どうしてこうなった? (とんぱ)
しおりを挟む

プロローグ
第一話


 

 どうしてこうなった?

 

 

 

 

 俺の目の前には果てしなく広がる草原、遠くを見れば日本では見られないような雄大な山脈が連なっている。まるで何がファイナルか分からないファンタジーゲームに出てくるような大自然が目の前には拡がっていた。

 お、落ち着け。まずは素数を数えるんだ。1・3・5・7……あれ? 素数って1からだったっけ? ……まぁそんなことはどうでもいい。まずは落ち着くんだ。目を閉じて大きく深呼吸。

 すぅぅーー、はぁぁーー……うん、目を開けてもやっぱり大自然だった。

 

 う、うろたえるんじゃない。男子高校生はうろたえない! そう、まずは現状の確認だ。

 ……俺の名前は北島(きたじま) (しょう)。東京都内の高校に通う普通の高校生だ。OK、意識はハッキリしているようだ。さて次だ。どうしてこんな場所にいるんだ? 順序立てて思い出してみるか。

 何時も通りに朝起きて、母ちゃんの作った朝飯食って、適当に髪を整えて、出来るだけぎりぎりに家を出て学校への通学路を歩いていた、はずだ。そしたら何の前触れもなく目の前が大草原だ。トンネルも抜けてないし光る鏡も通ってねえ。俺の通っている学校はいつからファンタジーとクロスしたんだ? クロスするならすると生徒には通達しろよ。これじゃ遅刻しちまうだろうが……などと現実逃避した思考をしながら俺は立ち尽くしていた。

 

 

 ……どうしてこうなった?

 

 

 

 

 この異世界? に来てから約半年ほど経った。そう異世界だ。おれはこの世界が俺のいた世界ではないと判断した。

 あの後、なんとか平静を取り戻した俺は、取り敢えず人を見つけようと歩き出した。周囲を見渡すと遠くに煙が立っているのが見えた。もしかしたらそこに人が居るかと思い、煙を目指して歩いた。幸いにして辺りは急な山岳ではなく揺るやかな野原だったが、都会っ子にはかなりきつい道のりだった。2~3時間くらい歩いたらようやく町と思わしき場所にたどり着いた。マジ疲れた。こんなに歩き続けたのは人生で初めてだよ……。

 遠くからも見えた煙は多分石炭か何かを燃やしている煙みたいだな。何かめっちゃ黒いし煙たいし、何となくテレビで見た炭鉱のある町、みたいな感じの町だ。自分で思っててなんだがそのまんまだな。んで、俺がここを異世界だと思った理由なんだが、明らかに周りの人間は日本人とは思えない外人チックな奴らばかりなのに会話は全部日本語に聞こえている上に、店と思わしき建物に書かれている文字は明らかに日本語ではなかったからだ。

 

 なんだこれ? 違和感ばりばりなんですけど。

 取り敢えず周りの人に話を聞いて情報収集しなきゃいけないな。人見知りが多少ある俺だが、この状況ではそんなことも言ってられない。なんせ自身の生死が懸かっているからな。人見知りだなんだと言ってられない。日本語が通じるのが幸いだ。……どうして日本語が通じるんだ? あれか? ご都合主義ってやつかな。どうせご都合主義ならチート能力でも付いてくれよ。

 聞いた所によるとこの町はゴルシェというらしい。主に炭鉱を生業にしているそうだ。ちなみに、日本? なにそれおいしいの? だった。他にもアメリカや中国、ヨーロッパ方面の国の名前を聞いてみたが全部駄目だった。ここはアイジエン大陸だって? 知らんわそんな大陸。やっぱり異世界だワロス。

 

 

 ――どうしてこうなった――

 

 

 とにかく、この世界で生きていくにしても先立つものたる金がない。金がなければ飯も食えない宿にも泊まれない。俺が持ってる金は3652円。なけなしの全財産だが、やっぱりこの世界では使えなかった……。くそ、何だよジェニーって! 円でもいいだろ日本語で会話してんだからよ! これだからファンタジーは……。

 愚痴っても仕方ない。一文無しには変わりない。とにかく働いて金を稼がなくては! ……でも肉体労働はいやだなぁ。

 色々聞いてみて、住み込みで働ける職場を見つけることが出来た。鉱山掘って石炭運ぶ仕事だ。めっちゃ肉体労働ですねありがとうございます。まあ、仕方ない。文字も読めない身分証明も出来ない不審者を雇ってくれるんだ。毎日3食出るみたいだし、文句は言えないか……。

 

 そんなこんなで半年経っていた。いやびっくりだね。自分で自分を褒めてやりたいよ。よくこんな環境で半年も耐えられたもんだ。

 初めの頃はマジ役立たずの足手まといだった。初日が終わっただけで体はぼろぼろ。まともに飯も食えなかったくらいだ。次の日は物凄い筋肉痛でまともに動くことも出来ず、親方に怒鳴られまくった。なんとかクビにされることはなかった。ここをクビにされたらもう行くとこがないと親方に泣きながらすがりついたら何とか許してくれた。

 ……給料はしっかり減らされてたけどな!

 

 

 

 2、3ヶ月もしたらこの仕事にも慣れてきた。というかなんか大分力がついた気がする。確かに肉体労働してるし、無駄な過食は出来ないから身体は鍛えられているだろうけど、筋肉ってこんなに簡単に付いたか?

 少なくとも元の世界じゃ無理だな。これが異世界補正という奴だろうか。もしかしたらその内夢の俺Tueeeeeee! が出来るかもしれん。

 ま、鉱山仲間ではひ弱な方だけど。

 

 

 

 あれからさらに1年ほど月日が流れた。ちなみにこの世界も元の世界と同じく1年365日、12ヶ月で1年である。

 しかし、前にも思ったがよくこんな環境で1年以上耐えられたもんだ。何せネットもないテレビもない漫画もないのだ。多少はオタクの自覚があった身としてはなかなか辛いもんだ。まあ人間は慣れる生き物だ。住めば都とは昔の人は上手く言ったもんだよほんとに。よく分からなかった文字も読めるようになったしな。文字が理解出来ても何か文章とか全部平仮名で構成されてる感じだから読みにくいけど。

 

 力も大分付いたけどある一定からは伸び悩んでいる。限界がきたというより負荷が足りない感じだな。全身に重りをするとかしながら仕事したらもっと力が付くかもしれない。しないけどな疲れるし。もうこの仕事をやってく分には十分だ。魔王退治とかするなら別だけど、この世界魔王とかいないし。魔獣はいるみたいだけどな、さすが異世界。

 仕事仲間とも仲良くなってきたし、後輩も出来た。今じゃ仲間と一緒に仕事終わりに軽い賭けをしながら酒でも飲むのが人生の楽しみになってきている。……ん? 未成年? いいんだよ、この町じゃ15のガキも酒飲んでるしな。世界が違えば法も違う。郷に入れば郷に従えってな。自己弁護終了。

 

 そんな感じで仲間と賭けをしながら酒を飲んでると、物騒な話が聞こえてきた。何でもこの都市の市長が暗殺者に殺されたらしい。おいおい暗殺者いるのか。でも元の世界にも探せばいるかもしれないからな、ファンタジー世界じゃいて当然か。魔獣もいるぐらいだしなぁ。

 なんでもその暗殺者はあの伝説のゾルディック一家では? との噂らしい。なるほど、伝説の暗殺一家ゾルディックか、厨二クセェなハハハ。

 

 

 ……ゾルディック?? ……マジで?

 

 

 ……どうやらこの世界はHUNTER×HUNTERの世界みたいだ。もしくは限りなく似たような世界か。あの後色々調べてみたらハンターだのハンター協会だのとそれらしい用語が出てくる出てくる。よくよく考えればこの世界の金の単位ジェニーはHUNTER×HUNTERのと一緒だし、世界共通の文字もハンター文字と呼ばれている。

 力が急速に付いたのも納得だ。さすが空気にプロテインが含まれていると言われているだけの事はある。ほぼ確定でHUNTER×HUNTERの世界だな。

 どうして気づかなかったんだ1年半も? アホか俺は。……いや、生きてくのに必死だったんだよ。だから仕方なかったんだ、そんなうっかりもあるさ。

 

 さて、HUNTER×HUNTERの世界と知ってしまった俺はどうするべきだろう。正直この世界はやばい。死亡フラグ乱立の世界だ。

 いや普通に生きてく分には大丈夫かもしれないが、少なくとも原作に関わると死亡率は跳ね上がる。なにせ人気キャラでさえクビと胴がお別れしてしまう作品だ。関わると碌な事にはならない。じゃあ関わらなければいいかと言うとそうでもない。関わることによって得られるメリットも存在する。

 

 まずは原作に関わった場合のメリット・デメリットをまとめてみるか。

 

・メリット

①元の世界に戻ることが出来るかもしれない。

 そう、ここがHUNTER×HUNTERの世界ならグリードアイランドがあるはずだ。あれに出てくるカードを使えば元の世界に戻れる可能性がある。で、そのカードを入手するには原作主人公たちと行動を共にした方がいいだろう。俺個人であれをクリアー出来るなんて自惚れはない。ゴンたちのおこぼれをもらうのが一番だ。帰るならビスケが貰う予定のクリア報酬カードを譲ってもらわなきゃならないけど。

  

②原作の色々な場面を自分の眼でリアルに見ることが出来る。

 正直俺はHUNTER×HUNTERが好きだ。特に念がかなり気に入っている。自分だけの能力を作ることが出来て、能力によっては格上を倒すことも出来るし、才能が絶対の世界ではないのがいい(才能あるに越したことはないが)。念の設定は後付設定かもしれないが矛盾や無理矢理感は少ないしな。ナ○トやブ○ーチも見習ってほしいくらいだ。とにかく、気に入っている作品を自身で体験出来るというのはかなり魅力的だ。

 

③好きなキャラに会える。

 ②と被ってるかもしれないけど、好きなキャラに会えるな。特に女性キャラだ。一度でいいからマチ・シズク・ビスケ・ポンズ・ネオンといった綺麗で可愛い女性と会ってみたい。この世界は漫画と違って二次元じゃなく三次元だ。もちろん俺の周りに漫画みたいな顔の人間はどこにもいない。俺たちの世界と同じような人間しかいない。言うなれば実写版HUNTER×HUNTERだな。

 つまり原作キャラも三次元になっているはずだ。絶対美人に決まっている! 上手くやったら原作キャラと……もっとも、危なくて手が出せないがな! マチやシズクに手を出したらその時点でお陀仏だ。少なくともヒソカクラスの戦闘力を手に入れないと如何しようもない。ビスケは……見るだけでいいや。可愛いけど、その、元が、な。ネオンも駄目だ。あれに手を出す=マフィアと抗争だ。リスクが高すぎだよ。可能性があるのはポンズくらいだな。マチが一番好きなのに……。

 

・デメリット

①死ぬ危険性大。

 マジ死亡フラグ満載。原作で死亡フラグがないのはゾルディック家訪問編と天空闘技場編ぐらいじゃなかろうか。それ以外は死神とお近づきになる率が高すぎる。特にキメラアント編なんてどうしようもない。王様どうやったら倒せるんだ? あいつ絶対出てくる作品間違ってるよ。多分B級妖怪以上の実力はあるね。弱虫ラ○ィッツぐらいなら倒せるんじゃね? だれか魔族化した霊界探偵呼んできてくれ。あれならかつる。

 

②……ない

 死ぬ以外のデメリットはないな、うん。

 

 

 

 原作に関わったら死ぬ確率が高いけどメリットがおいしい。特に帰還の可能性があるのが良い。この世界に慣れたとはいえ、やっぱり故郷は恋しい。食事も日本食なんてないし毎日毎日肉体労働するのもなぁ……。

 やべぇ、帰れるかもと思ったらめっちゃ帰りたくなってきた。米食いたいネットしたいゲームしたい漫画読みたい友達と馬鹿話したい……家族に、会いたい……。

 

 

 ……よし、原作に介入しよう! 確かに死ぬかもしれないけど、俺には他の奴らにはない武器、原作知識がある。この知識を上手く利用すればいくつかの死亡フラグも乗り越えれる可能性が高まる。

 今の時期がいつかは分からないが、原作前だとしたら身体を鍛えて念を習得すれば少なくともハンター試験は何とかなるだろう。その後は……まあ状況に合わせて上手くやろう、うん。かなり楽観的かもしれないがなんとかなりそうな気がする。キメラアントなんて遭遇しなけりゃいいんだ。グリードアイランド編が終わればこの世界とはおさらばだしな。

 それにもしかしたらポンズあたりなら念を教えるとかなんとかで仲良くなってあわよくば、とか出来るかもしれないし!!

 

 まさか童貞を漫画のキャラで捨てる日が来るとはな(上手くいくことしか考えていない)。

 

 よし決めた! 原作に介入して俺は、童貞を、捨てる!!!(目的が変わってることに気付いていない)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな風に思っていた時期が、俺にもありました。

 

 ただいまの年代、1872年2月7日、原作開始まであと約127年……。

 原作? 何それおいしいの? 

 ………………………………………………………………終わった。

 

 

 




主人公が読んでいる原作は単行本29巻までです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二話

 ……どうして気づかなかったんだ。HUNTER×HUNTERの世界だと知って興奮してたのか? この1年半、この世界で過ごしてきて一度もテレビやパソコンに携帯電話といった機器は見かけていないだろうが。原作では普通に流通してたのにこの都市だけないなんて馬鹿げたことがあるわけがない。

 

 まさか原作の100年以上前とは……。

 確かに原作より前の時代が良かったよ? 修行に費やせる時間が増えるからな。でも原作開始まであと127年はないだろう! 原作開始したときには俺145歳だよ。どう考えても老衰してますありがとうございました。

 

 いやネテロ会長やマハ=ゾルディックの例もある。俺が念能力者になれば常人より若さを保つことも出来るはずだ。生きてる可能性もある。

 けどどんなに若さを保っても145歳じゃよぼよぼになってるわ!

 

 くそ、俺の計画(原作キャラで脱・童貞)がこんなことで頓挫するとは……!!!

 

 

 

 ……何か目的が変わってる気がするが、まあいい。それに帰るにしても無理だ。グリードアイランドが完成した頃にはジジイだし、そんな状態で帰りたくはない。

 自力で帰る念を作るなんて出来るとは思えないし、出来たとしても完成した頃にはやっぱりジジイになってる気がする。

 世界の壁を越える念なんて数十年以上修行してようやく完成するくらいじゃね? それも才能がかなりあって数十年ってとこだろ。そうじゃなきゃ世界の壁なんか越えられそうにない。

 俺は簡単に越えて来たけどな。

 

 ……どうした、笑えよべ○ータ……。

 

 そういや元の世界に戻るのに必要な念能力って放出系か? 放出系なら瞬間移動とか出来そうだし。それとも特質系だろうか? 異世界に移動なんてあまりにも特殊だしな。

 そもそも俺の念系統って何なんだろう? 俺的には強化系か特質系がいいんだけど。夢の俺Tueeeeeeee! が出来るかもしれんしな。

 

 ……よし! まずは念を覚えよう。自分の系統を知らなきゃ話にならん。

 そうと決めたら毎日瞑想だ!

 

 ん? 無理矢理なんて怖くて出来ませんよ、ええ。そもそも念能力者の知り合いなんていないしね。

 

 

 

 

 オーラを感じようと瞑想をした俺は瞑想後1時間ほどで何となくだがオーラというものの感覚を掴むことが出来た。おそらく元々念の概念がない世界から来たから感覚的に理解しやすかったんだろう。これなら念の習得も簡単だZE!

 

 

 

 なんてご都合主義はさっぱりなかった。世の中そんなに甘いもんじゃねぇんだよ! 俺にはトリッパー補正もオリ主補正もなかった……。

 

 ……俺には才能がないのがよく分かった。

 少なくともズシよりも遥かに才能は低いだろう。いや、ズシも十万人に一人の才とか言われてるんだ。ゴンやキルアが異常過ぎて比較すると才能なさそうに見えただけだな。

 俺はもしかしたらモタリケクラスの才能かもしれん……。モタリケの才能がどれくらいかわからんがな。

 

 結論から言うと、俺は念に目覚めることが出来た。それはいい。実に喜ばしいことだ。問題は……そう、念に目覚めるまでに掛かった時間だ。

 ゴン、キルアは早ければ1週間(瞑想で目覚めた場合)、ズシは半年で目覚めたが、俺が掛かった時間は……6年だ。

 

 そう、6年も掛かった。俺は何人に1人の才能なんだろう? 世の中自覚なくても目覚める奴はいるのに、目覚める努力をしてこれか……。

 才能ないと思わざるを得ない。

 

 あれだけ毎日瞑想したのになぁ。

 

 朝いつもより早く起きて瞑想(よく二度寝になる)。仕事の昼休憩中に瞑想(よく昼寝になる)。仕事が終わってから瞑想(よく同僚と酒場で飲む)。就寝前もオーラを感じるよう瞑想(気づいたら朝)。

 1年過ぎたぐらいからは、俺は異世界出身だから念に目覚めないんじゃ? とか、もしかしたらここはHUNTER×HUNTERに似た世界で念そのものがないんじゃ? という思いが強くなり挫折しかけた。

 まあ他にやることも特になかったし、途中からはなんか日課みたいになって苦じゃなくなってたけど。

 ちなみに同僚達からはなんか変な目で見られた。まあ、今まで瞑想なんかしなかったのに急にやりだしたら見る目も変わるわな。

 

 

 

 5年ぐらいしたらなんとなく自分の身体を何かが包んでいる感じがしだした。これがオーラか? と感じてからは話が早く、その後1年程で念に目覚めることが出来た。

 まだ纏しか出来ていないが、出来たときはもう感動したね。まさに世界が変わって見える感じだ。

 これが纏か……なんか不思議な感じだ。一般人として生きてきたのにこんな漫画のようなことが出来るようになるなんて。

 今ならかめはめ波が撃てるかもしれない……おらワクワクしてきたぞ。

 

 早速纏の効果を確かめてみよう。纏は肉体を頑丈にする効果があるんだよな。ちょっくら宿舎から出て炭鉱内に入る。んで、いつもつるはしで崩している岩壁に向かって、パンチ!!

 ゴッ! という音と共に岩壁が少し崩れた。

 ……すげぇ。岩壁が崩れたこともすごいが、拳が少しヒリヒリするくらいの痛みしかないのがすげぇ。

 普通こんな勢いで殴ったら擦り傷どころか下手すりゃ骨折ぐらいするだろうに……改めて考えるとよく全力で殴れたな。

 まあそれはともかく、纏すげえ!!!

 

 調子に乗って壁を殴り続けていたら親方に見つかって怒られた。

 いや、痛くないんですよほんとに……ええ、拳は傷めてませんて。

 なんか心配された。くっ! 親方、あんたいい人だよ……。

 

 あ? 頭は大丈夫かって? 野郎、俺の感動を返せチクショウ。

 ちなみに後で聞いた話だが、笑顔で壁を乱打する俺はかなり危ない人に見えたらしい……。

 

 とにかく纏は出来た。後は残りの絶・練を覚えて念願の水見式だ!

 テンション上がってきたぜぇぇぇぇ!!!

 

 いやだから、頭は大丈夫だと言ってるでしょう!

 

 

 

 

 

 ふぅ。仕事は纏をしながらだといつもよりは疲れにくいな。多少はスタミナも上がるのか? しかし、つるはしに念の応用技である周をしてみようとしたが、全然上手くいかん。

 さすがにいきなり応用技は無理があったか。基本の四大行(だったか?)も覚えていないしな。まあ何だ。試すのはタダだし。

 纏は慣れたら寝ている間も出来るようになるのか? 一応寝る前に纏を意識しながら寝てみよう。

 

 休憩中や仕事の後は瞑想しながら絶の訓練だ。もう6年も経つと瞑想する俺を妙な目で見る奴もあまりいなくなった……嬉しいけど嬉しくない。複雑な気分だ。

 

 なかなか難しいな絶は。全身の精孔を閉じればいいんだっけ? でも纏のオーラ量は少なくなるけど完全にはなくならない。

 本当に才能の塊なんだろうなゴンとキルアは。確か簡単に成功してなかったかあいつら? ……まあ、積み上げてきた下地も違うしな。一概に才能だけの問題じゃないか。

 

 愚痴るよりは練習だな。さすがに今度は6年も掛からねぇだろ。

 さあ! 気配を絶つんだ! 俺は壁俺は石ころ俺は空気俺は……なんか悲しくなってきたな。

 

 

 

 

 

 半月ほどでようやく絶が出来た。全身から漏れるオーラも見当たらないし、同室の同僚が居る部屋で絶をして隠れたら全然気づかれなかった。一応出来てると思うけど……。

 絶にも熟練度とかあるんだろうな。俺は動きながらだと絶が解ける時があるし、他には気配の消し方とかオーラを消す速度とか、オーラを隠す技術を上昇させたりとか。要練習だな。

 

 次は練か。これが出来なきゃ話にならない。練が出来ないと水見式も出来ない。

 確か通常の纏よりも多くのオーラを生み出すと練になるんだっけ? 気合入れたらいけるかな?

 

 ふんっ!!

 おお? 少しだけオーラ量が増えたか? でも微々たるもんだな。10が12になったくらいのもんだ。これは練とは言えないだろう。

 何だったっけかなあ? ちょっとコツみたいなもんがあったような?

 ……駄目だ。忘れた。もう7年以上前に読んだ漫画の内容を細かく覚えてるほど記憶力は良くねぇよ。

 一応全巻持ってたんだが……くそっ! どうしてこの世界に来るときに鞄の中にHUNTER×HUNTER全巻入れなかったんだ!? 俺の阿呆!

 

 さて、馬鹿みたいな後悔はやめて練習すっか。

 なぁに。ようは気合だろ? 気配を絶つとかよりよっぽど分かりやすいよ。気配ってなんですか?

 

 

 

 簡単だと思っていたけどなかなか上手くいかないもんだ。

 通常以上のオーラを外に出すのは気合を込めてやったら3日ほどで出来るようになったけど、そのオーラを留めておくのが予想以上に難しい。結局二ヶ月近く掛かったよ。

 

 俺は練より絶の方が得意なんだろうか……? いや、逃げるのにはそっちの方がいいかもしれんが、なんだかなぁ……。

 

 

 

 まあいい。練が出来たのは確かだ。なら早速水見式をしてみよう。

 この日を待ちに待ったぜ。コップも木の葉も水も用意は出来ている。念の為周りには誰も居ない場所を選んである。

 さあ、来い特質系!!!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三話

 水がなみなみと注がれたコップに浮かんでいる木の葉が揺ら揺らとわずかに動いている。葉が動くのは確か……操作系だったよな?

 

 操作系か……特質系が良かったのになぁ……。

 

 こればかりは仕方ないか。資質の問題だ。努力でどうにかなるもんじゃないからな。

 取り敢えず操作系と分かったんだ。ならそれに合った発を作るしかないな。

 

 

 

 さて。どんな能力にするか?

 かなり悩むが、実はこんなこともあろうかと! と思って用意していた物がある。瞑想をしだしてからの六年間で白紙の本に様々な系統の念能力を考えて書き溜めていたのだ!

 題名は〈ブラックヒストリー〉!

 

 文字通り黒歴史です。まさに僕の考えたかっこいい念能力とかがたくさん書かれています。これを誰かに見られたら俺は恥死する自信があるね。

 何だよ放出系能力で邪王炎殺黒龍波って……ちなみに本は全て日本語で書いている。これなら簡単に読めはしないはず。

 

 ……ジャポンとかあるけど文字は日本語なんかな?

 

 

 

 まあネタ技や厨二技も多々あるが、真面目に考えた能力もたくさんある。早速操作系のページを読んでみるか。

 

 ……ふむ。やっぱり操作系ならこれとこの能力かな。上手く出来るか分からないけど、制約を付けたら何とかなるかな? これが出来れば修行もはかどるしな。

 

 さあいざ念能力を作ろう……と思ったが。……はて? 念能力ってどうやって作るんだ? こう、自分の考えた念の設定を強く念じればいいのか?

 それとももっと練とかが強くなるまで作らない方がいいのか?

 

 うーむ。悩むが、ようやくここまで来たんだ。おあずけ食らう感じで嫌だが能力はじっくり作っていこう。

 少なくても木の葉がもっと動くようになってから作った方がいい気がする。練を強くしたらいいのかな? ……特訓するか。

 

 

 

 練を強くするには確か、練を維持し続ければ良かったんだっけか? 取り敢えず、練!

 

 

 

 だ、駄目だ、5分が限界だ。それ以上は無理! こんなに疲れるのこれ!? 挫けそうだ。今までのはそこまで疲れることじゃなかったしなぁ。炭鉱の仕事は生きるためには仕方ないし、纏は瞑想だけだったし。絶もそんな疲れることじゃなかった……。

 

 くそ! ここで頑張らないと意味がない。目標を決めておこう。1ヶ月だ。1ヶ月だけ頑張る。期限を決めたらやる気も多少は出る。良し、やるぞ!

 

 まあ今日は絶して休もう。

 

 

 

 

 つ、疲れた……この1ヶ月、仕事が終わったら練、仕事が終わったら練とその繰り返し。もう嫌だ。せめて仕事がなけりゃまだいいけど生活の為だし、まさか親方に、念の修行で忙しいから1ヶ月休みください、なんて言えないしな。

 

 とにかく1ヶ月やりきったんだ。練も15分は持続するようになったしな。俺超頑張った。

 さて水見式水見式っと。おおっ。前よりも葉が動いてる。揺ら揺らから、揺ら揺ら揺ら揺らぐらいになった!

 

 ……分からん。これでいいのか? 修行法間違ってたか? やはりうろ覚えの独学では限界がある。

 ……作るか。念能力。

 

 

 

 頭の中に強く念能力の設定を描いて……。

 それが発動するよう念じて発を試みる。

 どうだ!?

 

 

 

【原作知識/オリシュノトクテン】発動!

 

 おお! やった!! 成功だ!!!

 頭の中に俺が読んだHUNTER×HUNTER全29巻が鮮明に思い描かれている!

 すげえな。頭の中でHUNTER×HUNTERの漫画を読んでるかの様だ。

 

【原作知識/オリシュノトクテン】

・操作系能力

 術者自身の原記憶を操作し、原作HUNTER×HUNTERの記憶を思い出させる能力。

 それ以外の記憶を思い出すのには使えない。

 

〈制約〉

・原作HUNTER×HUNTERの記憶以外をこの能力で思い出すことは出来ない。

 

〈誓約〉

・他者に原作知識があることを伝えるとこの能力は使用できなくなる。これは記憶を覗かれてばれた場合も同様である(あくまで原作知識があることをばらしては駄目なだけで、この能力によって得た知識を誰かに話すのは問題ない)。

 

 

 

 何とかなったな。原作では確か記憶を読むことの出来る能力者は特質系だったはずだから無理かと思ったけど、自分自身の記憶操作なら特質系じゃなくて操作系でも出来たか!

 人は覚えていた知識や物事を忘れることは多々あるけど、それは思い出せないだけで喪失したわけじゃない。脳の奥底に眠っているだけだと言うのをどこかで聞いた事がある。

 この能力はその思い出せない記憶を呼び起こす能力だ……HUNTER×HUNTERに関する事にしか使えないけどな。

 

 これで念に関する知識を補填することが出来る。取り敢えず一通り読み直すか。

 

 

 

 

 

 ……原作読み直してて思ったんだが、もしかしてネテロ会長って今の時代だとまだ生まれてないのか?

 山篭りしたのが46歳。齢50を過ぎて完全に羽化する。その後どれぐらいの年月山にいたかはわからないけど、道場破りをしているネテロの場面を見ると10年以内には山から下りてると思う。

 それが原作60年以上昔のことと説明されてたから、原作時には大体120歳くらいじゃなかろうか。四巻でもネテロが20年くらい前から約百歳と言ってるらしいとの描写もあったし。

 で、今が原作の約120年ほど前だから、ネテロはまだ生まれてないか、生まれていてもまだ幼子くらいのはず。

 ……つまり俺はネテロより年上ということか? おいおい。あれより年上かよ……とことん生きて原作介入出来る気がしなくなったわ。

 

 ……取り敢えず続き読もう。

 

 

 

 

 

 うん無理。メルエム倒せない。いや別にあれを倒すことを目標にしてるわけじゃないけど、改めて読んでも人類詰んでるとしか思えない。

 ゴンさんならなんとかなるのか? しかしゴンがゴンさんに進化したのはどういう能力なんだろう?

 ゴンは強化系だから自身の肉体と念を強化して成長したのか? 無理がある気がするが……それとも念系統が特質系にでも変わったのか? 強化系から特質系に変わることもゼロではないと思う。

 どちらにしろ制約と誓約がとんでもないんだろうな。ネフェルピトーもそんなこと思ってたし。

 

 まあ100年以上も先のことだ。考えるにしても後でも大丈夫だろう。まずは念に関する情報を〈ブラックヒストリー〉にまとめるか。修行中に毎回【原作知識/オリシュノトクテン】で思い出すのも面倒だし、意外と疲れる。

 念以外のことに関しては必要になったら【原作知識/オリシュノトクテン】を使用すればいい。

 

 

 

 やっと終わったか……念が登場した巻からじっくり確認してひとつずつ書き記したあとに、それを基本・応用・修行用・系統別とまとめ直すのがすごい労力だった。パソコンさえあればもっと楽だったろうに。何時ごろ出回るんだろう?

 HUNTER×HUNTERの世界は科学の発達が元の世界とは違うからな。なんせ核兵器はあるのに空の交通機関は飛行機より遅い飛行船だ。アンバランスすぐる。

 パソコンやケータイなどのネット環境の類は元の世界より発達してそうだから意外と早く市場に出回るかもしれない。全ての人間のデータがコンピュータのシステムに保存されてるって何だよ。

 

 とにかくこれで念の修行もはかどるな。原作に出てないことまでは分からないから穴があることは否めないが、ないよりは遥かにマシだ。

 誰かの指導を受けられたら一番なんだろうけど、そんな知り合いはいないし。念を覚えて約3ヶ月、いまだに他の能力者(纏をしている人)を見たことがない。

 原作であんなにぽんぽん出てきたのはあれが漫画で視点が主人公たちに当たっているからだ。実際は念能力者なんてほんの一握り。そう簡単には出会えないさ。

 

 これで修行に関しては後は俺のやる気のみ。これが一番厳しい。苦痛を伴う修行を何年も何十年もやり続けるなんて出来るとは思えない。

 100年修行した→強くなった、なんて文字に書くように簡単に出来たら苦労はしねぇよ。

 

 やっぱり第二の念能力を作るべきか? この能力が上手く行ったら修行を持続することが出来る……俺の意思を無視してな。

 

 さらに言うなら考えている第三の念能力を本当に作るかどうかだな。これは上手く行く可能性がゼロではないが、失敗する可能性の方が高い。

 念能力は強い思いとオーラ量で色々補えそうだから俺の努力次第。で、努力するには第2の能力を使用しないと無理。

 つまり第三の能力を使用するには第二の能力を使用する必要がある(どちらの能力もまだ作ってはいない)。

 

 

 ……第三の能力が上手く行けば原作に関わる事が出来る。さらに言えば確実に強くなっているはずだから原作の人物と接触しても危険は少ない。つまり当初の目的たる〈原作キャラで脱・童貞〉が実行出来る訳だ。

 

 

 これはおいしい。しかし失敗すれば誓約的にかなり悲惨な目に遭うかもしれん。だが夢は叶えたい……。

 

 よし。まずは第二の能力を作ってからだ。それから考えよう。

 

 ……考えに行き詰まったら問題を先送りにするのは俺の悪い点だな。

 

 

 

 第二の能力も【原作知識/オリシュノトクテン】と同じで操作系の能力だ。

 その名も【絶対遵守/ギアス】。

 

 ……いや、元ネタと違ってそんなに便利な能力じゃないけどね。そもそもこれは相手に掛ける能力ではない。【原作知識/オリシュノトクテン】と同じく自身を操作する能力だ。シャルナークが自身の操作をしたのを見て考え付いた。

 

【絶対遵守/ギアス】

・操作系能力

 自分自身に命令し、その命令を必ず遵守させる能力。能力が解除されても効果中の記憶・知識・経験は覚えている。精神はギアスが掛かる前の精神に戻る。

 

〈制約〉 

・自身に対してしか使用することは出来ない。

・使用するには鏡で自身を凝で見ながら命令しなければならない。

・同時に複数の命令をすることは出来ない。

・自身に実現不可能な命令をすることは出来ない(例:永遠に生きろ・瞬間移動しろ等)。

・術者の心臓が停止するとこの効果は解除される。

 

〈誓約〉

・この能力は一度使用すると自身では解除出来なくなる。

・この能力は一度使用すると二度と使用出来なくなる(制約によって効果が発揮しなかった場合も同様に使用できなくなる)。

 

 

 最初はこの能力は誓約書を具現化してその誓約書に書いた内容を必ず実行する能力にしようと思ったが、紙に対してそんなに思い入れないし、具現化するのに時間が掛かりそうだからやめた。俺が具現化系だったら話は別だったけど。

 能力を使用するには設定が甘いかもしれないが、代わりに制約を増やしたことで何とか補えるだろう……多分。

 

 これを使えば嫌な修行も頑張れる。何せ“修行しろ”とでも命令すれば俺の意思に関係なく嫌でも修行しなければならない。

 修行しなければならないと理性では分かっているが、辛い努力は嫌だという俺にはピッタリの能力だ。

 

 ……ここまでしなければ修行しない自分が情けないが、現代日本の一般学生なんてこんなもんだと思いたい。

 

 とにかく一度使用すれば二度と使えなくなる上に、効果が発動しなくてもやっぱりこの能力は使用出来なくなる。遵守する命令はよく考えなきゃな。

 

 

 

 【絶対遵守/ギアス】を作ってから3日経った。あれからどんな命令をすれば一番効率がいいか考えた。

 そこで思ったのが、念は精神に左右される、という事だ。嫌々念の修行をするよりも、楽しみながら念の修行をした方が確実に効果は高いと思う。

 これは肉体的な修行に置いても同様だろう。好きこそ物の上手なれ、と言う奴だな。

 ふと思いついたんだが、自分でも納得のいく事だった。

 

 

 つまり、修行を楽しめるように自身に命令すればいいのだ! 所謂強力な暗示だな。この念能力を使えば出来るはずだ。

 

 うむこの命令で決定だな。そうと決まれば話は早い。鏡の前に行って能力を使用するか。

 まずは鏡で自分を見ながら凝をする。

 

 

 

 …………凝が出来なかった…………。

 

 よく考えたら応用技の修行を全然していなかった。それなのに凝なんて出来るわけがない。はぁ。まずは凝が出来るように頑張るか……。

 

 

 

 ぐおおお! すげえ集中力がいるぞこれ! 一部にオーラを集めるのがこんなに難しいのかよ。本当にゴン達との才能の差を感じる。あいつら俺が習得するのに2ヶ月くらい掛かった練をたったの半日で出来るようになってるしな!

 凝なんて次の日には出来ていた……なんだそれ、笑い話にしか聞こえねぇよ。

 その場面を【原作知識/オリシュノトクテン】で見た時にはあまりの嫉妬でこんな能力作らなきゃよかったと思ったくらいだ……。

 

 

 

 ふう。なんとか1週間で出来るようになった。これで後は【絶対遵守/ギアス】を使用するだけか。おっと、その前に第三の能力を作成しておこう。

 もうなるようになれだ。成功すれば良し。失敗しても今の人生楽しめるだろう多分。

 

 では、鏡の前に立ち、今度こそ。凝! 【絶対遵守/ギアス】を発動する!

 

 

 

 “全力で修行を楽しめ!”

 

 

 

 

 

 

 堅の持続に限界が来た俺は今、部屋で横たわったまま息を整えている。ちなみに部屋は鉱山から一番遠い位置にある借りアパートだ。もちろん1人部屋だ。念の修行時に周りに人がいたら集中出来ないしな。こっちに引っ越したわけだ。

 

 【絶対遵守/ギアス】を使用してから3日。朝はウェイトを付けたままランニング。仕事時もウェイトを付けて穴掘りをし、それが終わると応用技の特訓。その後堅の持続時間を増やす訓練をして、限界になると休憩しながら点と纏を1時間毎に繰り返す。そして絶をしながら休む。

 この3日間これを繰り返していた。今の俺はとても充足している。実に清々しい気分だ。3日前までの俺はどうしてこの喜びが分からなかったのか不思議でならない。

 こんなに楽しいことがあったのか。身体を鍛えるというのはとても素晴らしい事だな!

 

 原作介入だの、脱童貞だの、今思えばなんと虚しい目標だ……。

 

 まあいいさ。俺は生まれ変わったのだ。これからは毎日修行をして過ごすとしよう!

 

 最高にハイってやつだぁ! ふははははははははははははははははははは!!!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四話

時間がすっ飛びます。


 この世界に来て早20余年か。

 俺ももうすぐ四十路に近い年齢となった……。

 

 一般的に青春と呼ばれるものを経験することなく唯ひたすらに鍛え続ける日々。しかし俺はそれを不幸と思っていない。むしろ幸福だとすら思っている。自分のやりたいことをやっているのだ。不幸なわけがない。

 帰郷の想いがなくなったわけではないが、今は修行の方が大事だ。それにこの世界の方が修行には向いているしな。

 

 しかし誤算だった。まさか【原作知識/オリシュノトクテン】が使用できなくなるとは思わなかった。

 あれは俺が念の修行の参考になることはもうないかと原作を読んで再確認しようと思った時のことだ。何度発をしても【原作知識/オリシュノトクテン】が発動しなかったのだ。

 この能力は【絶対遵守/ギアス】と違って使用制限はないし、誓約も破ってないはずだ。どうしてかとしばらく悩んで、ふと気づいた。

 

 【原作知識/オリシュノトクテン】も【絶対遵守/ギアス】も、両方とも自身を操作する能力。そして今の俺は【絶対遵守/ギアス】の効果により操作されている。そして操作能力は早いもの勝ちのはず……。

 

 【絶対遵守/ギアス】は俺の心臓が止まるか誰かに除念されない限り効果は消えない……。

 

 死にスキルの完成です。メモリぇ……。

 さすがに、落ち込んだよ……。

 

 

 

 誤算はそれだけではない。基礎身体能力の成長が殆どみられなくなったのだ。それもかなり早い段階で。

 ゴンたちは1ヶ月足らずの間に数トンもする扉を動かせるようになってたが、今の俺はどれだけ鍛えてもせいぜい200キロのバーベルを持ち上げるのが限界だ。

 元の世界では凄い方だがな。

 

 この世界に来てから筋肉の成長は著しかったが、どうやら限界値は元の世界が基準みたいだ。考えたら当たり前だな。この身体はこの世界の人間ではないのだから。念を覚えられただけでも有難いだろう。

 

 だが、その念に関しても行き詰まっている……。

 基本や応用技は習得した。堅の持続時間も初めの頃に比べると雲泥の差だ。今でも徐々にだが上昇している。

 

 しかし問題は系統別修行だ。

 原作に出ていた系統別修行は強化系レベル1と放出系レベル1と5に変化系レベル1のみ。

 系統別修行は自身の系統を中心に山形になるように鍛えるのが理想だと言われている(特質は除く)。

 つまり俺の場合は、操・放・操・具・操のローテーションで一日一系統ずつ行うのが良いのだが……。

 

 ……操作系と具現化系の系統別修行ってどうやるんだ? 他の系統に関してもレベルが最高で5までしかわかってないし。

 操作系に関してはビスケが体内のオーラを操作する修行があることを言っていたのでそれがそうかもしれないけど、どうやったらいいのかわからないから自己流でやるしかない。

 

 仕方ないので操作系に関しては自分で考えた。

 ヒントは変化系の修行だ。変化系のレベル1は形状変化。オーラの形状を変化させて一分間で0から9までの数字を作れるようにする(最終目標は5秒以内)。

 これはオーラの性質を変化させるのではなく形状を変化させている。性質まで変化させる修行はもはや念能力になるだろう(例:ゴムとガムの性質に変化するバンジーガム)。

 

 つまり操作系もオーラそのものを操作するのが訓練になるのでは? と考えたのだ。物や動物や人を操作したら能力になるだろうからな。

 

 なので体内のオーラを一部分に集めて、それを身体中いろんな場所へと操作して動かす、という修行法にしてみた。

 ちなみにこれは流ではない。あれはあくまで凝と堅を応用したものだ。攻撃や防御の瞬間にオーラを集中する技術であり、オーラを操作して動かしているわけではない。

 

 これを元に自己流で系統別修行を行なった。ローテーションは操・放・操・強・操・放・操・変だ。

 具現化系は……捨てた。

 

 修行法が思いつかなかったんだ。あれか? オーラそのものを一般人に見えるように具現化すればいいのか? だれか教えてくれ。

 

 しかし操作系は損している気がする。攻撃・防御ともに他の系統に劣っている。強化系は言わずもがな。変化・放出系は強化系と隣り合わせだしな。具現化系は系統図的には操作系と変わらない強化率だが、具現化した物に特殊な効果を付与することで強い戦闘力を得られるだろう。特質系は考えるだけ無駄だ。

 

 それに比べて操作系はなぁ……何かを操作するにしても俺はすでに自身を操作している。別の物を操作するのも出来なくはないだろうが、何となくメモリの無駄遣いになりそうだし。

 俺の操作系レベルが10だと仮定したら、強化系は10の60%、つまり6レベルが習得の限界だ。習得率と同じ割合で念の精度も減少する。6レベルの60%の精度、俺の強化系の精度は純粋な強化系の3,6レベルと同等になるわけだ。

 単純な殴り合いなら強化系のレベル4に負ける計算だ。

 

 もちろん実際に強化系のレベル4と闘ったら絶対に負けるというわけじゃない。俺の操作系が20レベルだったら強化系は12レベルまで鍛えられるし、身体能力や体術の差、念の技術の差、潜在オーラ量や顕在オーラ量の差、念能力の相性など、戦闘を左右する要素は多々ある。

 それはわかってるんだが……理解はしても納得は出来ないって奴だな。

 

 とにかく念の修行も基礎修行以外行き詰まった。身体能力の向上ももはや見込めない。

 ならばどうするか。答えは決まっている。

 

 力がないなら技を鍛えればいいじゃない。

 

 

 

 

 

 

 己の肉体と武術に限界を感じ悩みに悩み抜いた結果。俺がたどり着いた結果は、感謝であった。

 

 などという事はない。そもそも俺は肉体はともかく武術に限界を感じていない。なんせ武術なんて習ったことないからな!

 ひたすらにオーラと肉体を鍛える日々だった……楽しかったけどね。

 

 俺は今、祖国日本を模した国、ジャポンに居る。仕事は辞めてきた。皆からは惜しまれたし、俺も寂しくはあったが、修行の魅力には勝てなかった。

 餞別までくれたのは嬉しかったな。金は貯めに貯めていたが、多いに越したことはない。

 ちなみにここまでは当たり前だが船で来た。さすがに修行の為だからと泳いでは来たくない。絶対死ぬ。

 

 俺がこの国に来た理由はここなら俺の理想の武術があるかもしれないと思ったからだ。それは柔術・柔道・合気道といった柔の武術だ。

 初めは心源流拳法に入門しようと思ってたんだが、あれは剛の武術だろう多分。俺はこの世界の人間に比べると身体能力の絶対値が限りなく低い。鍛えた12歳の少年に負けるくらいに、低い……。

 つまり俺が剛の武術を学んでもあまり効果は見込めないわけだ。

 

 その点、柔の武術には力はあまり必要ない。理を極めれば力は不要。どこぞの海皇さんも言っていた事だ。

 目指せ渋川or海皇!!

 

 という事で、俺のジャポン全国道場巡りが始まる。その前に一言。

 米うめぇ!!!

 

 

 

 

 ジャポンを巡って早2年。ようやく、ようやく俺の求める道場を発見した。

 その名も風間流合気道場!

 

 数多の道場を巡ったが、大半が大したことはなかった。いや、技術は俺の遥か高みに位置してるんだろうが、念を使用した俺に勝てるものはいなかった。

 念能力者に念の使えない人間が勝てるわけがないのは当たり前だが、俺が求めているのは柔の極み。念が使えるだけの素人相手に負けるようじゃ話にならん。

 中には念を使える奴もいたが、結果は変わらなかった……どうもオーラの総量がかなり多くなっているみたいだ。念の基礎技術も俺を超えるやつはいなかった。

 初めて念能力者と対峙した時はかなり緊張したが、そいつの練を見て緊張が取れてしまったくらいだ。しょぼすぎワロタ。

 

 今まで比べる相手がいなかったから分からなかったが、やはり18年も欠かさずに基礎修行を続けた成果が出てるのだろう。ビバ修行! もちろん、旅の最中も修行はしている。

 

 これはやっぱり心源流にいくしかないのか? そう思いながらも諦めきれずに数件の道場を巡って発見したのが風間流合気道場だ。

 10名ほどの門下生に齢60は超えているであろう道場主。しかも纏をしている様子もないし、こちらの練にも全くの無反応。

 ここもはずれかと思いながらも一戦を申し込む。

 

 そこで俺は、本物に出会った。

 

 幾度攻撃を繰り返しても何時の間にか地面に転がされている。堅をしていても脳が揺らされて立つこともおぼつかなくなる。

 力が、力が一切通用しない……!

 

 

 

 気づいたら道場の隅で横たわっていた。どうも気絶していたらしい。まだ道場では鍛錬を続けている様だ。道場主の武はまさに静の武術。どこまでの高みに達しているかなど今の俺では見当も付かない。

 この人だ! この人こそが俺の求めていた武人だ! この人の下で武を学びたい!!

 たった今道場破りに来た者が手のひら返して何を、と罵られるかもしれないが、覚悟の上! 認めてもらうまで何度でも頼み込むのみ!!

 即座に道場主の傍に行き、土下座をする。

 そして全身全霊を込めて、叫ぶ。

 

――どうか私を弟子にして下さい!!!――

――いいですよ。入門費は必要ありません。月謝は5000円です――

 

 

 

 

 

 覚悟を肩透かしにするほど簡単に入門出来ました。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五話

さらに時間が飛んでいます。


 私が風間流合気柔術を習いだしてから、どれほどの月日が流れたことか。気が付けばこの道場の弟子の中で3番目の古株となっている。いまだに理を身に付けたとは言い難いが。

 肉体の鍛錬に比べると遥かに長く、気の遠くなる程の鍛錬の繰り返し。しかしそれを苦には思わない。これも修行。ならば楽しむのみ。反復に次ぐ反復。師は既に齢90を超えるが未だに勝てず。それでもいい。それがいい。目標は常に高くあった方が良いに決まっている。

 

 ちなみに、師たるリュウゼン=カザマ〈風間 柳禅〉は念能力者であった。あの時は念を使うまでもないと思っていたらしい。

 筋肉の付き方で闘う為の筋肉ではないと見抜き、足の運びや呼吸から格闘は素人の域と見抜き、オーラの動きから念能力者との戦いも数えるほどと見抜いたようだ。

 

 まさに達人……眼を見張った点はオーラの総量とその基礎技術の高さだけらしい。

 

 そんな師のオーラ総量は入門時の私の四分の一以下である。師曰く、堅の持続時間がある一定から伸び悩んだらしく、そのことからオーラ総量が少なくても技術で圧倒すればいいと思い至ったらしい。

 

 それが風間流合気柔術の始まりだとか。

 

 師もいまだに極めたとは思っていないらしく、私や他の高弟とともに修行の日々だ。師が念能力者であったため念の修行も以前よりはかどる事となった。楽しい日々はあっという間に過ぎていく。

 

 

 

 この数年、堅の持続時間が延びない……とうとうオーラ総量も限界に達したか。まあいい。最近は堅の持続時間が長すぎて堅をしながら他の修行をしていたくらいだ。むしろ多すぎるくらいだろう。基礎修行は疎かにせず、さらなる柔の極みを目指すのみ。

 

 筋肉もかなり衰えた。仕方ない、そもそも私も既に60を超えている。あの時、この道場に入門した時の師と同じくらいの歳だ。今の自分なら当時の師を倒すことが出来るのだろうか……?

 

 修行の中で、他流試合をこなす内に心源流にも柔の道に通ずる技もあることが分かった。かつての私は拳法とは、ただ相手を打撃にて打ち倒すものだとばかり思い込んでいた。恥ずべきことだ。心源流拳法こそ剛柔一体の武術と言えるだろう。

 無論、今さら風間流合気柔術から鞍替えするつもりはさらさらないが。 

 

 

 

 師が死んだ……御歳106歳。老衰だった。達人も老いには勝てなかった……。

 死の三日前に仕合を行ない、その結果、免許皆伝の証を授かった。年甲斐もなく泣きに泣いた日だった。

 あれからたったの三日、あまりにも急すぎる……。

 

 おそらく師は自らの死期を悟っていたのではないだろうか……。だからこそ、死ぬ前に私に免許皆伝の証を授ける機会を与えて下さったのだ。そうに違いない。

 

 師の葬式には数多の人々が集まった。弟子だけではなく、町の人々や他の流派の人までもが、師の葬式に来てくれた。それほど人徳に篤く、人々から慕われていたのだ。自らの如く誇らしく感じる。

 

 師の死に顔は、とても安らかな顔であった。私も死ぬときはこのように在りたいものだ。

 

 第二の父というべき師が亡くなったが、悲しみに明け暮れているわけにはいかない。私には使命がある。そう、さらなる柔の理を極めることと、師の教えを世界に広めることである。

 

 既に私より先に免許皆伝を授かった2人の高弟の内1人は師の道場を継ぎ、もう1人はジャポンの地に自身の道場を建てている。

 

 ならば私はジャポン以外の地に道場を建立し、師の教えを世界へと広めるのだ。

 そのために私は自身の名を変えた。師の名前を貰い、私の名の一部を加えた名前。リュウショウ=カザマ(風間 柳晶)が今の私の名前である。この名が広まれば、風間流合気柔術開祖リュウゼン=カザマの名も広まりやすくなるだろう。

 

 これは、この世界に骨を埋める新たな決意表明でもある。

 この世界で過ごした時間は、元の世界のそれよりも遥かに長く、もはやかつての世界を思い出すのも困難なことだ。この世界に骨を埋めるのに躊躇いはない。唯一の心残りは父と母に孝行出来なかったことか。

 せめて一言だけでも謝りたいものだ……。

 

 

 

 

 

 

 私は現在天空闘技場に向かっている。

 

 ジャポンを出て1ヶ月。どこに道場を建てようかと悩みながら旅をしていた私の耳に天空闘技場に関する噂が入って来たのだ。

 天空闘技場。野蛮人の聖地と呼ばれるようになる、現在世界第一位の高さを誇る建物らしい。……第四位だったような? 覚え違いかもしれんな。何せ【原作知識/オリシュノトクテン】を使用したのは50年程も前の事だ。原作など覚えているわけがない。

 

 それにしても天空闘技場か……懐かしいな、原作を思い出す言葉も……。いや、原作というのも間違っているかもしれんな。あれは創作だがこの世界は今こうして現実に存在しているのだ。

 それを原作だの創作だのというのはこの世界に在る全ての存在に対する侮辱。つまりは師に対する侮辱に他ならない。それだけは許されない……。

 

 ともかく、もう天空闘技場が出来ているのならこれを利用しない手はない。あそこで勝ち続ければ風間流の良い宣伝となる。師の教えを広めるのに一役も二役もかってくれるだろう。さらに自身の鍛錬にもなる。まさに一石二鳥だ。

 

 

 

 やはり他流派や我流の人間と戦うのは良い経験になる。今までも他流試合や道場破りと戦ったことはあるが、そのどれもが新鮮だった。初めて見る技や能力、それをどう対処すればいいか。相手によっては合気が通用しにくい能力の持ち主もいる。

 この歳になっても経験不足か。修行のやり甲斐があるというものだ。

 

 

 

 フロアマスターになるのに2年ほど掛かった。200階に上がるのは簡単だったが、そこからが時間が掛かってしまった。別に200階選手が強いわけではない。むしろ念能力者として強いと思えるものは一握りほどだ。

 

 フロアマスターになるのも簡単かと初めは思っていたのだが、そうはいかなかった。

 あのシステムがいけない。最初は問題なかった。こちらを老人と見て侮っていたのだろう。しかし4勝ほどしたらかなり警戒をされてしまい、試合を避けられるようになってしまったのだ。

 

 なんとか準備期間が切れる前に戦う事が出来たので良かった。全く、無駄に時間を浪費してしまった。

 

 これで道場を建てることが出来ると思ったが、ひとつ誤算があった。

 道場建立に必要な経費が今までに貯めていた金と200階に来るまでに得た賞金では足りなかったのだ。

 

 どうしたものかと考えていたが、金策はすぐに解決することとなった。私を後援してくれる方がいたのだ。ただし条件付きだったが。

 条件はたった1つ。ヨルビアン大陸にある後援者の自宅のある街に道場を建てること、だ。

 

 どうやら孫娘が護身のための武術を習いたいと言っているらしい。しかし、あまりに逞しくなられるのも嫌だったので、私のような非力な老人でも出来る武術は後援者にとって理想だったようだ。

 ……簡単に身に付くものではなく、武術ゆえに相手を傷つけること傷つけられることもあるのだが、その点は理解してくれているみたいだ。別に護身が身に付かなくても支援を打ち切ったり道場を差し押さえたりはしないと確約してくれた。また後援者の身内だからと贔屓する必要もないとも言ってくれた。

 

 どうやら信用出来る方のようだ。そういう事なら是非にと支援を頼んだ。

 道場を建設するのには半年ほど掛かるようなので、その間は道場の宣伝と引越しの準備、自己鍛錬に励んだ。……こればかりはやめられないことだ。

 ちなみに天空闘技場を離れる時にフロアマスターを辞退した。これからは弟子育成に忙しくなるからな。

 

 

 

 道場が完成した。もちろんジャポン式の道場だ。師の道場よりかなり立派なのが少し気になる。

 私は未だ師の弟子であり、その私が師より立派な道場を持つのは気が引けるものだ。だが、致し方あるまい。みすぼらしい道場で師の名前を貶めるよりはいい。

 さあ、これからさらに忙しくなりそうだ。

 

 

 

 

 

 

 道場を開いて5年。門下生もすでに1千を超す勢いで増えている。

 実際は入門の意を持つものはもっと多いのだが、いかんせんいかに広い道場だとはいえそこまでの人数は許容外だ。

 さらに言うなら指導が行き渡らない。私の体はひとつだが、門下生は数多。一度に複数に指導しても全てに行き渡ることは至難。

 何せ1番初めに入門した後援者の孫娘に指導の手伝いをしてもらっている始末だ。彼女はとてもスジが良く、また努力家なので目覚ましい速度で上達している。そんな彼女に指導員紛いの事をしてもらうのは気が引ける。彼女が自身の鍛錬のみに集中出来ればさらなる上達が見込めるのだが……。

 せめて私以外の指導者、師範代とも言える者がいれば……。

 

 そう考えて、閃いた。そう、ジャポンにいる我が二人の兄弟子を頼ったのだ。筆を執り、こちらの事情を説明し、指導員となれる人材を派遣してはくれないかと手紙を書く。

 

 半年程して3人の武術家が道場を訪ねてくる。3人とも覚えがある。かつての師の道場にて私の弟弟子だった者たちだ。3人は手紙で私の事情を知り、それならばと協力を申し出てくれたのだ。

 

 有難い。このような異国の地だというのに、快く引き受けて来てくれるとは……。

 

 3人とも指導員には申し分ない実力の持ち主だ。おかげで指導員の人数不足は解決した。さらには支部の建設もした。3人の内、もっとも腕の立つものにそこの支部長となってもらった。

 

 全てが順調。そんな折だった。一人の男が道場へと姿を現したのは……。

 

 

 

 ……強い。それも果てしなく……。

 見たところ歳は六十は超えているか? 私が言うのもなんだが老年と呼べる歳だ。しかしその身体は極限まで磨き上げられている。無駄なく引き締まった肉体。ただ鍛えただけでなく、武術のために鍛え上げられた筋肉がそこにはあった。

 ……かつての私が求めていたものの究極……それをこの男は手にしている。

 

 それだけではない。男の顔は自信に満ちているが、それは決して傲慢ではない。足の運び、呼吸、所作の1つ1つが武の極みとも言える領域に至っている事を私に悟らせる。

 

 男はここに腕試しに来たようだ。それを聴いて私は納得する。当たり前だ。あれが入門をしたいと思う者の顔なわけがない。

 

 ……勝てるか、この男に……?

 ふふ、年甲斐もなく、血が滾る。心を静め、挑戦を受ける。

 

 

 

 男と私が対峙してから、5分が経過した。

 周りには門下生が正座しながら固唾を呑んでいる。誰も一言も発さない。

 それも当然。道場を包み込むかの様な気の圧迫。私の全身全霊のオーラと奴のオーラがひしめき合っている。中にはそのオーラに当てられて気を失う者もいる。

 

 奴が挑発するが私は動かない。私の得意な戦い方は相手の動きや力を利用した戦いだ。こちらから仕掛けることも出来るが、それがこの男に通用するとは思えない。ならば全神経を奴の動きを感じることに集中し、攻撃を待つのみ。

 

 

 

 動く……と感じた。その瞬間、眼で捉えることが出来ぬほど、ではない。眼に映すことが出来ぬほどの速度による接近。瞬時に彼我の距離5メートルを無かったものとされる。

 さらに続くは、私の動体視力では凝を以ってしても視ることも敵わぬほどの攻撃。後から考えて正拳突きだと理解出来たそれは、やはり私の眼に映ることはなく、まさに音を置き去りにしていた。

 

 ゆえに私がそれに反応できたのは修練の賜物。敵のオーラの流れ、筋肉の動き、呼吸、全てが超一流なれど、攻撃に転じる瞬間のわずかな差異を感じることが出来た。それが出来ていなければ、もし奴と私の年齢が逆であったならば、私はこの一撃で早々に沈んでいたであろう。

 

 脳が反応するよりも早くに身体が反応。無意識の内に相手の手首を取り技を掛けていた。手首の関節を捻り相手を半回転させる。しかし相手もそれに反応し自ら勢いをつけて跳ぶことで頭から落ちるのを防ごうとする。

 ここで逃がしては勝機を失う。私は相手が回転し頭が地面を通り過ぎようとしている瞬間に頭部を刈ることで回転の更なる加速を促す。

 案の定相手は着地のタイミングを逸す。未だ身体が宙にある相手の顎に攻防力70ほどのオーラを込めた掌底を叩き込み、その勢いのまま後頭部を地面に叩き付ける。

 

 相手も凝による防御と受身は間に合ったようだ。これでは大したダメージにはなっていないが問題ない。脳の揺れまでは完全に防げてはいないはず。即座に追撃を仕掛ける。

 指1本に現在持ちうる顕在オーラ全てを集め、硬をする。これならば確実に奴の防御を上回るはず。

 急所を一突きし、気絶させようと攻撃した、その瞬間!

 私の全身を凄まじい衝撃が襲い、気づけば私は道場の壁を突き破り、外まで弾き飛ばされていた……。

 

 

 

 

 

 

 山を降りて数年。様々な道場を渡り歩いて強者と戦ってきたが、どうも駄目だ。

 いつからか。こちらから攻撃を仕掛けるのではなく、相手の攻撃を待つようになっちまってた。

 いつからか。負けた相手が差し出してくる両手に、間を置かず応えれるようになっちまってた。

 

 そうじゃねえんだよなぁ。俺が求めてる戦い。武の極みってのはよぉ……。

 

 

 

 次の道場はここか。風間流合気柔術、か。なんでも元天空闘技場フロアマスターがここの道場主らしいが。

 フロアマスターか。あまり強い奴はいなかったな。ここも期待外れか、と内心思いながら道場を訪ねる。

 

 そこに居た道場主は老人だった。俺よりも確実に年上。身長は170㎝ほど、体重は50㎏あるかどうかの細枝を思い浮かばせるような爺さんだ。筋肉の付き方を見ても常人よりも脆いかもしれねぇ。

 

 これは本気でやったら壊れるな……。そう思った矢先だ。

 

 っ!! 何という膨大なオーラ……! あの身体のどこにその様なオーラをしまってるっていうんだ?

 それだけじゃねぇ。まるで凪の海を思わせるかの様な静かなオーラだ。オーラ量は俺が上だが、扱いに関しては俺より上か……? それに筋肉は常人並だが、武に関しては違う。足の運び、呼吸、俺とは違った武の極みに達しているのか?

 

 おもしれぇ……!

 まさかここまでの強敵と出会えるとは思わなかったぜ。世界は広いな。

 

 

 

 お互いが対峙して5分は経ったか。俺が仕掛けてくるよう挑発するも相手は一切反応なし。まさに柳に風が如し。

 

 いいさ。これこそが俺の求めていたものだ。相手の攻撃を待つのではない、相手を打倒せんと自らが仕掛ける! いくぜ! この一撃で倒れてくれるなよ!

 

 床を砕くほどの踏み込みによる接近。どうやら相手は反応出来ていないようだ……。だがここで油断はしねえ。何が起こるか分からないのが念能力者の戦いだ。十数年。ただこれだけに没頭して手に入れた珠玉の正拳突きを放つ!

 

 気付いたら手首を取られていた。信じられん。確実に俺の動きは見えていなかったはず! 追撃を放とうにも俺の腕を盾としてそれを防いでいる……くっ、上手い!

 

 手首を捻られる。ただそれだけで投げられようとしているのが解る。このままではまずい。投げに合わせて自ら跳ぶ。これで頭から落ちるのを防ぐことが出来……なんだと!?

 投げてる途中に頭を蹴って加速させやがった!

 

 ちぃっ! タイミングが狂わされた。ならば宙にいる内に攻撃を…と思った瞬間に相手が攻撃を仕掛けてきた。

 つくづく上手い……こちらの意を読んでの後の先。攻防力70は込められたその攻撃を防ぐために顎に凝をする。

 さらに続けて後頭部を地面に叩きつけられるが、これも受身を取ることでダメージを最小限に抑える。しかしこの攻撃はダメージを与えるためのものではなく、こちらの脳を揺らすためのものだった。

 

 まずい。完全に脳の揺れが収まるまでコンマ数秒の時間が掛かる。それは致命の隙! 相手の指先に膨大なオーラが集中している。あれだけのオーラを一瞬で指1つに集めるとは……何という技術!

 これを喰らってはやばい。ガードは間に合わない。硬による防御も同じほどの密度に集中せねば防げない上に、硬をする点を間違えば終わりだ!

 

 

 

【百式観音】!!!

 

 

 

 やっちまった! 思わず百式観音を使ってしまった。いや、使わされたのか……。

 

 それはいい。そこまで追い詰められたのは逆に喜ばしいことだ。しかし相手は硬による攻撃を仕掛けていた。つまり体の他の部分はオーラによる防御力はゼロ!

 さらにあの老人の肉体の耐久力はせいぜいが常人並……これは、死んだか……。

 何ということだ。殺すつもりはなかった。せっかく出会えた好敵手だというのに……。

 

 周囲の門下生の師を心配する大声も碌に耳に入らず落ち込んでいたところ、後方よりオーラを感じた。もしやと振り向くと、そこには自らの足で道場へと戻ってきた道場主の姿があった。

 

 馬鹿な、どうやって? まさか念によるガードが間に合ったのか!? だとすれば何という速さの攻防力移動だ……。

 

 男が構えをとる。まだ戦ってくれるというのか……。

 

 ……この男と出会えたこれまでの全てに感謝を。

 

 この男とは酒でも飲みながらじっくり話したいもんだぜ。

 

 

 

 

 

 

 死ぬかと思った。

 何だったのだあれは……気付いた時には攻撃を受けていた。ほぼ無意識の内による堅のガード。そうしなければ恐らく死んでいたであろう。それほどの一撃を放ったのだ奴は……。

 

 視認することすら叶わぬ不可避の一撃。あれは私の技術を以ってしても防ぐのが限度やもしれぬ……。ダメージによりふらつく足を叱咤しながら何とか道場へと戻る。

 戻った矢先に数多の門下生たちが駆け寄ってくるが、一喝。心配は嬉しいが、勝負はまだ終わっていないのだ。

 

 相手を見ると、私を確認した時は驚愕、その後嬉しそうな笑みを浮かべた。強敵との戦いに餓えていた男の顔だ。彼の様な武人にそう想ってもらえるのは感謝の極みだ。

 

 さあ、続きを始めよう。

 

 

 

 この戦いを切っ掛けに挑戦者・ネテロと友人となった。好敵手と書いて友と呼ぶ。まさか私にその様な存在が出来るとは思わなかった。素直に嬉しく思う。

 

 あの時の戦いは残念ながら私の敗北に終わった。あの百式観音で受けたダメージは重く、まともに戦うことは出来なかった。そのような状態でネテロに敵うはずも無く、1分と掛からずに負けとなった。

 

 しかしあのネテロだとは……。確かに道場破りをしていた時期があったようだが、それが今であり、私の道場へ来るなど思慮の外であった。本当にHUNTER×HUNTERの世界なのだなここは……。

 

 

 

 それから幾度となくネテロとは武の研鑚を交わした。勝率は細かくは覚えていないが、6対4ほどで私が負け越している。百式観音抜きでこれだからたまったものではない。あんなものを使われたら私に勝ち目は無くなる。

 

 何せ私の肉体の耐久力は常人とさして変わらない。いくらオーラを防御に回してもダメージの全てを防ぎきれるものではない。

 避けるか相手の力を利用出来ればいいのだが、百式観音による攻撃は避けることも出来ぬ不可避の速攻。さらに人体の構造とは関係ないオーラで作られた観音像だ。力を利用することも出来ぬ。私には相性の悪すぎる能力だ……。

 

 

 

 ネテロを通じて心源流の協力の下、風間流にも念の指導を取り入れた。無論、念を覚える資格有りと判断された者に、瞑想による念の目覚めを促すようにしている。

 幾人も念能力に目覚めたが、強化系が驚くほど少ない。……単純一途なものはこの道場には殆どいないのだろうか……? いや、一概に性格で決まるものではないのだ、うむ。

 

 

 

 ネテロとの研鑚の日々はとても楽しかった。自身と同等以上の者との戦いは確実に私の糧となる。

 何時の日か、ネテロにハンターにならないかと誘われたが、断った。私は恐らくハンター試験に合格することは出来ないだろう。ハンター試験は至難の連続。ただ強いだけでは合格出来ない。

 私には持久力や耐久力があまりに不足している。持久力マラソン試験などがあったら1番初めに脱落することは目に見えている。

 そもそもそんなことをする暇があるなら修行に時間を割いた方がよほど良い。

 

 ……ネテロに修行馬鹿がと言われた。お前に言われたくはないのだが……。

 

 

 

 そんな毎日にも終わりが来る。私の死期が近いのだ。

 ……恐らく、持って数日。寿命だろう。何せ130を超える老人だ。長生きしたものだ……。

 

 心残りは……ある、な。いまだ後継者を決めていない。このままでは死ぬに死ねぬ。……師も同じ気持ちだったのかもしれない。

 

 道場に人を呼ぶ。来たのは一人の老女。そう、私の一番弟子たる、後援者の孫娘だ。彼女は祖父が死に、祖父の会社を引き継いでからも、ここに通うことはやめなかった。その彼女も、会社を息子に譲ってからは毎日の様にこの道場で鍛錬を積んでいる。

 

 彼女ならば、立場的にも実力的にもこの道場を継ぐことに問題はない。彼女に免許皆伝の証を授け、道場の後継を頼む。

 

 突然のことに驚かれたし、自分より相応しい人がいると一度は断られたが、説得し、そろそろ楽隠居したいと話したらしぶしぶ納得してくれた。騙してしまうのは心苦しいが、私の最後の我侭だ。許してほしい。

 

 後はネテロに手紙を書く。ただ一言、“研鑚を怠るな”と。

 これでいい。彼ならばこの約束を守ってくれるだろう。もしかしたら未来に起こりうる未曾有の大災厄を防いでくれるやもしれぬ。

 不確定な未来は話してはいない。あれが本当に起こる事かは分からぬし、反則で得たような知識を教えるのは彼にも世界にも失礼だ。

 この手紙は一週間したらネテロの下に届くようになっている。これならばネテロがこの手紙を見て不審に思っても、私は既にこの世を去った後だろう。

 

 死ぬ間際の姿は、誰にも見せたくないものだ……。

 

 

 

 そろそろ、か。道場で1人正座している私に、死神が近づいているのがわかる……。心臓の鼓動が徐々に弱くなり、もうじきその鼓動を止めるだろう。

 

 元の世界からこちらの世界に来て、両親と生き別れた私だが、父はいた。我が師・リュウゼンだ。

 

 姉とは二度と会えなかった私だが、兄弟はいた。師より共に学んだ兄弟弟子たちだ。

 

 結婚もせず妻を娶ることはなかった私だが、子はいた。総勢万を超すこととなった弟子たちだ。

 

 元の世界の友はもはや思い出すことも出来ないが、親友はいた。真の好敵手たるネテロだ。

 

 彼らと出会えた事を誇りに思う。

 

 やりたいことをやり切った人生だった。

 

 

 我が生涯に、一片の、悔いなし……。

 

 

 トクン……トクン……トクン……トクン……トクン……。

 

 トクン…………トクン…………トクン…………トクン…………。

 

 トクン…………トクン…………トクン…………。

 

 トクン………………トクン………………。

 

 トクン……………………。

 

 心臓が……止まっ、た…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

【絶対遵守/ギアス】解除

 

 

 

 ……ちょっと待て!!?

 

 何が悔いなしだこら!! ありまくりじゃボケがあぁぁ!!!

 

 何で満足して死のうとしてんの俺!? 馬鹿なの死ぬの??? て死ぬんだよもうじき!! 嫌だよ俺まだ童貞だよ?!

 

 130年以上も清き体で居続けるって魔法使いなんてもんじゃねえぞ!!? もはや童帝の域だわ!!!

 

 し、死ねるか、このまま死んで堪るか!!!!!!

 

 頼む! 発動してくれ第三の念能力よ!!!

 

 この為に新たな能力は作らなかったんだ。頼む。このままじゃ、死んでも死に切れねぇっ!!!!!!

 

 たの、む……もう、だめ、だ、いし、き、が…………………………………………。

 

 ……………………………………。

 

 ……………………………。

 

 ……………………。

 

 ……………。

 

 ……。

 

 

 1985年11月11日 リュウショウ=カザマ 死去。

 

 第三の念能力【輪廻転生/ツヨクテニューゲーム】……未発動。

 

 享年132歳。その葬式には大勢の弟子や友人との噂のハンター協会会長の姿を初めとして、多くの人々が参加したという。

 

 

 




プロローグ終了。次回から本編に入ります。今までは会話なしでしたが、次回からは会話が入ります。
一応未発動の第三の念能力の設定を書いておきます。


【輪廻転生/ツヨクテニューゲーム】
・特質系能力←ここ重要
 死んだ後に新たな命に生まれ変わるという念能力。使用者の知識・経験・オーラ量を引き継ぐことが出来る(身体能力やその資質は転生後の肉体に依存する)
 しかしあまりにも特殊なため特質系に分類され、操作系の主人公には使用できなかった(主人公は後天的に特質系に変わることを期待していた)

〈制約〉 
・死ななければ発動しない。
・死因は何でもいいが、自殺では発動しない。また他者にわざと害されて死ぬことも自殺と捉える。
・長く生きれば生きるほど発動率は高くなる。この世界では長生きするのが難しいからだ。

〈誓約〉
・生きている時に女性と性交したらこの能力は消滅する


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

外伝

 1985年11月8日21:35

 

 

 

 本日、道場を閉めた後に先生に呼び出された。何でも二人きりで話がしたいとか。一体どうしたというのでしょうか? 修行に付き合うのならともかく、話がしたいとは先生にしては珍しい事ですね。

 

 

 

 先生……リュウショウ=カザマ先生。私の武と人生の先達。

 初めて先生に会ったのは、もう50年以上前になるのですか。あの頃のワタクシはまだ子どもでしたね。年齢だけではなく、その考え方も。武を学びたいと思ったのも、ケンカで男の子に負けたのが理由でしたしね。

 

 お爺様が紹介してくれた武術がこの風間流合気柔術でした。初めて見た先生は……その、お世辞にも強い方だとは思いもしませんでした。何せお爺様よりも高齢でしたし、見た目もあの当時は普通の老人にしか映らなかったんですもの。

 

 武術も入門当時は理解出来ないものでした。あれほど心源流拳法に入門したいと言っていたのに。始めはお爺様を恨んだりもしたものです。もっとも、今ではとても感謝していますが。

 

 先生を初めて心の内より尊敬の意を込めて、“先生”と呼んだ時の事は今でも覚えています。

 あれは、そう。私が入門して1ヶ月程経った時の事でしたか。

 いつものように役に立つのか分からない武術に疑問を感じながらも習っていた時、道場に道場破りがやって来たのです。先生は天空闘技場の元フロアマスターだったので、先生を打倒し名を上げる為に来たのでしょう。

 

 道場破りの見た目は筋骨隆々の2mを超える大男。対する先生は170cmほどの痩せた老人。勝てる訳がない。そう思っていた私の考えを、先生は意図も簡単に覆してしまいました。

 

 道場破りが何度殴りかかろうともその拳は先生に届かず、逆に何度も宙を回転し地に優しく降ろされていました。大男が先生の胸ぐらを掴んだ瞬間、地に臥せていました。まるで魔法を見ているかの様な光景……私はこの時初めて風間流の魅力に憑りつかれたのです。

 先生の一番弟子になれて本当に良かったと実感しましたね。

 

 それからの月日はとても楽しかった。一度理解できれば柔の理を突き詰めるのはとても楽しい事でした。先生もスジがいいと褒めてくださり、私はまた褒めてもらいたいとの思いでより一層努力したものです。

 

 そんな尊敬する先生が初めて敗北した時はショックでした……。

 ネテロのやろ……ネテロ会長との戦いはとても凄まじく、未熟な私にはとても理解の追いつくものではありませんでした。その戦いの後に先生とネテロ会長は意気投合してしまい、それ以来ずっと研鑚を積む仲となってしまいました……。

 

 いつか必ずネテロのジジ……ネテロ会長を足掛かりとしてさらなる武の極みに立つとワタクシは信じております。実際1ヶ月前に行なわれた試合では先生が見事に勝利なされましたしね。ネテロ会長が敗れた時の筋肉ぶりっ子……ビスケットさんの悔しそうな顔は今でも鮮明に思い出せます。

 

 ……ああ! つい過去の思い出に浸ってしまっていました。これ以上先生をお待たせするわけにはいきません。道場へ急がなくては。

 

 

 

「先生。遅くなりまして申し訳御座いません」

「ああ、構わない。戸締りごくろうだったね」

 

「いえ。大したことではありません。それで先生、話とは一体何なのでしょうか?」

「うむ。リィーナ。お前にこれを授ける。受け取ってほしい」

 

「これは……免許皆伝の証!? そんな! 私はまだ先生より教わりたい事が沢山ございます!」

「リィーナ。お前には私の全てを伝授した。この免許皆伝を受け取るのは師に認められた弟子の義務でもある」

 

「ですが! 私は未だ先生の足元にも――」

「――勘違いするなリィーナ」

「……え?」

「確かにお前には私の全てを伝授した。それゆえの免許皆伝だ。しかし……それを授かった事が武の頂に至ったと同義に捉えるのはただの思い上がりに過ぎん」

 

「……!」

「私とて師より免許皆伝を授かった頃は現在よりも未熟。数多の研鑚を積めども未だに武を極めたとは言えぬ……それは武の終点ではない。新たなる始まりとなるのだ。慢心せず、さらなる精進に励みなさい」

 

「先生……! ああ、自分の未熟に呆れるばかりです……免許皆伝の証、しかと受け取らせていただきます」

「うむ……実はな、もう1つ話すべき事がある」

 

「もう1つ……ですか?」

「ああ。これはお前への頼み事だ。……この道場の後継者となってほしい」

 

「――!? 何を仰られるのですか! 先生、そればかりは先生の頼みと言えども……この道場は先生の夢ではありませんか! 先ほども自らの未熟を悟ったばかりの私にはとても! 私以外にも適任がございます!」

「頼むリィーナよ。私もそろそろ楽隠居がしたくてな。お前だからこそ頼むのだ。私の一番弟子であり、最も信頼するお前だからこそ」

 

「せ、先生! ……分かりました。この不肖の弟子、全霊を込めてお受けいたします」

「すまないな……あまり気負うな。お前なら大丈夫だ…………今日は、ここまでと、しよう……あまり遅くなっては、いかんからな」

 

「……先生?」

「どうした。あまり家族を待たせてはいかん。夜道に気をつけて帰りなさい」

 

「もぅ……そうやって先生がワタクシをたまに子ども扱いするから、私も1人前だと自覚出来ないのですよ?」

「む。……すまない。私は天涯孤独の身ゆえに、弟子たるお前たちを我が子の様に想っていてな」

 

「え?」

「特にお前は一番最初の弟子だからか……幼き頃より知っているゆえ、つい、な……気に障ったのなら、すまない」

 

「いえ! 先生にそう思って頂けたなら、我ら弟子一同、誇りにこそ思えど気に障る事などあるわけがありません!」

「それならば良かった……そろそろ終わりにしよう。明日は新たな道場主のお披露目となる。緊張せぬようにな」

 

「はい。それでは先生、お休みなさいませ」

「ああ。お休み」

 

 

 

 ……まさかこの様な話になろうとは……! 今夜は興奮して眠れないかもしれません……。

 あ、気付けば頬を涙が伝っていました……いけませんね。歳を取ると涙もろくなってしまうのかしら?

 

 

 

 1985年11月11日01:25

 

 

 

 無事に道場の後継も終わり、先生もゆっくりと休む事が出来る様になった。時々は顔を出して稽古を付けてくれるとの事。それはとても喜ばしい事。何も問題は起きていない。

 それなのに……。

 

 ……どうしたことでしょうか……胸騒ぎが収まりません……。何か分からないけれど、今すぐ道場に行かなくてはいけない気がする……。この様な深夜に道場に行っても誰も居はしないはずだというのに……。

 

 焦燥に駆られ、道場の門を飛び越え、急ぎ道場へと駆け込む……そこには……。

 

「先生!? しっかりなさって下さい先生!!」

 

 道場の奥にて倒れ伏している先生の姿があった……。

 呼吸が止まっている!? 心臓が……動いていない!!

 

 すぐさまメンフィル総合病院に連絡する!

 救急車が来るまでに心肺蘇生法を促す!

 先生! 死なないで下さい先生! 先生!!

 

 

 

 ……必死の措置も意味をなさず、先生はこの日この世を去った……。

 先生……どうして、どうしてあのような無念の表情で逝かれたのですか……?

 それほどまでに……武の頂に至れなかった事が無念でしたか……?

 

 先生……先生の遺志は私が引き継ぎます……必ずや先生が目指した武の頂点へと至ってみせます……。

 だから……どうか、どうか安らかにお眠りください……。

 

 

 

 

 

 

 1985年11月11日15:28

 

 

 

 ジッ! ジッ! ジッ!

 

 ……ふぅ。感謝の正拳突き1万回終了か。

 ……もう1万回いっとこうかのう? おのれリュウショウめ。先月はまんまとワシから勝利をかっさらっていきおって……!

 

 油断した……というのは言い訳に過ぎんのう……全く、相変わらずこちらの意を読むのはサトリか何かかと思うくらいじゃわい。普段は修行マニアのジジィじゃが、こと戦いの事になるととたんに別人じゃなあれは。

 

 しかし……あの浸透掌は効いたのう。

 外部破壊ではなく内部破壊の技じゃが、そこに莫大なオーラを乗せるとマジで一撃必殺の技になるわい……。普通は攻撃が当たる直前にオーラを集中させるのが基本にして奥義だというのに、あやつの浸透掌は当てた後にオーラを集中する技。

 特殊な打ち方により掌より相手の内部に衝撃を叩き込む。その衝撃に合わせてオーラを内部に流す技らしいが……まともに喰らえば死ぬわ!!

 普通の凝の攻撃なら同じ凝で防げるが、あれを喰らった場合は体内オーラを集中して衝撃を防がねばならんからのう。加減はしたらしいが、3日はまともにメシを食えなかったわ……。

 

 ぬう。思い出したら腹が立って来たわい……この悔しさは必ず次の試合にて返すとするか。

 

 そうと決まれば鍛錬を続けるか。さすがに歳には勝てんからのう。少しでも鍛えねばすぐに衰えてしまうわい。

 

「会長! 大変です」

 

 むお? ビーンズか。どうしたと言うのじゃ?

 

「何じゃ騒々しい。政府より何か指令でも下ったのか?」

「い、いえ。そ、それが……」

 

 …………!?

 

「な、何じゃと! リ、リュウショウが……死んだじゃと!!」

 

 ば、バカな! 何をいきなりそのような……!

 

 

 

 1985年11月13日14:20

 

 

 

 ……リュウショウ……本当に逝っちまいやがったのか……。

 馬鹿野郎……勝ち逃げして、勝手に逝っちまいやがって……!!

 ワシは……オレは、これから誰と戦えばいいんだ?

 あの夢のような日々に終わりが来るなんて、考えた事もなかったぜ……。

 

 いや、オレたちも人間ってことだ。いつかは終わりが来る。分かっちゃいたが、考えないようにしてただけだ……。

 

 リュウショウ……。

 

 

 

 1985年11月15日

 

 

 

 リュウショウの葬式が終わって2日が経った。何にもやる気が起こらん……。毎日欠かさず続けていた鍛錬も、協会の仕事にも一切手がつかん。

 ふぅ。一気に歳を取った気分じゃ……。

 

「会長。あの、お手紙が届いていますが……」

「……そこに置いといてくれ。後で読む」

「あの、それが……リュウショウ様からのお手紙でして……」

「なんじゃと!? 早く持ってくるんじゃ!!」

 

 リュウショウからの手紙じゃと!? 一体どういうことじゃ!?

 

 これは……確かにリュウショウの字! 手紙を出した日付が……1週間前?

 中身は……1枚の紙にリュウショウの字で“研鑚を怠るな”と書いてあるだけ、じゃと……?

 

 

 

 研鑚を怠るな、か……ふふふ、リュウショウめ、嫌なくらいにワシの気持ちを読んでおるの。

 いいじゃろう! ワシが武の頂点に立つ所を精々あの世で歯噛みしながら見ておるとよいわ!

 あの世で首を洗って待っておれよ、リュウショウ!!

 

 

 

 

 

 リュウショウ=カザマ。1985年11月11日死去。

 彼の葬式には弟子やハンター協会会長・ネテロをはじめ、数多の人々が集まった。しかし、その中に彼の親類縁者は誰一人として居なかったという。

 

 生きた伝説とまで呼ばれた武人リュウショウ=カザマ。

 彼の足跡を辿ると、必ず風間流発祥の地ジャポンにてその跡は途絶える事となる。それ以前はどこにいたのか、どこから来たのか、彼の過去を知るものはもうどこにもいない。

 

 

『伝説の武人・リュウショウ=カザマの謎にせまる』より一部抜粋。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

本編・原作開始前
第六話


 どうしてこうなった?

 

 俺の周りには果てしなく拡がるゴミの山、遠くを見渡すことは出来ないけどやっぱりゴミの山が拡がっていることは明白だ。お、落ち着け。まずは素数を数えるんだ。2・3・5・7・11……なんかデジャブを感じるが……ま、まぁそんなことはどうでもいい。まずは落ち着くんだ。目を閉じて大きく深呼吸。

 

 ……落ち着けるか!

 

 

 

 ……どうしてこうなった?

 

 

 

 

 あの時、北島 晶としての一生を終える瞬間、無念の想いを残したまま第三の能力【輪廻転生/ツヨクテニューゲーム】の発動を願った。そしたら気付けば眼を開けることは出来なかったが意識は目覚めた。そう、目覚めたのだ。

 俺は確かに死んだはず。ならば意識がある今の状態は……成功したのだ。【輪廻転生/ツヨクテニューゲーム】が上手く発動したのだ!!

 

 やった、これでかつる! 俺は人生最大の賭けに勝ったのだ!!! と、喜んでいたのも束の間だった……。

 【輪廻転生/ツヨクテニューゲーム】の発動に成功したのはいい。実に喜ばしいことだ。しかし、誤算があった……。

 

 母が、この新たな体を授けてくれた母が死んだ。それも俺を産む前に、だ。俺の意識が目覚めた瞬間に放出された膨大なオーラにより母の全身の精孔が開いてしまったのだろう。

 全身から流れ出るオーラを留めなければやがてオーラが枯渇してしまう。オーラとは生命エネルギーそのもの。枯渇すれば全身疲労で気絶、下手すれば衰弱死する可能性もある。臨月を迎えた女性、しかも恐らくは武術など欠片も習っていない母に纏を会得することは難しく、母は衰弱死してしまった……。

 

 不幸中の幸いと言っていいのか、既に産み月に入っていたため、俺自身は死した母の身体から生きて摘出された。

 俺が原因で1人の女性を死なせてしまった……前世において人を殺めたことはなかった。それなのにこんな無抵抗の女性を殺めてしまう原因になるなんて……。

転生してすぐに後悔の念が押し寄せる……。

 

 だが誤算はこれだけではなかった。

 第二の誤算は、自身を覆うオーラが明らかに増大しているのだ。明らかに生前の最盛期よりも多い……なんぞこれ? 死ぬ前のオーラは精々が全盛期の三分の二が限界だったのに、その倍近くはあるぞおい……? まあそれはいい。嬉しい誤算って奴だな。

 

 問題なのはそのオーラの質だ。

 なんて禍々しいオーラ……まるでこの世のあらゆる不吉を孕んでいる様……!!

 ……いやそれは言いすぎか。少なくとも俺自身の意思が乗ってないのでそこまで邪悪じゃない。逆に言えば敵意や殺意を込めてないオーラでこの禍々しさ……!!

 何でだ!? もしかして一度死んだことが関係しているのか? ……多分そうだろうな。もしかしたら母が死んだのはこのオーラの質も関係しているのかもしれない。一般人が浴びるには些か質が悪すぎる……。

 

 そのあまりの禍々しさに医者も看護士も父親と思わしき男さえもが俺に近寄ろうとしません……。絶をすればいいのか、と思い絶をしようにもなかなか上手くいかない……。くそっ! いきなりオーラの質が変わってしまったせいか!?

 

 とりあえずオーラが弱まったおかげか父親(?)が近寄ってくる。ちなみにまだ眼が開かないので全てオーラで察知しています。念の汎用性は異常です。どこぞのチャクラには劣るがな。

 

「何という禍々しい赤子だ! こいつが、こいつがミシャを殺したに違いない!!」

 

 ……ミシャ、今の俺の母の名前か? ……否定出来ないのが辛い。

 

「こんなやつ!」

 

 そう言いながら銃と思わしき物を取り出して俺を撃とうとしている父親……銃? ちょっと待て!!

 

 全力で堅!!

 直後に銃声が聞こえる。が、俺に被害はない。どうやら当っていないようだ。恐らくこのオーラに竦んで手元が狂ったんだろう。なんかガタガタ震えてるし。このままでは埒が明かないのでまたもオーラを静める。……だんだん慣れてきたな。

 

「こ、こんな場所でなんてことをするんですか!?」

 

 いいぞ、もっと言ってやれ医者。

 

「だ、黙れ! こいつがミシャを殺したに決まっているんだ! 貴様らも感じただろう!? あの不気味なオーラを!!」

 

 ミシャさんか、俺を産んでくれた人の名前だろう。この人の気持ちも当たり前か……誰だって自分の最愛の人を殺されたら怒りに身を任せてしまうものだ……。

 

「そ、それは解りますが、だからといってここは病院です! 人を救うべき場所で人を

傷付ける行為を容認することは、医師たる私には出来ません!」

 

 すごく良いこと言う医者だな。まさに医者の鑑だ……病院以外なら別に殺っちゃってもいいですよ、て意味じゃないよね?

 

「人? この悪魔が人なわけがないだろうが!!」

 

 さ、さすがにそれはないんじゃなかろうか……確かにやばいオーラしてるが。まあ、俺がこんなオーラを持ってる奴に出会ったら絶対に逃げてる自信があるね。

 

「分かった。もういい。殺さなければいいのだろう……おい、私だ。至急メンフィル総合病院に奴らを寄越せ。……そうだ奴らだ! いいか、全員だぞ!! それと飛行船を動かせるようにしておけ。分かったな!」

 

 あ、ここメンフィル総合病院だったんだ。道場から500mくらいの場所にある病院で、よく門下生たちも利用していたな。それより親父の奴、一体何呼んだんだよ? ……まさか?

 

 

 

 10分ほどして、黒服の男たちが親父と共にぞろぞろと部屋に入ってきた。ちなみに医者と看護士はこの時無理矢理下がらされた。

 ……やっぱり念能力者だこいつら……親父が念能力者を呼んだのか! 念能力者を従えられる程の地位にいるのか……銃も持ってたし、もしかしてマフィアか何かですか?

 

 そんなことはどうでもいい。いやどうでも良くないかもしれないが、今は横に置いておく。

 念能力者は不味い!! 如何に膨大なオーラを有していようが、身体は赤子。勝てるわけがない! 生まれてすぐに殺られてたまるか! と、とりあえず全力で堅!!

 

 ……あれ? 何かメッチャ怯えてるんですが?

 

 ああそうか。オーラを感じることの出来る念能力者の方が俺のオーラに反応しやすいのね。しかも今は敵意も混ざってるし。

 こうかは ばつぐんだ!

 

「ひ、ボ、ボス。な、何なんですかありゃ……!?」

「本当に赤ん坊なのかよ……!」

「こ、殺されるかと思ったぜ……」

「……………………(失神してる)」

 

 ……こうかは ばつぐんすぐる!

 

「情けない! それでも俺の護衛か貴様らっ!」

「そ、そう言われましても……私たちが呼ばれた理由は、この赤子ですよね? 一体どうすれば……まさかこれを殺すなどと言うのでは……?」

「ふん! 忌々しいがこいつは殺さない。ここで殺しても国際人民データ機構にデータが残ってしまう。俺の子どもだというデータがな!」

 

 流石に認知してくれないか……まぁ嫌だよな。こんな禍々しいオーラを持って、しかも自分の妻を殺しているんだ。許容出来る人間の方が稀だ……。

 

「お前らを呼んだのは俺の護衛だ。こいつがいつ俺を害するか分からんからな……。おい、こいつを車に乗せろ。左右をダールとザザで固めておけ。ないと思うが、絶対に逃がすなよ」

「お、俺らがですか!?」

「り、了解しました……」

 

 すいません貧乏くじを引かせたみたいで……。

 

「それと、そこの失神したベロムは降格だ。下っ端から出直させろ!」

 

 ベロムェ……。

 

 

 

 さて、車に乗せられた俺。どこへ連れて行かれるんだ? どうやら殺されるわけではなさそうだけど……。することもないので念の確認作業でもしよう。

 

 うん。一通り問題ないな。オーラ量の増大と質の変化には戸惑ったけど、慣れれば生前の感覚でオーラを操ることが出来た。ダールさんとザザさんは在り得ない物を見たかの様に驚愕し怯えていたけどな。

 そりゃそうだ。生まれたての赤ん坊が目の前で纏・練・絶・凝・円・硬と行なっているのだ。それも高速で。悪夢と言わずに何と言う。

 より警戒されるとも思ったが、今更だろう。

 

 車から降ろされた。なんかニトログリセリンでも運んでるかの如く丁寧かつ迅速に運ばれていく。今度は飛行船に乗せられた。本当にどこに連れて行くんだ?

 

 

 

 飛行船に乗せられてどれだけ経ったか。多分5~6時間くらい? いいかげんどこに行くのか教えてほしいものだが、周りには誰もいないし……床にポツンと赤ん坊を一人放っておくとは……人間性がどうかしてるねあいつらは。……まあ、逆の立場になって考えれば理解は出来るけど。

 

 今思いついたんだけど、念能力者がいたならオーラで文字を書けばよかった。そうすれば意思疎通出来たのに……。……なんか意思疎通出来たら出来たでより化け物扱いされそうだけどね。

 

 

 

 しかし、お袋には本当に悪いことをした……。謝ってすむ問題ではないが、一言だけでも謝りたかった……。俺があんな念能力を作ったばかりに、こんな事になってしまった……。今更生きるのを諦めたわけではないが、それと後悔とはまた別だ。

 

 そんな事を考えていると、ウィィィィィン、という機械音とともに床が開いた。全身を浮遊感が覆う。はぁ?

 

 気付けば俺は地面に向かって逆さまに墜落していった!

 

 ちょっ! 飛行船から落としやがった!! 何が殺さないだ! こんな高さから地面に叩きつけられたら普通死ぬわ!!?

 

 ひぃぃぃぃぃぃっ!! 落ちてる堕ちてるおちてるぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!

 

 くそっ! 死んでたまるか! まずは円! 自身の位置を確認し地面に激突する瞬間を捉える。そして地面が近づいて来たところで、オーラを地面に向かって放出し落下の勢いを弱める。その後全力で堅をする事で落下のダメージを防ぐ!

 

 ……ふぅ、何とかなったか。マジ焦った。こんなに焦ったのは長い人生で初めてではなかろうか?

 

 つうかここはどこだ。円で確認したところ、どうも周りにあるのは大量のゴミの山のようだが……。

 ……ゴミの山?

