるのだ。まつろわぬ神がふるう凄まじい力やカンピオーネの行使する権能に比べれば、彼女の使う術などあってなきが如しなのだということを、これ以上ないほどに現実で理解させられてしまったからだ。

 無論、美雪とてその凄まじさと力の差は、知識としては理解していた。だが、同時に少しくらいは対抗できるのではないかという思いもあったのは否定出来ない。まあ、それが幻想でしか無いというのはこの二年間で嫌というほど、美雪は思い知らされたのだが……。

 そんな美雪が力になれたことといえば、巫女として事前に卜占や霊視で神のことを調べたりすることくらいだ。神と相対することになれば、彼女ができるのは精々できて時間稼ぎがいい所である。しかも、それですらまつろわぬ神が彼女に価値や脅威を見出していないからこそできることであり、つまるところ遊ばれているに過ぎないというのだから、美雪が自信喪失するのも無理もないことであった。

 

 「やれやれ、権能が増えなかったのはお前のせいじゃないし、お前がいなきゃ倒せない神だっていたんだ。それに何より、今日まで私がカンピオーネであることを隠せてきたのは、お前のおかげなんだぞ。だから、そんな風に言うのはよせ。

 大体、そんなに沢山権能あっても使いこなせないって。9柱倒してやっと迦具土の権能を完全に掌握した感じなんだからな」

 

 徹の言は嘘ではない。実際、美雪の助けがなければ危ういところも幾度もあったし、何よりも今日までカンピオーネであることを秘匿してこれたのは、偏に美雪のおかげであった。美雪が隠蔽の為に手をつくし、時には己を囮にすらしてきたからこそ、秘密は守られているのだから。

 

 権能についても嘘はいっていない。今でこそ燃やしたいものだけ燃やすという芸当すらできるが、最初の頃はやりすぎてしまうことがほとんどであった。周りに被害を出さないなんて芸当は不可能で、死者こそ出したことはないとはいえ傷害や器物損壊は数知れず、これまでの所業が明るみに出れば国際指名手配されても文句は言えないだろう。たった一つの権能ですらこれなのだから、複数の権能などどれほどの大惨事になるか、徹は想像したくなかった。

 しかも、カンピオーネの権能というのは、戦場と実戦でしか磨かれないという時代錯誤で物騒な代物である。普段使ったところで、大して磨かれることはない。というか危なかしくて、そもそもおいそれとは使えないのだが、徹の戦い方があれなせいもあってか、何よりも重大な思い違いをしていたことから、中々全てを掌握するに至れなかったのだ。

 

 今は権能の本質を理解しているし、そんじょそこらの神に遅れをとるつもりはないが、美雪の助けなくして、己が今日まで生き延びることはできなかったであろうというのは、紛う事なき徹の本心である。 

 

 「そう言ってくれるのは嬉しいけど、それでも、やっぱり私は……」

 

 実のところ、美雪とて徹が慰めなどではなく本心から言っていることは理解している。だが、それでも己の無力が、義兄の庇護対象でしかないという現実が彼女には受け容れられなかった。

 なぜなら、美雪は守られたいのではない。義兄の隣に並び立ち、必要とされる存在でありたいのだから。 

 

 

 

 

 「ああ、くそ!またか!」

 

 逢魔が時、暮れなずむ夕日の下に見える人外の美しさを持った偉丈夫の姿に、私は思わず毒づいた。逢魔時(おうまがとき)大禍時(おおまがとき)とも言われる黄昏時だが、よりにもよって今、その名の意味を具現化させなくてもいいだろうに。

 

 ネガティブな思考に支配された義妹の気分転換になればと思い、選んだ北欧への骨休めの旅。心安らかに過ごさせてやろうと思い、人里離れた深い森で森林浴を楽しんでいたのだが、その帰路でとんでもないものを発見してしまったのだ。

 最古参の東欧の魔王『ヴォバン侯爵』と新参のイタリアの魔王『剣の王サルバトーレ』、そして英国の魔王『黒王子アレク』、己以外のカンピオーネと間違っても遭遇しないように最大限配慮したつもりだったのだが、とんでもない藪蛇であった。

 

 「同類のカンピオーネを避けたら、天敵であるまつろわぬ神と遭遇するとか呪われているとしか思えんな……」

 

 「全く同感だけど、義兄さん落ち着いて。まだ私達の存在はばれていないはずだから」

 

 美雪に諌められて、少し落ち着く。そうだ、冷静にならなければならない。まつろわぬ神であろう偉丈夫がこちらに気づいた様子は幸いにもない。美雪の言う通り、巨大な呪力の反応を察知して、咄嗟に使った隠形の術は有効なようだ。

 

 「とはいえ、油断はできん。連中の感覚は異常だからな。いつまでもばれないというのは楽観視がすぎるだろうな」

 

 「それはその通りだと思うけど……。どうするの、義兄さん?他の魔術師に助力を求めようとしても伝手がないし、大体逃げるにしても、少しでも動いたら感づかれると思うけど」

 

 美雪の言うことはもっともである。本来、まつろわぬ神を見つけたらといって、戦う必要などこれぽっちもない。こういってはなんだが、故国でもない旅先なのである。非情だと思われるかもしれないが、守る義理も義務も存在しないのだ。精々、現地の魔術師若しくは魔術師の組織にその存在を報告して、丸投げするのが正しい対処法である。まして、私のように正体を隠しているなら、尚更である。

 

 

 「はあ、他のカンピオーネの縄張りを避けたのが仇になったか。もし、連中の縄張り内なら、何の気兼ねもなく丸投げできたんだがな」

 

 まあ、その場合カンピオーネに絡まれるという別の厄介事を引き起こしそうではあるが……。

 

 

 「その場合でも絶対に騒動になったと思うから、諦めた方がいいと思う。というか、私はもう諦めてる。義兄さんといる以上、必ず厄介事に巻込まれるか、騒動になるって」

 

 私のぼやきに、美雪は悟った様な表情で、深い諦観の色を滲ませてそんなことを言ってくる。

 

 「失礼な!好きで巻込まれてるんじゃないし、好んで騒動を起こしているわけでもない!連中が勝手に寄ってくるんだ!」

 

 私は不満も露に反論した。確かに行く先々で、厄介事や騒動に巻き込まれていることは否定出来ないし、反論もできないが、そうだとしても私にとて言い分がある。誓って言えるが、一度として進んで厄介事に首を突っ込んだことなど無いし、騒動を自ら引き起こしたこともない。むしろ、厄介事や騒動が勝手にこちらにやって来るといったほうがいいだろう。

 

 「……ええ、そうね」

 

 「待て、その間はなんだ?!そのしょうがないなあと言わんばかりの優しげな表情をやめい!」

 

 なんとも言えない表情で美雪が苦笑し、柔らかに微笑む。なにかいいようにあしらわれている感があり、どうにも腑に落ちないものがある。

 

 「……って、こんなことやっている場合じゃないな。気づかれたか?」

 

 私達の口論を余所に、現実は無情にも流れている。私と美雪は思わず身を固くした。なぜなら、いずこの神とも知れぬ偉丈夫は、警戒感を露にして周囲を見回していたからだ。

 

 「それにしては様子が変よ。どこか怯えが見えるような気がするし……。大体、察知されていたら、問答無用突っ込んでくると思うけど」

 

 「ふむ、何かがいるのは分かっているが、どこにいるのかまでは特定できていないといった所か。ならば、殺るなら今だな」

 

 「待って、義兄さん!まさか、ここで権能を使うつもりなの?そんなことしたら、逃げるどころか、義兄さんの嫌いな真っ向勝負になりかねないよ?」

 

 慌てた様子で私を制止する美雪だが、私はすでに心を決めていた。

 

 「ここで逃げようとしたところで、どの道見つかるんだ。そうなったら最後、野郎は私を標的として一目散に突っ込んでくるだろうからな」

 

 まつろわぬ神は、カンピオーネを目の敵にしている。というか、普通の人間など眼中にないのだ。良くも悪くも神々は強すぎ、その感覚は人と隔絶しているのだ。まあ、神を殺した者がカンピオーネなのだから、それを天敵とする神々の気持ちもわからないわけではない。だが、一方で普通の人間に価値を認めないというその感覚は承服しがたい。魔術師であろうが、巫女であろうが、一般人であろうが関係ない。神々にとって、皆等しく興味がなく価値がないのだ。つまり、彼らは自らを脅かす者『カンピオーネ』にだけ価値を認め、劇的に反応するのだ。

 

 「美雪は隠形術の維持に全力を尽くしてくれ。私は呪力を練る。最大火力で一撃で滅してやる」

 

 「わ、分かった」

 

 静かに呪力を高める私に止めても無駄と悟ったのだろう。美雪はあきらめ顔で頷き、隠行術に注力する。

 

 「我は炎、神を殺し娘を殺せし、許されざる原初の咎人。全てを滅ぼす原初の破壊の焔なり!」

 

 かつてはできなかった炎の凝縮・圧縮も、今は容易にできてしまう。そうして、多少の時間こそかかったものの、現状で放てる最大威力を封じた光球を作り出す。大きさこそ大した事ないが、神を滅殺するに充分な威力を秘めたそれを、私は躊躇なく投擲した。

 

 

 

 

 義兄さんの権能行使の言霊に従い、合わされた掌の中に光球が生じる。凄まじい呪力を内包し、膨大な熱量と炎を封じ込められたそれは、最早小さな太陽と言っても過言ではないだろう。

 人間相手ならば、骨身どころか灰すら残さず焼き尽くすであろう焔、街一つを火の海に変えるに十分すぎる炎をあの大きさの光球に凝縮・圧縮しているのだ。一流どころか、超一流とされる魔術士が何人集まろうが可能とは思えない所業。これこそが人中の魔王、羅刹王の化身、カンピオーネの権能。何度見ても、けしてなれることはない。私が魔術師である以上、この畏怖はけして消えることはないのだろう。

 

 かつてはごく短距離、手加減どころか過剰にしか行使できなかった権能を義兄は見事に使いこなしている。魔術師が生涯かけても、制御が叶うかわからぬそれを僅か二年で自在に操る。カンピオーネが戦いの申し子であり、闘争の王たる由縁なのかもしれない。

 

 まつろわぬ神がこちらとは見当違いの方向に向き直った瞬間、それは放たれた。

 投擲術に魔術でさらに加速を加えられた光球は、狙い過たず偉丈夫のまつろわぬ神へと向かう。

 

 あわや直撃と思いきや敵もさるもので、当たる直前に驚愕しながらも反応し、戦鎚で迎撃してみせたのだ。

 

 だが、光球の正体は数多の神を滅ぼしてきた義兄さんの誇る迦具土の権能、『神殺』の特性を持った焔を凝縮・圧縮したものである。並の神具では諸共に灼き尽くされるはずだった……。

 

 しかし、目の前の現実はその私の予想を真っ向から覆してみせた。戦鎚が振り下ろされると同時に天が瞬き、雷鳴と共に豪雷が襲来し、光球とぶつかり合ったのだ。豪雷を纏った戦鎚が、義兄さんの創りだした極小の太陽と鬩ぎ合う。それはまさに神代の戦いだった。

 

 ぶつかり合い相殺していくその余波で、凄まじい破壊の嵐が吹き荒れ、あらゆるものを薙ぎ倒していく。それは私達や標的たるまつろわぬ神ですら例外ではなく、私など必死に体勢を保っているというのに、私をかばうように立つ義兄さんとかの神は微動だにせず睨みあっている。それどころか、義兄は追撃しようと次弾の用意をしているし、相対する神も憤怒も露に戦鎚を構え直していた。まつろわぬ神とカンピオーネ、彼らがいかに人間と隔絶した存在であるか、改めて思い知らされる。

 

 いつもこう……。戦闘前の前準備や探索などでは役に立てても、肝心の戦闘となれば、私はなんの役にも立てない。義兄さんを助けるどころか、己の身を守ることが精一杯になってしまう。

 

 そんな現実に歯噛みしている私を尻目に、さらに事態は思わぬ方向へと動いた。義兄さんと相対していた神の姿が突如消えたのだ。いや、それは正確な表現ではない。あまりにも速すぎて、私にはそう見えただけの話なのだろう。

 

 一瞬後、戦鎚を持った偉丈夫の姿は消え、そこには白銀の巨狼が佇んでいたのだから。

 

 

 

 

 

 「ああ、そういうことか……」

 

 私は白銀の巨狼の雄姿に、あの偉丈夫の神の一連の行動の不可解さを理解することができた。

 

 「え、どういうこと?」

 

 「何、簡単なことだ。かの神が警戒していたのは、私達ではなかったのさ。かの偉丈夫の警戒対象はあの白銀の巨狼の方で、私はそれと気づかぬままにまつろわぬ神同士の戦いに横槍を入れたのさ」

 

 「あ、それで私達とは見当違いの方向を向いたり、驚いたような反応だったりしたのね」

 

 「ああ、そういうことだ。それに、初見であの不意打ちを全力で迎撃すること自体、異常だからな。恐らくあれは巨狼迎撃用に用意されていたものなのだろう」

 

 私の不意をついての光球、実はその内包する威力とは裏腹に見かけ自体は大した事のないように偽装しているのだ。極限まで圧縮した上で、内包する呪力を感じとれないように隠蔽の術式をかけてあるのだ。たとえ、まつろわぬ神であろうと、初見では騙されること請け合いである。油断して迎撃に力を入れなかった結果、炎に巻かれるというわけだ。実際、この手で2、3柱の神を葬っているのだから、私としてもそれなりに自信のある手段だったのだが……。

 

 「そうね。義兄さんのあれは見た目とのギャップが詐欺だものね。あれは初見じゃ、まず見破れないもの」

 

 どこか呆れた様子で美雪が宣う。詐欺とは心外な、効率的で素晴らしい手段ではないか。大体、見かけに騙される方が悪いのだ。

 

 「詐欺とは酷い言われようだな。大体……と、そんなこと言っている場合じゃないな」

 

 

 『我と仇敵との戦いに横槍を入れるとは不遜であろう。人の子よ……いや忌まわしき神殺しよ』

 

 白銀の巨狼がこちらを睥睨し認めたと同時に、脳裏に肉声を伴わぬ厳かな声が響く。

 

 「それは失礼した。だが、私達からすれば、貴方は言うに及ばず、貴方が食らったかの神もまた脅威なのだ。突如現れたのなら、それを警戒するのは当然だろう」

 

 『貴様の言う警戒とやらが、ミョルニルと同等の炎とは些か興が過ぎようよ。まあ、そのおかげであの短気者をあっさり喰い殺せたのだから、貴様には礼を言うべきかもしれんな。だが……』

 

 あの迎撃に用いられた戦鎚はミョルニル。ならばあの偉丈夫は、北欧神話の戦神トールだったのか!なるほど、そうであるならば、あの威容に咄嗟の迎撃にも関わらずの戦鎚の威力にも納得がいく。では、それを仇敵とするこの巨狼は……。

 

 「だが?」

 

 思い当たった白銀の巨狼の正体になんとなくその先が予想できたが、一縷の望みをかけて尋ねる。しかし、やはり現実は優しくなかった。

 

 『仇敵との戦いを邪魔されたのだ。誤解とはいえ、相応の報いはあってしかるべきであろう。何より奴との戦いで昂った我が血が収まらぬ。この上は、貴様の血肉をもって贖わせる他あるまいよ!』

 

 「やはりそう来るよな、フェンリル!」

 

 トールを仇敵とする以上は、同じ北欧神話の神。それもアース神族に敵対し、トールを丸呑みにする狼など、それ以外思いつかない。

 

 フェンリル、フェンリル狼とも呼ばれる。北欧神話のトリックスター「ロキ」の子であり、弟妹にはヨルムンガンドにヘルといずれ劣らぬ魔物を持つ。中でも長子たるフェンリルは、『神々の黄昏(ラグナロク)』において主神であるオーディンを呑み込んだ荒ぶる神喰いの狼である。

 トールを仇敵と評したのは、弟であるヨルムンガンドを殺したのがトールだからだろう。

 

 『ほう、我が名を知ったか神殺しよ!ならば分かるであろう。この身は死と恐怖の具現、神喰いの狼である。闘争こそ我が愉悦。争乱こそ我が望みよ。異邦の神殺しよ、汝が血肉を我に捧げよ!』

 

 こうして、私とフェンリルの戦いは幕を開けたのだ。

 

 

 

 

 視界からフェンリルの姿が消え、唐突に嫌な予感に襲われた徹は、直感の命じるままに美雪を突き飛ばした。美雪の困惑が見て取れたが、徹には応える余裕などなかった。

 

 「がっ」

 

 「義兄さん!」

 

 次の瞬間、徹は右腕を喰いちぎられていたからだ。隻腕になり思わず膝をつく徹の耳に、美雪の悲痛な声が響く。

 

 『我が身を犠牲にして、巫女を守るか。見上げたものだが、無駄なことを。貴様が死ねば、貴様の骸共々巫女も又我が滋養となるのだからな』

 

 「お前ごときに義妹はやらんよ!」

 

 嘲るように笑うフェンリルに対し、徹は気炎を上げる。

 

 『片腕を失って、よくぞ吠えたわ!』

 

 「私の片腕を奪った代償を支払ってもらおうか!

 我は炎、原初の破壊そのもの。我が身全てはけして消えることなき原初の焔なり!」

 

 かつては神々の詔であったはずの聖句が、今や神殺しの勝鬨となって吐きだされる。それは人より生まれし魔王の神々に対する挑発だ。簒奪者の苛烈なる意思の表明にして、神々へと己の存在を誇示するものだ。

 

 徹の神殺しとしての言霊が劇的な変化を巻き起こす。喰いちぎられた腕が灼熱の炎へと瞬く間に変化し、フェンリルをたちまちに包み込んだのだ。

 

 『なんと?!グオオオー』

 

 驚愕し苦悶の声を上げるフェンリルを尻目に、徹は隻腕のまま立ち上がる。

 

 「私が殺した神『迦具土』は、火山の噴火・溶岩流を象徴する炎神であり、その本質は大地の血液たるマグマの炎そのものだ。そして、別名である火之夜藝速男神(ひのやぎはやを)とは自ら火を出して燃えている火の男神を意味する。なれば、その炎を簒奪した我が身が炎とならぬ道理はあるまい!」

 

 徹は自身の腕を炎へと変換したのだ。正確に言えばそれを媒介として権能を行使したのだ。徹の簒奪した迦具土の権能。それは『念発火能力(パイロキネシス)』のようなものではない。ごく近距離ならば、その真似事も不可能ではないが、その本質は自身の炎化能力である。自身の肉体を炎と化し、全てを灼き尽くすのが本来の徹のスタイルである。

 

 炎化状態ならば、物理攻撃はほぼ完全にシャットアウトできる上に、攻撃してきた相手の方にダメージを与えられるという攻防一体の権能である。その反面、炎や火に対する防御や制御の能力を持つ相手には途端に不利なるし、自身もまた物理攻撃が不可能になり、武器や符をはじめとした呪具の使用も不可能になるという弱点ももっているが、非常に強力な権能である。

 ちなみに、徹はこの権能を自身を灼き尽くす罪過の炎の具現だと思っている。

 

 徹自身が己をも灼き尽くす炎であると認識しているためか、はたまた原初の神殺したる迦具土の炎が故か、この炎はまつろわぬ神に対しても絶大な効果がある。まず、普通には消えない。空気があろうとなかろうと燃え続ける。それでいて、火力を強くする分には自然法則の影響を受けるのだから、なんとも理不尽な能力である。

 

 しかして、その炎ですらフェンリルを葬るには足らなかったらしい。フェンリルがその大口を開け、何かを吸い込むようにすると、フェンリルを覆っていた炎がたちまちに呑み込まれていく。数瞬後には、フェンリルを灼く炎は消え去っていた。

 

 『我が子スコールは太陽(ソール)を呑み込むのだ。親たる我がこの程度の炎呑めぬと思うたか』

 

 「流石というべきだろうが、ダメージは隠せないようだな。自慢の毛皮が煤けているぞ」

 

 消し去ったとはいえ、フェンリルも徹の炎を完全に無効化できたわけではない。毛皮がとこどころ焼き焦げているし、僅かにだが肉の焼けた臭いもするのがその証左であった。

 

 『おのれ忌々しき神殺しよ。我が身を焼くとは、この炎が貴様の権能か……。しかも、この炎ただの炎ではない。貴様の殺めた神はただの炎神ではない。何か罪深き業を背負いし神であろう!』

 

 手傷を負わされたことにフェンリルはグルルと屈辱に喉を鳴らし、恥辱に身を震わせていた。

 

 「そうだ、私が殺したのは神でありながら神殺しの業を背負いし神だ。それより簒奪せし、我が罪過の具現たる神滅の焔。貴様如きに敗れることなどありはしない」

 

 『隻腕でよくもほざいたわ。確かに貴様の炎は、我等まつろわぬ神に対する最凶最悪の武器よ。だが、我が力が通じたということは、炎の性質に縛られているということでもある。けして無敵ではない。そして、我もまた神殺しの業を背負いし者よ。軍神の腕を食い千切り、主神すら葬った我が爪牙をもって、我こそが最強の神殺しであると証明してくれようぞ』

 

 言うが早いか、再びフェンリルの姿が徹の視界から消える。そして再びの衝撃、徹は片腕どころか半身を喰いちぎられていた。が、残った半身から炎が燃え広がり瞬時に元に戻る。炎化状態ならば、炎そのものを全て呑まれるか滅されない限り、徹は死ぬ事はないし、傷一つ負うこともない。一部が欠けたところで、消えることなき炎は一瞬で燃え盛り広がるのだ。

 

 そして、今度はこちらの番だと言わんばかりに、フェンリルへと抱きつくように『猿飛』を行使する。その巨体に似合わぬ神速を誇るフェンリルだが、一瞬で最高速まで至れるかわりに攻撃の後は己でも捕捉できることを徹はすでに見抜いていたのだ。

 

 しかし、みすみす反撃を許す程、フェンリルも甘くはない。『猿飛』で接近する徹を後ろ足で薙ぎ払う。だが、それは最悪の結果となってフェンリルに被害をもたらした。全身を炎と化した徹が蹴り足に抱きつく用に絡みついたのだ。

 

 さしものフェンリルもこれにはたまらず振り払わんとするが、徹はそれを尻目に悠々と離脱する。10メートルを超える巨体であるフェンリルと人間大の徹の差が裏目に出たのだ。

 

 徹有利かと思いきや、フェンリルはまたも大口を開けたではないか。そして今度は吸い込むのではなく、炎を吐き出したのだ。

 

 「なにっ?!」 

 

 徹は驚愕した。今までにない行動にではない。吐き出された炎が、己の権能と同種の炎だったからだ。 空中で回避できるようなものではなく、徹はあっさりと炎に巻かれた。

 

 しかも、荒ぶるフェンリルは、手を緩めない。地を蹴り、その大口を開いて呑み込まんと飛び掛ったのだ。主神すら丸呑みしたフェンリルである。いかに神殺しといえど、呑み込まれればただで済むはずがない。いや、十中八九死ぬであろう。

 

 一方、徹は流石に己の権能で傷つくほど馬鹿ではないし、基本的に炎に対しては絶対的な耐性を持っているのだ。返された炎を逆に吸収し、隻腕のままだった腕を再生すらしてみせていた。

 

 されど続くフェンリルの突撃にはなす術はない。徹には飛行能力はないからだ。いかに優れた呪的センスをもっていても、彼は魔女の系譜ではなく、巫女でもない。あくまでも突然変異的に発生した術者なのだ。故に魔女の秘儀である飛翔術を使うことはできない。そして、物理攻撃を無効化する頼みの権能も今回は役には立たない。炎化したところで炎全てを丸呑みされてしまえば、結果は同じだからだ。

 

 しかし、徹はどこまでも生き汚かった。なすすべがないから大人しく死んでやるなどという殊勝な男ではないのだ。ないのならば強引に創り出す。無茶を通して道理を引っ込ませる。そういう男であった。こういうところが、どこまでも合理的で手段を選ばない徹をカンピオーネたらしめているのかもしれない。

 

 炎に巻かれ視界を封じられながらも、徹はフェンリルの狙いを直感的に悟っていた。とにかく、このままでは死ぬと。どうにか空中で移動しないと、問答無用で死ぬと。権能による炎化も意味が無いと本能で悟り、彼は自滅覚悟で博打に出た。

 

 再生したばかりの腕のみを炎化させ、限界以上の呪力を注ぎ込んで自身の至近で暴発させたのだ。それはちょうど突っ込んできたフェンリルをも巻き込み、少なからぬダメージを与える。とはいえ、徹の受けたダメージはその比ではないが……。

 

 九死に一生を得たとはいえ、至近で権能の暴発に巻込まれたのだ。いかに炎に対して絶対の耐性を誇るとはいえ、爆風やそれによって地面にたたきつけられた時の衝撃は、けして軽いものではない。その上、無理な行使をしたせいでしばらく腕の再生は無理だろうし、何より全身の脱力感が凄まじい。正直、立てたのが不思議なほどであった。

 

 『よくよく生き汚い男よな。よもや自滅覚悟で己を吹き飛ばすとはな。なるほど、確かに貴様は生粋の神殺しよ。そのなりふり構わぬ生き汚さ、後先考えぬあの愚者の息子らしい振舞いよ!』

 

 「当然だろう、私は妻と娘の魂を背負っている。まつろわぬ神ごときにくれてやれるほど程軽いものでは、断じてない!」

 

 『満身創痍のその身でよく吠えるものよ。だが、如何にする。貴様の権能の種はわれた。貴様の炎化能力は確かに厄介だが、炎化するより前に喰いちぎってしまえば意味は無い。貴様が半身を再生した時、我が奇襲で奪った腕が再生しなかったのが、何よりの証拠よ。そして、炎化したところで、吸い上げるか丸呑みすればいいことよ』

 

 恐るべきは神の智謀。この1分にも満たない短い時間で、徹の権能の弱点を見抜いていたのだ。流石は、北欧神話のトリックスター『ロキ』の息子たる面目躍如といったところだろうか。あるいは戦いに関してのことなので、本能的に悟ったのかもしれないが。

 

 「こうもあっさり見抜かれるとは驚いた。それに随分理知的じゃないか。『フローズヴィトニル(悪評高き狼)』、『ヴァナルガンド(ヴァン河の怪物)』とも言われ、神々の黄昏までグレイプニルで封じられていた荒ぶる神であるあんたが」

 

 『所詮神話も一面を描いたものに過ぎぬ。大体、我が話も通じぬ存在であるならば、そもこの身を繋がれることも、かの軍神が腕を失うこともなかったであろうよ。それに悪戯の神で奸智に長けた父ロキの血を継ぐ我が、愚昧であるとでも思ったか』

 

 「なるほど、そう言われると納得できるな。さて、それじゃあそろそろ再開しようか」

 

 『ふむ、もう時間稼ぎはよいのか?万全でなかったなどという言い訳は聞かぬぞ』

 

 「なんだお見通しか……。なんでまた付き合ってくれたんだ?」

 

 『言ったであろう。我が血の滾りを収めよと。トールとの戦いでは貴様の横槍のせいで、満足できなかったのだ。故に、貴様にはその分まで我を楽しませる義務があるのだ。何より、貴様の全力を打ち破ってこそ、我は充足しよう』

 

 「この戦闘狂め!」

 

 『貴様も我のことが言えた義理ではなかろう。闘争の喜悦に顔を歪ませたその様ではな』

 

 吐き捨てるように徹は言っていたが、その表情が自身の言葉を何よりも裏切っていた。フェンリルの言葉通り、その顔は楽しそうで誰がどう見ても笑顔だったからだ。

 

 「おっとこれは失礼。でも、()も興味があるんだ。日の本の神殺しの神迦具土の炎を宿した()と北欧の神殺しの狼であるフェンリル、あんたとどちらが上なのかな!」

 

 『クハハハハ、よかろう神殺しよ名乗るがいい。貴様が骸となる前に、その名を我が魂に刻もう』

 

 「そいつは光栄だ。偉大なる神喰いの大神(おおかみ)よ。()、いや私の名は『神無徹』。人の身にありて神を滅ぼす者だ!」

 

 『確かに聞いた!神無徹よ。貴様の血肉と炎を我が爪牙の糧としてくれようぞ』

 

 宣言と共に両者は再び衝突した。

 

 

 

 

 「相変わらずありえない……」

 

 私は義兄とフェンリルの戦いを見て、ついついそう漏らしていた。まつろわぬ神との戦いを見るのは初めてではないが、やはりその凄まじさは筆舌に尽くしがたい。レベルが違うとか格が違うとかそういう問題ではない。根本的に戦いのスケールが違うのだ。

 

 義兄が本気で権能を行使すれば、この一帯はたちまちに焦土になるだろう。水分全てを蒸発させられて草木一本残らない。相対するフェンリルの爪牙とて薙ぎ払えば当たらずとも突風が、当たればあらゆるものを粉砕するだろう。というか、あの巨体だ。権能を使わずとも十分過ぎる脅威だ。

 そんなレベルのものを平然と互いに打ち合っているのだから、周りはたまらない。実際、緑深き針葉樹林の森が今や見る影もない。燃やされ、薙ぎ倒されて酷い有様である。私も、早々に退避しなければ、命すら危ぶまれただろう。

 

 「それにしても義兄さんが正面切って戦うなんて、どういう風の吹き回しかな?」

 

 

 義兄が正面きって戦うのは珍しい。私が知るかぎりでは、義兄さんがカンピオーネとなるきっかけとなった迦具土、不意打ちを無効化されてなし崩し的に戦闘になったパールヴァティーくらいなのだから。フェンリルを含めて戦った神は10柱に上るが、今回のような真っ向勝負は僅か3回なのだから、私がそんなことを思うのも無理も無い。

 

 「それにしても、いつにもまして心臓に悪い」

 

 流石は北欧神話にその名を轟かせる悪名高き狼である。主神を喰い殺したのは伊達ではないらしい。神殺しの特性を備えた義兄の迦具土の炎に容易に対処するのだから。

 

 「中世ヨーロッパにおいては死と恐怖の対象とされたのが狼。でも一方で、日本では古くから信仰され、大神が語源とも。

 そしてかの神は、軍神の腕を喰いちぎり、主神を呑み込んだ神々の災厄の具現者。神喰いの狼フェンリル。

 ある意味、義兄さんとは近しい存在といえるのかもしれない」

 

 神殺しの神とその権能を奪った人間。どちらも神を殺す者でありながら、両者の道はけして交わらない。フェンリルと義兄がそうであるように。

 

 「義兄さん、勝負をかけるつもりね。このままじゃジリ貧だから、無理もないか」

 

 義兄は炎化能力を巧みに用いて、フェンリルの攻撃を防いでいるが、裏を返せば防戦一方で攻撃する余裕がないということにほかならない。というか、純粋な武技では私に劣る義兄が、私でも視界にとらえるのがやっとのフェンリルの攻撃をここまで凌いでいるというのだから、正直ありえない。

 やはりカンピオーネとは、人智を遥かに超えた存在だということ?いや、そもそも存在そのものが生きる伝説というか、理不尽の塊なのだから無理もないか……。

 

 私がそんなどうでもいいことを考えているうちに、激しくぶつかり合っていた両者が動きを止め、何事か言葉を交している。その最中、義兄の呪力が高められ収束していくのを感じた。その現象が、義兄さんの切り札前準備であると私には理解できた。 

 

 「義兄さんのアレなら十中八九大丈夫だと思うけど、万が一もある。保険は用意しておきましょう。

 幸い最初の襲撃以来、フェンリルは少しも私を気にしていない。正直、無視されているのは癪だけど、今は都合がいいから感謝すべきなのかな」

 

 私は独り言ちながら、義兄に託されている保険を召喚した。

 

 「十拳剣よ、汝が主の巫女たる我の呼声に応え給え!」

 

 次の瞬間、私の前には一振りの剣が浮いていた。これこそはまつろわぬ迦具土を斬り殺したことにより、神殺しとしての特性を持つに至った十拳剣。義兄の最後の武器であり、最終手段だ。義兄さんは()の命を奪ったこの剣を使いたがらない。いよいよとなったら覚悟を決めるが、できうる限り使おうとしない。普段管理を私に委ねているし、今こうして戦闘中にも関わらず私が所持していることからもそれは明らかだ。

 現在の状態になって使われたのは唯一度だけ、それもパールヴァティーに権能を封殺されて絶体絶命の危機に陥った時の事だ。しかも、義兄さんが己の意思で使おうとしたわけではではない。彼女が己を使えと自ら顕現してやっとである。

 とはいえ、それを責めることは誰にもできない。なぜなら、この神殺しの刃たる十拳剣の現在の銘は『魂剣 明日香』。父親である義兄さんを助けるために己の魂を剣へと宿らせた()そのものなのだから。

 

 

 

 

 神速でその爪牙を振るうフェンリルと、炎化能力と数多の術を駆使して渡り合う徹の戦いは、お互い決定打を欠いたまま膠着状態に陥っていた。

 とはいえ、膠着状態とは名ばかりで徹のほうが圧倒的に不利であったが。

 

 実のところ、フェンリルと徹では基礎能力が違いすぎるのだ。呪力こそ互角かもしれないが、パワー、スピード、いずれも肉体的なものでは全て上をいかれている。特にスピードは違いすぎて勝負にならない。カンピオーネとなり強靭な肉体を手に入れても、徹はあくまでも術士であり、武技では美雪よりも劣るのだ。

 それでもフェンリルと戦えるのは、術による強化・補助に加え洞察と直感でそれを補っているからに他ならない。

 

 だが、当然それは精神的な消耗が激しい綱わたりの如き所業である。しかも、一つ間違えば即死というプレッシャーが否応なく精神的疲労を加速度的に蓄積させるのだ。故に長期戦どころか、いつ均衡がくずれてもおかしくないというのが実情であった。

 

 だから、徹は切り札を切ったのではなく、切り札を切らざるをえなかったというのが正しいだろう。

 

 さて、徹の簒奪した迦具土の権能であるが、自身を炎化し、その炎にはデフォルトで『神殺』の特性がついているという非常に強力なものである。神殺しに相応しい、まさに神を滅すための権能といえるだろう。

 とはいえ、フェンリルに指摘されたとおり炎としての性質に縛られている為、パールヴァティーのような炎に対する権能を有する神にはその威力を大幅に殺がれる。それどころか、無効化されることすらあるのだ。はっきり言って、このままでは切り札とは言い難く、火神等が相手では詰む危険すらある。というか、実際にそうなりかけた。

 

 そこで徹が考えたのが、迦具土の炎の特性である『神殺』をとことん突き詰めて純化させることであった。そうして、『神殺』は『神滅』へと至った。ありとあらゆる神秘を滅ぼす諸刃の刃へと。

 

 諸刃の刃、というのはそのままの意味だ。『神滅』に至った炎は、神秘の塊というか具現である神にとっては、絶対の武器である。いかなる防御も無意味。回避するほかなく、当たれば絶大な威力を発揮する刃となる。

 だが、同時にそれはカンピオーネたる徹自身にも言えることなのだ。カンピオーネもまた神秘の塊だ。徒人に神とやりあえる強靭な肉体と莫大な呪力を与え、絶大無比な権能を使用可能にするのだから。すなわち、『神滅』まで至った炎は徹自身にも牙を剥くのだ。炎に対する絶対的な耐性もこれには何の役にも立たない。

 

 そして、徹の炎は自身を炎化させたものから生じさせるものだ。すなわち、『神滅』の炎を使うということは、己をも敵諸共に灼き尽くすことに他ならない。つまり、自爆技以外のなにものでもなかったのだ。

 

 「神殺の業、その先にあるものを教えてやる!」

 

 危険を察知したのか、阻止せんと神速で迫るフェンリルを結界を多重に張り、意図的に壊れやすい部分を作り出し誘導することでその進行方向制御する。無論、されるがままのフェンリルではない。強引に進路を戻そうとするが、それは徹に必要な時間を与えることを意味した。

 

 そして、フェンリルが徹へと到達した瞬間、それは完成した。

 

 「迦具土滅びて、原山津見神(はらやまつみのかみ)戸山津見神(とやまつみのかみ)志藝山津見神(しぎやまつみのかみ)羽山津見神(はやまつみのかみ)闇山津見神(くらやまつみのかみ)奥山津見神(おくやまつみのかみ)淤縢山津見神(おどやまつみのかみ)正鹿山津見神(まさかやまつみのかみ)を産むなり。我、神を滅ぼし、神を生じさせるものなり」

 

 徹の脚から、腕、腹、胸と迦具土の骸より生まれし神の名と対応する部位が言霊と共に炎と化し、最後には頭部へと及び全身を包み込む。そして、人型の焔となった瞬間、爆発的に膨れ上がり近距離にいたフェンリルをも飲み込んで爆ぜた。その様はさながら、火山が噴火するが如し。

 

 炎が晴れた後には徹の姿がない以外、何も変わっていなかった。大地や森は勿論のこと、標的であったフェンリルにも特段傷や火傷なども見受けられない。見かけ上は……。

 

 そう、無事なのは外観だけである。『神滅』の炎は神秘そのものを灼き尽くす。すなわち、焼かれたのは肉体ではない。フェンリルを構成する神秘こそを焼き滅ぼすのだ。大地や森が無事だったのもこのためだ。そして、フェンリルは内から灼かれたようなものである。それも存在そのものを。

 

 『このような切り札を持っていようとはな……。自滅覚悟の自爆技とはいえ、我にここまでの手傷を負わせるとは見事だ、神無徹。だが、我を滅するには足りんだようなだな。この勝負、我の勝ちだ!』

 

 フェンリルが勝利の雄叫びを上げる。

 

 「生憎とこちらは万全だぞ」

 

 『なに?!』

 

 声と共に白銀の巨狼の前に、突如火柱が立ち昇り、人の形へと収束していく。それがおさまった時には、徹が全裸でたっていたのだ。しかも、傷一つ無いどころか、消耗していたはずの呪力さえ回復しているという不条理ぷりであった。

 

 「うーむ、やはりこの権能使うと全裸か。まあ、転生の対象はあくまでも私自身ということなのだろうな。服は対象外ということか。予備を用意しておいて正解だったな」

 

 ボヤきながら、術を行使したのだろう。一瞬で、その身が衣に包まれた。

 

 『転生だと?!貴様、それを織り込み済みであのような真似を!』 

 

 「悪いが、命に代えて倒すとか趣味じゃないんでね。相応の手段もなしで自爆なんてするわけないだろう」

 

 この転生の権能こそ、後に賢人会議により『煉獄転生』と命名されることになるパールヴァティーより簒奪せし徹の第二の権能である。焼死という限定条件こそあるが、それさえ満たせば前よりも強い状態(消耗時は万全な状態に戻る)で新生出来るのだ。この権能を手に入れた時、自身の絶対的な耐性に鑑み、無用の長物でしかなかったが、『神滅』の炎に至った時、それは使えぬはずの切り札を使用可能にする最高のカードへと変わった。まあ、『神滅』の炎を使うような事態になれば、すべからく消耗しているはずなので、前よりも強く新生すると言っても、ただ万全の状態の時に戻るにすぎない。

 

 とはいえ、そのアドバンテージは絶大だ。負傷は勿論のこと、権能行使により消費した呪力すら回復するのだ。しかも、必殺の威力をもったあの自爆攻撃で無傷な敵はいない。万全な己と少なからぬ傷を負ったまつろわぬ神、優劣は明らかである。

 

 しかし、それで終わるなら誰も苦労はしない。窮鼠と同様に、追い詰められた神々はとんでもないドンでん返しをしてくるのが常である。そして、それはこのフェンリルも例外ではなかった。

 

 『……見事というべきであろうな。だが、奥の手を持っているのは貴様だけではない!』

 

 フェンリルの言葉と共に。その咆哮が響き渡り、雷鳴が轟きその身を覆う。そして、一瞬後にフェンリルの体躯は何事もなかったように綺麗になっており、徹がつけた傷すら回復していた。

 

 「まさか回復の権能?!いや、雷だと……まさか貴様!」

 

 フェンリルを取り巻く雷に否応なく思い出される轟雷を操る戦神の姿。フェンリルはかの神を喰らったのだ。ならば、これは……。

 

 『気づいたか。よくよく察しのよい男よな。そうだ、我は貴様のおかげで喰らえた仇敵を滋養としたのだ。そして、今やその力すら我のものだ!』

 

 再び轟く咆哮とともに、雷が槍となって徹を襲う。それを咄嗟に炎化して防御するが、無効化できたわけではない。ダメージこそないが、雷槍は確実に炎を相殺し徹の呪力を削りとっていく。

 

 「な、くそ。反則だろ!」

 

 『自爆特攻した挙句、平然と生きている貴様には言われたくないわ!』

 

 思わぬ事態に毒づく徹だが、フェンリルも負けじと言い返す。まあ、確かに徹にフェンリルを反則という資格はないだろう。

 

 「ああ、もう回復した挙句新しい力とか、どこの少年漫画の主人公だ!」

 

 『ふん、貴様が潔く死んでいればよかったのだ。だというのに、生き汚いばかりに我の手を煩わせ、あまつさえ手傷を負わせ我を苛立たせるとは、どこまでも不遜な男だ!神無徹』

 

 

 神滅の焔魔王と神喰いの魔狼の戦いは、未だその終わりを見通せないのだった。

 

 

 

 

 「必要になっちゃったか。ごめんね、できれば使いたくはなかったんだけど……」

 

 神殺の焔と神喰いの雷が激しくぶつかり合うのを横目に、私は深々と溜息をついて侘びた。

 義兄の切り札である『神滅』がでたときは決まったとか思ったのだが、流石はあのオーディンを呑み込んだフェンリルだ。耐え切ったどころか、奥の手すら残していたらしい。折角『神滅』で与えた絶大なダメージを回復されてしまった。しかも、雷の権能のおまけつきでだ。

 

 いくら万全の状態になったとはいえ、今や義兄さんの方が明らかに分が悪い。炎と雷の撃ち合いでは負けてはいないし、むしろ、それだけなら義兄の方に分がある。でも、それはフェンリルが神速を用いていないが故だ。義兄はフェンリルの神速に地力で対応できないのだから。

 『神滅』を行使する以前、義兄は神がかった回避を見せていたが、あれはいつまでも続けられるものではない。それに何より、呪力や体調は万全になったとしても、精神的な消耗まで回復するわけではない。今の義兄にどれだけ回避できるだろうか。それはけして多くはないだろう。

 

 要するに、この均衡はフェンリルが神速を使ってきた時点で容易に崩れる。最早一刻の猶予もない。

 

 「明日香、貴女のお父さんを私と一緒に助けましょう。私は命を賭ける。だから、貴女の力を貸して頂戴」

 

 私の言葉に応える様に十拳剣が鳴動する。剣が内包する呪力が高まり、それに伴って私の呪力が引き上げられていくのを感じる。明日香は私に協力してくれる。私はそれがたまらなく嬉しい。それだけで勇気が湧き、覚悟が決まる。

 

 「ありがとう、明日香。貴女も姉さんも救えなかった情けない私だけど、それでもあの人だけは護ってみせるから!」

 

 私は力強く宣誓すると、飛翔術を使い灼熱と雷電の戦場へと飛び込んだ。

 

 

 

 

 美雪が乱入する少し前、実のところ窮地なのはフェンリルも同じだった。フェンリルとて神速を用いれば勝てることは理解しているし、徹が神速に対応できないが故に勝負を急いだことも理解していた。

 

 だが、それでもフェンリルは神速を使えない(・・・・)。そう、使わないのではなく使えない(・・・・)のだ。

 

 なぜなら、フェンリルもまた完全に回復したわけではなかったからだ。徹の切り札である『神滅』の炎はフェンリルに相応の代償を強いていたのだ。かの炎が灼いたのはフェンリルの中の神速の権能だ。完全に消されたわけではないし、遠からず回復する兆しもある。だが、一日やそこらで治るものではけしてない。トールの血肉を滋養にして灼かれた己を構成する神秘を補い、その権能で穴埋めをしてはいるが、やはり己のものではないそれは使いにくい。その行使に専念しなければならず、他の権能を使う余裕が無いのだ。まあ、仇敵である者の力だけに当然かもしれない。

 

 とはいえ、フェンリルは勝てる算段をすでにつけていた。己にトールの力が馴染めば、この勝負は決まると。今は互角の撃ち合いだが、権能が馴染めば自らの権能を使うことができるからだ。その上、攻撃を無効化してきた徹の炎化能力も、呪力が尽きればそこまでである。そして、肝心の呪力は雷槍で徐々にだが削っている。要するに、時が経てば経つほどにフェンリルは有利になっていくのである。

 

 今は己にトールの力が馴染んでいないが故に互角だが、程なく掌握すれば勝負は決まるとフェンリルは考えていたのだ。

 

 対する徹はフェンリルに不審を覚えていた。あれ程猛威を振るっていた神速が一向にこない。自慢の爪牙を振るう様子もない。ただ、雷槍を降らせるに終始しているのだから。

 

 (なぜ神速でこない?今、あれをやられたら初撃はかわせても、次撃には対応できないだろうに。そして、それはあっちも百も承知のはずなのに……。

 なぜ、必勝の策を使わない?いや、待てよ。使わないのではなく、使えないのだとしたら?そうだ!『神滅』をくらって無傷のはずがない。奴は今神速を行使できないんだ。なら!)

 

 流石は戦いの申し子たるカンピオーネというべきだろう。徹は僅かな間にフェンリルの窮状を見ぬいたのだ。恐るべき洞察と直感であった。

 

 (ここで勝負を決める!奴が攻めあぐねている今しか勝機はない!)

 

 徹は雷槍の迎撃に用いていた焔を唐突に消した。炎化状態での防御力に賭け、雷槍は刺さるに任せる。そして、自身の体内で最強の炎を精錬する。最初の不意打ちなどより遥かに多くの呪力を、回復した呪力のありったけをつぎ込み、全てを灼き尽くす煉獄の炎を生み出す。

 

 『ぬう、防ぎすらせぬとは何を企む?!』

 

 フェンリルも馬鹿ではない。すぐに徹の真意に気づき、そうはさせじと雷槍をこれでもかと降らせる。徹が何かをする前に雷槍で呪力を削りきろうとしたのだ。

 

 しかし、ここでは徹が賭けに勝った。雷槍が炎化状態を維持する呪力を削り取る前に、徹は最強の炎の精錬を終えたのだ。

 

 「我は死してなお多くの命を生み出す者、火産霊(ほむすび)!我が焔は生命の連続性を顕わす!」

 

 火産霊の言霊を載せ、死してなお神を産む様そのままに、爆発的な破壊力をもつ焔を身にまとった徹の至近からの体当たりである。単純な威力であれば、今までの攻撃の全てより勝る。いかなフェンリルといえどもあたれば、死は免れないであろう。

 

 焔を纏い正面から突っ込んでくる徹に、フェンリルはいかなる迎撃も無意味であることをすぐに悟った。神速を使えず空も飛べぬフェンリルに逃げ場はない……はずであった。

 

 フェンリルを正面から魂ごと灼き尽くすはずの獄炎は、魔狼の牙一本を抉り取るだけの戦果に留まった。

 

 なぜなら、フェンリルは地を蹴り、天をも蹴ってみせたからだ。ゆうゆうと空を踏み(・・・・)しめて、地上の徹を睥睨するフェンリル。これには徹も驚愕し、絶句した。

 

 『何を驚く。我が子らは太陽(ソール)(マーニ)を追うものだぞ。その親たる我が空を駆けるがごときできぬと思うたか』

 

 確かにフェンリルの一族であるスコールとハティがそのような逸話を持っているが、これを想像しろというのが無理な話だろう。

 

 「なぜ、今まで?」

 

 徹は霧散しようとする焔を必死に維持しながらも、問う。当然の疑問であった。如何に徹といえども、最初から天地を利用した神速には対応できなかったであろうからだ。

 

 『貴様が飛べぬが故に闘争を楽しむために合わせてやっていたのだ。忘れたか?貴様はトールの代役でしか無いことを』

 

 なんのことはない。徹ははなからなめられていたのだ。フェンリルにとって、徹は欲求不満を解消するための贄でしかなかったということだ。

 

 「そういうことか!」

 

 屈辱に身を震わせる徹だが、今の彼には自身の纏う焔を維持するのが精一杯であった。文字通りの乾坤一擲の攻撃だったのだ。それをすかされ、攻撃の届かぬ天空に逃げられてはさしもの徹も手が出ない。

 

 『神無徹よ、貴様はよくやった。我に軽くない手傷を負わせ奥の手を切らせた挙句、我が誓いを破らせ天空へと逃げさせたのだ。賞賛に価する。されど……無意味だ!

 どんな気分だ?己が最初から手加減されていたことを知った気分は?己の切り札をあっさり無効化された気分は?』

 

 フェンリルの哄笑が響き渡る。それはまさに北欧のトリックスターにして、神々を愚弄、嘲笑したロキの長子に相応しい態度であった。

 

 「……」

 

 『ククク、言葉も無いか?ならば貴様にもう用はない。十分に楽しませてもらった。トールと同様に我が滋養となるがいいわ!』

 

 フェンリルは天空で大口を開き、徹を飲み込まんと空を蹴った。

 ちょうどそんな時であった。虚空から美雪が姿を現したのは。

 

 

 

 

 天空から迫り来るフェンリルを視界に認めながらも、私はその場を動けなかった。今すぐ炎化を解き跳躍に呪力をつぎ込めば回避は可能であると知りながら、それでも私は動けない。

 

 なぜなら、今炎化を解いたら最後、私はフェンリルを倒す術を失うからだ。呪力をありったけつっこんだ乾坤一擲の火産霊の焔を維持するのには、権能を行使し続けなければならない。他の術を行使する余裕など無いのだ。

 

 それにたとえ回避したとしても、私の呪力はすでに尽きかけている。転生の権能による回復はすでに使ってしまっている以上、最早回復手段はない。それでは戦うどころか逃げることすら難しいだろう。ましてや、天空を駆けるフェンリル相手にどうして術抜きで逃げ失せると思えようか。

 

 だが、私は絶望などしていない。むしろ、逆であった。フェンリルを倒す為の最後の手段が私にはある。それをなさんが為に私はここに留まっているのだ。

 

 そして、それは私の信じたとおり最高のタイミングで来た。大口を開いたフェンリルの上顎と下顎を大地に縫い付けつけるように剣で刺し貫いて、美雪は、私の自慢の義妹は登場した。

 

 「義兄さん!」

 

 「応!」

 

 それ以上の言葉は必要なかった。飛翔術で全力をもって離脱する美雪と入れ替わるように、私は剣に飛びついた。使いたくはなかった私の大事な娘に手が触れる。その瞬間、剣身は歓喜を表すかのように鳴動する。  

 

 ああ、分かっている。躊躇ったりなどしない。どんなに後ろめたくても情けなくても、お前と美雪が作ってくれた唯一無二の機会を不意にすることなど、絶対にしない!

 

 

 「明日香頼む!」

 

 維持していた火産霊の焔を明日香へと流し込む。神殺しの焔を宿した神殺しの刃は、今ここに真価を発揮する。爆発的にその威力を高め、フェンリルの内部へと伝達する。

 

 『馬鹿な、このようなことが!我が死ぬというか?!しかも、神殺しではなくたかが人間の巫女風情に足をすくわれるだと?!ありえぬ!

 大体、この身を貫く鋼の刃だと?!神代でもないこの世にあっていいはずがない!』 

 

 「それがあるんだな。まあ、結果的に生まれたというのが正しいか。私自慢の愛娘さ。死ねフェンリル。ヘルヘイムで愛しの妹が待っているぞ」

 

 『グオオオオ、我が身が我が身が、我が魂が灼かれる!おのれ!おのれ忌まわしき神殺しよ!呪われよ!貴様が行く手には血に塗れし運命しか無いと知れ!我が権能(ちから)を簒奪せしこと後悔するがいい!我に喰われていればよかったのだとな!』

 

 内部から灼かれながらも、フェンリルは断末魔をあげながらも呪いを残す。それは神殺しに対する神々の憎悪にして新生の祝福そのものだ。一瞬後に、紅蓮の炎で包まれたフェンリルは灰も残さず消滅した。

 

 私が先に抉り取り地面に突き立った巨大な牙だけが、確かに魔狼が存在したという証明だ。それを見て、神が死んでもその一部が残ることなどあるのだなと考えていた私の身に、何かが流れ込む感覚が不意に生じる。久方振りのこの感覚、間違いない。私は新しい権能を得たのだ。また、この瞬間フェンリルの死も確定した。

 

 最早、何の脅威もないのだと思うと全身から力が抜けた。私は肉体の求めるままに地面に寝そべり、大の字になって脱力した。

 

 「正直、よく勝てたな……」

 

 思い返せば返すほど、勝てたのが不思議である。フェンリルは明らかに地力では圧倒的に上の神であった。奴がこちらをなめていたこと、そして何より私が独りでなかったことが何よりの勝因だろう。

 

 「本当にね。あの神喰いの魔狼に勝っちゃうなんてね」

 

 見あげれば、呆れ顔の美雪が目に入る。

 

 「その立役者の一人がよく言うものだ」

 

 そう、この勝利は美雪と明日香なしではありえなかった。私単独であったならば、火産霊の焔を避けられた時点で終わっていたであろう。あそこで勝負を投げ出さずに、維持に全力を傾けられたのは偏に美雪の存在があってこそなのだから。

 

 「私はこそこそ隠れて突き刺しただけだし、私じゃ止めは刺せなかったんだから。頑張ったのは明日香と義兄さんよ」

 

 こそこそ隠れていただけというが、いくら眼中にはないとはいえ神にも悟られない隠形術など、どれほどの修練を必要とするのかは言うまでもない。大体、あのタイミングで飛び込むだけの胆力と武技は称賛されてしかるべきであろう。

 

 「なあ、美雪もういいんだ。いい加減、許されてもいいんだ。美夏の死の責任はお前にはない。あるとしたら、()やあの畜生どもさ。お前が気にする必要はないんだ。

 だから、己を卑下するのはやめろ。確かに明日香の存在は大きいが、お前がいなかったら私はここにはいない。明日香だって、同意見だって言ってるぞ」

 

 私の言葉に賛同するかのように鳴動する十拳剣こと明日香。

 義妹が妻の死に責任を感じているのは分かっていた。実のところ、私とて当初はそう思わなかったわけではない。美雪があの畜生共を信じなかったら、美夏との和解を願わなかったらと。

 だが、それは私の八つ当たり以外の何ものでもない。家族の和合を願うことに何の罪があろう。それに何より、何も知らなかったとはいえ、美夏自身もあんなに嬉しそうだったのだ。美夏も両親との仲を修復したい……いや、愛されたいという想いがあったに違いないのだから。美雪とてそれを知っていたからこそ、協力したのであって、それは一方的なものではないのだ。

 

 ただ、あえて言うならば美夏も美雪も、あまりにも純粋すぎたということだ。美夏の両親に愛されたいという想いも、美雪の姉と両親の和解を望む想いも、どちらも切実で人として当然の想いだ。そうであるが故に、姉妹はあの畜生共の秘めた悪意に気づけなかった。それは誰のせいでもない。世界中の誰も責めることはできないだろう。

 

 大体、当の本人が誰よりも己を責めているのだから、冷静になれば責める気など湧いてこない。

 加えて、この二年間美雪は常に私の傍にいたからだ。まつろわぬ神と対峙しようとも、畏怖することはあってもけして怯むことなく。正直、常人ならとっくに棺桶の中か、気が狂っているだろう。比喩でもなんでもなく、それぐらいヤバい騒動や戦いも少なくなかったのだから。だというのに、今回のように己の命を賭して、私を助けてくれたのは一度や二度ではないのだ。感謝することはあっても、どうして憎悪を抱くことができようか。

 

 「義兄さん、明日香……」

 

 「必要のない贖罪の為に私に縛られることはない。お前は十二分に働いてくれたし、尽くしてくれた。もう自由になっていいんだよ。お前は才色兼備の自慢の義妹だ。やりたいことだってあるだろうし、やれることは一杯ある。お前にはもうなんの柵もない。好きに生きろ」

 

 実際、この二年の間に私が原因で死の危機に陥ったことは両手の指ではきかないのだから、贖罪にしてもすでに過払いもいいところである。いい加減、私の可愛い義妹は解放されるべきなのだ。魔王カンピオーネという生きる災厄から。

 

 「……」

 

 嬉しそうに聞いていた顔が続く言葉でみるみるうちに曇っていく。それどころか、黙りこんでしまったではないか。心なしか明日香からは、呆れたような気配が感じられる。私は何かまずいことを言っただろうか。

 

 「義兄さん、私は最初に言ったよね。私は義兄さんの行く末を見届けるって」

 

 「そうだが、あれは秘巫女としての義務感からだろう。それに少なからず贖罪の気持ちもあったはずだ」

 

 「確かにそれは否定しないわ。でも、それだけじゃない!それ以上に、私は義兄さんを愛しているの。どんなに時が経ようともこれだけは絶対に変わりはしない。私は一人の女として最愛の男の傍にいたい。貴方の支えになりたい。私は女として義兄さんに必要とされたい!」

 

 「……美雪、あの時確かに断ったはずだ。私はお前の気持ちに応えることはできないと。

 私ではお前を幸せにできない」

 

 美雪の気持ちは純粋に嬉しい。だが、私は女を不幸にしかできない男なのだ。そう、妻と娘をみすみす死なせたような愚か者なのだ。そんな愚者に、どうして可愛い義妹を任せられようか。誰が認めても、私が許しはしない。

 

 私はこのことについては、全く譲歩する気はない。

 

 

 

 

 (私は吹っ切れても、義兄さんはまだまだ引きずってる……。他にどうしようもなかったとはいえ、目の前で妻を失い、娘を自らの手にかけたんだから当然かもしれないけど。

 でも、義兄さん、それでも私は貴方を!)

 

 義兄の態度は頑なであった。いつもこうだ。この二年の間、私は少なからず女としてアプローチをしてきたが、その度に義兄はとりつくしまもなかった。早々に話を切り上げるか、無視してとっとと寝てしまうのだ。まさに鉄壁の護りだった。

 

 そういう意味では、まだ今回は聞いて答えてくれるだけマシなのかもしれない。もしかすると、フェンリルとの激戦で少なからず義兄の心も昂っているのかもしれない。

 

 「ねえ、義兄さん。私はそんなに女として魅力ないかな?義兄さんにとって、私には秘巫女としての価値しか無いの?」 

 

 「馬鹿を言うな!お前は十分すぎるほど美しいし、才もある。どうして魅力的でないはずがあろうか。いや、ない!」

 

 私の暗い表情を吹き飛ばすかのように、反語まで使って力説する義兄。内容自体は嬉しいのだが、なんと言うか無駄に力が入っている気がしてならない。これが他人なら、絶対にドン引きしている。なんというか、義兄馬鹿というか、シスコン……。

 いやいや、ないない。魔王である義兄がシスコンとか笑えないにも程がある。大体、私は大切にして欲しいのではない。私は義兄さんに愛されたいのだ。

 

 「あの義兄さん、そういってくれるのは嬉しいんだけど、それならなんで私を受け容れてくれないの?」

 

 「そんなの、当然だろう!さっきも言ったが、大切な可愛い義妹を私のような外道にくれてやれるはずがないだろう!」

 

 まるで、娘の結婚に一人反対する頑固親父のような物言いに、私は悟る。

 義兄は、私の想いを二重の意味で受け容れることができないのだと。

 

 まず、義兄自身が言ったように『己は女を不幸にする』という思い込みがある。これは(姉さん)(明日香)というあまりにも重い存在を失ったことからきており、最早義兄さんを呪縛しているといっても過言ではない。

 そして、義兄さんは私の義兄であることにも拘っている。私に幸福な人生を送って欲しいと心から願っているのだ。そうすると、女を不幸にする己は私に相応しくないという結論になるわけだ。

 さらに、自身を外道と評していることから、義兄は自身の目的の為に私の純潔を奪ったことも気にしているのだ。私を道具のように扱った己には、私の想いを受け容れる資格はないと思っているのだろう。

 

 一人の男として気持ちは嬉しいが、己では不幸にしてしまうから駄目。私の義兄としては、己のような存在に大切な義妹を任せるわけにはいかないし、そもそもその資格もないというわけだ。

 

 だが、私はあえて声を大にして言おう。そんなものは男の身勝手な思いだと!

 

 「義兄さんは、私を馬鹿にしているの?」

 

 「なに?」

 

 「私は義兄さんの事情を全て知っているし、悪いところも良いところも今や誰よりも理解しているつもりよ。その私がそれでも義兄さんがいいって言っているのよ!」

 

 「だから、それは!」

 

 義兄は尚も反論しようとするが、義兄さんの言い分はもう充分聞いたのだ。今度は私の番だ。

 

 「ねえ、義兄さん。義兄さんが何を気にしているかは分かっているつもりだし、私のことを思ってのことだって理解もしているわ。でも、義兄さんは私自身の思いを願いを完全に無視しているわ」

 

 「そんなつもりは……」

 

 「じゃあ、どういうつもりなの?未だに私の純潔を奪ったことを気にしているのなら、それは私への侮辱よ!私は最愛の人だからこそ、この身を捧げたの。それは義兄さんがどんな動機でそれに応じようと関係ないこと。私自身が全く気にしていないのに、いつまでたっても女々しく引きずってるんじゃないわよ!それこそ、私の覚悟と想いを侮辱しているわ!」

 

 「……」

 

 「義兄さんが私の事を思ってくれるのは嬉しいけど、私の想いと覚悟を無視しないで。義兄さんに仕える巫女になるといったのは、秘巫女としての責任感だけじゃない。ううん、そんなものはむしろおまけよ。私が義兄さんの傍にいたいと願い望んだからよ。誰かに強制されたわけでもなく、まして義務なんてものではもっとない。私は義兄さんを愛する一人の女としてここにいるの!」

 

 言うべきことは言った。言ってやった。いい加減、苛々していたのだ。女をなめないで欲しい。すきでもない男に純潔を捧げるほど、私は安くない。ましてや、命がけどころか+九死に一生を得るがデフォルトのまつろわぬ神との戦いに介入できるはずがない。

 

 さしもの義兄も言葉がないようで、絶句している。が、一転して破顔し懐かしそうに目を細めた。

 

 「ここ笑うとこじゃないと思うけど……」

 

 あんまりな義兄の態度にドスの利いた低い声が出た。

 

 「ああ、すまん。別に馬鹿にしたわけじゃないんだ。ただ……」

 

 「ただ?」

 

 「美雪の喝の入れようがな、美夏そっくりでな。見合いの席で会うなり怒られた事を思い出したよ。やっぱり、二人は姉妹なんだなと実感してな」  

 

 「私が姉さんと?」

 

 意表を突いた義兄の返答に私は戸惑った。姉と私は容姿こそ似通っているが、性格は真逆だといっていい。姉が奥ゆかしく控え目なのに対し、私は活発的で前面に出るのを好むからだ。

 

 「ああ、そっくりだ。美夏もあれでなかなか気が強かったし、怒ったときは誰よりも怖かった。美夏も美雪も芯が強いと。私などより余程な」

 

 ああ、これが姉が変わったと思った原因なのかもしれない。義兄さんしか知らない姉さんがいる。いや、もしかしたら実家で抑圧されていて表に出せなかっただけで、それこそが姉さんの本来の姿だったのかもしれない……。

 

 「確かに姉さんは怒ると怖かったけど、でも私と似ている?」

 

 「ああ、さっきは美雪だけじゃなく、美夏にも怒られているような気がしたよ。いつまでうじうじしているんだって、それでも私の夫か!ってね」

 

 冗談めかしてそんなことを言って微笑む義兄には、最早あれだけ堅牢に存在した拒絶感がない。私に見出した姉の面影がそうさせたのだ。やはり、義兄が愛しているのは未だ姉だけなのだと思うと、あれだけ猛っていた心が冷たくなる。

 

 「義兄さんは今も姉さんを……」

 

 「それは否定しない。私の最愛の女は今でも美夏だよ。でも、それだけじゃないこともまた事実だ」

 

 「どういう意味?」

 

 「私だって枯れてるわけじゃないから、性欲だってある。お前をそういう目で一度も見たことがないと言ったらそれは嘘になるし、男として想いを寄せられるのは嬉しくもある」

 

 この二年どれだけ迫ろうと跳ね除けてきた義兄が赤裸々に自身の欲望と想いを語った。私は予想外の言葉に驚愕しながらも、まじまじと義兄を見つめる。まさかそんなと思いながら。

 

 「私がこの二年どれだけ自制してきたか、お前は知るまい。お前程の美人に迫られてその気にならない男は不能か同性愛者くらいのものだろうよ」

 

 「え?え?ちょっと、待って!」

 

 立て続けに爆発する言葉の爆弾に、私は目を白黒させる。そして、頬が見る間に紅潮していくのを自覚した。義兄はそんな私の様子に溜息をつきながら、投げやりに語る。

 

 「正直、私が既婚者でなくてお前が義妹でなかったら、とうに襲っていた。それにこの二年の間、お前がどれだけ尽くしてくれたことか。そんないい女になんの感情も抱かないはずがないだろう。大体、好意ももっていない相手を傍に置くわけないだろう」

 

 「義兄さん、それって……」

 

 「隠すことなく本音を言えば、私は美夏のことを忘れることはできないし、少なくとも今はお前を受け容れてやることはできない。それでいて、お前を手放す気も、誰かにくれてやるつもりもない。そんな狭量で最低な男だ。それでもお前は私を望むというのか?

 いいか、よく考えろよ。これが最後のチャンスだ。今ならば、私はどうにかお前を手放すことを許容できると思う。だから、この機に私から離れないというのならば、お前は私のものだ。誰にもやらぬし、離してもやらない。私がいつか受け容れるようになるその日まで、飼い殺しにする。いや、下手をすれば一生そんな日は来ないかもしれないぞ」

 

 ぶちまけられた義兄の独占欲。それはあまりにも自分勝手で利己的だった。そんなものを抱えながら、私を己から解放しようとしたのは、義兄の最後の意地であり、義兄として守るべき一線だったのかもしれない。

 

 はあ、男とはどうしてこう見栄っ張りで、矜持(プライド)が高いのか。というか、やっぱりこの男は分かっていない。女をなめている!女の覚悟を甘く見ている!

 

 覚悟を決めた真剣な表情で私の答を待つ義兄に、私は呆れ顔でこれみよがしに深々と溜息をついてやった。

 

 「はあ、何を今更……。私はとうに義兄さんのものよ。離れる気なんてないし、義兄さんがいらないと言っても勝手についていくわ。私の命は義兄さんのもの。髪の毛一本、血の一滴に至るまで、義兄さんに捧げるわ。

 大体、そうでもなきゃ同室で寝泊まりなんてしないし、地位も財産も全てなげうってついてきたりしないわよ。いくら形式上兄妹とはいえ義理なのよ。姉さんが死に実家との関係も無くなった以上、はっきり言えば赤の他人なんだから。だから、私の覚悟は二年前のあの時にとうに決まっているの。たとえ、義兄さんが私の想いを拒絶しようが関係ない。私は私の意思を貫くだけ」

 

 「美雪……」

 

 「義兄さん、今すぐでなくてもいい。私はいくらでも待つわ。ううん、義兄さんが我慢なんてできなくなるいい女になってみせる。だからお願い、私を傍にいさせて。私は他の誰でもない義兄さんにこそ必要として欲しいの」

 

 私は必死だった。恥も外聞もなく懇願した。姉には一生勝てないかもしれない。でも、それでも最愛の人の傍にいることは許して欲しかった。義兄の力になれることが、義兄の為に行動できることが、今の私の誇りであり喜びなのだから。

 

 「お前も美夏も、姉妹揃って男の趣味が悪い。よりによって、こんな利己的で独占欲の強い男にひっかるとはな。そんなところまで似なくていいだろうに……」

 

 ぼやくようにそう言って義兄は言葉を切ると、私を抱き寄せた。突然で予想外の行動に私は反応できず、義兄さんの真剣な顔が至近に迫る。

 

 「美雪、お前を()のものにする。絶対に離してやらない。今度こそ神だろうとなんだろうと、誰にも渡さない。本当の意味で()に仕える巫女となれ。()にはお前が必要だ」

 

 「それが義兄……貴方の望みなら……ンッ」

 

 続けようとした誓約の言葉は、物理的に断ち切られた。他ならぬ義兄の唇によって。その衝撃に思わずうっとりしてしまった私を更なる衝撃が襲う。舌が侵入してきたのだ。

 

 「ンンン……ンッ!!!!」

 

 濃厚で強烈な刺激に私は打ちのめされ、声なき悲鳴をあげる。既婚者である義兄さんと違って、私の経験は二年前の一度きりだけなのだ。突然の怒涛の如き奇襲に為す術はなかった。

 

 しかも、あろうことか義兄の手は襦袢の内に入り胸をまさぐっているではないか。なんという手の速さだろうか。義兄が我慢していたというのは嘘でもなんでもなかったらしい。

 

 というか、まだ私のことを受け容れられないとかほざいてたのは、どこの誰だったろうか。そこに思い当たった私は、このまま流されてはいけないと思い、決死の覚悟で阻もうと行動した。何を大げさなと思うかもしれないが、最愛の男に抱かれるという誘惑を断ち切るのは並のものではない。

 

 「ンンッ!」

 

 「!」

 

 呪力で強化した渾身の力で足を踏まれ、声ならぬ悲鳴を上げて行為を中断する義兄。少し涙目になっている。いい気味だ。

 

 「なんか、まずいことしたか?」

 

 「あのねえ!最初のキスだけならともかく、それ以上はやり過ぎでしょう!大体、義兄さんはまだ私の想いを受け容れてはくれないんでしょう?」

 

 「ああ、うん。それはそうなんだが……」

 

 憤懣やるかたないと言った私に対し、なんとも言い難い表情で言い澱む義兄。

 

 「……何を言い淀んでいるの?」

 

 「それはそれ、これはこれというか。散々我慢してきたわけだし、この二年ご無沙汰だったわけで……つい、タガが外れたというか」

 

 「それって性欲に負けたってこと?……最低」

 

 蔑むようにぼそっと言ってやると、途端に義兄は慌てだした。

 

 「いやいや、愛情と性欲は別というか何というか。密接に関連するけど、男は反応してしまうというか……」 

 

 それで言い訳しているつもりのだろうか。墓穴を掘っているようにしか思えない。ああ、そうか。私を怒らせたいのか。

 

 「へえ、じゃあ義兄さんは愛情抜きで、性欲のみに突き動かされてあんなことをしたってこと?ますます最低ね」

 

 「え、いやそうじゃなくて。勿論、美雪には愛情を持っているけど……(以降、言い訳にならない言い訳が続く)」

 

 ますます情けない様子で弁解を続ける義兄を見ながら、私は内心で微笑んだ。実のところ、私は怒っていない。それどころか、むしろ喜んですらいる。義兄は本当に私を女として求めてくれたのだから。それがたとえ、今は性欲の暴走であっても、後に心から求めさせることできると私には思えたから。

 

 まあ、それでもしばらくは虐めてやろう。散々、待たされたのだから。これぐらいしてもバチは当たるまい。多分の照れ隠しを含んでいたとしても、それを許すのも男の甲斐性というものでしょう?

