Episode Magica ‐ペルソナ使いと魔法少女‐ (hatter)
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【プロローグ】旅人となった人間(2010,5/28)

初めまして、hatterと言います。
作品投稿はこれが初めてになりますのでよろしくお願いします。
この作品には以下の注意点がありますので目を通してから作品をお読みください。

①作者による独自解釈・設定、原作改変
②ドラマCDネタ出身がストーリー展開に関わる
③P3原作及び、まどマギ本編のネタバレを含む
④キャラの口調や性格が技量不足により原作と若干違う可能性あり

また時系列としてはP3サイドはフェスの後日談を経たその後にまどマギの本編に関わる形です。
以上を踏まえた上でどうぞお楽しみください。





 

 

 どんな物語であろうと、それには必ず『始まり』と『終わり』が存在する。人が生を受けた瞬間にいつかは訪れる絶対の死があるのと同じように、一定のルールの上で成り立ってこの世界は回っているのだ。

 

 死なない命が無いように、時間が止まらないように。覆らない理は無慈悲に結末だけを突きつけ、その度に終わりを迎え、また始まる。

 

 そしてこれは生命の滅びという『終わり』を免れた世界の延長線で始まった一人の少女の旅路。最早始まりも終わりも無くなってしまった旅路を、交わした約束だけを頼りにひたすら歩く。

 

 どんな困難が立ちはだかろうと、歩みを止めず、己の信じるがままに。ただ自らの望む結末があると未来に淡い希望を夢見て──

 

 

◆◇◆

 

 

2010年5月28日・金

 

 もうすぐ初夏を迎える頃となった5月下旬は、次第に太陽の昇る位置も真上に近付き、日中の気温も高まっている。梅雨が訪れる時期に差し掛かるに当たって、分厚い雲が空を覆うことも多くなり不安定な日が続くことが増えてきた。しかし、長期休暇も迫り夏休みを待つ学生達にとってはあまり気にするような事ではなかった。朝には長期休暇の間にどう遊ぶかなど友人と駄弁りながら登校する学生の賑やかな声が街の至る所から聞こえてきていた。

 

 だが、今日5月28日は街のどこを見ても人っ子一人すら見当たることはない。街から人が消え、まるでゴーストタウンとも言えるほど静まり返っていた。それもその筈。早朝からこの街、見滝原には全ての住民に避難勧告が発令されているからだ。

 

 時刻は午前7時を回った頃。突如として発生した超巨大な乱気流の塊、スーパーセルが街一つを覆い隠すように停滞していた。突風が閑静な住宅地を駆け抜け地面から剥ぎ取り、雷鳴が空気を爆発させ絶え間なく響く中では常人に認識することも出来ない事象が起きている。自然現象とはかけ離れた”異物”を中心にして。

 

 国内で観測史上最大の規模を誇る嵐の中は普通の災害とは一線を画す出来事も起きてしまう。およそ予想しきれない奇想天外な被害をもたらし、今日と言う日はそれが当てはまった。その自然の怒りとも違いない嵐が吹き荒れる異常な空間に歪みが生じた。

 

 地上400メートル付近で確かに空が、凹んだような、捻れたような、明らかな異変を見せた。同時に耳を劈く狂気じみた女の笑い声が何処からともなく聞こえ、沈みきった街に降り注ぐ。歪みもさらに大きくなり揺れ始める。まるで”何か”が始まる暗示をしているかのように。

 

 歪みは揺れる度にその揺れ幅を広げる。歪みの揺れも、もうこれ以上広がりきらない程まで広がりカウントダウンは終わりを告げ、”何か”が始まった。

 

 終わりを告げた途端に風の吹く音に変化が起きた。ただの自然災害でしかない筈のスーパーセルでは有り得ない光景が広がる。台風や竜巻が起こった際に紙くずや瓦程度であれば風に煽られ飛んでいても不思議ではない話だが、細かな残骸を飛散させながら宙を舞っているのは間違いなく高層ビルであった。数千トンはある高層ビルが根元から千切られ、まるで木の葉の様に吹かれ、飛ばされる。それも一つではなく、無数に飛び交っている。しかし、これもまだ可愛げのある異常さであった。

 

 歪みの終わりと共に突如発生した視界を奪う白い霧。瞬く間に霧は街全体に魔の手を広げる。そしてその上に顔を出しているのは天を仰ぎ、泥のように濁った雲を捉えようとする鋭利な枝を持つ巨大過ぎる樹だった。一体いつからあったのか、いつ現れたのか分からない実も葉もつけていない枯れた黒い巨木。

 

 舞台は整った。残すは主役の登場だけ。

 

 巨木の影から揺れる青い布のような靡く物が見えた。人が走るより速いくらいの速度で一部から全体へと見える範囲は広げ、だんだんとその全貌が明らかになる。それはこの異常と異変の元凶である”異物”。

 

 荒れ狂う暴風をまとった巨大な舞台装置が、高笑いを響かせながら見滝原上空にパレードを引き連れて姿を見せた。赤や緑のカラフルな色をした象と人の膝下より小さいぬいぐるみの人形。無数の異形が盛大に騒ぎ立てて狂ったように踊る。暗い雲の下では、盛り上がりに応えるようにして空に浮いた直径100メートルを軽く超える複雑で鮮やかな七色の円が一層艶やかに映える。誰も待ち望まない悪夢の劇団は、静かに、錯乱し、狂乱し、絶叫し見滝原で演劇を始める。

 

 湧き上がる歓声替わりの嘲笑。ラッパ代わりの破壊音。舞台より舞い降りた影の道化がワルツを披露して観客を楽しませる。必死に踊るその様は懸命その物である。たった二人しか居ない観客を前にして。

 

「来るよっ!」

 

「ええっ!」

 

 踊る道化の前に居るのは桃色の髪を両サイドでまとめた少女と、黒髪を三つ編みにしたおさげに赤いフレームの眼鏡をかけた少女。どちらの少女もこの場にそぐわないであろうメルヘンチックな衣装に身を包み、異物を見上げている。むしろ舞台の上ではそのような派手な装いの方が楽しむにはよいのかもしれない。だが、二人は決してこの狂った演劇を楽しむ為にそこに立っているのではない。二人の表情は揃って闘志と言う年端もいかない少女には無縁に近い感情で満ち、常に空を浮遊する逆さの人形を睨みつけている。

 

 現在、見滝原の命運はこの二人の少女に託されている。二人の少女は奇跡を起こす役目を負った希望の存在『魔法少女』と呼ばれ、魔法を駆使し悪の根源であり人々を死に追いやり呪いを蒔く絶望の存在『魔女』を討ち倒す者達。この日が来るまでにも数多の魔女を討ち倒し、来るべき脅威が訪れるこの日の為に少女は戦ってきた。己の掲げる正義の為。希望を抱き諦めない為。魔法少女の在るべき生き方として。桃色の髪の少女はそう思い、手に持つ魔を祓う力を宿した聖弓を握りしめる。そしてそれ以上にも、それ以外にもより強い思いを胸に秘めながら黒髪の少女は隣に立っていた。

 

 桃色の髪の少女は眉間に深い皺を刻み、向かってくる影だけを取り出したような真っ黒の道化に矢を放つ。容易く道化は爆ぜて黒い液体をぶちまける。それを合図に今宵魔女の夜宴が開演した。

 

 

 

 

 

 台風や竜巻の災害を人間が意図して止める事が出来ないように、この舞台装置の夜宴を妨げる術を持つ者はこの世にいない。魔女を討ち倒す力があるとは言え、たかが”それだけの力”しか持ち合わせていない少女に目の前で街を蹂躙する災害となんら変わりの無い圧倒的な存在を討つことは叶わない。

 

 それでも少女達二人はそんな避けようのない窮状でも臆することなく目の前の困難へ勇敢にも立ち向かおうと奮闘する。その全ては傍らに居るたった一人の少女の運命を変える為の戦い。希望を胸に秘め、眼前の巨悪へと立ち向かう。

 

 破滅を振り撒く劇団が容赦なくビルを薙ぎ、七色の炎で地表を染め上げ灰塵と帰す。悪を滅ぼす魔法少女が一矢で虹炎を払い、またある魔法少女は黒く光る科学兵器から射出された鉛の弾丸で道化の頭を撃ち抜き、爆弾で群がる影を押し退ける。しかし脇役である魔法少女の声は舞台の主役には届く筈もなく、一蹴されるだけで近づくのもままならない。無力にも少女達の努力は報われず、瞬く間に見滝原は舞台装置の演技により廃都へと変わる。闇はさらなる闇を呼び、破壊の限りを尽くす。

 

 まるで魔女の夜宴の夢だったかのように。

 

 穏やかな風が撫でるようにしてビルの合間を抜けて静かな時間が流れる。嵐は過ぎ去り、瓦礫の山に雨が降り注ぐ。その静けさが本当に先の嵐が夢ではないかと見る者を思わせる。しかし割れた雲から射し込む太陽の光が荒廃した街並みを照らし、逃避できない現実を突きつける。この街の住人は皆避難していない。そこに居るのは二人だけだ。誰かに知られるでもなく、戦いに敗れ、敗者である二人は地面に這い蹲り水溜まりに身を浸からせて静かに息をしていた。冷たい水が体温を奪うより、命が尽きるのが先に訪れる。そして絶望を振り撒く人ならざる者へと生まれ変わる。

 

 どうしようもないこの世界の守る意味を見出だせず、黒髪の少女の胸には全てを諦め二人で何もかも滅茶苦茶にしたい気持ちがどこからもとなく湧いて出てきた。黒く穢れた感情。希望の存在であらなければならない魔法少女としてはあってはならない意に反した考え。虚ろな瞳が映すのは街の残骸だけで何も守れやしなかった事を物語っている。

 

 自分は頑張った。自画自賛でもない客観的な評価。百人に聞いても百人がよくやった、頑張ったと言ってくれるに違いない偉業を為したのだ。だからもう諦めてもいいではないか、と。そこまで少女は追い詰められていた。最早希望など無い。あるのは自分の無力さとどう最期を迎えるか考える余力のみ。完膚なきまでに叩きのめされ惨めさを味わい、それらを忘れられるくらいに世界を壊したい。『あなたもそう思うでしょ?』と問い掛けるように頭を横に向けると、隣に横たわる少女もこちらに向いており、意図せずとも目が合った。そして黒髪の少女は驚きと疑問に襲われる。自分と同じように絶望したと思っていた少女のその瞳には希望がまだ宿っていたのだ。自分の手に彼女の手が重ねられながら。

 

 

 

 

 

 黒髪の少女がこちらを向いて目が合った。桃色の髪を両サイドにまとめた少女は、そんな悲惨な状況を忘れさせるようににっこりと微笑む。こんな状況でも笑う自分に呆気にとられたのか口がパクパクと開いたり閉じたりを繰り返す黒髪の少女。そして驚きから疑問、驚愕の表情へと一変。それは重ねた手の内にある物を見たからだ。

 

 無いと言っていた一つの災厄を生む種を宝石の形をした命に当てながら。

 

「なんで……私になんか…!」

 

「わたしにはできなくて、ほむらちゃんにできること…お願いしたいから」

 

 笑ったまま少女は続けた。

 

「ほむらちゃん…過去に戻れるんだよね? …こんな終わり方にならないように、歴史を変えられるって、言ってたよね…?」

 

 その笑みは誰がどう見ても無理矢理に作っているものだと分かる。涙声になり、笑っていた顔が悔しそうに徐々に崩れていく。でもまだ笑っていたい。目の前に居る少女『ほむらちゃん』にはそんな悲しい顔をしないでほしいから。それでも涙は流れる。ほむらが悲しそうにしているからなのか、自分の無力さに泣いているのか自分ですら解らなくなり、大粒の涙が頬を伝って雨と一緒に水溜まりへと加わる。

 

「キュゥべえに騙される前の、バカなわたしを…助けてあげてくれないかな?」

 

 

 

 

 

 自分を救ってほしい。これがほむらの最も大切な人『まどか』からの悲痛な願い。自らの運命を知ってか、それとも過去の自分の運命を変えて後の悲劇を回避しようとしているのか。そしてそんな希望をまどかはほむらに託そうとしてくれた。まどかは他でもないほむらに自分にとっての希望となってほしいと。

 

 自分に希望を託してそれが叶うと願い、命を磨り減らしながらも言葉に紡いで言ってくれた。だからほむらも折れず、絶望に身を委ねかけた安易な気持ちをすぐに消し去った。まどかはまだ希望を捨ててなどいない。それだけでほむらも立ち上がれ、何度でも立ち向かえる。

 

 どんな理由があろうとこの約束は絶対に果たさなければならないと時間逆行者、暁美ほむらは心に誓った。彼女はその為に繰り返しているのだから、必ず。

 

「約束するわ! 絶対にあなたを救ってみせる…何度繰り返すことになっても、必ずあなたを守ってみせる!」

 

 自分自身への誓い。守る。ほむらの願いは目の前にいるまどかに守られるのではなく、まどかを守る自分になること。そして救う。過去にそう願い、そうするが為に全てを捨ててでも為し遂げる覚悟はとうの昔に出来ている。

 

 それだけを目的として戦ってきたのは言うまでも無く、それがほむらの戦う理由だ。故にこの願いを引き受ける。これがまたまどかの願いであるなら尚更に。

 

「よかっ…た……ぅぐッ!」

 

 ほむらの固い決意と約束を聞いて安堵の息をつくまどか。けれど、すぐにそれは苦痛に続く悲鳴へと変わった。今まで味わったことのないような苦しみに、体をよじり必死に耐える。穢い感情が心を満たしていき意識が飛びそうになるもなんとか意識を保つ。命の宝石は形を変え、魔女の卵へなろうとパキパキと音を立てながら幾筋のひびが走り、黒い球体になっていく。それを押し殺してまどかは涙をポロポロと零すほむらに消え入りそうな声で言う。

 

「もう一つ、頼んでいい…?」

 

 掠れた言葉の先に何を言うのかほむらは瞬時に理解し、同時に否定しようとまどかの目から逸らした。しかし聞きたくもないが、これが少女の最後の願い。ほむらはもう一度まどかと向き合い決意を固め涙を浮かべただ頷いた。

 

「うん…」

 

「わたし、魔女にはなりたくない。嫌なことも、悲しいこともあったけど…守りたいものだって、たくさん…この世界にはあったから」

 

 まどか自身も解っている。このまま自分が魔女になれば世界にどれだけの災厄をもたらすのか。残った力を振り絞ってソウルジェムかグリーフシードか判断のつかない黒い物体を、皮膚が裂けて血の滲んで震える手の平に乗せて持ち上げる。この願いがどれだけほむらに酷な事かはまどかも知っている。だとしてもまどかほむらに頼んだ。願った。希望を託して、これを礎として。

 

「まどか…!」

 

「ほむらちゃん、やっと名前で呼んでくれたね。嬉しい…な」

 

 まどかはまた微笑んで見せた笑顔は儚くそして力強かった。ここに来てまだ絶望に屈さず、希望と安堵に満ちて。そしてまた今この笑顔を奪うのは約束をしたほむらだ。まどかは笑っているのに、ほむらは反対に涙を流す。変身して拳銃を構える。胸が締め付けられ、噛んだ唇から血が出ても噛み続ける。指に力を入れても引き金を引くことが出来ず、喉が張り裂けんばかりの唸り声を上げた。

 

「はっ…ぅ、ぐっ…うぅ…ぬうううううぅぅぅ!!」

 

 閃光が瞬くのとほぼ同時に乾いた発砲音が辺りに響き渡り、まどかの挙げられた手は支える力をなくして音もなく下ろされた。心臓の鼓動も止まって次第に冷たくなっていく少女の亡骸を前にほむらは泣き崩れる。返事をしないまどかの遺体にすがりつき、幼い子供の様に泣き続けた。

 

「ッうぁぁああああ…っ…ぅう……あああぁッ! ああぁうぅっ! …………ま…どか………っ…」

 

 震える両腕でまどかの遺体を胸に抱きかかえ、涙を流す。そして思い立ったようにほむらは泣き止み、まどかを平らな瓦礫の上に寝かし、踵を返して背を向ける。左手に装着された軋んだ盾に手をかけ、静かに回した。

 

 雨が降りしきる中、鹿目まどかの亡骸だけがあった。それはまるで幸せな夢でも見ているのではと思う程に安らかに。口元は僅かに笑みを残したままに。感情を爆発させて咽び哭いていた暁美ほむらの姿はもうどこにもなかった。

 

 

 




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 動く刻(2010,4/28)

 

 

 

2010年4月28日・水

 

 絵に描いたような立派な豪邸。比べる範囲を日本にだけ絞ったとしても、その立派さが頭一つ飛び抜けていると誰でも分かる。壁面は総じて真っ白に覆われ、細かな彫り込みによるどこかの神殿のような模様が施されている。そしてテレビ番組によくある無意味な広さを見せつけ裕福であると豪語する資本家の豪邸とは違いを知らしめるのが、敷地面積にある。広いと言えばかなり広いが、無駄を感じさせない広さで、全てを効率的に設計されておりある種の完璧さを醸す。誰を招いても見下されず、敬意を払わせ、威厳を示す。その豪邸は世界的大企業・巨大コンツェルトン『桐条グループ』の現当主が居を置く屋敷。そこでは多くの使用人が忙しく歩き回り、招かれた客人を快適に過ごせるよう努めている。

 

 この桐条グループの根城とも言える屋敷に勤める使用人の全てが黒を基調とし、白いエプロンを腰に着けた従者の証の衣装を身に纏っている。アニメや漫画でよくある膝上丈のスカートではなく、足首まで隠れる完璧な正装。それ故、この屋敷に勤める使用人達が本物のメイドである事を引き立たせる。厳かに、優雅に主の生活をサポートし身の回りの世話をする。そしてその洗礼されたメイド達を束ねるメイド長は、的確な指示を飛ばし主の招いた客人をこれ以上にない持て成しで迎える。そんなメイド長を見る限り、凛々しいがまだ顔には若干の幼さが見える。恐らく二十歳を迎えていないであろう若さだが、ここでは年齢など関係なく与えられた仕事をこなせるかこなせないかで決まる。つまりこの若いメイド長はそれだけ認められているということだ。

 

 別な理由として屋敷の主と歳が同じで趣向が似ていたりするのも要因なのかもしれない。

 

 ギリシャ風の彫刻が施された支柱が立ち並び、建物自体が一つの芸術作品のような美しさを放っている。天井からは立派なシャンデリアが吊るされてフロアを光で満たす。上質な赤い絨毯が長い通路に隙間なく敷かれ、床には一つの塵さえ落ちていない。

 

 その赤い絨毯の続く先、ある部屋の扉の向こうを覗けば、そこには高校生くらいの少年少女、中には小学生の姿も見えた。全員屋敷の主の友人であり、この日の客人である。今日は久しぶりに仲間が全員集まってのお茶会。それも桐条グループ当主によって催されたなんとも貴重極まりないお茶会。

 

 仲間との会話に華を咲かせて笑い声が絶えない。しばらくして納まり流れだす静かな時間、豪華な装飾の施された一室に鈴のような少女の声が響いた。

 

「私、彼の住んでいた街を訪れてみたいです」

 

 その声は凛として部屋の中を真っ直ぐに通った。それだけ良く通る女の声。容姿は声に対して釣り合う以上にあり、どこか作り物めいた美しさがある。高貴な雰囲気を醸し出す赤髪の少女・桐条美鶴に宣言するように言ったのは、美鶴の正面に座る金髪でショートカットの少女。ここに居る者なら知らぬ者などいないが、美鶴は桐条の姓を受け継ぐ正統な桐条グループの継承者である。常人ならば雲の上の存在と見て同じ席に着く事はおろか、視界に入る事さえ怖じ気づいて畏縮してしまうだろう。だが金髪碧眼の少女は臆面もなく言ってみせた。瞳の色は美鶴の赤髪と反対にサファイアより深い蒼で、覗き込めば吸い込まれてしまいそうな綺麗な色をして自信に満ち溢れている。

 

 美鶴と少女以外にもその場にはピンクのカーディガンを羽織ったミニスカートの少女や、野球帽を被り少し髭を生やした少年、明るい緑色の髮を短く切り揃えた落ち着いた雰囲気の少女などその他にも数人いた。その人達も金髪碧眼の少女同様、気おくれした風でもなく同等の立場であるといった佇まいだ。

 

 ピンクのカーディガンを羽織ったミニスカートの少女が金髪の少女に驚いたように聞いた。少女の身なりは羽織ったカーディガン以外に、腰には膝上からより脚の付け根から計った方が早いくらいに短いスカート。栗色をした髪を肩まで伸ばして活発そうな女子高生そのもの。そしてある事を除けば、10人がすれ違うと10人が振り返ってしまうくらいに美人でプロポーションの良いごく普通の女子高生ということも付け加えられる。

 

「アイギスどうしたの、急に?」

 

 そして金髪の少女の名は"アイギス"。問い掛けてきた少女以上に美しい見てくれの彼女は、かつて世界の存亡を賭けた戦いに身を投じたメンバーの一人。機械の体に"黄昏の羽"によって人の心を持ち、命を宿す。アイギスは小さく笑みを浮かべて少女に返した。

 

「そのままの意味ですよ、ゆかりさん」

 

 ピンクのカーディガンを羽織ったミニスカートの少女・岳羽ゆかりは豆鉄砲でも食らったかのような表情から真剣な顔付きになりまた訊き返した。

 

「彼の住んでいた街って言うのは、"見滝原市"のこと?」

 

 見滝原市。今現在では日本で一番都市開発の進められている街で、三大都市にも引けをとらない目覚ましい発展を遂げている。地方都市でありながらその成長率は高いもので、年を重ねる毎に人口は増え続け、今や最も企業進出が盛んな都市となった。

 

「はい、そうです。駄目でしょうか、美鶴さん?」

 

 本人は意識していないのだろうが、見る人の心を揺さぶる切なそうな目で懇願するアイギス。

 

 余談とも言えるが、彼女は正しく人間ではない。間違いなくロボットである。深い関わりがなければ誰が見ても彼女をロボットなどと疑うことはないくらいに本当の人間となんら変わりない仕草と振る舞い。桐条グループの保有するありとあらゆる叡知を結集させ造り出した人型ロボット。数ある駆体でも最後に造られたラストナンバーがアイギスに当たる。最初こそは人間味が希薄でコミュニケーションの取り方がまさに機械的であったが人との交流を重ねるに連れ、より人間味を帯びていき、最終的には愛情さえも理解し、本来ならば流れる筈のない涙も流した機械の乙女だ。誰も彼女を機械として扱わない。皆アイギスを一人の人として言葉を交え仲間に迎え入れている。

 

 美鶴もいきなりの要望に一瞬動きを止め、口につけかけたティーカップをテーブルに戻した。視線をティーカップからアイギスに移し、唇を動かそうとした時。

 

「確かにオレっちも行ってみたいっスね!」

 

 美鶴が何か言うよりも先に、隣にいた野球帽を被り少し髭を生やした少年・伊織順平がソファーから立ち上がって言った。陽気な声を張り上げてテンションは妙に高かった。

 

「伊織、お前もか?」

 

「もちろんッスよ! 風花も真田先輩も天田も行ってみたいと思いますよね?」

 

 と、順平が"風花"と呼ばれた明るい緑色の髮を短く切り揃えた落ち着いた雰囲気の少女と、"真田"と呼ばれたどこかあどけなさが残る白髪の少年と、"天田"と呼ばれた小学生の少年に話題を振った。

 

「私もちょっと行ってみたいかなぁ、なんて…。いや、駄目なら私は良いですから」

 

「ん、俺か? まぁ行ってはみたい所だな」

 

「僕も行ってみたいですね」

 

「お前達も…か」

 

 話の流れが早すぎて困った顔をする美鶴。どうしたものかと思い面々を見ていくと不敵に笑う真田と視線が合った。

 

「美鶴、お前はどうなんだ?」

 

 顎を少し持ち上げ、自分は行くつもりだと意思表示をしながら訊かれた美鶴はほんの少し考える。確かに自分もいつかは足を運んでみたいとは考えていた。が、予定を割く時間がなかなか取れず先延ばしになっていた。しかしアイギスの言葉を聞いてそれを無理してでも実行させたい気持ちも生まれてきた。美鶴はそんな気持ちを抑えて言う。

 

「アイギス…どうして見滝原市に行ってみたいと思ったんだ?」

 

 かく言う桐条グループの当主である"美鶴"も。

 

 "伊織"と呼ばれた野球帽を被り少し髭を生やした順平も。

 

 "ゆかり"と呼ばれたピンクのカーディガンを羽織ったミニスカートの少女も。

 

 "風花"と呼ばれた明るい緑色の髮を短く切り揃えた落ち着いた雰囲気の少女も。

 

 "真田"と呼ばれたどこかあどけなさが残る白髪の少年も。

 

 "天田"と呼ばれた小学生の少年も世界を救ったそのメンバーの構成員である。

 

 皆固い絆で結ばれており、普通に生きているだけでは得られない程かけがえのない仲間だ。3月31日には意見の食い違いで力のぶつけ合いにまで発展したがその出来事から絆は一層強いものになり、未来を信じている。そしてこれはその出来事からあと少しで1ヶ月が過ぎようとした日のことだった。

 

「彼が何を感じてきたのか、何を見て生きてきたのか知りたい。だから行ってみたいんです。見滝原市に!」

 

 

◆◇◆

 

 

????年?月?日・?

 

 ザラザラと頭の中を紙ヤスリか何かざらついた物で削られるようないつまでたっても慣れない感覚。また違う例えをするなら全身を砂が荒々しく撫でていく不愉快な感覚。その度に嫌な記憶が甦る。いつものように失敗して時間を遡る。最早二十回を越えたところで数える事をやめたものだ。それに遡るということ自体にはもう慣れている自分が嫌になった。恐らく不快感もその記憶が甦る事によって引き起こされる錯覚に近いものだろう。

 

 目に映るのはひたすら高速で後ろへと流れていく黒い網だくじのような線と、時折見える円の模様。この時の自分はただ前に歩くことしか出来ない。後ろを振り向くことはおろか、立ち止まることも許されず足を前へ前へと動かし続けるのみ。不都合もなければ脅威もない。いつかは終わる空間に思うことはなにもないのだ。しかしよくよく考えてみてもこの空間は不思議なものである。自分の魔法の効果で訪れている場所とは言っても、なぜ振り向けないのか、なぜ立ち止まれないのかなど考えた事がなかった。

 

 体感時間にして数分頭の中で考えた。出た答えはそれほど難しくもなく、振り向くのも立ち止まるのも出来ないのも考えてみれば簡単な理由だろう。自分自身扱う魔法の特性くらいは完璧に把握しているつもりである。その数ある特性の一つは一方通行の時間逆行。一度発動すれば過去に戻れても都合のよい所で停止もできなければ、途中で取り消して行う前に戻ることも不可能。つまりここもそれの表れであろうと、時間逆行者である暁美ほむらは結論付けることにした。一方通行なら引き返すことは出来ないし、止まることも許されない。

 

 無論ほむらは立ち止まる気など微塵もない。ただ前を見据えていつか手に入れる希望だけを捉えている。例え何があっても後ろは振り向かない。進まなければ何も始まらないのだから。

 

 などと思いながら体感時間にしてまた数分。何も考えず過ぎていく時間を見送りながら歩いて遡る途中、ふとほむらは思った。この空間、この現象はここまで長いものだったかと疑問を覚える。これまでの経験と自分の感覚を頼りに比較してみる。目を瞑り感覚を研ぎ澄ます。その間にも足は前へと踏み出して歩み続ける。

 

 ――長い。やはりいつもより長く感じられる。

 

 いつもならとっくに過去を遡りきってもいいくらいだが、終わる気配も無ければ終わりが見える兆しすら無い。あまりいつもなら、などと考えたくないがこればかりは思わずにいられなかった。

 

 これまでなかった変化に僅かな警戒の念が募るも長いだけで別段異常も見られない。次第に警戒を続けるのも阿呆らしく思えて気持ちを緩ませた。おかしいと言われればおかしいが、この状況の自分をどうこう出来る者もおらず、自分自身でさえ抵抗出来ないのだから今ある空間が長いのも些細な変化としか考えなくなった。長くとも辿り着く場所は同じなのだから。

 

 しかしその心構えはすぐに改めさせられることとなった。すっかり油断していたほむらの背後で聞いたこともなく誰だか分からない人の声が突然聞こえたからだ。それもすぐ真後ろで発せられた声量。気配すら感じられないが、肌寒さを覚える冷たさだけは伝わってきた。

 

「――君は沢山の絆を得たから奇跡を手に入れたのかな? それとも元々君の素質だったのかな?」

 

 ビクリと身体全体が跳ねて無意識に肩に力が入り強張る。然も当然のように話す誰かの声は自分より高く、雰囲気から自分より年下の少年だと判断出来るが、その声音はとてつもなく鋭利で、心の中に無理矢理侵入して奥底を抉るようで冷たい。この声の主が少年とは思えても、おおよそ人間の少年に醸せる空気ではなく、本当に人間なのか判断しかねた。

 

「(なに?! この場所で私以外に人が!?)」

 

 一体誰なのかその顔を拝もうとしても体は言うことを聞かず、足は前に動いても踵を返すことは出来なかった。無理矢理後ろを見ようとするが首は1ミリも横に動かず、体の持ち主であるほむらの後ろを確認したいという願いを突っぱねる。

 

「…さぁね」

 

「さぁね、て自分の事なのに無関心だなあ。…僕が思うには素質も関係すると考えてるんだ……この素質って言っても奇跡を手に入れるかじゃなくて、絆をいかに得られるかってことだから」

 

「どうでもいい」

 

 人の後ろでいきなり始められた二人の少年による会話。一瞬、あまりに声質が似ているので一人で二人を演じているのかと思えたが、声の高さが全く違うので別人であるのが分かった。一方は無邪気な子どものように積極的に話し掛けているが、話し掛けられているもう一方は真面目に聞いているのか怪しいくらいに淡白な受け答え。希薄な少年とは逆に、ほむらは出来る限りの努力で会話に耳を傾けた。二人を知れる情報は音を聞き取れる耳だけしかなく、頭が動かせなければ目は見えていても意味がない。

 

「もう! 本当に聞いてくれてる?」

 

 積極的な少年は素っ気ない返事しかしない少年に少々苛立ったのか語気を強めて言う。ほむらも少し積極的な少年に同情して僅かに頷く。

 

「ほら、この子だって頷いてくれてるし、ちゃんと人の話は聞いてもらわなきゃ困るよ。ねぇ?」

 

 またしても不意を突かれほむらは落としかけていた肩を釣り上げた。気配を探ってもあるのはこの二人だけ。自分を合わせても人数は三人しか居ない。しかし少年はもう一人に話かけた。話し相手とは異なる新たな人物に。

 

 ここには三人だけしか居ない。つまり今の発言はほむらに対して投げ掛けられたものだった。まさかその会話に自分も交えられるとは思いもしなかったので、警戒心が高まり何も反応を返せなくなってしまった。

 

「…はぁ」

 

「そんな目で僕を見ないでよ。まさか警戒されてるなんて思わなかったんだから」

 

「いや、普通に警戒くらいはするよ。それに今まで見て来たとき、ここじゃあ何時もこの子一人だっただろ?」

 

「あ、そうだった! 僕としたことがそんな事も忘れていたなんてね」

 

 返事こそ出来ないが会話だけは聞いていたほむらは、この一連のやり取りの中で聞き捨てならないワードを耳にした。足取りは無意識に遅くなり、二人との距離を縮めようと失速していく。

 

「(”今まで見て来た”? それってこの場所も見ていたってこと? そんな、ここに居る事自体がおかしいのにどうやって?!)」

 

 内心話し掛けられた事に焦っている内にも会話は続き、ほむらを放って進んでいく。

 

「ごめんね、驚かせちゃったみたいで。でも心配しないでよ。僕達はなにも君の邪魔をするつもりは無いし、むしろ手助けするつもりなんだから」

 

「そんな事より他に訊きたいことがあるように見えるけど、別にそれにも答えてもいい。…だけど答えたところで此処を抜けると君は覚えてないから今は言わない」

 

 人の都合なんてものは無視して、手助けをしたいなどと好き勝手に言いたいだけ言う幼い少年。そして声に出してもいないのにも関わらず、ほむらの考えている事を言い当てるだけ言い当てて、それに対して答えを与えない希薄な少年。焦りは一旦落ち着き、だんだんと苛立ちが募り、頬の筋肉がひくひくと動いて表情に憤りが表れだした。

 

 いい加減なにか言ってやろうと口を動かしても如何せん声が出ない。それが反って苛立ちを増幅させて足取りがさらに遅くなり、踏み締める力が増した。しかしそれらは幼い少年の発した台詞で鳴りを潜めることになった。

 

「そこまで怖い顔しなくても。せっかくの可愛い顔が勿体なくなる。それにそんな怖い顔をまどかちゃんが見たらきっと怯えちゃうかもしれないよ…?」

 

 『まどか』の名前が出た途端、苛立ちは冷えきり、代わりに殺意に限り無く近い敵意を背後に居るであろう二人に向けた。その敵意の大半は『まどか』と口にした小さな少年。太股の横に添えられた手はどちらも血が滲むほど握り締め、奥歯を砕けそうなほど噛み締める。

 

 得体の知れない二人組が『まどか』を知っている。それもこんな場所にまで来れる規格外の者。この2つの条件だけでもまどかに仇を為す存在と見なすことがほむらには出来る。そうでなくても、もしかするとあの白い悪魔の手先である可能性と言うのが敵意を向けるに十分な材料となった。他にも様々な考えも浮かんだが、それが一番有り得る可能性と判断した。

 

 振り返ってまどかの名を口にした一人をすぐさま組伏せて拷問にでもかけてやりたいところだが、やはり足は言うことを聞かず、前にだけ進もうとする。だが振り返れなくとも足踏みだけを繰り返してその場に留まるに近い行動が出来た。とは言っても少しずつ前進はしているが。

 

「名前を言っただけでここまで怒られちゃうとはね、あはは。まどかちゃんも大事にされてるねえ」

 

 これほどにない敵意を向けられながら妙な余裕を見せる後ろの少年。もしほむらが動ければ自分が危うい立場にあるとも言うのに、他人に気を割くくらいに舐められた態度。不審に思うも敵意を向けることをやめず、言葉の続きを待った。

 

「でもね、……今敵意を向ける相手を、間違っちゃってるよ?」

 

 最後の台詞を聞いた瞬間、心臓は鼓動を打つのを一瞬止め、体の内側から凍りついたように体温が奪われた。首元に幾つもの首を切り落としてきた鎌でも当てられたかのような錯覚がほむらを襲い、向けていた敵意は見事なまでに消え去った。圧倒的な存在感にそんな反抗の意思も叩き伏せられる。理解不能の恐怖がほむらの体を支配し、止まりかけた足が背後の”何か”から逃げるようにして駆け出しかけた時――

 

「綾時…! 今は無駄なことをしている暇はないんだ。遅れてるのは知ってるだろ?」

 

「ごめんごめん。こんなに怖がられるとは思わなかったんだ。怖がらせちゃったみたいでごめんね、ほむらちゃん」

 

 これまで短い内容しか喋らなかった希薄な少年の制止する大きな声。その声に反応してすぐに身も凍るような”何か”のプレッシャーは霧散して消え、元の人間か判断しかねる気配に戻った。

 

 あまり反省した様子のない軽い返事と誠意の感じられない謝罪。そのすぐ後にもう一人の短い溜め息が聞こえる。一刻も早くこの場から離れたい気持ちが募る一方で、今までと違って足が素直に前へ出てくれない。すくんでしまった足はほむらの意思なくとも無理矢理前に出され歩くことを強制して前進させる。

 

 普通に歩くより遅い速度で歩を進めるほむらの背後に、今度は希薄な少年が近づいて来た。一切の威圧を発さず、先程のプレッシャーが冷やかな氷と例えるなら、むしろこちらはまだ暖かみのある気配。一歩近付いてくる度にほむらを包む安心感が強くなり、あと一歩で追い抜ける距離まで寄られた頃には普段通りの足取りに戻っていた。

 

「…少しくらいなら力を借せる。けど後は君のやり方次第になってくるから。これで終わらせなかったら次はたぶん、無い。だから暁美は鹿目を守ってやれ」

 

 そう聞き終えた時、ほむらは走り出していた。さっきまでの重い足取りは枷でも無くなったかのように軽く、”何か”に怯えていた気持ちは見る影をなくしてなかった。そしてほむらの口元はなぜか笑っていた。自分でもどうして笑っているのか分からないが、抑えられないなにかが込み上げてくる。

 

 今ならなんだって出来る。そんな気持ちが胸を満たし、足を運ぶ頻度をさらに早めた。いつの間にかあと少しの所まで迫っていた出口。眩しく光る出口へほむらは躊躇なく飛び込み、そこで視界は暗転した。

 

 

 

 

 

2010年4月28日・水

 

「…………………夢? 思い出せないけど、何か聞いたような……」

 

 と、白い天井を見詰めながら呟く。ここは病院のとある一室。全くの汚れ一つ無いキレイな病室。今のほむらにとって白い天井は神経を逆撫でする印象しか与えない。純白で無害さを装った忌々しいアレを思い出すからだ。そしてまたこの場から始めるのだと思うと気も滅入る。

 

 もう何度目かも分からないほど時間遡行をしているが、やはり遡る時の感覚に抵抗がある。そのため目の焦点が合わず、覚醒しきっていない。にしても逆行時に何が起きていたのか全く覚えていない。

 

 思い出そうとしてもそこだけすっぽりと記憶が抜け落ちてしまって空白となっている。夢は夢を見ている間ははっきりと覚えているが、目が覚めると朝日に溶ける霧のように急激に薄れて曖昧になる。思い出そうとすればするほど色褪せて不確かなものになり、日を跨げば完全に忘れてしまう。この場合は目覚めて一分も経っていないがそれが起きた。

 

「(まぁ…どうでもいいわ。今はこれからを考えましょ、う?)」

 

 それもほむらは些細な事だとして大した疑問に思わず簡単に完結させた。夢の内容よりも優先すべき事が山積みにあるのだから、思考を別の方向へ修正する。

 

 数回瞬きをしてから部屋の中がやけに暗く感じ、ベットから身体を起こし、ふと窓の外を見る。桜も散り心地よい香りは匂わず、春の季節が終わりを告げ始め変化し始めていた。だが注視するべきところはそれではない。晴天だとばかり思っていた空は黒く染まり、瞬く星々が隙間なく彩り街を見下ろしている。その中心にあるのは熱く煌めく太陽とは相対する巨大な円。金色に輝き、見る者を圧倒する神秘的なまでに綺麗な満月。

 

 これでもかと言わんばかりに輝く月が、夜空に浮かび病室の中まで照らす。その月は何故か異様なまでに大きく見え、通常の十倍はある。

 

「(夜ッ? いつもなら昼間に戻ってくる筈なのに!!?)」

 

 どっと嫌な汗が吹き出し、持参した入院服が濡れて肌にへばり着く。一筋の汗が頬を伝い、顎に雫ができあがる。一体なぜ目覚めるタイミングがこうもずれているのか、見当も付かずただ困惑するしかない。

 

 経験とは違う状況に焦りを覚え、軽いパニックに陥りかけるほむら。どれだけ慣れていると言っても、これまで続いてきた同じ答えが少し変わるだけで人は冷静さを失い、不測の事態に対処することが難しくなってしまう。ほむらもその一人の内に数えられる人間であった。

 

 そんなことを他所に、唯一の出入口の扉の向こうからこんこん、と2回音が病室に響いた。ほむらは思考を止めて音のした扉を見て、すぐにその音がノックされた音だと気付き返事をして入るよう促した。扉を開けて病室に入ってきたのは優しそうな雰囲気の40代を過ぎたくらいのおばさんの看護師。

 

「暁美さん、そろそろ準備出来たかしら?」

 

「…準備?」

 

 整理のつかない頭では準備と聞かれてものことか解らず、思わず聞き返した。看護師は口元を隠して笑いながらほむらのベッドに近づく。

 

「暁美さんはもう病気が治ったから今日退院するんじゃない。もしかして忘れてたの?」

 

 壁に掛けてあるカレンダーに目を向けて確認した。退院の日付は繰り返してきた時と同じ、4月28日に退院の印しがついている。即ち今日その日。時刻こそ狂いはあるが退院する日までは変わってはいなかった。

 

「(日付は変わってないけど…時間に誤差があった? でもこんなこと今まで一度も……)」

 

「あら、暁美さんちゃんと準備できてるじゃない。すぐ出発できるわね。わたしは先に荷物持って出ておくから」

 

「あ…はい」

 

 部屋の隅に目を向ければまとめられた荷物が置いてあった。本来なら昼間に起きてそれからまとめていたのだが、どうしてか目覚めた時にはもうまとめられていた。看護師が大きな荷物を数個持って病室の外に出る。

 

 目覚めた時間が違ったとしても世界は何かが変わる事もなく今まで通りに回る。例え時間逆行を繰り返して数多の世界を渡り歩くイレギュラーな存在が居たとしても、なんの問題なく巡り、不変である。それはほむらがどれだけ足掻いても訪れる結末は同じだと言っているようでうんざりさせられる。ほむらは肩を落として溜め息をつく。

 

 ベッドから降りたほむらは、裸足で病院内を歩き回る訳にはいかないのでスリッパを履いて自分の荷物を手に取る。持ち上げて肩に掛けようとした拍子に、何か落ちたのが見えそれを目で追った。落ちた物は真っ黒の1枚の羽。膝を折って手を近付けたが、拾うのを何故か一瞬躊躇ってしまった。

 

「…羽?」

 

 戸惑いもすぐに無くなりゆっくりと拾い上げてどこから入ってきたのかと首を傾げた。すると、頭に何かが流れ込んできた。羽を持った手から脊柱を通って電気のようなものが脳に直接走る。

 

 一瞬だけ目が眩み見えたのは、破壊された街並みの中心に、逆さまの人形が重ねられた歯車にくっついたシルエット。黒い雲が空を覆い、重力を無視して高層ビルの残骸が宙を漂う。その人形は虹色の円陣を背負ってくるりくるりと廻り、嘲り、炎を降らす。

 

 そして、それに立ち向かうように佇む複数の人影。その人達には恐怖など無いかのように凛としている。

 

 人影の中には一番大切な少女の姿もあった。そんな光景が一瞬という間に何度も繰り返されて見えた。

 

「つぅッ!」

 

 莫大な量の情報がほむらの脳を刺激して酷い頭痛を引き起こした。顔を顰め頭に片手を当てて尻餅をついた。

 

「(何、今の? あの魔法少女は間違いなくまどか!? それにあのシルエット……ワルプルギスの夜!!)」

 

「(まどかが魔法少女になった世界はいくつも見てきた…けれど、巴マミに美樹さやか、それに佐倉杏子も居た光景は視たことが――)」

 

 先程手に取った黒い羽を見る。感触は羽の柔らかさではなくなっていた。

 

「!」

 

 羽は手に無く、代わりにあったのは薄く固い四角の何か。有機物か無機物かも判断しかねる素材でできており、僅かに冷たい。

 

「か、カード?」

 

 裏表真っ白でどんな用途で使うのか不明なカード。心なしか仄かに発光しているように見えるのはまだ身体が本調子ではないからだろうか。そんな適当な理由を付ける。

 

「さっきは黒い羽、だった筈?」

 

 大して驚くことはなく、呆れたように肩を落として呟いた。

 

「…幻覚を見るなんて私もそろそろおかしくなってきたのかしら?」

 

 魔力を使って自分の眼の視力を眼鏡を使わなくてもはっきり見えるところまで強化する。これなら幻覚や見間違うこともないだろう。

 

「暁美さん? 早く行きましょう。ってどうかしたの暁美さん!?」

 

 用意が遅いと思ったのかさっきの看護師がやって来た。タイミング悪く床に座り込んでいたところを見られ、看護師は慌てた様子でほむらの側でかがんだ。

 

「あ、すみません。すぐ行きます。大丈夫です」

 

 肩を持とうとする看護師を片手で制して首を振る。カードをバレないようにハンドポケットにしまい、立ち上がって出口へ歩く。

 

 胸を張り足取りは早かった。廊下の窓から空に浮かぶ円い満月を眺める。口元には僅かな笑み。

 

「(どうしてかしら。なぜまどかだけじゃなくて、マミやさやかなんかとも仲良くしたいと思えるのは? 全然解らない。でも…)」

 

「――それもいいかもしれないわね」

 

 月は夜を示し、夜は死と終わりの象徴。またそれが転じて朝を迎え再生と始まりを兼ね備える絶望と希望。朝と言う希望を告知する夜空に浮かんだ月は母なる存在であり、この生命の星である地球に生きる全ての命を抱える。夜を支配し安寧を与える女神がいつ何時も傍に居ることを忘れてはならない。

 

 窓から顔を覗かせる満月は今宵も美しく真円を描いて輝いている。この日、暁美ほむらの世界も朝へと向かう夜を手に入れた。

 

 

 

 

 



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 最初に辿った道しるべ(2010,5/6)

 

 

2010年5月6日・木

 

"見滝原市"

 最近になって目まぐるしい発展により建設ラッシュを迎えた見滝原市は、日本とは思えない建造物が次々と増えている。40階建てを超える巨大なビルが競い合うように成長して空を埋めていく。この都市開発に多くの大企業が携わっていると言うのは世間では有名な話。

 

 そして最初にその施しを受けたのが見滝原市で最も古かった学校、市立見滝原中学校である。それもつい最近の事でまだ新設され8年も経っていない。それが今では見滝原屈指の生徒数を誇る学校となった。

 

 そんな見滝原中学に続く通学路で歩を進める二人の少女がいた。その二人の少女の後ろからは白いニーソックスに、桃色の髪を両サイドでまとめた小柄な少女が駆け寄った。ここまで走って来たのか若干息を切らして汗を浮かべている。

 

「おっはよう~」

 

「おはようございます」

 

「まどか、おそーい」

 

 笑顔で二人は振り返って言葉を交わす。すると青い髮をした少女はまどかと呼んだ桃色の髪をした少女の頭に注目して気付いた。目を付けたのは髪を纏めている真っ赤なリボン。歩く度にリボンが纏めた髪と一緒に揺れてまるで尻尾を振る子犬のようだ。

 

「お? 可愛いリボン」

 青髪の少女に続き深緑の髪色の少女もいつもとは違う装いに気付いてリボンに目をやる。桃色の髪の少女改め、普段のまどかならそう強気な色のリボンを使わないと二人の少女は思っていたところだが、何かあったのか尋ねると今日は母のモテる秘訣というアドバイスのもと赤いリボンを着けてきたらしい。

 

「とても素敵ですわ」

 

 深緑の髮に少しウェーブがかった少女もそれに便乗して褒める。朝の通学路には三人が楽しげに仲良く登校するいつもの姿があった。

 

 

 

 

 

 ここは市立見滝原中学校。各学年は総じて7つのクラスまで存在し、校内は一般的な中学校に比べてもかなり広く敷地面積も広大である。教室と廊下を隔てるのはコンクリートで出来た壁でなく、全てガラス張りで出来ており、見慣れた生徒教師でもない来訪者には日本ではなく海外のオフィスのような印象を与える。本当に中学校なのか疑わしい内装で、校舎の外装や構造も奇抜なものの多い見滝原でも一際目立つ。

 

 綺麗に保たれた校舎はその清潔感から、少し生徒が学業に励むにしては不必要な緊張を与えそうにも思える。が、それを生徒達は気にした様子はない。

 

「――今日はみなさんに大事なお話があります。心して聞くように」

 

 二年生のとある教室。まどか達の担任を務める女性教師、早乙女先生がいつにも増して真剣な顔つきで少し早口で言い放った。いつもの早乙女先生ならもっと穏やかでおっとりしている筈なのだが今日という日は違った。そして早乙女先生とは反対に生徒達はいたって普通に耳を傾けている。

 

「目玉焼きとは、固焼きですか? それとも半熟ですか?」

 

 真面目な空気とは思えない質問が投げ掛けられた。早乙女先生はいたって真面目でふざけているのではない。突拍子のない質問に生徒もどうリアクションすれば良いのか判断が着かず、固まって動けない。次第に硬直も解けて妙な空気が漂い始めた。

 

「はい、中沢君!」

 

 そんな事をもろもとせず、早乙女先生はビシッ、という音を発てながら一番前の席に座っている『中沢』という少年を指名する。後ろの席に居る生徒は中沢の背中に憐れみの視線を送ると共に安心したように肩の力を抜く。犠牲になるのはいつも最前列に席のある男子生徒だ。特に中沢は集中的にその餌食となる。戸惑いながらもぎこちなく起立をして中沢は答えた。

 

「えっ、えっと…どっ、どっちでもいいんじゃないかと」

 

「その通り! どっちでもよろしい! たかが卵の焼き加減なんかで、女の魅力が決まると思ったら大間違い!」

 

 高いソプラノボイスで愚痴を垂れる先生。年の割には可愛らしい顔立ちだが怒りによってものの見事に歪んでいる。

 

「ダメだったか…」

 

「ダメだったんだね」

 

 早乙女先生は長年恋愛絡みの事がうまくいかないという悩みを抱えていた。付き合うまで何とか事は進むのだがそれからがどうしてもダメらしく、ことごとく破局を繰り返している。それは生徒達全員周知のことなので、皆これといって驚くことはない。直接関係のない生徒達には些細なことである。

 

「 そして、男子のみなさんは、絶対に卵の焼き加減にケチをつけるような大人にならないこと!」

 

 愚痴を言って落ち着いたのか次の話題に移る。さっきとは180度逆のおしとやかな声で言う。

 

「はい、あとそれから、今日はみなさんに転校生を紹介します。じゃ、暁美さん、いらっしゃい」

 

 そんな大事なことを後回しにしていたのに全員がどよめくが早乙女先生は気にしない。生徒も物事の順序がおかしな担任を咎めたり愚痴ったりせず、関心も移り変わり早くその転校生を見たいとざわつき始めた。

 

 早乙女先生の言った通り磨りガラスの扉を開けて一人の転校生が早足で教室に入ってきた。早乙女先生の隣に立ち、毅然とした振る舞いに気品さが伝わってくる。頭には長く伸びた黒髪に併せてか黒のカチューシャを着けている。顔立ちはこのクラスで言えば誰も勝てない程に美人。中学二年生にして『可愛い』ではなく『美人』と言う方がしっくりくる。むしろこの場に居る生徒と同い年なのか怪しくも思えてしまう。黒のタイツが細く長い脚を引き締めてより締まって見える。無駄な肉が付いていないのでとてもスレンダーだ。そのお陰か胸はまったくと言っていいほど無い。

 

「うお、すごい美人。萌えか、これが萌えなのか!!」

 

「わぁ、可愛い」

 

 後ろの方でさやかとまどかが転校生を見てそんな感想を零す。他の生徒もそれぞれ転校生について駄弁る。特に男子からの反応は大きい。

 

「暁美さんは心臓の病気を患ってちょっと前まで入院をしていたの。皆さん、仲良くしてあげてね。はい、それじゃあ自己紹介いってみよう」

 

 転校生の身の上をあらかた説明してにっこり笑顔で早乙女先生が転校してきたなら恒例の自己紹介を促した。転校生は有無を言わずそれに従って自己紹介を始めた。

 

 

 

 

 

 教室の中から早乙女先生の高い声が廊下まで聞こえてくる。聞き耳をたててみると今回は目玉焼きの焼き加減について熱論していた。この"今回"と言うのは今聞いている本人、暁美ほむらが何度か似た場面に出会しているからだ。場所も時間帯も全て同じ。この市立見滝原中学校の二年生の教室前で見聞きしてきた。

 

 教室の外で招かれるのを待ちながら中沢がまた指名されるだろう予想していると、案の定早乙女先生が期待を裏切らず中沢を指名した。突然の無茶振りに何とか答える中沢の声を聞きながら可哀想にと思っていると、中に入るよう呼ばれたので迷わず扉を開けて踏み込んだ。

 

 早乙女先生の隣に立つとこれからクラスメイトとなる生徒の視線が一斉に集まった。当然と言えば当然だが、ほむらはまったく動じず平然とする。何度も何度もしてきたことで最早恥ずかしがる事などない。それに加えてほむらの眼中に生徒の事など入っていない。

 

 早乙女先生が生徒に自分について説明をしているのを横目に見る。ちょっと前まで入院していたと言ってまだ体調は完全ではないかもしれないと示唆するが、ほむらの体になんの異常もなく完全な健康体だ。早乙女先生はそのままの流れで自己紹介をするよう言うのでホワイトボードに自身の名前を書いてまた正面を向く。

 

「暁美ほむらです。よろしくお願いします」

 

 お辞儀をして頭を上げる。上げると同時に後方で席に着いているまどかを捉えた。不思議そうに見つめ返してくるまどかに異常がないか全身を下から上に観察してまたまどかの目を見る。

 

(あれ以来変わったことはないけど、学校でも特に変わった様子はないようね)

 

 何もおかしな事がないのを確認すると、ふぅと安堵の息が漏れた。少し口元が緩み自然と笑みがこぼれる。

 

 ほむらの笑みの理由はまどかの左手薬指を見たからだ。そしてこの瞬間にほむらの今後取る選択が決まってくる。運良く今回のケースではまだ魔法少女になっていないので、ほむらのする行動は出来るだけまどかを魔法少女や魔女と関わらせないようすることだ。もしまどかが契約して魔法少女となっていた場合はほむらの取る選択も変わってくる。そしてそうなっていればほむらの目的達成の出来る確率は絶望的に低くなる。