 全力で円をする! うおっすげえ、1㎞近く伸びたよ! ってやっぱりか! 周囲全てがゴミ、ゴミ、ゴミとゴミの山だ! どう考えても流星街ですねありがとうございました。

 

 

 

 

 どうしてこうなった?(最初の行に戻る)

 

 

 

 

 

 

 流星街に捨てられて(落とされて)、2日経った。

 俺はいまだ布きれを纏った状態で一人で過ごしている……。何でだ? 流星街は全てを受け入れるんじゃなかったのか!?

 

 どうして誰も俺を拾ってくれないんだ? 誰も彼もが俺を見た瞬間に脱兎の如く逃げ出していく……。いや分かってる。明らかに俺のオーラの所為だろう……いくらここの住人でもここまで不気味な赤ん坊は嫌か……。

 中には俺に爆弾を投げてきた奴もいたくらいだ……オーラの放出で爆発する前に弾いたがな!

 

 ……そしたら誰もこの辺りに来なくなってしまった。

 

 

 

 くそっ! 絶をしていれば良かったのか?! しかしそれだとこの明らかにやばめのガスが出ている極悪環境で生身で過ごすという事になる。生後数時間の赤子にそれは無茶というものだ……。この極悪環境を生き延びたらそら強い念能力者も育ちそうだわ……何だっけか、あのなんたらの集団?

 

 はぁ、暇だ。何もしないまま転がり続けるのは苦痛だな。念の修行はこんな状態で出来るわけがない。出来なくもないが、オーラの消耗=生命エネルギーの消耗だ。なにが悲しくて生後2日で自殺せにゃならんのだ。

 

 ……【原作知識/オリシュノトクテン】でも使って暇を潰そう。これぐらいの消費なら微々たるものだしな。

 ……あれ? 発動しない。何でだ? 【絶対遵守/ギアス】は解除されているはずだ! 誰かの操作能力も受けていない! 使用に問題はないはずだ! ……もしかして転生したことで前世の発を使用できなくなった? いや、脳が違うから原記憶に原作知識がない状態だとか?

 

 ……有りうるな。

 

 

 

 はあ、使えないのは痛いが仕方ない。それはともかくこのままじゃヤバイ。いくら念が使えるからとはいえ基本は身体だ。飯も水も無しで長く持つわけがない。いい加減意識が朦朧としている……。

 

 誰か来てくれ……ん? 円に反応有り! 誰か来た! これが最後のチャンスだ。必死でオーラを抑える。絶は嫌だが四の五の言ってはいられない。このままでは衰弱死してしまうんだ。何かに感染してでも生き延びる可能性が高い方を取るしかない!

 お願いだ。ここに居るのは念が使えて前世の記憶を持っててちょっと禍々しくも膨大なオーラを持ってるだけの無害な可愛い赤ちゃんだよ!

 誰でもいいから拾って下さいな。ご恩は必ず返しますよ旦那!!

 

 

 

 

 

 

 最近ここ流星街で妙な噂を耳にする。

 何でも空高くから降ってきたという赤子の噂だ。その赤子は空から落ちてきても無傷で地に降りたと言う。赤子が空から降って無傷で着地などと何を馬鹿なことを、と初めは一笑に付していたが、どうも様子がおかしい。

 

 ここは流星街。この世の何を捨ててもここの住人は受け入れる。なのにその赤子はいまだに落下した場所に放置されてるらしい。

 回収班が幾度かその赤子を回収しようとしたみたいだが、赤子が放つと言われている不気味な力に恐怖してその場から逃げ出しているそうだ。

 中にはあまりの恐怖に錯乱して、その赤子に向かって爆弾を投げた奴もいたそうだが、爆弾は赤子に当たる数m前に明後日の方角へと弾かれてしまい、その赤子は無傷だったとか……。

 

 有り得ん。その様な赤子がどこにいると言うんだ? ……もしや、何者かの念が生み出した念獣の類か?

 面白そうだ。少し見てみるとしよう。

 

 

 

 ……何だこれは? 問題の赤子のいる地域に来たところ、信じられんものを見た。

 円だ。それも果てしなく広い……。中心を考えると1㎞弱の範囲の円だ。これを産まれたての赤子がしているだと? ますます有り得ん……。

 

 どうする? この円に触れてみるか……?

 

 ……行ってみるか。これが本当に赤子なら拾って育てれば面白いことになりそうだ。欲しいと思ったものは手に入れる。それが俺たちだ。

 噂が本当なら今までに回収班に被害が出たという話は聞いていないしな。存外無害な存在かもしれん。

 

 一歩足を踏み出し、円に触れる……化け物か?

 想像だにしたことのないほどのオーラが俺を襲う。こんな不気味な質のオーラは初めてだ。円だというのにウボォーさんの練に匹敵するかの様な密度……!

 

 身体が硬直し、わずか一歩で歩みが止まる……。

 ……?? 円が、解除された……?

 

 何故? 俺が円の領域に足を踏み入れたからか?

 

 何故? 俺を誘っているというのか?

 

 どうする? 乗るか、反るか……。

 

 このまま虚仮にされたまま引き下がることは出来ない、な。挑発に乗り、足を前へと進める。

 

 瓦礫の上に立ち、500mほど離れた場所から円の中心と思わしき場所を見つめる。

 

 いた。本当に赤子だ。生後一週間も経ってないほどか? もし産まれた時からあのようなオーラをはなっていたのなら、ここに捨てられるのも納得のいく話だ。しかも、今のあいつは絶をしている。俺が円に触れた後に絶をする。……自我を持っている証拠に他ならない!

 

 自我を持ち、念を操り、膨大で異質なオーラを持つ赤子? 化け物以外の何がある……!

 

 ……! 眼が合った! 間違いなくこちらを見て、笑った!

 

 あいつの笑みを見た瞬間。俺はホームへ向かって駆け出していた……。

 

 仲間には言っておかなくてはならないな。ここには足を踏み入れるな、と。

 

 

 

 

 

 

 何か500mほど離れた場所から視線を感じる。おお、先ほどの人が来てくれたか!

 

 ほぅら、こんなに可愛い赤ちゃんだよ~。無害だよ~。怖くないよ~。どんな人が来てるのかな? 眼も見えるようになったし、ちょいと確認してみよう。

 

 さすがにまだ視力は低いから、凝で視力強化してっと。おっと、念のため隠も使ってオーラを見えにくくしておこう。

 おお!? ……何というイケメン少年。歳は12,3くらいか? くそ! 腹ただしい程のイケメン度だ!!

 

 いかんいかん。あのイケメン少年は俺の義父になる人だ。笑顔でアピールしなきゃな。

 ちょっ!? 待てよ! 何だあのスピード! 凄まじい勢いで逃げ出したぞあのガキ!! 脱兎なんてもんじゃねぇ! もはやロケットの領域だったわ!

 

 待って! 行かないで! 私の何がいけないと言うの!?

 

 ……駄目だ、円の範囲外に出られた。

 

 

 

 さらに一日が経ったか……? も、もう無理だ……。いい加減限界だ。体力が尽きる……。

赤ん坊でここまで持てばいいほうだろう……。

 あれ以来誰もここを訪れない……何度か円をするがネズミ一匹いやしない。いや、最初はいたけど一度円をしたらこの付近から綺麗さっぱりいなくなった……。

 このままここで朽ち果てるのか……?

 

 嫌だ! せっかく生まれ変わったんだ! 第二の人生を謳歌しないまま死にたくない!! こんなことならあのままリュウショウとして死んで消滅した方がよっぽどマシだった!!

 

 これでは、ただミシャさんを、母さんを犠牲にしただけじゃないか……!!

 誰か、誰か助けてくれぇぇぇぇ!!!!!!!

 

 

 

 

 

【偉大なる母の愛/グレイトフル・マザー】発動

 

 

 

「大丈夫よ、私の可愛い子。あなたはお母さんが守ってあげるからね」

 

 

 

 ………は? どゆこと? 何があったの??? 何で俺美人さんに優しく抱かれてるの? あれ? なんか、すごい安心するんですけど……?

 

 

 

 なんぞこれ???




念能力説明

【輪廻転生(笑)/テンセイ? イイエヒョウイデス】
・操作系能力
 無念の内に死んだショウの無念の思いが作り出した無意識の念能力。
 発動した瞬間の術者を中心とした半径600m以内にいる人間に死者の念と化した術者自身が憑依する。この範囲は生前の術者の円の最大範囲と同じである。
 範囲内に誰もいなければ発動しても効果は現れず、この能力は消滅する。この術を受けた対象が憑依されて一分以上自我を保った場合もこの能力は消滅し、死者の念となった術者も消滅する。
 また、範囲内に複数の対象がいた場合、憑依しやすいものを選ぶ。術者の意思で対象を選ぶことは出来ない(無意識ゆえに)

<制約>
・死ななければ発動しない。
・死因は何でもいいが、自殺では発動しない。また他者にわざと害されて死ぬことも自殺と捉える。
・長く生きれば生きるほど憑依率は高くなる。この世界では長生きするのが難しいからだ。
・憑依した対象が受けた怪我や苦痛は全て術者も受ける。また憑依対象が肉体的に死んだ場合、死者の念も消滅する(この誓約により、対象の身体を術者の感覚で自在に動かすことが出来る)
・憑依した人物を操作する能力なので、除念を受けると術は消滅し、もちろんこの念の術者も死ぬ。

<誓約> 
・生きている時に女性と性交したらこの能力は消滅する。



【偉大なる母の愛/グレイトフル・マザー】
・具現化系能力
 念に目覚めたがオーラを留める事が出来ずに死んだ母親の我が子を想う強い気持ちが作り出した自身を模した念獣。
 その身からは禍々しい死者のオーラをはなっているが、我が子には安心感を与える。
 子どもの成長・育成に役立つあらゆる能力を所持している。少々教育ママな所が玉に瑕。
 保有しているオーラ量は≪生前のミシャのオーラ量+死者の念による増幅値≫となっている。

〈制約〉 
・他の具現化された念獣のように自由に出たり消えたりとは出来ない。一度発動するとオーラがなくなるまで消えない。
・我が子と定めた子どもの半径10mから離れることが出来ない。
・絶・練・凝・隠・円・周・硬・流などの技術を使用することは出来ない。
・保有オーラがなくなり、消滅した場合二度と出現することは出来なくなる。
・保有オーラを回復することは出来ない。

〈誓約〉
・特になし
 

保有能力
①【愛の詰まった不思議な母乳/ラブ・ミルク】
・変化系能力と具現化系能力の複合能力  
 オーラを愛がたっぷりと込められた母乳へと変化し具現化する能力。愛の内容物は以下の通り。
 栄養満点・滋養強壮・疲労回復・成長促進・感染予防・美容効果・オーラ回復etc……
 なお、味も自由に変えられる。

〈制約〉
・母乳を生成する度に保有オーラ量が減少する。
 
〈誓約〉
・特になし



②【便利な赤ちゃん用具屋さん/コンビニエンスベビーグッズ】
・具現化系能力
 子どもの為になる用具を具現化する能力。
 紙オムツからベビーカーまで具現化出来るものは様々。
 保有オーラがある限り何度でも具現化可能。

〈制約〉     
・具現化出来るのは生前のミシャが知っていた物のみに限られる。
・子どもの育成に必要と思われないものは具現化出来ない。
・具現化する度に保有オーラ量が減少する。消費されるオーラ量は具現化する物の大きさに比例する。

〈誓約〉
・特になし。



③【愛の躾/キョウイクママ】
・操作系能力
 子どものために心を鬼にして躾をする。
 躾を受けた子どもは無意識を操作され、二度とその躾を受けた原因となった行動を起こさないように意識を誘導される。
 この能力は死者の念に対しても有効である。
 同じ対象に何度も使用すると返って反発してしまう。躾も程々が一番。

〈制約〉
・真に子どもを想って叱らないと発動しない。
・同じ対象に何度も使用すると返って反発してしまうことになる。許容回数は対象の精神によって変化するので、さじ加減が難しい。 
・使用する度に保有オーラ量が減少する。

〈誓約〉
・特になし。

 補足:この【偉大なる母の愛/グレイトフル・マザー】は、死したミシャの子を想う無念が死者の念となって発現した念能力であるため、主人公が使用しているわけではありません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七話

「んくっんくっんくっ」

「あらあら。そんなに勢いよく吸って。そんなにおいしいの?」

 

 最高です! 何これ? 母乳ってこんなに美味しいものなのか!? 美人の女の人のおっぱいだとか、大人の精神を持ってて今さら母乳を飲む羞恥プレイだとか、そんな考え一瞬でぶっ飛んだね!! やっぱりあれか? 空腹は最高の調味料ってか? すきっ腹にミルクが響くぜ!! もっと飲ませてください!

 

「んくっんくっんくっ。……ぷぅ」

「はい。ご馳走様でした。じゃあ次はげっぷをしましょうね~。はい、とんとん」

「けぷっ」

「よく出来ましたね~。えらいですよ~」

 

 そんなに褒めるなよ。照れるだろ。

 

 

 

 さて。取り敢えず落ち着いたところで冷静になって考えるか。

 

 何だこの人? さっきまで居なかったのに、急に現れた。さらに言うなら俺のこのオーラにまったく怯えていない。オーラを感じにくい一般人でも怯えるオーラだというのにだ。

 

 ……その事から考えるに、この女の人は俺が作り出した念獣だな。恐らく、このまま死にたくないという俺の強い気持ちがこの念獣を無意識の内に具現化したのだろう。念獣が女性の形をしているのは、俺が無意識の内に母親を求めていたからなのか?

 

 しかし俺が動かそうと念じても勝手に動く。消そうと念じても消えることはない。……自動操作の念獣か? 消えないのは制約のせいかもしれんな。……生まれ変わって最初に作った念が母親の念獣とは。……メモリぇ。

 

 まあ、メモリに関しては仕方ない。諦めるしかない。

 

 しかしこれで生き延びることが出来そうだ! あのまま死んだらここら一帯に念の呪いをぶちまけて死んでいたかもしれん……。とにかく生き延びることが出来たんだ。過去を悔いる事は一杯あるが、とりあえず未来の事を考えよう。

 

 当初の目的である、原作キャラで脱・童貞という気持ちはもはやない。ギアスに掛かっている時にも思ったが、ここは漫画の世界じゃない。この世界はもう一つの現実なんだ。

 

 だが! 童貞のまま居続けるつもりは毛頭ない!! あくまで原作に拘らないだけの事よぉ!! 俺は童貞をやめるぞ! ネテローッ!!

 

 この強大なオーラ! 前世で学んだ武術! この二つを以てすれば、モテモテになることも夢ではないはずだ!!! ふはははは! ハーレム王に、俺はなる!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな風に思っていた時期が、俺にもありました。

 

 

 

「さあアイシャちゃん。おっぱいの時間よ。今日も一杯飲みましょうね~」

「あ~う~」

 

 …………アイシャ、今の俺の名前だ。お母さんが名付けてくれました。女みたいな名前だろ?

 アイシャが男の名前でなんで悪いんだ!! と、逆切れ出来たらどれほど良かったか……!

 

「今日も可愛いわね~アイシャちゃんは。きっと将来は私そっくりの美人さんになるわよ~。良かったわね~。きっと男の人にモテモテになるわ」

 

 ええ、とっても嬉しくないですね。何が悲しゅうて男にモテにゃならんのだ?

 

 これが転生後第三の誤算……俺の性別は、女だった……。

 

 

 

 どうして、こう、なった……!?

 

 

 

 

 

 よくよく考えたら当たり前だった。転生するのに必ずしも転生前と同性で生まれると決まってるわけがない。それならばそうなる様に念能力を作っておかなければならなかったのだ。

 むしろ人間に生まれ直すことが出来ただけ幸運だったと言える。何せ新たな命に生まれ変わるという設定の念能力だ。下手すりゃ動物とか虫に転生していた可能性もあったのだ……。

 

 お、恐ろしい……。なんて成功率の低いギャンブルをしていたんだ俺は……。もし畜生に転生していたかもしれないと考えると女に生まれ変わったぐらいなんでもないぜ!

 

 

 

 ……ごめん、無理。やっぱりなんでもない訳ないわぁ~。このまま女で生きていくと童貞を捨てるなんて端から無理だ。なんせ捨てるどころか初めから持ってすらいないのだから。しかも男に言い寄られる可能性もある訳だ。……鬱だ死のう。

 

 ……いや待て。よく考えろ俺。念能力で転生出来たんだ。同じく念能力で性転換できるんじゃないか!?

 ん? ……なんか、そんな能力に覚えがあったような。……くそっ! 【原作知識/オリシュノトクテン】が使えたら! 確かにそんな能力があったはず……。思い出すんだ俺! ここで思い出さなきゃ一生女のままだぞ!

 

 ……そうだ! 思い出した!! ゲームだよ、念能力者が作ったっていうゲーム! あの中に確か性別を変える薬みたいなのがあった気がする! それさえあれば! 男に戻る事も出来る!! 童貞を捨てることも出来るはずだ!!!

 よし! 身体が成長したらまずはそれを取りにいこう! 良かった。これで何とかなるな。

 

 ふう。焦った焦った。一時はどうなる事かと思ったぜ。

 

 ふわぁぁ。なんか安心したら眠くなってきたな。赤ちゃんボディはすぐに眠たくなるから困る。

 

「あらあら。おねむの時間かしら? ちょっと待っててね。……はい、用意が出来たわよ。ゆっくりお休みなさい」

「あう~」

 

 わざわざガラガラ天蓋付き赤ちゃん用ベッドを具現化していただき真にありがとうございます。本日のミルクもイチゴ味で大変美味しゅうございました。ちなみにその前のミルクはバナナ味だった。

 ……すごい高性能だな母さん。

 

 

 

 

 

 

 月日は流れ、私ことアイシャはすくすくと育ち5歳に成長した。

 体はとても健康です。これも毎日飲んでいる母さんの母乳のおかげです。……ええ、体が成長して普通食を食べれるようになった今も、毎日の食事は母乳です……。

 

 もちろん普通の食事も食べたい。でもここにあるものは全部ゴミ。食べられるものなんて1つもない。ネズミとか虫はいるけど食べたくない……。

 

 仕方ないので母乳で我慢。……でもこれ本当に美味しいんだよね。昼のは何味かな? 朝はヨーグルト味だった。次は果物系にしてもらおう。

 ちなみに顎が鍛えられないんじゃないかと思ったが、そうでもない。母さんがガムを具現化してくれたのでそれをよく噛んでいる。他の食事は具現化出来ないのか聞いてみたが、母乳が一番栄養あるからだめ、と言われた……ちょっと厳しい。

 

 あ、ガムの成分は母乳のようです。つくづく無駄に高性能。

 

 さらに雨風はどうやって凌いでいるのかというと、この母さん、赤ちゃん用の部屋を具現化しました。……そこまでするかと思ったが、実際その方が助かるし、ハイハイとか掴まり立ちとかはこの中で練習しました。外でやると危ないしね。

 あとここには年月日付きの時計もあるので月日の経過も細かく分かります。水道もお風呂もトイレも鏡や体重計も完備。まさに至れり尽くせりです。

 

 年月も経って体も成長し生活も落ち着いたところで今の私が何の系統の能力者になったか水見式で確認してみた。結果は他の5系統に当てはまらない、木の葉が回転しながら水の中に沈むというものだ。確実に特質系だろう。

 まあ、【輪廻転生/ツヨクテニューゲーム】が成功しているから特質系なのは当然だね。木の葉が動いたのは操作系の名残かな?

 

 

 

 さて、女として生まれて5年。以前の決意、男に戻るという決意は、まだ残っている。もちろん脱・童貞もだ。しかし、自身の口調や思考は女の子らしくなってしまった……。

 

 これには理由がある。普通に喋れるようになるまで成長した私が、自分の事を“俺”と言って母さんに話しかけたことがある。母さんは「女の子が自分の事を俺だなんて言っては駄目よ」と、初めはやさしく注意してくれたが、何度注意を受けても直さなかった私に一度本気で怒ったことがあった……。

 あれは怖かった……。

 それ以来だ。何故か自分の中で“女の子は女の子らしくしなくちゃ駄目”という思いが出来てしまったのだ。

 

 最初の頃はそれでもまだ男の口調を貫こうと頑張っていたんだが、徐々にその気持ちも薄れていき、最後にもう一度同じ注意を受けたときには綺麗さっぱりなくなってしまった……。

 

 ……多分あれも母さんの能力だと思う。明らかに変だ。女として生きて数十年とかの年月が経ったなら分かるけど、生まれて2~3年で男の意識が女の意識になるなんて有り得ないよ……。

 

 オタクの精神→修行馬鹿の精神→老人の精神→もはや植物の域の精神→転生前後にまたオタクの精神→女の子の精神。……我が事ながらぶれ過ぎだと思う。

 

 しかし、男に戻りさえすれば! そうすれば大丈夫のはず!! なにせ“女の子は女の子らしくしなくちゃ駄目”だからね。男になったら男らしくしなくちゃ駄目なのだよ!!

 

 5歳にもなれば大分体を動かす事が出来る。

 これまで生きてきて思ったんだけど、この体、かなりハイスペックだ。他の人と比べた事がないから分からないけど、少なくても前世の私よりは性能はかなり高いと思う。前世の私が5歳の時に1時間も走り続けれるなんて出来るとは思えない。もちろん、念は抜きで1時間だ。

 この体はそれが出来た。部屋の中ですることがなかったから運動がてら自身のスペックを確認しようと思ったのだ。多分スペックは高そうだとは思ってたけど、5歳で、まともな訓練は受けてない状態でそれとは……。

 

 もしかしてこれも母さんの母乳のおかげかな? この母乳、栄養価が高いのか、本当に体がすくすく成長するのだ。

 すでに平均的な五歳児よりも大きく成長しているだろう。だいたい小学生2~3年生くらいにはなっていると思う。

 

 しかし、かつての私はありえないくらい修行したな。オーラ量とかオーラの基礎・応用も滅茶苦茶高いレベルにあるんだけど……。【絶対遵守/ギアス】は大成功と言える。あんな修行はマゾでも出来ないね。

 まあせっかく身に付いたものだし、衰えないようにはしておこう。どうせする事なんて母さんからの勉強以外殆どないし。……今さら算数とか習わされることになるとは。

 

 

 

 まともに動けるように成長した私だが、未だに流星街の中に居る。……もちろん、周りには私と母さん以外の人間はいない。ここは流星街の中でも特一級危険地域になっているみたいだ。

 

 失礼な。こんなにも愛らしい子どもと美人の母さんが住んでいると言うのに……!

 

 ……さて、動けるようになったのにどうして流星街の外に出ないのか? 答えは簡単だ。出ると皆に怯えられた……。

 

 

 

 一度私が3歳になった時にここから出て行きたいと言ったことがある。母さんは「アイシャちゃんがそう言うなら、ここからお出かけしましょうか」と、快く承諾してくれた。

 

 私は意気揚々と流星街の外に出て、母さんと一緒に他の都市に赴いた。都市に近づいた私は即座に絶をした。もちろんこの不気味なオーラを隠すためだ。こんなオーラを撒き散らしていれば誰も近寄ってこない。これなら大丈夫だ。そう思って街に入る私たち。

 

 周りには沢山の人とビルが立ち並んでいる。おお、久しぶりのまともな街だ。人々の歩く音。車が行き交う音。テレビから聞こえるニュースキャスターの声。飛び交う悲鳴。皆懐かしい……。

 

 ……悲鳴?

 

 どうしたんだ? 銀行強盗でも出たのか? 周りを見渡すと、明らかに人々がこちらを凝視している……? なんで? 絶はしている? どうして私に注目するんだ?

 いや違う。私を凝視したなら私はその視線に気付くはずだ。そこまで鈍ってはいない。じゃあ誰を見ている? 決まっている。隣にいる私の母さんだ。何故? 何故母さんを凝視して震えてるんだ?

 

 隣にいる母さんを見ても何も分からない……? いつもの母さんだ。いや、少しうろたえている。母さんも何が何だか分からないようだ。

 

「皆さんどうしたのかしら?」

「分かんない……とにかく一度話を聞いてみる。ちょっと待っててね」

「あんまり離れちゃ駄目よアイシャちゃん」

「大丈夫。そもそも10m以上離れたら母さんも一緒に動いちゃうでしょ」

 

 そう言って近くにいるおっちゃんに話しかける。……おっちゃん腰抜かしてるよ。

 

「あの、どうしたんですか?」

「ひっ!? あ、こ、子供か……? なんだ驚かさないでくれ……」

 

 そういや絶をしていた。びっくりさせてしまったか。

 

「驚かせてごめんなさい。聞きたいのですが、皆さんなんでそんなに怯えてるんですか?」 

「い、いやそれがよく分からないんだ。何故か知らないけど、か、体が勝手に震えるんだ……」

 

 そう言いながら、自分の手で体を包み込むおっちゃん。

 

 ……はて? 私はオーラを発していないから、一般人はおろか念能力者でもオーラに怯えないはずだけど……。

どういうこと?

 

「な、何だこの禍々しいオーラ!? キサマ何者だ!!」

「はあ。何のことでしょう?」

 

 !? オーラを感じている人がいる! 念能力者か!!

 

「美しい女性の姿をしているがこの第一級シングルビーストハンター・ディオウ様の眼は誤魔化せんぞ! キサマ魔獣の類だな!! 人間がこのようなオーラを放つものか!」

 

 ハ、ハンターだって!? しかもシングルの称号持ち! ていうかあいつ母さんを魔獣扱いしたのか!?

 

「大方人に化けて街を襲うつもりだったのだろうがそうはいかん! このディオウ様に出会ったことを後悔するんだな!!」

 

 ハンターはまずい……! 早く逃げなきゃ!

 

「母さん、家に帰ろう!」

「アイシャちゃん……わかったわ」

「子どももいたのか! 見事な絶……! だがこの第一級ダブルビーストハンター・

ディオウ様の名に賭けて逃がすわけにはいかん!!」

 

 なんでさっきよりも称号が上がってるんだ!?

 

「こっちに来るな!」

 

 全力で練! 母さんを傷つける様ならこのアイシャ、容赦しない!!

 

 ……泡吹いて気絶しちゃったよこの人……ほんとにシングルハンターなのかな? とりあえず今のうちに逃げよう!

 

 ふぅ。ここまで来れば大丈夫かな……。

 

「大丈夫、母さん?」

「私は大丈夫よアイシャちゃん。それより駄目よアイシャちゃん。あんなに乱暴なことしちゃあ」

「だってあいつ母さんを傷つけようとしてたし……」

「私のことはいいの。いつも言ってるでしょう? あなたは女の子なんだから、女の子らしくしなくちゃいけないわ」

「……ごめんなさい」

「ん。分かればいいのよ。ありがとう。母さんの為に怒ってくれて」

「うん!」

 

 

 

 こんな事があったわけだ。そこで思ったのが、母さんのオーラも私と同じく禍々しいオーラをはなっているのでは? と推測したのだ。

 

 私にはとても安心感のあるオーラにしか感じないけど、それなら説明がつく……。母さんに絶や隠が使えたらいいんだけど、あれから2年、どんなに練習しても母さんは絶をすることが出来なかった。いや、正確には発以外の念の技術が使えないと言ったほうがいいか。

 

 この5年で母さんが私から10m以上離れることが出来ないのは分かってる。今の状態で街に行けば警察やハンターがやってくる可能性が高い。そうなったら私はともかく、母さんを守りきれるかは分からない……。

 

 仕方ないのでここから出るのはしばらく諦めた。何かいい方法を思いつくまでは今まで通りここを住処としよう。

 

 

 

 というわけで、流星街よ。今後ともよろしくお願いします!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八話

 

 ここで過ごして10年程の月日が流れた……。

 ……母さんが消えようとしているのが、分かる。

 

 異変に気付いたのは3年ほど前だ。明らかに母さんを覆う纏のオーラの量が減っているのだ。私に母乳を与える度に、私の為に何かを具現化する度に、少しずつだがオーラ量が減少しているのだ。

 

 纏には顕在オーラの一部が現れる。顕在オーラは表面上に現れるオーラなので、纏だけをみて潜在オーラ量を見抜く事は出来ない。ゆえに気付かなかった。母さんの潜在オーラが徐々に減ってきているなんて……。

 せめて母さんが練を使えたらもっと早くに気付けていたけど、母さんは纏と発以外の念技術は使用出来ない……。纏にまで影響するということは潜在オーラがかなり減ってきている証拠だ……。

 

 残り2割か3割か? もしかしたらもっと減っているかもしれない……。

 

 もう気付いている。この母さんは私が作り出した念獣ではない。私の作った念ならば、私の識らない知識を識ってるわけがない。すでに父さんの名前や父さんが何をしていたのか、母さんとの出会いなどを聞いている。私の妄想と考えるには出来すぎている。

 

 私の念でなければ誰の念だ? 決まっている。あの時、私の所為で強制的に念に目覚め、衰弱死してしまった母以外あり得ない。

 死して尚、私の為に自らを作り出してまで私を育て、護ってくれたのだ……。私の所為で死んだというのに……!

 

 そして今また母さんは消えようとしている。私の為に何かをする度にオーラは消耗されていく……。消耗したオーラは回復する事はなく、緩やかに、しかし確実に消滅への一途を辿っている……。

 

 もちろん、それを許す私ではない。母乳を拒否し、拾った食べ物やネズミを食べようとした。嫌だの何だのと言ってられない。母さんがいなくなるよりはマシだ!

 

 だがその度に母さんは「こんな不潔なものを食べてはいけません!」と叱るのだ……。

 3回も叱られると、“汚いものは食べてはダメ”と強く思い込んでしまった……。

 

 しかも私を強く叱る度に母さんのオーラが消費されていく。……私の行動は母さんの消滅の時期を早めただけだった。

 

 

 

「アイシャちゃん。そろそろお腹すいたでしょう? ご飯の時間にしましょう」

 

 母乳を拒否しても、無理だ、きっとあの叱りを受けて、飲むことになるだけだ……。だから、飲んだ。母さんの最後の愛情を受け取った……。

 もう、母は、消える寸前だ……。私に、最後の母乳を与えて、少しずつ、希薄になっている……。

 

「ごめんね。最後まであなたと一緒にいられなくて」

「なんで、かあさんが、あやまるの? わたしのほうこそ、ごべん、なざい。わたしを、うんだから、かあさんを、じなせちゃった……」

「いいのよ。母親が子どもの為に命をかけるのは当たり前の事よ。あなたが謝ることじゃないわ」

 

 

「……あり、がとう。わだしを、ひぐっ、うんでくれで」

「いいのよ。私がお礼を言いたいくらいよ。生まれて来てくれて、ありがとう」

 

 

「ありがとう……わたじを、そだ、てて、くれ、て」

「いいのよ。当たり前でしょう。母親が子どもを育てるのは。元気に育ってくれて嬉しいわ」

 

 

「あ、ありがとう。わたしを、あ、あいじで、くれて」

「いいのよ。子どもを愛さない母親はいないわ。そんな人がいたら母さんぶっとばしちゃうわ」

 

 

「……や、やだよ。きえちゃやだよ! ずっといっじょ、に、いで、よ! もう、わがまま、いわないからぁ!」

「ごめんね。私もずっとあなたと一緒にいたいけど、もう、むりみたい……」

 

 

「あああ、いかないで、いっちゃやだぁ!」

「いい。アイシャ。これが母さんの最期のお願いよ。よく聞いてね」

「さいご、なんで、いわないでよ……」

 

 

「元気なのもいいけど、おしとやかにならなきゃ駄目よ。アイシャちゃんは可愛い女の子なんだから」

「……うん」

 

 

「健康には気を付けるのよ。決して不潔なものは食べては駄目よ」

「……うん」

 

 

「アイシャちゃんは優しいけど、誰も彼もを信用しちゃだめよ。相手を良く観て話を良く聴いて判断すること」

「わたし、そんなに、ばかじゃないよ」

 

 

「それならいいわ。あとはそうね。……幸せになりなさい。辛い事や悲しい事は生きてる限り必ず訪れるわ。でも、そんな困難は乗り越えて、幸せになってちょうだい」

「むりだよ……かあさんが、いないのに、しあわせになんて、なれないよ」

 

 

「大丈夫。あなたならきっと乗り越えられるわ。だって母さんの自慢の娘だもの」

「……がん、ばっでみる」

 

 

「いい子ね。……そろそろおわかれみたい……」

「かあさん!? もっと、もっどおはなじしでよ!」

 

 

「ざんねんなのは、あなたのはなよめすがたをみれなかったことね。きっと、すてきだったでしょうに……」

「だったら、それまでいきていて、わたしの、おーらなら、いぐらでもあげるがら!」

 

 

「わがままばかりいわないの。……これがさいごのおねがいよ。なかないで。あなたのえがおを、みせてちょうだい。さいごにみたむすめのかおが、なきがおなのはいやだわ」

「う、うん。……こ、これで、いい?」

 

 

「うん、とってもかわいいわ。……あいしゃ、あなたは、わたしの、じまんの、こよ、だいじょうぶ、わたしは、ずっと、あなたのことをみまもっているから……………………」

「?! ああ、かあさん!? かあざんきえないで! わだじをひどりにじないでよぉ!!」

 

 

 

 その日の流星街には雨が降った。だから私の頬を伝わる水は雨だ。私は母さんと約束したのだから。泣かないと。だから、これは、雨だ。

 

 

 

 

 

 

 母さんが消えてから丸一日が過ぎた。まだ悲しいが、少しは心の整理がついた。

 人は強い感情を保ち続ける事は出来ない生き物だ。どんなに強い感情も、時の流れは残酷にそれを磨耗させてしまう。もちろん、この悲しみが完全になくなるわけじゃないが。

 

 ……何時までも悲しみに明け暮れているわけにはいかない。私は母さんと約束したのだ。幸せになると。辛い事や悲しい事を乗り越えて、幸せになると。ならばここで何時までも呆けているわけにはいかない。ここにいては母さんとの約束を守れないから。

 

 でも、ここを出て行く前にしなければならない事があるな。

 

 

 

「はじめまして。もしかしたら昔会ったことがあるかもしれませんが、もう10年以上も前の事なのではじめましてと言っておきます」

「……何用だ少女よ。ここを流星街の議会室と知ってここまで来たのか?」

「はい。ここにいるあなた方がこの流星街の方針を決定しているのですよね? 少し用があって来ました。安心してください。別にあなた方に危害を加えるつもりはありません」

「……どうやってここまで?」

「気配を絶って。ここを見つけたのは外の人たちの話を盗み聞きしながら調べました。ああ、門番さんは気絶しているだけです。外傷は一切与えていませんし、後遺症もありません……用件を言ってもいいでしょうか?」

「……なんだ?」

「その前に一つ質問が。ここから北西に20㎞ほどの場所にある危険地帯を知っていますか?」

「!? ……ああ、10年ほど前に出来たあの……」

「用件は、そこには一切手を出さないで下さい、と言った簡単な要求です。お願い出来ますか?」

「……それは構わない。元々我々は協議の上であそこには手を出さないと決めている」

「それなら構いません。では「待て少女よ」……なんでしょう?」

「君の要求は分かった。だが君は一体何者だ? 流星街で君の様な少女は見た事がない。少なくとも、君の容姿で目立たないわけがない」

「……もしかして褒められてるのでしょうか? 母さん以外に褒められた事がないから照れますね。ああ、すいません。質問に答えていませんでした。このまま立ち去るのもあまりに無作法ですし、お答えします」

 

「私はその危険地帯に住んでいたのですよ。これでお分かりでしょうか?」

「……!? まさか、噂にあった悪魔の親子の!?」

「……私の母は天使の様に優しい人でした。次に母を侮辱するような事を言えば命までは取りませんが、腕の一本や二本は覚悟する事ですね……!」

『っ!』

「……すいません。思わずオーラを放ってしまいました。すぐに抑えます……」

 

「とにかく、しばらくこの流星街から離れるつもりなのですが、その間に私の母が眠る地を他人に汚されたくないんです」

「……わかった。皆に厳重に伝えておく……」

「ありがとうございます。……そうだ。こちらのお願いを聞いてもらってばかりなのもどうかと思うので、あなた方の要求も聞くことにします。何かありませんか? 私に出来ることで無茶な要求じゃなかったら、聞きますよ」

「……では我々が今後我々のみで対処困難なことがあれば、そちらの力を借りる、というのは……?」

「……分かりました。なかなか上手いですね。ですが私は連絡方法を持ってないのですが……」

「連絡方法はそちらが用意出来たら我々に伝えてくれたらいい」

「分かりました。あなた方がそれでいいのなら。では、そろそろ失礼するとします。皆さん、お達者で」

『……』

 

 

 これでいい。これならあの場所から離れてもあそこが荒らされる事はないはずだ。もし母さんとの思い出の地が荒らされたら、私は怒りのあまりに暴れてしまうかもしれない……!

 

 本当に変わったな私は……これも母さんの教育が行き過ぎていた所為に違いない……全く、困った母さんだった。あれはしちゃ駄目これはしちゃ駄目、あれをしなさいこれをしなさいと、教育ママにも程がある。

 

 

 

 ……母さん。私、頑張るから、ずっと見守っててね……。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九話

 ぬぬ! これはなかなか……おお? そう来るか!? く、これはまずいか? やられてたまるか! そ、そんな!? 技が通用しない!? この投げが外されるなんて……!

 

「……シャ……ま1……5……とう……じ……まで……そ…………こしく……い……」

 

 ああ! やられる! くそ、逆転するには必殺技に賭けるしかない! 逝くぞ!

 

「アイ  様。あと 分以内  6 階闘 場までお越し  さい」

 

 さっきからうるさいな。ゲームに集中出来ないじゃないか! ああ? 敵の超必に当ってしまった! ユールーズ……負けてしまった……。

 もう、せっかくラスボスまで行けたというのに。さっきの放送の所為で集中が乱れてしまった。一体何だったんだ?

 

「アイシャ選手は不参加の為、ゴメス選手の不戦勝となります」

 

 ……ああ! しまった! 試合を忘れていた!

 ふ、不戦敗になってしまった……く、これも何もかもこのジョイステが悪い! 久しぶりにゲームをしたら昔の血(ゲーマー)が騒いでしまって、ついのめり込んでしまった……。

 

 いやあ、ようやくゲームが出来るようになったんで、我を忘れて熱中してしまうとは。……恥ずかしい。次は気をつけよう……。

 

 

 

 あの後、流星街を出てから私は何とか日雇いの仕事をして食い繋いでいた。幸い私は母さんの母乳のおかげか成長が早く、実年齢は10歳程でも見た目は16~18歳くらいには成長していたので、年齢は誤魔化して働く事が出来た。

 しかしそれも長続きはしない。表の仕事は身分証明が出来ない者には厳しい。まともな仕事に就くのは難しい。裏の仕事なら大丈夫かもしれないけど、あまりそっちには関わりたくないし……。

 私に何の取り得もなかったら仕方なかったかもしれないけど、幸い私にはとびっきりの取り得がある。

 武術である。

 

 という訳で、天空闘技場に来た。来た理由はいたって簡単。お金稼ぎと修行のためである。お金稼ぎに関しては言うまでもない。生きていく為にはお金がいる。ここはそれなりに腕の立つ者には絶好の金稼ぎポイントだ。ゆえに天空闘技場だ。ここなら190階以下の階層を行ったり来たりすれば簡単に億の単位を稼げてしまう。

 

 修行に関しては、もう十分じゃね? と思うかもしれないが、実はそうでもない。……私は確実に前世の私・リュウショウ=カザマよりも、弱い……。

 

 身体能力では今の私の方がすでに上だ。私はまだ11歳だが、前世でもっとも肉体を鍛え上げた時よりも遥かに高い身体能力を持っている。

 ……これは前世の私は元の世界の肉体で、今の私はこの世界で生まれ変わったことでこの世界の肉体を手に入れたことが原因だろう。明らかにおかしいスピードで成長し、筋肉の限界とか体の許容量とか無視したような筋力になっている。身体のスペックは圧倒的に現在が上だ。

 

 さらに言えばオーラ量も現在が上。生まれた時からすでに前世の私を越えていたオーラ量は、この11年でさらに成長していた。……堅の修行はしてはいたけど、一番の原因は母さんの母乳にあるかもしれない……なんか飲むたびに潜在オーラが少しずつ増加していた様な気がする……。

 

 ともかく、それでもリュウショウの頃の私と今の私が戦えば、恐らくリュウショウが勝つ。原因は、私の技術と肉体の関係にある……。

 私の持つ技術はリュウショウが90年近くに渡って磨き上げてきた努力の結晶。それは反復に反復を繰り返した結果、当時の私の肉体に最適の動きを刻み込んだ技術だ。

 今の私の肉体に最適な技術ではないのだ。それゆえに、どうしても技がぎこちなく、以前の様にしっくりとこない。肉体と技が喧嘩しているかのようだ。そもそも転生してから誰かと技の稽古をしてはいないのだ。鈍りに鈍ってる。まさか母さんを技の稽古台にするわけにはいかなかったし。

 

 それはまだいい。その点に関してはこうして天空闘技場で戦いながら、前世の技術を今の私の肉体に最適になるよう調整している。 

 一番の問題は私の精神性の差だ。

 以前のリュウショウの精神はもはや植物の域と言えるほどの高みにあった。だが、今の私の精神は普通の女の子……とは言えないが、確実にリュウショウの頃の領域にはいない。

 戦闘において精神の在り方は重要なファクターの1つだ。心の乱れ1つで技が乱れ、相手に必殺の間を与えることとなりうる。これはそこら辺の雑魚ならともかく、一級品、それもかつての我が友ネテロクラスになると致命的だろう……。

 

 

 

 ……まあ、あのクラスの化け物がそうポンポンいたら堪らんな、うん。これに関しては杞憂だったかもしれない。

 そういやネテロ元気かな? 久しぶりに会いたい気持ちもあるな。今の私を見てリュウショウだと気付く事はないだろうけど……。

 

 とにかく、まさに心技体ともにばらばらなのだ。ここでしばらく戦って体を慣らすとしよう。それに身体能力が上がったのは悪い事だけではない。以前の私では出来なかった事も今なら出来るだろう。体の調整も兼ねて色々ここで試してみよう。

 

 その後はどうしようかな?

 グリードアイランド(一応ネットで調べた)を手に入れたいけど、あの値段は今の私では手が届かない。何とか入手したいけど、バッテラという大金持ちが買い集めているらしく、たまにブラックマーケットに出品してもあっさり最高額で手に入れている……オノレバッテラ。

 一応、時々ネットでグリードアイランドに関する情報を集めておこう。買う以外にももしかしたら上手い方法が見つかるかもしれない。

 

 今はそれでいいとして。本当にどうしよう? 別にフロアマスターに興味はないし。今さら道場とか建てたりしないし名誉だとかはいらない。

 色々世界を廻ってみようかな? 世界各国ぶらり旅も面白そうだ。

 

 それともハンター試験でも受けてみるか? ハンター自体にそこまで興味はないけど、ハンターライセンスは今の私には必要になるだろう。持ってるだけで身分証明として最高の証明証になり、グリードアイランドの情報を調べる上でも役に立ってくれるはず。

 あの時、ネテロに誘われた時は断ったけど、今なら受けても合格出来るかもしれない。今は1997年2月27日だから、受けるとしたら来年の試験か。

 

 ん~?

 確か再来年、1999年の試験になんか有った様な気がする……。未来の事が気になるという事は、恐らくあの知識が原因だな。今さらこう言うのもなんだが、いわゆる原作開始だったはずだ……。

 

 ……あの知識は殆ど覚えていない。なんせ100年以上前に見た漫画の知識。これが実際に経験した記憶ならともかく、そんな漫画の知識を100年以上も記憶しておくなんて不可能だ。それが出来ていれば前世の私は【原作知識/オリシュノトクテン】なんて能力作ってはいないよ……。

 

 せいぜい覚えているのは、始まりがハンター試験であること。主要人物が少年2人(4人だっけ?)。あとは……確か天空闘技場とグリードアイランドが関わってたかな。そして色々あった後になんか凄いヤバイ生き物がでてきて世界がやばかったくらいか。

その場面をみて記憶と照らし合わせれば、少しは思い出すかもしれないけど。

 

 ……ヤバイ生物(確か蟻?)どうしよう? 今の私なら勝てるかな? でもネテロでも勝てなかったはず。ならネテロより弱い私が勝てるわけがない。

 

 いや、念能力者には相性もある。私はネテロの【百式観音】相手には勝つことは出来なかったが、ネテロの【百式観音】が通じなかった相手に私の技術が勝る可能性はある……。さらに今の私の心技体が完全に一致すれば、確実に前世の私より強くなってるはずだ。

 もっとも、技と体はともかく心は厳しいかもしれない。当時の精神にまで至るのは難しそうだ……。本当は戦うことなく発生前に潰したいのだけど、そんな細かい事覚えているわけがないよ。はあ……。

 

 暇つぶしになんか新しい念能力でも考えてみようかな?

 

 

 一応ここに来る前に作った能力はある。あまりにも燃費が悪すぎる能力だけど……普通に生きてく為には便利なんだけどね。

 

【天使のヴェール】

・特質系能力

 自身のオーラを覆い隠し、体から出るオーラを感知できないようにし、一般的なオーラに見せかける念能力。念能力者が見てもただの垂れ流しのオーラとしか確認できない。ONとOFFの切り替えは可能。

 

〈制約〉

・この能力の発動時は纏の状態でも通常時の練と同じ量のオーラを消耗する。

・この能力を発動した状態で念を使用するとその念を使用するのに必要なオーラ量は通常の10倍となる。

・体から離れたオーラにはこの能力の効果は及ばない。

 

〈誓約〉

・特になし

 

 ……いや、いざ流星街を出てから他の街に行ったんだけど、常に絶をするか隠をしていないと普通に過ごせなかったんだ。でも、常時絶や隠をし続けながら生活をするなんて精神に負担掛かりすぎる。

 そこで、このオーラをごまかす事の出来る念能力を作ればいいと思ったわけだ。

 

 最初はオーラの質を誤魔化すだけの能力を作ろうと思っていたんだが、いざ色々考えながら作り上げてみると凶悪な能力に仕上がってしまった。

 この能力を発動しているとこちらが堅をしても凝をしても、硬をしてさえも相手は無反応。もちろん相手は念能力者だ。こちらが念能力者であるとさえ気付かなかった。これだけでこの能力の凶悪さが分かるというものだ。

 

 その分デメリットも多くなってしまったが。並みの能力者なら纏をしているだけで一時間もしないうちに倒れるだろう。私の膨大なオーラ量でさえ、この能力を発動した状態で練をすれば6時間ほどしか持たないからなぁ。

 ……10倍の消耗率で練が6時間持てば十分過ぎるか。

 

 まあ所詮は通常時。臨戦態勢時はオーラの消費量は応用技も使いながら戦った場合、通常の6~10倍のスピードで減っていく。私の場合は、まあ戦い方にもよるけれど、これが60~100倍のスピードになるわけだ。

 

 消費が激しすぎて戦闘時に纏以外は出来るだけ使わないようにしてます。まあその辺の相手でしたら纏すら必要ないけどね。弱体化したとはいえ、元風間流師範を舐めてもらっては困るな。

 ワタシtueeeeeeeee。

 

 さて、新しい能力はどんな能力にしようかなぁ?

 なんか参考になるものがあればいいんだけど。ん~、なんかないかな?

 

 ……はて、かつてもこんな風に念能力について色々考えたようなことがあった気がする。なんか、とてつもなくまずいことを忘れてる気がする……。

 

 だめだ。思い出せないな……。ま、いっか。思い出せないならたいしたことないってことだし。多分……。今は新しい能力について考えよう。

 

 

 

 天空闘技場に来て2週間。新しい念能力が出来た。いやあ。考えた考えた。何を考えたかと言うと、どうすれば自身の危険を減らせるか。別に戦いから逃げるとかではなく、戦いの中での危険を減らす方法を、だけど。

 

 念能力者の戦いは何が起こるか分からない。これの一番の理由は、相手がどんな能力を持ってるか分からないから。操作系ならこちらを操る能力かもしれないし、具現化系ならなにか特殊な能力を持った道具を具現化するかもしれない。いくら強くても操作されたり特殊な念を喰らったりすれば負けるだろう。

 

 そこで作ったのがこれ。

 

 

 

【ボス属性】

・特質系能力

 自身に及ぼされる念による状態異常や特殊効果を無効化する念能力。自身の用いた念は無効化することはない。この念は常時発動している。

 

〈制約〉

・無効化するたびにオーラ量を消費する。消費されるオーラ量はその念に込められたオーラ量×nのオーラ量を消費する(nは強い影響を及ぼす念能力ほど高い数になる)

・死者の念による特殊効果を無効化することは出来ない。

・自身の意思で無効化する効果を選ぶ事は出来ない(治癒能力なども無効化する)

 

〈誓約〉

・この能力によりオーラが枯渇した場合、即座に気絶をしてしまい、かつ30日間絶状態となってしまう。またその間は【ボス属性】も発動しない。

 

 

 

 これなら特殊な効果を持った念も怖くない! もっとも、念で防げるのは特殊効果のみで念による物理的なダメージは普通に通るけど……。

 そこまで便利には出来ない。しかもこれまた燃費悪いし、【天使のヴェール】発動中にこの【ボス属性】の効果が出てしまったら……。消費されるオーラ量にもよるが、あっという間に私のオーラは枯渇してしまうだろう……。

 

 ON/OFF出来ないのは結構厳しかったかもしれない。でもそれだけの制約がないとこれほどの能力は作ることが出来ない。自由に受ける能力を選べないことがいい制約になっている。自身の念能力も無効化する様にすればもっと強力に出来たかもしれないけど、それだと【天使のヴェール】が無意味になってしまうし。

 

 もう一つの問題は念とは関係ない通常の毒とかは無効化出来ないことか。

 なにせそれを無効化してしまえば性転換の薬も無効化してしまうかもしれないしなぁ。仕方ないから通常の毒に関しては自分が気をつけるしかない。逆にその方が完全に油断しない分いいかもしれない。

 

 しかし見事に攻撃系の念能力がない。まあ、これ以上念能力を作るのは難しいかもしれない。出来てもたいしたレベルの能力にはならないだろうしね。

 

 

 

 

 

 

 さて、私は現在天空闘技場から逃げ出している……。

 

 あの後はお金稼ぎの為に190階と180階を往復していた。わざと負けるのは気が引けたけど。すでにお金は10億近くになっている。こんなに貰っていいのだろうか? なんか炭鉱で働いていたのが馬鹿らしくなるほどだ。

 

 しかし190階に来て幾度目か、とうとう警告を受けてしまった。これ以上負けるようなら意図的に負けているものと判断し1階層よりやり直しとなり、その後もまた同じ事をすれば闘技場の参加資格を剥奪する、と。

 

 どうやら露骨過ぎたようだ。……仕方ない、次の試合には勝って200階に上がるとしよう。お金は十分に稼いだし、念能力者相手の稽古もしておきたいしね。そう思って勝ちはしたのだが、200階で妙なのに出会った。

 

 ピエロだ……。なんかもう、とても嫌なオーラをはなってる変なピエロがいた……

こっちを見る目がなんかキモい。

 変なピエロが話しかけてきた。

 

「くくく、200階にようこそ♥」

「……なんの用でしょう? 特に用がないならどいてくれませんか。登録出来ませんので」

「んー、そうさせてあげたいんだけど、君にはここは少し早すぎるかな? ボクの横に何があるか分からないだろ♠」

 

 ……念で作った髑髏。見たところかなりの実力者。今戦っては苦戦はまぬがれないかも……。戦うならもう少し体と技を馴染ませたいところだ。

 

「何の話ですか?」

 

 ここは引く。何というか、負けるとか勝つとか戦うとか以前にこいつとは一緒に居たくない。なんか絡みつくような粘着質なオーラをはなっているし。

 

「君は今でもおいしそうだけど、将来はもっとおいしく育つ。ここで壊れるには少々おしい♦」

 

 うわぁぁぁぁ!? ぞわっとした! 気持ち悪いよこいつ。なんだろう、生理的に受け付けないタイプだ!

 

「なんだったらボクが君を育てても……」

「全力でお断りします!!」

 

 脱兎の如く200階から逃げ出す! そのままの勢いで天空闘技場から出て行ってしまった。今さら戻る気持ちはない。なんだあの変態ピエロは……!?

 

 ……なんかまたも記憶を刺激されている気分? 変態ピエロもあれ(原作)関係かもしれない……。

 

 とにかく、こうなった以上は仕方ない。お金も十分貯まったし、することもないから世界各国ぶらり旅でもしよう。

 

 さらば、天空闘技場よ!!

 

 

 

 

 

 

『アイシャ選手! 華麗な投げによる一撃でクリティカルヒット! 合計11ポイント先取により190階突破ァァァァ!!』

 

 ふぅん。勝ち上がって来ちゃったんだ……♥

 最初に見た時はわざと負けて180階と190階を昇降してたからかまわなかったけど、200階に上がってくるなら話は別だね♣ ここで戦ったらいくら強くても初心者じゃ壊されちゃうからね♠ せっかく美味しく実りそうな果実なんだ。じっくり育ったところを頂かなきゃ♦

 

 

 

「くくく、200階にようこそ♥」 

 

 来たか。くくく、直接見るとまあ、なんて美味しそうなんだ……♦

 

「……なんの用でしょう? 特に用がないならどいてくれませんか。登録出来ませんので」

「んー、そうさせてあげたいんだけど、君にはここは少し早すぎるかな? ボクの横に何があるか分からないだろ♠」

 

 オーラを髑髏の形に変化させる。彼女はオーラが垂れ流しの状態で常にいる。念能力者ではないはず♣

 

「何の話ですか?」

 

 案の定、念は使えないようだ。だとしたらこのオーラの流れは天然か。ますます美味しそう♥

 

「君は今でも美味しそうだけど、将来はもっとおいしく育つ。ここで壊れるには少々おしい♦」

「なんだったらボクが君を育てても……」

「全力でお断りします!!」

「逃げられちゃった……少し念を放出しちゃったみたいだね♠」

 

 仕方ない。また会う機会もあるさ。その時はもっと美味しく育っている事を期待しよう♣

 

 しかし、垂れ流しとはいえオーラの流れに変化がなさすぎた。もしかして彼女使えたのかな? だとしたら勿体無かったかな……♥



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ハンター試験編
第十話


 カタカタっと。これでよし。これで287期ハンター試験申し込み終了だ。あ、もう通知が来た。ええっと、試験会場はザバン市か……これだけしか書いてない。後は自分で調べろってことか。毎年何百万人も受験者がいるんだ。それぐらい調べられない者にハンターになる資格はないって事ね。

 

 私が1999年に行なわれるハンター試験に参加しようと思ったのは、確認のためだ。何の確認かと言うと、私の他にこの世界に来た人たちはいるのか、という確認だ。今まであまり考えてなかったけど、世界を巡りながらよくよく考えてみたらその可能性はある。

 その確認がもっともしやすいのがこのハンター試験だろう。

 

 ……今さら元の世界に帰りたいとは思わない。私はここで死に、ここで生まれ変わったのだから。しかし気にならないと言えば嘘になる。もしいたら会って話をしてみたい気持ちはある。

 

 とりあえずザバン市を調べてみるか。ええと場所は……ここからだと飛行船で向かうのが一番早いかな? さっそくチケットの用意をしますか。

 

 

 

『ザバン市ハンター試験会場直行便・ハンター試験受験者専用飛行船はまもなく出航いたします。搭乗されるお客様は……』

 

 なんかチケットを予約して空港で待ってたらそんなアナウンスが流れた。

 

 はて? 試験会場直行便なんてそんな便利なのがあるの? 周りを見渡すと明らかに堅気の人間じゃない人たちがぞろぞろと列をなして飛行船へと進んでいる。……いいのかな? なんか簡単すぎる気がするんだけど。

 

 そう思って躊躇していると、何人かは残ってボソボソ話している……聞き耳立てよう。

 

「……ルーキーか。こんな単純な罠に引っ掛かるなんてな」

「全くだ。試験会場直行便なんて便利なものがあったら苦労はしねえよ」

「まあそう言うなよ。ライバルは少ないに越した事はないだろ?」

 

 ……まあ、当然引っかかるわけがありませんよ、ええ。さすが私。この程度の罠見抜けなくて何が風間流か!

 ……嘘じゃないぞ。引っ掛かってないんだから。

 

 

 

 飛行船が出航してから10分ほど待っていると再びアナウンスが流れた。

 

『ハンター試験受験者の方たちは、5分以内に空港入り口へと集合してください。繰り返します……』

 

 おお、こっちは本物の案内の様だ。さっきの人たちも入り口へ向かっている。……2回目の引っ掛けはないよな?

 入り口で待つ事3分。正面に1台のバスがやって来て、バスからガイドが降りてきた。

 

「お待たせいたしました。このバスはただいまからトネリ港へと向かいます。トネリ港には試験会場最寄の港・ドーレ港へ向けて出航する船があります。ハンター試験受験者の方は空港のチケットをこちらにお渡しの上で、バスにご乗車下さい」

 

 良かった。残って正解だったか。……でも実はこれも罠だって事はないよね? さっきの罠の後だと穿った物の見方をしてしまうな。実はこのバスはトネリ港には着かないとか?

 

 ……ありそうだ。トネリ港はここから10㎞ほどの距離にある港。走っていっても間に合うかな? トネリ港に船があること自体が嘘だったら仕方ないけど、それだったら乗っても同じ事。だったら乗らずに走っていったらもしバスが罠だった場合は回避できる。

 とりあえず確認してみよう。

 

「すいません。トネリ港から船が出るのは何時頃でしょうか?」

「……12:30頃となっております」

 

 ……一瞬オーラが強張った。当たりかな?

 

「分かりました。では私はこれで失礼します」

 

 そう言ってそこから離れる。12:30に出航なら走っていっても十分間に合うし、10㎞くらい走っても疲れる事はない。これが間違いならその時はその時だ。諦めよう。

 

 到着っと。時間は……12:15か、ゆっくり走りすぎたかな。間に合ったし、いいか。船は……あった。港には1隻しか船はない。あれかな? 近づいてみよう。

 なんか船の前に一人の男の人がいる。白い髭を蓄えた赤い鼻の如何にも船長風な男だ。

 

「お前さん。受験者か? 受験者なら船のチケットをだしな」

「これでいいでしょうか?」

 

 言われて飛行船のチケットを出す。……これしかチケットは持ってない。これで駄目なら失格かな?

 

「よし。合格だな。あの試験を突破した奴はお前さんくらいか」

「やっぱりあれは引っ掛けだったのですか……」

「まあな。一つ目の罠の後に二つ目の罠を用意しておいたのさ。罠を突破したと思って油断した奴はそこで終わりだ」

 

 ……良かった。穿って物を見るのも必要な時もあるんだな。

 

「では私は……」

「ああ、お前は俺が責任を持って試験会場最寄の港まで送ろう。船に乗りな。もうすぐ出航の時間だ」

「分かりました」

 

 船が出た。結局この船に乗っている受験者は私だけ……。空港でルーキーを馬鹿にしてた3人はいなかった。あなたたちのおかげで罠に気付く事が出来ました。あなたたちの犠牲は忘れません……多分。

 

「お前さん。まだ聞いてない事があったな。名前とハンター資格試験の志望理由を聞かせてもらおうか」

「名前はアイシャ。ハンター試験を受ける理由は身分証明の為です」

 

 まあ転生者の有無なんて言っても阿呆扱いされるだけだろう。

 

「……正直なんだな。まあ取り繕ったかの様な奇麗事の理由を並べられるよりはいいか」

「嘘は好きじゃないんですよ」

 

 吐かない訳ではないけどね。

 

「ふん、まあいい。ドーレ港までは一日といったところだ。それまではゆっくりしてな」

「わかりました。……そうだ、どうせ試験会場は自力で見つけないといけないのですよね? ヒントみたいなのくれませんか?」

 

 少し思い出してきたから、確か試験会場入り口が定食屋かなにかだったはずだけど、そこへ至るまでの道筋が分からない……。それを探すのも試験の内なんだろうけど、それが人に聞いてはならないという答えにはならないだろう。人脈もまた力なんだ。

 

「……ぶわっはっはっはっはっ!! 本当に正直な嬢ちゃんだな! いいだろう。ヒントだけなら教えてやる。ドーレ港に着いてからだがな」

「おお。言ってみるものですね。ありがとうございますおじ様」

「おじ……!?」

「感謝の気持ちを込めてみました。駄目ですか?」

「船長と呼べ船長と! 絶対に他の船員の前でそんな呼び方すんじゃねぇぞ!」

「分かりましたおじ様」

「てめぇ……! それ以上言うと失格にするぞ!!」

「そんな……!? 言われた事を守って他の船員の前では言ってないのに!?」

「揚げ足を取るんじゃねぇ! さっさと船室に入ってろ!」

「はぁい。分かりました」

 

 これ以上からかっては本当に怒るかもしれない。ここは素直に従おう。……しかし、誰かと楽しく会話したのは久しぶりだ。

 ……時間があればまた話そう。

 

 

 

「おじ様色々ありがとうございました。おかげで楽しい船旅となりました」

「俺はもうお前と一緒の船旅はしたくねえな……」

「失礼な。まるで私が迷惑をかけたかのような言い方を」

「迷惑だったに決まってるだろうが!」

「こんな美少女と一緒にいたのに何たる言い草……」

「自分で言ってりゃ世話ねえな……ま、二度もお前を案内するのはご免だからな。今回の試験で合格するよう祈っといてやる」

「……(デレた?)ありがとうございます」

「あの山に見える一本杉を目指せ……それが試験会場への近道になる」

「分かりました。それでは、本当にお世話になりました。体に気をつけて下さいね」

「ふん。さっさと行きな」

 

 おじ様と別れ一本杉を目指す、と言っても今からだと山の中で夜になるかな。この街で一泊してからにしよう。

 楽しい船旅だったな。もし試験に落ちてまた試験を受ける事があったらもう一度おじ様に案内してもらいたいな。

 

 

 

 

 

 

 やれやれ行ったか、まったく。結局半日はくっ付いて話してやがったなあの嬢ちゃん……。俺なんかと話すのがそんなに楽しかったのかね? ニコニコと話しかけてきやがって……。

 おじ様……か。……悪い気はしねぇな。

 ち、なに考えてんだ俺は……。さっさと次の目的地に行くか。次は二つの港を廻った後にくじら島に行くんだったな。くじら島か、ジンの奴が居た島だな。あいつの息子ってのは今どうしてんのかねぇ。

 

 

 

 

 

 

 一本杉を目指して歩いているとなんか廃墟の様な場所に着いた。……廃墟の様と言っても、視線は感じるし息づかいも衣擦れの音も聞こえる。円で確認するまでもない。隠れる気はない様だ。

 案の定ぞろぞろと人が集まってきた。一人のお婆さんを先頭に変なマスクを被った人たちが前の道を塞ぐ。……劣化流星街の住人って感じだ。

 

「ドキドキ……」

「はい?」

「ドキドキ二択クイ~~~~~~ズ!!」

 

 うわっ! まずは私の心臓を攻撃する気か!? なかなか出来るお婆さんだ。

 

「お前はあの一本杉を目指しているんだろ? あそこへはこの街を抜けないと絶対に辿り着けないよ。他からの山道は迷路みたいになっている上に凶暴な魔獣のナワバリだからね」

 

 ……凶暴な魔獣か。負ける気はしないな。迷路と言っても木の上を跳んで行ったら大丈夫なんじゃ……?

 

「これから一問だけクイズを出題する。考える時間は五秒間だけ。正解したらここを通してやる。もし間違えたら失格だ。今年のハンター試験は諦めな」

 

 まあ問題を無視してももしかしたら失格かもしれないし、ここはクイズに答えよう。

 

「①か②で答えること。それ以外のあいまいな返事は全て間違いとみなす」

 

 選択問題か。これならどんなに難しくても半分の確率で合格出来るな。……逆に駄目だろ? これもハンター志望者をふるい落とす為の試験なんだろうけど、問題が分からなくても合格出来るようにしていいのか? 運も実力の内という奴だろうか。

 

「父親と母親が崖から落ちそうだ。一人しか助けられない。①父親 ②母親 どちらを助ける?」

「②。母親です」

 

 ……速攻で答えてしまった……でも仕方ない。その質問でそう答えないなんて私の選択肢にはない。問題を聞いてこの試験の意味が理解出来た。でも……それでも本当にどちらかしか助けられないなら、母さんを選ぶだろう。

 

「なぜそう思う」

「別に父が憎いわけではありません。私を捨てた理由はよく分かっていますし、納得していますから。しかし死んでも私を護ってくれた母さんと比べる事は出来ません」

 

 そうだ。そんな状況が在ったら私は確実に母さんを助けるに決まっている。

 ……もっとも実父ではなく養父(リュウゼン)だったら話は別だけど。その時は何が何でも両方助けるね。

 

「例えこれが不正解と分かっていても、この問題では必ず母さんを助けると答えるでしょう」

 

「……何故不正解だと思うんだい?」

「人によって答えの変わる二択。正解なんて選びようもない。ゆえに真の答えは沈黙。問題に答えない事こそ正解となるのでしょう?」

「……問題の意味に気付いていたのかい……それが分かっていて、何故答えたんだ?」

「先ほど答えたでしょう。それが理由です。例えハンター試験に落ちることが分かっていても、あの問題で私には沈黙を選ぶ事が出来なかった。それだけのことです」

 

 もう話す事はない。不合格となるのは残念だけど、転生者や漂流者の確認をするのはハンター試験以外でも出来る。背を向け、元来た道を戻ろうとする。

 

「……待ちな」

「何か?」

「こっちが本当の道だよ。一本道だ。2時間も歩けば頂上に着く」

「……私は不合格では?」

「答えは分かっていたんだ。少々あんたには問題の方に問題があったみたいだしね。補欠合格ってやつさ」

 

 補欠か……。いや、合格出来るだけマシか。

 

「いいのですか?」

「あたしがいいって言ったらいいんだよ」

「……分かりました。お言葉に甘える事にします」

 

 合格出来るならそれに越した事はないし。このお婆さん意外にいい人だ。長生きしてくれるといいな。

 

 山道を歩いていると一軒家が見えてきた。お婆さんが言うにはここにナビゲーターの夫婦がいるらしいけど……。確実に気配が3つある。気配の主はそれぞれ動いていないな。……1人が離れた位置にいて、1人が別のもう1人の側で立っている状態でジッとしている。シュールだ。

 

 明らかに私を待ち構えているだろうこれ。どう考えてもこれも試験の一つとしか思えない。……あまり待たせると悪いので中に入ろう。ノックしてもしもお~し!

 

「入りますよ~」

「キルキルキルキ~ル」

 

 なんか狐っぽい魔獣が女の人を掴んだまま飛び掛ってきた。出待ちしてくれてたみたいでありがとうございます。取り敢えず撃退しよう。突進してくる相手に風間流は相性いいぞ。己が力をそのまま喰らうがいいわ! ……一応加減はしておこう。女の人も助けておくか。

 

「ふっ」

「がっ!?」

 

 魔獣をぶっ飛ばして宙に飛んだ女の人を抱きとめる。

 

「大丈夫ですか?」

「え、ええ。お、夫も、夫も助けてください……」

「はあ……助ける必要あるんですか?」

「え……?」

「いや、あなた方は私がここに来るのを待ち構えていたじゃないですか。皆さんグルなんでしょう?」

 

「……よく分かりましたね」

「まあ、気配を察知するのは得意なんで」

「なるほど。こちらが襲いかかった時といい、攻撃に巻き込まれた者への対応といい、合格だ。君を試験会場まで案内しよう」

 

 壁まで飛ばされた魔獣がそう言ってくれる。

 

「よろしくお願いしますね」

 

 その後は羽を生やした魔獣(凶狸狐というらしい)の足に掴まって試験会場のある町まで空中遊泳を楽しんだ。いいなこれ。私も自分で飛んでみたいな。

 

 

 

 

「この建物が試験会場の入り口だ」

 

 人間に化けた凶狸狐さんに案内されたのは、大きくて立派な建物……の横にある小さな定食屋だった。うんうん、これだこれだ。ちょっとだけ思い出してきたぞ。ここで合言葉を言えば試験会場まで案内してくれるんだよな。

 

「じゃあ早速中に入ろうか」

「あ、ちょっと待ってください」

「どうしたんだ? 今さら怖気ついたわけじゃないだろう?」

「えっと、一つ聞きたいんですけど。試験は1月7日から開始なのに早くに会場に着いた人たちはどうしてるのですか?」

「そりゃ、開始までずっと待ってるだろうな。もちろんその間の寝食はハンター協会が持ってくれるだろうが」

 

 うーむ。それなら試験開始日まで時間を潰していてもいいかな。それに長丁場になるだろう試験だ。水や携帯食料なんかも用意しておいた方がいいしね。何せ私は母さんの言いつけで汚い物は食べてはいけないとなっている。長い試験中に綺麗な食事が何時もあるとは言い切れないからな。

 

「試験日までこの町で時間を潰します」

「……まあ、それは構わない。しかし早く会場入りして他の受験者の情報を集めたり、試験の傾向を練ったりするのもハンター試験には必要だと思うが……」

「大丈夫です。問題ありません」

「君がそれでいいなら構わないが。そうそう、合言葉を言っておこう。いいか、この“めしどころ ごはん”に入ってから注文を聞かれたら、ステーキ定食を注文する」

 

 ふんふん、忘れないようメモしておこう。

 

「その後に焼き方を聞かれるので、人差し指を立ててから“弱火でじっくり”と頼む。これで試験会場まで案内してくれる」

「分かりました。それでは、案内ありがとうございました」

「ああ、試験の締め切りに遅れないよう気をつけな。試験がんばりなよ」

 

 行ったか。さて、試験開始まで何してよっかな。時間はたっぷりあるし。よし。まずは腹ごしらえでもしよう。

 

「すいませ~ん。ステーキ定食ひとつ」

「……焼き方は?」

「ミディアムレアで。あ、後ご飯大盛りでお願いしますね」

 

 ふふふ、ちょっと冷やかしてやった。悪い客かもしれない。ゴメンね店員さん。

 お、美味い! やっぱりお肉はミディアムレアに限るね! ご飯があればなお良し!

 

「すいませ~ん。ご飯お代わりお願いしま~す」

 

 腹が減っては戦は出来ぬ。試験になったら美味しい物を食べる機会もないだろうからここで一杯食いだめしておこう。

 

「すいませ~ん。このホルモンと野菜の炒め物と豚肉の生姜焼きを二つお願いします。あと、ご飯お代わりで」

 

 うん。肉が美味いと飯も進む進む。

 ……なんか妙な眼で見られてるけど、なんか変な所でもあるのかな? まあいいや。今はご飯に集中だ。一つたりとて残さない。食とは命を喰らうことなり。なんてね。

 

「あと焼肉定食を二つ追加で。勿論ご飯は大盛りで」

 

 なんか昔と比べると一回の食事量が増えた気がする。我慢は出来るけど、食べられる時に食べた方がいい。

 ……太るのは嫌だから町の散策をする時はランニングしながら散策しよう。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十一話

 街で大量の保存食と水分、一応予備の服を数点補充しておいた。背中のバッグが結構な重量になったけど仕方ない。これくらいあれば多少試験期間が長くても食料と水は持つだろう。

 さて、準備も出来たしめしどころに行きますか。

 

「いらっしぇーい!! ご注文は――?」

「ステーキ定食」

「焼き方はミディアムレアかい?」

「弱火でじっくり」

「あいよー」

「お客さん奥の部屋へどうぞー」

 

 ……覚えられていた。なんか恥ずかしい。

 奥の小部屋に入ると既にステーキ定食が用意されていた……あ、ご飯が大盛りになってる。……嬉しいけど、やっぱり恥ずかしい。そんなに大食いに見られてたのかな?

 

 エレベーターになっている部屋で下に着くのを待ちながらステーキを食べる。うん、美味い。弱火でじっくりも中々いける。しかし、この店ってハンター試験の為に作られたのかな。だとしたらすごいな。普通の定食屋って感じだったのに。一回の試験でどんだけの金が動いてるんだろう?

 

 そんな事を考えているとエレベーターが止まった。着いたのか? B100……地下100階か、どれぐらい深いんだろう?

 

 開いた扉の向こう側には……おお、予想以上の人数がたむろっている。これ全部受験生なのか。そんな彼らが入ってきたばかりの私を鋭く睨みつける。こっち見んな。まあすぐに興味を失ったように視線を外したけど。

 

「はい、番号札です」 

「! ……どうも」

 

 おおビーンズ! ネテロの秘書のビーンズじゃないか! 久しぶりだな! 元気そうで何よりだ。変わってないな相変わらず。……本当に変わってないな。あれから13年以上経ってるのに。成長しきってこの姿なんだろうか?

 

「あの、何か質問でも?」

「い、いえ。なんでもありません」

 

 思わず凝視してしまっていた様だ。ごめんねビーンズ、久しぶりだったからつい。でもビーンズは今の私のことは知らないんだよな……。少し寂しい。

 

 ……気を取り直そう。私の番号は……401番か。

 

 おっといけない。ハンター試験を受けた目的を果たさなくては。恐らく転生者や漂流者と言われる存在がいるとしたら、念を覚えて試験に挑む可能性が高い。なら纏をしている者を探せばいい。

 

 ……いないかな? いた。纏をしている。誰だ? 転生者か、それとも……。

 

 変態ピエロだった。

 どうして? どうして変態ピエロがここにいる!? もしかしてあいつ……そうだ思い出した! あの変態ピエロ、確か物語に関わっていた! それも結構重要な位置にいなかったか!?

 

 やばいよ。あれがここにいるなんて予想外だよ……。強さはともかくなんか気持ち悪いんだよアイツ。っ! ひぃぃぃぃ! 眼が合ったよう! こっちに来る!? 助けてネテロ! 今こそ百式観音の使いどころだ! 親友の貞操の危機だぞ!!

 

「やあ久しぶりだね♣」

「人違いではないでしょうか。私にあなたの様な変態ピエロの知り合いはいませんが」

「くくく。つれないなあ。ところで君、やっぱり使えるんだね♦」

 

 なんでだ? 念を使える事がばれた? 私は【天使のヴェール】を解いていない。念能力者には垂れ流しのオーラしか見えていないはず……。

 

「前にもそのような事を言ってましたね。何の話ですか?」

「とぼけても無駄だよ。君のオーラはあまりにもボクのオーラに無反応過ぎる。いくら念が使えないからといっても、オーラの動きは多少なりとも見て取れるはずだからね♠」

「……」

 

 そんな僅かなことで見抜くか……。ちょっと想像以上の使い手だな。

 

「つまり君はオーラの制御が出来ている、ということになる。あと、“前にも”って言ったね。やっぱり覚えてるんじゃないか♥」

 

 余計な事を口走ってしまったな。まあバレバレだったから別にいいけど。

 

「いいねぇ。君すごくいいよ。今すぐ食べちゃいたいくらいだ♠」

 

 うわぁぁぁ……。もうやだこの変態。こんな変態に食われるくらいなら帰ったほうがマシだよ……いや、いっそヤるか? その方が後顧の憂いが残らない分いいかも……。

 いやいや。なに危険な思想をしている私。

 

「私なんておいしくないですよ。ほら周りを見てください。私なんかよりも歯ごたえがありそうな人たちが一杯います」

 

 ……なんか周りから余計な事を言うな! といった感じの無言の圧力を感じる……ごめんなさい、変態の視線に耐え切れずつい……。

 

「周りにいるのでおいしそうなのは一人だけでね。他は今のところどうでもいいかな♥」

 

 誰だその可哀想な人は。っていうか私以外にいるならそっちに行って下さい。

 

「とにかく。私は試験に集中したいので失礼させてもらいます」

「残念。嫌われちゃったかな♦」

 

 さっさと変態ピエロから離れる。出来るだけ一緒にいたくないタイプの存在だ。長い私の人生でもああいう変態はそうそう見ないぞ?

 

 いけない。あいつの所為で目的を忘れるところだった。他に纏を使える人はいないかな。お、いた……顔面針男だ。……あれが転生者だとは思いたくない。ましてや漂流者だとは認めたくもない。あれが同郷の出身だったら軽く絶望するよ。

 

 

 

 その後も何人かエレベーターから人が降りてきたけど念能力者じゃないな。あ、またエレベーターが開いた。今度は3人組だ。

 

 ……つんつん髪の少年と渋めの青年と美形の青年だ。もしかして……多分あれがそうかな。いわゆる物語の主人公たちかもしれない。物語だとか主人公だとかの言い方は嫌だけど、他にいい表現がないし。

 ……う~ん、主人公(名前忘れた)たちの中にも纏が使える人はいない。やっぱり私以外にはあの世界から来た人はいないということかな?

 

 無駄足だったかな?

 まあいいや。取れるならハンターライセンスは取っておこう。あれは便利だ。公共施設の95%はタダだし。素敵すぎる。

 そう考えているといきなり銅鑼か何かの音が大きく響き渡った。ハンター試験の開始の合図だろうか?

 

「受付時間は終了だ。これからハンター試験を開始するぜ」

 

 なんか無精髭生やした四角い鼻のおじさんが試験の開始を宣言した。……あれはおじ様とは言いたくないなぁ。船長さんの渋さには敵わないね。

 

「オレは1次試験担当官のトンパだ。よろしくな」

 

 ……なんか、こんな人だったっけ。1次試験の試験官って? なんか違う気がするんだけどなぁ。でもこの人の名前も何となく覚えがあるから、多分私の勘違いだろう。それにあの知識どおりに進むなんて限らないしね。

 

「今から始まる1次試験は至って簡単。2次試験会場まで俺について来ることだ」

 

 ああ、そんなのだったな。やっぱりこの人が試験官であってたか。記憶なんて曖昧なもんだからね。あれだけ昔の事なんて覚えてなくても仕方ないか。

 

「結構な距離を走るから頑張るんだな。そうそう、途中に水分補給の為のコーナーをいくつか用意してある。そこのドリンクは自由に飲んでいいぜ」

 

 ふぅむ……親切というよりは罠と見るべきか? ハンター試験でそんなスポーツの様な配慮があるとは思えないし。

 

「さて、それじゃあ早速始めるか。ついて来な」

 

 その言葉と共に走り出すトンパさん。後を追いかける受験生たち。トンネル内に凄い音が響き渡る。……私も行こうっと。

 

 

 

 

 

 

 おお、中々集まっているな。受験生は412名か……こいつらの何人が合格するのやら。

 

 オレはトンパ。かつては“新人つぶしのトンパ”と言われていたハンター試験のベテラン……だった。

 

 ハンター試験で俺が求めているのはほどよい刺激。合格する気なんかハナからなかった。ベテランの動向をチェックし常に危険を察知しながら自分の安全を守り、すぐ側で死の瞬間を見物する。

 新人の夢や希望が失われる時の絶望の表情を見るのは最高のショーだったね。次第に自分から進んで新人の夢を刈り取るようになった。

 

 そんなオレが本当にハンターになるなんて夢にも思わなかったぜ……。

 

 ……あれは7年前の試験の時だったか。当時の試験でも例年通りオレは新人に様々な罠や嫌がらせを行なってきた。あいつもその対象、新人の一人だった。

 

 何時ものように俺はその新人を罠に嵌めようとした。しかし、そいつはオレがどんな罠を仕掛けてもことごとく回避しやがった。いや、それはいい。オレの罠を回避する奴は今までもいた。別にそいつだけが特別ってわけじゃない。

 

 問題はそいつが合格した後だった……。

 オレは試験の危険が増してきた時に試験を降りたから、そいつが合格したのは後から直接そいつから聞いた……。

 

 そう、直接聞いたんだ。あいつは合格した後にわざわざオレを探していやがったんだ。探した理由は、オレの性根を叩き直すのが理由だった……。それを聞いたオレは即座に逃げ出したね。あっさり捕まったけどな……。

 そしてオレは精神修行の名目であいつの入門している道場。風間流合気道場へと強制入門させられた……。

 

 3年間に及ぶ厳しい鍛錬だった……。脱走も何度も企てたが、修行中はあいつがほぼ四六時中付きまとってオレを監視して無理だった……なんでも一度やると決めた以上は最後まで責任は持つらしい。夜寝静まっている時は様々なセンサーを張り巡らせてやがって猫の子1匹出入りするのも無理だった……そこまでするか?

 

 3年も陸の孤島で缶詰になって訓練したおかげで体は大分すっきりしちまったよ。あいつが言うにはまだ搾れるらしいが、勘弁してくれ……。

 

 とりあえず合格をもらってハンター試験を受けた。あいつからは新人つぶしとかしたらオレのピーーをつぶすと脅しを喰らった……。あの眼はマジだった。恐ろしくて新人つぶしなんて考える暇もなかったね。

 

 結果は合格。まさかのハンターライセンス入手だった……。その後はまたあいつに捕まった。まあその時の試験官だったし、待ち構えていたんだろう。合格したその日にまたも道場へ直行。

 そのまま今度は念(その時初めて知った)の修行をやらされた。

 

 こんなものがあるとは思わなかったぜ。3年の修行で念の基本を修めたオレはハンター資格の裏試験なる物に合格した。これで正式にハンターになったってわけだ。

 

 しかし、ハンターになってもやりたい事なんて今さら思いつかなかったオレは、何をしようかと考えていた……。

 その時だ! まさに天の啓示の如く素晴らしいアイディアが俺の脳に浮かんできた。

 

 

 

 ハンター試験の試験官になれば新人の絶望に染まった顔を見る事が出来るじゃないか!

 天恵を得た気分だったねあの時は。どうして今まで思いつかなかったのか不思議なくらいだ。 

  

 すぐさま試験官を申し込んだ。無償らしいが全く問題ない。むしろこっちが払いたいくらいだ。

 

 こうして、オレの初の試験官が始まるわけだ。試験のために発、能力まで作った。これで試験内でのオレの安全は確実だし、受験生の絶望の表情もじっくり観察出来る。一次試験が終わっても最終試験まで付いていけばもっと楽しめるしな。

 

 ……あいつにはばれないようにしないとな。ばれたら想像するだに恐ろしい罰を与えられるに決まっている……。さあ、1次試験を始めるとするか。

 

 

 

 

 

 

 皆が走り出したので私も走りだそうとする。

 そこでふと思いついた。最後尾を走れば変態ピエロに絡まれなくてすむのでは? と。もし変態ピエロが最後尾まで来たら全力で前に行けばいい。

 ついでに絶もしておこう。【天使のヴェール】をしたままだと纏の状態でもオーラを消耗する。絶ならオーラも消耗しにくい上に変態ヒソカにも見つかりにくくなるだろう。

 

 それに何だかオーラの消費がいつもより少しだけ早い気がする。ハンター試験に対して緊張しているのかな? 精神状況でオーラの消費速度は変わってくるからな。そんなに柔な精神じゃないと思っていたけど……まあいいや、オーラの消耗を抑える為にもやっぱり絶でいよう。

 

 

 

 感覚的には50~60㎞は走ったかなぁ。前世の私ならここら辺でばてばてだったかな? 確か若かりし頃の持久走自己ベスト距離が100㎞ほどだったはず。

 もっともこんなスピードではなくもっとゆっくり走ってだけど。今のスピードならもっと早くにギブアップしてるよ。やっぱり前世の私にはハンター試験合格は無理だったかもね。

 

 しかしこの体のスペックの高さときたら……。こんだけ走ってもぜんぜん疲れません。でも他の受験生たちもまだ誰も脱落していない。やっぱりこれくらいの身体能力がこの世界の標準なのかな?

 

 そんな事を考えながら走っていると、少し前を走っていた渋めの青年が隣を走っていた。……かなり疲れてるな。呼吸が荒いし、汗もかなり出ている。あ、コーナーにあるドリンクを取った。水分補給は確かに大切だけど……。

 

「あの~」

「うお!? はっ、はっ、なん、だよ、はっ、はっ、ねーちゃん!?」

 

 あ~。絶をしていたのでびっくりさせてしまったか。すいません。

 

「そのドリンクなんですけど、多分毒かなにかが混入されている可能性がありますから飲まない方がいいと思いますよ」

「はあ!? はっはっ、ま、マジ、かよ!?」

「多分ですけど。ハンター試験でドリンクなんてそんなサービスのいいことあるのかなって思いまして」

「レオリオ~。今試しに味見してみたけど、なんか味が変だよ。そのおねーさんの言う通りに飲まない方がいいと思う」

 

 お、つんつん髪の少年よ。ナイスフォローだ。でも味見するなよ。猛毒だったらどうするんだ。

 

「はっはっ、くそっ! あのクソ試験官め!!」

 

 なんか可哀想だな。結構な距離を走って汗も大量にかいたところに水分が置いてあったんだ。飲みたいと思うのは当然の欲求だ。罠と分かり易い仕掛けな分、飲みたくても飲めないという状況に追いやられる。精神を削る嫌な罠だな。

 

「よければこのジュース飲みますか? 私が試験前に購入したやつですが」

「はっはっ、い、いいのか!?」

 

 このままでは体力よりも精神が折れてしまうかもしれない。買っておいた水分はかなりあるからペットボトル1本くらい問題ないしね。

 

「はい。構いません。あ、でもこれ私の飲みかけでした。すいません。開封してないのを渡しますね」

「! い、いや! それで、いい!」

「え、いやでも開いてるやつだと……」

「いいから、その飲みかけのをくれ!」

 

 あ、私の手から飲みかけのペットボトルを取って勢い良く飲んだ。そんなに喉が渇いていたのか。しかも開いてるペットボトルを飲むなんて……。もし私が毒を入れていたらどうするんだ? 初めて会った私をそんなに簡単に信用するなんて……。

 

 単純だけどいい人なんだな。

 

「ぷはぁっ、あ、ありがとよねーちゃん! この礼は、必ずするぜ!」

「いいですよ。別に大したことをしたわけではありませんから」

「よ~し。気合入ったぜ! 絶対ハンターになったるんじゃーーーーーー!!」

 

 おお、すごい勢いで走っていった。そんなスピードで走るとまたばてちゃうよ?

 

「おねーさん。レオリオを助けてくれてありがとう」

 

 お、つんつん髪の少年が話しかけてきた。レオリオさんと言うのかあの渋めの青年は。

 

「構いませんよ。先ほどの方にもいいましたが大したことではありません」

「あんたお人好しだな。ハンター試験で赤の他人を助けるなんてな」

 

 銀髪の美少年が話しかけてきた……きっと以前の私ならイケメン氏ねなどと思っていたことだろう。ふ、私も成長したものだ。

 

「お人好しですか……余裕があるだけですよ。本当のお人好しは自身が窮地に陥った時にも他人を助けにいく事が出来る人です」

「はあ? 自分がピンチなのに他人を助けるなんてお人好しじゃなくて馬鹿のすることじゃねえの?」

「……そうかもしれませんね」

「とにかく、おねーさんがレオリオを助けてくれたことに変わりはないよ。だから、お礼は言っておかなきゃ」

「そうですか。では素直に受け取っておきますね」

 

 う~ん。いい子だ。確か物語では主役の……名前なんだったっけ?

 

「おねーさんはさ――」

「――アイシャです」

「……へ?」

「私の名前です。何時までもおねーさんでは言いにくいでしょう」

「そっか。オレはゴン! よろしくねアイシャさん!」

「オレはキルア。ま、短い間だろうけどよろしく」

「よろしくお願いします。ゴン君、キルア君」

「ゴンでいいよ。おねーさんが年上なんだし」

「別にオレも呼び捨てでいいよ」

「なら私もアイシャでいいですよ。歳もそんなに変わらないはずですし」

『え?』

「……なぜ2人とも驚くのですか」

 

 まあ、大体理由はわかるけど……。

 

「いや、あんた何歳なんだ? オレはもうじき12歳だけど……どう見ても同い年には見えないね」

「オレももうじき12。アイシャは?」

 

 ゴン君……ゴンは慣れるのが早いな。許可は出したけどすでに呼び捨てとは。なんか自然な感じで嫌ではないけど。

 

「同い年ではないですね。私は13歳です。今年で14歳になります。二人より1年ちょっと年上ですね」

「13!? 1つだけしか違わないのかよ! 5つは上かと思ってたぜ……」

「……早熟だったんですよ。11歳くらいには今の見た目でしたし……」

「そうなんだ」

「まあ11歳過ぎた辺りで成長がかなり緩やかになりまして、身長は殆ど伸びていませんね。せいぜい胸が大きくなってるくらいです」

 

 多分母さんの母乳を飲まなくなったからかな。身長が伸びなくなったのは。あれには成長促進の効果もあったに違いない。胸だけはいまだに成長している……正直いらないんだけど。

 

「胸って……」

 

 はて? キルアの視線が胸に集中している気がする。

 

「ふぅん。いいなあ。オレももっと背が欲しいよ」

「元々女性の方が成長期が早いんですから。ゴンやキルアは今からが成長期でしょう。これからどんどん背が高くなりますよ。3、4年もしたら私の身長などすぐ追い抜きますよ」

「そっか。それならいいや」

 

 う~ん。ゴンは素直ないい子だ。

 

「へっ、あっという間に追い抜いてやるよ」

 

 ……キルアはちょっぴり生意気な子だ。少しはゴンを見習え。まあでも子どもだからこれくらい生意気でも可愛いものかもしれないな。

 そういやゴンは最初に何を言おうとしてたんだろう。その後の会話で言いたい事を忘れたのか?

 

「おい、あんまとろとろ走ってるとおいてくぜ」

「構いませんよ。私は私のペースで走りますから。2人は気にせず先に行ってください」

 

 あまり前に行くと変態ピエロとエンカウントしてしまうからね。

 

「んじゃ。先に行こうぜゴン」

「う、うん。またねアイシャ。頑張ってね」

「はい。2人も頑張って下さい」

 

 2人とも行ったか。ゴンとキルア……確かに記憶の底にあったな、この名前は。この二人が中核となって物語は進んでいたはずだ。

 しかしこの世界ではどうかわからない。生きた人間がいるこの世界は紙の中の世界とは違う。

 この世界で生きている全ての人間に、その人だけの物語があるのだ。変化なんていくらでも起こりうる。例え私という異物がなかったとしても、物語通りに進むとは限らないのだから。

 

 

 

 ゴン達と離れてスローペースで走っていると、少し前にパソコン持った人がフラフラと走っているのが見えてきた。

 

「ゼッ ヒューッ ゼーッ ヒューッ ゼヒューッ」

 

 うわっ? 大丈夫かこの人? ……いや駄目だな。レオリオさんの時よりも遥かにひどい……。これはもう無理じゃないかな?

 あ、コーナーにあるドリンクを取った。一応止めておこう。

 

「あの~」

「ンゴッンゴッげほっげほっヒュー、ヒュー、ングッングッ!」

 

 あ……止める間もなく一気に飲んでしまった……。大丈夫なんだろうか?

 

「しん、じない、ヒューッ、オレが、ゼーッ、負け犬に、ゼヒューッ、なるなんてっ」

 

 ……大丈夫なのかな。もしかしたら普通のドリンクも置いてあったのかもしれない。

 

「い、いや……たくない…………うっ!?」

 

 あ、お腹を押さえてうずくまった……。やっぱりなんか入っていたか……。さすがに命に関わる毒ではないと思うけど……そこまではしないだろう?

 

「あの、大丈夫で……」

 

 ピーゴロゴロゴロギュルリリリリリ!

 

「水をここに置いておきますので自由に使ってくださいそれではさようなら」

 

 全力前進だ!! 後ろでなにか聞こえるのは気のせいだ! 前だけを見て走れ!!

 ……私にも、助けられる人と助けられない人がいる……。ああ、なんて無力なんだ……。

 

 

 

 お、階段だ。あ~、もしかしたらエレベーターで降りてきた分昇らなきゃいけないのかな。何人かここでリタイアしてるな。さすがに階段はキツイよね。私は今のところは大丈夫だな。でもペースは上げない。変態ダメ絶対。

 

 なんか前の方から話し声が聞こえてきた。マラソン中に会話なんて余裕あるな。あ、私たちもしていたか。うすらうすらとクルタ族がどうのこうのと聞こえてくる。クルタ族ってあのクルタ族か?

 

 ……大分脱落している人が増えてきたな。すでに100人近くは脱落したか。今のところ変態とのエンカウントはない。良し、このアイディアは大成功だ。……ん? 明かりが見えた。出口か?

 これで薄暗いトンネルからもおさらば出来るな、ってちょっと待って! なんでシャッターが閉まってくの!? 時間制限あるなんて聞いてないよ!? ダッシュだ間にあえー!

 

 ふう。滑り込みセーフだ。あ~びっくりした。冷や汗出たよ。間に合わなかったらシャッター破壊するところだった。

 

 

 

「さて、ここからが本番だ。ここはヌメーレ湿原、通称“詐欺師の塒”と呼ばれる場所だ。二次試験会場へはここを通らなければ行く事は出来ない」

 

 トンパさんが説明をしてくれている。ヌメーレ湿原か。……どうしてそんな湿原とあの定食屋の地下が繋がっているんだ? 今回の試験の為だけに作ったわけじゃないよね?

 

「ここにいる動植物たちは特殊な進化をしていてな。その多くが人間を欺いて食料にしようとする狡猾で貪欲な生き物たちだ」

 

 なんでこんな人が住んでなさそうな場所の生物がそんな進化してるんだろう? 明らかに進化の方向を間違っていると言わざるをえない。

 

「十分注意してついて来ないとだまされて死んじまうぜ」

 

 あなたももしかしてここの出身なのでは? ……ありうるかも。

 

「ふぅん。だったらボクらも騙されてないか確認しないとね♦」

 

 なっ! 変態がトンパさんに向かってトランプを投げた!? 何してんだこの変態は! しかもあのトランプしっかりと周してるし! 