 

 

 

 

 この日、徹は美雪を宥めるのにかなりの時間を費やすことになった。フェンリルとの戦闘時間より遥かに長かったのだから、その苦労が忍ばれる。ちなみに、これが原因である魔術師に遭遇することになるのだが……。

 

 この北欧での異常は、破壊痕と周囲の惨状から、まつろわぬ神同士の戦いがあったと断定された。そして、それ以上の被害がなかったことから、相打ちになったと推測された。運が良かったと大半の魔術関係者達は胸を撫で下ろしたが、その不可解さから疑問を持つ者もいた。

 未だ世に出ぬ六人目の魔王。その存在が明るみに出る日は着実に近づいていた。




女性の言葉・心理をを書くのが思いの外難しいです。私は男性は何だかんだいってロマンチスト、女性は究極的にリアリストだと思っています。男性は結婚や同棲を感情で持ち出しますが、女性は収入や将来の展望などを検討した上で感情も加味するからです。故に男がその気になっても、女性はとことん冷めていたりします。女性側にとって恋と結婚では話が異なるのです。ええ、経験談です。悲しき実体験です。
まあ、女性は妊娠・出産という大仕事を引き受けるわけですから、しっかりしているのは当然かもしれませんが。

あくまで私の主観、経験により推測・想像して書いていますので、何かおかしいところがあれば、遠慮無くご指摘下さい。


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#03.魔王の狂宴

お気に入り登録が400件を超えました。100件、いや50件行けばいい方だと思っていたので、嬉しい誤算でした。本作をお読み頂いた全ての方に心より御礼申し上げます。本当にありがとうございます。

2013/03/02 修正しました。


 男は退屈と無聊を持て余していた。戯れに只人を飼ったこともあるが、彼の無聊を慰めるには至らなかった。彼を満足させるのは、結局のところ闘争しかないのだ。

 

 なぜなら、男は人の身で神を殺しその権能を簒奪せし、絶対の勝者『カンピオーネ』なのだから。中でも彼は最古参であり、数多の神を殺し、また数多の権能を保有する古強者。大学教授の如き知的な容姿をしながら、何よりも闘争を好み横暴を厭わぬ、暴君というに相応しい東欧の魔王『ヴォバン侯爵』ことサーシャ・デヤンスタール・ヴォバンであった。

 

 ヴォバンは戦いを求めていた。血沸き肉躍る宿敵との戦いを。

 

 しかし、現実はヴォバンの求めるものとは違った。若いころとは違い、三百年の時を経て有名になりすぎた彼は宿敵たる『まつろわぬ神』にすら倦厭されるのか、久しく獲物にありつけていなかったのだ。

 

 ヴォバンは何よりも退屈を嫌う。そして、自身に相応しい獲物が現れるのを待つ程、気も長くなかった。むしろ、短気であることを自身でも自覚している程であったから、彼の導き出したその結論は当然のものであったかもしれない。

 

 すなわち、獲物がいないなら、こちらから呼び出せばいいと。

 

 「カスパール、星辰や地脈が整うのはもうまもなくなのだな?」

 

 抑えきれない愉悦も露に愉しげに問うヴォバン。それに対し、背後に佇む黒衣の老人が頷いてそれを肯定した。一見、主とその従僕の他愛無い問答に見える。

 だが、その情景の異常さに人は恐れ慄くだろう。なぜなら、黒衣の老人は生きていないからだ。虚ろな瞳に血の気のない顔色、彼は紛れもなく死人であった。

 

 ヴォバンの保有する権能『死せる従僕の檻』に囚われし『死せる従僕』、それが老人の正体であった。ヴォバンは殺した人間を、『生ける死者(リビングデッド)』としてこの世に囚え、従僕として絶対服従させるのだ。ヴォバンは己に牙を剥いた者達に死という安寧の眠りを許さず、その尊厳を貶めるのだ。すなわち、ヴォバンに殺されれば、名誉の戦死など無い。どんな勇者であれ、死せる後にその意を無視され、ヴォバンの手足として行使される奴隷の如き存在にされてしまうのだ。それもヴォバンが死ぬまで永遠に。

 

 「北欧で神獣らしき狼が出たと聞いた時は心踊ったのだがな……。まさか、我が前に出る前にまつろわぬ神同士で滅ぼし合おうとは、私もつくづく運のないことだ。どうせならば、二柱まとめて私に向かってくればよいものを」

 

 あることを思い出し、一転して口惜しそうに苛立たしげに吐き捨てるヴォバン。彼が得た最初の権能『貪る群狼』。それと同じ狼と聞いてヴォバンは久方ぶりの闘争を期待していたのだが、その期待は予期せぬ事で裏切られることになった。

 

 なんと顕現したのは、狼神だけでなく雷神(雷鳴が轟いていたことから)までいたというのだ。そして、どうやら神話上対立関係にある神同士だったらしく、両者は戦い相討ちとなり、ヴォバンと相まみえる前に消えてしまった。

 

 強敵との戦いを望むヴォバンにとって、目の前の御馳走が食べようとした瞬間に消え去ったようなのものである。故に、余計に欲求不満を深める結果となっていた。今回、『まつろわぬ神を招来する大呪の儀』を強行するのも、少なからずその影響があるのは間違いないだろう。

 

 「必要な数の巫女は用意できた。後は私を祭司として、儀式を強行するだけだ。ジークフリート程の高名な『鋼』の英雄ならば、さぞかし私を愉しませてくれるであろう」

 

 まつろわぬ神と戦う役目を担うかわりに絶大な特権を許されているのがカンピオーネである。すなわち、まつろわぬ神と戦う為にそれを招来しようなど、本末転倒もいいところである。

 

 だが、それにもかかわらず、ヴォバンはどこまでも愉しげであった。彼の感情の昂ぶりに応えるように雲ひとつない晴天であった空が黒雲に覆われ、雷と強風、豪雨を伴って、たちまちに嵐となる。

 

 「ククク、いかんな。気が昂り過ぎている。だが、まあ神と戦う前の景気付けと思えばよいか」

 

 この嵐は、ヴォバンが呼び込んだものであるが意図したものではない。気が昂ぶると自然に呼び込んでしまうという無茶苦茶なものだ。ヴォバンは文字通り嵐を呼ぶ男なのだ。

 

 だが、この時ヴォバンは気づいていなかった。己の強引な巫女の集め方が、二人の招かれざる客を招いてしまったことを。一人は獲物を横取りしようと、一人は神招来の儀自体をぶっ壊してやろうと。その両者が、己の同朋であるカンピオーネであるとは、さしものヴォバンとて予期せぬことであった。

 

 

 

 

 義兄さんが騒動を呼び寄せると思っていけど、まさか私が騒動の原因になるなんて……。

 

 そんなことを思いながら、私は頭を抱えたいのを必死に堪えていた。なぜなら、目の前には殺気立った憤怒の形相の義兄がいるからだ。

 

 事の起こりは少し前のことだ。突如として、宿の一室で私は襲撃を受けた。それも素人ではない。地元の魔術結社に所属する腕利きの魔術師達である。如何にこの二年間で腕を上げたとはいえ、流石に多勢に無勢であり、私はあわや拐われるところであった。

 

 だが、隣室の義兄がそれを見過ごすはずもない。私の念話に応えて駆けつけた義兄は、私に手を出した魔術師達を一人を除いて、問答無用で消し炭に変えたのだ。それは一瞬のことであり、一人残された魔術師は何が起きたのか理解できず、呆然としていた。が、義兄は容赦しなかった。

 

 一人残った魔術師を拘束し、伝心の魔術をかけたのだ。義兄は気が昂ぶっていたのか、普段なら緻密に術式を組み上げるところを莫大な呪力にものを言わせて、力技で解決した。

 

 結果、カンピオーネであるヴォバン侯爵が神招来の儀を行う為に巫女を集めていること。その命を受けて私が狙われたことなどが分かったのだが……。

 

 正直、私は今すぐにでも頭を抱えたい気分だった。彼から分かったことは、あまりにも義兄にとっての地雷を踏み抜いていたからだ。

 

 まず、原因が神招来の儀というのが最悪だ。義兄にとっては最愛の妻子、私にとっては最愛の姉を失った原因であり、否応無くあの畜生どもの行った儀式が思い出される。これだけでも、義兄の逆鱗に触れている。

 さらに、私を狙ったのもヤバい。義兄にとって、護国の役目を別にすれば私は唯一残された身内であり、守るべきものである。自惚れているわけではないが、義兄さんは真剣に心から私の幸せを願ってくれているし、必ず幸せにしなければならないという強迫観念に似た気持ちを持っているのだ。その私が狙われたのだ。これで義兄にとって、賊は滅殺すべき対象となった。

 ダメ押しなのは、私に求められているのが贄同然の立場だということだ。まつろわぬ神を招来する秘儀は、当然ながら危険度が高い。万全の準備を整えたとしても、関わった巫女はまず無事ではいられない。下手をすれば正気を失い、そうでなくても心に深い傷を負う可能性が高いのだ。これを贄と呼ばずして、何と呼ぼう。それにある意味では、生贄にされるより始末が悪いことを考えれば、到底受け容れられるものではない。まして義兄がそれを許すわけがない。最早、義兄にとってヴォバン侯爵は存在すること自体微塵も許せるものではなくなったのだ。

 

 「美雪、呪力にものを言わせて結界を張っておくから、お前はここに篭れ。こいつらは点数稼ぎの為にお前を狙っただけで、巫女の必要数は集まっているらしいからな。もう、狙われることもないと思うが、万が一のこともある」

 

 静かな声で言う義兄だが、無表情で目が据わっている。明らかに何かやらかす気だ。私は不安になって、たまらず問うた。これ程、怒った義兄を見るのは、迦具土以来初めてのことだ。

 

 「義兄さんはどうするの?」

 

 「()()か……ちょっと潰してくる」

 

 一人称が滅多に使わない俺に変わっている。義兄が激昂している証拠だ。こうなると、最早私では止められない。

 

 「……潰すって何を?」

 

 それでも、一縷の望みをかけて問うが答は予想通り最悪のものだった。

 

 「決まっているだろう。神招来の秘儀を……いや、サーシャ・デヤンスタール・ヴォバンをだ!」 

 義兄ははっきりと宣言してしまった。あの東欧の暴君『ヴォバン侯爵』を殺すと。言葉とは言霊だ。呪術師・魔術師の王として崇められるカンピオーネである義兄のそれはどれ程の力をもつのか。最早、義兄と『ヴォバン侯爵』の対決は避けられないものになったといっても過言ではないだろう。

 

 「義兄さん、それなら私も!」

 

 「絶対に駄目だ!万が一お前が巻込まれるようなことがあってみろ。()、いや、私は己を許せなくなるし、絶対に壊れる。美夏を失い、この上お前まで失うことなど私には考えられないんだ。私にお前を守らせくれ!頼む!」

 

 「……」

 

 血を吐くような義兄の叫びと悲痛な懇願に私は何も言えなくなった。私に万が一のことがあれば、義兄は義兄の言葉通りの結末を迎えるだろうことを容易に想像できたし、それに何より私を守りたいという義兄さんの想いはとても嬉しかったからだ。最愛の男に守らせくれと言われて、それに泥を塗るほど私は空気の読めない女ではない。

 

 「それならせめて明日香を連れて行って。ヴォバン侯爵は三百年の時を生きる最古参のカンピオーネ。所持する権能も義兄さんより多いだろうし、どんな切り札を隠し持っているか分かったものじゃないわ。

 義兄さんが明日香を使いたくない気持ちはよく分かるけど、それでも万全の準備をしておくべきよ」

 

 「確かにそうだが……。それでも私は」

 

 私の言葉の正しさを認めながらも、尚も言い澱みそれを由としない義兄。

 だが、それは予期せぬ乱入者によって、次の瞬間断ち切られる事になった。

 

 突如、義兄の前に十拳剣が現れたのである。それが何なのか、言う必要すらないだろう。姉美夏の忘れ形見であり、義兄の娘であり、私の姪である子の魂が宿りし、魂魄の剣にして神殺しの刃『魂剣 明日香』。義兄の最後の武器であり、最終手段。

 

 「ほら、明日香も連れて行けって言ってるわ」

 

 私は召喚の術など使っていなし、呼びかけもしていない。そして、それは義兄さんも同様だろう。つまり、この娘は己の意思で私達の前へと現れたのだ。私と義兄さんにはこの娘と不思議な繋がりがある。余人には説明し難いが、確かな繋がりが。この娘はきっとその繋がりから、私達の危機を察知してこうして駆けつけたのだろう。

 

 「明日香……。美雪だけでなく、お前も私に言うのか。娘であるお前を武器として、道具として振るえと」

 

 驚愕も露に弱々しい声で縋るように問う義兄。

 だが、明日香の返答は苛烈であった。義兄の態度を戒めるかのように激しく鳴動し、次の瞬間義兄の肉体に突き刺さり、溶けるように消えた。

 

 「これがお前の答というわけか、明日香……」

 

 どこか呆然としながらも、己の肉体に消えた明日香に語りかけるように一人呟く義兄。その時、私の中の何かが切れる音がした。

 

 この男は、いつまでウジウジしているつもりだ!

 

 「義兄さんは女を舐めすぎよ!明日香も私も、義兄さんについて行くと決めたあの日から、とうに命かけてるんだからね。一人カッコつけて、女の覚悟を舐めないでよ!」

 

 「……カッコつけ、なめてるか。そうだな、余りにも今さら過ぎる話だったな。私がそれを汚すなど烏滸がましいにも程があるな」

 

 今、目が覚めたかのような表情で言う義兄。

 まったく気づくのが遅いって!鈍くはないくせに、義兄さんはいつもそうなんだから。

 

 「そうよ。言っておくけどね、義兄さんが思っているほど女は弱くないんだからね。守られているだけの存在だと思ったら、大間違いなんだから」

 

 「ああ、そうだな。うん、これでもかってくらいによく理解した。全く私もなってないな。美夏に散々教えられたはずなのにな」

 

 そこで姉さんの名前を出すか、この唐変木め!己のことを好きだと言った女の前で、実の姉とはいえ他の女の話をするんじゃない!

 

 「今、言っているのは姉さんじゃなくて、私と明日香の話だからね。分かってる?」

 

 私の声色が冷たくなったのを察したのだろう。義兄は慌てた様子で宥めるように答えた。

 

 「も、もちろんだ。美夏も美雪も明日香も、女は強いな。そんじょそこらの男より余程肝が据わっているよ」

 

 この期に及んで、尚も姉さんの名前を外さないとか……。義兄さんの中で強い女とはまず姉さんのことなのかもしれない。

 

 「ふん、分かっているならいいのよ」

 

 私の拗ねたような態度に困り顔をしながらも、声色が戻ったことに胸をなでおろす義兄。

 まあ、これ以上は言っても無駄だろうし、あまりに突っ込み過ぎるも無粋だろうから、これくらいにしておいてあげよう。ただ、当然意趣返しはしてやろう。貴方の隣に今誰がいるのかを理解させてあげる。

 

 「義兄さん」

 

 私の呼びかけに、顔をこちらに向ける義兄。その唇を私自身のそれで間髪入れずに塞ぐ。そうして、すぐに離れる。何が起こったか分からないと言った顔で呆然とする義兄に向かって、私は姿勢を正し、神妙な表情で頭を下げて、言ってやった。

 

 「我が主よ、貴方様に仕える巫女として、そして貴方を愛する一人の女として、無事なお帰りを心よりお待ち申し上げております」

 

 「あ、ああ」

 

 義兄が目を白黒させながら、言えたのはそれだけだった。

 いつもスルーされてばかりだもの。たまには、私が貴方を愛する女であることを意識してもらわないとね。

 そんな密かな満足を胸に、私は満面の笑みで義兄を送り出したのだった。

 

 

 

 

 白銀の巨狼が大地を駆ける。向かう先は、ヴォバン侯爵が神招来を行う儀式場だ。その巨狼が何者かは言うまでもないことだろうが、フェンリルより簒奪した権能でフェンリルに変化した徹である。

 

 後に賢人議会により『神喰らう魔狼』と命名されることになる徹の第三の権能である。徹の意思によって、自身の肉体を白銀の巨狼へと変化させる権能であり、その本質はフェンリルそのものになることにある。今の徹はフェンリルの肉体をそのまま再現しているのだ。軍神の腕を容易く喰い千切る爪牙に、神速を捉えるに足るスピード等を今の徹は自在に操ることができる。とはいえ、あくまでも再現しているのは肉体に由来する能力であり、フェンリルが用いた神速の権能は使えないし、フェンリルの代名詞たる呑み込む能力を使うことができるかも、現状では定かではない。すなわち、徹が使えるのはフェンリルの肉体のみであって、その多種多様な権能を使うことはできないのだ。

 

 だが、それでも十分すぎるほどに強力な権能である。それに何より、本質的に術士である徹にとっては、幼少の頃から磨き続けても一流止まりの拙い武技を補える点が大きい。フェンリルの爪牙と身体能力ならば、ただの達人など物の数ではない。見えていようが、反応できなければ意味が無いからだ。今の徹の攻撃を凌げるのは、徒人では超一流の達人の中でも極少数であろう。

 

 そして、この権能には徹にとって、もう一つ大きな利点があった。それは、正体を秘匿するのにこの上なく便利なことだ。なにせ、人間としての面影など何一つ無い白銀の巨狼なのだ。迦具土の権能と違い、行使した状態ならば、まず正体がバレることはない。

 

 実際、徹が白銀の巨狼となった状態で現在行動しているのは、移動時間の短縮というよりかは正体を秘匿する為と言ったほうが正しいのだから。

 

 まあ、突如出現した白銀の巨狼に、ただでさえヴォバン侯爵の無茶ぶりで右往左往していた周辺の魔術結社はさらなる混沌の坩堝に叩きこまれることになるのだが、徹にとってはどうでもいいことである。こういう周囲の迷惑より、自身の目的を優先させるところが、徹もまたカンピオーネであるということなのだろう。

 

 徒人の目には映らぬスピードで大地を駆ける白銀の巨狼は、嵐吹きすさぶ古城へととうとう辿り着いたのだった。

 

 

 

 

 私が儀式場となった古城に辿り着いた時間はすでに夜闇の支配する頃であった。最適な星辰はすでに整い、まつろわぬ神が招来されるまで幾許の猶予もない。私は、早々に儀式をぶち壊すことにした。

 

 美夏を生贄に行われたあの悪夢の儀式を再び繰り返されてたまるものか!

 しかも、美雪にまで手を出したな……。絶対に後悔させてやる!

 

 そんな思いを胸に私が儀式場へと飛び込まんとすると、立ち塞がるようにわらわらと人が集まってくる。その手に剣や槍を持っていることから、おそらく、ヴォバンの命によりここの守護を任されていた魔術師達だろう。思いの外、数は少ない。最古参の魔王であるヴォバンに逆らう者などいないと考えていたのかもしれない。

 

 それが大きな間違いであったと教えてやろう!

 

 私は足を止めると、力の限り咆哮した。

 

 「ウオオオーーーーン!」

 

 この程度の数の魔術師など爪牙で引き裂いても良かったが、今はあまり時間を掛けたくなかったからだ。それに、時代遅れの暴君への宣戦布告の意味もある。今から行くぞ、今から貴様の喉笛を噛みちぎるのだと。

 

 咆哮に込められた呪力と威に畏怖でヘタリ込む魔術師達を尻目に儀式場へと飛び込もうとしたのだが、なんと向かってくる者達がいた。

 

 存外に骨がある者がいるものだと感心したのだが、それは次の瞬間に哀れみと憎悪へと変わった。向かってきた者達は一様に焦点の合わない目で蒼白い顔をしていたからだ。恐らくこれは『死せる従僕』、ヴォバンに魂を囚われし哀れな勇者達だ。咆哮で止まらないのは当然だ。死者が恐怖を覚えることなどないのだから。

 

 だが、操られていようが向かってくる以上、剣を私に向ける以上、彼らは敵である。私は躊躇なく彼らを神喰いの爪牙をもって引き裂いた。灰となって跡形もなく消えていく彼らを見ながら、否応無くヴォバンへの憎悪が怒りが高まっていくのを感じる。転生などというものを経験し、死の記憶を持っているが故に、死の安穏を乱し魂を穢すその所業を許すことはできない。

 

 ヴォバン、貴様は本気で()を怒らせた!

 

 憤怒と憎悪を込めて雄叫びをあげ、私は儀式場へと飛び込んだのだった。

 

 

 

 

 ヴォバンがその異常を察知したのは、儀式も佳境に入ろうとしたところであった。いかなヴォバンと言えども、まつろわぬ神を招来するのは容易いことではない。自身が祭司を勤めることもあって、反応が遅れたのは否めなかった。

 

 そもそもヴォバンに逆らう気骨のある者達は、強権を用いて巫女を集める時にヴォバンの手にかかり粗方死んでいる。生きている者達も、現状動ける状態ではないだろう。それが故に、最小限の警備で済ませていたのだが……。

 

 咆哮が轟き、死せる従僕達が程なくして滅ぼされるのを感じ、後に勝鬨の如き雄叫びが響き渡る。

 

 「我が従僕達がこうもあっさりと滅ぼされようとは……。どうやら、招かれざる客が来たようだな。面白い、何者かは知らんが、まだ、この私に逆らおうというものがいようとは」

 

 予期せぬ侵入者、それも明らかな敵対者だというのにも関わらず、ヴォバンは愉悦に顔を歪ませた。

 

 そのすぐ後だった。儀式場の壁を壊して、白銀の巨狼が出現したのは。

 

 「礼儀をわきまえぬ輩よ。ドアをノックするどころか、壁を壊して侵入してくるとは。本来なら、直々に遊んでやるところだが、私は今忙しい。ヴォバンに逆らいし報いを受けよ!」

 

 エメラルドに輝く邪眼を解放し予期せぬ乱入者を睨みつけるヴォバン。視線の先にある生者を塩の柱へと変える彼の誇る邪眼の権能、『ソドムの瞳』である。

 

 しかし、ヴォバンが予期した結果は訪れなかった。白銀の巨狼は邪視をものともせず、一直線にヴォバンへと突っ込んでくる。神獣程度ならば、相応の効果があるはずの邪眼をすかされても、ヴォバンは僅かに眉を寄せるだけだ。歴戦の古強者である彼は予期せぬ事態など慣れきっているのだから。白銀の巨狼の突撃を紙一重で躱しながら、招かれざる客の正体に思いを馳せ、すぐに思い当たる。

 

 「神獣ではない、ましてこの感じまつろわぬ神でもない……!!貴様、新しい同朋か?!」

 

 さしものヴォバンも、それ以上言葉を発することはできなかった。なぜなら、白銀の巨狼に再度体当たりされ、巨狼があけた壁の穴から儀式場の外へと吹き飛ばされたからだ。

 

 実のところ、白銀の巨狼こと徹は最初の突撃を当てるつもりはなかった。というか、わざと躱せる程度の速さに留めたのだ。これは儀式が思った以上に進んでいたが故だ。

 まつろわぬ神を招来する為には3つの鍵が必要なのだ。一つは、きわめて巫力の高い魔女や巫女、また一つは呼び寄せる神に血肉を与える触媒となる神話、そして最後の一つは神の降臨を狂気に近い強さで願う祭司である。この内、カンピオーネの強権によって無理やり集められたであろう巫女や魔女を排除する選択肢は徹にはない。それは美夏や美雪の犠牲をよしすることにほかならないからだ。そして、触媒となる神話『ニーベルンゲンの歌』を奏でるのは、他ならぬ巫女や魔女達である。すでに彼女達は極度のトランス状態にあり、徹の乱入があったにもかかわらず奏で続けている。外部からでは余程強い刺激を与えない限り、止めることは不可能であろう。よって、これも排除できない。

 

 唯一排除できるのは、神の降臨を狂気に近い強さで願う祭司だけである。そして、まつろわぬ神の降臨を狂気じみた強さで願う者など、ヴォバン以外いるはずがない。徹は瞬時に祭司であるヴォバンを排除することに決めた。その為に初撃を囮にし、返す刀の本命の二撃目で自身のあけた穴からヴォバンを儀式場の外へと出すことを狙ったのだった。

 

 見事、それは成功したのだが、ヴォバンどころか徹さえ予想だにしないことに、招かれざる客はもう一人いたのだ。そして、その者はヴォバンに負けないほどに神の降臨を狂気じみた強さで願う者だったのだ。

 

 その者はヴォバンと徹が外へと消えたのを見届けると、ひょっこり儀式場に顔を見せた。

 

 「いやー、まさか僕以外にも乱入者がいたとはね。彼も僕みたいに神様の横取りを狙っていたのかな?いや、それなら降臨するまで待ったほうがいいよね。察するに、彼はこの儀式をやめさせたかったのかな?折角、神様と戦えるチャンスだっていうのに、なんで、そんなもったいないことするんだろう?」

 

 一人ブツブツと思索にふける人懐っこい顔をしたハンサムな金髪碧眼の青年。彼こそはサルバトーレ・ドニ。後に欧州最強の剣士と称される『剣の王』。現在は公的には六人目とされているカンピオーネである。

 

 ドニは、ヴォバンの招来した神を横取りすべく、徹が来るよりも以前に潜り込んでいたのだ。

 

 「あ、そういえば、やっぱり僕が七人目じゃないか。僕がアレだけ言ったのに、アンドレアも全然信じてくれないんだものな。失礼しちゃうよね、ちゃんと確かな筋から聞いたのにね……あれ?そういえば、僕は誰からいつ聞いたんだっけ?」

 

 ドニは自身が七人目というのは、カンピオーネとして新生する際にパンドラから聞いたのだが、生憎と呪的センスが欠片もない彼にはそれを覚えている事はできなかった。ただ、無意識には残るので、彼の中の認識では七人目だったというわけである。

 

 「まあ、いいか。それにしても、折角の機会だったていうのにもったいないことするよね。どうせなら、呼び出された後に襲ってくれればいいのに。まあ、それじゃあ彼の目的は果たされなかったんだから、無理な話か……」

 

 何気なくヴォバンのいた場所まで歩いて行き、その呪力の残滓を感じ取りながらドニは凄まじく残念がった。彼もまた真剣に敵を欲していたからだ。師である『聖ラファエロ』からの己と同等以上の敵と戦ってこそ、剣を極められるという教えに従い、ドニはここへ来たのだ。同朋であるカンピオーネ、そして、宿敵であるまつろわぬ神をあわよくば横取りして戦うために。

 

 「あーあ、もう儀式はダメになっちゃったみたいだし、こうなったら僕もあっちに入れてもらおう!」

 

 惜しらむは、もう少し早く心変わりするべきであった。いや、そもそもヴォバンのいた場所までいかなければ……。徹の意図した通り、儀式は不発に終わるはずであった。

 

 だが、儀式はすでに佳境に入っており、後は祭司がその意思を注ぐだけであったのが災いした。ドニが意図しないままに、ヴォバンの代わりに祭司の役割を果たしてしまったのだ。その狂おしいまでの剣を極めんとする意思が、その為だけに神と戦おうとする意思が英雄神たるジークフリートへと届いたのだ。

 

 カンピオーネ二人の戦いに乱入しようと、早々にその場を立ち去ろうとして、ドニは儀式場の変化に気づく。魔術の才能はまるでない彼だが、呪力の高まりくらいは察知できるのだ。

 

 「うん、まさか発動するのかな?いや、間違いなく強大な存在が現れようとしている!どういうわけか知らないけど、まず神様と、その後には同族二人とか……。いいね、僕は本当に運がいい!」

 

 ドニは来るべき神、そしてその後に控える同胞達との戦いに胸を躍らせながら、剣を手にして神の降臨を待ち構える。それによって、巫女や魔女達にどんな被害がでようが彼には知ったことではない。彼にとって、己の剣を極めること以外はどうでもいいことなのだから。

 

 

 

 

 「若造がやってくれおったな。我が念願の成就をを邪魔しおって」

 

 憤怒も露に三百年の時を経た老王が吠える。サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン、その知的な外見とは裏腹に飢えた獣を思わせる炯々と輝くエメラルドの瞳こそが、その本質を物語っていると私は思う。

 

 それにしても、流石は最古参のカンピオーネだ。本命の二撃目を呼び出した狼を盾にすることで防ごうとは。恐らくあれが『貪る群狼』だろう。とはいえ、真に恐ろしいのは権能の発動スピードやもっとも適切な権能を使うその判断力だが。

 

 『それは失礼した。だが、元はといえば手を出したのは貴方のほうが先だ。サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン』

 

 「ふん、その言いようから察するに、私が巫女を集めた際に身内が巻き込まれたか。まあ、どうでもいいことだ。それにしても、やはり同朋か。世には出てぬようだが、新参か?」

 

 『さてな?そんなこと、どうでもいいことだろう』

 

 「待てよ、白銀の狼だと……。貴様、北欧に現れたかの神を殺したのだな。私の獲物を奪ったのは、貴様だったか」

 

 フェンリルの事を言っているのだろうが、そんなことを言われても困る。結果的に権能が増えたとはいえ、私だってあれは不本意な戦いだったのだから。

 

 『貴方の獲物?笑わせる。貴方がもたもたしているのが悪いのだろう。こちらとしては、折角のバカンスに水をさされて散々だったのだからな』

 

 「若造が、この私を愚弄するか?!」

 

 『私は事実を言っているだけだ』

 

 「ぬかせ!新参者の分際で、ヴォバンに挑みし事後悔するがいい!」

 

 どこからともなく無数の灰色狼があらわれ、四方八方から私に襲い掛かってくる。『貪る群狼』、なるほど、便利で使い道がありそうな権能だ。飽和攻撃などに向いているかもしれない。

 

 だが、今の私にとっては悪手でしか無い。私は爪をもって灰色狼を引き裂き、牙をもって喰い千切ってやった。終わりなどないように湧き出る灰色狼が私に群がるが、神喰いの狼たるこの身には、牙を突き立てることはおろか、足止めすることすらかなうものか。

 

 フェンリルの巨体を生かし引き裂き、踏み潰し、蹂躙する。無論、ヴォバンにも注意を払っている……つもりだった。

 

 灰色狼の中の一匹だけいつ間にかいた銀狼が喉に喰らいつき、今まで歯が立たなかったはずの牙が肉体を貫くのを感じた。そこを基点に殺到する灰色狼達。立て続けの激痛に、たまらず私は体を大きく跳ねさせ、喰らいつく銀狼を振り落とした。

 

 『ククク、どうした若造?その巨体で大層な痛がりようではないか』

 

 振り落とされた銀狼が何事もなかったように立ち上がり、不敵に嘲笑うのに私は愕然とした。

 

 なぜ、ヴォバンがここにいる?!最初の立ち位置から変わっていなかったはずではないか!

 

 そう思って見やれば、そこには確かに人が立っている。だが、それはヴォバンなどではない。死相というしか無い特徴的な顔、『死せる従僕』だ。

 

 ヴォバンは、『貪る群狼』で私の注意を自身から逸らし、『死せる従僕』を身代わりにおいて、自身は銀狼に化身し灰色狼の群れに紛れて、私に一撃を加えたのだ。

 

 『やってくれる……』

 

 『貴様のその権能は中々に強力なものだ。我が猟犬共では歯が立たぬ。しかし、私自身なら話は別のようだな。』

 

 話している最中もヴォバンの変化は止まらない。灰色狼達は消え、ヴォバンは巨大化し、最終的には30メートル超の銀の体毛を持つ巨狼となった。

 

 『私にとっても、最初に得た馴染み深い権能だ。貴様のそれとどちらが上か比べてみようではないか!』

 

 『なめるな!』

 

 私は銀の巨狼を迎え撃った。

 

 

 

 

 吹き荒ぶ嵐の中、白銀の巨狼と銀の巨狼の戦いは怪獣大決戦もかくやであった。周囲のものをなぎ倒し、圧壊させ破壊の波を撒き散らす銀の嵐。それには自然の猛威すら霞んでしまう。

 

 両者はその巨体を存分に活用し、互いへと牙を剥く。白銀が銀を組み伏せたと思いきや、銀が白銀に喰らいつき、仕切りなおされる。銀が押さえ込めば、白銀がその爪牙をもって喰らいつく。両者はその巨体を存分に活用し、互いへと牙を剥く。

 

 互角の戦いが続くと思いきや、時が経つに従って形勢は明らかになっていく。

 白銀に比べ銀の負傷が多くなり、徹の優勢がはっきりとしてきたのだ。

 

 これは『神喰らう魔狼』と『貪る群狼』の権能のタイプの違いが明暗を分けた形であった。

 『神喰らう魔狼』は徹自身の肉体のみに作用する一極集中型の権能であり、その本質はフェンリルへの変身そのものだ。対して、『貪る群狼』のヴォバン自身の変化はもちろん単体・群での召喚も可能という分散型というべき多様な権能であり、その本質は聖獣の使役なのだ。故に、実のところ、ヴォバンはスピード・パワー共に徹に及ばなかったのだ。

 

 いかにキャリアの差があろうとも、この差は容易に覆せるものではない。故にこれはある意味、当然の結果であり、むしろ、ここまで食い下がったヴォバンを褒めるべきであろう。

 

 『ぬう、小癪な若造めが。どこまでも癇に障る!』

 

 『己の横暴の報いを受けろ!』

 

 ついには、白銀が銀を引きずり倒し、喉笛に噛みつかんとする。が、それは盛大に空振る結果となった。ヴォバンは噛み付かれる直前に化身を解き、突風で自らを吹き飛ばしたのだ。

 

 「癪だが認めてやろう。確かに、狼の権能では貴様に分があるようだ。

 だが、私の力はこんなものではない。本気のヴォバン、その一端を貴様に見せてやろう!」

 

 風が強まり、雨の勢いがまし、雷鳴が轟く。ヴォバンが、自身の代名詞ともいうべき権能『疾風怒濤(シュトルム・ウント・ドランク)』を本格的に行使しだしたのだ。

 

 今までの嵐など、ヴォバンの精神の昂りに応じてこの権能が漏れだしたものにすぎない。ヴォバンが本気でこの権能を行使すれば、嵐そのものが武器となるのだ。

 

 「いくぞ若造!新参者なりに足掻いてみせよ!」

 

 ヴォバンの意思に従い、天より落ちる雷神の矛。しかも、吹き荒れる強風と強まった雨が生み出すぬかるみが徹の動きを阻害する。

 

 『グオオオーーー』

 

 否応無く肉体を刺し貫く雷の矛に、さしもの徹も苦悶の声を上げる。ヴォバンに躊躇いなどというものは存在しない。追い討ちをかけるように連続で落とされる雷が、決定打にはならぬものの少なからぬダメージを徹に与えた。

 

 フェンリルの強靭な肉体の防御力と高めた呪力で、雷撃に耐えながら徹は迷っていた。フェンリルの権能から迦具土の権能に変えるかどうか。単純に雷撃に対抗するならば、迦具土の炎化した状態の方が都合がいいからだ。

 

 だが、激しく叩きつけるような雨がそれを躊躇させる。ただの雨ならば、迦具土の炎の障害にはならないだろうが、この雨は権能によるものだ。影響がないと考えるのは危険である。五行によりても、火を剋するのは水なのだから、尚更だ。加えてフェンリルへの変身を解けば、正体がバレることになる。それは徹にとって、もっとも避けたい事態なのだから。

 それにヴォバンが原因で正体をバラされるというのは何か負けた気分になる。そう考えると、どうしても行使する権能を変更することに踏み込めなかった。

 

 「どうした、若造。最早、手も足も出ぬか?ならば、息の根を止めてやろう!」

 

 雷の雨を降らせながら、ヴォバンは哄笑する。見れば、彼の者の頭上には分厚い雷雲が集まっているではないか。ヴォバンは攻撃しながらも、勝負を決めるための必殺の一撃を準備していたのだ。流石は齢三百年を経た古強者であった。魔王としてのキャリアの差を徹にまざまざと見せつける。

 

 突如として雷雨がやみ、ヴォバンの呪力が高まっていく。最早、下準備は終わったということなのだろう。次に来るのは、魔王の全力の雷撃だ。それは本家本元の雷神のそれに比肩しよう。いかなフェンリルの肉体といえど、無事でいられる可能性は限りなく低いだろう。

 

 しかし、それでも徹はフェンリルの権能に拘った。今度は迷っていたわけではない。雷を受ける内に徹の内に奇妙な予感が湧き上がってきたからである。

 

 なぜ、この程度の雷撃をされるがままにしているのか?己なら、この程度容易く無効化できるはずだと。

 

 「若造、今こそ貴様には感謝しよう。望外の奮戦であった。中々に愉しめたぞ。名も知らぬ同朋よ、ヴォバンの手にかかることを誉れとするがいい!」

 

 そうして、今までとは桁違いの規模と威力の雷神の矛が落とされた。その瞬間、徹の脳裏をよぎったのは、フェンリルが己の炎を呑み込んだ光景であった。

 

 『我は主神すら呑み込みし、神秘を喰らう大神。死と恐怖の象徴にして、神々の災いの具現。我こそが神々の黄昏(ラグナロク)なり』

 

 この身はフェンリルそのもの。ならば、その本質たる呑み込む能力を体現できぬはずなど無い! 

 

 自然と口から吐き出される苛烈な言霊。そして、これでもかと開かれるフェンリルとなった徹の大口が開かれる。

 

 それは異常な光景であった。ヴォバン渾身の雷神の矛が、白銀の巨狼の大口に吸い込まれるように呑み込まれていくのだから。これにはヴォバンも驚愕した。

 

 「なんだと!我が雷を呑み込んだというのか?!」

 

 『形勢逆転だ、サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン!』

 

 間髪入れずに飛びかかる徹。雷撃で迎撃を試みるヴォバンだが、少なからぬ雷が呑み込まれ、抑止力として機能するほどの痛撃を与えられない。ヴォバンに神喰いの魔狼の牙が迫る。

 

 「舐めるなよ、若造が!」

 

 ヴォバンもそのままそれを受け入れる程、潔くはないし甘くもない。呪力で極限まで圧縮された風の弾丸が徹の巨体を横殴りにして吹き飛ばす。とはいえ、それで徹に痛撃を与えられたわけではない。あくまでも、今の攻撃を凌いだにすぎない。

 

 『この僅かな時間で欠点を見抜くか……流石は先達というべきか』

 

 「ふん、同じような芸当ならばわたしにも可能だからな。些か驚かされたが、対処するのはそう難しくもないわ」

 

 フェンリルの呑み込む能力の欠点。それは、開かれた口の前方でなければならないということだ。先の雷のように、自らに向かってくるのに合わせるのは容易いが、逆に今の風弾のように横面を叩かれるのには、フェンリルの巨体も相まって対応しにくいのである。

 

 『なるほど、己の手口なら熟知しているのも道理か』

 

 「まさか雷を呑まれるとは思わなんだがな。貴様の殺めた神は余程強大な神であったのだろうな」

 

 『ああ、勝てたのが不思議なくらいだったよ』

 

 「ふん、惰弱な。貴様も『王』ならば、勝てて当然のようように振舞わぬか。まあ、貴様が負けていれば、私は良き獲物にありつけていたはずだと思うと口惜しいがな」

 

 『私では不足かな?』

 

 「いや、先も言った通り望外に愉しめたのは否定すまいよ。だが、今の私は忙しいのだ。貴様に付き合っている暇はこれ以上無い!故に全力で貴様を潰そう!」

 

 ヴォバンは愉しげな表情を一変させて、権能を行使した。またも現れる灰色狼の群れ。破られた権能でどうするつもりだと訝る徹を尻目に、ヴォバンはさらに権能を行使した。

 

 再び落とされる雷神の矛に思わず身構える徹だったが、その対象は彼ではなかった。その対象はなんと他ならぬヴォバン自身が呼び出した灰色狼達であった。それも数度の雷に撃たれたのだ。

 

 だが、ここで徹は異常に気づいた。度重なる雷撃にあっさり消滅するはずの灰色狼達が、むしろ活性化していることに。今や、彼らはその身に雷撃を帯び、その全身は全て凶器と言っていいだろう。 

 『まさか、権能の同時行使か?!』

 

 「何を驚く?私が伊達に歳を重ねきたとでも思ったか。この程度の所業、容易いことだ。

 さあ、貴様のその狼の肉体に、新生した我が猟犬共の爪牙が通じるか否か試してみようではないか!行けっ!」

 

 雷公の雷を纏った灰色狼達の群れが、ヴォバンの号令に従い白銀の巨狼へと襲い掛かった。

 

 

 

 

 しぶといし強いというのが私の受けたヴォバンの印象であった。半ば理解していたことではあったが、やはり地力とキャリアの差は如何ともし難い。

 

 『貪る群狼』ではフェンリルの権能に対して相性が悪いというのに、かなり食い下がられたし、『疾風怒濤』では使える手札の差を思い知らされた。やっとのことでフェンリルの特性で優位に立てたと思いきや、すかさず権能の同時行使で仕切りなおされるとは……。

 

 雷を纏った灰色狼達は攻撃力・防御力、そして、スピードさえも前とは段違いである。前は欠片もダメージなどなかった爪牙が当然の如くフェンリルの肉体を貫くし、一撃で倒せていたのが、1.5撃ぐらいの耐久力になっている。しかも、先より素早いので、こちらの攻撃を躱されることも少なくない。つまり、必要な手数は実質2倍、いや3倍というところである。

 

 だというのに、あちらの供給は変わらず、こちらの手数も増えない。しかも、ヴォバンは権能を同時行使しながら、全く疲れを見せないのだから恐れいる。

 

 私は最早正体がバレることなど気にしている場合ではないと考えていた。ここで負ければ、待っているのは確実な死である。折角の儀式を邪魔した私をヴォバンは絶対に許さないだろうから。

 

 私も対抗して、権能の同時行使とできればいいのだが、生憎と私が完全に掌握しているのは、迦具土の権能のみである。パールヴァティーの権能はオートだし、そもそもこの局面で使えるようなものでもない。フェンリルの権能に至っては、最近手に入れたばかりであり、掌握したなどとはお世辞にも言うことはできない。つまり、今の私に同時行使なんて芸当は不可能なのだ。

 

 徐々にではあるが、フェンリルの肉体が削られていくのを感じとっていた私は、ついに迦具土の権能を行使することを決意する。その時であった。誰かの声ならぬ声によって制止されたのは。

 

 その声は音を伴わない無言の声であったが、確かな意思を私に伝えてくる。不思議と懐かしい心暖まるような雰囲気を私に感じさせるその声は、私の内より響いてきた。

 

 私はそれが誰であるかを直感した。そうして、気づく。己は一人ではないのだと。負けることなど許されないのだと。そして、一人では無理でも二人なら不可能では無い事に。

 

 雷獣と化した無数の灰色狼についには足を止められ、全身にまとわりつかれ食いつかれた。端から見れば、私は絶体絶命の危機であった。ヴォバンも勝利を確信したのだろう。権能行使の手は緩めていないが、抑えきれない愉悦にその顔を歪めていた。

 

 見ていろ、今その顔を恐怖に歪めてやる!

 

 私の呼びかけに応え、私の内に宿る明日香が迦具土の炎を操る。本来、権能を行使するのは私にしか不可能だが、迦具土の炎だけは話が別だ。迦具土をその刃をもって殺めた剣であり、かつ、かつて迦具土の依代であった明日香は、それを制御し操ることができるのである。私がフェンリルの権能の行使に専念し、迦具土の炎を明日香に委ねればこんな真似もできるのだ。

 

 私の肉体は全身から炎を放出し、灰色狼を一瞬で灰燼と化す。私はその余勢を借り、その勢いのままヴォバンへと突っ込んだ。

 

 「馬鹿な、炎だと?!貴様、新参などでは……ゴフッ」

 

 流石のヴォバンも権能の同時行使はそれなりに負担であったらしい。回避することも、迎撃することできず、私の牙に半身を食い千切られ、神殺の焔で灼き尽くされる。確かな手応えに、私は勝利を確信したのだが、それは次の瞬間あっさり覆された。

 

 いつの間にか積もった塵が巻き上がり、人の形を成していくではないか。間も無くしてそれは知的な外見と虎の瞳を併せ持つ老カンピオーネとなった。

 

 呪力は明らかに大きく目減りしているから、私のような転生ではなく不死あるいは復活の権能だろう。なるほど、流石は歴戦の古強者である。奥の手の一つや二つは当然というわけだ。

 

 「やってくれたな若造が!だが、これは私の甘さが招いたことか。

 ……私も耄碌したものだ。いくら世に出ていないとはいえ、貴様のように戦い慣れたものを新参者だと侮るとはな!」

 

 忌々しげに吐き捨てるヴォバン。だが、最早その顔に遊びはない。

 

 「いいだろう若造。貴様を私の敵と認めよう!私が神と戦うのは貴様をすり潰してからだ!」

 

 「あっ、それ無理」

 

 吹き荒ぶ嵐の中で響く苛烈なヴォバンの宣言に場違いな脳天気な声が応じ、銀閃が私とヴォバンの間を切り裂くように奔り、深々と大地を割った。

 

 私とヴォバンが思わず声の方を見やると、そこには飾り気の無い無骨な剣を携えて人懐っこい笑を浮かべるハンサムな金髪碧眼の青年がいた。私はそれが誰なのか知っていた。だが、なぜ、彼がここにいる?!

 

 『『剣の王』サルバトーレ・ドニ。なぜ、貴方がここにいる?!』

 

 『剣の王』サルバトーレ・ドニ。ダーナ神族の王『ヌアダ』を殺してカンピオーネとなったイタリアの若き天才剣士。保有する権能はありとあらゆるものを切り裂く『斬り裂く銀の腕(シルバーアーム・ザ・リッパー)』と呼ばれる魔剣の権能だ。先の銀閃はこの権能による剣閃だったのだろう。

 

 「何、此奴も同朋だというのか!」

 

 驚愕を隠せないまま問う私に、ヴォバンも驚愕に目を瞠る。流石にカンピオーネが三人も一所に集まるなど予期していなかったのだろうから無理もない。

 

 「あ、君は僕を知ってるんだね。察するに君が本当の六人目だね。ヴォバンのじいさまともいい勝負してたみたいだし、なったのは結構前なのかな?」

 

 剣の王は飄々としたその態度を崩さず、私の問に答えることなく己の思索をすすめている。

 

 「……待てよ。貴様、まさか?!」

 

 ヴォバンはドニがここにいる理由に思い当たったらしい。視線で射殺さんばかりにドニを睨みつけた。

 

 「さすがはじいさま。もう気づいたか。うん、ジークフリートは僕が美味しく頂きました。いやー、中々の強敵だったよ」

 

 ドニは私とヴォバンが戦っている間に儀式を行い、招来されたまつろわぬ神を殺したのだろう。つまり、私とヴォバンはまんまとドニに漁夫の利を得られたわけだ。

 

 『貴様……巫女達はどうした?』

 

 「さあ、僕は知らないな。ああ、3分の1ぐらいは無事だったような気もしたけど、正気を失っていた子も結構いたかな?」

 

 どうでもいいことのように語るドニに沸々怒りが湧いてくる。貴様の所業でどれだけの犠牲がでたと思っているのか!

 

 『そうか、なら死ね!』

 

 「うんうん、そうこなくちゃね!」

 

 向かい来る私を嬉しげに剣で迎えうとうとするドニ。だが、それは両者の中間に落とされた雷で中断を余儀なくされた。振り返る私とドニの目に、憤怒にその身を震わせるヴォバンがいた。

 

 「私をここまで虚仮にしてくれたのは、貴様らが初めてだ!貴様らここから生きて帰れると思うなよ!」

 

 これまでの比ではない勢いで激昂するヴォバン。嵐はますます酷くなり、彼の激情の凄まじさを物語っているようであった。

 

 「そうこなくちゃ!同族二人が相手なんて、胸が躍るよ」

 

 そう言って、嬉しそうに笑うドニの神経が私には理解できなかった。私を対象に含めているのは遺憾だが、むしろ、ヴォバンの方に私は同意できた。私もまた怒りに支配されていたからだ。

 まあ、とりあえずこいつは殺そう!

 

 それからのことはよく覚えていない。激情に任せて、私達は三つ巴で戦い続け、周囲に破壊の嵐を撒き散らしたのは確かだ。そして、半死半生ながらもどうにか美雪の待つホテルへと戻ることができたことも……。

 

 満身創痍の私を出迎えてくれた美雪の泣き顔だけが、私の脳裏に深く刻まれている。

 

 

 

 

 後に『魔王の狂宴』とも呼ばれることになるオーストリアで起きた大規模な破壊事件。この事件では三人もの魔王が一所に集まり相争った事件として有名である。中でも特に名を上げたのは、ヴォバン侯爵からまんま獲物を掠めとった『剣の王』サルバトーレ・ドニであった。そして、名も人種も知れぬ狼の権能を持つ六人目のカンピオーネが公的に確認された事件としても、有名である。

 正体不明の六人目が公にその存在を確認され、魔術・呪術に関わる者達はその正体を暴こうと躍起になることになるのであった。

 

 

 




本作は実験作で色々試行錯誤しております。何か違和感等なんでも構いませんので、気づいたことがあれば、遠慮なくご指摘下さい。特に美雪さんがうまく書けているかどうか、心配でなりません。


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#03-1,2,3.魔王の爪痕

 魔王三人が入り乱れて争った狂える宴の数日後、サーシャ・デヤンスタール・ヴォバンの機嫌は最悪だった。己の獲物であったはずのまつろわぬジークフリートを奪ったサルバトーレ・ドニもさることながら、その原因を作り儀式を邪魔した名も知れぬ王にも、彼は底知れぬ怒りを感じていた。

 

 しかも、凄まじく遺憾なことながら、ヴォバンは満足もしていた。魔王三人が入り乱れたあの狂宴は、彼の過ごした三百年でも稀に見る激戦であった。彼の戦闘欲求は意図したこととは違う要因で、充足されることになったのであった。それがヴォバンにはなんとも言えず腹立たしく、二人の王への怒りをさらに深いものにしたのだった。しばしの間とはいえ、自身の狼の権能『貪る群狼』を使うのを控えた程であったから、ヴォバンの感じたそれがどれ程のものであったかは想像に難くないだろう。

 

 ヴォバンに従う魔術師の一人が六人目にについて言及してきた時など、あまりの不愉快さに『ソドムの瞳』を使ってしまった程であったから、最早天敵認定したといってもいいだろう。あれとサルバトーレとは不戦などありえない。相まみえた時は、命尽き果てるまで殺しあうだけだ。

 

 「このままでは済まさぬぞ、若造どもが!」

 

 無意識の内に持っていたワイングラスを握りつぶし粉々にしながら、ヴォバンは人知れず呟いたのだった。

 

 

 

 

 「……」

 

 自身も参加した儀式の数日後、祖父に従い現場検証に参加したリリアナ・クラニチャールは現場に残された魔王達の爪痕に戦慄していた。

 

 リリアナは天才である。比喩でも自意識過剰なわけでも何でもない。彼女はエリカ・ブランデッリと並び称されるミラノの神童である。齢12歳にして騎士として叙勲を受け、褒められた手口ではないとはいえ聖ラファエロに認められ、匠の魔剣『イル・マエストロ』を受け継ぎし新しき担い手。青銅黒十字の誇る銀の妖精。

 

 だが、そのリリアナにしても、目の前の惨状には言葉がなかった。大地は抉れ、所々には底が見えないと思えるような巨大な地割れができている。森などは、存在すらなかったように根こそぎ薙ぎ払われている。これが人の所業などと誰が信じようか。まだ、天変地異でもあったと言ったほうが説得力があるだろう。

 

 「これが魔王……カンピオーネの力」

 

 ありえない大きさの爪痕が散見され、巨大な獣が存在した名残を思わせる。朧気ながら覚えている儀式場に乱入したあの白銀の巨狼の仕業であろう。あれの正体は神獣などではなく、権能で変身した未だ名もしれぬ六人目の王であったらしい。今や、イタリアの盟主である七人目の王サルバトーレ卿はそう言っていた。ちなみにヴォバン侯爵には彼のことは禁句となっているらしく、不用意に発言した魔術師が塩の柱にされたことは、リリアナも祖父から聞き及んでいた。

 

 「私はどこか思い上がっていたのかもしれないな」

 

 機会があれば、第二のサルバトーレ卿にとも豪語していた悪友エリカ・ブランデッリの言を思い出し、言葉にこそしなかったが己もそれに負けないと思っていただけに、苦々しい思いを抱かざるを得なかった。

 

 何を自惚れていたのか?直接サルバトーレ卿が権能を行使するのを見ていたというのに、己は全然理解してなかったらしい。あの時は自身に向けて使われたわけではなかったからだろうか。それとも、最高峰の剣士達の試合に魅せられて感覚が麻痺していたのだろうか。はたまた、この髪型を真似た憧れの聖ラファエロに会えた感激で危機感が吹っ飛んでいたのかもしれない。まあ、いずれにせよ、こんな所業ができる者達に少しでも抗えるとか、自惚れが過ぎよう。

 

 「上には上がいるということか……」

 

 匠の魔剣を手に入れいい気になっていたのを冷水をぶっかけられ、正気に戻された思いであった。朧気にしか覚えていないが、血も凍るような極寒の覇気を纏った白銀の巨狼、ジークフリートの威に魅せられ全く身動きできなかったリリアナ達を尻目に最終的にそれを見事斬ったサルバトーレ卿。そして、精神の昂ぶりだけで嵐を呼び、さらにそれを武器とし死者を従僕として従えるヴォバン侯爵。いずれ劣らぬ怪物(フェノメノ)達だ。騎士の叙勲を受けた程度の小娘がどうして挑もうなどと思える道理があろう。

 

 自然の猛威など嘲笑うかの如き、目の前の惨状を見ながら、同じようなことができる者が七人もいるのだと思うと、暗澹たる気持ちを抑えきれないリリアナであった。

 

 

 

 

 「この考えなしの大馬鹿者が!ヴォバン侯爵だけでなく、もう一人のカンピオーネにまで喧嘩を売るとは何事だ!」

 

 怒鳴っているのは銀縁の眼鏡をかけた黒髪の青年である。知的で神経質そうな細面に眉間に皺を寄せて、頭痛をこらえるように頭を抱えていた。

 青年の名はアンドレア・リベラ。サルバトーレ・ドニの『王』となる前からの友人にして、後に『王の執事』と呼ばれる大騎士である。

 

 「いやー、ついついね。それに僕にとっても、彼の存在は予想外だったんだから仕方ないだろう?」

 

 それにどこ吹く風で応じたのは、脳天気そうな金髪のハンサムな青年だ。言わずと知れた『剣の王』サルバトーレ・ドニである。

 

 「大体、なんだってこんなことになったんだ?!」

 

 「うーん、どうも彼六人目は、儀式を止めさせるために来たみたいだよ。実際、僕がいなきゃその目論見は成功したんじゃないかな?でも、なぜか神様は結局呼び出されたんだよね。どうしてだろう?」

 

 「なんだと?!それはどういうことだ?貴様は何をした!答えろサルバトーレ・ドニ!」

 

 「うーんとねえ……」

 

 面倒臭げに自身の行動を仔細に語るドニ。話を聞くにつれて、リベラの顔色は蒼白になっていく。

 

 「それではヴォバン侯爵が呼び出したのではなく、貴様が……。ああ、なんということだ!」

 

 リベラはドニが意図せず祭司の役割を果たしたことを察した。正直に言って、最悪であった。最古参の魔王の獲物を奪ったというだけでも頭が痛いのに、さらに六人目のカンピオーネを敵に回し、この上儀式の実行者がドニであったなどと知られた日には……。

 

 「何をそんなに悲嘆に暮れてるのさ。ヴォバンのじいさまはともかく、六人目は残念ながら自分から喧嘩売ってこないと思うよ。頑なに正体隠しているみたいだからね」

 

 綺麗に再生した腕を違和感がないか確かめるように動かすドニ。

 

 「そうか、それは朗報だ。貴様は性格破綻者だがそういうことには鼻が利くからな。

 待てよ、表に出てこないということは、あの儀式についても詳細を語ったりはすまい。それならば……」

 

 リベラは高速で頭を回転させ、最適解を導き出す。

 

 「よし。この際だ、責任はヴォバン侯爵にとってもらおう。最早完全に敵対しているのだから、睨まれても今更だしな。ドニ、貴様は今回の詳細を誰にも話すなよ」

 

 「うーん、別にいいけど。そもそも君以外にわざわざ説明する気なんて起きないだろうし」

 

 「確かにいらぬ心配だったな。貴様の戯言に付き合うのは私ぐらいのものだからな」

 

 リベラはあくまでも儀式を行ったのはヴォバンで、その結果を掠め取ったのがドニということにすることに決めた。というか、真実を知らぬ世間ではそう思われているのだから、今更わざわざこっちの不利になる真実を明かす必要など無いのだ。

 

 「まさか、貴様の才能の無さに感謝する時がこようとはな……」

 

 疑う者がいても笑い飛ばせばいい。ドニが魔術師としては落ちこぼれなのは有名な話なのだから、神招来の儀式などできようはずがないと。

 

 「酷いこと言うなあ。まあ、魔術の才能がないのは事実だけどさ。僕には剣があるからいいんだよ。じいさまや六人目にだって、僕の剣は通じたよ」

 

 そう言って確かめるように振るわれる剣。ただ、それだけだというのにその剣閃は美しい。まさに天才。いや、規格外。リベラが大騎士の位階にありながら、シエナの落ちこぼれ騎士でしかなかったドニと交友を持っていたのは、その圧倒的な剣才に惚れこんだが故なのかもしれない。

 

 「問題なく腕は再生したようだな。それにしても聞いてはいたが、カンピオーネはつくづく化物だな。四肢欠損すら再生するとは」

  

 「うん、そうだね。それだけはこの体質に感謝かな。彼の牙の前、いや炎の前では、ジークフリートの権能も役に立たなかったからなー。ヴォバンのじいさまの攻撃は防げたのにな」

 

 実はドニの左腕は一時的に失われていたのだ。ヴォバンの攻撃を後に『鋼の加護(マン・オブ・スチール)』と呼ばれることになるジークフリートから簒奪した権能で防ぎ、ヴォバンに痛撃を加えたところを六人目に狙われて、左腕を食い千切られたのだ。

 

 「炎か……。独立した権能だと思うか?あるいは炎を纏う狼なのかもしれんぞ?」

 

 「あの狼の権能とは似て非なる印象を感じたから、違うんじゃないかな?恐らく、狼の権能だけなら防げたはずだからね。きっとあの炎の権能は僕の簒奪した権能と相性が悪いんだと思う」

 

 「権能の同時行使か……。お前より先にカンピオーネになったのは間違いなさそうだな。全く厄介なことだ」

 

 「あ、そういえば……。ほら、アンドレア本当のことだったろう?やっぱり僕が七人目じゃないか、六人目はちゃんといたんだし」

 

 ほら、見ろと言わんばかり胸を張るドニ。だが、リベラは慣れたもので、あっさり流し反撃すら加えた。

 

 「ふん、信用して欲しかったら、もう少し日頃の行いを良くするのだな」

 

 「酷い言われようだ……」

 

 ドニはそれを聞き流しながら、新しい左腕を見る。本来、新しく再生したのだから筋力等のバランスがおかしくなっていても不思議ではないというのに、新しい腕は前のものと遜色ないし、違和感も何もない。これもカンピオーネの能力なのだろうか。

 

 「楽しかったなあ……。うん、またやろう!」

 

 カンピオーネになって、初めて感じた命の危険。研ぎ澄まされる剣筋に鋭くなる感覚。なるほど、師の言う通りだった。同格の相手との戦いは、どこまでも己の剣を高みへと導いてくれる。次なる機会に胸を踊らせるドニ。

 

 「アホか、貴様は!少しは自重しろ!」

 

 そんなドニの頭を容赦なく叩くリベラ。世界が騒がしかろうと、いつも通りの二人であった。 




折角、リクエストを頂いたので書いてみました。何というか、意外な程に筆が進みそれなりに長くなりました。リリアナがヴォバンに最初から協力的だったのは、所属する結社の命令というのもあるでしょうが、それ以上に力の差をエリカより理解していたからじゃないかなあと思いまして。


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#04.幽世に住まう者

申し訳ありません。投稿ミスをにどもしてしまい、さらに予定より遥かに遅れてしまいました、重ねてお詫び申し上げます。なんというか、本来、想定していた以上に長くなりまして、実のところこれでもかなり端折ったのですが……。


 「さて、久方ぶりに御帰還なされたかの羅刹の君に対し、我らはいかに動くべきか……。それにしても、すでに数柱の神を(あや)めながらも、未だに世にその名を知られておられぬとは、大したものにございますな」

 

 ここは幽世(かくりよ)、アストラル界とも呼ばれる生と不死の境界。肉体よりも霊が重きをなす特殊な世界。そこにある深山の(いおり)に、日本の呪術界に絶大な影響力を持つ『古老』と呼ばれる者達が集っていた。

 

 一人は、木乃伊(ミイラ)、即身成仏した黒衣の僧正である。先に発言したのは彼だ。

 一人は、玻璃の瞳が特徴的な深い亜麻色の髪をもった神祖である。身につけた十二単もあいまって、平安貴族の姫君を思わせる絶世の佳人であった。

 一人……いや一柱は、かつてまつろわぬ神であった者。『建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)』、この領域を支配する須佐の老神だ。

 

 日本の呪術界の後見役にして、御意見番。そして、いずれ劣らぬ古狸達である。そんな彼らが一堂に会したのは、久方ぶりに帰国した日本初のカンピオーネ『神無徹』への対応を協議する為であった。

 

 

 「あの野郎は、神を殺したらさっさと移動しやがるからな。騒ぎになる頃にはすでにいないというわけだ。運のいい野郎だ」

 

 どこか不満気に言うスサノオ。

 

 「かの羅刹の君が一所に留まらぬは、自身が原因で騒動が起きることを理解されているからでしょう。かの御方は元より護国の役目を負いし者なれば、万が一にも眠れる御子を起こさぬように、この国をお離れ遊ばした程ですから」

 

 それに対し、玻璃の媛が庇うように言う。

 

 「ふむ、媛はかの羅刹の君に好意的ですな。この国の呪法を司る者達が地上の雑事にかまけ、今や忘れられた役目であった封印の護持をしてきたことは、確かに評価に値しますがな。

 とはいえ、このまま何の手も打たず放置しておいてよい道理はありますまい」

 

 「御坊のお言葉もっともなれど、わたくしは気が進みませぬ。かの御方はあまりにも多くのものを失っておりまする。それでいて、尚も護国の為に行動されているのです。この上、我らのような者が重い役目を負わせるなどあってはならぬことでしょう」

 

 黒衣の僧正に対し、玻璃の媛は否定的であった。彼女は徹がカンピオーネになった経緯を全て知っているのだから無理もない。まして、今回の帰国も彼の妻子の命日の為だと理解しているから、余計にである。

 

 「確かにあの野郎の事情には同情するがな。それとこれとは話が別だ。野郎が神殺しである以上、放っておくことはできねえ。ここいらで野郎の器と手並みを試しておくのは、必要なことだ」

 

 しかし、スサノオはにべもない。彼からすれば、徹にどんなに重い事情があろうとも、この国に眠る最強の『鋼』のことを思えば、比べるに値しないからだ。カンピオーネはかの『鋼』に対抗しうる唯一といっていい存在なのだ。その性状を調べ、強さを確認することは重大事であった。

 

 「左様。媛のお気持ちは理解しますが、我らにも役目がありまする。眠れる虎の眠りを妨げず、深く長く続くようにせねばなりませぬ。そして、いざというとき頼れるのはかの御仁しかおりませぬ。なれば、これは必要なことでございましょう」

 

 黒衣の僧正も言う。古狸で反骨精神旺盛な彼だが、護国にかける想いは本物である。そこに嘘はない。

 

 「……わたくしだけ反対したところでなんになりましょう。確かに必要な仕儀では御座いますし。

 されど、如何されるのですか?我らが地上の者達を動かし、今日まで正体を隠してきたかの羅刹の君の正体を白日の下に晒すわけにもいきませぬ。そのようなことをすれば、かの御方の逆鱗に触れましょう」

 

 「確かに媛のいうことはごもっともにございますな。されど、我らが早々動き、現世に干渉するわけにもいかぬでしょう」

 

 「いや、今回は俺が直接動く。野郎をここに招く」

 

 スサノオの突然の爆弾発言に、黒衣の僧正と玻璃の媛が驚愕に目を見張る。

 

 「何と?!御老公の直接の御出馬とは……。御老公の巫女以来の椿事で御座いますな」

 

 「御老公、どのような風の吹きまわしでしょうか?」

 

 楽しげに言う黒衣の僧正に対し、玻璃の媛は訝しげである。

 

 「なに、お袋を殺した兄貴を殺した野郎だからな。俺個人としても、一度会ってみたかったのさ。それに今回に限っては、俺が出たほうが都合がいいってのもあるがな」

 

 どうやら、母である伊邪那美を殺した兄迦具土。そして、それを殺した徹には複雑な想いを持っているらしく、ニヤリと笑うスサノオ。悪童を思わせるその笑は、これから到来する嵐の大きさを予感させる。

 

 「そういえば、あの封印は御老公自らが関わっておられたのでしたな。なるほど、妙案にございますな。いやいや、これは楽しみになって参りましたな」

 

 「御坊、あまりに不謹慎でございましょう。御老公、くれぐれもやり過ぎませんように」

 

 興味深げに笑う黒衣の僧正を諌め、スサノオに忠言する玻璃の媛。

 

 「そいつは野郎次第だな」

 

 されど、不敵にスサノオは笑い、黒衣の僧正は聞き流すだけであった。男達のそんな様子に玻璃の媛は、憂い顔で溜息をつくのであった。

 

 

 

 

 

 もう、姉さんが死んでから、もう四年もたったんだ……。

 周囲では煩いほどに蝉が鳴いているというのに、ここだけは切り取られたように静寂が支配するその空間で、私は無情な時の流れを思い知る。

 

 「……」

 

 手を合わせ目を瞑り一心に何かを祈るような義兄に言葉はない。ここに来た時はいつもそうだ。義兄は無言でその掃除をし綺麗にした後、亡き姉に語りかけるように長い時間微動だにせず、その場を動こうとしない。

 

 ここは義兄の継いだ観無神社、いや神無神社の境内にある一角に設けられた姉美夏の墓である。そこには傷1つない綺麗な状態の姉の遺体が埋められている。義兄が、四年前この国を離れる前の準備期間に独力で作った墓だ。私が隠蔽の術式の開発に使われたと思っていた時間の大半はこれにつぎ込まれ、術式の開発自体は片手間であったというのだから恐れ入る。

 

 義兄に習って、目を瞑れば姉の儚げな笑顔が思い出される。

 義兄さんは知らないだろうが、私にとって印象に残っている姉の笑は儚げなものだ。大輪の華が咲いたような笑は、義兄と一緒に暮らすようになってからのものであり、私個人に向けられたことはない。あの笑は義兄と一緒であったからこそのものなのだ。

 

 いや、姉をそのようにしたのは、私自身も含めた神楽家そのものだったのであろう。姉にとって、神楽家はお世辞にも過ごしやすいとは言えなかったであろうから。両親(もっとももう親とも思っていないが)は言うに及ばず、親族は勿論、弟子である術者達でさえ、姉を蔑んでいたのだから。跡取りに相応しくない宝の持ち腐れの出来損ない、それが姉の家の中での評価であった。それでいて、体面を気にしたのか、外では令嬢としてきっちり扱ったのだから、質が悪い。私にとっては姉と普通の姉妹でいられる貴重な時間だったが、姉にしたら苦痛以外のなにものでもなかっただろう。

 

 だから、私達が本当の意味で姉妹になれたのは、義兄と姉が結婚した時であったのかもしれない。あの時、本当の意味で姉は救われ、本来の己の姿をさらけ出すことができるようなったのだ。私に対する遠慮や引け目もなくなり、姉は己の意思を表面に出せるようになったのだ。今思えば、私が変わったなどと思ったのは、姉が本来の姿を隠していたからに過ぎず、そしてそれを私が理解していなかっただけの話なのだろう。

 

 私は姉さんに謝りたいことが沢山あった。私にも姉さん本来の笑を向けて欲しかった。でも、その全てが手遅れであり遅すぎた。姉は死に、最早儚げな笑すら私に向けられることはないのだ。京の切り札『秘巫女』などと呼ばれても、表面上の事実に惑わされ、一族の妄執にも気づけなかった愚か者でしかない。まつろわぬ神には無力であり、義兄の足手まといになっている現実が私には辛かった。

 

 それでいて、姉さんの代わりでもいいから愛されたいと願っているのだから、私は何と身勝手な女であろうか。フェンリルの件で、手放す気はないと宣言してくれた義兄だったが、拒んだのがまずかったのか、あれ以来義兄が私に触れたことはない。唯一の例外は、『魔王の狂宴』の際に私が自分からしたキスぐらいのもので、義兄の護りは以前にもまして鉄壁だった。

 

 正直、姉さんにどうやったらこの人をその気にさせられるのか、問いてみたいくらいなのだから。

 

 《私からあの人を奪おうというんだから、そのぐらい自分で考えなさいな。あの人をその気にさせるぐらいのいい女におなりなさい!》

 

 そんな答が返ってきたような気がして、私は目を瞠る。思わずキョロキョロと周囲を見回すが、何の変化もない。耳を澄ませてみても、聞こえるのは風の音とミーンミンミンと鳴く蝉の声だけだ。

 

 恐らくは幻聴だろう。いや、私の願望が聞かせた声なのかもしれない。でも、私は不思議と姉さんに喝を入れられた気分だった。姉に怒られたのは数えるほどしか無いが、叱咤激励されたことは少なくないだけに余計にそう思えた。

 

 確かに姉さんから義兄さんを奪おうという私が姉さんに頼るとか、何様だろうか。恥を知るべきであろう。独力で義兄さんをその気に出来ないのならば、結局私は姉さんに勝てないということなのだから。

 いや、故人に勝てるとは思っていないが、せめて私を女として見て欲しいと思う。亡き妻の妹ではなく、一人の女として求めて欲しいと思う。そして、それは余人に頼るものではなく、私自身がなさなければならないことなのだから……。

 

 そんなことを改めて思い直しながら、意中の人物へと目を向ければ、ちょうど姉との対話を終えて振り返った義兄と目があった。

 

 「どうした?」

 

 「ううん、ちょっと姉さんに喝を入れてもらったような気がしただけ」

 

 

 「美夏に喝をか……ああ、ありそうな話だ。私もよく入れられたものだ」

 

 懐かしげに何かを思い出すかのように義兄は話す。先程までの鉄面皮が嘘であったかのように綻ぶその様に、鈍い胸の痛みを感じる。ああ、私はまだ姉さんに及ばないのだ。

 

 姉の話題は基本的にお互いに積極的には出さないことが私達の不文律だが、日本帰っている間だけは別だ。とはいえ、義兄は結構無意識の内に何気なく姉の話題を出すので、しっかり守られているとは言い難いのだが、それでも自粛しているのは事実なのだろう。この時ばかりは普段の数倍、いや、二言目には姉の話が出るのだから。

 

 「姉さんが、義兄さんに?」

 

 「ああ、思えば初対面からそうだったよ。元々政略結婚前提の話だったからな。期待なんて欠片もしないで、やる気ゼロだったからな」

 

 どこまでも楽しげに笑みすら浮かべて語る義兄の姿に胸の痛みは酷くなる。姉の思い出話をするだけで、こんなにも笑を見せるというのに、普段私と一緒にいる時の義兄はほとんど笑わないのだ。時折見せるのも微笑程度で、今のような無防備な笑ではない。

 

 もしかしたら、義兄さんは、姉さんを失って以来、本当の意味で笑ったことなどないのかもしれない。

 

 そんな思いが頭をよぎり、払いのけたはずの無力感がまた頭をもたげてくる。

 

 いけない、いけない!姉さんに叱咤されたばかりではないか。義兄さんが笑えていないとうのなら、笑わせてあげるのが私の役目だろう。その程度のこともできずにどうして義兄さんの隣に立とうというのか。

 

 急な来客があったのは、そんな風に内心で己を奮い立たせた時であった。それだけにタイミングが悪いと思ってしまったのは仕方のないことだろう。思わず八つ当たり気味に睨みつけてしまったことも含めて……。

 

 「お久しぶりです、先輩に美雪さん。私も参らせてもらっていいでしょうか?」

 

 そう言って現れたのは、白いYシャツを着た不思議とだらしない感じを受ける地味な青年であった。手には花束を持っていることから、言葉通り姉の墓参りに来たのは間違いない。但し、本題は別にあるだろうが……。

 

 青年の名は甘粕冬馬(あまかすとうま)。地味な外見に騙されてはならない。秘巫女である私の目から見てもその動きに隙はなく、それどころか足音すらない。彼は四家筆頭『沙耶宮』が創設した正史編纂委員会という日本の呪術界を取り仕切る組織の凄腕エージェントなのだから。

 

 そして、腹立たしいことに、義兄さんと親しい友人でもある男である。

 

 

 

 

 「いやー、突然お邪魔してすいませんね。無粋だとは思ったんですが、先輩達が日本に帰ってくるのって、この時くらいじゃないですか。なので、非礼は承知で押しかけさせてもらいました」

 

 汗を拭いながらも、恐縮したように冬馬は話す。  

 

 「いや、お前には世話になっているからな。気にすることはない。報告書に何か不備でもあったか?」

 

 甘粕冬馬、本来敵対関係にある組織に所属する術士である。とはいえ、敵対といっても両組織の力の差は明白であり、古来よりの権威や伝統を重んじる京都の組織にとって、私のような新参者は余り好まれないこともあって、私にとってはむしろ付き合い易い男であった。そんなわけで、ある集まりで知り合って以来、不思議な友人関係が続いている男だ。結婚式にも招待したから、それなりに親しい間柄と言えよう。まあ、冬馬からすれば、不穏分子の情報収集という意味もあったのだろうが、それはお互い様なので特に問題はない。

 

 四年前、美夏の死をきっかけに私は所属していた京都の組織を脱退している。これは美雪も同じことであり、そういう意味では正確に言えば最早美雪は秘巫女ではないのだが、まあ後継者もいないし、特段名乗っているわけでもないので別段問題はないだろう。ここで、重要なのは私と美雪に収入がないということだ。美雪は、神楽家の遺産で一生食っていけるが、私は別だ。無論、頼めば美雪は喜んで受け容れてくれるだろうが、ヒモになるのはまっぴら御免である。よって、私は新しい収入源を手に入れる必要に迫られた。

 

 とはいえ、カンピオーネの宿業ともいうべき騒動誘引体質では、一所に留まるわけにもいかない。そうなると真っ当に働いて稼ぐのは難しい。故に、当然の如く呪術・魔術関係の仕事となるわけだが、あまり大ぴらにやると正体がバレかねない。そこで頼ったのがこの男である。

 

 四年前、私と面識があるということで、調査に派遣されてきた冬馬に、美夏の死を理由に京都の組織を脱退したこと、しばらく日本を離れることなどを話し、仕事の斡旋を頼んだのだ。そうして、回された仕事が外部調査員であった。 

 日本の呪術界は他国に比べて特殊な形態をしており、さらにどちらかといえば内向きであり、他国に支部を設けるようなことはしていない。その為、外部の情報がどうしても遅れがちになるし、詳細を掴むのも一苦労であった。それに他国で呪術や魔術によって被害を受けた者のケアなども万全ではなく、かといって簡単に拡充することができるものでもないので、歯痒い思いをしていたらしく、私の申し出は渡りに船であったらしい。

 

 とはいえ、実のところ私より秘巫女である美雪との繋がりを維持すると同時に、四家に対しての敵対勢力として急先鋒であった神楽家最後の生き残りに対する監視という意味合いが大きかったらしいが。

 

 まあ、そんなわけで私は外国で呪術被害を受けた邦人のケアや、邦人の引き起こした呪術トラブルの解決等をしながら、日々の糧を得ていたのである。よって、断じてヒモではないことを宣言しておく。

 

 さて、私の仕事として最も重要なのは、他国における呪術・魔術関連の情報収集である。やはり現地にいないと分からないことは多々あるし、手に入らない情報というのは少なくないのだ。これには当然、まつろわぬ神やカンピオーネの情報も含まれており、私の報告書はとても有用であったことは間違いない。なにせ、間近で見たどころの話ではない。当事者であるのだから、そんじょそこらの結社の集めた情報とは比べもにならないぐらい詳細な内容を書けるのだ。実際、高評価でボーナスまでもらった程であるから、その価値はよく分かるであろう。

 

 「いえ、報告書に不備があったわけではありません。むしろ、その逆なのが問題でして……」

 

 「逆?どういうことだ?」

 

 「新しく上司になられた方が、先輩の報告書を見て詳しすぎると言われまして。特に去年の『魔王の狂宴』について、あそこまでの情報は現地の結社ですら手に入れてはいなのいのではないかと疑問を呈されまして」

 

 「なるほどな、詳しすぎるか……。それで、それに気づいた聡明なお前の上司は?」

 

 やらかしたというのが、私の偽らざる思いであった。普段は気をつけているつもりなのだが、あの時は色んな意味で気が昂ぶっていて、どうやら自重しきれていなかったらしい。確かに、思い返してみると詳しすぎる事は否めない。まるで、当事者であったかのような情報量だろう。背中に嫌な汗が流れるのを感じた。 

 

 「先輩が覚えていらっしゃるか分かりませんが、媛巫女であり沙耶宮の次期頭首であらせられます。正史編纂委員会・東京分室室長『沙耶宮馨(さやのみやかおる)』さんです。どうして、こんなに詳しいのか聞いてこいと命じられましたよ……」

 

 やれやれと言いたげな表情で溜息をつく冬馬だが、その眼光は鋭く欠片も笑っていない。もしかすると冬馬自身、同様の疑問を抱いていたのかもしれない。

 

 「……」

 

 

 「先輩には少なからぬ恩義がありますし、余り問い詰めるようなことはしたくはありません。先輩の仕事ぶりは委員会も評価していますし、悪いようには致しません。答えては頂けませんか?」

 

 どうすべきか沈思黙考する私の姿を、冬馬は答えたくないのだととったのだろう。そんなことを言ってきた。

 

 さて、どうしたものだろうか?ここで真実というか、私の正体をバラすわけにはいかない。冬馬だけならともかく、その上司にまで伝わるのは許容できないからだ。なにせ、私は沙耶宮馨の為人を知らない。合同の祭祀で遠目にその姿を見たぐらいなのだから。故に誤魔化す以外道はないのだが、どう誤魔化したものだろうか?うん、待てよ。引っかているのは『魔王の狂宴』だったな。それならば、言い様はあるか。

 

 「……無様な話だから、余り他言はして欲しくないのだが、あれで行われたのはまつろわぬ神招来の秘儀だったろう?だからさ……」

 

 私の言葉にはっとして、沈痛な表情になる冬馬。甘くはないが良い奴である。

 

 「そうか……先輩の奥さん、美夏さんは」

 

 冬馬は美夏が神招来の為に生贄にされて犠牲になったことを知っている。だからこそ、通じる理由であった。

 

 「ああ、まつろわぬ神招来の秘儀と聞いては、いてもたってもいられなくてな。勇み足もいい所だったし、俺ごときには儀式をやめさせることも出来なかったが、事の一部始終はどうにか見届けることはできた。ただ、それだけの話だ……」

 

 無論、真っ赤な嘘であるが、さも真実であるかのように沈痛な表情になって、私は悔しげに語ってみせた。いかに現代の忍ともいうべき冬馬であっても、これを見破るのは容易では無いだろう。

 

 「そういうことでしたか……。申し訳ありません、いらぬことをお聞きしました。馨さんには、私からそれとなく上手く伝えておきますよ」

 

 「すまんな、恩に着る」

 

 「いえいえ、これくらいなんてことありませんよ。先輩にはお世話になりましたから」

 

 「今、世話になっているのは私の方だがな」

 

 私が戯けて言うと、冬馬も笑って応じた。

 

 「いやいや、こちらとしても助かってますし、持ちつ持たれつですよ。

 そういえば、最近は……」

 

 それから、しばらく互いの近況などを教え合い、手土産に開発した新術を持たせてやる。真実を隠し嘘をついたことに対する詫びでもある。冬馬はそれを恐縮しながらも受け取り、帰っていた。

 

 私としては、酒でも飲み交わしたいところだったのだが、今回は居心地が悪かったのだろう。なにせ、終始美雪が凄い目つきで無言で睨みつけていたのだから、無理もないだろう。

 正直、残念だったのだが、私はすぐに冬馬が早々に帰ってくれたことを感謝することになる。予期せぬ招待を私達は受けることになったからだ。

 

 

 

 

 

 それは最早本来の用途どころか、安置すべきものまで失って、無用の長物とかした本殿を久方ぶりに徹と美雪が掃除している時のことであった。二人は突然本殿内に凄まじい呪力の高まりを感じた。

 

 「こ、これは?!」「義兄さん?!」

 

 突然のことに驚愕する徹と美雪。そして、事態はそれで終わらない。

 

 「義兄さん、下を!」

 

 悲鳴を上げるように警告する美雪に、徹は突如足元の感覚がなくなるのを感じ、足元を見た。そこにあったのは先程までの板の間ではない。光すらささぬ深き闇だ。

 

 「なっ?!これはまつろわぬ神の襲撃か!」

 

 本来、魔術・呪術の類は何もせずとも通用しないのが、カンピオーネの特性である。すなわち、徹が抗うこともできず呑み込まれるのは、同等の存在であるカンピオーネによるものか、それ以上の存在であるまつろわぬ神によるものでしかありえないのだ。

 

 「炎化は炎ごと呑み込まれるから無駄だな。フェンリルになるには時間が足りないか。まあ、死ぬ気はしないから大丈夫だろう。美雪、お前は……」

 

 冷静に対処法を考え、どうしようもないと判断を下す徹。そうしている間も、体が闇に沈んでいるのに呆れた平静ぶりであった。それどころか、美雪に指示すらだそうとしたが、これには美雪のほうが先んじた。

 

 「義兄さんだけを行かせない!」

 

 「おい、馬鹿止せ!」

 

 『猿飛』で一直線に飛びついてくる美雪を躱す術は、すでに半身が呑まれている徹にはなかった。制止の言葉もむなしく、美雪は徹を逃さぬと言わんばかりに抱きしめると、自身も闇に呑まれたのだった。後にははたきと雑巾が残され、それが人のいた残滓を僅かに感じさせるだけであった。

 

 

 

 

 

 「どこだここは?美雪はどこに?」

 

 深き闇に呑まれた私はいつの間にか地に足をつけていた。深山の奥地、傍には渓流が流れ、嵐が吹き荒れている。とりあえず、本殿ではないことは間違いない。それに感じる自然の息吹は本物だ。どうやら、どこかに移動させられたらしい。

 

 しかし、今はそんなことよりも美雪の行方が気になる。もし、別々の場所に飛ばされているとしたら、命の危険すらあるのだ。なにせ、このような真似ができるのはまつろわぬ神でだけだろうからだ。カンピオーネである己はまだしも、超一流んといえども徒人である美雪に抗う術はない。

 しかも、『魔王の狂宴』以来、明日香は私の中に留まったままだ。元々明日香は美雪よりも私を優先する。この原因不明の状態では、私から離れることはないだろう。

 

 

 「くっ、どこだ美雪?!」

 

 

 焦りを隠せない私だったが、手の中に何かあることに私は気がついた。

 

 「櫛?これは一体……痛!」 

 

 だが、その櫛を見た時、私の不安は急速に消えていった。なぜだか分からないが、美雪の身に危険はないと確信できてしまったのだ。そして、次の瞬間頭痛がしたかと思うと、天啓のようにその答が脳裏に浮かんでくる。

 

 それでは、この櫛は……。

 

 「悪いな。勝手に呼び出しといて何だが、俺も神の端くれでな。徒人の前にそう易々と姿を見せるわけにはいかねえんだよ。魔王であるお前はともかくとしてな」

 

 いつの間にか、川のほとりに偏屈顔の巨躯の老人が立っていた。その姿を見た瞬間に体に満ちる力を感じる。宿敵との邂逅に、カンピオーネの本能が肉体を臨戦態勢へと勝手に移行させたのだ。すなわち、目の前の老人の正体は、自身でも述べた通り神なのだろう。

 

 「お前は神だといったな。では、まつろわぬ神か。なぜ、こんな真似をした?いや、そんなことはどうでもいい!さっさと美雪を元に戻せ!」

 

 「いやいや、俺はもう隠居の身さ。まつろわぬ神であった者ではあるがな。

 お前の器を計るためといっても、お前は納得しなだろうな。何度も言うが、無理だな。どうしても巫女を元に戻して欲しかったら、力づくで言うことをきかせてみな!」

 

 「その言葉、後悔するなよ建速須佐之男命!」

 

 目の前の神の名は、すでに知っている。ここは幽世。然るべき力を持っていれば、この程度の情報を引き出すことは造作も無い。ここに来るのは、初めてではないのだから。

 

 建速須佐之男命、伊邪那岐が黄泉の国から戻った時、その穢れを落とす為に禊をした時に生まれた三貴子(みはしらのうずのみこ)の一柱である。姉には太陽神であり高天原最高神たる『天照大御神(あまてらすおおみかみ)』、兄には月神である『月読(つくよみ)』を持つ日本神話において一、二位を争うビッグネームである。その逸話は枚挙を厭わず、海原を治めよと言われたのにそれを断り、母伊邪那美に会いたいと願って、伊邪那岐の怒りを買い追放されたことを皮切りに様々な騒動を引き起こしている。中でも有名なのは、その粗暴な行為によって姉アマテラスが天の岩戸に引き篭もった『岩戸隠れ』。そして、高天原を追放荒れた後、出雲で行った『八俣遠呂智(やまたのおろち)』退治だろう。また、『大宜都比売(おおげつひめ)』を斬り殺して、その結果五穀が生まれたり、禊をした際に天狗や天邪鬼の祖となる女神『天逆毎(あまのざこ)』を生んだりもしている。他にも妻と篭る為の新婚の宮を建造した際に『八雲立つ 出雲八重垣 妻篭みに 八重垣作る その八重垣を』と日本最古の短歌を詠んだりもしており、文化的英雄としての側面を持つ。

 悪戯好きの我儘で粗暴であるため、日本神話におけるトリックスター的な神であるとされるが、同時に『鋼』の征服神としての側面も多く併せ持つ。それどころか海神、嵐の神、歌の神等、とにかく多様な神性を持った大神である。

 

 美雪が櫛にされたのは、八俣遠呂智退治の際に『櫛名田姫(くしなだひめ)』が櫛にされたことにあやかってのものなのかもしれないが、そんなことはどうでもいい。問題なのは、あろうことか()の前で美雪に手を出しやがったことだ!

