ゼロと黄金の使い魔 (マッキ)
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圧倒するものされるもの

書き続ける予定ですが、まず皆さんの反応を見たいなと思いまして。
ガッと書いた試作のものをバッと載せてみました。

あとすいません! 獣殿すいません!
あのトゥルーエンドの獣殿の独白を見てこれを書くのは、貴方にとって冒涜になるのでしょうが、許して下さい! 書きたかったんです!


 空は青く、雲は入道雲のように高々と。青々と緑の草が茂る草原は実に牧歌的な風景がどこまでも続いている。

 

 鳥は木々で囀り、動物達が木々から顔を出してある一点を覗いていた。彼らの視線の先には石造りの城があった。だがそれは造りだけであり、正しく言えば学院だ。

 

 名を、トリステイン王立魔法学院。

 

 その本分は貴族に対する魔法と礼儀作法の教育機関である。堅牢な城壁は、生徒である貴族の子弟を守る意味合いがあるためだ。

 

 ともかく、動物達が見ているのは城ではなく、正しくはその手前。学院の城壁の外にある開けた平野に立つ、一人の少女であった。彼女が何かを言葉にして杖を振ると――衝撃。

 

 ドガン。空気を震わす爆発音。これで何度目だろうか、音に驚いて鳥達がまた羽ばたいた。

 

 だが彼女を見ているのは動物達だけではない。少女を囲むように、生徒達がいた。見守っているようにも見えるが、耳を傾ければ聞こえてくるのは罵声ばかりだ。

 

 そんな罵声の中心点にて爆心地。

 黒煙が晴れると、そこにはピンクブロンドの髪を揺らしながら咳き込む美少女。それを見てまた嘲弄や罵声が飛ぶ。

 

彼女の名前はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。トリステインだけでなくこのハルケギニアでは知られた名門ラ・ヴァリエール公爵家の末娘であった。

 

 

 

 

「一体何回爆発させれば気がすむんだよ! ゼロのルイズ!」

 

 罵声。ギッとルイズはその声がした方を睨んで怒鳴り返そうと何度か口を開閉させ、結局何も言わないで顔を戻す。

 

 その言葉は、誰よりも彼女自身が思っている言葉だったから。

 

(一体これで何度目よ!?)

 

 使い魔の召喚。失敗は三十を越えた時点で数えるのは止めた。そんなことに集中力を傾けるのは無駄だし、なにより虚しすぎる。失敗を数えるなら、未だ果たせぬ成功に目をむけた方が何万倍もマシだ。

 

「こ、今度こそ……ッ!」

 

 何十回目の今度こそ。杖を振るい、強く強く思って呪文を唱えた。一際強い爆発。

 

「お願い……ッ!」

 

 爆発の煙が晴れるが、そこには彼女が望んだ使い魔の姿はない。ただ地面が吹き飛んだ光景のみ。

 

「もう諦めりゃいいのに」

 

「ゼロはなにやったってゼロだろ」

 

「あいつ、本当にヴァリエールの人間かよ、もしかして――」

 

「――おい。それはまずいぞ」

 

 

〝あいつ、本当にヴァリエールの人間かよ、もしかして――〟

 

 

 耳に届いた、その言葉。

 

「――――ッ、ぅ」

 

 それに、気丈に振る舞っていた彼女の顔にヒビが走る。宝石のような瞳が、水面に映る双月のように揺らぐ。

 

 そうだ。

 

 母は無敵のスクウェア。上の姉は研究員で魔法はさほど得意としないが、きちんと魔法は使える。下の姉も魔法は使えるが、体が弱いせいであまり使えない。

 

 自分だけだ。

 

 自分だけなのだ。

 

 座学で良い点数を取れても、魔法は失敗ばかり。何も言い返せない。

 

 周りが爆心地に目を向けている最中、ルイズは誰にも見えないよう目元を拭った。濡れた袖が忌々しい。こんな事で涙を流すなど誰かに――特にツェルプストなんかに知られたら、一生の笑い者だ。

 

 幸い、生徒達の中でそれを見ている者はいなかった。ただ近くにいた教師のコルベールだけが気付いていた。

 

「……ミス・ヴァリエール。貴女はよく頑張りました。ですが、これ以上は――」

 

 ただ、貴女が傷つくだけです。

 

 そんな、慰めにもならない言葉を飲み込み、伸ばした手はルイズの手で払われた。目にはもう涙はない。不安に揺れながらも諦めていない、強い眼差し。

 

「お願いです!ミスタ・コルベール!あと一回。あと一回だけチャンスを下さい!」

 

 懇願する様な声色。コルベールは出した手をどうするか一瞬考えた。引くか、伸ばすか。

 

「…………」

 

 手は――伸びた。ぽん、と肩に置かれる手に、ビクリと竦ませる。コルベールの口が開くのを、死刑宣告を受ける受刑者のような面持ちで見て――

 

「……ミス・ヴァリエール。君は何を思って使い魔を呼んでいるのですか?」

 

 呟かれた言葉に、思わず首を傾げた。

 

 何を思って?

 

 そんなの、決まっている。

 

「……私に相応しい使い魔、です」

 

「では、君に相応しい使い魔とはなんですか?」

 

 言われて最初に思い浮かんだのは、母が引きつれていたマンティコア。

 

 無敵、無双、最強(あと最恐)の名をほしいままにする母に相応しき使い魔。ルイズが見てきた中で、最も雄々しく、強いと思った存在。

 

「ミス・ヴァリエール。見えない何かに強く望むのではなく、明確な形にして望んでみなさい。そうすれば、きっと成功する筈です」

 

「――はいッ!」

 

 強く頷くルイズを見て、コルベールは下がった。伝えはしなかったが、これが最後。これで駄目であったのなら、彼女は召喚の儀を失敗――留年となる。

 

 成功させてほしい――コルベールは心からそう思う。多くの嘲弄の的にされながらも決して折れずに努力するその姿勢は、彼であっても見習いたいと思える程に美しいものだから。

 

「……頑張りなさい、ミス・ヴァリエール」

 

 目を閉じて集中する小さな教え子に、小さく呟いた。だがそう思っているのは彼だけではない。

 

 彼の背後、褐色の肌を持つ赤髪の美女は、真摯な目で自らのライバルを見つめていた。

 

 侮蔑の色など無い。そんなものはありえない。あるのは期待と不安が入り混じった二色の色。この場で、この学園で、彼女ほどルイズを認めている人間はいないのだから。

 

 隣には青い少女。ルイズよりも小さい背丈をした彼女は、周囲のように笑うでもなく、教師や隣の美女のように期待と不安も抱かず、ただ無心な瞳で見つめている。

 

 感情(フィルター)のない青い瞳は、真っ直ぐに。ただ目を閉じて詠唱を始める同級生を映す。

 

「宇宙の果てのどこかにいる私の僕よ! なによりも神聖で美しく、そして強力な使い魔よ! 私は心より求め、訴える!我が導きに応えよ!!」

 

 唱える呪文は変わらない。だが心に思い浮かべるのは有象無象ではなく明確な形があった。

 

 それは獅子だ。神聖で美しく、そして強力な使い魔を!

 

(これで……ッ!)

 

 詠唱を終え、思いっ切り杖を振り下ろす。爆発。かつてない規模の大爆発だ。

 

 それだけ籠められた思いが強かったのだろう。爆発の余波はコルベールだけでなく、離れて囲っていた生徒達にも被害が及ぶ程であった。

 

 生徒達は悲鳴をあげながらルイズに罵声を送り、コルベールは吹っ飛ばされた眼鏡を探していた。

 

 そうして彼女の渾身の爆発によって姿を現したのは――

 

「……なにこれ?」

 

 鏡であった。獅子の細工が施された姿見である。

 

「……えっ、もしかしてこれが使い魔?」

 

 ふよふよと浮かぶ姿見は、うんともすんとも言わない。当り前だ、言ったら驚いて爆発かます自信がある。

 

 ……無機物って、使い魔になるのだろうか?

 

「…………」

 

 数秒考え、即却下。自分にはもっと相応しいのがいる筈である。マンティコアとか、グリフォンとか、竜とか。

 

 爆発の被害を受けて戻って来た生徒達は、ルイズが召喚した鏡に驚きながらも、すぐに馬鹿にしたような言葉を送る。

 

 さすが、ルイズ。召喚もまともにできやしない! などなど。

 

 ルイズも今度ばかりは同意だ。こんなのまともな召喚じゃない。

 

 そうして眼鏡を掛け直したコルベールの方に振りむいた。

 

 ――もう一度、やり直させて下さい!

 

 そう言おうとした。

 

 そう、言おうとしたのだ。

 

 

 バギン!

 

 

 その音がするまでは。

 

 ――ぇ?

 

 小さな、本当に小さな声が、呟かれるように漏れた。ルイズからではない。離れた生徒達の方からだ。

 

 そんな音さえ届く程に。

 

 今、この瞬間。全ての音が消えた。

 

 鳥のさえずり、草木のざわめき、人の声。

 

 全てが消えている。

 

 否。消えたのではない。

 

 押し潰されていた。

 

 何に?

 

 

 ビシンッ!

 

 

 鏡から放たれる、圧倒的な存在感に。

 

 いや……鏡からではない。鏡の奥から迫る、何かに――!

 

 見れば、鏡は割れていた。音を立てて崩れていく。まるで、内側から圧迫されるように、仰け反り軋ませる。姿見だけでなく、獅子の細工にもヒビが走った。

 

 そして損傷が限界に達した瞬間、鏡だけでない、もっと別の――例えにしてもおかしいが、世界が割るような音と共に、ルイズの爆発など比べるべくもない閃光が周囲を包んだ。

 

「――ッッッ。……もう! なんだってい…う……の――」

 

 言葉は半ばで消えていた。桃色の瞳はありえないものを見たかのように大きく見開き、鏡があった場所を凝視している。他の面々も同じだろう。

 

 忘却。彼らの状態を指すのであれば、まさにそれが当て嵌る。意識は空のまま、ただ視線だけは、無理矢理固定されたかのように動かない。

 

 黄金の長髪は、王者を示す獅子の鬣の如くたなびき。

 

 彼らを見回す黄金の双眸も、やはり王者のように。

 

 

 今、ここで断言しよう。

 

 

 ここにいる全ての者は、これよりどれほど波乱に満ちた人生を送ろうとも、目の前の男には色褪せる。

 

 この世のなによりも鮮烈であり華麗。強大にして荘厳。神聖さえ感じるほどに――恐ろしき、黄金の人型。

 

 目を焼き、魂を焦がす。黒い太陽のような偉丈夫。黒太子。

 

 

 人に――非ず。

 

 

「――ふむ」

 

 視線を一周回し、王者のような男は視線を前に戻した。黄金の瞳に映したのはルイズ。

 

(――あ)

 

 目が合った、その一瞬でルイズは呑まれた。声が出ない。体は石像のように動かない。息が詰まるような重圧が彼女の小さな身に降りかかる。がくり、と膝を曲げる。そしてそのまま頭を垂れ――

 

(――違うッ!)

 

 刹那、彼女は自らを取り戻した。地面に着こうとした膝を杖で叩き、一歩前に出て立ち上がる。称えられるべき精神力。喝采されるべき胆力だ。他の生徒たちは腰を抜かし、膝をつき、コルベールすら膝を曲げている中、ルイズだけは立ち上がった。

 

 ――傍から見れば二人の王者に頭を垂れる、民衆の様。

 

 彼女が自らを取り戻せたのは、強い自負。目の前の存在がなんなのか分からない。怖い、凄く恐い。触れられただけで壊される様を幻視する――だが、それがどうした!

 

 あれは鏡から出てきたのだ!

 

 ならば、私が召喚したのだ!

 

 なら、あれは――あれは――私の……私がッ!

 

 私が呼んだッ! 私の――私の――僕だッ!!!!

 

 ビリビリと肌を叩く視線の圧力を浴びながらも、ルイズは怯まず、真っ直ぐ、背筋を伸ばして見据える。何よりも、誰よりも王者のような男を。

 

「アンタ、誰?」

 

言葉にするだけなのに、酷く億劫だ。砂漠に放り出されたようにカラカラと喉が渇く。だらだらと冷や汗を流しながらも、それでも顔だけは、おくびにも怯えを見せず。

 

 長身の男はもう一度「ふむ」と頷いた。納得するような響きを載せて。

 

「私の名は、ラインハルト・トリスタン・オイゲン・ハイドリヒ。よければ、卿の名をお聞かせ願おう」

 

 男、ラインハルトは名乗り、足を前に一歩踏み出した。距離が詰まる、同時に圧力が増す。けれど負けない、負けてなるものかッ!

 

「――る、ルイズ。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールよッ!」

 

ルイズも負けずと足を前に出す。二歩、三歩。ラインハルトの一歩と同じ分だけ前に出る。それをラインハルトは、嬉しそうに頷いた。

 

「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール……良い名だ。そして――良き目もしている。ではミス・ヴァリエール。無粋であると承知で問おう」

 

 言って、空を見上げた。黄金の瞳に映るのは二つの月。彼がいたであろう世界では、ありえぬ光景。だというのに、彼には幾程の驚きもなかった。ただ、笑みを深くした。

 

 視線を降ろす。

 

 

「ミス・ヴァリエール。卿は私の……なんであろうか?」




 獣殿、超圧倒。

 ルイズ、本当はチビらそうと思ったのになんかカッコよくなってしまったよ。

 獣殿は人間ですよ、ちゃぁんと人間ですよ。魔人じゃないですよ。魔人錬成状態だったら召喚と同時にみんな死んでますし。

 あと、契約してもいないのになんで喋れてんの? と突っ込むのはやめて。

 どう考えても、ルイズが無理矢理ラインハルトに口づけできるとは思えなかったのです。

 身長的にも、度胸的にも、格的にも。

 あと獣殿のニ人称は<卿>だけど、あれって男や、下の者に対して使うんだよね。ルイズに使うのはどうなのだろうか、いや使った方がいいというのなら、使うけど。うぅん、獣殿が貴女なんていうとすっごい違和感。読者の皆様はどう?