 ……へ? 投げたトランプがトンパさんの体から全部逸れた。……何をしたんだトンパさん? 変態がわざと外したとは思えないし、何かの発か?

 

「……何をしたのかな?」

「そいつは秘密だな。あと言っておくが、いくらオレが本物の試験官か確認するためとはいえ、試験官に攻撃するのは許されない。次に俺に攻撃をしたら失格にするぜ」

「くっくっく。仕方ない。先ほどのが何なのか気になるけど、キミ自体はあまり好みじゃないしね♥」

 

「さあ、二次試験会場へ行くとするか。しっかりとついて来な」

 

 

 

 うわ、ぬかるみがうっとおしいな。霧も濃くなってきた。前もほとんど見えないくらいだ。これはあまり後方だと前とはぐれるかもしれないな。気配を辿ればいいけど、一応円を使うか。これなら多少後方でも大丈夫だろう。

 

 ……うわぁ、すでに何人も別の方向に走っているよ。なにか人間とは違う生き物があちこちにいるな。周りから悲鳴が聞こえてきた。まさに詐欺師の塒、こんなに多種多様な生き物が人を騙すための進化を遂げてるって意味分からん。

 

 っ! ……殺気。それもかなり強い。これは獣ではない、人特有の殺気だ。

 

 誰だ。こんな場所で殺気を放つなんて?

 

「ってえーーーーーー!!!」

 

 !? ……この声は、レオリオさんの声! 殺気の強い場所から聞こえた!! この殺気の持ち主から何かされたのか? くっ、少しだけど会話をした人が危ないとなると助けに行きたくなってしまうな。そう遠くないようだし、様子を見に行こう!

 

 遠くから悲鳴と一緒に変態ピエロの笑い声が聞こえてきた……。ってこの殺気は変態ピエロのか!! 道理で粘っこいやな感じの殺気だと思ったよ! レオリオさんは変態ピエロに狙われてるのか……。

 ん? 変態がレオリオさんを狙ってるってことは……まさかの両刀か!? お、恐ろしい……どちらもいけるなんて、まさに真正の変態だ……。

 

 うわぁ……あれがいると分かった瞬間に助けに行きたくなくなっちゃったよ。でもあんないい人を見捨てるのも嫌だ……。

 

 相手が確認できる離れた場所で様子を見よう。絶をして気配を消していれば真・変態にもばれない、はず。もしレオリオさんが殺られそうになったら助けにいこう。そうでないなら静観だ。何でもかんでも私が助けたらハンター試験にならないし。……いやでもこれは試験とは関係ないから大丈夫か? ヒソカは試験官じゃないしな。

 

 お、いたいた。茂みに隠れて様子を見る。いるのは変態とそれに対峙しているレオリオさん、美形の青年、濃いおっさんの3人か。良かった、レオリオさんは無事だったか。

 

 お、3人がばらばらの方向に逃げた。いい判断だ。変態も追いかけずに待っている。余裕の表れだな。

 ちょっ! なんで戻ってくるのレオリオさん!? うわ、突っかかっていったよ! そんな攻撃があの変態に当たるわけない! 無理無茶無謀の三拍子そろってますよレオリオさぁん!

 

 仕方ない、援護射撃をするか。石を投げて変態の気を逸らそう。その間に逃げてくれ!

 あ、変態の顔に何かが当たった。私の石じゃない。……私の石は何かが当たって仰け反った変態の顔の側を通り過ぎてレオリオさんの横顔に当たった。……あ、レオリオさんが気絶した。

 レ、レオリオさーーーーーーん!?

 

 ど、どうしてこんなことに!? 私はただレオリオさんを助けようとしただけなのに……今のは、ゴンの釣竿か! レオリオさんを助けに来たのか。く、本当にいい子だけど、タイミングが悪すぎた……。

 

 はっ!? こ、こっちに視線を感じる。……明らかにこの茂みを見ている……この粘っこい視線、変態のだ。

 

「そこにいるのは誰だい? なかなか上手に隠れていたね♠」

 

 まだ私だとは特定出来てはいないようだけど時間の問題だな……。

 

「さっきの石。本当はボクを狙ったものだね。そこの釣竿のボウヤといい、先ほどの彼といい、意外と期待できるのがいるね♦」

 

 私には何も期待しないで下さい。あとこっち来んな。

 あ、ゴンが変態に釣竿で殴りかかった。いけ! そこだ! ぶっ飛ばせ! 私が許可する! まあ無理だろうけど。……やっぱり避けられた。このままじゃゴンも殺られる? 殺気は感じられないから大丈夫かもしれない。けどもしもの時は私が止めるしかない。

 

「仲間を助けにきたのかい? いいコだね~~~~~♣」

 

 うわ。またも粘つくかのような嫌なオーラを放っているよ……。これはゴンもロックオンされたかな? 可哀想に。

 

「うん! 君も合格♥ いいハンターになりなよ♣」

 

 やっぱりか。どうもあの変態は強者か強者になりうる可能性を持つ者に執着するみたいだ。ゴンとレオリオさんは変態のお眼鏡に適ったと言うことかな? あ、こっちに来る。くそっ、こうなったら仕方ない。私も出るか。

 

 ――ピピピ――

 

 ん? この音はケータイかな。あ、変態のケータイみたいだ。

 

 “ヒソカそろそろ戻ってこいよ。どうやらもうすぐ二次会場につくみたいだぜ”

 

「OKすぐ行く♦」

 

 変態の名前はヒソカ、か。思い出したくない名前だったよほんとに……。

 

「お互い持つべきものは仲間だね♥」

 

 変……ヒソカの仲間、やっぱり変態なのかな?

 

「あとは……」

 

 おっと! こっちにトランプ投げてきたか!

 

「っ!」

「なんだ。誰かと思ったらキミだったのかいアイシャ♠」

「……なんで私の名前を知っているんですか? あなたの様な変態に教えた覚えはありませんが?」

「変態とは随分だね。キミの名前は天空闘技場にいた時に知ったよ。普通に選手紹介されてるだろ♦」

「……そうでしたね。それで、まさかここで私と戦う気ですか?」

「そうしたいところだけど、今は我慢するよ。2次試験が始まるまでに終わるとは限らないし、さすがに三度も試験を受けるのはボクも面倒だからね。キミと殺り合うのはまたの機会にするよ♥」

 

 そんな機会は永遠に訪れないでほしいものです。

 

「自力で戻ってこれるかい?」

「大丈夫ですからさっさと行ってください」

「くっくっく、つれないな♣」

 

 笑いながらヒソカは霧の向こうに去っていった。はぁ、難儀な奴に目をつけられちゃったな……。

 

「ゴン!?」

 

 あ、美形の青年が戻ってきた。この人もレオリオさんを心配してきたのか。仲間思いの人だな。

 

「クラピカ……」

「どうしてここに……ヒソカは?」

「もういないよ。二次会場に行ったんだと思う」

「そうか……レオリオ!? ヒソカにやられたのか……」

 

 いえそれは私がやりました……。

 

「あ~、すいません。それは私の所為です……」

「……キミは?」

「その、レオリオさんの怪我は、私が投げた石が当たってしまって、その、え~と……すいませんでした……」

「レオリオを助けるために投げたんでしょ。オレの釣竿がヒソカに当たらなかったら、アイシャの投げた石が当たっていたよ」

「ゴン、知り合いか?」

「うん。トンネルの中で知り合ったんだ。その時もレオリオを助けてくれたんだよ」

「そうか。礼を言わせてくれ。レオリオを助けてくれたみたいで感謝する。私の名前はクラピカだ。よろしくな」

「いいえ。今回は助けたと言うより危害を加えてしまいましたから。……あと、私はアイシャといいます。よろしくお願いしますね」

 

 美形青年の名前はクラピカか。

 

「アイシャ、さっきの大丈夫だった?」

「あのトランプですか? 当たってないから大丈夫ですよ。ゴンこそ大丈夫ですか?」

「うん。オレは平気だよ……」

 

 心拍数が上がってるな。さすがにアレを目の前にして平常ではいられなかったか。

 

「とにかく、いつまでもここにいても仕方ないな。はやく二次会場に行かなければ失格になってしまう」

「レオリオは……ダメだ。完全に気絶してるや」

「あ、レオリオさんは私が背負って行きます。私の所為で気絶してしまいましたからね」

「しかし、君の様な女性にその様な事は……」

「大丈夫ですよ。私そこそこ力ありますから……すいません、バッグを持ってもらえますか?」

「……本末転倒な気がするが、分かった……」

 

 うう、重量的には問題ないけどバランスが悪くて一緒には背負えない……。

 

「こ、このバッグ、一体何を入れているんだ?」

「えっと、保存食と水分と他数点ですね」

「そ、そうか……(こんなのを背負ってあれだけ走ったのか……)」

 

 レオリオさんを背負う私。うん。これくらいなら大丈夫だ。早く追いかけないと失格になってしまう。円でヒソカの位置を確認できるかな? ……ダメだ。ヒソカは既に円の範囲外に行ったみたいだ。でもヒソカが行った方向にたくさんの動物の死骸と思わしき物が転がってるな。これを追跡すれば大丈夫かな?

 

「さあ、早く行きましょう」

「うん」「分かった」

 

 さて、間に合えばいいんだけど。

 

 




 バタフライ効果現る。
 まあ、主人公は結構世界に影響を与える事を前世?で行なっているので、バタフライ効果も出て来ます。トンパが大分前に新人つぶしをしなくなった所為で受験生の人数にも変化があります。原作ではトンパの所為で挫折して二度と試験を受けなかった新人っていたと思うんですよ。
 しかしバタフライ効果が現れても原作の基本的な流れは極端には変わりません。完全なオリジナルを作れない作者の力不足です……。

念能力説明
【箱庭の絶対者】
・特質系能力
 ハンター試験中にハンター試験会場の中でしか使用できないトンパの念能力。発動中はまさに強靭! 無敵! さいきょー! になれる(あらゆる攻撃・念能力を無効化する)。自分が担当している試験なら罠も自在に配置でき、自由に試験会場で起きた出来事を鑑賞することも出来る。

〈制約〉
・この能力が発動している時に直接他者を攻撃する事は出来ない(罠は大丈夫)
・他者を直接死に至らしめるような罠は配置出来ない。
・ハンター試験中にハンター試験会場の中でしか使用できない。
・試験会場で起きたことを鑑賞出来るのは最終試験までの間となる。また鑑賞で手に入れた情報を他者に伝えてはならない。

〈誓約〉
・鑑賞で手に入れた情報を他者に伝えると今後三年間試験官になることは出来なくなる(試験官になろうと思う気持ちが三年間なくなる)。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十二話

 しばらく走っていると大きな建物のある場所についた。他の受験生たちもいる。間に合ったか。

 

「良かった。間に合ったみたいだね」

「どうやらそのようだな」

「さて。ここビスカ森林公園が2次試験会場となる。俺の試験はこれで終わりだが、しばらく様子は見させてもらうぜ。俺の試験を突破した奴らがどこまでいけるか興味があるしな」

 

 トンパさんはどうやら1次試験が終わった後も試験を見守るようだ。意外と面倒見のいい人なんだろうか?

 

「う、ぐ、いてて、あれ? 俺はなんでこんな……?」

 

 あ、レオリオさんが目を覚ました! 良かった、このまま2次試験が始まったらどうしようかと思っていたよ。

 

「大丈夫ですかレオリオさん?」

「あ? あれ、あんたは……なんで俺はねーちゃんに背負われてるんだ!? い、いてて、か、顔が痛い?」

 

 あ~。取り敢えずレオリオさんを降ろしてから事情を説明しよう。

 

 

 

「なるほど。この傷はそういうことか」

「すいませんでした……」

「あ~、気にすんなよ。あんたも俺を助けようとしてくれてたんだろ?」

「それはそうですが……」

「結果的に助けてもらってるんだ。ここまで連れて来てくれてるしな。最初の借りもあるし、こっちが礼を言わなきゃいけないくらいだ。ありがとうな」

 

 ……怪我をさせた私を気遣ってくれるなんて……レオリオさんは本当にいい人だな……。くぅ。こういう人にはぜひともハンターになってもらいたいものだ。

 

「わ、私の名前はアイシャです。あの、レオリオさん! 絶対ハンター試験合格しましょう!」

「お、おう。アイシャだな。お互い頑張ろうぜ」

「はい!」

 

 いやあ、いい人に出会えたものだ。もしかしたら転生後初めての友達になってくれるかもしれない。ゴンもいい子だし。キルアは小生意気だけど。クラピカさんも仲間思いのいい人だし。ハンター試験は出会いの場かもしれない。受けてよかったハンター試験。

 

 

 

 さて、さっきから猛獣のうなり声のような音があの建物から聞こえてくる。なんだこの音は? 2次試験は本日正午に始まるみたいだけど……もうすぐだな。

 あ、扉が開いた……山の様な大男と髪型のおかしい露出狂の美女がいた……。もしかしてこの音はあの男の人のお腹の音か? ありえん。

 

 

 

 2次試験は料理試験か。一応1人暮らしは長かったから、多少は料理ぐらい作れるけど。でも複雑な料理は無理。懐石とか高級レストランで出るような料理は全然分からない。

 私に出来るのは極一般的な家庭料理が精々だ。

 

「オレのメニューは豚の丸焼き!! オレの大好物」

 

 ……複雑、ではないのかな? いやでも、豚の丸焼きって、作るだけなら簡単だけど、美味しく作るのって難しいんじゃないか?

 

「この森林公園に生息する豚なら種類は自由。それじゃ、2次試験スタート!!」

 

 まあいいや。取り敢えず豚を捕まえてから考えよう。

 

 

 

 豚や~い。どこですか~? あ、豚いた………豚、だよね? どうみても3m以上の大きさなんだけど……。

 

 まいっか、豚に違いはあるまい。突進してきた豚に対して当たる直前に回避。通り過ぎようとしている豚の側面に一撃、豚昏倒。あっさり捕獲。所詮は豚よ。悔しかったら飛べる様になって出直して来い。

 

 あとは焼くだけなんだけど……。おいしい豚の焼き方なんて知らないし、もういいか。どうせ他の受験生たちも知らないだろう。普通に焼こうっと。

 

 

 

「あ~食った食った。もーおなかいっぱい!」

 

 ……豚の丸焼き70頭完食? 良かった。私は大食いと呼ばれる領域には至ってなかった様だ……。あれが真の大食い……! 美食ハンター恐るべし!

 いや、もしかしたら念能力だったりしてね。たくさんの食事を食べたいが為に胃の容量を増やす能力とか。はは、あながち間違いじゃないかもしれない。念能力は決して戦闘のみを目的として作るものじゃないからな。

 

 

 

「2次試験後半。あたしのメニューは……スシよ!!」

 

 スシか。ジャポン発祥の料理だ。元日本人の私には馴染み深い料理だが、この世界ではジャポンは辺境の島国扱いなのでスシも世界的に見て全然広まっていない。……美味しいのに。

 

「ふふん。大分困ってるわね。ま、知らないのもムリないわ。小さな島国の民族料理だからね」

 

 アンタ遠まわしにジャポン馬鹿にしてるのか? 私の第二の故郷にして我が敬愛する師・リュウゼンの眠る地だぞ。ケンカ売ってんなら買うぞ?

 

「スシはスシでもニギリズシしか認めないわよ!! それじゃスタートよ!! あたしが満腹になった時点で試験は終了!! その間に何コ作ってきてもいいわよ!!」

 

 これってスシの事を知ってる人にはすごい有利じゃないか? 何を求めている試験なんだろうか。どうしよう。作ったら合格になるのか? 作っても美味しくないと不合格なのか?

 

 ……いいや。作ろう。それで合格するもよし。不合格になるもよし。後は流れに任せよう。あ、そうだ。どうせならレオリオさんたちにもスシの事を教えよう。他人に教えちゃ駄目とは言われてないしね。

 

 

 

「(レオリオさん、クラピカさん、こっち来て下さい)」

「あ? アイシャじゃねーか。どうしたんだ?」

「(静かにしてくださいね。私、スシがどんなのか知ってるんです)」

「な!? マジかもががが……!」

「(静かにしろこの馬鹿リオが! 他の受験生に気付かれたらどうする!)」

「(わ、わりい……て誰が馬鹿リオだこらぁ!)」

「(二人とも器用ですね。小声で怒鳴るなんて。とにかく、寿司について教えるので外で待っててください。私はゴンとキルアにも声掛けてきますから)」

『(わかった)』

 

 ゴンたちを連れて早く外に行こう。ここにいるとヒソカの殺気に当てられそうだ。

 

 

 

「ここなら誰もいませんね」

「スシ知ってるって本当かよあんた」

「あんたではなくてアイシャです。生意気言ってると教えませんよ」

 

 キルアは本当に生意気だな。ゴンの爪の垢を飲ませてやりたいくらいだ。

 

「いいですか。寿司とは……」

 

――少女説明中――

 

「というものです。分かりましたか?」

「なるほど。文献で読んだことがあったが、確かにアイシャの説明の通りだったな」

「よおし! これで2次試験も合格だぜ!」

 

 そう上手くいかない可能性の方が高そうだけどね。

 

「スシを美味しく作るのは素人ではまず無理だと思います。私も食べた事は何度もありますが、実際に作るのは初めてですし。知ってるからといって合格出来るとは限りませんよ?」

「それでもスシのことを知ってるのと知らないのとじゃ大違いだよ。ありがとうアイシャ、オレたちにも教えてくれて!」 

 

 おお、眩しい笑顔だ。良いってことよ。その笑顔で報われる思いだ。

 

「ま、礼は言っとくよ」

 

 このがきんちょはまっことどげんかせんといかんね。

 

 

 

 さて、材料も手に入れたし、早速作ってみようかな。ん? なんか騒がしいな。

 

「メシを一口サイズの長方形に握ってその上にワサビと魚の切り身をのせるだけのお手軽料理だろーが!! こんなもん誰が作ったって味に大差ねーーーべ!?」

 

 ……説明口調でわざわざ他の受験生に聞こえるように言ってくれて本当にありがとう忍者よ。おかげでこそこそしていた私の努力がパ~になりましたよ……。あ、みんな外に魚採りに行ったし。

 

「ざけんなてめー鮨をマトモに握れるようになるには10年の修行が必要だって言われてんだ!! キサマら素人がいくらカタチだけマネたって天と地ほど味は違うんだよボゲ!!」

 

 それが分かってるなら味で判断しないでよ……。どれだけの受験生がそのレベルに達していると思っているんだ。いるわけないだろ?

 

「さあ、次の挑戦者いらっしゃい!!」

「次はオレだぜ!」

「あ~、あんたも見た目はそれっぽく作ってるし。もー、ハゲのせいで作り方がバレちゃったじゃないの!! こうなったら味で審査するしかないわね」

 

 初めからそのつもりじゃなかった事にびっくりです。レオリオさん、がんばれ!

 

「ダメね。お酢がキツすぎ! 食えたもんじゃないわ!」

「ちょっ!」

 

 やっぱり無理か……。1流の味を知っている人を初心者が満足させられるわけがないよね……。

 

「これもダメ! 握りが遅い! ネタが温まっては美味しい鮨は出来ないわ。やり直し!」

「何だよそれ! んなこと知るかよ!?」

 

 私も今知ったよキルア。だからこっち睨むな。私は悪くない。

 

「シャリの形が悪い! 地紙形かせめて船底形に握りなさい!!」

 

 私も撃沈。地紙形ってなんですか? おいしいの?

 

「切り方が……形が……ネタが……」

 

 

 

「ワリ!! おなかいっぱいになっちった」

 

 第二次試験後半メンチさんのメニュー合格者なし!!

 

 

 

 いやこれ無理でしょ。素人に要求するレベルじゃないよ。

 うわっ! ヒソカの殺気が一段と膨れ上がった。今すぐにでもメンチさんを攻撃しそうな感じだ……。メンチさんも殺気に気付いているのかピリピリしてるな。まさに一触即発だ。

 

 あ、賞金首ハンター志望って人がメンチさんに殴りかかった。今のメンチさんを刺激するなんて自殺志願者か? 止めようかと思ったけどブハラさんが割って入ってくれたのでやめておいた。結構な怪我をしたみたいだけど、あれくらいで済んだなら御の字だろう。

 

「賞金首ハンター? 笑わせるわ!! たかが美食ハンターごときの一撃でのされちゃって」

 

 まあ、念能力者と非念能力者の差以前に身体能力で劣っていましたからね、あの賞金首ハンター志望の人。ブラックリストハンターになりたいなら、今回のをいい教訓だったと思って本腰入れて修行すればいいと思う。

 

「武芸なんてハンターやってたら嫌でも身につくのよ。あたしが知りたいのは未知のものに挑戦する気概なのよ!!」

 

 途中から味の審査に変わっていました。まあ忍者の人のせいかもしれないけどさ。

 

『それにしても、合格者0はちと厳しすぎやせんか?』

 

 こ、この声はまさか!!

 上空にはハンター協会のマークの入った飛行船。その飛行船から一人の老人が飛び降りてきた! 周りの人はあんな高さから飛び降りてどうして無事なのか驚愕してるけど、私は別の意味で驚いている。

 

 おお! ネテロ、ネテロじゃないか! かつての我が生涯の好敵手(とも)よ!!

 元気そうでなによりだ。オーラの流れを見るに、最後に見たときよりもさらにオーラの流れが静かに、かつ流麗になっているな……。私の伝えた最後の言葉“研鑚を怠るな”をしっかりと受け止めてくれているみたいだ……嬉しいな。

 今すぐこの喜びを言葉にしてネテロに伝えたい。伝えたいが、“私がリュウショウです”なんて言って信じるはずもないし……。

 

 

 

 私が葛藤している間に2次試験が別の試験に変わったみたいだ。

 飛行船に乗って山に行く。なんでもゆで卵を作るのが課題らしい。いきなり難度が下がったな。これもネテロのおかげか。さすがネテロ!

 

 山に到着。目の前には深い谷がある。マフタツ山……その名の通り二つに分かれている山だった。この山に生息するクモワシの卵をとってゆで卵を作れば試験合格。

 

「あーよかった」

「こーゆーのを待ってたんだよね」

「走るのやら民族料理よりよっぽど早くてわかりやすいぜ」

「そうですね。これなら合格できそうです」

 

 最初からこっちにしてれば良かったのに……あ、でもそれだとネテロには会えなかったのか。メンチさんよくやった!

 

 これで第二次試験も合格! クモワシの卵はとってもおいしかったです。

 

 

 

 第2次試験後半メンチのメニュー合格者43名

 

 

 

 

 

 2次試験が終わるとまたも飛行船に乗り込んだ。次の目的地はこの飛行船で行くらしい。

 明日の朝8時頃に到着する予定とビーンズが教えてくれた。それまでは自由時間らしい。なにしよっかな? ゴンとキルアは飛行船の中を探検するみたいだ。

 特に疲れてないから私も飛行船の中を見物しようかな。飛行船に乗るのは3回目だけど、2回目はさっきマフタツ山に行くのに乗っただけだし、1回目なんて赤ん坊の時に乗せられて流星街に落とされただけだしね。

 まともに乗るのはこれが初めてだ。色々見て廻ろう。……ヒソカからも離れられるしね。

 

「それじゃ私も暇なので飛行船探検に行こうと思います」

「お前もか……ゴンといいキルアといい、元気な奴らだ……」

「そうだな……私はゆっくり休みたいものだ。おそろしく長い1日だった……」

「俺もとにかくぐっすり寝てーぜ……て言うかお前も探検って歳じゃねーだろーに……」

「……私、13歳ですよ」

『え?』

「……どうせそんな反応が返ってくるだろうと思ってましたよ……」

 

 成長が早かったものだから、流星街を出て以来一度も年齢どおりに見られたことがない……。

 ……まあ、成長が遅いよりはマシなのかな?

 

 

 

 おお~夜景が綺麗だ。絶景かな絶景かな。こんな景色は中々観れるもんじゃないな~。飛行船には嫌な思い出しかなかったけど、これはいい思い出になった。いつか個人で飛行船を手に入れて世界中を廻るのはどうだろうか?

 ……すごくいいかもしれない。飛行船っていくらだろう? 今の貯金で足りるかな?

 

 ん? あれは……ゴンとキルアと、ネテロ? 3人でどこに行くんだろう? なにか面白そうなことが起こりそうな予感。付いていこう!

 

「ゴン、キルア、ネテロ……会長」

 

 あやうくネテロを呼び捨てにするところだった。今の私はネテロとは何の面識もないのだ……。悲しいけどね。

 

「あれ、アイシャ。どうしたの?」

「あんたか。何の用? 今忙しいんだけど」

「ふむ……(チチでけーな)」

 

 なんかネテロの視線が胸に集中している気がする……。

 

「いえ。3人で歩いていたのでなにかおもし……どうしたのかな、と思いまして」

「ほっほっほ。なに、今からゲームをしようと思ってな。なんならお嬢ちゃんも参加するかね? ワシに勝てたらハンターの資格をやるぞ」

 

 なんと! ネテロに勝ったらハンターライセンスが貰えるとな!?

 戦闘なら難しいだろうが、ゲームならルール次第では勝ちの目は多いだろう……これに勝てばもうハンター試験を受けなくていい。つまり変態から早く離れる事が出来る!

 

「やります!」

「うむ了解じゃ。では3人ともこっちじゃ」

 

 

 

 ちょっとした広さのホールに着いた。ネテロはどこからかボールを持ってきていた。あのボールを使ってゲームをするのだろうか?

 

「この船が次の目的地につくまでの間にこの球をワシから奪えば勝ちじゃ。そっちはどんな攻撃も自由! ワシの方は手を出さん」

 

 ボールを取るだけ? 良かった簡単だ。前世の技もこの体にだいぶ馴染んだけど、さすがにネテロ相手に勝てるかと言われたら少し厳しかったかもしれない。けど、ボールを取るだけなら大丈夫だ。

 そうだ。どうせだったら最初の内は技術を使わず身体能力だけで挑んでみよう。ネテロも本気は出さないみたいだし、今の私の身体能力でどこまで通用するか確認できるいいチャンスだ。

 

「ただ取るだけでいいんだね? じゃ、オレから行くよ」

「御自由に」

 

 うわ。キルア怒ってるな。当然か、こっちを舐めてるみたいな条件だもんね。

 ん? キルアのあの歩法! あれは、風間流奥義・柳葉揺らし!? ……いや違う。柳葉揺らしとはまた少し違う歩法だ。しかしどちらにしてもあれほどの動きをあの歳で身に付けてるなんて!?

 すさまじい才能と努力によるものだとしても、この歳でこれ程とは末恐ろしい……私が前世で柳葉揺らしを覚えることが出来たのは60過ぎくらいだったぞ。とんでもないな……。

 

 それでもネテロには通じていないか。あの歩法から攻撃に転じる瞬間の意が消しきれていないし。才能はあるけどさすがに経験が足りないな。これで勝ててたらあんなに苦労はしなかったよ。

 でもキルアならいつかはネテロよりも高みにいけるかもしれない。あれほどの才能を磨き続ければいつかは……。

 

 キルアがいったんゴンと交代した。さて、ゴンはどのようにしてボールを取ろうとするかな?

 

「行くぞ!!」

 

 真正面から突っ込んだ……それはいくらなんでも……あ、ジャンプした……そして天井に頭ぶつけた……。

 

「ってえ~~~っ!!」

「ジャンプ力がすげーのはわかったからちゃんと加減してとべよゴン!!」

「そうですよ。せっかく会長が油断してたのに」

 

 今ネテロのやつ完全に油断していた。もしかしたらボール取れてたかもしれないのに……。てゆーかネテロめ。完全にこっちを舐めてるな。いくらなんでもあの程度のフェイントに一瞬とはいえ引っかかるなんて。しかも右手と左足を使っていないし。

 

「次は私の番ですね。会長さん、よろしくお願いしますね」

「ほっほっほ。いつでもいいぞい」

 

 よし。私の身体能力はどこまでネテロに通じるかな?

 

「ふっ!」

 

 全力でダッシュ! とにかくボール目掛けて動く! 避けられてもただひたすらにボールを追う! フェイントも何も入れずにただ真正面から行く!

 しかし……。

 

「ふむ。お嬢ちゃんもなかなか。しかしそんな単調な動きではのう」

 

 やはりネテロには通じないか。まだまだ純粋な身体能力ではネテロには劣るな。くそっ、オーラを使ってやろうかな?

 

 

 

 最終的に3人がかりで挑むがボールは奪えない。こうなったら技術を使うしか……。

 お、ゴンの一撃がネテロのアゴにヒット! まさか靴で蹴りの間合いを伸ばすとは! ナイスです! さらにキルアの追撃が炸裂。今がチャンス!

 

「チャンス!!」

「なんの」

 

 キルアがボールを取ろうとするもボールを蹴る事でそれを防ぐネテロ。だけどこっちの攻撃は終わっていない!

 

「喰らえ!」

「ふおっ」

 

 体勢を崩したネテロにさらに蹴りを叩き込む。これでネテロはボールから離れた!

 

「今です!」

「もらったァーーー!!」

 

 よし! 取った!

 

「ふん」

 

 おい! ネテロの足にオーラが!

 一瞬の内に加速してゴンとキルアを追い抜きボールを奪うネテロ……オーラ使うなよ大人気ない。

 

「努力賞、といったとこじゃな」

 

 昔から負けず嫌いだったなコイツは。一般人相手にゲームで念を使うかこら。

 

 キルアがギブアップした。どうやらネテロが右手と左足をほとんど使ってないことに気付いたみたいだ。

 

「行こうぜゴン」

「あ、オレもうちょっとやってく」

「私もまだやります」

 

 ……私には行こうぜと言ってくれないのか……寂しくなんかないぞ!

 

 キルアが去った後はまたもボール取りゲームが再開した。もっとも、ゴンはボールではなくネテロに右手を使わせるのが目的になったみたいだけど。……そのワリには不意をついてボールを狙っていたけどね。

 

「お嬢ちゃんはボールを取りに来ないのかね?」

「私は少し休憩中です。それにゴンの目的も変わっていますし、休憩がてらゴンが目標達成出来るか見学させてもらいます。ゴン、頑張ってくださいね」

「うん!」

 

 元気でよろしい。お姉さんは少し休みます。ちょっと疲れた。……うわ、汗でびしょびしょだよ。気持ち悪いなぁ。シャワー浴びてこようかな?

 

「すいません会長さん」

「ん? どうしたんじゃ?」

「いえ、少し汗をかいたのでシャワーを浴びて着替えてきたいのですが、かまいませんか?」

「ひょっ!?」

「スキあり!」

 

 あ、一瞬ネテロに隙が出来た。その隙を逃がさずゴンがボールを奪おうとしたけど、残念。1歩届かずか。でもなんでネテロに隙が出来たのかな? 急に話しかけた所為か?

 

「危ない危ない。全く、今のは狙ったのかの?」

「はい?」

「(天然かのう? いい谷間じゃったわい)別に構わんが、早めに帰ってくるんじゃぞ」

「ありがとうございます!」

 

 いやあ良かった。どうせまた汗かくかもしれないけど、このままでいるのも嫌だしね。着替えも持ってきて正解だったな。さすがに試験中は我慢するけど、機会がある時は別だよね。

 

 

 

 ふうさっぱりした。さて、ゴンは頑張ってるかな?

 

「お待たせしました。ゴン、調子はどうですか?」

「……」

 

 ……返事がない。すごい集中力だ。私が声を掛けたのに気付いていない。ただネテロだけを追っている。この子もすごい才能の持ち主だ。今はキルアの方が抜き出ているけど、才能という点ではキルアにも劣っていない。成長すればきっとかつての私などよりもずっと高い領域に至れるだろう。二人ともそれほどの才能の持ち主だ。

 ……少し羨ましいな。

 

 

 

 私が帰ってきて3時間後。とうとうゴンがネテロに右手を使わせることが出来た。最初の目的とは変わってるけど、目標達成出来て満足したゴンはそのまま寝付いてしまった。おめでとうゴン。ゆっくり休んでね。

 

「さて、お嬢ちゃんもまだ挑戦するかの?」

「もちろんです。ここからが本番ですよ」

「ほほぅ。そりゃ楽しみじゃわい」

 

 さて、勝ちにいかせてもらいますか。

 無造作に歩いてネテロの前まで行く。思ったとおりネテロはこちらが行動に移るまでは何もしない。

 ふ、油断大敵だぞ。ゆくぞネテロ! 風間流歩法の奥義:柳葉揺らし!

 

「!?」

 

 いきなりの柳葉揺らしに驚き隙を作るネテロ。すかさず死角、背後に回り込む! すぐに反応するネテロ。だが、時すでに遅い! 研鑚は怠らなかった様だが慢心が過ぎたなネテロよ!

 振り向こうとするネテロの腕を掴み柔! 宙に半回転するネテロ! そのままがら空きのわき腹に浸透掌を叩き込む! 安心しろネテロ、三日寝込むくらいに抑えてやるわ!(目的を忘れている)

 喰らえ!!

 

 ……この時の私はどうかしていた。きっと久しぶりのネテロとの戦いに昔の血が騒いだのだろう。思わず多量の闘気をネテロに叩きつけてしまった。そのおかげで……。

 

 

 

 

 

 

「さて、お嬢ちゃんもまだ挑戦するかの?」

「もちろんです。ここからが本番ですよ」

「ほほぅ。そりゃ楽しみじゃわい」

 

 ふむ。この娘もまだ諦めぬか。今までの動きをみてもスジはいいが、まだまだ経験不足といったところじゃの。

 これからの修行次第では大化けするかものう。今期の新人はまっこと豊作じゃな。

 

 ふむ。ただ無造作にワシの前まで歩いてきた。なにか策でもあるのか? 今までは特にフェイントなども使っておらんかったな。いったいどういうつもりじゃ?

 

「!?」

 

 こ、これは! 肢曲!? いや違う! これは風間流の柳葉揺らし!!

 かつての我が友リュウショウが好んで使っておった歩法の奥義! それをこの娘が使うじゃと!? リュウショウでさえ使えるようになったのは齢六十を超えてからと言っておった奥義を!

 い、いかん! 背後を取られた! ボールが……ぬおっ! 柔を使いおった! いや柳葉揺らしが使えるのじゃ、風間流の技が使えて当然か。しかし、これではボールが取られてしまうのう。どうしよう。まさか本当に取られるとは思わんかったわい……てちょっと待て!

 なんでワシに攻撃しようとしてんの!? ボールは!? しかもこの攻撃、これもリュウショウの得意技の1つ浸透掌ではないか!?

 外部破壊ではなく内部破壊を目的とした技! 以前これを喰らった時は3日はメシが食えなかったわい! タマ(ボール)はタマ(ボール)でもワシのタマ(命)を獲る気か!?

 むぅ! オーラは発していないが分かる! この娘から溢れ出る闘気が!! これはまさにリュウショウの……!

 

 

 

【百式観音】!!!

 

 

 

 やっちまったわい! 思わず百式観音を使ってしまった!!

 い、いやあの闘気を受けてリュウショウとの戦いを思い出してしまって……つい……。飛行船の壁に叩きつけられたお嬢ちゃん……ピクリとも動かん……ヤッチャッタ?

 

 prrrrr……prrrrr……。

 

 ! で、電話か……。

 

「う、うむ。ワシじゃが……い、いや、今の衝撃は、うむ、ちとこちらで不手際があってな。……うむ、大丈夫じゃ。飛行に問題はないのじゃな? ……そうか。少し頼みたいのじゃが、かなりゆーっくり飛んでくれんか。……うむ、目的地に到着するのが遅れても構わん。では頼んだぞ」

 

 ふう、とりあえずはこれでよし。

 

 ……さて、どうしよう?

 

「殺す気かぁぁぁぁぁぁ!!」

「ぐほぁぁぁっ!?」

 

 ぐおおおお!? いきなり背中に衝撃が! なんじゃ!?

 

「い、いたいけな受験生になんて事をするんですか!? 一瞬死ぬかと思いましたよ!!」

「い、生きておったのか!?」

 

 おお、生きておったとは! そういえば体から流れ出るオーラは消えてなかったのう。ワシとしたことが動揺して見過ごしておったわい。

 いや良かった良かった……待て、なんで生きとるんじゃこの娘?

 あの一撃を受けて、いくら鍛えているとはいえ常人が無事でおるとは思えん。並みの念能力者でさえ耐えられぬ一撃のはず。

 

「オヌシ、どうやって今のを防いだのじゃ?」

「どうやってって、それはもちろんね……企業秘密です」

 

 どこの企業じゃ!

 間違いない。この娘、念能力者じゃ。この娘の体から流れでるオーラは一切の澱みもない。それは非念能力者ではあり得ない現象じゃ。

 いかに念が使えなくとも無意識の内に多少はオーラの流れも変わるもんじゃ。それがこの娘にはない。つまりはオーラを制御しているというほかあり得んわけじゃ!

 とするとこの娘は何かしらの念により今の一撃を防いだことになるのか……。

 

「お嬢ちゃん、オヌシ使えるじゃろ?」

「はて、何のことですか?」

 

 しらばっくれようという気か。

 

「いやさすがにその言い逃れは……」

「いたたたた! うう、全身がぼろぼろです……このままでは次の試験もままならないので休ませてもらいます! それでは!」

 

 ぬお! 逃げおった!

 追いかけようにもあやつを傷つけたのはワシ。あんな言い方をされては追いかけて問い詰めるわけにもいかぬ……。

 

 しかし、あれほどの風間流の体術……百式観音を防ぐほどの念能力……。

 まるでリュウショウの生まれ変わりの様な娘よな。それにあの技、浸透掌は風間流でも危険な技の一つゆえリュウショウも一番弟子たるリィーナにしか伝授していないはず……。

 リィーナが教えたのか? あとでリィーナに確認してみるとしよう。

 

 ……はて、生まれ変わり? どこかで聞いたことがあるような?

 

 ……あ、そういやワシ手を出してしもうたからゲームは反則負けになるんじゃ……。

 

 出したのは手じゃなくて念じゃし、気付いとらんようじゃったし、だまっとこ。

 

 

 

 

 思わずネテロから逃走してしまった。能力者ってばれちゃったかな?

 しかし、一瞬意識が飛んでいたよ……とっさの防御が間に合わなかったら死んでいたかもしれない……。ネテロのやつめ! 普通百式観音を使うか!?

 ……いや、まあ私も思わず浸透掌を使おうとしてしまったけどさ……。そこは、その、若気の至りというやつだな、うん。 

 

 う~ん。痛いけど、特に骨とかに異常はないか……堅による防御と身体の脱力による衝撃吸収防御が間に合わなければこんなものじゃすまなかったな。

 おのれネテロめ! いつかこの痛みを倍にして返してやるからな!




このネテロは原作よりも多少強くなってます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間話

「懸り稽古ののちに乱取りを行います。皆気を引き締めるように! はじめ!」

 

 ふむ。道場本部の千人近い門弟の内、指導員に当たる者は20数名。それも師範代以上となると僅か4名……足りませんね人手が。

 リュウショウ先生から道場主を任されて早十余年、支部も増え、門弟も多く増加しましたが、それに対する指導員が足りなさすぎる。至急、支部より人を催促した方がよさそうですが、果たして都合の良い人材がいるかどうか……。

 数があれども、質がともなわなければ――いや、これは贅沢な悩みでしょうか。

 

 私が指導のみに本腰を入れられれば多少はマシになるかもしれませんが、この人数では焼け石に水。そもそも私自身の鍛錬を疎かにするわけにもいきませんし。鍛錬のみに時間を費やせられれば良いのですが、そういうわけにもいかない。

 ふう。道場主の座を引き継いでくれる程の者がいれば良いのですが、それは最低条件として心身共に私以上の腕前でなければいけません。

 というか許しません。私よりも弱き者が私の後継、つまりリュウショウ先生の後を継ぐなど断じてあり得ません。

 ああ、1日が48時間あればもっと鍛錬を積めるというのに……時間が足りませんね。

 

「リィーナ先生! 事務より先生にお電話が入ったとの連絡が。ただ今お待ちいただいておりますので、至急とのことです!」

「……至急とは穏やかではありませんね。先方のお名前は?」

「そ、それが、ハンター協会のネテロ会長からだと……」

「――! 分かりました。すぐに向かいます。ご苦労様でした、あなたは鍛錬に戻って結構です」

「は、はい!」

 

 あのジジ……ネテロ会長から至急の要件とは。一体何用だというのでしょうか?

 

 

 

「――もしもし。お電話代わりました、リィーナでございます」

『おお! リィーナ嬢ちゃんか。忙しいところをすまんの。わしじゃ、ネテロじゃ!』

 

「忙しいと思っているなら電話など寄こさないでください」

『相変わらず辛辣じゃのう。実は聞きたい事が2つ程あっての。それで電話させてもらったんじゃよ』

 

「聞きたいこと? 一体なんですか、クソジジ……ネテロ会長」

『いや、今クソジジイって言おうとしたじゃろ!? ひどくね?』

 

「気のせいですよネテ……クソジジイ会長」

『今の言い直す必要なかったじゃろ! どうして言い直したんじゃ!?』

 

「失礼噛みました」

『ワザとじゃろうが! そんな噛み方があるか!』

 

「話が進んでいませんよ。無駄話をする為に電話をしたのなら切りますよ」

『ええい! もうええわい!』

 

 からかうのもこれ位にしておきましょう。本当に時間が無駄になります。

 

「それで、聞きたいこととは?」

『ふむ、その前に盗聴されてもやっかいじゃ、特殊回線に切り替えてもらってもよいかの?』

 

 特殊回線? 確か先生の部屋にあるネテロ会長との直通の回線でしたね。それを使用するとなると、よほど重要な内容なのですね。

 

「分かりました。少しお待ちください」

 

 一体どのような件でしょう。特殊回線を必要とする程の重要な話……もしや、《黒の書》についてでは……?

 

 《黒の書》。先生が考案された様々な念能力や念の修行法が書き記された書物。タイトルは何度も読み返されたうえ、経年劣化により擦れて読めなかったため、表紙の色にちなんで《黒の書》と呼称されている。

 先生の遺品を整理していたら出てきたものだ。中に書かれていた文字も大分薄れており、また、破損している箇所もあった為、いくつかは解読出来ないものもあった。

 《黒の書》には常人では想像も出来ないほどの念能力が数多に記されていた。念能力者にとっては垂涎のお宝でしょう。

 ゆえに――奪われてしまった。解読のために研究所に出したのですが、それ以来行方がしれなくなってしまった。ハンター協会に依頼して捜索しているのですが、いまだに吉報はありません……。

 しかし、ネテロ会長からの直通の電話。それも特殊回線による。もしや――

 はやる気持ちを抑えきれず、つい足早になってしまう。

 

 

 

「お待たせいたしました。これで大丈夫ですね」

『うむ。これが使われるのも久しぶりじゃのう。まさか盗聴されることもあるまい』

「それで、聞きたいこととは?」

『……1つ目に聞きたい事はの、浸透掌についてなのじゃが』

 

 《黒の書》の件ではないのですか……いえ、2つ目の件がそうかもしれません。気を落とすのは早いですね。

 

「浸透掌がどうかしましたか? ああ、その身で味わいたいと仰られるのですか。分かりました。先生に比べたら未熟な一撃ですが、全力で打ち込ませて頂きます」

『殺す気か!? あんなものもう二度と喰らいたくはないわ!!』

「二度も何も……あなたは一度も受けていませんよ。全力の浸透掌を。もし先生が全力で浸透掌を放っていたならば、今頃あなたは墓の中です。あれは風間流でももっとも殺傷力の高い技の1つですからね」

 

 まあネテロ会長なら体内オーラをうまく操作して防ぐことも出来るかもしれませんが。

 

『……殺傷力が高い。それゆえに、使い手は厳選されねばならぬ。そうじゃな?』

「? ええ、その通りです。先ほど言った通り、浸透掌はあまりにも殺傷力が高い技ですから、風間流でも秘中の秘となっています。先生から教わったのも私だけです。他の者はその存在すら知りません」

 

『……お主が誰か弟子に教えたとかはないのかの?』

「誰にも教えていませんよ。浸透掌を伝授するともなれば、それは私の後継者とも言うべき者のみです。残念ながら今のところそれほどの者は現れていません」

 

『ではジャポンにある風間流の源流の方はどうじゃ? そちらに使い手がいるのではないのか?』

「それもあり得ませんね。浸透掌は正確にはリュウショウ先生のオリジナルの技です。何度も言いますが、現在の使い手は私のみです……先程から回りくどいですね。一体何を言いたいのですか?」

 

 ……まさか、ネテロ会長の伝えたい事とは――いや、そんなはずはない。浸透掌を使える者は私以外はいないはず!

 

『実はの。先日、浸透掌の使い手と闘った』

「馬鹿な!! そんなことがあるはずが……!! 本当に浸透掌なのですか!? 何か別の技と勘違いされたとか……」

『ワシが見間違うわけなかろう。リュウショウから何発喰らったと思っておる』

 

 確かに……ネテロ会長の実力ならば見間違えるとは思えませんが……!

 

『それだけなら偶然同じ技を開発したとも考えられるがのう』

「それだけではない、と?」

 

『……柳葉揺らしを使いワシの死角を取り、さらにワシに柔を仕掛けおった。紛れもなく風間流の柔を、な。油断をつかれ、見事に宙を舞ったわい』

 

「あ、ありえません……柳葉揺らしまでも。しかも油断していたとはいえ、腐っても心源流拳法師範のあなたに柔を?」

『さりげに毒吐くのう……』

 

「その者は一体どこの誰ですか!? 風間流の使い手と思わしき者となぜ闘ったのですか!?」

『正確には闘った訳ではないのじゃ。ハンター試験の合間に受験生とちょっとしたゲームをしてのう……』

 

 ハンター試験中にゲームなどと、ネテロ会長らしいですね。

 

「では……その者は受験生なのですか?」

『うむ。名前はアイシャ。ピッチピチの黒髪きょぬー美少女じゃ!』

 

「死んだ方がいいのではないですかクソジジイ」

『とうとう取り繕うことすらなくなった!?』

 

「すいません。つい本音が出てしまいました。死んで謝ってください」

『何でワシが!? ゴホン! ま、まあそれは置いといてじゃ。とにかくそのアイシャという少女が――』

 

「――風間流の秘中の奥義を使用した、と……ちょっと待ってください、少女、と言いましたね?」

『……試験申込書に書かれておる本人の年齢は、13歳、だそうじゃ』

 

「じゅ、13歳? その様な若さであなたを投げるほどの合気と浸透掌を? それこそあり得ません! あってたまるものですか!! それでは、それでは先生の積み重ねてきた百数十年はその少女の十数年と同等だという事ではないですか!」

 

 そんな事、認めるわけには――

 

『落ち着かんかリィーナ! ……お主が納得出来んのもよく分かる。実際に体験したワシとて筆舌にし難い気持ちじゃ。じゃが、現実にアイシャ嬢ちゃんの技の冴え、静かに燃ゆる闘気のそれはまさにリュウショウに匹敵しておった』

 

「……」

 

 ネテロ会長が言うのならば、そうなのだろう……この人は先生の唯一の好敵手にして友なのだから……。

 

『……聞きたいことは2つと言ったのを覚えておるか?』

「ああ、そう言えばそうでしたね。先程の一件が余りにも衝撃的でしたので、すっかり頭から抜けていました。しかしまだ先程の話をもっと詳しく聞きたいのですが」

 

『《黒の書》についてなのじゃが』

「――! 見つかったのですか!?」

『いや、そうではない。捜索はしておるが、未だ発見されておらぬ……』

「くっ! あなた方は何をしているのですか! プロハンターの名が泣きますよ!」

 

『済まんの。2年前にブラックマーケットに流れたとの噂を入手したきり、情報が入ってこんのじゃ。すぐさまハンターを派遣したが、すでに別口に流れて元を辿れなかったんじゃよ』

「その報告は聞いています。派遣されたハンターがあの似非副会長の息がかかった協専のハンターだということもね……あの男が副会長という立場になってなければぶちのめしていますよ」

 

『……いや、本当に済まん。途中でいつの間にか協専のハンターに任務が入れ替わっていたのじゃよ。ワシのミスじゃ』

「もういいです。それよりも一刻も早くあれを取り戻してください。あれは先生が遺した大切な遺品なのですから……本来なら私自ら探しに行きたいのですが、その様な時間もありませんし、物探しは専門ではありませんから……」

 

『うむ分かっておる……話がそれたのう。リィーナ嬢ちゃんは《黒の書》の内容についてどれだけ覚えておる?』

「解読出来た内容は一言一句違えずに覚えていますよ。一番弟子として当然の嗜みです」

『そ、そうか。それは良かった。ワシも読ませてもらったが、さすがに内容の全てを覚えている訳ではなかったからのう』

 

「それで、それがどうかしましたか?」

『ほらあれじゃ。確かあの中に有ったじゃろ? その、生まれ変わりの念能力という設定の念が』

「ああ、【輪廻転生】の事ですね。《黒の書》にはこのように書かれていましたよ」

 

 

【輪廻転生】

・特質系能力

 死んだ後に新たな命に生まれ変わる能力。使用者の知識・経験・オーラ量を引き継ぐことが出来る。

 

〈制約〉 

・死ななければ発動しない。

・死因は何でもいいが、自殺では発動しない。また他者にわざと害されて死ぬことも自殺と捉える。

 

 

「これが解読出来た限りの【輪廻転生】の設定です。残念ながら誓約部分は破れていたため詳細は不明ですし、他にも欠けている部分もあり正確ではないでしょう。これが本当に可能ならば、誓約をどれだけ重くすればいいのやら……いくら特質系能力とはいえ、さすがに実現不可能でしょう」

 

『……ワシがなぜ今回の話を持ち出したかというとな、アイシャ嬢ちゃんにリュウショウの影を見たからなんじゃ』

「まさか、本気で言ってるのですか……そのアイシャと言う少女が、先生の生まれ変わりだと……!」

『その可能性は少なからずあると思うておる……』

「馬鹿な! 生まれ変わり、それも知識と能力を保ったままの転生など、さすがの先生と言えど……そもそも先生は操作系です。特質系の能力を覚える事は出来ないはず」

『後天的に特質系に変わったのやもしれぬ』

「だからと言って――」

『お主、リュウショウの念能力、発がどの様なモノか知っておるか?』

 

 ――! その言葉に息をのむ。そう、知らない。私は先生の念能力がどの様なモノか知らないのだ。

 

「……いえ、幾度となく聞いたのですが、ついぞ教えていただけませんでした」

『そうじゃろう。あ奴はワシとの戦闘時において、一度たりとも発を使った事はなかったからの。本人に確認しても戦闘用の発はないと言いおった』

 

「戦闘用の発はない……つまり、戦闘用以外の発を持っていた可能性が高い、そうあなたも思っているのですね」

『その通りじゃ。あ奴ほど強くなることにひた向きな男が、戦闘用の発を作らないなど考えにくい。じゃが、作らなかったのではなく、作れなかったのだとしたら?』

 

「――! 戦闘用の念を作る程の容量がなかった……?」

『そうじゃ。つまり、それほど容量を喰う念を作っていたということじゃ』

 

「そしてそれこそが【輪廻転生】だと……!」

『極めつけにアイシャ嬢ちゃんの年齢じゃな。リュウショウが死んでもうすぐ14年。そして嬢ちゃんは現在13歳。死んで転生したとなればちょうどキリのいい年齢じゃの……ここまで条件がそろっていては否定する方が難しくなってしまうわい』

 

「……まさか、本当にリュウショウ先生の生まれ変わりなのですか?」

『まだ分からん。しかし、じゃ』

「?」

『【百式観音】を防ぐほどの者がリュウショウ以外にそうそういるとは思えん。ましてや13歳という若さで、な』

 

 ――は? 何を言ってるんですかこのじじいは?

 

「【百式観音】を、防ぐ?」

『……あれ? い、言ってなかったかの?』

 

「初耳ですよ!? 何を考えてるんですか貴方は! 13歳の少女に【百式観音】を使う馬鹿がどこにいるんですか!! 殺す気ですか?」

『い、いや、じゃって、あやつワシが回避出来ぬ時に浸透掌を使ってきたんじゃもん……そ、それに殆ど無傷じゃったから大丈夫じゃよ』

 

「無傷だったら良いという問題では――! ……無傷?」

『う、うむ。まあ、細かな傷はあったし、体の内部までは分かりかねるが、喰らった後にぴんぴんして走っていきおったわ……』

「た、確かに【百式観音】を防いだともなれば、リュウショウ先生以外考えにくいですね」

 

 先生が、生まれ変わった? ――だとすれば何故――

 

「――何故、先生は私たちに何も仰ってくれないのですか?」

『……まだ本当にリュウショウが転生したと決まったわけではない。仮に本当に転生していたとしても、リュウショウの意識や記憶がない可能性もある。なにせ会話した限りでは本当にただの少女じゃったからな。あ奴にあの様な演技が出来るとは思えんよ』

 

「……分かりました。ならば直接会って見極めます。現在のハンター試験会場はどこですか」

『いやいや、直接乗り込む気か。さすがに今すぐには無理じゃよ。試験も未だ三次試験に入ったばかり。ここで対面すればアイシャ嬢ちゃんのハンター試験が台無しになるやもしれぬしの。とりあえず最終試験の前ならば、多少の時間が取れる。それまで待ってほしいのう』

 

「くっ、分かりました。ではその時が来たら必ず私に連絡を入れてください。もしぬかっていたらタダじゃおきませんよ?」

『分かった分かった。そう凄むでない。そちらの移動時間も考慮して連絡をするわい』

 

「いっその事、そのアイシャさんを今すぐハンター試験合格にすればよろしいですのに。あなたの権力なら出来るでしょう? 実力も十二分の様ですし」

『さ、さすがにその様な例外を認めるわけにはいかんのぅ!』

 

「何を動揺しているのですか?」

『い、いや、何でもない。では話の区切りもついたところで回線を切るぞい。またの~』

 

 ブツッ――

 

 一方的に電話を切るとは何と失礼な。

 しかし、今回の話、本当にリュウショウ先生が生まれ変わっていたのだとすれば……。

 姿形は違えど、先生に再び会える? また、先生に稽古を積んでもらえる!?

 

 ああ、なんと素晴らしい事でしょう! そうだ! この道場を先生に継いでもらいましょう! 元々先生の道場です。何の問題もありません。そうして私は再び先生のご指導を賜る……はふぅ……。

 い、いや、焦ってはいけません。アイシャという少女が先生の生まれ変わりではない可能性も大いにあります。

 ですがその場合も私の後継者にして道場を継いでもらうというのはどうでしょうか?

 話を聞く限りかなりの実力者。しかも風間流の使い手。素性が分かりませんが、それに問題がないのならばとても名案です。

 

 もし素性や精神性に問題があればトンパさんのように矯正してしまえばいいだけのこと……。いや、あれの矯正は失敗だったかもしれませんが。

 あとは年齢がネックになるかもしれませんが、それはまさに時間の問題。そして私は自らの鍛錬に時間を費やす……。

 ああ! 早く、早くアイシャさんと会いたい! これほどの高揚は何年ぶりでしょうか? ふふふ、しばらく眠れない夜が続きそうですね。




 主人公の黒歴史、世界をめぐる……。
 黒の書(笑)は見られたら危ない箇所が破損しているご都合設定。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十三話

 しかし……やっちゃったな。あそこで浸透掌を出さなくてもよかった。いや、私を身体能力だけの素人と油断していたネテロ相手にボールを奪うのに、そもそも柳葉揺らしすら必要なかっただろう。それなのにどうしてそんなことをしてしまったのか?

 

 ……やっぱり、ネテロと久しぶりに会ったからだな、きっと。リュウショウの時代において最も楽しいひと時がネテロとの勝負の最中だったからね。精神は変われど、記憶や思い出は変わらないからな……。

 

 けどどうしよう。あれではネテロに確実に怪しまれるな。なにせ風間流において浸透掌も柳葉揺らしも殆ど使い手がいない(現在は増えているかもしれないが)はず。浸透掌に至ってはリィーナだけに伝授した禁術。見た目はただの掌底に見えるから分かりにくいが……。

 ネテロのことだ。あれが浸透掌だと気付いたことだろう。そうじゃなきゃ【百式観音】による迎撃なんてするはずがない……しないよね? 今ネテロは私が何者かを考えていることだろう。リュウショウの生まれ変わりという答えに行き着く可能性も有り得る……それはまずい。

 

 ……? まずい、のかな? 確かに転生なんて普通有り得ないし、自分から言っても信じてもらえず狂人扱いされるだけだろう。だからネテロには言えなかった。でもアイツが自分から気付くのなら問題ないんじゃ……?

 いや、でも、拒絶されるかもしれないし、ネテロに拒絶されるのはかなり堪える……やっぱりばれない様にした方がいいのか? けどもう色々やっちゃったしな……。

 

 ……ええい! こうなったらなるようになれだ! ばれたらばれた時のこと、ばれてなかったらそれはそれで良しだ! 

 

 ふう。考え事をしている間に3次試験会場に到着したみたいだ。結局一睡もしてないよ。

 天高くそびえる塔。トリックタワーという塔だ。ここが3次試験会場か。凶悪な犯罪者なんかを収容する刑務所になってるらしいな。

 試験内容は72時間以内に生きて下まで降りること、か。下に降りる階段とかはないし、隠し扉でもあるのかな? ……中の囚人が脱獄出来るような秘密の通路は流石にないよな?

 さて、どうやって降りようか。

 

 あ、壁を直接降りてる人がいるよ。すごいな、もし落ちたら死んじゃうよ?

 

「うわすげ~」

「もうあんなに降りてる」

「……でも大丈夫ですかね。向こうからなんか妙なのが来てますが」

「あ、本当だ」

 

「うわぁああぁあ!!!」

 

 あ、怪鳥に囲まれた。このままじゃ殺されちゃうなあの人。仕方ない。

 

「ふっ」

 

 怪鳥に向けて石を投げつける。あの鳥気持ち悪いな……お、全弾命中。

 

「今の内に上に戻ってください!」

「す、すまない!」

 

 どうにか戻って来られたか。焦って落ちたりしないか心配だったよ。無事で何より。

 

「た、助かった。恩に着るぜあんた……」

「別にいいですよ。試験頑張ってくださいね」

「ああ、あんたも頑張ってくれよ。オレに出来る事があるなら何でも言ってくれ。この借りは必ず返させてもらうぜ」

 

 礼を述べてロッククライマーの人は別の道を探しにいった。別の道で死んでしまうかもしれないけど、そこまでは私も面倒は見切れない。今のもただの偽善だしね。自己満足みたいなものさ。

 

「……なああんた」

「あんたじゃありません、アイシャです。もう二度目ですよこのやり取り」

「どうでもいいよそんなの。それより聞きたいんだけどさ。どうしてそんなに他人を助けるんだ?」

「……助けてはいけないのですか?」

「別にそう言ってる訳じゃないけどさ。1次試験の時もそうだし、2次試験でもあのプロレスラーみたいなのを助けようとしてただろ?」 

 

 よく見てるなこの子。2次試験で試験官に殺されそうだったプロレスラーを助けようと動きかけたその僅かな動作に気付くなんて。大した洞察力だな。

 

「赤の他人なのにどうして助けたりするのか疑問に思ってね。見返りを求めてる訳でもなさそうだし」

「……」

「別に言いたくなければ言わなくてもいいぜ。ちょっと聞きたかっただけだからさ」

 

「……母さんの教えです。自分に出来る範囲で助けられる人がいたら助けてあげなさいって……自分を第一に考えて、それでも余裕があるなら他の人に手を差し出してあげなさいって……。だから、助けました。私にとって今は余裕がありますから。もし私自身に危機が訪れたなら私は他の何においても私を優先しますよ、きっと」

 

「いいお母さんなんだね。アイシャのことを一番に愛してくれてるんだ」

「ええ、自慢の母です」

「……そっか。羨ましいぜ。そんなこと言ってくれる母親でさ。うちのお袋と交換してくれね?」

「だが断る」

「いやマジで返すなよ」

 

 マジですよ。私の世界一の母さんと誰とも知れぬ人を交換するなど冗談でも言えないよ。

 

「あとさ、なんでそんな馬鹿でかいリュックサック背負ってるの?」

「え? だって、ハンター試験って長いでしょ? その間の着替えとか食事とか水分とか入れたらこんなになっただけですけど?」

「……いや、何㎏あるんだよ」

「さあ? 量っていませんからよく分かりませんが、50㎏はあると思います」

「すごいんだねアイシャって……」

「いや服とかそんないらないだろ? 食事だって飛行船で食えたし」

「そ、そんなの分からないじゃないですか。もし試験中に何も出なかったらどうしてたんですか?」

「そんときゃ適当なモンでも食べるよ。ゴンもそうだろ?」

「うん。何か木の実や魚とか、その場にある食べられそうなモノを採って食べるよ」

 

 この野生児どもめ! くそう、残飯とか虫じゃなくて、狩って獲ったもので安全な食べ物なら食べられるけど……。

 

「うう、私は出来るだけ清潔な食べ物を食べなきゃいけないんです……」

「なんだそりゃ?」

 

 仕方ないんですよ! 母さんが、母さんがぁ……!

 

 

 

 さて、どうしようかな。屋上には結構な数の隠し扉があるようだ。既に何人もの受験生が隠し扉を見つけて塔の中へと入っている。しかしそれだと下に降りるのに結構手間がかかるよね。いっそのこと飛び降りるか。

 オーラを放出すればその勢いで空中でも機動することが出来なくもない。結構オーラの消費が激しいし、【天使のヴェール】を使用しているから更にオーラを消費するけど。これくらいなら問題はない。

 

 そうと決まったら誰も私を見ていない時を見計らって飛び降りるとしよう。誰かに見られたら後が面倒だし。

 まずは絶。これで私を見つけるのは困難になる。その後は隠し扉を探すフリをしながら神経を研ぎ澄ませて私を見ている人がいないか確認。それとなく塔の縁へと移動し、私への視線や注意が途切れたら即アイキャンフライだ。

 

 

 

 円で確認しても神経を研ぎ澄ましても、現在私を見ている人はいない。すでに結構な人数の受験生が隠し扉で下に進んでいるし、他の受験生も隠し扉を探すのに夢中だ。今がチャンスかな。

 最後まで油断せず……あらよっと~!

 勢いで飛んだけど意外と恐怖心は少ないな。むしろ楽しいくらいだ。マフタツ山から飛び降りた時も特に恐怖は感じなかったし。ま、この程度でどうこう言ってたらネテロ相手に闘えないよね。

 そうだ。どうせ誰も見ていないのだから【天使のヴェール】を解除しよう。たまには解除しないと疲れる。それに何だか分からないけどハンター試験が始まってからオーラの消費量が上がってるんだよな。もしかして緊張してるのかな。出来るだけ絶で消耗を抑えていたけど、予想以上にオーラが減っている。

 

 そろそろ地面も近づいてきた事だし、着地の準備といきますか。地面に向かってオーラを放出。勢いが弱まったところで足にオーラを集めて地面に着地。

 ふぃぃ。着地成功。ネテロが飛行船から普通に着地していたから、わざわざオーラを放出しなくても大丈夫かと思ったけど、念には念を入れてみた。今の感じだと、堅だけでも着地出来てたかも? もし次に高所から飛び降りる機会があれば試してみよう。そんな機会そうそうないと思うけど。

 

 さて、降りたのはいいけど入口はどこだ? ……まさか、入口はない、何てことないよね? と、とりあえず塔をぐるっと廻ってみよう。どこかに入口があるはずだよ、うん! おっと、【天使のヴェール】を使用しておこう。どこに人がいるか分からないし。

 ……ネテロに転生がばれても、このオーラの質だけは隠したいなぁ。ほんと、何でこんなに嫌なオーラしているんだろう? やっぱり一度死んだのが原因だろうか? それ以外考えられないし。

 

 ふぅ、良かった……! 入口あったよ! そりゃそうだよね。ここ刑務所になってるんだし、入口ないと困るよね。まさか囚人を屋上の隠し扉から入所させるわけにはいかないだろうし。

 さて、入口あったのはいいけど、どうやって入ろう? 刑務所だけにすごい頑丈そうな扉なんですけど……当たり前だけど鍵もかかっているし、壊したら駄目だよねやっぱり。

 

「あのー! すいませーん! どなたか居ませんかー?」

 

 扉に向かって呼びかけてみる。刑務所なら監視カメラとかあるはずだし。

 

『……何者だ? なぜこの場所にいる?』

 

 お、良かった返事が来た! 無理やりこじ開けることにならなくてすみそうだ。

 

「私はハンター試験受験生です。ほら、番号札もありますよ」

『……なぜ受験生が塔の入口にいるんだ? 屋上からスタートしたはずだ』

「入口から入っては駄目とは言われていませんが?」

『いや、そういう意味ではなくてだな……』

「……駄目なんですか?」

 

 駄目なら屋上まで登らなきゃいけなくなる。正直勘弁してもらいたいんだけど……。

 

『……番号札は本物と確認された。入口を解放する。すぐに入れ……』

「ありがとうございます!」

 

 いやぁ、良かった良かった。これで3次試験も合格だ。あとは3日間待つだけ……3日?

 

「あの、すいません。ちょっと聞きたいことがあるんですけど」

『何だ? 早く言いたまえ』

「試験が終わるまでの間、食事とかはどうなっているんです?」

『……試験終了者には食事提供の用意がある。安心するといい』

「それは良かった。保存食はあるけど、やっぱり味気ないんですよね」

『囚人食だから期待しない方がいいがね』

「え?」

『扉が開いた。早く入りたまえ』

 

 

 

「……え?」

 

『401番アイシャ、3次試験通過第1号!! 所要時間1時間02分』

 

 

 

 

 

 

 俺は三次試験が終わるまでの間することもなかったので、トリックタワーの休憩室でゆっくりと鑑賞をしていた。もちろん鑑賞しているのはこれまでの試験の映像だ。

 俺の念能力【箱庭の絶対者】は試験中ならばその試験の過去から現在のリアルな映像まで自由に鑑賞できる能力を有している。これで受験生の絶望に歪む表情がたっぷりと楽しめるってもんだ。試験官になって正解だったぜ、くくく。

 

 俺が1次試験の映像を鑑賞して満喫している時に、不思議なモノを視た。

 あれは受験番号190番のニコルだったな。こいつは最高だった。なにせ俺が用意した下剤入りジュースに引っ掛かった唯一の受験生だからな。ニコルがあれを飲んだ時の俺の顔はきっと愉悦に歪んでいただろうな。

 

 だがそこでよく分からない現象が起こった。ニコルの目の前にいきなりペットボトルが出現したんだ。催眠術とか超スピードとかじゃねえ。もっと恐ろしいものの片鱗を……いや、念があったか。

 つまりあれはニコルが具現化したペットボトル! 漏らしたくないという必死の想いがニコルに念能力を目覚めさせ、あのペットボトルを具現化したのだ!!

 

 ……いやねえよ。念なめんな。そんな馬鹿げた事で念に目覚めるなら、俺の3年間は何だったんだ? 邪念を払うとかほざきながら俺を徹底的に扱きやがって! いっそ殺せと何度願ったか……。

 ふう、落ち着け。とにかくあのペットボトルはニコルが出したものじゃない。あいつは纏すらできていないからな。そもそも念能力者が1次試験で落ちるわけがない。

 じゃあ、あのペットボトルは誰が出したんだ? 明らかに念が関わっているはずだ。何もない空間から急にペットボトルが現れるなんて念以外では考えられない。だが俺の眼には、【箱庭の絶対者】にはニコル以外の誰も映っていない……一体誰の念能力だ?

 

 そんな風に思いながらペットボトルが出現した場面を何回かリプレイしてみると、奇妙なモノを見つけた。ものすごく存在感がないため今まで気付かなかったが、そこには馬鹿でかいリュックサックを背負った服が走っていた……。

 

 頭が悪くなったとか眼に異常があるとかじゃねえ。本当に見たまんま服だけが走ってやがる。なんだありゃ? まるで透明人間が服を着て走っているかのようだ。

 ……あのリュックサックには覚えがある。確か受験番号401番のアイシャ、だったか。特に目立つ所はない普通の……いや、かなり美人の少女だった。

 

 つまりアイシャは念能力者。自分の身体を透明にする能力を持っているのか? 服だけは透明に出来ないってところか? だとしたらなんて中途半端な能力だ。いくら透明になっても服が見えたら効果半減だろうに。

 しかし……その場にいると分かってもかなり存在感が薄いな。服だけが走っている異常な光景なのにここまで気付きにくいのはよほど絶が上手いんだろう。

 401番アイシャ……こいつはかなり要注意の受験生だぜ。

 

 

 

 次にアイシャを視たのは1次試験終了間際の映像でだ。

 俺が視ていたのはヒソカが試験官ごっこをしている場面だった。

 ヒソカ……ありゃ化け物だ。念に目覚めてからあそこまで際立ったモノに会ったのは3人目だ。俺より強い念能力者なんてゴロゴロいるだろうが、あれは別格だね。ハンター試験以外で出会ったら即逃げるよ。

 幸いあいつは俺への興味が少ないみたいだからな。多分敵対しない限り大丈夫だろう。ヒソカに攻撃された時は内心焦ったぜ。

 何せ攻撃は効かないと分かっていても、あの殺気に禍々しい念だ。正直死ぬかと思った。やっぱり【箱庭の絶対者】は最高の能力だぜ。

 

 そんな化け物ヒソカが試験官ごっこに興じているのを鑑賞。

 いやぁ、自分に降りかかるのは最悪だが、他人の不幸は蜜の味ってのは本当だな。この映像を肴に一杯やりたいもんだぜ。

 アイシャを見つけたのは、ヒソカが草むらにトランプを投げつけた後の事だ。その場には誰もいないのにヒソカは確かに草むらに向かって話しかけている。いや、それだけじゃない。ヒソカのトランプが草むらに当たる瞬間、草むらから服が飛び出した……。

 そんなとこに隠れてたのかよ。本当にすごい絶だな。あの時ヒソカに飛んできた石はアイシャが投げたってことか。わざわざヒソカの興味を引くことはないだろうに。自殺志願者か?

 

 だが予想に反してヒソカは2次試験会場に向かって去って行った。アイツが殺らないって事はアイシャは合格ってことか。俺の中の危険人物リストに載せておくか?

 ……いや、さっきのもどうやらあの受験生、レオリオ……だったか? そいつを助けようとして石を投げたみたいだからな。強いのかもしれないがただのお人よしだ。危険人物に挙げるほどじゃねえな。

 

 

 

 そして俺は三次試験会場トリックタワーを鑑賞している所だ。

 隠し扉に気付いた連中が段々と下へ降りている。あいつらの中で一体何人が俺を楽しませてくれるのか。そんな風に思っていた時、ふとアイシャの事が気にかかった。

 あいつはこの3次試験でどう動くのか? ちょっと確認してみるか。

 

 見つけた。意外と簡単に見つかったな。絶を使っていないようだ。そりゃ服だけが動いていたら目立って見つけやすいわな。……ん? おかしいな。こんなに目立つなら周りの連中ももっと注目してもおかしくないはずだ。なのに他の受験生はアイシャの事を特に気にしていない……。

 もしかして透明になる能力ではない? じゃあなんで服しか映っていないんだ?

 ……だめだ分からねえ。念能力にはそこまで詳しいわけじゃないからな。リィーナ先生に聞けば分かるかもしれないが……。

 いやだめだ。今やっていることがばれたらまたあの地獄の日々に逆戻りだ。それだけは勘弁願うぜ。

 

 おっといけない。アイシャを見失った。どこだ?

 ――いた。また絶をしてやがる。恐らく、服だけ目立つ様じゃなかったら俺は見つけることが出来ないだろうな。見事なもんだぜ。隠し扉を探しているのか。だが徐々に塔の端へと近づいている気がする。何でだ?

 

 ――!? ウソだろおい! 飛び降りやがった! 本当に自殺志願者だったのか!?

 あーあ。こりゃ死んだな。あの高さから飛び降りて生きていられるなんて念能力者でも無理だよ。例外はあのネテロ会長ぐらいだよ。空でも飛べるなら別だけどな。……もしかして飛べるのか? ちょっと確認してみよう。

 

 どんどんと地上に近づくアイシャ。飛んでる様子はねえ。マジで死ぬ気か? そう思った時! アイシャの身体からオーラが噴き出した!!

 なんだありゃ!? あんな禍々しいオーラをなんであんな少女が!? さらに恐ろしいのはその後だった、アイシャが地面と衝突する瞬間! アイシャから有り得ないほどのオーラが放出された! 信じられねぇほど濃密なオーラが!

 オーラ放出の勢いで落下速度を緩めたアイシャは悠々と地面に降り立った……。放出されたオーラの量、そして……ヒソカと見紛わんばかりの禍々しいオーラの質!

 お人よし? とんでもない! あいつはヒソカと同レベル、下手したらそれ以上の危険人物だ!

 俺は即座にアイシャを危険人物リストの上位に入れた。あいつとは絶対関わらない様にしなきゃな……。

 

 

 

 

 

 

 ……やっぱりおかしい。絶をして休息しているのに体内オーラがほとんど回復しない。常に減り続けてるのは有り得ない。

 最初は緊張している為、普段より消耗が激しいのかと思ったけど、さすがにそれは考えにくい。

 

 ……何らかの特殊な念能力を受け続けている? それなら納得がいく。【ボス属性】で無効化していたらオーラが消費されるのも分かる。

 問題はその念能力がどのような能力かだ。だれが使用した念だ? 私だけに念をかけているのか? 一体何のために? 監視か? 恐らく1次試験からこの念は使用されている。試験が始まってからオーラの消耗が増えたからだ。

 幸い【ボス属性】で無効化してもそこまでオーラは消費されていない。【天使のヴェール】を発動しなければハンター試験最後まで保つだろう。

 あまりにも消費が少なすぎたとはいえ、【ボス属性】が発動しているのに気付かなかったのは問題だな。最近弛んでいるかもしれない。気を引き締めよう。

 

 ……念能力者が誰なのか。試験官か受験生の可能性が一番高い。試験官ならトンパさんが第一候補だ。1次試験からずっとここまで着いてきている。現役ハンターなので念能力も使えるだろう。

 第二候補はあの顔面針男だ。ヒソカだとは考えにくい。あいつはこんな回りくどい念能力を覚えたりしないだろう。他の受験生で念を覚えている者がいる可能性もある。私みたいに隠しているかもしれない。

 

 誰が能力者か。結局可能性だけで断定は出来ない。そもそも私の知らない人かもしれないのだし。今、私に出来ることは少しでもオーラが回復する様に精神を落ち着かせて休むだけだ。

 久しぶりに禅でも組むか……リュウショウ以来だな、禅を組むのは。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十四話

 …………徐々に意識が浮上してくる。禅に没頭すると完全に意識が飛んでしまう。

 飛ぶと言うより己の中に埋没すると言った方がいいかな。精神統一の仕方によっては意識が拡がって世界と一体になるような感覚に陥る事もある。我が師リュウゼンより精神統一に良いと促されて始めたものだが、結構気に入っている。特に意識が徐々に戻ってくる感覚は心地良さも伴う。

 

 意識が戻ってくる中、ふとリュウショウの時の事を思い出す。思い出すのはもちろんネテロとの闘いの場面だ。

 アイツとの闘いの一時は至福だった。なにせ私が気兼ねなく全力を出せる相手なのだから。リュウショウの時、どれほど鍛錬を積み、技の研鑽を重ねようとも、それを全力で揮える相手はいなかった。

 ただの投げならいい。手加減すればいいだけだ。だが柔術は当たり前だが武術。ゆえに相手を壊す技も多々ある。全力で放てば相手の身体を壊し、二度と武術が出来ない身体にしてしまうどころか、命を奪ってしまうことすらある。

 だから道場での鍛錬はもっぱら危険性のない合気術が主だった。

 ネテロに会えたのは僥倖だったな。アイツならどれほど危険な技を仕掛けようとも、見切り、躱し、受け流し、逸らし、いなし、耐え抜いてくれた。壊れる危惧がなかったので大いに全力をぶつけれたものだ……。

 

 今思い出しているのはネテロに竜巻落としを仕掛けている場面か……。

 相手の手首を捩り、かつ肘関節を壊しながら螺旋状に対象を宙に投げる、空中で逆さになっているところを踏み込みつつ体重を乗せた靠撃(こうげき:肩や背中を使用した体当たり)、これにより相手の体勢を崩し反撃を防ぐ。靠撃にダメージは期待していない。そのまま壊れていない腕を受け身に使用できないよう固定、逆さになった相手の顎にオーラを込めた掌底を叩き込む。そして自身の体重を加えて地面に勢いよく叩きつける。

 見事にネテロは地面へと突き刺さった。手応えばっちりだ。しばらく起き上がれまい!

 

 ……はて? 確かこの技はネテロに防がれたような気が……? それ以前に【百式観音】による迎撃を喰らったはず……。それなのにどうして技が成功した場面が思い出せているんだ? 思い出すも何も、一度もネテロには通用しなかった。なのにこの抜群の手応えはいったい……?

 

 あ、意識が、完全に戻ってきた……ゆっくりと眼を開ける。そして光とともに私の眼に入ってきたのは――!

 

 

 

 ……なぜか床から下半身が生えている異常な光景がありました。こ、これは一体どういうことだ? この人はだれ? 何かのパフォーマンスだろうか? ヨガ的な修行かもしれない。

 

 ははは。修行なら邪魔しちゃいけないね。さ、ここから離れるとしよう、うん。

 ……うん。やっぱり私が原因だよね。現実逃避はやめるとしよう……。

 や、やっちまったぁぁぁ!! な、なんてことを……! これが試合や闘いの結果なら致し方ないかもしれないけど、ぼけてやってしまうなんて!

 

 ああ、師に、母に合わせる顔がない……!

 

 ……ん? お、おお! 体からオーラが漏れている! つまりこの人は死んでいない!

 早く応急処置をしたら助かるかもしれない。そうと分かればこの人を地面から抜かなきゃ! そう思いながら私は焦りつつも慎重に床に埋まってしまった人を引き抜いた。

 

 ……後に抜かなきゃ良かったと後悔した私は悪くないと思います。

 

 

 

 

 

 

 拍子抜けするなぁ。簡単すぎて♠ せめてあの試練官がもう少し歯ごたえがあれば楽しめたのにね♣

 

『44番ヒソカ、3次試験通過第2号!! 所要時間6時間17分』

 

 これで3次試験も終わりか。残りの時間トランプでもしてようかな? ……第2号? つまりボクより早くゴールした人がいるんだ♥

 それはいいね。一体誰だろう? イルミかな。でも出来るなら別の人がいいな♦ だってその方が楽しみが増えそうだからね♥

 

 ……いない? 一体どこにいるのかな? 気配を探っても周りを見渡してもどこにも……いた♣

 あれは、アイシャか♥ キミが第1号か。これはいい。退屈せずにすみそうだ♠ しかしすごい絶だね。遮蔽物のないこの空間で、これほど周りに溶け込んでいるなんて♦ 馬鹿でかいリュックサックが横になかったら気付かなかったかも♥

 やっぱりキミはいい……♥ ゾクゾクするよ♣

 

「やあアイ……」

 

 ――声を掛けようとして躊躇った。これは……すごいな♥

 今のアイシャは完全なる無。ボクにはよく分からないけど、これを無我の境地とでも言うのかな♠ 恐らく今声を掛けても返事は返ってこないだろうね♦

 触れようでもしたなら何故か投げ飛ばされてるボクが幻視出来たよ♣

 

 こんな綺麗なモノを壊すなんて勿体ない♠ しばらく眺めていよう♥ 時間は一杯あるしね♦

 

 

 

 どれほど眺めていたかな♣ 1つのモノをこんなに集中して見るなんて初めてかも♥ 彼女の凛とした佇まいはとても美しい。これを壊すのは本当に勿体ない♠

 

 ――だからこそ! とてもとても壊したくなる!

 ああ、どうしてこんなに壊すのが勿体ないモノほど壊したくなるんだろう? 彼女は充分に美味しそうに熟れている。でももしかしたらもっともっと美味しく熟すかもしれない♦ でももう我慢できそうにもないよ。こんなにも美味しそうなキミを見続けていたんだから♥

 

 少し殺気を送ってみようかな? それとも直接触れてみようかな? どちらにせよこの美しいモノは壊れてしまうだろう。残念だけど、それが楽しみなボクがいる♣

 

 

 

 そう思い、彼女に殺気を向けた瞬間――手首を取られていた――

 

「え?」

 

 速い? いや違う。確かに動きは滑らかで速かったけど、反応出来ないスピードじゃなかった。でも事実反応出来なかった。それほど自然に懐に入られた――! 手首が外された。この一瞬で外すなんてすごいや。不味いね。肘も極められてる♠ このままじゃ肘が砕けるな。仕方ない。自分から飛ぶとしよう♦

 っ! 肘関節を捩るのに合わせて回転しながら飛んだのに、それに合わせてさらに捩る速度を上げるなんてね♥ 結局肘をやられちゃった。回復不能までには至ってないのが幸いかな♣

 とにかく一旦体勢を立て直さなきゃ。くくく、こんなすごい反応をしてくるなんて思わなかったよ。キミって意外と激し――まさかこの状態から追撃するとはね。あばらが三本持ってかれちゃった♠ バランスも崩されたし、これは危ないかも♥

 

 しかし思考が何時になく加速してるね。この一瞬の時間が凝縮された様な感覚。味わうのは久しぶりだよ♦

 

 顎に掌底か。オーラは籠めてないようだけど、念の為に凝でガードしよう。これ以上ダメージを喰らうのは少しばかりいただけない。アイシャとの闘いが楽しめなくなっちゃう♣

 っ!? 顎が割れちゃった。オーラは籠められていないようだったのに、どういうことかな? この勢いのまま地面に叩きつけるわけか。受け身も取れないし、脳もかなり揺れている。まともに喰らったら死んじゃうかも♥

 【伸縮自在の愛/バンジーガム】も間に合うかどうか。アイシャの身体にくっ付けても勢いが少し削がれるくらい。周りの壁は遠すぎる♠

 頭部を凝でガードした後に地面に【伸縮自在の愛/バンジーガム】を拡げて衝撃を吸収。これで――!

 ……い、意識が飛んじゃいそうだよ。ここまでしてもダメージは防ぎきれなかったか。すごい攻撃だった♦

 

 このまま終わりたくないな……アイシャ、キミは、絶対に、ボ、クが……♥

 

 

 

 

 

 

 ……埋めたい。

 抜いて出てきたのは、恍惚の表情をしたまま気絶しているヒソカという名の変態でした……。いっそのことこのまま放置……いやダメだダメだ。いくら変態の上に戦闘狂でかつ殺人狂なヒソカだとはいえ、私が無意識下で行った攻撃で死なせてしまうのはさすがに心が痛む。

 とりあえず状態を確認しよう。

 

 右肩と左脇腹に刀剣類による傷。これは私ではない。恐らくトリックタワーの中で付いたものだろう。傷口は完全には塞がっていないが出血はほぼない。

 さすがは念能力者。自己治癒能力を強化したか。これはとりあえず放置しても問題ないね。

 肘は見事に砕けている。まあ、自分から飛んでいる分、致命的なまでには壊れていない。手首は関節を外しただけだからすぐに嵌め直せる。右肋骨の8・9・10番が折れてるか。まあこれは内臓に刺さってない様なので大丈夫。靠撃の衝撃で若干内臓を痛めてるな。まあこれも念能力者なら回復も早いだろう。

 顎は……割れてるね。しばらくは喋るだけでも痛みが走るな。でもどうやらしっかりと凝でガードしていたようだ。これもまあ命には関わらない。

 問題は頭部だけど……ふむ。あの勢いで叩きつけられたにしては損傷が少ない。多少裂傷しているくらいだ。どうにかして防いだのかな? 完全には防ぎきれなかったようだけど。

 気絶しているのはダメージのせいではなく、顎と頭部への攻撃による脳震盪のせいだろう。脳に異常がないかどうかはここでは診断出来ないな。……いや、こいつの脳は最初から異常だったな。

 

 まずは止血かな。頭部の傷は出血が激しい。血がなくなってしまえばどんな強者も死んでしまう。リュックサックの中にある応急手当キットで止血を施す。その為にヒソカの頭に手を伸ばしたところで手を掴まれた――

 

 ――ので、反射的に投げてしまった……。

 

「あ」

「ごふっ! ……ひどいなぁアイシャ♥ トドメをさす気かい?」

「その、すいません……あなたに触られた嫌悪感から、つい」

「……本当にひどいね♠」

「ああ~、その、ええと……だ、大丈夫ですか?」

「くくく。心配してくれるのかい? キミがしたことなのに♦」

「いえ、その、無意識の内にやっちゃったと言いますか、気付いたら事後と言いますか……申し訳ありません……」

「くっくっく。まあとりあえず大丈夫だよ♣」

「……そのようですね。とにかく、出来るだけ治療します。まずは頭部の出血を抑えましょう」

「ああ、それには及ばないよ……ほら、止まっただろ♥」

 

 ん? 確かに出血が止まっている。オーラで傷口を覆った? でもそれだけで出血を抑えれるわけがない。よほどのオーラ量で覆えば話は別だろうけど。

 何らかの念能力のようだな。強化系の癒しではない。傷口は塞がってないから。オーラを何らかの性質に変化させているのか? それが止血の効果を促していると。

 まあ推測の域は出ないな。

 

「確かに頭は問題ないようですね。しかし手首の関節と肘関節がまだ残っています。嵌めますよ」

「へえ。外された時も思ったけど、すごい一瞬だね。見事なもんだ♠」

「……どうも。次は肘ですが、このままだと妙な形で固まってしまいますので、骨と筋を元の位置に整えます。これは痛みますのでご注意を」

「ん~♥ キミから与えられた痛みなら心地よさに変わっていくよ♦」

「もう一回砕きますよ?」

 

 ああなんでこんなのをたすけてしまったんだあのままなにもみなかったふりしてもういちどうめればよかった……。

 

「あとは肋骨と顎の骨ですが――」

「これぐらいなら大丈夫だよ。キレイに折れてるから自分で治療できる♣ あ、でもせっかくアイシャが献身的な看護をしてくれるんだから、お願いしようかな♠」

「……今回は私の落ち度です。応急処置はしますよ。……はぁ」

 

 ……どうしてこうなった?

 

 

 

 あれから数十時間が経った。一応の治療を施したヒソカは、予想と違って私に積極的に関わってこなかった。少しでも回復を早めるために無駄な体力を使わず休息しているんだろう。

 ……他の受験生が段々と合格して集まってきたから興が削がれたのかもしれないけど。

 

 未だにゴンたちは来ない。残り時間は約10時間ほど。そろそろ来ないと危ないな。

 もしかしたら途中で失格したのかもしれない。それは残念だけど、死んでさえいなければいい。生きてさえいれば何度でも挑戦することは出来るんだから。

 原作では合格していたはずだけど、ここは既に原作とは乖離している世界。何が起こっても不思議はない。

 ま、そもそも原作自体ほとんど覚えていないけど。

 

 あまり美味しくない囚人食を食べながらそんな事を考えていると、扉の向こうに人の気配を感じる。新たな合格者が来たようだ。扉が開くと出てきたのは……ゴン達か! いや良かった。合格出来たみたいだね。

 ん? 5人出てきた。ゴンとキルアにレオリオさんにクラピカさん。あと1人は……確か寿司の時に調理法を軽々とばらした口の軽い人だ。なんでその人と一緒にいるんだろう?

 

「皆さんお疲れ様です! 3次試験突破おめでとうございます」

「あー! アイシャ! お前どこにいたんだよ!? 屋上でずっと探していたんだぜ?」

「え? レオリオさん、どうして私を探していたんですか?」

「ゴンの奴が隠し扉を5つも見つけたからアイシャも誘おうとしてたんだよ。それなのにどこにもいやしないし」

「キ、キルア!!」

 

 私はキルアの言葉に反応してつい声を荒げてしまう。だけどそれは仕方のない事だ。なぜなら……。

 

「な、なんだよ?」

「ようやく……ようやく私の事を名前で呼んでくれましたね……」

 

 くぅ! あの生意気なキルアが……感動した! 

 

「はぁ!? そんな事で大声出すんじゃねえよ!」

「そんな事とは失礼な。私にとってはとても重要なことです。それよりもゴン。すみません、せっかく私も誘ってくれたみたいなのに」

 

 そんな誘いがあると知っていたら飛び降りなかったのに……。

 

「ううん。気にしないでよアイシャ。俺が勝手にやったことだからさ」

「ま、どちらにせよ誰か1人は隠し扉に入れなかったがな。オレが先に入ってたんでな」

 

 口の軽い人が話しかけてきた。ゴン達と一緒に塔をクリアしたのか。羨ましい……。

 

「え~と、初めまして? と言うのもなんかおかしいですね。私はアイシャといいます。あなたの名前は?」

「まあ受験生なら顔ぐらい合わせているからなぁ。オレの名前はハンゾー。今回はこいつらと縁があって一緒に3次試験をクリアした仲さ。実のところこう見えてオレは忍者でな。幻の巻物《隠者の書》を探すためにハンターになりたいんだ。あ、忍者ってのは秘密だぜ? 忍は忍んでこそ忍者だからな。まあここでこうして話したのも何かの縁だ。お互い合格出来るといいな。おっと、試験で対戦とかあっても勝負は譲らねぇぜ?」

「は、はあ」

 

 ……忍者も時代の流れとともに変わるのかなぁ? こんなに口の軽い忍者もそうはいないと思う。

 

「しかしアイシャは随分と早く試験を突破したのだな。私たちもかなり急いだのだが……それに大分余裕もありそうだ」

「そうだね。服とか全然汚れてないし」

「服は飛行船の時に着替えていましたし、3次試験では特に汚れませんでしたね」

 

 ……さすがに飛び降りたことは黙っていようか。信じてはくれないだろうし。

 

「特に汚れなかったって……どんだけ簡単だったんだよお前の試験は?」

「レオリオさん達はどんな試験だったんですか? 5人いなきゃ出来ない試験ってどんなのか興味ありますね」

「お? 俺たちの試験はな、多数決の道っていってな。またこれが嫌らしい試験でよ。あの時俺が左を押したのに他の奴らがよ……でな……そんときゴンが……」

 

 ふぅ。誤魔化せたかな? すいませんレオリオさん。嘘は吐いていないんで勘弁してください。

 

 

 

 そうしてゴン達と色々と話している内に時間が過ぎていった。こんなに長い事話をしたのは久しぶりだった。すごく楽しかった……人と話すのがこんなに楽しいモノだとは。

 母さんが消えてからはずっと1人だったからなぁ。リュウショウの時もそんなに話すことはなかったし。それよりも修行三昧だったからね。【絶対遵守/ギアス】マジぱねぇ。

 ……あれ? 私ってもしかして100年以上ぶりに談笑しているのか?

 

 やばい、なんか悲しくなってきた……なんて寂しい人生を歩んでいたんだ私は。

 よし! 絶対に今回の人生では友達を作るぞ!

 

 あ、ネテロは一応友達なのかな? いや、どちらかと言うとあれは強敵と書いて親友と読むってやつだしな。ちょっと違う気がする。こんな風に和気藹々と無駄な話をして笑いあえる仲がいいんだよね。

 そんな風に思っていると3次試験終了の知らせが来た。次は4次試験か。さて、どんな試験だったか?

 

 

 3次試験通過人数25名

 

 

 

 

 狩る者と狩られる者。それが4次試験らしい。内容を察するに恐らくハントが試験の概要だろう。具体的には分からないけど。

 

「それではタワーを脱出した順にクジを引いてもらおう」

 

 私からだな。クジを引きに前に出ると後方が少しざわついた。

 ……ゴン達だな。私が1番だとは思わなかったんだろう。いや、他にも何人か驚いているようだ。女という事で侮られていたか?

 ま、過大評価より過小評価された方がやりやすいからいいんだけどね。

 

 クジを引いて出てきたものは……401と書かれたカード。私の受験番号と一緒だね。……なんでだろう。すごく嫌な予感がするんだけど?

 

「それぞれのカードに示された番号の受験生がそれぞれのターゲットだ」

 

 うん……うん?

 

「奪うのはターゲットのナンバープレート」

 

 ……すでに持ってますが?

