友情と恋情の境界 (インコマン)
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 少年は目を覚ました。

 見知らぬ天井が広がっていた。敷布団に仰向けになっており、暖かい掛け布団に包まれていた。

 彼は勢い良く布団から起き上がりカーテンで遮光された薄暗い部屋を見渡した。が、よく見えない。

 

「どこだここは」

 

 ぼそりと呟くと立ち上がりカーテンを開けた。すると部屋に午後の日差しが流れ込んで、ぱっと部屋を照らした。彼は無意識に、カーテンを掴んでいる黒いパジャマからひょっこり出た自身の手に目をやった。

 

「子供の手だ……」

 

 柔らかくふにふにしていて、白くすべっこい手だった。袖をまくって腕も確認するが、当然ながら手に見合った腕の太さだった。

 今度は徐ろにズボンのゴムを引っ張り中を確認した。

 

「なんだこれは」

 

 そこは雪原のようになだらかで、風にそよぐ草はなく、小じんまりとした棒きれが佇んでいた。

 彼はしばらく固まっていたが、パンッとゴムを離し、明るくなった部屋を見渡した。8畳の空間と、ひび割れた土壁、そこに掛けられた一着の白い衣服、薄汚れた畳、ぶら下がった白熱電灯。奥には狭い台所があった。

 ふと、部屋の隅に置いてあるみかん箱に気がつく。その上には一枚のメモ用紙と、ボールペンや鉛筆などが入ったペン立てが置いてあった。これが机なのだろう。

 メモ用紙を覗くと達筆な字でこう書かれてあった。

 

 リリカルなのは転生モノ。親は海外旅行中に行方不明という設定。家と土地はプレゼント。箱の中に必要な物が入っている。謳歌せよ。

 

「なるほど、俺はどうやらリリカルな世界にきてしまったようだ」

 

 少年はペン立てを下ろし、箱の蓋を開けた。

 中には様々な書類や保険証、印鑑、通帳、ビニール袋に入れられた銀の懐中時計と説明書らしき分厚い冊子が無造作に入っていた。

 書類の一枚を手にとるとそれは戸籍だった。

 

「くろだしめろく……」

 

 黒田 七五三六。それがこの世界での彼の名前だった。年齢は8歳。

 戸籍の下には学校の転入届があった、それは主人公高町なのはの通う学校だった。

 ここまで舞台設定されているということは、関わりなさいといっているようなものだった。

 通帳を開くと3千万と書かれていた。無駄遣いしないで学校を選べば、働かなくても大学卒業まで生活できる額だ。義務教育が終わるまでは余裕のある生活をおくれるだろう。

 懐中時計を手に取り蓋を開ける。ちゃんと動いているようだ。厚い冊子を開く。魔法に関する説明が書かれていた。

 この懐中時計はストレージデバイスであり、魔法を使うための術式が保存されているらしい。術式作成の項目があり読んでみるが、軽く目を通しただけでは到底理解できそうにない。

 現在保存されている魔法は、身体が大人になる変身と、単発の魔法弾を発射するフォトンバレット、魔法陣の盾を作り出すラウンドシールドの3つだった。

 七五三六の冊子を持つ手は力が入り、ぷるぷる震えた。

 

「俺に死ねというのか……」

 

 確かに大人の姿になれるのはありがたい。親に変わって各種手続きが可能になるだろう。親がおらず、子供の姿の彼にとっては非常に役立つ魔法であった。

 しかし、リリカルなのはの世界といえばド派手な魔法によるドンパチと、魔法のアイテムが暴走することによって現れる化け物、そして、女侍、幼女、狼、お姉さん、による辻斬と、さらにあらゆる魔法生物が合体した最悪最強の敵。その中で何がやばいかというと、女侍たちによる辻斬と最悪最強の敵がやばい。魔力を持っているだけで巻き込まれる。それなのにこれしか魔法がインストールされていないのだ。

 

「この世界に来たんだから関わらないという手はない……けど、やられるのはいやだな。主力は飽く迄なのはとフェイト。ユーノみたいに援護に回ればきっと大丈夫……に違いない」

 

 七五三六は、この世界の幼い主人公たちを頼ることにした。

 何はともあれ、せっかくデバイスがあるのだ。彼は説明書に従い起動した。すると懐中時計は、傘の柄のような燻し銀のステッキに変わった。衣服は黒いパジャマのまま変わらず、足に黒のスリッパが出現した。

 七五三六はしばらく無言のまま、手に持ったステッキを見つめて固まっていた。

 復活するとためしに変身を念じてみる。すると足元に灰色の魔法陣が浮かび上がり消えた。と思ったら視点が上がり、体つきも大人のそれに変わった。部屋に鏡が無いため姿を確認することはできない。