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獅子を従える者の資格・上

長くなりそうなので上下に分けた。



――卿は私のなんであるか?

 

 貴族よりも貴族然。王者よりも王者然とした男の問いに、ルイズは即答することが出来なかった。

 

 彼は私のなんなのか。

 

 論ずるまでもない、使い魔だ。だって、彼は彼女の召喚によって呼びだされた鏡から出てきたのだ(多分)。……多分と付くのは、その瞬間は見ることは叶わなかったからだが。

 

 とはいえ、彼がルイズの使い魔であるのは間違いない。サモン・サーヴァントによって呼びだされたのだから、それは使い魔だ。

 

 ……人間が召喚されるのは、前代未聞だけれど。

 

 だが、それよりもルイズが即答できなかった理由は別にある。

 

 単純に言って……偉そうなのだ。

 

 そう、目の前の男が偉そうなのだ。

 

 いや――偉いのだろう。血筋もそうかは知らないが、その身から放たれる気配は王者のそれだ。これが平民だと言われて誰が信じると言うのか。貴族という尊い言葉も、目の前の存在には似合わない。王者の二文字がこれ以上なくしっくりきてしまう。

 

 そんな存在を、使い魔にして良いのだろうか……?

 

 魔法を満足にも使えない自分が、こんな男を従えていいのだろうか?

 

 いやそもそも……従ってくれるのか?

 

 覇王と呼ばれても遜色ないこの男は、半端な自分を主として見てくれるのか……?

 

 一秒、二秒。ついには十秒。

 

 ラインハルトとルイズは睨みあい、互いに一言も発しない。いや、ラインハルトが口を閉じているのはルイズの答えを待っているからだ。

 

 けれどルイズは、目の前の存在が使い魔になってくれるだろうかという不安と迷いに言葉を紡げない。

 

 その間に立ちあがったのは、早い順にまずコルベール。流石は教師というべきだろう。ラインハルトから見えない位置で杖を抜き、いつでも行動をとれるようにしている。

 

 ついで生徒の青髪の少女と赤髪の美女だ。他の面々は未だ呑まれて放心している。

 

 そうして二十、三十と時は過ぎ、ラインハルトが口を開こうとしたのを見た瞬間、ルイズは腹を決めた。

 

 ヤケクソになった、とも言う。

 

「アンタは! 私の使い魔よ! この私が召喚した使い魔!」

 

「ほぉ……」

 

 感心したような声。ルイズの姿勢にか、その言葉にかは分からない。

 

 ただ。

 

 ラインハルトから放たれる威圧が、更に増したことだけは確かだ。

 

「――ッッッ!?」

 

 もはや暴力。一点に絞られた威に、ルイズは汚泥の底に放り込まれたような感覚になった。取り戻した筈の感覚が消えていく。手足が痺れ、呼吸さえも覚束ない。崩れる体、どれだけ彼女の意志がそれを否と訴えてもどうにもならない。

 

 そして膝をつく瞬間――

 

「お取り込み中の所失礼します」

 

 ルイズの小さな肩を、コルベールが掴んだ。ラインハルトの黄金瞳がそちらへと移る。

杖を下に向けている。戦意がない事を示しているのだろう。片腕にルイズを抱き、もう片方の腕も垂れている。降参の意志表明。

 

――そんな言葉の皮を被った、臨戦態勢。

 

軍人として最たる境地に在るラインハルトは、彼の所作が軍人のそれだと一目で判断した。無抵抗にも見えるその姿勢は、獲物に跳びかかる為の前傾姿勢。一瞬にして獲物の喉元を食い千切らんとする蛇のそれ。

 

 対して、ラインハルトは全くの無防備だ。意識も姿勢も重心も、何一つ変わらない。変える必要がないのだろう。それは油断でもなんでもない。なにが起ころうと、起こった後で対処出来るという、ある種傲慢とも言える自負が、彼にはあった。

 

「貴殿は?」

 

「……私は、あそこに見えるトリステイン王立魔法学院で教鞭を執っておりますジャン・コルベールと申します。ミスタ・ハイドリヒ。いきなりの事でお怒りは御尤ではありますが、まずは事情を説明させて頂きたく……彼女と、私達の話を聞いてもらいたいのです」

 

「構わん」

 

「……ありがとうございます。私達は貴方を害する意志はありません。ですのでそちらも、私達を威圧するのは止めていただきたい」

 

 言葉に、ラインハルトは僅かに首を傾げた。そして。

 

「威圧? ――あぁ、なるほど。理解した。どうやら知らぬ地に呼ばれ、些か気が緩んでいたようだ。非礼を詫びよう。ミス・ヴァリエール。ミスタ・コルベール」

 

 言葉と共に、辺りを包んでいた圧迫感が和らいだ。消えたわけではないが、それでもまだ恐い、と感じられる程度だ。物理的な圧力は消えている。

 

 同時に、ラインハルトの背後から幾つもの溜息が洩れた。

 

「では、話とはどこでするのかね? 流石にここで論を交えるのは、後ろの子らにも迷惑がかかろう」

 

「……感謝します。それでは、学院長室まで案内致します。その前に生徒達を解放しますので、暫しお時間を」

 

「無論だ。教師が優先すべきは生徒の安全であろうしな」

 

 そしてコルベールは生徒達を先に教室に帰した。と言っても、ほとんどの生徒が声をかける前にいなくなっていたが。逃げるように空を飛ぶ生徒達。ラインハルトはそれを一瞬、興味深そうに睥睨したが、すぐさま切った。

 

 そして視線の先は――

 

「…………」

 

 一人残った、彼を使い魔だと叫んだ少女。

 

「…………」

 

 ルイズは、ラインハルトから一度も視線を切らずにいた。

 

 コルベールに肩を掴まれた時も。

 

 ラインハルトが威圧を解いた後も。

 

 視線を切った後も。

 

 ずっと、ずっと。

 

 自分が召喚した男を、ずっと見ていた。

 

 

 

 場所は変わって学院長室。

 

「……なんつー男を連れてきたんじゃ」

 

 そんな言葉を吐いたのは、トリステイン王立魔法学院の学院長。オールド・オスマンその人である。

 

 口にした言葉は隣に立つコルベールに言った言葉であるが、内心では黄金の男の隣に立つルイズに向けた言葉だった。

 

 三百年生きたとも謳われる魔法使い、オールド・オスマンでさえ、目の前の男には圧倒させられる。

 

先のようにラインハルトは無暗矢鱈に威を発していないが、長い時を生きたオールド・オスマンは一目でその人間を見極められるという自負があった。

 

 だがそんな経験に頼らずとも、このラインハルトという存在が別格であるのは瞭然だった。今まで会って来た王族貴族、この男と比べてしまえばただの『ごっこ』だ。

 

「申し訳ありません。召喚の儀とはいえ、私達だけで進めるには些か……」

 

「分かっておるよう、そんなことは」

 

 泣き言のように言うコルベールに、湿った声で返すオスマン。

 

 分かっている。よく慎重になってくれたと褒めてやりたいくらいだ。目の前の男は、どう見ても高位にいる人間。そんな相手に無礼を働けばどうなるか、考えるだけでもう嫌になる。そして、そんな人物を使い魔召喚で召喚したという。

 

 そしてその召喚した本人は、目の前の人物に「お前は使い魔だ」と宣言したらしい。

 

「――――」

 

 気が遠くなるとはこの事か。なぜ、今この時、ロングビルのお尻がないのだろう。あったらそっちに逃避するのに。

 

 まぁ、いたとしても出来るわけがないのだが。

 

「まずは自己紹介といこうかの。儂はオールド・オスマン。この学院の学院長をしておる」

 

「私の名はラインハルト・トリスタン・オイゲン・ハイドリヒ。肩書きは多々あるが、第三帝国――ナチス・ドイツ国家保安治安部長官であった」

 

 あぁ、もう名前だけで貴族と分かる――侯爵位だろうか……いやちょっと待て、肩書きが多々あるという不安爆発な発言よりも、その先。

 

「第三帝国……ナチス・ドイツ?」

 

 聞いたことのない国名だ。帝国……という言葉がつくのだから、多くの国を併合する大国なのだろう。しかしそんな国など、オールド・オスマンの耳には一度だって入ったことがない。

 

 嘘? ありえない。嘘をつく理由などないし、嘘をついたとも思えない。

 

 ならば辺境の国だろうか……ないだろう。こんな男が仕えている国だ。小国だなんてそれこそありえない。

 

 思考の海に入ったオスマンを見て、コルベールが聞いた。

 

「ミスタ・ハイドリヒ。国家保安治安部長官とは?」

 

「聞いたことがないかね? 言葉通りの意味だ。我が帝国を支える十二ある機関の一つ。諜報、摘発、排除を主とした機関――そうだな、端的に言ってしまうなら、憎まれ役と汚れ役の兼任した役職の長……といったところか。人に慕われる卿のような立場とは対極に位置する、嫌な役職だよ」

 

 なんでもないように言うラインハルトに、しかしオスマンは騒然。

 

 

――超重要スポットじゃねぇかッッッ!

 

 

 一人だったら本気で叫んでいただろう心の絶叫。顔が引き攣るのが分かる。隣を見れば、コルベールは引き攣るどころか青褪めていた。彼は元軍人。その立場の重要性、危険性、オスマンより遥かに心得ている。

 

 ヤバい。オスマンは自分の認識が甘かったことに気付く。そんな立場の人間を召喚――見方を変えれば拉致・誘拐してしまったのだ。

 

 どれほどの損害、賠償――否、それで済むなら是非もない。宝物庫を空にしてでもなんとかするつもりだ。たとえ恩人の破壊の杖であろうとも。

 

 だが最悪、戦争に発展したら……!

 

 青――というか白くなっていく大人二人に、ラインハルトは声をかけた。

 

「大丈夫かね、ご老体。なにやら気分が悪そうに見えるが」

 

「――――うむ。問題ない」

 

 問題しかないが、あると言える筈もなく。

 

 水を汲み、思い切り飲み干す。胃と共に肝が更に冷えた。それで幾分、冷静さを取り戻す。

 

 そして目を反らしたいが、そうもいかない所を突いていく。

 

「……多々あると言っておったが、他の役職も聞いてよいじゃろうか?」

 

「なぜかね?」

 

「……儂は長く生きたが、獅子の尾を踏むほど耄碌してはおらん。貴殿の尾がはたして何本あるかぐらい、知っておきたいのじゃよ」

 

「なるほど、私は眠れる獅子と。卿の危惧は尤も……しかし語ったところで意味はない」

 

「……そりゃ、どういう意味じゃ?」

 

 これ以上何を乗せたところで、戦争は避けられない。言外にそう言われたようで、肝が氷結地獄に叩きこまれたかのような心地になった。

 

 この刹那が永遠に止まればいいのに――なんて、考えたり――はしない。むしろ刹那に終われ、この会合。

 

「言葉通り、そのままの意味だ。私がどのような立場にいようと、卿らには如何なる影響もない」

 

「…………?」

 

 国を支える支柱――いや大黒柱とも言える人物を呼びだしたのだ。然るべき謝罪、然るべき処置をせねばならないというのに、意味がない?

 

「なぜじゃ?」

 

 最悪の未来は回避出来るかもしれない。そこに行きついたオスマンは幾分血色を取り戻し、

 

 

「それは、ここが私のいた世界ではないからだ」

 

 

 全く予想だにしていなかった返答に頭が一瞬バグッた。

 

 

 

「……それ、どういう意味?」

 

と聞いたのは、今まで口を噤んでいたルイズだ。

 

 ラインハルトは哀愁の篭もった吐息を洩らし、窓の向こうに目をやった。ルイズもその視線を追う。外。視線の先には空の遥かにある双月。

 

「私の国から見上げた空には、月はただ一つしかなかった。月は二つもなく、あれほど近くもない。それは他国から見上げても同じであったよ。……星を跨げば、また違ったのかもしれんがね」

 

「……信じられない。月が一つだけだなんて」

 

「だから異世界だと言ったのだよ。そして、魔法も存在しなかった」

 

 その言葉にはルイズだけでなく、オスマンとコルベールも目を剥いた。魔法がない。そんな世界があるのかと。驚く三人を余所に、ラインハルトの独白は続く。

 

「あったのかもしれないが、私が知る限りでは赤子に語り聞かせるお伽話でしか存在はしなかった。……あぁ、聖杯や聖槍、伝承に語り継がれる遺物は多々と取り扱ってきたが、案内の道中に聞いたフライとやらが使える人も、物も、終ぞいなかったよ。それでも、総統閣下は夢を見続けていたな、愚かな男だ。幻想に縋り、現実から目を――いや、これは私にこそ当て嵌まる言葉か。やれ、どうやら我が帝国には愚者しかいなかったようだ」

 

「では、卿の立場は……」

 

「然り。拠るべき国も、守るべき民も、身を明かす地位さえ失った、流浪の民。さて、どうしたものかな……」

 

 視線を投げた先は己をこの地に召喚したルイズだ。

 

 ビクリ、とその肩が跳ねる。圧迫される息苦しさはない。威圧による重さはない。だが得も言えぬ恐怖が、彼女の体に走った。この世界に国がないからといえ、安心出来る要素など何処にもない。自分が使い魔を呼びだしてしまったが為に、なにか途方もない事が起きるかもしれないという、想像もつかない無明の恐怖。