 

「自分のターゲットとなる受験生のナンバープレートは3点。自分自身のナンバープレートも3点。それ以外のナンバープレートは1点」

 

 私は6点分のプレートを持っている解釈でいいのかな? ……ないだろうなぁ。

 

「最終試験に進むために必要な点数は6点。ゼビル島での滞在期間中に6点のナンバープレートを集めること」

「質問があります」

「何だね?」

 

 聞いておかなきゃならないことだ。とても重要だ。

 

「1つのナンバープレートが4点以上になることは有り得ますか?」

「いったい何を……ああ、そういうことか。残念ながら1つのナンバープレートは1つ分としてしか計算しない。意味は分かるな? それは不運だったと諦めてもらうしかないな」

 

 ああ、やっぱり……私のターゲットはこの試験ではいないと。ひでぇ……3人狩るしかないのか。はぁ。

 

 私の質問の意味を分かっている人は何人かいるようだ。怪訝そうな顔をしている受験生の中で、幾人かが納得した顔をしている。クラピカさんも気付いたようで、気の毒そうな表情をしている……。ゴンやレオリオさんは理解出来ていないようだ。

 この質問の意味を理解できた人たちは私を狙うことは多分ないだろう。何せ私は誰のターゲットにもなりえないのだから。

 ……1点欲しい人は別だろうけど。

 

 船に乗ってゼブル島へ行く。皆ピリピリしてるなぁ。既にほとんどの人が自分のプレートを隠している。誰が自分を狩る者か分からないから当然だけど。

 その点私は大丈夫だね。自分を狩る者はいない(3点的な意味で)し、誰を狩るかも適当に選んで決めればいい。一応プレートはリュックサックの中に入れておこう。

 

 とりあえず適当な人を選んでプレートを奪おう。ゴン達は心情的に狩りたくないな。甘いかもしれないけど。

 狩る候補を確認するため周囲を見渡す……ヒソカと顔面針男はやっぱり抜きんでてるな。次点にハンゾーさん。この人は念を覚えて修行したらかなりの強者になるだろう。その次にキルア。この年齢でこの強さ、まさに天才の言葉が相応しい。いや、真に天才たるのはその才能だろう。ゴンも同様。彼らは宝石の原石に等しい。磨けばどれほどの高みに昇れるか……クルーガーさんに見せたらさぞかし喜んで鍛えるだろうね。

 だがゴンやクラピカさんにレオリオさんは才能はともかく現時点では磨かれてなさすぎる。そこらの受験生と比べても極端な差はない。状況次第では簡単に負けるだろう。今回の様なサバイバルでは尚更だ。

 

 狙いどころはゴン・キルア・レオリオさん・クラピカさん・ヒソカ・顔面針男以外の受験生。この人たちからは正直脅威を感じない。プレートを奪うのもさして難しくはないだろう。来年の試験会場無条件招待券が貰えるみたいだし、悪いけど来年頑張ってもらおう。ヒソカと顔面針男はちょっと面倒な相手だ。勝てないとは思わないけど、1週間という長い滞在期間で無駄に疲れたくはない。

 

 3次試験の通過時間が早い者からスタートしてその2分後に次の者が。つまり先に行く者ほど有利というわけだ。しかし、滞在期間が1週間か……ほんと、たくさん保存食買ってきて良かったよ。

 

 それじゃ、4次試験も頑張りますか。




 竜巻落とし……自分のネーミングセンスのなさに絶望……。
 ゴンたちはハンゾーが加わったおかげで3次試験をスムーズにクリア出来ています。最初の軍人くずれはハンゾーが瞬殺。次の連続爆弾魔も原作通りにゴンが。次はマジタニが出る予定が連敗に業を煮やしたジョネスが出陣。キルアに心臓抜かれてお陀仏。後は50時間以上余っていたので長くて困難な道を5人でクリアした訳です。描写は完全カットですが。
 あと4次試験のクジはイレギュラー入りまくりだから結果も変わっています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十五話

 私はスタート直後に森に入って即座に全力でダッシュした。出来るだけ痕跡を残さないレベルでの全力でだ。もちろんヒソカから一刻も早く離れるためだ。アイツは私のすぐ2分後にスタートする。あれとまた一緒になるのは勘弁してほしい。

 

 ……もういっその事ここでプレートを奪って試験不合格にしてしまえば……? いや、プレートを奪っても他の受験生から手に入れるだけだ。ヒソカなら簡単に6点分のプレートを集めるだろう。ならプレートを奪えないくらい戦闘力を削ぐ様に痛めつける? ……それで他の受験生に殺されても寝覚めが悪いしなぁ。まあ、ヒソカは死んだ方が世の中の為かもしれないけど。

 

 

 

 ここがどこかは分からないけど、とりあえずヒソカからは離れることは出来ただろう。後は受験生を探すだけだ。円は……あまり使わないでおこう。やっぱりオーラは消費され続けているし。緊急を要する時以外は絶でいるとしよう。オーラの消耗も防げるし、襲うにしても逃げるにしても気付かれにくい方がいいしね。

 

 絶を行い気配を絶ちながら受験生を探すこと約2時間。依然として受験生は見つからない。まあそれも仕方ない。あんなに一気に離れたんだからここら辺に受験生がいる可能性は少ないだろう。

 円を使って探すか? ……いややっぱり駄目だ。ただでさえオーラの消費が激しいのにさらに円を使えばかなりの消耗になる。これが【天使のヴェール】と【ボス属性】の不便なところだよな。それにこの場所は円をするには不利だ。体を隠す場所が多すぎる。円は物体を透過する事は出来ない。何かで体を覆ってしまえばそれだけで円の索敵から逃れることが出来る。

 もちろん明らかに不自然な何かがあれば分かるけど、この森の中だと草むらの中に入ったり木の枝や葉で体を覆えばとても分かりにくくなる。

 1㎞に達する私の円なら普通に移動している受験生を見つける事は簡単だろう。だけど先程のデメリット、オーラの消費がやはり痛い。出来るだけ絶でいるべきだろう。円は最終手段だね。

 

 しかし……先程から何となく誰かに視られているような……。

 

 ……気のせいか? 気配は感じない。円を使わなくてもある程度の距離なら気配を探ることは出来る。いるのはせいぜい小動物くらいだ。

 視線も……やっぱり感じないか。多分気のせいだな。自慢じゃないけど気配探知はかなりのモノだと自負している。少なくとも周囲数百mの範囲に人はいないな。小動物の気配と勘違いしたのか? 人と動物の気配を間違うなんて鈍ってんのかな……?

 

 まあいい、気を取り直して受験生を探すとしますか。

 

 

 

 受験生3人倒してプレートゲット!

 これで試験終了までの間プレートを盗られないように注意すればよしと。ふう。丸2日動き通したから少し汗かいたな。

 途中で泉が湧いていたのを見つけてたな。そこで少し水浴びをして汗を落とそう。

 

 ……周囲に人の気配なし。大丈夫そうだな。別に見られても困ることはないけど、裸を見られるのは男とか女とか関係なく多少は恥ずかしいからね。母さんなら女性がむやみに肌を見せてはいけないとか言いそうだし。

 

 母さん……まだ本当の母さんのお墓にお参りも行けてないな……。

 ……いつか必ずお墓を見つけよう。そして報告しなきゃね。私は元気ですって。

 

 

 

 ふう。冷たい水が火照った身体に気持ちいい。

 そうだ。ついでに服も洗っておこう。このままじゃ臭いが……視線!?

 何者だ!? 距離は……約50mか。ここまで接近されて気付かなかった。かなりの手練れ! 

 ちっ! 私が気付いた事を察知されたか……気配が完全に消えた。恐らくすでに離脱しているな。

 

 受験生か今のは……? それにしてはレベルが違いすぎる。

 

 とにかく一旦ここから離れるとしよう。

 

 

 

 

 

 

「本当に会長が出られるのですか?」

「うむ。401番の監視はワシがする」

「し、しかし」

「これは決定事項じゃ。異論は認めん」

「は、はぁ。分かりました」

 

 4次試験において受験生1人1人につける監視。目的は4次試験における受験生の対応を見ることで様々な資質や能力をチェックすること。

 これを利用せん手はない。401番……アイシャ嬢ちゃんを尾行する事でアイシャ嬢ちゃんがリュウショウの生まれ変わりかどうかの確認が出来るやもしれん。

 本当にリュウショウの生まれ変わりなら言いたいことは山ほどあるんじゃ。確実に見極めさせてもらうぞ!

 

 ……死んで勝ち逃げなんぞ認めてなるものかい。

 

 おっといかん。彼らに言っておかねばならぬ事があったのう。

 

「今回受験生を尾行するハンターに告ぐ。自分の管轄の受験生の近く。およそ500m以内に401番の信号が来れば即座にそこから離れるように。これは厳命じゃ」

 

 アイシャ嬢ちゃんがリュウショウだと仮定して事を進めておかねばな。ワシの尾行が気付かれんでも、他の受験生を尾行している試験官に気付かれては意味がないわい。

 そこからワシの存在に感づかれる可能性は大いにあるからの。

 

 さて、受験生も全員出発したようじゃし、ワシもそろそろ行くとするか。

 一応、体には布を覆いその上に木の枝や葉を付けて偽装しておこう。円対策じゃ。リュウショウの円は半径500mはあったからの。

 発信器を確認すればアイシャ嬢ちゃんの居場所はすぐに分かる。……随分奥に行っておるの。少し飛ばすか。

 そうしてワシはアイシャ嬢ちゃんを追って森の奥へと消えていった。

 

 

 

 アイシャ嬢ちゃんのプレートに仕込んでおる発信器を目指して来たのじゃが……無理じゃ。これ以上近づけぬ。

 確実にこれ以上距離を詰めたらアイシャ嬢ちゃんにばれる。それが分かってしまう。気配を察知する範囲が広すぎじゃろう! これより少し前に進んだだけでワシに気付きかけおった!

 ますますリュウショウとしか思えんわ! 絶をしているワシにこの距離で普通気付くか? 並どころかトップクラスの実力の持ち主にも気付かれん自信はあるのにのう。視線だってアイシャ嬢ちゃんに直接合わせず上手くぼかしているというのに……。

 

 大体なんじゃあの絶は! 発信器がなかったら見つけるのも困難じゃわい! 少しは尾行している者の身にもならんかい!

 全く……念のためそこらにいた小動物を嬢ちゃん方面に向かって放した甲斐があったわ。どうやら監視はばれていない様じゃの。

 アイシャ嬢ちゃんが移動を再開した。つかず離れず、この距離を何とか保ちながら尾行する。正直めっちゃ神経けずるわい……。

 

 

 

 ……どうやら受験生を発見したようじゃ。

 相手は……駄目だなあれは。嬢ちゃんに気付いておらんのは仕方のないことじゃが……それ以前に弱すぎる。あれでは嬢ちゃんは実力の一分も出さずに倒すことが出来るじゃろう。

 

 ほれ、言わんこっちゃない。一瞬で近づいて首筋に手刀を一閃。簡単に気絶させられおった。風間流を使うまでもない様じゃ。不甲斐無い。少しは粘らんかい。

 

 まあ良い。そもそも実力は十分理解出来ておる。なにせ竜巻落としすら使って見せたのじゃからな。監視カメラにばっちし映っとったわい。

 あのヒソカに同情するとは思わんかった。よくあれをまともに喰らって生き延びていたもんじゃ。いや、そもそもリュウショウはあんな殺し技をワシに仕掛けておったのか?

 ……マジであいつタダじゃおかねぇ。

 いや、【百式観音】使うワシも似たようなもんか。

 

 おっと、感慨に耽っていてはいかん。嬢ちゃんがまた移動を再開した。さあ、いつボロを出すかの?

 

 

 

 わずか2日でいとも簡単にプレートを集め終わりおった。犠牲になった受験生が哀れと言うほかないの。レベルが違いすぎる。

 ほとんど休みなく動いておるが疲れた様子はなし。スタミナや身体能力はリュウショウとは比べ物にならぬ。この歳でこの身体能力、確実に成長の余地はあるじゃろう。……リュウショウ並の技術に類稀なる身体能力。何の冗談じゃ?

 

 ワシがリュウショウに勝てた最大の要因がリュウショウの身体能力じゃ。打たれ強さや反射神経に動体視力。これらは並の人間よりも鍛えられているがそれでも達人クラスになると遥かに下。

 それをあ奴は持ち前の読みの深さと圧倒的なオーラ量、そして世界最高峰のオーラ技術で補っておった。リュウショウのオーラの流れから次の攻撃を予測できる者はおらんかった。攻防力移動など有り得ぬ速度じゃ。何せワシの【百式観音】にすら間に合う圧倒的速度の流をこなすのじゃからの。

 

 それらを駆使してもワシが【百式観音】を使用したらワシの勝ちは決まっておった。どれほど読みが深かろうと、オーラ総量が多かろうと、オーラ技術が凄かろうと、避けられぬ攻撃を受け続ければいずれ倒れる。リュウショウの耐久力ならば尚更の事。

 ……それでも最大12発耐えたのはすごいと思うわ。一瞬でも油断すればワシがやられておったのだからの。

 

 アイシャ嬢ちゃんがリュウショウだとすると……あのリュウショウの最大の弱点がなくなったと……?

 

 いやいや、一体それはなんの冗談じゃ? 【百式観音】を受けてかすり傷程度じゃったぞ? ふざけてんの?

 

 ……く、くっくっく。面白れぇ。最近はめっきり張合いもなくてつまらなくなってきたところだ。

 ワシの全力の全力を受け止めてくれる相手が更なる成長を遂げて復活をした。最高じゃねぇか。例えアイシャ嬢ちゃんがリュウショウでなかったとしても実力者であることに変わりはねぇ。

 俺のこの疼き。止めることが出来ることを望んでいるぜ?

 

 ん? いかん! 嬢ちゃんが神経を集中して周囲を警戒しておる! もしやワシがおることがばれたか? すぐにこの場から遠ざからねば!

 ……いや、どうやらばれていないようじゃの。ふう、焦らせおって……むお! こ、これは、ま、まさかぁぁ!?

 

 

 

 か、観音様が……!!

 

 おお! 齢13とは思えぬ豊満な胸! まさに全てを包み込む母性の象徴! この歳でこのバスト、確実に成長の余地はあるじゃろう!

 細すぎず、かつ太すぎず、女性の魅力たる胸と尻を強調するかのごとく括れた腰! 

 桃の果実を思わせるような、思わず齧り付きたくなるほどの張りと柔らかさを秘めた魅力溢れる尻!

 何というプロポーション! 鍛えられた肉体と女性の魅力が合わさった均整のとれたその身体は芸術の極み。

 さらには水に濡れた事により濡烏(烏の濡れ羽色とも言う)となった流れる様な黒髪が白い肌に合わさり、まさに美の結晶じゃあぁぁぁぁぁ!

 

 ほ、ほほう。下はまだ生えておらぬようじゃのぅ。そこは年相応といったところか。ふむ。先っぽは綺麗な桜色――む! ええい。服を取りに行ったのか! 位置が変わって木々が邪魔で良く見えんわ!!

 早くこっちに戻ってこんか!

 

 ――! やば、気付かれた! 思わず興奮してしもうた。気配が漏れてたか?

 くそう! まだワシの正体がばれた訳ではない。口惜しいがここは撤退じゃ! 

 

 残り5日もある! 必ず好機(水浴び)は巡ってくるはず!! 

 絶対にアイシャ嬢ちゃんのその全貌を暴いてくれるぞ!

 

 

 

 

 

 

 あの視線を感じてから4日が過ぎた。残りは既に24時間を切っている。あれ以来さらに注意して周囲を警戒しているが、視線も気配も感じない。いや、何人かの受験生と思わしき人の気配は感じていたが、私を監視していた者の気配ではない。

 あれは桁が違う。あの隠行、下手すればネテロや私並の使い手。自画自賛になるが、その様な使い手がハンター試験にいるとは思わなかった。

 

 顔面針男か? ヒソカなら確実に見つかって逃げる性格ではない。

 それとも試験官? どちらにせよ私を監視していた理由は分からない。

 憶測ぐらいならいくつかつくけど。

 

 とにかく私が気付かないだけで未だに私を監視・尾行している可能性は大いにある。おかげでおちおち気を休める事も出来ない。この4日間一度も水浴びが出来なかったよ……。

 それ以前に……眠い! 正直殆ど眠れなかった。

 熟睡するといつあの監視者が襲撃者に変わるとも限らない。そう思うと中々……寝てても気配は察知出来るけど、あれは別格だ。さすがに自信がない。

 

 まあいい。気を取り直して残りの試験時間を過ごそう。試験が終わってから熟睡すればいい。ここで落ちたら今までの時間が無駄になっちゃうからね。

 最後まで気を抜かない様に……ん? 人の気配。それも複数……数は3人か。

 周囲を探索している様だ。恐らく受験生を探しているのだろうが……3人というのが気になるな。協力しているのか? だとしたら大したものだ。このサバイバルで協力関係が取れるなんて状況判断と理性が高い証拠。

 

 どれ、ちょっと様子を……ゴン達か!

 ゴン・レオリオさん・クラピカさんの3人組だ。確かにあの3人なら一緒に協力し合えるよね。

 

 いいなぁ。ああいうのを友達とか仲間とかって言うんだよなぁ。

 羨ましいなぁ。

 

 ……ちょっと声を掛けてみよう。ゴン達を見たら人恋しくなっちゃったよ。

 そうだ。どうせなら少し驚かせよう。それくらいの悪戯ならいいよね?

 

 

 

 気配を消してゴン達の真上の木の枝に移動する。どうやら気付かれていないな。このまま一気に地面に降り立ち……。

 

「わっ!!」

「うおぉぉっ!?」

「くっ!?」

「しまっ!?」

 

 おお。予想以上の驚き具合。でもきちんと警戒していた様で、すぐに皆さん臨戦態勢を取ってらっしゃる。

 ……ちょっとやりすぎたかな?

 

「わわ、すいません! 私です。アイシャです!」

「……なんだよアイシャかよ。ビックリさせんじゃねえよ。敵かと思ったじゃねえか」

「ふう。ほんと。ここまで近づかれたのに全然気づかなかったや」

「……おめでたいなお前達は。まだアイシャが味方と決まったわけではないのだぞ。我々のプレートを奪いに来たのやもしれん」

 

 おおう。レオリオさんとゴンはちょっとビックリした、で済ませてくれそうだけど、クラピカさんには疑われているようだ。

 こんな試験じゃ当然の反応だから仕方ないけどね。

 

「本当にすいません。この辺りを通っていたら皆さんが見えたもので、つい……プレートは既に6点分集めてますのでもう要りませんよ」

「おいおいクラピカ疑いすぎだぜ。アイシャが騙し討ちなんてそんな汚いことするわけないだろ?」

 

 ……えっと、このプレートは受験生から不意打ちで奪ったものですが……騙し討ちと不意打ちは違うよね?

 

「大丈夫だよクラピカ。アイシャがその気なら最初の時に攻撃出来てたよ?」

「……そうだな。すまないアイシャ。少し過敏になっていたようだ」

「いえ、試験が試験です。それにプロハンターになるのなら慎重さも求められるでしょう。先程のは当然の対応ですよ」

「そうか。そう言ってくれると助かる」

「おいおい、まるで俺達が慎重じゃないみたいじゃねえかよ~」

「レオリオ。達を付けるとゴンに失礼だぞ?」

「んだと~!」

 

 レオリオさんとクラピカさんのやり取りに私とゴンから笑いが零れる。それを境にクラピカさんとレオリオさんも笑みを浮かべる。

 ああ、いいなぁ。やっぱりこういうの、憧れるなあ。

 

「ところで3人ともプレートは集まりましたか? ……見たところ受験生を探していたようでしたが」

「……それがなぁ」

「私とレオリオは既に合格分のプレートは集まっている。問題は……」

「うん……オレのプレートが……」

「ああ。ゴンの3点になるプレート。標的となるナンバープレートを持った受験生が見つからねぇんだ」

「私達は上手く合流し協力関係を結ぶことが出来た。その後運良く私とレオリオの標的からプレートを奪うことは出来たが……」

 

 なるほどそういう事情か。

 

 しかし……クラピカさん……優しい人なんだな。

 他の2人は恐らく考えてすらいないだろうが、クラピカさんは私のプレートを奪う事を一瞬だが思考に捉えていただろう。最初の問答で私がプレートを必要ないので敵ではない、となったが、実は違う。彼らの方はプレートが必要なのだ。

 ならばプレートを持っている私は彼らにとって敵となるはず。その答えにクラピカさんなら確実に行き着いたはず。

 でもそうしなかった。それだけでクラピカさんがどれだけ優しいかがよく分かる。

 

「なるほど……ところでゴンが探しているのはどのナンバープレートなのですか?」

「90番だよ」

 

 ん? ……90番? それってもしかして。

 リュックサックの裏ポケットの中を探す。出てきたのは4枚のプレート。その中の一つに書かれた数字が90だった。……おおぅ。

 

「えっと、私、そのプレート持ってるんですが」

『え?』

「ほら」

 

 すっとプレートを前に出す。それを食い入る様に見る3人。

 

「……」

「……」

「……」

「……」

 

 沈黙が場を支配した。適当に見つけた受験生から奪ったものだけど、確かに誰かの3点分のプレートを奪う事になるよね。それがたまたまゴンだったと……。

 

 どうしよう? これを譲るのは簡単だけど……確実にゴンは受け取らないだろう。きっとそういう子だ。

 けど今からゴン達が3点分のプレートを集めるのは不可能に等しい。何せ残り24時間切っている中でプレートを3枚集めなければならないのだから。

 しかしまともに渡しても受け取らない事は目に見えている……。

 

 そうだ! これならいけるかもしれない! 少しゴンには悪いけど……。

 まずゴンに勝負を挑む。ゴンが勝てばこのプレートをゴンに渡す。私が勝てば私の言うことを何でも一つだけ聞くようにする、という条件を付けてだ。

 そうして私が勝ったうえでゴンにプレートを受け取れと命令すればいい。わざと負けては余計にゴンのプライドを汚すだろう。

 これでゴンにプレートが渡ってもゴンは私に対して負い目を感じるかもしれない。でも他にゴンにプレートを渡す方法は思いつかない。プレートを渡してしまえば私が合格出来なくなるけど、ゴンと違って私はプレートを一枚手に入れればいいだけだ。それなら何とかなるだろう。

 これで行くしかない。

 

「ゴン。勝負をしませんか?」

「え? 勝負?」

「ええ。勝負です。その勝負にゴンが勝てばこのナンバープレートをゴンに譲りましょう」

「ええ!? そんなの悪いよ!」

 

 いや、すでに勝ったつもりで返されても困るのですが……。

 

「アイシャが勝った場合はどうするのだ? すでにプレートは必要ないだろう?」

「私が勝てばそうですね……1つ私の言うことに何でも従ってもらう、というのはどうでしょう? これならプレートと釣り合う内容だと思いますが」

「なるほど……勝負内容は?」

「クラピカ! オレは勝負するなんてまだ――」

「落ち着けゴン。これ以外にどんな方法がある。もはやお前が合格するにはこの案に乗るしかあるまい」

「でも……」

「(まあ聞け。このプレートを手に入れなければ我々に必要なプレートは3枚。これは分かるな)」

「(……うん)」

 

 何やら小声で相談している様だ。ひとまず待っていよう。

 

「(ここでプレートをアイシャから手に入れたとしても、アイシャが新たに必要なプレートは1枚のみ。その1枚を我々で協力すれば手に入れる可能性は大いにある)」

「(あ。……でも、もし手に入らなかったらアイシャが)」

「(だがそれが全員で合格するには一番効率的だ。4人で協力すればプレートの1枚くらいなら手に入れるのもかなり楽だろう)」

「(4人で……うん、そうだね)」

 

 ん? 相談は終わったかな?

 

「分かったよアイシャ。その勝負受けるよ」

「おいマジかよ! それじゃアイシャが――!」

「(こっちにこい馬鹿リオが! いいか……)」

「(誰が馬鹿リオじゃこらぁぁー! で、なんだよ?)」

 

 ……仲良いなあの二人。

 

「勝負を受けてくれるのですね。それでは勝負内容ですが……賭けの内容を決めたのは私ですから、勝負内容はゴンが決めていいですよ」

「いいの?」

「ええ。二言はありません」

「どんな勝負でも?」

「はい。構いません」

 

 私は一向に構わん! 勝っても負けても問題ないしね。

 まあ勝負事だからわざと負ける気はないけど。

 

「じゃあ……そこの泉に魚がいたから。釣りで勝負しよう」

「はい。釣りですね分かりまし……はい? 今、何と?」

「釣りで勝負。あ、制限時間を決めておいた方がいいよね。今から制限時間10分以内に魚を何匹釣れるかで勝負。レオリオ、時間を計って」

 

「釣り?」

「うん」

 

「魚を?」

「うん」

 

「釣竿で?」

「うん」

 

「手は?」

「竿で」

 

「足は?」

「竿で」

 

「竿は?」

「自前で」

 

「時間は?」

「10分」

 

 ……鬼がおる。

 

「もう始まってるから早くしないと時間なくなっちゃうよ? レオリオ、残りどれくらい?」

「あ、あと9分15秒だ(え、えげつねぇ)」

「は、はは(これはひどい)」

 

「うわぁぁん! ゴンのバカヤロ~!」

「よし! まずは1匹!」

 

 竿を手作りしている私の後方からそんなゴンの声が聞こえてきた……。

 

 

 

 10分後。はれてプレートはゴンの物となりましたとさ。

 ふっ、全ては計算通り!

 だから、くやしくなんか、ない……!

 

 

 

 

 

 

「ごめんねアイシャ。本当にプレートをもらって」

「い、いいんですよ。勝負の結果です。それも自分から持ち掛けた。そこに文句を言うつもりはありませんよ」

「いや、俺は文句言ってもいい気がする……」

「私もだ……」

 

 やっぱり少しズルかったかな? でも、アイシャと闘って勝てるイメージが湧かなかったんだよね。

 何だろう。ヒソカみたいな怖さやゾクゾクするものを感じないんだけど、なんか打ち込めないっていうか……。闘う前から相手に負けをイメージさせてるなんて……アイシャはすごいや。

 オレももっと強くならなきゃ。そうじゃなきゃジンに会うなんて出来っこないよね、カイト。

 

「まあ終わった事は仕方ないとしよう。それよりもアイシャ。今更こんな事を言うのも何だが、私達と協力しないか? アイシャはあと1点分のプレートを手に入れればいいのだろう。4人で協力すれば手に入れる確率も上がると思うが?」

「そうだよアイシャ! オレ達に協力させてよ!」

「ああ。このまま別れるなんて出来ないしな」

「……いいのですか?」

「もちろん」

「では……よろしくお願いしますね」

 

 うわぁ。すごくいい笑顔だなぁ。レオリオがアイシャの笑顔見て鼻の下を伸ばしてるや。アイシャってこうして人と話したことはあんまりないのかもしれない。オレ達と話す時っていつも楽しそうなんだよね。

 オレも友達とこうして話をするのはすごく楽しいんだよね。くじら島には同年代の人がいなかったから。……レオリオはちょっと年上だけど。キルアもいたらもっと楽しいんだろうなぁ。今頃どうしてるんだろ? キルアの事だからきっと問題ないと思うけど。

 

 いけない。アイシャの為にも早く他の受験生を探さなきゃ。

 

 

 

 

 

 

 残り時間は20時間を切ったか。

 ここからが正念場だ。例え6点分のプレートを手に入れてもそれを試験終了まで守れなければ意味はない。ここまでくれば恐らく合格点を満たしていない受験生は死にもの狂いでプレートを奪おうとするだろう。

 それを許すわけにはいかない。オレは絶対にハンター試験に合格して幻獣ハンターになるんだ。ここまで来て今更リタイアしてたまるか。

 

 気配を消しつつも周囲に気を張る。……どこにオレを狙うやつがいるか分から――敵! 気配を感じて振り向くと長身のサングラスをかけた一人の男。甘かったな、気配が消し切れてなかったぜ!

 構えていた弓に矢を番え即座に――! 後ろからも気配! くそっ! 2人掛かりか! このままじゃ――右からも人が!? 3人? いやちょっと待て! 狼狽している俺の肩を誰かが叩く。慌てて振り向くとそこには――!

 

 申し訳なさそうな顔をしている4人目の襲撃者がいた……。4人掛かりて……はは、ふざけてんのか?

 

 そうしてオレは後頭部に強い衝撃を感じ、瞬く間に意識を失った……。

 

 

 

 ――受験番号54番ポックル、ナンバープレート紛失。結局彼は今回の試験に不合格。本来の歴史と違いこれよりさらに2年後の試験に合格してプロハンターとなる――



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十六話

 ここがネテロ会長が仰った場所。今期ハンター試験の最終試験会場ですか。普段は審査委員会が経営するホテルのようですが、今は最終試験の為に貸切になっているようですね。

 

「現在当ホテルは貸切の為通常の営業は行っておりません。真に申し訳ありませんが、お引き取りを……」

「私はリィーナ=ロックベルト。ネテロ会長より私が来訪した時の通達が来ているはずですが……伝わっておりませんか?」

 

 身分証明証、ハンターライセンスを渡し、確認を促す。もしあのじじいが伝え忘れていたならどうしてくれようか。浸透掌か? それとも竜巻落とし? いやそれとも――

 

「大変失礼いたしました。ネテロ会長より話は仰せつかっております。まだ会長は到着していませんので、到着までこちらへ――」

「リィーナ!」

 

 ホテルマンが案内をしようとした矢先の事、聞き覚えのある声がしたので思考を中断し振り向く。

 

「ビスケ。一体どうしてこちらに?」

 

 そう。何故ここにビスケがいるのでしょう?

 

「それはこっちのセリフだわさ! なんであんたがこんな所にいるわさ! あんた約束を忘れてたの!?」

 

 約束……? ……ああ!!

 

「そう言えば、3日前はエステの予定の日でしたね」

「……呆れた。ほんとに忘れてたのねあんた。……あのねぇ、あたしだって暇じゃないのよ。それなのにこうして毎月最低1回はあんたの所に出向いてあげてんのに、約束の日に行ったら留守ときた。しかも長期不在の予定を入れて」

 

 これは……少々怒っていますね。それも致し方ありません。約束を違えたのは私なのですから……色々と思うところがあったとはいえ、約束を破ってしまうのはいただけません……。

 

「申し訳ありませんビスケ。今回は私の落ち度です……この埋め合わせは必ずしますので、今は許してもらえませんか?」

「……はあ。仕方ないわさ。普段こんなミスをするアンタじゃないモノね。ま、埋め合わせは今度してもらうわ。ちょうど欲しいモノがあったのよね~」

「すみませんねビスケ。……ちなみに予算は1000万ほどにしてくださいね」

「……もう一声。ちょっとした情報屋を雇ってようやく移動先が分かったんだから。それの分も含めてほしいわさ」

「はあ、2000万までですよ?」

「よっしゃ!」

 

 全く、この子ときたら……2000万くらい軽く持ってるでしょうに。

 

「それで?」

「はい?」

「なんで約束すっぽかしてこんな所に来たの? ここ審査委員会が経営してるホテルでしょ? これからハンター試験会場に使われるみたいだけど」

 

 ……まだ根に持ってるみたいですね、約束を忘れていたのを。

 

「……」

「……?」

 

 ……そうですね。ビスケも今回の件。リュウショウ先生の件は他人事とは言えないでしょう。彼女もネテロ会長を通じて先生と深く関わりのある人でしたから。

 それに……あの時、リュウショウ先生が亡くなって意気消沈としていた私にずっと寄り添ってくれたビスケになら……話をしてもいいでしょう。

 

「その説明をするのに立ち話もなんですね。話は部屋についてからにしましょうか」

「それもそうね。と言う訳でそこのあんた。早く部屋まで案内してちょうだい」

「は、いえ、その、こちらの方は?」

「私の連れです。通しても問題はありません。彼女もプロハンターですし」

「いえ、しかし、ネテロ会長からの話ではロックベルト様のみとの……」

「会長には私から伝えておきますので問題ありません。案内をお願いいたしますね」

「は、はい! 畏まりました!」

 

 顔を赤くして私達を先導するホテルマン。はて、一体どうしたのやら?

 

「……あんた、あんな年下弄るなんて趣味悪いわね~」

「弄るとは人聞きの悪い事を。私は誠心誠意お願いするために微笑んだだけですよ? 70を越えるお婆ちゃんに微笑まれて顔を赤くする方がどうかと思いますが?」

「いや、今のアンタを見てお婆ちゃんて言える奴いないから」

「そういうビスケは初対面の人だというのに猫を被っていませんね」

「ぐ、あれはアンタがいないから苛立って……」

「なるほど、寂しかったと。それならそうと仰ってくれればよろしかったですのに」

「誰が寂しいって言ったわさーー!!」

 

 ふふ、やはりこの子は弄ると可愛いですね。やりすぎると怒ってしまいますから気を付けなければいけませんが。

 

「ちょっとー! 聞いてんのリィーナ!」

 

 

 

 

“ボーーーー!!”

 

 船からの汽笛、そして試験終了の合図。やっと終わりか。つまんなかったし、期間長すぎ。待ってる間が暇でしょうがなかったよ。さて、ゴンの奴はどうなったかな?

 

「キルア!」

「ゴン! 合格したのか」

「うん! 皆のおかげで何とか」

「お、アイシャにクラピカに……リオレオ! 皆も合格できたのかよ」

「レオリオだ!」

 

 あれ、そうだっけ? まあいいや。どうやら皆で手を組んでいたわけだ。

 ちぇ、何だよ。俺だけ仲間はずれかよ。いや別にいいけどさ。

 

「キルアも合格出来て何よりですね」

「まあね。楽勝だったよ。アイシャも三人狩るのめんどかっただろ? 運がないなぁ。オレなんて適当に狩った奴が標的だったぜ」

 

 普通一番最初にくじ引いて自分の番号を取るか? 確率4%だぜ。

 

「う、うるさいですね! 確率的にないわけではありません。そういう時もあるんです!」

「運が悪い奴の常套句みたいだな」

「う、うぐぐ!」

 

 ははは、ぐうの音も出ないとはこの事だな。

 

「はは、実はなキルア。もっと面白い話があるぜ」

 

 レオリオが意地悪そうな顔でこっちに近づいてくる。何だ一体?

 

「まさか……レオリオさん!?」

 

 アイシャのこの動揺。どうやらよほど話されたくない事みたいだな。

 ……面白そうだ!

 

「へえ、どんなんだよ?」

 

 オレはこの話の楽しさを予感しながらレオリオに話をするよう促す。

 ああ、やっぱり殺しなんかやってる時よりゴンと……こいつらと一緒にいる方が断然楽しいな……。

 

 

 

 

 

 

 私の目の前で笑いながら地面を転げまわっているキルアがいる……。ゴンとクラピカさんは申し訳なさそうにしながらも苦笑している。レオリオさんはキルア程じゃないけど私とゴンの勝負を楽しそうに笑いながら話している。

 

 ……レオリオさんの裏切り者~。

 

「レオリオさん。どうして話しちゃうんですか……」

「わりぃわりぃ。ついぽろっと口から出ちまったんだよ」

「は、腹いてぇ! じ、自信満々に勝負を挑んでおいてあっさり負けるなんて!? ご、ゴンはゴンで釣り勝負って何だよ!? アイシャ釣竿持ってないじゃん!」

 

 ぐおぉ~! 聞けば聞くほど恥ずかしい! 今の私の顔は赤に染まっているだろう。

 

「いや、勝負方法は何でもいいってアイシャが言うからさ」

「た、確かに“何でも”だな。こりゃ文句は言えねえわ」

「ですから、文句など言っていませんよ……」

「しかもその後たった一人の受験生に四人がかり。同情するねそいつに」

 

 だって、皆さん協力するって言ってくれてるのに、断るなんて悪いじゃないですか……でもなんでだろう。あの人にはすごく申し訳ないこと(4人がかり)をしたのに、何故か良い事をした様な気がする?

 

「あ~、笑った笑った。こんなに笑ったの初めてかもしんねぇ」

「それはようございましたね」

「怒んなって。ほら、飛行船が迎えに来たみたいだし、早く乗ろうぜ」

 

 くぅ。キルアの笑い顔がそこはかとなく腹立たしい……。

 

 

 

 私達を乗せた飛行船は最終試験会場へと向かっている。

 この後すぐに試験が始まるんだろうか? 正直寝たい。この1週間碌に寝ていない。

 

「アイシャはさ」

「はい? どうしましたゴン?」

 

 何か聞きたいことでもあるのだろうか? 答えられることなら答えるけど。

 

「どうしてハンター試験を受けたの?」

「ああ、オレも気になるね」

 

 何故ハンター試験を受けた、か。……まあゴン達なら正直に言っても問題はないか。

 

「受けた理由ですか。大層な理由はありませんよ。身分証明するものが欲しかっただけです」

「身分証明?」

 

 よく分かっていない顔のゴン。他の皆は怪訝な顔をしている。どうして身分証明が必要か知りたいのだろう。

 

「私、流星街の出身なんですよ」

「!」

 

 驚く3人。……ゴンはやっぱり分かっていないようだ。流星街を知らないのかな?

 

「流星街とはですね……」

 

――少女説明中――

 

「という訳なんですよ」

「そうか。だから身分証明が必要なんだね」

 

 ……私の身の上話をある程度聞いてこの反応。なんとも不思議な子だ。普通なら同情するか、申し訳なさそうな反応をするところなのに。

 ……でも嫌な感じはない。その人そのものを受け入れてくれる、そんな包容力を感じる。

 

「……アイシャだけ話すのもあれだな。オレ達の志望動機も話そうぜ」

「そうだな~。つっても大した理由なんてないぜ。ただの暇つぶしだしな~」

「オレは親父みたいなハンターになりたいんだ。親父がどんなハンターか詳しく分からないけど」

「オレは金だよ。ハンターになれば見た事もねえ大金が手に入るしな」

「わざわざ悪ぶって言う必要もあるまい。素直に医者になるための金が欲しいと言えばよいのだ」

「るっせ!」

 

 キルアは何となくそんな感じがしたなぁ。

 ゴン、お父さんを知らないのに、その人みたいなハンターを目指してるって……。

 レオリオさんは……想像以上に優しい人だった。この人は一緒にいて何か落ち着けるな。

 クラピカさんは――

 

「私は……幻影旅団。奴らを捕まえるためにハンターに志望した」

 

 ――! 復讐、か。幻影旅団の名を口にした瞬間、とても重く暗いオーラに変化していた……。

 

 幻影旅団。賞金首の中でもA級首といって上位に位置する者達。熟練ハンターですら手を出すのを躊躇うほどのレベルだ。

 流星街を出て何度か耳にした事がある。物語に於いても強い関わりを持っていたはず。恐らく全員が念の使い手。それもかなりの腕前のはず。ハンターが未だ捕えていないというのはそういう事だ。

 今のクラピカさんでは手も足も出ない。少なくとも念を習得しない限りは。習得したとしても勝ち目は少ないだろう。よほどの才能差がない限り、念は修行に費やした年月が物を言う。私がいい例だろう。

 

「復讐をとやかく言うつもりはありませんが、幻影旅団は……」

「分かっている。だが死は怖くない。今の私で無理ならば、可能なくらいに強くなればいいだけの事だ」

 

 ……そこまで言われてしまえば強く止める事は出来ない。他人がいくら復讐は虚しいだとか言っても、クラピカさんの心に届くとは思えない。私は誰かに復讐したいと思ったことはないのだから……。

 

 復讐される側ではあるだろうけど、ね。父が、私が生きている事を知ったらどうするのだろうか……。

 

 

 

 

 

 

 ふむ。どうやら最終試験会場のホテルに着いたようじゃの。恐らくリィーナ嬢ちゃんも到着しとるじゃろ。あまり待たせて文句を言われるのも嫌じゃし、さっさと行くとするか。

 

 ホテルマンに言付けておった部屋に着いた。中にはリィーナ嬢ちゃんがおるのじゃろう。気配が……2つ?

 はて? 何故2つの気配が? 1つはリィーナ嬢ちゃんじゃろうが、もう1つは……?

 

 何故だか嫌な予感がするのう……入りたくないわい。しかしこれ以上時間を置いてはリィーナ嬢ちゃんに何を言われるか。

 

 仕方ない。意を決して入るとするか。

 

「待たせたのリィーナ嬢ちゃ――」

「くそじじぃーー!! あんたどうしてあたしにも話さなかったわさーー!?」

「ぬお? び、ビスケか! 一体なんの事じゃ!?」

 

 もう1人はビスケじゃったか! 嫌な予感的中じゃの……リィーナとビスケが揃ったら口では一切勝てぬ……。

 

「何もへったくれもないわさ! リュウショウ先生の件よ! そんな大事、どうしてあたしに連絡しなかったのよー!?」

「そ、その件か。しかしの、話すも何も未だ確証のない事じゃ。事が事ゆえにあまり吹聴するわけにも――」

 

「あたしだって関係者でしょうが! 何年じじぃやリュウショウ先生と関わってきたと思っているわさ!」

「私の方から既に聞き及んでいる事は話し終えています。確かにあまり多人数に話すのは憚られますが、ビスケになら問題ないでしょう」

 

「う、む。……すまんのビスケ。ワシも少し考える事があって気が回らんかったようじゃ」

「……まあ、話が本当ならじじぃがそのアイシャって娘に気が取られてもしょうがないわね。リュウショウ先生が転生したともなれば、ね」

 

「前々から思っとったのじゃが……何故ワシはじじぃでリュウショウが先生なのじゃ? リィーナ嬢ちゃんはともかく、ビスケ、お前ワシの弟子だよね?」

「尊敬出来るかどうかの違いじゃない?」

 

「ネテロ会長ですからね。仕方ない事でしょう」

「……ワシ、泣いていい?」

 

 オノレリュウショウ。

 

「泣くなうっとうしい。ま、あんまり苛めてほんとに泣かれてもめんどくさいからこれ位で止めとくわさ」

「ビスケの優しさに全私が感動中です」

 

 ……本当に涙が出そうじゃ……。

 

 しかし、仲良いのうこやつら。リュウショウが生きておった時は良いライバル関係ではあったが、結構いがみ合っていたもんじゃがのう。こうして見ると今は仲の良い姉妹にしか見えんわい。

 全く。二人とも年齢詐称にも程が――

 

『今なにか言った?』

「イエナニモ」

 

 ワシの心を読むでないわ!

 

「それよりも今後の予定なのじゃが!」

「話を逸らそうとしてませんか?」

 

「何の事じゃ? とにかく今後の予定じゃが、今から受験生の面談を行うつもりじゃ」

「面談、ですか」

 

「うむ。最終試験の組み合わせを決める為に最後の確認をと思っての。……アイシャ嬢ちゃんはその面談の最後に回す予定じゃ」

「その面談、もちろん私達も――」

 

「分かっておる。参加してよい。ただし、参加するのはアイシャ嬢ちゃんの時だけじゃぞ」

「もちろんです。それ以外に興味はありません」

 

「本当は飛行船の中で面接をする予定じゃったが……そんな事をすれば怒るじゃろ?」

「良い判断です。命拾いしましたね」

 

 ……良かった。考え直して。

 

「ではそろそろ始めるとするか。アイシャ嬢ちゃんの番が来たら合図するのでお主らは奥の部屋で待機しとってくれ」

 

 これで後はアイシャ嬢ちゃんを待つばかり。……ふふ、年甲斐もなく興奮してきおったわ。もし本当にアイシャ嬢ちゃんがリュウショウの転生した姿であるというのならば……言い逃れ出来ると思うなよリュウショウ!!

 

 

 

 

 

 

“受験生の皆様。お休みのところ申し訳ございません。これより会長が面談を行います。番号を呼ばれた方はホテル15階の会議室までおこし下さい”

 

 ホテルの一室で休んでいるところに突然の放送。ネテロの面談、だと。何の面談だろう? 最終試験は3日後だと言ってたから、ゆっくり休めると思ったのに……。

 ま、そんなに時間かからないだろう。終わった後に眠ればいいか。

 

“受験番号44番の方。44番の方おこし下さい”

 

 44、ヒソカか。

 ……あいつネテロ相手に攻撃仕掛けないよな?

 やりそうだなぁ。ネテロなら攻撃されても大丈夫だと思うけど。あいつの心配なんてするだけ無駄だしね。早く私の番来ないかな~。

 

 

 

“受験番号401番の方。401番の方おこし下さい”

 

 ……最後って何さ。嫌がらせか? 何かわざと私を最後にした様な気がする。罠か!!

 

 ……いやいや、罠ってなんだ。疲れてるな私。たまたま私が最後になっただけ。それだけの事だ。さっさと面談終わらせてゆっくり休もう。

 

 会議室の前まで来たけど……明らかに室内に3人の気配。

 はて? 何故3人もの気配が? 1人はネテロだろうけど、残りの2人はだれだろう?

 何故だか嫌な予感がする……入りたくないなぁ。でもここで入らないでハンター試験不合格となったらもっと嫌だし。

 

 仕方ない。意を決して入るとしますか。

 

「失礼します。受験番号401番です」

 

 中を見渡すと、部屋にいたのは……ビスケットさん!? 何でここに? もう1人は……いや、まさか、でも確かに……り、リィーナ! な、何で!? ここにいるのはまあいい。そんな事よりも……。

 

 なんで若いの!? あなた確かもう71歳だよね!? どう見ても20代なんですけど!! 私が道場の後継を頼んだ時よりも明らかに若返っている……どゆこと?

 

 いきなりの展開に私の脳がついていけない。試験の疲れと睡眠不足による眠気も強い。だからだろう。ネテロの次の言葉に普通に答えてしまったのは。

 

「うむ、よく来たのリュウショウ。まぁとりあえず座るといい」

「あ、はい」

 

 ……ん? 今何か違和感が……?

 

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 

 4人分の静寂が部屋を包む……。

 今、ネテロは、なんて、言った?

 

「りゅ、リュウショウ?」

「せ、先生?」

「ほ、本当に?」

 

 ……はは、ばれてーら。

 

「今のなし、てのは駄目?」

 

 駄目だろうなぁ。どうして分かったんだろう? やっぱり浸透掌とか柳葉揺らし使ったからかな? でもそれだけで私がリュウショウだと思うか? 転生なんて普通考えないと思うけど。

 

 まあ、ここまで来て誤魔化すこともない、か。

 

「リュウショウ、なのか?」

「せ、先生? ほ、本当に先生なのですか?」

「ええ。……久しぶりですねネテロ。研鑽を怠ってない様で何よりです。リィーナも元気そうで何よりです。……ところで、あなたなんで若返ってるんですか?」

 

 いや、ほんとそこ気になるわ~。

 

「そんなのどうでもいいわさ! 本当にリュウショウ先生なのあなた!?」

 

 かなり気になる事なんだけどな。

 まあ転生に比べたらどうでもいいことではあるか。

 

「ここまで来て下らない嘘は吐きませんよ。確かに私は前世でリュウショウ=カザマを名乗っていました」

「では、やはり【輪廻転生】を使用して転生されたのですね?」

 

 あれ? なんでリィーナが【輪廻転生】を知ってるの? 読み方であるツヨクテニューゲームは知らないみたいだけど。

 

「それはそうですが……どうして【輪廻転生】を知っているのですか?」

 

 疑問は聞くに限る。凄まじく嫌な予感がするけど……。

 

「やはりそうじゃったか……ワシの勘も大したものじゃな」

「ええ。その点は褒めて差し上げますよネテロ会長。先生、お忘れですか? 先生の遺した黒の書に【輪廻転生】の事が書かれていましたので、そこから先生が転生したのではないかと思い至りました」

 

 ……黒の、書?

 え、なにそれ? 初耳なんですけど?

 いや待て。【輪廻転生/ツヨクテニューゲーム】が載っている本と言えば……。

 

「ま、まさかその本、黒い表紙の古書では……?」

「はい。その通りです。先生が書き記した様々な念が書かれた本です」

 

 ぎゃあああああああああああああああああああああ!!!!

 わ・す・れ・て・た!!!

 

 私の厨二の塊! 前世の負の遺産! 

 〈ブラックヒストリー〉!!

 

 使用しなくなってからずっと部屋の奥にしまっていたからすっかり忘れていた! なんで前世の私はアレを処分しなかったんだ!? この2人が知っているって事はアレを読んだということ!

 

 ああ、恥ずかしい! 穴があったら入りたいとはこのことだ!

 

「リィーナ! ブラ……黒の書は今どこに!?」

「は、はい! ……そ、それが……」

 

 なに? どうしてそこで言いよどむ?

 

「リュウショウ先生。リィーナを責めないで下さい。……実は黒の書は盗まれてしまい、行方知れずなんだわさ」

 

 リィーナの代わりにビスケットさんが答えてくれる。なんか以前より仲良くないこの2人? いやそれよりも、だ。

 ……盗まれた? 行方が分からない?

 

「なん……だと……?」

 

 あ、あれが別の見知らぬ人の手に渡っている……だと? 一言一句全てにおいて読み込まれているかもしれない……だと?

 身体の力が抜け、がくりと膝をつく。虚脱感が私を襲う……。

 

 

 

 ……………………………………………………死にたい。

 

 

 

 

 

 

 ああ! 先生が落ち込まれている! 私が不甲斐無いばかりに先生の大切な書物を奪われてしまったから!! くっ! 一番弟子として情けない!

 

 でも本当に先生が転生されていたなんて! 今日はなんと良き日なのでしょう!

 

 はっ! 駄目ですよリィーナ! 先生が私の不手際で意気消沈されているというのに、私が喜んでいては不敬にも程があるというもの!

 

 ……ですが、転生して女の子になっているリュウショウ先生が落ち込んでいる姿は何ともかわい……。いけませんいけません! 大恩ある師に対して何たる考えを!

 

 冷静に、冷静になるのですリィーナ。落ち着いて深呼吸を。

 ひっひっふー、ひっひっふー。

 

「いや、なにラマーズ法してるのよアンタ」

「はっ! いえ、少し動揺していたようです」

 

 お、思った以上に動揺しているようですね……。と、とにかくまずは謝罪をせねば!

 

「先生。申し訳ありません。先生の大切な私物を勝手に取り出したばかりか、奪われてしまうなんてお詫びの言葉もございません……どうかこの愚かな弟子に罰をお与えください!」

「リィーナ。……あれは前世の私、つまりは死んだリュウショウの物。そしてあなたにはリュウショウの後継を頼みました。あの道場にある物は全てあなたに譲ったのです。だからあなたがそこまで気に病む事はありませんよ」

 

 せ、先生! なんと寛大な……!

 

「ああ、先生のお優しい心に感銘いたしました! ですが奪われてしまった事には変わりありません! 必ずや愚かな盗人に誅罰を与え黒の書を取り戻し、汚名をそそいでみせます!」

「そ、そうですか……頑張ってくださいね……いやほんとに」

「はい!」

 

 先生からの激励のお言葉! 何としても黒の書を取り戻さねば!!

 

「ところでリュウショウよ。聞きたい事があるのじゃが」

 

 む? ネテロめ。せっかくの先生との幸福の一時を邪魔するとは。

 ……まあいいですか。先生に聞きたい事は私も山ほどあります。恐らくネテロ会長が聞きたい事も私とさして変わりないはず。ここは寛大な心で許してあげましょう。

 

 

 

 

 

 

「聞きたい事、ですか。まあ、何を聞きたいかは分かりますが」

「うむ。お主今まで何をしておったのじゃ? 何故転生をした? 何故転生した事を話さんかったのじゃ?」

 

 やっぱりそんな質問が来るよね。ネテロ以外にもリィーナもビスケットさんも興味津々の顔をしている。話さない訳にはいかないだろう。

 

 何をしていたか。まあこれは大体話しても問題ない。

 転生した事を話さなかった理由。これは普通信じてもらえると思わなかったから。

 転生した理由? 童貞のまま死にたくなかったからです!

 

 ……言えるか!

 

「まあ、掻い摘んで説明します。転生した事を言えなかったのはやはり信じてもらえるとは思わなかったからです」

「そんな! 先生の言う事を疑うなど!」

「落ち着くわさリィーナ。実際前情報がない状況でいきなりリュウショウ先生の生まれ変わりですと言われても信じないのは当然だわさ」

「それは! ……そうかもしれませんね」

 

 ふむ。暴走気味のリィーナを上手くコントロールしている。見た目はビスケットさんが妹なのにお姉さんみたいだ。

 

「今までは……流星街にいました。正確には3年ほど前にそこを出奔しましたが」

「流星街じゃと? 何故その様な場所に?」

 

 驚いているな3人とも。あのリュウショウが流星街で暮らしていたともなれば仕方ないか。

 

「生まれて直ぐにそこに捨てられまして。それからある程度成長するまでそこで暮らしていました」

 

 母さんの事は……話さなくていいだろう。あまり話したい事でもない……。

 

「それからは天空闘技場に行きしばらく資金集めを、その後は世界各地を転々としました。今回ハンター試験を受けたのは身分証明が欲しかったからですね」

「なるほどのう……」

 

 納得したように頷き、続きを促すネテロ。どうして転生したか早く聞かせろって事か。

 

「転生した理由ですが……」

 

 ゴクリと生唾を飲む音が聞こえる。

 

「……も、もちろん武を極めるために決まっています!」

 

 ……嘘ついた方が幸せな事も、ある。

 

「や、やはりそうでしたか!」

「ま、そんなとこじゃと思っとったわ」

「リュウショウ先生だしね~」

 

 こ、心が痛い! 特にリィーナの感激に溺れた瞳が突き刺さる様だ! もうやめて! 私のライフはゼロよ!

 

「あ、あと聞きたいことが1つあったの」

 

 え、まだあるの?

 

「何ですか一体?」

「それじゃよそれ。その口調じゃ。以前と全然違うではないか」

 

 おう。そこを突かれたか。まあ、これも多少ぼかして言うか。

 

「女性として生まれ変わってはや十余年です。育ててくれた母にも女の子らしくしなさいと躾けられましたからね。郷に入れば郷に従え、ですよ」

 

 特に嘘ではない。躾けられたのは本当だし。

 

「あと、私の事はリュウショウではなくアイシャと呼んでください。もうリュウショウはいないのですから……」

「リュウショウ……いや、分かったわいアイシャ」

「先生! 例え姿形が変われど、先生は先生です!」

「あんたもほとほとリュウショウマニアだねぇ。ま、そういう事なら了解だわさアイシャ」

 

 うむうむ。皆納得してくれたようで何より。リィーナは……もう諦めた。

 

「じゃあ、アイシャがリュウショウの転生体だと納得したところで、後はやる事は一つだな」

 

 ニヤ、と好戦的な笑顔を浮かべるネテロ。おい、まさか……。

 

「武を極めんとするのならば、オレを倒してからだろう? お前の手紙の通りに研鑽は怠っていねぇ。勝ち逃げされたままで大人しくするなんざ武人じゃねえからな!」

 

 うわ~お。戦闘モードに移行しやがった。

 いやいやちょっと待て。確かに雌雄を決するのは吝かではない。だがしかし――!

 

「落ち着いてくださいネテロ。確かにあなたとの闘いは心躍りますが、今は無理です」

「何でだよ?」

 

 そう不満そうな顔するなよ。私だってお前と戦いたいさ。

 

「今の私は本調子とは程遠い状態です。オーラ量は残り3割を切っていますし、この1週間睡眠も取れていないんですよ」

「え、今期のハンター試験ってそんなに難しかったの? リュウシ……じゃなくってアイシャがそこまで消耗するなんて」

「どういう事ですかくそ……ネテロ会長。事と次第によっては……」

「い、いや、そんなはずはない! 確かにハンター試験の難易度はその年々によって多少の上下はあるが、アイシャが苦労するほどではないはず! 現に4次試験では悠々と受験生を狩っておった……はっ!」

 

 おい、こいつ今なんて言った?

 

「ネテロ。何故あなたが私の4次試験の内容を知っているのですか?」

「い、いや。あの時にはリュウショウじゃと当たりを付けておったから、そう予想しただけじゃよ?」

「……そうか、道理で絶の達人なわけだ。……あの監視者はお前だなネテロ」

「監視者? 何の話ですか先生?」

 

 私の一言に動揺したな。オーラの動きがわずかだが揺らいだぞ!

 

「そ、それはその……うむ、実はアイシャがリュウショウかどうかの確認が出来ぬものかと、4次試験の間こっそり監視しとったんじゃよ」

「やはりネテロだったか。全く、おかげで碌に寝れやしませんでしたよ」

「それについては済まんかったの! いや、さすがはリュウショウ! ワシの気配に気づくとは大したもんじゃ! そう思わんかリィーナ?」

「ええ全くです。さすがは先生。ネテロ会長の浅慮な行動などいとも容易く見抜いてしまうとは」

「そうじゃろうそうじゃろう!」

 

 ん? なんかネテロの奴話を誤魔化そうとしてないか?

 

「いえ、さすがはネテロ。正直水浴びしている最中に視線を感じなかったら気付かな――」

 

 ネテロが神速で扉に向かってダッシュ! いきなりどうした!?

 だがさすがはネテロの弟子か。ネテロの行動を読んだか、もともとネテロより扉から近かった事もあり、ネテロが扉に着く前にビスケットさんが立ち塞がる! そこをリィーナがすかさず後ろから逆関節を決めながら投げる! これは雷迅か! この後逆さになった後頭部を蹴――!

 

 おいおい……リィーナとビスケットさんで顔面と後頭部を挟み込むように蹴ったぞ……なんだこのツープラトン技は? 明らかに雷迅より威力あるわ~。しっかり足にオーラ籠めてるし。名前を付けるなら、風間流合気柔術奥義:雷迅・双龍とかこんな感じか?

 うわ。私の厨二はまだ死んでいなかったのか? でもネテロは死んだかもしれない。

 

「このエロジジイが! アンタの弟子だなんて恥ずかしくて声にも出せないわさ! 一回死んで来い!」

「何が監視ですかクソジジイ! 先生が手を下すまでもありません! そのまま三途の川を渡ってきなさい!」

「う、ぐぐ、わ、ワザととちゃうんじゃ……た、たまたま……」

「まだ言うかこの! この!」

 

 ああ、ネテロが一瞬でボロ雑巾の様に!

 もうやめて! ネテロのライフは0よ!

 

 

「ひ、ひどい目におうた」

「自業自得です。先生の慈悲に感謝しなさい」

「全くだわさ」

「まあまあ落ち着いて二人とも。私は別に気にしてないから」

 

 裸見られたくらいで死にはしないし。

 積極的に見せたい訳じゃないけど、不可抗力なら仕方ないさ。

 

「と、とにかくすまんかった。まさかそこまで疲弊するとは思わなんだ」

「まあ、睡眠不足はそうなんですが、オーラ不足はネテロのせいではありませんよ」

「ひょ? ではどういう事じゃ?」

 

 ……これを説明するには私の念、【ボス属性】について話さなければいけない、か。

 あまり自身の念能力は他人に話すべきではないけど、この3人ならいいか。

 

「実は私の念能力が原因となっているんです」

「!」

 

 おお? 3人とも驚いている。

 そういえば私は前世でも自分の念能力、発を一切教えていなかったな。そりゃ【原作知識/オリシュノトクテン】とか【絶対遵守/ギアス】に、ましてや【輪廻転生/ツヨクテニューゲーム】なんて言えるわけがねぇ。

 

「当然ですが他言無用ですよ? ……私の念に“自身にかかる特殊な念を防ぐ”というモノがあるのです」

「なんじゃそりゃ!?」

「念を、防ぐ?」

「反則じゃないそれって?」

 

 反則って。確かに強いけど、欠点もあるから完全無欠ってわけじゃない。完全無欠の念なんて作る事は出来ないだろう。

 

「そうでもありません。特殊、と言っている様に、物理的な念は防げません。あくまで私の身体に作用する特殊な念を防ぐだけです」

「ふむ。つまり、具現化したモノによる攻撃は通常通り効果はあるが、それに付与された能力、例えば攻撃した対象を麻痺させるといった効果は無効化されると?」

「まさしくその通りです」

 

 さすがネテロ。理解が早いね。

 

「うわ、操作・具現化・特質あたりが聞いたら切れそうな能力だわさ……」

「素晴らしい能力です! さすがは先生!」

「まあ、欠点もあります。無効化する念は自身では選べませんし、オーラの消耗も激しいです。常時発動なので強い能力を無効化し続けるとオーラが枯渇する可能性もあります」

 

 実は今もオーラは徐々に減っているんだよね。

 

「む? ではオヌシのオーラが消耗しとるのは……」

「はい。この能力が発動しているからです」

「では先生は何らかの念能力を受け続けていると?」

「その通りです……誰が能力者かは分かりませんが、ハンター試験が始まってからずっと能力を受け続けています。恐らく受験生か試験官の誰かだと思うのですが……ネテロ、心当たりはありません?」

 

 試験官だったらネテロが知っている可能性はあるんだけど。

 

「……そう言えば、1人心当たりがある」

 

 え! マジで!

 

「誰なんですかそれは? 場合によってはその者を矯正しますよ?」

 

 怖い……リィーナの笑顔が怖いよ……。

 

「うむ。ハンター試験の試験官をやりたいと直接頼み込んだ奴でな。本来なら審査委員会がプロハンターに頼み、了承してくれた者が無償で試験官になるのじゃが、そ奴は試験官になる為に試験専用の念能力まで作りおってな。あまりに面白くてつい今期の試験官に選んでしもうたんじゃ」

 

「いやアホですかその人は? 試験専用の念って普通作りますか?」

「ば、馬鹿がいるわさ……」

「というか原因の一端はやはりあなたにあるのですね会長」

「お、落ち着け! まだ話は終わっとらん! そ、それでじゃが、その念能力が、試験中に発動し続ける念なのじゃよ。試験会場全てを範囲としてな。その効果が範囲内の監視・鑑賞、だったはずじゃ」

 

 なるほど、それが原因か。恐らく監視カメラの様な能力。私ももちろん範囲内にいたので映像に残るはずだが、【ボス属性】で無効化していた、と。

 そんな効果なら僅かなオーラで無効化出来るわけだ。

 

「とことん分からないわさ? 試験を鑑賞して何が楽しいわけ?」

「それは本人に聞いとくれ。ワシはそ奴の試験官にかける情熱が面白かっただけだからの」

 

 ネテロなら面白がるよなぁ。

 私の関係者なら殴ってでもそんな念を作るのを止めるよ。

 

「それで、その者の名前は?」

 

 ん? ……リ、リィーナのオーラがどす黒くなってる!?

 何だ? 何がそこまでリィーナの怒りに触れたんだ!?

 

「と、トンパという名じゃが、一体どうしたのじゃ?」

「ふふ、やはりそうでしたか……」

 

 おお!? オーラがさらに黒く!?

 暗黒面に堕ちちゃってないかこれ!?

 

「ではネテロ会長。そのトンパとやらをここに呼んでくれますか?」

「わ、分かった」

 

 逃げてぇ! トンパさん超逃げてぇぇぇ!!

 

 

 

 

 

 

 ホテルの一室でゆっくり休みながら【箱庭の絶対者】を鑑賞している時にネテロ会長から連絡が来た。至急15階の会議室まで来い、だと?

 

 全く。オレの至福の一時を邪魔するなよな。

 あと3日もすりゃ今年の試験も終わる。そうすれば【箱庭の絶対者】も来年の試験まで使えねぇ。少しでも多くの受験生が絶望に堕ちる顔を眺めていたかったのによ。

 

 まあ仕方ない。相手は協会のトップ。オレはただの一般プロハンターだ。立場が違いすぎるから断る事も出来ねぇ。

 それにオレの印象を悪くすると来年の試験で試験官が出来なくなるかもしれないからな。逆を言えばここで印象を良くする事で来年以降も試験官が出来る様に計らってもらえるかもしれない。

 早く行くとするか。

 

 

 

 会議室の前まで来たが……ネテロ会長以外に誰かいるのか? 話し声がする。どうにも複数人の気配がするぜ。一体誰がいるんだ?

 何故だかとてつもなく嫌な予感がする……入りたくねぇ。だがここで入らない訳にはいかない。会長をこれ以上待たしては印象を悪くするだろう。

 

 仕方ない。意を決して入るしかねぇ!

 

「失礼しま――」

「お久しぶりですねトンパさん。壮健そうで何よりです」

 

――終わった。オレの試験官ライフ――

 

 

 

 

 その後トンパの姿を見たものは誰もいなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十七話

 あの後。そう、リィーナによるトンパさんに対する質問(と言う名の拷問)により、トンパさんは自身の念能力【箱庭の絶対者】について洗い浚い話し、その能力を解除する事を余儀なくされた。

 ……少し同情するが、オーラ消耗の原因が取り除かれたので正直私的には大助かりだ。これで一晩ぐっすり眠ったら体調も回復するだろう。

 

 ……ちなみにトンパさんは心神喪失した後、完全に意識を手放して気絶している。今はリィーナの手によって鋼鉄入りのワイヤーで縛られ床に転がされているところだ……妙に手馴れていたのは気のせいだと信じたい。

 この後は道場本部に連行されて徹底的に扱かれるのだろう。……生きろ。

 

「お見苦しいところをお見せしてしまい申し訳ありません先生」

「いえ、まあ、その、気にしてませんよ?」

「……さすがに同情するわねそいつに」

「ある意味男の生き様を見た気分じゃ」

 

 確かに。一度リィーナに矯正されていて、まだ新人潰しとやらに楽しみを見出すなんて筋金入りとしか思えない。ネテロの言うとおり、ある意味では尊敬できるわ。

 

「先生。先生はこのハンター試験が終わったら如何なさるのですか?」

 

 ん? いきなりの質問だな。でも確かに気になるのは当然か。

 

「先生には是非とも道場を――!」

「あ、それは駄目ですよ?」

「な、何故ですか!? あれは先生の……」

 

 リィーナ。私に風間流合気道場の総責任者にもう一度なってほしいのだろうが……。

 

「風間流はあなたに託しました。今後あの道場を引き継いでほしいのなら貴方がそれに相応しい人物を見つけ、育てなければならない」

「で、ですが」

「それも道場を率いる者の務めです。……貴方になら出来ると信じているからこそ後継を頼んだのですよ?」

「! 分かりました。このリィーナ、必ずや先生のご期待に応えてみせます!」

 

 ……私の言葉は全肯定なのは変わらんなぁ。この子、私が死ねと言ったら喜んで死にそうで心配だよ……。

 

「しばらくは世界を廻りたいと思います。リュウショウの時では出来なかった事もしたいですしね」

 

 主に童貞卒業だがな! その為にも早くグリードアイランドを手に入れなきゃ。

 

「おいおい。その前にやらなきゃいけない事があるだろ?」

 

 不敵に笑うネテロ。ああ、分かってるさ。

 

「ええ、忘れていませんよ。あなたは勝ち逃げ、とかほざきましたが……全体的に負け越してるのはこっちなんだ。勝負に拘っているのがお前だけと思うなよ?」

「そうこなくちゃな! ……3日後だ。3日後に決着を着けようぜ」

 

 3日後? だがその日は最終試験の日じゃ?

 

「最終試験はどうするのですか?」

「信用の置けるハンターとビーンズに任せる。試験概要は出来ているからな。後は組み合わせやルールの細かい通達をすればいいだけだ」

「いや、私の試験は? まさか試験後に決闘をするわけではないのでしょう?」

「安心しろ。お前は合格にしといてやる。実力は十二分だしな。……ああ、負けてライセンス貰うのが嫌なら試験の後でもいいぜ?」

「……いいでしょう。その挑発に乗ってあげます。勝って気持ちよくハンターライセンスを頂くとしますよ」

 

 そんな挑発に乗るのは馬鹿かもしれないが相手がネテロなら話は別だ。こいつから逃げたと思われるのは屈辱だ。

 

「へ、後悔するなよ? 精々この3日間で本調子に戻しておくんだな」

「ネテロこそ万全の態勢で来るように。武術家が闘いにおいて態勢を万全に整える事は本来ありえない……だが」

 

 そう、武術家は常在戦場。不意打ちや体調が悪い時に敗れたからと言って言い訳にはならない。試合とは違う、負けた方が未熟なのだ。だが――

 

『最高の状態のお前を倒せないと意味がないからな!』

 

 2人の闘志で部屋が軋む。

 ああ、楽しい。心躍るとはこの事か! ゴン達との楽しい会話とは違う。このピリピリとした緊張感を含むやり取り。こいつでしか味わえない至高の一時。

 やっぱりお前は最高だよネテロ!

 

 

 

 

 

 

 全く、嬉しそうな顔しちゃって。こんなじじいを見るのは何年ぶりかしら?

 

 そうね。リュウショウ先生が死んで以来、こんな風に笑う事はなかったわねぇ。そりゃいたずらしたり、人をからかって楽しそうに笑うクソジジイを見たことは何度もあるけど、こんな風に本当に心の底から楽しそうに笑うことはなかったわさ。リュウショウ先生の手紙を読んでからは修行を欠かさなかったみたいだけど、それを放てる相手はいなかったものね。

 そりゃ十余年ぶりに自身の武を思う存分に揮えるのだから嬉しくてしょうがないのは当然だわさ。

 

 ……もしかして転生を見越してリュウショウ先生はネテロのじじいに手紙を書いたのかもしれないわね。転生後、己が最強のライバルとまた闘うために。だとしたら、リュウショウ先生には感謝しなきゃね。

 

 それにしてもリィーナと来たら……。

 せっかく還って来たリュウショウ先生が獲られたとでも思っているのか、嫉妬たらたらの顔しちゃって。ああもう、本当にリュウショウ先生の事になると駄目ねぇ。普段は凛としてクールなくせに。

 

 先生が死んだ時もどれだけ落ち込んでいた事か。あまりの落ち込み具合に思わず叱咤してしまったわさ。それからは何だかんだでしばらく一緒にいたわねぇ。

 あんなにムカつく奴だと思っていたのに。いつの間にか一緒にショッピングにいったり、食事をしたり、ただいがみ合って闘うだけじゃなく、ジジイとリュウショウ先生みたいに研鑽を交える仲になったのよね。

 

 ま、悪い気はしないからいいけど。あーあ。また頬を膨らませて。あんた70越えのお婆ちゃんだって事忘れてない?

 ほんと、世話が焼けるわさ。

 

 さて、3日後にジジイとアイシャの決闘ね。くふふ、楽しみねぇ。ジジイとリュウショウ先生の決闘は何度見ても勉強になったわさ。その上今回はリュウショウ先生はアイシャとして転生している。聞けばアイシャは身体能力ではリュウショウ先生の時よりも圧倒的に上とのこと。

 つまりリュウショウ先生の欠点を補っているということになる。今度の決闘、今までの比じゃないかもしれないわね!

 

 期待を込めてアイシャを見る。…………うん、女の子ねぇ。あのリュウショウ先生が、こんな美人さんになるなんてね。……人生面白いわね!

 それにしても……駄目ね。なにあの服装? 色気の欠片もないじゃない。郷に入っては郷に従えって言ってる割に全然女の子らしくしてないわね。まあリュウショウ先生が自分から女性らしい服装を着るとは思えないけどね。

 そうね。どうせアイシャも今日1日は修行ではなく休養に費やすでしょう。オーラも回復しなきゃいけないしね。だったら少し買い物にでも誘いましょうか。色々と着せ替えしたら面白そうだしね、くふふ。

 

 

 

 

 

 

 

 私はネテロとの闘いに備えて休息し英気を養っている……はずだった。

 

 今、私は前世含めた145年の中で最大の危機に陥っている……!

 このままでは私は尊厳を踏みにじられ、精神をズタズタに切り裂かれ、身も心も地に堕とされてしまうだろう。

 誰か……! 誰か助けてくれ! 誰でもいい! この際ヒソカでもいい! この危機を救ってくれるなら私は悪魔にだって魂を売るぞ!!

 

 

 

「こっちの方がいいんじゃない?」

「それは少し派手すぎます。こちらの方が先生にはお似合いです」

 

「それは逆に大人し過ぎだわさ。こっちの方が可愛いって」

「先生はまだ13歳、子供なのですよ? こちらの方が良いに決まっています」

 

「何言ってるのよ。アイシャの見た目で考えてごらんなさいな。それにリュウショウ先生の頃も含めると子供なんて言えるわけないでしょ?」

「……それもそうですね。ではこちらはどうですか?」

 

「うん。いいじゃない。色は赤よりも白っぽい方が髪の色に合ってるんじゃない?」

「ふむ。……いっその事両方買いましょう。もちろんビスケが選んだ服も。そちらも先生にとても良く似合うでしょう」

「でしょでしょ!」

 

 タスケテ!

 

 

 

 私は現在最終試験会場から数㎞離れた場所にある総合デパートに来ている。ネテロと決闘の約束を交わして既に丸1日が過ぎている。あの後たくさんの食事とたっぷりの睡眠を取って、今の私は万全の状態に戻った。

 そもそもただの睡眠不足とオーラの消耗だけだったので1日もあれば完調するのは容易い事だ。

 

 明後日の決戦に向けて念のため今日1日は休息する事にした。明日は心身と技の最終調整をしようかと思っていた矢先の事、リィーナとビスケが入室して来たのだ。

 用件は一緒に買い物に行かないか、との事だった。時間の余裕もあったし、買い物程度で疲れる事もないだろう。出かける事で気分転換になり、心の休息にもなるだろう。

 それにリィーナには道場の件で苦労をかけたであろうから、それくらいはと思い快く承諾した……のが間違いだった。

 

 ここは、地獄だ。

 

 

 

「いや、あの、私は別に今ある服で十分――」

「何言ってんのよアイシャ! 女の子があんな色気の欠片もない服しか持ってなくてどうするのよ!」

「ビスケの言うとおりです。あまり派手すぎるのがお嫌いなのは重々承知ですが、さすがに運動服ばかりというのは……」

 

 う、動きやすさを重視しているのだけど……女物を着ないのは私の精一杯の抵抗なのに……。

 

「何度も言いますが、私は元男です。この様な服はあまり着たくないんだけど……」

「郷に入っては郷に従え、だったっけ?」

 

 うぐっ! そ、そこを突くか!?

 

「せ、せめてもう少し活発そうな服をお願いします……」

 

 ああ、駄目だ。この二人が手を組んだら口では勝てない。

 て言うかリィーナ! お前私の弟子だろう!? 弟子が師の嫌がる事をするとは何事だ!

 

「こんなのもいいんじゃない?」

「そ、それはいくらなんでも! ビスケットさんなら似合いますが、私には無理です!」

 

 誰がゴスロリ服なんて着るか! 年齢はともかく見た目がマッチしてなさすぎる! いやそれ以前の問題だ! そんな服着るくらいなら私は裸で外に出るぞ!

 

「ビスケットさんだなんてそんな他人行儀に呼ばなくても。ビスケでいいわよ」

「……ビスケ、とにかく私はそれを着ませんよ」

「分かったわよ。そこまで言うなら仕方ないわさ。じゃあ、こっちの服は? この服は諦めるからせめてこれぐらいは着て欲しいわさ」

 

 ……ゴスロリに比べれば遥かにマシか。

 

「はぁ、分かりましたよ。それだけですよ?」

「では先生こちらへ。試着コーナーがございます」

 

 ……あれ? なんか論点すり替えられてない?

 どうして着たくないのに着る羽目になったんだ?

 

 

 

「ああ、とても良くお似合いです!」

「うん大したもんね。元がいいから服も見繕いやすいわ~」

「もういいでしょう……そろそろ帰り――」

「では次はランジェリーショップへ――」

 

 タスケテッ!

 

 

 

 

 

 

 明後日にはもう最終試験か。よくここまで来れたもんだぜ。初っ端から脱落するかと思ったもんなぁ……。

 ここまで来れたのもゴン達のおかげだな。あいつらには感謝してもしきれねぇぜ。おっと、最終試験に合格する前に感傷に耽ってちゃ意味ねぇな。じっとしてるからこんな考えになるんだ。

 気分転換に部屋から出るか。

 

 ホテルのロビーで少し寛いでいると、ホテル正面玄関からアイシャが入ってきた。なんだ? 外に出かけてたのか? えらい余裕だな。

 て、おい! なんだあの服? えらい……か、可愛い服着てるじゃねぇか!? 今までは動きやすそうな色気の欠片もない服だったのによ。

 

「ようアイシャ!」

「ああ、レオリオさんですか……お疲れ様です……」

 

 ……いや、お疲れなのはお前みたいだが?

 

「どうしたんだよその服? もしかしてそれもあの馬鹿でかいバッグの中に入っていたのか?」

「いえ、これは、その、知り合いからの貰い物でして……」

「貰い物~? ……おいおいこれチャネールの服一式じゃねぇか! 貰い物ってこれだけで軽く6桁いくぞ?」

「はあ、そうなんですか?」

「そうなんですかってお前……」

 

 ああ、アイシャは今まで殆ど流星街にいたから分かんねぇのか。

 

「私としては普段着で十分なんですが、その知り合いはそれでは勿体ないとこの服や他数点……いえ、数十点もの服を見繕いまして」

 

 数十点だぁ!? どんだけ金持ちなんだよその知り合いは! 紹介してくれオレにも!

 まあ、勿体ないってのには賛成だな。こりゃいい眼の保養だわ。

 

 ……おいおい。相手は13歳(自称)のガキだぞ! 何考えてんだオレは!

 

「私にはこんな服似合わないと思うのですが……」

「いやそんな事はない。めちゃくちゃ似合ってるぜ!」

「え?」

「オレが保証する! アイシャは自分の容姿に自信を持った方がいいぜ!」

 

 ああ、なに言ってんだオレは! がぁぁ! 顔が赤くなってんのが自分でも分かるぜ!

 

「えっと、その、ありがとうございます?」

「いやなんで疑問文なんだよ?」

「いえ、男の人にそう言われたのは初めてですので」

 

 ……世の男の眼は節穴か? 流星街にはまともな美的感覚を持った奴がいないのか?

 

「そ、そうだ! アイシャには礼を言っとかないとな!」

 

 何となく気まずい雰囲気になりかけていたから無理やり話題を変える。こんな空気の中で居続けるのはオレには無理だ!!

 

「え? お礼?」

「ああ。……オレがここまで来れたのは皆の、お前のおかげだからな」

「私は大したことはしていませんよ。ここまで来れたのはレオリオさんが頑張ったからです」

「それでも礼はさせてくれ。……ありがとよ。お前やゴン達と会えて良かったぜ」

 

 こいつらと会えたのはオレの一生の宝になるだろうな。恥ずかしくて言えないけどな。

 

「私も……私も皆さんと、レオリオさんと出会えてとても嬉しいです」

「お、おう」

 

 やべぇ。心臓がバクバクいってやがる! あんな笑顔反則だろう!

 

「あの、私、レオリオさんの事……」

 

 え、何この展開? マジで? でも相手はまだ子供だぞ? いや何を言っている。そんなの時間の問題だろう? それに見た目も性格も十二分に申し分ない。どこに問題がある!

 

 わが世の春が来たぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!! 

 

「と、友達と思ってもいいですか!?」

 

 ああ分かっていたさ、そんな落ちだろうとはよぉぉぉ!! 夢ぐらい見てもいいじゃねぇか! どちくしょう!!

 

「も、もちろんだぜ! 何を言うかと思ったら、オレ達とっくにダチだろ? 少なくともオレはそのつもりだったぜ」

「れ、レオリオさん! ありがとうございます! 私、今までこんな風に話せる友達居なかったんですよね!」

 

 嬉しそうに悲しい事を言うアイシャ……。

 ああ、こんなに喜んでよ。全く、オレなんかと友達になれた事がそんなに嬉しいのかよ。

 ま、悪い気はしないけどよ。

 

 ダチ、か。

 ……絶対にハンターに、そして医者になってやる。アイツみたいな患者を少しでも減らすためにもよ。

 

 

 

 

 

 

 やったやったやった~!

 祝! 転生人生初の友達が出来たぞーー! 思わず嬉しくてスキップで部屋まで帰って来ちゃったよ。

 

 いやぁ、勇気を出して言ってみるもんだな。まさかレオリオさんが私の事を友達だと思っていてくれたなんて! まともな友達(ネテロはまともではない)なんてどれくらいぶりだろう!

 

 ああ、こんなに嬉しい事は何十年ぶりか! この気分の高揚、もう何も怖くな――! はっ!

 それ以上いけない!

 

 ……今、恐ろしいほどの悪寒が?

 あれ以上言葉を発していたらネテロとの対戦時に頭をもぎ取られて死んでしまうかのような……そんな幻視が見えた気がする。

 

 疲れてるのかな?

 

 いかんいかん。気持ちを切り替えて明後日の決闘に集中しなければ。ネテロは全身全霊で闘いに臨むだろう。私もそれに応えるべく残りの時間は全て決闘の為に費やさねば。

 

 今日は精神的に物凄く疲れたけど収穫がなかったわけではない。この決闘は恐らく私の長い人生の中でも最も激しい闘いとなるだろう。だから今日の買い物で女性物の服だけではなく、これも購入したのだから。これはわが師リュウゼンに教えを乞うていた時よりデザインに一切の手を加えていない。これを着るだけで当時を思い出し、集中力も増すというもの。

 

 明日はリィーナと稽古の予定も入れているし、少し早いけど着てみよう。こんな服とはとっととおさらばしたいしね!

 

 うん。やっぱりこれを着ると神経が研ぎ澄まされるようだ。リィーナが来るまで座禅をしつつ、さらに神経を集中しておくとしよう。相手はネテロだ。最高のコンディションにしておかなくては勝てるわけがない。あの時の、リュウショウの感覚を取り戻さなくては。

 

 

 

 

 

 

 明日は先生とネテロ会長の決戦の日。先生ならば必ずやネテロのくそじじいを打倒し、名実ともに武の頂点へと至られる事でしょう!

 

 今日は先生より明日の為の最終調整に付き合ってくれと頼まれています。トンパさんの阿呆は既にプロハンター3名の監視付きで道場本部へと連行されている。これで憂う物もないので1日中先生と一緒に居られます!

 

 ホテルにある大ホールを借り切り、そこで最終調整を行うとの事。約束の時間まで後1時間ほどありますが、弟子が師よりも遅れるわけにはまいりません。早く行かねば!

 

 大ホールに到着し扉を開けると、そこには既に先生の姿があった。ああ! 先生をお待たせしてしまうとは! 何と不甲斐無い弟子!

 

「先生! 遅れて申し――!」

 

 これは!? 部屋の中心で座禅を組んでいる先生。そこから発せられているのは膨大な闘気! むやみやたらに闘気を振りまくのではなく、先生の中へと闘気が蓄えられているのが分かる!

 

「来てくれましたか。早かったですねリィーナ」

 

 そう言いながらゆっくりと立ち上がる先生。

 

 ああ、昨日買われた風間流の道着を着込んで佇むそのお姿……! 動きの所作、その闘気、言葉の端々に僅かだが現れる先生の口調の名残。

 まさに、まさにリュウショウ先生の生まれ変わり!

 

「少し早いが、始めるとしよう。ネテロも今頃は闘気を充足していることだろう」

 

 っ! 先生! 先生が還ってこられた!

 今まで以上にそれが実感できる! また先生と修行が出来る! 先生の教えに触れられる! 今、私は人生最高の幸福に包まれている!!!

 

「どうしたリィーナ? 鍛錬中に呆ける様に教えた覚えはないぞ?」

「はい! 先生! 申し訳ありません!」

 

 そうだ。呆けている場合ではありません! 先生との一時を一瞬たりとも無駄にしてなるものですか!

 

 

 

 

 

 

 ふう。やれやれ、会長にも困ったものだ。今期ハンター試験最終試験会場の近くに居たというだけで私を強引に最終試験官にするとは。

 しかもそれでいて既に試験内容は用意してあると?

 

 ただ試験を監督するだけにこの私を使うか普通? 私とて暇ではないのですがね。

 

 まあいい。会長の無茶に付き合わされるのも慣れた事だ。

 さて。ビーンズに確認したところ会長はこの部屋にいるらしいな。

 

「失礼します。会長、最終試験について詳しく――!?」

 

 これは! 「心」Tシャツ! 会長が本気で戦う時だけ身に着ける勝負服……!!

 かつて一度だけあのリュウショウ=カザマとの戦いに赴く時に着ていたのを見た事があるが……! それを何故今また身に着けているのだ!?

 

「おお。忙しいのにすまないなノヴ。お前ぐらいしか頼める奴がいなくてな」

「会長のいきなりにはもう慣れましたよ。……それよりもその服は一体?」

 

 一体誰と戦う為に着ているのだ? 正直ネテロ会長が本気で戦うほどの者がいるとは。ハンター協会のトップ。老いてなお世界で最も強い念能力者。

 そのネテロ会長が全力で戦うなど、一体誰が相手だというのか?

 

「疑問か? ワシの相手が。ワシが全力で戦うのが」

「! 恐ろしい人ですね。私の心を読まないでいただきたい」

 

「ひょっひょっ。顔に書いておったぞ? まだまだ修行が足りんのう」

「私をして修行不足とは。プロハンターの何割が未熟者になるのでしょうかね」

 

「ワシから見れば皆ヒヨコよ。さて、ワシも忙しいのでな。用件を終わらせておこう」

「……最終試験の試験官に私を任命したのはもしや」

「邪推するのは構わんがのう。止めても無駄じゃぞ?」

「分かっていますよ。そんな事をしても無駄なのは。さっさと試験内容について細かく教えていただきたい」

 

 私が言って止める様な人なら苦労はしていない。

 

「ほっほ。すまんのう」

 

 やれやれ。試験官をする事は構わないが、惜しむらくはネテロ会長が全力で戦う場面を見る事は叶わない事か。

 ……近くにモラウがいれば試験官を押し付けていたものを。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十八話

 最終試験会場より北に約80㎞程の位置にある鉱山。今は鉱脈も尽き、廃れてしまった為に人気はなく、ただ静寂だけが拡がっていた。

 そんな、本来なら誰もいないはずのその鉱山の採掘広場に、4つの人影があった。

 

「ここが決闘場所ですか」

「ああ。ここは既に廃棄された鉱山だ。ここなら誰にも迷惑をかける事もねぇ」

 

 そう。ここはアイシャとネテロ、2人の決闘の地として選ばれたのだ。選ばれた理由は極単純。試験会場から程よく近く、かつ周囲に人気がない。ここが最も条件に適していただけのことである。

 

 極端な話、誰にも迷惑をかけないのであれば最終試験会場のホテルで戦っても良かったのだ。

 だがこの2人――人類最高峰の念能力者が全力で戦うとなるとそれは無理というものだ。余波だけで周囲の建築物は損壊し、直撃した物は塵芥と化すやもしれない。ホテル全壊の可能性も大いにある。

 物的被害だけで済めば御の字だろう。周囲に人がいれば念能力者でない限り……いや例え念能力者であっても生半可な実力では多大な被害を被るだろう。

 故に見物人などおらず、ここにいるのは決闘の当事者である2人を除き、巻き込まれても対処する事が出来、決闘の立会人となったリィーナとビスケくらいであった。

 

「では、此度の決闘。風間流合気柔術本部長リィーナ=ロックベルトと――」

「心源流拳法師範ビスケット=クルーガーが見届けます」

 

 その声が響くと同時に、相対していた2人の空気が一変する。

 徐々に高まりつつある闘気に緊張感を顕わにするリィーナとビスケ。今まで幾度となく2人の決闘を見届けていたが、ここまでのプレッシャーを感じるのは初めてのことだった。

 

「思えば……長らく待たせましたね」

 

 高まるプレッシャーの中。ふと、アイシャが呟く。

 

「あん? ……ああ、14年だ。お前が一度死んでから14年近く経った。全く、待たせやが――」

「違いますよ。待たせたのは……お前が全力を出す機会、だ」

「……なに?」

 

 疑問に思うのはネテロ。当然だ。今までアイシャ……リュウショウとの闘いで手を抜いた事など一度たりともなかった。決闘で手を抜くなど武人にあるまじき事をするはずもなし、そもそも手を抜いて勝てる相手なら初めから好敵手などと認めてはいない。

 

 だがアイシャはそうは思っていなかった。

 勿論アイシャもネテロが手加減していたと思っている訳ではない。そうであるなら、ネテロが負けた時にあんなに悔しがってはいないだろう。

 だが全力の全力を出したのかと言うと、そうではないだろう。何せネテロは己が能力の真骨頂である【百式観音】を使用すれば確実にリュウショウに勝利していたのだから。

 

 それも余力を残して、だ。

 

 【百式観音】を使っての対戦でもネテロは一度たりとも油断した事はない。一度でも発動を遅らせたら必殺の一撃を喰らっていたからだ。だが、【百式観音】を使用して勝った決闘ではネテロに余力があったのも事実だった。

 それがアイシャは気に食わなかった。

 

 余力を残していたネテロが、ではない。

 

 最高の好敵手に余力を残す程度の実力しかない自身が、だ。

 

 だが今は違う。確かに身体が変わり、技との整合性を取るのに苦労した。精神性に至ってはあの領域にたどり着けるかは分からない。今は以前とほぼ変わらぬ技術を取り戻したが、純粋な風間流のみの優劣ならアイシャとリュウショウではやはりリュウショウに僅かだが分があるだろう。他ならぬ己自身だ。それはよく分かっている。

 

 だが、戦って勝つのは今の自分だ。

 自信を持って言える。さらなるオーラの増加、転生してから得た新たな技術、身体能力の向上による最大の弱点であった耐久力の克服。

 総合的な戦闘力に置いて、今の自分はリュウショウよりも上だと!

 

「来いネテロ。お前の渇きを癒してやる」

「く、くくく! ああ、期待しているぜアイシャ!!」

 

 ここに、人類最高峰の念能力者による決闘が開始された。

 

 

 

 お互いが無言のまま対峙して既に5分。未だに2人に動きはない。この状況に既視感を覚えたのはリィーナだった。そう、2人が初めて戦ったあの日。あの日の決闘の始まりと何ら変わらぬ光景が目の前にあった。

 ただ違う点は、周りの風景とアイシャの姿、そして何よりそのオーラだった。

 

 膨大な、まるで針で突き刺すかのように研磨されたオーラを発するネテロと対象的に、アイシャは一切のオーラを発していなかった。正確に言うならば纏すら行わず、ただオーラを垂れ流しているだけ。

 元より圧倒的な速度の流をこなすアイシャだ。オーラの動きを読まれない様にするためだろうか? だが昨日の鍛錬においても一度も念を使用しなかったことにリィーナは疑問を抱く。

 

 そんな疑問を余所に闘いは加速しだす。

 初めに動いたのはネテロ。まさに初戦の再現と言わんばかりに神速の踏込みからの正拳突き。リィーナもビスケもそのあまりの速度に一瞬ネテロの姿を見失う。

 離れた位置にいる、世界でも上位に存在する達人たる2人が見失うほどの速度! 相対しているアイシャにはどれほどの速度で映っているのか。いや、映っているかどうかも疑わしい。

 

 だが次に2人が見たのは宙に舞うネテロだった。あの一撃を瞬時に見切り柔を仕掛ける。それがどれほどの神業か。リィーナは感動しビスケは畏怖を覚える。

 10数年以上見る事のなかった頂上決戦に、2人はこれ以上一瞬たりとも見逃してなるものかと全力の凝を行っていた。

 

 柔を仕掛けられたネテロの次の行動は素早かった。手首、肘の関節を砕かれぬよう流れに逆らわず飛ぶ。その勢いを利用して宙にて逆さのまま蹴りを放つ。その一連の動作は手馴れたもので流れる様な動きだった。

 

 対するアイシャは蹴りを僅かな動きで躱し、高速で通り過ぎようとしている足首に指を1本添える。それだけでネテロの身体が高速で回転する――前にアイシャの足首を掴み動きを止める。残った手で地面を掴み、身体を固定して蹴りの連撃。

 だが蹴りを放つ前にネテロがアイシャの足首から手を放す。脚で柔を仕掛けられそうになったのに気付いた為だった。脚で柔などと非常識な、とは思わないネテロ。そんな神業を平然と成すからこその好敵手なのだから。

 

 上手く柔から逃れたネテロに感嘆するも、アイシャはそのまま手を緩めずに追撃を行う。攻撃の途中に行動を切り替えた為にわずかに出来た隙を突き、さらに一歩踏み込み体重を乗せた肘打ちを繰り出す。その一撃を足首から離した腕でガードしようとした瞬間、ネテロに悪寒が走った。

 

 今まで幾千幾万もの戦いを潜り抜け、百戦錬磨という言葉ですらおこがましい程の経験を積んだネテロだからこそ感じた悪寒。その経験に基づく直感に身を委ね、ガードしようとした手を勢い良く地に打ち付け、その反動によりアイシャから距離を取る。

 

 その行動に違和感を感じたのは立会人の2人だ。

 あの肘打ち。確かに喰らえばダメージを負うが、その後に反撃をすればアイシャにより大きなダメージを与える事が出来たであろう。もとより打撃はネテロに劣るアイシャだ。いかに身体能力が上がったとはいえ、いまだネテロには及ばない。打撃が当たる瞬間に凝をしようにも、同じように凝をしたネテロの防御力を上回る事は有りえない。

 前世に置いて2人のオーラ量はほぼ互角。顕在オーラも差は殆どなかった。念の系統では強化系に属するネテロが純粋な打撃戦では有利になるのは明白。

 此度の決闘も以前と同じようにネテロの剛拳をいかにアイシャが受け流せるかが勝負の分かれ目になるだろう、というのが2人の見解だった。

 

 故に今の肘打ちはアイシャの悪手。リィーナも何故あの様な一撃を放ったのか疑問に思ったほどだ。だがあのネテロがアイシャの攻撃を避けたのは事実。一体なぜ?