 ラウンドシールドもためしてみる。これも上手くいった。七五三六はそれがどれほどのものなのか確認しようと思ったのだろう。いきなり素手で殴りつけると、うめきながら拳を抑えて飛び上がった。

 フォトンバレットは室内のため使わなかった。もし使ったら、このボロ小屋に穴が開いてしまうのは目に見えている。

 こうして魔法を問題なく使えることを確認すると、デバイスを待機状態に戻した。

 その日の残りは書類に目を通して寝た。

 

 

 

 

 七五三六は、お金を下ろし生活に必要なものを買った。

 鏡を見ると、銀髪で赤目緑目オッドアイの子供がいた。あどけなく可愛い顔立ちだった。8歳だからそんなものだろう。変身した姿は黒いパジャマにスリッパを履いた渋いおじさまだった。

 今は3月であり、4月からなのはたちと同じ学校に2年生として通うことになっている。書類があったから間違いない。

 一ヶ月の間何もすることがない七五三六は、厚い説明書に読みふけった。が、ほとんど分からなかった。

 春が来て、暖かな風が生命の息吹となって吹きつけるころ、ついに登校日を迎えた。

 七五三六は過去に転校などしたことがない。とはいえ精神は立派な大人である。小学生のちびっ子ども相手に緊張などするはずもなく、簡潔に自己紹介を済ませた。

 子供特有の、自分とは違った者への、自分の知らないことに対する、あの好奇心と無邪気で開けっぴろげな態度により、七五三六は何の苦労もなくクラスの子と遊ぶ仲になった。それは大人になると忘れてしまう、何のしがらみもなく目に見るもの全てが輝いていた、あの頃の生きる楽しさを思い出させてくれているようだった。

 周りの子と遊びつつも、七五三六はなのはと距離を縮めようと必死に頭を捻った。なのはに頼る……守ってもらうにはなのはの好感度を上げなければならない。「大丈夫! 私が守ってあげるから!」と言われるくらいが理想だ。

 しかし、なかなか話すきっかけが見つからない。子供なのだから普通に話しかけても問題ないのだが、身に染み付いてしまった大人の観念が邪魔をした。期限は1年後、なのはが魔法と出会うまでである。それからだとなのはは事件に巻き込まれ、心ここにあらずという状態になり、非常にやりにくいからだ。それにそうしたほうが魔法にも関わりやすい。

 まずは周囲から固めることにした。

 

「よう、何読んでるんだ?」

 

 七五三六はなのはの親友の一人、本好きで猫好きの少女、月村すずかと仲良くすることにした。何故なら話のきっかけが作りやすいからだ。

 はじめは声を掛ける程度。次の日は本のことについてちょっとだけ教えてもらい、その次の日はオススメの本を聞き猫の話をした。そして数週間後、気がつけば気軽にお互いの話ができる間柄になっていた。

 すると、それに伴い、なのはのもう一人の親友、アリサ・バニングスとも自然と関わりを持つようになった。アリサは犬好きで、ゲームもするようだ。それを知るや、七五三六は早速ゲームを買いに行った。そしてアリサとも仲良くなるために声を掛けた。

 

「アリサ、新しいゲーム買ったんだけど、俺下手くそで全然進まないんだ。今週の休みに一緒にゲームしようぜ。俺の代わりに進めてくれよ。それに犬も見たいんだ。俺んち狭いから犬なんて買えないんだよ羨ましい。なあ、すずかも行こうぜ」

 

 すずかを通していくらか交流があったおかげか、悩むこと無く自然と誘うことができた。すずかも誘うのだから承諾しやすいだろう。こうやって気軽に誘えるのは無邪気な子供の特権だろう。歳をとるにつれ、変に警戒し警戒され、また物事を損得で考えるようになり、中々円滑にはいかなくなってしまう。仕方がないことではあるが。

 目論見通り、アリサは承諾した。しかし、ここで思いがけない幸運が訪れた。いや、いずれこうなるのは必然だったろう。アリサはなのはも誘っていいかと聞いてきたのだ。七五三六はもちろん快諾し、4人で遊ぶ約束をした。

 アリサの家はデカかった。アリサの家は非常に豊かな生活をおくっているのだ。

 皆と遊んでいるうちにアリサとの距離がぐっと縮まったような気がした。アリサの活発でリーダー気質な性格のおかげだろう。意外と話しやすく、冗談も言いやすい。一番仲良くなれそうだった。

 七五三六はすずかの私服のボタンが猫であることを目敏く見つけ、さり気なく褒めておいた。

 この日、すずかとアリサとは軽口を言える程度に仲が良くなったが、一番仲良くなりたいと思っているなのはとは、お互い遠慮しあっている部分があり、あまり距離を縮められなかった。