 

 ルイズが何かを答える前に、堅い声でオスマンが答えた。

 

「送り返す手段は」

 

「無用だ」

 

 返す刀で遮られた。ぽかんと阿呆のように口を開いて固まるオスマン。すぐさま解凍。いやいやと首を振る。

 

「あ~ミスタ。貴殿の肩書きからして、すぐにでも戻らねば問題が起こりましょうぞ?」

 

「問題はない」

 

「なぜ?」

 

「この身は既に、死んだ身だからだ」

 




明日には続き上げる予定。
書いて即座に上げたので、誤字脱字、間違った表現があるかもしれません。ので、間違いがあったら報告お願いします。

獣殿の肩書きって凄いんですよね、ホント。
簡単に挙げると以下の通り。
 ベーメン・メーレン保護領を統治。
 親衛隊大将
 警察隊大将

 わぁ凄い。第三帝国じゃ彼に逆らえる人間はいませんね、総統閣下も逆らえません。というか逆らったら消されていたとも言われてますし。
 更にこの獣殿は超人補正(神の器補正)があるので、まず誰も逆らえない。多分敵も逆らえない。
 この人戦場に放り込めばそれだけで戦争勝てるんじゃなかろうか。史実の方は無理でも、こっちなら。
 普通にスパイ任務やらせりゃ、一日で敵の首脳部制圧してくれるだろうな。


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獅子を従える者の資格・下

こんなのラインハルトじゃねぇ! って思う?
うん、オレも思う。
だが投稿する。だって書いたんだもの。


 語られるラインハルト・トリスタン・オイゲン・ハイドリヒの最期。暗殺を企てられ、退けたものの、その際に負った傷による感染症による衰弱。

 

 壮絶だった。そして最後に彼が付け加えた言葉がそれを更に引き上げる。

 

「弱ったところを、総統閣下の子飼いの兵達に射殺されるとは。我が身が招いた結末とはいえ、なんともつまらぬ幕引きであったよ」

 

 国に忠を尽くし、国の為に汚泥の激流を泳ぎ続け、辿りついた先が裏切りだ。

 

 ルイズは信じられなかった。理解出来なかった。そんな事をする国も。この男がそんな事で死んでしまうことも。なにより。

 

「……ねぇ」

 

 とルイズ。その声は濡れていた。震えていた。喉だけでなく、体も震えてきた。

 

「なんで、笑っていられるのよ……?」

 

 そんな、まるで他人事のように笑っていられるラインハルトが、一番理解出来なかった。

 

「なぜもなに――滑稽ではないか」

 

 訂正。それ以上に理解できないものがあった。

 

「どこが……よ」

 

「無論、全てが」

 

 それは、爆発する自分の感情。

 

「――ッ! 国のために頑張って、色んな悪いことに手を染めても尽くしたんでしょ!? そんだけ頑張って、敵に狙われて、本当は助けてもらわなきゃいけない仲間に殺される! それのどこが――ッ!」

 

訳が分からない。何故だか涙が出た。どうしようもなく、むかついた。悲しくなった。なんだか殴りたくなる。腹を思い切り殴った。痛い、痛かった。それだけだ。無力だ。

 

言葉は続かず、えづく。ひっくひっくと喉を鳴らし、ルビーのような瞳から、涙が零れる。訳が分からない。本当に、訳が分からなかった。

 

 ラインハルトは眉を潜めた。困ったように。初めて、笑み以外の表情を見せた。

 

「泣くかね、こんな男の末路に。止めておきたまえ。私には、その涙を流せる価値はない」

 

「そんな」

 

「その程度の男なのだよ。卿は知らんだろうが、私は私ほど無価値な人間など知らぬし、生きる意味のない人間も、またいないだろう。まだ罪人の方が、生かす価値があ――」

 

「そんなことないッ!」

 

 遮って断言する。そんな筈がない。そんなことがあって堪るものか。ふざけるな!

 

「ええ知らないわよ! アンタの事なんて全然知らないわよッ! だって……さっき召喚したばっかりだもん! 第一印象は最恐だし! 第二印象は理解不能だし! ――でもねぇッ!」

 

 言葉を切って、思い切り息を吸って、思い切り言った――否、叫んだ。

 

 

「私が召喚した使い魔がッ、無価値なわけ――ないッ!!!!」

 

 

 あぁ、もう自分が何を言っているのか分からない。学長室で、先生達に見られて――でも止まらない。決壊した川のように、止める間もなく言葉が出る。感情の波が溢れる。濁流だ。何を考えているのかしっちゃかめっちゃか。

 

 ――だからこそ。

 

「私が何十回召喚に失敗したと思っているのよッ!? 魔法の失敗だって百や千じゃきかないわよッ!」

 

 そこに虚偽など纏う余裕などあろう筈も無く。

 

 

「何千回も頑張って! 何万回も頑張って! 一生懸命勉強もして! 座学でトップを取れても魔法は全然成功しない! 爆発ばっかりで、みんな私を馬鹿にする!」

 

 溢れ出るのは、ただ本音。

 

 

「違うッ! 私は馬鹿じゃない! ゼロじゃないッ! 無能じゃない! 私はヴァリエールの娘だッ! ちゃんと、貴族の血を引く、ヴァリエールの娘だッ!」

 

ただ、ただ本音ばかり。

 

「それでッ、それでッ! ようやく――ようやく成功したのがアンタッ!」

 

 指を指す――というか、叩く。思い切り叩いた。岩を叩いたような感触が手の平に響くが、知ったことではないと言う様に。

 

 叩く、叩く、叩く。

 

「…………」

 

 ラインハルトは口を噤んだまま、涙で濡れる少女を見据える。

 

「そんな、初めての成功したアンタがッ! 自分を無価値だなんて言ったら、私は……一体何なのよッ! なんだっていうのよッ!?」

 

 叩く、叩く、叩く。

 

「……なんとか、言いなさいよ。私は、じゃあ、一体、どんだけ、無価値なのよ……言って、みなさいよぉ……ッ!」

 

 叩く、叩く、叩いて――その手を、大きな手が包んだ。

 

「――なるほど」

 

 手を取ったのはラインハルト。ルイズの手は赤くなり、少し腫れていた。

 

 ぽん、と空いていた大きな手が、ルイズの頭を撫でた。慰めるように。ぽん、ぽん、と。

 

「知らずの内に、卿を愚弄していたようだ。すまなかったな、私が愚かだった」

 

「……そうよ」

 

「だが、卿に何を言われようと、私の認識は変わらない」

 

「……ッ」

 

 キッと睨み上げるルイズ。だが言葉は続き。

 

「私個人の認識から外れれば、なるほど。私ほど価値のある人間はいなかっただろう。私がいなければ、第三帝国はあそこまで増長することも、強力になることもなかっただろう。私ほど恐れられ、私以上に強い者はいなかっただろう」

 

「……なによ、自慢?」

 

「ただの事実だ。この程度、自慢にもなりはせん」

 

「……じゃあ嫌味?」

 

「……卿は私をどうしたいのかね?」

 

「…………」

 

「…………」

 

 暫し、無言で見つめ合う二人。

 

 ある意味、二人だけの世界とも言える空間に、空気の読めない爺が手を挙げた。

 

 いや、これ以上ないタイミングではあるが。

 

「あー……いいかね、そこなお二人さん?」

 

「はヒッ!?」

 

「なにかね」

 

 完全にラインハルト以外、視界どころか意識に入れてなかったルイズは驚かされた猫のように飛びあがり――。

 

 そこを、ラインハルトに抱き抱えられた。

 

「!?」

 

 抱きかかえられたルイズは思わずラインハルトに目をやり、過呼吸に陥った魚のように口をぱくぱく。次いで猫の如く暴れるが、それで振りほどけるわけもなく。

 

 オスマンはちらちらとそれを見た後、さっさと話を進める事にした。

 

「で、どうすんの?」

 

 やけにフレンドリーな口調になっているが、緊張が今のやり取りで消滅してしまったので、もうどうでもよくなっているオスマン。

 

「さぁ? 私は呼ばれただけであって、何をすればいいのかも分からん」

 

「あー……それじゃそこのヴァリエールとコントラクト・サーヴァントしてくれれば、儂

としては嬉しいんじゃが」

 

 コントラクト・サーヴァント。その単語が出た途端、借りてきた猫の如く大人しくなるルイズ。未だ涙で濡れる瞳は不安で揺れている。

 

「コントラクト・サーヴァント……使い魔になれと?」

 

「……うむ」

 

 重々しく頷くオスマン。対して。

 

「構わん」

 

 アッサリ。本当に軽い感じで首を縦に振るラインハルト。

 

「え、いいのっ!?」

 

 と、驚いたのはルイズ。

 

 驚き五割、嬉しさ三割、不安二割でブレンドされた、言葉に出来ない表情。

 

「構わぬさ。この身は忠義の軍服を纏い国に仕えた身ではあったが、切られた挙句に、もう国はどこにも存在しないのだ。往き場のないこの身を拾ってくれるというのだから、是非もない。それに、私が使い魔にならねば不都合があるのではないかね?」

 

 問いに答えたのはコルベール。彼の顔からも、既に険は取れていた。

 

「はい、ミス・ヴァリエールは召喚の儀は失敗と見なされ、留年することになります」

 

「ならば殊更、断れんよ。それとも……私では不服かね?」

 

「そ、そんなことないっ――けど、いいの?」

 

 未だ不安そうに尋ねるルイズに、ラインハルトは一笑した。

 

「契約云々抜きにしても、私は卿の事が気に入った。あの広場で私から目を逸らさず、気丈に振る舞ったあの姿は正しく貴族であった。あぁ、あれこそ貴族だ。それこそ上に立つ者の本懐であろう。なにより今の罵倒、胸に響いたよ心から。あれほど真っ直ぐに想いをぶつけられては、応えぬわけにはいかぬだろう? ゆえに貴女(・・)に仕えるに否はない。我が姫君」

 

「――――」

 

 ボンッ、と瞬時に真っ赤なトマトと化すルイズの顔。威圧されていて今まで意識していなかったが、ラインハルトは男の理想像を突き詰めた極致にいると言っていい容姿をしている。容姿だけではない。才能、人格、能力。

 

 完全、完璧、果てには究極。そんな言葉で構成されたような男だ。

 

 そんな男に抱き挙げられ、更には間近で微笑まれ、トドメにこの殺し文句。

更に更に、ルイズは多感な十六歳。もう色んな意味で彼女のライフポイントは0だった。

 

 そして――追い打ち。

 

 死体に鞭打つかのような展開が続く。

 

「して、契約方法は?」

 

「……。あー……。……キスです」

 

「キッ!?」

 

 明かされる衝撃の事実に、知っていたルイズは驚愕した。

 

 対してラインハルトは、

 

「ほぅ、ロマンチックだな」

 

 実に楽しそうだった。ルイズと視線が重なる。もうどこまで赤くなれば気が済むのかというくらいに真っ赤。ぷるぷると、別の意味で泣きそうになっている。

 

 彼女の頭の中では使い魔と契約ではなく、男の人とキスをするという式が出来あがってしまっていたのだ。色々と本音もぶちまけたから、まぁ恥ずかしい恥ずかしい。

 

 そろそろ血液が沸騰するのではなかろうか。比喩でなく。

 

「ちょ、ちょっと待って! わた、私、私まだ心の準備出来てない! だから、そう! 少し待って――」

 

「そうか。では犬に噛まれたと思って諦めたまえ」

 

「――――――ッッッ!?!??!??」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……五分後。

 

「……やーワシ、凄いもん見ちゃったかも」

 

 学院長室には、オスマン一人だけが残っていた。ふぅーと寿命が十年くらいは詰まっていそうな溜息を吐く。その顔には、僅かに赤みがあった。照れである。

 

 あの後、契約――というかキスと言った方がいいのかもしれない。

 

 先の一幕。タイトルを付けるとしたら美女と野獣の口づけ、とでも言おうか。

 

 枯れた爺であろうと、そう、なんか――ワシもまだまだ頑張っちゃおうかな? って思えちゃったりしちゃったりするくらいには、凄かった。

 

 そしてヴァリエールは目を回して気絶した。多分、頭の回路が焼け切れたのだろう。ラインハルトは気絶した彼女を壊れモノを扱うかのようなお姫様抱っこして、コルベールと共に出ていった。

 

「……ふぅ」

 

 ただの契約の筈が。

 

 なんだか、盛大なラブロマンスを観劇した後のような満足感。充足感。

 

「ワシもやってみようかなー」

 

 

 

 そんな言葉を呟いた三分後。

 

 有言実行を試みたオスマンは比喩でなく殺されかけた。

 

 

 

 

 

 豪奢な廊下に敷かれた絨毯の上を、二人の男が踏みしめて歩いていく。先頭を歩くのはコルベール。眼鏡越しの視線は前ではなく、背後。少女を抱えたラインハルトに――正確にはその手の甲に発現したルーンに向けられている。

 

「珍しいルーンですね」

 

「そうかね? 僅かに痛みが走ったが……姫君が気絶したのもそのせいか?」

 

「……。あーはい。たぶんきっとそうじゃないでしょーか」

 

 契約上位者にルーンは現れないのでそれはない。ミスタが思いきり唇を奪ったからですよ、とは言わないでおいた。幸い、どうしてそうなったのかは自覚がないようだし。

 

「……姫君、ですか?」

 

「ならんかね? 主というよりも、こちらの方が彼女には似合っていると思うのだが」

 

 

「あぁ、いえ問題ありません。ただ貴女が言うと、彼女が本当に王女か何かに見え

てしまって……」

 

