食王ミドラ (黒ゴマ稲荷)
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001

 

 

 

 1000年以上の歴史を持つ日本の古都、京都。

 その一角に、お稲荷さんを祭る社が存在する。

 伏見稲荷神社。

 その主な神の一角である、宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)

 その神が、今や焼野原になり、瓦礫にまみれた地面に倒れ伏している。

 もう、起き上がることさえままならないだろう。

 なぜなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 かろうじて残っているのは、頭と首から胸にかけての肉、それとかろうじてつながった右手のみだ。

 あとは、何か獣が―――たとえるならワニのように、大きな口と鋭い顎を持つ―――が一噛みで肉を食いちぎったかのように、下半身を食いちぎられている。

 

「あらあら、食を司る神であるウカノミタマ様が、派手に()()()()()()()()()()()()

 

 ウカノミタマの頭上から声がする。

 

「なんじゃい、パンドラか」

「そうよ、初めまして、ウカノミタマ様」

 

 パンドラ。

 かの魔女がこの地に降り立ったということは、理由は一つ。

 すなわち、新たなる王の誕生である。

 神を殺すという大偉業をみごと成し遂げた者こそ、神殺し(カンピオーネ)として新生するのである。

 それが、エピメテウスとパンドラの呪いにも似た大呪法。

 カンピオーネとして新生したものは、のちに現れるまつろわぬ神との大戦に否応なしにも巻き込まれていく。

 新生した証拠として、すでにウカノミタマから神威が漏れ出し、弑逆した人間めがけて漏れ出ている。

 

「しっかし、私の新しい息子ってば、大食いねぇ。ほら、見える?ウカノミタマ様が連れてきた九尾の狐ちゃん、もう骨しか残ってないわよ?」

「…九尾の天狐ちゃんのう、わしの言うことをよく聞いてくれるかわいい子じゃったんじゃが、時々いたずらで辺りを荒らしまわっちゃうんじゃよなぁ…。おかげで、今回はひどい目にあったわい」

「ふふふ、()()が当たったのね」

「神である我に()()など当たるかい!」

 

 そう言いあっている間に、近くに歩いてきた者の気配があった。

 ちょうど地面に横たわるウカノミタマを見下ろすように、その者が神の無残な姿を見下ろす。

 

 ぐううううぅぅぅぅぅぅぅ。

 

 音がした。

 見事神殺しを成し遂げた男の、腹から奏でられる音だ。

 

「まぁ、まだ食べたりないみたいよ?」

「…天狐ちゃん、軽く100メートルクラスまで巨大化してたんじゃがなぁ」

 

 ウカノミタマが目を視線を動かし、男を見やる。

 体には、無数の傷跡に、やけどの跡。

 さらに全身が血にまみれていた。

 もちろん、それはすべてがすべて自分の体から流れ出たものではない。

 口からは先ほどまで喰らっていた大狐から出たであろう血が口から顎にかけてしたっている。

 何より、目からは膨大な涙を垂れ流していた。

 それを手でぬぐおうともせず、ウカノミタマの方を見ている。

 

「…なぜ、泣く」

 

 神からの疑問にも答えず、男は体中の水分をすべて涙に変えたかのように、大粒の涙をぽろぽろと流している。

 頬から顎にかけての途中では、血と混ざって薄い赤色の雫が地面に向かって落ちていったりもしている。

 

「…やさしいやつじゃのう」

 

 神には、男が流している涙の理由がわかっていた。

 ―――満たされない。

 どれだけ食べても、どんなに喰らっても、男の腹は満たされないままだった。

 食料が問題なのではない。

 おそらく、男が生まれ育ってきた環境が問題なのだろう。

 神が顕現してから、彼と出会い、こうして弑逆させられるまでは、関係は悪くなかったのではないか。

 お互いに笑いあって、時には愚痴を交わしながらも、笑いあっていたのである。

 きっかけはふとしたことだったのだ。

 ウカノミタマはまつろわぬ神で、彼は人間だったのだ。

 ただ、それだけの擦れ違い。

 たったそれだけで、こうまで変わってしまうか。

 

「…しょうがないのう」

 

 ウカノミタマは、かろうじて残っている右手で、宙に印を切った。

 途端に、辺りの風景ががらりと変わる。

 辺り一面荒れ果て、がれきの山と化していた伏見の景色が、長大な山脈、生い茂る植物。地平線の彼方までつづくような湖。なにより、雲一つない青い空に。

 

「あらあら、ここってウカノミタマ様秘蔵の地?私まで入れてもらってもよろしかったのかしら?」

「まあしょうがないの。今回だけじゃわい。どうせすぐに入れんくなる。おい、小僧」

 

 残った右手で男を手招きする。

 鈍くではあるが、倒れ伏す神に向けて近づいていく。

 腰をかがめ、たとえ小声でも聞き取れるような距離まで顔を近づけると、

 

「お前にやるわい。わしの庭じゃ、好きに使え」

 

 そういって、男の体に印を刻み込む。

 途端―――世界が大きく変化した。

 文字通り、先ほどまでのウカノミタマの庭よりも、大きく、強大となったのだ。

 

「まぁ」

「ほう」

 

 神である二者ともに驚きの声を上げる。

 パンドラの言うウカノミタマ秘蔵の地というのは、地上ではなく幽世――欧州においてのアストラル界、中国においての幽界、ギリシアでのイデアの世界などなど、さまざまな名称を持つ――という生と不死の境界に存在する。

 そこは所有者であるウカノミタマか、ウカノミタマに招かれた者しか入ることができない。

 それよりも、宇宙開闢から未来に至るまで、あらゆる時代の記憶が混在しているはずの幽世が変化したということは、どういうことか。

 まるで外宇宙から来た謎の物体Xのように、未知の存在が幽世に影響を及ぼす。

 ウカノミタマを弑逆した男は、そのような存在だったのだ。

 新しい幽世にて次々と産声を上げる新しい命たち。

 無限に成長し続ける動植物。

 もはや、一つの宇宙だ。

 地平線まで見渡しても、まだまだ先が見えてこない。

 それどころか、この世界の理を吸って、もっともっと肥大化していっている。

 何よりも、()()()()()匂いがする。

 今、この世界の所有者は、ウカノミタマからこの男になったのだ。

 

「…これは予想外だのぅ」

「本当ねえ、これは将来楽しみだわぁ」

 

 男はウカノミタマの半身を抱きかかえながら、無限に広がる世界を見つめる。

 口からは涎があふれ、滝のように流れ出ている。

 腹はその存在を主張するかのように、音を奏でている。

 何よりも、その瞳から流れ出ていた涙が、すっと引いているのだ。

 

「さて、ウカノミタマ様、みごとあなたを弑逆せしめた、私と旦那(エピメテウス)の新しい息子に祝福と憎悪の言葉を与えてあげて頂戴!いつか再び戦うその時まで、強くあれと聖なる言霊を上げて頂戴!」

「よかろう!もっとも空腹で、満たされぬ神殺しよ!今やこの世界も、わが権能も貴様のものになった!再び会いまみえるその時まで、決して死なぬようせいぜい喰らっておくのだな。そして、いつかまた、あいまみれようぞ!」

 

 そう言葉を発した後で、ウカノミタマの体は粒子となって消えていった。

 重量がなくなった男の手の中には、もはや何も残ってはいなかった。

 男は、そのあとで力を使い果たしたかのように、糸が切れた人形のように倒れ、眠りについた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 小雪は空腹になりながらも、町を歩いていた。

 いつものように、空き地で遊ぶ子どもたちを隠れながら眺め、暗くなって子供たちがいなくなると家に帰る。

 家では、母親に碌な食べ物を食べさせてもらえない。

 そんな孤独な日々を送りながらも、今までずっと生きてきた。

 空腹で力の入らない、棒のような足を引きづりながらも、家への帰路に立つ。

 

「…マシュマロなくなっちゃった」

 

 今日で、大好物のマシュマロも袋から姿を無くし、口に入れる物は今手元に何も残ってはいない。

 骨と皮しか残っていない、細すぎる手足。

 痩せこけた頬。

 空腹のせいか、碌に夜も眠れず、瞼の下には大きな隈さえできている。

 いままでなんとか耐え忍んできたが、もう限界だった。

 視界が暗転し、小雪の意識は暗闇に落ちていく。

 崩れ去るその小さな体を、抱きかかえたのは大きな手だった。

 もっとも、意識を失った小雪には、その姿を見ることはかなわなかった。

 ただ、何か大きな存在が自分を抱きかかえ、その暖かさに思わず顔をほころばせる、ただそれだけだった。

 

 小雪が再び意識を取り戻したとき、最初に見たのは見知らぬ天井だった。 

 体を起こそうとしたが、力が思うように入らない。

 手のひらは震え、思ったように握ることすらままならなかった。

 

「気づいたか」

 

 横合いから声がした。

 顔だけは、なんとかそちらを向けることができた。

 自分が寝ていた布団の横に、あぐらをかいて座っていたのは一人の男だった。

 頬に三字の傷がある、年は20代後半だろうか。

 まだ若さと、今まさに来ている老いが入り混じったような、大人だった。

 小雪が返事をしようと口を開けるが、あ…、あ…とか細い息の音しかでてこなかった。

 

「お前は無理に体を動かさなくていい」

 

 男は小雪の小さい、小さすぎる体を抱きかかえ、壁に背をもたれさせる。

 体を起き上がらせると、傍に置いておいた一つの皿を手に取った。

 いい匂いがした。

 食欲をそそる匂いだ。

 小雪の体から、その皿の中身を求める音が鳴り響く。

 皿の中身は、オレンジ色のスープだった。

 ニンジンその他を煮込んだ、キャロットスープだ。

 いまだ湯気が立っており、そのまま小雪の口に入れるには少し熱すぎる。

 男が匙ですくったスープに数回息を吹きかけ、熱を冷ましやる。

 ちょうど良い温度になったそれを、小雪の口の中に流し込んでやる。

 ちびちびとした動きだったが、じっくりと味わいながら、小雪はそれを飲み干していく。

 数度口に入れるうちに、元気が出てきたのか、手が動くようになっていた。

 それに気づいた男が、皿ごと小雪に渡す。

 受け取った後、小雪が匙ですくいながら、皿の中身を飲み干していく。

 美味しかった。

 それまで給食の料理がごちそうで、それも親はろくに払ってくれないせいか、最近は食べることさえできなくなっていた。

 家では机の上におかれているカップめん。

 それも、たまにしか置かれていない。

 他人の手料理なんて、食べたのはいつ以来だったろう。

 知らないうちに、頬に涙がつたっていた。

 おいしい、おいしいよう。

 涙を流しながら、口の中に広がる野菜の旨みを、にんじんの甘みを味わい、堪能していく。

 あっという間に、皿の中身が空になっていた。

 

「おかわりいるか?」

 

 男の問いに、肯定を示す。

 再び、皿にそそぎこまれた、オレンジ色のスープ。

 それを匙ですくいながら、口の中に流し込んでいく。

 

「美味しいよ」

 

 今度は声を出すことができた。

 男は小雪のその言葉に微笑んで、厨房まで戻っていく。

 男の家は、1DKの小さな家だった。

 今しがた小雪が眠っていた布団が引かれている部屋の他には、トイレと風呂、キッチンだけの小さな家。

 部屋の真ん中に普段据えられているちゃぶ台は、壁に立てかけられている。

 

「ごちそうさま!」

 

 久しぶりにありつけたまともな食事で、小雪は少しではあるが、元気を取り戻すことができた。

 しかし、まだ立ち上がるほどの体力は残っていない。

 部屋の中で男と小雪が向き合っている。

 

「旨かったか?」

「うん!すっごくおいしかった!こんなの僕、食べたことなかったよ!」

 

 笑顔交じりで応える小雪。

 

「お母さんにも、食べさせてあげたいな…」

「…母親がいるのか?」

「うん。あのね、お母さん忙しくて、僕に構ってる暇がないんだけど、でも僕、お母さんが大好きなんだ!だからこのスープも、お母さんと一緒に食べたい!」

「そうか」

「…でも最近、お母さんどこかに出かけることが多くて、一緒にいられることも少ないの…。帰ってきても、僕に八つ当たりしてし…」

「―――」

「でも、大丈夫!このスープを飲めば、きっと優しいお母さんに戻ってくれるよ」

「…なら、もう夜も遅い。家まで送っていこう。体もまともに動かないだろう」

「本当!?ありがとう」

「ああ」

「…おじさん、名前教えて。僕は小雪っていうんだよ」

三島(みしま)貴虎(たかとら)だ」

 

 男―――貴虎が小雪を背に乗せると、出口に向かって歩き出す。

 腹いっぱいになった影響からか、男の大きな背中に安心したからか、いつしか背中の揺れに眠気が来て、小雪は眠ってしまったのだった。

 

 小雪が再び目覚めたのは、丸一日後のことだった。

 目覚めた後で、貴虎から告げられたことは、母親が小雪を手放したこと。

 ミドラが小雪を引き取ったことだった。

 最初は告げられたことの意味がわからず、呆然としていたが、やがてわんわんと泣き出し、小一時間寝かされていた布団の上で大声で泣いていたのだった。

 泣き止むと、今度はお腹が空腹を訴える音を大音量で奏で、それを聞いた新たな父から収縮した胃でも受け付けるような、消化の良い梅干しがちょこんとのっただけのしお粥を、昨日されたようにふうふうと息を吹きかけられながらも口の中に入れていくのだった。

 貴虎は不器用な男だった。

 手先のことではなく、人づきあいのことだ。

 必要なこと以外は口を開くことはなく、小雪と暮らしていく中で口を開くのは少しで、あとは小雪の話に相槌を打つくらいであった。

 住んでいる場所は川神のはずれの工業団地で、少し無法地帯と化しているところだった。

 住民は極力、干渉しあわない。

 しかし、それでも小雪は貴虎からの親の愛情というものを感じていた。

 初めは新しい親というのを受けいられずにいたが、一緒に暮らしていくうちに自然と口数も増えていく。

 何よりも、貴虎の作ってくれる食事が、小雪の毎日の楽しみとなっていた。

 どこからか調達してきてくれる食材。

 お腹いっぱいに、顔を見合わせて食べられる環境。

 あんなに痩せこけていた体も、いつしか肉付きのいい、張りのある肌を取り戻していった。

 それと、よく笑うようになった。

 それまで、機嫌をうかがうような、無理やり作り出した笑顔だったのが、自然と鋼殻を上げ、白い歯をみせ笑うようになったのだ。

 相変わらずマシュマロは好物であるが、貴虎の言いつけで、一日に食べられる分量は決まっている。

 中学の時に、食べすぎで少し太った時には、頭をはたかれ、節制しろと厳命された。

 友達もできた。

 小学校高学年の時にインフルエンザにかかった小雪を、近くの総合病院へと店に行ったときに知り合った者たちだ。

 葵冬馬と、井上準。

 病院の院長の一人息子である冬馬と、院長の助手の息子である準とは、年が近いことに加え、小雪の明るさによってすぐに仲良くなることができた。

 たまに家に来ては、貴虎の料理を一緒に舌鼓をうっている姿が目撃できる。

 そんなこんなで、中学は冬馬や準の勧めもあって、二人と同じ中学を受験し、みごと合格することができた。

 今では仲良し三人トリオとして、学校内でも元気にやっているのだそうだ。 

 明るくなり、栄養失調から回復したことによって、肌に()()を取り戻し、年が経るにつれてますます美しくなっていく小雪を、男どもは放ってはおかなかった。

 中学時代は、小雪に言い寄る男子はたくさんいたが、ことごとく玉砕。

 小雪曰く、『好きな人がいる』のだそうだ。

 もっとも、貴虎はそれがだれなのかわかっていない。

 彼女の人生なので、好きにさせようというのが彼の持論であるので、ノータッチ。

 彼女が友とともに編み上げた戦略もことごとく失敗中。

 なかなか気づいてもらえないようだ。

 それともう一組、小雪が中学時代に出会った家族。

 板垣四姉妹と、その師匠である釈迦堂刑部である。

 ある日河原で寝転がっていた板垣四姉妹の次女である板垣辰子が、同じく河原で釣りをしていた貴虎がゲットした魚のにおいにつられ、ホイホイと近づいていったのがきっかけである。

 板垣家が住まう家も、同じ工業団地の中に居を構えていたため、今では時折おすそ分けとして料理を持っていく仲にまでなった。

 家族ぐるみの付き合いとして、四女の天使がゲームをやりにきてそのまま泊まっていったり、飯を食わせろと辰子や竜兵がゾンビのごとくやってきたり、たまに亜巳の収入がいいと、買ってきた肉で鍋パーティーをしたり、釈迦堂の仕事をたまーに貴虎が手伝ったりと、そんな感じだった。

 小雪は今、幸せだった。

 孤独だった自分を、救ってくれたお父さんに感謝をしていた。

 

 やがて、中学を卒業し、高校へと向かう。

 行先は、川神学院。

 中学と同様に、仲良し三人組と一緒のクラスだ。

 今、保護者席から見守られながら、小雪は入学式での席に腰を下ろした。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 少し、時が遡る。

 遠い、日本より離れた地にて、()()()神殺し(カンピオーネ)の誕生が、確認された。

 その誕生の鼓動は微弱ではあったが、しかしはっきりと貴虎にも届いていた。

 遠い、異国の地を見つめながら、今日も王は()()に出かける。

 

 

 

 

 

 



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002

 

 

 5月2日土曜日。

 よく晴れた陽気の中、山荘へと続く道のりを一台のボックスカーが走っている。

 乗っているのは、三島貴虎、小雪両家族と、その友達の葵冬馬、井上準だ。

 

「すいませんね、貴虎さん。せっかくの休みだっていうのに、私たちの頼みを聞いてもらって」

「気にするな。私も小雪と旅行なぞ、行ったことがなかったからな。…いい機会だ」

「レンタカーまでしたみたいで、助かります」

「車、持ってないからな」

「お父さん、そういえば免許は持っているけど、自動車持ってないね。なんで?」

「走る方が速いしな」

「…冗談ですよね」

「いや、…川神ならありえるのか…?」

「まぁ、家の前に停めておくと一晩で盗まれるからな。借りた方が結果的に安くつく」

「なるほど」

 

 ゴールデンウイークに入り学校も休みに入ると、三島家以下の面々で箱根温泉へ旅行に行くのだった。

 ある日、貴虎が日雇いの仕事から帰ってくると、遊びに来ていた冬馬、準に加え、娘である小雪から旅行に行かないかと誘われたのである。

 思えば、小雪とはそう遠出をしたことがなかったと思い、了承。

 この日のために温泉付近の旅館を予約し、レンタカーも借りてきたのである。

 4人ということで、なぜ大きなボックスカーを借りてきたのか。

 その答えは冬馬たち3人が仲良く並んだ後部座席の後ろ、荷台の上にあった。

 

「…それにしても、貴虎さん、()()は持ってきすぎじゃないですか?」

「重すぎて思うようにスピードも出てねえし…」

「さっきから追い抜かれてばっかなのだー」

 

 冬馬たちが荷台に目を向けると、そこには2つに分けられた白い発泡スチロールの箱が。

 3段に積み上げられ、合計6個。

 中身は、もちろん食材である。

 貴虎が予約した旅館では有料ではあるが、バーベキューのセットを借りることができる。

 もちろん、食材は持参する。

 そのため、貴虎は朝早くから、食材を大量に詰め込んでいたのだ。

 

「まあお父さんは大食いだからねー。これ、何食分?」

「一食分」

「すごっ!!」

「…いやはや、貴虎さんの食欲がすごいのは知ってはいましたが、これほどとは…」

「お前らの分もちゃんとあるから、いっぱい食べろよ」

 

 こうして二泊三日の箱根温泉旅行がスタートしたのである。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 一行が箱根温泉付近の旅館に着いたのは夕方であった。

 辺りは夕焼けの色に染まっており、バーベキューをするのは明日以降になりそうである。

 出迎えてくれた女将さんに挨拶をしながら、割り振られた部屋へと向かう。

 

「うわー、ひろーい!」

「さすが九鬼系列の旅館だけありますね」

「10人は一緒に泊まれるな、こりゃ」

 

 きれいに整頓された、畳特有のにおいのする和室に、一向は泊まることになった。

 荷物を手分けしながらまとめると、自由行動の時間となる。

 夕食の時間までは、まだ幾分かあるのだ。

 