 その疑問に応えるかのようにアイシャが言葉を発する。

 

「さすがはネテロ。今の攻撃の危険性を感じるとは」

 

 この言葉の意味を察するならば今の攻撃は傍目には分かりにくいが、かなり危険性の高い一撃だったのだろう。

 新たに開発した奥義であろうか? ならば早く教わりたいですね、などとどこぞの先生マニアが考えている間にもアイシャは言葉を紡ぐ。

 

「……何時かは知られる事でもある、か。それにお前相手に“この状態”でオーラが保つとは思えないしな」

「……? 何言ってやがる?」

 

 まさか奥義のネタばらしでもする気か? だとしたら興醒めだ。止めてくれ。そう言おうとしたネテロは、目の前の光景に絶句する。

 いや、ネテロだけではない。リィーナも、ビスケも、まるで有りえない物を見たかの様に息を飲んだ。

 

 そこに居たのは……リュウショウとはかけ離れた異質で禍々しく、莫大なオーラを放つアイシャだった。

 

「な、なんだ、それは……?」

「せ、先生?」

「じょ、冗談でしょ?」

 

 あまりの光景に驚愕する3人。今、アイシャがネテロに仕掛ければ恐らく一瞬で決着が着いただろう。

 だがそれも仕方ないと言える。

 ネテロもただ敵がこの様なオーラを発していたならば驚きこそすれど、攻撃を受ける程の隙は与えないだろう。問題は“あのリュウショウ”がその様なオーラを発している事だった。

 清廉潔白、質実剛健、生涯修行を謳い文句にしているような男がこの様な禍々しいオーラを発するとどうして思える。

 

 未だ驚愕に身を委ねる3人。それも当然か、と思いつつもアイシャは独白する。

 

「恐らく転生の副次効果でしょう。……この世に再び生を受けた瞬間よりこのようなオーラの質に変わっていました。転生と言えば聞こえはいいが、やはり私は死人という事でしょう」

 

 オーラを隠さなければ日常生活もままなりません。苦笑しながらそう呟くアイシャ。

 

「……っ! 今までお前のオーラに変化がなかったのは!」

「お察しの通り。私の新たな念能力【天使のヴェール】の効果によるもの。この能力が発動している間、私のオーラは如何なる方法を以てしても感知する事は出来なくなる」

「は、反則すぎだわさ」

 

 ビスケの言葉ももっともだろう。念能力者の戦いにおいて最も重要な要素の1つ、それがオーラの動きだ。

 相手がどの様にオーラを動かしているか、それが分かれば実戦においてどれほど有利に働くか。攻撃の虚実を見抜き、攻防にどれほどのオーラを籠めているかを見抜き、闘いの流れを支配する。それこそがオーラの動きだ。

 それを一切感知できないとなるとどれほど不利となるか。言うまでもないだろう。

 

「本来ならこのオーラを隠すために作った能力ですがね」

 

 そんな目的だけでそんな反則能力作るな。リィーナも含めた3人の気持ちが一致した瞬間である。

 

「……成程な。さっきの肘打ちには大量のオーラが乗っていたってわけだ」

「まさしくその通りです」

 

 それならば頷ける。今のアイシャを覆うオーラは明らかにリュウショウの時よりも遥かに上。これならばネテロの防御力を上回る可能性もあるだろう。

 

「へへ、おもしれぇじゃねえか」

「……軽蔑、しないのですか?」

「あん? 何言ってんだ?」

 

 馬鹿なこと言ってないでさっさと続きをするぞ、と軽く流すネテロに戸惑うアイシャ。このオーラについてどう説明しようか、受け入れてくれるだろうかと悩んでいたアイシャにとってネテロの軽い一言は予想外だった。

 

「どうして軽蔑するんだよ? 確かに姿は変わった。性別も変わった。オーラの質も変わった。だが――お前はお前だろう」

 

 その言葉を聞き、意味を十全に理解した時、アイシャの心は歓喜に満ち溢れた。自分の最大の友が、好敵手が、今の自身を受け入れてくれた。それだけで十分だ。

 もはや己の中に僅かなわだかまりもない。正真正銘全力を尽くすのみ!

 

「ところでその【天使のヴェール】とやらはもう使わないのか? オーラが見えないなんて相当有利だぜ?」

「何を分かり切ったことを。どうせ私の攻撃全てを硬として扱うつもりだろう?」

「当然だ。元々圧倒的な速さの流を使いこなすお前と幾度となくやり合ってきたんだ。他の奴ならいざ知らず、オレにはさほど脅威には感じねぇよ。やりにくい事に変わりはないがな」

「だろうな。それにこの能力にも弱点はある。お前との勝負では使わない方がいい」

 

 なにせオーラの消耗が10倍になるのである。いかに圧倒的なオーラ量を誇るアイシャといえど、ネテロ相手にオーラが保つとは思えなかった。

 

「いくぞネテロ。……他人に全力の練を見せるのは初めてだ」

 

 その言葉とともに、アイシャの身体からさらなるオーラが迸る。

 最早言葉も出ないリィーナとビスケ。恐らく人類最大と言える程のオーラ量。それがさらに増大した。ネテロの知り合いのハンターにオーラを数値化する能力者がいるが、今のアイシャは一体どれほどの数値に達しているのか。皆目見当もつかない。

 

 だが、その莫大なオーラを見て笑みを浮かべる者がいた。

 

「受け止めきれるか? オレの全てを!」

 

 アイシャに呼応する様にオーラを全開にするネテロ。

 ここから先の戦いは前世の再現にはなりえない。

 もう、リュウショウ対ネテロの構図は消え、アイシャ対ネテロとなったのだから。

 

 

 

 またも相対した2人。だが、前回とは違い先に仕掛けたのはアイシャ。

 風間流の構えを維持したままネテロへと接近する。

 

「!?」

 

 またも驚愕。アイシャが行ったのは前世よりの得意技・柳葉揺らし……ではなかった。

 独特の歩法により体捌きや重心を錯覚させる事で敵の読みを外し死角を取る荒業。それこそが柳葉揺らし。

 だがこれは違う。柳葉揺らしに及ばず、人が何かしら行動する時には必ず身体の一部が動く。それは生き物である限り当然の理だ。

 アイシャはその理を無視するかのごとく微動だにせぬまま、まるで地面が縮んだかのように高速で近づいてきたのだ。

 

 この動き――と言っても身体は動かしていないのだが――の秘密はもちろん念能力であった。もっとも、一般的に発と呼ばれる類のモノではない。オーラ技術の応用である。

 足の裏にオーラを集め、高速で回転する事で身体は一切動かさずに移動する。言葉で説明するのは簡単だが、それを実行するとなると相応の技量が必要となる。

 逆に言えば相応の技術とオーラさえあれば誰にでも出来る技である。極端な話、念の応用技の一種と言える。

 

 元よりリュウショウにはそのような技術しかなかった。柳葉揺らし然り、浸透掌然り、リュウショウが使える技術は全て誰にでも使える技術の極み。戦闘で有利になる能力を覚えていないので、技術で勝るしかなかったのだ。

 それはアイシャとなった今も変わらぬ道理。故に転生後も新たな技の研鑽は行っていた。その成果の1つがこれ――縮地――である。

 

 当然その様な動きは初めて経験するネテロ。だが、初体験は初めてではない。念能力者の戦いに何が起こるか分からないのは当然の事。接近戦は望むところ。このまま迎撃するのみ! 裂帛の気合を籠め、迫り来るアイシャに向けて拳を放つ。アイシャも合わせる様に拳を放つ。お互いの拳がぶつかり合った結果、ネテロの拳は一瞬の均衡も許さずに弾かれた。

 

 特質系のアイシャの拳が、強化系のネテロに打ち勝つ。

 このレベルの念能力者でそのような理不尽が起こるなど本来なら有りえない。だがこの圧倒的なオーラ量の差。さらにインパクトの瞬間に硬に切り替えるアイシャの超高速の流がそれを可能とした。

 

 拳を弾かれバランスを崩したネテロに更なる追撃。ありったけのオーラで全身を強化しつつ打撃の弾幕を生み出す。

 だが相手はネテロ。いかに強化しようとも打撃戦ならば一日の長があるのは当然。まともに打ち合って負けるのならばまともに打ち合わなければ良いだけのこと。全ての攻撃を最小限の動きで躱し隙を探る。

 

 攻撃が当たらないことを悟ったアイシャの次の行動は縮地による移動だった。ネテロの周囲を高速で移動する。

 並の、いや達人と言われる者でも眼で追うのは困難な速度。その速度で移動しながら身体は一切動かしていない。その有りえない現象は確実に対象の眼を撹乱する。

 故にネテロは待った。攻撃の瞬間を。いかにアイシャとはいえ攻撃する為には身体を動かさなくてはならない。動きを読めないのならば攻撃の瞬間を捉えればいいのだ。

 

 だが、眼前にて急に動きを変えるアイシャ。縮地による高速接近から柳葉揺らしへと繋げる。瞬時にネテロはアイシャの姿を見失う。ネテロが己が攻撃を止めるのに掛かった時間は僅かコンマ数秒。だがそれは致命の隙となった。

 

 虚をつき、必殺の一撃を撃つ絶好の好機! 全霊を籠め、がら空きの背に自分が最も信頼する技の一つ、浸透掌を撃つ。

 

 通った! そう確信するアイシャ。回避も防御も出来ない完璧な一撃。これを喰らえば例えネテロといえど倒れるだろう。

 しかしそこでアイシャに疑問が浮かぶ――何故【百式観音】による迎撃を行わなかった?――

 間に合わなかった? そんなはずはない事はアイシャ自身が百も承知。後方への攻撃を行う型もあったはず。

 

 ――まさか!?――

 

 次はアイシャが驚愕する番だった。

 そう。ネテロは浸透掌を防いだのだ。対象の体内に掌底とともに直接オーラを流し込む浸透掌を防ぐには、体内オーラを操作しそのオーラを打ち消す他ない。

 完璧に虚を突かれたネテロは次の攻撃を躱すことは不可能と悟り、浸透掌を防ぐ準備をしていたのだ。

 あの必殺のタイミングでアイシャが必ず浸透掌を放ってくると確信して。

 

 ネテロが【百式観音】による迎撃を行わなかった理由はたった1つ。ただの意地である。

 何度この浸透掌にやられたことか。ネテロの敗因のおよそ五割以上が浸透掌によるものだった。その浸透掌を破る。これはネテロが決戦前に己に課していた試練だった。

 

「くっ!」

 

 即座に後方に下がるアイシャ。だが僅かに遅い。アイシャの顔にネテロの反撃の裏拳が命中する。アイシャはとっさに凝によるガードを行う。オーラ量の差もあり殆どダメージはないようだ。

 だがアイシャの精神には確実にダメージが通っていた。

 

「……浸透掌を破ったか」

 

 自身が修行の末に身に付けた珠玉の奥義。非力な己にとって如何なる敵をも倒しうる最も信頼する技。

 それが破られた。

 アイシャの身に衝撃が走っていた。

 

「あれには何度も苦汁を飲ませられたからな。破る為の修行は欠かさなかったぜ。……お前がいなくなってからもな」

 

 その言葉にネテロの意地と執念を感じるアイシャ。それほどまでに想っていてくれていたことにある種の感動すら感じる。

 

 だが――

 

「苦汁? それは私のセリフだ。……【百式観音】を使えネテロ。お前の最強の技を私が破る……!」

 

 そう。辛酸を舐めてきたのはアイシャとて同じ。【百式観音】を使われたら必ず負ける。それがどれほど悔しかったことか。

 己の研鑽を打ち破られたならば、今ここで同じようにネテロの研鑽を打ち破るのみ。

 

「……へ、いいだろう。挑発に乗ってやるぜ!」

 

 この時点でビスケはネテロの勝利を、そしてリィーナはアイシャの敗北を強くイメージした。

 それも当然。かつてのリュウショウにも破る事は出来なかった【百式観音】。それは不可避の速攻。相手の如何なる攻撃にも勝る速度で放たれるそれは、つまるところ如何なる攻撃にもカウンターを行えるという事。

 敵の攻撃は受けずに自らの攻撃を当てる。まさに攻防一体の能力。

 いかにアイシャがリュウショウよりもオーラが増し、肉体の強度も増したとはいえ、いつまでも防ぎきれるモノではない。何時かは力尽き、倒れ伏すだろう。それがオーラが尽きるのが先か肉体が保たなくなるのが先かは分からないが。

 

 だがネテロは己の勝利を確信しない。あのアイシャが、リュウショウが、勝算もなくあの様な大言を吐くわけがない。

 

 故に、全力の一撃を放った。

 

――【百式観音 壱乃掌】!――

 

 瞬時に現れた観音像よりアイシャに向かって手刀が振り下ろされる。その一撃は確実にアイシャに直撃し大地をも砕いた。

 

「先生!!?」

「まず!? あれはやり過ぎよ!!」

 

 2人が狼狽したのは、今の攻撃がリュウショウに放っていた攻撃とは種類が違ったからだ。

 リュウショウが【百式観音】に僅かだが耐えられたのは、それが横からの打撃だったからだ。横からの攻撃ならば身体の脱力による衝撃吸収によって威力を分散する事が出来た。その上で堅によるガード。柔と剛、2種類の防御法を組み合わせる事で何とか耐える事が出来ていたのだ。

 だが今の攻撃は打ち下ろし。衝撃を逃がそうにも下は地面。威力は分散されるどころか地面に挟まれた事によりさらに増大したであろう。

 

 決着は着いた。一刻も早くアイシャを救出せねば。

 そう慌ててアイシャの下に向かう2人の心配を余所に、クレーターの中からゆっくりとアイシャが姿を現した。

 服はぼろぼろ。全身にも細かい傷は多々あれどその足取りは確かなもので、瞳に宿る闘志に僅かな揺らぎもなかった。

 

「どんだけ頑丈なのよ……」

 

 今日1日でいったいどれだけ驚愕すればいいのか。もう一生分は驚いたと思うビスケであった。

 

「成程、堅ぇな。だが、それだけで【百式観音】を破れると思うなよ?」

「そう急かすな。瞬時に破れる類のモノなら今まで苦労はしていない、さ!」

 

 その言葉を言い終わると同時にネテロに接近するアイシャに対し、ネテロは即座にその攻撃に対する最適な型による【百式観音】で迎撃をする。

 壱乃掌は使えない。正確には使えない位置にアイシャがいた。いかに頑丈とはいえ衝撃を分散出来ないあの一撃を何度も喰らう訳にはいかない。

 ならば壱乃掌が使用できない角度で攻撃をする。そうアイシャが判断したのは当然だった。

 

 そうして何度も【百式観音】による反撃を喰らいつつ、型を把握していく。全てを把握する必要はアイシャにはない。全ての型を把握しきれないと言った方が正確だが。衝撃を受け流せない型のみを覚え、それが放てない角度を模索しまた攻撃。

 そうして幾度となく愚直とも言える特攻を仕掛け続ける。

 

 

 

 初めに違和感を感じたのはネテロだった。

 百を超える【百式観音】を放った事により、アイシャにとって最も注意すべき型は全て知られてしまった。だがそれはいい。型は有限なれど組み合わせの数は甚大。全てを潜り抜けて己に到達するなど不可能に等しい。その前にアイシャが力尽きるだろう。

 

 今もまた【百式観音】によって弾き飛ばされたアイシャ。だがそこでネテロはまたも違和感を感じる。アイシャが弾き飛ぶ方向が不自然だったのだ。

 物理法則に則るならば、衝撃を加えられた物体はその衝撃を加えた方向に動くのが必然。右から衝撃を与えられたなら左へ、逆ならば右へ。

 だがアイシャは違った。【百式観音】を受けた後、あらぬ方向へと弾き飛ぶ。まるで物理法則を無視しているかの如く。それも攻撃を受ける度に違う方向へとだ。

 

 そしてネテロは気付いた。攻撃を受ける瞬間のアイシャの身体を包むオーラが、独楽のように高速で回転している事に。

 信じがたいことにどうやらアイシャは【百式観音】の攻撃を堅でガードしているだけではなく、オーラを高速回転する事で衝撃をさらに分散していたのだ。

 一部分ならまだしもそれを全身のオーラで、しかも堅を行いながらやってのける。正しく世界最高のオーラ技術と言えるだろう。

 確かにこれならば【百式観音】にも耐えうるかもしれない。いや、現に耐えきっている。一撃で大地を割り岩を砕く攻撃を幾度となくその身に受けてもアイシャの動きに陰りは見えないのだから。

 

「……おもしれぇ」

 

 ここまで自身の攻撃が効かない敵は初めてのネテロ。アイシャがこの攻撃を潜り抜け己に辿り着いた時、敗北の二字は己が身に降り注ぐだろう。

 だが、敗色濃い難敵にこそ全霊を以て臨む! それこそが己の求めた武の極み! そう。今のこの状況は、ネテロが最も期待していた状況だった。

 さあ、どうやって【百式観音】を破る? 期待を胸にネテロは迎撃を続ける。

 

 愚直なまでの特攻を続けるアイシャの攻撃に変化が訪れる。

 空中に跳んだのだ。対空の型がないと判断したのだろうか? だがそれで破れる程【百式観音】は甘くない。ネテロが即座に新たな型を行う直前。空中にてアイシャが急速に移動した。

 

 アイシャがした事は至って単純。ただオーラを放出し、その勢いで宙を移動しただけである。尤も、それをするためには莫大なオーラと熟練した放出系の技量が必要だが。

 それを繰り返す事で宙にて高速機動を行うアイシャ。最早ここまでくれば発の領域だろうと感心するも呆れるネテロ。恐らくアイシャに聞けばこれも誰にでも出来る技ですよ? とかほざくであろう。

 

 だがそれすらも【百式観音】の隙を突く事は出来なかった。【百式観音】の型は360度全方位に対応していたのだ。頭上という本来なら攻撃を受けることのない角度すら対応出来るからこそ【百式観音】を使用したネテロは無敗なのだ。

 

 様々な角度から幾度となく攻撃しようとも弾き飛ばされるアイシャ。だがその度に高速でネテロに接近する。さすがのアイシャもその身にダメージを蓄積し、潜在オーラも半分近く消費していた。この移動法、そして回転による防御法は著しくオーラを消耗する。

 オーラの消耗を最小限に抑えていても、幾百もの攻撃を防いだらオーラもそれに応じて減少するのは必然だった。

 自分の作戦は上手くいっている。もう少しで感覚が掴める。これさえ上手くいけばネテロに一撃与える事も可能なはず。そう確信するアイシャに対し、そうはさせじと言わんばかりにネテロが迎撃ではなく、攻撃の為の型を取った。

 

――【百式観音 九十九の掌】!!――

 

 アイシャのさらに上空へと跳びあがり、型を取る。初めて見るその型にアイシャの全身に悪寒が走る。

 

 まずい! そう思っても回避出来ないのが【百式観音】である。

 観音像が繰り出す掌底の嵐。一撃目をオーラの高速回転――廻(かい)とアイシャは名付けている――で防ぎあらぬ方向へ弾き飛ぶことで残りの掌底を回避しようとするも間に合わず。嵐に巻き込まれた木の葉の如く宙にて弾かれ続けるアイシャ。

 十数発目にしてようやくその攻撃範囲から離脱するも、連続して受け続けたことによりかなりのダメージを負う。

 もしあのまま掌底の嵐に飲み込まれ、地に叩きつけられたならば勝負はそこで決していたやもしれぬ。地を砕き続ける【百式観音】を見てそう思わずにはいられないアイシャ――砕き続けている?

 

 そう。【百式観音】は未だ地に掌底を放っていた。既に対象であるアイシャはその場にいないというのに。

 一瞬にして好機と悟る。【百式観音】はあらかじめ設定された型を取る事でその操作を行っている。つまり型通りの動きしか出来ないのだが、幾つもある型を無数の組み合わせで行う事で隙を無くしているのだ。

 だが、一度発動した型を途中で変える事は出来ない。それこそが【百式観音】の唯一の弱点!

 

 即座に宙に居るネテロに高速接近。ネテロが次の型を取る前に攻撃を加えられれば――!

 だが、アイシャの攻撃が当たる直前にネテロが新たな【百式観音】を繰り出した。

 

 

 

 さすがに肝を冷やしたネテロ。

 まさか九十九の掌から抜け出されるとは思わなかった。ほとほと厄介な技を身に付けたものだ。ここから先は1手たりとも間違う訳にはいかない。

 そう思うも、アイシャが攻撃する前に次なる型が間に合ったネテロは油断していた。最適な型にて【百式観音】が繰り出されればアイシャは弾き飛ばされる。確かに与えるダメージは少ないが、これまでの戦いにおいてそれは変わらぬ摂理。

 

 そう、この攻撃でもそれは変わらない。違ったのは……飛ばされる方向だった。

 

 【百式観音】による攻撃を受けたアイシャがネテロの眼の前にいる。

 何故? 何故今アイシャが己の眼前にいるのだ? 【百式観音】は命中したはず!?

 驚愕に身を包まれながらもネテロはその解に辿り着いた。

 

――まさか、まさか回転を利用してこちらに弾き飛ばされる様に角度を調整したというのか!?――

 

 ネテロは気付いていなかったが、アイシャは【百式観音】の攻撃に対して廻による回転の流れを一撃ごとに変えていたのだ。

 どの角度でどの様な回転で受ければどこに弾かれるか。それを何度も攻撃を受ける度に調整していたのである。地道に続けていたその行為は、今ここで実を結んだ。

 アイシャが把握した型でしか反撃出来ない角度から攻撃し、発動した型に対してネテロのいる方向に弾かれるようにオーラの回転を調節する。

 

 結果は成功。今、アイシャの眼前にネテロがいる!

 

 【百式観音】は発動したばかり。新たな型を繰り出すのには僅かなクールタイムが必要。その刹那の瞬間をアイシャの執念が穿った。

 渾身の一撃がネテロの腹部に突き刺さる。

 

「ぐぶぁっ!?」

 

 大量の吐血をしながら地へと叩き落されるネテロ。

 硬による一撃を同じく硬による防御で防いだ。前述したように打撃においてネテロはアイシャの遥か上。故に予測は容易く、オーラの防御も間に合った。

 それでもこのダメージだ。肋骨がいくつか砕け、内臓も強く痛めたことをネテロは悟る。

 

 地に降り立ち態勢を整えようとするネテロにさらなる追撃。今まで空中移動のみに費やしていたオーラの放出を初めて攻撃に使用、人1人を悠々と飲み込むほどのオーラ砲がネテロを襲う。

 とっさに【百式観音】で弾くネテロ。オーラ砲と掌底が宙にて衝突し、激しい音を立てながら拮抗しながら、徐々にオーラ砲が消滅していった。

 

 だが、オーラ砲が消滅する前にアイシャは次の手を打っていた。

 僅かでも時間を掛けたら【百式観音】で反撃を喰らってしまう。そうなっては元の木阿弥だ。次も同じ手が通用するかは分からないのだから。

 ネテロはアイシャがダメージを負っているのか疑問だったが、実のところアイシャの身体はかなり損傷しているのだ。いかに技を駆使し攻撃を防いでも、衝撃を全てなかったことにする事は出来ない。

 表面上は擦過傷程度しか確認できないが、蓄積された衝撃はいくつかの内臓を痛めており、口内では鉄の味が広がり、骨にも微細な皹が何か所も入っていた。

 ここで決めなくては恐らくもう勝機はない。己が放ったオーラ砲に並行するように地面に向かって高速機動。ネテロにばれない様に隠を使用し、オーラ砲で己の姿を隠して。

 

 アイシャの予想通り【百式観音】でオーラ砲は防がれた。だが、アイシャはすでに地に降り立っていた。

 空にアイシャがいない事に気づき周囲を索敵するネテロだが、時既に遅く、アイシャはネテロの懐に踏み込んでいた。【百式観音】は間に合わない。反撃も無理。【百式観音】が間に合わぬ攻撃に通常の反撃など出来る訳がなかった。

 

 だがネテロはアイシャの動きを見て光明を得た。

 見覚えのある動きからアイシャが浸透掌を放とうとしている事を看破。即座に体内オーラを集中し浸透掌に対応する。一度は破った奥義だ。二度破れぬ道理はなかった。

 

 それが通常の浸透掌だったなら、だが。

 アイシャは右の掌にて浸透掌を放つ。そして、その浸透掌による衝撃が防がれる前に、右の掌に重ねる様に左の掌で浸透掌を放った。

 

――浸透双掌――

 

 これこそアイシャが、いや、リュウショウがいずれネテロに浸透掌が破られる事を予期して編み出していた奥義である。

 2つの浸透掌により増幅された衝撃。いかにネテロが体内オーラを操作したところで防ぎきることは出来なかった。

 

「通った……!」

「……ごふっ」

 

 大量の血を吐きながらゆっくりと崩れ落ちるネテロ。

 そんなネテロを見てビスケは慌ててネテロに駆け寄った。浸透掌の威力はビスケも知っている。自分自身もリィーナにやられた事があるからだ。だから今のが致命傷になるのも良く分かった。浸透掌の重ね打ち。それはどれほどの威力になるのか。下手すれば死ぬ可能性もあった。

 

「まだ、やるか?」

 

 そう確認するアイシャだが、ネテロの闘志が折れていないことはオーラを見るまでもなく分かっていた。

 

「と、当然だ。オレは、まだ全てを、見せちゃ、いねぇ!」

 

 続行の意思を見せるネテロ。それに応える様にオーラを高めるアイシャ。

 

「ちょっと待つわさ! ジジイ! あんたもう限界だわさ! それ以上戦ったら命にかかわるわよ!!」

「ええ。決着は着きました。この決闘。先生の――」

『黙れ!』

 

 ネテロを止めようとしたビスケを、アイシャの勝利宣言をしようとしたリィーナを一喝するアイシャとネテロ。

 

「限界かどうかは、オレが決める! いま、最高に楽しいんだ。邪魔、するんじゃ、ねえ!」

「ネテロの全てを受けきって初めて私は勝利したと言えるのだ。ここで決闘を止めたなら例えお前であっても許さん!」

 

 2人の気迫に飲まれ言葉を失うリィーナとビスケ。もうこの闘いを止める事が出来るのは当事者である2人だけだった。

 

「行くぞアイシャ。オレの全て、百式の零を見せてやる!」

「来いネテロ。お前の全てを受け止めてやる」

 

 すでに2人とも満身創痍。だがお互いの表情はとても楽しげなものだった。

 

 ネテロが放つであろう最大の一撃を耐える為にアイシャは全力の練を行う。これを凌ぎ切れば勝利すると確信する。

 ダメージで弱ったネテロに猛攻を仕掛ければもっと楽に勝てるだろう。だがアイシャはそれを選択しなかった。ネテロの全てを受けきる。ネテロが全てを出し切ってなお勝利する。そうしてこそ初めて胸を張ってネテロの好敵手だと言えるのだ。

 

 決意を胸にしたアイシャに対し、ネテロはただ感謝していた。

 ここまで出し尽くしたのは人生で初。歳を取り、肉体の衰えを感じる日々。もう己が全力を出す機会などないのかと落胆する事も珍しくはなかった。

 それがここに来て最大の好敵手の復活だ。気分は高揚し、オーラに張りが出てくるのを実感する。まるで若返っているようだった。

 自分の全盛期はもはや過ぎ去ったと思っていた。だが違う。

 実力が伯仲する者との戦いの最中に確信した。肉体は衰えた。オーラ量も減少した。だが、今の自分はかつての自分よりも強い、と。

 己をここまで引き上げてくれた相手に感謝し、渾身の一撃を放つ!

 

――【百式観音 零の掌】!!!――

 

 ネテロの攻撃を待つアイシャの身を、背後から現れし観音が有無を言わさぬ慈愛の掌衣でもって優しく包み込んだ。身動きが取れなくなったアイシャはそれに驚愕する前に、己の背後で急速に高まりつつあるオーラに驚愕する。

 回避は不可。このまま受ければ防御したところで恐らく――!

 

 ネテロがこの決闘の地に到着したのが2日前。その間行っていた精神統一の業を経て蓄積した渾身の全オーラ。それを目も眩む恒星の如き光弾に変え撃ち放つ!

 無慈悲の咆哮が、アイシャの全身に降り注いだ。

 

 

 

「あ、ああ……」

「……これは、むりよ」

 

 濛々と土煙が舞い上がる中、2人が見たのは円状に抉れたクレーターであった。

 オーラの高まりに反して、クレーターの跡は小さいと言えるだろう。

 だがそれは威力が弱かったからではない。ごく限られた空間に威力を圧縮して放ったからこその結果であった。現にクレーターの表面は、まるでアイスをスプーンでくり抜いたかの様に綺麗なモノだった。

 

 それを見て、いや、それを見る前から二人はアイシャの生を絶望した。あれを受けて生きていられるとは到底思えなかった。

 

 だが――

 

「はぁ、は、ぐ、はあっ」

 

 土煙を割って人影が見える。

 まるで幽霊でも見てるかの様にそれを見続けるリィーナとビスケ。

 無論、それは幽霊ではなかった。

 身体の至る箇所に傷を作り、全身から血が滴り、もはや身を包んでいた道着も微塵と化していた。だが、確かに2本の足で立っているアイシャがそこにいた。

 

「す、素晴らしい、ぐ、一撃、だった……」

 

 覚束ない足取りで、ゆっくりとネテロに近づいていくアイシャ。生きているのも不思議なほどの傷。だがその意思は未だ折れず。アイシャを心配して近づいてきた2人を気迫で押しのけてゆく。

 

「へ、へへ、ぜ、零でさえ、ぜぇー、た、耐えきり、やがったか」

 

 その声に反応してネテロを見やるリィーナとビスケ。

 絶句。ネテロを見た2人の心象はその一言に尽きた。

 そこには枯れ木の如く痩せ細ったネテロの姿があった。

 

「さ、さすがに、死ぬかと思った、よ」

 

 アイシャが零の掌に包まれた時に行ったのは3つだ。

 

 オーラの高まりを感じ、回避不能と悟った瞬間。出し得る限りのオーラを背後の観音像に向かって放った。

 直後に放たれる無慈悲の咆哮。それとアイシャのオーラがぶつかり合う。元より操作系だったアイシャは隣り合わせの放出系は得意としていた。離れた敵と戦うための一手段として練り上げておくのはリュウショウとして至極当然である。

 実のところアイシャ(リュウショウ)の場合、身体を強化して攻撃するよりもオーラを放出した方が威力は高いのだ。

 だがその自慢のオーラ砲は、光弾に触れると僅かな拮抗も許されずに貫かれた。

 

 アイシャはオーラ砲を放ってすぐに次の行動に移った。あれが時間稼ぎにもならないのは予測出来る。僅かなりとも自身に降りかかるオーラを減らしてくれればいい。

 オーラを円錐状に変化させ、自身の後方に配置。威力を分散する為である。苦手な変化系ではあったが、だからと言って修行していない訳がない。これ位の形状変化は瞬時に行えた。

 だがそれも一瞬で打ち砕かれる。大滝から流れ落ちる水を一本の傘で受け止める様なものだった。

 

 最後に行ったのは単純明快。

 最早小細工は無駄。後は全霊のオーラを籠めてその身を守るだけだった。

 

 そして……現在に至る。

 

 

 

「ふふ、ふ」

「ひゅー、そんなに、ひゅー、嬉しいか?」

 

 急に笑い出したアイシャに問いかけるネテロ。

 そんなに零の掌を耐えた事が嬉しかったのか?

 アイシャの答えはそうであり、そうでなかった。

 

「ああ、う、嬉しいさ。……ようやく、ようやくお前の全てを、受け止められたのだから」

 

 そう。アイシャが笑ったのは零の掌を耐えたから、だけではない。

 ネテロの全てを受け止めきれたからであった。

 

「ネテロ」

「……なんだ」

 

「出し尽くしたか?」

「この姿見りゃ、わかんだろ?」

 

「渇きは、癒えたか?」

「ああ、感謝しか、ねぇよ」

 

「そうか……待たせて、悪かった」

「間に合ったんだ、文句は、ねえ、よ」

 

 最早お互い意識も朦朧とし、相手の姿すら認識できていなかった。その中で、2人は同時に言葉を紡いだ。

 

『だが覚えてろ』

 

『次は私(オレ)が勝つ!』

 

 そうして2人は同時に意識を手放した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

修行編
第十九話


 ……ああ、夢、か。

 懐かしい夢を見たものだ。あれから……そう、ネテロとのあの最後の決戦からどれだけの時が流れたのか。もう100年以上も昔のことだったか。さすがに永く生きると細かな記憶も抜けてしまうが、あれだけはいまだ色褪せぬまま私の中に残っている。

 

 私ももう120歳になるか。あの時のネテロと同じ程の年齢か? 前世を含めたら250年以上を生きたんだな。……少し永く生き過ぎたと思う。こんなにも永く生きてしまうと、数多の別れと付き合うことになる。皆において行かれるのはやっぱり寂しい。

 

 ネテロはあの戦いのあと、治療の甲斐なく死んでしまった。私が殺したことになるが、闘いの結果だ。悲しみはしたけど後悔はなかった。

 あいつは、あいつはとても安らかな顔をして逝った。満足そうに、もうなにも思い残すことはないかの如く。私の気持ちも知らずによくもそんな顔で逝ったものだと当時は怒りもしたが、思えばネテロも私(リュウショウ)が死んだ時同じ気持ちだったのかと思うと怒りも消えた。

 ただ、寂しさだけが残った。

 

 リィーナはしばらくはビスケと共にいたな。師が死んでしまい落ち込んでいるであろう彼女の心の支えになりたかったんだろう。その後は弟子育成に勤しんでいた。早く後継を育て上げて私とまた鍛錬を積みたいと言っていた。全く、困った子だった。そして、私の自慢の子だった。

 彼女が死んだ時はそれは皆悲しんでいたな。大勢の弟子や知人、はては世界の著名人までが彼女の葬式に来ていた。

 

 ビスケはネテロの死後しばらくリィーナと共に旅をし、吹っ切れてからは自分らしく生きていた。大好きな宝石を集める為に世界中を飛び回っていたな。彼女の最期を私は知らない。何時の日か顔を見なくなってしまった。どこかで死んでしまったのか。捜索はしたが、終ぞ見つかる事はなかった。

 

 私はあれから様々なことをした。グリードアイランドに行き、蟻の化け物と闘い、外の世界にまで足を踏み入れた。荒事ばかりをしていたせいか、この体で50歳になる頃には精神が疲れてしまい、そういった世界からは足を洗った。

 やることもなくなった私は所有していた個人資産で孤児院の経営に乗り出した。武術しか能のない私だが、僅かなれども人の役に立てればと思い至っての事だ。

 たくさんの人々の助力もあり、なんとか孤児院経営も軌道に乗る事が出来た。

 

 特にレオリオさんには多くの子を助けてもらったなぁ。

 プロハンターに合格したレオリオさんは、その後見事に医者になる事が出来た。他人を助ける為に努力を惜しまない彼にはとても好感が持てた。

 レオリオさんは定期的に孤児院に診察に来てくれた。世界中を飛び回ってとても忙しいのに、自分の身体を顧みず人々を助け続けた。お金がなく治療費が払えない人からは一文たりともお金を受け取らなかった。それだけではない。多額の寄付金を孤児院含む慈善団体に寄付していたので彼自身はとても慎ましい生活をしていた。

 そのせいかよく私の料理を食べに来ていたからな。寄付してる孤児院で食事するって本末転倒だよね? と彼に言ったが苦笑いするだけだった。

 

 ゴンは父親を見つける事が出来た。かなり苦労したらしいが、見つけた事を報告するゴンはとても喜んでいた。彼はその溢れる才能を伸ばし、ハンター協会において最強の名をキルアと二分していた。

 キルアとはいつまでも親友のようで、常に2人一緒に世界中を旅して廻っていた。この2人が外の世界に飛び立ってから便りはない。だが、例えのたれ死んでいようとそれはそれで満足なんだろうと思う。

 

 クラピカさんは蜘蛛に復讐を果たした後、一族復興に励んだ。

 遺されたクルタ族は彼1人だったが、故郷の近くの町にクルタの血を引く女性を見つけたのだ。混血故に緋の眼になることはない彼女だったが、彼女の祖父の遺言、そしてDNA検査の結果からクルタ族の血を引いている事が分かった。

 その彼女とクラピカさんは結婚。殆ど愛がない結婚かと思ったが、意外と夫婦仲は睦まじく、14人もの子供と51人の孫に囲まれていた。私も早く結婚したらどうだ? といらぬお節介を焼いてくれたものだ。

 

 

 

 ……こんな風に昔を思い出すのは、死期を悟ったから、か。もう私も長くはないようだ。仕方ない。よく生きたものだ。

 孤児院の経営も信頼できる人に任せてある。好敵手も、弟子も、仲間も皆逝った。もう思い残すことはない。遺していく子供たちには悪いけど、これも自然の摂理だ。いつかは誰もが通る道。これを経験に大人になってほしい。

 

 あの世があるならば皆に会えるかな? そしたら久しぶりに闘ってみたい。ネテロはもちろん、ゴンやキルアとも。

 

 リィーナとビスケは仲良くやっているかな? リィーナには伝授しそこなった奥義があるから教えてあげよう。

 

 レオリオさんにはあなたが助けた子ども達がどれだけ立派になったか話してあげよう。きっと喜ぶ。

 

 クラピカさんは奥さんと共にいるのか? だとしたらあまり見せつけないでほしいな。

 

 ああ、そろそろお迎えが来たみたいだ。

 意識が、薄れていく……。

 うん、永い人生色々あったけど、まあ、満足できたかな。

 

 ……それじゃ、おや、す、み――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――という夢を見た。

 いやいや、何が満足なのか? 確かにネテロとの決闘は満足のいくモノだったけど、だからと言って人生の目標たる脱童貞を達成してないんだ。勝手に逝くな私。

 しかし夢の中で夢を見るなんて器用だな。というかなんだ今の夢は? 予知夢か何かか? かなりリアルだったんだけど? ネテロがあれで死んだなんて縁起でもない。

 

 ……ネテロ!? そうだ、あの戦いからどれだけ経った? ここはどこだ? 私はなんで寝ている!? もしかしたら今のは正夢かもしれない。そう思ったら居てもたってもいられず、思わず勢いよく起き上がった――

 

「~~~~~~~っ!!」

 

 ぎにゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! い、痛い! 全身が痛い! 声にならないほどに!

 

「う、うぐぅ」

 

 あ、涙が出てきた。くそ、ネテロの奴め、しこたまやりやがって。いたいけな少女に何たることを。

 ……ここだけ聞くとアイツが性犯罪者みたいだな。

 

 ふぅ。落ち着いてきた。

 ここはどうやら病院かな? 部屋の雰囲気がそれっぽい。あの後リィーナとビスケが病院に搬送してくれたんだろう。それはともかくまずは現状を把握しなくては。身体の状態は、と。

 

 ……四肢や指に欠損はなし。神経も問題ないようだ。骨は数えるのが馬鹿らしくなるくらい折れている。全身ギプスと包帯でぐるぐる巻きだ。まさにミイラ女。でもくっ付きかけてるのもあるな。

 内臓はかなり損傷。いくつか破裂しかかっていたようだ。内出血、および擦過傷はわからない。ギプスで見えないし、そういった感覚もない。もしかして自然治癒したか?

 傷の治り具合、腹の空き具合からして細かくは分からないけどかなり眠っていたようだ。

 

 とにかくここが病室ならコールボタンがあるはず。何とかして人を呼ばなきゃ。どうやらさっきので点滴も外れてしまったようだし。

 と、そんな時に部屋の外に人の気配。この気配はリィーナか、これは都合いいな。

 

「先生、失礼しま――!?」

「リィーナ。良く来てくれた」

 

 私を見て驚愕するリィーナ。その後歓喜の表情へと。分かりやすいなぁこの子は。

 

「先生! お目覚めになられたのですね!!」

「ええ、たった今ですが。……ところでここはどこ? あれからどれだけの時間が経ったんです?」

 

「はい。ここは試験会場近くにある病院です。先生はあの決闘の後、1週間も眠られていたのです」

 

 1週間? 寝すぎだろ私。いや、そんな事よりもネテロだ! あいつはどうなった!? 生きてるのか、それとも……!

 

「ネテロは? ネテロはどうしている? あいつもここに入院しているのか?」

「ネテロ会長は、もう……」

 

 ――! ……リィーナの表情を見ればその先は聞かなくても分かる。

 そう、か……。勝手に逝くなよ。馬鹿野郎……。

 

「もう、勝手に自主退院してしまいました」

「……はぁ?」

 

 いやいや、何言ってんのこの子? え? 死んだんじゃないの?

 

「そうだ。先生が目覚めた事をビスケにも教えましょう! あの子もとても先生の事を心配していましたよ。……まあ、一応ネテロ会長にも伝えておきますか。気にしていましたからねアイツも」

「いやいやいやいや。ちょっと待て」

 

「はい? ああ、やっぱり会長には伝えないようにした方がいいと?」

「違うよ! ネテロ生きてるの!?」

 

「ええ勿論。ぴんぴん……とは言えませんが、2日ほど前に目覚めてます」

 

 何だそりゃ! 私の悲しみを返せ! 全く、思わせぶりな言い方と表情をしおってからにこの子は。そんな私の心の声を余所にリィーナはビスケに連絡を取ると言って退出していった。

 

 ふう。そうか、生きているか。それなら良かった。あんな夢が現実になるなんて嫌だぞ私は。

 安心してきたからか。……少々生理現象が私を襲ってきた。……右足動かない、左足動かない、右腕左腕同じく。

 やべぇ。

 

 いや諦めるな! ここで諦めたらお終いだぞ!? この歳でお漏らしだなんてそんなのは絶対に嫌だ!

 ……精神年齢百云十歳でオシメ替えてもらってたけどね! でもあれは赤ちゃんだからノーカウント! まともに動ける歳でそれは御免こうむる!

 全身をオーラで強化して這ってでもトイレに行くぞ私はぁ!

 

 

 

 結論、尊厳は守りました。でもトイレを出た後痛みで悶えてるところをリィーナとビスケに発見されて怒られました。

 しかも寝ている間は下の世話を看護師だけでなくリィーナとビスケもしていた事を知りました。

 

 ……Please kill me。

 

 

 

「まあ、無事で何よりだわさ」

「……」

 

「先生、まだ治ってないんですから危ない事をしては駄目ですよ」

「……」

 

「ネテロのジジイは内臓関係はアイシャよりぼろぼろで肋骨もほぼ全損してたけど、四肢は無事だったから勝手に抜け出したわさ。困ったものよね」

「……」

 

「全くです。先生が目覚めた事は一応伝えておきましたのでその内来訪するでしょう」

「……」

 

「いや、仕方ないじゃない。あんたずっと眠ってたんだから。いい加減機嫌直しなさいよ」

「……お前達には分からないでしょう。自分よりも遥かに年下の弟子とその親友に下の世話をされた私の気持ちは」

 

 せめてこの身が老人ならまだ納得いったのに。ああ、リュウショウに戻りたい。切実に戻りたい。

 

「と、とにかく先生! 決闘お疲れ様でした!」

「そ、そうね! ほんとお疲れ様。あれ程の決闘に立ち会えた事に感謝するわさ!」

 

 話題を変えようとしてるのが見え見えだけど……はぁ、仕方ないか。世話してもらって文句ばかり言うのも不義理だしね。

 

「ええ。私もネテロと最後までやり合えた事がとても嬉しいですよ。次は負けない様に一層励まなければならないですね」

「何を仰るのですか先生。あの決闘、勝利したのは先生でしょう」

 

 はは、弟子の想いは嬉しいけど、あれで勝利とは――

 

「いやいや、何言ってんのよリィーナ。どう見てもジジイの勝ちでしょ? アイシャの方が重傷なんだし」

 

 ……あれ? なんか空気おかしくない?

 

「ビスケこそ何を言っているのですか? ネテロのクソジジイはあなたの【魔法美容師/マジカルエステ】がなければオーラの枯渇で死んでいたでしょう? それに比べて先生は通常の医療行為のみで回復されてます。差は明らかでしょう」

 

 リ、リィーナさん? どうしてオーラが強まってるの?

 

「別にあれは念の為にした事だし。アイシャにもしたけど無効化されただけだし。それでじじいの負けって決められてもねぇ? どちらが多く相手にダメージを与えたかは明白でしょ」

 

 ビスケさん? ここで練をする必要はないんじゃないかな?

 

「……思えばあなたとは久しく決闘していませんでしたね」

「……そうね。手合せぐらいはしてたけど、決闘とまではいかなかったわねぇ」

 

「確か私が126勝102敗で勝ち越していましたね?」

「それ私が本気出してないのも含んでいるわよね? 本気の決闘なら大体五分五分でしょ?」

 

「大体、ですけどね」

「……上等よ」

 

 ……うん、大丈夫か。言葉だけ聞くとあれだけど、オーラに互いを悪く思っている感じはない。まあこれも仲の良い証拠だろう。

 でもここで本当に暴れられても困るから釘は刺しておこう。

 

「2人とも、仲がいいのは分かったから少し落ち着いて。病院ですよここは」

「も、申し訳ありません先生」

「あ~、悪かったわさ。ちょっと羽目外しすぎたわさ」

 

 うんうん、分かればいい。

 それはそうと聞いておかなきゃならない事があるな。

 

「そう言えば、ハンター試験はどうなったのですか? 私のライセンスってあるんですか?」

 

 ゴン達はハンター試験に合格出来たんだろうか? 合格出来てるといいんだけど。

 私は引き分けだからライセンスはなし、てな事になってたら面倒だな。来年もう一度受けるのも何だし。でもハンターライセンスは正直欲しい。

 あれがあれば色々便利だ。調べものをするにも通常のインターネットで調べても分からない裏の情報も得る事が出来やすい。グリードアイランドを入手するのに使えるかもしれないし。

 

「ご安心ください先生。先生のハンターライセンスはきちんと発行されております。これで先生も私と同じプロハンターですね」

「おめでとうアイシャ。一応この道の先輩として聞きたいことがあるなら色々教えるわよ?」

「2人ともありがとうございます。……リィーナ、あなたプロハンターだったんですか?」

「はい。黒の書を探すのにライセンスがあった方が何かと便利と思いまして」

 

 なるほど。でもそれでも見つかっていない……情報が出回っていないって事はコレクターが所有してるわけではないのか? マニアとかコレクターなら自分の集めた品を誰かに自慢したがるだろうし。そしたら自然と情報は洩れるはず。人の口に戸は立てられないものだ。

 うう、誰が持ってるんだ私のブラックヒストリー……見つけ次第焼却処分してやる!

 

「さっきビーンズに連絡しておいたから。アイシャが退院する時にライセンスを持って来てくれるそうよ」

 

 退院時か。重傷人にライセンスを渡したりしないのはこちらを考慮してくれてのことかな? 早く退院したいなぁ。ゴン達にも会いたいし。電話番号聞いてたら良かったよ。

 

「邪魔するぞいアイシャ」

 

 ん? ネテロか。本当に生きてたか、良かった良かった。枯れ木のようになってた身体も元に戻ってるし。

 

「元気そうで何よりですネテロ」

「そっちもな。零を喰らって無事だなんて正直驚いたわい」

「無事なもんですか。あんなのは二度と御免です」

 

 いや本当に。ネテロと戦うならあれは禁じ手にしてもらわにゃいかんですたい。

 

「安心しろ。ワシもあんなのは早々使いとうないわい。ビスケがおらなんだら死んでおったわ。……死ねばオヌシと戦えんからのぅ」

「いや、死んでも戦えるかもしれませんよ?」

「お前と一緒にするな阿呆!」

 

 それはそうか。普通転生なんて出来るわけないしね。

 

「それよりもネテロ。あなた退院したと聞きましたが、傷は大丈夫なんですか?」

 

 見たところ表面上は普通だが、ネテロの怪我の殆どは内部だ。肋骨と内臓は私よりも重症のはず。

 

「ん、まぁな。正直かなり堪えてるが、四肢が無事なのが幸いじゃ。会長の仕事をする分には問題ないわい」

「それならいいのだけど、無理はしないように。内臓関係は身体に響きますよ?」

「心配ないわい。ワシよりもアイシャの方が重傷なんじゃ。人の心配よりも自分の怪我を治すことに専念するんじゃな。医者が言うには全治半年との事じゃが、オヌシならひと月程度で十分じゃろう」

 

 私はネテロの最後の一撃のせいで全身の骨がボロボロだからな。しばらく動けそうにない。とりあえずしばらくは点と纏、そして絶をしながら体を休めよう。

 

「そう言えば先生は世界を巡ると仰っていましたが、どこへ行くかもう決められているのですか? もし行先が未定ならば是非一度道場へと」

「行先はまだ決めていませんが、道場に顔を出すのはまだ無理ですよ」

「そ、そんな……!?」

 

 いやそこまで残念がらなくても。

 

「私にも予定があるのです。行先もライセンスを手に入れ次第調べます」

 

 とりあえずグリードアイランドについてハンターライセンスで調べよう。通常のネットでは情報に殆ど規制がかかっている。でもプロハンター専用サイトならもっと詳しい情報が手に入るに違いない。

 

「予定? それは一体どの様な?」

「はい。その予定はもちろん――」

 

 ごくり、と誰かが生唾を飲んだ。

 一拍置いてから私の目的を話す。

 

「男に戻――」

『――それは勿体ない(わい・です・わさ)!!』

 

 突っ込み速いなおい!!

 

「な、何故ですか!? 私は元々男ですよ!? 男に戻ろうとして何が悪いと言うのですか!?」

「何を言うか! 元が男とはいえ転生後の性別が女性である事に変わりはない! ならばそれは天命なのじゃ!」

「そんな愛らしいお姿なのに男になるなど勿体ないです! 今回ばかりは会長に賛同です!」

「リィーナの言うとおり! わざわざ男にならなくても十分生きていけるわさ!」

「そもそも女として生まれ育てられたことに対し、郷に入っては郷に従え、と言ったのはアイシャではないか!」

 

 う!? 全員でまくし立てる様に責め立てるなんてあんまりだ! くそう! 負けるものか! 絶対に男に戻ってやるー!

 まずはとっとと退院だ! 強化系で治癒能力でも作ってりゃよかったよ!

 

 

 

 というわけで退院しました。

 いやぁ、バキバキに折れた骨が完治するのに3週間近くかかったよ。医者は化け物か? とか言ってたけど。失礼な、それはネテロに言ってくれ。

 ネテロの奴はハンター協会の仕事に追われているようだ。勝手に1週間ほど休んだから溜まっていた仕事以外に副会長とやらの仕業で仕事がさらに増えたらしい。おかげで私のところにはあれ以来一度も顔を出していない。

 

 リィーナも道場へと帰った。私を置いていくのに物凄く抵抗があったようだが、ビスケに強引に連れられて道場本部へと強制送還された。

 まああまりに長いこと道場から離れるわけにはいかないしね。トンパさんも待っている事だし。いや、トンパさん的にはリィーナが帰ってこない方がいいんだろうけど。

 

 3人とも最後に顔を合わせた時は男への性転換なんて絶対にNO! と釘を刺して行きやがった。この病院の医師にも性転換手術をしない様に徹底して言いつけているようだ。あの様子なら世界中の手術可能な医師全員に通達してそうで怖い。

 だが残念だったな! 私の性転換の方法は手術などではない! 手術では性転換出来ても完全に男になれる訳ではないからな! まあ、調べた限りではヤる事は出来るみたいだけど。

 

 とにかく私が目指すのは完全なる男性化だ。さっさと荷物をまとめて病院から出るとしよう。と、いったところでビーンズがやってきた。どうやらハンターライセンスを持って来てくれたようだ。

 

「わざわざすみません。病院まで来てくれるなんて」

「いえ、アイシャさんには会長がお世話になりましたし。……その件は本当にご迷惑をお掛けしました。治療費並びに入院費はこちらで全額負担させて頂きます」

 

 え? それは何か悪いな。入院したのはお互い様だし。

 

「お互いに合意の上での事ですから、それには及びませんよ?」

「大丈夫ですよ。協会からではなく会長個人のお金ですから」

 

 ……それで大丈夫ってのは秘書としてどうなんだビーンズ? いや、ハンター協会会長の秘書としては間違っていないのか? 協会の金を私事に使用しないという意味では。

 

「そ、そうですか。ではありがたく受け取らせてもらいますね」

「ええ、どうぞご遠慮なく。それではハンターライセンスについて説明しますね」

 

――豆男説明中――

 

「以上です。これであなたも新たなプロハンターとして認定されました。また、アイシャさんは念能力を修めているので裏ハンター試験も合格となります」

「ありがとうございます」

 

 おお、これで私もプロハンターか。

 おっと、感慨に耽っている場合ではない。ゴン達がどうなったか聞かなきゃ。

 

「あの、ゴン……他の受験生はどうなったのですか? 誰が合格して誰が不合格になったのか聞きたいんですけど」

「ああ、合格者……というより不合格者を教えた方が早いですね。不合格者は1人だけ、それ以外の方は皆……死亡した1名を除き合格されています」

 

 え? 不合格はたったの1人? だったらみんな合格してるかもしれないな。でも死者が出たのか。ゴン達の誰かが死んだ可能性もあるのか……。

 

「不合格者は、受験番号100番のキルアさんです」

「! ……キルアが不合格? 何故です? 彼ほどの実力の持ち主がそう簡単に不合格になるとは思えません」

 

 最終試験がペーパーテストとかなら話は別だけど。

 

「……反則による失格です」

「……詳しく聞かせてもらえますか」

 

 反則? いったい何をしたんだキルア? そもそも最終試験の内容もルールも知らないから何が反則かも分からない。くそ! 【原作知識/オリシュノトクテン】が使えたら! ……いや、既にその知識とは乖離している可能性の高い世界だ。意味はないかもしれないな。

 とにかく、今はビーンズの話に集中しよう。

 

 

 

 

 

 

「それでは最終試験を始めます。私は最終試験の試験官を務めるノヴといいます。以後よろしく」

 

 ノヴさんに試験官を任せて会長は何をしているんでしょう? 全く、会長の気まぐれにも困ったものです。しかし、自分で決めた試験だというのに他人に試験官を任せるなんて、面白いことが好きな会長にしては珍しいことですね。本当に何があったのでしょうか?

 

「試験内容は1対1のトーナメント形式で行う。組み合わせはこれです」

 

 意地が悪い組み合わせですね、会長らしいといいますか。

 案の定皆さん驚いていますね。まあこんなに偏った組み合わせなら当然でしょう。ですが会長の意地悪さは組み合わせだけでなく試験のルールに表れているんですよね。

 

「最終試験のクリア条件は至って単純。たった1勝で合格です。つまりこのトーナメントは勝者が次々と抜けていき、敗者が上に昇っていくシステムです。……何か質問はありますか?」

「つまり不合格者は1人と?」

「その通りです」

「組み合わせが公平でない理由は?」

「この組み合わせは今まで行われた試験の成績を元に作られています。成績のいい者にチャンスが多く与えられている訳です」

「ちょっと待ってくれ。どうしてその組み合わせの中にアイシャの……401番の番号がないんだ?」

 

 やっぱりそれを疑問に思いますよね……はあ、説明するのが億劫ですねぇ。みなさんが素直に納得してくれればいいのですが。

 

「それについては私から説明します。受験番号401番のアイシャさんは最終試験前に合格をいたしました。よって最終試験は免除されています」

 

 この言葉の後にざわめきと驚愕の声が室内に響く。さすがにそうなりますよね。

 

「どういう事だ? 納得のいくように説明してもらいたい」

 

 ……ですよね。……これを納得させなきゃならないなんて。会長、恨みますよ。

 そもそも誰もがプロハンターになりたいから試験を受けているのです。凄まじい倍率を誇り、年に1人の合格者すら出ない年も珍しくないのがプロハンター試験。そんな受験生の誰もが望む合格を、最終試験を受けずに得ることが出来るなんて簡単に納得出来るわけがありません。

 

「皆さんお静かに。……アイシャさんは会長とのゲームに勝利したため合格とみなされました」

「ゲームだぁ? 何だそれは?」

 

 いえ、私も知りませんよ。ただ会長からこう言えば大丈夫じゃとか言われただけですよ。これで納得してくれるなら苦労なんて――

 

「あ! キルア、あの時のゲーム!」

「……マジかよ。つまりアイシャの奴あのじじいからボール奪ったのか?」

 

 あれ? これで本当に通じるとは。さすがは会長と言いますか。……でも今苦労しているのも会長のせいなんですよね。

 

「どういう事だゴン、キルア」

「実はね――」

 

 ……なるほどそんな事が。そのような遊びで合格にするなんて。

 まあ会長からボールを奪えるなんてかなりの実力者ですけど。不用意にそんな約束をするからいけないんですよ。これを機に少々反省してもらいましょう。

 ……どうせどんなに愚痴っても意味ないでしょうけどね。

 

「皆さんご理解いただけましたか? 納得は出来ないかもしれませんが、会長自身が約束したことです。アイシャさんの合格は決定事項です」

「話を戻しますよ。トーナメントの戦い方ですが、武器使用可、反則なし、相手にまいったと言わせれば勝ちです。ただし、相手を死に至らしめた者は即失格です。その時点で残りの者が合格となります」

 

 上手くノヴさんが話を最終試験に戻してくれたので皆さん納得はしてないかもしれないけど、アイシャさんのことについては言及されずにすんだようです。

 

「それでは最終試験を開始します」

「第1試合! ハンゾー対ケンミ!」

 

 ……素晴らしい実力の持ち主ですねハンゾーさんは。これで念能力に目覚めたなら1流のプロハンターになる事も可能でしょう。ぜひとも頑張ってもらいたい。

 ケンミさんもかなりの実力者、どうやら風間流の使い手のようですね。ですが、ハンゾーさんには及ばなかったようです。まだチャンスはあるので合格できるといいですが。

 

「第2試合! ゴン対ヒソカ!」

 

 これは……実力差は圧倒的ですね。私程度が見ても現時点でゴンさんがヒソカさんに勝てるとは思えません。善戦はしていますが、遊ばれていると言った方が正しいでしょう。

 

「ゴン。今のキミじゃボクには勝てないよ♣」

「分かってるよ! でも、ぜぇ~ったいにまいったなんて言わないもんね!」

「ククク、ああ、分かってるさ。だから――まいった♠」

 

 え? ヒソカさんが降参した? 何故?

 ……いえ、このような試験のルールでは案外良い手なのかもしれませんね。どうもゴンさんは頑固そうな様子です。素直に負けを認める可能性は少ないでしょう。無駄な時間を掛けるよりもさっさと次の相手を降参に追い込んだ方がマシという判断でしょうか。

 

「え?」

「まいった。降参だよ。キミの勝ちだ、合格おめでとう♦」

「な、なんで?」

「だってキミ諦めないでしょ? だったら次の試合で合格するよ」

 

 やはりそうでしたか。しかし、これは次の対戦相手であるボドロさんが貧乏くじを引くことになりましたね。

 

「そんなの納得出来るわけないよ!」

「仕方ないなぁ。……今のキミは相手にするまでもない。もっと美味しく実ったら収穫してあげるから頑張って修行しておいで♥」

 

 そう言いながら凄まじい一撃でゴンさんを殴り飛ばした! ……ゴンさんはどうやら気絶したようだ。気絶してしまえば文句も言えませんよね。

 

「というわけで審判。ボクの負けを宣言するよ♣」

 

「第3試合! ケンミ対クラピカ!」

 

 これはクラピカさんの辛勝ですか。ケンミさんはハンゾーさんに腕を折られたのが痛かったですね。それがなければケンミさんが勝利していたかもしれませんが。

 このトーナメントでは負けても次のチャンスがあるので負けるにしてもダメージを少なくして負けた方がいいのですが、そう簡単に降参する人がここまで残るとは思えませんし。

 本当に意地が悪い試験を考えるなぁ会長は。

 

「第4試合! ヒソカ対ボドロ!」

 

 これはまた一方的な試合ですね。ボドロさんも諦めていないようですが、ヒソカさんには勝てそうになさそうです。それにしてもヒソカさんはゴンさんに対して本当に手加減していたのですね。そう思えるほどにボドロさんが痛めつけられています。

 ん? ヒソカさんがボドロさんに耳打ちをするとボドロさんが負けを認めた。いったい何を言ったのでしょうか。

 

「第5試合! ケンミ対キルア!」

 

 キルアさんのいきなりの戦闘放棄。戦う気がしないから負けを宣言するなんて。次で合格できると踏んだのでしょうか?

 

「第6試合!――」

「――ちょっと待ってくれ」

「……なにか?」

「俺の対戦相手はボロボロだ。少しでも休む時間を与えたい。だから先に次の試合をやってくれねぇか?」

「……レオリオ殿」

 

 なるほど。レオリオさんは心優しい人のようですね。このような人がハンターになってくれると私も嬉しいですが。

 

「いいでしょう。多少順序が変わっても問題ありません」

「レオリオ殿、かたじけない」

「良いってことよ。ただし、試合じゃ手加減はしないぜ」

「望むところよ」

 

「第6試合! キルア対ギタラクル!」

「久しぶりだねキル」

「!?」

 

 これは!? ギタラクルさんが顔の針を抜くと容姿がどんどんと変わっていく! どうやらギタラクルさんは念能力者のようですね。この現象は念以外では説明がつきません。

 

 

 

 ……なるほど、ギタラクルさんはキルアさんの実の兄でしたか。しかし熱を持たない闇人形。人を殺した時のみ喜びを覚える、ですか。会長もゾルディック家の人とは面識がありますが、その中の1人、ゼノさんは家業を継いで以来仕事以外で人殺しはしたことがないと言っていたらしいですが? 聞く限りでは結構人間味もある方との認識だったんですけど。

 

「ゴンと……友達になりたい。もう人殺しなんてうんざりだ。ゴンと……ゴンと、レオリオと、クラピカと……アイシャと友達になって、普通に遊びたい」

「無理だね。お前に友達なんて――」

「――ふざけんな!」

「ん?」

「何言ってやがるキルア! ゴンと、俺達と友達になりたいだって!?」

「あ……」

「寝ぼけんなよ! 俺たちゃとっくにダチだろうが! ゴンだって、アイシャだってそう思ってるはずだ!」

「その通りだキルア。私達は苦楽を共にした仲間だろう?」

 

 ……いいですね。友情というものは。あのような圧倒的実力者を相手にタンカを切れるなんて、簡単ではありません。それなのに友の為に怒り、それを素直にぶつけられるなんて。キルアさん、そういう友達は本当に少ないんですよ。良かったですね。

 

「そっかまいったな。キミたちはキルの事を友達と思ってるんだ。……401番も?」

「たりめーだ!」

「うーん。仕方ない。キミたちを殺そう……と、キミたちを殺したら不合格になっちゃうか。それは困るな。仕事の関係上オレには資格が必要だし、オレが落ちたら自動的にキルが合格しちゃうしね。そうだ! まず合格してからキミたちを殺そう!」

 

 ここまで簡単に人を殺そうとするなんて、ゾルディック家は何とも恐ろしく、悲しい教育をしているんですね……。

 

「それなら仮にここの全員を殺しても、オレの合格が取り消されることはないよね?」

「ええ。ルール上は問題ありませんね」

「聞いたかいキル。オレと戦って勝たないと、友達を助けられない。友達のためにオレと戦えるかい?」

 

 ……結局、キルアさんは負けを認めた。

 仕方ない事でしょう。あのプレッシャーの中、圧倒的実力差の相手に対して勝とうと思うのは無理というもの。

 そして次の試合。レオリオさんとボドロさんの試合開始と同時にキルアさんがボドロさんを殺害。キルアさんの不合格が決定してしまった……。

 

 

 

 

 

 

「というわけです」

「……」

 

 そう、か。そんな事があったのか。私がその場にいればあの顔面針男をぶっ飛ばしていたのに! それにキルアが私とも友達になりたかっただって? なんて嬉しいことを! レオリオさんといい、私に2人目の友達が! いや、話を解釈するにゴンやクラピカさんも私を友達と思ってくれてるかも!?

 もう何も怖くない! ゾルディックだろうがなんだろうがかかってこい!

 

「アイシャさん?」

「ああ、すいません。……今ゴン達はどうしてるか分かりますか?」

「説明会での会話を聞く限りではどうやら実家へと帰ったキルアさんを連れ戻しにゾルディック家へと赴いたようです」

 

 何だって! 彼らの実力でゾルディック家に行くなんて自殺行為だ!

 

「いつです!? 彼らはいつゾルディック家へ!?」

「説明会が終了してすぐです」

 

 つまり3週間前に出たと。……く、もしゾルディック家と敵対していた場合絶望的だ。生き残っている可能性は極わずかだろう……。

 でも、それでも行くしかない! 彼らは私の友達だ! 友達を助けないでどうする! わずかでも可能性があるならそれに賭ける!

 もしゴン達が殺されていたら……その時は――!

 

「ありがとうございましたビーンズ。私は急ぎますのでこれで失礼します」

「……まさかゾルディック家に行く気ですか?」

 

 その言葉には答えずに私は空港に向かって全力で走って行った。

 ……途中で空港の位置が分からずタクシーを拾ったのは言うまでもない……。

 

 

 

――ゴン達の現在位置――

 

 ゴン&キルア……ヒソカより強くなるために天空闘技場へ。現在飛行船で移動中

 クラピカ……雇い主を探すためまずは情報屋へ。現在汽車にて移動中

 レオリオ……国立医大に受かる為故郷に戻って勉強を。現在船にて移動中

 

 

 

――とある老人の秘匿回線――

 

「――久しぶりじゃの――うむ、ワシじゃ――いや、仕事の依頼ではない。少し聞きたいことがあってな」

「――うむ、2、3週間ほど前にそちらに数名の男性、1人は少年じゃの。名前は――そう、キルアを連れ戻しに行った奴らじゃ。そ奴らまだ無事か?」

「――いやいや、心配しとるのはそ奴らではなくての。確かに有望株な連中じゃが、プロの名目を抱いたからには自分の命は自分で守るもの。ケツの青いひよっこの尻拭いなどせんよ」

「――そうか、キルアを連れて旅立ったか。それなら良かったわい。血を見んですむのぅ」

「――そう、心配しとったのはおぬし等じゃよ。もし彼らの誰か1人でも死んでおったなら……ゾルディック家に香典を送らねばならなかったかもしれんからの」

「――はて、何のことかのう? そうそう、近々お前んとこにアイシャという少女が赴くことになっとるんじゃが、くれぐれも粗相の無いようにもてなしてやってくれんか? まあ、嫌なら構わんが――ほっほ、すまんのう」

 

 

 

 




おまけ

――ネテロとの面談――

・ヒソカ
一番注目しているのは?

「アイシャ♥ 彼女以外考えられないね。早く戦いたいよ♣」

今一番戦いたくないのは?

「それは……100番だね。412番も美味しく育つかもしれないけど……うーん、甲乙つけがたいや♦」

・キルア
「ゴンだね。あ、412番のさ。同い年だし」
「……401番かな。女殴るのもあれだし……ンだよ! 文句あんのかよ!」

・ボドロ
「44番だな、いやでも目につく」
「412番と100番と401番だ。女子供と戦うなど考えられぬ」

・ギタラクル
「100番」
「44番……401番」

・ケンミ
「401番ですね。女性でありながらここまで来れたのは素晴らしいと思います」
「それも401番ですね。女性に武を揮うのは躊躇われます」

・ゴン
「一番気になってるのは401番のアイシャかな」
「う~ん。100・401・410・411番の四人は選べないや」

・ハンゾー
「401番だな。下手すりゃ44番よりやばいかもしれん」
「戦いたくないのは44番だな。」

・クラピカ
「いい意味で412番、悪い意味で44番」
「理由があれば誰とでも戦うし、なければ誰とも争いたくはない」

・レオリオ
「401番だな。恩もあるし合格して欲しいと思うぜ」
「そんなわけで401番とは戦いたくねーな」

最終試験受験生
44番ヒソカ    原作44番
100番キルア   原作99番
195番ボドロ   原作191番
299番ハンゾー  原作294番
306番ギタラクル 原作301番
368番ケンミ   原作362番
401番アイシャ  原作何それ美味しいの?
410番レオリオ  原作403番
411番クラピカ  原作404番
412番ゴン    原作405番


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十話

 飛行船に乗ること3日、空港からさらに汽車で移動し、ようやく伝説の暗殺一家ゾルディック家があるデントラ地区へと到着した。

 ここから見える死火山、ククルーマウンテンの麓にその道では有名な正門・試しの門がある。ここまで来ればあとは麓に向かって道なりに進むだけだ。道中観光バスが出ているらしいが時間が惜しい。走った方が早い。

 

 この3日、気が気ではなかったんだ。さすがに空中をオーラで移動出来るとはいえ飛行船で3日かかる距離を移動し続けることは出来ない。そもそもあれは瞬間的にオーラを放出する事でその場からブーストダッシュしているのであって、飛行している訳ではないからな。

 とにかく、飛行船で移動している間は待つことしか出来なかった。仕方ないのでしばらく入院してなまった体をほぐしていたけど。……もしかしたら全力を出す必要があるかもしれないからな。

 

 

 

 ククルーマウンテンに向かう道を道沿いに走り続けると、やがて巨大な門が見えてきた。これが試しの門か。この門の先は全てゾルディック家の敷地というわけだ。

 門の横に小さな小屋があるな。中には人もいるみたいだけどあのおじさん、守衛さんか何かか?

 

 ……それはなさそうだ。こう言っては何だがそこまでの実力者ではない。あのゾルディックの門を守るともなればそれなりの実力者を置くだろう。

 どうやら私に気付いたみたいだ。ちょうどいい、この人ならゴン達の事を知っているかもしれない。話を聞いてみよう。

 

「あ~、キミ、こんな所で何をしているんだい? ここは危ないから帰った方が……ああ、確かあと1時間くらいで観光バスが来るから、それに乗って帰りなさい」

 

 ……優しい人だな。こんな場所にいる得体のしれない者を心配してくれるなんて。

 でも、そういうわけにはいかないんだ。

 

「すいません。少しお聞きしたいのですが、今から3週間ほど前にここに……3人ほどのプロハンターが来ませんでしたか?」

「ん? ああ、ゴン君達か。うん、確かに来ていたよ」

 

 やっぱり来ていたのか。もしかしたら考え直したとかを期待していたけど。

 まあ、来てないって言われても納得していなかったかもしれないが。

 

「彼らはまだゾルディック家にいるのですか?」

「……お嬢さん、お名前は?」

 

 名前? なぜ名前を確認するんだろう?

 

「アイシャといいますが……」

 

 名前を知る事で発動条件を満たす念能力もあるだろうが……まあいい。恐らくこの人は念能力者ではない。仮に念能力者だったとしても、この条件で発動するタイプの能力は私の【ボス属性】で無効化できる物が多いはず。

 名前を知るだけが条件では効果も低いものにしかならない、教えても問題はないだろう。

 

「――! そうですか、あなたが……失礼しました。少々お待ちください」

 

 へ? なんでいきなり敬語になるの? しかも私のことを知っている様子。いったいどういうことなの? 疑問に思う私を置いて小屋の中に入っていくおじさん。

 何やら電話をしているようだけど……。

 

「お待たせしました。中で旦那様方がお待ちになっております」

「――は? 何を言っているのですか? それよりも先程の質問に答えてもらえませんか?」

「申し訳ありません。私の口からは何も話すことは出来ません……そう、言いつけられておりますので」

 

 そう言いながら悲しそうに顔をしかめるおじさん。この人はゾルディックに雇われている身だろう。雇い主、しかもゾルディック家の命令に逆らえるわけがない。

 

 とにかく、3人の事を知りたければ中に入ってこい、と。

 私のことを知っていたのも、恐らくゴン達から聞き出した情報……くっ! もしかしたらひどい拷問でも受けたのかもしれない!

 あの3人がそう簡単に人を売るとは思えない! 相手は暗殺一家だ、有り得ない話じゃない。……もしそうだとしたら――!

 

「分かりました。中に入ればいいのですね」

「申し訳ありません。ただ今屋敷の執事の方がこちらに迎えに来ていますので、少々お待ちを」

「いいえ、それには及びません」

 

 扉の前に立ち、全身にオーラを籠めて強化する。門に手を当て、ゆっくりと門を押す。

 ゾルディックよ。もしゴン達がひどい責め苦を負うていたならば、もし、その生命が失われていたならば――!

 相応の代償を払ってもらうぞ!

 

 ゆっくりと、だが確実に門が開いていく。後ろから息を飲む音が門が開く音に混じって微かに聞こえる。

 それも当然だろう。門を開く力が強ければ強い程、それに応じて大きい扉が開く作りだったはず。目の前で私のような少女が全ての門を開いているのだ。驚いて当然の事だろう。

 

「な、なんと……」

「時間が惜しいので、こちらから出向きます。それでは失礼しますね」

「あ……そ、そうだ、山に向かって道なりに進んで下さい! そうすればお屋敷に辿り着くはずです!」

 

 その言葉に頷きを以て返し、私は山に向かって歩き出した。

 

 

 

 ……視られている。試しの門を越えてから感じる僅かな、本当に僅かな視線。

 私でも気付きにくい程の絶、何という気殺。この隠行はネテロにすら匹敵するかもしれない。さすがはゾルディックか。伝説の暗殺一家の名に恥じないなこれは。

 

 仕掛けては……来ない、か。隙を窺っているのか? どうやら見に徹しているようだ。このまま仕掛けてくるまで無視してもいいけど、この実力だと恐らくゾルディックの一族に連なる者だろう。

 だったらこの人に話を聞いた方が早いか。ゾルディック家の人ならばゴン達のことを知っているはずだ。

 素直に話すとは思えないが、何もしないよりはマシだ。質問に答えてくれたならそれに越したことはない。

 相手が初めから私と敵対するつもりなら仕方ない。その時は全力で戦うまでだ。

 円で確認したところ周囲1㎞に他の人はいない様だ。もし敵対した場合は多対1になる前に出来うる限り人数は減らした方がいい、か。

 

 ……私への監視が弛んだ! 今が好機!

 

 

 

 

 

 

 3日前、ネテロのジジイから電話があった。何でも近々アイシャという少女がこの家を訪問するらしい。

 その少女を丁重にもてなせと来たもんだ。あの電話での口振りからするとその少女はキルを連れて出て行った3人組と親しいようじゃ。その3人に危害を加えていたらゾルディック家が多大な被害を被っていたやもしれんとのこと。

 

 あのジジイがワシらの力を過小評価するとは思えん。つまりその少女はワシらをも上回る程の実力者――の庇護下にあるということ。

 恐らくはジジイ本人。確かにあのジジイは強い。奴のオーラの流れから次の一手を読むことはワシにも出来んし、【百式観音】に至っては避けることも不可能。

 あれとまともにやり合うくらいならシルバが言うとった旅団とやらとやり合った方が千倍マシじゃろうな。

 

 アイシャとやらを傷つけたらネテロがワシらと敵対する。そう受け取った方が納得のいく話じゃが、ネテロの話を解釈するにそれはしっくりこない。どちらかというなら、その3人を傷つけられて激怒したアイシャがワシらを害する、と解釈した方が妥当な話し方じゃった。

 つまりその少女はワシらを害する程の実力を持っているということ……それが正しければネテロにも匹敵する可能性もあるということじゃ。

 少女というからには相応に若いだろうに、そのような実力を持っているとは思えんな、普通は。

 ……見た目だけで実はネテロより年上とかじゃねぇのかそれ?

 

 とりあえず家族・執事を含めたゾルディックの敷地内に居る者にはアイシャという少女が来た場合は丁重にもてなせと通達はしておいたが。

 あのジジイがあれほど念を押して言うほどの相手じゃ。警戒しておいて損はないだろう。相手がワシらを害するつもりで来るなら話は別じゃが、無駄に敵を増やすつもりもないわい。下手するとあのジジイを敵に回す可能性もある。

 それにネテロがそこまで言うほどの少女に興味がないと言ったら嘘になるしの。

 

 

 

 そろそろ件の少女が訪問する頃じゃろう。パドキア共和国に入国する船の名簿にアイシャという名が載っているかミルに調べさせたところ、本日入国の飛行船にその名を確認したようじゃ。

 ここでアイシャとやらが来るのを待ってもいいが……やはり気になるな。どれ、門の近くで潜み、どれほどのモノか観察させてもらうとするか。

 

 ほう、大したものじゃ。見たところオーラで強化してるわけでもないのに7の門まで開きおったぞ? 確かに見た目は少女。年齢は10代半ばから後半といったところか。もっとも、念能力者に見た目の年齢なんぞ有って無いような物だがな。

 穿たずに見ればキルより少し年上の少女。それがオーラで体を強化することなく試しの門を7まで開けるのは正直感嘆するわい。

 

 どうやらネテロのじじいが言ってたのはこの少女がワシらを害するに十分の実力を持っている、という可能性の方が高くなってきたの。力があるというだけでワシらよりも強いとまでは思わんが、身に纏う雰囲気が常人のそれじゃないわい。見に来て正解だったわ。

 ……いや、オーラを纏ってないところを見るに、もしかしたらネテロ秘蔵の弟子なのかもしれんの。これから念能力を修めるとしたら、確かに大成はしそうな才を持っておりそうじゃしの。

 

 ふむ、山に向かって進むか。ミケを見ても動じぬし、肝も据わっているようじゃの。

 目的も果たしたし、ワシは先に屋敷の方に戻るとするか。後は執事共があの少女を案内するじゃろう。

 

 そうしてワシは少女から視線を、意識を外した。

 

 ――瞬間、背後を取られた。

 

「動かないでください。少しでも動けば……」

 

 まさかあの一瞬の隙に背後を取られるとは、な。

 いや、そもそもワシに気付いておったことが驚きじゃ。家業が家業ゆえに気配を消すのは得意なんじゃがな。

 この程度の脅しに屈するつもりはないが、気になるのは少女がワシの背に掌を当てていること。その状態でこの脅し。刃物を当てるなり、どこぞの関節を取るなりするなら分かるが、ただ掌を当てているだけ。

 つまりこの態勢からワシの命を脅かす程の一撃を繰り出せるという事。念か、それとも体術か、はたまた両方かは分からぬが、そう考えた方が妥当じゃろう。

 

「……」

「聞きたいことがあります。素直に答えてくれたら命は奪いません」

 

 ふむ。思考に集中して動かなかったワシを先程の脅しに肯定したと判断したか。

 まあよい。そもそももてなすつもりの客人を監視していた負い目もあるし、聞きたい事とはあの3人組の事じゃろう。隠しておく必要もない。

 

 しかし、ワシの気配を察知し、そしてワシに気付かれぬうちに背後をとる。

 これで見た目通りの年齢ならば末恐ろしいとしか言えんな。

 

 

 

 

 

 

「申し訳ありませんでした!!」

 

 私は現在誠心誠意心を籠めて平謝りしている。

 あの後、縮地を使い老人の背後を取って話を聞いたところ、ゴン達はすでにキルアを連れてさっさと出て行ったとの答えを聞いた。老人のオーラ、そして眼を見ても嘘を言っている様子はなく、ゼブロさん(守衛ではなく掃除夫らしい)に聞いてみたところ、口止めされていたから言えなかった、と謝られた。

 

 老人はともかく、ゼブロさんはオーラの動きで言っている事が嘘か本当かの変化が分かりやすい。恐らく本当のことしか言っていないはず。

 感情の動きはオーラに出やすいんだよね。熟練者なら話は別だけど。細かな感情は分からないけど、動揺した時の揺らぎならわかる。

 

 つまり私のしたことは、客人として招いてくれるはずの家に案内が来る前に乗り込み、その不法侵入者を監視していた家人を武力で脅した、となる。

 ……犯罪者じゃないか!

 

 うう、どうしてこんな事に。

 

「まあ、気にする事はないて。暗殺者のくせに背後を取られるワシが悪い」

 

 ……そういや暗殺一家だったな。確かに強いのだろうけど、意外と人間味があるというか、あんまりそんなイメージが湧かないな。今もこうして私の事を許してくれているし。暗殺者ってからにはもっと殺伐とした雰囲気があるものかと。

 

「不思議そうじゃの」

「え? ああ、その、暗殺者だったら侵入者紛いのことをした私を殺すんじゃないかな、と」

 

 ……かなり失礼な事を聞いている気がする。

 

「ワシらは仕事で殺しをやっておるんでな。無駄な殺生は御免じゃわい。それにおぬしは客人だしな」

 

 仕事で殺し……か。分からないな。どうしてそんなに忌避感もなく人を殺せるんだろう……?

 私には無理だ。戦いの果てに相手を死に至らしめるのなら武術家として許容出来るかもしれないけど……。私が初めからこの世界で生まれ育っていたら理解出来たんだろうか?

 

 ……いや、やめよう。こんなこと考えても意味のないことだ。

 私は殺人とは縁の少ない平和な環境で育ち、この人達は殺人が隣り合わせの環境で育った。彼らの気持ちが理解出来ないのは当然のことだ。

 

 それよりも、どうして私がここに来る事が分かってたんだろう? 客人として招かれる理由が分からない。

 

「……疑問なんですが、どうして私が客人なんですか? ゴン達やキルアから私のことを聞いたとしても、もてなされる理由が分からないのですが?」

 

 私が来るのが分かっていたのはおかしい。ゴン達は私がどこにいるか知らないはずだし。私がゴン達がここに向かったのを知ったのをゴン達が知るのもおかしいだろう。

 

「ん? 聞いとらんのか? ネテロのジジイがおぬしがここに来る事を伝えてきおったのだが」

 

 ……それで、か。あいつめ、ゴン達が無事なのを知っていたな? それでいて私には伝えず、ゾルディック家には私をもてなすよう伝えた、と。

 ふ、ふふふ。初めから私に話しておけばゾルディック家に来る必要もなかったものを! おのれネテロ、この借りは必ず返させてもらうからな。

 

「まあ良い。そろそろ執事共が到着する頃じゃが、ちょうど良い。ワシが屋敷まで案内してやろう」

 

 えっと、ゴン達が無事と分かったらこんな危険地帯からさっさと出て行きたいのだけど……先程の事もあるし、わざわざもてなしの用意もしてくれてる様だし、断るのも失礼か。

 

「分かりました。よろしくお願いしますね」

「……ふむ、暗殺一家に招かれて動じずついてくる。本当に肝が据わっとるの」

 

 いえ、軽い興奮から覚めたら結構内心ビクビクですよ?

 

 

 

 と、いうわけで現在私はゾルディックさんの家に招かれています。

 いやはやなんとも広大な土地をお持ちで。屋敷に着くまでどれほど移動したやら。途中で見かけた大きな家が屋敷かと思ったら執事用の住まいとのこと。

 笑っちゃうくらい金持ちだね。悪い事をすると金が集まるというのは本当なんだろうか?

 

 そうして移動すること30分、ようやく屋敷に到着した。歩いて、ではなく、そこそこの速度で走って30分。何だそれは? どんだけ広いんだこの庭は。下手すれば小さな国くらい入るんじゃないか?

 

 そしてなにより……でかい! これと比べると執事用の住まいが小屋と呼べるほどの大きさだよこれは。屋敷なんて呼んだら罰が当たりそうだ。お屋敷様だねお屋敷様。

 

「着いたぞ。遠慮せんと入るといい」

「……では、お邪魔します」

 

 老人についていくと何人もの執事風の……というより執事なんだろう人達を見かけた。通り過ぎる私達に対して皆一様に頭を下げていたが、どの人も私の一挙手一投足をさりげなく、そして細かに監視していた。

 さすがはゾルディック家の執事という事か、動きやしぐさ1つとってもどの人もかなりの使い手だ。

 私が老人に対して僅かでも敵意を見せたなら即座に自身の命を賭してでも私に立ち向かうだろうことは容易く予想できる。

 

「ここでしばし待っておれ。今飲み物を用意させる」

 

 そうして案内された客間だけど、意外と落ち着いた雰囲気の部屋だった。

 もっと、こう、なんていうか、煌びやかな調度品や美術品に囲まれた豪奢な部屋かと思ってた。まあこっちの方が私は好きだけど。あまり派手なのは好きじゃない。

 でも使われている家具は一級品なんだろう。椅子の座り心地が半端ない。

 ひとしきり座り心地を堪能していると女性の執事が飲み物を持って来てくれた。この匂いは紅茶かな?

 

「心配せんでも毒は入っとらんよ。おぬしのにはな」

「いや、あなたのには入ってるんですか?」

 

 言葉の意味を深読みするとそういうことになるんだけど?

 

「うむ、ワシらゾルディックは飲食物に毒を混ぜるのが習慣でな」

「……想像以上の家ですねここは」

 

 念能力者の最大の弱点、毒を克服してるとか。弱点あるのこの人達?

 私も毒に対する抵抗力を強くしておこうかな? 念能力による毒は【ボス属性】で防げても、通常の毒はそうはいかないしね。念能力者だから多少は抵抗力もあるだろうけど、それにも限度があるからなぁ。

 

「暗殺者が毒殺されるとか洒落にならんじゃろ」

「そういうものですか?」

「そういうもんじゃ。……そう言えば自己紹介がまだじゃったな。ワシの名前はゼノ=ゾルディック。キルアの祖父じゃ」

「ああ、そう言えばそうでしたね。失礼しました、私の名前はアイシャ。姓はありません。キルアとはハンター試験で知り合った仲です」

 

 お母さんの姓……正確にはお父さんの姓を使うわけにはいかない。お母さんの旧姓は知らないし、姓がなくとも不便はないしね。

 

「ふむ……アイシャよ。おぬしあのジジイとどういう関係じゃ?」

「……ネテロのことですか?」

 

 正直に話していい物か少し悩んだけど、言われたくない事ならネテロが釘を刺しておくだろうし、別に私は知られたところで問題はない。

 

「強敵と書いて友と呼ぶ。好敵手と言ってもいいですね。そんな関係ですネテロとは」

「……本気で言っておるようじゃな」

 

 その言葉に頷きを以て肯定の意を示す。ネテロも私の事をそう思ってくれているはずだ。

 

「オヌシ、本当に見た目通りの年齢か?」

「……何歳ぐらいに見えます?」

 

 見た目通りの年齢で見られたことは殆どないけど、恐らくゼノさんが言っている意味は見た目よりも遥かに年上なんじゃないか? ということだろう。

 まあそう思うのは当然だな。この歳であのネテロと渡り合えると言っているのだから。普通は信じられないはずだ。

 

「そうじゃのう。17、8といったところか。見た目はな」

「残念、見た目通りの年齢ではないんですよ」

「やはりそ――」

「――13です」

「……は?」

「ですから、私は今13歳、今年で14歳になります。少し早熟でして、実年齢よりも上に見られるんですよね」

 

 おお、唖然としている。あのゾルディックの人間がこんな顔をしているのを見られるのはかなりのレアではないだろうか。

 

「嘘では……ない、か。いや、末恐ろしいという言葉すら当てはまらんな」

 

 まあ前世の経験丸ごと持って来てますから。でもさすがにそこまで話すつもりはない。これを話すのはあの3人くらいだ。

 話をして喉が渇いたな。冷めない内に紅茶を頂こう。毒が入ってないのは本当だろう。

 

「頂きますね。……あ、美味しいですねこれ」

 

 私は紅茶よりもコーヒー派なんだけど、これは美味しい。こんな美味しい紅茶を飲んだのは初めてだ。コーヒーよりも先にこの紅茶を飲んだら紅茶派になっていたかもしれない。

 ……ん? 人の気配か、誰か来た様だな。

 

「それは何よりじゃ。……どうやら家の者が来たようじゃな」

「邪魔するぞ親父」

 

 そうして部屋に入って来たのは2m近い身長に鍛え抜かれ引き締まった筋肉を持つ1人の男性。キルアに似た髪の色に、猫科を思わせる様な風貌。キルアを小生意気な猫とするならこの人は獰猛な獅子といったところか。

 

「シルバか……紹介するぞアイシャ。現ゾルディック家当主シルバ=ゾルディックじゃ。キルアの父でもある。シルバ、こやつはアイシャ。話していた通り大事な客人じゃ。丁重にな」

「分かっている。……シルバ=ゾルディックだ。キルが世話になったようだな」

「初めまして、アイシャといいます。こちらこそキルア君にはお世話になりまして」

 

 いや、お世話されたわけではないけど、社交辞令というやつだな。

 ……暗殺一家と社交というのもすごい話だ。

 

「ふむ……なるほどな」

 

 上から下まで全身を一瞥された後になんか納得された。お眼鏡に適ったとみていいのかな?

 しかし、この人強いな。私が今まで見てきた中でも十指に入るだろう。もちろんゼノさんもその中に入っている。ゾルディックに来て一気に私の中の強さランキングが変動したよ。恐ろしい家だよホントに。

 

「キルから話は聞いている。……楽しそうにお前たちのことを話していた。あのようなキルを見るのは初めてだ。礼を言う」

「……いえ、私もキルアと一緒にいて楽しかったですから」

 

 そうか、キルアが私たちの事を楽しそうに……嬉しい事を言ってくれるじゃないか!

 うーん、早く再会してこう、なんか頭を撫でてやりたい気分だ。生意気な弟が出来たらあんな感じなのかもしれない。

 

「外も暗くなっている。今日は泊まっていくといい。夕飯時に他の家族を紹介しよう」

「え、いや、そこまでお世話になるわけには……」

「気にするでない。シルバが他人を夕飯に誘うなんざ初めてのことなんじゃ。遠慮すると勿体ないぞ?」

「一言余計だ親父」

 

 それはそうだろう。この人が和気藹々と人を食事に誘う様子なんか一厘たりとも想像出来ないよ私は。

 まあ、ここまで言われて断るのも失礼かなぁ。私って押しに弱い気がする。

 

「では、お言葉に甘えさせてもらいます」

「そうか。なら客室まで案内させよう」

 

 ゾルディック家で一泊か。どうしてこうなったのやら……。

 

 

 

 

 

 

「……どう見た?」

「自然体でいながら一切の隙が見当たらなかった。相当に場慣れもしているな」

 

 オレ達の家にいながらあそこまで自然体でいられる。相応の修羅場を潜っているだろう。

 

「親父こそどう見た」

「念を見ん限りには断定できぬが……敵対せんで正解じゃろうな。むろんやらなければならない時はヤルが、むやみに敵対したい相手ではないな」

 

 親父もそう見るか。あの歳でオレ達にそう思わせる使い手か。いないことはないが、中々見ないのも事実だな。幻影旅団の1人を殺した時に相対したあの男もその1人だ。

 

「茶目っ気を出して気配を消して様子見しとったら、油断した隙に背後を取られてしまったからのぉ」

「……老いたか親父?」

「わしゃ生涯現役じゃ!」

 

 それは分かっている。親父が老いたのではなく、アイシャの実力のなせる業だろう。見たところキルアよりも年上。それでも10代後半、念能力者というのを含めて多く見ても20代といったところか。

 そのような若さでこの領域。才能の言葉だけで片付けていいモノではないな。

 

「驚くなよ? あやつ、あれで13歳じゃとよ」

 

 ……信じがたいな。キルアとさして変わらん歳か。話を聞くにハンター協会会長の庇護下にある様子。秘蔵の弟子なのかもしれんな。

 

「念も含めて実力を見てみたいものだ」

「試しの門も7まで開けおったしのう」

 

 ……そういう事は早く言え。肉体も鍛えこんでいる。念に頼り切ってはいないということか。

 

「未だ纏をしている様子はなかったが、念は使えるようじゃな」

「ああ、オーラに一切の澱みがなかった。念も知らずにそのようなことが出来るなら天性の演技屋だろうよ」

 

 心の底まで偽らなければそのようなことは有りえない。念に目覚めてない人間でも感情によってオーラが僅かなりとも動くものだ。アイシャのオーラは垂れ流しとはいえ、常に一定に保たれていた。念の心得があると見ていいだろう。

 

「それにネテロのことを好敵手と言っておった。恐らく幾度となくやり合っているじゃろうな」

「……親父の話は半分に聞いておかないとな」

「ワシが言ったのではなくアイシャが言った事じゃわい」

 

 弟子ではないのか? オレは戦った事はないが、アイザック=ネテロは確かマハ爺とやり合って唯一生存している人間。親父の話を聞くに恐らく世界最強の念能力者の1人に数えられるだろう。

 それを好敵手扱い、か。

 

「……やり合って勝てるか親父?」

「……さて、な。勝てぬ、とは言えんよ。じゃが――」

「勝てる、とも言えんか」

 

 アレの暗殺依頼が来たとしたら――割に合わない仕事になるな。

 

「手段を選ばなんだら付け入る隙はあるが……」

「性格、か」

 

 まだ僅かしか接していないが恐らくアレは親しい人間を見捨てることは出来まい。キルやその友達の為にここに乗り込んで来たことがそれを示唆している。

 そういった情を突けば暗殺は不可能ではないだろう。

 だが――

 

「そしたら絶対ネテロのじじいが出張ってくるぞ? アレとは出来る限り敵対しとうはないな」

「……」

 

 やはりそうか。

 まあいい。アイシャの暗殺依頼が来た訳でもない。

 初めから殺す事を前提に話を進める必要もないだろう。

 

 ……だが、敵対した時の事を考えておくに越したことはないな。

 

「アレを嫁というのは……」

「無理だろうな。敵対した者を殺す事は出来るかもしれないが、仕事で人殺しは許容出来ないタイプだろう」

「……じゃな。ワシが家業の話をしたら僅かだが表情が曇ったしな。味方に引き込めるならそれに越した事はないのじゃが」

 

 アレをゾルディックに引き込むことはまず無理だろう。

 まあいい。相容れないならば無理に入れても仕方がない。わざわざ内に不和の芽を入れる必要はない。

 

「無駄に敵愾心を煽らなければ大丈夫だろう」

「ま、それが一番か。ちとつまらんがな」

「オレ達は暗殺者であって武術家ではない」

「お前に言われんでもわかっとる。誰がお前を育てたと思っているんじゃ」

 

 そう、オレ達は暗殺者だ。武を競い合う武術家ではない。強くあるのはいいことだが、それをひけらかす必要はなく、またむやみに敵を作る必要もない。

 

 ……だが、つまらないと言った親父の言葉に賛同している自分がいるのも確かだった。

 

「旦那様!」

 

 慌ただしく部屋に入ってくる執事――ヒシタか。

 騒々しいな、何事だ?

 

「何だ?」

「そ、それが、奥様が凄い剣幕でお客様の所へ……」

 

 ……それは少しまずいな。

 

 

 

 

 

 

「こちらでしばしお休みください。夕食の用意が整い次第お呼びいたします」

「ありがとうございます」

 

 そうして客室に案内されたんだけど……客間の時も思ったけど、ゾルディックにお客専用の部屋とかあったんだな。

 使用頻度が極端に少ない気がする。部屋に塵や埃はないから定期的に掃除されているみたいだけど、意外と使われているのか? ここにそんなに客人が来るとは思えないけど。

 

 さて、夕食まで待つのはいいけど、それまで何をしていよう?

