或いはこんな織斑一夏 IF Blade for Mysterious Lady (更新凍結中) (鱧ノ丈)
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第一話

にじファンで読んでいてくださった方々、改めてこちらでもよろしくお願いします。
そしてご新規の方々、『或いは~』本編共々、今後おつきあいをよろしくお願い致します。


 これは夢なんだと分かった。

別に特別どうという確証があったわけではない。ただ、景色というものが見えているのにどこか朧であり、自然とそうだという認識が頭に染み込んできたのだ。

 

 そこに自分が居るのかは定かではない。あるいは、物語で時折ある自分が幽霊になったかのように、姿の無い存在となっているのかもしれない。

だが、彼の意識は確かにその場所にあった。

 

 その場所は一つの道場の中だった。極々ありふれた内装でありながら、その実各種建材が通常より頑丈な物になっている道場には一人の少年、一人の少女、一人の男が居た。それを見て彼は理解する。これは己の過去の一幕だと。

 

 道場には一人の少年の姿があった。年相応の背丈をしているが、佇まいは未だ十を数えて長くはない彼の年齢を鑑みれば不自然なほどに落ち着き払っている。

それは紛れも無く、かつての自分だった。未だ少年と呼んで差し支えない年齢の少年の更に昔の頃の姿だ。

実際には五年そこら程度の昔であり、人生を生きていれば本当に短い僅かな年月だが、それでも十代半ばからしてみれば決して短くない時間である。

 

 

「ねぇ、君が先生のお弟子さんなんでしょ? 名前、教えて?」

 

 明朗快活を表すかのように明るく、張りのある言葉が少女の口から出る。

別段、断る理由も無かったはずだ。だが、少年は否と答えた。ひねくれ者だったのか、それとも少女の何となく上から目線のように感じる言葉が癪に障ったのか。

とにかく少年はただ答えることを是としなかった。

 

 先にそっちが名前を言え。仏頂面で言った少年に少女は眼を丸くするとそれもそうかと言ってあっさり納得する。

その余裕そうな態度が余計に気になったが、それでも自分が聞いたのだからちゃんと聞かなければならない。

舌打ちをしたそうな顔でその後の言葉、少女の名乗りを待つ少年を見て二人から少し離れた所でやり取りを見守っていた男は「仕方のないやつ」と言うように苦笑していた。

 

「あのね、私の名前は――」

 

 

 そこから先は言われずとも言われなくても分かる。

その後に続く言葉を、少女の名前を夢の主は、少年はもう分かっていた。自分の夢、自分の記憶の一欠片である以上は分かっていて当然だ。

だが、そういうことではないのだ。忘れるはずもない。その名前はずっと……

 

 

 

 

 

 

 

 不意に場面が移り変わる。

否、場所そのものは先ほどの道場から変わってはいない。だが、状況が違っているのだ。

 道場の隅には主であり、少年と少女の師である男が腕組みをしながら道場の中央を見ている。

そこには、胴着を身にまとった少年と少女の姿がある。

 

 倒され、起き上がったことにより尻餅をついている少年と、その目の前で得意顔をしながら仁王立ちをする少女。

少年の顔には心底腹立たしいという怒りが如実に表れていた。しかし、その怒りも無理なからぬ話である。

 

 凡その事柄において比較的凡庸と言える少年だが、ただ一つ、武芸に関しては他者に比べ抜きん出た才覚があった。フィジカルは鍛える度に力強さを増し、教えを受けた技は水を吸う真綿のように次々と会得していった。

そして類稀なる武芸の才とそれを伸ばすことへの強い意志を幼いながらに持っていた少年が、自身と波長が合い、なおかつ最高峰と呼べる師を得ることができたことはまさに僥倖以外に表現のしようがないだろう。

 才覚を、優れた師の下でより効率的に伸ばすことができたならば、その結果は自明の理。

少年の武芸の腕前は大の大人すら組み伏せることが可能な域に達していた。なればこそ、同年代でもまず敵はいない。明確なその自負があったゆえに、自身より一つ年上の少女に敗北を喫したのが、彼には心底腹立たしかったのだ。

 

「フフッ。悪いけど、私もそう簡単にやられてあげないわよ? だって、私だっていっぱい鍛えてるもの」

 

 だからどうしたと少年は吠えた。だったら今まで以上に厳しい修業をして、もっと強くなってやると。絶対に負かしてやると。幼いが故の意地で答えた。

 

「いいわ、楽しみにしてあげる。ねぇ、どうせ強くなるなら、私を守れるくらいに強くなってよ。おとぎ話の王子様みたいに」

 

 少女はからかうつもりだったのだろう。裏と言うものをまるで感じさせない、本当に屈託のない笑顔がそう物語っていた。だが、意外なほどに少年は真面目な顔で頷いた。

 

 面白いと。何かあったら俺が守ってやると。自分の出る幕なんてないと痛感させて、負けた気分にさせてやると。

そう言って立ち上がると、少年は道場の隅に立ち続けていた師に更なる修業を望んだ。

 

 それから数分後の後、師が課した苛烈な修業により断末魔のごとき少年の悲鳴が道場から響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 そして再び場面は移り変わる。今度は場所も変わっていた。

周囲に生い茂る木々。起伏の多い地面からそこが山中であるということを想像することは決して難くない。

 

 緊迫とした雰囲気がその場には立ちこめていた。

数多に生える植物が発するフィトンチッド、揮発性物質から成る森林特有の空気に鉄の匂いが混じりこんでいる。

地面に倒れ伏す巨体があった。全身を硬質な毛で多い、鋭い牙と爪を持つそれは全長2mはあろうかという巨大なヒグマだった。

倒れ伏すヒグマの前には刀を手にした男が、少年と少女の師が立っている。刀によるただの一突きで心臓を貫き、ヒグマを絶命たらしめた男はしかし、自身が為したことになんの感慨も湧かせずに険しい表情をして、背後を見る。

 

 仰向けに倒れる少年と、その体に縋って涙を流しながら声を上げる少女の姿がそこにはあった。少年の顔には大量の血が付いており、その体に縋ったことで少女の手にも幾分かの血液が付着している。

その血は心臓を貫かれたことにより地面と草木を濡らし、鉄の匂いを撒き散らす大量の熊の血とは異なる、少年自身の血であった。

 

 その出来事は言ってしまえば不幸な事故であり、決して誰に非があるなどと責めることはできないものだった。だがそれでも、起こってしまったことに対して男は刀を握る手に込める力を強め、浅慮をした己自身に怒りを向けるように眉根に皺を寄せる。

 

 修業の一環、足腰やバランス感覚を鍛えるための山中ランニングの最中だった。もはや慣れた修業のために少年と少女の二人だけで山中を駆け巡っていた時にそれは起きた。不意に耳朶を打った草木が踏みつぶされるようなざわめく音。何かと思い音の方を見た二人の視界に飛び込んできたのは、四足で歩く巨大な影だった。それは一頭のヒグマだった。

いかに鍛えていようが二人は未だ10の齢を少し超えたばかりの子供。どうあがいても熊などに太刀打ちできることなど叶わず、それは二人も重々承知していたため、すぐに踵を返して脱兎のように逃走を図った。

 

 だが、それが間違いだった。背を向けた人間に対して熊は四足で追いかけ始めた。強靭な四本の手足を駆使しての疾駆は速く、すぐに二人との距離を詰めていく。

右へ左へ、無数の木々という障害物と子どもゆえの小柄を活かしてなんとか撒こうとするが、その逃走も止まらざるを得なくなる。

たまたま地面からむき出しになり小さなアーチを作っていた木の根。それに足を引っ掛けられた少女が転倒。さらにその際に足を挫いたことで、これ以上の逃走が不可能となった。

 

 地面に倒れたまま少女は震える。目の前に迫った明確な死の存在に、ただただ恐怖するしかなかった。

一歩一歩、その重さを感じさせる足音と共に熊が迫る。振りあげられた前足。その先にある鋭い爪が陽光を照り返して輝く。

眼を固く閉じて声に出さずに心で叫んだ。助けを求める声を。直後、その体に軽い衝撃が走り、少女の体は横に突き飛ばされていた。

 

「え……?」

 

 そんな小さな声が少女の口から洩れた。開かれる目。その視界には先ほどまで自分が居た場所が遠のいていくのが見えた。

代わりにそこに立っている少年。そして、振り抜かれた熊の爪が少年の顔を切り裂き、赤い血をその場に飛び散らした。

 

 

 

 

 神の視点と言うのだろうか。あるいはテレビに映る映像を見ているかのように、その光景は他人事のように見えた。

だが、それはかつての自分が確かに経験したことなのだ。何より、己が顔の横に走る縦の傷跡がその記憶を物語っている。

 

 

 

 

 顔を切り裂かれ、苦悶の呻きを共に地に倒れた少年の姿に少女が悲鳴を上げる。

直後、血相を変えて駆けてきた二人の師が手にした刀を鞘から抜き放ち、絶対零度のごとき殺気を熊に向けて叩きつける。監督者として離れた所から二人を見守っていた彼も、予期していなかった緊急事態に咄嗟の対応がわずかに遅れた。そんな自身の不徳へのいら立ちも、放たれた殺気には込められていた。

動物としての本能故か、二人の子供から目をそむけて殺気の源、男の方を向いた直後、熊の命運は決した。

 

 鈍い音と共に放たれた一太刀は毛皮を切り裂き、体表を貫き、骨の隙間を縫って心の臓を正確に貫いた。

唐突に叩きつけられた死に、断末魔か、あるいは怒りだろうか。熊は咆哮を上げる。だがそれに取り合うこと無く男は突き刺した刀を熊の胸から引き抜くと、溢れる血にも構うことなく、下段から顎に向けて脳天を貫くように止めの一突きを放つ。

それで終わり。山中で人が出くわせば脅威そのものでしかない熊は、あまりに呆気なく散った。

 

 

 倒れた少年は上半身だけを起こすと、切り裂かれた部分に手を当てる。幸いにして目などに傷は無いが、間違いなく大怪我と呼べるものだった。

痛みゆえか表情を歪ませる少年に少女が足を引きずるようにして駆け寄る。その顔は少年以上に歪んでおり、目には大粒の涙が浮かんでいる。

 

「なんで!? なんで!?」

 

 泣きじゃくりながら問い続ける少女。そこには少女が生まれた家の、そうあれかしと教え育てられた結果の名家の跡取りたるの姿はなく、ただただ年相応の一人の子供がいるだけだった。

その様子を男は黙って見つめる。恐らく、男を知る者が今の彼を見れば驚きを隠さずにはいられないだろう。

何事においても高い能力を持ち合わせるがゆえに常に不遜とも呼べる自信に満ちあふれている彼の目には、ある種の迷いが浮かんでいたからだ。

 

 悩む。今すぐにでも怪我をしている少年を、弟子を治療すべきだと分かっているが、泣きじゃくりながら縋りつく少女の姿にまだ待つべきとも思えることを。

今この瞬間、今この時は慎重な扱いを要すべき時だと、直感的に悟っていた。

 

「何で……ねぇ、どうしてかばったの……。どうして君が……」

 

 泣きじゃくり続けたことやそれまでに溜まった疲労からか、少女の声から段々と力が抜けていく。

少年は俯いていた顔を上げると、少女を真っ向から見据える。そしてゆっくりと口を開く。

 

 

 

 

 

 また随分懐かしいなと思った。この時に思っていたことは今でもよく覚えている。あの時に喋った言葉も、一言一句違えることなく諳んじることができる。

あの時、少女をかばった時、自分の思考はただ一つに支配されていたのだ。

 

 約束だったから。何かあれば守ってやると。そう約束したから。

どうだ、これで俺の勝ちだと。自分は笑って言ったのだった。

 

 

 

 

 

 

「馬鹿……馬鹿っ!! こんな……こんな風に守られて……嬉しくないっ! だって君が傷ついたら意味が無いっ!!」

 

 その言葉に少年の表情が固まった。未だ涙が止まらないまま、少女は震える声で言った。

 

「ごめんね……! 私のせいで……ごめんね……! 私も……強くなるからっ、絶対に、もう、こんなことにならないようにするからっ……!」

 

 

 

 

 

 

 

 あの時、泣きじゃくっている少女の顔を見て、無性に胸が痛んだのを覚えている。

あの時は分からなかったが、しばらくしてから理解をした。自分は、彼女が泣いているのが嫌だったのだと。

かばったのだってそうだ。別段、勝負なんて関係ない。ただ、彼女が傷つくのが嫌だったのだ。

初めて会ったあの日から修業をして、一か月かそこらの短い間だったが、それでもその間に積み重なっていたのだ。

 

 確かに彼女への対抗心があった。だが同時に、自分は彼女という存在に―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、起きろ馬鹿弟子」

 

 聞きなれた声と共に耳に入ってくる水の音。顔に叩きつけられた冷たさと、髪の毛が張り付くような感覚に水を頭に掛けられたことを理解する。

同時に一気に覚醒する意識。仰向けに倒れた状態から上半身を起こし、左手を頭に当てる。どうにも夢を見ていたらしい。

 

 少年、織斑一夏は沈黙していた意識の残滓を振り払うように頭を軽く横に振ると、黙って立ち上がる。

立ち上がった目の前には一人の男が居た。夢にも出ていた男、190は超えようかという長身は鍛え抜かれた鋼のごとき筋肉に覆われ、肩口よりやや伸びた硬質な黒髪はその中ほどで一つに束ねられている。

一夏を見据える眼光は鷹のごとく鋭く、しかし同時に不思議と恐怖は感じずに畏敬を抱かせるような超然とした存在感を放っている。

 

 名を海堂宗一郎と言う。

戦国の末期から江戸初期に実在した剣豪である伊東一刀斎が興し、現在では溝口派や小野派などの多数流派に別れた「一刀流」などと同様の、現代に生き残った殺人剣としての側面を強く持つとある古流剣術の使い手。

同時に、学生身分からの卒業と同時に世界各国をめぐり歩いた際に会得した各国の武術にも通じ、自身もまたその各々において猛者と呼べる使い手たるという、武芸百般の達人と形容するのに相応しい超人的な実力者である。

 

 そして、一夏にとってもっとも重要な彼の肩書き。それは、彼が一夏の師であるということだ。

 

「すみません、またですか」

 

「あぁ。また、だ」

 

 何のことは言うまでも無い。修業の最中、師との組み手により叩きのめされての昏倒、そこから師に叩き起こされるまでの一連の流れ。

諸事情あって実家を離れ、師の下で内弟子として住み込みで修業を受けている彼にとってはもはや日常茶飯事である。ちなみに今回はバケツに入った水を顔にぶっかけられる形で起こされた。当然、後始末は一夏の仕事だ。

 

「夢を、見ていました。昔の夢を」

 

 不意にそう呟いた。その言葉を、宗一郎は静かに聞く。全てを聞くでもなく、弟子が語る内容を彼は把握していた。

 

「あいつか」

 

「えぇ。あの時からずっと、ですよ。みみっちく、後生大事に抱え込んでる」

 

「正直に言えば、お前がそこまであいつに執心するのは俺にとっても意外だったのだがな。とは言え、以前に話したな。あいつは、そう安々とは会えない。あいつにもあいつの立場がある」

 

「分かってます。ただ、俺がいつまでも振り切れないってだけの話です」

 

 自嘲気味に呟く一夏だが、それを笑いも咎めも宗一郎はしない。ただ静かに、目の前の少年の心に染み込ませるような重さを含めて諭す。

 

「別段、気にすることでもない。お前にとってあいつのことが、今の強さの根源になっている。ならばそれは軽んじるものではないし、切り捨てて良いものでもない。

せいぜい、励むことだな。……構えろ。続きを始めるぞ」

 

 師の言葉に一夏は黙って頷くと、床をしかと踏み締めて立ち上がる。

立ち上がった一夏は軽く周囲を見回す。夢の中でも出てきた道場。そこに立つ己は昔と比べて背丈を始めとしてだいぶ変わったのに、この道場はまるで変わらない。

ただの建物でありながら年月を感じさせずに悠然とあり続けるその様に、どうにも人たる身の己の矮小さを感じずにはいられない。

 

(柄でも無いな……)

 

 心中で呟きながら一夏は倒れたことで僅かに崩れた胴着を整える。師と寝食を共にして一年以上が経つが、彼の影響かどうにも自分も色々と妙な物の考え方をするようになっているらしい。

手早く着衣を整えなおした一夏は、倒れても手放さなかったのだろう、利き手である右手に握られたままの練習用の模擬刀――特殊合金製で高い頑強さを持つソレ――を改めて握りなおす。

 

 両者の構えは正眼だ。剣術の基本にして王道、同時に強力無比な構え。

宗一郎が伝承し極め、一夏が弟子として受け継ごうとする剣術は、いくつかの技を奥伝とする以外は極めて無機的だ。

即ち、いかに効率的に敵を屠るかのみを主眼に据えた『人斬り包丁』と呼ぶのが相応しいものだ。

しかしながら極めた武術が時に「殺人芸術」とも称されることを表すかのように、刀を構えて立つ二人の姿は不思議と魅入るような洗練さを持っており、特に宗一郎のソレは名工の手になる芸術品がごとき美しさを持っている。

宗一郎に関してはキャリアが相応にあるため当然と言えば当然であるが、相対する弟子の一夏はその半分程度の年齢、十代半ばを数える程度の齢でしかない。

そんな若さでありながら、師には遥か及ばずとも一端と呼ぶに十分な佇まいでいることができるのは瞠目に値する。だが、そのことに一夏自身は自負を持てども未だ不十分と思っている。その要因の大半は、目の前に存在している。

 

 先に動き出したのは一夏。上段からの一撃を皮切りに、流れるような連続攻撃を宗一郎に向けて放つ。

常人であれば初撃すら反応できるかも確約できない鋭い太刀筋の連続を、宗一郎は眉ひとつ動かさずに悠然と受け流す。

そうして攻撃を捌いていくなかで、時折見つけた一夏の動きの粗を、それによって生まれた僅かな隙を小突くように指摘するという形で修正していく。

 

 一夏自身の、宗一郎ですら思わず目を見張った才覚と、面白がり半ば興味を刺激されるような形で次々と技を伝授していく彼の指導によって、流派の技の大半は既に成っている。

後は、叩きこんだ技を、動きを、更に練磨し続ければいいだけの話だ。ここ数カ月、体づくりのための走りこみや筋トレなどの基礎修行と、技を錆びさせないための反復を除けば二人の修業は実戦形式の立ち合いが専らであった。

とはいえ、未だ技の総伝にまでは至っていないのも事実だ。残すとすればほんの一握りの技だが、それは今後追々というものだ。

 

 立ち合いを始めて僅か数分、すでに斬りこんだ回数も百で数える頃合いに達した時、一夏が大きく動いた。

左下から斜めの切り上げ。柄を握る両手であったが、切り上げの途中で左手が柄より離れる。

右手のみで切り上げた一夏はその勢いを利用して接近。空いた宗一郎の胴に向けて左手で拳を放った。

 

 だが、その一撃を宗一郎はあっさりと流す。ならばとばかりに膝蹴り、肘打ち、さらに斬りかかりも含めて剣拳混合の連続攻撃を仕掛ける。

無手による徒手格闘術。それらもまた、一夏が宗一郎より学んだ武技であった。

剣を取れない状況への対応、剣士としてだけでなく、数多の武芸を学んだ自身の後継たるべくと宗一郎が考えた結果である。

そしてその中には彼が世界を渡り歩きその身で取り込んできた数多の武術を更に彼自身が纏め上げた、もはや我流と呼ぶに相応しい技の数々もある。

もっとも、ただでさえ既に教えた格闘技が十全とは言えない現状では、その秘伝も一部しか伝えられていないのが現状ではあるが、これもやはり追々というやつである。

 

 斬撃と打撃の混成連続攻撃はもはや嵐のごとき激しさを纏って宗一郎に襲いかかる。心得のない者ならば何をされているか分からないままに打倒されるだろう。多少心得があろうと、真っ向から飲み込まれ潰されるだろう。まずもって同年代で、それこそ喧嘩になれた不良から真っ当な少年少女の格闘家まで、相手取ってほぼ負けは無いと自負する自分の、全力での攻撃だった。

だが、その悉くをあっさりと受け流している様を見ると、彼にはそよ風とでも受け取られているかのようにも見える。あるいは、事実そうなのかもしれない。

そして、動きの中に一つ見出された隙を付いて宗一郎が鉄拳を振るう。下顎に強かに打ちつけられた一撃はその体をあっさりと吹き飛ばし、彼にとっては本日27回目のふっ飛ばされと相成った。

 

 

 

 

 

 

 

 夕刻、一度修業を切り上げて道場と直結している宗一郎の本宅で二人は夕食の準備を始める。

道場と隣接した家は田舎と呼んで差支えない町の、さらに山中というより人里から離れた場所にありながら地上デジタル放送対応や電磁加熱調理機など家電類充実などが最新のレベルで充実している。こうした料理にしても比較的行いやすい環境となっている。

材料を切っている一夏に、不意にフライパンで炒め物をしている宗一郎が尋ねた。

 

「そういえばもうすぐ受験シーズンだが、確か高校は一度戻るのだったか」

 

「えぇ。家の近くに良い高校があるんで。そこを受けようと」

 

「確か藍越だったか。まぁ、流石に高校は重要だからな。俺も引きとめるわけにもいかん。近く、荷物や修業のまとめをするとしようか」

 

「はい」

 

 自身への配慮を欠かさない師の言葉に、一夏は素直に感謝の念を込めた礼を言う。どちらかと言えば厳しい方である師だが、自分と居る時は常に自分のことを考えてくれている。それが嬉しくあり、彼にとっては師に全幅の信頼を寄せる要因でもある。

そこで、宗一郎は懐かしむような声で一夏が住み込みを始めたばかりの頃を語りだした。

 

「しかし、一年と半年か。存外早いものだな。実を言えば俺も驚いていてな。今まで長期休暇に纏めて来ていたお前が、いきなり住み込みをさせろときたものだ。

全く、中学を転校手続きまでするのだから。俺も千冬も、随分と振り回されたぞ」

 

 時を遡ること約一年半前、それまで夏休みなどのまとまった休暇に師の下へ修業に来ていた一夏であったが、とある事件をきっかけに更なる実力の向上を求めて、住み込みでの内弟子となることを望んだのだ。

通っていた中学を、宗一郎が居を構える山の麓の町にある小さな公立中学校への転校という形で離れ、同時に級友たちとのしばしの別れすらも厭わないその姿勢に、宗一郎と一夏の実姉であり保護責任者の千冬も折れ、結果として一夏の望む形でことは運んだのだ。

 

「挙句、転校した中学にもろくに通わず。お前、勉強面まで俺を当てにしていたな?」

 

 呆れるような半眼で自身を見る宗一郎に一夏は明後日の方向を向きながら、飄々と答える。

 

「いやだって、旧帝大卒業してる師匠なら、中学の勉強くらいどうということはないでしょう?」

 

「まぁそれも事実だが……。しかしな、いくらなんでも週に三日程度しか出ないのはさすがに問題だろう」

 

 実際一夏の言うとおりであり、それなり以上の学歴も保持している宗一郎の手にかかれば中学レベルの勉強を教えることなど造作もない。

ないのだが、それをいいことに肝心の学校にあまり行かずに自分と修行三昧だったことには、今思い出しての何とも言えない顔をせざるを得ない。もっとも、同時にそれに付き合った自分も大概だとも思っているが。

 

「卒業できればそれでいいです」

 

「そうか」

 

 真顔できっぱりと言い切る一夏に宗一郎は思わずため息を吐きたくなった。

どうにも弟子は要らないところまで自分に似てしまったらしい。武芸を極めんと貪欲になるのは大いに結構なのだが、そのためにそれ以外をあっさりどうでも良いと言えるあたり、本当に自分と似てしまっている。

とは言え、高校進学については真面目に考えているだけ、まだ救いはあるだろう。ひとまずは、弟子の今後の進退が修業よりも重要になるかもしれない。そんなことを考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深夜、国内某所にある一つの邸宅の一室。部屋の奥に設けられた意匠の凝らされた木製の机の上にあるランプのみが煌々と明かりを放っている室内には、一人の少女が立っている。

常ならば、都内の某臨海部近くの海上にある人工島の上に作られた全寮制のとある学園に在籍し、その寮に住まう彼女であったが、その日は個人的な所要のために一人の友人を連れだって実家へと赴いていた。

 

 既に目的となる用事は済ませたため、後は明朝に元の学園へと戻るだけなのだが、不思議と彼女はその晩に寝つけずにいた。

月明かりが差し込む窓の前に立ちながら、少女は手にした一枚の紙をみる。それは写真だった。

映るのは未だ幼い頃の少女自身と、一人の男と少年。まだ、少女がただの少女自身であることができた時の記憶を司る、大事な一枚だった。

写真を見ながら、少女の表情に影が一つ落ちる。写真に映る少年。自身にとっても忘れることのできない、ある出来事の当事者であり、数少ない少女が心を開いた外部の人間。

 

 不意にノックの音が響いた。振り向かずに少女は入室を促す。挨拶の言葉と共に木製の扉を開き入ってきたのは、眼鏡を掛けた部屋の主と同年代の少女だった。

 

「お嬢様、そろそろお休みになられた方が……」

 

「ありがとう、(うつほ)ちゃん。でも、大丈夫よ」

 

 虚と呼ばれた少女、部屋の主である少女の幼馴染にして従者である彼女は、主の言葉を受けてもなお、案ずるような表情を崩さない。それは、一重に虚が己の主の身を案じているからに他ならない。

そんな虚の思いを悟ったからか、少女は振り向くと柔らかい笑みと共に言った。

 

「大丈夫。ただ、ちょっと昔を思い出していただけよ」

 

 そう言って彼女は手にしていた写真をかざして見せる。その写真が何なのか、とうに知りえていた虚は納得したように頷く。

 

「懐かしい話ですね。確かもう五年程になりますか」

 

「そうね。まだまだ私が未熟、ううん。今もまだまだだけど、もっと未熟だった頃ね。けど、なんだかんだであのころが一番楽しかったかもしれないかも」

 

 月日というものは残酷だ。否応なしに流れ過ぎていき、その渦中に生きる人々に変化を強制する。

それは彼女もまた例外では無く、写真という形で固定化された昔に比べれば背負うものを多く負わされ、かつてのような無邪気でいられるわけにもいかなくなっていた。

 

「心中、お察しします」

 

 虚は従者としての姿勢、主を慮りながらも過度に関わろうとせずに一歩引いた立ち位置を取り続ける言葉で少女を気遣う。従者の、幼馴染のさりげない気遣いに彼女は緩やかな微笑を浮かべる。

 

「けど、これが私の選んだ道なのよね。もう、あぁいうのは嫌だから。だから頑張って。私、強くなれたかな……」

 

 最後の呟き、それは己に向けられたものではないと虚は悟っていた。言った本人自身か。否、それも違うだろう。

おそらくは写真に映る過去の自分、あるいは少女と共に映る一人の少年かもしれない。

 

「お嬢様。既に時間も遅いです。これ以上はお体に障りますから、そろそろお休みになられた方が良いかと」

 

 左手にはめた腕時計が示す時刻に、改めて虚は主に早めの休みを勧める。承諾の返事を受け取った虚は一言挨拶を述べると、静かに部屋を辞す。

残された少女は側にあった机の引き出し、三つある引き出しの内の一つであり、唯一鍵のついたそこに写真をしまう。

引き出しを閉じようとする直前、少女は改めて写真を見つめると静かに言った。

 

「ねぇ、君は今どうしてるの。――」

 

最後に呟かれた誰かの名前のように聞こえる一つの単語。それはあまりに小さく微かであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからしばらくの後、四季豊かな日本では春を迎え桜真っ盛りの季節に、世界を駆け巡る一つのニュースが生まれた。

 

『世界初の男性IS操縦者登場。日本在住、織斑一夏氏』

 

 

 

 

 

 

 

 




あ、当面は本編の方の執筆が優先になります。あしからず。


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第二話

割と意欲が乗ったものでして、少々早い気もしますが続きを上げます。
元々十数話分は以前に書いたものがありますからね。それにチョチョイと手を加えればなだけでして。
今度こそもう一つの方の続きを書き進めよう……


 既に日も沈み夜の帳が降りた時刻。

臨海部ではあるが、漁業ではなく各種工業や貿易産業などで近代的な発達の様を呈したその町の一角に一軒の家がある。

 

 二階建てのその家は一見すればなんの変哲もないごく普通の民家であるが、現在その家の周囲はおおよそ普通の町には似つかわしくない空気を帯びていた。

家から数mほど離れた通りには幾人ものマイクや撮影用の大型カメラを持った人物、あるいはメモ帳など持った者がおり、その者達が報道の関係者であることを自然と連想させる。

さらにもう少し範囲を拡大してみれば、電柱の影や狭い路地などの人目に付かない場所にトレンチコートなどを纏いながら常に周囲を探るような気配を放つ男たち。

東西南北問わず様々な国から集まったその者達は、見る者が見れば一目で堅気の職業ではないと分かる。

 

 陰陽入り混じった混然とした空気。そのようなものが何故ごく平和な住宅街の、そこに建つ一軒の家の周囲に満ちているのか。

それは、その家に住む人間の存在自体に他ならなかった。

 

 家の表札に表される名字は『織斑』。

その姓はおそらく、世界でもっとも有名な日本人の姓の一つだろう。

 

 IS、正式名称『インフィニット・ストラトス』。宇宙空間開発行動用パワードスーツとして一人の天才、否、天災に開発されるも、ある事件をきっかけに兵器としての軍事的性能が世に知られ、結果として本来の意義を失い各国間のパワーゲームの駒となったそれ以前の技術を置き去りにした超存在だ。

女性にしか起動をできないという特性や、その数の希少性ゆえに有望な操縦者を募るための各国の女性優遇政策による女尊男卑への風潮の転換や、従来兵器を蹂躙可能なその性能ゆえに戦車や戦闘機などがその運用数を減らされ、挙句にはブラックマーケットに流れることで紛争地域などに給与され中東などの紛争がさながら第三次世界大戦の縮図のごとき様相を呈するなど、世界を大きく変容させた。

 

 織斑とはそのISの操縦者の中でも特に著名な、ある人物の姓だった。

名を織斑千冬。ことIS業界では知らない者はいないだろう世界規模の名前である。

 不要な戦火を抑えるべく先進各国が主導となり設立され、IS操縦者育成「IS学園」の設立などを主導した国際IS運用機関「国際IS委員会」によって開催を決定されたISを用いての武力競技会の呼称である。

表向きはスポーツの一分野とされながら、その実態はIS保有各国による代理戦争的な側面を持つその大会にて、初代優勝者となったのが千冬だ。

 

 その戦績はまさに完璧。

登場から未だ十年程度という短い期間。まともなノウハウも無い中でありながらも、各国が威信を掛けて作り上げたISと鍛え上げた操縦者達をかつての侍がごとく刀剣型武装一つで打倒し、公式戦無敗の戦績を築き上げた戦女神(ブリュンヒルデ)

生きながらにしてもはやある種の信仰とも呼べる尊敬を受ける彼女の生家でるこの家だからだろうか。

 

 違うのだ。今現在この家があらゆる方面から注目を浴びるもう一つの理由、それは千冬以外のもう一人のこの家の住人に他ならなかった。

 

 名を織斑一夏と言う。実姉と比べれば極めて凡庸な経歴の持ち主でありながら、その彼が今騒動の渦中にある理由。

それは、彼が「男でありながらISを動かした」からであった。

 

 

 

 

 

 カーテンや窓の一切を閉め、外部から完全にシャットアウトさせた室内で一夏は天井を仰ぐ。

居間のソファに座る姿は気だるげそのものというような雰囲気がありありと伝わっており、彼が現状に対して好意的に捉えていないというのがはっきりと分かる。

 

「まったく、どうしてこうなったよ」

 

忌々しげに舌打ちを一つ鳴らすと、一夏は座ったまま家の外へ意識を向ける。

すると出るわ出るわ人の気配。それもただ居るだけではない。家に、自分に向けて好奇興味を始めとした諸々の思惑を向けているのがよく分かる。

その数と質に吐き気に近い気分を催した一夏は一際盛大に眉根を潜めると気配を探るのを止める。

 

「あぁったく、テメェのアホさ加減を恨みたいな全く」

 

 毒づきながら一夏は数日前のことを思い出す。

年も明けてしばらくしたころ、未だ一月も終わっていないある日のことだった。

中学三年であり高校進学を控えた一夏が志望した高校は地元にある私立高校である「藍越学園」。

私学でありながら学費はそこまで高くなく、同時に卒業後はほぼ確実な就職が可能という、将来の経済的安定性を考えれば極めて理想的であり、また必要とされる学力も一般に進学校と呼ばれるような高校と比べれば遥かに優しいという、早期の独立を願う一夏にとっては希望とドンピシャリな学園だった。

 

 その希望した高校を受験するために、受験日当日に市の文化センターに訪れた一夏は一つの劇的な出会いを果たしたのだ。

それはIS。自分が試験を受ける部屋を探すために施設内を歩き回っていた一夏は、たまたま入ったその部屋でそれを見つけた。

現在の国力の要の一つとも言われるISが一機とは言えなぜこのようなちっぽけな市の文化センターにあるのか。当初は疑問に感じた一夏だが、同じ場所でIS学園の入学試験も行われることや、市がIS学園に近いことから試験のために貸出でもされたのだろうと一人で納得をした。

 

 IS。その存在を一夏が評するとしたら、「どうでもいい」の一言に尽きるというのが本音だった。

ISは世界を変えた。だがそれも、その性能を考えれば納得のいく話だ。男というだけで不当に評価をされないことも多々ある現在の女尊男卑体制には、やはり男として思うところあるものの、ようは自分がそれで不利益にならないように立ち回ればいいだけの話だろう。

なにより、高校を卒業したら改めて師の下へ赴き、ISだの女尊男卑だの世の情勢だの、そんなものをまるで感じさせないのどかそのものな町で師の下で武芸を極めることに邁進する心づもりだった一夏にとっては、本当に何もかもがどうでもよかったのだ。

 

 だが、やはりその存在にいくばくかの興味はあったのだろう。あるいは実姉がそれによって文字通り立身栄達を達成したことも関係しているのかもしれない。とにかく周囲を確認して誰も居ないことを判断すると、少しくらいなら良いだろうと一夏はISに触れてみようと思ったのだ。

 

「思えばあれが運の尽きか。俺って……ホントばか」

 

 自嘲気味に呟くと一夏はあの決定的瞬間を思い出した。

部屋の奥にひっそりと鎮座するIS、それに触れたあの瞬間を。脳裏に流れ込む幾つもの、しかしながらその量と質に比してさほどに負担は感じない情報の波。

同時に突然発光して光の粒となって虚空に散ったかと思えば、自身の体に粒子の状態で纏わりつき、再び堅牢な装甲としての形を成す。

 

 あの時、自分は完全に思考がフリーズしていたとはっきり言える。そのことが何よりも悔やまれる。

もしもあの瞬間にも思考が正常を保っていたならばさっさとどうにかして装着を取っ払って、できたかどうかはこの際気にしないことにして、何かの間違いだったのだろうと何食わぬ顔でスタコラと場を後にしていただろう。

だが、それが叶わず思わぬ事態に呆けている間に物音か何かを聞きつけたのだろうスタッフと思しき女性がやってきて、一夏がISを纏っているのを見つかって、あとはこの騒動である。

 

 一体いつのまに現れたのか、さながら全国の台所の敵である憎くて黒いアイツのようにいつのまにか湧いていた政府の人間などと名乗る黒服に、妙に丁重でありながら割と強引に車に乗せられたと思えば向かう先は、防衛省の直轄という病院。

そこで精密検査を受けさせられた家に返され、そのまま家で大人しくしていてくれとのこと。

 自分の側の都合というものをまるで考慮しない一方的な指示に正直な話、殴り飛ばして歯の一本二本はへし折って、さらにジャイアントスイングをかました上で頭からコンクリートに思いきり叩きつけて頭蓋をかち割ってやりたい衝動に駆られたが、可能な限りの自制を総動員して冷静を保ったことは一夏自身、自分で自分を褒めてやりたい気分だった。

 

「まぁ、騒ぎの理由も分からなくはないんだよなぁ……」

 

 現在の世界で各国の国防、その中心にあるISは女性のみが扱えるとされている。そこへ突然現れた男の適合者だ。

その存在が持つ研究的、政治的、経済的各種価値は計り知れない。そのくらいは察することができる。学校の勉強はまぁまぁ並みのレベルだが、頭はそれなりに回る方だとは思っている。師にもそれは言われた。言われた上で、「それを少しは学校の勉強にも活かせばいいものを……」と呆れ顔で言われもした。

 

 事の発端から今日に至るまでの数日に起きた出来事がそれを物語っている。

是非サンプルとして調べされてくれと言ってきた輩がいたからバックドロップをかました後にジャイアントスイングで塀の外に投げ飛ばした。何か固いものが折れるような音がしたが気にしない。投げ飛ばす前に二度とそんな馬鹿をできないように愛刀で指を詰めさせておけば良かったかと思ったのはここだけの秘密だ。自分を害そうとする人間に情け容赦を掛ける必要はなく、徹底して非情にあたるべきとは彼の持論だ。

テレビで見たことのある国会議員がリムジンでやってきて面会をさせられた。させられたのだ。正直ウアザかった。脂肪をため込んだだろう膨らんだ腹は、サンドバック代わりに叩いたらさぞ気分がいいだろうと思った。

更には宮内庁を名乗る人物が現れ何事かと思えば、向かった先は東京千代田区のある場所。そこでのある人物との面会は……一夏自身未だに驚きを隠せなかった。というかあの時はひたすら平身低頭するしか無かった。あれはもはや、日本人として生まれ育ったのであればそうせざるを得ないだろう。

数日で見慣れてしまった黒服がまたやってきて、明らかに日本人でないのに流暢な日本語で挨拶をするから何事かと思えば、自国の所属となってくれれば破格の好待遇をしてくれるとか。生憎ながら一夏本人は生まれ育った(日本)に愛着もあるので二つ返事で断わった。しょんぼりとして帰って行く背中にはちょっと可哀そうとも思ったが、こっそり塩を撒くのは忘れなかった。

 

 挙げればキリがないが、この他にも雑誌やらテレビやらが玄関の前でマイクを向け続けているなど、外出もままならない状況というのが一夏の現状だった。

 

「あぁもう、受験終わったら弾の家にでも久しぶりに顔出そうと思ったのによ。無理だよなぁ、このままじゃ」

 

 頭をわしゃわしゃと掻き乱しながら一夏は苛立たしげに吐き捨てる。受験も重要だが、師の下に赴いて以降会わずにいた元の中学校の友人たちとの再会も楽しみにしていただけに、それが叶わないのが一夏には不満であった。

一体何のせいでこんな望んでもいない状況になったのか。それで他の何かに恨みを押しつけてやれれば良いと考え、すぐに落胆するように頭を垂れた。

 

「クソが、俺のせいかよ」

 

 目の前にある机の上に握りこぶしを叩き落とす。鈍い音が室内に広がった直後、それに追従する形で閉じていた玄関の鍵が回り、ドアが開く音が一夏の耳に入った。

 

「帰って来たか……」

 

 呟いた直後、玄関に繋がる廊下と居間とを隔てる扉が開かれ、黒のスーツに身を包んだ若い女性が姿を現した。

 

「帰ったぞ。……しばらくぶりだな、一夏」

 

「あぁ。お帰り、千冬姉」

 

 その女性はこの家のもう一人の住人。一夏の実姉にしてかつて世界最強のIS操縦者として名を馳せた織斑千冬その人だった。

 

 

 

 

 

 

 

 手にしていた荷物を置き、来ていたスーツを適当に着崩して完全にリラックスした姿で千冬はテーブルの前に置かれたクッションに腰を下ろす。

一夏は黙って立ち上がり居間と直結している台所へ向かうと、冷蔵庫から缶ビールと缶ジュースを一本ずつ取り出し、再び居間に戻る。

そして無言でビールを千冬の前に置く。

 

「すまんな」

 

 一言礼を言ってから千冬はビールを手に取りプルタブを開ける。炭酸の抜ける軽快な音が鳴ると同時に、千冬は缶に口を付けると喉を鳴らしてビールを飲む。

それに倣うように一夏もまた缶ジュースを飲む。

 

 二、三度喉を鳴らした千冬は一度缶から口を離すと、テーブルの上に缶を置いた。

 

「家には何時戻ってきた」

 

「一週間と少し前かな。受験の二日前に戻ってきた」

 

「そうか。こうやって直接会うのはかなり久しぶりになるか」

 

「そうだな。修業に熱が入っちゃってさ。こっちに帰る気に中々なれなくって」

 

「私も似たようなものだ。仕事が中々に忙しくてな。家に帰る暇が中々取れなかった」

 

「別にいいんじゃないの。特に家のことが何かできるわけでもないし」

 

「分かっていてもそういうことは口に出すな。私も、どうにかしようとは思ってるんだ」

 

 静かで淡々とした会話。幼くして親から捨てられ、姉弟のみで生きてきた二人の数か月あるいは一年を超えるかもしれない間をおいての再開にも関わらず、その会話には感情の昂りなどは感じられなかった。

当たり障りのない会話をする二人。その二人を包む空気の色はただ一つ、緊張だった。

 

 自然と始まった会話は自然と止まっていた。無言でテーブルを挟み向かい合う二人。缶に入った飲料を飲む時の喉を鳴らす音だけが居間に響き渡る。

家族が団欒を過ごすはずの空間で、二人きりの姉弟が過ごす時間であるにも関わらず、その空気は重く静かであり異質であった。

 

 無言ゆえに他にすべきことが無かったからか、缶を口に運ぶ動きの感覚は速く、その中身はあっという間に尽きる。

中身を失いアルミの円柱だけとなった空き缶を、軽い音と共に二人は同時にテーブルに置く。

 

 押し黙る二人。このままでは埒が空かないと悟ったのだろう。口火を切ったのは千冬だった。

 

「大方の事情は聞いた。面倒を起こしたな、馬鹿者が」

 

「返す言葉もねぇな」

 

 どこか呆れを含んだ千冬の言葉に、一夏は諸手を挙げて同意する。その姿は一夏自身、自分に呆れていると言わんばかりだ。

 

「とは言え、起きてしまったことは仕方が無い。ここでゴネていても時間の無駄で、これからどう身を振るかを考えるのが建設的だということは分かるな」

 

「うん、まぁ。ただ、考えても思いつかないのが割とマジな話なんだけども……」

 

「だろうな。そうだろうとは思っていた。あぁ、勘違いするな。大抵の人間は今のお前と同じ状況に置かれでもしたら、大体はどうすればいいか分からないものだ。

かくいう私とて、自分の手に余る面倒を抱え込めば困るくらいだからな。どうすればいいか分からないことを恥じる必要は無い」

 

 その言葉は突然に混迷を極める状況の中心となった弟への気遣いからか、先ほどまでの沈黙と緊張からかけ離れた、確かな温かさを持った励ましのようであった。その言葉に一夏も僅かばかりは気が楽になったのか、軽く息を吐いて力を抜く。

千冬は立ち上がると、部屋の隅に置いた荷物の方へと向かう。仕事などに出る際は常に携帯している黒の革製のバッグは当然として、見慣れない物が二つ。バッグに寄り添うように置かれているのに一夏は初めて気がついた。

 

「ほれ」

 

 千冬は二つの内一つ、透明な薄いビニール袋の包みを一夏に投げ渡す。唐突ではあったが眉一つ動かさずにキャッチした一夏は、その中身を見て目を細めた。

 

「こいつは……」

 

 包みの中身。それは白を基調とした服であった。袋越しであるため詳しくは分からないが、持った感触や見た目から何かの制服のようにも見える。

 

「IS学園の制服だよ、それは」

 

「はっ? どういうことだよ?」

 

千冬の言葉に一夏は眉を顰めながら疑問を口にする。千冬はもう一つの荷物、明らかに中身の質量の大きさを感じさせる大きめの紙袋を持つと、改めて一夏の対面に戻り座る。

 

「一夏。今、お前が極めて特殊な立場に居ることは理解しているな?」

 

「あぁ、うん。何となくはな」

 

 目を見据えて真剣そのもので話を切り出した千冬に、一夏も軽く居住まいを正して聞く姿勢を取る。

 

「世界で初めてISを動かした男。その動向を巡ってあちこちが慌ただしくなっている。

IS業界の一大事に動くべきIS委員会ですら手をこまねいているのが現実で、今のお前の立場は不安定なものになっている。…居るんだよ。そこを突こうとする輩が。

純粋に国の利益のために自国に引き込もうとする者。お前を……サンプルとして研究対象としようとする者。あとは……そうだな。女のみというIS乗りの世界を崩しかねない不安定要素というお前を排そうとする輩か」

 

 二つ目には想像するのも腹立たしいと言わんばかりの苛立ちを込めて、三つ目にはそれを自分が指摘するかという自嘲、皮肉を込めて。一夏を狙おうとする者、その動機共に例として挙げる。

何も言わない一夏。その目に続きを促す色を見た千冬は軽い咳払いと共に言葉を続けた。

 

「とにかく、世界各国様々な勢力人物組織がお前に注目し、あわよくばその動向を自分たちの都合のいい方に導こうと考えているわけだが、それを面白く思わない連中も居るわけさ。まぁ日本政府のことなんだがな。

お前のIS学園入学。これは決定事項だ。こいつを私に伝えたのも政府の人間だったが、要約すれば曰く『自国に現れた金の卵をよその国の好きにさせたくない』だそうだ。

知っているかは知らんが、IS学園は国際法で一切の国の法律とも切り離され、ついでにいかなる国家企業組織の介入にも制限がかかる完全治外法権地帯でな。在籍している生徒は、少なくとも在籍している三年間は外部の干渉から守られる。

お前自身の身辺の安全もあるのだろうが、おおかたお前が学園に通っている三年の間に卒業したらここ(日本)に留まれるように色々やっておきたいんだろうさ。

まぁ、政治屋の思惑通りというのは少々癪だが、お前の安全も考えればIS学園に通うのが一番というわけだ」

 

「へぇ……」

 

 一通りの事情を聞いた一夏は改めて手にした学園の制服を見る。見て、何かに思い立ったように僅かに眉根を寄せるとそのまま千冬の方を見る。

 

「なぁ千冬姉。確かIS学園って女子校だよな?」

 

「そうだな。まぁ今年からはお前という例外が加わるが、基本はそうだ」

 

 IS操縦者になれるのが、一夏という例外は現れたが基本的に女性である以上、その操縦者を育成するIS学園の生徒は女子のみに限られる。すなわちIS学園は必然的に女子校となるのだが――

 

「まさかこの制服、スカートじゃないよな?」

 

 視線は若干険しく、口元も固く閉じられながら一夏は千冬を見る。一夏とて男の矜持くらいは持っている。まさか女物の服を着て学校に、それも三年間も通わされるなど、精神的拷問にも等しい。

あいにくそんな羞恥プレイをされて悦ぶようなM気質は持ち合わせていない。どちらかと言えばSだ。自己を律して技を振るうべき武人としてはどうかと自分でも思うが、ちょっとくらいは大目に見てもらうしかない。

 

「あぁ安心しろ。きちんと男子用にズボンだ。元々カスタム自由があそこの制服の売りでな。男子用に仕立てるくらいは、造作もないさ。それともなんだ。スカート、履くか?」

 

「履かない」

 

からかうようにニヤリと口の端を吊り上げる千冬に一夏は至極真面目な顔で拒否する。

冗談だと言いながら軽く笑った後、千冬は座った時に横に置いた紙袋を一夏の前に置いた。

 

「こいつも持って置け。IS学園用の参考書だ。進学校などと言われる高校じゃ珍しくもない話だが、入学前にある程度の事前学習を済ませてそれを前提に授業を進めるのが基本だからな。

こいつを読んである程度知識を付けておけ。言っておくが、そうれなりに厳しいぞ? なにせIS学園の入学者は早ければ10になる前から入学するための専門勉強を始めているからな。

仕方ないとは言え、お前よりも知識面でアドバンテージの多い者ばかりだ。まぁ、精々励むことだな。この三年間、良くも悪くもするかはお前次第なのだからな」

 

 そう告げると今日は早めに休ませてもらうと言ってから千冬は立ち上がり、自室へ向かおうとする。だが、居間を出る直前に不意に立ち止まり振り向いたかと思うと、何かを考えるような顔で一夏の顔をまじまじと見つめた。

 

「な、なんだよ」

 

「いやなに。知っての通り、IS学園は女子校だ。そしてそこの生徒も、それが全てというわけではないが事前のIS学習をカリキュラムに組んでいる女子校の出身者が多くてな。必然的に男と接した経験の少ない者ばかりなのだが」

 

「それがどうしたってのさ。そりゃ慣れてないかもしれないけど、んなのこっちだって一緒だよ」

 

「そうではなくてな。まぁなんだ。そうした連中にはお前の顔は少々刺激が強そうな気がしてな」

 

「じゃかあしいわい!!」

 

 左のこめかみ辺りから顎辺りまで縦一直線に走る傷跡、姉とよく似ているのだろう良く言えばしっかりとしているが悪く言えば少々鋭い目つき。

それらが相まって15の少年には不釣り合いな妙な迫力を醸し出している一夏の風貌は確かに、異性に慣れていない年頃の少女たちには少々刺激が強いだろう。

 

 特に傷跡。色々と思うところあり、決して悪いものとは思っていないものではあるが、初見の者には結構怖がられたことを思い出す。

特に、ISの適正発覚以降に至っては何時の間にやら中学で撮った顔写真などがマスコミに報道されており、主に傷跡が原因でネットなどではヤのつく自由業な方々の筋の者ではなどと言われたのだ。

さすがにこれには一夏もへこまざるを得なかった。これでも生まれてこの方十五年と幾月、割と真面目にやってきたつもりなのだ。

 

「しかし、その傷も結構な付き合いになるな。もう五年くらいだったか」

 

「あぁ、まぁな」

 

「さすがにあの時は心配をしたぞ。正直、お前にもう剣を握らせたくないと思ったくらいだからな」

 

 思い出して一夏は苦笑する。確かにあの時はえらい騒ぎになった。諸々の後、すぐさま病院に担ぎ込まれた一夏は直ちに緊急の治療を受けることになった。

とはいえ、消毒をして顔を縫う程度だが、いや確かに消毒は非常に沁みたが、それでもそこまで大したものではなかった。

 しかしその後が大変であり、念のため様子見ということで一晩だけ病院の厄介になった一夏の下には大慌ての千冬が駆けつけ、あまりにパニックなものだから看護婦に制裁をくらい、師もどことなく落ち着かない様子だった。

そして、終始顔を伏せていた()()が自分はどうにも気になって仕方がなかった。

 

「心配はありがたいけどさ、そりゃ無理な相談だ。俺に剣を止めろって言うのは……死ねって言うのに等しい。そして俺はまだ死にたくない。

それに止めるわけには、強くなるのを止めるわけにはいかない理由もある」

 

「その理由だけはどうしても話さないのだな」

 

 あの後、あれだけの怪我を負ってもなお修行を辞めようとせず、それどころか更に身を入れていく一夏を案じ、千冬は幾度かもう辞めても言いと言った。

だが、それに一夏が頑として首を縦に振らず、理由を問われてもひたすらに黙した。そのうち、千冬が勝手に折れた。

 

「まぁ、お前にも秘していたいことくらいはあるだろうから深くは問わないさ」

 

 そう言って千冬は改めて踵を返すと、二階にある自室へと向かっていく。

 

「おやすみ、一夏。お前も早めに休めよ」

 

「あぁ、おやすみ」

 

 言葉を交わし、居間に一人残った一夏はしばし無言でソファに座り続けると、不意にムクリと動き出す。紙袋に手を伸ばし、中にある書籍を一冊ずつ取り出す。

『IS基礎理論学』などと、いかにも専門書と言った様相を呈するタイトルの数々に一夏は僅かに苦い顔をするが、やがて何かを諦めたかのように深いため息を一つ履くと、その一冊を手にとってページをめくり始めた。

 

「そういえば、なんで千冬姉はあそこまでIS学園に詳しいんだ?」

 

 ふと湧いた疑問に一夏は首を傾げる。

特にそのような話をしたということはないため、一夏は千冬の職業についてはほとんど知らない。せいぜいが一時期ドイツ軍のIS教官をしていたという程度だ。

IS関連が千冬という人間を最大限に活かせる業種であることは一夏も分かっているため、その系統であることは想像できるのだが、そこから先は分からない。

 

 千冬がほとんど自分の仕事について話さなかったというのもあるが、それで千冬を責めるわけにはいかない。

一夏自身、剣術の修業絡みで住み込みなどを筆頭にそれなりに好き勝手やってきたために、千冬が多少自分に何を言わずにしていようが何も言わないでおくのが筋と思っていることもある。

だが、やはり疑問に思うことは思うのだ。それに職というのは非常に重要だ。なにせそこから得られる収入は直接的な生活に直結する。

 現状養ってもらっている身であれこれ言うのは無粋というやつだが、やはりそういうことの把握は安定させておきたい。

現役の乗り手時代に稼いだだろう相当額にもまだまだ余裕は十分あるが、現在でも定期的に家計に加算はされている。ということは、何かしら安定した職には就いているのだろうが、そこから先は分からない。

 

「まさかな……」

 

 一つの可能性が思い浮かんだ一夏ではあるが、すぐに鼻で笑って首を横に振る。

ありえるはずが無い。実の弟であるがゆえに一夏は自分が千冬を世界でトップクラスに理解している人間だと断言できる。存外、似通っているところが多いのだ、自分と姉では。

姉弟揃ってどちらかと言えば無心で剣を振るっている方が似合い性分に合う無骨者。だからこそ、あり得ない。

 

「あ~あ馬鹿馬鹿しい。ねぇよ、ないわ」

 

 まるで自分を納得させる様に呟くと、一夏は改めて参考書に目を落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「その話、本当?」

 

「はい、間違いありません。政府側の決定が本家筋より渡って参りました」

 

二人の姉弟の会話の話題となったIS学園。その寮の一室で一つの会話が行われる。

暗がりに佇む部屋の住人である少女からやや離れた所に立つ別の少女。近く始まる新年度より整備科三年となる布仏(のほとけ)(うつほ)である。

そして彼女が報告を行う少女、彼女は虚の主でこの部屋の主。その肩には学園の生徒中最強の生徒会長という名前が乗っている。

 

「そう……、予想していたこととはいえ、やっぱりそうなるのね……」

 

 従者の報告に少女はその顔に苦みを含んだ自嘲するような笑みを浮かべる。虚が持ってきた報告。それは彼女にとって看過できない内容であった。

 

『世界初の男性IS操縦者、織斑一夏のIS学園入学の決定』

 

 日本国政府とも密接なつながりを持つ少女の実家より伝えられた一夏の今後に関しての最新の情報である。

同時にこの情報は一つのメッセージの意味合いも込められている。『一夏の入学に際して適切と取れる行動が取れるよう事前に準備を済ませておけ』という。

 

「あ~もう、そりゃあね、何となくそうなるんじゃないかなぁって思ってはいたわよ? でも本当になるなんて、私にどうしろって言うのよ~」

 

 少女は力のない声による文句と共に机に突っ伏すと、そのままぶつくさと文句を垂れ流す。

それを虚は咎めようとはしない。確かに問題と言えば問題だが、目の前の主はきっちり分別をつけたり切り替えができる人間だ。そのうち、しっかりと割り切って元の調子に戻ると確信している。

それに、普段の人前では決して弱みなどを晒してはいないのだ。自分という気心のよく知れた者と居る時くらい、少しはこうやって気分をほぐさせても問題はない。

 

 実際その通りであり、物の数分も経たぬ内に少女は観念したかのように再び起き上がり、天を仰ぎながら大きくため息を一つ吐くと、虚に視線を戻して続きを促した。

 

「それともう一つ、政府からの依頼も。『織斑一夏の身柄に害を及ぼそうする、あるいは秘密裏の接触などの不正な干渉を行おうとする不確定要因からの護衛』とのことです」

 

 その言葉を聞いた瞬間、少女の顔がこれ以上は無いのではないかと言うほどに歪む。

だが、そこに怒りなどの感情はなく、まるで辛さを堪えるかのような悲愴さがあった。

暗がりに立つためにその表情の変化が虚の目に入ることは無かったが、はっきりと変わった雰囲気の違いが何よりも鋭敏に主の感情の揺れを伝えていた。

 

 その気持ちを、虚は痛いほどに察する。こと織斑一夏が関わるとなれば主にとっては決して軽く見ることはできないのだ。ましてや会うことになるのであれば尚更に。

他の依頼であれば何ら問題は無かっただろう。学園の誰もが、生徒教師問わず称賛する威風堂々完璧たる姿で主は己が任を真っ当するだろう。

 だが、織斑一夏が関わってしまってはそうはいかない。一体どれだけの人間が知っていようか。おそらくは片手で数える程度で事足りるに違いない。

主である少女と件の少年の間にはかつて関係が存在し、それが今でも彼女の心に確かな一つの影として存在していることを。そして、その記憶がある種のトラウマに近いものにもなっていることを。

 

 ある時期を境にいずれ自分が背負うことになるだろう種々の事柄に己が見合う人間となるように、いっそうの向上に努め始めた少女であるが、それもその時のことが契機となっていることを虚は知っている。

考え込むようにしばし口を閉ざすと、虚は意を決して口を開いた。全ては、愛おしき幼馴染であり主である彼女のために。

 

「良い機会、というべきではないのでしょうか?」

 

「虚ちゃん?」

 

 真面目な声音は変わらない。だが、確かに雰囲気の変わった言葉に少女は従者の方を振り向く。視線の先に立つ虚は真摯そのものの眼差しを向けていた。

 

「お嬢様、私もかつての一件がお嬢様に少なからず影響を及ぼしているのを存じています。ですが、あえて厳しく言わせて頂きますと、今後のお嬢様のためにも、その縛りは振り払うべきです。

今回の件、その良い機会になるのではないでしょうか? もう五年です。お嬢様も()も、私は彼をあまり存じ上げませんが、色々と整理を付けられるはずでしょう。微力ながら、私もお手伝いをする所存です」

 

 そう言う虚を少女は見つめる。そして物憂げな目になると、わずかに目線を下げて口を開く。

 

「……そうね、ありがと。分かってるのよ。自分でもいつまでも引きずっては居られないって。けどねぇ、それがどうにも上手くいかないのよ。

『三つ子の魂百までも』なんてよく言ったものだわ。どうしても、踏ん切りが付けられないの。

だってそうでしょ? 自分をかばって大怪我をした相手が、それで良かったって笑ってるのよ? あの時ほど無力を感じたことがないわ。親に、周りのみんなに育てられて、教わってきて。でもあんなこと。

あの時、思っちゃったのよね。私が今までやってきたことって何だろうって。挙句にその時の子とはそれっきり。なのにこんな所でこんな事態になってしまったからこそまた会うことになって。私、どんな顔で会えって言うのよ……」

 

 決して誰にも見せることなど無いだろう、震えを隠さない弱さを発露した姿。

相手が気心の知れ、家族のように共に育ってきた虚だからだろう。彼女は言葉に小さな震えを含みながら吐露する。

 虚は音を立てずに歩み寄る。そして、その両手を包み込むように優しく握った。

 

「大丈夫ですよ、お嬢様。意志さえあれば事は必ず良い方向へ運びます。ですからお嬢様」

 

 己の手を握る虚の手を見て、そして今度はその顔に視線を移す。確信があると力強く主張する表情に、どうしても問わずにはいられなかった。

 

「珍しく強気に出るわね、虚ちゃん。どうして言いきれるの?」

 

 その問いに虚は視線だけを左下に動かして考える。そして、答えに思い立った虚は改めて主の目を見据えると、彼女にしては本当に珍しいことに、僅かに茶目っ気を交えて答えたのだ。

 

「私の、女としての勘ゆえと申しあげましょうか?」

 

 その答えに少女は確かに目を丸くした。そしてそのまま瞬きを幾度かすると、堪え切れないように笑いを上げ出した。

 

「プッ、クッ、フフッ……アッハッハッハ!! ゴ、ゴメン虚ちゃん! ちょ、ちょっと驚いちゃったわ。ま、まさか勘なんてクッ……!」

 

 一歩後ずさったことで二人の手が離れる。そのまま少女は笑いを堪えるように僅かに屈み、両の手を腹へと持っていく。

先ほどまでとは違う震え、笑いを堪えるためのそれが一しきり少女の体を震わせる。それが止み、深く吐き出される息と共に背筋が伸ばされた時、少女の心あった恐怖に似た冷たさは消えていた。

 

「……ふぅ、そうね。正直、不安なのはまだ変わらないけど、だからって悩んでいるわけにもいかないわ。ありがとう、虚ちゃん。もう戻って休んでいいわ。私ももう大丈夫だから」

 

 その言葉を受けて虚は一礼すると静かに部屋を辞して己の部屋へと戻っていく。

 

「大丈夫。私はあの時とは違う。だから、ちゃんと会えるわよね……」

 

 その小さな呟きは、まるで少女自身を励ますかのように聞こえるものであったが、それを耳にする他者は誰も居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 




さて、先ごろに上げた一話についてですが、早速の感想やお気に入り登録の数々、ありがとうございます。
これらを活力としまして今後も執筆を頑張ろうと思いますので、おつきあいのほど、よろしくお願いします。

……なぜでしょうね。楯無さん、ヒロインにしようとしたらちょっとメンタルに弱さが加わっちゃいました。
あ、ちなみになのですが。ここまで『楯無』という名前を出していないのは仕様です。ご了承のほどを。
あと、特にこれはご新規さん向けなのですが、この作品では楯無が『楯無』となる前の名前も途中から出ますので、その際にはご理解をお願いします。
ではまた。


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第三話

にじファン時代を知っている方ならばご存知でしょうが、今回は一夏も楯無も出ません。
一応、大人の会話といううやつですが、うまく書けてるか心配なのは相変わらずです。
正直、これが作者の力の限界というやつです。もっと上手く書けるようになりたいですね。

あと、今回は本編とのダブル投稿です。疲れた……


 時は少々移動する。

 

 一夏のIS適正発覚後から数日の後の話。都内某所に一人の男がやってきていた。

一口に都内と言ってもその様相は様々である。一般に首都東京と言われて誰もがイメージするような近代的高層建築群の並んだ都市など、実際には東京のごく限られた一部の区のみであり、東西に広がる都を内陸側に進んでいけばその町並みは周辺の関東や中部の県とさほど変わらないものになる。

 男が、現在世界中で話題となっている少年である織斑一夏の武芸の師である海堂宗一郎が立ったのは、そんな都心から離れた郊外と呼べる一つの町であった。

 

 常ならば胴着、あるいは作務衣などの簡素な和装に身を包んでいる彼ではあるが、この日は黒のズボンの上にワイシャツとベスト、そしてその上にロングコートという多少なりとも礼を意識した姿でいる。

 電車を降りた宗一郎は駅から出ると駅前で乗客を待つタクシーの内の一台に乗りこむ。

運転手に行き先を指示しながら車に揺られること約十数分。目的とする場所の近くでタクシーを降りた宗一郎はしばしその場に立ちながら瞑目する。

 

 肌で空気を、耳で音を、五感で周囲を感じ取りながら宗一郎は己が胸に湧いた感傷に近い思いに眉を潜めた。

だが、そのことに彼はため息と共に首を振るだけ。無理も無いと思った。この地は、彼が生まれ育った地なのだから。

 

 高校を卒業し、大学への進学と剣術の修業のために離れて以来、もう何年も足を踏み入れていない土地だが、幼少期の記憶が体に染みついているのだろう。

一度歩みを始めれば自然と体が目的地へ、生家へと向けて歩き出す。

長身ゆえのやや大きめの歩幅と、そのスパンの速さによりただ普通に歩いているだけにも関わらず常人が歩く倍程の速さで歩みを進めていく。そして、目的の場所に辿り着くのには数分と掛らなかった。

 

 都心から離れた郊外、その更に外れの方に位置する場所。住宅街などからも距離を取ったそこに、その屋敷はある。

敷地全域を囲む2mは超えるだろう塀。さらにそのすぐ内側に生える背丈の高い木々。それらを越えた先、敷地の中央に位置するは、年月を感じさせる赴きで佇む洋館。

それらを以て成る屋敷こそが宗一郎の生家、海堂家邸宅である。

 

「既に始まっているか……」

 

 屋敷の塀に寄り添うようにして止まっている複数の黒塗りのリムジン。それと宗一郎が屋敷に近づいた瞬間に彼に集中し、訪れたのが彼であることを確認した瞬間に引いて行った視線の数々。

それらの情報を統合して、宗一郎は己がここに赴くこととなった所以である事柄が既に始まっていることを悟った。

 

「……少々、急ぐか。多少は強引にいかせてもらおう」

 

 屋敷の正門、金属柱が格子状に組み合わさってできたソレに近づくと、宗一郎は懐からあるものを取りだす。それはやや古ぼけた小さな鍵。彼がこの屋敷の一員であることを示す証でもある。

裏の勝手口もあるためにそこから入るという選択肢もあるが、自分の家に入るのに裏口から入る理由はないと判じた宗一郎は正面から堂々の帰宅を果たす。

 錆びた金属同士がこすれ合う甲高い音と共に門が開き、敷地に足を踏み入れた瞬間に先ほど以上の数と警戒に満ちた視線が宗一郎に殺到するが、やはり先ほど同様に急速に引いていく。

軽い意趣返しも込めて全ての視線の元を「気付いているぞ」と主張するように一瞥すると、屋敷の玄関を開けて中に入る。

 

「戻ったぞ」

 

 ただそれだけ。だが、それで十分だった。

 

「お帰りなさいませ。宗一郎様」

 

 玄関ホールの奥から現れる人影。白髪を匂いが気にならない程度にポマードでオールバックにまとめ、モーニングを纏う姿には一部の隙も無い。

宗一郎を出迎えた初老の男。彼は宗一郎が生まれる以前から屋敷に仕える執事であり、数は多くないが屋敷の使用人を纏め、主でもある屋敷の主人すなわち宗一郎の実父からの信頼も篤い最古参の従者でもある。

 

「親父殿はどこだ」

 

 自身もまた幼少期から世話になっている恩深き従者との久方ぶりの再開ではあるが、そこに感傷を滲ませるような素振りは見せない。

本来ならばそれは咎められて然るべきなのだろう。そんなことは宗一郎自身が一番分かっている。だが、今は感傷に浸る時間は一秒とてないのだ。

 老練な執事もまた、彼の心境を機敏に察したのだろう。速やかにその意向に答える。

 

「二階の応接間にて。既に鷲山様を始めお歴々がお集まりでございます」

 

「俺が出向く旨は」

 

「既にお伝えしております。皆さま承諾はなされていますが、一度お待ちになられた方が良いかと」

 

「俺がそんな時間を許すと思うか?」

 

 目を細めて見据える宗一郎だが、執事は何ら動じることなく淀みなく答える。

 

「ですので、お集まり頂いた方々のみ(・・)、あなたのただちの参加の旨を伝えてございます」

 

 その言葉に宗一郎は目を丸くする。そして、すぐにその表情に心底愉快だというように笑みが広がった。

 

「まったく、敵わないな」

 

 己の考えを全て読み切って、事前に手を回し終えていた執事の手腕。それが彼には愉快でたまらなかった。

 

「見事だ。パーフェクトだよ」

 

「光栄の至りです。お荷物をお預かりします。どうぞ」

 

 無理なく、さりげない自然な動作で宗一郎に近寄り荷物を預かる。コートもと申し出たが、それは宗一郎自身が断わった。

そのまま示された部屋へ歩き出す。その背を執事は一礼と共に見送った。

 階段を上り二階のホールに立った宗一郎は足を止めること無く示された部屋へと向かう。その直後のことだった。

 

「申し訳ありません。来訪の旨は伺っておりますが、今しばらくこちらでお待ち下さい」

 

 黒服に身を包んだ長身の男が宗一郎の前に立って行く手を阻もうとする。向かおうとする先の部屋、そこに集まっている面々を考えればこうした護衛がいるのは心底納得の話であるが、それは彼にとって考慮するに値することではなかった。

 

「失せろ」

 

 それだけ言って黒服を押しのけて通ろうとする。いや、実際には押しのけたわけではない。警備として立っていた男は、その瞬間に何が起きたのか分からなかった。

いつのまにか、自分たちが警備を任せられている部屋へ向かおうとする男がすり抜けるように通り過ぎていたのだ。まるで姿として存在していながら、その正体は霞のごとく実体など無いかのように。

 

 そのまま呆けてしまいそうであったが、彼とてプロだ。ただちに思考を元に戻して己の職務を全うしようとする。

 

「お、お待ちください! 来訪の旨は我々も伺っておりますが、今しばらくここでお待ちをとのことです!!」

 

 目の前の男がこの屋敷の主の息子であり、今回この屋敷で行われているとある会合に参加をするという旨は事前に告げられている。

だが、会合への参加に関しては直ちにではなくしばし間を置いてから。それが警備を行う者たちのみ(・・)に告げられた内容だった。

既に事態を察した他の警備員も現れる。全員が一様に黒服に身を包んでいるが、その全員が全員、一見細身でありながら厳しい訓練を受けたという証左に他ならない身体と技能を持っている。

 

その様を宗一郎は軽く一瞥する。

 

「なるほど。わざわざ陸自の特殊作戦群の者まで警備に組み込むか。まぁ、集まってるだろう面子を考えれば分からなくもない」

 

 その言葉に警備の者の何割かがうろたえる。

ただの一目で自分たちの所属、陸自の中でも秘匿性の高い部隊である米国におけるグリーンベレーやデルタフォース、英国におけるSASにあたる特殊部隊所属であることを見抜かれたのか。

過酷な訓練で身体のみならず精神面でも頑強に鍛え上げられていながら、それでも驚きを隠せない。

 

 一瞥の後、宗一郎は黙って歩みを再開する。その目線は正面の木製の扉に向けられており、もはや警備の者たちなど眼中に無いと言わんばかりであった。

 

「止むを得ん! 取り押さえろ!」

 

「了解!!」

 

 集まった者たちのまとめ役と思しき男の指示で一斉に宗一郎へ殺到する男たち。廊下の広さや目標の大きさなどの関係上、実際に動いたのは五人程度ではあるが、大の男、それも極めて専門的な訓練を受けた者たちであるがゆえに組みつかれればその動きは止まるはずであった。

本来であれば。

 

 異変に気付いたのは組みついた直後であった。止まらないのだ。組みついた男の一人は、足裏に床との摩擦を感じる。それは、己が組みつきながら引きずられていることの証明に他ならなかった。

 

「と、止まらないだと!?」

 

「気にも留めていないのか!?」

 

 組みつく他の男たちの驚愕を隠せない声が響く。

悠然と闊歩する宗一郎。実際には組みつく男たちよりもさらに強靭に鍛え上げられた身体能力と、その身に刻み込まれた様々な武技を精緻に操るという、まさしく肉体というものに凝縮されたハードウェアとソフトウェアの融合によってなされているのだが、それでも常識の埒外にあり過ぎる。

 

「こ、これが人間の力なのか!?」

 

「む、無人の野を行くがごとくー!!」

 

 未だ止まない驚愕の声すら聞き流しながら、さらに歩みを進めていく宗一郎。扉との距離は見る間に縮んでいく。そしてある瞬間、宗一郎はさらにアクションを起こした。

 一度深く呼吸。呼吸を丹田まで下ろし、それを燃料とするかのように己が体の内で練り上げる。

十全な力が溜まったのを確認すると同時に、踏み出していた一歩に一工夫を加える。音を立てることなく、震脚でもって強く床を踏み抜く。

床と足の接触で発生したエネルギーは音に変換されることなく、ほぼ全てを純粋な力学的エネルギーとして宗一郎の体に伝えられる。

伝わった力と練り上げた力を会わせ、中国拳法における発剄の要領で全身から一気に力を放出し、組みつきながらも引きずられていることでバランスを崩していた男たちの拘束を纏めて振り払った。

 

 まるで羽虫を払うかのようにあっさりと男たちを蹴散らした宗一郎は、固く真一文字に結んだ唇に僅かな微笑を浮かべた。

体良く道化にされた警備の者たちへの、滑稽さを可笑しく思うのとそのことへの僅かながらの憐憫である。

だが、すぐさま緩んだ唇を固く締めなおすと、宗一郎は目の前に迫った扉を前に、握り拳を作る。そして、ノックも何もなしにその扉を殴りつけることで大きく開け放った。

 

「失礼する」

 

 一言、挨拶と共に室内に入る宗一郎。屋敷の中でも主の仕事関連などで使われるこの部屋はそれなりに広く、同時に装飾も意匠を凝らされていながら、過度の主張をしない落ち着いた雰囲気となっている。

そして部屋の中央には上面を磨かれた大理石で覆った高さの低いテーブル。その周囲を囲むようにある椅子。どれもが一目で高級な品と分かり、椅子の全てにはスーツを着こなした男たちが座っている。

 突然の来訪者にも部屋の男たちは一切動じず、ただ静かに視線を向ける。その姿はまさに泰然自若。積んできた人生の経験が凡百と一線を画すだろうことを示す、宗一郎とは趣が異なれど確かな気迫に満ちた者たちであった。

 

 集った面々を軽く見回して宗一郎は静かに呟く。

 

「なるほど。内閣情報調査室に、防衛省調査課、公安調査庁に陸自の情報部までか。また錚々たる面々だ」

 

 屋敷に来客として訪れた者たちの所属先を把握すると、宗一郎は真正面にあたる自身から最も離れた椅子に座る男に目を見遣る。

 

「さて、久しいな親父殿。いや、この場ではこう呼ばせて貰おうか。海堂警察警備局局長」

 

 彼にとっては実に数年ぶりとなる、日本の諜報機関の一つとして数えられる公安警察を取りまとめる警察庁警備局の長であり、実父にあたる人物との再会であった。

男――海堂は椅子に座ったまま額に手をやって軽く息を吐く。一見誰もが行うような呆れを示すその所作は、しかし一部の隙もない。

 

「また、随分と手荒い帰宅だな。いかに己の生家言えども振る舞いには気を配るべきだとは思うが」

 

「それは失敬。そうだな、久方ぶりとなる親との再会に、はやる心を抑えきれなかったということにして貰いたい」

 

「よく言う、馬鹿息子が」

 

 簡単な会話を交わした後、宗一郎は改めて部屋に集った面々を見回すと軽く一歩引く。

そして、与えられた教養というものが自然と分かる、丁寧かつ流麗な動きで腰を折って一礼をする。

 

「お騒がせしてしまい申し訳ありませぬ。お久しぶりです、皆さま。海堂宗一郎、本日は今回の集まりの議に関して参加を願わせて頂きました。皆さまにおかれましては私の参加を快く承諾して頂きましたこと、謹んで御礼申し上げます」

 

 まさに完璧と呼べる立ち居振る舞い。その姿を見て集った面々は微笑を浮かべる。

この場に集まった面々。彼らは一様に日本国における諜報などの裏方、暗部などを主だった活動拠点とする組織の上位に位置する者たちであり、同時にキャリア組として研鑽を積むにあたり個人としての親交を深めた者同士でもある。

 そして、その面々の一人である宗一郎の父親の一人息子である宗一郎もまた、幼少から彼らとはいくばくかの面識というものを持っていた。

 

「あぁ、楽にしてくれて構わんよ。久しぶりだな、宗一郎君。風の噂では聞いていたが、いやはやたくましくなったものだ」

 

 男の一人の言葉に宗一郎は下げていた頭を上げる。すると、今度は別の男が口を開く。

 

「さて、宗一郎君に関しては私も懐かしく思うが、今は議題を進めることとしよう。旧交を温めるのはそれからでも遅くはあるまい。

宗一郎君、君がここへ来た要件については我々も聞いている。例の彼のことだね?」

 

「いかにも。我が弟子、織斑一夏の今後の処遇について、政府側の意向をお聞かせ願いたい。鷲山殿、よろしいですか?」

 

 話を向けられた男、鷲山と呼ばれた内閣情報調査室よりこの会合に赴いた男は、軽く頷くと口を開いた。

 

「既にマスコミなどで見解が色々示されているが、特別どうということはない。織斑少年に関してはIS学園に入学を決定させた。

IS委員会が慌てふためいてろくに動けないのが幸いしたな。どこの国もある程度自由に動けるということになるが、それは日本も同様。同国という利を使って先手を打たせて貰った」

 

「やはりですか。しかしながら、他国からの干渉などは?」

 

 その言葉に鷲山は皮肉るような笑みを唇にのみ浮かべる。

 