 

(それと…美樹さやかね)

 

 まどかから目線を移して次にさやかの方を見てみる。こちらに関しては呆れるほど能天気そうな表情で馬鹿丸出しだ。さやかもまどかを救う際に難関となるのは毎度の事でいつもどう接してあげるのが良いのか考えさせられる。ある意味で一番の難所とも言える。

 

 幾らかさやかとは仲違いを起こしたこともあり、接する際、必要以上に神経質になってしまう。としても目の前に居るさやかと自分の中に残るさやかは、人は同じでも別人。同一人物でも同一視してはいけない。初めて仲違いが起きた時の理由もお互いをよく知らなかったが故に自分の配慮が行き届かなかったというのもある。もちろんさやかにも非がない訳ではない。それを踏まえても今は最初からさやかと言う人物を知っているので、上手く立ち回ればなんとかなりそうな気がないでもない。

 

(貴女とはこれまであまりいい関係にはなれなかった。だから今回は友好関係をもった方がよさそうね、私一人じゃどうにも出来ないのだから)

 

 今回はさやかとより良い関係を築く努力をするとほむらは志した。

 

 

 

 

 

 HRが終わった後にほむらを待ち構えていたのは沢山の生徒から投げ掛けられる遠慮のない質問責め。繰り返す度に起きる慣れたことなのでもうあしらい方も分かっている。聞いてくる内容も大体は変わらないのでほとんど聞かず適当な返答で受け流していく。

 

 それより気になるのは教室の後ろの方で話しているまどかとさやかだ。その他に一人が混じって喋っている。きっと話題の中心となっているのは自分なのだろうとほむらは予想する。背中に視線を感じているので恐らく間違いない。それも合間って他の子に対する受け答えが雑になっていく。

 

「ごめんなさい。何だか緊張しすぎたみたいで、ちょっと、気分が。保健室に行かせて貰えるかしら」

 

 多少強引だとは思いながら椅子から腰を上げて、取り巻いていた生徒をかき分けて踵を返してまどかの方へ歩み寄った。振り向き際に目が合うと、転校生のほむらが自分に用事があるとは予想しなかったのか頭の上にクエスチョンマークとも浮かべている。

 

「鹿目まどかさん。このクラスの保健係って貴女で合っているわよね?」

 

「え? えっと…うん…」

 

「保健室に連れてって貰えないかしら?」

 

 まどかの事だからすぐに了承してくれる、そう確信していると思わぬ横槍が入った。

 

「んじゃ、あたしも着いてってあげよーじゃないか」

 

 さやかがほむらとまどかの間に割って入ってきたのだ。にしし、と白い歯を見せながら笑うさやかの屈託のない笑顔。それは友達になろうとする人の良いただの同級生。目を数回瞬きさせほむらはさやかの顔を凝視した。さやかの方からこんな事を言ってきたのは今までの経験上少なかったので戸惑い、どう答えればいいのか考えた。

 

 繰り返してほとんど同じ事が起きるとしても細かなところは違い、今のような事態はよくある。これからはそんなハプニングにも対応していかなければならないので躓く分けにはいかない。綱渡りのような今の環境を最善の選択をして生き抜いて明るい未来を切り開いていく為にも。

 

「美樹さやか、さんも?」

 

 結局、なにも案は思い浮かばなかったが。

 

「転校生とも話したいしさ。いいでしょ別に」

 

「え、ええ。貴女がよろしいのであれば」

 

 ほんの僅か間を置いて答えたが断る材料が見つからずさやかの言い分を承諾した。問題ではなくても不思議に思わざるえなかった。

 

(珍しいわね…美樹さやかの方から積極的に話し掛けるなんて)

 

 いつもと違い未知の展開に考えを巡らせて足を止める分けにはいかないので歩きながら更ける。しかし所詮珍しい程度にしか考えなかった。

 

 さやかが同行するのを聞いてまどかはホッとしたように息を吐いた。それをほむらは見ていたがなんの安堵なのか分からず首を傾げた。

 

「じゃ行こっか?」

 

 

 

 

 

 三人は周りから注目の視線を浴びながら廊下を歩く。主に注目の対象はこの学校では珍しい転校生のほむらであるが。またこの学校に一、二を争う綺麗さの女子が転校してきたのだから周りが放ってはおかないのだ。

 

「うわー、めっちゃ注目されてる。全部転校生にだけど」

 

「だってこんなに可愛いからね。暁美さんは」

 

「ほむらでいい」

 

 『えっと…』と言った風にまどかが固まるがすぐに笑顔が戻る。まどかは大抵の事なら順応してしまう。良く言えば分け隔てがない。悪く言えば人が好すぎる。初めて逢った頃からそうだった。そのまどかの性格に暁美ほむらは救われている。またそんなまどかに甘えているとも言える。

 

 強引でも多少なりまどかと仲良くなっていないと今後の活動に支障をきたしそうだとほむらは判断する。よってこちらから歩み寄っていく。なにも言われなくてもまどかを名前で呼ぶことにするだろうが。

 

「あっ、そうなの? じゃあ、わたしのことまどかって呼んでね、ほむらちゃん」

 

「ええ、分かったわ。まどか」

 

 それなりに好感触の手応えを感じ、ほむらもまどかを呼び捨てにする。名前で呼びあう事ができ笑みを浮かべていると、不満そうにさやかが横目で見てきた。

 

「あたしのことは名前で呼んでくれないのか~? 特別にさやかちゃんって呼んでもいいんだからね!」

 

 "美樹さやか"。契約してしまえば高確率で魔女になってしまう一番の問題点。今回はさやかとも一応信頼関係を築く必要がある。

 

「…じゃあ美樹さんって呼ばせてもらうわ」

 

 さやかには悪いがまだ名前で呼ぶには抵抗があるので妥協して苗字で呼ぶことにする。妥協しなくてよいならフルネームで呼ぶのだが、今はそうはいかないのがなんとも歯痒い。

 

「うん? ちょっと堅い気もするけどまいっか! てか、ほむらって東京に住んでたんでしょ?」

 

「正確には入院で、だけど」

 

「じゃあこの街についていろいろと知らない事あるんじゃないかな、ほむらちゃん!」

 

 先を歩いていたまどかが眼を輝かせてほむらの顔を下から覗き込んだ。まどかの顔が近くにあるがために高揚する気持ちを抑えて、静かに受け答えをする。

 

「ええ、初めて来た街だから分からないことが多いいわ」

 

「じゃあさ、あたし達に放課後ほむらを見滝原に案内させてよ」

 

「それいいね、さやかちゃん!」

 

「ってなわけでほむら、放課後予定ないよね?」

 

 まどかとさやかの二人から『うん』と頷く以外求めていない眼差しを受けてトントン拍子で話しが進む。かといって不都合ではない。むしろ持ち掛けられて好都合で内心喜んでいるくらいだ。この話に乗れば間近でまどかと居られるし、断る義理も理由も無く、迷う事はなかった。二人の期待に応え笑顔を向けて言う。

 

「じゃあ頼めるかしら?」

 

「ホント! やったー!! じゃあ仁美ちゃんも呼んでいいかな?」

 

「ええ」

 

 テンションを上げて喜ぶ二人を見てほむらも心なしか嬉しくなる。無邪気にハイタッチを交わしている様子を見ていると、自分の都合を考えて二人の期待に応えてあげたものの良かったと心から思えた。

 

 その後、他愛ない会話をしながら三人は保健室に向かい、用事を済ませて教室に帰った。ほむらは一人今後の事を考えながら。どうすればこの笑顔を失わずに乗り越えられるだろうかと。

 

 

◆◇◆

 

 

「ひゃ~、ここが見滝原市かぁ!」

 

「随分開発が進んでいるんですね、この街」

 

「ここが、彼の住んでいた街…」

 

 高層ビルが建ち並び、多くの住人が行き交う街。アイギス達は見滝原市を訪れていた。見滝原市にある駅に降り立ったメンバー全員は思い思いの感想を口にする。本当はゴールデンウィーク中に来たかったのだが予定がうまく合わず、今日まで全員で来られずにいた。一人で来ることは出来たがそれではあまり意味を感じられず誰も一人では行こうとはしなかった。

 

 見滝原を訪れているのは声を出した者の他にも美鶴や真田もいる。そしてもう一人居た。小柄な少年、天田乾が。

 

「もう、みなさんハシャギ過ぎですよ」

 

 天田はまだ小学六年生になったばかりの幼い少年だが順平よりもよっぽど大人びているという評価を周りのメンバー達からされている。自身もそれを自負しているらしく、順平にはよく皮肉を効かせた態度をとったりしている。

 

 また完全な第三者として物事を見ることができる天田は純粋で、冷静な判断を下せる有能な人材。しかし精神的に未熟なところもあり、一度思い込むと突っ走った行動に出てしまうこともある。これらも齢12歳の子供らしい愛すべき一面とも言える。

 

「天田のいう通りハシャギ過ぎだぞ、順平」

 

「天田少年厳し~! て、真田先輩だってめっちゃキョロキョロしてるじゃないですか!」

 

 天田の指摘を軽い調子で受け流した順平はそれより真田の言い分に食い付いた。自分同様に真田も挙動不審だと言って。そう言われて真田は憤りを覚えて声を大にして反抗する。普段冷静な真田だが、お調子者の順平の煽りに簡単に反応したりするようではまだ思考が単純すぎる。それには真田をよく知る美鶴がいつも頭を悩ませている。

 

「なっ! 俺はただロードワークにちょうど良さそうだと思っているだけでハシャイではないぞ!」

 

 利き手である左手を振り上げて否定する真田。その手には小型のトランクを持っているのに重さなどない物のように軽々と持ち上げて振り回す。真田程の筋力ならばあって無いのと変わらない。

 

「つか、真田さん。その手に持ってるトランク、何なんスか?」

 

 順平は真田が左手に持っているトランクを指差して訊く。鈍い銀色をしたメタリックな色に頑丈そうな作りで金具が太陽の光を反射する。

 

「ん? ああ、これか。アイツの腕章と召喚器だが」

 

 それほど大きくないトランクを肩の高さまで持ち上げる。中に入れているであろう物が揺れてガチャリと金属音を発てた。

 

「へへへ、やっぱり。実はオレも持ってきたっスよ」

 

「私も。なんか職業病ってやつ?」

 

 順平が懐から銀色のピストルを取り出す。そしてゆかり、天田、風花。美鶴まで隠し持っていた。ピストルと言っても実際に弾が出る分けではない。このピストルは『召喚器』と呼ばれある一つの行動を起こす為の道具で、これ自体には何の殺傷能力もない。見滝原に戦いをしに来た訳ではないが持ってきたのはここが特別な場所だからである。

 

「…去年は、色々あったからな」

 

 美鶴の言葉で去年の出来事を思い出した。去年の4月に始まり今年の1月末に終わりを迎えた戦いの日々を。遠い昔に思えてつい最近の出来事。若干重たい空気がのしかかる。しんみりとしてらしくない表情を浮かべて皆口を結んだ。

 

 これまでメンバーが歩んできた一年間は楽しいことや幸せだと思えることより辛いことや苦しいことの方がよほど多かった。けれど、多くの出会いや別れがあったからこそ今の結束がある。だから一度解散した仲間達だがこうして再び集い、同じ目的を持って行動しているのだ。それは言葉にしなくてもここに居る全員が理解する事のできる心からの信頼による賜物。誰も侵す事のできない絆である。

 

「皆で出掛けたっていえば屋久島くらいだし」

 

「私はそのお陰で皆さんに出会えました」

 

「だね」

 何秒かの沈黙した時間が流れて、ゆかりがその流れを変えようと一言発するとそれにアイギスが乗っかり場が少し明るくなった。美鶴も目を瞑っているが口元は僅かに綻んでいる。それを見計らったように順平が軽い笑顔を添えながら大きな声で言った。

 

「んじゃ、さっそく街、見に行きましょうや!」

 

 いつも湿っぽい雰囲気を吹き飛ばすのは順平の仕事。自分から進んで皆のご機嫌をとるのはもうお手の物になっている。ムードメーカーの順平の手にかかればどんな状態でも一瞬で良くも悪くも場の緊張を緩められるのだ。暗い雰囲気はもうない。

 

「じゃあまず、あそこのショッピングモールに行ってみませんか?」

 

 明るい声で今度は天田が駅の向かいにある建物を指差しながら言った。白い壁面の大きなショッピングモール。駅の目の前に在るとは立地条件からして誰もが最初に足を運ぶことになるであろう。例に溺れずアイギス達もそこへ向かう事にした。

 

 横断歩道を渡りショッピングモールの入り口手前で、思い出したように足を止めて風花が順平に訊いた。

 

「そう言えば順平君」

 

「ん? どした風花?」

 

「コロちゃんどうしたの?」

 

「えっと、コロマルは桐条先輩の施設でチドリと一緒に居るけど」

 

「あ、そうなんだ」

 

 

◆◇◆

 

 

 場所は然程変わらず、駅のすぐ前にあるショッピングモール内のカフェ。そこでは四人の少女が雑談している。ここはまどかとさやか行きつけでさやかのお気に入りのカフェ。なのだが、個室という訳でもないので内緒話にはあまり向かない。開放的な店内デザインが売りなのか天井が高かったり、窓際の席が多く存在する。

 

「初めまして暁美さん。まどかさんとさやかさんの友人の志筑仁美です」

 

「こちらこそ。暁美ほむらです。よろしく」

 

 正面の席にはクラスメイトの仁美とさやか。隣にはまどか。仁美が微笑んできたのでほむらも笑みで返す。自分にしか分からない作り笑いで。

 

(…美樹さやか魔女化の要因…彼女自身には何の罪もないのだけれど、いつもいつもタイミングが悪すぎるのよね…)

 

 大きな溜め息をついて頭を抱える。もちろん心の中で。恨もうにも恨める筈のない立場にいるが、彼女には悪いがあまりいい印象が持てていない。どの時間軸でも必ずと言っていい程最悪のタイミングでさやかの精神を揺さぶり、破滅一直線の道に導いている。

 

「暁美さんは本当にすごいですわね。文武両道才色兼備だなんて。クラスは暁美さんのお話で持ちきりでしたわ」

 

「あら、そうなの?」

 

 そういったクラスの反応は繰り返している内に慣れてしまったのでそれに意識を割くことなどなかった。たまに勇気ある男子達が話しかけてくるなんて事もあったが、興味を示さずあしらっているとそれ以来近寄ってくる事は激減した。

 

 反って影では一部の男子達の中でより大きな反響を呼んでいたらしく、校内で時々妙な視線を感じる事もあった。懲りず近寄ってくる者こそ、その一部の者達だけだ。

 

「ほんっとそうだよ。容姿端麗なミステリアス転校生、暁美ほむら! もう掴みオッケーじゃん!」

 

「ホント、ほむらちゃん綺麗だよね。それにカッコいいし。何だか憧れちゃうかも」

 

 注文したオレンジジュースを一口含みながらまどかが何気なく"憧れる"という言葉を口にした途端、ほむらは――

 

「私なんかに憧れないで!」

 

 ガタッと椅子が耳障りな音をたてて床を擦った。周りの雑音にかき消されてほとんどの人には聞こえないが店内に居る数人の耳には届いていた。

 

 目を丸くしたまどかと立ち上がったほむらの視線が交差する。急な出来事に思考が追い付いていないのか状況を把握していない。

 

「ほ、ほむらちゃん…?」

 

 ざわざわと店内が騒ぎ始めた。我ながら馬鹿なことをした、と気付くのにそう時間は必要なかった。すぐに辺りを見渡して奇異の視線が自分に向けられているのを感じすぐさま腰を下ろす。都合の悪そうな顔をして下を向く。

 

「ご、ごめんなさい。急に大きな声をだして…なんでもないの」

 

「ううん、こっちこそごめんね。いきなり憧れるなんて言われたら変だよね」

 

 笑ってくれてはいるも、まどかはほむらの思っていたよりも申し訳なさそうにしている。なにもまどかに対して怒っている訳ではないのでほむらは慌てふためいて誤解を解こうとした。こんな些細な事でまどかに無駄なストレスをかけてしまうのは考えられないし、そんな悲しそうな表情をされるとこちらまで気を落としてしまう。

 

「違うのまどか! そういう意味じゃなくて、えっと…その、まどかの事が嫌いだとかそんなのじゃなくて…!」

 

「はっはぁ~ん。実はほむらがまどかに憧れちゃってるのかな~?」

 

「まどかさんもとても可愛いのですからね。うふふ」

 

 さやかと仁美が意地悪そうにそんなことを言った。

 

「へっ…?」

 

 何をどうとったらそういう解釈になるのか解らず、ほむらはマヌケな声を漏らす。意表を突かれてこれまでで一番おかしい顔しているとほむらは自分で悟った。

 

 固まるほむらを放っておいてさやかは続ける。面白そうな玩具を見付けたと言わんばかりに笑いを堪えて。

 

「いやだってさ、ほむらが教室入ってきたときやたら見られてたってまどかが言ってたから」

 

「まぁ! そうなんですの?」

 

「うん、自己紹介の時なんだけどね、たぶんほむらちゃんわたしの方見てたような」

 

「てか、あたしも見られてた気がするけどなんだったのあれ? もしかしてこのさやかちゃんにも憧れてたり?」

 

「あ、えっ、いや…」

 

 ふざけて自分の顔を指差しながら言うさやか。にやにやと口角をつり上げてからかっているのが丸分かりの笑み。あらぬ方向へと進んでしまいそうな話を慌てて修正しようとするが、まさか転校初日にさやかから早々にからかわれるとは思ってもみなかったので不慮の事態になかなか言葉が出てこない。

 

「べ、別に、特に意味はなかったわ。何か勘違いさせてしまったならごめんなさい」

 

「いや~、別にそんな謝るほどじゃないけどさぁ。んふふ」

 

「そうですよ暁美さん。何もおかしくないですわ」

 

 学校で見せた純粋な笑顔とはかけ離れたイヤらしい笑みのさやか。仁美も口元を手で隠して笑う。何もおかしくないなら笑うのをやめろと仁美には言いたくなった。二人の妙な連携がほむらを追い詰めるとは別に、当人のまどかが追い討ちをかけた。

 

「そうだよほむらちゃん。でも…ちょっと見つめられてドキッとしたけど」

 

「ほむらに見つめられてドキッとしたぁ!? あっははははは!」

 

「そ、それは言葉で交わさずとも目と目で解り合う間柄なのですか……!? 女の子同氏の恋! これが…禁断の!!??」

 

 豪快に腹を抱えて目に涙を浮かべて爆笑するさやかと、まぁといった風に口元に手をあて驚いた様子の仁美。ここまで来ると呆れてものも言えない。元々仁美にはこの手の話に興味があるというのはほむらが繰り返している内に分かったこと。人は皆、意外な一面を持ち合わせているということだ。

 

「さ、さやかちゃん! それに仁美ちゃんまで! ほむらちゃんは友達なんだから変な意味はないからね。絶対に!! ていうかほむらちゃんからも何か言ってよ!!」

 

「え、ええ。そうよ、私達は友達なのだからそんなこと…」

 

 大きな声で話すが通路を挟んで隣の席に座っている利用者に気にする様子はない。まるで聞こえていないのか談笑を続けている。

 

「でもまどか、ほむらのことそういう風に見てるってこと?」

 

「うぅ…違うよ~。ひどいよ…うぅ」

 

 さやかのいじりに耐えかねてまどかがしょんぼりと下を向く。落ち込むまどかを見て可愛いとほむらの心は場違いにも和む。

 

「暁美さん。本当にまどかさんとは初対面ですの?」

 

「ええ…そうよ」

 

「あー、もうこれ。前世の因果だわ。 あんた達二人の、時空を超えて巡り合った運命の仲間なんだわぁ!」

 

「あり得ないわね。そんなこと…夢じゃないんだから」

 

 今のまどかと気持ちも考えていることも違うがほむらも同様、自分の膝に目を落した。ここは現実。時空を越えた運命などそんな夢物語ではなく紛れもない現実なのだ。このまどかとは初めて会うし前の出来事を覚えている筈がない。どんなに忘れないと約束しても忘れてしまう。夢から覚めた時と同じように。

 

「ホント、全部夢だったら良いのにね」

 

(……え?)

 

 そんな声を聞き隣の席を反射的に見てしまったが、そこには誰もいなかった。もとから居なかったとさえ錯覚させられるくらい、その座席には人の居た痕跡がなかった。

 

(さっきまで居たはず…?)

 

「ん。どうしたのほむら?」

 

「ううん…なんでもないわ」

 

 話し掛けられたほむらはすぐにその疑念を忘れてしまった。

 

 

 

 

 

 お喋りに夢中になっている中、仁美がふと自分の腕時計を見て肩を落とす。そう言えばこの時間帯は仁美の稽古が始まる頃だとほむらは思い出した。これまでの得てきた経験のお陰で限られてはいるが、他人のある程度のスケジュールなどは頭の中に入っている。あまり役立つ情報でもなければそんな状況も少ないが。

「あら、もうこんな時間…。ごめんなさい、お先に失礼しますわ」

 

「今日はピアノ? 日本舞踊?」

 

「お茶のお稽古ですの。もうすぐ受験だっていうのに、いつまで続けさせられるのか」

 

「うわぁ、小市民に生まれて良かったわ」

 

 自分がやっている分けでもなちのに嫌そうな顔をするさやか。隣に座るまどかも微苦笑をして立ち上がる。

 

「私たちも行こっか」

 

「あ、まどかにほむら、帰りにCD屋に寄ってもいい?」

 

「いいよ。また上条君の?」

 

「えっと、まあね」

 

 ここに居ない人の名前を言われて照れくさそうに笑うさやか。ほむらはその名が誰を指すのか知っていながら敢えて訊いた。いかにも知らなさそうに。

 

「上条君?」

 

「上条君ってのはね、さやかちゃんの幼馴染みで今は病室に入院してるの。さやかちゃんはその人のことが好きなの」

 

「どわぁぁぁ!! 何いらんことをほむらに吹き込んでんのよ!!」

 大声で遮ろうとするが一瞬遅かった。はっきりと聞き取れたので無意味だ。だが、目を見張るべきところはそこでない。

 

「あら、青春してるのね。だったら自分からそれを壊すようなことはしないことね」

 

 正面に居る仁美だ。

 

「……………………」

 

(やっぱりね…)

 

 細目で見て心の中でやはりと思う。仁美の表情がどこか虚無的で感情を抑えたようになっている。どこを見ているのか判断出来ない視線で何を思っているのかすら予想するのが難しい。長いこと繰り返せばその人の特徴や仕草が分かってくるが、14歳の少女がこんな表情を作ることが出来るのには驚きだった。

 

 

 

 

 

 時間に押される仁美とはエスカレータの所で別れた。しばらくショッピングモールの中を三人で歩き回る。

 

「いやぁ、まどかに熱愛発覚とはねぇ~」

 

「だからそんなんじゃないってぇ!」

 

 お互いそんなやり取りをして歩を進める。多少大きな声で騒いでも周りの雑音に消されるので気にする様子は誰にもない。

 

 目的のCDショップに向かうそんな三人に一人の女性が尋ねて来た。

 

「あの、一つお尋ねしたいことが」

 

 独特のトーンが効いた聞き取りやすい語り口調。非常に小さな声だったがまるで周りと遮断されたようにその人の声しか聞こえなかった。

 

「あっ、はい。なんです、か?」

 

 そんな事も不自然に思わずほむらが振り向くと、そこに立っていたのは青いエレベーターガールのような服装をし、脇に分厚い本を抱えた金色の瞳をした銀髪の少女だった。肌は色白で金色の瞳は兎を狩る獅子の如く鋭い。容姿に関しては文句のつけようがないくらい完璧に美しく、プロポーションも素晴らしくトップモデルも霞んでしまいそうだ。気品さがあるが、まずこんなショッピングモールでは浮きまくりの格好。ましてや容姿からしても人間離れしている。

 

(なに…この人?)

 

 第一印象は"不思議"の一言である。さやかとまどかも対応に困っているのかほむらの居る位置から一歩下がったところで目配せをしてくる。この謎が満載の人にほむらはどう対応するか任されてしまい戸惑いの視線を二人に送るが首をもげてしまいそうな勢いで横に振って自分達にはムリだと意思表示をされた。

 

「このショッピングモールで右目が隠れるくらい前髪の長い少年をご覧になりませんでしたか?」

 

 銀髪の少女は三人のやり取りを無視して訊いた。むしろ相手のことなど気にも止めていないかのようで却って清々しい。

 

「………」

 

 しばらくの沈黙。取り敢えず冷静になって質問には答えるようにする。しかしそんな人を見たことは今まで一度もない。この街に居るのだろうが心当たりはない。ほむらだけでなく、 まどかもさやかも知らないのか頭の上にクエスチョンマークを浮かべている。

 

「…右目が隠れるくらい前髪の長い少年、ですか?」

 

「はい、ここまで追い掛けて来たのですが……道中興味深いものが多すぎて見失ってしまいまして」

 

 エレベーターガールにも似た服装の少女はソワソワと落ち着かない様子で今にも走り出しそうである。様々な店舗に目は釘付けにされており顔を見て話してくれていない。

 

 ――あなたの方がよっぽど興味深いんですが。

 

 などと心の中で評価した。

 

「いえ。知りませんが」

 

「…そうでございますか」

 

 目を伏せて残念そうに呟く。少女は困った風に唇を尖らせた。もっと大人な人かと思ったが、むしろその仕草は子どもぽかった。不思議な雰囲気を放っているがそれがむしろ普通に感じてしまう。

 

「うーん、まどか知ってる?」

 

「右目が隠れるくらい前髪の長い人…いたのかな?」

 

「すみません。力になれなくって」

 

「いえいえ。知らないのならよろしいので。それに、十分貴女は力になれてますよ」

 

 少女はふふふ、と笑みを作って言ったが存外的外れな事を言っている。力になれていないのに力になれている、と。

 

 この少女からすれば十分だと言う事なのかいまいち分からないが、納得しているならそれでいい。まどかもそう言われて口元が緩む。

 

「そうそう。まどかは自分でも分かってないほど力になってるって。なんせあたしの嫁なんだからな~」

 

「さ、さやかちゃん!!」

 

 そう言ってまどかを羽交い締めにして抱きつくさやか。いつでもどこでも調子の変わらないさやかを一瞥して銀髪の少女を見ると、少女の金色の目が見開かれた。つかつかとさやかの眼前まで迫り目線を合わせて告げる。金色に輝く瞳を細目にして妖しげな光を宿す。全てを見透かしているかのように。

 

「ちょ、え、何?!」

 

「まぁ…貴女の素養もなかなか侮れないもの…。このお二方に埋もれていたようですが」

 

 ぼそりと独り言のように囁く。口元を薄くつり上げてまた微笑んだ。さやかからは皮肉めいた笑みに見えるが、むしろ少女は祝っているようだ。

 

「素養? なんのことですか?」

 

「お礼に手品をお見せしましょう」

 

「へっ? 手品? いきなり?」

 

 さやかの質問を完璧にスルーして手品を見せると言う少女。手をさやかの胸に翳してスナップを効かせて手首を返す。流れるような動きは手慣れたもので、滑らかな挙動。

 

「わっ!」

 

 なにごとかと身体を半歩退くが危害を加えられることはなく、どこから取り出したのか、いつの間にか少女の手には1枚のカードが握られていた。少女はそのカードを見てまた独り言のように囁いて目を細めた。

 

「……なるほど。なかなか貴女様に相応しいカード。こちらをお受け取り下さいませ。ほんの気持ちですので」

 

「うわっ! 今どっから出したの?」

 

 そのカードをさやかに差し出す。戸惑って受け取ることを躊躇するさやかの前にずいと突き出して受け取るよう少女が促した。さやかはおどおどしながらそれを受け取る。

 

「ど、どうも……」

 

「それではありがとうございました。わたくしは先を急いでおりますので。ご機嫌よう。鹿目まどかさんに美樹さやかさんに――」

 

 少女は浅く頭を垂れた後、起こしてほむらの目を金色の瞳が睨むように見つめた。掴み所のない言動に不可思議な格好。なにもかもが常識はずれでありながら悠然たる態度。ほむらを見つめる少女の金眼が一瞬、光ったように見えたのは幻覚か現実か。

 

「暁美ほむらさん」

 

「…いえ、こちらこそ」

 

「では、ご機嫌よう」

 

 少女は笑顔を作ってその場を去っていった。ほむら達もすぐに目的地に向けて歩き出す。

 

 数歩歩いた所でまどかは思い出したように後ろへ振り向く。

 

「あっ! もしかしたらその人見たかも……て、あれ?いない」

 

 しかし振り返っても銀髪の少女はもういなくなっていた。お互い5メートルも離れた訳ではない筈なのに、跡形もなく消えて幻でも見ていたかのような錯覚に陥る。

 

「早っ! もういない」

 

「言いそびれちゃった…でも、なんだかいろんな意味で凄い人だったね」

 

「つかこのカード何なの?」

 

 受け取ったカードは裏表真っ白で用途不明で片手で弄んだりして眺めてみるさやか。折り曲げたり反らせてみようとしてみてもびくともしないのでもて余すしかなかった。

 

「……」

 

 その隣でほむらはさやかの持っているカードに気付かず、握り締めていた自分の手に目を落とした。手の平には汗が滲んでいた。知らぬ内に緊張していたようだ。

 

 

 

 

 



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 偶然の出逢い(2010,5/6)

 

 

 

 

「何て言うか、どっかで見たことあるような雰囲気よね」

 

 そう言ったのは月光館学園高等部三年の岳羽ゆかり。建物内部の上下左右を見渡しながらゆかりは自分の記憶と照らし合わせてそんな言葉を零した。どうにも見覚えのある店内デザインに隣に立つ風花も確かにと頷く。

 

 七人はショッピングモールの中にあるアーケードを歩いていた。天井の磨りガラスから太陽の光りが射し込み、丁度良い明るさに調整されている。少し進めば円上のホールへ出て、天井には人の手によって画かれた青い空と白い雲が見える。アーケードの両側にある喫茶店やブティックからいくつかテーブルとイスが展開している。

 

 駅前の店舗だけあってか駅からそのままやって来たであろう人で溢れかえっている。そんな賑やかな店内が月光館学園の学生であるゆかり達がよく足を運ぶ港区を彷彿とさせていた。

 

「みなさん、二階にCDショップがありますよ。もしかしたらあの人も立ち寄ってたかもしれませんし」

 

 天田はエスカレータの方を指差す。二階にはCDショップがあり、音楽が好きな"彼"なら訪れたかもしれないと期待を膨らましまずはそこに行くこととなった。

 

「そうでありますね。行ってみましょう」

 

 足並みを揃えて和気藹々にエスカレーターを上って二階のCDショップへと七人は向かった。その様子を同じ月光館学園の制服を着た一人の少年に見送られているのに気付く事なく。

 

 

◆◇◆

 

 

「う~ん、なかなかレア物が見つからないなぁ。恭介、どれだったら喜ぶんだろ?」

 

 さやかは一人棚の前で膝を折って、CDを手に取っては戻し、取っては戻しと探していた。音楽の好きな幼馴染みの為に毎日とまではいかないが時折CDを持って行ってはプレゼントしている。さやか自身は毎日持って行ってあげたいところだが中学生の経済力では月に2枚程度が最大だ。

 

 そんなさやかはCDを探すのに夢中になりすぎ、すぐ後ろに迫る人影に気付かなかった。

 

「最近の中学生はクラシックとか聴いてんのか?」

 

「うわぁ!」

 

「おっと、驚かせちまったか?」

 

 驚きの声を上げてさやかは身をひねり背後に居る声の主の顔を見上げた。しゃがみ込んでいるので逆光により目が眩む。身なりと雰囲気からして恐らく高校生でその手には1枚のCDが握られていた。

 

 今日はよく話し掛けられると考えながら、実は"ナンパ"ではないかとさやかは思うがあてが違った。断じて有り得ず、その話しかけてきた少年がおどけたように訊いた。

 

「えと、君クラシック聴いたりする派?」

 

「えと…まぁ、ちょっとだけ。それで何かあたしに用ですか?」

 

 クラシックが好きというのが正しいのかは分からないが、バイオリンの音色は素直に好きだと言える。幼稚園児くらいの頃、幼馴染みが演奏会で弾いていたのがバイオリンの音色に初めて触れた時だ。それ以来暇な時間を見つけては演奏を聴かせてもらったりしていた。

 

「いや最近の中学生はクラシックとか聴いてんのかなってよ。それに"レア物のCD"探してるって言ってたのが聞こえたしな」

 

「あ、聞かれてたんですか、ハハハ」

 

「まぁオレもちょっと探しててな。知り合いがクラシックにハマってて、買っていこうかと。正直あんま分かんなくてさ、もし良かったら、なんかおすすめあったりしねえか?」

 

「おすすめ、ですか?」

 

 いきなり見ず知らずの少年におすすめと聞かれて少し考える。何も無いと言って流してしまうのも思ったが、それではあまりにも無粋。そこまで人間腐ってはいない。うーん、とたっぷり30秒程何がいいか頭を捻って考え、陳列されたCDを見ていると一つが目に留まった。

 

「これなんかどうです?」

 

 棚から1枚CDを抜き取って差し出す。そのCDのジャケットには"アヴェ・マリア"と記されている。さやかにとっては思い入れのある曲。おすすめと言われたらすすめずにはいられない。

 

「あべ、まりあ…? んだそれ? 聞いたことねぇな」

 

 初めて聞く名前に頭の上に"?"が浮かんでいる高校生の少年。少年が言っていたように、知り合いがクラシックを好きなだけで、彼自身が別段クラシックに興味がある訳ではないらしくどういう物か分かっていなさそう。そんな男子高校生にさやかは熱弁を図る。

 

「それがとてもいいですよ! 心が落ち着くっていうかなんというか」

 

「へぇ~。じゃ交換ってことで」

 

 そう言われた野球帽を被った少年はにかっと笑い、さやかの差し出してきたCDを取り受け取り、替わりに自分の持っているCDをさやかの手に持たせた。物々交換をして受け取ったCDのジャケットを見るさやか。

 

「おおぅ。これは…いままで見たことないな…」

 

 結構な期間CDショップで見てきたが渡された物は初めて見る物だった。さやか自身も詳しい訳ではないのでなんとも言えない。

 

「オレもそれ結構好きなんだけどさ、詳しいことはわかんねえ。まぁそん時は"恭介"ってやつにでも聞いてくれよ」

 

 『えっ? どうして恭介の名前知ってるの?』という風にCDから順平の顔に丸くなった目を向けるさやか。さっき独り言で意中の相手の名前を口ずさんでいたのを聞かれたことはさやかは知らなかった。

 

「なんでそれを!!」

 

「さっき言ってたじゃねえか。おお? もしかしてもしかすると。実は選んでるCDってのは、好きな男へのプレゼントだったりしてぇ?」

 

 さっきの爽やかな笑みとは違う笑い。なにか悪いことを企んだような表情に思わずたじろいでしまう。

 

 さやかは自分の顔が次第に熱くなっていくのが分かった。ふつふつと恥ずかしさが込み上げてわなわなと震えだす。少年はそれを肯定と捉えるや否や、浮いた笑みを消して驚いた顔をする。

 

 それがまたさやかに揺さぶりをかけて顔がさらに熱を帯びていく。そのさやかの反応が予想外なのか、まさか本当にそうだったのかと言う風に向こうも驚きの色が濃くなる。そんな悪い事をしてしまったみたいな顔をしないでくれとさやかは内心思いながらなんとか目を逸らした。さやかの気持ちを察してこれ以上は何も言わないでくれと切に願う。しかし生憎にも目の前の少年はそのようなデリカシーを持ち合わせていなかった。

 

「え、マジで当たり?」

 

 悪意のない指摘に恥ずかしさのあまりさやかは盛大に叫んだ。喚くと言うよりも、叫んだ。店内ということも忘れていたが、幸い周りに客は居なかった。

 

「ぅ、うわぁぁあ!! 是非聴かせていただきます! 是非ぃ!!」

 

 受け取ったCDで真っ赤になった顔を隠して逃げるように走り去っていった。そこそこ広い店内はレジまで距離があり少年とまた出会わないよう出鱈目に走って早急にレジへと向かった。

 

(うわぁ、あんな独り言を見ず知らずの人に聞かれてたなんて超恥ずかしい!)

 

 

 

 

 

 一方、まどかはさやかが妙な災難に見舞われているのと同じ時間にノリノリで音楽を試聴してご機嫌っただ。 聴いているのは日本のアーティストの楽曲。最近まどかの中ではjpopが流行っている。さやかとCDショップに寄るついでにまどかもお気に入りを探して度々レンタルしたりしている。

 

「ふんふん。じゃ次はこれかな。って、ん?」

 

 CDプレーヤーからCDを取り出して違うCDを入れようとした時、近くで少女の声が耳に入った。身長は同じくらいで顔は見えないが後ろ姿から雰囲気的に年上だろうとまどかは思った。その少女は見滝原の外からやって来た山岸風花だった。

 

「なかなか見つからないなぁ、"コネクト"…そんなに数が少ないのかな?」

 

 ぽそりと曲名か歌手名かなにかの名前を呟く風花。まどかは手に持つCDケースの裏側を見た。今まどかが持っているCDは二人組のアーティストの物で、それには風花の探す"コネクト"と言う曲が収録されている。しかし、あまりおおっぴらには宣伝されておらず、店内の比較的隅の方にあった。このCDショップを初めて訪れた風花には分かりにくいだろう。

 

(コネクトって…これだよね?よしっ!)

 

 意を決したまどかはCDを探している風花に話し掛けた。困っているのなら放ってはおけない性分。学校でも友達が多いいはその性格からか。それでもやっぱり接点のない人に話し掛けるのは勇気が要るのでいつもみたいに大きな声が出なかった。

 

「あ、あの」

 

 その小さな声を聞き取って風花はまどかの方へ振り向いた。まどかのもし怖い人だったらどうしようという予想を裏切る穏やかで少し困った様な表情を浮かべて。大人しそうな印象でまどかの緊張を和らげる。

 

「えっと、私に何か用かな?」

 

 おっとりとした声色で優しさが滲み伝わってくる。スッと風花にCDを差し出す。自分はもう聴き終わったので丁度返そうと思っていた頃だ。

 

「これ、探してるんですよね?よかったらこのCD貸しますよ。わたし、聴き終わったんで」

 

「え? いいの? どうもありがとうね」

 

 差し出したCDを見た風花の表情が一変して歓喜の色に染まる。本当にいいのかと確認を取る視線にまどかは頷いて微笑んだ。優しい声でお礼を言われ、余計なお世話ではないかと心配しのたが杞憂だった。お礼を言われたまどかは少し照れて目線を泳がした。

 

「いえ、そんな。お礼なんて言われるようなこと全然」

 

「ううん、本当に助かった。言われなきゃずっと違う所探してたかもしれないし。初めてここに来たから全然分からなかったから」

 

 まどかからCDを受け取り微笑む。風花はまたお礼を言った。まどかは両手を振って『そんなことないですよ!』と否定するがまどかも嬉しくつい笑顔になる。

 

「CDほんとにありがとね。じゃあ」

「あ、はい。では」

 

 手を振って去っていく風花の背中を眺める。自分の口がわずかに綻んでいるのには気付かない。誰かの役に立つのがこんなに気持ちの良いことなのだとまどかはこの時実感した。

 

(えへへ、褒められちゃった)

 

 

 

 

 

 また違う所では、ほむらがCDショップの一角で一人佇んでいた。ほむらは気付いていないが店内を徘徊する男子学生から時折熱い視線を送られている。無視しているのではなく、そんなことには疎いだけかもしれない。

 

(妙な幻覚。異様なエレベーターガール。今回はいろいろとおかしいわね…)

 

 周りから視線を浴びながら顎に手を当て考え込む。自分の今の目的はまどかの近くで監視してあの"害獣"を寄せ付けないこと。それは今の最優先事項なのだが、ここに居てはいずれ遭遇してしまうので早々に各自の用事を済ませてここから離れるため次なる目的地へと移りたい、と。

 

 しばらくして、まどかが近くにいないことに気付いた。

 

 思考に更けていると時々周りが見えていないことがあり、それは自身でも知らない自分の一面である。

 

「あれ、まどか? 考え事してたらはぐれたのかしら……だったらまずいわね。ここにはアイツがいる筈! 接触される前に、まどかをアイツより先に探さな――」

 

 踵を返して勢い良く進行方向を後ろへ変更する。が、視界は真っ黒に塗りつぶされた。振り向いた拍子に何かにぶつかったのだ。

 

「きゃっ!」

 

 慌て過ぎてぶつかった反動で後ろへよろめく。相手の方が背が高かったのでほむらほどよろめいていないが向こうもよろめいている。

 

 急いでいたとは言え、なんとも不注意極まりないものである。

 

「大丈夫ですか!!」

 

 声の主が危うく転けそうになるほむらの手をとった。力強く引っぱられて体勢が元に戻される。顔は見えていないが声から判断するに女性なのだろうが引っぱられた際の力が女のものとは思えなかった。もう少し強ければ肩が抜けていたかもしれないくらいだ。

 

「あ、ありがとうございます。すみません、私の不注意で」

 

 なんとか倒れずに済み、手をとった人の顔を見た。金髪、碧眼で頭には特徴的なヘッドホンを着けた綺麗な少女。透き通るような肌とスラッとした長い脚にコバルトブルーの瞳。そのままの意味で"お人形"のようだ。何をどう取っても非の打ち所がない。着ている服は学校の制服なのだろうが見滝原では見かけないものだ。金髪、碧眼の少女はほむらに怪我はないか心配する。

 

「お怪我は? ……!」

 

 普通、人とぶつかっただけで怪我はしないがほむらの前に立つ少女は本気で心配していた。自分の体が普通の女の子の身体とは大きく違うのでほむらはその点を踏まえても怪我をすることはない。そして目の前の少女がほむらの顔を見て一瞬、固まった。

 

「ええ、大丈夫です」

 

 適当に返事をしてとられた手をほどき、さっさとまどかの所へ行こうと頭を下げて再び歩き出す。

 

 が、ガクンっと何か重い物にでも引っぱられたかのように腕が動かなかった。見ればほむらの手首をしっかりと掴んでいる。不審に思いながらその手首を掴んだ人を見てみると、青よりも蒼い眼と目が合った。若干首を斜めに傾げて問い掛けるような視線を送ってくる少女はほむらを捉えて逃がさない。

 

「あの…急いでいるので離してもらえませんか?」

 

 取り敢えず離してもらえるよう声をかける。そう言われて、はっとしたようにほむらの手首から手を離した。手は掴んだままの固まった状態でゆっくりと下ろして太股の横に落ち着いた。あちらも何故ほむらの腕を掴んだのか分からず動揺している。

 

「あっ、ごめんなさい」

 

 一体なんだと疑問に思うが、視線を泳がせるだけでなにも言わなくなった。これ以上時間を割いている余裕はないが不思議とほむらは訊いてしまった。

 

「あの…どうか、しましたか?」

 

「あ、いえ、その…あなたからとても懐かしいもの感じたのですが…私…あなたと一度逢ったことありますでしょうか?」

 

 伏せ目がちにしているが、時々ほむらの顔をちらちら見る。透き通るような青い瞳、ほむらからはその眼に何か普通の人とは異なるものを秘めている様に見えた。

 

「少なくとも私は初対面だと思いますが? 八日前まで半年間病院で入院していましたし。……?」

 

 事実を言っただけだというのに、その言葉を聞いた少女の顔に影が射した。

 

 そんな金髪碧眼の少女の表情を見て一体どういうことだ、とほむらは思う。困惑。落胆。焦燥。それとも期待。そんなどれともつかない表情を浮かべながらほむらの顔を一瞥してから再び彼女は目を落とした。

 

「そうですか…すみません。私の勘違いでした。急いでいるのに引き留めて申し訳ありません」

 

 そんな風に謝られるとなんとも言えない罪悪感に見舞われる。自分が何かしてしまったのか訊くか迷ったが、さすがにこれ以上は構っていられないので踵を返して切り上げることにした。簡単な挨拶を交わして少女の横を通り過ぎる。

 

「じゃあ、行きますね」

 

「はい。では」

 

 通り過ぎていくほむらの黒髪を目で追いながら少女の表情が名残惜しそうになる。その時には背を向けていたほむらはそんな事に気付かず走っていった。

 

 ざわざわと騒がしい雑音は少女の耳には聴こえず音がなる。走り去っていくほむらの背中だけがはっきり見えて、周りの景色がぼやけ始めた。ほむらの背中を見送りながらぽつりと呟く。

 

「……どこかで逢ったような」

 

 

◆◇◆

 

 

「あれ、順平君CD買ったの?」

 

 CDを入れた袋をぶら下げる順平に風花が訊ねた。今集まっているのは美鶴と風花に順平。何時までも同じ所に居座っておく分けにいかないとの事で、美鶴が場所を移すためこの場にいないメンバーに集合を呼びかけていた。

 

 最初に美鶴の元へ集まったのが風花で、次に順平が数分遅れてやって来た。すぐに来るだろうがまだ他のメンバーは来ておらず三人しか集まっていない。急がなければならない理由もないので雑談をしながら気長に待つつもりでいる。

 

「伊織、何を購入したんだ?」

 

「えっーと…じゃじゃーん! これっス!」

 

 わざわざ袋から取り出して美鶴と風花に見せつける。買ったのはCDショップで話しかけた見ず知らずの中学生オススメの1枚『アヴェ・マリア』。美鶴が感心して頷き言った。

 

「アヴェ・マリアか。伊織にしてはなかなかいい趣味をしているな」

 

「順平君、クラシックとか聴くんだ。なんだか意外」

 

 音楽にもそれなりのたしなみがある美鶴は順平がそれを選んだのが意外なのか多少含みのある言い方。クラシックを聴く事は少ないが、美鶴同様に意外といった様子で風花も相槌を打つ。今の風花の発言は捉え方次第でいろいろと意味が違ってくるが、風花にそんな気は微塵もない。

 

「いや、これ別に、オレが聴くっていうか…つか、"伊織にしては"ってどういう意味スか? 何気に風花も酷くね!?」

 

「あながち間違ってはいないだろ、順平。どうせお前が聴く訳じゃないんだろ?」

 

「そりゃそうですよ真田先輩。順平がそんな上品なもの聴くわけないですって」

 

 狼狽える順平の後ろから真田、ゆかり、天田の三人が揃ってやって来た。残すはアイギスだけとなった。

 

「順平さんが聴かないんでしたら、誰が聴くんですか、それ?」

 

「実はチドリがクラシックにハマっててよ。それで買ったんだけどな。つか、オレが聴かないってのはもう確定されてんのかよ……」

 

「へぇ~、チドリさんが。それにしてもアイギスさん来ないですね、どうしたんでしょう?」

 

 六人が揃った。あとはアイギスだけなのだが珍しく最後となっている。いつもなら5分前行動をしたりと、こういう事にはちゃっかりして時間厳守をするアイギス。皆も時間に押されている訳ではないので気にする事もない。

 

 それから3分もしない内にアイギスも集まり全員が揃うことになる。本当は真田達より早くアイギスが合流できたのだが、集合する際に多くの人に道を阻まれ迂回していたので結果的にアイギスが一番最後になってしまった。

 

 しばらくまたショッピングモール内を回ろうと歩きだした七人。時刻は昼を大きく過ぎた頃。大食漢とも言える真田と育ち盛りの天田が空腹訴え始めたので雰囲気はフードショップでも行く方向へとなっていた。

 

 偶然飲食店の前を通ったので食欲を刺激する匂いが男衆を捉えてその店の前に立ち止まり品定めを始めた。女性陣も満更でもないのでどの店に入るか決めるのを任せることにしている。取り敢えず落ち着ける場所とお洒落な店さえ確保できればゆかりや美鶴はどこでもよくそれ以外の拘りは大してない。

 

「じゃあここ入ります?」

 

「そうだな。やはりここはガッツリいきたいところだ」

 

「そうっスねえ。オレもこのジャイアントホットドッグとか言うの気になるし」

 

 そろそろ入店しそうな流れになってきたので美鶴が男衆の後に続こうと踏み出そうとした時、ゆかりが風花に何か話しかけたので思わず足を止めた。何気ない会話かもしれないが何故か美鶴は振り返った。

 

「ん? どうかしたの風花? 眉間に皺なんか寄せちゃって」

 

「えっ、皺! じゃなくて…あの桐条先輩、今なにか感じませんでしたか?」

 

 軽い調子で風花に話しかけるゆかり。そう言われた風花は慌てておでこを手で隠く素振りを見せながら美鶴にそんな事を言った。突然"何か感じないか"と言われ美鶴は怪訝な顔をする。その言い方から分かるようにまだ確証を得ていないのか自信のなさそうな声色。

 

 風花と同じく、ある程度の探知能力を備えた美鶴はさして何も感じなかったので訊き返した。

 

「なにかあったのか…?」

 

 風花の探知・諜報能力は似た力を持つ美鶴のそれを軽く上回り、皆が絶対の信頼を寄せているだけあって今の言葉は聞き捨てならなかった。自信無さげに言うがほぼ確定と言っても過言ではない。

 

「なんだかここに来てから妙なんです。あまり良くないものが存在してるみたいで」

 

「良くないもの…? それは気のせい、という訳ではないんだな?」

 

「気のせい……? そんな筈は」

 

 苦虫を噛み潰したように顔に不安の表情が残る。周りの皆も突然の報せに不安を覚え、自然と真剣な顔をする。アイギスが入店しかけていた真田達を呼び戻し集まった。よく解らないといった表情をした真田、順平、天田の三人は顔を見合わせて首を傾げている。

 

 目を瞑って集中力を研ぎ澄ましていた風花は顔を上げ目を見開いて、非常口の方へ体を向けた。そしてまた何かを感じ取り、反応の正確な出所が分かった。

 

「違う! 桐条先輩ここ何か居ます!!」

 

 全員が風花が視界に捉えている"改装中にて関係者以外立ち入り禁止"と看板で仕切られた下りの階段を見る。今度は美鶴も気付いたらしく目付きを鋭くした。

 

「っ! 確かに何か感じたぞ!」

 

「えっ、じゃあどうするんですかっ!??」

 

「何か害を及ぼすかもしれん! そうであれば見す見す逃す訳にはいかん。行くぞゆかり!」

 

「みなさん付いて来て下さい!」

 

「なんだよいきなりっ! どうなっちゃってんだ!?」

 

 風花が走り出す。それに続き慌てて六人も走り出した。周りから変な目で見られるが無視して仕切りを越えて階段を下っていった。

 

 

◆◇◆

 

 

「ふんふ~ん」

 

 広い店内の各所に設けられた音楽プレーヤーでまどかはいつにも増して気分を良くしてノリノリで試聴していた。ヘッドホンで周りの音を遮断しているので気付かない内に鼻歌を交えながら体を左右に揺らしている。些細なことであそこまで感謝されてしまうと照れるよりも嬉しさの方が勝り、その余韻がまだ続いているのか口元が僅かに緩んで口角が上がっている。ここ最近でも滅多にないくらいに機嫌がいいのでさやかの用事なんかにもいつまでも付き合っていられる程で、今ならどんな要望でも受け入れられるまどかは完全なイエスマンと言える。

 

 気になって積み上げられたCDの山をハイスピードで低くしていき、最後のCDと入れ替える為ヘッドホンをしたまま音楽プレーヤーの取り出しボタンを押そうとした時に横から黒い長髪の少女が飛び出した。

 

「まどかっ!!」

 

「うわっ! ほむらちゃんどうかした?」

 

 飛び出してきたのは肩で息をしながらなにか焦った表情のほむらだった。驚いたまどかが慌ててヘッドホンを外す。一時停止ボタンを押して音楽を止めた。やたらと周囲を見渡して何かを探しているほむら。まどかに向けられて話しかけられているがしきりに首を左右に動かしており、むしろ意識は全く別にある様に見える。

 

「私とはぐれている内に何かおかしな事はなかった!?」

 

「えっと、なにもなかったけど…どうしたの?」

 

 いまいちほむらが何を心配しているのか分からないまどかは、取り敢えず落ち着かせる為になにもなかったと答える。

 

「ふぅ…そう。ならよかった」

 

 そう聞いた途端張っていた肩から力が抜ける。何もおかしな点はないと言うまどかの言葉に安心してほむらは息を吐く。そして大して汗もかいていないが手の甲で汗を拭う仕草をするほむらを見てまどかは可愛いと思いくすくすと笑った。やたら焦っていたところを見られたのと、それらを笑われたほむらが恥ずかしそうに顔を赤くするとぷいっとそっぽを向いて目を逸らす。新しい一面を見ることができたのが嬉しくついにやにやとしながら逸らし続けるほむらの横顔を眺めていると、少し離れたところからさやかの声が聞こえた。

 

「おーい。探したぞー」

 

 小走りで寄ってきたさやかの手には購入したCDの入った袋がぶら下がっている。さやかも目的を達成し三人が揃ってそろそろ解散をしても丁度いい時間になるので聴いていたCDを片付けながらさやかの持つ袋を見てまどかが聞いた。

 

「上条君にあげるCD買ったの?」

 

「あ、うん。いちおー…」

 

 さやかの微妙な返答にまどかは首を傾げる。その横で顔の紅潮が引いたほむらは二人のやり取りを聞き流しながらまだ周囲を見渡していた。そんなほむらにまどかが目線を移した瞬間、突然びくりと弾かれたように体を震わせた。

 

「どうしたのまどか?」

 

「え…? え? なに、声?」

 

「声? あたしにはなんも聞こえないけど」

 

「ッ!」

 

 まどかにだけ声が聞こえているらしく自分とさやかには聞こえていない。勘づくのに時間は必要なかった。やはり、と予想はしていたほむらまどかを引き止めようと手を掴もうとするが、それより早くまどかは走り出していた。伸ばした手が空を切り、その遅れが災いしてまどかと一気に距離が開かれる。何かにとり憑かれたように後ろを振り向かず疾走するまどかの後を追って二人も走り出した。

 

「ちょ、まどかどこ行くの!!」

 

「まどか、待って!」

 

 立ち入り禁止の仕切りの看板も無視して突き進む。非常口を抜けて、鉄で作られた足場などが残る改装中の工事現場にまで来てしまった。放置された器材や金網で道を阻まれて思うように進めないが、まどかは迷うことなく走り続ける。

 

 右へ左へ何度も曲がり角を曲がって深部に進む。薄暗い器材のない広場へ出ると、唐突にまどかが足を止めた。

 

「あなた、なの…?」

 

 無造作に積み上げられた廃材の上に赤い目をした白い猫のような生き物がいた。とても奇妙な見た目で耳からは毛なのか触手なのか分からないものが生えており、金色の輪がついている。

 

 猫に似た生き物は口を動かさずに人語を、日本語を流暢に喋った。当然の如く喋る姿は酷く自然体でまるで腹話術をしている様に見えた。

 

「やぁ、鹿目まどか。僕が呼んだんだ、よく来てくれたね」

 

 

 

 



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 巡り巡って(2010,5/6)

 

 

 

 

 

(チッ! まどかとの接触を許してしまうなんて!)