「ふむ……まぁ、問題がなければこれでよかろう」

 

「…………」

 

 多分、いやきっと起こるだろうなーと未来の騒動に意識を向けていると、今度はラインハルトが声をあげる。

 

「卿は幾分、姫を気に掛けてくれているようだが……」

 

「いえ、彼女は色々と不遇な身の上にあるので、ミスタのような方が彼女を支えてくれるなら、教師としても嬉しく思います」

 

「私も、卿のような人間が教師をやっていることを嬉しく思う。軍人が教師になる。考えた事も無かったよ」

 

 一瞬、足が止まった。

 

「気付いて……いや、ミスタなら気付くでしょうね」

 

 顔に僅かな陰りを見せて言うコルベール。

 

「なに、埋めた墓を掘り返す趣味はない。卿にとって今が是であるなら、それで良かろう」

 

「……そう言って下さると、ありがたいです」

 

 そうして短いながらも会話を続け、コルベールは足を止めて横を向く。木製の扉。ドアノブを回して開ける。

 

「この部屋です」

 

「ありがとう、ミスタ・コルベール。姫君が起きたら、授業に向かわせよう」

 

「あ~……いえ。その心配には及びません。本日の授業はあと一つだけですし。ミスタも色々と整理することはあるでしょう」

 

「心遣い感謝する。では、この世界の本があれば見せてもらっても良いかね」

 

「構いませんよ、魔法関係の」

 

「否、私が読みたいのは地理と歴史、そして文化等が記載された歴史書が好ましい。なるべく客観的な視点から書かれた物であるならば、なお良い」

 

「…………」

 

 言われて、コルベールは若干顔が引き攣った。おかしくない。全然おかしくないのだが、目の前の男にそれを渡したら、ハルケギニアが征服されそうな気がしてならない。

 

「分かりました……」

 

「それと絵画を描くための画材一式、用意してはくれぬだろうか?」




 おれ、ザミエル姐さんに殺されるかもしれない。いや、マジでほんとに思う。
 ごめん、許して姐さん。助けて龍明母さん。水銀×黄金書くから助けて。
 
 
 読み返すと「け、獣殿……?」ってなりましたが、まぁいいか。ザミエルだって龍明になったんだし、それくらいの変化つけてもいいよね?
 獣殿が「ふもっふ!」と言うくらい許されるよね。

 あと獣殿、ノリノリですが、恋愛感情とかは全くないのであしからず。
 女は駄菓子という人ですし。
 まぁ興に乗ったら少し付き合うかもしれませんが。今回の後半は少し悪乗り気味だけど。
 


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獅子は眠る

もはやどちらが主従だ……いや、もうラインハルト登用する時点で決まっているのだろーが。


 ――見覚えのある天蓋ね。

 

 目覚めたルイズは内心そう呟いた。むくりと上体を起こす。どうやら寝ていたらしい。目元をこすり、くわぁ、と大きな欠伸。

 

 眠気で蕩けた瞳にはきちんとした意志がなく、頭の思考も緩やかだ。なんとなく視線を窓に向ける。夜だ。それでも明るいのは、明りを付けているからだ。

 

 と、そこでようやく思考が回り始める。

 

(…………?)

 

 あれ、私、明り付けたまま寝てたっけ? 扉の方に目をやる途中――黒壇のテーブルの横で、キャンパス筆を振るっている長身の男が目についた。

 

「ブッ!?」

 

 噴き出すルイズ。男――ラインハルトは視線を向けることなく筆を振るい続ける。

 

「起きたかね。淑女たるもの、寝起き早々に噴き出すのはどうかと思うが――」

 

「あ、あぁあああぁああんた、あんた、あんた……誰ッ!?」

 

 ラインハルトの言葉を遮って指を指すルイズに、手袋を取ってルーンが刻まれた手を見せる。

 

「契約を交わした使い魔だが?」

 

「――――」

 

 使い魔。布を摘まんで引き上げられるように他の記憶が蘇る。召喚の儀。鏡。黄金の男。学院長室での自分の本音。そして。そして、そして――ッ!

 

「あ――」

 

 メーターが上がるように、ルイズの顔が下から上へと真っ赤に染まった。微笑をたたえるラインハルトの顔を――口を見て。

 

「ああぁあああああああああッ!? にゃあああああぁぁぁぁあああぁぁあああああ!」

 

 悲鳴を挙げて、枕に顔面ダイヴ。

 

「――ッ! ――!? ……!」

 

 足をバタバタ、パタパタと打ちあげられた魚のようにパンパンと柔らかいベッドを叩いて軋ませる。

 

 耳まで真っ赤だ。

 

 ――キスした、キスした。キスしちゃったのだッ! よく覚えてないけどッ! なんか凄かったのは覚えているけどッ! 顔上げられないけどッ!

 

 契約したことよりも、キスした――という意識しか今のルイズの頭の中にはなかった。脳内がピンク色、というわけではない。どちらかというとマーブルカラー。つまり混色、大混乱。

 

「――――ッ!?」

 

 そして気付く……! 今、自分が寝間着であることに――ッ!!!!

「わぁああああああああ! わ、うわ、うにゃあああああああぁぁあああ!」

 

 バッタンバッタン、ゴロゴロ、バタバタ。

 

 ベッドの上で行えるだろうありとあらゆる移動、体勢、他などなど。そんなルイズの珍行動は行っている横で、ラインハルトはと言うと。

 

「……こちら色の方が映えるな」

 

 自らの主の痴態よりも、自分が取りかかっている趣味に意識を向けていた。

 

 

 

 ■

 

 

 

 十分後。

 

「………………ねぇ」

 

 頭から毛布を被っていたルイズは落ち着いたのか、もそもそと顔を出した。とはいえ、顔の下半分を枕に埋めており、見える顔半分は仄かに赤い。

 

 ルイズの呼びかけに、ラインハルトは筆を置いた。

 

「なにかね?」

 

「服、着換えさせたのって……」

 

「この学院の侍女だ。子女の、それも眠っている者の服を剥ぐわけなかろう」

 

 当然と言えば当然の答えに、ルイズは大きく息を吸って――吐いた。思い切り長い溜息。

 

「……寝てた筈なのに、なんだか凄い疲れたわ……」

 

「寝疲れかね?」

 

「…………」

 

 絶対に違うが、言ったところで理解してくれないような気がするので、先程から気になっていたことを聞く。

 

 視線は黒壇のテーブルの上。山のように積もれた書物。タイトルのほとんどが地理や歴史書、生物などなど。

 

「その本は?」

 

「ミスタ・コルベールから借りたものだ。知らぬ地どころか知らぬ世界ゆえな、国家、宗教、地形、文化、文明、他にもあるが、学ぶことが多かった」

 

 ……多かった?

 

 なぜ過去形?

 

「……もしかして」 

 

「あぁ、全て把握した」

 

 もう一度視線を向ける。本の山。数えてみればひぃ、ふぅ、みぃ、よぅ……42冊。

 

「どんだけ速読なのよッ!?」

 

 切れるルイズ。だが切れるポイントが妙にズレている。

 

「全てに目を通したわけではない。類似点を飛ばせば量は半分程度だ。読了しても姫君が起きぬのでな。今はその暇つぶしというわけだ」

 

 それでも20冊以上あるわけだが。

 

「暇つぶし?」

 

 ルイズはベッドから出たは、とことことラインハルトの隣に立ち、彼が暇つぶしと称したキャンパスに描かれた物を見て、感嘆の声を上げた。

 

 黄金に輝く空に、銀色の鎧を纏った天使が踊っている。ゼロと馬鹿にされがちなルイズだが、その教養は学内トップ。当然、美術に関する知識量もだ。そんな彼女から見ても、ラインハルトの暇つぶしと称した絵画は素晴らしかった。

 

 だが流石の彼でも時間がなかったらしく、まだ作成途中。それでも既に六割方完成している。

 

「我が祖国で描かれていた宗教画の一つ、『天に栄えよ』。勇猛なる戦士は死後、この絵画に描かれたヴァルキリーに英雄(エインフェリア)として招かれる。私もそうなると思っていたのだが、この地に呼ばれて生き永らえた。それを思うと、妙に描いてみたくなったのでね」

 

「画家もやっていたの?」

 

「なりたいと思った事はあったがね。今ではただの趣味だ」

 

 趣味の領域を逸脱し過ぎだと思う。

 

「そして暇つぶしでもある。姫君が起きた以上、筆を振るうつもりはない」

 

「え、凄く綺麗なのに勿体ない」

 

「……ふむ、ならば完成させた後に贈呈しよう。私が描いたもので良いのなら、だが」

 

 テキパキと慣れた手つきでキャンパスや絵具を片づけていく。それを眺めていたルイズは、ラインハルトの手の甲に浮かぶルーンを見て、最も確認しなければならないことを、今更ながら思いだした。

 

「そうよ、使い魔の契約! 成功したの――よね?」

 

 首肯するラインハルト。

 

「あの教師は成功だといっておったよ。何分珍しいからとスケッチしていたがね」

 

「珍しい……そっか、そうよね。人間が使い魔になるなんて聞いたことないし」

 

「あぁ、文献には契約を交わした使い魔は主人の目となり、耳となる能力が与えられる記されていたが……」

 

 そうと聞いたラインハルトがルイズから視線を外す。黄金の瞳は空に輝く星空に向けられた。

 

「何か見えるかね?」

 

 目となる能力があるのなら、ルイズはその視界を通して星空を見る事が出来る筈だ。ルイズはラインハルトを見つめたまま唸り、目を閉じてまた唸る。が、すぐに脱力すると力なく首を振った。

 

「……何も見えないわね。同じ人間だと使えないのかしら?」

 

「そこは私も分からんよ。だがそれが使えたところで、あまり良いことはあるまい」

 

 動物であるなら問題はないのだろうが、人間同士ではそうもいかない。常に監視されていることを意識されては、信頼関係など容易に生まれるはずもない。ラインハルトがそれに当て嵌まるかどうかは置いておくにしろ。

 

「まぁ、そうかもしれないけど……で、次は……えっと、使い魔は主人の望むもの――例えば秘薬の材料とかを見つけてくるのよ」

 

「ほう、秘薬か」

 

「作れる?」

 

「毒薬と解毒剤。あとは自白剤くらいか」

 

「すっごい物騒なんだけど……」

 

「物騒な世だったのでな。それでもこちらで同じような植物や虫がいなのであれば、どうしようもないがね」

 

「そう……。まぁ、秘薬に関してはいいわ」

 

 あっさりと諦めるルイズ。彼女は魔法がまともに使えないため、魔法を用いて造られる秘薬等を作れないのだ。なので材料を持ってこられても、どうしようもないのである。

 

 しかし主の威厳を保つ為か、その事には一切触れなかった。既に主人と使い魔の上下関係など完全に破綻しているが、彼女の中ではまだ有効らしい。すぐに話題が次に移る。

 

「最後が一番重要で、使い魔は主をその力で守るのが役目なの。でもラインハルトは問題ないわよね?」

 

 召喚した時のあの威圧感。あれはブチ切れたルイズの母であるカリーヌを遥かに上回るものだったのだ。改めて思う、よく立ってられたな、自分――と。

 

 だがラインハルトは是と返さなかった。

 

「無論――とは言いたいところだが、残念ながら私は魔法が使えん。空を飛ばれてはどうしようもない」

 

 言外に、手が届くならどうとでもなると言っているようなものである。だがその意味にルイズは気付かなかった。え!? と驚いた声を上げる。

 

「あ、そうか。ラインハルトの世界って魔法がなかったのよね……ん? じゃあラインハルトって貴族じゃないの?」

 

 世界が違っても、ルイズの頭の中では貴族=魔法が使えるの方程式は崩れない。そうであると教育され、今まで生きてきたのだ。

 

「私は血筋でいえばそう大層なものではない。音楽家の父は平民であったし、母の血は貴族であったが、格はそれほどのものではなかったよ」

 

「ふーん」

 

 なるほど確かに。それが真実なら、家柄という点では公爵家であるルイズの方が圧倒的に上だ。だがそれで優位に立とうとか、まして見下すなどはありえない。契約する前にラインハルトの立場を聞いていたし、彼自身の発する波動というか存在感はまさに貴族。王者たれと言われる者のそれである。

 

 例え両親ともども平民である、と言われた所でルイズの反応は変わらなかっただろう。

 

 というか、まず信じてなかった。

 

「信じられんかね?」

 

 顔に出ていたのか、内心思っていたことを当てられて焦るルイズ。

 

「え? だって……全然。まだ王様だって言われた方がしっくりくるわ」

 

「ルイズ」

 

「は、はい!」

 

 突然名前を呼ばれて驚くルイズ。自然と背筋が伸びた。

 

「覚えておくといい。血が貴ければその心もまた貴い――ということはない。血を誇るのは良い。それは先祖が詰み上げた功績の証明だ。だがそれ以上に誇るべきは心だ」

 

「……心」

 

「そうだ。貴族とは貴いから貴族であるのではない。尊ばれたからこそ、貴い者と語られ、そして次世へと継がれる。民を守り、強大なる敵に恐れる事無く迷いなき一歩を進める者こそが――」

 

「……本当の貴族?」

 

「然り。民を守らず、民の背に隠れる者は貴族ではない。ただの臆病者だ。その点、卿は真に貴族であった。周りの者らが怯え膝をつく中、最後まで立ち続けた。……自慢ではないがね、私と視線を合わせ続けられる者など、あちらではそういなかった。ゆえに誇れ。あの時の卿は、真に貴族であった。そして――おや」

 

 高説を途中で区切り、ラインハルトはルイズに視線を向けた。

 

 ルイズはなんだろう? と首を傾げると、瞼の端から雫が流れた。

 