「それじゃあ、夕食まで少し時間もありますし、自由行動としますか」

「わーい。おい、ハゲー。ゲーセン行こう?」

「こらこら、ハゲって言うんじゃありません!おいこら、走っていくな!置いてかないでー」

「やれやれ、騒がしいことですね」

 

 冬馬、小雪と準の三人は、仲良く下の階に備え付けられたゲームセンターへと走っていった。

 それを見送りながら、貴虎は窓際の席に着く。

 手元に置いてあるテーブルには、いくつかの酒瓶が置いてあった。

 それをコップに注いで、飲む。

 今飲んだのは、ビールのようである。

 黄金色と、白い泡が貴虎の喉を通っていき、炭酸が口の中でシュワっとはじける。

 ゴクリ、ごくりと喉を通っていく冷たい液体。

 あっという間に、コップの中身がなくなってしまった。

 そこに新しく液体を注ぎ込む。

 並々に注がれた黄金色の液体に口付けながら、外の景色を眺める貴虎。

 窓から見える景色は、都会から離れた山林を思わせる。

 近くに川もあり、釣りをしたりもできそうだ。

 明日、天気が良いなら、あのあたりでバーベキューをするとしようか。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 夕食で出された懐石料理も食べ終え、一休みしたところで温泉に入ることにした。

 小雪とは男湯と女湯でわかれる。

 少々さびしそうにはしていたが、一緒に寝ることを約束すると機嫌を直してくれた。

 風呂は内風呂と露天風呂とあり、まずは内風呂のほうで体を洗ってから、湯船につかる。

 露店から見える空にはすでに無数の星がちりばめられており、屋根の外から見える空

をみつめながら、少し熱いくらいの湯につかっている。

 普段は家の小さな湯船とは違い、ここでは貴虎の大柄な体でも思いっきり足を延ばしたりすることができる。

 その解放感を思う存分感じながら、鼻歌でも歌いながら湯を楽しむ。

 

「ご機嫌ですね」

「ちわーす。そっちに行ってもいいですか?」

「おう、いいぞ」

 

 内風呂の方には電気風呂や水ぶろなど、多種多様な風呂が楽しめるようになっており、冬馬たちはそちらのほうを先に楽しんでから来たらしい。

 貴虎は最初から露天風呂に絞り込んでいたため、行動は早かったのだ。

 冬馬と準が、貴虎の近くに腰をおろし、湯船につかる。

 露天風呂には貴虎たちの他にも数人の客が利用しており、それぞれが世間話や一心不乱に風呂につかったりと、楽しんでいた。

 

「あー、生き返るわー」

「本当に、いい湯ですね」

 

 冬馬と準も気に入ったらしい。

 顔がほくほくとほころんでいる。

 

「本当にありがとうございました、貴虎さん。無理を言ったみたいで―――」

「その話は終わったことだろ?私も今日、ここにこれてよかった。礼を言うのはむしろ私の方だ」

「ふふ、そういってもらえるとうれしいです」

「ユキのやつも喜んでましたよ」

「…小雪とは、あまり旅行には行ったことがなかったからな。もしかしたら、不便にさせていたかもしれないな」

「そんなことないっすよ!」

「大丈夫ですよ。ユキも貴方に感謝しています。なんせ、死にかけのあの子を救ったのは、あなたなんですから」

「…そう言ってももらえると助かるよ」

「ふふふ、学校でも、あなたの話が出るたびに、ユキもうれしそうに話していますよ」

「私の話なんて、別に話すことなんてないだろ」

「それが結構話題に上がるんですよ。ユキの弁当を毎日作っているのは貴方ですからね」

「クラス内に不死川ってやつがいるんですが、一口食べただけであまりのおいしさに石化してましたからね」

「すごく美味しい弁当を毎日作る、さらに家の家事をほとんどこなすスーパーダディとして、クラス内では一躍有名ですからね」

「…まあ、小雪がクラス内でよくやっているなら、別にいいよ」

「ふふふ、ユキは美人ですからね。その上Sクラスに入るほど頭もいい。言い寄る人も多いんですよ」

「最近では年上とか、年下からも告白されたりしてるからなー。全部断ってるけど」

「そうか」

「貴虎さんは、ユキに好きな人がいることはご存知ですか?」

「ああ、なんか前に話してくれたな」

「親的に、『お前なんかに娘はやらん!』とか、『ほしいなら俺を倒してから行け』とかないんですか?」

「いや、好きにさせるさ。あいつの人生だ。別に私がどうこうしようってわけにもいかないだろ」

「とか言って、ある日ユキが彼氏を連れて来たらどうするんですか?」

「そん時はそん時だ」

「そんなもんすかね?」

「そんなもんだ。命短し、恋せよ乙女。学生の内が華だからな。彼氏でもなんでも、経験したらいい」

「いやあ、いさぎいいですね」

「わからんぞ、もしかしたら、彼氏なんて連れてきた日には、焼いて食っちまうかもしれないな」

「はは、やっぱり動揺してるんじゃないすか」

「…時に、貴虎さんはご結婚なさらないんですか?もう30は超えた年齢だと聞き及んでいますが」

「なんだ?小雪に聞き出してこいとか言われてるのか?」

「いえいえ、ただの好奇心ですよ」

「ユキも気になっていましたよ」

「あー、あいつ母親もほしいとか、そんな感じ?」

「そういうわけではありませんが…」

「あまりにも女っ気が少なすぎるので…」

「板垣姉妹がいるだろ、あとはバイトで会うおばちゃんとか」

「板垣姉妹に関しては、娘みたいな感じでしょう?おばちゃんは既婚者ですよね?」

「…もしかして、ホモですか?」

「は?」

「いえ、大丈夫ですよ。私も、女性も男性もいける口なので、人の趣味嗜好はそれぞれですから」

「若は見境ないからなー。学校でもいろんな人に言い寄ったり言い寄られたり」

「残念だが私の性的思考は正常だと思うぞ」

「でもユキから聞いた話では、部屋の中からエロ本を発見したこともないって…」

「ネットの履歴を探っても、一度もそのようなページを見たことがないとも聞きましたが…」

「…あいつは一回、説教しないとな」

「まじめな話、どこで処理をされているんですか?」

「思春期真っ盛りの男子高生としては、やっぱり気になるんですが」

「あー、まあそのくらいの年齢ならしょうがないのか…。いや、私の場合は少し特殊でなー。なんと説明したらいいのか…」

「…特殊な性癖とかですか?」

「ちなみに準はロリコンです」

「違います!俺は小さい子ががんばっている姿を遠くから眺めているだけで幸せなんです」

「ロリコンでもないな。…あえて言えば、色気より食い気って感じかな」

「おや、そういう話には興味ないと?」

「花より団子だな。風俗でも、遊郭でも、それよりも飯食ってた方がって思ってる」

「では、色恋には興味を持てないと?」

「もしかしてEDとかですか?」

「いや、そっちは順調だと思うぞ。…まあ、今はそんな余裕もないしって感じかな」

「そうっすか」

「私の心配よりも自分の心配してろ。お前、ロリコンなんだろ?捕まっても知らんぞ」

「大丈夫です。YESロリータNOタッチ。痴漢は犯罪です」

「…本当に大丈夫か、こいつ」

「準もその辺はわきまえていますよ」

「そうか。…さて、そろそろ出るか」

「おや、もう出て行かれるのですか?」

「お前らより先に入っていたからな。いいかげん、体がふやけてしまう」

 

 露天風呂から立ち上がる。

 そのまま出口の方へ向かう貴虎。

 その前に、

 

「小雪、いつまでもそんなとこにいると、風呂冷めするぞ」

 

 そう言い残して、風呂から出て行った。

 

「…若、見ました?」

「ええ、戦艦大和くらいですか?」

「体だけじゃなく、あそこもビッグだとは…」

「ふふふ、興奮してきてしまいましたよ」

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

「…びっくりしたー」

 

 少し時間のたった今でも、心臓がバクバクと鳴っている。

 みんなと別れた後で、一人で露天風呂に入っていると、男子風呂の方から話声が聞こえてきたのである。

 貴虎と冬馬、準の声だ。

 学校の話から、自分の話、果てには貴虎の恋愛の話について。

 冬馬がうまく誘導してくれたのだろう。

 貴虎の恋愛の話は、小雪が一番気になっていたことだ。

 中学に入って、そういう話も聞くようになってから、自分の父はどうだっただろうかと考え始めた。

 板垣亜巳、辰子、天使を交えた家宅捜索でも、そのような本やDVDを見つけることはかなわなかった。

 一体、いつ処理をしているのか。

 そういうことをしなければいけないということは、小雪にもわかってる。

 年長の亜巳が、赤面交じりで話してくれたことを、辰子、天使とともに聞いていたこともある。

 好きなのだ。

 父が。

 それが家族愛を通り越して、一人の男性として好きだということに気付いたのは、つい最近のことだ。

 いけないことなのかもしれない。

 けれども、血はつながっていない。

 一緒に布団を並べて眠るときも、心臓がバクバクしている。

 冬馬と準には、心情を打ち明けたりした。

 二人とも驚いてはいたが、否定はしなかった。

 難しいと思うが、頑張れよと背中を押してくれた。

 相談にも乗ってくれた。

 できれば、誰にも渡したくない。

 ずっと一緒にいてほしい。

 そんな思いで、壁一枚を挟んだ向こう側の声を聴いていた。

 真剣になればなるほど、壁に耳をつけて聞いてしまう。

 しかし、ばれていた。

 貴虎は、こちらが息をひそめて、話を聞いていたことを知っていたのだ。

 ぶくぶくと水中で息を吐きながら、貴虎のことを考える。

 ―――最初は、大きな手だった。

 こちらの小さな、小さな体を抱きよせてくれた手。

 次は、大きな背中。

 安心する、父のような背中だった。

 いつも、この背中を見て育ってきた気がする。

 不器用だけれど、私のやさしいお父さん。

 ―――いつか、いなくなっちゃうのかな。

 そう考えると、悲しくなってくる。

 できれば、そうはならないでほしい。

 そう思うのは、自分のわがままだ。

 でも、それでもと―――

 

「よし!」

 

 ざばっと湯から上がり、出口を目指す。

 湯冷めしかけていた体も、これであったまった。

 決意を新たにしながら、少女は出口を目指す。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 5月3日日曜日。

 この日も、快晴の空が広がっていた。

 朝食をとった一向は、近くの川でバーベキューを決行することにした。

 旅館のフロントで借りたセットをもって、川の近くに陣を取る。

 炭での火起こしや、セットの組み立てなど、その他調理などは貴虎の役目だ。

 冬馬、準、小雪の三人は、用意ができるまで辺りを散策することにした。

 三人ともが裸足になって、春の小川に足をつける。

 夏に向かっていく陽気な気候と、小川の水の冷たさで、三人は笑いあいながら川を満喫していた。

 

「みてみてー、とうまー、じゅんー、魚がいるよー」

「ユキー、その辺は深くなっているので、あまり行ってはいけませんよ」

「しっかし、まだまだ水がちべてーな」

「あははー、おさかなさーん」

 

 一行がバーベキューを行おうと陣を取ったその少し上流には、少し水位が深い、壺上に水がたまっている場所があった。

 そこには、遠目から見るだけでも、魚のような黒い影がたくさん存在していた。

 どうやら、ここに山頂からながれてきた川の栄養分が、一時集まるらしい。

 深く、大きいその水壺は、自然が作った魚や沢蟹などの繁殖場のようである。

 三人は遠目からそれを眺めながら、準備ができるのをいまかいまかと待ち望んでいる。

 

『おい、準備ができたぞ。戻ってこい』

 

 声が届いた。

 貴虎の声である。

 

「はーい」

 

 小雪が嬉しそうに駆け出していく。

 それを追いながらも、

 

「…若」

「貴虎さんの声でしたね。まったく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「おそいぞー、お前ら」

 

 ジュウジュウと、肉の焼ける音がする。 

 

「あー!お父さんずるーい!先に食べ始めるなんて!」

「お前らが帰ってくるのが遅いのが悪い」

「待っててって言ったじゃん」

「それよりウェットティッシュで手を拭け。心配すんな、肉はたくさんある」

 

 そう言って足元の発泡スチロールの箱を足で指し示す。

 どうやら、あれに肉などの食材が入っているらしい。

 小雪たちがウエットティッシュで手を拭くと用意された紙皿を手に取る。

 そこに、貴虎が焼けた肉を順番においていく。

 それにタレをからめて、

 

「「「いただきまーす」」」

 

 焼けた肉にやけどしないように、歯をつけると、そこから飛び出る肉汁。

 噛んでいるうちに、口の中でとろけだす肉の身。

 

「おいしーい」

「うまいっ!!」

「これはこれは…」

「まだまだあるから、遠慮せずに食べろよ」

 

 三者三様の反応ではあるが、どれも好感触のようである。

 カルビ、ロース、ミノ、ハツ、ホルモン。

 牛肉の他にも、豚も鳥もあった。

 その他にも、ゴボウやキュウリのようなカリカリとした食感の、牛肉をまいて食べると油の旨みが増す『スナックサンチェ』。

 豚肉をベーコンのように薄くスライスし、それを『バナナきゅうり』にまいて軽く火を通したり、

 少し火を通した『マシュマロカボチャ』は、甘さが引き立てられ、そのまま食べるよりもおいしくなっていた。

 

「「「ごちそうさまでした」」」

「美味しかったよー」

「こんなに美味しい肉や野菜をありがとうございます」

「高かったんじゃありませんか?」

「金のことは心配しなくてもいいよ。美味かったならそれで」

「片づけは私も手伝うのだー」

「おいおい、今から俺が食うとこなんだぜ」

「では、私たちが焼きましょうか?」

「貴虎さんはベンチに腰かけて、焼けるのを待っててくださいよ」

「お父さんの肉を焼くのは僕だー」

「じゃあ、頼むわ」

 

 まだ、発泡スチロールの箱は2箱も残っている。

 貴虎はベンチに腰を下ろし、ひそかに持ってきていたアルコール類に手をつける。

 子どもたちは、まだ未成年なので売店で買ってきたジュースを、紙コップに注いでいる。

 楽しく談笑しながら、昼の食事会は過ぎていく。

 

 夕方。

 辺りが黄昏色に染まるころに、貴虎たちは片づけをしていた。

 使ったバーベキューセットから灰を落とし、軽く水洗いして汚れを落とす。

 すっかり空となった発泡スチロールの箱は、手分けしてボックスカーの中へと運んでいく。

 時刻は五時ごろ。

 旅館にもどってきた面々に、見たことある顔ぶれが冬馬たちの瞳に映った。

 

「おやおや、これはこれは、風間ファミリーの面々ではありませんか」

 

 旅館一回の売店付近、そこにいた直江大和、川神一子、クリスティアーネ・フリードリヒ、椎名京、黛由紀江などなど、通称『風間ファミリー』の面々だ。

 リーダーの風間翔一の姿が見えないが、きっと一緒に来てはいるのだろう。

 校内でも有数の、仲良しグループなのである。

 

「葵冬馬、お前も来ていたのか」

「はい、せっかくのゴールデンウィークですので、家族旅行にね。そちらも?」

「キャップが商店街の福引を引き当ててな。2泊3日の箱根旅行だ」

「それはすばらしい。私たちは明日で帰る予定ですが、ここの温泉は素晴らしいものですよ。ぜひ堪能していってください」

「言われなくても、もう入っちまったぜ」

 

 川神学園において、エリートクラスであるS組と、落ちこぼれというか、成績が悪い者たちの集まるF組は仲が悪い。

 体育祭の規模を拡大したかのような川神祭においても、毎年学年の覇権を争って、デッドヒートを繰り広げている。

 しかし、大和たちが所属する風間ファミリーと、冬馬たちはそれほど仲が悪くもない。

 F組だからと見下すことが多いので、F組からはS組は嫌われているのだが、冬馬たちはそのようなことはしなため、それほど火種にもならない。

 風間ファミリーの方も、SとかFとかの格にはそれほど興味がないため、積極的に争ったりもしないのだ。

 ただ、やはりトトカルチョなどで知恵を振り絞って争ったこともある面々だった。

 そのおかげもあって、前よりも話せるようになったのかもしれない。

 

「準ー、冬馬ー、部屋に行くよー」

「おやおや、時間が来てしまったようですね。縁があれば、また風呂ででも会えることでしょう」

「またなー、お前ら」

 

 そう言って風間ファミリーの前から去っていくS組の面々。

 

「…あいつらも来ていたのか」

「珍しいね。S組のやつらなら、この休みも勉強勉強って感じだと思ったんだけど…」

「家族旅行って言ってたね」

「まあ、せっかくの箱根旅行を邪魔されることもないだろう」

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 しかし、再会は意外と早かった。

 夕食を食べ終え、露天風呂へとやってきた風間ファミリーたちはばったりとそこで冬馬と準、そして貴虎と顔を合わせたのである。

 

「げ、葵冬馬」

「おやおや、これはこれは大和君たちではありませんか。意外と早い再会でしたね」

「知り合い?」

「同じ学校の生徒ですよ。クラスは違いますけどね」

「…そちらの方は?」

「ああ、すまない。三島貴虎だ。三島小雪の父と言った方が早いかな」

「ああ、あのS組の」

「あの子のお父さん…」

「似てないな」

「こら、キャップ!」

「ははは、かまわないよ。むしろ私に似ずに美人になってくれた方がいい」

「小雪さんは美人ですよ」

「うちのクラスでも、ファンな人は大勢いますし」

「ほう、それはよかった」

「なあ、モロ。今小雪ちゃんのお父さんに、『娘さんを僕にください!』て言うチャンスじゃね?」

「やめときなよ。ガクト前に振られたばっかでしょ」

 

 そう口々に騒ぎ立てながらも、風間ファミリーの面々も湯船につかっていく。

 幸運にも、今男風呂にはこれらの面子しかいないのだった。

 少々騒いでも、大丈夫なのだ。

 

 その頃女湯では、

 

「覗きをします」

 

 そう提案したのは、椎名京だ。

 彼女は、同じメンバー内の直江大和に思いを寄せているので、たびたびこのような大胆な行動に出てしまうのである。

 

「なんで?好きな人でもいるの?」

 

 小雪も風間ファミリーのメンバーと打ち解け、一緒に女湯に入っている。

 時折百代が絡んでくるのをうっとうしく感じながらも、同年代の女の子同士で仲良くやっているようである。

 

「そう、私は大和LOVE。ああ、大和待っていて、すぐにあなたの妻がそちらに行きます」

「やめないか、京」

「そうよ、やめときなさいよ。大体、大和以外の人のが見えたらどうするのよ?」

「…その考えを失念していた」

「あ、あわわわわ。覗き、男の人を、覗きなんて…」

『やるねー、みやこっちゃん。肉食的すぎて骨まで一緒に食っちまうみたいだー』

「…しょうがない、こうなったら、秘儀聞き耳!」

「僕もしよーっと」

「やめておけと言っているだろう」

「止めても無駄よ、クリ。恋する乙女のパワーはもう止められないわ」

「そういうものなのか?」

「…それはそうと、モモ先輩、さっきから静かにしていますけど、どうなされたんですか?」

「…いや、そうだな…、これだけ美少女の姿を一気に目に焼き付けてしまい、しばらくの間ショートしていたようだ」

「そ、そうですか」

『美しいってのは罪だぜー』

 

 またまた男湯では、

 

「…それはそうと、やはり大和君はおいしそうな体つきをしていますね」

「…おい、やめろ!そんな目でこっちを見るんじゃない」

「あー、悪いな直江。若は雑食でなぁ」

「準はロリコンですけどね」

「違います!僕は小学生が登校してきたところに、飴をあげてお疲れ様って声をかけたいだけなんです!」

「それ、犯罪だよね?」

「俺はやっぱり巨乳のお姉さんがいいなぁ。よっし、これからもモテるために、筋肉を鍛えまくるぜ!見よ、この力瘤!」

「おー、さすが島津だ。片手でバイクを持ち上げたって逸話があるだけあって半端じゃねーな」

「筋肉と言えば、貴虎さんもかなりの筋肉質な体をしていますよね。何かなされているんですか?」

「いや、私は特別なトレーニングとかはやってないよ。ただ飯食って適度な運動してい、よく寝てただけさ」

「へー」

「体が作られるのは、やはり君らの年くらいだから、今のうちにいろいろやっとくといいかもね」

「わかりました」

「さて、それじゃあおいちゃんはこの辺で失礼するかな」

「え…、もう行ってしまうんですか?」

「なんか、遠慮してもらったみたいですいません」

「いーよ、いーよ。あとは若い子たちの時間ね。それに年取ってくると長風呂がきつくなってくるんだよ」

「そうですか」

「貴虎さん、部屋にいますか?」

「そうだな…、腹も減ったし、なんかつまんどくわ」

「わかりました」

「…さっき食べたばかりなのに、まだ腹が減っているのか」

「驚異的な胃袋だね」

 