 

 数秒遅れてほむらはまどかに追い付き、白い猫のような生き物を見るなり表情を歪めて悪態をついた。これまでにもまどかにしか聴こえない声により誘導され、まどかが猫に似た白い生き物と接触することはあった。何度か経験したパターンと知っていながらそれを阻止出来なかったのがほむらの苛立ちに拍車を掛ける。

 

 今でこそだが運動神経ならまどかには負けないと自負している。少し魔法を使えば体力測定でも県内記録を軽く更新できる運動神経を手に入れられるので、すぐに追い付き接触を回避させる腹積もりでいた。しかし、どういう訳かまどかを追跡する際どれだけ速く走ろうとも追い付くことが出来ず、必ず一定の距離が空くという不可解な現象が起きていた。聴こえない声や縮まらない距離も全て目の前の白い生き物の仕業だろう。

 

「ぜはぁ、はぁ、はぁ。ほむらあんた速すぎでしょ…ホントに入院してたのってくらい。で、何? ここまで走って来させといて居んのは白猫だけ?」

 

 息を切らして後からさやかも追い付き白い謎の生き物を目にする。走り回って見つけたのがこの白い生き物というのが拍子抜けなのかさやかは素直な感想を零す。

 

 対して白い生き物はさやかの失礼とも取れる態度に呆れた声で言った。

 

「猫だなんて失礼だなぁ、美樹さやかは」

 

「うわっ、喋った!」

 

「まどか、美樹さん。そいつに近付かないで」

 

 わざと声を低くして一言告げる。まどかが接触してしまった以上ここからは非情に徹さなければならなくなった。自分を圧し殺して仮面を被る。自分を隠すのに抵抗はない。

 

「ほむらちゃん…?」

 

 注目が白い猫に似た生き物からほむらへと向けられる。まどかも振り向きほむらを見た。息が上がって肩を上下させてまだ口で呼吸をしている。

 

「ん? 君は知らない顔だね。その様子だと君は僕の事を知っているのかい?」

 

 猫に似た白い生き物は可愛らしく首を傾げてみせた。それを見たほむらの頬をの筋肉がピクリと動いたが落ち着いたな声で答える。

 

「さぁ…どうかしら?」

 

「ほむらこの白いのが何なのか知ってるの!?」

 

「そいつは貴女たちをきっと不幸にする。貴女たちは関係してはいけないの」

 

「いや、それ説明になってないんだけど?」

 

 答えになっていない答えにさやかは脱力して微苦笑する。

 

「ほむらちゃん。一体この子はなんなの?」

 

「僕の名前はキュゥべえ」

 

 振り返ったままほむらに訊くが先に白い猫に似た生き物改め、キュゥべえが答えた。注目は再びキュゥべえに移る。

 

「さっそくだけど僕、君たちにお願いがあってここに呼んだんだ。鹿目まどか、それと美樹さやか」

 

「お…おねがい?」

 

 疑うことを知らない二人がキュゥべえの言葉へ静かに耳を傾ける。その甘い囁きの続きはこの二人なら簡単に堕としてしまうのを知っているほむらは、さっきまで保っていた余裕をかなぐり捨てて声を上げた。

 

「駄目! 二人ともそいつの言葉に耳をかしちゃ駄目!!」

 

 それ以上は言わせないように声を発するが、キュゥべえは気にも止めない。不思議な力でも作用しているのか、まどかとさやかの二人はキュゥべえに釘付けになっている。

 

「僕と契約して、魔法少女になってよ!」

 

 キュゥべえがにっこりと笑顔の表情を作った。この瞬間に異変が起きた。周りの景色が歪み始める。ぐにゃぐにゃと壁が床が湾曲し、地形が変化を繰り返す。極彩色の景色がショッピングモールの構造を無視して地平線の彼方まで続いていく。

 

(こんなタイミングで?! なっ! いない!?)

 

 刻一刻と変わり行く周囲の状態に焦りながらほむらはキュゥべえを一瞥した。が、今の状況に陥れたと言っても過言ではないその張本人は見る影もなく、どこかへ姿を暗ましている。

 

「――二人とも、もと来た道を引き返して!」

 

 やられた、とほむらの額にどっと汗が浮かぶ。きっと姿を暗ましているのも二人が命の危機に晒されるとタイミングを見計らって契約を迫るつもりだからなのだろう。そんなことはほむらが居る限りどうあっても成功しない話しだが、それどころではない。

 

 まどかとさやかの二人はそんなほむらの焦りを察して素直に言われたとおり道を引き返そうとする。

 

「え! う、うん!!」

 

「でも引き返すっていっても非常口も見つからないよ!」

 

 二人はもと来た通路を帰ろうとするが辺りを見渡しても非常口の一つも見つからない。そうこうしている内に真っ赤な薔薇やハサミ、有刺鉄線などが空間を飾りまったく別の場所になっていく。

 

 天井が無くなり高さに制限がなくなる。その間にも薔薇は増えていき道を塞いで行き場を潰していった。

 

「あれ? どこよここ?」

 

 馬鹿にならないほど大きなハサミや無限に続く有刺鉄線のフェンス。非常口を求めて足を運べば景色は比例して歪んでいく。進めば進むほどに。気味の悪い暗い道はまどか達を招くように姿を変えていく。バケツに溜めた水を勢いよくをぶちまけるように自生していた薔薇の蕾が一斉に開花する様は、傷口から噴き出した鮮血が地を染めるようで異空間のグロテスクさを際立たせる。

 

「変だよ、ここ! どんどん道が変わっていく」

 

 周りは最早ショッピングモールではなくなってしまい、完全に薔薇の狂い咲く不気味な空間へと生まれ変わった。

 

「やだっ。何かいる!」

 

 生い茂る薔薇に隠れてカサカサと影をちらつかせる何かにまどかは気付く。茂み掻き分けて姿を現したのは、白い綿毛のような頭にアクセントとなるちょび髭を生やし、ひょろりとした胴からは細い腕。足と腰の役割は極彩の羽を持つ蝶が果たしている。その歪な形をした生き物がいたるところから湧き始めた。

 

「下がって!」

 

 怯える二人の前に出てほむらは庇うようにして構えをとる。こうなっては自身の秘密を隠している暇などなく、なにより二人の安全が大事だ。

 

 まどか達の周りには意味の分からない歌のような言葉を発している奇怪な生き物。時間が経つにつれてネズミ算式にどんどん数を増やし大合唱となって轟く。重低音は腹の底まで震わし不安と恐怖を一層強く煽る。

 

(拙いわね。ここは腹を括るしか)

 

 左手薬指にはめた指輪に意識を集中させ、指輪から中心に溢れ出る力を全身に張り巡らさタイミングを待つ。怪物は今にでも飛びかからんと距離をじりじりと詰め寄ってくる。

 

「い、いやぁーーーーー!!」

 

「来るなーーー!!」

 

 二人は諦めたように涙を浮かべ目を瞑る。それを一瞥しほむらはまどかとさやかをこの場から逃がす事が出来ないと判断すると、さらに指輪に意識を集中させ輝かせた。

 

「――アテナッ!」

 

 指輪から放たれる紫の燐光がほむらの全身を包みかけた時、少女の声がそれを妨げた。声の主は何者かと定めようと視線を移しかけるほむらの視界の端を白と金が横切った。

 

 ドゴッと爆ぜるような激突音と、それに伴って巻き起こった旋風。舞い上がる砂煙。視界を狭める灰色の煙幕から天井に向けて一本の槍が突き出され、横に薙がれる動きで砂塵が一気に晴らされた。三人の目に映るのは巨大な盾と槍を備え、兜を被った白装束の大きな女性と思わしき後ろ姿。神々しい青白い光のオーラを纏い、神話の世界からでも抜け出したような存在感が背中を向けられながらも伝わってくる。

 

 想定外の乱入者。それも文字通り横槍を入れる形で、無数の怪物たちの注意を一身に集める。突然割って入ってきたものを見てほむらは唖然として動けなかった。

 

 

◆◇◆

 

 

 七人は一般人立ち入り禁止の薄暗い工事途中の区域を駆けていた。風花が力の反応を察知してからここまで走り続けているが、なかなか目的地に到着しない。大型ショッピングモールの広さが原因かと思われたが目に見えている景色に差して変化がない。

 

 そう思っているのもつかの間。地面に壁、空間そのものが唐突に歪み始め、一瞬平衡感覚を狂わす。カラフルな色合いの蝶が何処からとも無く飛来する。

 

「このままじゃあ間に合わない!」

 

 異常な空間が支配しようと警戒する程度に留めていただった七人だが、リアルタイムで現場の状況を把握できる風花の悲痛な叫びで若干の焦りが見えだした。

 

 今現在、七人は何が起きているのか正確に理解し行動している訳ではない。風花から伝えられた情報としては、人に害を為す危険なものが間近に存在しその中心に三人の人が居るというくらいだ。知ってしまったからには放っておくこともできないので向かっているが、向かう最たる理由はこの見滝原の街がかつて特別課外活動部のリーダーだった人物が過ごしていたというのである。かつて彼が過ごした街を守りたい。ある種の強迫観念に近い意思で七人は団結して動いていた。

 

 それだけが理由ではなく、場所がこの街でなくともその三人も助けようとするだろう。が、それも間に合わないところまで迫っている。このままでは駆けつけた時には手遅れになる。

 

 険しい表情の美鶴が一度口を結び、先頭を走るアイギスへ簡潔に指示を飛ばした。

 

「アイギス。先に頼めるか?」

 

「間に合わせます!」

 

 美鶴の方を見て頷いて言うアイギス。たった二言だけの短いやり取りでアイギスは美鶴の意思を汲み取り速度を上げた。地面を踏み抜く力が増し、他の六人と徐々に距離を広げていく。

 

「このまま真っ直ぐ行ったところに居るから、アイギス!」

 

 風花からの位置情報を背に受けながらさらに加速させ地面を蹴って駆ける。一直線に走るアイギスが足を地面につける度に軽く亀裂が走り、異常な速さを物語っていた。その速度は最早人間のものではなく、時速にして130キロメートルを超えている。

 

 故に美鶴が単独で向かわせた条件の一つだった。むしろ彼女でなければこの場合間に合う見込みがなく、当然の指示である。アイギスもそれに応えるべく目的地へ急いだ。いつの間にか湧いていた怪物を一匹二匹と蹴り飛ばしながら無事を祈って。

 

 不意に不気味な歌のようなものが聞こえ、そしてすぐに風花の言ったとおり、正面方向に怪物とそれに襲われかけている三人の少女が居た。その内の一人は先程アイギスが引き止めてしまった黒髪が特徴的な少女。その少女は背後に座り込む二人の少女を守ろうとなんの武器も持たず丸腰で怪物へ立ち向かおうとしている。少女二人は怯えた様子でへたり込み叫びを上げた。

 

「い、いやぁーーーーー!!」

 

「来るなーーー!!」

 

 アイギスは咄嗟に救おうとギリシャ神話に登場する有名な神の名を呼んだ。それに呼応してアイギスのすぐ隣に青白い光を帯びた巨大なシルエットが現れる。彼女の心そのものであり、最大の武器。槍を構え、脇に大盾を携えて地に足を着けず浮遊する人型。『アテナ』がそこに顕現した。

 

 実体を得た瞬間、アテナはアイギスを置き去りにして前方に群れる怪物目掛けて猛突進を繰り出した。怪物を串刺しにし、盾で擂り潰し塵も残さず葬り去る。突進の勢いを殺さず槍を大きく横に薙ぎ、立ち込める砂埃を振り払った。

 

 運良くその被害を受けなかった生き残りの怪物達は慌てて距離を置いて近付かない。役目を終えたアテナは砕けてアイギスの心へ還る。

 

「 怪我は!」

 

 急いで駆け寄り、佇む少女『暁美ほむら』の顔を覗き込む。口を半開きにして目線は正面を向いたままでこちらを見ていない、と言うより呆気に取られている。取り敢えず怪我がないか足の先から頭の天辺まで簡単に見る。そこでようやくほむらは心配そうに見てくるアイギスに気付き、なんとか声を出す。

 

「貴女はさっきの…?」

 

「言語機能に問題なし。目立った被害もなく大丈夫そうですね。先ほどはどうも」

 

 ほむらに微笑みを向けて次に座り込んで抱き合う二人、まどかとさやかに視線を送る。それに釣られてほむらも後を追い二人を見た。まどかは恐怖でまだ目を瞑っているがさやかはまどかを抱きしめたままアイギスが危害を加えない人物か判断している様子。

 

 アイギスが自分は無害であることをさやかに伝えるため声をかけようとした時、アイギスのやって来た方から複数の足音が聞こえ、ほむらが警戒してそちらを睨む。

 

「どうやら追い付きましたか。心配しなくても大丈夫です、私の仲間ですから」

 

 仲間が来ている、というのに疑問を口にする前に、アイギスとは違う少女の声が耳に届く。

 

「良かった、間に合ったのね。怪我はない?」

 

 高校生と小学生が入り交じった個性的な六人組。その中でも特にか弱そうな小柄な少女、風花が最初に駆けつけた。

 

「え? この声って?」

 

 風花の声を耳に入れたまどかが声のした方に顔を上げる。風花と目が合い、お互いに驚いて口元に手を当てる。

 

「あなたはCD探してた!」

 

「なんでこんな所に!?」

 

「お二人ともお知り合いで?」

 

「知り合いっていうか、さっきCDショップで探し物を探してもらったってくらいだけどね」

 

 安心して胸を撫で下ろす風花。見知った顔が現れたことによりまどかも幾らか恐怖が和らいだ様子だ。しかしまだ怪物に襲われかけた事実が恐ろしいのか腰が抜けて立てないでいる。

 

 五人の仲間達もすぐに全員が集い、辺りに警戒を促す。そんな中で帽子のつばを持ち上げてさやかを凝視する者が居た。それはさやかにとってバッドなタイミングで気恥しく、不自然にも目を逸らして帽子の少年、順平を見ないようにしている。

 

「ありゃ? お前あん時の?」

 

「な、なんでよりによってまたあなたが!?」

 

 いかにもさやかは気まずそうに眉根を寄せて順平と距離を取ろうと尻餅をついたまま後ろへ後ずさる。つい数十分前の順平との会話と自分の行動が脳裏に蘇る。

 

「順平君…」

 

「順平、一人で行動してた時、あんたこの子に何した訳よ…。普通ここまでの反応されないでしょ?」

 

「はぁ…伊織、お前は一体何を?」

 

 さやかの傍に立った女性陣からの蔑むような凍えた目。風花は哀れみに近い目で、ゆかりからは汚いモノを見るような目で、続く美鶴からの呆れて失望した風な目が順平の脆いハートへダイレクトにダメージを与える。

 

「オレなんもしてないっスよ?! ちょっとオススメとか聞いただけ――ぶべっ!!」

 

「ああっ、もううるさい! この子は私達が見てるから、あんたはさっさとあの綿毛をどうにかしなさい!!」

 

 あたふたと必要の無い弁解を図る順平の腹にゆかりの可愛らしくも強烈な拳が突き刺さり、綿毛のような怪物達を指差す。忙しくひしめきあい、様子を窺っているようだ。

 

 涙目になりながら怪物に最も近いほむらの斜め前に順平は踊り出る。なかなか酷い扱いを受ける順平にほむらは若干の同情というか、哀れみの意を含んだ目で見ていると、順平と目が合った。

 

「ょお、君もそんな目でオレを見ちゃうのか? てか普通に可愛いじゃ――おわっ!」

 

「ナンパとかいいから、早くしなさいっ!」

 

 今度は順平のお尻に軽くブーツの蹴りが飛ぶ。そのやり取りを見ていると、漫才みたいでおかしく思えるがさらにおかしな行動を順平がした。それを見てほむらは目を見開き驚愕する。

 

「あ、あの人なにしてるんですか!!?」

 

 まどかが叫ぶ。順平のとっている行動は常人からすれば気が狂ったのではと思われても不思議ではないもの。おもむろに懐から銀色に光る拳銃を抜き取り、迷うことなくこめかみに当てる。手に握られるそれは間違いなく人を殺める凶器。

 

「見てろよ、オレの大活躍!!」

 

 順平は引き金に指をかけ、力を込めて引く。順平の瞳に映るのは死に対する怯えでも目の前に群がる怪物でもなく、紅く偉大な魔術師のシルエット。深紅に染まる衣を纏い紅蓮の炎を抱える。深層心理に潜む内なる自分が敵を焼き尽くせと炎と一緒に闘志を燃え上がらせる。

 

「大丈夫。心配しないで」

 

 風花がまどかの問いに穏やかな声で答える。

 

 ガァンと乾いた発砲音が響き渡り、撃ち抜かれた反対側のこめかみからは赤い血液ではなく、青白い氷の破片のような物が砕けて飛び出した。鎖の擦れる音が聞こえ、青い輪郭を空中に作り出していく。

 

 輪郭は次第に実体を得る。順平の背後に紅い宝石をくわえ、紅い装束に黄金の翼をもつ大きな人型のシルエットが現れる。魔術と錬金術の神『トリスメギストス』が顕現する。全身を深紅に彩られ、腕、肩、頭から伸びる三対の金翼が見た目よりも数倍大きく見せる。トリスメギストスは腰を落として幅跳びの要領で腕を後ろに振りかざした。

 

 地面を抉り蹴ってトリスメギストスが高さ10メートルを超える所まで跳躍する。怪物は無い目でそれを追った。しかしトリスメギストスの姿が一瞬陽炎のように揺れたかと思うと、そこから影さえ置き去りにする速さで空間を駆け巡った。

 

 幾つもの光線が怪物達を刻み空気を切り裂く。熱を失い薄れる光線を辿った先には空中で静止して炎を纏うトリスメギストス。怪物は血を飛び散らす代わりに、無数の蝶が飛んでいく。周りには最早怪物の一匹も居らず、色を失ったトリスメギストスは破片に砕けて空気に溶け消えた。

 

 それが最後だったのか、不気味な空間も崩壊して元に戻る。ほとんど射し込める光がなく剥き出しの柱の存在が改装中の薄暗いショッピングモールだったことをまどかとさやかに思い出させた。

 

「三人ともほんとに大丈夫?」

 

 ほむらは立ったまま驚きに目は見開かれ固まっている。まどかとさやかはあまりの出来事に考えが追い付いていないのか未だ腰を抜かして座り込んだままだ。風花が屈み込んで心配してまどかの肩に手を置く。

 

「あ、えう、あなた達は…?」

 

「えーと、私達は…何て言うか、その。この街に来ただけというか……」

 

 話しかけたはいいがどう答えたらいいのか困り、腕を組んでいる美鶴の方へと視線を泳がせた。こういう直接話して相手と論するのは風花からすると苦手な部類に入るので、口達者な美鶴に助けを求めて見た。だが美鶴はまだ辺りに警戒しているのか風花の視線に全く気付く様子がなく、鋭い目付きで首を左右に動かしている。

 

 ほむらの隣に立つアイギスも脅威が残っていないか周りをくまなく見渡す。するとはっとしてアイギスは光源もなく仄暗い通路の先を真っ直ぐに見据えて言う。

 

「誰か、来ます…!」

 

 美鶴は腕組みを解いていつでも動けるように体勢を整え、順平は拳銃を握り直してトリガーに指をかける。全員の注目が集まる方向からコツコツと硬い物が一定のリズムで地面に当たる音が近づく。うっすらと見えてきたのは人の胸くらいの高さで上下に揺れながらオレンジ色に光る発光体。

 

 コツコツと聞こえていたものがローファーの地面を蹴る音と気付いたのは少女の声がしてからだった。

 

「急いで来てみたけど…さっきまであった使い魔の魔力が、消えてる…?」

 

 そこに居たのは艶やかな金髪をロールさせて纏め、まどか達と同じ制服の少女。胸の近くに添えられた手にはオレンジ色に明滅して光る卵型の宝石が握られている。あれが発光体の正体でもあった。

 

「まさか貴女達が?」

 

 薄暗さに目が慣れてきた為か、少女の全体像が明らかになる。大人びた雰囲気で見かけからする年齢にしてはグラマラスな体型。飴でも転がしたように甘く、落ち着きも備えた声。

 

 さらに目を引くのは少女の肩に乗っかる白い生き物だ。赤いビー玉のような丸い目をして、空に浮かぶ雲よりも白い毛皮。キュゥべえがそこに居た。

 

「どうやら終わってたみたいだ。急がしてしまって謝るよ、マミ」

 

 まるでそれがワンセットのようにしっくりくる。当然の如く喋るキュゥべえに驚く特別課外活動部のメンバーを一瞥して少女は顎に手を当てる。

 

「いえ、それは別に構わないわ。けど、それだけで片付けられるようには…」

 

 アイギス達とほむら達を交互に見るその目は疑いの色が強い。

 

「ならあの子に聞くと分かるかもしれない。あの子もきっとマミと同じだからね」

 

 キュゥべえの言うあの子。金髪ロールの少女はまるでこちらを睨みつけるように眉を吊り上げる自分と同じ制服で黒髪の少女を捉えた。

 

 ほむらは憤りを込めて睨んでいた。タイミングよく今さら戻ってきたと思えば、また新たに面倒ごとを運びこんできたのだから不快以前に厄介である。

 

「さっきの使い魔はこの人達が倒したわ」

 

 そう告げる。さっきまでの驚いた表情は見事に消し、普段通りの無表情に戻して。

 

「そうなの? でもどうやって? それに貴女、使い魔の存在を知ってるということは…」

 

「ええ、そうね。私も同じ」

 

 長い黒髪をかきあげて靡かせるほむらの左手にはめられた指輪が少女の目に入る。それを見て少女は。

 

「じゃあ貴女が…!」

 

「私じゃない。正真正銘、この人達よ」

 

 目だけをアイギス達に向けて示唆する。説明もなしに話が進んでいくのに困惑しているのか不安の色が見える中で、平然とした表情で美鶴が口を開いた。

 

「割り込むようですまないが、さっきの怪物は一体なんだったんだ? 君達は知っているのか?」

 

 全員の意見を代弁するように前へ出て言う美鶴の言葉に同意の意を示して頷く面々。はぁと一息吐いてほむらは答える。隠すことも出来ないならどうする事も出来ないので半ば消沈しながら。

 

「さっきあなた達が倒した怪物…あれは使い魔と言って魔女の手下。本来私達が倒すもの…」

 

 そう言い切ると、左手薬指にはめられた指輪から発せられた紫色の光が全身に波及し飛び散った。光ったかと思えば一瞬にして制服から白と黒、それと紫を基調としたメルヘンチックな服装へと変身する。光は空気に溶けて次第に消える。アイギス達以外にもまどかとさやかも驚きに目を剥いた。

 

「魔法少女。それが私達、魔女を狩る者」

 

 

 

 

 

 ――魔女を狩る者。魔女を狩る、それはいわば魔女狩りの事を示しているのと変わりはない。魔女狩りは中世末期から近代にかけて魔女や魔術行為に対する追及と、裁判から刑罰による処刑までと様々に存在し、明確な区分などはないとされている。ヨーロッパでは魔女狩りが盛んだったと文献などに記述が残っており、十五世紀から十八世紀までにかけて見られ、最大四万人が犠牲になったと言われている。世界規模で言えば数百万人が犠牲になっている。

 

 愛憎深いコルキア国のメディア。ヘリオス神の娘キルケ。などとどちらも神話の中の存在だが古い時代から語られている。魔女という存在自体が忌み嫌われていたとも言え、危険視されていたのは昔から共通の認識だろう。しかし魔女は本来、神聖な儀式を行い神の言葉を届ける巫女だったが、秘密儀礼や非人道的な黒魔術に飲み込まれていき、堕落したものらしい。

 

 そんな魔女狩りも時代の変化と共に衰退し、見直され十八世紀には収まったと言われているものの、本当のところは今現在でも世界各国で秘密裏に魔女狩りは行われているらしい。なんの罪のない人を疑わしければ勝手に裁判にかけ、問答無用で殺す。ある種の風習にも近い感覚であるものが魔女狩り。

 

 魔法少女の行いが魔女狩りのそれに該当するかどうかはアイギス達には分からない。

 

「んじゃあ、あの女の子もその魔法少女、ってヤツなのか?」

 

「ええ、私も…えっと」

 

 順平にちらりと見られて、彼女もほむらと同じ魔法少女と言いたいらしいが、ほむらの名前を知らないのでなんと言おうか迷っている。呆れたほむらが自分の名前を教えた。

 

「暁美ほむらよ、巴さん」

 

 基本、ほむらの内心では他人の呼び方なんてものは大体呼び捨てになる。呼び捨てにしていると言ったところで親しみがあるのかと問われれば、一概にそういう訳ではないのがほとんどだ。流石に年上が相手だったり声に出す場合は『さん』や『君』と付ける。現在目の前の少女とはほむらは仲良くしたい人だった。

 

「そう、私は巴マミ。暁美さんと同じ魔法少女よ」

 

 マミの手に収まる宝石が輝くと、足元から光に包まれローファーはブラウンのブーツに。タイツからニーソックスへ。スカートはふわりとしたものに早変わりする。上着の制服は茶色のコルセットに変化して頭にはファーの着いたベレー帽。メルヘンチックな衣装へと2秒もかからず変身した。

 

「ほむら、アンタ一体何者な訳よ?」

 

 さやかはだいぶ落ち着いてきたのかゆっくりと立ち上がった。まどかもさやかに手をとってもらいながら立ち上がる。

 

「魔法少女ってなんなの? ほむらちゃん…」

 

 まとかも訊くがほむらはすぐには答えなかった。とても思い悩んでいるようで言いにくそうにしている。長い沈黙を挟んで重々しく口を開いた。

 

「………………………………………魔法少女というのはその白い生き物、キュゥべえと契約して戦う運命を課せられた少女のことよ」

 

「ねぇ暁美さん…私の名前を知っていたようだけど、貴女と一度会っていたかしら?」

 

 マミが名乗る前には自分の名前を知っていたほむらに少しの疑念をもって訊ねた。それに対してほむらは軽く受け答えをした。まどかの質問に比べて時間も置かずすんなりと、いかにも当たり前のように。

 

「いえ、一度も会ったことない、です。ただ、貴女はこの街で唯一の魔法少女だったから知っていただけ」

 

「てっきり誰かから聞いたのかと思ったけど、そうじゃないのね」

 

 何やら魔法少女の二人が話し込んでいるが、おいてけぼりのアイギス達は互いに顔を見合わせたりするばかりで、頭の整理がいまいちできていない。使い魔だの魔女、はたまた魔法少女なんかも出てきたのだ。いくら現実離れした環境をくぐり抜けてきた特別課外活動部といえども、突拍子もなく始められるとお手上げである。

 

「これが魔法少女。機能性よりも見た目を重視したメルヘンチックな衣服がトレードマークと聞いていましたが…なるほどなー」

 

 アイギスが一人そう呟いて納得するのに魔法少女である当の本人、マミは苦笑いする。

 

「別にそういう訳じゃ…」

 

「あ、あのわたし、呼ばれたんです! 頭の中に直接この子の声が!!」

 

 まどかはまだマミの肩に乗ったままのキュゥべえを指差して言った。ほむらは低い姿勢をとることなくマミと会話しているが、話した事がなくとも口ぶりや見た限りの予想ではマミはまどかとさやかより一学年上の先輩にあたる。そして魔法少女であるマミに勇気を振り絞って伝えた。

 

「キュゥべえ、あなたが?」

 

「うん、ちょっとね。魔法少女としての資質があると思って呼んでみたんだけど、まさかこんなイレギュラーも現れるとは予想外だったよ」

 

 驚いているつもりなのか分からない顔で口も動かさず喋る。その一連の動作は機械的にも見えてくる。マミも『そう』とだけ言ってアイギス達を見てまどかとさやかを見る。

 

「この子達だけならまだ良かったんだけど、この人達には知られた上に使い魔まで倒されてたのは…悩みどころね」

 

「巴さん、でよろしいですか? もし差し支えなければ私達にお話を聞かせてもらえませんか? この街に居る、その魔女や使い魔といったものについて」

 

 思案するマミにアイギスがそんな提案をした。というよりも、お願いに近いものだが。それにいち早く反応するのは――

 

「アイギス?! それ聞いてどうするのよ?」

 

 戦友。それが一番アイギスからするとしっくりくる仲間、ゆかりからの単純な疑問だった。こう訊かれると理由に加え話を伺う利点、必要性を説明しなければならない。だがもう一人の意見で答える必要がなくなる。

 

「いいんじゃないか、別に? 向こうもここで帰ると言って、はいそうですかと帰してくれそうに見えんしな。それより面白そうじゃないか。この子達の言う魔女が何なのかも気になる」

 

「明彦! また懲りずお前はそんな事を。すまないな、勝手ことを言って」

 

「あ、いえ。よければお話ししますよ。私からも聞いておきたい事も幾つかあるんで」

 

「そう、か。皆、構わないか?」

 

 後ろを振り向いて美鶴が問う。皆も頷いて一応の了解を示す。ゆかりはよく分からないのか口を尖らせているが嫌がってはいない。関わってしまったのだから目を瞑って見なかったことには出来ないのもまた事実。

 

「ありがとうございます」

 

 アイギスがお礼を言って軽くお辞儀をする。マミは変身している意味もなくなったので変身を解いて制服に戻る。ほむらも続いて解く。

 

「巴さん、魔女の始末はいいの?」

 

「今回ばかりは見逃すしかないわ。優先する事ができたものね。あの子達にも着いて来てもらうけど、貴方はどうするのかしら?」

 

 元から見滝原に居る魔法少女のマミは、外からやって来た新参魔法少女のほむらにそう訊ねる。

 

 ほむらの答えは決まっている。まどかが魔法少女に関わってしまったのだから。あの白い毛皮の生き物を付け入る事が出来ない選択をとるのは当たり前だ。

 

「私はもちろん――」

 

 

 

 



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 魔女と影(2010,5/6)

 

 

 西の地平線に太陽が沈みだし、夕日が空を茜色に染める頃、街は昼間とは違う装いを見せ始める。公園で遊んでいた子供達は親の決めた門限に追われ家路を辿り、家庭を持つ主婦は家族の帰りを夕飯と共に待つ為、買い出しより帰宅する。学生にとってまだまだ遊びに費やす時間が残っているのでゲームセンターやカラオケボックス、娯楽施設には中高生が溢れ返っている。

 

 しかしその学生の波の中に、見滝原の外からやって来たアイギス達の姿はなかった。もとより娯楽の為にここを訪れた訳ではないからだ。今はマミに連れられ川を横断する長さ100メートルもない鉄橋の上を歩いていた。

 

「まずは自己紹介から始めましょうか。…改めまして、私は見滝原中学三年の巴マミ。この街の魔法少女よ」

 

 先頭を歩くマミが踵を返し、振り向きながら自己紹介を始めた。顔を上げてマミを見る。夕日を浴びる金髪はちょうどオレンジ色のように変わり、沈みかけた太陽に馴染む。マミに視線が集中し、その場で皆が足を止めた。

 

(いいタイミングね。ナイスよ巴マミ)

 

 当然と言えば当然だが、ほむらは結局マミに着いて行くことにしショッピングモールを出発していた。着いて行くと言った時、微妙な間があったが、着いて行く事についてマミがあまり追求してこなかったのは嬉しい誤算。

 

 そこまでは良かった。さほど問題になる訳ではなかったが、ショッピングモールを出てからずっと今のような空気が流れており少なからず気まずさが目立ってきていた。なので、話題を振ってくれたことにほむらは内心マミに感謝した。先頭を歩いているのはマミ、そしてその後ろにほむらとまどかにさやかの三人。さらに後ろには美鶴がアイギス達を背後に引き連れる形で先頭に立っている。恐らく美鶴がアイギス達を引っ張るリーダー的存在なのだろうと、ほむらはなんとなく予想する。さっきから美鶴の視線が背中に感じられこちらの様子を窺っているのが分かるが、そのお陰でまどかとさやかの二人がガチガチに緊張して歩き方が不自然だ。

 なにはともあれ、お互いを知らなければ話も進まないということで自己紹介から始まった。マミが自己紹介を済ますと、まどかとさやかも緊張がいくらか解けたのか小さく笑みを見せた。マミのことは知っているのでほむらは聞き流す。既知の情報はそう何度も必要ではない。それよりもほむらの聴いておきたいのは、このイレギュラーな人物達についてだ。

 

「んじゃあ次はオレからいかせてもらうぜ。オレは月光館学園高等部三年、伊織順平。ジュンペーでいいぜ」

 

「月光館学園初等部六年、天田乾です。よろしくお願いします」

 

 自分の胸に親指を突き立てて示す順平にほむらはフレンドリーな性格をしていそうだと評価を下す。天田に関しては礼儀正しい語り口調に少々驚きを感じていた。年相応のやんちゃさでも表れるかと思ったが、天田のことを侮りすぎていた。次にさやかにまどか。そしてほむらが続く。

 

「あたしはマミさんと同じ見滝原中学で二年の美樹さやか、です。よろしく」

 

「さ、さやかちゃんと同じクラスの、鹿目まどかです。よろしくお願いします」

 

「見滝原中学二年。私もまどかと同じクラスの暁美ほむらよ」

 

 長い黒髪をいつもの癖で左手で解いた。本日三度目の自己紹介。流れ作業の如く自然と口が動く。それにしても一日で三度も自己紹介をするなど過去最多かもしれない。など、そんなことを考える。

 

「月光館学園高等部三年、アイギスです。よろしくお願いします」

 

 絹のようにしなやかな金髪を揺らすのは碧眼の少女。蒼い双眸は一切の濁りがなく、澄んでいる。

 

 その目はあまりにもほむらと正反対だった。確かな光を宿して未来に希望を見出だした生ける者の目。対してほむらの目は、どちらかというと未来を望むことを半ば諦めかけたように虚ろで淀み、それが自分でも分かるほどである。しかしそれも過去だ。今は未来を強く望みその目には小さくとも希望はあった。

 

(…私も昔はあんな風だったのかしら。にしても…会ったことは、やっぱり一度もないわね)

 

 初めて顔合わせをした際、アイギスはほむらを見てどこかで会ったことがないかと訊いた。もちろん会った憶えはなく、外国人の知り合いもほむらにはいない。もし会っていても、金髪に透き通る碧眼、と忘れようにも忘れられない特徴尽くしの容姿なのだから間違いなく会っていない。こんな知り合いが居れば友達の一人にでも自慢したくなるくらいである。

 

「私もアイギスと同じ高等部三年の岳羽ゆかり。よろしくね」

 

 短すぎるミニスカートにピンクのカーディガン。ルックスも整っており紛れもなく美少女に分類するゆかり。アイギスに勝るとも劣らない容姿であり、人によってはアイギスより彼女の方がタイプと言う人もいるだろう。そしてその美貌ゆえの自信からか、すらりと伸びる長い脚を惜し気もなく大胆に晒している。大抵の男はそれで目を奪われるに違いない。

 

 しかし容姿もスタイルも抜群なのだが何か物足りない感じがするのは何故なのか。ほむらはマミを見てからゆかりに目を移し、何が足りないのか気付いて自身にも幻滅した。

 

「ゆかりちゃんと同じ高等部三年。山岸風花です。よろしく」

 

 明るい緑色の髪をした小柄な少女、山岸風花。線の細い華奢な体つきからどこか小動物に似たか弱さが漂う。身長もまどかと並べばほとんど大差はない。

 

「今は大学生の真田明彦だ。よろしくな」

 

 次に白髪の頭に赤いベストを着た大人びた少年。むしろ青年と表現する方が正しく思える。引き締まった筋肉が衣服の上からでも確認できるがっちりとした体つき。このメンバーの中で最も戦うための肉体を持っている真田、ただの自己紹介をするだけでも他とは画の違う貫禄がほむら達に伝わった。

 

「皆年上のお兄さんお姉さんだよ」

 

「う、うん」

 

 ほとんどが高校生の年上でまた緊張を覚えるまどかとさやかの二人。ちらりとほむらがマミを見てみると、表向き落ち着いているように思えるが目が泳いで内心ドキドキしているのが見て取れる。どれだけ戦いの場数を踏んだ数が多かろうと、年上で大勢の人との会話に疎ければ頼りになるマミでもこうなってしまう。

 

 普段あんなにも頼りになるマミの姿を知っているだけあって今のマミがなんだかほむらは可笑しく思えた。

 

 そして最後は腕組みをしたままヒールの高いブーツを鳴らして歩いていた美鶴。こちらも真田と同じ、またはそれ以上の貫禄が滲み出ていた。並の人間ではないようなオーラを纏っているのとは裏腹に、長い前髪に隠れた目は穏やかで大人の余裕さがある。

 

「私も同じ大学生の桐条美鶴だ。よろしく頼む」

 

「ん? ぅん!?」

 

 美鶴の名を聞いてさやかが思わず唸った。さやかだけでなくマミとほむらもぴくりと眉を一瞬寄せて聞き間違いではないかと反応を見せる。今の発言を聞いて反応しない方が難しい名前だった。有名すぎて百人に訊いても百人が知っていると答える。それでもまどか一人だけは気付いていない。

 

「どうしたのさやかちゃん?」

 

「…まどか、これが本当だったら凄いよ」

 

 さやかは美鶴を真正面に見て恐る恐る聞いてみる。若干の畏れを孕んだような腰の引けた訊き方。

 

「桐条って…あの"桐条グループ"の桐条ですか?」

 

「そうだが、どうかしたのか?」

 

「うわ、マジで本当だった。す、すごい…」

 

 何の確認だという風に美鶴の頭の上にクエスチョンマークが浮かぶ。『桐条』の名が広く知れ渡っているのは日本だけでなく世界まで及んでおり、ただ名を聞いただけでそれほど驚くような事ではない。美鶴自身が『桐条』の名は知っている人は知っているくらいの認識でいるため、誇りはあっても特別などとは思ってもいない。それゆえ浮世離れした生活を送っていて世間知らずな面もあり、桐条と名乗る際でも気にすることもない。なのでさやかの訊き方に素直な疑問を美鶴は抱いた。

 

 驚くべきなのは、その『桐条グループ』の桐条美鶴がここに居ること。

 

「まさかこんな所で桐条グループのご息女さんと会うなんて…」

 

 さやかと一緒にマミも驚愕する。ほむらも信じられないと言ったように目を見開いて美鶴を足元から頭まで見直した。見た時から只者ではないとは思っていたが、目の前に立つ美鶴があの世界に名高い桐条グループの当主だったというのはほむらの予想の範疇を超えていた。

 

 三人が驚愕する中、まどかは確認を取ってもいまいちピンと来ないのかまだ分かっていない。理由も分からないが、動揺している三人の表情を見て取り敢えずまどかもそれらしい反応をする。傍から見てもまどかの取る反応があまりにも不自然なので、さやかが小声で耳打ちした。

 

「見滝原の都市開発のほとんどに桐条グループが関わってるの聞いたことない? つまり桐条さんはあの大企業の社長さんってこと」

 

「それ、すごい人じゃん…て、えぇっ!? 桐条さんってあの桐条グループの!!!??」

 

 ようやく美鶴がどの程度の知名度を誇っているのか気付いたまどかに、ほむらと美鶴以外は苦笑いを浮かべている。まどかは驚きのあまり二三歩後ずさった。後ずさるまどかがこれ以上下がらないようほむらはまどかの背中に手をおいて美鶴を見た。ほむらの美鶴を見る目はどことなく疑いを持ったような、あまり初対面の人に良い印象を与えないもの。しかしその目も悪意や敵意で向けているのではなく、桐条グループと聞いて何か古い記憶が思い出しそうになっているからだ。

 

(桐条、グループ……)

 

 何年前だったか。繰り返しすぎていつの事かも分からなくなる。そして今思い出そうとするそれが桐条グループに関係する事柄なのかすら怪しい。

 

(いつ……? 何だったかしら?)

 

 なにか思い出そうとするも、体感時間的に言うと本来の経過した時間より相当長い時間を体験しているので曖昧な記憶しか甦らず引っかかる。しかしさして重要そうにも思えず、今はどうでもいいので頭の隅に追いやった。この時、ほむらの僅かな表情の変化をアイギスは見逃していなかった。

 

 

◆◇◆

 

 

 一堂はマミに案内され30階建ては超える大きな高級マンションへ足を運んでいた。中に入らずとも外から見た通りに聳え立つマンションが高級であるのが言われずとも分かり、内装もかなり豪華な作りになっている。エントランスホールの天井からは眩しいくらいに光を乱反射するシャンデリアが吊るされ、その存在感を堂々と表している。フロントも装飾がなされ、大都市にあるホテルでもここまで凝っているとは思えないほどだ。中学生が住むにしては贅沢過ぎる気がしないでもない。

 

 二つあるエレベーターの間に設けられた備え付けのボタンを押して、5秒も待つことなく同時に下りてきたエレベーターに乗り込む。扉が閉まるとすぐに上昇しエレベーター特有の重圧が身を包む。数秒もすれば目的の階に到着して滞りなく降りた。

 

「いいのか、ここは君の自宅だろう?」

 

「気を使わなくても大丈夫です。どうせ私しか住んでいないですから」

 

 美鶴の浮世離れした私生活を何度か垣間見ている特別課外活動部の面々は然程驚くこともなく、すんなりとマミが高級マンションに住んでいる事を受け入れた。反対にごく普通の中学生のまどかとさやかはあまりの豪華さに感嘆の声を零したりと、当たり前の反応を示していた。むしろこちらの方が一般的であって、特別課外活動部の見せた反応の方がずれているとも言える。

 

「こいつは良いのかよ? マンションってペット禁止なんじゃねぇの?」

 

「普通の人には見えないけど、どういう分けか君達は当然のように僕が見えてる。僕はおろか魔女も使い魔、結界も普通見えるものじゃないんだよ? それに僕はペットじゃないから」

 

 『巴マミ』と表札のかけられた扉の前に着いた。マミが扉の鍵を開けて全員を招き入れる。パチパチと壁の右側に取り付けられているスイッチを入れて明かりをつけると、なんともオシャレに飾られた部屋が目に飛び込んだ。シンプルな装いの中に、エレガントさを匂わせるティーカップなどが壁に設けられた棚に飾られている。

 

 入る際、『お邪魔します』と一言挨拶をしてから足を踏み入れる。リビングまで案内されるとマミに適当にくつろいでくれと言われ、ソファーやカーペットの上に腰をかける。マンションながら中の空間は見た目以上に広い造りになっているが、さすがに何十人も生活するよう設計されていないので窮屈にも感じられる。

 

 リビングに十人も居れば息苦しさが目立ってくるものの、全員の意識はそこになく、本題のみに絞られているので気にした様子はない。来客へのもてなしの為ここの主はキッチンへと姿を消している。中学生にしてそこまでの気配りが出来ていることに関心しつつ待つこと数分。

 

「ろくにおもてなし出来ませんが」

 

 しばらくしてキッチンの奥から帰ってきたマミが全員分の紅茶とケーキを乗せたトレイをテーブルに置いた。白いお皿に乗せられたケーキは苺のショートケーキの切り分け。生クリームの甘い匂いとティーカップに注がれた紅茶の上品な香りが部屋に広がる。

 

 ケーキに最初に手をつけたのはやはりと言ったところか、あまり遠慮のない順平。つられて天田も一口食べて口元を綻ばせる。美味しそうに食べる天田を見て、我慢ならなかったのかさやかとまどかも食べ始めたが、少し遠慮がちで口に運ぶ頻度は二人に比べ低かった。

 

 ゆかりに風花も年頃の女の子なので甘いものに目がない。運動すれば太らないと自分を納得させて食べ進める。アイギスはケーキに手をつけず、ティーカップに注がれた紅茶だけを空にしていた。真田は出されたケーキと紅茶に対して礼を言って即座に平らげる、美鶴はソファーに座って紅茶を嗜む。それ以外は腕を組んだままの姿勢を維持している。

 

 

 

 

 

「じゃあ僕から説明するよ」

 

 用のなくなった食器やティーカップをマミが片付けてリビングに戻って来ると、テーブルの上にキュゥべえが飛び乗りそう言った。重さを感じさせない緩やかな跳躍をする白い獣からはどこか見る者に奇妙な虚無感が伝わってくる。

 

「マミ、ソウルジェムを出してくれるかい?」

 

 席に着いたマミは無言で頷いて左薬指に通している指輪の形を変え、机の上にオレンジ色に光る宝石を置いた。ほんのりと発光して呼吸するように強弱が繰り返される。まるでそれ自体が生きているかのようで明滅の強さも毎回違い、同じ輝きは繰り返さない。

 

「これはソウルジェム。僕との契約によって生み出す宝石だよ。魔力の源であり、これを持つ者が魔法少女であることの証さ」

 

 ソウルジェムの上にキュゥべえの小さな手が置かれる。それを見ながらさやかは眉を寄せた。

 

「契約って?」

 

「僕は君達の願いを何でも1つ叶えてあげられる。そして願いを叶えた替わりにこのソウルジェムを手にして魔女と戦って貰うんだ。それが僕の行う契約だよ」

 

 さやかの質問に間を置かずして答えるキュゥべえ。何度も言い慣れたようにスラスラと述べる様は、さながら営業マンのようだが遠慮や謙虚さがない。また今回が失敗しても別に宛があるのか、強い拘わりも見えない。故に契約が”誰にでも出来る”ものであると印象づけるには効果があった。しかし、いち早く反応したのはさやかとまどかとは違う輩だった。

 

「なんでもってマジかよ?」

 

 "なんでも"という言葉にさやか達より先に反応したのは順平。キュゥべえは表情こそ変わらないが、表情があれば苦笑いといったところだろう。順平もただどんな願いも叶うというキュゥべえの断言に本当かどうか気になったたけであり、契約して魔法少女になりたいなどの願望はない。

 

 それに今の順平に叶えたい願いもなく、興味本意で聞いただけで深い意味は本当にないのだ。

 

「残念だけど叶えられるのは女の子の願いだけなんだ」

 

「順平が魔法少女って……ハハッ」

 

 何を想像したのかゆかりが見るからに顔色を悪くして苦笑いする。それに同じくして風花も脳内に如何にもアニメや漫画に出てきそうなフリフリのついた可愛らしい服装に身を包んだ順平を思い浮かべ苦笑した。さらに天田から容赦ない追い討ち。

 

「想像するだけで気持ち悪いですね」

 

「ちょ、ヒドッ! なんかオレに対する当たり方今日キツくね!?」

 

 騒ぐ順平に真田が一喝を入れて黙らせる。順平は小さくなって黙り込み、目尻に涙を溜めて大人しくなる。

 

「なんだってかまわない。どんな奇跡だって起こしてあげられるよ」

 

「なんでもって、言われてもね…さやかちゃん?」

 

 まどかの語りかけにさやかは思い詰めた顔をしたまま目立った反応を返さない。ほむらはさやかのその変化を見逃さなかった。

 

「美樹さん、悩んだりするようなら魔法少女になんてなろうと思わない方が良いわ。それにまどかも」

 

「まぁ暁美さん。今は説明だけでも聞いてもらいましょう。契約するか決めるのはその後なんだし」

 

 キュゥべえはほむらを見る。ほむらは無言で目を細めてキュゥべえを睨み返す。それを肯定と受け取る。

 

「じゃあ続けるよ。願いを叶えるのと引き換えに出来上がるのがソウルジェム。これを手にした者は、魔女と戦う使命を課されるんだ…ここら辺はそこにいるほむらが先に説明してくれていたようだね」

 

「契約がなんなのか分かったけどさ、魔女って何なの? その魔法少女とは違うわけ?」

 

「願いから産まれるのが魔法少女だとすれば、魔女は呪いから産まれた存在なんだ」

 

「魔法少女が希望を振りまくように、魔女は絶望を蒔き散らす。産まれもやる事も全くの正反対。まさに私たち魔法少女の敵よ」

 

 マミがキュゥべえのあとを繋いで説明する。手本のように適切で物腰の柔らかな語りに聞き入る。皆マミの説明に納得のいったようにこくりと頷く。

 

「理由のはっきりしない自殺や殺人事件は、かなりの確率で魔女の呪いが原因なのよ。形のない悪意となって、人間を内側から蝕んでゆくの」

 

 さやかはどうしてそんな魔女に他の人は気付かないのかとマミに訊くと答えはすぐに返ってきた。しかし、答えたのはキュゥべえだった。

 

「魔女は常に結界の奥に隠れ潜んで、決して人前には姿を現さないからね。さっき君たちが迷い込んだ、迷路のような場所がそうだよ」

 

「迷い込んだんじゃなくて、あなたが誘導したんじゃないの?」

 

 間髪入れずに言う。若干の苛立ちが見え隠れする物言い。それに対してキュゥべえはさぞ心外そうに言った。

 

「誘導だなんて人聞きが悪いなぁ」

 

「でも、暁美さんが一緒に居たから一応大丈夫だったとは思うけれど。だけど危ないところだったのよ。あれに呑み込まれた人間は、普通は生きて帰れないから」

 

 さらりと、遠回しに『あと少し助けがなければ死んでいた』と言われ、まどかとさやかは背中に冷たいものが伝った気がした。

 

「これで僕たちからの説明は終わりだ。今度は君達の事を教えてもらうよ」

 

 ほむらにマミも神妙な顔で待っている。まどかとさやかもあの不思議な力に興味津々のようだ。まどかにさやか、ほむらにキュゥべえも一度アイギスと順平の力を見ているがマミ一人だけまだ見ていない。

 

「……今まで、夜中の午前0時に一度でも何か違和感を感じたことはないか?」

 

 最初に美鶴が口を開く。それはまどか達に対する素朴な質問をだった。一体どう美鶴達の使った力と関係するのか結び付きがつかず四人と一匹が揃って首を横に振った。それを見て美鶴もそうだろうと小さく頷いてみせた。

 

「それが…どうか?」

 

「少し前までは毎夜午前0時になると"影時間"というのが訪れていた」

 

「"影時間"…?」

 

 聞き慣れない単語にまどかとさやかが首を傾げる。マミも二つにまとめた髪を僅かに揺らした。

 

「一日と一日の狭間にあった普通ではない時間のことだ。機械の類いは全て動かなくなり、緑色の空気に包まれる。止まる物は例外なく時間までな…」

 

 それを聞いてほむらがアイギス達の面々を一人ずつ見た。時間が止まるなんて事象が自分以外の魔法で起きていたのにはまさかと思ったからだ。

 

「正確には私達が過ごしている普通の時間に午前0時のタイミングで割り込んでくる、本来なら存在しない時間と考えると分かり易いかもしれません」

 

「ま、気付かなくて当たり前なんだけどさ。影時間に適性のない人は棺桶の形になって寝てっからな。オレ達の場合は影時間に適正があっから動いてられたけど」

 

 それを聞いたまどかはぶるりと体を震わせた。

 

 "一日と一日の狭間にあった誰も気付かない時間"と至極あっさりと言うが、冷静に考えればそれはとんでもなく怖いことの筈だ。自分の知らないところで起きていたとは言え、確実に体験していたのだから。

 

 それもつい最近まで続いていた出来事という事もまどか達は知らない。そしてほむらも。

 

「影時間になると適性無き人間は棺になり、代わりに影時間のみ現れる怪物、"シャドウ"が活動を始めます。このシャドウというのはこれまで私たちの戦ってきた相手です」

 

「シャドウ…?」

 

「初めて聞くよ。君たちの扱う力と何か関係あるのかい?」

 

「シャドウとは人の心から生まれた怪物で、影時間に堕として人の精神を喰らって廃人にしてしまうんです」

 

「聞いたことないか。世間で騒がれていた"無気力症"ってやつを?」

 