 部屋の中には大きなベッド・立派なクローゼット・立派な花瓶に綺麗な花・高価そうな絵画・トイレにバスルームまで完備されていた。でもTVとか本はないから暇を潰す事は出来ない。クローゼットの中は……当たり前だけど空っぽか。

 さて、どうしたものか。

 

 ん? 誰か近づいてきている。夕食の用意が出来たのかな?

 ……いや、この気配からは怒気を感じる。穏やかではないな。

 今更相手が敵対してくるとは思いにくいが、場所が場所だけに私も自然と臨戦態勢に入る。

 

 そして勢いよく扉が開き、1人の女性が入室して来た。

 

「あなたね! 私のキルを誑かした女狐は!!」

 

 ……は? いやいや、何だこの人は?

 見た目はシックな黒いドレスに身を包み、顔は口周り以外に包帯を巻いてその上に何かゴテゴテしたゴーグルを着けている。そんなよく分からない女性が勢いよく部屋に入って来るなり凄まじい剣幕で怒鳴り散らして来た……。

 

「え?」

「ああ! あなたのせいで私の可愛いキルは家を飛び出してしまって……! どう責任取ってくれるの!?」

 

 いや、貴方の息子……でいいのか? キルア君は自分の意志でここを飛び出したのでは? 私が会ったのは家を飛び出した後ですよ?

 

 そう、反論したが――

 

「おだまりなさい! せっかくイルがキルを連れて戻って来てくれたのに、あんな凡夫共と一緒にまた外へ!」

 

 凡夫ってゴン達の事か? ひどい言われようだな。

 

「あなたがその身体でキルを誑かしたんでしょう!? そうに決まっているわこの雌犬!!」

「雌!? いや、誑かすだなんて」

 

 ひどい言われようは私の方だったようだ……生まれてこの方雌犬なんて呼ばれたのは初めてだよ。

 

「お養父様やシルバさんにあなたを客人として丁重に扱えと言われましたからあなたに危害を加える事はしません。が……」

 

 が? わざわざ一拍置いて次の言葉を強調するキルアママ。

 

「今後もしキルに色目を使う様な事があるならば、ゾルディックの全勢力を掛けてでもあなたを暗殺します! 分かりましたね!?」

「えっと、はい、言われなくても色目なんて使いませんよ……」

「まあ!? キルにそんなに魅力がないって言うの!? なんて失礼な小娘!」

 

 じゃあなんて言えばいいんだ? そもそもこっちは貴方の何倍も生きてるよ。

 

「とにかく、先程の私の言葉をよく覚えておく事です」

 

 そう言い残して入って来た時と変わらぬ勢いで部屋から出て行った……。

 

 ……つ、疲れた。なんだったんだあの人は? あれがキルアの母親か……。

 以前、キルアが私に母親を交換しない? と冗談で言った事があったけど……アレを見るに半分以上本気で言ってたかもしれない。確かに相手にするのは疲れるな……でも、息子を愛しているのは間違いがないようだ。愛し方に問題はあるかもしれないけど、その点だけはとても好感が持てた。

 かと言って積極的に関わり合いになりたくはないけどね。ああ、さっさとここから出ていきたい……。

 

 

 

 

 

 

 何だよ、大事な客人が来るから家族全員でそいつと一緒に食事をするって。別に家族で食べるのはいいけど、見も知らずの人間と一緒に食事するなんて面倒にも程がある。

 大体うちに客人が来ること自体滅多にないのに、その上一緒に食事を摂るなんて初めてじゃないか?

 

 何か3日くらい前に親父が客が来るとか言ってたけど、興味ないから聞き流してたよ。客なんて依頼だけで十分なのにさ。わざわざ家にまで来るなんてどんな馬鹿だよ?

 

 あ~、早くゲームの続きしたいなぁ。まだ作っていないフィギュアだってあるのにさ。さっさと食い終わって部屋に帰りたいよ。

 

 そうして食卓で不機嫌さを隠さずに待っていると、爺ちゃんと親父に連れられてママとカルトもやって来た。

 

「全く、キキョウには困ったものだ」

「ああ、あなたごめんなさい。でもキルを取られると思ったらつい……」

 

 何かあったのか? ママが親父に注意されるなんて。

 いや、よくある事か。

 

「おお、ミル待たせたな。もうすぐ食事の用意も出来るじゃろ」

「別にいいけど。客人ってどんな奴なのさ?」

「ん? ふむ。……それは見てのお楽しみにしておくとしよう」

 

 何だよそれ。ふん、面白くない。大体待たせるくらいならギリギリまで部屋に居ても良かったじゃないか。予定通りに物事が進まないのってイライラするんだよな。

 

「そろそろ時間だな。ゴトー、客人を案内しろ」

「畏まりました」

 

 やっとか。こんな面倒事さっさと終わらせて部屋に帰ってゲームをしよう。

 

 

 

 そうしてゴトーに連れられて客人とやらが入ってきた。

 全く、お前のせいでオレがどんだけ迷惑したか分かっ、てんの、か……。

 

「よく来たなアイシャ。先程はキキョウが迷惑を掛けた。改めて紹介しよう、オレの妻キキョウだ」

「フン……謝る気はありませんよ」

「……こっちが次男のミルキ。長男のイルミは今は不在だ。そしてこれが――」

 

 親父が何か言ってるけどオレの耳には全然届いていなかった……。

 そんな事よりオレは眼の前の人間に意識を奪われていた……。

 

 スラリとした身体に大きな胸。お尻も程よく張っており、腰もキュッと括れ、大きな胸を強調するかのようだ。

 見た目はオレとさして変わらないくらいか? 容姿も整っている。あんなオッパイをしているとは思えない程可愛い。

 眼はぱっちりとしており、眉の形すらもオレ好みだ。口と鼻のバランスもいい。

 胸も、眼も、バストも、眉も、乳も、口も、胸部も、鼻も、おっぱいも、腰も、母性の象徴も、尻も、そして胸も、全部ツボに嵌った……。

 いつの間にかオレは左腕を上下に動かしていた。よく分からないけどなんかしっくりくる。おっぱいおっぱい!

 

「えっと、アイシャといいます。よろしくお願いしますね」

 

 ん? 何時からここは天上の調べが聞こえる様になったんだ? ああ、あの娘の声か。それなら当然か。そうか、名前はアイシャって言うのか。……アイシャ=ゾルディック。……悪くないなおい。

 

 ああ、どうしてこんな可愛い子がこんな場所にいるんだ? そもそも3次元にこんな可愛い子がいていいのかいや良くない。

 そうだ。きっとこれはオレの妄想が生み出した幻覚だ。そうだそうに違いない。最近ギャルゲーや美少女フィギュアばかり作っていたからこんな幻覚を見るんだ。

 

 ふう。そう考えると惜しいな。この天使がオレの妄想の産物だったなんて……これを忘れないように記憶して後で等身大フィギュアを作ろう。

 そうだ。どうせだから触ってみよう。感触はないだろうけど、幻覚ならいつか消えてしまう。そうなる前に触ってイメージだけでも味わっておこう。

 そうしてまともな思考も覚束ないままアイシャに向かって歩いていく。

 

「えっと、どうかしましたか?」

 

 疑問そうな表情で顔を傾げてこちらを窺うアイシャ。やべぇ、オレの妄想はオレを萌え死させる気か?

 だがオレは負けない。幻覚に負けてなるものか。オレにはこの天使のフィギュアを作り上げる使命があるんだ!

 

 そしてオレは幻覚に向かって手を伸ばし、胸を触った――

 と思ったら避けられていた。

 もう一度伸ばす。だが避けられる。また伸ばす。避けられる。

 

 ……オレの妄想の癖にどうして避けるんだ!?

 

「ミル、何をしている?」

 

 底冷えするかの様な親父の声。え? やばい、これは本気で怒りかけてる……?

 え、ちょっと待て? これは幻覚じゃないのか? 冷静になった頭でもう一度目の前を見てみる。

 

「あの、何でしょうか?」

「うわぁぁっ! ほ、本物!?」

「はい? いや、偽物なつもりはないですけど」

 

 え!? オレの妄想の産物じゃなかったの!? じゃあなんでこんなオレ好みの美少女がこんな場所にいるんだよ! ゾルディックだぞここは!

 

「ミルキ、どういうつもりだ……?」

 

 やばいやばいやばいやばいやばい! 親父の客になんてことをしようとしたんだオレは! 親父に殺される! その前に謝らなくちゃ! 明らかに胸を触ろうとしてて、謝って許してもらえるとは思えないけど、何もしないと本当にやばい!

 

「ご、ごめん! そ、その、か、可愛かったから、つい!」

 

 どんな言い訳をしているんだオレは!? 可愛かったから胸を触ろうとしましたって変態か!

 

「……すまないなアイシャ。この非礼は詫びよう。ミルキには相応の罰を与えておく」

 

 ……終わった。殺されはしないだろうけど、かなりひどい目に遭う事は確定だ……。

 

「いえ、その、少しビックリしましたけど、気にしてないから大丈夫ですよ」

 

 女神がいる……何だこの生き物は? やっぱりオレの妄想が具現化したんじゃないのか? そうかこれはオレが作り出した念じゅ……駄目だ、これ以上暴走したら確実に親父に殺される。

 

「そうか、それは助かる……ミル、もう一度謝ってきちんと挨拶をしろ」

「あ、ああ! さ、さっきはごめん、気が動転してたんだ……オレの名前はミルキ、その、よろしく」

「よろしくお願いします。先程のはもういいですよ。気にしてませんから」

 

 笑顔で優しくそう言ってくれるアイシャ……ああ、なんていい子なんだ。

 駄目だ、完全にやられた。オレはアイシャに、惚れた。

 

 

 

 

 

 

 紆余曲折あったけど、ようやく晩餐が始まった。ミルキさんの行動には吃驚したけど、まあ男だったらそういう欲求もあるんだろう。私も元男だ、少しは分かるさ。

 ……今の私は女性に性的欲求が湧かないけどね、まことに残念ながら! かと言って男性に対しても性的欲求は湧かないんだが。

 まあそういうわけでミルキさんの気持ちも分からんでもないし、実際に触られたわけでもないので許してあげた。私もそういうやりたい盛りの気持ちというものを原動力に今を頑張って生きている所もあるからな。勿論母さんの教えもあるけど。

 “童貞を捨てる”“幸せになる”両方やらなくっちゃあならないってのがTS転生者の辛いところだな。覚悟はいいか? 私は出来てる。

 

 ……意味不明なことを考えてないで食事を楽しもう。

 

 食事の内容は中華風……と言ってもこの世界に中国なんてないけど、似たような食文化の国の食事なんだろう。

 箸もあり、食べやすく、味も抜群! いやぁ、食事は白米が一番だね!

 

「すいません、おかわりいいですか?」

「うむ、遠慮する事はない。よく食べるといい」

 

 ゼノさんが優しく許可してくれる。この人本当に暗殺者? 普通に優しいおじいちゃんに見えるよ。

 

「……よく食べるな」

 

 う! やっぱり6杯目のおかわりはそっと出すべきだったか……? シルバさんに突っ込まれてしまった。

 でも本当に美味しいんだよなぁ。外の食事なんて比べ物にならない。1流レストランよりも美味しいんじゃないか? 1流レストランで食事したことないけど。

 

「す、すいません。少し図々しかったですね……」

「いや、そうではない。暗殺者の家で出た物がよくそんなに食べられるな、と思っただけだ。毒が入っているとは考えなかったのか?」

 

 ああ、そういう意味か。おかわりのし過ぎを突っ込まれたわけではないのね。

 

「それは心配していませんね」

「……なに?」

「ゼノさんと一緒にお茶を飲んだ時に確信しました。あなた達は殺すと決めたらそのような回りくどい事をせず殺しに来るでしょう。もちろん毒殺を手段の1つとしない訳ではないでしょうが」

「ふむ。ワシが毒を入れてないと言ったのはこの食事で油断させるための嘘じゃったかもしれんぞ?」

「ゼノさんは……シルバさんもですが、そのような嘘を言う人には見えませんでしたから」

 

 私なりにオーラを見て判断した結果だけど。この人達の性格だとわざわざ嘘や騙しをしてまで暗殺をするとは思えなかった。……キキョウさんは別だけど。

 

「見た目だけで人を判断すると痛い目に遭うぞ?」

「その時は私が未熟だっただけです」

 

 常在戦場を常とする武術家が毒殺されたら、それは未熟だっただけの話だ。その時は自分の不甲斐無さを嘆きながら死ぬだけのこと。

 

「やべぇ、益々いい……」

「え? 今何か?」

「い、いや、オレもおかわりを、てな!」

 

 何だ。何かぼそぼそ言ったかと思えばミルキさんもおかわりか。

 

「本当に肝が据わっとる奴じゃ。……まだ食べるなら遠慮するでないぞ?」

「いいんですか? ではおかわりを!」

「……ミルキより食うとりゃせんか?」

「……エネルギーは動いて発散しているようだな」

「……食い意地が張って! ますますキルには似合わないわ! ……でもミルになら」

「……オレの大食いが目立たない……いい」

「……ボクもおかわり」

 

 お、カルトちゃんもおかわりか。どんどん食べてどんどん大きくなるといい。将来はきっと美人さんになるだろうな。男の子に言うセリフじゃないから言わないけどね。

 こうして意外と楽しい晩餐はあっという間に過ぎていった。ご飯美味しかったです。







おっぱいおっぱい( ゚∀゚)o彡°


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十一話

「あ、アイシャはさ! その、ここから出ていったら何をするんだ!?」

 

 食事も終わり、そろそろ部屋で休ませてもらおうかと思った矢先にミルキさんからそんな質問がきた。

 

「ここを出てから、ですか? ……そうですね。欲しい物を手に入れる為に色々と奔走すると思います。あ、あとゴン達……私の友達ですね、彼らを探したいです」

 

 グリードアイランドを手に入れるのは当たり前だけど、ゴン達にも会っておきたい。別れの言葉もなく離れてしまったから、一言謝っておきたいし。

 ……友達に会いたいし。

 

「そ、そうか……欲しい物って何なんだ?」

「知ってるでしょうか? グリードアイランドっていうゲームですけど」

「! あれか……」

 

 お、やっぱり知ってるんだ。さすがはゾルディック。それにミルキさんってなんかゲームとか詳しそうだし。……偏見かな?

 

「グリードアイランドを手に入れるのは難しいかもしれないな……」

「そうですね。でもハンターライセンスも手に入ったので、それを使って情報収集して行こうと思ってます」

 

 これがあれば今までよりも精度の高い信頼性のある情報が手に入るだろう。ライセンス様々である。

 

「……よ、良かったらさ、お、オレが調べてやろうか、その、グリードアイランドとゴンって奴らの居場所をさ」

「え?」

「いや、オレ結構コンピューターには詳しいし、ウチの情報網とか使えば人探しも簡単だぜ! アイシャが1人で調べるよりも断然早く調べられるよ!」

 

 そ、それは魅力的な提案だけど。でも今日知り合ったばかりの人にそんな事を頼むのは悪いしなぁ。

 

「いえ、ですがそれだとミルキさんやゾルディックの方にご迷惑を……」

「いいって! 迷惑なんて思ってないからさ! いいだろ親父!?」

「……ミルに許された権限の中でならば構わん」

 

 ええ!? でもそれって結構な金額が動くんじゃ?

 

「ですが、人を使うのにもお金が……」

「大丈夫だって! 動く使用人もそれが仕事の内だし。これも給料分の働きって奴だよ! そ、それで納得がいかないなら、その、貸し1つって事でいいからさ!」

 

 貸し1つか……ゾルディックに貸し1つは怖いけど、この場合ミルキさんに貸し1つってことだよな。それなら私に出来ることで何かしら返すなら大丈夫かな?

 

「分かりました。そこまで言ってくれるなら、借りておきます。この恩は必ず返しますね」

「ああ! いいってことさ。し、調べるまで少し時間が掛かるだろうから、それまでここに泊まっていてもいいぜ!」

「分かりやすい奴だ……アイシャ、聞いての通りだ。グリードアイランドとやらはともかく、人探しとなると少々時間も掛かる。しばらく逗留するといい」

「……いいんですか?」

「ああ」

「では、しばらくお世話になります」

 

 深々と頭を下げて礼をする。まさかゾルディック家で一泊以上するかもしれないとは思わなかった。

 でも確かにゴン達を探すともなれば私1人では難しいものがある。この後彼らはどこに行ったんだろう? 原作知識で僅かに覚えているのは、『天空闘技場』『グリードアイランド』『蟻の化け物』これ位のものだ。他にも色々あったと思うから、今現在彼らがどこにいるかは予測できない……。

 ここはミルキさんのお言葉に甘えさせてもらうとしよう。

 

 

 

 

 

 

 ミルの奴、分かりやすいのぅ。アイシャに惚れおったか……。やれやれ、厄介なのに惚れおったな。アレはミルの手には収まらんよ。

 しかしアイシャの奴、かなりの鈍感じゃな。あのミルキを見て自分に惚れたことに気付いておらんようじゃ。ワシの気配に気づいておきながら、それはあんまりじゃろう……。

 

 まあよい。ミルのせいと言うか、おかげと言うか、アイシャがしばらくこの家に逗留するとなれば、色々と聞き出せそうじゃしのう。さっそく明日にでも話をしてみるとするか。

 

 

 

 アイシャが一泊して一夜が明けた。既に朝食もすまし、今は家族各々が自由に動いておる。アイシャはする事もないだろうから、ワシと一緒に散歩に行かんかと誘ったらホイホイ付いて来おった。

 ……ワシらが暗殺者って本当に分かっとるのかこやつ?

 ちなみに散歩に誘ったワシをミルキが凄い睨んでおったのは言うまでもない。

 

「いい天気ですねぇ」

「うむ。絶好の散歩日和じゃな」

 

 ……ほのぼのしとるのぅ。

 いやいや、こんな話をする為にアイシャを散歩に誘った訳ではないわい。

 

「時にアイシャ。ネテロのことなんじゃが」

「ネテロですか? あいつがどうかしましたか?」

 

 ネテロをあいつ呼ばわり。接した時間は短いが、アイシャが他人をあいつ呼ばわりするような輩ではないくらいは分かる。アイシャが他人をそのような呼び方で呼ぶとは、やはりかなり親密なようじゃな。

 

「うむ、オヌシあやつの好敵手、と言っておったが……アレの念能力は知っておるのか?」

「まあ、知っていますが……教えはしませんよ? 念能力は他者に容易く話すモノではありませんから」

 

 ふむ。やはり知っておるか。それにアイシャが念能力者なのもほぼ間違いなしかの。

 

「いやいや。ワシもあのジジイの能力、【百式観音】は知っておるよ。あれには一度痛い目におうたからのぅ」

 

 さすがにいきなり念能力を話す程迂闊ではないか。じゃが相手が知っておったなら話は別じゃろ?

 

「そうなんですか? いやぁ、私もアレには何度も煮え湯を飲まされまして」

「そうじゃろうな。戦闘においてネテロの最も厄介なモノが【百式観音】じゃろうて」

 

 なるほど。【百式観音】相手に何度もやり合っていると。煮え湯を飲まされるとの言葉から攻略は出来てはいないが、それでもアレを相手に闘えるほどの実力を持っているようじゃな。

 ……うむ、十分すぎる実力じゃな。

 

「時にアイシャよ。オヌシなら【百式観音】をどう攻略する?」

 

 これは純粋な興味じゃ。ネテロと幾度となく対戦していると思われるアイシャなら、あの【百式観音】の攻略法を考えているだろうて。簡単に教えてくれるとは思えんが、まあ物は試しとも言うしな。

 

「それはさすがに禁則事項です」

 

 やはりか――

 

「――ですが……そうですね。私なりの攻略法は教えることは出来ませんが、それ以外の攻略法なら構いませんよ」

「ほう。……よいのか? ワシらがその攻略法とやらでネテロを暗殺するやもしれんぞ?」

「それは大丈夫でしょう。教えたところで実行出来るかは別ですし。……それに、ネテロと敵対したら私もネテロと共に戦うのみです」

 

 ――!

 これは……凄まじいプレッシャーじゃな。これほどの圧力をワシに与えるとは。

 

「まあ、無駄にあのジジイを敵に回すつもりはないぞ。……もちろんオヌシともな」

「ありがとうございます。あなた達とも出来れば敵対したくありませんから。……一宿一飯どころかしばらく御厄介になるので、この攻略法はそれの代金代わりという事で」

 

 その攻略法が使えるかどうか、また使う状況があるかどうかは置いといて、代金代わりにはちと多すぎるくらいじゃな。

 

「そうですね。前提としてまず【百式観音】に耐えうる耐久力が必要となります」

 

 ……まあ当然だろうな。しかしそれは攻略法と言えるのか?

 

「まあこれは数発ほど耐えられればいいでしょう。【百式観音】は不可避の速攻。こちらの行動の前に初手を叩き込まれますので」

 

 そういうことか。何発かはワシでも耐えられるわな。防御に徹すれば十数発はいけるか? まあ実際にやってみんと分からんが。

 

「そして【百式観音】とて一瞬の間もなく放てる訳ではありません。技と技の繋ぎにほんの僅かですが間があります」

 

 まあ、それも予測しとったことじゃ。しかしその間は本当に極僅かじゃぞ?

 

「一撃を耐え抜き、一瞬の間の内にこちらの一撃を入れる事さえ出来れば勝利の芽は出ます」

「……は?」

 

 いやいや。それをどうやってやるのかが知りたいのじゃが?

 

「まあこの時に出来ることは人それぞれ異なるでしょう。この一瞬の間にネテロの懐に瞬間移動する、ネテロを操作する条件を満たす、ネテロを無力化する能力を発動する等々」

「……それは」

「はい。ほぼ不可能と言っていいでしょう。【百式観音】の技の繋ぎは本当に極々僅かです。その瞬間にネテロ相手に能力を発動させるのは至難の業……どころではありません。なぜなら、その能力を発動する為に必要な間よりも圧倒的に早く、ネテロの次なる【百式観音】が発動するでしょうから」

 

 そう、あの連撃の間を縫って能力を発動する。それも相手を無力化するタイプの。それにはいくつかの細かい条件が必要となる、刹那の瞬間にそれを行うのは不可能に近い。

 

「それとも最初の一撃を喰らう前に発動する? それも無理でしょう。ネテロはまさに百戦錬磨の言葉もおこがましい程の戦いを潜り抜けています。相手が能力を発動しようとするとすかさず【百式観音】を放つでしょう。そして【百式観音】を喰らった状態で通常通りに能力を発動するのもまた至難」

 

 詰まる所【百式観音】を破るのは不可能と言っとりゃせんかこの小娘? 【百式観音】の攻略法を聞いとるはずなのに、ネテロの自慢を聞かされとる気分じゃ。

 

「そもそも相手を無力化する能力者は皆強化系と相性が悪い。つまり【百式観音】を一撃も耐える事が出来ない方が多いでしょう。まあ、まともに戦って【百式観音】を破るのはまず無理でしょうね」

「結局惚気話を聞かされたみたいじゃな……」

「惚気!? なんであいつのことを私が!?」

 

 あんなに嬉しそうに話されては惚気にしか聞こえんわい。

 まあ、ええ暇つぶしにはなったかのぅ。

 

「ちょっと! 聞いてるんですかゼノさん!?」

 

 

 

 

 

 

 全く、ゼノさんときたら! 私がネテロ相手にそんな気を持つ訳ないじゃないですか!

 まあ、そりゃ自慢気に話した気はしますが……それは、まあ、自慢のライバルといいますか、ねえ?

 

 ……ああ、もういい! この件はこれでお終い! これ以上考えても意味がないよ。

 

 しかし、先程のゼノさんは明らかにこちらを探っていたな。私の実力を少しでも知る為に探りを入れてきたんだろう。まあ、あれぐらいなら話しても支障はないかな。

 能力には知ることで対処出来る能力と知ってても対処の出来ない能力がある。ネテロのは後者だ。あれほど対処出来ない能力も他にあるまい。

 私自身の能力も話してはないし、あの説明の仕方では私を強化系と受け取った可能性もある。なにせ【百式観音】にある程度耐えていると明言した様な物だ。自ずと強化系やそれの隣り合わせの放出・変化のどちらかと捉えるだろう。

 

 

 

 さて、散歩から帰って来たのはいいけど、する事がない。

 散歩がてらに色々案内してもらえたけど、まだ午後の4時だ。夕食まで時間もある。

 日課の修行はもう終わったしなぁ。ゼノさんと散歩しながら念の修行をしてた。【天使のヴェール】マジ使える。

 これのおかげで堅の持続時間を延ばす修行がしやすいことしやすいこと。なにせ通常の状態だと堅をし終わるのに3日以上かかる。そんなの修行になる訳がない。でも【天使のヴェール】を発動していたらオーラの消耗は10倍に。さらに堅と並行して基礎と応用をすればさらに消耗が早くなる。

 

 意外な【天使のヴェール】の副産物だった。おかげでこの3年でオーラ量がさらに伸びたんだし。まあ、ここでオーラを使い切るつもりはないからある程度で修行は切り上げたけど。でも本当に何しようかな?

 

 そうしてぼぉっとしながら与えられた部屋で寛いでいると、部屋に客人がやって来た。……客の私が客人って言うのはおかしいな。

 

「アイシャ、その、入っていいか?」

 

 やはりミルキさんか。気配である程度は分かる。まあ、足音もすごいし……。

 

「どうぞ。……どうしたんですか?」

「ああ、実はグリードアイランドについて色々分かったんでその事で話が」

「本当ですか! すごいですねミルキさん! 昨日の今日で分かるなんて!」

「い、いや、アイシャからハンターライセンスを借りていたからだよ」

 

 ああ、ライセンスか。あれでハンター専門サイトに入ったのかな?

 

「と、とにかく色々話す事もあるから、一度オレの部屋に来てくれるか?」

「ええ、構いません。こちらからお願いしたいくらいです」

 

 わざわざ呼びに来てくれるなんて。いい人だなぁ。執事を使ってもいい立場の人だろうに。

 

「それじゃ付いて来てくれ」

「はい」

「あ、あと、オレのことはミルキって呼び捨てでいいよ」

「いいんですか? では改めてよろしくお願いしますミルキ」

 

 おお? 私が呼び捨てにしたら物凄く嬉しそうな顔に!?

 ……そうか。ミルキもキルアと一緒で友達がいなかったんだな。こんな環境にいたら友達が出来なくて当然だ。大丈夫だ! 今日から私が友達だよ! そう笑顔で応えてみせた。そしたら急に顔を背けてずんずんと前に進みだした……あれ?

 もしかして嫌われているんだろうか……?

 

 

 

「ここがオレの部屋だ。は、入ってくれ」

「それでは失礼しますね」

 

 ミルキの部屋に到着。中に入ってみると失礼かもしれないが意外に綺麗に整っている部屋だった。

 

「あ、すごい。綺麗に整頓してますね」

「ま、まあな」

 

 室内のインテリアはお洒落というのだろうか、中々感じ良く纏まっている。

 部屋の奥には大きなパソコンがあり、私も見たことないような色々な機械と繋がっているようだ。周りにはたくさんの本が整頓して棚に置かれている。漫画とかもあるかな? 予想していたよりオタク風の部屋じゃなかった。ごめんね、偏見だったかもしれない。

 

「じゃあ分かったことを話そう。さすがにアイシャの友達はまだ見つかっていない。今回はグリードアイランドについてだけだ。人探しの方も見つかり次第教えるよ」

 

 そうか、まあ昨日の今日で世界のどこにいるかも分からない人を探し出すのは難しいよな。グリードアイランドについて少しでも分かれば御の字だろう。

 

 そうして私はミルキの説明を聞いて行く内に絶望に包まれていった。

 

 グリードアイランドは念能力者が作ったゲーム。ゲームをスタートすると念が発動し、ゲームの世界へ引きずり込む。念能力者以外はゲームをする事は出来ない。プレイヤーが生きている限り例えコンセントを抜いてもゲームは止まらない、ただし死ねば止まる。セーブポイントを見つければ戻ってこれるらしい。

 

 ど、どうしてこうなった!?

 念が発動してゲームの世界に引きずり込む!

 そうだよ! グリードアイランドは念でゲームの世界に行くんじゃないか!

 なんで忘れてたんだ私の阿呆!! 一番重要な事だろうが!

 

 ……【ボス属性】で無効化してしまう……!

 

 うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!

 もうだめだぁ……おしまいだぁ……。

 

 い、いや諦めるな。諦めたらそこで童貞永遠ですよ? そんな事を認める訳にはいかない! まず情報の段階で間違っている可能性もある。もしかしたら、限りなくないに等しいけど【ボス属性】があってもゲームをプレイ出来るかもしれない。

 絶望するのは本当にグリードアイランドが出来なかった時だ。諦めるにはまだ早い!

 

「あ、アイシャ! どうしたんだ? 顔色が悪いぞ?」

「え、ええ。大丈夫です。すいません、話の続きをお願いします」

「あ、ああ」

 

 とにかく、まずはグリードアイランドを手に入れることに集中しよう。あれがないと話にならない。

 

「じゃあ続けるぞ。現在グリードアイランドを入手するのは困難だ。理由は品数が少ないことと、死なない限りゲームが止まらない為、一度手に入れられるとまた市場に出回る可能性が非常に低いのが原因だ」

 

 ……確かに。さらに市場に出回った数少ないグリードアイランドをその有り余る資産で買い続けているのが――

 

「そして大富豪バッテラ。こいつが僅かに世に流れたグリードアイランドを買い漁っている。さらにグリードアイランドに関する情報も操作して一般にはあまり情報が行き交わないようにしている」

 

 とことんこいつのせいか。オノレバッテラ。

 

「……今年の9月に行われるヨークシンのオークションで数本、あるいは数十本ものグリードアイランドが流れるって噂があるが、恐らくバッテラが全部競り落とすだろうな」

「それではグリードアイランドを手に入れるのは……」

「非常に困難だ。まともに手に入れるならそれこそバッテラを上回る資金を用意しなくてはならない。まあ、総資産を上回らなくてもある程度あればいいが。1本競る度に最大金額を出し続けて、バッテラの資金が切れるくらいの資金さえあれば、な」

 

 それは無理だ。私の総資産なんて10億程度……いや、一般人からすれば大金だけど、バッテラの総資産からすれば霞む程度だろう。バッテラの総資産がいくらあるかなんて分からないが、この程度ではそもそもグリードアイランドを手に入れる最低基準にすら達していないはず。

 リュウショウの時に有った資産が使えたらなぁ。個人資産は全部寄付してしまったし、道場はリィーナに譲ったし……。

 ……どうしよう?

 

「1つ聞きたいんだけど、アイシャがグリードアイランドを手に入れたいのはグリードアイランドをプレイしたいからだよな?」

「ええ、そうですけど?」

 

 正確には男に戻りたいからだけど、まあその為にはプレイしないと話にならないしね。

 

「だったら別にアイシャがグリードアイランドを入手しなくても、プレイさえ出来ればいいわけだな?」

「そうですね。でもその為にはグリードアイランドを持っている人が……! そうか!」

「そう、バッテラだ。アイツが何でそんなにグリードアイランドを集めているかは分からないが、それは今は置いておく。グリードアイランドをするには念能力者が必要だ。そして今までバッテラはグリードアイランドを入手する度にそのグリードアイランドをプレイする人間を選ぶ為の選考会をしていたらしい」

 

 そうだ。グリードアイランドが手に入らないなら、持ってる人にやらせてもらえばいいんだ。バッテラは大量にグリードアイランドを持っているなら大量に念能力者が必要になる! その中に入る事が出来れば!

 

「そしてすでにバッテラは9月に選考会を開く事を示唆している。もう手に入れた気になっているようだが、まあ間違いなく手に入れるだろうな」

「9月に選考会。場所は?」

「ヨークシンだ。細かい場所はまだ決まってないが、分かり次第連絡するよ。……そ、そうだ。連絡先を教えてもらってもいいか?」

「それはもちろん。これが私のケータイ番号です。ミルキには本当に世話になりますね」

「いいってことさ! こっちがオレの番号な!」

 

 後の問題はグリードアイランドをプレイ出来るか出来ないか……こればかりはやってみないと分からない。

 ……いや、大体分かっているけど、分かりたくない……。何とか方法を考えておこう。

 

「とりあえずこっちでもまた色々調べてみるよ」

「本当に助かります。このお礼は必ずしますね。私に出来ることなら何でも言ってください」

「な、何でも!? 今何でもするって言ったよな!?」

「い、いや、私に出来ることなら、ですよ?」

 

 さすがに出来ないことを言われても困る。

 

「大丈夫だ! お、お願いがあるんだが、その、お、女の子らしい服を着てくれないか!」

 

 ……わっつ?

 

「いや、アイシャって、その、か、可愛いのに、そんな服じゃ勿体ないと思ってさ!」

「あ、ありがとうございます、その、それがお願いで本当にいいんですね?」

「もちろん! よかったら家にある服を貸す、いやあげるからさ!」

「いえ、それには及びません。私服として一応持ってますから」

 

 まあこれも貰い物だけど。はぁ。まさかまたあんな服を着る羽目になろうとは……。せっかくリィーナやビスケもいないから以前の服装に戻していたのに。

 仕方ない。私に出来ることなら、なんて言ったんだし。この程度出来ないなんて今更言えない。お世話になっているんだ。これくらい我慢しよう。

 

「では少し着替えて来ますね」

「ああ! 待ってるからさ!」

 

 すっごく嬉しそうだな……これも男の性だろうか?

 まあ、確かに女の子が可愛い服を着ていたら男なら喜ぶか。いや、女でも喜んでる奴らはいたな。はぁ、まさか私が男の人を喜ばす為に服を着替える事になろうとは……。

 

 さて、どの服にするか。一応全部持って来ているけど……多いよ。どんな組み合わせかとかも忘れた……ん? なんだこの紙切れは?

 メモ用紙? 中には……服の組み合わせについて事細かく書かれている……! さらには穿く下着まで! いつの間にこんな物を入れたんだ!? 何々? 男を落とすのに効果的な下着? 誰がそんなもの穿くか!

 

 全く、下らない事に力を入れて! これは絶対ビスケの仕業だろう。

 女性物の下着を穿かないのは私の男としての最後の一線だ! あのデパートでの買い物でもそれだけは死守した。……代わりに色々と着せ替えさせられたけど。

 取り敢えず着るものだけでもこのメモに書いている組み合わせで選ぼう。女性の服のコーディネートなんて出来ないしね。

 

 

 

「は、入りますよ?」

「ああ!」

 

 うん、めっちゃ興奮してるよね? し、しょうがない、これも男の性だ……よね?

 

「ふう、恥ずかしいからこれっきりですよ?」

「くぁwせdrftgyふじこlp」

 

 共通語でおk。

 いや、今のどうやって発声したんだ? 一種の念能力か?

 

「やばい、魂が抜かれる。そうか、ここが俺の理想郷(アヴァロン)か」

「いや、死なないでくださいね? これで死んだら私のせいなのか?」

「答えは得た。大丈夫だよアイシャ」

 

 何の答えだ? そして明らかに大丈夫じゃない。

 

「取り敢えず落ち着いてください」

「あ、ああ。悪い、少し動揺していた様だ」

 

 いや、少しどころじゃなかった気がするんだけど?

 

「ふぅ、落ち着いた。もうだいじょ……あ、アイシャ、そ、その」

「ん? どうかしましたか?」

 

 はて? 先ほどよりも遥かに挙動不審になってるけど、どうしたんだろう?

 

「し、失礼な質問になるけど、その、ブ、ブラは着けているのか?」

「いえ? 着けていませんが」

「我が生涯に一片の悔いなし!」

 

 ミルキーー!? なんか満足した表情で右腕を掲げて意識を失った!?

 悔いは持とうよ! やり残したこと一杯あるだろう!?

 私のノーブラ程度で逝くなぁーー!

 

 

 

 私が立ち往生したミルキに慌てているとミルキの部屋に執事が入ってきた。

 良かった。これでミルキをどうにか出来るか? そう思った私は完全に浅はかだったと言えよう。

 

「ミルキ様、失礼します。夕食の――!? 貴様! ミルキ様に何をした!?」

「え? いや私は何も――」

「やはりゾルディック家を狙う刺客だったか!」

 

 あ、駄目だこれ話を聞かないパターンだ。私が言い訳をする前に執事さんは何かのボタンを押した。……やべぇ。

 

「待ってください! せめて話を――」

『何事だ!!』

「ミルキ様が意識不明! 犯人は客人だった女だ! 方法は不明! 念能力の可能性あり!」

 

 あ、駄目だこれ問答無用のパターンだ。

 ……どうしてこうなった?

 

 

 

「逃げるな!」

 

 冗談言わないでよ。逃げなきゃやってられんわ。

 後ろから放たれた念弾を躱し、前から来る執事達を飛び越える。

 ええい! どの人も念能力者か! 面倒極まりないな!

 大勢の執事を飛び越えた先にも大勢の執事。前も後ろも執事だらけだ。広いとは言え廊下だからこれだけの人数に囲まれると行き場がないね。

 

「取り押さえろ!」

 

 案の定まとめて掛かってきたか。だが、まだまだ甘い!

 

『がっ!?』

 

 飛びかかった全員を合気にて床に叩き付ける。多人数相手だろうが合気は不可能ではない。全員の呼吸をわざと合わせるように動けば容易いことよ。

 止めは刺さず、だが意識は奪ってその場を逃走。……ミルキ! 早く目覚めて!

 

 

 

 執事はいるよどこにでも~。

 

「お前ら! まともに飛びかかるな! 相手は手練だ、旦那様達がくるまで足止めに徹しろ!」

 

 的確な指示ありがとうございます。でも、コインをマシンガンのように飛ばすのはやめてもらえますか?

 

「よっ! はっ! とっ!」

「……オレのコインを全部受け止めるだと……」

 

 だって避けたり弾いたりしたら周りの執事さんや高級そうな飾りに当たりそうなんだもん。コインの回転は尋常じゃなかったから、そういう念能力だろうね。ま、私のオーラと見切りなら何とかなるレベルで良かった。

 

「いくらやっても無駄ですよ。調度品を壊さない内に止めることをお勧めします」

 

 あんまり防いでいるとオーラも消耗しちゃうからこれ以上は勘弁してください。昼間に訓練したせいで今のオーラ量は半分以下なんだ。……もう【天使のヴェール】切っちゃおうかな?

 拾われてまた飛ばされても面倒だし、手にしたコインは全部コネコネしちゃおうねー。

 

「てめぇ……!」

 

 激高しつつも警戒して私を襲いに来ることはない。他の執事も手をこまねいているようだ。良し良し、このままミルキが起きるか、ゼノさんやシルバさんが来れば状況も変わるだろう。

 そう思っていた私はやっぱり浅はかだった。やってらんないねほんとに。

 

「何をしているのですか! 早くあの女狐を殺りなさい!」

 

 はい、キルアママの登場です。拮抗した緊張状態が一気に傾きましたよ。私への攻撃という方向へな!!

 

「やはり本性を現しましたね女狐め! キルはおろかミルにまで! 絶対に許しませんよ!」

「あの、誤解……」

「さあ! やってしまいなさい!」

『はっ!』

 

 ああ、話を聞かないのは分かってたさ。ちくしょう。

 

 

 

 逃げて逃げて、ようやく屋敷の外に到着。一定の広さの屋敷内で戦う方が大勢を相手にするにはやりやすいけど、色々と壊しそうでちょっと却下。ここならそれなりに動けるしね。

 そう思って外に出るとそこにはゼノさんがいた。よかった! これでどうにか――

 

「中々楽しそうなことをしとるの。ワシも混ぜてもらおうか」

 

 もうどうにでもな~れ。

 

 

 

 ゼノさんのオーラが高まる。手に集中させたオーラをドラゴンを模した形態へと変化させる。ゼノさんは変化系かな? まだこの程度の変化では確定出来ないな。

 ……試してみるか。

 

「りゃっ!」

 

 腕の動きに合わせてドラゴンが伸びて凄まじい勢いで私に迫ってくる。それをギリギリで躱すが、躱した方向へと動きも変化して私を追ってくる。

 なるほど。大した使い手だ。これだけで変化系としての技術が並の念能力者よりも抜きん出てるのが分かる。手からオーラを放さないのも変化系が放出系をあまり得意としていないからだろう。いや、そう思わせて放出して射程を伸ばし意表を突く可能性もあるな。油断禁物だ。

 

 幾度かギリギリで躱し、タイミングを計ってゼノさんのドラゴンにわざと触れてみる。勿論触れる時はオーラでガードしてだ。

 

「ぬ?」

 

 私がわざと攻撃に触れたことに疑問を抱いたのだろう。ゼノさんの動きが止まった。

 こんなことで動きを止めるなんて、ゼノさん本気で私を殺す気はないな。絶対面白がってやってるんだ。……歳取るとそういう悪戯心が出てくるもんなのかね、ネテロみたいに。

 

「今のはどういう意味じゃ?」

「いえ、ただゼノさんの得意系統が何かを確認しただけですよ」

「ほう。して、ワシの得意系統は分かったかの?」

「恐らくですが、放出系がお得意でしょうか?」

「ふむ。オーラを変化させて戦っておるが、それがどうして放出系が得意だと?」

「まあ、そこは経験則ですよ」

 

 見たままの攻撃が変化系なのは分かっていたが、触れたことで得意系統が変化系ではないと理解出来た。変化系が得意ならば、当然変化系の威力は100%発揮出来る。まあ、得意系統を細かく当て嵌めれば、強化系よりの変化系とか、具現化系よりの変化系とかもあるので、変化系が得意系統と言えど、必ずしも変化系の習得率や威力が100%になるわけではないが。

 ともかく、変化系ならば変化系の威力を100%近く発揮出来るとしよう。今のドラゴンを模した念能力に籠められたオーラの総量は経験則のおかげで観れば大体分かる。そこから実際の威力を触れてみることで計測し、籠められたオーラ量と実際の威力の差を計れば、自ずと答えは見えてくるわけだ。

 変化系が籠められた念能力の威力は、籠められたオーラの総量からして約60%程だった。つまり、ゼノさんは変化系から2つ離れた系統である放出系か特質系を得意としている可能性が高い。そしてゼノさんが自身を強化している動きからして、強化系も得意としていると見た。つまり、十中八九強化系と隣り合っている放出系が得意系統であると予測される。

 もちろん、例外が多い特質系という可能性は少なくともあるが。

 

「なるほど……嘘ではないようじゃの。楽しくなってきたわい」

「お養父様! 助太刀いたします!」

「大旦那様! 加勢いたします!」

「どれ、オレも混ぜてもらおうか」

「……私、全然楽しくないです」

 

 ああ、早く目覚めてミルキ……。あと、さりげに入ってくるなシルバさん!

 

 

 

 

 

 

 ミルキが男立ちをしたまま意識を失った日から1週間が過ぎた。あれは思い出したくない事件だった……。

 幸い2時間ほどでミルキの意識は戻り、事なきを得たが……執事さんからは謝られたけど、キキョウさんは舌打ちしてたなぁ。ゼノさんは大笑い、シルバさんも苦笑していた。

 キキョウさんに至っては私がミルキを操作系で操ったとまで言い出す始末。この人は本当に苦手である。

 

 まあいい。もうゾルディックから出て行くんだ。キキョウさんと会うことはもうないだろう。ようやくゴン達の現在位置が分かったのだ。

 

「長い間お世話になりました」

「うむ。また来るといい。歓迎するぞ」

「キルに会ったらよろしく頼む」

「いいですか。キルを危険から命を賭けてでも守りなさい。そうすればあなたの今までの無礼を許しましょう。……色目を使ったら殺しますよ」

「……兄さんに手を出さないでねアイシャ姉さん。ミル兄さんならいいよ」

「おいカルト! あ、アイシャすまないな! ガキの言うことだから気にしないでくれ!」

 

 カルトちゃんとももう少し仲良くなれたらなぁ。大抵キキョウさんと一緒にいるからあまり話せなかった。でもなんで私を姉さんと呼ぶのさ?

 でもこんな小さな子どもから姉さんって呼ばれるのも悪くないな。

 

「いいですよ。私もそう言われるのは嫌じゃありませんし」

「ほ、本当か!?」

「ええ」

 

 可愛いものじゃないか。兄弟に姉がいなかったから私をそう呼んだのかもしれないし。

 

「でも本当に良かったんですか? ゾルディックの私用船まで借りてしまって」

 

 何から何までお世話になってるなぁ。やばい、どうやって借りを返そう?

 

「構わんよ。どうせ行きだけじゃ。それに、前の一件で迷惑も掛けたしの」

 

 あ、そう思えば借りを返す必要がない気がしてきた。まあ、何日も逗留してたからそっちの借りは返したいけど。

 

「それでは、皆さんありがとうございました。お元気で!」

「うむ、達者でな」

「さらばだ」

「せいぜい死なないように気をつけなさい」

「……ばいばい」

「グリードアイランドについて分かったらまた連絡するからさ!」

 

 皆さんに別れを告げて飛行船に乗り込む。何だかんだで楽しい時間だった。

 ミルキとは友だちになれたし、色んなTVゲームも楽しめた。シルバさんは厳格そうだけど、家族の話をした時にふと見せる優しい笑顔が良かった。ゼノさんとは一緒にいて一番安らいだなぁ。お茶を飲んでのんびりするのがほっとする一時だった。キキョウさんとカルトちゃんとはあまり仲良く出来なかったけど……。

 あと、時々見かける妖怪のような老人は誰だったんだろう? 

 

 まあいい。次の目的地に向かって出発するとしよう。

 

 

 

 

 

 

 ……行ったか。不思議な娘だった。年頃の少女のようでありながら、老獪な老人のようでもあり、鈍感かと思えば、鋭くこちらの意を見抜く。独特の魅力を持った人間だったな。

 ミルも見た目以外の所にも惚れてしまったようだな。それも本気でな。

 

「親父……頼みがある」

「……何だ」

 

 まあ、言いたいことは分かる。コイツも男だったと言うわけだ。

 

「あと半年でオレを使えるようにしてくれ」

「地獄を見るぞ?」

「んなもん生まれた時から見せてるだろ?」

 

 決意は堅いようだな。たまに見せる本気の眼をしている。

 

「いいだろう。半年後には一端の使い手にしてやる。お前がオレの修行に付いて来られたならな」

「やってやるさ!」

 

 これもアイシャがもたらした変化か。これがゾルディックにとって吉と出るか、それとも……。

 先の事は誰にも分からない、か。

 

 

 

 

 

 

 飛行船で飛ぶ事約4日。ようやく目的地に着いたようだ。

 目的地、というか、目的の人がいる場所と言ったほうが正しいか。

 

 私が会いに来た人はクラピカさんだ。

 ミルキに彼らの捜索をしてもらって1番最初に見つかったのはゴンとキルア。彼らはあの天空闘技場で選手として参加しているらしい。目的はよく分からない。修行か何かだろうか? ある程度の経験を積むにはいい場所だと思うし。

 

 次に見つかったのがレオリオさん。レオリオさんはどうやら故郷に戻って医者になる為の勉強をしている様だ。ハンター専用サイトに載っていたレオリオさんの住所を調べるとすぐに見つかったらしい。

 

 そしてクラピカさん。

 彼はどうやら仕事の斡旋所、それもかなり特殊な斡旋所を探していたようだ。千耳会といい、見つけるのも困難な場所にある仕事斡旋所。裏から表まで様々な仕事を実力者に斡旋しているようだ。

 

 これを聞いて私はすぐに思いついた。クラピカさんの復讐と悲願を。

 幻影旅団への復讐。そして恐らくは緋の眼の回収。これがクラピカさんが何としても成し遂げたい悲願だろう。

 

 だが今のクラピカさんでは幻影旅団が相手では万に1つの勝ち目もないだろう。

 念能力者と非念能力者の壁は厚い。さらには相手はA級犯罪者だ。実力は念能力者の中でも上位に入るはず。復讐を止めたところでクラピカさんが復讐を断念するとは思えない。彼の意思は途轍もなく硬いものだった。

 力ずくで止めることも出来るが、その為にはかなり過激な事をしなくてはならないだろう……。

 

 止めるのは無理。だがこのままではクラピカさんは確実に死んでしまう。

 だったら、彼に力を与えた方がいい。そう、念と言う名の力を。

 幸いにしてクラピカさんはプロハンターの資格を持っている。念を教える口実としては十分だ。

 

 復讐の為の助力をするのは少し躊躇われるが、クラピカさんの命には代えられない。そのせいで幻影旅団の誰かが死ぬ事になろうとも……。知らない犯罪者よりも友達を優先させてもらうだけだ。

 

 クラピカさんを尾行しているゾルディックの手の者の反応はここか。彼が持ってる発信機から送られてくる信号をミルキにもらった受信機で見ながら辿る。

 

「お疲れ様です。これがミルキの受信機です。どうぞ」

「……ありがとうございます。目標は現在前方約30m付近を移動中です」

「はい。こちらでもすでに確認しています。ありがとうございました」

「……仕事ですから」

 

 そう言ってゆっくりと去っていく黒服さん。……渋い。

 さて、クラピカさんとの再会だ。

 

 

 

 

 

 

 ……どういうことだ?

 ようやく目的を達成出来そうな仕事を斡旋する紹介所を見つける事が出来たというのに、門前払いだと? 最低条件を満たしていないと言うが、一体何が最低条件だと言うんだ?

 ライセンスを持っているだけでは駄目。そして彼女が言った言葉に、私の試験はまだ終わっていないとあった。

 試験が終わっていない? つまりプロのハンターとしてまだ何かが足りない? それは何だ? 力か? だが単純な力ではなさそうだ。彼女の横に何があった? 私には何も見えなかったが、それが見える様になるのが最低条件。

 つまりプロハンターの者ならば――正確には今年度のプロハンターではなく、熟練のプロハンターなら見えぬモノが見えるということ。

 ……ハンターサイトを使って調べてみるか。何か分かるかもしれない。

 

 そんな時、聞いた事のある声が私の耳に届いた。

 

「クラピカさん!」

「――! アイシャか!?」

 

 何でここにアイシャが? 今まで一体何をしていたんだ!?

 

「お久しぶりですクラピカさん」

「あ、ああ。久しぶりだなアイシャ。元気そうで何よりだ。ハンター試験の後、どこを探してもいなかったから皆心配していたんだぞ?」

「す、すいません……実は大怪我を負って1ヶ月ほど入院していたんです」

「なに!? もう体は大丈夫なのか?」

 

 見たところどこも悪そうには見えない、試験の時と変わらぬアイシャだな。……いや、服装が大分違うな。こんな服を着るのか。やはりアイシャも女性という事だな。

 

「はい。もう治りましたから」

「そうか。それなら良かった。しかしそういう理由が有ったなら仕方ないか」

「クラピカさんも試験に合格したようで何よりです。……キルアは残念でしたが」

「そうか、試験の顛末は聞いているのか?」

「ええ。……皆さんがゾルディック家に訪問をしたことも聞きました」

 

 そこまで聞いているのか……アイシャがここにいるのは偶然か? 何か……そう、何か作為的なモノを感じる。

 

「アイシャ、どうしてここにいるんだ? 私達が再会したのは偶然か?」

 

 単刀直入に聞いてみるか。アイシャが私を騙すとは思いにくい。……いや、思いたくないと言った方が正確か。仲間を信じたいんだろう。センチメンタルな事だ……。あのような短い期間で友と呼べる仲間が出来るとは思ってもいなかったな……。

 

「いえ、偶然ではありません。実はクラピカさんに用が有ってここに来ました」

 

 どうやら意図的に私の所へ来たようだ。だが、どうやって私の居場所を知ったのだろう?

 

「あと、クラピカさんの居場所はゾルディックの方達に調べてもらいました。すいません、勝手な事をして」

「何だと? ……ゾルディックとどういう繋がりがあるんだ?」

 

 あのゾルディックにそんな頼み事が出来るなんて!?

 アイシャ……お前は一体何者なんだ?

 

「繋がりも何も……私も今回初めてゾルディックに行きましたよ……皆さんがゾルディックに訪問なんて無茶をしたと聞いたから追いかけたんです……着いた時には皆さん出て行った後でしたけど……」

 

 そうか……私たちを心配してゾルディックまで。それなのに私はアイシャを疑ってしまった……。

 

「……すまないアイシャ」

「いや、いいんですよ。私が勝手にしたことですから。それよりも皆さんが無事で良かったです。自殺ものですよ? 今の実力でゾルディックに行くなんて」

 

 いや、謝ったのはそういう意味ではないが……まあいいか。

 

「しかしよくあのゾルディック相手に人探しなんて頼み事が出来たな」

「話すと意外といい人達でしたよ。職業はちょっと許容出来ませんけど」

 

 いい人達、か。いや、私もゾルディック家の人間をそんなに知ってる訳ではないが、そう言えるのはアイシャくらいではないのか?

 

「それで、私に何の用が有ると言うんだ?」

「ええ、そうですね。本題に入りましょうか。まず1つ確認が。クラピカさんは幻影旅団への復讐を諦めたりはしていますか?」

「諦めるわけがない……! 諦められるモノか!」

 

 そうだ。例え誰に何を言われたところで幻影旅団に対するこの黒い感情を捨て去る事など出来るわけがない! あの連中がのうのうと今も生きていると思うとそれだけでこの眼が緋の眼に変わりそうだ!

 

「そうですか、分かりました……やはり貴方には念を教えないといけない様です。クラピカさんは“念”というモノをご存知ですか?」

「念? 何かの隠語か?」

 

 感謝の念や念願といった用途で使われる意味合いの念とは違うのだろう。それならこんな風に話を切り出す意味がない。

 

「やはり知らないようですね。……“念”とは、生命が持つオーラと呼ばれるエネルギーを自在に操る能力の総称です」

 

 ……いきなり胡散臭くなったのだが?

 もしやアイシャは何かの宗教に入っているのだろうか? ならばここはアイシャには悪いが、私がこの手の勧誘を断る為に使うお決まりの文句を言わせてもらおう。

 

「すまない。私は部族で崇める精霊が――」

「――宗教の類ではありません!」

「そ、そうか。それは済まないが、いまいち信用ならないモノだったので、つい」

「ま、まあ突然あんな事を言われたらそう思うのも当然ですね。……ちょっと付いて来てください。実際に見せた方が早いです」

 

 そう言って私を街の外に連れ出すアイシャ。実際に見せると言われてもな……アイシャが下らない嘘を吐く奴じゃないのは分かるが。

 

 街から離れ、誰もいない荒野まで辿り着いた。どうやら念とやらはあまり他者に見せていいものではないようだ。本当にそんなモノが有ったとしたならばだが。

 

「いいですか? 今から私がこの岩を殴ります」

「この岩って……この大岩をか?」

 

 どう見てもアイシャの背丈の五倍はありそうな大岩だ。まさかこれを殴って砕くと言うのか!?

 

「いえ、殴るのはこっちの岩です」

 

 大体アイシャの半分ほどの岩だ。これならば時間を掛ければあの試しの門を開いた今の私なら壊すことも出来そうだ。

 

「いきますよ。ふっ!」

「――! 流石だな。まさか一撃で砕くとは」

 

 やはりアイシャの実力は私を上回っているようだ。いや、力だけで全てが決まる訳ではないが。だが力は最も分かり易いバロメーターの1つだからな。

 ……もっと鍛えよう。女性に力で負けているというのはやはり辛い。いや、もしやこれが念とやらの力か? なるほど、アイシャの力の秘密はここにあったのか。

 

「確かに。念とは凄まじいモノだな」

「え? 今のは念を籠めていない普通の打撃ですが?」

 

 ……鍛えよう。絶対に鍛えよう。

 

「今の私では生身でこの程度の岩を砕くのが精一杯ですが」

「いや、充分だ。とても充分だ。大事な事なので2回言わせてもらう」

「あ、ありがとうございます。次は念を使ってこの大岩を砕きます。少し離れて下さい、破片が飛んで来るかもしれませんから」

 

 その言葉に従い大岩から離れる。本当にあんな巨大な岩が人の力で砕けるのだろうか?

 

「見ててくださいね」

 

 アイシャがそう言いながら大岩に向かって軽く、本当に軽く拳を振るった――瞬間、大岩は粉々に砕け散っていった。

 

 ……いま、私は開いた口が塞がらないという言葉を文字通り実感している。

 人が、こんな大岩を砕くだと? そんなことが……だが現実に目の前で起こった事実だ。大砲を使ってもここまでの破壊にはならないだろう。

 

「これが拳をオーラで強化した結果です。……納得してもらえましたか?」

「あ、ああ」

「それは良かった。これで無理なら次は空でも飛ぼうかと思ってましたよ」

「念はそんな事まで可能なのか!?」

「いえ、それは人によります。細かい事は後で教えますが、念は人によって出来ることが変わりますので。私に出来ることがクラピカさんに出来るとは限りませんし、逆もまた然り。クラピカさんに出来ることが私には無理という事も当たり前に有り得ます」

 

 どうやら念と一言で言っても色々とあるようだ。

 

「この念というモノを私に教えてくれるのか?」

「ええ、その通りです」

 

 それは本当に有難いことだ。私が事を成すには力が必要だ。それも誰にも負けない、幻影旅団にも負けない力が。

 だが――

 

「どうしてアイシャは私に念を教えようと思ったんだ?」

 

 そう、アイシャが私に念を教える理由が分からない。これほどの力だ。一般的に広まっていれば私が気付かない訳が無い。つまり念とは一般的に秘匿されるべき力だろう。そんな物を気軽に私に教えてもいいのだろうか?

 

「……元々念能力はプロハンターに必須の能力です。プロハンターは危険と隣り合わせの仕事ですから、念を習得していない新米プロハンターにはそれぞれ講師が就くことがあります。もちろん例外もありますが」

 

 ――! そうか、あの斡旋所での女性の言葉! あれは念のことを指していたのではないか!?

 

「アイシャ! そのオーラとやらは目に見えないモノなのか!?」

「念能力者であるならばその眼に捉える事は出来ます。というか念能力者以外は見えません」

 

 やはりか。これで疑問が解けた。これだけでもアイシャには礼を言わなくてはならないくらいだ。

 

「そして念を教える一番の理由ですが――」

「幻影旅団も念を使えるのだな」

「……その通りです。プロハンターは皆、資格を持ったばかりの新人を除き全員が念能力者です。そんな彼らでも捕えるのが至難と言われるA級犯罪者幻影旅団。彼らが非念能力者であるはずがありません」

 

 ……アイシャが前置きに幻影旅団について話したのはそういう事だ。

 

「今のクラピカさんが幻影旅団に挑んだところで敗北は必至。……私は貴方に死んで欲しくない。と、友達ですから」

「アイシャ……ありがとう」

 

 ああ、本当に私のような人間には勿体無い友人だよ君は。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十二話

今回はオリキャラが登場します。


「――と、以上が念の基礎的な要素となります」

「……纏・絶・練・発の四大行か」

「はい。纏で普段垂れ流しになっているオーラを肉体の周囲に留めます。基本中の基本ですが、最も大事な技能です。これが出来て初めて念能力者への道が開けます」

「私にも出来るのだろうか?」

「もちろんです。念は誰もが内に秘めている力。努力さえすればどんな人間にも使うことが出来ます。……それ故この能力は一般に拡めてはならないという暗黙の了解があります」

 

 もし一般人に念の知識が拡まったらとんでもない事態を引き起こすだろう。混乱するだけならまだいい。だが確実に犯罪は過激化し、念を使って様々な事件が多発してしまうだろう。

 それは殆どの念能力者が望んでいないことだ。例えブラックリストに乗るような念能力者でも無駄に念を拡めるような真似はしない。それが巡り巡って自分の首を絞める事になりかねないからだ。わざわざ自分のアドバンテージを捨てるバカはそうはいないだろう。

 

「そして絶。纏で作った念や肉体から漏れ出ているオーラを絶つ技術です。気配を消したりするのに便利ですし、疲労回復の効果も望めます。オーラを外に出さず内部で循環させる事で疲労や怪我が癒えやすくなるのです」

「ふむ。便利なものだな」

「隠密をするには必須の技術ですね。戦闘に置いてもかなり重要になりますよ」

 

 絶を応用した隠は高度な技術が必要だが戦いの中で虚を突くのに非常に有効だ。熟練した隠の使い手なら並の凝を以てしても見抜くことが出来なくなる。

 

「練は纏で生み出したオーラを増大させる技術です。纏よりも莫大なオーラを生み出すので潜在オーラ――これは術者が内包しているオーラ総量のことです――が多量に消費されますが、それに見合う効果を持ちます。練で増大出来るオーラ量の多寡で戦闘の勝敗が決まる場合も多々あります」

 

 いかに技術で勝ろうとも100のオーラで10000のオーラに勝つのはまず不可能だろう。潜在オーラと顕在オーラを増やすのは念能力者にとって当然の理となる。

 

「そして発。生み出したオーラを自在に発する技能。これによって出来る事は千差万別。誰もが出来る発もあれば、その術者にしか出来ない発もあります」

 

 誰にでも出来る発とは凝や硬による攻撃や念弾にオーラの形状変化といった、威力や精度に個人差はあれど修行さえすれば誰にでも出来る念技術のこと。

 誰にでも出来ない発は私の【天使のヴェール】や【ボス属性】、ネテロの【百式観音】といった個人の思想や性格、資質等によって作り出された念能力のことだ。これは個人の才能や能力の難度によって習得出来る限界がある。これらの発も再現出来ないことはない。同じ能力を考える人間もいるだろうし、資質さえ合えば可能だろう。まあ特質系に至ってはそれもほぼ無理だろうが。

 

「あとは基本の四大行を使った応用技もあります。ある程度のレベルになると応用技をどれだけ自在に使えるかが勝負の決め手となるでしょう。まあ、これに関しては基本を修めてからですね」

「分かった。……ところでアイシャ。念の修行はもう始めるのか?」

「ええ、時間は1秒でも惜しいですからね。……何かあるんですか? やり残したことがあるなら待ちますけど」

「いや、そうではないが……修行をするのならアイシャの事を師匠と呼んだ方がいいのだろうか?」

 

 はい? し、師匠!?

 

「そ、そんな! 今まで通りアイシャと呼んでもらって結構ですよ!」

「だが私は君に教えを乞う身だ。ならばやはり師匠と呼ぶべきだと思うのだが。いかに親しき仲といえど、けじめはつけるべきだろう?」

 

 そうかもしれないけど、そんなのはご勘弁だ! 友達にそんな呼び方されるのはちょっと辛い。なんか壁があるみたいだ……。

 

「友達同士でそんなのはおかしいですよ。是非呼び捨てでお願いします」

「……ではせめて修行の間だけ師匠と呼ぶのはどうだろう? 修行以外の時間は今まで通りアイシャと呼ぶというのは?」

「ですがそれだとクラピカさんは私のことを常に師匠と呼ばなくてはならないじゃないですか」

「え?」

「え?」

「何それ怖い」

 

 ……? あ! 前世の修行時代を参考にしてしまっていた!

 あれを修行の基本にしちゃいけないよね。あんなのマゾにしか……いや、マゾでも出来ないか。

 

「いえ、先ほどのは失言です。とにかく、私のことはアイシャで通してください。それが念を教える条件とします」

「そ、そうか。そこまで言うのなら分かったよアイシャ。ただし、私のこともさん付けではなく呼び捨てにしてくれないか? ……友達だろう?」

「――! はい! 分かりましたクラピカ」

「今後ともよろしく頼むアイシャ」

 

 良かった良かった。やっぱり友達ってのはこうじゃなくっちゃ。

 

「それでは念の目覚め方について詳しく教えます」

「ああ。頼む」

「念に目覚める為に必要なのは己のオーラを感じ取ることから始まります」

「オーラを? それはどうやって?」

「瞑想や禅といった精神を集中出来る状態で自分の身体にあるオーラを実感します。これは才能のある者でもかなりの時間を掛けて行われます」

 

「瞑想や禅か。自分の身体にあるオーラを感じ取る……難しいな。時間が掛かると言うが、どれほどの時間が必要なんだ?」

「そうですね。才能のある者だと半年ほどで目覚める事も出来るでしょう」

「半年!? そんなに掛かるモノなのか……」

「はい。ですがクラピカの才能、そして集中次第ではもっと早く目覚める事も出来るでしょう。ここで大事なのは信じることです。精神を落ち着け集中し、疑わずに信じること。オーラは誰しもが持っている力なのですから」

 

 それが念に目覚める一番の近道だ。HBの鉛筆をベキッとへし折ることと同じように出来て当然と思うことが大事なのだ。

 かつての私は集中なんて出来なかったから目覚めるのに長い年月が掛かったが、クラピカなら恐らく私などより遥かに、そう、比べ物にならない程早く念に目覚める事が出来るだろう。もしかしたら1週間足らずで纏を習得してしまうかもしれない。

 

 無理やり念に目覚めさせる方法もあるけど、これは正しいやり方ではない。確かに早く目覚めることは出来るが、このやり方で目覚めるよりも本来の順序で目覚めた方がいい。

 瞑想による点――心を一つに集中し自己を見つめ目標を定める――を行うことで、より纏が力強く安定しやすくなる。纏と点は密接に繋がっている。心の持ち様は念に事細かく現れる為だ。

 座禅を組むほどまで没頭はしないが、私でも点と纏は出来るだけ欠かさないようにしている。

 

「では道中は出来るだけ瞑想をしてオーラを感じるようにしましょう」

「分かった。……道中? どこへ行こうというのだ? 聞く限りには念の修行はここでも出来そうだが」

「はい、行き先は……天空闘技場です」

 

 天空闘技場に行くのには勿論理由がある。

 あそこは様々な格闘家や喧嘩屋がやってくる。その数は1日に4千人にもなるらしい。それだけの選手がいたならばそれなりの戦闘経験も積める。……あくまでそれなりだが。

 200階からは選手全員が念能力者になる。その実力は高いとは言いにくいが、それでも念能力者には変わりない。やはりこれも念能力者との実戦の足しにはなるだろう。

 それに人間の集中力には限界がある。常に禅をしたままいる事は難しいだろう。息抜きと修行を兼ねた一石二鳥と言ったところか。

 

 さらにあそこにはゴンとキルアもいるはずだ。もし彼らが念を習得せずに200階まで到達していたら大変だ。キルアなら無謀な戦いを挑まないとは思うが、ゴンは何か無茶をしそうで怖い。

 出来るだけ早めに行って様子を見なくては。

 

 

 

 と、言うことでまたも飛行船を乗り継ぎしながら1週間空の旅。ようやく天空闘技場に到着した……。

 

 才能って、やっぱりあるんだなぁ。あれか? 天に選ばれた人間って奴なのか? これほどの才能に出会ったのは久しぶりだ。リィーナでも2週間は掛かったのに……。

 まさか本当に1週間で纏を身に付けるとは……く、悔しくなんてないやい! ……ちくしょう!

 

「これがオーラか。不思議な感覚だ」

「……すぐに馴染みますよ。慣れれば寝ていても纏を維持する事は可能です」

「な、何か機嫌が悪くないか?」

 

 そんなことないよ~。ちょっとやさぐれてるだけだよ~。

 

「すいません。私は念に目覚めるのにかなりの年月が掛かったものですから、つい……」

「そ、そうなのか。意外だな。アイシャなら私よりも早く目覚めてそうなモノだが」

 

 いえ、私は皆さんより長く修行しているだけなので、才能という点では遠く及ばないんだよなぁ。

 

「とにかく、まずはおめでとうございます。これで貴方も念能力者への一歩を踏み出しました」

「ありがとう。だがまだ先は遠いのだろう?」

「勿論です。念は奥が深い。今のあなたはようやく両の足で歩き出した幼児に過ぎません」

「道は険しそうだな。だが、必ず成し遂げてみせるさ」

 

 クラピカの才能ならかなりの速度で上達するとは思うが、慢心は禁物だ。

 例え念そのものを極めても、それを使った実戦経験が伴わないと意味がない。少しでもここで経験を積めればいいのだけど……。

 ここで学ぶモノがなくなったら風間流の道場にでも行こうかな? リィーナに言えば念能力者の門下生を借りる事も出来ると思うし。

 

「取り敢えず天空闘技場で選手登録をしましょう」

「確か200階の選手は皆念能力者だったか」

「ええ、ですがそこに行くまでも修行ですよ。まずは200階まで到達してもらいます。……条件付きでですが」

「条件?」

 

 そ、条件付きだ。今のクラピカの実力なら200階に到達するのは簡単だろうけど、無駄に戦わすつもりはない。これも修行の内だ。

 

「はい。200階に到達するまでは全ての試合で敵の攻撃を避け続け、一撃も攻撃を受けずに勝ち上がってもらいます。これはガードしても駄目です」

「……もし一度でも攻撃を受けたら?」

「その時はギブアップをしてください。あと、纏はしたままで結構ですよ。戦闘中も纏を維持する訓練になります。あ、試合時間は確か3分間だったので、最初の2分間はこちらから攻撃をしないように」

「2分間も? それはかなり厳しいな……」

「これの目的は様々な攻撃に慣れることです。念能力には一撃受けると致命的な攻撃もありますので。敵の肉体をよく観て観察し、呼吸を読み、敵意や殺意といった意を感じとり、全ての攻撃を分析し、察知して下さい」

「……分かった。やってみよう」

「頑張ってくださいね。……ちなみに2分間逃げ続けるのは禁止ですよ? きちんと相手の間合いにいるように」

 

 例え格下相手とはいえ、攻撃を制限された状態で相手の攻撃を全て避けるのは難しい。上の階に上がれば上がる程困難な修行になるだろう。200階に到達するのは順当にいって2~3ヶ月、遅くて半年といった所かな。

 ……今何かフラグを立てたような気がしないでもない。

 

「そして試合のない時間は全て念の修行にあてます」

「ああ、無論だ。そう言えばアイシャは天空闘技場には参加しないのか?」

「え? 私は以前参加した事がありますが……また参加しても得るものはお金ぐらいしかないですし……どうしようかな?」

 

 お金が手に入ると言っても別段欲しいとは思っていない。現在も充分にあるし、ここで稼いだところでグリードアイランドには遠く及ばない。

 でも待ってるだけなのも暇なのは確かか。私が試合している時は私の試合を見学してもらえばいいし。他人の試合を見るのもいい経験になるだろう。それに天空闘技場に来る機会なんて多分もうないしね。

 

「そうですね。どうせだから私も参加しましょう」

「そうか。勿論アイシャも2分間攻撃を避けるんだよな?」

「え? え、ええ、勿論ですよ」

 

 ……やれと言った手前断ることが出来なかった。2分間攻撃を避け続ける……果てしなく面倒だ。まあ私の避け方が参考になればそれでいいか。

 

「では私が試合している時は必ず見学すること。観ることもまた修行ですよ?」

「ああ、では行くとしよう」

 

 

 

 そして天空闘技場での修行の日々が始まった。

 最初の試合は2人とも楽々勝利。この程度の相手に苦戦しているようでは話にならない。まあ、極端に運が悪ければ最初の試合で強者とぶつかる事もあるだろうけど。

 

 初戦に勝利したクラピカは10階へと登った。初戦で実力を見せると一気に上に登ることがあるが、まあ時間を掛け過ぎたのが原因だろう。

 私もクラピカに合わせて10階へと登ることにした。以前200階まで到達したことがあった為、いきなり100階まで行けと言われたけど。同じ階に合わせた方が都合がいいしね。

 

「取り敢えず何とかなったな」

「最初からつまづかれては困りますしね。今日はまだ時間もありますし、私たちは無傷です。恐らくもう一度試合が組まれるでしょう」

「そうなのか? まあ先ほどのレベルの相手ならば問題はあるまいが」

「大差はないはずですよ。むしろ最初の試合よりも安心です。何故なら強者は10階なんて飛ばして上に行きますからね」

「……ここにいるのはさしたる連中ではないと言う事か」

 

 そういうこと。でもあまり口に出さない方がいいと思う。周りの視線が痛いよ。……まあ、私の発言でも充分怒るか。

 

「さて、次の試合が終われば今日は試合もないでしょう。その後は念の修行……の前に、1つ私用があります」

「私用? 一体何の用事があるんだ?」

「ええ、実はここにゴンとキルアもいるんですよ」

「!? 本当なのか!?」

「はい。ゾルディックに調べてもらった結果なので信頼できる情報です」

「そうか。……ゴン達がここに来たのは恐らくヒソカに勝つ修行の為かもしれないな。彼らなら200階に到達するのも……待て、それはまずいのではないか?」

「はい。200階クラスは全員が念能力者です。ゴン達が念を知らずに200階に到達していたらかなり危険です」

 

 まだ200階に到達してなければいいんだけど……ゴンはともかくキルアなら確実に到達出来る実力を持っている。ゴンとてあの試しの門を開いているんだ。よほどの敵と当たらなければ200階到達は可能だろう。

 

「……次の試合が終わったら早速探してみよう。かなり目立つ2人のことだ。見つけるのは難しいことではないだろう」

「ええ……ん? どうやら私の試合のようです。それでは行ってきますね」

 

 特に苦戦はなくさくっと勝利……まあ、2分は掛かったのは仕方ないけど。

 続くクラピカも難なく勝利。ただ無為に攻撃を避けるのではなく、敵の動きをよく観察しようとしているな。感心感心。

 

 それではゴン達を探しに行くとしようか。

 

 

 

 

 

 

 ゴンとキルアはすぐに見つかった。

 どうやら既に200階の選手になっていたようだ。

 200階選手はあまり人数も多くはないらしい。さらにはあの2人の年齢だ、目立たない訳が無い。聞き込みをしてわずか数分程度で居場所が分かった。

 

 そしてアイシャの危惧していた通り、ゴンはもう200階で試合をした後だった。

 結果は惨敗。粘りはしたものの、相手選手から1ポイントも奪えずに敗北してしまったらしい。その時の怪我のせいで現在は療養中だそうだが、かなりの重傷らしい……。

 

「……」

「アイシャ……」

「……行きましょう。ゴン達は200階です」

「ああ。……ゴン達に念を教えなかった事を後悔しているのか?」

 

 そこまで気にすることもないだろうに。聞いた限りでは確かに不用意に教えるべきではない力だ。まだプロハンターの資格すらない当時の私達に秘密にするのは当然のことだろう。

 

「……そうですね。伝える機会を潰してしまったのは私のせいです」

「ハンター試験最終日のことか? ……あまり気にするな。君のせいではない。これは他の誰でもない試合に臨んだゴンの責任だ」

 

 誰かに強制された訳でもない、自分の意思で臨んだ戦いで負った傷だろう。ゴンも誰かのせいにするつもりはないだろうさ。

 

「さて、200階についたはいいが……ゴンのいる階は何階なんだ? 受付に問い合わせてみるか」

「……いえ、その必要はありません。もう少し上の階にゴンとキルアの気配があります」

「そこまで分かるのか? すごいな、私には分からん……」

「ええ、まあ。よく知っている人の気配なら……おかげで嫌な人間がここにいるのも分かりましたよ」

 

 嫌な人間? アイシャが他人をここまで悪し様に言うのは珍しいな。

 

「一体誰のことを言ってるんだ?」

「変態です」

「そうかよく分かった」

 

 ヒソカがここにいるのか。

 試験の後、蜘蛛についていい事を教えようと呟き、追いかけようとする私に“9月1日にヨークシンで待つ”と言い残し去っていったアイツがここにいる……。

 

 何か肩透かしな気分だな……9月に会おうと言っていたが、3月の今に会いそうなんだが?

 まあいい。気になっていたことだ。早く会えることは歓迎すべきだろう。

 ……アイシャは嫌がってそうだが。まあ私とて好んで会いたくはないな。

 と、考え込んでいる間にゴン達の部屋に着いたようだ。

 

「はいよー」

 

 ノックをすると中から返事が聞こえてくる。間違いない、キルアの声だ。こんなに早く彼らと再会するとは思わなかったよ。

 

「失礼します」

「失礼する」

 

 中に入ると、そこには椅子に座ったキルアとベッドに腰掛けて包帯で包まれたゴンの2人がいた。

 2人とも驚いているな。当然か、こんな場所で私達に、特にアイシャに会うとは思いもしなかった事だろう。

 

『アイシャ!? それにクラピカ! どうしてここに!?』

 

 ……息の合うことだな。綺麗にハモったぞ?

 

「……お久しぶりですね2人とも」

「あんな別れ方をしておきながら、意外と早い再会だったな」

「あ、ああ。そんな事よりアイシャ! お前今までどこにいたんだよ!? 色々聞きたいことがあるから全部聞かせてもらうぞ!」

「良かった。アイシャ無事だったんだね。試験の後どこにもいなかったから心配したんだよ」

 

 ああ、そういえばキルアは私達とゾルディック家で再会した時にアイシャのことを気にしていたな。……素直じゃないが、意外と可愛いところもあると思ったものだ。

 

「私のことはまた後でお話しします。それよりも……ゴン、あなたは念というモノを知っているのですか?」

「え? アイシャも念のことを知っているの!?」

「マジで? もしかしてアイシャも念を覚えたのか?」

「! お前達ももしかして念を覚えたのか?」

 

 キルアの言葉。これは自分も念を覚えたことを意味しているとしか思えない。

 名前も知っているとなると、誰かに教わったのか?

 

「……どうやら念のことは知っている様ですね。何時覚えたのですか?」

 

 ……怖い。アイシャから何か寒気のような物を感じるのだが?

 

「えっと、その……6日程前だけど?」

「ああ、私より少し早いな。私は今日覚えたばかりだ」

「へぇ、そうなんだ。一体誰に教わったんだよ? アイシャはどうなんだ? もう覚えたのか?」

「そうですか。……それで、試合をしたのはいつです?」

 

 ……キルアの質問を軽く無視してゴンに問い詰めるアイシャ。だから何か怖いのだが?

 

「……5日前だよ……です」

 

 語尾が何故か敬語になっているぞゴン。冷や汗もかいているようだ。いや、何故か私もキルアもかいているが……。

 

「……つまり念を覚えて次の日には試合をしたと。……念は独学で?」

「う、ううん。その、ウイングさんって人が教えてくれたんだけど……」

「そのウイングという人には念の危険性を教えてもらわなかったのですか? その人は念能力者との試合を許可したのですか?」

「いや、ちゃんと教えてくれたよ! 試合も2ヶ月は我慢しろって――」

「――だったら何故待てなかったのですか!!」

 

 ――!?

 アイシャが……あのアイシャがここまで怒ったのを見るのは初めてだな。それだけゴンの危険な行為に憤り、そしてそれ以上にゴンのことを心配しているんだろうな。

 

「念について甘い認識をして! 大怪我で済んだのは運が良かっただけです! 五体が不満足に、いえ、死んでいたかもしれないんですよ!?」

「……ごめんよアイシャ」

「まあこの馬鹿も反省してるよ。アイシャに言われたこと、オレにもウイングにも言われてるしさ。許してやってくれよ」

 

 素直に謝るゴン。さすがに自分が悪いと思っているようだ。キルアが言うに他の人にも散々言われたみたいだしな。

 アイシャもキルアの言葉を聞いて少し落ち着いたようだ。

 

「……そうですね、私も強く言い過ぎました。ごめんなさいゴン」

「ううん。アイシャは悪くないよ。オレが馬鹿な事したから」

 

 こうして叱ってくれる存在がいるのはいいことだぞゴン。

 

「思い込んだら迷わないのはお前の美点だが、少しは考える事も覚えなくてはな」

「う、クラピカまで」

「何を言う。私もアイシャから念について学んだが、あんなモノに覚えたての念で挑む気にはなれないぞ?」

 

 あんな大岩を粉々に砕くような奴らに念初心者の私達が挑むなんて自殺行為だろう。もっと研鑽を積んでからでないとな。

 

「え? クラピカってアイシャに念を教えてもらったの?」

「ああ、1週間程前にアイシャと再会してな。その時に教えてもらった」

「何だって? ……アイシャは何時念について知ったんだ?」

 

 そう言えば私も知らないな。ハンター試験の時には既に覚えていたようだが。

 

「……そうですね。もう、大分前のことです。昔過ぎて細かい事は忘れてしまいました」

「そんなに幼い時から念を覚えていたのか」

 

 そう言えば彼女は流星街の出身だったな。もしかしたら念能力者に拾われて育てられたのかもしれないな。

 まあ、ここは詮索しないでおくのがいいだろう。誰しも知られたくない事の1つや2つはあるものだ。

 

「じゃあハンター試験の時も念を使ってたのか!?」

「少しだけですが。まあ、ほとんどは絶で過ごしていましたが」

「なんだよそれ~! だったらオレ達に教えてくれたら良かったじゃんかよ~!」

「ええ、申し訳ありません。私もこんなことになるならもっと早く教えておけば良かったと思っています……」

 

 キルアの言葉に落ち込むアイシャ。

 それを見て慌てるキルア。

 ……うむ。傍で見ている分には面白いな。

 だがそろそろフォローを入れておこう。そうでないとキルアが可哀想だ。キルアも育った環境が環境だからな。女の子に対してどう接していいか良く分からないのだろう。

 

「まあそう言ってやるなキルア。本来、念とは悪用を禁ずるためプロハンターになって初めて教わる資格を得るモノらしい。アイシャも軽々と教える訳にはいかなかったんだ。念の危険性を知った今なら分かるだろう?」

「……分かったよ。そういうことなら、まあ、許してやるよ」

「そうですか。それなら良かった」

 

 ようやく部屋の空気が良くなってきたな。

 せっかく再会したのに雰囲気が悪くなるのもなんだろう。

 

「それでアイシャ。アイシャは今まで何をしていたの?」

「それだよ。お前本当にあのネテロ会長からボール奪ったのかよ? 試験の後はどこに行ってたんだ?」

「そうですね。取り敢えず私のことについて話しておきましょう」

 

 

 

 

 

 

「と、言うわけです。ここに来たのもあなた達に会いに来たのとクラピカの修行を兼ねてのことです」

 

 ネテロとの戦いをぼかしつつ、試験後の私の近況について皆に説明した。

 さすがに全てを打ち明ける勇気は私にはない。これで彼らに避けられたらショックで寝込んでしまいそうだ。

 

「……つまりボールを奪ったわけじゃなく、会長が攻撃しちゃったから相手の反則負けになったんだ」

「ええ、おかげで合格出来ましたよ」

 

 後から思えばあれってネテロの反則負けだったんだよな。あの時は【百式観音】を喰らったことで気が動転して気づかなかったけど。今回はそれを上手く説明に使わせてもらった。

 

「そしてその後会長にリベンジして重傷を負ったから1ヶ月程入院してた、と」

「はい。そういうことです」

 

 ……まあ、間違ったことは言っていない。リベンジも重傷を負ったのも本当のことだ。

 

「すいませんキルア。迎えに間に合わなくて……」

「別にいーよ。まあ、理由も分かったしさ」

「あの時のキルア、アイシャがどこにもいなくて不満そうだったもんね」

「んなことねぇよ! あ、アレはアイシャが試験にどうやって合格したか聞きたかっただけだよ!」

「ははは。まあそう恥ずかしがる事もないだろう。もっと素直に――」

「うっせぇ!」

「……やれやれ」

 

 ふふ。こうして皆で揃って話すのは楽しいなやっぱり。

 でもレオリオさんがいないのがちょっと寂しいかな。

 

「ていうかよくウチの実家に行って無事だったな」

「意外と話の分かる人達でしたよ? ゼノさんとは茶飲み仲間になれましたし、シルバさんとも時々話をしましたよ。キルアをよろしく頼むと言われました」

「ジイちゃんとオヤジと? お前どんだけだよ」

「ミルキにも色々とお世話になりましたし」

「ミルキに!? ……アイシャ、アイツに何かされたりしなかっただろうな?」

 

 ミルキに? どちらかと言うとキキョウさんに何かされそうだったけど……。

 

「何もされていませんよ。こうして皆と会えたのもミルキが居場所を調べてくれたからですし」

 

 強いて言うなら服の着替えぐらいか。今はまた元の服装に戻してるけど、あれはもう勘弁だ……。

 

「……ブタくんがねぇ」

「ゾルディックには本当にお世話になりました」

「あそこでそんな思いをするとは私には想像出来ない……」

「いいなぁ。オレもキルアの家族と会って話したかったなぁ」

 

 あそこの住人と会って話がしたいと言えるゴンも大概だな。

 

「それで、アイシャは念についてどこまで知ってんだ?」

「基本と応用については全て熟知していると思いますが」

 

 念は奥が深い。さすがに固有の念までは知り尽くすことは出来ない。いや、応用でさえもしかしたら私の知らないモノも有るのかもしれない。

 私が開発した『廻』も応用の1つ。誰かが新しい応用技を考案している可能性もあるだろう。

 

「そっか……なあゴン。ウイングじゃなくてアイシャに教わるってのは――」

「駄目だよキルア。どうせそんなこと言って、ウイングさんとの約束をなかったことにするつもりでしょ?」

「ちぇっ。お堅い奴だなぁ」

 

 ウイングっていう人との約束? 一体何の話だろう?

 

「その約束というのは?」

「ゴンがウイングとの約束破って勝手に試合したもんだからさ、今後2ヶ月の間は試合禁止、念の修行はおろか念について調べるのも禁止。それを守れなかったら念を教えないって言われたんだよ。この馬鹿のせいで」

「なるほど。ウイングさんという人はとても良い指導者の様ですね。きちんと念の危険性を理解しています」

 

 これは一度会って話をした方がいいかな? ゴン達が世話になってるようだし、一応どんな人か確認もしたい。

 

「ウイングさんはどこにいるか分かりますか? ちょっとお話したいのですが」

「ん~、近くの宿だけどさ。止めとけば? ちょっとイヤな奴もいるし」

「シオンさんのこと? でもあの人は正しい事しか言っていないよ」

 

 シオン……? 聞いたことがある名前だな。……まさか? いや、シオンなんてどこにでもいる名前か。

 

「シオンとは一体誰なんだ? その人も念能力者なのか?」

「ああ、ウイングと一緒にいた奴でさ。ウイングに念を教わろうとしているオレ達に止めた方がいいとか、間違ったことをとか、ウザってぇことばかり言うんだよ」

「でもオレ達を心配して言ってくれたことでしょ? 無理やり起こすのは本当は良くないってウイングさんも言ってたことだし」

「まあ、そのシオンという人がいるにせよいないにせよ、ウイングさんに会いには行きます。クラピカはここでゴン達と話をしていて下さい」

「だったらオレが案内するよ。宿の場所分からないだろ?」

 

 取り敢えず会って人となりを見てみよう。ゴンが信用しているから大丈夫だろうけど。

 

 

 

「ここだよ。中にいるみたいだな」

「そうですね。話し声も聞こえますし」

「おーいウイングさん、中に入るぜー」

「キルア君ですか、どうぞ」

「失礼します」

 

 中に入るとそこにいたのはウイングさんと思わしき男性と、ゴン達と同い年くらいの子ども。そして私の知るあの子の面影を持つ人がそこにはいた。

 

「いらっしゃい。おや、そちらの方は?」

「初めまして。私はアイシャといいます」

「これはご丁寧に。私はウイングといいます。よろしく」

「押忍! 自分、ズシといいます!」

「ボクはシオンだ。……よろしく」

 

 ふむ、やはりこの男性がウイングさんか。そしてこの子がズシ君と。そしてこっちの人が……。やっぱり私の知ってるシオンに似ているな。あの子が成長したらこんな感じになるだろう。本当に本人かもしれない。

 

「ゴン達がお世話になった様で、どうもありがとうございます」

「いや、お前はオレ達の保護者か?」

「何を言うんですか? 私はあなたのお父さんからあなたのことをよろしくと言われたんですよ? それに私の方が年上ですしね」

「1歳しか違わねぇだろうが!」

 

 ははは。実は130歳以上は年上だよ。

 

「おや、この歳で彼女がいるとは……キルア君も隅には置けませんね」

「それよりも自分はこの女性が自分より1つしか変わらないことに驚きっす……」

 

 彼女? ほわい? 誰が? 誰の?

 

「か、彼女じゃねぇよ! こいつはただの友達だよ!」

「ただの友達……」

 

 友達……キルアが私のことを友達と……。

 

「なんでてめぇは喜んでんだよ! それはどっちの意味で喜んでんだ!?」

「こんなに狼狽えてるキルアさんを見るのは初めてっす」

「ははは。いや、私は安心しましたよ。キルア君も年頃の少年だということです」

「うっせぇよ!!」

 

 ツッコミが忙しそうだなキルア。

 

「騒々しい。結局キミ達は何の用でここに来たんだい?」

「……アンタには用はねぇよ、用があんのはウイングさんにだ」

 

 シオンさんの言葉に対して険のある返し方をするキルア。何か本当に嫌ってるな……。

 

「私に? 一体どうしたんですか?」

「用があるのは私でして。ゴン達が迷惑を掛けたことのお詫びと、ゴン達に念を教えたウイングさんと少しお話がしたくて参りました」

「……君も念を学びたいのかい?」

「いえ、私はすでに念を修めています。失礼ですが、ウイングさんの流派は? それとも念は独学でしょうか?」

 

 もし独学ならゴン達に念を教えるのは辞めてもらおう。彼らは今が一番大事な時期だ。生半可な知識を与えて放り出されては困る。

 

「いえ、心源流にて師の下で念を学びました。一応は師範代として弟子の指導を任せられている者です」

「ああ、それなら良かった。心源流の方なら安心して任せられます。ゴンとキルアをよろしくお願いします」

 

 どうやらとても性根の真っ直ぐな好青年のようだ。

 オーラも力強く安定しており、周りを包み込むように暖かい。信頼出来る人で安心した。それに師範代ともなれば念についても問題ないだろう。

 

「ええ。彼らの様な才能の持ち主を腐らせるのは私としても惜しいと思っています」

「だったら尚更ゆっくりと目覚めさせるべきだったのだ。キミともあろう者があのような外法なやり方で念を目覚めさせるなど……」

 

 シオンさんがウイングさんに詰め寄って抗議している。どうやら念の目覚めさせ方に文句がある様だ。まあ私も外法なやり方で念に目覚めさせるのは反対だけど。今回はまあ仕方ないとしよう。

 

「それは……申し訳ないとは思っています。ですがあの時目覚めさせなければ彼らは念に目覚めぬまま能力者と戦っていたかもしれない」

「だからその戦いこそを諦めさせれば良かったんだ。君なら多少強引にでも止めることが出来ただろう。彼らに才能があるのはボクにも良く分かる。だが、だからこそ正しい教えを与えなければならないのだろう? 念を軽んじた結果があれだ」

「……これだから嫌だったんだよここに来るの」

 

 成程、キルアが嫌がったのはこういうことか。

 言ってることは正しく、決して間違ったことじゃない。でもその言葉の中には正しさが前に出すぎて相手の事情や感情が入っていない。シオンさんがゴンやキルアを案じているのは本当だろう。けど、それで納得出来るキルアじゃないんだよな。

 キルアは感情で動くことが結構あるからな。苦手なんだろうなこういう人が。

 でも何だかシオンさんを見ていると違和感を感じる。一体なんだろうこの違和感は?

 

「あの、貴方も心源流の方ですか?」

「いや、ボクは風間流の門下だ。心源流ではないよ」

 

 やっぱりか。多分間違いない、この人は私の知ってるあのシオンだろう。

 いやぁ、懐かしいなぁ。こんなに成長して……最後に見たのはこの子が12、3歳だったから、今は26歳くらいかな? リィーナに憧れていて、小さいながらも懸命に修行していたのを覚えているよ。リィーナもシオンに才能を感じたのか指導に熱を入れてたよなぁ。

 

「シオンは私の古い友でして。よく共に武の研鑽を積む仲ですよ」

「フ、勘違いするなよウイング。ボクとキミは好敵手であり、決して友などと言う間柄ではない」

「また貴方はそういうことを……確かに好敵手ではありますが、お互いの師も仲睦まじいのですから、長い付き合いでもありますし私たちも――」

「巫山戯るな! そのような戯言を聞くと思っているのか!」

 

 顔を赤くして怒鳴るシオン。何でそこまで怒っているんだろう? そんなにリィーナとウイングさんのお師匠さんの仲が良いのが嫌なのか?

 ……ん? リィーナと仲が良い心源流の人間? それってもしかしてビスケのことかな?

 

「……失礼した。少し頭を冷やしてこよう」

 

 そうして踵を返して退出するシオン。

 うーん。カッとなりやすいところは治ってないなぁ。興奮するとどもったり緊張して慌てたりとかしてたな昔は。

 

「いや、申し訳ない。時々ああして怒られまして。長い付き合いですが未だに彼の怒りのツボは中々分かりません……」

 

 ……ん? 今、何かおかしな点が。

 

「やだねぇ。ああ言うヒスな男ってさ。オレの母親みたいなヒスな女も嫌だけどよ」

「はは、そう言わないでやってください。彼も悪い人ではありませんから」

「シオンさんには念の手ほどきでお世話になる事もあるっす! いい人っすよ」

 

 ……うん。もしかしてウイングさん。いや、キルアもズシ君も勘違いしているな。

 

「あの……」

「どうしましたアイシャさん?」

「いえ、その……」

「何だよアイシャ、歯切れが悪いな。はっきり言えよ」

「ええ、シオンさんの事なんですが……」

「シオンさんがどうかしたっすか?」

 

 これは言ってもいいことなんだろうか? もしかしたらあの子が秘密にしていることなのかも……。

 でもそんなことは……あの子はアレが残念だからなぁ。本当にただウイングさん達が勘違いしているかもしれない

 

「彼がどうしたんですか?」

 

 ……ああ! もういいや、言っちゃえ!