 貴虎がいなくなった後で、男たちはこぞって猥談を始めた。

 下のナニの話は、大いに盛り上がり、それを聞いていた女どもは、

 

「…大和はマグナム。屈強な熊をもしとめられるその銃口で、私を狙い撃ちしてほしい」

「男集は本当にどうしようもないわね」

「まったくだ」

「―――ついていけません」

『まゆっち、がーんばれ!』

「なかなか面白い話をしているな」

 

 その中で、

 

「…波動砲」

 

 宇宙戦艦ヤマトは小雪も少しなら知っている。

 貴虎のナニのことを、男集はこぞってあの大口径エネルギー砲と揶揄した。

 もうそこまで行くと訳が分からなくなってくる。

 ぶくぶくと泡をたてながら、小雪の顔が湯の中に沈んでいく。

 顔が熱い。

 きっと、長風呂に入っている影響だけではないだろう。

 そんなこんなで、夜が更けていく。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 旅行三日目の五月四日月曜日。

 今日もよく晴れており、計画していた家族旅行も順風満帆――――とはいかなかった。

 午前。

 風間ファミリーの面々が、各々釣りや近くの散策などで楽しんでいる中、山での一子と京の稽古の最中に、それは起きた。

 マルギッテ・エ―ベルバッハと名乗る迷彩服を着た軍人が、稽古に乱入してきたのだ。

 それを一子と京が応戦。

 一度は技が決まり、退けたものの、マルギッテが自慢の武具であるトンファーを装備すると状況が一転。

 川神百代に加え、クリスの父であるという人物が、部下を十数名引き連れてやってきたのだ。

 その中に、山からの乱入者が現れる。

 木々をなぎ倒しながら、その巨体で砂を巻き上げてこちらに来る。

 

「え、え、イノシシ!?」

「でかいぞ!」

「…なんか興奮してない!?」

「こちらを目の敵にしているのか?」

「クリスが危ない!?全員、構え」

「…面白い、ちょうど退屈していたところだ」

 

 こちらのことを恨んでいるような、そんな風に鼻息を荒くしながら突撃して来る大イノシシに、各自が臨戦態勢をとる。

 クリス父以下のドイツ軍人たちも、手持ちの銃を構え、イノシシめがけて銃口を向ける。

 と、次の瞬間――――

 ふもとの方から、ものすごいプレッシャーが発せられた。

 一同が、みな、硬直する。

 冷や汗を流し、背中に冷たいものが走り抜け、がたがたと膝をゆする。

 プレッシャーの主が、一歩一歩こちらに近づいてくる。

 かろうじて動けるのは、壁越えの二人のみ。

 ともにプレッシャーが近づいてくる方に向け、構える。

 いつでも戦えるように。

 ズシリ、ズシリと地面を踏みしめて、やってきたのは貴虎だった。

 もう、昨日見たような優しい顔をしていなかった。

 たとえるなら、鬼の顔だ。

 それほどの怒気を備えている。

 一同が動けない中で、貴虎が大イノシシに近づいていく。

 イノシシは動くことができない。

 ここで、食われることさえ覚悟した。

 

「―――――帰りな」

 

 その言葉とともに、皆の体をむしばんでいたプレッシャーが霧散する。

 大イノシシも踵を返し、一目散に来た道を戻っていった。

 

「…三島…さん?」

「どうして…ここに」

 

 プレッシャーがかかっている最中では、満足に息すらできなかった。

 ぜいぜいと呼吸を整えながらも、質問する。

 しかし、子供たちの疑問に取り合わず、

 

「あのイノシシは、もともと山奥に住んでいたものです」

 

 クリス父の方に向き直る。

 

「それがここまで下りてきた理由は――――撃ちましたね?」

「―――」

「大方、子どもを殺され、その怒りでここまでやってきたのでしょう。追跡は簡単です。その火薬の匂いをぷんぷんさせたものを持っているのですから」

「…お父様?」

「…確かに、ここに来る途中、イノシシの子供を撃った。しかしそれはクリスの安全を確保するためだ。わが愛娘にかかる火の粉は、たとえなんであっても排除せねばならない」

「…この辺りは、民家が近くにあるため、銃での狩猟は禁じられていますが…」

「――――」

「それに、一番気に入らないのは、その粗末な黒いブツを、平気で子供に向けるあんただよ。当たったら、どうするんだ」

「貴様ッ、中将殿に向かってそのような口のきき方をッ」

「いい、マルギッテ」

「中将殿!?」

「確かに、私の方に非があったことを認めよう。謝罪をする。―――君たち、すまなかったね」

「…あ、いえ…」

「別にいいんですけど…」

「ありがとう。―――それより、貴方のことだ」

「私が、何か?」

「先ほどのプレッシャー、只者ではないとお見受けする。名を聞いても?」

「三島貴虎」

「…なるほど、クリスと同学年の生徒に、そのような名の生徒がいた覚えがある。親御さんですかな?」

「三島小雪の父だ」

「なるほど――――さっそくですが、あなたには死んでもらいたい」

 

 クリスの父、中将が手を上げると、傍らに侍っていたり、こちらを取り囲んでいた面々が、一斉に貴虎の方へと銃口を向けた。

 

「…どういうつもりだ?」

「…今しがた、私は死を覚悟したよ。あなたは危険すぎる。クリスのそばにおいては置けない」

「お父様!?」

「…そうか」

「おい、やべえぞ。本気だ!」

「こっちまで巻き添えを喰らうぞ」

「みんな伏せろ!」

 

 各々が動きを見せる中で、中将の腕が振り下ろされる。

 その瞬間、引き金を引く直前に、それは起こった。

 貴虎を狙っていた銃のすべてが、メキョっとおとをたててひしゃげたのである。

 そのまま、メリメリと音を鳴らしながら、真っ二つに引き裂かれていく。

 

「―――――なッ!?」

「何!?」

「何が起こっている!?」

 

 独りでに自壊していくような愛銃達に、兵士の面々は困惑の色を隠せない。

 それは巻き添えを恐れた風間ファミリーの面々も同様だった。

 一歩、一歩ゆっくりと中将の方へと近づいていく貴虎。

 

「――――ッ、待ちなさい!!中将には手を―――――」

 

 ―――――俺と噛みあうか、犬?

 

 一睨み、たったそれだけで、もうマルギッテは動けなくなってしまった。

 動けなくなったマルギッテに目をくれずに、中将へと並び立つ。

 

「まだ、やるかい?」

 

 あふれ出る怒気を隠さないで、中将へと問いかける。

 胸のホルスターに愛銃が備えてある中将だが、そんなものは意味をなさないだろう。

 

「――――いや、私の負けだ。すまなかった」

 

 頭を下げた。

 もう一歩踏み込んでいれば、おそらく死んでいただろう。

 三島貴虎、ここには武神もいるというのに、それよりも危険な男であると、今中将は認識したのだった。

 中将の返答が満足いったものであったため、貴虎は来た道を戻ろうとする。

 それをさえぎる影が一つ。

 

「姉さん」

「モモ先輩」

 

 川神百代。

 武神とうたわれる、川神院最強の武士娘。

 常に強者を求めている彼女が、突如現れた貴虎のことを放っておくわけがなかった。

 

「…何か?」

「この騒ぎは、私が鎮圧してやろうとおもっていたものなんですが…」

「そうか、すまないね」

「いいえ、いいんですよ。もっといい相手を見つけましたから――――」

 

 ぎらつく目で相手を見据える武神。

 

「…相手をしてくれませんか?」

「相手?」

「私の獲物をとったんだ、今度は貴方が私の相手をしてくれ」

「――――やめておくよ、ただではすまなそうだ」

「…それは貴方が勝つということですか?」

「せっかくの旅行なんだ。君も怪我をしたくないだろう?」

 

 その言葉が引き金だった。

 神速の踏込で、相手に向かって放たれる右こぶし。

 川神流、無双正拳突き。

 水月めがけて放たれたその拳は、狙い道理に相手の急所へと突き刺さった。

 しかし、倒れない。

 吹っ飛びもしない。

 わずか数ミリ、後ろへと下がっただけだ。

 幾多の相手を屠ってきた必殺の拳は、ただむなしく相手の筋肉の鎧に阻まれるのみだった。

 

「…姉さんの拳が」

「効いてない?」

「…お姉さま」

 

 百代がひとたび、距離を取った。

 今の一撃で、どれだけダメージを与えることができたのか。

 まったく想像もつかない。

 得体のしれない相手であった。

 それでも、川神百代は笑った。

 未知なる強者との戦い。

 いつの日かいなくなった、()()()()()

 ――――じじいよりも上だな。

 そう確信する相手だった。

 今までの膨大に蓄積した戦闘経験から、次の攻めを構築する。

 しかし、どうやっても勝てるビジョンが思い浮かばない。

 こんなことは初めてだった。

 川神百代は、やる気だ。

 貴虎が、拳の打ち込まれた部位へと手をかざす。

 

「…効いたよ」

「どこが」

 

 空気が変わった。

 相手が、こちらを見ている。

 ピリピリとした気配が、百代の肌に突き刺さる。

 ―――守るより、攻めろだ!!

 第二打を先行して叩き込むため、川神百代は地を蹴った。

 壁越え以外には目にもとまらぬ速さの神速にて、右のハイキックを頭部へと叩き込もうとする。

 豪速、唸りをあげて迫る右足よりはやく、貴虎の左手が百代に届いた。

 中指を溜め、その勢いで弾く、いわゆるでこピンである。

 それが、百代の額に当たった。

 勢いよく、百代の頭が後ろへと回転する。

 身体に伝播していった衝撃によって、まるで滑ったかのようにハイキックは宙を蹴った。

 そのまま地面に倒れこむ。

 

「姉さん!?」

「お姉さま!?」

「モモ先輩!?」

 

 地面に倒れた百代だったが、しかし動けずにいた。

 まるで体が自分のものではなくなったかのように、自由がきかないのだ。

 歯を食いしばり動かそうとするが、動かない。

 さらには丹田から発せられる気も、上手く練ることができない。

 普段体内をよどみなく循環しているはずなのだが、どうもうまく循環していかない。

 ―――瞬間回復が使えない?

 

「…な…にを、…し、た?」

 

 そのまま悠々と自分の横を通り過ぎようとする男に対して、問いかける。

 

「君ならすぐにでも動けるようになるだろう。そのまま、旅行を楽しんだらいい。私はもう行く」

 

 そう言うと、来た道をまっすぐと戻っていった。

 今度は、誰も止められなかった。

 その5分ほどした後で、川神百代は体の自由を取り戻した。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

「お父さん、おそーい」

「悪いな、またせて」

「いえいえ、お土産も買えましたし、逆によかったですよ」

「そう言ってもらえると助かるよ」

「…時に貴虎さん、何の用事で――――」

「その話はあとね。今に怖いお姉さんがやってくるから。早くずらかろう」

「え」

「それって…」

「わーい、のりこめー」

「さあさあ、乗った乗った!」

「何かわかりませんけれど、急いだほうがよさそうですね」

「よし、乗り込みました」

「レッツゴー」

 

 一行を乗せた車は、行きとは比べ物にならないほどのスピードで、箱根の旅館を後にしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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003

 

 

 山が動いている。

 いや、正確には、山ほどある大きさの動物が動いているのだ。

 リーガル島と名付けられた、面積が50万平方キロメートルもある孤島。

 そこに住まう、主。古代の食宝『リーガルマンモス』。

 リーガル島という名も、その主の名にちなんでつけられたものである。

 その巨大なマンモスの体内にのみ存在する、特殊な部位の肉。

 ヒレやサーロイン、ハツやホルモンなど、あらゆる部位の肉の旨みを凝縮したような最高の肉、『宝石の肉(ジュエルミート)』。

 それを狙って、今回貴虎はリーガル島に来ていたのである。

 目の前には親子連れのマンモス。

 子マンモスの大きさは、それほど大きくはないように感じられる。

 せいぜい、100メートルくらいである。

 しかし、その傍らに侍る親マンモスのその圧倒的な大きさ。

 子マンモスと比較して、何倍、いや何十倍もの大きさがある。

 まさに、動く山。

 リーガル高原を移動するこのリーガルマンモスによって、リーガル高原の地面はマンモスが食べた後の骨が無残にも散らばり、白いカーペットを形成している。

 まつろわぬウカノミタマからの贈り物として受け取った、この広大な()()

 その全体像は、所有者たる貴虎にも把握できてはいない。

 いや、それどころか、探索すればするほど、未知があふれているのである。

 そして、見たこともないような()()も。

 そして、()()()()()()()このリーガル島を発見した貴虎が、()()()巨大な親マンモスの口の中に吸い込まれ、体内に入っていったことが、この『宝石の肉』の発見につながったのである。

 それからも()()に一度の間隔で、マンモスの体内に入り、『宝石の肉』をいただいているのである。

 今回もこのリーガルマンモスから、『宝石の肉』をゲットするために、やってきたのだ。

 親マンモスが、エサを食うためにその巨大な双頭の鼻で辺りのものを吸い込んでいる。

 驚異的な吸引力で、リーガル高原に住まう別の猛獣たちが、巨大な鼻の穴に吸いこまれていき、片方の穴の中で咀嚼された猛獣たちだったもののなれの果てが、もう一つの鼻から吐き出されていく。

 躯と化した動物たちの死骸で地面が形成されていく。

 

「バオオオオォォォォ!!」

 

 その巨体に似合う、大音量の鳴き声だった。

 その瞬間を見計らって、貴虎が口内よりリーガルマンモスの体内に侵入する。

 喉と思われる部位から落下しながら、かつてより何度も味わった、『宝石の肉』の味を反芻する。

 口内にはすでに大量の唾液が分泌されている。

 それを飲み込んで、貴虎は目的の物を探していく。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 小雪の平日は、もっぱら学校で過ごしている。

 父の貴虎が仕事で帰ってくるのが、7時ごろ。

 冬馬や準の学習塾も、始まるのがそれぐらいの時間帯からなので、授業が終わったら図書室かS組にて自習をしている。

 S組では、テストや模試の成績がよくないと、在籍することができない決まりとなっている。

 テストのたびに成績の下の方から違うクラスに回され、新しく他の組より成績優秀者が入ってきているというようなことも多々ある。

 S組に残るためには、並みならぬ勉強への努力が必要なのだ。

 小雪も、S組に在籍しているということで、成績上位者の一員なのである。

 彼女は塾や予備校などには行ってはいないが、こうした放課後や休み時間をうまく使い、テストや模試などのための勉強はしているのである。

 さらには冬馬や準が、わからないところを教えたり、塾で教わったことを小雪に話したりして、小雪の成績は上位で保たれたりもしているのだ。

 極めつけは、その集中力。

 放課後から下校するまでの間、その間に小雪は驚くべき勉強効率を発揮する。

 人の3倍は、速く、能率的にできていることだろう。

 さらには、集中している最中は、それ以外のことをシャットアウト。

 以前、あの武神がからんできたこともあったが、まったくと言っていいほど取り合わなかった。

 そのあまりの集中力故、武神の方が折れたのである。

 そして、下校の時間が来ると、電池がきれたかのように垂れるのである。

 これも、愛のなせる業か。

 そもそも、こうした効率化の原因は、家で勉強をしすぎると、『お父さんに遊んでもらえないから』という、何とも言えない理由からなのである。

 冬馬も準も、これには苦笑しているが、そんなこんなで小雪の成績は保たれているのだ。

 ちなみに、その時の武神が小雪に絡んできた内容が、父貴虎に関してのものだったので、終わってからも取り合わなかったのは余談だ。

 貴虎に絡んでいく女子は、好きではない。

 独占欲、嫉妬、年頃の若い子なので、仕方ないのかもしれないが…。

 

 冬馬や準が塾のため別れると、一人、帰宅する。

 小雪の住んでいる場所は、川神でも有数の治安が悪い場所である。

 一人で年頃の女の子が帰宅するのは危険だと思うかもしれないが、何年も住んでいるうちにその疑問も解決している。

 貴虎の娘に加え、その地域最強の一家である板垣家と親交が深い小雪を、誰も襲おうとは考えなくなっていた。

 むしろ、その可憐な容姿から、数少ない癒しとして、アイドルのような存在となっているのである。

 そんなこんなで、スキップ交じりで帰宅する小雪。

 余談だが、いつの日か板垣姉妹の稽古に混じるようになった小雪の脚癖は、ものすごく悪くなっていた。

 生半可の実力の持ち主では、一瞬で意識を刈り取られるハイキック。

 外と内に蛇のように、さらに速さをもって狙うロー。

 貴虎も、どんどん強くなっていく娘の姿に、苦笑していた。

 釈迦堂曰く、もともと才能はあったようである。

 それが、早いうちから開花していたとのことだ。

 彼自身も、できのいい弟子を持って良い気分そうだ。

 本人にそういうと、秒間に何十発の拳に加え、リングと呼ばれる高圧縮エネルギー弾を撃ち込まれるのだが。

 

「ただいまー!!」

 

 そう言って勢い良く扉を開ける。

 

「おかえりー…」

「おう、ユキ帰ってきたか。ゲームやろうぜ、ゲーム!!」

「辰っちゃん、天ちゃん、来てたんだー。ゲーム?やるやる!!」

 

 小雪の家の小さな部屋の中に、近所づきあいの長い板垣家の次女、板垣辰子と末っ子の板垣天使がいた。

 年が近いせいか、ノリが近いのか、天使と小雪は仲が良い。

 こうやって、よく遊びに来て、据え置きのゲームを一緒にやったりするのである。

 そしてそのまま夕飯を食べ、泊まっていくというパターンが、常習化していたりする。

 辰子も美味しいご飯を求めて、三島家に居座ったりするのだ。

 最初に交流を持ったのは何を隠そうこの板垣辰子である。

 腹いっぱい、貧乏だった時代に本当に腹いっぱいになるまで貴虎に食べさせてもらった辰子は、そのまま寝ていってしまったのであった。

 その時は、貴虎が家までおぶっていき、以後、よほどその眠りが気持ち良かったのか、腹いっぱいに食わせろと貴虎のもとにやってくるのである。

 食べてすぐ寝たら太るというので、何度も姉の亜巳が注意したりもしたが、一向に改善したりもせず、むしろ貴虎が食わせる回数が増えたりしている。

 幸せそうな眠りについた彼女は、何をしても起きなかった。

 以前、なんとかして起こそうとした三男の竜兵が、龍の逆鱗に触れ、地獄をみたことで、もう放っておくことが、暗黙の了解となっている。

 本人も本当に幸せそうに食って寝るので、まあいいかとなるのだ。

 そんなこんなで、三島家と板垣家は深く交わっていった。

 金が無いから飯をくわせろー、と突撃して来る竜兵。

 長女の亜巳も、いつしか貴虎たちとともに飯を食うようになった。

 たまにやってくる彼女たちの師匠である釈迦堂にも、小雪に稽古をつける条件で、一緒に食べていたりする。

 

「おーう、ここにいたのか」

「お、リュウじゃん」

「おかえりー」

「ユキも帰っていたのか。貴虎さんは?」

「まだー」

「そうか」

「…おかえりー。…竜ちゃん」

「辰ねえ…。また寝てるし…」

「また起こさないのか?」

「馬鹿言え。もうあんなこと二度とできるわけないだろ」

「いやー、マジ切れした辰ねえ怖かったもんなぁ。…あたしも少しちびっちゃうかと思ったよ」

「俺はあの時ほど明確に死を感じたことはない…」

「寝てる間は無害だし…。寝かせておいたら。それよりも、竜もやるだろ?」

「3コン、3コン」

「…まあ姉ちゃん帰ってくるまでにも時間あるし、貴虎さんもまだ来てないし、…しょうがねえ、いっちょもんでやるか」

「大きく出るねえ。…それじゃあ、負けた時用の罰ゲームでも決めるか?」

「いいだろう。俺が負けるはずがないがな」

「わーい。罰ゲーム、罰ゲーム」

「そんじゃあまた内容は考えておくよ。はい、竜のコントローラー」

「おう」

「僕も行っちゃうよー」

「…ZZZ…」

 