 しかしその遊んだ日から、すずかと話していると、アリサと一緒になのはも付いてくるようになり、自然と接する機会が増えていった。

 七五三六はすずか、アリサ、なのはの3人の会話を聞き、なのはの好きなものや興味のあること、どんな性格なのかを調べた。そして放課後、それについて話せる程度に図書館で情報収集した。すずかとの会話を盛り上げるための読書も忘れない。

 その努力が報われたのか、学校で会う度に3人との心理的距離が縮まり、昼食を一緒に食べる機会も増えていった。

 もちろん他の子達と遊ぶことも忘れていない。鬼ごっこはバリエーション豊富で中々面白いのだ。しかし、このちびっ子ども、七五三六がなのはたちと一緒にいることや昼食を食べていることについて冷やかしてくる。そんな彼らを七五三六はどこ吹く風といったように受け流し「なんだ、もしかして妬いてんのか?」とにやけながら返した。すると彼らは「違うし! あんなキモい奴らべつにどーでもいいし!」なんて返してきた。

 七五三六は彼らの心情が手に取るように分かった。それは、優しくし褒めることにより、女の子に好意が伝わってしまうこと対する気恥ずかしさから、全く正反対のことを口にしてしまう、あの少年特有の初々しさだった。それは例え本心でなくとも、そんなつもりがなくとも、まだ未熟で幼い娘の心を傷つけてしまう。そして、彼らは歳をとってから、何故あの時素直にならなかったのだろう、何故優しくしなかったのだろう、と後悔し同時に懐かしむのだ。

 大分なのはとも打ち解けてきた頃、さらに仲良くなるために、七五三六はなのはの両親が経営している喫茶店に行こうと考えた。しかしここで悩む。一人で行って偶然を装うか、4人でいくか。なのはと2人きりになっても、居心地が悪くない程度には仲良くなっている。なのはとの距離を縮めるだけなら一人で行ったほうがいいだろう。しかし、確実になのはがいるとは限らない。

 結局、4人で行くことに決め、シュークリームが食べたいからなのはのところの喫茶店に行こう、と誘った。

 約束の日、一度なのはの家に集まってから、喫茶店に向かった。

 

「そういえば、七五三六の電話番号とメアド知らないんだけど。教えてよ」

 

 店内でケーキやら何やらを前に談笑していると、アリサが思い出したかのように言った。すると他の2人からも教えて欲しい、という声が上がった。だが、いかんせん七五三六は携帯電話を持っていなかった。小学生で携帯電話を持つ必要性を感じなかったからだ。学級連絡網があれば事が足りるだろう。

 そのことを伝えると、3人は少しがっかりした様子だった。七五三六はこれを、もっと仲良くなるチャンスだと考えた。

 

「わかった。じゃあ俺もケータイ買うことにする。でも、何がいいかわかんねーな」

「はぁ、七五三六が買うって言ってもお父さんお母さんがいいよって言わなきゃ買えないでしょう?」

 

 アリサは呆れたように言ってきたが、七五三六は一人だ。とっさに理由を考えて問題ないと伝えた。

 

「大丈夫大丈夫。前から買ってやるって言われてたんだけど、俺が必要ないって言い続けてただけだからさ」

 

 3人はそうなのかと納得すると、じゃあ今日この後にでも見に行こう、という話になった。

 

「あ、でも見に行くだけだからな。さすがに俺一人じゃあ買えないよ」

 

 その言葉に3人は、当たり前じゃない、といって笑った。余計な心配だったようだ。七五三六は少しばかり顔を赤くして、皆はどんな携帯電話を持っているの、とさり気なく話を逸らした。すると3人は、まるで自分と同じもの買わせたいとでもいうように、自分の電話をアピールした。

 ケータイショップでは、あれがいい、これがいい、と皆で見て回り、最終的に3人とは被らない機種を選択した。

 七五三六はその日解散する時、買ったらちゃんと教えてね、とアドレスと番号がアリサ、なのは、すずかの順に書かれた紙を握らされたのだった。

 それから間もなく、七五三六は渋いおじさまに変身してケータイショップに買いに行った。もちろん、その姿はパジャマではなく黒のスーツ姿だった。なんとか説明書を見ながら四苦八苦して変更したのだ。もう当分術式をいじることはないだろう。

 買ったその日のうちに、受け取った紙を見ながらメールを送った。すると、先に誰に送ったの、とアリサに聞かれ、アリサが最初と答えた。次になのはにも同じことを聞かれ、すずかにも同じことを聞かれた。これは賭けか何かしているのだろう、と考えた七五三六は、一斉送信で紙に書かれた順に送ったとメールした。すると、3通連続で、つまらない、と返ってきた。七五三六は「なんなんだ」と呟き、疲れたようにがっくり頭を落とした。