 

 「この短い間で俺の名を探りだすとは大した野郎だ!さあ、来いよ!お前の器、俺が直接試してやるぜ!」

 

 その手に鋼の剣が握られ、挑発するように手を招くスサノオ。一方的に呼び出してのまりの勝手な言い分に、私の怒りはすでに臨界点だ。そもそも神と名のつくものを生かしておく道理が私にはない。隠居したなど知ったことか、骨身どころか魂魄すら灼き尽くしてくれよう!

 

 「我は炎、神を殺し娘を殺せし、許されざる原初の咎人。全てを滅ぼす原初の破壊の焔なり!」

 

 私は何の躊躇もなく、スサノオに対して権能を行使したのだった。

 

 

 

 

 スサノオに迫る極小の太陽。それは徹が迦具土の権能を凝縮・圧縮して創りだしたものだ。直撃すれば、いかな神と言えどもただでは済まない。

 

 「流石はお袋を焼き殺した兄貴の炎だ。剣じゃ分が悪いな!」

 

 スサノオは剣で防ぐのを早々に諦め、嵐の権能を用いた。吹き荒れる風と雨、そして轟く雷鳴が、極小の太陽に絡みつき、それを相殺していく。

 

 『隠居したくせに現世に口を出すな!老害が!』

 

 しかし、徹はすでに次手に移っている。白銀の巨狼が、スサノオを喰い千切らんと迫る。

 

 「そうしたいところだがよ。お前も知ってるんだろう?この国に眠る迷惑なガキのことを!」

 

 スサノオはそれを剣でもって、受け流してみせた。フェンリルの巨体からの突撃を受け流すとは、何たる技量、何たる膂力であろうか。流石は伊邪那岐自身が自らの生んだ諸神の中で最も貴いとした三貴子の一柱にして、八俣遠呂智を斬り殺した英雄神だ。その武技や基礎能力は、そんじょそこらの神とは格が違う。

 

 だが、徹とて伊達に10柱もの神を殺していない。徹は突進のの勢いそのままにフェンリルの権能を解いた。急速に剣にかかる力が消え、受け流そうと注がれた力が剣を空振りさせる。そして、すかさず、スサノオの懐に潜り込むと腕をえぐりこむように突き刺し、同時に炎化させる。

 

 「やるじゃねえか!だがな!」

 

 スサノオもやられっぱなしではない。炎にその身を灼かれながらも、権能を行使する。神名の須佐とは荒れすさぶ意であり、すなわちスサノオは嵐の神であると一説では言う。まつろわぬ神は神話に基づいた権能を持つのだ。なれば、嵐を武器とできぬはずがない。須佐の名を証明するかのように徹の全身を暴風が叩き、吹き飛ばす。元より炎化した肉体は、炎としての性質上、風に流されやすい。まして、権能による荒れ狂う暴風に抗うことなどできようはずもないのだ。

 

 しかし、当然ながら徹にダメージは皆無である。流されるだけで勢いを増す事はあっても、風では炎を消すことはできないのだ。

 

 だが、そんなことはスサノオも織り込み済みである。スサノオは剣に雷を宿すと、間髪入れずに徹に斬りかかる。神剣といえど、ただの斬撃では炎化した徹にダメージを与えられないことを見越して、雷を剣に宿すとは中々に芸の細かいスサノオであった。

 

 「剣を持っているのが、お前だけだと思うな!」

 

 スサノオの剣閃を止めたのは、神殺の炎を宿した明日香であった。が、続く剣戟は受けられない。徹の剣の腕はあくまでも一流止まりであり、日本神話でも一、二位を争う英雄神にして征服神(州砂=砂鉄ととり、八俣遠呂智退治は優秀な産鉄民を平定した象徴であり、天叢雲はその成果の象徴であるという一説より)たるスサノオの武技とは比べくもないからだ。

 

 とはいえ、初撃を防いだ時点で役割は果たしている。すでにスサノオの剣が宿した雷は相殺されている。なれば、炎化した徹を切れる道理はない。

 

 そして、必然的に無意味な二撃目からはそれがスサノオの隙となるのだ。徹はその機を逃さず、神滅で諸共に焼き尽くそうとして、斬られた(・・・・)

 

 「な、なに?!」

 

 「俺の剣は天叢雲だ。討ち果たした夷狄の力さえ取り入れ、利用できるのさ!そして、俺は太陽である姉貴すら隠した神だぜ。何かを盗んだり隠したりするのは得意なんだよ。お前は、さっき神喰いの狼の権能を使ったろう?あの時、俺が神喰いを盗み同時に剣にその特性を取り入れさせたのさ。雷はお前を騙すためのブラフだったわけだ」

 

 袈裟斬りにされた徹から盛大な返り血を浴びながらも、得意げに種明かしをするスサノオ。その表情はいたずらに成功した悪戯小僧そのものだ。

 

 しかして、徹はこれで終わるような潔い男ではない。むしろ、その逆。彼はどこまでも生き汚く、そして転んでもただでは起きない男なのだ。

 

 「その程度で勝ち誇るなよ。誰の血を浴びたのか理解しているか?燃え尽きろ!

 我は炎、原初の破壊そのもの。我が身全てはけして消えることなき原初の焔なり!」

 

 徹はその身を炎と化すことができる。それは体から離れていても、何ら問題はない。フェンリルに食い千切られた腕を炎化させたように、たとえそれが血の一滴であろうとも、彼はそれを媒介に権能を行使することができるのだ。

 

 「ちいいい、しまった!雨よ!」

 

 タップリと浴びた返り血が炎と化し、瞬く間に全身を炎に巻かれるスサノオ。されど、かの神もまたやられるのを大人しく待つような存在ではない。スサノオは嵐の権能を最大限に行使して、集中的な豪雨を降らせる。権能による雨は、けして消えぬはずの炎をみるみる内に鎮火していく。

 

 無論、徹とてそれを待ってはいない。なにせ、先の袈裟斬りはどう考えても致命傷である。カンピオーネの異常な生命力で動くことはできるが、回復しないと遠からず死ぬのだ。なればこそ、ここで切るのは切り札以外にありえない。

 

 「迦具土滅びて、原山津見神(はらやまつみのかみ)戸山津見神(とやまつみのかみ)志藝山津見神(しぎやまつみのかみ)羽山津見神(はやまつみのかみ)闇山津見神(くらやまつみのかみ)奥山津見神(おくやまつみのかみ)淤縢山津見神(おどやまつみのかみ)正鹿山津見神(まさかやまつみのかみ)を産むなり。我、神を滅ぼし、神を生じさせるものなり」 

 

 徹の言霊に従い、その肉体を糧とし『神殺』の特性を純化し昇華、そうして『神滅』の焔はその姿を現す。そして、雨も風も吹き飛ばし、或いは巻き込みながら爆発的な勢いで膨れ上がり、ついにはスサノオをも呑み込んだのだった。

 

 

 

 

 そんな徹とスサノオの戦いを見守る者達がいた。玻璃の媛と黒衣の僧正である。玻璃の媛の前に置かれた水盆には、今まさに炎に呑み込まれるスサノオの姿が映っていた。

 

 「かくも凄まじきは、流石は羅刹の君というべきでございましょうか。御老公相手に一歩も退かぬとは大したもにございますな。最後は自爆というのが、余り褒められたやり方ではございませんが」

 

 黒衣の僧正は感嘆とも落胆とも取れる感想を漏らした。

 

 「かの羅刹の君のご気性で、ただの自爆というわけでもないのではないでしょうか。私の目にはあの方が自棄になったようにも、道連れを欲したようにも見えませんでしたが」

 

 「媛はあの御仁の肩を持たれますなあ。まあ、確かに己の命を諦めた者の目ではありませんでしたが……」

 

 水盆に映る戦況を見ながら、言葉をかわす両者の目に傷一つない徹の姿が映るのは、もうまもなくのことであった。

 

 

 

 

 

 「大したもんだ。俺をここまで削るとはな……。存在そのものを灼くとかとんでもないもの使いやがって、マジで死ぬかと思ったぜ。ちっ、剣どころか片腕を持ってかれたか」

 

 スサノオの手からは剣が失われていた。とはいえ、奪われたわけではないし、消滅したわけでもない。遠からず復活するだろうが、しばらくは使うことが出来ない。もともと『鋼』の系譜である天叢雲は、迦具土の炎と相性が悪いのだ。ただでさえ、『神殺』で削られていたところをダメ押しの『神滅』で存在自体を灼かれたのだから無理もないだろう。まあ、スサノオが自身へのダメージを大部分を肩代わりさせたことも、大きな理由ではあるのだが。

 

 しかも、そうまでして片腕は完全に動かないのだから、スサノオのぼやきは当然であろう。それも自爆技のはずなのに、それを放った相手は傷一つない様で目の前に立っているのだから無理もない。

 

 「あれで生きているあんたも大概だろ」

 

 とはいえ、それは徹とて同様である。権能で新生するとはいえ、『神滅』を行使するということは自身の死は避けられない紛う事なき自爆技である。己の死を代償とした切り札が、剣と片腕だけの被害で凌がれてはたまったものではない。

 

 「傷一つねえどころか、呪力まで回復してやがるとは巫山戯た権能を持ってやがるな」

 

 「何、あんたに比べたら大したものじゃないさ」

 

 「吐かせ、小僧が!」

 

 さて、第二ラウンドというところで、待ったをかける者達がいた。傍観に徹していた玻璃の媛と黒衣の僧正である。

 

 「そこまでにございます。羅刹の君よ、ご無礼のだんは平にお詫びしたしますので、どうか矛をお納め下さいますよう」

 

 「御老公、もう十分でござりましょう。羅刹の君、御老公のいずれかが失われては元も子もありませぬ。これ以上は些か戯れが過ぎましょうぞ」

 

 「ちっ、いいところだったのによー」

 

 苦々しげに渋い顔でぼやきながら、臨戦態勢を解くスサノオ。

 

 「あんたらは一体何者だ?」

 

 しかし、当然ながら、徹は警戒を解かない。むしろ、敵が増えたと警戒を強める。幸いにして、呪力も傷も回復しているのだ。状況は不利だが、まだ美雪を戻さぬというならば、もう一戦することも辞さないつもりであった。

 

 「警戒されるのはごもっともなれど、どうかお気を静めくださいますよう」

 

 「御身の荒ぶる御霊、しかと見せて頂きました。真、羅刹の君に相応しきなさり様でございました。御老公、よろしいでしょう?」

 

 「ちっ、しゃあねえな」

 

 玻璃の媛が徹を宥め、黒衣の僧正が何かをスサノオに促す。スサノオはなんとも言えない苦い表情で指を鳴らした。

 

 すると櫛が美雪へと姿を変えた。いや、正確に言うならば戻ったのだろうが。

 

 「美雪!」

 

 慌てて美雪を抱きかかえる徹。パッと見た感じでは傷一つ見られないが、スサノオの力が何らかの悪影響を与えている可能性がは捨て切れないからだ。だが、その不安を払拭したのは、他ならぬスサノオであった。

 

 「安心しな、巫女には傷一つつけちゃいねえよ。すぐに目を覚ますだろうよ」

 

 「……信用できるとでも思って…「義兄さん?」…美雪!」

 

 徹はそれを言下に切り捨てようとして、美雪の声にそれを中断される。

 

 「義兄さん、どうしたの?そんなに必死な顔をして……何かあったの?」

 

 目覚めたばかりで、いきなり見たのが徹の必死な顔だったので少し混乱しているのだろう。

 

 「体に何の異常もないか?どこか違和感はあるか?」

 

 「ううん、特に問題はないけど。強いていうなら体が妙に重い感じが……!この空気、まさか幽世!私達は幽世に引きずり込まれたの?!」

 

 それでも僅かな時間で状況を把握し、幽世に適応すべく呪力を高めているあたり、美雪の巫女としての能力の高さが伺える。

 

 「ほう、大したものにござりますな。良き巫女を連れていらっしゃる。流石は羅刹の君というべきでございましょうか」

 

 黒衣の僧正は、揶揄するように言う。一々皮肉げに感じるのは、表面上は謙っていても内心に抱く反骨心が故なのかもしれない。

 

 「私とは異なる系譜の蛇に連なる女の(すえ)。それも先祖返りとまではいきませんが、かなり血を色濃く受け継いだ巫女に御座いますね」

 

 玻璃の媛は何かを懐かしむような目で美雪を見つめながら、そう評した。

 

 「ふんっ」

 

 スサノオは不機嫌そうに鼻を鳴らすだけで、何も言わない。

 

 「義兄さん、この方達は?」

 

 美雪は三者のいずれにも尋常ならざるものを感じたのだろう。その声は震えていた。

 

 「さてな……私ももそれが知りたいのだがな。まあ、私達をここに引きずり込んだのはこいつらに間違いない」

 

 「いえいえ、確かにここに御身を呼んだのは我らの総意なれど、実行したのは御老公にござりますよ。拙僧と媛は関わっておりませぬ。そもそも本来ならば、我らは現世に直接手を出すことは叶いませぬから。

 しかし、あの神社なれば、御老公に限っては話が別でございましてな」

 

 黒衣の僧正は愉しげに語る。

 

 「羅刹の君、貴方様が定命の者であった時に担いし護国の役割。その役目であった護持すべき封印は、御老公が作られたものなのです」

 

 「なんだと……」

 

 

 「義兄さんの神社にあったまつろわぬ神を生まれにくくするというあの封印を?!」

 

 徹と美雪は驚愕と共にスサノオを見るが、当のスサノオは嫌そうに顔をしかめて顔を合わせようとしない。代わりに口を開いたのは、黒衣の僧正であった。

 

 「左様。で、あるが故にあの神社には、御老公の御力の残滓が漂っていたのでございますよ。封印は内から壊されてしまいましたが、あの封印に使われた力は相応のもの。その残滓なれば、御身をこちらに招くのも造作はないというわけでございます」

 

 「急な招き、我らの非礼は重々承知で御座います。されど、我らもまたこの国を守らんとする者なれば、どうか我らの願いをお聞き届け下さいませ」

 

 絶世の佳人である玻璃の媛に深々と頭を下げられ、しかも用件が己の護国の役割に関係するといわれれば、さしもの徹も矛を収める他ないのであった。

 

 

 

 

 私と美雪は、玻璃の媛に美しい庭園に建つ東屋へと導かれた。ここは玻璃の媛が支配する領域らしい。先にいた嵐吹く深山はスサノオの領域であり、彼の好みによるものらしい。

 東屋の中には、待っていたと言わんばかりにスサノオと黒衣のミイラが鎮座していた。

 

 

 「では改めて、我らはこの国の呪法を司る者達の後見役の古狸でござりますよ。正史編纂委員会の『古老』と言われる存在が我らでございます」

 

 黒衣を纏ったミイラの言葉に、私は驚きを隠せなかった。確かに噂には聞いていた。精霊、半神、聖僧、新人、大呪術師、怨霊等、様々に言い伝えられている人ではない超自然の存在。日本の呪術界に厳然たる影響力を有し、正史編纂委員会でも顔色を伺わねばならぬ御意見番『古老』。

 

 だが、まさか元まつろわぬ神であったという畏怖すべき神霊までいようとは。それにスサノオに劣るといえ、即身成仏である黒衣の僧正、玻璃の媛もまた尋常ならざる存在であることは間違いないのだ。私が思うよりはるかにこの国の呪術界は底が知れないようである。

 

 「此度、羅刹の君たる御身をお招きあそばしたのは、不遜ながら御身の器を計りご気性を確かめるためにござりまする。強引に招いた非礼と御身を試す無礼は伏してお詫び申し上げます」

 

 「要するに、私の力と為人を試したかったと?」

 

 「そうだ。おまえも知っているだろうが、この国には厄介なガキが眠っている。俺達としちゃあ、あの迷惑なガキには起きられるのは困るんだよ。だからこそ、俺はおまえのところの社に手間暇かけて封印なんて施したんだぜ。まあ、どこぞの馬鹿共のせいで内から壊されちまったわけだが」

 

 先程とは打って変わって饒舌に話すスサノオ。どういう心変わりかしらないが、今は助かる。とはいえ、その内容は美雪にとって辛いものだ。なにせ、彼女の一族が知らぬとはいえやらかしたことなのだから、無理もないだろう。膝の上に置かれた手が強く握られるのが私の目に入った。

 

 しかし、それは私とて同じだ。養親から託されし護国の役目を果たすことがきなかったのだから。正直なところ、内心忸怩たる思いがあることは否定出来ない。

 

 「あれでもかなり手間をかけたんだぜ。今、おまえの娘が宿っている十拳剣はな、元々俺が天津麻羅(あまつまら)の奴に頼み込んで、封印の要として作らせたものなんだぜ」

 

 天津麻羅、古事記に登場する日本神話の鍛冶の神であり、倭の鍛師(かなち)等の祖神、物部造等の祖神、阿刀造等の祖神とされる。天岩戸隠れの際に、思金神(おもいかね)に呼び出され、八咫鏡(やたのかがみ)を作り出すために天の金山で製鉄したとされる。

 

 なるほど、あの御神体であった十拳剣は文字通り神の手で作られた神器であったわけだ。それも最初から祭器として作られた儀式剣であったわけだ。

 

 「その他にも『鋼』を猛らし、呼び起こす竜蛇の神格に対する備えとして、拙僧が地上にいた頃に猿王殿を招き、『弼馬温(ひつばおん)』をもって封じたのです。

 地上の呪法を司る者達が雑事にかまけ、その真の役割を忘却しても御身はそれを理解しているはず。全てはこの国に眠る外つ国より流れ着いた蕃神(ばんしん)、最強の『鋼』たる御子を起こさぬ為でござる」

 

 最早、地上では私以外知ることのない情報が赤裸々に語られる。秘巫女であろうが、媛巫女であろうが、四家筆頭であろうが、その真の役割と意味を忘却された護国の備え。それが神無神社の封印であり、日光の『弼馬温』なのである。日本呪術界最高機密ともいうべきその内容に、美雪は目を白黒させている。

 

 「それがなんで私を試すことに繋がる?」

 

 「ふん、言うまでもねえが、最早封印はない。しかも、今まで押さえつけてきた反動か、いつまつろわぬ神が生まれてもおかしくねえのが現状だ。それが竜蛇ならまだいいが、そうでなかったら、そいつがあの厄介なガキを起こす呼び水になりかねねえ。

 まつろわぬ神を倒せるのは、お前ら魔王だけだ。そして、あの迷惑なガキに対抗できるのもな。なら、その唯一の手段がどの程度使えるものか試すのは当然だろうよ」

 

 「御身の活躍は多少なりとも我らも聞いてはおりますが、如何せん正体を隠しておられる御身の情報は少のうございます。故に此度の仕儀なったというわけでござる」

 

 「危急の際、御身が地上の守護者となってくれるか否か、非礼ながら我らはそれを知りたかったのでございます」

 

 スサノオが当たり前のことを聞くなといわんばかりに吐き捨て、黒衣の僧正は言外に私に責任があると告げ、玻璃の媛だけが申し訳なさそうに言う。

 

 正直、喧嘩売ってるのかと思わなくもない。だが、癇に障ることではあるが、その言い分はもっともであり、私自身その正当性をある程度認めざるをえない。古老達が長年護国為に注力してきたことは認めざるをえない厳然たる事実なのだから。

 

 「それで、私はお眼鏡に適ったのか?」

 

 「さてな?それをおまえに教えてやる必要はないだろう?俺達の結論に切れて、暴れられても厄介だからな」

 

 私の複雑な内心を知ってか知らずか、スサノオは無関心に手酌で酒を飲みながら、そんな答を返してきたではないか。流石に私もイラッと来る。

 大体、神であるというだけでも私にとっては殺す理由になるのだ。だというのに、加えて何も被害はなかったとはいえ美雪に手を出されたのは、私にとって痛恨の極みであり、許されざることだったのだ。最早、滅殺しても飽きたらぬというのが本音である。そんなわけで、私の堪忍袋の緒はいつ切れてもおかしくない状態であったのだ。それを護国の役目ということで耐え忍んでいたというのに、そこにこの態度である。もう、キレてもいいよね?

 

 「……いきなり喧嘩売っておいてその言い様。いいご身分だな。マザコンのスサノオ様は」

 

 私のあまりの言い様に美雪は蒼白になり、黒衣の僧正と玻璃の媛は言葉を失い、スサノオは酒を吹き出した。

 

 「ゲホッゲホッ、テメエいうに事欠いてマザコンだと!喧嘩売ってんのか!」

 

 「ああ、私は事実を言っただけじゃないか。有名な話だろう。あんたは母に会いたいとわめいて、父親に追放されたマザコンだろうが!」

 

 「テメエ、表出ろ!今度こそぶっ殺してやる!」

 

 「上等だ。大好きな母親に会えるように黄泉へと送ってやるよ!」

 

 売り言葉に買い言葉、私達は戦意を高めていき、そこで文字通り冷水をぶっかけられ、強制的に頭を冷やされた。

 

 「羅刹の君、貴方様のお怒りはごもっともなれど、些か言葉が過ぎましょう。御老公も大人気のうございます。非は我らにあるのですから、ある程度の言は容赦されるべきでございましょう」

 

 どうやらこれを成したのは玻璃の媛のようだ。流石はこの領域の支配者である。恐らく、彼女自身高位の術者であろうとは思っていたが、全く察知できなかったことからその程度の認識では足りぬらしい。これほどの力量に先の蛇に連なる女という言葉、もしかすると彼女は『神祖』と言われる存在なのかもしれない。それにしても普段静かな美人が起こると本当に怖い……。

 

 「義兄さん、落ち着いて。私は無事だし、勝手についてきて巻込まれたのは私なんだから。責めるなら、義兄さんの制止を聞かなかった私を責めるべきよ」

 

 物理的に頭を冷やされ、美雪にそう言われてしまっては、これ以上怒るわけにもいかないだろう。大変、遺憾ではあるが、矛を収めねばなるまい。

 

 「……分かった」

 

 「ちっ、分かったよ。確かに今回のことは俺に非があるだろうさ。

 おい、神無徹。テメエの要求を言ってみな。俺に出来る範囲でなら、ある程度まで応じてやるよ。テメエに借りを作ったままというのは御免だからな」

 

 スサノオもまた頭が冷えたのだろう。いや、単にここで揉めるのは得策ではないと判断したのかもしれないが。まあ、何にせよ貰えるものは貰っておこう。折角、神なんて超常の存在に要求できるのだ。どんな無理難題にしてやろうかと考え、そこで胸を撫で下ろしている美雪と目が合った。その瞬間、私にある閃きが浮かぶ。

 

 「スサノオ、あんたへの要求は一つだ。天津麻羅との繋ぎを頼みたい」

 

 「あん?剣でも打たせるつもりか?テメエの腕は精々一流止まり、神器をもっても大して足しになるとは思えん。大体、テメエには神器に匹敵する剣がすでにあるじゃねえか」

 

 訝しげに問うスサノオ。その言葉は正しい。私の本質は術士あり、そして何より私には明日香がいるのだから。だが、私が意図したのは私のためのものではないのだ。

 

 「いや、違う。私に仕える巫女であり、私の大切な義妹の為の武器を頼みたい」

 

 「そっちの巫女のか……なるほどな。だが、材料はあるのか?あいつに頼むんなら並大抵のものでは無理だぜ」

 

 「心配は無用だ。『竜骨』がある。神喰いの魔狼フェンリルの牙がな」

 

 「ほう……。それならば、確かに奴くらいじゃねえと加工できないだろうよ。いいだろう、奴のところに連れてってやるよ。

 ただし、言っとくが奴が引き受けるかどうかまでは、責任は持てねえぞ」

 

 「ああ、それで構わない」

 

 「ふん、物好きな野郎だぜ」

 

 不機嫌そうに鼻を鳴らしながら天津麻羅のもとへと赴く辺り、スサノオは案外素直ではないだけなのかもしれない……。

 

 

 

 

 「帰れ。仇敵たる神殺しの為に、なぜ儂が腕を振るわねばならぬ。大体、貴様は剣を使えても、剣士ではなかろう。そんな奴に儂の剣は勿体無いわい」

 

 隻眼の老神『天津麻羅』は義兄を見るなり、そう言った。

 

 「ご挨拶だな、天津麻羅よ。貴方の言葉は確かに正しい。だが、腕をふるって欲しいのは私ではない。私の義妹だ」

 

 「何じゃと?貴様の義妹じゃと?」

 

 「美雪」

 

 私は義兄の言葉に押されるように前に進みでた。天津麻羅の全く遠慮のない視線が突き刺さるのを感じる。老神といえど、その眼光は鋭く何の衰えも感じさせない。流石は神というべきだろうか。

 

 「ほう、なるほどな。中々の使い手よ。確かに、この巫女ならば腕の振るいがいもあろうよ。

 なれど、儂が腕を振るうに足る素材を用意できるのか?」

 

 挑発的な笑を浮かべて問う天津麻羅。その表情は、余程のものでなければ腕を振るう気はないと言外に語っていた。

 

 「勿論だ。満足できることを保証しよう」

 

 義兄は自信ありげに不敵に笑って、懐から符を取り出し破り捨てた。

 次の瞬間、義兄の背丈をも超える牙が私達の前に現れる。

 

 「なんと、これは『竜骨』か?!」

 

 『竜骨』、『天使の骸』とも言われる。まつろわぬ神の肉体が失われる時にまれに残すことがある僅かな肉や骨、骸等のことである。神の一部であったそれらは、、聖遺物として崇拝の対象になり、魔術師らには強大過ぎる力を与える源となる。北欧でも屈指の魔獣であるフェンリルの牙は巨大さも相まって、その価値は計り知れないだろう。

 

 「そうだ。北欧の神喰いの魔狼から、分捕ったものだ。こいつでは不足か?」

 

 「なんと驚いた。なるほど、貴様の自信もうなずける。だが、全ては使えるわけではなさそうじゃな」

 

 「何?!」

 

 

 「何じゃ、気づいとらんかったのか。何をしたかは知らんが、外側の殆どは死んでおるな。使えるのは中心部だけじゃろうて」

 

 あ、そう言えばあの牙をもぎ取る前に、義兄さんは『神滅』を使っていたのではなかったか。

 それならば、当然牙に含まれる神秘も滅されている可能性が高い。大体にして、あそこまで容易に牙をもぎ取れたのも、牙の含有する神秘が激減していたが故であろう。

 

 「ああ、あれがまずかったのか!なんてことだ……」

 

 義兄も思い出したのだろう。己が所業に頭を抱えている。まあ、無理もない。折角手に入った貴重な『竜骨』の大部分が使えないというのだから、その気持は私も痛いほどに理解できる。

 

 「項垂れておる所に悪いが、問題はそれだけではないぞ」

 

 「まだ、何か問題があるのか?」

 

 「うむ、で、どうやって加工するつもりじゃ?」

 

 「はい?そりゃあ、貴方が……」

 

 「勘違いするでない。確かに儂はこれを加工するだけの業を持っておる。じゃがな、『竜骨』をも溶かす炎はどうすると聞いておるのだ?確かに儂はそれにたる炎を用意することはできるが、仇敵たる神殺しにそこまでしてやる義理はないのう。スサノオ様に頼まれたのはあくまでも腕を振るうことじゃからな。儂は一から十まで面倒を見るつもりはないぞ」

 

 最早まつろわぬ神ではないとはいえ、やはり仇敵たるカンピオーネに力を貸すのは抵抗があるらしい。スサノオ神の頼みということで、曲がりなりにもその腕を振るうことを了承してくれただけ、マシなのだろう。本来なら、義兄が最初に言われた通り門前払いされるのがオチなのだろう。

 

 「ああ、そういうことか。それなら心配は不要だ」

 

 義兄はそう言って、事も無げに掌中に焔を生み出して見せた。その様はかつて規模も威力も、全くといっていい程制御できていなかったのが嘘のようであった。義兄さんが迦具土の権能を完全に掌握したというのは、伊達や酔狂ではないのだ。

 

 私が感嘆すらしていたその光景に対し、天津麻羅は最初こそ驚愕していたものの、その答自体は意外にもけんもほろろなものであった。

 

 「アホか貴様は、使えるわけないじゃろう。迦具土様の炎を簒奪していることには驚かされたが、その権能の本質は我々神を滅ぼすことじゃろう?迦具土様は刀剣の神々を産んでおられることから、鍛冶の神の一面ももっておられるから使えると考えたのじゃろうが、貴様が簒奪したのは迦具土様の『神殺し』としての一面でしか無い。その炎を神の骸である竜骨になぞ使ったら、跡形も残らんわ」

 

 その言い様は辛辣だが、内容は最もであった。義兄の炎は断じて鍛冶に使うようなものではないことは、他の誰よりも私自身がよく理解しているし、その業の深さはここ四年間で嫌というほど体験しているのだから。

 

 確かに、神を滅殺する炎で神の骸を鍛えるとか、どう考えてもありえないだろう。

 

 

 「……やっぱり駄目か?権能を完全に掌握した今なら、どうにかなるかとおもったんだが」

 

 実のところ、天津麻羅の回答は義兄も予想はしていたらしい。無駄に自信ありげだったのは、駄目元という意味合いがあったのかもしれない。

 

 「迦具土様の炎を己のものにしたとは、ぬかしおるわ。だが、無理じゃな。いくらお前が制御したところで、炎の本質は変わらん。仮に竜骨を消滅させることはなかったとしても、その炎で灼かれれれば最早竜骨としてようをなすまいよ」

 

 「そうか……」

 

 義兄は心底残念そうに肩を落とす。

 

 「義兄さん、落ち込まないで。私なら大丈夫よ。今の薙刀と弓だって、そんじょそこらの代物じゃない。それに明日香だって力を貸してくれるし、今まで上手くやってきたんだから、これからだって……」

 

 義兄さんが私の為を思って、駄目元とはいえ頼んでくれたことはとても嬉しいが、そう落ち込まない欲しい。それに義兄さんが私の得物を気したということは、これからも私が側にいて共に戦うことを認めてくれたということなのだから、私にはそれだけで十分。それだけで私は、これからも義兄さんの敵と戦えるのだから。

 

 「そういう問題じゃないし、こらからも上手くいくとも限らない。明日香はいざという時私を優先するし、美雪も剣では本領を発揮できないだろう。美雪の得物はあくまでも薙刀なんだからな」

 

 「それはそうかもしれないけど」

 

 そんな私の想いとは裏腹に、義兄はにべもなかった。どこまでも現実的で合理的で、実務的な言葉であった。

 ああ、そういえばこういう人だった。義兄さんの戦闘に遊びはない。どこまでも合理的に無駄なく敵を滅殺する人だったと。とはいえ、もう少し言い方を考えて欲しい。私を心配してのことだというのは分かっているが、その言い方では私を思ってと言うよりは戦闘に必要だからという風に聞こえてしまう。

 故に思わずムッとしてしまったのは、仕方がないことだろう。

 

 

 「まあ、そういうわけじゃから諦めて……ムッ!」

 

 諦めて帰れと天津麻羅がいおうとしたその時、突如虚空から現れるものがあった。現在義兄の中にあるはずの十拳剣。すなわち、私と義兄を幾度も救ってくれた自慢の姪っ子『魂剣 明日香』だ。

 

 「明日香、一体何を?」

 

 義兄も明日香が現れたのは予想外だったようで、驚きの表情でそれを見ている。

 

 「ほう、儂が鍛えた時とは随分様変わりしたものだな……何?儂に力を貸せと言うのか!」

 

 そう言えば、明日香が宿る十拳剣は元を辿れば、天津麻羅が鍛えたものらしい。天津麻羅は食い入る様に明日香を見ていたが、突如驚きの声を上げた。どうにも信じ難い事だが、天津麻羅には肉親である義兄でも聞こえない明日香の声なき声が聞こえているらしい。流石は日本神話でも最古と言っていい鍛冶の神だ。剣の声を聞くくらい造作も無いということだろうか。

 

 「むう、じゃがな……しかし、それは……」

 

 どうやら天津麻羅の方が押されているらしく、言い訳じみた感じの言葉が時折漏れ聞こえる。娘が姪が私達の為に頑張っているというのに、義兄と私はその声なき会話を見ていることしかできない。なんとも歯痒い気持ちを抑えきれない。

 

 「ハア……仕方あるまい」

 

 心休まらぬ時間は、天津麻羅の深々と吐き出された溜息と共に終わった。

 

 「神殺し……いや、神無徹じゃったな?」

 

 「ああ、それがどうした?」

 

 「何も聞かず、あの炉に全力で炎の権能を行使せい」

 

 「……何の為にだ?」

 

 天津麻羅の説明なしの突然の言葉に、義兄は訝しげに問う。が、天津麻羅の返答はにべもなかった。

 

 「何も聞くなといったはずじゃがのう。貴様にも不満があろうが、儂とて不本意なのじゃ。それくらい呑み込む器量を見せよ!それとも……娘の努力を無駄にする気か?」

 

 「「!!」」

 

 最後の一言は義兄や私にとって、どうしても聞き逃せないものであった。明日香の頑張りを無為にすることなど、義兄や私にできようはずもないのだから。

 

 「全力でだな?」

 

 「そうじゃ、さっさとせい。儂とて暇じゃないんじゃ」

 

 義兄を行動させたのは天津麻羅の言葉ではない。急かすように鳴動した明日香こそが、義兄を動かしたのだ。

 

 「いいだろう。見るがいい、お前ら紛い物の神を殺す最強の焔を!

 我は死してなお多くの命を生み出す者、火産霊(ほむすび)!我が焔は生命の連続性を顕わす!」

 

 火産霊の言霊によって紡がれるは、義兄の迦具土の権能の中で最強の威力を誇る炎だ。『神滅』のように『神殺』の特性を純化させたものではなく、好んで使われる極小の太陽のように圧縮・凝縮したものでもない。それは、ただ単純に極限まで呪力を注がれた強化された破壊の焔。全てを灰燼に帰す地獄の業火だ。

 

 そもそも迦具土の権能に本来制御など必要ないのだ。なぜなら、単純に、純粋に強いのだから。制御できぬ噴火という大自然の猛威こそ迦具土の神としてのルーツなれば、制御しない暴走とも言える在り方こそ迦具土の権能の本質なのかもしれない。

 

 当初はこれを必死に制御しようと間違った努力をしていたのだと言ったのは、他ならぬ義兄自身であった。そして、制御しようとするから、中々完全に掌握するに至らなかったのだと……。

 今や燃やしたいものだけを燃やすなんて芸当すらやってのけると言うのに、義兄さんから言わせれば迦具土の炎を制御しているわけではないというのだ。私にはどういうことかさっぱりではあるが、あの焔こそが義兄の誇る最強の威力を持っていることを知っている。

 

 だからだろう。その光景に思わず己が目を疑ったのは……。

 

 なんと、義兄の誇る最強の焔を、その古ぼけた炉は受け止めきったからである。いかにも年代物という風情であったというのに赤熱はしても、崩れ落ちたり溶け落ちたりする様子は全くない。流石は日本神話最古の鍛師が所有する炉である。

 

 「ほう、口先だけではないということか。大したものじゃ、この分じゃと長らくは保たぬな。さっさと終わらすとすかのう。……本当に良いのだな?」

 

 天津麻羅は純粋に感嘆しているようだったが、すぐに口調を厳しいものにかえ、最後の確認とばかり何者かに問うた。すぐには気づけなかったが、それは声なき声で天津麻羅と語り合った明日香への確認だったのだろう。明日香がそれに応えるように鳴動する。

 

 そして、それを確認するやいなや、天津麻羅は煉獄の炎が渦巻く炉へと明日香を投げ入れる暴挙に出たのだ。

 

 「明日香!」「なっ?!明日香!天津麻羅……貴様ー!」

 

 悲鳴を上げることしかできない私とは違い、義兄は憤怒も露に天津麻羅を睨みつける。先程全力で権能を行使した疲労は、最早微塵も伺えない。

 

 「黙れ小童共が!これはあの娘が望んだことじゃ!」

 

 だが、天津麻羅は少しも動じなかった。それどころか、こちらを見向きもせず、炉に投げ入れた明日香を取り出し、鎚を振るい始めたではないか。

 

 「何だと!どういうことだ?」

 

 「あの娘はずっと気に病んでおったのじゃ。今のままではお前の力になれぬとな」

 

 「そんなことはない!何度、明日香に助けられたことか!」

 

 「お前がそう思っても、お前の娘はそう思わなかったというだけの話じゃ。大体、積極的に使おうとしない貴様の態度にこそ、その原因があろう。今はともかく、以前は管理すらそこの巫女に任せておったそうではないか」

 

 あらん限りの力を持って鎚を振るいながら、語る天津麻羅。その内容に、私と義兄は驚きに目を瞠る。私達と明日香しか知らぬはずのことであったからだ。恐らくは明日香から聞いたのだろう。

 

 それにしても義兄さんに原因があるということはどういうことだろうか。

 

 義兄さんが明日香の管理を私に委ねたのは、私に神を斬り裂く武器をという要請から来たものではない。娘の肉体を斬り殺した武器であるというのも大きいが、それ以上に義兄は娘を武器として、道具として扱うことを何よりも厭うたからにほかならない。手元にあっては、手段を選ばない義兄さんの気質からして容易に使いかねない為に、私に委ねられたのだ。全ては偏に明日香のことを思ってのことだ。その証拠に義兄さんは、明日香を防御に用いることはまず無いし、斬り合うような真似も殆どしたことがないのだから。その事実は他ならぬ明日香こそが一番よく理解しているはずだ。

 

 「それがなんだと言うんだ?娘を大切にしたいと思うのは当然のことだろうが」

 

 「ふん、愚か者め。ならば、この娘の気持ちはどうなる!父親と常に共に在りたいと、父親の役に立ちたいと願うこの娘の気持は?」 

 

 明日香の気持ち、それを持ち出されると私達は弱い。明確な意思疎通をできない以上、剣と意思を交わすことができる天津麻羅に反論するすべがないからだ。私達は結局のところ、自分達の都合のいいように明日香の意思表示を曲解してきたとも言えるのであるから。

 

 「それは……だが、娘をむざむざ危険に晒す父親がいるものか!」

 

 「それが心得違いだというのじゃ!確かに貴様の言は正しい。じゃが、それは普通の人間(・・)の娘の話じゃ。貴様の娘の人としての肉体はすでに滅びており、その身は剣でしか無いのだぞ。どうして、同列に語れようか!貴様の娘は最早人ではない!それを忘れるな」

 

 それはどうしようもない厳然たる事実であり、未だに義兄が完全に折合いをつけていられない問題であった。娘を慈しんでも語り合うこともできず、共にあるのは戦場でしか無い。それは義兄にとって大きな心の傷であったのだろう。義兄は何も言うことができず、黙り込むほかなかった。

 

 「……」

 

 「心得違いも大概にせよ。剣は振るわれてこそ意味があるのじゃ。どんな神器名剣であろうとも、使われぬ武具に意味はない。宝の持ち腐れというものよ。武具がその真価を発揮するのは、主と共に戦場にある時に他ならぬ。貴様はなぜ、この娘の真価を発揮させてやらんのだ。貴様の娘はそんなに弱いのか。神の攻撃を多少受けただけでも折れてしまうような軟弱な刃と思うておるのか?

 なめるでないわ!祭器として鍛えたとはいえ、儂が自ずから鍛えし紛うことなき神剣じゃぞ。そんな軟なものであるものか!大体、貴様の術という媒介があったにせよ、己の命をも顧みず迦具土様を殺す刃を貴様に与えたのは他ならぬこの娘だぞ。その娘の魂が宿りし剣が、なぜ容易く折れるなどと思える!

 違うであろう!貴様がすべきことは誰よりも娘を信頼し、己の剣が最強にして不滅であると信じることではないのか!」

 

 一顧だにしないで、ただひたすらに鎚を振るいながらの言葉であるというのに、それはどこまでも義兄の弱いところを的確についていた。

 

 そう、天津麻羅の言葉は正しい。どんな素晴らしい切れ味を誇る名刀であっても、棚に飾られたままならば、何の意味もない。抜けない・使えない名刀など数打ちのなまくらにも劣るものでしかないのだ。剣がその真価を発揮するのは、間違いなく戦場なのだから。

 そして、義兄さんは誰よりも明日香を信じなければならなかった。娘の身を危険に晒すどという考えは心得違いでしかない。それが明日香のことを思ってのものだとしても、それは剣としての明日香を信頼していないことと同義なのだから。

 

 私達が明日香を守っているつもりで自己満足に浸っていた時、本当は明日香は声なき声で泣き叫んでいたのかもしれない。私を使って!私を信じて!と……。

 

 「私はそんなつもりでは……」

 

 「ふん、貴様がどういうつもりであったかなど知ったことではないわ。ただ、結果として貴様の娘は今のままではお前の役に立つには不足と考えたのだ。貴様の娘は儂に対して、真にお前の剣として打ち直すことを要求してきたのじゃ」

 

 「……」

 

 義兄さんは愕然とした表情で黙りこんだ。それは私だって同じ事だ。明日香がそこまで思いつめていたなんて……いや、そこまで追い込んだのは他ならぬ私達に違いないのだから。

 だが、その一方で疑問もある。

 

 「なぜ、御身は明日香の願いに応えてくださったのですか?」

 

 「ふん、儂にとって自ずから鍛えたものは我が子のようなものよ。その姿と性質を大きく変えたとはいえ、その根本にして基礎であるその剣は儂が鍛えたものよ。なれば、その懇願を無碍にできるものか」

 

 なるほど。剣の声なき声を聞き、明確な意思疎通ができる天津麻羅にとって、自身が鍛えた剣は最早作品などではなく、我が子も同然ということなのだろう。

 

 「儂は貴様がどこで野垂れ死のうと興味が無いし、知ったことではない。だがな、儂が鍛えし剣を敗北の理由にされては、鍛冶の神としての沽券に関わるのじゃ。そう、それだけのことよ」

 

 その言葉を最後に天津麻羅は一心不乱に鎚を振るい、完成するまで口を開くことはなかった。

 

 

 

 

 「ほれ、受け取れ。貴様の為に文字通りその身を業火に投げ入れ、『神無徹』専用の剣として新生した貴様の娘だ。……そうだな、『御霊劔(みたまのつるぎ) 明日香』というべきかのう」

 

 そういって、それまでの魂を注ぎこむような作業が嘘であったかのように、あっさり投げ渡された剣を私は受け取る。そうして、私は驚愕した。以前とは違いすぎるその感覚に。

 以前から、明日香を手にした時の充実感はあった。五感どころか第六感さえも強化されたような、全身の感覚の鋭敏化も。だが、今はそのいずれもが以前とは桁違いであった。まるで、己のいちぶであるかのように手に馴染み、手にしたことで本当の意味で己が完成したような充実感がある。

 

 「こ、これは……」

 

 だから、思わず感嘆の声を上げてしまったのは、無理もないことであった。そんな私の反応に、歓喜するように手の中で鳴動する明日香。

 

 「ふむ、その様子なら問題ないようじゃな。儂が本気で鎚を振るったのじゃから当然といえば当然じゃがのう。己の娘に感謝せよ。煉獄の炎にその身を灼かれながら、儂の権能に耐え見事新生を成し遂げたのだからのう」

 

 「ああ、ああ、分かっているさ。すまな……いや、ありがとう明日香。お前は私の自慢の娘だ。よく戻ってきてくれた」

 

 天津麻羅の言葉に、明日香をそうさせる程に追い詰めたのは他ならぬ己であることが思い出され、謝罪の言葉が口をでそうになるが、どうにか自制して感謝と喜びの言葉を口にする。

 ここで謝ってはならない。そして、明日香の真意を酌めなかった私に、その行動を怒る資格もない。ならば、私がすべきは愛娘への感謝と戻ってきてくれたことへの歓喜を示すべきだと思ったのだ。

 

 そんな私の言葉に歓喜を示すように、再び私の手の内で鳴動する明日香。

 

 「ふん、今度は間違えなんだか……。

 さて、神無徹よ。もう一仕事してもらうぞ。本番はむしろこれからなのじゃからな」

 

 「なに、どういうことだ?」

 

 本番だと、これ以上なにがあるというのだ?そう思って訝しげに問う私に、天津麻羅は呆れ顔でしれっと答えた。

 

 「貴様の頼みはそこの巫女の得物じゃろうが。今からそれを鍛えてやろうというじゃよ」

 

 そう言って顎で示されたのは、私が先に出した『竜骨』であるフェンリルの巨大な牙だ。

 

 「確かにそう頼んだが、いいのか?明日香を鍛えてもらって、この上……」

 

 もう十分に今回の対価はもらったと言っていい。いや、それどころか明日香の真意に想いに気づかせてもらったのだから、貰い過ぎといっても過言ではない。この上でとなると、流石に気がとがめた。

 

 「勘違いするでない。貴様の剣を鍛えしは、その娘の懇願に応えたが故よ。断じて貴様の為ではないわ!それにこれから成すことに必要不可欠であったが故よ。その成否次第では、娘ごと儂の剣を置いていってもらうぞ」

 

 「なんだと?!」

 

 どうやら、またしてもとんだ思い違いをしていたらしい。天津麻羅にとって、明日香を鍛えたのは前準備でしかなかったというのか。それにしても聞き捨てならない。明日香を置いていけなど、何があろうと許容出来るものか!

 

 「その剣には元々『増幅』と『制御』の特性があるのは知っているであろう。それに、今回は『性質変化』を加えた。貴様には、それの性質変化を用い『神殺』の炎を『竜骨』を溶かし鍛える為の『鍛冶』の炎に変化させるのを担当してもらう。先の炎に負けぬ出力でな。貴様が本当に迦具土様の炎を掌握したというのならば、造作も無いことのはずよ。

 それができぬというのなば、貴様はその剣の担い手足り得ぬ。貴様にはその娘は過ぎた宝というわけじゃ」

 

 なるほど、迦具土には鍛冶の神としての側面も持つが故に、その炎を完全に掌握したというのならば、性質変化を用いて『神殺』を『鍛冶』へと変化させてみろというわけだ。

 

 だが、これは『神殺』を純化させて『神滅』へと昇華せるのとはわけが違う。完全なる性質変化だ。難易度の桁が違う。なぜなら、そもそもカンピオーネが権能として簒奪できるのは、殺した神の全てではないからだ。あくまでもまつろわぬ神が持っていた権能の一部を己にあった形で手に入れるに過ぎないのだ。すなわち、カンピオーネの使う権能は、神の一側面、力の一部でしか無いのだ。

 そして、それは私の使う迦具土の権能も同じ事なのだ。先に天津麻羅が言った通り、私が簒奪したのは迦具土の『神殺しの神』としての側面であり、それが故の『神殺』の炎である。要するに私が使えるのは迦具土の炎であっても、『神殺』の炎だけなのだ。『鍛冶』の炎など使えないのである。

 しかも、火産霊の焔と同等の炎をとくれば、残る全呪力を費やさねば不可能である。いくら明日香の助けがあったとしても、到底可能なこととは思えなかった。

 

 だが、ここでできぬというのは癪に障る。曲がりなりにも神に対して、敗北を認めるなどありえないし、何よりも明日香をとられるなど許せるはずもない。

 

 「いいだろう、やってやるさ!」

 

 明日香へと権能を行使する。徐々に呪力を強めていこうとしたのだが……。

 

 「義兄さん!」

 

 美雪の突然の叫びに驚いてそちらを見やると、美雪はそれでは駄目だといわんばかりに悲しげな表情で首を振ったのだ。

 

 これでは駄目だと言うのか。だが、性質変化などという超難度の芸当をしようというのだ。失敗は許されないのだから、慎重を期さなければならない。

 

 「明日香を、明日香を信じてあげて!」

 

 私は愕然とした。この期に及んで私は未だ躊躇っていることに気付かされたからだ。

 そもそも迦具土の炎は、制御など考えるのも愚かしいということを私はこの四年間で嫌というほど理解しているはずだ。で、あるからこそ私は『神滅』に至り、火産霊の焔を編み出したはずだ。どちらも完全に掌握したからこそ、できる荒業なのだから。

 

 だというのに、私は何をやっているのだ。徐々に呪力を注ぐなど小手先の技術に頼り、なぜ今更迦具土の炎を制御しようとしているのだ。そんなものでは、火産霊の焔と同等の出力など望むべくもないというのに。性質変化が超難度の芸当であったとしても、いや、であるならばこそ、その本質を最大限に活かすべきだというのに、それを躊躇う。つまり、超難度というのは建前の言い訳でしか無いのだ。

 

 なんてことはない。結局のところ私は怖いのだ。私は娘を、明日香を失うことを恐れているのだ。私の罪過の炎があの娘を傷つけ、もう一度殺すことになることを恐れているのだ。先程、見事私の最大威力に耐え切る様を目の前で直接見せつけられたというのに……。

 

 こんな様だから、私は明日香を追い詰めたのだろう。

 

 顔を上げれば、再び美雪と目が合う。亡き妻美夏と正反対の性格でありながら、気が強く芯のあるところなどは実によく似た姉妹である。そんな義妹が、私を祈るような表情で見ている。見ていることしかできない自身に歯噛みしながらも、必死に何かを祈っている。その何かがなんであるか、説明の必要はあるまい。

 

 私は今一度剣を持ち直し、剣身を見つめる。そう、剣なのだ。どんなに願っても、どんなに見て見ぬふりをした所で、明日香が剣であることは変えようがないのだ。それは明日香の人としての肉体を滅ぼした、けして許されることのない『娘殺し』という私の罪の具現なのだ。

 そして、明日香が自身の命よりも私を優先したという証左でもあるのだ。それを忘れてはならない。故に私は、たとえどんなに辛かろうとも生きねばならない。

 

 そうだ、認めねばならない。娘の、明日香の強さを。己の肉体を犠牲にして、父親である私の命を守ったその強さを。まつろわぬ迦具土をはねのけ、己の意志を貫いた心の強さを。そして、この四年間数多の危機から私を救ってくれた娘自身の強さを。

 誰が信じるよりも、私が信じねばならない。その身が不滅であることを。この世のあらゆる剣よりも優れた最強の剣であると。

 

 「……明日香、今まですまなかったな。私はお前を信じる。

 散々お前の気持ちを意思を無視しておいて今更むしのいい話だが、私に力を貸してくれるか?」

 

 答は即座にあった。私の手の中で剣が鳴動する。いつもより激しい感じがするので、もしかしたら、そんな言わずもがなのことを聞くなと明日香が怒っているのかもしれない。

 

 「ありがとう、明日香。では行くぞ!これが私の全力だ!」

 

 莫大な呪力を一息につぎ込み権能を行使する。そして、その全てを明日香へと注ぐ。元より私に完全な性質変化などできない。カンピオーネの権能はそんなに融通のきくものではないし、安易に変化させられるようなものではないのだから、当然だ。そもそも、私だけでやらねばならぬ道理はない。他ならぬ天津麻羅が言っていたではないか。性質変化は明日香の能力だと。すなわち、私がすべきは明日香を信じ、全力の炎を託すだけなのだ。

 

 私はすでにそれを経験しているはずだ。思い出せ、魔王の狂宴と呼ばれた同朋達との戦いを。あの時、私は迦具土の権能を明日香に委ねたはずだ。あの時の私には到底不可能なはずの権能の同時行使を、明日香と共に実現させたではないか。そうだ、私一人では無理でも明日香と一緒ならば、不可能はないはずだ。

 

 大体、明日香がいなければ、フェンリルにもパールヴァティーにも勝てなかった。いや、それどころかそもそも迦具土に殺され、神殺しになっていなかったであろう。つまり、元より私という神殺しには明日香の存在が不可欠だったのだ。

 私は明日香と共にあってこその神殺しなのだ。ならば、今更その力を疑うことなどありえない。明日香が滅びる時は私が滅びる時だ。そして、私が生きている限り、明日香は不滅なのだ。

 

 「私は神無徹!我が娘明日香と共に在って、人でありながら神を滅ぼす者!私達父娘に不可能など無い!」

 

 全呪力を注いだ炎が明日香へと収束していく。そして、全ての炎が収束された後に、その性質の変化が行われるのを感じる。膨大な熱量と呪力を包含したそれを、明日香は『神殺』ではない『鍛冶』の炎へと変えていく。

 

 急速に全身から力を奪われ、凄まじい脱力感が私を襲う。先の炎に全呪力を消費しただけではない。炎を制御し性質変化を行なっているのは明日香でも、それを収束し維持するのは私が行なっているが故だ。

 あまりに強烈なそれに座り込みたくなるが、私は意地で立ち続ける。娘が頑張っているというのにへたり込む父親がいるものか!

 

 「よし、上出来じゃ!それを炉に叩きこめ!」

 

 天津麻羅のその叫びに、私は性質変化が終わったことを悟り、あらん限りの力を振り絞り炎を炉へと叩き込んだ。炎が狙い過たず炉へと注がれるのを確認した。が、それが私の限界であった。全呪力を消費し、それどころかそれ以外の力さえも使い切った私には、襲い来る睡魔に抗う術はなかった。

 

 まあ、ここで意識を失おうと問題はない。カンピオーネの直感が危機を伝えていないし、何よりも私には頼りになる義妹のいるのだから。

 

 「明日香、ありがとう。これからも…よろしk……zzz」

 

 己の身体が崩れ落ちるように倒れるのを感じながら、せめてもの抵抗に愛娘への感謝と共に歩こうという決意を示したのだった。

 

 

 

 

 沈む義兄を慌てて抱きかかえる。やはり重い。術で強化しているからいいが、完全に脱力した大の男というのは、女の細腕には厳しいものがある。が、それも支えた義兄のぬくもりを感じると、どこかへと吹っ飛んでしまう。

 

 義兄の身体を横たえ、膝枕してやる。先程の義兄と明日香の間に入れないと思ったことさえも、心底安心したような穏やかな寝顔でかき消される。私も何だかんだ言って、安い女だなと思わず苦笑してしまう。

 

 それを見向きもせずに一心不乱に鎚を振るう天津麻羅。すでに竜骨は炉に放り込まれ、原型を留めていない。それどころか、ありえない速度で刃へと成形されていく。明日香を打ち直した時も感心したものだが、炉の炎と鎚を完全に操り、ただひたすら一つの武器へと成していくその様は、流石は日本神話最古の鍛冶の神であった。

 

 程なくして、驚く程に早くそれは終わった。天津麻羅の手には、一振りの薙刀がある。巨大なフェンリルの牙を溶かし、その中心部を削り出し鍛えられたそれは、極寒の霊気を帯び、死を暗示させる怜悧な輝きを持っていた。

 

 私は一目見て直感した。この刃ならば、神をも切り裂けるだろうと。そして、それを手にできることの喜びに身体が震える。

 

 「これを渡す前に……巫女よ、おぬしに問わねばならぬことがある」

 

 それを断ち切ったのは、天津麻羅の厳粛な声であった。義兄という庇護がなくなったせいか、今までの比ではない重圧を感じる。

 

 「どのような問でしょうか?」

 

 「おぬしはこの先も、そこで眠りこけている男と共に生きる気か?」

 

 「ええ、そうですけど、それが何か?」

 

 何を当たり前のことをと思ったが、天津麻羅の声はどこまでも厳粛で苛烈な神威を感じさせ、私に答を強制される。

 

 「考えなおす気はないのか?この男の行く道は、血塗られた修羅道に他ならぬ。共にあろうとすれば、優れた巫女であっても徒人でしかないおぬしは、その生命を道半ばで散らすことになるじゃろう。

 そして、この貪欲なる魔狼の牙を神殺しの迦具土様の炎で鍛えし神喰いの刃。これは正真正銘の神を殺しうる一振りに他ならぬ。一度手にしたならば、それは神々への宣戦布告と同義よ。おぬしもまた狙われる身となろう。神喰いの刃はおぬしに力を与えるが、同時に呪いを与えるのじゃ。それでも尚、この刃を求めるか?

 おぬしには神殺しに仕える巫女としてではなく、子を産み育てるという女としての幸せもあるはずじゃ。その道を選ぶつもりはないのか?」

 

 天津麻羅の言葉は真摯なものだった。信じられないことだが、彼ら神々からすればとるにも足らない存在である私に心を砕いてくれているというのか。なにせ彼ら神々は人間を個人として認識しない。人間が蟻をそう認識しないのと同じように。力の差がありすぎるが故に、存在の格が違いすぎるが故に。普通ならば、喜ぶべきことだろう。

 

 だが、はっきり言って余計なお世話である。私は疾うの昔に覚悟を決めているのだ。義兄さんが死ぬ時は己も死ぬ時だと。最早、私にとってこの世界で価値のあるものは他にはないのだから。それに呪いなどとうに受けている。実の娘と孫をを生贄としてまで権力と富を手に入れようとしたあの畜生共の血を引いているのだから。この身に流れる血は間違い無く穢れているのだ。

 大体にして、未だ名を呼ばず巫女呼ばわりである。つまり、天津麻羅が私を個人として認識しているのは、私が神殺しである義兄さんに仕える巫女である故でしかないのだ。けして、私個人の価値を認めたわけではないのだから。

 

 「御身の御言葉はありがたく。されどこの身には無用のものにございます。私は疾うの昔に誓ったのでございます。我が義兄神無徹の生をその傍らで見届けると。何より、私の女としての幸せは義兄なくしてはありえませんから」

 

 「ふむ、愚問であったようじゃな。では、好きにせよ」

 

 そう言って、薙刀への道をあけた。どうやら、己の手で取れということらしい。

 眠っている義兄さんを膝枕するという役得を手放すのは名残惜しいが、ここであれを手に入れなかったら、義兄さんと明日香が頑張りを無駄にすることになってしまう。

 私は未練を断ち切って、義兄を寝かせて立ち上がった。

 

 

 

 

 美雪の前には一振りの薙刀がある。極寒の霊気を帯び、死を連想させる怜悧な輝きを宿した神喰いの刃が。フェンリルの牙という『竜骨』を素材として用い、神殺しである義兄の炎で溶かし、鍛冶神である天津麻羅が鍛えた紛うことなき『神器』である。

 

 「これが私の新しい武器……本当に怖いくらい綺麗、それに凄い力を感じる」

 

 美雪はその輝きと美しさに魅入られたように陶然とし、ホウと熱い吐息を漏らしていた。なにせ、正真正銘の神器である。それが己のものになるというのだから、およそ呪術師・魔術師ならば垂涎の的である。美雪もまた巫女であり、魔術師である以上無理もない反応であった。

 

 「巫女よ、手に持ち名を与えよ。それでこそ、それはお前の武器として完成する。だが、心せよ。それがお前を主として認めるかどうかはお前しだいなのだからな」 

 

 天津麻羅の言葉に従い、美雪は薙刀の柄へと手をのばした。

 そして、その手が薙刀に触れた瞬間にそれは起こった。美雪の精神は何処へかと連れ去られたのであった。

 

 

 

 

 神器ともいうべき薙刀に触れた時、突然の衝撃に思わず目を閉じてしまった。

 だからだろうか、私はいつの間にか不思議な空間にいた。そう、漆黒の闇に覆われた右も左も分からぬ空間に。

 

 「ここは……?また何処かへと移動させられたの?!」

 

 「安心せよ。汝はどこにも動いていない。我が汝の精神を招いたのだ」

 

 突如、声が響いたとかと思うと光が生じ、一瞬後には白銀の狼が私の前に姿を現していた。

 

 「貴方はまさかフェンリル?!」

 

 その正体にすぐに思い当たった私は、警戒も露に臨戦態勢をとる。

 

 「ククク、そう怯えるな巫女よ。我は確かにフェンリルだが、正確にはその残滓に過ぎん。今の我に汝を害する意図はない」

 

 人を嘲笑うようなこの物言い、かつてのフェンリルそのもの!残滓とはいえ、油断は禁物!

 

 「フン、未だ警戒を解かぬか……用心深いものよ。まあ、正解ではあるがな」

 

 ニヤリと言わんばかりにフェンリルが顔を歪めた瞬間、私はゾッとする怖気を感じた。そして、それが命じるままに無様に転がった。

 

 「ククク、流石は我を殺した男に仕える巫女よ。よい勘をしている」

 

 無様ではあったが、それが間違いでなかったことはすぐに分かった。なぜなら、私の立っていた場所は無数の牙が剣山のように突き立っていたのだから。

 

 「何の真似?」

 

 「我はロキの息子だぞ。少しくらい興じてもよかろう?」

 

 「他者の迷惑を顧みないあたり、本当にいい性格してるよね……」

 

 「フハハハ、許せ巫女よ。我は最早現世において牙を突き立てることは叶わぬのだ。……それに、これぐらいの戯れで死ぬような者に我が主たる資格はない」

 

 少しもも悪びれないフェンリルに皮肉で返してみても、糠に釘、暖簾に腕押しであった。それどころか、このくらい当然と言い放つ傲慢さ。間違いなく神そのものだ。

 

 「私が主足りえるかどうか……私では貴方を振るうに不足だっていうの?」

 

 「当然であろう。我が負けたのは汝の仕える神殺しなのだぞ。奴本人ならともかく、なぜ貴様ごときに使われねばならぬ?」

 

 フェンリルの言い分は正しい。他ならぬ私自身がそれを認めよう。今の今まで魔術師に絶大な力を与えるという『竜骨』が放置されてきたのは、義兄が必要としなかったというのもあるが、それ以上に私に使える自信が全くなかったが故なのだから。

 実際、今回義兄さんが言い出さなければ、私はその存在を意図的に忘却していただろうし、ましてや、それを用いて自身の武器を作るなど完全に想像の範疇になかった。

 

 「貴方の言うことはもっともだけど、私もここで退くわけにはいかない。是が非でも私の刃となってもらう!」

 

 だが、それでもここで退くわけにはいかない。ここで退くような女が、どうしてあの人の隣に立てるものか!

 

 「小娘がぬかしおったな!吐いた唾は呑めぬぞ!」

 

 フェンリルから放たれる圧力が増し、その気配が酷く獰猛なものへと変化する。常人ならば、それだけで身動き一つ取れなくなるだろう。いや、魔術師・呪術師であればこそ、その脅威を正確に感じ取り、心折れるやもしれない。

 だが、その程度で今更怯むような私ではない。この四年間、迦具土より始まり、まつろわぬ神に義兄と共に対峙することなどいくらでもあったのだ。まつろわぬ神本体ならともかく、今更のその残滓如きにどうこうされてたまるものか!

 

 私は無言のまま、フェンリルを睨み返した。

 

 「……」

 

 「ほう、大した胆力よ。我が威に怯えず、それどころか真っ向から睨み返すとはな。なるほど、油断ならぬ。思えば、汝が我を滅ぼすきっかけを作ったのであったな。であるならば、この程度は当然か」

 

 「私は貴方には負けない。神には勝てずとも残滓ごときに負けるほど、私は弱くない!」

 

 「ククク、よく吠えるわ。だが、心地良い覇気よ。それにその気の強さと油断ならぬ眼差し、我が妹ヘルを思い出すわ。あれも気丈で油断ならぬ女であったな」

 

 私の言葉に大笑するフェンリル。だが、それは先程の嘲るような笑いではなく、心底愉しげな笑いであった。そして、どこか懐かしむような声で独りごちた。

 

 「ヘル?半死半生の死者の国の女王である、あのヘルのこと?」

 

 「おう、そのヘルよ。あれは我が妹ながら油断ならぬ女でな。ニヴルヘイムに追放されながら、アースガルズに攻め込む機会を虎視眈々と狙っておったわ」

 

 フェンリルが言っているのは、ラグナロクの際に死者の爪で造った船ナグルファルに死者達が乗り、巨人に加勢する死者の軍団がアースガルドに攻め込んでくるということからだろう。

 しかし、あの冥界の女王と似ているといわれるのは、正直あまりいい気がしない。

 

 「ククク、そう嫌そうな顔をするな。あれは恐ろしい女であったが、情の深いいい女であったよ」

 

 「情が深い……?」

 

 あのヘルが情が深い。全く意味がわからない。どこをどうしたら、そういうことになるのだろうか。

 

 「バルドルのことを知らぬか?」

 

 バルドルのこと?光の神バルドルの蘇生をフリッグの命を受けたヘルモーズが懇願した際、九つの世界の住人すべてがバルドルのために泣いて涙を流せばと条件をつけ、結局ロキが変身した巨人が泣かなかったので、蘇生は叶わなかったというが……。なぜ、それが情の深いことにつながるのか。

 

 「わけが分からぬという顔よな。考えてもみよ。結果的に我が父の為に頓挫したとはいえ、バルドルはヘルを含む我ら兄弟を虐げ追放した憎きオーディンの息子なのだぞ。懇願された程度で蘇生してやる義理があるものか。そもそも条件などつけず、拒絶してやればよかったのだ。それをあれは、自身の利になる要求すらせず、純粋に蘇生するに足る条件をだしただけなのだぞ」

 

 なるほど、言われてみれば一理あるかもしれない。少なくとも血も涙もない神ではなかったのだろう。ラグナロクの際に攻めこむことも、父であるロキを助けるためと解釈できないこともない。そうなると、情が深いというのもあながち間違いとはいえないかもしれない。

 

 「そうだとして、それが何だと言うの?」

 

 「分からぬか?我が妹に免じて、力を貸してやってもいいといっているのだ」

 

 「本当に?!」

 

 「この場に限っては嘘は言わぬ。我は神喰い魔狼、その力ある牙よ。確かにこの身は神をも容易に斬り裂くであろうし、汝に多大な力を与えるであろう。

 だが、心せよ。それは我が本体が残した呪いをお前もまた受けることに他ならぬ。汝はかの神殺しと共に血に塗れし運命をたどることになろう。最早、神との戦いから逃れることはできなくなるであろう」

 

 「望むところよ!そんなの疾うの昔に覚悟しているんだから」

 

 そうだ、あまりにも今更過ぎる。それを拒むくらいなら、この四年の間にとうに義兄さんから離れているし、そもそも義兄さんについていこうなどと思わなかっただろう。私は巫女なのだ。義兄さんという神殺しに己の全てを捧げた唯一無二の巫女。明日香と同様に、私もまた義兄さんとその生死を同じくする者なのだ。故に、躊躇いなどあろうはずがない!

 

 「フハハハ、どこまでも豪胆な女よ。よかろう、我に名を与えよ。それをもって、我は汝の最強の牙となろう!」

 

 どこまでも愉しげに笑うフェンリル。先の酷薄で獰猛な気配が嘘のようであった。

 

 「貴方の名は……神を薙ぎ払う者で、『神薙』。そして、貴方の本体から、『貪狼』。『神薙貪狼』よ!」

 

 「承知した。この身は神を薙ぎ払い、貪欲なる狼のごとく喰らい尽くし、汝が道を切り開こう」

 

 その言葉と共にフェンリルは光に包まれ、次の瞬間私もまた光に包まれた。

 

 「どうやら、見事認められたようじゃな。最早女としての平穏は望むべくもないのだから、喜ぶべきかどうかは微妙なところじゃが」

 

 天津麻羅の声が聞こえる。それ以上に手の中には確かな感触があり、不思議と手に馴染む。目を開けば、そこには白銀の薙刀がある。手にしているだけで力が溢れるような感覚がある。竜骨が魔術師に強すぎる力を与えるというのは嘘でもなんでもないらしい。まして、これはその竜骨を用いて作られた私専用の神器だ。それは並のものではないだろう。

 なるほど、どうやら本当に戻ってこれたらしい。そして、認められたのもまちがいないようだ。

 

 「御身は知っておられたのですか?」

 

 何がとは言わない。言うまでもなく、この老神は理解しているだろうからだ。

 

 「無論、知っておった。じゃが当然じゃろう?神の一部であったものを、神の炎で溶かし、神が鍛え、神器となしたのじゃ。意思ぐらいあるわい」

 

 「なるほど、確かにそうかもしれませんね。己の不明を恥じるべきですね……」

 

 何の反応もないところみると、義兄さんは未だ寝ているらしい。というか、どくらいじの時間がたったのだろうか?