「あっ! それテレビでもよく報道されてた! 確かその症状の人を影人間って呼んでるって」

 

 今年の2月中旬まで流行っていた謎の無気力症。世界規模で起きており、ここ見滝原も例外ではなく町中に影人間が溢れていた。数名の死者が出たものの、それが急激な回復傾向になったと報道されていたのは記憶に新しい。

 

「マミもあの時は魔女の活動が活発化したんじゃないかと騒いでいたね」

 

「あれにはびっくりしたわ。どこを見ても無気力症の人たちばかりで本当に焦ったもの」

 

 ほむらも街でなにが起きているのかはテレビなどを通してある程度知ってはいた。それに、入院中も無気力症らしき症状の患者も何人か搬送されて来ていた。

 

「それもヤツら、シャドウの仕業だ」

 

「そんなのが魔女の他にも…」

 

「そして、ショッピングモールで私が使った力が――」

 

 言葉を一度区切る。聞き逃すまいと魔法少女二人と一匹は前のめりになって耳を傾ける。

 

「”ペルソナ”。精神の具現化とも言われています。そしてシャドウを唯一倒せる力」

 

 ペルソナ。あの盾と槍を持った白装束の大きな女性のシルエットはペルソナと言うのか。他には黄金の翼を持った人型。見ただけで2体はこの目で見た。しかし、ペルソナと言われて見当もつかない者がその中に一人いた。その場に居合わせなかったマミだ。

 

 精神の具現化と聞いて、実物を見ていないマミが一人考えを巡らせる。使い魔が相手といえど結界の中で生き残るくらいだ。特殊な超能力のようなものを想像して期待を膨らます。

 

「なんか巴が分かってなさそうだし、もう一回見せた方が早いんじゃねえのか?」

 

 順平は立ち上がり、部屋を見渡す。天井やテーブルの位置を確認して皆の居るところから少し離れる。

 

「この部屋広いから…大丈夫、だよな?」

 

 何やら意味深な発言に真田が最初に勘づいた。真田の勘は当たっており、風花も何をするつもりなのかすぐに気付く。

 

「じゅ、順平君!」

 

「まさか順平おまっ――!」

 

 時既に遅し。順平はこめかみに召喚器を当てて引金を引く。あまり大きくない銃声とガラスが割れるような音と青い欠片が部屋を駆け巡った。

 

 

 

 

 

「馬鹿! 早くペルソナしまいなさい、危ないでしょ!!」

 

 ゆかりが順平の耳を力いっぱい引っ張り大声で叫ぶ。目尻を吊り上げて本当に引き千切らんとする形相。一層強く手に力が入ってゆかりの長い爪がめり込む。

 

「あたたたっ! 痛いってゆかりッチ、マジ耳とれるって!!」

 

「馬鹿かお前は! こんな所でペルソナを出すヤツがあるか!」

 

「順平さん、なにも今ペルソナ出さなくても?」

 

 天田が横目で順平を見る。美鶴も順平の行動に呆れて言葉も出ない。

 

 十一人は居る部屋にギリギリ収まって窮屈そうに順平のペルソナ、トリスメギストスがマミを見下ろす形で召喚された。巨大な黄金の翼が照明の陰になって部屋が暗くなる。

 

 マミはトリスメギストスに目を奪われていた。瞬きすらせず、硬直している。役目のないトリスメギストスは次第に半透明になり消えた。消える間際に『すごい』と感嘆の声を零すマミ。

 

「今のが、そのペルソナ…ですか? それを皆さん全員が…?」

 

 しばらくしてパチパチと瞬きをした。突然現れて消えた大きなシルエットを見て驚きを隠せない。

 

「ペルソナ…見れば見るほど興味深い力だよ」

 

 キュゥべえも感慨深いのか声色だけはいつもと違って聞こえる。

 

「へへ、カッコいいだろ? オレっちのペルソナ」

 

 ゆかりに引っ張られた耳が痛いのか涙目になっている。耳をさすりなが言うがカッコはついていない。

 

 これでアイギス達の扱う不思議な力、ペルソナの説明は一応終了した。

 

 

 

 

 

「......にわかに信じがたい話だよ。でも、あんなに魔法少女とかペルソナ見せられたら信じるしかないんだよね?」

 

 さやかがそう呟く。なんの前触れもなく色々と現実離れしたものを見せられれば誰だってそうなる。かくいうほむらもそうだ。初めて魔法少女の存在を知ったときは今のさやかと同じ状態だった。

 

「みなさんはそんなのと戦ってて、怖くないんですか…?」

 

 日常の裏に隠されていた真実とそれを守る存在。魔女やシャドウと戦っていると言われればまどかも心配になってくる。

 

「怖くない筈がない。だが我々には命を預けられる仲間がいる。恐れることではないさ」

 

 目を閉じて美鶴が誇らしげに語った。共に1年間一緒に戦ってきた仲間には心から信頼を寄せている。気負うことなく背を任せられるまでの関係は特別な結束がなければ到底成し得ない。端から見てもそれだけの結束力があるのは分かる。

 

 だが、マミはその場に居るのが苦痛なのか、ティーカップを見るふりをして目を伏せた。さやかがそんなマミの顔を覗き込む。

 

「マミさん…?」

 

「あ、ううん、何でもないから心配しないで」

 

 はっと振り払ってさやかに心配ないと笑みを返した。先輩としてちゃんとした対応をしなければと思い、マミはつい声を低くする。

 

「ええ、鹿目さんの言うとおり…怖いかもしれない。だからあなた達も、慎重に選んだ方がいい。キュゥべえに選ばれたあなた達には、どんな願いでも叶えられるチャンスがある。でもそれは、文字通り死と隣り合わせなの。叶えたい願いがないなら不用意に踏み入れるべきじゃない。…けど仲間がいれば確かに安心出来るわね」

 

「…ほむらちゃんもそんな危険なことを?」

 

「ええ。だから貴女は魔法少女なんかになろうなんて思わない方がいいわ」

 

 ほむらもマミの考えには諸手を挙げて賛成だ。叶えたい願いごとがないのに無理矢理魔法少女になる必要はまったくない。しかし余計なことを口走る者がいた。

 

「そこで提案だけど、二人ともしばらくマミの魔女退治に同行するというのはどうだい」

 

「えぇ!?」

 

「えっ?」

 

 ここでキュゥべえが営業熱心な一面を見せた。星の数ほどいる人間の中でも素質のある女の子は稀有な存在であると同時に魔女退治に持ってこいだ。キュゥべえからすればなんとしても契約してもらいたい。契約を促すためにあの手この手で誘惑する。

 

「魔女との戦いがどういうものか、その目で確かめてみればいい。そのうえで、命を懸けてまで叶えたい願いがあるのかどうか、じっくり考えればいい」

 

「なにを言っているの! わざわざまどかを危険な目に遭わせる必要なんて!」

 

 隅の方でさやかが『……え、まどかだけ?』と呟いたがどうでもいい。イレギュラーなペルソナ使い達も蚊帳の外にしてほむらは激昂する。

 

 身を乗り出しかけたほむらをマミが片手で制した。

 

「暁美さん。危ないかもしれないけど鹿目さん達はキュゥべえに選ばれたのよ? 遅かれ早かれ現実を知っていた方がいいわ。もちろん安全は私が命を懸けて保障する。それとも、鹿目さんや美樹さんに契約されちゃ拙い事でもあるかしら?」

 

 大きな胸を張ってそう答える。確かにマミ程のベテラン魔法少女なら二人を守りながら戦いで勝利を納めることは出来るだろう。だが――

 

(その慢心のせいで貴女の命が…。それに現実を知っても真実を知らないんじゃ。その質問にだって答えられる訳……)

 

 と、そう言ってやりたいが口が裂けても言えない。反論する言葉が浮かばず、ほむらは自分の不甲斐なさを恨む。

 

「まどかも安心すればいい。マミの魔法少女としての強さは折り紙つきだ。そこらの魔女なんかに負けないよ」

 

「そこまで、言うんなら…」

 

 まどかがキュゥべえの口車に乗せられて承諾しようとした矢先、ゆかりが割り込んだ。

 

「うわっ、ヤバっ! もうこんな時間じゃん!」

 

 携帯を開いて見る。窓の外を見るとすっかり空は群青色に覆われ、時刻は6時30分を回っていた。電車のことも考えるとそろそろアイギス達は帰ったほうがいい時間帯。ゆかりや順平は寮生なので尚更早く帰るべきだ。

 

「そうね。今日はもう遅いからこれくらいにしておきましょう。詳しい話はまた後日に」

 

 マミもさすがに魔法少女でもなく、見滝原の外に住むアイギス達をいつまでも引き留めておく訳にもいかないので帰すことにした。

 

 スッと立ち上がってティーカップと皿を手際よく片していく。ほむらも一度に片しきれなかった残りの食器をマミの後ろについて運ぶ。マミは気を使わなくてもいいと言うが、勝手ながらマミと絆を繋ぎたいために行っているのでやめる気はさらさらない。関わりは強く持っておく方がいい。

 

 紅茶とケーキが美味しかったとお礼を言うまどかとさやか。やはりいつ食べてもマミの出すケーキは美味しいものだ。繰り返していてもそう思えるのだからきっと誰が食べても口を揃えて美味いと言うだろう。

 

「ふふ、どうもありがと。それじゃ気を付けてね」

 

 玄関に立って扉を開ける。出る間際に軽く会釈をしてマミにさようならと言って出ていく。マミも笑顔で見送る。ほむらもまどかの後に続いて出ていく。

 

「お邪魔しました…」

 

「ええ。気を付けてね」

 

 会釈をするも、こちらもにこにこと明るい笑みを向けてくる。いかにも年相応の少女らしくて、儚く壊れてしまいそう。優しい先輩だったマミ。魔法少女の時と今のギャップが一緒に戦っていた昔のことを思い出す。

 

 まどか達二人とほむらは二つあるエレベータの内一つを使って降りた。アイギス達はまだ玄関に残っている。

 

「すまないな。大勢で騒がしくしてしまって」

 

「いえ、そんな。いつも一人なんで、なんだかとても楽しかったです」

 

「そうか」

 

 美鶴はほんの少し間をおいて返答した。それ以上は何も言わず背を向けヒールのこつこつと床を蹴る音を立てて扉を出る。全員が出たのを確認して振り返る。

 

「では私達もこれくらいで引き揚げるとしよう。…それと、君の煎れた紅茶、とても美味しかったよ。実家のメイドに引けをとらないくらいだ」

 

「そんな! ありがとうございます!」

 

 照れたのか顔を赤くするマミ。それを見た美鶴はおかしかったのか、ふっと微笑する。

 

「じゃあな」

 

「はい」

 

 見送りをして誰も見えなくなっても、玄関の外に立ちつくす。冷たい風が足を撫で体温を奪う。家には誰も居ない。マミは小さく溜め息を吐いて玄関の扉を閉めて自宅に戻った。

 

 

◆◇◆

 

 

 来客が帰ってから数十分。マミ以外の気配がなかった部屋に一つ気配が増えた。

 

「マミ、話がある」

 

「どうしたのキュゥべえ。改まって?」

 

 洗い物を済ませて一服の紅茶を煎れるマミ。リビングのテーブルの上にキュゥべえが座っている。大勢で囲んだ三角のテーブルがいつもより大きく見えたのは目の錯覚だろうか。

 

「暁美ほむら。彼女についてなんだけど」

 

 キュゥべえにも紅茶を煎れようかと訊いてキュゥべえに『別にいいよ』と首を振って断られた。一人分のティーセットをテーブルに置いてクッションに腰を掛ける。

 

「ええ、暁美さんね。私も気になってたわ」

 

 温かい紅茶を口に含んで舌全体で堪能してから飲む。騒がしかった部屋には二人。正確には一人と一匹しか居らず、寂しさを覚える。

 

「それなら話しは早い。実は――」

 

 

 

 

 



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 魔女裁判(2010,5/7)

今日は第三章上映開始!



 

 

 

 今から2年前。家族でドライブに出掛けた際、大規模な交通事故に巻き込まれた。

 

 お母さんとお父さんはその場で命を落としたけど、私はなんとか一命をとり止めた。でも助けがなければそこで衰弱して死んでしまうような状況。確かここで初めて"死"の恐怖を覚えたんだったかしら。

 

 お母さんとお父さんの遺体を前にして、それを悲しむより死ぬ事が何より怖かった。自分もこんな風に冷たくなってしまうのか、ってね。両親の心配より自身の保身を考えてたなんて、今考えれば最低な娘だと自分でも思うわ。

 

 それはさて置いて、そこで偶然にもキュゥべえと出会った。死ぬのが怖かった私はキュゥべえに生きたいと願って生き延びた。その時から私は魔法少女として、魔女を狩る日々を送り始めた。

 

 私の魔法はリボンを操る魔法。途切れかけた命を再び繋ぎ止める為の。

 

 最初はやっぱり魔女との戦いはとっても怖かった。けど多くの人々を救う内に、それが私の役目なんだって思えて次第に怖くはなくなった。きっと戦いに打ち込んだのも両親の死を忘れたかったからなのかもしれないわ。一人で居る時なんてよく寂しくて泣いてたもの。

 

 それから1年くらい経ってからの事。なんとか一人で戦ってきた私に初めて魔法少女の友達ができたの。

 

 その子は隣町の教会に務める牧師さんの娘。明るくて素直で私の振る舞う手作りケーキを美味しそうによく食べる元気な女の子。話もよく合って親しくなるのもすぐだった。彼女も私同様、街の人々を魔女から救うことを魔法少女の使命だと考えて戦ってくれた。人一倍正義感の強くて私の善きパートナーだった。

 

 そう、善きパートナーだったわ。

 

 突然その子に使い魔も倒す考えを正義ではなく"偽善"だって言われた。そう言われて私は傷付いた。けれどそんなことを言うのにちゃんとした理由が彼女にもあるはず。だからたとえ"偽善"と言われても私はそれでもその考えを曲げるつもりはない。"偽善"でも善は善なのだから。

 

 彼女と衝突した理由は自分の願いで家族を失ってしまった事。他人の為に使って後悔するなら魔法の力は自分だけの為に使う。だから私とのコンビを彼女は解錠したいと。

 

 結局彼女を止めるなんてことは出来ず、それからまた私は一人になった。私の魔法はあらゆるものを繋ぎ止める魔法なのに。命は繋げても人の心は繋げない。

 

 一人ぼっち。

 

 独りは、嫌。

 

 

◆◇◆

 

 

2010年5月7日・金

 

 夜は去り、我が物顔で太陽が昇り始めるのと同じくして、雀の囀りが閉められたカーテンの隙間を縫って朝日と一緒に部屋に入り込む。そこは大小様々な可愛らしいぬいぐるみが幾つも並べられた、まさに女の子が住むプライベートルーム。目覚まし時計が7時を指した瞬間、ジリジリとベルが容赦なく朝の静寂を掻き乱す。窓際に備え付けられたベッドの上にもたくさんのぬいぐるみが置いてある。その内一つのぬいぐるみが揺れて倒れた。

 

「あっ、んん~」

 

 もぞりと布団を押しのけて体を起こすのはぐしゃぐしゃな寝癖がついたまどか。目覚めは悪く、油断するとうっかりベッドへ身体を預けそうになる。昨日自宅に帰った後の夜は色々と頭の整理がつかず、いつも通りなら日付けが変わる前に眠りに落ちるのだが、時計の短針と長針が重なり真上を指しても眠れなかった。むしろ昼間に起きた事ばかりがぐるぐると巡り頭が冴える一方だった。

 

 純粋な寝不足。最後に時計を見たときの時刻は確か、午前1時を通り過ぎていた気がする。正直まだ安眠を貪っていたいところだが、生憎学校に通わなければならない。支度を始めれば丁度いい登校時間になるだろう。まどかは覚醒しきらない目を擦りながら目覚まし時計を止め、ふと数ある内一つのぬいぐるみを見た。汚れ一つない純白の毛皮。背中に赤い円の模様。猫のような形で尻尾をくるりと巻いて眠っているように見えるそれ。まるで本当に生きているのか体にあたる部分は上下している。

 

「なんでここに居るの?!」

 

 いつの間にベッドに潜り込んでいたのかキュゥべえが気持ち良さそうに眠っているのを見て眠気は吹き飛び完全に目が覚めた。

 

 

 

 

 

「ねぇ、ママ。わたし昨日すごい人と会ったんだ!」

 

 寝間着から着替え、シャツとスカートに衣装チェンジしたまどかは洗面台で化粧をする母、鹿目詢子にそう切り出した。母である詢子とまどかは大の仲良し。会話の内容といえば恋バナに花を咲かせる事もあれば、普段の学校生活から人生相談まで多種多様。 そんな詢子は常に家族を第一に考え、大切な娘と息子には惜しみない愛情を注ぐ。

 

 朝の会話も他愛ないが大事なコミュニケーションの一貫。適度に怒り、適度に甘やかす。良き母親である詢子はマスカラでまつ毛を整えながら信じていない風にまどかに訊く。

 

「ふーん、まどかがすごいって言うんなら演歌歌手とかそんなんじゃないの?」

 

「もぉ、そんなんじゃないってば。本当にもっとすごい人だよ」

 

「へぇ、まどかがそんなに言うならそのすごい人って誰なわけ?」

 

 詢子は妻にして一家を支える大黒柱。企業に勤めるバリバリのキャリアウーマン。夫も以前は働いていたが自分が働きたい為に専業主夫をやってもらっている。そして今日は会社で今後の方針を決める重要な会議がある。早朝から気を引き締めてシミュレーションを何度も頭の中で行い準備は万端。並大抵の事では今日の詢子は驚きもしない程、意気込んでいた。

 

「えっとね、桐条美鶴さんって人。これってすごいよね!」

 

「…えっ?」

 

 ぽろりとマスカラが手元から滑り落ちる。芸能人とでも街で会ったかと予想していたばかりに聞き取れたものの、一瞬まどかが何と言ったのか理解が及ばなかった。

 

 

 

 

 

 場所は鹿目家の自宅から移り、見滝原中学へと続くいつ見ても変わらない通学路。昨日と同じようにまどかはさやかと仁美の後ろから追いかけるようにしてやって来た。

 

「おっはよう~」

 

「おはようございます」

 

「おはよ…うえ?」

 

 眠そうな目をしたさやかも振り返って挨拶を返すと、普段見慣れない物を目にして言葉が詰まった。白い毛皮に包まれ、ルビーのような赤い目をした生き物。

 

「おはよう、さやか」

 

 そう、キュゥべえがまどかの肩に当然のように乗ってきていたのだ。危うくキュゥべえを指差しかけるのをさやかはなんとか抑え、昨日キュゥべえが言っていた事を思い出す。『普通の人には見えない』とマミの自宅を訪れる際にそう説明していたのを。アレが普通に見えるものならさやかより先に振り向いた仁美が驚く筈だ。

 

 とは言え、当たり前のようにまどかの肩に乗っているのは意識せざるを得ない。肩に乗るキュゥべえへ不自然に目が行く。

 

「どうかしましたか? さやかさん」

 

 きょとんとした表情で首を傾げる仁美。魔法少女としての素質が乏しい仁美にはキュゥべえが見えていない。見えないのなら誤魔化すのにそう苦労はない。またここに来て見えているのが自分達だけというのに特別な様に思え自然と笑みが零れる。

 

「あっ、あははは。なんでもないから気にしないで! いやー、今日は天気がいいなー!」

 

 咄嗟に笑って誤魔化した。普通とは違う特別さというのが何だか面白くなり、テンションが上がる。急に笑い出したり上機嫌になるさやかに仁美が心配そうに様子を伺う。

 

「本当ですか? なんだかさやかさん、眠たげな目をしていたのに、まどかさんを見ると突然元気になったり、何か昨日ありましたの? 昨晩は遅くまで考え事をしていたと仰っていましたし…わたくしに相談しても構わいませんのよ?」

 

「えっ? そんなに今のあたしおかしかったかな? いつも通りだと思うけど。んふふ」

 

 さやかもまどかと同じく、昨日の出来事が頭から離れず夜中まで眠れていなかった。異なる点を挙げれば、さやかの場合はまどかのような整理がつかず落ち着かなかったのではなく、単純に魔法少女やペルソナといったものが刺激的過ぎて興奮により寝れなかったのだ。朝起きた時は壮大な夢を見ていて全部自分の妄想だったのではないかと心配した。迷い込んだあのグロテスクな迷路には怪物も居り、現実離れし過ぎて夢だと言われると納得も出来てしまう。ペルソナ使いの人達もどこかで見た人をそう捉えていただけかもしれない。雲の上の存在、桐条グループの当主である美鶴がペルソナ使いと言うぶっ飛んだ配役なので、目が覚めると興奮ばかり覚えていても自分の記憶に自信が持てなくなってきていた。

 

 しかし、それもまどかと一緒にキュゥべえを見たのでそんな心配はすぐ消滅した。あの迷路の中で二人一緒に怯えていたまどかがキュゥべえを連れて登校して来たのだから。昨日の出来事が嘘じゃないと確信でき、昨夜の興奮がぶり返してハイテンションになる。ナチュラルハイ。俗に言う深夜のテンションがさやかに再発していた。

 

『さやかちゃん、その笑い方なんか怖いよ?』

 

 少しエコーの効いたまどかの声がさやかの頭に響く。耳から聴こえたのとは違い、まるで脳内に直接声が届いているかのよう。

 

「まどか何か言った?」

 

 不思議な感覚にさやかはついまどかに訊く。聞き間違いかもと思ったので訊ねたが、まどかはにこにこと笑っているだけで口を開かず返事がない。

 

『頭で考えるだけで話せるんだって』

 

「うおっ!」

 

 驚きの余り声が出る。一人リアクションをするさやかに仁美が本気で心配し始める。話さないまどかとハイテンションなさやか。仁美は口に出さないが、とうとう何かのストレスでさやかの頭がやられてしまったのではないかと可哀想な事を考えられる。

 

『ホントだ。いつの間にこんなマジカルな力がわたし達に!』

 

『でしょ。キュゥべえが中継してくれてるらしいんだけど、内緒話には丁度いいかも』

 

『君達に馴染みやすい言い方をすれば、テレパシーってところかな』

 

『へー、なんかキュゥべえ見直したかも』

 

 言葉を交わさず意思の疎通を可能にするキュゥべえの特殊な能力。そんな通常有り得ない現象にまどかと目を合わしてくすりと笑う。視界の隅に放ったらかしにしてしまった仁美を見てみる。仁美は口元を手で隠し、知ってはいけない秘密を知ってしまったかのような顔でさやかを見て固まっていた。

 

「ひ、仁美? どうかした?」

 

「…お二人の方こそ、さっきからどうしたんです? しきりに目配せしてますけど、まさか二人とも、既に目と目でわかり合う間柄ですの? まあ! たった1日でそこまで急接近だなんて。今まではそんな素振りは見せなかったのに、昨日はあの後、一体何が!!」

 

 傍から見ると、急に黙り込だと思えばアイコンタクトをして目だけで会話をする親友である女子中学生のさやかとまどかの二人。顔を合わせて笑いあう。それはまるで二人で甘くデンジャラスな一夜を過ごし、お互いその余韻に浸っているように見える。まどかの顔を見ると途端に上機嫌になり、言葉なくして目だけで意思を伝え合う。少なくともそっち方面に興味がない事もない仁美の目にはそう映ってしまっていた。

 

「え? いや、これは…あの…その…」

 

「はっ! 考え事というのは、一線を越えてしまったまどかさんとの今後の関係を!」

 

「いやいやいやいやっ! 流石にそんなのないって仁美! あんた朝から何言っちゃんてんのよ!? けどでも、色々あったのは否定できないのが痛い!」

 

「確かにいろいろあったんだけどさ、あはは」

 

 苦笑いで答えるも、訊いてきた仁美本人は自分の世界に入り込み聞いておらず、半歩後ろへ下がって身を引いた。芝居がかった大袈裟な身振りと言動をする仁美にまどかもさやかもどう対処すればいいのか分からなくなる。こうなった仁美は誰にも止められない。

 

「でもいけませんわ、お二方。女の子同士で! それは禁断の、愛の形ですのよ~!!」

 

 そう言い残して仁美は持っていた鞄をその場に残して走り去ってしまった。走りながらも何か叫び散らしてどんどん聞こえる声が小さくなっていく。

 

「鞄忘れてるよー!」

 

 もう互いの声が聞こえない所まで行ってしまい、さやかが言っても仁美は振り返らなかった。姿が見えなくなって持ち上げた仁美の鞄を下ろしてさやかは立ち尽くす。まどかも仁美を追い掛けるべきか分からず、さやかに並んでいる。仁美のああいった奇行は稀にあり、どれも女同士で繰り広げられる恋愛絡みの事がある時である。ほとんどは仁美の勝手な解釈の違いと妄想による捏造で実害を伴うことはない。が、今日一日はこの事で弄られてしまいそうであった。

 

「一体どうしたんだい。今の子はヒステリーか何かかい?」

 

 仁美が居なくなった事により、キュゥべえはテレパシーではなく直接話し掛けてきた。さやかも『あたしも時々分かんなくなる』と肩をすくめて言った。仁美の親友だからこそ分かるのは、仁美は自分達に到底理解する事が出来ない価値観と世界観を持ち合わせており、時折それに目が眩んで自分の世界に入り込んでしまう。その価値観と世界観を共有するのは二人にはまず不可能。共有できる人が居てもそれは相当の猛者であるに違いない。こんな風にさやかとまどかに仁美は捉えられているが、これを仁美が晒し出しているのは親友だからこそだ。

 

「随分と楽しそうね」

 

 仁美を追いかけようとした時、背後からの声に二人が振り向いた。黒い髪を風に任せてなびかせながらほむらがやって来た。烏の濡れ羽のように艶やかな黒髪が朝日に映える。髪を手櫛で解く仕草の一つ一つが上品さを際立たせる。

 

「あ、ほむらちゃんおはよう!」

 

「おはようほむら!」

 

「おはようまどか。それに美樹さんも」

 

 穏やか笑顔で挨拶を返し爽やかに振る舞う。先の仁美の騒動もほむらが居なかったからこそのものだったが、ほむらは影からその一部始終を見ており、仁美が居なくなるタイミングを見計らって声をかけた。気配を断つなど魔法少女のほむらにとって簡単な事だ。なおのこと、あんなテンションだった仁美が気付くわけもなく身を潜めるのは容易い。

 

 仁美は二人の親友の立場にある。その親友との会話も二人にとってありふれた日常にすぎない。まだ魔法少女から手を引ける二人の日常。それを実感、もとい邪魔しない為にほむらは話しかけるのを待った。そんな考えも目の前に居る真っ白の獣が見事にぶち壊していたが。

 

「やぁ、おはよう暁美ほむら」

 

 ひょこっとまどかの肩から顔を出す。キュゥべえと目を合わせるものの、反応は示さない。唇を結んで喋らない。朝から不機嫌になる。これさえ無ければほむらの気持ちはどれほど晴れやかであろうか。故に口も聞きたくない。

 

「…」

 

「無視かい? 挨拶くらいしてくれてもいいんじゃないかな?」

 

「……あら、あなた居たの? 全然気付かなかったわ」

 

 さぞかしどうでもよさげに嘘をつく。相手にするだけ時間の無駄にしかならない。ほむらは朝から目障りな物体を見て気分が悪くなる。気を紛らわす為キュゥべえのすぐ隣のまどかを見て癒し不快感を払拭した。

 

「急がないと遅刻するわよ?」

 

「急いだ方が良さそうなんじゃない、さやかちゃん?」

 

「ヤバっ! また遅刻なんて洒落になんないじゃん!?」

 

 ほむらが腕時計を二人に見せる。少し急げば間に合う時間だがさやかは遅刻の前科でもあるのかかなり慌てている。走り出す二人のペースに合わせてほむらも横に並ぶ。まどかの肩に乗るキュゥべえを横目に見ながら。

 

 

 

 

 

 教室のスピーカーからチャイムの音が鳴り響く。今朝は遅刻することなく普段通り登校時間に間に合い、授業を受けていた。そしてこのチャイムは午前中の授業終了を告げる一日の節目のチャイム。つまり昼休みだ。昼食も食べず外に遊びに行く生徒もいれば、雑談を交わす生徒もいる。

 

「貴女達、巴さんについていくつもり?」

 

 ほむらはテレパシーを使わずに口頭でまどか達に訊ねた。丁度二人とも弁当を持って席を立つところだった。

 

「え、うん一応そのつもりだけど」

 

 取り敢えず選び出した答えなのだろうがほむらにしてみれば、その選択は間違っている以外の何物でもない。それを聞き眉間に手を当てて半分呆れながら言う。

 

「魔法少女の戦いを興味本意でついて行くつもりなら止めておきなさい。本当に命懸けなのよ? どんなに叶えたい願いでも魔法少女とは釣り合わない、後できっと後悔するわ」

 

 何度も繰り返して言ってきたことなので、半ば口癖みたいに自然と出てくる。これでこの二人を説得できるものならどれだけ嬉しいことか。そうなればほむらは泣いて喜ぶ自信がある。しかしそう上手くいく筈もなく、後悔する理由を語らず結論だけを言うほむらの言い分に疑問を感じてしまう。

 

「後で後悔するって言われても…」

 

 良く解らないのか小さく呟くさやか。まだこの頃には言葉の真の意味は理解できないが、万が一魔法少女になってしまえば嫌でも思い知らされる。それを知っているからこそ遠ざけたい。

 

 まどかは少し陰の差した顔でほむらに上目使いで見た。保護欲を誘う弱々しい表情。発せられる声も非常に小さいものだ。

 

「ほむらちゃんは来てくれないの?」

 

「えっ?」

 

 期待と不安の両方を交えた眼差しをほむらに向ける。予想出来ていたようで、予想出来ていなかった切り返し。どう返そうか迷って頭の中で言葉を選ぼうとするもまどかが先に続ける。

 

「そんなに危険ならほむらちゃんも来てくれたら安心だなぁって…。ほむらちゃんが危険だってそう言ってくれてるから、本当は行かない方が良いとは思うんだよ。でもね、マミさんがもう無関係じゃない。わたし達自身の事だって、言ってたから…。だから自分で決めた方が良いのかなって…」

 

 後半は声が小さくなり過ぎてほとんど聞き取れなかったが、まどかの言いたいことは分かった。なにが正解なのか自分では分からない状況。先輩のマミには自分で決める事、と言われ今頼れるのはマミと同じ魔法少女のほむらしかいない。

 

 不安なのだろう。唐突に魔法少女になって魔女と命を賭けて戦ってくれと言われたのだから。魔法少女は確かに正義の味方と言ってほぼ差し支えない存在。対して魔女は真反対の悪しき存在。まどかは人を脅かす魔女が居ることを知っており、それを倒す術を手に入れられる立場に在りながら迷っている。『命を賭けて』というのが余りに重く、決断を下せない。だがその間にも魔女は人を襲い続ける。ある種の罪悪感に苛まれている。

 

 ここでほむらが正しい方向へ導かなければまどかは取り返しのつかないことになってしまい、ほむらも絶望するだろう。中途半端な覚悟や迷いのある状態で魔法少女になってしまえば何も実らない。慎重に慎重を重ねて石橋を叩き壊し、鉄橋に作り直すつもりでいかなければならない。

 

(まどかには命を賭けてまで叶えたい願いがない。けれど知っているのに何もせず見過ごすのもしたくない。ジレンマね。…貴女は相変わらずお人好しで優しすぎるのよ……)

 

 穏やかな笑みを漏らす。誰に対しても優しく、慈悲深い。一体どうすればこんなにも穢れなく純粋な少女に育つのだろうか。こんな彼女だからほむらは心から救いたいと思える。

 

「分かったわ…まどか。私も貴女達に着いて行く。代わりにこれだけは約束して頂戴。貴女のことは私が必ず守るから、何があっても今は魔法少女にならないこと。約束できる? 魔法少女になんかならなくてもいいの」

 

 まどかの揺れる双眸をまっすぐに見る。

 

「う、うん、約束するよ。ほむらちゃん」

 

「なら良かった。美樹さんも分かった?」

 

「うんうん。聞いてるよ」

 

 かくかくと首を縦に振るさやか。ちゃんと聞いていたか安心出来ないがなんとか魔法少女になる事を形だけ防いだ。口約束といっても魔女と戦う魔法少女のほむらからの約束。思い切った行動には出にくくなる。まどかなら尚更、ほむらの言った言葉を思い出して契約はしない筈だ。

 

「話は変わるけど、これから二人はお弁当? よかったら私も一緒にいいかしら?」

 

 「うん! いいよ! わたし達もほむらちゃんを誘おうとしてたから」

 

 ほむらの手には既に弁当箱がぶら下がっている。話すついでに誘うつもりでいたが、杞憂だった。そして魔女退治に同行してもらえ、お昼ご飯もほむらから誘ってもらえたのがよほど嬉しかったのか、ぱっと表情を明るくするまどか。

 

 気分を良くしたまどかに手を取られぐいぐいと引っ張られる。教室を出て向かう先はどうやら屋上らしい。屋上なら景色も良いし、反して人気が少ない。あそこであればあまり人に聞かれたくない内容の話しも気兼ねなく出来る。ほむらはそう考えて歩くが、まどかとさやかの二人がそんなつもりで屋上に誘ったかは解らない。

 

 何段も続く階段を上り扉を開ける。扉を抜けた先は陽の光がさんさんと降り注ぐ晴天が待ち受けていた。屋上はとんでもなく広い。校舎の建つ面積と同じだから当然なのだが、教室同士を仕切る壁の一切がないので端から端まで見渡せてしまう。見渡すと必ず目に入るのが落下を防ぐ為に設けらているフェンス。そのフェンスは金網で作られた簡素な物ではなく、金属と大理石で成された華美なものだ。目測で視ても高さは最高で4メートルは越えている。装飾にも気合いを入れて拘わっているのか、どこか外国のお城をモチーフにしたようなまでに豪華。

 

 大理石のベンチに座り三人揃って弁当を広げる。ベンチはゆとりがあり、少し詰めればあと二人は座れる。『いただきます』と食材となった色々なものに感謝を告げ、お箸を使って口へと運ぶ。和気藹々と会話を始めてからしばらくの沈黙。食べ終えて弁当箱を片付けていると視線に気付いてそちらを見た。

 

「美樹さんどうかしたの? 具合でも悪いのかしら?」

 

 さやかがお箸を片付けるのを止めてじっと見つめてきていた。何事かと思い問い掛けると慌てて首を振る。

 

「いやなんでもないんだけどさ、どうしてなのかなって思っただけ」

 

「どうして?」

 

「うん。…ほむらってさ、あたし達には後悔するから魔法少女になるなって言ってるけど、あんたは後悔してたりするの? 魔法少女になったこと」

 

 どくんと鼓動が一際大きく打つ。まさかさやかにそんな事を聞かれるとは思わなかったのだ。魔法少女となって後悔しているかと問われると、ほむら自身後悔しているつもりはない。望んで今の出口がろくに見つからない迷路に挑んでいる。だがさっき教室で二人に後悔すると言ったが、自分は後悔していない。明らかな矛盾。

 

 しかし魔法少女となった以外であれば後悔している点が一つだけある。それは望んだ奇跡を得られない願いを叶えてしまったこと。ほむらの願いが叶っているからこそここに居る訳だが、最終目的のまどかを救うに至っていない。最初の世界でやり直すのではなく、単純にまどかを救うことだけを願えば今の終わりの見えない旅をせずに済んだ。まどかを何度も死なせずに済んだ。そう、ほむらの後悔とは結果を求めず手段を叶えたことにある。

 

 そんな過ちを二人にして欲しくない。ほむらはさやかの隣に座るまどかを伏せ目がちに見る。

 

「私は…後悔しているし、後悔していない。ただ自分の事なんて考えず素直に願いを叶えれば良かった、なんてくらいには思ってるわ」

 

「その素直にって自分の為にってこと?」

 

「あながち間違ってはいないわ。私は欲張り過ぎたのかもしれないのよ。でも例え自分の為に願いを叶えるとしてもこれだけは言っておくわ。絶対不幸になる。貴女だけでなく周りもね」

 

 さやかの目から逸らさず奥底を覗き込む。青い瞳もしっかりとほむらの目を見つめ返してくる。だがさやかにはまだほむらの言っている意味を言葉の通りに受け取り、ほむらの伝えたい事を理解していない様子。自分の為なら魔法少女になってもいい、そんな捉え方。

 

「貴女にわかり易く言えばキュゥべえの起こす奇跡はゲームでいうチートよ。裏技じゃなくチート。本来有り得ない奇跡を叶えるというのは、それと同じ。一度でも非合法なチートを行えばソフトには致命的な被害が発生してバグが起きる。このバグが所謂後悔よ。そうなったらそのソフトは使い物にならなくなる、ここまでは解る?」

 

「うぅ、解るのがなんか悔しい」

 

 まどかもさやかの返答に合わせてこくこくと頷く。

 

「そんな事をした時点でソフトは壊れてしまう。これが魔法少女でいう魔女と戦い続けなければならない運命。壊れたソフトで誰が遊ぶ? 魔女との戦いに明け暮れる魔法少女が人付き合いを満足に出来る?」

 

「…なるほど。じゃあさ、ほむらのその叶えた願いってのはさ――あ…」

 

「さやかちゃん……!」

 

「何を叶えたかとかって聞いちゃまずいやつだよね…ごめん」

 

「別に気にしないで、大丈夫よ」

 

 申し訳なさそうに謝るさやか。今の流れでつい聞いてしまう気持ちは分かるし、彼女に悪気がないのも見れば判った。

 

「なら僕に教えて欲しい。君は魔法少女だけど、自分で言ったとおりほむらは壊れているのかい?」

 

 視線を正面に向けるといつの間にかそこにキュゥべえが座り込んでいた。大きな尻尾を左右に愛らしく振る。突然湧いて出て来たキュゥべえを見て小さくだが思わず舌打ちをする。今の今まで影で盗み聞きしていたのだろう。相変わらずプライバシーの欠片も無い。

 

「女の子の会話を盗み聞きしていたのでしょうけどこの際は目を瞑るわ。次はないわよ。…で、何が言いたいのキュゥべえ?」

 

「それには謝るよ。…僕が聞いたのはそのままなんだけどね。魔法少女になるとその少女は人との関係が無くなると君は言った。ならほむらは人間関係が崩壊しているのかな?」

 

「それは……」

 

 虚を突くキュゥべえの質問につい口篭る。

 

「今の君を見ててもそうだ。君の周りにはまどかにさやかが居る。ほむらが魔法少女だと知っていながら、ほむらが自分は魔法少女であると教えながらも二人は離れていない。これは矛盾だよ。魔法少女になると誰とも関係を保てないなんて事はない。ほむら自身が否定してしまっているよ」

 

 キュゥべえの言っている事に何らおかしな所はない。むしろおかしかったのはほむらの言動だった。ほむら自身もある種の矛盾には気付いていた。だがそれはほむらが自分から二人と関係を持ち、保とうとしているかである。安易に二人が契約しない為のストッパーとして。

 

 一端の魔法少女なら自分の立場と在り方を考え、一般人との関わりを極力避ける事を余儀なくされる。周りに身の内を明かせる者がいないのだから。逆にほむらのやっているのはそれを否定する事ばかり。捉え方によっては、嘘をついてまどか達を騙していたのとほぼ変わらない。

 

「…まどかとさやか。君たち二人は素質を持つ他の女の子と違って本当に恵まれた環境にある。きっとほむらは君たちが魔法少女になったとしても助けてくれるよ」

 

 奥歯を噛み締めてキュゥべえを睨みつける。甘言で誘惑し飽くまで魔法少女は良いものと刷り込む。また、どうあってもまどか達を助けるのは確かなので反論も出来ない。

 

「昨日のマミが言っていたじゃないか。二人の事は命を懸けてでも守る、てね。マミの実力が本物なのは同じ魔法少女のほむらなら分かる筈だよ」

 

「………もう貴方の言いたい事は分かったわ! 失せなさ――」

 

 失せなさい――そう言い終える前に、鼓膜を震わす人工的な鐘の打つ音がほむらの言葉を遮った。スピーカーから響くチャイムの音が昼休みの終わりが近いことを報せる。屋上には時計がないので何時なのか把握しにくい。

 

「どうやらこれ以上は話している時間がないようだ。まどかとさやか、それにほむらも、放課後マミと待っているよ」

 

 その場から立ち上がりくるりと踵を返して日の傾きで生じる影に白い身体が溶けていく。虚無しか感じられない背中を見送り、まどかとさやかは思い詰めた表情のほむらを心配そうに見ることしか出来ない。会ってまだ2日しか経っていないが、ほむらの浮かべる表情が今日までで一番険しいものだった。キュゥべえが去った後も影を見詰めてなお目を離さないほむら。陽気なさやかも不用意に声を掛けれず、まどかも何故ここまでほむらがキュゥべえに対してあんな態度を示すのか分からず困惑する。ほむらもすぐに二人が心配して見ているのに気付く。

 

「…ごめんなさい。嘘をつくなんてつもりは……。ただ、あなた達に命を懸けてまで戦おうなんてして欲しくなかったの」

 

「分かってるよほむらちゃん。わたし達の事を考えて言ってくれてたってのは。ね、さやかちゃん?」

 

「まぁね。あんだけ言われりゃ、このさやかちゃんも理解出来るって訳よ。嘘つかれただとか、あたしもまどかも思わないしさ。…てかさっきのチャイムって予鈴だよね? 急がなきゃ授業遅れるよまどかっ!!」

 

 謝罪を述べるほむらに二人がフォローして場を和ますのもつかの間。さやかは慌てて弁当箱を片付けて急ぎ足で出口へ走る。まどかもさっと片付けてさやかの後を追おうとする。

 

「ほら、ほむらちゃんも早く早く!」

 

「ええ、わかったわ」

 

 まどかに促されベンチから立ち上がる。見上げた空はどこまでも澄んで青く、白い雲が自由に泳いでいる。限りなく続く空のさらに上。今は見えないが夜になれば姿を現す月をその目で確かに捉えて心の中で不安を呟く。あの目覚めた時の印象深い満月を思い出しながら。

 

(これから私はまどかを救えるかしら)

 

 すると誰にも答えを求めれない呟きに返事があった。声なのかも分からない微かなもの。自問自答で出した無意識の反応かもしれない。ほむらの内の何かが『必ず救える』と言葉でなくともそう告げた。昔になくした希望を信じていた自分がまだ残っていたのか、それとも根拠の無い自信か。ただ不安は薄らいでいた。今悩んでも仕方が無い。時は待ってくれないのだ、運命の日まで着実に近づいている。自分が救えるかではなく自分が救わなければならない。

 

 ほむらは自分を鼓舞して先を歩くまどかの背を追った。

 

 

 

 

 

 昼休みから時間は流れ、現在HRが終了して放課後を迎えていた。午後の授業を乗り越え、満腹後の睡魔になんとか耐え抜き学業を全うした。ぞろぞろと生徒たちは教室を出ていく。多くは部活動にいく者。そのまま友達と遊びにいく者。帰宅する者。それ以外であれば教室でたむろって雑談を始める者。まどか達はどれにも当てはまらない。

 

「仁美、ゴメン。今日はあたしらちょっと野暮用があって」

 

 帰宅準備をしている仁美に手を合わせて申し訳なさそうに頭も下げるさやか。後ろの方にまどかが鞄を持って立っている。

 

 まどかとさやかには他の生徒はあまり気にする必要性はないのだが、二人にとって親友の仁美に何も告げず立ち去るのはなかなか良心が痛む。今朝も二人して共通の事情で仁美を一人にしてしまい、仁美の思い込みもあるが、挙句の果てには絶叫しながら走り去るまで追い詰めてしまっていた。だからと言ってその野暮用の内容を教えれる訳もなく、仁美には事情を聞かず頷いてもらいたいと願うばかり。

 

「あら。内緒ごとですの?」

 

 うふふと微笑しながら妙に落ち着いた声で訊ねてくる仁美。何て言えばいいのか言葉が詰まる。今朝の一件から仁美の雰囲気がいつもと違い、こちらの言っていることがちゃんと伝わっているのかかなり怪しいレベルだった。口は笑っているが目は一切笑っていない。しかしその目は二人のこれからを温かく見守る良き親友の目だ。

 

「えっと…」

 

 さやかの返事を聞くより先に仁美が行動を起こす。表情を目の笑わない微笑からにこりと満面の笑に一転させ、大層愉しげで嬉しそうな声をあげた。

 

「うらやましいですわ。もうお二人の間に割り込む余地なんて、ないんですのね~!!」

 

 仁美は鞄を持って一人教室の外に走っていった。目にも止まらぬ走りっぷりは陸上部にも引けを取らないくらいだ。このやり取りも仁美にとって数ある内の娯楽にすぎないのだろう。小市民とは生きる世界が少し違えば愉しむものも違ってくる。残されたさやかは野暮用の説明が出来なかったはおろか、仁美の娯楽にされてしまった。

 

「いや、だから違うって、それ」

 

 結局、二人には仁美の変な勘違いを解くことはなかった。

 

 仁美が出ていって5秒もせずに、お手洗から帰って来たほむらが仁美と入れ違いで教室に入ってきた。ハンカチを持って丁寧に手を拭いて、廊下を駆けて行った仁美の背中を見送りながらまどか達に言う。

 

「じゃ…行きましょうか?」

 

 

◆◇◆

 

 

 時間はまた少し流れ、場所も大きく変わる。ここはショッピングモールの中にあるファストフードのチェーン店。もっぱらファストフード店の売りは、安く・速く・美味いの三拍子である。ここはそれが欠けることなく揃っている。奥の方には店のイメージキャラクターなのか、全身緑色で頭に店員と同じ帽子を被った鶏だかアヒルだか何かの鳥を模した着ぐるみが立っていた。しっかりと直立してゆらゆらと揺れているからに中に人が入っているのだろうが、そこに人員を割くより厨房に回した方が良い気がする。その隣にはビニール製の人形が浮いている。どうせなら両方着ぐるみか人形のどっちかに統一してほしい。

 

 店内はここのイメージソングなのか陽気な音楽が流れている。放課後である今の時間は学生が非常に多く、昼間よりも活気に満ち溢れており客でごった返している。注文を受けたウェイトレスが忙しそうに行き交う。空席も残り少なく、数えるほどしかない。

 

「来てくれたみたいね。それじゃ早速行ってみましょうか。…と言いたいところだけど」

 

 四人用のテーブルにはマミを始めとするまどか、さやか、ほむらの三人が座っている。それと一匹が。ここに集った理由は勿論学校でもまどかがほむらに話した魔法少女について学ぶ為だ。

 

 なにも学ばず魔法少女になろうなどと思われるよりは、幾らか知っておく方が良い。どれだけ危険なのかや、自分達にはどれだけ相容れない世界を見ようとしているのかを。

 

「暁美さんも来てくれたのね?」

 

「ええ、二人が心配だから」

 

 マミと向かいの席に座って居るほむらが答える。マミもほむらがやって来ると予想はしていたのか、驚いた様子ではなかった。マミの落ち着いた物腰は反ってほむらに緊張を与える。

 

 可愛らしく首を傾げて笑ってみせる。が、目は全然笑っていない。仁美の笑わない目とは全く異なる威圧感。細められた瞼の間から覗く瞳はほむらの心意を見定めようと逸らさない。様々な異変と共にタイミング良く転校してきた魔法少女のほむらに対して疑念を抱いてもおかしくはない。元々、見滝原の街は在住するマミの縄張りであり、昨日転校して来たよそ者のほむらが今マミと同席しているのが普通ではない。マミはそんなほむらの思惑を見抜こうとしている。見滝原は渡さない、そう訴えかける眼差しを送りながら。

 

 反対にほむらとしてはマミと友好的な関係を築きたい。相手はほむらの知る中で最も魔法少女歴の長いベテラン魔法少女。ほむらが出会うまでにも多くの魔法少女と交流を重ねて同類との絶妙なやり取りの仕方を心得ている筈だ。魔法少女も全部が全部味方という訳ではない。縄張りを横取りしようとする考えの者も居る。足元を掬われない様に協力関係を結んだ者以外はまず信用しないだろう。マミ相手に下手な事は言えない。

 

 とは言ったものの、こんな所で躓いているようでは今後他に居る魔法少女とまともに取り合うことなど不可能、ここを乗り越えて初めてスタートを切れる。今マミに言うべきことは自分の歪みない考えだ。自分の素直な気持ち、マミの重んずる魔法少女としての正義を示す事で少しでも警戒を解いてもらう。

 

「ただまどかが心配なだけです。それに美樹さんも」

 

「……そう、ならいいの。それと、貴女は今ここに居る訳だけど、私と争おうって風でもないわね。だったら貴女は私の味方だって考えてもいいのかしら?」

 

 次は警戒と確認の質問。しかしさっきの見定める目ではなく、ちゃんと笑っている。自分の味方と思っていいのか、と彼女の方からそんな話しを持ち掛けられるのは好都合。少しでもほむらと協力関係をしてもいいという考えの表れ。このまま頷けばきっとほむらの思い通りにマミと協定を結べる。

 

「はい。私も巴さんと争いなんてしたいとは思っていないですから、協力関係をとってもらえば嬉しいです。私も最近契約したばかりなので…」

 

「本当なのね?」

 

 またしてもマミからの質問。今回のは1秒の間を空けない即答。ほむらはそこですぐに答えるか悩んだ。魔法の恩賜を除いた魔法少女自体の実力で言うと、ほむらはかなり弱い部類に入る。これといった武器もなく、代わりに反則じみた特殊な魔法。それが無ければ愛用の銃火器も無くとてつもなく弱い。経験はかなり積んでいるが、最近契約したというのはあながち間違ってはいない筈だ。最近と言ってもそれは1ヶ月未来の話になるのだが、取り敢えずそういう事にしておく。

 

(ん? 巴さんが聞いてるのは協力するかしないか、よね? だったら私の魔法少女としての経験は正直あまり考えなくても…)

 

 聞いてきたのはほむらの協力する意思。どれだけの実績があるかなど聞いていない。ほむらが勝手に焦点をずらしただけだ。

 

「はい」

 

 ほむらの答えに『そう』とだけ返すマミ。注意しなければ分からないが、一瞬僅かに唇を緩ませたのをほむらは見た。

 

 やはりこの人は難しい。苦手だとかそんなのではなく難しいのである。ほむらは内心そう呟く。今もそうだ。警戒されていたのかと思えば、綺麗に笑ってみせたりと、切り替えが極端。どんな風に思われているのか見当がつかない。

 

 しかし今のほむらは未来の出来事や巴マミの性格、暮らしに友人関係、その他にどういう経緯で契約したかや魔法少女に対してどのような思想を抱いているかも目の前に居るマミではないが本人から聞いて知っている。過去に魔法少女と決裂してしまったがコンビを組んでいた頃のあったマミは今も一人ではなく、仲間と共に戦いたい。一緒に戦える仲間が欲しいと思っているだろう。故に口元を綻ばせたと考える。

 

 過去と未来を知っている。これは非常に大きなアドバンテージだ。それを活かして自分が一緒に居てあげればマミとの間に絆が生まれるかもしれない。それに、契約したばかりだと言った以上、これからあまり戦闘に慣れていない道化を演じる必要も少なからず出てきた。

 

「ごめんなさいね、暁美さん。こんな確認ばかりしちゃって。昔一緒にいた魔法少女と意見の食い違いでトラブルを起こしたことがあって嘘じゃないかちょっと試しちゃったの」

 

 こんな風に言ってはいるが、やはり仲間になって欲しいという気持ちの方が強い筈とほむらは予想する。マミの本質は強がりで、そのくせ誰よりも壊れやすい心の持ち主で寂しがり屋。その境遇からか一人になることを何よりも嫌っている。

 

「大丈夫ですよマミさん! ほむらちゃんはそんな事しませんよ!」

 

 唐突にまどかがほむらの手を握ってそう宣言してみせた。まどかに手を握られてほむらは顔が何故か熱くなり頭が瞬時に沸騰する。考えていた事が吹き飛び握られた手だけに意識が持っていかれる。

 

「おぉ~! まどか、今回は強気に出たね~」

 

 さやかが意味深な笑みを浮かべてまどかのほむらと繋いだ手を見る。

 

「へっ? 強気…?」

 

「流石まどかが嫁と認めただけあるわ。あたしの負けだ! ほむら、アンタにまどかは譲るよ!!」

 

 握った手を見てからほむらを見る。顔を赤くして恥ずかしそうにまどかの手と顔を交互に見るほむらと目が合う。自分が大胆な行動をしているのに気付き、まどかも急にそれを意識し頬を紅潮させる。『ごめん!』と謝られ慌てて手を離される。別に迷惑でもなくまんざらでもなかったほむらは気落ちしてしまう。

 

「ま、そんなお熱い二人は置いといて、準備になってるかどうか分からないけど… 持って来ました! 何もないよりはマシかと思って」

 

 恥ずかしそうにしている二人を放っておいて、さやかは布で巻いた棒状の物を取り出した。どうやら学校の体育館から拝借してきた金属バットのようだ。マミはなんだか頼りなさそうといったように言う。

 

「まあ…そういう覚悟でいてくれるのは助かるわ。ねぇ暁美さん?」

 

「え、ええ。そうですね巴さん」

 

「それじゃ美樹さんの意気込みも分かったことだし、出発しましょうか?」

 

「はい!」

 

 

 

 

 

