触れるものを輝かすソンザイ (skav)
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一年生編
1話「・・・・きれいだ」by紅騎


ピピピピッピピピピッピピピピ・・・・

「はいはい・・・今起きますよーっと・・・」

けたたましいアラーム音をかき鳴らす目覚まし時計を黙らせてから、時間を見る。

現在時刻六時三十分。

「げっ・・・・早!?」

誰だよ?こんな時間にセットしたヤツは!?

「・・・・・俺か」

二度寝をするほど時間もないので、もぞもぞとベッドから抜け出す。

寝間着から制服に着替えるところであることに気が付いた。

「・・・・これ、中学の制服じゃねーか」

そうか・・・今日から高校生なんだな・・・。

学ランを脱いで俺が通う学校、桜高校のブレザーに着直す。

それから顔を洗って、キッチンに向かう。

冷蔵庫を開けると、卵2つとベーコンが1パックしか無かった。

「しょうがねーなー・・・」

トーストにパンを二枚セット、フライパンに油を入れ火を通す。

ベーコンを敷いて両面焼いてから卵を一つ投下、火を弱めてふたをして軽く蒸す。

一品目、ベーコンエッグ完成。

次にもう一個の卵をとぎ、牛乳を入れてからフライパンにぶち込む。

弱火のままひたすらかき混ぜる。

二品目、スクランブルエッグ完成。

カシャッ!

丁度トーストも焼き上がった。

今日は午前で学校が終わるらしいから、昼飯の心配はない。

「いただきます・・・」

 

 

 

お察しの通りこの家、正確にはマンションの一部屋だが、ここには俺一人しか住んでいない。

母さんは俺が生まれたのとほぼ同時に死んだらしい。

親父は、交通事故で死んだ。

・・・・そういうことになっている。

親父は俺のせいで母さんが死んだと思っていた。

死ぬ直前まで俺を憎んでいたに違いない。

俺も否定はしなかった。

両親がいない状態で高校進学など不可能だと思っていたが、救いはあった。

桜高校の特殊生制度。

学費の免除だけでなく、その他の費用も例外はあるが負担してくれるとんでもない制度だ。

先攻される条件は二つ。

全ての教科で満点を取ること、学業以外で特筆するモノがあることだ。

先攻されるのは四人のみ。

俺はその椅子を何とか勝ち取ることができた。

そして俺は今年から高校に進学できたのだ。

このマンションに引っ越ししてきたのは、学校へ歩いて通える距離なこと。

訳ありで家賃が破格の値段だったことなどの理由で、だ。

「・・・ちょっと早いけど、出発するか」

現在時刻、七時半。

まあ、ゆっくり行こ。

 

 

「しかし・・・変わってないな、この町は」

実を言うと、俺は小学校までこの町に住んでいた。

中学に上がる直前、親父の仕事先の都合で引っ越したが、俺はまたここに帰ってくることができた。

「ちょっと寄り道していくか・・・」

俺は大通りを外れて、記憶を頼りに小道を進んでいった。

「確かこの辺りのはず・・・・お、あったあった!」

俺の目当ての場所は、この町で唯一の音楽スタジオ”UNISON”だ。

この店を一人で経営しているマスターは、俺に一からギターを教えてくれた人だ。

引っ越しをした後も何度かメールでやり取りをしていたから、大体俺の事情を知っている。

ここで働くように話を持ち出してくれたのもここのマスターだ。

本当に、あの人には感謝してもしきれないよ。

「・・・定休日」

入り口に、アコギの形をしていて赤文字で定休日と書かれたプレートが掛けてあった。

「・・・・午後にまた来るか」

とりあえず今は学校だ。

 

 

 

 

 

「・・・やっぱり早く来すぎたか?」

現在七時五十分。

クラス分けの紙すら貼り出されていない。

「しゃーない・・・待つか」

桜の木の下にベンチがあったのでそこに腰掛けた。

 

~~~~~♪

 

 

ふと背後から、アコギの音が聞こえた。

知らない曲だが、なんだか優しい音色だ。

振り返ると、一人の女の子がギターを弾いていた。

セミロングの赤い髪や、健康的な体つきから活発そうな印象を与えてくる。

反対に彼女の奏でる音楽は優しく、透き通るようだった。

それに、舞い散る桜の花やそよ風に囲まれてとても幻想的に見えた。

「・・・・きれいだ」

素直にそう口にしてしまった。

それで俺の気配に気が付いたのか、演奏を止めて片付けを始めた。

「あ、ごめん。邪魔しちゃったかな?」

「別に・・・」

そう一言だけ言って校舎の方に消えていってしまった。

「気を悪くしたかな?」

まあ、次に会ったら謝っておこう。

リボンの色は俺と同じ青色だから、一年か・・・。

キーンコーンカーンコーン・・・。

十分前を知らせる予鈴が鳴った。

「おっと・・・やべぇ、やべぇ」

急いでクラス分けを確認して教室に向かった。

 

 

 

 

「・・・男子少ねぇ」

もともと女子校であったためか、未だに男子比率は少ないらしい。

覚悟はしていたが、これほどとは・・・。

”あ”から始まるのは俺の綾崎しかいないので、席は一番右の先頭・・・では無かった。

なぜか逆順に席が采配されていたので、一番左の最後尾だった。

とりあえず自分の席に座った。

幸運にも俺の隣は男だった。

「すごい男女比だよな・・・」

「ああ、俺も最初はびっくしりた」

「まあ、少ない男同士仲良くしようぜ。俺は綾崎紅騎」

「ああ、よろしく綾崎。俺は音無結弦だ」

音無か・・・なかなか良いヤツみたいだ。

「さっきから気になってたんだけど、そのギターケースって綾崎のか?」

音無は後ろに立て掛けてあるギターケースを指さした。

「いや、俺のじゃないよ・・・前の子じゃない?」

「ふ~ん・・・」

俺はちらっと前の席を見た。

「・・・・え?」

バッチリと前の子と目が合ってしまった。

忘れるはずがない、さっきギターを弾いていた子だった。

「アンタ、ギターやってんの?」

俺の左手を指さして聞いてきた。

確かに俺の左手の指の皮はギターを長年弾いていたせいで固くなっている。

「お、おう。やってるけど・・・。あ、そういやさっきは悪かったな。何か悪いコトしたみたいで」

「別に・・・アンタは何も悪いことはしてないよ」

そう言ってまた前を向いてしまった。

「お、おい綾崎。知り合いか?」

「いや、ちょっとね・・・」

説明も面倒なので、軽くごまかしておこう。

「なんだ・・・ちょっとでも仲が良いヤツが増えれば安心するのに」

「残念ながら俺は県外から戻って来たからな・・・知り合いはたぶん一人もいないぞ?」

「戻ってきたって・・・昔ここに住んでたのか?」

「ああ、小学校までな」

キーンコーンカーンコーン・・・

ガラガラガラ・・・

「は~い、みんな~席について」

「お、始まったみたいだな」

「・・・みたいだね」

俺と音無は横に向けていた身体を正面に向けた。

「私が、今日から君たちを一年間担当する佐藤と言います。みんな、よろしく」

生徒受けが良さそうな先生だな。・・・・当たりかな?

「それじゃあ、早速だけど出席を取るわよ。綾崎紅騎君」

「はい」

「岩沢まさみさん」

「・・・はい」

ふ~ん・・・岩沢まさみって言うのか。覚えておこう。

何となく周りを見渡した。

せっかくこの町に戻ってきたんだ。一人くらい知り合いがいたっておかしくないよな。

・・・・知り合いか。

そう言えばアイツ、どうしてるかな・・・。

小学校の頃、俺の唯一の友達で、小さいときから一緒だった。

何も言わずに突然引っ越しちゃったからな・・・悪いコトしたなぁ。

名前は確か・・・えっとぉ・・・。

「平沢唯さん・・・・あら?平沢さんは?」

そうそう・・・平沢唯だ!

・・・・・ん?

さっき先生何て言った?

「誰か平沢唯さんがいない理由を知らないかしら?」

ダダダダダダダ・・・・ガラガラガラ!

「遅くなりました!!」

いや、ただの人違いだよな・・・そんな偶然あるわけが無い。

・・・けど、あの時と変わらない茶色いボブカットの髪型と、黄色いヘアピンは間違いなくアイツだった。

「えっと・・・平沢唯さん?」

「はい!」

「・・・・もういいわ。席に着きなさい・・・」

「は~い・・・」

「綾崎・・・どうした?」

俺の態度に気が付いたのか、音無がそっと声を掛けてきた。

「前言撤回・・・一人知り合いがいた」

「まさか・・・あの子か?」

「ああ、あの遅刻してきたヤツだ」

「そ、そうか・・・」

音無は苦笑いしながら正面にむき直した。

「それじゃあ、これから入学式が始まるからみんな講堂に移動して」

入学式か・・・あれ?確かスピーチか何か任されてなかったっけ?

教室を出るとき先生がスピーチ用の紙を渡してきた。

・・・・やっぱりあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・であるからして~君たち新入生諸君には今まで以上の・・・・」

・・・・退屈だ。

さすが学校長の挨拶。予想以上の麻酔力だ。

・・・つーかアイツ前の方の癖して寝てやがるし。

アイツとは無論平沢唯のことだ。

「すぅ・・・すぅ・・・」

岩沢さんも堂々と寝てるし・・・。

俺か?俺は確かに退屈は退屈だが、スピーチがコレの次なんだ。寝られるはずがない。

「結びになりますが~生地諸君。これからの三年間精一杯過ごしてください。以上です」

「続きまして、特殊生挨拶。今年度の特殊生は、綾崎紅騎君、岩沢まさみさん、音無結弦君、立華奏さんの4名です。代表して綾崎紅騎君、どうぞ」

「はい」

不自然な動きをしないように、最善の注意を払いステージに上がった。

ブレザーから、さっき渡された紙を取り出す。

・・・・マジかよ。

紙には何も書かれていなかった・・・綺麗な真っ白な紙だった。

あ~つまり、特殊生はこのくらいのことはこなして見せろってことかい・・・。

ちらっと、教師陣の方を見るとうっすらと挑戦的な笑みを浮かべていた。

ありきたりな前文を言ってから俺はここで言うべきことを話し始めた。

「皆さんも知っての通り、特殊生は特別な理由で高校へ進学できない学生のために設けられた制度です。俺もその一人です」

ここは本来自分のことは”僕”とか”私”って言うべき何だけど、コレは自分の言葉だ。

だから自分のことは俺と呼ぶ。

「母は、俺が生まれるのと同時にこの世を去り、父も半年ほど前に事故で死にました。身内もいない俺が進学できるはずがない。そう思っていました。」

一瞬にして周りの空気が重くなった。・・・何か申し訳ない気持ちになったが気にしたら負けだ!

「だけど、この制度のおかげで俺はこうして今、入学式を迎えることができています。一度は諦めかけていた普通の高校生活を送ることができる。それだけで俺はとても感謝しています」

一度しんみりさせた後、こういう言葉を使うと心に響きやすいってどっかの本に書いてあったから応用させてもらう。

「俺はその感謝の気持ちを込めて、これからの三年間をすばらしいモノにしていこうと思います。・・・・以上で代表の言葉とさせてもらいます。」

一礼して、ゆっくりとステージを降りた。

う~ん・・・やっぱアドリブって難しいな・・・。

そして、入学式はそつなく進められていった。

 

 

 

 

 

「みんな、入学おめでとう。綾崎君立派だったわよ」

「そりゃどーも・・・」

いくら特殊生だからってあれは意地が悪すぎな気がするけどな。

「じゃあ、今日はコレで放課になるから部活動に見学に行ったり、校内を歩き回ったり自由にして良いわ。それじゃあまた明日」

先生はそう言って教室から出て行った。

・・・・さて、俺はどうするかな。

とりあえずあのライブハウスに行かないと。

岩沢さんの姿はすでに無かった。

 

 

 

 

 



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2話「一人じゃないよ・・・私も、和ちゃんがいるもん」by唯

「あの・・・ちょっと良いですか?」

玄関を出てすぐ俺は後ろから声を掛けられた。

振り返ってみると、平沢唯が不安げな様子でおどおどしていた。

「人違いならごめんなさい・・・もしかして、綾崎紅騎くん?」

この湯様子から察するに、俺って気づいてないな・・・。

「ヒント、俺は今、小学生の頃と変わらず間が抜けている幼馴染みにちょっと呆れている」

「そのちょっと意地悪な言い方・・・やっぱりコウくんだ!!」

やっと気が付いたか・・・つーか抱きつくな、暑苦しい。

「おう、久しぶりだな唯、三年ぶりか?」

「正確には三年と三週間ぶりだよ!」

「マジで!?覚えてるのか?」

「えへへ~、ちょっと言ってみたかっただけ~」

・・・なんだ、適当に言っただけか。

「唯、玄関先で騒いでたら他の人に迷惑よ?」

「あ、和ちゃん。見てみて~やっぱりコウくんだったよ」

玄関からもう一人の幼馴染み、真鍋和(まなべ のどか)が出てきた。

「お~和じゃん、久しぶり!」

「ええ、三年と三週間ぶりね」

「え?マジだったの!?」

「・・・ウソよ、紅騎」

コイツが言うと全部本当に聞こえるから恐ろしい・・・。

「それはそうと、二人とも。ここにいると本当に迷惑になるわよ」

うん、俺もさっきからずっとそう思ってた。

「じゃあ、みんなで白いおじさんのチキン食べに行こ~」

白いおじさん・・・・・ああ、KFC(ケ○タッキー・フライド・チキン)ね。

「俺は構わないけど・・・和は?」

「私も構わないわよ。」

と言うわけで昼食はカーネルおじさんのお店で食うことになった。

 

 

 

 

 

「いっただきま~す!」

「唯・・・そんなに甘いモノばかりで大丈夫なの?」

「大丈夫大丈夫~」

唯のトレーの上には一般的にデザートと呼ばれる食べ物が場所を占拠していた。

ちなみに俺はあまり腹が減ってないのでジンジャエールと、チキン一個だけ。

和も少し控えめな内容だった。

「変わらねーなぁ・・・・お前ら」

この二人のやり取りを見てるとあの時の記憶がよみがえってくるようだった。

・・・・あの時は楽しかったな。

「そう言う紅騎はずいぶんと変わったわね」

「うんうん、最初は別人だと思ったよ!」

まあ、無理ないよな。

小学生と高校生を比べれば誰だって差はできる。

「中学時代のことを聞かせて欲しい・・・って言っても、嫌じゃない?」

「・・・別に構わないよ」

「じゃあ、質問!何でコウ君はこっちに戻ってきたの?」

・・・・それは、入学式の時にさらっと言ったはずだが。

まあ、良いか。

「あの時に言ったように、親父が中三の時に死んで、コレと言った親戚もいないから特殊生制度があるこの学校に行くしかなかったんだ。」

「そう・・・なんだ」

この後なんだか妙な雰囲気になりそのまま解散ということになった。

「コウ君はどこに住んでるの~?」

「桜丘(さくらおか)ってマンションだけど?」

「じゃあ、私と同じ方向だ!一緒に帰ろ!!」

一緒に帰ろうって・・・俺はまだマスターの所に挨拶に行ってないし、食材も買いに行かないと行けないし・・・。

「こーら、唯。紅騎にも用事があるんだから」

「え~・・・そんなぁ」

たちまち唯はショボーンと肩を落とした。

・・・・分かりやすいな。

「別に良いよ。一緒に帰っても」

マスターの店は定休日だし、まだ昼だから食材は夕方に買いに行けばいいしね。

「え!良いの!?」

「お、おう・・・」

「本当にいいの?・・・紅騎」

「ああ、予定と言ってもたいした用事じゃないし」

「じゃあ、唯のことお願いね」

「おう」

「早く行こう、コウ君!」

「・・・はいはい」

 

 

 

 

 

というわけで、現在唯と一緒に帰ってるわけだが。

「・・・・・・チラ」

「・・・・・・」

スタスタスタスタ・・・

「・・・・・・チラ」

「・・・・・・」

さっきから唯が無言でちらちらこっちを見てくる。

にも関わらずこっちが視線を送るとバッ!っと顔をそらしてしまう。

「・・・・さっきから何やってるんだ?」

「・・・えへへ~久しぶりだなぁって。こうやって二人で帰るの」

「・・・・そうだな。」

たかだか4・5年前のことなのに十年以上前のような気がする。

それはたぶん、中学の時から環境ががらりと変わったから。

引っ越しをしてから親父は人が変わったように、荒れ狂った。

俺に対する暴力も日常茶飯事だった。

「あの・・・コウ君?」

「・・・ん?何?」

「大丈夫?さっきから凄く怖い顔してたけど・・・」

「・・・ちょっと、中学のことを思い出してね」

「それって・・・コウ君が突然いなくなったのと関係があるの?」

「まあ・・・そうだな。」

「良かったら話してよ。・・・嫌じゃなかったら」

「聞いててあまり良い気分はしないぞ?」

「大丈夫。私・・・知りたいから。コウ君の・・・昔のこと」

そこまで聞きたがるのか分からないが、まあ、できるだけ甘くして話すか。

「俺の親父な・・・借金があったんだ。・・・一般的に言うヤミ金ってヤツだ」

「・・・・・」

「それで、ある日突然親父は荷物をまとめて、ここから出て行くって言い出したんだ。目的はヤミ金から逃げるため。卒業式の一週間前のことだ」

「それで、突然いなくなちゃったんだね・・・」

「ああ、それから俺と親父は各地を転々としたよ。長くて三週間、短くて十時間のサイクルでな。そんな生活が二年半続いた。」

「二年半・・・」

「半年くらい経ったときから親父は俺を殴るようになったんだ。たぶん逃亡生活からのストレスからだと思うけど。」

「・・・え?」

「次第に親父は暴力の手をエスカレートしていってな。ついには死ぬ一歩手前のとこまでやられたよ」

「・・・・・・」

「殴るときはいつも決まって”お前が生まれてこなければ””お前のせいで紅音が死んだ””お前のせいで人生が狂ったんだ”そんな感じの言葉を繰り返すんだ。・・・ああ、紅音って言うのは俺の母親の名前ね」

「知ってるよ・・・前、コウ君が言ってたもん」

「それで親父は警察に連れてかれて、俺は入院した後また親父と住んでた所に戻ったんだ」

「・・・どうして?」

「保護施設に行く方法もあったんだけど、施設費が払えないから。そこに戻るしかなかったんだ」

「・・・・・」

「玄関の扉を開けたときは目を疑ったよ。ヤミ金の人と・・・親父が、親父だったモノがそこにあったんだ」

「・・・・それって」

「ヤミ金業者が、親父の生命保険を狙って・・・殺したんだ。巨大な鉄柱に押しつぶされた死体とそっくりにしたらしいぜ」

「なんで・・・何で、玄関にあったの?」

「ヤミ金の人が言うには、”ここでパパとはお別れだ、よ~く顔を覚えておくんだよ”・・・だってさ」

「そんなこと・・・・」

「親父はアイツらの思惑通り、まんまと事故死扱いで警察に処理されたよ。”良くある、工事現場の事故だってさ”・・・ふざけてるよな」

「・・・・・・」

「それで俺は桜高校の特殊生制度を思い出して、ここに戻ってきたって訳。」

「・・・・・・」

話し終わると、唯はうつむいたまましゃべらなくなってしまった。

「ちょっと暗すぎたかな?」

「・・・・して」

「・・・なに?」

「どうしてここ残るって思わなかったの?」

「・・・腐っても親父だし。それに、親父について行ったからとか、そんな風に思いたくないんだ。」

「・・・どういうこと?」

「最終的に親父について行くって決めたのは俺だから、俺が決めたことだからな。」

「・・・強いんだね、コウ君」

「弱いよ俺は・・・結局一人なっちゃったし。」

「一人じゃないよ・・・私も、和ちゃんがいるもん」

「唯・・・」

「それにもっともっと色々な人と仲良くなれば寂しくなんかないよ!」

「唯・・・ありがとう」

「う、うん!じゃ、じゃあ、私こっちだから!バイバイコウ君!」

しばらく見ない間に強くなったな、唯・・・。

あ、後ろ向いて歩いたら転ぶぞ。

どてっ

「あいた~・・・」

ほら、いわんこっちゃない。

俺は苦笑いしながら帰り道を歩いた。

家について、ブレザーを脱ぐ。鞄をソファに放り投げて冷蔵庫を確認した。

「うん、やっぱり何も無い。」

現在時刻午後二時。

夕飯を買うにはちょっと早い。

確か、商店街の方に楽器屋があったっけ。

丁度弦のストックが切れてるし、買いに行くか。

 

「・・・ここかな?」

店の名前は”10-Gear”他にそれらしい店もないし、ここで合ってるんだろう。

中にはいると、様々な楽器が所狭しと置いてあった。

「結構、品揃えは良さそうだな」

ギターそのものだけでなく、弦やシールド等も豊富に売られていた。

目当ての弦を手にして、レジへと運ぶ。

「ありがとうございました~」

・・・・さて、どうしよう。

早々と用事が済んでしまった。

「あの、試奏したいんですけど・・・」

まあ、適当に何曲か弾いて時間を潰そう。

 

 

「・・・ふう、あれ?もうこんな時間か。」

現在時刻、午後四時。

だいぶ長居してしまったみたいだ。

「すみません、こんな長い時間」

「いえいえ、とても上手でしたのでむしろ残念ですよ。またいらしてください」

「はい、ありがとうございます」

楽器を店員に返して、駅前のスーパーに向かった。

今日は・・・金曜だからカレーにするか。

金曜カレーは日本の心、以上。

 

 

カレーの食材を買いスーパーから出た。

「安売りだって・・・ラッキーだったな」

おかげで、予想金額よりも遙かに安く買い物ができた。

「帰るか・・・」

~~~~~♪

商店街のざわざわした音の中に微かなギターの音が聞こえた。

・・・誰かがストリートライブでもやってるのかな?

丁度俺の変える方向から聞こえているみたいだ。

歩いていると、だんだんとギターの音がはっきりしてきた。

「この大空に、翼を広げ飛んでいきたいよ・・・」

・・・ん?この声は。

さらに歩くと、歌っている人の姿がはっきりと見えてきた。

「・・・岩沢さんか?」

確かに岩沢さんだった。

周りには数人立ち止まって岩沢さんの歌を聴いている人がいる。

俺もその中に混ざって聞くことにした。

「悲しみのない自由な空へ翼はためかせ・・・」

やっぱり上手い。ギターの腕は朝聞いて上手いと分かってたけど、歌も相当なレベルだ。

「・・・・行きたい~」

演奏が終わった。

パチパチパチパチ・・・・。

聞いていた人はそろって惜しみない拍手を送った。

俺はただただ呆然とそこに立っていた。

それから十数分経っただろうか、気が付くと周りには俺しかいなくなっていた。

「・・・・」

「・・・・」

帰り支度をすませた、岩沢さんとバッチリ目が合ってしまった。

「よ、よう・・・」

「・・・・」

岩沢さんは少し警戒するような目で俺を見てくる。

「・・・綺麗だったよ」

ば、馬鹿俺!?なに言ってるんだ!!完璧不審者だろ!!

ほら、岩沢さんも変な人を見る目になってるし!!

「いや、綺麗ってのは言葉のあやってゆーか、けど綺麗ってのは本心だけど。そうじゃなくて・・・いや、うーん」

もう自分で何言ってるんだか分からなくなってきた。

「・・・・クス」

・・・笑われた、嘲笑されたよ。

「おもしろいな、綾崎は」

「ははは・・・はぁ」

絶対変なヤツって思われたよ。

「綾崎はさ・・・”翼をください”はどんな鳥だと思う?」

どんな鳥って・・・。

最初聞いた時は真っ白な鳩とかを連想したなぁ。

・・・けど今は違う。

人生なんてちょっとしたきっかけで大きく狂ってしまう。

悲しみのない自由な空なんて有るわけがない。

有るとしても、その空ができるためにいくつもの悲しみが有るはずだ。

だから俺は即答した。

「・・・カラスだ。」

「何でそう思うんだ?」

「カラスは醜いとか不幸の象徴とか言われて人に嫌われてるけどさ、そんなカラスでも自由に飛べる。俺と違って強いからだ」

「・・・・・」

「岩沢さんは?」

「・・・・私もカラスだ。どれだけ嫌われても、殺されかけても生きようとするカラスはどんな鳥よりも強い」

「そう・・・か」

たぶん岩沢さんも人には言えない苦労をいっぱいしているんだろう。

「変なこと聞いたな・・・私はバイトがあるから。じゃあな、綾崎」

「おう、また明日」

岩沢さんは俺とは逆の方向に進んでいった。

「・・・・帰るか」

 

 



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3話「タダではやらん。欲しいならトレードだ」by紅騎

『これより部活動紹介を始めます。まずは吹奏楽部の皆さんによる演奏です』

今日の日程は1・2時間目に配布物や、細かい連絡。3・4時間目に部活動紹介。昼休みを挟んで、各委員会決め。という感じだ。

座る順番は自由らしいので、俺と音無は真ん中当たりの所に座った。

「なあ、綾崎。お前部活動に何か入るのか?」

「いや、特に入る気はない。音無は?」

「俺も・・・特に頑張ってるモノって無いからな」

それに俺はバイトをやらなきゃならないから、時間もない。

『吹奏楽部の皆さんありがとうございました。続いて、ジャズ研究部のみなさんです』

へぇ、ジャズ研なんてあるんだ・・・。

~~~~~♪

う~ん・・・上手いとは思うんだけどなぁ。・・・何かが違う。

・・・・・本当にコレはジャズなのか?

いや、ジャズじゃねぇな・・・これ。

「ジャズ研究部のみなさんありがとうございました。続きまして・・・」

この後の部活動はなんだかよく分からないものばかりだから寝て良いか?・・・寝るぞ?

・・・つーか、日本舞踊部って何だよ。

 

 

 

俺の意識はだんだん闇の中に引きずり込まれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目を覚ましたときにはすでに部活動紹介は終わっていて、ちょうど講堂から出るところだった。

「ふぁ~・・・ん、眠ぃ」

「ぐっすり寝てたなぁ。紅騎」

「だって、退屈だったし・・・」

それに部活なんて俺には関係なしだし。

「まあ、良いか。それより昼飯どうする?」

「弁当だけど・・・?音無は?」

心底意外そうな顔をされた。・・・悪ぃかよ。こっちは中一から自炊してんだよ。

「購買でパンでも買おうかと・・・」

「じゃあ、先に教室行ってるよ」

「おう、分かった」

 

俺は一足先に教室に戻り鞄から弁当を取り出した。

今回は餃子弁当だ。冷凍食品より作った方が安いし、俺自身冷食は好きじゃないからだ。

ニンニクは入れてない。臭いがきついし。

代わりに柚コショウを使ってる。

「美味そうな物食べてるな」

横から声が聞こえた。

声がした方を見てみると、長身でポニーテールの女子生徒が惣菜パンをかじってた。

「タダではやらん。欲しいならトレードだ」

「ちっ、しょうがねーな。・・・ほらよ」

女子生徒はビニール袋をあさってコンビニおにぎり《梅干し》を渡した。

・・・まあ、良いか。

俺は箸で餃子を一個つまんで差し出した。

「・・・・・・ん」

「お、それじゃ遠慮無く・・・」

ぱくっと、そのまま一口で言った。

「・・・ん、・・・美味いな。」

「それよりも・・・お前、こっちのクラスじゃないだろ?」

こんな目立つ体型(特に胸の辺りが)してるのに気づかない何てことあるはずがない。

「うん、私は二組のひさこだ。綾崎紅騎君」

「・・・なんで俺の名前を知ってるんだ?」

「岩沢から聞いたんだよ。私はアイツと一緒のトコでバイトしてるんだ」

「ふ~ん・・・で、その岩沢さんは?」

「それが分からないから、ここに来たのさ。私以外の知り合いなんてお前くらいだし」

「・・・・私がどうかしたって?」

ひさ子の背後の方から低く冷たい声が聞こえてきた。

覗いてみると、購買のパンを持った岩沢さんが立っていた。

「よ、よう岩沢。ちょうど一緒にメシ食わないかって誘おうと思ってたんだ」

「・・・それと綾崎の弁当をつまむのと、どう関係有るんだ?」

・・・気のせいかな、岩沢さん・・・怒ってる?

「おぉ!そうだ、岩沢も食ってみろよ。美味いぞ!綾崎の餃子!!」

そう言って俺の弁当を指さした。

「・・・餃子?」

怪訝そうな顔をして俺のおかずを見る岩沢さん。

「・・・・食べる?」

「岩沢、私はおにぎりと交換して食べたぞ」

「・・・・・」

岩沢さんはパンを片手に俺の所に歩み寄ってきた。

「綾崎・・・Aをドイツ語で発音すると?」

「?、アー・・・・・ムグゥ!?」

素早く手にしていたパン(食べかけ)を俺の口にねじ込んできた。

その間に俺の手から箸を奪い、餃子を一口。

「・・・・ん、柚コショウ入りか。なかなかやるな、綾崎。」

・・・そ、そんなことより誰か水を!!俺に水を!!

「綾崎~待たせたな・・・って、どうした!?」

変なタイミングで音無が帰ってきた。その手には紙パックの牛乳が。

俺は有無を言わさず音無の手から牛乳を奪い、ストローを使わずに一気に飲み干した。

「ング、ング、ング・・・・ぷは!!・・・・はぁ、死ぬかと思った」

「綾崎!?俺の、俺の牛乳!!」

あー・・・そうだった。とりあえず財布から百円を出して音無の手に握らせた。

「サンキュー。助かったよ、音無」

「お・・・・おう。」

とりあえず俺を窒息死寸前まで追い込んだ張本人を見る。

「?どうした綾崎。私の顔に何か付いてるのか?」

「いや、その前に何か言うことがあるんじゃないか?」

「・・・・特に無い」

・・・もういいや。

大物だ、この人・・・。

 

五限の予鈴が鳴る

・・・もうそんな時間か。

「じゃ、私は戻るわ~。またな、綾崎ぃ~岩沢ぁ~」

残りのパンをたらい上げて、ひさ子は教室をを出て行った。

「みんな、この時間は各委員会を決めるわよ。」

委員会ね・・・まあ、適当なところに収まっておこう。

 

 

キーンコーンカーンコーン・・・

午後の委員決めも終わり(俺は図書委員会に入った)、放課後だ。

今日こそは店に顔を出しに行かないと。

唯は何の部活にはいるか悩んでいるらしく、さっきからうなってる。

・・・今日は一人で帰るか。

「じゃ、俺は先に帰るわ。じゃあな、音無」

「おう、また明日!」

音無とそんな言葉を交わして教室から出た瞬間。

「おぉっと危ねえ・・・」

目の前を二人の女子生徒が走り去っていった。・・・もう少しでぶつかるところだった。

「あー、誰だか知らないけどわりーわりー!!」

「ちょっと律!引っ張るなって!」

そのままスピードをゆるめずにカチューシャと黒髪は走り去っていった。

「廊下は走るなよ~」

何てこと言っても聞こえるはず無いよなぁ・・・。

ま、良いか。

「・・・帰るか」

 

 

 

 

 

俺は学校を出た後予定通り、例の店”UNISON”に着いた。

準備中の札を無視して、そのまま店内へ。

カランカラン・・・

「こんちは~」

「済まんな、まだ準備中で・・・って、紅騎じゃないか!」

「お久しぶりです、マスター」

「その制服・・・桜高に入学したのか?」

「そうです・・・って、メールで言ったはずなんですけど」

「あれ?そうだったけか?まあ、良いじゃないか!」

そう言って俺の背中をバンバン叩いてきた。・・・相変わらずだな。

「今回はありがとうございます。こんな話しを持ちかけてくれて」

「なぁに、こっちも人手が足りなくなってきてね。こっちこそ礼を言いたい気分だよ」

 

 

「お父さん!!また空き缶を吸い殻入れに使ったでしょ!?」

 

 

そんな声と同時にマスターの肩がビクゥ!っと揺れた。

「いや、それは・・・その、えーと。・・・・近くに灰皿がなかったんだ」

「だからそれがないようにベランダに吸い殻入れを置いたんでしょうが!!」

店の奥から黒いポニーテールをゆらした若干つり目の少女が出てきた。

「・・・・あれ?お客さん・・・・って、お兄・・・じゃなくて紅騎さん!?」

「よっ、久しぶりだなレナ!」

出てきたのはマスターの一人娘の葵 玲於奈(あおい れおな)だった。(ちなみにマスターの名前は、葵 弦(あおい げん)という)

俺よりも一個年下で、小学校からの付き合いだから唯とも顔見知りだ。

ちなみに玲於奈をレナと呼ぶのは俺だけだ。なぜか俺以外のヤツがレナと呼ぶととたんに不機嫌になるからだ。

「あぁ、丁度良い。玲於奈、紅騎にここの仕事に就いて教えてやってくれないか?ちょっとたばこ買ってくるから」

「え?働くって・・・あっ、お父さん!こらー逃げるな!」

マスターはさっさと店から出て行ってしまった。

「・・・もう、逃げ足は速いんだから」

「ははは・・・」

この様子だとマスター、娘に頭が上がらないな・・・。

「突然いなくなったかと思ったらまた突然現れるんだもん、紅騎さん」

「悪かった・・・心配掛けて」

「さっき見たときは別人かと思いましたよ。印象ががらりと変わったって言うか、何かあったんですか?」

「・・・・・・」

マスター・・・レナに何も言ってないな。・・・・どうするか話した方が良いのか?

「・・・何か、あったんですね。・・・・嫌じゃなかったら話してくれませんか?」

「聞いてて、あまり気分良くない話しばっかだぞ?」

「構いません」

レナはじっと、俺と目を合わせてきた。

「・・・分かった。話すよ」

俺は唯に話してやった内容と同じようなことを話した。

・・・もちろん親父が殺された話しも。

 

 

 

「大体こんな感じだ。」

「そう・・・ですか、そんなことが・・・・」

心なしか周りの空気がちょっと重くなった気がする。

「・・・だからマスターにはすげー感謝してるんだよ」

「本当に・・・たまにはマシなことするんだ。お父さん」

たまにはって・・・扱い酷いなぁマスター。

・・・そういえば昔っからマスターには厳しかったな、レナ。

「全然変わってないな・・・お前」

「え?・・・そ、そうですか?」

「ああ、その髪型だってずっと同じだし」

・・・だけど、何か違和感があるんだよなぁ。

何だろう・・・。

考えること数秒。

ああ!俺の呼び方が違うんだ。

「そういえば何で俺のことを紅騎さんって呼んでるんだ?」

「え?・・・ま、前からそう呼んでましたよ?」

「いやいや、昔は確かお兄ちゃんって呼んでたはずだけど・・・それにさっきから敬語で話すし」

「だ、だって、恥ずかしいじゃないですか・・・」

「なんで?俺としては今のレナの方が無理してるって感じだけど・・・」

それに最初俺の名前を言ったとき思いっきりお兄ちゃんて言いそうになってたし。

「や、やっぱりそう見えますか?」

「こんにちはー荷物をお届けに来ました!」

「あ、は~い!」

変なタイミングで宅配便が来た。

「・・・何でしょうね、大きな段ボールがいくつか届きましたけど」

俺も荷物を覗いてみる。送り主は綾崎紅騎・・・。

「・・・って、俺の荷物じゃん!」

「お、届いたみてーだな」

マスターも丁度帰ってきた。

「お父さん、コレって・・・何?」

「何って、紅騎が向の生活用具だよ。服とか・・・ああ、それとギターも」

「そうじゃなくて!なんで俺の服とかがこの店に届いてるんですか!?」

「何でって・・・今日から俺たちの家族になるからに決まってるだろ」

・・・・ん?この人今なんて言ったかなぁ?

「家族って・・・どういう意味ですか?」

「詳しくは養子ってところだな。いやー苦労したぞ。意外と面倒なんだな、手続きって」

「・・・俺の住んでるマンションは?」

「ああ、さっき解約してきたぞ?」

・・・なんという手際の良さ。

「お父さん・・・」

「どうだ?玲於奈、昔お兄ちゃんが欲しいって言ってただろ?丁度良いじゃないか」

「そういう大事なことは先に言えぇぇぇぇぇ!!」

「ぐはぁ!」

レナの投げた灰皿がマスターの額に直撃した。この親子はも相変わらずなようだった。

 

その夜、俺の歓迎パーティーを開いてくれた。・・・そんなに気を遣わなくて良いのに。

「それじゃぁ綾崎紅騎が本日より、葵家の一員になるってことで。これからよろしくお願いします。乾杯~!」

「「乾杯~!」」

俺はジンジャエール、レナはオレンジジュース、マスターはウイスキーそれぞれ乾杯した。

「・・・それにしても大丈夫なんですか?突然店を臨時休業にしたりして。」

「ん?・・・まぁ気にするな。一日くらいどうってこと無いさ」

・・・なら良いんだけど。

「そんなこと気にせずにどんどん食べてください!」

レナがカルボナーラを小皿に分けて渡してくれた。

とりあえず一口。

「・・・・」

「どう・・・ですか?」

ふわっと広がる卵とチーズの風味にベーコンとコショウの味がしっかりと合わさった絶妙な味だった。

「・・・美味い!もしかしてコレ、レナが作ったのか!?」

「はい!・・・ああ、昨日たまたま料理の本を読んでて良かった~」

「レナ・・・料理できたんだ」

「なに言ってるんですか!私以外に誰が料理できると言うんですか!!」

 

ちなみにレナのお母さんは全世界に音楽の楽しさを広めると言って現在アフリカのどこかにいる。

時々手紙が来るらしいけど、その内容はいろんな意味で凄いらしい。

 

「おいおい、俺だってベーコンエッグくらいは作れるぞ?」

「それだって三回に一度は真っ黒に焦がすでしょうが!」

マスター・・・どんだけ不器用なんだよ。

「・・・じゃあ、レナのお母さんが飛び出してからずっとお前が作ってるのか?」

「はい、・・・そう言えば紅騎さんは料理できるんですか?」

「まあ、一応は。今日の弁当だって俺が作ったし・・・。ほら、俺の親父がアレだったから」

「参考までに今日の弁当は何を作ったんですか?」

「餃子だけど?」

「え・・・、餃子って臭くならないですか?」

「だから、ニンニクを使わないで代わりに柚コショウを入れたんだ」

「入れたんだ・・・って、一から作ったんですか!?」

「まあ、そうなるな。・・・でもそんなに手は込んでないぞ?」

あんな物ひき肉と野菜を皮で包んで焼いただけじゃないか。

「十分凝ってますって!他の料理だとどんな工夫をしてるんですか?」

「そうだな、例えば・・・・・」

 

こんな感じで俺の歓迎パーティーはいつの間にか料理教室に変わっていった。

このときに分かったことだけど、レナは和食しか作れないらしい。・・・・別に良いけど。

 

後片付けを終わらせて現在二階のベランダでぼーっとする。

・・・今日は疲れた。

学校では岩沢さんに窒息させられるし、店に来たら突然新しい家族ができた。

「はぁ・・・」

「・・・どうしたんですか?ため息なんかついて」

レナが缶コーヒーを二つ持ってヒョコっと現れた。

「レナか・・・」

「お兄ち・・・・紅騎さんは無糖派でしたよね?どうぞ、ブラックです」

「ああ、良く覚えてたな」

レナからBOSSを受け取ってプルタブを開けた。ちなみにレナは微糖だ。

一口飲むと、ほどよい酸味からコーヒーのしっかりとした苦みを感じる。

「・・・何か済みません。お父さんが色々と」

「まあ、最初はびっくりしたけどな。・・・でもありがたいよ」

「そうですか?」

「うん、・・・やっぱり家族って良いなぁって。」

真っ暗闇の中一人でコンビニ弁当を食べるのが普通だった俺にとっては、十分すぎるほど暖かい食事だった。

・・・・コレが家族の暖かさってヤツなのかな。

「てゆーかレナ・・・・まだ敬語なんだな」

「・・・駄目ですか?」

「家族になったんだし、やっぱり敬語っておかしいと思うんだけど・・・」

「でもやっぱり恥ずかしいというか・・・今更というか・・・」

「じゃあ、俺もレナじゃなくて玲於奈って呼ぶことにするぞ?」

「うー・・・紅騎さんのイジワル」

・・・前に唯から同じことを言われた気がする。・・・・俺ってそんなに意地が悪いかな?

そんなつもりは無いんだけどな~・・・。

「分かったコレで良いんでしょ?・・・・お兄ちゃん」

「・・・・・・」

「何!?人が勇気を出して言ったのにその意外そうな表情は!!」

「あー・・・悪い、突然だったからびっくりしたんだ。うん、やっぱりそっちの方が違和感がないよ」

「私も何かこっちの方が楽に話せるみたい」

俺は最後の一口を胃に流し込んだ。ん~・・・!やっぱり美味いな。

「ところでさ、風呂ってどうしてるんだ?探した感じそれらしい物は見あたらなかったんだけど」

あったのは二階のシャワールームくらいだ。

「いつもは近くの銭湯・・・ほら、あそこに見える煙突」

レナが指を指す先には銭湯特有の煙突があった。・・・ああ、さっきここ来るときに見たな。

「あそこですませるんだけど、今日はもう銭湯閉まってるからシャワーで我慢して」

「ああ、分かった。・・・あ、そうだ。朝食は俺が作るよ、お前朝苦手だろ?」

「え・・・?そ、そんな悪いよ。・・・朝はちょっと苦手だけど」

「いや、ちょっとどころじゃないだろ。お前の場合」

一回だけレナを起こしに行ったことがあるけど、コイツの寝起きの悪さは一級品だった。

基本揺するだけでは絶対に起きない。目覚ましも寝たまま止めるといった具合だ。

「それに、毎朝成功率の極めて低いベーコンエッグはもう食べたくないだろ?」

「うん、それだけは絶対嫌」

・・・・そこまで酷いのか、マスターのベーコンエッグ。

「だから任せとけって」

「・・・じゃあ、お願い。・・・えっと、そ、それなら。・・・その」

急にレナが顔を赤くしてうつむいた。それになぜかモジモジしてる。

「・・・他に何かあるのか?」

「う、うん・・・だ、だったら朝起こしてくれたら嬉しいなぁって・・・」

「・・・別に構わないよ?」

「ほ、本当!ウソじゃないよね!?」

「ああ、本当だ・・・ホレ」

俺はレナに自分の小指を差し出した。・・・あれだ、約束するときに使うヤツだ。

レナも察したようで、小指を絡めてきた。

「指切りげんまん~ウソ着いたら~・・・」「六弦千本飲~ます」

「「指切った!」」

「・・・って六弦?」

「え?だってハリセンボンじゃ普通でつまらないでしょ?」

レナなら普通にやりかねないから怖い・・・。

「まあ、いいか。・・・じゃ、俺はシャワー浴びてくる」

「うん、私はもう浴びちゃったからもう寝るね」

「おう、おやすみ」

「おやすみ・・・お兄ちゃん」

・・・さて、おれもさっさとシャワー浴びて寝よう。

 

 

 



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4話「その制服・・・お姉ちゃんと同じ桜高なんですね。」by憂

ピピピピピピピ・・・・

ばしっ!

「どこだ?ここ・・・」

目を開けると見慣れる天井が。・・・ああ、そうか。もうあのマンションじゃないんだっけ。

モゾモゾと布団からはい出て、顔を洗った後早速朝食の準備。

なんだかんだ昨日結構食べたからな。量は抑えめで良いか。

一瞬ためらった後、冷蔵庫の中身をチェック。・・・和食で良いか。

とりあえずあじの開きを焼き始めた。それから水を沸騰させて出汁を入れてからワカメ、油揚げを投入。

最後にみそを適量とって溶かす。後は弁当用のおかずをいくつか作って終了。

・・・さて、レナを起こしてくるか。

レナの部屋は俺の部屋の隣にある。なぜ先に起こさなかったのかというと、まあ、レナが強敵だからとだけ言っておこう。

コンコン・・・

「レナ~起きてるか~?」

「・・・・・・」

返答無し。・・・やっぱり。

「入るぞ~」

ガチャ・・・。

「すー・・・すー・・・」

レナ、完全爆睡中。・・・やれやれ。

「レナ~起きろ~!」

とりあえずレナの身体を揺する。

「んん・・・すー・・・すー・・・」

・・・やっぱり駄目か。

仕方がない、夏以外の季節で(特に冬)効果的な起こし方を・・・。

バサァ!

掛け布団を思い切り引きはがした。

「う~ん・・・だれ~?私のふとん~・・・」

寝ぼけ眼でむくりと身体を起こした。

「おはよう、レナ」

「・・・・・!?お、お兄ちゃん?なんでこの家にいるの!?」

「・・・昨日のことを忘れたのか?」

「・・・あー、ごめん。そうだった。・・・もう家族なんだっけ」

「朝飯作ったからさっさと準備しろよ~・・・あと、二度寝禁止」

「は~い・・・」

レナの返事を背に俺は部屋を出た。

バタン。

朝の大仕事完了・・・っと。

「レナ起こしてきましたー」

「おう、ご苦労さん。お、久しぶりの洋食だ」

昨日結構な量を食べたからフレンチトーストに、ベーコンや野菜をのせた簡単な物にした。

「おはよ~・・・・おー、良いにおい」

「よし、全員そろったところで・・・いただきます」

「「いただきま~す」」

 

 

 

 

 

 

「それじゃ、マスター行ってきます」

「ちゃんと掃除とかしててよね」

「分かってるよ。遅れるから早く行け~」

レナの学校は途中まで方向が一緒らしいから、そろって歩き始めた。

「そういやレナは進路とか決まってるのか?今年で中三だろ?」

「うん、一応私も桜高が良いなって思ってるんだけど・・・偏差値も一応クリアしてるし」

やっぱり地元が楽だよな・・・近いし、顔見知りも多いし。

「レナって偏差値どれくらいなんだ?」

「う~ん・・・だいたい65くらい?」

私立校なら余裕で合格できるレベルじゃん。・・・けど何で、浮かない顔してるんだろう。

「何か不安でもあるのか?」

「うん・・・お兄ちゃんの代から共学になったじゃない?そのせいで倍率上がっちゃって」

「そんなに上がったのか?」

「うん、それと特殊生制度の影響で偏差値も上がってるし。」

その特殊生である俺は何かとても済まないと思ってしまっているのだった。

「お~い!コウ君~!」

後ろから聞き覚えのある。ゆるい声が。振り返ると案の定唯が右手を振って駆け寄ってきた。

それと後ろから追いかけているのは・・・妹の憂か。・・・大変だな妹よ。

「あれ?唯さん?」

「あー!!れっちゃんだ~・・・久しぶり~」

ぎゅぅぅぅ・・・・。

「だ、抱きつかないでください!」

「お姉ちゃん・・・玲於奈ちゃん困ってるよ」

「あ、ごめんごめん。久しぶりだからつい~・・・えへへ」

「全くもう・・・あれ?もしかして、紅騎さん?」

「おう、久しぶりだな。」

「その制服・・・お姉ちゃんと同じ桜高なんですね。」

「ああ、桜高だ。・・・そう言うお前はレナと同じ中学か?」

「はい、あの・・・紅騎さんはいつ頃戻ってきたんですか?」

「大体2~3週間前くらいだけど、あれ?・・・唯から聞かなかったのか?」

ちらっと唯の方を見る。・・・・すっごい極端な目のそらし方をされた。

・・・・言ってないのか。まあ、良いけど。

「はい、というよりも。今日初めて知りました」

「そ、それじゃあ私たちはこっち曲がらないといけないから。・・・またね~二人とも~」

「あ・・・うん。行ってらっしゃいお姉ちゃん、紅騎さん」

「憂!信号赤になっちゃうよ~」

「あ、待ってよ~玲於奈ちゃん!」

憂とレナは小走りで横断歩道を渡っていった。憂が一瞬こっちをちらっと見たのは気のせいではないだろう。

「・・・アイツに言ってないのか?」

「うん・・・だって、あんなに重い話私の口じゃ言えないもん。それに・・・」

「・・・・それに?」

「・・・何でもない。ほら!遅刻しちゃうよ~コウ君!」

不意に唯が走り出した。・・・しまった。もうそんな時間か。

「おい、前見ていかないと転b・・・」

べちゃ・・・。

「・・・いわんこっちゃない」

・・・やっぱり天然だコイツ。

 



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5話「そんなことお前に関係ないだろ!!」by岩沢

入学から早二週間、葵家の養子となって一週間と五日。俺は若干の窮地に立たされている。

「う~ん・・・困った」

今俺の机の上には白い紙が一枚置かれている。その名も入部届だ。

この学校は文武両道が校訓の一つなので、生徒達は何かしらの部活動もしくは生徒会に入ることになっている。

それを知ったのは今日、しかしどうもこの用紙は二週間前に渡されたらしい。

つまりは、提出期限が明日な訳で・・・。

「部活動ね・・・」

ちなみに俺は生徒会に入る気は全くない。・・・理由は簡単。忙しいからだ。

「あれ?コウ君何してるの~?」

唯がふら~っと横からのぞき込んできた。

「入部届・・・あれ?コウ君も迷ってるの?」

「”も”ってことはお前もか?」

「うん・・・高校に入って何かしなきゃって思ってるんだけど。・・・なかなか見つからなくて」

「唯、紅騎。何してるの?」

和が俺たちに声を掛けてきた。ちなみに和はすでに生徒会に入っているらしい。

「ああ、部活動をどうするか迷っていてな」

「私も~」

「え・・・?まだ悩んでいたの?もう二週間も経ったのに?」

「いや、俺はさっきこの紙を発掘したわけで・・・」

「だって、私運動苦手だし・・・得意なこともないし・・・」

「はぁ・・・こうしてニートが増えていくのね」

「「部活が決まらないだけでニート!?」」

意外ときついこと言うんだな・・・和。

「まあ、明日までが期限だから何とかするよ」

「あら?紅騎は別に明日じゃなくても良いのよ?」

はい?アシタジャナクテモイイ?

「和、それってドユコト?」

「いい?特殊生は複雑な家庭環境で過ごしている生徒も少なくないの。詳しくは知らないけど紅騎もそうでしょ?」

まあ、確かに複雑な家庭環境ではあるな。・・・つい二週間くらい前に一応の安定はしたけど。

「・・・だから、部活動はしなくても良いと?」

「一応希望すれば入れるみたいだけど、おおむねその通りよ」

「そう・・・なんだ」

「え~コウ君部活やらないの?」

「・・・考える時間が延びただけだ」

「唯は明日までが期限だからね?」

「う~・・・分かったよ」

「紅騎も決めるなら早いウチが良いわよ。他の部員と早くなじんだ方が良いでしょ?」

ごもっともな意見で・・・。

「じゃあ、私は生徒会の仕事があるから。」

「うん、ばいば~い和ちゃん」

和は少し不安そうな表情をしてから教室を出て行った。

「さて、と・・・俺も帰るか」

「あ、だったら一緒に帰ろうよコウ君」

「・・・部活はどうするんだ?」

「帰ってから考えるよ~」

・・・不安だ。

 

 

 

 

玄関を出るとまだ少し部の勧誘をしていた。

「柔道部をよろしくお願いしま~す」

「空手部をよろしくお願いしま~す」

「合気道部をよろしくお願いしま~す」

「少林寺拳法部をよろしくお願いしま~す」

「剣道部をよろしくお願いしま~す」

・・・なんで、武道系ばっかなんだ?

「う~・・・運動部の勧誘ばっかり」

「勧誘は、だろ?ほら、掲示板でも見てみろよ。」

玄関脇の掲示板には隙間がないほど様々な部活の勧誘チラシが貼ってあった。

「文芸部、茶道部、ジャズ研、地歴部、地学部・・・」

本当に何でもあるんだな。つーか地学と、地歴ってどんな違いがあるんだ?

「唯、何か気になる部活でもあったか?」

「え?あ、うん。一応・・・。」

唯の視線の先には白い紙に黒文字で”軽音楽部”と書かれたものが貼ってあった。

「軽音楽・・・って、なんだか分かる?」

「いや、俺も知らない・・・」

そもそも部活動紹介で名前上がってたっけ?

「軽い音楽ってことは簡単な音楽しかやらないのかな~?・・・・口笛とか」

「だとしたらかなりやる気のない部活だな」

「あとは・・・カスタネットとか?」

唯+カスタネット・・・・・。

あー・・・うん、かなり似合ってる組み合わせだな。

「決めた!私軽音楽部に入る!」

「おいおい・・・そんな簡単に決めて良いのか?」

「私用紙に書いて先生に渡してくる!コウ君は先に帰ってて良いよ~」

そう言ってまた校舎内に入っていった。・・・・行動力だけは有るんだな。

「・・・帰るか」

校門の方へ歩こうとしたとき誰かとぶつかった。

ドン・・・。

ぶつかった相手がよろけて転びそうになる。俺はとっさに相手の手を握って姿勢を安定させた。

「ふー・・・危なかった。ごめん、ちゃんと見て無くて」

「・・・・綾・・・・崎?」

「ん?あぁ、岩沢さんか。ごめんぶつかって・・・・・!」

「・・・・・・・・・・」

俺は思わず息をのんでしまった。あまりにも岩沢さんの目に生気を感じないからだ。

「そ、そういえばいつも持ってるギターはどうしたんだ?」

今日はアコギの入ったギターケースを肩に掛けていない。

「そんなことお前に関係ないだろ!!」

突然岩沢さんは叫んだ。本当に突然に。

そして岩沢さんはそのまま小走りで校門を出て行った。

「・・・・え?」

岩沢さん・・・・泣いてた?

俺、何か悪いことでも言ったのか?

「分かんねぇ・・・」

ポツ・・・ポツ・・・。

少し雨粒が降りてきた。・・・予報じゃ降らないって行ってたのに。

「しゃーない・・・」

俺も小走りで自分の家に向かった。

 

「紅騎、今日はライブの予定は入ってないからもう終わりにしても良いぞ」

いつもよりも客足が少なく、今日のライブは早めに終わりそうだった。

本当なら、残念に思うところだろう。だけど、今日ばかりは少しばかり気が楽になった。

「あ、はい。じゃあ、お言葉に甘えて先に銭湯行ってきます」

「お兄ちゃん今日は何か疲れてるみたいだから、ゆっくり浸かったら?」

レナが心配そうな様子で、バスタオルを渡してくる。

「そうする・・・やっぱり分かる?」

「うん、お兄ちゃん結構分かりやすいから」

早速着替等を持って銭湯に向かった。

「いらっしゃ~い・・・あれ?今日は一人かい?」

「はい、二人はもう少ししてから来るみたいです」

「あら、それはギターかい?」

「あ、はい。気分転換に駅前の公園で弾こうかなと」

「脱衣所は湿気が多いからね、預かっておいてあげるよ」

「すみません、じゃあ、お願いします」

おばさんにギターを預けてお金を払い、脱衣所に入った。

「・・・一人もいないのか?」

脱衣所にも浴場にも人の気配は無い。まあ、丁度いいや、静かに入れるし。

身体を洗ってから湯船に入る。・・・・やっぱり良いな。大きな浴槽を独り占めってのは。

 

”お兄ちゃん今日は何か疲れてるみたいだから”

 

・・・そんなに顔に出てたかな?

 

”お前には関係ないだろ!!”

 

・・・やっぱり俺が悪いんだろうな。けど・・・何が悪かったんだろ?

そんなにギターのこと聞かれるのが嫌だったのか?

「分からねぇ・・・」

ぶくぶくぶくぶく・・・

 

 

銭湯を後にしても岩沢さんの言葉が頭から離れない。

現在時刻20:45。この時間帯の駅前は残業で疲れたサラリーマンくらいしかいない。

俺は屋台にたむろってる大人達を横目に公園に向かった。無論公園も誰もいなかった。

そのことに安堵してベンチに座った。

そしてギターを出して、チューニングをしてからアンプラグ(アンプとプラグが一緒になった物)をセットする。

ヘッドホンを差し、ボリュームレベルを調節して準備完了。

・・・さて、何を弾こうか。

適当にコードを弾きながら考える。

~~~~~♪

そうしているうちに何となくメロディーが浮かんできた。

・・・けどコレはバラードだな。アコギで弾いた方が合う気がする。

けど俺、アコギ持ってないし・・・。まあ、良いか。

ギシ・・・

誰かが俺の隣のベンチに座る気配を感じた。

横目で見てみて最初に目に入ったのはぼろぼろのフォークギター。

長い間雨さらしだったのか弦は錆び付いて、ネックもがたがただ。

ちょこっと視線を上に上げるとその持ち主が目に入った。

セミロングの赤い髪、桜校の制服・・・。

「・・・って、岩沢さん!?」

間違いない、俺の悩みの大本、岩沢さんだ。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

お互い気まずい沈黙が漂う。

どうする・・・?まずは謝った方が良いのか?

とりあえずヘッドホンを首に掛ける。

「え、えーと・・・岩沢さん?」

「・・・何?」

「あの時はごめん、・・・何か悪いこと言ったみたいで」

「・・・・あの時?」

きょとんとした顔をする岩沢さん。・・・いや、今日起こった出来事ですけど!

「ほら、放課後の玄関前でさ・・・」

「ああ、あの時か。・・・お前が謝る必要はない。アレは私が悪いから・・・。ごめん、いきなり怒鳴ったりして」

ぺこ・・・、と頭を下げた。

「・・・何かあったのか?」

「・・・・・」

岩沢さんは立て掛けてあるフォークギターを軽く撫でた。

「ギター・・・壊されたんだ」

「・・・・え?」

突然の言葉に俺は耳を疑った。

「昨日バイトから帰ってきたときにな。ネックが折れたギターが床に転がってたんだ・・・」

「誰が・・・そんなこと」

「ウチの父親だよ。酒に酔った勢いでポッキリ・・・。さすがに私も腹が立ったよ。・・・でも、女の私じゃ敵わなかった」

そう言って制服の袖を捲って見せた。真新しい痣が数カ所合った。・・・だから、昨日の体育見学してたのか。

「まあ、こんなの慣れっこなんだけどね。・・・さすがにギターは許せないけど」

岩沢さんは「へへへ・・・」と笑った。その笑顔がとても悲しそうで、辛そうで・・・。

「そのギターは?」

「ああ、これ?家に帰る途中で見つけたんだ。・・・ゴミ捨て場でね。まあ、気休めだよ。コイツはもうボロボロすぎる・・・」

三弦を軽く弾いて見せた。およそ音と形容しにくい音が弱々しく響いた。

「今の私はコイツと同じさ・・・ボロボロで錆び付いて、もう一度音色を奏でる願いすら叶わない」

岩沢さんは変な話しを聞かせたなと言って立ち上がった。

「・・・待てよ岩沢さん。音楽を諦めるのか?」

「だって仕方がないだろう!?私にはもう方法が無いんだ!音楽を続ける方法が!!」

岩沢さんはあの時のように叫んだ。彼女自身はかなり悩んでいるだろう。

でも、俺にとっては贅沢な悩みのように感じた。

「ふざけるなよ・・・たかが楽器を失ったくらいで音楽を止める?・・・甘えるなよ」

「たかが楽器・・・お前、それ本気で言ってるのか?」

「ああ、本気だ。・・・俺はな、親友を失ってるんだよ!大好きな音楽で!!」

岩沢さんが驚いた表情を見せる。・・・しまった、こんな話しないつもりだったのに・・・。

「本当・・・なのか?」

しかし、話してしまった以上は無かったことには出来ない。

「ああ、本当だ。このギターはその友達からもらった物なんだ」

「そう・・・か」

「俺の話はどうでも良いんだよ。・・・今は岩沢さんだ」

「・・・・・・」

「そのフォークギター、・・・俺が直す」

「・・・・え?」

マスターは昔、ライブハウスの隣の小屋でギターの修理もしていた。

今は右目の不調で、していない。

けど、俺なら直せる。・・・死んだ親友の家がギターを作る仕事をしていたから。

当然そいつもギターを作る・直すといった知識が豊富だった。

俺もその影響を受けて、ギターの修理は自分でやるようになった。

いわば、このギターと知識は形見といったところだ。

俺はそのことを岩沢さんに話した。

「無理にとは言わない。けど、岩沢さんがもう一度音楽を奏でたいって想いあったらそのギターを持って、学校に来てくれ」

「・・・・分かった」

俺と岩沢さんはその後一切言葉を交わさずに別れていった。

 

「・・・ただいま」

「おう、お帰り、紅騎」

俺が帰ってきたとき、丁度マスターがカウンターでコーヒーを飲んでいた。

「マスター・・・隣の修理小屋ってまだ使えます?」

「修理小屋ぁ?・・・バリバリ使えるが、俺はもう直せねーぞ?」

「俺が使います・・・」

「知識はあるのか?・・・・って、悪い。そこは触れて欲しくない所だったな」

マスターが済まなそうな顔をした。・・・まあ、気にしてないと言ったら嘘になるけど。

「そら、小屋の鍵だ。」

マスターが鍵を投げ渡してきた。レスポールのキーホルダーが着いた鍵だった。

「あの小屋は自由に使って良いぞ。それと、足りない物とか必要な物があったら言え。大体の物なら用意できる。」

「マスター・・・ありがとうございます」

「それじゃ、よろしく頼む。・・・俺は寝るわ」

マスターはマグカップを洗ってから、自分の部屋に戻った。

俺はとりあえず小屋に一回行ってみることに。

一回外に出てから小屋に行く。

横開きの扉の鍵を開けて、近くの電気を付けた。

パチ・・・。

玄関の類は無いので、土足で入る。

右側の壁には小さな冷蔵庫と、テレビ、ラジオ、本棚が置いてある。

左側の壁にはアンプやら、エフェクターやらがごろごろしている。

真ん中にはソファーが透明のテーブルを挟んで相向かいに置いてある。

作業をする部屋は奥にある。

俺はそっちの部屋にも行ってみた。

様々なギターの金具類が閉まってある棚。

必要な時木材からパーツを作り出すための電ノコ、木材。

その気になればギターをまるまる一本作れるほどの機材がそろっている。

「コレなら大丈夫そうだな・・・」

作業部屋を出た。

「・・・お兄ちゃん?何してるの?」

不意にレナの声が聞こえた。振り返ると、レナが不思議そうな顔でこちらを見つめていた。

「・・・・レナか、脅かすなよ」

「ごめん・・・で、何してるの?」

もう一度同じ質問をしてきた。

「何って、これから使う小屋のチェック・・・」

「ふ~ん・・・」

さほど興味なさそうにレナはうなずいた。

「そう言うレナは何でここにいるんだ?」

「え、えーとね・・・数学で分からないところがあったからお兄ちゃんに聞こうと思って」

・・・そう言えばレナは受験生だっけ。

「良いよ、じゃあ手早くすませて早く寝ようや」

「う、うん・・・」

そうして約一時間ほどレナに数学を教えてから寝床に着いた

 



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6話「とりあえず入部届を出してきました!」by唯

その翌日、俺は若干気負いしながら教室に入った。

”岩沢さんがもう一度音楽を奏でたいって想いあったらそのギターを持って、学校に来てくれ”

今思うと、とんでもないことを言った気がする・・・。

しかし言ってしまったことは戻せない。こみ上げる気恥ずかしさを何とか押さえつけて席に座る。

「コウ君、コウ君~!」

朝っぱらからテンションの高い天然幼馴染みが寄ってきた。

「とりあえず入部届を出してきました!」

びしっと右腕を伸ばしてこちらに手のひらを見せてきた。・・・お、生命線長いな。

「確か・・・軽音楽部だっけ?」

「うん!何やるのかな~楽しみだな~」

様々な想像膨らませて有頂天になる幼馴染み・・・幸せそうで何よりです。

キーンコーンカーンコーン・・・

「ほら、チャイム鳴ったぞ唯、席に戻れ」

「は~い・・・」

唯が自分の席に着いたのを見届けた後、自分の前の席を見る。

・・・人の気配は無かった。

「あれ?・・・綾崎、岩沢さんは?」

音無が尋ねてきた。

「さぁ・・・?まだ、学校にも来てないみたいだし」

「ふーん・・・」

ガラガラガラ・・・

「みんなおはよう。それじゃあ、出席を取るわよ・・・綾崎君」

「はい」

「岩沢さん・・・・って、あら?岩沢さんは?」

結局朝のSHRまでに岩沢さんは姿を現さなかった。

岩沢さんが姿を現したのは三限と四限の間の休み時間だった。

 

この日の二・三限は美術だった。授業内容は水彩画。

三限終了間際片付けの時に天然ドジ幼馴染みがやらかした。

チューブを机から落とした時に誤ってそのチューブを踏みつけた。そこを丁度通りかかった俺に赤色の絵の具が直撃。

丁度四限は体育なので(乾かす時間があるから)俺はトイレでワイシャツを洗うことに。

そこで予想以上に時間が掛かったのが行けなかった。

俺が着替えを始めたのは休み時間終了の二分前、もちろんみんなはすでに校庭に出てしまっている。

 

そこで運悪く岩沢さんが現れてしまったわけだ。

ガラガラガラ・・・

「「あ・・・・」」

「す、済まない!」

ピシャ!

岩沢さんは大あわてで教室から出て行った。

俺も大急ぎで着替えをすませる。

「もう、いいよ。岩沢さん」

カラカラカラ・・・

「す、スマン・・・いきなり入ってきて・・・」

「いや、気にしてないから大丈夫。・・・なんで遅れてきたの?」

「あ、ああ・・・コイツのケースを買いに行ってたんだ」

そう言って担いでいたギターケースをおろした。チャックを開けると例のフォークギターがしまってあった。

「わざわざ買いに行ってきたのか?」

「ああ、店の開店時間が十時だったからちょっと遅れた」

・・・ちょっとの領域を超えてる気がするんだけど。まあ、良いか。

「岩沢さん、次の時間体育だけどどうする?」

「体育?・・・ああ、まだ怪我治ってないから見学かな」

「じゃあ、早いトコ行こう。もう授業始まるから」

「あ、ああ・・・」

俺と岩沢さんは急いで校庭に向かった。岩沢さんが来てくれた。それだけのことなのに、ただ嬉しかった。

 

キーンコーンカーンコーン・・・

放課後のチャイムが鳴った。・・・さて、と。

「じゃあ、岩沢さん帰ろうや」

「あ、・・・分かった」

「おーい、岩沢~帰ろうぜ~」

突然ひさ子が現れた。いつもより若干テンションが高めだ。

「昨日から暗かった岩沢の元気を取り戻すために、お姉さんちょっと張り切っちゃうぞぉ」

そんな張り切るひさ子を見て、岩沢さんは申し訳なさそうな表情を作る。

「ごめんひさ子・・・もう元気だ」

「は?・・・・ドユコト?」

「うん・・・その、悩みの種が解決したというか」

そう言って俺の方をちらっと見る。俺からも何か言えと言いたいらしい。

「実はな・・・」

俺は洗いざらい包み隠さず話した。刑事ドラマも拍子抜けするほど。

「綾崎・・・包み隠さずすぎだぞ」

岩沢さんも軽く呆れている。

「なんだそう言うことか。意外と言いヤツなんだな、綾崎」

意外と・・・ね、まあ、良いけど。

「じゃあ、私も行こうかなー」

ひさ子がニカっと意味ありげな表情を見せる。

「・・・別に構わないけど、おもしろい物は無いと思うぞ?」

いや、少しくらいはあるかな?・・・俺の名字が違うくらいだけど。

「よし、決まりだ!岩沢もそれで良いだろ?」

「あ、ああ・・・構わない」

ちょっと残念そうな顔をする岩沢さん・・・なんで?

「そうと決まれば早く行こうぜ!」

そう言ってひさ子は教室から飛び出していった。

「・・・・何かスマン、綾崎」

「いや、・・・うん・・・ダイジョウブ」

俺と岩沢さんは早足でひさ子を追いかけた。

 

 

 

 

 

 

 

~~~~~♪

昇降口を出てすぐ演奏が聞こえた。

ドラムと、キボードと、ベースの音が聞こえる。

「ひさ子、ジャズ研にキーボードってあったか?」

「ん?ああ、軽音部じゃないの?」

「ああ、軽音部か・・・」

「ひさ子、岩沢さん・・・軽音楽って、何?」

「知らないのか?うーん、要するにバンドだよバンド。って、知らなかったのか?」

「ああ、初めて知った」

つーことは唯のヤツとんでもない勘違いをしてるな・・・大丈夫なのか?

~~~~~♪

音楽準備室当たりからだろうか、”翼をください”の歌詞無しバージョンが聞こえる。

「何というか・・・あんまり上手くねーなー」

ひさ子が素直な意見を述べた。・・・まあ、否定はしない。

けど・・・。

「けど、楽しそうに演奏してるな。”翼をください”らしい”翼をくださいだ”」

うん、岩沢さんの言うとおり、音が弾んでいる。ちょっとドラムが走ったりするけどちゃんとベースがカバーしている。

これにギターが加わったら迫力がプラスして良い感じになるだろう。

「よし、こんなトコで突っ立ってねーで早く行こうぜ」

再びひさ子が早足で歩き出した。

「ひさ子・・・俺の家の場所知ってるのか?」

「あ・・・」

やれやれ・・・。

 

「へぇ・・・ここが綾崎の家か」

「UNISON・・・これがこのライブハウスの名前かい?」

岩沢さんもひさ子も興味津々な様子で店の周りを見渡す。

「とりあえず店の方に・・・」

カランカラン・・・

「こんちはー!」

「・・・って聞けよ!」

ひさ子は俺の言葉に耳を傾けることなく店の中へ・・・。

「おう、いらっしゃい・・・ほぉ珍しいな。桜校生がここに来るとは」

「ただいま・・・マスター」

「おう、お帰り。なんだ、なんだぁ?もう家に女を連れ込むようになったのか?」

そういう笑えない冗談は止めて欲しいんですけど・・・。

「・・・客ですよ、きゃーく」

「もしかして昨日のアレはこのためか?」

妙に鋭いトコを突いてきた。

「まあ、・・・はい」

「ま、俺は別にどうでも良いんだけどよ。嬢ちゃん達適当にくつろいでってくれ。・・・まあ、スタジオは有料だけどな」

「じゃあ、早速・・・ギターとスタジオ借りていいっすか?・・・あー出来ればジャズマス希望で!」

「あいよ」

ひさ子はギターを借りてさっさとスタジオに行ってしまった。

「じゃ、俺たちも始めるか」

「ああ・・・」

俺と岩沢さんは隣の修理小屋に行った。

 

 

 

 

 

「さて・・・まずはギター見せてくれる?」

「分かった」

岩沢さんはケースからあのボロボロのギターを取り出して俺に渡した。

・・・改めてみるとホントにボロボロだ。

コレは直すよりも作った方が早いかも知れない・・・。

けど、それをしたら意味はない。ちゃんと直さないといけないんだ。

「俺は奥の作業場に行くけど、岩沢さんはどうする?ひさ子と一緒にスタジオにいるか?」

岩沢さんは首を横に振って

「いや、ここにいる・・・少し、綾崎と話しがしたいから」

と答えた。

「分かった、じゃあ着いてきて」

二人で作業場に入った。

ギターを作業台において、錆び付いた弦を切っていく。

それからそのほかの金属類を外していく。

ここら辺は錆を落としただけで再利用できそうだ。

「・・・綾崎は、両親がいないのか?」

いきなり岩沢さんがそんなことを聞いてきた。

「ああ、母親は俺が生まれたのが原因で死んで、親父は・・・殺された」

「殺・・・された?」

「俺さ、元々この町に住んでたんだ。それで中学に入る前に親父とこの町を出て行ったんだ。ヤミ金から逃げるために」

「そうなんだ・・・」

「それからかな、俺は親父に毎日毎日殴られたり、蹴られたり・・・容赦なしに」

「・・・・」

「中二の時の俺の誕生日でもあり母親の命日でもある12月24日。俺は親父に殺されかけた。」

「・・・え?」

「拾ってきたバット・・・いや、新品だったから買ってきたんだろうな。それで何度も何度も殴られ続けた。気が付いたら全身包帯で、病院の中」

「・・・・」

「それが生きてた親父との最後の夜だったんだ」

「それって・・・」

「退院して親父のいるアパートに戻ったらさ、見知らぬ男達が部屋にいたんだ。親父って分からないくらいぐちゃぐちゃになった死体と一緒にね」

「・・・・!?」

「理由はこそこそとため込んでいた親父の生命保険狙い。後に残されたのは俺と大量の親父の血だけ」

その夜鉄臭い水たまりの中で眠ったのは一生忘れない。

「それで、どうやってこの町の戻ってきたんだ?」

「今の親父、マスターがさ桜校の特殊生ってのを教えてくれたんだ」

そのほかにもマスターには色々と面倒を見てもらった。・・・・感謝してもしきれない。

「・・・やっぱり、お前には音楽が必要だな綾崎」

「・・・なんで?」

「良くも悪くもお前の行動には全部音楽が絡んでいるだろ?」

・・・・確かにそうだ。現に今だって音楽が絡んでいる。

「そう、なのかもしれないな」

「そうだ。それに音楽のおかげで普通の生活を送れているんじゃないか?」

「音楽の・・・おかげ」

この町に戻れて、学校に登校できて、家族を得ることが出来て、幼馴染みに再会できて、岩沢さんに会えて、人助けが出来て・・・。

知らない間に音楽がこんなにも俺の生活に染みこんでいたんだ・・・。

「・・・ありがとう岩沢さん、なんだか楽になった」

「そうか・・・なら良かった」

岩沢さんは優しく笑っていた。

・・・彼女なりに気を遣ってくれたのかな?