 

 「ああ、さして時間はたっとらんよ。というか、儂らからしてみれば、一瞬の出来事よ」

 

 天津麻羅は私の心中を察したようで、問うまでもなく答をくれた。

 それにしても、あの対話が一瞬?それなりに長く話していたはずなのに……。

 

 「さて、もう用はすんだじゃろう。そこに寝ているお前の主と共に現世に帰るがいい」

 

 私が考えに耽っているのを尻目に、さっさと出てけと言わんばかりの天津麻羅。

 まあ、本来神の宿敵である神殺しである義兄さんの頼みを聞くのは業腹だったろうから、無理もないかもしれないが……。

 

 とはいえ、帰れと言われて帰れるものではない。現世から幽世に行くのも、その逆もかなりの高等技術であり、相応の準備が必要なのである。秘巫女であった私はその術法も心得てはいるが、今回は拉致同然に連れて来られたせいで、帰還に必要な道具がないのだ。

 

 「帰りたいのは山々なんですが、真に遺憾ながらその術がございません。その、強引に連れて来られたもので……」

 

 ここで見栄を張ってもいいことはないと直感した私は、正直に現状を告白した。

 

 「なんじゃと……。そうか、道理でスサノオ様が神殺しの為に骨を折るわけじゃ。後は任せたと言っておられたから、まさか現世に返すのも儂がやらねばならぬのか?!」

 

 今更ながらにスサノオから丸投げされたことに気づいたらしく、頭を抱える天津麻羅。神様が苦悩する様とか、何気にレアな絵面かもしれない。

 

 

 

 

 この後、スサノオと天津麻羅のすったもんだのやり取りがあったが、少々あれなので割愛する。とにもかくにも、徹達は現世に帰還することができた。その際、天津麻羅から美雪はあるものをせしめたのだが、それは義兄にも秘密であ。それは以後、彼女の切り札の一つとなるものであり、大いに彼女達を助けることになる。

 夏の盛りの暑い日の出来事であった。  




日本神話については基本的に古事記ベースです。よって、神様の名前の記述や逸話も古事記をベースにしています。三貴子は古事記だとイザナギのみからですが、日本書紀だとちゃんとイザナミとの間のこだったりしてややこしいのですが……。
鍛冶の神をよくある天目一箇にしなかったのは、天津麻羅が日本神話における原初の鍛冶の神であり、神号がないことから実は神ではないのではという説があるからです。要するに彼は人よりの神という位置づけのです。じゃないと、いくらスサノオが頼んでも、宿敵である神殺しの為に働いてくれないんじゃないかと考えたためです。


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#05.敗北と魔王の伯父

非常に遅くなりました。心よりお詫び申し上げます。
なにかおかしなところがあれば、遠慮なくご指摘下さい。


 徹はカンピオーネとなって以来、負けたことはない。いや、『魔王の狂宴』でまつろわぬ神を招来されてしまったことは、徹にとっては敗北とかわりないので、そういう意味では正しくはないかもしれない。

 しかし、少なくとも純粋な戦闘であるならば、苦戦することはあっても、負けなしであることは間違いない。屠った神の数は10柱を超え、まさに人中の魔王、魔術師達の王、羅刹の君と称えられる絶対の勝者カンピオーネを体現していたといっていいだろう。

 

 そう、今日、この時までは……。

 

 

 

 

 「ゴフッ……」

 

 言葉を発しようとして口を開けば、血が吐き出される。内臓がやられていることの証左であった。まあ、無理もないと心中で自嘲する。控えめに言っても、今の私は満身創痍もいいところであったからだ。

 片腕はすでになく、全身の骨はいたる所が骨折している。正直、己でも立っていられるのが不思議なほどであった。

 

 「まったくやりたい放題やってくれる……」

 

 全身を苛む激痛に耐えながら毒づいて、その元凶に目を向ける。目に映るのは、巨人というに相応しき偉丈夫。それでいて、武骨な肉体とは裏腹に深い知性を宿した瞳を持った男だ。

 

 「ふむ、汝から盗みし焔のなんと凄まじきことよ。神を滅ぼすことにかけては、ゼウスの雷霆にも劣るまい。我が義妹は真恐るべき存在を生み出したものよ」

 

 感心したように言う男……いや、神。カンピオーネの養親であり、最大の支援者たるパンドラを義妹と呼ぶまつろわぬ神。すなわち、まつろわぬプロメテウス。

 

 プロメテウス、ギリシア神話に登場する広義の意味のティーターン神族の一柱。『天界の火』を盗み出し、人間に与えた事で有名な神である。そのことにちなんで、原子力は「(第二の)プロメテウスの火」と喩えられる程である。一説によれば人間を創りだした張本人であるともされる(プロメテウスが粘土から人類を形造り、アテナはそれに生命を与えた)。それ故か、ゼウスや他の神が人間に対してやりたい放題なのに対し、プロメテウスは自身にくだされる罰をも恐れず、「火」をはじめとした文明技術を授けた人間に恵み深い神である。

 また、予言と英知の神であり、その名は「先見の明を持つ者」「熟慮する者」を意味する。その凄まじいところは、『天界の火』を盗み出したことに対する罰すら予想していたことに加え、その罰からもいずれ罰を下した張本人であるゼウスの息子『ヘラクレス』によって解放されることすらも予言していたことから分かるであろう。ちなみに件のパンドラについても、弟であるエピメテウスに警告しているのだが、エピメテウスはこれを無視した為、無駄になった(エピメテウスの名は「後の知恵」の意であり、行動してから後悔する愚者、プロメテウスとは対比的な名である)。

 

 要するに、『エピメテウスの落とし子』たる私達カンピオーネとは縁が深い神であり、またその在り方から相性が悪い神でもある。

 特に私にとっては、最悪の相手と言っても過言ではない。私はそれを嫌というほど実感していた。

 

 「どうしてこう相性の悪い相手と当たるんだか……」

 

 思えばパールヴァティーも相性の悪い神であったが、プロメテウスはその上を行く。なにせ権能を無効化するなんてレベルの話ではない。プロメテウスはその逸話の通り権能そのものを盗むのだから。

 なんとプロメテウスは、開始早々炎化した私を嘲笑うかの如く、迦具土の権能を盗み炎化による絶対的な物理攻撃への防御を無効化してみせたのだ。あわやその怪力の拳をダイレクトにもらうところだったが、片腕を犠牲に多大なダメージを負うことで辛うじて即死を避けることはできた。

 これはヤバイと直感した私は即座にフェンリルに変身。仕切り直そうと逃げをうったが、逃げた先でまるで分かっていたといわんばかりに待ち受けていたプロメテウスに拳の乱打の洗礼を受けることになったのだった。フェンリルの強靭な肉体にも関わらず、その拳打は重く強力で多大なダメージを受けた。

 

 その結果、全身打撲に加えアバラ骨を残らずへし折られた。挙句、権能を盗まれることを警戒して変身も解かざるをえなかったのである。

 

 「どうした、種切れか?まだ汝には、先の魔狼の権能もあろう。それどころか、我を殺しうる神殺しの刃すら持っておるではないか。まだ、諦めるのは早かろう」

 

 満身創痍の身で辛うじて立っているだけの私によくも言ってくれるものである。しかも、フェンリルの権能はともかく、見せていない明日香まで見透かされているとは恐れ入る。オリュンポス十二神をはじめとする神々の王たるゼウスをも怯えさせた予言と英知の権能は伊達ではないということか。

 

 「何もかもお見通しというわけか……。どこまでも癇に障る!」

 

 精一杯の虚勢を張って言い放つが、迦具土の権能を盗まれ、今また魔狼への変身も封じられてしまった以上、奥の手の明日香を使うほかない。

 しかし、それまですでに見抜かれていては、どれだけ有効打になるかは疑問である。正直打つ手がない。それに何よりも迦具土の権能を盗まれたという事実は、想像以上に私の精神を蝕んでいた。まるで半身をもがれたかのようであった。そのせいか、どうにも頭が回らない。

 

 「ふむ、虚勢であろうがよく吼えるものよ。己の絶対の自信の根拠であった権能を奪われて、精神に多大な負荷がかかっていように」

 

 「……」

 

 どこまでもお見通しといわんばかりのプロメテウスの態度に苛立つが、身も心も満身創痍な私には最早否定の言葉を発することすら惜しい。必死に起死回生の一手を模索するが、思考は遅々としてまとまらない。

 

 「とはいえ、さしもの汝も最早打つ手がないようだな。最早、勝敗はけっした。これ以上の戦いは意味がないが────────汝は神殺し。我ら神々の仇敵たる魔王であり、あの愚弟とパンドラの義息である。生かせば、汝は世に災厄をもたらそう。故にここで確実に息の根を止める」

 

 「やってみろよ!」

 

 「汝が頼りとした神殺の炎の味、その身で味わうがいい!」

 

 私の挑発の叫びに、プロメテウスは迦具土の炎で応じた。それは極大の炎であった。中空で輝き密度を増していく黄金の炎。私がイメージしたような煉獄の業火ではない。そもそも、プロメテウスは炎化すらしていないのだ。私から奪った権能であるというのに、私とは異なる手法で明らかに私以上に使いこなしているように見える。いや、それどころかそれ以外のものも加わっているように見える。そうして、プロメテウスの天にかざした手の上に黄金の太陽が顕現する。

 

 (これは無理だな……。)

 

 それを見たとき、私は確信した。これは死ぬと。恐らく骨すら残らないだろう。

 なにせ、フェンリルになるには時間が足りない。仮に間に合ったとして、このボロボロの体でどれだけの速度が出せようか。すなわち、避けられない。その上、防ごうにも神殺の炎の前には生半可な防御は無意味であることは誰よりも私自身が理解している。つまり、防ぎようがない。カンピオーネの肉体の頑強性にかけて耐え忍ぶことも無理だ。そも迦具土の権能あってこその炎への絶対的な耐性だったのである。それを奪われた以上、素の耐久力で勝負するしかないのだが、あの炎の規模と密度ではいかに頑強なカンピオーネの肉体であっても、耐え切れないだろう。というわけで、八方塞である。はっきりいえば、詰んだ。

 

 いや、実のところ手はある。それも、この状況をひっくり返せるかもしれない起死回生の一手が。

 

 しかし、私はあえてそれを使わないことを選んだ。なぜなら、ぶっちゃけた話、この場では負けを認めるほかないないからだ。ここで無駄に粘るよりは、仕切り直して再戦を挑むべきだと私は判断したのだ。

 

 故に、これ以上こちらの手札を晒すのは利敵行為にほかならない……というのは建前で、実際のところは────────折角新生した明日香の初陣を負け戦にしてなるものか!というのが本音であるのは秘密である。美雪や明日香に知られたら絶対怒られるだろうが、娘の為に環境を整えるのも、娘の前でいい格好したいと思うのも親として当然だと思うのだ。

 

 私が今すべきことは自身の第二の権能に残存する呪力を注ぎ込み、万全を期して黄金の炎を迎え入れることた。

 

 なにせ、初めての試みである。それができるという確信はあるが、万事がうまくいくという保障はないのだから。

 

 

 

 

 

 「義兄さん、そんな……」

 

 私は目の前の光景が信じられなかった。あまりにも呆気なく6人目のカンピオーネたる義兄が敗れたのだ。それは到底信じられるものではなかった。唯一無二の想い人にして、自らが巫女として仕える人中の魔王たる義兄が負けるなどありえるはずがないと信じていたから。それは最早、私にとって信仰の域に達していた……。

 

 ────────だから、義兄さんの星に僅かに陰りが見えたのを軽視してしまった。

 

 だが、私の信仰は目の前の絶対的な現実によって、あっさりと叩き潰されてしまった。客観的に見て、一方的な展開だった。義兄さんの誇る攻防一体の炎化が解かれ、そこに生じた隙を突かれ腕を引き千切られた。それでもフェンリルに変身して逃げようとしたところを、読んでいたかのように先回りされ、豪腕による乱打を受けて、変身すら解かれてしまった。そうして満身創痍なところに、トドメとばかりに放たれた黄金の炎。義兄さんのもつ絶対的な炎に対する耐性が嘘のように、骨身残さず焼き尽くされてしまい、そこには何も残らなかった。

 

 焼死ならば、パールヴァティーの権能による転生があるはずだが、その気配も全くない。いつもならば瞬時に現れているのに。何よりも、私自身の霊的感覚が伝えてくる。今、この世に義兄さんの魂はないということを……。

 

 「ああ……」

 

 愕然としてしまう。本来ならば、義兄の仇をとるべく、死力を尽くしてまつろわぬプロメテウスに挑むべきだというのに。足は動かない。足だけではない。全身くまなく微動だにしない。まるで、石化の呪法を受けたかのように。

 

 いや、正確には動けないわけではない。私がその必要を認めていないからだ。義兄さんが死んだ以上、私に生きる意味はない。今の私を支配しているのは、義兄さんを殺したプロメテウスに対する憤怒でも憎悪でもなかった。ただ、途方もない喪失感と底知れぬ絶望が私の心を埋め尽くしていた。

 

 「むっ、汝はあの神殺しの巫女か。それも星詠みとは珍しいものよ」

 

 まつろわぬプロメテウスが私の存在に気づいたようで、何かを言っている。

 

 だが、私には最早どうでもいいことであった。義兄以外の人間に身を任せることは絶対にありえないし、穢れきった呪われた神楽の血を残す気もない。義兄さんが死んだ以上、全てが無意味なのだ。私のやるべきことといったら、後は死ぬことくらいしかない。

 

 ────────ああ、そう考えれば、この神は使えるかもしれない。

 

 「我ら神々の仇敵である神殺しに仕えていたことは許し難いが、汝は中々に優れた巫女のようだ。我に仕え、その力を役立てよ。さすれば、汝が罪を許したうえで、我が加護を与え、神の知の一端を与えようぞ」

 

 この神は何を言っているのだろうか。私が仕えるのは義兄さんだけだ。女としても巫女としても、全てを捧げるのは義兄だけなのだ。たとえ、神であろうと血の一滴、髪の一本であろうと捧げるものなどない。

 

 ────────ましてや義兄さんを殺した相手などに、絶対にない!

 

 「来たれ神薙貪狼!貴方に神の血肉を味あわせてあげる!」

 

 私はようやく、怒涛の如き勢いで生じた憤怒の情に身を任せ、その勢いのままに神を切り裂くに足る矛を召喚する。

 

 「なんと、これは驚いた。まさかそのようなものを持っていようとは……。確かにその刃は我が身を切り裂くに足るであろう。だが、やめておけ。汝では我に傷一つ付けられぬよ。我にはすでに見えている」

 

 プロメテウスは神薙貪狼に僅かに驚きを見せたが、それだけであった。それどころか、無駄と断じた。どこか憐憫の情すら見える。流石、「先見の明を持つ者」である。その評価はどこまでも的確であった。

 

 確かに、私だけでは勝ち目はない。素直に認めるのは癪だが、そもそも私には神と真っ向にやりあえる力量はない。神に対抗する術がないわけではないが、それを単独で使う(いとま)もないし、使えたところでできるのは死ぬまでの時間を長くすることだけで無意味だろうし、それに大体にして使う気もない。私一人では、絶対に神には勝てないのは、ここ数年で嫌というほど理解しているのだから。神との戦いで私にできることといえば、あらかじめ星詠みの力と卜占でまつろわぬ神が出現する場所及び時間を予測する程度でしかない。神との実際の戦いにおいては、精々が足止めであり、後はこそこそ隠れて義兄さんがお膳立てして作ってくれた隙をついて一撃加えることくらいしかできないのだから。結局のところ、神との戦いにおいて私はサーポート要員なのだ。けして、主戦力にはなれない。これは諦観などではなく、厳然たる事実である。むしろ、なろうとするだけ、義兄さんの足を引っ張ることになる。

 

 しかし、今使うべきは……普段のセオリー通りの術ではない。神にこちらを木っ端ではなく明確な敵として認識してもらわねばならないのだから!

 

 「迦具土、伊邪那岐、伊邪那美、須佐之男、八十神、諸々の神殺しの神の加護ぞあれ」

 

 プロメテウスの忠告を無視して、神滅の術を唱える。そも日本神話とは、世界に数ある神話の中でも最も神殺しの逸話が多い神話なのだ。故に秘巫女が古来から伝承してきた古の秘術の中にも、神滅の術はちゃんと存在する。もっとも、かつては使う機会は皆無と考えており、術の存在は知っていても習得はしていなかったのだが……迦具土の一件で、己の無力さを悔やんで習得したのだ。

 

 とはいえ、今まで実戦で行使したことはなかった。これは神滅の術行使において大きな2つの問題があったが故である。

 一つには、得物のほうが術行使に耐えられないという問題があった。かつての自身の薙刀は業物であり、それなりの神秘を帯びたものであったが、それでも神滅の術に耐えるのは一度が限度であった。しかも、そのレベルのものですら、高価で稀少であり早々に手に入るものではないのだ。いくら神楽家の莫大な資産があるとはいえ、容易に使い捨てにすることはできなかったのである。

 そして、もう一つの問題点は純粋に術者としての技量の問題である。そもそもが習得していなかった術であることに加え、対神特化の術である為使用機会が限られていたのだ。故に、非常に高難度の術であるにもかかわらず、容易に修練することができなかったのである。先にも言ったとおり、私の役割は補助であって私が神との戦いにおいて矢面に立つことはほとんどなかったのだから当然だ。

 

 しかし、義兄と共に神と戦うことで私の術者としての技量は研鑽され、正真正銘の神器である神薙貪狼がある以上、話は別だ。今こそ、その成果を示そう!

 

 「御身らの背負いし業の刃、災禍たる刃をここに顕し給え!」

 

 「あくまでも逆らうというのか……愚かな。よかろう、己が身をもって人の矮小さを知るがいい!」

 

 私のとった行動は、明らかにプロメテウスを怒らせたらしい。最早、憐憫の情などなく、その顔には敵を滅殺する意思だけが垣間見える。挑発の意ももこめた神滅の呪だったが、見事にのってきてくれたようだ。これで私を確実に殺してくれるだろう。折角の神滅の術の初披露が、自殺の為というのが全く救われないが、呪われて穢れきった神楽の人間にはお似合いの末路であろう。そんなことすら思いながら、私は黄泉路への一歩を踏み出したのだった。

 

 

 

 

 

 「やれやれ、本当に間一髪でした」

 

 九死に一生を得た甘粕冬馬は深々と嘆息しながら、そうこぼした。

 

 「まさかとは思いましたが、(かおる)さんの予想が大当たりですか。武蔵野の媛巫女の霊視は確かなものだったというわけですね」

 

 甘粕冬馬は日本の呪術組織正史編纂委員会のエージェントである。彼は主から命じられれて、同じく正史編纂(へんさん)委員会の外部調査員である観無徹を調査しにきたのだ。勿論、徹本人には内密でだ。

 

 きっかけは『魔王の狂宴』と呼ばれる魔王三人による破壊事件についての詳細を記した徹の報告書だ。それはあまりにも詳しすぎた。それも現地の呪術者組織でも得ていないであろう詳細さだ。まるで当事者であったかのようなレベルであった。正史編纂委員会は特に疑問を抱かず、むしろその内容の充実振りを喜び、ボーナスすら与えていたが、冬馬の主である沙耶宮馨(さやのみやかおる)は違った。その詳細さに不審を覚えた馨は冬馬をその追及の為に派遣すらした。結果、徹から現地にいて仔細を見届けていたという答とその理由を聞かされて、一応納得し矛を納めたのだが……。

 

 武蔵野の媛巫女『万里谷祐理』の霊視による託宣によってそれは覆された。

 現在の媛巫女の中でもっとも霊視に長けた少女は断言したのだ。その神社において、確かにまつろわぬ神が現出し、何者かによって滅ぼされたことを。それは駄目元で試みたものだったので、報告を受けた冬馬と馨は大して期待していなかったこともあって、余計に驚愕することになった。まつろわぬ神を滅した者、すなわち神殺しの魔王カンピオーネ。正体不明の六人目は日本で生まれたのではないかというのだから無理もない。馨は早急に箝口令をひき、情報を封鎖した。幸いにも調査に同行したのは、霊視をした媛巫女を除けば沙耶宮の郎党だったのでそれは容易だったのが救いであった。

 

 とはいえ、人の口に戸は立てられぬもの。どんなに引き締めても、いずれ情報は漏れるものである。そうなれば、日本初のカンピオーネの誕生で組織に走る激震は想像に難くない。しかも、それが元とはいえ敵対組織の呪術者であるというのだからたまらない。せめて在野の民間術者か、全くの一般人であればよかったのだが……。現実は無情であった。なにせ、候補者はいずれも反四家の急先鋒にして歴史ある京の術者組織のトップである神楽家に属する者であったのだから。正史編纂委員会からすれば、今までの恨みとばかり、潰されるのではと戦々恐々になってもおかしくないのである。

 

 しかし、冬馬や馨からすれば、その危惧は全くの見当違いであった。冬馬は候補者である徹と美雪が、そのような人物ではないことを知っていたし、馨はそんなつもりなら今の今まで正史編纂委員会が健在であるのはおかしいし、徹が外部調査員として協力する意味もないということから、組織に害が及ぶことはないと判断していたからだ。

 

 まあ、だからといって放置しておける事ではないで、馨は極秘裏に早急な調査を命じた。その結果、冬馬はこうしてグルジアくんだりまで派遣されたわけである。なぜ、冬馬かといえば、候補者である徹も美雪も一流以上の術者である為、並の術者では気取られる可能性が高いからだ。故に、調査員は隠形に長けた者である必要があった。加えて、最悪バレても両者の知己である冬馬なら、流石に殺されることはないだろうという安全面の事情もある。

 

 もっとも、当の冬馬からすればいい迷惑である。下手をすれば、神との戦いに巻込まれるかもしれないし、最悪神から簒奪した権能を自分にむけられるかもしれないのである。徹達の性状から、後者はまず有り得ないだろうと理解はしているが、前者だって十分に生命の危機なのだから。誰とて自分の身は可愛いものだし、命は惜しいのである。

 

 「寒いのは嫌いですし、まだ死にたくないんですけどねー。給料は悪くないのですが、仕事が選べないのが宮仕えの辛いところです。まあ、十分過ぎる収穫はありましたが……。まさか、本当に先輩が魔王様だったとは」

 

 冬馬が危惧していた通り、まるで何かに導かれているかのように徹と美雪はまつろわぬ神と遭遇し、二人の後をつけていた彼もまたものの見事に巻込まれた。早々に徹がカンピオーネであることが判明したわけだが、 冬馬にさして驚きはなかった。美雪か徹のどちらかがカンピオーネだというならば、徹しかないと彼は確信していたからだ。敵に対しては一切の容赦がなく、必要ならば非情な手段も躊躇いなく取ることができるあの男ならば、神殺しも全くありえないことではないと思っていたからである。

 

 それはさておき、まつろわぬ神であるプロメテウスと魔王カンピオーネである徹の戦いは、まさに人知を超えたものであり、手助けするなど思いもよらぬものであった。幸い徹達に気取られぬように細心の注意を払っての隠形は神にも通用したので、まつろわぬ神の攻撃の標的にされることはなかったが、その余波だけでも十分に洒落にならなかった。建物は崩落するわ、辺り一面火の海になるわ、そこかしこで地割れが起きるわで、冬馬は生きた心地がしなかった。当然、冬馬は傍観に徹するつもりだったのだが……。

 

 「さて、これからどうしたものでしょうか?」

 

 そんな風に独り言ちながら、腕の中で意識を失っている美雪を見やる。冬馬は美雪がプロメテウスへと踏み込んだ瞬間にその意識を刈り取り、命からがらプロメテウスから逃げおおせたのである。いや、正確には見逃されたというべきだろうが……。

 

 本当は手を出すつもりはなかったのだが、美雪の捨て鉢な行動に思わず動いてしまったのだ。

 

 「自身の感情を制御しきれないとは、忍失格ですね。まだまだ修行が足りませんね……。でも、あれで先輩が本当に死んだとは思えませんし。もし、先輩が生きてて、美雪さんを見殺しにしたなんて知られたら、どうなるかわかったものではないですからね」

 

 冬馬は、徹が死んだとはどうしても思えなかった。焼き尽くされる場面を直接見てはいたが、あの時の徹はまるで炎を自ら迎え入れるようだったのが気にかかっていた。それに徹の腕ならば、完全に防ぐには至らなくても炎を減衰させたり、そらして直撃を避けることはできたはずなのに、それすらしなかったからだ。 

 

 「先輩がカンピオーネになったのは美夏さんの一件で間違いない。だとすれば、あの炎の権能は迦具土のものでしょう。狼の権能は何由来のものかは分かりませんが、先輩のカンピオーネとなってからの期間を考えれば、他にも権能を簒奪していたとしてもおかしくない」

 

 そう一人分析している冬馬の後ろに火柱が突然吹き上がる。

 

 「例えば、復活の権能とか……。どうです、先輩あたってますか?」

 

 冬馬は振り返ることなく、突如現れた気配に対して問う。

 

 「そうだな、それだと30点といったところかな?」

 

 火柱が消え去った後には、傷一つもない裸身の徹が立っていたのであった。

 

 

 

 

 

 「落第ですか……。なるほど、単なる復活ではないということですね。先輩、当然事情は説明してもらえるんですよね」

 

 平時と変わらない穏やかな口調と飄々とした態度だが、その考察は鋭く油断ならない。何より、表情とは裏腹に鋭い目が、洗い浚い吐くまで絶対に逃がしませんよと言外に語っていた。

 

 「分かっている。そろそろ潮時だとは思っていたし、元々お前には話してもいいと思っていたからな。それに何より今回美雪を助けてもらった恩義は忘れん。この際だ、全部話してやるよ」

 

 用意しておいた予備の服を召喚し早々と着こみながら、観念してこたえる。最早、ここに至って隠す意味はないだろうし、誤魔化すことも不可能だろう。大体にして、こうして冬馬自身が探りに来ている以上、八割がたバレていると思った方がいい。

 

 「とりあえず、今はここを離れよう。いつ、奴に見つかるかわかったもんじゃないし、美雪もちゃんとした場所で休ませてやりたい」

 

 「そうですね。確かにまた先輩と神の戦いに巻込まれたら堪りませんし……。行き先は先輩の宿泊先で?」

 

 「ああ、あそこなら予め結界を張っているし、一応の呪的防御も期待できるからな。一日二日なら、奴の目をごまかすこともできるだろう」

 

 「分かりました。美雪さんはどうします。このままお運びしますか?」

 

 「いや、それには及ばない。俺が運ぼう」

 

 冬馬はそれに抵抗することなくあっさりと、私に美雪を委ねた。壊れ物を扱うように両腕でゆっくりと抱き上げる。腕にそのはっきりとした重みを感じると共にその細身の温かみが確かに生きているのだということを伝えてくる。それだけで、狂おしい程の焦燥が消え、安堵が胸に満ちる。

 

 焦燥の残滓と安堵の念に押され、美幸の顔を覗き込む。美しい長い髪が顔にかかてはいるが、傷一つ見えない。ただ、その表情はけして穏やかなものではなく、苦悶というべきものであった。目の前で私が死ぬ様を見せつけられたのだ。無理もないだろう。

 

 (プロメテウスを騙すためとはいえ、美雪には伝えておくべきだったか……。いや、それをしていれば気取られていた可能性がある。あの場では、あれが最善だった。でも、美雪の心情を全く無視していたのは反省だな)

 

 迦具土の権能を盗まれた挙句、プロメテウスに手も足も出ない絶体絶命の状況で、私が選んだのはパールヴァティーの権能による再起であった。新生のタイミングを遅らせることは初めての試みであったが、できるという確信があったし実際にうまくいった。後は、プロメテウスがこちらが死んだと誤解して去ってくれるのを待つだけだったのが、美雪の思わぬ行動に危うく新生を早めるところであった。

 

 (俺はどうやら、自分が思っている以上に人でなしだったらしいな)

 

 迦具土の際の房中術、冬馬を誤魔化すための嘘として亡き最愛の妻である美夏を使ってしまったこと、そして、今回。必要だと判断すれば、それがどんなに非情なものでも躊躇いなく実行できてしまう。それは間違いなく私が持つ人間としての歪みであった。それをこの時、私ははっきりと自覚した。

 

 思い返せば、今生の肉親に対してもそうだ。情報収集は必須だったとはいえ、あんなにも急ぐ必要はなかった。幼稚園はまだ厳しいとしても、小学生ならば新聞を読んだとしても異常だとは思われなかっただろう。そこまでは子供らしい演技をしてやれば良かった。いくら今生の肉親を親として認められなかったとはいえ、自分の異常さをわざわざ曝け出す必要はなかったのだ。だというのに、私はあえてそれをした。必要だったからだ。私が今生の肉親を親として認める前に、かつての両親を忘れぬ為に、早急に彼らから離れる必要があったからこそ、私は自身の異常性を今生の肉親に認識させたのだ。

 

 「先輩、どうしたんですか?行かないんですか?」

 

 どうやら、些か以上に考え込んでいたようだ。冬馬が訝しげにしている。

 

 「すまん、ちょっと考え事をな。今はそれどころじゃないっていうのにな。行こう、早く美雪を休ませてやりたい」

 

 私はそれまでの考えを一旦棚上げにし、ホテルへの道を急いだのだった。

 

 

 

 

 

 「なるほど、そういうことでしたか……。先輩が所属組織を抜けて、正史編纂委員会(わたしたち)についたのは、先輩なりの意思表示だったというわけですか?」

 

 徹と美雪が泊まっているホテルの一室で、徹から粗方の事情を聞いた冬馬は深々と溜息をついた。思っていたとおり、正史編纂委員会(こちら)のお偉方が恐れるような事態にはならないことを確信できたからだ。同時に彼とその上司に洒落にならない仕事ができることも。

 

 「ああ、そうだ。まあ、純粋に金を稼ぐという意味合いもあったが、どちらかといえばお前達に対する実績作りというのが本来の目的だ」

 

 徹は自身がカンピオーネであるということを、いつまでも隠し切れるとはもとより考えていなかったのである。とはいえ、早々に明かせば、この上なく面倒な事態になるのは間違いない。故に徹は王でありながら、正史編纂委員会の仕事をあえて請け負ったのである。自身の所属していた組織から抜けることで、そちら側につかないということを示し、同時に外部協力員とはいえ形式上正史編纂委員会の傘下に入ることで、徹は敵対の意思がないことを示していた。それは自身との付き合い方の遠まわしな提示でもあった。

 

 「外部協力員、図らずも先輩の思惑通りだったというわけですか。つまり、先輩は敵対する気もないが、神輿になる気もない。精々がビジネスライクな関係でいようと」

 

 冬馬は皮肉気に笑った。なにせ他ならぬ彼が斡旋した仕事であり、立場である。それが徹の企図していたこと偶然にも一致していようとは、夢にも思っていなかったのだから。

 

 「まあ、そう言いたくなる気持ちは分からんでもないが、別段私が企図したわけでも誘導したわけでもない。偶々、私にとって都合が良かったに過ぎない。

 付き合い方にしては、基本はそうだ。私はお前達の四家の権力争いなどどうでもいいし、介入する気もない。当然、利用する気も利用される気もない。あくまでもビジネスとしてなら、お前達の依頼を受けてやろう。但し、例外もある」

 

 「例外ですか?それは一体どのような場合でしょう?」

 

 「おいおい、私にだって故国を大切に思う気持ちくらいある。護国の為であるなら、私は無条件で依頼を受けよう。日本にまつろわぬ神が襲来するようなことがあれば、必ず討滅すると誓おう」

 

 「それはこちらとしては非常に助かりますが、本当によろしいので?」

 

 「まつろわぬ神は()にとって、宿敵だ。現出した神など最早神ではない。神は幻想の存在であればいいのだ。それに神殺しが神を殺さずしてどうする。もとより、カンピオーネとはその為の存在だろうが」

 

 「……」

 

 徹の声色が一変し、空気がどんよりと重くなる。それは絶対零度の冷徹さと鋼如き強固な意志と秘められた激情を感じさせ、その苛烈さが冬馬に言葉を失わせた。

 

 「まあ、補助や後始末等の面倒ごとは引き受けてもらうし、ある程度の報酬も請求するつもりだから安心しろ。その時になって、支払いをケチるなよ」

 

 直前の空気を一掃するかのように冗談めかしてそんなことを徹は言う。

 

 「ははは、心しておきましょう。魔王様への報酬とか想像するのも怖いですからね」

 

 冬馬はあえて乗った。感じたものを詮索するのは鬼門でしかないと確信していたからだ。そして、徹の負った傷は深く未だ癒えていないのだと悟ったのだった。

 

 

 

 

 

 義兄さんが甘粕冬馬に事の次第を洗いざらいぶちまけ、自身の意図を説明しようとしているところで、私は目を覚ましていた。

 

 『まつろわぬ神は()にとって、宿敵だ。現出した神など最早神ではない。神は幻想の存在であればいいのだ』

 

 甘粕冬馬の軽薄な笑い声が耳に響くが、胸中では義兄さんの悲痛な叫びが反響しており、じくじくと痛みを発する。

 

 (義兄さんは、今も憎いのね。姉さんの命と明日香の人としての生を奪ったまつろわぬ神が……。)

 

 義兄のまつろわぬ神々に対する憎悪の炎は、数年経った今も些かの陰りもないようだ。それは元凶である神楽家が滅んでも、仇である迦具土を殺しても、それは些かの陰りもない。いや、神々を何柱滅ぼそうとも、けして消えることはないのではないか。そう、いつか義兄さん自身をも諸共に灼き尽くすその時まで……。

 

 (今思えば、最初の頃のまつろわぬ神との異常なほどの遭遇は、ほかならぬ義兄さん自身が望んでいたからなのかも……。いえ、もしかしたら義兄さんは────────)

 

 「しかし、先輩にしては随分迂遠なやり方ですね。その気になれば、正史編纂委員会(こちら)に気を使わないで強引に意を通せたんじゃありませんか?それなのに、世界を旅してまつろわぬ神討伐行脚ですか────────先輩、死にたかったのですか?」

 

 義兄さんがカンピオーネであることをあえて隠匿し日本を離れたのは、王と崇められることを嫌ったのでもなく、故国の安全をはかる為ですら無い。それらは他者に対する建前で、本当は死に場所を探していたのではないか?私が考えないようにしていた疑惑だった。

 

 「やれやれ、お前も美雪も買いかぶりが過ぎるな。妻子の後を追って自分も死ぬ。なるほど、ある種の美談やもしれん。だが、私はそんな殊勝な人間ではないぞ。ただ単に、あのまま日本にとどまっていれば、色々厄介なことになるのが目に見えていたからだ。王として他者に傅かれるのも御免だったし、いずれそうならざるをえないにしても猶予が欲しかった。それに手に入れた権能(ちから)を把握する必要もあったからな。当然だが、大っぴらに権能を振るえる機会など、まつろわぬ神との戦い以外にないだろう?ただ、それだけの話だ」

 

 義兄さんの言っていることはいちいちもっともで、疑う余地などないように思える。だが、甘粕冬馬はそうではなかったらしい。

 

 「なるほど……。ですが本当にそれだけですか?」

 

 「くどい!他に何がある?!」

 

  再度の確認に義兄さんが苛立たしげに叫ぶ。普段の義兄なら、絶対にありえない態度だ。やはり、甘粕冬馬の言葉は核心をついていたのではないだろうか。

 

 「……」

 

 それに対し、甘粕冬馬は無言で応じた。張り詰めた雰囲気が室内を満たし、自然と空気が重くなる。寝たふりをしているため、実際どうだったかは知ることはできないが、両者は互いに目をそらすことなく睨み合っていたように思う。その無言の応酬に根負けのは、驚くべきことに義兄さんの方であった。

 

 「チッ、相変わらず勘のいい奴だ。認めよう。それが全くなかったとは言わん。肉体の方は常人とはかけ離れちゃいるが、精神の方は()だって人間だ。妻を目の前で失い、挙句我が子を手にかけりゃ死にたくもなるわ!だがな、そんなものは早々に吹き飛んでしまったよ」

 

 「なぜですか?先輩はそんな簡単に考えをかえるような方ではないでしょう」

 

 「美雪がいたからだ。常に命がけのまつろわぬ神との戦いに私と共に赴き、文句一つ言うこともなく私を支えてくれた。私自身が死ぬのは構わなかったが、この健気で一途な義妹が死ぬのは絶対に認められなかった」

 

 髪が手櫛で梳かれるのを感じる。そこには如何程の想いと感情が込められていたのかは、分からない。だが、義兄さんの言葉が紛れもなく真実であり、そこには万感の思いが込められていることは理解できた。義兄さんにそこまで思われていたと言う事実に背筋、いや全身に震えがはしり、義兄を現世に繋ぎ止めていた楔は己だと再確認して、心が、魂が昂ぶる。浅ましいかもしれないが、一人の女として喜びを抱かざるをえなかった。

 

 「なるほど、先輩の弱点が美夏さんと美雪さんであるのは変わりはありませんでしたか」

 

 どこかおかしそうに甘粕冬馬は言うが、義兄さんの返答は絶対零度の冷たさであった。

 

 「一つだけ言っておく。美雪は()のものであり、他の誰にも渡すつもりはない。美雪を利用しようなどとは思うなよ。そんなことをすれば、その瞬間から()はお前達の敵に回る。正史編纂委員会どころか、四家全てが灰燼と化すと思え」

 

 それは凄絶な殺気すら込められた王の言霊であった。私にとってはこの上なく嬉しい宣言であっても、それを真っ向からぶつけられた当人はたまったものではなかったろう。甘粕冬馬の気配が義兄さんから距離をとったように感じられた。恐らく、義兄さんの殺気に耐えかねて思わず身構えてしまったのだろう。

 

 「……肝に銘じておきますよ。やれやれ、先輩あんまり脅かさないで下さいよ。私はこれでも小心者なんですよ」

 

 「お前が小心者だと?笑わせる。心臓に毛が生えているような人間の間違いだろう。大体、カンピオーネ相手にサシで交渉できるような輩が小心者であるはずがなかろうに」

 

 「それは先輩だからですよ。一定の信頼がありますから」

 

 「どうだかな?お前は私以外の魔王だろうと、態度が変わらないと思うがな」

 

 「ハハハッ、まさかそんなことはないですよ」

 

 この義兄さんの指摘は、八人目のカンピオーネ草薙護堂の誕生で後に正しかったことが証明されるのだが、今の私達はそれを知る由もない。

 

 

 

 

 

 「しかし、ものの見事に負けたな。正直な話、完敗だ。カンピオーネになってから初めてだな。あそこまでの敗北は」

 

 「確かに。パールヴァティーも相性の悪い上に強敵だったけど、今回みたいに一方的な展開じゃなかったものね」

 

 「ほほう、パールヴァティーですか。シヴァの妻で「山の娘」を意味する名を持つヒンドゥー教の女神ですね。なるほど、かの女神は焼死したサティが新生したものでしたね。あの復活の権能はそれからですか。確か狼の権能もあるんですよね?先輩、他にはどんな神と戦ってきたんですか?」

 

 徹の染み染みといった感のある言に美雪は同調したが、冬馬は情報収集に余念がない。

 

 「ハア、冬馬。仕事熱心なのはいいが、時と場合を考えろ。後で改めて私の権能については説明してやる。勿論、全てとはいかんがな」

 

 「ハハハッ、すいません。ついついですね」

 

 徹が苦笑して自重を促すが、冬馬は笑って誤魔化した。二人共笑ってはいるが、目は欠片も笑っていない。

 

 「やっぱり義兄さんが敗れたのは、迦具土の権能を盗まれたのが大きいと思う。義兄さんにとって、迦具土の権能は特別だもの」

 

 失言だったと美雪は心中で歯噛みするが、表情にはださない。何事もなかったように話を進めた。

 

 「それは否定できないな。あれで精神的にかなり追い詰められたのは間違いないからな。しかし、まさか権能を盗まれるとはな」

 

 「流石はまつろわぬプロメテウスというべきでしょうか。ゼウスの元から天界の火を盗んで人類に与えたという逸話は伊達ではないことですね」

 

 「『天界の火』とは「火」そのものじゃなく、「稲妻」、あるいは「啓発」、あるいはゼウスが人類には秘密にしておきたいと望んだ「神々の知恵」だというから、恐らくあの権能を盗む権能は、迦具土以外の権能にも有効だと思う。義兄さんが他の権能を盗まれなかったのは、盗むための条件を満たしていなかったからだと思うの」

 

 余談だが、このことからプロメテウスは、同じく博愛心に富み、神に反抗して、人類に「光」あるいは「啓発」を与えたことによって不当に罰せられたルシフェルに通じる文化的英雄としての側面を持つともいわれている。

 

 「それはそのとおりだと思うが、どうして迦具土の権能はあんなにもあっさりと盗まれたんだ?」

 

 美雪の指摘は納得のできるものであったが、だとすると初見のはずの迦具土の権能があっりと盗まれたのか説明できない。盗む為の必要条件を満たしていなかったのは明白なだけに徹は首をひねる。

 

 「案外、そんなに難しく考える必要はないかもしれませんよ。単純に迦具土の権能が正真正銘の「神火」だからではないですか?まさにプロメテウスの逸話に当て嵌まりますし、例外的に条件を無視できたのではないでしょうか?」

 

 「なるほどな、至極単純な話か。ありえないことではないだろうな。まあ、それはそれとして奴はそれ以外もかなり厄介な相手だ」 

 

 「あの先読みと義兄さんの手札を尽く意破ったのは予言の権能でしょうね。加えて、文明をもたした英知の神でもあるから、頭も切れる。こちらの動きを先読みされて、尽く最善手で対応されたら、手も足も出ないのも無理は無いよね」

 

 「忘れてはいけないのがあの怪力だ。巨人であるということを差っ引いても洒落にならん身体能力だ。巨体で強靭な変身体にすら軽々とダメージを与えてきたからな。流石は天の蒼穹を支える者であるアトラスの弟なだけはある」

 

 「後、不死であることも忘れては駄目だよ。プロメテウスはゼウスから罰として、生きながら肝臓を禿鷹についばまれるという永遠に続く責め苦を強いられたけど、これはプロメテウスが不死だから、夜の間に肝臓は再生するためなんだから」

 

 「なんか聞けば聞くほど難敵ですね。先輩、勝算はあるんですか?」 

 

 各々で列挙すれば、するだけ勝ち目が薄いように思えてならない。室内に重苦しい雰囲気が漂う。冬馬はそれに耐えかねたのか、肝心要の徹に問うた。

 

 「甘粕冬馬、いくら義兄さんと貴方が懇意であるとはいえ、その言い様は王に対しあまりに不敬ではありませんか!」

 

 これに反応したのは徹ではなく美雪であった。冬馬の言い様が余程気に障ったのか、鋭い目つきで睨みつけた。

 

 「よせ美雪」

 

 「ですが義兄さん」

 

 「お前の言わんところとするところは分かるが、冬馬はこういう男だ。何を言おうが、変りはしない。何よりこいつに傅かれるとか、鳥肌を通り越して、蕁麻疹(じんましん)がでそうだ」

 

 徹は宥めるように美雪の頭を一撫ですると、心底嫌そうな顔をして身を震わせた。

 

 「……酷い言われようですね。先輩、流石にその反応はないんじゃありませんか?」

 

 「ハハハッ、悪い悪い。だが、事実なのは否定はすまい。今更態度を改めるつもりもないだろう?」

 

 まあ、こんな反応されれば、流石の冬馬も苦言を呈したくなる。憮然として言うが、徹は悪びれずどこ吹く風であった。

 

 「……」

 

 何を言っても無駄だと悟った冬馬は無言で抗議するに留めた。

 

 「まあ、安心ろ。勝算はある。再び権能を盗もうとした時が奴の最期だ。もっとも、それまでに決着がつくかもしれんがな」

 

 先刻、プロメテウスに完敗したというのに、美雪と冬馬が戸惑うほど徹の態度は楽観的であった。

 

 

 

 

 

 「きっとここに来ると思っていたぞ。まつろわぬプロメテウス。貴方にとってここは消し去ってしまいたいほど、いまわしい地だろうからな」

 

 明朝、徹はコーカサス山脈のある山の山頂においてプロメテウスを一人待ち受けていた。プロメテウスより先回りできたのは、フェンリルの権能を用いた為だ。昨晩の内にプロメテウスに気取られないように反対側に通常の交通機関で移動するという念の入れようである。流石に予想していなかったのか、プロメテウスは驚愕を露わにしていた。

 

 「まさか生きていたとはな。いや、あの時汝は確かに死んだはず。なれば我のような不死ではなく復活の権能か。いずこの神から奪ったもものかは知らぬが、大したものよ」

 

 相変わらず察しのいい神である。それでいて、神特有の傲慢さや油断が見えず、徹はどうにもやり辛いものを感じていた。そして、やはり、このまつろわぬプロメテウスは難敵だと気を引き締める。

 

 (勝算は見出したとはいえ、油断すればたちまちに全て持ってかれる。故に、余計な時間は与えない。奴に考える時間は与えない。短期決戦で決着をつける!)

 

 「さあ、リベンジマッチといこうか!偉大なる先見の英知の神よ」

 

 「何度やろうと同じことよ。己が身の矮小さを知るが良い!そして、汝ら神殺しの滅びをもって、我が弟の過ちを正そう」

 

 「やれるものならやってみろよ!我は主神すら呑み込みし、神秘を喰らう大神。死と恐怖の象徴にして、神々の災いの具現。我こそが神々の黄昏(ラグナロク)なり!」

 

 紡ぐ言霊は神喰いの魔狼フェンリルのもの。

 

 (さあ、晩餐の時間だ。私は全てを喰らう。かつて私が殺したお前とその眷属の如く、神だろうが太陽だろうが月だろうが喰らって見せよう!)

 

 徹のそな苛烈な意志を具現化するかのように、一瞬の後にその身は白銀の巨狼と化した。

 

 「その狼の権能……北欧の魔狼のものか。先の神殺しの炎権能といい、今また神喰いの狼とは、貴様はよくよく業が深いと見える」

 

 『神殺しらしくて、いいだろう?』

 

 短く返し、問答無用とばかりに襲い掛かる。天を駆けることのできるフェンリルにとって、山頂という地形は何ら不利にはならない。むしろ、相手の動きを制限できるという意味で、この上なく有利であった。

 

 「その程度、読めぬと思うてか」

 

 プロメテウスも当然、座して待つわけがない。岩を雨あられとと投げて、迎撃してくる。その怪力からはじき出される岩の弾丸は、常人ならば避けることも防ぐこともできぬ必死の攻撃にほかならない。されど、フェンリルの強靭な肉体には無意味である。ただの木石などフェンリンルの肉体が内包する神秘を揺るがすことなどできないからだ。大体にして、天を駆けるフェンリルにとって、如何に早かろうが岩の投擲など、欠伸がでる遅さなのだから。

 

 しかし、だというのにプロメテウスの投擲は徹に迫っていた。まるで避ける先が分かっているかのように、岩の弾丸は少しずつ白銀の巨狼を追い詰めていく。それは異常な光景であった。まるで圧倒的なスピードを誇る白銀の巨狼が自ら当たりにいているかのようであった。

 

 『こうも読まれるか!』 

 

 「我はゼウスの末路を予言せし者。汝如きの運命を読むのは容易きことよ」

 

 誘導されれば、当然罠が待っているのが道理である。プロメテウスが用意したのは巨大な岩石の杭。徹から盗んだ迦具土の権能で焼かれ研磨されたそれは、フェンリルの肉体であろうと貫けるだけの神気を帯びている。それをアトラスの弟たるプロメテウスがその怪力でもって、渾身の力で投擲する。それは神気によるミサイルだ。直撃すれば、死は免れない。それどころか、その余波ですら多大な被害をもたらすであろう。

 

 「そいつは当たってやれないな!明日香来い!」

 

 徹は瞬時に変身を解いて的を小さくさせることで直撃を避け、素早く手印を切る。その上で愛娘を呼び、瞬時にその紅蓮の刃によって刀印を切る。

 

 「臨める兵、闘う者、皆陣をはり列をつくって、前に在り!」

 

 九字護身法。早九字の略式ではなく、真言もきっちりとした手印によるものに、神器である明日香で増幅した刀印によるものを重ねた二重結界。カンピオーネの莫大な呪力に編まれたそれは、数瞬後に間近で起きた神気の爆発を見事防ぎきった。岩の杭を中心として大きなクレーターができており、その威力をありありと物語っていた。

 

 「なるほど、中々に芸が細かい。汝の本質は術士か」

 

 「本当に察しがいいよな。剣持ってるんだから、誤解してくれればいいのに、なっ!」

 

 プロメテウスは感嘆するように言うが、一々見ぬかれているようで、徹としては面白くない。故に、間髪入れずに斬りかかると見せかけて、お返しだと言わんばかりに明日香を投擲する。カンピオーネの莫大な呪力が込められた神剣の投擲である。権能によるものではないとはいえ、その破壊力は先のプロメテウスのものに劣ることはない。

 

 「だから甘いというておろうに!」

 

 不意を打ったものだというのに、それでもなおプロメテウスは余裕を持って回避する。全て分かっていると言わんばかりである。

 

 「甘いのはお前だ!」

 

 しかし、此度は徹に軍配が上がった。徹の声に呼応するかのように避けたはずの紅蓮の刃が、背後からプロメテウスを斬り裂く。

 

 「────────?!意思ある神剣だというのか」

 

 「明日香そのままたたみかけろ!」

 

 徹の声と送られる呪力に呼応して、プロメテウスの斬り裂かんとする明日香。だが、ここで一方的にやられる程、プロメテウスは甘くはなかった。その身がたちまちに炎に包まれ、次の瞬間胴を薙いだはずの刃は虚しく空を切った。徹はその見覚えのありすぎる現象に歯噛みする。

 

 「くっ、戻れ明日香!私から盗った迦具土の権能か……」

 

 「然り。使うまでもないと思うて追ったのだがな。汝を甘く見過ぎたようだ」

 

 

 

 

 

 不意討ちの形で、無防備な背中を斬りつけたずなのにあっさり炎化できたところ見ると、思いの外傷は浅そうだ。ティーターン神族故の強靭な肉体と不死による回復力もあるだろが、それ以上に、やはり私自身がこの手で振るってこそその真価を発揮すると言うことだろう。むしろ、不完全な状態で、手傷を与えた明日香を褒めるべきだろう。

 

 ────────分かってはいたが、本当に面倒な相手だな。

 

 予言の権能による先読みでの卓絶した回避能力と英知による優れた対応能力、それに加え神でも上位に入るであろう身体能力と格闘術。隙あらばこちらの権能を盗もうと虎視眈々と機会を伺っているし、本当に面倒極まりない相手である。

 だが、大体把握した。接近戦ではフェンリル状態でなければまず勝ち目がないだろうが、中~遠距離での撃ち合いならばこちらにも勝ち目がある。予言の権能による先読みは確かに脅威だが、明確に先読みできるのは致命的な攻撃だけのようだ。投擲は避けれても明日香の攻撃は避けられんかったのがその証左だ。盗む権能の必要条件は、どの神に由来するものなのか、どのような権能かを把握することだろう。恐らくフェンリルの条件は満たされている。こちらとの接近を狙ってるところを見るに、本来盗るには直接的な接触が必要なのだろう。迦具土の権能は冬馬のいうとおり、逸話にものの見事に嵌ったが故の例外だったのだろう。ただ、厄介な事に盗める数に制限はないようだ。今現在も迦具土の権能を使える以上、フェンリルを盗まれたら迦具土の権能が戻ってくるというようなことはないと考えるべきだ。

 

 ────────仕込みは終わり、確認すべき事は確認した。後はどれだけうまくやれるかだけだ。

 

 とはいえ、炎化している以上、物理攻撃はほぼ無意味。加えて、生半可な術では炎を削ることはできない。大体、多少削ったところで、すぐさま炎は燃え上がり、原型を取り戻してしまう。故に、一撃で全て消し飛ばすレベルのものでなければ意味がない。故に、現状での最も有効な手はフェンリルで炎ごと呑み込んでしまうことだろう。

 

 しかし、致命の攻撃には予言の権能が働く。先読みされて、その隙を突かれると厳しい。なにせ、あの怪力から繰り出される拳はフェンリルの肉体にすらダメージを与えてくるだのだから。幸い相手は空を飛ぶことはできても、空中を自由自在に動けるというわけではないので、機動戦では天を駆けるフェンリルに軍配があがるが、プロメテウスはそれを先読みと卓越した身体能力で埋めてくる。その上、フェンリルの巨体はどうしても的が大きくなり、相手の攻撃を回避しづらい。接近戦となれば尚更である。

 

 しかも、恐らく隙を突かれて直接接触する機会があれば、間違いなく奴はフェンリルの権能を盗むに違いない。そうしない理由がないし、何よりフェンリルの権能はプロメテウスにとって天敵なのだから。

 

 つらつらと考えている間も、プロメテウスの攻撃は止まらない。先の返礼と言わんばかりに、迦具土の権能を用いて、炎の雨を降らしている。それも自身の炎化を維持したままでだ。

 

 ────────盗んだものなのに明らかに本来の持ち主である私よりも権能を使いこなしているよな。なんという理不尽か……。

 

 だが、そんなものは何も意味をなさない。元を正せば自身の権能なのだ。その性質も威力も誰よりも理解している。当然、対策もだ。どんなに降り注いだところで、炎の雨は絶対にこの身を傷つけることはできない。

 

 「小癪な奴よ、対策済みというわけか」

 

 「自分の武器で気を負うような間抜けじゃないんでね」

 

 これみよがしに火除け及び耐火の護符を大量に取り出し、忌々しげなプロメテウスに見せつける。

 

 「ふむ、ではこれならばどうかな?」

 

 「なっ?!」

 

 次の瞬間、プロメテウスの腕に紫電が絡みつく。その内包された莫大なエネルギーは、魔王である私をして戦慄せざるをえないものであった。

 

 「我が天界の火を盗み、人間達に与えたことは知っていよう?それは『火』だけを意味するのではない。我が人に与えしは『神の知』そのものよ。すなわち、人の生み出せし英知の全ては我が与えしものが元となっているのだ。故に、相手の権能を盗むだけではなく、使いようによってはこんな真似もできるというわけだ」

 

 「まさか、この辺り一帯の電力を収奪したのか?!」

 

 「然り」

 

 なんという出鱈目か。つまり、まつろわぬプロメテウスは周辺地域の電力を集め、自身のものとして扱っているのだ。いかにカンピオーネの肉体が強靭だとて、あんな莫大な電流を浴びてただで済むわけがない。1Aの電流でも、人は感電死する可能性があるのだから。

 

 「屁理屈にもほどがある。それなら何か、核反応とかも奪ってこれると言うのか?」

 

 「できるであろうがやる気はない。安心するがいい。それでこの星を穢してしまっては元も子もないのでな」

 

 平然と肯定してみせるプロメテウスに戦慄する。

 

 ────────本気で洒落にならん。絶対にここで殺す!

 

 できるということがすでにヤバ過ぎる。まつろわぬ神の気まぐれで世界滅亡とか、死んでも御免である。絶対に野放しになどできない。

 

 「汝はこう考えていたのではないか?我に飛び道具は汝から奪いし権能しかないとな。その心得違いを正してくれようぞ!」

 

 プロメテウスの突き出した腕にそって紫電の槍が飛び、私を襲う。

 

 「明日香頼む!」

 

 私は咄嗟に明日香を投擲し、避雷針とすることで紫電の槍をどうにか防ぎ、間髪入れずにフェンリルへと変身する。最早、考えている暇はない。プロメテウスにこれ以上、僅かな時間であっても与えてはならない。

 

 「読んでいるといったはずだ!」

 

 しかし、案の定完全に読まれていたらしい。プロメテウスは変身が終了する頃には、すでに指呼の間にいた。フェンリルとなった私を待ち受けていたのは、剛拳どころか鋼拳ともいうべき、破壊力を秘めた拳の嵐だった。

 

 『ガッ、グオオオオー』

 

 咆哮し、どうにか耐え凌ごうとするが、プロメテウスは止まらない。その怪力から繰り出さる拳は、フェンリルの巨体を容赦なく叩く。それも紫電のおまけつきでだ。完敗だった初戦の時を遥かに超える威力である。

 

 「ぬううん!!」

 

 ダメ押しとばかりに渾身の正拳突きを受け、大地に叩きつけられる。フェンリルの強靭な肉体であっても被害は甚大だが、文句は言えない。恐らく生身であったなら、確実に死んでいたであろうから。

 

 『ガフッ』

 

 内臓さえも傷つけられたのか、叩きつけられた衝撃で吐血するが、私はそれを無視して無理やり身体を起こし、爪をもって薙ぎ払う。プロメテウスはそれを炎化することで正面から無効化して、ようやく動きを止めた。

 

 「しぶといな。この期に及んで心が折れぬとは、汝は余程業が深いと見える……」

 

 どこか呆れた様子でそんなことを言ってくるが、呆れたいのはこちらの方である。全身を返り血で紅く染めながらも、プロメテウスの身には少しも傷もない。明日香がつけた背中の傷すら再生しているようだ。仮にも真正の神器のよる一撃であったというのに、不死の権能のなんたる厄介な事か。

 

 『生憎と伊達や酔狂で神殺しなんてやってるわけじゃないんだよ!()の命は貴様らまつろわぬ神にくれてやれるような軽いものじゃない』      

 

 「ほう、威勢のいいことよ。だが、頼るべき権能、その全てを奪われてなお、同じ事が言えるかな?」

 

 プロメテウスの手がフェンリルの肉体に触れる。これまでとは異なり、全く殺気を感じられず、かつ挙動も本当にゆったりしたものだったので、反応ができなかった。私はまた権能を盗まれようとしているのだと直感した。

 

 ────────来た!さあ、気合を入れろ。最初から勝機などここにしかないのだから!

 

 私の中からフェンリルの権能が奪われようとするその時、私は暴発寸前まで身内で高めていた迦具土の権能を替わりに押し付けた。

 

 「なっ、馬鹿な!なぜ、すでに盗みとった権能があるのだ?!」

 

 すでに盗んだはずの権能を再び押し付けられるのは、さしものプロメテウスも予想外の事態だったのだろう。驚愕も露わに後ずさる。こちらも盗まれかけたことで、フェンリルの変身が解かれてしまったが、今はむしろ都合がいい。

 

 「私の持つ権能は全部で3つ。貴方が奪った迦具土の炎の権能にフェンリルの変身の権能、そしてパールヴァティーの転生(・・)の権能。そう復活ではなく転生の権能」

 

 「まさか?!」

 

 「流石に察しがいい。転生時、それまでの負傷は勿論、呪力・体力も含めた疲労は全て回復され、万全の状態に戻る。盗まれた権能も含めてな」

 

 そう、昨日転生した時点ですでに迦具土の権能は戻っていたのだ。迦具土の炎がこの身に通用しなかったのはその為なのだ。あえてフェンリルの権能だけで戦ったのも、用意した大量の火除け及び耐火の護符も迦具土の権能を取り戻していることを知られないための見せ札でしかない。大体、あの程度の護符で神殺しの炎が防げるはずがないのだから。全ては迦具土の権能を再びプロメテウスに盗ませる為の伏線に過ぎない。

 

 「こ、小癪な真似を……」

 

 「いくら貴方でも神殺しの炎の権能を二つも身に入れては、ただでは済まないだろう?」

 

 何かを押さえつけるように自身の身を抱きしめるプロメテウス。私には分かる。プロメテウスの中で荒れ狂う神殺しの炎の猛りが。必死に制御しようとしているのだろうが、いかなプロメテウスでもそんなことは不可能だ。そもそも迦具土の炎は制御するものでは無いのだから。むしろ、真逆。迦具土は伊邪那美を殺したくて殺したわけはないように。好きなだけ荒れ狂わせることが必要なのだ。それで初めて自身の意思に従えることができるのだ。一つしか無い状態ならば、誤解したままでもかつての私のようにある程度操ることができただろうが、二つとなればその本質を誤解したままで操ることなどできるはすがない。

 

 「最初からこれを狙っていたというのか?」 

 

 「御明察。貴方はとても厄介で面倒な難敵だ。普通の罠なら、あっさり見破られていただろう。だから、貴方の自身の権能への信頼を利用させてもらった」

 

 予言と英知の神であるプロメテウスには、生半可な罠は通用しない。なにせ出してもいない段階から明日香の存在を見透かされたのだから。故にプロメテウス自身の思考を誘導し利用したのだ。その為にあえてフェンリルに変身する際に言霊を用い、権能を盗む為の必要条件を満たすように行動したのだ。

 

 そして、これは同時に脅しでもある。先にも言った通りフェンリルの権能はプロメテウスの天敵である。なぜなら、フェンリルはラグナロクの予言を受け、それを回避しようとオーディンが懸命に努力したにも関わらず、最終的に自身の血族と共にその全てを覆し、ラグナロクを成就させたからだ。フェンリルの爪牙はそれが当たるという予言を受けた時点で回避する術はないのだ。これに気づいたのは、フェンリルの権能を初戦で使用した時だ。いいようにいなされ手酷い反撃を受けたというのに、なぜだかいずれ届くという確信があったのだ。これまでそんな感覚を覚えたことはなかったから、恐らく予言や予知の権能を持つ神限定の能力なのだろう。つまり、フェンリルの権能であると知った時点で、プロメテウスは是が非でもフェンリルの権能を盗む必要ができてしまったのだ。

 

 後はフェンリルの権能を盗もうとした際に迦具土の権能を押し付けてやるだけだ。幸い無理やり持って行こうとするのに替わりにどうぞどうぞと押し付けつけてやるのは至極簡単なことだった。さらに盗む際の霊的・呪的なつながりを利用して、プロメテウスの中にある迦具土の権能にも干渉てやったのだ。元より制御することなどできない権能に、暴発しやすくしておいた権能を加えたのだ。暴走しないわけがない。

 

 盗んだ権能を返そうにも、完全暴走状態ではそれも無理だろう。仮に返せたとしても返せるのは一つだけで、返したところでもう一つは暴走状態で残る。それに内で焼かれているというのに、外からも焼かれては最早どうにもならないだろう。

 

 「ぐうう、おのれ……!」

 

 身内で荒れ狂う神殺しの炎を未だ抑えきっているのは賞賛に価するが、最早動くことすらできないようだ。

 

 「人から盗んだ物でいい気になっているから、そうなるんだよ。さあ、終焉の時だ」

 

 明日香を手に構え、その紅蓮の刃をプロメテウスへと突き立てる。それまで見せた肉体の頑強性を無視するかの如く紅蓮の刃はその身内へと埋まっていく。

 

 「があああー」

 

 明日香を通して、私はプロメテウスの中の迦具土の権能と繋がり、一つを取り戻す。そして、残った一つを元にプロメテウスを薪にして、神滅の焔を顕現させる。

 

 「迦具土滅びて、原山津見神(はらやまつみのかみ)戸山津見神(とやまつみのかみ)志藝山津見神(しぎやまつみのかみ)羽山津見神(はやまつみのかみ)闇山津見神(くらやまつみのかみ)奥山津見神(おくやまつみのかみ)淤縢山津見神(おどやまつみのかみ)正鹿山津見神(まさかやまつみのかみ)を産むなり。我、神を滅ぼし、神を生じさせるものなり」

 

 たちまちにプロメテウスを神滅の焔が包み込む。如何に不死身であろうと存在そのものを灼き尽くされれば死ぬだろう。しかも、今回は己ではなくまつろわぬ神自身を薪にし、明日香で増幅までしたのだ。権能を盗む権能を持つプロメテウスと奪われた権能すら回復させる転生の権能が合わさってできた最凶最悪な攻撃である。二度と再現できる自信はないが、これで死なないはずがない。

 

「この身が滅びる……我があの愚弟の愚息に負けるというのか。────────今は敗北を認めよう。無念であるが我が一部は貴様のものとなろう。だが、ただですむとは思わぬことだ。

 我は代価として、汝の滅びを予言しよう。汝はいずれ最強の『鋼』と出会うであろう。その時が貴様の最期よ!けして忘れるな!汝が道に災い……あ…れ!」

 

 プロメテウスの怨嗟の声が聞こえるが、最早私に影響を及ぼす事はかなわない負け犬の遠吠えである。呪いと不吉な予言を残し、灰も残さずプロメテウスは消滅した。

 

 「最強の『鋼』か……。まつろわぬ神であるならば、なんであろうと殺すだけだ」

 

 

 己の最期であるというその存在に思いを馳せるが、やることは何も変りはしないと頭を振った。相手が誰であろうとまつろわぬ神であるならばそれは私の敵なのだから。いつか死の顎が私をとらえるその時まで、私は紛い物の神々を殺そう。

 

 

 

 

 徹と美雪はこの後冬馬を伴って帰国し、沙耶宮馨との会談に臨んだ。結果、馨が根回しに猶予期間を要求し、徹の魔王としての周知は半年後と決まった。この時、まさかその半年の間に八人目、それも日本人のカンピオーネが生まれるとは誰も思っていなかった。このことがちょっとしたすれ違いを起こし、後に大きな火種となるのだった。

 ちなみにこの会談の際、徹はカンピオーネの特権を用い正式に改姓を要求し、公的にも神無徹になった。そのあんまりな使い方に美雪と冬馬が呆れていたのは余談である。




<補足&解説>
日本語では、長音を省略してプロメテウスと呼ばれますが、ギリシャ語だと「プロメーテウス」となります。同じくアテナも「アテーナー」だったりします。長くなるので省略しましたが、ゼウスが人類を滅ぼす為に起こした大洪水対策に方舟の作り方を息子に教え、見事生き残らせてたりもします。また、彼がゼウスの課した懲罰から解放されるのは、本作中に書いたヘラクレスに救われるという説とゼウスの破滅についての予言の内容と引き換えに解放されたという説があります。

プロメテウスは原作には未だ登場していませんが、非常に原作とは縁の深い神です。エピメテウスの兄であることはもちろん、原作主人公がカンピオーネになる為に用いた神器も彼由来のものです。プロメテウスを人間の創造者であるとする説では、アテナの原型であるリビアの「アテーナー」は彼の妻であるとされます。また、「カンピオーネ! XII かりそめの聖夜」ででてきたサトゥルヌスと同一視されることもあります。
そんなわけで、なにかと原作とは縁が深い神なのです。興味がありましたら、調べて見るといいでしょう。プロメテウスが磔にされる際の問答などは、一見の価値があります。


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第二章:日ノ本の王達(原作開始)
#06.お互いに想定外な六人目と八人目


アンチのつもりはないのですが、護堂とエリカに対して、非常に厳しいものになっています。1巻の両者の行動は流石にどうあっても、擁護できませんから。あれは護堂のカンピオーネという権威があったから許されたんであって、本来なら許されないでしょう。


【グリニッジの賢人議会により作成された、神無徹についての報告書より抜粋】

 すでに述べたとおり、神無徹は六人目のカンピオーネである。彼の王はオーストリアでの大規模破壊事件『魔王の狂宴』(詳細については日本の正史編纂委員会から提出された報告書を参照のこと)において初めて公的に確認された王であり、日本の正史編纂委員会からの報告によれば、その三年ほど前に日本の神殺しの神である迦具土を殺害し、カンピオーネになったものと推測される。

 彼は魔王の狂宴において見せた白銀の巨狼へと変身する権能『神喰らう魔狼』(北欧神話のトリックスターロキの息子である魔狼フェンリルから簒奪されたものと思わわれる)、カンピオーネとなる際に迦具土から簒奪した権能『神滅の焔』等、非常に攻撃的な権能を持つ魔王である。また、その戦歴は定かではないが、彼の魔王としての在位期間を考えれば、他にも複数の権能を所有している可能性もあるので、諸兄らは注意されたい。

 彼の王は護国という明確な方針を打ち出しており、民草の保護に熱心なアメリカのジョン・プルートー・スミスにつながるものを持っている。しかし、誤解してはならない。彼は故国とその民が無事であれば良いのであって、それ以外の国や民についてまで寛容でも慈悲深いわけではない。「俗世の権力争いに興味はないが、日本に呪的干渉をすれば、相応の報復をする」という彼の言葉がその証左である。日本に対して、今後は慎重な対応が求められよう。

 尚、新たに八人目として確認された草薙護堂とは異なり、魔術師からカンピオーネとなった者である。これまでカンピオーネの誕生が確認されたこと無い日本から、ほぼ同時期、同国から複数の魔王が誕生したこともさることながら、その対極とも言えるあり方も興味深い。

 

 

 

 

 「いやー、なんというか時期が悪いね」

 

 四家筆頭沙耶宮家の次期当主にして、正史編纂委員会の次期総帥候補である沙耶宮馨は、予想外の事態に頭を抱えていた。

 

 「全くですね。よりによってこのタイミングでですからね」

 

 その御庭番たる甘粕冬馬も同調しながら、深々と嘆息する。

 

 「なんでよりにもよって、このタイミングでこの国から二人目のカンピオーネが生まれるんだい?疑惑ならよかったけど、情報どおりならほぼ確定みたいだし……。この半年間の苦労が水の泡だよ!」

 

 飄々として人を食ったような性格の曲者で、どんな事態にも臨機応変に対応できる馨といえども、今回ばかりは流石に現実に文句を言いたくなった。なにせ、この半年間『神無徹』という日本初のカンピオーネの誕生という衝撃的なニュースによる混乱を最小限に治めようと、根回しに次ぐ根回しと死力を尽くしてきたのである。その成果もあって、三日後にはグリニッジの賢人議会を通して、謎の6人目が日本初のカンピオーネであるという発表をできるまでになったのだ。

 だというのに、賢人議会は八人目『草薙護堂』についての報告をまとめ、公式に発表してしまった。それも六人目『神無徹』の存在の発表の前にだ。幸い、内向きなこの国の呪術者達で知る者は極少数であるが、知っている者がいるというだけでも十分以上にまずい。これで三日後に六人目『神無徹』の存在が発表されてしまえば、最早日本初のカンピオーネの誕生どころの話ではない。二人の神殺しが日本に存在するという洒落にならないニュースが、日本の呪術界を席巻し、多大な混乱をもたらすであろうことは誰の目にも明らかであった。

 

 自身の半年間の苦労が水泡に帰すとくれば、誰だって愚痴の一つも言いたくなろう。

 

 「しかも、調査員の報告によれば、帰国した草薙護堂は曰くありげな神具まで携帯していたとか……。対抗できそうな肝心要の先輩は発表の為にイギリスに行ってますし、これは参りましたね」

 

 冬馬もあまりのタイミングの悪さに苦笑せざるをえなかった。なにせ、どうにか爆発を避けられそうだと思っていた核爆弾が突如二つに増えたのである。それも一つ目の解体がどうにか終わりそうなタイミングでだ。それも二つ目の爆弾はとんでもないおまけつきで、手元に来たのだから。

 

 「とにかく、今は草薙護堂の真贋を確かめよう。十中八九本物だろうけど、ご老人方を黙らす為に明確な確証が欲しい。早急に祐理に確認させよう。その際に、神具についての霊視も併せて行う。

 徹さんの発表については、最早どうにもならない。調整に調整を重ねての今の日程だからね。今更こちらの事情だけで中止もできないし、こうなった以上延期するのも無意味だからね」

 

 「分かりました。早急に手配します。先輩の方に連絡はどうしますか?」

 

 「徹さんには悪いけど、発表が終わり次第早急に帰国して欲しいと伝えて欲しい。切り札は多いにこしたことはないからね」

 

 馨は少し迷ったが、万が一の事態を想定し、手札を充実させることを選択した。その顔には深い苦悩が見て取れた。

 

 「了解しました。大丈夫ですよ、まさか猶予期間の半年の間に新しくカンピオーネが生まれるなんて誰にも予想できませんから。先輩だって文句は言わないでしょう。それに先輩のこの国を護るという意思は本物ですから、危機があると知れば否応はありませんよ」

 

 徹達は発表後、しばらくはイギリスに滞在し、骨休めに観光する予定だったのだ。それをこちらの事情で中止さえるのだから、その反発を心配しているのかと思った冬馬は杞憂であると伝えたのだが……。

 

 「いや、そっちはぼくも心配していないよ。むしろ、快く引き受けてもらえるだろうと思っている。問題なのはそっちじゃないんだよ」

 

 「と、言いますと?」

 

 「草薙護堂の持ってきた曰くありげな神具がまつろわぬ神を招来するきっかけになったら?もっと言えば、それを追ってまつろわぬ神が襲来したら?」

 

 若干青い顔で嫌過ぎる未来を話す馨。

 

 「……そのような事態を招いた草薙護堂に対して、先輩は怒り心頭でしょうね。いえ、下手をしなくてもまつろわぬ神、カンピオーネ二人という三つ巴の戦いが東京で起こりかねませんね」

 

 冬馬は徹を良く知っているが故に、明確にその事態を予想できてしまった。口に出しているうちにどんどん血の気が引いていき、顔面蒼白になる。

 

 「『魔王の狂宴』の惨状を考えれば、首都壊滅で済めばいいなあ。いや、下手をすれば、冗談抜きで日本が沈みかねない。怪獣大決戦もかくやだね」

 

 どこか投げやりな様子で馨が言う。その声には最早力がなく疲れきったようであった。

 

 「ちょっ、捨て鉢になってる暇はありませんよ!それに、まだ、そうなるって決まったわけじゃありません。馨さん、しっかりしてください!」

 

 「ふふふっ、そうだね。呪術界の混乱はしょうがないにしても、せめて草薙護堂のもってきた神具が大したものではないことを祈ろう」

 

 二人は、この後草薙護堂の真贋確認と神具の脅威確認、二人のカンピオーネについての情報工作に混乱収拾など八面六臂の働きをすることになるのだが、その努力に対して現実は非情であった。

 

 草薙護堂のもってきた神具は大神アテナのものであり、二人の危惧したとおりものの見事にアテナを呼び込んだのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 「わたしの護堂をいじめるのは、そこまでにしてもらえるかしら」

 

 八人目のカンピオーネ『草薙護堂』を叱り付けるという暴挙を行う武蔵野の媛巫女『万里谷祐理』を止める言葉を発しながらも、《赤銅黒十字》の大騎士であるエリカ・ブランデッリはその余裕のある表情とは裏腹に焦っていた。その焦りのせいで、言葉すくなになってしまい、正史編纂委員会に所属する巫女である祐理に対しても、強く出ることができなかったのである。

 

 「……」

 

 護堂はエリカがここにいることが信じられず、驚きのあまり言葉を失っている。

 

 「どうしたの、護堂?ありえないものを見たような顔をしているわよ」

 

 「そりゃ、会うはずのない人間と出くわしたからだ。ミラノにいるはずのお前が、なんで東京で油売って……お前、どうかしたのか?」

 

 護堂はエリカが表面上の態度程、余裕があるわけではないことを感じとった。いつもの彼女なら、言葉に相応の修飾を表現に加えただろうからだ。直截的な言動を好むが、それでいて貴族らしい豪奢さというか、飾る事も忘れない少女なのだ。

 

 つまり、今のエリカはその余裕すらないということにほかならない。

 

 「あなたときたら、こういう時に限って勘がいいんだから。でも、今は説明している時間すら惜しいわ。とにかく一緒に来て頂戴」

 

 エリカは隠していたことを愛しい男にあっさり見抜かれたことを喜ぶべきか、悔やむべきか複雑な気分になりながら、護堂の手を引いた。

 

 「おい、待てよ。何をそんなに焦っているんだよ。今は万里谷と話していたんだぜ。用があるにしても、後にしてくれよ」

 

 問答無用で手を引かれ、流石の護堂も困惑する。強引でこちらの事情を斟酌しないことはままあるが、礼儀を弁えない少女ではない。少なくとも他者との話に割り込み、強引に打ち切らせようとするようなことは、普段ならば絶対にしないだろう。

 

 エリカが冷静でないと感じ取った護堂は手を振りほどいて、少々強引にエリカを制止する。足を止め、苛立たしげにこちらを振り返るエリカ。常の笑みを消した無表情であるが、目の奥には深い苦悩の光が見て取れた。

 

 「悪いけど本当に今は一分一秒も惜しいの。あなたを連れて早くこの国から離れないと、赤銅黒十字が―――――いえ、イタリアの有力魔術結社が軒並み潰されることになりかねないの」

 

 説明するまでてこでも動かないといった護堂に観念したのか、どこか諦観をにじませてエリカは口を開いた。

 

 

 「はっ?おい、それはどういうことだよ?」

 

 「今までその正体が分からなかった六人目のカンピオーネが姿を現したの」

 

 「ああ、そういや俺は八人目でドニの奴は七人目。六人目は正体不明だったか?」

 

 「ええ、つい先日まではね。グリニッジの賢人議会を通して、六人目の正体が公表されたのよ」

 

 「へえ、そうだったのか。でも、それで何でお前らが危なくなるんだよ?」

 

 「六人目のカンピオーネはあなたと同郷の王だったのよ。そうでしょ、万里谷祐理」

 

 それまで、一顧だにしなかった祐理に言葉を向ける。

 

 「はい、草薙さんの同朋にして先達たる六人目の神殺し『神無徹』様は日本人でいらっしゃいます」

 

 未だ日本の呪術界では周知されているとは言い難いが、祐理は霊視をした関係で予め事情を聞かされていた数少ない一人であった。

 

 「マジかよ?!俺と同じ日本人に先輩がいたのか」

 

 護堂も予期していなかった衝撃的なニュースに驚愕で目を丸くする。次いで同郷に同じ悩みを持つ人間がいると知って喜色を浮かべる。

 

 「喜んでいるところ悪いんだけど、あなたにとって状況は最悪よ。わたしにとってもだけどね」

 

 「なんでだよ?日本にもう一人カンピオーネがいちゃ、まずいことでもあるのか?」

 

 「大有りよ!いい、よく聞きなさい。彼の王は正体を現すのと同時にこう言ったわ。『俗世の権力争いに興味はないが、日本に呪的干渉をすれば、相応の報復をする』とね」 

 

 「うん?やったらやり返すってだけだろ。ちょっと物騒だけど当たり前のことじゃないか。何か問題があるのか?」

 

 「まだ分からないの!イタリアの魔術結社の私達があなたに神具を託したことも、この国に呪的干渉したことになるのよ」

 

 「え、おい、ちょっと待て。それじゃあ……」

 

 「ええ、一刻も早く神具を回収してこの国を離れないと、どうなるか分かったものじゃないわ。ねえ、念のために聞いておくけど、まだローマであった女神様とは再会していないわよね?」

 

 「再会?まさか、もう来てるのか?!」

 

 「そのまさかよ。実は、わたしよりも先に来ているのを追いかけて、日本まで飛んできたのよ」

 

 護堂の脳裏に月光の如き銀髪と夜の瞳に彩られたすばらしく美しい少女の姿が現れ、不敵な笑みを零した。背筋にひやりと冷たいものが流れるのを感じた。

 

 「おいおいおい、冗談じゃないぞ!じゃあ、その6人目にとって、俺やお前は神を連れ込んだ大罪人ってことかよ!」

 

 「ええ、そうよ。だから、もう一刻の猶予もないの。だから、早くこの国から離れないと。移動中の襲撃が怖いけど、あなたも一緒ならどんな状況でもどうにかできるでしょうから」 