 四人はファストフード店から出て街を歩いていた。いつも目にする風景が魔女を探すというだけでまったく違って見える。あの影に魔女が潜んでいるのではないのか、この先の路地に結界があるのではないかと勘繰ってしまう。そんな風に思うとなんだか使命感を覚えてか、さやかも浮き足だっている。

 

「そう言えばさ、魔女ってどうやって探すの?」

 

 前を歩いていたさやかがくるりと振り返って訊いてくる。さやかとまどかに魔女がどんなモノなのかも、まだ詳しい事は何も聞かせていない。魔法少女は人を守る正義の味方、魔女は人を襲う悪の権化。それくらいの抽象的な事しか教えていない二人には魔女に対する知識が乏しかった。探し方はもちろん、姿形すら想像のつかないのが関の山だろう。

 

「魔女が残していった魔力の痕跡を辿るの。基本的に、魔女探しは足だのみで、こうしてソウルジェムが捉える魔女の気配を辿ってゆくわけ」

 

 マミの手に乗せられたオレンジ色のソウルジェムが発光を繰り返す。探索開始のときよりかは光の輝き方が強くなっていた。

 

「案外地味なものよ? 期待外れだったかしら?」

 

「いえ、そんな! 期待外れだなんて全然!」

 

 マミがさやかの気持ちを察してかそんな事を言う。ふふふと面白がって笑うマミにさやかはペースを握られる。

 

 さやかの前を歩くほむらはそんな事どうでもいいので自分のソウルジェムを見て魔女を探す。ファストフード店を出発してからほむらがずっと先頭に立って歩いた。マミに信用してもらう為にもその役を買って出た。

 

「魔女の居そうな場所、せめて目星ぐらいは付けられないの?」

 

 探し方は理解したが、目的の魔女が見つからなければ意味はない。だがベテランのマミに抜かりはなく、ちゃんとチェックするところも目星がついており今そこに向かっている途中。せっかく出来た魔法少女の後輩、及び魔法少女の卵にがっかりしてもらう分けにはいかないので魔女が確実に居るであろう所を巡る。

 

「魔女の呪いの影響で割と多いのは、交通事故や傷害事件とかよ。魔女の瘴気にあてられて冷静な判断が出来なくなる。だから大きな道路や喧嘩が起きそうな歓楽街は、優先的にチェックしないと」

 

 二人が感心したのか二三回頷く。

 

「あとは……自殺に向いてそうな人気のない場所ね」

 

 ほむらはある建物の前で足を止めた。目的の場所に到着したのだ。ほむらの数歩後ろでマミがぴたりと足を止め、まどか達も倣ってそこで足を止めた。辿り着いたのは町外れの建設が中止された廃ビル。人気がなく、まさしくな場所だ。流れ出てくる異質な空気。建物の奥で蠢く無数の黒影。この付近だけまるで世界そのものが違うとも言える雰囲気にまどかとさやかは覚えがあった。あのショッピングモールで遭遇した奇怪で不気味な世界、あれが魔女の結界であった事を今思い知らされた。

 

「あ、マミさんあれ!」

 

 まどかの見上げ指差した先には長い髪を靡かせる女性が廃ビルの屋上に立っていた。風に煽られてフラフラと揺れている。あんな危険な所に立つとは正気の沙汰ではない。このままでは落ちてしまうと思った瞬間、女性は躊躇なく飛び下りた。

 

 マミが走り出す。地面を蹴り加速して全身を光に包む。魔法少女になったマミがリボンを操り、飛び降りた女性をキャッチしようとネットを作り出す。お手本の様な流れる動作。マミの活躍で女性のが助かったと思った二人だが、空中で女性が突然消えた。元からそこに居なかったくらいに女性の影も形もなくなりマミにまどかとさやかの三人は目を見開いた。

 

「えっ!?」

 

「消えたっ!!」

 

 女性が落ちてくるのをネットの前で待っていたマミの隣で、何か地面に着地する音がした。そこには女性を抱えたほむらが膝を着いていた。

 

「ほむらちゃんいつのに間!」

 

 さっきまで隣にいた筈のほむらが移動していた事にまどかが驚きの声を上げる。さながら瞬間移動のマジックを見せられた気分だが、間違いなくほむらの魔法によるもの。ほむらの魔法の特性上、実際に目で捉えるのは不可能。何が起きたかなど理解する事すら出来ない。

 

「今の、暁美さんの魔法?」

 

 マミの質問に軽く頷いて返し、抱えた女性を優しく下ろす。ぐったりと気を失っている女性の後ろ髪を掻き分けて首筋を見る。マミは首筋にあるものを見てやはりといったように目を細める。

 

「魔女の口づけね…」

 

 首筋にはタトゥーに似た模様。魔女の口づけ。魔女に魅入られて人間に現れる魔性の紋章。これがある人間は本人の意思と関係なく体の自由を奪われ、まともな判断すら出来なくなる。自殺をさせたり、結界の中へと足を運ばせる。魔女の生み出した負のシステム。一定の行動を操って行わせられるので、盾に取られたりすると厄介極まりないもの。

 

「この人は?」

 

「大丈夫。気を失っているだけ。先を急ぎましょう」

 

 魔女に取り殺される前に女性を助けられた事に安心しつつ、この廃ビルに魔女が巣食っているのが確定した。マミを先頭に廃ビルへと足を踏み入れる。ガラスが床に飛散していたり壁のコンクリートが剥がれていたりと建物自体の老朽化が進んでいる。都市開発の進む見滝原にはこうした発展から見放され、放置された建設途中の建物が無数に存在する。そういう人気のない場所に魔女がよく結界を張るのは魔法少女しか知らない裏の話。また入った瞬間に空気が外に比べてかなり低くなった。陰であるのも理由の一つだろうが、あまりの温度差にまどかとさやかは身体を震わせた。

 入ったすぐに二階へと続く階段が迎える。マミが指輪の形をしたソウルジェムをその階段へ向けて翳した。すると宙空に刺々しい不気味な紋章が浮かび上がった。蝶の羽を模した模様で赤色が基調となっている。ぐにゃりと湾曲して中心から左右に裂けて口を開く。

 

「魔女の結界の入り口を開く時は、結界に自分の魔力を流して干渉するの。そうすれば入り口を開けるわ」

 

 ここでも魔法少女としての基礎をレクチャーするマミ。相当気合いが入っている証拠。マミが結界へと入って行き、それに続いてほむら達も入った。

 

 結界の中は薔薇が咲き乱れ、黒いハサミが宙に浮いている。錆び付いたパイプが張り巡らされた壁。ひたすら長い通路が続く先は見えない。

 

「気休めだけど。これで身を守る程度の役には立つわ」

 

 指の腹でマミがバットに触れるとリボンが巻き付いてメルヘンチックな模様へと変化した。振り翳せば障壁を作り出し使い魔が襲ってきても牽制ができるくらいの物になった。

 

「まどか、絶対に私達の傍を離れないでね?」

 

「うん」

 

 

 

 

 

 結界を進んでいくと、どこに潜んでいたのか、綿毛の怪物が地面を割って這出てきた。わらわらと数を増やし、その数は有に50を超える。以前まどか達が襲われたものと同じ。中には体の至る所に眼を付けた新手の使い魔まで居る。ほむらはサブマシンガンで使い魔の群れに鉛弾の雨を降らし殲滅する。空になったマガジンを取り外し新たにマガジンを取り付け、引き金を引いて装填。再び発砲して壁に床に弾痕を増やす。

 

「どう、怖い? 二人とも」

 

「な、何てことねーって!」

 

 強がるさやか。その横で身を縮こまらせるまどか。怯えているのは火を見るより明らかだ。

 

「無理もないわ。魔法少女でもないのだから。けど頑張って。もうすぐ結界の最深部よ」

 

 使い魔を一掃した後に残ったのは薬莢の山。空気に溶ける鼻を突く火薬の残滓。あれだけ湧いていた使い魔もいつしか消え、目の前には一つの大きな扉。ひとりでに開き扉の方から迫ってくる。扉を抜けた先にはまた扉。それも開いて次々に迫り来る向こうにまたしても扉。瞬きする間にも数回連続で抜けてマミ達はついに魔女のいる最深部に到達した。いや、招かれたという方が正しい。

 

 ざっと見渡せば広さは直径30メートルあるかないかくらいの大きなホール。天井までの高さもおおよそ30メートル。四人は地面から10メートルくらいの所にある扉からホールを見下ろしていた。壁がどのような原理で動いているのかぐるぐると回っている。

 

「あれが魔女よ」

 

 その大きなホールの真ん中にそれは居た。おおよそ一般人が予想する魔女とはかけ離れた姿の異形の怪物が。満開に咲く深紅の薔薇を寝台にして、そこに横たわるものがあった。

 

 地面にむけて垂れ下がった緑色のぶよぶよした頭に薔薇がいくつか飾られている 。体からは無数に足が生え、腰に極彩色の大きな蝶の羽。綺麗な薔薇に囲まれて眺めている様子だ。その美しい薔薇とは対称に魔女はこの世の物と思えぬほど醜悪。世界にある全てのグロテスクさを詰め込んだ様な姿は見る者を視覚的に攻撃する。

 

「う…グロい」

 

「あんなのと…戦うんですか…」

 

 まどかが心配して言う。ここに入ってからは赤い薔薇がどうしても血を彷彿とさせてしまう。居るだけで気分を害す。

 

「大丈夫。負けるもんですか」

 

 マミがさやかの持っていたバットを石で構成された地面に突き刺す。バットを中心にその空間を囲むようにリボンが現れ結界となった。石の砕ける音に魔女が目を覚ます。ぐらりと巨頭を擡げ欠伸に似た仕草で起き上がるそれはまさに魔の怪物。

 

「いってくるわ」

 

 舞い降り立つのは二人の魔法少女。臆することなく佇む二人は魔女にとってただの餌か、それとも最後の試練か。鮮血を散らして薔薇をより赤く染めるのはこの内どちらか一方になる。

 

 

 

 

 



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 黒い庭園(2010,5/7)

 

 

 

 

 

 ハサミが発する金属同士の擦れる不協和音。渇いた銃声。火薬の爆ぜる振動。様々な騒音が重なり途切れることなく白いホールに鳴り響く中、薔薇園に居を構えるおどろおどろしい異形の魔女と、ほむらにマミの二人が凌ぎを削りあっていた。

 

 二人の相手は薔薇園の魔女、ゲルトルート。その性質は『不信』。持てる力は咲き誇る薔薇の為に注がれており、結界に引き込んだ人間から生命力を奪って薔薇に与えている。普段は大切な薔薇を我が子同然に使い魔と共に手入れを行い、自身と真逆の美しい薔薇園で毎日を楽しんでいる。招かれざる客が侵入して来た場合は総力を以て迎撃にあたる。その迎撃こそ単調なものだが、命にも替え難い薔薇を穢されると獣の如く荒れ狂った動きを見せる。

 

 このような魔女の名前や性質を魔法少女が知ることは叶わない。言葉を交わすことも出来なければ、意思疏通も出来ない。お互いの素性など明かすこともない。切っても切れない複雑に絡みあった関係でありながらそんな些細な事さえ知り得ないとは如何なるものか。

 

 とは言え、そういう考えに至るのは戦場に立たない魔法少女ではない者。敵同士である両者にそんなものは必要なく、ただ相互が共有するのは相手を討つという意思だけ。

 

 魔女、ゲルトルートは鋭い棘のある黒い蔓を幾つも束ねマミとほむらの銃による遠方からの狙撃を凌いでいた。銃弾が接触する度に蔓は千切れて飛散し、分厚い壁を確実に削り取っていく。薔薇園の魔女も押されっぱなしではいられない。二人の踏み入れている結界はこの魔女が作り上げたもの。使い魔の配置も生産も意のままにコントロール出来る。

 

 魔女が一つ大きく唸った。勢いよく芝の地面を裂いて噴水の様に溢れ出てくる綿毛の使い魔。瞬く間に緑の芝が白の使い魔に隠され波となってマミに押し寄せる。

 

「レガーレ!」

 

 物量で対抗する魔女にマミは一歩引くどころか前へ出て首元のリボンを解き使い魔の大群に投げ付けた。結ぶ以外になんの用途を見い出せないリボンで迫る使い魔をどうにか出来るとは到底思えない。しかしそれは投げたリボンが”ただのリボン”であればの話し。意味もない行動をマミがする筈もなく、そのリボンはもちろん魔法の力に基づくものだ。

 

 手から離れた瞬間にリボンは四方八方に分散し制限なく伸びた。魔女の所まで届かなくとも勢い付いた全ての使い魔をがんじがらめに絡めとり、動きを完全に封じる。

 

 さらにマミが縛られた使い魔を見下ろす高さまで垂直に跳躍する。華麗に宙を舞いながら右手を真上に振り翳す。同時にマミの背後に百丁を超える白い銃が召喚される――白い銃はマスケット銃と言い、元はマミの魔法の本質であるリボンを経験とセンスで形を変えて銃の形に納めている。とは言え機関銃のように連射することが出来る機構は作れず、単発式の銃までしか作れなかった。だがその分威力も申し分なく派手さも強烈だ。

 

「ティロ・ボレー!!」

 

 高らかに叫ぶ。右手を振り下ろすのと同時に百丁あまりのマスケット銃が一斉に火花を吹いて弾丸を吐き出す。多過ぎる銃による点ではなく面となった射撃。着弾と共に爆発を起こして使い魔達を一掃する。マスケット銃が重力に捕まり地面へ落ち始める前にマミの瞬き一つで光に消える。

 

(さすがに魔力を使い過ぎよ)

 

 戦闘が始まってから、マミが上に居るまどか達に見られているのを意識しながら敢えて派手な戦い方をしているのをほむらも知っていた。そして魔法少女なら傍から見ていても分かる。今の攻撃は使い魔相手とは言え、少々強すぎるもの。ほむらはそう考えマミの背中を見た。たかが薔薇園の魔女が従える使い魔にあれ程の魔力を使った魔法も必要ない。加えてリボンの拘束もマミ自身その気になれば無くとも必中だった筈。

 

 これまでにも今戦っている魔女とほむらは幾度か手合わせした事がある。どれもよほどの油断でもしない限り負ける事のない弱い部類の魔女。使い魔も数は多けれど意識を割くまでもなく貧弱な存在。きっとそれはマミも気付いている筈。恐らくマミが本気でこの魔女を倒そうとすれば、数分で片付くだろう。派手なエフェクトも、優雅な動きも、どうしてもまどか達に魔法少女の魅力を教えたいからに違いない。

 

 それが悪い訳でもないし、咎めるつもりもない。ちゃんと昨日の宣言どおり、まどか達を守ってくれるのなら口出ししない。まどか達が守られる限り自分も素人の魔法少女を続けられる。しかし、些細ではあるが他に思うものがあった。

 

(……相変わらず技名を叫びながら戦うスタイルには慣れないわね。昔は憧れてたりしたけど)

 

 技名を叫んで戦うマミのやり方。悪い訳ではない。悪くないのだが、ただ一緒に戦っているほむらとしては少し恥ずかしく感じる。見る限りまどかとさやかはマミに尊敬の眼差しを送ってそんな風に捉えている様子はない。

 

「暁美さん、後ろは大丈夫かしら?」

 

 くるりと振り返りながらマミがほむらに尋ねる。汗一つ浮かべないマミの顔は真剣ではあるものの僅かな笑み。

 

「ええ、大丈夫。ほとんど巴さんが倒しているので、私はあまり…」

 

「何だかごめんなさい。暁美さんの手柄を取ってる訳じゃないんだけど、今日は張り切っちゃって」

 

 ただ使い魔を倒していただけで、ほむらの活躍を取ろうなどという悪気はない。単純に魔法少女の仲間と、魔法少女になるかも知れないまどか達を前にして気合いが入り過ぎているだけ。純粋な嬉しさでつい大盤振る舞いをしてしまっていたのはほむらも察しがつく。

 

「そうですか…巴さんっ! 後ろっ!」

 

「ッ!」

 

 不意に周囲の陰が濃くなり見上げる。まるで巨人が腰掛ける為の物と思えるほど規格外に大きな赤いイスが自分達目掛けて頭上から降ってきていた。マミは上を見て回避を行うほむらの呼びかけで瞬時に迫る危機を察知して後ろへ飛び退いた。爆炎で荒れて燃えカスになった芝の地面に数瞬遅れて巨大なイスがマミとほむらの居た場所に落ちる。ぐらりとホール全体が揺れて天井から塵が降る。

 

「危ないわね。…やりすぎたかしら?」

 

 辺りを見れば先の射撃で魔女にとって大切で丹精込めて育てた薔薇の半数以上が炭やら灰に変わっている。結界の主の通称は薔薇園の魔女。薔薇を慈しみ、薔薇を愛し、薔薇の為に生きているような魔女。結界の中にまで喧嘩を売ってきた魔法少女に使い魔を虐殺され、薔薇を無惨にも荒らされた彼女が平常で居られる筈がなく、イスの向こうでは怒りに狂い無数にある脚で何度も地面を踏みつけて奇声を発している。

 

「キィイャアアァァァ、ァ……!!!」

 

 また、奇声を上げるだけでなくどこか泣いている風にも見える。頭を垂れているのもその為かもしれない。もっとも泣いていると言っても涙を流す目などあるようには思えないが。失った薔薇への悲しみを振り払っているのかゲルトルートが頭を左右に動かしてほむら達に向かって吠えた。

 

「――グルルァ!!」

 

 ホールの至る所に設置された扉を乱暴に開き今度は使い魔ではなく、黒い蔓が溢れ出て白いホールを埋め尽くしていく。何本もの蔓が絡み合いギチギチと音を立ててホールが姿を変える。棘の蔓は形を変え柵を形成し、薔薇が絡み付き赤の花を添える。瞬く間に異界の花園へと生まれ変わる魔女の結界。棘に守られる様にして奥に見える魔女からは尋常ではない怒り――魔女特有の強い呪いが伝わってくる。

 

「なっ…!?」

 

「どうやら一筋縄じゃいかないみたいね…」

 

 マミが不敵に笑ってみせる。予想の範囲内だったのか、それとも最初から強い相手だと認識していたのか。だとしてもマミの浮かべる笑みはまだ余裕が感じられる。しかし、隣に立つほむらは表にこそ出ないが内心戸惑いに整理が付いていなかった。

 

(今までこの魔女はこんな事をしなかった。…それに、さっきより魔力が少しだけど強くなってる?)

 

 怒りにより変化があったのか、ゲルトルートから感じられる魔力の大きさが若干の向上を見せている。頭に生えている薔薇も何個か増えていた。芽を出し蕾となり、すぐに開花する。それに比例するのか魔力も上昇していく。とは言うものの、向上したのも雀の涙ほどで何度もこの魔女と戦ってきたほむらにしか分からないくらいの些細なもの。小さな変化でも変化は変化だ。今日に至るまでを考慮してもこれは無視出来ない、何かあると勘ぐってしまう。もしやあのペルソナ使い達の来訪したという事実そのものが周りの環境に及んでいる変化の原因ではないかと。

 

 だがこの変化を根拠も無しにあのペルソナ使いに関連付けてしまうのはほむら自身も正直無理があると感じている。多くの世界を渡り歩くほむらも何度かイレギュラーの存在する世界へ辿り着いたことがある。世界の未来の為にまどかの殺害を企てた魔法少女も居たのだ、今回のも数ある内の一つの変化だとそう片付けるしかない。

 

「なかなか厄介なことをするわね」

 

 目を移せば蔓の一つ一つがまるで生きているかの様で薔薇園は1分1秒として同じ形を保っておらず、常に姿を変えている。柵の高さは有に15メートルを超えて、徐々に白い天井の見える範囲を狭めていっている。ドーム状にして二人を閉じ込める算段か。いつの間にか倒した筈の使い魔もまた現れて最初よりも不利な状況にあるのは確かだった。

 

「巴さんどうします? このままじゃあ二人とも袋の鼠に…」

 

「むしろ追い詰められているのは魔女の方かもしれないわよ。自分で私達から逃げられない空間に閉じ篭ろうとしているのは好都合ね。そこでなんだけど、さっき外で女性を助けた暁美さんの魔法って、瞬間移動的なものであってるかしら? そうだとしたらここから魔女の前まで移動出来ないかしら?」

 

「ええ、それくらいなら出来るわ。巴さんが魔女と使い魔を抑え込んでいる間に私が至近距離で魔女に攻撃を仕掛る、ってところかしら?」

 

「理解が早くて助かるわ。私が囮になるその間に魔女へ闇討ちしてもらいたいの。きっと魔女も使い魔や花を荒らされている今なら怒って私を狙うはず」

 

「ならすぐに行動へ移しまし――はッ!」

 

「ギィッ!」

 

 茂みから気配を絶ち槍を構えて飛び出してきた使い魔の突き上げを紙一重で躱し、空振り体勢を崩す使い魔の顔面にブーツの先をめり込ませ蹴り飛ばす。すぐそこまで接近されてしまってはますます状況が悪化する一方。

 

「囲まれる前にやるわよ! レガーレ・ヴァスタアリア!」

 

 手に持つマスケット銃をリボンに戻し前方へ展開する。行く手を阻む蔓を無理矢理リボンで束ねて道を開けさせ魔女までの最短距離を作り出す。正面に見えたのは大量の薔薇で自らを飾りながら黒く錆び付いたハサミを鳴らすゲルトルート。互いを見た瞬間に大きく振りかぶり脇に抱えたハサミをマミ目掛けて放り投げた。

 

 それをマミは余裕の身のこなしで避け、前へ躍り出る。向かって来る使い魔の攻撃も体を捻って躱し、両手に召喚したマスケット銃の片方で撃ち抜く。弾のなくなったマスケット銃で突き出される槍を難なくいなしもう片方でまた撃つ。背後の使い魔を見ずに片足を軸にして回し蹴りで葬り、親玉の魔女へと肉薄する。

 

「掛かって来なさいっ!」

 

「グラァァアア!」

 

 魔女も馬鹿ではなく近付かれる前に魔力で育った蔓を差し向けてマミを殺すべく怒涛の反撃に出る。黒い蔓の壁。数え切れない程の蔓が殺到し視界のほとんどが黒一色に埋め尽くされる。壁と激突する一歩手前で急ブレーキをかけ後方にマミは飛び退いた。置き土産で空中に固定したマスケット銃で狙いを定めず発砲させ魔女を挑発し惹き付ける。このまま上手くマミに食い付けば囮作戦は成功になり、ほむらが魔女の背後から攻撃を仕掛る事が出来る。わざわざ一度魔女の前に近寄り後退までして煽るのだ、これに激昂したゲルトルートが食い付かない筈がない――そう確信していたマミだったが、まばらになった蔓の向こうに魔女の姿はなかった。魔女の持つ性質は『不信』である。信じれるモノなど忠実な使い魔と美しき薔薇だけだ。獣並の思考で動く魔女でも来いと言われてその通り従って行く訳がなかった。

 

「居ない…!? きゃっ!」

 

 迷わず追って来ると踏んでいたマミは居ない事に不意を突かれ、姿をくらませた魔女の操る蔓の一撃を食らってしまった。有刺鉄線と似た蔓は少女の柔肌を浅く裂いた。二の腕に受けた傷は浅い方だが、血が滴り地面越しに蔓へ吸われていく。手負いになったマミは空中にマスケット銃を配置して周囲の警戒を高めながら魔法で傷を癒す。回復に余力を割き隙を見せるマミへ追撃が来ないことに、一瞬遅れて魔女の狙いに気が付いた。

 

「暁美さん気を付けて! そっちに行ったわ!」

 

「ハメられたのは私達だったようね…!」

 

 ほむらの正面に位置する蔓の壁が大きく波打ち魔女が姿を晒した。物を掴む腕もなしにハサミを二つも構え、ほむらの首と体を切り離さんと限界までに刃を開き肉薄してくる。最初から結界の主の狙いは多くの魔女と戦ってきた熟練者のマミでなく、魔法少女なりたてのほむらに絞られていた。二人を比べても囮役を買って出られるマミが実力は勝るのでまだ倒せる可能性があると思われるのは当然、魔女と距離を取り闇討ちを任された後方支援のほむら。魔女にもその程度の違いを見極める技量はあるのか囮役になったマミを完全無視してほむらへ錆びた凶刃を振り翳す。

 

 ハサミに加え無数の蔓。さらには無尽蔵に湧く使い魔の群れ。それらを避けて身を滑り込ませる場所もほとんどない完全な包囲網。1秒で最も手薄な箇所を見定めてそこへ向き直る。突破しやすいのは数で攻める使い魔の道。ほむらが一度目を瞑ると騒音は消え、再び瞼を持ち上げれば飛び上がった使い魔が空中で爆散し、10メートル先の使い魔まで時間を置かずして殲滅され退路が切り開かれた。そこへ飛び込み体勢を立て直すため前転し、振り向きざま左腕に装着された銀の盾から適当な銃を取り出し何度も発砲する。

 

 ほむらの使用する銃はマミの様に魔法で作り上げた代物ではなく、現実で造られた人を殺める効果を持つ本物の銃。今使っているのがハンドガンとはいえ、14歳の少女が片手で構えて狙った箇所に当てるのは普通不可能。狙い撃てるどころか、重量で支えるだけで精一杯になる。だがほむらはそんな事を気にする必要がない。魔法により肉体能力を極限まで引き上げ撃った際の反動も無理矢理抑えられるのだ。これが出来るのも魔法少女ならではの荒業。

 

「ギィィイッ!!」

 

 銃弾の雨をハサミで防御しながらほむら目指して構わず突進する魔女。猛スピードで迫る魔女にほむらはハンドガンとは別に盾から新たな武器を取り出し構えた。取り出したのは『九七式自動砲』またの名、『対戦車ライフル』。文字通り戦車の分厚い装甲を貫き内部機構まで破壊するのが目的の兵器。日本が製造した最初で最後の対戦車ライフルと言われ、全長は1メートルを超え、重さは50kgを超える。あまりの大きさと重さで使いにくいとされるがほむらは気にしない。重量だけなら使い手のほむらより上だが、ほむらは本来地面に設置して使う物を腰だめで構える。50kgオーバーの塊を両手でしっかりと照準を魔女に合わせ、引き金を絞った。

 

 ――耳を劈く爆裂音。

 

 今まで聞いたことのないような大音量が大気を叩く。身体能力を底上げした上、身構えていても完璧に射撃時の衝撃を受け止めきれず、数センチ後ろへ足が下がる。魔法少女であっても少女の身体に掛かる負担は非常に大きく、連続の発砲は身を滅ぼし兼ねない。

 

「くっ!」

 

 銃身からもろに腕を駆け抜け全身の骨を軋ませる反動に表情が歪む。それも魔力を全身に張り巡らせ何とか相殺し続けて二発目を撃つ。一発目は魔女の持つハサミに命中させ、鋼鉄を粉砕する弾丸でバラバラにする。ハサミを撃ち抜かれた衝撃で勢いを乱され失速する魔女。二発目ももう片方のハサミに当てて剥ぎ取る。武器を失ったゲルトルートはほむらに突進するのを急遽取り止め再び蔓の中へ身を隠した。

 

 遅れを取り戻しほむらの元へと引き返したマミが魔女の飛び込んだ蔓の壁に数発撃ち込み牽制をする。先ほどマミを意図的に避けたならマミと近くに居るほむらも手は出されないだろう。しかし魔女は未だ健在。油断は出来ない。

 

「ごめんなさい。囮作戦なんかしてしまったのは完全に私のミスだわ。魔女を侮り過ぎてた…」

 

「…仕方ありません。私も巴さんを狙わずこちらを狙ってくるなんて予想してませんでしたから」

 

 マミの謝罪に答えながら右手を開閉させ衝撃で痺れた手の感覚を確かめる。さすがに腰だめでライフルを二回も撃てば負荷が強すぎたのか握力が戻っておらず、ハンドガンでも撃つのが難しくなってしまっていた。マミが狙われると確信して魔女との距離もあり油断したのが痛手となり、魔女が目の前まで迫った時は咄嗟の判断で対戦車ライフルを使用する羽目になった。魔女本体を狙わずハサミを撃ったのも仕留め切れず接近を許してしまう可能性があったからだ。お陰で回復するまで右手はほぼ使い物にならない状態。

 

「反省は後にしましょ。今はまず魔女を片付けるのが最優先。頼りにしてるわ、巴さん」

 

「ええ、分かったわ。後輩の前でかっこ悪いところ、見せられないものね」

 

 

 

 

 ドーム状に形成された蔓の塊を見下ろす二人と一匹。光りの射し込む入口も小さく窄められ、中の状況が見えず分かりにくい。魔女が雄叫びを上げマミとほむらがあのドームに閉じ込められてから空気がガラリと変わった。さっきも魔女の奇声がまどか達の居る場所まで聞こえた後、耳を劈く銃声が立て続けに発生したのだ。心配にならない訳がなく、マミの作った結界の中でまどかとさやかはお互い身を寄せて不安に表情を染めていた。

 

「マミさんとほむらちゃん大丈夫…かな?」

 

「ど、どうだろ。ここからじゃ見えないよ…」

 

 ドームが出来上がる前まではまどか達から見ても魔女相手に優勢に立ち回りすぐに押し負かし勝つと楽観視出来ていたが、魔女の発する怒りに伴う呪いが爆発的に増えドームを作られたのを堺に心配だけが募っていた。見えないほむらとマミの二人がどうなっているのか分からないのがより不安を煽る。

 

「二人の魔力をはっきりと感じるからきっと大丈夫だよ。ただ、予想以上に手こずってる。魔女の魔力も強くなっているのが原因だろうね」

 

「魔女の魔力が強くなってる? そんな事あんの?」

 

「別におかしな事じゃないよさやか。魔女は薔薇を荒らされた怒りによって魔力を暴走させているんだ。いわば、自棄になって防御を捨てているに近い。けど魔女の方も形振り構わず突っ込むほど馬鹿な考えはないらしい」

 

「…勝てるの?」

 

「普段のマミならあの程度の魔女くらい一人でも勝てるね」

 

「一人でもって、二人なのにじゃあなんで手こずってんのよ?」

 

「一人で戦えばあの魔女くらい5分もかけずに倒せる。でもそれは戦場に自分一人しか立っていない時の場合だ。今は魔法少女としての経験がまだ浅いほむらを意識しながら戦わないといけない。これが一つの理由だと僕は思う。全力が出せないんだろうね。だけどマミもベテランだから、気を付ければ最悪の事態にはならないさ」

 

 まどかの肩に乗ってそう言うキュゥべえ。表情に変わりは見られずいつもの無表情。じっとドームを見下ろし戦況を見守っている。時期に勝つと大した心配をしていないキュゥべえにつられて二人もドームを見た。統一性がなく不規則に蠢く蔓の動きがまるで脈打っているようで薔薇は血を思わせる。あの中ではまだ二人が命を懸けて魔女と戦っている。時折聞こえる銃声だけが二人の安否を知らせる唯一の手段となっていた。

 

 ぴくりとキュゥべえの両耳が跳ねた。猫が物音を聞き取ったのと同じようにそちらへ耳が傾く。

 

「どうしたのキュゥべえ? 何か聞こえた?」

 

「…どうやら新たな客が来ていたようだよ。まっすぐ最深部、ここに向かってる」

 

「えっ! 何それ、まさか違う魔法少女が横取りしにきたの?」

 

「さすがにそう考えるのは早計すぎる、さやか。まだ横取りをしにきた魔法少女と決まった訳じゃない」

 

「でもほむら達に伝えなくちゃ」

 

「それもたぶん必要ないよ。少なくとも向かってくるその人達はマミ達の敵にはならない」

 

 まだ見ぬ侵入者をキュゥべえは敵にならないと断言する。まどかとさやかより魔法少女や魔女などに詳しいキュゥべえが言うならと二人は納得した。この場で一番状況を理解しているのはキュゥべえだけで、伝え聞くしかないまどか達は信じるしかない。

 

「ほら、あっちも切り抜けそうだ」

 

 蔓のドームの上部が内側から爆発を起こし人影が二つ煙の中から飛び出す。見たところ衣服に多少の損傷はあるがマミとほむらに目立った怪我は見受けられない。

 

「やった! 出てきた!」

 

 

 

 

 

 揃って地面に着地する二人。煙の中を飛び出してきたマミとほむらの口元が僅かに吊り上がっている。

 

「脱出成功ね。もう閉じ込められないわよ」

 

「息苦しいったらありやしないわね。中に戻るのは勘弁だわ」

 

「ええ」

 

 いつまでも魔女の用意したフィールドで戦っていては不利なので、ひとまず魔女のドームから脱出を試みたところ、あっさりと成功した。脱出方法もシンプルなもので、ほむらが使い魔の相手をし隙を突いてマミがドームに穴を空けるというもの。思いのほか蔓の壁が分厚く小さなマスケット銃では歯が立たなかったので魔力消費を考慮せず大技で風穴を穿つ。

 

 ハンドガンのバレル部分を超巨大化したような形状の大砲。マミの背丈より大きなそれはオレンジ色の火打石から火花を散らせ、轟音と閃光を放った。

 

 ――ティロ・フィナーレ。

 

 その時マミが盛大に叫んだ台詞は"ティロ・フィナーレ"。イタリア語だが日本語に翻訳すれば『最終砲撃』。大砲本体の大きさに相まって砲撃音も光量も桁違いだ。派手なエフェクトに伴い、白い光の塊が高速で射出された。容易く壁をぶち抜き見事脱出に至ったのだ。

 

「脱出したはいいけど、次はどうやって魔女を引き摺り出すかが問題ね。焼き払うにしてもこの蔓が燃えるかも怪しいし」

 

「このまま待つというの?」

 

「そういう訳にもいかないわね。向こうにも体制を立て直す時間を与えることになる」

 

 マミはティロ・フィナーレで外から穴を空けるかどうか悩んだ。魔女の姿が見えない上に、誘き出せる可能性も低く魔力の消費と釣り合わない。魔女の方から動いてもらうのを待っていても思わぬ反撃を受けてしまっても意味がない。不用意に行動に出られない。

 

 ほむらは引き籠る魔女相手に悩むマミを見ているが危機感こそはもうなかった。ドームの中は外に比べると随分暗く見通しも悪い。ほむらの特異な魔法、時間停止を使って魔女に仕掛けたとしても退路を見失って狭い空間で一対一の構図になればかなり危険だ。だが今は外に居るのだから脱出した穴から内部に手榴弾なり爆弾なりを投げ込めば内側から炙り出せる。

 

 しかし、生憎マミには自分の魔法を瞬間移動的なものと勘違いしてもらっているので、瞬間移動した途端に爆弾の爆発が起きては些か不自然に映る。それはあまり都合のいい手ではなかった。

 

「暁美さん、正面に私がまた穴を空けてリボンで魔女を引っ張り出したところに止めを刺してもらえないかしら」

 

「そんなに魔力を使ってしまうとソウルジェムが…」

 

「大丈夫よ。あの子達も居るし丁度いいわ。グリーフシードの使い方も教えるのに最適ね」

 

 マミが微笑みながら上を見てほむらも視線の先を追う。結界に守られているので二人に被害は及んでいないが、それよりも自分達の心配をさせすぎたのか不安な顔で見てきていた。

 

「次で終わりよ」

 

「ええ」

 

 表情を険しくして魔女の籠るドームに向けてマスケット銃を構える。これ以上戦いを長引かせてはベテラン魔法少女としての、先輩としての品格を疑われてしまう。マミはそう考えて意気込む。

 

「ティロ――」

 

 これが最終砲撃。自分が魔女に与える最後の攻撃。風穴からリボンを走らせ魔女を強制的に外へ引き摺り出す。頭の中で手順を確認しマスケット銃へ魔力を込めた。手元からリボンが何重にも絡み付き太い筒を作り出していき、指をかけセリフの終わりで引き金を引けば――

 

「キィッ!」

 

「グギィッ!」

 

 叫びきる寸前にホールにある扉の一つから使い魔が転がりながら飛び出した。わらわらと現れる使い魔の波。荒々しく扉を閉めて吸い込まれるように魔女の籠っているドームへ入っていく。まるで何かから逃げて来たのかどれもパニックに陥り敵であるマミとほむらの隣を駆け抜けて無視する。

 

「これって!」

 

 扉の向こうから近付いて来る気配は二つ。どちらもマミとほむらは知っている。昨日初めて存在を知ったそれは脳裏にこびりついて強く印象に残っている。

 

 

◆◇◆

 

 

「全然人が居ないっすけど、ホントにここで合ってるんですよね、先輩?」

 

「ああ、この先に二人の反応を感じる。そんなに私が当てにならないか?」

 

「そそ、そんな事ないっスよ、桐条先輩。んな訳ないじゃないですか!」

 

「ふっ。なら周りの警戒を怠るなよ? ここは仮にも魔女の結界だ。いつ襲われるか分からん」

 

「了解っス」

 

 長い永い通路を行く二人の人影。一人は赤い長髪を靡かせて颯爽と歩く美鶴。その後ろを着いているのが野球帽を被った順平。それぞれ腰にはガンベルトを巻いて召喚器が収められている。

 

 二人は今魔女の結界内を歩いていた。それもマミ達も入っている結界。なぜここに居るか理由はいろいろあるが、目的はマミ達と接触する事にあった。なので魔女の結界に入り込んで最深部を目指している。

 

「キイィッ!」

 

「邪魔だ退けっ!」

 

 槍を振り回し侵入者の迎撃へ当たる使い魔にペルソナを使わず美鶴は蹴りだけで沈黙させる。使い魔を一蹴出来る常人離れした身体能力は魔法少女だけの特権ではない。ペルソナ使いも臨戦態勢になると身体能力に大幅な補正がかり、高所からの着地や、自分より何倍も巨大な敵さえ拳の一つで殴り飛ばすのも可能になる。また防御面でも補正はかかる。戦車型シャドウの砲撃が直撃しても実力に差があれば大したダメージにならず、逆にペルソナ使いが剣で切りつければ装甲も紙のように刻めてしまう。特にペルソナを強く意識した際にこれらの補正は大きく反映される。

 

 影時間の中なら補正はもっと強くなりペルソナ使いはペルソナ使いとしての本来の力を発揮できる。影時間でなくとも現実世界での強さは軽く常人を上回るのでそこに目立った問題はない。

 

「ペルソナっ!」

 

 美鶴が召喚器をこめかみに当てて引き金を絞る。青白い光が集まり青い豪奢なドレスを着た女が美鶴の背後に現れた。鼻から額までを隠す赤い仮面を着けた女のペルソナが腕を振り上げると周りに冷気が立ち込める。一面を氷が覆い白く塗り替え、美鶴と順平の前に氷で創られた一振りの突剣と剣が地面から伸びた。

 

 突剣を手に取って順平には剣を差し出す。多少荒く使っても折れない強度はある氷剣。肉を断つくらいなら可能だ。

 

「このまま行けば恐らく魔女の居る最深部に辿り着く。戦闘は避けられんだろうから、丸腰では心もとない、これを使え」

 

「ありがとうございます。てか、魔女がどんなヤツなのか楽しみになってきましたね先輩」

 

「遊びじゃないんだぞ。気を抜くな伊織」

 

 武器を構えて再び歩き出す二人。向かってくる使い魔を切り伏せながら美鶴の探知能力を頼りに深部へと進んでいく。出てくるどの使い魔もペルソナを使うに値しない雑魚ばかり。召喚器も氷剣を創るだけしかまだ使用していない。

 

 足止めにすらならない使い魔が押し寄せてくるのに美鶴は煩わしく思いとうとう召喚器を構えた。力の差を示せば知性のない使い魔といえども、歯向かってくるものも数を減らすだろう。道を塞ぐ使い魔を睨み付けペルソナを召喚させた。

 

 目の前にいた奇声ばかり上げていた使い魔が一斉に静まり返り動きを止めた。氷の膜が覆い奇怪な氷像となった使い魔達を軽くブーツで小突くとひび割れ砕け散った。

 

「よし。これで阻むものはない、急ぐぞ伊織。他の皆を待たせてしまう」

 

「あ、はい。…オレも桐条先輩の邪魔したらこうなっちまう、のか。マジ怖えな」

 

 氷像の使い魔を一瞥し慌てて美鶴のあとを追う。美鶴の強さを見た使い魔達は自分らでは到底手に負えないと慌てふためき奥へ奥へと逃げていく。使い魔の逃げる先には三つの力の反応。間違いなく最深部に近付いている。はむらとマミもそこに居るのは最早確定した。

 

 逃げ惑う使い魔を追撃せず後は道案内として野放しにする。総じて扉の向こうに逃げる使い魔の最後の一匹が扉を閉めて美鶴達が先に進むのを拒んだ。しかし扉一枚を隔てただけでは女帝の進行を止められない。

 

「――アルテミシアッ!」

 

 顕現した女帝のペルソナ、アルテミシアが大きく腕を振り翳す。美鶴の足元から水もなしに巨大な氷塊が発生し扉を破壊して出口を押し広げる。ゴリゴリと壁を削りながらもまだ肥大化する氷塊がホールの中へとせり出す。美鶴がブーツのヒールで踏み付けると氷塊は内側からひびが入り、外側へ向けて爆散した。

 

 光りを受けて煌めく氷片を潜り抜けてホールの内部へ足を踏み入れた。最初に目に入ったのが黒いドーム。そして目を丸くする二人の魔法少女。

 

「ここに居たか」

 

「どうしてお二人がここへ!?」

 

「巴、突然ですまないが、詳しい事はあとで話す。まずはあそこに居る魔女を何とかしてからにしないか?」

 

 マミの驚きを受け流し目線で促す。まだ籠り続ける魔女の居場所は美鶴のペルソナのお陰で筒抜けになっている。これだけ近ければ見えずとも魔女の正確な位置も手に取るように分かる。

 

「先輩の言うとおり、先にアレ倒そうぜ。なぁ、ほむほむ」

 

「ほむほむ?」

 

 氷で出来た剣を肩に担ぐ順平に謎のあだ名を付けられるほむら。突拍子も無さすぎて思わず復唱してしまう。会って2日の相手にあだ名を付ける順平もどうかと思うがネーミングセンスもなかなか斜め上を行く。いきなりそんな呼び方をされてもいい気はせず、少しむっとした顔になる。

 

「ほむほむって魔法少女とか言うんだから魔法使えるんだろ? ちと見せてくれよぉ」

 

「…………その"ほむほむ"って言うの、やめてもらえないかしら? ものすごく嫌なんだけど」

 

 まどかに呼んでもらえるなら考えなくもないが、そう呼んだのは会って2日の順平だ。悪い気しかしない。実際、順平はほむらからすれば苦手な人の部類に入る。元々人とのコミュニケーションが得意ではなかったほむらは、テンションの高い人物や茶化したりする人物との会話では停滞してしまい、順平がそれに該当する。身近な人で言えば、真っ先に美樹さやかが思い浮かんだ。この点を取れば順平とさやかはどことなく性格面で似ているのかもしれない。

 

「伊織、私があれの表面を凍らせる。君はそれを叩き割ってくれないか」

 

 ほむらと順平の会話に割って入ったのはやはり美鶴。二人が話していても気にせず中断させ主導権を持っていく。魔女を前にして二人の会話は確かに必要なかったので仕方ないといえば仕方ない。自分を『ほむほむ』と呼ぶのを矯正するチャンスを逃したのは少しもったいなかったが。

 

 ともあれ、ほむらを放って話しが勝手に進んでいく。美鶴の発言を聞いた感じなにやらペルソナ使いの二人が魔女を倒す流れになっていた。

 

「あの、桐条さん。一体なにを?」

 

「目の前のドームから魔女を追い出せばいいのだろう。隠れる場所がなければ魔女も動く」

 

「桐条さんそれは…。魔女を倒すのは魔法少女の役目です。関係のないペルソナ使いの方にやらせてしまうのは…」

 

「…これもまた勝手な事なのだが、実は私達は君らに聞かなくてはならないことがあってな。魔女が居ては落ち着いて話しも聞けん」

 

「私達って、他の人も?」

 

「ああ、そうだ。…あそこに居る魔女を持て余していたようならあれを破る手助けくらいはさせてもらえないだろうか? 止めは君達に任せる」

 

「それなら、分かりました…」

 

「重ねてすまないな…。準備はいいか?」

 

「期待しててくださいよ!!」

 

 召喚器で二人同時にペルソナを呼び出し、紅い魔術師と青い女神が姿を見せる。アルテミシアが手に持った鉄の鞭で蔓のドームを勢いよく叩きつけた。その箇所から氷の膜が全体に波及する。瞬く間に氷漬けになったドームの上空にトリスメギストスが滞空している。三対の金翼に灯った炎が燃え盛りドームの天辺へ全体重を乗せた一撃を食らわせた。

 

 ビキリと小さなひびが走る。そこから一気に広がり氷漬けだったドームは粉々に崩れ魔女の姿を顕にした。頭には溢れそうなほど飾られた赤い薔薇。見ない間に随分と魔力も増強されドーム内に立ち込めていた呪いと邪気がホール全体に解き放たれる。

 

「あんなんが魔女ってか? グロ過ぎんだろ!」

 

「あれが魔女……醜いな。ここからは頼む」

 

「――はい」

 

 初めて見る魔女に対しまどか達と大差ない感想を抱く。思い描いていたのは鍔の広い三角帽子を被った典型的な風貌の魔女。予想外の見た目に驚愕するがすぐにペルソナを下がらせマミ達に止めを譲る。

 

 ドームの決壊が魔女にとって想定外の出来事だったのか、何がどうなったのか理解が追いついていない様子。その隙を逃さず咄嗟にマミがリボンを伸ばして今度こそ魔女を捕えた。絡め取られたところでようやく事態の急変ぶりに気付き必死の抵抗で暴れ始める。

 

「暁美さんお願い!」 

 

「今度こそ――」

 

 動きを封じられその場から逃れろうにも逃れられない。そんな魔女にほむらが与えるのは戦車を一撃で無力化出来る兵器『RPG‐7』。痺れもだいぶ引いてきたのでこれくらいなら撃てる。的も大きく照準を合わせやすく、トリガーに指をかけた。

 

「終わりよ!」

 

 肩に担ぐ筒から白煙を噴いてロケットが魔女一直線に目指して突き進む。白い軌跡を辿った先の魔女は迫る科学の結晶に死を悟ったのか、抵抗をやめ正面からそれを受け止めた。大好きな薔薇に囲まれて逝くならばここで命を終えるのも悪くない。そんな風にさえ思える諦めの良さだった。

 

 熱波が魔女を包み込み炎を上げて燃え盛る。断末魔もなしに項垂れ魔女は絶命して消滅した。灰も残さず消え去りそこに居た痕跡さえもう見当たらない。ほむら達の勝利で魔女との戦いはあっさりと幕を下ろした。

 

 

 

 

 

 リボンの結界を解いて、マミがまどかとさやかを自分たちの居る所に降ろす。美鶴達の登場で本質を見失いかけるが、今回の魔女退治はまどか達の為に行われたものと言っても過言ではない。

 

「いやぁ~、今日はすごいもの見ちゃった気がするよ。最後の畳み掛けなんてまるでアクション映画でも見てるみたいだったしね!」

 

「もう、美樹さん。遊びじゃないのよ? と言っても、あんな戦い方は私達には到底できないやり方ね」

 攻めあぐねていた魔女を前に、ホールの壁を氷塊で大穴を空けて豪快な登場をしたペルソナ使いの二人。姿を見せた早々に美鶴が簡単に順平へ魔女の巣窟を破壊する手順を告げ、即座に実行して成功させた。それを先駆けとしマミも遅れを取らず魔女討伐の成果に貢献した。もし美鶴等が訪れなければ二人は苦戦を強いられかなりの長期戦に持ち込みかけたに違いない。大規模な氷漬けにするなどあんな戦法をとれる特異な魔法少女はそうは居ない。

 

「でも驚きました。突然桐条さんが壁を壊して現れたんですから。一体どうしたんですか?」

 

「ああ、それなのだがな、暁美にも聞きたい。昨日私達に会った後、これをどこかで見なかった――」

 

「なぁ、あれなんだ?」

 

 美鶴の言葉に耳を傾けていたほむらに順平が肩をつついて聞いた。順平の指差す先には、ピンポン玉くらいの大きさの球体に2本の針が付いた黒い物体が直立していた。落ちている場所は魔女を滅ぼした焼け跡付近。針から血管のようにうねる細かな装飾が施され、球体を包み込み、中心に黒い物体を抱えている。それは虫が外に飛び出すのを留めている繭のようにも見えた。

 

 会話に横槍を入れられ順平に咎める視線を送る美鶴。美鶴の話に邪魔をしてしまったのに気付きたらりと汗が頬を伝っている。マミが思い出したようにそれへ近付き拾い上げる。美鶴が訝しげな顔で尋ねた。まどかとさやかも気になってか身を乗り出して覗き込む。

 

「それは?」

 

「グリーフシード。魔女の卵よ」

 

「ま、魔女の卵…?」

 

 さやかは魔女の卵という答えに少し怯えを感じている。まどかもさやかの影に隠れて様子を窺う。

 

「魔女の卵などそのままにして危なくないのか?」

 

「大丈夫、その状態では安全だよ。むしろ魔法少女にとって有益で貴重なものさ」

 

 陰に隠れているまどかの肩をキュゥべえがするりと登る。いまいちキュゥべえが何を考えて言っているのか表情に変化がないので分かりにくい。美鶴もキュゥべえがグリーフシードを悪いだけの物と言い切らないので様子見で腕を組み観察に回った。

 

「桐条さん、このグリーフシード頂いてもよろしいですか?」

 

「ん、ああ。かまわない。どうせ私達には使い道など分からないからな。気にせず使ってくれ」

 

 グリーフシードへのこだわりを示さず快く承諾する美鶴にお礼の言葉を返しまどか達に向き直る。髪飾りに形を変えているソウルジェムを取り外し二人へ見えるよう差し出す。見ればソウルジェムの深層に黒いものが燻っていた。

 

「私のソウルジェム、夕べよりちょっと色が濁ってるの分かる?」

 

「言われてみれば…」

 

 確認させたあと、ソウルジェムにグリーフシードを重ねた。するとソウルジェムから濁りが浮き出しグリーフシードに移り、一点の曇りもなく元の輝きを取り戻した。

 

「あ、キレイになった」

 

「ね。これで消耗した私の魔力も元通り。グリーフシードは穢れを取り除きソウルジェムの失った魔力を取り戻せる唯一のアイテムなの。魔女を倒した見返りっていうのもあって、それがこれなの。暁美さんも使うでしょう? あと1回くらい使えるだろうから」

 

 感心する二人の隣に佇み見守るほむら。マミはほむらの左手の甲に填め込まれたソウルジェムを見て差し出した。ほむらのダイヤ型のソウルジェムも僅かだが濁り魔力を消費している。とマミが申し出てグリーフシードを差し出してきたがほむらは首を振って拒否の意思を示して受け取らなかった。

 

「いえ、私はまだストックがあるから大丈夫。巴さんが使って下さい」

 

 ストックがあるのは本当だが、それが受け取らない本当の理由ではなく他にある。グリーフシードを遠慮もせず手に取れば貪欲に思われるかもしれず、マミの知る一人の魔法少女と重ねられては困る。だからグリーフシードに興味を示さないようにして敢えて距離をとろうとした。下手をやらかしたくはないのだ。

 

「そう言わないの。私達でとった物なんだから。まぁ、お二人の手助けはあったけど」

 

 マミはそれで引くどころか、押し付ける形でほむらの手に握らせた。まだ穢れを受け入れられるくらいは余裕がある。

 

 これも最近契約したと言ったほむらへの先輩としての振る舞いを意識してのことだろう。彼女なりにも自分の事を信じようとしてくれているのだ。彼女から近づいてくるのを待つより自分から近づいた方がいいのかもしれない、とほむらは考えた。

 

「じゃあ、頂きます」

 

 

 

 

 

「うおー! 出ろ、あたしのペルソナぁー!」

 

 さやかが吼える。さっきの順平達に影響されてかペルソナが出ないか試していた。もちろん召喚出来る筈がなく、何も起きない。

 

「違うぞさやか! もっとこう、『うおぉーーー!!』って感じにだな!」

 

 順平が手本を見せ、それをまた真似するが変化はない。二人とも悪ふざけでやっているので遊びのつもりだ。魔女を倒してからしばらくこのような調子で交流を交わしている。さやかがペルソナに強い興味を持ち順平と二人悪ふざけでコミュニケーションをとる。元々気の合いそうな両者は似たパーソナリティの持ち主だったので馬がそれなりに合っていた。

 

 そんな中、少し離れた所で一点を見つめて微動だにしないキュゥべえ。視線の先には先ほど美鶴がホールへ入ってくる際空けた大穴がある。キュゥべえの隣に立ってもただ目を逸らさず尻尾を振り続けるだけ。

 

「どうしたのキュゥべえ?」

 

 返事の無いキュゥべえを、まどかが心配したのか抱き上げる。それでもキュゥべえは視線を逸らさず見つめている。どうしたのかとまどかも一緒になって見る。ホールの穴は真っ黒で光がなく一寸先も見えない。付近には砕けた溶けかけの氷と瓦礫が積まれているだけだ。

 

 しかし数秒見つめていると、そこからは得体の知れない威圧感が漂ってきた。それを僅かだが感じ取り、一歩足を引いた。魔女の怒りや呪いよりも一層質の悪いどす黒く邪悪な気配。圧倒的異常性を孕んだ何かが穴の先に存在している。まとがはそれ以上そこに留まっていては正気でいられなくなる気がし、キュゥべえを抱えたまま、踵を返してほむらの近くに小走りで寄ってきた。