「敢えて何がどうとは明言しないが、歴史を紐解くに日本はたびたび情勢というもの、あるいは天運に味方をされた事例がいくつかある。今回もそれだろうよ。

確かに、彼を取りこもうと動いた国はある。だが、そのどれもが動く以前の問題となったのだよ。欧州は未だ纏まり始めてから歴史浅く、国家間組織としての連結は盤石と言い難い。

そこへどこか一国に彼のようなある種の爆弾を放り込むわけにはいかないと早々に折れた。中東に関してもほぼ似たようなものだし、南半球諸国は技術開発面での遅れが響いた。

一番の問題になりそうなアメリカやロシアだが、流石に他の国々全てから猛反対を受けては引っこまざるを得まい。もうかつてのように物量を中心とした最強では居られなくなっているのだからな。

そこへいくと、我々の意向はあくまでIS学園に入学をさせること。無論、身辺の安全保障としての意味合いもあるから諸外国への説明は十分につく。

それに、三年だよ三年。準備をするに三年も貰えるのだ。これは利用しない手立てはない」

 

「なるほど。しかし、問題はその三年後でしょう。IS学園は治外法権であり、その生徒は確かに外部の干渉より守られる。しかし、卒業すれば話は別だ。それについては?」

 

「君の言い分も尤もだ。済まないが、それについてはまだ審議中な案件が多くてね。今ここではっきりと告げられそうにはない」

 

「そうですか。いや、お気になさらず」

 

「そう言って貰えると助かるよ。しかし、何もというわけではない。一応、考えがないというわけでもないのだよ。

宗一郎君、政治というものを円滑に進める要訣の一つはだね、『それがそういうもの』だと自然に思わせることなのだよ。

例えば、ある法律を作ろうと考えたところでいきなり議題に上げても可決は難しい。しかし、然るべき根拠を上げたり世論にそうあるべきと伝え浸透させ、その法律を自然と思わせることができれば、おそらく可決は十分見込みがあるだろう。

それと同じだ。織斑君がIS学園に通っている間、彼は様々な人物の目に留まるだろう。世界各国様々な、だ。その全員に自然と『彼は日本の操縦者だ』と思うようにできれば。

無論、我々のように政治に関わる者たちに一筋縄での通用は難しいだろう。だが、何もしないよりはまだマシというものだ」

 

「では、それに関して何か計画が?」

 

「うむ。まぁこれは何も政治に関わるだけではないのだがね。実は――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど」

 

 鷲山の言葉を聞いて宗一郎は納得するように頷く。彼より聞かされた話、確かに道理は分からないでもない。

 

「でしたら、あれを良く知る人間として一つ、進言をさせていただければと」

 

「あぁ、構わんよ。是非そうしてくれたまえ」

 

 快諾した鷲山の言葉を受けて、ではと軽く前置きをしてから宗一郎は言った。

 

「IS学園の新年度は他の学校のそれと同じ、四月の上旬。今は事が起きてから約一週間程度。この二月と来月の三月を併せ、やく二ヶ月の期間があります。

その間、あいつ絡みでの決定事項などがあったら、人員を派遣するなどして可能な限りあいつに伝えることを薦めます。まぁ、そういう気配りを見せればあいつも日本(ここ)に居座ろうという気も出るでしょうし」

 

 そう言う宗一郎に鷲山は尤もだと言わんばかりに鷹揚に頷く。

 

「なるほど、確かに道理ではある。ありがとう、宗一郎君。君の進言、謹んで受け止めさせて頂こう」

 

「ありがとうございます。あぁそれと、進言ついでに少々頼みがあります。実は――」

 

 その後の言葉に鷲山は軽く頷くと、しばし考えてから答えを出す。

 

「そうだな。特別問題はないだろう。それに、その方が事も容易にいくやもしれん」

 

「感謝を」

 

 そして一旦の区切りを見せる会話。しばし沈黙が広がった後、別の男、陸自の高官が口を開いた。

 

「しかし、私人として言わせて貰うならば私は例の織斑少年を少々哀れに思いますな。

そう、これが例えばISを動かした男というのが陸自(われわれ)の所属であったならば、そのまま所属を留めておけば良い。なにより既に成人だ。やりようはあるし、組織という後ろ盾もある。

だが、件の少年は何の後ろ盾も無く、ここにいる面々の三分の一すら行っていない若い身空でありながら、このような事態の中心となっている。

おそらく、彼は将来の選択についても大きく限定をされてしまうだろう。若者の未来が狭められるというのは、正直心苦しくもある」

 

 その言葉を発する様を宗一郎は静かに見つめる。すると、別の男もまた先の彼に追従するような形で口を開いた。

 

「確かに。ISの登場によって情勢は大いに変化した。女尊男卑、ある程度は致し方無いこととはいえ、その波紋は大きい。特に民間でのそれが顕著だ。政党の支持にすら及んでいる。

そこへ彼の登場だよ。少し調べれば分かる話ではあるが、彼に期待を寄せる声はとても大きい。特に同性からの、現状を打破する希望となりうることへの期待がね。大使館を通じて世界中から集まっているよ。特に手紙などが多くてね。今はまだ大使館を始めとした関連機関で止めて、彼のもとへ直接届けてはいないが、差出人は様々だ。民間人もいれば、PMCを始めとした軍需系企業、他各種企業から。企業としてだけでなくそこに属する個人。他にも現役の軍人からも多数だ。名前は秘するが、現役の米国軍の将軍からも来ていた。流石に驚かされたよ。だが、それだけではない。当然ながら、彼の登場に反発する声も少なくは無い。まぁその元については敢えて言わないが。

そうさな。彼は人々に夢を見せてしまった。そこに彼の能動的意志があったかは定かではないが、現にそうなってしまった。ならば、そこに付随する責を全うする義務も、彼にはあるだろう。

だがそれでもだよ、私も一個人として言わせてもらうならば、未だ十五の少年の双肩にかかるものとしては少々過ぎるのではとも思う」

 

「なればこそ、我々の手腕が問われるというものですな。彼の存在によって得られるだろう利は非常に大きい。これを逃す手立てはどこにも存在しない。

が、同時に彼が我々と同じ日本人である以上、単なる利潤という観点以外にも守るにたる義がある。双方にメリットを齎せる結果へと持っていく必要がある。

宗一郎君、これならば君も一安心ではないかね?」

 

 その言葉に宗一郎は軽く鼻を鳴らすと口元に薄い笑いを浮かべながら言った。

 

「お気づかいには感謝を。ですがまぁ、あれはあれでそれなりに要領というものを弁えている所もある。ある程度は何とかなるでしょう」

 

「ハハ、君の信も篤いとなれば件の織斑少年は中々に有望そうだ。これは期待が持てる」

 

 その笑いに呼応するかのように室内に軽い笑いのさざめきが広がる。だが、その流れを断ち切った者が居た。

終始固い表情を崩さなかった今回の会合の主宰、宗一郎の父親である。

 

「さて、有望な若者の今後に期待をするのも結構。私もそう言う話は嫌いではない。だが、議題はこれだけではないことを忘れぬよう」

 

 その言葉に笑いはピタリと収まり、一気に室内の空気が硬質のソレへと変貌を遂げる。

 

「ふむ、となればもはや俺も不要ですかな? もとより弟子の今後について伺いに参っただけに過ぎない。

これ以上は、早々誰かに聞かせるような話題でもなさそうだ」

 

 実際問題として、彼が興味があったのが一夏の今後に関わるのみだったとはいえ、これから話されるだろう話題がただならぬものであることを鋭敏に察した宗一郎は静かに場を辞そうとする。

だが、それに待ったを掛ける者も居た。

 

「待ちたまえ、宗一郎君。君も同席したまえ。ここに居る全員、君については信用を置いている。それは私も同様だ。

君の配慮は正しい。これから話す議題は確かに秘匿性の高い内容だ。だが、君ならば問題はないと私は判断するよ。いかがですかな、皆さん?」

 

 その問いに男たちは無言で肯定の意を示す。そして、全員の視線が宗一郎の父へと向けられる。最後の同意を求めるために。

 

「……全員が賛同するのであれば私も構わん。だが宗一郎。お前がこの場全員の信を受けて残るというのであれば、その信に答える相応の振る舞いをしてみせろ」

 

「……言われずとも」

 

 数年ぶりの再会を果たした父子が交わすにしてはあまりに鋭く硬質な目と言葉を交わした二人。

宗一郎の父、海堂は一度椅子の背もたれに身を預け、僅かな間瞑目する。そして再び開かれたその両の眼には、息子とよく似た鷹のごとき鋭い光が宿っていた。

 

「さて、先ほども言ったように議題はまだある。そこの放蕩息子以外は皆知っているだろう。例の、ISによる襲撃犯の件だ」

 

 その内容に宗一郎が僅かに目を細める。おそらく自分は初耳で、その内容も決して軽々しいものではないだろうと予想はしていた。が、出てきた話題は彼の予想を上回る響きを持っていた。

 

例の家(・・・)からの報告によるところが多いが、各国のIS保有基地、あるいは研究機関などが不確定勢力による襲撃を受けている。

無論、受けた側も全力で隠蔽にあたっていることから詳細については今しばらく調査を要するだろうが、襲撃は事実だ。

襲撃に使われた兵器類は、ISの登場による軍備再編で払い箱となり闇ルートに流れた物が過半らしいが、ISを使用された事例も少ないながら確かに存在している」

 

「ISはコアの絶対数が決まっている以上、その機体数にも限りがある。そして、全てのコアはIS委員会によって各国政府及び研究機関に分配された。となると、それらの手の者か?」

 

「いいや。仮にそうした真似をするとして、行うならば国ぐるみとなる必要がある。となると、露見した場合のリスクがあまりに大きい。だが、それを気にしない者ならば……」

 

「現在の政務機関への反動勢力……。だが、仮にそうだとして、海堂殿。ISの調達などどうやって」

 

 一人の男の問いに、海堂は遠くを見るような目をしながら、どこか吐き捨てるように言った。

 

「さて、そこまではな。考えられる手は二つ。強奪か、それとも秘密裏の横流しか。どちらにせよ、締まらない話には違いない」

 

 そこで、今まで黙って話を聞いていた宗一郎が再び口を開く。話を向けた相手は実父。

 

「親父。犯人の目星は」

 

 その言葉に海堂は僅かに息子に視線を向けると、再度一同を見回して言葉を続ける。

 

「現状ではあまりに情報が少ない。ゆえに迂闊に動くこともできんだろう。この国にしても、どこに危険があるか分からん。

が、我々の職責はこの国の益を、国民の安寧を守ることにある。ISを用いた不埒な動きなぞ、見過ごせはせん。

我々が身を置く政治事の場は、はっきり言って伏魔殿そのものだ。互いが互いを出し抜こうと画策し、そこに綺麗事は微塵も通用せん。

ここに集う我々。いかに籍を置き活動する畑が違う言えども、こうして親交を持ち続けること事態が奇跡にも等しい。

だが、そのような場であっても最低限の秩序(ルール)が存在するというのが私の考えだ。件の犯行は、それを害為すもの同然。

秩序(ルール)を守れないのであれば、静かに退場してもらうより他あるまい。例えそれが、ただの反動家風情であれ、第二次の亡霊あたりであれ、な」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しばしの後、会合を終えた一同は部屋を屋敷の食卓へと移していた。

もはや特別議論する話題も無いとはいえ、このような形ではあるが珍しく旧友の一同が集ったということで、簡素ながら酒宴を催す運びとなったのだ。

 酒宴と言ってもそこまで騒ぐようなものではない。意匠を凝らされたテーブルを囲うように一同が椅子に座り、各々の前に出されたグラスでワインを飲みながら穏やかに談笑する。

一般に上流のソレとしてイメージされる酒の席そのものであった。

 

「しかし、例の少年が宗一郎君と弟子だったとは。人の縁とは実に不思議なものだ」

 

 鷲山が隣に座る宗一郎に語りかける。彼の言葉に同意するように、宗一郎もまた洗練された所作でワインを口に運ぶと穏やかな声音で言った。

 

「それは自分も同感です。いやまったく、何かと手のかかる弟子ですよ」

 

「しかし気になるのだが、何故君は彼を弟子にしようと思ったのだね?」

 

 その問いに宗一郎は顎に手を持っていく。そして、己を記憶を脳裏より引き出しながら過去を語った。

 

「例のIS開発者、篠ノ之束をご存じでしょう? 彼女とは面識なぞありませんが、その父親には学生時代に剣の関係で少々世話になったことがありまして。

その彼の紹介ですよ。『自分ではこれ以上稽古をつけてやれないから、代わりに面倒を見てほしい』と。

まぁ世話になった義理からというのもありますが、個人的にあいつを見出した部分がありましてね。それで弟子に取って、今に至るというわけです」

 

「なるほど、『篠ノ之』も絡むか。……これはやはり、ますます以て人の縁というものが面白く感じられる」

 

 言葉の中に含まれた僅かな間。そこに宗一郎は少しだけの着目をしたが、考えても栓無きこととしてあっさりと思考から切り捨てる。

元より、権謀術数渦巻く世界に身を置き続けた彼と、武芸で人生を生きてきた自分では頭脳というものではどうこうということはできない。

政治屋の考えなど、考慮するだけ無駄にしかならない。

 

「しかし、IS学園とは。正直なところ、いささか心配も無きにしも、なのですよ」

 

 グラスの中で揺れるルビー色の年代物のワインを見ながら呟かれた宗一郎の言葉に鷲山は興味深そうに視線を向ける。

彼だけでなく、他の者達もまた静かに宗一郎の次の言葉を待つ。

 

「自分とて、物の道理が分からないわけではない。仮に件の場所へ行けば、アレは恐らく無数の好奇に晒されるだろうことは想像に難くない。

あいつはそういうのを嫌っていますからな。おそらく、最初の内は不機嫌面を浮かべ続けることになるでしょう」

 

「それはまぁ、気の毒だが頑張りたまえとしか我々には言いようがないなぁ」

 

「全くです」

 

 そう言って皮肉気に微笑んだ宗一郎は、すぐにその笑みを引っこめて静かな面持ちとなって言った。

 

「が、それで済むならまだマシでしょう。自分が気になるとしたら、あいつに向かう敵意だ。

政治、あるいは医学、あるいは教壇。どれもかつては男が中心であり、そこへ進出を志して立った女は好奇と同時に、敵意も受けた。

今、その逆の現象が起こりうるかもしれない。少々故あってあいつは己に向けられる敵意に敏感なところがありましてね。

下手に暴れやしないかと。ISが無ければ男も女も関係無しに皆只人。ISを持つ者でさえ、装着するまでは同じだ。

鍛えた自分が言うのもおかしな話ですが、既にあいつの剣腕も、拳も、立派な凶器となっている。それこそ、下手な包丁や拳銃などよりも遥かに凶悪だ。なにせ、元々持ち合わせている手足がそのまま、凶器になるのですからな。当然ながら師としてそれを制することも教えましたが、さてどこまでやら……」

 

「察するに、抜き身の刃のごとしというものかな? なるほど、確かに恐ろしい。が、だからこそ頼もしくもある」

 

 愉快痛快というように別の男がワインを飲みながら笑う。だが、その笑いに追従して笑顔を浮かべる気に、宗一郎はなれなかった。

 

「ただ抜き身なだけならばまだ良かったのでしょう。戻る鞘がある。だが、師として見るにあいつはその鞘を失ったようにも見える。

刀の刃とは鋭くもあり、同時に思いのほか脆い。外に晒されたままなら、いずれ毀れ崩れる。師として、看過はできない。だが、実に不本意な話ですが、こればかりは私にもどうにもできない面が多い。

さて、何をどうすればあいつは自分の収まる鞘を得て、落ち着くことができるのやら。師として、未だ未熟を痛感しますよ」

 

 自嘲するように呟く宗一郎。常の不遜そのものとはまるで異なるその姿は、弟子である一夏が見れば大いに驚いただろう。その機会もまずあるまい。宗一郎自身、弟子の前では無様は見せるつもりはない。

 だが、ここに集った面々は別格。誰もが己の倍は生き、積んできた経験も並々ならない、まさに傑物たる者たちばかり。

それに比べれば、自身などただ極端に武芸という、本質は暴力のソレと何ら変わりないものに秀でただけの若造。それを知らずに不遜に振る舞うほど、彼は蒙昧では無かった。

 

「生きることは常に研鑽だ」

 

 ワインを口に含みながら、終始崩すことの無かった鉄面皮のまま放たれた実父の言葉に宗一郎は視線を向ける。

 

「私は武芸の理なぞ知らん。が、人生の本質はそう大差ない。人は、己が後進となる者を持つことで初めて真の成長を始める。

お前が弟子を育てるように、弟子によって図らずもお前もまた育つ。お前がまだまだ青い若造ということなど、ここに居る全員が当に知っている」

 

その言葉に宗一郎のこめかみが僅かにひくついた。

 

 変わっていない。全く持って変わっていない、この父親は。

常に鉄面皮を崩さず、厳格で、しかし単なる石頭の頑固者でもなく状況次第で柔軟な対応を取る。こなす職務は完璧であり、まさに傑物と呼ぶに相応しい。

 何故警察という道を選んだかは分からない。だが、今こうした会合を主催できるまでに築いた人脈などを駆使し、政治の場に躍り出れば間違いなく数年の内に首相の座を手にすることも不可能ではない。

そして職務に精を出しながらも家庭を顧みないと言うことも無く、自身もまた少年期には彼から厳しく躾けられた。それは、父が己と多くの時間接したという証左でもある。

 その姿に一人の人間として敬意を払うと同時に、幼少からどうにも苦手としていたのもまた事実。武の道をあらかた極め、自身の気骨もかつてに比べ計り知れないほどに頑強になった自信はある。

今となっては、少年期のように父を前に引いたりはすることもないだろう。だがこの父と談笑など、恐らくは一生できまい。そんな確信があった。

 

「鷲山さん。例の件、あいつのことですがよろしくお願いします」

 

 気を取り直すようにして宗一郎は隣に座る鷲山に声を掛ける。弟子に関わる頼みごと。快諾する鷲山の言葉を聞きながら宗一郎は、近く再会するだろう弟子に何を話すべきか。既に父譲りの鋭眼に刃のごとき光を湛えながら考えるのであった。

 

 

 

 

 

 

 




師匠については、まぁフィジカル面で束並みのイレギュラーと言いますか、あきらかに世界間違えてるだろって感じをイメージしてます。
一重に、作者のアホみたいな悪乗りの結果です。ですが、あえてこのままで突き通す!
だって、その方がカッコよさようですから。


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第四話

今回は後半部分をにじファン掲載のころと大きく変えています。
分かる方は、はたしてどれくらいいるのでしょう。


 時は二月もそろそろ終わりに差し掛かったころ。既に姉よりIS学園への入学を告げられてから一週間は過ぎている。

本来であればこの頃には再び師の下へと戻っていたはずではあったが、例の一件以降それは叶わない状況となっている。

 

 最初の頃は連日人だかりを作っていたマスコミも、その数を減らし見える数もまばらになってきてはいる。だが、それでもまだ居つく者が居るのもまた事実。

そしてどう考えても堅気ではなさそうな者達は、まるで数を減らさずにこちらへと視線を送り続けているのが分かる。ただそれだけで特別アクションを起こさないのが幸いだろうか。

 

 こんな状況下で師の下へ戻れるはずがない。

生活のための日用品や食材の買い出しにしても付いてくる者が居る始末だ。

そんな中で師の下へ行こうものなら、下世話な連中に師の住む場所が露見するのは必定だ。十中八九、師にも要らぬ者の下世話なコンタクトがあるだろう。それは断固として避けねばならない。

 向こうの中学にも既に連絡は入れ、当面戻れそうにない旨を伝えている。電話に出た担任の、出席日数が極めて寂しい自分のことだから今更気にしないの言葉に、一夏は苦笑いを浮かべたが何とかやり過ごす。

こうなると恐らくは卒業式にギリギリで出席できるかという状況なので、向こうについても変わったことは無いかと尋ねてみれば、やはり一夏が通っている中学というだけあって取材などがそれなりに来たらしい。

 

 ニュースで自分のことが騒がれるのが嫌だった一夏は殆どテレビを点けずにいたため、取材に対してどのような応対を行ったのか尋ねたところ、マスコミへの対応を主に担当した校長、並びに担任を始め、話を聞かれた同級生たちも当たり障りのない適当な話でやり過ごしてくれたらしい。

師のことなどがそのあたりから流れることを危惧した一夏にとってこれは朗報そのものであり、電話口で何度もお礼を言った。

そんな一夏に対して担任は色々大変だろうがと気遣うような言葉と共に、卒業式にはちゃんと出てほしいという言葉で締めて電話を切った。

 

 電話を終えてしばし受話器を片手に立っていた一夏は、受話器を本体に戻すと一つの決心をした。卒業式くらいは多少無理をしてでもしっかりと出ようと。

 

 そうこう慌ただしく過ごす内に早二週間も経とうとする頃には一夏の身辺もある程度落ち着いたものとなっている。

こうなると一日の生活サイクルというものもある程度決まってくるものであり、そうやって多少なりとも落ち着いて一日を過ごせるのが一夏には心地よくもあった。

 

 早朝に起きて庭で体操をして体を軽くほぐすと、未だ家の周囲に張り付き続ける気配ゆえに早々外に出る気にもなれないため、ランニング代わりにウェイト系のトレーニングを行う。

その後は師の家より持ち帰った改造木刀や模擬刀を用いて剣の修練。そして汗を流して朝食となる。

千冬は相変わらず仕事のため家に居ないので、食事の時間などもある程度自由に調整が効くのは好都合と言えた。

 

 休日にあたる日であれば直接は会えない友人、転校する前の、つまりはこの町の中学での友人だった五反田弾や御手洗数馬などと電話で他愛の無い世間話をしたりもする。

もう一人、親しくしていた中国人の少女が居たが、自分が町を離れてからしばらくの後に海を渡って国へ帰ったという。

思いもかけない形での友人の一人との大きな別れに多少なりとも面くらいはしたが、思いのほか冷静に受け止められたのを覚えている。

 

 さて、自他共に認める武芸バカである一夏であり、常の彼であれば時間ができてそれを持てあますような状況になったとなれば、基本的に何かしらの修練に当てるのが常であった。

過去形である。なぜ過去形となったか。それは今の一夏が為すべきとされるが武芸以外にも存在しているからに他ならない。

 端的に言ってしまえば、IS学園入学後のための予備学習であった。

 

 未だ肌寒さが残る時節。換気以外で窓を開ける気になれない一夏は、全ての窓を閉め切った状態で居間にいた。

空調は暖房を弱くかけて適度な気温に室内を保てるようにする。居間に置かれたテーブル、その前に胡坐をかいて座りこむ一夏の手にはシャーペンが握られており、その視線は目の前に置かれたノートと、その隣にある分厚い参考書の間を行ったり来たりしていた。

 

「ふぅ……」

 

 軽く一息。吐き出した一夏は半眼で参考書の開かれたページを見る。さらに両手を肩と同じ高さまで上げるとヤレヤレと言うように首を横に振りながら口元に微笑を浮かべる。

そして一往復程度で首を動かすのを止めると再び両手を机の上に動かして一言。

 

「ふざけんなコラ」

 

 先ほどまでの笑みは消え去り、能面のような無表情で吐き捨てた。

原因は単純。一重に、参考書に書かれた内容の、その妙なまでの高度さに他ならない。一応、一般の数学に例えるならば足し算にあたる部分から解説は為されている。

読み込めばどうにか理解できる。だがそれにしてもとにかく高度かつ専門的というのが一夏の見解だった。

 一夏の学力は凡そ中の上から上の下といったところ。特段可も不可も無く、ごく一般的に高校進学を考えれば十分と呼べる程度にはある。

だが、コレは違う。千冬から渡されたのは参考書だけでなく、IS学園における座学のカリキュラム進行表もあった。年間を通して何月までにここまではやるという目安が示されたものだ。

それに記された参考書のページを実際に照らし合わせてみたら、一夏の表情は更に固まる。

 

 トントン拍子。そんな表現がピッタリなのではと思える程に進度が早い。

こんな早さでやっていけるのかと思いかけて気付いた。この進行表は本来自分以外の正規入学者を対象としたもの。

つまり中学で、あるいは早ければ小学生の内からIS学園に入学するために事前学習を積み重ねてきた者達に他ならない。自分とは下地が違うのだ。

おそらくそうした生徒達もこのカリキュラムを大変と思うことはあるだろう。だがそれでも付いていくだろうことは確実だろう。

 

「……」

 

 無言と共に顔に生暖かい笑みが広がる。手に持っていた参考書をそっとテーブルの上に置く。

そしてふぅっとため息を一つ吐く。そのままそっと目をしばらく閉じる。そして閉じた目を再び開くと、ポツリと一言だけ発した。

 

「まるで意味が分からんぞ」

 

 千冬も言っていた。学力面でのアドバンテージを取られるのは仕方が無いことだと。

全く以てその通りである。本当にこればかりは如何ともしがたい事実なのだ。だがそれでも、己が置かれた理不尽な状況に心中を荒らさずには居られなかった。

せめて、声を荒げるくらいはしてもバチは当たらないだろう。

 

 長く息を、未だ荒々しさと熱を帯びたソレを吐き出す。部屋に響き否応なしに鼓膜を振動させる自分の呼吸の音に、僅かなりとも落ち着き頭も冷える。

思い出すのは参考書を渡された時の、千冬の別の言葉。三年間を良くするか否かは自分次第。確かにそうだ。自分でどうにかしようと動かなければ、何も始まらない。

 

 思考を切り替えろ。剣の、武術の修行と同じだと思え。師によって課せられた修業はどれも無理無茶無謀の三拍子揃ったカーニバルだったではないか。

それを自分はどうした。明らかに無理と分かっていても、それでも時折悲鳴を上げながら何とか食い付いた。そして今に至っている。

この勉強も、似たようなものだ。そのはずだ、そうだと信じたい、そうであってくれ、むしろあれ!

 

 己に言い聞かせるように一夏は力強く首を縦に振る。というよりも、そう思わないとやっていられないと言うのが本音だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうした日々がしばらく続いたある日のことだった。

ここしばらくは眉根を寄せながら参考書と睨みあいをしていた日々であったが、その日一夏は勉強よりも修練の方に重きを置いていた。

 どうにも落ちつかなかったのだ。昼食を終えたあたりから頭の片隅に引っかかるような釈然としない感じ。

第六感、あるいは虫の知らせと言うべきか。それが小突くように一夏の思考を刺激して、勉強に身が入る気がしなかったのだ。

 

 修練で体を動かせば少しは気も紛れるだろうと思ったが、世の中そう上手くはいかないらしい。

家の庭は、決して修練をできないというわけではないが、それでも師の下に居た時のように思う存分に動きながらとするには少々狭すぎる。

そのため体を動かすにしてもその内容が限られるため、物足りなさがどうしても感じられ、同時にそれが苛立ちとなって溜まるのだ。

 

 今まではこのようなストレスも溜まることは無かったが、どうにも勉強の難しさや、今感じている違和感などが悪い方向で作用をしているらしい。

 

「はぁ……」

 

 庭先でタオルを首にかけながら一夏はため息を吐く。どうもこのままでは修練すら捗らないような気がする。おそらくは、これ以上やってもストレスが溜まるだけで何かを得ることもないに違いない。

そう判断すると、一夏は庭から直接開けたままの窓を通って居間に戻ると、壁に掛けられた時計を見る。

殆ど日も落ちていたためにそれなりに気付いてはいたが、既に時刻も六時を回ってしばらくしており、このまま適当に時間を潰せば七時を回るのもあっという間という状況だった。

 

「ん〜……」

 

 顎に右手を当てて左手は腹に添える。空腹の具合はさほど気にならないが、そろそろ夕食の準備を始めても構わないだろう。

幸いと言うべきか、昨日の夕食の残りがまだ冷蔵庫にあるので、準備にはおそらく20分と時間はかからないだろう。ご飯は朝に炊いたのが炊飯器にある。

 

「……」

 

 不意に、一夏の目が僅かに細まる。無言で踵を返して再び窓に向かうと、閉じてはいるが鍵を掛けずにいた窓の鍵を全て閉め、さらにカーテンも閉める。

夕刻ということを考えれば至極自然な行動ではあるが、細められた目の奥の光が妙な物々しさを放っている。

そして今度は家中の扉、窓の鍵を全て閉める。始めに一階、次に二階。そうやって家を外から可能な限りシャットアウトすると、一夏はそのまま二階にある自室へ向かう。

 

 部屋に入った一夏はまっすぐ己のベッドに向かおうとして、その途中で部屋のほぼ中央に置かれた低いテーブルの上にある物が目に入った。

丁寧な装丁が施された大きめのそれは、先日行われた一夏が師の下で修業をしている間に在籍していた中学の卒業式で受け取った卒業アルバムだった。

当日の早朝、まだ普通のサラリーマンすら動かないような時刻から電車を乗り継いで家から向かったからか、マスコミなどの数もかなり少なく、卒業式そのものは落ち着いて挙行された。

 

 無造作にテーブルに置かれたそれを一夏は軽く撫でる。

授業にはあまり出ず、師に武術ついでに勉強を教わっていたが、体育祭や文化祭などの行事はきっちり出たためにアルバムにはそこそこの頻度で一夏が写っている。

それを見て一夏は、当時の担任の「授業出ない割に、行事にはよく出るな」という苦笑交じりの言葉を思い出し、それにつらえるように口元に微笑をたたえる。

そして、アルバムに一夏と同じように写っているだろうかつての級友たちを思い出す。丁度ほぼ一年半。この町にある弾や数馬と共に過ごした中学と、師の下で通った中学。通った期間は半々だ。

 

 いや、後の学校に関しては出席日数のことを考えれば前の中学よりも通った期間は短いだろう。

それに、前の中学には小学生からの友人もいたが、向こうに関しては完全に知らない顔ばかりであり、通った日数も少ないのだから友好を深められたかと言えば、首を傾げざるを得ない。

 

「つっても……」

 

 卒業式の日、教室にやってきた自分を迎えたのは級友たちの笑い声だった。

嘲笑ではない。来ないのではと思われたクラスメイトがちゃんと来たことを歓迎する、明るい笑いだった。

式が終わった後も、長居をするわけにはいかなかった一夏だが、その短い間にも級友たちは笑顔と共に声を掛けてきた。

話題は例によってIS絡みではあったが、「やらかしたなこの野郎」などと茶化すような言葉は、不思議と不快に思わなかった。

 

 思えば、初見の人間は大抵一歩引くこの顔の古傷も、彼らはあっさりと受け入れていた。

そこまで思い出し、一夏は胸中に湧きあがった感傷に気がついた。ただひたすらに武芸に邁進したあの一年半、選択に後悔は無い。一年半は、一夏の力量を大いに引き上げたのだから。

だが、もう少し彼らと交流を深めても良かったのかもしれない。中学の卒業を境に学生は各々の進路に多く別れる。おそらく彼らと交流する機会など、もはやほとんど無いだろう。

自信の立場を考えれば、今やあの町に長く滞在するのも難しいのだから。

 

「あばよ。機会があれば、また」

 

 その声に感傷と呼べるものは一切混じっていなかった。もはや再開の機会が叶わないならそれまでだ。

そこまででしか続かない縁だったのだろうと冷静に割り切る。思うところが無いのかと問われれば微妙なところであり、あるいは後々になって思い返すこともあるだろう。

だがそれはそれであり、そのこととあくまで冷静に事実を割り切って受け止めることは話が異なる。

 既に一夏の思考から目の前に置かれているアルバム、その中に記録されている事柄への関心は消え失せていた。

今は、それよりも優先しなければならないことがある。

 

「なんだこれは……」

 

 低く呟きながら一夏はベッドの下に手を伸ばす。

一夏の部屋に置かれているベッドは、ベッドというよりは木製の台の上に布団を敷いたという表現がより正確に当てはまるものであり、その下にはいくばくかのスペースが生まれる。

流石に高さがなさすぎるため、自分自身が入り込んでどうこうというわけにはいかないが、物を置く分には十分であるために一夏はそこを部屋の収納スペースの一つとして活用していた。

 

 取り出したのは一本の木刀だ。滑り止めと握る掌の保護を兼ねて柄の部分に布が巻かれている以外はごくごくありふれたものに見える。

片手で持つと、部屋の物に当たらないように軽く上下に振る。その音はとても木製とは思えないほどに重々しいものだった。

 中心部に鉄芯を埋め込み、重量や重心の配分などを限りなく本物の日本刀に近くし、ただ切断力に著しく欠けるだけで実際は鈍器として十分凶器になりうる代物としたもの。それがこの木刀の正体だ。

師より賜った特注の代物、そして一夏の修練道具であると同時に――あくまで一夏の認識ではあるが――実に合法的かつ刃がないだけ平和的極まる得物でもある。

 

 慣れ親しんだ柄を握りこむ感覚と共に一夏は部屋を出て廊下を歩く。

口元は真一文字に固く結ばれ、目つきも鋭く眉根には小さな皺が刻まれている。誰がどうみても穏やかとは言えない表情をしながら一夏は家中を歩く。

 素早く家のあちこちを歩き回り、特に窓などの戸締りを確認する。それだけを見ればまるで出かけ前の一幕のようでもあるが、むしろ事を進めるほどに一夏の纏う空気が重苦しくなっていく様が加わり、むしろ討ち入り前とすら錯覚させられるほどだった。

 

「……」

 

 全ての確認を終えた一夏は視線を一点へと向ける。その先にあるのは家の玄関だった。

見つめたのもほんの一瞬だけの話であり、すぐに一夏は早歩きで玄関へと向かう。そして履き慣れたシューズに足を入れると同時に玄関を開け放つ。

 夜の空気が一気に総身を包み込んだ。春と言ったところでまだまだ外は涼しい日が多い。それが夜ともなれば猶更だ。

だが、そんな冷たい夜の外気を全身に浴びても一夏は涼しさに身を震わせることはなく、むしろより一層に気を引き締める。

 

 数歩だけ歩き、玄関と家の敷地と外とを仕切っている門の、ちょうど中ほどあたりで足を止める。そして静かにあたりを見回した。

 

(一体こいつは……)

 

 睨みつけるように周囲を見回しながら一夏は思う。

少し前から妙な気配を感じる。確かに前々より感じていた家を伺う気配は未だ顕在であったが、そんなものは端から眼中にない。

もっと別の、曰く言い難い気配が唐突に沸いて出てきた。

 敵意や殺意などと言った物騒なものではない。だが確実に自分にプレッシャーをかけてきている。

そこまでは確かに分かるのだが、そこまでなのだ。存在は確かに感じ取っているはずなのに、その輪郭がまるで掴めない。

家の周辺に相変わらず陣取っている有象無象の気配の存在がさらに拍車を掛けている。

まるで、夜の森で間近に見える木々のさらに奥。どれだけ目を凝らしても先がまるで見えない、その先に何が存在しているのか分からない闇を見ている気分だ。

 

(ええぃ! もどかしい!)

 

 正体を探るためにより意識を集中すればするほどに周辺のその他もろもろの気配が気になる。

まるで間近で蚊が飛んでいるような煩わしささえ感じる。ここが法治国家日本であると同時に、一夏自身の理性が肉体を制御していなければ、今頃有象無象の気配に対して武技による打倒を敢行していただろう。

それも相手の身の安全には一切の配慮をしない『どうなろうが知ったことかバーカFu○kin野郎カカァのシーツの染みから出直せボーケ』意識百パーセントのものをだ。

 というよりできるなら日頃のストレス発散の意味もこめて是非やってみたいところなのだが、やはりそれはマズイと理性がストップをかける。

それに、居るのは誰もかれも自分の足元に及ばないただの『人』だ。『武人』である自分が相手をする価値など、元より存在しない。

そんな有象無象を無造作に蹴散らしたところで、自分の格が下がるだけでしかない。

 

 鎌首を持ち上げ掛けていた凶暴な衝動を抑えつけると同時に、その分より意識を集中させる。

依然として全方位からかかってくるようなプレッシャーは消えない。相手は複数か? いやありえない。それだったら気配に何かしらのズレのようなものがある。

だが今自分にかかるプレッシャーは実に自然な一体感を持っている。となると、一夏の経験則から言えば気配の元凶はただ一人の人間だ。

 

(おいおい、マジかよ……)

 

 これが漫画だったら自分は後頭部に冷や汗を幾つも流していたのだろうなと、思考の片隅でボンヤリと思う。

たった一人でありながらこれだけの気配、つまりは放つ圧力がそれだけの規模ということだ。

さらに言えば周辺の他の気配に動きが無い以上、誰もこの状況に気付いていない。つまりは自分ひとりに集中させているわけであり、高い出力を極めて精緻にコントロールしているということだ。

 それだけで自然と相手の力量は推し量れる。端的に言ってマズイ。間違いなく相手は師や姉クラスだ。自分では、仮に真っ向から相手取ったらまず勝てないだろう。

そりゃあ、今の自分が色々と厄介な立場にあることは重々承知している。だから多少面倒に巻き込まれるのも、嫌だけど有り得るかもしれないとも思っていた。

だがそれにしたってこれはいきなりハードルが上がり過ぎである。厄介ごとにしても、もっとレベルの低いものから順にきて然るべきだろう。

こんな、RPGに例えるならチュートリアルを終えてそこそこ慣れた頃合いにいきなりラスボスの前に放り出されるような状況、無茶ぶりにも程がある。

 

(かくなるうえは……覚悟を決めるよりほか無いってか……)

 

 プレッシャーの正体が自分に牙を剥いてきたら、おそらく自分は為すすべなく屠られるだろう。

人生15年と少々。短くして先立つことに姉や師に申し訳なく思うが、もう腹を括る以外に選択肢は残されていない。

このまま何も無ければそれで良し。だがもしもの時には――例え結末が死であろうとも、武人として自分自身で恥じることのない終わりにする。

 

(せめて刀を持ってくれば良かったか……)

 

 覚悟はしているが、どうせなら生き残るのが一番だ。それだったら木刀よりも本物を用意した方がより確実だろう。

その場合、相手方にはろくなものじゃない結果を突きつけることになるが、そうなったらそうなっただ。生き残るのが一番であり、そんな些末事など気にしていられない。

 

「……」

 

 ざわめくようにプレッシャーが僅かに波打った。

 

 動く――!

 

 直感的に一夏は臨戦態勢を取る。引き締めた気とは別に体は適度に脱力をさせ、すぐに行動に移れる体勢にしておく。

ジリジリと首筋が焦げるようなイメージを抱きながら、一夏はゆっくりと体の向きを変えて庭を移動する。

家の中の証明は必要最低限しか点けていなかったため、外に漏れる明りで敷地内が照らされるということはなく、ともすれば無人とも思えるほどに庭は暗い。

 

 目の前に広がるのは庭の一角だ。居間の窓から繋がり、日中には洗濯物を干したりもしていた場所だが、それも今はただ草が生えているだけで夜の帳に包まれている。

 

「っっ!!」

 

 それはあまりにも唐突だった。突然すぐ背後で湧き上がった殺気。それに反応して何も考えずに木刀を振っていた。

脳を介さない脊髄の反射のみに任せての行動であったため、その時の一夏の思考はまさしくまっさらだった。

 そしてそれは一切の雑念が無いということ。同時に雑念が無いからこそ、その意識はただ一点に向けて純化される。

殺気に対抗するように向けたのは闘志でも、守りの意思でもなかった。まったく同じ殺気を、いっそ仕留めんとばかりに放ちながら一夏は木刀を振る。

 

 振り向きざまに相手の姿を確認する。暗がりにいるために体格くらいしか分からない。だが自分よりもだいぶ大きい、かなりの長身であることは確実だ。

おそらく筋肉などの付き具合もまた同様だろう。手には長物が握られているのが分かる。いずれにせよ、とんずらを決めることは不可能だろう。ならば、無謀を承知で挑むのみだ。

 

「シッ!」

 

 低い体勢から一気に距離を詰めて切り上げを叩き込もうとする。狙うのは正中線や頸部に頭部。いずれも人体の急所とされている場所だ。

相手の安否など知ったことではない。思考が目の前の謎の人物に対しての殺気のみに彩られる。

 持ちうる全力で連続攻撃を仕掛けるが、その悉くが捌かれる。その気になればすぐに反撃に出て仕留められるのだろう。

だがそれをあえてしようとはしない。つまり、自分が遊ばれているか手を抜かれているということになる。それが余計に一夏の殺意を高める。

 

 だがそんな一夏の殺気の高まりとは逆に、一夏はどんどん押し込まれていく。最初はこちらが攻めていたのを相手が捌いていたが、そのまま少しずつ相手が押し返してきている。

徐々に、徐々にだ。相手はその場から一歩たりとて動かずに自分を追いつめてくる。さながら壁が迫ってきているような気分だ。

 そして、その壁が自分に達した時が、おそらくは自分の最後になるだろう。

 

(おの、れぇっ……!)

 

 唇を捲りあがらせ、犬歯を剥き出しにしながら一夏は押し返そうと攻め手に打って出る。直後、木刀が大きく弾かれた。

 

「え……」

 

 そんな声しか出せなかった。攻め手に訴えた瞬間、自身の木刀が大きく弾かれて、それにつられて柄を握っていた腕も大きく弾かれた。

結果として、大きく開き無防備となった前面を相手の前に晒すことになってしまった。

 

(あ、これ死んだ)

 

 漠然と一夏はそんなことを思った。そういえば五年前、彼女に代わり熊の前に立った時もこんな感じだったかと、呆然と思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ?」

 

 だが、覚悟していた一撃も痛みも何も来ない。目の前の影は何もせずに立っている。

腕を大きく弾かれた一夏は数歩後ろに下がりバランスと共に体勢を整える。そして警戒するように僅かに身を低くしたまま目の前をにらみつける一夏の耳に影を音源とした声が届いた。

 

「なるほど。窮屈な身分ではあったが、鍛練は怠らなかったか。まぁそのくらいは我が弟子としては当然だな」

 

「は?」

 

 一夏の口から疑問の声が出た。影から発せられた声はあまりに聞き慣れ、親しんだものである。だからこそ、どうして今ここでその声を聞くのか。その状況が理解できないゆえであった。

そして影が動く。暗がりより出た男の姿が月明かりに、漏れ出た家屋の照明や街灯などの人口の明りに、照らされることで全容を明らかにする。

 

「うっそぉ……」

 

「よぅ。しばらくだな、我が馬鹿弟子よ」

 

 そこに立っていたのは師である海堂宗一郎だった。珍しくスーツを着ているが、そもそも師が今ここにいるというあまりに信じられない光景に呆然とする一夏をよそに、宗一郎は淡々と言葉を続ける。

 

「まぁ俺が来たのは少し用があったからだが、試しに少し手を出してみれば中々悪くない反応だったな。そして俺に斬りかかってきた時の殺気、実に見事なものであった」

 

「あ、えっと……すんませんっした!!」

 

 言われて思い出したが、斬りかかった時の一夏は本気の殺意を込めていた。

無我夢中だったという言い訳はあるものの、師に向けるものとしては到底褒められるものではない。

慌てて頭を下げて謝る一夏だったが、その後の宗一郎の言葉は彼にとって予想外のものであった。

 

「何を謝る。少なくとも俺は肯定をするぞ」

 

「え?」

 

「一夏、あの時お前は自分の生死への覚悟をしていたな。まぁそうするように俺が絶妙な加減で仕向けたのもあるが……

良いか。勝敗を、その先にある結末を分けるのは力でも技でもないのだ。まずは心、揺るがぬ精神こそが第一に必要とされる。

そして相手を打倒しようと考えるのであれば、ただそれのみで己を固めれば良い。余計な雑念など捨ててしまえ。

そしてあの時のお前は見事なまでに俺を仕留めようとする意志で己の精神を固めていた。それで良いのだ。たとえ相手が(オレ)であっても容赦はしない。

真剣に武を交えようと言うならば、その非情さこそが肝要となる」

 

「はぁ……えっと、どうも」

 

 とりあえず叱責されることはないと分かったことに安堵しながら一夏は礼を述べる。

 

「まぁ非情などと大仰に言ったが、別にそう堅苦しく考える必要もない。単に相手が誰であっても余計なことは考えずに勝利することだけを考えろという話だ。

それに、いつもそれでは疲れるからな。メンタルの柔軟性を持つこともまた必要だ。まぁその辺はお前自身が自分で折り合いをつけながら学んでいけ」

 

 補足するような宗一郎の言葉に一夏は頷く。

そして一夏は、立ち話もなんだから家の中にどうかと尋ねる。だが、宗一郎はそれに待ったを掛けた。

 

「俺が今日来たのは、お前への客を連れてきたのであってな。少し待ってろ」

 

 そう言って宗一郎は懐から携帯電話を取り出すと、手早くどこかに電話をかける。そして一言二言話すと通話を切り、携帯を懐に戻す。

 

「すぐに客が来る。入口の前で待つぞ」

 

 言い終えると同時に歩き出した宗一郎に、すぐに一夏は後を追って玄関の前まで行く。

腕組みをしながら佇む師の隣で一夏も直立すること数分。家の前で車が止まるのが分かった。

 ドアが開き、そして閉じられる音がする。それからさほど間を置かずに、門から敷地に入ってくる人影があった。

 

「すみません、お待たせしました」

 

 二人の前に立つや否や、そう言って頭を下げたのは宗一郎同様にスーツを着込み、メガネをかけた若い男だった。

おそらくは宗一郎より少し下くらいだろう。当然だが、一夏にはまるで見覚えのない人間だ。

 

「織斑一夏さんですね? お初にお目にかかります。私、影島と申します。いごお見知りおきを」

 

「はぁ」

 

 自己紹介に対し、一夏はそんな声でしか答えられなかった。

『誰だコイツ』と思いはしたが、おそらくは彼が師の連れてきた客なのだろう。ならば無下にするわけにもいかない。

 ひとまずは要件を聞こうと、一夏は師と影島の二人を家の中に案内することにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




正直中々楯無を出せないのが心苦しいです。
しかし、次回から本格的にIS学園に関わる予定ですので、楯無もガッツリ出せます。というわけですので、皆様おつきあいのほどをよろしくお願いいたします。


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第五話

連日投稿です。
いや、もともとあったストックを修正するだけですからね。
今回もにじファン時代とは一部変えてお送りします。

そして、今回のラストで彼と彼女の再開です。


 

「どうぞ、粗茶ですが」

 

 居間のテーブルで二人を迎えた一夏はその前に湯呑みに入れた緑茶と茶菓子を出す。湯呑みからは茶をいれたばかりによる湯気が立っており、まだ肌寒さを残すこの時節にはありがたさを感じさせるものだった。

 

「これはどうも、わざわざご丁寧に」

 

 眼鏡の男――影島と名乗った彼は茶を運んだ一夏に座ったままではあるが頭を下げる。一夏もまた、二人の対面の席に座り、その前に自分の分の茶を置く。

 

「では、まずはご挨拶を。改めまして織斑さん。私、影島と申します。お見知りおきを」

 

 そう言いながら影島は名刺入れから一枚の名刺を取り出して一夏に差し出す。

 

「あ、こちらこそ。織斑一夏です。……俺は自己紹介の必要はないかもしれませんね」

 

 差し出された名刺を受取りながら一夏もまた頭を下げて名を名乗る。だが、己の状況への己自身でのからかいも込めてか、軽い笑いを含んだ一言を後に添える。

それに同意するかのように、影島も軽い笑いを発する。

 

「総務省……ですか。すいません、どうもまだこういうお役所関係は詳しくなくって」

 

「いえいえ、構いませんよ。とりあえず私に関しては、使いっ走りの役人の一人程度にお考えください。それと、織斑さん。こちら、ご挨拶代わりに粗品ですが……」

 

 そう言って影島は部屋に持ち込み、案内された椅子に座ると同時にすぐ脇の床に置いていた包みを一夏の前に差し出す。

贈答の品によく使われるような紙で包まれたそれは、持ってみて何かの箱だと分かる。

 

「あ、これはどうも」

 

 政府からの人間とはいえ、わざわざ手土産まで持参したことに一夏は素直に礼を述べる。

受け取った包みをひとまずテーブルの脇に置いて、一夏は気になっていたことを尋ねることにした。

 

「あの、すみません。それで政府の方が今日はなんの用事ですか?それに何で師匠まで……」

 

 恐らく、一夏にとっては師が政府の役人と共にやってきたことへの疑問の方が大きかったのだろう。

言葉に含む探るような意志の度合いがそれを物語っていた。答えたのは影島だった。彼が最初に答えたのは後の問い。すなわち宗一郎に関してだが、彼も一夏の疑問の度合いを読み取り、そこから話すべき順序を見定めていた。

 

「はい。まず海堂さんについてですが、実は私も彼とは面識が浅いものでして。会ったのも片手で数える程度なのですよ。

実は、今回の織斑さんの件は政府全体を挙げての大ごととなっているのですが、その中でもより専門的に動く部署というのがありまして。いわゆる緊急時の特別対策部署という形で受け取って貰えればよろしいのですが。

その部署の上役、つまり今回私をあなたの下に派遣するように指示をした偉い役人の方ですね。その方は海堂氏のお父上と個人的な親交をお持ちでして。その関係で彼と海堂氏本人とも交友があったのですよ。

それで今回、その上役と海堂氏の間でちょっとした話がされまして。我々(政府)から織斑さんにメッセージを伝える際、海堂氏を橋渡し役とすれば円滑に事が進むだろうということでして。

それが今回の私と海堂氏でのこちらへの訪問に繋がったのです」

 

「なるほど……。いや、事情は分かりましたし、師匠の実家のことについても簡単に聞いてはいましたけど、凄いですね師匠。お偉いさんとコネ持ちですか」

 

「別段、そんな大層なものではない。たまたまあった繋がりが、お前絡みで役に立ちそうだから少し使っただけだ。そうそう濫用できるものでもない。さして興味もないからな。まぁ、俺なりの弟子への心遣いと思え」

 

「……痛み入りますよ」

 

 素っ気なく、だが確かな一夏への気遣いを持った宗一郎の言葉に、一夏も心底安堵するかのように穏やかな表情で宗一郎への礼を言う。

少々の間を置いて、話を再開させる頃合いを見計らった影島が再び口を開いた。

 

「さて、これからお話することが本題であり、今回私が伺った理由となるのですが、よろしいですか?」

 

「あ、はい。どうぞ」

 

 影島の問いに一夏は頷いて続きを促す。頷くと、影島は自分が一夏に伝えるよう託された政府側からのメッセージを伝えるべく続きを語る。

 

「先日、織斑さんがIS学園に入学することになりましたが、それに付随する形で政府から少々の要望と、一夏さんに関する別の決定がありまして。それをお伝えします。

まず第一にIS学園についてなのですが、全寮制であることはご存じですよね?」

 

「えぇ。受け取ったパンフにありましたから。あぁでも、女子しか居ない寮に俺を入れるための調整の関係と、ここから適当な近さとかで最初の何日かは家から通うって聞いてますけど」

 

「実はそれに関してなのですが、政府は初日から織斑さんを寮で生活をさせるようにとのことでして。

聞いてあまり気分の良い話であることは承知していますが、やはり織斑さんは立場上身辺の安全が十全とは言い難い状況でして。政府としても可能な限り不安要素は摘み取りたいのです」

 

「あ~、なんか分かりますそういうの」

 

 わざわざ影島が深く語らずとも十分だった。自分の立場くらい、一夏もそれなりに理解はしている。それだけで十分だ。嫌になるくらいに理解させられる。

 

「お早くご理解を頂けたようで幸いです」

 

「あぁいや、そんな。あの、俺は別に寮暮らしの日程だとかはどうでもいんですけどね? その、調整をするのって学園ですよね? そのあたりはどうなんですか? 俺がどの部屋で誰と一緒になるとかは、まだ分かりませんかね?」

 

「そうですね。その辺のことに関しては完全に学園側に一任する形になりますね。現状ではまだ決定には程遠い状況らしいですし。元より政府でもあまり口出しできる場所ではありませんし。申し訳ありませんが、これ以上は私には何とも……」

 

 それが一夏への心証を良くするためのポーズなのか、あるいは大真面目にそう思っているのか、定かではないが影島は申し訳なさそうに詫びる。

ポーズなのか本気なのか、どちらにせよ影島に尋ねたところでこれ以上の明瞭な回答は望めそうにないため、この件について一夏はそういうものだとさっさと割り切ることにした。

 

「あの、で、もう一つっていうのは?」

 

「はい、そのことですね。……これからお話することはなるべく口外無用ということでお願いします」

 

 真剣な顔の影島の言葉に、一夏はそれほどの事態かと思い居住まいをやや固くして身構える。それを肯定と取った影島は続きを語る。

 

「今回、日本政府は織斑さんに対してISの専用機貸与を認めました。現在、第二世代『打鉄』の開発元である倉持技研に製作を依頼しています」

 

「え、専用機……っすか?」

 

 事実としての理解はできたのだろう。だが、そこにある意味など、十全には理解しきれていないという疑問を隠さない表情の一夏。それに気付いた影島は一夏に尋ねることにした。

 

「織斑さん。専用機についての知識はどのくらい?」

 

「え~っと、その名の通り個人に対して携行が認められたISのことですよね。ISはコアが限られてる上に条約で国の所持数も決まってる。

だからそんな物の内の一個を個人に委ねるのはえらいことだと、くらいですかね?」

 

 嫌になるくらいに睨みあった参考書に書かれていた知識を思い出しながら答えた一夏に、影島は頷きながら続ける。

 

「概ねその認識で構いません。ISは数に限りがある以上、その一つの運用の大半を個人に専用機として貸し与えるということは相応の意味合いを持っています。

説明がてらに申しますと、基本的に専用機の保持資格を与えられるのはまず第一に国家代表。これはその人物のIS操縦者としての真価を十全に発揮させるために、ある意味当然と言えます。

次に国家代表候補生。基本的にこれらに限られますね。代表候補については複数人数がいるので、その中でも特に優秀なごく数名のみとなりますか。

それともう一つ。専用機を貸与することの意味合いです。国家代表に関しては先ほどの意味が多いのですが、それに付随し、これは代表候補の場合も当てはまるのですが、ISのデータ取りですね。

特にフランスデュノア社のラファールでほとんど第二世代型の開発が終わった現状では、第三世代型兵装の開発のためにそれを搭載した新型が代表、あるいは代表候補に貸与されていると聞きます」

 

「あーすいません。そのデータ取りでなんとなく分かっちゃったんですけど、もしかして俺のデータ取りのためですか?

こう、男でもISを動かせるメカニズムの解析とかそんなな感じの」

 

「はっきり申しあげましてそれです」

 

 一夏の予想に対して影島はきっぱりと肯定する。ごまかしても仕方ないと言わんばかりである。

データ取り。まるでモルモット扱いをされるような言葉に釈然としないものを感じた一夏はどこか苦い顔をするが、それを諌めるように影島が少々声を明るくして言った。

 

「いえ、そこまで重く考えずとも良いかと。確かに織斑さんへの専用機貸与はデータ収集もあります。

それだけでなく日本政府の、『唾をつけておく』と言いますか、織斑さんを確保するための政治的な思惑などもありますが、それらはあくまでその領分で動く者達の仕事です。

織斑さん自身は、与えられた機体を存分の動かして頂ければそれで結構です。我々としても欲しいデータは取れますし、同時に織斑さん自身のIS乗りとしての勇名も広がることになります」

 

「つまり、どっちにもメリットがあると」

 

「はい。事後承諾という形ですが、決して悪い話ではないと思いますが?」

 

 確かにそうだ。話に聞く限りでは悪いようには聞こえない。それに、この影島という男は、どのような思惑があるかは知らないが、それなり以上に自分に配慮をした話し方というのをしている。

これだけでも、それまでに自分の下にやってきた連中を考えればかなり好印象だ。まぁ、少しは甘んじて受け入れても良いとは思う。だがしかしだ。

 

「まぁ実際に好きに動くのは好きなんですけどね。目立つのはあんまり、かな」

 

 元より人様に喧伝したとして、まずもって良い顔はされないだろう技術をそれはもう手広く修めてしまっている身だ。

円滑な生活というもののためにも、好きなことであり誇りでもあるが、ある程度は伏しておきたい。だが、きっとそれらも広まることになるだろう。

 

「お気持ちは察しますが、やはり立場のこともあります。注目を集めてしまうのは致し方のないことかと」

 

 僅かに目を細めて神妙な顔つきで言う影島に、一夏も同じように仕方ないかと納得させるように頷いた。

そして影島は残っていた茶を全て飲み干すと、話の締めに取りかかる。

 

「以上で、今回私が伺った要件は以上です。何かご質問は?」

 

「あ~っと、学園の寮について何ですけど、荷物とかの運び込みってどうするんですか?」

 

「それでしたら、セキュリティの保持の意味を兼ねて前日に担当の者が伺うことになってます。

おそらくですが、その際には織斑さんにも学園の方に足を運んでもらうことになるかもしれません。それまでに荷物の準備などは済ませて下さい」

 

「分かりました。あぁそれともう一つあった。いや、これは結構大事だった」

 

 『大事』という単語に反応したかのように、影島が一夏の言葉に向ける意識が僅かに強まる。

一夏は居住まいを正すと、話す前置きとして軽い咳払いをする。そして真剣な面持ちになると同時に口を開いた。

 

「影島さん。専用機とかデータの件に関しては分かりました。とりあえずは政府の決定に従うつもりです。専用機をくれるというなら、受け取りましょう。

けど、あくまで本命は俺のデータが欲しい。そういうことですよね?」

 

「そうですね。いずれはアラスカ条約に従って開示を求められるでしょうが、やはり一歩リードができるわけですし。それにデータなんて上手く隠してごまかせる」

 

 最後の一言は非常に微かだったが、それを一夏の、そして宗一郎の耳は聞き逃さなかった。聞き逃さなかったが、あえて無視をした。

 

「つまり、俺はそちらのために身を切っている、って解釈もできるわけですよね?」

 

「確かに、少々荒い言い方になりますが、そういう解釈も可能です」

 

 自分の解釈を肯定する影島に一夏はニヤリとする。その変化に師である宗一郎は何も言わない。なんとなく、すでに予想がついているからだ。

 

「ならですよ、影島さん。そんな国のために身を切る殊勝でいたいけで純朴な――師匠、笑わないで下さいよ口元微妙に上がってますって。失敬。まぁ早い話、俺に何らかの報酬があっても良いんじゃないですかね?」

 

「というと?」

 

「早い話が、コレです」

 

 そう言って一夏は右手の親指と人差し指で丸を作る。

つまり一夏の言葉を要約するのであれば、『データ取りとかに協力するからお金ちょーだい♪』ということだ。

案の定だったよこの弟子はと言わんばかりに、宗一郎が呆れたようにため息をつく。だが、言葉に出して咎めはしない。弟子の気質などよく知っているし、やはり予想通りだったからだ。

 

「あぁ、そういうことですか」

 

 だが、そんな一夏のあまりに唐突で遠慮も何もあったもんじゃない要求にも、影島は嫌そうな顔一つせずに納得したようにポンと手を叩くだけだった。

 

「仰ることはごもっともですね。確かに、何かしらの報酬はあって然るべきでしょう。承知しました。一応こちらの財政にも都合というのがありまして、限界はありますが可能な限り織斑さんの要求に応えられるよう上に掛け合いましょう」

 

 あっさりと承諾する影島に、言った当の一夏はと言えばあまりに話がスムーズにいったことに目を丸くしていた。

 

「な~んか、こうもあっさりOK貰えるとは思ってなかったわ」

 

「我々としても織斑さんとは先のことを見据えて良好な関係を維持したいと思いますので。むしろこの程度なら安いものですよ」

 

 さすがにお役所はちがうねぇ~と、ただ一夏は感心するだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日はどうも遅くに申し訳ありませんでした」

 

 玄関の前で一夏に頭を下げる影島に、一夏はいやいやと首を振る。

 

「こちらこそ、わざわざご丁寧にどうも。いや、事前に色々知ることができて良かった」

 

一夏の言葉に影島は頭を上げると、ではと言って家の前に止まった車に向かおうとする。だが、歩き出そうとした瞬間、その足が止まった。

 

「……まだ、報道の者は残っているようですね。織斑さん。ご希望でしたら、こちらから各局に多少なりとも自粛を求めることができますが。正直に申しまして、我々としても注目はしても大々的に報道をされたりするのは少々都合が悪いところもあるので」

 

「いえ、いいですよ」

 

 影島の提案に一夏は首を横に振る。その表情は、悟ったようでもあり、同時に皮肉るようでもあった。

 

「多分、言っても無駄ですよ。連中はハイエナみたいなもんだ。ネタっていう得物に馬鹿みたいに群がる。

所詮は獣です。人の言葉も解しやしないでしょう。信じられます? いつの間にか学校とかの写真が流れてるんですよ?

おまけに買い物とかにも付き纏って。視聴率や売り上げのためならモラルもお構いなしかって話ですよ。生き易いもんだな、ふらやま……じゃなかった羨ましいよ」

 

 痛烈な皮肉を込めた言葉に流石の影島も苦笑いを浮かべる。確かに連日の報道の度合いを考えて、一夏の立場になったとすれば、その気持ちも分からないでもない。

何かあれば連絡を。その言葉を残して影島は車に乗り込む。後に続こうとして宗一郎は、その前に一夏に向き直った。

 

「一夏。何かと大変かもしれんが、まぁお前次第だぞ」

 

「それ、千冬姉にも言われました」

 

 そうか、と宗一郎は軽く笑う。ふと、そこで何かを思い出したかのように手を叩くと、顔を僅かに一夏に近付けて言った。

 

「一夏。例のIS学園だがな、悪い所じゃあなさそうだぞ。少なくとも、お前なら必ず喜ぶだろう事もある」

 

「師匠、そりゃ一体――」

 

 そこから先を一夏が問おうとするよりも早く、宗一郎は動いていた。

軽く片手で一夏の肩を叩くと、踵を返して自分も車に向かう。

 

「喜べ小僧。お前の願いは、ようやく叶うかもしれん」

 

 それだけを言い残して宗一郎もまた車に乗り込む。そしてすぐに車は去って行った。

師の言葉の意味を解こうとして、しばしその場で考え込む一夏であったが、腹部が訴えた空腹に夕食のことを思い出すと、まずはそちらが先決として、家の中に戻って行った。

 

 

 

 

 

 

 

「そういえば、お土産ってなんだろ?」

 

 居間に戻った一夏はテーブルの上に置かれたままの包みに気付いて、その中身に興味が湧く。

とりあえずは開けてみればよろしとばかりに、ただちに包み紙を引っぺがして中身の確認に取りかかる。この程度、夕食の準備の支障には成りえない。

 

「何かな何かな~っと。銘菓? 高級食材? それとも……黄金のまんじゅう? お主も悪よの~ってな」

 

 影島の口ぶり、特に専用機云々のソレから察するに、政府は己の確保を何としても成し遂げたいとしているのは確実。

自信の希少性を考えれば、その思惑もよく分かるというもの。ならば、そんな自分に送るものと言えばそれなりに上等な物であっても何ら不思議ではない。

がめつい考えに一夏は知らず口の端がつりあがるが致し方ない。誰だって、高級かもしれない物を受け取れば笑みが零れるというもの。

 

「ほぅ、これはこれは……」

 

 包み紙を剥がして見れば出てきたのは菓子が入っていると思しき箱だ。持った時の重さから中身も相応のものだろう。

そして箱の表面の印字をよく見てみれば、一夏でも知っている有名な老舗和菓子屋のものである。それを見て自然と一夏の口元が綻ぶ。

 

「ふむふむ、苦しゅうないぞよっと。さぁ御開帳!」

 

 一夏とて人の子だ。美味い物というものにもごく当たり前に魅力を感じる。

有名な店の、見るからに高そうな菓子ともなれば箱を開ける時に楽しみを感じるのもごく当たり前のことだ。

 蓋を開ければ中には整然と並んだ菓子の数々。それを見て益々一夏の笑みが深まる。

元々甘味は嫌いではない。激しい修行の後のエネルギーを消費した体には甘味がいつもありがたく感じる。

そのような点を考えれば、消費物ではあるがこういう土産は実にありがたい。しっかりと体作りの役に立ち、さらに純粋に楽しめるのだ。文句の付けようなどありはしない。

 

「まぁ夕飯前だし? とりあえずは一個だけに抑えて~」

 

 綻んだ声と共にわきわきと動かす指を菓子の一つに伸ばす。

そして掴むと手早く、それでいて乱雑にならないように菓子個別の包みを剥がすと、中の菓子を取り出して一口頬張る。

 

 その瞬間、織斑一夏の背筋に電流奔る。

 

 しばし口を動かし味を堪能する。そして飲み込む。中の空いた口からは自然とその味に感嘆する声が出る。

 

「んめ~~ッ」

 

 餡を生地で包んだ極々シンプルなものであるが、シンプルであるがゆえにその味のレベルの高さというものが分かるものだ。

生地、餡ともに和菓子らしいしっかりとした、それこそガツンと来るような強い甘みを持っているが、それが上手い具合に調和している。

そして不思議なことに、飲み込んでからしばらくも口の中に甘さは残るものの、それも自然と流れるように消えていき次が欲しくなる。

食感もグッドだ。固すぎず柔らかすぎず、噛んだ時に確かな弾力はあるものの、スッと歯による切断を受け入れる。

そして一度口中に放り込まれれば滑らかに溶けていく。

 

 気が付けば残りも手にしていた半分程の残りも口に放り込んでいた。

その甘みを味わないながら、一夏はただただ美味いなこりゃと感嘆するばかりであった。

 

 できることならもう一つといきたいところだが、ここはグッとこらえる。

まだ夕飯前でもあるし、このような美味い甘味は鍛練の後などの体が疲れている時に食べると更に美味く感じるだろう。

その時までの我慢だ。

 

 さて、それでは夕飯の準備だと一夏は箱の蓋を閉じ、キッチンへと向かおうとする。

だが、その足が不意に止まった。顎に手が添えられ、何か考え込むような表情を作る。

 

「そういや、専用機か……」

 

 去って行った影島が話した、政府が決定した一夏への専用機貸与の決定。

彼も言っていたが、十中八九データ取りのためだろう。それ以外にどんな理由があると言うのだ。IS一機の重要性、そのくらいは一夏とて理解はしている。

 あの姉はIS絡みの話はほとんどしようとしなかったが、このご時世、情報を得る手段には事欠かない。少なくとも一般常識やそこから少し掘り下げた程度には調べられる。

姉はどことなく自分がISについて知るのを嫌がっていた節があったような気がするが、するなと言われたらやりたくなるのが男なのだ。もっと言えば一夏の気質だ。単に捻くれてるとも言える。

 

 少しばかりネットで検索を掛ければ分かることだし、参考書にも載っていたことだが、専用機を持てるなど基本的によっぽどの能力を示すなどの実績が無ければならない。

だというのに、完全に素人そのものである一夏にいきなり専用機。たかだか男だからというだけなのに、大層なことだと思う。

もっとも文句はない。くれるというなら受け取るし、もしかしたらお金もくれるかもしれないとなれば断る道理はない。

 

 この世において万能の価値を持つ素晴らしい物は二つ、それは武術と金銭であるというのは一夏の持論でもあるのだ。

 

「どんな機体なのかなぁ……」

 

 さて、貰えると分かればそれが何なのか気になるのが人の性というやつだ。

物がISだろうが、食べ物だろうがマンガだろうが、内容が気になるのは当然だろう。ましてやIS。趣は少々異なれど、一夏の興味を何よりも引く「戦い」に関わるものだ。気にならないわけがない。

無論、合わないものを押しつけられても困るというのもあるが。

 

「ちと調べるかな……」

 

 夕食準備中断。居間に戻ってパソコンを起動する。開くのは影島が言った倉持技研のホームページ。影島が言っていた、一夏の専用機の開発を依頼された企業だ。

まさかホームページに一夏の専用機の開発について書かれているとは思っていない。だが、過去に開発された機体から会社の「色」くらいは分かるもの。

 一口にISと言っても、戦闘タイプは様々である。そして影島も言っていたが倉持は第二世代型としてフランスのラファールとやらと同じくらい世界で汎用機として使用されている「打鉄」の開発をした。

打鉄についても簡単な概要がホームページにあるので見てみれば、攻防どちらかと言えば防に重きを置いているが、スタイルは典型的な格闘戦タイプ。

当たり前と言えば当たり前で銃器も搭載すれば使えるが、同じ第二世代に銃器メインのラファールがあるらしいので、基本的に刀剣型の武装を使用するらしい。

 

「ほっほぅ。これは、まぁ、アリじゃないか?」

 

 知らず口の端が吊りあがる。見れば倉持は格闘戦を主眼に置いたIS開発を行っている。格闘戦、一夏の土俵に他ならない。

もうすぐ顔を合わせるだろう他のIS学園の生徒がどれほどかは知らないが、ISに乗ることだけが戦うことと思うような小娘風情には負けるつもりはない。

なにせ師からのお墨付きである。「いいか? 仮に不良に絡まれたりとかして、応戦に武術を使うのは良い。だが加減をしろよ? お前が本気出せば相手は、というか直撃の時点で大抵の人間は死ぬぞ? 特に俺の秘伝などはな。いいか? 加減しろよ」

 

 大事なことなので二回も加減しろとも言っていた。鍛えたのはあんただろうにという言葉は呑み込む。なぜならそれを望んだのは自分自身なのだから。

 

「とりあえず、期待は持てそうだよな?」

 

 どっかりとソファに腰を座りこんで、組んだ足をテーブルの上に乗せながら一夏は思う。

倉持も、さすがに格闘型一辺倒というわけではないだろうが、それでもそちらに専門性があるのは確か。

そして曲がりなりにも世界唯一の男性操縦者である自分の専用機だ。会社の宣伝にも使えるだろうから、中途半端な代物は寄こすまい。となれば、専門性のある格闘戦型を活かした機体になる……はずと思いたい。

果報は寝て待てとも言う。とりあえずはどっしりと構えて待てば良いような気もするのだが――

 

「やっぱ気になるよな」

 

 ISの専用機。それ即ち、ISで戦う上での己の刀とも呼べる。できれば、不安の種は摘み取りたい。

さてどうしたものかと思いながら軽く瞑目し、不意にその口元に笑みが広がった。

 

「――そうだ、良いこと思いついちゃった~っと。俺って頭いいなワッホイ」

 

 そのまま飛び跳ねるように立ち上がると、ダッシュで二階の自室に向かい、机の上の充電器にセットされた携帯電話を取る。

そしてアドレス帳を開きながら堪え切れない笑いと共に呟く。

 

「いやぁ、俺マジで運が良いなオイ。こいつぁ使える。使わない手はないっての」

 

 そして見つけた一つの番号。

 

「卑怯って言うなよ。勝てば官軍だ。勝つためなら、俺は手段は選ばねぇよ」

 

 そして電話がコールを鳴らす間、室内には一夏の仄暗い笑いが響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、その日がやってきた。

IS学園始業式を翌日に控えた日の朝、一夏は寮での生活に必要と思った荷物の多くを収めたスーツケースやバッグなどを手に、迎えの車に乗り込んでいた。

 

「担当者って影島さんだったんですね」

 

 迎えに来たと言う政府の担当者、それが先日家を訪れた影島であることに、一夏は軽い驚きを込めて言う。

 

「いや、それが上に言われまして。先日の件を受けて今回の織斑さんの担当も私がした方が良いと。ですので、こうして参った次第です」

 

 私自身意外でしたよと、先日の友好的でありながらもどこか事務ばった雰囲気は僅かに薄れ、多少なりとも素を露わにしたような軽快な笑いと共に影島は一夏に事情を言う。

一夏にしても誰とも知れない無駄にゴツイだけの黒服が来るよりは、こうして多少なりとも見知った人物に担当してもらうほうが助かると素直に思っていた。同時に、彼を寄こしてくれたその上役とやらにも多少なりとも感謝の念を抱いた。

 

「では、どうぞ」

 

 そう影島に促され、一夏は車に乗り込む。荷物は全て後部のトランクに乗せてある。

ちなみに、一夏が持ちこむ荷物は全て彼が必要と考えたものであり、多数の着替えや携帯電話の充電器、洗面器具などは当然として、師より授かった各種得物もあったりする。

街中で公僕に見咎められれば、もはや女尊男卑だ何だと関係無しに御用となりかねない品の数々を、必要な日用品と胸を張って言うあたり、彼の感性も大概である。一番の原因はそうした生活を当り前にした色々と外れた師であるが。

そしてこのことは当然ながら誰にも秘密である。もっとも、これは現時点よりだいぶ先の話であるが、やはり同様に日本刀や、あるいは銃器などを持ちこんだりしている生徒もいる以上、もしかしたらどうということは無いのかもしれない。あくまでかもしれないではあるが。

 

「織斑さん、この後の予定を説明してもよろしいですか?」

 

 車の後部座席で一夏の隣に座る影島が一夏に尋ねる。一夏としてもそれは気になっていることなので二つ返事で了承する。

 

「では。まずこのままIS学園に向かうのですが、通常とは別のルートを使います。

海上の人工島(メガフロート)に設立されたIS学園に向かう手段は、通常はこの町のショッピングモール『レゾナンス』と直通の駅からモノレールで向かいますが、それとは別のルートで物資搬入用の海底トンネルがあります。

今回使用するのはこちらです。業者の人間しか使わないような道ですから、珍しいものが見れると思えばよろしいかと。

IS学園に到着後は向こうの担当者に荷物を織斑さんが使用する部屋に運んでもらいます。部屋については先日も話しましたが、学園側に一任されているので、向こうで説明を受けるでしょうね。

織斑さんには学園到着後、学園長と面会をしていただきます。本来でしたらただ新入生というだけで行われるものではないのですが、やはり織斑さんの場合は少々事情が特殊ですから。

とりあえずは形式的な挨拶の一つ程度に考えて下さい。面会と言っても会って挨拶をして、二言三言話す程度のものですので。それに、学園長の轡木美代子氏は学園の運営という手腕に秀でるだけでなく、温厚誠実な人柄と人徳の高さで立派な方として知られています。お会いになるのに、さほど身構える必要もないでしょう」

 

 懐から取り出した手帳で確認しながらスラスラと述べていく影島。その姿はさながら芸能人のマネージャーのようでもある。

しかしながら、どちらかと言えば小市民気質の割合の多い一夏は、迅速かつ的確そのものである影島の仕事振る舞いにやや驚いたように表情を固める。

そして、影島の言葉が終ってから少ししてから、気付いたように首を縦に振りながら了解する。

 

「わ、分かりました。ありがとうございます。なんだか悪いっすね。何から何まで色々と……」

 

「いえ、お気になさらず。仕事ですので。それに、織斑さんの存在の重要性を考えれば我々としても相応の待遇を施すのは当然の話です。

織斑さんに対する一種の投資の一環とも言えますが、そこまで大事ではありません。それに私どもとしましても今後の織斑さんの活躍には期待をしていますのでとりあえずは――」

 

「とりあえずは?」

 

「――派手に暴れてやって下さい」

 

 初めて見せるニヒルな笑いと共に放たれた影島の言葉に一夏は苦笑する。そしてその苦笑は口を大きく開けての笑いに変わった。

 

「クッカッ、アッハッハッハ!! ア~ァ、まぁ実際その方が楽なんですけどね。えぇえぇ、良いですよ。

どこまで行けるかは知らないけど、やれる所までやってやりましょうや。派手に行こう。……そうですね、えぇ。強くなれるならどこまでも……」

 

「そう言えば織斑さんのお姉さんはあの織斑千冬さんでしたか。世界最強のIS搭乗者(ブリュンヒルデ)、やはりこれから織斑さんがISを乗るにあたり、やはり目標とするところでしょうか?」

 

 その問いに一夏は笑いを引っこめて顎に手を当てる。そして考え込むように窓の外を見る。

既に海底トンネルに入っており、外に見えるのはコンクリートの無機質な壁と、高速道路のトンネルにも使われるオレンジ色の照明だけである。

 

「目標、目標か……。そうですね、そうでもいいんでしょう。実際、あの姉に憧れてる人間は多い。俺も何人も見てきましたから。

けどねぇ、俺は少しばかり違うと言うか。実際どうなのかは分からない。聞いてみなきゃ分からないかもしれないけど、多分、大勢の人間は姉に憧れはしてるでしょう。けど、その中の何人が超えようと思っているんですかね? こう、『最強は織斑千冬にこそ相応しい』とか、『織斑千冬に勝てるはずがない』ってアホみたいな理由で。いやまぁ、実際姉は強すぎたわけですけど。

まぁ、世界大会に出るようなトップクラスの人とかはまた別でしょうけど。そりゃ、俺も姉にISとか関係無しに剣士として尊敬してる所はありますよ。強さとか単純なモンですけど。けどね、敢えて目標って言うなら、やっぱり超えることですよ。