 今日も三島家と板垣家は平和だった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 もう5月も終わるころ。

 今日の日より少し前、イタリアのローマでは大規模テロが発生したとして、大騒ぎとなっていた。

 真相は、とある神殺しの権能によるものなのだが、表向きには爆破テロとして、ローマ付近の各機関が情報統制を行ったため、そのようになっている。

 伝統建築物として世界中で名高いコロッセオの闘技場が、跡形もなく崩れ去っていたのだ。

 これについてはもちろん世界中で大騒ぎ、便乗して爆破テロ予告までする連中も出る始末。

 裏では、眉唾だった7()()()の魔王の存在が公に確認されたため、こちらも大混乱している始末。

 事件現場であるイタリアの各機関も、これ以上自分のところでの権能の行使をやめていただかないと、といった騒ぎとなっていた。

 神殺しの権能による大規模破壊の後。

 100を超える人々が、コロッセオの修復活動にいそしんでいる中で、一柱の神の姿が存在していた。

 不完全ではありながらも、まつろわぬ神にふさわしい神威を発しながらも、誰にも確認されずに、神はその場を後にした。

 もとむるものは、神の分身たる《蛇》の因子を封印した、『ゴルゴネイオン』と呼ばれる古代の魔導書。

 紙も、文字すらもない古き時代、その概念のみが絵画として保存された石版を、このまつろわぬ神は求めているのである。

 ――――自身の半身を探しているのである。

 ――――完全なるまつろわぬ神として降臨するために。

 《蛇》の概念を封じ込めた石版と、かの神とは強い絆で結ばれている。

 そのため、神が求めれば、石版も応えてくれる。

 行先ははるか東方。

 この場にあったゴルゴネイオンを持ち去ったのは、先日邂逅し、しかしその場はすれ違った一人の神殺し。

 おそらく、ヘルメスの弟子たち、魔術師たちが、かの王に預けたのだろう。

 まったく、自分たちの手には負えないからと、余計なことをしてくれる。

 かの神は自分の半身を求め、異国へと旅立つ。

 それが、先日の話。

 もうすでに、神は異国の地―――日本へと足を踏み入れていた。

 距離が近づくにつれて、ますますはっきりと感じられる、《蛇》の鼓動。

 ゴルゴネイオンは、やはりこの地に存在する。

 そして、

 ――――ほう。

 異国より来訪した神、まつろわぬアテナは口元に笑みを浮かべた。

 ローマより東方に向けて飛んでいるときは気づかなかったが、この地には神殺しの波動が()()、確認することができる。

 一つは、先日ローマで邂逅を果たした、あの少年のものであろう。

 ゴルゴネイオンもそちらから存在を確認することができる。

 もう一つの波動も、比較的近くからしている。

 ――――面白い!!

 まつろわぬ神の仇敵である神殺しと、最後に死合ったのはいつ以来だろうか。

 ちょうどいい、わが半身である《蛇》の因子を取り戻した暁には、両方とも葬り去ってやろう。

 我は戦いと死を司る女神、アテナ。

 みごと東方の神殺しを葬り去り、その名を異国にも轟かせよう!!

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

「いやー、悪いね。俺の趣味に付き合ってもらっちゃって」

「とんでもないです。いつも小雪がお世話になっていますから」

 

 日も落ちて辺りが暗くなり、街が街灯の明かりによって照らされるころ、釈迦堂刑部と三島貴虎は肩を並べて帰路についていた。

 とある仕事を一緒に請け負ってから、釈迦堂はこの隣人のことを気に入っていた。

 弟子である板垣姉妹とも仲が良い。

 娘の小雪も、なかなか筋がいい、光る才能の持ち主で、教えているのも楽しいものである。

 今日は釈迦堂も貴虎も仕事が休みで、前から計画していた遠出をしていたのである。

 最近の釈迦堂の趣味は釣りだ。

 少し遠出して、一日を竿をたらしてぼーっとしながら、たまに竿が引いているとリールを巻くというような、そんな一日を過ごしている。

 一か月に何回もないものであるが、元川神院の師範代である釈迦堂に向けての護衛の依頼など、ストレスのたまるものも多いのだ。

 それをリフレッシュする目的もかねて、釣りをしたりもする。

 その釣りを勧めたのが、貴虎だったのだ。

 初期に暇なときに板垣一家と一緒に連れ出され、釣った魚をその場で焼いて食うようなキャンプもどきをしていた。

 それから釈迦堂も竿を借りたりして、こうしたのんびりした時間を楽しむようになったのだ。

 うまい飯、うまい酒を飲んで、のんびりとした時間を過ごす。

 その変わり、それ以外の日や弟子とともにする稽古などは、以前よりも身が入った。

 用は、オンとオフの区別がしっかりとついたからかもしれない。

 それに、こうしてぼーっとしていると、なにやら新しい技がひらめいてくるのである。

 よく、お風呂やトイレでいいアイデアが浮かんだりするということを聞いたことがあるが、釈迦堂の場合はこの釣りの場が、そのようなものだった。

 それは自身の技だったり、弟子の技だったり、さまざまである。

 釈迦堂自身も、川神院で育ったため、大部分は川神流である。

 根幹にある川神流を、釈迦堂なりにアレンジ、改変して使用するのだ。

 これがまた、おもしろい。

 いくら壁越えの実力者であっても、過ぎ去っていく年月によって、わずかずつ衰えていく筋力などの要素。

 その中で、技、技術のみは、いつまでたっても衰えないような気がするのだ。

 むしろ、こうして新しい技を思いつくたびに、いままでの自分よりも強くなっている気がする。

 そして、こうして考えた技を、行使することのできる相手がいる。

 となりあって歩いている三島貴虎という男である。

 武術の方は、からっきしではあるが、自分よりも数段上の実力の持ち主である。

 ―――いや、どこまで上なのかも想像すらつかない。

 底なしの実力を備えている。

 川神院にいたころは、自分より上は川神院の主、川神鉄心のみ。

 伍するのは同じく師範代であるルー・イーのみであった。

 そうしていつしか、この力の発散どころがなくなり、結果川神院を脱退した。

 世界は広い。

 まさか流れ着いた地に、このような強者がいたとは。

 一度だけ、この男に勝負を挑んだことがある。

 全力で。

 本気で。

 殺す気で。

 しかし、勝負にもならなかった。

 すべて、()()()()()

 自分の、川神院で培ったすべてを。

 しかし、立っていた。

 最後には拳を軽く打ち込まれ、気づいたら弟子たちが自分のことを覗いている姿だった。

 それからだ。

 ()()についての価値観が変わったのは。

 どこまでいっても、どんなに稽古しても、この男には勝てないだろう。

 そう、確信させられた。

 しかし、稽古はやめなかった。

 むしろ、今の方が面白い。

 力だけを求め、相手を倒すことを日々求めていた川神師範代時代よりもだ。

 単純な強さだけならば、この男が頂点だろう。

 鉄心も、ルーも、百代でも勝てまい。

 頂を目指すのは、やめた。

 負けてからの人生すべてを費やしたとしても、届かないだろう。

 それほどまでに、強い。

 しかし、武を手放す理由にはならない。

 負けてからしばらく放心状態の続いたある日、やはりこの男が釣りに誘ってくれた。

 一人で岩の上に座りながら、糸を垂らしてぼーっとしていた覚えがある。

 勝てるか、勝てないのかの自問自答。

 何日も続いた。

 弟子たちには、迷惑をかけた。

 そんなある日、不意に思いついたのだ。

 新しい技、攻め方、戦い方を。

 さっそく、貴虎に勝負を挑んだ。

 負けた。

 また釣りをしに行った。

 そしてまた、勝負。

 その繰り返し。

 子どものころに戻ったみたいだった。

 あのころの純粋さ、ひたすら技と力を磨いていた、あの頃。

 鉄心にぼこぼこにされ、強くなると誓ったあの頃を。

 やがて調子も戻ってきて、休止していたボディーガードなどの依頼も受け始めた。

 そこでまた驚いた。

 強くなっているのだ。

 以前よりも確実に。

 それを実感することができた。

 この年になって、もう落ちていくのみかと思われていたが、まだ伸びる余地があったとは…。

 結果が伴い始めたことで、釈迦堂はさらなる技の開発にいそしむことになった。

 相手はあのじじいよりもはるかに強い男。

 いくらでも相手になってくれる。

 老いは、武道家にとって一番恐れるものである。

 老いはすべてを奪っていく。

 体力、筋力、技の冴え。

 培ったそれらの技術が、老いによってなくなっていくのが一番怖い。

 釈迦堂も、このまま腐っていくのかと思っていた。

 それが、違った。

 むしろ、以前よりもみずみずしい、純粋な心を持つことができた。

 それが、弟子たちの稽古でも発揮されるようになる。

 板垣姉妹も、小雪も才のある人間である。

 そいつらが、弟子として強くなっているのを見るのは、気分がいい。

 これは、師範代――先生としての釈迦堂があってのことかもしれない。

 自分も伸びて、自分が考えた技で、弟子も伸びる。

 釈迦堂刑部という人間は、もしかすると今が一番楽しいのかもしれない。

 となりを歩いている人物の方をちらりと見る。

 三島貴虎。

 彼がいなければ、自分はどうなっていたか。

 そのまま腐っていただろうか。 

 ゴロツキになっていただろうか。

 なんにせよ、今の自分があるのは、あの衝撃的な敗北があってのことである。

 口には出さないが、釈迦堂は感謝していた。

 

「…ん?」

 

 帰路の途中で、疑問の声を上げる。

 いつの間にか、周りから光が消え去っていたのだ。

 ここはまだ、街である。

 店の明かりや、民家の光など、夜を照らすものはたくさんあるはずだ。

 自動車も、通っているはずなのだが、そういった人口の光が、一切消えているのである。

 

「…どうなってんだ…こりゃ?」

 

 辺りが闇に包まれて、人々が混乱していた。

 停電―――だけではない。

 自動車のライトまで消えたとなると、異常事態である。

 唯一、月の明かりだけが、この街並みを照らしている。

 その時、となりから変化が起こった。

 一気に、存在が肥大化したのである。

 ゆっくりと、そちらに顔を向ける。

 そこには、まったく別人と化していた、隣人の姿があった。

 人ではない―――まったく別の存在だ。

 釈迦堂をして、そう思わせるものだった。

 それほどの存在感。

 

「―――――釈迦堂さん」

 

 化物が、自分の名前を呼ぶ。

 

「先に帰ってもらえますか?」

「…お前さんは、どうするんだ?」

「ちょっと行ってきます」

 

 行先も告げずに、貴虎は闇の中に消える。

 

「…こりゃあ」

 

 集中した結果、大きな気配が()()

 一つは貴虎で、もう一つの気配の場所に向かっている。

 でかい気だ。

 川神鉄心とも、百代とも、自分とも比べ物にならない。

 ―――見に行ってみるか。

 普段胸の内にしまってあったはずの好奇心。

 それがむくむくと芽生えてくる。

 やる気だ。

 あのまったく底の見えなかったあの男が、やる気なのである。

 気にならないはずがない。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 川神鉄心にも、悩みがある。

 可愛い可愛い、孫の川神百代のことだ。

 鉄心より武神の字を受け取った自分の孫は、武術の才にあふれた子だった。

 齢若くして、壁越えを果たす。

 今では匹敵する相手もいなくなり、もうすぐ自分を追い抜く存在となるかもしれない。

 いつか追い抜かれたとき、川神院の総大将の地位を譲り、隠居生活にいそしもうと計画していたのである。

 しかし、その強すぎるのも問題だった。

 あまりにも若くして壁を超えるという才は、また彼女を孤独にした。

 相手がいないのである。

 実力で伍する、同年代の相手が。

 武道四天王として、百代と似通った年齢で壁越えの実力を持つ九鬼揚羽、鉄乙女は、それぞれの進路の都合武道四天王を引退。

 最後に春に使合った百代と揚羽の決闘に、自分が立ち会ったのも記憶に新しい。

 そして四天王の橘天衣は、百代に敗れ、剣聖黛十段の娘である黛由紀江に敗れた。

 この黛由紀江も、いずれは剣聖を超える才の持ち主ということで、武道四天王入りは確実のことだろう。

 しかし、足りない。

 同年代で、実力が伍する相手が、どこかにいないものか。

 そうして、お互いに高め合ってほしい。

 できるなら、敗北を与えてくれる相手がいい。

 自分ではダメだ。

 同年代、年が近い者がいい。

 そんな都合の良い相手は、どこかにいないものか。

 毎日現れる、挑戦者たち。

 それをことごとく屠りさる、わが孫。

 持て余している。

 強さをである。

 全力でぶつかりあうことのできる相手を、求めている。

 才がありすぎたため、こんな若い時から相手がいなくなる―――それはとても不便でならん。

 全力を出したい。

 自分の培ったもののすべてを。

 その相手が、いないのである。

 稽古も毎日やってはいるが、今いち、伸び悩んでいる。

 そんな中である。

 ゴールデンウイーク、自分たちがモンスターペアレントの対応で追われている中、孫たちは箱根温泉へと旅行へ行っていた。

 それから帰ってきてからである。

 百代が変わったのは。

 

「百や、いい加減、稽古を終わらんか!!」

「モモヨー、いい加減、体を休めるヨー。体を休めることも、立派な修行だヨ」

「…まだ…だ。まだあの人には、届かない…ッ」

 

 一心不乱に、拳をサンドバッグに叩きつける。

 拳の皮が剥け、血がしたたり落ち、テーピングで補強した部分が赤く染まっている。

 サンドバッグの中には砂が入れられ、固い。

 それを何度も何度も打ち付けてあるのである。

 拳を鍛えるのは、武道家にとっては普通のことである。

 もろい、骨片で構成された拳は、そのまま人体に打ち付けたら、拳の方が怪我をする。

 なんどもなんども突くうちに、皮がはがれ、また再生し、その繰り返しの中で拳が固くなっていくのである。

 皮は分厚く、骨は太く、関節は強靭に変化していくのだ。

 叩く、叩く。

 力を込めて、自らのすべてをぶつけるように。

 

「―――いいかげんにせんか!!」

 

 顕現の参・毘沙門天。

 闘気によって具現化した毘沙門天の像が、百代を踏みつぶす。

 

「―――がッ!?」

 

 いつもならば、喰らっても起き上がるだろう。

 しかし、疲労に疲労を重ねた体では、それもかなわない。

 技を受けた百代が、意識を無くす。

 そのまま、規則的な寝息を立て始めた。

 

「―――ふぅ、一子や、入ってきなさい」

「…はい」

 

 道場の扉が開かれる。

 入ってきたのは養子として迎えた、川神一子に加え、風間ファミリーの面々だ。

 どの顔も、百代のことを心配しているのを見て取れた。

 

「…姉さん、大丈夫ですか?」

「疲れて眠っただけヨー。でも疲労がとれるまでは、絶対安静ネ」

「姉さま、けがをしてるわ!」

「治療しましょう!!」

「…大丈夫かよ、モモ先輩」

「…強い人だ。大丈夫だとは思いたいが…」

 

 あの日、旅行から帰ってきてから、百代は変わった。

 強さを欲するようになった。

 もっと、もっとと強欲に。

 まるで何かに追い縋ろうと、必死に追いかけているように。

 夜空に浮かぶ星をつかもうと、必死に手を伸ばすように。

 その熱の入れようは、鬼気迫るものだった。

 というか、はっきり言ってやりすぎである。

 毎日、学校以外では汗を流す。

 遅くまで、自分に負荷をかけながら。

 その負荷も、やりすぎのところがある。

 きちんと休息をとらないと、強くなるものも、強くならない。

 どうして、ここまで心境に変化があったのか。

 百代は話さないので、一子に理由は聞いている。

 三島貴虎。

 二年S組に在籍する、三島小雪の父親である。

 箱根の地で、彼に完膚なきまで敗北したのだという。

 鉄心も、その負け方を聞いて、顔をしかめた。

 手心を加えられたのだ。

 優しく、壊れてしまわないように、丁寧に、丁寧に扱われたのである。

 武道家として、武術家として屈辱だった。

 一撃で鼻っ柱を折られるのなら、まだいい。

 それよりも、割れやすいガラスのように扱われる方が、苦痛だった。

 百代は、それを肌で体験したのである。

 相手は、はるか格上の相手だった。

 天井知らずの実力が備わっており、おそらく一発でKOすることができただろう。

 しかし、相手は旅行ということもあってか、傷つけないであろう手段を選択した。

 それが、百代のプライドを大きく傷つけた。

 相手は、武道家ではない。

 武術の素人であることは、動きからおおよそ判断できる。

 ただ、強い。 

 自分よりもはるかに強いのだ。

 だから、か弱い彼女のことを傷つけないように、優しく、優しく扱ったのである。

 ――――彼が、悪いのか?

 違う、己が弱いのが悪いのだ。

 強くなりたい。

 その日から、新しい百代が始まった。

 しかし、相手の実力は天井知らず。

 どこまで強くなればよいのか、まったく判断がつかない。

 言い切れぬ不安が、百代を襲う。

 それを少しでも紛らわすために、サンドバッグを叩く。

 走る。

 蹴る。

 体をいじめているときだけが、そういった不安から逃れられるのである。

 動くのをやめたとき、考えてしまう。

 ――――勝てるのか?

 これだけやれば、あの人に勝てるのか?

 答えがでない。

 それでも、やるしかない。

 そうして一心不乱に稽古に臨んだ結果、今寝かされているのだ。

 もうすぐ、西の天神館との東西交流戦がある。

 今ここで体を壊して、出場できなくなってしまえば、元も子もない。

 ――――会わねばなるまい。

 孫を、自分をはるかにしのぐ実力を持つという、その男に。

 孫のためにも、その男のことを見極めなければならないだろう。

 しかし、そうした鉄心の思惑は、思ったよりも早く達成されることとなった。

 ふっと、突然部屋の明かりが消える。

 

「―――ムっ?」

「なんじゃ?」

 

 停電かと思った矢先、どたどたと廊下を走って、こちらにやってくる者がいた。

 

「―――失礼します!!」

「なんじゃい、騒々しい」

「何か、あったのカネ?」

「火急の用ゆえ、ご容赦ください。街から光が消えるという事態が、発生しました!!」

「―――なんじゃと!?」

「民家の明かりも、街灯も、車のライトでさえ消えています。今では街中大混乱です!!」

 

 鉄心はルーと顔を見合わせた。

 一体、何が起こっているのか…。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 カンピオーネ草薙護堂がアテナによって一時撤退を強いられることとなった。

 ローマよりゴルゴネイオンを追ってはるばる東方までやってきた女神を迎え撃った護堂であったが、アテナが不意をついて口から死の言霊を注ぎ込まれたことで、一時死亡。

 彼の権能は10の姿に変える『東方の軍神(The Persian Warlord)』。

 その化身の一つである雄羊の力によって、現在蘇生中。

 行く手を阻む者もいなくなったアテナの能力によって、街は夜の闇と化した。

 街灯の明かりは消え去り。

 民家から光がなくなり。

 原始より人々を照らす火でさえも、失われる。

 世界に夜のとばりが下りて行った。

 そして、自身の力の一端であるふくろうを飛ばしながら、《蛇》の気配を追跡する。

 ――――見つけた。

 異教の神に仕える巫女だ。

 この闇の中、一人ゴルゴネイオンをもってさまよっていた。

 

「妾はアテナ。異教の巫女よ。そなたからその懐に隠した《蛇》を強奪するもの。まずは、その非礼を詫びておこうか」

 

 アテナが手を差し出した。

 それだけで、巫女―――万理谷祐理が持っていた包から、黒曜石のメダルが飛び立った。

 かの神の半身であるゴルゴネイオンが、今アテナの手に渡る。

 

「ついに取り戻したぞ。わが半身の《蛇》を。…巫女よ、後代まで語り継ぐがいい。まつろわぬアテナの再臨を!!」

 

 歌うように言霊が、ゴルゴネイオンを吸収したアテナからつむぎだされる。

 詠唱が進むにつれて、アテナの姿にも変化が起こった。

 現代風にアレンジされていた私服から、古風な白い長衣へ。

 姿も、子どもから17、18歳くらいの華麗な乙女へと。

 何より、その力が、先ほどとは比べ物にならないものになっている。

 再臨した際に体から無意識に放たれる死の波動が、辺りに満ちていく。

 

「お戯れはおやめ下さい!アテナよ!!御身が戦うべき相手は、まだ残っています!!」

 

 目の前に先ほどまでゴルゴネイオンを持っていた巫女が、こちらに向けて口を開く。

 三位一体の姿を取り戻し、完全復活を遂げたまつろわぬアテナに向けて、果敢にも挑んでいるのだ。

 

「ほう、巫女よ。興味深いことを申すではない――――」

 

 アテナが表情を変えた。

 おかしい。

 冥府の女王であるアテナの死の風をこんな間近に受けて、()()()()()()()()()()()!?