「……え? あ、あれ?」

 

 気付けば、涙が零れていた。慌てて袖で拭うが、すぐに滲んで。

 

「お、おかしいわ。な、泣いてないわよ! 泣いてないんだからねッ!?」

 

 必死で取り繕おうとするけれど、声は段々と湿っていって。

 

「これは、その、涙じゃなくて……これは、ちょっと、違くて、ねぇ――ひぐっ」

 

 気付けば――嗚咽も漏れていた。

 

「――ひっく」

 

 そこでようやく、ルイズは自分が泣いていることを自覚した。

 

 途端、胸の奥から溢れて来るなにか。目を擦ってもすぐさま涙で視界が揺らぐ。

 

 ――またか、またなのか。

 

 泣きだした自分を罵倒する。一日に何度泣けば気が済むのだ。このままじゃ、泣き虫で情けない主だと思われてしまうではないか。

 

 そうは思っても止まらない。滂沱のように流れていく透明な雫。出来るのは、せいぜい声を殺すことだけだ。

 

「――違く、て、ね……」

 

 声が出せるなら、せめて言い訳したかった。悲しくて泣いているんじゃない、と。

 

 悲しみとか悔しさとか、そんなことで涙を流したことは幾度もあった。たくさん流した。だから、もう、自分はそんなことで涙を流さないはずなんだ。

 

 だから、これは違うのだ。

 

 そういう、涙ではないのだ。

 

 ただ、嬉しかったから――

 

 

 

『ゼロのルイズ』

 

 何度、そう言われてきただろう。

 

『魔法の使えない半端者』

 

 何度、そう馬鹿にされてきただろう。

 

 

 

 彼らが友達と遊んでいる時、ルイズは必死に魔法の練習をしてきた。何度も練習して、練習して練習して――それでも魔法は爆発する。失敗続きだ。周りが十回やれば成功する魔法を、彼女は何千回と杖を振り続けても失敗に終わってきた。精根尽き果て、その場で失神することも珍しい事ではなかった。

 

 他人だけではない。家族の期待にもろくに応えられない惨めな自分。ただ一人だけの味方が下の姉で、でもここにはいない。

 

 それでもルイズは折れる事無く走り続けてきた。

 誰よりも速く走っているのに、未だスタート地点さえ辿りつけない。

 

 だから辿りつこうと、並び付こうと、そして追い越してやろうと、休むことを忘れて、一生懸命走り続けた。

 

 努力は実る。その言葉を信じて走り続けた。頑張って来た。だがいくら水を灌いでも、努力の実らず、花は咲かず――。

 

 そして今日。

 

 ようやく花が咲いた。凄い花だった。花の名前はラインハルト・トリスタン・オイゲン・ハイドリヒ。見た目も立場も凄まじく、まるで黄金の獅子のようだ。例えグリフォンやドラゴンだって、この使い魔には敵わないだろう。

 

 そして、誰よりも王者のような男。

 

 一目見てすぐに、この人に認めてもらいたいと思った。

 

 誰よりも。馬鹿にしてきた連中よりも、キュルケよりも、姉よりも、母よりも――。

 

 そう思っていた相手に、お前は真の貴族だと、言ってもらえたのだ。

 

 言ってくれたのだ。

 

 認められたのだ。

 

 認められたのだ!

 

 これが嬉しくないわけがない!

 

 ただ、嬉しすぎて、溢れた感情が涙になって、溢れてしまっただけなのだ。

 

 そう――言い訳しようと、言葉にするのだけれど。

 

「ひぐ、うぇ、ええぇぇえ、ごめ、だ、らぁ――違くひっく」

 

 言葉にならない言葉しか出てこない。ラインハルトの服を掴み、違う、違うんだと首を振る。言葉で伝わらないならせめて行動で、というつもりなのだが、もはやただ泣いているだけにしか見えず。

 

 それを、ラインハルトは変わらぬ微笑のまま、ルイズの頭に手を置いた。ルイズの小さな頭をすっぽりと覆う大きな手。

 

 あの時と同じだ。情けないと思うと同時に、安心して嬉しく思う自分が恨めしいような、単純なような……。

 

「誰が認めずとも、私が認めよう。その心は貴族であり、エインフェリアに相応しい魂だ」

 

 あぁ駄目だ。まだ止まらない。また決壊する。

 

 ポロポロと流れる涙。

 

 魔法が使えないという劣等感を抱いてから溜り続けてきた、彼女の不安、怯え、恐怖。心に沈澱していた負の感情が、涙と一緒に流れていく。

 

 もっと、頑張ろう。

 

 もっと、強くなろう。

 

 もっと、偉くなろう。

 

 

 誰よりも王者らしいのが、自分の使い魔なら。

 

 

 せめて自分は、誰よりも貴族らしくなろう。

 

 

 そうして、結局。

 

 

 ルイズは、泣き疲れて眠ってしまった。

 

 

 その寝顔は涙で濡れていたが――とても、とても健やかな寝顔だった。

 

 

 

 ■

 

 

 

「――寝入ったか」

 

 ラインハルトの腕の中には、寝息を立てて眠るルイズ。泣いてスッキリしたのだろう、先よりも幾分健やかな顔を暫し眺めた後、彼女を寝台へ降ろして毛布を掛けると、椅子に腰かけた。

 

 そして暫く夜空を眺めた後、部屋の明かりを落とす。

 

「…………」

 

 夜の闇に染まる室内。室内を照らす光源は、窓から射す月明かり。そして――己が手に刻まれた使い魔の証。

 

 左手を持ち上げる。手の甲にはルーン。その紋様は文献に載っていたガンダールヴのそれと合致していた。ガンダールヴ。始祖ブリミルと共に闘い、その名を伝説に残した四人の使い魔。

 

 北欧神話を象る伝承の一つ、巫女の予言で挙げられる名だ。とはいえ、こちらとあちらでは意味は違うだろうが。

 

 ガンダールヴ。

 

 ヴィンダールヴ。

 

 ミョズニトニルン。

 

 そして――最後の四人の名はなく、ただ記すことさえはばかれる。という一文が記載されているのみ。全ての本がそうなのか、たまたま受け取った本に載っていなかったのかは不明だが、それは己の事ではないのでどうでもいい。

 

 ガンダールヴを綴る文献にはこう書かれていた。

 

『神の左手ガンダールヴ。勇猛果敢な神の盾。左に握った大剣と、右に掴んだ長槍で、導きし我を守りきる』

 

 他の文献と統合した結果、ラインハルトはこれの効力を自在に武器が扱えるようになるものだ、と幾つかある候補の一つに挙げていた。そして最有力候補でもある。

 

 ――とはいえ。

 

「そうそう使う機会もあるまい」

 

 元々、武芸百般はおろか、文武百般を通ずるどころか極めたのがラインハルトという怪物である。武器が自在に使えるようになったところで、その効力は如何ほどのものなのか。さしたる興味もない。

 

 だが、それよりも気になること。

 

「変わったな、私は。いや――変えさせられた、と言うべきか」

 

 目を閉じて思うのは、今日の己。

 

 少し――いや、幾らか自分らしくない言動だった。その原因もまた、このルーンだろう。

 

「洗脳、あるいは意識誘導か? 魔法の知識は欠片もないが、これを編み出した者は人というモノをよく理解している」

 

 意識誘導――おそらくは、契約した対象に好意を抱かせる、というものだろう。

 

 服従ではなく好意。前者には反発というデメリットが付随するが、後者には無いデメリットがない。賢いやり口だ。反意されることはまずありえず、使い魔と主との関係を好く、そして長く続かせることが出来る。

 

 なぜ、魔法も使えぬラインハルトがそこまで正確に気付けたのかと言うと、簡単である。

 

 彼は、己のコンディションを十全に把握しているからだ。契約と同時に変化した僅かな認識。それでも角度にすれば小数点が付くような差異だ。

 

 だが、それでも洗脳であることには変わりはない。気付けば激昂し、主従の関係を破壊しかねない呪いのようなそれを――

 

「……面白い」

 

 その一言で、ラインハルトは済ませた。

 

 あぁ、面白いではないか、やってみせろ。この私をどこまで変えられるか見せてみよ。この程度で揺れる自我ではない。それを別にしても、契約する前からルイズは気に入っていたのだ。本当に久しぶりだったのだ。恐怖と怯えに濡れながらも、心の底から真っ直ぐに、感情をぶつけてきたものなど。

 

「涙とは、ああも美しいものだったか」

 

 かつては涙など、他者欺くための技術――そんな目で見ていた。それ以外になんの価値も見出せなかった。だがそれは、今日の出来事で些か変えられた。

 

「良い目だった。良い心だった。あぁそうとも。嘘ではないさ。真実、仕える事に嫌はない」

 

 第三帝国にいた貴族達は、権力に狂った者ばかり。他者の貧困を笑い、他者の失敗を酒のツマミにしているような、およそ貴族という言葉は当て嵌まらなかった。確かに貴族然とした者達はいたが、それこそほんの一握り。

 

 だが、そんな貴族達を否定する気は、ラインハルトにはない。あれもまた、一つの貴族の形。

 

 血と骸で作られた時代だったのだ。狂わなければ生きていけなかったのだろう。そして狂っているといえば、その最たるのが己だ。

 

 

「破壊の情、か――」

 

 

 今も変わらず、胸に燻り続けるこの渇望。それがこのルーンによって薄れるのであれば、否はない。幻想は幻想のまま。目覚めることなく、魂の奥底で眠っていればいい。

 

「既知はもう消えたのだ。黄昏が続く以上、それ以上を望むは傲慢というもの。それを壊すような真似など、どうして出来よう――」

 

 ふと漏れた言葉に閉じていた目を開く。

 

「私は……」

 

 今、何を言ったのか。

 

 何を思って、そんな言葉を口にしたのか。

 

 既知と、黄昏。

 

 言葉にすればどこでも使われる、ありふれた二つの単語。だが、知らずに口から零れたそれらは、本来の意味とはまた違うように感じられて。

 

「…………」

 

 宙に向けた瞳には何も映らない。ただ夜の帳に呑まれた天井を映すだけ。

 

「ふふっ、ふふふふ……」

 

 途端、込み上げてきた感情に声を漏らした。よく分からない。よく分からないが……悪いものではない。

 

 とても愉快な色をしている。言葉にすれば……あぁ、なんであろうか。言葉に出来ない。否、嵌める言葉は幾らかある。

 

 だが出来ない。したくない。言葉にすれば色褪せる、そんな温かくも輝かしい色。

 

 信じもしない神がいるという教会で出会った、かの首斬りの青年。彼と語らった時と似た、暗雲が晴れるような……

 

「ロートス・ライヒハート。かの者は、日本に行けたのだろうか……」

 

 おそらく、戦場にて散っただろう。そう思うのはただの勘だ。だから続く思いも、また、勘だ。

 

 彼は、きっと日本に行ける。

 

 死んでどこへ行くのだ、という無粋な言葉はいらない。ただ、そう思うのだ。それだけで十分だ。

 

 世界は、黄昏に満ちている。

 

「……あぁ、酔ってしまったかな、私は」

 

 陶酔している。酒ではなく、己の心から溢れる何かに。あるいは宙から包まれる温もりに。

 

 

 

 

 

 そうして、破壊の愛を幻想と断じた黄金の獅子は、異界の地にて一時の眠りについた。その背に、可愛らしくも誇らしい、小さな主を乗せて。

 




 ルイズ、もはや上に立つ腹積もりが微塵も見られない。まぁ、ラインハルト前にして誰がこいつより上に行こうと思うのか。


 ついに使い魔になってしまった獣殿。
 メルクリウスの魔人練成によって魔人化していませんが、元から超人であったので、それにガンダールヴを足したらどうなるのか……
 ラインハルトは幾ら無双させても、「え、その程度なの?」と思われてしまうから性質が悪い。

 獣殿はどこまでさせれば「え、そこまでやっていいの?」状態になるのか
 ……波旬KOはやり過ぎというか不可能ですが。

 感想にもありましたが、現状、獣殿の体は人間です。
 あとロン毛です。『破壊の愛』を自覚しながらも、それを幻想と断じたロートスの言葉を真摯に受け止め、眠らせているのが現状。
 破壊の黄金は眠っています。


 あと召喚の際の威圧は……まぁ、違う世界に来て彼の魂が若干キャッホウした、と思ってくれれば。
 
 作者としては、ルイズが覇王の色に染められていってどこまで行くのかなーと漠然な不安がありますが。
 将来のルイズは龍明母さんかザミエル姉さんのどっちになるのだろーか。
 ラインハルトの助言次第でどちらにもなれるルイズさんマジ恐い。

 ザミエル化して虚無の魔法を扱うルイズ……うわ恐い


 現状、ラインハルトの一人称が全く安定していない事に強い不快感を抱いている方もいるかと思いますが……気にしないでくれ。私は過去を振り返らないのだ。振り返った先にある黒歴史など、デウス・エクス・マキナなのだ。知らんのだ。


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黄金のメイド

ストック切れちまったぜ・・・・・・

超展開とか言っちゃあいけない。


 

 

 

「――――」

 

 眠りに入ってきっかり三時間後に、ラインハルトは目を覚ました。現代時刻に換算すれば四時になった瞬間である。機械のように正確な体内時計だった。

 

 意識の覚醒と同時に眠気の尾を根元から断ち切り、もたれかけていた椅子から上体を起こす。

 

日夜問わず仕事に追われ、常に敵はおろか味方にまで命を狙われていたラインハルトにとって、睡眠とは最も排除すべき時間だった。そうして削り続けて、最も体に合った睡眠時間を三時間と定めたのだが……。

 