……いや、もっと先だ。最強なんて誰かと比較できるレベルじゃない。その先、次元違い、挑むことすら馬鹿馬鹿しい『絶対』。カミサマレベルかな……」

 

 最後の部分は影島に語るでもなく、まるで独り言のように呟かれた言葉だった。事実そうなのだろう。その時の一夏の意識は、不意に脳裏に浮かびあがった一つの記憶に集中していた。

その姿を影島は静かに見つめる。飽くなき力への欲求とも取れる一夏の言葉を聞いて彼が何を思ったか。その表情からは推し量ることはできない。

ただ、まもなく着きますと言うだけであった。

 

 

 

 

 学園に到着後、出迎えてくれた担当者に荷物の運びを依頼すると、一夏は影島と共に別の担当者に案内されて学園長室へと向かう。

そして、既に中で待っていた学園長の轡木美代子と対面し、約三十分程の会話を行った。

 

「あ~、なんだか今日は色々とありがとうございました。轡木……先生?」

 

「ホホホ、そうですね。明日からあなたは我が校の生徒になるわけですし、先生で構いませんとも。織斑君」

 

 未だ慣れないことへのこそばかゆさに戸惑い気味の一夏と、年長者の余裕を示すかのように朗らかに笑う轡木。

急遽の決定であり、元よりさほど時間も取られてはいないため、二人の面会はそろそろお開きの時間となっていた。

 

「では、織斑君。明日から是非、励んで下さいね」

 

「はい。まぁ、精一杯頑張らせて貰いますよ。色々大変そうですけどね。特に勉強」

 

 未だ開けばしかめっ面が出ないことは無い参考書を思い出して、やや表情を固くする一夏。

それを見て轡木は軽くホホホと笑った後、思い出したように手をポンと叩くと言った。

 

「そうだったわ。実はね、織斑君。もう一人、あなたに会って欲しい子が居るのよ」

 

「子? 生徒ってことですか?」

 

「そう。この学園の生徒会長。そして、この学園の生徒で一番の実力者。もう、部屋の前に待機している頃合いなのだけど、突然で申し訳ないけどいいかしら?」

 

「えぇ。まぁいいですけど」

 

 断る理由も無いので承諾した一夏に轡木は、それは良かったと笑顔を浮かべる。

そして、扉の向こうにいる生徒の名前を呼んだ瞬間、一夏は脊髄に電流が流れたような感覚がしたのをはっきりと感じた。

 

「入ってきて下さい、『更識さん』」

 

「なっ!!?」

 

 気が付けば、一夏は椅子から立ち上がり全力で振り向いていた。だが、一夏の驚き様に反して扉は静かに開かれる。

そして開かれた扉から一人の少女が入ってくる。身にまとうのは学園の制服。胸元につけたリボンは、明日から彼女が籍を置く二年を示すことが色で表されている。

 長身と言うほどではない、160半ばあるか程度の十代中ごろの少女の背丈ではあるが、豊満と呼ぶに十分なスタイルの持ち主であり、スラリと伸びた背筋がその肢体を惜しげも無く輝かせているように見える。

手にしているのは閉じた扇子。愛用の品であるのか、まるで彼女の一部であるかのように自然とそこに収まっているかのようにも見える。

 

 顔立ちも淡麗そのもの。積み重ねた経験と実績に裏打ちされた自信は、何よりもその存在を輝かせ魅了させるようなオーラとなっている。

その姿を一夏は凝視する。惹かれたか? 否、その存在そのものに一夏は驚嘆を隠せなかった。その立ち居振る舞い、顔立ち、何もかもが記憶のままだった。

 

「あ、な……」

 

 声が掠れ震える。らしくない姿だと思うことすらできなかった。そんな余裕すら無くす程に、思考は麻痺していた。

驚愕に、歓喜に、興奮に、昂ぶり過ぎた思考が行き着いたのは、硬直という過程とは真逆のものだった。

 

 あからさまに様子が変わった一夏に、轡木とその補佐として同席した学園教師、そして一夏に付き添う影島が首を傾げる。

入ってきた生徒の姿を見た瞬間、驚いたかのように固まった一夏を見て、一夏の方に少女を知る理由があるのかと思ったが、その内容を察するには至らない。

何より、明らかにただ知っているには過ぎた反応だ。

 

 轡木が何事かと尋ねようとした。だが、それよりも先んじて一夏が歩く。一歩一歩をゆっくりと、静かに少女に歩み寄る。少女もまた、静かに一夏に歩み寄る。

その事実に気付いたのは轡木と教師のみだった。二人が知る少女の姿、それは完璧な生徒そのものである。立ち居振る舞いに隙は無く完璧。

生徒だけでなく教師陣からの信頼と支持の篤い、まさに学園始まって以来と言える才媛。その彼女が今、僅かに身を引くような素振りを見せていた。そのことに少なからずの驚きを覚える。

 

 そうして二人の距離が1メートル程度までに縮まる。茫然としていた表情の一夏は、何を言えば良いのか分からないように言葉に詰まるような様子を見せている。

少女も少女で、僅かに緊張しているのを隠し切れていない。だが、意を決したかのように口を開いた。

 

「久しぶり……、元気そうだね。……一夏」

 

少 女が一夏の名を言った瞬間、一夏の肩が大きく震えた。顔を俯かせ、何かを堪えるように眉根に皺を寄せて、歯を強く食いしばる。

胸に去来する郷愁。忘れもしない、最も鮮明な記憶との再会。そのことが、一夏の心をどうしようもなく震わせる。腹から湧きあがり、胸を通り抜けて頭の芯まで達するような熱にも似た衝動が、視界を滲ませるような感覚がした。

 

「あぁ、久しぶりだ……。本当に、な……。――楯無」

 

 一夏が言ったのはこの場の誰もが知る少女の名前。少女は、更識楯無は、その名で呼ばれた瞬間、僅かに表情に影を落とした。

 

「いや、違うか……。違うよな、俺達には……」

 

 震える声に僅かな笑いを交えて一夏は否定する。確かに目の前の少女の名前は楯無だ。それは紛れもない事実。だが、一夏にとっては違うのだ。

 

(あぁ、忘れるわけが無い)

 

 思い出すのは、修業の最中に見た嘗ての夢。未だお互いに名前も知らなかった一夏と楯無が出会った瞬間の――記憶。

 

「久しぶりだよ……会いたかった――」

 

 

 

 

『あのね、私の名前は――』

 

 

 

 

 記憶の中の少女の言葉が目の前で聞いたかのように鮮明に蘇る。そして、記憶の中と少女と共に、一夏はその名を言った。

 

「『神無(かんな)』」

 

「――うん」

 

 握られた拳はきつく固められ、楯無――かつて神無と呼ばれた少女は、ただ静かに、笑顔と共に強く頷いた。

 

 

 

 

 

 

 




というわけで楯無さんの、『楯無』になる前の名前を出してみました。
こちらではどのような反応を受けるのか、今からドッキドキです。
ドキドキと言えば、プリキュアの次回作はドキドキプリキュアだそうで。え?関係ない?
ごもっとも。

ひとまずはまた次回ということになるのでしょうか?
ちょっと楯無ルートでの白式も案を練り直してみようかなと思ってます。


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第六話

 ざっと二か月ぶりの投稿となりますか。続きを楽しみにしていた方につきましては、お待たせしましたと言うよりほかないですね。
 本編の方を少し進めようと思ってこちらの更新はしばらくしなかったわけですが、おかげさまで本編は二巻突入まで漕ぎ着けました。このまま本編とこちらでの進行具合に良い塩梅の差をつけられたらと思います。

 今回は再開した一夏と楯無がメインですね。
今回もにじファン時代とは少々変更した部分があります。というより、修正作業をしようと思ったらほとんど書き直しになったような場所がちらほーら。この楯無ルートに関しては、それなりのものを書いているつもりだったのですが、こうして改めて確認すると結構みつかるものですね、修正部分。
 また、今回はセリフ部分の表現に変更を加えました。セリフごとの行空けを無くしたのですが、これについて読みやすさなどへのご意見を頂けたらと思います。好評なようでしたら、本編の方でもそうしていこうと思います。


 日本国政府直下、対暗部用暗部、カウンターテロ特殊組織『更識』。

戦国の世に生まれた忍びの一族を源流に興り、代々時の為政者の下、影で国家の大安を守るべく動き続けた組織にして一族。

 

 我らは懐刀、我らに楯は無し。

 

 明文化されずとも、一族の、組織全体の暗黙の了解とも呼べる意識の下で受け継がれてきたこの理念に基づき、歴代の当主は『楯無』の名を誕生に際して受けた名より変えることが習わしとされた。

そして、大戦から幾数十の年を経たある時、時の当主であった十六代『楯無』を名乗る男、その妻の間に第一子が生まれた。

 血族主義の強い家柄に置いては当主を継ぐのは男子という慣習が古くからあり、未だ女尊男卑は広まらずに男女平等へと世界が動きつつあった当時であってもそれは変わることはなかった。

だが、更識一族はその中でも第一子を次期当主候補とし、そこに男女の是非は問わないという姿勢を持つ特殊なスタンスを取っていた。

 

 そうして生まれた子供。

時が経てば『楯無』の名を受け継ぎ、この国(日本)を影より守る一組織の長となるだろう少女に、父はその時までの名を与えた。

 

 そうして付けられた少女の名は、『神無(かんな)』と言った。

 

 込められた意の一つは、名が示す通りの「神は無し」。

人が生きる世界を動かすのは須らく人の意志。全てが人の手に為る以上、その中でも特に過酷な世界に生きる以上は天では無く己のみを頼りとし、己が力で道を切り開け。そんな強い意志を持つことを願ってだ。

 

 もう一つの意は読み。「かんな」という読みを漢字で表した時の別の書き方、「仮名」にある。

いずれ少女が「楯無」を受け継ぐ時が来れば、かつての名は捨てなければならない。つまり、今の名は仮初めに過ぎなくなる。そのことを努々忘れるべからず。

男は父として娘を愛しながらも、一族の当主として後継者への最初の教育として、敢えて名にその意味を込めた。

 

 そして、いずれは背負う数多の責務を語りながらも、同時に深い慈愛を以って両親に育てられた少女は幼少期から教育を受ける中でその才覚を開花させていく。

誰もが次代の当主に相応しいと見る中で、少女には一つの転機が訪れる。即ち、『楯無』の名と共に当主の座とその責務を継承することだ。

 実のところ、このことに最も難色を示したのは少女の両親であった。何せその時の少女は齢にして未だ十数という若年。『若すぎるのではないか』と一族が仕切る組織の中から声があがるよりもはるかに早く、少女の両親は異議を唱えた。

むしろ、組織内部では既に年に見合わない極めて優れた才覚を持ち、その成果を示している少女を早く次の当主にという声もあったくらいだ。それだけでなく一族が、組織が忠を捧げる『国』からも暗に事を促されたくらいだ。

あるいは彼女が『男』として生まれていたのであれば話は違っただろう。だが、彼女は『女』だった。希代の大天才が生み出した超兵器『IS』を駆る資格を有し、まるで彼女が示してきた才覚の一つとしてこれも当然と言うように、ISですらも優れた能力を示していた。

 国もどこか焦っていたのだ。ISがその性能ゆえに世の中心に食い込むことは想像に難くない。ならば国として生き残るために、より栄えるために、時勢それ相応に合わせなければならない。

そしてそんなISに優れた能力を示し、目に見える一つの『戦力』足りうる少女が国における重要な一角の次代を担える立場にある。それならばより早いうちに。

 

 少女の両親はそうした事情も十二分に心得ていた。だが、その上で難色を示さざるを得なかった。

少女が継ごうとする名前と、その結果として双肩に掛かる責務は決して軽くない。『暗部』の二文字で表されるソレは、たった二文字では表しきれないほど深いのだ。

いずれは背負うことになるとしても、少女はあまりにも若すぎる。それだけでなく時勢が、その闇を更に複雑怪奇にしている。何よりも少女の親として、せめてまだ子供である内は、と思わずにはいられなかった。

 十六代目は、少女の父は柄にもなく人に頼りもした。十も年が離れていながらに対等に接する若い友は、その若さに不釣り合いなほどに重い声で『あるいはそれが天意というやつだろう。確かにやつは苦境に立たされるかもしれん。だがな、その程度のこと、世界には当たり前なんだよ』と言われるだけであったが。

 

 結果として何よりも夫妻に効いたのは、他ならぬ娘の言葉だった。

 

『大丈夫だよ。お父さん、お母さん』

 

 少女は笑って、自分が楯無を継ぐと言った。そんな少女に父は、先代として、父として、双方で娘を諌めた。

周りがどう言おうがお前が焦る必要はない、と。今一度、思い直すつもりはないのかと。だが、それでも少女は首を横に振らなかった。

それが自分の為すべきことだと言うならば、自分はそれを為すと。今の自分は弱い小娘のまま、それを自分が認めることができない。だから、そんな自分を変えたい。どんな苦難だって耐える、乗り越えて見せる。そして自分は強くなりたいと。

 

 結果として父が、そして母が折れたのは少女が『楯無』の十七代目となった事実が示している。

襲名時に、多少なりとも存在していた若年という要因から成る種々の不安に対しても、彼女は結果を出すことで応じてきた。

いつの間にか彼女が当主として振舞うことは一族、組織の双方で当たり前と認識されるようになった。

常に前を見据えて己の為すべきことを為していく少女を周囲は讃え、このままいけば歴代最高の『楯無』になるとまで言われたほどだ。

 

 だが、常に前を見据える者に過去が無関係であると果たして言えるのだろうか? 森羅万象全てに時の因果というものは存在している。

過去があるからこそ今があり、未来がある。そして今が過去となり未来が今になる。未来は過去に、その先が今に――存在するということはその積み重ねだ。

 そして過去は常に何かしらの影響を及ぼし続けている。本人がそれを望む望まないに関わらずだ。

では彼女はどうか? 常に前を見据えて進み続けている彼女の過去が今の彼女に与える影響とは? 些末事だろうか? 確かに周囲に対して過去などら知らぬ存ぜぬと言わんばかりに前を向く姿勢を見せている彼女を見れば、その周囲はそう思うだろう。決して間違いではない。

だが、ここで見方を変えてみる。『(未来)を見続けている』のではなくて、『過去を見ないようにしている』のであったら?

怖い話を聞いた幼子が必死でその内容を忘れようとするように、かつての『嫌な体験』を振り解こうとしているのだとしたら。しかしそうしようと意識すればするほどに忘れられず、より強く蝕んでくるとしたら。

 

 事実を知るのは彼女当人、いや、その彼女ですら理解しているかは怪しい。だが、仮にそんな過去が彼女にあるのだとしたら。

 

 今、彼女は五年ぶりにその過去(少年)と対峙していることになる。

 

 そうしてかつて神無と呼ばれた少女、更識楯無は過去との再会を果たした。

 

 名を呼び合ってそれっきり。一夏と楯無の二人は向かい合ったままである。

 

「……っ、はぁ~」

 

 目を閉じて一夏は深く息を吐く。そして同じように深く息を吸い込むと同時に改めて背筋を伸ばす。楯無の姿を見た直後の驚愕に固まった様子は既に微塵もなく、落ち着き払った余裕を身に纏っている。

そんな一夏の姿を楯無は静かに見つめている。僅かに目を細め小さく微笑みの形を作った口元、それらからなる表情は懐かしさ抱いていると同時に、どこか痛みを堪えているようにも見える。

 

「……あの、二人は知り合い、なのかしら?」

 

 明らかに初対面ではない反応をした二人に、轡木がおずおずと尋ねる。

一体いかように形容すべきか。一言二言言葉を交わし、そのまま黙りこんでしまいながらも、どうにも話しかけにくい空気と言うものが二人の間にはあった。少なくとも、初対面の者同士の反応には見えない。となれば互いに知己であるということは推測に難くないのだが、正直なところこのまま状況が進まないのはそれでそれで困るのだ。

 

『え?』

 

 声を掛けられた二人は、事前に申し合わせたわけでもないのに揃って反応をすると、同時に慌てて首を回して周囲を確認する。

完全に蚊帳の外に置かれた影島、教師、轡木の三人の何とも言えない顔を見て、二人は互いに顔を見合わせる。ただ視線を交わしているだけだが、なんとなくその視線だけで「おいちょっとこれマズくね?」とか「あ、やっぱり? ていうか何とか誤魔化さなきゃよね?」なんて感じで会話をしているようにも見える。

 

「え~っと、エッヘン」

「ウォッホン、ゴホン」

 

 誰も居ない方を向いて仕切りなおすようにわざとらしい咳をした一夏と楯無は改めて向き合う。そこに、先ほどまでの感情が発露した表情はない。

 

「あらー、一夏じゃない! 久しぶりね!」

「おー、楯無か! 久しぶりだなー! まさかこんな所で会うなんてなー!」

 

 浮かべた笑顔、上げた声の大きさ、喋り方、何もかもがわざとらしさを全開にした、何とかしてごまかして仕切りなおそうというつもりがありありと見える調子で二人は会話を再開する。だが、声はぎこちないどころか盛大なまでの棒読みだった。

その様を、他の三人は何とも言えない顔で見ている。いや、棒読みであることを指摘したいと言えばそうなのだが、二人の微妙にヤケクソ感漂う声がそうさせてくれないと言うべきだろうか。

 

「いやー、そうなんですよねー、先生。実は彼とはちょ~っと知り合いでして」

「昔ちょっと縁がありましてね、えぇ。うわー、驚いたなー」

 

 楯無が先ほどの轡木の問いに肯定を返し、それに追従するようにうんうんと頷きながら一夏が補足する。やはり言葉に込められたわざとらしさは消えていない。というよりむしろ更にわざとらしくなっていっている。

 

「そ、そうなの」

 

 そしてそんな二人の様子にやや引くように轡木が頷き、それに合わせて二人も強く頷く。それで納得しろ下さい余計なことは聞かないでお願いと言わんばかりにブンブンと強くだ。

 

「あ、先生。ちょっと彼を借りてもいいですか? 少し話したいのでー」

「え、えぇ。いいわよ? 影島さん、よろしいかしら?」

「え、はい。構いませんが……」

 

 楯無の問いに轡木が影島に確認を取り、影島はそれを首肯で以って返す。両者の許諾を受けた楯無は、無言で一夏の手首をつかむと、そのまま引っ張って部屋の外まで連れ出した。

 

「お、おい!?」

 

 慌てたような一夏の声。心なしか声は僅かに上ずっており、やや緊張したような色がある。だが、楯無は何も言わずに黙って部屋の外へと引きずる。

見れば楯無の顔はややうつむいており、近くで見れば頬にほんの少しの朱が差しているのが分かる。そして二人が出て行った後、部屋と廊下を隔てる木製の扉が閉められた。

 

「……どうやら、初見というわけではなさそうですね」

「そのようね」

 

 閉じられた扉の方を見ながら影島と轡木が揃って呟く。やや間を置き、二人は先ほどの一夏と楯無同様に場を仕切りなおすように軽く咳をする。

 

「さて、少々予定とは外れましたが、これはこれで丁度宜しいでしょう。轡木さん、いかがでしたか? 彼は」

 

 気を取り直して影島は轡木に尋ねる。その内容は一夏について。約30分の会話の中で、轡木美代子という人間が織斑一夏をどう見たか。

その問いに特別な意味があるわけではない。どちらかと言えば影島自身の個人的興味という側面があるが、強いて意味づけをするのであれば、『IS学園学園長』という立場の人間が『世界初の男性IS操縦者』をどう評価したかという上役への報告事項の補足の入手だろうか。

その意図を悟ったか否か、あるいはどちらにせよ変わらないのか、轡木はそうねぇ……と顎に手を当て、先ほどまで会話をしていた少年を思い出す。

 

「ひとまず話していて思ったのは、思った以上にしっかりした子ということでしょうか。さすがはあの人(・・・)の弟さん、と言うべきなのかしらねぇ」

 

「個人的見解としては彼は身内のことについてそこまで頓着はしていないと思いますが。

それに、彼のお姉さんは家を留守にしていることが多く、家事などは大抵彼が一人で行っていたようです。おそらく、しっかりというのはそのことによってある程度自立を早いうちから為していたからではないかと」

 

「あら、そうなの? となると、もう少し彼女には休暇をあげた方がいいのかしらね」

「その必要も無いと思いますよ。何しろ彼は明日からここの生徒になるわけですし。否応なし、かどうかは分かりませんが、顔を合わせるのは毎日のことになるでしょう」

「それもそうですね」

 

 影島の言葉に轡木は上品に口元を押さえながら軽く笑う。

その挙作に淀みはなく、彼女の中で培われた確かな品格というものを伺い知ることができる。

 

「ところで、影島さんから見て彼はどんな少年ですか?」

 

「私から見て、ですか?」

 

 逆に轡木から尋ねられたことに影島は少々意外という素振りを見せる。

轡木はえぇ、と頷いてから続ける。

 

「明日から彼は私の生徒です。ならば、私は教師として彼のことをもっとよく知っておく必要がある。

ですから、私よりも長く彼との付き合いがあるあなたのご意見を伺いたいのですよ」

「なるほど。いや確かに、ごもっともなお話です」

 

 納得するように頷く影島。話すのは別段吝かではない。だが――

 

「お話するのは構いませんが、そこまで多くというわけには参りません。私も、彼とはまだそこまで交友があるわけではない。

直接顔を合わせたのも、今日で二回目でして。それでもよろしければですが」

「もちろん、構いませんとも。いえ、少々先ほどの発言を訂正しましょう。彼を知るために、どなたからでも良い。一人でも多くの方からの意見を取り入れたいと言うべきなのでしょうね」

 

快諾した轡木に影島はでは、と前置きしてから口を開く。

 

「そうですね。轡木さん同様、年の割にはしっかりしているという印象があるのは確かですが、同時に少々年不相応とも取れる所があります。ただ、好感を抱くかどうかと問われれば前者ですね。私個人としては、立場を抜きにしても彼とは良い関係を築きたいとは思っていますよ。

ただ、気になることもあるのも事実でして。会話をしていると、言葉の端々に時折鋭さというか、何か強い執着のようなものを感じまして。たまたま上司が彼をよく知る方と話した際に、彼について『刃』という印象を抱いたそうですが、なるほど確かにと思う節があるのも事実ですね」

「刃ねぇ……。それは、あの顔の傷のことも関係しているのかしら」

 

 織斑一夏という人間については既に轡木自身も彼女なりに調べている。少なくとも、彼の姉と比べれば彼自身の経歴は悪く言えば凡庸だが、言い換えれば何事もなく平穏に過ごしてきたという風に聞いている。

そんな少年がそのように物騒な例えられかたをするのは、やはり気になる。そして何かあるのではと勘ぐって真っ先に気になるのが、あの顔の横にある大きな傷跡だ。

 

「私には何とも。先ほどの会談で彼は昔の事故のものだと言っていましたし、私もそのようにしか聞いていないので。ですが、その予想は間違ってはいないかと。全てとはいかずもと、少なからず関係していると思います」

 

 あくまでも勘ですが、と補足を付ける影島の言葉に轡木は軽く目を細めて、視線を僅かに下に落としながらしみじみと言った様子で呟く。

 

「まぁ、彼の過去に関してはこれ以上考えたところで推測の域を出ないからここまでとするとして、今後を考えたとしても難儀な話ねぇ。まだまだ若い子供だというのに、色々なことを背負うようになってしまって」

「それに関しては私も同感です。正直な所、まだ十五の少年がこれほどの騒動の渦中に居ながら平静を保ち続けていることに私もいささか驚いています」

 

 影島は思う。今の一夏が置かれている状況は、端的に言えば並はずれてしまっているものである。

女性にしか動かせないと言われているIS。それを男の身でありながら起動させてしまった事実は、あまりにも大きい。その学術的、政治的、軍事的、各種価値から各国の政府を始めとして数多の機関組織に目を着けられ、それに留まらず称賛や期待、羨望や妬み、敵視と言った様々な感情。言葉にしてしまえばすぐに言い終えてしまえる程度でしかないが、実際に見てみればあまりに膨大で過分なソレが自分一人に向けられる。

 

 自分が彼の立場になったらどうだろうか。耐えきれると確かな確信を持って宣言できるとは、影島には思えなかった。

ゆえに、それだけの立場にありながらも、自暴自棄にもならずに平常を保ち続ける一夏の姿に、彼は驚きを確かに感じたのだ。

 そういえば、と影島は一夏と初めて会った晩のことを思い出す。彼の武芸の師を伴ってのことだったが、その前に件の人物の提案で師による弟子の腕試しは影島も見ていた。

何があったかは知らないが、確実に分かることはあの時の彼は視界にも入らない離れた場所に居る師の、その時は師と気付いていなかったとはいえ、存在に気づいていた。

できるかと問われれば影島は間発入れずに首を横に振って「ムリムリ」と言える自信がある。ゆえに、若年ながらそんな熟練の武術家じみた真似ができる一夏に、心底驚いた。

 

「ただ、私個人として言えるとすれば、ただただこの学園の三年間が彼にとって、彼の未来にとって良いものになることを祈るばかりですよ」

 

 だが、心に抱いた畏怖とそれとこれとはまた別の話だ。どのような立場にあって、特殊な存在であるとは言え、織斑一夏は未だ年若い少年だ。

ならばこそ、唐突に激動に呑みこまれて多くのことを背負わざるを得なくなった彼を、影島は純粋に案じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一夏の手を掴みながら楯無は廊下を突き進む。

先ほどまで二人が居た学園長室は職員室と同様、学園の教職員が主に使う教職員棟にあり、特に翌日から新年度が始まるとはいえ春休み中の今は基本的に人の数は少ない。

そんな教職員棟の中でもさらに人気の少ない端の部分までやってきて、ようやく楯無はその手を離した。

 

 楯無は手を離すと静かに振り向き、一夏を真正面から見据えようとするが、どうにもできない。

何よりも、一夏の顔の横に刻まれた縦一文字の傷跡が否応なしに目に入り、それがどうしても楯無の視線を一夏から逸らせようとする。

一夏もまた、先ほどまで楯無が握っていた己の手首を無言で見つつ、時折その部分を左手で触れたりしながら何と言えば良いのか分からないと言う風に視線をあっちこっちに彷徨わせている。

 

 そのまま。二人はただ顔を逸らしながら無言で向き合う。一分、二分……

ただ時だけが過ぎていく。

 

「その……久しぶり、だね?」

 

 先に口を開いたのは楯無だった。僅かに顔を伏せたまま視線だけを一夏の目線の高さに向ける。その声に常の彼女が学園で見せるハキハキとした勢いは無く、どこかオズオズとしたものだった。

 

「あ、あぁ。うん、久しぶり」

 

 一夏も逸らしていた視線をどうにか楯無の方へと戻すが、それでも彼女の目を真正面から見ることは中々できないのか、視線の焦点は楯無の顔を中心に辺りをうろうろしている。

 

「驚いちゃったな……。ISを動かしたこともだけど、こんな所でまた会っちゃうなんて」

「ん、それはまぁ、俺も。あぁ、かなりビックリした」

 

 一夏も楯無も、話してみたら意外と気分が落ち着いたことに気付いた。再会のその瞬間に脳裏に浮かんだ話したいあれこれが堰を切って流れるように、自然と口を突いて言葉が出る。

 

「……なぁ、その、どっちで呼んだらいいかな? 俺はお前がもう『楯無』だって知ってる。けど、俺にはずっと神無のまんまなんだよなこれが」

「『楯無』のことって、やっぱり宗一郎さん?」

 

 かつて彼女が一夏に名乗った名前は、己が生まれた時に与えられた本当の名前である「神無」。楯無を継いだのが一夏と離れ離れになってからである以上、彼が『楯無』を知るはずがない。

だが、それを彼は知っている。考えられる要因は一つしかない。己の家の事情にもそれなりに通じている、彼の師に他ならない。

 

「あぁ。師匠から聞いた。その、お前の家がちょっと色々大変なトコで、後継ぎは名前を『楯無』にしなきゃならないって」

「そっか……」

 

 ある種の諦観を滲ませるような一夏の言葉に、楯無は少しだけ寂しそうな笑みを浮かべる。彼との過去の絆、その最たるであった神無の名が失われ、楯無となっているからであろうか。

楯無を継ぐことに異存は無く、名に伴う責務も全うする心づもりはある。だがそれでもである。

 

「けど――」

 

 その後の一夏の言葉に楯無は伏せていた視線を僅かに上げた。「けど」。その言葉に続く言葉は大抵、前の言葉に対して逆説的なものになるのが定石だからだ。

 

「まぁ、なんだ。その、俺にとっては? 神無のままだったし、できればそっちで呼んでいたいなと言うか何と言うか、まぁ~その~」

 

 気恥かしさゆえか、頬を掻きながらしどろもどろに一夏は己の希望を言う。

一夏とて承知はしている。凡そのことは師から聞き及び、既にかつての神無は楯無と名乗る必要があり、神無の名は容易く口外できるものではないと。

実際、そうすべき必要があるのであれば、一夏も『楯無』の名で呼ぶことに異論はない。それでも、心に深く残った『神無』の名を、できれば呼びたいのだ。

 

 無論、そんな一夏の考えなど、実際に口から出たしどろもどろの言葉では通じるわけが無い。だが、彼女にはそれで十分だった。

 

「……じゃあさ、二人の時は『神無』って呼んでよ。今みたいな時とかさ」

 

その申し出に一夏は僅かに目を見開く。そして、言われた言葉の意味を理解すると、ゆっくりと口元に笑みを浮かべた。

 

「なら、あぁ。そうするよ。――神無」

「ありがとね。一夏」

 

 そうして名前を呼び合って、堪え切れなくなったように二人は揃って笑いだす。だが、腹を抱えて大声ではない。クツクツと小さく、体を小刻みに震わせながらである。

 

「あ~ったく、これでやっと昔に戻った気分だ」

 

 緊張から解放されたかのように両腕を天に向けて大きく伸ばしながら言った一夏に、楯無――神無も軽く肩のあたりを揉みほぐしながら頷く。

 

「そうねぇ。それにしても、随分カチンコチンだったじゃない、一夏」

「言うなよ。そりゃお互い様だ」

 

 学園長室で再会した直後の、互いにぎこちなかった様をからかい合いながら二人は廊下の窓に歩み寄る。

学園のある人工島の中でも比較的海に近い位置にあるこの建物、その端にあたるこの廊下の窓からは、学園島に当り前のように隣接する海を望むことができる。

その窓の縁に寄りかかり海を眺めながら二人は思い出す。共に宗一郎の下で修業をしていたあの一時を。

 

「五年か。存外、あっという間だったなぁ」

「……そうね。うん、本当に」

 

 当時を思い出し、ふと右隣に立つ一夏を見た瞬間、神無の視界に一夏の顔の傷跡が飛び込んできた。それを見ると否応なしに彼女は気分が沈む。

 

「ねぇ、一夏。その、あの事故のことなんだけど……」

「終わったことだ」

 

 どこかオズオズといったように一夏の傷の原因となった事故、山中での熊との遭遇のことを切りだした神無の言葉を、一夏はやや固い声で切り捨てた。

 

「終わったからさ。いいんだよ。あの時は、もう何もない。ただ、俺がお前とした約束守ってザマァって良い気分になって、ついでに傷を貰って自分のダメさ加減を自覚させられた。お前が無事だし、俺も何もない。だからいいんだよ」

 

 転じて、まるで子供を諭すように穏やかな声で言う。既に終わったことであり、誰かが何かしらの引け目を感じる必要は無いのだと。だが、だからと言ってハイそうですかとあっさり割り切ることも神無にはできなかった。

五年。十代半ばの身にとっては人生の三分の一近くにもあたる年月を、心の中で一つの負い目としてあり続けた事柄。それは決して軽いものではないのだから。

 

「それにさ、もうあの時みたいな無様は晒さないよ。俺だって、この五年で強くなったんだから。特にこの一年半に特にな」

 

 ニヤリと口の端を吊り上げ、自信を込めて言う一夏に、神無はその根拠を察する。

IS適正発覚後、各国の諜報機関が一夏の身辺について調べて上げており、その中には家の住所や交友関係、他にも通っている学校や、そこでの成績などもある。

そうした調査は日本政府も当然ながら行っており、その報告を受け取っていた神無は、この一年半に一夏が通っていた中学に着目していた。

 

「……もしかしてとは思ったけど、宗一郎さんの所に?」

「あぁ。まぁ……ちょっと色々あってな」

「それってもしかしてドイツの――」

 

 その先の言葉を神無は言えなかった。無言で鋭い眼差しを向けた一夏の、その眼が「それ以上は言わないでくれ」と雄弁に語っていた。

それを見た神無は言葉を引っこめると、思い出したように気になっていたことを尋ねた。

 

「あ、でも、一夏が向こうにいる間の住所って、宗一郎さんの所とは別のはずだったけど」

「あぁそれな。町に一軒だけちとボロいけど安アパートがあってさ。住所だけそこにした」

「そ、そうなんだ……」

 

 あっさりと法律的に問題がありそうなことを言ってのける一夏に、自身も暗部という非合法上等な世界に身を置いていながら神無は苦笑いを浮かべずには居られなかった。

とはいえ、彼の師である宗一郎は実家が警察関係であり、自身も国立大の法学部を出たということもあり、多少はそうした抜け穴も知っているだろうから、さして不可能でもないだろうと判ずる。

 

「……なぁ、神無。俺は明日からここの生徒だ。てことはさ、一応毎日顔を合わせることもできるってことだよな」

「……うん。そうなるね。学年違うから、しょっちゅうってわけにはいかないけど」

 

 問いに肯定を返した神無に一夏はそうかと言って頷くと、ゆっくりと笑みを作っていく。面白い、期待できる。そんな先への楽しみを見出した笑みだ。

 

「あぁ、そいつは重畳だ。実に良い。五年、お前と初めて会ってからこれだけ経った。なぁ神無、この五年、俺は確かに飛躍したと言える。約束は、まぁこの傷の時に一区切りついた。けどな、まだもう一つだけ俺たちの間には残ってるものがある」

「残ってるもの……?」

「あぁ、そうさ。俺たちの始まり、最初の手合せさ」

 

 言われてみれば、確かにその通りだと神無は思った。最初に顔を合わせて簡単な名乗りこそしたものの、その後すぐに互いの実力を量るということで手合せをした。

結果だけみれば神無の勝利に終わり、それから二人が共に過ごした一か月の間で一夏が完全に勝利を収めることはなかった。だが、それで二人の手合せに決着が着いたかと問われれば一夏の言う通り――

 

「俺はな、神無。負けるっていうの嫌なんだよ。いや、自分が弱いという事実をそうさな……憎んですらいる」

「……っ」

 

 瞬間、神無は小さく息を呑んだ。己の弱さを憎悪している、そう言った瞬間の一夏の目を見たからだ。

言葉通り、瞳の奥に燃えるのは憎悪の炎だった。その怒りが向けられる先は分からない。彼に弱いと突きつけた事象か、あるいはそれを認めざるをえなかった彼自身に対してか。

いずれにせよ、そこにある意思の強さは生半可なものではなかった。

 

「一夏……?」

 

 小さく神無は声を掛ける。自分が知っている五年前の少年、純粋に武が好きで目を輝かせていた彼とあまりに違う姿に当惑し、不安を感じながらも、声をかけずにはいられなかった。

声を掛けられたことで一夏も自分の様子に気づいたのだろう。落ち着かせるように息を吐くと、一言簡素に詫びる。

 

「悪い、少し熱くなった」

「あ、ううん。それは、良いんだけど……」

「とにかくだ。五年前のは、まぁちょっとした前座みたいなもんだろ? だから、そろそろ白黒はっきりさせる頃合いだと思うんだ。俺の五年と神無の五年、それでな。ハハッ、どうにもこれが気がかりでね」

「私も……強くなってるよ? 『更識楯無』は、伊達じゃないもん」

「相手にとって不足なし。言えることはそれだけだよ。武人として、それにせっかくIS学園なんて所に来たんだ。ISでも、さ」

「それはまた、大きく出たわねぇ」

 

 思わず苦笑してしまった。一夏は今の自分のIS乗りとしての実力を知らないのだろう。いや、知っていたとしても同じことを言ったはずだ。そういうところは、昔とまるで変わっていない。

それを嬉しく思う。だが同時に、変わっていない場所を知ったからこそ、変わったことに思うところが出てくる。

 

「不思議ね。一夏、変わった所もあれば全然そうじゃない部分もある。なんだか、不思議な気分だわ」

「その言葉、そっくりそのまま返してやる。あぁくそ、まだなんか落ち着かん」

 

 困ったと言うように一夏は後頭部を掻く。その仕種を見て神無は小さく笑った。

 

「あぁ、けどな神無。確かに俺は変わったよ。いや、俺が変わることを望んで、そうしたって言うべきかな。そうだ、今の俺自身が、その証だ」

「見れば分かるわよ。随分と、鍛えこんでいるみたいね」

「まぁな。まぁIS云々は別としてだ。今なら、お前にも負けるつもりはないよ」

「あら、自信満々ね? 言っとくけど、私だって強くなってるのよ?」

「なら、試してみるか?」

 

 瞬間、風が吹いたのかと錯覚した。錯覚だ、そんなことは分かっている。ここは屋内、風など吹くはずもないし、着衣がはためいたりもしていない。だが、そんな錯覚を感じた。

理由は単純だ。そう感じるほどに強い圧力(プレッシャー)が、真正面から叩きつけられたからである。そしてその発生源は――

 

「一夏……?」

 

 目の前の少年だ。その表情は穏やかそのものだ。むしろ、微笑みすら浮かべているくらいだ。だが、そんな表情とは真逆の剣呑な気配を放っている。爆発寸前の火薬庫、何か些細な刺激一つで武という暴威が空間を荒れ狂い蹂躙する。そんな表現がピッタリだ。

息を呑む。更識家跡取りとして、そして若き現当主として鍛練は弛まなかった。むしろ、五年前を契機としてより研鑽を積み上げてきた。その結果は、実力が、胆力が示している。

その自分をして気圧され、動きを鈍らせるほどの強い圧力に驚かざるをえない。殺意のような鋭さがあるわけではない。だが、その方が問題だ。単なる闘志とも言い換えられるそれの質量だけでこの状況なのだから。

 

「ま、今は違うか。TPOが全然なっちゃいない」

 

 そんな言葉と共に圧力は初めから無かったかのように雲散霧消する。

 

「まぁ、機会はまたいずれってな。ただ、知っておいて欲しかっただけだよ、神無。今の俺の、力を」

「……その、上手く言えないんだけどね? うん、すごく強くなってるのは分かった。きっと、それは悪いことじゃない。その、今の一夏は色々大変だし」

「いやまったく。我ながら、鍛えておいてよかったと思うわ」

「けど、あまり無理しないでよ? ぶっちゃけ私が居るのだって――」

 

 言いかけて、これは言う必要が無いと口を閉ざすが、一夏は僅かに目を細めて神無を見据えている。

 

「まぁ良いさ。俺は、俺にできることをやっているだけだ」

「うん、けどさ、本当に気を付けてね。また、あの時みたいになったらはっきり言って私、嫌だもん。一夏に何かあれば、心配する人だっているんだから」

「ま、それは承知しているさ」

 

 本当に承諾したのか分からない調子で一夏は答えるが、そのことに神無は何か言ったりはしない。ただ、それでも一夏に、自分の力で守らなければならない存在に何かあるのは嫌なのだ。でなくば、何のために自分が鍛えてきたのか分からなくなってしまう。

のんきに口笛を吹いている一夏の横顔を見て神無は拳をきつく握った。彼がどう言おうと、五年前のあの時に感じた無力感は本物だった。こうして見つめる横顔に刻まれた傷跡が、当時の思いをそのまま、さらに歳月という要因によって濃縮させて感じさせる。

彼だけではない。今、『更識楯無』という人間の双肩には多くのものが載っている。それを守り抜くのが彼女の責務であり、何より彼女自身が望むことだ。そのために、我武者羅に自分を高めてきたのだ。

そして、今傍らに立つ少年こそが、その積み重ねの真価を試す存在だ。二度と、あんな思いはしたくない。するような状況にさせない。静かに、神無は心の内で誓いを立てる。

 

 

 

 

 学園長室に戻った二人は、急に部屋を抜けたことについて謝り、そのまま会談はお開きとなった。

寮へと戻って行く神無の姿。それを表情には出さずとも気にし続けていた一夏の姿に影島は気付いていたが、彼は敢えて何も言わずに一夏の補佐に徹し続けた。

そして車で自宅へと送り届けられた一夏は、一日の補佐をしてくれた影島に礼を言うと、翌日からの学園生活の準備をするために家へと戻って行った。

 

 

 

 

 

「ふぅ」

 

 学園長室を辞して寮に戻った神無――既にIS学園生徒会長、ロシア国家代表IS操縦者である更識家十七代目『楯無』に己を戻した彼女は、自室に入るとそのままベッドに身を投げ出す。

原則としてIS学園の寮は一部屋を二人の生徒で使用するが、彼女に関しては立場の特殊性や生徒会長として有する権限の一部の行使によって一人での使用を認められている。

 一人部屋であることが便利に感じることは多々あるが、それでもこうしたやや沈みがちな気分の時は本来二人用の広さを持つ空間に一人でいるということに孤独感を僅かながら感じる。

選んだ道の結果とはいえ、これで自分がただの一生徒であったのであれば、同室の者にこんなことがあったと悩みを打ち明けられたのだろうと思い、小さく自嘲の笑みを浮かべる。

 

「……」

 

 ベッドに横になったと同時に投げ出すように傍らに置いたバッグから携帯電話を取り出す。アドレス帳を開き、登録された中から目当ての名前を見つめる。

 

『虚ちゃん☆』

 

 学園では生徒会の会計として、そしてそれ以外では自分の専属従者として公私に渡って仕えてくれる、彼女が心から信頼を置ける親友の一人だ。

一夏のことを知った時の実家での会話の時のように、電話越しでも良いから相談をしたくなる。いつも自分を助けてくれた幼馴染の声を聴きたくなる。

だが、こらえるように固く目をつぶると、楯無は虚に向けてのコールもメールもせずにアドレス帳を閉じ、そのまま携帯を手放す。

 それで良いと、楯無は思う。仮にさっき、あそこで自分が電話をかけていたら虚はすぐにでも電話に出てくれただろう。そして、彼女の声に安堵した自分は心の内に積もりつつある不安を吐露していただろう。

きっと心優しい幼馴染は、いつものように自分が求めているそのままの優しい声で、欲しい言葉を掛けてくれるのかもしれない。それは、今の自分にとって何よりも癒しになるに違いない。

だが、それはできない。確かに実家に居た時には少しばかり不安を漏らしもしたが、だからと言って今ここで同じことをして良いという理由にはならない。

 元々これは自身と彼の間のことだ。そして、今この場に彼が居ない以上は、自分一人に事は収束する。ならば、今こうして胸の内にある不安も自分自身で解決しなければならない問題であり、安易に誰かの手を借りるということはできない。

何より、そうするために自分は研鑽を積んできて、今ここに更識楯無としているのだ。

 

 五年前というのはとにかく自分にとっては一つの大きな節目だったと言える。

それまで漠然としか感じていなかった更識の次代を継ぐということを強く意識するようになり、そして自分がすべきことに強く執着するようにもなった。

目の前で自分を庇って倒れた一人の少年の姿がどれだけ時間が経とうと消えることなく、脳に焼きついたかのように鮮明に記憶されている。

そして、『更識』としての務めを果たす中で時に関わることになる荒事の中で自分を庇って凶弾に倒れる者を見る度に、その時の映像が強く思い返される。

 

「イヤ……」

 

 喉の奥から漏れた声は掠れるような音だった。まるで、嗚咽を堪える幼子のように、声に力は無く弱々しい。

もう誰かが自分を庇って倒れる姿など見たくない。そんな光景を見たくないから、自分を鍛え続けて、凡そ個人としては世界最高峰の戦力である国家代表クラスのIS乗りになって、自分を庇う誰かが自分の前に立たない程になったというのに、刻まれた記憶が心を締め付けてくる。

分かっている。いつも思い返すソレは既に過去のことだ。だが、結果の示された過去の出来事である以上はもはやどうしようもない。ならば、今自分を苦しめているこれは、過去の非力な自分への戒めであると考えるべきだろう。

 では、『今の』自分はどうすべきか? 決まっている。二度と、そんなことにならないようにすれば良い。自分は更識家の現当主で、IS学園の生徒会長で、ロシアの国家代表IS操縦者なのだから、そうできるようにここまで来て、そしてそうしなければならない。

 

「今度は……今度こそ……私は、強くなったんだから……」

 

 瞼が重くなる。思いのほか気を張っていたのか、疲れが出てきたらしい。

食堂での夕食の時間まではまだ時間がある。少々だらしない格好だが、この際は目をつぶるとしよう。今は少し休む。そして目を覚ましたら、更識楯無として改めて動く。

そうあれと望まれ、何よりも自分自身で臨んだ自分に。

 

「おやすみ……」

 

 小さく呟いたその言葉は誰に向けたのか、楯無自身でも理解していなかった。だが、意識が眠りに落ちる直前、脳裏をよぎったのは再開を果たした一人の少年の姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜、既に日も落ちて月が上った中、一夏は明かりをつけずに自室に居た。

既に翌日のための準備は揃っている。家の事もある程度整理はしたため、また当面は空けても問題は無い。部屋の学習机の前の椅子に座る一夏の手には、自身の携帯電話が握られている。

つい先ほどまで、旧友の五反田弾と会話をしていた所だ。そして携帯の通話を切った一夏は部屋の明かりをつけないまま、静かに椅子に腰かけ続ける。一人で暗い部屋にいると、中々どうして気分が落ち着く。静かに考え事をしたい時は、よくこうしている。

 

「運命、か……」

 

 友人との会話を思い出した一夏は、その中で弾が言っていた言葉を思い出す。

女子校に入学することになった友人の立場を、彼はただ純粋に羨んでいた。詰まる所、思春期男子特有の異性への憧れのようなものである。

「俺も運命の出会いが欲しい」 切実に語っていた友人の言葉に、聞いた時は笑いを上げたが、こうしてある程度落ち着いて考えてみれば、自身がまさにその状況にあると自覚させられる。

他でもない、神無との再会。芝居がかった言い方のようになるが、あるいはこれこそまさに運命と言うのではないかと一夏は思う。

 

「……悪くない。悪くないぞ、この状況」

 

 考え、自然と一夏は笑いを浮かべていた。

どれだけこの時を待ち望んだか。強くなることは望みだ。それを以って相手を打倒することは確かに爽快だ。だが、これはそれ以上。

もう叶うことは無いだろうと思っていた望みが、叶いかけている。それを考えれば、笑みを浮かべずにはいられない。

 

「そっか。師匠が言ってたのはこういうことか」

 

 影島が最初に訪れた日。最後の師の言葉を思い出す。

 

「望みが叶うかもしれない」

 

 おそらく師はこうなることを知っていた。だからこそあのように言ったのだろう。知っていながら伝えなかった意地の悪さ、だが悪くない。今はそれすら愉快に感じる。

 

「IS学園、思ったより良い所みたいだ」

 

 考えれば考えるほどにそう思えてくる。ISという、新たな力の道も手に入れた。今までに鍛えてきた武技も存分に奮える。

会いたかった少女との再会も果たせた。そして、かつてつけられなかった決着を付ける機会を数多手に入れることができたのだ。あまりにも出来過ぎで怖くなるくらいに、一夏にとっては諸手を挙げて歓迎できることだらけだった。

 

「ならまずは、手始めにがむしゃらに強くなることから始めようか」

 

 今まで同様に武を磨き続ける。そして、新たに手に入れるだろう『IS』の力も磨かねばなるまい。

ISが持つ力はそれこそ可能性というものの幅が大きい。極めれば、文字通り一騎当千、あるいは当万の実力を手に入れられる。この時世にあって、ただ一人で戦局を左右する歴史や神話に名を連ねる英傑達のごとき強さを得られるかもしれないのだ。

 まぁもっとも、そんなことだから世の中はやたらとISをありがたがって、いささか以上に癪に障る体制になったのだろうが、今しばらくは我慢だろう。

確かにISの能力の凄さは疑いようの余地がない。だが、ISだけでは意味がないのだ。その真価を発揮するには乗り手がいなければならず、そしてその乗り手の腕前もまた大きなファクターだ。

今はまだ、自分など道を一歩踏み始めた素人でしかないだろう。別にそれは良い。誰だって最初はそういうものだ。だが、そのまま進むにしてもノロノロとした亀の歩みは一夏自身が望むものではない。

頂点へと至る道を、疾走して駆け抜けよう。そして世界に知らしめるのだ。己こそが最強と。ISを使おうが、有象無象は所詮有象無象。真の武人には及ばないのだと。

 

「だから見ていろよ、神無……」

 

 そして、彼女にも示そう。今の己を、未来の己を。なによりそれこそが、本当の意味で己と彼女の間にある歪みの解決なのだ。

五年前、一人の少女が自分に縋りながら流した涙は今でも鮮明に覚えている。なんて顔をしているんだと思ったものだ。自分に散々勝ったくせにそこでそんな顔をするなんて、まるで負けた自分が間抜けみたいじゃないかと。庇ったことによる、ほんの少しの意趣返しだって意味がなくなるように思った。

ただ、思い返せばやはり問題は自分にあったのだろう。理由はそこまで複雑に考えるまでもない。単に、自分が未熟に過ぎただけだ。だから、自分が真実最強の座を得れば、完全に過去との決着を着ければ、それで万事解決になるだろう。

 

「フ、フフッ……フハッ、アッハハハハハ……」

 

 どうしてそうなったのかは分からないが、腹の底から笑いがこみ上げてくる。もしかしたら、今の状況が無意識のうちで心底面白くかんじているのかもしれない。そうして、暗い室内に少年の低い笑い声が木霊し続ける。

 

 

 

 

 

 誰もが各々の時間を過ごしながら、時というものは否応なしに過ぎていく。そして日付が変わり日は昇る。春の陽光に彩られる下、人々は活動を開始していく。そうして、IS学園新年度一日目の幕が開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 今回もおつきあい頂きましてありがとうございます。
さて、基本的にこの楯無ルートはにじファン時代のものに少し加筆修正を加えての掲載という形をとっていますが、一つ自分で心がけるようにしていることを申しますと、一夏と楯無の新庄描写ですね。このあたりを頑張りたいなと思っています。
 今回の話ですと、最後の部分がそれに該当するつもりです。
軽く説明しますと、楯無はかつての事故について自分自身の非力を酷く痛感しており、二度とあのような思いはしたくないと自分を高めようとして、自分のために誰かが危険に晒されるのを嫌がっている感じです。特に一夏が。
 一夏は一夏で、事故については単に自分が未熟だったからそうなったと思っており、未熟な自分を嫌悪しているために強くなることを望むと。ついでに、過去で楯無に負けたままの勝負を自分の勝利という形で決着をつけたいと思っています。

 まぁぶっちゃけ、本人たちは意識してないし、形も少々変わっていますが、互いが互いに対してご執心という感じをイメージしてます。これをうまくラヴい方向に持って……行きたいなぁ。というか行かせなきゃ嘘だろうって。

 つーかアレっすよ。この楯無ルートでの一夏のワンオフ考えたら、なんか剣バージョンのマッキーパンチが思い浮かんだ。ハハッ、ワロエナイ。

 とりあえず次回は本編の方の更新を考えています。
本編の方は二巻をなるだけ簡潔に終わらせたいなぁ。でも、こっちは割と原作のままの部分多いし、二巻はやっぱりめんどくさいんだろうなぁ。
 もうシャル関係とか普通に女の子のままでいいよね? この上あんな問題まで、手に余る……


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第七話

 先日の四月一日ネタにかなり燃え上がった反動か、いまいち書く気力が湧かなかったのですが、いざやり始めると意外にスムーズに進みますね。やっぱり元からあるものにちょっと手を加えるだけだからでしょうか。
 今回も意外とにじファン時代からの変更があります。もしにじファン時代のをツールなどでテキスト保存している方がいたら、見比べてみるのも面白いかもしれません。


「決闘ですわ!!」

 

 激した感情を露わにしながら自身に指を突きつけて宣言する少女に、一夏は内心でため息を吐く。何かと面倒もありそうだとは覚悟していた。だが、これはあまりにも早すぎて、ついでに面倒ではないだろうか? そう思ったからこそ、一夏は声には出さずに胸の内で呟いた。どうしてこうなった、と。

 

 

 

 

 

 日本という国の特徴の一つは、他の国々に比べて四季毎の気候がはっきりと分かれていることだろう。

時は四月初頭。日本では春の季節にあたるこの時期、日本の春を象徴する木である桜が全国各地で満開を迎え、大勢の人間の新たな一年度の始まりを彩るように街路樹として桜が植えられた道をその色に染め上げる中、その華やかさに反して織斑一夏の心は暗雲が立ちこめているとも形容できるものだった。

 

(覚悟はしていた、つもりではあったけど、これは中々どうして……)

 

 IS学園一年一組、計三十の机が横に六つ、縦に五つの列として並ぶ教室の最前列中央に一夏の姿はあった。つまりは、教卓のほぼ真正面であり最も視線を集めやすいエリアである。

もはや数える必要も無い、自身を除いた二十九の生徒の視線が一斉に集中しているのをはっきりと感じ取っていた。そこに込められる感情は様々だ。好奇もあれば棘を含んだものをある。そして、ある種の怯えだろうか。街中で見るからに厳つい強面を見た場合、特にそうした手合いに弱い者は「やべっ、あの人ちょっとおっかねぇ」などと感じたりするが、そんな感じのアレである。

前二つはともかく、最後についてはまず間違いなく傷跡が原因だと分かる。それもそうだろう。クラスでただ一人の男子生徒がどんなやつかと思って見てみれば、仏頂面を浮かべた上、顔に大きな傷跡をはしらせている人物なのだ。とは言え、今更なことなのでもはや何も言う気が起きない。悲しいかな、もう慣れっこなのだ。特に中学三年間でクラスの人間が入れ替わる春ごろなど。

ものすごい余談ではあるが、この経験は少なからず一夏の考え方にも影響を及ぼしている。すなわち、外面だけでなくその内面もよく観察し判断しようというものだ。一々外面で判断されたら、自分のような後天的な場合はまだしも、生まれつきなどの先天的な要因で強面などになってしまった者が大変ではないか。例え人柄が温厚であっても、微妙な遺伝で髪の毛が半端な金髪でヤンキーの染めみたく見えたり、もはや極道者にしか見えない三白眼の持ち主だったりする場合などだ。例えに特に深い意味はない。ないったらない。

 

 目の前ではこのクラスの副担任、山田真耶と名乗った女性教師の進行によってこのクラスに籍を置くこととなった生徒たちが自己紹介をしている。

 

「あ、あの、じゃあ、次は織斑一夏……くん、お、お願いしますね?」

 

 このような場での自己紹介の多分に漏れずと言うべきか、名乗りはあいうえお順で行われる。

全員が全員、あいうえおの並びに対応した日本人と言うわけではなく、中には海外からの生徒もいるが、そうした生徒達も発音の頭を五十音順に当てはめての自己紹介を行う。そして今、自己紹介が行われているのは『お』。つまりは、一夏が属する文字であり、一夏の直前の生徒の自己紹介が終わったために一夏の名を真耶が呼ぶ。だが、その声はあからさまに引き気味である。

 

(まぁ、しょうがないよなぁ。あんなことがあれば)

 

 椅子を後ろに下げ、立ち上がりながら考える。山田真耶、名前を知ったのはこの場であるが、一夏は一度彼女と会ったことがある。

IS適正発覚後に行われた、他の入学者達も受けたという実戦形式のIS稼働テスト。実際には受験時点での受験した生徒のIS適正を調べたり、入学後の実習における指導の目安となるデータ入手のためのものであり、勝敗の是非はさほど問われない試験である。

他の受験者同様、日をずらして市のISアリーナで行われたその試験において一夏の相手を務めたのが彼女だったわけだが、端的に言ってその時に一夏は少々やらかしていたのだ。

 

 とはいえ今更考えた所で後の祭り。後でお詫びの言葉でも適当に言おうと思って、一夏は自己紹介に語るべきを考える。

 

「織斑一夏です。特技は運動全般と各種家事。趣味は……体を鍛えることか。とりあえず、聞きたいことがあれば後で個人的に聞きにきて欲しい。

あぁそれと、いくつか今の内に言っとくなら、そうだな。まず、名字で何となく分かるかも知れないけど、かのブリュンヒルデこと織斑千冬は俺の姉だ」

 

 その言葉に教室中にわずかなざわめきが走る。とは言えこれもある意味予想の内だ。

元より、織斑の姓から自身が千冬の血縁であることは散々に報道されている。しつこく群がってきたマスコミの中にはそのこととの関係性を尋ねる者も居たが、少なくとも一夏にとって千冬は血のつながった姉であり、互いに面倒を見て見られている家族。それ以外の何者でもない。

だが、やはりここに集った少女たちは違うのだろう。憧れ、想像に難くない多大な努力を以って狭き門であるIS学園入試を潜り抜け、未来のIS操縦者にならんとする者達。そんな彼女達からしれみれば、織斑千冬とは憧れの頂点。その敬慕の度合いたるや、恐らくは一夏の想像を超えているかもしれない。

そんな存在に近い人間がすぐ目の前に居る。そのことに対し、やはり少なからず思うところあるのだろう。

 

「それともう一つ」

 

 それはそれとして置く。話すことはまだあるのだから。そしてこれは、少なくとも一夏個人にとっては中々に重要な話だ。左人差し指で顔の左横、縦に走る傷跡を軽く叩きながら言う。

 

「マスコミなんかが俺の顔写真勝手にのっけやがった時に色々言われたけど、傷跡(コイツ)は昔の事故の後。人相が悪く見えるのは百も承知してるけど、できればあまり気にしないでくれるとありがたいかな」

 

 傷を負った11の頃より幾度となく使って来た説明を言う。このような自己紹介の場だけではない。個人として誰かと知り合ったりした時にも使って来たため、もはや考えるまでもなくスラスラと言葉が紡がれる。

言って、さて反応はどうだろうかと軽く探ってみる。別段、視線を動かすというわけではないし、必要も無い。見方が変わったかどうかなど、向けられる視線そのものが雄弁に伝えてくるものだ。

 結果としては、まぁまぁ悪くはないものだった。少なくとも幾分かは納得したというようなものに変わっている。だが、やはり及び腰気味なままのものも少なくはない。

学園入学を知った夜の姉の言葉を思い出す。なるほど、確かに女子校などの同性ばかりの環境で育った者が多いというならば、この反応も無理はないのかもしれない。

そこまで頓着するつもりも無いが、本気で気にさせないようにするまでには今まで以上に時間がかかるかもしれない。

 

 言いたいことを言い終えて席に座った直後、新たな入室者が現れる。

 

「すまない、会議があったのでな。山田先生、任せてしまい申し訳ない」

 

 自己を完全に律しているかのように張りのある若い女性の声。それを聞いた瞬間に、一夏はある種の納得をしていた。やはりかと。

やってきた女性はそのまま教卓の前に立つと、己の名を告げる。

 

「諸君、私が織斑千冬だ。この一年、諸君の担任を務めることとなった」

 

 女性、一夏の実姉である千冬の名乗りに教室中から黄色い歓声が爆発する。だが、それを単なる騒音としか思えない一夏には堪ったものではなく、眉根を寄せながら耳を塞ぐ。

一通りの歓声が止んだ後、おそらく今回のようなことは初めてではないのだろう。またかと呆れるようにこめかみを押さえるが、すぐに表情を元に戻して新入生への訓戒を述べる。

ISの知識、ならびに実践的技術を早期に身につけて貰うという厳しい言葉にも、周囲の生徒達は依然歓声を上げるのみ。その中でただ一人、一夏は腕を組んだまま半眼で眼前の姉を見ていた。

 

「まさかとは思ったけど、本当に教師なんてやってたのかよ、千冬姉」

「そのまさかだ。それと、ここでは『織斑先生』だ。家族言えどもけじめはつけねばならない。いいな」

「委細承知」

 

 直接会えることなど滅多にない二人だが、だからと言って会うたびに一々大仰な反応はしない。

淡々と、つい先ほどまで話していたかのような平坦さでの会話こそがこの姉弟のコミュニケーションであった。

 

「では残る者、自己紹介を続けろ。その後、直ちに授業に移る」

 

 千冬の言葉に従い一夏の後の生徒がそれぞれ名乗って行き、そしてIS学園での最初の授業が幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかし、六年か。いや、思ったよりも過ごしてみるとあっという間だよな」

「そ、そうだな」

 

 一限目の授業が終わり、二限目までのインターバルとなる休み時間。一夏はクラスメイトの一人を伴って屋上へとやってきていた。

屋上の柵にもたれ掛かるように背を預け天を仰ぐ一夏の悠然とした姿とは対照的に、柵を強く握りしめやや俯き加減で緊張を露わにする女生徒。同年代と見比べても一際長い黒髪と、その発育の良さを主張するスタイルの持ち主。彼女の名は篠ノ之箒。

かのIS開発者、篠ノ之束の実妹にして、かつては一夏と千冬が通っていた彼女の父が師範を務める剣道場で共に稽古に励んだいわば幼馴染である。

 

 一限目の授業、幸いにして事前に参考書相手に思考の大立ち回りを繰り広げたのが功を奏したのか、多少難解には感じるもののまるでついていけないと言うことも無かったIS理論の授業が終わった直後だった。一夏はすぐにでも彼女(・・)に会いに行こうかと思っていたが、それより早く一夏の傍にやってきたのがこの箒だった。

箒の存在自体は一夏も当に気付いていた。ただ、自分から声を掛けにいこうとしなかったのは、箒の方が自分にあまり視線を向けようとしなかったことから不用意に声を掛けるべきではないだろうと判断したことと、本来の目的の一夏の中での比重が大きかったことがある。

とはいえ、わざわざ向こうから声を掛けてきた以上は無碍にもできず、休み時間の長さも考えれば彼女を探しきれるとも分からないし、探し当てたとして話す時間もあまりない。なら、ここは箒の方を片付けても問題ない。それゆえ、一夏は箒の後について彼女と共に屋上へとやってきていた。

 

(それにしても、どいつもこいつも遠目に見る以外に能はないのか)

 

 視線は空に向けたまま、一夏は意識を屋上の入り口へと向ける。休み時間の時点でもそうだったが、教室に居る時は遠巻きに、あるいは教室の外から。そしてこの屋上に居る今では屋上の入り口から、自身を観察するような多数の視線を感じ取っていた。理由は至極シンプル。世界初の男性IS操縦者、ついでに何の因果か織斑千冬の弟という肩書も漏れなくついてきた自分を、さながら動物園の珍獣よろしく見物するためだろう。

さらについでで補足をすれば、自分に声を掛けようとする者も居れば、どうしようか迷う者、牽制しあったりする者など、ギャラリーは多様そのものであったと言える。そんな中で箒は一夏に声を掛けてきた。当然、彼女もまた注目を浴びることとなったのだが、それでも引かない辺りは中々に胆力があると思った。

 

「そういや、風の噂で聞いたよ。剣道、全中優勝だって?」

「え!?あ、いや、そ、そうだ……。よく……知っているな」

 

 何気なしに一夏が呟いた言葉に、箒は驚いたように反応するが、すぐに声を小さくするとおずおずと言った様子で尋ねる。

何故知っているかと問われ、一夏は風の噂だと返す。どこか心ここにあらずのように聞こえる一夏の言葉ではあるが、それに箒が気付く様子は無い。

 

「しっかし、髪型。六年経ってもまるで変えないのな。あんまりにも変わってないから少し驚いたくらいだ」

「それは、特に変える理由も無かったからだ。だが、お前は随分と変わったな。何というべきか、昔とはだいぶ雰囲気が違う」

 

 箒自身、六年という年月がある以上は学園での再会が叶った幼馴染も変わっているだろうと心構えてはいた。だが、やはりこうして実際に目の前にしてみると思うところは大きい。

 篠ノ之箒が知る嘗ての織斑一夏は、もっと子供っぽさがあった。言うなれば喜怒哀楽などの感情表現が表に出やすい、まさに腕白小僧そのものだった。

だが、今目の前で彼女が話している一夏は違う。柵にもたれ掛かり空を見上げる姿は悠然にして泰然自若。あれだけの喧騒と衆目に包まれながらも微塵も動じた様子を見せずに落ち着き払った姿勢で振る舞う姿は、昔に比べ遥かに大人びている。単に年かさを経て落ち着きが出たともいえるが、やはり違いがあるというのは大きい。

 

『男子三日会わざれば刮目して見よ』ということわざ。

 女尊男卑へと時勢が移り、何かしらに置いて男が主題に据えられることも少なくなった今では殆ど使われず、実際問題当てはまるような気骨の男も減少したがゆえに、半ば化石になったような言葉があるが、まさにその通りか。三日どころではなく六年。刮目するまでもなく、変わったのは一目で分かる。

 

「六年だ。嫌でも変わるよ」

 

 そして一夏はそれだけ。簡素な言葉で箒への答えとする。

話したいのは山々。だが、次の授業への時間が圧している。そう言って一夏は教室へ戻ろうとする。

ついでにやや声を大にして聞き耳探りを立てていた入り口のギャラリーにも退散を促す。そこで初めてバレていたことに気付いた面々は蜘蛛の子を散らすように退散していく。

大人数が一斉に去っていく気配の鳴動。それにすら眉を動かさずにさっさと教室へ戻ろうとする。その背を慌てて箒は追った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから程なくして話は冒頭へと戻るのであるが、その直前に一夏にはまた別の邂逅があった。

セシリア・オルコット。イギリスからの留学生であり、イギリス第三世代型IS『ブルー・ティアーズ』の専属搭乗者。そして、入試主席。

授業が始まる数分前、席に着いた一夏に声を掛けたのが彼女であった。声を掛けたとはいえ、そこに友好的な雰囲気は皆無であり、ここ数年で目立つようになった男性をあからさまに蔑視する女尊男卑思考そのものの高圧的態度であったと言える。

 

 一夏としてはそのような手合いは基本的に相手にしないことにしている。大抵においてそうした人物は殊更に性差を主張するのみであり、一夏からしてみれば失笑モノの虚勢でしかなく、滑稽にすら思えるからである。あぁ、そういう愚かな手合いを一捻りの下に潰せたらさぞや爽快だろうが、そんな程度の低い真似はしない。『織斑一夏』個人は人の暴性というものに肯定的だが、『武人・織斑一夏』は心持で以って管理された『武』こそを重んじている。

そして一夏がどちらの自分を選ぶかと問われれば、即答で後者だ。でなくば、とっくの昔に一夏の手で病院送りにされた人間など二桁を軽く行っているだろう。

 やや話が逸れたが、セシリアの場合は少々事情が異なる。イギリスの代表候補生であり、以前影島が一夏に語った『新型のテスターとして』であるのだろうが、新型機を専用機持ちとして所持。少なくとも、他者に誇るだけの実績も持っている。そのあたりで性質が悪いと思った。

故に一夏としては上手い具合にいなそうと思い、当たり障りのない対応を心掛けて会話をしたのだが、どういうわけかそれが彼女の気を逆なでしていたらしく、ますます険を強めるだけであった。

 

 そして決定的だったのは入試の実技試験で自分だけが教官を倒したと言ったセシリアに対し、つい「自分も倒した」と口走ったことだろう。そのことにいよいよ以って激昂しそうになったセシリアであったが、予鈴が鳴ったことにより捨て台詞のような言葉を残し自身の席へ戻る。その様を見て一夏が思ったのは『後悔先に立たず』という諺だ。もう少し寡黙に振舞うべきかと思わされてしまった。

そして再び千冬と真耶が教室に現れ授業が始まるのであったが、ここで冒頭に繋がる出来事が端を発したのであった。

 

「次の授業を始める前に、まずはこのクラスのクラス代表の選出を行う」

 

 そう切り出した千冬は続ける。クラス代表、言ってしまえば一般の学校における学級委員のようなものであり、基本的にクラスに関わる業務を行う。

だが、このIS学園においてクラス代表とはまた別の意味を持つ。それは、学校行事の一環として行われる『クラス対抗戦ISトーナメント』への参加。

各クラスにおける習熟度の目安として、実際にISを使用しての実戦形式の試合に挑むこともまた、代表の仕事の一つである。

 

「中には既に国でISの訓練を受けた者も居るだろう。だが、諸君たち新入生の大半は同じスタートに立つ素人に変わりは無い。

競い合いは互いを高めることに繋がる。あまりプレッシャーを掛けるつもりはないが、引き受ける者は相応の心構えが必要となる。

選出については自推他推は問わない。我こそはと思う者は名乗りを挙げろ。他推で名を挙げられた者は、自分が周囲に代表たると認めれて名を挙げられたことを肝に銘じろ。辞退は認められないからな」

 

 その言葉を一夏は黙って耳に入れているだけだった。

クラス代表、本音を言ってしまえばやりたくない。確かにISを用いて試合を行う機会が多そうなことは興味がある。しかしながら、他の雑事に時間を取られるのは御免被りたくもあった。

そんなことをしている時間があれば、自身の鍛錬に時間を充てたほうがよほど建設的というもの。そういうことは、責任感の強い他の誰かにでもやらせておけばいい。それまでだんまりを決め込んでいよう。そう思っていた。

他力本願というのは少々微妙な気分になるが、この場合は仕方ないだろう。少なくとも一夏の友人である御手洗数馬、銀色の飾りなどを好むことやあまり目立って動こうとしない性格から銀色ニートなどと呼ばれる彼のように「他力本願は自分の十八番」と言ったり、挙句には口八丁で人を丸め込み自分に都合よく動かして結果その者に不利益が及ぼうが涼しい顔をしている超弩級の変わり者の彼に比べれば遥かに良心的というものだ。

 

 だが、ことはそう安々とは運ばれないのが世の常というものである。

 

「はい! 私は織斑君を推薦します!」

 

 意気揚々、まさにそう表現するのが当てはまる声で誰かが言った。瞬間、一夏は小さく舌打ちをしたのだが、それは行った一夏本人以外の誰の耳にも届くことは無かった。そしてその言葉が皮切りになったように、教室のあちこちから一夏をクラス代表にすることに賛同する声が上がる。声を上げて積極的にというわけではないが、連続して上がる一夏をクラス代表に推す声に段々と教室全体が一夏を代表にするという空気で纏まり掛けている。

 余計なことをしてくれた。一夏が思ったのはそれだけである。できれば勘弁したい。だが、辞退は不可能ということは先ほど千冬が宣言してしまった。では如何にしてこの状況を打破する。教壇に立つ千冬、その傍らに控える真耶も一夏が代表ということを承諾するような雰囲気になっている。時間は無い。

 

 状況を変えるために思考を巡らせようとする。その矢先だった。

 

「待って下さい!! そのような選出、認められませんわ!!」

 

 甲高く張り上げられた声と共に椅子の足が床を勢いよくこする音が響く。

教室の後方、納得できないと言った険を露わにした表情でセシリア・オルコットが立ち上がっていた。怒り故の興奮か、立ち上がりすぐにセシリアは口を開き舌鋒を飛ばす。

 

 彼女が語るに曰く、男がクラス代表など認められない、恥晒しも良い所、自分に一年も屈辱を味わえと言うのかetc...

徹頭徹尾、一夏がクラス代表となることへの強烈な否定、そして自身こそが代表に相応しいと入試主席、英国代表候補生の専用機持ちなどを根拠として述べる。一人で完全にヒートアップしているセシリアの様子に、誰も何も言わずに彼女を見ている。

 

「大体、このような文化も後進的な極東の島国に来ること自体、わたくしにはありえないことなのですわ!」

 

 じゃあ来なきゃいいじゃんと思った一夏だが、口には出さない。出した所で火に油をぶちまけるような結果にしかならないことは想像に難くない。何よりさっきのやり取りで余計なことは言わないで良いと学んだのだ。それなりに空気は読めるはずだと思っている。

 

「そして、そのような島国生まれの猿が代表など、おこがましいにも程がありますわ!! わたくしはサーカスを見るために来たのではありません!! クラス代表に相応しいのはこのセシリア・オルコット以外に他ありませんわ!!!」

 

 ビシリと、そんな効果音が聞こえてきそうなほどに勢いよく一夏に指を突きつけながら宣言する。

それを一夏は無言で見ていた。だが、その表情には僅かな変化があった。目が軽く見開かれており、意外なものを見たというような軽い驚きの籠った顔がそこにあった。

 

「何か言ったらどうかしら? それとも何も言えなくて? えぇそうでしょうとも、所詮男などそんなもの。女性に何か言えるわけがありませんわ」

 

 一夏の無言を自身に恐れをなしたことと見たか、そう感じた余裕からかある程度落ち着いた声にたっぷりの余裕を乗せて言うセシリア。

そして当の一夏はと言えば、やや心配そうな数人のクラスメイトの視線を受けながらも静かに立ち上がると言った。

 

「いやまぁ、なんていうか驚いたよ。豪気なもんだな、お前も」

 

 豪気、なにゆえそう言ったのか。聞いたクラスメイトはその意図を図りかねていた。それはセシリアも同様であったらしく、僅かに眉を寄せて怪訝そうな顔をしている。

 

「まぁ別にさ、俺をどうこう言おうがそれは別にいいんだよ。あんまり誇れることじゃあないけど、似たようなことは言われ慣れてる。いや、不本意と言えばそうだがね?」

 

 あまりに優秀すぎる実姉。友人や隣ご近所などの比較的親しくしている人物はともかく、一夏を、千冬を、織斑姉弟をよく知らない人間にたびたび言われた千冬と自分を比較する言葉などよく言われている。何せ織斑一夏は武術家として年齢を鑑みれば破格の実力を持っている以外は凡庸というのが自己評価だ。それに、姉のような輝かしい経歴を打ち立てたこともない。

自分とも姉ともまるで関わりのない人間、特に千冬の経歴をバカの一つ覚えよろしく盲目的に賛美するような女性に「あれがブリュンヒルデの弟か」などと勝手に評され勝手に失望されたことなど、一回や二回じゃ済まない。何度、闇討ちして人前に出れない傷を顔に作ってやろうかあのクソ雌豚(ビッチ)めと憤りの感情を抱いたこともまた然り。

まぁとにかく、自分自身に対する誹謗など今更珍しくもなんともない一夏にとって、セシリアの自分への侮蔑などさしたる問題ではないのだ。では何が一夏に豪気と言わせたのか? それはセシリアのセリフの、また別のことについてである。

 

「なぁオルコット。お前の言う極東の猿の話に付き合うのはめんどくさいだろうけどさ、ちょいと付き合えや。オルコット。お前、自分の国は好きか?」

「何をいきなり。当然に決まっていますわ。歴史栄えある英国、わたくしの祖国はわたくしの誇りです!」

 

 不意の一夏の問いかけに疑問に思わないと言えば嘘になるが、答えない必要はどこにもない。

胸を張って応える。祖国イギリス、生まれ育ったからというのもある。だが経緯はどうあれ、セシリアは国を愛しているし誇りにも思うと胸を張って答える。

 

「見上げた愛国心だな。俺も日本に愛着はあるけど、そこまではねぇや。んじゃ次だ。例えばの話だけどよ、オルコット。誰かが、そうだな。Aさんとでもしとくか。Aさんがイギリスの悪口を言った。どう思うよ」

「当り前でしょう! 祖国を侮辱された以上、怒りを抱くのは当然ですわ! それともあなた、わたくしの祖国を侮辱するとでも!?」

「誰がいつそんなこと言ったよ。人の話は最後まで聞けって」

 

 目じりを吊り上げたセシリアを一夏はやや辟易しているような声で諌める。だが、この時一夏の目が僅かに細まり、鋭い光を宿していたことについては誰も気がつかなかった。いや、ただ一人千冬だけは気付いていたかもしれない。理由は単純で、一貫して鉄面皮を保っていた彼女の表情に小さく笑いが含まれているからだ。

 

「さて、今の質問二つを纏めてみるとこうだ。セシリア・オルコットは生まれ育った国であるイギリスが好きである。んでもって、そのイギリスを馬鹿にした人間には怒ると。

じゃあ、こいつをちょいと言いかえるぞ。オルコットをこのクラスの過半数占めてる教師二人入れた日本人に、イギリスを日本に、馬鹿にした人間をオルコット、お前に。入れ替えて考えてみろ。さて、どうなる?」

 

 言われて瞬間、初めて気付いたようにセシリアは周囲を見回す。そして気付いた。自身を見るクラスメイトの視線。それが複雑な感情の色を有していることに。数人の生徒はやや険しい視線を向けていることに。

 

「ついでに言えば、お前さんが自慢にしてるISは一応日本人が作ったもんだし、みんな尊敬ブリュンヒルデ様は日本人なわけだけどさー。いや、開発者に関しちゃ日本人っていうのは戸籍の上だけの話かね。多分、当人は至極どうでも良いと思っているだろうが、まぁこの場じゃ関係ないか」

 

 人差し指で側頭部を掻きながら言った一夏の言葉に、今度こそセシリアは言葉に詰まった。そして小刻みに体を震わせる。あれほど見下した男に至極真っ当な正論を突きつけられたことの怒りか。

 

「別にさ? 俺の事は好きに言えばいいよ。けど、その前の国云々は取り消した方が良いと思うんだけどさ、どうよ?」

 

 セシリアが激していたために逆に冷静でいられたか、一夏は曲がりなりにも同じクラスになった義理で、大真面目に忠告をする。

このままでは彼女に向けるクラスの他の生徒の感情が良くないものになるだろうことは想像に難くない。実際問題、セシリアがどうなろうと一夏にとってはどうでもよいことだったのだが、それでも諌めようとしたのは、単なる気まぐれにすぎなかった。

 

 やや俯き、両手は拳を作っているセシリア。作った拳は固く握りしめられ、全身は小さく震えている。

そしてキッと険しい顔で一夏を睨みつけると、先ほど同様に指を強く突きつけながら言った。

 

「あなた、その発言はわたくしに対する挑戦と受け取ってもよろしいのかしら?」

「さてな。手袋を投げつけたつもりもないが。ただまぁ、俺は俺の言ったことは至極正論だと思っているんだよな。正論、実に素晴らしい。武器として使うには実に便利だ。まぁ、使われる側からしたら単なるいやがらせだとしてもだ」

「つまり、わたくしを言葉でもって攻撃する意思があると」

「さぁ? 俺はただ思ったことを言っただけだ。むしろ、それをどう受け取ってどう対応するか、そこでお前という人間が量られると思うぜ。俺としてもあまり事は荒立てたくない。なるべく穏便な対応を願うよ。それに、お前は貴族様なのだろう? この程度で一々ガキみたいにキレてたら同じ貴族だろうご両親の評判にも――」

 

 バン! と机を叩く音が教室に響く。その音に誰もが小さく背を震わせた。そよ風が吹いたと言わんばかりに動じていないのは織斑姉弟くらいのものだ。

 

「決闘ですわ……」

 

 先ほどまでの激昂が嘘のようにセシリアの言葉は静かなものだった。だが、静かであるが故に激していた時とは異なるただならない雰囲気を放っていることを室内の誰もが感じ取っていた。

 

「正直、そこから先を言われると本当に我を忘れそうですので、先に言っておきますわ。わたくしの両親は既に故人です。それを聞いてなおそれ以上を言うのであれば、わたくしは絶対にあなたを許しませんわ」

「あぁ、そうだったか。それは失礼をした。いや真剣に詫びよう。それは確かに俺が不躾だった。だがな、それでもお前の発言に対する俺の論を引っ込めるつもりはないぞ」

「えぇ。ですから決闘ですわ。このままでは収まりが付きそうにありませんもの。元々、このクラスの代表を決めるという話のはず。ならば、それも纏めて決めるとしましょう」

「なぁるほど。決闘、良いね。悪くない。古今東西、二者の白黒をはっきりつけるのにガチンコほど適したものはない。ただオルコット、一つ聞こう。決闘の方式は?」

「ISを用いての試合形式。当然でしょう? ここはIS学園で私たちはIS乗り、あるいはそれを志す者。ならばISを使うことに何もおかしなことはありませんわ。それとも、今更臆しましたか? ISであればわたくしの圧倒的優位は明らか。そのことに――」

「あぁいや、違うんだよ。本当に確認しときたかったんだ」

 

 手と首を横に振りながら一夏はセシリアの言葉に否と答える。そのまま軽く一歩を踏み出して机間に立つ。そして一夏とセシリアの間に一歳の障害物がなくなる。

 

「ただ、決闘を宣言して俺が受けた。その上できちんとルールとかが決まってなきゃな――」

 

 瞬間、一夏の姿がブレた。気が付いた時には一夏はセシリアのすぐ目前に立っており、その片目に向けてボールペンの先を突きつけていた。

 

「こんな風に、いつの間にか片目潰されてましたなんてことになりかねない」

 

 自身の右目、その数ミリ先で止められたボールペンのペン先をセシリアは凝視している。まるで反応ができなかった、その事実を信じ切れずにいるかのように。

 

「何をやっとるか、馬鹿者め」

 

 そして、一夏のすぐ後ろに立ってその肩を掴んで彼を抑えている千冬にも然り。先ほどまで教壇の前に立っていた彼女が、いつのまにかすぐそばに来ていることにも気付けなかった。

 

「いやぁ先生? だって決闘なんて宣言されちゃあね、特にルール決まってなきゃ要は白黒つけるだけなんだから、いつ何をしようが構いやしないでしょ?