 

 

 

 

 夏休みになると、携帯電話が大いに役立った。普段なら学校に行けば会えるし、遊ぶ約束は学校にいる間にすればいい。しかし、長期休暇となるとそうはいかない。七五三六は離れていても気軽にやりとりできる、この文明の利器をフル活用することにしたのだ。

 親友だと思っている数人との会話で上がる、自分以外の皆で遊んだ話。その時、自分だけ誘われていないことに気がついた時の、何故自分は誘ってくれないのだろう、自分が親友だと思っているだけで相手にとってはそうではないのかもしれない、という悲しさと不安に心を痛めながら、それを皆に気付かれないよう笑顔を貼り付け取り繕う辛さ。七五三六はそうしたものを理解していたので、遊びに誘う時は必ず3人一緒に誘うか、誰か一人だけを誘った。

 4人で集まる時は、当然ながら皆でできることしかしない。宿題をしたり、ゲームをしたり、外で走り回ったり、隠れたり、草を掻き分け、家の間や塀を渡り、知らない場所や知らない道を探した。そして夏の長い夕暮れ、暗くなりつつある帰り道を皆で慌てて走るのだった。

 3人を誘った時すずかとアリサが習い事で無理だという日は、これ幸運。なのはと2人でゲームをするか外に出て色々なところを探検した。友情を深めるためではあるのだが、七五三六自身、子どもならではのウキウキ感で非常に楽しんでいた。

 そうしたどこか浮かれた中でも……これはなのはに限ったことではないが、なのはのすごいと思ったところや可愛いと思ったところは、素直に認め、何でもない事のようにさり気なく会話に混ぜて伝えるようにしていた。これが効果あるのかどうか相手の反応からは読み取れないが、自分で意識して頑張った部分、自分でも気づかない部分を褒められると、表に出さなくとも非常に嬉しいものだということを、七五三六はよく知っている。そして、その喜びが自信に変わることも知っている。魔法に関わる云々以前に、七五三六は自分がされて嬉しかった事を、年長者として、まだ人生経験の浅い皆に体験させようとしていた。自己満足に過ぎないが、それが切っ掛けでその子の人生が変わることだってあるのだ。

 2人で遊ぼうとしたとき、誘いやすいのはすずかとアリサだ。

 すすかは、一緒に図書館に行こう、とでも言えばいい。といっても読書は独りでするものだから、特に会話は無く、隣でページを捲る音を聞きながら七五三六もページを捲った。時々、すずかの家にお邪魔して猫に埋もれて遊ぶこともあるが、それ以外特にすることがないため、結局、どっか行こうぜ、と外に出ることになる。

 アリサは、犬と遊ばせてくれ、と頼めばいいのだ。その時、新しいゲームを持って行って進めてもらったりする。こんなのもできないのか、と得意気に言われることがあるが可愛いものだ。だから「やっぱりアリサに任せれば間違いないな」と言えば「当然よ」と有頂天になる。可愛いものだ。

 一番誘う理由に頭を悩ませたのが、一番友情を深めたいなのはだった。2人だけで遊ぶ理由を、頭を捻ってあれこれ考えた。なのはは遊ぼうと誘えば、特に理由がなくても快諾するだろうが、それはなのはだけを誘う理由にはならない。

 最初は、算数は教えてくれ、料理を教えてくれ、などと言ってなのはの家に遊びに行った。しかし、これだけでは後が続かない。七五三六は遊びに行った時、何とか他の理由も作ろうとなのはの兄と姉、高町恭也と高町美由希に接近した。そしていかにも、年上のお兄さんお姉さん格好いい、尊敬します、といった体で話しかけ、一緒に遊んでもらった。二人ともとても気持ちが良い人で、うるさがったりせず優しかった。もちろん、なのはをそっちのけにはせず、一緒に遊んだ。遊びに来る理由を作れて、なのはとの親交も深められると一石二鳥だった。

 そんなことを何回か繰り返していると、いつからか4人で遊んだ日の夜に一斉送信でメールが来るようになった。最初は「また遊ぼうね」といった簡単なやりとりだった。するとそれは次第に、その日を振り返って、あの時はこうだった、この時の誰々は面白かった、という話に発展していった。