 次の瞬間、自分のはるか頭上にて膨れ上がる気配。

 

「…そうか。この地にはもう一人、神殺しがおったことを失念していたよ」

 

 え?と祐理が疑問を顔に浮かべるが、アテナは構わず、上方に視線を向けた。

 いた。

 一人の男が、自分のはるか頭上から、宙に浮きながらこちらをみている。

 ()()()()

 その風貌から、体からあふれる神威から、何よりもアテナの中で、かの男と戦えと叫んでいる。

 間違いない。

 もう一人のカンピオーネだ。

 祐理もその姿を確認したのか、目を見開き、驚愕の表情を浮かべている。

 アテナは口元に笑みを浮かべ、背にフクロウの翼を生やし、飛んだ。

 空中にて、まつろわぬ神と神殺しとが向き合う。

 

「―――名を、聞いておこう、異国の神殺しよ」

「三島貴虎」

「そうか、我はアテナ!!もっとも古い女神にして、知恵と闘争を司る女神なり!!―――タカトラといったな…、古より続く戦にならって、いざ尋常に死合おうではないか!!」

 

 そうして、二人が激突した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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004

この作品を読んでくれたたくさんの方々、本当にありがとうございました。
突っ込みどころの多い、私の妄想の具現のような作品ですが、楽しんでいただけると幸いです。


 

 

 

 

 上空での巨大な呪力と神力の激突によって、万里谷祐理はハッと我に返った。

 彼女には、生と死の境界からアカシヤの記憶と呼ばれる、この世すべての事象を記録したものを読み取ることができる()を持っている。

 霊視と呼ばれるその能力によって、彼女はこの世の神秘の奥底まで、一般人では届かない事象までも覗き見ることができるのだ。

 それゆえに彼女は理解していた。

 さきほどまで持っていた、西方より持ち込まれた古代の神具、『ゴルゴネイオン』。

 それを奪い返しに、まつろわぬアテナが自分のことを追ってきたこと。

 さらに、さきほど黒曜石のメダルを奪い返し、自らの体の一部である《蛇》の因子を取り戻したことにより、三位一体の女神として復活を遂げたことを。

 そして、今まさに完全復活を遂げた女神と上空にて一騎打ちをしている男性の正体が、神殺し(カンピオーネ)であることも!

 我に返り、幾分か―――余談も許さない状況なので、本当に少しだけ、まともに思考できるくらいの―――の余裕を取り戻した彼女は、()()()()()()()()()()を呼んだ。

 

「―――草薙さん!草薙護堂さん!!早く来て!!私には、あなたの助けが必要です!!急いで――――」

 

 風が、吹いた。

 それは救いの風だった。

 祐理が名を読んだことで、もう一人の神殺しである草薙護堂の権能の一つ、『風』の化身の効果が現れたのだった。

 巫女の傍らに、渦巻く強風を伴って現れる神殺し。

 カンピオーネ、草薙護堂が、現れたのだった。

 

「万里谷、無事か!?」

 

 街灯の灯りすら冥府の女王によって奪われ、月の光だけが照らす夜の街中、護堂が祐理に駆け寄る。

 彼が弑逆した神から奪った権能、『東方の軍神』と名付けられたその力は、十の化身の姿に変え、それぞれ異なった力を振るうものだ。

 さきほど風と一緒に現れたものは、ウルスラグナの第一の化身である『風(強風)』の化身である。

 民衆の守護神として崇拝されたウルスラグナは、吹きゆく風となり、民衆や旅人の行く末を見守る。

 その性質の表れが、この『風』の権能なのである。

 相手が護堂の顔見知りで、なおかつかなりの危機に立ち会っていること。

 さらには双方風が吹く場所にいるところにいるという、少々発動条件が厳しいものがあるが、それさえ満たせば強風を伴い、どこへでも瞬間移動することができるのだ。

 それによって、瞬時に祐理のいるところまで移動した。

 護堂が目の前に現れたことにより、祐理が安堵の表情を漏らす。

 

「…ええ、私は大丈夫です。…ゴルゴネイオンは、アテナに奪われてしまいましたが…」

「何言ってるんだ。お前が無事で本当によかった」

 

 そう言って顔に笑みを浮かべる護堂に、祐理も釣られて笑みを浮かべた。

 

「…それで、アテナは…?」

 

 護堂がまつろわぬ神の力を感じ取り、上空へと視線を向ける。

 祐理も、『強風』の権能によって共に瞬間移動したエリカ・ブランデッリも、傍らの魔王の視線を追いかけるようにして、視線を宙へと向かわせる。

 いた。

 月光によって照らされる、二つの影。

 一つは鳥類の、ふくろうの羽を背中に生やし、飛んでいる女性。

 護堂が以前見た姿はまだ年端もいかない子供の姿だったが、完全復活を遂げた影響からか、すでに成熟した、神々しい美しさをもった女性の姿へと変異している。

 護堂の権能の力を感じ取ったのか、相手もこちらの方を見て、笑みを浮かべている。

 見るもの全てを虜にするような、しかしどこか怖いとさえ思える、整然とした笑みだった。

 もう一人の方は、護堂の知らない男性だった。

 あちらも、自分のことを知らないであろう。

 しかし、それでもわかる。

 

「…護堂、あれって―――」

「ああ、わかっている」

 

 ―――あれは、自分の同類(カンピオーネ)であると。

 

 ふと、上空にて浮遊する魔王が、左手を上げた。

 それと同時に、アテナの左方の空間にて、形成される鈍い銀色に光る()()か。

 それをアテナに向けて、左から右へ横凪ぎする。

 瞬間、形成された銀でもって打撃され、翼でもって上空にて浮遊するアテナの体が、右方向へと吹っ飛んでいった。

 もう一人の神殺しも、後を追うようにして空中で疾走する。

 

「護堂!!」

「ああ、俺たちも追うぞ!!」

 

 女神と神殺しが消えた先へと向かって、一行は足を動かした。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 目の前に存在した神殺しの手によって打撃を受けたアテナは、その衝撃で遠くまで飛ばされることとなった。

 翼で体を安定させ、宙に浮かぶ。

 ―――ずいぶんと遠くまで飛ばされたものだ。

 眼下には、人間たちが作ったであろう、貧相な自然を模した姿の風景が立ち並んでいた。

 浜離宮恩賜庭園。

 この公園の名だ。

 もう夜も遅く、庭園は閉館しており、人の姿は見えない。

 その中でも、少し開けた場所。

 地を人口の土で固めた、見開きの良い場所に、あの神殺しは立っていた。

 宙に浮いていた先ほどとは違い、地に足をつけこちらが来るのを待っている。

 アテナもそれに習い、広場に、地にたどり着く。

 少し距離を開けて、先程と同じように向かい合った。

 

「口上もなしに乙女を打撃するとは、感心せんな」

「よそ見をした、お前が悪い」

 

 さきほどの一幕の話である。

 三島貴虎と名乗った眼前の神殺しと、空中にて切り結んでいる最中、以前計略にて死の言霊を体内に流し込んだはずのカンピオーネ、草薙護堂が現れたのだった。

 それに二人共が反応し、距離をとって一時中断。

 どちらともが突如風を伴って現れた若き神殺しの姿を補足した。

 ――――やはり再び現れたか、草薙護堂!!

 もともと、彼をあの程度で殺せたとは思ってはいなかった。

 カンピオーネとは、思惑とは外れたところにいる存在。

 なんらかの方法にて、復活を遂げると確信していたのだ。

 アテナの注意が、草薙護堂へと向いてしまった。

 油断。

 まさにこれだ。

 もちろん、眼前の神殺しのことを忘れたわけではなかったが、甘かった。

 気づいたときには、横合いから鈍い銀色の物体にて打撃。

 その勢いのまま、こちらの庭園上空まで飛ばされてきたのである。

 

「…人の姿が見えんな。ここに妾を連れてきたのも、人間に配慮してのことか?」

「それもある」

「まったく、人間のことなど放っておけば良いものを…」

「邪魔されたくないだけさ」

「ほう、我らと神殺しとの闘争を邪魔することのできるものなど、人の身にあっては存在しないと見るが―――」

「あそこもう一人いただろ」

 

 もう一人のカンピオーネだ。

 彼も、彼女もその存在を確認している。

 

「後で二対一だから負けました、なんて言い訳されても困るしな」

「…知恵と闘争を司る女神である妾が、そんな言い訳をすると思っているのか!?」

「言い訳をするかしないか、それを判断するのはお前じゃない、俺だ。わずかでもそんな可能性があるならば、排除するに限る。それに、見ろ―――」

 

 貴虎が夜の闇が満ちる庭園を眺める。

 

「―――ここならば、存分に喧嘩することができると思うが?」

「…なるほど、あなたは存外、闘争に対して誠実であるのだな」

 

 アテナの口角が上がる。

 それに伴い、自身の死の力を凝縮した、漆黒の鎌を手に宿す。

 

「いいだろう!!タカトラといったな、このアテナに対して、一騎打ちを挑む、その心意気や良し!!存分に力と力を比べるとしようぞ!!」

「…来い」

 

 その言葉をきっかけとして、漆黒の鎌と手刀とが、交錯した。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 時は少しさかのぼる。

 三島家では、小雪、天使、辰子、竜兵、さらには先程仕事から帰ってきた亜巳が勢ぞろいしていた。

 小雪、天使、竜兵がコントローラー片手に白熱している光景を、亜巳はちゃぶ台に腕を載せて眺めている。

 辰子は、あいもかわらず座布団を枕にして眠っている。

 三人が騒ぎ立てている中で、眠っていられるのはさすがというべきか。

 彼女たちは、自分たちの武術の師匠である釈迦堂と、小雪の父親である貴虎の帰りを待っているのだ。

 ―――今日はいいものが手に入った。

 貴虎がそう言った日には、大抵美味しいものを食べることができた。

 今では板垣家も混ざって、一緒に食事をとるようになっている。

 この家で飯を作るのは、もっぱら貴虎であった。

 というか、キッチンを占領しているのである。

 手伝いをすると申告したこともあったのだが、客人に手伝わせるわけにはいかないとつっぱねられた。

 他の人たちもそれで何も言わないので、板垣組が三島家と一緒に食事をするときには、貴虎の調理となったのだ。

 貴虎、小雪、亜巳、辰子、竜兵、天使、それに釈迦堂を加えた7人が、この狭い部屋へと集う。

 ある程度の広さは確保できるが、やはりぎゅうぎゅうになって体を寄せ合いながら、美味しい料理に舌づつみをうつ。

 毎回、騒がしいが、どこか暖かい団欒のような感じだ。

 腕にはめた腕時計に視線を落とす。

 帰ると言っていた時間に、少し過ぎた頃であった。

 ―――どこで何をしているんだか…。

 中年というか、いい年したおっさん二人が、仲良く釣りをしに行って、どこかほっつき歩いている。

 ダメ人間である。 

 ゲームをしている三人や、眠っている辰子もまだ何も言わないが、やがて空腹から騒ぎ立てるようになるだろう。

 それをなだめるのは、年上の自分の仕事なのだ。

 いつからかそうなっていた、自分に与えられた役割。

 ほう、っとため息をついた。

 貧乏くじを引くのは、いつも自分だ。

 帰ってきたら、あの馬鹿どものすねを蹴飛ばしてやる。

 ―――怪我をするのは、いつも自分なのだが…。

 そう息巻いているうちに、突如、電源が消えた。

 

「あ”ー!!!!」

「お”い”い”!!」

「真っ暗だー」

 

 画面の向こうに向かって白熱していた三人が、電源が消えたことによって画面も消えたことに、批難の言葉を上げる。

 そのままテレビを叩いたり、コントローラーを放り投げたり、部屋の電気をつけるための紐を引っ張ったりしている。

 しかし、電源はそのまま付く様子もない。

 

「あー、もう!!」

「腹減ったぞー!!」

「減ったぞー!」

「いつになったら帰ってくるんだ、あの馬鹿中年ども!!」

 

 本当にね。

 今日も引くことになった貧乏くじを恨みながら、電源が消えたことによって騒ぎ立てる年下をなだめるために、亜巳は重い腰を上げた。

 やはり、脛を蹴飛ばしてやると決意して。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 死を具現化したような、漆黒の鎌が迫る。

 それを、呪力を集中した手刀にて迎え撃つ。 

 金属どうしが激突したような音を奏でながら、鎌と手刀とでつばぜり合いを行う。

 どちらともがつばぜり合いをやめ、距離を取り合う。

 次に接近したのは、貴虎の方だった。

 手刀にてアテナの胴めがけ、袈裟懸けを浴びせる。

 それを漆黒の鎌で受け流し、返す刃を神殺しに浴びせる。

 貴虎が次弾のために残しておいた左手で受ける。

 冥界の死をそのまま表象したような鎌を受けても、その肉体は傷ついていなかった。

 横腹めがけて放たれる回し蹴りを、後ろに飛んで回避する女神。

 そのまま後ろに飛びながら、背後の地面より現れた蛇が貴虎に食いつこうとする。

 そこで手刀の横薙ぎを一閃。

 蛇たちは口から半分に割れ、そのまま地面で動かなくなった。

 

「…ふむ、我が刃をもってしても、体を傷つけることが叶わんとは…」

 

 手に持った漆黒の鎌を見つめ、相手のことを見つめる。

 神力のすべてをこめた全力ではないが、それでも幾分か力を込めて作った、冥界の死の鎌。

 これに刈り取られれば、容赦なく死が訪れることとなるだろう。

 その鎌を受けても、ちっとも堪えている様子がなかった。

 ――――呪力の扱いが上手いからか?

 確かに、相手はこちらを手刀にて切り刻まんとするときに、カンピオーネとしての呪力を集中させる。

 あれで貫かれれば、ただでは済まないだろう。

 それだけの危険を、持っているものだった。

 だから、アテナの鎌とも切り結ぶことができる。

 しかし、それ以外の場所を狙い切っても、相手の強靭な体に止められる結果となっていた。

 ――――権能か?

 彼女の仇敵である『鋼』の英雄たちは、体を鋼のように強靭とすることができる。

 刃の通ることのない、鋼の強度を持つ英雄、それが『鋼』の英雄の特質の一部だ。

 以前あいまみえたイタリアの剣王も、確かそのような権能を行使していた覚えがある。

 ならば、眼前の神殺しも、『鋼』より絶対強度の肉体を得たのだろうか。

 否。アテナが否定する。

 そのような兆候は見られなかった。

 アテナが貴虎のことを見る。

 夜の暗闇の中で、怪しく光る二つの目。

 なんとなく、理解している。

 相手の内包する呪力の強大さだ。

 それがアテナの神力を込めて編んだ鎌よりも強大であるため、肉体に傷つけることができないでいたのだった。

 よほど、神格の高い神を弑逆したのだろう。

 もしくは、そういう権能なのか…。

 知恵の女神たるアテナであっても、眼前の神殺しには謎が多かった。

 ――――仕方がない。

 背に生えていたふくろうの翼を引っ込める。

 その分の神力をまとめて鎌へと送り込む。

 見る見るうちに、より鋭く、より禍々しく、より命を刈り取る型へと変貌していった。

 それを見た貴虎が、表情を鋭くした。

 

「気づいたか、神殺しよ。冥界の死を凝縮した鎌。これならば、あなたの体にも傷をつけることができるだろう」

 

 そう言うとアテナは相手の懐まで駆けた。

 一瞬にしてたどり着き、鎌を振るう。

 手刀にて切り結ぶが、先ほどとは違い、皮一枚ほどではあるが、貴虎の手にできた。

 貴虎には、格闘技の心得はない。

 対して、アテナは人類最高峰の武芸を、超えたところの腕の持ち主。

 変幻自在の鎌裁きもそうだが、受け流すことに関しては、まつろわぬ神のほうが一枚上手であった。

 あっという間に無数の切り傷が貴虎の体に刻まれていく。

 それでも、貴虎の表情には変わりはない。

 致命傷を避けながら、アテナの命を刈り取るように手刀にて、鎌とつきあわせる。

 周りから見れば、何をしているのか、体が消えて見えるかも知れない速度。

 二人が拳と鎌とでやりあっているのは、そのようなレベルであった。

 何度かの交錯の後、今度は貴虎の方から距離をとった。

 体には数多の切り傷が、その体に刻まれている。

 対して、アテナの方は目立った外傷は見当たらない。

 相手の攻撃を鎌にて全て受け流す絶技によって、ダメージは受けているとはいえなかった。

 これも、最高峰の闘神であるアテナの力である。

 

「どうした、神殺しよ。もう終わりか?―――それとも、拳ではなく、神と神殺しの本懐、権能を行使することを選択するか?」

 

 アテナの方は余裕そうだ。

 ひと目見れば、どちらが優勢で、どちらが劣勢なのかはわかるだろう。

 武芸では、相手はアテナの相手ではない。

 それを今まで、何十、何百と続けられたのは、相手の肉体と、野生の獣じみた勘のせいであった。

 ―――油断はできん。

 最上位の戦女神をして、この打ち合いの中で思い知らされたことである。

 もともと、カンピオーネは思いがけない行動にて、でたらめな行動で相手を打倒しようとする生き物である。

 例えどんな相手でも、死力を尽くして、挑まねばならぬ相手。

 余裕とは、武芸ではアテナのほうが優れているということであった。

 油断は、できない。

 それに、死の鎌で傷をつけているのに、相手はちっとも堪えている様子はない。

 出血も、いつの間にか止まっている。

 貴虎が構えを解いた。

 自然体だ。

 さっきまでの他人の見よう見まねのような、ちぐはぐなファイティングポーズではない。

 ――――来るか。

 アテナも鎌を構え直す。

 来たのは、攻撃ではなかった。

 この日、初めて、貴虎が臨戦態勢に入る。

 暗闇故に伺いしれないが、おそらく表情も変化していただろう。

 人間のように愛嬌のある顔から、鬼のように容赦のない顔に。

 瞬間、東京都内、果てには近い地域を住処にしていた動物たちは、一斉にその場から逃げ出した。

 野生から離れ、鈍化した人間であっても、その強大なモノの存在を、驚異を感じ取り、肌を震わせる。

 数人の実力者たちも、都内にて現れたその驚異を防ぐために、現場へと急ぐ。

 たとえ、自らの実力よりはるかに大きい驚異であっても。

 アテナ、その肌で、相手の姿を見ながら、その驚異を、相手の力を認識していた。

 その上で、自らの中に棲まわせている闘いの炎を熱く燃やす。

 ――――おもしろい!