そう考えると、少し顔が熱くなっている気がした。

 



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7話「おーおー、彼女さんかい?お熱いねぇ綾崎~」byひさ子

「・・・よし、今日はこんなトコかな」

大体バラして分かったことは、ほとんどが一から作り直さなきゃいけないことだ。

それには少しばかり材料が足りないから、今日はここで終了。

「綾崎・・・直りそうか?」

「直す、っつーよりも作るって言った方が近いけど。・・・まあ、大丈夫。」

「そう・・・か」

岩沢さんは嬉しいそうな、申し訳なさそうな何とも微妙な表情をしていた。

「あ、そうだ!ちょっとエレキ弾いていかないか?」

「エレキって、エレキギター?」

「そう、岩沢さんエレキは初めて?」

「ああ、ずっとアコギで弾いてたから・・・」

「だったら弾いてみようよ、ちょっと衝撃かも知れないぜ?」

「・・・・分かった」

そうと決まれば行動だ。

俺たちは作業場を出て店に戻った。

丁度マスターがカウンターで珈琲を飲んでいた。

「マスター、エレキ貸してくれませんか?」

「ん?お前はエレキ持ってたはず・・・あぁその子のか?」

「うん、ストラトキャスターで良いと思うんだけど・・・」

「りょーかい・・・ほれ」

マスターはカウンターの後ろの壁に掛かっていた一本のストラトキャスターを渡してきた。

「そういえばひさ子はまだスタジオにいるんですか?」

「・・・ああ、あのポニーの嬢ちゃんか?あの娘ならまだいるよ」

とりあえず岩沢さんにはちょっと待ってもらい、その間に俺は自分のギターを取りに行った。

そしてひさ子のいるAスタジオへ。

「ひさ子~はかどってるか~?」

「あれ、綾崎?ギターの修理はどうなったんだ?」

「ちょっと足りない部品とかがあってな。今日はコレで終わりだ」

「そう・・・あれ?岩沢は何でエレキなんて持ってるんだ?」

「綾崎が弾いていかないかって・・・」

「ふ~ん・・・なら私のアンプ使いなよ」

そう言ってひさ子はアンプのボリュームを落としてから、自分のギターからシールドを抜いて岩沢さんの方に差し替えた。

チューニングをすませてから、再びボリュームを上げる。

「準備OKだよ岩沢、何か弾いてみたら?」

岩沢さんは小さくうなずいて、一度ストロークをした。

~~~~~♪

「・・・!、音が歪んでる・・・」

それから、”翼をください”のコードを弾き始めた。

・・・どうやら、気に入ったようだ。

いつの間にかひさ子も別のアンプに差し直してメロディーを弾いていた。

しばらく聞いていると、二人が俺にアイコンタクトをしているのに気づいた。

”合わせてみろ”そう言っている声が聞こえてきそうな程の挑戦的な目をしていた。

オーケー、やってやるよ・・・。

ギターケースから一本のギターを取り出す。

深い青色をしたフェンダー・ムスタング。それが俺のギターだ。

チューニングをしてアンプにつなげる。

特に合図を決めていないのに、バッチリと出だしが合う。

岩沢さんとひさ子はさっきと同じくコードとメロディーを弾く。

俺はメロディーのハモりを入れたり、別のコードを弾いたりして曲全体の厚みを持たせるようにする。

・・・すげぇな。何でこんなに息がぴったり合うんだろう・・・。

まるでずっと前から一緒に弾いていたような。そんな不思議な感覚だった。

演奏が終わってもしばらく沈黙が続いていた。

とりあえず俺はギターをスタンドに立て掛ける。

その音で二人の時間も動き始めた。

「綾崎!すげーよお前!!何でこんなにぴったり合わせられるんだよ!?」

ひさ子が興奮気味に俺に詰め寄ってきた。

「俺だって驚いたよ・・・何でだろうな?」

「凄ぇよ、本当にすげぇよ・・・なあ岩沢?」

「・・・・」

岩沢さんは何か考えているらしく、ひさ子のこと言葉も耳に届いていないみたい。

しばらくして、何かを思いついたように口を開いた。

「綾崎・・・ひさ子・・・一緒にバンドを組まないか?」

・・・へ?バンド?

「つーか、岩沢さん達は組んでなかったのか?」

「あー・・・そう言えばそんな話し一回もしたこと無かったよな岩沢?」

「・・・確かに」

まあ、良いけど。

「・・・それで?バンドを組んで最終的にはどこを目指すんだ?」

「プロになる・・・絶対に」

何の迷いもなくそう言った彼女の目は、それを実現させようとする強い意志が見られた。

そんな目をされちゃ、断れるわけ無いじゃないか。・・・それにおもしろそうだ。

「分かった・・・その話乗るよ。・・・それで、ベースとかドラムはどうするんだ?」

リズム隊がいなきゃ話にならない。

「・・・・あっ、」

・・・考えてなかったか。

「じゃあ、まずはリズム隊探しからだな。」

「待て、それじゃあその間練習が出来ない・・・」

・・・だよなぁ。どうしたもんか。

すると、ひさ子が何かを思いついたように手を打った。

「そういやぁ、今日どっかの部が演奏してなかったっけ?」

「あぁ、あの”翼をください”のトコ?」

「・・・確かにしてたけど。どうするんだ?」

「とりあえずその部に入って、練習して別でリズム隊を探すのはどうだ?」

・・・確かに効率は良さそうだ。ちょっと、その部には申し訳ないけど。

「俺は良いと思うよ。そっちの方が効率が良い」

「私は反対だ・・・バンドは部活動でやるような甘い物じゃない。ましてや、生徒同士の馴れ合いの道具でもない」

「岩沢・・・プロを目指すヤツがそんなに視野が狭いこと言ってどうするんだよ」

「だってそうだろ?・・・私は本気でやっているんだ」

「音楽だって色々な付き合い方がある。岩沢みたいに本気で音楽をやってるヤツもいれば、息抜き程度にやってるヤツもいる」

「・・・そうだ、だから・・・」

「だから一緒に本気でやれるようなヤツじゃないと演らない・・・そう言いたいのか?」

「・・・・・・」

ひさ子は強かった口調を優しい口調に変えて言った。

「岩沢・・・ちょっと肩の力を抜く時間くらい誰だって必要だ。そう言う奴らと一緒に演って息抜きをする時間だってたまには必要だ」

「肩の力を・・・抜く?」

「ああ、せめて学校にいる時間くらいは楽しく過ごして欲しいんだ」

・・・その言葉は岩沢さんが特殊生だからって理由もあるはずだ。

俺は岩沢さんの家庭の事情は知らないけど、それなりに酷い環境だと予想できる。

・・・自分の子供の夢を奪いされるほどイカレてるってことくらいは。

岩沢さんはしばらく黙った後、ゆっくりと首を縦に振った。

「分かった・・・」

「・・・・で、ひさ子。その部活がどこだか分かってるのか?」

「え?・・・軽音部じゃないの?」

「ジャズ研の可能性だってある。・・・間違えたときにどうやって断るつもりだ?」

「う・・・そこまで考えてなかった」

・・・やれやれ。

すると、突然俺の携帯がなり出した。

電話の主は平沢唯。・・・とりあえず出てみた。

「もしもし、唯k・・・」

「コウ君コウ君!!私軽音部に入ったよぉ!!」

突然唯の興奮気味の声が俺の鼓膜を振動させた。

「・・・知ってるよ」

「違うよ!そうじゃなくて!」

・・・どう違うんだよ!?

「あのね、私軽音部の部室に行ってホントは難しい部活だって知ってね。・・・辞めさせてもらうつもりだったの」

「ふ~ん・・・」

「それでね、軽音部の人たちに辞めますって言ったら。翼をくださいを演奏してくれたの~」

どこの誰だか知らないが、大変だったな。軽音楽部・・・。

「・・・って、翼をください?」

「うん、そだよ~・・・それでね、みんなとっても楽しそうに演奏してて私もこんな風に演ってみたいって思ったんだ~」

「で、結局そのまま入部したと・・・」

「うん!・・・あ、そう言えばコウ君今どこに住んでるの?前言ってたアパートの人に聞いたら引っ越ししたって・・・」

あー・・・そういや言ってなかったな。養子になったこと。

「それなんだけどな・・・おれ、マスターのトコの養子になったんだよ」

「え、そうなの!?良かったねコウ君!!」

今までで一番馬鹿でかい声が俺の鼓膜をマグニチュード10で襲ってきやがった。

あぁ・・・くそ、耳がキーンとする。

「・・・アリガトヨ」

「それじゃ、私憂にお買い物頼まれてるから切るね。バイバ~イコウ君!」

ブツッ・・・ツーツー・・・。

一方的に掛けてきて一方的に切られた。・・・ったく、あの天然娘は。

「おーおー、彼女さんかい?お熱いねぇ綾崎~」

ひさ子が妙にニヤついた顔で聞いてきた。

「ちげぇよ。・・・ただのドジで天然の幼馴染みだ」

「なんだそりゃ・・・」

「・・・それって、同じクラスの平沢?」

「そう、その平沢さん・・・って、知ってたのか?」

「そりゃぁ、同じクラスだし入学式であんなに目立ってて綾崎にベッタリだったら名前の一つくらい覚えるさ」

俺にベッタリって、そんなに目立ってたか?・・・・あー、目立ってたかも。

「・・・で、その平沢さんが何のようだって?コウ君?」

ひさ子は意地の悪そうな笑みを浮かべた。・・・やっぱり聞こえてたか。

「別に体したようじゃないよ・・・けど、おかげで軽音部が翼をくださいを弾いてたことが分かった」

「そうか・・・じゃ、私たちはそろそろ帰るわ。」

そう言ってひさ子と岩沢さんは帰り支度を始めた。

 

Aスタジオを出ると、丁度レナが買い物袋をぶら下げて帰ってくるところだった。

「あれ?お兄ちゃん帰ってたんだ」

「ああ、お帰り。レナ」

「うん、ただ今お兄ちゃん。・・・あれ?お客さん?」

そう言って俺の背後にいる二人を見るレナ。

「ま、そんなところだ。岩沢さんと、ひさ子だ。俺たちバンドを組んだんだよ」

「・・・そうなんだ。初めまして義妹の葵 玲於奈です」

すると、ひさ子がレナの方に歩み寄っていった。

「二人は兄弟なのか?・・・へ~似てないな~」

「いや、だから義妹ですから当然ですって・・・」

それからひさ子はレナのつま先から頭のてっぺんまでじっと見つめる。

「へぇ・・・肌綺麗だな。・・・ウエストなんかこんなに細いし。うわ!足なが!!」

「あの・・・そんなにジロジロ見られると・・・困ります」

「うへへへ、恥ずかしがる顔も可愛いね~」

だんだんとひさ子がエロ親父に変貌してきたので、脳天に手刀をたたき込んだ。

ビシッ!

「こらこら・・・ウチの妹にセクハラすんな」

「・・・・わーったよ。」

「ひさ子・・・そろそろ帰るぞ。綾崎、邪魔したな。」

「お、おう・・・また明日な。岩沢さん、ひさ子」

半ば引きずるようにして岩沢さんはひさ子を連れて帰っていった。

「お兄ちゃん・・・送って行かなくて良いの?」

「ああ、誰だって知られたくないことはあるからな」

「?どういうこと?」

レナが分からないといった顔で俺を見上げる。

「岩沢さんも・・・特殊生だから」

「そう・・・なんだ」

俺とレナは黙って彼女たちの背中を見送っていた。

・・・何とかしてやりたい。

だから俺がやれることから順番にやっていく。・・・それで岩沢さんが救われるなら。

「マスター、足りない材料があるんですけど・・・手配してもらえます?」

俺は必要な物を2~3種類伝えた。

「・・・ああ、それなら明日までに届くようにしてやるよ」

「お願いします」

「それじゃあ二人とも。夕ご飯にするよ~」

制服のままエプロンを付けたレナはいそいそと夕食の準備を始めた。

 



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8話「あ~ん、コウ君ってば強引なんだから~」by唯

キーンコーンカーンコーン・・・

「唯、一緒に帰ろ」

「あ、和ちゃん。ごめん、私今日から部活なんだ~」

「そう・・・なら仕方ないわね。じゃあ、また明日」

「うん、バイバ~イ」

そんな会話を背に俺は教室掃除を始める。

せっせと床を掃いているときにトコトコと、唯が近づいてきた。

「・・・と、ゆー訳で一緒に帰れませんコウ君!」

・・・わざわざそれを言いに来たのかコイツは。

「分かったから行ってこい・・・」

「寂しくなったらいつでも電話してね~」

「はいはい・・・わーったから早く行け!」

箒の柄で唯の背中を押して教室から追い出した。

「あ~ん、コウ君ってば強引なんだから~」

・・・・何てことを言いながら唯は部室に向かっていった。

「・・・・・ったく」

「へぇ、あれがドジで天然な幼馴染みか?」

いつの間にかひさ子が俺の横に立っていた。

「・・・見てたのか?」

「まぁね・・・ふ~ん純粋で良い子そうじゃないか」

「そこは否定しない・・・」

あの純粋さは俺には眩しすぎるくらいだ。

「綾崎・・・前側のゴミ取り終わったぞ」

そう言って岩沢さんはちり取りを俺に渡した。

「お疲れさん、俺もすぐ終わらせるからちょっと待ってて」

「・・・分かった」

俺もさっさとゴミを取って掃除を終わらせる。

それから教室の端に置いてある荷物と、ロッカーと掃除用具入れの間に立て掛けてあったギターケースを肩に掛けた。

今朝唯にしつこく質問されたが適当にごまかしておいた。

「・・・じゃ、行くか」

互いにうなずいて軽音楽部の部室、音楽準備室に向かった。

 

「・・・綾崎、本当にここで合ってるのか?」

「そのはずなんだけど・・・」

音楽準備室からは全く練習とおぼしき音が聞こえてこない。

その代わり、紅茶の良いにおいが・・・。

とりあえず入らないと話にならないので不安を感じながら扉を開けた。

ガチャ・・・キィ・・・。

「失礼しまぁす・・・」

「ん~誰か来たぞ・・・・って、み、澪!ギター持った生徒が三人も来たぞ!!」

「律、さすがにそんなことあるわけ・・・って、ホントウダ!?」

「お、お茶お茶~」

「あれ?何でコウ君がいるの?」

俺たちの登場で、軽音部と思われる三人(唯を除く)は無駄に動転している様子だった。

「あの・・・入部希望なんですけど」

「と、とにかく座って座って。ほら唯!席空けろ!」

カチューシャが唯を反対側の席に移動させて、俺たちをその列の椅子に座らせる。

軽音部は相向かいの列に座った。

そして、金髪のおっとりとした女子生徒が人数分の紅茶を煎れて出してきた。

「どうぞ~ミルクと砂糖はお好みで」

「・・・どうも」

とりあえず全員紅茶を一口飲んで一息入れる。

軽音部をちらっと見たが、どうやら全員一年のようだ。

「・・・それじゃ、自己紹介からしよっかな。私は部長の田井中律」

なんだ、てっきり黒髪の方が部長かと思った。

「わ、私は・・・秋山・・・澪」

何とか秋山の名字は聞き取れたが、肝心の名前がだんだん小さくなって聞こえなくなった。

「ごめんな。澪は人見知りが凄いんだ」

カチューシャがフォローをしてきた。・・・名前は澪ね。

「私は琴吹 紬です。よろしくね」

「この紅茶とティーセットとお菓子はムギが持って来たんだぜ~」

・・・それって大丈夫なのか?つーか、このティーセット、絶対高いだろ。

「私は平沢唯って言います!」

「コイツは昨日入部したばっかでな。まだ音楽初心者だ。」

えっへんと胸を張る唯。・・・威張るなよ。

「・・・コレで全員?」

「そ、去年で最後の部員全員卒業しちゃってな。廃部寸前だったんだぞ?」

確か部の最低人数は四人だったはず・・・・うわぁ、めっちゃギリギリじゃねーか。

「じゃ、今度はこっちの番だな。俺は綾崎 紅騎。ギターをやってる。」

「・・・それだけか?」

「・・・他に何を言えと?」

「べっつにー・・・じゃあ、次は?」

そう言って田井中はひさ子の方を見た。

「ひさ子ってんだ。ギターをやってる・・・よろしく!」

「うん、よろしくな。じゃあ、最後は・・・」

「岩沢 まさみ・・・ギターだ。よろしく」

「う、うんよろしく・・・って、全員ギターなのか!?」

「・・・何か問題でもあるのか?」

「いやいやいや!!無いよ、むしろラッキーだよ!!」

・・・だったら良いんだけど。

「綾崎、そろそろ本題に入るけどいいかい?」

「ああ、分かった」

ここからひさ子にバトンタッチ。口が上手いのは昨日の岩沢さんの件でよく分かっている。だから任せた。

「へ?本題?」

「そ、本題だ。・・・そっちのベースとドラムって誰?」

「ドラムは私で、ベースは澪だけど・・・それがどうかしたのか?」

へぇ・・・コイツがベースか。

秋山はちょっと視線があっただけですぐにうつむいてしまう。・・・俺、何か悪いことしたかな?

「実は私たち・・・元々バンドを組んでてね。それで」

「なにいいいい!?私と澪を引き抜きに来たっだてぇぇぇぇ!!!??」

・・・人の話を最後まで聞け!カチューシャ!

「そっちの方が手っ取り早くて良いんだけどね・・・そうだと困るんだろ?ぶちょーさん」

「ま、まーな!私は高校は行ったら絶対軽音部に入るって決めてたんだからな!!」

・・・どうやら、思ってたよりは音楽に熱心なようだ。

「・・・だろ?だから私たちはあんたらと練習して、ベースとドラムは別で探そうって思ってるんだよ」

「ちょっと待てー!!つまり私たちは練習の道具ってことか!?」

やっぱり怒った。・・・まあ、誰だって怒るよな。

「んなコト言ってねーけど、そっちがそう思うんならそう受け取ってもらっても構わないけど?」

「だ、だったらアンタ達の演奏を見せてもらおうじゃないか!!そんな大口叩いて下手くそだったら・・・・」

「下手くそだったら?」

「あー・・・えっとぉ・・・な、何かしてやるかんな!!」

「だってさ・・・早いトコ準備しようぜ綾崎、岩沢!」

ひさ子に促されて、俺と岩沢さんも準備を始める。

岩沢さんのギターは現在進行形で修理中だから、今日は歌だけだ。

「ひさ子、お前もしかしてこうなるように話を進めたのか?」

ふと疑問に思ったので、聞いてみた。

「ふふふ、頭で分からせるよりも手っ取り早いだろ?」

いたずらっ子のような笑顔で返答してきた。

・・・ったく、しょうがねーなー。

チューニングをしてから、アンプにシールドをさして、ボリュームを調節する。

「じゃ、今日はリードがひさ子でリズムが俺ね。」

言うまでもないがとりあえず確認のために聞いておいた。

二人はもちろんと言ったような感じでうなずく。

「よし、始めるか」

俺たちは岩沢さんを真ん中にして逆三角形の配置で並ぶ。

何てことはない、そっちの方が互いにアイコンタクトが取りやすいからだ。

「ワン・ツー・スリー・・・」

まずはひさ子のリードギターで始める。それから俺のパートを重ねていって、最後に岩沢さんが歌い始めた。

初めてすぐに、部屋の空気は俺たちが握っているのを感じた。

・・・そういえば岩沢さんの歌を聴くの久しぶりだな。

「この大空に~翼を広げ~飛んでいきたいよ~♪」

やっぱり上手いな。今はギターだけだが、コレにリズム隊が加わったら俺たちはどこまで行けるんだろ?

そう思うだけで、全身に力がみなぎってくる。形容しがたい何かが俺を身震いさせる。

・・・ああ、合わせるってこんなに楽しいんだ。

ひさ子を見る。俺の視線に気づくと、不敵な笑みでどんどん自分のパートをかっ飛ばしていく。

岩沢さんを見る。彼女は前翼をくださいはカラスだと言っていた。

確かに、コレは岩沢さんでしか歌えない翼をくださいだ。

この歌はたかだか2~3分の短い歌だ。

だけど、確実に軽音部の奴らを納得させるには十分だろう。

 

予想通り、演奏が終わってもしばらく沈黙が続いた。

 

 

「それじゃあ、明日からよろしく。じゃあな、唯。」

「うんバイバ~イ、コウ君。」

入部届を書いた後、アイツらは帰って行った。

私はアイツらの書いた入部届をぼーっと眺めながら、もう一度あの演奏を思い出していた。

とても私たちと同年代とは思えないほど、上手かった。・・・それはもう残酷なほど。

同じ土俵に最初から立たせてもらえないと、言葉で言われるよりもストレートに感じた。

・・・けど、コレはチャンスだ。あんなにレベルの高い奴らと一緒に演奏できるなら私たちはどんなに上手くなれるのだろうか。

そう考えただけでわくわくしてきた。

私は思いきり椅子から立ち上がった。

「よーし!また部員が増えたぞ!!」

「・・・けど律。本当に良いのか?」

「なにが?」

「さっきの人たち・・・本気で音楽の道を極めようとしてる。微妙な温度差で空中分解ってコトもあるかもしれない・・・」

「そんなことは私がさせないぜ!」

「おぉぉかっこいい、りっちゃん!!」

「へへへ~何たって部長でございますから!」

「・・・そう言えば、唯はどんな楽器をやりたいんだ?」

・・・ああ、そういえばそうだな。

「あ!そうだった。私音楽やるんだっけ!!」

「・・・忘れてたんかい」

「そうだ。せっかくだからギターやってみればどうだ?」

「ぎたー?・・・私が?」

「良いじゃん。やってみれば?」

そうと決まれば話は早い。早速楽器屋に行こう。

 

私たちの音楽のために。

 

 

 

「・・・綾崎、エレキってこんなに種類があったのか?」

「まあな・・・」

学校を出た後、俺と岩沢さんで楽器屋に来ている。ひさ子は用事があるらしく先に帰った。

どうやら岩沢さんはエレキの虜になってしまったらしい。

楽器屋に入るなり、一目散にエレキが置いてある場所に向かっていった。

「俺はストラトキャスターがベストだと思うんだが・・・」

「昨日私が弾いたヤツだな?」

「そうそう・・・あ、すみませーん!試奏しても良いですか?」

「あ、またいらしたんですね?どうぞうどうぞ・・・楽しみにしてますよ」

・・・やっぱり覚えてたか。まあ、こっちとしては好都合だけど。

「じゃあ、そうだな・・・岩沢さん、気に入ったギター見つけた?」

「あ、ああ・・・これなんだけど」

岩沢さんが指さしたのは、フェンダー・ムスタング。

「綾崎が使ってるから、ちょっと気になってて・・・」

・・・まあ、良いけど。

多少癖があるからどうかと思うけど、そこら辺は個人差だからあえて言わないでおこう。

「じゃあ、弾いてみる?」

「ああ・・・」

試奏だから特に二人で何かを弾こうとはしない。俺たちは別々の曲を弾き始めた。

「お~いっぱい種類あるね!」

「唯は手が小さいからコイツが良いんじゃないか?」

「おぉぉぉ!澪ちゃんコレ何!?」

「ツインネック・・・それは、止めておいた方が・・・」

・・・聞き慣れた声が聞こえるのだが。

つーか出来れば今日は会いたくないんだが・・・。あんな空気だったし。

「あれ?綾崎と岩沢じゃん、何やってんの?」

「ちょいと、岩沢さんのギター選び」

「ふーん・・・あれ?そういや何で岩沢はギター持ってないのにギターやってるって言ったんだ?」

「ちょっと事情があってね・・・修理に出してるんだ」

「へ~・・・あれ?じゃあ、なんで楽器屋に?」

「修理に出してるのは・・・アコギだから。・・・それに、エレキもおもしろいかなって」

「・・・で、お前らは何やってるんだ?」

「ん?・・・ああ、唯のギターを見に来たんだ」

・・・へ?唯がギター?

「・・・大丈夫なのか?」

「・・・さあね。まあ、本日よりギター奏者が三人も入ったことだし~い?」

つまり俺たちが唯に教える羽目になるんだろうな・・・、しかも幼馴染みとか何とか言って俺に押しつけられる予感が・・・。

「綾崎・・・お前の幼馴染みだろ。世話は任せた」

・・・ほらやっぱり。

「・・・俺の出来る範囲でな」

「じゃあ、さっそく唯のギター選び手伝ってくれ!」

田井中に引っ張られるがまま、俺は唯がギターコーナーでう~んとうなってる所に連れてこられた。

「唯、何か気に入ったギターあったか?」

「あ~コウ君~・・・やっほ~」

唯はちょこっとこっちに顔を向けただけで、すぐある一点に視線を固定させた。

ギブソン、レス・ポール。女子が扱うにはかなり癖がある。

「可愛い・・・」

・・・やっぱり。

「気に入ったのは分かったが、良く値札を見てみろ唯・・・」

「ご、五十万円・・・!?」

・・・高いな。

「こ、こっちならどうだ?これなら五万だし・・・」

「う~ん・・・」

田井中達があの手この手で唯の説得に試みるが、いっこうに心を動かす気配がない。

「・・・そうだ、ならバイトをすればいい!」

秋山がそう提案してきた。

「・・・バイト?」

「そう、バイトだ。」

「・・・そうだね。私、頑張ってお金稼ぐよ!」

・・・単純だな。相変わらず。

「よ~し、じゃあ早速本屋に直行だー!!」

「「おー!」」

俺と岩沢さんを除く四人はバタバタと楽器屋を去っていった。

「綾崎・・・私そろそろ帰る」

「ああ、また明日。・・・ギター、何か見つかったか?」

「いや・・・何も。強いて言うなら綾崎の家で弾いたギター・・・」

「あのストラトキャスターか?」

「まあ・・・な。無理なのは分かってるけど」

・・・あとでちょっとマスターに言ってみるか。

「じゃあ、俺も帰るな」

 



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9話「・・・そうだ、夕飯食ってくか?」by紅騎

「・・・よし、何とか完成だな」

次の日の土曜日、一日がかりでやっとギターが完成した。

「本当か、綾崎?」

この日は岩沢さんも来ていた。

理由を聞いたら「暇だから・・・」だって。そうですかい・・・。

「じゃあ、試しに弾いてみる?」

ストラップを付けて岩沢さんに渡す。

数回ストロークした後いくつかコードを弾く。

「・・・うん、なかなか良い感じだ」

気に入ってもらえたようだ。

「ありがとう、綾崎・・・!」

今まで見たことのない笑顔でお礼を言われた。

初めて見た岩沢さんの笑顔にちょっとくらっと来た。・・・なんか変なところで可愛いなこの人。

「あ、そうだ。修理代・・・」

いらないって言ったら怒りそうだしな・・・この人。「特別扱いなんてするな!」なんて言って。

「いらないって言ったら怒る?」

「・・・・・・」

はい、怒るんですね。・・・ゴメンナサイ。

本当のコト言うと一からほとんど作り直したから結構な値段になる。・・・それこそ一学生が簡単には払えないくらいに。

「・・・このくらいになる」

俺は作っておいた明細書を岩沢さんに見せた。ざっと言うと1×10の5乗くらい。

「・・・小分けにして払うのは駄目か?」

「本当は断るところだけど、同じバンドメンバーとしてこれくらいは・・・ね」

「・・・助かる」

結局全額払うき満々なんだな・・・。まあ、良いけど。

時計を見てみると午後の六時を回っていた。

「・・・そうだ、夕飯食ってくか?」

「お前の家族に悪いだろ・・・他人が同じ食卓にいるなんて」

「あ~・・・その、その家族は今日外で食ってくって連絡が先ほどあったのですが・・・」

マスターは知り合いと飲みに行くとか言って夕方くらいから出かけていった。

レナは、土日の間友達の家でお泊まり会だそうだ。

「・・・分かった。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらう」

・・・さて、何作るか。

冷蔵庫、チェック・・・ピーマン・トマト・牛乳・鶏肉を確認。

よし、大体のメニューは決まった。

まずは、水を張った鍋を火に掛けた。

次に鶏肉を一口大に切ってから油を引いて焼く、塩コショウを忘れずに。

まんべんなく火が通ったらトマトをさいの目切り、ピーマンを半月(?)切りにして鶏肉と一緒に炒める。

鍋が沸騰し始めたら塩を適量入れてパスタを二人前ぶち込む。

そして炒めたフライパンにだし汁(自家製)を浸すくらいに入れて煮込む。

十分柔らかくなったら牛乳を入れて弱火でさらに煮込む。

 

待つこと十数分。

 

パスタがゆであがったので水を切ってから先に皿に盛る。

それから煮込んだ方のスープだけ皿に入れて麺と絡める。盛りつけをして完成。

何てことはないただのスープパスタだ。

最後にパンを切って岩沢さんの待つテーブルに持って行った。

「お待たせ~・・・はい」

「・・・イタリアン?」

「丁度パスタがあったからね。・・・ほら覚めないうちに食べよう。いただきます」

「いただきます・・・」

パスタを一口・・・うん、一応人様には食べさせられる味にはなってるな。

「綾崎・・・」

「ん?何?・・・味が合わなかったかな?」

「美味いな・・・これ」

真顔で言われると逆に照れる・・・。

「そ、そりゃどーも」

「特に出汁が良い味出してるな・・・綾崎が作ったのか?」

「一応・・・ね。あ、レシピは秘密だぞ~」

俺は冗談交じりで言った。

「そうか・・・じゃあ、また作ってくれるか?」

「!?・・・な、何言って」

「クス・・・冗談だよ」

・・・やられた。

けど俺は「そうか・・・」のところで少し残念そうな顔を一瞬見せたのをしっかり見ていた。

案外顔に出やすいんだな・・・岩沢さん。

 

 

岩沢さんの提案・・・というより強情さに負けて食器は岩沢さんが洗ってくれた。

その間に電気ポットで湯を沸かして紅茶を煎れた(茶葉で)

「綾崎、私のギター・・・預かっててくれないか?」

お茶を一口飲んだ後突然そう言ってきた。

「・・・また、壊されるかも知れないから?」

「・・・・」

岩沢さんは黙ったまま首だけを縦に振った。

「別に良いけど、これから毎日部活で使うんだぞ?」

「取りに行く・・・毎日」

そうか・・・毎日取りに来るのか。

「・・・って毎日!?」

「・・・?当然だろ?」

「それだと毎日一緒に登校することになるんだけど・・・」

「当たり前だろ・・・一緒の学校なんだし。それとも何か不都合があるのか?」

いや、一緒に登校する時点で問題がある気がするんですが!!

・・・なぜ分からない!?天然か?天然なのかこの人も!?

「・・・駄目か?」

捨てられた子犬のような目で訴えないでくれ!もう、なんか言いようのない罪悪感が・・・。

「・・・分かったよ」

「ほ、本当か!?」

・・・これが犬だったら尻尾を全力で振ってるんだろうな。

気のせいだろうか・・・本当に尻尾と耳が見えてきた気がする。

 

夕食を食べ終わって、さすがに夜遅いこともあり岩沢さんを送っていくことにした。

「岩沢さんってどこに住んでるの?」

「電車で二駅くらい行ったトコ」

「ふ~ん・・・」

近いような遠いような微妙な距離だな。

「送ってくれるのは駅まででいいから・・・降りる駅からもさほど遠くないし」

「分かった」

俺の家から駅まで大体十五分くらいだな。

「岩沢さんはずっとここら辺に住んでるの?」

「引っ越しはしたけど、場所的にはあんまり変わらない・・・かな?」

「ふ~ん・・・」

「綾崎が音楽を始めたきっかけって何?」

「・・・親父・・・かな?ああ、親父って言っても本当の親父な」

「父親?」

「昔・・・ミュージシャンだったんだよ。親父」

「ミュージシャン・・・」

「ガキの頃から音楽が身近にあってさ、必然的だったんだよ・・・たぶん」

「それで・・・か」

「本格的に音楽にのめり込んだのは今の親父に会ったときだよ。・・・物心ついたときからあのライブハウスに通ってたよ」

「羨ましいな・・・その環境は」

「確かに幸せだったよ・・・あのころは」

「・・・今はどうだ?幸せか?」

「・・・・・・」

ちょっと考えてみる・・・小学生時代、中学生時代、そして今。

「幸せでもあるけど・・・ちょっと怖い。今の幸せが」

「また不幸にならないか・・・って?」

「ああ・・・」

それから俺たちは一切言葉を交わさずに駅に向かった。

 



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10話「ま、ともあれアレはお前の身内のギターだ。好きにしろ」byマスター

翌日の日曜日、マスターと朝食を食べているときに、前々から考えていたことを聞いてみた。

「マスター・・・あのギターってマスターのですか?」

例のストラトキャスターを指さして俺は聞いた。自分でもアホな質問だって思う。

マスターの店にあるんだからマスターのに決まってるじゃないか。

「・・・・いや、あれはお前のだけど?」

予想しない答えが返ってきた・・・・え?俺の?

「俺のって・・・どういうことですか?」

「正確にはお前の母親、紅音(あかね)のギターだ」

さらに俺の予想の斜め上を行く事実が発覚した。

「俺の母親・・・ギタリストだったんですか?」 

「ああ、アイツはどっちかというと天才肌だったな。大騎(ひろき)の努力家タイプと正反対だったよ・・・けどそれもあって惹かれ合ったんだろな。」 

大騎・・・俺の元父親の名前だ。

・・・俺の知らない、親父の過去。

「・・・だが、もともと心臓が悪かったらしくな。妊娠したときもだいぶ医者とかに反対されたみたいだ。」

そうか・・・やっぱり無理をして俺を生んだのか。

「けど人一倍頑固だった紅音は結局お前を出産。アイツが死んじまってバンドは解散。」

「・・・バンド組んでたんですか?」

「まあな。高校の部活をきっかけに俺、紅音、大騎、その他に2~3人で活動してた。・・・まあ、昔のことだ」

マスターはみそ汁の最後の一口をズズズと飲んでから食器を片付けた。

「ま、ともあれアレはお前の身内のギターだ。好きにしろ」

そう言ってマスターは二階に上がっていった。

よし、じゃあ早速二人を呼んで練習かメンバー探しを始めるか。

 

 

「お、来た来た・・・お~い!綾崎ぃ~!!」

ファミレスに入るなりひさ子の声が店内に響いた。当人は全く気にしていない様子。多々出さえひさ子は目だつ。岩沢さんが揃えばさらに・・・。

・・・くそ、恥ずかしい。

俺は小走りでひさ子と岩沢さんが待つ席に向かった。

なぜ俺の家じゃなくファミレスに集合になったかというと、今日はスタジオの予約がいっぱいで使えそうになかったからだ。

だから他のトコのスタジオで練習しよう・・・となり、まずはファミレス集合・・・となったわけだ。

「綾崎・・・私のギター持ってきてくれたか?」

「ふっふっふ・・・それなんだけ、どっ・・・と」

テーブルの上に例のギターケースを置いた。

「これ・・・私のギターケースじゃない」

「まあ、開けてみなって」

岩沢さんは頭の上に?を浮かべつつも、ケースのジッパーを開けていった。

「・・・!、綾崎・・・これって」

「そ、あのギターだ」

「これ・・・あの店長のじゃなかったのか?」

「実は・・・俺の死んだ母親が使ってたギターだったんだ」

「綾崎の・・・母親?」

「そ、今朝それが明らかになってね。どうせなら岩沢さんに使って欲しいし・・・だから持ってきた」

「そんな大事な物・・・私は受け取れない」

「・・・大事な物だからこそなんだけどな」

ギターは楽器だ。大切な物ならなおさら使ってやらないと元々の所有者が悲しむ。

「だったら綾崎が使えばいい・・・」

「俺にはもう・・・大切なギターがあるから」

母親のギターも大切だけど俺には少しの間だったけど親友でいてくれた友人のギターがある。

それに顔も知らない母親に向き合う心の準備とかが俺にはまだ出来ていない。

「・・・だから、しばらくの間使っていてくれないか?」

「そこまで言うなら・・・まあ、使ってやらなくもない」

・・・なんか、お決まりの台詞を聞いた気がする。

「岩沢のツンデレなんて初めて見たぞ、いや~お姉さん嬉しいな~」

「・・・・ひさ子」

ギン!と岩沢さんがひさ子を一睨みきかせた。

「・・・・ゴメンササイ」

「・・・で、練習はどこでやるんだ?」

「それなんだよ!なんか今日はどこのスタジオもいっぱいでよ。全然予約とれねえんだよ!」

・・・それは困った。どれじゃ練習なんて出来るわけがない。

「・・・学校は?」

「学校ね・・・大丈夫かな?私服だけど」

詳しい校則は覚えてないけど、どこの学校でも私服はマズイ気がする・・・。

「大丈夫なんじゃねーの?日曜なんて運動部ぐらいしかいないし」

「まあ、それしか・・・無いか」

今更着替えるのも面倒だし・・・いっか、学校でやれば。

俺たちはそのまま学校に行くことにした。

 

そして、ひさ子の思惑通り日曜の学校は運動部しかいなかった。

無論部室に行くまで一人の教師に会うこともなかった。

「・・・さて、何からやるか」

「ひさ子、綾崎、曲・・・作ってみたんだけど。」

「え!?もう出来たのか?」

「さすが岩沢!見せて~」

ひさ子の横から譜面を覗いてみた。曲名は”crow song”というらしい。

アップテンポで乗りが良く、かつ歌詞も影を潜めないほど印象に残る物になっている。

「一回弾いて見せてよ。ちょうど新しいギターもあることだし」

「・・・分かった」

岩沢さんは譜面代に楽譜を置いてから、準備を整えた。

~~~~~♪

イントロからリズミカルかつ、大胆に岩沢さんは音を繋いでいく。

「背後にはシャッターの壁~♪」

”翼をください”みたいなバラード調も良いけど、こういうロックもいけるんだな。岩沢さんは。

「どうした綾崎ぃ~ぼーっと岩沢を見ちゃって。・・・もしかして惚れた?」

「・・・ああ、確かに周りを魅了するよ。あの歌声は」

「そう言う意味じゃないんだけどね・・・」

「じゃあ、どういう意味だ?」

「べっつに~」

・・・なぜそこで不機嫌になるんだよ。

まあ、いいや。ひさ子は無視して今は岩沢さんの歌に集中しよう。

「find way ここから~♪」

へぇ・・・思い切りの良い転調だな。・・・この妙な間に本当はコーラスを入れるんだな。

・・・ああ、早くリズム隊が欲しい。

 

 

 

 



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11話「大丈夫だよ!私頑張るから!」by唯

「それじゃ、また明日な綾崎~」

「おう、じゃあな~」

岩沢さんとひさ子はこれからバイトらしい。

「綾崎、ギター頼んだぞ」

「分かってるって、じゃあ、また明日」

「ああ、またな・・・綾崎」

俺たちは校門で別れた。

さっきメールで見たけど、レナはもう帰ってきているらしい。

「・・・・さて、帰るか」

しばらく歩いていると、見慣れた後ろ姿が見えた。

「お~い、唯~何やってんだ?」

「あ、コウ君~!・・・えっとね、今バイトが終わったトコなんだ~」

・・・そういや、バイトするって言ってたな。五十万のギターのために。

「ちなみに聞くけど、何のバイト?」

「車を数えるバイトだよ~カチカチカチって」

そう言ってカウンターを押す仕草をして見せた。・・・ああ、交通量調査ね。

「ちなみにどれくらいもらったんだ?」

「土日で八千円くらいかな?」

「・・・・・・」

どう考えても無理だろ・・・それ。

「大丈夫だよ!私頑張るから!」

そんなこと言われたら応援するしかないじゃないか・・・。

「・・・頑張れよ」

「うん!」

一応俺たちも軽音部なんだから手伝わないといけないんだろうな・・・そもそも、練習が出来ないからな。

「平日もバイトするのか?」

「そのつもりだよ~」

「じゃあ、明日から俺たちも手伝うよ」

「え?本当?」

まだ二人に了承は取っていないが、ここは副部長権限てことで。

「もちろん」

「ありがとう!コウ君!」

「どういたしまして・・・っと、じゃあ、俺こっちだから。じゃあな、唯」

「うん、バイバイコウ君!」

 

 

「・・・と、ゆーわけで今日から三人が参加することになりました!」

翌日の放課後、俺、岩沢さん、ひさ子も唯達のバイトを手伝うことにした。

まあ、ほとんど俺が強引に誘ったんだけども。

・・・そうもしないと、早く練習が出来そうにないからな。そう言ったら、渋々と言って様子で参加すると言ってくれた。

・・・ウチの幼馴染みがご迷惑おかけします。

「じゃあ、唯、紅騎、岩沢、ひさ子のグループでローテーション組んでな~」

さも当然のように部長は、バンドメンバーから唯を外そうとした。イジメ、ダメ、ゼッタイ。

「ちょっと待て田井中。何で唯が入ってるんだ?」

「ふふん、そっちの方が唯のモチベーションが上がるからな!」

・・・意味分かんねえ。

「よろしくお願いしますコウ君!」

「・・・はいはい」

「じゃあ、早速くじで決めようぜ!」

「それは良いけどひさ子、何で手際よく割り箸を持ってるんだ?」

「気にしない気にしない!ほら、さっさと引く!ちなみに赤色が後、青色が先な」

ひさ子の合図で一斉にくじを引く。

俺の割り箸の先端は赤色だ。

岩沢さんが青、唯が青、ひさ子が赤。

「決まったな。じゃあ、唯と岩沢行ってらっしゃい!」

「ああ、・・・じゃあ行くか」

「あ~コウ君~」

唯は思いっきり残念がりながら仕事場に向かっていった。

・・・本当にモチベーションが上がるのか?

「ふふふ・・・狙ったとおり」

・・・ん?聞き捨てならない言葉が聞こえたぞ?

「ひさ子・・・お前・・・まさか」

「私が用意した割り箸を私に持たせたらだめだぞ☆」

「・・・おい」

完全にいかさまじゃないか。まったく・・・あれ?

「じゃあ、なんで岩沢さんと組まなかったんだ?」

「分かってねーなー。あの組み合わせのおもしろさが」

「・・・確かに珍しい組み合わせだと思うけど。あれのどこがおもしろいんだ?」

「ひ・み・つ♪」

わざとらしく人差し指を口に当て、ウインクをしてきた。

「はいはい・・・じゃあ、どっかで時間潰してるか」

「はぁ?何言ってんだ綾崎!隠れて二人の会話を聞くに決まってるだろ!」

さも当たり前のようにそんなことを言い放つ。

「・・・嫌といったら?」

「そうだな・・・私が綾崎にべったりくっついて、世間に誤解を振りまくってのはどうだ?」

「・・・分かったよ」

そんなことをされたら明日から変な噂が学校中に広まるのは目に見えている。

従うしか無いのか・・・。

「ほら、早く行くぞ綾崎!」

「はいはい・・・」

 

気配を悟られないようにこっそりと俺たちは垣根の後ろに隠れた。

丁度真正面に唯と岩沢さんがいる。

「まさみちゃんはどこに住んでるの~?」

意外と近いところから聞こえてくる会話に少し、どきりとする。

「電車で二駅離れたところ・・・」

「へ~・・・じゃあ、ムギちゃんと同じ電車だね~」

「ムギちゃん?」

「あ、ムギちゃんは軽音部でいっつもお茶とお菓子をくれる子だよ」

「ああ・・・あいつか。・・・で、平沢は?」

「私?・・・何が?」

「・・・住んでる場所」

「私はコウ君の家の近くに住んでるんだよ~」

「ふ~ん・・・じゃあ、結構学校から近いんだ」

「あれ?まさみちゃんコウ君の家の場所知ってるんだ」

「・・・まあね」

何のおかしいところもないただの会話だ。・・・コレのどこがおもしろいんだ?

「なあ、ひさ子・・・これのどこがおもしろいんだ?」

「し!静かに・・・私の勘ならそろそろ始まる」

「始まるって・・・何が?」

「ふっふっふ・・・こ・い・ば・な」

「こいばな?」

「ガールズトーク・・・」

ガールズトークね・・・確かにこの二人で女子らしい会話をする所なんて滅多に見られない・・・と思う。

「平沢は綾崎と幼馴染みなんだってね?」

「うん、一応小学校から一緒だよ~」

始まった・・・のか?

ひさ子に視線を送ると、楽しそうな顔でうなずいてきた。

始まったみたいだ。

・・・つーか、俺の話をしてるのに何でガールズトークになるんだよ!?意味分かんねーよ!

「・・・一応?」

「うん、コウ君ね・・・小学校の卒業式の日に引っ越ししちゃったんだ」

「じゃあ、三年越しの再会か・・・」

「うん、最初は分からなかったよ。すっごく変わってたんだもん!」

「そんなに変わってたの?」

「うん!背は私より大きくなってるし、声が変わってたし・・・・怖かったし」

最後の言葉はかなり弱々しく発せられた。

同時に俺の心にも少し突き刺さる物があった。

・・・そうか、怖がらせてたんだ。

「また会えて嬉しかった気持ちもあったんだけど・・・あんなに変わっちゃったコウ君がちょっと怖かった」

「確かに色々ありすぎたからな・・・変わるのも当たり前か」

「まさみちゃん・・・知ってるの?コウ君の昔の話」

「ああ、聞いててあまり良い気持ちはしないな・・・あの内容は」

「うん・・・」

「綾崎・・・そろそろ交代の時間が近づいてる・・・」

ひさ子が後ろからちょんちょんと背中をつついてきた。

「・・・分かった」

どう聞いてもガールズトークじゃねえだろ・・・。

「よし・・・後はゆっくりお話ししようじゃないか」

何がよしなのか分からないが、ひさ子はとても楽しそうに笑っていた・・・なんで?

 

「さて・・・何から聞こっかな~」

唯達と交代して、持ち場の椅子に座った直後、早速ひさ子が口を開いた。

「別に・・・話すことは何もないぞ?」

「じゃあまずわぁ・・・岩沢と平沢、選ぶならどっち?」

「・・・意味が分からない。なんでいきなり二人の名前が出てくるんだ?」

それに選ぶって・・・何をだ。

「じゃあ、岩沢をどう思う?」

「凄い人、音楽にかなり熱心な人、時々可愛い。・・・以上」

「ふ~ん・・・で、平沢は?」

「天然、ドジ、優柔不断、ただし俺の大切な幼馴染み・・・以上」

「そんな恥ずかしいこと、良く淡々と言えるな」

「別に、恥ずかしくも何ともねーよ。ちなみにひさ子は、強運、策士、好奇心旺盛、猫みたいで可愛いだけど?」

「ほ、本人を目の前にして良くそんな冗談言えるな・・・」

「・・・・?冗談に聞こえたか?」

「・・・特に最後の方」

「いや、絶対お前猫っぽいって。・・・そうだ、試しにニャ~って言ってみろよ」

「・・・に、ニャァ・・」

言うだけで良かったのに、ご丁寧に仕草までつけてきた。

まあ、いいや。バッチリムービーで保存したし。・・・意味無いけど。いや、意味はあるか。可愛かったし。

「・・・マジでやるんだ・・・」

「お、お前がやれって言ったんだろ!?」

「悪い悪い・・・けど、やっぱ可愛かったぞ?」

「も、・・・・もう知るか!!」

やっぱり怒ったか・・・いつぞやの仕返しのつもりでやったんだけど。

・・・意外とおもしろいな、ひさ子イジり。

今度いじられたら、忘れたくらいにまたイジり返してやろう。

 

それから俺たちは毎日バイトを続けた。収入は一人三千円だから五日間で十万五千円。

これを約一ヶ月間繰り返せば目標金額に追いつく。

・・・そのはずだった。

「やっぱり自分のお金は自分で使って~」

平日が終わろうとする金曜日に唯がそんなことを言ってきた。

「何言ってるんだよ唯!それじゃいつまで経ってもギター買えないぞ!?」

「りっちゃんそれなんだけどね・・・やっぱり違うギターにしようと思うんだ」

「唯がそう言うなら俺は反対しないけど・・・本当にそれで良いのか?」

「うん・・・これ以上みんなに迷惑掛けられないし。」

「そうか・・・分かった。じゃあ、明日にでも買いに行ってこい」

「・・・コウ君は着いてきてくれないの?」

「悪いな。今週は店が忙しくて抜け出せそうにないんだ。代わりを頼めるかな?ひさ子、岩沢さん」

再び副部長権限発動。

「・・・別に良いけど」

「そう言うコトじゃ仕方ないなー」

二人とも再び渋々と言った様子で了承してくれた。・・・度々ご迷惑おかけします。

「と、言うわけで唯の付き添い頼んだぞ。部長」

「わ、わーったよ・・・それじゃ、今日は解散なー」

田井中の言葉で、みんなそれぞれの家路についていった。

俺と唯も自分の家の方に向かって歩き始めた。

「ごめんね・・・コウ君」

「・・・なぜ謝る?」

「だって、いっぱい迷惑掛けちゃったし・・・」

「今に始まったコトじゃねーよ」

「ひ、ひどいよコウ君・・・」

気づいたら俺は唯の頭を撫でていた。無意識中に。

「ギター・・・みっちりしごいてやるから覚悟しとけよ?」

「う、うん・・・」

「おーい!そこのバカップルー!!」

後ろから聞き覚えのない声が響いた。

振り返ると自転車に乗った青髪の男が手を振りながら接近していた。

よく見ると荷台に音無がいる。

「・・・・誰?」

「日向だよ!日向!同じクラスだろ!?」

「そうだったけ・・・音無?つーかなんで荷台に載ってるんだ?」

「こっちが聞きてーよ・・・」

ドドドドドドドド・・・

どこからともなく何かの足音のような物が聞こえてきた。

すると、日向達の背後に砂煙が見え始めた。

「や、ヤベェ!来たぞ音無!頼む綾崎、あっちに行ったって言ってくれ!・・・それじゃな!バカップル!」

「ひ、日向!いきなりこぎ始めるなって!」

そう言って日向達はあっという間に見えない距離まで行ってしまった。

「な、何だったんだ・・・?」

あっちに行ったって・・・何に追われているんだろう?もし、柄の悪い連中だったら、言うとおりにしてやらなくも無い。

「アンタ達!!」

また背後から呼び止められた。今度は頭にリボンを付けた紫色の髪の女の子が息を切らしていた。

「な・・・なに?」

「さっき自転車に乗ったアホ二人が通らなかった!?」

アホ二人・・・って、アイツらのことで良いんだろうか?

「それって、青髪と赤髪?」

「そうよ!!知ってんなら早く教えなさいよ!!」

「この道を真っ直ぐ行っt・・・」

反射的に日向達が逃げた方向を指さしてしまった。・・・まあ、良いよな。柄の悪い男達じゃないし。

「ありがと!」

最後まで聞かずに女の子は日向達よりも目に見えて早いスピードで走り去っていった。

「コウ君・・・今のは知り合いの人?」

「自転車の赤髪は知ってるけど、他は初対面だ」

「ふーん・・・」

俺がついさっき行った裏切りを唯は気にする様子も無く、返事も素っ気ない。

「そんなことより早く帰ろうか?」

「うん、そだね~」

恐るべし、天然パワー・・・。

遙か彼方で男二人の断末魔がこだましているような気がするけど、気にしないことにした。

 



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12話「「琴吹だ」」byひさ子&岩沢

「おい、起きろレナ。」

「う~・・・あと十分~」

「なら仕方ない、明日の弁当は日の丸弁当に・・・」

「ごめんなさい、起きます」

最近やっとレナの起こし方のこつを掴んだ気がする。弁当で釣るだけなんだけど。

「おら、霧吹きで顔を濡らしたくなかったら顔洗ってこい」

「お兄ちゃん厳しいよ・・・」

ぶつぶつ言いながらレナは洗面所に歩いていった。

それを見送ってから朝食をテーブルに並べていく。

「いつもながらバリエーションあるな。お前の料理は。」

感心した様子でマスターは自分の椅子に座った。

「全く、どこかの口うるさい娘にも見習って欲しいな」

「口うるさい娘で悪かったわね」

「さ、早く食べてしまおうかみなさん!」

そう言ってマスターは手を付け始めた。やっぱり娘には弱いんだな・・・。

 

「あれ?なんで二つギターケース持ってるの?」

登校の準備が終わって降りてきたレナが不思議そうに尋ねてきた。

「昨日言っただろ?岩沢さんのギターだよ。」

「あ、そうだった。」

思い出したようにレナは手を打った。

 

「おっす~綾崎。迎えに来てやったぞ~」

ちょうど来たみたいだ。

「朝からテンション高いな。ひさ子。」

「これくらい普通だろ?ほら、さっさと行こうぜ。」

「ひさ子、別にそんなに急がなくても・・・」

「昨日から楽しみにしてたクセして随分と淡泊な反応だな、岩沢?」

ひさ子は意味ありげな視線を岩沢さんに送る。それを受けた彼女は、ばつの悪そうな顔をした。

「別に楽しみにしてたわけじゃ・・・。」

「そりゃ、部活がバイトで一週間も潰れたらウズウズするだろ。」

「ちっちっち、そう言う意味じゃないのだよ綾崎クン。」

だったら、どういう意味だと言うのだろうか。

「早く行くぞ、綾崎。」

非常に気になるところだが、俺からギターを受け取った岩沢さんはさっさと外に出てしまった。聞くタイミングを逃してしまった。

「あ、待てって岩沢~。ほら、綾崎も早く!」

「あ、ああ。それじゃ行ってきます。」

「行ってきまーす」

レナも後を追うようにして着いてきた。

 

「ひさ子さんと岩沢さんって、どんな風に知り合ったんですか?」

登校中、レナがそんなことを二人に聞いた。俺もちょっと知りたい。

「出会いつってもそんな大それた事無いよ。ギター弾いてる岩沢を見て私がバンドを組もうって誘った。それだけだよ。」

岩沢さんも同意を示すように首を縦に振った。

「お~い、コウ君~!」

ギターを背負った唯が小走りで寄ってきた。ちょっと遅れて憂も追いついてきた。

「お前も朝からテンション高いな。」

まあ、コイツの場合は原因は分かってるけど。

「そりゃもう、今日からギー太と部活ですから!」

ぎいた?なんだそりゃ。憂にそっと聞いてみた。

「お姉ちゃんのギターの名前です。すっごく気に入ったみたいで・・・。」

「で、結局何のギターにしたんだ?」

「えっと、ぎぶそんれすぽおる・・・だっけ?」

は?まさかあのレス・ポールか?

「ひさ子、岩沢さん、どういう事だ?」

「「琴吹だ」」

二人は口をそろえてそう言ったきり何も教えてくれなかった。

その理由は放課後本人の口から直接教えてもらった。

 

「あの店。私の会社の系列なの~」

それで五万までまけさせたそうだ。田井中の話を羨ましがって。ちょっとその店に悪いことしたかも。

しかし罪悪感を覚えているのは俺ぐらいのようだ。

「・・・で、唯はなんで落ち込んでるんだ?」

「それが、律が唯のギターのフィルム剥がしちゃったんだ」

秋山が説明してくれた。

「ガキか、琴吹。唯に甘い物やっとけ」

「分かった。唯ちゃ~んケーキ食べる?」

「食べる!」

「「はや!!」」

・・・やれやれ。

唯のご機嫌が戻ったところで、早速ギターの練習をすることに。

「よし、まずはコードから覚えるか」

「了解です!」

「じゃあ、最初はCコードだな。二弦の1フレットと、4弦の2フレット、5弦の3フレットを抑えて1~5弦をストロークして。」

「?????」

唯は素性にいくつもの?マークを浮かべてフリーズしてしまった。

「紅騎、唯はまだ楽譜も読めないんだから・・・。」

「そう言えばそうだったな。」

田井中の言葉で気が付いた。・・・しょうがない。

「唯、ちょっとそこ座れ」

唯を椅子に座らせてからその背後に回る。

「いいか、ここがフレットでだいたい1~21まである。で、弦は太い方から6弦・4弦と数えていくんだ。」

「ふ~ん・・・」

「それで、俺が言ったCコードってのがこれ。」

俺が唯のギターのコードをおさえる。

「1弦から5弦までジャラ~ンってやってみな」

ジャラ~ン♪

「お~すごい!」

「よし、今度はお前の番な」

唯は少しぎこちない動きでコードを抑えた。

「・・・あれ?上手く音が出ないよ」

「もう少し強くコードを抑えた方が良いな」

「う、うん・・・よし」

ジャラ~ン♪

「やった~出来た!」

「よし、次は別のコードだ」

「え~・・・まだあるの~?」

「たかがコード一つで泣き言言うな!ほらどんどんやるぞ」

「コウ君・・・厳しいッス」

そんな言葉とは裏腹に、唯はどんどんコードを覚えていった。昔から物覚えは良いのだ。ただ集中が続かない。

 

しばらく練習すると、唯が紅茶コールをしてきた。仕方が無いのでここで、小休止することにした。

「ふ~・・・頭の中コードでいっぱいだよ~」

「綾崎、ちょっといいか?」

唯がテーブルへ向かうや否や、楽譜を持った岩沢さんがこちらに手招きをしてきた。

どうやら新曲を作っている最中らしい。

「ここのところがイマイチはまらないんだ」

岩沢さんが指摘しているのはイントロの部分とアウトロの部分だ。

「大事な第一曲目だから色々考えすぎて・・・」

だから他人の意見を聞きたいって訳か。とりあえず楽譜を覗いてみる。

一目見てロックってわかるほどアップテンポでノリの良い曲だ。・・・けど確かに違和感のような物がある。

「・・・コレは曲調じゃなくて音程の問題じゃないかもな。半音下げてみれば?」

「その手があったか・・・サンキュ、方向性が見えてきた。」

そして岩沢さんは再び曲作りに戻った。

俺もテーブルの方に座った。

「そう言えばそっちは曲作ったりとかしてるのか?」

なんとなしに秋山に聞いてみた。

「私は作詞しかできないからムギが曲を作ってる」

「琴吹が?」

「うん、ちょっと難しいけど楽しいわ~」

・・・一応やってるみたいだな。

~♪~♪~♪

いつの間にか唯が練習を再開していた。

「・・・あれ?Emってこれで合ってるっけ?」

「それはFだ。つーかなんで教えてないのに出来るんだよ。」

しかもよりによってFこーどを、だ。恐るべし天然パワー・・・。

本当に今日から始めたのかと疑ってしまうほど、唯の上達ぶりは凄い。

たぶんここにいる誰もが唯の成長に期待を抱いた。

・・・一週間後までは。

 

キ~ンコ~ンカ~ンコ~ン・・・。

「よし、そこまで。後ろの者は答案用紙を回収してくれ」

高校入って初の定期試験。なかなかのできだと思う。

「綾崎、テストどうだった?」

大きくのびをしてたら音無が聞いてきた。

「ん~・・・まずまずだな」

「そう言う奴ってだいたい点高いんだよな・・・」

「そう言う音無はどうなんだよ?」

「・・・まずまずだ」

「お前もかよ」

そんな会話をしながら唯の方をちらっと見る。・・・真っ白な灰になっていた。

 

そしてテスト返却日。主要5教科がある日なので全教科返ってきた。

その放課後。

「紅騎!テストどうだった?」

妙にテンションの高い田井中が食いついてきた。

「全教科満点・・・」

「嘘でしょ!?」

「うそじゃねーよ・・・ほれ」

「ほ、ホントだ・・・」

俺の答案用紙を見てかなり驚いている様子だ。

「そう言う田井中はどうだったんだ?」

「さ、300点・・・」

「3教科か?」

「5教科だよ!!悪かったな!」

なぜか逆ギレしてきた。まあ、ジャスト平均だから良かったじゃないか。

「そうだ、岩沢さんはどうだった?」

「綾崎と同じ」

「ひさ子は?」

「450」

「もー!何なんだよアンタ達は!!」

田井中は発狂しながら机に突っ伏した。

「そういや唯はどこにいった?」

周りを見渡すと、入り口付近で顔を引きつらせた唯が立っていた。

そして震える手で数学の答案用紙を取りだした。

「クラスで唯一赤点だそうです・・・」

ここで我が学校の追試制度を話そう。

私立高校ながら完全な文武両道を目指す桜が丘高校は、赤点を取った場合追試に受からなかったらその部の活動を一週間ほど停止させることになっている。

そこで我が部長は一週間後の追試に備えて唯の家で猛特訓をすることを決めた。

それに参加するのは田井中、秋山、琴吹の三人。俺を含めた三人はバイトや家の手伝いで協力は出来ない。

「秋山、くれぐれも唯を頼んだぞ。」

「分かった・・・出来るだけ頑張ってみるよ」

若干後ろ髪引かれる思いで俺は家に帰った。

 

 

 

 

そしてその日曜日、明日の追試に備えて今日は俺の家でみっちりと勉強することにした。

「・・・で、ここをAって置き換えてから因数分解するだろ。それからAを元に戻してやると」

「ホントだ!簡単にできる!」

「よし、次の問題は自力でやってみな」

「うん・・・できた!」

驚くほどの理解力の速さだ。やっぱりコイツの集中力は凄いな・・・。

ただ一つ危惧してるのはこれでせっかく覚えたコードを全て忘れてしまうことだ。

まあ、いいさ。コードはまた覚えれば良いんだし。

「よし、どんどんいくぞ」

「うん!」

 

 

 

そして追試テストの返却日。放課後の部室は妙な緊張感に包まれていた。

「唯・・・大丈夫かな?」

秋山が落ち着かない様子でそのときを待っている。

こっそり特訓をした身としては結構安心していたりもする。

ガチャ・・・。

「・・・・・・」

すると、放心状態の唯が部室に入ってきた。

「ゆ、唯・・・どうだった?」

「りっちゃん・・・どうしよう」

「ま、まさか・・・」

「私、百点取っちゃった・・・」

まさか百点を取るとは思わなかった。本当に極端だな・・・唯は。

「とりあえず、これでまたギターが弾けるな。」

「うん!みてて澪ちゃん。もうコードは完璧に覚えたから!」

そう言って弾いたコードは聞いたことのない変なコードだった。

「・・・あれ?Xってどんな音だっけ?」

「まさか、全部のコードを忘れた?」

「・・・えへへ~、そうみたい」

全員の口からため息が漏れた。

・・・本当に極端だな・・・唯は。

そして、唯のコードが元に戻るまでまた一週間かかった。

 



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13話「女の子と寝泊まりできるってことだな!!」by日向

「合宿をします!」

突然秋山がそう宣言した。

「突然どうしたんだ?・・・澪」

「どうしたもこうしたもあるか!コレを聞いてみろ!」

そう言って秋山はカセットテープを再生した。

すると流れてきたのは激しいロックだった。しかもかなり上手い。

「澪ちゃん、コレどうしたの?」

「昔の軽音部の曲だ」

秋山の突然の宣言はどうやらコレが原因らしい。

話を要約すると、先日秋山は物置代わりにしている隣の部屋から昔の軽音部の備品を発見。

興味本位で再生してみると、今の自分たちとは比べものにならないほど昔の軽音部はレベルが高かった。

このままでは駄目だと感じ、合宿をするという発想に至ったわけだ。

この提案には俺以外の全員が賛成した。俺以外は・・・だ。

「え~コウ君嫌なの?」

「普通に考えて駄目だろ。男一人に女六人は。」

男一人だけなんて色々な部分で不便が出る。

「つまりコウ君は他に男の子がいれば良いんだね?」

「理想的にはそうだけど・・・」

「ちょっと待ってて!」

そう言って唯は部室を飛び出していった。・・・何をする気だ?

 

 

待つこと十数分。

「連れてきたよ!」

唯が取った行動とはつまり。

「日向、音無・・・なんでここに?」

「いや、突然平沢に連れてこられたんだけど・・・」

「はい!これでコウ君も合宿にいけるよ!」

そう言うことか・・・。ようやく察した俺は音無と日向に状況を説明した。

「なるほど・・・つまりは」

「女の子と寝泊まりできるってことだな!!」

言おうとしたことは伝わったが、日向の言い方は何となく誤解が生まれそうだ。

「まあ、そういうことだ」

「なんだよ水臭えなあ綾崎!そう言うことなら早めに誘ってくれよ~」

そう言って日向は俺の肩に手を回して小声で話してきた。

「・・・どういう意味だよ?」

「一人で可愛い女の子達とお泊まりなんて羨ましすぎるだろ・・・おれも便乗させてもらうぜ」

・・・そう言う意味ね。

「まあ、来てくれるのはありがたいから。」

「お~い、そちらの二人~大丈夫ですか~?」

田井中の言葉で、俺たちは振り返った。

「ああ、大丈夫。これなら俺も参加するよ」

「・・・で、どこで合宿するんだ?学校か?」

「・・・え?」

発案者の秋山が凍り付いた。・・・考えてないのかよ。

「どうしよう・・・いまから借りられるスタジオ付きの宿泊地なんて無いし。」

「そうだ、ムギ!別荘とか持ってない?」

「ありますよ~」

「あるの!?」

田井中は自分で聞いて自分で驚いた。・・・実際ここにいる全員何らかのリアクションをしていた。

本当に何者なんだよ・・・この人。

これで合宿の宿泊地が決まり。それに合わせて細かい日程も決まった。

 

長い長い、夏休みに突入し、本日は合宿当日。時間ジャストに集合場所である駅前に着いた。

集合場所にはすでにみんなそろっていた。・・・唯を除いて。

「おい田井中、唯はどうした?」

「それがさ~さっき電話したら寝坊したって言ってて・・・」

「あ、来たみたい!」

琴吹の指さす方には髪をぼさぼさにした唯がこちらに走り寄ってきていた。

「ほら唯ちゃん、かみ直してあげる」

「ありがと~」

ずし・・・。

すると、突然妙な重量感を左腕に感じた。見ると、岩沢さんが立ったまま俺に寄りかかって寝ていた。

「あ~・・・やっぱりだめか」

「どういう意味だひさ子」

「そのままの意味だよ。岩沢は朝に弱いんだ。いや~ここまで運んでくるのは大変だったよ」

朝からご苦労だな、ひさ子。

「お・・・みんな、そろそろ電車が来るぞ」

音無を先頭にして、みんなはぞろぞろと駅舎に入っていく。

「よし、日向。岩沢さんと俺の荷物を持ってくれ。」

「え~マジかよ・・・」

「そのための荷物持ち要員だろ、ほら」

俺のボストンバッグを日向に背負わせ、岩沢さんのキャリーバッグを持たせる。

そして、開いた両手で岩沢さんを背負う。

「おぉ・・・大胆だね~綾崎くん」

日向の声を無視して、俺も駅舎に向かう。

「・・・あれ?・・・ここは?」

途中で岩沢さんが目を覚ました。まだ声は寝ぼけているみたいだ。

「・・・起きた?」

「あや・・・さき?・・・どうして?」

「立ったまま寝てるから背負ったんだよ」

「そう・・・か」

「降ろそうか?」

すると岩沢さんの腕にぎゅっと力が入った・・・気がした。

「もう少し・・・このままが良い。・・・安・・・心する」

「りょーかい」

電車が車での少しの間だけこのままにしておくことにした。

 

 

 

 

「おー!海だ~!!」

琴吹の別荘地に着いたとたん、田井中と唯がお決まりの台詞を叫んでいた。

「おぉ・・・でかいな」

俺たちは琴吹家所有の別荘の大きさにただただ驚く。

「みんなごめんね・・・どこも予約がいっぱいで、結局一番小さい別荘しか余ってなかったの」

「「これで一番小さいの!?」」

マジで何者なんだよコイツ・・・。

スタジオに行ってみると、そこもとんでもなく豪華だった。

「ひさ子見てみろ・・・こんなでかいアンプ使ったことあるか?」

「いや、無い・・・」

岩沢さんは興味津々といった様子で、きょろきょろと周りを見渡していた。

「よし、荷物も置いたことだし・・・」

「練習だな、律!」

「遊ぶぞ~!」

秋山の期待は無惨にも打ち砕かれた。

「待て律!この合宿の目的は練習だろ!?」

「だけどさ~せっかくの海なんだぜ、遊ばなきゃ損だろ~?」

「そうだよ澪ちゃん、遊ぼうよ~」

この二人は完全に遊ぶモードのようだ。

「紅騎・・・なんとか言ってよ」

「こうなったら何言っても無駄だ。とりあえず夜まであきらめろ」

「そんなぁ・・・」

しどろもどろしている秋山を置いてみんな各自分の部屋に戻っていく。

俺も自分の部屋に戻ろうとしたところで、田井中が入り口で隠れているのを見つけた。

「田井中、お前何やってるんだ?」

「しー・・・まあ、見てなって」

田井中に促されて、俺も中で一人立っている秋山を観察する。

すると、次第に秋山の肩が震え始めた。

「私も行く~!」

とうとう秋山は泣きながら荷物をあさり始めた。

「・・・な?おもしろいだろ?」

・・・何やってんだか。

 

 

 

 

昼食を軽く取ってから海に行くことになった。・・・というよりも、田井中達に強要された。

男達は後片付けをしてから海に行くことになっている。

手早く食器を洗って、水着に着替える。

「ふふふ・・・綾崎、音無、わくわくしてこないか?」

海に行く道中、日向は妙にテンションが高くなっていた。そんな日向を俺たちは苦笑しながら着いていく。

「音無、日向の奴なんかテンション高くないか?」

「まあ、分からなくもない・・・かな?綾崎も本当は楽しみじゃないのか?」

「・・・・・・否定はしない。」

実を言うと結構楽しみなのだが、日向を見るとついつい素直さを引っ込めてしまう。

男として生まれた以上、興味が無いわけがない。

「みんな~遊ぼうよ~!」

それが長い付き合いの幼馴染みだとしても。

「よし、行くぞ音無~!」

「はいはい・・・」

そして、男女ペアでのビーチバレーが始まった。

俺は、それをパラソルの陰の下からぼーっと眺めていた。

波の音やカモメの鳴き声。ひんやりとした浜風を感じるだけで、とても満たされた気分になる。

「綾崎・・・隣、良いか?」

声がした方を見ると、青い水着に白いパーカーをはおった岩沢さんが立っていた。

「・・・どうぞ」

狭いパラソルの中はぎりぎり二人が座れるくらいのスペースしかない。必然的に腕と腕が接触する。

パーカーのおかげで密着こそ無いが、それでも心臓の鼓動が速くなる。

「・・・泳がないのか?」

「もう少ししたら泳ぐよ・・・岩沢さんは?」

「私は・・・泳げないんだ」

「・・・へ?」

「悪いか?」

「いや・・・別にそう言う意味じゃないよ」

むしろそのギャップがかわいらしくもあるなんてこの状況じゃとても言えない。

「あ、そうだ。俺が教えてやろうか?」

「本当か?」

「ああ、普通に泳げるくらいにはなると思うよ?」

水に慣れればすぐに泳げるようになるだろう。

とりあえず膝まで浸かるところまで進む。夏といえども結構水が冷たい。

「大丈夫?岩沢さん」

「・・・・ああ、大丈夫だ」

「よし、じゃあもうちょっと深いところまで行こうか」

胸の所まで浸かる場所へ行く。ここまで来ると、時々ふわっと足が浮いたりする。

突然大きな波が来て俺たちの足が浮き、流されそうになる。

「きゃっ・・・・!」

軽くパニックになった岩沢さんは反射的に俺にしがみついてきた。

「す、すまない・・・」

「いや、慣れない内はそんなもんだよ。もう少し浅いところまで行くからつかまってて。」

「分かった・・・」

内心かなり慌てていた。腕に密着している柔らかいものとか・・・女の子特有の甘いにおいとか。

出来るだけ意識しないように、浅いところまで進んだ。

そして、文字通り手取り足取りみっちり泳ぎ方を岩沢さんに教えた。

やはり思った通り、水に慣れ始めたらあっという間に泳げるようになった。

 

 

夕食のバーベキューの後片付けをしていると、唯・田井中・琴吹がなにやら設置していた。

そして全員を呼び出して地面に座らせる。

「律、コレが終わったら本当に練習するんだぞ?」

「分かってるって、ほら、始まるぞ」

田井中の目線の先にはギターを持った唯が立っていた。

そして、唯がこちらに振り返った瞬間。

ドドドド!パチパチパチ・・・。

盛大な花火が唯を照らし出した。それは本当にプロのライブのように見えた。

「イエーイ!・・・ってあれ?もう終わり?」

「予算がなぁ・・・」

「次は本物ライブでやろうよ」

それは本当に一瞬だったがメンバー全員の練習意欲を高めるには十分だった。

 

「よし、始めるか。秋山、田井中、準備は良いか?」

二人は少し緊張気味にうなずいた。

やっとリズムをいれた練習が出来る。俺は田井中に合図を送った。

今からやるのはcrow songだ。多少手を加えてようやく岩沢さんの納得がいく者に仕上がったらしい。

田井中のドラムから始まり、すぐにイントロに入る。

少しドラムが走り気味だが、ベースがしっかりカバーしてるので問題はなかった。

 

 

~~~~~♪

「うん、良いんじゃないか。岩沢?」

「とりあえずは・・・ね」

「初めて合わせたにしては二人とも良かったよ。」

田井中と秋山はホッとため息をついた。

「よし、次は私たちの番だな。唯、ムギ、準備して」

秋山の指示で、メンバーチェンジをする。

まだ新曲は出来ていないらしく、今日はカバー曲をやるようだ。

「いくぞ!ワン・ツー、ワンツースリーフォー」

~~~~~♪

お、これは”翼を下さい”かまた俺たちとは違うアレンジの仕方だ。

「今~私の~願い事が~叶うならば~翼が欲しい♪」

秋山って結構歌上手かったんだ・・・知らなかった。

その後は気になったことをみんなで話し合って、細かい修正をすることにした。

すると、唯が最近どこかで聴いた曲を弾き始めた。

「唯、その曲って・・・」

「うん、昔の軽音部の曲だよ~」

・・・は?何でそんなもの弾けるんだ?楽譜なんて無かったし・・・

「琴吹、ちょっと1フレーズ何か弾いてみて。」

「う、うん」

~♪~♪

「唯、この曲を弾いてみて」

~♪~♪

いとも簡単にコピーした。

「「・・・・・!!」」

全員驚いた表情で唯を見た。

「な、何?みんなどうしたの?」

唯が実は絶対音感を持っていた事実が今判明した。

 

 

琴吹家の別荘は風呂場もでかかった。幸いにも風呂場か二つあったので男女で分かれて入っている。

「こんな広い風呂に入れるなんてツイてるな」

「しょっぱ!しかも源泉だぜ~」

二人がそれぞれ風呂の感想を言っている傍ら、俺は源泉が流れてるところにいる。

「綾崎、お前熱くないのか・・・?」

音無が心配そうに声をかけてきた。

「大丈夫大丈夫、ちょっと熱いくらいが丁度良いんだよ」

「それなら良いけど、のぼせるなよ?」

「そう言ってる間に日向が茹であっがてるようだけど?」

「・・・・・・」

「うわっ、本当だ!綾崎悪いけど先に上がってるな」

「分かった」

ぐったりとしている日向の肩を担いで二人は上がっていった。

俺が上がる頃には日向は一応回復していた。

 

 

 

「おーい、音無、綾崎。卓球しようぜ!」

「あー・・・俺は止めとくよ。音無、日向の相手頼めるか?」

風呂は言った後にもう一回汗をかくのはあまり好きじゃない。

「ああ、分かった」

俺はそのままリビングに戻る。すると異様な光景が広がっていた。

女子メンバーが輪っかを作るようにして互いの髪の毛を乾かしていた。

「綾崎、ドライヤー持ってないか?」

後から来たらしい、ひさ子が声をかけてきた。

「持ってるけど・・・ああ、出払ってるから?」

「そうなんだよ。だから貸してくれ!」

「貸すのは良いけど、お前その髪の毛乾かすの大変じゃないか?」

「あー・・・そういえばいつもは姉貴が・・・。」

お姉さんがいるのか、コレは意外だ。てっきり一人っ子か長女かと思ってた。

「やってやるよ。ほら、そこ座れ」

カーペットの上に座らせる。

「じ、じゃあ・・・頼むよ。はい、櫛。」

「サンキュー」

ひさ子から櫛を受け取り、ドライヤーのスイッチを入れる。

ブオオオォォォ・・・

「どこから先にやるとか決まってるか?」

「いや、特には決まってない。任せるよ」

「りょーかい」

とりあえずまんべんなく適度に乾かしてから、櫛でとかす。

「おー、結構さらさらなんだなお前の髪」

「そ、そうか?・・・普通だと思うけど」

こうやって髪をとかしてると、昔レナの髪を同じように乾かしてやったのを思い出す。

アイツの少しクセのある髪もそれはそれでおもしろかった。

確か乾かし終わった後、いつも俺に寄りかかって寝てたっけ。

「すぅ・・・すぅ・・・」

そうそう、こんな風に。・・・・へ?

「おーい、ひさ子さ~ん。もしも~し」

「んふふ、お姉ちゃん。やめてよ~・・・」

がっつり寝てやがるなコイツ・・・。

「しょうがねぇな・・・・よっと」

ひさ子を担ぎ上げてそのままソファに寝かせる。

「これでよし」

すると、後ろから複数の変な視線を感じた。

「お前ら・・・誤解だからな?」

 

誤解が解けるまで、夏休み期間まるまる要した。・・・はぁ。

 



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14話「てめーら部室好きに使いすぎ何だよぉぉぉ!!」byさわ子

合宿も終わり、長かった夏休みも本当にあっという間に終わってしまった。早くも学校は文化祭シーズンである。

「音無~綾崎~メシ食おうぜ」

いつものように日向と音無で昼食を取ろうとしたとき。

「あ、紅騎。ちょっと待って」

和に呼び止められた。

「どうした?」

「うん、何かの間違いだと思うんだけど。軽音楽部の名前がリストに入ってないのよ」

「・・・・は?」

「確か二ヶ月くらい前に部長の田井中さんに渡したはずなんだけど・・・」

「分かった、放課後聞いてみる」

「お願いね」

コレが事実なら、約半年間音楽室を勝手に使ったことになる。

そして放課後。早速部長に聞いてみた。すると、みるみる顔が青ざめていき。

「わ、忘れてた・・・」

「・・・マジかよ」

本人曰く、部活動申請の用紙を受け取ってそのまま机に入れっぱらしい。

「今すぐ取りに行ってこい、今すぐに!」

大急ぎで教室に取りに行かせると、若干しわの入った用紙を持って帰ってきた。

「え~と、副部長は誰にする?」

「誰でも良いから早く書け」

「じゃあ綾崎ね!え~と・・・顧問はどうする?」

それがあったか・・・今から顧問を引き受ける暇な先生はいないだろうし。

「あ、さわちゃん先生は?よく音楽室来るし、ギターに詳しいみたいだし」

唯の言葉を信じて、田井中、秋山、琴吹、唯に行かせた。

「さて、大変なことになった・・・で、岩沢さん達は何を見てるの?」

「昔の軽音部のアルバム、さっき平沢が見てたから」

岩沢さんの隣から覗いてみると、とんでもなくデスでメタルな感じの女子部員達がいた。

「部長、山中さわ子・・・って、これ山中先生かよ」

ひさ子が取り出した写真の女子生徒は、確かに山中先生の面影があった。

ダダダダダ・・・バン!!

突然勢いよく、部室の扉が開けられた。

「や、山中先生・・・」

そこには普段の先生とは考えられないくらい必死な形相をした人物がいた。

「は、それは、それだけはぁぁぁぁぁ!!」

目にもとまらぬ速さで、俺たちからアルバムを奪うとすぐにページをめくり始めた。

「探してるのはこの写真ですか?」

ひさ子が先生に向かって例の写真を見せる。

「そ、それは・・・・」

にやり・・・。

ひさ子が悪い人の表情を浮かべて山中先生に語りかける。

「先生は、この写真を見つけてどうするつもりだったんですか?」

「それは・・・その・・・」

「ま、おおかた破り捨てるとかするつもりだってんでしょうね」

「ぎく・・・」

おいおい、いまぎくって言ったぞ、ぎくって。初めて聞いた。

「つまりは私たちは今、先生の弱みを握ってるって訳だ」

「な、何が目的なの?」

「なに、簡単なことですよ。この用紙の顧問ってところに名前とはんこを押すだけ。」

ひさ子の台詞を奪って、突然現れた田井中が最後の言葉を言った。

「わ、分かったわ・・・」

「てことはさわちゃん先生ギター弾けるの?」

「まあ、一応ね・・・」

「わー聞かせて聞かせて~」

ざ・天然娘である唯が空気を読まずに自分のギターを先生に渡す。

・・・・ギン!

突然先生の目つきが鋭くなり、もの凄い速さで早引き・タッピング・歯ギターをやってのけた。

つか、なんで歯ギター?

「てめーら部室好きに使いすぎ何だよぉぉぉ!!」

「「す、すいませーん!!」」

後から入ってきた四人はその場で土下座をしていた。

ひさ子はおもしろそうに椅子に座って見物、岩沢さんは興味なさそうにギターの雑誌をみていた。

俺はさらに弱みを握るためにこの一部始終をしっかりビデオに収める。

「だいたいなぁ!・・・は、」

正気にもどった先生はその場でへたり込んだ。

「うぅ・・・終わった。おしとやかな先生で通そうと思ったのに・・・」

「先生、そう落ち込まないで。ケーキでも食べますか?」

「食べる!」

琴吹の提案に即乗ってきた。案外扱いやすいかもしれない。

まあ、コレで一応部活動存続問題は干渉されたから良しとするか。後は文化祭に備えて練習をするのみである。

 

文化祭当日、学校内は異様な興奮に包まれていた。

特に初めて高校の文化祭を経験する一年生は、とても張り切っている。

そんな中、張り切りすぎて空回りをした生徒が一人。

「ゴウ君゛ぞろぞろ交゛代゛だよ」

我らが天然娘、平沢唯だ。山中先生とギターボーカルの特訓をした結果やりすぎてのどか潰れたそうだ。

それも本番の一日前に。

「まだ駄目だな。予定通りそっちは秋山になりそうだな」

「う゛んごめんね゛ごう君」

「謝るくらいならしっかり自分に出来ることをやれ。ほら、交代」

「う゛ん、ばいばいごう君」

唯と焼きそばを焼く係を交代して、俺は部室に向かった。

ガチャ・・・・。

「お、早いな岩沢さん」

「綾崎よりも早いシフトだったから。」

岩沢さんは最後の練習をしていたらしい。アンプに電源が入っている。

がちゃ・・・。

「あら、岩沢さんと紅騎君。早いのね」

琴吹が入ってきた。

「すぐにお茶煎れるから。」

そう言ってせっせとティータイムの準備をし始めた。いつも思うんだけど、絶対高い奴だよなあの紅茶。

「はい、お待たせ~」

これもまた高そうな箱からクッキーを出して、差し出してきた。

「琴吹は何で軽音部に入ったんだ?」

合唱部とか、もっとふさわしい部があったと思うんだけど・・・。

「だって、こんなに楽しい部他には絶対無いもの~」

そういうものなのか・・・?