 夏休みも終盤に差し掛かるころには、七五三六が誘いのメールを送らなくても、誰かしらから誘いがくるようになった。もちろん、七五三六は全て承諾した。

 すると今度は、2人で遊んだ日の夜にもメールが届くようになった。それは4人の時とは違い、日常や身内のこと、趣味など、お互いぐっと踏み込んだ他愛ない内容だった。

 夏休は明け、新学期が始まった。

 皆は久しぶりに見る顔ぶれに、無意識に、なんとなくよそよそしい、ぎこちない態度になっていたが、一度話しだすと、まるで気のせいだったかのように普段通りになった。

 

「ねえ、私たちなのはちゃんとアリサちゃん、それと私の家で遊んだことがあるけれど、まだ七五三六くんの家に行ったことないよね?」

 

 すずかの言葉に七五三六以外の2人が頷き、各々「行ってみたい」と言い出した。

 とんでもないことだ。あんなボロ小屋に呼べるわけがない。3人の家に比べて貧相過ぎる。しかも親もいない。部屋の中は完全に一人暮らしの生活風景だった。七五三六は咄嗟に言い訳を考える。

 

「は!? え、いや、ほら、俺んちこの前不発弾と地雷が見つかってよ! 立入禁止なんだ。だから無理無理」

「いいわよ、不発弾があっても地雷があっても私達気にしないわ」

 

 アリサはつっこみすら入れず、行く気まんまんな様子だった。誰も七五三六の言い訳など聞いていない。

 

「うん、たとえ掘っ立て小屋でも気にしないよ。今日の帰りに皆で行こう」

 

 七五三六は、お前は何を言っているんだ、という表情で、口元に楽しげな笑みを浮かべているなのはを見た。しかし七五三六の威圧は全く効かない。

 

「じゃあ、決まりだね」

 

 すずかの最後の一言によって七五三六宅への訪問は決まった。

 

「わかったよ、言っとくけど俺んちボロいし狭いからな」

 

 3人は、まるで古びた庵のような小さな家に、呆然と立ち尽くした。七五三六は構わず中に入ったが、いつになっても入ってこない3人に、早く入れと促した。

 8畳の間に各々が思うように座るが、七五三六以外そわそわしているように見える。そして、茶室みたい、隠れ家みたい、動物の森の最初の部屋みたい、とぼそりぼそりと呟いた。ボロい家だなと言われないだけマシなのだろうか。

 アリサは小さなテレビに繋がれたゲーム機を見て「目悪くならない?」と言って心配そうな視線を七五三六に向けた。七五三六はアリサと仲良くなるためだけにゲームを買ったのだ。簡単な操作を覚えるとそこで止め、アリサの家で遊ぶ時に続きをやった。だからここではあまりゲームはやらないのだ。テレビ自体もほとんど見ない。

 アリサはゲーム機の横に積んであるゲーム雑誌を手に取り、読み始めた。それもアリサと話すために買ったものだった。

 すずかは、みかん箱の横にある本に目を向けると、四つん這いになって向かった。

 

「あ、これって私がおすすめした本だよね。すごい、ちゃんと読んでるんだ」

 

 当然である。仲良くなるためなのだから。もちろんそれ以外の本も置いてあり、すずかはそれを手にとってパラパラめくっていた。

 

「何だか一人暮らしのお家みたいだね」

 

 なのはの何気ない言葉に七五三六の動きがカチリと止まった。この流れだと父母のことを聞かれる可能性は高い。七五三六はギギギと首を回しなのはを見た。なのはは興味深そうに部屋を見ていた。

 

「そんなわけないじゃないなのは。小学生に一人暮らしさせる親なんているのかしら」

「そうだよね」

「でも……言われてみれば……」

「なぁ! 家に居てもつまんねーし外で遊ぼうぜ外で!」

 

 ゲーム雑誌から目を離し部屋全体をぐるりと見渡すアリサに、七五三六は咄嗟に外で遊ぶことを提案した。そして、別につまらなくないわよ、というアリサを無理やり押し通し、外に出るのだった。

 七五三六の額にはじんわり汗が浮かんでいた。

 帰り際「また来ようね」と言い合う3人に、七五三六は苦々しい表情で、

 

「いや、俺の家は見ての通り狭いし何も無いからさ、次からアリサたちのところにしようぜ」

 

 と言った。そして、そんなことないと思うけど、と小さく呟く3人の後ろ姿を見送った。

 しかし、よくよく考えれば、それは3人には嫌われていないということだ。嫌いな奴の家にもう一度来ようなどと言わないだろう。つまり順調に仲良くなっているというわけだ。目的は達成されつつある。

 七五三六は3人の姿が見えなくなると家に入った。

 それから、いつとはなく、3人とはほぼ毎日メールをするようになった。面倒になって返さないと、次の日学校で愚痴られてしまう。その時は、憎めない笑みを浮かべて謝罪をしてから、学校で直接話したほうが楽しい、と言い訳するのだった。