 

「どうかしたの、まどか?」

 

 キュゥべえを抱えていなければもっと嬉しかったが、まどかが不安そうな顔で身を寄せてきたので優しく語りかけた。キュゥべえを抱えていない空いている片方の手で、ほむらの服の袖を掴んでいる。掴んでいる手は震えており、ほむらにまで震えが伝わってくる。

 

「まどか大丈夫?」

 

「ほむらちゃん…ここから早く出よう」

 

 明らか何かに怯えた様子だ。まどかの腕の中のキュゥべえが身を動かして離れ地面へ降りる。そんなことは気にも止めず、まどかの袖を掴んでいる手に一層力が込められ、ぎゅっと引っ張られる。下からキュゥべえが見上げてくる。

 

「何かおかしいことに気付かないかい?」

 

「……何かおかしい?」

 

 意味深なことを言うがよく分からなかった。まどかが何に怯えているのかも、キュゥべえの発言も。おかしいと思うことは現時点何もない――そう考えた。

 

「さっさと出ましょうや先輩。やることあるんですし」

 

「そうだな、いつまでもここに居る必要はないな。巴、悪いが外に案内してくれないか」

 

「あっ、はい。って、え……?」

 

「どうした?」

 

 この会話を聞いて、マミ同様違和感に気付いたほむら。キュゥべえの言いたいことが理解できた。彼女達が居たのでそちらに注意が回らなかったが、考えてみれば分かることだった。マミがほむらに目を向けて頷く。

 

「暁美さん…!」

 

「ええ、今気付いたわ。魔女を倒した筈なのに――」

 

 魔女も使い魔も居らず、半壊したホールを静寂が支配する。それが異常なことだった。本来ならば主の居ない空間など手入れもある筈がなく、すぐに荒れ果ててしまう。しかしいつまで経っても崩壊は訪れず残っている。

 

「結界が崩壊していない…!」

 

 

 

 

 



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 戦いのあと(2010,5/7)

 

 

「――ああ、そうだ。…ゆかりや他の皆にも伝えてくれ。詳しい事は集まった時に話す……頼んだぞ、明彦」

 

 会話を終えて携帯電話を折り畳み、溜め息が漏れる。鎮痛な面持ちと低い声色が美鶴の心情を表していた。場所は魔女の結界ではない。夕暮れに染まりかけている人気のない廃墟の外。真っ赤な太陽に照らされ、美鶴の赤い髪がより赤に深まっている。

 

 電話の相手は長年連れ添った自分と同じ年のメンバー、真田明彦。取り敢えず用件は手短に話し、他のメンバーへの伝達を真田に頼んだ。理由を話した時は携帯越しで質問責めにまで発展しかけ、今さっき落ち着かせ電話を切ったのだ。

 

「どうするおつもりで?」

 

 数分前、美鶴が手配し到着した車、リムジンの扉付近に立つマミから投げ掛けられた。マミを見れば心配そうな眼差しを送られていた。但し心配なのは美鶴自身の事ではない。意識が向けられているのはリムジンの中に寝かされているスーツを着た一人の女性だった。視線をマミから中に居る女性へと移す。

 

「責任を持って女性は桐条グループが保護する。この件に関しては、桐条グループも大きく関わっていると言わざるを得ん。今後の事を考慮するなら尚更、無視できん」

 

「そうですか。でも桐条グループが関係してるって」

 

「……その事についてはあまりおおっぴらには話せないんだ。時期が来たら話させてもらう、すまない。…謝ってばかりだな」

 

「いえ、そんな事。無理に言わなくても大丈夫です」

 

「そう言って貰えると助かる」

 

 礼を言って微苦笑を浮かべる美鶴。桐条グループ関連の事は一般人のマミには言いづらいものが必然的に多くなる。その所為で迷惑や不便を強いるとなると、美鶴の良心も痛んでくる。

 

 リムジンから少し離れた所にほむらと順平、まどかとさやかにキュゥべえが集まっていた。

 

「これからあの人どうなんの?」

 

 さやかの顔は明らかに不安が滲んでいる。腕に寄せられるまどかも不安を隠しきれていない。なにせ結界の中では美鶴や順平も予想にしなかった出来事が起きていたのだ。その分衝撃も大きかった。騒動の中心となった人物は瞼を閉じて眠っている。魔女と戦う直前、ほむらが助けたスーツ姿の女性。

 

 魔女を倒した後の事を思い出せばますます疑問が募るばかり。それを踏まえるとこの女性の処遇がどうしても気になる。

 

 眠っている、とされる女性だが気を失っているのであって、睡眠しているのではない。目が覚めても会話すらまともに出来ない廃人のように呻くだけ。なので状況を混乱させないためにほむらの魔法で意識を奪っている。魔法にもいろいろあり、ほぼ全ての魔法少女が初期に会得する魔法がある。治癒と簡単な暗示の魔法。この内ほむらが女性に使用したのは暗示の魔法。直接魔力を対象へと流し込む事で意識を刈り取ったりできる。これの延長線となると、精神的に弱った人などならある程度の行動を操ることが可能になる。ただし元々魔法の性質が催眠や幻惑、精神干渉の類の魔法少女と比べるとその精度と規模、影響力は雲泥の差もあり、魔法少女相手には効き目もない。オプションというのに変わりなく、魔法少女となった副産物に近い物。

 

 閑話休題。

 

 結界で起きた事を考えるとさやか達が心配するのも無理もない。順平もどうなってしまうのか見当もつかないが、二人をこれ以上心配させないよう明るく振る舞った。

 

「大丈夫だって。病院に連れて行きゃあ助かる見込みあるんだしよ。さやかもあんまり聞いた事ねぇだろ、これで死んだなんて人」

 

「そうだけど…」

 

「全国でも発症した人の数は多かったけど、死亡者はほんの数人。助かる可能性はある筈よ」

 

 優しく語りかけるほむらだが、内心はさやか以上に整理がついていない。経験した事のない現状にこれまでの知識と思惑が通用するかどうか全くの不明。明瞭としないこれからに不安が支配し、暗澹たる心持ちである。さやかへ向けた言葉も、本当は自分を紛らわすためなのかほむら自身も分からない。

 

 ふとまどかを見る。疲労の色が顔に出ていた。今日の魔女退治にはほむらとマミも同行する事で楽観的に赴いたのだろうが、結果、思いも寄らないハプニングが起きた。日常から一変、前触れもなく生死の狭間を垣間見る体験をしたのだから当然と言える。一歩まどかに近付き声をかける。

 

「大丈夫まどか? なんだか顔色が悪いわ」

 

「そう、かな? わたしは大丈夫だよ。それよりほむらちゃんも大丈夫?」

 

「私こそ大丈夫よ、何ともないわ。貴女の方が心配ね。…まどか嘘は駄目よ、無理しない方が良いわ」

 

「あはは、やっぱりバレちゃってた? ホントはあまり大丈夫じゃないみたい…」

 

 さやかの腕から離れてまどかも一歩踏み出してきた。表情だけ見ると深く読み取らなければ何ともなさそうだが、膝や肩もまだ小刻みに震えている。まどかが震えているのを見ていられず、肩に左手を置くと震えが止まった。

 

 単純な怯え。人が感じやすい感情の一つ、恐怖。そして最も周りに伝播しやすい感情。命に対する脅威である死がその代表となる。戦いを知らないまどかなんかが、そんなものに囚われ続けていると精神に支障をきたし兼ねない。不安と恐怖を払拭するため、触れた手から出来るだけ温かな魔力を送り込む。恐怖で凍えた氷のような心を温めるイメージを浮かべて。

 

 次第にまどかの顔にも生気が戻り顔色も良くなった。これで心配もないだろう。

 

「ありがと、ほむらちゃん。ほむらちゃんの手、あったかいね。わたしの手はちょっと冷たいや」

 

 置いた手にまどかの小さな手が重ねられる。

 

「手が冷たい人は心があったかいって言うわ。まどかもきっとそうなのよ」

 

「えへへ、ほむらちゃん」

 

 もしこの場に仁美が居たら間違いなく『きましたわー!』と歓喜に叫ぶような状況。幸せ臭を漂わせるほむらとまどかを横目に、順平とさやかがニヤニヤと意味深な笑みで会話を始める。

 

「おうおうおう、見せつけてくれるじゃねーか。ほむほむの奴まどっちとはあんな仲だったのか?」

 

「いやぁー親友であるあたしの知らない内にほむほむと急接近してたのは驚きですわー。さやかちゃんも寂しくなっちゃうわー」

 

「あれ、さやかお前、彼氏いんじゃねえの? 恭介だっけか。ま、オレっち彼女? いるけどな!」

 

「いやだからそれ関係ないって! てか順平さん彼女いんの!?」

 

「順平さん、変なあだ名つけないでと言ってるでしょ!! まどかもきっと嫌がってるわ」

 

 別のところでまどかにもあだ名がつけられているのを聞き取り、順平に詰め寄る。この際自分にあだ名が定着するのは目を瞑るとして、まどかにつけられてしまうのは頂けない。

 

 にやりと順平の笑みが深まる。食いついたほむらを視界の端に置いてまどかに聞く。

 

「まどっちは嫌だったか?」

 

「え、えっと、わたしは別に嫌という訳じゃない、かな? ほむらちゃんのほむほむもとっても可愛いと思うよ?」

 

「ほむほっ――!」

 

 ほむらの中でまどかの台詞が反響を繰り返す。『ほむらちゃんのほむほむ』この響きの良さのなんたるものか。元凶となった順平など最早彼方へとフェードアウト。まどかにそう呼ばれるなら良いのではと思い始めたが、慌てて振り払いトリップしかけた意識を取り戻す。

 

(落ち着きなさい暁美ほむら! このままでは順平さんの思うつぼよ!)

 

 気をしっかり持ち、正面に立つ順平の策略を阻止すべく意識を向けた。取り乱していては相手の狙い通りで弄られ続ける事になる。それはどうあっても避けねばならない。さやかと順平が二人揃って標的を一つに絞れば、立ち向かって打破する道が閉ざされる。まずは火種となった順平から――

 

「それでも私は認めないわ。今すぐやめなさ…あれ?」

 

 一体どこへやら、順平の姿がなく忽然と消えていた。まどかも見当たらずマミや美鶴も見えない。リムジンの中で動くものが目に入りそれを見た。目を凝らして黒いガラスの向こうを覗うと、こちらに手招きするまどかだった。どうやらまどかの台詞が頭の中を巡っていた時間が自分では気付けぬほど長かったらしく、一人残されていた。まさかそんなに時間が経っていたとは夢にも思わず、自身に驚愕する他なかった。

 

「ほらほら、早く。ほむら待ちよ」

 

「えっ、ちょ!?」

 

「居なくなってたのに気付かなったとか、あんたどんだけよ。順平さんも弄るの飽きて乗ってるから」

 

 背中を押すのは動かなくなったほむらの回収を引き受けたさやか。呆れているのか、それとも普段は才色兼備で優秀なほむらの抜けた一面を見て世話を焼きたかったのか、皮肉とも取れない微苦笑が張り付いている。

 

 押されるがまま開けられたドアからぐいぐいと車内に乗り込まされる。傍から見るとまるで誘拐現場のようなシーンだが待たせているのはほむら。抵抗など出来たものか。さやかの押しから逃れるため自分で足を踏み入れる。車内にはほむらとさやかを除く全員が揃っていた。スーツ姿の女性も横に寝かされて乗せられている。

 

 一歩奥へ入ると芳醇なアロマの香りが鼻孔をくすぐった。上品な甘い香り。しかしいつまでも残るしつこい物でなく、鬱陶しく思わない濃さで保たれている。内装も豪華な作りとなっており、全ての一つ一つが職人の手によって施されていると感じられた。光沢のあるシーツに車外と隔絶するビロードのカーテン。どれを取っても到底一般ピープルが手の届くものではない。

 

「うわぁ、リムジンとか初めて乗っちゃった」

 

 奥へ進むと車体が左右に僅かだが揺れる。空いている席に座り、全員が揃ったのを美鶴が確認して運転手に告げた。

 

「では…出発してくれ。場所は見滝原病院」

 

「えっ。桐条さんこの人、見滝原病院に運ぶんですか?」

 

「ああ、話も既につけてある。皆もそこに向かってもらっている。何か用事でもあったか?」

 

「えっと、まぁ、用事なのかな?」

 

「そうか。なら君もそこで済ますといい」

 

 ここで会話は途切れた。聞こえるのは小さなエンジン音、それっきりさやかは返さず静けさが漂う。ほむらはまどかの方を目だけ動かした。静かに口を結んで喋り出すつもりはないらしい。帽子の下にある順平の表情は何か思い詰めているのか一点を見つめている。美鶴も順平同様、腕を組んだまま瞬きしかせず、思い詰めている。

 

 寝かされた女性を心配そうに眺めながら隣に居るキュゥべえを撫でるマミ。カーテンの間から射し込む夕日が黄色の髪を淡く照らす。

 

 ゆらりゆらりと車に揺られ、少し時間が流れ、美鶴の吐息の音で沈黙は終わった。自然と視線が美鶴へと集まる。おもむろにガンベルトのホルダーから召喚器を取り出し、ほむら達が見えるよう差し出した。銀色の銃。銃口は弾が出ないよう塞がれており、銃としての機能は見た限りでは果たしていないよう思われる。その召喚器がどういう意図を持って差し出されたのかほむら達四人は考えた。

 

「……この召喚器、昨日私達が去った後、そして私と伊織に出会う前まで、どこかで見たことはないか?」

 

「これをですか? わたしはないです」

 

「あたしもないかな」

 

「私もね」

 

「私もだけど、それが何か?」

 

 もし日常の中で見ていたとしたら忘れようがない代物だ。そんな物を昨日の夕方から今日のさっきまでで目にしなかったかと聞いてくる美鶴の質問が不思議に思えた。

 

「実は私達がまた見滝原へ戻って来た理由はだな、これを探す為なんだ。我々の持つ召喚器の内一つが昨日港区へ帰ってから紛失していた事に気付いた。もしかすると巴の家に置いていってしまったのではないかと思ったんだが、無断で入る訳にもいかず二人で巴を探すことになった。結果、魔女と交戦中の君達が見つかったという訳さ」

 

「だからあの時に。でもその召喚器、私の家では見かけませんでしたよ。ねぇキュゥべえ?」

 

「そうだね。確かに昨日君達が去ったマミの家でそれを見た覚えはないね」

 

「なかったのか…。ならどこへ? 落としたなどあり得ん…」

 

 腕を組み再び自分の世界へと入り込んでいく美鶴。真剣そのものでとても軽い気持ちで探しているようには思えない。相当その無くなった召喚器が大切な物なのだと言われずとも理解出来た。

 

「大切な物なんですね」

 

「大切もなにも、形見みたいなもんだからよ。だから皆必死んなって探してんだぜ」

 

「形見ですか、それはつまり仲間の……。やっぱり伊織さん達も命懸けの戦いをしてきたんですね」

 

「まぁな。でももし誰かが盗んだとかならそいつをギッタンギッタンにしてやんだからよ!」

 

「…… 見つけ次第…『処刑』だな 」

 

 『処刑』の部分が嫌にはっきりと聞き取れた。自分に言われた訳でなくても無意識にほむら達四人は、ごくりと喉を鳴らして唾を飲み込んだ。『桐条』と言う一つの組織を束ねる美鶴の行う処刑がどういうものなのか想像すらつかないが、戸籍から抹消されるかもしれない。それほどに今の美鶴の言葉は重みのある一言だった。

 

「ま、またもし見かけたら伝えるんで落ち込まないでください! ねぇ、まどか!」

 

「う、うん。わたしも協力するんで桐条さん!」

 

「…本当か? 助かる。やはりこちら側は見滝原について誰も詳しくなくてな、そう言ってもらえると心強い」

 

 二人のフォローで美鶴の眉間によった皺は消え、普段の調子に戻った。美鶴の事をそこら辺の魔女より一瞬でも怖いと思ったのは当然とも言える。美鶴の使役するアルテミシアの本質が狩猟民族アマゾネスの崇拝する狩りの女神、アルテミスという闘争を兼ねた神から来ているのもあり、ある意味その闘志を感じ取ったに近い。ペルソナは使う本人の心そのもの。即ちアルテミシアは美鶴の秘められた激情が形となったのと変わりない。

 

 感情の強弱が大きく自分の感情を制御できる程、ペルソナはペルソナ使いの支配下に納まり、力となる。逆に自身の在り方を理解していなかったりただ感情的なだけではペルソナを扱えず発現も出来ない。行き先のない感情に振り回されるとペルソナは答えてくれる事はない。

 

 その点で言えば美鶴は完璧に近いペルソナ使いだ。戦い以外なら才色兼備で文武両道もこなし、特別課外活動部をまとめるリーダー的な人格。そして戦いとなると、人が変わったかの様に激情家の一面が現れ敵を叩きのめす戦士。順平もペルソナ使いとして負けてはいないが、最もペルソナを使役してきた時間の長い美鶴には敵わない程。美鶴に勝る実力を持つのは特別課外活動部にも所属する。数多のペルソナを使い分ける特殊体質の者だけだろう。

 

 

 

 

 

「そろそろ着きそうね」

 

 二人がフォローを入れている間もリムジンは目的地を目指し走っている。ほとんど信号に捕まらずスムーズな走りで見滝原病院へ向かうリムジンの中は時間の流れを忘れてしまう。

 

 出発してからまだ20分も経っていない。女性を安全に運べているのも全て美鶴が手配したこのリムジンのお陰と言えよう。救急車は急いで搬送するのが重視されているらしく、勢いづいた速度は患者にかかる負担も大きい。リムジンなら救急車と比べても揺れも小さく少ない。女性も急を要する容態には至っておらず美鶴達でも同席できるリムジンが都合も良かったのだ。

 

 道路を進むと立ち並ぶビルの集合地を抜けて背の低い建物が詰め込まれた区間に出た。その見通しのいい場所に堂々たる佇まいで構える四角の細長い建造物。一見すると病院には見えないがこれもれっきとした病院の一つ。都市の中心部を埋める高層ビルとさほど変わりない外観。市内最大を誇る大きさは比較する対象のない遠くから確認出来た。

 

 道路から逸れて町中の端から端まで張り巡らされた立体道路に移り、リムジンの速度が速まった。信号もほぼない立体道路を走る車はどれも遠慮のない速さで進んでいる。ひたすら続く道路をぐにゃぐにゃと曲がりくねってようやく病院の前に着いた一行。病院の搬送口で車を駐車し、先に降りた美鶴が待ち構えていた医師と数回言葉を交わし順平達を引き連れて中へ入っていった。

 

「先輩、さっきの女の人大丈夫なんですか? 連れてかれましたけど」

 

「あの医師達は桐条グループにも関係している者になる。実はというと、ここの病院も桐条系列でな、後で私も交えて今後の事を話し合う。今は集まっている皆への説明が先だ」

 

 他のメンバーを振り切ってしまいそうな速さの足取りに、まどかやさやかは追い付くだけで精一杯。受け付けを横切ると一人の看護師が美鶴達の前に出てきた。軽く頭を下げてくる看護師は自分が案内人だと申し出て、六人を二階へと連れて一室に案内した。

 

 会議でも行うような広い部屋。キャスター付きの机が幾つも並べられ椅子もあった。入って左側、そこには特別課外活動部の何人かが揃っていた。真田と天田の二人だ。そこまで近付き足を止める。倣ってほむらも止まり椅子の背もたれに手をかけた。

 

「待たせたな明彦。…揃っていないのはゆかりとアイギスに山岸か」

 

「あいつらもあと少しで来るだろう。さっき連絡があった。だがまさか俺達の居ない間にそんな事があったとはな……」

 

「ああ、正直私も理解が追いつかん」

 

 神妙な面持ちの二人。知っているのは真田だけらしく、天田は順平に何があったのか聞きだそうとしている。

 

「あの桐条さん…」

 

「どうした巴?」

 

「これは私達も居ていいお話なんですか? そうでないようなら私達は外で待っていますけど」

 

「いや、君らも一応聞いておいてくれ。証言者には居てもらいたい」

 

「解りました」

 

「証言者? そうか巴達は美鶴と一緒だったんだな。その様子だと伊織よりしっかりしてそうだ」

 

 冗談か本音か判断しづらい言葉を受けて、順平はもう慣れたと諦めて肩を落としている。それよりゆかり達が揃うのを待っている間の時間を活用して、美鶴は頭の中で報告内容を整理するのに追われていた。

 

 一人被害者を生んでしまった今回の件だが、責任が誰かにあるのかと言われればそれは違う。これは美鶴や順平が関与してなくても起きた可能性のあるもので、誰も予期せぬ事態だった。

 

 こんこんこんと閉められた扉を速いテンポで叩かれ、勢いよく開けられ三人の少女が入ってきた。

 

「緊急の集合命令って、彼の召喚器見つかったんですか!?」

 

 ピンクのカーディガンを羽織ったゆかりは開口一番そう聞いた。後からアイギスと風花も続く。ゆかりと風花はここまで急いで来たのか汗をかいているがアイギスは息さえ乱れていない。

 

「そういう訳ではないんだが、それに並んで重要な事なのは確かだ。まずは席にでも着いてくれ」

 

「それに並ぶって、まぁ……解りました。風花も座ろ。アイギスも」

 

 疲労でも溜まっていたのか足早に椅子へ腰をかける三人。アイギスだけは涼しい顔をして美鶴の言葉に耳を傾けている。わざわざ捜索を中断までさせて呼び集めたのだ。相当重要度の高い報せと思って間違いない。

 

「…で、美鶴。結局どういう事なんだ? 電話で言ってただろう、話してくれ」

 

「話すさ。その為に皆を集めたんだ」

 

「何かあったんですか?」

 

「奴が現れた」

 

「奴?」

 

 奴とは何か脳内を模索する三人。特にアイギスはこの状況で召喚器探しより優先とされる事項をすぐに弾き出した。自分達は特別課外活動部。シャドウ掃討を目的とし活動していた組織。ただし、まだ美鶴から明確な事は言われないので憶測を出ない事は口に出さないでいる。

 

「私達と関わりの深い相手。ゆかり、君もよく知っている。ゆかりだけじゃない、天田に山岸もアイギスもだ」

 

「それってマミちゃん達以外全員…?」

 

 ゆかりと風花。二人は疑問を浮かべ見渡す。アイギスはそれを聞いて言い様のない不安を覚えた。予想していた事を言われてしまいそうな不安。出来れば当たってほしくない現実逃避の念が溢れる。そんな事があってはこれまでやってきた努力が無意味になる。そして自分達と関係のあると示唆されほぼ確信へと移り変わり始めていた予測。美鶴はこう続けた。

 

「魔女の結界でシャドウが現れた――」

 

 

 

 

 



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 銃声(2010,5/7)

 

 

 

 

 ――結界。それは魔女が作り出した独自の領域。中は魔女それぞれに違い、千差万別の装いで魔法少女達を毎度の如く驚かせるばかり。コンサートホールを模してオーケストラの使い魔が終わりなく演奏を続ける赤と青の結界や、巨大なキャンディにクッキー、ケーキといったお菓子が散りばめられた甘ったるい結界。どれも見飽きる事のない摩訶不思議な圧巻の世界だが、結界の存在する意味は訪れた魔法少女を驚かせるためではない。普段から魔女は結界の中に姿を隠し、外に居る負の感情を抱える者や気に入った人間を口付けで魅了して引き込む。引き込めばあとは美味しく料理して頂くだけ。結界は魔女にとっての住処であり餌場でもある。

 

 そしてもう一つ、魔法少女から身を隠すこと。結界の中は外に比べると魔力の隠蔽率が段違いに高い。魔法少女も魔女も普段無意識の内に微量ながら魔力を放っているが、結界はその外部に漏れ出す魔力を大幅にカットできる。よって魔女は極力結界を出ず、引き篭りの生活を送る選択を取る。これも魔法少女に見つからないようにする技だ。

 

 人間を食うとしても魔女狩りよろしく基本魔女は狩られる立場にある食物連鎖の中層に位置するのが大半。中には挑んで来る魔法少女をことごとく返り討ちにする強力な個体もいるが、それも稀なもので永い年月を生きる強力な魔女は一握りに過ぎない。魔法少女の生きる糧とならないよう日々使い魔の生産や結界ごと移動するといった行動に出ている。

 

 しかしその結界も魔法少女に討たれて作り出す魔女が居なくなれば元から無いのと同じで、すぐに安定を失い消えてしまう。魔女のもとを離れて一匹だけで結界を張れる使い魔でも居ないなら結界とは簡単に消滅てしまう儚い空間なのだ。

 

 

◆◇◆

 

 

 見滝原病院に向け出発する時刻から時間を少し遡った数十分前。マミ達と接触し魔女を倒した後の事。主を亡くしても尚、揺らぐ事なく結界はその存在を維持していた。二人の魔法少女はそれに気付くと、緩めた気持ちを引き締め腰を僅かに落とした。

 

「それってなんかおかしいことなのかよ?」

 

 ほむらに向かって聞くが返事はない。黙り込んで物を言わないほむらを不審に思いながら今度はマミの顔を見た。こちらも険しい表情のまま目だけを動かし周囲を警戒していた。神経を研ぎ澄ます二人の魔法少女に気圧され、問い掛けた順平も醸す空気に呑まれ、緊張が高まっていった。ぴりぴりと肌を刺す緊迫した空気が場を満たす。これまで毎夜の如く死線を潜り抜けてきた順平は、経験から油断できない状況だと思い自身も警戒を高めた。

 

 隣に立つさやかは事の異変に気付けていない。結界が消えていないのがおかしなことだと言われてもその重要性にピンと来ず、頭の上にクエスチョンマークが浮かぶばかり。それでも非常事態というのは雰囲気から察せられ、能天気で居られるほどさやかも馬鹿ではなく、普段の明るい性格の仮面をしまい不安気な面持ち。

 

「私は伊織と二人で来た訳だが…君たち以外に誰か仲間は結界の中に居るか?」

 

「いえ、ここに居る私達だけです。それが…?」

 

 ふと美鶴がマミに顔を向けず聞く。鋭いつり目をさらに細め、マミ同様辺りへ注意を届かせる。美鶴は自分達の通って来たペルソナで空けた大穴を見て言った。

 

「……なら、あそこに居るのは誰だ?」

 

 溶けかけの氷もほとんどが水に戻り瓦礫だけを残すその仄暗い穴の向こう。注意深く目を凝らせば僅かだがゆらりと動く影が見える。使い魔ではないことはシルエットから見て取れる。ゆっくりとした足取りで暗闇から出て見えてきたのはスーツ姿の女性だった。年齢は20代前半かその辺り。服装を見る限りOLだろう。しかし、こんな所に居るのは部外者である美鶴達からしてもおかしかった。

 

「なんであんなとこ居んだ?」

 

「あの人さっきほむらが助けた人じゃん!?」

 

 女性が明るみに出た途端さやかが声を上げて言う。美鶴らがここへ訪れた時には見なかったが、他の者には覚えがあるようだ。取り敢えずどうやって結界の中に入ってきたのか分からないが今はそんなことなど関係無く、女性の身の安全が優先される。けれどそう思うことを含めても不審感を禁じ得ず、助けたであろうほむらも怪訝な顔で女性を見て様子を窺っている。

 

 不自然といえども心配したマミが女性の元へ駆け寄り声をかけた。

 

「大丈夫ですか?」

 

 声をかけても反応はなく、俯いている。マミとほむら達の距離は20メートル程離れているため、普通この距離で女性とマミの会話や表情は分かる筈がない。しかしここからでもマミの声をかけている女性が普通であるようには見えない。呻き声を漏らすだけで言葉は発しない女性にマミは困惑し、意思疎通が出来ていない。

 

 マミも迂闊に触れることはせず、手を伸ばせば届くような二三歩引いた距離を空けて立ち止まっている。魔女に魅入られ一度助けた女性が結界内へ何の自衛手段も持たず迷い込めば昨日マミ自身が言った通り生きてはいられない。しかし女性は使い魔からの妨害もなく結界の最深部まで辿り着いている。結界の中に居ながら無事に無傷であることが異質すぎて踏み切れない。

 

「下がれっ!」

 

「えっ!?」

 

 思いきってマミが女性の手を取ろうとした瞬間、美鶴の叫びがそれを妨げた。振り向いて一瞬困惑した顔になりながら美鶴の言う通り女性に触れず、マミは飛び退く。唇をきつく結んで女性を睨み付ける美鶴の表情からただならぬ気配を感じマミは後退を続ける。

 

 美鶴から漂う冷たい闘気。順平も何かしら嫌な予感がしているのか剣を再び胸の高さまで持ち上げる。

 

「ちッ! 何故ここに――」

 

 女性から感じる気力の無い独特の雰囲気。月の光り以外光源の無い世界で、影ながら人類を貪る存在。どれだけ滅ぼしても人間が世界に生きる限り消えることなく無尽蔵に湧き出てくる。光射す場所には必ず影がある。そしてペルソナを光とすれば影とは――

 

「シャドウが…!」

 

 シャドウ。精神の奥底に潜んでいた募りに募った負の心。制御を失えば箍が外れ人間の心から抜け出し廃人に陥れる害悪。これを自らの意思で制御し飼い慣らせればシャドウはペルソナとして確立され、晴れてペルソナ使いとなる。

 

 目の前の女性は既にシャドウに飲まれかけていた。呻き声と覚束無い足取りも過去に居た影人間と酷似する。魔女の口付けを受けてからなのか、一体いつから心を影に侵されていのかは不明だが、女性はまだシャドウを手放してはいなかった。しかしその時まで秒刻みで迫っていた。いつ女性が影人間となりシャドウを生み出すかタイムリミットとはもうなかった。

 

 美鶴と順平は一度だけ影時間以外でシャドウを見たことがある。日付の変わらない1日の中で。しかしそれとは状況が大きく異なっている。

 

「どういうことですか、桐条さん!?」

 

「いや、分からん……本当にどうなっている?」

 

 マミの問い質しに美鶴はそれ以上言葉が続かなかった。シャドウそのものに脅威を感じているのではなく、この場に存在していることに動揺しているのだ。魔女を相手に余裕の態度を見せていた美鶴の額に汗が浮かび、女性から目を離せずにいた。

 

 女性はやがて顔を手で押さえて苦しみだした。ふらふらとした危なっかしい足取りがより覚束無くなる。

 

「うぐっ! ……ううぅっ!!」

 

 人のものとは到底思えない苦鳴を上げて膝から崩れ落ちる。項垂れたまま肩を小刻みに震わせ、次第に苦鳴はなくなったが、周囲の空気が冷たくなった。

 

 ベチャベチャと女性の指の間から黒いタール状のものが滴り落ちる。指の間だけでなく、目から鼻から口から耳から溢れる。女性は前のめりに倒れ、辺り一面に広がった黒いタール状のものは高さ4メートル程までの大きさに膨らみ、人の形を作っていく。ただし上半身だけ。

 

「それも…”死神”とわな」

 

 予想の遥か上をいく存在に美鶴が自嘲の笑みを浮かべて言う。順平も美鶴の言葉を聞きいかにもヤバイ敵であると顔に出ていた。ペルソナ使いなら解る。このシャドウ程に厄介な相手はそうはいないと。

 

 死神と呼ばれるシャドウの危険性を知らないほむら達は、ペルソナ使いの焦りで緊張が高まる。

 

 唯一『死神』のアルカナを有するシャドウ。凶悪さは他のシャドウと一線を画す。特別課外活動部のリーダーが在籍していた頃も数えられるくらいしか挑んだことはなく、本格的な活動を開始した当初は遭遇しても大抵は尻尾を巻いて命からがら逃げ出すしかなかった。しかしメンバーの練度を高めた末、何度目かの戦闘で辛くも勝利を納めたこともあった。が、それも片手の指で足りる回数だけ。勝てない相手ではないが、今まで戦ったどのシャドウよりも強く、脅威というのは変わりない。

 

 その名は、刈り取る者。

 

 身体に襷のように巻いた鎖をちゃりちゃりと鳴らしながら奴はフラフラと浮いている。乾いた血のべったりとついた黒い装束からは足と呼べるものはなく、頭には血走った目を片方だけ出した骨の様に白いボロボロの被り物と似た仮面。今まではあの忌々しい影時間の象徴、タルタロスのみでしか出現しなかったが、今回はそんなことを無視している。

 

 刈り取る者と名を称しておきながら、両手には鎌ではなく、銃本体とは不釣り合いなほど長い銃身のリボルバー式の二丁拳銃を握っている。刈り取るとは穀物の稲などを鎌で収穫するという意味からきている。実った稲穂を根元から切り離し、自分の手元に納める。この行為は命を刈り取るというのと同意義である。即ちこの死神の名もそれと倣った意味を持つ。

 

「先輩、さすがに二人でアレの相手は、厳しすぎやしません?」

 

「無論だ。四人ならまだしも、二人だけでまともに取り合っていては命が幾つあっても足りん。どうにか皆を外へ逃がすぞ」

 

「んじゃああの女の人は」

 

「なんとしてもここから運び出すさ。影人間になったとはいえ、彼女はまだ生きている」

 

 順平と確認をとり最善の選択を模索する。いくら実力のある順平達だろうと刈り取る者をたった二人で挑むなど無謀も甚だしい。最低でもあと二人メンバーが居れば長期戦覚悟で正面から立ち向かって打破できるが、メンバーの揃わない今はひとまず死神との戦闘を回避し脱出を試みる。倒れている女性も助けた上での作戦ゆえに危険性は高まる。

 

 最も早くシャドウの存在を直感的に感じていたまどかはほむらの陰に隠れて怯えている。さやかも肌から伝わる寒気に似たプレッシャーにあてられマミの横で震え上がっていた。

 

 死神の発する直接的な死のイメージを受け取った生存本能がマミに警鐘を激しく打ち鳴らす。魔女と死闘を繰り広げてきたからこそ理解出来る命の危機。すぐさま逃げろと。

 

 そんな中一人だけほむらは違っていた。

 

(どうしたというの? 皆やけにあのシャドウとか言うものを危険視してるようだけど。私には何も感じない…?)

 

 怯えるまどかを心配するのと別にそのような事を考える。刈り取る者を見てもまどかや他の仲間と同じように死の恐怖で足が竦む訳でもない。死神と言われてもそこから明確な死を読み取れないのだ。ただ自分達に仇をなす脅威としか捉えられず、魔女と同じ認識止まりでそれ以上のものを何故か感じられない。

 

 ただそんなものは些細な事だった。例え自分が死神に対して恐れを抱かなくても、他でもないまどかが恐怖している。これだけでほむらはこの死神と戦う理由ができた。まどかに仇をなすものは敵、排除するだけと。

 

 左手の盾へ右手を突っ込み無造作に引き抜く。取り出すのは『デザートイーグル』。入手した当時から愛用してきた信頼出来る武器だ。この銃で多くの魔女を葬ってきた。威力には自信があり死神でもただでは済まないだろう。そう思いこれを取り出した。

 

「よせ、暁美。シャドウはペルソナ使いを介した攻撃でないとダメージを与えられない。通常兵器ではまるで歯が立たん」

 

 構えようと左手を銃に添えると美鶴が制した。

 

「攻撃が通じない?」

 

 大抵の敵も銃火器を使えば倒せてきたほむらからすれば、シャドウは最悪の相性。ほむらだけでなく他の魔法少女でもペルソナを使えぬ限り太刀打ち出来ない。絶対不可侵の時間停止で刈り取る者の動きを止めたところで普通の攻撃が届かないなら意味がない。

 

「ならどうするというの? 桐条さんと順平さんの二人でも勝機が少ないのでしょう。何もしないのは愚策だと思うわ」

 

「真正面からぶつかるだけが戦いではない。君達は逃げる事だけを考えて鹿目と美樹を連れて行け。巴もだ」

 

「その言い方だとお二人はまさか残るつもりなんですか? シャドウというのはまだよく分かりませんが、あれは魔法少女から見てもそこらの魔女より危険です!」

 

「そんな事は私達がよく分かっている。女性を残して脱出など出来るものか。ましてや女性はシャドウに食われてしまった。私が動かないなどもっての外だ!」

 

「だぁあっ! 先輩アイツ来てますって!」

 

 まさかの事態に冷静さを欠く美鶴に順平がシャドウの動きを伝え意識を向けさせる。

 

 刈り取る者はゆっくりと浮遊しながらほむら達に接近して来ていた。ホールという限りある閉鎖空間なので追い詰める必要がないのか移動速度はかなり遅い。シャドウとの距離はまだ15メートル程ある。ただし、向こうも遠距離の攻撃方法を持っているので最早安心出来る距離ではない。詰められれば逃げられる確率はまずなくなる。

 

「そこの扉を道なりに進めばすぐ外へ出られるよ。ただしあの女性を助けるのを諦めでもしないと逃げらないね」

 

 キュゥべえがほむらの肩に乗って最短の逃げ道を知らせる。シャドウはほむら達の立つ位置から見て左手側におり、キュゥべえの示す扉は反対の右手側。逃げるチャンスは今しかないが、女性を放置しなければこの道は選べない。この瞬間にも死神は着実と近付いている。その距離12メートルを切るところまで迫っていた。

 

 時間はもうない。もたもたしていると最悪生きて結界から出られなくなる。選択の余地がないと美鶴は召喚器を引き抜きこめかみへ充てがい、トリガーに指を掛けた。牽制だけでもいい、何とか死神との距離を保たなければならない。不用意に距離を詰められてしまうと辺りの被害を考えない大規模攻撃を仕掛けられる。

 

 重厚な銃声がホールで反響する。引き金を引いたのは美鶴ではなく、二丁の拳銃を持つ刈り取る者だった。

 

「くっ!」

 

「先輩!」

 

 長い銃身の先端から吐かれたのは銃弾と違い、人一人を余裕で呑み込む規模の火球。灼熱の塊がまっすぐな軌道を描いて美鶴を目指す。酸素を食い潰して空気が爆発する。氷を蒸発させ地を焦がし赤い炎はホールを光りで満たす。

 

 さっきとは違う乾いた銃声。ペルソナ召喚成立の青白い破片が美鶴を守る様に形となって現れる。ペルソナ、アルテミシア自体が物理的に干渉出来る状態となった美鶴自身の心である。正しく言えば自分で自分を守っているのだ。召喚されたアルテミシアの起こすアクションと美鶴の思考にタイムラグはない。

 

 実体を得たアルテミシアが両手の平を天へ向け持ち上げた。それを追って幾つもの氷塊が生まれ分厚い壁を形成する。直後氷の壁の向こうで炎が衝突し氷塊は粉々に砕かれた。あと一瞬遅ければ美鶴は人型の炭へと変わっていただろう。

 

「アルテミシアっ!」

 

 叫ばれたアルテミシアが次なる行動へ出る。華麗な鞭捌きで刈り取る者が操る二丁の銃を縛り上げ、勢いよく引き寄せる。勢いを殺さずそのまま刈り取る者の頭を掴み、顔面へ渾身の膝蹴りを食らわせた。手を離し鞭も解き、今度は後ろへ仰け反りよろめく死神の腹にヒールの先端を突き立て蹴り飛ばす。この蹴りがクリーンヒットだったのか引き寄せられた位置より後退した場所まで押し戻される。さらに鞭をしならせ音速を超えた速度で叩いた。

 

 時間でも止められたのか如く、刈り取る者は中心部が黒く見える程密度の高い厚い氷に固められ一切の動きを封じられた。これでも仮初めにしかならないが時間稼ぎにはなる。

 

「今の内だよ」

 

「分かってるっての!」

 

 キュゥべえに言われるでもなく氷漬けで動けなくなったシャドウの横を全速力で走り抜け順平は女性を抱えた。ぐったりと力のない人は意識のある状態と比べると重く思える。それでもペルソナ能力の常人離れした筋力なら軽々と持ち上げられた。女性の顔色を窺い再び全力疾走でほむら達の元を目指す。

 

「伊織さん気を付けて!」

 

「伊織!!」

 

「っ!」

 

 順平が引き返そうとした瞬間、力尽きていない死神が氷を砕いて自由を取り戻した。血走った死神の目と順平の目が交差する。死を誘う眼差しが射抜きその場に順平を縫い止める。恐怖で竦む足へ力を込めても言うことを聞いてくれず、圧倒されてしまい動けない。

 

 刈り取る者が右手の銃を順平の頭の高さまで持ち上げ、照準を合わせる。真っ黒の穴が空いた銃口の奥では大砲並に大きな弾丸が撃ちだされるのを今か今かと待ち侘びている。

 

 あれだけ巨大な弾丸をまともに受ければ順平諸共、抱えられた女性まで亡き者となってしまう。撃鉄が自動で後ろに引かれ、シリンダーが回転し次の弾が装填される。ゆっくりと引き金に指が掛けられ、すぐさま引けばいいものをより恐怖を味合わせたいのかじわりじわり力が込められる。

 

「ッさせない!」

 

 マミの咄嗟に行った妨害。黄色いリボンが銃身を絡め取り発射される弾の軌道を僅かだが逸らした。その拍子にトリガーが引かれ順平から逸れて何もないところを弾丸が穿った。耳の痛くなる銃声で我に返る順平。

 

「走ってください!」

 

「サンキュー!」

 

 恐怖から体の主導権を奪い返した順平は地面を蹴って後ろを振り向かず走り抜ける。前ではマミがリボンを操り刈り取る者と綱引きをしている。戦ったことのある順平からはそれだけであの死神をどうにか出来るとは考えていない。氷漬けとなってもあっさり打ち破る凶悪な力を前にして魔法のリボンでもどうこう出来うる筈がなかった。

 

 しかしそれはリボン以外の補助は無いと仮定した場合だ。

 

 力任せにリボンを引き千切った刈り取る者の意識は、マミではなく、最早背を向けて逃げる順平からも移り変わっていた。上空から降りる気配を察知し天井を見上げる。そこには大量の手榴弾をばら撒きながら落下するほむらの姿があった。手榴弾は見上げた頃には死神の目の前まで迫っており、回避は不可能。ほむらが手榴弾の影で隠れた途端姿が消え、足元にロケット砲を構えたほむらが現れる。

 

「失せなさい…!」

 

 手榴弾の爆発とロケット砲の射出がほぼ同じタイミングで起きた。連続する爆炎に死神は瞬く間に飲まれその黒い装束を黒煙へと馴染ませる。重なる爆発を受けてホールが横に揺れる。

 

 炎上し熱を帯びる黒い装束姿の刈り取る者からは一切の断末魔も聴こえず、宙に浮いたまま不動を貫いている。火勢の衰えるのを待っているのか消火する気も無いらしい。

 

 そして何事もなかったかの様に煙を払い出てくる刈り取る者は傷一つ付いていない。どれほど強力な科学兵器だろうと、ペルソナ使い以外の攻撃ではシャドウにダメージなど通らない。それどころか一層の瘴気を滾らせ空気を濁らせていた。効果がなくても今はそれで構わない。順平がシャドウと距離を取れるなら効いたか効いていないかは二の次だ。

 

 援護の甲斐あって順平は女性を保護し美鶴達の所まで無傷で辿り着いた。死神と何も出来ない状態のまま対峙した極度の緊張からか、汗を滴らせ肩で息をしている。まともな人間なら死を運ぶ死神と目を合わせるだけで恐怖に怯え、足を止めてしまうだろう。死線を何度も潜り抜けてきた順平も本物を相手にすると慣れていても怖いとは思う。

 

 順平をほむらは一瞥してシャドウへと視線を向ける。ゆらゆらと宙に浮かび足を地に着けない異形の怪異。あれだけの猛攻を受けてもまだ余裕を感じさせる佇まいは心弱い者に絶望を与える。まだ奴にとっては遊びの段階なのか様子見をするだけで次のアクションを仕掛けてこない。対するほむらは刈り取る者を冷めた目で見ていた。

 

(本当に効かないのね…。これじゃあ本格的に私は為すすべないじゃない)

 

 自分が行った一連の攻撃を思い返す。シャドウの頭上まで移動し、タイミングを図り安全ピンを外した手榴弾を5つ投げ落とす。そして時間を止め別角度から胴体に向けて『RPG‐7』を撃った。これだけで大抵の敵は跡形も残さず消し飛ぶ過剰な武器の投入なのだが、念には念を込めて惜しまず使用した。結果は美鶴の言った通り、全く効果はなく目眩まし程度にしかならなかった。

 

 これだけ解れば自ずと答えは見えてくる。自分は拳銃や爆弾といった一般人が使える武器を戦いに要いている。その時点でまずシャドウ相手に勝ち目がない。即ちほむらはシャドウと戦える要員としては数えられず、まどかとさやか同様、美鶴達の荷物となる。

 

(時間停止は効いていた。なら囮役くらいは出来るわね)

 

 砂時計が内蔵された盾を指先でなぞる。戦える他の三人はシャドウを見据え歯を食い縛っている。マミも分かっているだろう。ペルソナを使えない魔法少女である自分達には足止めか時間稼ぎの役にしか立てない事を。力を持たないまどか達二人に加え、マミとほむらを守りながら美鶴らは立ち回らなければならない。

 

 ほむらの思考がそちらへ傾きかけた時、続く両者の睨み合いを死神の銃声が断ち切った。

 

 天井に向けて火花が昇るのを美鶴が見届け目を見開く。つられてほむらもそちらを見ると、高音を伴い紫の光球が3つ降り注いでくるのが目に映った。まるで神に追放された天使が地獄に堕とされるかの様に、禍々しく、荒々しく、神々しい光の塊。酷くゆっくりと回転しながら一点に集まり、一度圧縮された光は限界を超え炸裂する。

 

「皆伏せろっ!!」

 

 高音にも負けない美鶴の怒鳴り声が聞こえた時には、気付けば視界は霞がかった紫色一色で埋め尽くされていた。遅れてやって来る万物を壊し尽くす力の奔流。方向性を持たない嵐はホールの中を縦横無尽に駆け巡り、この光に照らされたあらゆる存在は形を保つ事を許されず、一つ残らず薙ぎ払われる。

 

 この時、外では微弱だが廃ビルを中心に震源もメカニズムも不明の局地的な地震が観測されていた。

 

 

 

 

 

 ――どれだけ時間が過ぎただろうか。1秒か、10秒か、はたまた1分か。瞼を貫いていた光は消え、耳から入る音を奪っていた高音も過ぎ去る。目を開くと次第に世界は色と音を取り戻した。そして気付く。あれを受けて自分は生きている事に。

 

「…無事か?」

 

 見上げるほど巨大、見渡すほど壮大な氷山。恐らくこれを作り上げたアルテミシアが半透明になり空気に溶けていく。まさかさっきの攻撃を美鶴一人がペルソナ一つで凌いだのだと理解するのに数秒を要した。

 

「次は、はぁ、はぁ…耐え切れんぞ」

 

 全員が無事である事を確認すると膝を折って座り込む。荒い息遣い。上下する肩が相当の疲労を語っている。極限の集中力は時として絶大な成果をもたらす。城壁と見紛うほどの氷山は万物を消し飛ばす力の奔流に見事耐え抜き、凌ぎ切り命を繋いだのだ。

 

 強力であればあるほどその代価は大きい。ペルソナ召喚は精神力を消費して行う。集中するにも膨大な精神力が必要となり、ペルソナの召喚まで重なると擦り減らす精神力は比較にならない。

 

「先輩、大丈夫すか!??」

 

「油断するな。今のを凌いだところでシャドウは無傷だ」

 

 役目のなくなった氷山が砕けて崩壊を始める。こちら側への被害が一切及ぶことなく防いだ氷の壁はほとんど蒸発していた。

 

 崩れた氷の残骸の向こう。まだ自分達が壊れていないのを歓喜しているのか左右に揺れている。そして休む暇を与えず、再びゆっくりとした動作で拳銃が天井へ掲げられた。撃鉄の駆動音だけが無慈悲に響く。獲物を捉えない三度目の銃声がホールを支配する。

 

 逃げ場はなく、まともに動けてシャドウと戦える者など順平しかおらず、勝てる見込みもない。まどかやさやかは目を瞑り無事を信じて手を合わせ祈っている。その二人を背にしながらほむらは諦めや絶望を感じてなどいなかった。こんなところで死ねない。約束の日まで何としても生き残り、まどかを救わなければならない。

 

 例え死神が立ちはだかろうと絶対に立ち止まらない。止まってしまってはそこで終わりだ。強い意志を持ち、たゆまぬ努力だけが望んだ結末を掴み取る可能性と信じている。死神の脅威など恐るるに足りない。ただまどかを守る事を考え魔力の障壁を作り、盾から取り出した機関銃を構えた。

 

(まどかを守る。それだけよ!)