合図? 対戦相手? TPO? モラル? 大人の事情? 知らん知らん聞こえん見えん。一々配慮してられっか馬鹿馬鹿しい。とはいえ、そういう点じゃさっさとやり方決めようとしたオルコットの判断は正しい。なにせIS使ってだ。今すぐおっぱじめたくとも、用意ができない」

「まぁ、そうだな。お前の専用機含め、用意には少々時間が掛かる。決闘とやらをするのは構わんが、取りまとめはこちらで行うぞ」

「あぁ、そりゃ是非にお願いしますよと」

「よろしい、では席に戻れ。いつまでの凶器を人に突きつけるものではない」

「……これ、ただのボールペンっすよ?」

「お前に持たせれば十分凶器だ。この武術馬鹿」

 

 へいへいとどこか嘆息するような返答と共に一夏はボールペンをクルリと回しながらセシリアから離す。そうして千冬共々セシリアの下を離れ、そこでようやく固まっていたセシリア含む一同は再起動を果たした。

 

「お、お待ちなさい!」

「あ? んだよ。決闘なら受けるぞ。準備は先生方がやってくれるらしいから、とりあえず今はそれで良いだろ」

「違いますわ! 先ほど、専用機と言いましたわね!?」

「あぁ、それ。そうだ。まぁ前々から知ってはいたが、ご丁寧に日本政府が俺に専用機を貸してくれるらしいぞ」

 

 その言葉に教室中がざわめく。専用機を持つということの意味は今更説明するまでもない。そのことを知っている者が大半のこの場だからこそ、このような反応なのだろう。

 

「まぁ、受け取る以上はそれなりの結果を出せるように努力はするさ。しょせん、借り物でしかなくてもな」

 

 吐き捨てるような言い方には専用機を持てることを誇る感情は微塵も感じられない。その態度にセシリアの眉根が吊り上る。

 

「あなた、どういう了見ですの? 専用機を持つ身ながらその言い草。世にはそれを持ちたくても持てない持てない者が居るというのに――」

「さぁな。だが、それ以前の『IS乗り』って肩書きだって欲しくても持てない奴がゴマンと居るんだ。それに比べりゃ、ここに居る連中全員幸運だと思うがね。だいたい、俺の専用機にしても俺の意思なんて一切ない。勝手にお上が決めたことだ。

抗議はどうぞ日本政府へ。まぁ確かに俺はラッキーなのかもしれんが、それも含めて実力だ。俺の力だ。悪いが一々外野なぞ気にしてられん。知らぬ存ぜぬ心底纏めてどうでも良い。俺の道にとやかくイチャモンつけるな小娘」

「それを言ったらお前だって小僧だろう」

「いや先生、そこは突っ込まずにスルーしようよ――じゃなくてだね。だいたい、例え与えられたにしても永久的に自分の物にできるならともかく、期間限定の借り物でしかないIS(モノ)を便利と思っても、なぜそこまで固執する。

オルコット、お前は自分がIS乗りで候補生さまで専用機持ちさまだってことに随分拘ってるみたいだが、それもいつまでもじゃねぇだろ。ISにしても国からの借り物、お前の所有物じゃない。IS乗りにしても、いつまでもそうあることはできない。よもやヨボヨボのばっさまになってもやるわけじゃないだろう?

栄養が脳みその一分野と胸にしか行ってないような奇天烈博士の発明品与えられた程度で、いつまでも粋がるなよ。俺をいわしたきゃ、IS無しでも俺を殺せるくらいになってからにしろ」

 

 先ほどまでのざわめきが嘘のように沈黙が教室に広がっている。借り物、確かに一夏の言う通りだ。元をただせばISは篠ノ之束という個人から生み出されたものでしかない。

それが各国の手に文字通り恵まれて、そこから貸し与えられることでようやく自分たちが動かすことができる。いつまでも自分の好きには使えない借り物ゆえに、それを頼みにし続けるのはチャンチャラおかしいという一夏の理屈は至極尤もだ。

ならば、今この場に居る自分は結局、与えられる物をせめて長く持っていようと踊る走狗でしかないのか。IS乗りという者に憧れて、その夢に何の疑いも持たずに純粋にここまでやってきた少女らにとって、一夏の冷徹な言葉は否定も非難もできない正論となって突き刺さる。

 

 一連の流れを見守っていた千冬も千冬で、さてどうしたものかと思案を巡らせていた。

実のところ、一夏のISとIS乗りに関する考え方には千冬も概ね賛同できる。開発者に近しく、その人格すらも知っており、その過程でISというものに最初期から触れていたからだろうか。一夏の言うことは千冬にとっても至極真っ当な理論なのだ。

だが、それと同時に例えそうであっても、IS乗りを志し、IS乗りとして研鑽を続ける者達に対してはまた別の想いを持っている。

一夏に対して、それでもここに居る者達の努力は慮ってやれと言ってやれれば楽なのだが、厄介なことにこの弟は例えISが期間限定の借り物でただの便利な道具としか認識していなくとも、それで必要な努力を怠るようなことはせず、むしろ直接的な『力』に繋がるゆえに人並みどころではない練磨に励むのも厭わない性格なのだ。

それを知っているからこそ、あまりどうこう言うこともできない。まぁつくづく面倒な性格に育ったものだと、正直ため息を吐きたいのが今の千冬の本音だった。

 

「非常に不本意ですが、あなたの言うことに一理あるのも事実ですわ」

 

 一夏の言葉はセシリアにとっても認めざるを得ない節があった。確かに、事実なのだ。

 

「ですが、それでもわたくしはIS乗りとして励んできて、そのことを誇りに思っていますわ。ここに至るまでのわたくしを知らないあなたに、ぽっと出の男風情にどうこう言われる覚えはありません」

「あぁ、確かに俺はお前の事情なんぞ知らん。興味も無いから知ろうとも思わない」

「えぇ結構。だから、今度の試合できっちり叩き潰して大口を叩けなくさせてあげますわ」

「あぁ、是非にその気概で頼む。俺も、まぁやる以上はISにだって努力は惜しまないさ。目的もあるからね。お前は精々、そこまでの道を作る礎にでもなって散れ」

 

 そう、セシリア・オルコットのことなど別にどうでも良い。自分にとってこの学園で気にかかる人間はただ一人、彼女をおいて他ならないのだから。

 

 そうして今度こそ一夏は自分の席へと戻り、真耶に対して授業の続きを促す。一夏に声を掛けられ真耶も一瞬背筋を跳ねさせたものの、すぐに自分の本分を思い出して授業の続きへと移った。

 

 

 

 

 

 

 

 その後、一夏とセシリアの一騒動はあったものの授業自体は滞りなく終了。昼食の休み時間を告げるチャイムと共に午前の授業が終了し、千冬と真耶の二人が教室を出る。

そうして一時的な自由の時間が生まれた教室の生徒達は気付いた。一夏の姿が教室から忽然と消えていたことに。

 

「さて、待っていろ」

 

 素早く廊下を歩く一夏。既に目的とする場所までのルートは頭に入っている。

ただ一つの意志を携えて、見物人も何もかもを煙に巻いて一夏は廊下を歩き続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 この楯無ルートはもう一つの方と違って、大体の部分で原作と同じです。ですから、あっちの方ではなくした女尊男卑もこっちでは残っており、それを快く思っていないから一夏のISに対する態度もちょっと辛辣な感じにしてみました。
 まぁ結局のところ、「俺の邪魔するならボコすぞ」ということに尽きてしまうのですが。
こっちの一夏は求道タイプ。気になるあの子のために、ひたすら一直線で頑張っちゃいます。
殺したいほど愛してる、とかは言わないと思いますよ多分。

 え? 天狗道の住人がいないかって? 知らぬ知らぬ聞こえぬ見えん。


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第八話

 今回は特に弄るところとかも少なかったので割と早く上げられました。このままもう一話くらい続けてみようかなと思ったり。

 GWではありますが、ほとんど家に引きこもってますからね。ちょっと大学の課題などが大変ですが、加筆修正くらいだったら何とかなりそうです。


 一日の終業を知らせる電子音のチャイムが鳴る。それに合わせて教壇に立っていた真耶が授業を終わりにする。そして、今まで教室の角に立ちながら授業を見ていた千冬が教壇に立ち、初日の授業の終了と放課を宣言する。

 教室にざわめきが一気に広がる。自ら望み、長い時間を勉学の努力に払い勝ち得たIS学園生徒の肩書き。その肩書きを持つ者のみが受けることのできる授業を、教室の者全てが真面目な表情で聞いていた。

 だがそれでもその本質は遊びたい盛り、友との交友を楽しみたい盛りの十代半ばの乙女達。海上の人工島の上の学園というある種の隔離が為された空間に居る以上、遊びなどは制限があるが、友人と語らうには十分。二人の教師が教室から出たのを見計らい一斉に動き出し、各々会話の輪を作っていく。

 

「……」

 

 その中で一人、一夏は特に言葉を発する風でも立ち上がるでもなく、未だ机の上に開かれた教科書とノートを見ながら軽く肩を叩く。

 一日、授業を受けてみて分かったが、やはり自分は学業面での不利が周囲に比べて大きい。授業中にそれとなく周囲を探ってみたが、少なくとも生徒の大半は一般の学校でも習う基礎科目はともかくとして、IS学園特有の専門科目の授業にもごく自然についていっていた。

 それを理解した時、何とも言い難い気持ちになったのも事実である。授業中、やはり自身の学力的不利を理解しているのだろう真耶が分からないことは無いかと名指しで聞いてきた。

予習のおかげで今は何とかと答え、事実今のところはまだついていけなくもない状態ではあったが、このままでは先行きが大いに不安になる。

 

 実技的な所に関してはまだいい。実技試験の際に実際にISを動かした感覚で言うのであれば、ISを動かすというのは他の機械を動かすのとはだいぶ趣が異なる。

 動かした経験があるわけではないが、少なくとも同じ兵器の区分にあるとしても戦車や戦闘機とは大きく違う。あれらが操縦桿やハンドル、ペダルなど予め組み込まれたシステムを動かす装置によって操縦するのに対し、ISは乗り手の体そのもので動かす。

パワードスーツという性質を考えれば至極当然だろう。無論、機械である以上はやはりシステム化された部分も無きにしもだが、やはりいかに自分の体の動きを制御するかが重要となることは必定、そう見解づけた。

 

 ならば、実技面に関してはまだ希望がある。少なくとも、己の体の動きの制御に関しては一夏は今この教室の中にいる生徒の誰よりも上だという自信がある。

椅子から立ち上がり歩く。それだけの簡単な挙作の中にも、そうした色は見えるものだ。曲がりなりにも文武のエリートが集うこのIS学園。なるほど確かにと言うべきか、何かしらのスポーツや武道で鍛えた経験もあるだろうと伺わせる者も見受けられる。箒などその典型だ。

だがそれでも自分が上だと自負する。いっそ傲慢とも思える程に。もちろん、そのようなことは思っても口には出さない。出した所で仕方ない。

 

 とまぁこのような具合で、実技的な面に関してはまだいいのだ。問題は学業の方である。見事なまでに肉体運動派を自負している一夏ではあるが、その技術に絡む理論を疎かにしていいと思うほど愚鈍ではない。

剣技を学ぶにあたり、師からも幾度となく薫陶を受けた。『真に技を極めたくば、技を勘と理屈の双方で完全に理解し、体の髄まで刻むべし』と。ならば、やはり理論も疎かにはできないのだ。

何より、実際に戦ってみての実力がどれだけあったとしても、学業の方がてんでダメと言うのは、流石に恰好がつかない。一応、件の授業の際に個別の補講を受けさせて貰えないかと頼み、承諾は受けたから目処が立っていないというわけでもないのだが、やはり気は抜けない。

 

 カサリと紙の擦れる音がする。机の横に掛けた鞄、その中から折りたたまれた一枚の紙を取りだした。広げて見るそれは学園の地図であった。

この時点では一夏は知らないが、緊急時対策用の個人携行可能火器の保管場所や一部の者しか知らない地下特別機密区画などの特殊なエリアを除けば、各教室や職員室、部室棟など平素の学園生活に困らない情報は一通り載っている物である。

IS学園は一般教養科目に加えISの専門学習も行うため、カリキュラムの量が通常の高校に比べて割増となっている。そのため、一般の学校で行われるような校内の案内などのオリエンテーションは極力省かれており、学内の移動に関しても教室や各廊下掲示、あるいは配布された個人携行の地図を頼りにせよというスタンスを取っていた。

 

「ふんむ」

 

 指で案内図をなぞりながら一夏は目的とする部屋を探す。そして指がある部屋を示す一点で止まる。確証は無い。だが、その立場を考えれば高確率で彼女(・・)はこの部屋に居ると判断できる。

 一夏が見つけた部屋。案内図に示されたその名前は『生徒会室』。この教室からのルートを一気に模索する。模索と言ってもそこまで大仰なものではない。

元より整備された建物の構造であり、いかに特殊な場とは言えどもあくまでここは『学園』という教育施設だ。構造も基本的には分かりやすい作りになっている。順路を探し当てる程度、一夏にとってはどうということはない。少なくとも、師の家がある山を駆けることに比べれば遥かに容易い。と言うより、地図も何もなしに身一つで山中に放り出されることと比べること自体、間違っているような気がしなくもないが。

 

 紙の地図に目を落としていたのは一分にも満たなかった。目的の場所、生徒会室への経路の割り出しも完了している以上、善は急げの言葉に倣い速やかに行動を開始する。

手早く机の上の教科書やノートを鞄に収めると一夏は席から立ち上がる。一夏が動いたことに遠巻きに見ていたギャラリーも僅かに反応するが、一々取り合いはしない。

 

 教室を出て数歩、それだけ歩くと一夏は一度歩みを止める。そして、どこか困ったような表情を浮かべると小さくため息を吐く。

原因は後方。教室を出た一夏の後をつけるようにして生徒がチラホラ。わざわざ別の階からやってきていた上級生も居た昼間とは違い、その上級生が各々の自習や自主練習のために動いているだろう放課後の今は基本的に同じ一年の者が多い。

そのため、人数そのものはだいぶ少なくなってはいるが、そもそも付いて来ている者が居るということ自体が一夏の気を僅かに重くさせる。珍しいのは重々承知だ。その気持ちはよく分かる。だがここまで来ると本当に鬱陶しいとしか思えない。

 

 もういっそ撒いてやろうか、撒くならどのようにしてやろうか。そんなことを考えながら先ほどよりも僅かに速度を落として歩くのを再会した一夏。ふと、その耳に前方から自身に近づいてくる足音が聞こえた。その感覚はやや早く、小走り気味だと分かる。

 

「あ、織斑君! 良かった、まだここに居たんですね!」

 

 一夏が教室のすぐ近くにいたことを幸運に思ったのか、安堵したような表情で真耶が駆けよって来ていた。

一夏の目の前に立った真耶は僅かに上がった息を数度の深呼吸で手早く整えると一夏の顔を真正面から見据える。そして、ほんの少しだけ及び腰になったような顔になる。

血縁的に姉と似て師の色が伝染したやや鋭い形の中に鋭利さを宿した目と、左こめかみから顎あたりにかけて縦一文字に走る傷跡から成る、控えめに言っても穏やかそうではない風貌は確かに厳ついだろう。中学時代の家庭科の授業の一環で学校近くの幼稚園で園児との交流を行った際、数人の園児に泣かれたのは非常に嫌な思い出だ。アレは一夏にとっても珍しくものすごく堪えた出来事でもあった。あの時、少し離れた場所で腹を抱えて爆笑していた弾と数馬の二人を本当にドツキたかった。

 

 いずれにせよやや苦手に思われているのは間違いないだろう。真耶が善良な人間であるのは贔屓目に見ても明らかだ。そんな人物に引かれるという事実を僅かな挙作から改めて思い知らされ、一夏は内心でガックリと首を落とした。

自分のことを一歩引いたように見る他の生徒達にも言えることだが、性格とかは仕方ないとしてせめて顔で引くのは止めて欲しいと思えども、そう物事は上手くはいかないらしい。

少なくとも目の前の副担任に関してはこの一年、否、学園に在籍する三年の間は曲がりなりにも教師として仰ぐことになるのだから、なるべく早く普通に接してもらえるようになってほしいというのが一夏の本音だった。

 

「あの、先生。どうかしました?」

 

 とは言ったものの、経験上この問題の解決は基本的に時間任せな部分が多い。はっきり言ってこの場であーだこーだ考えていても仕方ないのである。ゆえに一夏はさっさと考えを切り上げると手早く話を進めることにする。一応急いでいるのだ。

 

「あ、そうですね。あのですね、織斑君の部屋の鍵を渡しに来たんです」

 

 言われて一夏はあ~そういえばと思いだす。

 

「そういやそうだった。確かセキュリティだかどーだかの話でしたっけ?」

 

 一夏の身辺についてのセキュリティの確保は、影島の来宅や彼からのわざわざの事情説明を鑑みるに政府もそれなりに気を使っているらしい。

その影島が学園に一夏の荷物を運びこんだ昨日に車で言っていたことを思い出す。

一夏が使用する部屋についての決定は学園側に一任し、その情報についてはごく数名の関係者のみが知るのみとする。

実際問題、こうして学園生活が始まってしまえば部屋の情報などあっという間に筒抜けになってしまう。だが、せめてそれまではなるべく伏せておきたいということなのだろう。

そしてその部屋に関しては一夏にも直前まで秘密とされており、学園入学の日、つまりは今日この日に学園の教師から伝えられるという手筈になっているのである。

 

 事情を心得ているという風な様子の一夏に真耶も話が早いと言うように頷く。

 

「そうですそれなんです。えっと、ごめんなさいね? これが織斑君の部屋の鍵です」

 

 そして真耶が差し出した手には一つの鍵と四ケタの数字が書かれた紙片があった。部屋の鍵にプラスチックの角柱が短いチェーンによって繋がれたそれは、一見すればホテルの鍵のようにも見える。

 

「大事にしてくださいね。基本的に登校する時は部屋の鍵を掛けることが規則なので、ちゃんと鍵は自分で持ち歩いて管理してください。それとこれが、寮則ですね。食堂での食事の時間や寮の案内図があります。

えっと後は……あ、寮には大浴場もあるんですけど、織斑君は使えないのでその、申し訳ないんですけど部屋に備え付けのシャワーで我慢して下さい。学園(こっち)でも使えるように色々考えますから。

それと、各階の廊下の端にトイレがあるんですけど、全部女子トイレなので、織斑君は教員寮の男子トイレを使って下さい。これくらいですね」

 

 鍵と共に『IS学園 学生寮規則』と書かれた冊子を手渡す真耶。同時に行う説明は淀みなくスラスラと言葉として紡がれ、まさに教師然とした姿と言えるものだった。

あるいはこれが彼女本来の姿なのだろうか。となると自分を相手に及び腰気味だったのは、やはり単にツラその他諸々にビビッていただけではないのか。考えて何とも言えない気分になるのを一夏は感じた。

 小さく、真耶に気付かれないように頭を振って余計な考えを捨て去る。元よりこうなることは半ば覚悟をしていた。もう今更である。

とりあえずは、今目の前の教師が話していることについて理解を深めるべきだろう。

 

「えっと、聞きたいんですけど、部屋って基本的に二人で一部屋使用みたいですけど、さすがに俺は一人……ですよね?」

 

 受け取った冊子をパラパラとめくって目に付いたある一文。寮は原則として一部屋を二人で使用するという旨の文を見て、一夏はそれがどうにも気になった。

仮にこの原則に倣うのであれば一夏も二人部屋ということになるが、そうなると必然的に相方は女子となる。これでISを動かせた男がもう一人居て、その者もこの学園に通うというのであれば、その者と一夏を同じ部屋に放り込めば良い。

だが、そんな人物は現状世界のどこを探しても居ない。となれば学園の男子は一夏一人であり、自動的に同じ部屋になる者は女子となる。いやいやそれは流石にあり得ないだろう常識的に考えて。武人としての勘かどうかは定かではないが、なんとなく脳裏の片隅にこびりつく嫌な予感を自分に言い聞かせるように否定するようなことを思いつつ一夏は尋ねる。

 だがそんな一夏の考え虚しく、真耶の反応は至極困ったようなものだった。

 

「えっとですね、その、調整の都合で二人部屋なんです……」

「うっそ~……」

 

 当たって欲しくは無かった予想。それが見事に的中してしまったことに一夏は愕然とした表情を浮かべる。

 

「いや、でも先生。それ、マズくないですか? いや、俺の名誉のために言わせてもらうであれば、同室が女子っていうなら俺は相手に配慮した振る舞いを心がけるつもりですよ?

いやでもねぇ、曲がりなりにも良い年頃の男女が同じ部屋とか、色々マズイでしょう。ぶっちゃけ世間体とかそんなの」

 

 少なくとも第三者が聞けば一夏の言は至極世間的良識に則った真っ当なものと捉えるだろう。

真耶も一夏の言葉には全面的に同意しているのか、一夏の部屋の決定について自分ではどうにもできないことの歯がゆさを含んだ表情で大きく頷き、そしてまた申し訳なさそうな顔になる。

 

「そうですね。織斑君の言う通りです。ただ、やっぱり急だったもので。もちろん、これが決して良くないということは学園も分かっています。

だから織斑君を一人部屋にできる正式な組み合わせができるまでは、当面二人部屋で生活してもらうしかないんです。もちろん、なるべく早く対応できるようにしますから」

 

 本当に申し訳ないという、相手への十全な気遣いから成る真耶の言葉に一夏もそれ以上を言えなくなる。

どこか観念したように軽くため息を吐くと、一夏は大丈夫と言うようにヒラヒラと手を振りながら言う。

 

「あ~まぁ大丈夫ですよ先生。これでも良識は弁えてるつもりですからね。女子が同室ならそれはそれで仕方ない。まぁ、上手くやりますよ。少なくとも、先生に迷惑はかけませんって」

 

 あまり不安を抱かせないように気楽な調子の声で言う一夏に、真耶も僅かにではあるが表情に安堵の色を浮かべる。

 

「えっと、じゃあ俺もう言ってもいいですか? ちょっと寄りたい所があるんで」

「あ、はい! えっと、引きとめちゃってごめんなさい!」

「あぁいや、わざわざありがとうございます」

 

 一夏を引きとめたことを詫びる真耶に、一夏は逆に鍵や寮の説明をしてくれたことの礼を言う。

時間はまだ平気かと呟きながら時間を確認する。元より放課後になったばかりなのだ。そもそもそこまで時間など経っていようはずもない。

真耶に軽く一礼すると一夏は素早く目的の場所へ向けて歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 真耶と別れた一夏はそのまま廊下を歩き続ける。片手には真耶から受け取った冊子などを仕舞った鞄が下げられており、もう片方の手では同じく受け取った部屋の鍵が玩ばれている。

一見すればごく何気無く歩いているように見えるだろう。だが、その内心は何気無さとは程遠い状態だった。原因は明らかだ。数メートル程後方で集団を作り一夏の後をついてくる生徒達であった。

真横の窓にうっすらと映る反射を利用してざっと顔ぶれを確認してみれば、その大半は同じクラスの面々。これから毎日同じ教室で顔を突き合わせることになるのによくも飽きないものだと、深く嘆息したくなる。

 

(正直めんどくさいけど、撒くか)

 

 ぞんざいな物言いになってしまうが、はっきり言ってこの後の行動を考えれば彼女らは邪魔でしかない。できれば退散願いたいのだが、さすがに口頭で失せるように言うのも気が引ける。

 

(よし……)

 

 意を決すると一夏は素早く心を沈めて冷静になる。そして、音を殆ど立てずに小走りで移動の速さを上げて集団との距離を離し始めた。

 

「あっ!」

 

 一夏の突然の加速に誰かが驚く声がする。誰が声を上げたかなど一々取り合う暇は無い。既に一夏を追うために集団も動き始めている。僅かな間も惜しい。

直性である程度距離を離した所で一夏は目の前の廊下の曲がり角を曲がる。当然ながらそれは後方の集団もバッチリと目視しており、遅れることしばらくして彼女らも廊下を曲がる。

曲がった先、そこは別の校舎へと繋がる渡り廊下であった。雨などをしのぐためにやや幅広の屋根がついた以外は基本的に外と言っても良い作りとなっており、廊下のすぐ真下には校舎に沿うように設置された植え込みがあったりする。

 

「あれ?」

 

 誰かが疑問を浮かべるような声を上げた。確かに一夏はこの方向に曲がった。だというのに、一夏の姿が先の廊下のどこにも見当たらない。

 

「ちょっと、織斑君どこに行ったのよ?」

「確かにこっちに行ったよねぇ?」

「もしかしてもう先に行っちゃったとか?」

「急ぎましょう! 多分この先のどこかにいるはずよ!」

 

 そうして彼女らはそのまま直進し校舎を移動する。喧騒が一転、静寂に包まれた渡り廊下。そこに一つの変化が起きた。

廊下の端、一夏やその追いかけが出てきた入り口、そのすぐ傍に一つの黒い物体が現れる。それは紛れもなく一夏の鞄であった。そして、鞄に続くようにして廊下の端に人の指が現れる。

その数は十。ちょうど一人の両手の数と同じだ。

 

「ぬん!」

 

 気合いを込めるような少年の声が小さく響く。それと同時に廊下の端に掛けられた指に力が籠り、その下から両腕に力を思い切りこめた一夏が姿を現した。

廊下にぶら下がった状態から懸垂の要領で上に上がると、そのまま転落防止のためにある廊下の鉄柵に捕まり一気に体を持ち上げて廊下へと戻る。

体についた埃などを軽く叩いて払いながら一夏は一息つく。

 

「うし、撒いたか」

 

 完全に周囲から人の気配が無くなったことを確認しながら一夏は視線を移す。

渡り廊下の入り口と同じである校舎の出口は同じではあるが、廊下しかないというわけではない。校舎から出てすぐの場所にはそこから他の階へと繋がる外の階段があり、その部分が一つのスペースを作っていた。

校舎の壁はその階段のスペースにも及んでおり、その外側には屋根にたまった雨水などを流すためのパイプが走っているのだが、一夏が目を着けたのはそこであった。

 渡り廊下に出ると同時に一夏は柵を越える。柵自体は高さが1メートル程度しかない、鉄のパイプを並べたようなものであるため、越えることは容易い。

そして柵を越えるとそのまま一夏はすぐ傍にあったパイプに飛び移ったのだ。なるべく体重による負荷を軽減するように重心の配分を考えた上で足をパイプを固定する金具に掛け、片手でパイプを掴む。

空いた片手に鞄を持つと、パイプを軸として一回転。パイプで体を支えながら壁に張り付く形になり、結果として遅れて廊下にやってきた集団に対し後方という位置取り、さらに壁を挟むという視界の遮りによって見事に撒くことに成功したのであった。

 

 そして集団が去っていった後は逆の手順を踏んで廊下に戻り、ミッションコンプリート。

去っていった集団の向かった方向に目をやると、一夏は踵を返してその逆方向へと向かう。目的の場所はそちらの方にあるのだ。

 

「あ~、鬱陶しかった」

 

 心底疲れたと言うような表情でぼやく。事実として、常に纏わりつく人の気配や視線といったものは想像以上に一夏の精神を疲弊させていた。

肉体的負荷ならばそれなり以上に耐える自負はあるが、メンタル面というのは中々思うようにはいかないのが歯がゆく感じる。

実際問題としては精神面でも一夏はそれなりに鍛えられており、まだまだ耐えるのに余裕があると十分に言えるのだが、それとこれとはまた話が別なのだ。

 さしずめ今の自分は動物園の珍獣といった扱いだろうと思う。となると、物珍しさが消えるしばらくの辛抱かとも思う。初めがどれだけ珍しかろうが、それがしばらく続いて当り前になれば珍しさも薄れる。

確かに『IS学園に男一人』というこの状況は現状では珍しい。事実そうであり否定しても仕方ない。だが、一か月くらいもすればその状況も当り前と受け取られてくるはずだろう。そうなればこの憂患も多少は改善されるはずに違いない。

何かと我慢の連続になりそうな状況に苛立ちを覚えないと言えば嘘になるが、そこは適度に発散する方法を見つけてどうにかすることにする。

 

 それに何より、この学園で過ごすことは悪いことばかりではないのだ。その最たるが、これから一夏が向かう先にある。

 

 歩くこと数分。目的とした部屋の前に辿り着いた一夏は頭上にある部屋の名前が記されたプレートを見る。『生徒会室』、一夏の目的と名前は相違無い。そして、己の勘を信じるのであれば彼女はこの部屋に居るはずだ。その肩書きを考えればそれが自然なのだから。

一度息を吸い込み、ノックをしようと緩く握った手を掲げて気付いた。思いのほか握った手に緊張が籠っている。否、手だけではない。息を吸い、吐く。ただそれだけの呼吸という動作もどこかぎこちなさがある。

はて、ここまで自分は小心者だったかなと一夏は自嘲するように口の端に皮肉気な笑みを浮かべる。

 迷っても仕方が無い。口元を引き締めなおすと、意を決して一夏は部屋の戸を叩いた。回数は三度。どこかでその回数が無難と聞いたのだ。

 

「どうぞ」

 

 戸の向こうから明瞭に響く声。その声を聞いた瞬間一夏は唾を強く呑み込んだが、立ち往生をするわけにもいかないので半ば勢い任せでノブに手を掛けて一気に戸を開く。

 

「失礼する」

 

 一言の挨拶と共に一夏は部屋に入る。声が上ずってはいないだろうななどと考えつつも歩を室内へと進める。そしてすぐに見つけた。

 真正面、部屋の最奥、既に傾き始めうっすらと紅色に染まり始めている太陽の光が柔らかに差し込む窓を背に彼女は居た。

部屋の主の物であることを示すのか、華美になり過ぎない程度の意匠を凝らされた一目で安くは無い品と分かる木製のデスク。

そのデスクとセットとなる椅子に座りながら、彼女は、更識楯無は柔らかく微笑みながら一夏を迎えた。

 

「いらっしゃい、一夏」

「よ、よう楯無」

「ん?」

「あ、いや……神無……」

「うんっ、よろしい」

 

 和やかに一夏を迎えた楯無――神無であったが、一夏が楯無の名で呼ぶと同時に眉を僅かに顰める。

それを見た一夏は今現在この生徒会室にいるのが自分と神無であることを理解して、ややぎこちないながらも神無と呼ぶ。そしてその言葉に神無は満面の笑みを浮かべる。

その笑みに一瞬見惚れかけたが、同時にその笑みと共にあしらわれたかつてを思い出し再会早々に自分が手玉に取られたことに内心で舌打ちをする。ただ、察して欲しい。何せ何年振りというレベルで再会したばかりなのだ。接し方の感覚も掴みにくいというもの。ただその割には箒とは普通に話せたのは何故かはわからない。

 しかしながらそれが逆に功を奏したか、緊張は一気に薄れて数年ぶりに再会を果たした昨日の会話の中盤、昔を語ったあの時と同じ調子に戻るのを感じた。

 

「あ~、ところでだ。いきなりアポなしで来ちまったわけだけど、大丈夫だった?」

 

 そう言っている割にはそのまま部屋の中へと進み、神無の近くにある空いている椅子に適当に座る一夏であった。

 

「ううん、別に平気よ。それにしても、よくここに私が居るって分かったね」

「あぁいや、昨日の時に生徒会長って学園長先生が言ってたし、ならここに居るかな~ってさ、うん」

 

 視線を逸らし頭を掻きながら言う一夏に神無は笑みを深める。そして小さく笑いを漏らす。

 

「フフッ。あのね、私もなのよ。なんとなく、ここに来るんじゃないかな~って思って来てみたら、案の定ね」

「むぅ……」

 

 考えを読まれていたことの癪、それと二人揃って同じことを考えたことへの気恥かしさ。それらが一夏を閉口させる。

変わる一夏の表情が面白いのか、神無はそれを面白そうに見ている。

 

「そう言えば聞いたわよ。同じクラスの代表候補生と決闘することになったんだって? ついでに専用機も貰えるとか。結構有名になってるわよ?」

「おいおい、まだほんの何時間前ってレベルの話だぞ。どうなってやがる」

 

 あくまで自分の属する一年一組のみが関わることでしかないのに、その話が同学年の別クラスを飛び越えて別の学年にまで伝わっていることに一夏は驚きを隠せない顔をする。

いや、生徒会長という神無の立場を考えればそうした情報が手に入りやすいかもしれない。だが、先ほどの口ぶりから察するに神無以外にも知っている者は多そうである。

情報の伝播、その早さに戸惑いを隠せない一夏の様子にさも当然と言うように神無は言う。

 

「甘いわねぇ、甘いわ。ねぇ一夏。ここは女子校よ? 女の子っていうのはね、万国共通で噂好きなのよ。こういう面白い話はあっという間に広まっちゃうわよ? そりゃもう、性質の悪い伝染病よりももっと早くね。立ち居振る舞いに気を付ける上で憶えとくといいわね」

「肝に銘じとくとするよ」

 

 神無の言葉に納得いったと言うように、しかしこめかみをひきつらせながら一夏は頷く。

そういえばそうだったと。女子という生き物の至極厄介なところ。その一部分がコレだったではないかと失念していた己を戒める。

少なくともここ一年半は殆どを師との修業に時間を割いていたため、同年代の、ましてや異性との交流など殆ど無かった。その弊害と言うべきか。

 

「まぁ噂と言えば、その候補生ちゃんだっけ? 中々大きな啖呵を切ったらしいじゃない」

「あぁ、アレね」

 

 おそらく神無が言っているのは、件の騒動の時のセシリアの一連の発言だろうと一夏は察する。

 

「まぁあの場合、ヒートアップしてつい勢いで出ちまったってトコだろう。何だかんだでマズそうな部分は後で引っ込めたし」

 

 ただその際に一夏の方を睨むような感じだったのは、おそらく一夏にその正論を指摘されたからだろう。初対面だというのに随分と嫌われたものだと肩を竦めたくなる。 

 

「まぁそれならそれで良いんだけど。そのあたりも結構回るの早いからね。改めて言うけど、一夏も気を付けた方が良いわよ?」

「あぁ、分かっているさ」

 

 改めて難儀な状況に放り出されたものだと思う。とはいえ、それはもはや厳然たる事実としてある以上、今更一夏がどうこう言ったところでどうにもならない。ただ状況に流されるだけということに甘んじるつもりはないが、その状況に合わせて適切に身を振ることはマイナスにはならない。

とりあえずは、行動には気をつけようと気持ちを新たにする一夏であった。

 

 

 

 

 

 現状ではまだ気付かれていないが、唯一の男子生徒が自分から学園最強で有名な生徒会長に会いに行くということ自体、十分噂の種になることにはまるで気付いていないのはご愛嬌と言うべきだろうか。

 

 

 

「けどさ、それって神無、お前も気をつけなきゃならないんじゃねぇの? まぁ俺も大概だけどさ、IS学園(こんな所)の生徒会長ってのも結構有名だと思うのよ。お前の……お家事情とかは平気なのかよ?」

 

 僅かに眉を潜めた表情で一夏は神無に尋ねる。表情に険こそあるが、声音はどちらかと言えば彼女を気に掛けているようにも取れる。

それを察したからか、神無はいつの間にか手にしていた扇子で口元を抑えると、小さな笑いを零しながら安心させるように言う。

 

「その点なら全然平気よ?これでもそのあたりのことは心得ているもの」

「あんまり秘密主義も良ないと思うぜ?」

 

 小さく鼻で笑いながらの一夏の言葉に、神無は気分を害するでもなく、むしろ余計に面白いというように笑みを深める。

 

「良いこと教えてあげる。『A secret makes a woman woman.<女は秘密を着飾って美しくなる。>』、良い女に秘密は付きものなの。こういう所にいても、女磨きは欠かせないもの」

「ハッ、そうかい」

 

 ウィンクを交えた神無の言葉に一夏はどっちつかずの反応をする。だが、その顔に浮かぶ表情は含みの無い微笑であり、どちらかと言えば否定しない色が濃いものだった。

 

「女磨き、ねぇ。分かるんだか分からないんだか、どうにも微妙な考え方だ。いや、理屈は分かるけど、やってる当人の考えとかは微妙ってところかな? まぁ、俺が腕を磨くのと同じようなもの、とでも捉えて置こうか」

「昨日、久しぶりに会って、久しぶりに手合わせして、強くなってたね」

 

 腕を磨くという言葉に再会直後の軽い一手を思い出しながら神無は言う。その言葉に一夏は笑みを消し、真面目な色を浮かべると静かに頷く。

 

「やっぱりな。お前と初めて会って、師匠ンとこでしばらく一緒に修業して、アレがあって。あの時がでかい切欠だったよ」

「……そっか」

 

 一夏の言葉に神無の表情に僅かに影が差し、声も僅かにトーンが落ちる。彼女が自分の顔に刻まれた傷跡を気に掛けているのは気付いている。

一夏は大きくため息を一つ吐くと、どこか呆れたような声で言う。

 

「なぁ神無。本当にさ、気にするなよ。もう終わったことなんだ。昨日も言ったろ。俺はお前を責めたりはしない。あの時の選択にも後悔は無い。お前が気にする必要なんてない。俺だって……あれで良かったさ。うん、まぁ、お前が無事だったんだし……」

 

 最後だけそっぽを向きながらやたら小さな声であった。だが神無はそれを気に留めず、一夏の言葉を噛みしめると静かに頷く。

 

「うん、それはありがたいの。でも、私が割り切れるかって話なのよね。ごめん、もうちょっと時間要るかも……」

「そっか……」

 

 そのまましいばらく、無言の時間が続く。徐々に夕方のうす暗さが室内に広がっていく中、再び口を開いたのは神無が先であった。

 

「そういえば例の試合のことだけど、どうするつもりなの? こう言っちゃあれだけど、一夏はISに関しては素人でしょ?」

 

 それを聞いた瞬間、一夏の顔が僅かに苦みに歪む。痛い所を突かれた。そう表情が語っていた。

苦い顔のまま瞑目すると、額に軽く手を当てる。そのまましばし、口元をもごもごと動かしながら考え込み、ある程度言葉が纏まったのか、ゆっくりと頷きながら口を開いた。

 

「まぁ、確かに不安要素は多いな。専用機があるって言っても、それで対等って訳じゃない。俺なりにできることはしたつもりなんだけど、はてさてどうなるやら」

 

 言いながら一夏が思い出すのは影島が訪ねてきたあの夜。専用機が貰えると分かったと同時にかけた一本の電話。強いて言うのであれば、あれこそが現状一夏にできる最大だっただろう。手法としては確実に反則もの。だが、こうなってしまった以上、勝率を上げるとしたら極めて有効な策であることは確かなのだ。無論のことではあるが、このことは誰にも話してはいない。姉にもだ。そしてそれは目の前の神無とて例外ではない。

 もしかしたら、いずれはその事実が広まる時が来るのかもしれない。だがまだ今は違う。一夏とて自分がやったことの重大さは理解している。これ以上、無用な騒ぎは御免被りたい。

 

「とりあえずは、今まで通りに鍛錬をしながらISの勉強もしていくしかないのかな。少しは訓練機とか使いたいんだけど、先生とかに言って何とかならねぇかな……」

 

 参ったと言うように頭を掻く一夏を神無は静かに見つめる。その表情は何かを探るようでもあり、同時に何かを思案しているようでもあった。

しかしその表情の変化はごく微細であったために考え込んでいた一夏が気付くことはなく、そのままむ~む~唸っていた一夏はお手上げと言うように両手を肩のあたりまで上げると、フルフルと首を横に振る。

 

「ダメだ。今ここで考えてもどうにならねぇ気がしてきた」

「そうねぇ。うん、やっぱり先生とかに相談するのが一番よ」

「違いない」

 

 揃って笑みを浮かべながら頷く。何気なしに会話の歩調が合う。そのことに一夏は一瞬、意識が過去へと引き戻されていた。思い返せば、昔もこうやってよく話したものだ。師の訓練の無茶苦茶ぶりに陰で互いに愚痴を漏らし合ったり。

意識そのものはすぐに元の目の前へと戻ったが、ほんの一瞬脳裏に浮かび上がった記憶に懐かしさを抱く。少なくとも、悪い気はしないというのが本音だった。

 

「ところで、IS学年一日目はどうだったかしら?」

「わざわざ聞くようなことでもないだろ? 動物園のパンダの気持ちが味わえたね」

「そりゃあ仕方ないわよ。一夏ってばすごく有名になってるんだもの。良くも悪くもね」

 

 良くも悪くも。そのただ一言にほんの僅かだけ存在する含み。それを悟った一夏は薄い笑みを浮かべる。

 

「まぁ、な。確かに良くも悪くも、だ。けど、それならそれでいいさ。元々腹は括ってたし、来るなら来いって話さ」

「あらあら、随分強気ねぇ。フフッ、けどちょっと安心したかな。心配、あんまり要らなそうね」

「いや、お前に心配されるならそいつは悪くない」

「えっ……?」

 

 不意に一夏が真顔で放った一言。その言葉に神無が思わず固まる。それに首を傾げた一夏だが、よくよく自分の言った言葉を思い返すと、一夏もどこかぎこちない表情になって明後日の方向を向く。

 

「わり、変なこと言ったか」

「う、ううん。平気よ別に」

「そうか」

 

 揃って咳払い。そして軽く呼吸。手早く調子を戻して仕切り直しを図ろうとする。

 

「そういえば、時間は平気なのかしら? 寮の門限はまだあるけど、初日からあんまり遅くなるのはマズいんじゃないかしら? ううん、時間自体はまだまだ全然平気だけど、荷物とか色々あるんじゃない?」

 

 部屋の壁に掛る時計。その針が示す時間を見ながらの神無の言葉に一夏もようやく時間というものを意識する。言われた通りだ。確かに初日くらいは早めに戻ってじっくりと準備をするべきだろう。同室は女子というし、そのあたりで気も使わねばならない。

 

「あぁ確かに。そろそろ寮の部屋とかも見とかなきゃマズいか」

 

 ヤバイヤバイと言いながら一夏は横に置いてある鞄を掴む。そして椅子から立ち上がる。

 

「できれば、このままもう少し話し込めたら良いとも思うんだけどさ」

「そうね、確かに悪くなさそう。けど、毎日同じ場所に居るんだもの。会って話す機会なら幾らでもあるわ」

「それもそうか」

 

 言われてみれば納得だと一夏は頷く。なら何も気にすることはない。あまり遅くなるのも問題ゆえに、一夏はそろそろ部屋を出ようと思う。

 

「そういや神無。お前こそ時間は平気なのかよ?」

「フフン、これでも生徒会長よ? ある程度行動はフリーにできるわ」

「そりゃ羨ましいな。なぁ、会長引退する時は俺にポスト譲ってくれよ」

「残念だけどそれは無理ねぇ。だってこの学園の生徒会長の第一条件は『学園生徒最強』だもの」

 

 クスクスと小さく笑いながら神無は手にしていた扇子を勢いよく開く。木製の骨に張り付けられている何の柄も描かれていない白紙、そこには達筆で『強者君臨』と書かれている。

だが、それを見ても一夏が顔をしかめると言うことは無く、逆に闘志を秘めたような笑みを強めるだけであった。

 

「その点なら心配するなよ? この春からお前は二年生。単純計算で在学年数は二年だから、仮に生徒会長続けるにしてもそれが最長だ。

それだけありゃあ十分だよ。いや、二年とは言わないな。一年、いや半年か? それだけあれば学園最強の座に挑むに不足ない実力をつけてやるよ」

「そっか。それは楽しみね。うん、楽しみ」 

 

 微塵の揺らぎもない、自身の力とこれからの成長に一切の疑いを持たない言葉に神無は柔らかく笑う。

先の一夏が神無の表情にかつてを思い出したように、この時彼女もまた雄弁に語る一夏の顔を見て昔を思い出していた。

事あるごとに師の後を継いで最強の剣士になるんだと、大望を幼さゆえの自信で強く語っていたかつての姿と。

 

「さ、て、と。そろそろマジで時間ヤバいかもしれないから俺は戻るよ。じゃあな」

「うん、じゃあね。またいつでも来なさいな。今度は美味しいお茶も出してあげる」

「あぁ、そりゃ楽しみだ」

 

 そう言って一夏は部屋を出る。閉じられる扉。完全に室内に一人きりとなってからもしばらく、神無は扉を見続ける。

だがやがて両腕を頭上に上げて背筋を伸ばすと、そのまま座っていた椅子の背凭れに深く身を預けた。

 

「ホント、変わらないんだから」

 

 思い出すのは直前まで部屋に居た少年。確かに年月の経過は感じた。背丈は伸び、風貌も面影はあるがだいぶ大人びた。唯一変わらないのはあの傷跡くらいか。纏う雰囲気もだいぶ落ち着きを持ったものになっている。

だが、会話の端々から感じるその心、本質はまるで変わっていない。そのことが面白く感じると同時に、どこか嬉しさを抱く。

 思えば、かつての自分はあの少年を気に入っていた。一緒に修練に励んでいて良き競争相手でもあり、良き友人だった。

そんな昔の気に入っていた部分が変わらないというのは、やはり悪い気はしない。

 

 不意に神無は浮かべていた笑みを引っこめる。顎に手を当てて、考え込むように視線を落とす。

 

(大丈夫、なのかな)

 

 考えるのは一夏のIS試合。正直言ってしまえば、心配があるのも事実だ。経緯については既に凡そのことは把握している。件の騒ぎの際の一夏の相手となるセシリアの言動、それについては神無も一言物申したく思える部分はあるが、それとISでの実力は別だ。

第三世代型ISを操る英国代表候補生。その肩書きは決して伊達や酔狂では無い。神無としては油断はできないが脅威とは思えない。同じように彼女も持っている彼女の専用機との相性的な面もあるし、乗り手としてもだ。いかに代表候補いえども、さすがに自由国籍権でロシア国家代表(・・)の座についている自分には劣るだろう。

傍から見れば高慢、増長とも取れるような考えだが、明確な自負として彼女は意識している。

 

 だが一夏は違う。男性という点を除けば操縦者としては基本的に素人と考えて間違いない。

もしかしたら才能はあるのかもしれない。いや、確実にあると断言できる。先の宣言通りに本当に半年そこらで実力を飛躍的に、それこそ彼が言ったように自分に挑めるほどに伸ばすかもしれない。なにより、ISを動かすための基本となる身体操法については彼は他の者とはレベルが違う。

だが、それでも一週間は準備期間としては短い。専用機が用意されることも知っているが、それでもだ。

 

「……」

 

 無言で考え込む神無。ふと、顎に当てていた手を離すと椅子から立ち上がる。

そして生徒会室の壁に揃って並ぶ棚の内の一つの前に立ち、そこにある書類を漁り始める。

 

(ちょっと早いかもしれないけど、私も動こうかしら)

 

 そうなってくれれば幸いなのだが、一夏には早急に力をつけて貰わねばならない。無論、理由は今度の試合などではない。そんなチンケな理由など、比べようも無いほどに重要な理由によってだ。

彼と縁故があるゆえの私情が無いと言えば嘘になる。敢えて否定はしない。だが、それでも努めて冷静な思考で考えを巡らす。既に『神無』はおらず、更識十七代当主『楯無』としての顔がそこにはあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、あぁ言った手前、あまり無様は晒せないよな」

 

 寮へと向かいながら一夏は一人呟く。後を付いてくるような気配は無い。一人でいること。その実感に心地よさを感じながらも歩みは寮へと一直線に向かう。別に人と居ること自体は嫌いではない。親友たちと戯れているのも好きだし、姉とつまらない会話をするのも好きだ。師と共に鍛練に励むなど至福だ。

だが、やはり一人というものが欲しいときもある。そして今がそう。こうして静かな空間で思索にふけるのは中々どうして気分が良い。傍目にはぼっちに見えていてもだ。ぼっち最高、元より強者は孤高たるべきだろう。そういう意味で、武術的強者である自分がぼっちスタイルでいることはなんら不自然ではない。青春ラブコメとして間違っていないか? 知らぬ知らぬ。聞こえぬ見えん。

 

「まぁね? 不利なんざ百も承知なんだよ。んなこたぁ分かってる」

 

 対戦相手のセシリア・オルコット。イギリスの代表候補生。生憎と代表候補という者がどれだけの実力者なのかは知らないが、少なくともはったりではないだろう。

IS、その技術力並びに使い手の実力が現在の各国の外交における武力面でのカードとなっている以上は、おそらくその座は完全実力主義なのだろう。

いや、曲がりなりにも国防の要となる以上は相応に人格も求められるのだろうが、やはり実力に比重が置かれているのは確かだろう。少なくともあの言動を鑑みるに。

 対して自分は完全に素人。もはや笑うより他はないだろう。

 

「単純に始末しろならまだ楽なんだけど……」

 

 ルール無用ならこちらのものである。ISなど纏っていない隙に闇討ちをかけるだけだ。どうにもルールに縛られた戦いというのは肌に合いにくい。中学時代がそうだった。

師の言葉で気まぐれに転校先の学校で剣道部の者と試合をしたことがある。剣道そのものは幼少期の経験があったためにルールなどは覚えていたため、試合の運航に支障は感じなかった。

だが、やっている時はどうにも師との立ち合い比べやりにくさを感じた。そういうものだと理解はしているが、いつの間にか面だ籠手だ胴だの攻撃箇所の限定や判定やらが煩わしく感じるようになっていたらしい。

更に言えばその試合、結局は正式な形での勝利も収めたがその後に少々騒動もあった。思いだし、肩をすくめる。

 

「まぁ、とにかくやるしかないよな」

 

 決まったことを嘆いても仕方ない。訪れる状況にどう対処するか、それを考えるのが一番建設的だ。

とはいえ、考えることなど決まり切っている。斬る、あるいは叩く。それだけだ。それしか能が無いようなものでもある。

セシリア・オルコット、確かに実力者なのだろう。確かに自分の勝率は低いのだろう。だが、その上で食らいつく。そして叶うのであればそのまま――踏み潰す。

 求める頂点。戦う術を学んだ者としての性と、ごく極めて個人的感情。その二つを理由として求めるその領域へ至るのに、はっきり言ってしまえば通過点なのだ。

よくよく考えれば、クラス代表の座にしてもそれは同様。全ては、目標のための踏み台、あるいは階段の段の一つにしか成りえない。ならば踏破する以外に他はないだろう。

 

 自然と力強く拳を握る。人生のほぼ全てをつぎ込んだとも言える修練。少々趣は異なるが、それを公に振るえ実際に極みを目指せることに少なからず興奮を覚える。この実感だけでもそれなりの価値があると思えるほどに。

いつの間にか一夏は犬歯をむき出しにした笑いを浮かべていた。あるいは本質が殺法などという負の側面が強いものを学んでいたからか、心が暗く滾るのを感じずにはいられない。

歩きながら一夏は左拳を右手に叩きつけ、そのまま右手で左拳で包む。中国拳法の包拳礼、二種あるそれの命を賭けての決闘の意志を示すそれに酷似した動きをして一夏は思いを馳せる。

 

(やるなら全力だ。前に立つって言うなら、全力で挑んで、勝つ!)

 

 そこまで思い、はたと気付いたような顔になる。いつの間にか殺気が漏れていたかもしれない。

イカンイカンと気分を落ち着ける。師との立ち合いは常に全力全壊、ではなく全開でやっていたからか、いつのまにかこのような気配も漏れやすくなっているのかもしれない。これは要自制だと己を戒める。

もっとも、いざ試合となったら自制などかなぐり捨てるが。一応相手は女だが、だからと言って加減する理由もないだろう。ISなんて使ってくるのだ。やれるのなら泣こうが喚こうが完膚なきまでにだ。泣くまで殴るのを止めないなどというが、泣いた程度で止めたら効果が薄いのではないかと思う。むしろ更に徹底的に潰しておいた方が後腐れが無いというものだろう。その上でなお抗ってきたら、それはとても素晴らしく戦い甲斐がある。

 一応補足をしておけば、一夏は自分の技を自制する心構えをそれなりに持ってはいる。少なくとも女子供一般人素人相手にはまずもって本気を出さない。だが、明確な敵意を以って来るのであればまた話は別となる。『勝敗を分けるのは力でも技術でも能力でもない。まず心、つまりは意志だ』とは師の言葉。

強い意志でかかってくるならどれだけ弱かろうが侮れない。だから確実に叩かねばならない。

 

 そのあたりの割り切りで考えるならば、このIS学園はさして問題のある場所ではないだろう。

皆が皆真剣なのだ。気が乗らないということは起こりようが無い。そういう意味では、やはりこの学園での生活も悪くないものになるかもしれないと思う一夏だった。

 

 

 

 

 もっとも、悪くない理由の最たるが別にあるというのは彼の胸の内のみのことである。

 

 

 

 




 今回は特に何事もないという感じでしょうか。楯無を前にした一夏の喋りがぎこちないのは仕様です。本人は昔のケリをつけたいだけと思っているのに、なぜか分からないけどそうなってしまうという感じで。なぜ微妙な喋りになるかは本人も分かっていないということです。

 あぁそういえば、ついに発売された原作八巻で楯無の本名が公式で明かされましたね。
とりあえず原作は原作ということで、こちらでは楯無の本名は神無のままで通そうと思いますので悪しからず。

 今回は話に特に盛り上がりがないため、どうにもあとがきで書くことが見つからない。
とりあえず、一夏の思考が物騒な方向に走りやすいのも仕様だということでお願いします。


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第九話

 今回はほとんど弄る箇所が無かったため、ほとんどそのままの状態で上げさせて頂きます。
手間が省けたと言えばそうなのですが、全く手を入れる箇所が無いというのもまた微妙な気分にですね。なまじ手を加えないだけにこれでいいのかと思ってしまったり。


「なぁ一夏」

「なんだ」

 

 IS学園入学から二日目。寮の食堂にて一夏は朝食を摂っていた。半円状のテーブルと椅子があるボックス席に座り、朝食の和食セットを食べる一夏の対面に座る形で箒がいる。

時は遡り前日の夕刻、神無との会話を終えた一夏は学生寮の自分に割り当てられた部屋へと向かった。部屋番号は1025室。

 真耶より事前に女子と二人部屋ということは聞いていたために、寮に戻るまでの時間がかかったのは心を整理するという意味では僥倖だったと言える。

はたして誰が同室になるかは分からないが、学園側が新たに部屋を都合してくれるまでは一つ屋根の下の縁となるわけである以上、それなりに良好な関係を築けたら良いとも思っていた。

そうして部屋へとたどりついた一夏がノックと共に与えられた鍵で扉を開けて入った室内で見た先客、それは風呂上がりのためか湿った髪にタオルを当てていた浴衣姿の箒だったのだ。

 

 その瞬間、存外冷静でいられたとは後々の一夏の言である。

先にも述べた通り、同室の相手が女子であるということは当に承知していたために女子がいることは別段どうでもよかったのだ。

実際問題、仮に一夏の同室者が他の誰であったとしても一夏の反応は変わりはしなかっただろう。強いて異なる例を挙げるとすればまずはセシリア。

件の騒動の際、一応落ち着いた対応を取った一夏であるが、それでも一連のやり取りで彼女に少なからず良くない感情をもっていることもまた確かであった。故に露骨とまでは言わずとも、やや困ったような反応をしていただろう。

 そしてもう一人が更識楯無。つまりは神無である。想定していなために一夏本人は気付いていないが、仮にそうなっていた場合、彼はすくなからずうろたえていたことは確かである。年相応の少年のように。

 では結果である箒の場合はと言えばどうなるのか。別段特に何も無いが答えだ。敢えて言うのであれば、「あぁ、箒なんだ」とごく自然に受け入れるくらいだろう。少なくとも一夏にとっては同室の相手などその程度で片付く瑣末事であった。

 

 対して狼狽したのが現在一夏の対面に座る箒である。何かが気にかかるような、やや落ち着きの欠けたような素振りは前日から続いていたことだった。

一夏自身、箒の様子が落ち着いていないことは当に気付いていたのだが、原因に心当たりがまるで無いために敢えて指摘はしないでいた。流石にずっとそのままであれば多少なりとも気にはなるが、意図的にそうならないように意識をすればいい。

 一応、部屋に備え付けのシャワーの使用時間や着替える際の注意など、一通り互いに確認しておくべきことはした。荷物にしても着替えや携帯電話の充電器、ノートや教科書の類はともかくとして、荷物に素知らぬ顔で入れておいた愛刀に小刀や針などの仕込み武器はなるべく目に付かないスペースに手早くしまった。修業に使う持ちこめるような荷物も隅にやっておいた。

考えれば考えるほどに寮生活において、潰しておくべきチェック箇所は潰した。抜かりは一切無いはずである。だというのに、なぜ目の前の幼馴染は落ちつこうとしないのだろうか。

 少し思い返してみれば、一夏が知る昔の箒はもっと強気だったはずである。確かに同年代の女子に比べれば性格的にも固く、剣道のために常に竹刀を持ち歩いていたり言葉づかいもどちらかと言えば男のソレに近かったことから、他の同級生との諍いも多かった。

だが同時にそれは、言うなれば気の強さの現れであり今目の前の様子とはまるで違う。そのことに一夏も少なからず戸惑いを感じていないわけではないのだが、今はその疑問を意識の片隅に押し込んで箒の問いかけに答えることにする。

 

「その、だな。お前は気にならないのか?」

「何を?」

「決まっているだろう。周りを見てみろ」

 

 静かに椀に盛られた白米を食べながら不意に箒から掛けられた言葉。一体何かと思えば、周囲が気にならないのかという問い。箒が言葉で示そうとしていること。それは食堂のあちこちから一夏と、そしてその対面に座る箒に集中する無数の視線だった。

はっきり言ってしまえば、そんなことには当に気付いていた。積んできた修練は伊達や酔狂でも無く、常人よりはよっぽどそういった感覚に鋭い。

敢えて口には出さないが、箒は視線を感じているだけだが一夏は更に一歩踏み込んで、その視線の強さの度合いの揺れや、より細分化しての視線の一つ一つを察知することもできる。

伊達に「訓練だ」の一言だけで師に夜の森に放り込まれて、四方からの攻撃の対処を叩きこまれたわけではない。

 

「別に、気にすることじゃあないだろ。というか、元々こうなることは覚悟してたし」

 

 あ~味噌汁んめ~と思いながら一夏は答える。実際その通りであり、そもそも前日からして視線には散々に晒されてきたのだ。

良く思う思わないは別として、もはや気にしても仕方ないという心境に至るには十分である。だというのに箒が視線を気にするのは、やはり一夏の半ば巻き添えになる形ではあるが、今この時に初めて大量の視線に晒されたからか。

 

「第一さ箒。お前、剣道で全国優勝したんだろうが。全国クラスになれば試合とかで観客の視線も凄いと思うんだけど?」

 

 そうは言ったものの、引き合いに出した大会の試合などで向けられる視線と今この場の視線では質がだいぶ違うだろうとも思った。

物理的な距離というものの差もあるだろうが、やはり視線に込められる意思が大きく違うことは間違いない。

剣道の試合というある種の緊張の場で向けられる視線と、この場のさながら動物園の珍獣に興味を示すような視線。どちらが感じてマシかと問われれば、前者に決まっている。

 

「いや、その……」

 

 逆に問いを掛けた一夏の言葉に箒が言葉に詰まらせ、目を小さく伏せる。

 

「どうした?」

「あ、いや……何でも無い。急いで食べよう。時間も少ない」

 

 その変化に気付かないほど一夏も愚鈍では無い。いや、表情の変化はあからさまでありそれを気にするというのは極々自然な反応と言えるだろう。

それは一夏もまた同じであり、剣道優勝のことを話に出した途端に表情を曇らせた箒の様子に眉をひそめながらも尋ねる。

 一夏の問いかけに気付いたように箒は伏せていた顔を上げると、真正面の一夏と視線を合わせ、そして気にするなという風で再び朝食を食べだす。

黙々と、一夏と視線を合わせることを避けるように朝食を食べる箒の姿を一夏は静かに見つめていた。その眼が僅かに細められ、まるで見透かそうとしているような鋭い色が宿っていたのに気付く者は誰一人としていなかった。

 

(ふ~ん……)

 

 僅かに視線を合わせた数秒。その数秒で一夏が行ったのは箒の目を見据えることだった。

師より授かった秘伝の一つ。師は技法というよりも極意に近いものだと言っていた。心を静かに落ち着かせて相手の眼を見る。そしてそこに浮かぶ相手の思いを、考えを読み取る。

本来であれば数瞬の駆け引きが勝敗を決する武技の競い合いでこそ使われる手法だが、こういった用途に使えないこともない。

 そして読み取った直前の箒が浮かべていた感情。それは後悔だった。それに対して一夏が思ったのは疑問だった。

 剣道の全国優勝。その言葉がキーになったのは確実。だからこそ解せない。全国大会での優勝。普通ならば誇って然るべきだろう。

誇張でも何でもなく称賛されるべき功績だ。少なくとも、言われて悪い気にはならないはずである。だが箒はそのことを言われても喜ぶどころか悔いるような表情を浮かべた。それがどうにも分からなかった。

 気になると言えばなるのではあるが、目の前で黙々と朝食を食べる箒の姿を見るに、問い質した所で明瞭な答えが返ってくるとは思えない。

そう思った所で食堂に一年寮の寮監督を務める千冬が姿を現れ、厳しい叱咤と共に迅速な行動を指示する。

 時間に遅れた場合の罰則というグラウンド10周は別に何とも思わないが、面倒を起こすわけにもいかないので一夏も手早く朝食を平らげにかかった。

 

 

 

 

 

 

 二日目の授業、どちらかと言えばつつがなく終わったというのが一夏の見立てであった。

相変わらず見物人は多いものの、全体的な様子としてはある程度落ち着きを見せている。一夏に興味を示しているのは事実ではあるが、同時に学園での授業に大いに集中しているのもまた事実。

 噂だ珍事だの類に興味を大いに示すのはもはや当然としても、それにばかりかまけず自身が為すべきこと、つまりは勉学もきっちりと割り切りを付けて行っているあたりはさすがは天下に名高いIS学園だと思う。

半ば成り行きで入学することになった自分とは異なり、確固たる意志と目標を持って入学したのだからある意味では当然とも言えるが、このあたりは悪いものとは思わない。

周りが頑張っているのだから自分もという気になり、程良い緊張を感じることができる。尤も、それでも珍獣扱いで見物は勘弁してほしいというのもまた本音ではあるが。

 

 

 

 

 決闘までの時間は刻一刻と過ぎていく。

叶うならばISの練習をしたいが、放課後の補講を受け持ってくれた真耶の言による所では、現在機体を使っての訓練の予約は上級生が占めているらしい。

未だ一年が基礎の基礎段階にあり、実機を使っての練習を行わないこの時期になるべく多く実機訓練の時間を確保しておこうという目論見であり、それについて学園側も認めている形になっているかららしい。

専用機があれば話は別ではあるが、千冬いわく納入までに今しばらく時間がかかるとのこと。

 さてどうしたものかと思ったものだが、そこまで深く考えることでもないと気付く。必要と思うことをすればいいだけのことだ。

 箒から剣道場に来てほしいとの言葉を受けたのはそんな風に考えた学園生活三日目の放課後。寮に戻って屋上で砂鉄袋でも叩こうと思った時のことだった。

 

 指定された時間に学園の剣道場にやってきた一夏。

出迎えてくれた剣道部の部長を名乗る上級生に一体何事かと尋ねてみれば、彼女もよく事情を知らず、ただ箒が一夏を呼んだということしか知らないとのこと。

 それを受けて一夏は、なんとなくではあるがその後の展開を予測しつつも道場に入る。そして見つけた。道場の中央で胴着と防具をつけて竹刀を持つ箒の姿を。

 

「あぁ、やっぱな」

 

 周囲には聞こえないような声で呟く。突然の呼びだし、胴着と防具を着用しての竹刀の携帯。それらがパズルのピースのように思考の内で繋がった。

 

「来たか、一夏。いきなり呼びだしてすまない。用件は、分かるな?」

「まぁ、ね」

 

 箒の言葉に一夏は小さく頷く。姿恰好、雰囲気を見れば一目で分かるというものだ。言葉にするまでもない。篠ノ之箒は織斑一夏に立ち合いを求めているということだ。

 

「しかし、いきなりなんでまた?そのくらいは聞いてもいいだろ?」

「別に特別な理由は無い。ただ、お前の腕が気になっただけだ」

「ふ~ん」

 

 本当に何でもない理由だなと思いつつ一夏は周囲を見る。相も変わらず自身のネームバリューが効いているのか、二人を囲むように剣道部の部員やそれ以外の野次馬などがズラリと並んでいる。

剣道部員の方は一夏だけでなく、全中優勝の箒の腕前も気になるといった風情だろうか。とはいえ、そのあたりは一夏には特に気にするようなことでもない。

道場の一角にある竹刀置き場に向かい、立てかけられた竹刀の中から丁度良いものを見繕う。そして手頃な一振りを選ぶと、それを片手に持って道場の中央に向かって箒の前に立つ。

 

「よし。じゃあ、始めようか」

 

 その言葉に周囲が驚きのざわめきを上げる。それはギャラリーだけでなく、一夏の前に立つ箒もまた同様であり、面具の向こうの瞳を大きく見開いている。

 

「何を馬鹿なことを言っている。防具をつけろ! 怪我をするぞ!」

 

 だがその言葉に一夏は無言で首を振る。なるほど、箒の言うことも尤もだ。

竹刀も使い方によっては立派な凶器になりうる。ましてや箒は中学いえど全国大会の優勝者。素人とは異なり適切な振るい方を、つまりは的確に相手にダメージを与える方法を心得ている。

補足をすれば、箒の剣筋の鋭さは既に同年代の中では相当に高い。このIS学園剣道部の生徒と比べても、箒は入学したての一年の身でありながら既に部の即戦力たりうる実力を持っている。防具を着用せずにそんな一撃を受ければ怪我は免れない。ましてや面に、頭部に当たろうものなら一大事にもなりうる。

 箒だけではない。周囲の剣道部の面々も一夏に防具の着用を勧める。別段、男だ女だは関係ない。前述した通り、全中優勝の腕前は軽々しいものではなく、純粋に安全面での配慮ゆえだ。

 そのあたりは一夏も重々に承知している。そもそも、それ以上に危険を伴うことをやってきたのだ。今更言われるまでもない。だが、それを承知した上で一夏は言った。

 

「要らんよ。必要もない」

 

 不要と答えた。そして一夏は竹刀を右手のみで構える。その姿に箒は、剣道部の面々は、成り行きを見守っていたギャラリーは理解する。一夏が構えを取ったことを。いつでも試合を始められる、その意思を示したことを。

 

「本気なのか……?」

 

 慎重に、本当に良いのかと箒が尋ねる。だが、その声には僅かに険が含まれている。一切の防具を付けず、あまつさえ構えは片手のみ。それを侮りと取ったからか。

だが、そんなものどこ吹く風というように一夏は頷く。しかし表情は真剣そのもの。ふざけも何も、一切存在していないことが分かる。

 

「……分かった」

 

 もはや言葉は不要と言うように竹刀を構える箒に、見守っていた部員の誰かが諌めるように箒の名を呼ぶ。そして今度は箒がその声を切り捨てた。

 

「止めても無駄だ。こいつは防具無しの片手でやると言っている。なら是非も無い。こいつも男だ。自分で言った言葉くらいは全うするだろう。一夏、有効打はルールに従って面、胴、籠手、突きのみだ。構わないな」

 

 確認する箒に一夏は頷く。それを了承し準備を整えた箒はギャラリーに始めの掛け声を求める。あまりに異様としか言えない展開に部員は顔を見合わせて戸惑うが、やがて一人の部員が一歩進み出て右手を目に出す。そして――

 

「始めっ!!」

 

その声と共に差し出した右手を振りあげて試合が始まった。

 

「いやあぁぁぁぁぁぁっっ!!」

 

 先手を打ったのは箒。竹刀を上段に振りかぶり、気合いの掛け声と共に一夏へ向けて踏み込む。

未だ15の少女の身なれど、その動きはさすが全国大会優勝者と言うべきか。動きの開始に際してのラグの少なさ、動きそのものの鋭さや一足で大きく距離を詰める勢いや速さは、見守っていた部員の多くが思わず感嘆の声を上げる程。

対する一夏は一歩として動こうとしない。ただ、右手で竹刀を構えたまま不動の姿勢を取る。

 間合いに一夏を捉えた箒が竹刀を振りかぶる。鋭さと速さを伴った一撃が一夏の頭頂部目掛けて襲いかかる。一体一夏はどのような行動を取るのか、直撃すれば無事で済まないことは必至。ギャラリーが、部員が、箒本人も固唾を飲む。

 

 そして道場に響いたのは竹刀同士が打ち合う乾いた音だった。

 

「ふんっ……!!」

 

 一夏が行ったことはごく単純。右手に持った竹刀で、片手のまま箒の一撃を受け止めることだった。

激突は竹刀の中ほどであったが、素早く一夏が竹刀を滑らせて交差点を鍔近くにすることで鍔迫り合いの形になる。

その光景に誰もが驚きに目を見開く。上段から両腕で振り下ろされる竹刀。それを片手だけで受け止めたことに。部員は当然として、剣道にさほど詳しくない他のギャラリーも同じだ。

とは言え、片手と両手ではどちらの力が上かなど、考えるまでも無い。幼稚園の子供でも分かるごく自然な道理だ。

 このような時勢ではあるが、やはり筋力などは原則的に男の方が優位に立ちやすいということは生物学的な観点でもごく当たり前のこととして知られている。長袖長ズボンの制服ゆえに全貌は分からないが、制服の上から見るに一夏はよく鍛えている体つきをしていることが分かる。

だがそれでも、中学全国優勝者の両腕からの一撃を片手のみで受け止めるなど、普通はあり得ない。驚愕、あるいは戦慄が観衆の表情を彩る。

それは箒も同様であり、涼しい顔で自身の一撃を受け止める一夏に驚愕、畏怖、戦慄が入り混じった表情を浮かべる。

 とは言え、一夏も何も腕力だけで受け止めているわけではない。片足を僅かに後方に下げ、下げた足に力をやや多めに込めることで体全体をつっかえ棒のように固定。さらに右腕もやや大きめに曲げ、上体と右腕がなるべく近づくようにして腕だけで力を受け止めないようにする。

一見すれば片手のみ、その実は体全体で受け止めていると言った方が正しい。

 

 数秒の拮抗。今度は一夏が仕掛ける。道場の床を踏み締める両の足に力を込める。無駄なロスが起きないように床を踏み、その反発力を体を通して一気に持ち上げる。

足先から走らせた力で体を前面に押し出すと同時に、その勢いをスターターとして右腕も大きく前に押し出す。コンマ数秒の速さで行われたソレは、受けた側である箒にとっては不意に大きな力が叩きつけられたという錯覚を引き起こす。

同時に、両腕で押し込もうとしていた箒の竹刀が大きく弾かれ、箒自身もまたたたらを踏んで後ろへと下がる。

 

「くっ……」

 

 隙を見せまいとすぐさま崩れた体勢を立て直し、竹刀も構えなおす箒。だが、一夏は動かなかった。間違いなく箒が大きな隙を晒していたにも関わらず、あえてそれを諦観したのだ。

そして、その顔にはどこか納得し満足するような表情があった。

 

「いい一撃じゃないか、箒」

 

 不意に穏やかな声で讃えるように一夏う言った。箒もまさかいきなりそのようなことを言われるとは思っていなかったのか、一瞬呆けるような顔になる。だが、それに構うことなく一夏は言葉を続ける。

 

「いやぁ、本当に強くなってたな。六年ってやっぱ大きいよな、うん。何とかなったけど、正直片手で大丈夫かって不安になったよ」

 

 ウンウンと一人で納得するように頷く一夏。一人で話を進めるその姿に箒も、観衆も何も言わない。

 

「ホントさ、ちょっと驚いたし、まぁ嬉しくもあったかな。一太刀、たったそれだけだけど打ち合って感じたよ。箒、お前の六年ってやつを」

 

 そしてふと、一夏が口の端を吊り上げる。浮かべるのは笑み。だがそれが友好的かと問われれば、おそらくは否。どこか勝ち誇るようなその笑みは言外に告げている。称賛はすれど己が上だと。上に立つ余裕、全中優勝者相手に一夏が浮かべたのはそんな笑みだった。