「そうか、もう必要はないのであったな」

 

 それはもう過去の話。

 

 今の仕事は自国を恐怖で縛り上げ、敵国を滅ぼすことではない。天蓋のベッドで健やかに眠る小さな主を守ること、ただそれだけだ。

 

 命を狙われる理由もないのだ。少なくとも、今は。

 

 ……ラインハルトのかつてを知る者が今の彼を見たら、どれほどの驚愕を見せたか。

 

 第三帝国、ソビエト連邦。大国アメリカに並び立つ程に膨らんだ国力、軍事力、人口。人類史上、類を見ない大虐殺戦争。骸で大地を造り、大海を血で染めた超大国の潰し合いを描いた第二次世界大戦末期。他の参戦国を含めれば、およそ十数億の命が戦場で、あるいは日常で、その命運を左右された。生きてさえいればその命運を担っていたであろうドイツが生んだ獣が今や、今や子女のただ一人を御守するだけ。

 

 ――なんと容易い、楽な仕事か。彼を知らぬものであろうとも、そう断言するだろう。

王立魔法学園。ハルケギニア有数の貴族学園は、オールド・オスマンを筆頭とした多くの魔法使い教師が生徒の面倒を見て、ひいてはその身を守っている。

 

 鉄壁とはいえずとも、その安全面はほぼ保障されていると言っていいだろう。そんな中で、子女の御守。ならば任される役目などせいぜいが雑用、使用人の真似事程度。

 

 誰もが口を揃えていうだろう。なんと容易い、楽な仕事か、と。だがその役目を帯びたラインハルトにしてみれば、それはなんとも――

 

「守る、か……」

 

 目を閉じて己が歩いてきた道程を振り返る。背後に広がるのは白い道だ。白い――骸骨で出来た道程。地獄だ。髑髏で歩む地面を舗装し、広がる水は血溜りしかない。

 

 ホロコースト。己の人生に名を付けるならば、正しくそれだろう。破壊と死、それ以外の何者も生まず、何物も造らなかった。

 

 そんな男が、守るなどと、それはあまりにも――

 

「滑稽だ」

 

 そう、我が身を笑った。

 

 確かに国を守るために尽力した。だがそこに、果たして己の意思はあっただろうか。

いや、ない。敷かれたレールを歩き続けた。それだけだ。どれだけ遅く歩こうと、前にも隣にも、誰もいない栄光の独走。振り返れば霞むほど遠くにいる同僚たち。並び立つ物なき孤高の覇者。

 

 

〝どうすればそこまでできるのか〟

 

 

 かつて士官生の頃、同期の者たちに問われた言葉。

 

 返した言葉を明確には覚えていない。『どうしてお前らは遅いのか』、などと答えた覚えはある。それからだろう、周りが化物を見るような目で見るようになったのは。

 

 

〝お前は、生まれる場所を間違えた怪物だ〟

 

 

 突如襲撃してきた敵軍の将校に投げられた言葉に、驚く程感心したのを覚えている。

 

 あぁ、なるほど。

 

 ならばこの生、この時、この場所、この時代は己にとって余生に過ぎず。

 

 だからこそ、意志を持たず、ただ敷かれたレールの上を歩いていた。

 

 道徳、倫理、価値観、法律、国、敵、世界。全て全てが脆すぎた。全て遅すぎた。如何なる壁も存在せず、如何なる者も並び立つことは叶わなかった。

 

 ラインハルトは己の内に埋没していく。思考は本来の道筋から外れ、知らず、知らずに底へと落ちていく。

 

 獅子の鬣の如き長髪がたなびいた。風はない。ではどこから?

 

「……ならば、私が生まれるべきは何処にある」

 

 部屋から月夜の影が薄れていく。外はまだ暗いのに。

 

 あそこではなかった。少なくとも、あの時代ではなかった。第二次世界大戦。破壊と死の集大成。人類史上最悪にして最高の戦舞台。けれど全力を振るえた機会など、ただの一度もありはしなかった。

 

 ――ではここはどうだ?

 

 ハルケギニア。魔法なる幻想が存在するこの地は?

 

 エルフ、吸血鬼、魔獣なる人外が跋扈するこの地は?

 

 己の全力、全霊の極致を振るうに値する者はいるのか?

 

 試したい――否、試すのだ。でなければ、一体なんのために己はこの地に……

 

 

 

「――否。それこそ、否だ」

 

 

 

 知らずのうちに発せられた自身の一言に、目を開ける。深みに落ちていた思考は上昇し本来のレールの上に乗る。

 

 浮かぶようになびいていた髪がゆっくりと垂れていく。月夜の闇が再び部屋に満ちる。

 

「なんのために? 決まっている、主君を守る。それだけだ」

 

 国と、個人。守る規模は違えど、やることは変わらない。

 

 ゆえに眠れ、我が獣性。今の己にとって、お前は毒にしかならないから。目覚めて良いモノに在らずから。

 

「……己の事を考えるなど、久方ぶりで上手くいかぬな。ついつい思考が逸れる」

 

 そうして目を開けるのと、窓から陽光が差し込むのは同時だった。

 

「朝焼けか」

 

 月は沈み、陽が登る。闇に包まれた室内を黒から白へ。太陽が闇を光に染め上げていく。

 

 夜の幕は上がり、これより早朝という劇場が始まる。その舞台には当然、ラインハルトという役者もいる。

 

「さて……」

 

 呟いて立ち上がる。そろそろ使用人が動き始める時間帯だ。地球もハルケギニアも、それは変わらぬはずだろう。窓の外を見下ろせば、肯定するように学生には見えない者達が忙しそうに行き来している。

 

 周囲からも人が動く気配はない。ならば寮生達が起床する時間ではないということだ。ラインハルトは一度ルイズに視線をやり、ついで部屋を見渡し、黄金の瞳がある一点で止まった。そこには、綺麗に畳まれた白い学生服とローブ。

 

 使い魔としての本分とは何か?

 

 それは主の役に立つこと。

 

「洗うに越したことはなかろう」

 

 人体の黄金比、黄金の獣と敵味方から恐れられた男は、主である少女の衣服を手に取ると、洗濯しに部屋を出ていった。

 

 ――もし、黄金の獣の飼い主である、ルイズがその一部始終を見ていたらなんとも言えない奇妙な顔をしていたことだろう。

 

 そして、間違いなくこう言うのだ。

 

 

 

「ラインハルト……それ、凄く似合わないむにゃむにゃ」

 

 

 

寝言ながらもツッコミ、お疲れ様である。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 学院内の廊下は朝日に染められ、白亜の色をより一層輝かせていた。だが使用人達はそんなものに風情や芸術を感じる余暇などない。彼らの目に映るのは自らに課せられた仕事、それだけだ。

 

 調理に勤しむ者は貴族のために食材の相手をし、掃除に励む者は窓枠に残った取れない汚れに苦戦。そして洗濯に赴く者の一人である少女は、自らの身長の二倍はあろう衣服の山を籠に乗せて、ふらふらと右往左往ながらも前に進んでいた。

 

「とと、おととと……」

 

 ふらり、ふらり、ゆらゆらり。危なっかしいことこの上ない。蛇行とも言うべき危うい足取りで、少女は洗濯物の山を絶妙なバランス感覚で保ちながら洗濯場に向かっていた。

危なっかしいことこの上ない。だがいつもこれほどの量を運んでいるわけではない。昨日はとある生徒が魔法で生徒達の衣服を土まみれにしてしまった為、洗濯のサイクルが崩れて本来ならもっと少ないはずの山を、ここまで積み上げてしまったのだ。

とはいえ、彼女は使用人。貴族にやれと言われてはやるしかない。それがどのような無茶であっても、だ。

 

 幸い、前が見えなくても慣れた廊下だ。目を閉じても洗い場には辿り着ける。

 

 しかし、彼女は失念していた。道は変わらずとも、常に同じ状態であるとは限らない事に。

 

 そう、例えば昨日はなかった所に、丁度躓きそうな石ころが転がっていたり。

 

「あッ!?」

 

 当然、それに躓いた。――当たり前である。当然である。ここまで描写しておいてスルーされたら、一体なんのために語っていたというものだ。

 

 前のめりに体勢を崩し、際どいバランスで保っていた山もまた当然崩れ、少女は叫び声を上げながら、洗濯物もろとも廊下に倒れる――筈だった。

 

「わふっ」

 

 体が四十五度程傾いた所で止まった。何かにぶつかったのだ。洗濯物ごと。

 

 はて、こんな所に壁なんてあっただろうか?

 

 体勢を直した少女はひょっこりと白い山から顔を覗かせて。

 

「……新手の襲撃かね」

 

 見た事も無い白い衣装を纏った男性に、汚れた洗濯物をぶちかましていたことを悟った。

 

 

 

 ■

 

 

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいッ!」

 

 マシンガンのような謝罪である。頭を下げる速度もまた速い。ラインハルトは失態を犯して頭を下げる部下を幾人も見てきたが、ここまでの速度で頭を下げる人間は初めてだった。

 

「構わん。頭をあげよ」

 

 と言いながら、自身に引っ掛かっている衣服を摘まんでいくラインハルト。

 

「ですけど……」

 

「私は構わん。そう言った」

 

「し、失礼しました、貴族様! 目の前で不躾な行いをしてしまい、誠に申し訳ございませんでした!」

 

「…………」

 

 ラインハルトは彼女の言う貴族では(厳密には)ないが、人の上に立つ事に慣れているため、その反応を別段おかしいとも思わずに一言で済ませた。しかし少女は一向に頭を上げようともしない。

 

 いや――どころか、震えていた。

 

 そこで思い出す。昨日の暗記した歴史書には、ハルケギニアでは魔法使いだけが貴族であるという選民思考が強く根付いており、魔法を使えない――いわゆる平民階級の者達に対して貴族は酷に扱っていることを。

 

 対する平民階級にある人々は貴族に対して畏怖、あるいは純粋な恐怖に似た感情を抱いている。

 

 だが、それもまた慣れたこと。

 

 この世界の貴族と平民は、そのままあちらのアーリア人とユダヤ人に当て嵌められる。優等人種と、劣等人種。帝国の獣として、多くのユダヤ人と敵兵を誅戮せしめたラインハルトであるが、その実、彼には選民思考など持ち得ていなかった。

 

 存在すら、していなかった。

 

 アーリア人もユダヤ人も皆同じだ。人類平等。1と1。人間一人に命は一つ、魂も一つ。違いなどありはしない。

 

 病的なまでの博愛主義者であり、平等主義者。それがラインハルトという男が持つ、絶対的価値観の一つだ。

 

 人種による差別など、彼個人の感情で行なったことなど一度としてない。

 

 貴族も平民も。

 

 上官も部下も。

 

 敵も味方も。

 

 家族と、他人さえも。

 

 必要だったから排除した。不要だったから排除しなかった。ようは二択。白と黒。

 

「……面倒な話だ」

 

 小さくため息を吐く。それを耳に入れたのか、怯えるように震えながら少女は更に頭を下げた。

 

 目の前の少女はラインハルトという人間を知らない。彼女にとって、彼は大勢いる傍若無人な貴族の一人に映るのだろう。

 

「まず誤解を解くとしよう」

 

「…………?」

 

 少女が僅かに顔をあげた。もとより怪我でも負っているのか、顔の右半分には白い包帯が巻かれていた。未だ視線を下に向ける左眼は、昨日彼が守ると誓った姫君と似た感情で揺れている。

 

「私は卿が言う様な貴族ではない。ミス・ヴァリエールの使い魔となった、魔法の使えぬただの人間だ。ゆえに、畏まる必要はない」

 

「ミス・ヴァリエールの使い魔。……そう言えばそんな噂が立っていまし――」

 

 そう言うと少女の震えが僅かに緩くなり、恐る恐るラインハルトの姿を仰ぎ見て――大きく震えた。

 

 ルイズやコルベール、オスマンもそうであったが、ラインハルトは如何なる存在よりも高位に立っている――と錯覚させてしまう男だ。召喚当時の威圧を抑えようとも、その存在感は隠せない。

 

 当然、貴族でもないただの使用人に過ぎない目の前の少女が、その認識から外れるわけもなく。

 

「あ、あぅ、あぅあぅあぅ……」

 

 その結果が、これ。泣き出す五秒前である。膝を追って手を地面に付き、必死に何度も頭を下げている。

 

 さながら断頭台に首を置かれた死刑囚の様だ。オロオロと動く涙を滲ませた目線は、ラインハルトの手に時々向けられる。貴族であると思い込み、杖がいつ抜かれるかと怯えているのだ。魔法が使えないと言った筈なのだが、この様子から察するに右から左へと流出してしまったらしい。

 

「もうよい」

 

 上から降ってきた言葉は、少女にとってギロチンに等しかった。遂に杖が抜かれるかと思い切り目を閉じて――ふわり、と。

 

 持ち上げられ、そのまま脇に抱えられた。

 

「――へ?」

 

 呆けた声をあげる。だがラインハルトは一顧だにせず、少女を脇に抱えて洗濯物を籠に放り込んでいく。

 

「あの……」

 

 伺う声に、しかし反応は返さない。

 

 あっという間に先ほどの山が出来上がり、それを空いた片手で楽々と持ち上げるラインハルト。そこでようやく視線を投げた。

 

「洗い場はどこかね?」

 

「え……あ、はい。あっちです……え?」

 

 洗濯物と共に連れて行かれる少女。

 

「……………………え?」

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

ゴシゴシ。

 

「…………」

 

 洗い場。少女は一心不乱に洗濯物を洗っていた。その顔には恐怖や怯えが残っているが、それ以上に困惑の色が強かった。その原因に目を向ける。

 

 ゴシゴシゴシ。

 

「なにかね?」

 

 ゴシゴシゴシゴシ。

 

「い、いえ。そのぅ……貴族様が、なんで、洗い場で洗濯物を洗っているのかなー、なんて……」

 

 ゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシ――……

 

 黄金の獣。何百万もの兵士達に畏怖と畏敬の眼差しで仰ぎ見られていた男は。

 

 本職であるメイド顔負けの手並みで、それはもう、ゴッシゴッシと己が主の服を洗っていた。

 

 その姿は――似合わない、似合わない、果てしなく似合わない。断じて絶対似合わない。全多元宇宙に存在するであろう知性ある存在がこの一場面を見ていたのなら、必ずやそう言っているはずだ。似合わねぇッ! と。

 

 もはやこの似合わなさ、数値に換算すれば無量大数に勝るとも劣らない。

 

 そして、彼の格好は軍服ではない。白い軍服を脇に畳み、上身は黒のタンクトップだ。あらゆる戦場を踏破し、戦うためだけに鍛え抜かれた獣の肉体が、今、洗濯という行為に行使されている。

 

 もしこの黄金の上腕二等筋に自我があればこう思っているに違いない。俺たちは、こんな事のために鍛えたのではない、と。

 

 そして筋肉達の悲鳴があったのか、なかったのか、よく分からないがともかく悲劇が起きた。

 

 

 

 ビリィ!