がちゃ・・・

「お、綾崎と岩沢はもういるのか」

クラスの仕事を終えたひさ子が帰ってきた。

「ひさ子さんはお茶どうしますか?」

「じゃあ、二人と同じ奴で」

「分かりました~」

「・・・さて、じゃあ三人そろったことだし曲順を決めるか」

ひさ子がホワイトボードに現在の俺たちのレパートリーを書き出していく。

「翼を下さい」「Smoke on the water」そして「crow song」だ。

Smoke on the water は俺が歌い、後の二曲は岩沢さんが歌う。

「俺はcrow songを一番最後にした方が良いと思うんだけど、どうかな?」

「私はそれで良い・・・」

「なら、岩沢、綾崎、岩沢って順番にした方が良いよな?」

ひさ子の提案に俺と岩沢さんは頷く。

「よし、じゃあ決まりだ!」

機材はすでに運んであるから、後は本番を待つだけだ。

 

幕を少しだけどけてステージを覗くと、ほぼ満席状態だった。

振り返ると、全員緊張した表情でそのときを待っていた。

・・・”メイド姿”で。言っておくが俺は執事服である。

「綾崎、やっぱり変じゃないか?この服」

いや、おかしいのは俺たちの顧問だよ岩沢さん。この妙にぴったり作ってある所なんか逆に背筋が凍る。

どうやってサイズ計ったんだよ・・・。

「いや~みんなナイスよ!私の目に狂いは無かったわ!」

そう言って我が顧問は秋山にグッドサインをした。脅して顧問をさせられたのに、この教師ノリノリである。

「ひいっ」

秋山はビビってさらに緊張してしまった。

「吹奏楽部の皆さんありがとうございました」

幕が下りて、裏方の生徒達が手早く準備を終える。

まずは俺たちが最初に弾いて、次に唯達が演奏する。

シールドをさして、トーン、レベル、ボリュームをチェック。大丈夫、やれると自分に言い聞かせて全員の顔を見る。

よし、大丈夫そうだな。生徒にOKのサインを送った。

「続きまして軽音楽部によるバンド演奏です」

幕が上がり、いよいよ演奏開始だ。

岩沢さんとアイコンタクトをとってから同時に弾き始める。

最初はエフェクトをかけないクリーンサウンドで、サビを弾く。

俺がメロディー、岩沢さんがコードだ。

「ワン・ツー・スリー・フォー!」

それから田井中の合図でひさ子、秋山、田井中がイントロを弾き始める。

エフェクターのペダルを踏み込んで、俺と岩沢さんはそれにかぶせていく。

「今~私の~願~い事が~叶うな~らば~翼が~欲し~い~♪」

岩沢さんの歌声が会場いっぱいに響き渡る。それから一気に最後まで弾き終わった。

ワアアアァァァア!!

感触は上々のようだ。

「一曲目はみんなよく知ってる”翼を下さい”のアレンジした奴、どうだった?」

ワアアアアア!

岩沢さんのMCもちゃんとやれている。

「よし、ここでメンバー紹介、ギターのひさ子!」

「よろしく」

「ギター&コーラスの綾崎!」

「綾崎紅騎です、よろしく」

「リズム隊はこの次に演奏するバンドの二人が臨時でやってくれてる。」

「田井中です」

「あ、あ、秋山です・・・・」

「そして私がギター&ボーカルの岩沢まさみ、よろしく」

ワアアアアア!!

「よし、次の曲行くよ!綾崎の"Smoke on the water"!!」

ひさ子のイントロで曲が始まる。

「We all came out to Montreux~」

イントロを聴いて聴いたことのある曲だと知ったのか、次第に生徒達もだんだん身体でリズムを取るようになってきた。

曲が終わる頃には、全員立って聞いていた。

「綾崎紅騎で"Smoke on the water"でした、サンキュー!」

ウオオオオオ!

弾いている側も最初の緊張感が嘘のようにのびのびと演奏している。秋山も大丈夫そうだ。

「じゃあ、最後の曲ねこれは私たちのオリジナルの曲。みんな最後までついてきてよ!!」

田井中のドラムから始まり、最初からどんどんトバしていく。

「Find way ここから~」「Find way ここから~」

俺のコーラスを覚えたのか、みんな二番から一緒にサビの所を歌ってくれた。

ひさ子のアウトロで演奏が終わった。

照明が落ちて場内は真っ暗になる。そのタイミングで唯達とバトンタッチする。

「がんばれよ、秋山」

「う、うん・・・!」

とりあえずガッチッガチな緊張はほぐれたようだ。

コレなら大丈夫だろう。そう思って、俺たちは着替えをすませて部室に戻った。

後から聞いた話だが、唯達が演奏を終えた後、秋山がシールドで足を絡めて転んだそうだ。

転んだだけなら、良いのだが。そのとき秋山は会場の生徒全員に下着を見せてしまったそうだ。

それを見た男子生徒達は、とてつもない罪悪感から三日間自主的に自宅謹慎をしたそうだ。

俺はその三日間とてもとても肩身の狭い思いをした。

 



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15話「それはそうと綾崎、おまえ何か欲しいものとかってあるか?」by音無

俺は夢を見ていた。何度も見ているあのころの夢だ。

小学四年の俺は父親の帰りを本を読んで待っていた。

「ただいま、紅騎」

「あ、お父さんお帰り~、あれ?背中にあるのなに?」

「今日はお前の誕生日だろ?ほら、お前にギターを買ってきた」

「え?僕に?」

「ああ、いっぱい練習して上手になれよ!」

「うん!ありがとうお父さん!!」

あれから俺は取り憑かれたように毎日ギターを弾いていた。

そして二年が過ぎ・・・。

がちゃ・・・。

「あ、父さんお帰・・・」

「紅騎、今すぐ荷物をまとめろ。出かけるぞ」

「出かけるって、こんな夜遅くに?どこに行くの?」

「いいから早くしろ!」

父親の今まで見たことのない剣幕に押されて自分の鞄に着替えと、中学の制服を突っ込んだ。

バキ・・・バキ・・・。

突然背後で木製の何かが折れる音が聞こえた。

振り返ると、父親が俺のギターを叩き割っているところだった。

「父さん、何やってんだよ!?」

「こんなもの持って行っても邪魔になるだけだ。よし、出るぞ」

「嫌だ、明日は卒業式なんだぞ!?何で、どうして今日出て行くんだよ!!」

「もう時間がないんだ!行くぞ!!」

親父は嫌がる俺の腕を掴んで無理矢理外に連れ出すと、火のついたライターを部屋に放り投げた。

「・・・・・っ!家が・・・」

火は瞬く間に部屋中に広がり、当たりは騒然となった。

親父はその騒ぎを目くらましに、電車に乗って町を出た。

俺が唯一持ち出せたのは、着替えと数枚の写真。それに砕け散ったギターの一部である、金色のピックアップカバーだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

「・・・さき、おい綾崎。」

誰かに身体を揺すられて、現実世界に戻ってきた。

「ん、・・・寝てたのか?」

どうやら部室で本を読んでいたら寝てしまっていたらしい。

岩沢さんが心配そうな表情で俺をのぞき込んでいた。

「大丈夫か?だいぶうなされていたけど・・・」

「いつものことだよ・・・で、どうしたの?」

「部長がクリスマス会をやりたいんだとさ。それでいける奴を聞いてたんだけど」

クリスマス会か・・・確か今までそんなこと一度もやったこと無かったな。

「・・・で、出るの?」

「そうだな・・・でるよ」

今思えば、寝ぼけ半分でよく考えてなかったのが悪かった。特にこの部活の男女比を。

「よし、これで全員参加だな」

「けど律。場所はどうするんだよ」

「そりゃもちろんムギの家で・・・」

「ごめんなさい・・・その日は予約がいっぱいで、使えそうにないの」

「え・・・マジ?」

「私の家なら大丈夫だよ~」

「家の人とか迷惑じゃないか?」

「お父さんとお母さん、いつも旅行に行っちゃってあまり家にいないんだ~」

「「ラブラブ夫婦だ!?」」

寝ぼけ半分でぼーっとしていたらいつの間にか唯の家で開く算段になっていた。

♪~~♪~~~

突然俺の携帯にメールが届いた。

【ちょっと今日部活のみんなと食べに行くから、夕食お願い!】

レナからのメールだった。了解と返事を送って席を立ち、自分の鞄を持つ。

「あれ、コウ君帰っちゃうの?」

「ああ、ちょっと急用ができた。じゃ、また明日な」

ギターを担いで部室から出て行った。コレがクリスマスの一週間前。

その日を境に、俺よりも先に帰る部員はいなくなり、何か避けられているように会話がぎこちなくなっていった。

「最近避けられている気がする」

金曜の昼休みに、音無と日向に打ち明けた。

「何か思い当たる節は無いのか?」

「いや・・・全く」

「そりゃ、あれだ。女の子同士の秘密って奴だろ!」

「秘密ってなんだよ」

「それは知らねえよ」

日向の適当な言葉に少しため息が出た。

「それはそうと綾崎、おまえ何か欲しいものとかってあるか?」

音無が突然変なことを聞いてきた。

「特にはないけど、どうしたんだ突然?」

「いや、特に意味はないんだけどさ」

曖昧な笑いでそれ以上の追求はさせてもらえなかった。

 

そしてクリスマス会当日、俺は集合時間の1時間ほど早く平沢家に着いた。

ピンポーン

呼び鈴を鳴らすと、軽快な足音と共に憂が出てきた。

ガチャ

「あれ?紅騎くん早いね」

「どうせお前一人で準備してるんだろ?手伝いに来た」

「あ、あははは・・・」

この引きつった笑いは図星だったか。

「あ、コウ君いらっしゃ~い」

リビングにはいると、唯が紙の輪っかを繋ぐ飾りを作っている最中だった。しかも無駄に長い。

「・・・コレは何?」

「つい夢中になっちゃって~」

「へーすげーすげー」

変なことに夢中になっている姉は放置しておいて、妹の方に尋ねた。

「とりあえず料理を作っちまうか、一人じゃ大変だろ?」

「紅騎君、料理できるの?」

「・・・一応な。マズイ物は作らないよ」

憂と相談して俺が揚げ物担当、憂が寿司などをやることにした。

 

 

 

 

 

 

「・・・・ふう、大体こんなモンかな?」

「うん、お疲れ様。」

ピンポーン

「あ、みんな来たみたい」

時刻を見ると、予定集合時間ジャストだった。

「あれ、早いな紅騎。もう来てたんだ」

「近所だからな。手伝ってたんだよ」

「へ~」

こうして、クリスマス会が始まった。

 

「紅騎君見てみて~お菓子が十円だって~!」

飲み物が不足してきたので、俺と琴吹で買いに来たのだが。

「すご~い、昆布よ!昆布が売ってるわ!」

スーパーに来たのが初めてらしく、琴吹のテンションが変なことになっている。

「分かった。分かったからまずは用を済ませないと」

右手でカートを押しながら、左手で琴吹の右腕を掴んで強制連行。

飲み物オーナーで紙パックの、ジュースやお茶を買う。

大勢の飲み物を買うときは紙パックが良い。安いし、1L入ってるし、処分が楽だし。

「紅騎君、このホワイトウォーターって何?」

「気にならない程度に薄くなったカルピス・・・・買う?」

「うん!」

飲み物はオーケー、お菓子類は平沢家にあるから大丈夫。・・・・の、はずなんだけど。

さっきから琴吹がお菓子買いたいオーラを出してるので、条件付きで許可を出した。

「・・・500円までなら何でも買って良いぞ」

「本当!?ちょ、ちょっと待ってて!」

琴吹は大急ぎでお菓子売り場に向かった。

「・・・・ったく。俺は保護者かっての」

誰にも気づかれない程度にため息をついた。

「お待たせ~」

琴吹の持ってきたお菓子は駄菓子が中心で、ざっと計算して丁度500円だった。

 

 

 

 

 

その帰り道、琴吹は普段よりも良く俺に話しかけてきた。

「紅騎君は最近欲しい物とかってあるの?」

前にも音無に聞かれた質問だ。

「特にはないよ、俺は今のこの生活に満足してるし」

「・・・でも一つくらいはあるんじゃない?」

「・・・・駄目なんだよ」

「え・・・?」

「怖いんだよ、今以上の幸せを望むのが。これ以上望んだらまた俺は酷い物を目にするんじゃないかって・・・」

幸せを幸せとして喜べない。自分が幸福であることが辛い。人として間違ってるのは分かってる。

・・・でも駄目なんだ。

「ごめんなさい。聞いて欲しくないことを聞いちゃって・・・」

「別に琴吹が気にすることじゃないよ」

気を遣ってくれた御礼の意を込めて、頭を軽く撫でた。

 

 

平沢家について、玄関に上がると明らかに靴の数が増えていることに気が付いた。

そしてそのうち二足は完全に男物。

「さ、入って入って~」

琴吹に背中を押されて、リビングに入った瞬間。

パンパンパーン!!!

盛大にクラッカーが鳴らされた。

「「誕生日おめでとう!」」

リビングにはさっきまでいたメンバーの他に、音無、日向、山中先生、レナが加わっていた。

そうだった・・・そういえば今日は俺の誕生日だったっけ。

「みんな・・・なんで?」

「サプライズだよコウ君!驚いたでしょ~」

つまりはみんなでグルになってたわけだ。ここ一週間の態度はコレが原因か。

 

 

・・・・・・ズキ

 

 

「ほらほら、コウ君座って座って~」

唯に手を引かれて、ソファに座らされた。

「紅騎、顔色悪いけど大丈夫?」

和が心配そうに俺の顔をのぞき込んできた。

「ああ、大丈夫。心配するな」

「・・・・・」

 

 

ズキン・・・・ズキン・・・

 

 

「はい、コレ。みんなでお金出し合ったのよ?」

ラッピングが施された箱をレナが差し出してきた。

「ああ、ありが・・・・」

ありがとう、みんな。そう言おうとした瞬間。

 

 

ズグン!!

 

 

「うぐ・・・ぁ・・・が・・・」

激しい頭痛と同時にさんざん夢で見てきた様々な光景が一気にフラッシュバックした。

 

なんで・・・なんで俺から大事な物を奪っていくの?

もう何も望まないから・・・幸せも、全てを・・・だから・・・

だからこれ以上大切な物を奪っていかないで・・・

俺は頭の中でめまぐるしく切り替わっていく光景に必死になって許してと言い続けた。

「綾崎、綾崎!しっかりしろ!!」

だんだんと意識がぼやけていくなか、岩沢さんの叫び声が響いていた。

 

 



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16話「・・・・綾崎」by岩沢

綾崎の父親と妹が付き添って、綾崎は救急車で病院に運ばれていった。

あんな普通じゃない綾崎を見て、部屋の空気は一気に重くなっていた。

「私・・・病院に行ってくる」

上着を着て廊下に出ようとする平沢を真鍋が止めた。

「和ちゃん・・・なんで止めるの?」

「唯にはまず事情を知らないみんなに説明するのが先じゃない?他にも紅騎のあの言動に心当たりがある人は説明して」

「なんで・・・なんで和ちゃんはそんなに冷静なの?コウ君が倒れたんだよ?」

「私だって今すぐ駆けつけたいわよ・・・でも、あの時の紅騎は普通じゃなかった。おや、再開したときから紅騎・・・何か変だった。

だからその理由を知りたいのよ・・・」

「分かったよ和ちゃん。・・・岩沢さんも確か知ってるよね」

「・・・ああ。知ってる」

そして、私と平沢で不足してるところは互いに補い合って知っていることを全て話した。

 

「・・・紅騎にそんなことがあったなんて」

「そんなことがあればああなるのは当然・・・か」

音無は納得したように頷いていた。

「お姉ちゃん、何で言ってくれなかったの?」

「・・・それは、その」

「家族なのに、姉妹なのに・・・なんで?」

「そこまでにしてあげなよ憂ちゃん。唯だってするか悩んだはずだよ。こんな重い話」

「・・・・わかりました。ごめんね?お姉ちゃん」

「ううん、ずっと黙ってた私の方こそごめんね・・・」

「とりあえず今日はお開きにしよう。もうそんな雰囲気じゃないだろ?」

秋山の一言で私たちは平沢家を後にしようとした。

「あ、まさみちゃん、ちょっと・・・少しお話しよ?」

「・・・ああ、別に構わないよ」

平沢に呼び止められて私だけ残ることになった。

「ごめんね・・・あ、お茶煎れるよ」

「大丈夫だよお姉ちゃん、私がやるから」

「・・・うん」

・・・どっちが姉なんだか。

変に手持ちぶさたになってしまい、私はリビングを見渡していた。

そこで写真が固まって立てられているスペースに、見覚えのある顔があった。

これは、綾崎か・・・小学生くらいの。

写真の中の綾崎は今では信じられないくらい満面の笑顔だった。

「平沢・・・これ・・・」

「あ、これ確かお正月の時に撮った写真だよ。」

確かに首にマフラーを巻いてある。よく見ると長いマフラーを平沢姉妹と綾崎が一緒に巻いていた。

「・・・まるで兄妹みたいだな」

「うん、昔のコウ君はね・・・すっごく笑う子だったの。周りのみんなをそれだけで幸せにしちゃうくらい」

言葉とは反対に平沢の表情は沈んでいく一方だった。

「お茶とクッキーです。・・・どうぞ」

平沢妹が人数分の紅茶とクッキーに入った皿をテーブルに置いた。

「はい、座って座って~まさみちゃん」

平沢と相向かいになるようにしてカーペットの上に座った。

「・・・それで、話って何?」

「う~ん・・・なんだろ。何となくまさみちゃんと話してみたいな~って」

「綾崎のことについて・・・か?」

「うん。私の知らないコウ君をまさみちゃんは知ってるから」

そんなことを言っても綾崎は綾崎だ。平沢もアイツのことは十分してるはずだ。

平沢にそう言うと、首を横に振った。

「私が知ってるのは昔のコウ君だから・・・今のコウ君はあまり知らないんだ。ね?憂」

「・・・うん」

今の綾崎・・・か。

「正直私もよく分からない。どうしてあんなに私に親切にしてくれるのか・・・知り合って半年しか経ってないのに。」

「あんなにって、どんなコトしたんですか?聞かせてください!」

平沢妹が興味津々な様子で私に身を起こしてきた。

「どんなことって・・・ギター直してもらったり、夕飯作ってくれたり、色々だよ」

「ごはん!?何作ってもらったの?」

夕飯の言葉に激しく平沢が反応した。

「・・・パスタ」

「美味しかった?」

「まあ・・・それなりに」

「「いいなぁ~」」

姉妹そろって羨ましそうに頭の中でそれぞれ綾崎のつっくったパスタを思い浮かべていた。

「他にも何かあったんですか?」

それからおよそ1時間ほど綾崎に関して色々話した。

二人と会話をしていて二人は綾崎に好意を持っていることがひしひしと伝わってきた。

平沢妹の好意はどちらかというと家族に向けられているようなものだ。

一方平沢の方は完全に綾崎のことが好きなのだろう。純粋に一人の異性として。

「平沢達は本当にアイツのことが好きなんだな」

「うん!」

「もちろんですよ。・・・岩沢さんは?」

「私か?・・・私は、よく分からない。・・・すまんはっきりしなくて」

平沢家から出てもその言葉がずっと頭の中で繰り返されていた。

私は綾崎のコトをどう思っているんだろう・・・。

バンド仲間、変な奴、平沢の幼馴染み、クラスメート・・・・。

思いつく限りのどんな言葉にも当てはまらなかった。

「・・・・綾崎」

ぽつりとその名前を口にするときゅっと胸が痛んだ。



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17話「記憶喪失?」by紅騎

目を開けると見知らぬ天井があった。

左右を見渡すと病室の一角であることが予想できた。

壁に掛かっている時計を見ると時刻は午後4時だった。

ここはどこの病院なんだろう?そして”自分の名前が思い出せない”・・・。

 

「記憶喪失?」

「ああ、どうやら過度なストレスが一気に掛かったことが原因みたいだね」

「・・・・・過度なストレス?」

「君が昨夜ここに運ばれてきたとき、妹さんの話を聞いて推測したんだけど」

「・・・・はぁ」

「ま、一時的なものだから心配しなくて良いよ。今日退院して自宅にいた方が戻りやすいだろうし」

中年の男性医者はそう言ってカルテをぱたんと閉じた。

 

退院の手続きを済ませると、ロビーにいた赤毛の女の子が近付いてきた。

「君が僕の妹っていう子?」

「本当に・・・記憶喪失なのね、お兄ちゃん・・・。」

僕の妹らしい女の子は自分を玲於奈と名乗った。

「家までの道は覚えているの?」

「うん、だけどおかしいんだよ。頭の中で家って認識している場所が二つあるんだ。」

「ふ~ん、そういうものなんだ・・・。じゃあ、両方行こ」

そう言って僕の手を握って病院を出た。少し気恥ずかしかった。

「君って本当に僕の妹なの?」

思わず彼女にそう聞いてしまった。

「ううん、本当は血はつながってないの。春にお兄ちゃんが養子としてお父さんが引き取ったのよ」

「・・・てことは僕って結構暗い人生送ってた?」

「・・・・そうね。とても、とても・・・」

どうやら僕は相当くらい人生を送っていたようだ。全く思い出せないけど。

玲於奈さんを引き連れて着いた場所は黒こげで柱がむき出しの家だった物があった。

「・・・ここって本当に家だったの?」

「そうよ、4年前に家事があってそれっきり。」

「僕の家・・・だったんだよね?」

「・・・ええ」

生え放題の雑草をかき分けて家の方に近づく。

「これは・・・ひどい」

柱が立っているだけでも奇跡的なほど朽ち果てていた。

瓦礫に足を取られながら、中に入ってみる。

すると、酷いめまいに襲われて倒れそうになった。

「お兄ちゃん!?」

玲於奈さんに肩を支えられて何とか倒れずに済んだ。

「・・・ありがとう」

「もう行こ?今の家に帰ろう、お兄ちゃん」

「そうだね・・・」

再び玲於奈さんに連れられて、家に向かった。

 

その日の夕食の食卓はとても重苦しい物だった。

「紅騎、お前前に住んでた家に行ったんだって?」

「・・・はい」

「で、どうだった?」

「どうもうこうもないわよ、お兄ちゃん倒れそうになったんだから!」

玲於奈さんは怒ったような口調で、代わりに答えた。何だか、怒られているような気分だった。

「そうなのか?」

「・・・はい」

あの時は何が何だか分からないまま意識が飛んでったからな・・・。

「ふーん・・・ま、一時的なものなんだろ?気長に待てばいいだろ」

「まあ、そうですね・・・」

「お父さん、少しは心配してよ!」

「・・・これでも心配してるんだけどな」

弦さんは食後の珈琲を飲みながら煙草を一本取り出した。

「・・・煙草はベランダ」

「はいはい・・・」

弦さんは渋々二階に上がっていった。

「さて、さっさと片付けて仕事しちゃお」

ライブハウスは夜が一番忙しいそうだ。

 

「なんだか紅騎君、雰囲気変わった?」

ここの常連らしい男性客の人にそう聞かれた。

「そ、そうですか?」

「うん、自分のこと僕って呼んでるし、玲於奈ちゃんの言葉遣いが丁寧だし」

「そ、そんなこと無いですよね?お兄ちゃん」

「そ、そうですよ・・・」

「ふ~ん・・・ま、いいか。マスター、ビールおかわり」

「あいよ」

どうにかばれずに済んだ。僕と玲於奈さんは小さくため息をついた。

「紅騎君、ちょっとギターの調子おかしいんだけど見てくれない?」

「あ、はい。」

「ちょ、ちょっとお兄ちゃん・・・」

玲於奈さは慌てて、僕に顔を寄せてきた。

「大丈夫なの?」

「・・・何が?」

「だって記憶が無いんじゃ・・・」

「大丈夫、僕が忘れたのはエピソード記憶の方だから。ギターの修理とかの意味記憶は覚えてるんだ」

「・・・だったら良いんだけど」

玲於奈さんの視線を背中に受け、お客さんの方に向かった。

 

 

 



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18話「えっと・・・その、さっきの演奏感動しました!」by梓

ピピピピピ・・・。

「ん・・・朝、か?」

朝起おきたら記憶が戻っていることを期待したけど、いまだに何も思い出せない。

コンコン・・・。

「お兄ちゃん、起きてる?」

「起きてるよ」

扉を開けると、エプロン姿の玲於奈さんが立っていた。時計を見ると午前7時。

「随分と早いね」

「・・・ま、まあね。ご飯作ったから食べちゃって」

「うん、分かった」

寝間着から普段着に着替えて、一階に降りた。

とりあえず今日はギターをいじってみよう。

 

 

今日はここが休みらしいので、スタジオを借りてケースからギターを取り出す。

「・・・・・あれ?」

よく見なくても分かるくらい弦が切れまくっていた。

「・・・買いに行こう」

ケースにしまい直して楽器屋に向かった。

 

 

「いらっしゃいませ~」

楽器屋に入って、弦のコーナーに向かう。すると先客が弦が並んでいる場所の前でうなっていた。

「うーん・・・どうしよう」

先客は中学生か小学生なのか分からない位の背丈の女の子で、長い黒髪をツインテールでまとめている。

このままこうして立ってるのも変なので、試奏で時間を潰すことにした。

「すみません、試奏したいんですけど」

「あ、いつもありがとうございます。いつものエフェクターですか?」

「あ、はい・・・」

「ギターはそちらのでよろしいですか?」

「いえ、実は弦が切れちゃって・・・」

「よろしければ交換いたしましょうか?」

「え、良いんですか?」

「もちろんですよ。コレと同じ物でよろしいでしょうか?」

「はい。じゃあ、お願いします」

ケースごと店員さんに預ける。

「試奏の方はギターに希望はありますか?」

「じゃあ、ムスタングで」

「分かりました、こちらへどうぞ」

どうやら僕はここの常連だったらしい。明らかに顔見知りの態度だ。

そんなところにも若干の気後れを感じつつ、ギターを肩にかけた。

さて・・・何弾こう。

あらかじめ持ってきた楽譜をスタンドに置いた。

Smoke on the water でいいかな?

てゆーかコレしか弾けない・・・・。

~~~~♪

 

 

「・・・・ふう、こんなものかな?」

ギターをスタンドに立て掛けてカウンターに向かった。

「あ、丁度張り替えが終了しましたよ。どうぞ」

料金を払って、新しい弦になったギターを受け取る。

「ありがとうございました~」

ケースにしまって肩に担ぎ、店を出ようとしたとき。

「あの!ちょっと良いですか?」

さっきの小さい女の子に後ろから呼び止められた。

「・・・僕に何か用?」

「えっと・・・その、さっきの演奏感動しました!」

「あ、ありがとう・・・」

見知らぬ女の子にいきなり感動されて、内心かなり驚いている。

しかも自分の演奏に感動したと言っている。・・・なんだろう、凄い嬉しい。

「あの、良かったら名前を教えてくれませんか?あ、私は中野梓といいます。15歳です」

ご丁寧にあちらから名乗ってきた。こうなったらこちらからも名乗るしかない。

「僕は、綾崎紅騎。16歳だよ」

「・・・ってことは高校はどこですか?」

「桜校だけど?」

「え、そうなんですか?私も桜校志望なんです!」

「じゃあ、僕の妹と同じだね」

「妹さんがいるんですか?」

「うん、あまり似てないけど」

本当は血縁関係も無いんですけど。

「いいなぁ、私一人っ子なんでこんなお兄さんがいるなんて幸せです」

「・・・褒めすぎだよ」

これ以上褒めたって何も出ないよ?

「あの、良かったら少し私にギター教えてくれませんか?」

「・・・別に良いけど」

何が何だか分からずにギターを教える羽目になってしまった。

 

急遽また試奏の準備をしてもらい、今度は自分のムスタングをエフェクターに接続する。

「紅騎さんもムスタングなんですね」

「うん、まあね」

何でかは聞かないでね、覚えてないんだから・・・。

「私もムスタングなんですよ」

そう言ってケースから赤色のムスタングを取り出した。

チューニングをすませて、ボリュームを調節する。

「・・・さて、じゃあコレ弾いてみてよ」

さっき僕が弾いていたSmoke on the water の楽譜を手渡した。

「は、はい」

~~~~~♪

思ったよりも上手い。小さい手ながらも細いネックが効果を発揮している。

 

 

「・・・どうですか?」

「なかなか上手いね。練習は毎日してるの?」

「はい、以前は最低2時間くらいだったんですけど。今年は受験なんで30分くらいしか・・・」

「いや、毎日練習するのは大事なことだよ。特に楽器系はそうだって言うしね」

同じ曲の別の楽譜を取り出して、スタンドに置いた。

「せっかくだからセッションしてみようか」

「はい、よろしくお願いします!」

「じゃあ、僕がリードやるからリズムパートお願いね」

「・・・はい!」

~~~~~♪

こっちがわざとテンポを速くしたり遅くしたりしてもしっかりと合わせてくる。

リズムキープがしっかり出来ている。たぶんこの子かなり小さいときからギター触ってる。

こんな子が同じ高校を通うようになったら部活が楽しいだろうな。

 

 

 

~~~~~♪

「いやぁ、楽しかったね」

「はい、とても楽しかったです・・・けど」

「・・・けど?」

「イジワルですよ、紅騎さん!あれ絶対ワザとですよね!?」

両腕とツインテールをパタパタさせていた。・・・どうやってるんだろ。

「ソ、ソンナコトナイヨー」

「なんで片言なんですか!?」

ギターをケースにしまって、楽譜をしまった。

「良かったら、一緒にお昼ご飯はいかが?」

「結構です、お腹すいてませんし」

ぐ~~~・・・。

今のは僕じゃない・・・てことは。

「丁度マ○ク二人分の割引券があるんだけど」

「・・・・ご一緒します」

顔を赤くした将来の後輩と一緒に、ファーストフード店へ向かうことにした。

 

「・・・そんなんで足りるの?」

中野さんのトレーにはオレンジジュースと、ポテト、ハンバーガーが一個。

僕のトレーには、ハンバーガー二つ、ポテトL、コーラLだ。

「・・・はい、紅騎さんは?」

「正直・・・足りない」

本当はもう少し注文できるけど、ファーストフードは栄養偏るし、油多いし。

じゃあ、なんでファーストフードにしたんだって聞かれてもファミレスに行って彼女と間違えられても困るだろうし。

家に帰ったら野菜スープを作るか・・・。

「え、紅騎さん料理できるんですか?」

「あれ、聞こえてた?」

「はい、はっきりと」

どうやら独り言が駄々漏れだったみたいだ。

「・・・まあ、それなりに」

「ちなみに得意料理は?」

「パスタ?鯖味噌煮?麻婆豆腐?・・・まあ、特には」

「・・・って全般いけるんですか!?」

「・・・まあ、それなりに」

「いいなぁ、本当にこんなお兄さんが欲しいな~」

ストローを口にくわえてブクブクと音を立て始めた。

「・・・お兄ちゃん?」

「綾崎~こんな小さい子引っかけて何やってんだよぉ?」

「・・・・・」

いつの間にか玲於奈さんと、初めて見る女の子達が立っていた。

一人はポニーテール、一人はセミロングだ。

「紅騎さん・・・この人達は?」

「こっちは妹の玲於奈っていうんだ・・・玲於奈さん、この人達は?」

「おいおい、綾崎どうしたんだよ?・・・ああ、そうだっけ。」

ポニーテールの女の子は一つ咳払いした。

「ごほん・・・私はひさ子だ。こっちは岩沢。私たちは玲於奈ちゃんの知り合いなんだ」

そう言いながら僕の耳に小さく囁いてきた。

「アンタが記憶を無くす前のバンドメンバーだよ。話し合わせろ」

僕は小さく頷いた。

「前に言ってた部活の先輩だっけ?」

「うん、偶然そこで会ってそれで一緒に昼食食べようって。一回会わなかったっけ?」

「う~ん・・・覚えてないな」

「それで?この子は誰なの?」

玲於奈さんが若干怒った調子で問いつめてきた。

「さっき楽器屋でセッションしたんだよ。それで一緒にお昼ご飯食べようって。名前は中野梓さん」

「・・・初めまして」

「ちなみに玲於奈さんと同級生、桜校を目指してるんだって」

「え、本当に!?よろしくね~中野さん」

「うん、よろしく」

「それで中野さんはどこの中学なの?」

二人は別のテーブルに移動した。そっちはそっちで話が弾み始めたのでこちらでも話を進ませてもらう。

「・・・玲於奈ちゃんから聞いたよ。記憶、無くしてるんだって?」

「はい・・・」

ひさ子さんから話をふってきた。

「何も覚えてないのか?」

「・・・はい、でも。一時的な物らしいですよ」

「ふ~ん・・・」

「その敬語なんとかならないの?」

岩沢さんだっけ?が、少し語尾を強くして口を開いた。

「前の僕がどんな人間だったか分からないですけど。いまの自分は自分ですから・・・」

「・・・・そうか」

いまの寂しそうな表情は精神的に少しこたえる。この表情がその人がどれだけ前の僕を思っていたのかがはっきりと伝わってくるからだ。

「そろそろ僕行かないと。仕事があるから。じゃあね、中野さん。受験頑張って」

「はい・・・えーと、さよならです!」

「ひさ子さん達も、またね」

「お、おう・・・じゃあな綾崎」

「・・・・・・」

今は一人になりたかった。こんなに周りの人に慕われていた綾崎紅騎と今の僕のちっぽけさが嫌でしょうがなかった。

 

 

 



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19話「コウ君!?どうしたの?大丈夫?」by唯

僕は目的もなくとぼとぼと住宅地を歩いていた。

頭の中では色々な人のあの悲しそうな顔、僕を通して綾崎紅騎という人物を見いだそうとする目が渦巻いていた。

「・・・・ここは」

気が付いたら前に玲於奈さんと一緒に来たかつての自宅に来ていた。

遠目で観察していると、何か光る物が瓦礫の中にあった。

すくむ足にむち打って膝まで伸びた雑草の中を進んむ。

「・・・・うぅっ」

瓦礫に足を踏み入れたとたん、同じようなめまいが襲ってきた。

耐えられなくなり、膝着いて呼吸を整えようと2・3回深呼吸をした。

「すぅ・・・・はぁ・・・よし」

再び立ち上がってさっき光った場所の瓦礫をどかしてみると、缶でできた箱が出てきた。

「何だろう・・・・ごほっ、ぐ・・・ぅ」

先ほどとは比べものにならないくらいのめまいが襲ってきた。

どっちが上で下なのかも分からなくなり僕を地面に崩れ落ちた。

「コウ君!?どうしたの?大丈夫?」

聞いたことのない声、だけどこの感じはやっぱり僕のコト・・・いや、綾崎紅騎を知ってる人の一人か。

「憂!ちょっと来て!コウ君が、コウ君が!」

箱を抱いたまま僕の意識は完全にフェードアウト。

 

 

 

 

暗闇の中二人の男女の声が響き渡っていた。

「どうしよう大騎・・・この子全然寝付かないよ」

「そんなときこそ子守歌だろ?」

「・・・そっか、やってみる」

そんな会話のあと、優しい歌声が聞こえてきた。なんだろう、凄く懐かしい・・・温かい・・・。

そっか、この声の主は僕の両親なのか・・・。

でも、この歌声は綾崎紅騎に向けられた物であって僕に向けられた物じゃないんだよ・・・。

そろそろ目を覚まさないと・・・。

 

 

 

「・・・・んん」

目を開けると、僕の部屋の天井が目の前に広がっていた。

「あ・・・お姉ちゃん、玲於奈ちゃん!紅騎君が目を覚ましたよ!」

「「本当!?」」

どたどたと足音が聞こえたかと思うと、玲於奈さんとさっきのショートボブの女の子が飛び込んできた。

「大丈夫!?怪我してない!?痛いとこ無い!?」

女の子は僕の首に腕を回して思い切り抱きついてきた。

ぎゅうぅううぅぅぅぅうう・・・。

く、苦しい・・・極まってるよ完璧に・・・息が・・・。

「ゆ、唯さん!極まってるよ!紅騎さんの顔が青くなってる!!」

「あ・・・ご、ごめんなさい~!」

「がはっ・・・はあー・・・はあー・・・死ぬかと思った」

「お兄ちゃん、大丈夫?」

「うん、大丈夫。・・・で、この人達は誰?」

「「・・・・え?」」

直後二人は固まってしまった。何が何だか分からないといった具合に。

その沈黙を破ったのはショートの方の女の子だった。

「嘘だよ、コウ君・・・ねえ、嘘だよね?」

「ごめん・・・本当に思い出せないんだ・・・ごめん」

「うぅ・・・ぐす・・・うわぁぁぁ・・・」

泣かせてしまった・・・女の子を。最低だよ僕は・・・。

「ごめん・・・・本当に・・・・ごめん・・・」

唯さんが泣き止むまで、僕は謝り続けることしか出来なかった。

 

平沢姉妹が帰らせ僕たちも、家に帰った。自室に入り、早速例の缶製の箱を開けてみることにした。

ずっと雨さらしだったせいか、縁がさびて開けにくかったけど、力任せで強引にこじ開けることが出来た。

「・・・写真?」

中には写真とアルバム、カセットテープやビデオテープが入っていた。

写真を手に取ると、ある夫婦が家の玄関をバックに幸せそうに赤ちゃんを抱いている姿が写っていた。

裏面には大騎、紅騎、紅音と書いてあった。おそらくこの箱には”思い出の欠片”がいっぱい収まっているのだろう。

・・・・・僕とその両親の。

アルバムを開くと僕の両親が高校生と思われる時の写真から、だんだんと大人になっていく姿が収まっていた。

しかし、病院で撮った写真を最後にアルバムは終わっていた。

日付は僕が生まれた翌年の12月だった。

部屋にあったラジカセでカセットテープを再生してみる。

『あれ、どうしたのそれ。カセットテープ?』

『記録だよ記録。俺たち家族の』

『・・・ま、いっか。ごほっ・・・ごほっ・・・』

『悪い、迷惑だったか?』

『ううん、全然。それよりもう名前は考えたの?』

『ずっと前に決めてただろ?紅音の紅に俺の騎をとって紅騎って』

『ああ、・・・・そういえば』

どうやら僕の両親の声を録音した物のようだ。

すると突然赤ん坊の泣き声がスピーカーから響いた。

『どうしよう・・・大騎』

『そんなときこそ子守歌・・だろ?』

『そうだね・・・ほら紅騎、こっちにおいで』

そして優しい歌声で子守歌が聞こえてきた。すると次第に鳴き声が小さくなり微かな寝息が聞こえてきた。

突然けたたましいブザーが鳴り響き、どたどたと足音が聞こえてきた。

『容態急変、血圧がどんどん下がってます!』

『あ、紅音・・・?』

『君、下がってなさい!』

『先生、紅音は・・・紅音は大丈夫なんですか!?』

『君・・・落ち着いて聞きなさい。君の奥さんは、君の奥さんはね・・・』

『・・・はい』

『もう身体が限界なんだ。・・・もってあと数時間だ』

『そんな・・・』

ガシャッ・・・。

どうやらテープが終わったようだ。僕は多少の希望を信じてB面を再生した。

しばらく無音が続いて駄目かと諦めかけたとき、音声が流れ出した。

最初に規則的な機械音おそらく心電図の音と酸素マスクの音が聞こえてきた。

その音を聞いた瞬間僕の胸がだんだんと熱くなってきた。

『紅音・・・俺が分かるか?』

『・・・分かる・・・よ』

『ごめんな・・・俺がしっかりしてなかったせいで』

『全然・・・・大騎は・・・・全然・・・悪くないよ』

『・・・でも』

『私・・は・・・大騎・・・と・・・結婚できて・・・子供が産めて・・・とっても、とっても・・・幸せだったよ』

『馬鹿野郎、”だった”なんて言うなよ。お前は今幸せじゃないのか?』

『そう・・・だったね・・・へへへ』

「紅騎はぐっすり眠ってるよ、お前の子守歌は効果絶大だな」

『ねえ・・・大騎』

『・・・・ん?』

『この子を・・・紅騎を・・・おねがい』

『ああ、まかせろ。だから・・・・・だから・・・うぅ・・・ぐすっ』

『・・・・だから?』

『今は・・・ゆっくり眠れ』

『・・・・あり・・がと・・・う』

ピーーー・・・・。

心停止を伝えるブザー音と共に医者のご臨終ですという冷淡な声が聞こえた。

それから男の、僕の父親の泣き叫ぶ声も。

『紅音・・・紅音ぇぇ・・・!』

ブツッ・・・。

それを最後に何も聞こえなくなった。

コンコン・・・ガチャ。

「お兄ちゃん、入るね」

「ん?あ、ああどうぞ~」

慌てて中身を箱に詰め込んでベッドの下に隠した。

「・・・何してるの?」

「いや、別に・・・」

「ふぅ~~ん・・・」

一瞬怪しそうな目でこちらを見た後、ハンドタオルとバスタオルを手渡してきた。

「今日は早めに銭湯に行ってきたら?」

「この家ってシャワーがあったよね?いいよ、僕はそれで」

「行・っ・て・き・た・ら?」

「・・・行ってきます」

結局銭湯に行くことになった。・・・いや、強制的に行くことになった。

 

玲於奈さんの言うとおりに銭湯で疲れを癒した後、何となく近くの公園に寄ってみた。

ベンチに座って星を眺める。冬の空は空気が綺麗なおかげもあり満面の星が広がっていた。

「・・・隣、良いか?」

オリオン座をぼーっと眺めていると、誰かが僕に声をかけてきた。

「・・・どうぞ」

「ありがと」

~~~~~♪

ふいにアコースティックギターの音色が聞こえてきた。曲名はきらきら星。

隣を見ると、今日のお昼に会った赤い髪の女の子がいた。

・・・たしか岩沢さんだっけ?

曲が終わったところで僕は小さく拍手をした。

「確か岩沢さんだったよね?・・・ギター上手だね」

「はい、次は君の番」

そう言ってストラップを肩から外して、こちらに渡してきた。

「えーと・・・僕、アコギ弾いたこと無いんだけど」

「弾いたことはなくても触ったことはある。・・・ほら、さっき私が弾いた曲でも良いから」

強引に僕の肩にストラップをかけて「はい、どうぞ」と言った。

いや、だからアコギなんて弾いたこと・・・・あれ?何で弾いてないって分かったんだ?

それにこのギター・・・、本当に前に触ったことがある気がする。

しかもギターの隅々まで知り尽くしている程に。

~~~~~♪

少しぎこちないながらも同じくきらきら星を弾いて見せた。

「どうやら腕は落ちてないみたい」

岩沢さんは優しく微笑んでそう言った。

そして僕からギターを戻すと、ケースにしまってベンチから立ち上がる。

「明日、ひさ子と君の家のスタジオで弾かせてもらうから。モチロン君も一緒にね」

そう言って岩沢さんは公園を去っていった。

・・・何しに来たんだろ?あの人。

 

 

 



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20話「はい、次は君の番」by岩沢

翌日、岩沢さんは宣言通りひさ子さんと一緒に店に来た。

「よ、綾崎!記憶は戻ったか?」

「いや、全然・・・」

「そっか・・・ま、気落ちするなよ」

僕の背中を叩いて、ひさ子さんはさっさとスタジオに入っていった。

「綾崎、私のエレキギター持ってきてくれるか?」

「・・・・・へ?」

「・・・・綾崎妹、頼む」

「は~い、少々お待ちを~」

玲於奈さんは楽器が保管してある部屋に入っていった。

「・・・ドユコト?」

「ちょっとワケがあってここのスタジオに楽器を置かせてもらってるんだ。昨日のアコギも」

「へ~・・・」

知らなかった・・・と言うより忘れてる。

「はい、お待たせしました」

「ありがと。よし、綾崎も行くぞ」

「は、は~い・・・」

後ろで玲於奈さんがニヤついてる気がするけど・・・うん、見なかったことにしよう。

 

 

 

「さて、綾崎クン。岩沢の話だと腕は鈍ってないそうだけど・・・確認させてもらおうか」

「・・・と、言いますと?」

「文化祭でやったSmoke on the water の弾き語りをやって」

そう言って岩沢さんは楽譜を置いたスタンドを僕の前に置いた。

「まあ、それくらいなら・・・」

つい最近弾いた曲だし、なにか頭に引っかかる物があるから・・・やってみよう。

~~~~~♪

有名なイントロの部分を弾いた後、僕は歌い始めた。

思っていたよりもあるかに上手に演奏することが出来た。自分でも驚くくらい。

「・・・・どう?」

「確かに腕は鈍って無いみたいだな・・・けど、なんかしっくりこねぇな。岩沢、なんだと思う?」

「綾崎自信の演奏のイメージが違うんだと思う・・・」

「イメージって・・・そんな抽象的なものなのか?」

「綾崎・・・」

「は、はい・・・」

岩沢さんは僕の目をじっと見つめてこういった。

「綾崎は翼をくださいの鳥はなんだと思う?」

唐突にそう聞いてきた。・・・なんだろう、前に同じコトを聞かれたような気がするんだけど。

「まえお前がどう答えたかなんて聞いていない。今、”お前はどう思うんだ”」

僕の心を見透かしたように岩沢さんはそう言った。

今の僕・・・綾崎紅騎としてではなく、今の僕としての感覚・・・。

「白い・・・真っ白な・・・鳩」

「・・・だろうな。やっぱり君は”綾崎紅騎じゃない”」

ずっと悩んでいたことをこんな短時間で的確に指摘されてしまった。

「そうだよ・・・でもそれの何が悪いの?僕は僕なんだ!綾崎紅騎じゃなくて」

「・・・でも、君は綾崎なんだ。いくら忘れてしまっても綾崎紅騎が過ごした時間は失ってないんだよ」

そう言って岩沢さんは別の楽譜を差し出してきた。

「これは私たちのバンドが一番最初に作った曲なんだ。頭で考えないで・・・何も考えないで弾いてみて」

「・・・・分かった」

「よし、いくぞ・・・ワン・ツー・スリー・フォー!」

~~~~~♪

 

頭で考えずに演奏しろと岩沢さんは言ったけど、なかなか難しい。

どうしても譜面の方を見てしまい、二人の音を耳で聞こうとしてしまう。

そのせいでほんの少しだけ遅れてしまう。

一回目はそんなぎくしゃくした感じで終わってしまった。

「綾崎、曲は頭に入ったか?」

「・・・はい、だいたいは」

「よし、じゃあ・・・」

岩沢さんは僕の譜面を片付けてしまった。同様にして自分とひさ子さんの譜面も片付ける。

「さて、本番いってみようか」

今度は三人が相向かいになるようにして立った。

「さっきは譜面ばっかり目がいって少し遅れただろ?次は私たちの目を見て弾いて」

「・・・・はい」

「じゃあ二回目ね、ワン・ツー・スリ・フォー!」

~~~~~♪

・・・あれ?

さっきと同じ曲のはずなのになんで・・・、なんでこんなに違うんだ・・・。

身体が勝手に動く、まるで自分以外の誰かが乗り移ったかのように。

これが綾崎紅騎の演奏・・・じゃあ、僕は・・・僕は・・・!

「・・・・ぐ、・・・」

再び激しい頭痛が襲い掛かってきた。

いや、再び?・・・なんで?僕は以前にも同じ頭痛を・・・?

必死に頭が思い出そうと間にも身体は演奏を続けている。

『綾崎はさ・・・”翼をください”はどんな鳥だと思う?』

『・・・カラスだ。』

『何でそう思うんだ?』

『カラスは醜いとか不幸の象徴とか言われて人に嫌われてるけどさ、そんなカラスでも自由に飛べる。俺と違って強いからだ。岩沢さんは?』

『・・・・私もカラスだ。どれだけ嫌われても、殺されかけても生きようとするカラスはどんな鳥よりも強い』

 

そうだ、確かに前にこんな会話をした・・・そして僕は、いや綾崎紅騎はカラスと答えた。

それは自分自身の過去に縛られていたから、これ以上不幸になりたくないと怯えていたから。

そして自分を不幸だと思いこんで、周囲の好意を避けていた。なんてバカなんだろう、愚かだったんだろう。

過去が不幸だったから未来に幸福を望んではいけないと誰が決めた。

そうでしょ?綾崎紅騎。

 

・・・ああ、確かにそうだな。なんて”俺”はバカだったんだろう・・・。

今弾いているCrow songの歌詞を思い浮かべる。

「find a way ここから~♪」

そうだ、ここから見つけていけば良いんだよ、俺の道を、俺の行き方を・・・。

 

そう、それで良いんだよ。君は一人じゃない、支える人がいて、幸せを願う人がいて・・・。

やっぱり”僕”じゃ駄目なんだよ。僕じゃみんなを喜ばせられない、悲しませるだけ・・・。

だから・・・・・。

 

ああ、分かってる。だけど今は演奏を楽しもう。

そうだ、音は楽しんでやる物だ。楽しまなきゃ損だろう?

消えるなら俺たちの演奏を聴いてからにしろよ、綾崎紅騎?

 

ひさ子にアイコンタクトをして、ギターソロを一緒にかき鳴らす。

「・・・・!」

ひさ子が驚いた表情でこちらを見てきた。岩沢さんも気づいた様子で優しく笑っていた。

そして、綾崎紅騎の記憶喪失事件は終局したのであった。

 

 

 

その日の夜、俺は再びあのアルバムを見ていた。

記憶を無くした時の俺の自分のおかげで過去と向き合う覚悟ができたからだ。

どこかの野外ステージで撮ったらしい写真にはギターを構えた両親とドラムを叩くマスターが写っていた。

他にも一人、ベースを持った赤い眼鏡の女の人がいるから、おそらくこの四人でバンドを組んでいたようだ。

あとでマスターに詳しく聞いてみよう。

自分の母親の持っているギターを見ると確かにあのストラトキャスターだった。

コンコン、ガチャ・・・

「ただいま、お兄ちゃん」

部活に顔を出しに行っていたレナが帰ってきたようだ。

「ああ、お帰り。”レナ”」

「・・・!お兄ちゃん、記憶・・・戻ったの?」

「ああ、色々心配かけたな」

そういえば玲於奈さんって呼んでたんだよな。今思うとなんでさん付けだったんだろう?

「本当よ!どれだけ私が不安だったか・・・」

「確かに。あのレナが一人で起きられたぐらいだからな」

「ど、どうでも良いでしょそんなこと!!」

「ほら、さっさとシャワー浴びてこい。夕飯もう出来てるぞ」

「・・・・はぁい」

そう言えばレナが陸上始めたのは俺がきっかけだって言ってたな。

シャワー室に向かうレナの背中をみてそんなことを思い出した。

確か小学生対象の陸上教室にレナを誘ったらたちまち上達したんだよな。

今はその長身を生かして高飛びをやっているらしい。

「・・・陸上か」

そうだ、俺にはまだ向き合わなくちゃいけない過去があるんだ。

いつかそれも乗り越えないとな。

・・・そうだろ?瀬菜(せな)



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21話「バカ!バカバカバカバカ、コウ君のバカァ!!」by唯

「あーくそ・・・梅雨うぜえ。さっさと夏になれよ。」

「ふふ、そんなこともないよ。雨になれば部活が休みになってギター弾けるし。・・・って、関東王者さんは部活が良いよね」

「・・・・・だれ?」

「ひどいな~、同じ部活でしかも同じ短距離ブロックなのに」

「・・・・スンマセン」

「私は相川瀬菜、もう六月なのに部員の顔覚えてないの?綾崎紅騎クン」

「相川はギターやってるのか?」

「まあねウチの家楽器屋やってるんだ。修理もやってる」

「ふ~ん・・・」

これが親友、相川瀬菜との出会いだった。

 

 

「本っっっっっっ当に申し訳なかった!!」

翌日、俺は平沢家で和と平沢姉妹に頭を下げていた。

おそらく今回の騒ぎで一番心配をかけたからだ。・・・特に唯。

「紅騎、頭を上げてそこに座りなさい」

「・・・・はい」

真顔でとてつもなく威圧してくる和の前に正座で座る。

「・・・コレは私の分」

ビシィ!

強烈なデコピンが俺の額を襲った。

「・・・これが殴れない憂の分」

ビシィ!

痛っってぇ・・・久しぶりに受けたけど連続は初めてだ。出血してないよね・・・?

「和ちゃん・・・ちょっと良い?」

和と入れ替えて唯が俺の前に座った。うつむいていて表情はよく分からない。

パアン!!

「・・・・・え?」

一瞬何が起きたのか分からなかった。左の頬がひりひりしていることから唯が平手打ちをしたと理解できた。

そしていつの間にか唯が腕を俺の首に回して抱きついていた。

「バカ!バカバカバカバカ、コウ君のバカァ!!」

「・・・・・唯」

決壊したダムのように泣き叫んだ後は小さくすすり泣き始めた。

「うぅ・・・・ぐす・・・」

俺は小さい子供をあやすように、左手を背中に右手を後頭部にしてゆっくりと撫でた。

「ごめんな唯、心配かけて・・・不安にさせて・・・」

「本当に心配だったんだよ?もうずっと忘れたままじゃないかって・・・」

確かにたとえ一時的なものだと言っても確証は無い。唯の言うとおり一生戻らなかったのかも知れない。

そうなったとしたらまた突然唯の目の前から消えたに等しい。

「大丈夫だよ唯。俺はちゃんとここにいるから・・・安心しろ」

「・・・・・・うん」

すると徐々に唯の腕の力が強くなっていた。

「唯・・・・苦しい・・・」

「はぁ・・・まあ今日くらいは良いんじゃない、紅騎?」

和が何というか親のような妙に優しい目で見ていた。

「お前ら、完全に他人事だろ・・・」

「あ、そうだ二人に勉強教えてもらおっと」

「憂受験生だものね」

「・・・聞けよ」

「すぅ・・・すぅ・・・」

気のせいかな?耳元で寝息が聞こえるよ~・・・。

「あら?唯寝ちゃったの?」

「認めたくないけどそうみたいだな・・・」

「あら、嫌?」

「・・・・さあな」

俺は唯を引きはがして床に寝かそうとした。

が、俺の首に回した腕がほどけずそのまますとんとずり落ちてきた。

はたから見ると膝枕に見える位置だな・・・こりゃ。

「何してるの紅騎?」

「・・・・事故だ」

「すぅ・・・すぅ・・・」

つーかコイツなんでいきなり寝始めたんだ・・・?

よーく唯の顔をみると目の下にクマができていた。寝てないのか?

「お待たせ~、はい麦茶」

「憂、お前唯が寝てないこと知ってたか?」

「・・・・うん、たぶん2~3時間くらいしか寝てないと思う。」

そんなちょっとしか寝てないのか。これも俺が原因か・・・。

「・・・ちょっとだけ寝かせてやるか」

「良いなぁ紅騎君の膝枕~お姉ちゃん気持ちよさそう」

「後で憂もしてもらったら?」

「うん!」

うん、じゃねぇよ。俺の意志を尊重しろよ・・・。

「はぁ・・・で、どこが分からないんだ?」

「えっと・・・あ、ここ!」

こんな感じで唯が起きるまで憂に勉強を教えた。

 

 

「すぅ・・・すぅ・・・」

「本当にぐっすり寝てるな・・・コイツ」

憂に勉強を教えているあいだもずっと唯は俺の膝の上で寝ていた。

「そうね・・・ねぇ、紅騎。もう唯を泣かせないって約束してくれる?」

「俺も出来るだけそうしたいけど昔からよく泣くからな・・・唯は」

すると、突然和の顔が暗くなり言葉も歯切れが悪くなった。

「今は・・・ね。紅騎が消えてからの唯は・・・本当に酷かったのよ」

「・・・酷い?」

「ええ。本人は今寝てるから話すけど。なにか抜け殻になったみたいで、いつもぼーっとして・・・」

確かにそれは酷いな。俺の知ってる昔の唯はいつも何か変なことに夢中だったからな。

「じゃあ良かったじゃん。昔の唯に戻って」

「だからもう見たくないのよ。あの時の唯は」

「・・・・分かったよ」

できれば一生見たくないなそんな唯は。やっぱり一つのことに夢中になって無邪気に笑う唯が一番だよ。

「でもどうやって唯は復活したんだ?入学式の時にはすでに戻ってたと思うんだけど」

「それはね、この雑誌を見つけてからお姉ちゃんまた元気になり始めたの」

そう言って憂が持ってきたのは一冊の陸上専門雑誌。何度も同じページを開いたためか一部分だけクセが付いていた。

そのクセの部分を開いてみると俺が中学三年の関東大会で優勝したときの記事があった。

「良く見つけたなこんな小さい記事」

「陸上部の子が教えてくれたの。小学校の時にいた子じゃないのって」

「ふ~ん・・・」

「それでね、お姉ちゃん紅騎君が頑張ってることを知って私も頑張ろうって元気になっていったの」

抜け殻になるのも俺のせい、復活するのも俺がきっかけか・・・。

無性に申し訳ない思いになって、無意識のうちに唯の頭を撫でていた。

「すぅ・・・すぅ・・・ふふ、すぅ・・・」

「さて、俺は帰るよ。唯の部屋で寝かせとくぞ?」

「うん、お願いね」

唯をお姫様抱っこをして唯の部屋まで運んでから俺は帰宅した。

 

 

 

 

 



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22話「ひ、ひさ子?何でここに・・・」by紅騎

「紅騎クンがこんなにギター上手だったなんて知らなかったよ」

「・・・そりゃあ言ってないからな」

「ねぇ、今度また一緒にセッションしようよ!」

「また今度・・・ん?」

「また弦切れたの?そのストラトキャスター・・・」

「しょうがねえだろ、ゴミ捨て場で拾った奴だから金具類がガッタガタなんだよ」

「じゃあ、ウチで直してあげるよそのギター」

「断る。そんな義理は無いしそもそも金がない」

「そのギターが直ったらどんな音がするのか個人的に興味があるんだ」

「・・・金がない」

「出世払いで良いよ!大丈夫君の腕を知ったらウチの両親も納得するから。それと、その間私のギターを使ってくれ。いや、使いなさい。その間私は修理に専念する。」

「わーったよ、任せます」

「ふふふ、楽しみだな~」

 

 

 

結局この約束果たせずに彼女は死んでしまった。

 

 

 

 

 

「お兄ちゃん、そこの雑巾取ってくれる?」

「はいよ、ほら」

「ありがと」

今日は大晦日であり、大掃除の日でもある。

我が家も例に漏れず様々なものが飾ってある店内を掃除している。

それにしてもこの店内ライブハウスと言うのを差し引いても物が多い。

原因はレナの母親(俺の母親でもあるのだが)の恭子さんが旅先で買った置物を送ってくるからだ。

「レナ・・・このモアイが象にまたがってる木像はどうすれば良いんだ?」

「ああ、そこの棚の物は全部捨てちゃって良いわよ」

「全部って・・・大丈夫なのか?」

「うん、そこは定期的に捨ててる棚だから」

「りょーかい」

鮭を咥えた熊を兎とライオンにそっくりそのまま入れ替えたような彫刻を手にとって眺めていると改めて恭子さんの仕事に疑問がわいた。

するとマスターがフォード・トラックを店先に止めて出てきた。

荷台にはゴミ処理センターに持って行く予定のゴミが積んである。

「他にも捨てる物あるか?」

「じゃあ、こいつをお願いします。」

先ほどのよく分からない置物を詰めたゴミ袋を荷台に載せた。

「あ、そうだ。帰りに台所用の潜在買ってきてくれない?」

「はいよ、じゃあ行ってくる」

独特の低いエンジンサウンドを響かせてスカイブルーのフォード・トラックは去っていった。

「ふ~さて、大体のコトは終わったからお昼ご飯にしない?」

「どうせなら外で食おうぜ、奢るからさ」

「やった!じゃあ早く行こ!」

奢るという言葉を耳にするなりテンションが一気に上がった・・・現金な奴。

 

 

 

そんなわけで駅前に来てみたわけだが。

年末の駅周辺はカップルが多い。・・・年末くらい休んでろよリア充。

「か、カップルだらけね・・・」

「そうだな・・・これじゃあファミレスも混んでるな。」

近くのファミレスを外から覗くと、案の定混んでいた。

「しょうがない、そこのラーメン屋で良いか?」

「うん、私は何でも良いよ。」

レナの許可を取り、ラーメン屋の扉を開けた。

カラカラカラ・・・

「いらっしゃいませ~って、綾崎と玲於奈ちゃんじゃん。」

店内に入るなり、見覚えのある顔が現れた。

「ひ、ひさ子?何でここに・・・」

「なんでって、ここでバイトしてるからだよ。ちなみに岩沢も厨房にいる」

確か二人とも同じバイト先だとは聞いていたけど、まさかここだったとは・・・。

「ささ、座って座って!これメニューな」

テーブル席に座って、ひさ子からメニューを受け取った。

「お兄ちゃん、知っててこの店に入ったの?」

「まさか、俺も初めて知ったよ」

「ふぅ~ん」

ジト目のレナの視線を回避するようにメニュー表に目を落とした。

スタンダードなラーメンから麻婆ラーメンと言った変化球まで、種類が豊富だ。

「はい、水とお絞り。オーダー決まった?」

「じゃあ、俺は塩チャーシューね。レナは?」

「私は野菜ラーメンで」

「岩沢の手作り餃子は?」

「じゃあ、二つ・・・以上な」

最初の言葉は聞かなかったことにしておすすめらしい餃子を頼んだ。

「かしこまりました。岩沢~塩チャーシューと野菜と餃子二枚な」

さっきから岩沢、岩沢と連呼してるのはワザとか?ワザとなのか?

問いただすのも変なのでこれ以上考えないことにした。

水を一口飲んで、お絞りで手を拭いてからふと、あることを思いついた。

「レナ、受験終わったらどっか連れて行こうか?」

「え、本当?」

「ああ、頑張ったご褒美だ。ただし、結果によって行く場所は変わるけどな」

「ええぇぇ~・・・」

明らかに不満そうな声を漏らすレナ。

「目標があった方がやる気が出るだろ?」

「じゃあ、もし特殊生に選ばれたら?」

「だとしたら一日俺を自由にして良いぜ~」

冗談めかして俺はそんなことを言ってしまった。

奥でその会話を聞いていたひさ子が「フラグだ・・・」と呟いていたが、このときの俺は気づかなかった。

 

 

 

 

「はい、ラーメンと餃子お待ちどう」

「よし、いただきます」

「いただきま~す」

まずはラーメンの方を食べてみた。

野菜ベースのさっぱりしたスープと、麺が良く絡まっていた。

「美味いな・・・」

「うん、とっても美味しい」

「そいつは良かった、ほら綾崎。岩沢の作った餃子食ってみろよ」

「お、おう・・・」

言われるがまま餃子を食べてみた。

普通の餃子と違ってニンニクは控えめ、代わりに存在感を主張してるのは・・・。

「これって柚コショウ入れてる?」

「ふふふ・・・せーかい!前に綾崎の弁当に入ってたヤツを食べさせてもらったろ?アレをヒントにしたらしいぞ」

「ふ~ん・・・あの餃子がねぇ」

「いやぁ苦労したんだぞ?岩沢が納得するまで夕飯は餃子だったんだからな」

「そいつはご愁傷様・・・」

たかが餃子で執着しすぎだろ、岩沢さん・・・。

まあ、そのおかげでこの餃子ができたんだろうけど。

 

 

 

「合計で1880円な」

二千円を払っておつりをもらいちらっと厨房をみると、丁度岩沢さんと目があった。

「ごちそうさま、岩沢さん。また来るよ」

岩沢さんは軽く頷いて、自分の作業に戻った。

「そうだ、ひさ子さん。年越しの予定ってありますか?」

「特にはないな、私の家で岩沢とだらだらするくらいしか」

「良かったらウチで年越ししませんか?」

突然妙なことをレナが言い始めた。

「私と岩沢は構わないけど・・・綾崎、大丈夫なのか?」

正直流れが上手く読めないけど、思い切りレナにつま先を踏まれてるのでNOとは言えなかった。

「まあ、大丈夫・・・だと思う」

「じゃあ、お邪魔するよ。連絡は玲於奈ちゃんにしたほうが良い?」

「はい、お願いします」

店を出るといつになくレナに気合いが入っていた。

「お兄ちゃん、先帰って残りの掃除終わらせてくれない?私は夕ご飯の材料買うから」

返事を待たずにレナは家とは別の方向に行ってしまった。

「まあ、良いか・・・」

 

「ふ~・・・やっと終わった」

「ただいま~、丁度終わったところ?」

あらかたの掃除が終わり、一階へ降りると、買い物袋を持ったレナがいた。

「おかえり。ああ、今終わったところだよ。夕飯作り手伝おうか?」

「大丈夫。お兄ちゃんは休んでて。」

「・・・本音は?」

「みんな料理が上手だから・・・私だって出来ることを知って欲しいんだもん」

別にそんなことで張り合わなくてもいい気がするけど・・・女心ってヤツなのか?

だったらここはレナの好きなようにしてやるか。

「分かったよ、お前の好きにしてくれ」

「ふふふ~ありがと。美味しい物作るからね」

・・・さて和食しか作れない玲於奈さんはどんな年越し料理を作るんでしょうね。

ギター弾きながら気長に待たせてもらうか。

「あ、そうだ。お兄ちゃん宛に手紙が来てたよ」

レナの指さすテーブルの上に白い封筒があった。

とりあえず自分の部屋からギターを持ってきてスタジオに入った。

それから封筒を眺めた。宛先にははっきりと綾崎紅騎様と書かれていた。

差出人は相川華菜・・・って誰だ?

封を切ってみると中には一枚の手紙が入っていた。

手紙は”綾崎先輩へ”という書き出しから始まっていた。

 

 

 

 

綾崎先輩へ

 

お久しぶりですと言えば良いのでしょうか・・・覚えてますか?

相川瀬菜の妹の相川華菜です。

綾崎先輩が桜高校の学園祭で演奏してるのをネットで見ました。

私の知ってる綾崎先輩のイメージとはかなり違いがありましたが、一目で先輩と分かりました。

やっぱり先輩はギターも上手です。

陸上の方はもうやらないのですか?

私としては関東大会で優勝した綾崎先輩をもう一度見たいです。

突然先輩がいなくなったのはやっぱり姉の件が原因ですか?

だとしたら一度だけでも良いですから私たちの地元に戻ってきて下さい。

そしてちゃんと姉に会ってあげて下さい。

 

相川華菜

 

 

 

予想もしない人物からの手紙だった。そして俺の中ではまだ早すぎるタイミングで来てしまった。

俺はまだ自分のコトで手がいっぱいなんだ・・・だからまだ行けない。

心の中でごめんと謝り、封筒に手紙を戻した。

すると携帯のメール着信が来た。

送り主は岩沢さん。本文にはパスタと三文字だけが打たれていた。

それだけで大体の意図は理解できた。また食わせろと言う意味だろう。

・・・ギター弾く時間が無くなったけどまあ、良いか。

スタジオを出てキッチンに向かった。

「・・・やっぱり和食がメインか」

「し、しょうがないでしょ!和食しか作れないんだから」

唯一和食以外の食べ物と言えばカレーくらいだ。

「やっぱり一品俺が作る。パスタくらいなら良いだろ?」

「う、うん・・・ありがと」

よし、上手く口実が作れた。

冷蔵庫の中身を確認すると、発泡スチロールの箱が入っていた。

「レナ、コレの中身は何だ?」

「あぁ、それアサリよ。お父さんが知り合いからたくさんもらってきたんだって。」

「使うけど良いか?」

「うん、出来れば全部使って。お味噌汁にしても無くならないし」

そうと知れば全部使ってしまおう。これはだいぶ豪華なパスタになるな。たぶん岩沢さんも喜ぶぞ。

まずはアサリを水につけて砂抜きを始める。

その間に、鍋に水を張って火をかける。

そしてタマネギをみじん切りにして油を引いたフライパンに入れてきつね色になるまで炒める。

それから一口大に切った鶏肉を入れて、焦げ目を付けた後野菜を入れて火を通す。

水が沸騰したら塩を入れてパスタ麺を人数分投入、焦げないようにレナにかき混ぜてもらう。

冷蔵庫からだし汁の入った牛乳パックを取り出してフライパンに入れる。

それからアサリを入れてふたをする。

アサリが全部開いたのを確認したらパスタを入れてよくなじませる。

「・・・よし、完成!」

「家庭料理のクオリティじゃないわ・・・」

~~~~~♪

レナの携帯が鳴り響いた。

「もしもし、はい・・・分かりました。はい、そうです・・・じゃあこっちから行きますね」

通話を終了させたレナは急いで出かける準備をした。

「じゃあ、ひさ子さん達を迎えに行ってくるから料理テーブルに並べておいて」

「分かった」

レナの背中を見送ってからふと、俺は気づいた。

ひさ子達は毎日登校するときは俺の家に寄っている。よって送り迎えなど不要なはずだ。

「・・・何かあったのかな?」

まあ、あまり気にしないでおこう。

とりあえずやることを済ませてしまわなければ。

 

 

 



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23話「・・・可愛い」by岩沢

全ての料理と食器を運び終わったときに丁度レナ達が来た。

「ただ今~」

「邪魔するぜ~綾崎~」

「・・・お邪魔します」

「お帰りレナ、いらっしゃい二人とも」

早速二人をテーブルに座らせて、マスターを呼んだ。

「なんだ、今年は人が多いな」

「いつもは二人で年越しだったからね。すっごく新鮮な気分」

・・・そうか、恭子さんは滅多に帰ってこないんだっけ。こうして大人数で年を越すのも久しぶりのはずだ。

俺だってそもそも年越しをちゃんと過ごしたことがあまりなかったからな・・・。

昔の俺だったら日付が変わるだけで何が嬉しいのか分からなかったけど、今ならちょっとだけ分かる気がする。

家族や友達と年を越すってことはやっぱり特別な意味を持つんだ。

「お兄ちゃん、何ぼーっとしてるの?ほら、早く食べよ」

「お、おう・・・」

レナから小皿を受け取って、手巻き寿司を皿にのせた。

ツンツン・・・

隣の岩沢さんが軽く俺の脇をつついてきた。

「どうしたの?岩沢さん」

「・・・パスタ」

どうやら早くもパスタをご所望らしい。岩沢さんの小皿を受け取ってパスタを盛りつけてあげた。

「はい、岩沢さん」

「サンキュ」

そっけない口調だけど、口元は思い切り緩んでいる。喜んでいるサインだ。

俺は岩沢さんがパスタを食べる光景をじーっと見つめていた。

「・・・ん、美味い。前に食べたヤツと全然違う、レストランのパスタみたい」

「そっか、気に入ってくれた?」

「ああ、凄く美味しいよ綾崎」

ストレートに言われると結構気恥ずかしいものなんだな・・・初めて知った。

「ホントだ、メチャクチャ美味いなこのパスタ!」

ひさ子も気に入ってくれたようだ。

「俺のパスタを食べるのは良いけど、メインはレナの作った和食づくしだからな」

「え、綾崎が作ったんじゃないの?」

「俺が作ったのはパスタだけだよひさ子。レナの和食はすげー美味いんだぞ?」

ひさ子は太巻きをとって、口に運んだ。

「おぉ・・・、酢飯の加減がほどよくて具のバランスもばっちり。」

「ど、どうですか?ひさ子さん・・・」

「うん、美味しい。玲於奈ちゃんも料理できたんだな」

「はい、和食限定ですけど・・・」

「いや、謙遜すること無いよ。私なんててんで料理は駄目だから」

レナはホッとした様子で、魚の煮物をつついた。

「でも紅騎が家に来てくれて良かったよ。おかげで食事のマンネリ化が解消されたからな」

「お父さんは黙ってて」

「はい・・・」

みんなの笑い声が広がり、和やかムードで夕食は終わった。

 

 

 

「へぇ、ここが綾崎の部屋か~」

「ひさ子、人に部屋はあまり覗かない方が・・・」

「お、怪しい銀色の箱発見!」

「・・・って人の話聞けよ!」

俺の言葉なんて何のその。ポニテ女は例の箱を早くも奪取してしまった。

「ふふふ、綾崎ぃ・・・箱の中身は何だ?」

「別に体した物はないよ・・・ただ」

「ただ・・・なんだい?」

「見られると少し恥ずかしいんだけど・・・」

誰だって少年時代の両親の写真なんて見られたくないだろ。

「ふむ・・・男子高校生なら一冊は持っていると言われているあの本と見た!さぁて綾崎の好みはどんなタイプかな~?」

そんな見当はずれのことを言ってひさ子はふたを開けた。

「・・・アルバム?うわ、結構昔のヤツだな。ってことは綾崎の両親のか?」

「そうだよ、もう良いだろ?他人の親の写真なんて興味ないよな。はい、おしまい」

ひさ子から箱を奪おうとすると、身をよじって回避された。

「・・・確か綾崎の両親はもう亡くなってるんだっけ?」

「ああ、死んでるよ」

「じゃあ、尚更興味があるよ。少しで良いから教えてよ!な、岩沢?」

「・・・ああ、私も興味ある」

・・・まあ、良いか。押しに弱いな俺。

「少しだけだぞ?」

俺はひさ子から箱を返してもらい、アルバムを取り出した。

「ほら、この若干目つきの悪いのが親父、赤い髪のこの人が俺の母親」

「へえ~これが・・・ちょっと岩沢に似てないか?」

「たぶん持ってるギターが同じだからだと思う・・・でしょ?綾崎」

「そう・・・だと思う。」

「ふ~ん・・・お、コレってマスターじゃねーの?」

ひさ子が頭にバンダナを巻いたドラマーを指さした。

「よく分かったな。」

「ふふふ・・・私の勘は結構当たるんだよ」

確かにとんでもない強運の持ち主だからなコイツ・・・。

トランプで負けたところ見たこと無いし、くじ引きだって毎回当たるし、じゃんけんも最強だし。

「はわぁ~~~可愛いぃぃぃ」

「あ、それは・・・!」

一番見られたくない赤子の時の写真!?

「な、なぁ・・・コレってちっちゃいときの綾崎!?」

俺は気恥ずかしさで言葉が出ず、ただ首を縦に振った。

「ほら、岩沢も見てみろよ!」

「・・・可愛い」

岩沢さんの一言で俺の気恥ずかしさゲージは最大値に達した。

「はい、終了!時間切れだ!」

素早くひさ子の手からアルバムを奪い、箱にしまった。

「ちぇ~・・・もう少し、綾崎の恥ずかしがる顔見たかったのに」

それはお互い様だと俺は心の中でひさ子に言った。あの時の猫化の動画まだあるんだからな?