 

「じゃあ今度は俺の六年、見せてやるとしよう」

 

 空気が変わった。そう感じたのはどれだけの人間か。対面している箒、そして見守る剣道部の面々の極一部くらいだ。それを除けば一夏の纏う空気の僅かな変化に気付いた者は居なかった。

そして、もっともその変化を顕著に感じているのは他ならない一夏と直接向き合う箒だろう。竹刀を握る手の内に汗が浮かぶ。面越しに一夏の目が自身を見つめているのが分かる。

子供の頃から想い続けてきた幼馴染に見つめられる。そのことに本来なら胸が高鳴るべきなのだろう。だが、それとは別の意味で今、箒の心臓は大きく鼓動を打っていた。何もかもを見透かされている。箒が抱いたのはそんな感覚だった。

 

「来い、箒」

 

 浮かべていた笑みを引っこめ、静かな眼差しで一夏が言う。その声に箒は言い知れない圧迫を感じた。

初日、再会した時に一夏は変わったと思った。六年もあれば当然とは思ったが、箒は見込みが甘かったことをしる。まだ自分は、一夏の変化を少ししか見ていなかった。

喉を鳴らして唾を飲む。緊張からか。呑み込んだ唾は粘性が強いものだった。それでも箒は竹刀を構える。威圧を感じながらも、一夏が向かって来いと言っている。答えないわけにはいかなかった。

 ゆっくりと竹刀を上段に構える。そして――

 

「やぁあああああああああああ!!!」

 

 先ほど以上に裂帛の気合を込めて一夏へと向かって行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 勝敗が決し、一夏が去った後の道場で箒は茫然としていた。周囲の部員や観衆が心配そうに箒を見ている。

完敗、そう言わざるをえないほどに完膚なきまでに封殺された。中学剣道女子全国優勝という経歴は紛れもない本物だ。思う所はあれど、そのことから来る自身の実力への自負はあった。慢心するわけではないが、並みの相手には負けないという自信はもっていた。だが、それは一夏相手に木っ端微塵に打ち砕かれた。

 あの一撃目以降、箒の攻撃は一夏にかすりもしなかった。確かに当たると思った。なのに、まるですり抜けるかのように箒の攻撃の悉くが交わされる。まるで幻を相手にしているかのような錯覚すら覚える。

そうしてかわされていく内に、気が付けば喉元に一夏の竹刀が突きつけられていた。別に一本を取られたわけではない。だが、その突き付けられた一夏の竹刀の切っ先を見て、箒は自身の敗北を悟らされた。

 そのまま、糸の切れた人形のように床に崩れ落ちた箒を静かに見つめながら一夏は言った。

 

「箒、ひとまずは見事と言っておこう。あぁ、ガキの頃とくらべものにならない実力、お前の成長は確かに見届けた。誇れよ、並みの相手なら負けることは無いだろうさ」

 

 でも――と、どこか憂いに近いものを含んだ表情で続けて言った。

 

「残酷なことを言えば、その程度じゃ俺には勝てんよ。俺は並みとは違う。持って生まれた物、積み重ねてきたもの、何もかもが違う。俺を、有象無象と比べるな」

 

 それだけ言って一夏は竹刀を元の場所に戻すと道場から立ち去った。部屋、先に戻っているからという言葉だけを残して。道場の入り口に固まっていた観衆も、無言で歩き去る一夏に自然と道を開けていた。その姿はさながら海を割るモーゼのようにであり、実力だけでない何か他者と隔絶するような空気を纏うものだった。

その背を見つめながら箒は感じた。六年の間に生まれた、一夏との決定的な隔絶を。そして――悔しさに拳を強く握りしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 道場から去った一夏が向かったのは校舎の玄関だった。渡り廊下を使って校舎から直接剣道場に赴いたため、寮に戻るには一度玄関で靴に履き替える必要があるのだ。

校舎の廊下を一夏は両手をポケットに入れながら歩く。手甲が引っ掛かってしまうため、親指だけをポケットの縁に引っ掻けて外に出す形にしている。

廊下には人の気配が少ないためかシンと静まり返っており、歩く一夏の上履きの踵と廊下の床がぶつかる音だけが響く。一定のリズムで廊下に響く音を楽しみながら、一夏は校舎の玄関にたどり着く。後は靴に履き替えて寮に行くだけだ。

 既に一夏の思考は寮に戻ってからの座学の予復習や刀の素振りや砂鉄袋叩き、型稽古などの勉強や修練の計画の構築に入っている。靴を履き替えるといった動作はもはや体に染み付いているため無意識でできる。それ故か、一夏の思考は誰かに話し掛けられても容易には気付かないくらいの集中状態にあった。

だが、その集中も常と異なる事があれば否応なしに途切れる。それは今まさにこの時と言えた。気付いたのは靴を取ろうとした時だった。目を向けることなく靴を取ろうとして、手に異なる感覚があったのだ。

気付いた一夏は下に向けていた視線を上げて下駄箱を見る。カサリとした感覚、直接見てその存在を確認した。靴の上に置かれた長方形の紙、真っ白な封筒がそこにはあった。

 

「あん? 何これ?」

 

 封筒の端を人差し指と親指で摘まみ、顔の前に持ち上げる。目の前で両面を回して全体を確認する。白い無地の封筒。封は丁寧だが表面に文字は一つもない。差出人はこの時点では不明。

 下駄箱に手紙。このワードから連想するとすれば、極めて古典的なラブレターの渡し方というものだろう。だとすれば意外にも程があるというものだが、本当にこれがそういうものかと考えれば疑問もある。

疑問と言ってもそこまで深く考えるような事ではなく、実に単純な話であるのだが、一重に装飾のシンプルさだ。異性の心理などあまり詳しくはないが、そういった手合いの想いを伝える手紙としては簡素にすぎるという印象を抱く。

 何の文字も書かれていない無地の封筒となると、むしろ口頭では伝えられない、或いは伝える機会を逸した伝言などを伝えるための、単なるメッセージカードと考えた方が自然に思える。

軽く周囲を見回して人が居ないことを確認する。とは言ったものの、わざわざ目で見るまでも無く気配で周囲に人が居るかどうかは確認できる。一応念のためというやつである。

 周囲の確認を終えると一夏は封に手をかける。封と言っても封筒の口をただ折って閉じただけであり、糊やテープで封がされたというわけではないので、至極簡単に中身を取り出すことができる。

指で軽く弾いて封を開け中身を取り出す。出てきたのは二つに折り畳まれた紙片だった。メモ用紙を一枚、用件を書いてそのまま二つに折って中に入れたという趣だ。紙の縁部分に水色のラインという、シンプルながらも悪くない装飾が印刷されているのは、送り主だろうメモ用紙の持ち主が女子だからだろうか。

メモを取り出すと一夏は折られていたそれを開く。数秒だけその中身を見ると再びメモを折り、取りだすまでの流れを逆再生するかのようにメモを封筒に戻し、今度はその封筒を鞄に仕舞う。そして改めて靴を履くと、一夏はそのまま寮へと向かって行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 数時間後、午後八時。一夏は寮以外の場所にその身を置いていた。

場所は学園内訓練用ISアリーナ。通常であれば授業のIS実習、学園行事などでの試合、あるいは放課後の生徒のIS自主練習などで使用される場所のため、このような時刻には使用がされずに施錠が施されているはずの施設である。

八時となる少し前、夕食を終えた一夏は静かに寮から出ていた。同室の箒は昼間の一件で思う所あるのか、一夏にやや余所余所しい状態となっており、逆に一夏の行動についてさほど気に留めない状態であったので部屋から抜け出すのは容易かった。

 そうして多少の荷物を持って寮を出てやってきたのがこのISアリーナだ。

 

 アリーナにやってきた一夏は先客の存在を知る。理由は一目瞭然だ。ガラスの自動ドアの向こうのアリーナエントランスホールを始めとして、一部の屋内に明かりが点いていることが外からもある程度視認できるからだ。

とりあえずはとエントランスに入った一夏はそこで立ち止まるとズボンのポケットに手を突っ込む。そして取りだしたのは一枚の小さな紙。それは放課後、一夏の下駄箱に入っていた封筒の中身のメモ用紙だった。

メモを取りだした一夏はエントランスの照明に照らされたその内容を再び見る。

 

『今夜八時、学園島外縁部第四ISアリーナ待機ピット一番にて待つ』

 

 それがメモに書かれていた文面であった。これ以外にも、要持参とされる物が数点、文の脇に添える形で書かれている。

ボールペン、否、線の細さやインクの滲み方からして恐らくは万年筆で書かれたと思しきその字は、端的に言えば手本のように綺麗な字であった。

書いた者の品格や教養といった内面の良さを表すかのような綺麗な字は見ていて悪い気分にはならない。例えその内容が唐突かつ意図を読み切れないものであっても、その呼びかけに応じようという気になるくらいには。

 

 アリーナエントランスの壁には大きな案内表示板がある。ISアリーナはそこで使用されるISという存在の特性上、一つ一つが巨大施設とよんで差し支えない作りになっており、このような案内表示は半ば必須と言えるのだ。

案内板から、一夏はメモに記された一番のピットを探す。 事前に生徒全員に配布されている学園の施設案内に依るところでは、試合を控えた操縦者が準備をするために更衣室と直結したピットが4つ、楕円形となっているアリーナの長軸両端を対称として両サイドに二つずつ設置されている。

 このピットは単純に試合前にISを装着するだけでなく、直前の細かい調整もできるように機体整備用の設備も少しながら備えられているらしい。

IS学習こそが真価と呼べるこの学園においても重要な施設の一つであるため、このあたりの設備はそれなり以上に整っているのだ。

手紙で指定されたのはその4つのピットの内の一番を振り分けられた場所。案内に従って一夏はその場所までの廊下を歩く。外周全体の総距離はキロメートルの単位に達するため、その外周に沿うようにして作られている廊下も必然的にそれなり以上の距離があるが、幸いにして一番ピットは入り口から最も近い位置にあるピットであるため、それほど長い距離を歩くことはない。

 

 しばし歩いた後、一夏はピットに繋がる第一更衣室の前にやって来ていた。ピットの入り口はもう一つ、第一ピットと最寄りの第二ピットの中間にある試合時などに教員が監督を行う管制室に近い廊下と直接繋がるものがあるのだが、そちらを使うと余計な距離を歩くことになるため、更衣室を突っ切った方が早いのだ。

手を掛けたドアを開け放つと同時に、暗闇に包まれていた更衣室が天井に設置された赤外線センサーによる自動照明によって明るく照らされる。

室内にはズラリと木製のロッカーが立ち並び、ロッカー同士の間には長椅子が規則正しく並んでいる。更衣室は試合を待つ者の控え室としての側面もあるので、照明も暖色系の柔らかな色になっており、木製のロッカーなども相まって全体的に落ち着いた雰囲気を持っている。

 だが、そんなことお構い無しと言うように部屋の空気とは対照的な硬質の空気を纏って一夏は部屋を闊歩する。室内にあるものには一切目をくれずにピットに繋がる扉までの最短経路を一直線に突き進む。そして、到着はあっという間だった。

入った直後の落ち着いた雰囲気には不釣り合いな鉄の自動ドア。敢えて室内全体の調和を考慮せずに鉄の塊が放つ物々しさを全面に出した扉としているのは、これから戦いに赴く者の心を引き締めさせるためか。

勿論、この構造を考えた者の意思など一夏は知らない。知る必要も無い。扉の前に立ち、その上に付けられたセンサーが一夏の存在を感知してプログラムに従い扉を開く。

ピットと更衣室を隔てる壁の中を通る僅か数メートルの通路の先にまた扉。先ほどと同じように扉の前に立ち、そして扉が開く。

 

 直後、春先の未だ肌寒さを残す夜の外気が一夏の総身を包んだ。だが、冬の雪に覆われた山中での幾度となく行った修業の経験ゆえに、その気温はさほど苦にならない。

むしろ周囲を海に囲まれている場所ゆえに、鼻腔をくすぐる潮の香りがアリーナへとISが飛び立つための拓けた出口から見える夜空と相俟って風情すら感じる。

 

『グッドイブニング。良い夜ね、一夏』

 

 一夏がピットに足を踏み入れた直後、天井あたりにでも設置されているのだろうスピーカーから声が響く。誰の声かなど、最初の一言の瞬間から分かった。

更識楯無、本名更識神無。この学園の生徒会長、つまりは生徒最強。薄々予感はしていた。だが、これではっきりとした。一夏をこの場に呼びだしたのは他ならない彼女だ。

 

「あぁ、確かに良い夜だぜ、神無。ましてや、お前の声を聞けば尚更にな」

 

 軽い口調の神無に合わせてか、一夏もまた軽快な口調で返す。スピーカーを介して声を伝えているということは、マイクなどで離れた場所にいることが伺える。

この場の自分の声が届くかは分からなかったが、言うだけ言ってみた。そして、それは無駄な行動では無かったらしい。

 

『クスッ。中々上手ね』

 

 小さく笑いを零したのがマイク越しに伝わる神無の様子に一夏も声に出さず、口元を動かして笑みを作る。だが、すぐにその笑みを仕舞いこみ表情を固いものにする。

確かに彼女からの呼び出しというものは悪くないが、その内容はまた別だ。わざわざこのような時刻にこのような場所に呼び出す。軽々しい内容ではないということは想像に難くない。

 

「でだ、俺を呼びだした用件はなんだ? まさか、話すためだけってわけじゃあないだろ?」

『えぇ、もちろん』

 

 一夏の声色の変化を感じ取ったか、神無もまた声のトーンを落とし、真面目な色を帯びた声音で返す。そのまま、凛と澄んだ声で彼女は続ける。

 

『ピットの奥を見てみなさいな』

 

 その声に従って一夏は首を右に回して言われた場所を見る。そこで気付いた。ピットの最奥に薄く点いた明かりと、それに照らされながら鎮座する鎧のような物体を。

 

「こいつぁ……IS。確か『打鉄』だったか」

『ご名答』

 

 鎮座するISの名前を素早く言い当てた一夏に、神無の声に僅かに満足そうな色が宿った。

 

『悪いけど、時間が惜しいから手短に言うわ。それを装備してアリーナに出てきて。装備の仕方は分かるわよね? 腕部と脚部の装甲に手足を入れて、体を背部装甲に預ける。後は機体がやってくれるわ』

 

 その言葉は予想外だった。いかに彼女の言葉いえどあっさりとハイそうですかとは頷けず、どういうことかを尋ねようと思うくらいには。

 

「待った、良いのかよ? 確かこいつ動かすのも結構面倒なんじゃ無かったのか?」

 

 専用機を持つ者を除く学園の生徒のほぼ全ては実機訓練を学園の訓練機を使用して行う。だが、この訓練機の使用にはひどく煩雑な手順を踏む必要があるのだ。

補講の際に真耶が教えてくれたことでもある。一夏が指定された問題を解いている間に彼女が見本として職員室から持って来てくれた申請書類一式。その枚数や記入事項の多さに思わず眩暈を感じたのは一夏だけの秘密である。

同時にその管理の厳重さはISがスポーツとして使用されながらも、れっきとした強力な兵器の証左に他ならない。否、真耶の言による所によればそれでも訓練機としての使用を円滑にするために、本来ならば更に厳重に管理すべきを特例的に申請と稼働を行いやすくしているらしい。ISとはそれだけの存在なのだ。

そしてその管理の厳重さは、このような夜更けに教師の監督も無い状態で使用を許されるはずが無いことも示す。

 その疑問を『結構面倒』の一言に集約させた問いとして放った一夏に、神無は少しの間を置いて答えた。

 

『まぁ、ちょ~っと色々ね』

 

 それを聞いて一夏は黙って打鉄に歩み寄る。とりあえずは問題は無いらしい。ならば、是非も無い。言われた通り、打鉄に歩み寄った一夏はその装着を開始する。

機体本体に適当に手を掛けて軽やかに登ると、その装甲に手足を通し背を預ける。同時に機体が乗り手の認識と稼働を開始する。スターティングには数秒も掛らなかった。

目の前の空間投射式モニターに幾つものウィンドウが表示され、機体状態をセットアップしていく。

 一連の切欠となった試験会場、真耶にパイルドライバーをかました二回目。その時と同じように情報が自然と脳に流れ込んでいく。そして目の前に『起動完了』の文字が表示されると同時に、一夏は体に残る二度の起動の残留感覚を頼りにして機体を走らせ、そしてアリーナの宙に躍り出た。

 

 

 

「はぁい。一日ぶりね」

 

 宙へと躍り出て静止した一夏の前に一つの影が降りてきた。

誰かなど言うまでもない。神無である。その身には一夏同様にISが装着されている。宙という場所に佇むのだから当然であるが、その拵えは一夏が纏う打鉄とは大きく異なる。

 日本国純製である打鉄が日本という国の歴史と国民性によってか、鎧武者を象ったような防御に重きを置いた装甲というものが顕著な機体であるのに対し、神無が纏うISは真逆。

一目見て装甲の少なさが目立つ。腰部の装甲も打鉄が脚部全体をスカートのように覆うのに対し、神無の機体は精々が大腿部上半分を覆う程度。

腕部や脚部のアーマーを除けば、胴体部分などの装甲も少ないように見え、一見すれば守勢において難を抱えているように見える。

 

 違う。自身の勘が直感的にそう告げているのを感じた。

確かに見た目は心許ない。だが、それのみで判断するのは愚行の極みと言える空気を感じる。そして目を凝らして気付いた。 宙に佇む神無の周囲。そこに薄くさざめく波を。

 

「それ、神無の専用機か?」

 

 気付いたことにはあえて触れずにそれだけを問う。

記憶に間違いがなければ学園の訓練機はこの打鉄と、先日真耶が使用したラファールのみ。目の前の機体はそのどちらとも明らかに異なる。

 

「そう。ロシア第三世代機、開発コードは『モスクワの深い霧(グストーイ・トウマン・モスクヴェ)』。そして今の名前は『霧纒の淑女(ミステリアス・レイディ)』」

「そうか」

 

 何故ロシア開発とおぼしき機体を正真正銘日本人の彼女が所持しているのか。気にはなりはしたが深く追求することは止める。何となくだが、聞いても仕方がないような気がしたのだ。 もう一つ、気になったと言えば第三世代という言葉。ちょうど授業と補講で習ったばかりのことを思い出す。

 第三世代。現在先進各国が開発を進めている次期主力を見越した最新鋭機。特筆すべきその特徴は、乗り手の意思と密接に関係した稼働と、レーザーなどに代表される、ライフルやミサイルなどの従来兵器の延長にあったIS武装の新分野。IS自体もそうだが、かつては創作の中でのみ活躍した兵器の数々が現実のものとなること。

未だ稼働試験段階の国が多いらしいが、次代のISによる国家武装戦略の要とも言える存在だ。

一夏が知る知識はこの程度。授業でやる程度の浅いものでしかない。更に深く知ろうと思うなら、より多くの知識の会得が必要となるだろう。だが、関係無い。要は注意すべき面妖な兵器。その認識があれば十分だ。

 

「で、いきなりこんな所にISもセットで呼びつけるなんて、どうしたんだよ」

 

 思考を切り替えて目の前の状況への理解を最優先とする。至極当たり前と言える一夏の問いに神無は微笑を浮かべながら答える。

 

「うん、ちょっとね。昨日も言ったけど私はIS学園(ここ)の生徒会長。当然だけど、学内の情報にもそれなりに詳しいわ。

あなたの試合騒ぎのこともそうだし、実機での訓練が現状では不可能なことも。そ、こ、で。その~ね? 昔馴染みのよしみでちょっとお手伝いしちゃおっかな~って思ったのよ」

 

 その言葉で一夏はおおよそを把握した。簡潔に纏めるのであれば、セシリアとの試合まで数日しかない一夏を神無が鍛えるということ。

言葉で表せばその程度で片付くが、実際にはそう簡単なことではないことくらい、一夏にも想像がつく。時間外の学園施設の使用、学園の訓練機の使用許可、その他諸々。そこに絡むだろう面倒たるや推して知るべし。

 

「大丈夫だったのかよ?」

 

 どこか案ずるような声で尋ねる。この学園の生徒会長という役職がどのような職務をこなすかは知らないが、この学園という存在を考えればそう安い仕事ではないだろう。

それだけではない。生徒会長は学園最強。この決まり文句もある以上、職に就き続けるために自身の鍛錬も欠かせないし、さらに学園から離れれば今度は彼女には『更識』という大層な組織の当主としての仕事もある。

平時でさえ軽くない負担がありそうなものなのに、そこへ更にコレ。神無にとって一夏がそうであるように、彼にとってもまた彼女は昔馴染みだ。それなりに気遣いもする。

 だが、当の神無はと言えば涼しい顔で手をヒラヒラと振る。

 

「ん~、まぁちょっと面倒だったけど、そこまででも無いわよ? 正攻法で先生に申請しても無理だもの。だから、ちょっと裏技を使ったわ」

 

 悪戯を成功させたようなウィンクと共に言う神無に一夏は黙って頷く。裏技というのも気になるが、結果として上手くいったならいいと手早く割り切った。

神無が言う裏技。それはある意味彼女だからこそできることであった。彼女の言う通り学園の通常の教員、つまりは千冬や真耶に代表される日頃の生徒達の監督をする者に申請をしても簡単には通らないのは自明の理。

ならばと神無は、普通では無い教師を頼ったのだ。その人物は轡木重蔵。この学園の学園長である轡木美代子の夫であり、用務員として働きつつ『学園の良心』と生徒教師双方より親しまれ信頼される好々爺――という表の顔を持ち、同時に妻に代わり学園の実務の最高責任者であるという本当の学園長という裏の顔も持つ人物である。

 生徒会長、更識十七代目当主、それらの肩書きの影響も少なからずあるが、個人的に彼と親交を持つ神無は今回の件に関して彼に直接申請をしたのだ。平たく言えば、お上への直訴である。

そして、その結果がどうなったかはこの状況が示している。

 

「さて、準備はいいかしら? さっきも言ったけど、時間も限られているわ。これから試合まで毎日、この夜八時から二時間。IS学園生徒会長更識楯無があなたを鍛えるわ。それなりにハードよ?」

「望むところだ」

 

 神無の言葉に一夏は軽く鼻を鳴らして答える。ハードな訓練など、一夏にとっては今更でしかない。

雪が降り積もる冬の山で迷いかけ、危うく命が危険に陥るところだったなどということも一度や二度ではない以上、体力的精神的の双方でキツイ程度はどうということはない。

 

「最初は動き方から始めるわ。基本からちょっとした応用までを一気に詰め込んで、途中から展開した武装を持ちながらの練習もするから。派手に行くわよ?」

 

 応と頷き、これから行われるだろう訓練に軽く身構える一夏。だが、不意にその顔に穏やかな微笑が浮かんだ。

 

「懐かしいな。あの時も、二人でこうして夜中に練習をしたっけ」

「……そうね」

 

 その言葉に神無も思いだしたのは、かつて共に宗一郎の下で修業をしていた時の記憶の一幕。その懐かしさに彼女もまた、昔を思い出す遠くを見るような眼差しになる。そしてそれは一夏もまた同じ。

 だが、ものの数秒で二人は眼差しを鋭く引き締め直す。そして、特訓の開始のために神無が先導して共に一度地に降り立つ。

 

「じゃあ、始めましょう」

「あぁ」

 

 その簡素な言葉のやり取りが始まりとなった。そして神無は最初に告げる。今この瞬間、ようやくIS学園の生徒の本分を、IS操縦者の第一歩を踏み出した少年への激励を。

 

 

 

「一夏。IS学園へ、IS操縦者の世界へ、現代の戦舞台(バトル・ステージ)へようこそ! 歓迎するわ、盛大にね!」

 

 

 

 その言葉に少年は、ただ凄絶な笑みで以って答えた。そして、世界最初の男性IS操縦者の真なる産声のように、その身に纏われた打鉄のスラスターが唸りを夜の空に響かせた。

 

 

 

 




 話の進み具合という点で見ればまるで進歩の無い今回の話です。次回も白式が手に入るだけの話ですから、その次のセシリア戦でやっとまともに話が進む形になるのでしょうか。

 セシリア戦に関してはちょっと色々と手を加えたいですね。具体的には本編の方で考えている白式の変更案を一部こっちに流用してみたり。ですので、セシリア戦までいくのは本編をもうちょっと、具体的には二巻終了か早ければ対ラウラ戦が終わるあたりを目安にしようと思ってます。


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第十話

 さすがに三か月近く放置はマズイかなぁと思ったので、ここいらでまた一度続きを上げます。
今回の更新分については移転前と比べて加筆修正する箇所がほとんどなかったというのもありますね。


 日曜日、IS学園に入学してから最初の週末であるこの日、一夏は朝から学園の体育施設の一つである武道館に赴いていた。IS学園はその性質上、女子校としては武道系の部活が盛んな方に分類される。

空手や柔道、剣道や弓道と言った全国の高校でおおよそ見受けられるメジャーなものも当然ながら存在し、他にも合気道や薙刀、杖道。国外発祥のものに目を向ければボクシングやレスリング、中国拳法などもある。

 勿論それら全てがインターハイなどの大規模な大会を目指して顧問の指導の下、日夜練習に励んでいるというわけではなく、中には人数がさほど多くないために部活というよりも同好会に近い体裁を取り、同好の志で集まって各々の自己修練を目的として活動をする部もある。

 

 そしてそうした部活の大半は学園島の一角に作られた大きな武道館を主な活動場所としていた。

理由は至極単純であり、練習のための施設、つまりは剣道場や柔道場、弓道場やボクシングやレスリングのリングなどがこの施設に集中しているからに他ならない。

 この武道館施設の一角、先だって箒との試合を行った剣道場に一夏の姿はあった。師との修行でもよく着用していた自前の胴着に身を包み、その手にはやはり自前の木刀が握られている。

 

 一口に木刀と言ってもその種類は様々である。京都や鎌倉などの著名な観光地の土産物屋で売っているもの、剣道の形で使用されるもの、天然理心流などの古流剣術が各々の流派専門に稽古用として使用するものなど、同じ木刀というカテゴリーにありながら異なるものは多い。

 そんな中で一夏が使用するのは、強いて言えば剣道の型で使用されるものに分類されるタイプだ。形状は日本刀そのもの。そして特注ゆえに内部により本物の刀に重さや重心などを近付けるための鉄芯を仕込んだ代物である。

一夏が弟子入りする数年前に師が気紛れで作ったという物。弟子入りしたての一夏は安全などを考慮して、最初の内は専らこの木刀で練習をしたものだ。今でこそ素振りには本物を、師との手合わせには耐久性に重きを置いた特殊合金製の模擬刀を使用しているが、この木刀への愛着が色褪せることはない。

 それに、今立っている道場のような人目に晒されやすい場所、あまり真剣を振り回すことが出来ないようなあ場所で剣の一人稽古をするにはおあつらえ向きでもある。もっとも、今この道場に居るのは一夏一人だけなのだが。

 

「……」

 

 正眼に構えた木刀を静かに上段の構えに移行させる。

決して勢いや鋭さがあるとは言えない、誰の目でも軌跡をはっきりと捉えられるような動きだが、単に遅々とした動作というわけでもない。

例えるなら山を流れる清流のように、ごく自然そのものな静かさ。作った動きではない、幾年にも及ぶ鍛練の繰り返しで自然と体に染み付いた、意識の束縛から半ば解離したかのような動きだ。

 

 一流の料理人が材料を最大限に活かすための包丁裁きのように滑らかな挙作で降り下ろされる木刀。下段への到達と同時に刃を返して斬り上げ、さらに今度は袈裟に振る。

数度振るっただけで一夏の意識は剣に没頭する。深く深く、心技体を合わせることをごく当然として、そこへ更に己と刀を一体化させるという、より深い境地を目指して深く深く。

手の内に触れる木刀の柄に巻かれた滑り止めのための布の触感が消えるまで、手が木刀を握るという感覚、木刀と手の内が一体化するという感覚、そのさらに先、握る得物が己の体の器官の一部となるように、食べ物を咀嚼する時の口と歯と舌が当たり前のように織り成す完璧な連携を、得物と体ができるように。より深くを目指す。

 

 例えば、テレビゲームや友人とのサッカー、そんな遊びに夢中になる子供が長い時間すらあっという間と感じるかのように、無心で木刀を振り続ける内に時間の間隔を忘れる。

師との稽古の最中、常に全身全霊乾坤一擲、持った得物を振るい打ち合わすその都度その都度を生涯最大の瞬間と見定め武技を奮う時は、極限の集中により思考が加速し、時たま一秒が幾秒にも感じられる世界へと意識が誘われることがある。

だが今はその真逆。強烈なまでの意識の自覚ゆえに齎される思考の加速と、た使用的に無意識という無心を突きつめた結果の思考の遅延。同じ集中という過程を踏みながらも対照的な位置にある二つの結果。今、一夏が感じているのは後者だった。

 

 木刀が滑らかに空を斬る。五感で受け取った周囲の状況、動かす手足、胴の力の入り方。自身の肉体とそれを取り巻く周囲の情報が神経を通じて一夏の脳へと集約されていく。

人の脳という器官の妙が為せる技か、一夏がそうと意識せずとも思考が無意識の下で感受した情報を統括していく。そして纏められた情報から弾きだされる最適な次の動作が、電気信号による指令となって全身の神経を駆け巡り、その四肢を動かす。

既にその動きは半ば反射によって為されているも同然であり、既に一夏の思考は剣を振る以外の考えを排していた。

 

 その集中が不意に外部からの要因によって強引に断ち切られた。

 

『一年一組織斑一夏、至急職員室まで来るように』

 

 校内アナウンスの電子音と共に道場に姉の声が響く。呼ばれた当の一夏はと言えば、丁度木刀を腰に添えた後に振り抜いた姿勢でその場に留まっている。その眼は半眼になっており、徹底した集中状態にあった先ほどまでとは異なり、明確な感情や意識の発露が浮かんでいた。

数度こめかみをひくつかせると一夏は直立の姿勢に戻り左手に木刀の柄を持ちかえる。

 

「ったく、一体何だってんだよ」

 

 呟く声にはあからさまな苛立ちがある。つい先ほどまで良い感じに集中ができていたというのに、見事なまでにそれを台無しにされた。

いくら姉の言葉とは言え、さすがに看過できるかと問われれば素直には頷けない。無論、放送で呼び出すということは姉は職員室にいるのであり、先ほどまでの一夏の状況など知る由も無い。仮に知っていたらもう少し考慮をするはずだ。

ゆえに一概に姉を責めるわけにもいかないのだが、やはり気に入らないものは気に入らない。

 

「……とりあえず行くか」

 

 姉とは言え学園(ここ)では教師であり、一夏はその生徒だ。呼び出しに応じないわけにはいかない。

道場を使うために朝一で仮に行ったこの場の鍵を返すのにも丁度良い。手早く思考を切り替えて職員室へ向かうこととする。

 

「っと、その前に……」

 

 だが、歩き出す前に一夏は再び木刀の柄を両手で握る。そのまま再び上段に構える。

早く向かうべきは分かっているのだが、なにしろ良い所で中断させられてしまったために、どうにも中途半端な感覚が拭えずにいた。

せめて最後に一振り、締めの一刀を行っておこうと考えたのだ。

 軽く息を吸う。呼吸と共に湧きあがる気力を丹田に降ろし、そのまま全身に廻らせる。

 

「ラストワン」

 

 これが最後と己に言い聞かせるように呟く。

どういうわけだか出てきた声がやたらと低く、やったが最後、人間を捨てることになりそうでもあるような声であったが、気にすることは無い。

そのまま一夏は鋭く一度、木刀を唐竹に振り抜き呼び出しに応じて職員室へと向かうことにした。

 

 

 

 

 道場の更衣室で制服に着替えた一夏は竹刀袋に仕舞った木刀と胴着を入れた鞄を持ったまま職員室に向かう。

手に持った荷物はできれば一度部屋に置いていきたいのだが、なるべく早く行くことを考えれば寮の自室に寄るのは少々遠回りになる。

もとよりそれほど大した荷物でもないため、そのまま持っていこうと考えたのだ。

 日曜という休日ということもあって、職員室に向かう道中で人の姿を見かけることは殆ど無かった。

学期の始まりということもあり時間的な余裕も多いため、新入生上級生問わず学外に外出をする者は多い。

特に今年に関してはまた別の要因もある。例年より遅咲きとなった桜がちょうど全国で満開を迎えたのだ。これはIS学園と本土を繋ぐモノレールの駅の近くにある臨海公園も同様であり、満開となった桜を一目見ようというのも多くの生徒達の外出の理由の一つであった。

 無論桜の開花情報については一夏も聞き及んでいる。だが、まるで見に行く気にはならなかった。別段満開の桜に興味が無いわけではない。そのあたりに風情を感じる情緒くらいは持ち合わせているという自覚はある。

ただ、師の下で何度も見たのだ。春の出稽古で師の下に赴いた時は大抵その町の桜の開花時期と重なったため、修業の合間に師や知り合った町の住民と何度も花見をした。

桜を見ることに飽きたとは言わないが、そこまで執着するほどでもないくらいにはなっていたのだ。

 

 幸いというべきか、職員室のある学園の業務棟と道場はさほど離れていない。到着には数分と掛らなかった。

そして職員室に向かおうと業務棟に入った直後、入り口で一夏が出会ったのは真耶だった。

 

「あ、織斑君! 来ましたね!」

 

 自身の姿を見つけるなり小走りで駆け寄ってきた真耶に一夏は軽く首を傾げる。放送で直接呼びつけたのは千冬だが、どうも彼女も関わっているらしい。

それに、やや興奮した様子を見るにどうも結構な事のようだとも判断する。

 

「えっと、どうかしたんですか?」

 

 とりあえずは用件を聞いてみようと、駆け寄って来た真耶に一夏は尋ねる。小走りで、それも大したことのない距離を動いた割には真耶の呼吸はやや大きい。単純に運動以外に興奮も作用しているのだろう。

用件を尋ねた一夏に真耶は軽く呼吸を落ち着かせてから一夏の顔をまっすぐ見据えると、両手をグッと握りながら言った。

 

「織斑君! ISですよ、IS!!」

「いや、落ち着いて下さい先生。俺は名字の後に『P』なんて付ける趣味はありません。それはマイベストフレンドの一人の数馬の領分です」

 

 精々がIS絡みということしか分からない、言い方は悪いがいまいち要領を得ていない説明をする真耶を一夏が諌める。ISしか言われてもどう返せば良いのか分からない。

言われて真耶も慌てていたことに気付いたか、数度ワタワタと手を振ってから言うべきことを頭で整理してから、再び深呼吸をして落ち着きを取り戻してから言葉を紡いだ。

 

「えっと、すみません。ちょっと慌てちゃいました。あ、そうでしたそうでした。織斑君、織斑君のISが届いたのでこれからセッティングを行います。第一アリーナに来てください。先に織斑先生が向かっていますので」

「あ、やっと来たんですか。試合本番一日前って、結構ギリギリでしたね」

「そうですね。私も良かったと思います。ISの初期調整には時間が少し掛かりますから。当日にならなくって本当に良かったです」

「そう言えば専用機って乗り手に合わせるための調整が必要なんでしたっけ?」

 

 授業で聞いた内容を頭の中で反芻しながらの一夏の言葉に、真耶は嬉しそうに首を縦に振って肯定する。

 個人専用機とされるISは長期に渡って一個人に使用されるため、その乗り手に合わせて複数の乗り手で交代で運用する一般機とは違う調整を施される。それがIS業界では『フィッティング』と呼ばれる作業であり、これを行うことによってISは『一次移行(ファースト・シフト)』言われる乗り手に合わせた最適化を完了する。

 ちなみに、一次移行と銘打たれている以上は二次移行(セカンド・シフト)と呼ばれる現象も存在しており、これは長期に渡っての稼働をした専用機が、蓄積した乗り手の戦闘データなどを元に乗り手に合わせる形で武装の新造や機能の追加などをISが自動的に行う自己進化である。

 もっとも、全ての専用機が行う一次移行とは異なり二次移行は必ずしも全ての機体が行うとは限らず、各国で個人の専用機として使用されているISの中で二次移行を果たした機体の数は少ない。

さらに二次移行を果たしたISのみが発現すると言われる『単一仕様能力(ワンオフ・アビリティ)』の発現に成功した機体は更に限られたものとなる。このため、二次移行を果たし、尚且つ単一仕様能力の発現にも成功しているISは単純な機体能力という点において、一線を画したものを持つと言われる。

そしてその機体の乗り手もまた、二次移行を果たすだけの経験を積んでいるため、一操縦者として間違いなく優秀な部類に当てはまる。

 優れた機体と優れた乗り手。その二つが揃ったのであればどうなるか。その結果は想像に難くない。

 

 話を戻す。今回一夏が行うのは二回あるISの段階移行の内の第一段階である『一次移行(ファースト・シフト)』。

専用機を専用機とするための通過儀礼とも呼べる機体調整である。

 善は急げと言うように一夏と真耶は並んでアリーナへと向けて歩く。歩くその間に必要なことの確認を済ませる。

 

「んで、先生。向こうに行ったら具体的には何をするんで?」

「あ、それはですね。まずはISと一緒に織斑君用のISスーツが届いているのでそれに着替えて下さい。

一応試作品という形なのですが、形状は上下のシャツとズボンタイプですね。袖を短くして上下を分けたダイビングスーツをイメージすると分かりやすいかもしれません」

「あれ? ISスーツって俺はもう持ってますけど」

 

 真耶の言葉に一夏は首を傾げる。ISスーツというのであれば、それは既に一着を一夏は持っている。

他の生徒にも言えることだが、入学前に届くのだ。強いて他の生徒との違いを挙げるとすれば、他の生徒達は事前にカタログからいくつかの二、三程度ではあるが種類の中からサイズ共々選べることだろう。

この点において一夏は別であり、件の起動騒動の直後に行われた精密検査やらで適したサイズは割り出せたので、それに合う男性用として急造されたという代物を送りつけられたのだ。

それがあるからこそ、一夏はここ数日の夜間練習をできたのだが。

 

「えぇ。ただやはりあれは急造でして。一応今回のものは試作品という扱いですが正式に作られた物ですので。

もちろん、今までの物も使えますが、なるべく今後はこれから渡す方を使ってもらって、前の物は予備として欲しいとのことです。

私も一応同じ意見ですね。ISスーツは搭乗者と機体の連動にも少なからず関わりますから。なるべく良い品を使った方が良いですよ」

「はぁ。まぁ先生がそう言うなら、そうしますけど」

 

 何せISスーツの着比べなどしたことがない。故に一夏はそんな生返事をするくらいしかできなかった。

とはいえ、目の前の女性は世界でも有数の専門性を持つIS教育機関の教師であり、実技試験の担当官も務めたくらいなのだから乗り手としても十分な手腕を持っていると認められているのだろう。

武人としての感性で言うのであれば、先達にはリスペクトの精神を持って臨むべしというのが一夏の考えである。ましてや年長者であり、生徒の自分に対して教師という立場を持っているのならば尚更だ。

 仮にそうした心構えを持つ気になれない相手であれば、その時はその時で相対の仕方を変えるが、少なくとも目の前の女性に関してはそんなことはないだろう。

無論、一夏の気概で言わせてもらうのであれば、真耶もまた打倒し超える相手の一人とも言える。だが、それはそれだ。より身近な例で言えば、一夏の武芸の究極の目標の一つは師を超えること。だが、仮に超えたとしても師への敬意は生涯抱き続けるだろう。それと同じような理屈だ。

 

 その後も並んで歩きながら二人は言葉を交わす。とはいえその内容はいたって事務的。

真耶がアリーナについてからの一夏のすべきことを説明し、一夏がそれを聞きながら気になったことを質問をする。

そのやり取りだけで二人がアリーナに着くまでの時間は十分に埋まったと言える。

 

 

 

 

 

「ところで織斑くん」

「はい?」

「さっき言ってた数馬って誰ですか?」

「俺のダチです。イケメンなのに中身は変態かつテンションあがるとウザいというとても残念なやつです。けど他の連中よりもずっと面白いやつです」

「イ、イケメンなのに変態なんですか」

「はい」

 

 こんなやり取りがアリーナに向かう最中にあったとか無かったとか。

 

 

 

 

 

「来たか、織斑」

 

 二人が着いた学園第一アリーナ。そのエントランスに入った直後に一夏の耳朶を打ったのは実姉の声だった。

エントランス中央部に立って二人を待っていた千冬。背筋をまっすぐに伸ばした姿には一分の隙もなく、家で見せる姿とはかけ離れた公における織斑千冬としてその場にあった。

そして彼女の右手にはビニール袋に入った折りたたまれた衣服らしきものがある。おそらくはそれが一夏の新しいISスーツ。

 

「これに更衣室で着替えてすぐにピットに出てこい。一番のだ。場所は問題ないな」

「ん」

 

 放り投げられたISスーツを片手で受け取るとそのまま一夏はさっさと更衣室へと足を向ける。一夏の背が廊下に消えてから少ししてから、残った千冬と真耶の二人も一夏に指定した一番ピットに向かうために歩き出した。

 

 

 大きさに多少の差異はあれど、学園で使用されるISアリーナの構造は概ね共通だ。一夏がここ数日で使用していたのはこの第一アリーナとは別の第四アリーナであるが、少なくとも廊下などの基本的な構造はほとんど変わらない。

そのため、一番のピットと言われても場所に迷うということは無かった。存外早く慣れるもので、一度歩き始めてしまえば足が自然と正しいルートを辿る。尤も、ほぼ一直線なためにルートも何もないようなものではあるが。

程なくして更衣室に着いた一夏は手早く用意を整える。適当なロッカーを一つ見繕い、そこに荷物を収める。そして渡された新しいISスーツに着替える。肌への密着性を高くするためか、スーツは材質の伸縮性こそ良好だがキツいという感想は否めない。

ほとんど力ずくであるがために一応それなりに手早く着ることはできるが、決して楽とは言い難い。

 

 余談ではあるがこのISスーツ、特殊素材を使用しているためにその生地の薄さや伸縮性に反してかなり高い強度を持っている。

流石に補講ばかりを当てにするわけにもいかないと、一夏も時間を見つけて学内の図書館で参考になりそうな書籍を漁ったりもしたのだが、その中で見つけたISスーツに関する記述に曰く、小口径の銃弾くらいならば貫通を防ぐらしい。

とは言え、あくまで貫通などによる致命的な損傷を防ぐだけであり、超高速の金属の塊が極小面積に激突することによる衝撃や痛みはほぼそのまま残り、また大口径となればその耐久性も完全足りえない。

さらに付け加えると、これは同様の機能を持つケブラー繊維にも言えることだが、鋭利な刃物による斬撃にも強いとは言えない。纏めれば、精々少しマシな防御力を得られる程度である。

 

 それを読んだときに一夏が思ったのは「意味がないのも同じ」ということだ。

防ぎきれない攻撃は論外として、防げる小口径の銃弾にしても同じこと。仮に貫通などの重傷を防げたとて、その一発で終わりとは限らない。

自分のように年中木刀で、刀の峰で、あるいは本当に師が持ち出した暴徒鎮圧用の硬質ゴム弾とはいえ、実銃などに晒されている奇特な人間ならともかく、どちらかと言えばそうした肉体的苦痛の経験がやや乏しいお嬢様方(・・・・)が、防いだ銃弾の衝撃や痛みに耐えきるとはあまり思えない。

少なくとも苦痛に大きくひるんだり、あるいは痛みをこらえるようにその場にうずくまったりはしてもおかしくない。そんな風に大きな隙を晒してしまえば、あとはヘッドショットなどで仕留められるだけだ。

 結果的に仕留められてしまうのであれば、そんな守りは無いも同然ではないだろうか。傲慢、そう呼べるほどに周囲の生徒たちと自身の身体能力各種の差に自負を持つがゆえの思考だった。

 

 上下のスーツを着て、最後に靴底にそのままソックスを付けたようなIS装着時用シューズを履いて一夏はピットへと向かう。

いざピットへと出てみれば、既に到着していた千冬と真耶が待っており、一夏は無言で二人の下に歩み寄る。

 

「で、俺の専用機ってのはなんですか?」

 

 開口一番がそんな言葉だったことに一夏は自分自身で意外だというように僅かに驚いた。そして気づく。思いのほか自分が高揚していることに。

最初に専用機が支給されると聞いたときは「へぇ」としか思わなかった。だが、実際に動かすことを繰り返すうちにその心境にも変化が起きていた。

ISという超兵器。それを動かすということの面白さ、数が限られた優れた武器の一つを、自分が占有することの素晴らしさを。

有体に言ってしまえば、今の一夏はまるで誕生日やクリスマスのプレゼントを待つ子供のように、ワクワクした心境となっていたのだ。

 

 一夏の言葉を受けて千冬が真耶に目配せをする。無言ではあるが、現役時代に直接の先輩後輩という関係ゆえに付き合いのそれなりに長い真耶は千冬の意図をすぐさま察し、そして行動に移る。

手元の端末を操作する。すると、ピット内にアラームが鳴り赤色灯が光を灯す。同時にピットの奥の待機IS射出カタパルトのスタート地点の床の一部が僅かに沈み込むと同時に、二つに割れて開いていく。

出現した穴。そこから一つの影がせり上がってきた。

 

「へぇ……」

 

 現れた物体を見て一夏が面白そうに呟く。床下からせり上がってきた台座に鎮座するのは一機のIS。ごく一部にブルーとイエローをあしらってはいるが、全体の基本色は白。

一目見て一夏が抱いたイメージはと言えば、「鎧そのまま」。悪くはない造形だと思った。ただ一つ、言わせてもらうとすれば試合前日というギリギリの納入時期だろう。

 

(遅かったじゃないか……)

 

 あまりケチをつける気はないが、このくらいは思ってもバチは当たるまい。

 

「これが織斑君の専用機、『白式』です!」

「時間は限られている。すぐに装着してアリーナに出ろ。そのまま初期設定を行う」

 

 やや興奮した様子の真耶とは対照的に、落ち着き払った様子で腕を組んだまま顎でしゃくって千冬は一夏にISを装備するように促す。

言われずともと言わんばかりに一夏は素早い歩きで白式に歩み寄る。そしてその背に回り込み、やはりここ数日で慣れたISへの乗り込みを行う。ISそれ自体に熟達した、などとは口が裂けても言うつもりはない。だが、それ以前の着脱くらいはさすがに毎日連続で行っているからか手間取らずに行えるようになった。

 台座に固定された白式の本体に足をかけて上る。神無がつけてくれた訓練でも最初にそうしていたように、両手足をそれぞれの装甲に通す。そして、前面を開いた胴の装甲に背を預ける。

 

 搭乗者が乗ったことを確認した白式が自動的に起動する。開かれていた各装甲が閉じていき、空気が抜けるような音と共に装甲と体が密着して固定する。

更に腕部装甲の先からは装甲内に収まった自身の手の動きに正確に連動して動く機械の手が出現する。

 

「ふんむ……」

 

 完全に装着が完了した白式を見ながら、一夏は調子を確かめるように手や足を動かす。

 

「気分はどうだ」

 

 専用機となるISはより搭乗者との親和性を高めるために、機体からの搭乗者の生体スキャンや電気信号などによる機械的干渉が訓練機などを使用する場合に比べ多い。

干渉と言ってもそこまで大仰なものではなく、授業において真耶は下着を例えに出したが、ようはスポーツなどを行う際のサポーターのような位置づけのものに過ぎない。

だが、何かがあってからでは遅すぎる。それ故に千冬は尋ねた。

 

「いや、平気。やっぱすげぇよな、ISって。こんな鉄の塊着込んでるのに、体が無茶苦茶軽い。まだどうなるか分からないけど、手や足の動きも悪くない。このハイパーセンサーだっけ? 全方位視界なんてどんなふざけた代物だって思ったけど、成程な。乗ってない時の普通の視界は当然として、本来なら死角になってる部分の反応も行いやすくするってか。こりゃあ便利だ」

「問題はないようだな。ではすぐにアリーナに出ろ。何やらここ数日、随分とコソコソとやっていたようだな。丁度いい。その成果を見せてもらおうか。その間に私と山田先生が管制をしながら一次移行のサポートをする。ISに丸投げもできるが、それでは時間がかかりすぎる。我々も少し手を出す。稼働をしながらであれば、より実戦時に適したデータの入力もできるからな。良いか」

「了解っと」

 

 話を長引かせないための短さでありながら、要点はしっかりと相手に伝える。姉の言葉に相変わらずの外向けの糞真面目だと思いながらも、一夏もまた行動に移る。

すぐ目の前に設置された射出用カタパルト。そこに足をかける。白式の足がカタパルトに固定されると同時に、双方の連結によって一時的に白式とカタパルトの稼働システムがリンク。

射出タイミングの一夏への譲渡が行われたことを示す。

 

「はいはい、アイハブコントロールってな。さってと、行くか。織斑一夏、白式、出る!」

 

 その声に合わせてカタパルトが作動。電磁投射によりカタパルトが高速で動き、一夏を宙へと放つ。そして一夏は白式を纏いながら、陽光の降り注ぐアリーナの空へと躍り出た。

 

『聞こえているな、織斑。これよりお前の稼働データの取得、そして機体のフィッティングを行う。並行して武装などの確認も行う。しばらくはこちらの指示に従え』

「ういーっす」

 

 通信越しに聞こえる千冬の声に一夏が頷くと同時に、武装を展開するように指示が出される。その声に従って一夏は武装リストを呼び出し。使える物を確認する。

 

「これは……」

 

 そして眼前のモニターに展開された使用可能装備のリストを見て、一夏は一度言葉を失う。だが、呆然とした表情はやがて緩やかな笑みに変わった。

 

「はっ、そういうことか。中々どうして、憎い真似をしてくれるよな」

 

 誰に向けたのか、傍で聞けば分からないような言葉を呟くと一夏はリストを閉じる。そして、ゆっくりと右手を掲げた。

 

「いいさ。やってやろうじゃないか」

 

 念じる。脳裏に呼び出すべきをイメージ。思考という暗闇に埋もれたそれに手をかけ、一気に引き抜く!

 

「来いっ!!!」

 

 その言葉と共に掲げた右手に光が集まる。そして集った光は、静かに一つの影を成した。

 

 

 

 




 一応次回からは戦闘回に入るので、また加筆修正や本編の進行などで更新にお時間を頂くと思います。白式関連での変更を本編に合わせる形で予定しているので、ひとまず本編の二巻分が終わるまではまたしばらくという風になる予定です。
早くても手を付けるのは九月あたりからになりそうですね。

 これで本編、楯無ルートともに白式はほぼ共通の性能を持つことになります。
が、しかしおかし。行きつく先は別物になる予定です。アレっすよ、同じギロチンが得物でもゴールが序曲か終曲かって感じですよ。分かる人にしか分からないこの表現。

 とりあえず現在本編の方の最新話も鋭意執筆中ですので、次の更新はそちらになります。
よろしくお願いしますです。


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第十一話

 今回も特別大きな修正を施す必要はなかったので、割と早く仕上げることができました。ただ、次回が大変だ……

 今回はセシリア戦前半。何だかんだでにじファン時代の旧作の時からセシリア戦は前半後半の二部構成でのお送りになっていますね。


 月曜日、この日の一年一組はややざわついたような雰囲気を持っていた。

理由はただ一つ。一組のクラス代表の座を賭けて、一夏とセシリアのIS戦が行われるからである。

開始時刻は放課後。最終時限を若干早めに終了させ、クラス全員で使用するアリーナへと移動。そして一夏とセシリアの両名は試合を行い、他の一組生徒達は観戦するという手筈になっている。

 

 流石にそのことにばかり意識を向けて授業を疎かにするという者はいなかったが、それでも丸一日、一組に属する者の多くが一夏とセシリアの動向に注意を払っていたのは事実である。

そして当の二人はと言えば、むしろやや浮足立つような気持ちでいた他の者達とは対照的に、いたって平静そのものであった。

己が勝利を確信して揺るがないゆえか、余裕泰然とした空気を纏いそれを周囲へと余すことなく解き放つセシリア。

対照的に寡黙。授業中は当然として、授業の合間の休み時間や食事時でさえも考え込むような目で沈黙を貫き、ただ内へと意識を凝縮させるような一夏。

 趣は違えど、やはり試合を控える故か常とは異なる雰囲気を纏う二人に他の生徒達は近付けずにいた。

 

 そしてその時がやってきた。

最終時限終了の20分前、教壇に立っていた真耶が早めの授業終了を告げ、移動をクラス全員に促す。

真っ先に立ち上がったのはやはり一夏とセシリアの二人だった。真耶の指示に従い、他の生徒に先んじてアリーナに赴き、試合の準備を行う。その後に続くようにして、他の生徒達も順次移動を開始した。

 

 

 アリーナ更衣室。そこでは既にISスーツへの着替えを終えた一夏が居た。

広い室内にただ一人。静寂に身を委ねながらゆっくりと腕や足を伸ばし、体をほぐしていく。一しきりの準備運動を終えた後、既に体が覚えたルートに従って更衣室からピットへと移動をした。

 

「織斑君、準備は良いですか?」

 

 既にピットへとやってきてた真耶が一夏に尋ねる。そこから一歩離れた場所には千冬、そして何故か箒の姿がある。だが、そのことを一夏は気に留めなかった。留める意識が抜け落ちていた。

 

「えぇ。いつでも」

 

 僅かに眉間に皺を寄せた引き締まった風貌とは裏腹に、穏やかに落ち着いた声で一夏が答える。

緩まない面持ちなれど、声に張りつめた色は無い。ごく適切な緊張が保たれているという状態と言える。

 

「あれが、オルコットのISですか」

 

 視線を横に向ける一夏。その先には壁に埋め込まれるようにして備え付けられたモニターがアリーナの様子を映している。

観客席に既に見える小さな人影、観戦に来た一組の生徒。未だ影はまばらだが、試合が始まってしばらくすれば他の学年クラスからの見物人も現れるだろう。

そしてなによりも目立つ青。既に己のISを纏い、宙に浮かび待機しているセシリアの姿も映し出されている。

 

「『ブルー・ティアーズ』。オルコットの専用機であり、イギリスの第三世代型だ。戦闘スタイルは典型的な中・遠距離射撃型だな」

 

 千冬の言葉に一夏の眉が僅かに動く。名前だの世代だのはさして気にならない。だが、そのバトルスタイルは聞き逃せない。

 

「まぁ、今更言っても仕方ないですよ。……やるだけです」

 

 自身の言葉の後に僅かに動かされた一夏の眉に気付いた千冬が何かを言おうとするが、それより早く口を開いた一夏に千冬は言おうとした言葉を引っこめる。

 

「えっと、オルコットさんのISの腰の部分についたフィンみたいな突起がありますよね? あれがイギリス製第三世代兵装『ブルー・ティアーズ』。乗り手の思考で遠隔操作がされるエネルギー砲です。ISの名前の由来にもなってますね。これと、今彼女が持っている大型レーザーライフルが主武装のようです」

 

 真耶がセシリアのISについて説明をする。戦う前に相手の情報を得ること。それを是とするか否かは人それぞれだろうが、一夏に関しては是とする派閥に加わる。

孫子の兵法に曰く「敵を知り、己を知らば百戦危うからず」。相手の事前の情報収集はごく当然のこと。

そも、既に昨日の段階で一夏も専用機を受領した。おそらく、相手方のセシリアも一夏の機体についての情報を調べていることだろう。これで御相子である。

 

 真耶の話を聞いた一夏は軽く頷くとピットの中央に移動する。そして、その右腕を前へと突き出す。

 

「行くぞ」

 

 独り言ではない、確かに誰かへと向けた言葉を一夏は発した。向けた相手は真耶か、千冬か、箒か。否、その視線の先にある。

突き出した右腕。その手首の部分にはある物があった。ピットの中の僅かな光を照らし返し煌めくそれは白。中央に小さな青色の丸い結晶が宝石のように填められ、それを軸として周囲に翼を象ったような意匠が凝らされた腕輪。

待機状態となった一夏の専用IS、『白式』である。

 一夏の言葉に呼応してか、腕輪の中央の結晶が光る。眩い白が一夏の全身を覆ったと思った瞬間には、それは既に完了していた。

両の手足を肘、あるいは膝のやや上まで覆う装甲。胸部と腰部を覆い、軽量さと確かな装着感を見る者に与える装甲。そして、その右腕に握られる白刃と、背後に浮かぶ大型の非固定浮遊武装のウィング・スラスター。

それらが、一次移行を終えて一夏に合わせる形で稼働という息吹を始めた白式の姿だった。

 

 その姿を見た者は一様にこう表現するだろう。「ISというよりは騎士の甲冑」だと。

ISの装甲として特に目立つ四肢の装甲、その細さがそう形容される理由と取っても良い。世代、戦闘スタイル、それらの違いはあれど凡そどのISも四肢の装甲は乗り手である人間の腕や足に比べてその大きさが目立つものがほとんどである。

それに対して白式は、逆にISが既存兵器群を戦力として凌駕する大きな理由の一つである優れた防御性能、それが不十分なのではと疑ってしまうほどに、少なくとも四肢の装甲に関して言えば現在セシリアが纏っているブルー・ティアーズのソレよりは一回りは細身である。

胸部や腰部にはサポーターの要素でつけられたような装甲があり、腰部装甲の左側面にはホルダー、そこに下げられた一振りの刀がある。これこそが白式の主武装だ。ついで頭部に目を向ければこれまで開発されてきたISの多分に漏れずヘッドギアのような装甲がある。

そして、白式の装備の中で特に目を引くのは背部のスラスターだ。一見すると翼のような形を取っているが、その実は異なっている。近接格闘戦を旨とする機体に求められる突破力、いかに素早く相手の懐に飛び込めるかを追求した結果として、勿論のこととして旋回性なども一定以上の水準を持っているが、何より直線の加速力に比重を置いた大型のブースターがある。

いかに速く相手の懐に飛び込み斬るか、まさしく白式はそれを愚直に求めた機体と呼ぶにふさわしいだろう。その乗り手の、実姉のかつての愛機のように。

 

「うん、問題なしっと」

 

 昨日の調整以来に起動した己の愛機となるISを纏い、その手や足を動かしながら一夏は頷く。稼働に問題は見当たらない。決して多いとは言えないピット内の照明を装甲の各所で鋭利に照り返す白式はまるで刃のような鋭さを見る者に印象付ける。そんな自分の専用機の具合に一夏は満足そうに頷く。

読み取った生体電流を元に動くのがISであるが、自身の思い描く動き手足の動きに白式は素直に答える。力の徹し方などの極めて繊細な技法については未だ心配も残るが、それはこれからの訓練で補えば良い。

 

「じゃあ、行きます」

 

 そう言って一夏は足をカタパルトに乗せる。その姿をただ一人、箒のみが落ちつかなさそうな様子で見ていた。

 

「い、一夏」

 

 僅かに腰を落とし、今まさに飛び立とうとした一夏に箒が声を掛けた。だが、その声色はどこか力に欠ける。

 

「ん?」

「あ、その、だな……」

 

 首を回して自身の方を向いた一夏の顔を真正面から見て、箒は言葉に詰まる。

あの剣道場での一件以降、彼女と一夏はあまり言葉をかわせずにいた。あまりにも差がある実力を突きつけられたことでやや怖気づいたのもある。

それだけでなく、ここ数日一夏が部屋を空ける時間も多く、一夏自身も何か箒の知らない別のことに意識を多く割いているようであり、話しかける機会を逸していた。

 一度だけ、たまたま木刀の素振りをしている場面に出くわしたこともあった。その時には一夏の技について話を聞こうとしたが、一夏はあまり多くを語らなかった。

ただ、素振りを見て箒が知る剣道の型とは外れた、端的な表現をしてしまえばダーティな色の強い剣筋に一言物申そうとしたが、出だしの二言三言の時点で一夏の方から強制的に話を遮られた。

「自分に勝てなかった奴が口出しをするな」、そうはっきりと口にしたわけではないが、そう言わんばかりの様子に箒はそれ以上の言葉を出せなかった。

 

 篠ノ之箒にとって織斑一夏とは自身の心の多くを占めていた存在だった。

ただ剣道の同門だったからという理由ではない。もっとも身近な立ち位置にあった実姉は、箒には好意的に接してきていたがその思考は万人に漏れず箒も理解はできず、何よりISという存在に関するあれこれで良い思いは持っていない。

その姉の親友、目の前に教師として立つ人物は確かに尊敬できる人物だ。だが、厳格に過ぎるその姿勢は親しめるかと問われたら首を傾げざるを得ない。

唯一一夏のみが、親しくできる存在だった。それだけではない。姉の開発したISの影響であちこちへの転居、それに伴う転向を余儀なくされた箒だったが、居を移した先で友人ができなかったというわけではない。

そうした者達によく言われるのが、「侍みたい」という箒への評だった。別段その言葉に悪意があるわけではない。ただ、一般的な女子とはやや変わった性格を純粋に珍しがられただけであり、友好的に接してくれた者も多かった。

その「侍みたい」な性格は、箒にとっては幼少期からの付き合いである。そして、その性格ゆえに同年代の男子からからかわれることも多かった。そんな時に箒の側に立ってくれたのが、一夏であった。

 

 言うなれば、箒にとって一夏はヒーローのようなものだったのだ。だからこそ、願い続けた再会を果たしたにも関わらず、六年という年月の隔絶がもたらした彼の変化を、箒は受け入れきれずにいた。

だがそれでも、ろくに言葉をかわせずにいることもまた、彼女にとっては辛かった。だからこそ、迷いを抱えながらも箒はピットまでやってきた。そして意を決した。ここで何かしらを言うしかないと。

 

「か、勝ってこい」

 

 ありったけの度胸を総動員して出せたのはそれだけだった。そして、一夏も眉一つ動かさずに、再びピットの出口を、セシリアが待ち受けるアリーナへと向ける。

 

「無論、そのつもりだ」

 

 それだけ。だが、確かに強い意志を秘めた一言を返して一夏は視線を正面へと戻した。

そして後は無言のまま。カタパルトを起動させた一夏は宙へと駆けた。

 

 

 

 

 

 

 

「来ましたのね」

 

 自身に遅れること数分。アリーナの宙へと躍り出て自身の正面に相対した一夏にセシリアが声を掛ける。

対する一夏は何も言わない。ただ、真剣そのものな眼差しでセシリアを見据えるだけだった。

 

「ふぅん」

 

 目の前の対戦相手のIS。それを上から下までしかと観察する。同時に、目の前のモニターに一夏の纏う白式についての最低限の情報が表示される。おそらくは、向こうも同様にブルー・ティアーズの情報が表示されているだろう。

だが、そのことを彼女は意に介さなかった。介する価値も無いと思った。

 

「聞けば昨日受領したというその機体、典型的な近接格闘戦型のようですわね。そんな機体でこの遠距離射撃型のわたくしに挑むなど、無謀としか言えませんわね」

 

 依然、余裕というものに満ちあふれた声でセシリアは語る。一夏は黙したままであるが、それを気に留めていないように彼女は朗々と語り続ける。

 

「最後のチャンスを上げましょう」

「チャンス?」

 

 その言葉には一夏も反応した。ピクリと眉を動かし、セシリアを見据える目を僅かに細める。

 

「このまま試合を行えばわたくしが勝つのは自明の理。今ここで謝るというのであれば、一方的に嬲られるという不名誉をかわすことを認めますわ。

元より女のみに許されたISの舞う空に立つという分不相応を恥じ、男の立場に相応しく地を這ってIS乗り(わたくし)を見上げるというのであれば、わたくしも相応の処遇で以って応えましょう」

 

「……馬鹿馬鹿しい」

 

 下らないと切って捨てるような言い方だった。二人の会話はISのオープンチャンネルによって当人たちだけでなく、管制室、そして観客席にも伝わっている。その声を聞いた瞬間、観客席の生徒達はわずかに背が硬直するのを確かに感じた。

 

「まぁ、確かに俺の勝率は低いだろうよ。そんなの、俺がよく分かってる。けどな、オルコット。足掻くのは……人の性なんだよ」

「なるほど。あくまで刃向うと。ふん、男でありながらISを動かせた。ゆえに男の代表を務めるとでも? 弱い、ただ媚びるだけの惰弱な存在の」

「男の代表……ねぇ。別にそんな意識はあまりねぇよ。オルコット、お前は随分と男嫌いみたいだけど、奇遇だな。少なくともここんところで急に増えてきた芯の無い輩は俺も嫌いだよ。ISに乗ってるわけでもねぇくせに、性別だけで粋がる女もだけどな。

オルコット。俺がここに立つ目的はただ一つだ。これでも武道を学ぶ身だし、なにより一人の男として『最強』の二文字に憧れもある。ただ、それが欲しいだけさ。まぁ最強も所詮は通過点、俺の真の目的はそれすら上回る『極み』にこそあるが、まぁお前じゃあ理解できないだろう。せんで良い。

まぁそうさな、もののついでだ。野郎の意地の代理も請け負ってやろうじゃないか。IS動かせちまったわけだし、そんくらいはする責任もあるだろうからさ。どうも俺にかかる期待は結構大きいみたいだし。本当に傍迷惑な話だがな。ただの小僧に何を期待すると言うんだか」

 

 言って、一夏は手にしていたブレードの切っ先をセシリアに突き付けた。

 

「ここに宣言させて貰おう。この織斑一夏、俺自身の矜持と目的、一身上の都合で俺以外のIS操縦者とIS466機、その全てを屠らせて貰おう。求道で以って鍛えし我が刃の露と消えろ、小娘」

 

 冷然と告げる。己のために踏みにじられろ、身命を散らせ、ただの(むくろ)となり果てろと。 

その言葉を聞いた瞬間、セシリアは自分の思考が沸騰するのを感じた。そして、半ば反射的に声を荒げて反論を放っていた。

 

「ふざけるのも大概になさいっ! あなたのような男が!」

 

 元々は女のみが動かすことを許されたIS、それを遜るしか能が無いと思っている男が動かし、あまつさえただそれだけで専用機を与えられ、頂点を目指すと豪語した。

看過できない言葉だった。目じりを吊り上げ、鋭い舌鋒とともにセシリアがライフルを、大型レーザーライフル『スターライトmk.Ⅲ』を構え、その銃口を一夏へと向ける。

 

「ISを、世界()を倒すのであれば、まずあなたが倒されることを実践なさい! 他の男たちと同じように!!」

 

 放たれる青の光弾。それを開幕の狼煙として、二人の決闘は始まった。

 

 

 

 

 

 

「始まりましたね」

「あぁ」

 

 管制室の千冬と真耶が言葉を交わす。二人の前のモニターにはアリーナの宙を駆ける二機のISが、その乗り手である一夏とセシリアの姿が映っている。

 

「それにしても、織斑君もガッツがありますねぇ。やっぱり男の子なんでしょうか?」

 

 顔を向けて自分に尋ねてくる真耶に千冬は、どこか仕方ないと言うような表情を浮かべながら弟を評する。

 

「どうだか。昔からあいつは、まぁ反骨心は旺盛だったからな。一度や二度、地に転がされた程度ならば何度でも噛み付いてくるようなやつだった」

 

 全てのIS操縦者の頂点に立つこと。別段それ自体は良い。そんなことはIS操縦者を志す者なら誰もが一度は夢見ることであり、かつて世界大会で千冬と矛を交えた各国の代表たちは、より強くその意志を携えていた。

そして、大勢が抱く夢を果たしたのが他ならない千冬自身だ。おそらく、あの弟は分かっていて言ったに違いない。その宣言の果てにはこの姉の打倒もあると。

別に怒りなどはしないし、むしろそれで良いとも思う。決して表には出さないが、弟が相応しい実力をつけて、己の前に立ちそして打倒する。成長した弟の姿を見ながら最強の称号を譲り渡すなら、それも悪くはない。

まぁもっとも、それも通過点に過ぎないと言われるとどうしても微妙な心もちになってしまうのだが、『極み』という目標を出されては何も言えない。あの言葉は紛れもなく師の影響を過分に受けているのだろう。心情、身の立て方、そうした生き方というものに自分ではなく別の者が深く関わっていると考えると、やはりいまいち釈然とはしない。だがそんなことは思っても口に出すわけにはいかないので、あくまで胸中で押し留めるだけにする。

 

「それって、経験論ですか?」

 

 問いかけてくる真耶に頷きと共に答える。

 

「まぁ、昔剣道の道場で共に稽古をしていた時によくな」

 

 一夏の宣言に対し真耶が浮かべたのは朗らかな笑顔だった。理屈の上では分かっている。一夏の言葉はある意味現在の体制への反発そのものでしかなく、一部からの反感を買いやすいものということを。

だが同時に、あの言葉が一夏の中にある確かな克己心の現れであることも彼女は見抜いており、一人の教師として上を目指す生徒の姿勢を純粋に喜んでいた。つまるところ、山田真耶という女性は根っからの教師なのだ。

 

「一夏……」

 

 モニターに映る幼馴染を箒は不安そうな目で見つめる。彼女の胸には一つの不安が去来していた。

一夏の宣言、その意味を彼女もまたしかと読み取っていた。だからこそ、怖いのだ。その原因である姉を彼が敵視し、それが自分にも及ぶことが。

だが、不安には思っても口には出せない。言ってもどうにもならないと分かっている。

 

 背後にたたずむ箒の不安をよそに、二人の教師は冷静に試合運びを見つめていた。

 

「織斑君、なかなか良い動きをしますね。ちゃんとオルコットさんの射撃を避けています。それも少ない動きで」

「ISの兵装、などと言ったところでそれは人が使うものの延長に過ぎん。オルコットのライフルはあの大きさだ。銃口の動きも読みやすい。

あの愚弟は、まぁ対人という意味では故あって並み以上にこなせるからな。見てみろ。あいつは先ほどからオルコットの目を見ようとしている。大方、その辺りからタイミングを読み取ろうとしているのだろう」

「でも、射撃を読むことと回避行動はまた別物ですよね?織斑君の動き、まだ粗削りなところはありますけど、それなり以上の基礎は修めた動きですよ。どうやって……」

 

 驚き半分感心半分の真耶の言葉に千冬は軽く嘆息する。そして、わずかに首を動かして視線を自身の後方、箒が立つよりもさらに奥へと向けた。

 

「その理由は、奴に聞けばいいだろう。こちらに来い。少々話してもらうぞ。――更識」

「あら、気づかれちゃいました?」

 

 その声に真耶と、そして箒が驚いたように振り向く。管制室の奥、入り口付近にその影はあった。

少ない照明の光が届かない鋼鉄に包まれた闇、その奥から優雅な足取りで一人の少女が現れる。首元には二年を示すリボン、そして片手には閉じられた扇子。

抜群と呼べるプロポーションと端正な容貌に隙と掴みどころの無い雰囲気を纏い、同時に人懐っこさを感じさせる微笑を浮かべる彼女の名は更識楯無。IS学園生徒会長。

 

「更識さん、どうしてここに……」

「いえいえ、ちょっと噂の男の子の初試合っていうのが気になっちゃって」

 

 真耶の問いに楯無は軽いウィンクと共に答えるが、千冬がそれをバッサリと切り捨てる。

 

「何が気になってだ。更識、ここ数日随分とコソコソ動き回ったようだが、気づいていないとでも思ったか?」

「あら、やっぱり織斑先生にはバレちゃってましたか」

「無論だ。一つ先達として教えておこう。お前はとにかく私の目から逃れるように意識していたつもりだが、それが逆に目立っている。むしろ適度にぼかす程度に見せる方が向こうは本当のことに気付かんものだ」

「ご忠告、痛み入りますよ」

 

 楯無と千冬、二人の間で交わされる言葉の意味を把握していない真耶は首を傾げる。そして未だ楯無が何者かを知らない箒は真耶以上に困惑を表情に出していた。

 

「あの、織斑先生。更識さんは何を?」

「そうです。いやそもそも、彼女は何者ですか?」

 

 共に疑問を浮かべるのは同じだが、箒は僅かに険を言葉に籠らせている。よくは分からない。だが、自分の知らない女生徒が一夏を気にしているということだけは把握できた。それが気に入らなかった。

 

「まぁ、篠ノ之の疑問に先に答えるとすればだ、こいつは二年の更識楯無。この学園の生徒会長で、生徒の中では頂点の実力者だ。少なくとも今の一年連中では、束になって逆立ちしても勝てない相手だな。

そして今度は山田先生の疑問だが、簡単な話だ。この食えん生徒会長はな、ここ数日夜中に一夏相手にIS練習の教官をやっていたのだ。それも、我々ではなく学園長に直接許可を取るという形でな。まぁさっきも言ったが、いささか隠し過ぎたせいで、特に私を警戒しすぎていたことが裏に出たがな。私だけにだが」

「そ、そんなことを……」

 

 唖然とする真耶に楯無は浮かべていた微笑を深める。だが同時に合点もいった。楯無の実力の高さは教師である彼女もよく把握している。生徒の中では知る者が多いというわけではないが、楯無が学生の身でありながらロシアの国家代表を務めていることは教師陣には周知の事実である。それだけの実力を持った人間がマンツーマンで指導をしたというのであれば、確かに素人を抜けたあの動きは納得がいく。

 

「では、一夏はあなたを訓練する相手に相応しいと選んだわけですね……」

 

 俯きながら箒が呟く。今、彼女の胸にはどうしようもなく暗い感情が渦巻いていた。

あれほど望んだ再会が叶ったにも関わらず、剣では完全な敗北を喫して突き放された。そして寮にしても自由な時間の多くを、一夏は目の前の生徒会長との訓練に充てることを選んだ。そのことが、どうしようもなく悔しい。

 

「だが、私も疑問が無いわけではない。あいつがよくすんなりとお前の訓練を受けたな」

「あぁ、それですか……」

 

 千冬の言葉に楯無は軽く目を逸らすと、扇子を開いて顔の下半分を隠す。その表情はどこか気まずそうな色がある。

 

「そのぉ、知り合いなんです。私と彼」

「あの男絡みか?」

「はい、まぁ」

「そうか」

 

 それ以上深く問うことを千冬はしなかった。ただ一夏と楯無が知り合いであり、その関係の要となっているのが千冬も知っている彼であるということだけ分かれば十分。

楯無の、少なくとも教師陣でもあまり見たことの少ない後ろ向き加減な表情に、これ以上を尋ねるのは野暮だと判断したがために千冬は会話を切り上げて視線をモニターに戻した。

 モニターの中では依然として一夏とセシリアの戦いが続く。

既にスターライトのみでの射撃から、四機のビット射撃も織り交ぜての全方位からの連続射撃へと変化させていた。

 

 

 

 

 アリーナに青色の光条が閃き、そして弾けて散る。

セシリアの放つBT弾である。エネルギー兵装であるがゆえにシールドへの干渉が強く、その小ささに反してシールドに与えるダメージは大きい。

BT兵装云々についてはともかく、エネルギー兵装の攻撃力の高さは既に教科書に記載されているために、一夏も当然ながら被弾無しに徹する。

 数日の訓練で身に染み込ませた機動を用いて周囲から襲いかかる光弾をかわす。かわすのが厳しいと判断したら、自身に狙いを付けている砲門と自身の間に刃を立てて光弾を弾き飛ばす。

実体を持たないエネルギー弾故に、弾いても反動が殆ど手に来ないのは幸いと言える。時に一夏も斬りかかろうと前身を試みるが、正面に回り込んだビットとライフルの連続射撃に進みが遅くなり、その間に距離を離される。

 互いにダメージらしいダメージを与えられないままに試合時間は流れていく。

 

「くっ、しつこいっ!」

 

 己の想定とはまるでかけ離れた状況にセシリアは思わず歯噛みする。いかに専用機を持つと言えど相手は所詮素人。そしてISにしても射撃型の自分とは相性の悪い近接格闘型。

苦も無く勝利を掴むことができると思っていた。だが、試合開始から既に25分。相手は一度もまともな被弾をしていない。機動に費やした分や僅かに掠めたBT弾によるシールドエネルギーの減衰があるのは確実だろうが、それもかすり傷程度の消耗だろう。

自身もBT兵器の連続発射によって少なからず消耗している。実質的に状況は五分と言える。

 心の内で己を叱咤する。試合前にあれだけこき下ろした男相手に粘り続けられるという滑稽さを、自身のIS乗り()としての意地が自分自身を責める。

だが、極めて不本意なことに織斑一夏という人間はただの素人では無かったらしい。機動、手にするブレードの扱いぶり、咄嗟の状況への判断・対処能力。どれもただの素人風情のものではない。特にセシリアの目を引いたのは、ブレードでBT弾を弾き飛ばすというもの。格闘戦型との試合経験もそれなりにあるが、あのような対処法は初めて見る。