 

 エリカは話は終わりだといわんばかりに言葉を切り、強引にてを引っ張る。今度は振りほどかれないように魔術での強化つきでだ。

 

 「おい、ちょっと待てって」

 

 「なによ、護堂のことだから、神具は持ち歩いているんでしょう?この国で護堂があの神具を追ってきたまつろわぬ神と戦った時点でアウトなの。余程のことじゃない限り、後にして」

 

 有無を言わさぬとばかりにピシャリと言うエリカ。なにせ、今の彼女には自身の所属する《赤銅黒十字》の命運がかかっているのだ。いや、イタリアの有力魔術結社の存亡がといっても過言ではないのだから、無理もないことであった。

 

 「いや、肝心の神具をもっているのが、万里谷なんだよ」

 

 「なんですって?!」

 

 「委員会から神具の調査も命じられていますから、私からお願いしました」

 

 そう言う祐理の掌には確かにゴルゴネイオンがあった。すでに現地の呪術組織に証拠物件がわたっていることにエリカは戦慄した。これでは最早、言い逃れは不可能だからだ。

 

 「祐理さん!」

 

 そんな時だった。慌てた様子でくたびれた背広をだらしなく着崩した、二十代後半の地味な青年が人払いされた境内に飛び込んできたのは。

 

 「甘粕さん、そんなに慌ててどうなされたのですか?草薙さん、こちら正史編纂委員会の方で甘粕さんです」

 

 「どうも、草薙護堂です」

 

 突然の乱入者に呆気にとられながら、一応の自己紹介をする。エリカは気まずそうに顔をそむけるだけだった。

 

 「これはこれは。お初にお目にかかります、王よ。正史編纂委員会に所属しますエージェントで甘粕冬馬と申します。以後、お見知りおきを。

 ……とっ、今はそれどころではありませんでした。千葉の沿岸部でまつろわぬ神とおぼしき存在が確認されました。王も一緒であるならば話は早い。王よ、御身が招いたまつろわぬ神を滅ぼして頂きたい」

 

 要請の形をとってはいたが、それは実質的には責任をとれと言う有無を言わせぬ要求であった。 

 

 「我ら魔術師の王たるカンピオーネに対し、そのような要求許されるとでも?」

 

 流石にこれは見過ごせるものではなかったらしくエリカが口を挟むが、冬馬から返ってきたのは、絶対零度の視線と冷笑であった。

 

 「お言葉ですが、エリカさん。まつろわぬ神襲来というこの状況を招いた貴女達に発言権があるとでも。それとも、これより我が国にもたらされる未曾有の大災害の責任をとっていただけるのですか?」

 

 「……」

 

 エリカは何も言えなかった。エリカが他国にまつろわぬ神をおびき寄せて、あわよくば護堂の新たなる権能の糧とするなどということを企めたのは、護堂の愛人としてカンピオーネという絶対的な権威を頼みにできたからだ。本来なら、到底許されることではない。この国唯一のカンピオーネならばそれは通ったろうが、神無徹という六人目のカンピオーネの存在がそれを覆してしまった。今や、彼女はこの国では大罪人扱いされても仕方がない立場にいるのだ。

 

 しかも、六人目の王はこの国の呪術組織である正史編纂委員会とすでに繋がりを持っている。これから構築しようとする護堂とでは権威の差は明らかである。エリカが護堂という権威を持ちだしたところで、相手は神無徹という権威を持ちだして対抗してくるだろう。そして、その差は明らかとなれば……。

 

 「そんな言い方は……」

 

 「王よ、これは政治の話なのです。申し訳有りませんが、口出しはご遠慮願います。それに我々も御身に好意的な感情を抱いているとは思わないで頂きたい」

 

 護堂は相棒の危機に思わず助け舟を出そうとしたが、これも冬馬に封殺されてしまう。そして、言外に彼は言っていた。お前も同罪だろうと。

 

 「甘粕さん、草薙さんも悪気あったわけでは……」

 

 「悪気があってたまるものですか!ええ、草薙さん個人はそうでしょう。ですが、まつろわぬ神の脅威は誰よりもよく理解しているはずです。それを理解していながら、どうしてこんな軽挙ができたのか……。ましてや、エリカさんなどはこの事態を容易に予想できはずですし、見越していたはず。違いますか?」

 

 祐理がフォローを入れようとするが、冬馬は容赦しなかった。

 

 「「……」」

 

 護堂もエリカも言葉がなかった。冬馬の言葉の通りであったからだ。護堂はどこかで自分なら対処できるからと、どこか軽く考えていたことは否めないし、企んだとおりになったエリカなどは反論のしようもない。

 

 

 「不躾で非礼であることは百も承知です。ですが、この地に生きる者としてあえて言わせて頂きます。

 王よ、責任をとって頂きたい」

 

 護堂はそれに黙って頷くほかなかった。

 

 この後、草薙護堂は襲来したまつろわぬアテナに一度敗北を喫し、ゴルゴネイオンを取り戻され、アテナが完全になるのを許してしまう。だが、権能により復活し、優れた霊視能力者である万里谷祐理の協力もあって、再戦して見事これを倒すことに成功する。彼は、アテナの命を奪わず見逃した為、結果的に周囲に多大な被害をもたらしながら撃退という形にとどまった。

 その翌日、六人目のカンピオーネ『神無徹』が帰国し、極東の双王が邂逅する。  



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#06-IF.予期せぬ遭遇と新たな火種

護堂より早く六人目の正体が公表された場合を想定して書いてみました。想定外なことに、先に書いたものを肯定する感想を多く頂き、正直あのままでいいかなとも思ったのですが、折角書きましたのであげます。
どちらが自然か、どちらの先を読みたいか活動報告の方に意見を頂けたら幸いです。

※アンケートになりますので、感想にどちらがいい旨はおやめ下さい。お手数ですが、活動報告の方にお願いします。

2014/10/21
どうするか決めましたので、アンケートは終了させていただきます。僅か一日でしたが、多くの感想と意見をありがとうございました。非常に参考になりました。私自身、本作で何を書きたかったのかを今一度見つめなおすことができたと思います。読んで頂いた全ての方に心より御礼申し上げます。



【グリニッジの賢人議会により作成された、神無徹についての報告書より抜粋】

 すでに述べたとおり、神無徹は6人目のカンピオーネである。彼の王はオーストリアでの大規模破壊事件『魔王の狂宴』(詳細については日本の正史編纂委員会から提出された報告書を参照のこと)において初めて公的に確認された王であり、日本の正史編纂委員会からの報告によれば、その三年ほど前に日本の神殺しの神である迦具土を殺害し、カンピオーネになったものと推測される。

 彼は魔王の狂宴において見せた白銀の巨狼へと変身する権能『神喰らう魔狼』(北欧神話のトリックスターロキの息子である魔狼フェンリルから簒奪されたものと思わわれる)、カンピオーネとなる際に迦具土から簒奪した権能『神滅の焔』等、非常に攻撃的な権能を持つ魔王である。また、その戦歴は定かではないが、彼の魔王としての在位期間を考えれば、他にも複数の権能を所有している可能性もあるので、諸兄らは注意されたい。

 彼の王は護国という明確な方針を打ち出しており、民草の保護に熱心なアメリカのジョン・プルートー・スミスにつながるものを持っている。しかし、誤解してはならない。彼は故国とその民が無事であれば良いのであって、それ以外の国や民についてまで寛容でも慈悲深いわけではない。「俗世の権力争いに興味はないが、日本に呪的干渉をすれば、相応の報復をする」という彼の言葉がその証左である。日本に対して、今後は慎重な対応が求められよう。

 

 

 

 

 

 

 それは、賢人議会を通しての自身の正体の公表を済まし、大きな貸しがある『剣の王』サルバトーレ・ドニを盟主と崇めるイタリアの魔術結社に顔見せがてら、日本に下手なことをするなと脅……もとい釘を刺していた時のことだった。

 《赤銅黒十字》《青銅黒十字》をはじめ、《老貴婦人》《雌狼》《百合の都》《蒼穹の鷲》《楯》と名だたる魔術結社を脅し終え、折角近場に来たのだからとかつての恩師を訪ねようと思ったのが間違いであった。

 

 当初の予定通り、サルバトーレが会う前にさっさと退散するべきだったと、徹は心底後悔していた。カンピオーネになる以前に術の手解きをしてくれたことのある旧知の魔女ルクレチア・ゾラが住むサルデーニャ島には、覚えのありすぎる神気の痕跡があったからだ。

 

 「義兄さん、これは……!?」

 

 「ああ、まず間違いないだろうな。ここのところのありえない天気は十中八九まつろわぬ神の仕業だったのだろうな。だが、それにしてもなぜこの神気をここで感じる?」

 

 「かの神の神具か魔導書があったのかな?でも、神代のものがそう都合よくあるもの?」

 

 「あの人なら、案外隠し持っていてもおかしくないのが怖いところだ。

 まあ、なんにせよ、ここで魔術関係で頼るならあの人以上の適任はいない。どうも事後のようだし、急ぐぞ!」

 

 「うん、了解!」

 

 脳裏を過ぎるいやな想像を押し殺しながら、徹と美雪は足を速めるのであった。

 ちなみに、二人がここで退散を選ばなかったのは、カンピオーネの騒動誘引体質を実体験から骨の髄まで理解していたが故だ。逃げても追ってくるorもっと厄介な事態に遭遇するのどちらかでしかないのだ。ならば退散したところで、それは先送りでしかないのだから無意味であると判断できる程度には、慣れてしまっていたのだった。

 

 

 

 

 「おや、久しぶりだな。ここの所、千客万来だな」

 

 そんな声と共に徹と美雪を迎えたのは、亜麻色の長い髪が美しい20代半ばの美女だ。だらしなくネグリジェのままでどこか気だるげだが、60を超える老婆とは思えない色香が漂っていた。呪力が至純の域に達した魔女は肉体を若さを保つ特権を持つ。その若々しい外見は、美雪同様ルクレチアもその域にある実力者であることの証左にほかならない。

 

 「ご無沙汰しています。直接会うのはおよそ10年ぶりでしょうか?こっちは義妹の美雪です」

 

 「……」

 

 美雪が徹の紹介に合わせて頭を下げる。

 

 「相変わらず御堅いことだな。まあ、適当に座ってくれ。

 それにしても、もうそんなになるか。時が経つのは早いものだ。結婚の報を聞いたのがついこの間のように思えるのにな……。

 まさか、君も(・・)魔王様になっていたとは夢にも思っていなかったがな」

 

 「それについてはご勘弁を。私もなりたくてなったわけではありませんから……」

 

 「……まあ、詳しくは聞くまい。大体、今や君の方が遥かに上の立場にあるのだからな。敬語など使う必要はないぞ?いや、むしろ、私が敬語を使うべきかな?」 

 

 徹の言の葉から何かを感じ取ったのか、ルクレチアは追求を早急に諦めた。代わりにどこか悪戯っぽい表情でそんなことを言った。

 

 「やめて下さい。貴女に敬語使われるとか、鳥肌がたちそうです」

 

 本気で嫌そうに叫ぶ徹。

 

 「に、義兄さん、いくらんでもそこまで言わなくても……「甘い!」……えっ!?」

 

 その反応に、流石にあんまりだと思った美雪が苦言を呈するが、徹は一顧だにせず切り捨てた。

 

 「この人に師事している間に、私がどれだけからかわれたか分かるか?散々玩具にされたのは忘れていない!」

 

 「いやー、あの頃の青年は純情でからかいがあったというのにな。今じゃ、すっかりすれてしまって……私は師として悲しいぞ」

 

 「誰のせいだと思っているんですか……(この若作りババアめ)」

 

 およよと泣真似すらするルクレチアに、血管を浮き立たせて徹は言う。

 

 「さて、誰のせいだろうな?」

 

 だが、どこ吹く風でしれっと言い放つルクレチア。その様にぐぬぬと歯噛みする徹。とても無所属の魔術師と神殺しの魔王のやり取りには見えない。まあ、それだけ両者の関係は深いということだろう。

 

 「だが、いい目をするようになった。今の君は確かにこの世界で生きているようだ。

 あの頃の君は、術式の研究以外では生きていなかったからな。旧友の頼みで、かつ君に並外れた才能がなければ、さっさと放り出していただろうな。まあ、純心だったから、からかい甲斐はあったがね」

 

 痛いところを突かれて、徹が黙り込む。徹がこの世界で本当の意味で生きられるようになったのは、亡き妻美夏のおかげなのだ。それまで、彼は惰性で生きていたようなものなので、返す言葉はない。

 

 「まさか、その為に義兄さんを?」

 

 美雪がルクレチアを見直したように問うが、答は期待したものとは全く違った。

 

 「いや、純然たる私の趣味だ。なに、純心な青年を誘惑するのは、魔女の嗜みというものだろう。それに戸惑う様は中々に愉快だったぞ」

 

 「どうせ、そんなことだろうと思ってましたよ」「!?」

 

 悪びれなく胸を張って宣言するルクレチアに徹は諦めたように呟き、あんまりな答に美雪は絶句した。

 

 「やれやれ、そこのお嬢さんくらいにいい反応をしてくれるかと思えば、すっかりやさぐれてしまったようだ。からかい甲斐がなくてつまらん!人生にはユーモアが必要だというのに、まったく分かっていないな。

 まあ、いい。それで今日は何の用かな?王になってまで、今更私に師事しにきたわけでもなかろうし、旧交を温めにきただけでもあるまい」

 

 「ご慧眼です、流石は地の位を極めたサルデーニャの魔女。といいたところですが、最初は本当に旧交を温めに来ただけだったのですよ。ですが、この地でありえないものを感じましてね。是が非でも貴女に聞かなければならないことができたのです」

 

 「ありえないもの?それは何だ?」

 

 「天気もそうですが、何より問題なのは、この地に僅かに漂うプロメテウスの神気です」

 

 「うん?天気は分かるが、プロメテウスの神気だとなぜそこまで特定できる?」

 

 ルクレチアは怪訝な顔をする。それも無理もない。この地には先だってウルスラグナにメルカルトと名だたるまつろわぬ神がいたのだから。確かに、プロメテウスの《偸盗》の力を封じた神代の魔導書『プロメテウス秘笈』が存在したとはいえ、現在では消滅しているし、実際に顕現していた前者二神とは比べくもないはずなのだ。

 

 徹はルクレチアのもっともな問に僅かに逡巡した後、迷いを振り切るように口を開いた。 

 

 「……まあ、貴女ならいいでしょう。簡単ですよ、私は先頃まつろわぬプロメテウスを殺めたからです」

 

 「義兄さん!プロメテウスのことは、賢人議会にも明かしていないというのにいいの?」

 

 殺めた神の情報は所持する権能と直結する最重要機密である。故に6人目のカンピオーネとしての正体を明かした今も、迦具土以外は賢人議会にすら教えていない。それをあっさりと話してしまったのだ。思わず美雪が声を上げたのも無理もないことであった。

 

 「大丈夫だ、美雪。この人はふざけちゃいるが、一線は守る人だ。ですよね?」

 

 「ああ、もちろんだ。だが、君も人が悪くなったな……」

 

 信頼の証といえば聞こえはいいが、その実ルクレチアを絡めとる鎖だ。賢人議会すら知らないことを知れたというのは大きいが、その一方で対価となるようなものを渡さねばならなくなった。情報ならば、一切の隠し立てはできない。なまじルクレチア自身の疑問に答えるという形であったから、尚更である。

 

 「貴女の薫陶を受けたおかげですよ」

 

 内心で舌打ちするルクレチアを余所に、そんなことをしれっとのたまう徹。

 

 「この狸め!あの純心な青年はどこへいってしまったのやら……。まったく嘆かわしい。

 ハア、それで、何が知りたい?」

 

 「そうですね、何よりもなぜここにプロメテウスの神気の残滓がここにあるのかを。後は、ここ最近この地で起きたまつろわぬ神関連の情報を」

 

 「それは全てというんだよ、やれやれ。分かった、私の知る限りを話そう。ただ、長い話になる。茶を淹れてくれ」

 

 そう言いながらも、平然と王をあごで使おうとするあたり、ルクレチアも大した玉である。

 

 「分かりました。勝手知りたる人の家ですからね」

 

 徹は苦笑して頷く。かつて師事していた時、炊事洗濯をはじめとした家事全般は彼の役目だったのだ。ルクレチアの小間使いなど、慣れたものである。

 

 「義兄さん、私が」

 

 フットワークも軽く、あっさりと了承して立ち上がった徹に、すかさず美雪が代わりを申し出る。義妹としても、魔術師としても、流石に神殺しの魔王に給仕の真似事をさせるなど受け入れられなかったからだ。

 

 「ああ、いいよ。美雪は座っていてくれ。その人が逃げ出さないように見張っといてくれ。中々往生際の悪い人だからな」

 

 だが、徹は取り合わない。その手は淀みなく動き、着々と準備を整えていく。妹の心、兄知らずというべきか。

 

 「やれやれ、そんなに警戒しなくても逃げたりはしないとも。私が魔力を使い果たして休養中であることは理解しているだろうに」

 

 「この手のことで、貴女の言葉は信用できませんからね」

 

 「ふむ、お互いに相手のことをよく知っているというのは便利なようで、存外不便なことなのかもしれんな。ありもしない裏を読まれてしまう」

 

 「……」

 

 気心の知れている両者の掛け合いに美雪は疎外感を感じた。なんというか、除け者にされているようでおもしろくない。思わずムッとしてしまう。

 

 「おっと、すまないな。お嬢さんをないがしろにするつもりはなかったのだが、久方ぶりの再会だったものでな。まあ、君は普段独占しているのだから、今くらい貸してくれてもいいだろう?」

 

 そんな美雪の様子に目敏く気づいたルクレチアは、人の悪そうな笑みを浮かべてそんなことを言った。

 

 「そんな。私はただ!」

 

 「ああ、安心していい。誘惑してからかったりしたことはあるが、私とあれはあくまで師弟関係だ。実際の男女の関係など皆無だよ」

 

 「っ!?」

 

 最も気にしていたことをあっさりと言われてしまい、言葉に詰まる美雪。ルクレチアは対照的に新しい獲物を見定めた狩人の目をしていた。

 

 「ふふふっ、何そう心配することはない。あの青年、いや今は魔王陛下と呼ぶべきかな?まあ、ともかく、彼が私に師事していたのはそう長いことではないし、今ならともかく当時のあれは術式をこねくり回すこと以外では生きていなかったからな。流石にそんなものに体を許す程、私は安い女ではないよ」

 

 「生きてはいないですか……」

 

 美雪は義兄のそんな姿を知らない。美雪が徹と会った時には、すでに徹は美夏により立ち直った後だったのだから無理もない。それはある意味幸運なことなのだが、自分が知らない想い人のことがあるというのは愉快なことではない。他者がそれを知っているなら、尚更である。

 

 「ああ、知らないなら知らない方がいいぞ。昔のあれは惰性で生きていた男としての魅力のかけらもない奴だったからだな。目的も意思もなく、流されるままに生きているだけだった。まあ、純心な分からかい甲斐はあったがそれだけだ。よくぞ、あれを今の状態に叩き直せたものだ。私は君の姉君を心から賞賛するよ」

 

 ルクレチアは何かを思い出すかのように遠い目をした。

 

 「姉さん……」

 

 ルクレチアの言い様を見るに、魅力のかけらもなかったというのは真実なのだろう。

 だが、そんな状態の徹を美夏は愛したのだ。姉はルクレチアにもできなかったことをやってのけたのだ。今更ながらに亡き姉が想い人に与えた影響の大きさを痛感する。

 

 「昔の話は勘弁してくれませんかね。これでも結構後悔しているんで」

 

 そうこうしている内に、人数分の茶を徹が運んできた。どうも筒抜けだったようである。まあ、別段声を潜めていたわけでもないので、無理もないが。

 

 「ご苦労。うん、そうだな。いつまでも過ぎ去ったことを話すのもあれだ。それに正直過去の君はは不毛極まりない存在だったからな。語るだけ無駄というものだ」

 

 「事実ですけど、えらい言われようですね」

 

 「君自身、否定しないのだからそういうことなのだよ。

 さて、本題に移ろう。そもそもの始まりは、ウルスラグナとメルカルト二柱の神々が争ったことに端を発する」

 

 「そういうことですか。その消耗、巻き込まれたんですね?」

 

 「ご明察だ、限界まで魔術を使って生き延びることが精一杯だったよ。おかげで呪力はすっからかんで、この様というわけだ」

 

 ルクレチアは気だるげで動こうしないのは、けして本人のずぼらさだけが理由ではない。呪力を回復し肉体の消耗を抑える為でもあるのだ。

 

 「それにしてもウルスラグナとメルカルトですか?プロメテウスの神気は一体どこから?」

 

 ウルスラグナ、イラン神話の勝利の神で、その名は「障害を打ち破る者」を意味する。インド神話のインドラにあたる神格である。ゾロアスター教における中級の善神(ヤザタ)で、10の化身を持つとされる軍神である。また、ミスラの武器の鋭い牙の猪がウルスラグナとも称されている。

 メルカルト、ティルスの主神。冥府の王にして、植物の生長サイクルを司る者にして狩人であるカナン神話の英雄神。審判者バールとも同一視されるが、バールの妹アシュタルテの息子にあたり神としての性質も異なる。また、ヘラクレスとも同一視されるが、神性はそれよりも古いとされる。

 

 両神ともに出てくる神話も異なり、プロメテウスのプの字もない。あえて言うならば、プロメテウスを助けたというヘラクレスと同一視されるメルカルトだが、それでプロメテウスの神気が残るとは考え辛い。徹が疑問に思うのも、もっともな話であった。

 

 「まあ、そう急くな。はじまりといっただろう?話の重要なところ、いや、本当の発端はこれからだ。

 先程、千客万来といったとおり、実は君達以外にも休養中の私を訪ねてきたものがいる。一人は赤銅黒十字の大騎士、もう一人は私の旧友の孫だ。と言っても、大騎士の方は私に用があったというよりは、旧友の孫が私に返そうとしたものに興味があったようだがね。

 そう、その大騎士が気にしていた返却物こそ、君が気にしているプロメテウスの神気の原因だろう。私がかつて所有していたそれは神代の魔導書でね。《偸盗》の力を封じたもので『プロメテウス秘笈』という」

 

 「『プロメテウス秘笈』、それが私の感じたものの原因か。神代の魔導書、それも《偸盗》の力を封じたものならば尚更だな。なるほど」

 

 なるほど、己が手に入れた権能と同種のものだったせいで、他のニ神のものより薄いにも関わらず鋭敏に感じ取れたというわけだ。謎は解けたと徹は納得顔で頷いた。

 

 「それにしても神代の魔導書を一時的にとはいえ、手放していたのはなぜでしょう?いくら貴女でも相応に貴重なものであったはずでは?」

 

 美雪が疑問を呈する。神代の魔導書など、現代では早々お目にかかれるものではない。それは魔術師として当然の問であった。

 

 「なに、手元にあっても始末に困る代物だったからさ。実は日本で物騒な祟り神相手に使用済みでね。すでにあれには神の力が溜め込まれていたのさ。

 あ、使えばいいとか思ったろう?それができれば良かったのだがね、生憎とそれはできない。なにせ、使えばまず間違いなく死ぬのだからね。実際、私の前の所有者はそれで亡くなっているくらいだ」

 

 「え、それじゃあ……」

 

 「そう、今更持って来られても始末に困る。正直に言えば面倒くさいことになったというのが本音だったよ。そこで私はあえて有効につかえないであろう大馬鹿者の旧友の孫にそれを押し付けた。そうすることで、彼を血気盛んな大騎士の枷とすると共に、間接的に『プロメテウス秘笈』を真実有効に使える者に渡るようにしたのだ」

 

 「使える者?まさか……!」

 

 「君の御同輩、サルバトーレ卿だ。カンピオーネである彼ならば、有効に活用できるだろうからな。まあ、これは見当違いというか、斜め上の結果となったんだがな」

 

 「えっ、あの剣バカの手には渡らなかったということですか?」

 

 剣バカ、『魔王の狂宴』以来、徹はサルバートレをそう呼ぶようになっていた。最も、この世でそんな風にかの王を公然と呼ぶのは同胞たるカンピオーネか、『王の執事』アンドレア・リベラだけだろうが。

 

 「うむ、そうだ。旧友の孫である少年は見事大騎士の枷としては機能としたようだが、結果として『プロメテウス秘笈』はサルバトーレ卿には渡らなかった。使ったのは、なんと他ならぬ少年自身だったのだ」

 

 

 「「えっ!?」」

 

 驚きで徹と美雪の声が重なる。

 

 「ちょっと待って下さい。その旧友のお孫さんて、大騎士の枷にしたっていうくらいですから、魔術師でもなんでもない一般人なんですよね?」

 

 最悪の事態に思い至ったのか、問いかける徹の言葉は震えている。

 

 「ああ、祖父共々魔術とも神とも無縁の一般人だとも」

 

 「それじゃあ、その子は……!」

 

 使えば超一流の魔術師でも死ぬ可能性が極めて高い『プロメテウス秘笈』に溜められた神の力。それをただの一般人が使用して、ただで済むわけがない。

 

 「ああ、当然の如く死んだ。但し、ウルスラグナと相討ちになってな」

 

 淡々と結末を語るルクレチア。だが、そこに悲壮感はない。当然だ、彼は現在も生きているのだから。

 

 「「はあっ!?」」

 

 予想通りの結末である前半はともかく、予想外の後半部分で徹と美雪は思わず声を上げた。

 

 「くっくっくっ、おもしろいだろう?」

 

 「面白いで済むか!ルクレチア、まさかその子は!?」

 

 あまりの予想外の展開に敬語を使うことすら忘れた徹が詰め寄る。

 

 「ああ、察しのとおりだ。八人目の神殺しとして新生し、君の同輩となったわけだ。

 しかし、旧友の息子と孫がカンピオーネになろうとは私の人脈も捨てたものではないな。

 しかも、片方は誕生に大幅に寄与していると来た。人生、何があるか分からないものだ」

 

 それを尻目にさも愉快気に語るルクレチア。

 ありえない情報に落ち着こうとして紅茶に口に含んだ美雪は、正確に情報を咀嚼して認識した結果、噴き出すなど一人漫才のようなことをやっていたのは余談である。

 

 

 

 

 

 しばし後、徹や美雪の混乱が収まり、落ち着いてきたのを見計らって、ルクレチアが意外なことを頼んできた。

 

 「それでだ、同郷のよしみで魔王レベル1の少年を助けてやってくれないか?」

 

 「助ける?それはまたなんでですか?」

 

 「生憎相討ったのはウルスラグナだけでな。メルカルトは現在も健在だ。実のところ、君達が来る少し前ににそのことで件の彼から電話で相談されたところだったのだよ。どうも権能の扱いに難儀しているらしくてな。

 流石に初戦の相手として、神王メルカルトは厳しいんじゃないかと思うわけだよ。旧友の孫だし、私自身が少年がカンピオーネになるのに一役買ってしまっているからな。放置して死なれるのは、寝覚めが悪い」

 

 「その少年がどんな人間だったかは知りませんが、神殺しになったというのなら、相手が誰であっても関係ありませんよ」

 

 「ほう、それはなぜだ?」

 

 「お忘れですか?私達カンピオーネはただの人間であった時に、遥か格上であった神を殺した者達です。である以上、権能がうまく使えなかろうが、格上であろうがそんなのは大した問題じゃありません。それでも勝機を見出すのが神殺しですから」

 

 よく誤解されがちだが、カンピオーネが強いのは権能があるからではない。確かに権能は強力無比だが、それでも神との力の差は明確であるのだから。カンピオーネになる者はいずれもその明確な差をひっくり返す何かを持っているのだと徹は考えている。

 特に八人目がただの一般人から神殺しになったというのなら、尚更だ。これで相手が《鋼》か知恵の神とかなら心配もしようが、神王としてのメルカルトならば、相性は悪くないだろう。

 

 「……経験談かな?」

 

 「そうとも言えるし、そうでないとも言えます。

 ――――――そうですね、貴女には恩義がありますから。必要ないとは思いますが、その要請を受けるのは吝かではありません」

 

 ルクレチアにはかつて本当に世話になったし、また新しく同胞になった少年にも興味がないと言えば嘘になる。それに同郷ということは、いずれ嫌でも顔を合わせることになるのは間違いない。万が一にも敵対した時に備えて、少しでも情報を得ておくのは損ではないと徹は判断したのだ。

 

 「ふむ、何か条件があるのか?」

 

 「いえ、そんなけちなことを言うつもりはありません。その新しく同胞となった少年の名は?」

 

 それはある意味、当然の問だった。いかに同胞といえど名も知らないのでは捜しにくいし、助力しにくいからだ。うっかりしていたと、ポンとルクレチアが手を打つ。

 

 「おお、そういえば言ってなかったな。中々に気持ちのいい馬鹿でな、面白い少年だったよ。名は草薙護堂という。ああ、赤銅黒十字の大騎士エリカ・ブランデッリが侍っているだろうから、ついででいいのできにかけてやってくれ。パオロ卿の姪御だからな」

 

 「承知した――――――草薙護堂か」

 

 些か面倒だが、暴れても問題のない国外で神を名乗る愚者を殺せるなら、徹に否はない。まだ見ぬ神との対決を予感して血が沸き立つのを感じながらがら、それを抑えるように八人目の名を呟くのだった。

 

 

 

 

 神の怒りたり嵐を黄金の剣が切り裂き、次いで黒き猪が巨人と格闘戦を披露し、そこに空間全てを蝗が埋め尽くしたと思いきや、東天よりフレアの槍が射出される。それはまさにリアルな怪獣映画そのものだった。

 

 「黄金の剣、神の来歴を明らかにすることでその神力を切り裂く智慧の剣か。後輩君は便利なものをもっているな。それに加えて、神獣らしき猪の召喚に大火力の太陽の焔と来たか。なって間もないというのに多彩で羨ましい限りだ」

 

 その光景を間近で見ながら、感心したように徹は言う。生まれたばかりでありながら、この権能の多彩さは目を瞠るものがあったからだ。とても元一般人のド素人の初陣だとは思えない光景である。

 

 「八人目草薙護堂が手に入れた権能は恐らくウルスラグナの十の化身に間違いないと思う。いかなる盤面においても勝利を掴む勝利の神らしい極めて応用性の高い権能ね」

 

 それに対し、美雪の態度は冷徹そのものだ。八人目の権能を観察し、冷静に見極め考察している。まるでいつか敵対する時を想定しているようであった。

 

 「ああ、その通りだな。だが、あのタイプは使用制限や使用条件がきついことが殆どだ。自由自在というわけにはいかぬだろうな。

 しかし、これならば援軍の必要はなかったようだな。まあ、単純に間に合わなかっただけとも言えるが……。

 これでは骨折り損のくたびれ儲けといったところだな」

 

 徹は諦観と共に嘆息する。ルクレチアの要請を受け、援軍に行くことにしたのはよかったのだが、護堂とメルカルトがいる肝心のパレルモに行く手段が軒並み駄目になっていたのが痛かった。メルカルトが起こしたと思われる嵐は、公共の交通機関を完全にシャットアウトしてしまったのだ。なまじ欧州がカンピオーネやまつろわぬ神にへの対処に慣れていることも災いした。君子危うきに近寄らず。魔王であることを隠した状態では強権も振るえない。サルバトーレが襲来する危険性を恐れて、地元の魔術結社の協力を拒絶したののも失敗だった。その上、有力な魔術結社には脅しをかけたばかりである。流石に協力要請するのは躊躇われた。いかな魔王様といえど、そこまで徹は厚顔無恥になれなかったのだ。

 

 で、散々悩みぬいた結果、フェンリルの権能を用いて、自力でパレルモに行くことにした。まず、間違いなくサルバトーレが襲来するだろうが、援軍が間に合わなかったのでは意味がないし、最悪来る前にさっさと帰国すればいいと判断したからだ。まあ、白銀の巨狼が大地を駆け抜ける様は地元魔術結社の者達を震撼させたが、それに構っている余裕は徹にはなかった。これが結果的に徹が六人目であることを周知させることになったりするのだが、完全な余談である。

 

 しかし、それでも一歩遅かったようであった。八人目のカンピオーネである草薙護堂と神王メルカルトの戦いはすでに佳境に入っている。というか、あのフレアの槍で終わりだろう。いかに神王メルカルトといえど、神獣をしとめようとした隙を突かれては、避けることも防ぐこともかなうまい。

 

 「いや、どうやら出番はありそうだな。横取りするようであれだが、どうせ権能は増えないだろうから構うまい」

 

 「義兄さん!?」

 

 「美雪はここにいろ。すぐに迎えに来る!」

 

 徹は叫ぶようにそう言うと、陸へとあがった護堂達のもとに『猿飛』の術で跳んだのだった。

 

 

 

 

 

 「なんていうか、ちょっとすさまじすぎるな……」

 

 「断っておくけど、ほとんどあなたひとりでしでかしたことよ」

 

 自らの手によって滅茶苦茶になったシチリアの古都の惨状に、護堂は他人事のように感嘆した。すかさず、おまえがやったことだとエリカから突っ込みが入るが、それでもあまりに現実味のない光景であった。

 神にも魔術にも無縁な一般人であった護堂には、それが己の所業であるなど現実味が薄いのは無理もないことだろう。

 

 だが、現実は優しくない。観光名所と名を馳せたかつてとは変わり果てた目の前の光景とエリカの言葉が否応なく現実を護堂に理解させた。――――――これは己がしでかしたことなのだと。

 

 「ここに100年前、太陽のかけらが落ちてきたとか言っても、うっかりしんようされちまうかもしれないぞ……」

 

 鉄筋や石造りの建物、アスファルトの道路などはどうにか原型を留めているものの、どろどろに溶けてから固まった硝子のように、やたら輪郭がぐにゃぐにゃしていた。燃えやすいものは跡形もなく消滅し、フェリーチェ門さえもどろどろでぐにゃぐにゃである。冗談めかして、そんなことを言ってみた護堂だったが、全然洒落になってないことを自覚して、頭を抱えた。

 

 ――――――俺はなんてことをしでかしたのだ!

 

 荒波の如く忸怩たる後悔が護堂に押し寄せる。そして、それはどうしようもない程の決定的な隙であった。

 

 「少年、戦いにおいて残心は重要なものだ。特にまつろわぬ神との戦いではな」

 

 その言葉に護堂がはっと振り向けば、何者かが傍に立って何かを受け止めていた。大きさが変化していたが、護堂はすぐにその何かの正体に思い当たる。

 

 「まさか、アイムールとかいう棍棒!?あれで生きてたのかよ!」

 

 「なるほど、これが海神ヤムを倒すために工芸神コシャル・ハシスがバアルに与えた魔法の棍棒か。名は「撃退」を意味するのだったかな?が、生憎と私とは相性が悪かったな」

 

 何者か、黒髪の男がそう言いながら力を込めると、アイムールは溶けるように消滅した。護堂はその光景に驚きながらも、目の前の男から目を外せない。彼の直感が言っているのだ。目の前の男は、あるいはメルカルト以上の脅威であると。

 

 「護堂!」

 

 エリカが焦ったように走ってくるが、生憎と今の護堂に意識をさく余裕はなかった。そのくらい、目の前の男に集中していたのだ。

 

 「ぬう、ここに来て神殺しがもう一人だと!?我が小僧との戦いで消耗するのを待っていたのか!?」

 

 メルカルトらしき声がいずこから聞こえてくる。よく見れば、棍棒の飛んで来た方向に球電が浮かんでいるではないか。さしものメルカルトの肉体もフレアの槍には耐え切れなかったらしいが、霊体は健在のようだ。

 

 「いや、そんなつもりはなかったんだがね。思った以上に、後輩がよくやるんで手を出す必要がなかったんだよ。本当なら、最後まで見ているだけのつもりだったが、お前さんの最後っ屁を感知してな。折角、華々しく初陣を飾ったのにあそこで無防備にくらうのは、流石に格好がつかないだろう?

 なんで、余計な手出しであることは百も承知で、手を出させてもらったわけだ」

 

 「ぬうう、おのれ!」

 

 「おっと、逃げようとしても無駄だ。私はお前達、まつろわぬ神は見つけ次第抹殺すると決めているのでね」

 

 そう言いながら、男の姿がたちまち変化していき、白銀の巨狼が現れる。

 

 『お前はここで死ね!』 

 

 酷薄な死刑宣告と共に白銀の巨狼が襲い掛かる。風により逃げ去ろうとした物言う雷は、すんでのころでその顎から逃れたが、白銀の巨狼の攻撃は終わってなどいなかった。その巨大な口を開けると、吸い込んだのだ。その吸引力は凄まじく、離れていた護堂やエリカにも影響があった程だ。確固たる肉体を失い、物言う雷と化したメルカルトにそれに抗える術はなかった。

 

 「おのれーーーーー!」

 

 断末魔を上げながら、白銀の巨狼の口に吸い込まれる。そうして口を閉じ何かを噛みしめるように口を動かした白銀の巨狼は、護堂とエリカに向き直った。

 

 『横取りするような真似をして、すまないな。だが、見ていた限りこれ以上戦えるだけの余力はあるまい?あのままなら逃していただろうからな。流石にそれは見過ごせん。

 どの道、権能は増えないのだから、大目に見てくれると助かる』

 

 「それは別にいいけど……。あ、あんたは?」

 

 護堂としてはこれ以上、身に余る力は欲しくないので、権能が増えなかったことについてはどうでもよかった。ただ、目の前の白銀の巨狼となった男の正体が気にかかる。

 

 「護堂、この方は恐らく六人目の……」

 

 「六人目?正体不明とか言ってなかったか?」

 

 「つい先日、正体を明かされたのよ。アイムールを燃やし尽くした炎の権能『神滅の焔』に、白銀の巨狼に変身する権能『神喰らう魔狼』。御身は六人目の魔王『神無徹』様でいらっしゃいますね?」

 

 『いかにも。同郷の神殺しよ、お初にお目にかかる。私が六人目のカンピオーネ神無徹だ。以後見知りおき願う』

 

 ちょっと気取った言い回しをする白銀の巨狼。その様子がなんともいえず、妙な人間臭さを護堂に感じさせる。

 

 「まさか、俺以外にも日本人のカンピオーネがいたのかよ」

 

 『それはすまない。ちょっと事情があって秘匿していたのだ。驚かせたようだが悪く思わないでくれ』

 

 「確かに驚かされたけど……まあ、いいさ。そんなことよりあんた元に戻らないのかよ?流石にもうメルカルトは生きちゃいないんだろう?」

 

 『ああ、本来はそうすべきだろう。私としても色々話したいことがあるからな。だが、そういうわけにもいかないんだ』

 

 「なんでだよ?」

 

 『ここへ来るのに、少し無茶をしてな。恐らく今頃、超特急で剣バカがこちらにむかっているだろうからな。八人目の君の噂に私と来れば、奴はあらゆる障害を切り伏せて絶対に来る。押し付けるようで悪いが、私は早々に逃げさせてもらうよ。あれの相手は色んな意味で面倒なのでな』

 

 「剣バカって……」

 

 あんまりな言い様に護堂は言葉を失くす。一方でエリカは、それで誰が来るか分かってしまったことに微妙な気分になった。

 

 『それはその娘から聞くといい。この話の続きは帰国してからとしよう。

 あ、一つだけ忠告しておこう。まつろわぬ神も我々カンピオーネも常人より遥かに生き汚い。勝ったと思っても最後まで気を抜かぬことだ。そうでなければ、此度のような無様を晒すことになるだろう』

 

 「っ!」

 

 痛い所を突かれて、護堂が押し黙る。気を抜いていて不意を突かれたのは事実なだけに反論できないからだ。

 

 『フフフッ、再会を楽しみにしている。サラバだ』

 

 白銀の巨狼は別れ際に一声嘶くと、あとは振り返ることもなく去っていた。

 そうして、イタリア、シチリアの古都パレルモで、本来ありえなかった六人目と八人目のカンピオーネの邂逅はなされたのだった。

 余談だが、この後押っ取り刀で駆けつけた《剣の王》サルバトーレ・ドニにお茶を呑もうレベルの気軽さで決闘してみないと誘われた護堂は、冗談だと思いあっさりとかわしたのだが、それが原因で帰国して間も無くトラブルに巻き込まれることになる。最終的にイタリアへ乗り込み、結局サルバトーレと決闘する羽目になった護堂は六人目が早々と逃げた理由を嫌と言う程知ることになるのだった。

 

 

 

 

 

 

 「うーん、八人目の坊やは中々だったね。でも、まだ未完成という感じかな。次戦うにしても、護堂が十の化身を完全に掌握するのを待ちたいところだね」

 

 護堂との決闘を終え、引き分けという形になりながらも、《剣の王》サルバトーレ・ドニはご機嫌だった。新たな同胞が誕生し、その力を確かめられたのも嬉しかったが、何よりも『魔王の狂宴』以来探し求めていた六人目の正体と所在が明らかになったのが嬉しかったのだ。

 

 「でも、僕は待つのって好きじゃないんだ。だというに、君は些か以上に待たせてくれた。

 だから、いいよね?我慢しなくても」

 

 ドニの視線の先にはリベラから渡された六人目の資料がある。権能や為人の情報と共に添付された顔写真を穴が開くのではないと言う程に真剣に見つめるドニ。

 

 「でも、何の手土産もなしって言うのは、君も怒るだろう?だから、お土産を持って行くよ。君宛ではないけど喜んでもらえるものだと自負しているよ」

 

 そう呟くドニの掌中には、十数匹の蛇の絵と人の顔を模した稚拙な絵が刻まれた拳大のメダルがあった。それはゴルゴネイオン。本来の歴史ならば、それは草薙護堂の手に渡るはずだったが、徹の脅しが効いたイタリアの有力魔術結社ははなからその選択肢を捨てざるをえなかった。いや、考えることすらしなかったと言っていいだろう。そうして、順当にイタリアの盟主であるドニにそれは渡ったのだ。

 

 「前みたくじいさまのかわりに護堂を入れて三つ巴というのも捨て難いけど、君の場合、護堂と共同して僕を討ってきそうだからね。まあ、それならそれで楽しめそうだけど、今回はやめておくよ。やっぱり決闘は1対1でやるべきだと思うんだ。だから、少し惜しいけど護堂にはこれに引き寄せられた神をあげるさ。そうして、肝心要の君は僕と決闘するのさ!

 つれない君は、折角間近まで来たのにさっさと帰ってしまったけど、今度は逃がさないよ」

 

 ドニは恋に焦がれる少女のように、六人目との戦いを切望していた。なまじやりあったことがあり、それが不完全燃焼で終わったせいで余計にである。しかも、先日邂逅することもなく去られたことが、燻っていたドニの導火線に完全に火をつけていた。

 

 「ああ、本当に楽しみだよ」

 

 闇夜の中、魔剣の主は来る戦いに胸躍らせるのであった。



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#07.子供の論理

前話の流れから書いたら、思いきりアンチ&説教になってしまいました……。
あれー、当初はもっと軽めにいくつもりだったのですが、どうしてこうなったorz
色々考えましたが、この流れだと護堂とエリカの立場がまずすぎるので、前話から作り直すことにしました。長らくお待たせした上、このようなことになり申し訳ありません。
せめてものお詫びと言うわけではありませんが、一応途中まで書いた没話を晒します。
ただ、自分でもかなりきついと思ったので、護堂やエリカが好きな人は読まないほうがいいです。
でも、原作1巻の所業が許されたのって、護堂が日本唯一のカンピオーネだからだと思うんですよ。正直、日本側からしたら、エリカと護堂の行いは噴飯ものですし……。
まあ、そんなこと考えてたから、こんな風になっちゃったんでしょうけどorz


 アテナとの激戦の翌日、八人目のカンピオーネ草薙護堂は帰国したという六人目のカンピオーネに呼び出された。それは要請という形ではあったが、アテナを呼び寄せた負い目がある護堂にとって、それは実質的には強制であり拒否権などなかった。エリカは自身の最愛の魔王が軽んじられているようで面白くなったかったが、日本国内では針の筵同然の彼女にはどうすることもできない。それどころか、自身も同道するように言われ、戦々恐々としていた。

 

 護堂はいつも強気で明るい相棒が、恐怖を抑えきれないのを見て、どうにか元気づけてやろうと思い、口を開こうとしたのだが……。

 

 「どうぞ、こちらです」

 

 案内人、正史編纂委員会のエージェント甘粕冬馬の声がそれを遮る。わざとではないのだろうが、タイミングの悪さにどうにも裏を読みたくなってしまう。くたびれた背広をだらしなく着崩した地味な男だが、護堂はこの男が油断ならない相手であることをすでに理解しているからだ。アテナ襲来時に王である護堂に真っ向から意見したのは記憶に新しい。道化じみた話しぶりだが、その実剃刀の如き切れ味を隠している男なのだ。

 

 「草薙さん、エリカさん、大丈夫ですよ。かの王は護国に熱心な方であるとは聞いておりますが、いきなり無体なことをなされるような無慈悲な方ではないと聞いていますから」

 

 二人に気遣ってそんなことを言ったのは、自ら付き添いを申し出た武蔵野の媛巫女万里谷祐里である。聞く所によると、実は六人目の発見のきっかけとなったのは彼女だったらしく、その縁で今回の付き添いが許されたそうである。

 

 「祐里さん、困りますよ」

 

 「すいません。ですが、あまりに見ていられなかったもので……」

 

 冬馬が咎めるように言うが、祐里は謝りながらも意思を曲げる気はないようであった。

 

 「やれやれ、まあいいでしょう。私としてもあんまりどんよりされるのも嫌ですしね。まあ、そこまでビクつかなくても大丈夫ですよ。やる時は徹底的にやる方ですが……!?」

 

 冬馬はそこまで言いかけて弾かれたように振り向いた。その瞬間、エリカと護堂の背後に突如黒髪の巫女が現れる。その手には薙刀が握られているのが見える。護堂はその並外れた直感で、エリカは鍛えぬかれた感覚でそれに反応し、咄嗟に武器を召喚しながら振り返る。

 

 「「!?」」

 

 しかし、両者にできたのはそこまでだった。振り返ったエリカの首には、薙刀が添えられていたからだ。それは否応なくエリカの動きを封じる。護堂も自分ならともかく、相棒の命の危機となってしまっては迂闊に動けない。護堂が何かするよりも早く目の前の巫女がエリカの首を薙ぐことは明白であったからだ。やたら頑丈な自分の身体を盾にすることも考えたが、あの薙刀の前でそれすら無意味な気がして実行に移せない。

 

 「この方を羅刹の君と知っての狼藉ですか!」

 

 その絶体絶命の危機に真っ先に動いたのは、驚いたことに祐里であった。その声は清冽で静かでありながら、確かな迫力を持っていた。だが、襲撃者である巫女は微動だにしない。鋭い視線でエリカと護堂をその場に縫い付けながら、僅かの動揺も見せず答えた。

 

 「勿論、知っていますよ、万里谷祐里。この少年こそ、八人目の王草薙護堂。そして、少女の方が赤銅黒十字のエリカ・ブランデッリで相違ありませんね?」

 

 「!?」

 

 それどころか、そうでないと困ると言いたげに確認すらしてくるのに、祐里は絶句した。とんでもない非礼であり、無礼討ちにされても文句を言えない狼藉だというのに、それを分かってやったというのだから無理もない。

 

 「美雪さん、これはどういうおつもりですか?委員会としても、流石にこれは看過できませんよ」

 

 それに待ったをかけたのは、冬馬だった。知らされていなかったのは同様なようで驚愕はしていたようだが、すぐさま立て直していたのはさすがと言えよう。

 

 「義兄さんの指示よ、甘粕冬馬」

 

 「先輩の!?それはどういう…「子供に分からせるのは実際に痛い目に合わせるのが一番だからな」…!」

 

 突如、割り込んだ声と共に巫女の後ろに一人の男が現れる。その顔を見た冬馬と祐里が凍りついたように動きを止めた。そんな中、男はエリカと護堂の現状を満足気に見つめると口を開いた。

 

 「美雪、ご苦労だった。もういい」

 

 「……」

 

 その言葉に応じ、美雪の手から薙刀が消え、エリカが解放される。

 

 「……!」

 

 すかさず斬りかかろうとして、何かに気づいたエリカは武器を美雪と同じように消して、その場に跪いた。

 

 「え、エリカ!?……そうか、あんたが!」

 

 相棒の予想外の行動に目を白黒させる護堂だったが、すぐに目の前の男の正体に思い当たり、鋭い視線をぶつけた。

 

 「お察しの通りだ、後輩。はじめまして、私が六人目のカンピオーネ神無徹だ。以後よろしく頼むよ、草薙護堂君」

 

 そう言って、何事もなかったように徹は微笑んだのだった。

 六人目の神殺しに対する護堂とエリカの第一印象が最悪だったのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 その後、重苦しい中互いの自己紹介を済ませ、徹に連れられてきたのは、アテナとの最後の戦場の舞台となった浜離宮恩賜庭園だった。といっても、庭園の惨状は酷いものである。いくつもの大きなクレーターが穿たれ、最早原型を留めていない。アテナと護堂が暴れた結果であった。

 

 「こんな所まで連れてきて何のつもりだよ?」

 

 最初は同郷で先達、それも目上となれば敬語を使うつもりだったのだが、今や護堂にその気は皆無である。先のエリカに対する仕打ちが、腹に据えかねているのだ。

 

 「うん?随分怒っているようだな。そんなに気に入らなかったか?」

 

 「当然だろ!あんなことされて怒らない奴がどこに…「それがお前達のしたことだ」…何!?」

 

 護堂の剣幕に意外そうに問い返す徹に、怒鳴り散らそうとして言葉を止められる。

 

 「先程の不意討ちと同じことを、お前達は日本国民全てに対して行ったと言ったんだよ」

 

 「なっ、俺達がいつ!?」

 

 「ダメよ、護堂!」

 

 徹の侮蔑したような言い様に食って掛かる護堂だったが、それをエリカが必死に止める。

 

 「なんで止めるんだよ、エリカ。こいつはさっきお前に!」

 

 「……仕方ない。仕方ないのよ護堂。貴方はともかく私にはそれを責める権利はないの」

 

 護堂の怒りに一瞬喜色を現したエリカだったが、すぐに泣きそうな顔で俯いた。

 

 「どうやら、君の愛人は理解したようだな。自分が何をしたのかを」

 

 「どういうことだよ!?」

 

 「やれやれ、まだ分からないのか……。ならば、はっきり言おう。お前達がこの国にアテナを呼び込んだことは、この国の民の首に突然刃を突きつけたようなものなんだよ」

 

 「そ、それは……!」「……」

 

 護堂は言葉に詰まり、エリカは言葉も無く項垂れる。

 

 「倒したからいいとでも言うつもりか?笑わせるな。死者こそ出ていないが、この国の民が受けた傷跡はけして小さくない。経済的損失はそれこそ莫大なものだし、目の前の惨状を見れば分かるように環境にすら膨大なダメージを与えている。だというのに、アテナを見逃したそうだな?」

 

 「何か悪いのかよ?倒したのは俺だ。どうしようが俺の勝手だろう?」

 

 「ああ、そうだ。殺そうが逃がそうがお前の勝手だ。基本的にはな」

 

 「基本的?アテナは例外だとでも言うのかよ」

 

 「そうだ、当たり前だろう?この国で発生したものならばともかく、お前達が勝手に呼び込んだものだ。お前はこの国の民の感情に少しでも報いる為にあの神を殺さねばならなかった」

 

 「喧嘩で殺すなんてやり過ぎだろう!それに実際に戦ったのは俺だ。文句を言われる筋合いはない」

 

 「喧嘩、喧嘩ね。お前はそう思っているわけだ。しかも、文句を言われる筋合いはないと来たか……。なるほど、ガキだな」

 

 護堂の言に徹は深々と溜息をついた。やれやれと言わんばかりの表情だ。

 

 「なっ、なんだよ、そんなのあんたに!?」

 

 思わず言い返そうとした護堂だが、逆に徹に襟首を捕まれ引き寄せられる。

 

 「おいクソガキ、よく聞け!お前は何も分かっちゃいない。今回の被害は全てお前達がアテナをこの国に呼び込んだことが原因なんだよ。つまり、れっきとした人災だ。

 お前達のせいでこの国にどれ程の被害がでたか分かっているか?死者こそ出ていないが、多くの被害者が存在することを理解しているか?お前一人の感情が、被害者達全ての感情よりも優先されるとでも言うのか?」

 

 「……」

 

 今度こそ、護堂は沈黙せざるをえなかった。凄まじい被害が出たことは理解していたが、どこか実感がなかったし、元凶たるアテナを倒したことで責任をとったつもりになっていた。しかし、こうして真っ向から叩きつけられてしまうと、最早逃げ場はない。自身はこれっぽちも責任などとっていなかったのだ。目の前の先達から言わせれば、アテナを滅ぼすまでやるのが当然であり、最低条件だったという。だというのに、己はそれすら自身の感情を優先したのだ。あの時は祐里とエリカの殺害提案を蹴っただけのつもりだったが、実際には被害者達の感情すらも無視していたのだと理解させられた。つまり、護堂は被害者のことなどはなから頭になかったのである。

 

 「そんなこと、考えもしなかったって面だな。だからガキなんだよ、お前は」

 

 愕然とする護堂を、徹はつまらないものを見るかのように手を放す。護堂が尻餅をつくが、最早徹は見向きもしない。

 

 「エリカ・ブランデッリ、お前がいかに愚かしいことをしたか、その小賢しい頭で理解したか?」

 

 「……はい。ですが、王よ。此度のことは全て私めの謀にございます。どうか、我が君にはご寛恕を!」

 

 徹の問に悄然としながら答えながらも、毅然と顔を上げ護堂を擁護するエリカ。我が身に変えても、護堂を護らんという意思がその目には宿っていた。

 

 「ほう、見事な覚悟だ……といいたいところだが、お前の命なんぞもらっても、一文の得にもならんし、そもそもガキを殺す趣味はない。安心しろ、最初から殺すつもりなど毛頭ない」

 

 「ありがとうございます!」

 

 この場で殺されても文句がいえない立場だっただけに胸を撫で下ろすエリカだったが、次の瞬間蒼白になる。

 

 「大体、お前ごときが責任をとれるものか。子の不始末は親に責任を取らせるべきだろう。赤銅黒十字にはたっぷり賠償金を請求させてもらう。今回のことに賛同した他の結社も含めてな」

 

 「お待ちください!そ、それは……!」

 

 此度の被害額がけして軽いものではないことを理解しているだけに、その衝撃は大きい。他の結社と分担したとしても、赤銅黒十字の財政に大きな負担となることは想像に難くないのだから。

 

 「安心しろ、何も全額請求しようと言うわけじゃない。不本意ながら、このクソガキはうちの人間だ。お前の色香に迷ったとはいえ、アテナを招き入れた責任の半分はこいつにある。うちのガキの不始末なんだ。半額はこっちでもつさ」

 

 全額負担から、一気に半額へのダンピング。それは救いの手のように見えて、その実絶縁状に等しい。徹は草薙護堂が日本の王であると宣言するとともに、エリカ達に手を出すなと要求しているのだ。

 

 「いえ、それには及びません。我が君の責は我が身の責なれば」

 

 護堂との断絶など、エリカには絶対に受け入れられなかった。独断もいいところであったが、そのありがたい申し出をエリカははっきりと拒絶した。赤銅黒十字から追放される可能性すらあったが、エリカはそれでも迷わなかった。

 

 「そうか……。では、イタリアの結社には地獄を――――――なんてーな」

 

 「えっ?」

 

 「安心しろ。すでに半額で話はついている。お前の叔父に感謝することだな。あれは武人としても、一人の男としても尊敬できる男だ。全ての責任は自分にあると言ってきたよ」

 

 そう、実のところすでに話はついているのだ。すなわち、この場は交渉の場などではない。決定事項の通達の場でしかないのだ。大体、いかにエリカが『紅き悪魔(ディアヴォロ・ロッソ)』の称号を受けていたとしても、赤銅黒十字の結社としての行動を左右する権限などないのだから。

 

 「叔父様……」

 

 「あの男に免じて今回は大目に見てやろう。お前がこれ迄通りクソガキに侍るのも自由だし、どうこういうつもりもない。

 だがな、次があると思うな。次、同じことがあれば、俺はイタリアを焦土に変える。赤銅黒十字などその歴史と存在ごと灰にしてくれよう。それを忘れるな!」

 

 徹の昂った激情に反応して、炎が吹き荒れる。それは何も焼くことはなかったが、その威をエリカにまざまざと見せつけた。その威と苛烈な眼光が、王の宣言が嘘でもなんでもないことを何よりも雄弁に語っていた。エリカはミラノが灰燼と帰すのを幻視し、身震いするのであった。

 



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#08.魔王であること

前回は私がひよったせいで、ご迷惑おかけしました。もうこの際、開き直って行くとこまで行くことにします。その結果がこれなわけですが、うちの主人公がどんどんヤバ気になっている気が……。
あれれー、こいつ暴君系じゃね?


【21世紀初頭、二人のカンピオーネ存在が明らかになった日本の時の総理大臣の手記から抜粋】

 

 使用済み核燃料の再処理で出る放射性廃棄物の最終処分にかかる費用は日本円にして優に兆を超える。ならば、それにかかる費用をほほぼゼロにできるとしたら、それはどれだけの利益を生み出すかは言うまでもないだろう。 まあ、そんなことができたら原子力発電所及び核兵器の保有国は放射性廃棄物の処理に悩まされていないだろう。どう考えても、通常ならば不可能である。

 だが、驚くなかれ。この世界にはその不可能を可能にしてしまう理不尽な存在が実在するのだ。なんのことはない。通常の手段で無理ならば、尋常でない手段を用いればよいというわけだ。

 

 私は、最初その報告を一笑にふした。当然だろう、国ですらどうあがいても不可能なことを個人でやってのけたというのだから。だが、報告が進むにつれ、確かな証拠が明示され、私はそれが事実であることを認めざるをえなかった。同時に、私は恐怖した。それは一個人で、都市を滅ぼせるような化け物が確かに実在するということの証左にほかならなかったからだ。しかも、彼らの圧倒的な力の前には、私が頼みとする国家の権威も権力も無意味であり、自衛隊や警察などという国家組織ですら対抗することができないことを嫌でも理解することになったのだから。

 

 その時の私は、まるで異世界にいるかのようであった。私の知る常識は全く通用せず、ありえない現象が幅を利かせ、理解し難い力を操る者達が跳梁跋扈する魑魅魍魎の世界のように感じられた。少なからぬ嫌悪と忌避感を抱いていた権力と金の汚濁に塗れた政治の世界に戻りたいと願ったのは、あの時が初めてだった。それほどまでに、その世界には危険と理不尽が満ち溢れていたのだ。

 願わくば、もう二度とあの世界に足を踏み入れることのなきように……。

 

 

 

 

 映像の中で放射性廃棄物の最終処分場が炎に包まれている。本来、あってはならない光景のはずだった。特に希少な被爆国である日本では核に対する忌避感は強いのだ。それは内閣総辞職どころか、与野党がいれかわりかねないレベルの最悪の不祥事である。

 だというのに、現総理である彼はその映像を落ち着いて見ることができた。なぜなら、それがすでに終わったことであり、一種のデモンストレーションでしかないことを知っていたからだ。本来、莫大な被害をもたらすはずのそれは、逆に利益を与えるというのだから、最早苦笑するしかない。

 

 それを示すかのように映像の中では紅蓮の炎に包まれていたはずの最終処分場には焦げ後一つない。というか、映像内のどこを見ても、何かが焼けたような痕跡はない。まるで夢幻の如く炎は消え去っていた。

 

 「いかがですか、総理?」

 

 繊細かつ中世的な容姿を持った女性が問い掛ける。いや、それは問いかけといよりは確認というべきか。その女性、男装の麗人ともういうべき沙耶宮馨は、その秀麗な美貌に確信めいたものを浮かべていたのだから。

 

 「沙耶宮君、君の話は理解した。この映像がただの一人の男のてによるものなど到底信じ難いが、先の4時間余の謎の停電に浜離宮恩賜庭園や高層ビルの屋上部分と首都高の高架線の消失、私の知る常識では理解できないことがこの世にはあるのだと理解したつもりだ。

 もっとも、どんなことをすれば放射性廃棄物だけを燃やし尽くすなどという真似ができるのか、私には想像もつかないがね」

 

 というか、そも想像したくもないし、それができるような存在を人間とは認めたくないというのが、総理大臣を務める男の偽らざる本音であった。

 

 「それが魔王カンピオーネの力なのです」

 

 「魔王、魔王か。なるほど、相応しい称号だ。それでその魔王様の要求はなんだね?魔王などと呼ばれる存在が、慈善活動するなど信じられないのでね」

 

 「はい、王の要求はただ一つです。浮いた分の予算を先の件の復興予算に充てて欲しいとのことです」

 

 「何?それがかの魔王に何の得があるというのだね?」

 

 「はっ、王の言われるところによりますれば、子供の責任を取るのは大人の仕事であるとのことです」

 

 「そうか……。確か、我が国には魔王様が二人いたのだったね?」

 

 「はい、その通りです。詳細をご希望ですか?」

 

 「いや、結構だ。そちら側のことは、今までどおり君達に任せる。

 なんにせよ、本来30年以上かかる高レベル放射性廃棄物の最終処分をやってもらえるのはありがたい。それも被爆等の周囲の被害の恐れもなく、跡形もなく消すために冷却期間すら必要ないというのだからね。それによって、どれだけの予算が浮くか、概算だけでもちょっとしたものだよ」

 

 「では?」

 

 「要求を呑もう。どの道、あのままにしてはおけなかったのだ。復興の為に特別予算を組むことになっていただろう。それを賄うに充分な額の予算を浮かしてくれたのだ。充分以上に国益に適う。私としても、否はないよ。省庁にも文句は言わせない―――――それで、いいのだろう?」

 

 人件費は削れないが、用地の確保費用や冷却費用等は削減どころか必要なくなるのだ。つまり、兆を超える最終処分費用の過半をなくすのことができるのだから、復興費用の数百億など安いものである。どの道、本来なら補正予算でも組んで別に予算を用立てなければならなかったのだから、断る理由は皆無である。形式上、日本の最高権力者である男は、そう自身を納得させた。

 己が魔王の所業に恐怖を感じて、逃げるどころかそもそも関わりたくないのだということを、認めるわけにはいかないのだから……。

 

 「ありがとうございます、総理。王も喜ばれることでしょう」

 

 慇懃に馨が頭を下げる。総理大臣を前にして、それ以上の存在であるかのように王と呼ぶ。それは絶対的な力の差を示しているようで、あまり気持ちのいいものではなかった。

 

 「年度毎にやってもらえるならば、浮いた予算の半額、いや3分の2は君達に渡そう。その中から、件の魔王にいくらかけようと私は関知しない。好きにやりたまえ。そうそう、今までどおり対応は君達に一任する。国益に反しない限り、報告は事後で構わないし、詳細も必要ない」

 

 それは馨達、正史編纂委員会に都合の良すぎる言葉であった。大抵のことには動じない馨も、この時ばかりは動揺も露わに確認するように問い掛ける。聞きまちがいではないかと。

 

 「……本当によろしいので?」

 

 「ああ、いいとも。但し、一つだけ条件がある」

 

 「条件ですか?それはどのような?」

 

 浮いた予算の過半を財源として与えられ、かつ基本的に口出しされず自分達の裁量で動くことができる。それも報告も最低限でいいと来た。仮にも一国のトップに上り詰めた海千山千の政治家にしては譲歩が過ぎる。馨の胸の内に何か裏があるのではと疑念がよぎったのも無理のないことだろう。

 だからこそ、出される条件には最大限の警戒をしたのだが……。

 

 「私を君達の世界に巻き込まないでくれたまえ。私は私のよく知る世界で生きていたいのだ」

 

 「はいっ?!」

 

 それは馨が予想だにしないものであり、今度こそ本気で馨は困惑した。なにせ、その条件はまるで首相側に利得がないからだ。というか、そんなことは言うまでもない当然のことだ。いかにこの国の行政機関の長にして、最高権力者といえど、首相は呪術を学んだわけでもなく、霊的才能も皆無である。そんな彼をまつろわぬ神や魔術師・呪術師の問題に関わらせること自体、無意味でありナンセンスなのであるから。

 

 「何を驚く?私の要求は当然のものだろう?」

 

 「いえ、それはおっしゃる通りなのですが……」

 

 沙耶宮の跡取りとして幼い頃から呪術に触れ、その世界にどっぷり浸かった馨には首相の気持ちは理解できない。政治的には傑物であっても霊的才能の全くない総理との間には厳然とした感覚の隔たりが存在するからだ。

 磐石とまでは言わないが、それなりに強固だと思っていた自国の平和と安全が、実は一個人の気まぐれで崩れ去ってしまう砂上の楼閣であると知ることの恐怖と驚愕を。しかも、それが今の時代に限っては気まぐれで国を滅ぼせる輩が八人もおり、かつ内二人が自国民で自国在住だというのだから、たまらないだろう。なにせ、国家のコントロ-ル下にない強大な戦力があるということなのだから。

 

 人は理解できないものを恐怖し、なにもできないことに絶望する。理解とは未知の恐怖を払拭しようと既知にしようとする行為であり、行動することは希望を見出し何かを変えようとするものにほかならないのだから

 故に、日本国総理大臣である男が下した判断は、ある意味当然のものだった。

 

 すなわち、理解もできず何もできないのなら遠ざけようということだ。

 それは、神も魔術も無縁な人間とって当然の防衛反応であった。だが、それ故にその恐怖と驚愕をすでに既知としてその世界に実を浸しているいる馨には理解することができない。彼らの意図が噛み合わないのも無理もない話であった。

 

 首相は馨の困惑をなんとなく察した。流石は海千山千の政治家ともいうべきか、それとも彼のほうが長く生きているが故の豊富な人生経験の賜物かもしれない。

 

 「沙耶宮君、君には理解できないかもしれないが、私のような呪術だったか?そういった霊的才能が皆無の人間からすれば、君達の言葉は基本的に荒唐無稽極まりない。だが、私も長く生きてきた。世には常識では説明できないものも多く存在するのだということも理解しているから、君達正史編纂委員会にも少なからぬ予算を割いて、その行動を黙認しているわけだ。ここまではいいかね?」

 

 「はい」

 

 「だがね、君達の世界の出来事が私達の日常に侵食してくることは許容しかねる。私は政治家として、この国の為に命をかける覚悟はある。しかしだ、君達の理解できない事情によって死ぬことはできない。知ったところで、どうせなにもできないならば、知らぬままに死んでおきたいと私は思うのだよ」

 

 「つまり、この過分とも言える譲歩は……」

 

 馨はけして察しの悪い人間ではない。むしろ、敏感な方だ。故に、正確に首相の真意を理解することができた。あえて言葉には出さなかったが、要は手切れ金みたいなものなのだと。

 

 「私は君達に一切関与しない。そのかわり、そちらの世界での出来事はできうる限り君達だけで対処してくれることを望む。無論、国益の為なら避難勧告等の要請には応じよう」

 

 淡々と言葉を発する首相の顔には何の感慨も浮かんでいない。ただ、分かるのは彼が一刻も早くこの話し合いを終わらせようとしている意思だけであった。

 

 「……承知しました。全力を尽くします」

 

 馨はこれ以上話し合いを続けても、何の益もないことを察し、早々に立ち去ることにした。すでに目的は達したのだ。それどころか、望外の結果といっていい。個人的に思うところがないわけではないが、言うだけ無駄だろうと彼女は判断した。

 

 「くれぐれもよろしく頼むよ。報告、ご苦労だった」

 

 さっさと出て行けと言わんばかりに、首相は馨に背を向けた。馨はその背中に一礼して、おとなしく退室した。

 

 「魔王にまつろわぬ神だと?ふざけるな、この世界はゲームではないのだぞ!」

 

 首相官邸に一人の政治家の血を吐くような嘆きが響く。その痛切な響とは裏腹に、それは世界に何の影響も与えることはない。誰にも聞かれることのないままに、一人の男の悲嘆はしばしの間続いたのだった……。

 

 

 

 

【正史編纂委員会・東京分室室長沙耶宮馨、京都にて『王』との謁見を果たす】

 

 「というわけで、要請は全面的に受け入れられましたよ。

 でも、本当によろしいので?御身自らこのようなことをに力を使われずとも、全面的に支援させて頂きますよ」

 

 馨は首相官邸での出来事をかいつまんで説明しながら、改めて確認する。カンピオーネがその力を俗事に使うなど前代未聞である。彼らの義務はまつろわぬ神と戦うことで、それ以外は些事なのだから当然だ。

 

 「ああ、なにもしないで金をもらうというのは、やはり気分がよくないからな。この馬鹿げた力が少しでも故国の為に生かせるなら、構わないさ。恐らく、否が応でも迷惑をかけることになるだろうからね。もっとも、便利使いされる気はないし、私が生きている限りという条件付だがね」

 

 徹はなんでもないことのように答えた。その言葉に嘘はない。全て本音である。まつろわぬ神を封じる結界が壊れ早数年、最早その残滓すらも消え去っていよう。いつ、まつろわぬ神が顕現してもおかしくない。その上、二人の神殺しすら生まれてしまった。最早、徹一人国外にでたところで何の意味もないのだ。

 

 「それは重々承知しています。今回のことで、表の政治家でくちばしを突っ込もうとしている人間は完全に排除できましたし、呪術界においては我々正史編纂委員会が窓口になります。下らぬ些事で御身を煩わせる事はないと約束いたします」

 

 「ああ、是非ともそうしてもらいたいものだな……」

 

 そう言いながら、煩わしげに手元のファイルに目をやる。そこには『清秋院恵那』という少女の情報が写真付で詳述されている。

 

 「その反応、やはり清秋院の申し出は受けられないと?まあ、断れても全然構いませんよ。甘粕さんがいる以上、ぼくとしてはなんの問題もありませんし、委員会としても問題ありませんからね」

 

 事情が事情だけに、馨も冬馬も徹に女を勧めるのは厳禁だということは理解していた。委員会に所属する者達にもその旨は通達済である。が、黙っていなかったのは沙耶宮以外の四家である。すなわち、清秋院・九法塚・連城の三家である。

 現状、ここ百五十年ばかりは政争の勝者は沙耶宮であり、主導権を握っているとはいえ、三家との差がそこまであるわけではない。故に、その言葉は無視できない力を持っているのだ。

 

 始末が悪いのが、相手の言い分にも理があることだ。折角日本初の神殺しが生まれたのだ。これを取り込まぬ手はないというのは良く分かる話である。カンピオーネの能力は遺伝しないが、その血統は呪術界では王族のように扱われるのだから、充分な価値があるのだ。ちなみにこの典型がブランデッリ家だったりする。

 新しく発見された王『草薙護堂』には、すでにエリカ・ブランデッリが愛人として侍っている。これは委員会としての痛恨の極みだが、どうも万里谷祐理の相性が悪くないようで食い込めそうだというので、元一般人であるということも考慮に入れて一応の矛をおさめさせることができた。

 

 だが、六人目の王『神無徹』は事情が色々と異なる。元々、呪術師であったことに加え、その所属は委員会の敵対組織といっても過言ではないところである。亡くなったとはいえ、妻はその急先鋒の神楽家の息女。その上、現在唯一侍っているのが姻戚である義妹であり京の切り札である『秘巫女』となれば、三家やうるさがたのご老人達が黙っていないのはある意味当然なのだ。馨が逆の立場であるならば、同じようにしたであろうから、それについてどうこう言うつもりはない。実際、当の徹自身それを理解していて、王になった後に外部調査員という形で委員会に所属することで、敵対意思がないと身をもって示したくらいなのだから。

 故に三家やご老人方が警戒するのは無理もない。いかに馨や冬馬が根回ししたところで、彼らには神楽家への禍根や遺恨があるのだから。監視役兼側妾として恵那をと提案されたのは自然の流れであった。

 太刀の媛巫女である清秋院恵那は神降ろしというとてつもない切り札を持っている。神刀を授けられている彼女は、神獣程度ならば対抗できる戦力であり、現在の媛巫女最強と言っても過言ではない委員会の切り札の一つだ。

 とはいえ、上には上がいる。まつろわぬ神はもちろん、神殺しの魔王とは比べくもない。それに馨が見た限り、美雪も超一流以上の使い手だ。『秘巫女』であった以上、こちらの知らない手札を隠し持っているだろうし、何よりあの薙刀はヤバイ。恵那の神刀にも劣らない威を持っていたのだから。

 

 (恵那ならば取り込まれないだろうし、十分な武力もあるから対抗できると思ったんだろうけど、少し甘すぎるんじゃないかな?妻帯して子までなした男を、恋愛面では箱入りといっていい恵那が篭絡できるわけないじゃないか。大体、魔王様を舐めすぎでしょう。いかに恵那の神降ろしでも、太刀打ちできるとは到底思えない。下手をすれば、美雪さんの相手すら怪しいんだからね)

 

 冬馬の尽力によって十分な情報を得ている馨は、冷静にそう判断していた。

 

 「すまないな、必要なことだというのはわかるが、私は美雪以外の女性を傍に置くつもりはない。どうしてもというのなら考えなくはないが、そうでないならば遠慮させてもらいたい。私は別に他国の組織に所属するつもりはないし、これからは基本的に国内に留まるつもりだからな」

 

 「分かりました。では、この話はなかったということで。以後、徹さんが言い出さない限り一切この手の話は持ち込みませんし持ち込ませませんので、安心して下さい。これまで通り、窓口は甘粕さんということで」

 

 徹の明確な拒絶に、馨はあっさりと引き下がった。元々、この提案自体が本意でなかっただけに躊躇いはない。むしろ、徹が怒り狂わなかったことに胸をなでおろしていた。この王は道理をある程度弁えてくれる王だと……。

 だが、その認識は次の瞬間、吹き飛ぶことになる。

 

 「ただ、次はない」

 

 「!?」

 

 その声のあまりの冷たさと意味するところに、馨は総毛だった。

 

 「君や冬馬は()の事情を理解してくれているものだと思っていたが、それは()の勘違いだったかな?」

 

 「俺」という一人称が憤怒や激情の時に使われることを馨は聞いている。それを言う徹の表情は能面の如き無表情だったが、それは溢れる憤怒を抑えるためのものにしか見えなかった。

 

 「それは理解しているつもりでしたが……」

 

 まずい、まずいと本能が最大限の警鐘をならすが、馨には最早どうすることもできない。

 

 「なるほど、つもりか……確かにその程度だったようだ。でなければ、人の一番デリケートな部分にくちばしをつっこもうなどと夢にも思うまい」

 

 「……」

 

 馨はそれを全面的に認めるほかなかった。どこかで甘く見ていたのだと。目の前の人物は神をも殺す魔王であるというのにだ。思えば、冬馬にも止められていたのだ。だが、馨は今後の四家の関係を考える上で、無視することはできないと判断したのだ。なまじ、徹がこれまで馨と委員会の要請を現実に即してほぼ丸呑みしてきただけに思ってしまったのだ。徹ならば、道理を弁えて抑えてくれると。

 確かに、徹はこちらの期待に応えてくれた。

 しかし、それは怒りを抑えただけで、それがなくなるわけではないのだ。馨は徹を見誤っていた。そもそも、組織の統制に利用しようなどと考えるべきではなかったのだ。

 

 「申し訳ありません!どうやら、知らず知らずの内に甘えていたようです」

 

 常の優雅さや飄々とした態度を捨て去って、馨は畳に頭を押し付けるように土下座した。いや、それしかできなかったと言っていい。この場で下手な言い訳は無用。状況を悪くするだけだし、逃げるなど論外。彼女には非を認め誠意を持って謝る事以外の道を見出すことはできなかった。

 

 「やれやれ……。年下の女性を土下座させるというのはあまり気分のいいものではないな。結構、貴女の誠意は伝わった。頭を上げてくれ」

 

 「……」

 

 馨は僅かに顔を上げると、苦虫を噛み潰したかのような徹の表情が見える。

 

 「すまない、少し感情的になった。本当はわかってはいるのだ。四家と組織の統制を考えれば、こちらが受け入れるかどうかではなく、形式的にでもその話をしたという事実が必要なことは……。