 貴虎が臨戦態勢に入れば、たとえ高位の神獣であっても、逃走することを選択するだろう。

 しかし、アテナはまつろわぬ神。

 カンピオーネである貴虎とは、戦い、滅ぼし滅ぼされる宿命のもとにある。

 内面にて変貌を遂げた神殺しを前に、その驚異を感じ取りながらも、アテナは笑った。

 貴虎が腕を振りかぶった。

 十分な距離が、両者の間には存在している。

 

「“フライングフォーク”」

 

 放たれたのは、エネルギーの塊だった。

 それも、視認することができるほど濃密な。

 アテナに向かって放たれたそれは、三股の矛を思わせる。

 戦いの女神は、それを鎌で振り払う。

 次々と放たれるそれを、アテナも振り払い、弾き、ときには受け止める。

 その間に接近していた貴虎が、アテナに向かって拳を振りかぶる。

 

「“20連”――――」

 

 接近した貴虎を迎撃するためにアテナが鎌をふるった。

 死を凝縮した鎌が、貴虎の体を傷つけるが、彼は構わず――――

 

「――――“釘パンチ”!!」

 

 ミサイルのようなその左拳を解き放った。

 脇腹に直撃した。

 

「ゴッ――――――!?」

 

 咄嗟に後ろに飛んで威力を和らげる。

 しかし、どういうことか、打撃された場所に次々と新しい衝撃がくるのである。

 まるで、釘を打ち付けるように、何発、何十発もの衝撃が後から後から襲ってくる。

 

「――――――ガアアアアアアアアア!?!?」

 

 二十発分の衝撃をその体に受けて尚、アテナの目に宿る闘志は衰えてはいない。

 口から血反吐を吐きながらも、油断なく相手のことを見据えている。

 しかし、ダメージは受けた。

 今ので、今までの戦いの分とは比べ物にならないほどのダメージをこの身に受けたことになる。

 

「――――タフだな」

「なめるなよ、神殺し」

 

 お互いが口元に笑みを作る。

 第一ラウンドはお互いに様子見であった。

 今しがた、第二ラウンドのコングが鳴ったのだ。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 庭園内で起こっている、自然災害が具現化したような二つの激突を、ある程度の距離から見ていた者たちがいた。

 いずれもが実力者、暴風のように辺りに撒き散らされているあの威圧感の近くに近づいていけるのは、やはり壁越えもしくはそれに近しい実力者のみである。

 強大な気配の出現から、街で起こる騒ぎを収めていたのを代わりの者に任せ、文字通り飛んできた川神院の総大将、川神鉄心。

 一緒についてきた、こちらも壁超えの実力者である川神院師範代のルー・イー。

 近々九鬼が起こす川神でのプロジェクトのため、川神内の治安を良くしている途中だった、九鬼の従者部隊。

 その0番である、ヒューム・ヘルシング。

 3番、クラウディオ・ネエロ。

 そして、今破壊の限りを尽くしている二人のうちの一人のことを追ってきた、釈迦堂刑部。

 庭園内で出会った5人が、様子見として二つの強大な力の激突の姿を見ているのである。

 

「…おー、派手にやってんな」

「釈迦堂よ、あれはお前の仕業か?」

「アホなこと言ってんなよ、爺さん」

「なら何故、ここに現れタ!?」

 

 これまで姿を見せなかった釈迦堂に向けて、川神院の二人が不信感をあらわにする。

 

「あそこでバトってる男の方。あれ、俺が今住んでるところの隣人なんだわ。そんで、本気で喧嘩やるっていうんで、見に来たわけ」

「…ならば、あやつは――――」

「知ってるのか?三島貴虎っていうんだけど」

 

 あれが!?

 あれが孫の言っていた男か。

 眼前で繰り広げられる破壊の後を見る。

 地面は抉れ、木々は倒され、建物は倒壊し、悲惨な情景になっている。

 拳の一発、蹴りの一発でそれらを成しているのだ。

 数分もすれば、瓦礫の山が出来上がるだろう。

 

「いやー、あいつにボッコボコにされてさ。強いのなんのって、ボロ負けですわ。んで、そんな奴が本気で戦うってんなら、これは見なきゃいけないでしょ。ってなわけでノコノコやってきたところに、あんたらがいたんだわ」

「…ふーむ、釈迦堂は関係なしか」

「すると、あの男の正体ハ―――――」

「カンピオーネだな」

 

 川神院組の会話に割り込んできたのは、金髪で立派なヒゲを蓄えた執事、ヒュームだ。

 

「あの力の波動、膨大な気―――呪力から見てまず間違えあるまい」

「うーむ、やはりか…」

「まさか羅刹王の一人が、こんなに近くにいるとハ…」

「九鬼の事前の調査でも、把握できていませんでした」

「――――待った、あんたら、何言ってんの?」

 

 釈迦堂だけが、この場で唯一、話についていけないらしい。

 カンピオーネという言葉に、聞き覚えがあるのは四人。

 どこか仲間はずれにされたようなものだった。

 

「…ああ、お前は知らなかったのか。説明ならあとにしてやる。まずはあれらをどうするか…だ」

「おそらく相手はまつろわぬ神。壁超えが5人いるとはいえ、どこまでできるか…」

「それでもやるしかあるまいて…」

「しかし、無闇に介入するのは危険すぎマス。幸い、羅刹王とまつろわぬ神が無人の庭園内にとどまっているのですカラ、庭園外に被害が及ばないように結界を張ってはどうデショウ?」

「ふむ…それでいくか…」

 

 次々と自分を取り残して話がまとまっていく。

 加えて、どうやらその話の中に自分が戦力の一つとして入っているのだ。

 冗談じゃない。

 釈迦堂が厄介事に巻き込まれる前に、集団から離れようとしたが、

 

「何処へ行く」

「逃がさんぞ」

「釈迦堂!!お前も手伝いなさイ!!」

「申し訳ありませんが、拒否権はありません」

 

 実力者4人に囲まれては、さすがの釈迦堂も逃げられなかった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 アテナと縁のある動物といえば、蛇と梟である。

 アテナ・メティス・メドゥサと三位一体を成した古代の女神アテナは、死と再生を司る大地母神に加え、冥界の主であった。

 豊穣を司る大地母神の中でも、アテナを象徴する蛇。

 蛇は死と再生を司る聖獣として崇められた。

 古代天候や風土病など、さまざまな理由から、凶作の時があった。

 自然の恵みとは、いつも十全に受けられるものではないのだ。

 季節でさえも、豊作の秋に加え、作物が育たない冬がある。

 冬になれば、蛇は冬眠し、姿を見せなくなる。

 やがて春になると、下界に姿を見せるようになる。

 死と再生の循環をあらわした、蛇こそが、大地母神と冥界の女神であるアテナの特質にほかならない。

 加えて、ふくろうの持つ翼によって、アテナは大地と冥界、二つを自由に行き来することができる。

 翼のある蛇、原初のアテナはそのような姿だったろう。

 アテナの号令によって、地を這う百を超える蛇が、暗闇で飛び回る梟の大群が貴虎に襲いかかる。

 

「“フライ返し”」

 

 貴虎へと飛びかかった軍勢が、独りでに吹っ飛んでいく。

 何かに跳ね返されたような光景であった。

 それにも構わずアテナは果敢に攻めていく。

 次に現れたのは、20から30メートルはあるであろう巨大な大蛇。

 それらが一斉に貴虎目掛けて、鎌首をもたげる。

 

「“サウンドバズーカ”!!」

 

 音の衝撃波。

 貴虎の口より放たれたそれは、強大な威力をもって巨大な大蛇を()()()()()

 頭を失った蛇が、崩れ去る。

 もともと、庭園内の土から作られた蛇が、役割を終え元の土へと戻っていくのだ。

 

「“劇毒機関銃(マシンガンポイズン)”」

 

 梟の翼で、再び宙を翔けるアテナ目掛けて、体内で生成された劇毒の雫を次々と浴びせようとする。

 劇毒の雨を、アテナはスイスイと避けていくが、女神の眷属である梟たちで、避けきれなかった者が溶解性の毒を浴び、その姿を白骨と化していた。

 

「もらったぞ!!」

 

 地面すれすれで飛ぶアテナが、隙と見たのか黒い鎌で持って、貴虎の命を刈り取ろうとする。

 

「“ナイフ”!!」

 

 呪力を集中し、十分に強化された手刀で、鎌の一撃を受ける。

 反対の手でもって、アテナを狙うが、女神は後ろに飛び去ってしまった。

 

「危ない危ない。もうあのような拳を受けるのは御免こうむるからな」

 

 20連釘パンチを受けた脇腹に女神は手を当てる。

 ダメージは、あった。

 それも甚大な。

 しかし、神と神殺しが戦う時の、アドレナリンよりももっと強烈な闘争本能によって、いつしか痛みも消えていた。

 辺は凄惨な状態となっていた。

 貴虎の攻撃の影響によって、瓦礫の山と化した建物。

 アテナの邪眼によって、石となった木々。 

 被害が庭園内に収まっているのが不思議なくらいであった。

 アテナは上空にて、地に足をつけこちらを睨んでいる相手の方を見る。

 なんとなく、相手の能力はわかっていた。

 こちらに浴びせてくる数多の攻撃の数々は、()()()()()()

 神々の権能に匹敵するような、威力を持った()の数々である。

 それよりも、そんな威力の技を何度も行使して、けろりとしているそのエネルギー源だ。

 エネルギーの源こそ、やつの権能なのではないか。

 加えて、やつの強靭な肉体。

 アテナの死の鎌ですら寄せ付けない強靭な肉体を作ったその源こそが、やつの権能だ。

 鋼の英雄のように、鉄より固い体を持つのではない。

 鋼の硬度に近づくほどの強靭さを作った、その過程にこそやつの権能の秘密がある。

 あたりにはアテナの発した死の気配が充満している。

 それが周囲の温度を奪い、永久凍土の冥界の冬を演出しているのである。

 しかし、貴虎の様子に変化はなかった。

 ()()()すらも出てはいない。

 いずれにしても、埒があかない。

 見たものすべてを石化させるメドゥサの邪眼も、冥界の瞬時に体が凍ってしまうような冬も、辺り一帯の植物を残らず枯らせてしまうほど濃密な『死』も、貴虎の強大な呪力耐性に加え、その強靭な肉体の前には意味を成さなかった。

 やはり、多少リスクを犯してでも、()()『死』を叩き込まなければ…。

 アテナはふくろうの翼を消滅させ、地上へと降り去った。

 代わりに現出させたのは、盾と槍。

 アテナの神力のほとんどをそそいで創り上げた、死を具現化させた槍とメドゥサの姿が象られた、盾。

 アイギスと呼ばれる、攻防一体の盾である。

 女神の姿も、白い衣から甲冑をつけた戦士へと変化していた。

 

「三島貴虎よ、いざ勝負!!」

 

 ギリシアやローマ時代の歩兵のように、女神が槍を構えて突撃してくる。

 地母神として大地から吸い上げた力によって強化された怪力は、盾でもって防ぐ力を強化してくれる。

 そして、閃光の速さで相手を突く槍を喰らえば、ただでは済まない。

 文字どうりすべてを費やして作成したようなこの槍は、冥界の死の具現、死そのもの。

 貴虎も側面を手刀でもって叩きおろうとするが、アテナの強大な力をそそいで作られた盾と槍は壊すことは叶わなかった。

 何十合かの突きあいによって、ついに貴虎の脇腹へと槍が突き刺さった。

 

「―――――ぐっ!?」

殺ったぞ(とったぞ)、神殺しよ!!」

 

 そのままアテネの権能である死が貴虎の中に流れ込み――――――

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 ぐぎゅるるる。

 腹の音がする。

 腹が減ったなぁ。

 早くたらふく飯が食いたいぜ。

 ああ、ああ…。

 いつまで待たせるんだ。

 空腹で空腹で、耐えられないよ。

 いいか…。

 もういいか…。

 目の前の奴、美味そうだ…。

 ちょっとだけ。

 ちょっとだけつまみ食いしてしまおう。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

  

 アテナの必殺の気をこめた槍はカンピオーネ貴虎の脇腹を貫いた。

 そこから、冥界の死が流れ込むはずだった。

 これなら、この強靭な肉体と高い呪術耐性を持つ神殺しを殺すことができよう。

 カンピオーネは、貴虎に限らず、自らの持つ呪術耐性ゆえに、魔術などをかけることができない。

 その効果を打ち消してしまうのだ。

 ゆえに回復魔術などをかけるときは、内部から魔術をかけるしかない。

 体の外には強大な呪術耐性。

 一般にはキスなど経口摂取によって魔術を送り込むのが普通である。

 今回のアテナが選んだ方法は、槍を突き刺して『死』を送り込むという方法である。

 自らの力の大半を費やして創り上げた必殺の槍が、見事カンピオーネの身体を貫いたのだった。

 内部より、死の権能を送り込む。

 もはや抗うことなどできない。

 そう思った矢先だった。

 ズンッ。

 そんな衝撃が、盾を持った左手に現れたのである。

 少し遅れて、飛び散る血しぶき。

 目を見開き、視線を左手に移す。

 無かった。

 無かったのだ。

 さきほどまで自分の体についていた、左腕も手で持った盾も、無くなっていたのである。

 眼前より聞こえてくる、()()()

 喰ったのだ。

 このカンピオーネが。

 アテナの左腕も盾もみな、食べてしまったのである。

 

「―――――おのれえええええええええええ!!!!」

 

 アテナの死に犯されながらも、今だ膝を折らない神殺し。

 青い、もう白くも見える顔色ではあるが、今だ戦意は衰えず。

 自らの体の一部が喰われたという事実に怒りを顕にして、アテナは失った左腕を再生させた。

 アテナを力の一つである蛇は、再生と死の象徴。

 蛇は脱皮を繰り返すことによって、傷を治し何度でも蘇る。

 ―――――が、遅すぎた。

 アテナが死を象徴する鎌を繰り出す前に、貴虎から放たれた()()が、アテナの胸を、脇腹をえぐった。

 血を噴いて倒れ尽くす女神。

 釘パンチを食らったときとは比べ物にならないほどのダメージ。

 それに加え、()()()()という事実。

 それは力を奪われたことに等しい。

 ゴルゴネイオンを取り返し、三位一体の女神として再臨したアテナだったが、今の攻撃によって、力の大半を()()()()

 もう女王の姿のままではいられない。

 成熟した女性の姿から、可愛らしい童子の姿へと戻っていく。

 さらには、削られた部分を蛇の権能にて再生させてはいるが、実はこれもすかすかの見せかけである。

 先程再生した左腕も、見てくれは元に戻ったように見えるが、中身の呪力はいつもと比べ物にならない。

 血反吐を吐き、荒い呼吸を繰り返す。

 ザッと、耳元で土を踏みしめる音がした。

 そちらになんとか顔を向けると、神殺しの姿が。

 口元よりしたっているのは、アテナの血だろう。

 両目からは滝のような涙を流している。

 

「…わ、…らわ…の肉…を、食べ…たことで…、…死からと、…遠ざかった…か」

 

 アテナの莫大な神力を内包した身体。

 その肉を食べたことで、死にかけだった身体が元気になっている。

 冥界の死の象徴である槍も脇腹から抜いてあり、もはやアテナにどうすることもできない。

 がふっと口より大量の血を吐きながら、自分を倒した神殺しの姿をみる。

 アテナには、何故、この男が涙を流しているのか理解できなかった。

 自分に、このアテナに勝利したのだぞ。

 …何故、泣く?

 不可解だった。

 それよりも、もっと不可解な出来事が起こった。

 貴虎が虚空に腕を突き出すと、その腕の先が空間に吸い込まれていく。

 そこから取り出したのは、一つの食材。

 アテナが光を奪い去り、暗闇が支配する夜の世界でも、光り輝く()

 まるでその肉の周りだけが、昼間のように明るい。

 その光景に目を見開くアテナの口から、血以外の液体が流れ出た。

 光り輝く、太陽のような肉が、アテナの口元に運ばれる。

 もう一歩も動かんと思っていた身体が、何かに突き動かされるように肉を咀嚼した。

 ――――おお、おお…。

 ひと噛みごとに口の中ではじける肉汁。

 口内の体温ですら、溶けてしまうサーロイン。

 こりこりとした歯ごたえのあるミノ。

 クリーミーな味わいのレバー。

 一つの部位でさえ、これほどの味、食感、部位を楽しめることができる。

 そして何より、()()()()()()()()()()()()

 全快にまでは程遠いが、ひとまず自然消滅を避けられた形になった。

 

「…何故、助けた?」

 

 体を起こし、神殺しへと問いかける。

 

「あなたに体の大部分を食い破られ、もはや妾は消滅を待つのみだった。…なぜ助けた?そのどこぞの農耕神より授けられたであろう、生と死の境界の食材を使って」

 

 生と死の境界―――幽世などと呼ばれている場所で作られる作物は、特別な現象を帯びる。

 すなわち、呪力を蓄えるのだ。

 肉体に栄養分を与えるだけしかしない現世とは違い、魂にまで影響を及ぼす食事。

 

「…これだけの食材を作ることのできる庭を一人で所有している神は限られる。―――あなたの弑逆したのは、もしや宇迦之御魂神か?」

 

 アテナの言葉に貴虎が目を見開く。

 その反応から得心がいったのか、さらに問いかけるアテナ。

 

「…なるほど。かの神より簒奪した権能の特性を考えると、これまでのあなたの強靭な肉体や膨大な呪力にも納得がいった。…だが、どうして妾を助けたのだ。これだけが納得がいかない」

「…フェアじゃないからな」

「フェアだと…?」

「一体一、全力で喧嘩して、その結果勝った、負けたならまだいい。私も納得ができる。しかし、さっきのはフェアじゃなかった」

「――――」

「相手を一方的に食うってのは、もはや力と力を比べる勝負じゃない。ただの捕食になってしまう。それが私は気に入らん」

「勝ったほうが負けたほうを食らう。それが自然の摂理なのではないか?」

()()()()()()()?」

「――――」

「まつろわぬ神と神殺しの闘いは、そういうものなのか?相手を一方的に食べてしまう、それが武を競い合う戦いなのか?…少なくとも、それを容認すれば私はなってしまうだろう。―――抑止の効かない獣に。すべてを食い尽くしても止まらない、食欲の悪魔に」

 

 そう、貴虎の危惧しているのは、このことだったのだ。

 人間ではなくなってしまう。

 カンピオーネとして新生した今でも、想い続けていることだ。

 ――――あの、下半身が食いちぎられている老人の姿。

 野生では、構わない。

 食うか、食われるか。

 強いほうが相手を喰らい、自らの血肉としてその命に感謝する。

 皮肉なものだ。

 カンピオーネであるほうが、()()()()()()()とは。

 

「…なるほどな」

 

 アテナがこちらを見据えている。

 相手の底まで見定めるような、知恵の女神の瞳だ。

 

「ならば妾との此度の戦は―――――」

「ノーコンテストだ。再戦を希望する」

「今すぐか?」

「アホか。今から飯だ。お前の相手をしている余裕はない」

「…いいだろう!!一応の勝者であるあなたの意見を受け入れ、此度の戦は私の負けを認めよう。しかるにこの体が元に戻った時に、もう一度あなたに闘いを挑むことにしよう!!」

「話し、聞いてた?ノーカンだっつってんじゃん」

 

 ようやくもう一人の神殺し、草薙護堂もたどり着いたのか、息を切らせながら庭園内に入ってくる。

 傍らにはエリカと、祐理の姿もあった。

 三人とも庭園ないの惨状に顔をしかめていたが、アテナの姿を見つけると目を丸くし、

 

「アテナが―――」

「光ってる―――」

「――――どうなってるんだ?」

 

 アテナの方も護堂の姿を確認したのか、

 

「…そういえば、貴方とも決着をつけなければならなかったな」

「え、あ、そうだな」

「といっても、妾は力の大半を消耗した状態。現時点では争うことは避けたいのだが…」

「え、帰ってくれるの?」

「今の妾と戦って勝利したとしても、権能は得られないだろう。やはり後日仕切りなおしたほうが、あなたもいいのではないか?」

「いい!!もう来んな!!」

 

 アテナの背中に翼が生える。

 貴虎と戦っていた時のような立派なものではないが、これでも一応空を飛べるようだ。

 

「さらばだ、極東の神殺したちよ!!妾は今しばし羽を休める。再戦を楽しみにしていろ!!」

 

 そう言って夜の闇の中に消えていった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

「…終わった?」

「そのようだな…」

 

 庭園外にて、結界を張っていた実力者五人組。

 その誰もが、息を切らせて地面にへたり込む。

 カンピオーネとまつろわぬ神の激突をどうにか庭園内に押し止めようと、全力で結界を張っていた五人組。

 何度も割られながらも、その都度貼り直していた。

 周りの民家が無事なのは、この五人の功績にほかならない。

 

「…年寄りにはきついわい」

「まったくですな」

「老いたな、と言いたいところだが、残念だが俺ももう限界だ」

「一世一代の大博打でしたネ」

 