 いつからだったか、恭也から電話がかかってくるようになり、一緒に釣りに行くようになった。

 

「七五三六、きみはなのはと仲が良さそうだね」

 

 秋初め、海と空の境界から吹き付けてくる軽やかな微風をその身に受けながら、不透明でなめらかな紺青の海に釣り糸を垂らす恭也が言った。七五三六は日差しを遮る麦わら帽子を傾け、同じく麦わら帽子を被っている恭也を見た。

 

「ええ、僕は親友だと思っています。けど、なのはが僕のことをどう思っているかはよく分かりませんね。できれば親友であってほしいものです」

「そうか、これからも仲良くしてやってくれ。そうやって親友だと言ってくれる人が居てくれれば、きっとなのはも喜ぶだろう」

「そういう恭也さんは親友と呼べる人はいるのですか」

「いる……ぞ? 一人やニ人」

 

 恭也は親友はいるらしいが友達がいない……あまり多くないようだ。いくら、話してみると優しくてお面白い人でも、それを相手に気付いてもらえなければ上手くいかない。恭也は表面上どこか無愛想で気むずかしく見えるため、特にそれが伝わりにくい。きっと奥手の女の子が恭也を好きになったとしたら、かなりハードルが高いといえるだろう。いや、恭也は既に彼女がいるため、それは関係のない話だ。

 結局その日はほとんど釣れず、2人で肩を落として、次は釣れるさと言い合って手をふった。

 なのはとの親睦も深まり、仲良くなるために使っていた時間が減った。その分、七五三六は4月の魔法に関する事件に備えて、今までサボっていたデバイス弄りやを始めた。

 七五三六は起動した時の服装、バリアジャケットというのだが、それをどんなデザインにしようか悩んだ。子供のファッションなどよく分からない。大人ならスーツでいい。子供はなんだ。半袖短パンか。なのはのように制服が似合うだろうか。しかし、デバイスは傘の柄だ。似合わない。悩んだ末、面倒くさくなり、黒のパジャマのまま保留した。新たな魔法を作ろうと、術式を考えた。が組んでは失敗しを繰り返し、最後には後でユーノに手伝ってもらおうと保留した。つまり、何も進まなかった。

 相変わらず3人とは、誘い誘われして日々を過ごした。そうしていると、あっという間に冬になり、そして気がつけば暖かな春の風がすぐそこに迫っていた。

 もはや、なのは、すずか、アリサ、恭也とは親友と言ってもおかしくない程度の時間を共有している。相手も七五三六のことをそう思っているのかは分からないが、日々の様子を見れば言うまでもないだろう、

 いよいよ、魔法によるドンパチの真っ只中に飛び込むことになるのだ。

 準備は万端。

 七五三六は迫るその日を、なのはたちと遊びながら待つのだった。

 



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2

 金髪の少年が黒い毛玉と戦っていた。少年は防戦一方だった。黒い毛玉の攻撃をバリアで弾き、なんとか退けることができたものの、そこで力尽き倒れ伏した。

 七五三六は目を開いた。相変わらずぼろい天井が広がっていた。今ではこのぼろい天井に愛着を持っている。

 

「やっと来たな」

 

 七五三六はあくびをしながら、起き上がり登校の支度をした。

 金髪の少年と黒い毛玉の夢。それは高町なのはを主人公とする物語が始まる合図。この物語に少年Aとしてでも関わりたいがために、七五三六は1年かけて準備した。

 

「さてどうなることやら。頼むぞなのは、俺を守ってくれ」

 

 小学生の女の子に守ってもらおうとする精神年齢大人の男。仕方がないだろう、彼女の方が強いのだから。そう言い訳をしてわくわくしながら家を出た。

 登校時間ぎりぎりに教室に入ると、いつものごとく少女たちが声をかけてくる。まずはアリサ。

 

「相変わらず遅いのよ。もっとはやく来なさい。私が電話で起こしてあげましょうか」

「はは、それはありがたい。電源切って待ってるぜ。普通はぎりぎりまで家にいるものだろう? みんなが早すぎるんだ」

 

 次にすずか。

 

「今日は何時に起きたの?」

「聞いて驚け、今日は早いぜ? いつもより2時間早く起きた。褒めていいぞ?」

 

 最後になのは。

 

「早く起きたなら早く来ればいいのに」

「はぁ……なのは、きみは何もわかっちゃあいない。早く起きたらその分、時間までごろごろできるだろ。明日からなのはもこの素晴らしさを味わうといい」

 