 感情を抑えきれず思わず脅すようなことを言ってしまったが、それだけ女性関係が俺にとってデリケートな問題であることを理解して欲しい」

 

 どうやら、徹の表情は感情を抑え切れなかった自身に対するものであったらしい。言葉の節々に悔いが感じられる。

 

 「いえ、御身が謝られる事はございません。全ては私の不明のいたすところにございます。あさはかにも王の慈悲に縋ろうとした我が身を恥じるばかりでございます」

 

 馨は言葉遣いを正し、今一度深々と頭を下げる。そして、胸に刻む。目の前の人物が紛う事なき魔王であることを。どんなに道理を弁えようと、話が通じると思ったとしても、油断してはならないし甘えてはならない。この王の本質は、烈火の如き激情だ。ただ、表面に出さないというだけで、その実、いつ噴火するかも分からない身内に激情というマグマを滾らせた火山なのだと。

 

 「そうかい?まあ、私としては分かってもらえればいい。とにかく、こと女性関係については一切口を出さないで欲しい。私は、この問題になると感情を抑えられないようなのでな」

 

 「しかと承知致しました。委員会はもちろん、我が沙耶宮をはじめとした四家にも、今後一切口出しさせません。我が身命をかけて誓約致します」

 

 些か以上に大げさな口上だったが、馨は本気である。少なくとも、その言葉を嘘にするつもりは毛頭なかった。

 

 「うん、そうしてもらえるとありがたい。これから色々迷惑かけるだろうが、よろしく頼むよ」

 

 「……」

 

 そう言って笑顔すら見せる徹だったが、馨は欠片の安心もできず、ただ黙って平伏することしかできなかったのだった。

 

 結果的に、この謁見の際のやり取りが、馨に草薙護堂との関係修復を決意させることになるのだった。時は流れ現実は変化していく。濁流の如く、様々な人々の意志を呑み込んで……。




霊的才能皆無の一般人の神殺しの魔王に対する反応及び対処の話。そして、カンピオーネとしては割合話が通じるほうだけど、調子にのるとあっさり殺されるよというお話でした。
ご意見、ご感想、ご批判、遠慮なくお願いします。


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#09.苦悩する魔王

長らく書いていなかったのもあり、正直非常に難産でした。
というか、この回を入れるべきか非常に悩みました。
SEKKYOUにならないように、なるべく一般人であった護堂をフォローするようにしたつもりですが、どこかおかしいところがあれば、容赦なくご指摘ください。
次話はようやくヴォバン侯爵の襲来です。


 六人目のカンピオーネ神無徹と会って以来、八人目のカンピオーネ草薙護堂は悩める日々を送っていた。人間性の根本が動物的で大雑把なせいで、ナーバスな精神状態が続かない護堂だが、流石に今回の件は堪えていた。

 

 「俺の……俺のせいなんだよな」

 

 学校からの帰宅路でふと目に入った新聞記事の一面を思い出し、護堂は一人呟いた。

 未だ一部の報道機関では、先の謎の停電や庭園の惨状などが報じられている。冬馬達、正史編纂委員会の面々が寝食も忘れて尽力しているので、だんだん下火にはなっているが、護堂に自身のしでかしたことの大きさを理解させるには充分であった。

 

 「被害総額は数百億円だっけか。俺にもエリカにも払えるはずがない。そりゃガキ扱いされても仕方ないよな」

 

 あんな事件をしでかしたというのに、未だに親身になてくれる媛巫女万里谷祐理が教えてくれたことだった。聞かないほうがいいと思いますと止めてくれたのだが、それでも知らなければならないと護堂は思ったので半ば強引に聞き出して、その途方もない金額に圧倒され蒼褪めた。

 

 あの六人目の言うとおりだったのだ。自分は何も理解していなかったのだということを護堂は認めざるをえなかった。死者こそ出ていないが、日本がアテナによって日本が受けた傷痕はけして浅くない。経済的損失は莫大だし、一部首都機能が麻痺してしまったところもある。首都高や病院などでは、事故もあっただろうし病状を悪化させた者もいたに違いない。むしろ、死者が出なかったことがおかしいくらいである。

 

 「その全部がアテナをこの国に連れて来た俺とエリカのせいか……。クソ!俺がまつろわぬ神を甘く見ていたせいで!いや、違う!連中には常識なんて通用しないなんてことは、とうに知っていたのに」

 

 悔やんでも悔やみきれない。それに悔やんだところで、時間は戻らない。あの被害はなかったことになどできないし、自分がアテナをこの国に呼びこんだ事実は消えないのだ。エリカに薙刀を突きつけた巫女姿の女性の視線を思い出すと、今でも身震いがする。あれは明らかな軽蔑だった。あんな風に見られるようなことを自分はしたのだと思うと、背筋が凍る。

 

 「そりゃそうだよな。他人から見れば、俺はエリカの色香に負けてこの国にアテナを呼び込んだようにしか見えないよな。いや、エリカは愛人ってことになってるから、愛人のおねだりを聞いて、祖国を危険に曝した愚かな男ってところかな」

 

 護堂自身、ゴルゴネイオンを持ち込む危険を認識していなかったわけではない。ただ、その程度が恐ろしく甘いもので、エリカの茶番劇によって覆されるようなものでしかなかったわけだが。すでにアテナとは会っていたというのに、なんという愚かしさだろうか。

 客観的に見れば、護堂はエリカ達と日本を天秤にかけて、エリカ達をとったようなものなのだ。日本に住まう人間からすれば、噴飯ものだろう。あの軽蔑の眼差しは当然のものなのだ。

 

 「だからって殺せって、ただの喧嘩で……」

 

 いや、そう思っているのは自分だけなのだろう、そう思い直して言葉を切る。それくらいは護堂にも、流石に理解できていた。

 あの時、日本人である祐理はもちろん、エリカでさえも、理由は違えど殺すように言ってきたのだから。それを護堂は自身の意思を優先して退けた。これ以上、変な過剰な力はいらなかったし、喧嘩で殺すのはやりすぎだと思ったからだが、それは一人よがりのものでしかなかったのを認めざるをえなかった。

 客観的に見れば、あの時の護堂はれっきとした加害者であり、選択する権利などもとよりなかったのだから。何より酷いのは、被害者の感情などはなから眼中になかったことだ。眼中にないというか、言われるまで考えたことすらなかったのだ。

 

 「これまではそれでも良かったのかもしれないけど、今回は……」

 

 これまではまつろわぬ神やドニやエリカが勝手に騒動に巻き込んできたのであり、少なくとも護堂自身は被害者であるつもりだった。故にそのことで出た被害にやらかしたと後悔はしても。それ以上の感情を抱くことはなかったし、知ろうとも思わなかった。それで問題がなかった。

 だが、今回のことは違う。自分の方が明らかな加害者であり、日本は本来被害を受けなかったはずなのに、護堂によって巻き込まれた被害者なのだ。たとえ、そこにエリカの企みがあったとしても、護堂はエリカの頼みを自分の意思できくことに決めたのは、何の変わりもないのだから。

 

 「結局、俺もドニの奴と何も変わらないってことなのかよ……」

 

 護堂の独白に応える声はない。相棒であるエリカは叔父であるパオロに命じられて、謹慎中であるからだ。今回の件の罰として、しばらくの間の帰国禁止とあらゆる特権の剥奪を厳命されたらしい。世話係であるメイドのアリアンナすら取り上げられたらしい。他者に傅かれ、世話されるのに慣れきったエリカには重い罰であることは言うまでもない。それも正史編纂委員会の厳重な監視つきで、文句をつけること許されない状態である。今の彼女は籠の鳥同然だった。

 ちなみに護堂との接触も今は禁止されているらしく、電話で話すくらいしかできない。

 

 「ガキ、ガキか。ああ、反論できないよな。自分のしでかしたことの責任もとれないまま、他人にけつをふいてもらうんだからっ!」

 

 護堂はどん底の気分だった。情けなさと悔しさでいっぱいだった。言われた当初はなにくそと反発心が生まれたものだが、思い返してみればどれも正論で反論の余地もないものであることを護堂は認めざるをえなかった。その上、六人目のカンピオーネ神無徹が権能を用いることで、復興費用を工面したことを聞かされたのだから、最早ぐうの音も出ない。これ以上ない子ども扱いだ。大人の貫禄を見せつけられたようで、言葉もない。護堂の完敗であった。

 

 祖父に似ていることや、草薙の家系の特殊性から大人に混じって、あるいは大人扱いされることには慣れていた護堂だったが、あそこまで正面から子供扱いされたのは初めての経験であった。あくまで大人扱いであって、自分はまだ子供であることを護堂は嫌というほど自覚させられた。

 

 「くそっ!」

 

 護堂はやるせなさを吐き出すように悪態をつくが、なにも変わりはしない。非情で無慈悲な現実という名の刃は、これでもかというほどに護堂を抉り苛む。

 

 (寄り道して正解だった。これ以上、静花やじいちゃんに心配かけられないからな。きっと今の俺はとんでもなく情けない顔をしているだろうからな。)

 

 今の自分の情けなさに歯噛みしながら、その姿を身内に見られなくてよかったとも思う。

 しかし、次の瞬間叔父分が妹や祖父までも危険に曝したことに気づき、愕然とする。自分はどこまでも愚かしいのだろうかと。

 

 「俺はいったいどうすればいいんだ……!」

 

 どう償えばいいのか、いや、そもそも償えることなのかさえも、答はでない。

 護堂の思考の負の連鎖は止まりそうになかった。もし、ここで思わぬ乱入者が来なかったら、日が暮れるまでやっていてもおかしくなかっただろう。

 

 「ここにいたか。捜したよ草薙君」

 

 「!?」

 

 護堂は突如響いたその声に、瞬時に現実に引き戻された。その声はあまりにも印象に強く残り、記憶に刻まれたものであったからだ。

 

 「やあ、後輩。一緒にお茶でもどうだい?」

 

 六人目のカンピオーネ神無徹は、驚愕で呆然とする護堂をそんな風に軽い調子で誘ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 「なんであん――――あなたがここいるんですか?」

 

 喫茶店に連れて来られ、徹が勝手に注文したものが来て店員が離れるなり、護堂は口を開いた。護堂が祐理より聞くところによれば、六人目神無徹の住む場所は京都であるはずだからだ。

 

 「うん?それがそんなに疑問かな?私や君みたいなのを単独で放置しておくよりは、まとめて一所に集めておいたほうがいいとは思わないか?そんなわけで、わざわざ委員会がこっちに屋敷を用意してくれてね。まあ、リスクを考えれば当然だと思ったから、今はこっちに住んでいる。

 それにしても、今回は敬語を使うんだな」

 

 コーヒーを一口飲んでソーサーに戻すと、徹はそんなことを言った。どういう風の吹き回しだいと言わんばかりの表情であった。

 

 「あの時は頭に血が上ってましたし、俺やエリカの方に非があるのは確かですから。それに俺の不始末を処理してくれたんですよね?そんな目上の相手にタメ口なんて失礼なことはできませんよ」

 

 護堂は人知れず拳を握る。それは事実上の敗北宣言だったからだ。悔しいし情けないが、徹を尊敬すべき大人として認めざるをえない。それ故の敬語である。

 

 「うん?―――――まさか、私が何をしたのか知っているのか!?」

 

 徹は護堂の言葉に驚き、目を見開いた。

 

 「はい、万里谷から聞きました」

 

 「ああ、なるほど。あの時の媛巫女か。確かに君とは相性が良さそうだったものな。別に口止めしたわけでもなし、君の耳に入ってもおかしくないか……。参ったな」

 

 失敗したと頭を掻く徹。それが本来伝えるはずでなかったのだろうことを護堂に理解させた。実際、被害額の話を強引に聞きだした時に、心配は要らないと言われて不審に思い、追求してやっと聞き出せた情報だったのだから無理もないだろう。

 

 「どうして、そこまでしてくれたんですか?俺がやったことで、あなたには関係のないことでしょう?」

 

 「あの時、言ったろう?君は子供だと」

 

 「ええ、ですけどそれが何か?」

 

 「君は子供だ。だから、責任が取れない。ならば、先達であり年長者である大人の私ががかわりに責任をとってやるべきだろう?それだけの話だ」

 

 「……」

 

 護堂は徹の答に愕然とした。言うなれば徹は、自身の言ったことの筋を通したに過ぎないのだと。平和主義を謳いながら、平然と破壊行為を繰り返す自分との差に護堂はこれでもかと打ちのめされる。ああ、なんと自分の言葉はうすっぺらいのだろうかと。

 

 「知ってしまった以上、気にするなとは言わない。むしろ、大いに気にしろ。そして、自分がやったことの意味を噛み締めるといい」

 

 徹は下手な慰めは言わなかった。淡々と事実を突きつけ、護堂に自覚を求めてくる。そこに躊躇いも容赦もない。

 

 「はい」

 

 護堂は力なく頷くことしかできなかった。自分自身の罪を今の彼は、はっきりと自覚していたのだ。

 

 「だがね、いつまでも引きずるな」

 

 「えっ?!」

 

 思いがけない徹の言葉に、護堂は目を瞬かせた。

 

 「反省するのは結構なことだ。特に今回の責は間違いなく君とエリカ嬢にある。それは不動の事実だ。

 だが、一方で私にも全くの責がないとはいえないし、仕方のない面があるのも事実だ」

 

 

 「どういうことですか?」

 

 「エリカ嬢から聞いているかもしれないが、私は君と異なり正体を今まで隠してきた。つまり、この日本にカンピオーネはいないという誤解を作り出したのは、他ならぬ私自身だ。そういう意味では私にも責はある。

 もし、エリカ嬢が私の存在を知っていたら、こんなことは仕出かさなかっただろうからね」

 

 「それはそうでしょうけど……」

 

 護堂はエリカの焦り様を思い出す。

 徹の言は正しい。そもそも今回のエリカの目論見は護堂に新しい権能を獲得させると共に、日本での護堂の権威を確立させることにあった。この本来一石二鳥であったはずの方策が失敗したのは、偏に前提条件である護堂が日本唯一のカンピオーネであるという事実が間違っていたが故だ。つまるところ、もう一人のカンピオーネである徹の存在が全てを覆してしまったのである。

 確かにそういう意味では、カンピオーネであることを隠し正体を秘してきた徹にも、責任がないわけではない。徹の存在を知っていれば、エリカはアテナを護堂に倒させること自体はしたかもしれないが、少なくとも日本にアテナを誘き出すことなど絶対にしなかっただろうことは護堂にも確信できたからだ。

 

 「私という存在がいなければ、エリカ嬢の目論見は十中八九うまくいっただろう。日本唯一のカンピオーネといいう権威には、どうあっても抗えるものではないからな」

 

 徹さえいなければ、護堂はアテナを故国へ招き入れたことを咎まれもせず、己とアテナによって生み出された被害の大きさで責められる事も、ここまで心情的に苛まれる事もなかったのではないか……そこまで考えたところで、護堂は己の考えにぞっとした。

 

 「……!」

 

 そんな風に徹に責任を押し付けるように少しでも考えてしまった自分自身の愚かしさにもだが、それ以上に徹がいなければ、自分は自身がしでかしたことの大きさを罪を欠片も理解せず、変わらない日々を過ごしていた可能性に思い至ったからだ。今の護堂には、それがたまらなく恐ろしいことだと感じられたのだ。

 

 (俺はこの人がいなかったら、どうしていただろう。自分のやらかしたこともその咎にも何にも気づかず、のうのうと日々を過ごしていたんじゃないか?じいちゃんや静花まで危険にさらしておきながら、それに気づくこともなく……。そうして、俺は自覚のないまま、同じ事を繰り返すんじゃないのか?)

 

 それはあまりにも恐ろしい想像だった。何よりも恐ろしいのは、その想像が大いにありえたであろうことを、護堂自身が否定できないことであった。

 

 「大丈夫か、草薙君?顔が真っ青だぞ」

 

 黙り込み、見る見るうちに青褪めていく護堂を徹が心配して、声をかける。

 だが、今の護堂にその心配を素直に受け入れるだけの余裕はなかった。いや、そもそも心配される資格などないとすら護堂は考えていた。 

 

 「す、すいませんでした!俺、俺……!」

 

 気づけば護堂は震える声で頭を下げていた。謝るべき相手は徹ではないというのに、それでもそうせざるにはいられなかったのだ。

 徹はそれを呆気にとられたかのように見つめた後、黙って頷くと外に出るよう護堂を促したのだった。

 

 

 

 

 

 喫茶店から出た後、徹に連れられて来たのは護堂が一人苦悩していた公園だった。わざわざ戻ってきたことに訝しげな視線を向ける護堂に少し待てと言う様に手振りで静止する。

 

 「―――――禁!」

 

 何事か呟くと同時に護符が中空に舞う。それらは、あっという間に四方に散り、それは特殊な領域を形成する。魔術・呪術をある程度齧ったものなら、それが護符を使用した結界術であることを看破すると同時に最大限の警戒をしたであろうが、魔術も呪術もド素人である護堂にはそれが結界といわれるものであることは理解できても、それが意味するところまでは理解できない。相手の術中にいるというのにあまりにも無防備であった。

 

 「これは結界ってやつですか?」

 

 「まああ、簡易的なものだが遮音と人払いの効果をもたせたものだ。まあ、聞かれて困るものでもなし、私や君を害せる存在が早々いるわけないとは思うが、念の為というやつさ。

 しかし、君のその反応……。君は本当に元一般人のド素人なんだな」

 

 どこか呆れた様に言う徹に、ムッとなる護堂。なんとなく馬鹿にされているようで面白くなかったからだ。

 

 「一般人のド素人じゃいけませんか?」

 

 「いや、そんなことは言わない。むしろ逆。それが今回の仕方のない部分だ」

 

 「どういうことですか?」

 

 「君はまつろわぬ神どころか、魔術や呪術とは全く縁のないド素人だった。そんな君がどういう経緯で神を殺したかは知らないが、この業界の事情や常識について疎いのは仕方のないことだろう?

 だから、私も冬馬達正史編纂委員会も君がエリカ嬢を侍らせていることや、赤銅黒十字をはじめとしたイタリアの魔術結社の要請をこちらに相談なく受け入れたことについては責めなかったのさ。

 なにせ、知らぬものに相談などできないだろうし、配慮しろというのは無理な話だろうからな」

 

 「それは……」

 

 護堂のアテナの件での対応は、日本の呪術関係者からすれば最悪の極みである。まつろわぬ神という災厄を相談はおろか事前通告すらなく勝手な判断で招き寄せ、多大な被害をもたらしたからだ。しかも、それでいて日本側には何の利益もないというのだから、目も当てられない。

 もし、カンピオーネである護堂が共犯者でなければ、護堂の愛人という立場がなければ、エリカは日本呪術界から殺されはしないでも、袋叩きにあってもなんらおかしくないレベルである。

 

 そして、それは護堂も同じことなのだ。

 

 そんな最悪の対応をしておいて、未だエリカが針の筵ですんでいるのは、偏に護堂のカンピオーネとしての雷名とアテナ撃退の実績。当の護堂が日本呪術界について無知であるという前提があり、そして、何よりも取り返しのつかない損失(人命が失われること)がなかったればこそなのだ。

 

 「まあ、個人的にはもっと想像力を働かしてくれとか、エリカ嬢から正史編纂委員会のことぐらいは聞いていなかったのかと言いたいところだ。が、本来無関係の一般人であった君に前者は難しいだろうし、エリカ嬢からすれば独占したいという思惑から教えていなくても無理はないからな」

 

 「……」

 

 徹にそう付け加えるように言われて、護堂は今更ながらに自身の怠慢に気づかされた。

 確かにエリカ達の存在を知ったのだから、日本にも同様の組織があってもおかしくないというのは想像に難くないし、大体護堂はエリカから正史編纂委員会の存在と名前を聞かされていたのだから。それにも関わらず、積極的に関わろうとも知ろうともしなかったのは、紛れもく護堂の怠慢だった。

 無論、護堂がそうしたのには理由がある。これ以上、神をはじめとした非常識な世界とは積極的に関わりたくないと思っていたからだし、自分から接触する方法も知らなかったというのもあるが、何より彼は日常から外れることを恐れたが故だ。

 護堂はエリカに端を発する魔術・神関係の事柄を殊更に嫌っているわけではない。むしろ、エリカ個人で言えば好意をもっているくらいである。だが、それでも彼は今までの日常を愛していたし、今は同性の友人達と馬鹿をやっていたかったのだ。

 

 ―――――その怠慢が、結果的にアテナの件をひき起こすことなど考えもせず。

 

 「自分が普通の人間から外れることがそんなに嫌か?」

 

 「当たり前だろ!俺はこん訳の分からない力欲しくなかった!」

 

 まるで内心を読んだような徹の問に、護堂は叫ぶように返した。

 そも、護堂がカンピオーネになったのだって本意ではなかったのである。彼はエリカを助け、一時とはいえ友人であった神に借を返そうとした結果なのだから。護堂がアテナを殺さず見逃したのだって、これ以上『権能』などという人の身には過ぎた力が欲しくなかったからなのが、大きな理由である程だ。

 それは間違いなく護堂の本心であった。

 

 だが、徹はそれに何の価値も見出すことはなかった。

 

 「ならば、何故なった?なぜ、人の身でまつろわぬ神を殺めた?魔術師ですらないただの一般人であったはずの君が……」

 

 「俺はただ……あいつに借りを返そうと」

 

 「ふむ、その借りの相手がまつろわぬ神であったのか、エリカ嬢だったのか……まあ、それはどちらでも構うまい。だが、どちらにせよ君自身の意思で神を殺めたことは相違ないだろう?あれらは強制されて殺せるようなものではなからな」

 

 「それはそうだけど……俺はこんな風になるなんて「知ろうが知るまいが関係ない」……えっ?」

 

 確かにウルスラグナを殺めたのは護堂自身の意思である。だが、まさか魔王様になるなんて知らなかったのだと反論しようとして、徹に遮られた。

 

 「まつろわぬ神を殺した結果、自身がどうなるかを知ろうが知るまいが関係ない。重要なのは、君が自身の意思でそれをなしたということだけだ」

 

 護堂の言い分など一顧だにしない断固たる口調であった。

 

 「えっ、なっ」

 

 少しくらいは分かってもらえると思っていただけに、護堂は動揺してうまく言葉を紡げない。

 

 「何を驚くことがある?君がカンピオーネとなったのは、君自身の行動の結果だ。ならば、その責任をとるのは当然のことだろう?」

 

 「……」

 

 なんでもないことのないように言う徹に、護堂はぐうの音もでもない。そう言われてしまえば、護堂には反論のしようがないからだ。エリカの助けに、ウルスラグナに借りを返す、いずれにせよ、『プロメテウス秘笈』を用いて相討ち、結果的にとはいえまつろわぬウルスラグナを殺したのは、強制されたわけでもなんでもない護堂自身の意思で行動した結果だ。特に『プロメテウス秘笈』に溜め込んだ神の力を使えば死ぬと、事前にルクレチアとほかならぬウルスラグナから忠告されていたにもかかわらずだ。

 故に、さしもの護堂もこれについては全く反論できない。

 

 「まあ、自分の行動に自分で責任がとれないから子供なわけだが……」

 

 「―――ッ!」

 

 徹の容赦のない痛烈な追い打ちに、あまりの悔しさと情けなさに我知らず唇を噛む護堂。

 だが、何も言い返すことができない。護堂は自身が魔王であることから目を背け、手に入れた力を忌避してきたのだから。そして、アテナの件で出した被害の責任は何も取れていない。それどころか、徹に尻拭いされてしまった現状において、何を言えようか。

 

 「反省も後悔もあるか―――――。

 ここで激昂するような男なら、後腐れなく殺すつもりだったけど、そうでなくて良かった」

 

 「なっ!?」

 

 その言葉に護堂は自身が試されていたのと気づき、同時に徹の掌中にいつの間にか生じていた紅蓮の光球を見て愕然とする。

 

 「気づけなくて驚いたか?まあ、伊達に君より長く魔王をやっているわけじゃない」

 

 悪戯っぽくそう言って、徹はあっさりとそれを消し去った。

 

 「あんた――――、最初から俺を?」

 

 「殺すつもりだったかって?まあ、半分くらいはそうだ。前のめりに倒れる考えなしの愚か者がカンピオーネの特徴だけど、だからといって道理を弁えず自身の非も認められないような奴はいらない。そんな輩が埒外の力を持ってたら、生きているだけで害悪だろう?―――――それに、これは私なりの情けでもある」

 

 「殺すことが情けだって!?」

 

 「そうだ。君があくまでも一般人としての日常に拘り、今のようにカンピオーネであることを受け容れられないというのなら、いっそこの場で死んだ方がましというものだろう?君が生きている限り、世界は君を単なる日本人高校生などとは見てくれない。人の形をした災厄、神殺しの魔王として扱われることになるのだから」

 

 徹の口調は穏やかそのもので、声音にもまるで変化がない。つい一瞬前まで護堂を殺そうとしていたとは、到底思えない程である。それでいて語る内容は物騒極まりないことに、護堂は背筋が薄ら寒くなった。

 

 「私はね、妻子をまつろわぬ神に奪われている。それは心無い人間の悪意の結果でもあるが、それでも私は奴らを許せない。妻を殺し、娘の人としての生を奪ったのは紛れもなくまつろわぬ神なのだから」

 

 「!!」

 

 それは誰かに聞かせるようなものではない独白のようなものだったが、護堂を心胆寒からしめるものであった。

 

 「故に、俺はまつろわぬ神を神などとは認めない。神々は神話と自然の中にあればいい。俺にとって連中は神を名乗る紛い物だ。俺は生きている限り連中を殺す」

 

 それは絶対零度の宣言であった。いかなる言葉も通用しない不動の意志が篭っていた。 

 

 「―――――だから、俺にもそうしろと?」

 

 その圧倒的な意志の奔流に押されながら、護堂も譲れぬ一線を主張する。徹の理由は重いが、それでもそれを自分まで強制されるのは御免であったからだ。

 

 「いや、これは私の話であって、君に強制するわけではない。――――ただ、一つだけ忘れないで欲しい」

 

 有無を言わせぬ圧力が来るかと思いきや、徹の答は護堂が拍子抜けするほど一転して緩いものであった。内心で胸をなでおろす護堂に、徹は釘をさすように言葉を付け加えた。

 

 「私は故国であるこの国を愛しているし、それを護りたいという意思もあるということさ。君だって、生まれ故郷に何の思い入れもないとは言うまい?」

 

 「それは、俺だって……」

 

 続けられた徹の言葉に、答えようとして護堂は口を濁した。アテナの件で盛大にやらかしている以上、そこから先を口に出す資格がないのではないかと思ってしまったからだ。護堂とて、故郷を思う気持ちはあるし、危険に曝すのを躊躇わなかったわけではないのだ。祖父と妹をはじめとした家族の住まう土地だし、ゴルゴネイオンを持ち込んだのだって、けして本意ではなかったのだから。

 まあそれでも、まつろわぬ神という脅威を些か以上に甘く見積もっていったことは否めないが。 

 

 「うん、分かってもらえて何よりだ。だから、覚えておいて欲しい―――――次は無い」

 

 「!?」

 

 今度こそ、護堂は後方へと飛び退った。言葉の内容やその圧力に押されたのではない。徹から実際に放たれている底知れぬ殺意を感じ取ったからだ。

 

 「次は、子供だからなどと見逃すことはない。今回のことで、君もエリカ嬢も痛い目を見て、嫌と言うほど理解したはずだからね。それでも尚、同じ間違いを犯すというなら、それは最早確信犯だろう?その時は容赦しない。言い訳は聞かないし、警告もしない。物理的、社会的に抹殺する。

 ああ、心配は要らない。勿論、その時はあの小賢しい娘諸共だ。骨身残さず、存在そのものを消し去ることを約束する」

 

 確実に己を殺すというその苛烈な言葉と絶対零度の視線を真正面からぶつけられ、護堂は言葉を失った。なまじ自身に非があるのを理解しているだけに、それは痛切に語堂の芯に響いたからだ。    

 

 「……」

 

 目を合わせたまま、護堂へと一歩一歩ゆっくりと徹が近づいてくる。それは死を告げる死神の歩みのように、護堂には思えた。逃げなければ死ぬ、逃げろと本能が全力で叫ぶ。

 だというのに、護堂の体は凍りついたように動かない。まつろわぬ神やドニから受けた闘争心が湧き上がるような殺意とは全く質が異なるそれは、人間の激情が込められた感情剥き出しの殺意であった。狂気すら感じさせるそれは、ただの一般人でしかなかった護堂の精神を縛り、肉体の動作を封じたのだった。

 

 「!!」

 

 護堂は内心で声ならぬ悲鳴をあげるが、必死に力を込めるが心が奮い立たずどうすることもできない。こうなれば権能をと思ったところで、徹が目の前にいた。最早、護堂にできることは、やけっぱちで睨み返すことだけであった。

 

 それをどう見たのか、結局徹は何もしないまま護堂の横を通り過ぎた。

 

 「自覚しろ、お前がいかに逃げようとも認めずとも、お前は神殺しの魔王カンピオーネだということを。お前の一触一挙動が世界に多大な影響をもたらすことを。次、お前がカンピオーネとして動いた時、お前は王としての義務と責任を負うことになる―――――けして忘れるな」

 

 すれ違い様、凍るような声音でそんな言葉を護堂の耳に残して、徹は去っていった。

 完全に気圧された護堂は、その去っていく背中を見つめることしかできないのであった。

 

 

 

 

 「義兄さん、よかったの?」

 

 公園を出るなり、突如背後からかかった清冽さを感じさせる声に徹は足を止めて振り向いた。目に入ったのは、ポニーテールにした美しい黒髪をたなびかせた巫女姿の美女だ。声の主は思ったとおり、自身の義妹である美雪であった。

 もっとも、徹があらかじめ潜んでいるように命じていたのだから、当然といえば当然だが。

 

 「ああ、あれくらいでいいのさ。少し脅しすぎたとも思うが、あの年代の少年というのは無鉄砲だからな。些か過剰なくらいでちょうどいいだろう」

 

 「そうじゃなくて、どうして殺さなかったの?あの王のしたことを考えれば、そうされても文句は言えなかったと思うのだけど」

 

 「おいおい、ちょっとこちら側の思考に毒され過ぎだろう。流石についこの間まで呪術のじゅの字も知らなかったような元一般人を問答無用で殺したりはしないさ。それに聞いていたなら分かるだろう?彼は歳相応に背伸びこそしているが、まだまだ子供なんだ」

 

 徹は美雪の過激な考えを戒めるように言いながら、内心で溜息をついた。いつからこんな過激な考え方をするようになってしまったのだろうかと。

 やはり、自分との旅が原因だろうか?今生きているのが不思議なくらい命の危険が付き纏っていたから、そのせいで殺伐とした思考になってしまったのだろうか?

 

 「それはそうかもしれないけど、いくら歳若い自覚なき王であっても、女の色香に迷って他国の魔術師のおねだりに従て自国にまつろわぬ神を招き寄せるようなのは、正直故国にいて欲しいと思わないわ」

 

 なるほど、美雪は美雪なりに故国を危機に陥れたことを怒っていたらしい。まあ、客観的に見れば護堂のやらかしたことは美雪の言うとおりなので、弁護の余地はないように思える。

 

 「色香に迷ったというのは違うな。草薙君は確かに女癖は悪そうだが、今は同性の友人と馬鹿やっているのが楽しいタイプだ。まあ、エリカ嬢との関係はそれなりに深いのだろうが、愛人というの誇張だろうな。彼女が傍に侍る為の名目であり、同時にその力を利用する為の立場だろうな。虎の威を借る狐ならぬ、カンピオーネの威を借る女狐というわけだ」

 

 思春期真っ只中の少年が誰もが色恋に熱を上げているわけではない。むしろ、草薙護堂のような女に不自由しないタイプは同性との付き合いを好む傾向があることを徹は長い人生で理解していた。

 

 「それなら排除すべきはエリカ・ブランデッリということ?」

 

 「だから、その即排除という思考はやめろというに。あれもまだまだ小賢しいだけの小娘だ。女狐というには些か悪辣さが足りないし、詰めが甘い。それに今回の件でも居直れずにいる辺り、罪悪感もあるのだろうが相応に分別もあるのだろう。早急に排除する必要性を感じないしな。

 それに今回の件はすでに正史編纂委員会と赤銅黒十字との間で手打ちが決まっている。まあ、私が強行しても誰も文句は言えないだろうが、確実に恨みは買うしいらぬ軋轢を起こすことになるだろうからな」

 

 「でも……」

 

 徹の言葉には相応に納得もできるのだろうが、それでもまだ不満が残るらしく美雪はさらに言い募ろうとしてくる。

 

 「もうよせ。お前の言わんとすることは分かるし、今回の処分が甘いのも事実だろう。だがな、まつろわぬ神との戦いで被害が出るのは当然だし、死者が出なかった時点で許容範囲とも言える。確かにそれを招いた責は負うべきだろうが、其は撃退したことで果たしたとも言えるのだからな。

 それに周囲への被害という意味では、私も人のことを言えた義理ではないしな」

 

 「そんなことない!義兄さんは、日本には被害なんて与えてないじゃない」

 

 普段は冷静沈着でどこか怜悧な印象を抱かせる娘だが、その実内面に激情を秘めている。普段はそれを表に出すことがないというだけなのだ。悪いことではないのだが、とりわけ徹のことになると彼女の箍は外れ易く、物事を公正に見れなくなるきらいがあるのが玉に瑕であった。

 

 「確かに日本にはな。だが、それ以外の国は別だ。草薙君以上に被害を与えた国がなかったわけじゃない。むしろ、他国の人間から見えれば私の方が余程極悪人の魔王に見えるのかもしれないぞ」

 

 「そ、それは……」

 

 徹が護堂の弁護をするのは、実のところあまり人のことを言えた義理ではないからだ。実際、カンピオーネになってからの戦歴を考えれば、その被害総額は護堂を軽く超えるだろうことは間違いない。護堂との唯一の相違点は、故国である日本に被害を与えたか否かだけだ。

 

 「それに八人目がこの国の人間である以上、私がこれからもそうであるという保証はないわけだしな。それに何より、いきなり魔王になってしまった元一般人の少年にあまり求め過ぎるのは酷だろう。

 元々こちら側の人間であった私以上に、魔王であることを我がこととして受け容れるハードルは高いだろうからな。ある程度、仕方のない部分もある」

 

 元々呪術師で、幼い頃からどっぷりこちら側に浸かってきた徹でさえ、神殺しの魔王であることを受け容れるのは相応に年月が必要だったのだ。呪術どころか、武の心得すらないただの一般人であった護堂にすぐさま自覚を求めるのは無理があるというものだ。徹は前世において護堂と同じ一般人であったからこそ、その心理は容易に予想できた。

 

 「でも、それは自業自得でしょう?カンピオーネになった経緯は聞いたし、その後の顛末もある程度は聞いたけど、メルカルトとの対決はともかく、サルバトーレ卿との決闘については完全に自業自得じゃない」

 

 「ああ、カンピオーネであることを隠蔽できなくしたのも、一般人としての日常を捨て去る羽目になったのも完全な自業自得だ。それに弁解の余地はない。間違いなく彼自身の責だ。

 だが、それでも何の覚悟も心得もない一般人であった少年には、神殺しの魔王という称号も力も些か以上に重過ぎるのさ。

 だから、その重みに潰される前に楽にしてやるのが慈悲かとも思ったんだが……」

 

 護堂の目を思い出す。こちらの剥き出しの殺意に怯えながらも、彼の目からは闘争心は消えていなかった。あそこでなす術なく心折れるようなヘタレか、逆ギレして暴発するような愚者なら、骨までしゃぶり尽くされる前に殺すべきだと思っていたが、流石はカンピオーネになった少年である。護堂は絶対零度の殺意に晒されながらも、必死に打開策を練っていた。あればいいように利用されて終わるようなたまではない。

 むしろ、ヴォバン侯爵に似た気質を感じる。あれは成長すれば、周囲の意をものともせずに自身の意を押し通す暴君の素質がある。常識人ぶってはいるが、その実勝つためならば手段は選ばず、イザという時は絶対に迷わないタイプだろうと徹は判断していた。

 

 「その割には縮こまっていたように思うけど……」

 

 「まあ、自身の罪を理解して責任を感じれば、あの年頃の反応はあんなものさ。それに暴発する前にこちらがひいたからこそ何もなかったが、あれ以上続けていれば彼は躊躇なく権能を行使しただろうさ」

 

 「カンピオーネ用に用意した独自結界、効果はあったけど絶対ではないということ?」

 

 「ああ、一手隠せたあたり、カンピオーネの超感覚を狂わせることはできるようだが、それ以上ではないな。これでは決めてにはならないな。精々、こちらの威を過剰に思わせるか、神経を過敏にするくらが関の山だな」

 

 しれっと言っているが、内容は極めてあれであった。なんてことはない。護堂が呪術を知らないことをいいことに、徹達は護堂を対カンピオーネ用に組み上げた術式の実験台にしていたのだ。護堂が必要以上に警戒したり、普段以上に罪悪感を感じて反論を封じられ、本音を曝け出させられたのはこのせいだったというわけである。

 無論、護堂の様子見と確認、そして釘刺しが主目的だったのは間違いない。ただ、それに付随して仕組んでいたというだけだ。

 

 「カンピオーネに外部からの魔術干渉は一切通じない。だが、例外もある。口頭摂取などであれば、教授のような術も普通に作用する。ならば音と空気を媒介にすればと考えたわけだが、一定の効果は確認できたな」

 

 「義兄さんが考案した対カンピオーネ幻惑結界……でも、それは逆に言えば義兄さんにも効果があるということ。やっぱり、おいそれとは使えないね」

 

 美雪は徹の考案した術が効果があったことを喜びながらも、心底は喜べない。カンピオーネの呪術に対する絶対的な耐性に穴があるというのは、義兄にも通じる危険があるということなのだから。

 

 「ああ、そのとおりだ。そういう意味では今回の草薙君はいい相手だった。平時の彼ならば、見破られていたかもしれないからな」

 

 「それは私もそう思う。今回ばれなかったのは僥倖に過ぎないでしょうね」

 

 徹と美雪は護堂を精神的にはまだまだ子供だとは思っているが、その力量はけして過小評価していない。呪術や武の心得もないのに、まつろわぬ神を殺したのだ。彼にはその経歴や目に見えるもの以上に、内面に何かがあるのだと両者は予想していた。 

 故に、徹は護堂を封殺する為の手段を用意していたに過ぎない。美雪が潜んでいたのだって、もしもの時の連絡役であり、イザという時は不意を突かせるためでもあるのだ。

 

 「まあ、忠告はしたし、釘もさした。同類の先達として、大人としての責務は果たしたさ。

 これでも尚やらかすようなら、次こそは容赦しない」

 

 徹はそう誰ともなしに宣言するように言うと、護堂が未だ佇む公園に背を向けて歩きだした。その三歩後に影踏まずを体現した美雪が続く。

 

 護堂が思っている以上に、世界は悪辣で容赦がないのであった。




※本文中の「噴飯」「確信犯」は誤用です。それぞれ「腹立たしくて仕方ない」「悪いことであるとわかっていながらなされる行為を行う人」として、使っていますが、本来の意味での用途ではありません。
本来は以下のようになります。

「噴飯」
おかしくて、食べかけの飯をこらえきれずに噴き出す意から、がまんできずに笑ってしまうこと。

「確信犯」
政治的・思想的・宗教的等の信念に基づいて正しいと信じてなされる犯罪行為、又はその行為を行う人のことです。簡単に言うと、ある宗教でこれは正しいとされていることから、それを正しいことと信じて犯罪行為を行う人のことをさします。


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第三章:暴君襲来
#10.暴君と銀の妖精


大変遅くなりまして、申し訳ありません。
原作と結構乖離してきてるので、回帰する意味と差異を明らかにする為に、原作にあったリリアナの謁見を書いてみました。

※原作コピーではないつもりですが、もしそう感じられたら、躊躇なくご指摘下さい。即座に消しますので。


【騎士リリアナ・クラニチャール、ブカレストにて『王』との謁見を果たす】

 

 高層ホテルのスイート、豪奢で快適ではあったが、その主に比しては明らかに位負けしていた。

 だが、それも当然である。なにせ、この部屋の主は東欧の魔王サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン。

 この世に8人しかいない神殺しの魔王であり、世界中の魔術師達から王として畏怖されるカンピオーネなのだから。

 

 「―――君がクラニチャールの孫娘か。あの狂宴の際にも会っていたはずだが、君の顔には見覚えがないな。……ああ、物覚えが悪い老いぼれだとは思わないでくれ。あの時の私は、あの愚か者と慮外者の横槍で些か以上に激昂していてね。それ以外の些事はどうでも良かったのだよ」

 

 その声は明晰で、知的ですらある。銀色の髪は綺麗に撫で付けられ、髭も丁寧に剃られており、青白い顔色と深く窪んだ眼窩とその痩身から、大学教授のようにすら見える。

 だが、その眼光の鋭さとがそれら全てを台無しにしていた。知的には見えるが、この老人の本質は獰猛な獣である。それも獲物の鮮血を全身に浴びてなお、さらなる闘争を求めて猛り狂う狂獣の類である。

 それをリリアナはよく理解していた。故に、自身の身命がどうでもいい些事であるとはっきり告げられたにもかかわらず激することなく、むしろその程度の扱いである事に胸を撫で下ろしていた。

 

 「御身をはじめとした王達の宴に、私如きにかかずりあうことなどありえぬことでしょう。侯がお気になさる必要はございません」

 

 リリアナは儀礼的に返答しながら、騎士の礼を取った。

 ―――魔術結社《青銅黒十字》に所属し、齢16にして大騎士の称号を持つ魔術師である俊英。銀褐色の長髪をポニーテールにしてまとめ、妖精を思わせる端正な顔立ちに凛々しさと可憐さを同居させたミラノの誇る神童の片割れ。それがリリアナ・クラニチャールという少女だ。

 

 しかし、その彼女であっても、目の前の老人には足元にも及ばない。

 許されるのは、ただ礼を尽くし、通り過ぎるのを待つことだけだ。

 

 「それは結構。さて、早速だが本題に移ろう。君をわざわざミラノから呼び寄せた理由についてだ」

 

 そんなリリアナの心情を知ってか知らずか、緑柱石(エメラルド)の色の瞳を、ヴォバンは僅かに細めた。

 この邪眼こそが『ソドムの瞳』、視線の先に立つ生者を塩の柱へと変える。ケルトの魔神バロールから簒奪したと言われる権能―――他にも『貪る群狼』『疾風怒濤(シュトルム・ウント・ドランク)』『死せる従僕の檻』など、彼が所有する権能の数々を、欧州の魔術師で知らぬ者はいないだろう。

 

 「あの狂宴の原因となった儀式を忘れてはおるまい?『まつろわぬ神』を招来する大呪の儀―――あれだ。君にも協力してもらったあの秘儀を、今一度試してみようと思っているのだよ」

 

 魔王のなんでもないような言い様に、リリアナはまじまじとその顔を見つめ返した。

 少なからぬ犠牲を出した、あの大魔術。それは結果として二人の魔王を招きよせ、欧州を震撼させた。その爪痕だけで欧州の魔術師達に王の威と力を刻み付けた三人の魔王による狂える破壊と闘争の宴―――『魔王の狂宴』のきっかけとなった忌まわしい儀式。

 最早、欧州の魔術師では、試すことすらしないであろうそれを行うと聞いて、リリアナは戦慄を隠せなかったからだ。それに疑問もある。ヴォバンが行う以上、招来したまつろわぬ神と戦うためだろうが、なぜ今なのか?

 

 「あの時は、神無とサルバトーレめにしてやられた。神無は私の儀式をすんでのところで邪魔をし、サルバトーレめはその隙に儀式を乗っ取り、まんまと招来された神を横取りした。私の邪魔をする輩も、私の獲物を横取りする痴れ者もいるとは予想していなかった。まさか、正体を隠した王がいようとは思いもしなかったし、あんな若造が世に出ていたと思っていなかったからな!」

 

 憤懣やるかたないと言わんばかりに吐き出すようにヴォバンは言い、邪眼の虹彩を揺らめかせた。

 当時、正体を隠していた六人目の王神無徹の存在を世に知らしめ、七人目の若き魔王サルバトーレ・ドニの名を欧州の魔術界に轟かせた事件―――『魔王の狂宴』。『古き王』に真っ向からたてついた『正体不明の王』と、獲物を奪った『剣の王』、神殺しの顛末。

 儀式の巫女として、その場に居合わせたリリアナは、その一部始終をはっきりと記憶している。未だ拭えぬ恐怖と畏怖と共に……。

 

 「後三月ほどで、かの儀式に適した星辰と地脈の流れが四年ぶりに整うらしい。―――そうなのだろう、カスパール?」

 

 何者かに確認するような問と共に、ヴォバンの愉しげな視線がリリアナの背後に唐突に向けられる。

 ―――ぞくり。

 リリアナは不気味な悪寒と共に、背後に明確な気配を感じ取った。大騎士である己の背後を悟らせることすらなく取るとは、何者なのか!?

 焦燥にかられながらも、距離をとるべく素早く飛び退き、背後を振り向き、息を呑んだ。

 

 背後に佇んでいたのは、黒衣の老人だった。ヴォバンの問にぎこちなく頷いてみせたが、それはどこか機械じみた動きであった。

 黒衣の老人は無表情であり、目には光がない。血色のない蒼白色の顔色に酷く虚ろで、焦点さえも合っていないその様は死相そのものだ。それも当然、老人は動く死体そのものなのだから。

 

 (―――これが『死せる従僕』たち!)

 

 魔王に抗いし勇者達の末路がこれだ。老王は自ら屠った人間を、生ける死者(リビングデッド)と化し、忠実な従僕として絶対服従させる。老王の権能に囚われた彼らは、死して尚救われることはないのだ。

 

 何とむごい。正直、今すぐにでもこの場を立ち去りたいというのが、リリアナの偽らざる本音であった。

 しかし、名門クラニチャールの血統と魔術結社《青銅黒十字》の大騎士という立場が、リリアナの魔王への反抗を許さない。それに自身のライバルである《赤銅黒十時》の大騎士エリカ・ブランデッリが八人目の王草薙護堂に肩入れする余り六人目の王神無徹の怒りを買い、本人の命どころか《赤銅黒十字》の存続すら危ぶまれたという話も聞いている。

 ましてや、その期に乗じて老王との結びつきを強め、仇敵たる《赤銅黒十字》と差を確固たるものにしようとしている祖父に言い含められている己が、ライバルの二の轍を踏むわけにはいかないのだから。

 

 せめてイタリアの盟主たるサルバトーレ・ドニが万全であれば、このような事態は避けられたのだが、彼は草薙護堂との決闘での負傷が癒えたばかりである。流石に老王相手の抗争は無理があるだろう。

 

 (草薙護堂……あの女狐共々ろくなことをしませんね!)

 

 リリアナは己の現状を招いたライバルと、まだ見ぬ八人目の王を内心で呪った。

 

 「クラニチャールよ。君は、四年前に私が集めた巫女のひとりであった。君も優秀な巫女であったが、あの時最も優れた力をみせた巫女は誰だったか、覚えているかな?」

 

 神を招来するために、王の強権で集められた数十人の巫女達。神無徹が介入したのは、彼の義妹がこの巫女として誘拐されかけたからだという。実際、儀式を終えた後、彼女達の三分の二が正気を失い、心に深い傷を負ったというのだから、かの王の反応も無理もないことであろうが。

 因みにリリアナは幸運にも、無事であった方の三分の一に属していた。

 

 「あの時、量よりも質が重要だと思い知ったのだ。無数の石ではなく、玉、いや選りすぐりの珠玉こそを集めるべきであったのだとな」

 

 エメラルドの邪眼が、面白げにリリアナを射抜く。

 お前如き小娘一人の叛意などお見通しだと言わんばかりに。

 

 「確か東洋人だったか?あの娘の名と素性を、覚えていないかね?」

 

 リリアナは一瞬躊躇った。正直に答えるべきか、否か迷ったのだ。

 それはある意味、当然だ。少女の幸せを考えるならば、この老王に関わるべきではないのだから。

 だが、彼女の明晰な頭脳はここでとぼけても殆ど無意味であり、むしろそれによって自身が外されることによって少女に降りかかる危険が制御できなくなることの方が危険であると判断を下していた。

 それは多分にリリアナ個人の青臭い正義感と騎士としての誇りが含まれた判断ではあったが、それは少なくともこの場では正解であった。

 

 「名はマ…「名は万里谷祐里。日本人で、出身は東京らしいな。武蔵野の媛巫女の一人で霊視術に優れるそうだ」…侯、知っておいでだったのですか?」

 

 リリアナの言葉を遮り、ヴォバンは彼女が知る以上のかの巫女の情報を諳んじて見せたからだ。

 

 「ふふふ、気を悪くしないでくれたまえクラニチャール。別にかの巫女を調べようと思ったわけではないのだ。私の邪魔をしてくれた慮外者について調べさせている時に、偶然手に入った情報に過ぎんのだ。

 だが、安心したぞ。君が浅はかな愚か者ではなくて」

 

 そう言って、ヴォバンは意地悪げに笑う。

 

 「……」

 

 先の問は、自身への試しであり確認であったのだと悟り、リリアナは黙り込む。

 何か口を開けば、全て見透かされてしまいそうに感じられたからだ。

 

 「ああ、ちなみに言えば犬は好かんな。従順で、媚を売るだけの犬など反吐が出る。私は狼が好きなのだよ。時に逆らい牙を剥く狼が好きなのだ。その程度の気概もなくば、そばに置く気にもならん。……そういう意味では、君はなかなか私好みの狼だぞ、クラニチャール」

 「―――光栄と申し上げておきましょう、侯」

 

 愉快気なヴォバンの物言いとは対照的に、堅過ぎる口調で礼を言うリリアナ。

 その様子をニヤリと彼は笑い、とんでもない爆弾発言をした。

 

 「私がこの足で、日本に往こうと思うのだよ。ふむ、考えてみれば久しぶりだな、海を越えるのは」

 

 リリアナはその言葉の意味するところに、一瞬凍りついた。

 

 「お待ちください、侯。かの国への呪術干渉は……!」

 

 容易に想像できてしまう最悪の未来を避けようと諌めるが、当然の如く老王には無意味であった。

 

 「無論、知っているとも。あの慮外者が小癪にも護国を掲げていることも。

 だが、それがなんだというのだ?私に何の関係がある?それともクラニチャール、君は私にあの慮外者に配慮せよと言うのか?」

 

 エメラルドの邪眼がリリアナを射竦める。下手なことを言った瞬間、己が塩の柱にされるであろうことをリリアナは本能的に悟った。

 

 「ッ!そ、そのようなことはけして……。

 ただ、日本には侯の同胞たる御方がもう一人いらっしゃいます。せめて、そちらにだけでも先にお話を通された方がよいのではございませんか?」

 

 リリアナは老王の射殺さんばかりの視線に耐えながらも、あえぐようにどうにか言葉を発する。

 最早、六人目のカンピオーネ神無徹との抗争は避けられないのは明らかだが、この上さらに八人目のカンピオーネ草薙護堂まで加わったら、どんな地獄絵図になるか分かったものではない。それだけは防ぎたかったのだ。

 そんな一縷の望みをかけての進言であったが、ヴォバンの返答はにべもなかった。

 

 「その必要はなかろう。ぽっと出の新参になど用はない。それでも話をしたいのであれば、そやつの方から参ればよいだけだ。

 それに日本はあの慮外者の版図であろう。我が所領において、正体を隠し狼藉の限りを尽くしたのは奴の方が先よ。なればこそ、私があの国で暴れたところで文句を言われる筋合いなどない」

 

 新参の魔王を歯牙にもかけず、最古参の魔王は鼻で笑い、リリアナの進言を退ける。

 

 (そういうことか!)

 

 リリアナはようやく合点がいった。

 なぜ、このタイミングでと疑問だったが、正体不明の六人目の王がその正体を現したからこそ、老王は今動くことにしたのだ。無論、『まつろわぬ神』を招来する大呪の儀に適した星辰や地脈が整うというのも嘘ではないだろうし、巫女の確保も目的であるのは間違いない。

 

 だが、それは結局のところかの王の庇護下にある日本で暴れる為の名目に過ぎないのだろう。

 なぜなら、リリアナが知る以上にかの巫女を調べあげているのならば、直接赴く必要など皆無である。ただ、ヴォバンが一言命じるだけで済んでしまうのだから。

 

 ―――『まつろわぬ神』を招来する大呪の儀も、その為の巫女の確保も全てはついでに過ぎない。

 ―――神無徹との抗争こそが日本に渡る真の目的であると、ヴォバンは言外に告げていたのだ。

 

 「クラニチャール、君には供を命じる。まさか、嫌とは言うまいな?」

 

 否と言えれば、どれ程よかったであろうか。若しくは、わざと遅れておいていかれるのが許されるのであれば、どんなに良かったであろうか。魔王同士の抗争に巻き込まれるなど、一度でも十分過ぎる。二度目など絶対に御免であるのだから。

 

 しかし、現実は非情であり、《青銅黒十字》のおかれた現況とその身に流れる血がそれを許さない。

 いや、最初から分かっていたことではないか。いかに若年で大騎士の位階に昇った俊英であっても、王の前では無意味であると。結局、己もまた王の足元にも及ばず、その暴虐の前にはひれ伏すことしかできないのであるから。

 

 「……承知いたしました。準備にしばしの時間を頂けるでしょうか?」

 

 深い諦念と共に受諾するリリアナを、ヴォバンは満足そうに眺めつつ言った。

 

 「では、一時間で準備を済ませたまえ。ああ、一秒たりとも待たぬので、そのつもりでいてくれ」

 「御意」

 

 そう言って、足早に退室していく銀の妖精を愉しげに笑みすら浮かべて見つめていたヴォバンだったが、その姿が見えなくなり、一人になると表情を消した。

 そうして、一瞬後には、その顔は押さえきれぬ憤怒に染まっていた。

 

 「若造、いや、神無徹よ。あの日の屈辱を私は忘れたことなどないぞ」

 

 ヴォバンは四年前の屈辱を片時も忘れたことはなかった。

 正体を隠しながら、己に真っ向から刃向かい邪魔をした慮外者たる同胞のことを。

 

 「あの時は貴様に邪魔され、獲物を痴れ者に掠め取られたが、此度はそうはいかぬ。貴様の大事な母国で、貴様の庇護する民を使い、まつろわぬ神を招来してくれよう。それが私なりの貴様への報復だ!」

 

 その忌まわしき同胞が正体を現し、報復の時は来た。

 現存する最古の神殺したる老王は、その暴虐の爪牙をもって、かの王の全てを蹂躙することを誓っていた。



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#11.媛巫女の戸惑いと炎王の企み

暴君との対決に備え、祐理のことを考察していたら、いつの間にか生まれたお話です。
早くヴォバン戦を書きたいのに、何を書いているのだろうか……。



【武蔵野の媛巫女万里谷祐理、七雄神社にて『王』との謁見を果たす】

 

 日本の呪術界を取り仕切る正史編纂委員会の誇る武蔵野の媛巫女が一人、万里谷祐理は未だかつてない緊張と戸惑いの渦中にいた。場所は馴染みある七雄のお社であるというのに、相手次第でこうも変わろうとは思いもしなかった。

 

 八人目のカンピオーネであるあの草薙護堂の真贋を見極めろと命じられ、会うことにした時以上の緊張を、祐理は強いられていた。

 

 「すまないな、突然会いたいなどと言って」

 

 だが、それは当然であった。

 今、祐理の目の前にいるのは神無徹。六人目のカンピオーネにして日本初の神殺しであり、彼女の属する正史編纂委員会が頭を垂れる紛う事なき王であるのだから。

 

 「いえ、御身の思し召しあらば。御足労頂かずとも、私の方からおうかがい致しましたのに」

 

 そして、『魔王の狂宴』の原因となった『まつろわぬ神』を招来する大呪の儀に巫女として強制的に参加させられた祐理にとっては、彼の王はそれ以上の意味を持つ。

 

 「いや、これは酷く個人的な事情によるものでね。流石に君の手を煩わせるのは忍びなかった」

 

 儀式中で極度のトランス状態にあったとはいえ、祐理は目の前の王の極寒の殺気を覚えている。それが自身に向けられたものではないとはいえ、極度のトランス状態にあった祐理達巫女に影響を及ぼす程のそれは、ヴォバン侯爵と並ぶ心的外傷(トラウマ)であった。

 

 故に穏やかな表情で、服装もありふれたビジネススーツで特にこれといった特徴もないのに、祐理が感じる威圧感はただならぬものがあった。ぶっちゃけて言てしまえば、怖い。それは最早本能的なもので、どうしようもないものだ。今はどうにか気丈にも平静を保っているが、それは砂上の楼閣より脆いものであった。

 

 「個人的事情でございますか……っ!?」

 

 己が徹の琴線に触れるようなことをした覚えはなく、プライベートでの繋がり等も皆無である。

 故、祐理が己が身がを欲しているのではないかと考えて、絶句して顔を蒼褪めさせたたのも無理もない話ではあった。ちなみにこの想像は、多分に草薙護堂とエリカ・ブランデッリの愛人関係が根底にあったりするが、全くの余談である。

 

 「……御身がお望みとあれば」

 

 祐理は震える声で、辛うじてそれだけを口に出した。いかに媛巫女と言えど、羅刹の君たる王の望みを阻むことなどできようはずもない。彼女の意思など関係ない。その気になれば、王は全てを薙ぎ払い意を押し通すだけの力を持っているのだから。

 

 「待て待て、何か誤解していないか?」

 

 自身の家族と日の本の平和の為に悲壮な覚悟を決めかけた祐理を止めたのは、他ならぬ徹であった。その顔には困惑と焦りが見えた。

 

 「……」

 

 極度の緊張で、自身の思い込みのままに行動しようとしていた祐理だったが、羅刹の君らしからぬ反応に、何か思い違いをしているのではないかと流石に気づいた。

 

 「ああ、もう!美雪頼むわ」

 

 「ええ、任せて義兄さん」

 

 「!?」

 

 思いもがけない第三者の登場に、祐理は驚愕した。いつの間に入って来たのだろうか?

 

 「はあ、今気づいたって顔ね。あのねえ、私は最初からいたからね。義兄さんと一緒に入ってきたでしょ?」

 

 どこか呆れを含んだ声でそう言ってきたのは、美しい長い黒髪をポニーテールに結ってまとめている20歳前後の女性だった。こちらは白衣に緋袴と、祐理にも馴染みが深い格好だが、どこか清涼感を感じさせる美女であった。

 彼の王の義妹にあたる女性で、名を確か神楽美雪といったはずだ。

 

 「は、はあ。そうだったでしょうか」

 

 祐理は思い出そうとするが、さっぱり覚えがない。

 正直、徹が部屋内に入ってきてから、その存在に釘付けで他に意識を割く余裕は彼女にはなかったのだ。

 

 「……はあ、これは重症ね」

 

 処置無しだと言う風に溜息をつく美雪だったが、すぐに首を振り、祐理に向き直って口を開いた。

 

 「万里谷祐理、祐理さんと呼ばせてもらうわね。念の為、確認したいんだけど、祐理さん、貴女は四年前の『魔王の狂宴』の原因となった『まつろわぬ神』を招来する大呪の儀に巫女として参加させられていたわね?」

 

 「は、はい、間違いありません。その際、そこにおわす神無徹様をはじめとしてヴォバン侯爵、サルバトーレ・ドニ様のお三方と遭遇したことが原因で、草薙さんの真贋の見極めを委員会かれら依頼されましたから」

 

 祐理は同性の美雪相手ということもあり、幾分か緊張が和らぎ、ぎこちなさは未だ残るものの確りと答えた。

 

 「そういうことだったのね。……実は私も、あの儀式に参加させられるところだったのよ。知っている?」

 

 「はい、甘粕さんから聞いております。それが何か?」

 

 美雪が優れた巫女であることは、祐理も理解している。かつて京の切り札『秘巫女』と呼ばれる存在であったことも。故に自分同様にあの時運悪く欧州に居合わせたというのならば、ヴォバン侯爵が目をつけてもおかしくはない。実際、現地の魔術師に襲われ、危ういところだったのを義兄である徹に助けられ、それが原因であの儀式に徹は介入したのだということは、甘粕から聞いていた。

 

 「うーん、何と言ったらいいのかしら?つまりね、義兄さんは……「謝りたいのだ」……義兄さん、それは」

 

 「えっ?!」

 

 唐突な王の言に祐理は混乱した。今の話題のどこに羅刹の君たる徹が謝らねばならない要素があったのか、さっぱり理解できない。美雪は理解しているようだが、どこか不満げな様子である。

 

 「私は君を、いや、あの場にいた巫女達を救ってやれなかった。儀式の結果、過半の巫女がどうなったのかは聞き及んでいる。君が無事だったのは、運が良かったに過ぎない。君を助けられなくてすまなかった」

 

 「そんな!それは御身の謝られることではございません。責められるべきは儀式を強行したヴォバン侯爵でございましょう」

 

 「いや、少なくとも君については話が別だ。私がもっと早く正体を現していたら、私が庇護すべき存在である君は巻き込まれなかっただろうからな」

 

 「そ、それは……」

 

 媛巫女として目の前の王が、賢人議会を通して示した『護国』という方針は知っている。

 確かに彼がなってすぐに世に出ていれば、現地の魔術師達がその脅威を恐れて、自身はあの儀式に参加することはなかったかもしれないということを、祐理は否定できなかった。

 

 「先日のアテナの件で、私が正体を隠蔽していたことは少なからぬ影響を各所に与えていたことを思い知ったよ。正直、草薙君には悪いことをしてしまったと思っているんだ」

 

 結果だけを見れば自業自得だが、過程を客観的にしっかり見れば、エリカや護堂にとって己の存在が不意打以外のなにものでもないことを徹は理解していた。まあ、それでも目論見が甘すぎたとか、日本の被害等を軽視しているなど言いたいことは山ほどあるのだが。

 それでも、自身が正体を早期に明かしていたのなら、あそこまで悪者にはならなくて済んだ筈だ。それだけは本当に悪いことをしたと気の毒に思っている。実際、復興費用捻出の為にわざわざ権能を用いたのは、その罪滅ぼしと言う側面もあることを否定できないのだから。

 

 「……」

 

 祐理はなんと言っていいか分からなかった。彼女自身、アテナの神具などという超弩級の爆弾を不用意に持ち込んだことについて日の本の民として怒り、他ならぬ護堂本人に直接説教したくらいである。今のエリカと護堂がおかれた現状は自業自得なのは間違いない。

 だがその一方で、六人目の王が日本人であることなど、護堂はおろかエリカにとっても青天の霹靂であったことは知っている。なにせ、実際に自身でその様子を見聞きしたのだから。あの時、一見優雅なエリカの態度の中に見えた隠しきれぬ焦燥を、祐理ははっきりと覚えている。

 

 

 「そんなわけで、ちょっと己の所業を省みてたわけだ。それで君の事を思い出してな。けじめをつけておきたいと思ったわけだ」

 

 「そういうことだったのですか」

 

 祐理は内心の羞恥を抑えつつ、神妙に頷いた。

 どうやら、目の前におわす羅刹の君は想像以上に律儀で真面目な性質だったらしい。

 

 「冬馬の奴にも伝えておいたはずだが、聞いていないか?」

 

 徹の言葉に、今回の謁見のことを伝えに来た甘粕冬馬は「祐理さんにとって、けして悪い話ではないですよ」と言っていたのを祐理は思い出す。あの時は、突然降ってわいた王との謁見の衝撃と過去のトラウマが響いて恐怖が先に立ってしまい、その意味に考えを巡らす余裕がなかった。

 しかし、落ち着いて考えてみれば、王が祐理の身を望むのであれば、最初から委員会から言い含められるだろうし、いくらなんでも家族にも説明があるだろう。正史編纂委員会はそこまで強権的な組織ではないし、情のない組織でもない。まして、現媛巫女の中でもっとも霊視に優れると言われる祐理相手であるのだから、相応の配慮は普通よりあって然るべきだ。

 つまり、甘粕の言を信じるならば、王の望みは聞いた言葉通りで間違いないのだろう。大体、そういう目的なら義妹とはいえ、他に女性を帯同していないだろうし、何より自分がその手のことに向いているとはお世辞にも思えなかった。というか、徹の困惑と美雪の呆れを見るに、己が凄まじく失礼な誤解をしていたのは明白であった。恐怖ばかり先立って、怯えていた自身が祐理には酷く恥ずかしく思えた。

 

 「も、申し訳ありません。羅刹の君からのお召しとあって、驚愕と緊張でいっぱいになってしまいまして」

 

 正確には何より恐怖が占めていたのだが、それを正直に言うことがどれ程礼を失することになるかは祐理も理解していた。

 

 「ああ、まあ草薙君の愛人エリカ・ブランデッリの例もあるから、そういう誤解も仕方ないといえば仕方ないか……。

 だが、安心して欲しい。私に無理矢理女性をどうこうする趣味はないし、流石に君は若過ぎる。まず、そういう対象には見ることはできない。大体、美雪以外の女性を傍におくつもりはないからな」

 

 「義兄さん……」

 

 幾分嬉しそうな声をあげ見つめる美雪とそれに黙ったまま頷く徹。いかに色恋に疎い祐理でも、両者にある感情が義兄妹のそれではなく明らかに男女のそれであることを感じ取るこができた。目と目で通じ合うというか、この二人の間に他者が介入する余地はないということを祐理ははっきりと悟ったのだった。

 

 「……」

 

 それまで抱いていたものが一転して、なんとも居心地が悪いというか、いたたまれない気分に祐理はなった。自分が邪魔者以外の何者でもないように思えたのだ。

 そんな祐理の心情を察したのか、徹は軽く咳払いをして祐理に向き直った。

 

 「コホン―――要するにだ、万里谷祐理。君には個人的な借りがある。故に何かあれば、遠慮なく言うといい。君も私が護るべき民なのだから護るのは当然だが、それ以外のことであっても一回だけどんなことでも力になろう。無論、私の力の及ぶ範囲でだが」

 

 「!?」

 

 祐理は今度こそ本当に驚愕で絶句した。

 何でもないことのように言われたが、それはとんでもない意味を含んでいたからだ。

 

 「義兄さん、それは!」

 

 美雪が声を思わず荒げたのも無理はない。

 洋の東西を問わず、魔術師・呪術師に畏敬され王と崇められる存在が、ただ一度だけとはいえ無条件で力を貸してくれるなど、破格というレベルの話ではないのだから。それは呪術界において問答無用の切り札を手に入れたに等しいのだ。

 

 「美雪、すまないがこれには口を出さないで欲しい」

 

 「で、でも!」

 

 口出し無用を宣言されるが、美雪はそれでも黙っていられなかったらしく、さらに何か言おうとして、徹の強い視線を受けて沈黙した。

 

 「無論、このことを周囲に言い触らされて等は困るし、願いの内容如何によっては聞けないこともあるだろう。それは理解して欲しい」

 

 念の為と前置きして、付け加える言う徹だったが、祐理からすれば言われるまでもないことであった。

 良家の子女として生まれ、さらに媛巫女として敬われる立場にある祐理は、与えられた鬼札の価値と危険性をよく理解していたからだ。大体にして、王の威を借るなどすべきでは絶対にないし、増長して無茶な要求などすれば逆に怒りを買うことは言うまでもないだのから。

 

 「心得ております。ですが……」

 

 ただ、それを額面どおりに受け取れるかは話が別である。

 ただほど怖いものはないと言う様に、理由のない贈り物程怖いものはないからだ。それが圧倒的上位者からとなれば、尚更だ。祐理はそう考えていた。彼女は権謀術数に優れているわけではないが、聡明な少女なのだ。

 

 不敬な話になるが、これならばまだ我が身を望まれた方が安心できただろう。要求される代償は、己だけで済むのだから―――。

 

 「心配せずとも、このことで後付で代価を要求などしたりはしない。そんなけち臭い真似はしないし、騙し討ちじみたことをする理由も必要性ない。なんだったら、私自ら呪的な誓約をしてもいい」

 

 もっとも、その不安は筒抜けだったらしい。口に出す前に否定されてしまった。王自らこうまで言うのだから、自身の危惧したものは杞憂であるということなのだろう。それに呪的誓約まで持ち出した以上、口約束とはいえ違えることはまずないだろう。陰陽師をはじめとした呪術に関わる者にとって、言霊とは重要なものなのだから。それを優れた術士でもある目の前の羅刹の君が理解していないはずがない。

 

 とはいえ、それでも疑問は残る。確かに罪悪感や謝罪の意もあるのだろうが、この厚遇はそれだけとは到底思えない。なぜそこまで―――。

 

 「あの、お申し出は非常にありがたく、この身には余る光栄なことですが、なぜそこまでして頂けるのですか?先も申しましたように御身に責はなく、王の手を煩わせたこの身の不明を恥じるばかりです。王が私如きに(かかずら)う理由などないはずです」

 

 申し出を受けるにせよ断るにせよ、その理由を祐理は知りたかった。不敬に過ぎるかもしれないが、ここを疎かにしてはいけないと彼女の巫女としての感覚は告げていたのだ。

 

 「……そうだな。確かにこんな話、いきなり理由もなく言われても困るか。いいだろう、君には話しておこう」

 

 「では、やはり?」

 

 「おっと、一つだけ言っておくが、謝罪とその侘びというのも嘘ではないよ。というか、根っこはそいれと同じものだ。要は自己満足さ」

 

 「自己満足でございますか?」

 

 「あの場を霊視をした君なら聞いているだろう?私の妻子がどうなったのかを―――」

 

 「はい、確か『まつろわぬ神』招―――!?」

 

 言いかけて、祐理は気づいた。徹の妻子もまた『まつろわぬ神』を招来する大呪の儀の犠牲者であることを。しかも、正気を失い心に深い傷を負う程度ではなく、妻子共に命そのものを失ったことを。

 徹の妻である美夏が生贄同然に扱われ、娘の明日香も神の依巫にされたことまでは、流石の祐理も知る由もない。

 

 だが、それでも妻子を同時に失うことがどれ程の悲しみを生むかは想像できた。

 

 「恥ずかしい話だが、まあ、はっきり言ってしまえば代償行為さ。運よく後遺症もなかったとはいえ、私にとっては君も妻や娘と同様に救えなかった相手であることには変わらない。結局、妻には何もしてやれなかったからね。その代わりにというのは君に失礼になるだろうがね」

 「……」

 

 そう苦い笑みを浮かべて話す徹に、祐理は何も言えなかった。

 

 「そんなわけで、結局のところこれも身勝手な自己満足に過ぎない。私の個人的な我侭につき合わせるようですまないが」

 

 「いえ、けしてそのようなことは!」

 

 「いや、本当にすまない。こんな重い話聞かされても君にとっては負担にしかならないよな。すまないが忘れてくれ。とにかく、そんなに重く考えなくても構わない。何か困ったことがあれば、相談にのる程度に思ってくれればいい。いらぬお節介をするつもりはないから、こちらから能動的に何かをするつもりはない。まあ、気が向いたら、連絡してくれればいいさ」

 

 祐理の否定に対し、徹はそう自嘲するように言うと席を立った。

 

 「あ、あの!」

 

 「では、また機会があればまた会おう。まあ神殺しと関わる縁などない方がいいかもしれないがな」

 

 何か言わなければと思う祐理だが、徹は待ってくれなかった。背を向けたまま自嘲が混じった声でそう呟くと、部屋を出て行った。その後に軽く黙礼して美雪が続く。

 

 気づけば祐理は再び一人になっていた。

 今や恐怖も緊張も驚愕もなく、あれだけ切羽詰っていたのが嘘のようであった。

 ただ、確かに王との謁見は夢幻ではく現実であったことを、目の前に置かれた一枚の名刺が証明していた。

 

 

 

 

 

 

 万里谷祐理との面会後、本題の都内各所を回り仕込みを終えた義兄と私が用意された屋敷に戻る頃には既に日が暮れていた。ほぼ丸一日を仕込みにかけたことになるが、それだけの甲斐はあったと思う。

 元より東京は、江戸の御代より四神相応の地として、呪的霊的防御が張り巡らされた特殊な土地だ。この地にいるならば、それを利用しない手はない。この東京を戦場とするならば、たとえ『まつろわぬ神』やカンピオーネが相手であったとしても、十二分に役立つことだろう。

 

 今日の仕込みは、義兄の権能の使用をスムーズにするためのものでもあるだけに、手を抜けないものであったのだが、肝心の義兄さんは心ここに在らずという有り様だった。おまけでしかなかったはずの万里谷祐理との面会がただならぬ影響を与えているのは明らかだったが、それでも仕込みのための作業は失敗しない辺り、なんとも義兄さんらしい。

 

 義兄さんの心情は察してあまりあるが、それでもいい加減に戻って欲しい。そう思った私は、中庭で一人月を見上げている義兄に声をかけた。

 

 「ねえ、義兄さん。義兄さんはまだ「情けないとは思わないか?あんなに偉そうに説教しておいて、私は私で名を隠すことで、守るべき存在を危険に晒していたというのだからな」……」

 

 私の言を遮るように、背中を向けたまま義兄さんは吐き捨てた。その声には苦いものが混じり、多分に自嘲を含んでいた。相変わらずこちらを見ようともしないが、その顔は悔恨と憤怒に塗れているのが、なんとなく察せられた。

 

 「でも本人も言っていたじゃない。あれはヴォバン侯爵にこそ責任があって、義兄さんに責はないって」

 

 「分かっている……だが、私が正体を最初から明かしていれば防げたかもしれないと思うとな―――」

 

 日本人であり武蔵野の媛巫女である万里谷祐理が東欧の暴君の謀に巻き込まれたのは、あの時たまたま欧州に滞在していたからであり、本当に運が悪かったという他無い。今言った通り、そこに義兄さんの責任など本来あるわけがない。

 

 しかし、先日の八人目の神殺し草薙護堂による日本へのアテナ誘き出しの件が、正体を隠していたことで防げていたはずの危険を放置していたのもしれないと、義兄さんに思わせてしまった。

 いえ、それだけならばまだ良かった。確かに草薙護堂やエリカ・ブランデッリには多少気の毒なことをしたと私も思わないわけではないが、あれは八割方自業自得である。私は同情など欠片もしないし、そのことで義兄さんに責任があるなどとはこれっぽっちも考えていないのだから。

 

 義兄さんも、それだけであったのならば、さして苦悩することもなかっただろう。

 が、問題なのは万里谷祐理の存在だった。

 

 万里谷祐理が巻き込まれたのは、あろうことか『まつろわぬ神』を招来する大呪の儀であり、その求められた役割や危険性を考えると、その境遇は余りにも姉さんと似通っていたからだ。幸い後彼女自身は無事で後遺症もなかったようだが、それは本当に運が良かったに過ぎない。一つ間違えれば多くの巫女と同様正気を失い、『まつろわぬ神』との戦いに巻き込まれれば死んでいたとしても少しもおかしくなかったのだ。

 私が狙われた事で介入した義兄さんには、万里谷祐理を直接救うことが可能であった。その為の力も機もあり、実際後一歩というところだったのだから。だが、それは結局ならなかった。ヴォバン侯爵はおろか、義兄さんでさえも予想していなかった第三のカンピオーネのサルバトーレ・ドニの介入によって。

 

 すなわち、義兄さんにとって、万里谷祐理もまた姉さん同様に手の届く位置にいながら救えなかった人間なのである。その事実がどうしようもなく姉さんを想起させ、余計に義兄さんを苛むのだろう。

 

 「義兄さん、万里谷祐理は姉さんじゃない」

 

 結局、万里谷祐理に対する謝罪も、代償行為と言った過分と言える申し出も、義兄は亡き妻である姉さんを彼女に重ね合わせているが故なのだろう。

 気持ちは痛い程理解できる。性格こそ異なるが、万里谷祐理の芯の強さは姉さんに通じるところがある。それに過ぎたこととではあるが、そんな娘を放置して戦いに狂っていたということも否定できないのだ。義兄さんが少なからぬ自責の念に苛まれるのも無理はない。

 故に、謝罪まではいい。本来、不要であろうが、それで義兄さんの心が軽くなるというのなら構わない。

 

 でも、それ以上は行き過ぎだ。あの申し出は万里谷祐理の手に明らかに余る。もし特別な庇護を受けているなどと知られたら最後、権謀術数に疎いあの娘には為す術がないのだから。

 

 「―――分かっている。別人であることなど誰よりも理解しているさ。これが単なる感傷にすぎない事もな……。

 結局のところ、私は未だに未練たらしく美夏のことをひきずっているのだろうよ。お前を抱き束縛しながら、何と情けない体たらくか。これでは美夏に怒られてしまうな」

 

 義兄さんはそう自嘲して、ようやく私に向き直り苦笑を零した。

 それは裏返せば、姉さんのことを「絶対に忘れない」という義兄さんの意思表示であるように私は思えた。

 いや、実際そうなのだろう。私と肌を重ね、独占欲を表してくれたにも関わらず、私と義兄さんの距離は殆ど変わっていない。手を伸ばせば触れることはできるのに、けしてその手が義兄さんから伸ばされることはない。思いは交わっても、一方通行なのは何も変わっていないのだから。

 

 「義兄さん、私はいいの。姉さんのことを今も思っているのは確かに悔しいけど、同時に嬉しくもあるの。姉さんのことを忘れられないのは私も同じだから……。

 だから、私はいくらでも待つわ。ううん、いつか必ず義兄さんをその気にさせてみせるから!」

 

 だが、そのことで義兄を責めるつもりは毛頭ない。未だ自身が亡き姉に及ばないのは分かっているからだ。

 ようやく義兄の手助けをできるぐらいにはなったものの、姉のように支えられているとは言い難いのが現状だ。

 

 「美雪、強くなったものだな……。いや、お前は元から強かったか」

 

 義兄は私の言葉に目を瞠った後、感慨深げに呟いた。今度は苦笑ではなく優しげな微笑を浮かべて。

 

 「ううん、この強さは兄さんが私にくれたものよ。以前の私なら、きっと待っていることだけしかできなかったと思うから」

 

 「……そうか」

 

 義兄さんは、私の答に肯定も否定もしなかった。ただ、静かにそう零して、私の頭を一撫でしだけだったが、否定しないでくれたことが何よりも私には嬉しかった。

 

 「でも、義兄さん。それはそれとして、万里谷祐理への過剰とも言える扱いはやっぱり問題だと思う。謝罪だけで十分だったはずよ。代償行為にしてもいきすぎだと思う。今からでも撤回すべきじゃない?」

 

 羅刹の君にして、呪術者達から王と崇められるカンピオーネである義兄さんの庇護と助力。それが呪術界において、どれ程の権威と価値を持っているかは説明するまでもない。それがたとえただ一度だけであってもだ。

 義兄さんの気持ちは分からないでもないが、それでもやはり万里谷祐理にとって負担にしかならないだろう。

 

 「それはできない。お前に何と言われようと、私は撤回する気はない」

 

 しかし、義兄の答はとりつくしまもない明確な拒絶であった。

 

 「なんで、そこまで!?」

 

 「必要なことだからだ」

 

 「えっ、必要なこと?」

 

 「そうだ。美雪、お前は一つ勘違いをしている。確かに、万里谷祐理に対しての扱いは些か以上に過剰であり、それはあの娘にとって負担になるだろうことは認めよう。それが私の感傷であり、代償行為であることも否定はしない。

 だがな、それだけであそこまでするほど、私は甘くないぞ」

 

 義兄は表情を消し、その目は最早欠片も笑っていない。そして、その声色は凍えるような冷たさを感じさせた。

 

 「どういうこと?」

 

 「先も言った通り、必要なことだからだ。

 万里谷祐理、あの媛巫女は、暴君に巫女として浚われたのを皮切りに、剣馬鹿に巫女として使われ、霊視で私の正体を間接的にとはいえ看破した。そして、最近では草薙君の見極め役を務めた。

 つまり、世界に十にも満たない数しかいないはずの神殺しの半数と彼女は何らかの形で関わっているわけだ。異常だとは思わないか?」

 

 「!?」

 

 義兄の淡々と説明するが、その内容は私をして驚愕せざるえないものだった。

 カンピオーネたる義兄さんの義妹であり、その傍に常に侍って来た己でさえ、実際に会った事のあるカンピオーネは、義兄さん以外では僅かに二人。賢人議会を通して不戦を約束した際に黒王子アレクと、後は同じ日本人である草薙護堂だけだ。それを考えれば、万里谷祐理が極めて優秀な霊視術師であることを差し引いたとしても、客観的に見れば確かに義兄さんの言う様に異常に思える。

 

 

 「二度あることは三度あるというが、偶然で片付けるにしては少々異常だ。これは勘だが、あの娘はこれからも神殺しや『まつろわぬ神』と関わることになるだろう。望むと望まざるに拘わらずな」

 

 「義兄さんの勘って……それじゃあ、もう確定したようなものじゃない」

 

 虫の知らせが一般的に知られているように、優れた術師や巫女の予感や勘といったものは馬鹿にできないものだ。まして、人間離れした直感力を誇るというカンピオーネの一人であり、同時に天才的な術師でもある義兄さんの勘となれば、それは最早確定したといっても過言ではないだろう。

 

 「だろう?大体、あの娘は草薙君と同じ学校で同級生だ。見た感じ相性も悪くなさそうだったからな。委員会としても、窓口として使わない手はないだろう。そう意味では、最早巻き込まれるのは必然とも言える」

 

 「確かにその通りね……。じゃあ、あの過剰な扱いと護符はその為の?」

 

 義兄さんが置いてきた名刺は、義兄直通の連絡先が書かれていただけではない。ああ見えて、義兄さんがその技術の粋を尽くした特別製の護符でもあるのだ。霊的な隠蔽も完璧で、並の術師ではあれが備える力を見抜くことはおろか、護符であることすら分からないという代物だ。

 

 「ご明察、早い話が保険だ。もう間に合わないのは御免だからな。

 まあ、実際にはそれだけではないが」

 

 「えっ、まだ何かあるの?」

 

 保険というには些か大仰過ぎる気がするが、納得のいく話ではあった。だというのに、まだ何かあるというのか?