 四人が健闘をたたえ合っている中で、釈迦堂だけが地面に突っ伏している。

 

「…もうやらん」

 

 なまじ好奇心を出してしまったがゆえに起こった今回の事態。

 釈迦堂もまた、貧乏くじを引いた人間の一人だった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 貴虎には忘れていたことがあった。

 家に帰ると、床に突っ伏しているゾンビが5人。

 

「ハラヘッタ」

「メシクワセロ」

「……」

「…ZZZ…」

 

「ふむ、ここがあなたの住処か、なんとも貧相な出で立ちよな」

 

 貴虎の後ろより現れたのは、さきほどまで雌雄を決していた相手、アテナ。

 

「…なぜいる?」

「満月の日、アルテミスの月光を身に浴びることで、失った呪力を回復させようと思ったが、それよりもあなたの呪力を内包した料理を食べたほうが早いの気づいてな」

「…ついてきたのか」

「さあ、客人として私をもてなすといい。安心しろ。妾も客人としてまいったのだ。あなた以外の人間の無礼にも、多少は目をつぶり、権能の行使も控えよう」

 

 そして、アテナの声に反応した者がもうひとり――――

 

「―――――お父さん、知らない女の声がするんだけど…」

 

 ギギギと擬音を立てて立ち上がる(小雪)

 その背後には守護霊として阿修羅が宿っているようにも感じられる。

 板垣家の面々は、空腹もあってまともに取り合うことができない。

 傍観することを決めた。

 内心、幾人かはざまあみろと思っていることだろう。

 これから起こるであろう出来事を思い浮かべながら、極大のため息を落とす。

 ――――まずは風呂に入らせてくれ。

 

「お父さん!!後ろの女のことを説明して!!」

 

 

 

 

 

 

 




戦闘シーン難しすぎです。
とりあえず、あと一話くらいプロローグとして続くので、どうかお付き合いください。


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005

この作品の戦闘能力というか、まあクロス作品なので力関係は私の独断と偏見で決めさせてもらっています。
そこらへんは、どうぞご了承ください。

あと私はマジ恋Aは持っていません。
川上通信とか公式サイトとかはチェックしているのですが、やったことのある方で設定とかおかしかったりAで出てきたとかあったら教えていただけると助かります。


 

 

 

 

 川神百代が再び目を覚ましたときは、もう夜も遅い頃だった。

 午前三時頃だろうか。

 自室に布団が敷かれ、そこで眠らされていたのだろう。

 体が、疲労の影響からか、少し重い。

 しかし、幾分かの睡眠を得ることができたことからか、思考ははっきりとしていた。

 ――――私は…、

 おぼろげであった記憶を思い返す。

 確かサンドバックを叩いているうちに、じじいに攻撃されて―――

 意識をしだすと、痛みがくるもので、拳にピリっとした痛みが走った。

 視線を落とすと、手には包帯が巻かれている。

 誰かが治療してくれたのだろう。

 その痛みのおかげか、意識が落ちるまでのことをはっきりと思い出すことできた。

 

「――――お姉さま…」

 

 横で眠っている妹が、寝言で発した言葉だ。

 どうやら、みんなが帰ったあとでも、自分のことを看病してくれていたらしい。

 頬を撫でる。

 ――――心配をかけたな。

 明日、風間ファミリーのみんなにも、謝ろう。

 心配かけてごめん。

 そして、ありがとう。

 百代が布団から腰を上げて、台所の方へと向かう。

 喉が渇いていた。

 妹分が起きないように、静かに。

 廊下を通って行く間、さすがに夜は冷えるようで、ひんやりとした空気が今は心地よかった。

 ふと、百代が訝しげに顔をしかめる。

 台所のあたりで、明かりがついているのである。

 気を集中してみると、なにやら話し声や笑い声が聞こえてくる。

 鉄心、ルー師範代、それに釈迦堂。

 その他にも何人かの話し声がする。

 こんな夜更けに?

 百代が明かりの点いた部屋の襖を開けると、そこには酒を飲んでべろんべろんになっている大人たちの姿が。

 

「おーう、モモじゃねえか。久しぶりだな」

「百代、目覚めたか」

「体の方は、大丈夫カイ?」

 

 いえ、あなたたちのほうが大丈夫なのですか?

 

「ふん、川神百代か。稽古のしすぎで倒れるなどとは、自己管理が足りん証拠よ。まだ赤子か」

「ヒュームが言っていることは、お気になさらずに。お体にお気をつけください、百代様」

 

 執事服から、九鬼家従者部隊の者たちだろう。

 金髪の執事は、その0番、ヒューム・ヘルシング。

 バリバリ現役の武闘派と聞いている。

 隣で静かにグラスを傾けている銀髪の老人も、ただものではない雰囲気だ。

 

「…一体、なんの騒ぎですか?」

 

 机の上には、そこらのコンビニで買ってきたようなつまみが入った袋が何個か。

 川神院に置いてあった酒瓶が何本か、中身をなくして倒れている。

 

「モモや、こっちに来なさい」

 

 鉄心が手招きする。

 いつもは思わず姿勢を正したくなるよう威厳も、酒臭い部屋と酔ったとみられる赤ら顔で今は陰りも見れない。

 一同に一人分のスペースを空けられたので、百代は――本当は行きたくなかったが――そこに腰を下ろす。

 

「…で、何だよ。私に話か?」

()に会うてきた」

「…誰に?」

「お前がけちょんけちょんにされた相手じゃよ」

 

 その言葉を聞いて、血液が一瞬にして沸騰した。

 名前を明言されていないが、それでもわかる。

 

「…三島貴虎…」

「そうじゃ」

 

 会っていたのか。

 自分が疲労で倒れている間に…。

 

「モモや、これから三日間、武を禁止する。体の回復に努めよ」

「―――なッ!?」

「彼に、会いたくないかの?」

 

 百代の目が大きく見開かれる。 

 会いたい。

 もう一度、会って、きちんとした勝負を。

 そう思っている自分と、

 会いたくない。

 今会っても、この前の焼き回しだ。

 もう無様な姿は、晒したくない。

 そう思っている自分がいた。

 百代の心が、揺れていたのである。

 それを感じ取ってか、

 

「お主の思いもよくわかる」

 

 鉄心が続ける。

 

「三日後、あるお方が、説明してくれるじゃろう。()が何者なのか。モモが知らない、世界に潜む強者の話も。―――どうじゃ、聞きたくないかい?」

 

 聞きたい。

 そして知りたい。

 自分は、所詮川神院から出たことがなかった身だ。

 外部から次々とやってくる挑戦者たち。

 それでも、力を持て余していた自分。

 そこへ、ふらりとやってきた三島貴虎という男。

 ポキリとへし折られた。

 プライドだったのかなんだったのかはわからない。

 それは、サンドバックを叩いたり、走ったり、体を痛めつけることでは治らない。

 きっかけが必要だ。

 折れたものはもう、戻らない。

 新しく芯を打ち直すための、そのきっかけが。

 あの男の正体だって?

 気になるに決まっている。

 それに、自分が知らない世界の話も。

 

「…俺たちは、おそらく動けん」

 

 重々しく、ヒュームが口を開く。

 

「被害を庭園内で収めるために、限界を超えて結界を張っていたため、俺たちの気も底がついている。今から回復に専念はするが、全快まではいかないだろう」

「そうなれば百代、お前が鍵になるやもしれん」

「万が一の時のために、今は体を休めるときダヨ」

「まあ、なんだ…。おとなしく待ってろってことだな」

 

 百代は深く、うなづいた。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

「どうしようどうしようどうしようどうしよう――――」

「おはようございます、ユキ。…今日は一段と輝いていますね」

「うーっす、どうした?お前がそんなに取り乱すなんて、珍しいじゃねえか」

「とうまー、じゅんー、聞いて!!あのね、お父さんが――――」

「貴虎さんが、どうかしましたか?」

「―――――準みたいになっちゃったのー!!!!」

「…ファッ!?」

「準みたいにですと、まさかロリコン――――」

「昨日の夜、帰りが遅いから、どうしたのかと思っていたら、可愛い女の子を連れて帰ってきたんだよー!!…どうしよう」

「落ち着いてください、ユキ。まだそうであると確かめたわけではないでしょう?」

「…てか、貴虎さん、この前の風呂では否定していたのに…。人は見かけにはよらんね」

「ハゲと一緒にすんなー!!」

「ハゲをいじめるの禁止!!」

「ああ、もう二人とも落ち着いて。…それで、連れてきたあとは?」

「…お父さん、服もボロボロで、血まみれだったからお風呂に入って―――それからみんなで光るお肉を食べて、食べ終わったらその女の人も帰っていたんだ」

「…お前の親父さんの仕事ってなんだっけ?」

「会社の上司に娘を預かってもらえないかと頼まれでもしたのではないですか?」

「だって、その女が『妾と貴虎とは、浅からぬ関係だ』なんてぬかしやがってあのメスガキー!!」

「ユキ!口調戻して!!」

「…ユキがそんなにムキになるなんて珍しいな。その女の子の写メとか、持ってる?」

「うん、あるよー。あのね、これなんだけど――――」

 

「女神キタ――――――――――――――!!!!!!」

 

「いけませんね、準まで暴走し始めてしまった…」

「何の騒ぎです、騒々しい…」

「マルギッテさん、実はですね―――」

 

「あなたに恋をした…」

 

「あなたに跪かせていただきたい、花よ」

 

「…なるほど、あの男がキモくなっている理由はそれですか…」

「できればマルギッテさんの力で、彼を元に戻してあげて欲しいのですが…」

「いいでしょう、私もあんなキモいのと一緒に授業を受ける気はもう頭もありません―――トンファー・キック!!」

 

 ドカッ

 

「ふふふ…効かん、効かんよ」

「何ッ!?まさか私のトンファー・キックをまともに受けて―――」

「今の私は阿修羅すら凌駕する存在だ!!」

「むう、なんという存在感…」

「ロリコンパワー、恐るべし…」

「ああ、待っていてください、女神よ。あなたの前で永遠の忠誠を誓わせてください。――――そしてできるならほっぺにチューをしてくださいいいいいいいいいいいいいい!!!!」

「キモい」

「キモイの」

「気持ち悪いですね」

「あそこまで行くと、むしろ尊敬するわ…」

「というか、もう帰ってしまってユキの家にはいないのでは?」

 

「待っていてくださいいいいいいいいい!!あなたの愛の奴隷が今、参りますうううううううううう!!!!」

 

「うーっす、ホームルームを―――なんだこの騒ぎは?」

 

 今日も二年S組は平和だった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 無職である。

 小雪が学校へと登校した後で、コンビニで買ってきた新聞をちゃぶ台の上に広げて読む。

 もう、この生活が3日も続いている。

 非正規雇用の派遣であった貴虎の契約は、一週間ほど前に切れていたのである。

 再契約は、していない。

 もともと、長く同じ仕事を続けるつもりもなかった。

 正社員として雇用されないかとの勧誘もされたが、断った。

 今からどうしようか。

 傍らに無造作に置かれた白い袋に手を突っ込み、そこから食料を取り出す。

 ガリボリと、咀嚼音が狭い部屋の中で反響している。

 まつろわぬ神とカンピオーネと戦いの場となった、浜離宮恩賜庭園は、ガス爆破事故として処理されることとなっていた。

 それまで目の前にそびえていた広大な緑の塊が、ある日朝になったら瓦礫の山に変わっていたことを見たら、近隣住人はどう思うだろうか。

 アテナの石化の邪眼に加え、貴虎の攻撃の余波で壊滅状態と化した庭園は、まだ復興の目処がつかない。

 今もどこからかやってきた職員たちが、修復作業の真っ最中である。

 むしろ、庭園内だけで被害が収まったことを、安堵するべきだろう。

 一通り新聞を読み終えると、部屋の端の方へと放り投げる。

 アテナから受けた傷は、一通り癒えた。

 一番深かった死の槍で貫かれた脇腹も、ほとんど完治へと向かっている。

 まだあの激突から三日ほどしかたってはいない。

 驚異的な回復力だった。

 アテナも、あれから貴虎たちとともに飯を食ったら自分の居場所、ギリシアへと帰っていった。

 また来る、と不吉な言葉を残して。

 食べている間、小雪の機嫌が悪かったのはどうしてだろう。

 『宝石の肉(ジュエルミート)』は、美味しそうに食べていたのだが…。

 女神アテナですら、うならせるほどの旨さを持った、古代の食宝。

 

 コンコン

 

 貴虎の家には、インターホンなんて洒落たものはない。

 はい、と返事をし、扉を開けると、そこには黒いスーツの男たちが。

 後ろには、リムジンかベンツか―――とにかく高級そうな車の姿があった。

 

「三島貴虎…様ですね?」

 

 そう言うと、男は丁寧に腰を折って、頭を下げた。

 

「どうか我々とご一緒に来てもらえないでしょうか、王よ」

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 東京の外れに存在する人工浮島。

 川神の地にも、九鬼の支部が存在する。

 今や世界的な大企業となり、あらゆる産業の手を伸ばしている九鬼の極東支部が、この川神の地にもあるのだ。

 今だ学生の身分で、川神学園に通っている九鬼英雄や、姉の揚羽など、学生の身分ながら世界を飛び回る九鬼一族である彼らが、普段の住まいにしている場所である。

 現在、そのビルの周囲5キロに人払いがかけられていた。

 10メートルおきに直立する、九鬼の従者たち。

 類を見ないほどの、厳重体制であった。

 それほどの、非常事態。

 巨大なビルの中には無数の部屋が存在しており、九鬼一族の部屋の他にも、九鬼所属の従者部隊ひとりひとりにあてがわれた部屋も存在していた。

 その無数に存在する部屋の一つ。

 普段、九鬼家家族が食事をしたり、従者部隊のトップクラスが会議に使ったりする大広間。

 中央には、派手な装飾の施された、高級そうな長机が鎮座している。

 部屋の周りには、いずれも有名な巨匠の絵画や彫刻などが。

 その机を挟んで、向かい合う者たち。

 いずれも劣らぬ、著名人たちである。

 九鬼からは、九鬼帝、局、揚羽、英雄、紋白と、九鬼家勢ぞろい。

 滅多に見られない光景であった。

 世界中を飛び回る九鬼家家族が、一同に顔を合わせ、同じテーブルについている。

 それほどの非常事態。

 ビルの周りにも、部屋の近くにも従者部隊は潜んではいるが、この部屋の中に入れたのは、いずれもトップ中のトップのみ。

 九鬼家従者部隊第0番、ヒューム・ヘルシング。

 同じく1番、英雄の付き人でもあり、従者部隊若手の代表者、忍足あずみ。

 第2番、マープル。

 第3番、クラウディオ・ネエロ。

 揚羽の付き人の武田小十郎は、参加させてもらえなかった。

 戦力外と通告され、比較的部屋から近い位置で、警護を行っている。

 小十郎の血液は、比較的珍しい型で、揚羽と同じなのである。

 そのため、緊急時の輸血対象として、揚羽の付き人として付き従っているのだ。

 しかし、今は傍らには居させてもらえない。

 本来なら、あずみも戦力外として扱われるところなのだが、そこは英雄の従者としての役割と、若手をまとめる采配を認められたのか、この場にいることを許されている。

 数多くいる九鬼家従者たちの中で、序列をもらうことができる精鋭中の精鋭1000人。

 その中でも、トップ中のトップのみが、この場にいることを許されている。

 ただ、席には座らず、従者らしくそれぞれの主の横に侍っている。

 川神院からは、トップの川神鉄心。

 娘の川神百代。

 師範代のルー・イー。

 そして、数日前にともに苦労を分かち合った、釈迦堂の姿もあった。

 鉄心の横には、これまた有名な人物。

 この国の内閣総理大臣が、席についていた。

 対面して着席しているのは、()の人々。

 正史編纂委員会東京支部の長である、沙耶宮馨。

 その付き人である、甘粕冬馬。

 武蔵の姫巫女、万里谷祐理。

 イタリアの魔術結社『赤銅黒十字』の長で、『紅き悪魔(ディアボロ・ロッソ)』の異名を持つ大騎士、パオロ・ブランデッリ。

 その父から異名を継承した、エリカ・ブランデッリの姿が見える。

 同じく『赤銅黒十字』のメンバーのひとり、ジェンナーロ・ガンツ。

 そして、二方とは別に、腰を下ろしている()()

 3ヶ月近く前に、イタリアにてみごとまつろわぬウルスラグナを弑逆し、その体に権能を納めた、若きカンピオーネ。 

 草薙護堂の姿があった。

 その対面の席は、まだ空席である。

 もう一人の羅刹王が来るのを、待っているのである。

 

「――――今日忙しい中、お集まりいただき、最上級の感謝を申し上げます」

 

 声を発したのは沙耶宮馨だった。

 彼女は立ち上がり、その場で一礼してみせる。

 

「まずは此度、東京都内で起こった()()について―――」

「あー、すまんのぅ…」

 

 話を遮ったのは鉄心だった。

 

「この場には()()をよく知らぬ者たちもいる。できれば最初から説明してやってくれんか?」

「事情というと?」

「呪術や魔術などといった、()の話じゃよ」

 

 反応は二つに分かれた。

 正史編纂委員会側と知っている者たち、それに百代や揚羽などに代表される、知らない者たちだ。

 なるほどと趣向し、

 

「わかりました。では最初から――――」

 

 そう言って彼女は話し始めた。

 呪術のこと。

 正史編纂委員会のこと。

 この世で起こっている怪異のこと。

 姫巫女のこと。

 そして、まつろわぬ神のことを。

 そしてそれらの超越的な存在をみごと弑逆せしめた、勝利者、カンピオーネのことを。

 

「―――現在、現存しているカンピオーネは()()

 

 非凡な剣の才をにて、神を打倒した、イタリアの『剣王』、サルバトーレ・ドニ。

 バルカン半島を拠点とする、最古参の魔王、サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン。

 中国の魔術結社『五嶽聖教』の教主にして、武林の子孫として崇められている、羅濠教主。

 アレキサンドリアを拠点としている、妖しき洞窟の女王、アイーシャ夫人。

 イギリスのコーンウォールに設立された、魔術結社『王立工廠』を率いる王、アレクサンドル・ガスコイン。

 アメリカのロサンゼルスの守護者、ジョン・プルートー・スミス。

 そして、イタリアにて誕生した新しい神殺し。

 草薙護堂が名を連ねている。

 そこに、先日ふってわいたように現れた、もう一人の王。

 三島貴虎という男である。

 

「三島王に関しては、我々正史編纂委員会に代表されるように、呪術界でも何も知りませんでした」

 

 そこに突如煙のように現れた神殺し。

 今も、日本の呪術界は大混乱である。

 歴史上でも稀にも稀――――もしかすると、神代から続く歴史の中でも偉業なのかもしれない。

 同じ日本という土地で、神殺しが二人も誕生するということ。

 護堂が神殺しをなしたのは、イタリアでのことだが、二人とも日本人である。

 同時代、同時期に二人のカンピオーネがこの極東の地に集うことなど、歴史上初めてのことだろう。

 だからこその、今日のこの場に一同が集まったのである。

 日本という狭い島国に、自然災害にも匹敵するような爆弾が二つも揃っている。

 しかも、近い場所で。

 二人共東京都に住んでいるのだ。

 川神と根津とで距離はあるといっても、それはもはやないに等しい。

 特急の爆弾が、二つ揃っているのである。

 しかも、もう一つの懸念事項としては、三島貴虎という神殺しのことを全く知らないということだ。

 草薙護堂の方は、イギリスの『賢人議会』からの報告書の方に、神々より簒奪した権能の情報が載っていたり、ここにいる祐理や甘粕などは、まだ少しではあるが、接触したことによってその人となりはなんとなくだが掴んでいる。

 問題は、もう一人の方である。

 その存在自体が先日確認されたばかりで、先日アテナというギリシアでのビックネームを撤退まで追い込んだという、その力はまさにカンピオーネということを、周囲に知らしめた。