 

「シオンさん、女性ですよ」

『……………………え? ……………………いや、え?』

 

 ……まあ、勘違いしても仕方ないかもしれない。成長していたけど、胸は残念だったしなぁ。分けてあげたいくらいだ。正直こんなのいらないし。まだ大きくなるしなぁ。

 

 

 

 

 

 

 ああ~、私のバカバカバカ!

 どうしてあんなイヤミな言い方ばかりしちゃうのよ! はぁ、ウイングに嫌われたりしないかな……?

 

 あんな風に出て行って……うう、もし嫌われたらどうしよう……。

 でもウイングが悪いんだよ! わ、私と仲睦まじいなんてそんなことを言うから!

 ……なか、むつまじいウイングと私……。

 

 あ、いけない鼻血が……。

 

 落ち着いて、落ち着いて素数を数えるのよシオン。

 2・3・5・7・11・13・17・19……。

 

 ふぅ、落ち着いた。幼き頃にリュウショウ様に教わったこの精神安定法はとても良い効き目ね。さすがはリュウショウ様! リィーナ様の師だけのことはある!

 

 でも、ウイングの前にいる時のあがり症はこれでも何ともならないんだよね……。あんなセリフも言ってしまうほどテンパってしまうし……。

 

 “フ、勘違いするなよウイング。ボクとキミは好敵手であり、決して友などと言う間柄ではない(キリッ”じゃないよ!

 せっかくウイングが友達って言ってくれたのに……でも、友達なんて関係じゃ嫌なのは確かだし。その、やっぱり、こ、こここ、恋び、キャアアアアアア! ダメ! これ以上恥ずかしくて考えられないよぅ!

 

 もしウイングとそ、そんな関係になれたら、もう死んでもいい!!

 いややっぱりダメ! 死んだらウイングとの幸せな結婚生活が出来ないもの!

 子どもは何人がいいかな? 私は最低でも5人は欲しいな。ウイングも子どもが好きだろうし。ズシ君との会話を聞いていれば良く分かる。

 そう言えばズシ君には私も念について手ほどきしているんだよね。

 2人で一緒に子供の教育。こ、これは子育ての予行練習と言えるのではないかな!? そしてゴン君とキルア君も一緒に修行しながら家族の団欒を!

 

 ぐ! ダメだ、想像が膨らんでまた鼻血が!

 クールだ! koolになるのよ!

 23・29・31・37・41・43・47・53・59……。

 

 ふぅ、何とか収まった。私のこの鼻血癖も何とかならないものかな?

 

 でもこれもウイングが悪いのよ! ウイングが、あ、あんなにも格好良いから!!

 ああ、どうしてウイングはあんなに格好いいんだろう?

 凛々しい顔に鍛えられた肉体。健全な精神に少しずぼらな格好。よく寝癖が出来るのもシャツがはみ出ているのもチャームポイントだよね! それでいていざとなったらとても男らしい……こう、守ってくれるって感じ? 普段は優しいし、試合の時も私が女でも遠慮する事なく全力で戦ってくれるのもいい。手加減されるのは武術家の恥だものね。

 ああぁ、何もかもが素敵。ウイングが素敵すぎて生きるのが辛い……。

 

 はぁ、ウイングとずっと一緒に居られたらなぁ。

 でもリィーナ様から出来るだけ早く本部に戻ってくるよう連絡が入ってるし……。

 

 延ばせても精々1ヶ月くらいかなぁ。

 せめてそれまでにたっぷりウイング分を補充しとかなきゃ!

 




リィーナの直弟子シオンちゃん(26)。恋に生きる乙女(26)です。
ひんぬー担当でもある。ビスケ? あれはゴリ……ロリババァ枠だから……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十三話

 …………………………。

 静寂と混沌が場を支配している。

 私の一言。シオンが女性というこの一言で3人の男性が困惑している。こちらを見るその顔に題名を付けるとしたなら『なん……だと……?』といったところか?

 

「は、ははは。なるほどな、あまり笑えない冗談だぜアイシャ」

「あ、ああ。そうでしたか。いや一本取られましたね」

「じょ、冗談だったっすか! 自分、見抜けなかったっす!」

 

 ようやく意識が戻ったと思ったら私の言葉を冗談と受け取ったか。

 だが残念。現実は非情なのだよ。

 

「いえ本当の事ですが」

『……』

 

 いや、そこまで沈痛な表情をしなくても……。シオンが女性なことをそんなに認めたくないのか?

 

「むしろどうして気づかなかったのかと。キルアとズシ君はともかくウイングさんは長い付き合いなんでしょう?」

「いや、その、確かに10年以上の付き合いですが……その、シオンは一度も自分の事を女だとは……」

「でも男とも言ってないのでは?」

「……そうですね」

 

 どんだけ鈍感なんだこの人? 10年以上一緒にいて、しかも武を研鑽しあった好敵手なんでしょ? それで性別を間違えて覚えてるって相当だよ?

 

「アイシャが勘違いしてるだけってのは?」

「それはないですよキルア。相手の骨格や重心を見れば性別を判断する事は出来ますから」

 

 まあ、これも長い時を武術に浸って生きたことで身に付けた技能だな。人によっては骨格とかだけじゃ判断しにくい人もいるけど。

 もっとも今回の場合は初めから女性だと知っていたからだけどね。

 

「それってかなりすごいことだと思うっす……」

「で、では本当にシオンは女性……?」

「マジかよ……胸なんて全然なかったぜ……」

「胸で判断するのは失礼ですよキルア。そういう人もいるんです。むしろ希少価値と思いなさい」

 

 まあ、残念なことに変わりはないが……人によってはそれがいいと言う人もいるだろう。きっと。

 

「ま、待ってください。師範に確認してみます。あの人なら知っているかもしれない」

 

 そう言いながら誰かに電話をかけるウイングさん。師範という事はウイングさんのお師匠さんか? もしかしたらビスケかもしれないな。

 ……ちょっと会話を聴いてみよう。耳に全力で凝をして聴力を強化だ!

 

「……もしもし、お久しぶりです師範。今少しお時間よろしいでしょうか?」

『何よひよっこウイング。アンタが電話してくるなんて珍しいじゃない』

 

 うん。やっぱりビスケだな。縁は奇なものとは言うが、世界は狭いもんだ。

 ウイングさんがビスケの弟子ならシオンと近しい仲になっても不思議じゃないね。何せシオンはリィーナの直弟子に選ばれた子だったし。中々いい才能を持ってたもんだよ。順調に行っていれば師範代にはなってるとは思うんだけど、どうなんだろう?

 

「ええ、少しお聞きしたいことがありまして。……シオンのこと、覚えていますよね?」

『そりゃ当然だわさ。リィーナの愛弟子でしょ。私が忘れるわけないじゃない』

「そうですか……それで、お聞きしたい事なんですが……シオンって、その、じょ、女性の方なんでしょうか?」

『……あんた、どうやってそれを知ったの?』

「――っ! そ、それではやはりシオンは女性……!」

『そんなことは良いから答えなさい! アンタがそれに気付いたのはどうして!? 自分で気づいたの? それとも、誰かに教えてもらったの?』

「え? その、恥ずかしながら人に教えてもらい初めて気付きました……」

『……何てことだわさ!』

 

 えっと。何か話の雲行きがおかしいような。

 何でそんなにビスケは驚愕しているんだろう?

 

「師範? 一体どうされたので? な、何か不都合でも?」

『不都合も不都合よ! あんた何で自分で気付かなかったのよ!!』

 

 うわっ!? 聴力を強化しなくても聴こえる程の怒鳴り声!

 ど、どうしてそこまで怒っているんだ? シオンが女性だと気付かなかったウイングさんの鈍感さに怒っているんだろうか?

 

「も、申し訳ありませ――」

『――リィーナとの賭けに負けちゃったじゃない!』

「……は?」

 

 ……は?

 

『賭けよ賭けー! 私はアンタが自分で気付くのに賭けてて、リィーナは他人に教えてもらう方に賭けてたの! 弟子を信じた師匠の信頼を返しなさい全く!』

「……弟子で賭けをする事で失う信頼があることにも気づいてもらいたいのですが?」

 

 いや全くだ。何かと思えばくだらない。リィーナ、今回は少しお仕置きをしなきゃいかんようだな。

 

『ああもう、リィーナと約束していた2000万の買い物もパァ~よ! 大赤字じゃないこの鈍感ウイング! スープで顔を洗って出直して来なさい!』

 

 怒声とともに電話を切る音が響く……ビスケ、さすがに酷いと思うよ……。

 

「……はは、どうやら本当に女性のようですね。何故今まで気が付かなかったんでしょう……」

「ま、まあ仕方ないさウイングさん。オレだって男だと思ってたんだ」

「そ、そうっすよ! 自分も全然気付かなかったっす! 師範代がそこまで気に病む事はないっすよ!」

「シオンさんにも多少の原因はありますね。少しは女性らしい服装をすればもっと早く気付けたでしょうし」

 

 服装に関しては私が言えたことじゃないかもしれないけどね。

 

「そういえば以前心源流の道場にシオンが来ていた時、女子トイレに入っていくのを見たことが……」

『いや、それで気づけ(っす)』

 

 馬鹿なのかこの人は? 鈍感のレベルが一桁違うぞ? 絶対この人強化系だ。賭けてもいい。

 弟子のズシ君にさえ突っ込まれて落ち込んでいるようだが、フォローのしようがない。

 

「あの時はてっきりトイレを間違えただけかと……10年以上気付かないなんて……」

 

 ……こればっかりは自業自得というしかないな。

 

「と、とにかく一度シオンに会って謝らなくては!」

「……オレも謝っとくわ」

「自分も素直に謝るっす……あれだけ面倒を見てもらって気付かなかったなんて」

 

 キルアやズシ君はともかく、確かにウイングさんは謝った方がいいな。さすがに10年以上気付かないのはちょっと……。

 強化系って思い込んだら一直線な人って本当に多いなぁ。もうこの人が強化系以外には思えないよ。

 

 おっと、どうやらシオンが戻ってきたようだ。頭も冷えたかな?

 

 

 

 

 

 

 ようやく落ち着いた。鼻血も収まったし、これでまたウイングと顔を合わせられる。鼻血が出ている顔なんて見せられないもんね。

 

 ん? なんか部屋の空気が違う。ウイングも何故か緊張した面持ちで私を見ている。心なしかズシ君とキルア君も緊張しているようだ。

 変わりがないのはアイシャちゃんくらいだけど……一体どうしたんだろう?

 ……もしかしてさっき私があんな事を言ったから皆怒っているんじゃ!? た、大変だ! ウイングに嫌われたら生きている意味がなくなる! 早く謝らなくちゃ!

 

「すまない、先程は言いすぎた。少し冷静さを失っていたが、もう大丈夫だ」

「シオン……申し訳ありません!!」

「い、いきなりどうしたんだウイング!? ボクが怒鳴ったことを気にしているのかい? あれはボクが悪いのだから、キミが気にすることはないさ」

 

 突然謝るから一瞬告白の断りでもされたかと思っちゃったよ!

 すぐにそんな事はないって気付いたけど。何せ告白なんてした事ないものね。妄想の中でなら何万回もしてるけど……勿論答えは全部OK!

 でもたまには私からじゃなくてウイングから告白してくるパターンもありね!

 

 ああ、夢が拡がる……いけない、またも鼻血が……。

 61・67・71・73・79・83・89・97……。

 ふう、セーフセーフ。

 

「いえ、そうではありません。私はあなたに謝らなくてはならないのです……」

「……一体どうしたと言うんだい?」

 

 ど、どどどどうしたんだろうウイング!?

 こんなに思い詰めた顔をしたウイングは初めて見るよ!

 ああ、ウイング、そんな顔をしないで。貴方の笑顔を見るのが私の生きがいなのに……。

 

 でもこんな表情のウイングも素敵すぎる……。

 取り敢えず【映像記憶/オタカラフォルダー】を使って即保存っと。

 レア画像ゲット!! 今日はこれでしよう。

 

 それで、ウイングはどうしてこんなにも思いつめているんだろう?

 

「……申し訳ありません! 私は……私は今まで貴方の事を男性だと思っていました!!」

 

 ……ぱーどぅん?

 

「わりぃ……オレも勘違いしてた」

「申し訳ないっす! この通り、伏してお詫びを!」

「……キミ達は何を言っているんだ? ……ボクが男に見えていたと言うのかい?」

 

 ちょっと何言ってるか分かりませんね!?

 

 いや、え? その、なに? つまりどういうことなの?

 

 あれ? 私今までウイングに女として認識されていなかったの?

 

 え? ずっと私のことを男だと思っていたの?

 

「……アイシャさんに教えられ、初めて気付きました。このウイング一生の不覚です……なんとお詫びをしたらいいのか……」

「それは……あんまりだろうウイング。ボクはずっとキミと一緒にいたというのに……」

 

 そんな……ひどいよウイング。

 ウイングは、ウイングはやっぱり……………………。

 

 

 

 おっぱいの大きい女の方がいいんだ!! アイシャちゃんみたいに! アイシャちゃんみたいに!!

 

 ちくしょう! なんでこんなに成長しないんだ私の胸は! 乳製品は毎日飲んでいるし、バストアップ体操だってしている! 通販で買った胸が大きくなる薬もずっと飲んでいるのに……!

 

 どんなに努力してもちっとも成長しない……。

 うう、いっそ胸を大きくする念能力でも作ろうかな?

 

「……返す言葉もありません。友の……ライバルの性別すら間違えるなんて。私に出来ることがあれば何でも言ってください。せめてもの罪滅ぼしがしたいのです」

 

 ん? 今なんでもするって言ったよね?

 

 あ、やばい鼻血が!

 

 101・103・107・109ダメだ全然収まりそうにない! 刺激が強すぎたんだ!

 鼻血ブーな顔を見られるわけにはいかない! 早くここから逃げ出さないと!!

 

 何でも……。

 き、きききき、キスとかも、いいんだろうか!?

 っ! ダメだ! 何も考えるな! は、鼻血が吹き出そうだ!

 って!? 何でウイング追ってきているの!? 追いかけてくれるのは嬉しいけど今はそっとしておいてほしいよぅ!!

 

 

 

 

 

 

「あ! 待ってくださいシオン!」

 

 ウイングさんの声にも反応せず部屋を出て行くシオン。

 さすがにショックが大きかったか……。

 

「皆さん! 私はシオンを追いかけます。今の彼……いえ、彼女を放っておくわけにはいけません。わざわざ来ていただいたアイシャさんには申し訳ありませんが、話はまた後日に!」

「は、はい」

 

 そう言い残してすごい勢いでシオンを追いかけていくウイングさん。

 どうなるんだろう? 追いかけない方が良かったかもしれないけど……時間を置いた方がいい場合もあるだろうし。これは私でも予測出来ないことだ。ウイングさんが無事許してもらえるといいんだけど。

 

「えっと、それじゃあもう遅いですし、私達はそろそろ帰りましょうかキルア」

「ああ、そうだな。じゃあなズシ。早く200階に上がってこいよ」

「押忍! 色々とすいませんっす! 早くキルアさんとゴンさんに追いつけるよう、一層努力するっす!」

 

 何とも真面目でいい子だ。素直だし、ウイングさんとの相性も良さそうだ。

 このまま弛まぬ努力をすれば、ズシ君は将来きっと武道家として大成するだろう。

 さ、ゴン達も待っているだろうし、そろそろ天空闘技場に戻りますか。

 

 

 

「ウイングもすげぇよな。いくらなんでも10年以上一緒にいて気付かないってのもよ」

 

 天空闘技場まで道ながらにキルアと話しながら歩く。話題はやっぱりさっきのことだ。当事者の2人には申し訳ないが、第三者の立場からするとどうしても話題に上げてしまう。

 

「そうですね。まさか女子トイレに入るのを目撃しているのに疑問に思わないとは……」

「だよなぁ! はは、こりゃゴンとクラピカに話すのが楽しみだぜ」

「こらこら、あまり人の失敗を面白おかしく話すのは良くないですよ。ふふ」

「そういうアイシャも笑ってんじゃねぇかよ」

 

 それは仕方ないだろう。だって思い出すとやっぱり面白いし。

 

「まあ、ウイングさんは仕方ないとして、シオンさんは可哀想ですね」

「ん……まあな。ずっと勘違いされてたってのはキツイだろうな。でもシオンも紛らわしいと思うぜ。だって口調はああだし、服装も女らしくないしよ」

「まあ、それはそうですが……服装に関しては私もそうですよ?」

「いや、お前は……色々あれだからな。口調も顔も完全に女だし。シオンは顔は美形だけど、男にも見えなくもないって感じだし。こう、中性的っての?」

 

 確かに……何ていうか、その道に行けばものすごい人気が出るタイプだ。人気の元は主に女性だが。

 私だって小さい頃にシオンを見た時は男の子かと間違えそうになったくらいだしな。

 

「ところでさアイシャ」

「なんでしょうか? 念に関しては教えませんよ? ウイングさんとの約束があるんでしょう?」

 

 何だろう? 聞きたいことでもあるのかな?

 

「あの約束はゴンだけだからオレには関係ないよ。……まあ、念についてじゃない。いや、念も関わっていないわけじゃないけど」

「……? どうしたんですか一体?」

 

 本当に何を聞きたいんだろう? 念は関係してるけど、念について聞きたいわけじゃない?

 

「クラピカが念を覚えたのは今日だよな。アイツはアイシャ以外の念能力者を見たことがあるのか?」

「いえ、見たことはないはずです。念を覚えてからは、ですが」

 

 念を覚える前ならそうと知らずに念能力者と遭遇することはないとは言わないだろう。でもそんなことを上げていたらキリがないな。

 

「やっぱりそうか。……アイシャ、お前……どれだけ上にいるんだ?」

 

 ……え? 私がどれだけ上、高みにいるか。それが気になると。でもそれとクラピカの話に何の関係が?

 

「どれだけ上……ですか。まあ、少なくとも念初心者のキルアよりも上ですよ」

「だろうな。多分、お前はオレが想像出来ないくらい上にいる。そんな気がする……」

「どうして……そう思うんですか?」

 

 ……正直、いくらキルアが鋭いからといって、今の私の実力の底を見抜けるとは思っていない。だったらどうして? どうして私がそこまでの強さを持っていると思えるんだろう。

 

「正直、オレはゴンが戦った奴に脅威を感じなかった。勿論今のオレ達よりは上にいるのは分かる。だが、それは念に関してだけだ」

 

 どうやら天空闘技場の能力者の質はさして変わっていないようだ。中には強者もいるとは思うけど、思ったほどクラピカの実戦経験にはならないかもしれない。

 

「その念も大したモノじゃなかった。ヒソカやウイングの念と比べたら下の下。覚えたてのオレ達よりも少し上ってくらいだ。あんなのすぐに超えられる」

「そうでしょうね。キルアも、そしてゴンも素晴らしい才能の持ち主だと思っています。正直に言うと嫉妬したこともあるくらいですよ」

 

 もし、もし私に彼らの半分もの才能があったなら……そう思わずにはいられない程に圧倒的才能。天賦の才。

 

「でもその話と私がどれだけ上にいるかの話、どう繋がっているんですか?」

「……お前、クラピカに念を教えたんだよな」

「ええ、彼も非常に素晴らしい才能を持っています。わずか1週間で纏を身に付け――」

「――それだよ」

「……え?」

 

 クラピカの才能の高さと私の実力がどう結びついているんだ?

 

「ウイングが言っていた。オレ達なら1週間、もしかしたらそれより早く念に目覚められるかもしれないってな」

「……」

「そしてクラピカは1週間で目覚めた。つまりアイツはオレ達に匹敵するほどの才能を持っているわけだ」

「ええ、そうなりますね」

「そしてここが肝心のポイントだ。クラピカがゴンの部屋で言ったセリフを覚えているか?」

 

 クラピカのセリフ? 色々話したけど、気になるような事を言ってたかな?

 

「『私もアイシャから念について学んだが、あんなモノに覚えたての念で挑む気にはなれないぞ?』クラピカは確かにこう言っていた」

 

 ――! 素晴らしい……!

 あの何気ない会話の中から貴重な情報を見つけ、自身の経験と結びつけ、よくぞそこまで!

 

「オレ達と変わらない才能のクラピカが、挑む気にはなれない。そしてオレはゴンと戦ったような奴等相手に今でも負ける気はしない」

 

 ここまで予測出来るとは……正直侮っていたんだろう。どれほどの才能を持っていようと、まだ経験が足りない半人前と。

 

「ここまで言えばもういいだろ? つまりアイシャはクラピカやオレ達から見て遥かに高みに達しているってことだろう?」

「……脱帽です。僅かな情報でよくぞそこまで。感服に値しますよ」

「やっぱりかよ。他にも薄々とあったぜ? あの会長から攻撃を受ける程に追い詰めることが出来たんだろ? これだけでオレ達より強いってのは分かったよ」

「ああ、ただのマグレと受け止めてもらえたら良かったのに」

「アホか。んなわけあるか」

 

 だよねー。

 でも、今それを言うってことは……隠し事してた私とはもう友達じゃないなんて言い出すんじゃ!?

 

「そ、そそそそれで、わ、私が強さを隠していたかりゃもう絶交だと!?」

「いやなんでそうなんだよ! てかめちゃくちゃ焦ってんな!」

 

 マジで!? 絶交じゃないの?

 

「ふ、ふぅ。焦らせないで下さいよ」

「お前が勝手に焦ったんだよ。……別にそんなのでダチやめたりしねぇよ。誰にだって言いたくないことくらいあんだろうしな」

 

 おお……! キルアに後光がさして見える。

 

「ありがとうございます……いつか、いつか必ず皆に話しますね」

 

 ああ、そうだ。きっと話そう。友達に隠し事はないなんて、そんなことは言わないけど、それでも皆には話したい。それで拒絶されても……仕方ないさ。

 

「ああ。絶対だぜ」

「ええ。約束です」

 

 何か少し心のしこりみたいなモノが軽くなった気がする。

 キルアに感謝だな。

 

「キルア」

「あん? 何だよ?」

 

「ありがとう」

「べ、別にいいよ。……ダチだかんな」

「ふふ、そうでしたね。友達ですからね」

「嬉しそうにしてんじゃねぇよ! やっぱお前友達いなかっただろう!」

 

 な、何を馬鹿なことを! それを言うならキルアだって……はっ! そうだ。キルアに友達が出来たのは最終試験! そして私に友達が出来たのは!

 

「ふ! 甘いですねキルア! 私はあなたより早く友達がいましたよ!」

「嘘だろ! 誰なんだよ!」

「レオリオさんです! 最終試験の3日前に友達になりました!」

「……いや、馬鹿かお前は? それを言うならオレは試験初日にゴンと友達になったかんな!」

 

 なん……だと……?

 

「そ、それは卑怯です! 友達になろうなんて言ってないんでしょう!?」

「ばっか。レオリオが言ったんだよ。オレらはとっくにダチだってな! 友達ってのは、作ろうと思って出来るんじゃねぇ! いつの間にかなってるもんなんだよ!」

 

 キルアの言葉にがくりと膝が折れる……ふ、深い、何て深い言葉なんだ……!

 

「わ、私の負けです……」

「ああ、そしてオレの勝ちだ」

 

 くっ! キルアの勝ち誇った顔が小憎たらしい!

 

「ですが覚えておくことです。例え私を倒したところで第二・第三の私が……」

「いや、お前はどこのラスボスだ」

「いや、お前たちは何をしているんだ?」

『へ?』

 

 

 

 どうやらすでにゴンの部屋まで着いていたようだ。

 クラピカに突っ込まれるまで話に集中しすぎて2人共気付かなかった……恥ずかしい。キルアも心なしか顔が赤いようだ。

 

「全く。ここ200階にはあまり利用者がいないからいいものの。あまり迷惑になるようなことをするのはどうかと思うぞ」

「……ていうか何時から気付いてたんだよ」

「あ、友達がどうたらって辺りからかな」

「……ゴンもそこまで聞こえてたのなら声を掛けてくれたらいいのに」

 

 おかげで恥ずかしい思いをしてしまった。

 

「いやぁ、何か楽しそうだったし」

「まあ、友達がいるというのはいいことだぞ」

「うっせ!」

「ほっといてください!」

 

 こうしてしばらくは談笑しながら楽しい時間が過ぎた。

 だがそろそろ夜も遅い。私たちも宿に行かなければ。

 

「クラピカ、名残惜しいですがそろそろ行きましょう」

「ん、ああ、そうだな。そろそろ宿をどうにかしないとな」

「そういや2人ともまだ20階だったか。100階以上にならないと個室ないからなぁ」

「2人ともゆっくり上がっているんだね。2人ならもっと早く上がれるのに」

 

 仕方ない、それもクラピカの修行の為なのだ。

 

「2人が念の修行を再開する前に200階まで追いついてみせるさ」

「お、言いますねクラピカ。あと2ヶ月足らずであの条件の下にそれが達成出来ますか?」

「全部の攻撃を避けるんだっけ。大変だね」

「そうか? 結構簡単だろ?」

 

 キルアは戦闘技術はこの3人の中でもずば抜けているからな。多分同条件でも一度も負けることなく200階まで到達出来るだろう。

 

「勿論達成してみせるさ。それくらい出来なくてはな」

「そうこなくっちゃな」

 

 どうやら気負い過ぎているわけでもない。ゴン達に会ってモチベーションもいい感じに上がったようだ。これなら予想よりも早くに200階まで上がれるかな?

 

「あ、そうだ! ねえ、2人ともまだ宿はとってないんだよね?」

「ええ、そうですけど?」

「それがどうかしたのかゴン?」

「いいこと思いついたんだ! 2人ともこの部屋に泊まればいいんだよ!」

 

 え? でも眠る場所は? 見たところベッドは1つしかなさそうだけど。

 

「おいおい。また何言ってんだよお前は。そもそも眠る場所がないだろ?」

「え? ソファじゃダメかな?」

「ははは、気持ちは嬉しいがゴン、私はともかくアイシャは――」

「いいんですか? 一度友達とお泊りとかもやってみたかったんですよねぇ」

「なん……?」

「だと……?」

 

 今キルアとクラピカがかなりのシンクロ率だったような?

 

「ほ、本気で言ってんのかアイシャ?」

「ええ。ちょうどソファも2つありますし。先程見ましたが、お風呂も結構大きかったですよ。さすが200階選手の部屋ですね。豪華な部屋です」

「だが、アイシャは女で私は男なんだぞ?」

「私は気にしないから大丈夫ですよ。宿代の節約にもなりますし」

『いや私(オレ)が気にするんだ!』

 

 ん? どうしてキルアまで気にするんだ? 別の部屋のはずだけど?

 

「いいじゃんそんなの気にしなくても。それにやっぱりこうして休んでるだけって暇なんだよね。誰かいてくれると嬉しいし」

「ほら、ゴンもこう言ってることですし、遠慮せずお世話になりましょう」

「いや、遠慮してるわけではないのだが……」

 

 うーん、そこまでソファで寝るのが嫌なら仕方ないか。宿をとるとしよう。

 

「分かりました。それでは宿を取りましょう。幸いこの天空闘技場の周りにはたくさんの宿がありますし。……ゴン、すみませんがキルアもいるので大丈夫でしょう?」

「ふう……ところでアイシャ、宿は何部屋取るつもりなんだ?」

「え? それは1つのつもりで――」

「ゴン、すまないが個室を貰えるまで少し厄介になる」

 

 なぜに? 嫌じゃなかったのか? それとも私と2人きりになるのが嫌なんだろうか……?

 修行の効率と宿代節約を兼ねた一石二鳥のアイディアなのに。

 

「クラピカ!? ちぃっ!」

 

 キルア? いきなり部屋を飛び出したけど、どうしたんだろう?

 

「どうしたんだろうねキルア?」

「さあ? 何か気に障ることでも言いましたかね?」

「駄目だこいつら……早くなんとかしないと」

 

 お? 何かキルアがすごい勢いで戻ってきてるようだ。何しに出て行ってたんだろう?

 

「はあっはあっ! オレもここで泊まらせてもらうぜ!」

 

 そう言いながら恐らく自分の部屋にあったであろうソファを床に降ろすキルア……。

 わざわざそこまでしてここで泊まりたいなんて……キルアもお泊り会をしたかったんだな。

 

「全くそれならそうと言えばいいのに」

「お前が何を考えてるか分かんねぇが、全く見当外れな事を考えてる事は分かった」

 

 ははは。照れるな照れるな。

 

「それじゃ、ゴンの傷に障るといけませんからそろそろ休みましょう」

「うん。皆、お休み」

「どうしてこうなったんだ……?」

「駄目だ、天然は集まると手に負えねぇ」

 

 何か失礼な事を言ってる気がするけど、まあいいや。お休み~。

 

 

 

「すぅ、すぅ」

「ん……くぅ」

『羊が3211匹。羊が3212匹。羊が……』

 

 

 

 ……ん、ああ、日の光が眩しいな……朝か。

 くあぁ。ああ、よく寝た。今日もいい天気だし、体の調子もいい。いい1日になりそうだ。

 

「いいなクラピカ。絶対に最短で100階まで上がれよ!」

「無論だ。全力で試合に臨もう!」

「無傷だ。無傷で勝利しろ。そうすれば1日に2回試合を組まれる時もある。ある程度は時間短縮になるはずだ」

「ああ、分かっている。そう、全ては――」

『全ては快適な安眠の為に!』

 

 ……えっと。なに、あれ?

 

「ゴン、どうしたんですかあの2人?」

「分からない……オレも今起きたばかりだから……」

 

 何だか分からないけど……2人とも何か前より仲良くなった気がする。

 良いことなんだろうけど……本当に何があったんだろう?




新たな念能力の詳細を書いておきます。これも立派な念能力さ……多分。
ちなみにシオンは変化系が得意系統です。

【映像記憶/オタカラフォルダー】
・操作系能力
脳の記憶を司る部分を操作し、術者が見た映像を寸分違わず記憶して保存する能力。
保存した映像は術者の意思で自由に思い出せる。また設定した通りに映像を連続して脳内に映し出すことも可能。
頭の中に映写機があるようなもの。

〈制約〉
・ウイングを視界に入れている映像でないと保存出来ない。

〈誓約〉
・特になし。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十四話

「これでこのお泊り会も終わりと思うと名残惜しいですね……」

 

 たったの5日で100階に登っちゃった……個室も与えられたから今日からそこで寝泊りすることになった。まあ仕方ない。無傷で1日2回勝利したら最短5日で100階に到達するよね。クラピカもここまで順調に勝利している。少しは手古摺るかと思ったけど、100階以下だとまだまだ余裕のようだ。

 

「5日間……長かったな」

「良くやったクラピカ。オレは感動している……」

「本当にすごいねアイシャもクラピカも。あんな条件でこんなに早く100階まで登るなんて。オレは相手を思い切り押してただけだったから簡単だったけどさ」

 

 私はともかく、クラピカは本当にすごかった。何というか、鬼気迫る勢いで戦っていたな。相手選手もクラピカの気迫に飲まれていたところもあったと思う。

 

「皆で一緒にいるのは楽しかったんですが、まあこれも丁度いい機会でしょう。そろそろ点と纏だけでなく、次の修行にも移りたかったところですし」

 

 クラピカも纏には大分慣れたようで、寝ている間も纏を維持し続けることが出来るようになった。この5日間は念の修行は点と纏の繰り返しに努めさせていたからね。

 いくら才能があるといっても何事にも前段階というものがある。点と纏を疎かにした能力者に大成はない。

 

「ちぇっ。オレ達もゆっくりやってんだからクラピカものんびり行けよ~」

「悪いなゴン、キルア。2人が休んでいる間に先に進ませてもらおう」

「すぐに追いつくよ! だから先に行って待ってて!」

「ああ。私も200階まですぐに追いつく。だからゴンも早く怪我を治せよ。皆で強くなろう」

 

 うんうん、熱い友情に乾杯だ。私ももっと強くならなくちゃな!

 

「はい! もっと強くなりましょうね!」

『いや、アイシャは少しゆっくりしていてもいいぞ』

「あはは! 2人とも酷いや」

「2人とも、何か最近息があってませんか?」

 

 主にツッコミ役として。このお泊り会が始まってから妙にキルアとクラピカの仲がいい。まあ良いことなんだけどさ。

 

「それではこれで失礼しますね。ゴン、泊まらせてもらってありがとうございました」

「ではな。200階で待っていてくれ。世話になったなゴン」

「いいよ、また泊まりに来てもいいからねー!」

「やめろこのバカ。そんじゃな2人とも、早く上がってこいよ~」

 

 いやぁ楽しい5日間だった。これでまた1人部屋だと思うと寂しくなるな。

 仕方ない。またこうやって遊ぶ機会もあるさ。今はクラピカの修行に専念しなきゃね。

 

「それでは早速次の修行に移りますよ」

「ああ、望むところだ」

 

 

 

 それからは順調に進んでいった。

 試合も、修行も、両方とも順調に……本当に順調だった。……絶に掛かった時間は2日……練に至ってはたったの1日。もう凝とか出来るんじゃないか? その上、190階で一度相手の攻撃を受けたことによるギブアップでの負け以外は全て勝利。

 天空闘技場に着いてからわずか18日で200階に到達してしまった……。

 

「アイシャに2日遅れてしまったが、これで私も200階選手だな」

「ええ、そうです。まだ登録しに行かなければなりませんが」

 

 分かっていたけど本当にすごいな。

 対戦相手は確かに弱かったけど、それでも天空闘技場に来る前のクラピカではあの条件で勝利するのは至難の業だったはず。

 凄まじいスピードで成長している……! 相手の動きをよく観察し、動きを読み、様々な武術を学習し、さらなる強さへと変えている。それは強さの頂きを志す者なら誰もがすること。だが、そのスピードが並を遥かに凌駕している。

 

「少しずつ相手の動きが分かるようになってきた。何をしようとしているのか、どういう攻撃を繰り出そうとしているのか」

「どうやら観察眼が養われてきたようですね。ですがそれを過信しないように。生半可な実力で増長するのが一番危険なのですから」

「む……そうだな。私より強い者などいくらでもいるだろうしな」

 

 どうやら一度攻撃が当たった事が良かったみたいだ。もし一度も攻撃を受けずに全て勝利して200階まで到達していたら下手な自信を付けていたかもしれない。

 

 自信を持つのは良いことだ。何事も自信がなければ実力を発揮することは出来ない。

 だが持ちすぎるのは駄目だ。過ぎた自信は過信となり、慢心を生む。それは何時の日か己に災いを呼び込むことになりうるだろう。

 

「纏と絶の切り替えはどうですか?」

「ああ、初めは絶への切り替えが難しかったが、今では違和感なくスムーズに行える様になったよ」

 

 そうして目の前で纏と絶を何度も切り替えて見せる。ふむ。確かに上出来、あくまで初心者としてはだが。

 

「そうですね。まだ絶を覚えて2週間とは思えないほどスムーズです。取り敢えず合格ですが、この鍛錬も毎日怠らないように」

「ああ、分かった。……ところでこの鍛錬にはどのような意味があるんだ?」

「師の教えには疑問を抱かない……と、言うのは前時代的ですね。以前にも説明したように、絶は応用技でも重要になります。絶の練度を高めておくと応用技の時に非常に便利になります」

 

 例えば硬。これは纏・絶・練・発・凝を組み合わせた高等技術だが、この時、絶の切り替えが早いと硬へと至る速度も早くなる。攻防力移動の速度は念能力者にとって重要な課題だからね。

 

「練も見せてもらえますか」

「ああ。……ふっ!」

 

 ……成程。毎日欠かさず点と纏を繰り返しているようだ。力強さが練を覚えた時とは大違いだ。これなら初心者狩りと呼ばれる200階選手程度の攻撃なら全て弾くことが出来るだろう。

 

「ええ、これも合格点です。内部で練って蓄えたオーラを外へと出す速度も申し分ない。勿論これもまだまだ要修行ですよ」

「本当か! これで私も水見式とやらをやらせてもらえるのだな」

「ええ」

 

 嬉しそうだなクラピカ。修行の成果を認められたらそうなるよね。それに自分の系統も気になっていただろうし。

 

「それでは水見式を始めます。……このグラスに手を近づけて練を行ってください」

「こうだな。……グラスの中に不純物が出たが?」

「これは具現化系を表す反応ですね。クラピカは具現化系を得意とする系統だということです」

「……そうか。出来れば強化系がいいと思っていたのだが」

 

 一応前もって系統の説明はしていたけど、クラピカが望んでいたのは強化系だったか。クラピカが強化系を望んでいたのは恐らく強化系が戦闘において最も有利だと判断したからだろう。

 その考えはあながち間違っていない。攻撃・防御・回復と、純粋な戦闘で有利になる点が最もバランス良く整っているのが強化系だろう。極めれば通常攻撃が他の系統の必殺技と遜色ないレベルにまで高まる戦闘向けの系統だ。その上で他の系統を組み合わせた能力を作ると隙も少なくなるだろう。いい例がネテロだな。まあ、あれは別格すぎるか。

 その代わり大成するのに時間が掛かるのが欠点と言えば欠点かな。他の系統は一発逆転出来るような能力、ハマると強い能力を作りそれを活かせば大物食いも出来るけど、強化系はそうはいかないからな。純粋な実力が伸びるのは早いが、意外性が少ないとも言える。

 

「具現化系には具現化系の強さがあります。強化系と比べて見劣りするわけではありませんよ?」

 

 そう。純粋な戦闘で強化系に勝ち目が薄いのは確かだが、それなら純粋な戦闘をしなければいいだけの話だ。

 具現化系は具現化した物質に様々な効果を付与する場合が多い。それには上手く行けば相手を簡単に無力化することが出来る能力もある。

 

「だが、やはり蜘蛛と戦うとなれば安定した強さを持つ強化系が理想だったな」

「まあ、強化系の能力が覚えられないわけではないのですが……」

「習得率だったか?」

「ええ。この六性図に書いているように、能力の習得率はそれぞれの系統を頂点として最大100%。そこから隣へと移るごとに20%ずつ低下します。つまり貴方は強化系を最大で60%まで習得し、発揮出来るわけです」

「つまり純粋な肉体での戦闘では私は強化系に勝てない、と……?」

「いえ、そんなことはないですよ?」

「なに?」

 

 習得率が低かったらそれを得意とする系統には勝てない? そんなのは幻想だ!

 

「そもそも先ほどのは得意とする系統を100%極められるならの話。正直極めたなんて言える能力者は私の知る限りでもほんのひと握りしかいませんよ」

「……」

「さらには習得率で劣っているなら、60%で100%に勝るほどに実力をつければいいだけのことです。具現化系や操作系で強化系にガチンコで勝てないなんて決め付けるのは良くないですよ」

「く、ははははは! そ、そうか、確かにそうだな。私の強化系が60%しか極められなくても、それが強化系の100%を上回ればいいだけのことだな」

 

 むぅ。真面目に言ってるのに、笑うのいくない!

 

「潜在オーラの差、顕在オーラの差、攻防力移動の差、念技術の差、身体能力の差、体術の差、精神の差。例え体調をベストと仮定しても、これらの差で系統の差などひっくり返ることは大いにあります。……勿論系統の差が大きいのは否めませんが」

「分かったよアイシャ。私は私の系統で強くなる」

「それが大事ですよ。何事にも揺るぎない確固とした自分を持つことです。オーラは感情で大きく変わりますから」

 

 感情によってオーラが増大したり激減することは多々ある。普段以上の力を出すことも出来るけど……あまり無理なオーラを出すとそれは歪みとなって己自身に返ってくる。

 クラピカが蜘蛛への憎悪のあまり、感情を暴走させなければいいんだけど……。

 

「どうしたんだアイシャ?」

「あ、いえ……そうそう、具現化する物はよく考えた方がいいですよ。物質の具現化には凄まじい集中力・想像力を以てしても大量の修行が必要となりますから」

「……鎖がいいな」

「鎖?」

「ああ、具現化系と聞いた時にふと頭に浮かんだ……」

「それは今でも?」

「そうだ。これ以外はしっくりこない、そんな感じだ」

「分かりました。そのインスピレーションは大事です。これからは鎖を具現化する修行を行いつつ、他の修行を並行しましょう」

 

 何せ伝えなければならないことは沢山ある。

 制約に誓約。様々な応用技。どの系統でどんなことが出来るか。さらにはそれに合わせて基本の修行もしなければならない。堅の持続時間も伸ばしたいな。最低でも3時間は出来なきゃね。

 

 やっぱりビスケの助けを借りよう。私1人では時間が足りなさすぎる。ビスケの【魔法美容師/マジカルエステ】があれば修行のかなりの短縮が可能になるし。後で連絡してみよう。

 

「取り敢えずクラピカも200階の登録を済ませておきましょう。今日中にしておかないとまた1階からやり直しですよ」

「それは勘弁してほしいな。また攻撃を避け続ける苦行をしなくてはならない」

 

 2人でそんな会話をしつつ200階にあがる。

 ――が、どうやらすんなりとは行かないみたいだ。

 

「どうしたんだアイシャ?」

 

 急に立ち止まった私にクラピカが疑問の声を掛ける。だが私はそれに答えず目の前にある曲がり角を睨みつけて言葉を告げる。

 

「……いるのは分かってますよ。出てきたらどうですか変態」

「くくく。変態だなんて、相変わらずつれないなぁアイシャ♥」

「ヒソカ!」

 

 ……はあ。私が登録した時は出てこなかったのに。まあ、いないのを見計らって行ったんだけど。今回はどうやら待ち伏せしてたな? ずっと気配が動いていなかったし。

 

「それで、一体何の用ですか? 用がないならとっとと退いてください」

「確かにキミには用はない。いや、本当はすごくあるけど、ここじゃなんだしね♣」

 

 本当に嫌になるオーラだな。身の毛もよだつとはこのことだ。

 ま、人のことは言えないか。

 

「今はクラピカに用が有ってね。いや、まさか天空闘技場に来るとは思わなかったよ。意外に早い再会だったね♥」

「再会したいとは思っていなかったがな。どうせここで会ったんだ。蜘蛛について知ってることを洗いざらい話してもらうぞ」

 

 蜘蛛について? 幻影旅団について何か知ってるのかヒソカは? そしてそれをクラピカに教えようとしている……何かに利用しようとしてるな。クラピカもそれは分かっているだろうけど、それでも蜘蛛についての話なら聴かないわけにはいかないか。

 

「ああ、もちろん。でもこんな場所じゃなんだろ? ボクの部屋においでよ、そこで話そう♠」

「……分かった。アイシャはここで待っていてくれ。すぐに戻る」

「いえ、私も付き合いますよ。この変態が何をしでかすか分かったもんじゃありませんし」

「ボクはいいよ。むしろアイシャなら大歓迎さ♥」

 

 ……どうしよう。早くも帰りたくなってきた。

 

――変態説明中―― 

 

「――と言うわけさ。団長と殺り合いたいんだけど、ガードが固くてね。キミと手を組めば旅団を引っ掻き回せると思ったんだけど……♣」

「それを私が許すと思ってるんですか?」

「だよね♦」

 

 ふざけてるのかこいつは? 蜘蛛の団長と殺し合いをしたいがためにクラピカを利用しようとするなんて!

 

「待ってくれアイシャ。少しヒソカと話をさせてくれ。……ヒソカ、お前は旅団の一員なんじゃないのか?」

「うん。外面上はね♣」

「外面上?」

「団長と殺り合いたくて入っただけだし。今だって蜘蛛ってわけじゃない♠ ……まあ、キミ達にならいいか。信用を得る為に証を見せよう♦」

 

 そう言いながら服を脱ぐヒソカ。

 おい変態、何をするつもりだ? 襲ってきたら全力で排除するぞ?

 

「あれ? 恥じらったりしないの? そういう反応を楽しみにしていたのにな♥」

「マジで殺しますよ?」

 

 ダメだ、本気で殺意が湧きそうだ。もう殺っちゃってもいいんじゃないかなって思えてくる。……ああ、駄目だこいつ。私の発言で余計に興奮しちゃってるよ。誰か何とかしてくれ。

 ん? 背中に数字の入った12本足の蜘蛛の刺青。これが旅団の証か。

 

 っ! クラピカのオーラが!? 蜘蛛の刺青を見た瞬間に増大した!?

 眼が……緋の眼になってる。蜘蛛を見て感情が昂ぶったからか? しかし、だからと言ってこのオーラの増大は明らかに異常だ! 感情の変化で増大するオーラを遥かに上回っている! 心なしかオーラの質も変わっていないか? これは一体……?

 

「……すごいね。念を覚えてまだ1ヶ月足らずだろうに……ゾクゾクするよ♥」

「ふざけるな。さっさと証とやらを見せろ」

「分かったよ。……ほぅら。これでボクは旅団じゃない♠」

 

 蜘蛛の刺青が剥がれた? これは念能力か?

 

「これがボクの能力さ。紙に色々な質感を再現する能力でね。これで蜘蛛の刺青を偽造していたのさ♣」

「なるほど、よく分かった。お前が蜘蛛にとっての身中の虫だということがな」

「クラピカ!?」

 

 まさか本当にヒソカと手を組む気か!?

 

「安心していいよアイシャ。キミの大事なクラピカをどうこうしようと言うわけじゃない。情報交換を基本としたギブアンドテイクさ。互いの条件が合わなければ協力は無理強いなし。これなら安心だろ?」

「それに嘘偽りはありませんね……?」

「もちろんさ♥ じゃあボクと組んでくれるかなクラピカ?」

「……いいだろう。では早速お前の知ってる情報を聞かせてもらおうか」

「ああ。ボクの知ってる団員の名前、そして能力を教えよう。と言っても能力を知ってるのは7人だけだけど♦――」

 

 

 

 話を終え、ヒソカの部屋から出て登録を済ませた私達は与えられた部屋へと移動する。

 ……やはり気になるのはクラピカのオーラの変化だ。あそこまでオーラが増大するのはありえない。クラピカがそういった念能力を作ってるわけがない。緋の眼になったとたんあの変化……切っ掛けは緋の眼か?

 

「……すまないアイシャ。勝手なことを……」

「あ、いえ。……もういいですよ。確かにクラピカが蜘蛛に勝つ為には相手の情報があった方が断然勝率が上がるのは当然ですし……」

「そうか……ずっと黙っていたからてっきり怒っているのかと」

 

 ああ、確かに部屋を出てから話をしなかったな。オーラの増大について考えていたらつい思考に没頭していたようだ。

 

「すいません。少し考えを纏めていたものでして」

「考え?」

「ええ。……クラピカ、あなた自分が緋の眼になった時にオーラが増大していたのに気付きましたか?」

「なに? ……いや、良く分からない。だがそう言われると、確かに何時もよりも力が漲っていたような……」

 

 ふむ。クラピカもまだ分かっていないことか。だがおぼろげながら感じるモノがあるんだろう。

 

「部屋に着いたら確かめてみましょう。……もしかしたら」

「何だというのだ?」

「……いえ、まだ確証のないことです。とにかく一度部屋へ行きましょう」

「あ、ああ」

 

 もしかしたら、クラピカは後天的な特質系なのかもしれない。もう一度、今度は緋の眼の状態で水見式をしてみよう。

 

 

 

 

 

 

「やはりそうでしたか」

「これは……! 先ほどとは水見式の結果が違うだと?」

 

 どういうことだ? アイシャに促され、緋の眼になってから水見式をすると、先ほどの具現化系の反応とは違う変化を見せている。

 

「クラピカ、もう一度通常の状態で水見式をしてください」

 

 言われた通りに精神を落ち着けて緋の眼を元に戻す。そして水見式をすると……水の中に何かが具現化している。最初に水見式をした時と同じ結果だ。緋の眼になると水見式が変化する? 一体どうしてだ?

 

「……クラピカ、貴方は特質系です。正確には、緋の眼の状態だと特質へと変化するようですね」

「緋の眼の間だけ? そんな事が有りうるのか?」

「特質系は先天的なモノと後天的なモノがあります。これは後天的なモノに含まれますが、本来なら一度特質に変わると元の系統には戻らないのです。これはかなり珍しいですね」

「そうなのか。……特質系はかなり特殊な系統らしいが、どうやって能力を作ればいいんだ?」

 

 どうやら他の系統に当て嵌らない特殊な能力を使えるらしいが。その分能力の作り方が分からないな。

 

「能力もまた特殊ですね。初めから能力が確定しているパターンと、本人の潜在意識が能力として現れるパターンがあります。自ら考えて作り上げることも出来ますが、それも潜在意識が強く関わっていますね」

「なるほど……私はどちらのパターンなのだろうか?」

「それは分かりません。取り敢えずもう一度緋の眼になってもらえますか?」

「これはかなりしんどいのだが……仕方あるまい」

 

 緋の眼にならなければ話にならないからな。蜘蛛を見るとすぐに緋の眼に変わるのだが、別に蜘蛛を見なくても緋の眼にはなれる。強く憎めばいい。蜘蛛を、私の家族を、仲間を、友を、全てを奪った蜘蛛を!

 

「……すいません。検証の為とはいえ、辛いことをさせています」

「気にすることはないアイシャ。これが蜘蛛を倒す力となるのなら、むしろ嬉しいくらいだ」

 

 そうだ。蜘蛛を倒す為なら私はどんな苦痛も厭わない。だから、だからそんな顔をするのは止めてくれアイシャ。憎悪が薄れてしまうよ。

 

「ふう、ようやく緋の眼になったか。これは訓練が必要だな」

「どうですか? 何か変わった事はありますか? 能力が発現しそうだとか、何か具現化しそうだとか?」

「そうだな……ああ、何時もよりオーラによる強化が強い気がするな。いや、これは確実に強化率が上がっているぞ?」

 

 通常時よりも身体が強化されているのが良く分かる。ここまで違うと差は明白だ。

 

「それは……何らかの能力が発現しているのかもしれません。恐らく常時発動型ですね。緋の眼に変わると自動的にその能力が発動する。問題はどのような能力なのかですが……」

「しばらくは検証するしかないな。……緋の眼の状態もあまり長くは続かないしな、短時間で何回も変わったからそろそろ限界が近いようだ」

「そうですね。とにかく今日のところは一旦休みましょう。クラピカ、検証が完全に終わるまで200階での試合は厳禁ですよ」

「了解した。幸いあと90日の準備期間がある。その間に色々と調べてみよう」

「ええ、それではゆっくり休んでください。お休みクラピカ」

「お休みアイシャ」

 

 私が特質系、か。思った以上に運が向いてきた。少なくとも具現化系のままよりは確実に強くなるだろう。緋の眼の状態だとオーラ量が遥かに増し、また強化率も上がっていた。具現化系の系統がなくなったわけではないから鎖を具現化する事も変わらない。

 これで、これで蜘蛛を倒す力も手に入れやすくなる!

 

 ……だが、過信は禁物だな。アイシャに何度も言われているように、私はまだ念を覚えてわずか1ヶ月足らずの初心者だ。いくら才能が有るからといってそれに胡座をかいていては勝てる戦にも負けてしまうだろう。今はまだ牙を磨く時だ。焦るなクラピカ。私は確実に強くなっているのだから。

 

 

 

 

 

 

 あ~、暇だなぁ。試合は出来ない修行は出来ない。ウイングとの約束まであと1ヶ月以上あるし。クラピカは今頃オレ達より先に行ってるんだろうなぁ。ちくしょう、早く念の修行がしたいぜ。

 

 暇つぶしにアイシャ達のとこにでも行ってみるか? ……ん? あれは……シオンか? こっちにトボトボと歩いて来てるけど……覇気が全然ねぇな。もしかしてウイングと上手く仲直り出来なかったのか?

 

 ……気になるな、ちょっと声を掛けてみるか。

 

「はぁ……ウイング……」

「ようシオン……さん。こんなとこで何してんだ?」

「え……? あ、キルア君。久しぶりだね。元気だった?」

「いやお前誰だよ?」

 

 シオンじゃねぇ! アイツはこんな喋り方じゃねぇ! 明らかに偽物だろうが!

 

「ははは、嫌だなぁ。私だよ、シオンだよ。さっきキルア君も私を名前で呼んでたじゃない」

「違う。お前はシオンじゃない。もっと優しい何かだ」

 

 こんなのオレの知ってるシオンじゃねえ!

 あいつなら、こう、『ふ、久しいなキルア。壮健そうで何よりだよ』こんな感じになるだろ!? 何だこの気持ちの悪い話し方は!

 

「え? で、でも私はシオンだし」

「嘘だ!! オレ達と一緒にいたアンタはそんな話し方じゃなかった!」

「……ああ! そう言えばそうだったよね。……私のこの話し方にはわけがあるのよ」

「わけ、だぁ?」

「うん、実はね――」

 

――乙女説明中――

 

「……つまり、アンタはウイングの前だと緊張のあまりに喋り方があんなんになっちまうと。で、今の喋り方が素だと?」

「うん。そういうことなの」

「アホだな。それも真性のアホだ」

 

 いくら好きな相手の前だからって口調がガラッと変わるほど緊張してんじゃねえよ!

 

「あ、アホだなんて……酷いよキルア君」

 

 駄目だ、調子が狂ってやりにくいコイツ……。

 

「仕方ないの……これも何もかもウイングが……か、格好良すぎるのが悪いのよ!」

「分かった。付ける薬がないというのがよく分かった」

 

 もういい。突っ込まねぇ。大体最近ツッコミが多いんだよ! こんなのオレのキャラじゃねぇ!

 

「それで、あの後出て行ったアンタを追いかけてきたウイングさんに鼻血顔を見られたくない一心で風間流とやらの奥義を放ったと……」

「う、うん……や、山崩しっていってね、その名の通り山のような大男も一撃で倒せるっていう、締め・打撃・投げが合わさった大技だよ! 実際にはそんなに大きな人には技がかけられないと思うけど……」

 

 いや、嬉しそうに言ってるけど、その山崩しとやらを喰らったのは大男じゃないウイングだからな?

 

「そうか、逝ったかウイングさん……良い人だったのに」

「死んでないよ! ちゃんと防御も受身も取ってたよ!」

 

 あ、生きてたのか。それは良かったな、人殺しにならなくてよ。

 

「それで、それからどうしたんだ?」

「……半死半生のウイングを宿に連れ帰ってズシ君に渡してからは……気まずくて会ってないの」

 

 防御も受身も取って半殺しかよ。照れ隠しでそんな恐ろしい奥義を使ってんじゃねえよ。おっかねぇ女だ……。

 

「ああ、ウイング分が足りない……もう326時間22分はウイングに会えていない。【映像記憶/オタカラフォルダー】があるからまだ耐えられるけど、近くにいながら会えないのはもはや拷問だ……あ、326時間23分になった」

「怖えよ」

 

 何だよウイング分って。会えなかった時間を分単位で覚えてんじゃねえよ。オタカラフォルダーって何だよ。ツッコミどころ多すぎんだよお前。て言うかつっこみまくってんじゃねぇかオレ!

 

「そんなに会いたいなら会いに行けばいいじゃん」

「で、でも、もし嫌われていたらどうしよう。その時は私自殺する前にショック死してる自信がある……」

 

 嫌な自信だなおい。何て面倒くさい女だ、これに惚れられたウイングには同情するぜ。

 

「大丈夫だって。ウイングだってアンタに謝りたかったんだし。アンタを追いかけたのだって心配してたからだぜ? それに――」

「……それに?」

「あのお人好しがそうそう人を嫌うわけないんじゃないか? それは付き合いの長いアンタの方がよく分かってんだろ?」

「つ、付き合ってるだなんて、そんな~!」

「お前の脳内は常時ピンク色なのか?」

 

 駄目だ、まともに会話できる自信がねぇ、誰かオレを助けてくれ。もう暇だなんて言わないからさ。

 

「そうだね。ウイングなら……きっと許してくれるよね!」

「だろうね。……それよりアンタはどうなんだよ? ずっと男と勘違いされてて怒ったりしないの?」

 

 明らかにウイングよりシオンが怒って当然なんだが? お前は許しを乞う立場じゃなくて逆だろ?

 

「それは、確かにショックだったけど仕方ないよ……だってウイングだもん」

「把握」

 

 そうか、それで納得出来るレベルの鈍感なんだな。ウイングさんが残念すぎる。

 

「それに鈍感なところも可愛いと思わない!? 強さと逞しさと凛々しさと格好良さと可愛さを兼ね備えたパーフェクト超人だよねウイングって!」

「オレとお前とでは眼球の光の屈折率が違うのかもしれないな」

 

 コイツに見えてるウイングはオレの知ってるウイングとは違うもっと別の何かだ。あばたもえくぼなんてもんじゃねぇぞ。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ。

 

「そんなに好きならとっとと告白しちまえばいいじゃん。あの鈍感だぜ? 直で告白でもしないと絶対に伝わらないと思うけど」

「こ、こここっこっここっこ」

「落ち着け。お前は人間だ、鶏じゃあない。ゆっくり深呼吸して心を沈めろ」

「うう、2・3・5・7・11・13・17・19」

「なんで素数数えてんだよ」

 

 教えてくれ。オレはいったい何回ツッコミを入れればいいんだ? オレは何回ツッコミを入れればこの女から解放されるんだ?

 

「ふう、落ち着いたよ~」

「分かった。もう理解を捨てる。お前はそういう人種だと思う」

 

 どうして素数数えて落ち着くんだよ!

 

「こ、告白か。かつて何万回としてきたけど……」

「マジで! それでも気付かなかったのかウイングさんは!? てか何万!?」

「うん。私の想像の中で」

「いい加減にしろよお前? だから怖えって言ってんだろ!」

 

 それは想像じゃなくて妄想って言うんだよ!

 

「ああもう、いいからとっととウイングさんの所に行って来い! そんで告白でも何でもしてくりゃいいだろ!」

「は、はい! えっと、どんな事を言えばいいんだろう……」

「シンプルに好き、とか愛してる、とか言って抱きつきゃいいんじゃね?」

「こ、断られたらどうしよう」

「はあ、あのなぁ、断られる事を考えてたら何時までも前に進まないだろ? まずは当たってみなきゃよ。それに……もたもたしてる間にウイングが他の女に取られるかもしれ――って速っ!!」

 

 オレの言葉を聴き終わる前にすごい速度で飛び出して行きやがった。そんなにウイングが好きなのか。

 好き、ねぇ。オレには分かんないな、恋愛なんてよ。

 

 

 

 

 

 

「はっはっはっ」

 

 走る。ウイングのいる部屋に向かって。

 考えた事もなかった。ウイングが他の女に取られるだなんて。最近はずっと一緒にいたから、いつの間にか一緒にいるのが当たり前に思っていた。

 

 でもそれは間違いだった。ウイングは私の気持ちなんて知らない。それどころか性別すら間違えられていた。もしかしたらすでに他の女に惚れている可能性だってある。

 

 そんなの耐えられない!

 いや、ウイングが他の女性と付き合うなら、嫌だけど、本当に嫌だけど祝福してもいい。でも私の気持ちを一度も伝えずにそうなるのは絶対にイヤ!!

 

 だから……だから断られてもいい。

 ……告白しよう。

 

 今まで想像の中で何回も何回も告白してきたことを、本当にしよう。これが断られたら……リィーナ様の所に戻ろう。残りの一生を武に捧げよう。

 

 

 

 ……ウイングの部屋に着いた。ウイングは中にいるようだ。彼の気配を間違えるわけがない。ノックをして返事を待つ。

 

「はい、どなたですか?」

 

 ああ! 326時間44分ぶりのウイングの生声! ぐ! ダメだ、脳がとろける……!

 

 き、気合を入れろシオン! ここで何時もの調子で鼻血を出してしまえばおしまいだぞ!

 

 23・29・31・37・41・43・47・53・59・61・67・71・73・79・83・89・97……よし!

 

「ボクだ……入ってもいいかい?」

「シオンですか!? ええ、どうぞ中へ!」

 

 ああ、良かった。この様子だと私は嫌われていないようね。ひとまず安心したよ~。

 

「よく来てくれましたシオン。……あの時は誠に申し訳ありませんでした」

「よしてくれ。ボクの方こそ、謝ってくれたキミに酷いことをした。……許してくれ」

 

 あ~ん! どうしてこういう話し方しちゃうんだよ~! もっと何時もの口調で話せればいいのに!

 

「許すも何も……シオンが怒って当然ですよ。私はそれだけのことをしたと思っています」

「もういいさウイング。終わったことだ。これからはボクを女性として見てくれたらそれでいい」

「そうですか、ありがとうございます。しかし良かった。しばらく会えなかったから、てっきり嫌われたのかと思いましたよ」

「な、何を言うんだウイング! ボクがキミを嫌うわけがないだろう!」

「あ、ありがどうございます!」

 

 ぐはぁっ! な、なんて破壊力の笑顔だ! ウイングは私を萌え死させるつもりか?

 だが負けん! このシオン、ここで終わるつもりはない! 終わらせてなるものか!

 

 101・103・107・109・113・127・131・137・139・149・151・157・163・167・173……た、耐えたぞ! ここまで耐えたのは初めてだ。

 

「そう言えば、ズシ君はどうしたんだい?」

「ズシなら少し前にランニングに行きましたよ。2~3時間は帰って来ないでしょう」

「……そうか」

 

 つまり今が好機! ズシ君には悪いけどこの機に告白をさせてもらう!

 

「ウイング!」

「ど、どうしました?」

「ああ、聞いてほしいことがある」

 

 ぐ、緊張で心臓が止まりそうだ……いや、あまりの鼓動の速さに心臓が裂けるかもしれない。

 

「はい、どうかしましたか?」

「ぼ、ボクは……」

 

 違う、私よ、私! ボクじゃダメじゃないか!

 あれ? 何を言おうとしてたっけ? こ、告白の言葉が出てこない!? あんなにエア告白で練習してたのに!

 どんな告白だったっけ? えっと、その、ああーーっと、そうだ! キルア君にアドバイスをもらってたっけ。そう、確か……。

 好き、愛してるって言って抱きつく。

 好き、愛してるって言って抱きつく!

 好き、愛してるって言って抱きつく!!

 

「ウイング! ぼ、ボクは……私は!」

「え? わたし?」

 

 リュウショウ様! リィーナ様! 私に勇気を! い、いけぇぇぇぇぇぇぇ!

 

「私は、う、ウイングが好き! 愛してる! 抱いて!」

「……え? ……え!?」

 

 い、言った! 言っちゃったよー!!

 ……あれ? 今何かとんでも無いことを言ったような?

 そこからしばらくは記憶がない……どうしてこうなったの?

 

 

 

 

 

 

「へぇ。シオンさんってウイングさんのことが好きだったんだ」

「そうだったんですか。それは驚きですね」

 

 クラピカが200階に登録してからすでに3日。修行をしつつも、時折息抜きにゴンやキルアと話をしたりしているが、キルアからとんでもない話が出てきた。

 

 そうか。シオンがウイングさんの事を……。キルアの話では告白に行ったようだけど、上手くいくといいな。

 

「驚きなのはあの話し方だよな。ウイングの前だと緊張してあんな喋りになるんだってよ。いきなり女口調で喋りだすから偽物かと思ったぜ」

 

 ああ、あの話し方はそうだったんだ。小さい頃とは全然違っていたから、てっきり大きくなって話し方を変えたのかと思ったよ。

 

「私はあまりその両名を知らないが、告白は上手くいきそうなのか?」

「うーん、無理じゃねぇの? ウイングの鈍感さは半端ねえぞ? 告白しても気付かなかったりしてな!」

 

 有りうるのが怖い。あの人の鈍感具合は達人の域に達しているだろう。鈍感の達人、恐るべし!

 

「ウイングさんの鈍感をどうにかしないとシオンさんの恋は実らないかもしれませんね。なんであそこまで鈍感なんでしょうか?」

『お前が言うな』

 

 解せぬ。

 

「まあアイシャの場合鈍感って言うより無自覚って言ったほうが正確か?」

「そうだな。環境が悪かったのかもしれん……」

「育った環境は確かに良くなかったとは思いますが、一体何の話です?」

 

 流星街の環境が良いのなら、世界の大半は幸せに包まれてるだろうよ。

 

「何故か2人に馬鹿にされている気がします」

「この2人って最近仲がいいよね。きっと皆で泊まったのが良かったんだね! また一緒に泊まろうよ!」

『おいやめろ馬鹿』

『え~』

 

 せっかくまた遊べると思ったのに。そうだ! いい事を思いついた!

 

「ゴン、今度はレオリオさんも含めて5人が揃ったらやりませんか!」

「あ、それいいね!」

「レオリオはこちら側に来るだろうか?」

「どうだろうな。案外喜びそうなイメージがあるけど。あの天然どもとは違う意味でな」

 

 ん? シオンの気配。どうやらここへ向かって来ているようだ。

 しばらくゴン達と楽しく会話をしているとノックの音がした。

 

「どうぞ~」

「お邪魔しますね」

「あ、シオンさんいらっしゃい!」

「ゴン君久しぶり。傷の具合はどう?」

 

 ああ、本当に話し方が全然違うな。リィーナや私(リュウショウ)と話している時はもっと畏まっていたから、これが素なのかな?

 

「うん! もう大分治ってきたよ!」

「そう、良かった。ちゃんとウイングの言うことをしっかり守らなきゃ駄目だよ? 念は本当に危ないんだから」

「う、うん。……本当に全然違うね」

「だろ。それでシオンさん。今日は何の用で来たんだよ?」

 

 さすがのゴンもあまりのシオンの変わりように面食らっているな。それも仕方ないだろう。まるで別人だしね。

 

「今日は皆にお別れの挨拶をしようと思ってね。それとキルア君へのお礼を言いに来たんだよ」

「別れ?」

「お礼?」

「どういう事です?」

 

 お礼は告白の件だろうか? では別れって? 文字通りここからいなくなるんだろうか?

 

「実はもうすぐ天空闘技場を離れなくちゃいけないの」

「え、どうして?」

「まさかウイングに振られたせいか!?」

「ち、違うよ! そうじゃなくて、師匠に呼ばれてるんだ。もう1ヶ月前から呼ばれているから、そろそろ戻らないといけなくて……」

 

 リィーナに? 一体何の用でシオンを呼んだんだろう?

 

「そっか。元気でねシオンさん! オレ、シオンさんに言われたこと忘れないから!」

「ま、そのうちどっかで会えるだろ? それまで元気でな」

「2人とも頑張ってね。ウイングはとてもいい指導者だから、きちんと教わったらきっと2人とも強くなれるよ」

 

 ふむ。そう言えばシオンは弟子を取っていないんだろうか? 大分鍛錬も積んでいるようだし、師範代の資格ぐらい取ってそうなんだけど。

 

「それと、キルア君には本当に世話になったね。キルアくんのおかげで告白する勇気も出て来たし」

「そういや告白どうなったんだ? あの後気になってしょうがなかったんだよ」

「それは……失礼ながら、私も気になりますね」

 

 顔を赤くしながらモジモジしている様子を見れば……上手く行ったのかな?

 

「それは……その……キルア君のおかげでね……きゃあ! 恥ずかしいよぅ!」

「マジで上手くいったのかよ!?」

「すごいですねキルア。どんなアドバイスをしたんです?」

「ふむ。キルアにそんなアドバイスが出来るとは。意外と経験豊富なのか?」

「じゃあ、シオンさんとウイングさんって、もう付き合ってるんだ! おめでとう!」

 

 いやめでたいめでたい。私も早く男に戻って相手を見つけたいもの――

 

「うん! 私達結婚するの!」

『いや、それは色々とおかしい』

 

 なんでだ! 何か色々とすっ飛ばしてないか!?

 告白→結婚の間にある過程はどこに消えた!?

 

「おかしいだろ! どうして告白したら結婚してんだよ! お前が女だって分かったのだって少し前だろうが! 段階飛ばしすぎてんだよ! あのアドバイスでどうしてこうなった!?」

「すごいですねキルア。どんなアドバイスをしたんです……?」

「……キルアがそんなアドバイスをするとは。経験豊富なんてものじゃない様だ」

「じゃあ、シオンさんとウイングさんって、もう夫婦になるんだ! おめでとう!」

 

 ブレないゴンがすごいよ。

 

「ウイングがね! 責任は取りますって言ってくれたの! 一生面倒を見てくれるって!」

「……ダメだ、脳内がお花畑になりやがった。こうなるともう手遅れだ」

「短い間によくシオンさんのことをよく理解してますね」

「理解したくなんてなかったよ」

 

 気持ちは良く分かる。こんな子だったんだ……私の知ってるシオンじゃない。

 

「一体なんの責任なんだよ……」

「え、それは、その……きゃああああ! 言えないよぅ! あ、やばい鼻血が――2・3・5・7・11・13・17……」

 

 いきなり素数を数えだしたぞこの子。大丈夫か?

 ……ん? そう言えば、昔シオンが緊張して試合で勝てないと落ち込んでいた時に、素数を数えると心が落ち着くと教えたような……?

 どうして素数で心が落ち着くと教えたんだろう? あまりにも昔のことでど忘れしてるな。

 

「ふぅ、落ち着いた。本番をこなした私に隙はなかった」

『本番言うな』

「? 何の話なの? 本番って?」

 

 ゴンが純すぎて辛い。

 

「それじゃ、そろそろ行くね。残り僅かな時間をウイングと共に過ごさなくっちゃ!」

 

 そう言って場を無茶苦茶に引っ掻き回してから部屋を出て行ったシオン。

 

「嵐の様な女だった……」

「幸せそうだったし、いいんじゃない?」

「ゴンは器が広いのか、それとも器に穴が空いているのか……」

「両方かもしれませんね」

 

 何かどっと疲れた。今日はもうゆっくり休みたい……。




シオンクリムゾン!
『シオンクリムゾン』の能力の中では、この世の時間は消し飛び……。
そして全ての人間は、この時間の中で動いた足跡を覚えていないッ!

『結果』だけだ!!この世には『結果』だけが残る!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十五話

「ヒソカの試合ですか。もちろん見に行きますよ」

 

 部屋でクラピカの修行を見ているとゴンとキルアがやってきた。どうやらヒソカの試合観戦に誘いに来たようだ。

 

「ヒソカの試合は観戦するだけでもいい修行になりそうですしね」

「もちろん私も見に行くぞ。と言うか私の場合は強制参加だろうが」

 

 当然だ。私よりもクラピカの修行のためだからな。格上の試合を通して観ることも修行になるだろうしね。

 

「んじゃ、今から行こうぜ。優先券が手に入っても中に入るまで時間が掛かりそうだしさ」

「かなり人気みたいだねヒソカの試合。ダフ屋まで出来ているみたいだよ」

「怖いもの見たさだろうな。そういう物に惹きつけられる人間は多いだろう」

「対戦相手の大半が死んでそうですね」

「お、アイシャ正解。11戦して8勝3敗6KO、KO数イコール死人の数だってさ」

 

 やっぱりか。まったく、人殺しの何が楽しいのか分からないな。殺さなくても勝てるだろうに、これだから快楽殺人者は。まだ仕事以外で殺しはしない分ゾルディックの方がマシかもしれないね。……殺された側にとってはどっちも人殺しに変わりはないか。

 

「でもいいのか? キルアはともかく、ゴンは試合を見ても? ウイングさんとの約束があるのだろう?」

「う~ん、そうなんだよね。試合観戦もダメかなぁ?」

「大丈夫だろ? 修行じゃないし、ただ試合を見るだけなんだからさ」

「いえ、キルア。試合観戦も充分に修行になりますよ?」

 

 ていうか、この会話ウイングさん聴いてるし。柱の陰から……あ、出てきた。

 

「ダメです」

 

 びっくりしているなぁ。さすがはウイングさん、師範代だけの事はあって気配を消すのも一流だ。……しかし、ウイングさん何かやつれてないか? 頬の辺りがげっそりしてるんだけど?

 

「試合観戦も念を調べる行為に相当します。ゴン君、キミはあと1ヶ月治療のみに専念なさい」

「うん、わかった。……ところでウイングさん。どうしてそんなにやつれてるの?」

「ああ、顔色悪いぜ? 真っ青なんてもんじゃねぇ」

「体調が悪いならしっかりと休むことを勧めるが」

「自己管理が出来ない方とは思えませんが、風邪でもひかれました?」

 

 明らかに体調が悪いな、オーラもかなり弱っているし。見る影もないぞ?

 

「……いいですか皆さん。簡単に何でもする、等と約束してはいけませんよ。これは人生の先達からのアドバイスです」

「あ、ああ(搾り取られたのか)」

「了解した(搾り取られたんだな)」

「肝に銘じます(搾り取られたんだろうね)」

「分かったよ!(早く念の修行したいな)」

 

 シオン……しばらく会えないからって、これはやりすぎだろう。どう考えても徹夜コースですね分かります。

 ……ズシ君はどうしていたんだろう?

 

「そういや、よくシオンさんと結婚まで約束したね。さすがに早すぎない?」

「キルア君。いえ、ここはゴン君とクラピカ君にも言っておきましょう。……男には、責任を取らなければならない時があるんです」

 

 哀愁を漂わせる背中を見せながらウイングさんは去っていった……。ある程度は自業自得とはいえ、さすがに少しむごい気もするな。

 

「……さて、ウイングさんはいいとして、ゴンは試合の録画をしといてくれよ。後で見ればいい」

「そうだな。今回は私達だけで行くとしよう。ゴンには悪いが、チケットもタダではないのでな」

「すいませんゴン」

「仕方ないよ。オレは点をしながら待ってるね」

 

 ゴンは残念ながら部屋で居残りとなった。約束破ったからしょうがないことだけど。

 

「それで、ヒソカの対戦相手なんだけどさ、ここで唯一ヒソカからダウンを奪った奴みたいだぜ」

「ああ、カストロという名前だったか。あのヒソカからダウンを奪えるとはかなりの使い手だな」

「今から大体2年程前の話らしいですね。恐らくその時に念に目覚めたのでしょう」

「因縁の対決って奴だな。どっちが勝つと思う?」

 

 ふむ。カストロという人を見たことがないので確定は出来ないが……。

 

「十中八九ヒソカでしょう」

「へぇ、言い切ったな。根拠は?」

「カストロが念を覚えて2年、さらにはそれまで念について知らなかったでしょうから師もいないはず。それで極められるほど念は浅くありません」

 

 念は膨大な学問のようなモノだ。過去の数多の積み重ねの末に現在の念が築かれている。それを独学で学んだところで辿り着ける先はたかが知れている。

 

「例えカストロが才ある人でも、たった2年ではヒソカのいる領域にはたどり着けないでしょう。せめて師がいれば話は別ですが」

 

 ここの念能力者の大半がカストロと同じだ。念を知らずに200階まで到達し、念の洗礼を受けてしまう。運が悪ければ死、良くても五体不満足になる可能性が高い。

 仮に何ら障害を受けなかったとしても、念について何も知らなければその修行方法も分かるわけがない。

 

 ゴンの試合をビデオで確認してみたが、対戦相手は酷いものだった。碌なオーラを練ることも出来ておらず、得意系統も噛み合っていない能力を使用。これでまともな念能力者になれるわけがない。

 

「つまりカストロではヒソカに勝てる可能性は無きに等しいということです」

「なるほどね。……師匠がいる分俺たちは幸運だったってわけだ」

「確かに。スタートラインからすでに整えられていたのだからな」

「師に出会えるかどうかは周りの環境や運次第ですね。念能力者の数は本当に少ないですから」

 

 私もリュウゼン先生に出会えなかったらどうなっていたことか。あのまま自己流で修行していたら、確実に現在はここにはいないだろうな。どこぞで野垂れ死にでもしていただろう。

 

「試合まであと1時間はあるが、すでに満員だな」

「ああ、こりゃ優先券がなけりゃ入れなかったな」

「2人とも! あっちにポップコーンとジュースが売ってましたよ! 買っていきましょう!」

「お前は野球かサッカーの試合でも見に来たのか?」

「私は遠慮しておくよ。この戦いに集中したいのでな」

 

 え~。こういう試合観戦の時には何かを飲食しながらの方が気分がいいのに。

 まあ2人はさすがに観ることに集中した方がいいか。私だけ買っておこうっと。

 

 

 

『さぁーーいよいよです!! ヒソカ選手V.S.カストロ選手の大決戦!!』

 

 もうすぐか。

 あれがカストロ選手……なるほど、ヒソカに勝負を挑む自信を持つだけのことはある。正直見くびっていた。ここで念に目覚めた人に強者はいないと。

 

「2人とも、前言……モグモク……撤回します。あの人は……ムグムグ……私の予想以上に、強いです」

「喋るか食べるかどっちかにしろや」

「行儀が悪いぞアイシャ」

「すいません……久しぶりにポップコーンを食べたものだから、つい……」

 

 ちょっと反省。モグモグ。

 

「それで、アイツ強いのか?」

「ええ。纏を見れば充分に分かります。洗練された力強いオーラが淀みなく体の周りを覆っています。ヒソカを前にして軽い興奮はあれど、それも戦いには悪くないコンディションを生み出しているようです」

 

 一度負けている相手なのに必要以上の気負いがない。点を欠かさず行っている証だ。師もいないのに独学で行き着いたというのか? それとも、もしかしたら師がいたのかもしれないな。

 

「念の技術を見なければまだ分かりませんが、少なくとも念に胡座をかいて努力を怠ってはないようです」

「……予想以上に善戦するかもしれないと言うことか」

「おいおい、下手すりゃヒソカに勝つんじゃないだろうな?」

 

 いや、さすがにヒソカがまだ優ってはいるが……お互い全ての技術や能力を見たわけではないから断定は出来ないな。……能力によってはもしかするかもしれない。

 

 それに……あのグローブ。

 服装は普通の道着。恐らくどこかの流派の物だろうが、動きやすく袖のない道着を着ているのに手にはグローブを、それも肘近くまで覆う長さの物をはめている。何かの武器か? 中に何か仕込んでいるとか。材質は……さすがに分からないな。薄く手に張り付いているレザータイプのようなグローブだから、そこまで手や指の動きを阻害はしないと思うが……。何を狙ってのものだろうか。

 

「感謝するヒソカ。お前の洗礼のおかげで、私は強くなる切っ掛けを手に入れられた」

「……くくくく♣ どこまで強くなれたのか……熟成したワインを開ける好事家の気持ちが良くわかるよ♥」

 

 ヒソカも感じているようだ。カストロの実力を……。

 恐らくカストロが五体満足に念の洗礼を終えたのもヒソカが狙って行ったことだろう。カストロの才能を感じ、そこで潰すのは惜しいと思ったというところか。

 

 そして2年の月日が流れ再びあいまみえると、そこには以前より遥かに強くなった獲物がいる。ヒソカの心中は狂喜に満ちてるだろうな。抑えてはいるんだろうけど、オーラのおぞましさが段々と膨れてきているよ。

 

「まだ念を極めたというほどおこがましくはないが、それでも貴様に届く牙を身に付けたつもりだ……行くぞ!」

 

 審判の試合開始の合図と共にカストロが練を行う。……かなりの練! やはり念能力歴2年とは思えない!

 そのままヒソカに向かってダッシュ。踏み込み時に足にオーラを集めて爆発的なダッシュ力を発揮している。その勢いを維持したままヒソカに対して攻撃を仕掛ける。右・左・フェイントを入れて左・そして右の回し蹴り。

 どうやらカストロは打撃を主体とした格闘家のようだ。それも拳を作らず、手刀や掌を使って攻撃している。あの掌の形からして虎咬拳の使い手か?

 

 体術はかなりの腕前だ。それに……オーラ技術もよく研磨している。

 攻撃1つ1つに流を使っている。あの攻撃速度に間に合う流、かなりの攻防力移動だ。ヒソカも今は様子見の為か防御に徹しているが、カストロも油断していない。攻撃の合間合間に凝を行っている。ヒソカが何らかの能力を使ってもすぐに対応出来るように!

 

 む? カストロがさらに攻勢に出ようとしているな。

 フェイントが……4つか。目線で1つ、体捌きに3つ……。いや、オーラでもフェイントか!

 

「!!」

「クリーンヒットォ!!」

 

 ヒソカがまともに喰らった! 凝によるガードも間に合っていない。カストロの攻撃時のオーラ量も少なかったがダメージは通っているようだ。

 

「本気を出せヒソカ。武術家として、本気の貴様と決着をつけたい」

『先手を取ったのはカストロ選手!! フェイントを交えた攻撃をヒソカ選手避けきれずポイントを奪われました!』

 

「おい! 今なんでヒソカの奴は攻撃を受けたんだ? オレにだってカストロが左手で殴るってのは分かったぜ!?」

「ああ、いくつかのフェイントを入れていたようだが、それでも右を囮にして左で殴るのは分かった。ヒソカがそれに気づかないとは思えないな」

 

 2人がそう思ったのも仕方ないな。念について知らない者や、念初心者では引っかからないフェイントだからね。

 

「ええ、その通りです。カストロは念能力者にしか、それもある一定以上の実力を持った者にしか通用しないフェイントを入れてたんです」

 

 カストロがしたフェイントはオーラによるフェイントだ。

 念能力者は戦闘時に攻防力を移動させて戦う。攻撃する時にオーラを集中すればするほど威力は高まるし、防御時はもちろん防御力が高まる。故に攻防力をどれだけ素早く、かつスムーズに行えるかは戦いにおいて非常に重要になる。

 攻防力移動を見てどこから攻撃が来るかを見切るのは上級者の第一歩と言ったところか。

 

 もちろんヒソカもその見切りを行っていた。

 体捌きでは左手で攻撃する動きを見せていたカストロだが、その実オーラは右手に強く集まっていた。それを見抜き、右の攻撃を警戒していたヒソカだが、カストロはそれを逆手にとり、そのまま左手でヒソカを攻撃したわけだ。

 

 ヒソカもカストロをまだ侮っていたのだろう。いくら強くなったとはいえ、それでもまだ念を覚えてわずか2年、と。そんなフェイントを使うとは思ってなかったヒソカの侮りが攻撃を受ける結果となった。

 さらにはこれまでの攻撃は全て凝で攻防力を高めていたのも一役買っている。それまでの攻撃すらフェイントに使用したわけだ。

 

「――と、いうことです。もっとも、フェイントとして上手くいきましたが、オーラの少ない左手で攻撃したせいであまりダメージも通ってませんが」

『……』

 

 さすがにまだ彼らでは付いて来られないか。まだオーラの攻防力移動なんて習っていないからな。

 

「く、くくく♥ なるほど、2年前とは違うわけだ♠」

「そういうことだ。……全力で戦う気になったか?」

「そうだね、かなりやる気出てきちゃったよ。……ここまで育つとは思わなかった♦ キミの師匠には感謝しなきゃね♣」

 

 そうだな。ここまで来てカストロに師がいないなどということはないだろう。独学でこの領域まで到達するにはどんな才能があっても2年ではまず不可能だ。今もヒソカの動きを警戒して凝を怠っていない。よほど良い師がいたのだろうね。

 

「感謝か……残念ながら私に師はいない」

 

 な!? そんな馬鹿な! 本当に独学でここまで!?

 

「し、信じられません。どれほどの才能があれば……」

「アイシャ……」

「おい、これって本当にヒソカが負けるんじゃないだろうな?」

 

 分からない……油断しなければヒソカの方が実力が上なのは確かだ。でも……ここまでの才能の持ち主だと、どのような念能力を持っているか予測がつかない。もしかしたらこれぐらいの実力差をひっくり返す能力を持っているかもしれない。

 

「師がいない……それが本当なら大したモノだね♥」

「嘘を言う必要がないな。……もっとも、師と仰ぐ方はいるがな」

 

 え? どういうこと? 師はいないんじゃなかったの?

 

「……どういうことだい?」

「ふ……いいだろう、教えてやる。貴様に敗れた私がここまで強くなれた理由をな」

『おおっとぉ! カストロ選手、試合中に過去を語りだしたぁ!! こんな試合は見たことなぁい!!』

 

 いや本当にな。でも気になるのは確かだ。ここは話に集中しておこう。

 

「私が貴様からの洗礼を受け念に目覚めたあと、私は念についての情報を集めた」

 

「これって話してる最中にヒソカのダメージ回復してないか?」

「すでに回復し終わってそうだな」

「まあ、いいんじゃないですか? 本人が話したがってるみたいですし」

 

 案外誰かに言いたかったのかもしれない。自分の苦労秘話を。

 

「念の名前は同じ200階選手から聞くことは出来たが、その修行方法までは教わることは出来なかった。独自に調べてみたが、情報は手に入らなかった……独学で修行するしかない、そう思っていた私だが、偶然ある物を見つけたのだ」

 

 ふむふむ。

 

「ブラックマーケットに流れていたそれは、一冊の書物とは思えない程高額な品だった。だが、その品の説明書きを読んだ私は藁にも縋る思いでそれを購入した。幸いにもここでそれなりに稼げていたからな、購入する金額は何とかなった」

 

 はて? 何故か激しく嫌な予感がするんだけど? 嫌な予感のせいか、緊張のあまり喉が渇いてきた。持っていたジュースを口に含み乾きを癒そう。

 

「それこそが! かの伝説の武人・リュウショウ=カザマが著した念の指南書《黒の書》だったのだ!」

 

 ブフゥーーーーーーー!

 “ウワッナンカカカッタ!?” “ダレダキタネェ!” “ン? ナンダビショウジョカ” “ダッタラモンダイナイナ” “ムシロゴホウビデス” “アイシャタンペロペロ”

 

「げほっげほっ!」

「大丈夫かアイシャ!?」

「おい後半の変態はどこのどいつらだ。怒らねえから前に出てこい」

 

 あまりの驚きにむせ返ってしまった! 前に座ってる人たちに散ってしまって申し訳ないけど、今はそれよりも気になることが!

 黒の書? 黒の書って言ったよね!?

 

「黒の書には様々な念能力に、念の修行法まで事細かく綴られていた。私はそれに倣い、念の修行を行ったのだ」

 

 や、やっぱり黒の書って言ったよ!!

 ふ、ふふふ……ふふはははははは! み・つ・け・た・ぞ!

 お前だったのかカストロ……! お前が私の黒歴史、〈ブラックヒストリー〉を持っていたのか!

 

「強いて私の師を上げるのなら、故・リュウショウこそがそうと言えるだろう。……生きている時に彼の人と出会いたかったものだ」

 

 お前なんか弟子に持った覚えはねえ!

 ……いや、尊敬されてるっぽいし、悪い気はしないけどさ。

 

 でもこれで納得がいったよ。〈ブラックヒストリー〉には私が【原作知識/オリシュノトクテン】で手に入れた念の修行法を書き記している。もちろんそれだけでは色々と抜けている部分がある。だがそれもリュウゼン先生から教わった正しい修行法も新たに書き記していたので足りない部分も補完されている。それを読み、弛まぬ研鑽を積めば確かにこの練度には納得がいく。

 ……それでも才能が豊かなのは確かだが。

 

 いや、そんなことは今はどうでもいい! どうにかして〈ブラックヒストリー〉を取り戻さなくては! あんなもんとっとと焼却処分してやる!

 くそっ! でもどうやって取り戻そう……。自室に置いてあるのか? でも部屋が何階のどの部屋かは分からないし、スタッフに聞いたとしても不法侵入するのもさすがになぁ……。

 こうなったら……試合が終わったら譲ってもらえないか頼んでみよう。全財産を出してでも! それで足りなければ借金してでも払ってやる!

 

『な、ななな何とぉー! ここでまさかのあの伝説の武人・リュウショウ=カザマの名前が出てきたーー!』

 

 あんまり大声でその名前を言わないで! 厨二の塊を作ったのがリュウショウだと世間に知られちゃうからーー!!

 

『リュウショウ=カザマはかつてこの天空闘技場でフロアマスターになったほどの実力者! 残念ながらフロアマスターはなって早々に辞退したそうですが、もしバトルオリンピアに参加していれば優勝も夢ではなかったでしょう! そんな彼が著した奥義書をカストロ選手が手に入れていたとわぁーー!』

 

 わざわざ観客に説明してんじゃないよ! サービス精神旺盛なのはいいけど私にはサービスどころかただの拷問だ!!

 

「正しい念の修行法にてこの2年、血反吐を吐きながらも私は修行し続けた。2年で極められるほど念は浅くはないが、それでも貴様と戦える力は身に付けられたようだな」

「ふーん。確かに強くなったね♥ 今も話をしながらも凝を怠っていない。……生かしていた価値があったよ♦」

 

 む、ヒソカのオーラがどんどんと膨れ上がり、かつ禍々しくなってゆく。どうやらもう抑えるつもりはなくなったようだ。予想以上に育っていた獲物の粋の良さに興奮が止まらないといったところか。

 

「これが、ヒソカの――!」

「くそ、なんてオーラしてやがる!」

 

 ……うーん。私のオーラってあれよりはマシだよね? あれと違って負の感情を込めてないし……いや、込めてなくても禍々しい分、私の方がヤバイのかな?

 や、やっぱり見せたくないよなぁ。でも、その内秘密を教えるって言ったしなぁ。はあ、先の事を考えると憂鬱だ。

 

「ぐっ、それでこそだ、これが私の望んだ戦いだ!」

「ふふ、行くよ。簡単に壊れたら駄目だよ♣」

 

 ヒソカに先ほどまで有った侮りが消えている。ここからが本番といったところか。

 

「2人とも、ここからは良く眼を凝らして観るように」

 

 これほどの念能力者が戦うことは滅多にない。出来るだけ見逃さないように念を押しておく。

 

「ああ、分かってるよ」

「……眼を『凝』らしてだな。分かった」

 

 どうやらクラピカには通じたようだ。この人もう凝出来ちゃうのよね。これだから才人は……。

 

 

 

 戦いは加速していく。

 先ほどとは打って変わって攻勢に出るヒソカ。打撃を中心とした戦法の様だ。素早い動きに乱れ打つかのような連撃。その戦闘速度に対し流も同等の速度で動いている。かなりの速度の流をこなしているな。

 

 連打の割に一撃一撃が手打ちになっておらず、体重が乗ったいい一撃を放っている。どうやら特に流派のない我流のようだが、それはそれで洗練されているモノだ。型に嵌った格闘家には嫌なタイプかもしれないが、それで対応出来ないのは2流だ。

 

 その点カストロは……どうやら1流の様だ。型のない動きにも惑わされず対応出来ている。上手く攻撃をガードし、負けじと反撃を試みている。

 

 ん? ……なんだアレは? ヒソカとカストロを繋ぐかのように細長いオーラの糸が伸びている?

 

「こ、これは!?」

 

 どうやらカストロも気付いたようだ。あの反応からしてあれはヒソカの念か。ヒソカの右拳からカストロの左腕へとオーラがくっついている。一体どういう能力だ?

 

「くくく、気付いた時にはもう遅いよ。ほぅら♠」

「なにぃ!?」

 

 ヒソカが右腕を強く引くとそれに合わせてカストロの左腕が動いた!? 急な動きにバランスを崩されたカストロはヒソカの攻撃をガードも出来ずに喰らってしまう。

 

「ぐはっ!」

「クリティカル&ダウン! 3ポイントヒソカ! 3-1!!」

 

 ……なんだあの能力は? カストロに貼り付いて、伸び縮みしている? オーラを粘着性のあるモノに変化させているのか?

 

 伸縮し、粘着する。かなり厄介な能力!

 しかも拳で殴った時に貼り付けたようだ。これは近接戦闘が主体の人には相性が最悪の能力だ。何せ拳で殴った時にあの能力を相手に付けられるのなら、全ての攻撃を避けなければならない。ガードも出来ないなんて面倒極まりないな。

 いや、下手したらヒソカに直接攻撃した時にも付けられるんじゃないか?

 

「こ、これは!?」

「ふふ、さてどうする?」

 

 

 

 

 

 

 くっ! 何だこのオーラは!? 私の腕に貼り付いて、引っ張っても伸びるだけで一向に剥がれん! ヒソカの念能力なのだろうが、何時の間に付けられたんだ!? 凝は怠っていないというのに!

 

「そら!」

「うぐっ、はぁっ!」

 

 ちぃっ! 粘着しているだけでなく、伸縮もする! こちらが引っ張っても伸びるだけだが、ヒソカが引っ張ると縮み、私を引き寄せる! 何とか攻撃はガードしているが、全てを防ぐことは出来ん! このままではポイントで押し切られてしまう!

 

「いいのかい? 不用意にガードしても?」

「なに?」

 

 ガードしなければ……はっ! 右腕にも奴のオーラが!!

 くそっ! 拳に触れた時に付けることが出来るのか! 何て厄介な能力だ!

 これでは凝で見ても意味がない! 攻撃の時に付けられるのではオーラを隠す必要がないということか!

 

「ほら、こっちにおいでよ♥」

「うおお!?」

 

 奴に引き寄せられる! 両腕は左右に広げられ無防備な状態だ、だが奴も両手を動かして私を引き寄せている! ならば攻撃は蹴りか!

 

「舐めるな!」

 

 奴の蹴りに合わせてこちらも蹴りで対抗する。上手く一撃を相殺し、間を取る。

 

「へえ、良く受けたね♦」

「言ったはずだ。2年前とは違うとな」

『素晴らしい攻防が続きます!! まさに近年稀に見る好勝負! これほどの戦いは天空闘技場でも滅多にありませーーん!!』

 

 ああは言ったものの、この念能力をどうにかしなければ勝ち目はない。恐らくオーラに粘着性を持たせたもの。変化系の能力だな。粘着だけならまだしも、伸縮自在というのが厄介だ。試しにこのオーラを殴って見たが、伸びるだけで意味がなかった。

 

 殴っても駄目なら……あれを試してみるか! もう出し惜しみをしていられる状況でもない!