 七五三六は弁当しか入れてこなかった鞄を片付け席に着いた。教科書は机に入れっぱなしなのだ。

 よくもまあここまで仲良くなれたものだ、と1年前を振り返りながら、3人の友達の話を聞きながら時間まで過ごした。

 退屈な授業は、あちこちに思考を飛ばし、睡魔に身を委ね、担任に指名され、聞いてませんでしたと乗り切る。ノートはとらず、教科書に適当に書き込む。ノート回収時に痛い目をみるが、面倒だから仕方がない。それに自分の精神年齢より下の担任に怒られると、先生がんばってるなとか、教職は大変だなとか、そういえば教育学部の人って普通に大学生活を謳歌してるのが大半でそんな人たちがこうやって教師になってるんだよなとか、子供のころ偉いと思ってた先生もただの普通の人なんだよな、と考えてしまうため全然怒られている気がしない。

 こんな態度ではあるが教科書は全て目を通してあるし、テストも問題ない。掃除もさぼらないし、係りもしっかりこなす。

 こんな授業態度をとっても全く将来に影響がないのは小学生のうちだけなのだからと、ある意味思い切り楽しんでいるだけなのだ。

 放課後、なのはたちは塾に行くため校門で別れた。

 なのはたちについていけば、夢で見た少年と出会うことができるのだが、わざわざついていくほど重要なことでもないだろう。

 

《助けて》

 

 帰ってくるや部屋の畳に寝転がっていた七五三六は跳び起きた。

 

「……びびった。こんな風に聞こえるのか。そろそろなのはが彼を拾うな」

 

 懐中時計を手に取ると再び寝転がり、意味もなく蓋を開いたり閉じたり、バリアジャケットに着替えたりした。

 気づくと部屋の中は真っ暗だった。

 七五三六は慌てて立ち上がると明かりをつけて時間を確認した。

 

「やべえ寝ちまった! もう終わってるとかないよな? 大丈夫だ、うん、多分大丈夫」

 

 安心のため息をつくと冷蔵庫を開け、いかにも一人暮らしらしい腹を満たすためだけの夕飯を作った。誰かに食べさせるわけでもないため、味付けはテキトウだ。たまにゲロまずの料理になることもあるが気にせず食べる。

 食べて皿も洗い終わると、後は少年の助けを待つだけだった。

 七五三六は、狭いけれども居心地良い部屋をうろうろ歩き、立ち止まってはその辺にあるものを手に取り、手の中で転がしてから元に戻すということを繰り返していた。

 頭の中でこれからの流れを何度も確認していた。

 

「ああ! 駄目だ、緊張してきた! 落ち着けよ自分。これじゃあ情けないだろう?」

 

 携帯電話が震えた。確認するとなのはからだった。

 

『今日、しめろくくんと別れた後フェレット拾っちゃった』

 

 七五三六は座り込むと、なのはとのメールに集中することにした。

 なのはが拾ったフェレット。それは金髪の少年が変身している姿だ。今日はそのフェレットを動物病院に預けてきたらしいが、なのはは両親の許可をもらい、明日から預かることにしたようだ。

 

『今度見に行くぜ』

 

 送信すると同時に、少年の声が頭の中に響いた。

 

「ふう、ついに来たか。ああ、緊張する。まじでやばいぞこれ。心臓破裂しそうだ。洒落になんねえ」

 

 七五三六は震える身体を気合いで動かし、バリアジャケットに着替えると懐中時計を握りしめて家から出た。

 

「大丈夫だ。俺は大人だぞ? なのはが立ち向かうのに俺が逃げるわけにはいかないだろう?」

 

 何度も深呼吸しながら動物病院前の通りに辿り着いた。

 すると動物病院の敷地内から建物が崩れる音がした。それから間もなくフェレットを抱えるなのはが飛び出してきて、七五三六とは反対の方向へ走っていった。それから、その後を追うように黒い毛玉が出ていった。

 

「おいおい想像以上にでかいな土転びかよ……」

 

 七五三六やなのはの1.5倍はある。

 七五三六はなのはの後を追って走った。

 角を曲がるとすぐに毛玉が見えた。電線を巻き込んで突進したせいか動きを止めていた。しかし今にも動き出しそうだ。

 その奥には電柱の陰に隠れて座り込んでいるなのはが見えた。

 

「まじかよ嘘だろ」

 

 七五三六は反射的に走り出し変身すると、動き出した毛玉の脇を走り抜け、丸見えのなのはを抱えて全力でその場から逃げた。その直後すぐ後ろで毛玉が電柱を巻き込んで地面を抉った。

 七五三六は一気に汗が吹き出るのを感じた。

 

「え、あの、あなたは」

「早く! 早くデバイスを起動してくれ!」

 