 

 

 

 



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24話「もう夢は叶わないんだなぁって・・・」by玲於奈

「銭湯なんて初めてだな。本当に毎日通ってるのか綾崎?」

「ああ、あの家にはシャワーしか無いからな。」

「今時珍しいな。」

「お父さんに言ってるんですけどなかなか聞いてくれなくて・・・」

 

入り口で岩沢さん達と分かれて、服を脱ぎ浴場に入る。案の定誰一人もいなく俺の貸し切り状態だった。

広い浴槽を独り占めできるのはなかなか気分が良く、歌い出したくなるような気持ちになる。

が、今日は壁を挟んで隣に三人がいるためそれは出来そうにないようだ。・・・残念。

 

カラカラカラ・・・。

「おぉ、なかなか広いな。これが銭湯か~」

「ひさ子、あまり大きな声を出さない方が・・・」

「大丈夫ですよ、どうやら私たちだけみたいですし」

「どれどれ・・・うお、順調に育っておられるな~お主!」

「や、やめろ・・・ひさ子」

「ナチュラルに触りますね・・・ひさ子さん」

「そんな玲於奈ちゃんは・・・わぁお、はだ凄いきめ細かいな。岩沢も触ってみろよ!」

「・・・・・・」

「ひゃっ・・・どこ触ってるんですか岩沢さん!?」

「どこって・・・m」

「言わなくて良いです!」

 

そんな会話が壁越しに否が応でも聞こえてきてしまう。

「おーい、綾崎~?」

「なんd・・・ぶふ」

危ない危ない・・・ここで返事をしてしまったらさっきの会話を聞いたことになってしまう。

「聞こえるわけ無いじゃないですかひさ子さん、壁があるのに」

「ま、そりゃそうか・・・返事が聞こえたら半殺しにしてやったのに」

「さっきの会話を聞いていたことになるからか?」

「あ、そういえばそうですね」

・・・・・・マジで返事しなくて正解だったようだ。

 

これ以上余計な身の心配をしないように手早く頭を洗い、浴場を出た。

 

 

 

 

 

 

 

カラカラカラ・・・。

湯船に浸かっている時に”男湯側”の扉が閉まる音を聞いた。どうやら綾崎は早くも浴槽を出て行ったようだ。

それならそれで丁度良い。岩沢と玲於奈ちゃんにアイツの話が聞ける。

「時に、玲於奈ちゃん。綾崎の記憶が戻ってから変な後遺症みたいなものは無かった?」

「はい、おかげさまでもう完全にいつも通りのお兄ちゃんです」

「玲於奈ちゃんって昔から綾崎のコトをそう呼んでるのか?」

「はい、物心ついたときからいつも一緒に遊んでたので」

「それで本当のお兄ちゃんになったわけだ?」

「まあ、はい・・・そうですね」

とたんに玲於奈ちゃんの歯切れが悪くなった。

「嬉しくないのか?」

「嬉しいですよ!・・・・・・嬉しいです、けど」

「・・・けど、何?」

「もう夢は叶わないんだなぁって・・・」

「夢?」

「はい、昔からの夢だったんです将来お兄ちゃんのお嫁さんになるんだ~って・・・ふふ、おかしいですよね。小さい頃の夢を捨てきれないなんて。」

「いや・・・全然おかしくない。綾崎妹、いや玲於奈の夢はとても良い夢だ。」

「だってもう無理なんですよ?どんなに頑張ってもこれだけは叶わないんです。」

「それじゃあ今の玲於奈は幸せじゃないのか?」

「・・・・・・」

「綾崎は・・・アイツは人一倍他人の不幸に敏感なんだ。お前が幸せじゃなかったらアイツも心配する。」

「・・・岩沢さん」

「岩沢の言うとおりだよ。形がどうであれ今の玲於奈ちゃんが幸せならそれで良しだ。」

「はい・・・そうですね。やっぱり私は幸せです!あんなに優しいお兄ちゃんがいるんだもん!」

「ふふっふふっふっふ・・・可愛いなぁ玲於奈ちゃん。どれ、私の妹にもしてあげよう。聞くところによると朝が弱いんだって?それじゃあ毎朝起こすついでに愛でてあ・げ・る・・・」

「い、いやあああああ!!」

 

 

 

 

湯上がりの牛乳を飲んでいるときに女湯の方から悲鳴のようなものが聞こえてきた。

「ひさ子達がはしゃいでんのかな?」

窓越しに見える外ではちらほらと雪が舞い始めていた。



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25話「い、一緒の部屋で寝ても良いって言ってるの!文句ある!?」byレナ

銭湯から帰ってきた俺たちは作業後屋でスナック菓子やジュースを広げていた。

「綾崎~今何時だ?」

「11時59分・・・」

「おっとテレビ、テレビ・・・っと」

完全に自分の家のようにくつろいでいるひさ子がリモコンでテレビをつけた。

すろと丁度カウントダウンを始めるタイミングだった。

『5・・・4・・・3・・・』

「2・・・」

気付けば部屋にいる全員が自然にカウントダウンを始めていた。

「「1・・・0・・・」」

 

画面上の時計が日付の変更を知らせた。

「「開けましておめでとう」」

 

初めて経験する大人数での新年のお祝い。それは今まで迎えてきたもののなかで一番嬉しく感じた。

「・・・どうした綾崎?ぼーっとして」

不思議そうな顔をした岩沢さんが俺の顔をのぞき込んできた。

「いや・・・こうして大人数で祝うのは初めてだなぁって」

「楽しい?」

「そう・・・だな。楽しいよ、すげー充実した年末年始だ」

「良かったな。・・・今年もよろしく、綾崎」

「ああ、よろしく・・・岩沢さん」

「よし、やることはやったな。早く寝て初日の出見るぞ~」

「そう言うことならちょっと待ってろ。布団出すから。」

小屋には雑魚寝用の布団一式が閉まってあり、少なくとも人数分はあるはずだ。

「ち、ちょっと待ってよ。まさかみんなこの部屋で寝るの?」

「そのつもりだけど・・・ああ、そうか。大丈夫だよレナ。俺は隣の作業部屋で寝るから。」

「・・・・・・そう、なら良いんだけど。」

ここでなぜかレナは残念そうな表情を浮かべた。

「ふふっ・・・はっきり言いなよ玲於奈ちゃん。”お兄ちゃんと一緒が良い~”って。

私は別に構わないぜ。綾崎はそこら辺はちゃんとわきまえるだろうし、な?岩沢。」

「そうだな。綾崎なら大丈夫」

「いやいや、二人が大丈夫でもレナが反対してるでしょうが。」

無理に一つの部屋で寝る必要はない。ちゃんと二部屋あるんだから。

「・・・良いわよ」

「・・・・・・はい?」

「い、一緒の部屋で寝ても良いって言ってるの!文句ある!?」

「・・・アリマセン」

「聞いたか岩沢・・・アレが噂に聞くツンデレというやつだ」

「そうか・・・あれが」

なにやら感心している二人を無視して物置部屋から人数分の布団を並べる。

「よし、寝る布団はくじ引きで決めよう。」

タイミング良くひさ子が割り箸を四本取り出した。瞬間あの時の記憶がよみがえった。

「ストップひさ子、その割り箸見せてみろ」

「別に細工はしてないんだけどな・・・ほら」

ひさ子から受け取った割り箸は本人の言うとおりコレといった細工はしてなかった。

まだ少し疑いが晴れないが、どうにもしようがないのでひさ子に返却・・・いや、違うな。

「・・・俺が持つ。ほら、さっさと引いてくれ」

してやったり・・・と思ったが、ひさ子はまだ不適な笑みを浮かべていた。

水面下で互いに腹の内を読みあっている俺たちをよそに、レナと岩沢さんは素直に割り箸を取った。

「ほら・・・ひさ子、お前の分。」

「サンキュー」

コレでひさ子の手を一切加えさせずにくじを引けた。後は左右どちらかの端の布団を獲得できれば俺の勝ちだ。

割り箸の番号は1番、見事に端の布団を獲得できた。

みんなの割り箸を確認すると、岩沢さんが3番、レナが4番、ひさ子が2番だった。

その瞬間、岩沢さんとレナはひさ子に向かって恨めしそうな視線を送り、当の本人は勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。

そのとき俺は悟った。自分はひさ子に負けたのだと。

「じゃあ、明かり消すぞ~」

勝者はそう言って部屋の明かりを消した。



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26話「大丈夫・・・大丈夫・・・」by???

みんなが寝静まったのを確認して私はゆっくりと身を起こした。

綾崎には悪いけどこのくらいじゃ、私の強運は打ち消せない。

隣で静かに寝息を立てている綾崎をじっと見つめる。意外とまつげ長いんだな、寝顔も可愛いし。

イカン・・・なんか変な気分になってきた。

「こ・・・コホン」

誰に聞かせるわけでもなく小さく咳払いをして、さっさとやることを済ませる。

逆側で寝ている岩沢を見る。・・・うん、しかっりと寝てるな。相変わらず寝付きの良い奴め。

岩沢の布団をそ~っと引きはがしゆっくりと、細心の注意を払って慎重に身体を移動させる。

1234を1324に変更する作業を終えて自分の布団に潜り込む。

「こっちはこっちで楽しませてもらうぜ~」

ついでに1324を136にして瞼を閉じた。

予想通り、玲於奈ちゃんも寝付きが良い方のようだ。

良い夢が見れそう・・・おやすみ。

 

 

 

 

俺は夢を見た。

夢を見ていると自覚している状態で見ている夢、そんなときはいつも決まって嫌な夢を見る。

最初に現れたのは自分の母親、写真を見たせいなのかはっきりと顔で分かった。

母親が優しく微笑んだ瞬間それを引き裂くように鬼の形相の親父が現れる。

「お前がいなければ・・・お前が生まれてこなければ・・・」

「う・・・」

親父ののばした手が俺の身体を貫通し、内側から身体を破壊し始める。

夢だといくら頭で念じても悪寒と、苦痛は止まらなかった。

「やめ・・・ろ」

やがて親父は何かを引きずり出し始めた。それは内蔵ではなく何か別のもの・・・。

「見せるな・・・見たく・・・な・・・い。」

だが、意志に反してまぶたは閉じることをしない。

俺の身体の中から引きずり出された何か。それはアイツの、瀬菜の頭だった。

頭だけの瀬菜はうつろな眼で俺を見つめ言う。

「どうして?・・・何で?・・・」

「やめろ・・・俺は・・・」

「どうして?・・・何で?」

機械的に同じ言葉を紡ぐソレはさらに悪寒を激しくさせた。

心拍数が上昇し、手足の震えが止まらない。涙も出始める。

「助けて・・・誰か・・・」

 

すると、突然何か温かいものが全身を包み込んだ。

『大丈夫・・・大丈夫・・・』

その言葉だけで不思議と安心した。手足の震えが止まり鼓動も落ち着いた。

出てくる涙はおそらく違う意味の涙だろう。

俺はその見えない温もりを求めるように両手で抱きしめた。

「ありがとう・・・」

 

 

 

 

 

 

 

突然ぱっと眼が覚めてしまった。時計を確認するとまだ明かりを消して2時間ほどしか経っていない。

そこで私は違和感に気付いた。場所が移動している。

何で隣に綾崎が?何でひさ子は玲於奈を抱き枕に?

「・・・うぅ・・・ぐ・・・」

綾崎布団から小さくうめき声が聞こえてきた。

「綾崎・・・泣いてるのか?」

 

返事はない。悪い夢でも見ているのか?

綾崎の顔が見えるようにそっと布団をどかすと、案の定苦痛の表情を浮かべていた。

それに身体が小刻みに震えている。

「・・・助・・・けて」

助けて。確かにそう聞こえた。

少し迷ってから、勇気を振り絞って綾崎の布団に入った。

自分以外の体温で暖まった空間に心臓の鼓動が速くなるのを感じる。

 

私は震える綾崎そっと抱きしめる。一段と鼓動も加速していく。

「大丈夫・・・大丈夫・・・」

ゆっくりと自分自身で確かめるように囁いた。

すると、次第に綾崎の身体の震えが止まり規則的な呼吸が聞こえてきた。

とりあえずほっと一息をつく。

 

ぎゅっ・・・。

 

「ち、ちょっと・・・綾崎?」

突然逆に綾崎が私に抱きついてきた。まるで私を逃がさないかのように。

・・・仕方がない。今日はこのまま寝てしまおう。

そう思って緊張を解くと、途端に眠気が襲ってきた。

「ありがとう・・・」

意識が半分薄れている状態のなか綾崎の声が頭の中に響いていた。



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27話「俺の問題に全部ケリを付ける」by紅騎

「ひさ子、本当にこんな場所で日の出なんか見られるのか?」

「心配するなって、私は毎年ここで日の出を見てるんだよ」

・・・それなら良いけど。

「綾崎、ひさ子、見えてきた・・・。」

岩沢さんの指を差す方向を見ると少しずつ空が明るくなってきているのが確認できた。

そういえば初の日の出を見たのもコレが初めてだった。そう思うと少し感慨深いものがあった。

「よし、ここらで皆さんの抱負を語ってもらおうか。まずは玲於奈ちゃんから」

「私ですか?えっと・・・、インターハイ出場です!」

「お、良いね~岩沢は?」

「リズム隊を見つけて、本格的な活動を始める。」

「私も岩沢と同じ、去年はちょっと退屈だったからな。じゃあ最後に綾崎!」

・・・俺の抱負か。少し考えてみる。去年は間違いなく騒がしい一年だった。そして今年も間違いなく忙しいだろう。

だから俺はこう答えた。

「俺の問題に全部ケリを付ける」

 

そう、まだ問題はたくさん残っている。

 

 

 

 

 

「うぅ~緊張する~」

「今更何言ってるんだよ。本番は上手くいったんだろ?」

「強いて言うなら怪しい感じが一つだけあったのよね・・・ちゃんと書いてあったかな~?」

今日はレナの合格発表の日だ。俺も去年はこんな感じだったと、少し懐かしい気分になる。

「よし、行ってこい!」

「・・・ま、待って。」

レナの背中を軽く押すと、こちらに振り返って袖を少しつまんできた。

「どうした?」

「い、一緒に来て・・・」

俺もあの人混みの中に入らなきゃいけないと少しため息をついたが、可愛い妹のためだ付き合ってやろう。

「・・・はいはい」

レナに引っ張られる形で人混みの中に突入。幸いお互い平均より高めの身長なので最前列まで行く必要は無かった。

一般合格から順番に探していると、レナの受験番号である205番を見つけた。

合格ランクはなんと特殊生だった。

「おい、レナあったぞ。」

「え?どこ、どこ!?」

「ほら、特殊生の所。」

「え・・・うそ、やだ・・・なんで?」

突然レナは大粒の涙を流していた。この様子だと自分でも何で泣いているのか分からないみたいだ。

「頑張ったな、レナ。」

「うぅ・・・ぐすっ・・・」

そっと頭を撫でた瞬間、リミッターが外れたようにレナは泣きながら抱きついてきた。

「やったよぉ・・・やったよ、お兄ちゃん!!」

 

 

レナが落ち着くまでしばらくそのままにしてやった。

先に来ていた平沢姉妹が驚いた顔をしていたが、レナは気が付いていないようだ。

どうやら憂も特殊生では無いが、特待生で合格したようだ。

 

 

みんなが落ち着いて校門を出ようとしたときに、見覚えのあるツインテールが揺れていた。

 



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二年生編
28話「・・・別に。ただそんな気分だったから。」by岩沢


短い春休みが終わり、今日から新学期が始まろうとしている。

「おい、レナ!起きろ!」

「う~ん・・・入学式は午後からだよぉ・・・」

「だからといって朝食を抜いて良い理由にはならん!」

「うぅ~分かったよ・・・」

毎朝の恒例行事を終え、一階に降りてさっさと朝食を食べてしまう。

早く支度しないともう一つの恒例行事が早く来てしまうから。

「おっはようございま~す!」

いつもよりも10分早く岩沢さんとひさ子が来た。コレがもう一つの恒例行事。

「早いな、二人とも。」

「いやぁ、いつもより10分早く岩沢が来たもんだからさ~」

なるほど。岩沢さんが発端か。俺はいつものようにギターケースを担いで、通学鞄を手に持つ。

「それじゃ行くか。行ってきます。マスター、レナ。」

「おう、行ってこい!」

「・・・行ってらっしゃいぃ~」

 

 

岩沢さんとひさ子が並んで歩く、二三歩後ろを歩きながら去年の入学式のことを思い出した。

「そういえば岩沢さんは何であの時歌ってたんだ?」

「・・・別に。ただそんな気分だったから。」

「ふ~ん・・・」

会話終了。まあ、さすがに一年経てば慣れるけど。

「こ~う~く~ん!」

ドス!!

「うごぁ!?」

背後から極上のボディブロー&チョーキングを極めてきたのは我らが天然ギター娘平沢唯。

今日も朝からハイテンションだ。

「久しぶりだね~」

「久しぶりも何も昨日も一昨日も会ってるだろ?」

「じゃあ、昨日ぶりだね~」

じゃあって何だよ、昨日ぶりって何だよ!?

「おはよう、平沢。今日も元気だな」

「・・・おはよう」

「ひさ子ちゃんもまさみちゃんもおはよ~・・・あ!りっちゃん達だー!」

そう言って唯は前方を歩く田井中、秋山、琴吹の中に突入していった。

「・・・忙しそうだな。平沢。」

「まあ、そう見えるかな・・・」

俺たちはいつも通り取り留めのない話をしながら、学校へ向かった。

 

 

 

 

 

玄関で上履きに履き替え、校舎内に入った瞬間。目の前に黒山の人だかりが出来ていた。

「・・・クラス替え?」

「確かにそんなものがあった気がする・・・」

「どれどれ私たちの名前は・・・っと。あれ?綾崎の名前が無いぞ?」

ひさ子が変なことを言うので、自分の眼で確認する。

「いや、ちゃんと5組に名前があるだろ。しかも三人とも同じクラス。」

「おかしいな・・・いつから姓が葵になったんだよ?」

「あれ?言ってなかったっけ?」

「・・・聞いてない。」

「聞いてないな。」

・・・そうだっけ?

「まあ、良いか。ほら、早いトコ教室に行こうぜ。」

さっき見た限りでは音無と日向が同じクラスだな。

 

 

「おはよう音無。今年も同じクラスだな。」

「ああ、おはよう。しかし驚いたぞ、いつの間に姓が葵に変わったんだよ?」

「本当は去年からもう葵だったんだけどな。」

席は相変わらずの一番後ろの窓際だった。

「おぉ!音無に綾崎…じゃなくて葵じゃねーか!また同じクラスだな!」

朝から元気な日向が俺たちに寄ってきた。

「朝からテンション高いな日向。何か良いことでもあったか?」

「いやぁ、まさかうちの学校の天使ちゃんと一緒のクラスになれるなんてな!」

「…天使?誰だそれ。」

すると日向が、がっしりと俺の首に腕を回してきた。

「誰ってお前、立華奏を知らないのか!?」

「…ああ、確か特殊生の中にいたかも。」

「お、噂をすれば来たみたいだぞ。」

教室の前の扉から小柄な女子生徒が入ってきた。

綺麗な銀髪に凛々しい顔つき。なるほど天使と呼ばれるだけのことはある。

「…確かに綺麗な子だな。」

「だろ?しかも誰も世話をしてなかった花壇に水をあげたり、捨て猫の新しいもらい手を探したりしたらしいぜ。」

「見た目じゃなく、心も天使だな。」

 

ふと音無の方を見てみると…。

「……」

「おーい、音無~起きてるか~?」

立華の方を見たまま硬直していた。

「あ、ああ…大丈夫」

…こりゃ、あれだ。フラグってやつかな?

 

 

 

 

新入生が入ってきたと言うことで、ついに本格的にリズム隊を探すことにした俺たち。

まず最初はビラ配りから初めて見たのだが・・・。

「軽音部・・・ごめんなさいあの部活はちょっと。」

「あー悪いな、俺他に行きたい部があるんだ。」

「あの部活・・・ちょっと怖くて。」

話しかける人ほとんどにビラさえ渡せない状況だった。

原因は分かっている、唯達だ。

彼女たちが演劇部から借りたという不細工な着ぐるみを着て配ったせいですっかり新入生に怯えられてしまったのだ。

早々と校舎に戻った俺たちは重い足取りで部室に戻ろうとした。

 

「こんなの本物じゃないです!!!」

そんな大声がジャズ研の部室から突然聞こえてきた。

ドム!!

「きゃっ!」

「ぐふぉぁ!?」

すると赤いリボンを付けた女子生徒二人が勢いよく飛び出してきて、俺とまともにぶつかってしまった。

しかも丁度俺の鳩尾にクリーンヒット。膝の力が抜けてそのまま崩れ落ちてしまった。

「・・・綾崎?」

「お~い葵~生きてるか~?」

岩沢さんとひさ子の後ろからもう一人、金髪の女子生徒が心配そうに声をかけてきた。

「あの・・・大丈夫ですか?」

「いってて・・・ああ、大丈夫。君、立てるか?」

何とか起きあがった後、俺の横で倒れている女子生徒に手を差し出した。

「は、はい・・・ありがとうございm・・・あ、あなたは!!」

俺の顔を見るなり一目散に逃げ出す女子生徒。

「あ、ちょっと待ってよみゆきち!」

それを追いかけるようにして二人はあっという間に姿を消した。

「・・・何だったんだ、一体。」

 



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29話「こんなの・・・こんなの本物じゃないです!!!」by入江

「ねえねえ、みゆきち。」

音楽雑誌を立ち読みしながら私は占い雑誌と睨めっこをするみゆきち・・・入江みゆきに声をかけた。

「やっぱりドラムとベースだけじゃ無理じゃない?」

「うん・・・私もそう思う。けど・・・。」

みゆきちの言いたいことは分かる。色々なライブハウスでメンバーを募集している所はあったけど、さすがにドラムとベースを募集しているバンドは無かった。

「はぁああ・・・セッションしてみたいな~。」

「そんなことよりしおりん、高校決めた?」

「桜高で良いかなって、近いし。」

「しおりんも?」

「も・・・ってみゆきちも桜高なの?」

「うん、あそこならジャズ研があるから演奏できるかなって。」

「ふ~ん・・・。」

この後私達はその桜高の文化祭に立ち寄った。

 

そこで運命的な出会いをした。

『続いては軽音楽部によるバンド演奏です』

「けいおんがくぶ?知ってるみゆきち?」

「軽音楽は知ってるけど、この学校にあったんだ・・・。」

そして現れたのはメイド服姿の女の人四人と、執事服を着た男の人だった。

「なぜ・・・メイド服。」

「あ、あははは・・・。」

奇怪な格好をした五人は前振りも無しに突然演奏を始めた。

最初に弾いた曲は翼をくださいだった。

その一曲で私はやられてしまった。格好良すぎる、凄すぎる。

「しおりん決めたよ。わたし絶対軽音部に入る。」

 

 

そして私達は念願の桜が丘高校の門をくぐることが出来た。

早速私達は軽音部の部室を探すことにした。

「ねぇしおりん・・・本当に場所分かるの?」

「うーん、確かこっちからドラムの音が聞こえたはずなんだけど。」

「うぅ・・・アバウトすぎるよぉ。」

耳を頼りに私はめぼしい教室のドアを開けた。

「失礼します、見学しに来ました~。」

「あ、新入生?ようこそ”ジャズ研”へ。好きに見ていって良いよ~。」

「し、しおりん~・・・。」

ま、間違えちゃった・・・。どうしよう今更帰りますなんて言えないし・・・。

「君たちはジャズに興味があるの?」

「は、はい!」

「・・・・・・」

みゆきちの私を見る眼がちょっと鋭くなった。

「そっか・・・まあとりあえず聞いてってよ。」

そう言ってジャズ研の先輩達は演奏を始めた。

 

 

演奏を聴いていると私はなんだか不思議と胸がざわついた。

別に先輩達の演奏が下手だからな訳じゃない。だけどこの演奏には何も届くものが無かった。

ただ弾いているだけ、ただリズムを刻んでいるだけ・・・そう私の耳には届いた。

「ふぅ・・・どうだった?私達の演奏。」

「・・・先輩達はどんな気持ちで演奏しているんですか?」

「いきなり難しいことを・・・そうだなぁ。私は楽しかったら何でも良いよ。」

 

このときの私はちょっとだけ平常心を失っていたのかも知れない。

 

ちがう、私がやりたいのは楽しいだけじゃ駄目なんだ。もっと、もっと高い意識の・・・。

そう、あの時のあの人達みたいな。

「こんなの・・・こんなの本物じゃないです!!!」

そう叫んだ私はジャズ研のドアを乱暴に開き、何も考えずに走り出した。

けど、なにも考えずに前も見なかった私は突然現れた人に勢いよくぶつかってしまった。

先に立ち上がったその人は親切にも私の手を取って立ち上がらせてくれた。

「あ、ありがとうございm・・・、あ、あなたは!」

御礼を言う前に驚きの感情が先に出てしまった。

だって目の前にいたのはあの時、あの場所で演奏をしていた人本人だったのだから。

とたんに恥ずかしくなった私は一目散にその場所から逃げ出した。

あとからしおりんのびっくりした声が聞こえてきた。



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30話「あ、あなたはさっきの!」by関根

結局成果のなたっか俺たちは早めに下校して楽器屋に立ち寄っていた。

いい加減部活中お茶を飲んでいるときに演奏すると切れる顧問対策に、エレキドラムが欲しいと思っていたからだ。

そうすれば全員の音を一つにまとめてヘッドホンで聴くなんてことも出来るからだ。

店内にはいると、ベースとドラムの音が聞こえた。どこかで聞いたことのある旋律だった。

「へぇ、なかなか上手いな。」

「ちょっと見てみようぜ、どんな奴が弾いているのか興味が沸いてきた。」

ひさ子の後に続いて、物陰に隠れてそっと覗いてみた。

「綾崎・・・あの二人はさっきの子達じゃないか?」

岩沢さんの言うとおり、さっき俺にぶつかった子がドラムを、金髪の子がベースを演奏していた。

これは絶好のチャンスかも知れない。早速声をかけに行こうと思った矢先。

「・・・少し良いか?」

「あ、あなたはさっきの!」

いつの間にか自分のギターを持った岩沢さんが声をかけていた。

遅れて俺とひさ子も姿を晒す。

「あ・・・あぅ・・・。」

途端にドラムの子が申し訳なさそうにうつむいてしまった。

それを気にしないようにして俺はベースのこの方に話しかけた。

「さっきの演奏良かったよ。ベースとドラムだけなのに凄いな。」

「ありがとうございます!・・・それで先輩達はなんで楽器を準備してるんですか?」

「いきなりだけど合わせてみない?何の曲ならできる?」

岩沢さんが代わりに答えた。すると、二人は驚きの表情を見せた。

「そ、そんな・・・いきなり無理ですって!」

「さっき弾いていた曲。あれってcrow songじゃないか?」

二人はさらに驚きの表情を見せた。

「確かにちょっと違うところもあったけど、アレは確かにcrow song だったな。よく分かったな岩沢。」

「な、なんで分かったんですか?」

「あの曲は私が作曲したんだ。それにしても凄いな。一回聞いただけであんなに良いアレンジが出来るなんて。やっぱり経験者は違う。私にはああいう天性の勘みたいなものは無いから。だから一緒に演奏してみたい。いや、是非演奏させてくれ。」

目の色が変わった岩沢さんはベースのこの方を掴んで熱弁をふるった。

「ど、どどど、どうしようみゆきち・・・私達セッションするの初めてだよね?」

「あ・・・うん、べつに良いですよ。・・・私興味があるから。セッションするの。」

「よしじゃあ早速合わせよう。」

「はい、ちょっと待ちなさい。」

暴走気味の岩沢さんの顔を両手でホールドして、こちらに向かせる。

「一回落ち着こうか。平常心でやらないと出来るものも出来なくなるぞ?」

「・・・・・・すまない。」

よし、これで大丈夫だ。店員に許可をもらってエフェクターに接続をした。

「あ、あの・・・ドラムイントロから入っても良いですか?」

ドラムの子がおどおどしながら聞いてきた。

「ああ、構わない。ひさ子、合わせられる?」

「全然問題ないぜ~。」

「ありがとうございます・・・。」

ドラムの子は一度目を閉じて深く深呼吸をした。次に目を開いたときは別人のような目つきをしていた。

これが彼女なりのスイッチの入れ方なんだろう。

軽快なライドシンバルの後、彼女はスネアを鋭く叩き続けた。

岩沢さんはそこに合図代わりのスライドを入れた。

俺たちはそれに合わせてイントロを奏で始めた。

 

やっぱり秋山や田井中のちょっと遠慮した演奏と違って二人は全力でリズムを刻んでいた。

とても初めて合わせるとは思えないほど堂々とした演奏だった。

ついに見つけた。最高のドラムとベースを。



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31話「・・・こっちだって心の準備が。」ひさ子

翌日、二人は正式に新入部員として登録された。

唯達は今日も散らし配りに精を出しているそうだ。

金髪の子は関根しおり通称しおりん。銀髪の子は入江みゆき通称みゆきち。

彼女たちは小学生の時から一緒で、ベースとドラムを楽しんでいたがなぜかバンドには参加していなかったらしい。

理由はリズム隊を募集しているバンドが無かったから。だそうだ。

そしてあの件について聞いてみた。

「入江、なんであの時あんな言葉を?」

「えぇと・・・その・・・本物じゃ無かったんです。あの人達の演奏は。」

「本物じゃないってどういうことだい?」

「はい、何というか・・・ただ弾いているだけで何も伝わるものが無かったんです。」

・・・この子はおどおどしているが言うことは言うんだな。

「そう言えば何で君たちはcrow songを知っていたんだ?」

「それはですね。去年ここの学園祭に来たときに聞いたんです!」

「たった一曲だけで・・・へぇ良い耳持ってんじゃん。」

しかも一曲聴いただけでアレンジまで出来るとはかなりの腕前と見て良い。

「二人は役割分担をしてる?」

「はい・・・岩沢先輩の言うとおり私が曲を覚えて、しおりんがアレンジしました。」

「ちなみに二人はレパートリーは何曲くらい?」

「ざっと200曲と言ったところです!」

俺たちは驚嘆の声を漏らした。

「私からも質問しても良いですか?」

「もちろん。何でも良いぜ~。」

「葵先輩は・・・なんで岩沢先輩からは綾崎って呼ばれてるんですか?」

・・・そう言えばそうだったな。これは岩沢さん本人に聞かないと分からないし。

「前の名字が綾崎だったんだよ。それで俺も知りたいんだけど何で?岩沢さん。」

「綾崎は・・・綾崎だ。」

「・・・そういう理由らしいよ。」

「はいは~い私からも質問です!葵先輩と岩沢先輩はどういう関係なんですか?」

「ちなみに聞くけど関根サンからはどんな風に見える?」

「かなり円熟した恋人同士に見えます!」

「素直な意見ありがとう。・・・だけど私と綾崎は別にそんな関係じゃ無い。」

岩沢さんが丁重に否定した。

「そうだそうだ。こいつらはそんな程度じゃ収まりきらないほどの深~い関係なんだよ!」

「・・・ひさ子。」

ひさ子の余計な発言に岩沢さんはちょっとだけ怖い目つきをした。

「はっはっはっはっわりーわりー。」

「じゃあひさ子先輩と葵先輩が付き合ってるんですか?」

ここで俺は仕返しに関根の発言に乗っかって、ひさ子の肩に腕を回して答えた。

「よく分かったな~実は俺とひさ子が深~い愛情で・・・」

「ただ今~ビラ配り疲れたよぉぉ・・・」

タイミング悪く唯達が帰ってきた。もちろん今の会話もバッチリ聞かれた上にこの状況だ。

唯の顔がどんどん青ざめ初め、しまいには目に涙があふれ始めた。

「うわ~ん・・・コウ君が人のものになっちゃったよぉ~・・・。」

 

 

 

「ごめんなさい。もう二度と悪ノリしません。」

この後バッチリ部長さんに怒られた俺はひさ子の前で正座をして謝った。

「今後一切あんなこと突然やるなよ。やるなら先に言ってからな。・・・こっちだって心の準備が。」

「ひさ子さんさらに誤解を招くような発言をやめていただけないででしょうか。」

「そうか?にししし、ほらどうしたこ・う・き・くん。さっきまでの威勢はどこへ行ったのかな~?」

「うぅ・・・マジで勘弁してください。」

今日の部活はひさ子にいじられ続けるのと、全員の誤解を解くのと、一気に不機嫌になった岩沢さんに謝ることに時間を費やされた。



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32話「・・・だめ?」by岩沢

唯達が勧誘活動を初めて早一週間。一向に新入生が現れる雰囲気がない。

「うぅ・・・どうしようコウ君。」

どうしようと言われてもな・・・その着ぐるみが原因なのは丸わかりだし。

かといって今更制服で勧誘しても効果はないだろうし。

「山中先生、助言を願いたい。」

「そんなの簡単よ。新歓ライブで新入部員をゲットすれば良いでしょ。」

「おお!その手があった!さすがさわちゃん!」

机の上でぐったりしていた田井中が突然元気になった。

「そうか・・・最初からそうしていれば。」

今更ながら落ち込み始める秋山。おい、しっかりしろ田井中の保護者。

「そうと決まれば早速練習だよ!」

楽器を準備し始める四人を俺たちは琴吹に煎れてもらった紅茶を飲みながら眺めていた。

「あなた達は良いの?」

「はい、必要なメンバーは集まりましたから。」

「じゃあ、ライブも出ないつもりなの?」

「はい、そのつもりです。」

さすがに”新”入生”歓”迎ライブに新入生を出すわけにはいかない。

それに前みたいに田井中と秋山を使って唯達に迷惑をかけるわけにもいかないからな。

「綾崎の言うとおり。それにまだ他にもやることがある。」

そう言って岩沢さんは楽譜やら何やらを机に広げた。

「凄い、これって全部岩沢先輩が書いたんですか!?」

「・・・そうだけど。」

「やっぱり作曲できるなんて凄いです。私じゃアレンジが限界ですから。」

「アレンジが出来るなら作曲もこつを掴めばすぐにできるさ。」

そう言って岩沢さんは一冊のノートを関根に手渡した。

「これ・・・何のノートです?」

「やりたい曲のイメージとかをまとめたノート。作曲、してみなよ。」

「い、いきなり作曲ですか!?む、無理ですよ!!」

「別に明日明後日で完成させろって訳じゃないから。・・・大丈夫。」

「何が大丈夫なんでしょう・・・。」

諦めろ関根・・・一度決めたことは絶対曲げないからな。この人は。

「よかったねしおりん。失敗を恐れるよりもやらないことを恐れよ・・・だよ。」

「うぅ・・・みゆきちが某自動車会社の社長さんになちゃったよ~。」

「ま、やるだけやってみるのも大事だぜ?」

「・・・はい。」

 

「それで、曲順はどうする?」

「う~んそうだなぁ・・・」

「はい、私モンブランが良い~」

「はい、どうぞ~」

「唯ちゃんームギ紬ちゃーん、何やってるのかなぁー?」

・・・あちらはあちらで苦労しているようだ。

 

「それじゃ新曲。」

岩沢さんはファイルから楽譜を取り出して全員に手渡した。

「岩沢の三曲目か・・・それどれ。Hot meal?何じゃこりゃ。」

「岩沢さん・・・この曲名は?」

「・・・だめ?」

うん、駄目だよその上目遣いの「・・・だめ?」は。・・・直視できない。

「ま、良いんじゃねーの?岩沢の曲なんだし。」

俺の代わりにひさ子が意見を言ってくれた。ふぅ・・・サンキューひさ子。

「良かった・・・私もこの曲名はどうかと思ったんだけど。ひさ子が言うならしょうがない。」

「変えろ!そんな理由なら即刻変えろ!」

「・・・・・・」

なぜかちょっとすねた表情になる岩沢さん。いや、ちょっとじゃないあからさまにしゅんとしている。

まるで飼い主に怒られている犬のごとく。

「ま、まあ曲名は置いといて。それでこの曲は半音下げ?それともレギュラー?」

「まだ決まってない。半音下げにするとギターソロで何となく違和感が出るんだ。でも半音下げると迫力が出る。」

つまりそこで迷っているわけですかい。

「ま、とりあえずレギュラーの方でやってみよう。半音下げはその後かな。」

「じゃあ、イントロでもう少し迫力が出るようにした方が良いんじゃねーの?」

「・・・やってみる。」

 

「ねーねー澪ちゃん、お茶にしよーよー。」

「そうだーそうだー休憩させろー。」

「おい、こら部長。」

「じゃあ、お茶用意するわね~」

「わーい、さっすがムギちゃん!」

「はぁ・・・じゃあ少し休むか。」

 

頑張れ秋山澪さん、アンタはえらい。だが相手が悪い。

 



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33話「・・・やっぱりやりやがった。唯の奴。」by紅騎

「玲於奈ちゃ~ん、お昼一緒に食べない?」

お弁当を抱えた憂が私の隣の机に座る。

「もちろん。そういえば憂って朝昼晩全部作ってるんだっけ?」

「うん、そうだよ~。うわぁ、玲於奈ちゃんのお弁当おいしそう~。」

「あ、ありがと・・・。」

「これって玲於奈ちゃんが作ったの?」

「私朝弱いからお兄・・・こほん、兄さんが作ってくれるの。」

危ない危ない・・・さすがに学校でお兄ちゃんは恥ずかしいもん。気をつけないと。

「へぇ~紅騎さん何でも出来るんだね。」

「うん!・・・・そう言えば憂は部活入るの?」

「ううん、私は家事とかお姉ちゃんのお世話とかがあるから。」

相変わらず平沢家の大黒柱ね・・・。

「憂って本当に唯さんのこと好きだよね。」

「うん!けど玲於奈ちゃんも”お兄ちゃん”大好きだもんね~。」

ば、ばれてたか・・・。さっきからちょっとニヤニヤしてたのはやっぱり気のせいじゃ無かったか。

「玲於奈~私も一緒に食べて良い?」

声のした方を見ると、梓がコンビニの袋を持って隣に立っていた。

「玲於奈ちゃん、この子は?」

「あ、うん。この子は”あの時期”に会ったの。名前は中野梓。」

「よろしく・・・玲於奈、あの時期って?」

梓が適当な机を近くに寄せながら聞いてきた。

「こ、こっちの話・・・それでこっちが平沢憂。いわゆる幼馴染みってやつ。」

「よろしくね、梓ちゃん。」

「うん、よろしく憂。それで玲於奈、紅騎さんはジャズ研?それとも軽音部?」

やっぱりその話がでたか・・・大丈夫かな?梓今のお兄ちゃんを知らないからなぁ。

まあ、その時はお兄ちゃんが何とかしてくれるから大丈夫か。かなり理不尽だけど私じゃどうにも出来ないし・・・。

「軽音部だけど、梓も軽音部に入るの?」

「当たり前じゃない!それに軽音部のレスポールの人すっごい格好いいんだよ!」

「えへへ~」

それを聞いて憂の口がゆるみ始めた。

「・・・って、なんで憂が笑ってるの?」

「憂のお姉さんがそのレスポールの人なの。」

「へえ、そうなんだ!演奏が凄く上手で私の憧れなんだ~きっとここの軽音部レベル高いんだろうなぁ。」

・・・・・・こっちも大丈夫かな?だいぶ唯さん美化されてるけど。

ちょっと憂の顔が焦り始めた。

ごめん憂、こっちはお兄ちゃんでもフォローできないかも。

 

 

 

今日は唯達の新歓ライブの日だ。

といっても俺たちは出演しないので準備と片付けを手伝うだけだ。

その間俺たちは舞台袖で見ていることにした。

「いやぁ~こうして見る側にたつのも新鮮だな。」

「確かに・・・。」

「秋山先輩達がどんな演奏するのか楽しみだね~みゆきち!」

「うん!」

証明が落ち始めて、周りが徐々に暗くなる。ライブが始まる合図だ。

 

 

 

ライブはとりあえず順調に進んでいるようだ。秋山も多少緊張しているようだが問題は無さそう。

心配なのは唯だ。おそらく自分に酔い始めて変なミスをする恐れがある。

「じゃあ次の曲。私の恋はホッチキス~。」

そう言って唯はイントロを弾き始める。目線は完全にギターに。その横で異変に気付いた秋山は慌てて代わりに歌い始めた。

「・・・やっぱりやりやがった。唯の奴。」

「まあ、平沢らしいっつえば平沢らしいけどな。」

そして相変わらずこの歌詞センス。独特過ぎて俺にはついて行けない。

そんなトラブルもあったが無事に新歓ライブは終了した。

さあ、新入部員は来るかな?

 

 

 

放課後になり軽音楽部の部室内は妙に重い空気に支配されていた。

「コウ君、今何時?」

「四時四十分。」

「そろそろみんな下校なり、部活なりに向かう時間だな。」

そう言う秋山も少し声が震えている。

「うぅ・・・緊張してきたよ。コウ君今何時?」

「四十分と三十秒。唯は少し落ち着け。」

「そうだぜ唯、まだまだ時間はあるんだからゆっくり待てば良いんだよ。」

珍しく部長らしいことを言う田井中だが、さっきから意味もなくクラッシュシンバルの角度をいじっている。

「おっと、スティックが落ちた。」

・・・だめだこりゃ。

 

がちゃ・・・。

 

「あの・・・軽音部ってここですか?入部希望なんですけど。」

そう言って現れたのは小柄でツインテールの女子生徒・・・って、まさか。

「確保おおおおお!!」

「ぎゃあああああ!?」

まあ、突然見知らぬ先輩に襲いかかれたら驚くよな。

そんなことよりもまさかあの子が来るとは。

記憶喪失の時期にあった一人のギター少女。なんかまた変な巡り合わせだな。

「私お茶用意する!」

「よし確保したぞ唯!」

「やったねりっちゃん!!」

・・・そんなことよりもアイツらを落ち着かせる方が先か。

ついでに関根と入江の自己紹介も一緒に済ませてしまうか。

 

 

「えーと・・・一年二組の中梓です。パートはギターを少しだけ・・・。」

「一年三組の関根しおりです!パートはベースですよろしくお願いします!」

「同じく三組の入江みゆきです・・・パートはドラムです。よ、よろしくお願いします。」

「ふー・・・これで私達のバンドにも新入生ができたぞ~!」

「中野さん・・・だっけ、ギターって事は唯と一緒だな。」

「はい、よろしくお願いします。唯先輩!」

「先輩・・・せんぱい・・・せんぱい・・・」

中野の言葉がよほど嬉しかったのか唯はあっという間に自分の世界へ。

「そうだ、そっちにいる三人が私達とは別のバンドのメンバーで左からひさ子、岩沢、葵な。」

「あ・・・お、お久しぶりです・・・。」

そうだった。岩沢さんとひさ子も一度会ってるんだっけ。

「梓ちゃんだっけ。4ヶ月ぶりだな。」

「・・・よろしく。」

「何だ二人は面識があるのかよ~だったらもっと早く勧誘しても良かっただろ~」

田井中が不満たっぷりな様子でひさ子達に抗議した。

「はっはっは、わりーわりーでもこっちだって忙しかったんだぞ?」

「・・・・・・」

ひさ子と田井中の会話よりも俺は中野が不思議そうな目で見つめてくるのが気になっていた。

あれ~おかしいな~?とでも言いたそうな目だ。いや、実際に口が小さくそう動いたのを俺は見てしまった。

とりあえず俺は見なかったことにしていまだにトリップしている唯に話しかけた。

「おい唯、いい加減帰って来い。」

「はっ・・・そうだ、取りあえず何か弾いて見せてよ!」

帰ってきた唯は自分のギターを中野に渡した。

「ま、まだ初心者でお聞き苦しいところがありますけど・・・。」

そう言って弾き始めたギターソロはやっぱり唯よりも上手かった。

「あ、あの・・・やっぱり下手でしたか?」

「ま・・・まだまだだね!」

なぜだか見栄を張った唯は自分で自分の首を絞めることに。

「やっぱりそうですよね・・・よろしかったら唯先輩の演奏も聴かせてください!」

そして自分の手に戻ってきたギターを握りしめ、ちょっと涙目になる唯。

「あー・・・えっと。ライブでぎっくり腰になったからまた今度ね。」

なんとも苦しい良いわけだった。

 

 

「それじゃあ入部届は受け取ったから明日からよろしくな。」

「はい、私先輩達の新歓ライブみて感動しました!明日からよろしくお願いします!」

「うぅ・・・眩しすぎて直視できない。」

唯の化けの皮が剥がれるのもそう遅くないな・・・。



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34話「ひゃっ・・・せ、先輩!?」by梓

用があるからといって先に帰った田井中の代わりに俺が最後まで残って部室の鍵を職員室に返した。

もう校舎に残っている生徒も少なく、校庭で行っている部活も後片付けを始めていた。

靴を履き替えて校門に向かうと、物陰から長い黒髪が揺れているのを見つけた。

「中野・・・何やってんの?」

「あ・・・葵先輩・・・。」

確か中野はちょっと前に帰ったはずだったけど・・・。

「誰か待ってるのか?」

「えっと・・・先輩を待ってました。」

まあそんなことだろうとは思ってたよ。そうでもなければ玄関を出た瞬間俺と目があった理由が分からない。

「そりゃまた何で?」

「あの・・・ちょっと聞きたいことが。」

「とりあえず歩きながら聞こうか。帰り道はこっちだけど同じか?」

「あ、はい!」

こうして並んで歩くと改めて身長差を実感する。俺が普通に歩いてるつもりでも中野はちょっと大変そうだった。

「・・・で、聞きたい事って?」

歩く速さを中野に合わせながら俺は聞いた。

「葵先輩って・・・本当にあの綾崎紅騎先輩なんですか?」

「今年から葵に変わったけど正真正銘俺は綾崎紅騎だよ。」

「でも・・・あの時と全然雰囲気が違いますよね?自分のことも俺ってよんでるし・・・。それにちょっと怖いです。」

「あの時の俺はちょっとした事故で記憶喪失状態だったんだよ。」

「そ、そうだったんですか?」

「自分が誰なのか分からない日がずっと続いて結構大変だったんだぞ?」

「す、すみません・・・。」

落ち込んでいる様子の中野の頭に俺は手を乗せてちょっと雑に動かした。

「ひゃっ・・・せ、先輩!?」

「そう落ち込むなって。あの時の俺が唯一心を開いたのが中野だったんだからさ。」

ただ一方的に綾崎紅騎だと言うことを押しつけられて苦しんでた俺はあの瞬間確かに救われた。

「と、突然何言ってるんですか!」

「時間は経ったけどありがとう中野。あの時の俺を助けてくれて。」

俺は中野の頭を撫でるてに力を入れた。

「や、やめてください・・・うぅ。」

「いや、こうやって恥ずかしがる中野もなかなか・・・。」

「も、もう・・・先輩なんか嫌いです!前の先輩の方が良かったです!」

「そうは言うけどな中野。あんな風に優しく言い寄る男は何かしら下心があるんだぞ?」

「じゃあ今の先輩の方が安全だと言いたいんですか、それで安心させるつもりですか!?」

「No problem.I like woman who has little more a good style.」

訳:大丈夫。俺はもう少しスタイルの良い子が好きだから。

「言ってる意味は分かりませんが何だが凄くバカにされた気がします!!」

 

うん、やっぱり後輩をいじるのは楽しい。



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35話「迷惑じゃなかったら今からそっちに行っても良いか?」by岩沢

「ただいま・・・?」

家に帰るといつもマスターがいるのだが、今日は人の気配がない。

カウンターの上には知り合いと飲みに行くから夕食はいらないとそんなことが書いてあった。

~~~~~♪

着信音が鳴り響く、レナからのメールだった。

「陸上部の歓迎会で少し帰りが遅くなるね」

・・・だそうです。携帯をポケットにしまい冷蔵庫の中身を確認。

「何もない・・・だと」

最終手段のカップ麺もない・・・困った、今月は弦やらなにやら買い込んだせいで懐もピンチだし・・・。

~~~~~♪

今度は音声着信だった表示には岩沢さんの名前が。

「・・・もしもし?」

『あ、綾崎か?』

「何かあったの岩沢さん?」

「迷惑じゃなかったら今からそっちに行っても良いか?」

「うちに何か用でも?ギター関係?」

「いや、前に夕食作ってもらっただろ?その・・・」

「・・・・・・その?」

「そ、そのお礼に今度は私が作ろうかなと・・・め、迷惑じゃなかったらな。嫌なら別にいいんだ。」

「本当に?ありがとう恩に着る助かった。是非お願いします!」

「そ、そうか?だったら今からそちらに向かう・・・それじゃ。」

プツッ・・・ツーツーツー・・・。

ガチャっ

「来たぞ」

「早!?」

岩沢さんはビニル袋を下げたままちょっと得意げな顔になっていた。

「そちらに向かいながら電話したからな。」

「もし駄目だったらどうするつもりだったんだ?」

「安心しろ、私の明日の弁当になるだけだ。」

もし俺が断っていたら我が家の前で岩沢さんがUターンしたと思うと逆にこちらが申し訳なく思って来た。

「見たところ誰もいないようだけど・・・帰ってくるのか?」

「マスターもレナも外で食ってくるんだってさ。さっきそれ知ってさ冷蔵庫も空で途方に暮れてた所だったんだ。」

「・・・グットタイミング?」

「そう、だから助かったよありがとう岩沢さん。」

「なら早速作る。台所借りるぞ?」

「どうぞどうぞ。」

レジ袋を置いた岩沢さんは鞄をごそごそ漁ると中からあるものを取り出し、ブレザーを脱いだ後にそれを身につける。

いや、まあ何の変哲もない普通の青いエプロンなんだけど。制服を汚さないために必要なんだろうけど。

「・・・?何か変か?」

「いえ、何でもないです!」

さすがにもの凄く合っていると口に出すのは恥ずかしかった。

 

ラーメン屋でバイトをしているだけあってその手つきは手慣れていた。

ちょっとした空き時間で使い終わった調理器具を洗い終わるし、包丁さばきも見事だった。あんなに細い千切り初めて見た。

 

「おぉ・・・これはこれは」

食卓に並べられたのは白米、みそ汁、サラダ、ハンバーグ。まさに家庭の夕食のメニューだった。

「すまない・・・こんなのしか作れなくて。」

「いやいや何をおっしゃる、こう言うのがご馳走って言うんだよ。いただきます!」

ハンバーグなんて箸でスッと簡単に切れるくらいに柔らかいし、みそ汁もよく出汁がきいている。

あっという間にご飯一杯を完食してしまった。

「おかわり!・・・じゃなっかったこれくらいは自分で・・・あれ?」

いつの間にか茶碗が消え、岩沢さんの手に移っていた。

「今日は私が全部やる。綾崎は座っててくれ。」

「・・・はい、ありがとうございます。あ、ちょっと多めにお願い。」

有無を言わせない岩沢さんの表情には従わざるを得なかった。

「はい、ちょっと多め。」

「・・・岩沢さんも食べたら?」

「いや、綾崎の食べっぷりがおもしろくてつい・・・。」

「そんなにがっついてた?」

岩沢さんは無言で頷いて見せた。

おかしいな・・・ただ飯食ってるだけなのになんでこんなに顔が熱いんだろう?

 

 

 

「ふう、ごちそうさま。ありがとう岩沢さん凄く美味かった。」

「お粗末様・・・じゃあ手早く洗い物も済ませるか。」

「あ、そこまでしてもらわなくても・・・。」

じーーーーー・・・・・・。

「是非・・・よろしくお願いいたします」

「・・・・・・ん。よろしい。」

こういうのを尻に敷かれると言うのだろうか・・・?

 

 

辺りが薄暗くなり始めたので俺は駅まで岩沢さんを送ることにした。

「別に・・・大丈夫だぞ?駅までくらい。」

「駄目です、これは男の義務なのです。」

「そう・・・か。なら仕方ないな。」

しばらく無言で歩いていたがついに俺は沈黙に耐えられなくなり、話題をふることにした。

「いやぁまさか岩沢さんの手料理が食べられるとはな~。」

「店で私のラーメンを食べたじゃないか。」

「いやいや、俺だけに作ってくれるところがポイントが高いんですよ。」

「そういうものなのか?」

「そういうものなの。岩沢さんのエプロン姿なんてそれに滅多にみられない物もみることが出来たし。」

「や、やっぱり変だったか?制服を汚さない為に用意したんだが。」

「全然変じゃなかったよ。むしろ母親みたいで・・・。」

言いかけたところで俺は立ち止まってしまった。

「・・・・・・綾崎?」

「母親みたいで・・・か。」

 

 

俺はまだ克服出来てないのだろうか・・・。

過去との決別なんて簡単に言うけどそんなに現実は簡単な物じゃないな。

 

 

 

 

 

 

翌日改めて全員が集まったところで自己紹介を行うことになった。

「関根しおりです、ベースをやってます。好きなものはみゆきちです!」

「え、えぇと・・・入江みゆきです。ドラムをやってます。よろしくお願いします・・・。」

「中野梓です。一応ギターの経験があります。よろしくお願いします。」

「よしそれじゃあ早速・・・。」

「練習始めるんですか?」

「お茶にしようぜ~」

「えぇ~・・・」

中野が助けを求めるような視線を送ってくるが、俺にはどうしようもない。

諦めろと伝える代わりに苦笑いで答えた。

「コウ君も一緒にケーキ食べようよ~」

ガチャ・・・。

部室に入ってきたのは山中教諭。ただ一人中野が慌てた表情でティーセットを隠すように立ち上がった。

「あ、先生・・・これは・・・。」

「私、ミルクティーね。」

「は~い」

「えええええ!?」

・・・・・・うん、まあコレが普通の反応だよな。関根・入江、なぜ君たちは無反応なんだい。

「あら、この子が新入生の子?」

「は、はい、中野梓です。」

「ふーん・・・」

おそらく山中教諭は頭の中でまた変なことを考えているに違いない。

何を思ったか中野はギターを準備して1ストローク・・・。

ジャラ~~ン・・・。

「うるさぁぁぁい!」

「えええええ!?」

突如切れる山中教諭に戸惑いを隠せない中野。

「さわちゃんのアホーーー!!」

「ごめんな梓、あの先生ちょっと変なんだ。」

田井中と秋山のフォローむなしく中野の肩が震え始めた。・・・キレたな。

「こんなんじゃだめですーーー!!」

・・・・・・ほら言わんこっちゃない。

まあこれはアイツらの問題だからな・・・ここは何も言うまい。

「あの・・・葵先輩・・・良いんですか?」

「入江、時には厳しくする優しさというのもあるのだよ。」

「それって・・・止めるのが面倒なだけなんじゃ・・・。」

「ふぅ・・・・・・今日も紅茶が美味しい。」

「せめて否定してくださいよぉ・・・。」

 

まあ、アッチには人を落ち着かせるスペシャリストがいるからな・・・大丈夫だろ。

「唯、そんなので落ち着くわけ・・・」

「いー子いー子」

「ほわ~」

「「落ち着いた!?」」

幼少期は多分に世話になった唯のなだめ方はご健在のようだった。

 

「それはそうと葵君、昨日の夕食はどうされたのでしょうか?」

ひさ子が小悪魔の様な笑みを浮かべていた。

「・・・・・・どこで聞いた。」

「いやいや、やけに昨日そわそわしながら別れてったからさついでに鞄にエプロンなんて入っていたし。」

「それは、い・・・」

岩沢さんだと言いかけたところで口を閉じた。危うくまたひさ子の罠にはまるところだった。

「・・・・・・なんの話だいひさ子さん?」

「な、何かあったんですか葵先輩。詳しく、詳しく教えてくださいよ!」

すぐさま食いついてくる関根。心なしか入江も興味を持った様子でこちらに見入っている。

仕方ない・・・使うか、”アレ”。

「ところでひさ子、猫ってどう思う?」

「なんだよ突然、そんなことより・・・!?」

ひさ子にしか見えない角度で去年撮影したあの写真を見せる。

「いや~まさかひさ子が猫派だったとは意外だなーてっきり犬派だと思ってたんだけど。」

「はっはっは~そうだろ、猫って可愛いよな~」

突然笑い始めた俺たちを見て関根と入江は不思議そうな顔をしていた。岩沢さんはちょっと疑うような表情だった。

結局昨日の話をうやむやにすることには成功したがあとがちょっと怖い。

 

 

 

案の定放課後の帰り道、岩沢さんとひさ子に問いつめられた。

「葵、いつ撮ったんだよあんな写真!」

「去年のアルバイトの時だよ。」

「綾崎、見せてくれ。」

「ちょっと待て・・・ほら。」

岩沢さんは例の画像を見た瞬間数秒ほど凝視していた。

「・・・かわいい」

「も、もういいだろ!消せ、今すぐ消せ~!」

「綾崎、あとで送ってくれ。」

「分かった。」

「話を聞けこらあああぁぁ!!」

 



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36話「あれ・・・なんで名前を知っているんだ?」byユイ&日向

「音無、メシ買いに行こうぜ」

「悪い日向、今日は朝買って来たから一人で頼む。」

昼休み、いつものように音無を誘ったが、思いもよらず今日は断られた。

「なんだよ、マンネリ化防止ってヤツですか?」

「まあ、そんなところだ。」

「はいはい、じゃあ一人で行ってきますよ~」

ほんの少し、本当に少しだけ残念だったが俺は一人購買へ向かった。

そしてこのような日に限って購買は大盛況なのである。

ほとんどのパンは売り切れていたがお気に入りのクリームパンが一つだけ余っていたので少しホッとした。

そのほかに惣菜パンを三つ買い、教室に戻ろうとしたところ・・・。

ドン!

誰かとぶつかってしまった。

「おっとスマン、大丈夫か?」

目の前には尻餅をついた一人の女子生徒が。パンクなアクセサリーを身につけていて少し俺は引いた。

「は、はい・・・大丈夫です。」

パンを片手に抱え直した日その女子生徒にほら、と手をさしのべる。

「ありがとうございます。先輩。」

「お前ももパン買いに来たの?」

「あ、そうだった。」

気づいたように女子生徒はパンが並べてある机を眺める。その後ろ姿をみてしっぽが無いことに違和感を持つ自分に違和感を抱いた。

おれ、コイツのこと知ってる・・・。

「あれ、これしか無いの?クリームパンは?」

「ごめんなさいね、さっき売り切れちゃったんだよ。」

「そ、そんなぁ・・・」

残念そうに肩を落とし、何度も「クリームパン・・・」と呟きながら女子生徒は引き返そうととした。

ええい、どうにでもなれ!

俺はその女子生徒を呼び止めることにした。

「ユイ、ちょっと待った。」

「へ?何ですか?」

びっくりしたように振り返る女子生徒に、俺は先ほど買ったクリームパンを差し出した。

「ほら、やるよ。」

「え、良いんですか!?」

途端に目の色を変えて目にもとまらぬ早さで日向の手からクリームパンを奪い取った。その様子に思わず叫ぶ。

「おい、言葉と行動がちぐはぐなんですけど!?」

「ありがとうございます日向先輩それでは!」

そしてあっという間に姿を消してしまった。

 

 

 

呆然と立ち尽くす日向と、元気いっぱいに走るユイと言う名前の女子生徒は同じ疑問を頭に浮かべていた。

「あれ・・・なんで名前を知っているんだ?」

 

 

 

 

放課後一番乗りで部室に入った俺は、何をするでも無くぼーっとしていた。

ガチャ!

「あ、葵先輩~助けてください・・・。」

扉を開けておれと目が合った関根は開口一番そんな泣き言を言いながら跳びよってきた。

鞄から何かのノートを取り出す。おそらく岩沢さんに課せられた作曲が煮詰まらないのだろう。

「どうした、作曲のことか?」

「いいえ、これです。」

関根は俺の目の前にノートを開いてみせる。そこには数字がびっしりと書き込まれていた。

「・・・・・・数学?」

「みゆきちに聞いてもさっぱり分からないんです。」

そういえばもう中間試験か、試験と言えば去年の騒動を思い出すな。少なくともちゃんと誰かに聞こうとする関根は偉い。

「よし、なら一から説明しようか。和差商積は知ってる?」

「そこまで戻らなくても良いですよ、馬鹿にして!」

両手を振って抗議する関根の背中をさすって落ち着かせる。

「どうどう、冗談だって。」

俺は去年唯にと同じようなことを関根にも教えた。

「そんな方法で良いんですか?」

「答案用紙にはちゃんと計算したような痕跡を残すんだぞ?」

「分かりました、それで次は化学なんですけど・・・。」

「はいはい・・・。」

この時間で分かったことが関根は主に国語と英語と社会全般が得意で入り江は数学と理科全般が得意らしく、お互いで弱点を補っているそうだ。

「良いな、そういう関係って。」

「そういう葵先輩はどうなんですか~?」

ノートをしまいながら関根が尋ねてきた。

「どうって・・・何が?」

「とぼけても無駄ですよ~、岩沢先輩に手料理をご馳走してもらちゃって。あのときは誤魔化せましたが、今日は逃がしませんよ?」

どうやら関根にはばれたいたようだ。道理でこの前食いつきがよかった訳だ。仕方が無い、腹をくくるか・・・。

「それで、何が聞きたいんだ?」

「ずばり、二人の関係は!?」

「・・・部活仲間。」

「嘘です!」

予想通り真っ正面から全否定された。

「ほらほら~堪忍して言ってくださいよ~本当はどういった関係なんですか~?」

「・・・分かってるよ」

ぐいぐいとこちらに体を寄せてくる関根を押し戻しながら言う。

「岩沢さん、それに唯が少なくとも俺に好意を寄せてるのは分かってるよ。俺はそこまで鈍感じゃ無い。・・・つもりだ。」

少し驚いたような表情を見せる関根だったが黙って俺の話を聞いていた。

「でも、今はこの生活が良いんだ。俺が答えを出してこの生活が壊れるのが怖いんだよ俺は。分かってくれ。」

「ヘタレですか葵先輩は・・・。」

「どうとでも言ってくれ、それに俺はまだ解決しないといけない問題が山ほどあるんだ。それまで答えは出せない。」

そう言うと関根はやれやれと言った風にアメリカ人のような仕草をした。

「ぎりぎり及第点と言ったところですかね、まあそこまで言うのであれば追求はやめてあげますよー。」

「オイコラ後輩、耳元でハウリングしてほしいのか?」

「調子に乗ってすみません・・・。」

やれやれ・・・、これで扉の向こうの二人も分かってくれることを祈る。

 

ガチャ!

「あ、コウくーん昨日ぶり~!」

そう言って唯は無駄に抱きつこうとしてきた。いつもなら頭を押さえつけて拒否するところだが今日は甘んじて受けることにしよう。

ボスンと勢いそのままに唯の頭部が俺の鳩尾にクリーンヒット。

「っ・・・!」

声も出せなかった、やっぱり拒否しておけば良かったかなと、今更後悔してきた。

「関根、作曲の方は順調か?」

「あ、岩沢先輩。ちょっと分からないところがあるので教えてください!」

「ああ、モチロン。」

岩沢さんは関根の相手をしていた。

俺は心の中で二人にごめんと謝った。

 

 

 

思った以上に掃除が長引いてしまい、急いで荷物をまとめて部室に向かった。

階段を上って音楽室の前へ、そしてドアのノブに手を伸ばした時中から声が聞こえた。

「良いな、そういう関係って。」

「そういう葵先輩はどうなんですか~?」

綾崎と関根の声だ。かまわずに開けてしまえば良いのに、なぜか躊躇した。

「あれ?まさみちゃんどうしたの?」

のんびりとした声が背中から聞こえた。振り返ると平沢が不思議そうな顔をして立っていた。

「しー・・・」

平沢に静かにするようにとゼスチャーを送る。すると平沢も扉の向こうの声に聞き耳を立てる。

「コウくんとしおりちゃん?」

「とぼけても無駄ですよ~、岩沢先輩に手料理をご馳走してもらちゃって。あのときは誤魔化せましたが、今日は逃がしませんよ?」

・・・関根にはばれていたのか。ため息をつく私の横で平沢が驚いたような顔を見せていた。すこし胸が痛んだ。

驚くのも無理は無い平沢は綾崎に好意を寄せている。それは去年のクリスマスに分かっていたことだ。

なのにもかかわらず何で私は綾崎にあんな事を・・・なんで・・・。

 

「平沢達は本当にアイツのことが好きなんだな」

「うん!」

「もちろんですよ。・・・岩沢さんは?」

「私か?・・・私は、よく分からない。・・・すまんはっきりしなくて」

 

そんな会話を思い出す。

私にとっての綾崎とは何?

去年の合宿で綾崎がひさ子の髪を乾かしていたことがあった。そのときとても羨ましいと思った。なぜだか分からない。

大晦日の夜、隣で寝ていた綾崎が涙を流していた事があった。愛おしいと感じた・・・なぜだ。

綾崎がひさ子の肩を冗談半分で抱いたことがあった。凄く嫌な気分になった。・・・どうして。

そして綾崎の一時的な記憶喪失。記憶喪失と聞いてとても焦った、そして悲しかった。なぜか怒りも沸いてきた。

あのときの私は少し冷静さを失っていたのかもしれない。ひさ子、そして綾崎とcrow songを演奏したら綾崎の記憶が戻った。

安心した、良かったと思った、本当にうれしかった。

「岩沢さん、それに唯が少なくとも俺に好意を寄せてるのは分かってるよ。俺はそこまで鈍感じゃ無い。・・・つもりだ。」

・・・・・・ああ、そうか。そうだったのか。今まで会った嫌なことや悲しいこと、すべてを吹き飛ばしてしまうくらいに強力で大きな感情。

それを綾崎の言葉で自覚する。途端に胸が熱くなる。全力で走ったように鼓動が早くなっていく。

「私・・・綾崎の事が好きだったのか・・・。」

ぽつりと呟いた。確実に平沢が聞いているのも構わずに。

「どうとでも言ってくれ、それに俺はまだ解決しないといけない問題が山ほどあるんだ。それまで答えは出せない。」

綾崎の家の事情は心得ているつもりだ。綾崎は過去との清算をするつもりだ。

詳しくは知らないが、彼が助けを求めるなら私は喜んで力をかそう。

綾崎は私が助けを求めたら助けてくれるのだろうか?・・・わからない。

「まさみちゃん・・・わたし、負けないから」

気がついたら平沢がまっすぐにこちらを見ていた。迷いの無いまなざし。

私も見つめ返す。今度は迷わない。

 

 

 

 

「ああ、私も・・・負けない。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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37話「しょうが無いな・・・でも。へ、変なところ触っちゃだめだからね。」byレナ

「お兄ちゃん、相川華菜さんって知ってる?」

夕食を食べているとき、レナにそんなことを聞かれた。その名前を聞いて紅騎は去年届いた手紙を思い出した。

「ああ、俺の知り合いの妹だよ。それでその子がどうしたの?」

「部活で聞いてたの、綾崎紅騎先輩はいなのかって。」

確か相川華菜は姉と同じ短距離だったが彼女は長い短距離が得意だったっけ。

まさか桜高に入ったとは思いもよらなかった。てっきり地元の学校に進学すると思った。

「それで次は私が妹だって分かった途端に、良く話しかけてきて・・・。」

「早速仲良くなった訳か。」

彼女は姉に負けずおしゃべりなところもあるし、レナも話し好きだから問題はない・・・はず。

「うん、アドレスと番号交換しちゃった。けどお兄ちゃんのも教えようとしたら断られちゃった。自分で聞くからいいだって。」

つまりそれは直接会いに来るという意味だろう。

「あの子は実力もあるから仲良くしてやってくれ。たぶん即戦力になると思うから。」

「うん、そのつもりだよ。凄いかったんだから。新入生歓迎300メートル走で女子トップだったんだから。」

「ちなみにレナは?」

「一応三番手だったけど・・・2秒差つけられちゃった。」

肩を落として落ち込むレナ。短距離は専門外であっても負けるとなるとやはり悔しいらしい。

「ま、お互い高め合うことだね。それが陸上競技の醍醐味だろ?」

陸上をやる理由なんて単純明快だ。一番になるために毎日、それこそ倒れるまで走ったり、筋肉痛でペンが持てないくらい筋トレをするんだ。300メートル走なんて絶対に一人で走りたくない。

「そうだね。いつか抜きたいなー。」

「よし、じゃあ風呂上がりにマッサージをしてやろう。体のケアも選手の仕事だぞ。」

「良いの?えへへ・・・じゃあお願いしちゃおっかな~」

嬉しそうにはにかんでいるところを見ると、やはり少し疲れているのだろう。ならば入念にマッサージをしてやる。

銭湯から帰って来て、俺は今レナの部屋にいる。床は固いのでベッドの上にうつぶせにさせる。

「痛いところとか、違和感のあるところってあるか?」

「うーん・・・特にないけど全体的に疲労がある感じー。」

試しにふくらはぎに触れてみる。確かにちょっと固かった。これをケアするかしないかで明日の練習に差が出る。

疲労抜きのマッサージはさする、もむ、揺らす、さする、を繰り返していく。

さする段階で固いところがあればそこを重点的にもむ、それでもダメなら指を使って重点的に。

だけどやり過ぎは禁物だ。帰って筋肉痛になる時もある。それが揉み返しだ。

「レナ、お前良い筋肉してるな。」

「うそ、そんなに太くないよ?」

「そうじゃなくて、筋肉の質が良いって話。すげー柔らかいな。」

力を抜いた状態で固い筋肉は、疲労が抜けにくい。柔軟性は重要だ。

「お風呂上がりの柔軟体操は大切だからねー。サボったことは無いよ。」

「えらいえらい。じゃあ、ついでに一人じゃ伸ばしにくいストレッチも教えてやるよ。相川妹とやると良いよ。」

マッサージを終えた俺はいくつかのストレッチをレナに教えて、寝ることにした。

 

 

 

そのよる、俺は夢を見た。大切な友達を失ったあの時の夢を・・・。

俺と親父はぼろぼろのアパートの部屋に隠れるように住んでいた。その日は朝から雨が降っていて、雨漏りと格闘していた。

ガムテープで応急処置をしている時、部屋の電話が鳴った。

「はい、綾崎です。」

「あ、綾崎紅騎君かな?おはよう。今時間あるかい?」

「あるけど、どうしたの?」

「君のギターを直し終わったから届けようと思ってね。」

「別に今日じゃ無くても良いんじゃ無いかな?凄い雨だよ?」

受話器の奥から笑い声が聞こえた。

「そんなこと言って本当は寂しかったんじゃないかい?」

「・・・・・・否定はしません。」

「じゃあ、今から届けるよ。」

電話が切れて部屋の静けさを自覚する。雨が窓を叩く音がひどくなってきた。

風も強くなってきたようだ。何となく俺は外で待つことにした。

傘を差して待つこと数十分。かすかに聞こえるトラックのクラクション聞いていると体が震え始めた。だいぶ体が冷え始めたようだ。部屋に戻ろうかと思った時クラクションの数が一斉に増えた。

何かおかしい、そう思った俺はその音の方へ向かった。

「なんだ・・・これ。」

そこは比較的開けた交差点だった。横転したトラックに横から車が刺さった路線バス。明らかに異常だった。

すぐに警察が駆けつけ混乱を収めようとし始めた。引き返そうと思うと、野次馬達の声の中に女の子が轢かれたという声があった。背筋に寒気が走る。帰ろうとした足を再び事故現場に向ける。

「・・・・・・うそだ。」

横転したトラックの近くに真新しいギターケースと思われる残骸が散らばっていた。

警察に阻まれてそれ以上は分からない。しかし救急車に運ばれるストレッチャーから見覚えのある袖が見えた。真っ赤に染まっていた。

それから後の記憶は曖昧だった。まっすぐ帰ったのかもしれないし、その場に立つすくんでいたのかもしれない。

ただ一つ分かったのは、その日の夜親父に殺されかけた事だけだった。

後から分かったことだが、その事故は一台の乗用車が追突したことがきっかけで起こったらしい。その追突したドライバーは高齢者で、運転中に心臓発作を起こし意識不明状態だったそうだ。ノーブレーキでトラックに突っ込んだ乗用車は反動で対向車線に横から進入し、停車中のバスなどを巻き込んだ。死傷者多数、ニュースでも報道された大事故だった。おそらく瀬菜もその中に含まれていてのだろう。

 

誰かに体を揺すられて俺は強制的に夢の世界から、戻された。この手の夢はなかなか覚めにくいものだからありがたい。

「大丈夫お兄ちゃん?だいぶうなされてたけど・・・。」

心配そうな顔をしたレナの顔が視界いっぱいに広がっていた。

「・・・あまり大丈夫じゃ無い夢だった。」

体を起こすと、けだるい感覚が満ちていた。心臓が早く動いていて、嫌な汗もかいていた。

時計はまだ日付が変わったばかりだった。

「寝付けなかったから、ちょっと本読んでたら苦しそうな声が聞こえてきたから。」

そんなに苦しそうな声をあげていたのか・・・。

「嫌な夢見をたときの処方箋してあげようか?」

「処方箋って・・・薬でもあるの?」

レナは何も言わずに、もぞもぞと俺のベッドの中に侵入してきた。

「ち、ちょっとレナ?なにやってんの?」

「怖い夢を見たときはね、誰かと一緒に寝ると良いんだよ。お母さんが言ってた。」

恭子さんの言葉ってだけでなぜか説得力が上がるのはなぜだろうか。確かに自分以外の体温を感じると落ち着いてくるのも確かだった。

「レナは変な夢を見たりはしないのか?」

「私はお兄ちゃんと違って、至って普通の高校生ですから。」

「じゃあ、普段よく見る夢は?」

「お兄ちゃん、女の子にそれを聞くのはタブーだよ。」

そういうものなのか・・・以後気をつけよう。

「ほら、もう寝よ?明日も学校なんだから。」

ああ、そうだ。寝る前にレナに一言言っておかなければ。

「レナ、朝起きたらたぶんお前を抱き枕にしてると思うけど。気にするな。」

「えっと・・・お兄ちゃんって寝相悪い方だったの?」

「いや、寝てる最中に温かいものを無意識に求めてるらしい。よく分からないけど。」

そのため普段寝るときは毛布の他に抱きつく用のスペシャル毛布がある。これがあるなしでは全然違う。

ほどよく柔らかくほどよく温かい。夏場はこれにくるまってるだけで事が足りるほどだ。

「しょうが無いな・・・でも。へ、変なところ触っちゃだめだからね。」

「分かってるよー。」

実のところ本当に助かった。このまま寝ずに夜を明かす事も珍しくないから。本当にありがとうなレナ。口に出して言うのは気恥ずかしいけど。ごめんなレナ、お前の夢だった俺のお嫁さんにはできないけど。大切な家族だから。

レナを心配させないためにちゃんと、過去の清算を済ませないとな。

 

 

 

 

 

 

 

 



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38話「か、からかうな・・・。」by岩沢

今回は短めです。


登校して下駄箱を開けるとピンク色の封筒が入っていた。そんな今時漫画でも滅多に無いメルヘンが今俺の目の前で起こっていた。とりあえず鞄に入れて教室に入った。鞄を置き椅子に座り一息つく。さて、どうしようか。今見るべきか、あとでこっそり見るべきか。

「綾崎、どうかした?」

妙にそわそわしていたら岩沢さんに声を掛けられてしまった。

「い、いや・・・別に何もおかしいことは無いです。」

「その返事がすでに怪しい・・・。」

じとーっとした目で見てくる岩沢さん。いやー照れますなーそんなに見つめら得たらー。あっはっはっは・・・はぁ。

「実はですね岩沢さん。先ほどピンクの封筒が下駄箱にありまして。」

途端に不安そうな顔をする岩沢さん、そしてだんだん不機嫌な顔になり始めた。はい、ごめんなさい。

「こんな話岩沢さんにするべきじゃなかったかな・・・ごめん。」

「それで、その手紙はどんな内容だった?」

しかし、興味はあるようでした。

観念して鞄から例の封筒を取り出して机に置く。差出人は大体予想がつくが中身を取り出す。

 

 

 

お久しぶりです先輩。今は葵紅騎先輩でしたっけ。やっぱり先輩は陸上をしてなかったんですね。

少し寂しいですが先輩が決めたことですからね。でも時々顔を出していただければうれしいです。

今年の夏休みに私は実家に戻る予定ですので、先輩も一緒に来てください。いえ、来るべきです。

お話ししたいことがあるので放課後、学校から五分ほど歩いたところにある公園に来て下さい。待ってます。

 

相川華菜

 

 

これは手紙としてはどのカテゴリーに入るのだろうか。わざわざピンクの封筒に入れる内容でも無い気がするけど。見てはいけないものを見てしまったような表情をする岩沢さん。

「・・・すまない綾崎。」

「いや、別に気にしてないから・・・だいじょうぶ。」

何とも気まずい空気が俺たちの間に流れた。この空気を打破するために説明することにした。

「この手紙の差出人はな、死んだ親友の妹なんだ。今年ウチに入学したらしいよ。」

「綾崎って陸上やってたの?」

「まあね。一応関東大会優勝の経験があるんだぜ?」

「それでギターが上手くて、料理ができて、勉強できて・・・か、かっこよくて。」

最後あたりからだんだん声が小さくなって聞こえなくなったが、どうやら俺を褒めている様だった。

「お褒めに預かり感謝の極みでございます。」

「か、からかうな・・・。」

顔を赤くする岩沢さんを眺めていると不思議と口の端が緩むのだった。

 

放課後何とか理由を付けて部活を抜けさせてもらった。その際に岩沢さんに協力してもらった。何かお礼をすると言ったら後ろ姿がピクッと反応していた。

梅雨の合間の曇り空は心なしか陰鬱な気分にさせられる。灰色の空が覆う公園の噴水に一つの人影が見えた。

「お久しぶりですね、紅騎先輩。部活は良かったんですか?」

「何とか抜け出せたよ。そういう相川妹は?」

「今日はお休みです。てゆーかその呼び方久しぶりですね。」

俺と相川妹は噴水に腰をかけた。

「それで、話したい事って?」

そう聞くとなぜか相川妹は照れ笑いを浮かべながら頭を自分で撫でていた。

「いやぁ実を言うと特に話は無いんですよ。ただ先輩の姿を間近で見てみたかっただけでして。」

「なんだそりゃ・・・まあ、良いけどさ。」

「でた、先輩の口癖ー。私はちょっと嫌いなんですけどね。全部諦めてるみたいで。」

「関東チャンピオンにそれを言うか。」

「だって、先輩がどの口癖出始めたのは三年生のころじゃないですか。」

くすくすと笑う相川妹の横で俺は少し考える。そうだったけ?まあ、自覚してにから癖って言うんだろうけど。

「ま、私からお話しすることはもうありませんから。あ、連絡先教えて下さいね?向こうへ戻る日にちとか伝えますんで。」

結局本当に他愛ない話をして、連絡先を交換しただけで俺たちは解散した。夕方と言ってもまだまだ外は明るい。折角なのでたまには寄り道をして変えることにした。まあ、行き先は楽器やなのだけど。

 

 



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39話「玲於奈・・・まだ乗るのか?」by紅騎

人はなぜジェットコースターに乗るのか。猛スピードで急降下、急上昇を繰り返し、首が傾くほどの遠心力に耐えることに一体何の意味があるのだろうか。いや、そこには意味なんて無いのかもしれない。自ら恐怖の中へ身を置くことによって、得る快感。人は早さを求める動物なのかもしれない。

「”玲於奈”・・・まだ乗るのか?」

「まだ10回目だよ?」

「せめて別の乗り物にしてくれ。」

レナが特殊生に合格したら、一日自分を好きにできる。その約束に対してレナが提示した条件は二つ。

一つ目はとあるアミューズメントパークに出かけることだった。ここは世界中のいわゆる絶叫系のアトラクションを収入していて、コアなマニア達が年中集まる場所だ。

「じゃあ、次はあれにしよう!」

レナが指さす先にはアルプスの少女が乗っていそうなブランコのようなものがあった。しかもほとんど海に突き出た状態で設置されていた。

「また凄そうなもを・・・。」

レナは待ちきれないと行った様子で、俺の手を掴んで小走りを始めた。

「ほら、早く行かなきゃ全部回れないよ”紅騎”!」

二つ目の条件は、今日一日恋人として振る舞うこと。呼び方もレナ、お兄ちゃんではなく、玲於奈、紅騎と呼ぶこと。

ずっとレナがそうしたかったことであり、もう叶わないこと。だから今日一日だけ、悔いの無いよう、できる限り最高の彼氏になってやろうと思う。

 

「100メートルかー、この高さからならだいたい45キロはでるんじゃない?」

「確か日本一のバンジーが100メートルだよな・・・」 

二人乗りの座席にシートベルトやバーで固定されながら、不安を隠すように玲於奈と会話をする。原理的にはバイキングと大して変わらないのだが、このアトラクションは定員が二人までだ。それに海にせり出している分余計に景色が視界に入ってしまう。

全ての準備が整い、ゆっくりと後方へと上昇していく。それにつれて徐々に姿勢と重力の向きがずれてきて、改めて地球には重力があることを実感させられる。そしてついに水平を超えて、頭が下を向いた姿勢で止まった。そして流れ出すあのオープニングテーマ曲。ヨーデルの響きが今の俺には死のマーチに聞こえた。