 

 瞳に映るは光を降らす刈り取る者。先ほどの攻撃は防ぐ手立てなどないが、勝ちを譲ってそう易易とくたばるつもりもない。ほむらの眼光が刈り取る者を射抜いた。

 

 再び降りる光は視界を覆い、次なる破壊が来るのを予期し身構える。しかし、起きた現象は先ほどと似ても似つかない真逆のものだった――

 

 

 

 

 




p4uでも美鶴先輩強かったしアイギスとか除いたら特別課外活動部でも1番強いんじゃないかと思う。
あ、コンセンタラフーのコンボは無しで(´・ω・`)


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 契約(2010,5/7)

 

 

 

 朝と夜では暑さと寒さの違いが肌で感じられるほどになってきたが、病院内は空調設備により常に一定の温度を保っている。その温度調整は病室や手術室、事務室を含む全ての部屋に行き届いている。市内最大の規模を誇る病院というだけあって患者数も多く、患者のあらゆる病状に対応するべく備え付けられている最新の空調設備は常にフル稼働中だ。そして美鶴の計らいで急遽使用する事になった空きの会議室も例外ではなかった。

 

 

 

 

 

 ――魔女の結界にて突然のシャドウ襲来。影時間以外で起きた異例の事態を受けて招集された特別課外活動部の面々は、見滝原病院へと集まり報告に耳を傾けていた。唐突な報せでも柔軟に対応し見事集まって見せたのは磨かれた結束力とチームとしての信頼による賜物だろう。美鶴から語られる内容を聞いて驚きはするものの、特別パニックに陥ったり取り乱す者はいなかった。皆口を挟まず、静かに聞き取り個人個人で咀嚼くし整理していく。

 

 話されるがまま結界内で起きた出来事を静かに聞いていたが、死神からの三度目の攻撃直前までを語り、続きを美鶴は口にしようとしなかった。ここまで何があったかを事細かに言葉で説明していたのが前触れなく止まった。意味もなく話を停滞される必要はないので全員が疑問を浮かべる。何故そこで言葉を切ったのかと。

 

 地平線の向こうへと沈みかけ始めた太陽から放たれる赤い日の光と絶え間なく鳴るエアコンの稼働音だけが部屋に残った。

 

「その後はどうなったんですか?」

 

 アイギスが問い掛ける。一切の遠慮もなく率直にただこの件について詳しく知るためそう言った。何しろ現実世界にシャドウが現れた。それも影時間以外のしかもペルソナ使いがほとんど知識の及ばない魔女の結界の中でだ。真相を知りたがるのはごく普通の探究心とペルソナ使いとしてのシャドウに対する危機感。ここまで言っておいてお預けを食らわされるなど理解し難い。

 

 聞かれた本人は困った風な顔で言い淀み、目線を足元に落としてどう言うか考えている。よほど説明するのが難しいのか、それとも伝えるのを躊躇うほど悪い事態になっているのか、美鶴の様子を見るに不安が増してくる。

 

 美鶴と同伴していた順平はと言うと、アイギスの問い掛けに対しこちらも困っているのか頬を指で掻いている。

 

「……話そうにも、肝心のその続きがな…」

 

「続きがどうかしたんですか、先輩?」

 

「えっとだな…三度目の攻撃というのはなくて、その時シャドウには逃げられた…」

 

 逃げられた。告げられたのと同時に驚愕の声が上がる。悪いも何もその何かを起こすどころか、逃げた。予想の範疇を越えていた。

 

「…逃げられた? 現に向こうから仕掛けて来たんだろう? それに相手は死神、どこまでも執拗に追ってくる奴の方が逃げるなんて信じられるか。しつこさは美鶴も知ってる筈だ」

 

 シャドウから仕掛けておいてそのシャドウの方が逃げ出したと聞いた真田は壁に預けていた背中を離し、意見した。他のメンバーも概ね真田と同じ考えなのか若干頷く素振りをする。信じられないのも仕方が無い。シャドウの中でも数少なく厄介極まりない相手。そんな刈り取る者が全滅させるでもなく、美鶴の活躍もあってだが大きな被害も与えず身を引くなど前代未聞である。一度現れると何時までも何処までも追い回し、やむを得ず相手をすると必ず先手を打ってくるはた迷惑な存在。

 

 真田の言い分も尤もなもので、それには美鶴も大いに首を縦に振れる。しかしシャドウから逃げ出したのは事実であり、証拠がなくても信じてもらうしか他にない。

 

「言っただろ。私も理解が追い付かないと。それと証拠は提示出来なくても証言ならある。その為の証言者の彼女達だ」

 

 順平と美鶴以外の証言者はこの街に住む少女達だけ。こうなる事も美鶴は予想して敢えてほむら達をこの場に残していた。美鶴が視線を送った先に立つマミ達の内一人、ほむらに今度はゆかりが訊く。

 

「美鶴先輩が言ってるシャドウの方から逃げていったのって本当なの、ほむらちゃん?」

 

「ええ。桐条さんに助けてもらった後、すぐ何か光ってその時にはもうどこにも居なかったわ。まどかも美樹さんも見てるわ」

 

「本当にシャドウから逃げたんだ。…つまりまだ見滝原のどっかに居るかも知れないって事よね……」

 

 明らかに暗い顔になって肩を落としゆかりは溜め息をつく。風花や天田も釣られて肩を落とす。落し物を探しに再びやって来ると召喚器どころかシャドウと遭遇し、肩まで落とす羽目になった。当初の目的の召喚器すら見つかっておらず気落ちするなと言われる方が無理な注文だ。

 

 魔法少女と魔女の関係に似て、ペルソナ使いとシャドウも切っても切れない縁なのか、この期に及んでもしつこくシャドウはペルソナ使い達の前に現れた。1ヶ月と少し前にようやくシャドウと出会う機会を無くせたと思った矢先、何が嬉しくてシャドウの相手をしようと思うだろうか。溜め息も出てしまうくらいこの話は耳に痛い。安易に信じたくもなくなる。

 

「……死神タイプだと有り得ない話、ではないかもしれないですね。13番目のアルカナを持つ上、あらゆる攻撃手段もあるなら即座に姿を暗ます方法くらい持ち合わせてるってのも考えられます。魔術師のアルカナに属する幾つかのペルソナもその手の類いのスキルもありますから」

 

「そう言われるとそうだが…」

 

 風花の推測に真田も眉を顰め完全にとはいかないが納得した様子。

 

「確かに死神のアルカナはそれ以前の12のアルカナを越えた物。今まで使ってこなかっただけで別段不思議ではありませんね」

 

 死神ならそれも有り得る。ただし、だからといって死神側から逃げ出す理由にはならない。今は無理矢理にでも納得出来る仮説を立て、理由のほどはこれから考えて行かざるを得ない。

 

「桐条さん、シャドウはその影時間の中だけしかいないと仰ってましたけど、今回シャドウが居たのって魔女の結界ですよね? それは一体…?」

 

 この質問はマミの素直な疑問である。昨日初めて出会った後にマミの自宅で美鶴達はシャドウについて簡単な説明はしていた。そしてシャドウが影時間内でしか活動しない事をマミは覚えていた。これが正しいなら今日の一件を踏まえると色々と矛盾になってしまう。マミの後ろに控えているほむらも一つ頷き、病院に着いてから思っていた事だが、素人でも分かる疑問点なのは明白だった。

 

 常人には体験する事はおろか、知る事すら出来ない不可侵の時間帯。午前0時に訪れる1日と1日の境目。月の輝く夜を闇に彩る神秘の時間。それが『影時間』。世界は時を進めるのを止め、人の代わりに蔓延るは滅びぬシャドウだけで、動く物はシャドウ以外になにもない。逆にこれはシャドウが限定された時間にしか存在しないと言っている。だが今日はその限りではなかった。

 

「……」

 

 静かな沈黙。マミは何故影時間にだけ出現すると言われるシャドウが魔女の結界で自由に行動出来たのかと訊いている。答えを求めるのも死神を軽視出来ない存在と認めているからだ。魔女が結界内にも今後現れるようなら手に余るどころか、魔法少女では対処のしようがないジョーカーとなる。

 

 これには美鶴も口を結んだ。この場でシャドウに最も詳しい美鶴だが、実のところ知らない事の方が遥かに多いい。長年携わってきたとはいえ解明されていないシャドウの謎は数多く、今日起きたのはペルソナ使いにとってもまさにイレギュラーなことだった。

 

 結論としては断言できる事がほとんど言えないのである。

 

「どうして魔女の結界に出て来たかまでは説明出来ないが、あのシャドウについてなら多少の事は話せる。死神タイプも他のシャドウと同様、影時間以外での行動は本来不可能だ。そしてシャドウは影時間の中でもある場所を巣としている所があった。影時間中に姿を見せ数百の階層に別れ、毎夜内部構造が変わる塔……名前はタルタロス」

 

「タルタロス…?」

 

 ――タルタロス。ギリシャ神話に登場する神の名であり地獄を示す名前。罪を犯した罪人や怪物を幽閉しておく為の監獄で、神々からさえも忌み嫌われる。しかし現実にあったタルタロスは神話の監獄そのものではなく、この名前は昔桐条の研究者が一度入ると絶対に出られないという逸話を、入る度に内部構造が変化する特性に結び付けただけで、本来の名前が存在するのかも不明な塔である。またある者は『滅びの塔』と呼んでいたが定かではなく、知る術はない。

 

 タルタロスは毎夜深夜0時を迎える度、巌戸台にある私立月光館学園が変貌し、気味の悪い塔へと成長する人智を越えた神秘の存在。内部は無数のシャドウが這いずる魔の巣窟になっている。上層部になるに連れ、シャドウの強さも比例して上がっていく。

 

 出鱈目に積み上げられたような塔は入る者を拒まず、呑み込むようにして招く。しかし入る者を待つのは出口のない怪物の棲まう迷宮。内部の始めは学校を模した構造だがいたるところに血溜まりがあり、不気味さを伝える。また別の層では、派手な装いで平行感覚や遠近感を狂わせるところもある。まるで四季の移り変わりを思わせ、変化に富んでいた。

 

 にしても突拍子もなくギリシャ神話に登場する架空の物がシャドウの巣なのだと言われてもいまいちピンと来るものはない。マミやほむらがその目でタルタロスを見る事が出来ていれば魔女の結界と似ていると言ったに違いないほどタルタロス内部は普通ではないだろう。今は言葉のみしか情報はないのでそんな感想を抱くことも想像する余地も二人にはなかった。

 

「基本シャドウはタルタロスの中だけを行動範囲とし、塔の外へは出歩かない。ごく稀に例外として居るには居たがな」

 

 真剣な目で語る美鶴の声に耳を傾けているのはマミやほむらだけでなくアイギス達も聞き入っていた。特に真田と天田の集中力は半端なものでない。ペルソナ使いにとってタルタロスという物が相当因縁深いのだと感じられる。

 

「そんなシャドウの中で特別異質だったのが、今回見たであろう死神のシャドウだ。一つの階層に長時間留まり続けると何処からともなく姿を見せる神出鬼没で厄介な奴だが、幸いな事にそいつはタルタロスの中以外では出て来ない。とは言え、強さは他と一線を画し、札付きのシャドウ。お世辞にも一人で倒せる相手じゃない」

 

「……そこまで言うほど強いのね、シャドウは」

 

 ほむらがぽつりと呟く。死神がとても強い存在と言われてもやはり街に居る魔女とほぼ変わらない印象しか抱かない。まるで他人事のように言うのは、内心ほむらはマミと違いシャドウに対して低い評価を下しているからだ。現代兵器は効かず魔法少女の手にも余るものの時間を止めてしまえば戦わずして簡単に離脱できるのでマミよりも事態を軽く考えている。聞く限り影時間の時間が止まる特徴は似ているが自分の魔法で発生するものとは別物らしく、干渉される気配もなかった。もしまた遭遇した場合にはまどかとさやかを連れて逃げればいい。戦って見返りもあるわけでもないのだから必ずしも戦う必要はない。

 

 あと約20日後まで滞りなく過ごし万全を期して最大の難敵を迎え討たねばならない。自分とはなんら無関係で視野に入れる必要のないシャドウをまともに相手するつもりはない。しかし魔女と同程度の脅威を見出しているが死神の力は確かに本物の強さであったと認めてはいる。ほむらが真っ向から挑んでも美鶴の言う通り一人で捌けるとは到底思えず、あの超弩級の魔女に次ぐ会いたくない敵として記憶に刻まれている。万が一まどかが襲われようならそのイレギュラーたるシャドウを連れて来たペルソナ使いの者達をぶつける腹積もりだ。極力自分の手の内をひけらかしたくなく、白い害獣に目的を悟られる訳にはいかない。

 

 そして今はシャドウもそうだが目の前に居るペルソナ使いの方が問題と言えよう。今までペルソナ使いが見滝原へ訪れたなど経験したことはなく、それに伴ってかシャドウまで現れている。今回は始まった当初からこの世界で終わらない時間旅行に終止符を打ちたいと意気込んだ結果、開始早々に、久しぶりのイレギュラーと関わる事となった。余計なものを持ち込んできたペルソナ使いを少しほむらは警戒もとい迷惑がってもいる。まどかを救う算段を考えてきたが特別課外活動部の乱入で引っ掻き回されている。まどかさえ助けられればそれでいいが、現時点ではそれも叶うか不明だ。

 

 ここでほむら自身は気付かなかった。マミと自分の思想の大きな違いが明確に表れていることに。マミは居るだけで危険を孕み一般人にも被害が及びかねない事に警戒しているが、ほむらは自分やまどかの脅威になるかならないかで判断を行っている。誰かの為というのは似ているとも言えるが両者は全く異なる考えである。特定された少数の為か、それとも不特定の多数の為か。

 

 そしてこのシャドウに下した評価が後に油断へと繋がり、最悪の状況を作り兼ねないと知らずほむらは美鶴の話を聞いていた。

 

「そんな奴が影時間の外で活動していた。つまり、私達にとっても不測の事態。現状に置いて解る事は普通じゃなかった、というくらいだ。知りたい事を教えれずすまない、巴。我々だけの問題という訳ではないのだが」

 

「そうですか……」

 

 聞きたいことを聞けなかった落胆よりも、まだ街に潜伏しているかも知れない懸念が強いのかマミは顎に手を当ていつもの優しげな目を細める。元々シャドウはペルソナ使いの特別課外活動部が解決に当たる領域。結界でまた遭遇しないと言い切れないが、遭遇したからといって安易に手出し出来る事柄とも言えない。鉢合わせしてやむを得ず交戦するとなっても防戦一方、対処に困る一件だ。

 

 ペルソナを持たない魔法少女の手に余る相手と理解しているが故、可能性の一つとして出会った時のことを想定して魔女退治を続けるのはマミに大きな負担を強いてしまう。せっかく見つけた魔法少女になれる逸材を危機に晒してしまうのは好ましくない。

 

「今日のマミ達見ててまずねぇとは思うんだけどよ、今まで魔女の結界でシャドウが出た、なんて事はなかったのかよ?」

 

 手振りを混じえながら訊いてきたのは美鶴と同じくして居合わせた順平。

 

 その問い掛けにマミとほむらは揃って首を横へ振った。そんな事があった覚えはなく、シャドウ自体昨日の今日初めて知った存在。美鶴も返ってくる答えを分かっていたのか小さく頷いている。

 

 シャドウが出た際のマミ達の狼狽え方を見てみれば質問がいかに余計だったか解る。シャドウに慣れた美鶴達でさえ魔女の結界ではあの戸惑い方だったのだ、魔法少女のほむら達に演技をする意味もなければ余裕すらなかった。

 

「僕から一ついいかな?」

 

 人の気配がしない方向から聞こえた声。男なのか女なのか、子供なのか大人なのか判別も出来ない人の声。そちらへと注意が集まる。ところがそこに居たのは間違いなく人外の者で、人の形すらしていなかった。白い毛皮に身を包み、宝玉のような真っ赤な目。キュゥべえがいつの間にかテーブルの上に座り込んでいた。

 

 大して驚かず、ごく自然にキュゥべえを認めて美鶴は答えた。

 

「ああ、答えられる範囲なら」

 

「昨日の君達の様子を見ていると、魔法少女の存在を知らなかったようだけど、君達の住んでいる街には魔法少女は居なかったのかい?」

 

 それを聞いたアイギス達ペルソナ使いは目を丸くした。皆動きを止めキュゥべえの白く体より大きな尻尾だけがゆらゆらと動いている。キュゥべえの疑問が吐き出される代わりに、死神の出現とは別に違う疑問が浮上した。考えればすぐに分かる簡単なことだったが、見事に見落としキュゥべえに言われ初めて気付く。

 

「そう言えばそうですよね。巌戸台で見たことなんて一度も…」

 

「確かに、あちらでは見たことがありません。キュゥべえさん、魔法少女や魔女はこの街以外にも居るんですか?」

 

 もしアイギス達の住む巌戸台に魔法少女が居たのならば、結界内に籠る使い魔の微弱な魔力さえ感知できた風花が気付かない筈がない。それ以外の可能性はこの街にしか魔法少女が居ない限定されたものと思うくらいしかない――

 

「もちろんさ。魔法少女も魔女もこの街以外に世界中に居るよ」

 

 が、なんて事はなく、あっさりと世界中に存在すると言われた。次にゆかりが整った顔を神妙にして問い掛ける。事の始まった昨日の最初こそ強い関心はなかったが、死神の襲撃を受けて客観出来なくなっていた。

 

「じゃあどうしてあたし達の住んでる巌戸台には居ないのよ?」

 

「さぁね。それは契約して回っている僕にも分からない。もしかしたらその地域に魔法少女が居ないのは倒すべき魔女が居ないからかもしれないよ? 倒さなければならない魔女が居ないなら僕としても契約する必要もないからね」

 

 自分達の住む街に魔女が居なかったことに、アイギス達は少なからずタルタロスや影時間が関係しているのではと原因の候補として思い浮かべた。シャドウの集う街へ好んで飛び込む物好きな魔女もいないのだろう。むしろ魔女の居ない理由がどうであれ、却って良かったのかもしれない。シャドウと戦いながら魔女の相手も両立させるなどシャドウだけで手一杯だった当時の特別課外活動部に到底できた事ではない。

 

 それはさて置き、探し物も見つからずシャドウとの邂逅に頭を抱えるペルソナ使い。巌戸台に魔法少女も魔女も居なかったとなると何も参考にできる例がなく考える余地がない。

 

 魔法少女のマミも同じであった。お互い類を見ない場面に直面したものの、どうすべきか解らない。ペルソナ使いですら把握出来ないシャドウの行動に注意を払うなどシャドウに対して素人のマミ達に成せるとは言い難い。

 

(全く今回はイレギュラーが過ぎるわ。……めちゃくちゃよ)

 

 漏れそうになる溜め息を喉の奥に押し込みポーカーフェイスを保つ。居るかも分からない脅威に警戒したところで出て来なければ徒労に終わる。必要以上に慎重に事を運んでいては苦労と時間のロスが計り知れない。時間はいずれ進むのだ。本当に頭を抱えたいのは他でもないほむらの方だった。

 

 これから障害となる課題、街に潜んでいるかも知れないシャドウと元凶たるペルソナ使い。ペルソナ使いの者が解決するまで気長にシャドウ消滅を待つなどあり得ない。ペルソナ使いにとってできるだけ早期解決を臨めばいい無期限の案件、だが対するほむらには厳しい期限が課せられている。今から約20日後。5月28日に見滝原は戦場と化す。それまでシャドウやペルソナ使いに場を乱され約束の日まで持ち越されると間違いなくほむらの目的は達成不可能だろう。

 

(それにしても、死神ねぇ…。これも面倒だけど、この人達の行動も看過できないわ。シャドウの事を放っておくようには思えないし、きっとまた見滝原に来るでしょうから。近い内に動いておかないと……)

 

 内心そんなことを呟きながらキュゥべえの言葉を耳に入れていた。

 

「オレらの住んでる所に魔法少女が居ないってのは別にいいけどよ、シャドウが出たってのはダメっスよね、実際」

 

「それとこれとは話が違いますもんね。どうするんですか美鶴さん?」

 

「どうもこうも、何としてもシャドウは駆逐せねばならん。我々の手が届く限り君達には傷付けさせないようにする。鹿目と美樹の二人は特に注意が必要だろう」

 

「あたしとまどかが?」

 

「ああ。二人とも魔法少女でもなく力を持たないただの一般人。結界の中で遭遇した際の危険性は遥かに高い。…心配するな、この事は桐条グループが責任を持つ」

 

 腕を組み厳然たる物言いで二人を見据えて言い放つ。元々備わっていた美鶴の上に立つ者としての風格が説得力を助長していた。まさに鶴の一声と言える。さやかも言い返すことなどせず、ただ納得して頷くだけしか出来ない。

 

 誰も意を唱えようとする者はいない。世界に名を馳せる桐条のトップである事を抜きにしても、シャドウ襲来時点で病院にまでも桐条グループの手が回っていたところを見るに、その手際の良さは反論の余地がない。シャドウ事案で最も適任なのは言うまでもなく美鶴だった。

 

 視界の端でほむら達の入ってきた扉が静かに開かれた。先ほど案内を担っていた看護師が部屋に踏み入り足音を立てず美鶴の元へと駆け寄る。恐らく影人間となった女性について話す事があるのだろう。看護師は二三言耳打ちし美鶴も『分かった』と一言返してから全員を見渡した。

 

「搬送された女性の件で少し席を外すことになった。巴達はどうする? このまま自宅へ帰るようなら、送りの車くらいなら出せるが」

 

「送りの車、ですか」

 

 送りの車と言われマミ達の脳裏をよぎったのは見滝原では目立ち過ぎるリムジン。傷の一つすらなく汚れもない黒光りする車体。まるで磨き上げた黒曜石のような煌めきは宝石に並ぶ光沢を放ち、街で風を切る様は見滝原といえどもさぞかし浮いて見える。最初に返事をしたのはマミ。次にさやかだ。

 

「私は大丈夫です! お気づかいなく、自分の足で帰りますんで!」

 

「あ、あたしもまどかと一緒に歩いて帰るんで遠慮しときます!」

 

 もしリムジンに乗っているのを学校の友人にでも見られたら翌日変な噂になり兼ねない。家族に見られても色々と面倒が予想される。人生史上最高の乗り心地は快適ではあったが、それよりも恥ずかしさなどが上回り、一度目は流れで受け入れられたが二度目の乗車は勇気が足りない。

 

 美鶴はほむらの方にも視線で語りかけるが、ほむらも首を横に振って断った。

 

「そうか、分かった。なら取り敢えず私は話しをつけてくる。明彦、後は頼んだ。先に帰ってもらっても大丈夫だぞ、皆用事もあるだろうからな」

 

「ああ、任せろ。勝手にさせてもらうさ。そっちはお前に任せるしかできんからな」

 

 真田の返答に薄い笑みを口元に浮かべ美鶴が目を閉じゆっくりと瞼を持ち上げた。信頼の眼差しを真田に送り、後の仕切りを任せた美鶴は背中を見送られながら出口の外へと出ていった。

 

 美鶴が居なくなった事により年長者である真田にこれからの指揮が移った。と言っても、やることなど自分達の住む街へと帰るくらいしかないが。いつの間にやら椅子に座っていた順平ら屈伸して体をほぐす。美鶴が精神的疲労なら順平は肉体的疲労。人一人を抱えて全力疾走した足腰は若干の疲れを感じている。その他のゆかりや天田も町中を探し回ったのもあり早く休息を取りたい。

 

「そう言えばさやかちゃん昨日上条君のお見舞い行けなかったけど、今日は行くの?」

 

「あっ、そうだった。恭介のお見舞い忘れてた。うん、そのつもりだけ――」

 

「マジかよおい! だったらオレも着いて行かないとダメじゃんか」

 

「なんで順平さんがそこで立ち上がるのよ!? て言うか別にいいですって、来なくても! ついて来る意味ないでしょ!」

 

 勢いよく立ち上がり疲労の色が吹き飛んだ順平の顔は面白そうな玩具を見つけた子供のように喜々としている。肩をぐるぐると回しさらに体をほぐす。ついて行く気満々で準備OKと言わんばかりの不敵な笑み。明らかに順平はさやかを弄ることを面白がっている。

 

 さやかが助けを求めてマミを見ても別にいいんじゃないかと目で語っており、助けるどころか何も言わない。まどかに関してはにこにこと笑い一歩引いた位置から眺めているだけ。もしかするとわざと順平の前で恭介の名を出したのではないかと勘ぐってしまうタイミングである。

 

「やめときなって順平。あんたみたいな見ず知らずの人がついでにお見舞いに来たなんて言われたら来られた側も迷惑なだけじゃない。それにあんたは関係ないでしょ?」

 

 そこに救いの手が差し伸べられた。正論の中の正論。ゆかりの的を射た発言。この時さやかからはゆかりがどの聖人よりも有難い人に見えた。ゆかりの一言でさやかもこれなら手を引くだろうと思ったが、この程度で諦める順平ではなかった。これまで特別課外活動部のムードメーカーを担ってきたキャリアは伊達ではない。順平は培ってきたボケと切り返しの良さと話術を活かしこう返した。

 

「でもさお見舞いに行く相手はさやかの彼氏なんだぜ。中学生に先を越されてるなんてゆかりッチも遅れてるぜ。どんなのか気になったりしねぇか?」

 

「先越されてるなんて余計なお世話よ! でもさやかちゃん彼氏いるなんていわれたら、ちょっと気にならないこともない…」

 

「だろだろ? だからオレっちが身を以てどんな奴か確認してきてやんだよ。ちゃんと経過報告すっからさ?」

 

 あらかじめさやかの彼氏とは言わず、後から提示することにより興味を逸らし話の焦点も逸らす。色恋沙汰に敏感な年頃の女の子に彼氏云々の話題は効果覿面。ゆかり自身は恋愛しようとは思っていないが他人の恋路なら別だ。さやかの彼氏とワードが出た途端、ゆかりの隣に座っている風花も反応し興味津々の眼差しをさやかに送る。

 

「だーかーらーッ! 恭介は彼氏とかそんなんじゃないですってば!」

 

 上手く順平の口車に乗せられ最早ゆかりはさやかの味方とは言い難い。救いの手は順平の意見を後押しする魔の手に変わり当てにならない。

 

 顔を真っ赤にしながらさやかは一人会話に入ろうしないほむらに最後の望みを託して声を掛けた。

 

「ほむらもなんか言ってやってよ!」

 

「………いいんじゃない、ついて来られたって」

 

「ほ、ほむらまで…!」

 

 頼みの綱もどうやら向こう側らしく、味方は居ない。

 

「私も少し前まで病院生活だったけど退屈なものよ? 出来ることも限られるし、時には刺激も欲しくなる。そう考えたら順平さんの存在も役に立つんじゃないかしら? 男の子同士ってのもあるし美樹さんとは違う気持ちで話せたりするかもしれないし」

 

「そそっ。ほむほむの言う通り男同士の語らいってのも兼ねてだな」

 

「だからほむほむはやめて」

 

 認めたくないがほむらの言い分に一理ある。たまには普段と違う人と会って話させてみるのもいいかもしれない。さやかでは与えられない話題も振れるだろうから。ただついて来るのが順平というのが心配を募らせる。同級生であるほむらやまどかなら説明はつけられるが全く知らない順平だとどう言えばいいのやら。

 

 この時ほむらは自身の体験談から言っているだけであり、見舞い相手の上条恭介が実際にそう思っているかは定かではない。それとは別の事を思っているのは確かだとほむらは知ってはいるが、話せる内容ではないのでそれには触れなかった。

 

 ほむらに諭されたさやかは諦めたように肩を落とした。長い溜め息を吐いて顔を上げる。

 

「はぁ…いいですよ。きっと恭介もいろんな人とお話できたら喜ぶと思いますし。でも騒がしくしないでくださいよ」

 

 唇を尖らせて順平に釘を刺す。同行は許すが迷惑はかけないようにと。順平もそれは分かっているらしく白い歯を見せて頷く。

 

「順平君帰りはどうするの? 遅くなるんじゃない」

 

「んー、そうだな、時間かかんのかさやか?」

 

「えっと、たぶんそんなにかからないと思うけど、10分くらいかな?」

 

「ならここで待っていてやる。迷惑はかけるなよ順平」

 

 重ねて真田から釘を刺される順平。こちらも笑いながら任せて下さいと返事をしてさやかと部屋を出るべく扉を目指し歩く。

 

 不満を漏らしながらも並んで出ていく二人を見送る風花が不思議そうに呟いた。

 

「でも、どうしたのかな順平君。あんなにさやかちゃんの彼氏、じゃなくてさやかちゃんのお見舞いに着いて行こうとするなんて」

 

 二人を見送ったゆかりの横に腰を掛けていた風花が頭の上にクエスチョンマークを浮かべて首を傾げる。

 

「場所が場所だからじゃない? ほら順平だってちょっと前まではしょっちゅうお見舞いしてたじゃん?」

 

「あ、そっか。順平君には病院って思い出深いところもあるもんね。けどまださやかちゃんと会って二日目なのにあそこまで仲良くなれるのって、順平君にとってある意味才能?」

 

 さやかは知るよしもないが、順平には病院という場所は馴染み深くよく足を運んでいた時期があった。それ故本人には色々と彷彿とさせるものがある。また順平からしてみれば、想いを寄せる人物へのお見舞いをするさやかは昔の自分に重なる部分があり、無意識に構っているところもあった。明るい二人の性格に似通ったところもあってか打ち解けるのも時間の問題だったであろう。

 

「順平さんも向こうじゃあお見舞いしてる人が居るんですか?」

 

 さやかをゆかり達と見送ってこの場に残ったまどかが二人の会話に加わった。

 

「一応ね。今じゃあお見舞いって言うのもあるけど、それより会いに行ってるって感じだけど……」

 

「もしかしてそのお見舞いに行ってるその相手が順平さんの彼女さんだったりして…? 彼女いる、みたいなのも言ってましたから」

 

「彼女ねぇ、そうなのよ…そうなのよまどかちゃん、ちょっと聞いて! 同じクラスだからって今じゃその彼女との惚気話を学校で延々と聞かされてマジ参ってんのよ!」

 

 順平の彼女説がゆかりの反応から本当なのは確からしい。ただゆかりが予想外以上の高ぶり具合を見せたのにはまどかも薮蛇だと思い引き攣った笑みしか浮かべられない。ゆかりの急変を見るに相当堪えていたのかこれ以上興奮を高めないよう話の視点を順平への不満からその彼女に変えた。

 

「そ、その彼女さんは例えばどんな人なんですか? 優しそうとか、綺麗だとか?」

 

「んー、まぁその子かなり綺麗だけど、順平にはもったいないくらいね。教室でも腹立つくらいデカイ声で惚気てるし。それまでの経緯を考えたらあのぞっこんぶりは納得するけど、あればマジでウザイわ。…思い出しただけで腹立ってきた」

 

「あはは、でもそんなに想ってるって考えたら素敵ですね」

 

 結局彼女の話しから順平へのウザさを力説し眉間に手を当て不満を撒き散らすゆかり。まどかも乾いた笑いしか出てこないが日頃からその彼女を強く想っている事には素直に感心する。

 

「彼女については順平に直接聞いてあげて。たぶん小1時間は喜んで話してくれるだろうから」

 

 不満が1周回って呆れに変わったゆかりは穏やかな笑みをまどかに向けて椅子の背もたれに体を預けた。ゆかりも順平が意中の少女へ向けている想いが本物なのは知っている。隣に座る風花も、他の皆も。どこまで行っても憎めない奴、それが伊織順平なのだ。

 

 

◆◇◆

 

 

 学生や会社員など帰宅中の住人がちらほらと見え始め夕暮れも過ぎる頃。夜の運んで来る暗さに備え、闇に飲まれまいと街灯にも明かりが少数ながら灯りだす。夜になると光源が月の輝きしかなかった昔と違い、現代で生きる人々は科学の力により光を生み出し、夜でも日中と同じように活動をする。色とりどりの光が入り混じる歓楽街もその代表だ。昼間以上の派手さで夜にも活気が生まれる。

 

 そして今は見滝原の玄関口とも言える駅を目指して歩いていた。その面子は最初に来た時より一人少ない六人。お見舞いに同伴した順平はさやかの言った通り10分もすれば帰って来たのでほむら達とはそこで解散し、美鶴を残し病院を後にしていた。公園の近くを通り帰路に着いた一行は街路樹の立ち並ぶ道に差し掛かった。陰に飲まれた木々は青々とした葉を沈んだ黒に染めている。

 

「――なぁゆかりッチ」

 

「なに?」

 

 もうすぐ駅に着くところで肘を張り後頭部を両手で支えるような恰好で歩く順平がゆかりに声を掛けた。振り返ったゆかりは順平を見て抑揚のない声色で答える。

 

「ぶっちゃけさ、昨日キュゥべえの奴が言ってた何でも願い叶うっての……どう思う?」

 

 恐る恐る、ただしはっきりと告げる。唐突に投げ掛けられた質問に振り返ったままゆかりは足を止め、前を歩いて聞こえていたのかも怪しかった皆も振り向き一斉に止まった。誰もが無意識に避け触れようとしなかった話題を持ち出され、思わず真田や天田も反応してしまうのを隠せなかった。

 

 聞かれた本人は一瞬目を見開き肩を張ったがすぐに脱力し呆れたような眼差しを順平に送る。小さな溜め息をついて緩やかな風に髪が靡くのも気にせず片足へ重心を預け腰に手を置く。心底どうでもよさそうな態度を示すゆかりに順平は若干の気まずさを覚える。どうでも良さげに見えて内心何を思っているか読み取れないゆかりの表情だが、あの事も一緒に思い返されているだろう。

 

「別に、胡散臭いってくらいにしか思わないけど。そんな都合よく願い事が叶うとか言われても簡単に信じられる訳ないじゃん。それに、そんなの私達に関係ない話しじゃない?」

 

 思った以上に関心を持っていない、それか眼中にすら無いと言いたげな言葉を受けて順平はほんの一瞬驚きに目を見張り一転して破顔する。ゆかりならそんな反応を返してくれると踏んでいたのか順平以外も口元を緩めている。

 

「だよな。さすがゆかりッチ!」

 

「なによ? もしかして私が魔法少女にでもなると思ったわけ? てかそんなんで叶えたい事叶えたって意味ないし、皆もそうでしょ?」

 

 絶対有り得ないと大袈裟に手をひらひらと振り、前に居るアイギス、風花、真田、天田の方へ向いてゆかりは言い放つ。全員が同じ想いであると確信を持った口ぶりに誰も否定しない。むしろその通りだと言わんばかりに頷く者もいる。

 

「4月前の私なら喜んで飛びついたかも知んないけど、それじゃなんも意味ないわ。どうせ聞きたいのはそれなんでしょ、順平?」

 

「へへ、まぁな」

 

 図星を突かれて頬を指で掻く順平。まさに聞きたかったのはその事だ。『魔女と戦う運命を背負えばなんでも願いが叶う』と言われても、それは全く別の誰かによってもたらされた奇跡。例え今は亡き彼を救えるとしても、自分達の力で救いたいゆかりにとってチャンスでも何でもない話しだ。ましてや無関係な者の介入を許せる道理もない。

 

「以前順平さんは言いました。『彼が命を懸けてまで成し遂げた奇跡を、一時の判断でなかった事にするのは、その決意を否定するのと変わらないことだ』。そして『否定した事を帳消しに出来てしまう程の奇跡を成せないのでは』と。私達は終わらない3月31日で答えを見つけ、今を受け止めている。私もゆかりさんと同じ意見です。誰かに任せていい事とは思えません」

 

「アイギス…」

 

 優しく。だが力強くも。凛としてアイギスは順平の言葉を借りながらゆかりの意思を後押しする。ゆかりの傍に立ち微笑む。

 

 誰かの起こす奇跡で彼の成した奇跡を塗り変え望みを叶える。それこそ、今も人の踏み入れられぬ宇宙で自ら十字架に架けられる事を選び、世界の悪を受け止め滅びから防ぎ未来を守ってくれた彼への冒涜だ。過去へ戻り自分の力と意思で改変することよりも、努力も無く、他人任せな方がよほど彼の――『有里湊』の決意を踏み躙っている。アイギスがそれを良しとする訳がない。

 

「まずどんな願いでも叶う証拠もなしに信じろと言う方が無理な話しだ。まぁ、岳羽の言う通り俺達には到底関係のない事だな。特に俺や天田の様な男にはな」

 

 先頭に立つ真田がそう言った。魔法少女になれるのは文字通り少女だけ。性別が男の真田や天田、順平からすれば論ずる必要がこれっぽっちもなく、関わろうにも関われずこれこそ無関係。全員が納得しない奇跡など無意味で無価値。

 

 これ以上立ち止まっている理由もないので歩き出そうとした時。どこからか声が聴こえた。

 

「君達がどう捉えようとも、どんな願いだろうと叶えられるのは本当さ。その上、君らにはそれを叶える資質もある」

 

 少年のような少女のような声と共に闇から這い出たのは白い生き物。体に見合わない大きな尻尾を振りながら音もなく佇んでいる。ビー玉のような深紅の丸い眼が暗闇で怪しく光る。

 

「キュゥべえさんいつの間に!」

 

 忽然と姿を現したキュゥべえに注目が集まる。闇の中でもくっきりと白い体のシルエットが浮かぶ。白ではあるが一点の濁りが無い純白かと言われると、無いと即答出来ない不安を纏った白。その白は酷く闇に馴染んでいた。気配も感じさせずそこに居るのに居ないような奇妙な感覚に襲われた。ペルソナを出さなくても多少の気配なら気付ける風花も今の今まで気付かなかったらしく驚いている。

 

 キュゥべえは各々のリアクションには反応せず切り出す。

 

「僕と契約すれば願いを叶えることはもちろん出来るよ。君が願うなら例え死んでしまった人一人を蘇らせるなんてのも造作もない」

 

 不意なことに呆気にとられたがアイギスはすぐさまキュゥべえを見据える。このタイミングで現れわざわざ例に人の蘇生を提示してくるなど先の会話を聞いていたに違いない。自分らが話しの中心にして語っていた人物がニュアンスからも亡き人と解る。ぴくりと眉が動き声が低くなる。

 

「その証拠は、あるんですか?」

 

「証拠も何も、それは君が契約してみなければ提示しようにも出来ないよ。けど本当としか言えないからね。それとアイギス、君ほどに資質があるのは多くの少女達と契約してきた僕としてもとても驚いているんだ。理由は分からないけど、僕の知る限りでは君は二例目だ」

 

 契約してみなければ本当かどうか自分達に分からない。これで契約する人がいればそれはまだ世の中を知らない無垢な人間と言える。しかしアイギス達六人は答えを出している。誰かから与えられる奇跡にすがりはしないと。

 

 それと別にキュゥべえのセリフの中で疑問が生まれた。資質。二例目。これは一体何の事なのか。

 

「資質? 魔法少女としてのですか?」

 

「そうさ。アイギス、君の潜在能力は一目見た時から破格だよ。普通とは違う、身体の造りなんかも含めてもね」

 

 キュゥべえに自身の開示していない秘密を見抜かれ目を剥く。普通じゃないのはキュゥべえも同様らしく、アイギスの目にはキュゥべえの体が曖昧に映っている。体温は無く、中身が空っぽだがそこに確かに存在している。お互い普通じゃない者同士、アイギスは暴かれてもそれに関しては触れなかった。

 

 キュゥべえは変わらない。起伏のない声音に変化の乏しい表情。悪意も好意も感じられず見事な無情。口も動かさず流暢に喋るそれは淡々と続ける。

 

「アイギスには及ばないけど、他の君達もね。山岸風花。岳羽ゆかり。一般的な女の子に比べると頭一つ飛び抜けている。……でもね、残念なことに、君の願いを僕は叶えられそうにない」

 

「……えっ」

 

 資質があると言った途端、叶えることは出来ないとキュゥべえは言い切る。キュゥべえが何を言ったのか即座に理解できず抜けた声が零れる。順平も同じなのか口が空いたまま。ゆかりは眉を顰めキュゥべえを横目で見る。

 

「どんな願いを叶える以前に、なぜか契約するのが無理なんだ。……一人を指すより、"君達と"契約して願いを叶えれないが正しい」

 

 首だけ動かして見渡す。

 

「私達? どういう意味よ?」

 

「契約の際にソウルジェムを作り出す、と言ったのは覚えているかい? それが君達だと不可能なんだ」

 

 訊いたゆかりはキュゥべえの答えに関心の欠片も見せず『その理由はなんだと』細めた目で続きを促す。

 

「恐らく君達の中に在るペルソナがどういう事かそうさせてくれないのかもしれない。僕としては是非契約したいんだけどね…」

 

 原因は心の深層に棲まうもう一人の自分自身――ペルソナ。精神の具現たるペルソナが契約を許容していないらしい。キュゥべえの言う契約がなにを行うものなのか知っていれば特別課外活動部の面々はその理由がすぐ解っただろう。シャドウが死に近い位置ならペルソナは真逆。生きることを望んだ姿。

 

「けどどんなでも願いを叶えられるのは確かだよ。本当かどうかはマミにでも聞いてみればいい。簡単に言ってくれるか分からないけど、マミなら本当に願いが叶ったかどうかすぐに分かる奇跡を叶えている。それじゃあ…僕はまどかの所へ行く予定だから今日はこれくらいにしておくよ。魔法少女の詳しい説明をしなくちゃならないからね。またね」

 

 突然現れ、言いたい事だけ言ってくるりと背を向けて歩き出したキュゥべえ。影に入った瞬間、姿は消えた。気配も完全に失せ砂浜に書いた文字が波に呑まれる様に一切の痕跡が無かった。風花もさっきまで感じていたキュゥべえを見失い戸惑いに染まる。圧倒的感知能力を持つ風花でさえキュゥべえの完璧な消失を許してしまった。

 

 

 

 

 

「結局なんだったんですかね」

 

「さぁな。もとよりあいつに頼るつもりのない俺達にほとんど意味はなかったがな」

 

 キュゥべえが去り駅のホームへ着いた六人。巌戸台方面に向けて走る電車の乗車券を片手に到着までの時間を持て余していた。あと1分もしない内にホームへ来る電車を待つ。

 

「ええ、例え叶えられようとそうでなくても私達は自身の手で未来を切り開いていきます。そう教えてくれたのは他でもない彼ですから」

 

 胸に手を当て目を瞑る。今でも感じられる彼の温もり。結ばれたリボンの下にあるアイギスの心を形成する蝶に刻まれた消えない印。彼を知るためやって来た街でまた教えられた想いの強さ。

 

「アイギス……」

 

 世界はいつも都合良く回ってはいない。自分の望む答えは誰かに与えられるのではなく、自らの手で掴み取るものだ。いつだってそうしてきたのだからこんな障害では止まらない。仲間がいるから何度でも立ち上がれる。

 

 悲しみなどなく、愁いも微塵もない。明るい未来を見据える。

 

「さ、帰りましょうか、皆さん」

 

 駅に電車が滑り込み、降りる人と乗り込む人が入り乱れる。六人は押し寄せる人の波を掻い潜り見滝原を後にした。

 

 

 

 

 





ゆかりがやたらキュゥべえの事を嫌っている様に見えるかもしれませんが別にそういう訳ではありません。
無害そうに見えて協力してくれてる風だけど、実はやってる事とか言ってる事が嘘だった奴、幾月修司を知っているので立ち位置の似たキュゥべえを信用し切るつもりがないだけです。
もしかしてこいつ悪い奴じゃないわよね? ってくらいの気持ち。

アイギスに資質があるわけはワイルドの能力が影響してます。アルカナが愚者なので、あらゆる可能性を持ってるって設定です。
ゆかりや風花も資質があるのはニュクス(死)と対峙して乗り越えたからそれも影響してる感じです。こう言うとペルソナ使い全員に言えますが。

ペルソナ使いが契約出来ない事について。
キュゥべえの行う契約はソウルジェムを作り願いを叶えるもの。ソウルジェムは命そのもの。
ペルソナは生きるという意志が強く関係してるので、体から命を抜き出されるの契約者本人が許容してもペルソナが拒絶してる。



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 守ると言った(2010,5/8)

 

 

 

 

2010年5月8日・土

 

 色々あった金曜日から無事に一夜明け迎えた土曜日。朝早くから起床したほむらの服装は私服ではなく、現在居る場所も自宅から離れた所。彼女の通う市立見滝原中学は学校週6日制の制度を採用しており今日も学校へ足を運んでいた。昨日と同じ制服に袖を通し退屈な授業三昧。呆れるほど平凡な日常がほむらの疲れ切った体に癒しを与える。

 

 昨日の事を考えると今の時間がどれだけ有り難いのもなのか身に染みて解る。なんの変哲もなく緩やかに過ぎていく時間。これがかけがえのないものだと解るのは死と隣り合わせの世界を知る者だけ。だからほむらは目的の為に奔走する。純粋にして無垢、清廉潔白で優しすぎるまどかがこの気持ちを理解出来るのは彼女がこちら側に深く足を踏み入れた時。

 

 それでは駄目だ。まどかはそんな危険を冒さずとも今生きる場所で幸せを感じられる。まだ大丈夫。魔女退治に同行するのを許しているがやりようはある。逃れられぬ運命を背負わない限り、魔法少女とならない限り将来的にまだまどかを人間としてのレールへ戻せる。なのでほむらは死力を尽くせる。

 

 そして志し高く掲げるほむらは現在、教室の席に着き襲い来るある物と一人奮闘していた。

 

 教壇に立ち熱弁する先生の声ですらほむらにとって子守唄に成り下がり、下りてくる瞼を必死に持ち上げる。何度も見聞きし内容を覚えているほむらに授業を受ける意味はほとんどない。机に伏せて眠ってもいいがそれでは先生に失礼なので起きている。波の満ち引きのように一定の間隔で迫る強烈な睡魔。まどろむ気持ちが心地良い。しかしここで折れてしまうと授業の終わりまで眠るのは避けられない、なので目を見開き前の白版を見つめる。ただ本人は寝るつもりがなくても知らぬ間に瞼が光を遮りうとうとと睡魔に唆される。

 

 

 

 

 

 ――来週から始まる中間テスト。授業にかける先生の熱意も上昇し試験対策の課題やら何やらが配られる。もちろん優等生を地で行くほむらはそんな物をしなくても学年上位を狙える点数は採れる。

 

 また今日はミラクルなことに、今の時間を除いて他の授業は全て復習を兼ねた自習だったが、まだ来週あると自分に言い聞かせて雑談ばかりしてろくな勉強をしない生徒が大半である。さやかもその大半の一人であった。最初はラッキーだと喜び、テレパシーを使ってまどかやほむらと話していたさやかだが、さすがに五時限も自習が続けば昨日の内に起きた出来事をネタにしてもネタは尽きてくる。もちろん勉強もせず話してばかりいるさやかはほむらのように高得点を狙える訳がない。

 

 三年生のマミは自習が少なかったらしくあまり会話には交じってこなかったのもあり、三時限目までは会話が続いたものの四時限目には睡魔に負けてまどかが机に伏せて寝てしまった。眠る気にもならず起きていたさやかの話し相手がほむらしかいなくなり、ほむらの方からさやかに話題を振ることはまずない。それでも時折半分寝ているほむらをテレパシーで脅かし、その度ビクリと体を跳ねさせるのを見て暇潰しをしていた。こめかみに青筋を浮かべたほむらからキツイ制裁をくらうハメになるのはその後のお話。

 

 

 

 

 

「うぐぐ……まだ痛い」

 

 ショッピングモールにある洒落た雰囲気のカフェ。店内の一角に設けられた四人掛けのテーブルを囲むのは見滝原中学の制服を着た生徒。そこで頭を押さえ項垂れているはしなやかな青髪を乱れさせたさやか。向かいの席には項垂れる原因を作った張本人、ほむらが澄ました顔で座っている。両サイドにまどかとマミが。今日は息抜きをしにここへ来た訳ではない。

 

「頭でも痛いの、美樹さん?」

 

 放課後、学校が終わって合流した時から頭を執拗にさすっているさやかにマミが心配して頭を撫でた。うっすらと手の平が光ったと思うと、嘘みたいに痛みが引く。

 

 リボンを使ってマスケット銃を作り出すのに比べると得意ではないが、マミも多少の治癒魔法を心得ている。肉の抉れた四肢や致命傷の怪我を瞬時に治すのは治癒に特化した魔法少女でない限り難しいが、それ以外の外傷や切り傷、打撲などなら並の魔法少女でも治すことは可能な範囲。回復を怠ると魔女との戦いにおいて死に直結してしまう恐れもあり、軽い怪我や傷も見逃せない。例え不得意でも治癒魔法は魔法少女なら誰しも究めておくのが一般的だ。

 

「巴さん、美樹さんは自業自得でそうなったんですからそんな無駄な魔力を使わなくても」

 

 ほむらがそれを見て肩をすくめて微笑する。注文した紅茶の入ったカップを手にとり一口含み、マミの煎れた紅茶の方が美味しいなと思いつつさも関心がないかのように振る舞う。店で出される物よりマミの煎れる紅茶が美味しい事に若干の驚きを覚えるも、それを顔に出さず普段のポーカーフェイスを保つ。ただ僅かにつり上がった口角に自分でも気付かずさやかにはまた小馬鹿にされたと捉えられた。

 

「元はと言えばあんたが原因でしょーがっ! 脳天にげんこつ食らわせるなんて、あたしの貴重な脳細胞が減るじゃない!」

 

「あら? 元々少ない脳細胞が減っちゃうなんて災難ね。次からは気を付けないといけないわ」

 

「くぅー! 会ってまだ3日しか経ってないのに、まどかとのこの扱いの差は一体何時ついたってのよ!」

 

 さやかから浴びせられる批難を軽く受け流す。ほむら自身今のは意識せず発した言葉で、別段馬鹿にしたつもりはなかった。しかし皮肉は多少込めてだが。

 

 二人の掛け合いにつられてマミとまどかも笑いを我慢出来なかったのか短く声を零して笑う。第三者は面白く思えても馬鹿にされ続けるさやかからすれば面白味の欠片もない。

 

「なにまどかまで笑ってんのさっ! マミさんまで! つかほむら、あんたグーで頭を殴ることないでしょ。せめてパーで叩きなさいよ!」

 

 ご立腹のさやかは身を乗り出す勢いでほむらに投げ掛ける。それもひらりと躱し、右から左へ受け流す。収まりそうにない怒り心頭のさやかに『落ち着きなさい。今日は遊びで集まってるんじゃないのは知ってるでしょ?』と告げると急にしおらしくなり、浮かした腰を椅子に戻した。この集会の趣旨は分かっているらしく、それ以上の反応を潜めた。

 

 さやかが大人しくなったのを見てほむらは呼吸を整えマミに鋭い視線を送った。空気が真剣なモノへとがらりと変わり、日常と非日常が明確に入れ替わった事をまどかとさやかに知らせた。今日この場に集まったのはさっき言ったとおり遊びやさやかの愚痴を聞く為ではない。命懸けで戦う魔法少女の集まり。悪ふざけの一切を排除し処理しなければならない問題について意見を出し合う。

 

「巴さん。覚えていますか? 昨日桐条さんが言っていた探し物を探しに来たというのを」

 

 前置きなくほむらは切り出す。いちいち前に置くものなど無いだろう。いや、どうやら二人にとって先の目配せが前置きとなっていた。マミもほむらの向けてくる空気の変わりように当然気付き真面目な顔付きで視線を返す。

 

 ほむらが雑談を切り上げ自分からマミに話を切り出したのは、いち早く対応について考えなければらないからだ。今までになかったケースの時間軸。一人で考えるには難しいと判断し、積極的にマミと話すことを試みた。

 

「ええ、そうね。きっとあの人達は見つけるまでこの街を訪れるでしょうから。けど、それだけじゃなくなったのも確実ね」

 

 二度目に見滝原へ訪れた目的、無くした召喚器を探すためだと。彼女らも見滝原へ来た時の目的とは違う、予期せぬ事態にほむら達と一緒に巻き込まれた。存在を知っていても出現の可能性を見出だせなかったシャドウとの交戦。それはほむら達にも多大な衝撃を与えた。崩壊しない結界に影人間の発生。なにもかもがほむら達の常識を覆した。

 

「早くて今日、遅くて明日にはまた来ると私は思ってるけど。一昨日見滝原に来た最初の目的ってなんだったのかしらね?」

 

 今彼女達が探している物をなくしたのは一昨日の晩でありその日は別の用事で来ていた筈。何を求めて訪れていたかはこれと言って意味を持たないのでこの場では思慮の外にある。

 

「……探し物は弾の出ない銀色の銃、あの人達が言うには召喚器。街の人に拾われれば間違いなく近隣の交番か警察に届くような物だけど、桐条さんが見落とすとは思えない。銃にいたっては本物と変わらない見た目だったから警察も見落とす筈ないわ」

 

「いくら広い見滝原といっても一日経てば見つかると思うけれど……」

 

 見つからないから昨日は向こうがわざわざほむら達を捜し接触してきたのだ。しかしそんな物の行方をただの中学生が知るよしもない。

 

 手に持ったカップをソーサーに戻そうとした時、白い塊が視界を横切りテーブルの上に着地した。その正体は過去に魔法少女と魔女の存在を四人に教え、終わりのない非日常を引き寄せたキュゥべえだった。どこからか舞い込んできたキュゥべえはテーブルの真ん中を陣取り座り込む。

 

「それより君達が懸念すべきは魔女の方じゃないのかな?」

 

 開口一番にそれか、とほむらは内心そう思い目の前の白い獣を感情のない目で見る。キュゥべえはほむらから送られる視線を意に介さずテーブルの真ん中でくるりと回り四人を見渡す。マミを正面に捉えて止まった。

 

「君達魔法少女の使命は飽くまで魔女を倒すこと。彼らの探し物について議論をされても困るんだけど」

 

「言われなくても分かってるわよキュゥべえ。私達は魔法少女なんだから大事な役目を放棄するわけないじゃない。ねぇ暁美さん」

 

「ええ、そうよ。でも言いたいことはそれだけじゃないんでしょ?」

 

 いちいち魔女を倒せなどと釘を刺してくる時点で別に他の用件があるくらいの予想はつく。無駄な事はしないキュゥべえなのだから、これも本題へと繋げる為の過程にすぎないのだろう。

 

「まぁそうなんだけどね。もちろん魔女も倒して貰いたいところだけど、魔女を倒す際に気を付けて欲しいことがあるんだ」

 

「一体何かしら?」

 

「君らの予想する通り、またこの見滝原を彼らが訪れるのは確実だろう。そしてその理由は探し物以外に今後見滝原に現れるであろうとされる昨日のシャドウの出現を危惧してのものだ」

 

「昨日のシャドウって、アイギスさん達が"死神"って呼んでたヤツのことね」

 

 怪訝そうな声でキュゥべえにマミが確認をとる。思わずほむらも身を固めて聞き耳を立てた。あんなにも凶悪で強力な相手がまた見滝原に現れると言われれば聞き逃す訳にはいかない。

 

「そう言っても僕の推測でしかないけどね」

 

 推測でしかないと言われても以外にもほむらは口を挟まずこれをすんなりと聞き入れた。生物として信用出来なくとも、キュゥべえの扱う特殊な力と地球上の物とは一線を画す科学力はまだ信じられる。それを駆使した上での結論であれば、信用に値する。

 

 その点を取れば恐らく本当にシャドウが現れてもおかしくない。魔女の結界で出現した際のことは鮮明に覚えている。魔女に魅入られ身投げを行った女性を間一髪で助けた後、その女性が結界内に侵入し自分達の前でシャドウに喰われた。影時間でしか居ない筈のシャドウに魔女の結界でだ。

 

「その根拠は?」

 

「どこから発しているのか分からないけど、昨日にはこの街には無かった異物の気配を感じるんだ。正確な出所はまったく見当もつかないんだけどね」

 

「なら魔女退治に専念させる理由は?」

 

「あんなイレギュラーに邪魔をされてしまえば魔女退治もままならないだろうし、だからそうなる前に魔女を倒してもらいたいんだ」

 

 昨日には無かった気配を感じるなど十中八九シャドウが原因なのは明らかすぎる証拠。この瞬間にも見滝原の影に身を潜め獲物を探しているに違いない。

 

「桐条さんが言うにはシャドウが居るのは影時間……の中でしか見られないタルタロスと言う塔。本当、何がどうなって魔女の結界なんかに」

 

「分からないの仕方ないさ。僕だってシャドウなんて見るのは初めてだったからね。普通の存在じゃない僕にもシャドウについては解らない事の方が多いいよ。だから不明な点がある以上、また遭遇する可能性がある事は頭に入れておいて欲しい、マミにほむら」

 

 しかし出た答えは結局、何も分からず終いである。昨日遭遇したばかりの者にシャドウ出現の謎も明かす事は出来なかった。

 

「ならどうするの、巴さん。昨日みたいに魔女探しに行くのかしら?」

 

「それでもいいのだけれど、万が一を考えると難しいところね。二人を連れて行くとなると危険を犯す訳にもいかないし。かといって魔女退治もおろそかに出来ないわ」

 

「そうね。けれど、もしもを考えるならば、ここは慎重にいくべきだわ」

 

「………」

 

 思案を始めたのか押し黙ったマミ。ほむらの言っていることは的を射ている。昨日の内に魔法少女ではシャドウ相手に何も出来ないのはほむらが身をもって知らしめていた。銃やミサイルの攻撃、拘束に特化したリボンによる捕縛も効果は無く、文字通り手も足も出なかった。昨日は美鶴達が居たからこそ生きていると言っても過言ではない。今はその美鶴達も居らずもしもの状況となった場合なす術なしだ。ここは慎重過ぎるくらいで丁度いい。何せこれはまどかとさやか二人の命に関わる故、下手な判断は出来ない。

 

「マミさんにほむらちゃんが居るならきっと大丈夫ですよ。マミさんだってとても強いんですから。ほむらちゃんもすごい魔法少女なんだから! わたしついて行きます!」

 

「えっ?」

 

 そう言って僅かな沈黙を断ち切ったのは裏表のない笑顔を浮かべるまどか。マミも思考を中断しまどかを見る。どんな理由で大丈夫と判断したのか分からないが突拍子もなく断言した。何を言い出すのかと波立つ心の焦りを表に出ぬよう隠しほむらも落ち着いた視線を送る。自分とマミが居れば何が大丈夫なのか。自分が魔法少女でもあのシャドウを倒せないというのに。見滝原なら敵無しのマミでもどうあっても勝てないというのに何故そう思ったのかと。

 

 マミは少し困惑した表情になるが微苦笑を持って尋ねた。

 

「そんな風に言ってくれるのは嬉しいんだけど、自分の命が危険に晒されるかもしれないのよ? 昨日見たようにいつ命の危機が訪れるか分からないわ」

 

「それでも、ですよ。昨日ほむらちゃんが言ってくれたんです。必ず私が守るって。だったらわたしはそれを信じてお二人の魔女退治について行けます。それにこれからどうするか決めるのは自分達だって言ったのは、ほかでもないマミさんですから」

 

 にっこりと可憐な笑顔を咲かせるまどかの言い分に驚いた顔のマミ。すぐに真剣な表情へと戻し小さく息を吐く。

 

「ふぅ…そんなこと言われちゃったら残して行くなんて出来ないわね。あなた達の決めたことなら私は止めれない。それとまさか暁美さんがそんな事を言っていたなんて思わなかったわ。可愛い後輩がそう言ってるのに私が弱気じゃダメね」

 

「魔法少女じゃないわたし達じゃあ信じてあげて一緒に居てあげるくらいしか出来ませんけど…」

 

「充分、いいえ充分過ぎるくらいよ。鹿目さんならきっと良い魔法少女になれるわ」

 

 憧憬の念を送りつつあるマミから褒められたのに照れたのか少し顔を赤く染め後頭部に手を当てるまどか。謙遜してそんなことないですよと否定するが嬉しさの感情である照れた笑みが零れる。マミもまどかから伝えられた気持ちに素直な感想で返した。魔法少女になるかも知れない後輩達が自分の意思で道を決め始めたのにマミも隠せない嬉しさを覚える。

 

 自分と同じ戦場に立つほむらが力を持たぬ二人を必ず守ると告げ、まどかはマミも含めそれを信じ魔女退治に同行しようと決めた。率直に喜べる。何時ぶりかにできた後輩がこの数日で自分の前でここまで言ってくれるのがたまらなく嬉しい。マミも口元に手を当て笑みを零す

 

(間違いなく昨日私が必ず守ると言ったわ。でもそれで魔女退治の同行を助長になってたなら……契約しない約束も覚えてくれているわよね、まどか)

 

 こちらも覚えているか気になるがそれほど心配する必要はないだろう。昨日のまどかを思い出せばしっかりと届いている筈だ。まどかが約束を簡単に忘れたり破るような性格でないのはほむらもよく分かっている。

 

 あの時はとにかくまどかとさやかが軽い気持ちで契約するのを思いとどまらせる為に言ったもので、そこまでの効果があったのには嬉しい誤算。

 

「でもそこまで豪語したのなら今日は暁美さんにちゃんと二人を守れるか、私に見せてもらおうかしら?」

 

「見せる? ……魔女退治を兼ねた試験というわけね」

 

「マミさんそれってほむら一人に任せるんですか? なんだか危ないような…」

 

「魔法少女になって日の浅い暁美さん一人に全部を任せるつもりはないけど、危なくなれば私もフォローをするわ。なによりこの子達を守るって言ったからには相応の活躍を期待させてもらうけど」

 

「ええ、経験が浅くとも期待に応えてみせる。美樹さんもそんなに心配しなくて大丈夫よ。私もそこいらの魔女に負けるほど弱くはない」

 

 何気に心配してくれたさやかに心配無用と言ったが正直なところ少々厄介なことになった。一人で魔女と戦うのに関しては、これまでやってきた事と変わらないので心配は要らず、まず見滝原に存在する魔女を相手取っても負けない、負ける要素がない。ところがその戦った経験と余裕さが裏目に出てしまう不安があった。あまり洗練された動きを見せると魔法少女になったばかりの設定を通すには内容が噛み合わず、余計な疑いを生む可能性がある。

 

 魔法少女歴の比較的長いマミの目に掛かれば誤魔化しはまず効かない。契約当初のあの初々しは微塵もなく、魔女に勝つ自信はあっても素人を演じてみろ言われてマミを騙し切れるかはかなり難しい。それにしてもかつて行われた修行のような魔女退治を急遽実施する判断にほむらは考えを巡らせた。

 

 シャドウに脅威を感じて自分を鍛えて即戦力にしたいのか。それともこの街に超弩級の大型魔女、ワルプルギスの夜が訪れるのを何らかの手段を通して知ってそちらの戦力にしたいのか。はたまた、単純に新しく出来た後輩を相手に張り切っているのかその真意の程は分からない。

 

「だけどマミ、魔女と戦っている最中に本当にシャドウが現れたらどうするんだい? 見てた限りアレに捕まってしまえば逃げることはほぼ不可能だと思うよ?」

 

「ちゃんと考えているわ。魔女の結界に入ったら私が常に出口は確保しておく。それならすぐに結界の外へ出られるでしょう?」

 

 そんな浅はかな考えで良いのかと思ったが、ここは何も言わずにしておく。

 

 それにシャドウばかり注意を向けて魔女よりシャドウの方が危険な相手と思い込まれても困る。いっその事これを機に一度魔女に負けるところを目の当たりにさせ魔法少女への憧れを摘み取るのも良いかと考える。

 

(あれ……でもそうなる前に私は巴マミに助けられてしまうような?)