 それはもはや懇願だった。背後からの身を震わす破壊音に、七五三六は今にも口から心臓が飛び出しそうだった。これほどまでに生きることに全身全霊を懸けたのは初めてだった。

 

「魔導師の方ですか?」

「そんなことはどうでもいい早く!」

 

 フェレットの言葉に答えている余裕なんてなかった。ただただ、後ろからの破壊音を聞きながら、電灯で照らされた暗い道を掛けた。

 なのはがフェレットの後に続いて起動パスワードを唱えようとした時、七五三六は視界の上方に毛玉が映り込んだのを感じ、反射的に足を止めた。すると2歩ほど先に毛玉が落下した。

 七五三六は急いでなのはを下ろすと、ステッキを構築しシールドを張った。

 

「離れて起動しろ! くそっ、なんでこうなった!」

 

 なのはたちが後ろに退くのを確認する間もなくシールドに衝撃が走った。しかしシールドは突破され、毛玉とぶつかった七五三六は地面をごろごろ転がった。

 

「おおぉぉお!」

 

 これまで感じたことのない内蔵の鈍痛に呻いた。シールドとバリアジャケットで減衰された上での痛みだった。

 うずくまりのたうち回っていたいのを我慢しながら、すぐに立ち上がった。

 

《良い一撃だ》

 

 野太いおっさんの声が七五三六の頭に響いたがそれどころではなかった。きっと今の一撃で頭がおかしくなったのかもしれない。そう頭の隅で考えながら、もう一度シールドを張り直しステッキを前に構えた。

 

《次は負けん》

 

 また聞こえた。やはり頭がおかしくなったんだ。そう確信した。

 再び毛玉が突進してきてシールドと衝突。やはりシールドは突破された。しかし七五三六は地面を2メートル程滑走するだけに止まった。いくらステッキで防御していたとはいえ、明らかに威力は減衰していた。

 

《駄目か。やりおるな。楽しくなってきたぞ》

「なんなんだ……」

 

 衝撃で痺れた腕に力を入れ、ステッキを持ち直した。目と鼻の先に毛玉がおり、距離をとる時間はない。すぐさまシールドを張った。

 

《これならどうだ?》

 

 毛玉とシールドが衝突、突破されることなく防ぎきった。

 

《ふはは、ぬるいな!》

「あのっ! 攻撃するみたいなので離れてくださーい!」

 

 後ろからなのはの声が聞こえる。七五三六は硬直する毛玉から目を離さず、脇に寄ってシールドを張った。

 

《次は一体どんな一撃がくるのだ?》

「少し静かにしてもらえませんかね……」

 

 七五三六は幻聴に向かって呟いた。

 なのはが放った数本の桜色の帯が、毛玉をキツく縛り上げた。

 

「ジュエルシード封印!」

 

 毛玉が光を放ったかと思うと、ぱっと弾けて消えた。その後には青い宝石が転がっていた。

 なのはは杖で宝石を回収すると七五三六に振り向いた。

 七五三六はシールドを解いた。

 

《なんだ、つまらん》

 

 七五三六の眉間に少し皺が寄った。

 

「あの、助けてくれてありがとうございます!」

「ああ……気にしなくていいよ。怪我はないか?」

「はい大丈夫です!」

「そうか、それなら良かったよ。とりあえず……場所移そうか」

 

 七五三六の視線を追って周りの惨状を見たなのは苦笑いを浮かべて頷いた。

 

「おじさんは怪我ありませんか? さっきすごい勢いで転がっていましたよね」

「ああ大したことない。心配してくれてありがとう」

 

 実際泣きたいくらい痛かったし、今現在も痛みを感じていたが、見栄をはった。

 

「あなたは魔導師なのでしょうか」

「動物が喋るなんてな。俺はその魔導師とかいうものじゃないよ。ただの普通の人だ。デバイスはもともと家にあったものでな、説明書を読んで使ってみたんだ。」

 

 七五三六は本来子供の状態でいう予定だった設定を少し変更しながら話した。

 

「もしよろしければ力を貸してはもらえないでしょうか。危険なことに巻き込んでしまうことになりますが……今この街でジュエルシードを封印できるのは僕と彼女と……あなたの3人だけなのです。このまま放っておくと途轍もない被害をもたらしてしまいます。ですからどうか協力してくださりませんか?」

 

 

 家に帰り、部屋の明かりをつけると部屋の真ん中で立ちすくんだ。

 

「にゃああああ! 何やってんだよ俺! なんで助けてもらうはずが助けてるんだよぉ! この日のために一年間がんばったのにぃ!」

 

 七五三六は崩れ落ちるように膝をついてから床をごろごろ転がって呻いた。それから無言になって、空っぽの頭でぼうっと天井を見上げるのだった。



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