ガチャンと言う音とともに、一瞬の浮遊感を感じるのもつかの間、位置エネルギーがみるみる運動エネルギーへと変換されていく。迫る海、加速していく体。最高速度で海面ぎりぎりを通過し、目の前に海と空が広がる。ここで拘束を解いたら見事な放物線を描いて海へとダイブしていただろう。エネルギー保存の法則を肌で感じながら、俺たちは何度も海と空往来した。

 

巨大ブランコから降りると、玲於奈がすがるように抱きついてきた。よく見ると手足がかすかに震えていた。そう言えば終始無言で俺の手を痛いほど握り続けてた気がする。

「どうしたんだよ玲於奈、まさか怖かったのか?」

「落っこちるとか、こういう系は苦手です・・・。」

「じゃあ何であんなに乗る前ははしゃいでたんだよ。」

「だって、紅騎が怖がるのが見たかっんだから!」

つまり自分が一番怖い物に乗れば、俺も怖がるはずだと。浅はかなり。しっかりと安全が確保されているウチはどんな高さから落ちようが、どんな速度で上昇しようが俺は全然平気なんだよ。それならプールにダイビングする方がよっぽど怖い。

「こうなったら別の方向から怖がらせる。」

そう言って玲於奈はなにやら物々しい雰囲気を放つ場所に連れてきた。お化け屋敷のようなものかと思ったがそうでは無いようだ。海が近いこの施設は海中をガラスのトンエルで歩くことができる。しかし、ここの設計者は何を思ったのか、世界に例を見ないパニックハウスを作り上げた。ホラーでは無く、パニックだ。耳を澄ますと悲鳴のような音がかすかに聞こえてくる。

12歳以下の方、心臓が弱い方、高齢の方入場禁止の注意書きと、手渡されたのは各フロア毎の非常出口の案内図が、緊張感をかき立てる。

「それじゃあレッツゴー!」

玲於奈は意気揚々と階段を降り始めた。ガラス越しに見える海が徐々に上がっていく。太陽に照らされて輝く海面や、透明の海水は美しく、とてもパニックハウスとは思えなかった。

トンネルを歩くと、周りは海洋生物でいっぱいだった。魚が群れで泳ぎ、イソギンチャクなどがゆらゆらと揺らいでいる。

「凄い綺麗・・・。」

目を奪われた玲於奈は食い入るように、外の景色を楽しんでいた。やがてガラスのトンネルが終わり、エレベーターで一気に最下層まで降りる。扉が開くと、そこは暗闇だった。

照明器具は一切無く、わずかに差し込んでくる光が一層不気味さを際立たせていた。全面ガラス張りのフロアはまるで檻のようであった。

絶対に逃げることができない堅牢な檻。暗く深く全て飲み込んでいまいそうな闇。

「な、なんだかいきなり雰囲気が変わったね・・・。それに何だか空気が冷たい・・・。」

空調が効いてるので実際は寒くないはずだが、この雰囲気が背筋を凍らせるのだろうか。

「怖いなら手握ってやろうか?」

「へ、平気だよ!ただ真っ暗なだけじゃでしょ。」

そのときドンという音とともに、フロア全体が小刻みに揺れた。

「きゃっ・・・な、何の音?」

暗闇に包まれているため、音の正体を把握することができない。再びドンという音と、震動が訪れる。先ほどよりも近い。

そのときゆらりと黒い影が見えたような気がした。人影では無い、もっと大きな陰。

その陰の正体を確かめるために、俺たちは壁越しに外の景色を覗く。

「紅騎・・・何だか分かった?」

「いや、全く。」

黒い影はその場所を漂うだけで、全く動く気配を見せない。すると、遠くの方から別の陰が近づいてきた。はじめは小さかったその陰はみるみる大きくなり始める。遠近法と言う言葉を思い出したのはその陰の正体が分かった時だった。体長5メートルはあるであろう巨大な鮫が黒い影に食らいつく。それを引きちぎろうと巨大な体を大きく揺らす。瞬膜を閉じ白目をむくその姿は、迫力とは無縁。わき上がるのは全身を貫くような恐怖心。鮫の巨体が直撃し、聞き覚えのあるドンという音がフロアに響いた。

「ちょ、ちょっと・・・何あれ!?」

ホラーでは無くパニック。それも動物の本能を刺激するような濃密な恐怖心が全身を支配する。体が凍り付き、全身が震える。逃げだそうにもどうやって脱出すれば良いのか。案内図はあるが、よく見えない。目印も無い。まさに俺たちは今檻の中に放り込まれた状態だ。

「紅騎!下、下!!」

玲於奈に言われたとおり足下を見ると、別の鮫が大口を空けて急上昇してきた。ガンと鈍い音を立てて必死に俺の体を食らうために巨体を動かす。すぐ目の前に死が迫るような気分になった。本当にこれの設計者は性格悪すぎる。

尻餅をついたおかげでフロアの隅っこに小さなトンネルがあることに気がついた。

「玲於奈、あそこに出口があるぞ!」

元・現陸上部の俺たちは全力でそのトンネルまで走った。ここがトラックならそれは見事なスタートダッシュを決めていただろう。

人間二人がやっと入れるような狭いトンネル。しかしすでに冷静さを欠いた玲於奈は俺と並んでトンネルに入ってきた。正直言って狭い。

50メートル先には上に行くためのエレベーターが見える。しかし、このトンエルは全面ガラス張り。外には無数の巨大な鮫たち。

設計者の意図が明確すぎて、凶器すら覚える。

トンネルを這うように俺たちは少しずつ進む。そんな俺たちを吟味するかのように鮫が横をかすめる。トンネルが小刻みに揺れる。

「もう・・・嫌、嫌ぁぁあ・・・。」

玲於奈は半べ状態で必死に体を前に進めていた。やっとの思いで半分ほど進んだところで、唐突にそれは訪れた。

横から見える大きな黒い影、それを見つけた瞬間背筋が痛いほど痙攣を始めた。体調六メートルの世界最大級のホホジロザメが細いトンネル毎食らいつく。トンネルが大きく揺れ、視界いっぱいに広がるのは二列に並んだ鋭い歯。本当に食われたわけでは無いのに全身に強烈な痛みが走った。

「いやあああああああ!助けて!お兄ちゃん、お兄ちゃあああん!!」

全身の痛みの正体は玲於奈が思いきり抱きついてきたからだった。目尻に涙を浮かべて、震える体で必死にすがりついていた。

「レナ、あと半分。大丈夫だから!」

ピシッと嫌な音が聞こえた。目の前のガラスに無数の亀裂が走る。

「もうダメ・・・死んじゃう・・・死んじゃうよぉ・・・。」

レナの体をしっかり抱えて、背中と足を使って這って進む。遙か上方はうっすらと青く光っていた。

巨体がトンネルを揺らす音と、亀裂が走る音で体が止まりそうになるのに耐えながら、やっとの思いで出口にたどり着いた。

俺にしがみつくレナ手は冷く、体と一緒に呼吸も小刻みに震えていた。。

「レナ、もう大丈夫、早く戻ろう。」

「ほんと・・・?もう、来ない?」

小さい子をあやすように、背中を撫でてレナを落ち着ける。

「ああ、後は出口だけだから。ほら、立てるか?」

手を取って立ち上がらせようとするが、かくんとレナは膝を崩してへたり込んでしまった。

「あ、あははは・・・腰抜けちゃった・・・。」

「・・・まあ、無理も無いか。」

最上階までおぶっていくことにした。

 

「はー怖かった、本当に悪趣味なところだったね。」

「まあ、作り物としてはかなり完成度高かったな。」

「・・・・・・へ?作り物?」

「なんだ、レナは気がつかなかったのか?」

俺なんか最初のエレベーターで気がついてたけどな。下がってるのに全くGを感じなかったし、暗くしてたのもおそらく映像を誤魔化すためだったのだろう。それにあんなに深い場所で亀裂なんて入ったら、あっという間に水の中、魚のエサだ。

「そう言われれば確かに・・・なーんだ、てっきり本当に海の中だと思った。」

「最初の階段は本物だね。あれも本当の海の中だと思わせるための仕掛けだろうけど。」

「あー何だか悔しいけど、まあ良いかな。お兄ちゃんのびびった顔も見られたし。」

レナは満足そうに、背伸びをした。

「しょうが無いだろ、ジョーズだって作り物と分かっても怖いんだよ。それと同じだ。」

「何だか恋人ごっこも疲れちゃった。お腹もすいたし、何か食べようよ。”おにーちゃん”」

俺の腕を組んで甘えるように顔を擦り寄せてくる。頭を撫でてやるとふにゃぁと猫のような声を発する。その仕草をみると異性としてでは無く,妹として可愛らしいと思う。

「昼食を食べたら今度は水族館にでも行くか?」

「うん、さんせーい!」

 

その水族館で飼育されている鮫を見て再びレナが腰を抜かしてしまったのはご愛敬。

 



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40話「葵クン、随分と美味しい経験だったんじゃないか?」byひさ子

蝉の無く声が五月蠅い季節がやってきた。高校二年生の夏休みと言えば、一番開放的な響きだ。そして今年も合宿をするらしい。

今回は音無と日向は参加しない。と言うよりもできないと言った方が良いか。なにやら生徒会執行部の合宿で一ヶ月山ごもりをするそうだ。生徒会直属の部活・・・だよな?柔道部とか、ラグビー部とかじゃ無くて。

「さて、じゃあ乗車券渡すぞー。好きなの引いて。」

引率の先生よろしく、ひさ子が人数分の乗車券を番号が見えないように裏側にして扇子のように広げる。

ちらっとひさ子の顔を見ると俺に目配せをしてきた。なにやら嫌な予感がする。

「さ、後は岩沢と葵な。」

ひさ子は俺に二枚の乗車券を押しつけて、さっさと改札を抜けてしまった。見ると同じ列番号同士、つまりは隣の席。余計な気遣いだと思いつつ、少しだけ胸が高鳴った。

「綾崎、電車来る。」

「あ・・・悪い。ほら、岩沢さんの切符。」

「サンキュ。」

岩沢さんは俺の手から切符を抜き取り、さっさとホームに行ってしまった。俺も慌ててその背中を追う。

詳しい座席配列は以下の通りだ。

 

唯   琴吹

田井中 秋山

 

中野  入江

ひさ子 関根

 

俺   岩沢さん

 

前列からさっさと席を回して合い向かいになったので、俺たちだけ取り残された気分だった。おそらくひさ子が全部仕組んだのだろう。相変わらず恐ろしい引き運だ。

「・・・・・・。」

「・・・・・・。」

しかし会話が無い。岩沢さんはぼーっと窓の外の景色を見てるだけで、他に反応を示さない。

嫌ではない。むしろそっちの方が気が楽なのだが、前の席で楽しそうな会話を聞いていると、何だか時間が止まっている気分になる。仕方が無いので、俺は音楽プレーヤーを鞄から出した。イヤホンを耳に入れて再生ボタンを押す。

最近のお気に入りはサイモン&ガーファンクルだ。目を閉じてしばらくしてから、俺の左腕を誰かがつついてきた。

目を開けると、岩沢さんが興味津々な様子でこちらを見ていた。

「何聞いてるの?」

「Wednesday Morning, 3 A.M.」

「・・・知らない。ちょっと聞かせて。」

「あ、ちょっと・・・。」

岩沢さんは俺に左耳からイヤホンを外して、自分の左耳にセットした。普通なら右耳の方を渡すのが良いと思うんだけど、彼女はそれよりも音楽を優先させるらしい。

「これ・・・左右で歌が分かれてる?」

流石岩沢さん、すぐに気がついた。この曲は左右で二人のパートが聞こえるようになっていて、片耳だけではその綺麗なハーモニーを楽しむことができないのだ。モノラル再生にしてしまえば簡単に解決する問題なんだけどね。

「正解。こっちの方も聞く?」

「いや、このままで良い。」

いまいち彼女の考えていることは分からなかったが、俺たちは密着しながら音楽を聴いていた。何曲か聞いているウチにだんだんとまぶたが重くなってきた。昨日寝る時間が少し遅かったり、荷物を持って駅まで歩いたのが地味に響いたということもあるかもしれない。でもやっぱり隣からただよう何て言うかこう、良い香りが妙に落ち着くからなのかもしれない。

「綾崎、眠いの?」

「ああ、ごめん。大丈夫だから。」

なんとか眠気をさまそうと頭を振ったり、頬をつねったりしてみる。しかし、やはり意識がぼーっとしてくる。

「無理しないで眠れば?私は別に気にしないから。」

そっちは気にしても、こちらが気にするのですが・・・。と、頭の中で言ってみたものの、やはり睡魔には勝てなかった。

 

 

『次は○○海岸前ーお出口は左側です。』

車内アナウンスで俺は目を覚ました。丁度降車する駅だ。

「降りるぞ綾崎、起きてる?」

どうやら寝ている間に岩沢さんの肩に頭を預けていたらしく、随分と近いところにお互いの顔が合った。俺は慌てて、体を起こした。

「ご、ごめん岩沢さん。重くなかった?」

「別に・・・随分ぐっすり寝てたな。」

「いやー岩沢さんの肩が寝心地よくて。」

「そう・・・それは良かったな。」

何の気なしにそう返答してきた。あのーそこは照れところですよ岩沢さん。何だよ、俺が変みたいじゃないかよー。

俺のそんな心の言葉もなんのその。岩沢さんはさっさと自分の荷物を持って行ってしまった。

「葵クン、随分と美味しい経験だったんじゃないか?」

案の定ひさ子が絡んできた。寝てたから分からないけど、おそらくシートの間からこちらの様子を覗いていたに違いない。

「ちなみにそのときの様子はばっちり、ムービーで撮影済みだ。見るか?」

自分の寝ているところなどは一切興味は無いのだが、岩沢さんの様子はかなり気になる。

「あとでこっそり見せてくれ。」

「へへへ・・・りょーかいだ。」

我ながらひさ子の事言えないな・・・。

今年の別荘は去年のに比べてさらに大きくなっていた。だが、それでもまだ小さい方らしい。一体琴吹家は何件別荘を持っているのだろうか。

「さて、荷物を整理する前にちょっとした提案がありまーす。良く聞いてろよー。」

ソファの上に立った田井中がみんなの注目を集める。

「りっちゃん、その提案ってなーに?」

「よくぞ聞いてくれた唯!今回の合宿はメンバーをシャッフルしようと思う。それで、最終日に演奏しよう。」

この別荘は練習場所となる防音室が一部屋だけ。必然的に、午前午後で分けるなどして、時間で分けることになる。去年の反省は部員同士の新鮮な交流が少なかったこと。そこで考えたのが普段とは違うメンバーでの練習だったそうだ。

ほう・・・田井中にしてはなかなか面白そうなアイデアを思いついたな。

それにちゃんと部のことも考えているのは素直に感心した。

「リズムパート組は私としおり、澪とみゆきな。後の六人は私の決めたグループに分かれること!」

その田井中の決めたグループによって、このような組み合わせになった。

 

Aグループ:岩沢さん、唯、中野、秋山、入江

 

Bグループ:俺、ひさ子、琴吹、田井中、関根

 

どちらかに偏るわけでも無く、バランスの取れた分け方だった。・・・本当に田井中が決めたのかと、本人に質問したところ。

「ちょっとだけ澪に手伝ってもらいました・・・。」

と、返事が返ってきた。なるほど・・・ちょっとだけね。

「それで、これからのスケジュールは決まってるんだろうな?部長さん?」

「えーここまでやったんだから、後は葵副部長が考えてよ~。」

成る程・・・そうきたか。まあ、ちゃんと田井中なりに気を遣っていることは分かったから、ここは折れてやろう。

「そうだな・・・昼飯まで自由時間。今日のところは2時間ずつ交代しよう。それで前半組が夕食を作ること。・・・これでどうだ?」

明日以降の予定は後ほど考えるとして、相談の結果。前半組がBグループ、後半組がAグループになった。

 

 

「さて、とりあえず何を演奏するか決めようか。」

昼食を食べ終わり、少しだらけモードに入りつつある田井中の代わりに俺が話を進める。

「その前に先輩、誰がボーカルやるんですか?」

関根の疑問も確かだ。実際に経験があるのはこの中で俺だけ。だから必然的に俺がやった方が良いのだが・・・。

「ま、葵で良いんじゃねーの?他にいねーし。」

「ほう、それを言うかひさ子・・・だったら曲は俺が決めて良いか?」

「私に聞く前に、そこの部長に聞いたらどうだ?」

ひさ子が指さす先には依然としてぐだっている田井中の姿があった。

「おいコラ部長、アンタが率先してやる気なくしてどうする。」

「だってよー、なんだか調子狂うんだよな~いつもと違うメンバーだと。」

アンタが考えた案だろーがと、心の中で突っ込みを入れる。

そのとき、関根がそっと俺に話しかけてきた。

「先輩、先輩。たぶん田井中先輩は恥ずかしいんですよ。いつもと違うメンバーだから。」

成る程・・・お調子者の気持ちはお調子者にしか分からないってことか。

「りっちゃんはどんな曲をやりたいの?」

琴吹が助け船をだす。うん、流石空気を読める人だ。

「そーだなー・・・どーせなら紅騎にはふわふわ時間を―」

「却下だ。」

絶対言うと思った。だがそれだけは絶対に嫌だ。そんなことをしたら末代までの恥になる。

「えー良いじゃねーかよー。」

ぶーたれる部長を無視して、俺はあらかじめ用意してあった楽譜を取り出した。こんなこともあろうかと・・・と言ったところだ。

「なんだよあるなら早く出せば良かったじゃねーかよ。」

「本来ならやらないと思ってたんだけど、丁度キーボードもいるし。良いんじゃ無いかと思って。」

Eric Claptonのlaylaだ。印象的なリフで始まるこの曲は一度は耳にしたことがあるはずだ。

「あ、この曲知ってます!一回弾いてみたかったんですよ!」

「あーこれか・・・前に弾いたことがある。」

関根とひさ子は楽譜を見てぴんときたようだが、田井中と琴吹はよく分からないような顔をしていた。

琴吹は良いとして、田井中。お前は知ってても良いだろ。

「若干2名が分からなそうだから、触りだけやるか。ひさ子、関根、いけるか?Aメロに入る前までで良いから。」

「おっけーです。」

「ああ、大丈夫。」

各々の楽器の準備を始める。

「葵、ここは本物みたいにボーカルがリフやれよ。」

「別にいいけど・・・ちゃんと合わせろよ?」

「はっ・・・私を誰だと思ってるんだ?ハイテンポだろーが、変拍子だろーがあわせきってやるよ。」

それは頼もしいお言葉だ。まあ、そんなに変な事はやらないけどさ。至って普通にやるつもりだ。そんな会話をしている間に、俺はいきなり七つの音階を弾き始めた。あまりの不意打ちに、一瞬動揺したひさ子だったが、驚異的な反射神経で見事に合わせてきた。

たとえ触りだとしてもやるからには本気で。僅か4小節の間に、俺とひさ子の間で確かに火花が散った。

それをなだめるかのように、関根のベースが俺たちを落ち着かせる。へー関根はこんな弾き方もできるのか。

時間にして25秒。たったそれだけなのに、一つ収穫があった。

「あーこの曲か。知ってる知ってる。」

「うん・・・聞いたことあるかも。」

「二人とも、この曲でい良い?」

二人はお互いの顔を見てからそろって頷いた。よし、じゃあ後は練習あるのみだな。

「おい、ちょっと待てや葵。さっきの演奏について少しお話ししようじゃ無いか。」

ひさ子に首根っこを掴まれ、俺はどこかへと連行されていく。

「それじゃあ、田井中先輩と、琴吹先輩は練習を始めましょうか!」

さっさと俺を見捨てた関根は、普段よりもまじめに二人に接していた。くそ、あとで覚えていろよ関根のヤツ。

 



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41話「あ・・・葵のが・・・刺さって・・・あぁ!」byひさ子

今回はひさ子回です


練習時間も終わり、俺たちBグループはこれから自由時間だ。しかし、夕食の買い出しをしなければいけないので、俺とひさ子は買い物。後の三人は残って泳ぐ予定だ。

俺がどちらが良い?と聞いたときに関根、田井中、琴吹は即答で遊ぶと答え、ひさ子はどちらでも良いと答えたので、こんな分け方になった。

「さて、じゃあ俺たちは買い出しに行ってくるから。関根、あまり羽目を外すなよ。」

「分かってますよ、どうぞごゆっくり~。ひさ子先輩も、本妻にのし上がるチャンスですよ!」

「馬鹿なこと言ってねーで、とっととどっか行ってこい!ほら行くぞ葵!」

顔を赤くしたひさ子に再び襟首を掴まれて、俺は外に引きずり出されていった。あのー俺の首がもたないのですが・・・。

「あの~ひさ子さんや、照れ隠しに襟首引っ張るのを止めて頂きたい。」

「照れてねーよ、ほら熱いんだからさっさと行くぞ!」

俺たち名向かうのはここから徒歩十分ほどの場所にある、道の駅だ。そこに併設している直売所が目的の場所である。

「おぉ・・・スーパーよりも野菜が安いとは、流石直売所。」

よし、ここは移動の疲れを回復するために夏野菜料理といこうか。それに折角の海なんだし魚も食べたいな。

「なあ、ひさ子。この近くに魚市場ってあったけ?」

「さあ?琴吹に聞いてみねーと。」

だよな。あー出発の前に調べておけば良かった。しょうがない、今夜は肉料理で我慢するか。

「ひさ子は何か食べたいものあるか?」

「・・・ハンバーグ。」

ハンバーグか・・・まあ、挽肉もあるし問題は無い。だけど、ひさ子にしては随分と可愛らしいセレクトだ。

「ハンバーグ好きなのか?」

「悪いかよ・・・。」

悪くは無いただ、そのばつの悪そうな顔が非常に微笑ましいだけだ。それを言うとまた怒るから口にはしないけど。

「そう言えばひさ子って料理できるのか?」

「・・・・・・。」

俺の問いかけにひさ子は黙りを決め込む。確かコイツは普段からパンとかコンビニのおにぎりとかだったな。バイト先のラーメン屋でも接客担当だったし・・・。

「よし、今日のハンバーグはひさ子、お前が作れ。」

「は!?む、無理だって!私料理なんてしたことねーから!」

あーやっぱりか・・・。でもしたことが無いってことは、練習すれば上手くなる可能性もあるってことだ。

「なに、大丈夫だって。俺がしっかりレクチャーしてやるから。将来困るだろ?専業主婦になれねーぞ。」

「わ・・・分かったよ。」

その言葉に心を動かされたのかは分からないが、ひさ子は首を縦に振った。

「和風、中華風、イタリア風、どんな感じが良い?」

「何でも良いよ、別に変なこだわりはねーから。」

ほう、つまりハンバーグであれば何でも好きと。うん、ちょっと笑いが抑えられなくなってきた。

「何笑ってるんだよ・・・そんなにおかしいか?」

非常に・・・良いと思うます。ひさ子のこんな表情初めて見たかもしれない。何だか一度吹き出したら震える肩が止まらなくなってきた。

「笑うなよ・・・ったく、岩沢の例の写真見せてやらねーぞ?」

「よし、買うもんはそろったな。さっさと買って帰るぞひさこ!」

「その反応も何だかムカつくな・・・。」

 

 

別荘に戻って買ってきた食材をこれまた大きな冷蔵庫に収納していく。

すげーな、これだけでかいと電気代いくらかかるんだろう?

そんなけちくさいことを考えながら、食材を全部入れ終えた。まだ夕食を作り始めるには早い時間だ。

「さて、すこし時間があるけどひさ子はどうする?」

「そうだな・・・ギター弾いて時間潰す。」

まあ、そうするよな。俺だってそうするつもりだったし。・・・いや、待てよ。

「ひさ子、wednesday morning 3 amって知ってるか?」

「Simon and Garfunkelだろ?一応知ってるけど、それがどうかしたか?」

「ちょっとギターもって来てくれ。」

ひさ子にギターを持ってこさせて、俺は楽譜を広げた。

「2本目のギター用の編曲を手伝ってくれないか?」

「あーなるほど。岩沢と弾くためにだな?電車の中でそんな話をしてたし。」

流石ひさ子。よく分かったな。

「ということは、お前ずっと聞き耳立ててたな?」

「当たり前だろ。何のために仕組んだと思ってるんだよ。」

アナタが楽しむためですよねー分かります。全く、良い性格してるよ。

「それにしてもこの曲と言い、Laylaと言い、葵は破滅的な恋愛ソングが好きなのか?」

「否定はしないけど、肯定もできないな。そう言うお前はどうなんだ?」

「そうだなぁ・・・sunshine of your loveとか私は好きだな。」

もうすぐお前と一緒にいられる、そのために俺はずっと待ち続けていたんだ・・・等言う感じの歌だったなたしか。そっか、ひさ子は絵に描いたようなハッピーエンドが好きなのか。

「特に好きなのはI’ll stay with you till my seeds are all dried up.ってところだな。」

「そーか・・・つまりお前はサキュバスになりたいと。」

そう言った瞬間、ひさ子は俺の脇腹をものすごい力でつねってきた。

「殴るぞ?」

「悪い、悪かったって!痛い痛いいいい!!」

引きちぎれるって、冗談じゃ無くって、本当に!

「謝るときはごめんなさいだろうが・・・くぬ、くぬ!」

「ごめんなさい、ごめんなさい!!」

ようやく解放された俺の右脇腹は見事に真っ赤になっていた。・・・くそ、覚えてろよ。

「さて、気も済んだことだし。葵クンのラブレター作りの手伝いをしましょうかね。」

「誤解を受ける表現をしないでいただきたい。」

「どーせ誰も聞いてないだろ?何なら本物のラブレターも書いて良いんだぜ?」

部活の合宿中にそんなもの書いてる人間なんているわけねーだろ。むしろ引くわ。第一コイツに書かせたらそれこそ俺は社会的に抹殺されてしまうだろう。

「それなら俺の名前じゃなくて、ひさ子の名前でやっててくれ。」

「ああ、そっちの方は大丈夫。」

そっちの方は大丈夫?どういう意味だ・・・。そっちって、何だ?大丈夫って、何が大丈夫なんだ?

「ふふ・・・知りたい?」

「いや・・・止めておく。」

恍惚とした表情で、何か言いたそうな様子を見ていると、逆に聞きたくなくなってきた。いや、聞いてはいけないような気がした。

 

 

 

「よし・・・そろそろ良いか?」

「あ、ああ・・・そうだな。私もそう思う。」

「何だ、怖いのか?」

「こ、怖くねーよ・・・けど、なんだか緊張する。」

「誰だって初めては緊張するもんさ、ほら、覚悟決めろ。」

「・・・ダメだ、頼む葵。一緒に・・・ダメ?」

俺は頷いて、ひさ子と一緒にソレを開いた。

立ち上る湯気とともに、ソースと肉汁が勝り合う香ばしい香りが広がる。最後に串を刺して、中の温度を確かめる。

「あ・・・葵のが・・・刺さって・・・あぁ!」

「うるせー!上手くできたからって調子に乗るな!」

焼き加減良し、ひさ子の初ハンバーグは一応成功だ。

「は~疲れた・・・まさみちゃん厳しすぎるよ~」

防音室から唯が逃げ出すように出てきて、ぐったりとソファに腰を下ろした。それに続いて、秋山と中野も疲れた顔をして出てきた。

「岩沢センパイ・・・スパルタです・・・容赦ないです・・・。」

「入江って・・・あんなにスティック持つとあんなに性格変わるんだな・・・。」

話題に出てきた二人は、疲れた表情を一切見せずに、開いたソファに座った。

「あ、みゆきち!練習終わったの?」

日が傾くぎりぎりまで海で遊んでいた三人がようやく戻ってきたようだった。

「うん、なんだか新鮮で楽しかったよ。ね、秋山先輩?」

「そ、そうだな・・・。楽しかったよ・・・すっごく。」

何だか言わされた感が凄く伝わってきたが、入江の練習はそんなに厳しかったのだろうか?

「厳しいってレベルじゃ無いよ!私が少しミスしたら容赦なくストップしてまた一からやり直し。関根・・・良く一緒に練習できるな。」

「それはですね秋山先輩。しおりんは私が止めても、演奏を続けるからです。私がミスをしても絶対止めないんです。それで完全にできるまで延々と繰り返し続けるんです。壊れたテープレコーダーみたいに。」

それはそれで鬼畜だな。あー・・・よくよく考えたら田井中の方が大変なのか。

「まあ、これも合宿の醍醐味ってことで。それで、中野と唯はなんで声をからしてるんだ?」

ぐったりしている唯に代わって中野が答える。

「ずっとコーラスの練習をしていたんです・・・結構長く声を出さないといけないので・・・それで。」

「そ、そっか・・・で、何で中野は少し顔が上気してるんだ?」

「な、なんだか岩沢センパイに厳しく指導を受けてたらだんだんと気持ちよく・・・はっ!わ、私何言ってるんでしょうね!?」

なるほど・・・中野は少々Mの気があると・・・。よし、覚えておこう。

「とりあえず夕食にしよう。食べないと明日に響くぞ。」

全員が座れるような大きなダイニングテーブルに本日の夕ご飯を並べていく。

「これ、全部先輩が作ったんですか?てゆーか、葵先輩料理できたんですか?」

関根が心底意外そうな顔をして俺に尋ねてきた。

「まーな。できた方が良いだろ?」

「うぅ・・・私が作った料理より美味しそう・・・。」

関根の隣で肩を落としているのは入江。

「さてさて、合宿一日目お疲れ様。紅騎、この後の予定は?」

「Aグループがお疲れの様子だから、夜はフリーにしよう。明日以降は午前と午後に分けてそれぞれが練習しようと思ってる。」

「・・・だ、そうだ。それっじゃあいただきまーす!」

部長の挨拶が終わり、食事が始まった。

「綾崎、なんで今日の夕食は野菜が多いの?」

「移動で疲れがたまってるだろうから、疲労回復に。口に合わなかった?」

「いや、いつもと変わらず美味い。それと、ひさ子。ハンバーグ、美味しいよ。」

「そ、そうか・・・良かった。不味いんじゃ無いかと思って冷や冷やしてたんだよ~。・・・くそ、冷やかすタイミングを逃した。」

小声でそんなことを言っていたのをはっきりと聞いてしまった。さすが、岩沢さん。ひさ子の扱いを知っている。

「先輩、いつもと変わらずってどういう意味ですか?まさか、普段から葵先輩のご飯をご馳走になってるんですか?」

と、思ったら関根がひさ子に変わって聞いてしまった。くそ、今年は第二の刺客がいるのをすっかり忘れていた。

「別に変な意味じゃなくて、いつも綾崎の弁当を摘まんでいるだけ。そうだな・・・特に気に入ってるのは柚胡椒餃子かな?」

これまた上手に岩沢さんは関根の追求を回避した。ちなみに岩沢さんが俺の弁当を摘まんだのは去年の柚胡椒餃子の一回だけ。

「あ、そうだ。紅騎ばかりに作らせるのも悪いから炊事当番を決めよーぜ。紅騎以外に料理できる人?」

手を上げたのは岩沢さん、入江、田井中、秋山の四人。それに見込みありと言うことでひさ子も追加された。

「今俺は田井中が料理できたことに非常に驚いている。」

「なんだとー!私だって家事の手伝いくらいするんだぞー!」

まあ、そうだよな・・・。

「うーん、美味しい~!」

平沢家が特殊なだけ・・・だよな。うん。

 

 

予定通り、夕食後は自由時間だ。唯、秋山、中野は入浴を済ませたらさっさと寝てしまった。それほど疲れたのだろう。

田井中、琴吹、入江、関根はトランプをしながら、おしゃべりに興じるようだ。

結局楽器を持って練習室にいるのは俺とひさ子と岩沢さんのみ。

「岩沢さんのところは何をやることになったんだ?」

「Deep purpleのBurn。」

おぉ・・・これまたとんでもない選曲だ。それならあいつらがへとへとになるのも無理は無いな。

「綾崎の方は?」

「laylaだけど。」

そう言うと、岩沢さんはリフを弾いて見せた。無言で「これ?」と聞いてきたので、頷いて答えた。

「Burnか~あれも面白い曲だよなー・・・それで、ソロは岩沢が全部やるのか?」

「いや、後半のキーボードのところは平沢と中野にやらせるつもり。あいつらにもできるように少し簡単にアレンジして。」

良かった岩沢さんにも慈悲の心はあるようだ。

「それはそうと綾崎、昼間にひさ子となにやってたんだ?」

あの時って・・・まさか曲のアレンジをしていたときか?いやいや、だってあの場所にはひさ子と俺しかいなかったはずじゃ。

「二人以外誰もいない空間の中私と葵はくんずほつれつの―」

「曲のアレンジをしていたんだ。移動の時に聞いてただろ?wednesday morning 3 am。」

ひさ子のねつ造を遮るようにして俺は、楽譜を岩沢さんに見せた。

「ああ、あの曲・・・でも何でアレンジしたの?」

「ま、まあ・・・その、なんだ・・・岩沢さんと演奏したいと思って。」

あー・・・口にすると妙に気恥ずかしい。何でこんなに口が動きにくくなるかなぁ・・・。

「そう、じゃあ早速やろう。そう言えば綾崎の手が入った曲、初めて演奏するな。・・・ふふ、楽しみだ。」

対する岩沢さんは新しい玩具を買ってもらった子供のように目を輝かせていた。

「お、演奏するのか?聞かせろよ!」

ひさ子も聞く気満々。今更後日に使用なんて言えない。

ギターをアンプにつなぐ。今回はエフェクターはかけないクリーンサウンドの方が良いだろう。よし、準備オーケー。

岩沢さんと目線を交わす。合図が無いにもかかわらず、出だしはぴったりと合っていた。

俺のムスタングと、岩沢さんのアコギが絡み合うように一つの旋律を奏でる。

「「I can hear the soft breathing Of the girl that I love.」」

愛する人の小さな寝息が聞こえる。

と始まるこの曲は、罪を犯してしまった男が恋人と過ごす最後の夜を歌った曲だ。

このときが永遠に続けばどんなに幸せだろう。しかし、必ず朝の三時はやってくる。どんなに願っても、自分の持ってる者全てを投げ出しても時間は止められない。

待っているのは愛する人との永遠の別れ。

およそ二分の短い曲だが、男の後悔や、つらさ、恋人に対する愛情がすっと心に入り込んでくる。

「「The morning is just a few hours away.」」

アンプのスイッチを切ると、完全な静寂が空間を支配した。

「どうだった岩沢さん。」

「良い曲だった。・・・やっぱりこういうのもも良いな。ひさ子はどう思う?」

岩沢さんの問いかけにひさ子は反応を示さなかった。なにかボッとした様子で一転を見つめていた。

「おーいひさ子~帰ってこーい。」

俺が肩を揺らすと、ようやく我に返ったような様子を見せた。

「どうしたんだひさ子、ぼーっとして。」

「わ、悪い・・・なんだか引き込まれてた。葵たちの世界に。」

何だか,様なことを口走り始めるひさ子。・・・寝ぼけてるのか?

「私と綾崎の世界・・・。ひさ子、具体的にどんな風に感じたんだ?」

「葵と岩沢の音がだんだん溶けて混ざり合うような感じがすると思ったら、いつの間にか私もそれに同調したって言うか・・・。私には似合わないけど、甘くて蕩けそうって表現が一番しっくりくるんだ。」

甘くて蕩けそう・・・か。まさかひさ子の口からそんな言葉が出るとは。

「ふふ・・・ひさ子からそんな言葉を引き出せるなんて。そんなに私と綾崎の演奏が良かったのか?」

「わ、笑うなよぉ・・・すっげー恥ずかしいんだよぉ・・・うぅ。」

いつになくこのひさ子はしおらしかった。

 



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42話「少し残念だけど・・・。仕方が・・・ないんじゃないか?」by岩沢

合宿二日目。今日俺たちが練習できるのは午後から。なので、海に行くことにした。折角海に来たのだから、一回は泳がないと損だろう。

例に漏れずここもプライベートビーチで、人の気配は無い。まさに贅沢。

そして今年は男一人。日向と、音無には悪いが堪能させてもらう!

「先輩、ちょっと目が怖いですよ?」

いち早く、俺と合流した関根がビーチボールを持って現れた。可愛らしいワンピースの水着。なぜこんなに早く着替えが済んだのか・・・。うん、頑張れ関根。

「先輩、そんな哀れみの目で見ないで下さい!まだまだ成長段階なんですから!」

「そうだぞ、人を胸の大きさで判断するのは良くない!」

続いて田井中も登場。うん、水着になっても活発そうな印象は健在で。

「まあ、走ってて邪魔にならないもんな・・・。」

「本気で心配しなくて良いから!もっと悲しくなるから!」

田井中の周りにはいわゆる貧乳と呼ばれる人物は少ないように思える。今年になってようやく中野と関根という同士が入部したわけだが。結構気にしているようだった。

「わりーわりー着替えるのが遅くなった。」

「みんなお待たせ~」

そして、田井中のコンプレックスをえぐりこむ様な二人がついに現れた。

去年も見ているとは言え、その存在感はすさまじい。

「うわーん、ズルいです!なんですかそのわがままボディは~お尻よりも胸が大きいなんて反則ですよ!」

「うわっ!ちょっと関根!くっつくな!」

「へぶ!?」

いきなり飛びついてきた関根を、ひさ子は砂地にたたきつけた。

「えっと・・・しおりちゃん。大丈夫?」

「うぅ・・・琴吹先輩の優しさが身にしみるよぅ・・・。・・・ふともも柔らかい」

「あ、ズルいぞ関根ー!」

さらっと本音を漏らす関根と田井中だった。おっさんかお前たちは。

「しかし、先輩って女子の水着見ても普通に接せられるんですね。やっぱり見慣れてるからですか?」

そっか?俺としては結構目のやり場に困ってるんだけども。・・・そう見えるならほっとする。

「甘いな関根。コイツが岩沢の水着を見たときの慌てっぷりを知らないのか?」

「え?知らないです、どんな感じだったんですか?」

「そうそう、ソレはもう上向いたり、横向いたり絶対前を見ようとしないんだ。顔を真っ赤にしてさー。」

思い出すつもりは無いのに、ひさ子と田井中のせいで去年の光景を思い出してしまった。そっか・・・今年は別グループなんだっけ・・・なんだか残念な気分だ。

「まあまあ元気出せよ葵。代わりにひさ子さんにサンオイルを塗る許可を出そう。いや、むしろ塗れ。」

「うわー超羨ましいです!私が塗りたかったなー!ひさ子先輩のサンオイル!」

「マジで!?あの柔らかそうな背中とか、ふくらはぎに触る権利かよ。変わって欲しいわー。」

「紅騎くん、ふぁいと~」

・・・え、何?何だよこの流れは!?

「俺が?ひさ子に・・・。無理!絶対やらないからな!!」

焦る俺を追い詰めるように四人は、じりじりと俺との距離を詰めてくる。背後には岩の壁、逃げ場所は無い。

「そんなこと言わずに~私たちだけの秘密にしておきますから~。」

「そーそ^ちゃーんと唯にも話しておくからさー。」

「どーぜ誰も見てないんだしよ。」

「そーだそーだ~。」

三人は別として、琴吹までもがこの状況を楽しんでいる。

「だ、誰か助けてー!!」

そんな俺の声に応じるように、何かが飛んできた。シュッという音とともにひさ子の手に握られていたサンオイルのボトルが真っ二つに割れて中身が全部地面にこぼれる。

「うわ、なんだ!?いきなりボトルが割れたぞ!?」

なぜか爆発もしたオイルはビチャビチャトひさ子にかかる。・・・これはこれで。うん、エロい。

「ひさ子先輩!これ見て下さい!」

関根は岩の壁簿一カ所を指さした。そこには白い何かが刺さっていた。

「こ、これ・・・岩沢のピックじゃねーか。まさか・・・アイツが飛ばしたのか?」

ここから別荘まで総距離は無いとは言え、よくここまで飛ばせる者だ。いや、そもそもこんな威力物理的にあり得ない。

「み、みんな!あそこ!」

琴吹は別荘の窓を指さした。あそこは確か、練習室があるところだ。そしてその窓の影から確かに見えた。肩まで掛かる赤い髪、アコースティックギター・・・間違いなく岩沢さんだ。

ただし、今の彼女は鬼のような形相を浮かべていた。まるで石にでも変えてしまいそうなその目は、しっかりと関根とひさ子を捉えていた。

「ひ、ひひ・・・ひさ子せせ、先輩・・・ど、どしましょう・・・。」

「は、はは・・・こりゃあ参ったなぁ・・・。まさか見られてたとは・・・。」

関根とひさ子は深々と、にまるで謝罪会見のように頭を下げた。それを見た岩沢さんは小さくため息をついて、ちらっと俺の方を見る。視線が合わさったのが驚いたのか、慌てた様子でカーテンを閉めてしまった。

「ふふ・・・やきもちね。まさみちゃん、可愛い~。」

やきもちね・・・それにしても物騒なやきもちだが。まさか、ピックを凶器に変えるなんて。

「さて、じゃあさっさと泳ごうぜー折角の自由時間が終わっちゃうからさ!」

「あ、りっちゃん待って~!」

田井中と琴吹は走りながら海へ。

「ま、すでにオイルは塗ってあるんだけどな~。関根、葵、私たちもいこうぜ。」

「え?そうなんですか?私塗ってないですよ~。」

「ったくしょうがねーなー。塗ってやるからこっち来い。・・・ついでに関根の成長の手助けもしてやるよ。」

ひさ子はひょいっと関根を担いで、どこかへ行ってしまった。

「いやああああ!葵先輩、助けてえええええ!」

しばらくしてって来た関根は、メロンとマシュマロはしばらく食べたくないと、念仏のように口走っていた。一体何されたんだよ・・・。

 

 

この日の昼食は冷やし中華だった。もう、この時点で誰が作ったのかは明白だった。

しかし、ここで開口一番に「岩沢さんが作った料理は美味い。」と言うようなへまはしない。なぜか、それはまだ誰が作ったのか発表していないからだ。

「さて、澪、今日の料理当番は誰だったんだ?」

「まさみと、みゆきだ。」

よし、これで制約は解除された。ホッとする俺の横で、岩沢さんは少し不機嫌そうだった。おそらく、あのサンオイルの件だろう。

「よし、それじゃあいただきまーす!」

まあ、今は食べる方が先だ。人間食べないと頭も体も動かないって言うし。

「どうだ綾崎?口に合うか?」

「さっぱりしてていくらでも食べられそうな気がする。うん・・・美味しいよ。」

「そうか・・・良かった。」

そう言う岩沢さんは、ほんの少しだけ口元を緩めた。でも、すぐに不機嫌そうな顔に戻ってしまった。

 

 

 

「さて、本格的に練習をしようと思うんだが。今日はリズム隊と、メロディー隊でパート練習な。田井中・・・死ぬなよ。」

「ちょ・・・何だよ死ぬなよって!何かあるのかよ!?」

「頑張りましょうね、田中せーんぱい☆」

「私は田井中だー!!」

岩沢さんが音楽キチ、入江がドラムキチなら、関根はベースキチ。全く、俺らのバンドにはそんなのしかいないのかよ。

「じゃあ、早速通しでやってみようぜ。」

「分かってると思うけど、ひさ子。お前コーラスだからな。」

「わーってるよ。サビの時にレィイイラ!だろ?」

そう言えばひさ子のコーラスって聞いたことないな・・・去年は俺と岩沢さんが交互にやってたし。

「今日の練習は琴吹がテンポの要だから。よろしく。」

「うん、まさせて~。」

昨日の一件から、俺がリフをやると、サビのところでパートを交換するという変則的なことをやらないといけないので、ひさ子がリフをやることになった。

ただ怒られただけと言う訳では無いのだ。

「よし、やるぞ・・・ワン・ツー・スリー!」

ひさ子のリフで、俺たちの練習が始まった。

この曲は大きく分けて二つに分かれている。歌詞のあるパートと、演奏だけのパートだ。この二つでおよそ7分という構成になっている。

前半はこれぞロックンロールという感じで、ひさ子は生き生きとギターをかき鳴らす。そして、がらりと雰囲気の変わる後半パート。

そこであんなに生き生きと弾いていたひさ子が突然弾きにくそうな様子を見せた。

実際にはリズムに狂いは無く、とても性格に音を出している。しかし、先ほどまでの勢いが感じられない。まるでただ楽譜通りに弾いているような・・・そんな感じだ。

「あーくそ・・・!ダメだ、全然だめだ。全く曲に入り込めねえ・・・。」

通しが終わった後、すぐにひさ子はそうため息をついた。

「後半に入って一気に影が薄くなったな。何かあったのか?」

「何もねーからあんな風になったんだよ。・・・あ~わっかんねぇ。」

「つまりひさ子は後半の雰囲気を出すような演奏の仕方が分からない・・・そう言うことか?」

「そうだよ・・・まったく。後半だけ岩沢に代わってもらいたいよ。」

まあ、確かに岩沢さんなら何かしらヒントを見つけて弾いてしまうような気がするけど。

「とにかく、明日にはなんとかするから今日は前半パートだ。」

本当に明日には何とかなる者なんだろうか・・・少しばかり不安だった。

「せ、関根・・・ちょっと休憩しようぜ。」

「ダメです!水分は叩きながら取って下さい!汗は叩きながら拭いて下さい!ほらほら、また走り気味ですよ~!」

「ひ、ひいいいいい!」

あっちはあっちで大変そうだった。入江の言うとおり、関根はかなーりスパルタンだった。

 

 

 

 

 

~ひさ子side~

 

「ん~やっぱ広い風呂は最高だな~。な、岩沢?」

一日の疲れを取るように、大浴場の中で大きく腕を伸ばす。こんなことができるのも大浴場ならではだよな~。葵のヤツシャワーだけなんて可哀想に。同情だけしてやる。

「・・・・・・。」

岩沢はむすっとした表情で、湯船につかっていた。まだ怒ってるのか。葵に対しての好意を表に出すようになったのは、大きな進歩だった。けど、その分こうして不機嫌になることも多くなった訳で。

「悪かったって、岩沢。言っただろ?先にオイルは塗ってあったんだよ。」

「良いよなひさ子は・・・同じグループで。」

そんなこと言ったら岩沢は初日から不機嫌だ立ってことになる。あー・・・だから昨夜の自由時間は異様に嬉しそうだったのか。

それに気がついてるか岩沢。お前が葵の隣に来るときの距離感がやけに詰まっていることを。もう一人詰めて座るわけじゃないのに。ま、面白いから黙っておくけど。

「ソレなんだけどさ岩沢。少し相談があるんだ。」

私はlaylaの後半パートを美味く引けないことを打ち明けた。

「・・・なるほどな。」

「教えてくれ岩沢。あの時の岩沢達みたいな雰囲気はどうやったら出せるんだ?」

溶けたチョコレートのようなどこまでも甘く、蕩けるような・・・そんな演奏。無数の隕石をまとめて吹き飛ばすような荒々しい演奏は何曲もやってきた。だけど、今回の曲はあまりにも私の経験からかけ離れていた。

「あるにはある・・・て言うよりも私はその方法しか知らない。」

「どんな方法なんだ?」

「ああ、相手の心臓の音を思い浮かべるんだ。昨日の演奏はそうしていた。」

摩訶不思議な方法が岩沢の口から飛び出した。相手の心臓ってことは葵の心臓の音だよな・・・。

「それってつまり岩沢は葵の心臓の音を聞いたことがあるのか?」

「ああ、聞いたことがある。去年の大晦日”何者か”にいよって布団の位置を変えられてね。」

あ~あの時ね。小さいうめき声ともぞもぞ音がするもんだから、ついにやったか!?と思ったけど、どうやら違ったようだった。・・・ちっ。

「・・・本当にそれだけであんな演奏ができるのか?」

「嘘だと思うなら今日綾崎に抱きついてみれば?今日だけ特別に許してやるから。」

特別にって、いつ葵はお前のモノになったんだよ・・・。まあ、それも進歩の一つってことで。

「もしそれで葵が私にメロメロになったらどうするんだよ~。」

「少し残念だけど・・・。仕方が・・・ないんじゃないか?」

冗談でそう言ったつもりなのに、すげー悲しい顔された。なんだよ~そんな顔されたら手出せないじゃないかよぉ・・・。出さないけど。

 

 

 

 

 

この日の夜も唯、秋山、中野はさっさと寝てしまったらしい。とても健康的で良いのだが、少しは昼に休めよ。なんですぐに遊びに行くんだよ。秋山まで。

入江と関根は田井中と猛特訓をするらしく、すでに練習室にこもっている。こりゃあ長い夜になりそうだな。

「よし、また上がり~。」

「ひさ子ちゃんこれで5勝目ね。」

残ったひさ子、岩沢さん、俺、琴吹でトランプをしている。運の要素が少ない大富豪なのにも関わらず、ひさ子の独壇場だった。

大富豪だけじゃ無い、ばば抜きも、じじ抜きも、ダウトも、ポーカーも全部ひさ子が勝利をかっさらっていったのだ。

「よし、次は神経衰弱だ。これならひさ子の運の要素は入りにくい!」

記憶ゲームならば俺の得意分野だ。最下位の俺が全てのカードをテーブルに並べる。順番は大富豪の最終上がり順。

「よし、じゃあ私からな。」

そう言ってひさ子がカードをひっくり返す。最後は大体のカードの場所を把握できるから、そこにつけいるスキがある。

「あ、これじゃねーのか。はい、次の方どーぞ。」

ひさ子は早くも、三組のカードを当ててきた。いや待て、それはおかしい。何で開始早々三組も集まるんだよ!?

くそ、これはうかうかしていられない・・・出てきた全てのカードを覚えるくらいなじゃないと太刀打ちできない。

前三組の出したカードのうち、そろっていたのは二組。俺はその二組を確実に獲る。

「あー外した・・・。二組か。」

一巡目はひさ子が三組、俺が二組。後の二人は組なし。

問題はここからだ、琴吹は分からないが、岩沢さんも確実に出たカードを取ってくるはずだ。この勝負、一瞬も気を緩めることができない。

「お、これって葵が出した数字じゃん。ラッキー~。」

こうしてひさ子とトランプゲームをしているとラッキーと言う言葉がゲシュタルト崩壊してくることがある。まるで、彼女が確立であるかのように運が向いているのだ。

何巡もするとようやく、ほとんどのカードの場所を把握することができた。

ひさ子が七組、岩沢さんが六組琴吹と俺が五組。なかなかの接戦だった。ここでもし残り四組を全てそろえることができたら俺の逆転勝利だ。

確実に把握している二組から取っていく。後一組そろえることができたら、俺の勝ち。残っているのは赤の7と、ジョーカーだと言うことは分かっている。そしてダイヤの7もどこかは分かっている。問題は残りの三枚、ハートのエースはどこだ?

俺はダイヤの7を出して考える。そう、この三枚は結局誰も手を出さずに終わった三枚だった。そうなればこれは完全な運だ。

だったらいくら悩んでいたって何も変わらない。

「よし、コイツだ!」

一枚のカードをめくる。そこには真っ赤なジョーカーが笑っていた。

「あ~~~くそ!またひさ子の勝ちかよ~。」

「へへ~残念でした。ま、頑張った方じゃねーの?」

そう言ってひさ子は残りのカードをめくる。ジョーカーと、ダイヤの7。

「あ、あれ?確かにこっちはハートの7だったはずじゃ・・・。」

焦るひさ子の隣で岩沢さんがクールに残りの二組をそろえた。これで岩沢さんの逆転勝利。

「あ、葵!てめーすり替えたな!?」

「そうとも。俺はどうしてもひさ子に負けて欲しかったんだよ!しかも同率二位だ。」

悔しがっているのはひさ子だけ、俺も、岩沢さんも、琴吹も少しすっきりした顔をしていた。

「あーもう。負けたよ、負けました・・・。ったく、そうまでして勝ちたかったのか?」

「いや、だってひさ子勝ちすぎだろ。綾崎、ありがとう。久しぶりにひさ子に勝てたよ。」

ひさ子に勝てたのが相当嬉しかったのか、岩沢さんは少しだけ口数が多かった。

「さて、言い時間だしそろそろ寝ようぜ。あいつらはまだやってるのか?」

「お布団を持ち込んでたから、そのままあの部屋で寝るみたい。それじゃあ、お休みなさい~。」

「お休み。」

琴吹と岩沢さんは自分の部屋に戻っていった。結局総合再開だった俺は最後の片付けをやることに。

トランプと、空のペットボトルを片付ける。・・・少しのどが渇いたのでお茶を煎れよう。

「ひさ子、お茶飲むか?」

「おー飲む飲むー。」

これまた高そうなカモミールティーのティーバッグでお茶を2杯煎れた。

「はいよ、眠れない夜に良く効くカモミールティー。」

「サンキュー。」

お茶をテーブルに置いて、ひさ子の隣に腰を下ろした。

「しかし強かったなお前。本当にあれは運だったのか?」

「当たり前だろ。昔っから運の要素が絡むと強いんだよな~。つーかそう言う葵だって、ばば抜きとじじ抜きは強かっただろ?」

「人の表情を読み取るのは得意だからな。」

ほんの僅かな目の動き方や、口元の変化で大体どんなことを考えているのか分かる。それを応用したのが、神経衰弱で使ったあの仕込みだ。

「何だよ、それはそれでチートじゃねーか。」

「良いだろ、チートにはチートで返すのが礼儀ってもんだ。それで、さっきから何か言いたそうだけど、どうした?」

「本当に分かっちまうんだな・・・。」

いや、だって目が泳いでるし。お茶を入れてる間ずーっとこっち見てたから、何かあるのかは分かるだろう。

「それで、何か相談か?もしかしてlaylaの弾き方のヒントを掴んだとか。」

「そ、そこまで分かるのか?」

「いや、これはただの勘。だって俺に相談する悩み事って言ったらそれくらいだろ?」

「そうだよな・・・うん、確かに・・・そう。」

よほど言いにくいことなのか、ひさ子はしきりに俯いて指を組んだり放したりを繰り返している。やがて、意を決して顔を上げた。

「頼む・・・何も聞かずに、葵の心臓の音を聞かせてくれ。変な頼みとは十分分かってる。少しの間だけで良いから・・・。」

何だよそれくらいのことでウジウジしてたのか。ひさ子らしくない。

「別に良いよそれくらい。てっきり誰かの部屋に忍び寄れとか、お前の抱き枕になれとか言われるのかと思った。」

「そんなこと言うわけ無いだろ!?そ、それに何だ抱き枕って!お前、そんな願望があるのかよ!?」

いや・・・男だったら一度はされてみたいじゃん抱き枕。ひさ子みたいな女の子に。口には出さないけど。

「それで、聞くなら早くしろよ。そろそろ眠くなってきた。」

「わ・・・分かったよ。」

ひさ子はそっと俺の胸に両手を当ててから、自分の右耳を押し当てた。

「・・・聞こえるか?」

「ああ、聞こえる。これが葵の音なんだな。何だか不思議な気分・・・他人の心臓の音を聞くなんて。」

今更だけど、この体制は少し恥ずかしい。理由はともあれ、年頃の男女が密接しているわけで。・・・岩沢さんとはまた違う甘いにおいが鼻をくすぐる。

「お、少しだけ早くなったな。ふふ・・・なんだかんだ緊張してるんだな。」

「う、うるせーよ。もう良いだろ?」

ひさ子の肩を掴んみ、無理矢理離して強制終了。

「それで、これが本当にヒントになったのかよ?」

「ああ、なったさ。明日を楽しみにしてろよ?じゃ、私も寝るとするか~。お休みー葵ー。」

ひさ子が部屋に戻るのを見届けた後、残りの食器を洗って俺も眠りについた。

 

「ちょ、ちょっと岩沢・・・何で私の部屋に?」

「感想を聞きに来た。」

「それは別に構わねーけど・・・はじめに聞きたい。何で私は岩沢の抱き枕になってるんだ?」

「そんな当たり前のこと聞くのか?綾崎の臭いを楽しむためだ。頭大丈夫か?」

「お前の頭の方が心配だよ!あ、ちょっと・・・そこ、やめ・・・~~~~~~~!!」

次の日の朝、なぜかひさ子と岩沢さんは同じ部屋から出てきた。仲がよろしいことで。




現在岩沢さんは、構ってくれない不安と寂しさとストレスのあまり少々変態的行動を取りがちな、事情に危険(おいしい)な状態です。


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43話「あ、綾崎・・・?」by岩沢

合宿三日目。とうとう今日は演奏を披露する。ちょっとした緊張感もあってか、みんな早めに目を覚ましたらしく、リビングはほとんど全員が集まっていた。ただ一人を除いて。

「唯は起きてこないのか・・・まったく。緊張感が無いのか、大物なのか。」

「俺が起こしてくる。秋山はそろそろ朝食の準備した方が良いぞ。」

「うん・・・じゃあ、頼んだ。」

唯の部屋へ行く前にタオルを二本用意する。一本は塗らしてレンジで温め、もう一本は氷水でキンキンに冷やしておく。

さて、これで突撃準備は整った。

ネームプレートで「ゆいのへや」と書かれた扉をそっと開ける。カーテンを閉め切っているため中は少し薄暗い。

「すぅ・・・すぅ・・・。」

毛布を抱くようにして、唯は静かな寝息を立てていた。実に幸せそうな顔で眠るところ大変申し訳ないのだが、ここは心を鬼にする。決していたずら心などは芽生えていない。

と、自分に言い訳しつつ、カーテンを思い切り開く。朝の日光が容赦なく唯を照らす。

「ん~・・・まぶしぃ~・・・。」

眉間にしわを寄せながら、唯は毛布で顔を覆うとしたが、そんなことはさせない。容赦なくその毛布をひっぺ返した。

「おら、起きろ唯!」

「ん~?・・・あ、コウ君・・・おはよ~・・・。」

ようやく体を起こす唯だったが、半分寝ているのか半目で体がふらふらしている。

「目を覚ませコラ。」

「ひゃあ!冷たいよ!」

キンキンに冷えたタオルを唯の顔面をぴたっと覆うと、やっと完全に目を覚ました声が聞こえた。

「うぅ・・・酷いよ~もっと優しく起こしてよ~。」

「霧吹きが無いだけ妥協したつもりだけどな。ほら、寝癖直せ。もうみんな起きてるぞ。」

「はーい・・・えへへ、何だかコウ君お母さんみたいだよ?」

「そーかい。」

唯に蒸れタオルを渡して、部屋を出る。こうして唯を起こすと、何だか昔を思い出して懐かしい気分になった。

まったく・・・でかくなっても変わらねーな。

 

本番を午後からとして、午前の練習時間を半分に分けることにした。

最初は岩沢さん率いるAグループの練習時間だ。その間、俺たちはリビングで時間を潰している。今日に限っては、海で遊ぶことを禁止にした。無駄な体力を消費されても困るからな。

「田井中、関根と入江によるドラムレッスンはどうだった?」

「すっげーきつかったよ・・・だんだんと視界がぼやけてきて、気がついたら朝を迎えてた。」

田井中さん、それは気絶と言うのでは無いでしょうか?

遠い目をしながらソファでくつろぐ田井中は、妙は貫禄が出ていた。その姿はまるで幾多の死線をかいくぐった歴戦の戦士のようでもあった。

「いよいよ、本番だな。早く弾きたくて待ちきれねーな、葵。」

俺の相向かいに座るひさ子は今すぐギターを持ちたくて我慢ができないオーラをギンギンに発していた。ふと俺は、そんな彼女の襟元の、左鎖骨の上あたりに赤い痣のような痕を見つけた。

「ひさ子、首のところ赤くなってるけど虫にでも刺されたか?」

「あ?・・・ああ、これか。そうだな・・・すげーたちの悪いモノに刺された。葵は特に気をつけろ・・・今のアイツは何をするか分からないからな。・・・いや、今の段階で何とかしないとヤバイかもしれない。」

最後の方は俺にしか聞こえないほどの小さな声で囁いた。そして今日、同じ部屋から出てきた二人を思い出す。

成る程、その痣は岩沢さんの仕業か・・・よく見ると、うっすらと歯形がついている。あれくらいなら痕が残ることは無いだろうけど・・・。

まるで吸血鬼のような行動に俺は少し背筋を凍らせた。

「とにかく、私も何とかサポートはするからアイツのガス抜きは任せた。」

「・・・善処するよ。」

任せたと言わされても、具体的にどうすれば良いんだよ・・・。ガス抜きたって、今の彼女には一体どんなガスがたまっているのだろうか?

・・・とにかくその件は後回しにするとして、今は演奏のことに集中しよう。

「あ、そうだ。紅騎くんに言わなくちゃいけないことがあったんだっけ。今日のお昼に市場からお魚を持ってくら、何か欲しい種類があったら教えて欲しいって、斉藤が言ってたの。」

斉藤って誰だか分からないけど、それは嬉しいお知らせだった。

「刺身にできそうなのは切り身にしてくれたら嬉しい。あとは貝とかエビが欲しいな。」

「じゃあ、伝えておくね。」

本当なら実際に市場に行ってみたいのだけど、それはまた別の機会にしておこう。折角のご厚意だし。

「先輩、お昼ご飯は魚ですか!?刺身ですか!?海鮮丼ですか!?」

魚という単語に反応した関根が興奮した様子で詰め寄ってきた。

「落ち着け関根。まだ決まった訳じゃ無いからな。現物が来てから決める。」

「あぁ・・・真っ赤なマグロ、透き通るようなイカのお刺身、町の回転寿司では絶対に食べられない分厚いプリップリのえんがわ・・・宝石のように輝くイクラがたっぷり乗ったどんぶりに醤油をかけて、一口・・・新鮮な魚本来の甘さと風味がご飯と合わさってそれはそれは見事なハーモニー・・・。う~ん美味しいよぉ~。」

「止めろ!食いたくなるだろ!!」

あーくそ、関根のせいで海鮮丼しか考えられなくなったじゃねーか・・・。しょうが無い、これは関根に責任を取ってもらおう。

「琴吹さん・・・マグロ、多めで。」

「は~い・・・ふふ、食べたくなったの?」

その慈悲深い微笑みをこちらに向けないでほしい。なんだか胸の奥がくすぐったくなる。

今日の昼飯は海鮮丼だ。異論は認めん。

 

 

「さて、昨夜の特訓で田井中がそれだけ進歩したか見せてもらおうか。」

合宿三日目で、初めて全員で合わせる練習だ。出だしではしるクセは直ったのかどうか、そこが一番気になるところだった。

「大丈夫だって~・・・たぶん。」

おいおい、何でそんなに自信なさそうなんだよ。

「先輩、やる前から自信なくしてどうするんですか。大丈夫ですって!葵先輩は優しいから怒りませんよ。」

まるで動物園のライオンが怖くて近づけない子供みたいだな。てことは俺は猛獣かよ。

「冗談言ってないで、早く始めるぞ。準備は良いか?」

このままこの話題を引きずっても面倒なだけなので、早く始めよう。全員の準備が完了したことを確認して、ひさ子にアイコンタクトを送る。

ひさ子のリフが始まった。

心配していた田井中のはしりクセは解消されたみたいで、ひとまず安心。しかし、そのクセを過剰に意識しているのか、いつものようなアグレッシブさが無くなっていた。

おいおい、前半パート何だから多少ははしっても良いからもう少し元気にやっても良いんだぞ?

消化不良のまま後半パートへ、テンポが落ちて余裕ができたのかここに来て田井中のドラムが元気になった。そして悪い癖がちらほらと見え隠れする。

逆だ、見事に逆になっていた。ま、良いか。はじめはそんなもんだ。

それにしても琴吹のキーボードは上手いな。あいつらの中では一番抜きん出てるんじゃないか?たぶんコンクールで賞取れるくらいの実力はあるとおもう。いや、実際に取っているはずだ。

「田井中、前半はも少し元気よくやっても良いんだ。後半みたいに多少はしっても構わないから、前半と後半の演奏を取り替えるイメージで。」

「りょーかい。ちょっと緊張してさ。次はちゃんとやるよ。」

田井中自身も気づいてるようだったので、これならば大丈夫だろう。

「葵、どうだった?私の後半パートは。昨日と何か変わってた?」

「ごめんひさ子、田井中と琴吹に集中してて気づかなかった。」

「あいよ、じゃあ次はちゃんと聞いてろよ。」

「関根と琴吹は特になし。さっきと同じように頼むよ。じゃあ、2回目いってみようか。」

それぞれ注意するポイントを確認して始まった2回目。今度は勢いよく演奏を始めた田井中。やっぱり少しはしり気味だったが、先ほどよりもやっぱりこちらの方が良い。

そして後半パートのひさ子の演奏を注文通りに聞いてみた。何かしらコツを掴んだようで、確かに昨日の演奏とは違っていた。窮屈さが消えていて、のびのびと演奏している。

岩沢さんあたりにでもアドバイスをもらったのかな?

「昨日と比べて気持ちよさそうに弾くようになったな。」

「そっか、そういう風に感じたかぁ・・・んー、まあしょうがねーか。・・・アレには勝てるわけ無いもんな。」

どうやら目標にしているモノがあるらしく、それに達していないのか本人はまだ満足していないようだった。

そして、ひさ子は何かぴんときたらしく、俺に小声で話してきた。

「なあ、葵。お前、岩沢と歌っててどんな感じがした?」

「何て言うか・・・俺の中に入り込んでくる感じがした。実際にそんなこと無いのに、俺と岩沢さんの体が溶けて混ざり合うみたいな・・・。」

「・・・質問を変える。以前岩沢の心臓の音を聞いたことあるか?」

この場にそぐわない、妙な質問をされた。そんなことあるわけが無いと、否定しようとした瞬間に妙な違和感を感じた。そして、ドクン・・・ドクン・・・と鼓動が耳の奥で響いた。

俺のじゃない、誰かの心臓の音。これが岩沢さんの音・・・なのか?

だとしたら俺は、もっともっと昔に聞いたことがあるような・・・そんな気がした。

「どうやらあるみたいだな。そうか・・・そう言うことか。道理であの音が出せないわけだ。」

ひさ子の質問に俺は何も答えていないが、どうやら彼女は何か答えを見つけたようだった。

「何か分かったのか?」

「ああ、私には二人みたいな音は出せないって事が分かった。悔しいけど、私には絶対に出せないってこともな。・・・まあ良いさ、こんなlaylaもな。」

腫れ物が取れてすっきりとした表情のひさ子は、嬉しそうでもあり、どこか寂しそうでもあった。

 

 

「紅騎君~お魚が届いたよ~。」

琴吹のゆるーい声を耳にして、玄関に向かう。すると、大きな発泡スチロールが置かれていた。ずっしりとした重さを感じながらキッチンにそれを運び中を開けた。

マグロ、スズキ、トビウオ、カツオ等の魚類、サザエ、カキ、ハマグリ等の貝類、そしてたっぷりのイクラが所狭しと詰め込まれていた。

うはぁ~これは絶対美味いな。うん、関根に感謝だ。

と、ここである問題を見つけた。トビウオが魚の姿のまま入っていたのだ。このままでは食べられないので、誰かがさばく必要がある。

「だれか魚さばいたことあるヤツいるか-?」

リビングに見える顔に聞いてみるが、みんな首を横に振る。そりゃそうだ。

「あーもしかしたら岩沢が多少は経験があるかもしんねーぞ。聞いてみたら?アイツならあそこでぼーっとしてるから。」

ひさ子に言われるままに、俺は照テラスに出てその背中に声をかけた。

「岩沢さん、ちょっと聞きたいことが・・・。」

声をかけるが、返事が無い。そもそもこちらのソンザイに気がついていないようだった。肩を叩くと、ようやくこちらに振り向いてくれた。

「・・・・・・あ、綾崎。ゴメン、ぼーっとしてた。もう一回言って。」

「岩沢さん、魚さばいたことある?できたら、昼食作るの手伝って欲しいんだけど。」

「もちろんだ、まかせろ。」

手伝って欲しいと言った瞬間に、岩沢さんの目の色が変わった。嬉しさと、なぜか興奮が入り交じった表情だった。

「これなんだけど・・・いける?」

「トビウオか・・・大丈夫だ。やったことは無いが、今日は何だかマグロでも解体できるような気がするんだ。たかがトビウオだ?全く問題ない。」

「そ、そうですか・・・じゃあ、お願いします。」

岩沢さんにトビウオは任せるとして、切り身の方は俺がやらないと。あ、その前にこのでっかいハマグリをどうするかだ。・・・ひらめいた。

「岩沢さん、今日の夕食はバーベキューだけど。このハマグリでパスタでも作ろうと思うんだ。」

そう言った瞬間、岩沢さんの方がびくっと反応し、気がついたら全ての刺身の準備が終わっていた。

「終わったぞ綾崎。あとは盛りつけるだけ。手伝う?」

「・・・い、いや。後は俺がやるよ、ありがとう岩沢さん。」

何となく、ただの気まぐれだけど、俺は岩沢さんの頭を撫でてみた。さらさらの髪は手触り良好で、なんだかいつまでも触っていた気分になった。

「あ、綾崎・・・?」

「あ、スマン・・・嫌だった?」

「別に、嫌ではないから大丈夫。・・・ふふ、大胆なんだな。」

見事な微笑を見せられて、撫でたこちらの方が恥ずかしくなってきた。

イカンイカン・・・メシの準備をしないと。

「綾崎、人の髪を触ったらちゃんと手洗ってから料理しろよ?」

「わ、分かってるよそんなこと!」

俺は急いで手を洗う。別に急ぐ必要なんて無いのだけど、早急にこの恥ずかしさを冷たい水で冷やしたかった。

 

 

 

 



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44話「おやすみ・・・・・・綾崎。」by岩沢

豪華な昼食を食べ終わり、お楽しみの演奏の時間だ。新鮮な美味い刺身を食べたおかげか、全員のやる気が上昇傾向だった。

「よし、それじゃあまずはAグルーからな!」

俺たちBグループは、持ち込んだソファや床に座る。ちなみに俺とひさ子が床だ。

「ここのグループの見所は、岩沢がどれだけあいつらに教え込んだかってところだな。」

「まあ、そうだな・・・。特に唯と中野のソロでそれが顕著に出てくるはず。」

リズム隊は秋山が入江のドラムに飲まれずにどこまで遠慮無く自分の音を出せるか・・・。そこだろうな。

今回は突っ走る田井中を気にかける必要は無い。どれだけ自分の演奏ができるか。そこがポイントだ。

「よし・・・入江、いくぞ。・・・1、2、3、4!」

入江のバスドラとクラッシュシンバルと共に、岩沢さんのリフが始まる。二度目の入江のドラムから秋山のベースが加わり、最後に唯と中野もイントロに加わる。

「The sky is red.I understand past midnight.I steel see the land.」

普段の歌声に輪をかけた、周りのモノを吹き飛ばしそうな力強い歌声が響く。

ピックを弦にたたきつけて、岩沢さんの中で燃える熱気が歌声に乗せて俺たちを焦がす。

入江がバスドラムを叩くたびに、まるで爆発が起きたような感覚を覚える。その入江が起こした爆発が四人を包み、炎上させる。

秋山のベースが、山火事にガソリンをまき散らすかのように火を灯し続ける。

岩沢さん、唯、中野は今、まさに燃えさかる炎のように熱を発し、色を放ち、揺らいでいる。

五人全員で起こす音楽の炎上、まさにBurnだった。

そして岩沢さんのギターソロが始まる。一本の火柱が吹き上がり、一瞬の輝きを放つ。この瞬間だけは彼女だけのステージだった。

そんな彼女に負けじと、唯と中野のダブルソロが続く。一本の火柱は小さくても、二つにまとまれば大きくなる。

最初からフルスロットルで、疲労が来たのか、ミスが目立ったが、何とか二人はソロを弾ききった。

五人の作った炎は、消えること無く、最後まで燃え続けた。

 

「ふぃ~疲れたよ~。」

水の入ったペットボトルを持ちながら、唯が俺に向かって倒れ込んできた。

「おいコラ、暑苦しいからくっつくな。」

「えー良いじゃん。頑張ったご褒美だよ~。」

そう言ってさらに体を密着させてくるので、冷やしたタオルと共に中野へパスした。

「中野、後は頼んだ。」

「あーずにゃーん!」

「ゆ、唯先輩・・・熱いです。」

くっつき魔の追い払った後は、まじめな音楽の時間である。

「いやー熱い演奏だったな~。あそこまで仕上げたのは私も驚いた。」

「平沢は耳が良いし、中野も弱音を吐かずに着いてきてくれたから。まあ、合格かな。綾崎、どうだった?」

「そうだな・・・ギターソロを二つに分けるとばらつくかな?やっぱり音は統一した方が分かりやすいし。」

「そこはしょうがないさ。あいつらは短い時間で弾けるようにしなくちゃいけなかったんだから。」

まあ、そうだよな。でも、やっぱり惜しいな・・・。もっと仕上げたらどこまで行くのか楽しみだったのに。

「よし、それじゃあぼちぼち私たちの出番だな!」

田井中の号令で、俺たちBグループが準備を始めた。

チューニングを済ませ、エフェクターとアンプの調節をする。最後に、マイクの高さを合わせて準備完了。

準備ができたことをひさ子に伝える。他の全員も準備ができたようで、周りの空気が静まりかえる。

ひさ子と頷き合い、俺とひさ子が交互にパートを引き合う。そして彼女のリフが始まった。

結果的に俺たちは2番目で良かったのかもしれない。田井中もさっきの演奏で触発されたようで、練習の時よりも思い切り演奏していた。

「layyyyyla!」

「You got me on my knees.」

記念すべきひさ子の初コーラス。緊張のせいか、すこし外し気味だが問題は無かった。ちらっと岩沢さんを見ると、よほど珍しかったのだろう。小さく笑っていた。

四度目のサビが終わり、ひさ子のギターソロが始まる。その間、俺はリフを弾き続ける。

決して主張はせず、かといって影は薄くならないようにひさ子を引き立てる。

徐々にテンポが遅くなり、後半パートに入る。ここで琴吹のキーボードの出番だ。急ぎすぎず、ゆったりとしたペースで流れるように。琴吹きにつけた注文はそれだけだった。

たったそれだけで、琴吹きは俺の意図をを読み取って完璧なメロディーを奏でて見せたのだ。

そんな琴吹の演奏に、ギター、ベース、ドラムが重なる。

ここで俺はあることに気がついた。ひさ子の音が何だか絡みついてくるような感じがするのだ。

包み込むのでは無く、無数のツルで絡め取られるようなそんなイメージだ。全てひさ子の色に変えられてしまうような怖さの中に、少しだけ身をゆだねてしまいたいという心地よさが入り交じる。

そんな葛藤を続けていると、いつの間にか曲は終わりを迎えていた。

「岩沢、どうだった?美味く弾けてたか?」

「ま、まあそうだな・・・弾けてたと言えばそうかもしれない。」

弾き終わってなぜかどっと疲れた俺は、真っ先にギターを置いてソファに座った。

「何だよ岩沢、はっきり言えよー。」

「分かったじゃあ、はっきり言う。ひさ子、さっきの演奏はかなりエロかったぞ。」

「・・・・・・は?」

「まさみの言うとおりだ。見ろ、梓と入江を・・・。」

秋山の視線の先には、額にタオルを乗せた入江と中野が横になっていた。・・・熱中症?

「あずなにゃんと、みゆきちゃんね、演奏の途中に倒れちゃったんだ~。」

「中野と入江は特に感受性が強かったんだろう・・・。さすがに私も少し危なかった。」

・・・・・・あれ?なんだか視界がぼーっとしてきた。疲労か?あの演奏でそんなに疲れたっけ?

「あ・・・先輩寝ちゃいました。」

最初に気がついた関根の声を最後に、俺はソファで寝込んでしまった。

 

「・・・・・・ん。」

西日に照らされて、目を覚ますと毛布が掛けられていた。どうやら誰かが持ってきてくれたようだ。・・・しかし、不思議と心の安らぐ臭いがする。流石イイトコの納付は違うな。

「起きたか?」

近くで響く声の方を向くと、真横で岩沢さんが腰を下ろしていた。

「どれくらい寝てた?」

「2時間くらい。ひさ子に魂でも吸われたか?」

「あ、あははは・・・。」

まんざら嘘でも無いから笑うしか無かった。体を起こして、毛布をたたむ。

「これってどこの毛布?」

「私のベッドから持ってきた。綾崎の部屋に勝手に入るのも気が引けたからな。」

・・・てことは、岩沢さんが使った毛布ってことか?言われてみれば、確かに岩沢さんの臭いが・・・はっ、イカンイカン。

「えっと、あ、ありがとうございました!良い寝心地でした!」

あ、やべ・・・余計な一言を・・・。

「・・・まあ、あんなに気持ちよさそうに寝てたからな。」

「もしかして・・・俺の寝顔を・・・?」

「ふふ・・・可愛い寝顔だったぞ?」

く・・・恥ずかしい・・・すっごく恥ずかしい・・・恥ずかしすぎて死にそうだ・・・。

「綾崎、もう外で夕食の準備が始まってるけど。疲れたなら私が運んでくるぞ?」

「いや、大丈夫だよ。最高の寝具のおかげで疲れも取れたし。よし、行きますか!」

恥ずかしい気持ちを無理矢理抑え込んで、勢いよく立ち上がる。それに空腹もそろそろ限界だった。

 

「あ、せんぱーい!先に頂いてますよー!ほらほら、美味しそうな壺焼き!」

軍手をつけた左手で大きなサザエを持った関根が満面の笑みで箸を持った右手を振る。

流石関根、一番でかいサザエを取ったか。

「お前らちゃんと野菜も食えよー。それと岩沢!ちょっと手伝え。」

「「はーい。」」

バーベキューコンロの前で野菜や魚を焼きながらそう言うひさ子は、完全にオカンと化していた。

「おはよ~コウ君。はい、お皿と割り箸と紙コップ。飲み物はあそこのクーラーボックスだよ~。」

「サンキュー。・・・って、唯。右頬にソース着いてるぞ。」

「え?どこどこ~?」

ソースを拭おうと唯は箸を左手の紙皿に乗せるが、傾いて箸が落ちそうになる。

「動くな、危なっかしい。」

ポケットからハンカチを出してふき取ってやった。

「ありがと~。お礼にはい、イカ焼きだよ。」

・・・ソースの原因はこいつだったか。まあ、ありがたく頂いておくとしよう。

「よーし、全員集まったし一度ちゅうもーく!」

田井中が全員の意識を自分に向けて、前に立った。

「今日で合宿は終了で、いよいよ明日帰るだけだ。みんな多かれ少なかれ、レベルアップしたんじゃ無いかと私は思うな。しかーし!私たちにはまだやり残したことがある!」

「律先輩、それってなんですか?」

「良く聞いてくれた中野!それは、こんな時には必ずやるアレだ!アレとはすなわち・・・肝試し!」

・・・もうあのまじめな田井中は死んでしまったのか。いま俺の目の前で目を輝かせながら遊ぶことを演説するその姿はいつものダメ部長であった。

「紅騎、頼む。お前から律に何か言ってくれ・・・。」

「あきらめろ だれにもアイツは とめられない」

「・・・紅騎ぃ。」

止められないモノは止められないのだからしょうが無い。それに田井中は頑張った。言うなればその報酬だと俺は勝手に自己完結する。

それにプレッシャーに解放されたせいか、まわりも乗り気だった。

「よし、決まりな!じゃあ食事再開なー。」

そうだよ、おれまだイカしか食ってねーじゃん。壺焼きをよこせ!壺焼きを!