 

 「ここからは正直、嫌な話になる。それでも聞きたいか?」

 

 義兄が微妙な表情で躊躇いがちにそう問うてくるが、私は躊躇いなく頷いた。

 ここまで聞いた以上、全て知りたいと思ったからだ。そして、それ以上に義兄さんの巫女として知っておくべきだと思ったからだ。

 

 「そうか、分かった。後悔するなよ……。

 万里谷祐理はこの日の本、いや、世界でも有数の霊視術師だ。それを草薙君にくれてやるのは惜しいと思ったのさ。あの娘の能力は稀少な上に有用だ。その分、敵にまわすと厄介だからな。

 要するに、今日のことは、彼女を草薙君側に完全に取り込まれないようにする為の楔さ」

 

 「っ!」

 

 義兄はこれ以上ないと思える程、冷たい口調で言い切った。その境遇に姉さんを重ねていたことが嘘のようである。

 

 「あの娘は聡く優しい娘だ。アテナの件で落ち込んだ草薙君達に同情しているだろうし、絆されてあちらよりの行動をとるだろうことは想像に難くない。同年代でもあるし、親近感もわくだろうしな」

 

 「だから、完全に取り込まれる前に手を打った?」

 

 「そうだ。今日のことで、あの娘は私も心を持った人間であると感じたことだろう。たとえ、そこまでいかずとも、少なくとも多少の恐怖は拭われた事だろう。直接話したことで、印象も変わっただろうし身近に感じられただろうしな」

 

 「それはそうかもしれないけど……」

 

 私は淡々と話す義兄に薄ら寒いものを感じ、素直に頷けなかった。

 あの場で見せたもの全てが演技であったとは思わないが、その可能性があるというだけで十分過ぎる恐怖だった。

 

 「うん?……ああ、安心しろ。言葉に嘘はない。些か演技した部分がないとは言わないが、あの場で言ったことは全て偽りなく本心だ。ただ、そういう側面もあるというだけの話だ」

 

 「……」

 

 私の内心を察したのか、義兄は安心させるように言うが、私はそれに何も返せなかった。

 

 「草薙君とはそう遠くない未来で、やり合う気がしているからな。まあ、そういう意味でも保険なのさ」

 

 何でもないことのようにとんでもないことを言って、義兄は再び私に背を向けて月を見上げた。その物言わぬはずの背中は、何よりも雄弁にこれ以上語る気はないということを語っていた。

 

 「……分かった。今日は先に休むね、義兄さん」

 

 まだ聞きたいことはあったが、私は素直に引き下がることにした。こういう時の義兄には、何を言っても無駄と理解していたからだ。

 

 「ああ、おやすみ。

 ―――悪いが、もうお前を手放す気はないぞ」

 

 ずるい、何ともずるいタイミングだ。人の不安を散々煽っておいて、最後にこれなのだから。狙ってやっているとしたら、本当に最悪である。そして、それだけで絆されてしまう自分は、何とも安い女であろうか。

 

 「!!ふふっ、何を今更。言ったでしょう。私は義兄さんのものよ」 

 

 時に距離を感じたり、恐怖を覚えたりしたところで、結局、神楽美雪という女は、骨の髄、いや、魂までも神無徹という男に焦がれ、その存在を狂おしいまでに求めているのだから。

 

 だから、宣言とは裏腹に幾分か不安が混じった義兄の声に、不敵な笑みと共に断言してやったのだった。 




利用できるものは何でも利用する&平気で盤外戦術をやる大人特有の汚さというか、必要ならば手段を選ばない非情さを感じていただけたら幸いです。


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#12.剣王の助言と忠告

だから、なぜまた余計なものを書いているんだ!?
次こそは、ヴォバン戦に……いけるといいなあ。


 ある夜、八人目のカンピオーネである草薙護堂は、思わぬ人物からの電話を受けていた。

 

 「はい、草薙です」

 『……やあ護堂、ひさしぶりだね。元気にしていたかい、我が友よ?』

 

 聞き覚えがのある、そして、できれば永遠に聞くことがないことを祈っていた声が受話器から無情に響く。

 深みのある、無駄にいい声でやたらに馴れ馴れしい。それに該当する人物に思いあたった瞬間、護堂はすぐさま受話器をおいて、電話を切った。

 

 「……くそっ。あの野郎、ついに復活しやがったか!」

 

 誰かの不幸など基本的に願ったりしない護堂であったが、この相手だけは話が別であった。

 すぐさま、電話線を引っこ抜き、再度の受信を阻止する。

 が、敵もさるもの。護堂の目論見は、私室に戻ったところで、自身の携帯電話が鳴り出したことで瓦解した。

 僅かな希望を抱いて、着信画面を見れば、送信者は「通知不可能」。

 やはり、海外からの電話なのか?無視することも考えたが、ある日突然「電話にでてくれないから直接来ちゃった♪」なんて真似をしかねいので、リスクが大きすぎると判断し、その選択肢を捨てた。

 鳴り続ける携帯電話を一瞥し、護堂は深々と溜息をつくと、諦観と共に覚悟を決め、通話ボタンを押した。

 

 『いきなり電話を切るなんて、ひどいじゃないか!』

 

 「あんた、俺に何をしたのか忘れたのかよ」

 

 電話の相手は、同胞にして天敵たる七人目のカンピオーネ、サルバトーレ・ドニであった。金髪碧眼で、長身のハンサム。イタリアの盟主であり、『剣の王』の異名をとる欧州最強の剣士である男。

 

 護堂がカンピオーネとなってまだ間もない頃、ドニは一緒に茶でも飲まないかレベルの軽さで護堂に決闘を申し込み、それを袖にされるや否やエリカの所属する赤銅赤十字に護堂を襲撃させ、結果として護堂はなし崩し的に決闘する羽目になったのであった。

 今になって思えば、エリカのことがあったとはいえ、のこのことイタリアへ赴きドニの思惑にのってしまったのは、苦い思い出である。

 

 まあ、そんな迷惑極まりない男なので、神殺しとして先達で年長者であるのに敬意も持てず、敬語を使う気にすらなれない。それどころか、心の奥底で微妙な敵愾心が燻る相手なのだ。

 

 『うんうん、あの時の君は本当に素晴らしかった。避けられない死を超えて、燃え上がるような闘志と共に死力を尽くしてきて―――僕も全力でそれに応えた』

 

 「何、いい話みたいに言ってやがる。格下の俺相手に、あんたが大人気なく全力でケンカしてきただけだからな」

 

 『雄羊』の化身のおかげでこうして生きているとはいえ、実際一回死ぬ羽目になったくらいである。しかも、色々な人に迷惑をかけてしまい、エリカにも盛大に怒られた。やったこと自体は後悔していないが、正直浅慮極まりなかったというのは認めざるをえない。

 

 『あの決闘で僕らは感じあったはずだ。互いがいずれ幾度となく死闘を繰り返す、永遠の好敵手である、と。そんな僕達こそ、親友と呼ぶに相応しいだろう?君の国の格言にも、『強敵と書いて友と訓む』とあったはずだし』

 

 「感じてない!俺はそんな気の迷い、一瞬たりとも感じていないぞ!後、漫画の話を現実に持ち込むな!」

 

 『―――というわけで、永遠のライバルたる君よ。僕のことは、親愛と敬意をこめてサルバトーレと呼んでくれ。あれだ、トトと愛称を使ってくれてもかまわないが』

 

 護堂が何を言ったところで、この男には暖簾に腕押し、糠に釘のようであった。

 その後、護堂が愛称で呼ぶことを「死んでもゴメン」とはっきり拒否したにも関わらず、ドニはツンデレなどほざいたので、いい加減やってられなくなって電話を切ろうとしたところで、ドニはようやく本題に入った。

 

 『ま、待ち給え、友よ。今日は君にアドバイスしようと思ってね。……君は『魔王の狂宴』と呼ばれる事件を知っているかい?』

 

 「『魔王の狂宴』?確かあんたと近所に住んでいる偏屈じいさんの大魔王、後当時は正体を隠していた……六人目がオーストリアで起こした大規模破壊事件だろ」

 

 護堂が直接関わったわけではないが、同胞が起こした事件として、エリカから聞かされていた。特に護堂が関わった二人の王、ドニと神無徹を語るには欠かせない有名な事件でもあったからだ。

 

 神無徹のことを迷いながらも六人目と呼称したのは、未だ完全に蟠りを捨て切れないからだ。

 無論、理不尽な怒りなどではない。子供扱いされた挙句、尻拭いまでしてもらったのだから、さしもの護堂も完全敗北を認めるほかないからだ。そのことに対する悔しさというか、むしろ己の情けなさへの怒りが心中に蟠っていたのである。

 

 『うん、あれは楽しかったなあ。今の体質になって以来、初めて死を覚悟したくらいだからね。是非、またやってみたいよ。あ、今度はメンバーを入れ替えるのもありかな?護堂もどうだい?』

 

 「絶対に御免だね。そんなことになったら、真っ先に逃げてやる」

 

 『またまた~、君はなんだかんだ言っても、結局逃げずに戦うと思うけどね。

 まあ、本当に嫌なら今すぐ逃げることだね』

 

 「ハアッ、なんでだよ?」

 

 『だって、このままだと確実にそうなるだろうかね』

 

 「俺は六人目とケンカする予定なんてないぞ!」

 

 『チッチッチッ、いやいや君は勘違いしている。今回に限って言えば、君はおまけさ。主役はヴォバンのじいさまと六人目神無徹さ。二人とも、狼の権能もってたし狼王決戦だね』

 

 ドヤ顔で指を振るドニを幻視し、護堂はイラッとした。

 

 「なんで、その二人が日本で対決するんだよ!?六人目はともかく、その爺さんは東欧の魔王なんだろ?」

 

 『いやー、実はね、ヴォバンのじいさま、いま東京にいるはずなんだよ。でもって、あの二人は、儀式を邪魔した側とされた側だからね。因縁があるんだよ。もっとも、肝心の神様は僕が美味しく頂いたんだけど。

 君も気が向いたら、ちょっとケンカでも売りに行くといいよ。現存する最古のカンピオーネというだけあって、権能も多彩で些か以上に歯ごたえのあるじいさまだからね』

 

 「アホか、誰がそんな真似するか!」

 

 大体にして、徹から次の行動は心してしろと言われているのだ。自分からケンカを売りに行くなんて軽率な真似をしたら、あの護国の鬼にどんな目に合わされるか分かったものではない。―――いや、確実に殺される。

 

 『あっ、分かった。護堂も僕みたいに二人が殴り合っているところに、乱入する気だね。それはいいね、盛大なお祭りになりそうだ。……今からでも僕もそっちに向かうべきかも』

 

 「やめろ馬鹿!絶対に来るなよ!来たら、金輪際お前とは戦わないからな!」

 

 最古の魔王に徹だけでもいっぱいいっぱいだというのに、その上ドニなどどうなるものか分かったものではない。下手をしなくても、東京が更地になりかねない。絶対に阻止しなければならない。

 故にこそ、ドニに一番効くであろう脅しを護堂は躊躇いなく持ち出したのだった。もっとも、元より二度とやり合いたくない相手だし、その予定もないので、護堂に損はないのだが。

 

 『あー、それは困る。君がウルスラグナの化身を全て掌握したら、リベンジマッチの予定だしね。まあ、あの二人との巴戦は一回やったし、不完全な君に邪魔されるのも微妙だから、今回は諦めるよ、うん。それに彼とは、1対1でやりたいからね』

 

 「そうか……。それにしても、六人目とサシで?あの人がそんなのに応じるとは思えないけど」

 

 『彼と因縁があるのは、ヴォバンのじいさまだけじゃないのさ。きっと招待状を送り届けたら、これ幸いと僕を始末しに来るだろうね』

 

 「おまえ、あの人にも何かやらかしたのかよ……」

 

 護堂が呆れた様に言うが、それにこたえるドニの口調はどこまでも悪びれず楽しげですらあった。

 

 『彼個人に何かしたわけじゃないんだけどね。僕がやったことは彼にとって許せない―――おっと、これは内緒の話だった。とにかくやり合うだけの理由はあるんだよ』

 

 「本当に何をしたんだよ」

 

 護堂は、ドニが余程のことをやらかしたのだとあたりをつける。あの徹が他国の王であるドニを躊躇いなく殺害するというのだから、相応の理由があるのだろうと。

 

 『ハハハッ、本当に偶然だったんだけどなー。

 あっ、それはそれとして、一つ忠告だ』

 

 ドニは一頻り笑った後、ガラリと雰囲気を変えた。

 

 「忠告?何だよ?」

 

 『ヴォバンのじいさまにケンカを売るのはいいけど、彼とはやらない方がいい。今の君だと、容赦なく殺されるよ』

  

 「なっ!?」

 

 『彼には、僕やじいさまのような遊びは存在しない。はっきり言って、君との相性は最悪だ。だから、彼にはなるべくケンカを売らないでくれよ。少なくとも日本国内では絶対に駄目だ。僕とのリベンジマッチの前に死んでもらっては困るからね』

 

 ドニの忠告は、どこまでも自分本位で一方的なものであったが、その声色は今までとは全く違う真剣なものであった。

 

 「おい、待て。相性が悪いって、それに国内じゃ駄目って、どういう意味だ?」

 

 『……それじゃあ護堂、すまないがこの辺で失礼するよ。強くなった君との再会を楽しみにしている、友よ』

 

 護堂は思わず聞き返すが、ドニは答えず、電話は切られた。

 

 「俺にどうしろっていうんだよ……」

 

 何も返さなくなった携帯電話を握りながら、護堂は一人苦悩するのだった。

 



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#13.狼の幻視

またヴォバン戦までいけなかった……。原作が確りある分、書く量が増えてしまい、中々そこまでいけないジレンマ。こうして見直すと2巻はネタ満載なんですね。


 その日、武蔵野の媛巫女万里谷祐理は正史編纂委員会の依頼を受けて、青葉台にある公立図書館に来ていた。

 公立図書館とは言っても、一般公開はされていない。関係者以外の入館・利用は一切認められておらず、近隣の住人さえも、ここがどういう用途の公共施設なのか認知していない。

 

 しかし、それは当然である。ここに集められた書物はいずれも魔術・呪術について記された専門書―――魔導書や呪文書の類ばかりなのだから。

 一般の人間では読み解くこともできない、危険な叡智の結晶。魔術・呪術に関する禁書、稀覯本を秘匿し、世間より隔絶するための施設なのである。

 

 「青葉台の『書庫』……話に聞いてはいましたが、来るのは初めてです」

 

 清潔で静謐な館内。そこかしこの書架に収められた万巻の書物を見回しながら、祐理は感慨深げに呟いた。

 

 「はは、無理もありませんよ。用がなければ、来る必要のない施設ですしねー。私も仕事以外では、つい先頃先輩のお供で来た程度ですから。

 じゃ、少し待っていていただけますか。問題のブツを持ってきますので」

 

 と言い置いて、奥へと姿を消したのは、祐里をここに連れてきた正史編纂委員会のエージェント甘粕冬馬だった。見かけはくたびれた背広姿の青年だが、油断ならぬ曲者であるということを祐理はすでに理解していた。

 

 ―――図書館二階にある、広い閲覧室。

 待たされることになった祐里は、好奇心に任せて書棚を見回してみた。

 

 どれも一見、何の変哲も無いもない普通の書籍だが、にじみ出る怪しい気配を祐理の霊感は感じ取っていた。やはり、ただの書庫ではない。

 目に入る本のタイトルは殆どが横文字で、日本語で書かれたものは三割にも満たない。これは外来の魔術の知識を制限するのが委員会の役割の一つでもあるからだ。この書庫の万巻の書は、彼らが数十年かけて行ってきた魔導書狩りの成果なのだ。

 

 そうこうしている内に甘粕が戻ってきて、持ってきた本について霊視による鑑定を依頼してきた。

 それは革で装丁された薄めの洋書で、題名は『Homo homini lupus』。本物ならば、魔術の伝導書にして狼男を次々増殖させる呪詛がこもった、呪いの魔導書であるそうだ。そんな薀蓄を愉しげに語る甘粕に文句をつけながら、祐理は古書と向き直った。

 

 ―――目を凝らし、心を澄ませる。

 彼女の霊視は言う程、いつでも気ままに行使できるような力ではない。

 心を空にし、神霊の導きに任せて、目と直感を働かせる。それで何が視えるか、何に気づくかはその時次第。役に立つ時もあれば、全く役に立たない時もある、正に当たるも八卦当たらぬも八卦であった。

 

 ……しかし、この書からは確かな叡智と歴史を感じ取れる。

 

 鬱蒼とした森の奥に住まう魔女、彼女らを崇める数多の動物たち―――記された秘儀は奥深く、力強い。読み解く者を魔女の下僕へと近づけていく、並の魔術師では抗しきれない伝道の書。

 

 「これは呪いの書ではありません……読む人間に十分な見識があれば、この本に秘められた力に毒されず、知識だけを獲得できるはずです」

 

 この古書の本質を漠然と感じ取った祐理は、そう呟いた。

 

 「読む者の姿形を変えるのは、呪詛ではなく試練―――資格のない者がひもとくのを防ぐための仕掛けなのだと思います」

 「ははあ。つまり、こいつは本物だと……先輩の言うとおりでしたか。それにしても、一目で見抜くとは流石ですな」

 「たまたま分かっただけです。次もこうだとは限りませんから、頼るのはやめて下さいね。先輩って、あの……!」

 

 感心する甘粕に、祐理は念を押しつつ、聞き逃せない言葉に尋ねようとした瞬間、彼女を囲む空間が暗黒に包まれた。甘粕の姿も、古書も、書棚に収められた万巻の書も姿を消していた。祐理は唯一人、じめじめと湿った空気のこもる、どことも知れない闇の中に、いつの間にか立っていた。

 

 「これは幻視?あの魔導書のせい?」

 

 祐理は霊視が高じて。幻覚じみたビジョンをかいま見る時がある。

 滅多にあることではないが、今回のような強大な呪力を秘めた物や存在に接触した直後など、たまに起こってしまう。だから、驚きはしても、動揺はしなかった。

 

 幻視は続く。

 まず、現れたのは巨大な狼だった。軽々と鉄鎖を引き千切る獰猛な狼だ。最終的に特殊な紐で束縛される。しかし、束縛されるままに任せず、復讐として偉丈夫の腕を食い千切った。一度解き放たれれば、天を駆け上がって太陽を呑み込み、月を呑み込む。全てを飲み込み、世界に終末を呼ぶ終わりの獣。

 

 次に、現れたのは闇の奥底で蠢く鼠だった。それは徐々に大きくなっていき、規格外のサイズとなり最終的に人狼へと変わった。人狼は闇から出ていき、見つけた大蛇を踏みにじって殺戮する。そして、人狼は天に輝く太陽を素手で掴み取り、呑み込んだ。

 

 最後に、巨狼と人狼はお互いに気づくと、互いに咬みつき合う。巨狼が全身から炎を生じさせたかと思えば、人狼はそれに雷霆を伴った嵐を呼び出す。そして、両者は何かに気づいたのか、弾かれように互いに距離をとり、祐理の方へと顔を向けた。

 すると、どうだろう。巨狼も人狼も人間へと変貌を遂げた。青年と老人という差異はあったが、両者とも祐理がかつて出会ったことのある人物だった。

 

 片や中肉中背、どこか陰のある怜悧な面差し―――そして馴染みのある黒髪黒瞳の青年。

 つい先日会ったばかりの日ノ本初の王。自身も傅くべき相手、神無徹が表情を消し、絶対零度の視線で祐理を射抜く。

 

 此方長身痩躯、秀でた額を持つ知的な面差し―――そしてエメラルド色の双眼の老人。

 東欧と南欧に君臨する、古きカンピオーネ。老いたる魔王は輝く邪眼を祐理に向け、獰猛に微笑んだ。

 

 「神無徹様に―――ヴォバン侯爵!?そんな、あなたがなぜ!?」

 

 凄まじい重圧と最大級の恐怖が、祐理を襲う。悲鳴と共に、彼女は意識を失った。

 

  

 

 

 

 

 

 「……視線が途切れた。気づかれたのに気づいて視るのをやめたのか?それはそれで構わないが、あの時近くに感じた気配は一体―――」

 

 同刻、美雪と共に茶を飲んでいた徹は、突如感じた視線を敏感に感じ取っていた。それもただの視線ではない。自身の内を覗かれるような特殊な視線だった。まず、間違いなく霊視の類であると断定し、その糸を逆に辿って睨みつけてやったのだが……。

 

 「義兄さん、どうしたの?」

 

 先ほどまで和気藹々と話していたのに、突然黙り込んだ徹に疑問を覚えたのだろう。美雪が不思議そうに尋ねてくる。

 

 「いや、すまない。ちょっと見られている気がしてな。恐らく霊視の類だと思うんだが、お前は感じなかったか?」

 

 「えっ!?まさか万里谷祐理が!あの娘―――!!」

 

 優れた巫女である美雪でさえも感じ取れなかったらしい。

 だが、徹を霊視できる程の術士と考えた時、彼女の頭に真っ先に浮かんだのは、先日楔を打ち込んはずの少女だった。

 

 「いや、違うだろう。そうならそうで、察知できるように仕組んであるからな。冬馬達もそんな無謀な真似はさせまいよ。だが、美雪が何も感じ取れなかったとすると、やはり私が目的の霊視なのか?」

 

 流石にそれはないと徹はそれを即座に否定する。そこまで肝が太いとも、厚顔でもないだろうと思っていたし、何よりそれはないという確信があったからだ。

 だが、それはそれで疑問が残る。徹を霊視した術者は何者なのかと。

 

 「うーん、それはどうかな?霊視って、やろうと思ってできるものじゃないし。まあ、万里谷祐理程の術者ならできるかもしれないけど、それなら義兄さんには分かるんでしょう?」

 

 「ああ、自分の意思で私を霊視しようとすれば確実にな」

 

 あの名刺に見せかけた護符には、その為の術式も仕込んであるのだから。

 

 「でも、並大抵の霊視術士が義兄さんを霊視するなんできないはずだし、人海戦術でやるにしてもあれは稀少な能力だから……。うーん、あ、そうだ。もしかしたら、別の物を視ようとした結果、義兄さんを視ることになったのかもしれない。迦具土にパールヴァティー、フェンリルにプロメテウスと義兄の簒奪した権能の神々縁の品か、類似性のあるものから」

 

 「なるほど、それはありえるかもしれないな。私のかつての師も『プロメテウス秘笈』という神代の魔導書をかつて所有していたというからな。魔導書をはじめとした呪物を霊視した延長で、関連あるいは共通点・類似性のある私を幻視したわけか。可能性は低いが、絶対にありえないことではないな」

 

 実際そのとおりであり、祐理は狼とフェンリルという共通点、そして徹のことを口に出した言霊から、徹を幻視してしまったのだ。

 

 「うん、そうだと思う。滅多にないことではあるけどね」

 

 「そうか、なるほどな……うん、待てよ」

 

 美雪の推論を聞き、納得がいったとばかりに頷く徹だったが、とんでもない可能性に気づき顔を青褪めさせた。

 

 「どうしたの、義兄さん?」

 

 「あの護符は、あくまでも私を万里谷祐理が自身の意思で霊視しようとした時にそれを報せる代物だ。流石に偶然視てしまったものや、視えてしまったものまでは察知できない。ここまではいいか?」

 

 「うんって……ああ、もうオチが見えたわ。つまり、義兄さんを視たのは万里谷祐理の可能性があるってことね。ううん、近場で義兄さんを霊視できる程の優れた霊視術士はあの娘ぐらいだから、十中八九そうね。

 それで視られていることに気づいた義兄さんは何をしたのかな?」

 

 美雪は笑ってはいるが、目が少しも笑っていない。徹は顔を引き攣らせた。

 

 「いやー、あのな。本当にわざとじゃないんだ。ただ、霊視されてると感じたから、過分に反応しただけでさ」

 

 「な・に・を・し・た・の?」

 

 言い淀む徹に美雪は容赦しなかった。

 こういうところはよく似てる、姉妹だなーと和みつつ、その時の亡き妻の対応を思い出し戦慄する。

 

 「ムカついたんで、結構本気で睨みつけちゃいました」

 

 誤魔化してもいいことがないのは経験から百も承知なので、徹は素直に白状する。

 

 「―――バカー!義兄さんの馬鹿!先日のやり取りが台無しじゃない!」

 

 「いや、でもまだあの娘だと決まったわけじゃないし」

 

 「本当にそう思っているの?」

 

 「ゴメンナサイ、欠片も思ってません」

 

 あの時は咄嗟の事で過敏に反応してしまったが、改めて考えてみれば覚えのある気配だった。つまり、万里谷祐理である可能性は極めて高い。

 

 「謝るのは私にじゃないでしょう!」

 

 「はい、冬馬に連絡してすぐに確認をとります!」

 

 直ぐ様、冬馬に電話する徹。

 

 『先輩ですか?すいません、急ぎでなければ後にしてもらえますか。ちょっと、立て込んでまして』

 

 応えたのは慌てたような冬馬の声だった。それだけで徹は確信した。あれは万里谷祐理だったのだと。

 美雪も徹の諦観の表情と漏れ聞こえた冬馬の声で悟ったのだろう。絶対零度の視線が徹に突き刺さる。

 

 「冬馬すまん。多分、いや間違いなくそれは私のせいだ。お前、万里谷祐理と一緒にいるだろう?」

 

 『えっ!?どういうことですか、先輩?確かに祐里さんはここにいますけど、先輩何かしたんですか?まさか、先日会った時に何か仕込んだんですか?』

 

 「いや、それがな―――」

 

 その後、徹は美雪同様に霊視されたんで、大人気なく全力で睨みつけた旨を説明した。

 

 『はあ、そういうことでしたか。不可抗力とはいえ、先輩勘弁して下さいよ。こっちは本気で焦ったんですからね』

 

 「すまん。本当にすまん。今度酒でも奢るから勘弁してくれ」

 

 『……飲食制限なし、全部先輩持ちで手を打ちましょう』

 

 「わかった、それで頼む」

 

 『本当に気をつけてくださいよ』

 

 どうにか話をつけて、電話を切る。が、徹の苦難はこれからであった。

 

 「……義兄さん、話はこれからだよ」

 

 腕を組んだ美雪が、徹の前に立ち塞がっていたからだ。

 

 「あのな美雪―――「正座」―――はっ?「正座!」はいっ!」

 

 「大体、義兄さんは―――!」

 

 その日の説教は三時間余り。今まで溜まっていたであろう鬱憤を晴らすかのように、美雪の説教は続いた。今回のことは勿論、全然関係ないことまで話は及んだが、徹はそれを大人しく聞いているほかなかった。

 そんな有様だったので、あの時感じた覚えのある危険な気配については、徹はすっかり忘却することになるのだった。

 




幻視されたヴォバンの反応については原作を読んで下さい。


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#14.秘巫女、虎口を逃れて竜穴に入る

やっと戦闘に入れた。とはいっても、前哨戦ですけど。
次は、護堂&エリカの動きかな?書くことが多すぎて、終わる気がしない……。


 逢魔が時、夕闇が支配する魑魅魍魎に出会うといわれる不吉な時間に、神聖なはずの七雄神社の境内では薙刀と長い刀身を持つサーベルが激しく打ち鳴らされていた。

 薙刀の担い手は黒髪の美しい極東の巫女であり、サーベルを振るうはミラノの誇る神童、銀の妖精と形容される銀髪の女騎士だ。

 

 「ハッ!」

 「セイッ!」

 

 薙刀が長い刀身を持つサーベルを受け流し、石突きによる反撃が行われる。

 

 「チィッ!」

 

 銀の妖精は舌打ちしつつも、それを巧みに躱し距離を取る。

 しかし、敵である極東の巫女は、それを黙って見ているような相手ではなかった。

 

 「千鳥鳴く佐保の川瀬のさざれ波やむときもなし我が恋ふらくは」

 

 放たれるは無数の折鶴。それは万葉集の和歌を呪言とした言霊にのって、銀の妖精を切り裂かんと殺到する。万葉集は日本に現存する最古の和歌集である。それに含まれる強力な神秘を利用し、さらに尽きぬ恋心を詠んだものである通り、この術は尽きること無き折り鶴による怒涛の奔流だ。

 

 一羽一羽、念と呪力をこめて丁寧に折った千羽鶴を千鳥の刃となす術。巻き込まれたら最後、人間など原型を留めない肉片になるまで切り刻む。

 

 「ウリエルよ、ソドムとゴモラを滅ぼせし、業火の一端をここに!」

 

 銀の妖精は、その見た目とは裏腹な危険性を魔女の直感で察知すると、迷い無く最大の火力でもって焼き払った。いかに呪力で強化されようと、折鶴は所詮紙である。燃やすのは造作も無い。追撃の術を見事防ぎきる。

 

 だが、それは同時に銀の妖精の動きを止めたということと同義である。彼女はライバルであるエリカ・ブランデッリとは違って技巧派であり、この手の力押しの術は隙が多く不得手なのである。

 故に、すでに相手が目的を達成していることに気づけなかった。

 

 視界を埋め尽くす折鶴の奔流を焼き払った業火が消え去った後、銀の妖精は困惑した。そこには誰もいなかったからだ。

 

 「なっ!?一体どこに?」

 

 いくら周囲を見回しても、肝心の極東の巫女の姿は影も形もない。銀の妖精は、突然敵を見失ったことに驚愕を抑えきれず、思わず声を漏らす。

 

 「……」

 

 それでも、直ぐ様立ち直り、隠形による奇襲を警戒出来るだけ大したものである。

 もっとも、残念なことにそれは完全な無駄骨であったが……。

 

 「まさか逃げられたのか!?」

 

 およそ三分あまり、奇襲を警戒していた銀の妖精は、ようやく敵が離脱したことを悟った。

 

 「ぬかった。まさか、あれ程の使い手が迷い無く逃げを打つとは……」

 

 銀の妖精ことリリアナ・クラニチャールは、ミラノの神童と呼ばれる天才であり、《青銅黒十字》の誇る新進気鋭の俊英なのだ。まさか、その自分と対等に渡り合える程の術者が、劣勢でもないのにあっさり逃げを打つとは、さしものリリアナといえど予想できなかった。

 

 「元より遭遇戦であったのだろうが、何とも思い切りのいいことだ。あれ程の使い手、何者か知りたいところではあったが……。

 まあ、いい。今はそれどころではない。候をお待たせするわけにはいかないからな」

 

 ヴォバン侯爵は自身で短気と言い、神と戦う為にわざわざ招来するという本末転倒なことをする人物である。気が進まない役目とはいえ、悠長に行動していたら何が起こるか分かったものではない。

 まして、ここは二人の王のお膝元なのだ。行動は迅速に秘密裏に行う必要がある。

 

 「しまった!」

 

 今更ながら、巫女にまんまと逃げられてしまったことは痛恨のミスであったことにリリアナは気づいた。

 あれ程の使い手だ。この国の名門か、魔術結社に属しているであろうことは明白である。彼女から情報が渡れば、遠からず己は捕捉されるだろうことは容易に予想できたからだ。

 

 はっきり言えば、相手の力量に感心している暇など微塵もなかった。

 

 「くっ、急がなければ!」

 

 そして、『跳躍』の魔術を用いて、高速で離脱しようとしたところで、それができないことに気づいた。

 『跳躍』が発動しなかったわけではないし、高速移動が阻害されたわけでもない。問題なのは、移動したはずなのに、同じ場所に戻ってきてしまったということだった。

 

 「これは…まさかっ!」

 

 リリアナはすぐに己が敵の術中に嵌っていることを悟った。それも仕掛けたのは間違いなくあの極東の巫女であろうと。

 

 「……幻術の類ではないが、惑わし迷わせるものだな。私ではなく、領域に敷くもの故看破できなかったのだな。

 だが、大掛かりな術ではないし、直接私に害をなす類のものではないはずだ。そうであれば、流石に気づけただろうからな。恐らく術を破るのはそう難しくはないはず」

 

 リリアナはすぐに術の本質を悟った。優れた魔女でもある彼女には造作も無い。『飛翔』の魔術をはじめとした魔女術と魔女としての霊的感覚は、ライバルであるエリカ・ブランデッリにはない彼女の強みなのだ。 

 

 恐ろしいことに、彼女の見解は八割方当たっている。

 極東の巫女が仕掛けたのは、『奇門遁甲』。黄帝が蚩尤と戦っていた時に天帝から授けられたとされる中国系の呪術だ。一般的には占術として認識されているが、真伝は違う。『秘巫女』であった極東の巫女は、真伝の方を受け継いでいるのだ。

 とはいえ、術の効果はそう大袈裟なものではない。単なる出口へ向かう順番の強制だ。八の方位を八門に見立て、術者が設定した正しい順番でその方位を通らなければ、その場から移動できなくするというものだ。ちょっと勘が鋭い人間なら魔術師でなくとも破れるだろうし、そうでなくとも正しい方向(門)を通ればその感覚はなんとなく分かるので、諦めさえしなければいつかは出ることができるという代物だ。

 

 幸い、彼女の霊的な感覚を研ぎ澄ませれば、なんとなく行くべき方向は分かるので、脱出は容易だ。だが、今のリリアナにとっては最悪であった。一分一秒が惜しい状況で足止めされるなどたまったものではないのだから。

 

 「くっ、まんまとしてやられた!

 いや、落ち着け!今は心静かに霊感を研ぎ澄まし、一刻も早くこの場から離脱することが肝要なのだから」

 

 必死に自分に言い聞かせ、霊感を研ぎ澄ますリリアナ。だが焦りは集中を乱し、それは自然所要時間を長くしていった。それでもリリアナが脱出に要した時間は五分程で済んだのは、一重に彼女の非凡さを示していたが、今回に限って言えば、何の慰めにもならなかった。

 結局、リリアナは不意の遭遇によって、都合十分もの貴重な時間を浪費したのであった。

 

 

 

 

 

 それは両者とも、予期せぬ遭遇戦であった。

 いや、リリアナは公にはされていない万里谷祐理を守護する存在がいるかもしれないという覚悟はしていたので、ただ義兄である徹の代わりに見舞いと謝罪に来ていた美雪よりは遥かマシであったのかもしれない。

 だが、少なくとも美雪にとって、それは完全な遭遇戦であった。

 

 七雄神社の境内で、隠形しながら行動する何者かを察知した美雪は、不審に思い誰何した結果剣を向けられ、なし崩し的に戦闘状態に陥ったのだった。

 

 兎にも角にも、早急に対処するべきだと判断した美雪は、躊躇いなく逃げを打った。勝てる自信はあったが、相手の力量は侮れるものではなく、敗北する可能性もゼロではなかった。万一のことを考えれば、確実に徹と委員会に情報を伝えるのが最善だと判断したからだ。

 加えて、当初はどこか迷いが見え容易に勝利できそうな敵ではあったのだが、打ち合うごとに雑念を捨てて戦いに集中しだしたのか、剣閃も鋭くなっていったことを考えれば、あのまま戦い、敵の迷いを消し去ってやるのは愚策であった。

 

 その場から離脱する為に、美雪は己の術の中でも敵の視界を奪うに足るものを使った。

 用いた千羽鶴は、用意にそれなりに手間暇のかかるものだが、それでも彼女に躊躇いはなかった。ああも見事に焼き尽くされるとは思っていなかったが、防がれるのは計算の内である。

 むしろ、防がせ、一時的にせよ視界から自身を外させる事こそが目的であったと言って良い。

 

 美雪は己が完全に敵の視界から外れた瞬間、彼女の十八番である隠形術を使ったのだ。

 美雪の隠形術は、徹がカンピオーネになって以来、その力になるべく磨き続けてきた努力の結晶である。今や、まつろわぬ神からも隠れ通すことさえも可能なそれを人間相手に行使する。

 敵は優れた術者だ。視界に収められ意識下であれば、万が一にも見破られる危険性がある。美雪は九分九厘の成功ではなく、確実な成功を望んだのだ。

 故にこそ、些か過剰な敵を滅殺するに足る迎撃しなければならない術を、呪具を消費してまで放ったのだから。

 

 そして、それは見事成就した。美雪の思惑通り、敵は彼女を見失い、隠形を看破することもできなかった。焼き尽くされた折鶴であったが、あれには美雪の呪力が染み付いていてる。空気中を舞うその灰が、チャフのような働きをし、美雪の隠形をさらに確固たるものにする。リリアナが三分近くも奇襲を警戒していたのはこのためであったのだ。

 

 後はささやかな嫌がらせとして、方位を八門に見立てた『奇門遁甲』の陣を敷き、離脱した。もっとも、本当におまけで大した時間稼ぎになるとも思っていなかったが……。

 

 「あの娘、何者かな?外来の魔術師の情報は、義兄さんの護国方針の表明以来、委員会も神経を尖らせているはずだから。あの娘があまりやる気じゃないから助かったけど、最初から全力だったら苦戦していたかもしれない……。あれ程の使い手が来ていたなら、私達の耳に入っていないのはおかしい」

 

 異国の魔術師との不意の遭遇戦という虎口をどうにか逃れた美雪であったが、現状を考えると竜穴に入る気がしてならない。護国を掲げる義兄の膝元である日本で、それも異国の魔術師が、よりにもよって万里谷祐理が媛巫女を務める七雄神社で敵対的行動をとってきたのだ。これで何もないと思うのは無理があるだろう。

 

 「このお社に何かあるとは聞いたことがない。何かあれば、甘粕の奴が義兄さんに伝えないはずないし……やはり、狙いは―――」

 

 その先は、流石に直接言葉に出すことは憚られた。言霊とは馬鹿に出来ないもので、口にするということはそれを本当にしてしまうことがあるからだ。

 七雄神社は神域とはいえ、異国の魔術師が狙うに値するようなものが収められているわけでもない。そう、世界有数の霊視術士である媛巫女万里谷祐理以外には。

 さらに、万里谷祐理にはヴォバン侯爵に巫女として狙われ攫われた前歴がある。そこに先頃義兄が言っていたことを加えて考えれば、結論はそれ以外にありえない。

 

 たとえ、それが真実であっても、今は自身の推測でしかないのだから。

 

 (つくづく、ついていない娘ね。あの娘にとって今日は人生最大の厄日に違いないでしょうね。

 しかし、義兄さんの勘&予感は大当たりか。もう、ここまで来ると、予知に近い気がしてくるわ。義兄さんがプロメテウスから簒奪したのは、『偸盗』の権能らしいけど、実際には『予言』の権能も簒奪しているのかもしれない。)

 

 そんな事すら美雪は思うが、無論そんな事実はない。殺した神一柱につき一つの権能の簒奪は、神殺しの絶対の大原則である。パンドラを満足させるに足る戦いをしなかったとして、権能が与えられないことはあっても、二つの権能が与えられることは絶対にない。徹がプロメテウスから『偸盗』を簒奪した以上、『予言』を簒奪はありえないのだ。

 

 「まあ、今は詮無きこと。一刻も早く、万里谷祐理の護りに入らなきゃ。後は義兄さんが来るまで、時間を稼げば私達の勝ちよ」

 

 すでに徹と甘粕(美雪的に不本意ではあるが)に連絡済だ。

 義兄はすぐに来てくれると言ったし、甘粕も陣をひき援軍を要請することと相手の背後関係の調査を確約してくれた。義兄の強さは言うまでもなく、甘粕もあれで優秀な男だ。程なく件の魔術師は、捕縛されるだろう。

 つまり、時間は美雪の味方である。後は、時間稼ぎに徹するだけでいいはずだ―――いいはずだった。

 

 背後から飛来する何かを感知するまでは!

 

 「フッ!」

 

 それが何かを判別する間もなく、美雪は瞬時に召喚した薙刀でそれを打ち払う。果たしてそれは銀の矢だった。それもただの矢ではない。彼女が所持する矢避けの護符の護りを貫くだけの呪力が込められた呪矢だ。

 

 放たれた方向を見やれば、そこには中世の騎士を思わせるいでたちの男が弓を引き絞っていた。二の矢、三の矢が容赦なく放たれる。それを再び打ち払おうとして、美雪は無理矢理大きく飛び退いた。

 

 美雪の無理矢理な挙動の答はすぐに出た。先程まで美雪が立っていた場所に巨大な戦斧が振り下ろされたからだ。地面に見事なクレーターを穿ったそれを見れば、美雪が矢を打ち払うためにそこを動かずにいたらどうなったかは明白だろう。

 

 「これはっ……!」

 

 戦斧を振り下ろした敵の顔を見て、美雪は絶句した。それは欧州風の顔立ちの男だった。いや、そこまではいいのだ。問題なのは、男の血の気の通わぬ蒼白な顔色に、焦点の合わぬ空虚な瞳だ。それは紛れもなく死相であったのだから。

 

 「死体繰術(ゾンビ)の秘術?いえ、あれは生前の技量を発揮させることなど、到底不可能なはず。それにあの矢は確実に魔術だった。魔術を行使するゾンビなど聞いたことがないわ」

 

 思考を言葉にだすことで、冷静に客観的に現実を俯瞰すると共に状況を把握する。そして、敵の手練手管を見通そうと可能性を列挙し、ありえないものを除外していく。 

 無論、そんな美雪の事情は敵の知った事ではない。戦斧を持った巨漢の男が、その身に見合わぬ凄まじい速度で突進してくる。それも百発百中を思わせる弓騎士の援護つきでだ。

 

 美雪は戦斧をわざと受け、さらに自身でも飛び大袈裟に吹き飛ばされることで、矢の射線から外れると共に戦斧の間合いから脱出し、素早く態勢を整えながら一人ごちる。

 

 「魔術に加えて連携までも!これではまるで生きた死体(リビングデッド)じゃない。こんな真似、並みの術士、いえ、普通の手段では不可能よ。人智を超えた常識外の何か……そう、義兄さんの権の―――!」

 

 あるではないか。そんな方法が。徹と同様に埒外の力を、権能を持つ同格の存在がいるではないか。義兄が自身の権能の情報を開示する代わりに、賢人議会にから得た資料にそれは書かれていた。美雪自身にも関わりがあった王だけに鮮明に覚えている。

 その王は、東欧と南欧に多大な影響力を持つ暴君。風雨雷霆を操り、自らにが殺した反逆者を忠実な従僕として死後までこき使う暴虐非道の王。

 

 「該当する権能は『死せる従僕の檻』―――。所有する魔王は、サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン!ヴォバン侯爵がこの国に来ているというの!」

 

 思い当たった最悪の可能性を、美雪は驚愕と共に叫んだのだった。




呪文や術理とかは適当です。資料を漁り、必死に頭こねくり回して捻り出しております。
真剣に厨二回路が欲しいと思いました。


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#15.再起する少年少女

ようやくここまで書けました。次からようやくヴォバンとの戦いには入れるかも……。



 万里谷祐理が青葉台の『書庫』で気絶した頃、八人目のカンピオーネ草薙護堂は苦悩していた。

 

 「俺にどうしろっていうんだよ!」

 

 ドニのもたらした『東欧の暴君が来日している』という特大の爆弾の如き情報が、護堂を苦しめていたのだ。

 剣の王が言うように挑むなど論外だが、では、どうすればいいのか?いくら悩んでも答は出ない。

 

 その重要な情報を護堂では、有効に扱えないからだ。

 

 護堂の脳裏には先日の六人目のカンピオーネ神無徹との邂逅があり、その際の言葉と極寒の殺気が、考えるよりも先に行動する性質の護堂をして、容易に動くことを封じていた。

 こういう時に頼りになるのは相棒であるエリカだが、すでに罰を受け許されたとはいえ、日本国内での立場は依然として悪い。今彼女を頼ることで、これ以上その立場を悪くするのは避けたいのが本音である。

 

 日本の呪術界の元締めである正史編纂委員会とは、お世辞にも関係がいいとは言えない。自分がやらかしたことを考えれば当然だが、それでも現地の呪術組織を頼れないというのは、権能の制約が多い護堂にとって大きすぎる痛手であった。

 唯一の例外は、自分に好意的な媛巫女万里谷祐理であるが、彼女にはアテナの件で実際にその生命を危険に晒してしまった上に、己の所業に対する後始末などでフォローしてもらったばかりか、庇ってもらってさえいるのだ。正直に言って、頼り過ぎである。これ以上、彼女に負担をかけるのは護堂としても許容できることではない。

 

 そして、何よりも護堂には一般人としての平凡で平穏な日常に未練がある。まつろわぬ神も魔術もなく、命の心配などする必要もない騒がしくもありふれた日常。護堂には、未だそれを捨て去る覚悟はなかった。

 

 徹は言った。「次はない」と。そして、護堂が次動いた時、「王としての義務と責任を負う」とも。

 

 次やらかせば、徹は間違いなく自分を殺す。それが護堂には確信できた。そして、ドニの言う通り自分が間違いなく死ぬであろうことも。物理的にか、社会的にかいずれにせよ、己は完膚なきまでに叩きのめされるに違いない。護堂とてただではやられるつもりはないが、あの男はその為なら祖父や静花を人質に取ることも厭うまい。そうなれば、護堂には打つ手が無い。肉親を見捨ててまで、戦える程狂ってはないし、何よりも彼が守りたいものなのだ。それを犠牲にして戦うなど、本末転倒もいいところだ。

 

 「王の義務と責任か……ッ!」

 

 徹に自分の行動に責任をとれない子供だと言われたことを思い出し、護堂は歯噛みする。

 実際、護堂にはその義務と責任を受け容れる覚悟はなかった。まつろわぬ神に喧嘩を売られたなら買うくらいの認識であり、まつろわぬ神との戦いは殺し合いではなく、あくまで喧嘩の延長線上にあるものでしかなかった。その認識の甘さが、先頃のアテナの神具を持ち帰りアテナを日本へ招来するという事態を招いた。それは護堂自身も認めざるをえない。

 

 だが、それは仕方のない面もある。草薙護堂はつい最近まで、本当にまつろわぬ神はおろか魔術のまの字にも関係のない一般人だったのだ。殺し合いどころか、戦いの心得すらない、真実一般人であったのだ。それが偶然の行きがかりとはいえ神を殺し、いきなりオカルトだと思っていた世界にどっぷり浸かることになったのだ。意識の変革が追いつかないのも仕方のないことであった。

 しかし、同時に徹の言ったように護堂が己の意思でこの世界に首を突っ込んだのも、また事実である。実際、護堂には神殺しにならない未来を選択する機会が何度もあったのだから。それらを全て蹴って、神を殺したのは間違いなく護堂の意思である。

 である以上、知らないし知りたくないでは済まされないのだ。まして、護堂が王として行動しその力を行使するなら尚更である。

 

 「俺はどうすれば……」

 

 護堂は動けない。何かをしなければならないという想いはある。そして、その為の力もあり余る程に持っている。唯一足りないのは、覚悟……もしくは己の行動を貫くための確固たる意思だ。

 強いていうならば、護堂には芯がなかった。否応無く巻き込まれて、場当たり的に戦ってきたに過ぎないのだから当然だ。戦いを嫌い平和主義を標榜しながら、結果的に口先だけになってしまうのも、彼には巻き込まれたという被害者意識が少なからずあるのだから当然だ。言うなれば御題目に過ぎないのだ。

 

 ドニが同格の相手と死合うことで剣を極めんとするように、徹が護国を掲げまつろわぬ神を殲滅することを誓っているように。彼らはその為の犠牲を許容し、周囲もそれを受け容れる。それは彼らが自身の目的や信念に添っているからとはいえ、まつろわぬ神を殺すという責務を果たすからだ。

 故に、彼らは王なのだ。だからこそ、世の魔術師・呪術師達が傅くのだ。

 

 が、護堂には目的も信念もない。それどころか、我を通してアテナを見逃し、一回自身の責務を反故にしていたりする。これでは、とても王とはいえないであろう。

 

 今の護堂は、徹の言葉通り強すぎる力を身勝手に振り回す子供でしかないのだ。

 そして、それは他でもない護堂自身が、一番理解していた。徹との邂逅は、今まで見ないようにしてきたそれらを否応無くそれを浮き彫りにしたからだ。

 

 「俺は!」

 

 未だ動けぬ己が悔しかった。あくまで日常にしがみつこうとする己が情けなかった。

 そんな時だ。護堂の運命を決める電話がなったのは。

 

 「こんな時に誰だ―――!エリカか!」

 

 苛立ち紛れにうるさく鳴る携帯電話を確認すれば、送信者は「エリカ・ブランデッリ」。

 護堂を神殺しへと誘った張本人であり、この世界へ巻き込んだ唯一無二の相棒。すでに謹慎は解かれ、正史編纂委員会の監視も引き上げているという話だったが、久方ぶりの連絡であった。

 

 「もしもしエリカか?どうした、何かあったのか?」

 

 あの優雅で豪奢な少女がこのタイミングで、意味のない電話をかけてくるはずもない。実際、エリカの声は切迫しており、その話した内容も護堂にとって絶対に看過できないものであった。

 

 「―――そうか、分かった。甘粕さん達にはお前から伝えておいてくれ。俺は俺で動くから!」

 

 電話を切った護堂に、それまでの苦悩は微塵もなかった。

 そこには、覚悟を決めた一人の漢が立っていたのであった。

 

 

 

 

 護堂がドニから特大の爆弾を落とされていた頃、エリカもまた国際電話を受けていた。

 もっとも、護堂とは違い、送信者は彼女にとって馴染み深い人物であり、父とも慕う大切な親族であったが。

 

 「エリカ、元気にしているかね?」

 

 「ええ、叔父様。アリアンナはよく働いてくれますし、わたしは一度の失敗でいつまでも醜態を晒すような安い女ではございませんから」

 

 エリカの電話の相手はパオロ・ブランデッリ。《赤銅黒十字》の総帥にして、イタリア最高の騎士と称される偉大な聖騎士だ。かの黒王子(ブラックプリンス)アレクにすら立ち向かったという武勇伝を持つ先代の『紅き悪魔(ディアヴォロ・ロッソ)』だ。

 

 「そうか、ならばいい。だが、あまり背負いすぎるな。確かにアテナの件はお前の失敗であるが、最終的にお前の提案に賛同し許可したのは私なのだから」

 

 パオロの言葉は間違っていない。

 グランドマスターの会合にエリカを参加させたのは他でもないパオロであり、その際のエリカの提案『護堂にアテナの神具であるゴルゴネイオンを託す』を認めたのも、《赤銅黒十字》の総帥である彼なのだから。

 

 「いえ、叔父様。御言葉はありがたく存じますが、此度のことは全てこの身から出た錆にございます。恐れ多くも、王とまつろわぬ神を意のままにしようとした不遜、私は愚かでした。護堂にまで、そのつけを払わせることになってしまったのは痛恨の極みですが……」

 

 だが、エリカはそれを明確に否定した。彼女はアテナの件が完全に自分の私欲を優先した結果だと理解していたからだ。

 護堂に少しでも早く一人前の魔王に成って欲しい。多くの権能を手に入れ、確固たる権威を確立して欲しい。そう思うが余り、日本の受ける被害などを無視させた。失敗の原因が神無徹という予想外の六人目の正体にあるにしても、護堂のカンピオーネとしての権威を当てにして、エリカはすべきことを怠ったのは否定出来ない事実であった。せめて予め、正史編纂委員会と繋ぎを取っていれば、あんなことにはならなかったはずなのだから。

 

 それがああなってしまったのは、エリカが一石二鳥どころか三羽目を狙ったからに他ならない。

 事前通告無しでまつろわぬ神との戦いを見せつけてやれば、護堂の圧倒的な力を強制的に周知し、その権威を確たるものにできる。しかも、首尾よく神を殺せれば護堂の権能も増え、王としての成長も見込める。良い事尽くめだと……。

 

 もっとも、その結果は目も当てられない無惨なものだったが。

 

 「そうか……。エリカ、私はお前を誇りに思うよ。甘えることなく己の過ちを認めることができる私の自慢の姪を」

 

 「ありがとうございます、叔父様。愚かな私を見捨てないでくれて。エリカ・ブランデッリは、受け継いだ『紅き悪魔』に恥じぬ騎士となることを、今一度ここに誓いますわ」

 

 どこまでも深い愛情を感じさせるパオロの言葉に、エリカは万感の思いを込めて応えるのだった。

 

 

 

 それからしばらく、互いの近況を伝えるなどして、暫し二人は『家族の会話』に興じた。

 そんな中、パオロはエリカにとって聞き逃せない情報を伝えてきた。

 

 「そう言えば、お前の友人である《青銅黒十字》の大騎士リリアナ・クラニチャールが、そちらに行っているのは知っているか?」

 

 「リリィが?いいえ、初耳ですわ」

 

 「アテナの件があったばかりのその国で、万が一にも何かするとは思えないが一応伝えておく。折を見て旧交を温めるのもいいだろうさ」

 

 《赤銅黒十字》をはじめとして、《百合の都》《老貴婦人》《雌狼》といったイタリアの古く強力な騎士団は、アテナの一件で次はないと六人目の王神無徹から宣告され、王の怒りに震え上がっていることを考えれば、パオロの言は正しい。

 実際、護国を掲げる神無徹の御膝下であるこの国で、何かことを起こすのは断頭台に首を差し出すのと同義だ。そうでなくとも、この国には八人目の王草薙護堂までいるのだ。二人の魔王を擁するこの国に、好き好んで首を突っ込む愚者はいないだろう。

 

 「そうですわね、叔父様の仰るとおりだと思います。でも、少し気になりますわ」

 

 あの生真面目で騎士道を体現したような娘が、何の用もなくわざわざ日本まで来るはずがない。ましてリリアナ・クラニチャールは、エリカと並び称される天才児(ジエニオ)だ。《青銅黒十字》においても、至宝とも言うべき存在のはずだ。

 そんな少女を、わざわざ極東の島国まで派遣したのはなぜだろうか?それもよりにもよって、二人の魔王の存在が確認されたタイミングで―――。

 

 「ふむ、我ら《赤銅黒十字》が動けない間に、勢力をのばそうというのかな?だが、それでは日本まで行く意味が分からないな。やはり、目的は日本におわす二人の王と繋がりを持つことか?」

 

 パオロは、自分なりの結論を持っていながら、あえてエリカに聞いている。何でも最初から答を教えればいいというものではない。自ら思索し、答を導き出すのも重要なプロセスなのだ。これも彼なりの娘のように思っている可愛い姪への教育である。

 

 「いいえ、それはないと思います。護堂の方は私が対外的には愛人ということになっていますし、呉越同舟は望まないでしょう。問題は、神無徹様の方ですが、あの方の御気性はイタリアの魔術結社にはすでに周知されたはず。いかに我ら《赤銅黒十字》が《青銅黒十字》の仇敵とはいえ、その為だけに自ら藪をつつくような真似をするとは思えません」

 

 「ふむ、なるほど。確かにその通りだろう。では、何故お前の友人は日本に赴いたのだろうな?」

 

 「それは……」

 

 さしものエリカも答える事ができない。つい最近まで監視つきの謹慎処分を受けていた身である。いくら現地に滞在しているとはいえ、満足な情報収集などできるはずもなく、推測するにしても材料が足りなすぎたからだ。

 

 「流石のエリカも何の材料もなしでは難しいか。では、材料をあげよう。実はお前相手に差出人不明の手紙が先日届いた。本来なら、そんなものすぐに処分してしまうのだがね。不思議とそうしてはならないと思って、とっておいたのだ。さて、その手紙だが今私の手元にある。エリカ、お前は私にこの手紙をどうして欲しいかね?」

 

 「叔父様、すぐに開封して読み上げてくださいな」

 

 エリカは即答した。ライバルの突然の来日、叔父が処分するのを躊躇ったという差出人不明の自分宛の手紙、何かが彼女の中で繋がりそうだったからだ。

 

 「分かった。―――日本語で書かれている。「魔王の狂宴再現」、「巫女」、「万里谷祐理」以上だ」

 

 「―――!」

 

 繋がった。後は一つだけ確認すればいい。

 

 「どうだいエリカ、何か分かったかね?」

 

 「ええ、叔父様。私には分かりましたわ。

 でも、説明する前に一つだけお聞かせ下さい。ヴォバン侯爵は今どちらにいらっしゃるかご存じですか?」

 

 「ヴォバン侯爵?あの方はフットワークの軽い方だからな。少し待て」

 

 電話の向こうで、慌ただしく動く気配がする。それをなんとももどかしい気持ちで聞きながら、エリカはパオロの答を持つ。

 

 「エリカ、待たせたね。とんでもないことが分かった。今ヴォバン侯爵は「来日しているのでしょう?」……ああ、その通りだ。もしやとは思っていたが、本当にそういうことなのか?」

 

 「ええ、叔父様の予測通りでしょう。リリィの御祖父様はヴォバン侯爵の信奉者として有名な方だもの。護堂の愛人に収まった私に対抗してということじゃないかしら?」

 

 半信半疑な口調で問うてくるパオロだが、実際にはある程度予想していたに違いない。そうでなければ、エリカの頼みとはいえ、すぐに王の所在が判明するわけ無いのだから。

 

 「ふむ、だとすれば日本に行ったのは、侯のお供といったところか」

 

 もっとも、パオロはそんなことおくびにも出さないが。

 

 「ええ、侯はかの狂宴の際に当時正体を隠されていた神無徹様に儀式を邪魔され、その結果サルバトーレ卿に獲物をかすめ取られていますわ。侯にとって神無徹様はある意味、サルバトーレ卿以上に憎悪の対象なのではないでしょうか。そう考えれば、神無徹様が正体を公表したこのタイミングで来日されたことも説明がつきます」

 

 「狂宴の再現……侯の目的はかの王との再戦か」

 

 「はい、恐らくは」

 

 この手紙の差出人は、自らのライバルである銀の妖精ことリリアナ・クラニチャールだと、エリカはすでに確信していた。匿名の電話やメールなどではなく、古風な手紙というのが少女趣味な彼女らしい。

 

 「では、この状況でお前はどうする?帰って来たいというのなら歓迎しよう。私はお前に私の味わったような苦労をして欲しいとは思わないのだよ」

 

 パオロの言葉には深い愛情が感じられ、その言葉に嘘はないだろう。

 だが、エリカは同時に試されているのだと思った。これはかつて結社を脱退してまで護堂の下に馳せ参じた時と同じものだと。

 

 確かに、今帰国すれば、魔王達の戦いに巻き込まれないで済むだろうし、叔父も暖かく迎えてくれるだろう。それは疑っていない。

 しかし、同時にそうしたら最後、二度とパオロは護堂と関わることを許さないだろうという確信がある。

 

 パオロは手酷い失敗をしたエリカに問うているのだ。未だその覚悟はあるのか、自ら立てるのかと。

 

 「いえ、叔父様帰国はしません。わたしにはまだこの国ですべきことがあるようですから」

 

 パオロにはあえて説明しなかったが、侯の狙いは再戦だけではあるまい。エリカにとっても知己であり恩義のある万里谷祐理の名と巫女という記述。これは神無徹・サルバトーレ卿・ヴォバン侯爵の巴戦を護堂・神無徹・ヴォバン侯爵で再現するというだけでなく、その原因となったまつろわぬ神招来の秘儀をも再現しようとしているということなのだろう。

 それはつまり、あの時同様優れた巫女が必要だということだ。そして、その一人として、かつての儀式にも参加した祐理が狙われているということをリリィは言いたいに違いない。

 

 こんな知らせ方をしてきたのは、それが彼女にとっても好ましくないことであるからだろう。そして、恐らくだが、侯の本当の目的は再戦であり、祐理はおまけでしかないのだろう。でなければ、いくら好ましくない任だとはいえ、仇敵である自分に侯に逆らってまで知らせたりはすまい。

 すなわち、この手紙はリリィが意にそぐわぬ任の中で、被害を減らすべく足掻いたものなのだ。それを悟り、エリカはクスリと笑う。何とも彼女らしい不器用なやり方だと。

 

 「いくらお前でも、次は庇えぬ。本当にいいのだな?」

 

 いくら娘同然の可愛い姪と言っても、パオロは結社の総帥としての立場がある。次、エリカがやらかせば、どんなにパオロ個人が不本意であっても、組織の長として切り捨てる判断をしなければならないのだ。

 

 「ええ、叔父様。エリカは帰りません。怯えるあまり友を見捨てて、自分だけ逃げるなどエリカ・ブランデッリの流儀ではないし、リリィには負けていられないもの」

 

 そう宣言して、エリカ・ブランデッリは大輪の薔薇の如き笑みを浮かべた。万人を虜にする豪奢で優雅な彼女本来の笑みであった。

 

 「そうか、ならば最早何も言うまい。後、私にできることはお前の武運を祈ることだけだ」

 

 どこか諦観を漂わせた声で、パオロはそう言った。

 だが、エリカは思う。敬愛する叔父は最初から自分の答を予想していたのではないかと。

  

 「ええ、叔父様の栄えある称号『紅き悪魔』を受け継いだ者として、恥じない戦いをしてみせますわ」

 

 「……エリカ、一つだけ言葉を贈ろう。『折れない強さの美しさよりも、折れても再び立ち上がる強さの方が尊い時もある』、それを忘れるな」

 

 「―――金言有難く」

 

 エリカは、パオロの言葉を胸に刻み、矢継ぎ早に動き出すのだった。




一応言っておきますが、本作はアンチではありません。アンチタグをつけているのは、そう思われても仕方のない面があるからです。そういう展開をお望みだったら申し訳ないですが、期待にはそえないと思います。


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#16.最古の魔王VS最新の魔王

 闇の帳が降り月明かりすらない新月の夜、現存する最古の王サーシャ・デヤンスタール・ヴォバンと最も新しき魔王である草薙護堂は、七雄神社へと至る石段の前で邂逅した。

 強者と強者が惹かれあうというならば、その出会いは必然であったのだろう。いや、そも両者の目的地は同じであったのだがら、それは十分にありえる事態であったのだが、その出会いは護堂には不意打ちの以外の何者でもながった。

 

 「まさか巫女という餌にかかったのが、あの慮外者ではなくもう一人の方だとはな。この国は国土どころか、人間関係も狭いのか?」

 

 そう言って、溜息をついたのは長身痩躯の知的な鋭さに満ちた老紳士だった。とはいえ、その外見とは裏腹にひ弱さは微塵もなく、底知れぬ何かを感じさせる。

 

 「……あんたがヴォバン侯爵か?」

 

 「いかにも。名も知らぬ同胞たる少年よ。本来なら、先達として少し遊んでやるところだが、今はそのような暇はない。疾く去るがいい」

 

 ヴォバンは護堂を一瞥したものの、すぐに興味を失くしたように視線を外すと、そんな事を宣った。

 

 「あんたには無くても俺にはある!万里谷を狙うってなら、あんたは俺の敵だ」

 

 「ほう、私を前によくぞ言ったものだ。だが、貴様が私の敵だと―――身の程を知れ!」

 

 ヴォバンが不愉快そうに腕を振り上げた途端、闇の中から十数匹の『狼』が泡のように湧き出た。

 無論、『狼』と言ってもただの狼ではない。馬かと見紛う程の巨躯を持った灰色狼だった。

 『狼』達は寸暇も待たず、護堂へと牙を剥き、凄まじい速度で殺到する。

 

 「っ!」

 

 大きく横に跳んで、どうにか難を逃れるが、『狼』達の追撃はやまない。

 護堂は権能を使うしか無いと判断するが、真っ先に浮かんだ『雄牛』は早々に選択肢から除外する。

 

 無双の剛力を与えてくれるウルスラグナ第二の化身『雄牛』―――「人間を凌駕する力の持ち主と戦う時」に発動できる。ウルスラグナの化身の中でも比較的容易に使用でき、護堂も多用する権能だったが今回は状況が悪かった。ヴォバンの『狼』は十分に条件に該当する為、問題なく発動することはできるのだが、一対多という状況は、純粋に剛力を与えるだけの『雄牛』に向いていないのだ。護堂が格闘術の心得でもあれば話は別だったのだろうが、護堂はそっち方面は完全に素人である。どうにかなるとは、自分でもこれっぽちも思えなかった。

 それでも、エリカがいれば、フォローを任せてある程度戦うこともできたのだろうが、生憎とエリカはここにいないのだから無理な相談である。祐理の危機と聞いて、連絡等の諸事をエリカに任せて、取る物も取り敢あえず自分だけで駆けつけたつけがここに出ていた。

 

 (くそっ、『鳳』を使うしか無い!)

 

 凄まじい速度で追い縋る『狼』達に確かな死の気配を感じ取り、護堂は逡巡を捨てて言霊を唱える。

 

 「羽持てる者を恐れよ。邪悪なる者も強き者も、羽持てる我を恐れよ!我が翼は、汝らに呪詛の報いを与えん!邪悪なる者は我を打つに能わず!」

 

 護堂を神速へと加速することを可能とさせるウルスラグナ第七の化身『鳳』―――「人を凌駕する超高速の攻撃にさらされた時」に発動できる。その使用条件と、発動中は胸に激しい痛みが走り、解除後しばらく行動不能になるという副作用から、護堂はあまり使いたくない代物だが、この状況ではそんな事を言っていられなかった。

 護堂自身が加速し、それ以外の全てが減速する。最早、『狼』達の動きなどスローモーションに等しく感じられる。常人ならば、喉笛を噛み千切れられるそれを、護堂は余裕さえ持ってあっさりと躱した。

 

 「ほう、『神速』の権能か。我が猟犬の牙もそれでは届かぬか。悪くないぞ、小僧。

 だが、それだけでどうなる程、私は甘い相手ではないぞ」

 

 感心するような言葉に、護堂は思わずヴォバンを見る。だが、すぐに後悔することになった。

 神速状態にあるにも関わらず、ヴォバンと目が合ったからだ。それどころか、不敵な笑みさえ浮かべているではないか。

 

 「っ!」

 

 ヴォバンの余裕のある態度に護堂は歯噛みするが、すぐに侮ってくれている方がいいと思い直す。

 常のヴォバンであったなら、事は護堂の目論見通りに進んだだろう。

 しかし、今のヴォバンにとって、徹以外の相手は邪魔な障害物でしかない。故に、一切の遊びも加減もない。

 

 『心眼というものを知っておるか?優れた魔術師や武侠の者が修めているものでな、その目は神速をも見切るという。もっとも、私には使えんがな』

 

 神速状態にある為か、その声は遠くから呼びかけられるような、不思議な響きであった。

 

 ゾクッ

 

 護堂はえもしれない怖気を感じ、飛び退いた。

 そして、それは正解だった。護堂が直前までいたそこには、長剣を振り下ろした何者かがいたからである。

 それすなわち、あの剣士は護堂の神速を捉える事ができるということだ。つまり、ヴォバンは言外にこう言っているのだ。自分は使えないが、己の下僕の中には使える者がいると。

 

 『ほう、存外に勘のいい小僧だ。これが今でなければ、我が無聊を慰めるいい遊び相手になったであろうに。……残念だな、ちょうど貴様を屠るに足る者達がもどってきたところだ』

 

 ヴォバンは、さらに二人の従僕を召喚した。それは戦斧を携えた巨漢の戦士と、弓矢を携えた中世風の騎士だった。今し方、美雪によって倒されヴォバンの下に戻ってきたことなど、護堂はしる由もなかった。

 

 (まずい!逃げることも難しくなった。くそっ、どうする)

 

 神速を捉えられる剣士が出てきたことで、護堂は一時撤退を視野に入れていた。この老王の権能は自分と相性が悪いものが多い。せめてエリカと合流して戦うべきだと結論づけたからだ。万里谷の身が心配ではあるが、ここで自分が死ねば何もできなくなる。甘粕達正史編纂委員会もエリカから連絡がいっている以上、動いているであろうから、一先ず心配はいらないだろう。剣士も神速を見切ることはできても、純粋なスピードで追い縋ることはできないであろうから、逃げるだけなら問題ない。そう判断しての結論だったのだが、戦士と騎士が追加されたことで、その目論見はあえなく潰えてしまった。

 

 (ヤバイ!)

 

 どうするべきか思案する護堂だったが、感じ取った危機感の命じるままに跳躍し、飛来する矢をすんでのところで躱した。

 ところが、そこに待ち受けたように巨漢の戦士が、戦斧を振り下ろしてくる。が、咄嗟に飛び退くことで護堂は難を逃れた。

 そして、トドメと言わんばかりに突出された長剣を地面を転がることで避ける。無様極まりないが、四の五の言っていられる状況ではなかった。

 

 (こいつら全員、ドニみたいに心眼とやらを身につけていやがるのかよ!)

 

 心中で毒づくが、状況は一向に改善しない。むしろ、状況はより悪い方向へと悪化している。このままだと封殺される。

 

 (ああ、もうこうなったらとことんやってやろうじゃないか!もってくれよ、俺の体!)

 

 「我もとに来たれ、勝利のために。不死の太陽よ、輝ける駿馬を遣わし給え!」

 

 化身を切り替えたことで、襲い来る『鳳』の副作用である胸の痛みに耐えながら、護堂は言霊を唱える。

 

 使う化身はウルスラグナ第三の化身『白馬』―――「攻撃対象が民衆を苦しめるような大罪を犯していること」が使用条件であり、十の化身の中でも最も厳しいとも言える。

 だが、流石は現存する最古の魔王、標的になるだけの悪行をたっぷり重ねてきたらしい。最初から『白馬』が使えると確信できた相手はそうはいない。

 

 そして、その厳しい使用条件に比例するように、『白馬』のもたらすものは絶大だ。

 

 「む?」

 

 それは護堂と自らの下僕の戦いを傍観するに過ぎなかったヴォバンが、ここに来て初めて表情を変えたことからも分かるだろう。

 

 ヴォバンは危険の兆候を感じ取っていた。それも明確な命の危機をだ。

 月明かりすらない新月の夜だというのに、暁に染まる東の空を食い入る様に見つめた。

 

 「太陽―――天の焔、だと……?」

 

 まるで暁の曙光が差す明け方のように、東の空から太陽が昇ろうとしている。有り得べからざる第二の太陽から、護堂の求めに応じて太陽王の焔が天かけて来たる。

 

 天より来たる白いフレアの槍―――それこそが『白馬』の化身の力だ。

 

 一発限りの大技だが、鋼鉄さえもドロドロに融解・蒸発させる超々高熱の塊であるそれにかかれば、いかに頑丈で強靭極まりない肉体をもつカンピオーネやまつろわぬ神であっても、死は免れない。

 護堂にとって最大火力のそれは、間違いなく切り札である。

 

 しかし、ヴォバンは護堂の想像を超えていた。周囲を囲む『狼』と下僕達が消えたと思いきや、ヴォバンはその身を人狼を経て、銀の狼へと姿を変えたのだ。そして、体長30メートル前後のありえない巨体にまで膨張した。

 

 ―――オオオオオオオオオオオオオォォォォォォンンンンンッッッ!!