 

「んじゃあ安心じゃん! シャドウが出てもすぐに逃げられるんでしょ? だったら行きましょうよマミさん! 今日もド派手にやっちゃって下さい!!」

 

 さやかは立ち上がり脇をしめて両拳を握る。

 

「ほらこうなんて言うの? イリュージョン?」

 

 身振り手振りでなにかを表そうとしているも、何も伝わってこない。今まで平凡な日々を送っていたさやかにとって魔女との戦いは、ありきたりな日常を忘れさせるある種のイベントにも思えているのか興奮している。ペルソナ使いのアイギス達も加え、退屈な時間などほぼ無いに等しい。ほむらはそんなさやかの的外れな考えを見抜き溜め息をつく。

 

「美樹さん…貴女、軽い気持ちで魔法少女の戦いに着いてきているのなら今すぐ帰りなさい。忘れたとは言わせないわよ。魔法少女の戦いは命懸けだってこと」

 

「うっ…!」

 

「それだけ暁美さんを頼りにしてるってことなんじゃないかしら。それと美樹さん、さっき言ったとおり今日戦うのは暁美さんだけよ」

 

 先輩の一言でほむらの顔が引き締まる。どのような段取りで魔女を倒すか頭の中で作戦を練る。あまりに手際が良すぎる怪しまれそうになるので無駄な動きを取り入れるよう考慮する。

 

 魔女探しに出向いたのは数分後のこと。その間もほむらは考えに考えぬくが良い案もおもいつかず不安を抱えて出発することになった。

 

 

 

 

 



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 手探り(2010,5/8)

 

 

 時刻はほむら達が魔女退治に出発してから数十分たった頃。洒落たカフェから遠く離れた場所。

 

 日が傾き建物の谷間を縫って射し込む光が薄暗い日陰と日向をはっきりと分ける。日中照らされる地面はからりと乾いているが、陰の部分は今も湿り気を帯び、黒い汚れが目立つ。建物同士の狭い湿りのある日陰でも日光は反射されどこも暑さが蔓延している。

 

 日の当たる場所で祈る様に膝をつき目を瞑るのは風花だ。風花の目に映る景色は下から見上げる水面のように揺れている。ただ風花に見えているのは瞼の裏の水面ではなく、映し出されているのはここではない遠くのビジョン。集中力を高めそこに潜む怪異を割り出す。一筋の汗が頬を伝い、やがて瞼を閉じ小さく息を吐いて目を開ける。

 

「……シャドウの反応は今のところないですね。他に感じるのはたぶん魔女かな。それにしても見滝原ってすごく広い…範囲を最大限に広げても足りないくらい」

 

「はぁ…魔女か。魔女なんかオレ達探してねえのにな。風花でもカバーしきれないってどんだけだよここ。つか変に暑いな…」

 

 5月になってからは日の照っている時間が長くなったような気がする。肌寒さも和らぎ、昼間だと薄着で外出する人も増えてきているのはそのせいだろう。中にはまだ季節の変化に取り残され、上着を羽織っていながら汗を流している人もちらほらと目に入る。

 

 青いドレスシャツの上に制服のジャケットを着た順平。ジャケットのファスナーは常に全開で、ベルトに着けられたバックルが太陽の光を反射する。

 

「さっさと衣替えして欲しいぜ」

 

 襟をはためかせて風を煽るもいっこうに涼しくならない。帽子の下の額はじっとりと汗ばんで蒸せている。ジャケットの重さも気になりだしてからは無性に脱ぎたくなり、何度脱ごうかと考え、手持ちの荷物が増えるのを嫌に思い脱がなかったりともどかしさが募っていた。

 

 隣には制服の中に鮮やかなオレンジのニットパーカーを着込んだ風花より背の低い天田が居た。

 

「確かゴールデンウィーク明けてからは移行期間だって言ってませんでしたっけ?」

 

 天田は短パンなのでこれといって暑さは感じていない。むしろ直接風が肌に触れる度に微妙な寒さを感じている。

 

「マジかよ。そんなのこっちじゃ言ってなかったぞ!?」

 

 今日見滝原を訪れているのはこの三人だけ。他のメンバーはそれぞれの理由があって来ていない。美鶴はシャドウにどう対処するか桐条グループにて案を練る為で、見滝原を訪れたいのは山々だがそうはいかないらしい。真田はたまたま予定が入っていなかったので昨日も来られていただけであって、今日は予定があり、来たくても来られない訳だ。ゆかりは学校関係の話でこちらもどうしても無理だったとのこと。アイギスも美鶴と一緒に桐条のラボに行っている。

 

 そして、この三人はこれと言った予定がないので再び見滝原を訪れることが出来た。また今日の目的は昨日現れたシャドウ警戒の為だ。シャドウが出現すれば即座に感知できる風花を筆頭に、戦闘能力のある人選がなされている。

 

 今は風花の感知能力に長けたペルソナ、ユノによる広範囲のサーチを行っていた。もちろん人目に付かないよう場所は人の来ない路地裏でペルソナを召喚している。風花のユノに限った事ではないが突然街中でペルソナなど召喚できた話ではない。

 

 召喚されているユノ。その風貌は真紅のドレスを纏った女性を象っている。上半身は女性のそれなのだが、下腹部より下が巨大な青い硝子の球体となっており、その中に召喚者である風花が膝をついて包み込まれていた。背中には孔雀の羽でも模したオブジェが常に浮遊している。人を包み込むだけあってその体躯は人間より遥かに高く見上げるほどだ。

 

 順平のペルソナも彼の身長を2倍にしても到底足りぬほど大きい。特に天田のペルソナは他と比べても並外れて大きく、桁外れの巨体を誇っている。それに比べると風花のユノは小さい方だが大きい事に変わりなく、目立つことは避けられない。

 

「衣替えの事は取り敢えず置いといてまずはシャドウが居ないか捜さなきゃ。昨日聞いたみたいに魔女の結界に出るならマミちゃん達に被害が出ちゃうし」

 

「つまり、結局魔女が見つからなきゃオレ達は始まらないって事か?」

 

「そうなるかも。いくら死神タイプって言っても1体だけで影時間を発生させられないだろうし。だったら環境の似た魔女の結界の方が可能性としては高いから」

 

 ユノの中で探知を続けながら自身の見解を述べる。風花曰く、魔女の作り出す結界とシャドウの活動する影時間は環境が似通っているとの事。本来なら影時間以外では現れないシャドウであっても影時間が消えた後に見つかった『時の狭間』での前例もあり、その辺りについては充分に考えられるらしい。シャドウが魔女の結界にまた出てくる確証はないが現実の世界へ出没するより可能性はある。また都合良く風花のペルソナで魔女の居る結界も見つけられる。

 

 それらを踏まえるとシャドウ捜索を行おうとする順平達のやるべき事は魔女の捜索となる。神出鬼没のシャドウを追うにはこの見滝原で無数に存在する魔女に迫らなければならない。シャドウ捜索は魔女を見つけないと始まらず魔女狩りと同義に近かった。

 

「じゃあ早く行きましょう。もし魔女と戦ってるマミさん達とシャドウが会っちゃったら危ないですし」

 

「そうだね。魔女もじっとしてくれてるわけじゃないし、今は手が届く範囲に居るところだけでも行っておかなくちゃ」

 

 ユノを心に還し風花が立ち上がった。特別異質さを放っていたユノが消えて狭いはずの路地裏がなぜか広く感じられる。それもすぐ薄れ風花を先頭に三人は歩き出す。魔女の居場所を的確に把握出来ているのは風花だけでついて行く他ない。それなりに近づけばあの危険な気配を嫌でも察知できるが、感知能力を持たない二人では遠距離のものはどうにもならない。

 

「まさかオレらが魔女退治する羽目になるなんてな。ゆかりッチも来ればよかったのによ。学校の用事で来れねえって普通ありか?」

 

 溜め息混じりに肩を落とし愚痴る順平。ゆかりの来られない理由に対して若干の不満を見せていた。自分は時間を割いて見滝原にまで赴いているのに学校を優先した事が引っかかるらしい。とはいっても、ゆかりは弓道部に所属している上に主将まで務めているのだから順平の思っている以上に多忙だ。主将ともなれば回ってくる役割も面倒なものが多くなる。反対に順平は部活動の一つにすら所属せず帰路の中継で病院へ寄り道するくらいにしかやる事はない。

 

 この事をもしゆかりが聞いていれば間違いなく順平は反感を買っただろう。『そんなに言うんなら1回替わってみる?』と端正な顔を顰めさせ眉を吊り上げて逆に不満を顕にするのが容易に想像できる。

 

「でも順平さんはゆかりさんと違って暇だったんですよね?」

 

「暇じゃねぇっての! だいたい天田はどうなんだよ? どうせお前もやることなくて暇だったんだろ?」

 

「いいえ僕は自分から志願して来ましたよ。元々昨日の話を聞いてから予定を空けてたんで。なにしろ放っておけませんしね」

 

「そうそう、ゆかりちゃんも天田君がいるなら安心だって言ってた。頼りにされてる証拠だよ」

 

「そんな事ないですよ! 僕なんて全然…」

 

 謙遜する天田だが頬を僅かに赤くしそっぽを向いて分かりやすい照れ隠しをする。

 

「へっ、どうせその後『順平じゃ不安過ぎる』とか『天田君の方が賢い』って言ってんだろ」

 

「あはは……」

 

「そこは否定してよっ!!」

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 しばらくして路地裏を出た。路地裏の静けさを知っていると分かる違い。人がたくさん居る場所と居ない場所との格差が顕著に表れている。光が強ければ比例して影も濃く深みを増す。これは見滝原の街にも言えることだ。三人はあまり知らないが爆発的な都市開発が施され、数年前とは見違える発展を遂げたこの見滝原。都心部は競い合うようにビルが立ち並ぶ大通りから少し外れると街はがらりと表情を変える。日中だろうと暗く湿気ばかりが溢れる。進むと人も住んでいないような廃墟さえ見つかる。

 

 道路こそ整備された末端に近い地域や発展から見捨てられた一部の箇所は見滝原に点々と存在する。

 

 魔女もそんな所へ好んで結界を張り獲物を誘き寄せる。誰も住まない町外れの廃墟など魔女にとっては最高の物件。数はいくらでもあり住処にも困らず人間も星の数ほど居る。見滝原は魔法少女の格好の狩場であるが故に魔女を惹き付けてしまう珍しい街と言える。

 

「だいぶ近いところに反応がある。そろそろかも」

 

 あらかじめ割り出しておいた魔女の気配を辿り人ごみの中を進む風花とその後を追う二人。またしても路地裏へと踏み入れた。すぐに喧騒は遠ざかり人の気配はもうしない。今度は先ほどより日の光が射し込んでいる筈だが、空気が冷たく、心做しか何者かがこちらを見ている気がする。

 

「なんか如何にも居そうな雰囲気だな…」

 

「もう少し行くと見えてくると思います」

 

 風花の言う通り1分もしない内にある地点で立ち止まった。通行止めの看板など道を遮るものは見当たらないが揃って三人はそこで止まる。天田の表情が真剣さを増し、順平も帽子を深くかぶり直す。

 

 一見何も無いように思えるが三人には魔女の作り出した結界の入口が見えていた。はっきりと見える異物。まるでガラスにひびでも入っているのか空間そのものが歪み幾つもの亀裂が走っている。外側から中心へと伸びる亀裂を辿った先には黒いネジを抱えた無数の腕。他にはなにもない。

 

 一歩近づくに連れて空気が冷たくなる。この禍々しい気配が滲み出る結界の中で想像出来ないようなおぞましい魔女が待ち構えているのだろう。数多くのシャドウと戦ってきたとはいえ、やはり一瞬の油断が命の危機に繋がるとなれば自然と恐怖が湧いてくる。中にはそんな命のやり取りが自分の輝ける場だと思い突っ走る者もいる。また、自らの力を高める修業のような捉え方の者もいた。しかし順平も天田もそんな馬鹿な考えを持ち合わせていない。結界の中に倒すべき魔女が居る。戦い慣れたシャドウだろうと、戦い慣れない魔女だろうと油断はない。

 

 警戒しつつまた一歩近づいた瞬間、結界の方から口を開け辺りの景色を一変させた。

 

 床が軟らかく生暖かい風が頬を撫でる。気づけばいつの間にか周りに自分達の身長よりも高いネジが地面から生え、天井のない空からは異様に太く頑丈そうな鎖に絡められた重厚なナイフが吊られる。閉鎖空間とも言える結界内に風が吹き、煽られた鎖が揺れて音を立てた。

 

「シャドウは見当たりません。奥に強い気配を感じる。きっとこれが魔女だと思う」

 

 すかさずユノを呼び出し周囲に警戒を巡らせる。

 

 明るいとも暗いともいえない光加減。視界を狭める白い霧。絶妙な不気味さを醸すこの結界、長く居れば居るほど気味が悪い。

 

「……っ! 二人とも辺りに気をつけて! 数は4体、使い魔が前方から来てる!」

 

「早速お出ましですね」

 

 ガンホルダーから召喚器を抜き取り臨戦態勢に入る。そして風花の言う通り4体の使い魔が霧を引き連れ宙に浮きながら現れた。

 

 現れた使い魔は見るほどに気味の悪い姿だった。錆びた黒いワイヤーをぐちゃぐちゃに丸めた様な塊からマネキンの手が幾つも飛び出し、天井から吊り下げられている。何か液体でも浴びて常に滴り床を汚す。あの状態で生きているのか、蠢きながら空中を移動してくる。

 

 なかなかに気持ちの悪い光景だが天田が臆せず引き金を絞った。巨大なペルソナ、カーラ・ネミが迫る使い魔を叩き潰した。

 

 しかしその内2体がカーラ・ネミの拳を紙一重で避けた。しかし天田が逃すはずがなかった。天井から吊られたワイヤーさえ辿れば使い魔の位置は簡単に分かる。天田が意識を使い魔に強く向けるとカーラ・ネミが呼応して動く。垂れ下がるワイヤーをカーラ・ネミが2体同時に掴みその手に力が込められた。

 

 稲妻が迸りワイヤーは千切れ飛ぶ。先端に吊られた使い魔まで到達した雷は届きその威力を遺憾なく発揮した。断末魔を上げ、爆ぜて消滅する使い魔。

 

「……今ので終わりではないようです。他にも反応が増えてます」

 

 巨大なネジの陰からわらわらと姿を見せる使い魔。殺気立った雰囲気から見るに、どうやら歓迎されている様ではない。

 

「え? 魔女の方から近づいて来てる」

 

 風花の言葉に重なり音が聴こえる。何かが空気を割いて動く重い音が。それも徐々に近づき大きくなり、その音の正体にいち早く気付いたのは順平だった。

 

「トリスメギストスっ!」

 

 赤装束のトリスメギストスが金色の翼で宙を駆けた。翼を大きく薙ぎ何かを切った。金属と金属がぶつかり合う重厚な高音。

 

 数拍空けて地面に激突する轟音。そこには深々と突き刺さる巨大すぎる血濡れのネジ。トリスメギストスが切り捨てたのはどうやらこのネジで、音の発生源はこれが飛来して来ていたのにあるようだ。

 

「危うく見逃すところだったぜ」

 

「ナイスです順平くん! …来ます、魔女です!」

 

 ファインプレーだがこれで終わりではない。今のもこの結界の主たる魔女の仕業だろう。推測からして飛んできたネジは重さは乗用車くらいなら越えている。それを自分達の居る場所まで投擲する正確さと力。そんな魔女を迎え討たねばならない。

 

 意識せずとも闘志が湧き上がる。戦う準備は出来ている。準備運動もさっきので終え、ペルソナを操る感覚も完全に甦った。風花のペルソナは決して戦闘タイプではなく探知能力や索敵、解析に優れたペルソナ。となればここからは最前線で戦ってきた天田と順平の出番だ。二人は揃って引き金を引き、魔術師と黄道を司る神を召喚する。

 

 巨体を誇るカーラ・ネミの眼に一瞬光りが宿り、地面に複雑な紋様が無数に浮かぶ。陰から姿を現した使い魔や付近にいた使い魔にまで及び、視界に入るもの全てが対象となった。魔法陣より妖魔を滅する札が飛び出し使い魔へまとわりつく。

 

 光を恐れる闇の住人にはこの破魔の呪術は避けられぬ呪いであった。

 

 光に包まれ使い魔は声も上げずたったの1体も残さず即死し、塵となる。これが呪殺の恐れられる所以だ。広範囲に向けて敷かれた魔法陣の範囲内であれば相手の頑丈さに関係なく死をもたらす。それも高確率で。

 

 一掃され使い魔の居なくなった空間にすかさずトリスメギストが依然姿を暗ます魔女に向け火球を放つも火球はすぐに散らされた。

 

 炎を掻き分け奇声を発しながら現れた結界の主の魔女。正面から火球を受けても怯まず前進してきたのは痛みや恐れを知らないか、それとも使い魔の死がそれを忘れさせたのか定かではない。姿は使い魔に似てか、むしろ使い魔が似て醜悪そのもの。長い髪を垂らしはだけた患者依を着るのは下半身が百足のように長く、手足が出鱈目に取り付けられた人形だった。大小様々な手と足、長さまで違う歪な四肢。子供サイズから大人サイズと種類は豊富だ。しかもその多くが黒く汚れがこびり付いている。無数の手と足で地面を這い、順平達を視界の中心に捉えた。

 

「おぉぅ……なかなかグロい」

 

 よく見ると全ての手足は巧妙に造られた義手と義足だった。まるで生身の手足のように滑らかな動きは作り物の手足とは思えない。

 

 百足の魔女、アグリ。それが魔女の名。その身に宿る性質は『縦横無尽』。今でこそ多くある手足だが、かつては手足ともども2本ずつであった。やがて力を付けていく内にその数は増えていった。留まることを嫌い、常に動かなくては過去を思い出し苦しくなる。しかしその過去というものを本人は何の事か分からない。きっとこれからも知らずに生きていく。それを考える器官をこの魔女は持ち合わせていない。

 

 そしてこれら魔女の事を順平達は知らぬまま戦う。魔女はシャドウに次ぐ敵であり悪である。先に魔女の方が動きを見せた。真っ直ぐ二人目掛けて突進を繰り出し、また正面から魔女は仕掛けた。自動車並の速度で肉薄してくる魔女を二人は左右に飛んで回避する。ペルソナ使いの反応速度と身体能力を以てすればこれくらいならまだまだ見切れる。

 

 魔女はこれを想定していたのかすぐさま切り返し、標的を天田に定めた。小柄でいかにも守られる側に見える天田を迷いなく狙う。だがその判断が間違いであると身を以て知ることとなる。

 

「…舐められたものですね」

 

 自分の胸に召喚器の銃口を押し当て、引き金にかける指に力が込められる。

 

 まだ中学にも上がっていない十歳を少し過ぎたばかりの少年。一人で成せることなんて数えられるほどだ。一人の子供として見れば持っている力は微々たるもの。しかし、天田は魔女の考える単に守られる側の存在ではない。むしろ逆と言える。今の天田には誰かを守れる強い力がある――目の前に居る悪の化身たる魔女を退ける力が。

 

 ガラスの砕ける音が鳴り響く。それに続き大きな駆動音も響いた。

 

 アグリの耳にそんな音は届かない。自分の縄張りを荒らした天田に金切り声を上げ襲いかかる。

 

 ――キキ、キキキキキィぃぃああ!

 

 本物に似せられた義手を高く振り上げ、天田へと躊躇うことなく今度は叩き下ろした。血か何かが凝固して赤黒く変色した爪先は猛毒を伴い、掠めただけで致命傷になりかねない。獣のように速い一撃は天田の頭蓋を裂かんとすぐそこまで迫っていた。

 

 それでも天田は目を瞑らなかった。魔女よりも速く動くものが頭上から降っていた。光の速度で迫り、極太の雷が魔女の背中を撃ち抜いた。

 

 魔女は長い体をうねらせ弾かれたように後ろへのけ反り後退する。焼かれた背からは白い煙が立ちのぼり地面でのたうつ。落雷の衝撃で体のいたる所からひび割れが生じ、壊れて千切れた手足が辺りに散らばっている。しかし今の攻撃では魔女を倒せはしなかった。天田の背後に佇む巨大なペルソナの実力は優れたもので、さっきの雷撃も相性さえ良ければシャドウを一撃で葬るほど。それを受けても力尽きなかったこの魔女の頑丈さが見て取れる。

 

「カーラ・ネミ!」

 

 天田の呼び掛けに応えてカーラ・ネミが動き出す。体を傾け一歩踏み込み、右腕を大きく後ろに振りかぶり、魔女目掛けて腕を振るった。遠心力とカーラ・ネミの力の両方で右腕の末端は魔女に接触する前に、音速へと達した。

 

 破裂するような音と飛び散る破片。鉄のように硬い手の平が魔女の側面を叩き吹き飛ばした。地面の表面ごと削られ大砲で撃ち出されたようにアグリは義手義足を飛散させる。

 

 地面を転がり、下半身は節ごとにバラバラになり、多くあった手足もそのほとんどが失われた。もはや芋虫同然の姿で這うアグリ。力の差は歴然で、アグリはこのままでは殺られると悟った。勝てると見込んで天田一人に挑んでこの様である。加えて順平の相手など出来るわけがなかった。

 

「逃げようとしてる! 順平君!」

 

「逃がすかっ!」

 

 少なくなった手足で天田達の居る場所から逆の方向になんとか這いずった。知能はなくても勝てない相手を前にして逃げるだけの理性は残っていたらしい。3度目の攻撃はもう耐えられず次で魔女は完全に壊れてしまう。早く逃げなければ――

 

 魔女は焼けた背中の熱とは別に新たな熱を感じて後ろを振り返った。必死に逃げるのを一瞬止めて振り返る。そこには身を焦がすような紅が迫っていた。視界いっぱいに広がるその赤は黄金の翼に炎を纏わせた一人の巨人。過去にあった処刑方、火あぶりの刑を彷彿とさせる炎は進むことを止めた魔女を容易に包み込み焼き尽くした。

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

「なんか、ふつーに倒せたな」

 

 魔女を倒したすぐに結界は消滅して元いた路地裏に弾き出された三人。時間もそれほど経っておらず、時計の針も1時間程度しか進んでいない。影時間のように現実の時間に割り込む事もなく、結界内でも外界と一緒に時間も進んでいるようだ。

 

 本日一回目の魔女退治が終了したところだが、まだ日は高く夕暮れまであと数時間は残っている。港区へ帰るにしても些か早い時刻だ。

 

「どうしよっか? またちょっと行ったところに魔女の気配を感じるんだけど。一応マミちゃん達も探さないといけないし」

 

 風花の手にはグリーフシードが握られている。先の魔女から手に入れた物である。グリーフシードからはかなり弱いが魔女の魔力を感じられた。これになんの用途があるかは分からないので、取り敢えず風花はマミ達に渡すため捨てずに持っていた。使い道が分かった所で、ソウルジェムを持たないペルソナ使いにとってグリーフシードなど必要もない。

 

「んー、その魔女倒すついでにマミ達も探すなんてどうよ」

 

「僕も賛成です」

 

「じゃあそうしよっか」

 

 再び風花はユノを召喚して魔女の居場所をすぐに割り出した。魔法少女と比べるとその精度と規模、早さが段違いに優れている。魔法少女は魔女の残した僅かな魔力を辿って探すように言わば金属探知機に近い。対して風花の場合はその場から遠くまでが分かるソナーのようなものに近い。

 

 三人は次なる魔女を目指し街をまた歩き始めた。魔女を探し出すのが先かマミ達と合流するのが先か、どちらにせよ両方とも特別課外活動部の面々にとっては外せない課題である。今回に限った事か判らないが倒した魔女に比べて普段戦ってきたシャドウの方がまだ骨の折れる相手だった。

 

 しかしこの街で本来魔女を狩る魔法少女の目がない所で魔女を狩り続ければどうなってしまうか、ペルソナ使いには分からなかった。善意やいつシャドウが現れるかもしれない危機感で目に付いた魔女を手当り次第に倒しては何時かは保たれている均衡が崩れかねないと知らずに。

 

 

 

 



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 眩しい姿(2010,5/8)

 

 きらきら。ぴかぴか。てかてか。輝きを表す言葉など辞書から引けば何個もあるが、その全部が満遍なくここにはあった。

 

 どこを見渡しても目に入るのは七色に色が変わり続ける宝石のような不思議な樹木ばかり。見上げると遥か高い所で木々の枝と枝が絡み合い自然の屋根が形成されている。木漏れ日が巨大な樹木を照らすと光を拡散し周囲は明るかった。もちろんこれらが自然な物である筈のない紛い物というのは全員が解っている。

 

 だが、それでも目に映る七色の世界は幻想的で煌びやかなものだ。

 

「二人とも離れないようにね」

 

 四人と一匹が踏み込んでいるのは探索により見つけた結界だ。マミ曰く、今回の魔女退治はほむらの実力を測るためというのもあるらしい。少々それは厄介だなと思いながらほむらは先頭に立って歩いていた。カフェを出る際もどう立ち回るか考えたりしたが、これがなかなかに難しい。自分が魔法少女になった直後の魔女退治を思い出して参考にしようかと思っても、それはそれはひどい活躍振りであった。

 

 過去のマミは足手まといにしかならなかったほむらを鍛え上げてくれた。この世界のマミが、その時のマミでなくても彼女には感謝している。あの時マミにはまどかという相棒がいながらほむらを歓迎した。きっと彼女はどうあってもほむらに手を差し伸べただろう。お陰で自分の戦闘スタイルを見出し、ここまで生き残ってきた。そしてその戦闘スタイルは体に染み付いて一定のパターンと化している。 

 

 これがまたほむらの中で問題なのだ。魔女との戦いで生きる術だが、何せそれ以外の戦い方をほむらは知らない。魔法で時間を止め、その間に目標に接近して銃をありったけ撃ち爆弾を置く、そして再び距離を取って魔法を解く。相手がよほど頑丈だったりしなければこの1回で大抵は片付いてしまう。時の止まった世界においてほむらに干渉出来る存在も無く、一方的な攻撃が可能。強力な魔法だがマミの魔法に比べると応用が極端に効かないのが今の難点だ。

 

 動かない的に近づけばいくら素人でも弾くらいは当たる。そんなので魔法少女の初心者と思わせるには材料が少なすぎる。

 

(何か良い方法は……)

 

 ほむらは自分の魔法の特性を解らせず初心者らしさを醸す方法を頭の中で模索した。隠したいが為に魔法を使わなければ怪しまれる。普段通りの手際でやればこれはこれで怪しい。そこでほむらは一つの考えが思いついた。

 

(……これなら良いかもしれないわ。きっとマミはまだ私の魔法の能力をうまく解っていないはず。だったら言うなら今がいいわね…)

 

 魔女の寝床目指し木々の間を歩きながらほむらはゆっくりと後ろに振り返った。辺りに警戒を向けていたマミもほむらが立ち止まったのに気付いてそちらを見て止まる。

 

「どうしたの暁美さん?」

 

「たぶん巴さんはもう分かっているかもしれませんが、一応私の魔法について言っておきます。私の使う魔法は”瞬間移動”です」

 

 マミが確信を持っていない今、自身の魔法について語れば信じ込ませることは出来るはず。それも『巴さんはもう理解出来ているわよね?』と、さも本当のことを言っている風にすれば納得させ易い。時間停止の魔法も工夫しだいで瞬間移動の様に見せ掛けられる。

 

 昨日も身投げをした女性を助けた際にほむらの魔法を瞬間移動と勘違いしていたのだ。

 

「やっぱり暁美さんの魔法は思った通りそれなのね」

 

 予想通り乗ってきた。やっぱりね、といった感じに誇らしげな表情を浮かべるマミ。ここからはあまり疑問を持たせず、さらりと次の話題に移ってしまう。

 

「ええ。でもそれ以外に魔法がないから私はこういうのを使ってるの」

 

 左腕の盾から黒光る拳銃を取り出した。手に入れた頃からのお気に入りでこれまで幾度となく世話になった愛用の一品『デザートイーグル』。引き金を引くだけで簡単に人を殺められる物騒な代物だが、ほむらにとっては心強い武器となる。

 

 普段見ないような物を目にして他の三人は一瞬驚く。特にまどかとさやかは僅かに身を引くほど驚いている。

 

「ええと、なんて言うかあれね。昨日も思ってたけどよくそんな物を手に入れられたわね」

 

「そうかしら? 魔法少女に出来ないことなんてないわ」

 

「いやそういう事じゃないでしょ!」

 

「ほむらちゃんそれ危なくないの?」

 

 危なくないのかと問われても、今はそれほど危ないと認識していない。こういった銃の類いとはもう随分長い付き合いをしてきた故に、体の一部のようなもの。触り慣れすぎて目隠しをしていても手元が狂うことも無いくらいだ。

 

「まどかが持つには少し危ないかもしれないわ。でも使い方さえ誤らなければそこまでじゃない」

 

「あはは、普通使い方知ってる子いないと思うんだけど……」

 

 そう言うまどかの横でうんうんと首を縦に振るさやか。マミも苦笑している様子。ほむらも何とか話しを魔法から逸らせることに成功した──と思ったがそうはいかない。

 

「なんなら暁美さん、私が修行でもしてあげましょうか? その盾から取り出すタイムラグを考えたら即座に対応できる攻撃も必要だと思うの」

 

「いいえ大丈夫よ巴さん。そう言ってもらえるのは嬉しいのだけど、私のこの魔法は本当にこれだけなの。他に応用出来ないか私自身試してみたけど無理だったから」

 

「あら…そうなの? 何だかもったいないわね」

 

 タイムラグもなにも、魔法を行使している間は時間の流れが止まるので攻めに遅れる心配はない。加えて他に応用出来ないというのは嘘だ。本当の魔法は『瞬間移動』ではなく『時間停止』であり、停止している際にほむらが意識して触れる対象の時間を動かすのは可能である。さらには自分の時間を速め通常よりも素早く動くこともできる。

 

 かといってこれが直接攻撃に転じるわけではない。あくまでも補助的な魔法な上、ほむらが他に出来るのは魔力を固め打ち出すくらい。

 

 もう一つマミの言ったもったいないというのが何を意味するのかほむらはなんとなく判る。きっと魔法を使った際の必殺技名だろう。それは丁寧にお断りしたい。いくらなんでも今の自分には恥ずかしくて無理だ。出来ても可能性は何十周か前のほむらならあるいは──

 

「でも暁美さんが自分で鹿目さん達を守ると言ったくらいだから今日は任させてもらうわ。それに気付いているかもだけど、今回は魔女じゃなくて使い魔が相手よ。腕試しにはもってこいね。でも昨日一緒に戦った相手に比べたら簡単だったかしら?」

 

 今度はマミの方から話題を変えてきた。先程も言ったほむらの腕試し。どうやら意識はそちらに移り変わりつつあった。

 

 同時にほむらは、ああ、なるほど──と内心納得した。この結界に入る前から思っていた疑問が晴れた。入口に立った段階で魔女と比べるとやけに魔力の波動が弱いことは気付いていたが、それをもしかするとマミが読み間違えたのかと感じていた。実際は狙ってここを目指していたのだと。

 

 出発する前にはカフェで自分一人に戦ってもらうと言ったのを覚えている。さっきまでどう立ち回り魔女を倒すか考えを巡らせ続けいた。ただし今回その敵は強大な魔女ならぬ使い魔らしい。敢えて魔女ではなく使い魔の結界を選んで来たのも、きっと魔法少女『成り立て』のほむらに合わせてだろう。相変わらずこの人は優しくて良き先輩だ。

 

 恐らくどれだけの下手を打っても今日ほむらが怪我をする事はまずない。使い魔相手に隙を突かれても必ずマミのフォローで助けられる。任せると言いながらもいざとなれば手を借すのだろうと予想できた。甘やかしではなくこれが多くの経験から見た巴マミという魔法少女の在り方とほむらは確信している。見返りを求めない善意を彼女は後輩に、仲間に無償で果てなく向ける。こんなタイプの魔法少女どこを探しても他にいないだろう。

 

 それもこれも後輩たるほむら達と共に居たいから。何よりも一人を恐れるマミがみんなに離れて欲しくないから。彼女の優しさであり、また誰にも打ち明けられない弱さ。故にマミは三人の前で頼れて、優美な先輩であろうとする。

 

「ええ、使い魔だろうと容赦しないつもりよ。巴さんに見てもらうだけで今日は終わるわね」

 

 ならば期待に応えよう。厄介に思えていたが手を抜こうなどとは考えていない。魔法少女として素人を演じ、怪しまれない程度の実力を示そう。ほむらの中で決意が固まった──

 

 

 

 

 

 結界の深部に辿り着くまでに多くの使い魔が待ち構えていた。どこからでも湧く使い魔の波。ここまで来るのに一体いくらの銃弾が消費されたことか。これもそろそろ終わりが見えて来た。

 

 ほむらが一つ深い呼吸をして走り出す。視認するだけでなく気配でも使い魔共の居場所を把握し頭に手順を描いていく。

 

 地面を蹴って高く飛び上がった。重力に任せ今度は自由落下の速度で降りる。着地するであろう場所に居るのは四つん這いの爬虫類に似た使い魔。全身が宝石で構成された異様な姿。よく見なければ周りの樹木と同化して見落としかねない。すかさず機械仕掛けの盾から手に馴染む愛銃を取り出し、使い魔目掛け素早く発砲した。

 

 頭、胴を正確に撃ち抜き無力化される。さらに着地の瞬間に身を捻り、背後から大顎を開けて噛みつこうとする使い魔の口腔にグレネードを投げ込み下顎を蹴りあげ閉じる。無理矢理閉められた顎は噛み合わせの衝撃で砕けた。

 

 後方へ飛び退くのと同時にトカゲ型の使い魔が内側から爆発する。

 

 着地位置から距離を取りながら全方向に警戒を巡らせた。認識しづらいがすぐ横を通り過ぎた木にも無数の使い魔がへばりついている。辺りの景色に馴染み姿を捉えるのが面倒だなと独語した。

 

「どうやらこの結界は魔女の元から離れた使い魔達が集まって出来ているのね。もしかすると強い個体が居るかもしれないわ、気を付けて暁美さん」

 

 魔力の障壁で覆ったまどか達を背にマミが離れた場所からこちらの様子を見ていた。いつでも加勢できるよう数丁のマスケット銃が突き立てられ、手にも1丁握られている。それを見てほむらの口角が僅かに上がった。

 

「これくらいまだまだ余裕よ。なんなら巴さんは紅茶でも飲んでいても大丈夫なくらいだけど」

 

「あら、まだまだいけそうね。でも慢心は禁物よ。戦いの中じゃ些細なことでも命取りになるんだから」

 

「そうね」

 

 実際油断すればベテラン魔法少女だろうと下級の使い魔から致命の一撃をもらう事はある。その一撃は魔法少女に苦痛を与えて思考を鈍らせる。行動にしても余裕を見い出せなくなり最善の一手を打ち損なってしまい、そこからは悪循環に陥りじわりじわりと詰められる。どれだけ余裕に振る舞ってもそれを慢心と入れ替えてはいけない。その点はマミも強く念を押している。

 

 結界の中に安全地帯など何処にも存在しない。敵の縄張りに自ら身を投じて戦いの場に躍り出るのだからそれ相応の覚悟をもって挑まなければならない。そんな場所へ慢心など持ち合わせのは愚か者か恐怖を忘れた者か。

 

 ほむらは二つのどちらにも当てはまらない。彼女にとってこれは単なる復習だ。余裕を振る舞うのも過去に幾度となくこの使い魔と手合わせをしたからだ。未だ本体である魔女とは邂逅したことはないが、使い魔なら知っている。故に行動パターンを知り尽くしている。ただし一切の慢心、油断はなかった。

 

「……!」

 

 真上に迫る気配を感じ魔法を駆使しその場から瞬時にマミの隣まで退いた。直後に爆発が生じ衝撃波が空気を叩く。大量の宝石が隕石のように降り注ぎさっきまでいた地点に極小のクレーターが出来上がる。

 

「わっ!」

 

「きゃっ!!」

 

「まだ完全なわけではないようだけど、あと少しで魔女に変異しかけね。ここの主ってとこかしら?」

 

 舞い上がる砂埃に潜む者をマミが目を細めて見据える。邪気や呪いを孕む場違いに眩しい輝きは砂埃を貫きこちらにまで届く。それほどに輝きは強く他の使い魔と比して格が違っていた。だがほむらからすれば見慣れた雑魚だ。

 

「来たのね」

 

 ぬるりと這い出たのは宝石に塗れ前脚と後脚がそれぞれ二対ずつある異様な姿のトカゲ。コートとスカートを身にまとっているがそれは手足とも一対のみで、まるで二人羽織かそれとも誰かを背負っているかのようだ。閉じられていない口からだらしなく舌をはみ出させている。眼窩から飛び出し幾つも連なった目玉は首にまで到達し襟の中へ消えている。体を支える腕とは違うもう一対の腕は溢れて落とさんばかりの金銀財宝を抱えていた。

 

 なんとも欲深い使い魔だ。手下でこれならおおもとの魔女はもっと欲望に満ちた姿形をしているのだろう。ほむらの銃撃でバラバラに砕けた使い魔の破片を親玉は乱暴にも掻き集め、自らの胸に抱く。表情が満足そうににたりと嗤った様に見えた気がした。

 

 そんなトカゲの化け物の顔など無視し乾いた銃声が数回繰り返される。

 

 親玉の使い魔から少しズレたところに照準を合わせ前置きなく撃つ。経験上この使い魔の特性を知っているほむらは迷わず先手を打った。

 

「速い。…でもそれだけね」

 

 銃弾が迫る寸前に6本の手脚で地面が抉れるほど強く蹴り、その初速を利用し使い魔は避けていた。小規模なクレーターを作るほどの威力もこの膂力によるもので違いないだろう。予想される使い魔の攻撃方法は速度に任せた突進。連続で避ける使い魔を狙い撃ちながら魔法少女の動体視力で追っていく。見ていれば分かるが相手は弾丸を振り切る度、次の攻撃を避けるため再び足を着き急ブレーキで切り替えしている。緩やかに曲がれず一直線にしか進めていない。

 

 ──一般人のまどやさやかにはどうやって使い魔が避けているどころか、姿も追えていない。見ても何が何なのか分からない。しかし魔法少女の動体視力は常人と比べ物にならない。少し目を凝らせば少し高速程度で動く物体も追うことも可能だ。単純な身体能力の強化に加え五感までも単なる人を超え、人間離れさせるのが魔法と言うものだ。それは果たして人なのだろうか。

 

 ここまで捉えられたなら自ずと対処法は見えてくる。かの使い魔は身を捻りその位置で避けておらず、通り過ぎることで避けている。銃口の向く先から弾の軌道を予測しているのか。尤もわざと外しているのもあり当たることは無い。また、あれだけ大量の目玉でほむらの動きを視れば軌道を読み取るのは容易い。木々の合間も利用し狙いを定めづらくしている。ならばその予測の先をさらに予測して先に行動すればいい。

 

 だがそうしなくても策はある。特異な力を操る目の前の魔法少女には追いつけない。銃弾も置いていく速さをもってしてもほむらの魔法の前では止まっているのと変わりない。文字通り止まるのだから。

 

「瞬間移動を装うのも骨が折れるわ」

 

 唐突に世界から色が消える。音も消えた。風も吹かない。ありとあらゆるモノ全てが一切の活動を停止させた。たった一人、魔法の使用者のほむらを除いて。動くのは、動かせるのは、動けるのは暁美ほむらだけとなったモノクロの世界。まるで誰も居なくなったこの世界に一人取り残されたような静けさだ。

 

 ほむらにのみ与えられた時間。全てのものが共有してきた一方通行にしか流れない時間へ自らが作りだした固有の時間を割り込ませ、世界の時間を止めてしまう。太陽が地平線に沈む事だろうと、月が天に昇る事さえも許さない。宇宙も動くことを止めてしまう。これが彼女の保有する『時間停止』魔法。

 

 軽く跳び、使い魔の進行方向を少し過ぎるところで身を捻り、頭が下に脚が上の体勢となる。銃を構え落下する瞬間に魔法を解く。そして時間は動き出す。まるでそこへ突然現れたかのようにほむらの位置が三人の視界で移動する。色も音も取り戻した世界で間を置かず二回引き金を絞った。

 

 狙うは丁度地面に足を着き、再び身を弾いて方向転換に移るべくしっかりと膝の折られた後ろ脚。そこへ銃口から吐かれた二発の弾は使い魔の硬い皮膚を難なく打ち砕く。

 

 左後ろ脚の両方に風穴を空けられた結界の主は悲鳴を上げながらそのままの勢いで地面を転がる。大事に抱える宝石たちもその腕を離れ血の広がりのように散らばる。

 

「ナイスタイミングよ暁美さん!」

 

「わあっ、すごい!」

 

「高速移動の起点となる脚から潰したのは流石だね」

 

 魔法を使いほむらは瞬間移動に見せかけマミの隣へ立ち目をやる。

 

「コイツは倒してもいいかしら? もうまともに動けないんだし、長引かせる必要もないんじゃ」

 

「ええ、そうしておきましょう。暁美さんの戦闘スタイルも少し分かったことだし」

 

 向けてくる微笑みが眩しい。発砲中も何度かマミの表情を見ていたが、かなり気を張っているようだった。マスケット銃を握る手には力が込められて常にトリガーに指がかけられていた。いつほむらが使い魔に足元を掬われてしまうのではという心配による緊張もの。今では親玉を短時間で完封してみせたのに安心と喜びといったところだ。

 

 視線をマミから未だ息のある使い魔へ移す。輝きはかなり濁りくすんでいた。まるで輝きの強さが命を表しているようで、弱まっているのは死期の訪れが近い事を暗に示していた。しかし宝物の宝石類はまだ抱えたまま。空いた腕で散らばり届きもしない宝石を必死に掻き集めようとしている。そんなにも大事なのかこちら側には目もくれずひたすら腕を泳がせている。憐れとも思わず、その見た目相応の欲深さが行動にまで表れている。他の使い魔より格が上でも所詮は魔女のなりそこない止まりだった。

 

 盾より取り出した手榴弾からピンを引き抜き遠くの地面に伏せる敵へ投げた。弧を描き落ちた先で手榴弾が視界を遮っても、それでもこちらを見ないし気にしない。そして爆発に飲まれ欲深いトカゲは消し飛ぶ。

 

 主とするには力不足だったが、閉じられた箱庭を維持していた基礎が消えたことで結界も崩壊を始める。木々の輝きも瞬く間に失われ枯れてゆく。枝葉に隠れていた下級の使い魔達も結界と共に死んでいく。最後に大きく揺れて完全に溶けて消えた。

 

 

 

 

 

「まさかあんなにも冷静に対応出来るだなんて思わなかったは暁美さん。もう少しかかるんじゃないかって」

 

「ホント見直したよほむら!」

 

「美樹さんに私は何を見直されたのよ。…いくつか戦術のパターンを考えていて、偶然それが生きただけですよ巴さん」

 

 結界から弾き出され一行は住処であった廃墟を後にし、場所を移すため歩いていた。マミの予想よりも想定外に早く済んだこともあり、次の標的を探しながら先の戦いについて話している。

 

 戦い終えてからさすがに手際を良くしすぎたかと思い返し、内心ほむらは焦っていたがそんなこともないらしい。今後もあんな風なやり方をすれば不信感を買わなさそうなのでこれは覚えておこう。

 

「すっごくかっこ良かったよほむらちゃん!」

 

「そんな、ありがとう……って駄目よまどか? 決してかっこいいだとかで魔法少女を計っちゃあ」

 

「うん、分かってるよ。それでもほむらちゃんかっこよかったんだ」

 

「分かってくれているならいいの。その言葉は素直に受け取っておくわ」

 

 純粋に賞賛されるのは悪い気はしないし、しかもまどかからそう言って貰えて嬉しい。自然と口元も緩む。しかしここから魔法少女への憧れが強まったらそれはとてもいけない。もしそうならこの言葉も嬉しいがかなり複雑だ。今は憧れの芽を摘めればいいのだが。

 

 マミもこれ以上二人を希望なく絶望ばかり目にする世界に引き入れない方へ考えを変えてもらうにはまだ時間がかかるだろう。自分が一緒に居て満足させるのに何をすれば良いか、そうそう思いつかない。

 

「あら? 反応があるにはあるんだけど、これは…」

 

「どうかしたんですかマミさん?」

 

「僅かに感じるの魔力のは残滓かしら。それにしてもかなり薄い」

 

「マミが正しいよ。この近くに魔女の結界があったみたいだ。でも誰かに先を越されてしまってるね」

 

「別の魔法少女ってわけでもなさそうね。魔法少女ならもっと濃く魔力が残るはずだし」

 

 しかし魔女をかっさらっていったのは魔法少女とは別の何者か。こうなると考えられるのは、魔法少女以外でまともに魔女と戦えて勝つ者。

 

「もしかして港区の方たちも来てたの?」

 

 港区。順平や風花らの住む町のことだが自分たちの知らぬ間に今日も来ていたのか。お互いまだ連絡先を交換するまでの間柄ではないため情報のやり取りは出来ないでいる。見滝原へ足を運んできているのか確信はないものの、あのペルソナ使い達とお互い敵じゃないのは双方とも理解である。グリーフシードも彼らにとって不必要。グリーフシードの乱獲などはしない。

 

 とはいえ不用意にテリトリー内の魔女を狩られると魔法少女側からはあまり都合もよくない。魔法少女と魔女のバランスに乱れが生じてしまう。魔法少女なら誰もが至る考えだ。

 

「どうします? 先に彼らを見つけますか?」

 

「その方が良さそうね。一旦魔女探しは中断してペルソナ使いの方達を探しましょう。暁美さんの反省会はそのあとね。鹿目さんたちもそれでいいかしら?」

 

「はい大丈夫です!」

 

「さっさと探しちゃいましょう!」

 

 ペルソナ使いに近づけばソウルジェムでも反応をキャッチ出来てなんとなく居場所は分かる。あの特殊なエネルギーというか、魔力にも似たもの。魔女や魔法少女とは違うがその分見つけやすい。

 

(たぶんあの人たちがそこらの魔女に負けるとは思えないけど、逆に狩られすぎても困るわね。今後を考えても……)

 

 目標は見滝原を訪れているペルソナ使い。もし魔女結界にまたシャドウが現れた場合、対抗し得るのもペルソナ使いだ。出現する可能性を完全に否定できないなら、その間だけでも個人的にでよいので手を結んでおきたい。まどかへの危機がそれで自分やペルソナ使いに分散されるならば尚良い。こんな始まったばかりにつまづいて立ち止まってはいられない。

 

 昨日の風花曰く、シャドウは現実世界にはまず現れないと。よって可能性は魔女の結界のみ。彼らが探し物を探している内は結界に出てくるかもしれないシャドウ掃討に参加してほしい。しかしこの要求は必然的にペルソナ使いからの魔女狩りへの介入を許すことを意味する。

 

 ほむらの脳裏に浮かぶはこちらから手も足も出せず強大な力を奮ってきた死神。一つひとつの攻撃が並の魔女など一撃で消し飛ぶ威力。通常兵器は効かずマミの束縛魔法も意味をなさなかった。出口を確保しながら結界を彷徨いていてもどこから姿を現すかも分からない。どう考えても魔法少女で対処するには手に余る。

 

(……こればかりは仕方が無い、か。イレギュラーも今回が初めてではないのだから柔軟にね)

 

 横目で隣に立つマミを見る。マミも様子を彼らの行動を見つつ共存をとると予想する。ペルソナ使いにも目的があって見滝原へ来ているのだ。マミの性格からして来ないでくれとは言い難い。

 

 今はどこかでこちらが折れないと解決に手が届かない。これもまた駆け引きなのだ。ほむらの足元を歩く白い悪魔は今の状況よりもよほど悪質なのだから。立ち止まっては、いられない。

 

 

 

 

 



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