「そう言えば葵、岩沢が鍋持ってきたけど、あれ何が入ってるんだ?」

ひさ子が親指で食材置き場に置いてある二つの鍋を指した。片方はハマグリの煮汁とトビウオの出汁が入った鍋だ。

持ってきてくれたとはありがたい。

「パスタ用のスープだ。よし、じゃあ早速作ろうか。ひさ子、空いてるコンロ使うぞ。」

「おー構わないぜー。・・・で、岩沢はなんでそわそわしてるんだよ?」

「・・・・・・べつに。」

別の方の鍋には、水が入っていた。おそらく麺をゆでるようだろう。なんとも用意が良い。

ガスの方のコンロに鍋を置いて、火を付けた。

 

「よーし、パスタできたぞー!」

今回のパスタは味付けのたぐいを一切していない。決して手抜きでは無い。味付けが入らないくらいスープが良い味を出しているのだ。

からを外したハマグリ等を大皿に盛りつけて、テーブルに置いた。

「余ったスープで茶漬けしたいヤツはいるか-?」

「先輩!両方食べたいです!」

「はいはい、じゃあ茶漬けを先にな。乗せるおかずはご自由に。」

「わー美味しそー!」

「紅騎先輩、私もお茶漬けが良いです。」

「わ、私も・・・。」

中野と秋山もそれに続く。なんだ、二人とも美味い食べ方を知ってるじゃないか。

「葵、私たちもそろそろ食べないか?いい加減腹減った。」

「そうするか。・・・あれ?岩沢さんは?」

「アイツならほら、あそこでパスタ食ってるよ。」

岩沢さんはちょっと離れたところで、今まさにパスタを食べるところだった。

スプーンとフォークを使って十分にスープが浸っているパスタを綺麗に巻き取り、口に入れる。その瞬間フォークを咥えたまま満面の笑みを浮かび上がらせた。まるで大好物でも食べるかのように。ちょっと離れた場所に座ったのは、あの顔を見せないためだったのだろう。

まあ、俺とひさ子には丸見えなんだけど。

「私、岩沢があんなに嬉しそうに笑うところ初めて見た。これは私の心の中のフォルダーに一生保存しておこう。」

「ま、まあ・・・気に入ってくれたようで良かったよ。」

「何て言うかこう・・・後ろからぎゅーっと抱きしめて頭を撫でたい可愛さだよな。」

「・・・・・・否定はしない。」

ここで俺たちの死線を感じたのか、岩沢さんはこちらを見て少々不機嫌な顔をした。いや、軽く睨まれてしまった。

「ま、おそらくこれが最後じゃなさそうだしな。またいつでも見られるさ。ところで葵、私にも茶漬けくれ。」

「りょーかい。」

俺とひさ子はさらに思い思いの食材を乗せて、岩沢さんのいるテーブルに向かった。

 

 

「それじゃあ、この割り箸でペア分けするぞー。」

辺りが暗くなり、それっぽい雰囲気が漂う中、田井中発案の肝試しが始まろうとしていた。

「みんな持ったな?いくぞ、ぜーの!」

俺が引いた割り箸の色は赤色だった。

「赤色は誰だ?」

「私だ。」

俺と同じ色の割り箸を持っていたのは、岩沢さんだった。そのとき、こっそりとひさ子が話しかけてきた。

「自分で当てるなんてやるじゃん。ここぞって時はちゃんと引き当てるんだな。」

「・・・賞賛と受け取っておこう。」

「それじゃあ次は順番だな。私が引いた色のルートに行くんだぞー。」

 

そして決まったルートと、ペアがこれだ。

 

入江 琴吹 山ルート1

 

関根 ひさ子 山ルート2

 

唯 田井中 海ルート1

 

俺 岩沢さん 海ルート2

 

秋山 中野 山ルート3

 

「ゴールにあるピックを持ってきたら成功。途中で棄権したり、見つからなかったら失敗な。」

今から45分と言うことは丁度7時にここに着けば良いということだ。それにしてもいつの間にそんな準備をしていたのだろう?

まさか、最初からそのつもりで来たわけじゃ無いよな?

そうだとしたら今までの賛辞を返して欲しい。

「制限時間は今から45分だ。じゃあスタート!」

田井中の宣言と共に、各ペアは散り散りにルートをたどり始めた。

 

「ランタンも常備なんて、琴吹家は何を考えてるんだろうな。」

非常用の懐中電灯があることから、このランタンは完全にイベント用のアイテムのようだった。まさかとは思うが、これも田井中の差し金じゃ無いだろうな?

「まあ、雰囲気が出て良いんじゃないか?」

肝試しをしているというのに、きわめていつも通りにクールな岩沢さん。まあ、多少は怖がるところを見たい気もするんだけど・・・。難しいか。

「しかし、ランタンって思ったよりも明るくないんだな。」

「だな、足下に気をつけないと・・・!?」

「おっと・・・。」

そう言う岩沢さんは早速小さな段差に足を引っかけた。とっさに俺は岩沢さんの右手を握って転倒は免れる。

「・・・サンキュー。」

転びかけたのが恥ずかしいのか、少しだけ彼女の頬が赤い。

「ここから少し足場が悪いから気をつけるよーに。よし、行こう。」

「あ、綾崎・・・その・・・手。」

「また転びかけても困るし、嫌なら離すけど?」

「い、嫌じゃ無いから大丈夫。・・・嫌なわけがあるかよ。」

今度こそ完全に顔を赤くしながら何かを呟く岩沢さんを引き連れ、肝試しを再開する。なんだか肝試しと言うよりも、度胸試しの気分だった。

これと言った会話も無く、僅か十五分ほどで目的のゴール地点に着いてしまった。そこは崖の上にある小さな広場だった。少し名残惜しさを感じつつ、つないだ左手を離した。

「綾崎、ピックってあれじゃないか?」

岩沢さんの指を指す方向にはベンチがあり、そこには「ゴール」とマジックペンで書かれた紙が張ってあった。その紙にピックがテープで固定されている。

「随分早く見つかったな・・・よし。」

足下を照らしていたランタンを消す。すると、月明かりで照らされる海と満天の星が広がった。

「しばらく海でも眺めますか。」

「・・・そうだな。」

二人並んで、作に寄りかかるようにして海を眺める。波が岩肌を叩く音が聞こえる。弱くなったり・・・強くなったり、短かったり、長かったり。

こうしてじっくり聞くと、波も色々な音を響かせていることを感じる。

「月明かりって、こんなに明るかったんだな・・・。海まであんなに照らして。」

岩沢さんはぽつりとそう呟く。

「本当に・・・なんでこなに・・・綺麗なんだよ・・・なんで・・・。」

呟く声が少しずつ小さくなりる。隣を見ると、岩沢さんの肩が小さく震えていた。

突然のことに、少し動揺した。なぜ、どうしてという言葉が頭の中を駆け巡る。

「ぐす・・・ぅぅ・・・・・・。」

小さく、本当に小さく岩沢さんは泣き続けていた。何とかしたい。そう思った時には自分のてが彼女の肩に伸びていた。

震える肩に手が触れようとしたとき。

岩沢さんの左手がゆっくりと、俺の右手を拒絶した。

「だめだ・・・今、優しくされたら・・・本当にダメになってしまうから・・・だから・・・ごめん・・・。」

ごめんと最後に彼女は謝った。

何に対して泣いていたのかは分からない。けど岩沢さんが泣いていて、今の自分にはなにもしてやれないことははっきりと分かった。

・・・それが、とてもショックだった。

 

 

「お、帰って来たな。時間ぎりぎりだったぞ・・・って、なんで岩沢目が赤いの?」

「・・・・・・。」

「あー・・・岩沢さん結構暗いとこが苦手だったみたいで・・・。」

「そうだったのか?そりゃ以外だな。まあ、いいや。みんなもう帰って来てるからな。さっさと部屋に戻ろうぜ。」

適当に誤魔化して、ひさ子の後に続いて部屋に戻る。

「・・・・・・。」

「・・・・・・。」

先ほどの件から互いにとても気まずい空気が漂っていた。重い、とにかく重かった。

「おっ帰りー!肝試し楽しかったかしら?」

リビングから聞き慣れない声が聞こえた。いや、正確にはこの場にいるはずの無い声だ。

「なんで山中先生がいるんですか?」

「酷いわよ、みんなそろって私をのけ者にして。私だってムギちゃんの別荘に行きたかったのにー!」

「・・・それで押しかけてきたと。」

「押しかけるならまだしも、肝試し中の澪を脅かして行動不能にしたんだぜ?酷すぎるよ、さわちゃん!」

あー・・・だからさっきから秋山が不機嫌顔なのか。てっきり中野が何かをしたのかと。

「紅騎先輩、私何もしてませんからね!」

「・・・なぜバレた。」

「先輩が哀れむような目で私を見るからです!」

ふしゃーっと猫のように怒る中野をスルーして、山中教諭に大切な事を伝える。

「先生、申し訳ありませんが明日にはもう帰るんですけど。」

「・・・・・・え?帰っちゃうの?」

「はい。さらに言うと、部屋がいっぱいで先生の寝床がありません。」

最後の一言で山中火山が大噴火を起こした。そのとばっちりを受けて俺がリビングのソファで寝ることになった。

本当に何しに来たんだよ・・・この人。

 

「えっと、この部屋で寝れば良いのかしら?」

「はい。それではお休みなさい。」

「わざわざありがとうね岩沢さん。おやすみ。」

そう言って山中は”私の部屋に”入った。

直前に、綾崎の部屋の荷物と私の部屋の荷物を入れ替えておいた。

もともと寝るだけに使っていた部屋、綾崎も私とあまり変わらないようだったので着替えのケースだけで済んだのが幸いだった。

なぜこんな事をしたのか・・・何となく他人に綾崎のベッドを使って欲しくなかったから。ただそれだけ。

私も部屋に入って、ベッドに横になる。

あの時何で涙を流したのか、私にも分からない。海と空はあんなに広くて綺麗なのに、と考えていたらいつの間にか頬を熱いモノが走っていた。

今まで私は綾崎に頼ってばかりだった、そんな気持ちが綾崎の優しさを拒絶した。

人一倍他人の気持ちに敏感なアイツは、人一倍傷つきやすい。

綾崎は・・・傷ついたはずだ。

自己嫌悪。

もっと上手い方法は無かったのかと後悔するけど、不器用な私にはなにも思い浮かばなかった。

自己嫌悪。自己嫌悪。自己嫌悪。

ああ、明日からどんな顔をすれば良いんだろう?このままだとずっと変な距離感を感じたままになってしまう。

・・・一緒に歌えなくなる。

それだけは絶対に避けなければならない。私は歌いたい。アイツと歌いたい。

何か良い解決方法は無いだろうか?そうだ、明日ひさ子に相談しよう。

・・・それにしても本当に良い香りだ。まるで綾崎に包まれてるみたいで。・・・安心する。

綾崎で悩んで、綾崎で和んで・・・ふ、本当に私は身勝手だな。

 

「おやすみ・・・・・・綾崎。」

 

 

 



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45話「・・・・・・え?」by紅騎

合宿が終わって一週間が経った。最終日のあの時以来私は綾崎と微妙な距離感を感じていた。

と言うよりも駅で解散してから一度も顔を合わせていない。

一応メールで文面場顔を合わせることはあるが、実際に顔を会わせることは無かった。

何とかこの距離感を払拭したい。そう思い、ひさ子に相談することにした。

今私は彼女の家にいる。

ひさ子の部屋は何というか、マンガの本棚があり、好きなギタリストのポスターが張ってあり、なぜかサッカーボールと野球道具一式がしまってありと、女の子っぽさが全く感じられない。

今まで何度かこの部屋に入ったことがあるが、それは一度も変わらない。

「・・・で、合宿以来顔を合わせ難くなったから何とかしたいと。」

「ああ、・・・・・・何か良い考えはないか?」

「ふむふむ・・・まずは肝試しの一件を聞かせろよ。話はそれからだ。」

ひさ子の雌豹のような目つきが私を捉える。逃げ場など無く、私はまさに根掘り葉掘り聞き出されてしまった。

「なるほどなー。そりゃ葵もびっくりするだろうな。それで、岩沢は何で手を振り払ったか分からないと。」

「・・・・・・そう。」

こっちがこんなに悩んでいるというのに、ひさ子はさっきからにやついた顔で私を見ていた。

「たぶん岩沢は好きなもの同士を天秤にかけたんだよ。それでどちらかに傾きそうだったから止めた。」

私の好きなもの・・・。それはつまり音楽と綾崎の二つを天秤にかけたということか。

確かに私はどちらが大切なのか、二つを天秤にかけていたのかもしれない。

あの時綾崎が私の肩に手を置いていたら―

「私はあの時振り払って正解だったかもしれない。ひさ子・・・私はどうしたら良いと思う?」

「ンなもん簡単だろ。両方手に入れれば良いんだよ。仮に岩沢は選べるのか?」

「それは・・・できない。」

「だろ?だったらやることは一つ!ライバルに先を越されないこった。今頃葵は何やってるんだろうなーもしかして可愛い幼馴染みとデートとかしてるんじゃ無いのかなー?」

ひさ子の一言で一気に不安な気持ちが押し寄せてきた。

今思えば私は敵に塩を送る真似をしたも同然だ。急いで綾崎の電話番号を呼び出す。

『おかけになった電話番号は・・・』

もう一度かけ直してみる。繋がらない。ますます不安になる。

「どうした繋がらないのか?」

「ああ・・・どうしたんだろう。」

その時別の電話番号から着信が来た。綾崎の”可愛い幼馴染み”からだった。

「・・・もしもし?」

『もしもし、まさみちゃん?あのね、コウ君と連絡がつかないんだよ!何か知らない?』

不安でたまらないと言う気持ちがはっきりと伝わる声色で、そう言ってきた。

「綾崎の妹なら何か知ってるかも。」

『じゃあ、今すぐコウ君家に行こう!』

よほど慌ててるのか、スピーカーの向こうから布きれの音と、何かにぶつけた音が聞こえてきてから通話が途切れた。

「ひさ子、綾崎の家に行くぞ。」

「えぇ・・・何で私まで・・・わ、分かったよ!一緒に行くから服を引っ張るな!」

 

 

「えっと・・・みなさんお揃いで。あ、麦茶用意しますね。」

平沢と落ち合ってから綾崎の家に向かうと、幸いに妹に会うことができた。

定休日のようで、この店の主人はどこかに出かけてるらしく、今この家には綾崎妹しかいないようだった。

「どうぞ、たぶんお兄ちゃんの事ですよね?うぅ・・・どう説明しよう。」

椅子に座った綾崎妹はしばらく考えるような仕草をした後に口を開いた。

簡単に説明すると、綾崎は今朝○○県へ出発したらしい。

そこは綾崎がこっちに”戻ってくる前”に住んでいた場所だそうだ。

そして実の父親と親友を亡くした場所でもある。

旅の共にその親友の妹が連れ添っているらしく、四日ほど彼女の実家で厄介になるそうだ。

私としてはそれが一番の不安要素だった。

そしてその四日間よほどの事情が無い限りはこちらからも、あちらからも連絡をしないようにと釘を刺されているらしい。

つまりはあと四日間綾崎に会えない。・・・ストレスが溜まりそうだ。

 

 

 

「あ、先輩。おはようございます!ギターはちゃんと持ってきてくれましたか?」

「・・・おはよう。ああ、ちゃんと持ってきた。」

相川妹から出発の連絡が来たのは1日前で、気持ちの整理をする暇も無く早朝の駅に足を運んでいた。

「にひひ~先輩と二人旅~♪逃避行~♪」

「まて、誰が逃避行だ。」

むしろ逆だ。これから俺は立ち向かいに行くのだ。自分自身の過去と。

「まーまー気にしないで下さい。あ、電車来ましたよ。それと先輩の携帯電話は没収です。緊急な連絡は玲於奈が私の電話にするように言ってあるんで。」

言葉に妙な威圧感を感じて、俺は素直に電話を相川妹に渡した。彼女はそのまま電源を切って鞄に入れてしまった。

これで連絡手段は断たれた。

これから死んだ親友の妹との奇妙な里帰りが始まる。

在来線と新幹線を乗り継いで、日本海側へ渡り、最後の乗り継ぎで特急電車に乗り込む。

「ありがとうございます。奢って貰っちゃって。」

「気にするなよ。時間が無かったから適当に選んだけど、それで良かったのか?」

「はい!先輩が折角私のために買ってくれたんですから。大切に頂きます!」

そう言って相川妹は幕の内弁当を美味しそうに食べ始めた。

ここから2時間半で因縁の地に着いてしまう。

その時俺はなんと言えば良いのだろうか。

思い浮かぶのは謝罪の言葉。神様のいたずらと言うにはあまりにも残酷な別れは、今のなお心に大きく刻み込まれている。

 

『次は終点○○~○○~お忘れ物のございませんよう・・・』

丁度昼を回ったところで目的地の最寄り駅に到着した。

およそ五時間の旅で疲れたのだろう、相川妹は腕を高く上げてのびる。

「んん~~~やっと着いた~。はー疲れた。あ、先輩。私の両親が迎えに来てるそうです。」

「分かった・・・ありがとう。」

電車お降り、改札を抜け、バスターミナルのある外のでると懐かしい空気が広がった。

そして、明らかに気分の気持ちが落ち込んでいくのが分かった。

「えっと、しばらくお世話になります。」

「久しぶりね紅騎君。さ、乗って乗って。」

相川家の両親に笑顔で迎えられて、俺も必死で笑おうとしたが変に頬が釣り上がるだけだった。

「紅騎君は陸上続けてるの?」

「いえ、今は軽音楽部に・・・。」

相川母が気を回して話しかけてくれるのだが、あまりどんな会話をしたのか覚えていなかった。

車で20分ほどのところに、相川家が営む楽器屋があり、その二階と三階で彼らは生活している。

そしてそこから徒歩10分で俺が住んでいたぼろいアパートがあるはずだ。

「それじゃあ私たちはちょっと出るから、華菜。失礼の無いようにね。」

「分かってます。いってらっしゃーい!」

両親は何かの用事で、またどこかへ出かけて行ってしまった。

リビングのソファに腰を下ろして、何度か訪れた空間を眺めた。

「変わってないな・・・全然。」

綺麗に掃除が行き届いた部屋。そこには小洒落た置物が生活の邪魔にならないようにかつ、存在を主張するように置かれていた。

「それはそうですよ。人間そうそう変わるもんじゃないですよ。はい、アイスコーヒーです。もちろんブラックです。」

「ありがとう。」

相川妹が用意してくれたコーヒーを一口すすっていると、懐かしい気持ちが流れ込んできた。

あれからおよそ二年が経ったが、まだ”彼女”の空気も感じることができた。

相川妹は自分のオレンジジュースをテーブルに置いて、俺の隣に座った。

「ねえ先輩。この部屋の三階に姉の部屋があるのは知ってますよね?」

「・・・・・・。」

先ほどの明るい雰囲気と変わり、彼女の神妙な表情におれは無言で首を縦に振った。忘れるはずなんてない。階段を上がり、突き当たりにある部屋。そこが相川瀨那の部屋だ。

ギターの話し、陸上の気に入らない先輩の愚痴、勉強の話し、俺の家庭の事情。

くだらない話や、込み入った話で笑ったり、真剣になったりした大切な空間。

「そこに姉がいます。行ってあげて下さい。」

正直に言えば、行きたくない。どんな顔をしてどんな言葉を言えば良いのか思い浮かばない。

でも、行かなくてはいけない。決めたんだ。過去と向き合うと。全部解決するんだと。

震える足に力を込めて、立ち上がる。何度も使った階段を上り、吸い込まれるように部屋の前に立つ。

自分で意識をするよりも早く、体が勝手に扉をノックしていた。当然返事など帰ってこなかった。

小さく深呼吸をしてゆっくりと、ドアノブを回す。

日当たりの良い子の部屋は昼間になると太陽の光が差し込んでくる。その光が差し込み、一瞬だけ目がくらんだ。

そのせいだろうか、俺は目の前の光景を一瞬幻だと思ってしまった。

仕方がないだろう。だって俺の目の前には―

 

 

 

 

 

「久しぶりだね、綾崎紅騎くん。かれこれ二年ぶりかな?」

車いすに乗った彼女。相川瀨那がそこにいたのだから。

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・え?」

「どうしたんだい?鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして。」

俺は言葉を失い、入り口で棒立ちになった。完全に状況の整理が追いついていなかった。

今俺の目の前には相川瀬菜がいる。車いすに座っていて、その膝の上には本があった。

人違い?いや、そんなことあるはずがない。濡れ羽色の綺麗な長髪、整った顔達、猫の様に釣り上がった目。左目の泣きぼくろ。すべて彼女の特徴と一致している。

もしかして俺の頭がおかしくなった?いや、頭を打った覚えはないし、前日はしっかりと9時間の睡眠を取った。

じゃあ、幽霊か?残念ながら俺は霊感もないし、幽霊を信じているわけでも亡い。

だとすると今目の前にいる彼女は、本物の相川瀬菜だ。

「本当に・・・瀨那、なのか?」

「ああ、正真正銘キミの目の前にいるのは相川瀬菜だよ。何ならDNA鑑定をして貰っても良い。」

ちょっとひねくれたもの良いに、独特な話し方。やはり彼女の特徴だった。

俺はおぼつかない足取りで彼女に近づいていく。

近づいて感じる”熱”や”息づかい””鼓動”が少しずつ現実を自覚し始める。

「・・・俺、ずっと死んだと思って・・・・・・。」

「確かにあの事故は沢山の人が死んだよ。でも、私はこうして生きている。少々不自由だけどね。」

彼女の肩に触れる。触れることができる。本当に相川瀬菜がここにいるんだと実感することができる。

自然とあふれ出した涙を拭うこともせずに、彼女の体を抱きしめた。

「生きてる・・・本物だ・・・本当に瀬菜だ・・・!」

「全く男の子がそう簡単に泣くんじゃないよ・・・けど、まあ気持ちは痛いほどよく分かるよ。ごめん紅騎、ずっと心配させて。ずっと傷つけて。・・・よく我慢してたね。」

俺が落ち着くまで、彼女はまるで子供をあやすように優しく俺の背中をなで続けてくれた。

 

 

あの雨の日事故で、彼女は一時的に意識を失っていた。目を覚ましたのは三日後でそのときは全身包帯だらけで、病院のベッドに横になっていたという。下半身が麻痺して満足に歩けない日々が続いたが、最近になって自宅療養まで回復したらしい。

勉強も再会して今は近くの公立高校に通っている。一年のブランクが開いてしまったので現在の学年は一年生だそうだ。

俺が桜高に通っていることを知ったきっかけは華菜だった。桜高の女子陸上部は毎年全国へ出場している強豪校なこともあり、彼女もそこへ進学するつもりだった。

華菜は去年の文化祭に来ていたらしい。そこで俺らしき人物を発見したことを瀬菜に報告。桜高実行委員会が動画投稿サイトに上げた動画で俺だと確信したそうだ。

「いきなりいなくなったのは驚いたけど、元気そうで良かったよ。ギターも随分と上手くなったね。」

「瀬菜はいま何をしてるんだ?部活動とか。」

「私かい?授業を受けて、部活をして、好きなことをして・・・普通の子と変わらないよ。部活は軽音楽部。陸上部のマネージャーも良いと思ったんだけど、ここは立場を分け前てってところかな。」

そう言って彼女の視線の先には一本のギターがあった。

ブルーサンバーストのストラトキャスター。俺のギターだ。

「ずっと持っててくれたのか?」

「当たり前だよ。キミに渡すって約束してたんだから。・・・それで、私のギターはちゃんと持ってきてくれたかい?」

「も、もちろんだよ。」

急いで二階に置いてあった荷物からギターを持ち出す。その時、気を利かせたのか知らないが華菜の姿は無かった。

「ギターが直るまで私のギターを使うと良い・・・こんな約束がまさかここまで長引くとはね。」

瀬菜は自分のギターを膝の上に置いて撫でた。

「良いギターだったよ。音も使いやすさも最高だった。」

「ふふん、相川楽器の面目躍如と言ったところかな。それと部活でキミのギターを借りてたけど大丈夫だったかな?」

「何言ってるんだよ。俺だって借りてたんだ。気にするな。」

瀬菜は笑いながらギターを構えて三弦を弾く。そして綺麗にFコードを弾いて見せた。わざわざFコードを、だ。

「このギターも色々な経験をしてきたみたいだね。・・・一曲、付き合ってくれないかな?」

「もちろん。それで、曲目は?」

そして、それぞれのギターは本来の持ち主の手に返された。錆と傷だらけだった俺のギターはすっかりと綺麗な姿に変わっていた。

「tears in haven 今の私たちにぴったりの曲だろう?」

そう言って瀬菜はストラップを肩にかけて黒髪をかきあげる。

 

 

 

「おーい、相川妹ぉ!どこにいる!?」

瀬菜との感動の再会の後は、相川妹の説教タイムだった。

「はいはーい、ここにいますよ~って、お二人さん怖い顔してどうしたの?」

「華菜、そこに正座だ。」

「えっと・・・これって健康マットって言って足つぼを刺激する突起物が無数に・・・。」

「そんなことは聞いていないさ。もう一度言う、そこに座りなさい華菜。今座ればペットボトルを膝に置くことはたぶんないよ?」

「・・・・・・はい。」

涙相川妹は恐る恐る健康マットに正座をした。少しばかり余裕そうな表情からこれは姉妹にとってオーソドックスなお仕置きなようだ。

相川妹の尋問によれば。

俺が瀬菜を死んだものと思っていたことを知ったのは、あの公園で待ち合わせをしたとき。

自分の顔を見たときに滅茶苦茶辛そうな顔をしてたから、簡単に推測できたそうだ。

瀬菜は自分が入院していることを伝えるようにと華菜に頼んだのだが、彼女はそれをしなかった。

どうせ会うなら直接会った方が感動するだろうという、まさに余計な気の利かせ方だ。

さらにこれは華菜の単独犯では無く、両親も巻き込んだ計画的な上での行動だったようだ。

レナつてに俺の夏休みの予定を聞き出し、両親の仕事のスケジュールと入念にすりあせて練られた計画だったそうだ。

「「ただいま~。」」

タイミング良く帰って来た両親も健康マットの餌食に。そして主犯の華菜には膝の上に水の入った2Lペットボトルが四本乗せられた。

 

 

 




瀬菜にまつわる出来事はクラプトンの「tears in haven」を参考にして書いてみました。

ちなみにひさ子は同じくクラプトンの「layla」

岩沢さんと主人公はクラプトンの「change the world」、そしてサイモン&ガーファンクルの「wednesday morning 3 A.M.」です。

他にも参考にしている曲があります。できるだけ作中にも出そうかと思っていますので、自分としては、そちらにも興味を持って頂けたら嬉しく思います。


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46話「ははは、それも面白いな。」by紅騎

「さて、今日は外に出てみないか?」

朝食をご馳走になっているとき、瀬菜がそう提案してきた。

「俺は全然構わないけど、瀬菜は大丈夫なのか?」

「ああ、むしろ積極的に外出するようにと言われているよ。思い出の地巡りと行こうじゃないか。」

「あ、じゃあ私も行く!」

「却下だ。華菜は今日一日外出禁止。少しは反省しなさい。」

「・・・・・・はぁい。」

そんなわけで、本日は二人で外に出かけることになった。

「いつもならば父親の仕事なのだけどね。」

照れ隠しのつもりなのかそう言って、瀬菜は俺の首に手を回す。流石に階段の上り下りはまだできないらしい。

背中と足に手を回して抱き上げた。

「よっと・・・軽いなお前。ちゃんと食べてるのか?」

「失敬な。食事はちゃんと三食取っているさ、筋力が戻らないだけであって決して成長していないわけじゃ無いぞ。」

「はいはい、分かってますよ。」

「そう言う紅騎はだいぶたくましくなったね。まさかキミにお姫様抱っこをされる日が来るとは。」

「そりゃどーも。」

階段を降りて、あらかじめ下に下ろしてあった車いすに瀬菜を乗せる。

「さて、じゃあ行ってくるよ。昼食はどこかで食べてくるから。」

「ええ、行ってらっしゃい。紅騎君よろしくお願いね。」

「はい、行ってきます。」

「あ、ちょっと待った。食べに行くならこれを持って行きなさい。」

そう呼び止めた瀬菜の父親が、商品券の様なものを渡してきた。

「市内の飲食店で使える割引券だよ。無いよりは良いだろう?」

「それじゃあお言葉に甘えて。ありがとうございます。」

割引券を鞄にしまってから、車いすを押して外に出る。さあ、出発だ。

外の空気と共に強烈な直射日光が襲ってきた。蝉の鳴き声も三割増しで強く聞こえる様なきがした。

「やはり麦わら帽子を用意して正解だったようだ。」

「だな、しかし良く似合うな。お前の麦わら帽子姿。」

白い肌に、黒い髪と麦わら帽子がこれ以上無いほどマッチしていて、儚げな雰囲気がどこか病弱なお嬢様みたいだった。

「ならさしずめキミは私の執事ってところかい?」

「ご要望は何ありと申しつけ下さい、お嬢様。」

「おぉ、何となくそれっぽい。そう言えば文化祭でキミは執事姿だったね。存外似合っていたよ。どうせなら持ってくれば良かったのに。」

「ははは、それも面白いな。それじゃあ、次来るときは持ってきてやるよ。」

普段歩くよりもすっと遅い速度で、車いすを押す。今日は何も急ぐ必要なんてない。

こうして他愛も無い話をしながらゆっくりと歩みを進める。

最初に訪れたのは陸上競技場だった。スロープを使って観客席まで上がり、日陰の場所で腰を下ろした。

午前中と言うこともあり、競技場は小学生から、高校生まで沢山の人で賑わっていた。

「あの赤色のジャージが私の学校の陸上部だ。キミの知ってる生徒も数人在籍しているよ。」

長年陸上をやっていると。顔が見えなくてもその人の走るフォームを見るだけで誰だか分かる。確かに見覚えのある走り方のヤツが何人かいた。

「今さらだけど後輩と同じ学年ってどんな感じなんだ?」

「最初は少し戸惑っていたさ。けど、みんな優しくてね。同じクラスに二人後輩がいてよく手助けして貰ってるよ。」

「それは良かった。」

その件の後輩達はこれからタイムトライアルをするらしく、300メートルのスタート地点にぞろぞろと集まっていた。

「そう言えばキミの妹・・・玲於奈さんだっけ。あの子もかなりの成長株だそうじゃないか。」

「今年はインターハイ狙うってかなり張り切ってたよ。まあ、ダメだったけど。」

「それでも関東大会で7位だろう?凄いじゃないか、一年生で。」

「そう言う瀬菜の妹だって、六位まで100分の2秒だったぞ?」

得意の400mだったからかなり悔しかったらしいけど、一年生で二人とも将来有望なのは確かだ。

「ふふふ、何だか私とキミは鏡映しだな。両親は音楽関係の仕事で、妹は陸上部の有望株。自分は陸上を止めて軽音楽部。面白いとは思わないかい?」

確かに言われてみればそっくり同じような、境遇だ。

「似たもの同士ってことなのかな?」

「そうかもしれないね・・・私たちは似たもの同士だ。さて、ここにいるのも良いのだけれど・・・、そろそろ散歩を再開しようか。」

自動販売機でスポーツドリンクを買い、再び町内を歩き始めた。

通い慣れた通学路を歩き、一年ほど瀬菜と通った中学校の前を通り過ぎる。

当たり前だが、学校は全く変わらない様子で野球部が練習に勤しんでいた。白っぽい校庭、コンクリートの校舎、校庭を囲むように植えられた桜の木。全てが懐かしい。

思い出にふけるほど時間は経っていないはずなのに、なぜだろう・・・もう随分と昔のことのように感じる。

「この先に運動公園があるんだが、少し寄っていかないか?」

 

瀬菜のリクエストで寄り道した公園は、車いすに乗った人たちが沢山集まっていた。

「ここは私が入院してた病院の敷地でね、一般市民と患者が同じ場所で交流できるんだ。まあ、ある意味ではリハビリ施設だ。」

「それじゃあ瀬菜もここで?」

「もちろん。ここの看護師とはほとんどが顔見知りだよ。」

ほとんどがお年寄りだが、中には小学生くらいの男の子もいて、有り余る元気をもてあまして親御さんを困らせていた。

看護師の一人が俺たちと言うより、瀬菜の顔に気がつき、話しかけて来た。

体の調子はどうか、ちゃんとリハビリをしているか、元気に生活しているか、などなどとりとめの無い世間話の後に。

「そちらは彼氏さんですか?」

と言う問いかけが来た。何となくそう聞かれる気はしていたが、瀬菜は何の気もなしにこう答えた。

「いえ、友達ですよ。でも・・・そうですね、彼は・・・唯一無二の大切な親友です。」

何だか胸のあたりがむずかゆくなり、こんな気分になるならば彼氏と言ってくれた方が気が楽だった。

運動公園で世間話に興じていたら、もう少しで昼時という時間になっていた。昔瀬菜とよく食べに行ったオムライスの店を思い出した。

「だから、あれはオムライスじゃ無くてハントンライスだよ。」

「何だか覚えにくいんだよなーその名前。」

「その言葉、店の主人が聞いたら怒るだろうね。まあ、私も久しぶりに食べたくなってきた。主人にも会いたいし。」

と言うわけで俺たちは通い慣れた小さな洋食屋で昼食を取ることにした。

 

カランカランカラン・・・

「いらっしゃい・・・あれま、瀬菜ちゃんじゃないの。それに久しぶりね~紅ちゃん。」

この店のウェイターであり、奥さんが驚いた顔で迎えてくれた。

「お久しぶりですおばさん。」

「しばらく見ない間に大きくなって、今日は二人?さあさあ、座って。」

俺たちは定位置の窓際、奥の隅のテーブルに座る。

「よっと・・・大丈夫か?」

「ああ、問題ないよ。ありがとう。」

瀬菜を椅子に座らせてから、俺も反対側の椅子に座った。

アンティーク調の店内は落ち着いた雰囲気で、いつまでもいたい気分にさせてくれる。今思えば中学生にはちょっと早すぎたかもしれない。

「だからこそだよ、紅騎。キミだってチェーン店で知り合いと鉢合わせたら気まずいだろう?」

「・・・それもそうか。」

「それにこの店のハントンライスは絶品だ。市内全てのハントンライスを食べた私が言うのだから間違いない。」

自信たっぷりに瀬菜はそう言い切った。まあ、俺はこの店しか食べたこと無いのですが・・・。

「話は変わるが、紅騎はあっちで彼女の一人はできたのかい?」

「できてません・・・だけど、好意を寄せられてる人が二人。」

「おぉ、モテモテじゃないか。よし、その二人を当てて見せよう。以前キミが話した平沢唯さんと、リードギターやってたポニーテールの子。どうだい?」

ポニーテール・・・ああ、ひさ子のことか。まあ、そう答えるとは思ったけど。それは”瀬菜”の好みだ。

加えていっておくが、彼女は至ってノーマルである。

「唯は合ってる。だけど、もう一人は不正解。何だろうな、アイツは瀬菜と似たようなポジションだ。」

「あれ、違ったか・・・じゃあ、あの赤い髪の子かい?確か・・・岩沢まさみさんだったかな。」

「正解。変な事聞くけど、瀬菜からあの二人はどう見える?」

「本当に変な事を聞くね・・・・・・。そうだな・・・白と黒、と言ったところかな。」

とても簡潔で抽象的な表現だが、かなり的を射た答えだった。

「ま、紅騎がどちらを選ぶのか、はたまたポニーの子にするのか、温かい目で見守ることにするよ。」

「最後のは完全に瀬菜の願望だろ・・・。」

「そうともさ、スタイル抜群、ルックスも申し分ない、おまけにギターの腕はピカイチときたものだ。一度会いたいと思うのは当然だろう?・・・よし。何とか口実を作って会いに行こう。」

なにやら決心をしたらしい瀬菜は「ふっふっふ・・・。」と怪しい笑みを浮かべていた。どうやら彼女は予想以上にひさ子を気に入ったようだった。

「はい、ハントンライスお待ちどおさま。ごゆっくりね。」

俺たちの前にハントンライスが置かれた。フワフワの卵に、デミグラスソース、季節の揚げ物にケチャップで味付けをしたバターライス。

久しぶりだが、相変わらずのボリュームだった。

「さて、じゃあ食べようか。」

「そうだな。それで瀬菜、お前この量食べきれるのか?」

自宅療養とはいえ、車いすでは普通の人の運動量には及ばない。当然食欲も落ちているはずだ。

「食べきれなかったらキミが食べてくれ。むしろ紅騎には足りないくらいだろう?」

「・・・・・・了解です。」

結局半分ほど残した瀬菜の分も食べることになった。

 

 

「相変わらず新しい花が生けられてるみたいだね。」

「あれだけニュースで騒がれるくらいだからな。」

二本の大通りが直行する見晴らしの良い交差点。下り車線側の横断歩道。ここで瀬菜はあの事故に遭った。

小さい子供から老人まで巻き込んだ大事故は未だ人々の記憶に深く刻み込まれている。それを証明するかのように、未だガードレールには色とりどりの花が置かれていた。

しかし、事故に関係するものはこれくらいで、後は少しの痕跡も見当たらなかった。

「トラック一台、バス二台、乗用車四台。死者18名、負傷者33名、その内病院で亡くなったのが5名。私の半径10メートル以内にいた人達はほとんどが死亡したらしい。」

さらに負傷者の中には瀬菜のように少しずつ回復している人もいれば、まだ目を覚まさない人もいるらしい。

「・・・本当に幸運だったよ。」

約半分の人が亡くなっていて、事故の中心にいた瀬菜が生きていたことはまさに奇跡に等しい。瀬菜がいまここにいるのは本当にただ運が良かっただけなのだ。

「あの事故のことを考えるとぞっとするんだ。後一歩踏み出していたら、いや、数センチ体が前だったら間違いなく死んでいたからね。」

「・・・・・・でも良かったよ。本当に。瀬菜が生きていて。」

「そうだね。さて・・・次はどこか行きたいところがあるかい?」

重くなった空気を払拭しようとするために、瀬菜は明るい口調でそう言った。

「特にないな。このまま帰るか。流石に暑いだろ?」

太陽も一番高く昇り、日光が容赦なく俺たちを照りつけていた。

「そうだね、じゃあアイスでも買って帰ろうじゃないか。」

途中アイスを買う際、俺は少しだけ見栄を張り高めのカップアイスを二つ買った。

「相川妹の分は良いのか?」

「良いんだよ。華菜は今日一日反省する日だからね。」

案の定カップアイスを食べる俺たちを相川妹が恨めしそうな目で見てきた。ほんの少しだけ申し訳ない気分になった。



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47話「えへへへ~。せーんぱーい♪」by華菜

薄暗い早朝の町中を歩く。

静まりかえった小道に俺の足音だけが、やけに大きく響くような気がした。

俺が住んでいた場所、俺から何かを奪っていった場所。

その何かの正体はまだ分からない。ただ一つ言えるのは、その何かのせいで心に穴が開いているような気がする、ということだけだ。

あの場所に行けば何か分かるかもしれない。そう思った俺は、こっそりと相川家を抜け出したのだった。

足を一歩ずつ進めるたびに、嫌な記憶が蘇っては消えていく。歩く速度が徐々に遅くなり、歩幅が狭まるが、歩みは止めない。

止めたら二度と行けないような気がしたから。

住宅路のさらに小道を進む。あと一つ道を曲がれば”ソレ”がある。

嫌に早くなる鼓動を落ち着かせて、道を曲がる。

 

そこにはなにも無かった。

 

腐りかけた木造アパートの姿は無く、コンクリートで固められただだっ広い駐車場だけがそこにはあった。

「そっか・・・取り壊されたのか。はは・・・なんだ・・・なんだよ、はぁ・・・。」

落胆、安堵、焦燥、どちらとも言えない感情が胸中で渦巻く。そして乾いた笑いや、小さなため息が引き起こされる。

 

捜し物はなんですか、見つかりにくいものですか

 

捜し物を探そうにも、探す場所が無ければどうしようもなかった。

しばらく駐車場を見つめてから、俺は引き返すことにした。

 

「今朝早くからどこへ行っていたんだい?」

三日目になる朝食の時に、瀬菜から今朝の外出について聞かれた。

「俺の住んでたアパート。」

「驚いただろう?」

「うん、かなり。」

この様子からすると、瀬菜はあのアパートがどうなっていたのかを知っているらしかった。

「もともと古いアパートで、いつ取り壊されるか分からない状態だったらしい。そこに相次いだ流血沙汰をきっかけに住民は全員部屋を明け渡し、その後滞りなく駐車場に変わったそうだ。」

その流血沙汰の当事者が立ち寄ったとは、あのアパートの大家も夢にも思わないだろう。

「ねぇねぇ、先輩先輩。今日はお姉ちゃん部活だからどこか出かけましょうよ!」

昨日の外出禁止令を根に持っているのか、今日の華菜は押しが強めだった。

「ソレには及ばないよ華菜。今日の部活は我が家で執り行うからね。活動内容は文化祭の曲決め。楽譜が大量にある我が家にはうってつけの活動内容だろう?」

「ふんだ!じゃあ、無理矢理にでも外に連れて行くもんね。お姉ちゃんばかり先輩を独り占めなんてズルいよ!」

ここで俺は不穏な空気を感じ取った。ここでさらに相川妹をエスカレートさせたら後々面倒な事になりそうだ。

「瀬菜、たぶんコイツは昨日ずっと家にいたからストレスが貯まってるんだと思うんだ。だから午前中だけなら良いか?」

「・・・だーめ。いくら紅騎の頼みだろうとここは譲らないよ。なんたって四日過ぎると次に会う機会はそうそう無いのだからね。華菜はいつでも会えるだろう?」

「む~・・・お姉ちゃんのばか・・・。」

瀬菜の言いたいことも分かるが、かといってこのまま相川妹を放置するのも何だか違う気がする。

「あー・・・だったらせめて俺が昼食を作ろう。その買い出しに相川妹が同伴するのはどうだ?」

「紅騎の手料理か・・・それは魅力的な提案だね。」

「ちなみにハントンライスを考えている。」

「よし、同伴の許可を出そう。ただし揚げ物はエビフライだ。そこは厳守すること。」

エビフライ・・・エビフライ?ああ、妹の好物か。なんだ、ちょっとは負い目を感じてるんじゃ無いかお姉さん。

「分かったよ。相川妹もソレで良いか?」

「うん!ありがとうお姉ちゃん!」

打って変わって満面の笑みを浮かべた相川妹は瀬菜にぎゅーっと抱きつく。鬱陶しそうな顔を作るがよくみると瀬菜の口も緩んでた。

なんだか姉妹愛というものを垣間見たような気がした。

 

「瀬菜、今になって思ったんだけどさ。男の俺がいて大丈夫なのか?」

瀬菜の通う学校は女子校である。従って今から来る部活の方々も女の子の訳で・・・。

「問題ない。少なくとも向こうは君のことを知っている。それに、私の親友ということもね。」

本当に問題は無いのだろうか?何だか無性に心配になってきた。

「君は普段女の子だらけの部室で部活動をしているのだろう?それに、彼女たちは言い方は悪いが音楽馬鹿しかいないんだ。まあ、君が新しい境地を切り開くというのであれば話は別だけどね。」

不安の色を隠せない俺の顔を見かねた瀬菜はさらにそう言ってきた。

「残念ながら俺にはそこまでする度胸も、つもりも無いよ。」

「そうだろう?だから大丈夫なのさ。それに私の我が儘でもあるんだ。自慢の親友のお披露目をしたいっていうね。」

してやったりという瀬菜の顔を見て、俺は何だか丸め込まれたような気がした。けれども、最後の言葉は悪い気はしなかった。

そんなとき下の方が少し賑やかになったのを感じた。どうやら件の彼女たちが来たようだった。

「こんにちは~あ、本当に来てたんだ。噂のお友達!」

「あー本当だ!」

「先輩達、あんまりよそのお家で騒ぐのは止めてくださいよぉ・・・。」

「・・・コンニチハ。」

「相川!久しぶり~会いたかったよ~!」

見た目瓜二つの白い服と黒い服の二人。髪を横にまとめたしっかりした印象の小柄な子。サックスのケースを担いだ片言で金髪の子。短髪にジャージという出で立ちの子。

何だかあくの強そうな五名が登場してきた。最後の一人は現れるなり瀬菜に抱きつきにかかる始末だし。

「よい・・・しょっと、えー・・・みなさん。こちら以前にお話した綾崎紅騎です。」

その一名を押しのけながら瀬菜は俺を紹介した。

「どうも。桜高二年の綾崎です。・・・あー今は綾崎じゃなくて、葵という名字に変わりました。軽音楽部でギターをやってます。」

真っ先に食いついてきたのは双子とおぼしき二名だった。

「知ってる知ってる!あの文化祭のライブ見たよ~。あ、私は部長の横溝真墨(ますみ)、N女三年、担当はベース、よろしく~。」

「格好良かったよね~歌もギターも。私は副部長の横溝真白(ましろ)、お姉と同じベースやってます~。よろしくね、葵君!」

へえ、ベースが二人いるのか。そう言えば同業者で先輩という立場の人に初めて会う気がする。これは貴重だ、たぶん、きっと、おそらく。

「えっと・・・二年生の榊ゆかりです。その・・・キーボードを。」

緊張なのか、男と話し慣れていないのかオドオドしている小動物的雰囲気は、何となく入江を彷彿とさせた。彼女ほど性格が豹変しないことを願いたい。

「・・・・・・。」

金髪の子と目が合う。何か言いたそうにしているが、なかなか言い出せない。そんな空気を感じた。

「あー紅騎。その子はドイツからの留学生なんだ。まだ日本語が上手く話せなくてね。私がドイツ語を勉強して何とかコミュニケーションはとっているのだけど。ちなみに一年生だ。」

そうか・・・ドイツ語か。うん、なら大丈夫だ。

『初めまして。俺は葵紅騎、君の名前は?』

できるだけはっきりとした発音でそう伝えると、彼女は一瞬驚きながらも口を開いた。

『エリーゼ・・・エリーゼ・エッフェンヴェルク。皆はエリーって呼んでるからあなたもそう呼んで。』

『分かった。えっと、エリーの持ってるその楽器はサックス?』

『そう、アルトサックス。私この楽器が大好きなの。吹いて見せようか?』

『是非聞いてみたいんだけど、それはまたもう少し後の方が良いみたいだけど?』

『そう・・・残念。じゃあ、後で聞かせてあげる。』

そう言って彼女、もといエリーは担いでいたアルトサックスを床に下ろした。初めてまともに会話ができる他人に出会ってのだろう。先ほどの様子と打って変わり、顔の強張りが無くなっていた。

そして、会話が成立して安心する俺の隣で驚愕の表情を浮かべる親友がいた。

「驚いた、まさかドイツ語ができるなんて。」

「むこうの音楽を調べるためにちょっとね。」

「流石私の自慢の親友だ。」

よせやい、照れるだろうが。

「あー相川が私を差し置いてイチャイチャしてるー!許さない!」

そう言ってなお瀬菜に絡むジャージ女子。今までの流れからこの子がドラムなのだろう。

「こら山本、ちゃんと自己紹介をしないか。」

瀬菜に怒られたその子は、くるりと俺に振り返りびしっと敬礼をした。

「初めましてー山本亜弥(あや)でっす!ドラムやってます!一年です、ウス!」

なんでこうリズムパートのヤツは誰かしらハイテンションの人間がいるのだろうか・・・。しかもここのリズム隊は全員がハイなメンバーだ。これは予想以上に榊さんのような人には辛いのではないだろうか。

一通りの自己紹介が済んだので、ちょっと聞いてみることにした。

「部長さん、ここの部活はどんなジャンルの音楽を?」

「えっとね、私たちはインストバンドだよ~インストって分かる?楽器だけの演奏でボーカルは一切無いの!」と真墨さん。

「それでね、普段はクラシックをアレンジして演奏してるんだよ~。」と真白さん。

この二人はセットで話すのが定石なのだろうか?まあ、そこは気にしないとして。クラシックのアレンジはちょっとだけ気になる。

「それで、今回は文化祭の曲決めで集まったんですよね?」

「その通り、たまには別の音楽もやりたいなーって。」と真白さん。

「うんうん、ロックも面白そうだなーって。そうしたらセーナちゃんのお友達、それも桜高の人が来てぐっとたいみんぐだよー。」と真墨さん。

なるほどね、俄然興味が湧いてきた。

「皆さんの要望を集めていくつか曲を選んでみました。これがそのリストです。」

瀬菜は一枚の紙をテーブルに差し出した。

 

ビートルズ、イーグルス、ヴァンヘイレン、クリーム・・・有名どころが網羅してあった。真墨さんがじっくりと吟味を始める。

「無難にいってビートルズか・・・クリームはちょっとマニアックだし、ヴァンヘイレンは激しすぎる・・・ん~さかッキーはどう思う?」

「さかッキー言わないで下さい・・・。そうですね、私もビートルズが良いと思います。アレンジしやすいですし。」

さかッキー・・・何だろう、どこかで聞いたことあるような・・・。強いて言うなら茶色い体に緑色の手をした、いわタイプのモンスターで・・・。

「葵さん、それ以上考えたら酷いですよ?」

榊さんに凄い目で睨まれたので考えるのは止めよう。うん、やっぱり怖い人だった。

『beatls・・・知ってる。何度か演奏したことある。』

『ちなみにどんな曲?』

『Let it be とOb-La-Di, Ob-La-Daよ。』

サックスで吹くビートルズか、彼らの曲は比較的アレンジしやすい部類に入る、とくに後者の曲はインストアレンジしやすい曲だ。

「部長さん、彼女ビートルズなら経験あるそうです。」

「お、本当?じゃあ、ビートルズかな?セーナちゃんとあややんはどう?」

「私もビートルズで問題ないかと。」

「相川がそう言うのなら私も全然オーケーでーす!」

と言うわけで彼女らの曲はビートルズに決定した。次はいよいよ曲決めである。そこでエリーが一つの提案をしてきた。

『やるならメドレーにしてみれば?』

その提案を伝えると、部長もそれは面白そうだと話に乗ってきた。そして、そのほかの方々も同じような意見だった。

「それじゃあ楽譜が必要だね。よし、いよいよ相川楽器の出番だよ!」と真墨さん。

「いつもありがとうね、セーナちゃん。おかげで我が部は大助かりよ!」と真白さん。

そう言って横溝姉妹は一階の店の階へと降りていった。その他5人が取り残される。

「えっと・・・どういうこと?」

「その・・・ですね、相川さんのお店で楽譜を買ってるんです。このお店って楽譜の品揃えが多いんです。もちろん部費で、ですよ?」

榊さんが代わりに説明をしてくれた。成る程軽音楽部御用達の相川楽器ということか。ウチと言い彼女らと言い、楽器屋がバックに着いてると便利だな。

・・・まあ、桜高軽音楽部はかなり度が過ぎているけど。

『瀬菜のお店は数は少ないけど、質の良いマウスピースとかリードとか売ってるから私も時々来てるの。』

おいおい何だよ、相川楽器って結構評判良いじゃん。おまけに楽器のメンテナンスもしてくれるし、個人経営としてはかなり優秀なのではないだろうか。

「お姉ちゃんそろそろ約束の時間だよ。先輩借りてくね。」

「おや、もうそんなに時間が経ったのか。分かった、気をつけて。それと寄り道しないで帰ってくること。」

自室に籠もっていたのか、今まで姿を隠していた相川妹が突然現れ、俺の腕を引く。

「はーい、じゃあ先輩。行きますよ!」

腕を引かれた状態で、そのまま一階へ。途中楽譜と睨めっこをする二人の背中を見送り、俺は半ば強引に外に連れて行かれた。

 

「凄いですね先輩、あっという間にあのメンバーと意気投合して。やっぱり同じ部活だからなんですかね?」

「山本さんなんか似たような雰囲気だぞ?似たもの同士仲良くしないのか?」

「だって・・・お姉ちゃんにばかりベタベタするから・・・。」

嫉妬ですか、そうですか。まあ、パーソナル空間に入ってこられて、大好きな姉を盗られたら嫉妬もするか。

「それにしても、あの鉄壁お嬢様と良く打ち解けましたね?」

「あの子のこと知ってるのか?」

「ええ、中学で同じクラスでしたから!無表情で誰も寄せ付けないサックスが恋人のエリーゼお嬢ですよ。」

たぶんそれはまだ言葉がよく分からなくて、日本の文化にもなじめないからだと思うのだけど・・・。

「人を見た目で判断してはいけません。少しでも良いから話してみれば良いよ。」

多分あの子は相当心細い思いをしているはずだ。周りが楽しそうにしていて、何が楽しいのか分からないのは寂しいし、辛いから。

「分かりました。先輩が言うのであれば、お姉ちゃんとドイツ語勉強してみます!まあ、会う機会はそんなに無いですけど。」

「うん、その調子だ。えらいえらい。」

「えへへへ~。せーんぱーい♪」

「くっつくな、暑苦しい。」

頭を軽く撫でると相川妹は抱きつきながら屈託のない笑顔を向けてきた。

その無邪気な笑顔を見せれば、彼女もきっと心を開いてくれるはず。そう願いたい。

 

近くのスーパーに到着。さて、早速食材探しだ。

卵、ベーコン、グリーンピース、それにチーズも欲しいところだ。

「あの、先輩・・・本当にグリーンピース買うんですか?」

「もちろん。それともなんだ?インハイ目指してる選手が好き嫌いか?」

「そ、そんなこと・・・うぅ、・・・ないです。」

全く理屈が成り立っていないが、相川妹は本気で葛藤を感じているらしい。

「だよな、まさか相川華菜とあろうお方が好き嫌いなんてあるわけないよな~?」

「先輩のイジワル、鬼畜、悪魔、紅騎!」

ほほう、俺の名前は単語と同じという訳か。ならばこちらにも考えがある。

「さーて、ピーマンのナス詰めの材料はーっと。」

「待って下さい先輩!何ですかそのマイナス同士の組み合わせは!嫌がらせですか!?」

「マイナス×マイナスは~プーラスーだよ~。ついでに栄養も~プ~ラス~だよ~。」

鼻歌交じりにピーマンとナスを放り込む。俺的にはありだと思うんだけど、どうだろうか。

まあ、それは食べてからのお楽しみということで。

次に買うのは揚げ物だが、さあどうしようか。揚げるか、それとも買うか。

一応揚げ物の許可は頂いてあるのだけれど。

「華菜、エビフライの他に何が良いと思う?」

「それならハムカツが良いです!ハムカツが食べたいです!ハムカツ!」

やけにハムカツを推してくるな。まあ、おれも好きだけどね。ハムカツ。

「先ほどの三つの試練を乗り越えよ、さすればハムカツは与えられん。」

「が、頑張ります・・・。」

それにしてもハムカツも好きなのか・・・なかなか渋いな。まあ、俺も好きだけどさ、ハムカツ。

ハムカツの材料を買い、レジを通った。ちなみにエビフライはすでにできあがったものを買うことにした。

これだけ暑いと生のエビは心配だから、仕方ない処置と言えるだろう。

 

 

「ただいま戻りました~。」

「もう、紅ちゃんったらどこに行ってたの~?」と真墨さん。

「お姉さん心配したんだよ~?」と真白さん。

「ええ、ちょっと買い物に行ってきました。」

いつの間にか何とも親しみやすい呼び方に代わっていることはスルーして、早速台所をお借りすることにした。

「揚げ物とかあるので、もう少し続けてどうぞ。」

「え?なになに、まさか紅ちゃんがお昼作ってくれるの!?」と真墨さん。

「わー楽しみ~!」と、真白さん。

正体面の人たちに料理を振る舞う緊張と、久しぶりに瀬菜に料理を食べさせる懐かしさを感じながらお借りしたエプロンを身につけた。

結果だけ言えば、ハントンライスはなかなかの好評であった。一番人気はハムカツ。揚げた身としては嬉しい限りだった。

 

「さて、美味しい追い昼ご飯のお礼に私たちの演奏を気かさえて進ぜよう。」

真墨さんの提案で、なんと演奏をしてくれるそうだ。

『やっと、演奏ができるね。』

『うん、楽しみにしてて。』

サックスが吹けて嬉しいのか、エリーも先ほどとは打って変わって上機嫌そうであった。

「お姉ちゃん、ギター持ってきたよ。」

「ありがとう。さあ、華菜もそこに座って聞いていくと言い。」

瀬菜に促されて、相川妹が俺の隣に座っってきた。

「実を言うと私も初めてなんです。お姉ちゃんの演奏聞くの。」

「へぇ・・・そうなのか。それで、部長さん。曲目は何でしょうか?」

「そうだなー、じゃあ運命でいくよー。ワンツースリー!」

 

ベートーヴェン交響曲第五番。運命の名前で知られるこの曲は、クラシックの中でも馴染み深い一曲だ。

最初は横溝姉妹によるベースだけの演奏が始まる。重厚な低音同士が重なり、まるでらせんを描くように一つの旋律へ形成されていく。

完璧に同調したリズム、呼吸。これも双子だからこそできる演奏なのだろうか。

ベースソロの次は、ギターとドラム、サックスによるジャズチックにアレンジされたパートだった。

ジャズ特有の複雑なテンポに惑わされること泣く、サックスは力強く且つ技巧的な音を響き渡らせる。

サックスが恋人。まさにそう思わせるような演奏だった。

ピアノ・ベース、ドラム・サックス、ギター・ピアノ・ベース、と多彩にパートが入れ替わる。ただ入れ替わるだけでは無い。前後のパートには必ず”繋ぎ”があり。全てのパートが合わさり一曲ができあがっているのだと、そう感じさせる。

全体として十五分の長い演奏だったが、終わったときにはあっという間だった。

俺と、相川妹はスタンディングオベーションをしていた。

「すっごく格好良かったよ、お姉ちゃん!」

「ふふ、ありがとう、華菜。だけど、ひっつくのは遠慮してくれないか?」

「やーだー、くっつきたいときにくっつくんじゃーい!」

「そーだそーだ!」

そこに山本さんが加わり、騒ぎは一気に大きくなっていた。そんな三人の横をすり抜けるようにして、エリーがこちらに寄ってきた。

『どうだった?』

『凄く良かったよ。それで、エリーはいつからサックスを?』

『5歳の時からよ。それから毎日吹いてるんだから。』

十年以上もサックスを吹き続けているわけだ。おそらく、あの集団の中で一番キャリアが長いのでは無いだろうか?

『次はコウキの番よ。ギター、持ってるんでしょう?』

言ってる意味を理解しかねている、俺をよそにエリーは一冊の楽譜を見せてきた。ソレは彼女たちが部費で買ったビートルズの楽譜だった。

『何なら弾ける?』

その言葉でやっと彼女の真意を理解することができた。

『そうだな・・・Ob-La-Di, Ob-La-Da、とか?』

『それは前やったからヤ。別の曲が良い。』

音楽に関しては彼女は配慮はいらないようであった。エリーから楽譜を受け取り、俺は一つの曲に目がとまった。

『それじゃあ、Roll Over Beethovenで。』

そう言うとエリーは、口元を隠して肩を揺らし始めた。

『くすくす・・・あー面白い。良いわ、その曲にしましょう。意外と面白いのね、コウキは。』

冗談が分かってくれて嬉しい限りである。

そうして、俺とエリーによるデュエットが始まった。

しかし、そこで誤算が。ノリノリになったエリーは立て続けにリクエストを出してきたのだった。そこに軽音楽部の面々が加わり、最終的には楽譜に載っている全ての曲を演奏していた。

新縛を深めるという意味では、一応成功と言えるのでは無いだろうか。



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48話「おかえり、綾崎。」by岩沢

「なんだか、この四日間はあっという間に感じたよ。」

「奇遇だな、俺もだ。」

「できればもう少し・・・と言いたいところだけど。君を縛っておくのは私も忍びないからね。」

照れくさそうに頬を掻く。それは瀬菜なりの強がりだろう。

「先輩、2学期に会いましょうね~。」

相川妹は夏休みいっぱい自宅で過ごす予定だそうだ。そのときとても大事な用件を思い出した。

「あ、それと携帯返せ。」

「おぉっと、そうでした、そうでした。」

預けっぱなしだった携帯電話を受け取る。よし、これで連絡手段が手に入った。早速電源を入れようとしたが、画面は真っ暗のまま。

「相川妹・・・コレは一体どういうことだ?」

「あ、紅ちゃんのケータイに私たちの連絡先登録しておいたからね~。」と、真墨さん。

「寂しくなったらいつだって連絡して良いのよ~?」と、真白さん。

コレはお礼を言うべきなのだろうか?うーん・・・返答に困る。

そんなことよりも・・・まさかソレで電池を使い果たしたのではなかろうか・・・。例えば、電源を入れっぱなしで放置したとか。

「すみません葵さん・・・ご迷惑でしたよね?」

申し訳ないと言った様子で榊さんが頭を下げる。

「いやいや、大丈夫だよ。迷惑だなんて全然思ってないから。」

「そうだぞー榊ー。女子高生に連絡先教えて貰って嬉しくない男子高校生なんているわけねーじゃん。いたとしたら、ソイツはホ・・・。」

「すみません、すみません!」

下品な単語を口にしようとした山本さんの口を両手で塞ぎ、再び山本さんは頭を下げまくった。

「ははは・・・大丈夫、ダイジョウブ。」

ソレには乾いた笑いしか出てこなかった。まあ・・・別に構わないけどさ。後は帰るだけだし。

『連絡先を教えたのは、コーキがこれで8人目よ。それに、男の人はコーキが最初。』

と言うことは彼女の携帯の電話帳には8人しかいないということか。

『・・・お父さんは?』

『パパはその・・・お母さんとべったりだから別に良いの。』

『ありがとう・・・この連絡先、大切にするよ。』

なぜか素直にお礼の言葉が出た。何て言うかその・・・悲しくなってしまったから。

ああ、目頭が熱い・・・。

「紅騎、そろそろホームに行った方が良いんじゃないかな?」

瀬菜の言うとおり、時計は十分前を示していた。

「ああ、そうだな。それじゃあ・・・。」

瀬菜と向かい合い、握手を交わす。その時、瀬菜はぐいっと俺の腕を引いた。

気がついたときには、お互いに抱きしめ合う形になっていた。

「がんばれ、紅騎。」

俺だけにしか聞こえない小さな声で、瀬菜は囁いた。その言葉だけで頑張れてしまうような気になってしまうのだった。

そんな彼女に俺も答えなければならない。

「ああ、瀬菜もな。それと・・・ありがとう。」

相手の背中を叩き合い、体を離す。

・・・本当に、最高の親友だよ。瀬菜は。

今俺の胸の中は感謝の気持ちであふれかえりそうだった。

「「じゃあ、私も!」」と両手を広げて待機する横溝姉妹には遠慮して貰う。申し訳ないと思うけど、今のこの気持ちにもう少しだけ浸らせて欲しい。

そのほかの方々には握手をしてから改札を通る。

ホームに上がると、丁度特急列車が待機していた。進行方向左側の窓席に座ると、やっぱり少しだけ寂しさを感じた。

発車の知らせるベルが鳴り、列車はゆっくりと動き出した。

ふと外の景色を見ると、バス乗り場付近から大きく手を振る2名とその他大勢が確認できた。

こちらを確認するとかそんなことはお構いなしな様子だった。

だんだんと小さくなっていく瀬菜と目が合う。彼女は確かに笑っていた。

俺もそれに答えて笑おうとするが、上手くいかない。先ほどから口元が震えて、まぶたが痙攣しているからだった。

自分が泣いていると自覚したのは、彼女たちの姿が見えなくなってからだった。

別れの寂しさとは違う。

俺は嬉しくて泣いていたんだ。会おうと思えばいつでも会える。”また会おう”と別れることができる事が、とても嬉しかったんだ。

どでかいサプライズや、新しい顔見知りが増えた四日間が終わりを告げる。この四日間は良い出会いだったと、素直に思える旅行だった。

 

・・・・・・そう思っていたんだ。新幹線から普通列車に乗り換えるまでは。

 

「岩沢さんに会ったら、どんな顔すれば良いんだよ・・・。」

思えば合宿以来一度も直接顔を合わせていなかった。人気の無い車両の中、俺は頭を抱えた。

温かい気持ちが一変し、焦りの気持ちが押し寄せてきた。あと四十分で、我がふるさとへ到着してしまう。

その間に何とか気持ちを立て直さなければ。

 

 

1時間に一本。さほど気にしていなかった我が町の、電車の本数。

だけど、今日はやけにじれったく感じる。電車接近のアナウンスで顔を上げ、上り列車でため息、別の路線でまたため息。

そうして待っていた下り列車が到着。降りる客は少なく、誰が降りたのか簡単に見分けることができる。

朝から待つことコレで5本の下り列車が発着した。

・・・だけど、綾崎の姿は無かった。

今日は綾崎が帰ってくる日。朝に弱い私が早朝に目を覚ましたのだから、自分でも思っている以上に待ち遠しかったのかもしれない。

ふっ・・・これじゃあまるでハチ公みたいじゃないか。自分で自分を卑下するが、やはり期待する気持ちは抑えられない。

「腹・・・減ったな。」

持ってきた本もすでに読み切ってしまった。近くにこの駅には売店なんて洒落たものは置いてなかった。あるのは、自動販売機と暇そうな駅員だけ。

日陰になっている待合スペースに心地の良い風が吹き込む。私の前髪を揺らして、すぐに風は立ち去ってしまう。

後に残るのは遠い蝉の鳴き声だけ。

少しずつ瞼が重くなってゆくのを感じる。

「だめだ・・・あと一本まで我慢しよう。」

睡魔を追い払うために水を一口飲む。既に温くなっていたソレは私を中の方から気怠くさせる。

「あや・・・さきぃ・・・。」

そう言えば昨日はほとんど寝てなかったっけ。そう考えているウチに、体は壁の方に傾き、最後には瞼も落ちてしまった。

 

「・・・・・・ん?」

いつの間にか私は横になっていたようだった。利用客が少ない時間帯だったので、少し安心した。

それにしても、ここのベンチの座布団はなかなかどうして気持ちが良い。

ほどよく固く、且つ体重を受け止めてくれる懐の深さ。思わず頬ずりをしたくなるような温かみ。鼻腔をくすぐる私の大好きな臭い。百点満点だ。

アイツが膝枕してくれたらこんな感じだろう。と私が時々思案している(決して妄想では無い)感触にどんぴしゃだったのだ。

そう、まるで本当に綾崎に膝枕をして貰っているような・・・。

「・・・・・・え?」

目を開けるとそこには人の膝があった。ゆっくりと頭上を確認すると、そこには見知った顔が合った。

「お、やっと起きたか。おはよう、岩沢さん。」

おかしい。私の半分眠った脳がそう告げてきた。

私の知っている綾崎紅騎はこんな、柔らかく笑う人間だったろうか?

いや、私の夢の中では結構笑っているが・・・。

あ、そうか。”これもまだ夢の続きなのだろう”ならばもう少し甘えさせてくれても良いでは無いか。これは私の夢なのだから。

「あれ、また寝るのか?」

うるさいなあ・・・私の夢なんだから好きにさせてくれ・・・。

せめてアイツが帰ってくるその時まで。

 

「ご乗車ありがとうございました。次は××です。」

幾度となく聞いた駅の名前がアナウンスされ、四日ぶりに帰って来た俺の待ち。

ドアがゆっくりと開き、そこにはいつもと変わらない景色がそこにはあった。

改札を通ると、駅員が窓口のシャッターを閉じた。ここから2時間、この駅は一本の電車もこないいわゆる空白の時間だ。

この時間で、駅員は昼食を食べに行くのかどこかへ出かけてしまう。

まあ、いつも通り。今日も今日とて変わらない光景だ。

「・・・・・・おぅ。」

そして見慣れない光景がそこにはあった。待合スペースで岩沢さんが眠っていた。

傍らには水のペットボトル(相変わらずvol○ic)とカバーの掛けられた文庫本が置いてあった。ペットボトルは完全に温くなっていて、丁度良い人肌温度だった。

おそらく結構長い時間ここに座っていたのだろう。

なぜか。

そんなこといちいち考えるまでも無かった。

「本当に・・・適わないなあ。岩沢さんには。」

隣に座って改めて彼女の顔を見つめる。

一途と言うか、純粋というか。混じり気なしの本当に真っ直ぐな気持ちが伝わってくる。

俺は・・・まだ答えを出すことはできない。そのことがずしんと重りとなって、俺の肩に積み重なっていく。

今年中・・・いや、学年が変わるまでには必ず―

「すぅ・・・すぅ・・・んん~。」

人の気配を感じたのか岩沢さんは、壁により掛かっていた体を起こした。そしてそのまま反対側へ倒れてきた。そしてそのまま俺の膝の上で再び寝息を立て始める。

「・・・えぇぇ。」

人一人分の重みと、吐息が掛かる暖かさ、くすぐったさ、そして安心感。

なぜだかこの人とゼロ距離でいると心が落ち着くのだ。もちろん恥ずかしさはあるのだが、それ以上に安心する。本当に不思議な感覚だった。

まるで昔からこうして接触していたような・・・。

「・・・何を考えてるんだか。」

そんなことあるはずがない。だって、彼女と会ったのは去年の四月が初めて。それ以前には一度も会っていない。そう、一度も会ったことは無いのだ。

この件について考えると、心にもやっとしたものが渦巻く。何かを見落としているのだろうか?だが、ソレが分からない。

見落としているのか、していないのか。しているとしたら何を見落としているのか。

・・・考えるのは止めよう。今考えていても解決の糸口は見いだせるとは到底思えない。

それにしても、よく寝てるなー岩沢さん。本当に気持ちよさそうな寝顔だ。

気がついたら前に垂れた彼女の髪を後ろに流していた。左手が耳に触れると、岩沢さんの体がピクッと反応した。

「・・・・・・ん?」

小さく呻き声を上げたかと思うと、何を思ったのか俺の膝に頬を擦り寄せてきた。・・・非常にくすぐったい。

やがて、異変に気がついたのか、岩沢さんの顔がしきりに動き始めた。そしてゆっくりと、俺の方に視線を移していく。

「・・・・・・え?」

今目の前にある光景が信じられないと言った様な表情をしていた。それでもまだ半分寝ぼけているのか、視線がおぼつかない。

普段のきりっとした様子とは打って変わり、今は目尻を下げてトロンとした表情をしていた。

正直に言おう、たまんねえ。凄く可愛い。今すぐにでも抱きしめてしまいそうだ。

しかし、そこは理性で自分を制する。

とりあえず何か言っておこう。

「お、やっと起きたか。おはよう、岩沢さん。」

自然と広角が上がり、無意識に笑っていた。

そんな俺の顔を見るや否や、なぜか安心した顔で再び眠る姿勢。つまりは俺の膝の上に体重を預けてしまった。

「あれ、また寝るのか?」

俺は一向に構わない、何時間でもこうしていられる自信がある。しかし、ここは公共交通機関であり、街の中心地である。

いくら利用客が少ないからと言って、いないわけでは無い。現にお年寄り夫婦があい向かいの席で笑いかけてくるわけで・・・。

それにホーム側のベンチからも人の視線が浴びせられてくる。

いや・・・ちょっと待て。あのポニーテールと、勝ち気な目つきと、でかい胸は・・・ひさ子では無いだろうか?

いや、絶対にひさ子だ。こっち見てにやついてるし。

仕方が無い、もう少しこうしていたいがタイムアップだ。

「岩沢さん、そろそろ起きてくれー。」

肩を揺らして、彼女を夢の世界から覚醒へと誘う。

「ん~んー。」

しかしまだ寝ていたいんだとばかりに、頑なに彼女は覚醒を拒む。

「いい加減に起きないとキスするぞコラ!」

「じゃあ、起きないぃ・・・。」

既に半分覚醒しているのだろう。だが最後の本丸はまだ陥落せずに、籠城している模様。

「どうやらお困りに様だな、葵くん?」

いつの間にか俺たちの目の前にひさ子が仁王立ちしていた。

「その前にひさ子。お前、いつから見ていた?」

「岩沢が駅に着く十分前。」

さも当然かのようにそう告げる。つまりは最初から今までのことをずーっと見てたわけだ。此奴めは。

「ここまで来ると逆に清々しいな、お前。」

「へへへ、これでしばらく岩沢分はチャージできたな。」

まるで栄養素のようなネーミングに少し引いてしまう。

タンパク質、脂質、ビタミン、ミネラル、そして岩沢分。ひさ子の五大栄養素は炭水化物をすっ飛ばし、代わりに岩沢分が居座っているようだ。

「ひさ子の栄養不足はどうでも良いとして、何とかできないか?」

岩沢さんを引きはがそうとするも、またもや「ん~ん!」と駄々っ子のごとく拒否権を行使してきた。

「任せろって、そんなときは・・・。」

ひさ子がずいっと俺の方に顔を寄せてきた。立っている姿勢で屈んで来るので、襟の深い服も相まって・・・その、いろいろ見えそうだった。

「ふふ、どうした葵?こっち見ろよ。」

「いや・・・その、無理だ。」

「何が無理なのか、言ってくれないか?」

ひさ子が俺の耳元でゆっくりと囁き、色々限界が近づきそうになった瞬間。ひさ子が視界から消えた。

「ぐえ・・・!」

女の子の口から出てはいけないような、まるで蛙の鳴き声の様は音が下の方から聞こえた。

「どういうつもりだ?・・・ひさ子。」

そして岩沢さんのえらくドスのきいた声も聞こえてきた。

どうやら岩沢さんが何かしらの手段を使って、ひさ子を床に組み伏せたようだった。うつぶせになったひさ子の腕をまるで犯人を捕まえるように固めていた。

「いや、岩沢がなかなか起きないからよー。」

「だからってあんなことをして良い理由にはならない。」

ギリギリギギリ・・・。

「いててててて!わーたよ、すみませんでした!」

本当に、相変わらずだな・・・この二人も。

「そこまでにしておいたら?騒いだら迷惑だろ。」

そう言って注意をする俺の顔を見た二人の顔が、なぜか驚いたような表情になった。

「・・・なんだよ、何か珍しいものでもあったか?」

「葵・・・お前、笑ってる。」

よほど驚いたのか、ひさ子が俺を指さしてそう呟いた。・・・人を指さすなって。

「だから何だよ、笑って悪いかよ?」

「お前が笑ったの・・・初めて見たから。」

そうか?・・・そう言えばそうか。改めて思い返せば、ちゃんと笑ったのは中学生以来か。

「まあ、腫れ物が取れてすっきりしたんだよ。気が楽になったって言うか。」

「綾崎、四日間・・・どうだった?」

ひさ子の腕を解いた岩沢さんがそう尋ねる。

「そうだな・・・良かったよ。」

「そうか・・・なら、それで良い。」

そう言った岩沢さんは深く尋ねようとはせずに、優しく笑うだけだった。そして、あ、言い忘れてた。と呟き、俺と真正面に向かい合う。

「おかえり、綾崎。」

そんな短い一言が耳を通り抜け、全身を満たしていく。

「えっと・・・ただいま。岩沢さん。」

改めて言う気恥ずかしさを、笑って誤魔化すことにした。

すると岩沢さんは、少年の様な・・・そう、まるで太陽みたいな笑顔を返してきた。

 

この四日間、俺は確かに得るものはあった。それは小さいものだと思っていたのだけれど、とても大切なものだった。

それを、岩沢さんが教えてくれた。 



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49話「フギャ!?」by入江

「何だか物足りない気がします。」

夏休みの部活はもっぱら我が家のスタジオで行われていた。理由は単純、部室にはクーラーが無いからだ。

そんな練習中m入江の口からそんな言葉が漏れたのであった。

「綾崎せんぱい!みゆきちが欲求不満なようです!」

「ち、ちちち違うよ!?違いますからね!先輩!」

間髪入れず茶々を入れる関根に、律儀な入江はちゃんと反応していた。

「欲求不満は良いとして。入江、詳しく聞こうじゃないか。」

「はい、・・・良くないですけど。あの、私たちの曲って岩沢先輩のストラトで音の輪郭を作って、ひさ子先輩のジャズマスターで色を付けている事が多いですよね?以前綾崎先輩はムスタングでしたから音に存在感がありました。・・・けれど。」

大体入江の言いたいことは分かった。今まで俺のパートはリズムパートをはっきりさせたり、ギターソロに色を付けたりするのが主な役割だった。ムスタングはそのパートにばっちりはまっていたのだろう。

しかしそれはストラトに”戻って”から具合が少し変わってしまったようだった。

「すみません・・・余計なこと言ってしまいましたよね・・・。」

「いや、入江の言うことは正しいよ。よく言ってくれた。」

「いえ、そんな・・・・・・。」

「そんじゃあさ、エフェクターとか変えてみる?音の作り方次第でどうにもなんだろ?」

「・・・・・・いや、この際だから思い切った変化を付けてみるのもいいかも。」

岩沢さんが何かを思いついたのか、エレキからアコギにギターを持ち替えた。

「綾崎、もう一本アコギ借りてきてくれる?」

 

岩沢さんに言われたとおり、貸し出しようのギターを持ってきた。

「じゃあ、コレをやるから。」

そう言って差し出してきた楽譜はいつぞや編曲したWednesday Morning, 3 A.M.だった。

「まずは普通に、一番だけで良いから。1,2,3,4・・・」

岩沢さんに言われたとおり普通に楽譜を追っていく。サワリだけのラフな演奏なのに綺麗にハモらせてくる。

こんなに簡単にハモらせてくるあたり、やっぱりこの人は上手い。

「じゃあ、次は別パターン。綾崎はさっきと同じように弾けば良いから。」

そう言って岩沢さんはピックを取り出した。・・・・・・大体考えていることが分かってきたぞ。

「1,2,3,4・・・」

再び同じように演奏を始める。たださっきと違うのは岩沢さんがピックで弾いていることだ。

するとどうだろう。ピックで弾くことによって音に硬さが生まれ、奥行きを感じることができる。

前者のふわっとしたどこかつかみ所の無い雰囲気と比べて、一種の型のようなものができあがった。

たとえるなら、青空を写真で切り抜いたような。そんな感じ。

 

「岩沢の言わんとしていることは大体分かった。けど、そりゃあこの曲みたいなら良いだろうけど。私たちがやるのはロックだぞ?」

「ひさ子先輩、そうとも言い切れないかも知れませんよ?ジェフ・ベックという良い例があるじゃないですか。」

「あんな様な音出されたら今度は私の存在感か薄れるだろうが!」

確かにジェフ・ベックは有名なフィンガーピッキングのギタリストだけど。俺としては、もう一人。この人の方が良い例だろう。と言うより、俺が一番尊敬しているギタリストだが。

「二人とも、もう一人忘れてるだろ?」

しかし、俺の言葉に二人は頭上に「?」を浮かべるだけだった。

・・・うそだろ、確かに日本じゃかな~りマイナーな方だけど。アメリカじゃあ相当売れたバンドのリーダーだったんだぞ?