なるほど、それなりに積むべきものは積んだらしい。大望を抱き、ただそれを言葉として発するだけの愚鈍ではない。不本意ながら、セシリアは一夏について一定の評価を持たざるを得なくなっていた。

 

 だが何よりもセシリアの気を逆撫でするのはその眼。ひたすらに自分のソレと合わせようとする視線が否応なしに気になる。

常に男を下に見てきて、そして自身の周りの男もセシリアに対して媚び諂う者ばかりだった彼女にとって異性と真正面から視線をかわし続けるというのは未知の経験。

そして今、初めて経験するソレに彼女が感じているのは、得体のしれない神経の圧迫だった。日本人特有の黒髪と同じ黒目。なるほど確かに姉弟ということだけあり、彼女もIS操縦者としてメディアの報道や雑誌で幾度も見た現担任の千冬とよく似ていると思う。

だが、こうして長く見て初めて分かる。同じ黒目でありながら、その性質はまるで違う。メディアで、雑誌で、生徒として実際に直接、見た千冬の眼には力強い宝石のような輝きがある。対して一夏の眼の黒は違う。夜の闇を凝縮させたような、光すら閉じ込め光の意味を成さなくする漆黒。しかし同時にはっきりと見える。その闇の奥に確かに存在する、静かに燃えたぎる炎とも大瀑布ともつかない激しさを。

 

 交わす視線を通じてセシリアは、一夏の眼の奥に潜む黒い激が、暗い魂を直接叩きつけてくるかのような重圧が己を飲みこもうとするのを感じた。まるでそのままセシリアの奥底すら読み取り、その胸中の流れすら己の支配下に置かんとするように。

何が意地だ、何が矜持だ。セシリアは先の一夏の宣言に単に男だからという理由とはまた別の根拠で以って異を唱えたくなる。

その眼はそんなものではない。意地、矜持、魂の気高さと密に繋がるそれらを持ちながら、なぜそんな暗さを瞳に湛える。

 

「違いますわね」

 

 不意に静かな声でセシリアが呟く。落ち着いていえるようでいて隙のない、何かを探るような声。依然BT兵器による攻撃は続くが、語りによってか幾分か苛烈さが減ったようにも見受けられる。

眉間に寄せていた皺を僅かに緩め、回避を続けながら一夏はセシリアの言葉に耳を傾けた。

 

「あなたは先ほど、大言壮語を矜持を元にわたくしに、全てのISに勝つと宣言した。けれど、今あなたが剣を振るう理由は違うのではなくって? あなたの眼に宿る意志は一つ。ただ、目の前の相手を、つまりはこのわたくしをただ打ちのめしたい。他のISにしてもそう。ただ自分が進もうとする前に立ったから、それだけ。ただ目に映ったから斬る。違いますか?」

 

 瞬間、一夏が一度セシリアから距離を取った。本来であればとにかく距離を詰めるべきであるはずなのに、真逆の行動。それはまるで、先の言葉の一夏への刺激の強さを表しているかのようでもあった。

一夏の後退を見てセシリアも一度ビットを自身の周囲に呼び戻し、改めて布陣を立て直す。

 

「……」

 

 一夏は無言を貫く。だが、依然セシリアを射ぬこうとする瞳に衰えは見えない。観客席の生徒達は突如として訪れた静寂に固唾を飲んでいる。

 

「わたくしが今まで競ってきた者は皆、意志の光を目に宿していました。例えわたくしに敗れたとしても、次はという輝きを持っていた。

けどあなたは真逆。意志というものを対照に、あなたは暗さを以ってわたくしに挑んでいる。単に男だから、という以外にもあなたのような者は初めてですわね」

 

 小さく、一夏の眉根が動いた。まるで苛立ちを隠しきれなかったように。そして、その会話は管制室にも繋がっていた。

 

「あの、織斑先生。オルコットさんは一体……」

 

 セシリアの言葉の意味を中々理解できずにいた真耶が左斜め後方すぐに立つ千冬に尋ねる。真耶の言葉に千冬は自身の後ろに立っている箒と楯無を軽く見る。

見れば箒もまた今一理解しきれないというような表情をしており、そして楯無は、僅かに苦渋を飲んだような表情をしている。

 

(察したのは更識だけか……)

 

「大方、織斑と散々に目を合わせたことでオルコットも何かに気付いたのだろう。目は口ほどに物を言うと言うからな。だが、それが何かは当人たちにしか共有しえないものだろう」

 

 恐らくは楯無も気付いているだろうセシリアの真意。それを敢えて千冬は伏せた。分からないのであればそれでいい。敢えて聞かせるようなことでもない。

 

(一夏、お前は何を思い戦場(ソコ)に居るのだ)

 

 そう考えて、千冬は軽く首を横に振った。長く離れていたからか、弟の心情を読み切れない自分に気付かされ、そのことに自嘲を思わずにはいられなかった。

 

(一夏……)

 

 声には出さず、心の内で楯無はその名を呟いた。きっと、声に出していれば柄にも無く不安に駆られた声音になっていただろう。

セシリアが言わんとすること。それは楯無は嫌と言うほどに理解できた。おそらく、こればかりは千冬以上に察しただろう。ただ相手を打倒する、葬ろうろするための暗さ。

それは楯無が、『更識』が身を置いてきた暗部で嫌という程に見てきたのだ。そんな黒に染まった世界の色を何故一夏が目に宿すのか。考えるまでも無い。楯無はそのあたりをよく知っている。

 

 一夏の師、海堂宗一郎が現代の継承者であり、やがては一夏が継ぐだろう古流剣術。

古流空手しかり古流柔術しかり、海の向こうに目を向ければ古式ムエタイやら古代パンクラチオンやら、おおよそ武芸において古流だの古式だのと『古さ』に関する接頭語がつくものは揃いも揃って殺法、戦場で相手を仕留めるための技法だ。

無論、それらを否定するつもりは無い。例え殺法いえどもそれは人が長い時間を掛けて作り上げた一つの文化であり、その証拠として今でも天然理心流や一刀流などが残っている。とどのつまりは刀や槍と同じ代物だ。

 だが、現代の流れに身を置くうちにそれらの武術もその鋭さを幾分か失った。そんな中にありながら一夏や宗一郎の流派は、依然としてかつての鋭さを、純粋な殺法としての色を強く残している稀有な存在だった。

話しでしか聞いていないが、宗一郎の先々代は太平洋戦争で敵兵を幾人も携えた軍刀で斬ったと言うし、先代も高度経済成長期の裏で勢力を伸ばしていた暴力団などの組織抗争のただなかに雇われの剣客として身を置き、銃弾の中を駆けたことがあるという。そして宗一郎自身、確かに優れた人格を持った人物だ。だが、同時に相対する者を須らく底冷えさせるような冷たさを、『更識』として動く中で見てきた世界の裏に潜む闇と同じ色をしたものを持っている。

 

 そういうことなのだ。純粋な殺法を学ぶというのは、己の魂を敢えて光から遠ざけること。例え矜持や信念を持てども、そればかりは変えようがない。

知り合ったあの頃は知りようが無かった。だが、今となっては既に知っている。だからと言って止められるかと問われれば答えは否だ。

かつて一度、一夏と分かれてからも宗一郎とは時折親交があった。元々、彼は楯無の父の友人であるがゆえにだ。その時に一夏のことを聞いたこともあった。そして、一夏と宗一郎の間にある強固な師弟の絆を知った。

例え殺法という繋がりであっても、二人の間には温かく強い絆がある。ならば大丈夫。そう思った。

 

 だがそれでも、殺法であることは覆しようのない事実。それが楯無の心に小さな影を落としていた。

 

 

 

 




 この楯無ルート、以前にも書いた記憶があるのですが、にじファン時代からの変更点として白式の仕様をこちらで連載中のもう一つのほう、つまり新約版と同じものにするというものがあります。
これに伴い戦闘シーンにも変更が入るわけでして、それの影響がモノに出るのがこの次の話なんですよねぇ。というわけで、次の話には多分楯無ルートを再掲載し始めて一番修正に時間がかかるものと作者自身は考えております。わざわざ書くようなことでもないのですが、作者自身の気合入れのためにですね、あえて書いてみました。

 楯無ルート、言葉に表すと実にシンプルな響きですが、いざ書き進めてみると中々難しいですね。どうすれば楯無さんをよりヒロインらしくできるのか、原作のあの場面をどう弄ってやろうか、どんな場面を付け加えてやろうか。考えれば考えるほど、ゴールが遠のいていくような気がします。
それでも、頑張ってやっていきたいとは思っていますので、改めて今後もよろしくお願いします。


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第十二話

 くぅ~、疲れましたww
とまぁ開幕からネタは置いときまして、割とマジで大変でしたね。今回はにじファン時代のものからほぼ全面改訂ですから。何せ白式の仕様を弄ったわけですし。一部にじファン時の部分を流用はしていますが、それも本当にごく一部。えぇ、大変でした。
筆が乗ってきた後半はともかく、前半はグダグダになってると思います。どうか平にご容赦を。


 セシリアの問いに一夏は口を噤む。無言のままビットから放たれる光弾をかわし、あるいは切り払う。そしてセシリアと距離は離れども同じ高さに達した所で不意に一夏はその動きを止める。

突然の相手の停止に訝しむセシリアだが、以前険しい眼差しのままビットで一夏を取り囲み、スターライトもすぐさま一夏を狙い撃てるようにいつでも構えられる体勢にしておく。すぐに動けるようにしているのは一夏も同様で、セシリアを見つめる眼差しは冷然としたまま、すぐにでも剣を振るえるようにしている。

 

「ふぅー……」

 

 静かに息を吐いて一夏は首を横に振る。

 

「やれやれ、参ったな。そういう節があるのは自覚しているが、まさか言い当てられるとは思わなかったよ」

 

 一夏を囲む四機のビットの内の二機から続けざまに光弾が放たれる。頭を狙った初弾は首を曲げることでやり過ごし、胸部を狙った次弾は剣を振るって弾き飛ばす。

 

「そうだな。お前の言う通りだ、オルコット。いや、だが一つ微妙なニュアンスの違いがあるかな。倒したいというよりも、そうするのが当たり前だからそうすると言うべきか。だってそうだろう。武人としての邁進に励む中で目の前に立ってるやつが出てきたんだぞ。そりゃお前、斬るかぶっ飛ばすかのどっちかしかねぇだろうがよ。

これでも武道にはかなりガチで気合い入れてるんだ。そして剣士としてより己を高める手段の一つ、それは何か分かるか?」

「何だと言いますの?」

「簡単さ。己を刃と定義すること。自分自身を刃に見立てて鍛えていく。身を鍛えることで優れた刀身を、技はそのままだな。そして心を研ぎ澄ませることは、そのまま刃の鋭さに繋がる。そして、刀が斬る相手選ぶわけが無いだろう? 斬れる時に斬れる相手が居る。だったら、遠慮をする理由はどこにも存在しない」

 

 言った一夏の口元には薄い笑みが浮かんでいた。一夏の顔立ちは姉と似通ってそれなり以上に整った部類に当てはまる。顔の横を縦に大きく走る傷跡も、見様によってはよりプラスに働くだろう。そんな整った顔立ちの者が浮かべる微笑、本来であれば見る者の多くに好感を抱かせるものだ。

だが、たまたまこの時に観客席からも見えるアリーナの大型モニターに映し出された一夏の表情を見た面々の大半は、理由の分からない一瞬の寒気を背筋に感じ取っていた。

そしてそれをハイパーセンサー越しとはいえ真正面から見たセシリアはと言うと、ただ小さく鼻で笑うだけだった。

 

「フゥン。それが何だと言いますの? まるで獣の理屈ですわね。いいえ、一応は人型をしているわけですから人外の何かがちょうどいいでしょうか。いずれにせよ、その野蛮さはあなたのような男にはピッタリですわね」

「あぁ、全くもって返す言葉も無い。だがなぁオルコット、分かるか? そうやって人外の、悪魔なり鬼なりの地平に立ってこそ見えるものもあるんだ。何てことは無い。馬鹿だったガキが、二回も自分の力の無さを思い知らされて、ただ自分の無力を憎悪した結果だよ」

 

 語る一夏の口調は、その内容の荒々しさに反して穏やかであり、同時にまるで自嘲するかのような寂寥を湛えていた。

 

「ただな、それでも足掻いた。極みを知っているからこそ、それに焦がれた。己の無力を知ったからこそ、それを憎悪して至高の極致を目指した。後はまぁ、ガキの頃の約束の完遂と、借りの返上だな。だからこそ俺は鍛えてきた。『勝利』という究極を求めた。そして何の因果か入っちまったIS乗り(こんな道)だが、入っちまった以上は妥協もできない。だから、こんな序盤のチュートリアルみたいなところでつまずけないんだよなぁ」

 

 だが、穏やかな口調は一転。今度は唸るような低さが一夏の口から洩れてくる。

 

「あぁ、邪魔だぞオルコット。お前は俺の道の障害だ。なら、斬るしか他は無いよなぁ。さぁ、第二ラウンドと洒落込もうか。今度は、こっちからも行くぞ」

 

 直後、一夏の姿が掻き消えた。セシリアが咄嗟とは言え反応することができたのは、ひとえに候補生に選ばれ今日まで積み重ねてきた経験があったからだろう。

セシリアから見て右、つまり一夏は左へと移動していた。初動のキレの良さはまずもって素人のソレではない。先ほども思ったことだが、それなりに積むべきものは積んできた動きだ。

 

(ですがその程度――)

 

 どうということはない。確かに素人にしてはよくやると言えるが、所詮はその程度だ。欠片も恐れるに足らない。どれほど足掻こうが、たまたまISを動かすことができただけの男風情、ISに乗るべくして生まれた女との間にある差を埋められるわけがない。それを改めて思い知らせてやろうと、セシリアはビットに追撃の指示を下す。

一夏の背後を取ったビットの一機が光弾を放つ。それをサマーソルトの要領で一夏がかわした直後だった。

 

「シッ!!」

 

 体制を整える前にスラスターを吹かした一夏が自身を狙ったビットへと一直線に突き進み、白式の左手で放った貫手によってそのビットを貫いていた。

 

「なっ!」

 

 ここで初めてセシリアは驚愕の声を上げた。光弾をかわしたまでは良い。反応して咄嗟に動いてかわすくらいなら、それなりにセンスのある素人でもまだできる部類だ。だがそこから先は違う。

体勢を整えなおす前、サマーソルトによって頭を地に向けた不安定な姿勢のままスラスターを吹かして急加速、さほど距離があるわけではない目標との距離を一気に詰めて攻撃を当てながら機体を急制動させる。おおよそ、素人にできる芸当ではない。

貫いた貫手をすぐにビットより抜いた一夏は改めて剣を構えて最も手近にあったビットに視線を奔らせる。ど真ん中に風穴を空けられたビットの爆散を背に一夏は再び白式に命令を下し剣を構えたまま宙を駆ける。

 

「ッ! ティアーズ!!」

 

 呆けている暇は無い。このまま続けて二機目まで落とされるようなことがあっては無様も良い所だ。ビット群に指示を下し、一度下がらせることで仕切り直しを図るセシリアだが、紛れもない『引き』であるその行動は一夏にとって付け込む余地に他ならないものだった。

白式のスラスターが唸りを上げて機体を急加速、一夏とセシリアの間の距離を一気に短くしていく。当然それを易々と受け入れるセシリアではない。ビットを下がらせつつも、一夏目がけて続けざまに射撃を打ち込んでいく。だが、その悉くを一夏はかわす。セシリアへの距離を詰めつつ、僅かに位置を右へ左へずらすことで光弾をやり過ごす。先ほどのビット一機の撃墜の時と同じく、明らかに素人離れした動きにセシリアの頬が引きつる。だが、そんな彼女の心情など一夏にとっては至極どうでも良いことであった。

 

「二機目!」

 

 ほぼ直進状態で迫っていた白式がその機動を急激に変える。弾かれたようにほぼ垂直への上昇から前進に移行すると、そのまま半円を描くようにビットの一機の裏に回り込み剣を振るう。

『蒼月』と銘打たれた刀は、現行の刀剣型武装としては凡そ最新式と呼べるものであり、刃の部分に搭載された高周波振動機構はその切れ味を本来のソレから更に数段上へと跳ね上げる。その切れ味を前にして耐久性という面では些か以上に難を抱えているビットは、為すすべなくその身を真っ二つに両断される以外に無かった。

ブルー・ティアーズというISをかく足らしめる要の武装を半分も減らされたことにセシリアは今度こそ瞠目する。分からない、何故素人風情にこれだけの動きができるのか。疑念が彼女の思考を支配していく。

 

 

 

 

 

 

「ある意味では機体性能の賜物、と言うこともできるな」

 

 管制室で千冬はそう呟く。複数ある液晶モニターの内、端の方に設置されたモニターには学園側に登録された白式の情報が記されている。

 

「搭乗者の操縦補助を目的とした第三世代システム『宿儺(すくな)』……。これほどとは……」

「各国が開発したどの第三世代兵装とも違いますね。直接的な兵装ではなく、あくまで搭乗者の補助としてその能力をより十全に引き出せることを目的としている」

 

 読み取った内容と目の前のモニターに映る光景に真耶が驚きを含んだ呟きを漏らし、楯無が冷静に見解を述べる。

 

「倉持の技術者とはそれなりに縁があるし、変わり者も多いということは知ってはいたが、またとんだ代物を作ったな。こんなもの、早々適応できるやつなどおらんぞ」

 

 千冬は機体の開発元とされている馴染のIS開発企業のことを思い出しつつ、呆れたような声で言う。

 

「あの、何が何だか私には……」

 

 この場でただ一人、情報の呑み込みが完全ではない箒が戸惑いの声を上げる。それを受けて彼女を見たのは意外にも教師陣ではなく楯無であった。

 

「まぁ噛み砕いて言うとね、どうも白式に積んであるシステムはかなり癖があるものみたいなのよ。そうね、何て言えば良いのかな。より『戦闘』という行為に対して馴染みやすい思考傾向の人間ほど高いレベルで適合できると言ったところかしら。第三世代の御多分に漏れず、乗り手の思考がシステムとしての要になっているみたいだし」

 

 宿儺、その名の通り二面性を持ったサポートシステムだ。乗り手がより冷静であればあるほど、その冷静さを十全に活かせるように精緻な動きをできるように、猛々しさを発揮すればするほど、その猛々しさに劣らぬ勢いと膂力を発揮できるように、IS自らリアルタイムで機体の内部を組み替えていく。

だがそれを十全に機能させるには何より乗り手自身が『戦闘』という行為に己を浸透させなければならない。例えISを稼働させる、その才能の大きな指標の一つであるIS適正において最高ランクである「S」の値を叩き出す者であっても、戦闘行為への思考そのものの適正が無ければこのシステムはろくに機能をしない。正しく、「戦士」のために作られたものと言っても過言では無いだろう。

 

「じゃ、じゃあ一夏は――」

「お察しの通り。まぁ分かってはいたことだけど、彼の思考傾向はこのシステムが求める要素をこれでもかってくらいに満たしているみたいね。事実としてシステムそのものの稼働率、倉持が参考までにって提出してきたテスター達の稼働率のどれよりも高いし。そしてそれだけの適性を示した結果が、今の状況よ」

「……」

 

 楯無の言葉に箒は無言でモニターを見つめる。食い入るような視線の先では一夏が三機目のビットを落としたところだ。

 

「オルコットさん、焦りが出てきていますね。バイタルにもそのあたりの変化が顕著に表れていますよ」

「奴としては到底信じられない状況だろうからな。いや、無理もないだろう。常識的に考えてそうあり得ることではない」

 

 モニター越し、リアルタイムで観測されるバイタルデータ、それぞれから鑑みることのできるセシリアの焦りの上昇について真耶と言葉を交わして、千冬は再び楯無に視線を向ける。

 

「更識、参考までに聞こう。お前は織斑のやつにどれほどまで教えた」

「基本的に学校側で採用している教本通りですよ。一年生の他の子たちがこれから学んでいくことを、ひと足先に基本的なところから順に教えていっただけです。何も特別なことはしていません」

 

 答える楯無の眼差しに遊びの色は微塵も存在しない。求められた回答を至極大真面目に、一切の嘘偽りなく答えている。

 

「ただ、強いて普通じゃないとしたら彼の吸収速度の方ですよ。真綿に水を吸わせるってこういうことなのかって、そう思わせるほどです。そうですね、経験不足はどうしても否めないことだとして、飛行法などのIS専門の技能にしても既に年度の半分までの一年生が習得すべきとされているラインは達成していますよ。少なくとも、新入生の大半を占めているIS操縦の未経験者組の中だったら、実技面では難なくトップは取れるでしょう」

 

 第一学年の半分と言えば既にISの実機を用いた授業では生徒同士の模擬戦闘も行われるようになっている頃合いだ。そこまでに生徒たちが学んでおくべきとされていることをクリアしているということは、戦闘行動を行えるラインにあるということだ。

 

「けど先生、先生もご存じのはずでしょう? どれだけ技術を体系化したとしても、ISの操縦は最終的に本人の感覚、身も蓋もない言い方をしてしまえばセンスが決め手になります。だとすれば今の試合の状況は、そういうことなのだと思いますよ」

「……」

 

 楯無の言葉に千冬は沈黙を返す。勿論のこととして楯無が一夏に手解きをしたという事実は大きいのだろう。だがそれを、候補生という同じ学年でも間違いなく別格の相手に十分に渡りあえるものとしているのは、紛れもない一夏自身ということだ。優れた才覚を有する者を讃えるものとして使われる単語が幾つも頭に浮かび、それを首を振ることで千冬は思考から追い出す。

 

「正直、私もどう転ぶか分からないというのがこの試合に抱く率直な感想ですよ。だから、今は事の成り行きを見守りませんか?」

「……そうだな」

 

 楯無の言葉に千冬は頷くしかなかった。画面の向こうでは一夏がついにセシリアをその間合いに捉えていた。

 

 

 

 

 

 

 

「カァアアアアアアアアッッ!!」

 

 気勢と共に一夏は右手を伸ばす。ガチリと頭の中でギアが切り替わるようなイメージが動く。それと共に冷えていた思考が急速に熱を帯びていく。内へと凝縮していた闘気を今度は余すことなく発散しながら白式のスラスターを吹かす。既に一夏の変化を読み取った白式、その内に潜む宿儺(オニ)が第二の顔を表している。

流麗にして精緻なる『静』に対して、獰猛にして苛烈なる『動』。あくまで乗り手ごとに適した操縦補助を行うという開発元である倉持技研が当初に想定した宿儺の目的とは異なり、戦闘時の状況に応じて状態を切り替えるという方法で以ってこのシステムを運用した一夏のやり方は、後に採取された稼働データを受け取った倉持の技術者の面々の度肝を抜くことになる行為であるのだが、それを知る者はこの場に誰一人としていない。

そして対戦相手のセシリアはと言えば、突然爆発的に速力を上げた白式に対して再び瞠目をさせられることになっていた。何せそれまでスマートと形容できる動きをしていた相手が突然猛々しさを全開にしてきたのだ。これで動じないとすれば、それは余程場馴れした剛の者に限られるだろう。

 既に肝心要のビットは三機を落とされ、残るはただ一機のみになっている。数が減っただけ操作のために割く思考のリソースが増えたのはメリットと言えるが、それでもただ一機だけというのは心許ない。それに、数が減ったところで『ビット操作と自身の動きの両立の不可』という技量面での弱点は未だに残ったままだった。

そして、その弱点に対して一夏は既に当たりを付けていた。認めざるを得ない、明らかに己より上の飛行技術を有していながらビットを操作している時にはほぼ上空で止まったまま。手にしたライフルを撃つこともしない。油断慢心にしては度が過ぎている。だとすれば『動かない』のではなく『動けない』、この結論に達するのはごく自然な道理だった。

 

「グゥッ!?」

 

 突然目の前が暗くなったと思えばそれとほぼ同時に強く頭を揺らされたことにセシリアは思わず呻く。それが一息の内に間近まで迫っていた一夏の手によって頭を鷲掴みにされた結果だと理解した直後、暗くなっていた視界に光が再び差し込んだ。それと同時にセシリアの視界に飛び込んできたのは、己の顔面目がけて迫る一夏の、白式の膝であった。

頭部を鷲掴みにしてからの膝蹴り、その例えシールドによって怪我は防がれるとは言え、その光景そのものに観客席に集っていた生徒たちは思わず背筋を縮ませる。管制室にしても真耶は思わず口元を抑え、他の面々にしても何とも言い難いような表情をしていた。

顔面全体に響く衝撃にセシリアは大きく仰け反る。好機と取った一夏はこの流れを逃すまいと追撃を行う。鎌で刈り取るような鋭さで右足からの回し蹴りをセシリアの右腕に叩き込む。ここでの狙いはダメージを与えることにあらず、その手に握られたスターライトだ。

仰け反っているところに間を置かずに打ち込まれた強い衝撃に思わずセシリアは右手に込める力を緩めてしまう。蹴り足を振り抜いた一夏はその勢いを利用して続けて左足をスターライト目がけて蹴り抜く。掴む手の力が緩められていたことにより、スターライトは持ち主の手を離れあっさりと宙を舞い地面に落ちていった。更に休む間を与えないと言わんばかりに上段から打ち降ろすような拳をセシリアの頭部に叩き込む。アリーナ全体に大きく響く打撃音と共に与えられた衝撃に従ってセシリアが落ちていく。

 

「まだだぁっ!!」

 

 この程度では生温い。まだ終わっていない。そう言わんばかりに一夏は眼下のセシリアに目を向けると微塵も戸惑うことなく急降下でその後を追う。あくまで殴られた衝撃によって落ちていくだけのセシリアと機体の推力で以って降下していく一夏では当然ながら一夏の方が速い。すぐに両者の距離は詰まり、先ほどの焼き直しをするかのように一夏は再度セシリアの頭部を鷲掴みにする。

そして今度は爆発音と共に一夏、セシリアの姿がその場から掻き消えた。

 

 

 

 

 

瞬時加速(イグニッション・ブースト)!?」

 

 管制室の真耶が驚愕の声を上げる。千冬もまたピクリとこめかみを動かしながら眉を顰め、そして真耶と揃って楯無の方を見る。だが楯無は何も答えない。口元を閉じたセンスで隠しつつ、じっとモニターを見続けている。

ISの近接戦闘においてその使用ができるか否かで技量面のライン引きができると言われる難度の高い加速技術、それをほぼ初めての本格的なIS戦で使用したことに教師二人は無反応ではいられなかった。そして当然ながら一夏がそれを為した原因だろう女生徒に問いかける意味を込めて視線を向けたのだが、何も答えは返ってこない。声を掛けようとして千冬は気付いた。楯無は一見平静を装っているように見えるが、その実として瞳の奥には自分たちと同じような驚きを秘めている。とすれば一夏の瞬時加速の使用は楯無にとっても予想外ということだ。ならば問うのはまた後と判断し、再びモニターに視線を戻す。

 

 

 

 

 

 発動した一夏本人がセシリアを抱えているような状態とは言え、降下ということもあって瞬時加速は凡そ本来のソレと言える速度を瞬時の内に白式に与えた。

肉眼で試合を見守る観客席の生徒たちの視界から掻き消えるような速さの白式はあっという間に地面に達する。だが、一番最初に地に触れたのは一夏でも白式の装甲でもない。鷲掴みにされたまま突き出すように一夏の目の前に置かれたセシリアだ。地面に高速で頭から叩きつけられたセシリアは大きな土煙を上げ、更に衝突では殺しきれなかった勢いによって衝突点から大きく弾き飛ばされて二度三度と地面をバウンドしながら地面を転がっていく。

その一連の様子に今度こそ観客席から悲鳴が上がった。だがその悲鳴が戦う二人に届くことは無い。よしんば届いたとしても、どちらも気に掛けないだろう。片や気に掛ける余裕は存在せず、片や外野の声など気にする価値無しと断じて一切を無視する。

セシリアをクッションとして地面との衝突による反動を軽減させた一夏は跳ねるように着地点から後方に飛びのき、安定した足取りで地に足を付ける。間違いなく痛烈な一撃を与えた、しかし依然一夏の目には鋭い光が宿ったままだ。完全に相手が倒れ勝負が決するまでは微塵も気を抜くことは許されない。

 舞い上がった土煙の向こうにゆっくり立ち上がろうとするセシリアの影が見えた。躊躇うことなく一直線に突き進む。まだ相手は倒れていない。ならば倒れるまで攻撃を加えるまでだ。先ほどは拳と蹴りだけだったが、今度はそこに剣も加える。武人としての一夏の本領、それを以って確実に幕を引く。

 

「ぐっ、くぅっ……!」

 

 立ち上がったセシリアは痛みとめまいにふらつく頭を抑えながら何とかして立ち上がり姿勢を立て直そうとする。

視界が暗闇に覆われてからここに至るまでの一連の流れ、受けたダメージとしての衝撃は彼女にとってほとんど未知のものだった。

しかし、それも無理なからぬこと。貴族の流れを汲む名家の令嬢として生まれた彼女は、その立場に相応しい人物となるように厳しい教育を受けて育ったが、同時に一人の令嬢として肉体的苦痛を伴う荒事とは無縁で育った。

IS操縦者となって以降も、確かに身体訓練も受け、IS操縦者としての最低限の必須科目として格闘戦の訓練も受けた。だがそれでも、このように直接全身に叩き付けられるような衝撃を伴う殴打には経験が無かった。

 右手からはスターライトが失われている。ほとんど丸腰に近い状態の中、満足な武装と言えるのは残った一機のビットと腰部に取り付けられた二つのミサイルポッド、そして量子格納でしまってあるナイフ一本だけだ。

 

「インター……セプター……」

 

 かすれ気味の声でセシリアは格納していたナイフの名を呟き展開する。近接武器の心得が無いわけではないが、本命である銃器に比べればその練度は大分劣る。展開にも一々武装の名を言って指標としなければならないほどだ。

私用の練度不足が如実に表れてしまうこの近接武器の使用をセシリアは好まない。無論、いずれは相応の練度にとも思ってはいるが、少なくとも今の時点ではとても胸を張れたものではないと思っている。だがこの状況ではそうも言っていられない。何でもいいから武器になるものを手にしていなければ、心許ないにも程がある。

眼前の土煙のベールを突き破って一夏が迫ってきた。未だふらつきが残る思考でビットに指示を下し一夏を迎え撃とうとするも、精彩を欠いた思考はそのままビットの動きにも直結する。試合開始直後のソレと比較して明らかにキレというものが欠けたビットからの光弾はあっさりと一夏にかわされ、挙句にはあっさりとビットへの一夏の接近を許し破壊される。これでいよいよもってビットは消失、その事実に愕然としたものを感じ、それが更なら隙となる。

 

「こ、このっ!」

 

 すぐ眼前まで迫った一夏にインターセプターを握った右手を振るうも、振り抜くより前にその動きが止まる。

一夏の右手に握られている刀は明らかに防御に使われていない。では何が、そう思って右手の方を見てセシリアは目を見開く。盾も刃も使っていない。一夏は、左手の親指と曲げた人差し指でインターセプターを挟み込むことでその動きを止めていた。

 

「くっ! うぅっ!!」

 

 右手に力を込めて一夏の手による拘束を振り払おうとするが、まるでその場に固められたかのように右手と握られたナイフは微動だにしない。それを為しているのは紛れもなく一夏の、もっと正確に言うのであれば白式の出力によるものだ。

より乗り手が馴染みやすいようにISの腕や足、手にあたるマニピュレータの出力は乗り手当人の筋力も影響するとは言え、一体どんな膂力をしているのか。しかも当の一夏はと言えばこの程度胴と言うことは無いと言わんばかりに涼しい顔でセシリアをすぐ目の前で見下ろしている。欠片の情けも感じられないあまりに冷え切った瞳に、あれほど格下と思っていた男相手ということも忘れてセシリアは背筋が冷えるのを感じた。

ビシリと、何かが砕けかけるような嫌な音がセシリアの耳朶を打つ。ハッとインターセプターに目を向ける。そして思わず目を疑った。一夏の指に挟まれたナイフ、その刀身全体に蜘蛛の巣のような放射状の罅が広がっている。そしてその中心は、刃を挟み込んでいる一夏の指だ。

 

「な、まさか――」

 

 言い切る前に罅は更に広がっていき、そして完全にナイフの刃が砕け散る。ただ指で挟みこみ、そして力を込めただけで刃を砕く。いよいよもってどれほどの一夏の、もっと言えば白式の手の出力と刃を砕くのに耐える頑強性がどれほどのものなのかと問いたくなる。

セシリアは知る由も無い。白式はマニピュレータ指部や足先、他装甲各所に本来であれば刀剣型武装に用いられる合金、中でも特に高品質とされている日本のとある重工が開発した特殊カーボン合金を用いている。結果として白式は近接戦においてはほぼ全身を凶器とすることを可能としていることを。ちなみにこれが地味にコストに軽くない影響も与えているのだが、それも知る由はどこにもない。

そしてインターセプターが砕かれると同時にセシリアの顎を、蒼月を逆手に持ち替えた一夏が振った柄による打撃が打つ。顎に受けた衝撃は実は脳に伝播しやすい。ボクシングの試合などで顎を掠めた拳によって脳を揺らされ、脳震盪を引き起こしたという事例も幾つか存在するくらいだ。

シールドによってある程度緩和されたとは言え、顎から撃ち抜かれるような衝撃にセシリアは再び仰け反り、無防備な胴を一夏の前に晒す。そしてがら空きになったセシリアの鳩尾に、一夏は地面に罅を奔らせる程の踏み込みと共に拳の一撃を叩き込んだ。

 

「ゲッ、はぁっ……!!」

 

 鳩尾どころかそのまま背中まで突き抜けそうな衝撃に、セシリアは肺の中の空気を否応なしに吐き出させられる。思わず膝が崩れ、鈍い痛みを残す腹部を反射的に庇うように手で覆う。

 

「シールドがあって良かったな。まだ意識がある」

 

 平坦な声で一夏が言葉を掛ける。その平坦さが逆に不気味さを醸し出している。せき込み言葉を返す余裕も無いセシリアに一夏は言葉を続ける。

 

「これが、そうだな。互いにISなんて無しの生身どうしだったなら、その程度じゃすまないだろう。起き上がれるか、意識を保ってられるかも怪しい。勝負は、あっさり片がついていたさ」

 

 痛みに伏せていた視線を上げ、睨みつけるように一夏を見上げる。

 

「そう……一撃だ」

 

 一夏の手が伸び、セシリアの首を掴む。そのまま大きく腕を振りかぶり、前方にセシリアを投げ飛ばす。

 

「だが、これはIS戦。お前にはまだシールドが残っていて、もしかしたら今も反撃のチャンスを狙っているかもしれない」

 

 投げ飛ばしたセシリアが体勢を整えようとするより速く、踏込によって再度接近、そして半身を向けて震脚を効かせる。

 

「そんなことはさせない」

 

 淡々と告げながらセシリアの懐に潜り込むようにして胴に痛烈な肩からの体当たりを食らわせる。それが中国拳法の八極拳が一手、貼山靠(てんざんこう)と気付いたのは千冬と楯無のみであり、千冬は自分が知らぬ間に剣どころか徒手空拳まで深く通じていた実弟の姿に僅かに眉間の皺を深くし、楯無はある意味当然のことかと納得するような表情を浮かべている。

投げ飛ばされ、何かをするより先に更なる追撃を受けたセシリアは再び全身が総毛立つような感覚を抱く。打撃の衝撃に思わずつぶっていた目を開いた瞬間、一夏が右手に持つ剣の切っ先が己に迫っていた。そして、鋭い刃による刺突は寸分違えることなくセシリアの頸部に突き刺さった。

 

「ガァッ!」

 

 再び後方へと吹っ飛ばされて背中から地面に倒れ込む。喉に強い衝撃を受けたことによって否応なしにせき込み、目の端に涙が浮かぶ。

立ち上がろうとした矢先に再び胴に拳が突き刺さり、頭部には肘打ちが叩き込まれる。倒れそうになったと思えば、そうはさせまいと言うように下から打ち上げるアッパーカットや膝蹴りが襲い掛かってくる。

いかに間合いに捉えらているということを考慮しても、誰もが予想だにせず、そしてあまりに衝撃的な光景に観客席からは完全に言葉が消えていた。代表候補にまで選ばれた人間が、初めてのIS戦を迎えた者に一方的な暴虐を振るわれている。

 

(まだ……倒れないか!)

 

 だが、鉄面皮の無表情を貫きつつ、一夏もまた内心では焦燥を感じていた。ここまでやっても未だ相手のシールドエネルギーを削り切るには至っていない。仮にこれが生身同士であればとうに勝敗など誰の目にも明らかなレベルでついていただろう。

だがこれはIS戦、生身のソレとはまるで気色が異なる。シールドが健在である限りそのISは戦闘続行が可能であると見なして良い。それに、この流れもいつまで続けられるか分からない。

向こうが慢心を抱えていたこともあって一時的に流れをこちら側に引き寄せて今現在の展開を作り出すことはできた。だが、何かの拍子にこの流れが途切れされられたら、そのまま相手がペースを持ち直して来たら。こうした近距離での格闘戦で自分が圧倒的優位に立てるのは確実だろう。だが距離を離されて再び絶え間ない砲火が始まれば、そもそもIS操縦などの総合的な技量と言う点では向こうが言うまでもなくずっと格上なのだ。下手をすれば、逆転負けを喫するということだって十二分に有り得る。

 

(ならばっ! 素早く仕留めるに限る!!)

 

 蒼月を握る柄に力を込める。いよいよ以ってチェックを掛けるべく、一夏は瞳の奥に燃やす闘志を更に苛烈な業火へと変えた。

 

 

 

 

 

 意識が朦朧とする。どれだけ時間が経ったのか、既にセシリアには判断がつかなかった。執拗に襲い掛かる衝撃。その数値をひっきりなしに減少させるシールドエネルギーの残存量。だが、半ば放心状態にあった彼女はそれらへの集中がほとんど切れていた。

 

(わたくしは……)

 

 下段から振り上げるようにして繰り出された拳が胴に突き刺さり、彼女の体を宙に浮かせる。既に痛覚も麻痺してきた中、彼女は自問する。どうしてこうなったのかと。

証明するはずだった。幼少期からの経験ゆえに男を下に見続けてきた彼女は、一夏が男性でありながらISを動かしたという報もさして気には留めなかった。女だけが動かせたISを男でありながら動かしたということについて思うところはあるものの、所詮はそれだけ。気に留める価値も無いと。

 だが、国の意向によりやってきたIS学園で同級となり、そしてクラスの顔とも言えるクラス代表に彼が推薦された時、彼女は怒りを抱いた。その役目はイギリスの代表候補性である自分こそが相応しい筈だと。ただ珍しいだけで何の実績もない男が自分の上に立つ。それが我慢ならなかった。

だから示そうとした。確かな実力の差を。IS操縦者として培ってきた実力を、ただの素人に教え込む。そのはずだった。

 

 だが、蓋を開けてみればこの有様。武装の悉くは封じられ、今こうして暴虐の雨に晒されている。そう、暴虐だ。彼女が今まで競ってきた競技ではない。ただ相手を倒すことのみを目的とした、純粋暴力。

 

(わたくしは……!)

 

 冗談ではない。このまま負ける? 断じて許されることではない。

もはや一夏の力を認めざるを得ない状況なのは確かだ。だが、だからと言って勝利までくれてやるものか。

自分は代表候補生。国家の威信を背負う一角として、どれだけ秘めた力を持っていても素人の肩書が乗っているままの相手には負けられない。

 

(だからっ!)

 

 すでに優雅とは程遠いだろう。だがもう気にする間はない。ただ勝利の二文字のために、最後まで足掻く。そう、眼前の彼が言っていたことだ。足掻くことは人の性だと。皮肉なことだと思う。ここまでの窮状に追い込まれて考えたことが見下していた相手の言への共感だとは。だが、もはやなりふり構ってはいられないのだ。ゆえに、己の内からセシリアは力を振り絞る。

 

「あっ、あぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!!!」

 

 喉を振り絞るような声と共にセシリアは左腕を前に翳した。直後に響く衝撃。放たれた一夏の回し蹴りが左腕の装甲に直撃。装甲は砕け、響いた衝撃がセシリアの左腕全体を容赦なく犯し、痺れの苦痛を脳に届かせるが、同時に一定の成果も上がった。

セシリアの体は後方に飛ばされ、一夏もまさか防がれるとは思っていなかったために僅かに後退する。生じたほんの少しの空白。そこにセシリアは活を見出すために足掻く。そして見つけた。自身の左斜め後方、数十メートル先に転がるスターライトを。

 

「くっ!」

 

 そこへ向け、一夏に背を向けて一直線に機体を走らせる。すぐにその意図に気付いた一夏が後を追う。

異常な加速性を発揮した白式が、一夏が、その動きを封じんと狙いを定める。そんなこと、セシリアも重々承知している。だからこそ、彼女は一つの博打を打った。

即ち、瞬時加速の発動だ。本来は格闘戦の技能であり、多少の心得はあるが未だ格闘戦に不慣れな彼女にとっては決して簡単ではないことだった。だが、やるしかない。やらねばやられてしまうのだから。

賭けは勝った。一夏の腕が、その気になれば人の首をへし折り、骨を、頭蓋を砕き、内臓を破壊せしめることもできる魔手がセシリアに達する直前、その体は急速に離れていった。

 

 半ば飛び掛かるようにしてセシリアはスターライトのグリップを掴んだ。だが、加速はそのままであったためにその体が地を転げる。

未だ麻痺の残る左腕。それを躊躇なく犠牲にした。左腕を下にしてクッションとし、PICで強引に体勢を立て直す。左腕には激痛。少なくとも、この試合ではもはや使い物にならない。ゆえに、右手のみで彼女はスターライトを構え、その手に雪月を顕現させて自身に迫る一夏に狙いを定めた。

 

「見事だっ!!」

 

 思わず賛辞の声を上げた。自身の蹴りを防いでから構えるまでの一連の流れ。わずかな隙間に活を見出し、当たるか分からない賭けに乗り、そして賭けに勝ち、己の腕を犠牲にしてでも残る片手で勝利を掴もうとする姿勢。

そこに一夏はある種の感動すら覚えた。今のセシリアの姿は酷い。装甲のあちこちが破損し、地を転げたせいで全身に砂がまみれている。彼女が語る優雅とはとても程遠い姿。だが、そこに至る過程を、決して勝利を諦めない意地を見たからこそ、ただ小奇麗にしている時以上に眩しく輝き、美しく、そして貴く見える。

 不意に思い出した。そう、思い返せば自分が剣を、武道を志したのはあの姿だ。かつて姉が篠ノ乃道場で修練に励んでいた頃、姉の応援をした時。姉の、その対戦相手の、広い道場の他の場所で打ち合う者達の、真摯な姿に惹かれた。だから剣を始めた。

もはや今の自分はあの頃の輝きとは無縁だ。すでに技も、道も、正道からは外れている。だが、あの記憶に満ちていた眩しいまでの輝きは微塵も色褪せない。

 

「ケリを付けようじゃないか! セシリア・オルコットォ!!」

 

 土壇場で瞳に闘志を、あるいは自分にも負けない程に再燃させ、僅かな光明に向けて我武者羅に手を伸ばす。その執念、貪欲に勝利を掴もうとする姿勢は見事としか言いようがない。どれほどかつての輝きから遠ざかろうと、それでも織斑一夏は武人なのだ。通ずるものを感じる気概には素直に称賛の意を示す。

だが、勝利を求めるのは彼女に限った話ではない。初めに無力を知った五年前にはただ強くなることを求めた。そして二度目、鍛えようともなおどうしようもできない事態を受け、今度は己にとっての勝利こそを欲した。

目の前で足掻く青色の少女がどのような半生を送ってきたかは知らない。あるいは一夏が知らないだけで、彼女もまた過酷な人生を歩んでいたのかもしれない。だが、それは己もまた同じなのだ。無力を知ったことによる慟哭、無念、憎悪、そこから来る時には狂しそうになるほどの渇きは誰にも劣るものではないと思っている。

ゆえに、あえて踏み潰そう。己が歩む道、その果てにある至高に達するためにだ。この戦いの勝利は我が手に、国際世論を鑑みればいささか以上に不謹慎ではあるが、この想いを表すとしたらただ一言、「勝利万歳」だ。

 チラリと、一人の少女の顔が脳裏をよぎった。何故だ、確かに彼女は今の武人としての己を確立してきた過程にあって重要な存在であることは間違いない。何よりこの戦い、一夏がここまで戦えたのは紛れもない彼女の力あってこそ。だが、頼るべきは自分しかいないこの戦いの最中にあって何故急に彼女の顔を思い浮かべたのか。そして、なんでそんな顔を、五年前のあの時のような顔をしているんだ。

 

(えぇい! 雑念退散!! 撤収だ撤収! ボッシュート!!)

 

 強引に思考から振り払う。代わりに意識を占めていくのは全身の制御のための思考。常より心がけている冷えた思考にシフトしていくと同時に、全身に滾るような熱さが広がっていく。爆発するような闘気、それを発散させることはせずに逆に内へと向ける。

ドクンドクンと心臓が早鐘を打ち、耳の奥で脈打つ音が響き渡る。カッと額の辺りに熱を感じるものの思考はクリアなまま、全身に活力という活力を満ち満ちさせていく。

 

「カ、ハァー……」

 

 一度大きく息を吐く。吐息も常以上の熱を帯びているように思うのはきっと気のせいではないだろう。

眼前に広がる一夏だけが見ることのできる白式のモニターはさっきからひっきりなしに数字や文字の羅列が蠢いている。白式というISが第三世代である要の宿儺、他の第三世代型と銘打たれたどの装備よりも深く駆動系や制御系に食い込むこのシステムが、今の一夏の状態に何とかして機体を合わせるべく奮戦し、それに白式というISの総体が追従している結果だ。

『宿儺』の語源は古事記に登場する二面の鬼にある。そして伝承にある鬼の姿の通りに、宿儺というシステムは二つの顔を発露する。大別して二つ、より操縦性と精密性に優れた静謐な顔、瞬発性と出力に優れた猛々しい顔の二つだ。

それ自体に一夏は特にどうこう意見を唱えるつもりはない。だが、ただシステムから供与されるだけではとも思う。ただシステムに従ってどちらかを選ぶ、それではまだ足りない。まず第一に両方を自在に扱えるようにすべきだろう。そう思い、実際に成功はできた。ビットの回避など守りに回る時は精密性の方を、攻撃に転ずるときはその逆を、たまたま自分が修める技能にピタリと運命じみたものを感じる程に適していたのもあるが、とにかく成功は成功だ。

そして第二、これこそ肝心なことだ。システムが元々用意した二つの顔に加え、唯一『織斑一夏』としての第三の面を生み出す。所詮は道具、ならば使い手としてはそれを完全に支配してこそだ。システムの凌駕は、まさにそれに相応しい行為に他ならない。

 

 だが実の所、これは相当な無茶というものでもある。何しろ今現在、一夏は自身に相当の負担を課している。それこそ、この試合が始まってからこれまでに受けてきた全ての負荷をひっくるめてなお上回る程だ。僅かに口の中に鉄の味が広がった。おそらくは口腔内の毛細血管あたりが破れ歯茎から出血でもしているのだろう。ついでに味だけでなく臭いもしてくる。どうも鼻腔内粘膜も似たような状況らしい。早い話が軽い鼻血だ。

システムに無茶な要求を身を以って行っているが、同時にこれは一夏の自分自身への挑戦でもある。一夏が修めた技の中には「下手に当てると死なせてしまい、上手く当てても死なせることができる」なんて色々と突っ込みどころ満載の理由から、師より安全への配慮をした加減ができない限り対人への使用を禁止された所謂「禁じ手」と呼べるものがいくつかある。

だがそんな禁じ手の中にあって、唯一今一夏が行っていること、これのみが「自身の安全」に強く関わるために禁じ手と――無論、用法容量を守り限度を見極め正しく使えるならどうしてもという場合に限り使用は認められている――された技だ。仮に宿儺というシステムがこれに対応できないのであれば、それはそれでしょうがない。素直に普通に勝負を決めにかかるまでだ。

 

 しかし今は違う。IS戦初試合、これから長いか短いかは分からないが、続いていく人生の中でも間違いなく重要と言える舞台だ。ならばこそ、尽くせる手は尽くしておきたい。そして、そんな一夏の意思に白式は応えた。

あちこちに画面表示、音の双方でノイズを奔らせながらも白式が工程を完了したことを告げてくる。これにて準備は完了、時間も惜しい。声に出さず白式に、正確にはそれに電子的な接続状態で制御されている蒼月に命令を下す。

攻撃力の増強に一役買っている高周波振動に加え、刃の部分に熱線によるレーザーコーティングを追加し、その威力を更に上げる。どうにもこのあたりの機構が白式に搭載された装備がこの蒼月一本であることに関わっているらしいが、今はどうでも良い。

 改めて前方に居る獲物(セシリア)に狙いを見定め、そしてスラスターを吹かして一気に距離を詰めていった。

 

 ふらつく意識を無理矢理に支えながらセシリアは狙いを定める。まだ撃つには早い。もう少し、引き付けねばならない。

刻限の迫る体が訴える痛みをこらえながら一夏は白式を走らせる。蒼月の柄を右手で持ちながら、左手を使って居合の構えを取る。

 

 迫る二人の距離。互いに最適のタイミングを見計らいカウントを進める。そして、奇しくも行動を起こしたのは二人同時だった。

 

(今っ!!)

 

 引かれるトリガー、振りぬかれる刃。同時に動き始めたその結果は――蒼月の刃がスターライトの光弾を弾き飛ばし虚空へ散らすという結果に終わった。

そして一夏とセシリアの距離がつまり、再びセシリアは一夏の間合いにその身を取り込まれる。眼前まで迫った凶刃を手にする相手を前に、セシリアは依然瞳の奥に闘志を燃やし続ける。

狙いを定めるまでもなく、引き金を引けば当たるというまでの距離に迫った一夏に一矢食らわせようと銃口を向けてくる。

 

「シィッ!!」

 

 蒼月の刃を下段から振り抜く。刃は砲身ではなく中程より奥、実際の拳銃などに当てはめるなら弾倉があるあたりに当たる。光学兵器の中枢部分であるゆえか、おそらく砲身ならば真っ二つにしたろう蒼月の一撃も僅かに刃が食い込むだけでそれ以上は進まない。だがそのまま刃を振り抜き、再度セシリアの手からスターライトを奪い取る。

そして振り抜いた勢いで続けて袈裟切りを見舞ってやろうと構え、セシリアの腰部にある細長い筒のようなものが動くのが見えた。それがミサイルポッドであることを一夏は知らない。だが、それを使わせてはならないと直感的に判断し、残る力を込めて渾身の一刀を振るう。

刹那の内にセシリアの前を通っていった刃はブルー・ティアーズのシールドを斬り、砕き、焼いていく。そして、ついにその値をゼロにする。

 勝負が決したことを理解し、ついに意思が切れたのかセシリアはゆっくりと前のめりに倒れ、そのまま起き上がろうとしなくなる。おそらくは気を失ったのだろう。

そこまで見届けて、ようやく外からの声ではなく自分自身で勝利を実感すると、ゆっくりと大きく息を吐く。それと同時に全身の内で猛り狂っていたような熱も冷めていき、心臓の鼓動も徐々に平静を取り戻していくのを感じた。

深呼吸のために伏せ、閉じていた目を開き改めて面を上げる。そしてグルリと観客席を見回す。ハイパーセンサーによって拡大された視界は観客席に坐する生徒たち一人一人の顔を鮮明に判別できる。誰もが無言、緊張を隠せない面持ちで一夏を見ているのが分かった。

 

(さすがに……派手にやり過ぎたか?)

 

 こちらも負けるわけにはいかないから我武者羅だったとは言え、やはり少しばかり刺激が強すぎたかと思う。が、考えてもしょうがないことと即座に切り捨てる。この程度で慄くようでは、あくまで予想でしかないがきっとこれからやっていくことはできないかもしれない。

楯無との訓練も含めてISに乗ることこれでざっと一週間、短い期間ではあるが一夏なりになんとなしに理解したことだ。この程度の武威に怯えていては話にならない。そもそも、そんなザマで居たとして仮にあの姉を前にすることになったらどうすると言うのだ。

とは言え、結局はそのあたりも個々人各々の問題、一夏があれこれ考えても詮無いことというものだ。怯えるなら怯えるで、それを飲み込み受け止め踏破するならそうするで、それぞれの好きにやれば良い。自分はただ、前に進み続けるだけだ。

 

「……っ」

 

 ピリリと四肢の幾箇所かに奔った痺れるような痛みに一瞬眉をしかめる。最後の切り札、その反動が思いのほか聞いているらしい。観衆の手前、無様を晒すわけにもいかないのでこうして平静を装うが、今の本音を言うとさっさと休息を取りたいくらいにはそれ相応の疲弊をしている。

やはり根本的に慣れが足りていないなと冷静に分析する。技それ自体は然るべき形で使える。その反動とも言える負荷も、耐えられるし限度を見定めることはできる。だが負荷それ自体への慣れが足りていない。例え同じ切り傷であっても幾度となく経験しているのと、初めて経験するのではその反応に雲泥の差がある。

負荷、痛み、疲労感、それらへの不慣れは動きや思考を鈍らせる。そして隙を生む。自分でもかなり物騒なものと自覚はしているために今まで使用を可能な限り自粛するよう心掛けてきたが、良い機会だ。そろそろ体への負荷を考慮した上で数をこなして慣らすのも良いかもしれない。

 

 通信で千冬からの指示が下った。一言、さっさと戻って来いとそれだけ。精々の補足にしても、ついでに眼前で倒れるセシリアも連れて来いというだけ。

異論はない。既に勝敗が決した以上は長居をする理由もない。倒れるセシリアに手を伸ばし、その体を小脇に抱える。スッと背筋を伸ばし、セシリアを抱えたまま地面を踏みしめる。自分は勝ったのだ。ならば、勝負の場を辞する時は勝者らしく堂々とあるべきだろう。

そして地を蹴った一夏は白式を宙に駆け上がらせ、静かに元居たピットへと向かって行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、我々もピットに向かおう」

 

 それだけ言って千冬は管制室から出ようとする。その後に楯無、箒が続き、機材などの片づけを終えた真耶がやや遅れる形で最後を歩く。

 

「す、凄かったですね、織斑くん!」

 

 小走りで三人に追いついた真耶は少しだけ上ずったような声で言う。ピットに向かう道中を歩く三人は無言、千冬はいつも通りとして真耶が知る限りでは非常に珍しいことに、楯無も固い面持ちのまま無言を続ける。そんな二人の異様な姿に気圧された箒は何も言えないまま、ただ後をついていく。そんな沈黙に支配された重い空気を払拭しようとしての試みだったのだが、どうにも効果は薄いようだ。

 

「……更識」

「はい?」

 

 無言のまま歩き続ける最中、不意に千冬が楯無に声を掛ける。

 

「一体いつからあの愚弟はあぁも節操無しになったのだろうな」

「と、言いますと?」

 

 質問の意図を図りかねているような調子の楯無を千冬は一瞥し、すぐに視線を前に戻して言葉を続ける。

 

「知れたことだ。あいつの、技だよ。剣だけかと思いきや、あぁも無手にまで通じていたとはな。確認できただけでも空手に柔道、中国拳法だ。まったく、確かにあいつとプライベートを共にする時間が決して多くなかったのは事実だが、いつの間に私の知らんところで、とな」

「仕方の、ないことだと思いますよ」

 

 そう答える楯無の脳裏に浮かぶのは一夏の師、かつて彼女自身も手解きを受けたことのある、凡そ彼女が知る中で素の人間としては頂上に立つ二天の片割れだ。

 

「先生も、あの人をご存じなのでしょう? だったら知っているはずですよ。あの人、剣だけじゃなくて無手も相当ですから。そりゃ、本業の剣に比べれば若干下回るところはありますけど、それでも相当ですよ。上回れる可能性があるとしたら、一人くらいしか思いつきませんね。ちなみにその人とは、剣を持った場合には完全平行線で決着が着かないって感じで。

まぁそんな人の弟子なわけですから。というか、あの人は彼のこと結構可愛がってますからね~。きっとねだられてホイホイ教えたんだと思いますよ。何しろホイホイ教えてグングン吸収していく師弟コンビですし」

「そうか。まぁ確かにあいつも、奴にはかなり懐いているからな。電話でもしょっちゅう奴のことを言って。……なんだろうな、この釈然としない感覚は」

「あ、あはは……」

 

 微妙に不満らしき言葉を漏らす千冬に楯無は苦笑いで適当に流そうとする。多分、というかおそらく確実に、一夏が下手をしたら実姉である千冬以上に師を慕っているかもしれないという事実が千冬にとっては気に入らないのだろうが、あえて指摘はしない。わざわざ虎の尾を踏みに行く必要はどこにもない。

 

「あのぉ、良いですか?」

 

 恐る恐ると言った様子で発言の許可を求めたのは箒だった。何だと問う千冬に箒は先ほどの会話で気になったことを率直に問うことにした。

 

「その、さっきの千冬さ――織斑先生と、更識先輩の話を聞いていて、その、一夏に師が居るのですか?」

「なんだ、知らなかったのか。あいつ、お前に話していないのか?」

「……全然です。そもそも寮に戻るのも遅い方ですし、戻ってきてもすぐに食事やら修練やらで部屋を出て。部屋に居てもあまり話は。男女の同室という点で配慮をしてくれているのはありがたいですが、それにしてもろくに……」

 

 箒の言葉に千冬は思わずため息を吐く。無論、一夏のことだ。寮の都合上一定期間とは言え女子と同室になってしまう、そのことへのせめてもの配慮として知己の者との同室にしたというのに、話を聞く限りではまるで無意味になっているらしい。おそらくだが、他の誰と同室でもきっと基本的な行動は変わらない、そんな確信が千冬にはあった。

 

「まぁ、その辺りはお前たちで何とかしろ。あいにくだが、私の管轄外だ」

 

 ひとまずは、問われたことに答えるとする。

 

「さて、質問の答えだな。そうだ、あいつには剣の、というよりも武芸全般の師が居る。ちょうどお前の一家が越した後でな、まだどうにか柳韻(りゅうん)さんとは連絡が取れた頃だよ。

道場に通えなくなり指導を受けられなくなったと知って、あいつは相当ショックだったようでな。他の道場にしようにもちょうど近場にはないし、そもそもあいつのレベル自体が、な。そこでどうしたものかと当時の私も悩んで結局柳韻さんに縋ったわけだが、そこで紹介されたというわけさ。

まぁ、色々と……あぁ、本当に色々とあったよ。だが、預けたメリットは大きかったと思っている。私の代わりによくあいつの面倒を見てくれていたし、武道家として、師としてはこれ以上を望めないレベルだ」

「その人は一体……」

「名を海堂宗一郎。旧帝を出ているだとか実家は資産家だとか、何気に文武後ろ盾色々揃った男だよ」

「その人は、どれほど強いのですか? 織斑先生と比較しては……」

 

 その問いに千冬は一度歩みを止める。そして首だけを回して箒を見る。

 

「強いさ。以前、一度だけ手合せをした。勝負は結局着かなかったが、あのまま続けて勝てていたか。あれから数年だ。おそらく今では、強いだろうな。私よりも」

 

 その言葉に箒、そして今まで黙して話を聞いていた真耶が明らかに表情を変える。その姿にフッと微笑を浮かべると、再び千冬は歩き出す。そして、一夏の待つピットへと四人は到着した。

 

 

 

 

 

 

 




 とりあえず今回は戦闘が絡むということで全面改訂に近くなりましたが、今後はまたにじファン時代のをちょこっと弄る程度になるでしょうね。あぁ、かつて書いた分のストックが無くなっていく。そしたら、ゼロから続きを書いていかなきゃだ……

 さて、次はどうしましょう。このまま楯無ルートを進めるか、はたまた本編を進めるか。
いずれにせよなるべく早く続きをお送りできたらとは思っています。

 ひとまず今回はここまで。また次回の更新の折に。

 本作はもう一つの方共々感想ご意見随時募集中です。ドンドン!来てください。
さて、今回仕込んだネタや元ネタはどこまでばれるか……


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第十三話

 今回はにじファン時代のものに少々の加筆修正を加えただけなので早く仕上げることができました。
とりあえずにじファン時代のものとはあまり大差はないですね、今回については。


 一夏がピットに戻ってから少し遅れる形となって千冬、真耶、箒、楯無、そして数人の教員がやってくる。

白式を解除した一夏は、パワーアシストが無くなったことを感じさせない様子でセシリアを抱えたままストレッチャーの準備をしている教員の前に歩み寄り、指示に従ってセシリアの体をストレッチャーの上に横たえる。

大事をとっての検査のために医務室へと運ばれていったセシリアを僅かに見送ると、一夏は踵を返して千冬達に向き直った。

 

「……一先ずは、御苦労と言っておこう。未経験状態の入学後一週間での初戦、代表候補生を相手にしての結果としては上々だ。機体特性など様々な要因が絡んでいるのは事実だが、結果は結果としてこの点についてはまずよくやったと言おう」

 

 実弟の挙げた武功についても厳格さを絶やさず、しかし最低限の労いの言葉を掛ける。だが、その声は心なしかどちらかと言えばやや沈んでいるようにも聞こえる。

それを察したのか、あるいは単に試合の緊張が解けきっていないためか、僅かに眉を寄せた顔を崩さずに無言で一夏は頷く。

 抜けきらない眼光の鋭さと、それを相乗させるかのように目を見ると否応なしに視界に入る左横の顔の傷跡に千冬は僅かに目を細めたが、すぐさま元に戻して軽く嘆息。

 

「とりあえず試合について教師として意見を言わせて貰う。なるほど、一週間近く、そこの食えん小娘と裏で動いていたのはプラスに働いたようだな。

少なくとも入学後一週間の素人にしては及第点をくれてやっても良いだろう。が、専用機持ちであるゆえに求められる技量、そしてISのパワードスーツであるが故に乗り手の身体操法が大きく動きに関わるという特性と、お前個人の技能を鑑みれば未だ不十分過ぎるのも事実。専用機を受領したのだ。今後は訓練にも励むように」

「ういっす」

 

 返す言葉もない、言うことに一部の隙も無し、それを本人であるがゆえに重々理解しているからこそ、一夏は素直に頷く。

 

「本来であれば試合後に直ちに監督教員が講評を行うのが通例なのだが、今回は状況が授業のソレとは異なるということも加味して話はここまでだ。後で記録した機体の稼働データを渡しておく。管理を重にすると共に、後々の参考としろ。

今回の試合内容は、明日のIS技術理論の授業で例としての教材として使うと共に講評を行う。お前と、この場には居ないがオルコットには試合の当事者として意見を言ってもらうことがあるのは必定。

知識、経験共にそれなり以上に積んでいるオルコットはともかくとして、お前にはそこまで完璧な答えは敢えて求めない。が、自分なりに先ほどの試合を考え、どこをどのように改善すべきか考えておけ。以上だ」

 

 それだけを言い残して千冬はピットから立ち去る。恐らくは先ほど言った稼働データの解析や整理を行うのだろう。

残った真耶が一夏、箒、楯無の三人にこの後の予定を告げる。

 

「えっと、それじゃあ今日はこれで解散です。織斑君も支度を整えて、篠ノ之さんや更識さんもですけど、もう寮に戻ってもいいですよ。既に放課後の時間になってますから。

織斑君は、一応初めての試合の後ですから、それなりに体力も使ったはずです。しっかり休んで、ちゃんと体力を回復させて明日からも頑張って下さいね?」

 

 口を開けば生徒への厳しい要求を突きつける千冬とは異なり、まず第一に生徒の身を考える真耶の言葉は、特に千冬の言葉の後では沁みるような柔らかさを感じるだろう。

姉の厳格な言動に慣れ切ってしまっている一夏は特にどうとは感じないが、他の生徒にはどうなのかもしれない。

 あるいは、千冬と真耶を担任副担任として同じクラスに据えたのはこの辺りでのバランスを取るためなのかもしれない。

真耶の言葉に一夏は黙って頷き、そのまま一礼をすると足先の向きを変えて箒に、そして楯無にすら一度も視線を送らずに更衣室への入口へと向かう。それを受けて真耶もまた一夏が向かう先とは別の、廊下に出るピットの出口へと向かう。その背に箒は反射的に声を掛けていた。

 

「一夏!」

 

 ピタリと足を止める一夏。だが、試合前の時のように箒に視線を送りはせず、ただ前を向いたまま立ち止まる。

その背に箒は、思わず声を掛けることを躊躇った。剣道を嗜み、静謐な駆け引きというものを何度も行ってきたがゆえに、箒も並み以上には人の心の機微というものを察することができる。

その感覚が、無言の一夏の背が放つプレッシャーをはっきりと感じ取っていた。剣道場での試合の後の、剣について問い質そうとした時の冷たさを持った拒絶。

あの時ほど鋭くは無いものの、代わりに重さが増したような気配に喉が詰まった。

 だがそれでも、精一杯を振り絞って箒は声を出す。

 

「その……だな、よ、よく勝った!」

 

 言って、なぜ自分が強気に、まるで誇らしいように言ったのか自問する。例えば今の箒の立場が一夏を手塩にかけて育てた師というものならばまだ分かる。だが実際はその対極の遥か向こう。そのことに、それしか言えない己の生来変わらない不器用さに頭を抱えたくなるが、もはや後の祭。だが、意外にも一夏はまじめに応えた。

 

「まぁな」

 

 簡素な、だがはっきりとした声で確かに応えた。その声に箒は僅かに伏せていた視線をすぐに上げたが、既に一夏は扉の向こうへと消えていた。

そのまましばらく立ちすくしていたが、やがてほんの少しだけ曇りの晴れた顔になると、先にピットから立ち去った真耶と同じ出口から廊下へと向かった。

 それゆえに気付かなかった。最後まで残った楯無、彼女の視線が依然一夏の去った方へと向いたままで、その足が動く気配が無かったことに。

 

 

 ピットの扉をくぐり更衣室に戻った一夏は、まっすぐに自分が荷物を置いたロッカーへと向かう。

その歩幅は先ほどまでと比べてやや広く、足を動かす速さも速い。大股で更衣室を闊歩する一夏、その眉間には試合の時よりと比べてもなお深い皺が刻まれている。

 荷物をしまったロッカーの前に立つと、一夏は素早く取っ手に手を掛けてロッカーを開く。やや荒さのこもった動きにロッカーの金具が僅かに軋む音を上げる。

中のハンガーに掛けられている制服の上下を手に取ると、一夏はそれを手早く着ていく。だが、ISスーツをまとったままその上に制服を、それも上着にいたってはただ羽織るだけという簡略さ。依然眉根に刻まれた溝は消えず、むしろ深さを増している。

 手早く制服を着込み、それ以外の荷物を全て持ちこんだ鞄に仕舞った一夏は半ば叩きつけるようにロッカーを閉める。そして手近にあった椅子の上に鞄を放り投げると、そのままゆっくりと後ろに下がって壁に背を預けた。

 

「くっ……かっ……!」

 

 それまで無言を貫いていた一夏の声から声が出た。それは食い縛られた歯の隙間から漏れる、苦痛を堪えるような渇いた呻きだった。

壁に預けていた背を僅かに浮かせると、踵を軸にして静かに体を90度回転、そしてすぐ後ろにきた長椅子に崩れるように座りこんだ。

未だ一夏の口からは痛みをこらえる声が漏れ、いつのまにかその額には脂汗が浮かんでいる。

 

 全身、特に四肢からひっきりなしに響く筋肉痛を更にひどくしたような痛み、そして頭の中で響き続ける鈍痛が己を蝕む。試合終了直後、千冬が立ち去ったあたりから己を蝕みだしていたこれらの苦痛に、むしろ今まで無表情を貫けたのは我ながら大したものだと思う。

分かっていた。何も初めての経験というわけではない。だが、これは仮に何度経験して慣れようが、その都度苦悶を浮かべることになるのは間違いない。

 

 人並み以上に痛みというものに耐性を持ちながら、それでもなお耐えるのが厳しい痛み。それを今まで、人目のあるうちに耐えていたのは、確かに一夏の男としての、織斑一夏個人としての意地もあった。

だがそれ以上に、痛みの原因。それに探りを入れられることが面倒だったのだ。別に苦痛を感じていることなどは露見しても問題はない。だが、その要因ばかりは流石に明かせない。

しかし幸運というべきか、今回体にかかった負荷はまだ十分に許容範囲に当てはまるらしい。未だ痛みは続くものの、体自体はだんだん軽くなっている。

 

「はっ……あぁ……」

 

 体中に溜まった陰鬱な気を払うように大きく息を吐く。同時に気力も抜け落ちるように筋肉に込めていた力も抜けていくが、疲労が溜まった体には逆に心地よく感じる。

 

「む……」

 

 息を吐けば必然的に今度は息を吸うことになる。そこで気付いた。鼻に詰まるものを感じる。そういえば試合途中から鉄みたいな匂いを感じたっけと思いながら、今度は鞄からティッシュを取りだす。

 

「ふんっ!」

 

 ティッシュで鼻の穴を抑え、片方の穴を塞いだ状態で思い切り鼻をかむ。何かが飛び出る感覚。同じ要領で反対側も。両方の鼻をかんだティッシュには赤い液体、鼻の奥で溜まり僅かに固まった血が付着していた。

それを見ても一夏は眉を動かさない。こうなることも織り込み済みだからだ。血を包み込むようにしてティッシュを纏めると、やや離れた所にあるごみ箱に放り投げる。ホールインワン、放物線軌道を描いてティッシュはごみ箱の中へと入る。

 投げ捨てたティッシュの軌跡をしばし眺めていた一夏だが、やがて静かに立ち上がると部屋へ戻ろうとする。あまり遅くなってもそれはそれで問題だ。部屋に戻れば否応なしに箒と顔を会わせなければならず、それだけではなく寮という空間にいる以上は他の生徒とも顔を会わせることにもなる。今の自分の状態は、なるべく悟られたくは無い。

いや、いっそ自分も医務室に行くというのもありではないだろうか。そんな考えも浮かぶ。初めてのIS戦後ということもあり、自分で念のためにとでもすれば口実としては十分。

さてどうしたものかと考えを巡らせ、その思考は不意に中断させられる。

 

「よっ、どうした」

 

 目の前では無く己の後方、自身とピットへの扉を結ぶ直線状に向けての言葉。体力的な疲労はあるが、だからと言って同じ部屋にいる人間の気配に感づかないほど鈍ってもいない。仮に気付かれないとすれば、それは師くらいなものだ。

 

「ちょっとね……」

 

 腕を組みながら立つのは神無。気配に気付いた瞬間に一夏は背を伸ばしていた。己の状態を気付かれないための配慮。何事も無い。その立ち居振る舞いで主張する。

向けていた背を回し、後方の神無に向き直った一夏は手近な壁に背を預け、鞄を持つ手とは逆の空いた手を軽く挙げて挨拶代わりとする。

 神無は数歩歩き一夏に歩み寄る。そして手に持っていた扇子を開く。白地に達筆で書かれた『初戦勝利』の四文字。

 

「まずはおめでとう、って言うべきかな。うん、ちょっと驚いちゃった。まさか本当に勝つなんて」

「どうだてやんでぃ、って言うのかな。まぁ、専用機が俺と相性良かったのもあるよ。あれは俺向きだ。これで射撃戦の機体とか渡されてたら、俺は『絶望したっ!』って言って自分の頭をふっ飛ばしてたかもしれない」

 

 茶化すように言う一夏に神無も小さく笑いながら、冗談でも言うようなことじゃないと軽く窘める。つられるようにカラカラと笑う一夏だが、すぐに笑みを引っこめると表情を真剣なものに変える。

 

「まぁ、俺が勝てたのも、真っ当に試合をやれたのもアレだ。スペシャルな先生様のおかげだよ。……ありがとな、神無。勝った殆どは、お前のおかげだ」

「うん、どういたしまして。私も鍛えた甲斐があったとうものだわ」

 

 偽りのない、純粋な感謝の念を伝える一夏に神無は柔らかく頷く。

 

「じゃあ、俺は先に戻るよ」

 

 それだけ言って一夏は立ち去ろうとする。その背を見た瞬間、神無は反射的に動いていた。

古武術の歩法の応用で一息で一夏との距離を詰めると、その肩を掴んでいた。振り向く一夏。その顔の筋肉にはしる僅かな強張りを、何かの刺激に耐えるような緊張を彼女は見逃さなかった。

 

「神無……?」

 

 呟く一夏の声には、表情同様に僅かな緊張があった。まるで、何か悟られたくないことを悟られたかのように。それを見て、神無の表情に沈痛な色が浮かんだ。

 

「答えて、一夏。何をしたの?」

 

 その問いを発した瞬間、一夏の顔の強張りが明らかなものとなった。こうなってはもはや隠しようがない。

黙秘は認めない。その意思を眼差しに乗せて一夏の眼へと伝える。だが、同時にもう一つの意思を無意識に乗せていた。それは純粋な心配だ。確かに気になっているが、本気で案じてもいる。

 一夏の唇が僅かに動く。小さく開き、そして閉じる。言うべきか言わないべきか。迷いが現れた動きだった。

同時に何か恐れるような表情を浮かべたことに、思う所が無いわけではない。だが、神無は敢えて問い貫くことを決めた。そのために、もう一つの手を打つ。

 

「試合中、あなたとセシリアちゃんのデータは先生たちが観測してたわ。機体の稼動状態や出力といったシステム面は当然として、パイロットの二人のバイタルデータも。

その中には脳波とか脳内分泌物質による興奮状態とかも含まれてるの。――率直に言うわ。一夏、あなたが試合の途中から出した数値は異常そのもの。誰も取り沙汰にはしなかったけど、多分織斑先生は気付いているだろうし、すぐにその異常さに他の先生、山田先生とかも気付くわ。

多分、後で織斑先生なんかそのあたりを聞いてくるわよ。それだけじゃない。さっきから、体の方も調子が悪いんじゃないかしら?」

「っ……」

 

 一夏の表情に僅かに苦いものが浮かぶ。だが、やがて観念したように小さく首を横に振る。そして未だ一夏の肩を掴んだままの神無の手を、ゆっくりと丁寧に剥がすと一夏は真正面から神無の目を見据えた。

 

「……別に特別なことをしたわけじゃない。ただ、戦っていて気分が乗ってきたから、自分の中でスイッチを変えただけだよ」

「……」

 

 それだけではないだろう。無言でそう、目で以って尋ねる。

 

「正直、実際には好都合だったけど。まぁでも、期待に応えてくれた良いIS、良いシステムだよ」

 

 何のことかは言われずとも分かる。『宿儺』――白式の要とも言える新型システムだ。

 

「あの時、俺は一つの切り札を切った。師匠直伝の奥義さ。いや、奥義よりはむしろ禁じ手に近いのかな。リスクが無いわけじゃない」

 

 神無は無言で一夏の話を聞く。一度話し始めてみると一夏にとっては意外なことに、予想以上に言葉が淀みなく紡がれる。

 

「戦い方には二通りのタイプがある。思い切り心を昂らせて、その勢いで体の動きの勢いを上げる馬力重視っていう感じの、『動』と言える戦い方。そしてもう一つが――」

「真逆に心を鎮める。沈着な思考を維持して、策と技巧で以って戦う『静』と呼べる戦い方、でしょ? 宗一郎さんが言っていたわね」

 

 かつて共に在った時に師より賜った教えを口にする。その通りと言うように頷くと、一夏は続きを語る。

 

「どっちになるかはそいつ次第。元々の相性だ。そしてこいつらは水と油。本当なら相成れない。けど、もしこの二つのタイプに同時になれたら、凄いとは思わないか?」

「それは――」

 

 言われてその通りだと思う。至極単純な理屈だ。高い馬力を精密にコントロールできたのであれば、そこから弾きだされる戦闘力は相応の高さを誇る。

 

「その理屈を実践して、師匠は可能にしたんだよ。そして、俺はそれを学んだ」

 

 やはりあの人かと、神無は己も知る世界最強クラスの武人を思い浮かべる。そして一夏の語る技法、更識当主として様々な武術を習得した彼女だが、少なくともそのどれにも該当するものは存在しない。

ということはほとんど彼のオリジナル、同時に秘伝クラスの技法であり、その秘伝を直弟子である一夏が受け継いだ。想像には難くない。

 

「けどな、デメリットもあるんだよ。師匠は、このあたりかなり口を酸っぱくして言ってた」

 

 自嘲気味に呟くような一夏の言葉に、神無は何がデメリットなのか当たりを付けた。恐らくは、今一夏の体を蝕む疲労。

 

「元々正反対の状態を無理やり一つの体の中に押し込むんだ。密閉したビンの中で火薬を爆発させるようなもんだよ。やっていられる時間の限界を超えると、体が冗談抜きでイカれる。最悪廃人にもなるかもしれないってさ」