 

 巨大な咆哮が夜闇のなかに響き渡る。

 太陽のフレアが凝縮された巨大な白き焔に、銀の巨狼は一気に躍りかかった。牙をむき、その巨大な顎で焔にかぶりついたのだ。

 

 「……何だよ、それは。ありえないにもほどがあるぞ」

 

 さしもの護堂も驚愕を禁じえない。そして、切り札を防がれてしまったことに歯噛みする。このままでは死ぬしかなくなる。『鳳』は使ってしまった以上、逃げる術はない。防がれることも覚悟はしていたとはいえ、流石に何の痛手も与えられないのは予想外である。それとは別に『白馬』にも妙な違和感を感じていたが、今は考えている暇はないと切り捨て、打開策を練る。

 

 (待てよ、あの大きさなら『猪』が使えるか?いや、それだけだと負けるかもしれない……。ならっ!)

 

 「我は最強にして、全ての勝利を掴む者なり!人と悪魔―――全ての敵と、全ての敵意を挫く者なり!」

 

 護堂は、選択肢から排除していた『雄牛』の化身を使い、『白馬』の焔を今にも喰いつかそうとする銀の巨狼の足に組み付いた。その様は巨人に挑む小人に等しかったが、次の瞬間起きたこともまた有り得べからざる光景であった。

 

 「おおおーー!」

 

 なんと護堂は、銀の巨狼の足を持ち上げた挙句、投げ飛ばしたのだ。これはヴォバンといえど完全に予想外であったらしく、地面に為す術無く叩きつけられる。無論、『白馬』の迎撃に力の大半を割いていたのも大きいが。

 

 「鋭き牙―――ガッ、ああああああっ!」

 

 ダメ押しに黒き猪の神獣を召喚するウルスラグナ第五の化身『猪』―――「大きなものを破壊させる時」に発動できる。を使うべく、言霊を唱えようとしたところで、それまでどうにか耐え忍んできた『鳳』使用の副作用が護堂を襲う。これは護堂が未熟ということではない。

 むしろ、『白馬』に加えて、『雄牛』の化身を使うまで保たせたことが奇跡のようなものであり、それを成し遂げた護堂の精神力を賞賛すべきだろう。

 

 しかし、それだけの無理をしたつけ、後回しにしてきたつけが、今護堂に襲いかかる。耐え切れぬ程の心臓の激痛。それは指一本動かせない金縛りの状態になり、護堂は無様に倒れ伏すことしかできなかった。

 

 「局面に応じて、自らの能力を変化させるとは芸達者な小僧だ。珍しい権能だ……現存する『王』の中ではジョン・プルートーぐらいだな、似たような力を持つのは。もっとも、この手の権能は行使に際する制限を持つ。そう、今の貴様のようにな」

 

 いつの間にか、人間の姿に戻ったヴォバンが倒れ伏した護堂を見下ろして、そんな事を言った。

 

 「存外に楽しめたぞ、小僧。それだけは感謝しよう。今でなければ見逃してやっても良い程度にはな。

 だが、貴様は私の敵と宣言した。故に慈悲はやらぬ。自らの無力を嘆きながら、我が下僕に成り果てるがいい」

 

 再び、見覚えのある剣士と戦士、騎士が現れる。いずれも剣呑な得物を携え、護堂へと近づき、それを躊躇いなく振り下ろした。

 

 剣・斧・鎚、そいのいずれもが魔剣に準ずるものであり、カンピオーネの肉体であっても害せる逸品であり、担い手達もまた生前は達人と言っていい者達であった。故に、その全てが致命傷であった。

 

 (ガハッ、危ねえ。どうにか即死は免れたが、次は無理だな。というか、このままでも死ぬな。後はもう、こいつにかけるしかない!)

 

 今際の際に護堂が思い浮かべるのは、思い浮かべるのは黄金の毛皮を持つ羊。それに全てを託し、迫り来る死を覚悟する。

 そして、顔面に迫る巨大な戦斧に、今更ながらに違和感の正体に気づく。

 

 (そう言えば、『白馬』の焔がいつもより小さかったよ―――)

 

 グシャリ、肉を砕く嫌な音が響き渡り、草薙護堂は間違いなく死んだのだった。

 

 

 

 

 

 「ふむ、為す術無くやられたということは、本当に打てる手はなかったということか?いや、この小僧の戦いぶり、私の若い頃を思い出す。油断はならぬ。それに未だ我が従僕の列に加わらぬことを考えれば、仮初めの死に過ぎぬということなのやもしれん。『不死』あるいは『復活』の権能か……。

 放置してもよいのだが、サルバトーレの痴れ者の例もある。ここは後顧の憂いを失くしておくべきだな」

 

 ヴォバンはそう独りごちて、下僕を消し再び自らの猟犬たる『狼』達を呼ぶ。

 

 「いかに権能といえど、肉片に至るまで食い殺されてはどうしようもあるまい。いや、不可能とはいわんが、遅らせることくらいはできよう。私があの慮外者との決着をつけるくらいの時間は稼げよう」

 

 その手があげられ『狼』達が護堂に殺到した瞬間、『狼』達は塵も残さず消し飛ばされた。

 

 「ほう、ようやく本命のご登場か。待ちかねたぞ、神無徹。長上をこれ程待たすとは、つくづく礼儀を知らぬ輩よな」 

 

 ヴォバンはそれに驚きもせず、それを放ったであろう人物の方へと向き直る。

 

 「あんただけには礼儀云々を説かれたくないね、サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン。よくも()の国で、()の可愛い後輩に好き放題してくれたな。覚悟はできているな」

 

 その人物は式服を身につけた中肉中背のどこか陰のある青年だった。その青年、徹は護堂の死体を一瞥すると怒りを露わにさせた。

 

 「吐かせ!貴様こそ、あの時の屈辱相応の苦しみを与え、滅殺してくれるわ!」

 

 売り言葉に買い言葉でヴォバンの感情が昂ぶり、それに伴い風雨が吹き荒び、雷鳴が轟く。ヴォバンは文字通り嵐を呼ぶ男なのだ。

 

 こうして、暴君たる老王と神滅の炎王の戦いの火蓋は切って落とされたのだった。




護堂がちょっとは名誉挽回できましたでしょうか?とりあえず一戦目は護堂の負けです。『戦士』の剣も用意出来てませんし、そも根本的にヴォバンの権能と相性悪いんですよね。十分以上に善戦したと思います。
それにこれで終わるほど、潔い男じゃないですから。


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#17.護国の魔王

初戦終了。最後まで書きたかったですが、気力が続きませんでした。ヴォバン戦はまだまだ続きます。


 バルカンの魔王、サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン。

 この現存する最古の神殺したる暴君には個人的な借りがある。己の最愛の義妹に手を出そうとしただけに飽きたらず、よりにもよってこの()の前で、まつろわぬ神招来の秘儀なんてやらかしやがったことだ。こいつと剣の王サルバトーレ・ドニだけは何があろうと絶対に許さない。正当化できる理由さえあれば、すぐにでも殺しに行ってやろうと思っていた。

 

 そして、今その絶好のチャンスが目の前にある。ヴォバンは()に無断で、()の庇護下にあるこの日ノ本の民に手を出そうとしたのだから。いや、すでに美雪が襲撃にあったことを考えれば、すでに手を出されていると言えるだろう。

 故に、滅殺することに何の躊躇いも必要ないのだが……。

 

 「草薙君、結果は残念だったが、君の行動を無駄にはしない」

 

 草薙護堂、何の覚悟もない子供だと思っていたが、やはり、それだけではなかったらしい。万里谷祐理の危機に自身の将来を決定付けかねないにも関わらず、躊躇いなく動けるとは……。どうやら、この少年を少し見縊っていたようだ。

 故に――!

 

 「東海の神 名は阿明  西海の神 名は祝良  南海の神 名は巨乗  北海の神 名は禺強

 四海の大神 百鬼を避け 凶災を蕩う  急々如律令!」

 

 古くは賀茂忠行が使ったという百鬼夜行を避ける術。

 本来、霊障等を避ける為のものだが、術式を多少アレンジしてカンピオーネの莫大な呪力を注いでやれば、対象に悪意を持つ者や災いを寄せつけない強力な結界となる。ヴォバン本人ならともかく、『狼』程度なら十分凌げるだろう。蘇生まで邪魔が入らないように、せめてもの配慮である。

 同胞たる少年が蘇生あるいはそれに類する権能を持っているということは、アテナの時の復活劇を冬馬から聞いて知っていた。だからこそ、安心して見殺しにできたのだが……。

 

 「ふん、随分お優しいことだな」

 

 「彼には、柄にもなく説教してしまったのでね。先達として、大人として、せめてもの手向けさ」

 

 「見殺しにしておいて、よく言うものだな」

 

 いつからか知らないが、私が見ていたことに気づいていたらしい。つくづく勘のいい男である。

 だが、その言い様は無意味である。私は必要だと思ったからそうしただけなのだから、何の後悔もない。それに、あれは私が要請した戦いではなく、あくまで草薙君個人の私闘だ。もちろん、友人を守らんとする彼の心意気は買うし、今回は目的も重なるところがあるから共闘という選択肢も排除はしない。

 ただ、現段階では横槍して共闘するより、見に徹するメリットの方が大きかったというだけの話だ。

 

 「生憎と彼の命より、あんたを殺すことの方が重要なのでね。悪いが、見に徹させてもらった」

 

 「ものは言い様よな。……それで、望むものは見れたか?」

 

 「いや、生憎と全く。知っていることの焼き増しで、殆ど参考にならなかったな」

 

 「ふん、よく言うわ。貴様の見たかったものは私だけではあるまいに」

 

 吐き捨てるように言うヴォバンに対し、私は肯定も否定もせず、不敵に笑って見せた。

 

 ヴォバンの言っていることは間違っていない。そう、私が見たかったのはヴォバンだけではない。それだけでは片手落ちであり、むしろ、本命は八人目の王草薙護堂についての情報収集だ。冬馬からそれなりに話は聞いているものの、彼の権能をはじめとした戦闘方法の詳細はまだまだ分かっていない部分が多い。それに百聞は一見に如かずというように、他人からの又聞きより自身の目で確かめた方が得るものは遥かに多いのだから。

 そういう意味では、かなりの収穫だった。草薙君の権能がウルスラグナの十の化身であることは確信できた上に、その性質や現れ方も大体把握できた。さらに使用制限があることも明らかになったことを考えれば、本当に大収穫である。草薙君には悪いが、私は未だに彼に対する警戒を微塵も緩めていないのだから。

 

 「……あの剣馬鹿の横槍のせいで、四年前につけられなかった決着を、今こそつけよう!」

 

 私は挑発すように言うと同時に、身内で精錬していた炎を躊躇いなく解き放ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 「ぬう、小癪な!」

 

 ヴォバンの精神の昂りに呼び込まれた嵐、その風雨を吹き飛ばしてヴォバンの眼前を神殺の炎が吹き荒れる。自らの直感にかけて飛び退いていなければ、間違いなく巻き込まれていただろう。まつろわぬ神をも容易に殺し得る『神殺』の特性をもった業火。それは当然、カンピオーネたる自分をも殺しうるだろうことを、ヴォバンは本能的に悟っていた。権能の詳細を知っているわけでもないのに、その本質を容易に看破するその様は、流石最古の魔王と言えるだろう。

 だが一方で、ヴォバンはこれが牽制でしかないことも理解していた。

 

 「口上の最中に攻撃を仕掛けてくるとは、つくづく礼儀を知らぬ男よな」

 

 『人の国に断りもなしに土足で入り込み、守るべき民に手を出した輩が何を言うか!』

 

 ヴォバンの嘲りに応じたのは、荒れ狂う炎を突き破って現れた白銀の巨狼であった。その爪牙がヴォバンへと明確な殺意をもって振るわれる。

 

 「芸の無い男だ!」

 

 思えば狂宴の際の初撃も巨狼に変身しての攻撃であった。先の炎は牽制であり、目眩ましが目的であったのだから、そういう意味では間違っていないかもしれない。

 

 しかし、芸が無いとは言っても、その脅威は本物である。神速を捉えることも可能な速度で動くフェンリルの攻撃である。常人ならば、見ることはおろか察知することもできずに死んでいるだろうそれを、ヴォバンは人の身のまま避けてみせる。吹き荒ぶ風にその痩身を中空に運ばせたのだ。魔女どころか、魔術師ですらない身で、彼は空を飛ぶということをやってのけたのだった。

 

 『芸が無いか……では、これならどうだ?』

 

 攻撃を避けられたことに何の痛痒も感じていないかのように白銀の巨狼は次の攻撃に移る。

 権能の掌握が進んだことで、フェンリルに変身したまま術の行使が可能となった徹は、素早くヴォバンと自身を囲むように結界を張る。結界の効果は音を結界内に封じ込め周囲に漏らさないこと。

 

 ―――ウオオオオオォォォォーーーーーン!

 

 そうして、大きく息を吸い込んだ白銀の巨狼から渾身の咆哮が放たれる。

 三十メートルを超す魔狼の咆哮。結界を張らねばかなりの広範囲に響き、範囲内の人々の心を砕き恐慌状態に陥らせるという結構洒落にならない事態を引き起こしていたであろうそれを、僅か十メートルにも満たない結界に封じ込め、ヴォバンに集中させる。それもカンピオーネの莫大な呪力を込めてだ。

 

 

 「ぐぬう、風よ!」

 

 だが、敵も然る者。風伯・雨師・雷侯から簒奪せし、嵐を呼び風雨雷霆を操る権能をもってヴォバンは対抗してみせた。鼓膜を破るどころか、全身を物理的に叩き肉体内部まで振動による破壊をもたらしていたであろう魔狼の咆哮による音撃を、吹き荒ぶ風で防壁を作り相殺する。

 無論、咆哮による音撃は予想外で、完全に不意をつかれたものであったので、完全な相殺はならなかったが、それでも八割方シャットダウンさせた。

 

 とはいえ、被害は甚大だ。鼓膜こそ破れなかったが、全身はくまなく叩かれ少なからぬダメージがある。常人なら尋常ではない激痛で立っていることすらできないであろう負傷を負いながら、ヴォバンはそれでも尚不敵な笑みを崩さない。

 いや、むしろその笑みを深めた。最早それは単なる笑みではない。獰猛なる狂笑だった。

 

 「そうだ、そうでなくてはな!」

 

 ヴォバンは返礼だと言わんばかりに、雷槍を連続して放つ。天から落とされる雷神の鉄槌は、ヴォバンの怒りを現したかのように荒々しい。

 

 『火雷大神に伏して言上仕る!大雷神、火雷神、黒雷神、咲雷神、若雷神、土雷神、鳴雷神、伏雷神、願わくばこの身に御身らの加護を授け給え!』

 

 死して黄泉へと堕ちた伊邪那美命より生じたと言われる八柱の雷神に祈り、徹は一時的に避雷の加護を得る。本来なら、精々自然現象の雷除けぐらいにしかならないが、それがカンピオーネの莫大な呪力をもって唱えられるとあれば話は別である。まして火雷大神は、徹が殺めた迦具土とも浅からぬ縁があるのだから。

 結果、雷槍は白銀の巨狼から尽く逸れた。

 

 「今度は避雷の術だと……そうか、貴様の本質は術士か!王となる前より魔術師であったのだな」

 

 狂宴の時のように呑み込まれることを予想し、そこを衝くための風弾を用意していたヴォバンは、予想を覆されて目を瞠る――が、一方で早くも徹の本質を見抜いていた。

 

 『流石の慧眼だが――死ね!』

 

 無論、そんなことは徹の知ったことではない。白銀の巨狼の爪牙がヴォバンを引き裂かんと迫る。

 

 「ッ!」

 

 攻撃用の風弾はまだ練りきれていない。強襲する白銀の巨狼を弾き飛ばすには、些か以上に威力が足りないのをヴォバンは悟っていた。そも、雷槍の雨で徹を釘付けにして、その動きを止めたところを狙うつもりで用意していたものであるのだから当然だ。

 故、ヴォバンが選んだ回避方法は、過激なものにならざるをえなかった。

 

 風弾で自らを吹き飛ばすことで、ヴォバンは白銀の巨狼の顎から逃れたのだ。フェンリルの巨体を弾き飛ばすには威力不足だが、人体を吹き飛ばす程度なら、十分以上の威力を風弾は持っていたのだ。

 そして、避けるだけで終わるほど、ヴォバンは甘い敵手ではない。

 

 吹き飛ばされながらも、白銀の巨狼から外されなかった緑柱石(エメラルド)の瞳が不気味に輝く。『ソドムの瞳』、視線の先に立つ生者を塩の柱へと変える邪眼の権能がその力を発揮する。

 

 『無駄だ!――グッ!?』

 

 いかに権能とはいえ、カンピオーネは外部からの呪的干渉に滅法強い。フェンリルと変身している状態ならば、尚更だ。フェンリルの動きを封じたいのならば、グレイプニール(呑み込む者)でも持って来いというものだ。

 と、思っていた徹だったが、否応無く動きを止めざるをえなくなった。自身の呪的防御が破られたのを感じ取ったからだ。

 

 「確かに我ら『王』には並大抵の魔術は効かん。特に邪視や魅了の類は神々の権能であっても、殆ど効果は及ぼさぬ。

 だが、何事にも例外というものはあるのだ!」

 

 ヴォバンのやったことは至極単純なことだ。他の権能の使用をやめ、『ソドムの瞳』のみに注力し、可能な限りの呪力を込めただけだ。その結果、『まつろわぬ神』にも比肩する莫大な呪力を込められた邪眼は、徹の呪的防御を上回ったというだけの話である。

 

 『我は主神すら呑み込みし、神秘を喰らう大神。死と恐怖の象徴にして、神々の災いの具現。我こそが神々の黄昏(ラグナロク)なり!』

 

 それを敏感に感じ取った徹は、すぐにフェンリルの言霊を唱え、自身の呪力を高める。塩になりかけた手足が再び血の通う肉へと戻っていく。

 

 しかし、ヴォバンも負けていない。完全に動きを止めたその機を逃さず、ヴォバンは手を振り下ろし、渾身の雷を繰り出す。魔王全力の豪雷。それは本家本元の雷神の全力に匹敵しよう。

 

 ゴゴゴッ―――ゴオオオォォォーーーン!!!!

 

 避雷の術の護りを破り、今こそ紫電を伴った雷神の鉄槌が白銀の巨狼を襲う。それは如何に強靭で頑丈極まりないカンピオーネであっても死を免れることはできない致命の一撃だ。

 

 だが、ヴォバンが『王』ならば、徹もまた『王』であった。

 

 白銀の巨狼は、これでもかと口を開くと豪雷を呑み込んだのだ。それはヴォバンに致命的な隙を晒すことに他ならなかったが、『ソドムの瞳』に対する抵抗に注力していた徹にヴォバン渾身の豪雷を凌ぐ方法はこれ以外存在しなかった。故にそうせざるをえなかったのだった。

 

 案の定、動きを完全に止めた白銀の巨狼の巨躯に、『貪る群狼』によって呼び出された灰色の『狼』達が喰らいつく。本来、フェンリルの肉体であれば、容易く薙ぎ払える相手でしか無いが、豪雷の対処で呑み込む以外の行動をとれない徹に『狼』達を防ぐことはできなかった。程なくして豪雷を全て呑み込んだものの、その頃には無数の灰色狼が巨躯に群がって喰らいつき、白銀の巨狼の動きを一時的に完全に封じていた。

 

 「貴様との因縁、ここでけりをつけてくれよう!」

 

 ヴォバンの頭上、遥か天空にいつの間にか巨大な焔が現れる。ヴォバンの呼んだ嵐すら消し飛ばして燃え盛る焔。これこそは『劫火の断罪者』の異名を持つ、地獄の業火で周囲を焦土と化すヴォバンの権能である。その威力は絶大で、神すら灼き殺し、最低でも都市一つ覆い尽くすまで燃え広がる上に最高で7日7晩燃え続けるという凶悪無比な代物だ。

 

 『貴様、正気か!?そんなものをここで放てばどうなるか!』

 

 それを見た瞬間、徹はその本質を悟る。あの焔は自分はおろか東京を灰燼と帰すに足る地獄の炎だと。迦具土をはじめ、炎と関わりの深い権能を複数持つ故に理解できてしまったのだ。

 

 「知った事か!貴様の嘯く護国、それが本物であるというならその身をもって、今ここで証明してみせよ!」

 

 そうして、天上から焔が落とされる。全てを焼き尽くす地獄の炎が。

 

 『させるものか!』

 

 徹は迦具土の権能を行使して、全身に群がる灰色狼を焼き払うと大地を蹴り、落ちる焔へと跳びかかった。

 

 (巨大すぎる!人の身では、規模が違いすぎて『神滅』でも相殺しきれん。となれば、フェンリルの肉体をもって『神滅』を行使するしか無い。ぶっつけ本番の初めての試みだが、この地を火の海にさせるものか!)

 

 正直な話、徹が生き残るだけなら直撃を受けたとしても問題はない。彼は炎に滅法強いから、素で生存できる可能性すらあるからだ。また、仮にあの焔の持つ『裁き』の特性によって、迦具土の権能に付随する炎に対する絶対的耐性無効化されたとしても、焼死である以上、パールバティーの権能によって新生できるのだから。

 故に、ここで実質的に無駄撃させるのが、戦術上では正しいだろう。が、徹にそれを選ぶことはできなかった。

 

 なぜなら、徹は前世と今世、共通の故国である日本を心から愛していたからだ。

 故国が火の海になるのを見たくなかったし、『護国』は養親から託され、自身も賛同した理念でもある。

 そして何よりも、『護国』はカンピオーネである自身に課した枷であり、『王』としての信念である。それを自ら破ることなど、彼には断じて許容できなかったのだ。

 

 『迦具土滅びて、原山津見神(はらやまつみのかみ)戸山津見神(とやまつみのかみ)志藝山津見神(しぎやまつみのかみ)羽山津見神(はやまつみのかみ)闇山津見神(くらやまつみのかみ)奥山津見神(おくやまつみのかみ)淤縢山津見神(おどやまつみのかみ)正鹿山津見神(まさかやまつみのかみ)を産むなり。我、神を滅ぼし、神を生じさせるものなり』

 

 『神滅』の焔は、本来迦具土の権能のみに注力し、自身の肉体を薪にすることで『神殺』の特性を『神滅』へと昇華させるものである。それをフェンリルの権能を行使した状態で使おうというのだから、当然の如く凄まじい負担が徹を襲った。危惧した通り、それは凄まじいまでの頭痛と神経を焼き尽くすような内部からの熱となって現れた。それでも一言一句違えず、言霊を唱えきったその精神力は賞賛に値しよう。

 

 そして、その甲斐はあった。

 

 白銀の巨狼は肉体内部から生じた炎にあっという間に包まれ、それは爆発的に広がり、天から墜ちる焔を呑み込むようにぶつかった。『神滅』と『裁き』の焔は互いを喰い合うように消えていき、再び星空が姿を表すのにそう時間はかからなかった。

 地上に何の被害もなかったが、一方で徹の姿もどこにも見受けられなかった。

 

 「自爆してまで防ぐとはな……」

 

 ヴォバンは拍子抜けしたようにどこかつまらなげに呟き、念を押す家のように周囲を見回すが、白銀の巨狼どころか、人っ子一人見受けられなかった。

 

 ヴォバンから見ても、あれは完全な命と引き替えにした自爆であった。その証拠に、カンピオーネの超感覚をもってしても、呪力の欠片も感じとれないし、自身の従僕に加わらなかったのは、あれが間違いなく自爆であったからこそだろう。それでも死体が残っていれば、まだ蘇生や復活を疑ったろうが、あれでは死体すら残らないであろうことをヴォバンは悟っていた。

 つまり、本当に六人目の神殺し神無徹は死んだのだと、ヴォバンは結論づけた。

 

 「なるほど、認めてやろう。酔狂極まりないが、確かに貴様の『護国』の意思は本物であったとな。

 ――貴様に免じて、今宵は退いてやろう。もっとも、明日以降は知ったことではないがな」

 

 ヴォバンは酔狂な『王』もいたものだと思いながらも賞賛し、その覚悟に免じて今日は退いてやることにする。最大の障害であるあの男が死んだ以上、最早巫女は己が手から逃げられないのだから。ならば今宵ぐらいは見逃してやってもよかろうと。

 それは彼なりの敵手への最大限の賞賛であり、褒章でもあった。

 

 「巫女よ、今宵は自由を謳歌するがいい」

 

 ヴォバンはそう呟いて踵を返し、七雄神社を後にするのだった。



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#18.新王起つ

申し訳ありません、非常に遅くなりました。
護堂、完全復活!ようやく、ここまで書けた……。


 「はっ?あの人が死んだ?!」

 

 死というのは、万人に訪れるものであることは護堂も知っていたが、その訃報は俄かには信じ難いものであった。

 

 ――六人目のカンピオーネ「神無徹」、護国を掲げる日ノ本の王にして、先達たる大人。

 ――他ならぬ護堂自身が、現時点では敵わないと思ってしまった初めての相手。

 

 悔しさや嫉妬は勿論あるが、同じくらい感謝と敬意も抱いていた複雑な感情を向ける同胞の死は、すんなり受け容れられるものではなかった。 

 

 「エリカ、冗談はやめてくれ。あの人が死ぬわけ無いだろう!」

 

 故に、気づけば、護堂は否定していた。自身でも驚くほどに強く……。

 

 「護堂……貴方、そこまで――」

 

 エリカは予想外の反応に驚いていた。彼女の愛する人が、剣を捧げる主君が、こんな反応をしたのは、初めてだったからだ。そして、それ以上に徹の存在が想像以上に、護堂にとって大きくなっていたことに彼女は驚いていた。

 

 「だって、そうだろう?俺よりずっと大人あの人が、人として正しいあの人が、こんなあっさり死ぬわけがない!

 あの人より遥かに劣る俺だって、どうにか生き残れたんだ。どうせ、一時的に死んだっていうだけだろう?俺みたいに権能で復活するんだろう?」

 

 そうだと言ってくれと懇願するような声色であった。そうでないと知っているエリカでさえも、頷いてやりたくなる必死さがそこにはあった。

 だが、そうしてやるにはエリカはリアスリストに過ぎ、またそうすることで発生する不利益を許容できる程愚かにはなれなかった。

 

 

 「……いいえ。残念だけど、護堂、あの方――『神無徹』様が貴方の『雄羊』に該当する権能を持っているとは聞いたことがないわ。それに甘粕さん達『正史編纂委員会』も混乱で大わらわしているところ見ると、間違いないでしょう。

 『神無徹』様は亡くなられたのよ」

 

 「なんでだよ!おかしいだろう?!

 この国にとって必要なのはあの人の方なのに、なんで災厄を招き寄せた俺の方が生き残るんだ!なんで万里谷を守ろうとしてくれた人が、時代遅れの傍迷惑な偏屈爺さんに殺されなきゃならないんだよ!」

 

 それは、理不尽な現実を認められぬ心からの叫びであった。

 自身が正しいと思うが方が勝って欲しい、生き残って欲しい。そんな若さ故の青さの発露だった。

 

 「殺されたわけではないわ。正確には自爆よ。ヴォバン侯爵の広域殲滅型の権能を相殺する為に自らの肉体をも薪にして、莫大な炎を生み出されてね。そのおかげというべきかしら、魔王三人が相次いで戦ったというのに、周囲への被害は驚くほど少ないわ。

 あの方は最期までその意志を貫かれたのよ。けして無駄死にではないわ」

 

 エリカは思い出す。正史編纂委員会に連絡を取り、介入の許可を取り付けた後、護堂のもとに駆けつけようとして、すでに手遅れだった時のことを。

 エリカは、護堂の危機に間に合わなかった。彼女が戦場へと辿り着いたのは、天空から巨大な焔が落とされた時だった。桁違いの馬鹿げた呪力が込められた焔に、白銀の巨狼へと変身していた彼の王は怯むことなく、迷うこともなく大地を蹴り、躊躇わず焔を迎え撃ったのだ。

 莫大な呪力のぶつかり合いを感じた後、空には何も残っていなかった。巨大な焔も、白銀の巨狼も跡形もなく消えていた。

 

 「そういう問題じゃ!――いや、すまん。エリカのせいじゃないよな」

 

 無駄死にではないと言われても、何の救いになると思わず反駁しかけて、相棒に罪はなく、それどころか、自分の心情を慮った言葉であることに護堂は気づいて、言葉を切り詫びる。

 

 「いいのよ、私も正直信じられないもの。あの業火の王が、こんなにもあっさり命を散らすなんて……」

 

 正直なところ、実際にその場面を目撃したエリカでさえも、あまりにも呆気なさ過ぎて現実感がないところがああるのだから、護堂の反応は無理もないものであった。

 

 「……俺達がどんない反則じみた力を持って、化け物じみた肉体をもっていても、やっぱり死ぬときは死ぬんだな」

 

 今更ながらに、護堂は真実思い知る。まつろわぬ神やカンピオーネとの戦いは喧嘩などという生易しいものではないのだということを。徹の言うとおり、殺し合い以外のなにものでもいのだということを。

 たとえ、神殺しであっても、死はけして遠い隣人ではないのだ。

 

 「そうよ。貴方のような蘇生・復活か、あるいは不死身に類する権能をもっていなかければ、神殺しといえど死ぬわ。そして、たとえ持っていたとしても、死ぬ時は死ぬの。歴史がそれを証明しているわ」

 

 そうだ、カンピオーネといえど死ぬのだということを、今更ながらに護堂は自覚する。彼女(・・)も言っていたではないか。

 

 『あたしと旦那の子供って血の気の多いのばかりだから、ほとんどがどこかの戦場で野たれ死ぬの』

 

 故に、カンピオーネはなかなか長生きしないので気をつけろと忠告されていたのを思い出した。

 それがどこかの誰で、いつ、どこで聞いたか定かではないにもかかわらず、なぜかそれは正しい情報であるという確信がある。

 

  

 「俺が今まで、生き残ってきたのも、殺さずに済んでいたのも運がよかっただけか……」

 

 護堂は自身の認識の甘さを改めて痛感する。

 思えば、カンピオーネになって以来、自分はどこかで自分は死なないと高を括っていたのではないだろうか?神殺しの馬鹿げた体質と強靭な肉体に奢っていたのではないだろうか?即死でなければ、生き返れるからと、どこか死ぬことを軽く考えていたのではないだろうか?

 でなければ、いくら生来の気質から己が女に甘いといえど、みすみすアテナに死の呪詛を吹き込まれるのを許したりはすまい。交渉時に騙し討ちを許すほど、本来の己は迂闊ではないのだから。

 

 そして、己が手を汚さずに済んできたのも、相手が頭抜けて頑丈であったり、不死の存在であったからに過ぎないのだということも、また理解せざるをえなかった。

 殺しても死にそうにない相手だから、事実上不死の神々だからこそ、自分は遠慮なく相手を殺しかねない攻撃を撃てたのではないだろうかと。

 

 今の己が薄氷の上に成り立っていることを悟り、護堂は愕然とした。

 

 

 「――なんてこった。俺は、いつからこんなに腑抜けていたんだ」

 

 「護堂……」

 

 これならば、まだカンピオーネになる前、ウルスラグナを死んでも殺すことを決意したあの時の方が余程ましではないか。あの時の護堂は、確かに自分自身の死を恐れながらも覚悟し、まつろわぬ神として変質してしまったウルスラグナを正す為に殺すことを明確に決意していたというのに……。

 

 ――今ではなんと言う体たらくであろうか?

 

 「これじゃあ、ウルスラグナ(あいつ)に笑われちまうよな……。

 ああ、この様じゃ、あの人にあれだけ言われるのも仕方がないよな?」

 

 確かに自分は口だけで、何も分かっていなかったのだと、護堂は今度こそ認めた。そして、己の不甲斐無さをも認めた。王としての器量が足りていなかったのだと、自覚が足りていなかったのだと。

 

 「護堂、それは私「いや、エリカのせいじゃない。これは俺の問題だ」……」

 

 エリカが弁護するように口を挟もうとするが、護堂はその気遣いをあえて遮った。ここで有耶無耶にしては元の木阿弥である。それでは、何にも変わらないと思ったからだ。

 

 「なあ、エリカ。ウルスラグナのことを覚えているか?」

 

 「ええ、勿論よ。貴方との運命の出会いだもの、忘れるはずがないわ」

 

 「あの時の俺はもっと必死だった。もっと目的に対し真摯だったと思う。くだらない言い訳もしなかったし、口だけなんてことも絶対になかった。そうだよな?」

 

 「ええ、貴方は愚かしいまでに真っ直ぐに行動し、口にしたことは必ず実行して見せたわ。そして、最終的に神を殺めた」

 

 「ああ、そうだ。あの時の俺があるからこそ、今の俺がある。こうして、お前が隣にいてくれる……!」

 

 護堂は自身の情けなさに腹を立てる。

 こんな様だから、あっさり負けるのだ。元よりド素人であった己が、格上の歴戦の大魔王に単独で挑むなど、何たる傲慢。自殺行為以外のなにものでもない。あのウルスラグナの時以来、自分は常に影に日向に、この相棒たる黄金の少女に助けられて、どうにか王をやってきたのではないか。

 それを思えば、はなから勝てるはずがない。単独で挑んだ時点で負けていたのだから。

 

 護堂は、今度こそ立ち上がった。

 

 「護堂、貴方――」

 

 「エリカ、お前の命を俺にくれ!

 俺はこのままじゃ終われない!万里谷をあの偏屈爺に渡すなんて、死んでも御免だ」

 

 護堂は最早迷わなかった。

 だから、傲慢にも少女の命を要求する。自分が生きて帰るには、勝って万里谷を護りきるには、相棒たるエリカ・ブランデッリが必要不可欠だったからだ。

 いや、そもそも草薙護堂というカンピオーネは、一人で戦う者ではないのだ。彼は彼を支える者と共にあることで、真価を発揮する王なのだから。

 

 「フフフッ、護堂。貴方、今とってもいい顔しているわ」

 

 愛する男が久方ぶりに見せる雄々しさに、エリカはその胸の鼓動が高鳴るのを感じた。

 そうだ、勝ち目のない戦いであろうとも、やると決めたらそれを貫き、彼女にも思いもよらぬ方法でそれを成し遂げる。彼女が、ミラノの誇る神童の双璧たるエリカ・ブランデッリが惚れた男は、草薙護堂はそういう男であったはずだ。

 

 「茶化すなよ、エリカ。俺は真面目に言ってるんだ」

 

 「護堂は、本当に愛すべき「バカ」よね。でも、同じくらい無粋で分かっていない男だわ」

 

 エリカは、相変わらず分かっていない護堂に、不満顔で口を尖らせる。

 

 「な、なんだよ。俺が何を分かっていないって言うんだよ」

 

 「忘れたの?サルバトーレ卿との決闘の時、私は全てを捨てて貴方の元に馳せ参じたことを。今更命じられるまでもないわ。命どころか、この身の全ては、とうに貴方のものよ」

 

 動揺する最愛の男に答を告げ、エリカは大輪の薔薇が華咲くような豪奢な笑みを浮かべたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 正史編纂委員会の敏腕エージェント甘粕冬馬は、困惑していた。

 

 「甘粕さん、お願いします。俺に――いえ、俺達に力を貸して下さい!」

 

 それもそのはずで、なにせ、世界に十にも満たない数しかいない神殺しの魔王に頭を下げられているのだから、無理もないだろう。話があると、赤銅黒十字の大騎士にして当代の『紅き悪魔(ディアヴォロ・ロッソ)』エリカ・ブランデッリから面会を申し込まれて来てみれば、会った途端にこれである。

 

 「落ち着いて下さい。一体どうしたと言うんですか?」

 

 護堂達が頼みたいことというのは、およそ察しがついたが、これまでの彼らの態度とは全く違う。今までにはない真摯さと必死さが感じられる。

 

 この短期間に、何をどうすればこうなるのか?正直、わけがわからなかった。

 

 

 「甘粕さん、正史編纂委員会は今日の神無徹様と護堂の敗北をもって、万里谷祐理を差し出して穏便に済ませるつもりじゃないかしら?」

 

 「……鋭いですね。媛巫女とはいえ、彼女一人の犠牲で済むのなら、とご老人方をはじめとした上層部の一部はそういう方向に傾いています。なにせ、ヴォバン侯爵の御力は、今日だけでもまざまざと見せつけられましたからね。正直、腰が引けているのは否めません」

 

 かつてプロメテウスの際に徹の力を見ている冬馬でさえ、ヴォバンの力の凄まじさには怖気を震うのだ。全く免疫のないこの国の呪術・魔術に関わる人間などは、例外なく戦々恐々としていよう。

 これまでカンピオーネとは無縁で、アテナ襲来まで長らくまつろわぬ神という天災に遭わなかった為に、平和に慣れきってしまった弊害であった。

 

 そんな彼らが、ヴォバンの要求に応じることで、穏便に出ていってもらおうと考えるのは無理も無いことであった。ある事実を知っている数少ない人間である冬馬ですら、自国の二人の王の敗北を聞いて、その選択肢が脳裏を過ぎったことは否定出来ないのだから。

 

 「――やっぱりそうですか。理屈は分かりますし、今日あっさり負けた俺に言えることじゃないかもしれません。まして、俺は先日大迷惑をかけたばかりです。本来なら、こんなこと言える義理じゃないかもしれません。

 でも、それでも――お願いします!万里谷を差し出すのは、待ってください。もう一度だけでいい。俺にチャンスを下さい!」

 

 「私からもお願いするわ、甘粕さん。護堂に、もう一度祐理を助けるチャンスを与えて欲しいの」

 

 護堂は真摯に頭を下げた。それも、あの気位の高いエリカも一緒にだ。これには冬馬も心底驚き、目を細めた。

 これまでなら、彼女は魔王の愛人としての立場を強調して、上段から交渉してきただろう。仮にこちらが否といえば、草薙護堂のカンピオーネとしての権威で強引に押し通したはずだ。

 

 「頭を上げて下さい、草薙さん。王の仰せとあらば、この業界の関係者として、否はありませんよ」

 

 というか、元より徹から「人身御供の類は、絶対に許さない」と、嫌という程念押しされているのだから。

 それでも当人が死んでいれば話は別だが、本当は生きており、かつ同格の存在が頭を下げてまで頼み込んできているとなれば、最早取れる選択肢は一つしかない。

 

 「それじゃあ!」

 

 「ええ、王よ。今一度御身がヴォバン侯爵に挑まれるというのならば、微力ではありますが、我々正史編纂委員会は全力をもって御助力いたしましょう」

 

 冬馬としても否はない。個人的にも、一人の少女を差し出して、保身を図るなど、真っ平御免だったのだから。 ただ、宮仕えの身としては、国民の安全や公の利益を考えねばならなかっただけなのだ。

 

 「そんなことありませんよ。心強いです!」

 

 「それで、甘粕さん。どのような助力をしてもらえるのかしら?」

 

 「そうですね――――決闘場を用意しましょう。

 御身も周囲の被害など考えずに、思い切り力を振るえた方がよろしいでしょう?ヴォバン侯爵はそこら辺無頓着な方のようですから。その分、不利になりかねませんからね」

 

 「ありがとうございます!本当に助かります!」

 

 護堂の顔は本当に嬉しそうで、その言葉偽りなく心からの感謝であった。

 ことここに至って、彼らの変化を冬馬は確信した。

 

 (男子三日会わざれば刮目して見よとは言いますが、これ程までとは……。若いというものはいいものですね。先輩が見直したと言っていたのも、分かる話です。であれば……)

 

 「――それから、もう一つ。祐理さんに会っていかれたらどうでしょう?」

 

 「万里谷に?なぜですか?」

 

 「祐理さんが優れた霊視術師だということはご存知だと思います。実は、先刻『死せる従僕』が今日一日の猶予を与える旨の宣告に訪れていまして、その際なにか視たようです。もしかしたら、ヴォバン侯爵との戦いに役立つことが聞けるかもしれませんよ」

 

 これは本来なら、言い出す必要のないことだ。全力を発揮できる決闘場を用意するだけでも、これまでの経緯を考えれば十分過ぎる助力であるのだから。この上、日本はおろか、世界でも有数の霊視術者である祐理の霊視による情報を与えてやる義理はないし、徹からも、そこまでしてやれとは言われてはいない。冬馬自身、これまでの護堂なら、それ以上の助力は要請されない限りするつもりはなかった。

 だが、王としての立場に奢らず、エリカ・ブランデッリに交渉を任せること無く、等身大の個人として格下である自分に頭を下げ、真摯に友人を助けようとしている今の草薙護堂ならば、多少サービスしてでも手助けしてやりたいと思えたのだ。

 

 「……甘粕さん、いいのかしら?」

 

 エリカは、その提案が意味するところをすぐに悟った。そして、それがどれだけ護堂にとって価値があることかも。同時に、本来なら自分達に知らされなかったであろうことも。

 

 「ええ、勿論です」

 

 「ありがとう、甘粕さん。今回は甘えさせていただくわ。護堂、行きましょう」

 

 「おう!それじゃあ甘粕さん、後はお願いします。俺の我が儘に付きあわせてしまいますけど、俺じゃなく万里谷を守るために力を貸してください」

 

 護堂は力強い声で応えると、今一度冬馬に頭を下げた。それには何の逡巡も見られない。

 

 「お任せ下さい、王よ。我々の助力が御身の勝利に繋がれば幸いです」

 

 冬馬もまた頭を下げる。王への礼儀として。

 今、この時、この瞬間に、草薙護堂を礼を尽くすべき王として認めたが故だ。

 

 「――全力を尽くします!いえ、必ず勝ってみせます!」

 

 冬馬のその姿に、護堂もまた何かを感じ取ったのだろう。何かを言おうとして、言葉にならず、ただ強く宣言することで返礼とする。柄ではないが、何よりもそれが相応しいと感じたからだ。

 

 

 

 

 

 

 「本当に一皮剥けたようですね。やれやれ、彼を過小評価していたのは、先輩だけではなく我々もでしたね」

 

 己以外、誰もいなくなった部屋で、冬馬は独りごちる。

 本当に驚いた。それ程の変化であった。不安要素でしかなかった草薙護堂は、今や頼れる存在と言っていい程に進化したのだから。

 

 「さて、忙しくなります。先輩の出した条件に合致する決闘場の手配に、その周辺住民の避難とその口実のでっちあげ等、やることとはいくらもあります。これを全部明日までにやれっていうんですから、先輩の無茶振りも大したものです。流石は魔王様ですよ。

 でも、先輩……私は貴方が恐ろしいですよ。復活するとはいえ、自らの死を前提とした計画をたて、さらに今の(・・)彼らを組み込む形で計画を修正したのですから」

 

 脳裏に浮かんだよく見知ったはずのもう一人の魔王に、冬馬は底知れぬ恐怖を抱くのだった。



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#19.新王奮戦!

非常に遅くなりました。3月更新とは何だったのか……orz
本当に申し訳ありません。


 国立霞ヶ丘陸上競技場――一般に「国立競技場」と言われる場合、ここのことを指す。

 東京オリンピックの舞台になったことをはじめ、全国高校全国高校サッカー選手権大会の主催会場であることなどから分かるように、本来最高峰のスポーツマン達が陸上競技や球技を競い合うその為の競技場だ。

 

 だが、今日ばかりは話が違った。行われるのはスポーツの祭典はなく、競われるのは爽やかなスポーツ競技などでは断じてない。数多の出場選手が集うこともなく、観客もほぼいない。

 

 

 だが、それも当然。

 これより行われるのは命の奪い合いであり、血みどろの『闘争』なのだから。

 

 競われるは――――純粋な強さと生き汚さ。

 権能の強弱や多彩さなどは、問題にならない。

 なぜなら、競い合うのはそれらをものともしない条理の外の者達なのだから。

 

 出場選手は――――否、主役となるのは二人の魔王。

 たった二人だけだが、いずれも世界に十にも満たない選りすぐりの強者であり勝者だ。

 故、役者に不足はない。いや、それどころか、舞台の方が不足しないか心配である。完膚なきまでに破壊されないかという意味で。

 

 梅雨真っ只中の六月下旬、国立競技場は神殺し達の殺し合いのために用意された決闘場とされたのだった。

 

 

 

 

 

 競技場の中央で、10メートル程の距離をあけて両雄は向かい合う。

 

 挑戦者は最も若く、新しき王『草薙護堂』――勝利の神ウルスラグナを殺し、その十の化身を用い敵によって、ただ一つの権能しか簒奪していないにもかかわらず、多彩な戦い方をする新進気鋭の魔王。

 挑戦を受けるは、最古参の魔王にして暴君『サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン』――数多の神を殺め、『貪る群狼』『ソドムの瞳』『死せる従僕達の檻』等、操る権能は数知れず。今や神からも遭遇を避けられると言われる古強者。

 

 両者は、様々な意味で対照的だった。

 少年と老人、新参と最古参、一柱しか殺めていない者と幾柱もの神を殺めた者。

 それは、絶対的なキャリアの差であり、少年に勝ち目は万が一にもないように見える――断じて否である。

 

 他ならぬ老人自身が、それを否定しよう。

 彼らは、両者共に万に一つの勝ち目さえあれば、最初にその一を持ってくる者であるが故に。

 彼らは、人の身で絶対強者である神を殺めた絶対的な勝利者であるが故に。

 条理を覆す理不尽の権化、それこそが神殺しなのだから。

 

 しかしながら、それでも一度敗れたという事実は消し難く、それなりに重い。

 故、ヴォバンの言葉にどこか呆れたような響きがあったのは、致し方無い事だったのかもしれない。

 

 「昨日敗れたばかりで、よくも私に挑めたものだな――小僧」

 

 それは嘲りであり、見下した言葉だった。すでに決着はついたと言わんばかりである。

 

 「あんたが万里谷を狙う以上、あんたは俺の敵だ。あの人がいないからって、俺が生きている以上、この国で好き勝手させるかよ!万里谷が欲しいんなら、俺を殺してからにするんだな!」

 

 それを受けても、護堂には何の怯みもない。むしろ、挑発的に言葉を返した。

 

 「……あの酔狂者に感化されたか?随分と勇ましいではないか。それに昨日とは違い、肝も据わっているようだな」

 

 ヴォバンは昨日とは異なり、明確な殺意を護堂が叩きつけてくることに内心で瞠目していた。

 そして、同時にほくそ笑んだ――存外に愉しめそうだと。

 

 「俺には、あの人みたいな覚悟や信念はない……。だが、それでも!俺だって日本人だ。この国を大切に思っているし、守りたい気持ちだってある。何よりも、俺の大切な人達をお前の好きになんかさせるものかよ!」

 

 護堂は宣言する。自分がいる限り、お前の好きにはさせないと。

 

 「よかろう小僧、……いや、草薙護堂!貴様の挑戦を受けてやる。貴様の言葉が口だけでないことを証明して見せよ!」

 

 ヴォバンはそれを愉しげに見やると、その身に秘める膨大な力を解放したのだった。

 

 

 

 

 

 先手はヴォバンがとる。その身から解き放たれるは無数の灰色狼。

 その動きは尋常の速さではない。あっという間に護堂のもとへと辿り着く。

 

 「護堂には指一本触れさせないわ!」

 

 立ちふさがるは、当代の『紅き悪魔(ディアヴォロ・ロッソ)』たるエリカ・ブランデッリ。

 獅子の魔剣クオレ・ディ・レオーネを振るい、愛しい男への道を阻まんとする。

 

 「ほう、パオロ・ブランデッリの後継か……。我が猟犬を尽く斬り捨てるとは、流石に大したものだ」

 

 自慢の猟犬たる灰色狼を次々に滅ぼされているにもかかわらず、ヴォバンに焦りはない。それどころか、エリカを賞賛するその様子からは、余裕すら垣間見える。

 

 それもそのはず、エリカの剣技は見事な物であったが、彼女が減らすそばからヴォバンの影から灰色狼が現れ、減らす以上の速度で補充されていくのだから無理もない。

 

 「護堂、悔しいけどこのままだとじり貧よ」

 

 「分かってる、任せろ!

 ――我がもとに来たれ、勝利のために。不死の太陽よ、我がために輝ける駿馬を遣わし給え。駿足にして霊妙なる馬よ、汝の主たる光輪を疾く運べ!」

 

 ウルスラグナ第三の化身『白馬』を招来する呪文を護堂は叫ぶ。

 ヴォバンに対し、『白馬』の使用ができるのは先の戦いで分かっている――ヴォバンとの力量の差も。

 

 故、自身にとって切り札の一つであり、最大火力のそれを使うのに護堂に躊躇いはなかった。

 

 「天の焔か、芸のない男だ」

 

 だが、天から迫る太陽のフレアが凝縮された白い焔の槍を、ヴォバンはつまらなげに見つめた。

 すでに破ったものに価値はないと言いたげである。

 

 「芸がなくて悪かったな!」

 

 「ふむ、では先達として芸があるところを見せてやろうではないか」

 

 ヴォバンがそう言って手を振り上げると、無数の灰色狼達がヴォバンの前へと集結し、その身が溶けるように崩れる。

 

 「何を……!?」

 

 護堂は驚愕した。なにせ、一瞬後に、四体もの巨大な灰色狼が現れていたからだ。

 そう、灰色狼達は融合したのだ。

 

 「一度見、ましてこの身で味わった権能だ。防ぎ方などいくらでも思いつく」

 

 ヴォバンはそう言うと、焔の槍に巨狼をけしかけた。

 たちまちに焼き尽くされるかと思いきや、巨狼達はそうならなかった。

 

 一匹がヴォバンの盾となるように立ち塞がり、もう一匹が正面から迎え討つ。後の二匹は左右から挟み込むように飛びかかる。

 

 それでも初期は焔の槍が優勢だったが、正面から迎撃した巨狼を焼き尽くしいくらか勢いを減じたところで、盾となっていた一匹が加勢。形勢は均衡した。

 

 「なっ!?」

 「そんな!?侯本人でなくても、『白馬』を防げるというの」

 

 護堂は完全にあてが外れたことに驚愕し、エリカはヴォバンの地力の凄まじさに戦慄する。

 

 「神無の奴めには敗れたが、我が猟犬共を操る権能は私が最初に得た権能だ。これぐらいの芸当は造作もない」

 

 ヴォバンは嘲笑する。

 怨敵である神無徹が生きていた時、『貪る群狼』を使うのは、色んな意味で気に障ることであったが、自身の手で葬った以上、最早それもない。今のヴォバンは、護堂との初戦より遙かに余裕があり、縛りがないのだ。

 

 「クソ!でも、これで終わりじゃないぞ!

 主は仰せられた――咎人に裁きを下せと」

 

 単発の権能では、ヴォバンに届かない。先の戦いから、護堂はそう判断していた。

 故にこそ、ヴォバンが『白馬』を防ぐのに注力した隙を突くつもりだったのだが、結果は無残なものだった。

 隙どころか、ヴォバンは片手間で防いで見せ、余裕さえ見せている有様だ。

 

 この結果は、偏にヴォバンの『貪る群狼』が太陽神でもあるアポロンから簒奪したものであるがためだ。

 あくまで化身の一つである『白馬』と本家本元の太陽神であるアポロンでは相性が悪いというか、格が違うのだ。

 

 だが、ヴォバンが灰色狼を巨狼にしたことで、護堂の手札も想定していた形とは違うが、解禁されたのも事実だ。想定外であるからといって、護堂がその行使を迷う理由はない。

 

 唱えるのは、断罪の言霊。

 護堂にとって馴染み深い、最も獰猛な破壊の化身を召喚する。

 

 「背を砕き、骨、髪、脳髄を抉り出せ!血と泥と共に踏みつぶせ!鋭く近寄り難き者と、契約を破りし罪科に鉄槌を下せ!」

 

 黒き猪の神獣が護堂の言霊に応えて、顕現する。その巨大さは、ヴォバンの作り出した4頭の巨狼さえも凌ぐ。

 

 「今度は神獣の召喚か。つくづく、多彩な権能だな」

 

 ヴォバンが感心したように言う。

 

 「我は鋭く近寄りがたき者。主の命により、汝に破滅をあたえる獣なり!

行け『猪』!今日ばかりは、止めやしない。思う存分にぶち壊してやれ!」

 

 護堂は滅びの聖句を唱え、ここぞばかりに言い放つ。

 そして、『猪』は護堂の意思に応えた。

 

 脇目も振らず、まさに猪突猛進を体現して、ヴォバンめがけて突進する。

 当然、ヴォバンを守るべく巨狼が立ち塞がるが、此度の『猪』は今までの召喚とはわけが違った。

 

 『オオオオオオオオオーーーン!』

 

 地を駆けることで小規模な地震が発生し、轟く咆吼は周囲に衝撃波となって拡散して破壊をばらまき、飛びかからんとした巨狼達の動きを止めたのだ。

 

 そして、止まってしまえば、たとえ神獣であろうとも、何の制限もない絶好調の『猪』の敵ではなかった。

 巨狼達は鎧袖一触で吹き飛ばされるか、あるいは鋭い角で貫かれ消滅する。

 そして、その余勢を駆って、ヴォバンへと突っ込んだ。

 

 「馬鹿な、こうも簡単に!?」

 

 さしものヴォバンもこうもあっさり敗れるとは思わなかったのだろう。驚愕を露わにしながら、『猪』の突進に巻き込まれる。

 

 「ねえ、護堂。私の気のせいじゃなければ、何かいつもより凄くないかしら?」

 

 「あっ、エリカもそう思うか。やっぱり、俺の気のせいじゃなかったんだな」

 

 実は、護堂当人にとっても、この結果は予想外であった。

 『猪』は、護堂にとってもっとも行使制限が緩い化身である。それ故、使用機会は多いのだが、今の『猪』は今まで召喚したものとは別物と言っていいほどの力の滾り具合であったのだ。

 

 それもそのはず。『猪』が真実制限なしで召喚されたのは、初めてだったからだ。

 今日までの召喚時には、主である護堂によって、尽くなんらかの制限が加えられていたのだ。

 周囲に甚大な被害をもたらすため、護堂は言うことをきかない奴という認識だったが、実のところ真逆である。『猪』は護堂の意を汲んで、きっちり手加減している。

 はっきり言えば、手加減しているからこそ、あの程度で済んでいたのだ。

 

 だが、今日は違った。場所はもとより決闘場として用意され、周囲の被害を気にする必要はない。標的は巨狼達であり、いくら破壊し尽くそうが、護堂の心は痛まない。

 

 結果、何の制限もない最強の状態で、黒き猪は召喚されたのだ。

 それも、いつもとは違い、主の後押しまであるとなれば、『猪』が張り切るのも無理もない話であった。

 

 もとより『猪』は、ミスラが契約破りの罪人を罰するときに使うともされる破壊の化身だ。壊す対象が明確で主の意に沿ったものであれば、壊せぬ物などない。

 

 「……やってくれるではないか」 

 

 しかし、ここに例外が存在した。

 土煙が晴れたそこには、緑柱石(エメラルド)の瞳を妖しく輝かせたヴォバンが立っていたのだ。

 少なからず土に塗れ、服はボロボロになっているものの、狼侯爵は健在であった。

 そして、その周囲には白い塊が散らばっていった。

 

 「『ソドムの瞳』!まさか、あの巨大な『猪』を塩に変えたというの!?」

 

 「デタラメだな、あの爺さん……。だが、ダメージはあったはずだ。

 いくらあんたでも、それなりに効いたろう?」

 

 エリカが驚愕し、護堂がその出鱈目さに呆れる。

 

 「ふん、神獣の献身に感謝することだ。このヴォバンに土をつけるとはな。新参者にしてはよくやったというべきだろう」

 

 ヴォバンはあくまでも傲岸不遜な態度を崩さない。

 彼にとって、この戦いは所詮余録でしかないのだから、当然だ。まして、一度破った相手など同胞といえど、警戒に値しない。

 

 ただ、護堂の言うように少なからぬダメージを負ったことは事実だ。

 激突の最中に、全力の邪眼をもって『猪』を塩に変えたものの、突進による衝撃を殺しきることはできなかったのだ。

 故に、この時ばかりはその賞賛に他意はなく、心からのものであった。

 

 「そいつは光栄だね。ここら辺で満足して、万里谷を諦めて帰ってくれないか?」

 

 露程も思ってもいないことを口にしながら、ダメ元で言ってみるが、予想通りヴォバンの返答はにべもなかった。

 

 「何を馬鹿なことを。ようやく面白くなってきたのだ!もっと、私を興じさせてみよ!」

 

 ヴォバンの気の昂ぶりに感応して、雷雨が起こり、嵐を呼ぶ。

 暴君の代名詞ともいうべき権能『疾風怒濤(シュトルム・ウント・ドランク)』の効果だ。

 そして、滲み出るようにいずれも死相が浮かんだ多数の騎士達が現れる。

 これも彼の権能、『死せる従僕達の檻』に囚われた、哀れな生ける死体(リビングデッド)達だ。

 

 「……エリカ、頼む!」

 「ッ――任せて!」

 

 『猪』を行使した結果、他の化身の条件を満たさぬ限り、今の護堂は素の能力しかない。護堂の権能『東方の軍神』は、人の範疇にある死者達を操る『死せる従僕達の檻』と相性がすこぶる悪いからだ。人の範疇にある者では化身の使用条件をクリアできず、護堂だけでは数に潰される未来しか見えない。

 故に、エリカに頼るしかない。いつもならば……。

 

 そう、いつもならば、だ。これまでの護堂ならば躊躇わずエリカに頼っただろう。そうして、時間を稼ぎ、何らかの打開策を見出すのが、彼のやり方だった。

 

 だが、今日の護堂は今までとはわけが違った。彼は本当に覚悟を決めてきたのだ。

 あの分からず屋の軍神に徒人のままで挑んだときと同様に、己の命をかけることを!

 

 「行くわよ、護堂!」

 「遠慮はいらない!やれ、エリカ!」

 

 獅子の魔剣が躊躇いなく振り下ろされる。『死せる従僕』たる騎士達ではなく――草薙護堂に向かって!

 

 「なにっ!?」

 

 ヴォバンは目の前の有り得ない光景に己が目を疑い、思わず驚愕の声を上げた。

 その驚愕を余所に、現実は歩みを止めない。振るわれた獅子の魔剣は狙い過たず、護堂を袈裟懸けに切り裂いたのだ。若くして大騎士となったエリカの剣術はすでに一流の域にあるのだから、当然である。

 

 護堂が斬られたことで仰け反るが、彼は倒れることはおろか、膝を折ることさえしなかった。

 そして、何よりその目に手負いの獣を思わせる獰猛で危険な光を宿していた。

 それを証明するかの如く、護堂は次の瞬間、迫っていた『死せる従僕』を文字通り一蹴(・・)した。

 

 重傷を負った時だけ行使できる化身。凶暴にして強壮、『猪』にも負けぬ猛々しく獰猛な『駱駝』の化身!

 それが与えるのは、ドニともやり合える格闘センスに、蹴りの破壊力とずば抜けた跳躍力である。

 

 護堂はその恩恵を今最大に発揮して、『死せる従僕』の騎士達を蹴り砕く。

 けして誤字などではない。今の護堂の蹴りは命中すれば、人体を粉砕できる威力があるのだ!

 

 「まさか、自らを斬らせることで権能を行使したというのか!?」

 

 すぐさま、その変わり様から権能を行使したことをヴォバンは看破する。

 

 「御名答!やりたくはなかったが、あんたを倒せるなら安いもんだ!」

 

 護堂としても、正直やりたくはない手段であった。

 どこかの誰か(・・)から、「俺を殺してもいい」くらいでやれば、制限を満たして権能を使えないことはないとは聞いてはいたが、一つ間違えば死ぬのだ。どうして試せようか。

 

 だが、護堂にとって何の化身も使っていない状態はどうしようもない程に明確な隙である。明らかな格上で、権能の数も圧倒的に劣っているヴォバンが相手となれば尚更だ。間違いなく致命的なものになると護堂は考えた。

 故、選択肢は一つだけだった。自身の命をチップに博打を打つことだけだ。

 

 幸い壺振りは、最も信頼する相棒である少女だ。そして、自分は勝負事にはとことん強い。だから、心配はしなかったし、失敗する可能性など露程も考えなかった。

 

 何より、愛しい女に自分を殺した咎を背負わせるなど冗談ではなかったし、己はこんなことで死ぬようなたまではないと確信していたが故に!

 

 その結果が、今ここにある。

 護堂は見事賭けに打ち勝ち、確かな配当を手にしたのだ。

 『駱駝』の権能は絶好調で、死せる騎士達を鎧袖一触で屠っていく。

 その好調ぶりは『猪』に勝るとも劣らない。

 

 (「神殺しの力を研ぎ澄ますのは荒ぶる魂」か、こういうことだったのか)

 

 いつか誰か(・・)に言われたことを思い出しながら、護堂は従僕達を蹴り砕く。

 今の護堂は蹴りの鬼だ。膝で頭蓋を粉砕し、回し蹴りで上半身を吹き飛ばし、足払いで下半身を刈り取る。

 そうして、気づけば護堂は従僕達を蹴散らしながら、ヴォバンの間近に迫っていた。

 

 「調子にのるなよ、小僧が――我が従僕を倒せたからと言って、このヴォバンを倒せると思うな!」

 

 ヴォバンは新参の大言に憤怒を露わにその身を狼へと変え、護堂を迎え撃ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 「草薙君は思った以上にやってくれているようだな」

 

 現場から中継されている神殺し二人の激闘をどこか冷めた目で見つめるのは、日ノ本の今一人の神殺し神無徹であった。彼は、ヴォバンに自爆で果てたと思わせた後、人知れずパールヴァティの権能で復活し潜伏していたのだ。全ては、最古参の魔王にして仇敵たるヴォバンを滅殺するために……!

 

 潜伏場所は決闘場にほど近い不動明王を祀る寺院だ。

 徹はそこでひたすらにヴォバンに突き立てるための牙を研ぎ澄ませていたのだ。

 死を偽装したのはその下準備に過ぎず、彼の周囲には十数人もの巫女が配置され、一心に何かを唱えているのもその一環だ。

 

 「ノウマク サラバタタギャテイビャク サラバボッケイビャク サラバタ タラタ センダマカロシャダ ケン ギャキギャキ サラバビキンナン ウン タラタ カンマン……」

 

 ちょっと詳しい人間がいれば、それが不動明王の真言であり、火界呪と言われるものであることに気づけただろう。彼女達はそれを護堂達の戦いが開始されて以来、ずっと唱えている。

 

 「使えるものは使う。

 たとえ、それが不本意であるとしても、王であるというならその権力を使わない手はないよな」

 

 そう独りごちながら、掲げた十拳剣を見やる。

 そこには凄まじいまでの呪力が集まっており、解放の時を待っていた。

 

 「あの糞爺に引導を渡すには、まだ少し足りないか。この地に根付いた不動信仰にあやかって、さらに術式はカンピオーネが使用するものを想定して改良したんだ。できないとは言わせはしない」

 

 徹は今回、王としての強権を用い、正史編纂委員会の管理下にある巫女300名を動員している。

 なにせ、護堂と徹がヴォバンに敗北すれば、優秀な巫女を強奪された挙げ句、神招来の儀という危険きわまりないものに強制参加させられるのだ。運良く帰ってきても、廃人になる可能性が高いとくれば、彼らに否応はなかった。

 

 そうして、供出された300人の巫女達は、いずれも一端の魔術師・呪術師達だ。いかに一人一人ではカンピオーネとは比べくもないとはいえ、地脈のバックアップがある上で一つの術式の下、互いにリンク・感応させ、トランス状態に至るまで一心に祈らせて呪力をひねり出させれば、カンピオーネに一撃を入れるくらいの呪力は確保できる。

 

 無論、その莫大な呪力をどこに溜めておくかと言う問題があるが、徹には明日香という格好の切り札があった。

 正真正銘の神を殺した剣であり、神殺しとしての彼の半身というべきそれは、呪力を溜め込むには持って来いの代物だったのだ。

 

 しかも、明日香は不動明王の火界呪とは、火という共通点があるため、すこぶる相性がいい。

 明日香は、その身に着々と不動明王の焔を呪力と共に蓄えていた。

 

 「人の故国に土足で踏み入った上、好き放題やってくれたんだ。報い受けてもらう!」

 

 折角、仇敵たるヴォバンが自身の懐にまんまと入ってくれたのだ。地の利、人の利があるのを利用しない手はない。徹はヴォバン来日を聞いた時点で、生かして帰す気はなかった。

 なにせ、ヴォバンと徹は水と油だ。絶対に相容れることはない。

 何よりヴォバンは、すでに神招来の儀&美雪という徹の逆鱗に触れてしまっている。

 

 さらに、今回は挑発するかのように故国まで踏み込んできた上、目的は神招来の儀ときた。

 最早、どうあっても徹はヴォバンを許すことはできなかった。

 

 幸いにして、格好の大義名分もあった。

 先のアテナの件では温情を見せすぎたように徹は思っていたからだ。青銅黒十字のリリアナ・クラニチャールがヴォバンに協力しているのを、美雪から聞いたが故だ。せめて首謀者のエリカ・ブランデッリは抹殺し、主導した赤銅黒十字は灰燼とすべきだったと、今にしては思う。

 

 神殺しの魔王として、自身の掲げた「護国」をどうにも甘く見られているように思えてならないのだから。

 故、ここでヴォバンを殺すことは絶対に必要なことだ。日本に手を出すということが、神殺しであっても死につながるということを示すために。二度とこの国に手を出そうなどと、馬鹿な考えを抱かせないために!

 

 ――殺す、確実に殺す!

 

 その一念で徹は、全ての段取りを整え、一時的とはいえ敗北したと見られることを許容して、死を偽装したのだ。護堂には悪いとは思うが、目的が同じとはいえ別に共闘しているわけでもない。各々、勝手に戦っているだけに過ぎないのだから。

 

 それに甘粕冬馬を介して決闘場を提供したり、万里谷祐理の霊視の助力を得られるようにしたりしたのは、ほかならぬ徹であった。無論、それは護堂を最大限に有効利用するためであり、要は徹自身のためであったが、それでも紛れもない助力であることは間違いない。

 

 ただ、利用されていることを気づかさせず、真意を悟らせないだけで……。

 

 「悪いな草薙君、大人は汚いのさ」

 

 徹はそう呟く様に言うと、冷徹な目でヴォバン抹殺の機をうかがうのであった。




護堂の名誉回復が少しはできたでしょうか?


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#20.王の殺意

 「では、第三ラウンドと行こうではないか?」

 

 そう言って、現存する最古の魔王サーシャ・デヤンスタール・ヴォバンは不敵に笑う。

 護堂が言霊の『剣』で権能とその身を切り裂き、そしてダメ押しに『山羊』の権能で、特大の稲妻を叩き込んで殺したというのに尚、その総身には力と有り余る戦意が満ち溢れていた。

 

 「そっちが望むなら、いくらでも付き合ってやるよ!……復活したとは言え、一度死んだのに元気すぎだろ」

 

 流石の護堂もこれには呆れた。

 自分達神殺しが、常軌を逸しているのはいつものことだが、復活して呪力も明らかに目減りして息を荒らげているにも拘わらず、これである。

 むしろ、戦意においては、死ぬ前よりも向上しているような気すらするのだから、然もあらん。

 

 しかも、それは虚仮威しなどでは断じてない。明らかに護堂が総身に感じる圧が増しているのだから。手負いの獣は恐ろしいというが、ヴォバンはまさにそれであった。

 

 「なに、折角歯ごたえのある戦いになったのだ。望外の結果とは言え、愉しまなければ勿体なかろう?

 さあ、今一度稲妻比べと行こうではないか!」

 

 ヴォバンの上にある雷雲が再び厚みを増す。

 

 「上等だ!……!?」

 

 受けて立とうとした護堂は、自分に向けて高速で何かが突っ込んでくることに気づいて、驚愕した。

 

 「ご無礼をお許しください!王よ!」

 

 そこに敵意や害意が混じっていれば別だったろうが、必死さしか感じられないその動きに護堂は動けなかった。正確には迎撃する意欲が削がれたと言うべきだろう。

 

 「クラニチャールだと!?なんのつもりだ!」 

 

 魔女の秘奥である飛翔術によって、護堂とエリカを浚って高速で離脱したのは、ヴォバンに従っているはずのリリアナであった。

 

 

 無論、それを黙って見過ごすほど、ヴォバンは甘くない。即座に落雷の洗礼を浴びせようとしたが、それはかなわなかった。

 なぜなら、間髪入れずに業火の柱に包まれていたのだから。

 

 

 

 

 

 「流石にここまでやれば成功するか……。」

 

 当然ながら、今ヴォバンを焼き払おうという業火の柱は、私が仕掛けたものである。

 巫女300人をトランス共鳴させた不動明王の火界呪を、束ねて私自身の火界呪に上乗せして放ったのだ。

 いかに通常の呪術を無効化するカンピオーネといえ、同等の呪力どころか凌駕する呪力を込められた術を無効化出来るほど万能ではないのは、自身で確認済みだ。まして手負いで呪力を大幅に減じた今のヴォバンならば、命にも届きうるだろう。

 

 予め決闘場を用意し、草薙君に散々塩を送ったのも、全てはこのためなのだ。

 

 流石に散々騙して利用した挙げ句、巻き込んで殺すのは気が咎めたので、草薙君とその愛人の離脱のためにイタリアの銀の妖精にはかなりの負担をかけたが、人の義妹に刃を向けたのだ。それぐらいの働きはして貰わないと、無罪放免とはいかない。

 正直、あの神殺しの決闘場に隠れ潜むのは生きた心地がしなかったろうし、ましてあの決闘に飛び込むのは決死の覚悟が必要だったろうが、未来ある若人の命のためならば仕方のないことである。

 

 「ヴォバン、貴方は強い。だから、私は欠片も油断しないし、手を抜かない。

 草薙君が望外に復活権能まで使わせた以上、貴方を殺す好機は今この時以外にありえないのだから」

 

 とはいえ、これであっさり死んでくれるとは、私自身微塵も思ってもいない。

 というか、この程度で死ぬなら、ヴォバンは疾うの昔に死んでいるだろう。

 

 ヴォバンが世界最古の魔王なのは、伊達や酔狂ではない。尋常ならざる生き汚さを誇るからだ。

 故に、当然準備は万端である。

 

 「さあ、二ノ矢だ!

 汝は神々の災厄たる巨狼。神を喰らう大神よ、今一度汝が残滓に宿り、その爪牙を持って敵を滅ぼせ!」

 

 私は、自身のフェンリルの権能をその『竜骨』たる『神薙貪狼』に与えて、渾身の力で投擲したのだった。

 

 

 

 

 

 

 「小癪な!これはこの国の術士の仕業か?」

 

 突如、不動明王の業火に巻かれて尚、ヴォバンは健在であった。

 彼は瞬時に炎に強い耐性を持つアポロンの権能をもって狼と化し、嵐の権能をもって雨を強め火勢を弱め、それでも足りぬとくれば『死せる従僕』を周囲に召喚して肉盾として死を逃れていたのだ。不意を打たれて尚、瞬時に複数の権能を使いこなし、最善の手段を即座に打てる判断力は、ヴォバンが古豪たる証左でもあった。

 

 「流石に少々甘く見過ぎたか。この国の術士共にも多少なりとも骨があったというわけか……ククッ」

 

 窮地にあっても、ヴォバンは愉しげに笑う。むしろ、これからを思い、笑みを深めてすらいる。

 この横暴たる王にとって、窮地であってもそれは闘争を愉しむためのエッセンスに過ぎない。たとえ罠に嵌められようと、それを内側より食い破ることを喜悦とする魔王なのだから。

 

 「だが、この程度で私は殺せん。何より私の闘争に横槍を入れたことは万死に値する。

 死を以て償うがいい」

 

 ついに、ヴォバンは巫女300人がかりの渾身の火界呪を耐えきってみせた。

 護堂によって権能の軛にヒビを入れられたこともあり、不動明王の火界呪の効果をもって少なくない数の『死せる従僕』が解放されたことに気づいたが、補充は彼が生きている限り容易であるし、なんだったら楯突いたこの国の術士共で数だけなら補充してもいい。東欧の暴君は何の痛痒も感じていなかった。

 

 が、さしもの暴君も、確かに己が目で死んだことを確認した者がのうのうと生きていようなどとは思っても見なかった。

 業火の柱を消し去った次の瞬間、ヴォバンを白銀の巨狼が強襲した。

 

 「なに!?……これは神無めか!」

 

 二ノ矢である白銀の巨狼を、驚くべき勘の良さと反応速度で、『疾風怒濤』でどうにか迎撃して見せたヴォバンは、即座にそれが誰の手によるものか理解した。

 

 「うん?奴自身ではない?」

 

 そして、違和感にもすぐに気づいた。

 あの慮外者にしては弱い。そもそも、慮外者自身であれば、先の奇襲を迎撃することはかなわなかったであろうことをヴォバンは理解していたからだ。

 

 「安全策をとった?いや、あれはそういう男はない。

 殺すべく時は全力で殺しに来るはず―――ならば!」

 

 ヴォバンはこれで終わりではないことを瞬時に理解していた。

 次に来るのが、正真正銘の必殺だと彼は悟った。

 

 そして、それは正しかった。

 迦具土の炎を宿した剣が、ヴォバンへと高速で迫っていたのだから。

 

 「神の炎を宿した神剣の投擲が、貴様の奥の手か!

 これまでよくぞ隠していたものだが、存外につまらぬ奥の手よな!」

 

 一ノ矢は牽制であり狙いつけ、二ノ矢である白銀の巨狼は足止め役で、本命はあくまでも神剣の投擲だとヴォバンは即座に看破した。

 

 いくら高速で投擲された飛翔物と言っても、ヴォバンにとって避けるのは造作もない。

 剣に必中の呪いや追尾の効果があるものではないし、避けてしまえばそれで終わりなのだから。

 確かに、白銀の巨狼は少なからず邪魔で、容易でもない相手だが、やはり本来より弱いとあれば、やりようはあるし、避けるだけの余裕を作ることは十分に可能なのだ。

 

 実際、ヴォバンは白銀の巨狼をあしらいながらも、投擲された剣を見事に避けてみせた。

 

 「な、に!?」

 

 しかし、結果はヴォバンの思い描いたものではなかった。

 確かに躱したはずの剣が、使い手もいないはずなのに彼を背後から切り裂いていたのである。

 

 「自ら動く剣だと……馬鹿な」

 

 それ以上、言葉は続かなかった。

 切り裂いた傷口から、迦具土の炎が侵入し、内側からヴォバンを焼き尽くしたからだ。

 ここに最古の魔王たる東欧の暴君は死んだのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 「分かってはいたが、あの爺は本気で化け物だな。

 明日香じゃなかったら、逃げられていただろうな」

 

 ヴォバンの死を見届けて、徹は一人ごちる。

 

 東欧の暴君は、間違いなく最強の敵だった。

 王の権威を最大活用し、自分の死を偽装した上で、同胞たる護堂を利用して連戦による消耗を強いる。

 

 運も味方した。

 自身の権能たるフェンリルの『竜骨』があったことに加え、護堂が想像以上に粘り復活の権能を使わせたこと、二人の王から、まんまと神炎を盗み出すことに成功していたことなど。

 

 そして、何より自慢の娘、迦具土の権能を宿すことが可能な生きた意思ある剣である明日香という最大のイレギュラーが、ヴォバンの命運を断ち切ったのだ。

 徹には確信がある。何一つ欠けていても、殺せなかったであろうという確信が。

 

 「借りは返した。いずれ地獄で会おう」

 

 地獄での再会の約束、それだけが彼の王への手向けであった。




凄い遅くなりましたが投稿。
久々なので、違和感とかあったら遠慮なくお願いします。
護堂のヴォバン戦は、大筋は原作と一緒なので省きました。


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