「先輩、その人って誰なんですか?」

入江も気になるのか俺に好奇心の目を向けてきた。だが、今この時だけは心に重くのしかかるだけだった。

 

~~~~~♪

 

落ち込む俺の耳にギターの音が流れてきた。

コレは、Dire straits の「Romeo & Juliet」のフレーズだ。

リゾネーターギターではなく、アコギだったがそれは確かにRomeo & Julietだった。

「マーク・ノップラー・・・私も好き。」

岩沢さんはギターをスタンドに立ててからしれっとそう言った。

「良かった、岩沢さんが知ってて。」

「・・・綾崎。」

「うん、分かってる。それで行こう。」

しばらくはピックとお別れだ。あの独特な音を出すことができればきっと味わいのある演奏をすることができるだろう。

「あのぉ・・・葵先輩。お二人で以心伝心しているところ申し訳ないのですが。こちらの三人は全く話が見えてないのですが。」

そうか、そこの三人はまだ分からないのか。・・・ならば。

「今からあんたら三人にDire straitsとMark knopflerについてみっちり教えてやるから覚悟しろ。」

確かライブのDVDが俺の部屋にあったはず。それにネットを探せば他の映像も見つかるはずだ。

「お前らちょっと作業部屋来い。」

まさかここでビデオ鑑賞をするわけにもいかないしな。

と言うわけで隣の作業部屋に場所を移し、パソコン、プロジェクター、スクリーンを準備した。

「まずは簡単にマーク・ノップラーとダイア―ストレイツの歩みについて説明するぞ。」

 

マークノップラー率いるダイアー(悲惨な)ストレイツ(崖っぷちたち)はその名前の通り、結成から懐事情に悩まされていた。メンバー四人の内三人は音楽とは縁の無い仕事に就き、その収入のほとんどを音楽に費やしていた。リーダーであるマーク・ノップラーも国語の教師をしていた。

そんな彼らをからかうように友人が言っていた言葉がそのままバンド名になったというわけだ。

さて、そんなときとある有名なラジオDJが彼らのある曲をヘビーローテーションしたのだった。

その曲こそ彼らのデビュー曲となった”Sultans of swing”であった。この曲のブレイクをきっかけにダイアー・ストレイツは成功の道をひた走り続けた。

そして全米売り上げ200万枚という記録を打ち立てたアルバム、ブラザー・イン・アームズはまさに一家に一枚の大ブレイクだった。

そして時が経ちダイアー・ストレイツは活動を休止。今はマーク・ノップラーがソロで活動をしている。

フィンガーピッキングの温かい音、彼の語りかけるような歌声はこれからも人々の心に優しく染み渡っていくのだろう。

 

「それでこれから見せる映像は、そんな彼らが栄光の階段を今まさに上ろうとしている時期に行われたライブだ。」

「それは良いとして、何でこんな設備が葵の家にあるんだよ?」

「マスターの趣味だ。大画面、大音量でDVD見るのが好きなんだとよ。」

「ああ、それでこんなにソファがふかふかなんですね。ほらほらみゆきち~おいでおいで~。」

「あ、本当だ。」

ソファが気に入ったらしい関根と入江はそのままで良いとして、後の二人は・・・。布団しかないか。

「座布団無いから敷き布団で我慢してくれ。」

「別に気にしない。」

「私も別に構わねーよ。それよか葵も早く座れよ。まさか恥ずかしいなんて青臭いことは言わないよな?」

そう言って、ひさ子は自分の右隣をぽんぽんと叩いた。そこは二人の間に収まるスペースだった。

「分かったよ、座るよ。座れば良いんだろ?ほら、始めるぞ。」

再生ボタンをクリックして二人の前に「∴」の様にして座った。が、しかし強力な力でズボンのベルトを引っ張られて「・・・」の並びにされてしまった。

「何だよ、どうしたんだよ二人とも?」

「綾崎うるさい。」

「良いから良いからほら、始まるぜ~。」

俺の抗議はないがしろにされ、スクリーンにはビリヤードなどを楽しむメンバーらが映っていた。

alchemy liveと名付けられたこのライブは演奏、演出において全てにダイアー・ストレイツの魅力が詰め込まれている。

CD版よりも二倍以上の時間で演奏されたsultans of swingはライブでしか聞くことができない魅力にあふれている。

Romeo&Julietの前奏で映像に出る若い男女の二人組は、路地裏に取り残されたロミオとジュリエットを彷彿とさせる。

「葵、ちなみにお前のおすすめは?」

「この次にでるtunnel of loveだ。岩沢さんは?」

「私も綾崎と同じ。後半のソロは特に好き。」

「でもひさ子はその次のTelegraph Roadが気に入りそうだけどな。」

「それは言えてるかもしれない。」

tunnel of loveはCD版で8分もある長い曲だ。

比較的アップテンポでロック色が強い曲だ。アメリカを想起させる歌詞に、ノップラーの力強くもどことなく切ないメロディ。その二つが合わさり8分などあっという間に過ぎ去ってしまうほどに曲が入り込んでいく。

しかし、この曲の一番の山場は後半のノップラーのギターソロだ。

彼の奏でる音は抵抗なくすっと胸に染み込む。そして甘く、切ない感覚が奥の方から「じわり…じわり…」とにじみ出てくるのだ。

この感覚を何て呼べばいいのか今の俺には分からない。

だけど、いつかこの感覚をはっきりと言葉で表現できたらと思っている。

 

そしてその次に演奏されるtelegraph roadは俺の知りうる限り彼らの曲の中で最も長い。

およそ14分。されど14分。

この曲の見せ場はマークノップラーのギターソロだ。指で引いているとは思えないくらいなソリッドな音に身を任せていると、自然と体が動き出すようだった。つくづく彼はギターで音を聞かせる技術と言うか、センスが並はずれたものを持っていると実感することができる。

 

ライブは終盤へと差し掛かり、最後の曲は映画「local hero」のサントラとして作曲された「going home」という曲だ。

ちょっと映画の内容を話すと、田舎に石油コンビナートを作ろうと出張した男がその村の生活を気に入り、仕事を忘れて住み着いてしまうというストーリーだ。

この曲に入ると、スタッフたちが演奏中にセットの片づけを初めて、最終的にはメンバーと楽器だけの剥き出しの状態で終わるという演出がある。

 

一晩の夢が覚めるとき、人々は家に帰る準備を始める。

 

まさに曲名の通りの演出だった。

「…さて、どうだった?とりあえずひさ子から。」

「あーそうだな、葵があんな音出すようになったら面白そうだとは思うな。曲のジャンルにも幅ができて、岩沢もまんざらでもねーだろ?」

「そう…だな。」

岩沢さんはなにか考え事をしているようで、ひさ子の問いかけにも上の空だった。

…よし、この人は後で聞くことにしよう。

「関根は?お前の好きな超絶技巧のバンドじゃないが、どうだった?」

「そうですねー、やっぱり私はもっとギターとベースが延々とグルーヴしてるような方が好みです。でも、ちょっと興味がわきました。ね?しおりん。」

関根は隣の入江に話を振った。しかし、当の本人はなぜかうつむいていて、ピクリとも動く気配がない。

「しおりん?どうしたの?」

関根が入江の肩を揺さぶる。すると、入江がゆらりと俺の方に近寄ってきた。

「…先輩。」

「お、おう…どうした?」

すると、突然入江が俺の肩を掴もうとしてきた。…が、身長が足りないせいで胸倉を掴むような形になった。

「すっごく格好良かったです!一発ノックダウンってこういうことを言うんですね!ああ、なんで私今までこんな凄いバンドを知らなかったんだろう!これも先輩のおかげです、本当にありがとうございます!」

「良かったら…CD…か、貸すけど…?」

どうした?やけに声が出にくいぞ?

…ああ、首元が閉まってるからか。納得。それにしても顔が近い、さすがドラマー俺の体を少し浮かせるくらいの力があるのか。

「本当ですか!?是非、是非貸してください!」

あれ…?天井ってあんなに白かったっけ?いつのまにか入江の顔がのっぺらぼうに…。なんだか意識が薄らいできて…?

そんな意識が薄らぐ俺の耳にヒュン!という乾いた音が聞こえた。

「フギャ!?」

猫がつぶれたような声と共に、俺の気道が確保されて新鮮な酸素が脳に巡ってきた。

一呼吸ごとに頭がすっきりしてくる。

…ああ、生きてるって素晴らしい。

「…で、なんで入江がのびてるんだ?」

足元には目を回して、コミカルに倒れている入江がいた。そして、彼女のそばには空のCDケースが落ちていた。

後ろを振り返ると、案の定投擲が終了した姿勢で固まる岩沢さんがいた。

「危なかったな綾崎。いろいろな意味で。」

そう言って岩沢さんは何事もなかったようにライブ映像のディスクを取り出してケースにしまう。

「はい。」

……とりあえず受け取っておいた。

「関根、入江はまだ伸びてるか?」

「きゅぅ~…。」

「全然目を覚ます気配がありません!」

こりゃ相当良い場所にクリーンヒットしたな。

「じゃあ、そのままで良い。それと岩沢さん、あとで謝るように。」

「……。」

「謝りなさい。」

「……分かった。」

そんな感じで保護者の真似事をしていたら、携帯がメールの着信を告げてきた。発信者は…唯だった。

「綾崎も平沢からメール?」

そして、なぜか岩沢さんにも少し遅く唯から届いているようだった。

 

夏祭りに行こうよ!

 

簡単に要約するとそんな感じの内容だった。

俺に贈るのはなんとなく理解できる。ただ、なぜ岩沢さんにまでそのメールが届いたのか。

「せっかくの誘いだから行くか、綾崎?」

以外にも岩沢さんは乗り気らしく自分からそう言ってきた。

「お、おう…唯から何て送られてきたんだ?」

「……秘密だ。」

どうやら岩沢さんを乗り気にさせる文が送られてきたようだった。まあ、それが何なのかは教えてくれないみたいだけど。

「おいおい二人とも何の話してるんだよ~。」

案の定興味を持ったひさ子が話に入ってきた。

「唯から夏祭り誘われた。」

「ほ~お、それはまた面白いな!じゃあ、私は遠目に観察させてもらうわ。」

もはや隠れる気もなくなったのかひさ子は堂々とそう宣言した。まあ、こいつの場合邪魔はしてこないで本当に見てるだけなんだよなぁ。

たちが悪いのか悪くないのか良くわからないけど。

「じゃあ、じゃあ岩沢先輩は浴衣で来るんですか?」

関根も釣られて話題に乗っかってきた。…浴衣か。

「残念だけど、浴衣持ってないから。それに、あんな動きづらい恰好好きじゃない。」

「確かに動きづらいけどな岩沢。浴衣は世界で一番脱―」

「まあ、普通は持ってないよな。あんな特殊なシチュエーションで着る服なんて。」

ひさ子がまた不埒な発言をしようとしたので強制的にシャットアウト。

「……あ。」

再びメールが届いたらしく、岩沢さんが小さく声を漏らした。

「どうしたんですか?岩沢さん。」

「浴衣…平沢が貸すって。」

ということは憂の浴衣か。まあ、背丈は似たような感じだから大丈夫だろう。

「良かったですね先輩!」

関根は俺に向かってそう言ってきた。…くそ、コイツ分かって言ってきたな。

「そうだな、すげー楽しみだな。」

本人がいる手前下手に誤魔化せない。あの時点で関根の質問にはこう答えざるを得なくなっていたのだ。

岩沢さんはというと、表情を変えることなくからかうひさ子をいなしていた。

しかし、よく見てみるとほんの少しだけ目が泳いでいた。

 

 

 

 



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50話「綾崎?無言で見られると…困る。」by岩沢

平沢の考えていることがいまいち良く分からない。私も詳しいわけではないが、恋敵同士で遊びに行けるものなのだろうか。それもその相手を連れて。

文学作品なんかを読んでもそんな類の描写はなかった。ひさ子に聞くわけにもいかないし、ここはそういうものだと受け入れるしかないのだろう。

はたしてちゃんと上手くできるのだろうか…。今更ながら心配になってきた。

 

突然だけどコウ君と一緒に夏祭りに行こうよ!

今年は花火もあるからきっと楽しいよ!

本当はちょっと迷ってたんだけど、やっぱりまさみちゃんともっと仲良くしたいなって思ってるから。

だから何て言えば分からないけど、軽音部のときじゃないまさみちゃんも知りたいなって。

 

文面を見るだけで平沢のふにゃっとしたしゃべり方が聞こえてきそうだった。それなのに、真剣な意思は伝わってくるからどう対処すればいいのか迷ってしまう。

「ほらほらまさみちゃん、上がって上がって~。」

まあ、今ここに本人がいるのだけど。二度目となる平沢家の訪問。前回の重苦しい空気と違い、今日はほんわかとした雰囲気だった。

リビングにはすでに浴衣が準備されていた。紺色に鮮やかな花火の柄があしらわれた綺麗な浴衣だった。

「こんにちは、まさみさん。じゃあ、早速ですけど着てみましょうか。」

「うんうん、絶対似合うよ~。」

実に楽しそうに平沢姉妹は私を取り囲んだ。なぜだか研究所のモルモットのような気分だった。

…されるがままに、彼女たちの好きなようにさせよう。

「?まさみちゃん、難しい顔してどうしたの?」

私の顔を覗き込みながら平沢が小首を傾げた。

「いや、別に何でもない…。」

「もう、せっかく今から夏祭りに行くんだから楽しい顔しなくちゃ!」

楽しい顔…それってどんな顔だ?無表情じゃダメなのか?

そんなことを考えているとさらに眉間にしわが寄って行った。

「ほらほらまた難しい顔してるよ、コウ君が見たら心配しちゃうよ~。」

綾崎か…そういえば浴衣が見たいと言っていたな。…さて、どんな顔をするのだろうか。

「まさみさん紅騎君の事になったら正直ですね。」

「そうなんだよ~この前の合宿でもね、休憩時間にずっと私とコウ君をさがしてて~。」

「……着付け再開しようか。」

このまま平沢妹に気恥ずかしいことを知られるわけにもいかないので、本題に戻すことにした。

…ますます平沢が分からなくなった。

 

「ほら、お兄ちゃん。そろそろ覚悟決めてよ!」

「いや…でもさ、なんで男も浴衣を着なきゃいけないんだって話で。」

「なーに言ってんだよ、せっかく私が貸してやるって言ってんだから着ればいいだろ。」

先日の浴衣の話でひさ子が俺に浴衣を着せようとしたのが現在のことの発端だ。女の子が来ている浴衣なのだからきっと可愛らしい柄物なのだろうと思ったのだが、ひさ子が持ってきた浴衣はなんと黒の無地。長身で胸のでかいひさ子が黒の浴衣。エロイことこの上なしである。

タイミング悪く浴衣の件を知ったレナも乗り気で俺に浴衣を着せようとしてきた。しかし問題はそんなところではないのだ、俺は浴衣を着たことがない。

まあ、だからここにひさ子がいるわけなのだが。つまりは…まあ、年の近い女子の前で下着にならないといけないわけで。

「さすがにお前ら男の下着姿は抵抗あるだろ?」

「……。」「……。」

「否定しろよ!!」

「いや…だって、お兄ちゃんすっごく筋肉しっかりしてるから…陸上部の性というか。」

「海に行ったときにお前パーカー着てたろ?それだと二の腕と太腿くらいしか見えなくてよ。この際だからはっきり見せろコラ。」

…ここには筋肉フェチしかいないのか?

すんでのところでいつも助けてくれる岩沢さんはここにはいない。

「分かった…さっさと終わらせてくれ。」

ここは潔く諦めよう。長引かせると下手にこいつ等、特にひさ子を楽しませるだけだ。

勘弁したように俺は両腕を上げた。

 

「さてさて…ほぉ~やっぱり近くで見ると本当にいい筋肉してるね~。こんなにきれいに割れた腹筋他にないよ。」

「葵は岩沢以上に着やせするタイプなんだな~。ふむふむ。」

無遠慮にペタペタと体を障られながら浴衣を着こんでいく。しかし、ひさ子の流れるような手際は流石と言うほかなかった。

「さて、一応終わったけど、何かおかしいところとかあるか?苦しいとか。」

「いや、特にない。へぇ、これが浴衣か。涼しいけど、少し動きにくいな。」

「ま、そこは慣れだな。それにしても、自分の浴衣のはずなのになんだかそうは思えないな。」

ひさ子は俺の周りをいろいろな角度から観察していた。そして、ある角度でぴたりと動きを止めた。

「お、この角度から見るとなかなか…。」

「え、ホントですか?」

その言葉につられてレナもひさ子のアングルから俺を見る。

「お兄ちゃん、そのまま動かないで!写メとるから!」

そう言いながらすでに彼女の手には携帯電話が握られ、シャッター音が響いていた。このままではレナの満足するまで撮影会が延々と続いてしまう気がした。

「レナ、写真は後で撮らせてやるからそろそろ出かける用意をさせてくれ。」

「あ、うん…ちぇ、残念。」

しぶしぶと言って様子で携帯電話をしまった。ふぅ…助かった。

「大丈夫だって玲於奈ちゃん、写真ならあっちに行って好きなだけとれるからさ。」

「そっか…そうですよね。」

訂正、全く安心できなかった。

「二人は一緒に回るのか?」

「おう、独り身同士こっそり楽しませてもらうぜ~。」

そうか、レナも夏祭りに行くのか…。

俺はがっとレナの肩を掴んでじっと彼女の眼を見つめた。

「人混みがすごいだろうからはぐれないように。見知らぬ男に言い寄られたら最悪ひさ子と付き合ってることにすること。いいな?」

「へ?な、何言ってるのお兄ちゃん?私ノーマルだからね!?た、確かにひさ子さんは綺麗だし…スタイル良いけど…。」

「はははは、葵がシスコンだ~!大丈夫だって、こんなに可愛い子どこの馬の骨とも分からない奴になんて渡さないって。」

ひさ子は音を立てずに一瞬にしてレナの背後に立った。

よし、それならば安心だ。今日は最悪ひさ子がレナをお持ち帰りしても構わない。少しでも不安材料は無くしておきたいから。

「あれ?いつもならここでお兄ちゃんが止めるのに…。あれ?……あれ!?」

「へへへ、楽しもうぜ~玲於奈ちゃん。」

ああ言うが、ひさ子はちゃんと一線は超えない人間だ。まあ、多少は過激なことをすることはあるが。

「じゃあ、俺は二人を迎えに行くから。戸締り任せたぞ。」

「う、うん…行ってらっしゃい…ひぁぁ!?ひ、ひさ子さん、そこは駄目です…弱いんですからぁぁ!」

声が漏れないよう素早くドアを閉じて、外に出た。

 

 

「はい、これでおしまいだよ~。」

帯を締め終わり、鏡で自分の格好を確認した。藍色の生地に朝顔の柄があしらわれた浴衣はとても綺麗だった。

…私に似合ってるのか?

「……どこか、おかしくないか?」

「全然おかしくないよ、すっごく似合ってるよ!」

「はい、とても綺麗です岩沢さん!」

二人の反応を見る限りとりあえず似合っていないということは無いようだった。…綾崎はどう思うだろうか?

なぜだろう、妙に不安になってくる。

そんな時玄関の呼び鈴が鳴った。

「あ、コウ君いらっしゃい~。」

綾崎が来た。そう意識した瞬間ドキッと心臓が跳ね上がった。

「あ、すごーい!コウ君も浴衣だー!」

平沢のテンションの上がった声を聞いた瞬間私の体はいつの間にか玄関に立つ平沢の後ろにいた。

 

呼び鈴を鳴らすと、「は~~い」という相変わらず気の抜ける返事と共に唯が出てきた。赤い浴衣はなんと言うか、溌剌とした雰囲気が唯らしさを強調しているようだった。

「あ、すごーい!コウ君も浴衣だー!」

「なんか成り行きで着ることになった。」

「そうだよ、せっかくなんだから来た方がいいよ~。えへへへ、格好いいね~。」

何が嬉しいのやら、唯は俺の周りをきょろきょろと見て回っていた。

そんな唯を見ていたら、不意に背後から視線を感じた。振り返ると、いつもと違う雰囲気の岩沢さんがいた。

藍色の浴衣に身を包んだ彼女は、普段発している存在感と言うか、濃い雰囲気が薄くなりどこか儚さを覚えた。ずっと見ていないとこのままどこかへ静かに消え去ってしまうのではないか、という危険な均衡さえも感じる。

そう、確かにこのとき俺は彼女に目を奪われていた。

「綾崎?無言で見られると…困る。」

「あ、ああ…ごめん。」

声を振り絞ってやっと出てきた謝罪の言葉と共に、岩沢さんから目をそらした。

「いらっしゃーい。本当に紅騎くん浴衣だ。」

「邪魔してるよ。岩沢さんの浴衣は憂のだよな?」

「うん、ちょーっと小さいけど紅騎くんから見て変なところない?」

「いや、大丈夫だと思う。」

むしろ似合いすぎているくらいだと思っているが、口には出さない。出せるわけがなかった。

 

「それじゃあ憂、行ってくるね~。」

「三人ともいってらっしゃーい。」

 

憂に見送られて祭りのある商店街まで歩いて向かう。

「お祭り~お祭り~♪」

見るからに浮かれている唯はかなり危なっかしい歩き方で俺と岩沢さんの前を歩く。

「ねーねー、最初はどこ行きたい?私林檎飴食べたいな~。」

そう言って唯は後ろ、俺たちの方を向いて歩きだした。

「唯、お前の希望は分かったから転ぶなよ。」

「へーき、へーき大丈夫だって~。…おっと!」

案の定というか、予想を裏切らないというか、唯はマンホールに足をひっかけて転びそうになる。

思った通りの事案の発生には冷静に対処する。唯の腕を掴んで姿勢を安定させた。

「おいコラ、さっき俺が言ったことを復唱してみろ。」

「えへへ~ごめんなさい。」

おそらくこのまま放っておいてもまた同じことを繰り返すだろう。いや、間違いなく転ぶ。

「おとなしく横歩いてろ。」

犬の散歩よろしく唯を右側に歩かせる。

「そういえば岩沢さんはお祭り行ったことあるの?」

「いや、実際に行くのは今回が初めてだ。…人混みはあまり好きじゃない。」

そんな岩沢さんがなぜ行く気になっただろうか?よほど唯が強力な交渉材料を持っているとしか考えられなかった。…とすると、あのメールか。

「じゃあ、出店回りは控えめにして早めに花火会場に行くか。唯、それで良いか?」

「うん、大丈夫だよー。」

とすると射的等のゲーム系は止めておいて、食べ物全般を攻めるか。

 

太鼓の音が小さく腹に響き、笛の根が足取りを軽くさせる。

「花火って河原のところだよね?じゃあ、交差点のところが近道だね。」

「だな、それなりに距離があるから色々回れそうだ。行く店はお前に任せる。」

およそ4年のブランクがあるので、毎年行ってる唯に任せた方が良いだろう。

「岩沢さんは何か食べたいものある?」

「そうだな…屋台の焼きそばは少し興味がある。」

「じゃあ、焼きそばは最後にして…林檎飴から行ってみよー!」

林檎飴…思ったより重い、重量バランス最悪、べた付く…。

「唯、林檎飴も最後だ。お前が落として浴衣に付く未来しか見えない。」

というわけで最初は無難にたこ焼きにすることにした。

 

この手の買い物は人数分買わずに、一つだけ買って分け合うのが効率がいい。満腹にならずに、金も節約できるからだ。

「コウ君よく冷まさずに食べられるね。」

焼きたてのたこ焼きはやはり、アツアツのまま食べるのが美味い。ただし、慣れないとこの熱さは辛いだろう。

「コウ君ばかり食べてないで食べさせてよ~。」

「はいはい。」

何とも邪道な食べ方だが、たこ焼きに小さな穴をあけて冷ましたものを串に刺して唯の口元へ運んだ。

「あーん…ん~美味しい!。」

続いて岩沢さんの分を串で刺す。

「はい、岩沢さん。」

「……。」

何か迷っているのか、岩沢さんはたこ焼きと俺を交互に見た。

そして、しばらくの沈黙の後小さく口を開けてたこ焼きを食べた。

「……美味いな。」

「それは良かった。」

続いて綿あめ、イカ焼き、から揚げと屋台を順調に回っていった。

「よし、そろそろ林檎飴買いに行くか。」

「うん、そうだね~。ちょっと先にいつも食べてるお店があるんだ~。」

唯を先頭にその屋台へ向かう。この時、なんとなくだけど左手がすこし温かかった。

 

「よしよし、なかなか順調だな。」

そんな三人を遠目に観察するように二つの人影があった。双方ともに長身で、一人はモデル顔負けのスタイルの持ち主で、もう一人はスラリとしているが鍛えているのかかなり引き締まった体つきをしている。

「何でしょう…あの三人の微妙な距離感を見るとものすごく不安になるんですけど。」

「ああ、そうか顔なじみなんだっけ。そりゃ不安にもなるか。」

「はい…でも、あの二人なら仕方がないと思ってしまう自分もいます。」

「冷静だね~あの二人とは大違いだ。よし、次はクジやろうぜクジ。好きなもの取ってあげるよ。」

「……なんだかものすごいことをすらっと言われた気がします。」

 

その反対側の射的屋で鋭い視線を向ける者と心配そうな目つきの者が二人。

「くそ~唯のやつ絶対気が付いてないだろ…。」

「なあ、律…折角の祭りなんだしこんな邪魔するようなまね止めようよ。」

「何言ってるんだよ、心配だから見に行こうって言ったのはお前だろ?」

「それは…そうだけどさ。」

 

「なんだかこの三人って珍しくない?」

「うん、みゆきとは合宿で一緒のグループだったけど。」

「けど軽音部の一年同士だから、珍しいのもちょっと変な気もするけどね。」

私服姿で屋台を回るのは軽音楽部の一年生。中野梓、関根しおり、入江みゆきの三人だった。

同学年同士であるならば必然と行動を共にする機会も多いのではないかと思われるが、別のバンド同士で活動する分この三人で過ごすのは初めてだったりする。

「それにしてもあずにゃんは真っ黒に焼けたね~。それでも数日で元に戻るんでしょ?」

「うん、だけどお風呂に入るときは辛いんだよ?痛くて。」

「羨ましい、私なんて日焼けすると赤くなっちゃうから…。でもしおりんは凄いんだよ、日焼け止めもいらないくらい日光に強いんだから!」

「そうそう、代謝が赤ちゃん並みで…って、誰が幼児体型か!」

「へ~しおりもそうなんだ。」

「うんうん、赤ちゃん体系って呼ばれるのは辛いよね…。最近みゆきちのお胸の成長具合が著しくてさ~。毎日驚愕だよ…。」

「し、しおりん!」

「…毎日触ってるんだ。」

見守る者、企てる者、楽しむ者、様々な思いがこの祭りに混在していた。

 

「さてさて、焼きそばも買ったし。そろそろ河原に行こうよ。」

「そうだな…岩沢さんもそれで良い?」

隣にいる岩沢さんが無言で頷く。心なしか彼女の眼に疲労の色が見えたので、早めに休みたいところだった。

屋台が並ぶ商店街から離れて河原へ向かう。

「今の時間ならまだそんなにいないはずだから、特等席で見られるかもよ!間近でみる花火って凄いんだよ~こう、ドッカーンって。」

「初めて見た時は泣いてたしな、お前。」

「もう、恥ずかしいから言わないでよ~。」

「…そんなに凄いのか。」

 

唯の言う通り河原にいる人はまばらで、これなら好きな場所で見ることができそうだった。

持ってきた折り畳み式のクッションを置いて場所取りを済ませる。ただここで問題が発生した。

「ねえねえコウ君、これって三人座れるの?」

クッションの幅的に三人座るためにはそうとうギリギリだ。

「座れる…はずだ。ギリギリ。」

とりあえず座ってみる。一応三人座れた。座れたのだが。

「コウ君大丈夫?」

「俺のことは気にせず可能な限りくつろげ。」

二人に挟まれる形で座っているため、かなり暑い。正直女の子二人に挟まれて舞い上がりそうになる自分もいた。いたのだが、内側と外側から温められて脳内は少々沸騰気味だった。

「綾崎、水飲むか?」

「ああ、ありがとう。頂くよ。」

岩沢さんからV○lvicを受け取って一口飲む。少しだけ頭が落ち着いてきた。

「よし、焼きそば食うか。」

左手を離してビニル袋から人数分の焼きそばを取り出した。

 

「ちっ、離しやがったか。」

「て言うかお兄ちゃんは本当に気が付いてないんですね。」

「それほど無意識的な行動だったって訳だ。じゃあ、私はそろそろ帰るわ。玲於奈ちゃんはここにいるように。」

「え?あ、ちょっとひさ子さん?」

 

「あれ、玲於奈じゃん。どうしたの一人で。」

「あ、梓。珍しいねその三人って。」

「さっき律センパイと澪センパイに会って、一緒に花火見るんだけど玲於奈も来る?」

軽音楽部のなかで個人的に知ってるのは梓だけ、去年のクリスマス会(あまりいい思い出ではない)に二人の先輩とはあっているが、ほとんど初対面。

それに加え、一年生の二人とは完全に初対面だった。

折角同じ部の人で集まるのだから、私が入るのは忍びない。

「うーん、折角だけど止めておく。明日陸上の記録会があるから遅くなるといけないし。」

「そっか、それなら仕方がないね。じゃあね、玲於奈。」

「うん、またね。」

三人の背中を見送り、ちらりと河原の三人を見てから来た道を引き返す。

しばらく歩いていると、物陰からひさ子さんが現れた。

「ひさ子さん…帰るんじゃないんですか?」

「お前の兄ちゃんにちゃんと面倒見るように言われたからな。帰るんだろう?だったら最後まで仕事はしないとな。」

ひさ子先輩はこの状況を分かっていたのだろうか。

「ひさ子さんは不安じゃないんですか?あの三人を見て。」

「不安さ、たまらなく不安だよ。…だから私は。いや、何でもない。」

一瞬ひさ子さんは怖い顔をした後、自虐的な笑い方をした。

その表情はいったいどんな気持ちから出てきたのか、今の私には想像しようがなかった。

 

午後八時ジャストで花火大会が始まった。

花火が打ち上げられる高い掠れた音の後に、ドンと腹の奥まで響く爆発音が響き空に満開の花びらが咲く。

「たーまや~!」

右隣で楽しそうに、それはもう本当に楽しそうに唯は空を見上げていた。

「…凄いな。近くで見るとこんなに迫力があるのか。」

岩沢さんも感心した様子で花火を見つめていた。

そんなとき、岩沢さんは襟元を手で広げて胸元を団扇であおいだ。暑かったから仰いだ。ただそれだけの行動なのだが、それによって今まで隠されていた白い肌が少しだけ見えてしまった。

浴衣によって漂う儚さのなかで少しだけ生まれる艶美が俺の脳内を瞬間的に沸騰させる。

”浴衣は世界一脱がせやすい”

ひさ子が言おうとしていた言葉が今、この瞬間思い出してしまう。よりにもよってこの瞬間に、だ。

ドクンと心臓が大きく跳ね上がった。両隣どころかその周辺にまで聞こえてしまうのではないか、そう思うほど大きな音だった。

「どうした、綾崎。ぼーっとして。」

「あ、ああ…。」

上手く舌が回らず、「あ」しか出てこなかった。慌てて水を飲んで頭を落ち着かせる。そもそも味のない水だが、味なんて一切分からなかった。

そんな混乱する俺を岩沢さんは不思議そうな顔で見ていた。

それ以上岩沢さんを直視することができずに、ずっと空を見ていた。



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51話「うぅ~どうしよう~…。」by唯

「そろそろ学園祭でやる曲を決めようか。」

夏休みも後半に入り、もう少しで二学期が始まる。二学期は学園祭、体育祭と二台行事が待っている。

「そろそろって、ジャズ研や吹奏楽部は夏休みが始まる前から練習してますよ?」

「まあ、それが俺たち軽音楽部の緩さだな。まあ、あいつらは二学期に入ってからでもあまり練習はしないだろうが。」

学園祭は10月の頭に開催される。クラス企画の準備もあるから練習できる時間はおそらくそう多くはないはずだ。

「ま、私たちは私たちで練習しとくか。それで曲決めだよな。またコピー2曲、オリジナル一曲で良いんじゃないか?岩沢のHot mealがあるだろ。」

「いえ、crow songもやりたいです。私たち、あの演奏で軽音楽部に入ることを決めたんです。」

珍しく入江が張りきった様子で意見を主張した。

「俺も入江に賛成だ。あの時の演奏は仮のメンバーだったからな。」

「今度は正式なメンバーで、か。それもそうだな、岩沢はどう思う?」

「ああ、それで良い。crow songも少しだけ変えたから、丁度いい。」

よし、これで2曲は決まった。

「じゃあ、3曲目だが。入江、悪いけどDire straitsは無しだからな。最初の”掴み”でやるにはちょっとマイナーすぎる。」

「はい…分かりました。残念ですけど。」

俺もどうせならやってみたいが、3曲の枠に入れるには少しだけためらわれる。せめてもっと枠があれば演奏しても良いのだが。

「折角だから合宿で演奏した奴を弾いてみるか。LaylaとBurnどっちが良い?」

多数決を取ってみると、全員一致でLaylaだった。

「今度は岩沢さんと綾崎先輩のカラミが聞いてみたいです。ひさ子さんだけだと年齢制限がかかりそうなので。」

「おい関根、どういう意味だコラ。」

確かにひさ子と演奏していると妙に疲れる節がある。俺としても岩沢さんがいてほしいと思っていた。

「3曲目はLaylaで決定ってことで。それじゃあ、そっちの編曲も始めるか。」

「よし、ならコーヒーでも用意しよう。」

カウンターに入りアイスコーヒーの準備をする。場所が違えどやってることはあまり大差ないな。まあ、お菓子は出ないけど。

「お兄ちゃん、コーヒー淹れるの?じゃあ、冷蔵庫にチーズケーキあるよ。」

…訂正。今この瞬間ここは軽音楽部部室へと変貌した。まあ、あまり根を詰めるのも良くないしな。

「綾崎妹のチーズケーキか、じゃあ少し休憩しよう。あれは味わって食べたい。」

「岩沢さん食べたことあるんですか?」

「ああ、今までで一番美味かった。」

「ほ、褒めすぎですよ岩沢さん…。」

俺の家で活動することが多いこともあり、玲於奈も少しずつ打ち解けてきた。最初はさっさと二階にこもるか外出していたが、今は一緒にコーヒーを飲むくらいにはなっていた。

相川妹も似たようなことやってたな…そういえば。

「れおにゃって良いお嫁さんだよねー、よし、私がもらってあげよう!」

「しおりにはもうみゆきというお嫁さんがいるでしょ?」

「え、知らないの?女の子はお嫁さんは何人いてもいいんだよ?」

「その理屈で言うと男性は…いや、何でもない。」

「せんぱーい、れおにゃは男同士のチョメチョメに興味があるそうですよ~。」

「な、何でもないって言ったでしょ!」

見事に関根の誘導に引っかかったレナは顔を真っ赤にしていた。

「ちっちっち、甘いな関根。玲於奈ちゃんはもう私たちの世界に踏み込んでいるのさ。」

「なるほど、ツンデレですか。」

「わーれおなちゃん可愛いー。(棒読み)」

「うわーん、助けて。お兄ちゃん、岩沢さん~。」

「「悪い、いまちょっと手が離せない。」」

このやり取りもまた定番となりつつあった。

 

「れおにゃっていつから陸上はじめたの?」

コーヒーが出来上がるのを待つ間に関根はレナにそんなことを聞いた。…また不思議なニックネームを付けたな。的を得ているけど。

「えっと…確か小2からだったかな?」

「そうだな俺と同時に陸上始めたんだから、小2であってる。」

小学生対象の陸上教室に行こうとしたら、レナも行きたいと駄々をこねたんだっけ。その時はどこでも着いてきたっけな。

「なるほど、きっかけは先輩でしたか。じゃあ、先輩はなんで陸上を?」

「チームプレーが苦手だったんだよ。」

自分のミスはチームのミス、チームのミスは自分のミス。それがどうも性に合わなかった。それに比べ陸上は努力した分だけ記録が伸びるし、自分のミスは自分だけで完結するから楽だ。

そんな後ろ向きな理由で始めた陸上だが、やってみて分かったことは陸上もチームスポーツだということだ。

本番は確かに一人だが、練習は全員でやるもので辛い練習も全員で乗り切り、全員で競争して切磋琢磨するものだ。そんな当たり前のことに気が付かせてくれた。

「そんな陸上をやめて後ろめたさというか、心残りはなかったんですか?」

「まあ、なかったと言えば嘘になるな。少し寂しいよ。だけど、今はレナを応援する方が楽しいからな。」

本当に勝手な言い分だけど、レナには俺の分まで頑張って欲しいと思っている。だから俺は全力でサポートする。

「まあ、いつもお世話になってるよ。栄養とか相談にも乗ってくれたりするし、技術面でもアドバイス貰ってるし。記録残さないと悪いって言うか、申し訳が立たないというか。……って、なんでみなさん笑ってるんですか!?」

「みゆきち、これがツンデレってやつだよ。やっぱり本物は違うね~。」

「そうだね~。」

「だーかーらー、茶化さないでってば!」

顔を赤くしながらも、レナは楽しそうに会話をしていて、最初のような堅さは感じられなかった。

交友関係を広げるのも今後のレナの生活に良い影響が出るはずだ。そんなことを思いつつ、コーヒーフィルターにお湯を注いでいた。

 

「ごちそうさま。チーズケーキもコーヒーも美味かったぜ~。」

ひさ子が空になったコーヒーカップを置く。テーブルの上にある皿とカップは全て空になっている。

それらをまとめて洗い場へと運ぶ。蛇口をひねったところで、すっと横から手が伸びてきた。

「手伝う。」

「ありがと。じゃあ、皿頼んだ。」

岩沢さんに皿を任せてコーヒーカップを洗う。手分けをすれば、ものの数分で洗い物は終わってしまった。

テーブルを布巾で拭いて再び楽譜やらを準備した。確か岩沢さんはさっきまでLaylaの楽譜を見ていたはずだから、それも出しておく。

よし、準備完了。

大体の準備を終えたあたりからなぜか岩沢さんを除く全員から妙な視線を感じた。

「ひさ子先輩、あれは間違いなく夫婦ですよ。絶対そうです。」

「なんだか日を追うごとに精度が上がってきてるな」

「あんなに息ぴったりでしかもそれを感じさせないほどさりげないなんて…。」

「お兄ちゃん…いつの間に。」

四人に言われて初めて岩沢さんがまるで黒子のように俺の手伝いを完璧にこなしていたことに気が付いた。

「私岩沢先輩と葵先輩の演奏がぴったり合う理由が何となくわかった気がします。」

いいえ、入江さんやそれは気のせいです。

「岩沢さん!そこまでやって頂かなくて大丈夫ですから!」

「…すまない。」

レナが慌てて水回りの掃除を始めた岩沢さんを止めていた。

……まあ、この人が我が家に馴染み始めてきたのも事実なのだが。うれしさ半分気恥ずかしさ半分戸惑い半分といったところだった。

いや、これじゃあ3分の1ずつか。あーなんか混乱してきた。

「よし、そんじゃあ練習再開すっか。関根ー入江ー行くぞ。葵と岩沢は曲の方頼んだぞ~。」

「ひ、ひさ子先輩。私も、私も曲のお手伝いというかせめて見るだけでも…。」

「ああ、分かった。それじゃあ入江Hot for teacherをシングルペダルでコピーできるようにするぞ。」

スラリとものすごい難題を入江に吹っかけてきた。いやいや、さすがに無理だろ。

「はい!」

そしてそれを何の疑問を抱かずに元気よく返事をする入江だった。…さすがバンド随一のキチコンビ。

まあ、良い。俺たちは俺たちでやることをやろう。

「実は合宿のおかげでLaylaのアレンジは大体イメージできてるんだ。あの演奏をベースにしたい。綾崎のアレンジも取り入れたいし。良いか?」

「分かった。となるとだ…問題は後半のインストパートか。あの時は琴吹がいたから良かったけど。」

キーボードがいないとどうしてもあの独特な雰囲気は表現しにくいんじゃないだろうか…。

「なに、心配するな。ギターにはギターの、キーボードにはキーボードにしか出せない音があるから。」

俺の心配をよそに岩沢さんは確固たる意志を持った瞳で俺に笑いかけてきた。そんな目をされてしまっては、期待せざるを得なかった。

「よし、早速取り掛かるか。」

 

 

「紅茶の用意ができたよ~。」

所変わって軽音楽部部室は、いつも通りの光景が広がっていた。

「ん~やっぱりムギちゃんのケーキは美味しいね~。」

「って、なごんでる場合かー!!」

いつも通り紬の用意したケーキと紅茶をおいしそうに楽しむ唯を、律が叱る。

「どしたのりっちゃん?」

「唯、花火祭りは楽しかったか?」

「うん、まさみちゃんとコウ君と一緒にね。すっごく楽しかったよ~。」

「楽しんでる場合かー!!」

澪に質問に答えた唯を再び律が叱る。

「だからどうしたのりっちゃん。大きな声出して。」

まったく気が付くそぶりを見せる様子のない彼女を見て律は頭をうがーっと頭を抱えた。

「唯、単刀直入に聞く。紅騎のこと好きだろう?」

「うん、もちろん好きだよ。」

「しかーし、今その唯ちゃんにピンチが訪れていることを自覚してないのかね!?」

ビシッと律が唯に指をさす。

「唯センパイもお祭りに行ってたんですか?」

「うん、あずにゃんは?」

「しおりとみゆきと一緒に。あと花火は律センパイたちと一緒に見ました。」

「丁度河原で三人に会ったから折角だからみんなで見ようって言ったんだ。」

律たちは河原に行って唯たちを探そうとしたところで、その三人を見つけそのまま5人で見ることにしたのだった。

「私たちは橋の方で見ましたけど、唯センパイたちはどこにいたんですか?」

「それならみんなとは反対側にいたよ。凄かったよね~今年は大きな花火がいっぱい上がって。」

「だーかーらー!そんな呑気にしてたら紅騎が取られるぞ、それでもいいのか!?」

「それは…いや、かも。」

律の直球な質問に唯は目を伏せて答える。が、すぐに顔を上げた。

「でもね、最近コウ君が笑うようになったんだよ。昔みたいに。なんだかそれ見てるとそれだけで幸せな気持ちになってね…それで。」

嬉しそうに話し始めたが、徐々にその声が小さくなりついには机に突っ伏してしまった。

「うぅ~どうしよう~…。」

正直危機感を感じていないわけでは無かった。誰にでもある他人との間に作る壁のようなものが、あの二人の場合ここ数日で確実に薄くなりつつあるのを感じていた。

徐々に深まる二人の関係に唯は幸福感と不安という相反する感情に悩まされていた。

「唯センパイ!私は先輩を応援してます!」

「ありがと~あずにゃん~。」

「だからくっつかないで下さい!…熱いんですから。」

「よし、じゃあ唯が無事紅騎とくっつけるように作戦を練るぞー!」

律がホワイトボードに何やら書き始める。

「いや練習しろよ…。」

そんな幼馴染の背中にぼそりと澪は呟いた。

 

 

 

「みなさん良かったら夕ご飯を食べていってください。」

日が傾き蜩が鳴きはじめたころ、スタジオで練習をしている俺たちにレナがそう言った。

「それは嬉しいけどさ。よるは大丈夫なのか?ライブの予定が入って忙しいとか。」

「今日はライブの予定がないからな。忙しくはないよ。」

「それじゃあお言葉に甘えるわ。三人はどうする?」

「じゃあ、私も頂きます。れおにゃんの手料理も食べたいし!」

「わ、私もそれじゃあ…。」

ひさ子、関根、入江は食べていくらしい。

「岩沢さんは?」

「…悪いな綾崎。これからバイトあるんだ。」

「ああ、そっか今日は岩沢だけシフトが入ってるんだっけ。」

たまにはウチの冷やし中華も食いに来いよと言って、岩沢さんはバイト先のラーメン屋に向かった。

というわけで三人だけ食べていくことになった。楽器を置いてリビングへ行くと、すでに夕食の準備が終わっていた。…そこまで集中してたのか。

「えっと…今日の夕食は冷やし中華です。うぅ…なんで岩沢さんは分かったんだろ?」

「そりゃあれだけ熱心に岩沢さんに作り方教わってたら分かるだろ。」

岩沢さんとひさ子が働いているラーメン屋はラーメン以外のメニューもあり、それもまた美味いのだ。そこの厨房を担当している彼女もまた中華料理の腕前はかなりものだ。

「だって負けられないもん!」

葵家の台所を任されている身としてはやはりプライドが許さないのだろう。それに元来レナは相当の負けず嫌いだ。

「れおにゃんもいい感じに姑だね~。「まさみさん、こんな塩分の濃いお味噌汁なんて作って私を高血圧で殺すつもりかしら?」」

「いや、まさみさんのお味噌汁はむしろ塩分控えめでそれなのにしっかり出汁が出て美味しいんだよ?」

からかったつもりで言ったのだろうが、関根の言葉にレナは心底落ち込んでしまった。それほどまでに岩沢さんの味噌汁は完璧と言わざるを得なかった。

「あ、あれ?私なんか地雷ふんじゃった…?」

「うぅ~…悔しくないもん、悔しくなんかないもん!」

「みゆきち!一緒にれおにゃんを慰めて!」

「まあまあ、れおなちゃん。」

長身のレナが小柄な二人に慰められるというなかなか見ない光景を眺めていると、横にいるひさ子に脇腹を突かれた。

「なあ、今度味噌汁の出汁の取り方教えてくれよ。」

「…岩沢さんほど上手くないぞ?」

「ああ。構わねーよ。なんか最近姉貴が作れ作れうるさくてよ。お前に浴衣貸してから。」

…それは何かあらぬ誤解を受けてはいないだろうか?

「まあ、料理できるに越したことは無いからな。ハンバーグしか作れませんじゃ寂しいし。」

「そういうこった。頼んだぜ、葵先生!」

「はいはい、承りましたよ…さて、三人ともそれくらいにしてそろそろ食べようか。」

全員が席に着いたことを確認して手を合わせた。

レナの冷やし中華は昆布やカツオをベースとしたスープで仕上げられていて、夏場にうれしいさっぱりとした味だった。

この辺りは和食の得意なレナらしい味だった。

…でも確かにだしの取り方は岩沢さんの方が一枚上手かもしれない。また落ち込むので口にはしないけど。

「そういや葵、お前祭りの時随分岩沢とくっついてなかったか?」

ひさ子が唐突にそんなことを聞いてきた。

「…そうだったか?あまり自覚は無いんだけど。」

「いや、だってお前ら手繋いでただろ?」

……。

「…誰と?」

「岩沢と。」

「誰が?」

「お前が。」

「何をつないでたって?」

「手。…まさか自覚がなかったのか?」

全然気が付かなかった。いや、確かにずっと左手に温かい感触はあったけど。

「ひさ子先輩、詳しく!その話詳しく聞かせてください!」

案の定関根が食いついてきた。

「詳しくって言われてもなぁ。ただ手繋いでただけだし、当の本人が無自覚じゃあ確認しようがないし。ああ、岩沢は終始視線が落ち着いてなかったぞ。」

…それは見たかったかもしれない。

いや、それより本当に俺は手をつないでたのか…。

確かに岩沢さんの浴衣姿を見た時どこかへ消えてしまいそうな感覚を覚えたけど。…まさか行動に移していたとは。

本当に今更ながら体が熱くなるのを感じた。今ここに岩沢さんがいなくて良かった。

「お兄ちゃん、耳赤くなってる。」

「…知ってる。」

後輩の前で照れるという失態を犯してしまった俺はしばらく関根にからかわれた。

よし、後で懲らしめよう。



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52話「かっ……辛い…!」by紅騎

中身の濃かった夏休みが終わり、再び学校生活が帰ってきた。

しかし、学園祭が近いということもあり教室はどことなく浮かれた雰囲気だった。

かくいう我がクラスも学園祭のクラス企画を決めているところだった。

去年はひたすら焼きそば焼いてただけだからな。…今年はどうなることやら。

「みんなの厳正なる投票の結果、今年はカフェテリアをすることにしました。」

喫茶店じゃなくて、カフェテリアか…ということは衣装も制服か。それは楽で良いな。

「ちなみに接客はメイド服と執事服を予定しているわ。」

…うちのクラス委員長はなかなか凝り性というか、目立ちたがり屋なのか?

「普通メイドとか執事は喫茶店じゃないのか?」

「俺もそう思う。まあ、文化祭だしそんな気にするのも野暮だろ。」

隣にいる音無も気にしている様子だった。まあ、英語か日本語かの違いだしな。

だけどなんとなく喫茶店は紅茶で、カフェテリアはコーヒーのイメージがある。なんとなくだけど。

「まあ、良いじゃん。女の子がいつもと違う格好をするのが良いんだし。」

まあ、日向の言うことは半分的を得ている。普段とは違うことをする。それが重要なのだ。そういえば去年の演奏はメイド服と執事服だったな。

演奏に集中してそこまで見ていたわけでも無かったし、これは良い機会かもしれない。

 

…誰のとは言わないが。

 

「へ~コウ君のところはカフェなんだ。私のクラスはね、喫茶店だよ~。」

見事に被ったな。いや、唯のところには琴吹がいるからメインは紅茶か。

「普通の喫茶店?」

「うん、紅茶とちょっとしたお菓子を出すんだ~。」

「それって普段の軽音楽部と変わらないんじゃ…。」

「そこは気にしちゃダメだよ。コウ君!」

今日の放課後は集まりが悪く、琴吹、唯、俺しか部室にいなかった。

「ちなみに紅茶は…。」

「うん、私が用意するの。いつもみんなに飲んでもらってる紅茶よ。」

部室で飲んでいるってことは…この紅茶か。いや、これ絶対高いだろ。高校の文化祭で出せるような代物じゃねーよ。

「ちなみに菓子類は…。」

「私たちが作るよ~。」

それは良かった。それなら何とかバランスが…取れるか?

「それはそうとこっちの方は大丈夫なのか?練習してるのか?」

「うん、昨日曲順が決まったよ~。コウ君のところは?」

「今はパート練習がメインでやってる。」

…まあ、練習過程は人それぞれだからな。

「へー、今年はどんな曲をやるの?」

「オリジナルが2曲とLayla、合宿で俺のグループがやった曲。」

「あーあの曲、かっこいいよね!ロックンロールで!」

いつの間にか用意をしたギターを持ち、Laylaのリフを一音違わず弾いて見せる。…相変わらずスゲーな。

「そこのチョーギングはもっと思い切りやっても大丈夫だぞ。」

「えっと…こう?」

「まだ足りない。…ちょっと見てろ。」

俺も自分のギターを用意して、Laylaのリフを弾いて見せた。

「おぉ…よし、そんな感じだね。」

5弦を先ほどよりもさらに歪ませる。

「そうそう、そんな感じ。」

…そういえば”ふわふわ時間”のソロでチョーギングを使うのも面白そうだな。なんとなくフレーズが頭に浮かび上がってきた。…よし。

「唯、ふわふわ時間のギターソロ練習するぞ。」

「…へ?いきなりどうしたの?」

「laylaでちょっとしたヒントを貰った。」

琴吹に楽譜を出してもらい、メトロノームを準備した。

「まずは弾いて見せるからよく聞いてるように。」

「は~い。」

従来のギターソロは唯が初心者ということもあってか、簡略化というか少ないコードで弾けるようになっている。どちらかと言えば歌詞の繋ぎという要素が強かった。

だけど唯の呑み込みの早さならば、そろそろちゃんとしたギターソロを弾かせてやってもいい時期かもしれない。

チョーギングと速弾きを組み合わせて文字通りふわっとした歌詞と正反対のギターソロを、あいつらをちょっと驚かせてやろう。

間奏の三小節前から初めて、そんなことを考えながらギターソロを弾いて見せた。

「おぉ~凄い!かっこいい!!」

「よし、次は唯の番。ゆっくりで良いから弾いてみ。」

「うん!」

メトロノームのテンポを下げる。

唯はそれに合わせて先ほどのギターソロを一音たがわず確実にコピーしていく。

たぶんこいつは口笛を吹く感覚でギターを弾いているのだろう。楽譜が読めなくても口笛ならば聞いた音を真似できるように。

「うーん、ゆっくりでいっぱいいっぱいだよ~。」

「最初はそんなもんだろ。まあ…がんばれ。」

「うん!折角コウ君が作ってくれたんだもん、弾けるようになる!」

唯は止めたメトロノームをもう一度動かして、練習に集中する。

じゃあ、俺はさっきのギターソロを楽譜にしますかね。五線譜とシャープペンを机に置くと、横から熱い視線を感じた。

「琴吹さーん、目が怖い。」

「私の事は気にせず。」

…すっごく気になるんですけど。

まあ、作曲を担当する人間からしたら気になるか。

出来上がった楽譜は目を輝かせる琴吹に任せることにした。なぜかとても喜ばれた。

 

 

そして文化祭になるとものすごく張りきる人間が一人、この軽音楽部にもいた。

山中さわ子。軽音楽部顧問。

「今年もギャラリーをあっと言わせる衣装を作るから楽しみにしてるといいわ!」

猫を被ることに疲れたのか、諦めたのか、この人は部室にいるときといない時でキャラが全く違う。

ちなみに今の山中教諭の状態は非常に面倒くさいモードで、逆らうといつのまにか着せ替え人形にさせられてしまう恐ろしいモードだ。

こんな時はとことんスルーするにかぎる。

「ひさ子、laylaのアレンジでちょっと相談がある。」

「ほい来た。」

近場のひさ子を巻き込んで山中教諭を回避すべく楽譜を広げる。

「さわちゃんさわちゃん、今年の衣装はどんなのー?」

「そーねー、学園祭…お祭り…やっぱり浴衣かしら?」

唯と山中教諭との会話に祭りと浴衣という単語が飛んできた。それだけで俺の脳裏にあの光景がフラッシュバックしてきた。陶磁器のような白くてそれはそれはとても綺麗な…。

必死に別の事を考えて振り払おうとするが、一度浮かんできたそれは全く消えようとはしなかった。

「ほぉ、浴衣か…良かったな葵。」

そんな俺を見逃すはずもなく、ひさ子はにやにやしながら俺を見てそう言った。

まあ、もう一度岩沢さんの浴衣を半合法的に見ることができるのは正直に嬉しい。…が、大勢の前であの姿を見せると考えると少々抵抗というか、嫌悪感が走る。

「…俺は反対だ。」

そう呟く俺を見て、ひさ子は驚いた顔を見せた後に腹を抱えて声を押し殺して笑い出した。

「なんだよ。」

「クックックッ…まさかな…ぷふふ、お前がそんな言葉を吐くとは。あーおもしれ~。」

どうやらひさ子は俺の考えていることを正確に読み取ったようだった。

「おーい山中先生~私たちは制服で出るからな~。その代わりと言っちゃあなんだが、葵クンがモデルをやるってよ。」

そんな勝手なことを山中教諭にひさ子は提案した。その瞬間目がきらりと光り、気が付いたら俺はブレザーとシャツを剝かれメジャーでしばりつけられていた。

「さあて、紅騎君は去年と比べてまた胸囲と身長が増えたから正確な数字が知りたかったのよね~。」

そしてまた別のメジャーを取り出し、じりじりと俺との距離を詰めていく。

「…くそ、やるならさっさとしてください。」

敵軍に捕まった捕虜のごとく、俺はこうべを垂れた。これも、俺の小さなわがままを通すためだ。耐えるんだ、葵紅騎!

 

 

「お、岩沢お疲れ。コーヒー豆選びだったっけ?」

「変にこだわるから時間がかかった。…綾崎は?」

「ああ、あいつは尊い犠牲になった。」

「……?」

 

 

採寸をするだけと言っていたのにも関わらず、あれを着ろこれを着ろとなぜか衣装を着せられ手直しをさせられ、気が付いたらすっかり日が落ちていた。

「今日はありがとう紅騎君、おかげで作業がはかどるわ。それじゃ!」

元凶は嬉々とした表情でさっさと車で帰ってしまった。

「…はあ、疲れた。」

今日家に帰ってもマスターもレナもいない。今日は自炊できるほど気力も残っていなかった。

「どっか食い行くか。」

とすると行く場所はすでに決まっているのだった。

 

「いらっしゃい!お、葵じゃねーか。ようやく解放されたのか?」

「……ユダ。」

「はっはっは、わりーわりー。」

裏切り者を示す単語を恨めしそうに吐くが、ひさ子は全く意に介していない様子だった。

「…今日は客が少ないんだな。」

「そりゃそうだ。定休日だし。」

本日二度目のとんでもない一言が発せられた。いや、確かに定休日って貼ってあった気がするけど明かりがついてて鍵が開いてりゃ気が付かないだろ。

「それで、定休日に何やってるんだよ。」

「岩沢のメニュー開発。今日のお題は麻婆豆腐だ。ウチの麻婆豆腐ってなぜか不人気なんだよ。」

バイトの身だというのになんとも熱心な二人だった。

「それじゃあ邪魔だったな。頑張れよ。」

踵を返し店を出ようとする俺の肩を誰かが掴んで引き留めた。

「家に帰っても誰もいないんだろ?だったら食べていけばいい。」

本日三度目のトンデモ発言。なんで岩沢さんが俺の家の台所事情を把握してるのだろうか。

「玲於奈から連絡があった。」

我が妹はいったい何を考えているのだろうか。まあ、いろいろ気を利かせてなんだろうと思うけど。…でも、岩沢さんの手料理か。

「ならお言葉に甘えて。…ごちそうになります。」

「ん、よろしい。」

「はい、4番カウンター1名様入りまーす!」

ひさ子からおしぼりとお冷を受け取って、厨房を眺める。

そこには岩沢さんが慣れた手つきで麻婆豆腐を作っていた。

「葵って結構食うだろ?私と岩沢じゃあ食いきれないから、お前が来て結構ありがたいと思ってるんだぜ。」

「…そんなに作るのか?」

「だから餃子の開発に時間がかかったんだよ。」

あー…なるほど。女の子二人が食べきれる量で試作してもその進歩は微々たるものだろうし。

そう思っていると目の前に麻婆豆腐が置かれた。至って普通の麻婆豆腐だ。

「まずは普通の奴から食べてみて。」

というわけなので、れんげで一口食べてみる。その瞬間カーッと体が熱くなった。

「かっ……辛い…!」

見た目は普通の麻婆豆腐なのに口に入れた瞬間舌をこれでもかと刺激してきた。そしてどことなく給食っぽいどろっとした感じ。…なるほど。不人気の理由が分かった気がする。

「どうだ、綾崎。率直な感想を言ってくれ。」

では、率直な感想を言わせてもらおう。

「辛い。それも辛いだけでちっとも美味しくない。これじゃあ売れないのも当然だ。」

「…やっぱりか。じゃあ、どうすれば良いと思う?」

これはもう根本的なところから変えるべきだろう。ちらりと厨房を見ると様々な香辛料が並んでいた。…なるほど、準備に抜かりはないってことか。

「ちなみにこの麻婆豆腐は何を手本に?」

「聞いて驚くなよ、なんと給食のものを手本にして辛くしたんだってよ。お孫さんが食べたいからってメニューにしたらしいんだけどさ、それは食卓で作れって最近言ったんだよ。」

ひさ子がやれやれと言った様子で首を横に振った。…なるほど、それでこの試食会か。

「そのお孫さんはかなり辛い物が好きなんだな。」

「その話は置いておいて、今度はちょっと違う香辛料を使ってみた。」

再び出された麻婆豆腐は先ほどよりも黒い色をしていた。一口食べてみると、口の中で程よく辛さが効いて豆腐やひき肉の味が広がった。

「これは…美味しい。なんだろう、高い中華料理屋で食べてる気分。」

「じゃあ、次はこれ。」

そういって今度は随分と赤い麻婆豆腐が出てきた。とにかく辛そうだった。

とりあえず一口。

「!?」

瞬間口の中が真っ赤に変色してしまったのかと思ったほどの辛さが襲ってきた。思わず水に手が伸びたが、その手をぴたりと止める。辛さの中にふわりと旨みを感じたからだ。

いやむしろ辛さという刺激によってその旨みがより引き立てられていく。

「これ…かなり癖になるな。」

「気に…入ったか?」

岩沢さんの問いに頷いて、赤い麻婆豆腐を完食した。

「なんだよー、結局岩沢が選んだ方かよ。」

「だから言っただろ?ただ美味いだけじゃ人気は出ないって。」

なるほど、そっちの黒いのはひさ子セレクトだったと。まあ、手堅くというか抜け目ない感じがそのまま出てたからそうだとは思ったけどさ。

「それで、結局どうするんだ?」

「赤い方を基本にして、あとはもう少し改善できるところもあるから。まだ店では出せないな。」

それならこちらは気長に待つとしよう。

「ちなみにまだ食えるか?」

「ああ、まだ満腹には程遠い。」

「そうか…それは頼もしいな。」

岩沢さんの口元がにやりと笑った。

 

 

カランカラン…

「あ、お兄ちゃんお帰り。どこかで食べてきたの?」

「お、おう…ちょっと中華料理を…ぐふ。」

張りきって食べすぎたのか、腹がいつもよりも張っている。…今日は銭湯は行かずにシャワーだけに留めよう。

「お兄ちゃんが食べすぎるなんて、そんなに岩沢さんの料理が美味しかったの?」

「否定は…しません。ああ、それと明日新人大会だっけ?」

インターハイが終わり、三年生はもう引退だ。今度からは二年生が中心になって代替わりとなる。それを象徴するのが新人大会なのだった。そして夏の練習の成果を試す場でもある。

「うん、朝早いので朝食はいりません。」

普段は朝に弱いくせに大会の日になるとしっかりと起きるのはまた不思議な体質だな。

「明日は…相川妹の400か。レナの高跳びは日曜だよな?」

「うん、それとね。…なんとマイルに出ます!」

4×400メートルリレー。通称マイルリレーは高校陸上の花形競技だ。4×100リレーとは違い、学校の総力戦。つまり出る選手は各学校代表というわけだ。

「すごいな、それは楽しみだ。」

「ふふふ、楽しみにしてなさーい。あ、岩沢さんたちも誘ったら?そしたらもっと頑張っちゃうよ?」

「なら頑張って誘うことにするよ。」

土日を潰させるのは忍びないから、日曜だけ誘おう。なにせ朝から夕方までみっちり競技が詰まっているのだ。一つ一つの競技は短いが、それが何組もあるのだから時間がかかって当然だ。

メールでそのことを軽音楽部全員に伝える。

結局見に行くと返信が来たのは我がバンドメンバー全員と唯、中野の6人だった。

 

 



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53話「リレーって二つあるんですか?」by梓

「先輩、おはようございます!」

「おはよう関根。朝から元気だな。」

朝の駅構内に関根の元気な声が響く。その後ろをまだ眠そうな顔の中野と入江がついてくる。

「しおりん、昨日の夜あんなに騒いだのになんでそんなに元気なの~?」

「昨日なにかあったのか?」

「はい…ずっと欲しがってたドラムセットがようやく手に入ったのですけど。」

なんとなく想像できるぞ、テンションの上がった関根が延々と入江に突き合わせる図が。

「てことはどっちかの家に防音室でもあるのか?」

「みたいですね…なぜか私も呼ばれたんですけど。」

小さく欠伸をする中野の頭に小さく寝癖が出ている。

「そりゃまた楽しそうだったな。関根の選曲じゃあ疲れただろ?」

「ツェッペリン…ヴァン・ヘイレン…クリーム…グリーン・デイ…あれはもうスポーツですよぉ…うぅ。」

おぉ…それは凄いな最初から最後までメインディッシュかよ。そりゃ疲れるわけだ。

「それなら無理しないで来なくても良かったんだぞ?」

「何を言ってるんですか~自分の学校の生徒が頑張ってるのに応援しないのはおかしいじゃないですかー。」

明らかに棒読みだったが、あえてスルーすることにした。どうせろくなこと考えてないだろうからな。

「お~い、葵~ちょっと手伝ってくれ~。」「紅騎君~。」

声のする方を見るとだれかの肩を担いで歩く人影が二組見えた。

朝から重労働を強いられているのはひさ子と憂。共通することはポニーテール。そして妹であるということだ。

そして担がれているのは朝が弱いコンビ、岩沢さんと唯だ。

「朝からご苦労様。おら、唯起きろ~。」

唯の頭を掴んでぐわんぐわんと揺さぶる。

「んあ~?あれ~…コウ君が三人いるよ~?」

目を回した唯がふらふらとこちらに寄ってきた。

「……。」

「あ、おい!岩沢?」

眠気眼をこすりながら岩沢さんも唯と並んでこちらに寄ってくる。

二人は二等辺三角形の上辺をなぞるような進路で歩いている。そしてその頂点上には俺がいる。

迷わず俺はその頂点から一歩引く。

寝ぼけた二人はそのままふらふらと歩き続け、ついに体が接触した。

「……。」「……。」

二人は互いに体重を預けるようにしてそのままヘナヘナと床に座り込んでしまった。

目を回す唯にたいして、岩沢さんは頭をキョロキョロさせた後こちらを見る。徐々に焦点が定まってきたことから、完全に覚醒したようだ。

「おはよう、岩沢さん。」

「…おはよう、綾崎。」

さて、こちらは大丈夫として。…問題はこいつをどうするか。

「よし、寝てるやつは放置してホームに上がるか。」

「あーん、コウ君ひどいよ~。」

先ほどの様子と打って変わって慌てた様子の唯が急ぎ足でついてきた。

ただ半覚醒状態で急いでいるので、危なっかしさが倍増だった。

「急ぐな急ぐな、まだ電車来てねーんだから。顔洗って目覚まして来い。」

「は~い。」

「綾崎、二番線で良いのか?」

自販機で買ったらしい水を持った岩沢さんが尋ねてきた。

「二番線であってるよ。唯待ってるから先行っててくれる?」

「ああ、分かった。」

小さくうなずいて、岩沢さんはホームへ向かう階段を昇って行った。

 

目を覚ました唯を連れて、みんなと合流し電車に乗る。

そこからおよそ40分電車に揺られ、次はバスに乗り込む。少し時間帯をずらしたので、バスの中はかなり空いていた。

選手や応援隊と時間が被ると30分立ったままになるから、そこは避けた方が良い。

バスを降りると、本日の会場となる陸上競技場が目の前に飛び込む。

県内最大級のこの競技場は、最近立て直されたようでとても綺麗だった。

 

サブトラックとメイントラックの間の通路を歩いていると、見覚えのある顔が二つあった。

「あ、お兄ちゃん。今着いたの?」

「先輩、昨日ぶりです!」

右腕をぶんぶん振りながら相川妹が走り寄ってきた。その額にはうっすらと汗が見えた。

「今から200か、調子はどうだ?」

「はい!絶好調です!」

土曜の相川妹の活躍は凄まじいの一言だった。400メートルはぶっちぎりで優勝し、リレーでも3走まで5位だったにもかかわらずアンカーの相川の追い上げを見せ2位でフィニッシュ。

見ていて気持ちがいいほどの快勝ぶりだった。

「それじゃあ俺たちはスタンドに行ってるからな。頑張れよ。」

二人を見送り、岩沢さんたちを連れて応援スタンドに上がった。

ドーム型のスタンドは、青いトラックを囲むように応援席が設置されていて、大型の電光掲示板には選手の名前が表示されていた。

「すげー、まるでオリンピックでも開くような大きさだな。」

「青いトラックって生で初めて見ました!」

ひさ子と関根はその大きさに興奮しているようで、中野や入江は呆気にとられて回りをきょろきょろしていた。

「まさみちゃん、一番前に行こうよ!」

「……そうだな。」

唯と岩沢さんはさっさと階段を下りて、最前列に陣取る。

「じゃあ、俺らもあそこでいいな。」

唯たちが陣取っていたのはゴール付近だった。スタート付近の緊迫感も良いが、やはりゴール地点の興奮は何物にも代えられない魅力がある。

『本日初めの競技は、女子200メートル競走の予選です。昨日のレースでは驚きの速さを見せた相川選手。本日はどのような走りを見せてくれるのか、楽しみなところです。』

その相川妹が、1組目から現れる。4レーンに入り、スターティング・ブロックをセットする。

スタート地点はここからだと一番遠くの位置にあるが、やはり彼女の走り方は群を抜いて無駄がなかった。

「へえ、あんな楽に足が前にいくもんなんだな。。」

「意外だなひさ子、分かるのか?」

「まあな。」

号砲が鳴り、一斉に走り出す。やはりと言うべきか、相川妹はどんどん加速しストレートに入る前にすでに差が開いていた。

「うわぁ~はやーい。同じ女の子とは思えないね~。」

「それをみゆきちさんが言いますか?」

そうだな、ドラムをたたく入江も普通の女の事はかけ離れてるからな。

「すごーい、全然テンポが変わらないよ!」

目の付け所はそこかい、入江さんや。

 

「むぅ~先輩がよそ見してた…。」

サブトラックにてストレッチをする私の横で、華菜が膨れっ面をしていた。

「まだまだ予選でしょ?お兄ちゃんだって華菜だったら余裕だって思ってたんだよ。信用よ、信用。」

「うーん…だったら良いけどさ。それより玲於奈の方こそ大丈夫?高跳びの後マイル決勝でしょ?」

今日は高跳びを6本跳んだ後に400メートルを走らなければならない。ただ順調にいけば高跳びの本数は減らすことができる。順調にいけばの話だけど、ね。

「華菜だって同じでしょ?むしろアンタのほうがきついはずだけど?」

昨日の時点で華菜は400を三回、100を2回走っていている。そして今日は200を三回、400を二回走らなければならない。

「私は大丈夫~3走の子がトップで渡すから私は落とさなければいいんだし?」

そう言って3走の私を見る。あーはいはい…そうですか~。

「まあ、足を引っ張らないように頑張るけどさ。」

「何を謙遜しちゃって、先輩より早いくせに~。」

「…アンタだって。」

そんな軽口を叩きあいながら、体の準備を進めていった。

 

「リレーって二つあるんですか?」

プログラムを見ていた中野が首をかしげる。まあ、世間一般じゃあ4×100リレーの方が知れ渡ってるからな。

「今日やるのはマイルリレーってやつで、4×400メートル走る。」

「ああ、だからマイルリレーなんですね。…400も走るんですか!?」

「およ?男子のところにわが校の名前がありますよ?」

驚く中野の横でプログラムを覗き込んでいた関根が、マイルリレーの組表を指さした。

「2年が3人、1年が一人か…あれ?確かこの一年は4月じゃ幅跳びやってたよな…。」

プログラムで幅跳びのところを見ても、佐倉剛(さくら つよし)の名前がない。代わりに100と400に名前が載っていた。

夏を超えるときに何かあったのだろうか?

 

トラックでは丁度男子のマイルリレーの予選1組目が行われようとしていた。我らが桜が丘高校は8レーンだった。気になる1年生はアンカーを走るらしい。

「1年にアンカーか…そこそこ速いってことか?」

「あ、あの四走の子知ってます!というか、同じクラスの人です。」

「あ、本当だ。」

関根と入江はあの一年生を知っているようだった。

「桜が丘高校にとって歴史的な1ページになるな。」

なにせ初めて男子リレーが走るのだから。佐倉以外の二年生は体格的に見て800か1500の選手、少なくとも短距離選手には見えなかった。

 

スターターの合図と同時にクラウチング・スタートの姿勢になり、号砲が鳴る。

全者一斉に走り出す。走り方からやはり中距離選手のようだ。安定したペースで中盤の順位をキープして2走、3走と危なげなくバトンをつないでいく。

そして、アンカーの佐倉にバトンが渡る。前を追いかけるように、ほぼ全力疾走と思われるペースで次々と順位を上げていく。

「ああ、そんなにペース上げたらマズイ…。」

第二曲走路を抜け、ホームストレートに入る。案の定顎が上がり、腕の振りがきつそうだった。ペースが落ち、順位を3位に落とす。あと一人抜かれたら決勝には残れない。

後ろからの追い上げに気が付いたのか、最後の気力を振り絞ってギリギリ順位をキープしてゴールした。

「…なるほど、夏の練習で先輩と走ったら400がそこそこ走れるようになったと。」

中距離練習に付き合えばそりゃ、スピード持久力が伸びるよ。…だけど、あの様子じゃ決勝は持たないかもしれないな。

「すごーい、決勝に残った!」

「やるねー佐倉くん。」

クラスメイトの思わぬ活躍で、入江と関根ははしゃいでいた。

そのあとの女子のマイルリレーは流石といっていいほどの盤石なレース展開で、一位通過を果たした。

 

「あ、そうそう。憂がお昼ご飯作ってくれたんだ~みんなで食べよ。」

唯が持っていたバスケットを開くと、サンドイッチやおにぎりが所狭しと詰め込まれていた。そしてどれも食欲をそそる美味しそうなものばかりだった。

「さすが平沢妹、しっかりしてる。」

「ほんとできた妹だよな~。」

岩沢さんとひさ子は卵サンドを手に取っていた。

それじゃあ俺はどれにしようかね…。バスケットの中身を眺めていると、何か大きな黒い物体が目に入った。

「駄目だろ唯、砲丸投げの玉持って来ちゃ。元の場所に返してきなさい。」

「違うもん。コウ君スペシャルおにぎりだもん。」

球状の黒いソレはNISHI製のアレではなく、とてもとても大きなおにぎりだった。少し型崩れをして、海苔の間から白米が見え隠れしている。

「これ、お前が作ったのか?」

「うん、そだよ~コウ君いっぱい食べるからサンドイッチじゃ足りないかなーと思って。具はから揚げだよ~。」

なるほど、から揚げが丸々一つ入ってるからこのサイズなのか。憂のから揚げはでかいからなぁ…。

「それじゃあ…頂ます。」

黒光りする砲丸おにぎりにかぶりつく。なんとか一口目でから揚げに到達する。絶妙な塩加減、海苔の風味が広がり最後にから揚げの肉汁がやってきた。

「……食えるぞ、この砲丸。」

「コウ君、美味しいなら素直に美味しいって言わなきゃダメだよ?」

「…美味い。」

見た目はアレだが、味は本当に美味しかった。ただ唯が作ったものと考えると、少しばかり悔しかった。

そんな俺の顔を見て唯は得意げな顔をして「ふんす」と胸を張っていた。腹が立ったのでその額を指で突いてやった。

 

昼食の後はいよいよレナの高跳びの時間だ。正直言って上位に入るのは確実だ。問題はインターハイに通用するには何が足りないのか、それをはっきりさせることができるかということだ。

他の選手がユニフォーム姿になり着々と準備をする中レナは一人、ジャージを着たままストレッチをしていた。

「へぇ、玲於奈ちゃんは案外肝が据わってんだな。一発決勝狙いか。」

ひさ子の言う通りレナはぎりぎりまで体力を温存する作戦のようだ。

少しずつバーの高さが上がり、ついに決勝進出の標準記録に達した。

ついにレナが動き出した。ゆっくりとジャージを脱ぎ、ユニフォーム姿になる。無駄な脂肪のない身体が日光に当たり白く輝いていた。

「こうしてみると綺麗だね~れおにゃ。うちに飾っておきたいくらい。」

「はぁ~…。」

旗が振られ、助走に入る。大きな大きな歩幅から流れるように跳躍体制に移る。踏切線ぴったりで跳躍。バーからおよそ10センチほど余裕を持たせお手本のような背面跳びでクリアした。

再びジャージを着たレナがこちらを見る。

 

―どうだった?

―半歩下げた方が良いな。それ以外は問題ない。思いっきり行ってこい。

―りょーかい。

 

互いに頷きあう。あの顔は大丈夫な顔だ。細い背中を見ながら、俺はそんな確信を得ていた。

 

決勝に入り、順調に一本目で決めていく。すでに関東大会出場は確定し、とりあえず第一関門は突破した。あとは自分との勝負。

場内にファンファーレが鳴り響く。

『女子200メートル競走の決勝です。』

もはや定位置となりつつある4レーンに華菜が軽くジャンプをしながら、今か今かと出番を待つ。

「On your marks」

一礼してスターティングブロックにつく。ゆっくりと足の位置を合わせ、軽く深呼吸をした後に手の位置を白線に合わせる。

「Get set」

腰が持ち上がり、止まる。この瞬間会場の空気がピンと張り詰める。

号砲…の後にもう一度破裂音。

5レーンの選手がフライングをしたようだ。一発失格となり、華菜の隣のレーンから人の姿がなくなる。

張り詰めた緊張が緩み、嫌な雰囲気が流れていた。

スターターの合図で再びスタートに姿勢を取る。

 

号砲。

 

華菜は抜群のスタートダッシュを決めて見せた。一度フライングがあったにも関わらず、だ。

出遅れた選手を置いていくようにどんどん加速していく。

ホームストレートに入り、華菜は既に流すように楽な走り方をしていた。加速もせず、減速もせず、そのままゴールを駆け抜ける。

軽く肩で息をしながら華菜はスタンドの方に向かって両手でガッツポーズをしながらぴょんぴょん跳ねる。

その視線の先にはお兄ちゃんがいた。

お兄ちゃんは困ったような表情を見せながらも、拍手をしていた。

拍手を送られた華菜は私の方を見て両手ガッツポーズを見せた。

「3番、葵選手準備。」

私の名前が呼ばれる。

さて、私も頑張りますか。

 

 

バーの高さが上がるにつれ、次々と脱落していく。その中でレナを含め二人が残る。バーの高さはレナの自己記録より2センチ高い。つまり、これを跳べば自己新記録となる。

もう一人はすでに三回失敗している。あとはレナが最後の一回を跳ぶことができれば優勝だ。

場内に再び緊張が走る。

イメージを固めるように何度も跳躍の姿勢を繰り返し、自分のマークに付く。

旗が振られ、60秒のタイマーが動き出す。レナはバーをまっすぐ見てから、ちらりとこちらを見た。視線が合う。

俺はまっすぐその目を見つめた。

 

レナが視線を外し、目を閉じる。

深く息を吸って、ゆっくりと吐き出す。

目を開け、軽く上体をそらす。タイマーが残り10秒を示したところで、助走に入る。

いつも通りの歩幅、いつも通りのリズムでいつも通りの場所に踏み切り足を運び―いつも通りの跳躍。

身体がバーに触れる。1度揺れ、2度揺れ………落ちない。バーは留まっていた。

「よし!」

 

触れる感触があり、駄目だったかと思いながらバーを見る。だけど、バーは落ちずにそのまま残ってくれていた。

良かった、とりあえず自己新記録だ。

嬉しさよりも安堵の方が大きかった。

ちらりとスタンドを見る。そこにはここ数年見ることがなかった満面の笑顔でガッツポーズをするお兄ちゃんがいた。

ふふふ、あんなにはしゃいじゃって。根っこのとこは全然変わってないんだから…。

なんだか昔のような懐かしい気持ちが広がる。

そう、あの笑い顔だ。あの顔を見るために私は頑張ってるんだ。

ふと、体が軽く感じた。

 

 

「それじゃあ二人の優勝を祝して、乾杯!」

「「かんぱーい!」」

大会が終わったその夜。相川妹を呼び、我が家でちょっとした祝賀会を開くことにした。

個人種目では相川妹が短距離制覇、レナが高跳び。4継が2位、マイルが1位だった。

「いやぁ、まさか玲於奈があんなに差をつけて戻ってくるとは思わなかったよ。」

いよ、マイルのヒーロー!とレナを囃し立てる。

そう、今日のマイルのヒーローは間違いなくレナだった。

1走、2走と集団のままバトンを繋いでいき、混戦の中3走のレナが残りの150メートルでペースを上げ集団を抜け出したのだ。

1位でバトンを受け取った相川妹は本当に楽に、気持ちよく流すだけでよかったのだった。

「男子は惜しかったな。やっぱり経験の差が出たな。」

男子のマイルリレーは案の定というか、佐倉が失速し7位でレースを終えたのだった。

「まあ、本当に直前になって決まりましたからね勝手がわからなかったのも仕方がなかったですよ。剛くんには個人で頑張ってもらいましょう。」

一応個人の400で5位に入ったので、関東大会には出ることができるようだった。

「それで先輩、頑張った後輩にご褒美は無いんですか~?ね、玲於奈~。」

「私は…先払いで貰ったからいいや。」

同意を求める相川妹に反して、レナはそういってオレンジジュースに口をつける。

「え?いつの間に…何貰ったの?キス?チュー?口づけ?接吻?」

「全部同じじゃないの…違うわよ。そんなのよりもーっと良いもの。華菜はマッサージでもしてもらったら?」

何かをした覚えはないのだが、レナは満足そうな顔をしていた。

「気になる…。ま、いいか。それより、マッサージは魅力的だな~。先輩、お願いして良いですか?」

「それぐらいならお安い御用。」

「やったー!」

 

 

「…とまあ、こんな感じだった。」

『華菜もレース運びを学び始めたようだね。良い兆候だよ。それで、華菜は今どうしてるんだい?』

「レナと一緒にぐっすり寝てるよ。」

相川妹のマッサージを終えてから、二日間の映像を瀬奈へ送った。すると間もなく瀬奈から電話が来たのだった。

夜のベランダは心地よい風が吹いていて、少しづつ秋が近づいていることを感じさせる。

『相変わらず自由気ままで…。すまないね、うちの妹が迷惑かけて。』

「迷惑だなんてとんでもない。妹が一人増えたみたいで楽しいよ。世話の焼ける妹がね。」

スピーカーの奥で瀬奈の笑い声が聞こえる。

『ああ、そうだ。良かったら学園祭に来ないかい?何なら招待状を送っても良い。』

「日程は?」

『三週間後に三連休があるだろう?土曜が最終準備で、日曜日に一般公開。スケジュール的には余裕があるだろう?』

まあ、日程的には問題ないが…宿泊地はどうしようか。

『ウチの部長さんたちは招待する気満々でね、アテがあるそうだよ。』

「部長と相談してみるよ。明日かけなおす。」

『分かった。それじゃあ、おやすみ紅騎。』

「おやすみ、瀬奈。」

通話を切り、しばらくぼーっとする。…なんだか無性にギターが弾きたくなってきた。良く分からない、衝動的な何かが体に働いていた。

ギターケースを片手に外に出る。行先はいつもの公園。唯一の照明がベンチを照らしている。

 

 

そんなベンチに先客がいた。

「こんな夜遅くになにしてるんだ?」

「そっちこそ。」

岩沢さんはフッと小さく笑ってから一人分スペースを開けてくれた。

空いたスペースに腰を下ろすと、ベンチがギシ…と鳴った。

「なんだかギターが弾きたくなってね。それでここに来てみた。」

「奇遇だな…私もだ。」

ケースからギターを出して、チューニングを済ませる。…さて、何を弾こうか。

公園の中を眺めると、ビニル袋をあさるカラスが見えた。

黒い鳥…か。

フレットを押さえ、弦をはじく。

曲が分かったらしく岩沢さんが鼻歌で合わせてきた。

「Black birdか、でもあれはカラスの歌じゃないだろ?」

「まあ、別に良いだろ。」

「ふふ、そうだな。」

やり取りが何となくおかしくなって小さく笑う。

「今日は楽しかったよ。私の知らないものを見せてくれて…。綾崎はあんな世界で戦ってたんだな。」

それを感じてくれれば今日誘ったかいがあったものだ。音楽の世界だけに浸り続けるのではなく、彼女にはいろいろなものを見せてあげたい。

「次は私たちの番…。あいつらに私たちの世界を見せてやろう。」

「…そうだな。」

本当にこの人には敵わない。そう思った。

 

 

 



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54「……うん、良いよ。」by唯

文化祭が近づくにつれ、軽音楽部の衣装担当が意気揚々と部員たちを着せ替え人形にし始める。

その中で比較的ノリの良い唯と琴吹が衣装を披露するのだが。

そこで出てきた浴衣の衣装を唯が気に入り、その部活中ずっと着ていた。お分かりの通り初詣に着るような晴れ着ではなく、夏に着る浴衣だ。当然風通しもよく、10月にする格好ではない。

そのせいもあり、唯が風邪をひいた。

文化祭本番の実に1週間前である。

田井中たちのバンドはもちろん全体練習はできずに、パート練習を強いられることになる。

「もし唯センパイが来られなかったら…どうするんですか?」

「一週間か…ま、ギリ大丈夫かなー。」

が、彼女たちは相変わらず練習という練習はあまりしないようだった。

「私、唯センパイのパート練習します。」

そんな先輩たちに中野がしびれを切らした。

アンプのスイッチを入れるホワイトノイズが響く。そして唯のパートの楽譜を引っ張り出した。

「待てって梓。仮に唯が来なかったとして本番梓はどっちのパートをするつもりなんだ?」

「それは…その…。」

言葉に詰まる中野に秋山が近づく。そして、本来の中野のパートの楽譜と入れ替えた。

「だろ?唯がだめなら私たちは出ない。全員そろって私たちのバンドなんだ。…まあ、練習はしないとな。」

どうやら中野に触発されて練習を始めるらしい。

「秋山、手伝うよ。」

「良いのか?そっちの練習はしなくて。」

「ウチのバンドは夏休み中から練習を始めててね。」

「うぐっ…ごめんなさい。」

というわけでこちらのバンドのお手伝いをすることになった。

曲目は去年の「ふわふわ時間」を加えた三曲。

彼女たちは全てオリジナルの曲を披露するようだ。

「よし、じゃあ始めるぞ~。」

田井中がスティックを叩く。

 

 

一曲ずつ通し練習と、細かい所の修正を繰り返しすこと一時間ほどで練習が終了した。普段よりも30分も早く終わった計算だ。

「やっぱり紅騎センパイは上手です。私、着いていくだけで精一杯で…。」

「リズムキープはしっかりできてる。中野の仕事は裏方に徹して唯が弾きやすい環境を作ることかな。」

「はい、でもそれだと目立たなくなっちゃいませんか?」

「その中で個性を出せれば言うことなしだろ?ダン・ウィルソンみたいに。」

ロック史上あんなに目立つサイドギターも彼くらいではないだろうか。

「あの人は個性が立ちすぎです。…あの、もう少しお付き合いしていただいても良いですか?」

流石まじめな中野。練習時間を無駄にしないな。…まあ、頼めばいつでも付き合うけどさ。

「ムギー、ミルクティーが良いな~。」

「は~い。」

あっちはもう電池切れのようだった。

 

「で、唯の容態は?」

『もう、入院じゃないんだからそういう風に言わないの。お姉ちゃんなら今寝てるよ。』

「くれぐれも安静にさせるように。何日かしたら様子見に行くから。じゃあ、お大事に。」

『うん、ありがとうね。お姉ちゃんに伝えておくよ。』

憂に電話したところとりあえずただの風邪のようだった。…林檎でも買って行ってやるか。

 

 

今日から文化祭の準備期間のため、授業が丸一日ない。そのおかげか学校にはどこか浮ついた空気と、忙しい空気が混在していた。

我がクラスでは教室の飾り付けが進められている。文化祭の後夜祭で各教室の飾り付けも評価されるので、手抜きはできないのだ。

今年の我がクラスはコーヒーを豆から淹れる予定だ。そのため、教室の片隅で豆の最終選考と淹れ方のチェックをしていた。

結局最後までケニア派か、スマトラ派かで決着がつかず急きょ第三者による選考が執り行われた。

その第三者が俺というわけなのだが。

目の前にその二つのコーヒーが並べられている。匂いの観点では圧倒的にケニアだ…いや、普段マスターがケニア飲んでるせいで俺も好きなのだ。

ただ、その…スマトラ派に岩沢さんがいるわけで。彼女の牙城を崩さなければこの話はずっと平行線のままなのだ。

第三者の立場を装ってケニアを推すか、それとも初めからケニアが好きだと言ってしまおうか、変なところで俺は迷っていた。

「じゃあ、いただきます。」

それぞれコーヒーを口にする。……やっぱりケニアだ。

そう思って岩沢さんの顔を見ると、なぜかやっぱりかといったような顔をしていた。

「俺はケニアの方が好きだな。」

というわけで、我がクラスではケニアコーヒーを使うことに決まった。

「お、やっと決まったか。まあ、葵に任せたらケニアになるだろうなーとは思ってたけど。」

案の定ひさ子にはお見通しだったようだ。

「それより岩沢、葵、お前ら接客組は衣装合わせだ。」

俺と岩沢さんも首根っこを掴み、ひさ子は俺たちを被服室へ連れて行った。

 

「ちょっと待て!こんなもん私に着ろってのか!?」

被服室にひさ子の声が響いていた。彼女姿は間違いなくメイドさんであった。スカートが短めの、いわゆる”メイドさん”だった。

「いや、だって去年も似たような衣装来てたでしょ?それがとっても似合ってたから…ね?」

裁縫担当の女子生徒が楽しそうな笑みを浮かべていた。

「それじゃあなんで岩沢は執事服なんだよ!!」

対する岩沢さんは俺と同じ執事服を着ていた。

白いシャツに黒のパンツと露出する部分は一切ないのにも関わらず、そこはかとなく感じる色気は流石というほかなかった。

「それはほら…女の子受けが良さそうだから。」

「…それは喜んでもいいのか?」

岩沢さんは少し困ったような表情をしていた。

「良いの良いの!相手はあの秋山さんなんだから、これくらいやらなきゃ!」

岩沢さんは俺の方を向いて、じっと俺の眼を見つめた。

 

綾崎はどう思う?

 

なんとなくそんな声が聞こえた気がして、腕を組んだまま誰にも見えないようにサムズアップをした。

「まあ、ひさ子のよりは…。」

「言うと思ったよ…なあ、せめてタイツとかソックスとか履かせてくれよ。流石に素足は恥ずかしいんだが…。」

「ふふふ・・・じゃあ、これを履いてもらおうかしら?」

そう言った取り出したのはそう、白のニーソックスであった。黒じゃないところに彼女のこだわりを感じさせる。

「お、おう…これなら足は隠れるな。」

戸惑い気味にニーソックスを履いたひさ子が試着室から出てきた。

「良いわね~凄くいいわ!去年の山中先生の衣装の出来は素晴らしかった…でも、決定的なミスが一つ!それは白ニーソじゃなかったことよ!」

熱弁をふるう彼女の拳がぎゅっと握られた。

「アンタの好みは分かったからよ。…んで、私のターゲットである男性はどう思ってるんだ?」

そう言ってひさ子は挑発的な視線を送った。

俺は内心でニヤリと笑い、先ほどの岩沢さんとは違いじっくりと無言でひさ子を観察する。

「……。」

「へへ、やっぱり葵も男だな。目線が正直だぞ。」

「……。」

「おーい、葵~?聞こえてるか~?」

「……。」

「な、なあ、ちょっと見すぎじゃないか…?」

「……。」

「うぅ~分かったからもう見るなよぉ…。昨日の事は謝るから…。」

どんどんしおらしくなるひさ子であった。

よし、これくらいで勘弁してやるか。

「うん、いい仕事だ。」

裁縫担当の女子生徒にサムズアップをすると、あちらも返してきた。

これで両方の客層を引き込めればその戦略は成功といえるだろう。

 

部室に行くとクラスの準備が忙しいのか誰もおらず、今来た俺と岩沢さんとひさ子の三人だけのようだった。

「平沢はまだ治ってないのか?」

「憂が言うには回復はしてるらしい。ギリギリってところかな。」

「…そうか。」

そのときバン!と勢いよく部室の扉が開かれた。

「みんな~お待たせ~…ぜぇ、ぜぇ…。」

そこには全然大丈夫じゃない唯がふらふらと立っていた。

慌てて唯をソファに寝かせる。

「お前、なんで来たんだよ?」

「だって…練習しなくちゃみんなに迷惑が…。」

「ばかやろう。」

普段ならでこピンだが、今日は両頬を鷲掴みにする。

「むうぅ~…。」

妙な形になった唯の口から奇妙な音が漏れる。

「今無理して本番欠席の方がもっと迷惑だっつーの。あいつらに見つかる前に帰るぞ。」

憂に電話じゃなくメールでこのことを伝えると、すぐに返事が返ってきた。

「というわけで岩沢さん、ひさ子、適当な理由つけて誤魔化しておいてくれ。」

「分かった。」

「おう、任された。」

唯を背中に担いで、校門で憂と合流した。

 

「熱は…?良かった、上がってない。もう、あれだけ大人しくしてって言ったのに。」

「えへへ…ごめんなさい。」

再びベッドに寝かされた唯は力なく笑った。

「じゃあ、私おかゆ作ってくるね。」

部屋に二人だけ取り残される。

「…で、なんで学校に来たんだ?」

「あの…えっとね…笑わないでよ?」

「約束は出来ねーな。」

「もう、こんな時にも意地悪言う…。こ、こほん…あのね、なんだかすっごくコウ君に会いたくなっちゃって。」

…俺のせいかよ。

「寝てる時もずーっとコウ君の夢ばかり見て…それでコウ君の顔見たくなって。」

「それで無理して学校に来たのか?馬鹿。」

「うぅ…面目ない…。あ、そうだ…日記書かなきゃ。」

そういって唯が起き上がろうとするので。

「寝てろ、今日くらい休め。」

「駄目だよ~毎日つけてるんだから…、コウ君取って~あの青いヤツ~。」

唯の指をさす先に青い厚手のノートが机に置いてあった。

「はぁ…。それ書いて飯食ったら寝ろよ。」

「うん、ありがとね~。」

ふと本棚を見ると、同じノートが何冊もしまってあった。

「お前、これいつからつけてるんだ?」

「えっとね…たぶん1年生くらいからかな?」

唯がそこまで長く日記を書いている事実にも驚いたが、そこまでさせる理由の方が俺は気になった。…この中にその理由があるのだろうか?

「…見ても良いか?」

唯はしばらく黙った。悩むような顔をして、小さくため息をつく。

「……うん、良いよ。」

そう言って唯は首を縦に振った。

許可を得たので、一番下の段の一冊を抜き取った。

一番初めの日記は入学式についてだった。いかにも小学生が描いた絵で3人の絵が書いてあった。

唯、和、俺だろう。日記を読み進めると、その日に起きたほんの些細な出来事や唯の感じたことがまるで世界を揺るがす大事件のように描かれていた。

いや、たぶん唯の中の世界ではそんな些細なことが大事件なのだろう。だから唯はずっと唯のままなんだろう。

 

いつぞやのカレー事件の前日の日記は”カレーが楽しみ”と書いてあった。おそらくカレーのイメージが先行してルーなのかレトルトなのか曖昧になっていたのだろう。

学年が上がるにつれて文字が増え、漢字が増え、絵が小さくなっていく。

 

三月○日

 

明日はいよいよ卒業式。憂とはなればなれになっちゃうのは寂しいけど、お姉ちゃんだからガマンする!さびしいけどさびしくない!

コウ君の制服姿かわいかったな~あんなに大きな制服で大丈夫なのかな?

中学になってもコウ君と和ちゃんと同じクラスが良いな~新しいお友達もできたりして、きっと楽しいだろうな~

でも明日はお世話になった学校にありがとうって言わなくちゃね。

 

 

前日の日記にはこう記されていた。卒業式に対して不安や興奮を感じる様子がありありと伝わってくる。

次のページをめくる。

 

三月×日

 

コウ君がいなくなった

 

ただそれだけしか書かれていなかった。それから文の量が減っていき、しばらく一言日記のようだったがついには日付だけ記されるようになっていった。

ノートの左端に小さく日付が並べられていく。

このころの唯は本当に空っぽになってしまっていたんだろう。なんとなく一日を過ごし、ただ時間が流れるだけの毎日。

何も感じずただぼーっと椅子に座る唯の後ろ姿が脳裏に映る。

ただそんな日記にある変化が現れた。

 

9月1×日

 

陸上部の子がコウ君が載ってる雑誌を見せてくれた。コウ君はいま○○県にいるみたい。関東大会優勝で、全国大会でも上位間違いなしだって!すごいな~

コウ君もガンバてるんだから、私も頑張らなきゃ!

 

雑誌とは以前見せてくれたあの雑誌の事なのだろう。これをきっかけに唯の日記は分量が少しずつまた増えてきた。

和と憂、そしてレナとの何気ない一日を記すようになった。

そして日記にはレナの応援に行ったと書いてあった。それも俺が出ていた全国大会に。あの会場に唯がいたと考えたら、感慨深いものがあった。

中学の卒業式を終えて、日記はいよいよ高校の入学式まで進む。

 

4月○日

 

今日は入学式!私も高校生になってすっごく大人になった気分!…だけど、早速遅刻しちゃいました。優しそうな先生で本当に良かった~

それになんと、コウ君が帰ってきた!!

久しぶりに見るコウ君はすごく背が高くなってて、いつの間にか抜かされちゃった。それになんだかあまり笑わなくなっちゃった。

突然いなくなっちゃってからとても辛い思いをしてきたみたい。

だけどきっと大丈夫!私も和も憂もレオちゃんもみんなコウ君が大好きだから、だから大丈夫!またたくさん笑うコウ君が帰ってきてくれるよ!

 

それは唯の心からの願いだった。どんなに些細な出来事の中にも必ず彼女の大切な人がいる。…その中にも俺がいる。

俺だって唯の事を大切に思っている。唯がいなくなったら……考えたくもない。

「唯、何かしてほしいことってあるか?」

日記を本棚に戻しながら聞く。

「え~?そうだな~。うーん…じゃあ、ギューが良いな~。」

普段なら適当にあしらうが、今日は…甘やかしてやろう。それで風邪が治るなら。

「……ん。」

「おぉ…ほんとにしてくれた~。今日のコウ君はなんか優しいね~。」

「うるせー。」

普段は唯から飛びついてきてすぐに引きはがすから分からなかったが、いつの間にこんな大人っぽくなったのだろう。

こんなに柔らかく、甘い匂いがするようになったのだろう。

…こんなに、女っぽくなったのだろう。

「ふぁ…なんだか眠たくなってきた…。ねぇこのまま寝てもいい?」

「…ご勝手にどうぞ。」

「ふふ…。」

小さく笑ってから、寝息を立てるまで時間はかからなかった。

完全に眠った唯を寝かせて、布団をかける。

「おかゆで来たよぉ…あ、寝ちゃった?」

「ついさっきな。じゃあ、ぼちぼち俺も帰るよ。」

「うん、今日はありがとね紅騎くん。また明日。」

「おう。」

 

 

平沢家を出てからすっかり暗くなった帰り道を歩く。

先ほどの唯の感触が頭から離れず、柄にもなく心臓が早く脈打っていた。

「はぁ…何やってんだろうな…。」

良く分からない感情がぐるぐると回り、混乱させる。

ただ一つだけ、前よりも少しだけ。ほんの少しだけ甘えさせてやろう、それだけははっきりしていた。



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55話「…これが綾崎の音。」 by岩沢

数日が経ち、文化祭の前日。我が部室では珍妙な光景が広がっていた。

「唯先輩、治ったんですか?」

「まったく治ったなら早く言えよな唯~。」

「えへへ~」

「ほら唯ちゃん、ケーキ食べる?」

「へ?あ、うん、食べる~。」

「お、紅騎!見ろよ、唯が治ったぞ!」

……何やってるんだ”憂”は。

四人は気が付いていないようだが唯に比べて少しだけ髪が長いし、目の色が若干薄い。

今四人の中心にいるのは間違いなく憂であった。

まあ、俺らに心配かけないようにとかそんなことだろうけど…。

ばれたらどーすんだよ。…まあ、今ここでバラすけどな。

「それで唯、お前本当に熱は下がったんだろうな?」

「うん、おかげさまでもう全然大丈夫だよ~。」

「どれどれ…。」

唯に化けた憂に近づいて前髪を上げる。この時点で憂であることは確定だ。もし本物だったら瞬時に拒否するからだ。

そのまま俺の額をくっつける。

「あ、あの…こ、こ、こ、紅騎くん!なななななな、何してるのかな!?」

その状態でじっと憂の顔を見つめると、みるみる顔が赤くなっていく。

「なんだまだ熱あるんじゃねーか。呼吸も荒いし、動機も激しいぞ?」

首元に触れて脈を取る。時間が経過するにつれてどんどん心拍数が早くなっていくのが面白い。

「は、はふぅ…。」

限界に達した憂はついに音を上げ、もとの髪形に戻した。

「…で、何しに来たんだ憂。」

「わ、分かってるなら意地悪しないでよぉ…。」

そんなやり取りを見ていてようやく四人は唯ではなく憂と理解した様子だった。

「はぁ…んなことしても根本的な解決にはならないだろ?」

「うぅ…ごめんなさい。」

とりあえず憂が持ってきた唯のレス・ポールを彼女に持たせた。当たり前だが憂の表情には疑問符が見えた。

「折角来たんだ、あいつらの練習付き合ってやってくれないか?」

「へ?…あ、うん…。」

物覚えが良く、器用な憂は家で唯の練習を見ている内にいつの間にかギターが弾けるようになっていたのだ。

ピアノが弾けるから音楽の基礎はできていたのだろうけど、唯と遜色なく弾けるくらいには上達しているはずだ。

ただこれではギターパートを埋めるだけで、唯の本当の代わりになっているわけでは無い。だから本番では通用しないだろう。

やっぱり唯が来ないとこのバンドは動かない。

 

文化祭当日、我がクラスの企画はそこそこ好反応だった。

「葵君コーヒー二つお願いしまーす。」

学園祭にもかかわらず本格的なコーヒーを飲めることが、受けが良かったようだ。

「岩沢さん、お願い。」

「任された。」

岩沢さんが二人組の女性客へコーヒーを持っていく。

「お待たせしました。」

「あの…写真一緒に撮らせてください!」

「はぁ、構いませんが…。」

岩沢さんの執事服姿も人気を集めていた。

「葵君、ご指名が入ったから行ってあげて。」

「了解。」

カフェラテが二つ乗ったトレーを持って、言われたテーブルへ向かうと関根と入江がいた。

「カフェラテでお待ちのお客様。」

「はいはーい!ありがとうございますセンパイ!」

「楽しんでるか?」

テーブルに飲み物を置いて、サービスのチョコレートを差し出す。

「わざわざ指名するからどこのもの好きかと思った。」

「もう、そんな謙遜しちゃって~私のクラスで話題もちきりですよ~?」

「入江、本当か?」

いまいち関根の言葉が信じられなくて、入江の方を見るとおどおどしながら答えた。

「えっと…ほんとです。先輩結構人気なんですよ?」

「……おう。」

まあ、嫌われるよりは遥かに良いか…。かと言って秋山みたいになるのは御免だが。

そんなとき、ポケットに入っている携帯が震える。

「じゃあ、文化祭楽しんで。ただ本番の事も忘れないように。」

「はーい!」

「ありがとうごさいます。」

裏方に戻って、画面を見るとメールが一件届いていた。

送り主は瀬奈だった。

「ちょっと出てくる。」

「分かった。」

岩沢さんに後を任せて、校門へ向かう。

人の行き来が多い中、門の横にある木の下にN女高校の面々が待っていた。

「コウちゃん久しぶりー!」と真墨さん。

「わぁ~執事服だ~。」と真白さん。

真っ先に俺の格好に食いついてきたのはN女軽音楽部部長と、副部長だ。相変わらずテンションが高い。

「まさか本物の執事の紅騎が見られるなんて思いもしなかったよ。エスコートは任せたよ。」

車いすに乗った瀬奈が実にうれしそうな笑顔で言う。

「お任せくださいお嬢様。」

いつかの時のように冗談で深々と頭を下げた。

「コウキ、ひさしぶり。」

そんな瀬奈の車いすを押していたエリーがゆっくりとした日本語で話してきた。

「日本語勉強したのか?」

「ちょっと、話せる。」

でもやっぱり難しいと、ドイツ語でハニカミながら言う。

『ここが、コウキの学校?何だが美術館のようね。』

『一応私立だから。今日は楽しむといいよ。』

『コウキの演奏も楽しみにしてるわ。』

「おねーちゃーん!!」

人混みをかき分け、相川妹がこちらへ駆け寄ってくる。と、思ったら若干勢いを殺しつつ瀬奈にダイブ。

良い所に入ったのか、瀬奈の顔が少しだけ青ざめた。しかしそこは姉の威厳を保つために瀬奈は何も言わずに相川妹を引きはがした。

「新人大会は大活躍だったそうだね。紅騎から聞いたよ。」

「えへへ~。」

姉に褒められて相川妹はとても気持ちの良さそうな笑みを浮かべていた。

「あの…こんにちは葵さん。」

「おーすげぇ!流石私立の学校だな~」

よその学校で緊張した面持ちの榊さんの横で、山本さんはきょろきょろと周囲を見渡していた。

相変わらず大局的な二人だった。

「さてさて、早速だけどコウちゃんのクラスに案内してもらおっかな。」

真墨さんの言葉でN女一同の面々を案内することにした。

 

「いらっしゃいませーって、葵。駄目じゃないか、一度にそんなたくさんの子引っかけてきちゃ。早くもとの場所に戻してきなさい。」

「何言ってんだお前…。」

いち早く気が付いたひさ子が早速からかってきた。しかし、彼女たちはそんなことで動揺するほど”普通”ではない。

「あ!この子知ってる!コウちゃんのバンドのギターの子でしょ?」と真墨さん。

「メイド服可愛い~写真撮っていい?」と真白さん。

「すげぇ…同じ高校生徒は思えない…。」

「はわわわ…大きすぎです…。」

『凄い…。』

一年生ズはひさ子のある部分一点を見つめながら、目が点になっていた。

そんな中瀬奈はひさ子に近づき右手を差し出した。

「君がひさ子さんだね?初めまして、綾崎紅騎の幼馴染の相川瀬奈です。私たちはN女子高等学校軽音楽部。彼の招待でお邪魔してるよ。」

「お、おう…ご丁寧にどうも。」

そう言って握手を交わす。

「ふむ…ちょっと左手も見せてくれないかい?」

「あ、ああ…構わねーけど。」

もう片方の手も差し出し、瀬奈がひさ子の両手をじっくりと見る。

「うん、やっぱり私の思った通りだ。こんな手は初めて見たよ。生まれ持った才能に、努力が合わさって…。」

「な、なんなんだよアンタ!?いきなり人の手触って訳の分からんことを!」

そう喚くが、瀬奈の手を振りほどこうとしない当たりひさ子もまんざらではないのだろう。

「どうした綾崎?」

騒ぎに気が付いた岩沢さんが様子を見に現れた。

「……。」

「……。」

岩沢さんと瀬奈との視線が交差する。

じっと互いの表情を見つめあうこと数秒。

「綾崎の幼馴染の?」

「正解。私の名前は相川瀬奈。瀬奈でいいよ。」

「岩沢まさみ。よろしく。私もまさみで良い。」

「紅騎がお世話になってるね。」

「こっちこそ、綾崎の支えになってくれて。」

場をわきまえず、そんなことを恥ずかしげもなく言う二人。当事者である俺は非常に居心地が悪い。

「な、なあ…いい加減放してくれないか?」

そんなやり取りをしながら、瀬奈はひさ子の手をずっと握ったままだった。そのせいか徐々に、ひさ子の顔が赤くなっていく。

「まさみ、しばらく彼女を借りても良いかい?」

「ああ、好きにしてくれ。ひさ子、しっかりとN女高の皆さんを案内するんだぞ?」

岩沢さんの言葉にN女高のみなさんが歓声を上げた。どうもひさ子は彼女たちに気に入られたようだ。

「分かった、分かりました!くそ、調子狂うな…。」

おそらくひさ子はこの後良いように遊ばれるという未だ経験したことのない状況に遭遇するだろう。

そんな時ひさ子がどんな表情をするだろうか。どう対応していいかわからずされるがままに苦悶する姿を想像するだけでゾクゾクしてくる。

「綾崎、仕事に戻るぞ。」

「は、はい。」

言葉の裏に感じる威圧感。それが背中を通して背骨を鷲掴みにされるような感覚を覚える。言いようのない迫力に負け、背筋がゾクゾクした。

 

 

クラスの仕事を終え、部室に向かう。

「あ、紅騎君お疲れさま~。」

椅子に座ると琴吹が紅茶を持ってきてくれた。

「ありがとう。…で、唯はまだ来てないのか?」

「うん…。」

「そっか…。」

今はただ待つしかないな。

「よし、最後のチェックをするか。」

唯の事は心配だが、やるべきことはやらなければいけない。

「ひさ子、おもちゃにされた気分はどうだった?」

「何というか…スゲーなあいつら。キャラが濃いというか、すぐにペースが乗っ取られるんだよ。」

「だろうな。だけど、いい経験になっただろ?」

普段はどちらかと言えばその場の空気を作る側のひさ子にとっては、場の空気を掌握されるという経験は無いはず。

「そりゃそうだけどよ。」

俺としてはそんなひさ子の様子を見られなかったのが非常に残念ではあった。…あとでN女生たちに写真を送ってもらおう。

「準備はできたか?始めよう。」

岩沢さんの一言で最終リハーサルが始まった。

 

 

3曲を一通り演奏してから、細かい所の修正を終えてリハーサルが終わった。

その時、教室のそとからドタドタと騒がしい音が聞こえてきた。

バン!と勢いよくドアが開かれる。

「みんな、治ったよ~!」

そこにはそっくりさんではなく、本物の唯が立っていた。

「もう、待ちくたびれたぜ~」

「やっと治ったんだな。」

「はい、唯ちゃん。ミルクティーとチーズケーキよ~。」

そんな先輩三人とは違い、中野は唯の様子をまじまじと見ていた。

「唯先輩、ギターは?」

その一言で唯の表情が凍り付いた。

……おい、まさか。

「ど、どうしようコウ君…ギー太置いてきちゃったー!」

叫んで俺の右袖を掴んですがるような目で見つめてくる。

どうしようってな…はぁ、仕方がないか。

携帯を取り出してある人物の連絡先に電話をかける。

『もしもし?』

「中村か?早急で頼みたいことがあるんだけど。」

『とりあえず話を聞こうかしら。』

中村にこのことを簡潔に説明する。

中村は生徒会執行部の部長だ。執行部は生徒会が受け持った雑務や問題などを実際に行動に起こして解決する部活動だ。

本来なら生徒会を通して依頼をするべきなのだが、今回は早急且つ私的な用なのだ。

『出来ないことは無いわ。それを完遂する用意もすぐにできる。ただ、私たちも無償で人を出すほど暇じゃないしお人よしじゃないの。』

ここの部長の中村ゆりは俺たちと同じ二年生でありながら、一筋縄ではいかないなかなかのやり手だった。

「対価は払う。内容はそっちで決めてくれて構わない。」

『分かったわ。すぐに裏の校門に行ってちょうだい。日向君を向かわせるわ。』

そう言って電話はすぐに切られた。

「よし、すぐに裏門に行くぞ。中村が何とかしてくれるそうだ。」

頭上に?を浮かべる唯の腕を引き、日向の待つ裏門へ急いだ。

 

「お前…免許持ってたんだな。」

「納車して全然経ってないけどな。」

駐輪場には真新しいバイクが停められていた。一応この高校はバイク通学オーケーだったりする。

少々心配だが、背に腹は代えられない。ここは日向に任せよう。

「慌てず急いで頼んだぞ。」

「矛盾してるけど分かった!よし、急ぐぜ!しっかり捕まっててくれよ~」

唯を後ろに乗せて日向は学校を後にした。

 

部室に戻ると既に機材は運ばれたようで、いつもよりもすっきりとしていた。

「綾崎、平沢は大丈夫そうか?」

「とりあえず…かな。順番はどうなった?」

今回は俺らが後ということになっている。もしその順番のままだとしたら唯が間に合わない可能性もある。

「私らが先だ。さっき部長と相談して代わることにした。」

「そっか…それなら少し安心だ。」

心配事が解消されたのであとは自分の演奏に集中するだけだ。

「よし、あとはアイツ等に私たちの音楽を見せつけてやるだけだ。行くぞ、綾崎。」

俺の背中をポンと叩いて岩沢さんは部室を出ていこうとする。俺は岩沢さんの後を付いていく。

まったく…人をやる気にさせるのが上手いんだから。

 

大講堂のステージ裏へ行くと、全員が準備を済ませて待機していた。

「先輩、チューニングは完璧です!」

初めて大勢の前で演奏するということもあり、関根はやや興奮気味だった。

「……。」

対して入江は静かに自分のドラムを見つめていた。

「入江、調子はどうだ?」

「はい、大丈夫です。」

入江の顔を見る限り緊張しすぎてるわけでは無いようだった。静かに集中力を高めて、その時を待っているように見える。

「少々ドタバタしたけど、私らが先になったこと以外に変更は無い。」

そう言って岩沢さんは自分のギターを持つ。俺も定位置に立ってサインを送った。

『続きまして、軽音楽部によるバンド演奏です。』

拍手とともにゆっくりと垂れ幕が持ち上がっていく。

よし、派手にやりますか!

入江のドラムの後に、弦を弾いた。

 

「あぁ…くそ!よりによって渋滞かよ…。」

順調に家についてギー太を持って学校に戻る。だけど、帰り道は思ったよりも混んでいた。

「文化祭だからかな?」

「だろうな…脇道もありそうにねーし…。」

「ところで今何時?」

「三時ちょうどだな。」

もう私たちの演奏の時間だ。コウ君からのメールで順番が変わったのは知ってるけど…。

これじゃあそれでも私たちの順番まで間に合いそうにない。

「私、ここから走って行くよ。」

「く…すまねえ、最後まで送れなくて。」

「ううん。凄く助かったよ~ありがとう。それじゃあ、行ってきます!」

バイクから降りて、ヘルメットを返す。

ギー太を背負いなおして私は走り出した。

 