「なっ……!」

 

 その言葉に神無は絶句する。それこそ冗談ではないと思った。自分の体を、あるいは生命すら引き換えにするなど馬鹿げているとしか言えない。

そしてそんな技の伝授を行った師弟もだ。いや、間違いなく彼は、一夏の師である宗一郎は技の伝授にあたって念押しをしたに違いない。二人の師弟愛は紛れもない本物。

だからこそ、弟子の身を滅ぼしかねない技を、仮に伝授するにしても万が一を防ぐための予防線は確実に張る。

 だが、ここで問題になるのはもう一人。つまりは弟子だ。

 

「一夏。一夏は、良かったの? そんな危ない技を……」

「断る道理は無いと思ったよ」

 

 きっぱりと、一夏は言いきった。その目には自身の選択を微塵も疑っていない、確固たる意志の光が宿っている。

 

「メリットデメリット、俺自身の限界、そのあたりは師匠にきっちり言われた。その上で本当に良いのかとも何度も念押しされた。それで俺は学ぶのを選んだ」

「それで、取り返しがつかなくなっちゃったらどうするのよ……」

 

 神無の声に小さな震えが混じる。もしも取り返しのつかない事態に陥って、最悪命まで落としてしまったらどうするのか。

後悔は、無念は無いのか。いやそもそもそれ以上に、残される側はどうなる。彼の姉は、師は、親しいだろう友人はどう思うのか。何より彼女自身もそうだ。

今目の前に立つ少年の変わり果てた無残な姿など、正直見たいものではない。

 

「まぁ、そうなったらなったで仕方ないよ。そりゃな、俺も今人生オジャンになるのは未練タラタラだから嫌だけどさ、それが俺の選択の結果なんだから文句言わずに受け入れるしかないよ」

「でも、でも万が一があれば」

「そうなったらそうなっただよ」

「え?」

 

 あまりにもあっさりと自分の安全への無頓着を言った一夏に神無は呆けるような顔になる。

 

「自分で学ぶことを、使うことを決めた。勿論わざわざ自滅するような真似はしない。けど、例えもしものことになったとしても、それは自分で選んだ結果だ。絶対に悔いるようなことはしない。だからオールオッケー」

「そんなこと……ちょっと勝手すぎるよ」

「まったくだな」

 

 咎めるような物言いの神無に一夏も自覚はあるのか、その通りだと微笑と共に同意する。

 

「けどな、神無。実際そう思っているんだよ。……確かに我が身は大事さ。不必要なリスクは背負い込むべきじゃないとも分かってる。けどさ、なんだろうね。まぁお前と初めて会って、事故があって、どうもそれが契機になったのかな。色々あったんだよ、本当に色々。なぁ神無。命ってさ、不思議だとは思わないか?」

「え、どうしたのよいきなり」

 

 あまりに唐突に投げかけられた問いにその意図を図りかねる神無に、一夏はそういう反応が返ってくると分かっていたのか話を続ける。

 

「なんかさ、俺も自分で思ってたより濃い人生やれてたみたいで。昔の首相が『人の命は地球より重い』なんて言ったらしいけど、でもその割には命って案外あっさりしているもんなんだよ。失われる時は、あっさりそうなっちまう。師匠のトコにいて、まぁ野生の猪駆除だとかそういうのを間近で見たこととか、よく師匠のトコに野菜をくれた婆ちゃんがある日心臓で急に逝っちまった、なんてこととか。それでさ、何かの時だっけな、師匠が言ったんだよ」

 

 いつ頃だったかはそこまで覚えていない。だが、修行の日々の中のある一時、道場で言われたことだ。

『一寸先は闇、と言うように人生は何があるか分からない。死もまた然り。人生の終わりという紛れもない人生の一場面である以上、それは気が付いたらすぐ目の前に迫っているなんてことはザラだ。あるいは、俺も明日急に世を去るなんてことがあるやもしれん。そういうものだ。

そればかりを意識しろとは言わん。終わりばかりを気にして生ある今を軽んじるなど本末転倒、話にならん。だが、いずれその時を迎えるのは確実なのだ。ならばその時に後悔などしないよう、日々を懸命に生きろ。生に真摯であれ』

 

「なんでそんな話になったかは覚えてないけど、まぁ色々思うところはあったね。けど、本当に考えても仕方のないことばかりでもあって。だからせめて、武道だけは全力であたろうと思っただけだよ」

「『メメント・モリ』ね。死生観に関連した、『死を忘れるな』って権力者に戒めさせるための格言よ。何て言うか、宗一郎さんらしいわね」

「師匠らしい、か。あぁ、確かにそうだな。それで、あれだよ。俺は少なくとも今までやれることはやってきたつもりだ。仮に万が一になったとしても、それがその結果だっていうなら甘んじて受け入れるさ。本当に、最後の最後に後悔なんて後味が悪いのは嫌だからな」

 

 迷いなく言い切った一夏を神無は無言で見つめる。そして小さく俯くと歯を食い縛りながら一夏の胸板をドンと握り拳で叩いていた。

 

「ちょ、痛い痛い!」

「あ、ご、ごめん」

 

 不意に胸部に叩きつけられた衝撃、それが全身に伝播して未だ回復しきっていない筋肉を刺激して、全身に鋭い痛みが走る。思わず悲鳴を上げた一夏に神無は謝る。

だが叩いたことが間違いだとは思っていない。こっちは身を案じているというのに、当の本人はまるで無頓着、しかも心配されているということが分かっている上でだ。このくらいしても罰は当たるまい。

 

「神無、一つ頼んでもいいかな?」

「え?」

「このこと、俺のこの禁じ手のことは他の誰にも言わないでくれ。なるだけ、秘密にしときたいんだ」

「な、何言ってるのよ!?」

 

 一夏の言葉に神無は思わず声を大にする。

一夏の言葉を額面通りに受け取るのであれば、彼は己が自分自身を滅ぼしかねない爆弾を抱えているのに、それを黙り続けるということ。

 そのようなこと、世界唯一の男性IS操縦者の身辺の安全確保を政府より依頼された更識当主として、学園に在籍する者を守ることを務めとする生徒会長として、何よりも彼を知る一人の更識『神無』個人として看過できない。

だが、今回ばかりは一夏も引くつもりはない。断固とした意思を持った目。こればかりは譲らないと、眼光が語る。その目を見据えて数秒。やがて観念したように神無は首を横に振った。

 

「良いわ。このことは私とあなた、後は宗一郎さんくらいね。それだけの秘密。私も黙っておくわ。けど、約束して。絶対に無茶はしないって。もしそれで体をダメにしたりしたら、怒るわよ? 本当に、許さないんだから」

「あぁ、そりゃ怖い」

 

 神無の念押しに一夏は肩をすくめながら承諾をする。どうにも自分が一夏のペースに巻き込まれているような気がしないでもない神無だが、今は気にしないでおく。それよりもこの確認の方が重要だ。

 

「さてと、俺はちょいと医務室行ってくる。多分ベッドとかもあるだろうしな。一人で休みがてら、筋肉痛とかに効く薬は無いか聞いてくるよ」

「うん、そうしなさいな。本当に、無茶しないでよ……」

 

 一夏は安心しろと言うように片手を挙げると、そのまま更衣室から去っていく。その背を見送って神無は、小さくため息を吐いた。

 

「一夏……」

 

 本当に、五年という歳月は人を変えると思う。初めて会った時、純粋に技を磨くことに目を輝かせていた少年。

瞳に宿す強い意志の光に変わりはない。だが、その在り方は変わったように思える。鍛え抜かれた殺法の数々、己すら厭わない禁じ手と言えるような技。歩む道は、まるで修羅道のソレだ。

 無論、それが彼なりに考え、確固たる自分の意思で選んだ道であると言うのであれば、そのことについて他の何者かがとやかく言うわけにはいかないことも理解している。何より彼自身が言われるのを嫌うだろう。だが、心配になるのもまた事実なのだ。

 

「私も、頑張らなきゃ……」

 

 胸の前で小さく手を握る。五年前の借り、その精算は未だ為されていない。その機会があるのであれば、この学園でこそだろう。

もしもの場合が彼に迫るのであれば、それが彼の身に著しい危険を及ぼすのであれば、その時は――

 

「私が……」

 

 己に言い聞かせるように、そうすべきだと言うように、神無は小さく呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

「うっ……」

 

 夕焼け空に夜の暗さが僅かに差し始めた頃合い、医務室に設けられたベッドの一つの上、そこに寝かせられていたセシリアは閉じていた瞼を開けた。

目の前に映るのは医務室の白い天井。染み一つない真白は清潔感に溢れている。数度、ゆっくり瞼を上下させてセシリアは己の状況を思い出す。

 

(わたくしは……)

 

 思い出した。試合に負けた。突然相手の機体が急激な加速を始めたと思えば、見る間にティアーズが破壊されていき、そして己自身もまた容赦の無い猛打に晒された。

そのあたりから記憶は曖昧だ。ただ、負けたくない一心で足掻き、最後の一射を放った。そして――負けた。

 

「いつっ!」

 

 とりあえずは起き上がろうとして、左腕を動かそうとした瞬間、その左腕の肩に走った痛みに顔をしかめる。

そこでセシリアは自分の姿を確認する。教育機関でありながらも、政府からの多大な資金援助で運営されているIS学園は設備の一つ一つが十全以上に揃えられている。

それは医務室においても同様であり、どれだけ競技用と銘打とうが兵器であるISを用いての戦いを行う以上、時には軽くない怪我を負うことも想定して医務室には病院もかくやの設備が整っている。

その流れから医務室への入院という宿泊も可能であり、今のセシリアはそうした際に生徒が着る浴衣のような入院着をISスーツの上から着用した状態だった。

 そして、服の隙間から覗く己の左肩には包帯が巻かれている。そこで気付いた。試合の最中、自身が左腕を犠牲にしたことに。

使うことのできない左腕の代わりに右腕を使って身を起こす。起こし、誰か人を呼ぼうとした瞬間、横から声が掛けられた。

 

「おう、起きたか」

 

 その声、明らかに男のソレに思わず左を向く。レールによって隣同士を仕切るカーテンも今は開かれている。視線の先、自身が横たわっていたベッドの隣のベッドには、上半身を起こした状態で伸ばした足にかかる掛け布団の上に置いた書籍――多少は見える内容からして授業で使うISの参考書だろう――を読んでいる一夏の姿があった。

上半身はISスーツだが、腰のあたりには制服のズボンの生地が見える。ISスーツの上に直接制服を着たのだろう。彼のすぐ脇には制服の上着が置かれている。

 

「あなたは……」

「やった張本人の俺が言うのもおかしなもんだけど、医務室の先生曰く何か所かの打ち身とその左肩以外は特に怪我は無いってよ。打ち身にしても後は残らないし、肩もナノマシンやら湿布薬やらで結構早く治るみたいだぜ。科学のチカラってスゲー」

 

 読んでいる本のページを捲りながら自身の容態を告げる一夏の言葉をセシリアは黙って聞く。その内容に僅かなりとも安堵したのは事実だ。特に長引くことも、後を残すこともなく治るというのであればそれは素直に喜ばしい。

 

「あなたは、何故ここに?」

 

 そうして脳裏に思い浮かんだ一つの疑問。何故彼がここにいるのか。まさかわざわざ今のことを言うためでもないだろう。

では何か怪我でもしたのか?だが、己の記憶が確かであれば、試合の勝者である彼は目立った怪我は負っていないはずだ。

 そのセシリアの疑問に、一夏は読んでいた本から目を外し、明後日の方向を向きながら、どこか苦さを伴った声で答えた。

 

「まぁ、ちょいとな。お前さんには見えたかは知らないけど、無理をしちまってな。この具合なら今夜あたりしっかり休めばどうにかなるけど、ちと中身がボロボロ状態だ」

「はぁ……」

 

 説明されてもセシリアの目には一夏に目立った外傷は見当たらない。確かに疲労があると言うのであればそうなのだろうが、やはり十全な理解はし難い。

 そして、自分が一夏とごく自然に会話をしていることにようやく思い至ったセシリアは弾かれたように一夏から顔を背ける。そのまま視線を落とし、両脚を覆う布団の上で組まれた両手を見る。

 

「わたくしは、負けたのですね……」

「あぁ。負けたな、俺に。散々にぶん殴られて、終いに刀で一撃。シールドはスッカラカンにされて、誰が見ても完璧にお前の負けだ」

 

 思い出し、湧き上がる悔しさを滲ませたセシリアの言葉に、一夏はその通りだとはっきりと告げる。

負けは負け。それが事実であり、そこに気遣いを見せるつもりなど欠片も無い。冷たいとも言える言葉に、例えば一週間前のセシリアであったら激昂していただろう。

だが今はそうもできない。一重に、自身が敗者に他ならないから。

 

「無様、ですわね。あれだけ大見栄を切りながらこの敗北。情けないにも程がありますわ」

「……勝った俺が言うのもおかしい話だけどよ、たかが一回負けたくらいでそこまで気落ちするかね? そりゃ、負けが気に食わないのは俺も分かるけどさ、そこはこうほら、アレよ。『次はぬっ殺したるシャンナロー』って感じで気合い入れるべきじゃねぇか? 少なくとも俺なら次の時に十倍返しくらいにして心身共に木端微塵にしてやるが」

 

 だが、その言葉にセシリアは分かっていないなこいつと言うように首を横に振る。

 

「生憎、わたくしはあなたほど図太くはありませんの。無論、次こそはという思いがあるのもまた事実。ですが、あなたが試合前に言ったようにわたくしにも意地が、誇りがありますの。栄えある英国の代表候補にして、第三世代の専用機持ちという矜持が。

代表候補、専用機持ち、どちらも決して軽くない意味合いを持った肩書きです。その肩書きを持つ身として、素人相手に負けるということはあってはならない。肩書きを背負う責任、わたくしの祖国の沽券もあります。ですがそれ以上にわたくしの誇りが許せません」

「誇り……か」

「貴族たるもの、常に己が誇りを掲げねばなりません。誇りを失えば、ただ朽ちるのみですから」

「なるほど、腐っては生きていけないか。まぁ、理解はできるよ」

 

 納得するような一夏の言葉にセシリアは頷く。

 

「……一つ、聞いてもよろしくて?」

 

「何だ」

「試合前のあの宣言、あれは本気ですか?」

 

 すなわち、全てのIS、その操縦者、その頂点に立つという宣言。男の代表として自分以外の全ての女の操縦者に立ち向かうという意志の表明。それを、改めて本気なのかと問う。

 

「本気、だとすればどうする?」

「正直、大言壮語と思えるのは今でも変わりはありませんわね。確かにあなたはそれなりに実力をお持ちのようです。えぇ、今でも認めるのは不本意ですが」

 

 無謀と言いつつも一夏の実力を認めるような言葉。それを聞いて思わず一夏は口笛を吹いていた。

 

「へぇ、散々人を猿だなんだとこき下ろした癖に、どういう風の吹きまわしだよ」

 

 隠そうとしない皮肉、それも今回の一件の経緯においての彼女の言動を鑑みれば致し方ないものがあるとは言え、どちらかと言えば意地の悪さが明らかな言葉に、セシリアは僅かに目を細めるのみだった。

 

「代表候補であるわたくしに勝ったのです。認めざるをえないでしょう。それに、わたくしの力が至らなかったのは確かです」

 

 己の言葉の不手際も認めるセシリアの言葉に、一夏は面白そうだという顔をますます深める。

 

「殊勝なんてらしくもないな、オルコット」

「らしくないとは言いますが、あなたがわたくしをどれだけ知っていて? それに、過ぎたことをいつまでも責め立てるのは少々狭量に過ぎるのでは?」

 

 予想外のセシリアの鋭い切り返しに一夏は小さくこめかみを動かす。だがそれも怒りの琴線に触れたというよりも、セシリアの切り返しを意外と思うと同時に面白がる風でもあった。

 

「こりゃ一本取られたか。ふん、いいぜ。じゃあ今度は真面目に答えてやるとしようか。あの宣言な、まぁ男の代表云々はともかくとして、頂点に立つのはマジだよ」

「意外ですわね。あなたも男であるならば、同性の側に立つべきなのでは? 少なくとも、今の時勢ではそれが自然と思えますが。自身の立身栄達よりも先に」

「ん~、そりゃ俺の個人的主観によるって感じかな」

 

 左手を顎に当て、右手の人差し指を立てながら一夏は続きを言う。

 

「オルコット、誰かに頼らなきゃ何もできないようなやつを手伝う気にはなるか?」

「なるほど」

 

 彼女には一夏の言わんとすることが理解できた。つまり、唯一の男性IS操縦者である自分一人に頼るようであれば、手伝ってやる価値を見出せない。一夏が言わんとすることはそういうことだった。

 

「別に何もしないってわけじゃない。まぁ、俺も立場が立場だからさ、それ相応の責任ってやつはあるだろうし、最低限そんくらいは請け負ってやる。けど、そっから先はそいつら次第だ。元々、俺が上目指すって言ったのは物凄く個人的な理由が大半だからな。生憎、そこまで手は回らねぇよ」

「存外に、冷たい方なのですね」

「ハハハ、人にも自分にも厳しいと言ってくれや。あ、ちなみに鍛える絡みだと本当に俺は自分にも厳しいぜ?」

「そうですか」

 

 カラカラと笑う一夏にセシリアは表情を崩さないままに適当な相槌を打つ。

 

「改めて聞きますが、本気でして?」

「本気だよ」

「あまり賢明な姿勢とは言えませんわね。率直に言いますが、あなたが最初にあの宣言をした時、確かに私は憤りを感じましたわ。

ですが、それはわたくしだけではないはず。おそらく、この学園において同じようにあなたに対し憤りを感じた者は居るでしょうね。お分かりでして? この学園において、あなたに敵愾心を抱く者が出てくるということですのよ」

 

 やや険しい口調でセシリアは己の推測を告げる。その言葉を、腕を組みながら目を閉じていて聞いていた一夏は、ゆっくりと口を開く。

 

「さっきの焼き直しみたいだけど、意外だよ。そいつは忠告のつもりか?」

「――かもしれませんわね。とはいえ、あなたもわたくしに忠告をしたでしょう? ならばこれで打ち消しです。無論、あなたがどう受け止めるかはあなた次第。それで、どのようにお考えで?」

「決まっているよ。言葉は引っこめない。敵が増える? 上等だ。正直な、今の珍獣扱いの視線にはうんざりしてたんだ。これに敵意ってのが加わるなら、少しは面白みが出てくるな。人生、何事も適度に刺激が必要だ」

「敵意を歓迎するだなんて、正気とは思えませんわね」

 

 呆れるようなセシリアに、一夏も奇特な指向ということは承知しているのか自嘲するように口の端を吊り上げる。

 

「いいんだよ、俺がいいんだから。それに、戦う口実ができるのはそれはそれでアリだ。

あぁ、一応言っとくけど俺は別に戦争賛美とかはこれっぽっちもしないからな。これでも日本出身だ。戦争なんてものは御免被る。

だがしかしおかし、やりたいモン同士で勝手に、周りにあまり迷惑かけないようにやるっていうなら否定はしない。むしろやれって思う。もちろん誰彼構わずじゃあないし、TPOってやつも重要だ。けどだよ。

まぁISなんてもん使うとなれば、そんな軽いもんじゃなくなるだろうが、試合って範囲ならギリセーフか」

 

 戦い、戦闘行為を是とする一夏の言葉。それを聞いてセシリアが感じたのは一種の苦さであった。

 

「わたくしは、賛同しかねますわね。好んで戦いを行うなど、どうにかしていますわ。いえ、それは試合の時のあなたもそう。

確かにISは兵器です。ですが、その本分は国家の防衛。守ることではなくって? あの時のあなたのように、ただ争い相手を屠るような考え方は、人のものとは思えない」

「俺はそうは思わない」

 

 ただくだに戦い、相手を潰すことを目的とする一夏の戦闘観。それを否定するセシリアの言葉を、一夏ははっきりと切り捨てた。

 

「別に、守ることが悪いってわけじゃないし、目的にするなら良いさ。けど、戦うことの本分は相手を打倒すること。

俺にはな、人生の師匠って呼べる人がいる。その人と話した中で俺は一つ結論づけたよ。戦うことは人間の可能性かもしれないってね。

考えてもみろ。人類の繁栄と争いごとは、切っても切り離せない間柄だろ?」

「それは……」

 

 言われてみれば否定はできない。争い、少し表現を柔らかくすれば競争と言うべきか。確かに彼の言う通り人類の進歩は他者との競い合いの中にあった。

人類というくくりだけではない。その個人個人にしてみても、常に誰かと競うことで己を高める。それは彼女も実践してきたことであり、そう言われてしまえば確かに戦いは人の可能性、潜在能力を引き出すものかもしれない。

だが――

 

「詭弁ですわね。わたくしには、あなたの戦いは暴力の叩きつけに見えましたわ」

 

 それでも、一夏の戦いに見えたあのどす黒さは受け入れる気にはなれない。例え己が敗者の身だとしても、こればかりは譲れない。

 

「ならそうなんだろうよ。俺は俺のやり方を変えるつもりはない。気に入らないのなら、勝ってみせろや」

「望む所ですわ」

 

 結局のところ、そこに落ち着くのだろう。そう思ってセシリアは、これでは一夏のことを言えないのではとも思ったが、それでも胸の内に燻ぶる気持ちは、次こそは勝つという思いは否定できないし、したくない。

 

「いいでしょう、もはやわたくしは何も言いません。あなたがどのような考えを以って歩もうが、好きになさい。わたくしは、ただあなたへの雪辱を果たすのみです。よろしくて? 織斑さん(・・・・)

「いいぜ、来いよ。悪いがな、俺はまだまだ強くなれる確信がある。世界最強の兵器で振るう俺の武、その餌食にしてやる。前に立つなら叩きつぶす。それが俺の、武人としての戦い方だ。掛ってこいや、オルコット(・・・・)

 

 そうして二人は視線を交わす。セシリアが込めるのは、次こそは勝つという意思。一夏が込めるのは、迎え撃ち叩きのめすという闘志。今ここに宿敵関係、一組目。

しばしの視線の交差、そして一夏は静かにベッドを降りて床に立つ。

 

「先に戻らせてもらう。休憩は十分に取れたからな。筋肉痛に効く内服薬とか湿布とかも貰えたし、もう用は無い。あぁ、お前さんはもう少し部屋で安静にしてろだと。部屋に戻りたくなったら一声かけろって、医務の先生が言ってたぞ」

「えぇ、そうさせて頂きますわ。少々体も重いので。誰かのおかげで」

「ふんっ」

 

 皮肉るようなセシリアに、一夏は鼻息のみを残して立ち去る。一人残ったセシリアは、未だ体が本調子ではないことを確かめると、今一度回復を促すためにベッドに横たわった。

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夜、一夏は既に慣れ親しんだ寮の屋上に立っていた。潮風を浴びながら夜空を見上げる。その風情は一夏のささやかな楽しみの一つになっていた。

これが女子であれば潮風で髪が傷むなど、多少の忌避感を示すだろうが、生憎男子の一夏はそのあたりはあまり気にしない。

 この日は少し趣を変えた。屋上のより高い所、給水タンクが設置されている屋上入り口のすぐ真上に立っていた。何気なく佇む姿は、単に景色を楽しんでいるようであるが、同時に何かを待っているかのようでもある。

不意に、どこからともなくメロディが流れた。出所は一夏のズボンのポケット。音と共に、微かな振動音。ポケットの中の携帯電話が着信を示していた。

 

「はいもしもし」

 

 ごく自然な動作で電話に出る一夏。その耳朶を打ったのは底抜けに明るい女性の声だった。

 

『フハハハー! 久しぶりだなー!我が肉○器「死ね駄兎切るぞ」ぶー! 最後まで言わせてよー!』

 

 公共電波には乗せられない単語を発した瞬間に、呆れと怒気を含んだ声で一夏が窘めたことに電話の相手は不満の声を挙げる。だが、取り合うつもりはない。一々相手をしていたらキリが無いのは経験済みだ。

 

「そろそろ来るかなとは思ってたけど、案の定でしたよ。束さん」

『でしょでしょ! いやー、いっくんも束さんのこと分かってくれて嬉しいなー!!』

 

 一夏の電話の相手は篠ノ之束。その名を知らない者はこの世には存在しないだろう。恐らく、今後の人類史に永久に名を残すことは確実と言われる、今の世界でトップクラスの有名人である。

その肩書きは、『IS開発者』。篠ノ之箒の実姉にして、一夏の実姉千冬の親友、そして世界を変えたISという存在の生みの親にして、この世で最もISに通じる人物である。

 

『そうそう!初勝利オメー!! さっすがいっくん! まぁ? いっくんと白式があんなパツキンや中途半端な第三世代型に負けるわけないんだけどねー』

「そこまで余裕でも無かったですよ。正直、ちと危なくもあった。下手を打てばやられていたのは俺の方。今後もそれは変わらないでしょうよ」

『ほぅほぅ、謙虚だねぇ。けどさー、別にあんな塵芥程度の有象無象なんてそんな気にする必要なんてないないナッシング!』

「はぁ……。その他人への認識が問題だって、俺も千冬姉も箒も昔から言って――あぁいいや、今更だ。まぁ、謙虚は必要だとは思いますよ、色々上手くやってくのに。そりゃ、この学園の多くが俺の武の前に脆弱なのは事実だとして」

 

 呆れつつも諌めるような言葉のあとに続くのは、鉄のように冷たい冷然とした断言だ。自分がこれまで積み上げたもの、それに対する確固たる自負から来る言葉だ。

 

「まぁそれはいいや。ひとまず、お礼は言っときますよ。束さん。束さんが作った(・・・・・・・)白式、悪くない機体だ」

『でしょでしょー!? いやいや、この天才束さんにかかればこの程度は昼飯前ってやつなのだよ!』

 

 それを言うなら朝飯前だろと思ったが、つっこんでも仕方ないと分かっているので敢えて何も言わない。

 

『いやー、それにしてもいっくんからIS作ってって言われた時は束さんも驚いたよー。どういう心算だったのかな? かな?』

「別に、どうもしないですよ。ただ専用機貰えるって聞いたから。それなら良いもの欲しいって思うのは当り前でしょう? ならあなたに頼るのが一番手っ取り早い」

 

 影島が尋ねてきた夜、一夏が電話を掛けた相手。それは他ならない束だった。用件はただ一つ。己の専用機の開発。その結果が、白式と言う機体だ。

一夏が語った理由、極めてシンプルなその内容に束は満足そうな声を上げる。

 

『うんうん! 大正解だよいっくん! やっぱりこの束さんに任せるのが一番! あれ?どこだっけ? 切り餅だっけ? いっくんの機体作るとか言ってた会社。馬鹿だよねー、いっくんが束さんに頼んだっていうのに。

まぁ実際のところ、束さんがコアごと未完成だったのを引き取って完成させちゃったんだけどねー。あっちもあっちで、私が白式持ってちゃったから別のなんか作ってたみたいだけど、まぁちゃんと白式ができたからオールオッケー!』

「……まぁ、言いたいのはそれだけです。機体は助かりましたよ。んじゃ」

『あっ、ちょっ! いっくんいけ――』

 

 これ以上は束の一人語りの独壇場になりそうだと悟った一夏は早々に電話を切り上げる。慌てたような声が聞こえたが、敢えて無視を決め込む。彼女相手にはこのくらいがちょうど良い。

通話を切った電話を仕舞い、一夏は右手首に嵌められた待機状態の白式を見る。己の相棒となった機体。それに静かに指を這わせる。

 これからあるだろう、白式と共に赴く戦い。それに思いを馳せ、言い知れない高揚を感じた。強くなることによっての目的、想いはある。だが、一人の武人として純粋に戦いへの高揚があるのも確か。

セシリアという、悪くない好敵手もできた。おそらくは、彼女の言うように自分の宣言で自分に敵愾心を抱く者もあらわれるだろう。そうした者たちを相手取るのも悪くは無い。だが、その上で高揚に身を任せることはしない。確固たる目的意識の下、己の心を律する。

 

「神無……」

 

 知らず呟いた少女の名は、夜の帳へと溶けて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ~あ、相変わらずいっくんてば~」

 

 自身を取り囲むモニター類だけが光源になっている暗がりの中で篠ノ之束は通話の切れた携帯電話を片手にぶつくさと呟く。

 

「へっへ~、でも良いもんね~。束さんにできないことはオールナッシング!」

 

 誰一人として周囲に居ないという状況にも関わらず高いテンションを保った彼女は、勢いよく座っていた椅子から立ち上がる。

 

「……っ~~!!」

 

 そしてすぐ真上にあった機材に頭を勢いよくぶつけ、再び座り込んで頭を抑えながら呻いた。

 

「イタタ……。なんのこれしき! この程度で束さんはくじけない!!」

 

 そして彼女は目の前にあるモニターに視線を向ける。

 

「ふっふっふ、お楽しみはこれからだよ、いっくん。レッツパーリィはこれからなのだよ」

 

 そう言ってほくそ笑む彼女が見つめるモニターには、周囲に幾つもの数字と文字の羅列をはべらせた漆黒の人型が映っていた。そして束は自分を奮い立たせ――

 

「さーて、これから束さんは更にヒートアップ! えい、えい、お――いったぁ!?」

 

 勢いよく拳を突き上げ、先ほど頭をぶつけた機材に今度は拳をぶつけて呻くのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 にじファン時代との変更・加筆点としては、
・更衣室での神無との会話に少々変更と追加
・最後の束オンリーの場面
 このくらいになりますね。

 とりあえず今回については特筆することはそんなに無いかなぁと。
多分次は本編の方の更新になるかもしれませんね。具体的構想としては、臨海学校前の一幕という感じで。さて、また野郎ズでハジけさせでもしようか……


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第十四話

 本編の方の最新話が予想以上に進まないので、先にこっちの更新をします。
気が付けばこっちのストックもあと二つですよ。何せにじファン時代から先にこれっぽっちも進んではいないので。まだクラス対抗戦すらしてませんからねぇ。


 一夏とセシリアの試合が行われた翌日の火曜日。朝のHRを控えた一年一組の周囲では相も変わらずざわめきが絶えなかった。

無論、一夏の存在そのものの珍しさが第一の要因となっていることについては、もはや異論を挟む余地もないだろう。だが、曲がりなりにも入学して一週間。そろそろ慣れ(・・)というものも出てきておかしくない頃合いだ。

事実として、新学期開始、つまりは入学初日の時点からカウントして、日を数えるごとに一組の周囲に赴く生徒の数、上がるざわめきは着実に減少していた。

だが今日は違う。昨日の時点と比べて見物人、ざわめきの大きさ、そのどちらもが前日と比べて大きく増えており、その度合いたるや初日のソレとほとんど大差のないものとなっていた。

いったい何故か。言わずもがな、前日の試合の結果である。

 

 世界初にして学園で唯一の男子生徒、そしてイギリスの代表候補生で第三世代型の専用機持ちの試合は、海上の人口島というある種の隔離空間で日々を過ごす少女たちにとっては十二分に話題になりうる。しかし、それだけであれば単に興味を引いたに留まっただろう。問題はその試合の結果である。

誰もが予想だにしなかった一夏の勝利という結果。この事実に、学園の生徒たちは少なからず衝撃を受けた。驚きを感じたのは何も生徒たちだけではなく、教師陣についても一夏の勝利は即日伝わり、生徒ほど露骨に驚きこそしなかったものの、それなり以上の感心をしたのは事実である。

そして、これは一夏も預かり知らないことではあるが、すでにネットワークを通じて一夏とセシリアの試合、その結果は広く伝播しており、自国出身の男性IS操縦者の挙げた武功に日本政府関係者が少なからずほくほく顔をし、逆にイギリス側が何とも言えない顔をしたり、民間に目を向ければ大手掲示板サイトなどではこの一件に関連するスレッドが多く立つなどの反応が出ている。

 

 とはいえ、やはり学園の生徒たちの大半が、なまじ間近で見た者も多いために驚きもひとしおというものである。

性差というものは抜きにして、一夏とセシリアの試合はセシリアの勝利で決まるというのが大方の予想であった。

いかに同じ第三世代型の専用機同士とはいえ、片や素人、片や学園入学前から本国で訓練を積んできた代表候補生。積んだ技術や経験の差は推して知るべしであり、近接格闘型と中・遠距離射撃型という機体特性もまた推測の要因の一つとなっている。

多くの者が考え付きもしなかった勝利。それを一夏は確かにもぎ取った。

 同い年の唯一の男子生徒に興味を向けていた一年生は、その発露した予想外の力にある種の戦慄を抱き、そして上級生にあたる二、三年生はあまりにも意外なダークホースの存在に注目をする。

各々が何かしらの考えを抱く中、当の一夏はというと、至って平静そのものであった。。

 

「とぅーとぅーとぅー」

 

 周囲には聞こえないほどに小さな鼻歌を鳴らしながら一夏は教科書をめくる。何も特別なことはしていない。単なる授業の予習だ。

開かれた教科書のすぐ脇にはすでに書き込みの入ったノート。前日の夜、千冬から渡された試合映像を記録した記録端末を寮の自室に備え付けられたデスクトップで再生しながら、今日の授業のために書き込んだものだ。

あいにくとIS関連の知識などまだまだ足りていなさすぎることを一夏自身も重々承知はしているが、だからと言って何もしないわけにはいかないので、一夏なりに試合映像を見ながら気づいた点をノートに書き込んだのだ。

 余談ではあるが、ノートに書き込んだポイントについて区分分けをすると、近接格闘についての事項が過半数を占めるのは意識せずして起こった結果である。

そしてその内容も、「この時にはこのように攻撃すればよりシールドを削れたのではないか」、「装甲よりも首などの急所を狙う割合を増やすべき」、「バリア越しに衝撃を通すより良い方法を模索して、搭乗者をシールドより先に削ったほうが手っ取り早い」等々、明らかに物騒な方向におかしいのは、やはり意識せずして成った結果である。

 

「ふぅ……」

 

 軽く一息ついて一夏は教科書から目を離す。小さく首を回して視線を動かさないままに意識を周囲全体へと向ける。

感じる視線視線視線視線。ここ数日で確かに数が減っていたが、明らかに増えていた。だが、その視線の集中砲火に対して一夏が顔に表した反応は苛立ちではなく、口元を歪めた小さな笑いだった。まるで視線を楽しんでいるかのように。

いや、事実楽しんでいるのだろう。視線を向けられるという事実に変わりはない。だが、その中身は明らかな変化があったのだ。

 興味、好奇から感心、畏怖へと。一方的に向けてくる意識から一転、意識を向けているには向けているのだが、やや一歩引いたような姿勢だ。

代表候補生を打ちのめし、劇的な勝利を飾ったことへの瞠目、驚きが明らかなものだった。

 別段意識してあのような試合を行ったわけではない。周囲の反応の如何に関わらず、一夏はあのように戦っていただろう。

相手が何者であろうと変わらず、ただ勝利の二文字を求め、強さを探求するために眼前の相手を叩きのめす。そういう戦い方。

それゆえに一夏にとって今の状況は完全に予想外であり、その誤算も相まって知らず笑みが浮かんでいた。

 

 だが、一夏が真に笑みを浮かべた理由はまた別にある。それは自身を見つめる集団の一角、より離れた位置から向かってくる視線に込められた意思である。

 

 それを形容するのであれば――敵意だ。

 

 実際のところ、それを向けている人間の数は一組一帯に集まっている生徒の中ではごく少数の分類に当てはまるだろう。

だが、ごく少数だからこそ感じるのだ。刺すような鋭い視線、そこに込められた敵意を。

視線を眼前に向けたままの一夏には、その者達がどのような表情をしているのか分からない。だがきっと、眉根を寄せて目じりを釣り上げて口元を固く結んで、あるいは集まっていることから女子らしく陰口でも叩いているのだろうか。

きっとろくな表情をしていないに違いないと、いっそ呑気とも言える気分で想像できた。

 

 そしてもう一つ。なぜそのような視線を向けられるのか。その理由にも一夏は心当たりがあった。切欠は、昨日のセシリアの言葉。

 

――あなたに敵愾心を抱く者が出てくるということですのよ――

 

 なるほど確かにと。落ち着いて話して分かったが、セシリア・オルコットという少女はきっと、本来は聡明な人物なのだろう。

決闘騒ぎの時の言動も、まぁおそらくは頭に血が上って冷静を欠いたからこそなのかもしれないだけであり、あの保健室で話した彼女こそが、本来の彼女と言えるに違いない。

その彼女が口にした予想。浮かべた笑みが深まりそうなほど、面白いくらいに的中していた。

 

 十中八九、この敵意の視線の原因となっているのは前日の己の宣言だろう。すなわち、全てのIS操縦者の頂点に立つという。

別にそれが本来の目的ではない。一夏に言わせてみれば本当に目的としたいことはまた別なことであり、世界最強の称号などただの付属品程度のものなのだが、これはこれで口にしたらまた荒れそうだと思う。同時に、そうなったらなったで面白うとも思ったが。

 ひとまずはそれはそれとして脇に置き、宣言の何が一部の者たちの不興を買ったのか。それを整理してみることにする。

とはいえ、それもさほど苦ではない。セシリアが言った通り、単に気に食わないだけなのだろう。今まで女性オンリーだったIS操縦者というカテゴリーに飛び込んだ一夏なわけであるが、その存在に対して少なからず不満の声があることは一夏も理解している。というより、少し気になったからネットの掲示板を調べてみれば、存外あっさりその手の書き込みが見つかったのだ。

 

 恐らくは彼女らもそうした、男でありながらISを動かせる自分という存在を快く思わない性質なのだろう。

仮に百歩譲って、単に動かせるだけというならまだ物珍しさで許容するとして、挙句に自分たちの上に立つという意思が気に食わない。そんなところか。

ここ数年で、特に十代二十代の女性を中心に増えた、典型的女性至上思考というものだ。

 

 本音を言ってしまえば男として眉を潜めたくはあるが、一夏個人としては個人の考えにどうこう言うつもりはない。人様に褒められないような思考回路をしているといえば、それは自分もそうだからだ。まさか自分のことを棚に上げて他者を非難ばかりということをするわけにもいかない。

だが、向こうから害意を以って向かってくるのであれば話はまた別となる。単に敵意を抱くだけならまだしも、それを行動に移そうというなら、一夏にも考えはある。

 然るべき対応を取らせてもらうだけだ。後のことは知らない。その相手がどうなっても、一夏は良心が痛むことはないだろう。というより無いどころか盛大に笑うくらいは大いに有り得る。

もとより、敵意というものにはここ数年で過敏になっている。理性的な意思でそうするつもりがなくとも、本能的な反応でやり過ぎてしまう可能性は大いにある。

 敵意自体は歓迎する。だが、願わくば平穏は保たれたままであってほしいと、矛盾するような考えを抱いていた。

否、それもある意味では致し方のないことなのかもしれない。彼は『一人の少年・織斑一夏』であると同時に『武人・織斑一夏』でもある。

『人』としての営みを、そこに存在する平穏を彼は愛している。だが同時に『武人』としての営みを、磨き上げた武をふるうことも同様に好んでいるのだ。

 

 時たまこのようなことを自分で考えて、一貫性に欠けているような自分の思考に首を傾げたくもなるが、そろそろ考えても仕方のないことではないかとも思い始めている。

身も蓋も無い言い方をしてしまえば、本当に考えた所で何がどう変わるというわけでもないのだから。このような堂々巡りになりそうな思索にふける暇があるのなら、その時間を鍛錬に充てた方が建設的というもの。

 

 始業を告げる予鈴が近いからか、教室周辺の気配が徐々に散っていく。残る者はと言えば、同じ一組に在籍する生徒くらいなものだろう。

そこでふと気付いた。先の敵意、まるで感じられないのだ。まさかいきなり消したというわけでもあるまい。思い切り一個人に向けて放っていた敵意を一気に消すなどという芸当、まさかできるような器用者がいるわけがない。

となれば理由はただ一つ。そうした感情の持ち主がこの場周辺から立ち去ったということであり、即ち一組に関しては一夏にそうした意思を持つ者が居ないということだ。

 

(なんとまぁ……。大物だ、こいつら。感動した)

 

 コメントに困るように口を窄めながら一夏は呆れるように思う。

確かに、自分をクラス代表に推したというのは、物珍しさとかそう言った看板的な考えのアレコレが無かったわけではないだろうが、凡そクラス全体が賛同した時点でどちらかと言えば向ける感情はプラス寄りなのかもしれない。

だが、曲がりなりにも昨日の今日なのだ。よくよく思い返してみれば、その時は集中しすぎていたせいであまり意識しなかったが、昨日の試合は少しばかり刺激が強かったのではないかと思う。それに、セシリアが指摘した宣言のこともある。

いかように言い表すべきか。敵意、とまではいかずとも、近しい感情を抱く者くらいはいてもおかしくはないのではないのだろうか? 確かにどこか及び腰になっているような意識は感じるが、せいぜいその程度だ。自分がこの教室という空間に受け入れられている、そう認識できる。

 

(う~ん、いいのかコレ?)

 

 仮に本当に彼女らがそこまで深刻に捉えていないのだとすれば、はたしてどう受け止めるべきか。肝が据わっていると讃えるか、それとも楽天的すぎると咎めるべきか。

だが、考えようによってはこれも悪くないのかもしれない。仮に再び試合を行うとすれば、きっと自分はまたあのような戦い方をしてしまうのは確実だ。もはやそれが骨身の髄にまで刻まれているのだ。耐性があるのであれば、それは決して悪いことではない。

 

(だが、やっぱりどこかで一度聞いておくべきか)

 

 決して悪いことではないとは思う。だが、やはりあれだけバイオレンスなシーンを見ておいてこの反応というのはどうかと思う。

あるいは所詮は『試合』と甘い認識なのではないだろうか。だとすればこれは由々しいことかもしれない。

実際に動かして分かったが、ISは決して生易しい物ではない。開発者が、そしてISという存在に触れた多くの者が語る秘めたポテンシャルとしての圧倒的戦闘能力を、一夏自身も乗ったことで初めて実感した。

確かにこの学園で、一夏自身も含む生徒たちが運用する上ではそれが練習だろうが試合だろうが安全には相応の配慮がされているだろう。だがそれでも完全に安全とは言えない。というより、ISに限らず何処の何だろうと完全な安全などありはしない。

そしてこれは武人であるが故に人並み以上に自覚していることだが、本当に命というのは脆弱さを抱え込んでいるのだ。仮にISを動かしている最中でその安全から外れる万が一でもあったなら、それに晒された人命はどうなるか。想像に難くない。

 何よりも勝利を、その果てにある極限への到達と道の踏破、その完遂を求めている。故にこれからも昨日のような戦い方を止める気はない。勝てる相手であるならば、完全に叩きのめす。

だがそれを見て何も思わないということはして欲しくないというのも本音だ。自分の揮う技はどれも紛れもない凶器なのだから、そのくらいの認識はしてもらいたい。

さてどうしたものかと、一夏は腕を組んだ。

 

 

 

 

 朝のHRの始まりにて、教壇に立った真耶が一夏のクラス代表の決定を告げる。

勝利を収めた時点でこうなることは確定事項として認識していた一夏は黙って頷き承諾。そしてセシリアもまた、己の敗北が認めざるしかない事実であるがために、一夏同様に無言の首肯で以って一夏のクラス代表就任を承諾した。

 

 そして経過する数時間。ごく普通に滞りなく進んだ授業を終えた一夏は、さっそくアリーナに赴いて白式を用いての訓練を行った。

携帯で相方に神無を呼ぼうかとも考えたが、世話になってばかりというのも気が引けるため、訓練は一人で行った。

三次元躍動旋回(クロスグリッド・ターン)などの神無より学んだ空戦機動や瞬時加速の反復。やはりと言うべきか、指導者が居ない状態では苦労も割増というのが素直な感想だった。

神無曰く、空中機動の応用段階にPICのマニュアル操作というものが存在する。基本的にPICをオートの状態で稼動させていると、ISは常に機体を安定状態に保とうとする。

これは決して悪いことではない。ちょっとやそっと、外部からの衝撃を受けたくらいであれば直ちに機体を立て直すことができるため、素早い反撃へと転じることができる。

 

 だが何もメリットばかりではないのだ。機体を安定させるために、常に慣性の制御などが機体に働く。つまりは急な動きに対して一種のブレーキがかけられるということであり、これが引っ掛かりとなって細かい挙動に支障をきたすこともあるのだ。

とはいえ、細かい機動もへったくれも稼働経験の少ない一夏には意味のないことであるため、とりあえずはPICをマニュアル制御にしての機動を行った。その結果は――

 

「やだ、何この加速の感覚。癖になりそう……」

 

 宙に留まったまま恍惚の表情を浮かべる傷有りの強面という、目の保養どころか目にテトロドトキシン並みの毒という間抜け面だった。

 

「ヤバイ、加速が全然違う……!」

 

 噛みしめるような静かさの中に、確かな熱のこもった声。まずは手始めにとばかりに、前進後退などの直線運動を行ったのだが、その動きはオート操作の時とはまるで異なるものだった。

敢えて逆の順、悪い言い方をしてしまえばとにかく機体が流れる。宙に浮くにしても、オートの時とは違いどこか心許なさを感じる。さすがに留まっているだけであっちへフラフラ、こっちへフラフラというほど不安定なわけではないが、やはりオートに比べればその場へ留めようとする安定性には欠けているのが如実に感じられる。

だが、裏を返せばそれは動かしやすいということでもあるのだ。

 ただ前へと機体を滑らせる。それだけで違いは明白だった。オートの時の加速開始直後に、足で地を蹴り駆ける瞬間の力みのような抵抗感が存在するのに対し、マニュアルの時はまるでスケートリンクの上を滑るかのように滑らか。

自力でPICによる停滞を掛けることをしなければ、そのまま飛び続けそうな勢い。挙句にはその前進に用いた出力はオートに比べて2割強も少ないと来ている。燃費への影響は火を見るよりも明らかである。

 だが、そのような利点欠点は些細な問題でしかなかった。齎される加速性、ただそれが一夏の心を昂らせて仕方が無いのだ。

一瞬で周囲の景色を置き去りにする速さ、空気という壁など存在しないかのような滑らかな加速、理屈や言葉では形容しがたい衝動的な興奮が湧きあがる。それこそ、色々と身辺が落ち着いたらバイクの免許でも取って高速を飛ばそうかと思うほどに。車種はV-M○Xかハ○ブサあたりで。

 

 閑話休題。ヒートアップした想像に恥ずかしそうにそっぽを向いて咳払いを一つ、思考を落ち着かせる。一度冷静になって理屈の上で考えを巡らせる。

 

「なぁるほどな。コイツが、ベテランとトーシロの境目の一つってやつか」

 

 恍惚の表情から一転。加速性の違い、用いた出力差などを頭の中で整理し、そこへ神無のレクチャーを加えて一夏はしたり顔で顎に手を当てる。

曰く、国家代表、あるいは代表候補などが当てはまる熟練した操縦者というのは凡そがこのPICマニュアル操作を用いているらしい。

勿論全員がいつ何時もそうしているというわけではない。特に射撃を戦闘の主としているものは、狙いのコントロールに意識を割いて距離をある程度以上に離している時はオート任せにすることもあるという。

だが、特に高機動を用いての近接戦闘を行う者は、このマニュアル操作の熟練度が戦闘における大きなファクターになるという。となれば、習得をしないわけにはいかないだろう。

 更に素人所見ではあるが、一夏なりの考えを付け加えるならば、マニュアル操作の方が機体の燃費は良さそうだ。オートよりマニュアルの方が燃費が良いというのは、どこか車に通じているとも思うが、それはさておくとする。それに最近の車はオートマでも下手なマニュアル車より燃費が良いと言う。

エネルギーの余剰による継戦能力も重要なIS戦においては、無視はまずできない。ただでさえ一夏の白式は機動性に費やすエネルギーが馬鹿にならない。節制できるに越したことは無い。

 

(そうさ、大丈夫だ。節制は得意だからな。食費を抑えるために外へ取りに行く。暖房代節約のために体を動かして温める。冷房代節約のために川に飛び込む。師匠のところでやったことばかりじゃないか!)

 

 右手を胸の前で拳としながら、どこか的の外れた考えで己を奮い立たせる一夏。ISのエネルギーと生活費の節制を同列にするのは……単に彼が抜けているだけだからだろう。

 

(さて、そうなると練習する内容は絞られてくるかな?)

 

 第一に優先すべきは基本的機動の反復。確かにPICのマニュアル操作というのも実に興味深い内容ではあるが、試した感覚では習熟にはそれなり以上に時間を要することが見込まれる。

いずれは行う必要が出てくるが、基本動作も熟達しているわけではないのに、いきなり高難度の動きを練習するのは愚行でしかない。なによりもまずは基本をしかと修める。話はそれからだ。

 第二に少々細かい技能。つまりは格闘戦における力の使い方や、瞬時加速の練習。機動に重きをおいた上で、これらも並行して行う。

 考えがまとまったのであれば、後は行動に移すのみである。時間は有限、しかし己を高めることは無限だ。時は金なりとはよく言ったものである。早く練習をしたいという衝動が、体中から湧きあがる。

一度PICをオートに戻す。そして一夏は、再び蒼穹へと己が身を走らせた。

 

 

 

 

 

 一夏が一人修練に励むのと同時刻、神無――否、IS学園生徒会長更識楯無は学園における己の玉座、すなわち生徒会長に与えられる席が置かれた生徒会室(居城)に身を置いていた。

IS学園の生徒会室は一般的な教育施設のソレと比較しても十二分以上の広さを誇っており、部屋の最奥に置かれた生徒会長用デスク以外に、連接した形でその前に置かれる書記や庶務などの他の役員用のデスク。

更には小型ではあるが冷蔵庫や給湯設備なども整っており、その上でまだスペースがあるという広さである。そしてそのスペースを利用して置かれているのが、向かい合う形で置かれる二つの革張りである横長のソファと、その間に置かれた高さの低いテーブルという応接用のデスクセットである。

 そのソファの一つに楯無は腰を降ろしていた。対面には一人の女性。黒のスーツに身を包み、凛とした眼光を光らせるその人は織斑千冬。

二人を隔てるテーブルの上には生徒会書記、更識家において楯無の専属従者でもある布仏虚(のほとけうつほ)が淹れた二人の分の紅茶が置かれている。

 

「それにしても、流石の私も驚いちゃいましたよ。まさか織斑先生がいきなりやってくるんですから。せめて一報入れてくれれば、もっとちゃんとしたおもてなしをしたんですけどね」

 

 常に浮かべる笑みはそのまま、友好的な雰囲気そのままの口調で楯無は千冬の来訪への驚きを告げる。

 

「いや、少々急ぎなのでな。もてなしに関してもそこまで気を回さんで構わない。それに、この紅茶の味だけで十二分だ」

 

 出された紅茶を一口啜り、その味に世辞などないそのままの賛辞を送る千冬に、楯無の背後に控える虚が軽く一礼する。

楯無も自分の幼馴染の、自分にとってもお気に入りである彼女の紅茶が他人によって褒められる言葉を聞くのは悪い気はしない。だがそれで気を緩めることはしない。

他の教師ならばいざ知らず、織斑千冬という人間は他と比べて何かと突出していることが多い。

 彼女自身は確かにとてつもない、それこそ楯無でさえ後塵を拝するしかない実力を持っているが、楯無が身を置いてきた暗部のアレコレに関して精通しているわけではない。

だが、彼女の持つ鋭敏な勘は常に何事かを悟る。その彼女がわざわざ己を尋ねてきた。一体何を聞かれるのか。それを考えると、少しばかり気を張らざるを得ない。

 

「さて、突然に押しかけて早々無礼は承知しているが、本題を始めても構わないな」

 

 それは一件確認とも取れるが、その実有無を言わさない声音であった。素直に楯無は頷く。元よりそのつもりではあったり、千冬と飾った言葉で前置きをしあうというのは今一想像しがたい。

あまり先入観を持っているような表現をするつもりはないのだが、楯無からしてみれば千冬という人間は質実剛健を地で行き、こうした会話においても――そうした言葉がある程度求められる公の場を除けば――基本的に本題に直ちに切り込む。そういう印象があった。

 

「では始めようか。これを見ろ」

 

 言って千冬は、手にしていたファイルから数枚の紙をテーブルに並べる。そこには様々な数値やグラフが並び、更に書かれている文字は全て英語であるために、英語に精通したわけでもない者が見れば何のデータかは分からないだろう。

だが、紙を手にとってしばらく眺めた楯無は自然と表情が重いものへと変わる。それは彼女が紙に書かれた内容を正確に理解していることの証左に他ならない。

 

「これは、織斑君のバイタルデータですね。記録の日付は昨日、オルコットさんとの試合の時。彼のIS稼働時のバイタルですか」

「更に正確を期して付け加えるのであれば、その試合のある時点以降、ちょうど決着の一撃を織斑が決めに掛かる直前からだ」

「……」

 

 楯無の表情は依然静か。だが、その内心は表面には出ていないが緊張を表に出さないための自制が総動員されていた。

紙に記される一夏のバイタルデータ。その異常性については楯無も知っていた。それを千冬が見過ごすわけがないということも予想はしていた。故に彼女は弟に対し何かしらの問いを投げかけるだろうとも予期した。故に試合の後にそのことを忠告した。だが――

 

「更識、お前にもこれについて少々聞かせて貰いたくてな。既に山田先生とも話したが、彼女も見当がほとんど付かなかった。篠ノ之は流石に論外だ。となると、あの場に居た人間で他に意義のある意見を求められるのは貴様くらいとなるからな」

 

 まさか自分に向かうとは予想だにしていなかった。そして自分に問うという千冬の選択はこの上なく正しい。恐らく現状、本人を除けばこの紙に記される数値に関してのからくりを知っているのは楯無のみだからだ。

 

「いやぁ、織斑先生にそこまで評価して貰えるのはありがたいですけど、私もそんなに力にはなれませんよ?」

「ほぅ、自信が服を着て歩いていると評判の生徒会長らしからぬ言葉だな。このような手合いにも明るいと思っていたが」

 

 軽い驚きを含んだ千冬の言葉にも、楯無はそれで相手が引きさがると油断しない。僅かな隙を見せれば、目の前の逆らい難い教師は一気に切り込みを掛けてくるだろう。

他人の内面に切り込むというのは決して褒められる行為ではない。だが、こと実弟が関わっているとなれば躊躇はしないのだろう。なんとなくだが分かるのだ。同じ『姉』という立場を持つ者として。

 

「いやいや先生、私も何でもは知りませんよ? 知っていることしか知りませんから」

「ならばその知っていることだけで構わん。是非、お前の意見を聞かせて貰おうか」

 

 笑顔という面の裏で楯無は盛大に顔を引き攣らせていた。手強い。別に言葉を巧みに操るだとか、そういう技巧を凝らした話術を用いているわけではない。

動かぬという意思を揺るがさないだけ。ただそれだけで、自分を圧している。そうすることが可能な胆力には、素直に敬意を抱くより他無い。とは言えそれはそれであり、これはこれ。

 

「意見も何も、先生。確かに異常な数値というのは私も、というより書かれている内容を説明すれば素人でも分かることですよ。でも先生、申し訳ありませんけど私に言えるのはそれだけです。むしろどうしてこんな数値になっているのか、私が知りたいくらいですよ」

 

 正直なところ、大人しく喋ってしまった方が楽なのかもしれない。だが、敢えて全てを楯無は言わない。誰が見ても明らかな、脈拍や脳内分泌物質、脳波などの各種数値の異常な高さ。もはや人体としては本来異常状態であるいわゆる『火事場の馬鹿力』を継続的に発揮し、更にそれをほぼ完全とも言える精度で制御している異質さ。

これについての言及くらいはするとして、そこから先は言わない、言えない。曲がりなりにも約束をしたのだ。いくら約束を結んだ相手の身内相手とは言え、あっさりと反故にしてしまうのは流石に道理が通らない。

最低限の反応のみとして後は口を噤む。それが彼女の下した判断だった。そして、楯無の言葉に千冬の目が僅かに細まった。明らか、と言うほどに大きいわけではないが確かに変化した千冬の纏う空気に、もしや選択を誤ったかもしれないと冷や汗が一つ、背を流れた。

 

「……そうか。分からないのであればこれ以上は無用か」

 

 だが、楯無の緊張に反して千冬の声は静かそのものだった。少々予想外とも言える言葉に軽く目を見開いた楯無の前で千冬は、残った紅茶を一息に、しかし見苦しくないように静かに飲み干す。そして持参した紙をファイルに仕舞い直すと、席を立ち上がった。

 

「急に押しかけ、時間を取らせて済まなかったな。これで失礼する。職務に励めよ」

 

 それだけ言って千冬は部屋の扉へと足を向けて部屋を出ようとする。見送りのために動き出した虚に、楯無もようやく気付いたように立ちあがると千冬の背を追う。

 

「更識」

「はい」

 

 ドアのノブに手を掛けた千冬は背を向けたまま楯無に声を掛ける。先ほどまでとはまた違った、真摯と呼べる雰囲気の声に、自然と応答する楯無の声も真面目さを帯びたものになる。

 

「一つだけ聞いておく。お前はどうするつもりだ。何を考えている」

 

 それは問いとしては決して及第点とは言えないものだった。直前に問いに繋がるような会話の流れがあったわけではない。それでありながらいきなり問いかけ、その内容も不明瞭。

凡そ誰であれ、いきなりこのような形の問いを掛けられれば首を傾げただろう。だが、楯無は違った。別に彼女は超能力者ではない。人の心など読めはしない。精々が「こうなのでは」と考えるか、あるいは己が把握できるように言葉巧みに思考を誘導するくらいだ。

だから、その時に千冬がどのような意図で以って問うたのか、彼女は完全に理解したわけではない。ただ、本当に何となくではあるが感づいた。そしてその返答は毅然としたものだった。

 

「私はIS学園生徒会長更識楯無。ならばそのように振る舞うだけです。この学園を、皆を守ることが私の仕事。そして、あなたが頼むのであれば、彼が頼むのであれば、私もそのための協力を惜しまない。ただそれだけです」

 

 愛用の扇子を勢いよく広げながら言った。

 

「そうか。なら、良い」

 

 それだけ言い残して千冬は部屋を辞す。その気配が生徒会室から完全に離れたのを確認して、楯無は大きく息を吐いた。

 

「あ~、柄にもなく緊張しちゃったわ。やっぱり織斑先生だけは別格ねぇ」

 

 自嘲するような言葉と共に先ほどまで座っていた椅子に戻り、再び腰を降ろす。そしてカップに残っていた紅茶の残りをゆっくりと飲む。

 

「会長、よろしかったのですか?」

 

 忠実に背後に控える虚が尋ねる。

 

「先ほどのデータ。失礼ながら私も後ろから拝見させて頂きました。整備科の者として言わせて頂きますが、あれは異常以外に形容のしようがありません。安全と言う点で言わせて頂かせてもらいますと、先生に伝えられることがあるのであれば伝えるべきだと思いますが」

「まぁねぇ。うん、実際その通りなのよ。そんなこと、私が一番良く分かってるわ」

 

 言われるまでもない。なにせこちらはその当人から直接危険性の大きさを聞いているのだ。生憎と、虚が語る以上に彼女は事情を把握している。だがそれでも黙秘した。

 

「約束、しちゃったものねぇ。あ~あ、約束なんてありふれた言葉だけど、実際にそれなりの『事』が絡んでる時にやると一気に重くなるわ。正直、何も知らないで織斑先生の側に回って一緒に一夏に聞きに行った方が楽だったかも。でも後の祭りよねぇ」

 

 少しばかりはしたないとは分かっているが、やや崩した姿勢で楯無は椅子に背を深く預ける。そしてまたため息を一つ。

 

「ていうか、下手したらこっちの把握ぶち抜きそうなのよね、あいつ」

 

 ややむくれるような声。この場には居ない、言葉を向けた相手はただ一人彼のみ。IS戦の先達として、初試合をそれなりの見栄えあるものにさせようと思い施した教導。

それ自体も約束としたがため、試合まで途中で止めるなどしないで続けたが、教導を始めてすぐに楯無は己の選択が浅慮だったかと僅かな後悔を抱いた。

数年ぶりだったゆえに、完全に失念していたのだ。彼の吸収の速さを。

 彼個人という全体を見れば、極々普通のありふれた少年でしかない。だがただ一つ、『武』というものに関しては掛け値なしに高い潜在能力を持っていた。

教えれば教える程にそれを見せつけられる。試合を見ていた際に彼女自身が千冬らに語ったことだが、本当に真綿が水を吸うような吸収速度なのだ。教えた動きなど、数度の反復で物にしてしまった。他の者が同じ動きを物とするのに、その何倍もの反復を行っているというのにだ。

『一を聞いて十を知る、一を聞かずに五を掴み取る』、古来のことわざにもう一つ装飾を施したこんな言葉がよく当てはまる、共に学ぶ者を恐怖させ、教える者を慄かせる。彼が内に秘める才とはそれだけのものだ。

共に学ぶ、教えを授ける、どちらの立場も経験したゆえの断定だ。本当に、理解の範疇を超えそうで空恐ろしくもあった。

 

「察するに成長が早いということでしょうが、それは良いことなのでは?」

「まぁ、普通はそうなんだけどね……」

 

 虚の言葉は正しい。全く以って正しい。成長が早いのは良いことなのだ。彼が理解しているかは分からない。だが、必要なのだ。

彼自身の立場故に。己自信を守れるように実力が。己自身を周囲に認めさせるように結果が。そういう意味では、先日の試合の結果は決して悪くは無いスタートだ。だが――

 

「けど、成長が早いとそれでオールオッケーがイコールだったら早熟なんて言葉は生まれてないわ。早すぎても、ね……」

 

 あまりに早い成長、出した結果は時として本人を蝕む。若くして才覚を見せた故に、結果を出した故に、未来の道を限定せざるを得なくなったり周囲からの期待に多大な心労を抱えるなど、マイナスの方向へと働いたなど決して珍しくは無い。

もちろん、それらへの心配というのもある。だが、それ以上に恐れるべきは早すぎる成長が自分自身を滅ぼしてしまうこと。そう、いつの間にか地球上すべてを焼き払える核兵器を持ってしまうという、ある種の瀬戸際に立ってしまった人類のように。

次々と力を付けたがために、逆にそのことにより更に苦難が襲いかかる可能性もある。前へ前へと、留まることを知らずに進み続けるうちに、いつしか手に負えない領域に足を踏み入れてしまう。何より彼自身の成長への、もはや渇望とも呼べる強烈な求心が。あの更衣室で語られた技のように。

 

「ねぇ、虚ちゃん。もういっそのことさ、あの人呼びつけちゃうとかどうかな? 学園長先生あたりに事情を話してこう、特別講師とかって感じでさ。大丈夫よ、織斑先生の言うことを聞かなくてもあの人の言うことなら聞くはずよ。いざって時の制止役で――」

「会長落ちついてください。お気持ちも言いたいことも分かりますが、流石に無理があります」

 

 半ばやけっぱちになったような楯無を虚が諌める。じゃあどうしろってのよーと両手を天に突き上げながらぼやく主の姿にため息。そこで思い出したようにデスクに戻ると、何かの書類を探し始める。そして目当ての紙を見つけると、再び虚は楯無に歩み寄って、その眼前に手に取った紙を提示する。

 

「会長、これを」

「ん、何? ふむふむ、ふ~ん。こんなことするんだ~」

 

 差し出された紙を受け取った楯無はその内容に目を走らせる。そして、その表情が徐々に常の彼女が浮かべる、チェシャ猫のような微笑に変わる。

 

「いかがでしょう。特に参加の条件が限定がされているわけではありません。少々、息抜きを兼ねて足を運んでみては?」

「ん~、そうね~。よくよく考えれば勝ったこと、ちゃんと褒めて無かったわね。あの時はあっちの方が気になってたし。そうね、ありがとう」

「いえ。でしたら、手早く残りの仕事を終えましょう」

 

 主がいつも通りに戻ったのであれば何も問題は無い。ただいつも通りに己の職務をこなすのみ。そう語るようにデスクに再び向かい始めた虚を見て、楯無もまた自身のデスクへと身を戻した。

 

 

 

 

 




 とりあえず今回については特筆するようなことはないですね。しかしあとがきがこれだけというのも自分としては微妙な気分なので、とりあえずは今後の予定(構想段階)でも書いときましょうか。
ひとまず今後しばらくはまた本編の方に集中したいですね。とりあえず三巻終了までは頑張りたいです。三巻については原作とはちょっと違う流れを加えつつ、今度こそ短めに終わらせたいですね。
二巻だってさっさと終わらせる的なこと言っといてあのザマでしたから……ww
ただ、三巻は結構やることが限定されているので、もしかしたらいけるかもしれないです。そして三巻終わったら四巻の夏休み編と、この楯無ルートを並行で進めようかなと。
こんなところです。まぁその三巻にしても今現在書いている最初の一話から詰まってるわけですが。きっとほぼ完全オリジナルな感じで書いているからそうなのだと思いたいです、えぇまったく。

 ひとまず今回はここまでで。ではまた。


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第十五話

 本来の予定としてはもう少し先にするつもりだったのですが、本編の方での感想でご指摘を受けまして。
その指摘を受けて自分としても良い機会だと思ったので、今回の更新をさせて頂きます。
ちょうど今夜はISのアニメ放送日ですからね。二期に入って楯無も出てきて、自分で言うのも変な話とは思いますが、この作品はちょうど「ホット」なテーマなのではないかと。
 とかなんとか言いつつ、上げているのはにじファン時代の在庫なのですがww


「んむぅ……」

 

 時刻は既に六時を回っていた。日もほとんど落ち、空を、水面を鮮やかな橙色に夕日が染め上げる中、一夏は自主練のために使用したアリーナの更衣室に居た。

アリーナには更衣室が複数ある。入り口の廊下側、つまり外には使用状況を示す電光パネルが壁に設置されており、更衣室の込み具合を外から確認できる使用になっている。

女子との鉢合わせを避けるために使用者の居ない更衣室を選んだ一夏は、改めて鉢合わせを避けるために最後までアリーナに残って練習をしていた。

 一応、入り口の所に自作の「男子使用中 注意」の文字を書いた張り紙を張ってはおいたが、念には念を入れたためである。

とはいえ、仮にそのような配慮をしなくても一夏は最後まで、使用時間ギリギリまで残って練習をする心算でいた。

ISの機動練習、実際に一人稽古でやってみると中々どうして奥が深い。基本的な動きの反復にしても、ちょっとした動かし方の変化を加えるだけで面白いほど如実にそれが機動の変化に表れる。

神無が言うところの応用技術であるPICのマニュアル制御にしても、奥深さは言うに及ばず。むしろ、より自分の体の動きが機動に表れる分、もしかしたらオートよりも性に合っているのかもしれないと思ったほどだ。

 

 少々不謹慎なことを言ってしまえば、一夏は内心のどこかでISの操縦技術というものを軽く見ていた節があった。

どれだけ優れた兵器としての性能を有していようが、所詮は性能頼り。乗り手にしたところで、多くは自分の培ってきた武技の前には脆弱な小娘でしかないと。

無論、実姉というある種極めたような存在も知っているために、全てがそうと断言をするつもりも無かったが、殆どの者が己が迫ることができた神無に劣るというこの学園の生徒を見て、そういう思いがあった。

 

 だが、自分で動かしてみればその技術のなんと奥深いこと。無論、第一に重要視するのは師より賜った武技だ。だが、これはこれで面白いとも思えた。

いや、単に自分が不明瞭だったというだけの話かもしれない。技術に貴賤は無い。重要なのは、自分がいかにそれに習熟するかなのだから。

とはいえ、実際問題として単純な腕っぷしでならば、神無を除く学園の生徒たちに後れを取るつもりは毛頭無いが。

そしてそれを口に出すつもりも、一応は無い。能ある鷹は爪を隠すではないが、殊更吹聴するようなことでもないゆえにだ。

 

 制服に着替え終えて軽くストレッチ。全身の筋肉をよく伸ばしてほぐす。柔軟運動をしながら一夏は思考のうちでこの後の予定を考える。

現在時刻は六時少々。寮の夕食は七時から。今から寮に戻って荷物を置いたとして、確実に三十分以上の空き時間ができる。となると、その時間は本業(武術)に充てられるかもしれない。

そこまで考え、一夏は口の端を釣り上げる。やはりこの感覚は堪らない。修練ができるということは、どうにも気分が昂ぶる。自分がより実力を付けられるということを考えることが、どんな娯楽にも勝るように感じる。

 明日はどのような練習をしようか。神無が暇そうにしていたら引っ張り込んで練習に付き合ってもらおうか。そんなことを考えながら一夏は部屋へと戻っていった。

 

 

 

 

 

「どこに行ってた……」

 

 部屋に戻った一夏に投げかけらた箒の開口一番。それにはやや不満そうな感情の色が浮かんでいた。

 

「どこも何も、アリーナでISの自主練してただけだ」

「一人か?」

「ん? あぁ。本当は楯無に、生徒会長にちょいと教えて貰おうかと思ったけどね、やめた。世話になってばかりも悪いし、一人稽古ができるようになるってのも重要だ」

 

 箒の言葉に受け答えしながら一夏は部屋に並んだベッドの入り口側、自分のベッドに歩み寄るとそのまま屈む。

持っていた荷物を置き、その中身を整理しながら夕食までの自己修練用の荷物をベッド下から取り出す。それは丁度ベッドに置かれている枕とほぼ同じサイズの布袋だった。

 

「一人で練習をするくらいならば、何故私を誘わなかった?」

 

 箒の言葉に込められた険が僅かに強まる。気に入らなかった。最初の一週間、一夏は放課後の自由な時間をほとんど一人での試合対策、あるいは生徒会長との訓練に充てていた。

だがそれはもういい。過ぎてしまったことである以上は、もはや言っても仕方がない。だがこれからは。自分は再会を望んでいたのだ。どんな形であれ、もっと二人で過ごせる時間があっても好いではないかと思った。

それが例えISの訓練でも。いや、それならばむしろ歓迎するところだ。二人で一緒に強くなるというのは、とても気分が良いものに思えた。

 

 だと言うのに、目の前の幼馴染はそんな自分の気持ちなど気づかないように、あるいは事実気づいていないのかもしれない。一人でさっさと訓練に行ってしまった。自分に一声もかけずにだ。

それが箒にはどうしても気に入らない。それだけではない。またも生徒会長の名前が出たこと。それも気に入らない。まるで一緒に訓練するならば彼女を選ぶと言うように。

 そんな諸々の不満を言葉に乗せる険という形で発露した箒は、無言で眉根を険しく寄せながら一夏の返事を待った。

屈んでいるベッドの向こうから返事を返すためにひょっこりと顔を出した一夏。そして、返ってきた言葉は箒の予想外のものだった。

 

「いや、なんで?」

 

 本当に分からないというような表情と言葉の一夏に、箒は思わず絶句した。信じられなかった。まるで、誘わなかったことがさも当然と言うような口ぶりに。

 

「なんで……だと?」

 

 理解できないと言うような表情の箒に、逆に無理解を訝しんだのか今度は一夏が僅かに目を細めた。

 

「いや、聞き返されてもな……。だってさ、俺は専用機あるから良いけど、お前は訓練機使わなきゃだろ? 訓練機の使用申請、無茶苦茶面倒なのは分かってるはずだろうが。悪いけどそれを待ってやれるほど俺は気が長くないよ。それに、俺の練習目標とお前の目標が同じってわけでもないし、お互い操縦者としちゃ半端者も良い所なんだから、教え合うもへったくれもないし」

「そ、それは……確かにそうだが……だが! 私たちは元は同門で、幼馴染だろう!」

「あぁ、そうだな。で、それが何か問題?」

「えっ……?」

 

 『幼馴染』、この一言を強調する箒に一夏はそれがどうしたと言わんばかりの反応。その反応に大きくなっていた箒の声が一気に小さくなった。

 

「箒、確かに俺とお前は幼馴染だよ。けど、それだけだろ。昔馴染みってだけで、それ以外はそうだな、普通のダチと何も変わらねぇ。まぁ、ダチは大事にするもんだって分かってるけど、だからって何でもかんでもそいつに合わせるつもりもない。こと、戦う(こういう)ことにはな」

「な……え……?」

 

 二の句を継げない箒に、一夏はどこか寂しそうな微笑を浮かべる。

自嘲するかのような笑み。一夏自身、自分が酷く冷たいことを言っているのは理解している故だ。だが、それでも割り切らねばならない。それがお互いのためだと思うから。

そう、本当にただの『織斑一夏』と『篠ノ之箒』として会話をするのであれば、もっと別の形。例えば、互いに普通の学校に通って、そんな中で再会をしたというのなら、もっと話は違っていた。

だが、今の二人は互いに未熟者の身であれど『IS操縦者』。決して軽くは無い立場に、特に一夏は置かれている。

 

たかだか十代の小僧小娘に自分の境遇、立場をどうにかできるなど、一夏も端から思ってはいない。だが、その中でやれることをやる。師も姉も『これからをどうするかは自分次第』と言っていた。

重要なのは『自分が何を為すか』と言うこと。そして一夏が考えた結論は、とにかく鍛える。この一点。無論、ただそれだけではない、その結果による目標もあるが、ひとまずここではそれは置いておく。

必要なのだ。例え冷たくても、武が関わるのであれば毅然と対処すべきことが。何より心に揺らぎがあれば、それはすぐに自身の身の危険として振りかかる。何せ凶器なのだ。

 

「箒。あんまり話す機会がなかったけどさ、一応改めて言っておくぜ。俺がどうするかは俺が決める。お前は――口を出すな」

 

 はっきりと宣告した。その言葉に、箒がまるでこの世の終わりのように絶望したような表情を浮かべるのを見て、一夏は「そこまでか」と思ったが、一応フォローを入れておくことにした。

 

「いいか箒。さっきも言ったけど、俺は基本的にどうするかは自分で決める、誰と一緒に練習するか、誰に物を教わるかもだ。それでな、多分、俺がお前を誘う確率はかなり低いぞ? ぶっちゃけ。

まぁあれだ。どうしてもって言うなら、お前の方から頑張って俺に声掛けてみ。ただし、それを俺がオーケーするかはまた別だけど」

「結局、何が言いたいのだ……」

 

 視線を俯かせ、完全に気落ちした声で言う箒に、一夏は半ば呆れるようにため息を一つ吐く。そして答えた。

 

「待ってないでテメェで考えて動けって話だよ。俺と一緒に練習したいなら俺んとこにカチコミかけて、突っぱねられたらどうしたら突っぱねられないのか考えてそれ直して。大事なのは、自分でどうするかなんだからよ。立場とか状況とか関係なしに、その中で」

 

 それだけ言って今度こそ一夏は部屋を出ようとする。その手には先ほどベッド下から取り出した袋。箒は知る由も無いが、中に入っているのは砂鉄と炒り豆。

これを腕や拳で叩くことにより、その部分の強度を上げることを目的とした道具である。元は中国拳法における硬気功(イーゴンフー)の修業に使われる物だが、その有用性に目を着けた宗一郎が一夏に勧めた代物である。

 それはそれとして、一夏の立ち去る足音を聞きながら箒は俯いたまま歯を食いしばった。

 

(どうしろというのだ……。自分で考えて動けだと? できるなら、とっくにやっている……! だが私は……)

 

 一夏の言ったことは、確かに冷たいが至極正論だ。そんなことは箒も分かっている。だが、納得しきれないのだ。

立場や状況の中で何をするかが重要。それだって分かっている。一夏に言われるまでもなく、箒はそれを実践しようとしたのだ。六年前、ISを開発した姉がそのまま行方を眩ました時から。

一夏と、家族と離れ離れになった時から。だが、どうにもできなかった。身の安全の保障と言えば聞こえはいいが、その実ただの監視。家族や一夏と連絡を取ろうとしてもいつの間にか現れる政府の人間に阻まれ、最低限以上の自由もほとんど無かった。

中学時代、剣道の大会に出れたことが奇跡と思えるくらいだ。もっとも、その剣道にしても良い思い出はないのだが。

 

 補足となるが、本来箒に適用された政府による保護プログラムはもっと厳重なものになるはずであった。

米国には「証人保護プログラム」という、凶悪犯罪の証言者などを犯人側から守るための措置が存在する。端的に説明すると、整形により顔を変えることを始めとして、パスポートや免許証、果ては社会保障番号など、個人を特定する情報のありとあらゆるを別人の物とするシステムである。

現行、日本ではこのようなシステムは無く、類似するものとして「公益通報者保護法」というものの施行が議論されているが、このどちらもあくまで犯罪関係者を保護するためのものである。

 