 

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 不吉な音が洗い場に木霊する。

 

 少女は一瞬にして硬直し、ラインハルトは不吉な音を奏でたであろう自分の手を――二つに裂けた主人のローブを見て止まっていた。

 

 流石は柔肌を撫でるだけで如何なるものを壊してきただけのことはある――というより、単に力の加減を間違えただけだが。

 

 呆然と仰ぐ少女。ラインハルトは暫く引き千切ってしまったローブを見て――少女を見た。

 

 刹那、少女は視線を逸らした。

 

「…………」

 

「…………」

 

 間。

 

 間だ。

 

 間、としか言い様がない……間。

 

 沈黙が続き、そして――ゴシゴシゴシゴシ。

 

 再開。

 

 ラインハルトが。

 

 千切った主人のローブを洗い始めた。

 

 

(――なかったことにした!? なかったことにした!?)

 

 

 同僚であったのなら声を大にして叫ぶところだが、そうもいかず。

 

 ともかくさっさと終わらせようと死刑台を登っていくような気持ちで手を動かし始め――た瞬間。

 

 

 

 

 ブヅンッ!

 

 

 

 

 ギロチンで首が跳ねるようなおぞましい音が、洗い場という名の処刑場に木霊する。

 

「――――」

 

「――――」

 

 少女は一瞬にして凍結し、ラインハルトは不吉な音を奏でたで自分の手を――四つに裂けた主人のローブを見て止まっていた。

 

 騒然と俯く少女。ラインハルトは再度引き千切ってしまったローブを見て――少女を見た。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

 間。

 

 間。

 

 間。

 

 また――間だ。

 

 間、としか言い様がない…………間。

 

 沈黙が続き、そして――

 

「卿」

 

 

 ビクゥッ!

 

 

 遂に掛けられた声に、少女の肩が盛大に跳ねた。

 

「は、はい。なんでしょうか貴族様……」

 

 顔を上げると、そこには僅かに眉を顰めて、未だ無事である衣服を差し出すラインハルトがいた。

 

「……どうやら私には、洗濯をこなす能力が致命的なまでに欠如しているらしい。すまぬが、この衣服の洗濯、頼まれてはくれぬだろうか」

 

「そ、それは勿論です。洗濯はボクの仕事ですし……」

 

「すまぬな、代わりと言ってはなんだが、干すのは私が担当しよう」

 

「え゛」

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 パンパンと水気を払い、洗濯棒に濡れた衣服をかけていく。強風が吹き、棒に掛けられた衣服がはためく。白い布がたなびく様は、さながら白旗のようだ。

 

 白旗――つまりは敗北。

 

 そう、ラインハルトは負けたのだ。

 

 自分自身に。洗濯物に。一枚のローブに。そしてあまつさえ、勝者に縋り、己の責務(洗濯)を放棄した敗残の徒。

 

 故にこれは敗者の努め。当然の義務であり責務。

 

 初めて味わう敗北の蜜を呑みこみ、ラインハルトは高らかに叫んだ。

 

 

 

「私は今、干している!」

 

 

 

 至高天の彼方まで轟きそうな声をあげて、黄金の獣は敗北旗(洗濯物)立てて(干して)いく。

 

 

 

 ちなみに少女は、今の台詞を聞いて盛大に咳き込んでいた。

 

 

 

 ■

 

 

 

 紆余直接あったとはいえ、二人掛かりの洗濯は予想より早く終わった。たくさんの衣服が風に揺れる様を見て、少女はふぅ、と息を吐いて視線を横にやった。

 

 

 隣には洗濯物を眺めているラインハルト。もう恐怖や怯えはない。何故だろう――なんて考えるまでも無い。そんなもの、先のやりとりで完全に消し飛んでいる。

 

 

「あの、先のローブですけど」

 

 

「ん? ……あれのことかね」

 

 

 あれ、と言った先には無残に裂かれた布きれ。前世の名前はきっとローブだったもの。

 

 

「縫いましょうか?」

 

 

「……出来るのかね?」

 

 

 些か驚いた様子で尋ねるハイドリヒ。あれ、もはや修正不可能ではないかと思っていた所だったのだ。

 

 

「はい。幸い、手先は器用でして。裁縫用具も部屋にありますし、貴族様が起きる時間帯には間に合うかと思います」

 

 

「ならば頼もう。正直、どうしたものかと悩んでいたところだ」

 

 

「では――ええっと……申し訳ありません。貴族様のお名前を聞いても宜しいでしょうか」

 

 

 そう言って、少女はまた深々と頭を下げた。どうあっても貴族ではないという言葉は信用出来ないらしい。それに一度苦笑した後、ラインハルトは名乗った。

 

 

「この恩は忘れん。いずれ、何らかの形で返すとしよう」

 

 

「そ、そんな貴族様に恩を売るなんて! 私はただ、使用人としての責務を真っ当しただけで」

 

 

「ならば勝手に返すとしよう――ところで、卿の名を伺ってなかったな」

 

 

「あ――はい。私の名前は」

 

 

 頭を上げた反動で、彼女の白い(・・)髪が宙を舞った。

 

 

 朝日に輝く、翠玉(・・)左目(・・)

 

 

 そして顔の右半分を覆う、白い包帯には留め金の十字架。

 

 

 その容姿、その声は、いつか、どこかで見たような気がして。

 

 

「ボクはこの学院で、貴族の方々のお世話をするメイドとして働いてるアンナ(・・・)と申します」

 

 

 いつかどこかで、聞いた覚えのあるような名前を、少女は名乗った。

 




 どこぞのわん子がハルケギニアにログインしていたようです。

 くくく、ラインハルトがいるんだからどうせ黒円卓のメンツも出るんだろうなーと予想していた猛者がいようとも、まさかシエスタのポジションにシュライバーがいるとは誰も思ってはおるまい。

 シュライバーがシエスタになった――というよりも、シエスタがシュライバーか?
 まぁいいや。書いてる内に固まるだろう。

 吾輩のプロット。実はプロローグとラストしか出来てないのである。中間部分ざっくりないのである。

 ディエスで言うなら太陽さんの追いかけっこの辺りから、大隊長の首ちょんぱくらいまでの空白がプロットには存在している。
 


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黄金の主の苦悩

話進まねぇなぁもう!
でも次話か次々話辺りにイベントあるから期待してええよ。
あの人があぁなったり、決闘があんなことになったり。



 ――どうすればいいのよ。

 

 布団を思い切り被ったルイズは身を捩った。昨日召喚して契約した使い魔、ラインハルトのことだ。

 

 契約する前に癇癪を起して泣き喚いて気絶して、起きれば起きたで泣きじゃくってまた眠ってしまった。

 

 ――どうしたら……

 

 正直言って、ない。もしあの時もう一人の自分が見ていたら、呆れていたに違いない。

違う、違うのだ。遺憾ながらゼロのルイズではあっても、泣き虫ルイズではないのだ。その汚名だけは雪がねばならない。

 

 しかし、第一印象とは早々拭えるものではない。ルイズが昨日の自分を客観的に見た場合……

 

 ――うぅ……

 

 やっぱり、どう見ても癇癪持ちの泣き虫にしか見えない。ぐぬぁぁぁ……と、声には出せず、仰け反りながら昨日の自分を思い返す。

 

 己を顧みる、なんて考えもしなかったルイズだが、昨日一件で色々と振り切れたこともあり、自分を見つめ直すことが僅かながら出来るようになっていた。

 

 ラインハルトに相応しい主になると決めたのだ。下らない自尊心など、彼と並ぶのならば足かせにしかならない。

 

 

〝使い魔はその主を表しますもの〟

 

 

 通説通りならば、ラインハルトを使い魔にしたルイズは、相応の者という事になる。

 ルイズとラインハルト。両者を並べた場合、流石ルイズの使い魔だ――なんて、言ってくれる者がいるだろうか?

 

 ――いない。誰が何を言うよりも前に、ルイズ自身が感じているところだ。

 

 自慢の使い魔だ。最初はただ単にそう思っていた。

 

 しかし彼と並んで立つ所を想像すると違和感が拭えない。主従の関係がどこから見ても逆にしか思えず。

 

(もう起きようかしら……)

 

 まだ朝早く、この時間帯に目を覚ましたら二度寝しているところだ。しかし起きて早々に昨日のやりとりを思いだしてしまい、眠気は羞恥で吹っ飛んでしまった。温かなベッドの中に包まっていても、いつまで立っても眠気はこない。

 

 昨日はいつもより長く睡眠を取ったということも、眠気がやってこない事に一因していた。

 

 ならばさっさとベッドから出て、使い魔に挨拶するなり、着替えるなりをすればいいのだが……

 

(どんな顔して出ればいいのよ……)

 

 二度も涙を見せてしまったのだ。思い返すだけでも羞恥でのたうち回るそれを、これから一生付き合っていく使い魔に見られてしまったのだ。

 

 羞恥と、気まずさ。そして主従の間でありながら、逆転しているかのような格の差に対する負い目。この三つが邪魔して、ルイズはいつまで経ってもベッドの外に出られない。

 

「う~~……」

 

 唸った。

 

 が、それでなにがどうなるわけもなく。ベッドの上で丸まる物体ルイズは一向に顔を出さない。

 

「…………」

 

 動かずにそうしていると、やはり頭だけは回り、思考は昨日のことを思い出してしまうもので。

 

 思い出したのは、ラインハルトが言った貴族の在り方。

 

 

〝民の背に隠れる者は貴族ではない。ただの臆病者だ。その点、卿は真に貴族であった〟

 

 

 使い魔が語った貴族の在り方。

 

 自分は最後まで立っていたから貴族だった。真の貴族だったからこそ、彼は使い魔になってくれた。

 

 今はどうだ。

 

 ベッドに包まっている自分は、真の貴族か?

 

「…………」

 

 違う。今の自分は布団に隠れる臆病者。真の貴族には――程遠い。

 

(よしっ!)

 

 その考えに至ったところで心機一転。ルイズは起きるぞ! と腹を括った。

 

 ……………ひょい。

 

 言葉にすればそんな感じ。毛布から少しだけ顔を出しただけだった。

 

 流石にまだ恥ずかしかったらしい。だがそんな羞恥も決意も無駄に終わる。

 

「おはようラインハル――って、なんでいないのよッ!」

 

 逆切れするかのように抱き抱えていた枕をベッドに叩きつけた。そう、使い魔がどこにもいないのである。ベッドの下とかを覗いみるが、そんなところに居るわけもなく。

 

「ご主人さまを置いてどこかに行ったって――」

 

 そこまで言葉を続けて呑みこむ。なぜ、いない? 