~~~~♪

「crow song…去年も歌ったから覚えてる?」

映像でしか見たことがなかった紅騎たちの演奏が、今私たち目の前で披露されている。

「やっぱり生演奏は良いよね~こうちゃんカッコイイ~!」

「去年よりも数段上手くなってる。やっぱり凄いな~」

真墨部長と真白副部長は心底はしゃぎながら、演奏を楽しんでいた。

「へぇ…あんなに小柄なのにパワフルなベース…だけどテンポは完璧。…凄い。」

「あのドラム…わ、私よりも上手い…。」

『ロックも良いものね。』

三人もそれぞれ彼らの演奏に対して何かしら感じる者があるようだった。

「じゃあ次はクラプトンのLayla。有名な曲だから知ってる人もいるかも。ボーカルは綾崎にチェンジ。」

「「FOOOOOO!」」

部長副部長コンビは完全に楽しむ方向へシフトするようだ。

~~~~~~♪

Laylaの有名なリフが始まる。紅騎とひさ子によって。

暴力的でありながら、艶があり、まるですべての者を引き込むような…そんな彼女のギターリフを紅騎が引き立てる。

そして紅騎が歌いだす。

…そういえば紅騎の歌声を聴くのはこれが初めてか。ちょっとハスキーながら歌詞はしっかりと聞き取れる。

なるほど、良い声だ。彼女の声と相性がいいのも頷ける。

出来ればもっと聞きたいところだ。三曲はあまりにも短すぎる。

…ちょっと作戦を練ろうか。

 

 

三曲目のHot mealも無事に終わり、俺たちの演目は終了した。

「凄いです!あんなに大勢の人の前で演奏するのってこんなに気持ち良いんですね!!」

「先輩、私上手に叩けてましたか?ちゃんと演奏できてましたか!?」

初めての演奏ということもあり、関根と入江は興奮している様子だった。

二人を落ち着かせるためにタオルと、冷たい水を渡してから田井中たちがいる方に行く。

「唯は?」

田井中は黙って首を横に振った。

「そうか…よし、ちょっと時間稼ぎに行ってくる。」

ギターをもってステージへ行く。何のことは無い、ただ少しだけギターを弾きに行くだけだ。

弾きに…行くだけだ…。

 

「まさかあいつのソロ聞けるとは思わなかったな。」

「…そうだな。」

今ステージ上にいるのは綾崎一人だけだ。アンプとエフェクターをチェックする様子を見せてから、ステージを向く。

その瞬間―

音の洪水という言葉はこのためにあるのだと私は肌で感じた。

彼の指に弾かれた弦が震え、歪み、私の中の奥の方を突き刺しえぐる。

これは本当に一本のギターから出ている音なのか?

まるで心臓を直接鷲掴みされて握りつぶされ、蹂躙されているような感覚だった。

「…これが綾崎の音。」

「私よりもよっぽどえげつねー音出すじゃねーかよ。…ふざけやがって。」

確かにひさ子の言う通りだ。こんな演奏をされてはひさ子も衝撃だろう。私も正直驚いている。

…だけど、この妙に胸が騒ぐ感じは何なのだろうか?

 

「はぁ…はぁ…はぁ…」

何とか学校までたどり着いた。時間は…まだギリギリ間に合うかもしれない。

少しだけ人が少ない廊下を急ぎ足で進み大講堂へ向かう。

大講堂に近づくにつれてギターの音が聞こえてくる。

あずにゃん…?いや違う。これはコウ君のギターの音だ。

ギターの音だけが延々と続いてるってことは、今ステージにいるのはコウ君だけ?

ギターの音を聞いてるとなんだか胸がざわざわする。息苦しい。

コウ君…なんだかつらそう…?

頭の中で辛そうな顔でギターを一心不乱に弾く姿が浮かび上がった。

早く行かなきゃ。あのギターを止めさせないと…!

「…はー…ふぅ~。」

深呼吸をして思い切り扉を押した。

 

桜高の学園祭。特に彼女たち軽音楽部の演奏は大成功と言ってもよかった。

「はぁ~今日は凄かったね。これは我がN女軽音楽部も頑張らないと!だね。」

「うん、それにしてもこうちゃんのギターソロ凄かったね~。」

「はい…でもなんだか怖かったです。鬼気迫ると言うか…。」

榊さんの言う通り今日の紅騎はなんだか様子がおかしかった。反響こそ良かったから良いものの、これじゃあ安心して帰れなくなったじゃないか。

心残りが残ったまま帰るのは忍びないがこればかりは仕方がない。

「今度は私たちが呼ぶ番だよ、本番までみっちり練習するからね!」

帰りの電車の中でそんな会話を聞きながら外の景色を眺める。

あのソロは紅騎のオリジナルではない。どこかで聞いたことがある気がするのだが…思い出せない。

でも、大方予想はついている。あとは彼女たちに任せよう。

私は今日の仕返しのための準備に精を出せばいい。

「本番は紅騎にきっちりお返しをしないと…ですね。」

私の言葉に全員が静かに頷いていた。

 

 

「お疲れさま。ありがとう手伝ってくれて。」

中村から言われた代償は学園祭後の後片付けの手伝いだった。もっときついものを想像していたのだが、案外に彼女は優しいのかもしれない。

「本当はもっとエグイのを考えていたのだけれど、日向君が中途半端に終わらせたからこれくらいにしておくわ。ほら日向君!まだ半分も終わってないわよ!」

「ちょ、ちょっと休憩…。」

広い講堂を雑巾がけする日向は既に疲労が限界の様子だった。

…訂正。彼女は噂通りの鬼だった。

「さ、あなたの仕事は終わりよ。時間も遅くなるから早く帰りなさい。」

中村に見送られて部室に戻った。

「お疲れ綾崎。」

扉を開けると、明かりをつけてない部屋の中で岩沢さんが窓枠に座っていた。

橙色の夕焼けの光が彼女を照らし赤い髪や白い素肌が輝く。幻想的な光景に思わず黙り込んでしまった。

「…どうした?」

「いや…何でもない。」

スタンドに立てかけたギターをケースにしまい、鞄を持つ。

「なあ綾崎…分かりにくいかもしれないが私は…お前には色々感謝してるんだ。」

突然そんなことを言われて、振り返る。逆光で見えにくいが、なんだか彼女の表情はどこか泣き顔に見えた。

窓枠から降りてこちらに歩み寄ってくる。

「お前は私を助けてくれた。音楽を…続けさせてくれた。だから綾崎…お前も辛い時は私を頼ってくれ。」

今度は私が―

岩沢さんは言葉をつぐんだ。

彼女のそんな言葉が純粋に嬉しかった。彼女の言葉が体の芯まで染み込んでいく。

だから少しだけ岩沢さんに甘えてみようと思う。

「岩沢さんの…ハンバーグが食べたい。」

少しだけ驚いた表情になってから、岩沢さんは静かに優しく笑った。



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56話「か、可愛すぎる…!」by真墨

学園祭が終わり、一か月がたった。季節はもう冷たく乾燥した空気が肌を刺していた。

岩沢さん、ひさ子、関根、入江と俺を含めた5人は○○県へ向かっていた。

「前回はあっち持ちで交通費が出たけど、流石に今回は出なかったな。」

俺たちがN女の面々と会うのはこれが二回目だった。前はN女の学園祭に招待された時で、今回は私的な招待であった。

「他校の生徒に誕生日会開いてもらうとかいつの間に先輩はプレイボーイになったんですかね。」

どうやら思った以上にあの年上姉妹に気に入られたようだった。

「あのベースの二人はかなりレベル高いから関根も色々聞くといいぞ。」

「はい、モチロンですよ!」

文化祭で彼女たちはロックをジャズ風にアレンジした曲を披露していた。

そして曲の中にcrow songのフレーズを入れるというと思いもよらないサプライズもあった。

ステージ上でいたずらが見つかったようにはにかむ真墨さんの表情は印象に残っている。

「岩沢先輩、このプレイボーイが年上に目覚めかけてますよ。」

「そうなのか?」

関根の発言で岩沢さんが首をかしげながらこちらを見る。

「…だったらどうする?」

無いと言ったらあの姉妹に失礼だし、あると答えてもおかしな話になる。だから少しだけ卑怯な返し方をした。

「……。」

岩沢さんは無言でこちらを見つめる。

無表情なのだが目の奥には寂しさと悲しさが含んだ複雑な色が見える。途端に罪悪感が湧き上がってくた。

「すみませんでした。」

俺は真っ先に頭を下げた。なんか弱いんだよなぁ…岩沢さんのこの表情。

 

最寄り駅で電車を降りて改札を出ると、見知った顔が出迎えてくれていた。

「みんな、お久しぶり!」と真墨さん。

「文化祭以来ね~」と真白さん。

電車の中で噂になっていた二人だった。

「わざわざお出迎えありがとうございます。」

瀬奈たちは会場で準備をしているそうだ。駅からバスに乗ってしばらく揺られる。

「綾崎、前回とは逆方向のバスなのか?」

「会場が俺が住んでいたところの近所なんだ。」

会場はあのハントンライスのお店だそうだ。なんでも今回は瀬奈が主体で催されたらしい。

病院前のバス停で降りる。少し歩いて大通りから狭い小道に入るとその店はある。

「実は私たちもこのお店に来るのは初めてなの。」と真墨さん。

「セーナちゃんったらいいお店知ってるのに教えてくれないんだもん~。」と真白さん。

ここは俺と瀬奈の思い出の場だからな。瀬奈も出来れば教えたくはなかったのだろう。

店の扉には本日貸し切りの掛札があった。

「「それじゃ5名様ご案内~」」

息をぴったり合わせて二人は店の扉を開けた。

パンパーン!

店に入ると同時にクラッカーが鳴らされた。

「「おめでとうございまーす!」」

 

Happy Birthday KOHKI&MASAMI

 

そんな幕をバックにN女の面々と店の夫婦が迎えてくれていた。

……ん?MASAMIってことはつまり…。

「岩沢さんも誕生日近いの?」

「12月25日だ。」

岩沢さんも誕生日が同じなのか。何たる偶然。

それはそうと岩沢さんはいつの間に瀬奈と仲良くなっていたのだろう。

「瀬奈とは頻繁に連絡を取り合っている。ちなみに今日のことも結構前に知らされていた。」

「紅騎は祝ってまさみは祝わないってのもおかしな話だろう?それに私たちの町もゆっくり紹介したいからね。」

カラカラ…と車いすで瀬奈が近づいてきた。車いすには瓶のジュースが下げられている。

「ほら二人ともグラスをもって。乾杯しよう。」

瀬奈が俺たちの、俺が瀬奈のグラスにコーラを注いでカチンとぶつけ合った。

「そういえば平沢さんたちはどうしたんだい?」

「アイツ等はあいつらで楽しんでる。」

今頃クリスマス会場の唯の家で盛り上がっているころだろう。

「それは残念。彼女ともゆっくり話してみたかったのだけどね。」

そう言って瀬奈はグラスを傾け、ひさ子の方へ向かっていった。

「やあひさ子さん、久しぶりだね。早速だけどギターセッションをしないかい?」

「ちょ、ちょっと待てって!引っ張るなって!」

瀬奈が車いすに乗っている手前乱暴にするわけにもいかないのか、ひさ子は素直に演奏ができるように空けられたスペースへ引きずられていった。

「面白そうになってきたな。綾崎。」

ギターを構える二人を見て、岩沢さんは目を輝かせていた。

「それでは僭越ながら一曲目を演奏させていただきます。レッド・ツェッペリンでステアウェイ・トゥ・ヘブン。」

瀬奈がひさ子に向かってアイコンタクトを送ると、ひさ子がリフを弾き始める。

ひさ子が握っているのは実際と同じツインネックのギターだ。

そして瀬奈のメロディーパートが後に続く。

ここからがインストの真骨頂だ。原曲のような力強く、荒々しいヴォーカルは姿をひそめるが、瀬奈のギターから発せられる音がまた違う姿を見せてくれる。

その音はどこまでも澄んでいて、12弦ギターの幅広いオクターブと見事に調和していた。

静かな曲調から始まり少しずつ音の質が変わっていく。バラードからロックの方向へ。

12弦のネックを握っていたひさ子の腕が6弦のネックへ移る。ここからがギターソロだ。

慣れないギターもどこ吹く風でひさ子は相変わらず鬼のような演奏で瀬奈を突き放しにかかる。

付いてこられるか?

と口に出さなくても音でそう言っていた。そんな挑発に簡単に乗ってしまうのが相川瀬奈と言う人間であった。

ひさ子のバッキングに合わせて瀬奈がこの曲のメインパートに入る。

「ふっ……!」

瀬奈が息を吹いた音がかすかに聞こえたかと思うと、目つきが一気に変わった。

原曲の荒々しさを忠実に再現したかのようなメロディでひさ子に真っ向から挑戦状を叩きつけたのだ。

「ひさ子も学園祭でやったお前のソロ演奏の影響か、夜遅くまで練習してるみたいなんだ。…私も負けてられないな。」

勝ち負けの基準は定かではないが、ひさ子にとっては刺激になったみたいだ。

まるで嵐にような数分間があっという間に終わると、二人の額にはほんのりと汗が滲んでいた。

瀬奈の顔はどこか恍惚とした表情と、達成感が浮かび上がり、ひさ子は疲労感が浮かんでいた。

「ありがとうひさ子さん。とっても楽しいひと時だったよ。」

「私はなんだか…疲れたよ。おーい葵ぃ…コイツ返すよ。」

車いすをカラカラと押してひさ子が瀬奈を運んできた。

「ただいま紅騎。」

「おかえり。」

水に入ったグラスを渡して、ハンカチで瀬奈の汗を拭いてやった。

「さーて激熱な演奏に続きまして、ちょっと私たちや紅ちゃんたちとは違った趣向を凝らしてみようかな~と思います!」

真澄さんのそんな言葉と同時に真白さんが各テーブルへ人数分の紙を配り始めた。

「…楽譜?」

岩沢さんが手に取った紙を覗き込むと、それは楽譜にようだった。

「イーグルスのNew kid in townの楽譜だよ~。みんなで歌お~」

アカペラのような綺麗なハモりとロックなメロディはイーグルスの特徴だ。この曲はそんなイーグルスの中でも合唱にアレンジしやすい曲だ。

…確かにこちらにもあちらにも無い雰囲気を持った一曲だ。

演奏組は関根と入江とひさ子。N女の面々に俺と岩沢さんを加えた8人がボーカル組に分かれる。

「この日のためにみんなで練習したんだよ!」と真墨さん。

「ハモりなんて初めてだったから大変だったんだよ~」と真白さん。

30分ほど練習をして、いよいよ本番だ。各々椅子に座ったままであったり立っていたりと好きな姿勢で部長を見る。

「それじゃあ始めるよ!1、2、3、4…」

真墨さんのカウントでひさ子のギターがイントロを弾き始める。

 

町で人気者の男がしばらく街を離れていると既に別の男が、その町の人気者になっていた。

名声や町一番の美人など、かつて彼が手に入れていたものは全てその男の手に渡っていて、彼はとっくに過去の人となってしまっていた。

新しい奴がやってくれば周りはそいつの事ばかり注目する。町はそんなことを繰り返している。

 

そんな歌詞と合わさって、ひさ子のギターも切ない響きを奏でていた。

「~~~♪」

今まで岩沢さんとコーラスでハモることはあったが、こうして大人数でハモるのは初めてだった。

しかし、これはこれでなかなか楽しい。自分の声とみんなの声が合わさり、一つの和音としてメロディが流れる。

この自分の声が音楽の一部になっていく感じがとても気持ちが良かった。

この気持ちのいい感覚に身をゆだねていると、あっという間に時間が過ぎ去っていくのだった。

そのあとも色々な組み合わせで演奏を楽しんだ。

中でもエリーとのセッションは刺激的だった。ジャズの名曲であるTAKE5を演奏したのだが、変拍子にあわせて奏でられる複雑なメロディは隣で演奏しながら聞き惚れてしまうほどだった。

そして俺は久しぶりに演奏中にミスをしてしまい、そのせいだろうか岩沢さんが少々不機嫌になっていた。

いや…だって仕方ないだろう。本当に凄い演奏だったんだから。

 

 

紅騎達の誕生日会がお開きになり、桜高の面々は私たちの家に各人泊まることになっていた。

私の家にはひさ子さんが泊まることになった。

「ひさ子さん、お風呂が沸いたから入ってきたらどうだい?」

「ありがとう。相川さんは普段も一人で?」

「もちろん。できることはやらないと治った時に困るものだよ。…それとも今日はひさ子さんが一緒に入ってくれるのかな?」

「ば、ばか!そんな恥ずかしいことできるか!」

顔を真っ赤にしたひさ子さんを風呂場に案内をして、私はリビングでテレビをつける。

「さて、と…ほかのところは楽しくやってるかな?」

 

ところ変わって、N女のキーボード担当榊ゆかり宅には双方の1年生が集結していた。

「いやぁゆかちんのお家は広いね~。」

しおりはふかふかのソファが気に入ったのか、寝そべりながらそんなことを言う。

「そんなこと…普通だよ…。先輩の家の方が大きいし。」

「いやいや横溝姉妹の豪邸と比べちゃダメだって。この人数で泊まれるんだもん十分大きいって!」

クラスメイトのドラマー、山本亜弥がしおりの上に覆いかぶさるようにして倒れてきた。

「ぐわぁ~、なんだか安心する固さが~」

「言ったなコイツ~」

じゃれる二人を見ながらゆかり、みゆき、エリーはトランプで遊んでいた。

「あの二人いつの間に仲良くなったんだろうね?」

「類は友を呼ぶ…?」

「こらー!聞こえてるぞエリー!」

「そーだそーだ!そっちの三人もどちらかと言えばぺったんの癖にー!」

そう言いながら亜弥としおりはエリーに向かって飛びかかってきた。

 

ふにゅん

 

彼女の懐に飛び込んだ二人は思いのほか柔らかい感触に驚愕した。

「「うそ…」」

「あはは…エリーって着やせするタイプだったんだね。」

「これは詳細な情報収集をしなければ!ゆかちん!お風呂沸いてるよね!?」

「う、うん…。」

ゆかりが頷くと同時に二人はエリーを連行していってしまった。

「やったやった3カード!みゆきちゃんは?」

「ふっふっふ…なんと、フラッシュだよ!」

そしてここにはいないエリーのカードを返す。

「「ストレートフラッシュ…かぁ…。」」

四人はいろいろな意味でエリーに対して敗北感を抱いた夜であった。

 

「こうちゃーん、こっちでお茶でも飲まないー?」

真白さんの妙に間延びする声で呼ばれると、テラスでくつろぐ横溝姉妹と岩沢さんがいた。

色とりどり花がさくテラスを月明りが照らし出すと三人が幻想的に、まるで絵画のように浮かび上がる。。

「……。」

「綾崎?」

「ふふふ、どうしたの?紅ちゃん。」

「…何でもありません。」

まさか見とれてましたと言えるわけもなく、目をそらしながら空いた椅子に座った。

「はい、ハーブティーとお菓子。」

「ありがとうございます。」

真白さんが淹れてくれたお茶を飲みながらちらりと真墨さんを見る。真墨さんはどのような意図があってあの曲を選んだのだろうか?

彼女にとってのNew kidとは一体何なのだろうか?

そんなことばかり考えていたせいか、真墨さんとばっちり目が合ってしまった。

「もう、そんなに知りたいなら教えてあげる。なんでNew kid in townにしたかって言うとね。」

真墨さんは自分のティーカップを置いて、まっすぐに俺の眼を見る。

「最初に紅ちゃん見た時にこの子は私のNew kidだって思ったの。新しく聞くたびに、会うたびに、知るたびに新しい紅ちゃんを見せてくれる。夢中にさせてくれる。だからこの曲を選んだの。」

だから私を飽きさせないでね?と真墨さんはウインクをした。

「ごめんね。くろちゃんはこれだ!って決めたらちょーっと暴走しちゃうときがあるから。」

「…はぁ。」

これがひさ子だったら逆にやり返して主導権を握るところだが、相手は先輩だ。正直なんて返せばいいのか分からない。

「あら、紅ちゃんもまんざらでもない?何なら今夜はずーっとセッションしても良いのよ?」

俺が戸惑う間に真墨さんがかなり際どい発言をしてきた。

その時だ。

「いい加減にしてください。綾崎をあなたに渡すつもりはありません。」

岩沢さんが対抗心全開でそう言ったのは。真白さんは「あらあら~」と楽しそうな様子だ。

…俺は早くこの場から逃げ去りたいと思う気持ちで一杯だった。

だが敵陣のど真ん中で、味方がエキサイトしていては、俺には成す術がなかった。

「仕方がないわね。そんなに言うなら私の部屋で語り合いましょうか?」

「…受けて立ちます。」

何がどうしてそうなったのか、訳が分からない内に真墨さんと岩沢さんはどこかへ行ってしまった。

「それじゃあ私たちはそろそろ寝ましょう。紅ちゃんのお部屋に案内するね。」

「ありがとうございます。」

一抹の不安を抱えつつ俺は真白さんに案内された部屋(これもまた広い)で眠りについた。

「紅ちゃん、ぐっすり寝ちゃったみたい。」

真白がそう言って静かにまさみと真墨のいる部屋に入ってくる。

そういえばまさみとますみって似てるわねーと場にそぐわないことを真白は考えていた。

「紅ちゃんの歌声は最高よ、あのちょっとハスキーな感じがとっても色っぽくて聞いた瞬間メロメロになっちゃうの。」

「いえ、やはりギターでしょう。技巧的かつ、魅惑的なサウンド。感情を直接揺さぶられる音色は綾崎の真骨頂です。」

今この部屋では”綾崎紅騎がいかに魅力的か”という題目の下、熱い議論が交わされていた。

「二人とも紅ちゃんが好きなのね~。」

「当たり前です。」

「当然よ!」

同じものが好き同士でありながらなぜこんなにも二人はケンカ腰なのだろうか。それなら寝ている彼をそのままこの場に持って来れば収まるのだろうか。

なんて恐ろしいことを真白は考えていた。そして真白は基本的に姉が大好きである。

「二人とも紅ちゃんの寝顔…見たくなーい?」

「当たり前です。」

「当然よ!」

二人の関係を深めるために紅騎が犠牲になることもいとわないのである。

 

「失礼しまーす…。」

先頭の真墨が小声で紅騎のいる部屋に潜入する。

薄暗い部屋の奥にあるベッドの上。白い布団が小さく上下していた。

「いたいた…さてと…それじゃあ御開帳~。」

躊躇なく真墨が布団をそっと除ける。

「「ほわぁ~」」

真墨と真白が歓喜の声を上げる。

「か、可愛すぎる…!」と真墨。

「反則よ…こんなの反則すぎる。」と真白。

まるで純真無垢なその寝顔は普段のキリッとした表情からは想像もできないほどのギャップがあった。

「はぁ~ぎゅってしたい…。」

惚けた表情で両手をワキワキさせる真墨をまさみが無言で引き留めた。

「ここはじゃんけんです。」

黙ってそれを譲るつもりも毛頭ないまさみだった。

「じゃんけん…ぽん!」

真墨がチョキ、まさみがグーだった。

「…では。」

「3分で交代だからね…!」

「二人とも…本人が寝てるからって好き勝手しすぎじゃないかなー?」

真白のそんなつぶやきを聞かないことにして、まさみがそっと紅騎の髪の毛を撫でる。

「……ん。」

小さく声を漏らし、心なしか表情が和らいだような気がする。

「…失礼。」

一応断りを入れておいて、そっとそのあたまを胸に抱いてみた。

「まさみちゃーん…具合はどーお?」

「…最高です。」

なおも小さい寝息を立てる紅騎が今自分の胸の中にいると考えると、頭の血液が沸騰しそうだった。

「さぁ、3分経ったよ。」

「…はい。」

名残惜しいが約束は約束だ。紅騎から離れようと腕に力を入れた時。

「……え?」

いつの間にか紅騎の両腕がまさみの腰に回されていて、思いのほか強い力で抱きしめられていた。

「あ、まさみちゃんずるい。」

そんなことを言われても、これは寝ている紅騎が寝ぼけてやったものでまさみに故意はない。

すこし体を動かしても紅騎が手を離す気配はない。あろうことか、まさみを布団と共に巻き込んでしまった。

「おぉ…紅ちゃんったら寝相が悪いのね~。」

「うぅ~こうなったら背中だけでも!」

痺れを切らした真墨が二人が寝るベッドへダイブ。紅騎の背中へ張り付いた。

「ちょっと二人とも~このまま寝るつもり~?」

「だってこのままじゃ二人が一線超えちゃうもん。私たちの家で。」

「…しませんよ。」

「良いから!私もここで寝るの!」

久しぶりの姐の駄々に真白は小さくため息をついた。

「もう、ちゃんと明日紅ちゃんに謝るのよ?」

「はーい。」

真白はそのまま部屋を出て行ってしまった。

「え、あ…ちょっと…。」

「あれ~こうちゃんって意外とふにふにしてるんだね。」

「そ、そこは私の脇腹です…。」

「…ふむ、じゃあこの上は。」

「止めてください。」

夜が更けても気が休まることは無さそうだった。

 

「……ん。」

日差しで目が覚める。信じられないほどふかふかのベッドは横になった瞬間眠りに誘われ、本当にぐっすりと眠ることができた。

そしてこの抱き枕だ。柔らかすぎず、しっかりとした抱き心地のこの枕はいつまでもこのまま眠っていたいと思ってしまう。

そして極めつけはこの匂いだ。甘い柑橘系の香りは、奥の底から安心感が湧き出てくるようだった。

「おはよう綾崎。」

その声を聴いた瞬間、ボーっとしていた頭が一気に冷えていくのを感じた。

「もう、紅ちゃんたらどうやってもまさみちゃんに抱き着くんだもん。おねーちゃんちょっとショックだったんだから。」

そして背後からも声が聞こえる。恐らく真墨さんだ。

「なぜお二人が川の字の1画と3画になっているのでしょうか?」

「本当は紅ちゃんの寝顔だけ見てすぐに出ていく予定だったんだけどねー。」

「お前が寝ぼけて私に抱き着いて離さなかったんだ。」

自分の寝相の悪さはよく知っていたが、よもやここまでとは思いもしなかった。…いや、前も似たようなことがあったな。

その時も被害者は岩沢さんだった…。

「ごめん岩沢さん、すぐどくから。」

「えーもうちょっとこのままが良いな~。」

真墨さんが背中に抱き着いて、耳元で話しかけてくる。その妙に生々しい息遣いに背筋が凍り付くのを感じた。

ガチャッ

「こーら、その様子じゃまだ謝ってないでしょ?」

今この時こそ真白さんの登場を望んだときはなかった。これで動き出すことができる。

本音を言えばもうしばらくこの至福の感触を楽しんでいたいが、いかんせん背中から感じるナイフのような威圧感がそれを許さない。

「はーい。ごめんね紅ちゃん。寝てる最中に好き勝手しちゃって。」

「まぁ…ぐっすり眠れたんで良いですよ。」

安眠の要因は背中じゃなくて正面の方だと思うけど。と言葉にすればまた面倒なことになりそうなので、止めておいた。

「さ、朝食を食べたら私たちの町を回りましょうか。」

 

それから夕刻の列車までの数時間、懐かしさと新鮮さを感じながら街の散策をしたのだった。



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57話「…あ、もうこんな時間。」by唯

高校生活も半部が終わり、二年生でいられるのもあと数か月。

そう、あと数か月で最終学年に進級してしまうのだ。

”あの二人”は明確なアクションを起こすわけでも無くただ日にちだけが過ぎるばかり。

見ているこっちがやきもきしてくる。それに…そろそろタイムリミットが近づいてきている。

最近隣町でアレを見る回数が頻繁に増えてきている。もう間もなくだ…間もなく大きな転換期が訪れる。

恐らくソイツが現れるのは…。

 

―2月14日のバレンタイン。

 

文化祭が終わって直近の目標がなくなった為か、部室の雰囲気…特に唯達がだらけにだらけていた。

「はぁ~紅騎たちは練習熱心で関心ですな~」

ティーカップを持った田井中が呑気にそんなことを言い放つ。

俺らは練習、唯たちはお茶会の構図が殆ど完成されていた。

「綾崎、暇なら少しセッションしてみるか?」

「良いね、何にする?」

岩沢さんのアコギが軽快なイントロを奏でる。

サイモン&ガーファンクルのLast night i had the strangest dreamだとすぐに分かった。

そしていつも通り、俺が上岩沢さんが下のパートを歌う。

本当にこの二人の曲は歌っていて気持ちがいい。you can tell the worldのように明るい曲だったりwednesday 3 A.M.のように切ない曲調だったり、メロディは多様だがそこは一貫して感じることだ。

基本的には一曲で終わるのだが、今日のように調子が乗っていくと間髪入れず次の曲に入ったりもする。

今度は俺のイントロでイーグルスのHotel californiaだ。

それに反応したひさ子がギターで参加し、ソロも弾いてしまう。

「おい、なーに勝手に参加してんだよ。」

「うるせー、これ見よがしに空白作りやがって。暗に入れって言ってるようなもんじゃねーか。」

ははは、と三人が笑い合う。

「三人ともずるいー私もやる!」

触発された唯がギターをもって乱入してくる。

「おっしゃぁ!それならソロ特訓じゃー!」

そう言ってひさ子がCrossroadsのリフを弾きだした。この曲は同じようなフレーズの繰り返しなので、唯の簡単に耳コピーして付いてきた。

「I went down to the crossroad, fell down on my knees.」

俺は歌とベースパートの方に、岩沢さんはリズムパートに専念してひさ子と唯のギターレッスンに邪魔をしないようにする。

ひさ子がソロを弾き始める。まずはオリジナルと同じメロディを弾き、唯がそのあとに続いてそっくりコピーする。

そしてひさ子がオリジナルとは違うアレンジで弾き出した。驚いた唯だったが負けじとオリジナルのメロディで対抗する。

「まだまだぁ!」

ひさ子がテンポを上げる。さらに技巧的になっていく指使いに、こちらも見とれそうになる。

「ふんす!」

なんとひさ子のソロをコピーしようと試み始めた。ところどころ音が外れるが、だんだんとテンポが上昇していく中でのコピーだ。

そんなところから唯の非凡さがうかがい知れる。

「よっしゃ、ノッてきたぜ!」

「You can run, you can run, tell my friend-boy Willie Brown.」

ひさ子が暴走し始めたので、Cパートに入って強制的に終了させた。

ただ唯のレッスンを終わりにしたわけでは無い。次の曲へ移行するためだ。

エフェクターの歪みを一気にMaxまで上げる。

歪みに歪んだギターノイズで有名なリフを弾く。

「Dou you have the time to listen to me whine.」

グリーンデイのBasket caseだ。この曲の良い所はとてもギターが簡単なことだ。何度か練習すれば簡単に弾くことができる入門用の曲と言っても良い。

だが、今の状況においてはどうだろうか?

簡単な曲だからこそ、アレンジの幅が広くそして狭くもなるのだ。

さあ、ひさ子アレンジしてみろ!

「へへ、良いね~!」

そんな俺の果たし状に臆することなくひさ子はアレンジを加え始めた。

「おら、平沢!付いてこい!」

だんだん遅れ始めた唯にひさ子が喝を入れる。

「うん!」

気合いを入れなおし、唯も必死にひさ子についていった。

 

―あれ、そういえばなんでこんな流れになったんだっけ?

 

リズムパートを弾きながら岩沢さんに視線で語り掛ける。

 

―…さあな。

 

岩沢さんは既に諦めたようで、肩をすくめて見せた。

 

「いや~今日は久しぶりに燃えたな~。」

帰り道のひさ子はとても満足そうだった。そりゃそうだあれだけ暴れたんだから。

そんなひさ子を冷やそうとするように冷たい北風が吹く。

「おぉおう…さっぶ~…。そういや来週当たり天気崩れるんだっけか?」

「低気圧が来てるらしいぞ。」

岩沢さんの言う通り、天気予報によれば寒波と低気圧が合わさり下手をすれば雪が積もるそうだ。

「来週って…おお!岩沢、どうするんだよ!」

「…何がだ?」

「何って2月14日だぞ?」

しばらく考えて、岩沢さんは「ああ…」と頷いた。

「欲しいか?綾崎。」

何とも直球に聞いてきた。…どう答えたものか。

「…ふふ、冗談だよ。平沢もいるもんな。」

確かに唯と憂からが毎年貰っている。去年は嬉しいことに、軽音楽部の面々からも岩沢さんからも頂くことができた。

だが、今年はそうはいかないかもしれない。唯か、岩沢さんか…。俺ははっきりと答えを出さなければならない。

「いや、俺はどちらかのを受け取ろうと思う。」

「おお!ついにはっきり答えを出すのか!?」

ひさ子が驚いたような声を出した。

「…ああ、そうするつもりだ。」

「だってよ、岩沢!こりゃ気合い入れないとな!」

岩沢さんは目を見開き、じっと俺を見つめていた。

「…本当か?」

「ああ、もう長引かせるのもな…。」

「そうか。平沢にもちゃんと言っておけよ。」

丁度俺の家の前に来たところで、岩沢さんはそう言ってひさ子を連れて行った。

 

「―と言うわけだ。」

『うん、分かった。コウ君がそう決めたなら私は頑張るだけだね!』

「なんかごめんな唯。」

『たぶんそうなるんだろうなーって思ってたから。だから大丈夫!』

声の感じから無理をして元気な声を出しているわけではなさそうだ。…強いな、唯は。

『じゃあ、遅いから切るよ~。』

通話が切れてから、携帯電話を枕元に放り出す。そして仰向けになって天井を眺める。

「はぁ……。」

これで後には戻れなくなった。自然とずしっとした空気が肺から吐き出される。

 

「…ふぅ。」

通話を切って携帯電話を持った手を胸に置く。

「そっか、はっきりしちゃうんだ…。」

いつかはこんな時が来ることは分かっていた。綾崎紅騎という少年は中途半端な関係を長引かせるくらいならはっきりさせる人間だ。

今の三人の関係は楽しい。何も考えることなく純粋にただ楽しい生活を送ることができる。

この関係もいつかは終わりを迎える。それが今なだけ。だから覚悟はできている。

「あ、日記書かなきゃ。」

椅子に座り、赤いノートを開く。

これも何冊目になっただろう。気が付いたらすごい数になっていた。

2月×日

 

今日はコウ君とまさみちゃんとひさこちゃんでセッションをしました。

三人ともすごくギターが上手で、ついていくだけで精いっぱい。

それに私が知らない曲をたくさん知っていて、知らない弾き方も一杯知っていました。

三人といっしょに弾いているだけで勉強になって、ちょっとだけ上手になったような…そんな気がしました。

 

それとさっきコウ君から電話がありました。とても、とても大切な電話でした。

 

 

「ねーねー、明日コウ君のおむかえに行くんだよね?」

「そうよ、コウ君のお父さんがお仕事で。お昼には来るそうよ。」

「ふーん、じゃあコウ君が寂しくないように一緒にいてあげなくちゃ!」

「ふふふ、優しいのね唯は。」

明日は卒業式、今まで通っていた学校と別れるのは寂しいし憂と離れ離れになるのはもっと寂しい。

だけど中学生になってもコウ君がいるから寂しくないから大丈夫!

…そう思っていたのに。

「おかしいわね…いつもなら外で待っててくれてるのに」

大きな車で住宅街は運転しにくいからと、いつも近くのバス停で待っているのに今日は姿がなかった。

どうしたんだろう?

心配になってコウ君の家に向かう。

「………え?」

そこには信じられない光景が広がっていた。

真っ黒に焼け崩れた壁、むき出しの柱、そして生々しい焦げた匂い。

「嘘…こんなことって…。」

お母さんは驚いたように口を押えて、その光景を見つめていた。

私は何が起きたか分からずにただ家だったものを眺めていた。

どうしてコウ君の家がないの?なんでお母さんは泣いてるの?

どうして…。

 

―コウ君がいないの?

 

ハッと我に返り車から飛び降りた。

「コウ君!コウ君!」

一目散に家に向かおうとするが、警察官にそれを止められる。

「まだ完全に火は消えていない、危ないから入ってはいけない!」

そんな言葉はこの時の私には聞こえていなかった。お父さんに止められてやっと落ち着きを取り戻す。

そしてここの住人、つまりコウ君とコウ君のお父さんの姿がいないことを告げられた。

この火事の現場に二人の姿はない、つまり二人はどこかにいる?

じゃあ、どこに…。

無我夢中になって駆け出した。お父さんとお母さんの声も聞こえなかった。

それからいろいろなところを探し回った。公園、駅、玲於奈ちゃんのところにも行った。

だけどどこにもコウ君はいなかった。

卒業式の間もそのことばかりが気になって、ちゃんと卒業証書を受け取ったのかも思い出せなかった。

「お母さん、コウ君はどこに行っちゃったんだろう?」

お母さんは無言で首を横に振る。

私の胸の中から何か大切なものがストンと抜け落ちた。それは床に落ちてパリンと砕け散った。

 

それから私は中学に進学して何となく日々を過ごす毎日が続いた。

憂もコウ君もいない一年はとても長いようであっという間に終わってしまった。

憂が中学に入学してきて友達も少しずつ増えてきて、学校生活も楽しいと思えるようになってきたある日。

「すごい、地区大会ぶっちぎりで優勝だって!」

「けどなんで別の学校に行ったんだろうねー?公立ならこっちで走ればいいのに。」

陸上部の子のそんな会話を聞いて、まさかと思った。だけどすっかり内気になってしまった私はその子に聞かずに放課後本屋によって同じ雑誌を買うことにした。

まっすぐ家に帰ってリビングのソファに座る。

そして必死になって件のページを探す。

「……!!あった!」

 

期待の新人現る!

5月○○日に行われた××県大会において綾崎紅騎選手が400m走で大会記録、および県記録を更新した。

200mでも大会記録にはならなかったものの、大差をつけて優勝を決めた。

××県勢初の全国大会優勝を果たすことも十分可能であると言えるだろう。

今後の彼の活躍に期待したい。

 

そのようなことが書いてあった。しかも写真付きで。

まだ二年しかたっていないというのに、彼の体は一段と逞しく成長していた。

ジワリと視界が霞む。頬に熱い何かが伝う感触で自分が泣いているのだと気が付いた。

「ただいま~お姉ちゃん早いね~…って、お姉ちゃん!?」

帰ってきた憂いが慌ててこちらに駆け寄ってきた。

「どうしたの?何かあったの?」

ハンカチを出して涙を拭いてくれる。やっぱり憂は優しいな。

「ありがとう、憂…あのね、コウ君がね…。」

言葉が出てこない代わりに涙がどんどん溢れてきて止まらない。コウ君がいなくなった二年分が全部溢れてくる。

「憂…憂いぃぃ……。」

「よしよし…紅騎君頑張ってるんだね。」

「うん…うん…!」

憂は優しく抱きしめて、頭を撫でてくれる。

…そうだ、もう泣いてばかりじゃダメなんだ。

「ありがとう憂…。ごめんね…私がお姉ちゃんなのに憂に頼ってばかりで。」

憂だけじゃない、和ちゃんやお母さんお父さん、おばあちゃんにも頼ってばかりで…。

でも、それじゃだめだ!もっとしっかりしないと!

「コウ君が頑張ってるんだもん、私も頑張らないとね!」

それから日記の文字がどんどん増えていった。毎日起きたこと感じたこと、全部書き留めておく。

コウ君が返ってきたその時に一杯おしゃべりできるように、こんなに素敵なことがあったよって伝えられるように。

 

 

「…あ、もうこんな時間。」

昔のことを思い出していたらいつの間にか夜遅くになっていた。

「ぎー太~一緒に寝よ~」

いつものようにぎー太と一緒にベッドに入る。

「おやすみ、ぎー太~。」

明日はもっと上手になれたら良いな…。

 



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