 箒の姉、IS開発者の篠ノ之束は犯罪者というわけではないが、極めて重要な人物であることに変わりは無く、日本政府もその身内に保護を行う際、米国のシステムを参考として似たような保護プログラムを組もうとした。

仮に当初の政府の方針通りにいっていれば、おそらく今の箒はほぼ別人として公的に扱われただろう。だが、そうはならなかったことは今の彼女を見れば一目瞭然。何故か? 一重に束の存在に他ならない。

篠ノ之束の、ある種破綻していると言える人格は知られる所には知れている。他者の殆どに興味を示さず、唯一身内、妹に、そして親友である織斑千冬のみに心を開くと。

端的に言ってしまえば、政府は恐れたのである。箒に下手に干渉をし過ぎて文字通り天災に見舞われることを。だが、その結果は「不世出の大天才、篠ノ之束の妹」という肩書が箒に纏わりつき、彼女を苦しめることになったのは皮肉以外の何物でもないだろう。

 

 静寂に包まれた部屋に一夏の足音だけが響く。もはや箒に掛ける言葉はこれ以上無いと言うように、一夏は歩き続ける。そしてノブに手を掛け、扉を開けた直後――

 

「あ、織斑君ちょうど良かった! これから食堂でパーティーやるから来て!」

 

 クラスメイト、相川清香の明るい声だった。突然の誘いに、一夏は首を縦に振って口から紡いだのは――

 

「うん、相川さん、空気読もうね? ここは俺が格好良く颯爽と部屋を出る場面だろうよ」

 

 どうしても抑えられなかったツッコミであった。俺は悪くない。自身の正当性を訴えるかのような呟きが、同時に一夏の脳裏を閃いたのだった。

 

 

 

 

 『織斑一夏 クラス代表決定祝賀会』

それがパーティに銘打たれたタイトルだった。パーティと言ってもそこまで豪華なものではない。一組の生徒たちで食堂の職員達に頼みこみ、大皿に盛られた多数の料理を皆で分かち合うという、むしろささやかな食事会という趣だ。

いまいち事情が呑み込めないまま、半ば清香の勢いに押されるように食堂にやってきた一夏、そして部屋で一人でいるわけにもいかないので、未だ気落ちしたままではあるがついてきた箒。

二人がやってきた時には既に一夏と箒、そして二人を連れてきた清香の三名を除いた一組の生徒全員が食堂に集まっており、各々紙コップを持ち注がれたお茶を飲んだりしながら歓談を始めていた。

 

「おい、オルコット。こりゃ一体何事だ?」

 

 やはり状況を呑み込めないのか、一夏はたまたま近くにいた、椅子に腰かけながら粛々とした所作で紙コップに注がれた紅茶を飲んでいるセシリアに尋ねる。

 

「何事と言われましても、何でもあなたのクラス代表就任を祝しての食事会だそうですよ? わたくしはそう聞き及んでいますが」

「はぁ……。いや、なんで?」

「わたくしに聞かれても困りますわ。他の方にお聞きになられた方が早いのでは?」

「だよなぁ。んで、野暮かもしれないけど、お前もよく出る気になったな? 心中複雑ってやつだと思うけど」

 

 その問いかけにセシリアは一度紅茶を啜ると、やや半眼にした視線だけを一夏に向ける。

 

「本当に野暮な問いですわね」

 

 呆れるように言うセシリアに一夏は肩をすくめる。そういう性分だから仕方ない。そう言うような仕種に、セシリアは軽くため息を吐いてから答えた。

 

「えぇ、確かに思う所が無いと言えば嘘になりますわね。けれど、わたくしが敗北したのは事実で、既にそれをわたくしは受け入れました。ならば、同じクラスに籍を置く者からのお誘いも断る必要はない。そう判断したまでですわ」

「そっか」

「えぇ。それよりも、そろそろ行った方がよろしいのではなくて? 曲がりなりにもあなたは主役なのですよ?」

 

 言ってセシリアは一点に、生徒達の輪の中心を視線で示す。彼女に倣ってその方向を見てみれば、そこには集まった生徒達が期待するような目で一夏を待っている。

 

「ん~、じゃあ、まぁ……」

 

 いまいち乗り気ではないと言うような空気を纏ったまま、一夏は歩みを進めていく。その背を見送り、セシリアは再び紙コップを口元へと運んだ。

 

 

 

 

「お、主役が来たね!」

 

 やって来た一夏に生徒の一人が声を挙げる。だが、依然一夏は訝しんだ表情のままだった。

 

「あ~、これ何事?」

「ん? これ? まぁ見ての通り、織斑君のクラス代表決定記念のパーティだよ」

「いやいや、たかが学級委員決まっただけでパーティとか大袈裟だろう。ていうか、何でそうなった」

「いや~、いつの間にかそういう空気になってたし?」

 

 テヘと小さく舌を出す級友に一夏は小さく嘆息する。だが、周囲の状況を見るにもはや自分がどうこう言っても仕方ないと思ったのか、手近にあった紙コップを掴むと、そのすぐ側にあったペットボトルに入った緑茶を注いでグイッと一息飲み干した。

 

「あ、ちょっとちょっと! せっかくなんだから乾杯しなきゃ!」

「もうとっくに飲み食い始めてる状況で何言ってんだ。とりあえずはだ、食わせて貰うぞ。俺も腹が減ってるんだ」

 

 言うや否や、いつの間にか手にしていたフォーク片手に皿の置かれたテーブルへと一直線に向かう。そして大皿の近くに置かれていた紙皿を手に取ると、そこへ唐揚げや焼いたウィンナーを盛りつけて食べ始める。

女子の目で見て思わず一歩引くような量、食べたら少々脂肪燃焼にかける労を計算しなければならない量を一度に盛りつけ、それを一気に平らげ始める一夏。その早さもさることながら、決して下品ではない食べ方に見ていた生徒達は思わず感嘆の息を漏らした。

 

「いやぁ、なんていうか、男子って感じだよねぇ」

 

 見ていた誰かの零した呟き。それが見ていた者たちの心境を至極正確に代弁していた。そんな声が聞こえているか定かではないが、一夏は悠々と食事を続ける。

そして当の一夏はと言えば、やはり女子校だからかメニューがカロリーを控えめにしたものが多いだとか、体づくりのためにもう少し蛋白質のあるものが増えても良いなどと、勝手に脳内で食事の内容の品評をしていた。

 

 

「ハイハ~イ、ちょ~っと失礼しちゃいますよ~」

「ん?」

 

 ちょうど盛りつけたサラダのトマトを頬張った時だ。軽快なノリの言葉と共に食堂の、一夏ら一年一組のグループの下へとやってくる人物がいた。

とりあえず頬張っていたトマトを呑み込んで、ポケットから取り出したティッシュで軽く口元を拭う。そして声の方向を向いた一夏の視線に入ったのは、首から紐で下げた一眼レフ――時勢も時勢故にデジタルだろうが――のカメラが印象的な眼鏡を掛けた女生徒だった。

それだけでも十分目を引くのだが、気になる点がもう一つ。それは彼女の首元に付けられたリボン。

男子である一夏は流石に着けていないが、他の生徒達は皆制服の胸元、あるいは首の部分にリボンを着けている。これは制服の一部であると同時に、色によって学年を識別する役割も担っている。そしてやってきたカメラ生徒のリボンの色が示すのは、二年であった。

 

 上級生がまるで関係なさそうな自分たちのクラスの集まりにやってくる。そのことを訝しんだ一夏であるが、同時に直感的に嫌な予感というものを感じ取った。

それが何なのか。確かめようとする前に、また別の声が一夏の耳に届いた。

 

「は~い。ちょっと私もお邪魔するわよ~」

「はぁ?」

 

 声を聞いた瞬間、一夏の目が丸くなり口が開かれる。持っていた皿の上に乗っていたミニトマトがコメディよろしく転げ落ちそうになるが、それを一夏は呆けた表情のまま器用に持っている皿のバランスを保ったまま空中でキャッチ。そのまま口に放り込み、数度噛んで飲み込む。

一夏が呆けた理由。それはやってきた二人目にあった。

 

「ど~も~。二年、新聞部所属の黛薫子で~す。ちょっと噂の男子君に取材に来ました~」

「いつもニコニコみんなの側に近寄る生徒会長、二年の更識楯無よ。よろしくね~」

 

 一人目は新聞部所属を名乗る黛という二年。そしてもう一人は、楯無であった。

一体何故彼女がここに来るのか。理由を考えようと思考を巡らせるよりも早く、一夏の姿を補足した薫子が眼鏡をキラリと光らせたかのような錯覚を覚えるように、獲物を狙う瞳で一夏の下へと早足で歩み寄って来た。

 

「やぁどうもどうも! 織斑一夏君ですね? 二年新聞部の黛薫子です。早速ですが、インタビューいいかな?」

「おいコラ楯無。誰この人。ってか、一体どうした」

 

 早さ第一というように手早くカメラと同じように肩から提げていたバッグからメモ帳とペンを取りだして取材モード全開になった薫子に、一夏は答えるよりも先にその後ろに立っている楯無へと尋ねた。

 

「いや~、私もここに来る途中で薫子ちゃんにはバッタリ会っちゃたんだけどね~。なんか一夏に取材したいみたいよ? あ、ちなみに私が来たのは虚ちゃん、ほら。この間生徒会室で紹介したでしょ? 書記の子。虚ちゃんにこれやるって聞いたから、面白そうだな~って思って」

「あっ、そう」

 

 楯無の説明に得心いったと言うように頷く一夏。そして改めて薫子に視線を向ける。いつのまにかその顔には、一般的に爽やかと形容できるだろう笑みが広がっている。

 

「つまり、黛先輩は俺に取材をしたいと? それでオッケー?」

「ザッツライト! クラス代表に決まった意気込みとか色々ね。あとは――そこにいるたっちゃんとの関係とかもね。色々よぉ?」

「そうですかぁ」

 

 依然笑みを湛えたまま頷く一夏。薫子も一夏の笑みを見て快く取材に応じて貰えると確信したのか、実に楽しそうな表情をしている。直後――

 

 

 

「……チッ、マジでウゼェ」

 

 

 

 笑みから一転、心底不愉快だという感情をありありと表に出した表情と共に、周囲にもあからさまに聞こえるような大きさの舌うちをした。

 

「クック……」

 

 突然の一夏の豹変に固まる薫子の後ろで、なんとなくこの展開を予想していた楯無が小さくこらえた笑いを零した。

 

「え~っと、織斑く~ん?」

 

 硬直から復帰した薫子が恐る恐るといった様子で一夏に声をかける。その一夏はというと、持っていた皿に盛られていた料理を一気に平らげ、紙コップに注ぎなおしたお茶を一息で飲み干す。

そしていささか中年臭い荒い息を大きく吐くと、持っていた紙皿と紙コップを手近なテーブルにおいて、やはり手近な場所にあった椅子へとドッカリと腰を下ろした。

その表情にすでに先ほどまでの爽やかさ、笑みは存在せず、ただひたすらに不満を前面に押し出したしかめっ面がそこにあった。

 

「ったく、また取材かよ。これだからマスメディアってやつは。取材取材取材取材取材取材取材取材。バカの一つ覚えじゃあるめぇしよ。もううんざりげんなりだっての。っ加減にしろってんだ」

 

 ケッ、と吐き捨てるような一夏の姿に、薫子は戸惑いながら後ろに立っていた楯無へと事情を尋ねようとする。

 

「た、たっちゃん。これ、何事?」

「ま、有名になっちゃった弊害ってやつかしらねぇ」

 

 しみじみと呟くように楯無は語る。別に彼女とて一夏の『取材』というワードへの、この異様な忌避感の理由を何から何まで知っているわけではない。だが、本人がそう望んだかは定かではないが、彼女という人間に備わった明晰な頭脳はごく自然と、その解を導き出していた。

否、何も彼女でなくても少々聡い者であれば、ある程度の話の要訣を聞けば事を察するだろう。

 今の一夏の不機嫌、『取材』というワードへの不機嫌の理由。それは偏に一夏のIS適正発覚後における各種メディアの、半ば異常な盛り上がりを見せた一夏に関しての報道に他ならない。

 

 昨今、マスメディアの過剰な報道に対しての疑問の声があちこちで挙がっている。彼らも『企業』であるために、第一の目標として利潤の増加を考える。それに直結するのが視聴率や売り上げであり、それを上げるため、衆目を集めるためにそれぞれが腐心する。

その結果として強いセンセーショナル性を前面に押し出したり、過剰な表現を持った報道。他にも被害者の出る重大な事件が起きた際などにはその遺族などへの、簡潔に言い表して不作法無遠慮な取材の敢行など。

そうした報道側の姿勢に対しての遺憾の声が確かに挙がっている。

 もっとも、これが報道の内容などであれば受け手側の適切な対処、所謂メディアリテラシーなどがしっかりとしてればまだどうにかなる節はあるだろう。だが、取材などの受け手が絡まない行為にかんしては、もはや報道側が自浄作用を働かせるしかない。

情報化社会が進歩の一途をたどるようになってから久しいが、この問題は一向に解決しないままと言えた。そして、その被害を見事に被ったのが、ついこの間までの一夏であった。

 

 連日連日押し寄せる報道の波。固く閉じた家の門の前には常にカメラやマイクを持った人間が待ち構えていた。生活用品の買い出しも中々行けず、必要に迫られて致し方なく家から出てみれば、その背後を大名行列のようにマスコミが付きまとう。

久方ぶりの地元の友人との再会もままならず、ただただストレスのみが溜まっていった。

過剰な報道競争による問題というものは、一夏も理解していた。ネットを開けばその手の話題も時折見かけるし、学校の社会科の授業においても時折取り扱われた。ゆえにそうした問題の存在も知っていたし、他人事とはいえ不快に思うこともあった。

だが、いざ自分がその立場となってみるとなるほど。相当以上に堪えたというのが偽らざる本音。野蛮な物言いにはなるが、「たたっ斬ってやりたい」と幾度も思った。自分という餌に群がるマスコミ(ハイエナ)。だがそんな彼らが己の獲物の手によって凄惨な憂き目に遭った時、どのような反応をするのか。

愛刀で、鍛えた技で、不快な存在を斬り捨てて、その返り血の朱色で己を飾ったときの充足感はいかほどのものだろうか。

ストレスゆえに、もはや危険思想そのものな暗い衝動を、自身の想像の構成要素としたこともあった。

 

 無論、楯無がそんな一夏の思考の細部まで理解したわけではない。だが、大方の事情は把握したために、そのことを簡潔に伝えたのだ。

 

「あ~、なるほどねぇ」

 

 楯無の説明に薫子も納得したというように頷く。彼女もまた学生身分という狭い枠組みの中ではあるが、報道というものに関与する立場に身を置き、同時に将来的には本格的なISと関わる報道の道も志しているゆえに、楯無の指摘したことはよく理解できたのだ。なにせ、自身にとっても決して他人事ではないのだから。

よくよく考えてみれば、IS関連の雑誌の編集者を務めている姉も、一夏に関しての報道の過剰さは流石にやりすぎではないかと首を傾げていた。

報道の倫理というべきだろうか。なまじ学生であるがゆえに、その尊重の必要性というものは薫子にも重々に理解できた。

 

「あ~、参っちゃったわねぇ……」

 

 さて困ったと薫子はぼやく。なるほど確かに。楯無が語った一夏についてのアレコレを考えれば、一夏のこの反応もある意味では仕方ないといえるし、その意思を汲みたくもある。

だが同時に、報道者としての自分が確かに一夏への取材を必要としている。個人的好奇心というものもあるが、なにより自分が、自分の仲間たちが作る学内新聞を楽しみにしている生徒たちのためにも。

二つの思考のせめぎ合いに、薫子もまた頭を悩ませていた。そして、その状況を見かねて助け船を出したのが楯無であった。

 

「まぁまぁ一夏。ひとまずは落ち着きなさいって」

「ん?」

 

 楯無が声をかけたことに一夏はしっかりと反応する。文字通り「聞く耳持たない」の状態だった一夏が直ちに反応を返し、しかもその相手が自分たちもあまり知らない生徒会長であることに、周囲で見ていた他の一組の者たちは揃って首を傾げたが、それをあえて気にせずに楯無は続けた。

 

「まぁ、一夏の気持ちも分からなくはないわ。ただ、薫子ちゃんも悪気があってのことじゃないし、薫子ちゃんの書いた記事、一夏のインタビューとかを待ってる子が一杯いるのも事実なの。一言二言だけでも良いから、答えてあげてちょうだい?」

 

「そうは言うけどなぁ……」

 

 ここで気を許せばそこに付け込んでつけあがるのではないか。それでしつこく取材だなんだで絡んでくるのではないか。

そうなっても困るという懸念が、未だ一夏の中に存在していた。

 

「どうしても気になるって言うなら、私もちょっとは手伝ってあげるわよ? 適切な取材を心がけるように~って会長名義で通達するとかできるし。

まぁ良いじゃない。広い懐で一言答えてあげなさいって。それに、いつまでもむくれてるのは恰好がつかないわよ?」

「……チッ」

 

 先ほどとは違う舌打ち。まるでやんちゃ盛りの子供が、どうしても逆らえない姉に穏やかに諭されて決まりが悪そうにしている。今の一夏から受けるのは、そんな印象だった。その姿に楯無は思わず苦笑をした。

 

「分かったよ、分かった。答えてやりゃ良いんだろ畜生め」

 

 楯無に説得をされては流石に断り続けるわけにもいかなくなったのか、深く背を預けていた椅子から少しばかり身を起こす。そうして一夏は改めて薫子に向き直った。

 

「で、何を聞きたいんで? 言っとくけど、他大勢の有象無象と大差ないような下世話な内容だったら即打ち切るので。有意義な内容で頼みますよ」

 

 その言葉が示すのは事実上の取材の了承。それを理解したからこそ、薫子はその表情全体に一気に活力を漲らせた。

 

「オッケー任せなさい! じゃあ早速一つ目の質問だけど――」

 

 

 

 総量としては決して多くない、しかし確かに実りある取材を行うことができたからか、ホクホク顔で薫子は去って行った。

もう一人の飛び入り参加者の楯無はと言えば、いつのまにか生徒たちの輪に加わって他の面々と笑顔で会話をしている。その様子を、離れた所で一夏は静かに見ていた。

既に食事会も各々自由行動の空気が出ており、わざわざ一夏が中心となる必要もないからか、こうして一人静かに落ち着くことができるのは一夏にとっても幸いと言えた。

 一しきり腹に食べ物は納めたため、椅子に座りながら一夏は紙コップに注いだお茶をチビチビと飲んでいる。

お茶を飲みながら周囲を見回せば、各々が思い思いに過ごしているのが見える。基本的に女子の食事会ということで元々用意されている食事の量は少ない。

一夏が結構な量を食べていたことで既に用意された食事はほぼ無くなっている。しかし食事が無くなったからと言って会をお開きにするということを年頃の女子の集団が行うはずもなく、食堂のあちこちでグループを作って会話をしている。おそらくはこのまま食堂の閉館時間まで粘るだろう。

正直そこまで付き合う気分になれない一夏は、軽く嘆息するともう一度周囲を見回す。楯無は依然クラスの者達との会話を続けており、箒も数人の生徒と決して明るくというわけではないが話をしている。会話をしているのはセシリアも同様。

 元々気配を殺していたために、この場に居る者たちが感じる一夏の存在感は少々希薄だ。いつのまにか空になっていた紙コップに目を遣ると、音を立てずに立ちあがる。そして、なるべく大勢の死角を縫うようにして静かに食堂から立ち去って行った。

 

(秘儀、ステルス一夏。なんつって)

 

 誰に気付かれることも無く食堂を後にする一夏。だがただ一人、楯無のみがその動きに反応を見せていた。

 

 

 

 

 場所は変わって寮の屋上。海上ということで常に潮風が吹き、春先の夜ということもあり未だ肌寒さも残っている。とは言え、少々涼しい程度では特にどうとも思わない。

師の下で過ごした冬の方が気温的には厳しいものがあった。重ねて言うのであれば、雪もよく降ったため、修業の一環だの一言で機関銃の掃射のごとく投げつけられる雪玉が相当にきつかったのを思い出す。

師が常人離れした握力で本気で握った、殆ど氷塊のような雪玉を本気で投げつけてくるので、当たり所が悪いと冗談抜きで危なかったのだ。それを刀で、あるいで手足で捌いたのは、まぁ良い経験にはなったと思う。

身の回り全てを修業に応用するというのは、師の下で学んだ中でも特に大きい意味合いを持つものだった。

 

「ふぅ……。やっと落ち着いた」

 

 柵にもたれ掛かりながら人ごみから解放されたことに安堵するように一息つく。

 

「一人で夜風に吹かれてるなんて、何時の間にロマンチストになったのかしら?」

「別にそういうわけじゃなくてさ。単に落ちつくからってだけだよ」

 

 一体何故来たのか、などと問うことはしない。特にする必要を感じないからだ。一夏は、ごく自然に自分同様に屋上へとやってきていた神無に意識を向けた。

 

「もう、勝手に抜け出しちゃうなんて、困った主役ね」

 

 そうは言うものの特段咎めるつもりはなく、むしろ面白がっているようにも聞こえる神無の声に一夏も声に軽い笑いを乗せて返す。

 

「主役ってより、ドンチャンやるための口実になってる気がするんだけどな。まぁ、俺が居なくてもみんな勝手に楽しむぜ、きっと」

「そう、かもしれないわねぇ。ちょっと話してみたけど、結構元気な子が一杯いるみたいだったし、間違ってないかもね」

 

 歩み寄った神無は一夏の隣に立つと、彼に倣って自身もまた柵に身を預ける。二人並んで立ち、総身を撫で上げる夜風が着ている制服をはためかせる。

 

「で、何考えてたのかしら?」

「ん?」

「私が来たのは一夏が来た少し後だから、実質的にほとんど一緒。一夏、ずっと乗り気じゃなかったようなところがあった気がするけど?」

「……」

 

 しばしの無言。無表情となった彼が何を考えているのか、表情を見るだけでは分からない。だが、彼なりに色々考えていることは間違いない。

別に話して欲しいというわけではない。だが、それが話しづらいことであり、しかし誰かに話さずにはいられないようなことであれば、多少は気心の知れた自分が聞き役になろうと思っただけ。

こうしたメンタル面でのサポートも、彼女の公の立場における責務から外れてはいないから問題はない。

 

「まぁ、ちょっとな。クラスのみんなさ、良い奴ばっかりなんだけど、ちょいと分からなくてさ」

 

 どこか戸惑うような一夏の言葉。だが神無も現状では一夏の言葉の意図は読み取れない。故に何を言うでもなく、一夏の言葉の続きを静かに待つ。

 

「あぁ、分からないんだよ。なんで、なんであぁも俺に普通に話せるのかがな」

「どういうこと?」

 

 夜空を見上げるために上へと向けていた視線を、逆に下へと落とす一夏。眉間には僅かに皺ができ、考え込むような表情になっている。

 

「あの試合だよ。俺は、俺は本気でオルコットを潰そうとした。別にそのこと自体にどうこう思いはしないけど、まぁ客観的にどう見えるかってことくらいは分かるよ。

オルコットは俺の戦い方を暴力の叩きつけだって言ったし、否定もするつもりもない。事実そうだし。なのに、何であいつらはそんなことをやった俺に普通に話せるのかって、分からなくってね。

分からねぇ。エリートだなんだって言っても、所詮は温室育ちのお嬢ばっかだろ。少なくとも一年とかは、多分。だのに、なんであいつらはビビったりしないんだ。でなくたって一歩距離を置くなりで引いたりするもんだろ。なのにキャイキャイ寄ってきて。緩んでるんじゃねぇのか?」

「一夏……」

 

 一夏が言わんとすること。それを何となくだが神無は察した。IS云々を抜きとして、一夏が使う技はそのどれもが紛れもない凶器だ。

凶器が凶器として使われるところを見れば、そこに恐怖を感じるのは人として極々自然な反応。そして一夏自身、あの試合で自分の技を凶器として使ったことを自覚しているからこそ、それを見た他の者が多少なりとも臆するなりして当然と思っていた。そして、使った一夏本人にも。

 だが、いざ試合が終わってしばし過ぎてみれば、見ていたはずの一組の生徒達の反応にはなんの変りもない。むしろあのような催しを開くくらいであった。それが、どうしても一夏には理解できなかった。

 

「悪いこと、じゃないと思うわよ。友好的なのは、良いことじゃない」

「別に仲良くするのは構いやしないけど、そこまで友情を求めてるわけじゃないよ。それに、本当に仲の良いダチとして見てられるのか、分からないし……

そうだよな。普通の学校に通って、普通にやれてたら問題はなかったんだよ。けど、IS学園(ココ)は違うだろ。それが全部ってわけじゃないってことは、理解してるはずなんだ。

けど俺は、どうしても思っちまうんだよ。ここが戦い方を学ぶ場所で、他のやつがライバルだって。自分でもビックリするくらいに冷静にさ、割り切っちまうんだ。こいつらは、『戦う』ってことに関しちゃ俺よか劣って、そのついでに俺にとっては上に上るための踏み台に過ぎないって。我ながら、ヒッデェ考え方だよな」

 

 言葉の字面は自嘲するような皮肉さを持っているが、声音は淡々としている。皮肉ったところで仕方ないと分かっているのだ。

一夏にとって、その認識はもはや確固たる思考として自身の内に根付いているのだから。多くの者と同じように、しかし幸運にも五体満足で生まれたことで授かった両の手足。

当り前に年相応の成長を遂げたという点では一夏も、他の生徒達も何ら変わりはない。だが、そこに染みつかせた技術はまるで違う。

 今も食堂で談笑しているだろう少女達は、その手にどのような技術を覚えこませたのだろうか。ごくごく日常的な動作、そこへきっと裁縫や手芸、料理のような年頃の女子らしい趣味の技術だろうか。

だが、決してそれが程度の低いものと思いはしないが、一夏にとっては「その程度」の一言で片づけられてしまう。その両の手に、足に染み込ませたのは人を壊すための技だ。

ただひたすらの修練はその練度を否応なしに高めさせ、その気になれば凶器へと変貌させることもできるほど。凡そ平和と言える現代日本においては似つかわしいとは言えない技術。

だが、そんな技を学んだからこそ一夏は感じているのだ。自分とその他大勢との明確な差異を。自分に勝てる同年代がどれだけいるのか? おそらく非常に限定されるだろう。ゆえに、どうしても他者と相容れないと感じてしまうことがある。

 単なる自分の思い込み、考えすぎかもしれない。だが、意識をせずにはいられないのも事実なのだ。

 

「多分俺は、心のどっかであいつらを下に見てる。多分な……」

「それ、流石に考えすぎじゃない?」

 

 頭上の夜空ではなく、下の海面を見つめ続ける一夏。夜の闇、水中からの闇。二つの闇を受けて海面は底知れない漆黒に染まっている。

水平線一杯に広がる漆黒を見続ける一夏。その頭の上に、神無は静かに手を乗せた。

 

「考えすぎよ、きっと。確かにあなたは立場も立場でちょっと面倒だから、そうね、気をつけなきゃいけないところもある。けど、そこまで身構える必要もないわよ。せっかくの学園生活なんだもの。もうちょっと楽に楽しみなさいよ。そのために――私は居るんだから」

 

 瞬間、一夏は険しい眼差しで神無を射抜いていた。憤怒、ただ一つの感情に彩られた視線に、神無は思わず乗せていた手を取り落としていた。

その反応に一夏も自分がどのような表情をしていたか気付いたのか、すぐに視線を逸らし気まずそうな顔をする。

 

「わりぃ。けど、俺は大丈夫だ、大丈夫。俺だけでも何とかする。そのための技だ。そのために、俺は鍛えているんだからな。それができなきゃ、俺のこれまでに意味なんてなくなってしまう。認めん、断じて認めん」

 

 誰の手を借りるでもなく、己に振りかかる面倒は己自身の手で振り払い、あるいは斬り伏せる。そう語る一夏に、神無は危惧を抱く。

何がそこまで駆り立てているのかは分からない。だが、今の一夏は落ちつき払っているように見えてその実、力というものに並々ならない執着を抱いている。そのことがどうしても気になる。

確かに向上心は肯定されてしかるべきだ。ましてや彼の場合、立場も考えれば大いにプラスに働く。だが、虚にも語ったようにどうしても神無は直感的に全面肯定はできなかった。

ただくだに力を求めた果てがどうなるのか。想像もつかない。つかないからこそ、危惧をする。

 

 いつの間にか宙にダラリと垂れさがっていた右手。それを再び一夏の頭の上に乗せる。こんなことをして何になるのか。

だが、せめてこのくらいはと思った。幼少期、時期更識当主としての研鑽に励んだ自分の頭の上に乗せられた両親の手。それが伝えてくれた温かさを、感じた安らぎを覚えているからこそ、せめてこうすることで少しは一夏が安らげばと思った。

 

(本当に、何もかもがもどかしい……)

 

 既に神無は『楯無』としても動いている。請け負った責務、一夏の保護。そのために可能な手は打とうともしている。特に警戒すべき存在も。

だが、未だどこも目に見える動きを見せない。どこも馬鹿ばかりではない。一夏という存在に着目しつつ、慎重に手を打とうとしている。それがどうにももどかしい。

来るならば早く来ればいいのに。そうなれば、自分が全力を挙げてその企みを潰すのに。一夏に手が及ぶ前に、一夏が己自身で始末をつけようと刀を取る前に。そうした事態への対処は自分の仕事だ。彼のためにも、彼の安寧のためにも少しだって及ぶことは許さない。ゆったりと一夏の頭を撫でながら、神無は胸中で決意を新たにする。

 

「とにかく、少しは落ち着きなさいな」

 

 それだけを言うことしかできなかった神無に、「子供扱いをするな」という一夏の抗議で込み上がった小さな笑いは、神無とってささやかな安寧であった。

 

 

 

 

 

(何故だっ! 何故だっ!?)

 

 屋上へと続く階段の一角、踊り場で箒は込み上がってくる憤怒に歯を食いしばっていた。一夏が去り、神無が静かにその後を追ってから少しして、箒もまたいつの間にか一夏の姿が見えないことに気付いた。

始めは部屋に戻ったのかと、部屋を探した。だが居ない。となるとどこか。既に寮の門限も過ぎているため、外はあり得ない。そこで思いついたのが、一夏がよく修練に使っているという屋上だ。

閃きに似た感覚が脳を走り抜けた箒は一直線に屋上を目指した。そして階段を上った先に見た。

開け放たれた屋上と階段を隔てる扉。そこから見える柵に身を預け海を見る一夏と、その隣に立つ生徒会長の後ろ姿に。それを見た瞬間、箒は足が石になったように硬直するのを感じた。

固まる箒の視線の先で、更に別の動き。一夏の頭の上に置かれる生徒会長の手を、それを静かに受け入れる一夏の姿。それを目の当たりにした瞬間、気が付けば箒は屋上に背を向けていた。

 

 ある程度足を動かした所で立ち止まった彼女の胸に湧き上がったのは、怒りと悔しさであった。何故こうなるのか。ただ自分は再会した幼馴染の隣に立ちたかっただけだ。それなのに、当の幼馴染にはろくに相手にもされず、自分から動こうとすれば他者にそれを阻まれる。

何もかもが気に入らない。幼いころからの、姉絡みで満足な自由というものを感じられなくなった時から幾度も思った、世界は自分を嫌っているのではないかという思い。それが強く滲みでる。

少し調べてみて分かった。更識楯無、IS学園生徒会長にして、現役のロシア国家代表(・・・・)。そして第三世代型の専用機持ちにして、生徒内最高の実力者。それを知った時、箒は自分の力の足らなさに憤った。

 剣では手も足も出なかった。そして同じスタートに立てたと思ったISですら、一夏は既に専用機を持ち代表候補を降すという戦果を挙げた。自分は何もかも足りていない。そう思って、思わず手近な壁を叩いていた。

 

(私だって……! 私だって……!)

 

 そう考えて、ふと箒の脳裏に小さな光が灯った。激した感情に囚われながらもその閃きに気付いたのは、その閃きがとても冷たい光であったから故かは、定かではなかった。

 

 

 

 

 時は数日先に移る。だがその前にとある一人の生徒について語っておかねばならない。

彼女はアメリカからの留学生であった。代表候補というわけではなく、他の多くの者と同じように、一般受験の狭き門を潜り抜けて学園への入学を果たした。

彼女の生い立ちを簡潔に説明するのであれば、幸せそのものと共に育った少女というべきだろうか。実家はそれなりに裕福な家で、優しい両親や家族に囲まれて大いに可愛がられて育った。

そんな彼女も、今や時代の中心であるISに心惹かれ、女性の職種の花形となっていたIS操縦者に憧れを持った。そしてIS学園への入学を志願し、家族はそんな自分をよく助けてくれた。

そうして無事に学園に入学した彼女だが、良くも悪くも今この時の彼女はある程度将来的に期待できるとはいえ、ごく普通の少女に過ぎなかった。故に、初めてソレを見たとき、彼女は恐怖したのだ。

 

 織斑一夏。世界初にして現状唯一の男性IS起動者。そしていかな因果か、クラスこそ違えど自分の同期となった男子。

入学当日にその話を、件の男子とイギリスの代表候補生がISで試合をするという話は彼女も聞き及んだ。そして興味を持った。

若さゆえの活気によってか、彼女は自分が属する一年二組のクラス代表に名乗りを挙げていた。そしてそれが受け入れられたため、二組のクラス代表となった彼女は件の試合の当日、授業が終わると直ちに一組のクラス代表決定戦を見に行った。

勝った方が一組のクラス代表となって、しばらく後に行われるクラス対抗戦で自分と戦うことになるかもしれない以上、試合を見ておくことは必要と思ったからだ。

 そうして彼女は、代表候補を地に叩きつける具現化した暴力を目の当たりにし、いずれ自分がその前に晒されるという恐怖を認識した。

 

 特別な理屈があったわけではない。ただ、本能的に恐怖したのだ。シールドに阻まれながらも、轟音を響かせながら相手に苦悶の表情を浮かべさせる拳を、蹴りを。

一撃でシールドを大きく削り、最終的にはISを纏った人間すら大きく弾き飛ばすような刀の一撃を。そして何より、モニターに映し出されたその目に。あの瞬間はよく覚えている。アリーナに設置された大型モニターに一夏の顔が映し出され、その目を見た瞬間、まるで「次はお前がこうなる番だ」と告げられているようなあの感覚は。

それから彼女は、表面こそ平静を保ちながらも内心では緊張が絶えることはなかった。刻一刻と近づく対抗戦。もしも自分と彼が戦うことになったら。代表候補ですら降した相手に自分が勝てるのか。それを考え、人知れず震えることもあった。

高い志を持って入学したのは確かであり、このような弱気ではいけないとも分かっていた。だが、それでも――

 

 そんなある時だった。IS学園の制服を着た見慣れない少女にある話を持ち掛けられたのは。不謹慎とは分かっているが、その時の彼女には示された提案が天啓のように思えた。

そしてその結果が今、朝のHRを控えた一組の前で起こっていた。

 

「二組も専用機持ちがクラス代表になったわ。簡単に勝てるとは思わないことね!」

 

 両肩を露出させるようにカスタムした制服を纏う少女。やや小柄な体格に、ツインテールが印象的な活発さを感じさせる彼女は、勢いよく人差し指を前に突き出すと己の名前を宣言した。

 

「二組クラス代表、中国代表候補生の(ファン) 鈴音(リンイン)よ! そして、久しぶりね。この――」

 

 名乗った少女、鈴音は視線をある一点に、正確にはそこにいるある人物にロックさせる。その対象とは即ち、一夏。

一夏の姿を見た瞬間、鈴音の声が僅かに低くなり、その身も構えるような姿勢意を取る。そして――

 

「馬鹿一夏ーーー!!!」

 

 怒声と共に駆けだし、一夏目掛けて飛び蹴りを放ったのであった。

 

 

 

 

 

 




 さて、これでいよいよ持って楯無ルートの在庫が残り一話になりました。
次の話を更新したら、またゼロから続きの話を書き始めるという作業が到来します。
逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ……!

 とりあえずこの作品の一夏は本編と比較して、内面的な部分でかなりブレブレの不安定状態です。一件すると他人には悟られにくいですが。
 楯無に関しては一夏への負い目(と本人は思っている)からちょっと内心深刻モード。
 そして箒は……本当に書いている立場で何言ってんだという話になりますが、とにかく割を食ってる。いずれ爆発してしまうことは想像に難くないことと思います。
じゃあいつ爆発するのか? 「今でしょ」、とは流石に言いませんww
なんとなく予想が付く方も多いとは思いますが、「あの話」でと思っています。とりあえず箒に関しては、最終的には救いと言いますか、不遇モード脱出をさせてあげたいです。いやマジで。

 今回はこれまでとなります。では。


感想、ご意見は随時受付中です。ちょっとした質問なども全然オッケーです。本編ともども、是非にドシドシどうぞ。


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第十六話

 これで最後のストックの放出と相成りました。
あぁ、これで続きはゼロから書くしかないのだなぁと思うとちょっと遠い目になっちゃいます。

 それはそうと久しぶりの更新ですが、確認してみたら前回の更新は十月。今は四月。
……ソレデハドーゾ(目逸らし)


 それはあまりにも唐突であった。

事の始まりは朝の何気無い会話だ。既に教室に着き自分の席に座っていた一夏は、その周りに集まった数人のクラスメートの会話を交わしていた。

近く行われるクラス対抗戦についての新情報、優勝したクラスは生徒全員に食堂のスイーツ半年フリーパスが渡されるという特典に、少女達の期待は高まっていた。同時にその期待は一夏にも向けられていた。

 既に専用機を受領し、なおかつ代表候補生を下すという結果を挙げている一夏に、クラスの者達は勝利を期待していた。

警戒すべき他のクラス代表にしても、一夏と同じ専用機持ちと言えるのは四組の代表のみ。隣の二組に中国の代表候補生が転校をしてきたらしいが、この時期ではクラス代表も関係は無い。優勝も十分に希望が持てる。そう、誰かが言った時だった。

 突然一組の入り口前に現れた生徒。小柄な体格を包む制服の肩の部分のみを取り除いたカスタムと、ツインテールが印象的な彼女は高らかに名乗った。

 

 一年二組クラス代表、中国代表候補生 凰 鈴音と。

 

 そして名乗った彼女は、己のすぐ正面に一夏の姿を見つけると、怒声と共に駆けだして飛び蹴りを放ったのだ。

 

「なぁ鈴。開幕飛び蹴りは色々無茶苦茶だと思うのよ、俺」

 

 だが、迫る蹴撃に一夏はまるで動じない。それでいて行動は迅速だった。動き出したのは鈴と同時。椅子から素早く立ちあがると鈴が一夏に向かって行ったように、自身もまた鈴に向けて歩を進める。

だがその足取りは緩やかなものであった。そして二人の距離はすぐに詰まる。もとより数メートル程度の距離しかない二人の間。その間を片や駆けて、片や歩いて互いに向かえば直ちに縮まるのは自然の摂理だ。

そして一夏を間合いに捉えた鈴は勢いよく跳躍。まるで理解が及ばずに茫然と見ていた周囲の生徒達が思わず感嘆のどよめきを漏らす程、その小柄な体から連想される身軽さを体現した高さの跳躍を行うと同時に、足を一夏目掛けて伸ばす。

 

 いかに少女の飛び蹴り言えども、決して侮れるものではない。よほどの成長不良でもない限り、健やかに育っただろうことが伺える彼女は、小柄ではあるが数十キロという年頃相応の体重を持っている。

人体というあまり意識されない、しかし確かな重量物に前進と跳躍による下降の二つの勢いを加え、さらに衝突部を足先という小面積に限定させる。これだけの要素が組み合わされば、直撃すれば大の大人でも後ろへ吹き飛ばされることは確実な一撃となる。

 凡その人間はいきなり飛び蹴りを放たれれば避けようとするだろう。別に先に述べたような理屈を一々考えているからではない。直感的に危険と判断するからだ。

では、それを危険と判断しない極一部の例外的な人間の場合、どのような対応を取るのか? その回答がここに示される。

 

 迫る蹴りに対して一夏は軽く左手を伸ばす。その目は細められ、集中状態にあることが伺える。蹴り足の先端、即ち上履きの底が差し出した左手のひらに触れると同時に、思い切り手を握りこみ足を正面から鷲掴みにする。

そのまま左手は動かさないままに、それ以外の全身を軽く前に出して鈴のちょうど脛と自身が横並びになるように立つと同時に、思い切り左手を下に引き込んだ。

 

「ちょっ!?」

 

 急に体勢が崩れたことに鈴が慌てるような声を挙げる。空中での勢いが突然に殺され、重心が一気に下がったのだ。そこから感じる不安定さは並大抵ではない。

このままいけば彼女の体は氷の上で足を滑らせたかのごとく、背中から床に強かに打ちつけられるだろう。だが、それよりも早く空いていた一夏の右手が動く。

 鈴の背に添えるように滑り込ませた右手で鈴の体を支える。彼女の体のへその下、丹田にあたる部位を重心の軸として、足先を掴む左手と背に添えた右手で体を一気に回転させる。

そして全身と床がちょうど垂直になったところで手を離す。

 

「っと」

 

 生来持つ身のこなしゆえか、ある程度バランスが戻ったこの時点で鈴にとって安定した着地はさしたる問題ではないらしく、仕事は終わったといわんばかりに手を叩く一夏の後ろで、その足を床にしかとつけた。

 

「飛び蹴りをかましてくるとは、なんて奴だ」

 

 字面だけみれば驚いているような、しかし声音にはまるで驚きを感じない言葉を漏らす一夏に、着地を果たした鈴が睨みをきかせながら唸る。

 

「へぇ~、それがいきなり居なくなったやつの、幼馴染に対して掛ける言葉なわけ? ええ?」

 

 ドスをきかせながら詰め寄る鈴であったが、暖簾に腕押し、柳に風と言わんばかりに一夏は涼しい顔で受け流す。

 

「あぁいや、あれな。いや、俺もまさかお前が中国戻るなんてこれっぽっちも思ってなかったしよ。運が悪かったんだ、運が」

 

 悪びれる様子も無く一人したり顔で頷く一夏に、鈴のこめかみがあからさまにひくついた。

この時、二人からやや離れる形で二人を見守っていた周囲の面々は、彼女の頭にまるで漫画のような太い血管マークを幻視したという。

 

「ふっっっざけんじゃないわよ!! この馬鹿一夏!! いきなり何も言わずに転校なんてしちゃって!! してから連絡入れるとかどういう了見よ!!」

 

 怒気を全開にした大声で怒鳴る鈴に、さすがの一夏も苦い笑みを浮かべる。だが、そこで彼は視線を彼女の後方に向け、表情を僅かに固いものとした。

その変化に気付いた鈴も、怒気はそのままに後ろを振り向き、そして表情を強張らせた。

 

「朝から随分と威勢が良いな。実に結構」

 

 一組担任、千冬の姿がそこにはあった。彼女の登場によってギャラリーは更に歩を引き、一夏と鈴、そして千冬の周囲には完全な空白地帯ができあがっていた。

いつもの鉄面皮を崩さない千冬の手には出席簿、その端が握られており、いつでも振りおろせる体勢になっていることを示している。その姿に鈴は固まり、一夏は「俺、知ーらね」と言うようにそっぽを向いている。

既に千冬の十八番となっている、出席簿による痛打が繰り出されるのではないか。そう考えた一組の誰もが固唾を呑んだが、意外なことに千冬は呆れたようにため息を一つだけ吐くと、掲げていた出席簿を持つ手を静かに下ろした。

 

「もうすぐHRの時間だ。凰、さっさと教室に戻れ。それと、朝からあまり大声で喚くなよ」

 

 その言葉に鈴を除く、つまり一組の面々がある種の安堵を感じたのは常が常だからだろうか。何事も無ければそれでよし。そう言わんとする雰囲気が、そこにはあった。

誰もがそこでこの場は終了すると思っただろう。だが、そうはならなかった。凰鈴音、彼女は未だ転校して日が浅い。ゆえに、千冬に抗議をしようとした彼女は、決して責めるべきではないだろう。

 

「で、でも千冬さ「織斑先生だ」――お、織斑先生! 何とも思わないんですか、この馬鹿に! いきなり何も言わずに転校してくようなのを!」

 

 その抗議に対して千冬は軽く腕を組み、そして未だ自分は関係ないと主張するかのように明後日の方向を向き続ける実弟に視線を向ける。しばし沈黙、考えるような仕種を見せると、組んでいた腕を解いて再び口を開いた。

 

「そこの馬鹿には馬鹿なりの考えがあってのことだった。確かに、お前の言うことも分からんでもない、凰。だが、今はそれを議論する時ではない。今は教室に戻れ。休み時間などであれば、いくらでもそこの馬鹿に問い詰めれば良い。何だったらひっぱたいても構わん。好きなだけ鬱憤を晴らせ」

 

 その言葉に鈴もそれ以上言えなくなったのか、渋々と言った様子で教室から出る。去り際、一夏に向けて待っていろという旨の言葉だけを残して。

そして未だ固まったままの生徒達に千冬が着席を促し、一年一組の朝のHRが始まりを告げた。

 

「揃いも揃って馬鹿の連呼はヒデェよなぁ……」

 

 頬を引き攣らせた一夏が渇いた笑いと共に呟くが、虚空に溶けたその声が誰かの耳に入ることは無かった。

 

 

 

 

 

 

「さぁ一夏! キリッキリ話してもらうわよ! 洗いざらい、まるっと盛りっとねぇ!」

 

 昼休み、昼食の鯖の味噌煮定食を食べる一夏の前に、自身の昼食であるラーメンを携えた鈴が険しい表情で座りながら問い詰める。

だが、一夏は鈴の怒気も何のそのと言わんばかりに、箸で鯖の味噌煮一つまみを口に運ぶ。食堂の調理士が腕を振るって作った品々。それはシンプルな和食であっても例外ではなく、出される料理の悉くの味に一夏は感嘆を禁じえずにいた。

 

「キリキリって言ってもなぁ。そこまで複雑な事情ってわけでもないし。話し出したら五分足らずで終わるぞ?」

「それでも良いから、さっさと話しなさいよ」

 

 ラーメンを食べる手を途中で止めてまで一夏に詰め寄る鈴に、一夏は持っていた箸を置いて顎に手を当てる。

ちなみに、IS学園入学からしばらく経った今でも、ある程度の落ちつきこそ見せているが一夏が注目を浴びやすいことに変化は無く、こうした食事時などはそれとなく一夏の周囲を囲むように生徒が集まっているのだが、今は鈴の放つ怒気による牽制によってその人影もまばらになっている。

しかし、離れていても会話は聞こえるために周囲の生徒たちは二人が知り合いという程度のことは把握していた。中でも一組の面々にかんしては、この昼休みの前の休み時間の前に一夏より直接、彼女が小学校以来の古馴染みということを聞かされている。

 

「で、何を聞きたい?」

「あんたがいきなり転校した経緯、理由、そこに至った動機、その時のあんたの気持ち、何もかもよ」

「はっ、ご注文の多いことで」

 

 即答した鈴に対して一夏は口の端を吊り上げる。その表情には、鈴の剣幕すらむしろ面白いと思っている節が見える。

いや、面白がっているか否かは別として、肯定的に受け止めているのは事実なのかもしれない。常に強気な姿勢を崩さないその姿には、一夏も懐かしさを感じる故に。

 

「オーケー。んじゃあどこら辺から話そうか。……そうだな、まぁ簡潔にできるように頑張ってみようか。

まずは俺がどこに行ってたかだ。鈴、俺が剣術をやっていて夏休みとかにはその師匠のトコに行ったりしてたのは知ってるだろ?」

「あぁ、そう言えばそんなこと行ってたわね。夏休みや冬休み使ってまで行くなんて酔狂なもんだと思っ――まさかあんた……」

 

 一夏が剣術家の師の下についているということくらいは鈴も知っている。なにせ夏休みや冬休みのような、子供にとっては絶好の遊ぶ時期の半分を使ってまで、その師の下へ出向いて稽古をつけて貰っているという熱中ぶりだ。

一夏と離れる以前、彼女はそのことについてよくごねた故に、記憶には強く残っている。そしてそのことを思い出して、何かを察したような様子を見せた鈴に、一夏は笑みを浮かべた。

 

「そのまさかだよ。ザッツライト、イッツ・イグザクトリィ。そうだ、転校してからこの春まで一年半、師匠のとこに居てな。みっちり鍛えてもらったよ」

「こ、こいつはぁ……」

 

 元々一夏が鍛えることを好んでいたのは知っていた。ISが時の主流へと既になっていた頃合いであるために、中には無駄な努力と影で心無い言葉を言う女子などが居たのも確かだが、鈴はそのような言葉に一切耳を貸さずにひたむきに自分を鍛える一夏を好んでいた。

だが、それもそこまで行くとやり過ぎなのではないかと思える。いや、確実に行きすぎであると鈴には断言する自信があった。

 

「さて、んじゃあ次は経緯だ。まぁ、あの頃にちょっと思うことがあってね。自分で必要と思ったから、そうしただけだよ。俺がどう思ったか? 悪いけど後悔は無かったね。どの道戻ってくるつもりはあったから、しばらくの間のお別れ程度の感覚だったよ。だからまぁ、お前が中国戻ったって聞いた時は少し驚いたな」

「色々、ねぇ……」

 

 そこに何が当てはまるのか。鈴には全てを察することはできない。精々思いつくとしたら、その少し前にあった千冬の第二回モンド・グロッソ決勝戦棄権と現役の電撃引退くらいだ。

もはや語ることは無いと言わんばかりに、一夏はいつの間にか食べ終えて綺麗になっていた膳を下げるために立ちあがる。その姿に、鈴も食べかけだったラーメンを思い出し、慌てて箸を持ち直す。

 

「一夏。あんた、何も変わってないわね。性格も、ついでに顔も」

「大きなお世話だよ。特に顔、特に傷」

 

 去り際に掛けた言葉に一夏は顔をしかめるが、それを見て鈴は微笑を浮かべた。

 

「けど、ちょっと安心もしたわ」

「そうかい」

 

 それだけの簡素なやり取りを残して一夏は立ち去る。残った鈴は、休み時間が終わる前までにラーメンを平らげんと、箸と共に再び丼へと挑みかかった。

 

 

 

 

 

「はぁ!? 一夏はとっくにいない!?」

 

 時は再び移り変わり放課後となる。一組の教室の前で驚きを露わにした鈴の声が響く。

昼休みに話した一夏の突然の中学転向騒動についてある程度の事情は把握したとはいえ、情報の不充分を感じた鈴は積もる話などもひっくるめた上で、一夏を捕まえて話そうと考え授業が終了するや否や一組へと赴いた。

しかし、入り口から探してみても一夏の姿は見当たらず、手近な所にいた生徒に聞いてみれば、一夏も一夏で授業が終わると直ちに荷物を引っ掴んで教室を出たとのこと。

一体何事かと聞いてみれば、おそらくはISの自主練に行ったと言うではないか。一夏のトレーニング馬鹿ぶりは鈴も知っていたが、IS学園に来てもまるで変わる様子が無いと分かると、さしもの彼女もしばし唖然とせざるを得なかった。

ではどこでやっているのか、せめてそれを聞き出そうとするも尋ねた生徒は知らないと首を振るばかり。彼女が一夏から聞いたに曰く、事前に練習場所とかがバレて人が集まるのは嫌だからと、敢えて申請した練習場所などは明かすつもりは彼には無いらしい。

 

「あ、あんの馬鹿……!」

 

 こっちの気なんてこれっぽちも考えやしない。唯我独尊、我が道全速前進フルスロットル、本当に知っていても度し難く感じる。

ひとまずは教えてくれた生徒に軽く礼を言って、この後をどうするか考える。一夏を探すか、しかし自分が探し当てるころには彼は練習を始めているだろう。そうなると、まともに相手にしてもらえない可能性もある。昔からそうだったが、一度トレーニングを始めると一緒にトレーニングでもしていない限り人への対応が非常に適当になるのだ。

それとも、ひとまずは自分も自分で、転向したばかりゆえの身辺整理を済ませて寮で待ち伏せるか。複数の案を巡らせながら唸っていたからか、彼女は自分に近づく人影に気付かなかった。

 

「少しいいか?」

「んっ?」

 

 背に掛けられた声に思考への没頭から復帰し、下に向けていた視線を挙げた鈴が見たのは箒の姿だった。

 

 

 

 

「ホイ、これ。緑茶で良かったかしら?」

 

 少々場所を移して外へ。広大な学園の敷地内には幾つか屋外用の休憩スペースも存在する。そこへ場所を移した箒は鈴が奢りだと言って渡してくれた自販機で購入した飲料を手に、設置されている木製の椅子に腰かける。

気前よく飲料を奢った鈴自身の手にも、烏龍茶の入った缶が握られている。

 

「む、すまないな」

 

 鈴の配慮に対して箒は素直に礼を言う。大したことじゃあないと言うように片手をヒラヒラと振ると、鈴もまた手近な椅子に座る。

 

「まぁ朝が朝だったから、一応改めて名乗っとくわ。二組の代表、中国代表候補の凰鈴音よ。呼び方は好きにして良いわ。こっちもそうするし」

「篠ノ之箒だ」

「箒ね。よろしく」

 

 簡単な名乗りを交わすと鈴はすぐさま話の本題に入ろうとする。前置きだとかそういうのは彼女の性に合うものではなく、話をする時は常に本題にストレートに切り込むのが常だった。

 

「で、どういう要件なのかしら? 何か話があるんでしょ?」 

「その、私は話というより、聞きたいことがあるのだが……構わないか?」

「そりゃ別に良いけど。何、聞きたいことって?」

 

 今いち一歩を踏み出しきれないような、オズオズとした口調ではあるが、尋ねてくる箒に鈴は軽く頷いて続きを促す。

鈴の返答を受け取った箒はしばし視線を泳がせ、何を言うべきか熟考する。そして、再び鈴と視線を真正面から合わせると、静かに言葉を紡いだ。

 

「その、だな。お前は……一夏の、何なのだ?」

 

 その問いが発せられた瞬間、鈴は僅かに目を丸くした。だが、すぐさま元の表情に戻ると顎に手を当てて「う~ん」と唸り始める。

 

「私があいつの何なのか、ねぇ~」

 

 顎に当てた手を離し、両手を頭の後ろに持っていく。そして、足を組んで椅子の背もたれに体全体を預けながら、組んだ足をブラブラと揺らす。

 

「そうねぇ。あいつ風に言うなら、あたしは『セカンド幼馴染』ってやつね。で、多分あんたがファースト幼馴染。名前聞いてピンと来たけど、あんたが一夏の昔馴染みなんでしょ? 昔の剣道仲間だって、話してたことがあるわ」

「確かに私と一夏は幼馴染だが、セカンド?」

 

 幼馴染はともかくとして、その前に付けられたファーストやセカンドの意味が今いち察することのできない箒は当惑を表情に浮かべる。

だが、その意味を知っているのか鈴は片手をヒラヒラと振りながら大したことじゃないと言うように補足をする。

 

「別に大した意味でも何でもないわよ。あんたが最初の幼馴染で、あたしが二番目ってだけでしょ。あいつにとっちゃ幼馴染なんて、単に付き合いが長い友達程度の感覚だろうからね。そこまで頓着もしてないんでしょうよ」

 

 その言葉に箒は衝撃を受けたような気がした。自分がそうであったように、目の前の転校性も一夏と自分が幼馴染同士と認識している。

だが、彼女と自分では違うこともあった。即ち、幼馴染という関係に頓着しない一夏の言動、態度を当り前のように受け入れていることだ。

 

「な、何とも思わないのか? 幼馴染なのだろう? もっと思うことなどは無いのか?」

「いやぁ、べっつに~? あたしも、そこまで深くは考えちゃいないし。ん? あ~なるほど」

 

 何かに思い至ったように鈴はニヤリとした笑みを浮かべる。それを見た瞬間、箒は嫌な予感に襲われた。そしてその予感はすぐに的中した。

 

「箒、あんた一夏に惚れてるわね?」

「な、なぁ!?」

 

 あからさまに狼狽える箒を見て鈴はカラカラと笑う。箒からしてみれば、知り合ったばかりの少女にいきなり自分が胸中に秘めていた想いを見破られたのだ。その動揺の大きさたるや、決して軽々しいものではない。そして、なおも狼狽を隠せない箒を見て鈴は、浮かべていた表情を微笑へと変えた。

 

「あたしもよ」

「え?」

 

 穏やかな声で発せられた鈴の言葉、その意味を察しきれなかった箒は思わず聞き返していた。

 

「あたしも、一夏(あいつ)に惚れてるって話よ。驚いたわ。まさかこんな所でいきなり恋敵に出くわすなんて」

「っ!」

 

 そこでようやく箒は緊張に顔を強張らせた。一夏の知り合い、それも異性。それだけで油断ならないというのに、この上恋敵と来た。

ただでさえ今、生徒会長という要警戒人物が存在しているのに、この上まだ増えるのかと箒の心に棘が刺さるような思いになる。

 

「ほら、そんな怖い顔をしないしない」

 

 内心の緊迫が表に出ていたのか、箒は鈴の指摘で自分が眉間に皺を寄せていたことに気付く。

人前でそのような、決して良いとは言えない表情をしてしまったことに恥じ入るような思いを抱くが、それを鈴が不快に思うような素振りは見せず、むしろ笑いを浮かべている。

 

「聞いてもいいか」

「何を?」

「お前も、私も、共に一夏に思いを寄せている。私たちは恋敵と言っても可笑しくはない。なのに、なぜそうまで笑っていられる。危惧したりはしないのか? 一夏を奪われるのではないかと」

「いや、言いたいことは分かるけどね。そんな心配、してもしょうがないのよ」

 

 箒としては、自分でも珍しいと思うほどに素直に胸の内を吐露したつもりだった。

もとより人に自分の胸中を話した経験など殆どない。それも、恋心に関することとなれば尚更だ。だからこそ、彼女にとって今の問いはそれなり以上に、重い意味を持っていたつもりだった。

 だが、それに対する鈴の返答はあまりにもあっさりしたものだった。

 

「あいつってさ、結局のところかなり自分本位なのよ。見てきたから分かるわ。あたしの、あんたの思いが叶う時が来るとすれば、それはあいつが自分であたしか、あんたを選んだ時だけ。あたしたちが奪う奪わないなんて考えても、あいつの選ぶ結果には何の影響もないのよ」

 

 そう語る鈴の表情は、微笑んでいるのと同時に僅かな憂いが含まれている。それを見た箒は、自然と眉間に寄せていた皺を解く。

 

「ねぇ。あんたはさ、どうして一夏を好きになったの?」

 

 そう問いかけられ、自然と箒は答えていた。幼少期、共に剣道を学んでいた頃。ひたむきに剣道に打ち込む姿に、自分がまるで勝てなかったその姿に憧れた。

男女と馬鹿にされていたのを、さりげなくかばってくれたその姿に憧憬を抱いた。眩しく見えたその姿に、いつの間にか恋心を抱いていた。

これといった明確なきっかけがあったわけではない。ただ、日常の積み重ねの中でいつのまにか想いが湧き上がっていた。

 自分も同じだと鈴も言った。

外国人という物珍しさもあったのだろう。学校でからかわれたのをかばってくれたことに、他人が暴力を振るうのを見るのは嫌だと言っておきながら、自分がやる分には構わないという、いっそ清々しいまでの独尊ぶりに、一本芯を持つようなその姿に、いつの間にか惹かれていた。

 

「だが、あいつは変わっていた。いや、六年という歳月を考えれば当然なのかもしれんな。だが、せっかく会えたのにあいつは――」

 

 痛みを堪えるような声で一夏の変容への辛さを語る箒を鈴は静かに見つめる。そして、再び口を開いた。

 

「確かに、あいつは変わったわよ。けど、結構昔なのよ、それ」

 

 どういう意味か。そう問いかけるように問いすがるような眼差しを向ける箒に、鈴は言葉を続ける。

 

「まぁ知らないのも当然よ。あんたが一夏と離れたのが10歳の夏あたりだっけ? あたしがあいつにあったのが、その少し後。殆ど入れ替わりよね。……11の頃よ。あいつが変わったのは。あの傷と一緒にね」

 

 傷と言われて、箒は一夏の顔を思い浮かべた。左のこめかみから顎あたりにかけて縦一直線に刻まれた傷跡。

綺麗な縦線でもなく、まるで引き裂いた紙の破り口のようにギザギザとした紋様は、姉譲りだろう鋭さを持つ目つきも相まって見る者に威圧を感じさせる。

 自己紹介の時に事故によるものと言われ、あまり詮索するのも憚れる気がしたために特別問うたことはないが、まさかそれが関わっていたのか。

 

「11、ううん時期的にあいつの誕生日前だから小5の夏休みの後だったわね。学校に来たあいつの顔にさ、包帯が巻かれてたのよ。

夏休みの時にちょっとした事故に遭ったって。顔に切り傷だけで済んだって言ってたけど、包帯取れてみたらみたであの傷跡だもの。さすがに驚いたわ。

ただね、そのあたりからあいつは急に変わったのよ。トレーニングバカに磨きが掛かった感じで、なんて言ったら良いのかしらね。何も見えてない、ううん。見えてる。ただ、何か一つだけを見て他に目もくれない。そんな感じだったわ。

別に友達づきあいが悪くなったとかってわけでもないけど、いつも一点しか見てない感じ。何も言えなかったわよ。なんだか、言うのが怖くてね。んでもって中二の中頃、知ってるでしょ? 千冬さんの引退。

あのすぐ後にいきなり転校してそれっきり。あたしも家の都合で中国に戻っちゃって。それで向こうで候補生になって今にってわけ」

 

 その言葉を聞いて箒は、鈴もまた一夏の変化に戸惑いを感じているということを理解した。そして、それでも想いを抱いているという、自分と似通った部分があることにも。

だが、自分と彼女では一つだけ、確実な違いがある。彼女がそれらをある程度前向きに受け止めていることに対し、自分は鬱屈した思いを溜め込んでいることだ。

今もそう。同じようでありながら、前向きな姿勢をとれる鈴の姿、それが羨ましく思え、同時に自分への鬱屈が積み重なっていく。負の想念が溜まるばかりの自分に、さらに嫌気が差していく。

 

「正直、あいつについて今更どうこう言っても仕方ない気がするのよね。本気であいつが欲しけりゃ、あいつに選んで貰えるようにしなきゃならない。自分との勝負みたいなもんよ、これ」

 

 言って鈴は立ち上がる。既に夕日のオレンジ色が空を染めており、そう遠くない内に日も暮れることが予想できる。

 

「そろそろ戻りましょ?」

 

 その鈴の言葉に箒も軽く頷くと立ち上がる。だが、箒の心に立ち込める暗雲は依然として晴れないままだった。鈴の語った一夏の心の向く先。それに箒は何となく心当たりがあった。

 更識楯無、一夏の旧知にしてセシリアとの試合まで一夏のISコーチをしていた彼女に他ならない。

試合後も練習相手に誘うつもりがあったなど一夏の直接の言などがあったとはいえ、明確な証拠の下に断言をするわけではない。だが、直感的にそうなのではないかと箒は当たりをつけていた。

知らず手を強く握りしめる。一夏は己に特別な思いを抱いている様子はない。そのくせ、彼の周囲には高いステータスを持った人間が集う。かつての繋がりの剣道も、今の繋がりのISさえも。

自分への無力、そのことへの怒りで小さく震える彼女の手は、その前を歩く鈴には見えなかった。

 

 

 

 

 

 

 ところで、二人の乙女が互いに己の恋模様に悩んでいたころ、その一夏は何をしていたのか。

何故か、壁に背を当てて潜入工作をするスパイのように慎重な足運びで校舎の廊下を歩いていた。当初の予定では鈴が彼の行方を聞いた生徒が言った通り、いつも通りアリーナでISの自主練をするつもりであった。

一夏にとっては珍しく習得の手強さを感じたPICのマニュアル操作も、ようやくそれなりの感覚を掴めてきた頃合いなので、少し高跳びしてマニュアルでの不規則な機動変化をやってみようと思った頃合いだった。

 鼻歌を歌いながら廊下を歩いていた一夏。だが、その足を別方向から聞こえてきた一つの会話が強制停止させたのだ。

 

「今日も練習?」

 

「うん……。対抗戦、近いから……」

 

 会話から察するにどこか別のクラスの代表を務めている生徒と、その友人の会話だろう。そういえば自分と鈴以外のクラス代表についてはあまり知らなかったなと思った一夏は、歩きながらもその会話に耳を澄ませていた。

 

「そういえば専用機、できたんだって? 良かったじゃない。一組と二組は代表が専用機持ちだし」

 

「ありがとう。最初はどうなるかと思ったけど、何とかなった」

 

 専用機。その単語を一夏は聞き逃さなかった。現在学園の専用機持ちは一夏、セシリア、鈴、神無、そして少し前に真耶より聞いたもう一人の二年と三年に一人。最後に四組の代表。そして先の言葉から察するに、会話をしているのは恐らく四組の代表。

 さてどうしたものかと思う。このまま練習に行くのも良いが、折角だからこれから戦うことになるかもしれない他のクラスの代表の顔でも拝んでおこうかとも思った。

相手について事前の情報はあった方が良い。無いなら無いで緊張も良い具合に増すというものだが、やはり堅実な路線を選ぶのがベストだろう。時間にもまだ余裕はある。

 

「じゃあ、私はこっちだから。頑張ってね、更識さん(・・・・)

 

(なん……だと……!?)

 

 一夏の表情が緊張に強張る。今何と聞こえたのか? 一夏は自問する。自分の耳が馬鹿になっていなければ、確かに更識と聞こえた。

間違いなく名字だろう。名前にしては珍妙に過ぎる。そして、名字にしても極めて珍しい。

 

(そういえば昔、妹がいるとかって……)

 

 学園で再会してからは互いの近況だったり、IS絡みだったり、ちょっとした思い出話だったり、そのような内容の会話ばかりであったが、かつて共に師の下に居た時は互いの家族について話したりもした。その時に、妹が居ると言っていたような気がする。

この時になるまでまるで思い出さなかったことに首を傾げるが、五年の昔のほんの一瞬のことなら致し方ないかとも思う。

 そして、今重要なのはそこでは無い。いずれの対戦相手も確認も兼ねて、しかとこの目で確認をしておかねばならない。そう思うや否や、一夏は早歩きで声の方へと向かって行った。

 

 そして今に至る。なるべく気付かれないように気配を殺し、廊下に張り付くようにして静かに、しかしなるべく早く進む。声のした方向は分かっている。もうすぐにでも、恐らくは後ろ姿だろうが確認をするはずだ。

そして廊下の曲がり角に差し掛かった一夏はそっと先を確認して、目を見開いた。

 

「い、いないだと……!?」

 

 視線の先には誰一人として居ない廊下が広がっていた。しばし呆然とするが、すぐに首を横に振って思考を正常に戻す。

 

(ちょいまてやコラ。俺は確かに正確に後を追ったはずだ。間違いなくこっちに来たはずだろ。どういうこっちゃ、オイ)

 

 自慢ではないが、人の気配にはそれなりに鋭い自信がある。逆に自分の気配を殺すことにも自信があるため、その気になれば個人の尾行もそれなりにできる自信はあった。

なまじ自信があったからだろうか。予想もしていなかった事態に、一夏の思考は徐々に混乱をきたしていった。引き攣った表情のまま、一夏は携帯電話を取り出す。

二つ折りタイプのそれを開き、何かのボタンを押してコールも何もしないまま、それを耳に当てる。

 

(俺だ! CTUのワンサ・マウアーだ! 尾行中に機関の妨害とおぼしき精神攻撃を受けた! やつら、我々の狙いを感づいたに違いない! 至急増援を――何ぃ? 10分かかるだと? 5分でやるんだぁ! あぁすまない、時間が無い。まぁた掛け直す! エル・プサイ・コングルゥ!)

 

 色々とごちゃまぜになった、はっきりと言って滑稽極まる思考状態になった一夏は、そのままそこに立ちつくしていた。そして、状況に流されて悪乗りしていた節もあるのだろう。

だからこそだろうか。いつの間にか自分に近寄っている存在に、彼は気を割くことができなかった。

 

「なに……やってるの?」

「フォォォォォウ!?」

 

 不意に後ろから声を掛けられたことで思わず一夏は驚きの奇声を上げる。むせたのかしばし咳き込むと、ある程度落ち着き払った様子で後ろを向く。

視線の先には一人の少女。制服の胸元のリボンの色から察するに学年は一年。癖が内側に向いたセミロングの髪とノーフレームの眼鏡が特徴的だ。

 そこで一夏は気付く。先ほど彼女が自分に掛けた声。それが『更識』と呼ばれた少女のものと同じということに。

 

(じゃあこいつが神無の……)

 

 そう思って見れば、確かにその顔立ちには彼女と似通った部分がある。ただ、彼女と違う点があるとすれば彼女は常に明朗快活な雰囲気を纏うのに対し、目の前の少女は物静かな、彼女と見比べてちょうど太陽と月と形容できるような雰囲気を纏っている。

 

「で、なに? 織斑一夏」

「お、織斑一夏? 誰だそいつは? 俺は狂気のマッドソルジャー、朱雀院 凶魔で――」

「厨二病乙」

「すんげぇストレートに言ってくれるなオイ。なかなかのS」

 

 悪乗りしすぎた自分にも問題があると言えばそうなのだが、何の飾りもなくバッサリと切り捨てにかかるその姿勢に、一夏も苦笑いを禁じ得ない。ただ、そういうストレートな物言い自体は、一夏も嫌いではない。

 

「あ~ゴホン。わりぃ、ちょっとふざけた。んで、君誰?」

 

 誰と問うたものの、名字が更識ということはとうに知っている。知りたいのはその下、つまりは名前である。

 

「更識簪。で、なにやってるの?」

 

 名前だけを簡潔に告げると、簪は改めて一夏に何をしていたのかを尋ねる。言葉に余計な飾りはつけない。用件だけを言ってくる簪の言葉にはまるで機械染みた無機質さを感じる。

だが、その無機質さが逆に一夏にも落ち着きを取り戻させる。気を取り直すように軽く咳払いをすると、素直に簪の問いに答えることにする。

 

「あ~いやさ、廊下歩いてる時に『更識』と聞こえてな。つい反応を……。そうか、妹が居るって聞いてたけど、お前か……」

 

 納得したような声を漏らす一夏の姿を見て簪が僅かに目を細める。僅かな不満と、そして一夏同様の納得を含んだ眼差しだった。

 

「そう。あなたが、お姉ちゃんと知り合いって、本当なんだ……」

 

 その声はとにかく無機質。完全に第三者として見ているかのような、徹底した外側からの俯瞰を感じさせる静かな声音だった。

実の姉に関することを語るにしては少々無感動ではないかと思うが、よくよく考えれば自分も姉がらみのことでは、時に自分には無関係とあっさり切り捨てることもあるため、そこまで不思議なことではないかと自分を納得させる。

それよりも気になることがある。

 

「ちょっと話が聞こえたんだけどさ。もしかして四組の代表で専用機持ちって、お前?」

「そうだけど……何か?」

「あぁいや、もしかしたら戦うことになるのかなって。それに、専用機とかも気になるし」

 

 その言葉に簪は無言で己の首元に手を当てる。そこには紐で下げられたペンダントのようなものがある。だが、目を凝らせばそれがただのペンダントではないことが分かる。

色彩の基調となっている灰白色は女子が身につけるアクセサリーとしては少々似つかわしくないように思える。それだけではない。一見すれば角柱のように見えるが、細部には所々機械めいた金属質を感じる部分が見受けられる。

そこまで見て取って理解した。このペンダントこそが彼女の専用機、その待機形態に他ならないと。

 

「打鉄弐式。打鉄の後継機」

 

 それだけ言って簪は立ち去ろうとする。その背を追って一歩踏み出そうとする一夏だったが、それよりも早く簪が背中越しに声を投げかけてくる。

 

「試合、戦うことになったら、負けない。たとえお姉ちゃんが鍛えて、第三世代型を持っていても。勝つのは……私」

 

 静かながら断固たる意思が秘められた言葉に、一夏は足を止めてその場で簪を見据える。その目は先ほどまでの彼女同様に細められている。

 

「へぇ……」

 

 面白いことを言う。そう言わんばかりの一夏の眼差しではあるが、簪は一切動じない。そして、簪は首だけを回して一夏と視線を交える。

 

「……言っておくけど、君に勝つことはどうでもいい」

「その心は?」

「もっと、勝ちたい人がいる」

「そうか、奇遇だな。俺も、お前は踏み台の一つくらいにしか思っていない」

 

 この場が荒野であれば風が砂塵と共に二人の間を吹き抜けただろう。そのような錯覚を抱くほどに、二人の間には瞬間的に緊張が高まっていた。

互いに刃を携えていたのであれば、ほんの何かの拍子に抜き放ち斬りかかるように。二人を見守る者は誰一人としていない。だが、居たのであれば緊張に固唾を飲むことは必定だ。それを抱かずに悠然たる姿勢を保てる者がいるのであれば、それはこの二人よりもなおも強く、そして胆力に溢れる者だろう。

 

(面白い)

 

 怜悧な無表情を崩さないままに、一夏は心の内で小さく笑う。

このように自分が無言で見据えた場合、大抵の者は慄き一歩引く。こればかりは別に望んだわけではないが、稽古を受ける内に師の色が移ったのか、いつの間にか人を威圧する心得を体得してしまっていた。そしてそれに拍車を掛けているのが、もはや語るまでもない傷跡である。

 だが、それを前にして簪は微動だにしない。やはり『更識』は伊達ではないのかと思う。いや、今この場で生まれた家など詮無いこと。重要なのは、目の前の少女が歯ごたえのある相手足りうるということだ。

 

「じゃあ、試合でぶつかるのを楽しみにしているよ。俺も、これから練習だ」

 

 そう言って一夏はクルリと背を回して立ち去る。それに合わせて簪もまた歩みを再会する。二人の距離が離れるのに、さほどの時間もかかることは無かった。

 

 

 

 

 

 歩きながら簪は思考する。

織斑一夏。かつて姉と共に一時の修練を共にした少年。そして世界唯一のIS操縦者にして、あらゆることに秀でる姉が、厳然たる差を感じさせる一族の前の長である父が、こと武芸では敵わないと断言する男の唯一の弟子。

だが、そのようなことは瑣末事。問題なのは、彼が姉と浅はかならない関係にあるということだ。

 今でもよく覚えている。ちょうど五年前あたりから。次期当主としての訓練に励む姉の姿勢が、半ば鬼気迫るものになったのは。自分には常に笑顔を見せていた。だが、どこか余裕を失くしたようなその姿は隠しきれずにいた。

そしてひょんなことから、その要因の一端に彼が関わっていると知った。それもつい先日であるが。

 簪は姉の持つ高い能力に嫉妬している。だが、同時に敬意を抱いていもいる。だからこそ興味深い。あの姉にそれだけの影響を与えた彼が。

日本の代表候補生となり専用機を受領した彼女だが、その専用機の開発過程で研究職も自分には合っているのではないかと思った。機体の開発元の倉持技研――白式の開発元であり当初は白式開発のために一時は簪の機体の開発がストップしそうになったが、どういうわけか開発が無事に済んだ――にて開発に携わった時、漠然ながらそう思ったのだ。

打鉄弐式は未だ完全ではない。ハード面、システム面の双方で完成はしているが、まだまだ改良の余地は十分にある。そのための学園での運用によるデータ収集だ。基本的に倉持の技術者の協力を得たうえで行うそれらだが、自分一人でやるのも悪くは無いと思っている。

 そのような気質に気付いただからだろうか。一ISパイロットとしての対抗心もある。だが同時に、幾ばくかの興味も持ったのだ。自分が見たことのない、新しく思える存在に。

 

「面白そう」

 

 他でもない好奇心を。もしも試合で戦うことになったら確かめよう。この興味が正しいのか否かを。そして勝とう、糧にしよう。彼女に勝つために。

 簪は歩く。僅かに昂りもしない心のまま、ただ目的とすることを再認しながら。

 

 

 




 とりあえず本編の方が一段落したのでこちらを更新します。で、せっかくなので頑張ってこっちの続きを書いてみようかなぁとは考えています。
 さて、どうしましょうか。劇中での出来事とかは殆ど本編と同じわけですから、省けるところは何とか省いてスマートにやりたいと思います。バトルも然りで。
なにせメインヒロインが居る話ですからね。主人公とヒロインのそこらへんを、もっと頑張りたいです。
しかしこれ、話終わらせる予定の地点までにやっておきたいこと全部できるのかと不安にもなったり……

 とりあえずは皆様、また次回の更新の折に。
感想はお気軽にどうぞ。えぇ、なんだったら多すぎててんてこ舞いもどんと来いです


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