 そして、その破壊の影響も。

 護堂が以前、ローマのコロッセオに『猪』をぶつけ、倒壊させたように、カンピオーネの権能というのは、強大無比な代物である。

 それは、浜離宮恩賜庭園の惨状を見て、ひと目で理解できるだろう。

 アテナの石化の邪眼に加え、カンピオーネ三島貴虎の攻撃後でがれきの山と化した、かつて庭園()()()もの。

 森を思わせるような木々の群れは根こそぎ倒れ、魚たちも生息していた池はその形を無くし、建築物は瓦礫と化した。

 正直、よく庭園内で被害が収まったなと感心するくらいである。

 鉄心たち壁を超えた実力者5人がかりでの結界が効いたのか…。

 はたまた、運がよかったと見るべきなのか…。

 とにかく、今日この場に集まった者たちは、新しく日本で確認された王を見定めるために集まったのである。

 ヴォバン公爵のように破壊の限りを尽くし、魔王と恐れられる存在なのか…。

 中国の羅濠教主のように、人間よりも地球の自然を優先させるような、常識知らずな王なのか…。

 アイーシャ夫人のように、天然で災害を振りまく者なのか…。

 サルバトーレ・ドニのように、思いつきだけで行動し、周りを振り回す者なのか…。

 ジョン・プルートー・スミスのように、民衆を守るヒーローを自称するのか…。

 アレクサンドル・ガスコインのように、思いついた行動が、皆を振り回すことになるのか…。

 草薙護堂のように、一般人を自称していても、その行動の突飛さで周りを振り回す王なのか…。

 一番まずいのは、草薙護堂と三島貴虎、両カンピオーネの衝突である。

 この狭い島国に二人を押し込めたようなこの構図では、いつ何度でも衝突が起きてもおかしくはないのだ。

 できれば、和平を選択し、仲良くしてほしい。

 そうでないなら、一緒には行動しないでくれ。

 日本の呪術界からの、切実な願いだった。

 また、川神に住まう者たちからも異なる反応があった。

 彼らは長く秘匿とされてきた、まつろわぬ神とカンピオーネ。

 それに、呪術なるものの存在を知ったのである。

 ゲームの世界に存在するような用語が、まさか現代で本当に存在していたとは…。

 無知であるがゆえに好奇心を持ってしまう。

 現在自分たちとは違う席についている、一人の王に。

 そしてもう一つ、空いた席に座るはずの王に。

 

「…一つ、よろしいですか?」

 

 話が一通りなされたあとで、クラウディオが疑問の声を上げる。

 

「なんでしょう」

「まつろわぬ神と、カンピオーネの存在については、理解することができました。…しかし、疑問ですな。アテナとは古代ギリシアでの女神として崇拝されていたはず。なぜ、日本にやってきたのでしょうか?」

「それは―――――」

「それについては、私から説明させていただきます」

 

 馨の返答を遮って、席を立ったのはパオロ。

 大騎士の称号を持つ、イタリアの魔術結社『赤銅黒十字』の長である。

 

「…すべては北アフリカより出土し、カラブリア海岸に打ち上げられた、『ゴルゴネイオン』という神具をどう扱うかということから始まりました―――――」

 

 神の力を内包した神具は、不朽不滅の存在であり、人間の力では壊すことはできない。

 そのゴルゴネイオンも、半身であるアテナの存在を呼んでいた。

 扱いに困ったイタリアの魔術結社たちに、名乗りを上げたのが、『赤銅黒十字』の若き才媛、エリカ・ブランデッリだった。

 彼女からゴルゴネイオンを託された護堂が、神具を持って帰国。

 そのまま神具の行方を追って、まつろわぬアテナが来日したということである。

 

「…はて、妙ですな。イタリアにもそのカンピオーネが一人、存在していたはずですが…」

「サルバトーレ卿は2ヶ月前に草薙王との戦闘によって負傷され、治癒のためイタリアから離れていたのです」

「そこで、白羽の矢がたったのが、そこの赤子だったというわけだ…」

 

 ヒュームの鋭い視線が、護堂に突き刺さる。

 肩身が狭い思いだった。

 ただでさえ、一人だけ特別待遇なのである。

 いつも傍らに侍っているエリカも、今回ばかりは一緒にはいられない。

 赤子と揶揄されて何か言いたい気分だったが、それよりも金髪執事の鋭い目線が突き刺さる。

 それに、口を開いていない他の者たちも、何か探るような目つきで自分のことを見定めてくる。

 正直、居心地がわるい。

 

「ヘルシング殿、口の利き方には気をつけてもらいたい!ここにおわしますのは、神から権能をみごと簒奪した、カンピオーネなのですから!!」

「失礼、ついうっかり口が滑ってしまいましたかな…」

「ヒューム」

 

 主である帝にたしなめられ、飄々と下がる執事。

 勿論、ここにいる全員がイタリアの魔術結社の面々に関して、良い顔をしていない。

 確かに、選択としては最善であったかもしれないが、結果として日本にアテナを招いたのは、エリカの選択だ。

 トラブルを持ち込まれて、いい顔をするものなどいない。

 それをわかっているのだろう。

 エリカも表面上は平常心を装ってはいるが、内心かなり動揺していた。

 表情も固い。

 対面に座っている何人かは、自分よりも数段、下手をしたら十段は上かも知れないほどの、特A級の達人たち。

 特に川神院の総大将など、その名を世界に轟かせているほどの猛者である。

 娘の川神百代も、若くして祖父より『武神』の名を承っている才媛。

 こうまで敵視されては、完全にアウェイだった。

 ジェンナーロもパオロも、浮かべている表情は固い。

 被害が庭園内で収まっていたとはいえ、実質自分たちの選択で日本にまつろわぬアテナを招き入れたようなものなのである。

 しかも、護堂が打倒するはずだったアテナは、ふらりと現れたもうひとりの神殺しがみごと撤退させたのだ。

 しかし、彼らの懸念はもうひとつあった。

 すなわち、あの三島貴虎という魔王が、今回の件で怒りを覚えているかもしれないということである。

 三島王が怒りを持って、イタリアに攻め込んできたのなら、主要都市は間違いなく壊滅するだろう。

 そこにイタリアの剣王まで出張られたのなら、もう終わりである。

 イタリアという国が、まるまる消滅する危険性さえあるのだ。

 かつてその怒りによっていくつかの都市を消滅させた、ヴォバン公爵のように。

 

 コンコン

 

 外側から扉にノックがなされた。

 

「なんだ?」

「三島貴虎様が着きました」

 

 その言葉で部屋の中にいるもの全員が気を引き締めた。

 

「もうすぐ、この部屋までやってきます」

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 貴虎が執事の一人に連れられて、部屋の前まで歩いてきた。

 前もって聞かされている内容は、それほど多くはない。

 ただ、どうか自分たちについてきてほしい。

 十中八九カンピオーネに関することであろう。

 部屋の中にも、それらしい影が見える。

 以前アテナとの一戦の際にであった、少年だった。

 部屋の中には、いずれも実力者が数人。

 それを、()()()()()前から確認していた。

 

「こちらです」

 

 執事によって開けられた扉の向こうで、長机を囲っている一同。

 一方は知っている顔が並んでいた。

 川神の面々だ。

 釈迦堂の姿も見える。

 あとは知らない。

 九鬼帝の写真は新聞で見たことがあったので、その存在は確認した。

 そのほかの面々も、額に傷を持っていることや、服装から九鬼の関係者であると推測される。

 そしてなんといっても、この国の最高責任者である、内閣総理大臣の姿があった。

 もう一方は、知らない顔が並んでいた。

 そういえば、アテナとの一戦の時に、もうひとりの神殺しとともにいた少女の姿があったのではないか…。

 あとは新顔だ。

 見たことさえない。

 そして、双方からの視線が集まる場所に腰を下ろしている少年。

 もうひとりのカンピオーネ。

 彼もこちらの方へと視線を送っている。

 部屋の中にいる人々の視線を浴びながらも、貴虎は歩みを進める。

 座る席は、カンピオーネである少年の対面。

 そこに腰を下ろす。

 

「…この場に来てくださったことに、誠の感謝の意を表明します――――三島王よ」

 

 貴虎は知らない女性――――沙耶宮馨から感謝が告げられる。

 

「此度ここに来てもらったのは、ここにいる皆があなたの人となりを知りたいからです」

 

 双方から浴びせられる、探るような目線。

 見極めているのである。

 もう一人の神殺しが、どんな人物であるかを。

 

「――――その前に、私からよろしいですか」

 

 そう手を挙げたのはパオロだった。

 

「三島王よ、此度のまつろわぬアテナの日本襲来を招いたのは、全て私の責任です。―――どうかちっぽけなものではありますが、私一人の命で、荒ぶる怒りを鎮めてはもらえないでしょうか」

「お父様、何を!?」

「―――エリカ、三島王の領域(テリトリー)へと騒動を持ち込んだこと。これは償わなければならないことだ」

「ですが、それは私の選択で―――」

「『赤銅黒十字』の長として、ゴルゴネイオンをお前に託したのは、私の選択だ。それが今回の騒動につながったのならば、その償いは組織の長である私がするべきなのだよ。―――ジェンナーロ、あとは頼む」

「…わかった、ボス」

 

 エリカが詰め寄っても、パオロは取り合わない。

 そのまま深々と頭を下げた。

 

「どうか私一人の命で、何卒ご容赦願いたい」

 

 部屋の中に静寂が満ちている。

 待っているのだ。

 王の判決を。

 それで決まる。

 このカンピオーネが、どういった人物なのか。

 ごくりと、誰かが喉を鳴らした。

 貴虎は無言だ。

 どこか遠いところを見ているようである。

 そしてそれは、護堂のちょうど頭の上の方に、視線が向いている。

 

「――――三島王?」

 

 そこで始めて、貴虎はパオロのことを()()

 一人の人間としての三島貴虎ではない。

 カンピオーネ、三島貴虎としてである。

 瞬間、部屋の中に出現する、巨大な気配。

 その眼光だけで、彼らは威圧されていた。

 ここに座っているいずれもが感じていた。

 その肌を突き刺すような、ピリピリとした気配から。

 獲物を狙う肉食獣のような、鋭い眼光から。

 ――――この男は王であると。

 しかし、さすがは大騎士パオロ・ブランデッリ。

 さすがの胆力で、その威圧感に耐え切り、今かと判決を待っている。

 緊張した気配が充満している。

 

 その時、彼らは見た。

 巨大な口が、パオロの頭からかじりつき、上半身をまるっと食べてしまうところを。

 残った下半身が、大量の血を噴き出しながら力なく倒れていくところを。 

 そして、赤い雫を滴らせながら、肉を、骨を咀嚼する神殺しの姿を。

 

 荒い呼吸をしている。

 背中に冷たく、寒いものが走り、顔にはいくつもの冷や汗ができている。

 ()()()()()()()()()が自身の顔を、胸を両の手で触り、感触を確かめる。

 ――――無事だ…。

 先程、食べられたと思った。

 頭からのひと噛み。

 即死である。

 そして、現実はここに五体満足で立っている。

 

「…幻覚?」

 

 誰かの口から漏れ出たものだ。

 ここにいる全員が、その光景を共有していたようである。

 今さっき、パオロがひとかじりされた光景。

 それを部屋の中の人々は、確かに見た。

 しかし、実際にはこうして五体満足で生きている。

 その結果から、幻覚を魅せられたのではないかと推察したのである。

 

「…み、三島王?」

 

 貴虎は椅子の上から動いてはいない。

 全員が彼の動向を注視している。

 彼の視線は、対面に座っているもうひとりの神殺しの方へと向いていた。

 護堂も視線を交わす。

 

「…猪、駱駝、牛、鳥、馬、風、山羊、―――それから剣を持った男の姿か」

 

 ふと貴虎の漏らした言葉に、二色の反応があった。

 川神に住まうものたちは、その言葉が何を示しているのかわからなかった。

 しかし、呪術関係者たちは違う。

 事実、草薙護堂は目を見開いて驚きを示している。

 

「―――幾人かの神から奪ったものか。――いや、中央に一つ。そこからいくつかに派生している様子から、ひとつの権能が何種類もの効果を持っているのか。…便利だな、少年」

 

 相変わらず貴虎の視線は護堂の頭上に向いている。

 そこにどんな光景が見えているのか、それは彼にしか分からないが、その内容ならわかる。

 

「――――俺の権能を…」

 

 草薙護堂がウルスラグナより簒奪した権能、その存在を表しているのである。

 

「…だがいくつか穴があるな。これらはまだ掌握できていていないからか…」

 

 現在、護堂が使うことができる権能は風、牡牛、白馬、駱駝、山羊、鳳、猪、それから戦士の化身。

 ウルスラグナの10の化身すべてを掌握したわけではない。

 それを、目の前の男は見抜いたのである。

 一体、彼の目にはどのような光景が見えているのだろうか。

 再び、視線がパオロに戻る。

 それに一同が体を固くする。

 

「不問だ」

「―――はっ!?」

「私にとっては、お前たちがアテナを招いたことなど、どうでもいい。好きにしろ」

「…と言いますと?」

「私からは、何も言うことはない。政治にしろ外交にしろ、そういったものはお前たちの仕事だ―――違うか?」

「…いえ、わかりました」

「―――寛大な慈悲を、ありがとうございます」

 

 何人かが、ホッと息を吐いた。

 そして何人かが思った。

 コイツは、話が通じるやつじゃないのかと。

 

「王よ、お聞かせください」

 

 声を発したのは、姫巫女である万里谷祐理。

 

「貴方は、その強大な力を振るう目的を。その神より簒奪した権能をもって、この地で何を為すおつもりなのですか?」

 

 この疑問こそが、この場にいる人々が一番知りたい懸案事項。

 カンピオーネの影響力は、歩く災害にも例えられるほど大きなものである。

 アイーシャ夫人のように、本人が意図していなくても、世界に影響を与えてしまうのだ。

 

「それを聞いてどうする」

「…私たちがこの日本という土地で生きていく上で、三島王と草薙王の影響力は絶大です。この地で生きていくためにも、是非とも知っておきたいんです!!」

「わしも聞きたいのう。お前さんはその力を使って、どんなことを為すのじゃ?」

 

 祐理に便乗して、鉄心も訪ねてくる。

 何もかも見透かすような眼で、貴虎のことを見据える。

 その態度に心底めんどくさそうにため息を吐き、自身の目的を口より放った。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 夕方、小雪がいつもより憂鬱な気分で帰宅すると、なにやら家の様子がおかしいことに気づいた。

 家の中では、貴虎が荷物をダンボールの中にまとめ入れている。

 すでにいくつものダンボールが部屋に積み重なっていた。

 

「―――お父さん、どうしたの?」

「小雪か、おかえり」

「うん、ただいま。――ってそれより、このダンボールは何?」

「小雪」

「うん」

「引っ越すぞ」

「うん。――――え”!?」

「お前の荷物はすでにまとめてある。あとちょっとで、出発できるようになるだろう」

「…え、え、え―――?ち、ちょっと、お父さん!意味がわかんないんだけど!?」

「心配するな。引っ越すといっても川神市内だ。川神から出て行くわけではない」

「そうなんだ。なーんだ――――じゃないよ!いきなり引越しってどういうこと!?僕にもわかるように説明してよ!!」

「父さん、料理屋をすることにした」

「…それで?」

「川神の街中に店を建てた。2階が私たちの家になっている」

「…ふんふん」

「だから引っ越すぞ」

「―――え、早くない?」

「『思い立ったが吉日』、それ以外は全て凶日だ。―――ほら、いくぞ」

「うわっ、待ってよー」

 

 小雪が貴虎に急かされながらも、どこからか借りてきたであろうワゴンの助手席に乗る。

 エンジンがかかり、薄暗い夕暮れの中を進んでいく。

 

「…お父さん、前の会社は?」

「やめた」

「…これで何社目?」

「数えてない」

「…それで今度は料理店なのかー」

「休みの日には、小雪も手伝ってくれよ」

「うん。それで、何の料理店なの?」

「まだ明確には決めていない。―――決まっているのは、店の名前だけ」

「へー、なになに?」

 

「食堂『三虎』」

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 川神院の百代の自室。

 布団に寝転んで天井を見つめていた彼女の口元には、笑みが浮かんでいた。

 ―――世界は広い。

 今日、それを実感することができた。

 呪術や魔術という、武術とは違う戦闘法。

 それに、まつろわぬ神やカンピオーネという、世界最強の強者たち。

 あの三島貴虎という男も、その領域にいるのである。

 まだまだ上があるということ。

 その事実だけで、百代は嬉しかった。

 ―――自分は、まだまだ伸びる。

 技も、力も、戦い方も。

 中国には、鍛え上げた拳のみで神を倒したカンピオーネもいるという。

 いつか、いつの日か、その領域まで行くことができるだろうか…。

 わからない。

 できるかもしれない…。

 できないかもしれない…。

 それでも、新しい目標ができたことで、百代の気は今、静かに、しかし猛々しく燃え上がっていた。

 

「何か嬉しそうね、お姉さま」

 

 学校を休んでいたことを心配してやってきた一子が、百代のとなりで寝そべってこちらを見ている。

 

「…そうかな?」

「そうよ。今だって笑ってるわ」

 

 そうか、今私は笑っているか。

 

「…いいもんだな、ワンコ」

「…何が?」

「目標があるって、いいもんだなぁ」

「―――そうね。明確な目標に向かって努力するのは、楽しいわよ!!」

 

 妹分の言葉を受け止めながら、百代は今日の出来事を反芻して、天井を見つめている。

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

「――――食べることだ。それ以外どうでもいい」

「…は?」

「…いや、そうだな。まつろわぬ神との戦いがあったか…」

「いえ、三島王。食べるとは、どういったことで…」

「私の目的は美味いものを食べることだ。…何かおかしいか?」

「…いえ、そうではありませんが」

「ならいい。―――少年」

「は、はい」

「君とも、別にことを構える予定もない。しかし、できるなら会わないほうがいいだろう」

「どうしてです?」

「特に意図をしていなくても、災害を撒き散らすのがカンピオーネだ。君も、私もその例に漏れない」

「俺は普通の高校生活を送りたいだけなんですが…」

「そうか。まあ、君がそう言うならそれでもいいだろう。――――話は変わるが、鉄心さん、川神の街中に、あなたが所有していて、余らせている土地はないか?」

「う、うむ。まあないことはないが…」

「――――これで買いたい」

 

 そう言って虚空より取り出した、白い麻の袋。

 結構な重量があるようで、机の上に置かれた際に大きい音が鳴った。

 ジャラジャラと音を立てながら、中身が取り出される。

 

「――――へっ?」

「――――なんと…」

 

 取り出したのは、無数の宝石だった。

 ルビー、サファイア、エメラルド、アメジスト、ダイヤモンド。

 そのほかにも何種類もの宝石が、白い麻の袋から出てきたのである。

 大きいのだ。

 形はまちまちではあるものの、人の拳二つ分はあるかという宝石が、麻の袋から次々と取り出されたのである。

 驚いたことはもう一つあった。

 

「――――呪力を内包している」

 

 長い年月をかけて、地中に生成された宝石類は、自然の力を凝縮し、結晶化したものである。

 そのため、呪術や魔術の触媒として、良く用いられるのだ。

 いま貴虎より出された無数の宝石は、いずれも呪力を内包していた。

 これは呪術師や魔術師にとっては、のどから手が出るほどほしい代物である。

 自分の体内に存在する呪力量だけでは、限界がある。

 しかし、宝石を触媒に術を使えば、自分の呪術量にあったものよりもより高度な術を施すことができるのだ。

 山のように積み上がった、色とりどりの宝石の山。

 

「…これはどうしたんじゃ?」

「―――鉱山地帯に存在する、体が宝石でできた蟹。その外殻だ。これで土地を買いたい」

「…こんなに積まれても、売れるところなぞ、ほとんどないぞ」

「二回か三階建ての建物が建つくらいでいい。―――頼めるか?」

「それなら大丈夫だがの…。お主、何をするんじゃ?」

「店が欲しい。自分の店だ。飯屋がいい。―――ああ、少年。神殺しとしてではなく、客としてくるのであれば、歓迎するぞ」

「はあ…」

「店の名前は決まっている」

 

「食堂『三虎』だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




今回は情報量が多すぎて、収集がつかなくなっている気がしますね。
ほとんど会話も入れられなかったし。
また、納得のいく書き方が見つかったら、書き直します。


とりあえずここまでで一応のプロローグとなります。
更新は不定期なので、気長に待ってもらえると助かります。
読んでくれた方々、本当にありがとうございました。


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