 

 なぜいないのか。数ある候補の中で、ルイズが辿りついた回答は最悪の答え。

 

「もしかして……」

 

 普通ならば、そんな答えには辿りつかない。用を足しにいったとか、朝の散歩とか、外に出る理由など幾らでもある。なんとなく外に出ただけかもしれない。

 

 だが、今のルイズは不安定だ。己を見返し、昨日の自分に羞恥の混じった負い目を感じている。ラインハルトと自分と比べて、格差を感じずにはいられない。不安は不安を呼ぶ。気が落ち込んでいる時に何を考えても、たどり着く答えもまた下に。

 

 だから、彼女の思考が拾った答えは――

 

「私、捨てられたの……?」

 

 そんな、ある種の被害妄想染みた自虐的な回答だった。

 

 

 

 ■

 

 

 

 質問.ラインハルトという人間は何者か。

 

 回答.超人。

 

 彼を知る者がそんな答案用紙を渡されたならば、迷うことなくそう書く筈だ。事実、彼は超人である。だがどのような超人かと問われれば、答えは大体二つに分かれる。

 

 一つは一人の兵としての超人。武芸百般を極め、フェンシングを始めとした剣闘技術は如何なるものも及ばない。公式試合では一度として有効打をもらうこともなく勝ち続けた。彼を殺す為だけに選ばれたソビエト赤軍の一個小隊の精鋭は、ラインハルトを帰宅途中にフル装備で襲撃するも、徒手空拳の彼に傷一つつけることなく無残な屍を晒した。

 

 二つに兵を率いる将としての超人。如何なる凶獣、狂人であろうとも、彼の前では声を殺して押し黙る。金だけで動く傭兵部隊であろうとも、号令一下で忠義に殉ずる死兵に変貌させるカリスマ性は、既に人の域から逸脱している。

 

 何が言いたいのかと言うと。

 

 ラインハルトという存在に、壁、障害と言えるものはない。あったところで鎧袖一触。

一撃で粉砕するに違いない。

 

 如何なる状況であろうと、だ。

 

 そんな男が、今、この状況に困惑していた。困惑――というよりも理解不能と言った方が適切か。

 

 状況を説明すると、こうだ。

 

 

1. ラインハルト、アンナにローブを渡してルイズの部屋に帰宅。

 

2. 何故か目に涙を溜めていたルイズに枕を投げられる。

 

3. それを片手で払うと、今度は胸を叩かれる。

 

4. 叩き疲れたのか、今度は抱きつかれた。←今ココ

 

 

 幾ら超人と言われるラインハルトであっても、人の心は覗けないし、見えていないものを見ることは叶わない。だからー―

 

「訳が分からんな」

 

 至極、尤もな感想を漏らすのであった。

 

 

 

 ■

 

 

 

「――そんなことかね」

 

 苦笑一つ。ルイズが癇癪を起していた理由はラインハル自身にあったが、非はルイズにある。勝手に勘違いして暴走していたのだから。

 

「……そんなことじゃないもん」

 

 ベッドに腰掛けるルイズは視線を逸らしてふてくされていた。非があるのは自分だと分かっているのだが、それを認めるわけにもいかず。腕に抱いた枕は身を守る盾か鎧かであるように、口元を埋めていた。

 

「昨晩誓ったであろう。私は姫君の使い魔になると」

 

「……そうだけど……どこに行っていたのよ」

 

「……。衣服が汚れていたのでな、その汚れを払いにいっていた」

 

「? 今、間がなかった?」

 

「それは気のせいであろう」

 

 それから軽い一言二言のやり取りを繰り返し。

 

「……幻滅したわけじゃないのよね?」

 

「私が幻滅する理由がどこにあるというのだ。寝呆けているのではないか?」

 

「だって……昨日、二回も泣い……泣いたし……」

 

 顔を枕に埋め埋め。

 

「……私だったら幻滅してるもん……」

 

 篭もった声は震えていた。泣いている――というわけではないようだが。ルイズの気にしていた事にようやく思い至ったラインハルトは「あぁ」と、慇懃に頷いて。

 

「ならば気にすることはない。あの涙はいかな宝石よりも価値のあるものだった。思わず愛でてやりたい、と思いたくなる程にな」

 

 歯が浮くような台詞を、真顔で口にした。

 

「――ッ!?」

 

 ラインハルトの口撃に()では防御力が足りなかったのか、毛布()を頭から被った。それでも放たれた口撃は枕と毛布を貫通しルイズに直撃。

 羞恥という名の継続ダメージを叩き込む。 

 

 何十秒(ターン)経ったあと、毛布から顔を出すルイズ。例の如く顔は赤い。

 

「あ、ああああんたねぇ! なんでそんな恥ずかしい台詞がそうポンポンでるわけ!? どうせ色んな女性に言ってるんでしょ!?」

 

「否、このような言葉を口にしたのは初めてだ。あぁ、あえて言わせてもらうならば、昨日は良いものを魅せてもらったと――私が思っているのはその程度だ。幻滅などせんよ」

 

 そして追加口撃。

 

「~~ッ! ……落ち着け、落ち着くのよルイズ。昨日思い知ったじゃない。こいつはこういうヤツだって……。だからクールになるの。そうよ。真の貴族は無暗に癇癪起こしたりしないのよ」

 

「それで姫君――」

 

「ちょ、ちょっと待って!」

 

 ルイズは小さな手を突き出してラインハルトに待ったをかけた。

 

「さっきから気になってたんだけど……ひ、姫君って――なに?」

 

「……様付けの方が良いかね?」

 

「――いや、そういうわけじゃないんだけど……でも、試しに呼んでみて欲しいかも」

 

 様付けで呼ばれるのも悪くないかもしれない。上下関係を明確にするには効果的でもある。そう思って期待を籠めた目を送ると、了承の首肯したラインハルトは即座に応えた。

 

 

 

「ルイズ様」

 

 

 

 うわぁぁぁああああぁあぁぁぁぁぁぁあぁあああ……!

 

 結果、ベッドにダイヴするルイズ。足をバタバタ手をパタパタ。顔に手を当てて蹲る。

 

 ――やばい! なんか色々とヤバい! 違和感が凄い!

 

 嬉しさよりも先によく分からない鳥肌が立つ程だ。一日も様付けで呼ばれたら、次の日は背中から羽が生えて飛んで逝ってしまうに違いない。

 

「――い、いいわ。もう好きに呼んで頂戴。ルイズでも構わないわ」

 

「では遠慮なく――」

 

 ラインハルトはルイズを呼んだ。

 

「――姫君」

 

 枕が再度飛来した。弾かれた。まる。

 

 

 

 結局、ルイズの呼び方は呼び捨てにすることになった。姫君なんて呼ばれると、ルイズは幼い頃からの馴染みである自国の王女を思いだしてしまい、申し訳ない気持ちになってしまうのだ。

 

 他にも自分がまだ彼の上に立てる器ではないという認識もあったのだが、そこにはルイズ自身も気付いてはいない。

 

 だがいつかは様付けで呼ばれるに相応しい主になろう。そんな高すぎる目標を、彼女は新たに設けたのだ。

 

 

 

 ■

 

 

 

「ロバ・アル・カリイエ?」

 

「ここより東、砂漠を跨いだ先にあるとされる国の名だ」

 

 説明してもらわなくても分かっている。伊達で座学のトップを張っているわけではないのだ。そんなルイズにしてもロバ・アル・カリイエに関する記述なんて数行程度しか覚えてない。そんな珍しい地名を召喚された次の日に出されて、何度目かも分からない驚きを覚える。

 

 視線はラインハルトからずれて黒壇のテーブルに詰まれた四十二冊の本の山。あれを読破したというのは本当に真実らしい。どこまで規格外なんだろうか、この使い魔は。

 

「で、それがどうしたのよ?」

 

 ここでラインハルトは先程のメイドとのやり取りを明かした。洗濯のところで非常に珍妙な表情を浮かべていたルイズであったが、それに突っ込む野暮はせず。

 

「だからロバ・アル・カリイエ出身ってことにするのね。確かにそれなら、魔法の使えない貴族がいても不思議――とは思うけど、異世界から来たっていうよりはマシよね」

 

「ならば平民出身ということでも構わないのだが?」

 

「無理よ」

 

 一言で断じるルイズ。この男を見て誰が平民だと思うものか。平民だなんて名乗ったら逆に疑われること間違いない。もし目の前の男を平民にするなら、貴族なんて全員始祖ブリミルにでもならないと示しがつかなくなる。

 

「私はそう大した人間ではないのだがな」

 

「アンタってどんだけ自分を過小評価しているのよ……」

 

 獅子が兎を自称したところで、信じるものなどいやしない。

 

 

 

 それから続いたやりとりは、なんてことはない他愛も無い雑談だ。重要なことではないが、大切なことだ。相手を知らなければ信頼なんて生まれない。

 

「そっか、それじゃ兄弟仲はあんまり良くなかったのね……」

 

「私は中将、あちらは中尉だ。話す機会もなかったのでな。気付けば疎遠になっていた」

 

「寂しくはなかったの?」

 

 言葉にラインハルトは一度目を閉じ、首を振った。

 

「そうか、とは思ったが――それだけだ。それさえ言葉にする程のものでもない。肉親の情など、私はあまり持ち得ていなかった。むしろー―」

 

 他人と家族に違いなどなかった――先の言葉は音にせず飲み込んだ。己の異常性を明かしたところで、なにがあるわけでもない。幸いルイズは不自然な切り方をしたラインハルトには気づかなかった。彼女は今、故郷にいる家族に想いを馳せていた。

 

「疎遠か……ちいねえさま、私のこと嫌いになってないかな」

 

「姉妹がいるのか」

 

「ええ、二人いるわ。ちいねえさまは下の姉様で、体が弱いんだけどすっごく優しいの。魔法を失敗してばかりの私をいっつも慰めてくれたわ。でもエレ姉様は――」

 

 前半の自慢するような口調から一転、遠い目をしながら憂鬱そうな口調に。

 

「すっごく、厳しい人だった……」

 

 ハァァァ、と重い重い溜息。それはもう、魂が篭もっていそうな吐息だ。

 

「それほどかね」

 

「お母様も怖かったけど――エレ姉様はなんていうか……ううん、なんでもないわ」

 

 下手なこと言ったら――と小さく呟いてから、ルイズは露骨に話題を変えた。

 

 ラインハルトもまた、それと受け入れて話題の花を咲かした。主と使い魔。両者の格差は遠いが、共通点がないわけでもない。

 

 ラインハルトは高すぎる故に孤高であり、仕事以外での語らいなど久しくなかった。

 

 ルイズは魔法が使えない故に孤独であり、自分を曝け出せることなど久しくなかった。

 

 立っている場所は正反対なれど、互いに独りだったのだ。

 

「ー―それでね、そのときちいねえさまがいったのよ」

 

 ルイズは優しい姉と語らう時のような、気持ちで話せたし。

 

「なるほどな」

 

 ラインハルトもまた、彼自身気づいてはいなかったが、その笑はいつもより深く、また柔らかなものだった。

 

 

 

 ■

 

 

 

 気付けばいつもの起床時刻を過ぎていた。

 

「着替えるから席を外して頂戴」

 

 寝間着のルイズはそう言うと、ラインハルトを部屋の外に追い出した。着替えを手伝ってもらおうかとも思ったが、彼に相応しい主になると決めたのだ。

 

 それは自分で出来ることは出来る限りしようという彼女なりの向上心であり、肌を見せるのは恥ずかしいと言う年頃の乙女らしい純情な理由でもあり。

 

「…………」

 

 寝間着を脱いだルイズは、自分の身体をぺたぺたと触り始めた。

 

 胸の膨らみは山というより丘、こぶりなお尻、骨ばったとはいかないが、全体的に肉付きも薄いし、あと小柄。

 

 これで十六歳というには少々貧相――いやいや控えめな自分の身体を見て、小さく嘆息。

 

「ラインハルトって、どんな女性がタイプなのかしら……」

 

 恋愛感情を籠めた言葉ではなく、単純な疑問。あれほどの男なのだ。女性にはさぞモテたであろうことは容易に想像出来る。

 

 恋人はいたのだろうか。家族の話は聞いたが、そっち方面のことは話題にでなかった。とはいえ、いたとは思う。

 

 ……思うが、彼が女性と付き合っている様というのは中々に想像し辛い。

 

「……どちらかと寄って来る感じよね」

 

 例えば砂糖に群がる蟻とか。

 

 例えば花に群がる蜜蜂とか。

 

 例えば……そう人間で例えるならキュルケとか――ッ!?

 

「しまった……!」

 

 悪友、腐れ縁、生涯の敵。そんな言葉で言い表せる関係に女生徒の事を思い出して、ルイズはラインハルトを外に出した己の不覚を悟った。

 

 あの女がラインハルトを放っておくわけがない。間違いなく寄ってくる。その前に注意しておかないと大変なことになる!

 

 歯が浮くどころか溶けそうな発言を素面で連発するラインハルトのことだ。下手に歯車が噛み合ったら大惨事になるのは確実だ。主にルイズの精神面が。

 

「ラインハルトッ!」

 

急いで着替えたルイズは己の使い魔の名前を呼びながら自室のドアを開け――

 

「早い着替えだな」

 

 扉の前で立つラインハルトを見てホッと一息――して下を見て吹き出した。

 

「キュ、キュ、キュルケ!? ちょっとあんた何してるのッ!?」

 

 ラインハルトの足元には、崩れ落ちるように腰を床につけている悪友がいた。いつも色香を振りまいていたが、今日は格段と凄まじい。例えはアレだが、まるで発情した牝のようだ。

 

「…………」

 

 ルイズに名前を呼ばれても、キュルケは一向に反応を返さない。ただ瞳を濡らして、ラインハルトをずっと見つめている。

 

「……あ~もうッ!」

 

 ルイズは頭を抱えて叫んだ。

 

 なにがあったかはよくわからないが。

 

 なにかあったことだけは、よぉく分かった。




 ラインハルトとルイズ。深読みすれば以外と共通点は多いこの二人。

 ルイズは一日で随分と意識革命起こしてますが、ラインハルト相手にゆっくりしていたら一生追いつけなくなるので、彼に関わった人たちは一生休憩なしの全力フルマラソンしてもらいましょうか。
 ……ルサルカ化しそうだなー、ルイズ。
 ザミエルなルサルカ……これで行こうかな。

 引き続きルイズなんか不安定になって面倒いキャラになってますが、そろそろ安定するかと。
 ちょっと原作読み返してくる。
 
 この作品の一番の難所がどこかというと、現状はキュルケである。
 ラインハルトに対する反応って言えば威圧された云々ですが、キュルケの場合はもう『愛』が熱烈に関わってくるんですよ。獣殿も『愛』に生きる人ですし。

 キュルケなー。一度完全にぶっ壊すか、それとも壊れずにするかで書きながら迷っている。あぁもうどうしよう。この子をどうにかしないと続きが書けない……
 読者の皆さん、なんかいい案ある?
 
 ー―という、露骨な返信催促。いやほんと、感想あるとやる気起きるね、うん。作家さんが読書感想が執筆の最大燃料って言ってたのがよくわかるわ。


 作者は基本、終点以外決めてないので、「こうだったらいいなー」という発言はわりと嬉しいです。全て回収するとか言うつもりは毛頭ありませんが、使えると思ったネタは拾います。それをどう料理するかは教えないけどー♪


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