 

「貴様の能力、良く出来たものだ。正直、これほどやりづらい能力もそうないだろう」

「うん? それはありがとう♣ でも、だからと言ってギブアップとか止めてよね♥」

 

――そうなったら興ざめだからさ――

 

 くっ、何と禍々しいオーラか!

 怯むなカストロ! 引けば! 臆せば! それだけ勝利が遠のくと知れ!! 例え実力で劣ろうとも、気概で劣ってなるものか!

 

「安心しろ、それはない。……せっかくこの能力を破る手立ても思いついたことだしな」

「へえ、それは楽しみだ……どうやるんだい?」

 

 貴様のその何時いかなる時も平静でいられる精神には驚嘆せざるをえんよ。

 だが、これを見ても驚愕せずにいられるか!?

 

「はあぁぁっ!」

「!?」

 

 両の手でそれぞれ反対側にある奴のオーラを……焼き切る!

 ……よし! 成功だ! 打撃には強かろうが、高熱と手刀による斬撃の併用にはさすがに耐えられなかったようだな。

 

「それは……黒い、炎?」

「ふ、ようやく貴様の驚く顔が見れたな。……これぞ黒の書に記されていた、我が心の師・リュウショウが考案した念能力! その名も! 【邪王炎殺拳】!!」

 

 “きゃあぁぁぁぁぁぁーーーーーー!!?”

 “アイシャ!?” “ドウシタナニガアッタ!?”

 

 む、女性の歓声が聞こえる。この女性にも分かるようだ、このネーミングの素晴らしさが。私もこのネーミングはとても気に入っている。さすがはリュウショウ師といったところか。

 

「そして【邪王炎殺拳】に私の虎咬拳を組み合わせることで完成した真の虎咬拳。その名も、【邪王炎殺虎咬拳】!」

『おーーっとカストロ選手そのままのネーミングだーー!』

 

 うるさい黙れ! かっこいいだろう!

 

 “いやぁぁぁぁぁぁぁぁーーー!!!?”

 “オチツケアイシャ!!” “ダメダサクランシテヤガル!”

 

 ほらこの歓声を聞いてみろ。分かる人には分かるものだ。

 

 

 

 

 

 

 いっそ殺してくれ! どうして今更遥か過去の汚点を目の当たりにせにゃいかんのだ!? うう、羞恥で顔が真っ赤だよ!

 

「だ、大丈夫かアイシャ?」

「え、ええ。……少し取り乱しましたが、もう大丈夫です」

「少し? 絶叫してたように見えたのはオレの気のせいか?」

 

 あまり突っ込まないでくれキルア。私とてあれは忘れたい出来事なんだ。

 カストロがあんな念能力を使うなんて予想外だったよ……。

 自分の黒歴史が掘り返されているなんてあんまりだ……あまりのショックで思わず叫んでしまった私は悪くないと思いたい。

 

 しかし、まさか【邪王炎殺拳】を習得しているとは! 私が著した詳細の通りに正確に再現したのか? だとしたら……あれ? そもそもどんな制約とか付けてたっけ?

 ……駄目だ、100年以上前に書いた内容なんて覚えているわけがない。

 

「黒い炎……オーラを炎に変化することも出来るのかよ」

「はい。形状変化に比べ性質変化は難易度が高い能力です。オーラを炎に変化させるのは相当苦労したでしょうね」

「色が黒いのには意味があるのだろうか?」

「……ないんじゃないでしょうか?」

 

 オーラを変化させた炎に色による温度差があるわけがないし、そもそも黒い炎なんて実際にはないし。黒にする明確な理由はないよな。

 

 ……いや、自分で書いておいて何なんだが、本当にどうして黒にしたんだろう? 私が考えたわけではなく、あの能力にも何か元となるネタがあったと思うけど……。

 

「行くぞ!」

 

 またも攻勢が入れ替わる。邪王えn……いや、名前を思考に入れるだけで背筋が凍る。とにかく、念能力を発揮したカストロがヒソカに向かって先ほどのお返しと言わんばかりに猛攻を仕掛ける。

 

 ヒソカの能力もなくなり、動きを阻害されることもなくなったカストロ。これで1つ有力な情報が手に入った。あの伸び縮みするオーラは打撃には強いがオーラを込めた鋭利な刃や炎などならば対処も可能だということだ。

 後者の能力は早々使い手はいないが、オーラを鋭い刃状に変化させたら切り裂くことは出来そうだ。あとはヒソカに純粋に力勝ちした場合も伸縮を利用して引き寄せられることは少ないか。対処法がない能力はほぼないからな。

 

 

 

 幾度となく繰り出される攻撃を躱し続けるヒソカ。一切のガードはせず、反撃もせず、回避に集中しているようだ。

 

「どうした! 臆したかヒソカ!」

 

 ヒソカが回避に専念している理由は良く分かる。受けをすることが出来ないからだ。

 カストロの拳を覆っている炎、どうやらかなりの高温に達しているようだ。周りの大気が歪んで見える。触れれば火傷を負うのは必定。ガードをしてはその部分が焼け爛れてしまうだろう。単純な炎ならオーラで防ぐことも出来るが、あれは人が作り出した念の炎だ。防ぎきるには相応のオーラと技術がいる上に、例え炎を防げても熱までは完全に防ぐことは難しい。

 ヒソカの念能力と同じようにガードは出来ず、しかも攻撃力では圧倒的にこの能力の方が上。かなり厄介な能力だぞこれは。

 ……当時の私は多分ネタで〈ブラックヒストリー〉に書いたんだと思うんだけど、良くそれを完成させた上に自分のモノにしたなぁ。

 

「成程、これは厄介だ♦」

「どの口がほざく。そう思うのならばその笑みを消してから言うんだな!」

 

 ヒソカが楽しげに笑みを浮かべている。厄介と言った言葉に嘘はないんだろう。だが、それ以上にこの状況を楽しんでいる。戦闘狂のヒソカらしいな。

 

 ん? ヒソカからカストロに向かって伸びる細いオーラがある。隠で見えにくくしているようだ。カストロは気付いていないか?

 

「厄介だけど、弱点がないわけじゃない♥」

「!? ちぃっ!」

 

 気付かぬ内に左足にオーラを付けられバランスを崩すカストロ。瞬時に体勢を直し、すぐさまヒソカのオーラを焼き切るが時すでに遅し。強力な蹴りを喰らい後方へと吹き飛ばされた。

 

「クリーンヒットォ! 1ポイントヒソカ! 4-1」

「ぐっ、お、おのれ」

「両手に集中しすぎだよ。それじゃ注意が散漫になっちゃうね♠」

 

 さすがにヒソカの方がカストロよりも戦闘経験が高いな。その弱点にすぐ気付くとは。

 

 両手のオーラを炎に変化させるためオーラを強く集中しなくてはならない。そして、両手を炎から保護する為に装着しているであろうあのグローブの強化の為にもまたオーラを集中させている。そのため、両手に回している攻防力は80といったところか。

 攻撃力は凄まじいものだが、その分他の部位に回すオーラは極端に少ないため防御力はガタ落ちだ。さらには眼の凝をすることも出来ないため、先ほどのように隠に対応することも難しい。

 

 極めつけはオーラの消耗の速さだろう。オーラを常に集中し続けることになるので消耗が激しい能力となっている。攻撃の瞬間にオーラを炎へと変化させる事が出来たのならばこの弱点もなくなるのだが、まだカストロにそれを求めるのは酷だろう。

 

「弱点って何だよ? そんなにすぐに分かるもんなのか?」

「確かに弱点はありますが、説明は後ほどします」

 

 さすがに戦闘中にそこまで説明するほど暇はないしね。

 

「まだだ! まだ終わらん!」

「そうこなくちゃ♣」

 

 炎を纏った拳にて連撃を繰り出すカストロ。フェイントを織り交ぜ、右、左、右、右、両手、左と鋭い攻撃をするも、すでにヒソカには見切られているのかクリーンヒットには至らない。両手のみに攻撃が集中するのも弱点だな。場所がもう少し狭ければ追い詰めやすいが、広い闘技場の中だと戦闘経験が上の、それも回避に専念してる相手に両手のみに縛られた攻撃を当てるのは難しいだろう。

 

 ……いや、それはカストロも重々承知だろうが。

 

「この一撃が当たりさえすれば!!」

「ふふ、当ててみなよ♦」

「おのれぇぇ!!」

 

 ヒソカの挑発に乗って大振りをしてしまったか。これでカウンターを取られてヒソカの――

 

 いや!? 違う、誘いか!

 激昂したフリをして両手で攻撃をする。だがそれはフェイント、いや、恐らく拳のみで攻撃をし続けたのもフェイントの一環なのだろう。挑発に乗ったと思ったヒソカはカウンターを入れようと動いていたため、急に動きを止め蹴りへと攻撃をシフトしたカストロに反応しきれていない。

 両手の炎を解き、足に凝をしての一撃は確実にヒソカの左側頭部へとヒットした! 強烈な一撃を受け、ダウンしてしまうヒソカ。その隙を見逃さずに両手にまたも炎を纏い追撃をするが、脇腹を掠めるだけに終わってしまう。

 

 惜しいな。もう少し能力発動が速ければまともに当てられていたのに。だが、掠りでもヒットはヒットだ。炎の効果によりヒソカの衣服が燃え始めた。

 さらに虎咬拳は素手で生木を引き裂くほどの攻撃力を誇る。掠っただけでも猛獣の爪に裂かれたような傷が出来ている。多少の火傷も受けているだろう。

 

「クリティカルヒットォ&ダウン!! 3ポイントカストロ! 4-4!!」

「自分の能力だからな、弱点くらい把握している。それを補う戦い方くらい考えているさ」

「……」

 

 ……? ヒソカの様子がおかしい? まさかあれくらいの攻撃で参るような奴ではないだろうに。むしろ喜ぶん――! 

 こ、これは、ヒソカのオーラが!?

 

 

 

「どうしたヒソカ? まさかこれしきで――!?」

「……ああ、いいよキミ。これほど楽しめるとは思わなかった。……もう、ここで壊しちゃいたいくらいだ!」

 

 本気ではないと思っていたけど……ここまでオーラが増大するとはね。確実にカストロの倍以上の顕在オーラを発しているな。練の勢いだけで燃え上がった衣服の火も掻き消えた。禍々しさすら増大している。キルアもクラピカも言葉が出ないみたいだ。

 

 オーラを見ることの出来ない観客達もヒソカの異様な雰囲気を感じたのだろう。会場が静まり返っている。そしてカストロも……ヒソカに呑まれかけているな。

 

「う、あ……」

「誇っていいよカストロ♥ たったの2年で良くここまで熟れたね♠ でも――」

 

 ――実戦経験が圧倒的に足りないね♣

 

 その一言と共に今までよりも遥かに速くカストロに接近するヒソカ。

 カストロは急な攻撃に対応しきれない。先ほどの衝撃もあり、体も心も固まっていた瞬間だったようだ。そこをついたヒソカの一撃が腹部を穿つ。

 

「ぐ、はぁっ!?」

「おやおや、注意が散漫してるよ?」

「う、おおおぉぉ!」

 

 即座に反撃をするも、あっさりと見切られ最小限の動きで避けられる。そして二度、三度と顔面にヒソカの連撃。カストロも全てを凝でガードするが、その防御力を至極簡単に貫いている。これほどの顕在オーラの差があれば仕方のない事だろう。

 

「うぐっ? はあっはあっ! お、おのれ……」

「息切れかい? もう少しスタミナを付けた方がいいね♥」

「クリティカルヒットォ&ダウン! 3ポイントヒソカ! 7-4!!」

 

 余裕の態度を崩していない様に見えるヒソカだが、決して油断はしていないな。相手の動きを眼を『凝』らして良く観ている。2人の戦闘スタイルだと攻撃の距離は完全に噛み合っている。ヒソカの攻撃が当たる位置はカストロの攻撃も当たるということ。カストロの念能力は喰らうと今のヒソカの顕在オーラでも突破出来る可能性を持っているからね。

 

「黙れ!」

 

 昂っているせいで攻撃が短調になっているが、少なくともヒソカのオーラを受けたせいでの怯みはなくなったようだ。だが、ダメージは大きいようだな。後退するヒソカを追う足が出ていない。肋骨の何本かはイっているのだろう。さらには脳も少し揺らされている。……さすがに厳しいな。

 

 遠距離攻撃でもあればまた話は違うのだろうけど。

 

 ……あ! ま、まさか! いや、あった! 確かにあったぞ! 【邪王炎殺拳】にも遠距離攻撃の技が!

 

「はあ、はあ、流石だな、ヒソカ……! 今の私ではまだ貴様に劣るようだ……だが!」

 

 裂帛の気合と共にカストロのオーラが膨れ上がり、その全てが両の手に集まっていく! まさか、あれまで習得しているのか!?

 

「勝つのは私だ!! 喰らえ! 【邪王炎殺虎咬砲】!!」

「もうやめてよ!? 私の心が折れちゃう!!」

「お前今日はどうしたんだよ?」

「ふむ……かなり情緒が不安定だな(もしやあの日か?)」

 

 私の叫びなど戦闘に何の影響を与えるわけもなく。カストロの両手の黒い炎が形を変え、巨大な虎となってヒソカへと放たれた!

 

「!?」

 

 ヒソカもさすがにこの距離で攻撃する手段まで持ってるとは思ってもいなかったか。

 2年でここまでの実力を身に付けるなんて……地獄のような修行を己に課したのだろう。全てはヒソカに借りを返す為に。

 

「はああぁああぁぁぁ!!」

 

 残りのオーラも少ないのだろう。炎虎を放ったあとは堅の維持も出来ていない。最後の力は全てあの炎虎の制御と維持に回しているようだ。

 まさに全霊を込めた一撃がヒソカを襲う!

 

「あはははは! 本当にいいよカストロ!!」

 

 素早い動きで虎の牙から逃れるが、すかさず炎の爪がヒソカを追撃した! そこまで自在に操作出来るのか。だが――

 

「ふふ、敢闘賞といったところだね♦」

 

 ……ヒソカの頬をえぐるだけに終わった。

 そのまま炎虎は勢いを殺しきれずにヒソカの後方へと駆けていく。すぐさま軌道を修正してヒソカを追おうとしているが……それを許すほどヒソカも甘くはない、か。

 

 カストロが後ろへと後退しようとしているな。接近するヒソカから離れて炎虎が戻ってくるまでの時間を稼ごうとしたかったのだろう。

 だが、すでにカストロの足元の床には……。

 

「ちぃっ! なっ? あ、足が動かない!?」

 

 すでにあの粘着のオーラが広がっていた。恐らく後方に離れる前に設置していたのだろう。周到なことだ。変化系を得意とするであろうヒソカは放出系はあまり得意ではないが、それでも僅かな足止めをするには充分だったようだ。

 

「がはぁっ!」

 

 強力なアッパーにより宙に吹き飛ぶカストロ。そしてすぐさまオーラで引き寄せられる。そしてヒソカは地面に墜落しようとするカストロに振り下ろしの拳を叩き込んだ。

 

 地に倒れ臥すカストロ。さすがにもう動けないか。いや、たとえ動けたところで勝負はヒソカの勝ちだな。

 

「クリティカルヒットォ&ダウン! プラス3ポイント! 10-4!! TKOにより勝者ヒソカ!!」

「楽しかったよ。だからまだ生かしておいてあげる♥ もっと実戦経験を積むといい。そしたら今度は……ルールのない場所で殺り合おう♣」

 

『けっちゃぁぁぁーーく!! カストロ選手、雪辱ならず! しかし、ヒソカ選手を追い詰めたその実力はさすがと言えましょう!』

 

 ポイント制による決着。カストロをかなり気に入ったようだな。ここでは殺さず、いずれもっと強くなった時に殺し合いをしたいんだろう。確かにカストロはまだまだ強くなるだろう。基礎を怠らず実戦を積んで経験を高めればいずれはヒソカをも超えられる可能性は大いにある。

 

「……すごい戦いだったな」

「ああ。ヒソカがあそこまで強いなんてよ」

「敗れはしたが、カストロも私達等より遥かに強い……少しは強くなったつもりだったがな」

「大丈夫ですよ。2人の、いえ、ゴンも含めたあなた達の才能はヒソカやカストロにも劣らないモノです。いつの日か必ず彼らに届きますよ」

 

 この戦いを観て焦りでも感じたのだろうか?

 だが、さすがに念を覚えて1ヶ月程度ではヒヨっ子なのは当然だ。

 

「あなた達はしっかりと基礎を行う段階です。焦ってはいけませんよ?」

「……そうだな。すまないアイシャ、これからもよろしく頼むよ」

「オレはその基礎すら学べないけどな」

 

 そればかりは私に言われても。ウイングさんとゴンに言ってくれ。

 

「さて、そろそろゴンの所に戻るか。腹も減ったしな」

「そうだな。4人で食事でも摂ろうか」

「あ、すいませんが私は少し用事があるので、2人で先に戻っておいてください。食事も先に始めててもいいですよ」

「用事? 何しに行くんだよ?」

「それは……秘密です」

 

 これは誰にも言えない。言うわけにはいかない……。

 試合は終わった……そしてカストロも生きている……ならばすることは1つしかない。

 

 〈ブラックヒストリー〉を取り戻す!!

 そしてもう誰の目にもつかないように処分してやる!!!

 

 

 

 2人と別れてから医務室を目指して移動する。恐らくそこにカストロは搬送されているだろう。かなりの大怪我だったからな。もしかしたら面会謝絶かもしれないけど、取り敢えず居場所だけでも確認しておこう。

 

 係りの人に確認するとやはり治療を受けていたようだ。だが既に自室に戻ったらしい。……タフだな。結構ボロボロだと思ったんだけど? まあいいや。面会謝絶ではないそうなので早くカストロの所へ行こう。

 カストロの自室は係りの人に聞くと簡単に教えてくれた。こんなに簡単に教えてもいいんだろうか? ……押しかけるファンとかいたらどうするんだろう?

 

 ……ここか。うう、緊張するな。もし〈ブラックヒストリー〉を返してくれなかったらどうしよう? とにかく今は頼み込んでみるしかないな。取り敢えずノックしてと。

 

「すいません。カストロさんはいらっしゃいますか? 少しお話がしたいのですが?」

「……すまないが、今は誰にも会いたくなくてね。また後日に――いや、キミのその声は……」

 

 声? 私の声がどうしたんだろう?

 

「先ほどの言葉は撤回しよう。入ってきても構わないよ」

「本当ですか! ありがとうございます!」

 

 良かった! 取り敢えず話をすることは出来るみたいだ。

 

「いらっしゃい。不格好ですまないが、何ぶん怪我人でね。勘弁してほしい」

「いえ、そのような時に押しかけてしまい、私の方が謝らなくてはいけませんので……申し訳ありません」

 

 こうして包帯で巻かれている姿を見ると後日でも良かったんじゃと思ってしまうな……。でも、もしかしたら明日にでもカストロさんが天空闘技場から離れないとは限らないし。

 

「キミは……アイシャさんだね。今日はどんな用があってここに?」

「私のことを知っているんですか?」

「もちろんだよ。同じ200階クラスの選手はチェックしてるのさ」

 

 なるほど。そういや私も200階選手だったわ。登録はしたけど特に戦うつもりもなかったから忘れてた。クラピカの付き添いのついでみたいなものだったしね。

 

「用件なんですが……単刀直入にいいます。私に黒の書を譲って頂けませんか!?」

 

 思いっきり頭を下げてお願いをする! なんなら土下座してもいいよ!

 

「……そうか、やはりな。……頭を上げてくれアイシャさん。悪いが、キミに黒の書を譲る事は出来ない」

「お金なら言い値で払います! どうか!」

 

 タダで手に入れようだなんておこがましい事は言わない!

 私の全財産は十数億はあったはず! そんなの全部あげるから!

 

「いや、すまないが金の問題ではないんだ」

「ではどうすれば!?」

 

 どうすれば譲ってくれるんだ?

 

「あの時、歓声を上げてくれたキミになら黒の書を譲ってもいい。そう思っている……だが――」

 

 歓声? 悲鳴なら絶叫した覚えはあるけど?

 いや、そんな事より譲ってくれるの? くれないの? どっちなの?

 

「すまない。黒の書は既に私の手元にはないんだ」

「そ、そん、な……」

 

 目の前が真っ暗になりそうだ。ようやく、ようやく見つかったと思ったのに……。

 

「では、今はどこにあるのですか?」

「……あれは今から2ヶ月ほど前の事だ。私は打倒ヒソカのために秘境にて武者修行をしていた」

 

 ……この人は過去を語りたがる癖でもあるんだろうか?

 まあいい、黒の書に関する貴重な情報だ。黙って聞いておこう。

 

「そして修行の末、【邪王炎殺虎咬砲】を会得した私は秘境から離れ、天空闘技場に戻るために船に乗った。しかし、そこで私は体調を崩してしまってね。恐らく、秘境で取ったキノコを食べてしまったせいだろう」

 

 確認もせずにキノコを食べたら危ないよ? 素人には食べられるキノコとそうでないキノコは見分けられないから。

 

「不覚だった。このままヒソカに一矢報いる事なく死んでしまうのか――そう思っていた時、1人の青年が私を介抱してくれたのだ」

 

 もしそれで死んでいたら死者の念を生み出していたかもね。その青年に感謝しなきゃ。

 

「薬を飲み、一晩経つと具合も良くなってね。彼には感謝してもしきれないよ」

「えっと。それと黒の書にどういう関係が?」

 

 聞く限りでは黒の書が出てこないんだけど?

 

「それはここからだ。彼に礼を述べ、謝礼をと思ったが、彼は礼はいらないと言った。何とも清々しい今時では見かけない好青年でね。何としても恩を返したかった。そして色々と話をしている内に彼がプロハンターだと聞いてね。念について知っているか聞いてみたのだよ」

 

 ま、まさか。これは、そういう事なのか!?

 

「だが彼は念能力の存在を知らなかった。そこで私は彼に念の存在を教えた。そして――」

「く、黒の書を?」

「ああ、譲ったんだ」

 

 神は死んだ。




新たな魔改造キャラクター、カストロ! 魔改造の結果、ヒソカに一層気に入られてしまいましたがw カストロの念能力の詳細を書いておきます。

【邪王炎殺拳】
・変化系能力
オーラを黒い炎に変化される念能力。オーラを炎に変化させるには並大抵の努力では出来ないが、カストロの才能と情熱(厨二)がそれを可能にした。
炎の色を黒にする理由はない。強いて言うならかっこいいから。メモリの無駄使いの様だが意外とカストロの想いも篭っており、威力が増す結果となった。
自身の身体(両手含む)も燃やしてしまうため、両手に特殊素材で作られた不燃グローブを装着し、極薄の耐熱テープでテーピングしていないと術者が火傷を負う。

〈制約〉
・手の周り以外のオーラは炎に変化出来ない。
・この炎は自身の身体にも効果を及ぼす。

〈誓約〉
・特になし



【邪王炎殺虎咬拳】
・変化系+強化系能力
名前そのまんま。邪王炎殺拳に虎咬拳を組み合わせたもの。高熱の炎で覆ったグローブを周で強化して相手に攻撃する。
この攻撃をガードしても熱によるダメージまで防ぎ切る事は至難。

〈制約〉
・【邪王炎殺拳】と同じ

〈誓約〉
・特になし



【邪王炎殺虎咬砲】
・変化系+放出系+操作系能力
【邪王炎殺拳】で生み出した炎を虎の形に変化させ放出し、対象を攻撃する能力。
自在に操作し、対象を執拗に追いかける事も可能。形の通り、牙や爪で攻撃も出来る。
本来は邪王炎殺黒龍波という名前だったがカストロが変更した。オーラの形も龍から虎へと変えている。
意味のない変更だが、やっぱりカストロのフィーリングに合ってるため、変更したほうが威力が強まった。

〈制約〉
・一度使用すると24時間経たないと使用出来ない。

〈誓約〉
・特になし

※下記の条件を満たした場合、【邪王炎殺虎咬砲】に特殊な効果が発生する。

① 【邪王炎殺虎咬砲】に使用した顕在オーラが、【邪王炎殺虎咬砲】を放ったあとの自身の潜在オーラ以上である。
② ①の【邪王炎殺虎咬砲】を受けた相手が無傷である(避けられた場合は無効となる)。

以上の条件を満たした時、放たれた【邪王炎殺虎咬砲】は術者自身に還り、莫大なオーラを生み出す餌となる。効果は5分間。
使用条件の厳しいまさに必殺の能力。
・強化系能力

〈制約〉
・上記の条件を満たす。

〈誓約〉
・効果が切れると強制的に絶となる。この絶は6時間以上の睡眠を取らないと回復しない。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十六話

 ぬふふふ、これは中々。おお、いい筋肉してるじゃない! あ~、良い目の保養になるわさぁ~。やっぱり暇つぶしにはこれよねぇ~。リィーナもどうしてイケメンと筋肉の良さが分かんないのかしら?

 

 prrrr……prrrr

 

 んもう、何よ。せっかく人がいい気分に浸っていたのに。一体誰が……あれま! アイシャからなんて珍しい! て言うか初めてじゃない。何の用なのかしら?

 まあアイシャなら私の幸せな一時を邪魔したとしても許してあげるわさ。

 

「はいはい。こちらビスケ、どうしたんだわさアイシャ?」

『ああ、ビスケ。忙しかったらすいません、今大丈夫ですか?』

 

 相変わらず律儀ねぇ。ジジイなら問答無用で用件を言うのに。ま、その場合は私も速攻でぶち切るけどね。

 

「大丈夫よ。それで、何の用かしら?」

『ええ、実は……ビスケをしばらく雇いたいのです』

 

 へえ? アイシャが私を雇いたいなんて。一体どういう要件かしら?

 

「それはまたいきなりね。雇うと一口に言っても色々あるわよ?」

『はい。実はあなたの能力が必要なんです』

「私の? ……そう! クッキィちゃんのエステ効果が欲しいだなんて貴方も女の子になったわねぇ! でも、残念だけどアイシャには私の能力は――」

『断じてそうではありません!』

「……何よ、面白くないわね~」

 

 ちぇ! もしそうだったら徹底的に着せ替えしようと思っていたのに。アイシャも元がいいんだから磨く努力をしなきゃね~。いくら前世が男だからって、現在は女の子なんだからいいかげん諦めたらいいのに。

 

『全く。……実は今、弟子を1人育成していまして。それの修行に貴方の能力を使わせてもらいたいのですよ』

「はあ!? ちょっ! マジで!?」

『え、ええ。そんなに驚くことですか?』

 

 当たり前よ! あんた自分が何なのか忘れてるの!?

 伝説の武人・リュウショウ=カザマよ!? それが弟子を取って、それもたった1人を付きっ切りで育てているなんて、驚いて当然でしょう!

 

「それって流派を教えているの?」

『いえ、あの流派は一切教えていません。〈アレ〉についての師、というだけです』

 

 それだけでも充分に贅沢よ。その弟子が誰だか知らないけど、自分がどれだけ恵まれているか分かっているのかしら?

 ……リィーナが知ったら嫉妬に狂いそうね。あの子アイシャに指導してもらうのを今か今かと待ち続けているんだから。確か後継者を育てるのに躍起になっているのよねぇ。さっさと後継者を育てて自由の身になってアイシャと一緒にいようという魂胆が丸見えだわさ。

 

「その弟子は知っているの? アンタが[アレ]だってことを?」

『……いえ、教えていません。さらに言うなら、オーラについても教えてはいないのですよ』

 

 ああ、なるほどね。前世の事も話していないし、オーラも隠していると。そういうことか。つまりアイシャは私に念の実演もしてほしいってわけね。

 そいつが誰だか知らないけど、確実に念については初心者。そんな奴にアイシャの素のオーラを浴びせたらどエライことになるわね。

 例えアレに耐えられたとしても、アイシャがそれを教えるのには抵抗がある、と。

 

「そういうことなら私が実演もした方がいいわね」

『さすがですね、私の言いたいことを理解してくれているようです。……その人はハンター試験の同期で、その、友達なんです……いずれは話したいと思っていますが、今はその……』

 

 あらまぁ。

 ……本当に変わったわね。リュウショウ先生とは本当に別人ね。精神が肉体に引っ張られているとでもいうのかしら? 友達に嫌われたくないからオーラを隠しておきたいなんて、あの先生がここまで女の子になるなんてねぇ。

 

「分かったわ。そういうことなら雇われましょう。でも、私にも都合があるから9月にはこの契約を切らせてもらうわよ」

 

 ヨークシンのオークションで、あのバッテラ氏なら確実にグリードアイランドを競り落とすでしょう。ならば次にあるのはプレイヤーの選考会のはず。

 ああ、噂では世界で類を見ない程の美しさと言われている希少宝石! グリードアイランドでしか手に入らないと言うそれを手に入れる為にも、選考会に遅れるわけにはいかないわさ!

 

『はい、それでも構いません。元より私たちも9月には用がありましたから』

「そ、ならいいわさ。それじゃ、契約における重要な点、報酬なんだけど」

 

 いくら気心が知れている相手、尊敬する先生とは言え契約は契約。プロとしてそこはしっかりしておかなくちゃね。

 

 ……鈍感ウイングのせいで消える予定のお金を少しでも補填しなきゃいけないし。

 ああもう! 思い出すだけでも忌々しいわね! あのバカ! 今度会ったら一発ぶん殴らなきゃ気がすまないわさ!

 

『ええ、拘束期間は約4ヶ月。指導の補助、及び能力の使用。さらに能力を他者に明かす点も含めて試算してもらって結構です』

「分かってるじゃない。それじゃ……そうね、1ヶ月5千万、と言いたいところだけど、知り合い価格で2千5百万にしとくわ。9月までできっかり1億でどう?」

 

 アイシャがお金を持っていなかったらこんな契約を持ち出しては来ないだろう。だからきっちり報酬は取らせてもらうわさ。

 

『分かりました、それで結構ですよ。それでは契約成立ということで。証文は用意しますか?』

「そこまではいいわよ。アイシャを信用してるもの」

 

 いくら性格や性別が変わっても根っこは変わってないものね。下らない嘘で人を騙すような人じゃないのは分かってるわよ。

 

「それじゃ明日にでもそっちに移動するわ。場所はどこなの?」

『ええ、天空闘技場です。受付に私の名前を出したら部屋の番号を教えてくれるので、よろしくお願いしますね』

「はいはい~。それじゃ、またね~!」

 

 そうしてアイシャとの電話を終える。

 

 ふふ、面白くなってきたじゃない。ちょうどすることもなくて暇してたんだし、いい時間つぶしになりそうね。それにアイシャが念能力を教えているだなんて中々素質がある奴かもしれないし。

 磨きがいのある原石ならいいわねぇ~。ついでにイケメンならなお最高ね! 女だったら残念だけどね。

 

 しかし……盗聴を警戒して念を言葉に出さずにアレソレで喋るのも面倒だわね。聞かれたところで問題ないと思うけど、無駄に無知な馬鹿どもに情報を渡すのも癪だしね。

 特にアイシャ=リュウショウだと知られたら面倒なんてもんじゃないわよ。

 

 さて! 取り敢えず明日の為に準備をしなくちゃね。持ってくものはっと~。

 そうして色々と荷物を整えている私の目の前に、1つのカメラが眼に映った。ふむ……アレをこうすれば……リィーナに売れるわね! 上手くいけば賭けをチャラに出来るかもしれない。そう思った私が速攻でカバンにカメラを入れたのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 ぬぅ! 悪寒が!

 ビスケとの会話を終えた直後に悪寒が走った……この手の悪寒が走った時は大概嫌なことが起こる前兆だ。嫌な予感ほどよく当たるんだよなぁ……。

 

 黒の書も取り戻せなかったし、それどころかあれがさらに拡大感染しているかと思うと……。唯一の救い……いや、あるいはさらなる絶望かもしれないが、それは黒の書を手にしたのがあの人である可能性が出たことか。

 

 カストロさんの証言によると、ブラックヒストリーを譲った青年は身長約190cmほど、黒髪短髪で少し髪を立てている。黒いサングラスをかけたスーツ姿の青年だという。どう考えてもレオリオさんですありがとうございました。

 

 ……これでプロハンターでなければ他の人かもしれないが、プロハンターで念を知らない、つまりは今年受験して合格した人で先ほどの特徴を持つのはレオリオさん以外いないだろう。というかそこまで分かっているのにどうして名前を聞いていないんだ?

 

 レオリオさんが持っているのなら、9月にヨークシンでレオリオさんと合流するらしいから、そこでブラックヒストリーを譲ってもらえるかもしれない。それは救いだろう、だが……。

 

 あれをレオリオさんに読まれていることは確実! 友達にあんなのを読まれるなんて赤の他人に読まれるよりよっぽど辛いよ!! うう、絶望が私を包む。これでレオリオさんが何らかの能力を身に付けてでもしていた日には………………ぐ、想像しただけで目眩が!

 

 駄目だ、今考えてもどうしようもない。気が滅入ってしまうだけだ。だったら初めから考えない方がいい。ここからしばらく離れられない以上レオリオさんと合流するのはヨークシンしかない。だったらそれまではクラピカと自身の修行に集中することにしよう。

 

 もっとも、クラピカの修行は現在鎖の具現化に入っているから私が手伝えることは少ないが。具現化には凄まじい集中力を要する。私が割って入ってアドバイスをしても逆効果になるだろう。具現化に必要な修行法はすでに伝えてある、後はクラピカから助けを求められた時に手を貸すだけだ。

 

 ビスケと契約を交わし呼びはしたが、今来てもまだクラピカの修行は出来ないかもしれない。とにかく具現化の修行を始めたらそれのみに集中した方がいいからな。精々出来るのは纏と練くらいか。それでも早めに呼んでおくに越したことはない。時間のロスは少ないし、クラピカなら1ヶ月もかからずに具現化しそうだし。

 

 問題は制約と誓約だな。これについても一通り教えてはいる。だが、どのような制約と誓約にするかは私から指示はしていない。これは他人から言われるよりも自分で決めた方がいいからだ。己の覚悟を以て決めた方が効果は高いだろうからね。

 

 そう言う意味ではあまりブラック……もう黒の書でいいや。黒の書に書かれている念能力をそのまま作り上げるのはオススメはしないんだが……。いや、参考にする程度だったり制約と誓約を自分なりに覚悟を決めてアレンジすればまた話は別かな。

 

 一体どのような制約と誓約を考えているのだろうかクラピカは。

 ……気になるのはあの時、制約と誓約について教えた時に感じたクラピカの暗い覚悟のオーラだ。話しかけるとすぐにそのオーラは霧散した。しかし……。

 

 あまり他人の能力に口出しはしたくないが、事が事だ。やはり一度クラピカに確認してみよう。

 

 

 

 クラピカは部屋の中にいるようだな。恐らく具現化のための修行に励んでいるんだろう。誓約はすでに決めているんだろうか? あまり重たい誓約を考えてなければいいんだけど。

 

「クラピカ、失礼しますね。修行の方、は……」

 

 ドアを開け、中に入る。するとそこには――!

 

「ふむ。鎖を噛むとこんな感触か……次は味も見ておこう。……ん? アイシャか一体どう――」

 

 パタン。

 ………………いや、分かってはいるんだ。あれが具現化系の修行だということくらい。教えたのは他の誰でもない私だからな。

 でも味も見ておこう、とか言いながら鎖をレロォ~っと舌で舐め上げるクラピカを見続けるのは少し、いやかなり堪えた……。思わずドアを閉めてしまった私は悪くないと思いたい。

 

「アイシャ、一体どうしたんだ? 何か用が有ったんじゃないのか?」

「ああ、いえ、すいません。少し思うところがありまして。……中に入りますね」

 

 気を取り直してもう一度入室する。

 今度は……大丈夫だ。鎖は手に持ってはいるが特に何もしていない。

 

「修行の妨げをしてすみません。成果の方はどうですか?」

「いや、気にすることはない。成果と言われてもまだまだだな。具現化というのは本当に難しいな」

「それは仕方ありません。恐らく具現化系は能力の発現までにもっとも時間の掛かる系統ですから。その代わり一度発現したら出し入れも自由で便利なのが具現化系です」

 

 手ぶらを装って武器を具現化することも出来るし、隠を使うと見えにくくすることも出来る。何らかの能力を付与したモノを具現化することも多いので、熟練した具現化系の使い手はとても厄介だ。

 

「――と、講釈をしに来たのではないのでした。……今日来たのは貴方に確認したい事があるからです」

「……確認したいこと?」

 

 私の言葉に怪訝な表情をするクラピカ。今更何を確認するのか疑問なのだろう。

 

「はい。……貴方は自らの能力を既に考えていますか?」

「……ああ。鎖を具現化するに当たって、鎖にどのような能力を付けるかはある程度は考えている」

 

 そうか。聡明なクラピカのことだから既に能力を決めているとは思ってはいた。問題なのはどのような能力か、そしてどのような制約と誓約を課しているかだ。

 

「……本来能力は他人に教えるものではありません。念能力が他人に知られてしまうリスクの大きさは分かるでしょう? 私も自身の能力は貴方にも教えていませんしね。……ですが、それを承知の上で聞きたいのです。クラピカは鎖にどのような能力を付与しようとしているのですか?」

 

 例え師と言えど弟子の能力を知らないということはよくあることだ。それほど念能力が他人に知られてしまうリスクというのは大きい。もちろんヒソカのように知られたところで大したマイナスを生じない能力もある。だが、それでも知られてしまうと対策は多少なりとも立てられるだろう。知っていると知らない、その差は限りなく大きいものだ。……世の中知らない方が良かったということも多いけどね。

 

「……具現化する鎖は5つとしている。右手の指にそれぞれ1本ずつ、形状はそうだな、この絵を見てくれたら早いか」

 

 そうして見せてくれたのは1枚の画用紙。他にも床に大量の画用紙が散らばっている。鎖を写生していたのだろう。これによって鎖のイメージをより強くしていたのだ。見せてくれた画用紙には、右手の指1つ1つに嵌めた指輪から鎖が伸びたモノが描かれていた。

 なるほど、既に完成系は出来上がっているわけだ。問題はその能力とその内容、つまりは誓約なんだが……。

 

「5つそれぞれを違う能力として作ろうと思っているんだが、まだ全ての能力は決めていないんだ。いくつかは【絶対時間/エンペラータイム】を利用しないと使用出来ないようにするつもりだ」

「そうですか【絶対時間/エンペラータイム】を。……既に決めている能力もあるんですね?」

 

 しかし【絶対時間/エンペラータイム】か。これまた凄まじい能力を発現したものだ。

 緋の眼になり、特質系へと変化した時にのみ発動する念能力。検証の結果、緋の眼の間のみ全ての系統の能力を100%引き出せる能力というのが判明した。

 

 正直ありえないと言ってもいい能力だ。クラピカが強化系が不得意でも、この能力が発動すると強化系の能力も100%引き出せる。鍛錬を積めば積むほどその効果は高くなっていくだろう。強化系の肉体の強さを誇り、具現化した鎖に能力を付与してそれを操作、放出、変化させて戦う。

 

 何それ怖い。

 

「……ふぅ。分かったよ、話そう。アイシャも意外と強情なところがあるからな」

 

 私が【絶対時間/エンペラータイム】について考えていると、クラピカがそんなことを言ってきた。どうやら私の沈黙を勘違いして受け止めたようだ。

 しかし強情とは失礼な。クラピカを心配してのことなのに。まあ丁度いいから良しとしよう。

 

「……私が考えているのは鎖で捕縛した対象を強制的に絶にする能力だ」

 

 な! 強制的に相手を絶にする能力!?

 それは……確かに強い。オーラを絶たれた能力者なんて言わば陸に打ち上げられた魚のようなものだ。

 いや、絶になっても戦えはするから正確な言い回しではないか。まあどうにせよ、そうなればどうあがいても相手の勝ちはなくなるだろう。だが……。

 

「それを実現するにはかなりのリスクを課したルールが必要です。それについては?」

「……私の目的は仲間の眼を取り戻し蜘蛛を捕らえること。この能力は幻影旅団以外には使わない」

「それは……制約としては問題ないです、でもそれだけでは少し弱いですね。例え絶に出来たとしても鎖の強度は大したモノにはならないでしょう。相手によっては引きちぎられますよ?」

「ああ、それはただの前提条件だ。それを破った場合の誓約も決めてある」

 

 クラピカから流れ出る覚悟の気配。これは、まさか!

 

「……命を賭ける」

「! ……本気で言っているんですか?」

 

 いや、こんなことを聞いたところで答えは分かっている。こんな下らない嘘や冗談を言う様な人ではないのは百も承知だ。

 でも、下らない嘘であってほしいと思う私がいるんだ。

 

「勿論だ」

 

 ……やっぱり、か。私の質問に対しての答えに全く揺ぎがない。これは既に覚悟を決めているオーラだ。でも、そんなものを認めるわけにはいかない!

 

「旅団以外には使用出来ず、もし使用してしまったら死んでしまう。それならば具現化された鎖は凄まじい能力となり、幻影旅団相手には劇的な効果を発揮するでしょう。ですが!」

「そうしなければ勝てるとは思えないんだ!!」

 

 !? 私の言葉を遮って部屋に響くクラピカの絶叫。クラピカがここまで激しい感情を見せるなんて……。

 

「アイシャも見ただろう。ヒソカの力を。私よりも遥かに強い、あの実力を。仮初とはいえ奴は旅団に属している。それはつまり旅団員の力は少なくともヒソカに近しいものだということだろう。それが12人もいるとなれば、命くらい賭けなくては……勝てるとは思えない!」

 

 血を吐くかのように絞り出されたクラピカの思い。それは……あながち間違ってはいないだろう。

 ヒソカは旅団の中でも上位に位置する実力者ではあろう。ヒソカが旅団でも弱者の部類に入るのならば、トップである団長に拘らなくてもいいだろう。他にも歯ごたえのある者が大勢いるのだから。

 故にヒソカは旅団でもトップクラスの実力だと推測される。そうでなくては団長と戦いたい等と思わないはず。この際実は団長はさして強くないという仮説は捨てておく。

 

 だが、だからと言って他の団員がヒソカよりも極端に弱いはずはない。全員が同じ領域にいるのは想像するに容易い。あの時のヒソカとカストロの戦いを観たクラピカが焦るのも無理はないかもしれない。

 

「……すまない。少し感情的になりすぎた」

「いえ、クラピカが焦るのも無理はないですし、その誓約を考えたのも分からなくもありません」

「では――」

 

 私が同意を示す答えを返した事にクラピカが安堵の表情を浮かべる。

 だが!

 

「だけどそのルールを課すのは許せません」

「何故だ!?」

「そのルール、先程も言いましたが確かに旅団相手には圧倒的に有利になるでしょう。……ですが、あまりにも諸刃の刃に過ぎます」

「それは……」

「もしも旅団に能力の詳細がバレてしまったら、容易く対処されてしまう。例え綿密な計画を練り、能力がバレない様に旅団員と1対1で相対したとしても、何があるのか分からないのが念能力です。どこで能力の詳細がバレるとも限りません。旅団と相対した時にその場に旅団以外の敵がいるかもしれない」

「それでも……それでも旅団に勝つには――」

「――私が貴方を強くします!」

「っ!?」

「命を賭けなくても奴らに勝てるくらいに強くします! そうすれば、わざわざ命をリスクとした能力を作らなくてもいい。……当然のことでしょう?」

 

 私の言葉に絶句するクラピカ。それも仕方ない。今のクラピカに、ヒソカに勝つ自分を想像するのは無理だろう。

 

「貴方の才能。そして、緋の眼による特質系能力【絶対時間/エンペラータイム】。これらを有する貴方ならば不可能ではありません」

「……本気で言っているのか?」

 

 先ほど私がクラピカに言った言葉が返ってくる。そして私の返答もまた、クラピカと同じだ。

 

「勿論です」

 

 クラピカを強くする。例えヒソカクラスが12人いたとしても勝てる程に!

 私だけでは時間が足りない。技術はともかく練の持続時間は私でも短縮は出来ない。でもビスケの助けを借りられたら。

 ……いや、それだけではない。風間流の本部に行きリィーナの協力も得よう。対念能力者を経験して実戦経験を積まなくては。天空闘技場だけでは物足りないだろう。

 

「命を賭けなくても旅団に勝てる程に、私は強くなれるのか?」

「勿論、戦いそのものは常に命懸けなのは当然です。蜘蛛の全てと同時に敵対して勝てる程に強くなることもさすがに難しい、でもそれは貴方が命を誓約とした念を作ったとしても同じこと。策を練り、多対1にならないように戦えば、勝てます。勝てるようになります! それほど貴方の才能は素晴らしい」

 

 長いこと念能力者を見て育てて来たが、クラピカやゴンにキルア、彼ら3人に匹敵する才を持った人は殆んどいない。徹底的に鍛え上げたら世界有数の能力者になれるだろう。

 

「だが、奴らは13、いやヒソカを除いて12人か。それだけの人数がいる相手をどうやって分断し、1対1に持ち込めば……」

「何もクラピカ1人が全てをこなす必要はありません。私がいるじゃないですか。いえ、私だけじゃない、貴方には頼りになる仲間がいるでしょう?」

「それは!? 無理だ……これは私の復讐だ、他人を巻き込むわけには……」

「他人じゃない。私達は仲間だ、友達だ! 友達を助けて何が悪いんですか?」

「し、しかし!」

「例えクラピカが止めたとしても構いませんよ。私は勝手にするだけです。ゴン達もきっとそう言うでしょうね」

 

 そう、笑いながら言うとクラピカも二の句が出てこないみたいだ。ゴン達を巻き込むのは気が引けるけど、あの2人なら旅団クラスになるのにさほどの時間はかからないだろう。順調に行けば2年ほどでヒソカに匹敵とは行かなくても、遅れを取るほどではなくなるはず。

 

「……本気、みたいだな。……分かったよアイシャ。命をリスクとした能力を作るのは止めにする。その代わり……徹底的に強くしてもらうぞ?」

「ええ! 勿論です!」

 

 良かった! 思い直してくれて本当に良かった!

 もう、無茶な能力を考えて! 心臓に悪いよ。こんなに心配させるなんて悪い弟子だよ全く。

 

「そうと決まればまずは鎖の具現化を済ませましょう。これは私でも時間短縮は出来ませんので、クラピカに掛かっています」

「ああ分かっているさ。能力をしっかりと考え直して具現化に挑むとしよう」

「……本当に無茶な誓約を課してはいけませんよ?」

「ふふ、分かっているさ」

 

 どうやら嘘ではなさそうだ。クラピカなら約束は守ってくれるだろう。後は修行に専念するだけだな。

 

「だが、1つだけアイシャに確認したい事がある」

「え? 確認って、何でしょうか?」

「……アイシャ、キミの実力を知りたい」

「! ……そうですか」

 

 とうとう来たかこの質問が。今まで共に過ごした時間で、クラピカは私の念を一度も見ていない。疑問に思っていただろうな。纏すら行っていない私のことを。

 勿論私は纏はおろか練や流の修行もしていたのだが、【天使のヴェール】の効果により、傍目には垂れ流しのオーラしか確認出来ていない。それでは私がどれだけ強いか理解するのは無理だろう。

 

 これまでは私を信用して何も言わなかったんだろうが……。

 

「アイシャが私よりも強いのは良く分かっている。だが、アイシャがヒソカよりも強いかは分からない。強ければ師として優秀、というわけでもない。だが強ければ師として有利なのは確かだろう」

「……そうですね。理論や育成が優れていても、強くなければ教えられない事は山ほどあるでしょう。……いつかは話すことと思っていましたが、今がその時ということでしょうかね」

 

 覚悟を決める時が来たようだ。確かにクラピカの決死の想いを否定し、私の我を押し通したんだ。これくらいは当然の代償だろう。

 

「分かりました。私の実力を見せます。ただ、ここではちょっと無理ですね」

「……? 何故だ? 別にオーラを見るだけだろう?」

「オーラ量=実力と決め付けてはいけませんよ? 技術が優ればオーラ量の有利も覆ることはありますので。とにかく、ここでオーラを解放するわけにはいかない理由があるんです」

 

 もしこんな所で【天使のヴェール】を解除してしまえば確実に変態がやってくる。あいつが私のオーラに萎縮するわけがない。嬉々として参上するだろう。

 他にも沢山の念能力者に感知されるだろう。全力のオーラを見せたら阿鼻叫喚の地獄絵図になるかもしれない。

 

「何があるかは分からんが、了解した。場所を移そう」

「では、周囲に誰もいない広い場所は近くにないでしょうか? 出来れば周囲数十kmに渡って人気がない所がいいのですが」

「それならここから東に約120kmほど行くと広大な山脈があるはずだ。そこなら人気もないだろうが……そこまで用心しなくてはならないのか?」

「ええ、誰の目があるかも分かりませんからね」

 

 

 

 

 

 

 アイシャと共に天空闘技場より東に向かって走る。

 車をレンタルしようと言ったのだが、少しでも鍛錬になるので走っていくと言われた。しかも、凝を怠らないようにしながらというおまけ付きでだ。

 

 凝も出来るようにはなったが、さすがに走りながら、それもこれだけの距離をずっと凝をし続けるのは辛いな。まあアイシャに言ったら“辛くなくては修行になりませぬ”と返ってきたが。

 

 ……アイシャの説得を受け、命をリスクとした能力を作るのは止めにした。確かに言われる通り、私が奴らより強くなればそこまでのリスクのある能力にしなくてもいい話だ。焦っていたんだろう。ヒソカの実力を知り、旅団には勝てないのでは? とな。

 

 だが、今すぐに勝てるようになる必要はなかったんだ。地力を高め、奴らを超えてからでも遅くはない。修行の間は焦らず仲間の眼を探すことに専念すればいいだろう。

 

 復讐に囚われ、目先のみを追っていたようだ。

 アイシャには感謝しなくてはな。

 

 本来ならそれで話は終わっていたが、私には常々気になっていたことがあった。

 それがアイシャの実力だ。アイシャが私よりも強いのは分かる。だがヒソカよりも強いのか?

 別にヒソカよりも弱くとも師として不満がある訳ではないが、私が念に目覚めてから一度もアイシャのオーラを見たことがないのが疑問に拍車をかけていた。

 

 アイシャがどれほどのモノか見てみたい。

 アイシャが私にオーラを見せないのは何か理由があってのことだろうと、そう思い疑問は心の底に沈めていた。だが今回の話を聞き、疑問が浮き上がって来てしまったのだ。

 

 アイシャが自ら話すまで待とうと思っていたが、好奇心に負けてしまいついあのようなことを言ってしまった。悪いことをしたとは思うが、この詫びは別の形で返すとしよう。

 とにかく今は凝に集中しよう……い、息が大分切れてきたからな。

 

 

 

「はあっはあっ!」

「クラピカ大丈夫ですか?」

「ああ! はっはっ、問題、ない!」

 

 くっ! まさか山の麓ではなく、山を1つ越えて本当に誰もいない谷間まで来るとは! 距離にしたら150kmほどだが、山岳の緩急ついた高低のある道を一定のペースで走るのはかなりキツイな。凝さえしていなかったら問題なかっただろうが……。

 とにかく今は絶をして少しでも体力を回復させよう。

 

「ここまで来れば大丈夫でしょう。尾行者もいませんでしたし、もっとも近い人里もかなりの距離を離れています」

「ふぅ。周到だな」

「誰かに見られるわけにもいきませんので」

 

 ……いくら何でも用心しすぎではないか? オーラを見せるだけでそこまで用心するとは思えない。

 私に実力を見せるのだから何らかの能力を出すのかもしれないな。それが他者に知られたら致命的な弱点を持つ能力ならばこの用心深さも頷けるというものだ。

 

「まず私の能力について説明しておきます。……当然ですが他言無用ですよ?」

 

 その言葉にごくり、と自然に唾を飲み込む。私が直接知る能力はヒソカの粘着・伸縮自在のオーラとカストロの【邪王炎殺拳】とその応用技のみ。アイシャから様々な能力の詳細を今後の参考にと教わったが、所詮は話として聞いただけだ。やはり直接見て経験した方が能力を知ったと実感が湧くものだ。

 さて、アイシャはどのような能力を有しているのか。楽しみであり、怖くもあるな。

 

「私の能力は【天使のヴェール】といって、効果は自身のオーラを他者に認識出来ないようにするものです」

 

 ……………………は?

 

「いやいや、何だそれは? つまりそれを発動すればアイシャのオーラは眼で見ることも肌で感じることも出来なくなると?」

 

 それはどんなふざけた能力だ? オーラが見えなくなったらどうやって攻撃を防げばいいんだ?

 

「ええ、そういうことですね。今も纏をしているんですよ? ただ【天使のヴェール】を発動しているので垂れ流しのオーラにしか感じないわけです」

「では今までアイシャは纏をしていなかったのではなく……」

「はい。クラピカの考えている通りです。今までもこの【天使のヴェール】を使用していました。貴方が修行している最中に私も練の持続時間を伸ばす修行や流の修行などをしていたのですよ」

 

 ……無茶苦茶だな。

 恐らく特質系の能力。というか特質系以外考えられない。いかなるルールを組み込んだらそんな能力を作れるんだ?

 

「では、今から【天使のヴェール】を解除します」

 

 ん? これは……恐怖? アイシャが怯えている? どうして怯えたりなんか――!?

 

 こ、これは!? 何というオーラの質だ! あの時、カストロとの戦いでヒソカが見せたオーラに迫る禍々しさだぞ!? 思わず後ずさってしまったほどだ!

 オーラにはその者の感情や内面が表れると聞いたが、アイシャからこのようなオーラを感じるなんてどういうことだ?

 

「これが私のオーラです。……吃驚しましたか?」

「……正直驚いているよ。これは……どういうことなんだ?」

 

 今もアイシャの表情からは怯えや恐怖の色が窺える。それなのにそのオーラは真逆。むしろ恐怖を撒き散らしているかのようだ。感情がオーラに表れるのならこれはおかしいだろう?

 それとも……アイシャが実はヒソカ並の狂人だというのだろうか?

 ……いや、そんなことは流石に考えにくい。

 

「……詳しい事情は話せませんが、私のオーラは常にこのような異質で禍々しいものとなってしまいます。纏をしているだけで一般人にも怯えられるため、普段は絶か【天使のヴェール】をして過ごさなくてはならないんですよ」

「それはつまり、このオーラにアイシャの意思は乗っていないという事か?」

「その通りです」

 

 なるほど。……それは逆に言えば負の感情を乗せたらもっと恐ろしくなるということでは? 殺気を乗せたらそれだけで敵を倒せそうだな。

 

「……すいません、今まで黙っていて」

「気にするな。誰しも話したくないことはあるものだ」

「ですが……」

 

 恐らく先ほどのアイシャの怯えと恐怖は私の拒絶を恐れてのことだろう。私がアイシャのオーラを知ることで自分を恐れ、離れるのではないのかという危惧から来るものだ。

 今までにも経験しているのかもしれないな。親しかった人がアイシャのオーラを知った途端に離れていくことを。

 

「確かに驚きはしたが、それだけのことだ。気にすることはないさ」

 

 だから私は受け入れよう。この程度で怯むようでは幻影旅団を捕らえようなど夢物語だ! 何より、仲間を裏切るような真似は出来ないからな。

 アイシャを拒絶しない。そう言う意味を含めて後ずさった分よりもさらに前に、アイシャに近づいていく。

 

「クラピカ……」

「さあ、これで私にオーラを隠す必要はなくなったな。修行も捗りやすくなるというものだろう?」

 

 実際のところ、アイシャがオーラも隠した状態では出来ない修行もあるだろう。

 私が考えただけでも相手のオーラ量を読む修行、隠を見破る修行、凝に込められたオーラを見切る修行と様々に浮かぶ。

 

「……ありがとう」

「礼を言うのは私の方だよ」

 

 私を信頼してくれたから秘密にしてあった能力とオーラを見せてくれたのだ。信頼している相手からの信頼には応えなくてはならない。それは当然のことだ。

 

「ふふ。では、私の実力の一部をお見せしますね」

「ん? ああ、それが本題だったな」

 

 正直【天使のヴェール】とオーラのインパクトで忘れていたよ。

 しかし実力の一部と言ってもどのようにして私に見せるのだろうか? あの時のように大岩を砕きでもするのか? 当時は念に目覚めてなかったから分からなかったが、あれにはどれほどのオーラが込められていたのだろうか? 興味はあるな。

 

「少し離れた方がいいですよ? 危ないですから」

 

 言われて少し後ろに下がっていく。やはり何かを壊すのだろうか? 手頃な岩はないので地面か? それとも岩壁でも砕くのか?

 いくつもの思考を巡らせている内に、ふと1つの疑問に辿り着いた。

 

 【天使のヴェール】を鑑みるにアイシャは特質系のはず。他の系統と違い、特質系能力は特質系を得意とする能力者にしか作ることは出来ない。

 私は特質系に転じた後も元々の得意系統である具現化系に戻ることは出来る――いや、一時的に特質系になることが出来ると言ったほうが正確か――が、本来は一度特質系に変化すると一生特質系のままのはず。

 私のようなケースは稀とのアイシャの談から、アイシャも特質系から元の系統に戻ることは出来ないのだろう。

 

 つまりアイシャは特質系なので……肉体を強化する強化系はもっとも苦手とするはず。この結論に行き着いた時、あの時アイシャが大岩を砕いた事をもう一度思い浮かべる。

 

 ……思いっきり矛盾してないか? あれがもっとも苦手な系統で成せる業なのか? それともアイシャも私のようにどの系統の能力も100%引き出せるとか?

 だが私の能力が判明した時のアイシャの驚きようを見るとそれもなさそうだ。

 

 そんな私の疑問を一蹴するかのような答えが、目の前のアイシャから返ってきた。

 

「行きますよ。……『練』」

 

 一言。そうたった一言を呟いた瞬間。アイシャからオーラが溢れ出た。

 

 気付けば私は地に手をついていた。口も阿呆みたいに半開きとなり、傍から見ればさぞマヌケな絵が見れただろう。

 

 カストロよりも遥かに、いや、明らかにヒソカすらも超えるオーラ量! こんなオーラを私よりも年下の女性が発しているというのか。

 

 ああ、これなら納得だよ。これだけのオーラを纏えば特質系だろうと大岩の1つや2つ砕くことも容易いだろうな。

 

「……すか? 聞こえていますかクラピカ?」

「――!? あ、ああ。すまない、少し呆けていたみたいだ……」

 

 アイシャに話しかけられていたようだが、あまりの光景に我を失っていたようだ。

 

「……どうやってそこまでのオーラを……その年齢で……」

「すいません。それはまだ言えません。……もう少し待ってもらえますか? いつか、いつかきっと話しますから」

 

 アイシャが秘密にしていることはアイシャにとってよほどのことなのだろう。いつか話すと言ってくれているんだ。その時まで待つのが礼儀だろう。

 

「分かったよアイシャ」

「すいません。……それで、どうしましょう。クラピカが望むのならもう少し実力を示しますが?」

「いやこれほど分かり易い見せ方もないだろう。もう充分だよ」

 

 オーラ量の多さ=強さなどと妄言を吐くつもりはないが、さすがにあれほどのオーラを見ると話は別だ。今の私では何をしたところでアイシャにダメージを与えることは出来ないだろう。どれほど技術を身に付けたとしても、アリで獅子に勝つことは出来ない。私がアイシャに挑むというのはそれと同じだ。もっとも、技術においてもアイシャの方が上なんだがな。

 

「……それならいいんですが」

 

――全力を見せなくてもいいのかな?――

 

 そんな呟きが風に乗って聞こえてきたが幻聴だと思う。むしろそう思わせてくれ。

 

「ではクラピカも納得してもらえたようですね。これで貴方の師として充分な資格があると思ってもらえますね?」

 

 ああ、そう言えばそういう名目だったな。元より師として不満を持ってはいなかったのだし、アイシャの実力を知るための方便みたいなものだったのだが。

 

「勿論だ。これからも厳しく頼むよ」

「ええ。徹底的に鍛え上げますよ。特別講師も呼んでいますので、楽しみにしてくださいね」

「特別講師? いったい誰のことだ?」

「クラピカは知らない人ですよ。それよりもここにはもう用はないので天空闘技場に戻りましょう。クラピカは鎖の具現化に専念しなくてはいけませんからね」

 

 そう言ってオーラを垂れ流しにするアイシャ。感じるオーラの禍々しさもなくなっている。【天使のヴェール】を使ったのだろう。かなり便利な能力だな。

 

 さて、帰りも凝をしながら走るのだろう。行きよりも体力もオーラも減っているからな。途中で倒れないように気を入れなくては。

 

 

 

 

 

 

 アイシャの依頼を受けてから8日、ようやく天空闘技場に着いたわさ~。飛行船ってもうちょっと速くならないのかしら? 空の旅も悪くないけど時間が掛かりすぎるのよね~。

 さて、取り敢えずアイシャのところ……に……?

 

「それで、カストロという愚物の部屋は何階の何番なのですか?」

「は、はい! え、えっと、その、か、カストロ選手は、223階の……」

「もっとハキハキと話してはいかがですか? 無駄に時間が過ぎてしまいます。私は急いでいるのですが?」

「ひぃ!? も、申し訳ありません!!」

「あ、あのリィーナ様? その、受付の方が少し怯えているので、その……」

「怯えて? 私はただ質問をしているだけですよ? 天空闘技場200階闘士カス。ではなかった、カストロという名の産廃は一体どこにいるのか、と。それくらいの質問に答えられないなんて受付として職務を全う出来ていないのではないですか?」

『す、すいません!!』

 

 ……何やってるのよリィーナ? 何でリィーナとシオンがここにいるのよ? もしかしてアイシャが天空闘技場にいるって知っているの? でもなんかカストロとかいう人を訪ねて来たみたいね。そのカストロって人に滅茶苦茶敵愾心を抱いているっぽいけど。

 

 にしてもオーラダダ漏れだわね……。そら受付嬢もまともに話せるわけないわ。

 闘技場に参加しに来た周りの屈強な連中もビビって離れてるし。受付の周りの空間だけめっちゃ浮いてるわね。

 

 はあ、リィーナにはブレーキ役がいるわねぇ。

 

「それで、もう一度聞きますが――」

「――はいはいスト~ップ」

「!? ビスケ? 何故ここに貴方が?」

「それはこっちのセリフでもあるんだけどね、とにかく今はここを離れるわよ」

「ちょ! 何を! 私の用件はまだ終わって! こら! は、離しなさい!」

「すいませんすいません! リィーナ様がご迷惑を!」

「……い、いえ! 職務を全う出来ないゴミクズ以下の私が悪いんです!」

 

 ああ、一人の女性が屈折してしまった。

 この暴走婆にはちょっとお灸を据えなきゃいけないわね!

 

 

 

「それで。……あんた何してんのよ?」

 

 一先ず落ち着いて話が出来るよう塔の中にあるレストランに入る。

 飲み物でも飲んで冷静になればリィーナも自分のしたことが良く分かるでしょうよ。

 

「ビスケ、私はこんなことをしている場合ではないのです」

「こんなことってあんたね、受付のあの子マジ泣きしてたわよ? 何があったか分かんないけど大人気ないわよ」

「……確かにあの子には申し訳ないことをしましたね。後ほど謝罪をしましょう。とにかく、それでも急いでいる訳があったのです」

「? 一体何があったのよ?」

 

 リィーナは基本的に冷静沈着で取り乱すことはない。それは私的な場でも戦いの場であっても変わることはない。

 唯一の例外がリュウショウ先生が関わっている事態。リュウショウ先生がほんの僅かでも物事に関わったらもう駄目ね。COOLがログアウトしてKOOLになってしまうのよね。

 つまり今回のこれはリュウショウ先生、つまりアイシャに関連する何かがあったということかしら? アイシャがここに居ることは知らないとは思うんだけど。

 

「それは私が話しますねビスケ様。……実は黒の書の所在が判明したんです」

「!? 何ですって! それは本当なの?」

 

 今まで行方が分からなかった黒の書が見つかったっていうの!?

 ……それならリィーナのあの取り乱し様はよく分かるわね。リィーナは黒の書が奪われたのが自らの失態と思っているし。敬愛する恩師の遺産が自らのせいで奪われたとあってはリュウショウ先生に合わせる顔もないと思い込んでそうだし。

 実際はリィーナのせいというわけではないのにねぇ。

 

「ええ。どうやら黒の書はカスゴミという200階選手が持っているようです。大勢の観客がいる前で大っぴらに黒の書を所持していると発言したそうです」

「か、カスゴミ?」

「リィーナ様、カストロですカストロ」

「ああ、そうとも言いますね。似たようなモノでしょう?」

 

 全然違うわよ。駄目ね、かなりキてるわこれ。

 カストロってのも200階選手なら念は使えるんでしょうけど、これは手に負えないでしょうね。ここからいなくなっていることを祈るわ。もしいたら……冥福を祈ってあげるわさ。

 

「そういやリィーナは分かったけどシオンはどうしているのよ? リィーナの付き添い?」

「あ、いえ。私は、その……」

「この子は私が天空闘技場に行くと言ったら自らついて来たのですよ。まあ理由は良くわかりますが」

 

 ……? どういうことよ?

 シオンはリィーナに付いて天空闘技場に来たんじゃなくて、天空闘技場に来たかったからリィーナに付いて来たってこと? つまり天空闘技場にはシオンが来たがる理由がある……?

 

「……もしかしてウイングって今ここにいるの?」

「ど、どどどどどうしてそれを!?」

 

 わっかりやすい子ねぇホント。

 あのヒヨっ子でボンクラで鈍感でだらしのない男のどこがいいのよ。

 しかし……そおぅ、ウイングここにいるのねぇ~。

 

 アイツのせいで私は大損ぶっこくんだから、2、3発は殴っとかなきゃ気がすまないと思ってたのよね~。ちょうどいいから久しぶりに絞ってあげるわよウイング~。

 

「あ、そういやウイングで思い出したんだけど。アイツってようやくシオンのこと女性って分かったのよね」

「は、はい。……まさか男と思われてたなんて思わなかったです……」

 

 いやいや、ウイングの鈍感もかなりのものだけどアンタにも原因あるからね。ウイングの前では口調は変わるわ服装は肌を見せるのが恥ずかしいとか言って女物を着ないわ。極めつけに胸が……うう、これ以上は酷くて考えるのも憚られるわさ……。

 

「今何か失礼な事を考えてませんでした?」

「気のせいよ。それはそうと、シオンはウイングを許したの? 10年以上も性別を勘違いしてたんだけど?」

「勿論許しましたよ。だってウイングだもん! それくらいの勘違いはしょうがないですから!」

「ウイングが情けなくて師として涙が出そうよ」

 

 なんて健気な子……ウイングには勿体無いわさ。これでこの子もあの病気がなければねぇ……。

 

「そ。まあ愛想つかさない程度に構ってやってね。……それで、ウイングはようやくシオンの事を女性と意識したんだけど、何か進展でもあった?」

「はい! 私達結婚することになりました!」

「ちょっと何言ってるか分かんないわね」

 

 い、意味が分からないわさ。何この……過程が吹っ飛んで結婚するという結果だけが残ってるこの感じ。はっ! まさか新手の念能力を喰らっている!?

 う、うろたえるんじゃあない! 可憐な美少女はうろたえない!

 

「そ、それで? どうしてそうなったのよ?」

「えっと、その……う、ウイングが責任取ってくれるって! きゃあ! 恥ずかしいーー!! あ、思い出し鼻血が……2・3・5・7・11・13・17――」

 

 出たよ病気が。この妄想癖と鼻血癖はどうにかならないものなの?

 リュウショウ先生に習ったらしいけど、どうして素数を数えたら落ち着くのよ? こればかりはさっぱり分からないわさ。

 いやそんなことより大事なことがあるわね。

 

「責任って……アンタまさか!?」

「……そういうことらしいですよ。とうとうシオンにすら先を越されましたねビスケ」

「う、うるさいわさ! 見る目のあるいい男が身近にいないのよ!」

 

 うぐ! や、やっぱりか! ま、まさかシオンがウイングと一線越えちゃうなんて。

 うう、この中で相手がいないのは私だけじゃない……。リィーナも死去したとはいえ旦那がいたし、子供どころか孫までもいるし……。

 

 ああもう! どっかに金持ちで強くて優しくて包容力があって何でも言うことを聞いてくれる格好良い男とかいないのかしら?

 はあ、出会いがなさすぎよね……。

 

「まあ黒の書を取りにここまで来たのはいいとして。あんた後継者育成は放っておいていいの?」

「それですが、今のところはこのシオンが後継者候補となっています。まだ支部にいる有望な者を見ていないので確定ではありませんが」

「マジで! シオンがねぇ。確かに才能もあったし努力もしていたけど。いくら何でも若すぎない? そんだけ若かったら他から苦情がくると思うんだけど……」

「貴方の言いたいことは分かりますよ。でも実力と年齢は関係ありません。例え若かろうと心身ともに強ければ問題ないのです。……それを実証する為にシオンには門弟100人と連続組手をしてもらいましたが」

「リィーナも鬼ね。良くシオンが壊れなかったわね」

「大丈夫です! 途中で何度も倒れそうになりましたけど、その度にウイングを思い浮かべたら力が湧いてきましたから!」

「あんた念能力者に真っ向から喧嘩売ってない?」

 

 いくら念が感情に左右されると言っても限度という物があるわさ! それともそんな念能力でも作ったとでも言うの!?

 

「あれは不可思議でした……何度も尽きかけたオーラがその度にある程度とはいえ回復するなんて……貴方本当に妙な念能力でも作っていませんか?」

「ま、まままさか! わ、私がリィーナ様に内緒で念能力を作るなんてしょんな馬鹿にゃ!」

「いやキョドり過ぎだから」

 

 絶対なんか作ってるわねこの子。態度に出過ぎよ全く……! まあ念能力なんてそうそう明かすのは馬鹿のする事だから気軽に聞くわけにもいかないけどさ。

 

「でもシオンも良く後継者候補になったわねぇ。そういうのが嫌で師範代にもならなかったんじゃないの?」

「……リィーナ様に何も知らされずに100人組手をさせられて……勝てばウイングとの結婚を許してくれるって言うから頑張って勝ったら……周りからも後継者候補と認められちゃいまして……」

「ああ、それでなし崩しに後継者候補になっちゃったと。周囲を固めて逃げ場をなくしたわねリィーナ。相変わらずえげつないわねアンタ……」

「失礼ですね。本来なら師範代となるべき愛弟子をその恋の為に10年以上も自由にさせていたのですよ? むしろ慈愛の女神と言ってもらってもいいくらいですが?」

 

 アンタが慈愛の女神ならネテロの爺も仏になるわよ。

 

「それで、そういうビスケはどうしてここにいるのですか?」

「ん~。……そりゃあ天空闘技場と言えば鍛え上げた肉体を誇る男たちの聖地じゃない。暇だったし、どっかに掘り出し物のいい男でもいないかと思ってね~」

 

 アイシャのことを出したら絶対にリィーナは食いつくわね。取り敢えずここは出来るだけ誤魔化しておきましょう。こいつが来ると嫉妬のあまり修行の妨げをする様が目に浮かぶわさ。

 

「ふ、む……まあ、貴方らしいと言えば貴方らしいですが……」

「何よ、アンタと違って私はまだ春が来てないんだから。文句でもあんの!?」

 

 少し疑われているわね。ここはより一層誤魔化せるように怒ったふりをしておこう。全く、どうして私がこんな真似をしなきゃいけないのよ……。割増料金貰いたいくらいよ。

 

「いえ、まあ頑張ってくださいね? 貴方も選り好みしなければ結婚の1つや2つくらい出来たでしょうに」

「うっさいわね! これはと思った奴もあっちの姿を見れば逃げ出すのよ!」

 

 ぐぎぎぎぎぎ! ちょっと見た目がいいからって調子に乗ってんじゃないわよ!

 何で私の身体は鍛えれば鍛えるほど見た目に反映されるのよ! くっ! 私も心源流なんかじゃなくて風間流習えば良かったわさ! そしたら長身美麗なパーフェクトビスケちゃんが出来上がってたのに!

 

「……いつか、きっといつかアレがいいと言ってくれる人と出会えますよ……」

「ありきたりの慰めの言葉なんていらないから私にとって都合のいいイケメンをよこせ」

 

 はぁ~、どっかにいい男は落ちてないかしら?

 

「さて、そろそろ話を切り上げましょう。早くゴミクズの所へ行かなくてはなりませんからね」

「リィーナ様、カストロですよ……」

「さしたる違いはありません」

「大きく間違ってるわよ。そもそもそのカストロってのが黒の書を盗んだわけじゃないでしょうに。ブラックマーケットに流れていたのを買ったんでしょ?」

「さ、行きますよシオン」

 

 聞いちゃいないわねコイツ。暴走3歩手前といったところかしら。あまりやり過ぎてもアレだから私も付いていくしかないわね。シオンじゃリィーナを抑えることなんて出来ないでしょうし。

 はぁ。全く世話のやけるお婆ちゃんだこと。

 

 

 

「ここがキモヲタのいる部屋ですか」

「原型は何なのかさっぱり分からない名前になってるわね」

「カストロですよリィーナ様~」

 

 あの後もう一度受付に行ってカストロの部屋を確認してきた。勿論リィーナには受付嬢にきちんと謝らせたわさ。全くいい大人が少しは分別を付けなさいよね。付き合わされるこっちの身にもなってほしいわさ。

 

「名前などさしたる問題ではありません。それでは行きますよ」

「一応ノックをするわよ。譲ってもらうよう交渉に来たんでしょ?」

「……分かりました。確かに譲ってもらえたならそれに越したことはありませんね」

 

 こ、この女、もしかしたら交渉じゃなくて強奪するつもりだったんじゃないでしょうね!

 

「ああ、ビスケ様がいらっしゃって本当に良かった……」

「……アンタも苦労してるわね」

「いえ……。リィーナ様もリュウショウ様が関わらなければとても素晴らしい方なのですが……」

 

 そういやこの子はアイシャのことを知らないのよね。その内教えた方がいいのかしら? ま、それはアイシャに確認してからの方がいいわね。

 

「失礼、こちらに黒の書という方――」

「カストロ」

「カストロという方はいらっしゃいますか?」

 

 どんだけ黒の書が欲しいのよ! 黒の書という方って誰よ! 人の名前じゃなくなってるじゃない!

 

『確かに私はカストロだが、一体何用かな?』

「取り敢えず中に入っても構いませんか?」

『……ああ、1つ言っておくが、黒の書を渡す事は出来ないぞ? 最近そういう要件の輩が大勢いて――』

 

――メシャ!!――

 

 ……奇怪な音を立ててドアが永遠にご臨終した。

 カストロが黒の書を渡さないという意思を見せた瞬間にリィーナの阿呆が暴走しやがったわさ! 止める間もなく一瞬で練り上げられたオーラを以て息つく間もなくドアを引き裂いた。もう、この馬鹿!

 

「な!? 貴様なにを!?」

「……どういう事か詳しくお聞かせ願いましょうか」

「リィーナ落ち着きなさい!」

「大丈夫です。冷静ですよ私は。話を聞くだけですよ? 懇切丁寧にね」

「だぁあ! どこが冷静なのよ!」

「び、ビスケ様頑張ってくださいね~」

 

 ちょ! シオンの奴すでにエレベーターの所まで逃げてやがる!

 私1人にこれを押し付けて行きやがった! 後で覚えておきなさいよ!

 

「く! 随分と強引な奴らだな! だが、200階闘士を舐めるなよ!」

 

 奴らって、らをつけるな!

 

「貴方に言うことは1つだけです。素直に黒の書を返しなさい。そうすれば余生を謳歌出来ますし、それ相応の謝罪金と謝礼もしましょう。ですが、断りでもしたら――」

 

 そう言いながらオーラを高めていくリィーナ。

 ああ~。そんなオーラぶつけたらあのカストロってのも……ん?

 

「な、何たるオーラ! だが私とてむざむざやられるつもりはない!」

 

 ……へえ。いいオーラしてるじゃない。

 それにリィーナのオーラを浴びても多少の気後れはしてるけど、戦意は衰えていない。中々いいんじゃないこれって。

 顔も……充分に合格点だし、肉体もしっかりと鍛えられている。ここの闘士なら金もそこそこ持っているかもしれないし。まあそこはあまり期待し過ぎなくてもいいわね。

 

 これはもしかして――チャンス?

 

 

 

 

 

 

「やめてくださいリィーナさん! カストロさんに失礼ですよ! それにこの人、怪我人じゃないですか! 乱暴なことをしないでください!」

「――!? あ、貴方いきなりなにを……ああ、そういうことですか」

 

 いきなり猫撫で声で庇い立てる様にカストロの前に立ったビスケ。突然なのでとち狂ったかと思いましたが……どうやらこのカストロ相手に猫を被ったようですね。

 

 ……確かに冷静になって様子を見ればこのカストロという男、タレ目気味だが顔立ちは良く、またオーラも良く練れていますね。私を前にして立ち向かう度胸もある……将来性は高いと踏みましたか。

 

 やれやれ、だとしてもこうも性格を変えて立ち回っていては最終的にボロが出てご破算になるのは目に見えていますのに。

 まあいきなりの奇異行動のおかげで私も少し落ち着くことが出来ましたが。

 

「き、キミは?」

「大丈夫ですかカストロさん? 私の名はビスケと言います。この人は私の友人なんですが、少し短絡的な所があるのでいきなりの暴挙に出てしまったんです……。悪い人じゃないんです、どうか、どうか許してあげてください」

 

 こ、この女、私を一方的に悪者に仕立てつつ自身は友人を庇う優しい女性という姿をアピールしていますね!

 く! 頭に血が昇って少々手荒な行動をしてしまったのは事実、言い返すことは出来ませんね……。仕方ありません。ここはビスケの顔を立てておきましょう。

 

「申し訳ありません。少々興奮しすぎてしまいました。ドアについては私が全額支払いますのでご安心を」

 

 オーラを抑え、冷静な対応を取る。だが黒の書については譲るつもりはございませんよ。

 

「いや、謝罪をしてくれるのなら私は構わないが……」

「ありがとうございます。それで、黒の書についてなのですが……」

「ああ、やはりその件か。すまないが黒の書は既に他の人に譲ってしまったんだ――」

「……何ですって?」

「リィーナさん!」

 

 ああ、またもオーラを放出してしまいました。いけませんね。常に冷静に行動しなくては武術家とは言えません。しかしどうにも先生が絡んでしまうと自分を抑えるのは難しくなってしまいますね。

 

「……詳しく説明してもらえますか?」

「わ、分かった。あれはそう、今から約――」

 

――青年説明中――

 

「――という訳だ。私が黒の書を譲れない理由が分かったか?」

 

 くっ! すでに他者の手に渡っていたとは!

 ですがそれでも有用な情報なのは確か。今までのように手掛かりが途絶えた状況と比べれば雲泥の差でしょう。

 後はカストロから黒の書を渡した人間の名や特徴などの詳細を聞き、それを足掛かりとして捜索の手を広げれば!

 ……いえ、その前に確認しなくてはならないことがございましたね。

 

「カストロさんに1つお聞きしたいことがあるのですが」

「まだ何か?」

「……貴方の持っていた黒の書は何の[言語]で書かれていましたか」

「あ! ……そう言えばそうだったわね」

 

 ビスケも思い出しましたか。そう、黒の書には実は――

 

「? 普通の共通語だが?」

 

 ――! そちらの方でしたか……。では今その黒の書を持っている人を追っても……いえ、あれはあれで回収しておくべきでしょう。先生が遺した知識が無為に世間に拡散するのは防がなくてはなりませんからね。

 

「ふむ。何を聞きたかったのかは分からないが、私からも質問がある」

「そうですね。こちらから一方的に聞くだけなのも失礼でしょう。私に答えられることなら答えましょう」

「ああ。……貴方の名前はリィーナと言われていたが、もしやリィーナ=ロックベルト殿では?」

「ええ、そうです。私を知っているのですか?」

「やはりそうでしたか! ……ああ、これも機、というモノだな。……リィーナ殿!!」

 

 いきなり私の前で座を正し、頭を下げるカストロ。一体何をしようと――

 

「どうか私に念の指導をしては下さいませんか!」

「お断りします」

 

 何を言い出すのかと思えば。

 今の私にその様な瑣末事に時間を割く暇などございません。後継者となる者を見出し、その者にさらなる指導を成して立派な跡取りとしなければならないのですから。

 風間流の者ならともかく、他流派の人に対して念の指導を行う余裕などありはしないのです。

 

「そ、そこをどうか!」

「くどいですね。私にはそのような暇などありません。……念の師が欲しければそこにいるビスケに頼めばいいでしょう。彼女も世界有数の実力者です」

 

 実際念の指導に関しては私よりも上かもしれません。特に【魔法美容師/マジカルエステ】によるオーラ回復を利用した堅の修行時間短縮は他の者では成し得ぬ指導ですしね。

 ビスケも良く言った! と言わんばかりの笑顔で私に親指をサムズアップしていますね。やれやれ、手間のかかる子です。まあ妹分の恋の手助けくらいしてこそ姉貴分というものでしょう。

 

「く、残念だ。偉大な武人リュウショウ=カザマ氏の一番弟子にして、カザマ氏の教えをこの世で最も体現しておられるリィーナ殿にこそ教えを乞いたかったのだが――」

「――よろしい貴方の弟子入りを認めましょう」

「――え?」

「ちょ、ちょっとリィーナ!?」

 

 話が違うじゃない! あの顔はそう言ってますね。

 ですがビスケ。そもそも何の話ですか? 私とあなたに何らかの約束を交わした覚えはないのですが?

 そうアイコンタクトを行うと悔しそうに顔を歪めるビスケ。あらあら、猫が逃げかかっていますよ?

 

「よろしいのですか!?」

「ええ、気が変わりました。アナタは中々見所がありそうですからね」

「あ、ありがとうございます!!」

 

 ふふ、ビスケの悔しがる顔を見るのも久しぶりですね。こう何だか背中にゾクゾクと来るモノがあります。

 

「よ、良かったですねカストロさん」

「ああ。ありがとうビスケさん」

 

 ふ、少しでも好感度を上げておこうという魂胆ですか。

 しかしカストロには笑顔を向けている一方、私に対してはカストロに気づかれないように敵意むき出しですね。

 仕方ありません、妥協案を提供しましょうか。

 

 “私の弟子入りをしたというのであればこれから定期的に私の所へ来た時に会えるということですよ?”

 “ちっ! 今回はそれで手を打つわさ。誰かが手を出さないように牽制しといてよね”

 

 隠を使ったオーラを文字に変化させて会話を行う。他者が同じ空間にいる時に秘匿会話をするのに重宝する技術です。

 

「それではしばらくは私の所用に付き合ってもらいます。各地にある風間流の道場を廻らなければいけませんので。その道中にアナタの修行も見るとしましょう」

「……分かりました。もはや天空闘技場にいる意味もありません。お供させてもらいます」

「よろしい。……残念ながら黒の書は取り戻せませんでしたので、もうここにも用はありませんね。時間も惜しいのですぐに発つとしましょう。ビスケはどうするのですか?」

「勿論付いていくわ!」

 

 まあそうでしょう。元々いい男を求めてこの天空闘技場に来たという暇人なのです。

 目当ての男が見つかったとなればその男と共に行動しようと――

 

「それは困りますねビスケ。契約違反ですよ?」

 

 ――!? こ、このお声は!

 即座に声のした方向……部屋の入り口へと振り向く! するとそこには――!

 

「久しぶりですね二人とも。ビスケはともかく、リィーナとここで再会するとは思いませんでしたよ」

「先生!」

「アイシャ!」

「アイシャさん?」

 

 ああ! 斯様な場所にて先生と出会えるなんて何たる幸運! やはり普段の行いが良いと巡り巡って自らに還ってくるのですね。久しぶりに会う先生は何時にも増して神々しい……!

 その怒気あふれる笑顔もまた素晴らしく……え? お、お怒りになられている? どうして? なぜ?

 

「強く、そして懐かしいオーラを感じて来てみれば……何でカストロさんの部屋のドアがこうも無残な姿に変わっているんですか? 何か知っていることがあるのなら教えてほしいのですが……!」

「ひぅっ!」

 

 あ、ああ、そ、そうでした……! あれは私が短絡的な行動で壊してしまったのでした……!

 ひぃっ! 先生がだんだんとその笑みを深めていく!!

 か、かつて先生はこう仰っておられた……。笑うという行為は本来攻撃的なものであり、獣が牙をむく行為が原点である、と!

 

「そしてビスケ。困りますね、契約を交わしておいてそれをこうも簡単に破ろうなんて」

「ち、違うのよアイシャ。い、今のはモノのはずみで……」

 

 契約? 先生とビスケが? 一体何の話でしょうか?

 

「……丁度いい。2人にはウイングとシオンの賭けに関してとくと話したいと思っていたところだ」

 

 な! 何でそれを先生が!? ビスケを見るが、ビスケも首を振っている。ビスケではないとすると一体誰が!

 はっ! ……先生がここにおられる。そしてウイングとシオンもここに……な、何たる不運か!

 

 く、口調までもかつての先生に戻っておられる……! 恐らく本気でお怒りになられているのでしょう……。

 

「さあ、聞かせてもらおうか」

 

 絶望が私達の身を包んだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十七話

「はっはっはっ!」

 

 走る。走る。走る。

 後ろから響いた声を聞き流して。決して振り返らず、立ち止まらず走る。

 

「はっはっはっ!」

 

 走る。走る。走る。ただひたすらに走る。

 親しい人を見捨てて、ただ走る。

 

 これがどれだけ最低なことか分かっている。私は自分可愛さに親しい人の窮地を見捨てて逃げ出したのだ。でも私にはそうするしかなかった。

 だって、私にはどうすることも出来なかったから。

 

「はっはっはっ!」

 

 だから走る。あの人を見捨てた私にはもうそうする他ない。

 きっとあの人は怒るだろう。憎むだろう。蔑むだろう。私に復讐すらするかもしれない。

 

 でも私は後悔していない。

 もう一度同じ状況に置かれたら、きっと同じ行動をするだろう。だって、私ではどうすることも出来ないのだから。

 

 だから全てを忘れて走る。

 この後、あの人に捕まったら恐ろしい目に遭わされるだろう。

 死ぬかもしれない。いや、死よりも恐ろしい罰を受けるかもしれない。

 

 でもそんなことを今考えてもどうしようもない。全てを忘れ、走り、目的の場所に着いた。

 

 ここまでくればもう大丈夫だ。例えあの人に見つかったとしても、目的さえ果たせればその後はもうどうでもいい。きっとその時には私はすでにこの世を去っているだろうから。

 

 でもそうなっても私は後悔をしない。する訳がない。何故ならそれは……それは私の最も叶えたい夢が叶った証なのだから。

 

 だから――

 

「だから今すぐ式を挙げようウイング!!」

「お願いですから理解出来るように説明してくださいシオン」

 

 

 

 

 

 

 ズシの修行を見ている時のこと。

 ふと、気配がした。忘れるはずもない、あの人の気配が。だがあの人――シオンはもうここにはいない。彼女……そう、私は愚かにも男性と勘違いしていた彼女はもうここから風間流道場本部へと旅立ったはず。私に忘れられない複雑な想いを刻んで。

 

 ……これほど私を取り巻く環境が変わったこともこれまでの人生で一度もないでしょうね。まさかシオンが女性と分かってたったの2週間程度で結婚する約束までしてしまうなんて。

 

 いや、後悔はしていない。してはいないのです。

 彼女は、その、女性らしさを初めて見せた彼女は確かに可愛かった。愛おしいと、そう思ってしまった。動悸も高まり、今まで男性と勘違いしていたシオンを相手に、その、そういう感情を抱いてしまったのは確かです……。

 なので結婚をする事に極端に抵抗があるわけではない。

 

 あの時彼女に言った言葉、『何でもする』。この言葉に嘘偽りはない。言ったからには責任を取らなくてはならないのは当然のこと。

 なので『結婚しよう!』と、情事が終わった後の彼女からのその言葉には頷くしか出来なかった。

 

 確かに何でもするとは言いましたが……。

 ですが……だからといって付き合うとか恋人とかの過程を飛ばさなくてもいいでしょうに……!

 

 こう、私も独り身の男としてそういう事に興味がないわけではないのですが……。

 修行漬けで青春なんて味わえませんでしたが、まさか青春を味わう前にゴールするとは思いませんでした……。

 

「師範代! どうしたっすか?」

 

 彼女の気配を僅かに感じ、想いに耽っていたところをズシの言葉で意識を戻す。

 

「いえ、何でもありませんよ。ちょっとシオンがどうしているか考えていただけです」

「……シオンさんっすか。自分はシオンさんがあそこまで甘々になるとは思わなかったっすよ……」

「……ええ、それについては誠に申し訳ない。さぞ居心地が悪かったでしょう」

 

 私もシオンがあそこまで変わるとは思っていませんでしたよ。

 これまでの十余年のシオンは何だったのか。そう思えてしまうほどそれまでのシオンと私に告白した後のシオンは違っていた。

 告白後のシオンの方が素のシオンとのことだが……いくら緊張していたとはいえそこまで性格が変わらなくてもいいでしょうに。

 

 ……まあ、それほど愛してくれているというのは嬉しいモノですが。

 

「師範代? 顔が蕩けているっすよ……」

「おっと! ……そんなに表情に出ていましたか?」

「デレデレっす……」

 

 そ、そうですか。いけないな、少し気を引き締めないと。

 

「もう大丈夫。さあズシ、修行を再開するよ」

「押忍!」

 

 ズシとともに気合を入れ直し、いざ修行を、と思っていた矢先のこと。遠くからこちらに近づいてくる気配を感じた。

 速い、かなりの速さでこちらに近づいている! もう扉の前まで来ている!

 この気配……先ほど感じたものと同じ……まさか――!

 扉が勢いよく開き、そして中に入って来たのは!

 

「だから今すぐ式を挙げようウイング!!」

「お願いですから理解出来る様に説明してくださいシオン」

 

 ……やはりシオンでしたか。

 何故彼女が今ここに? リィーナさんに呼ばれて道場に帰ったのでは? 疑問を解消する間もなくシオンが矢継ぎ早に口を開く。

 

「あのね! リィーナ様が黒の書で! ビスケ様がドアの敵を! 私は逃げ出して! そしてビスケ様に殺される! だから式を挙げよう! そしたら夢が叶って! 殺される前に理想郷に到れるから!」

「どうか共通語を話してください」

「あ、自分外走って来ますんで、3時間くらい走ったらゴンさん達の所に行くのでごゆっくりっす!」

「ちょ!? ズシ!」

 

 この状況で私を1人にしますか!?

 気が利くのか逃げ出したのか分かり兼ねる行動を!

 

「と、とにかく一度落ち着いて説明してください」

「う、うん。2・3・5・7・11・13・17・19……」

 

 どうして素数を? 謎の行動が多すぎる。

 まあ、それも可愛いと思えてしまう私ももはやダメなのかもしれないが。

 

「……ふぅ。えっと、それじゃ1から説明するね」

 

 

――乙女説明中――

 

 

「……つまり黒の書を取り返しに来たリィーナさんが暴走して、それをたまたま闘技場で再会した師範が止めようと奮闘して、それを見捨てて逃げ出したので後々師範から制裁を受けるのは確実で、そうなる前に私と式を挙げて後顧の憂いをなくし、幸せの絶頂で逝こうと思った。要約するとこういうことですか?」

「うん! さすがウイングは天才だね! ただ1つだけ訂正をするなら、幸せの絶頂で逝こうと思うんじゃなくて幸せの絶頂に至ったら多分逝っちゃうと思うんだ!」

 

 アナタの中で私の評価がどれほどの位置にあるか聞くのが怖いですね。というか、どうしてそういう結論になっているんですか。どこから突っ込めばいいのかさっぱり分からない……。

 

「とにかく! リィーナ様から結婚の許しも貰えたから! だから結婚式を挙げよう! そして、う、ウイングの結婚衣装を……ぐ、23・29・31・37・41・43・47・53・59……」

「どうしてそこで鼻を押さえながら素数を数えるのかが分からないんですが?」

 

 私の式での衣装なんてタキシードとかフォーマルなモノになるだろう。そう目新しいモノはないはずですが……。それよりもシオンの衣装……ウエディングドレスの方が気になるところですね。

 やはりオーソドックスに純白のドレスが……いや、シオンには何故か赤が似合うと思う。赤のドレスもいいかもしれない。どうせなら2つとも、いやここで焦る必要はない。実物を見ながら幾つも合わせてみてシオンに似合う物を選べばいい。この際2つ以上買っても問題はないだろう。

 

「とにかく、師範が来ているのなら一度挨拶に行かなくてはいけないな」

「え! そんな! そこは死地だよ!?」

 

 死地ってあなた……。師範を何だと思っているんですか。さすがにその程度では師範も……師範も…………師範ならやりかねない、か?

 

「ま、まあ大丈夫ですよシオン。私も一緒に謝りますから。師範も鬼……ではないのですから、許してくれますよ」

「うん、ウイングがそう言うなら……。でも、別に今すぐに行かなくても……いいよ、ね?」

 

 そう言いながらじり、じり、と私ににじみ寄ってくるシオン。

 ま、まさか……!

 

「ズシ君も気を利かせてくれたし……しばらくご無沙汰だったし……」

「ちょ、ちょっと待ってください! もしかしたら師範がここに来るかもしれませんよ!?」

「大丈夫! リィーナ様を食い止めるのに必死だろうし、ここの場所は知らないから! だから…………ね?」

 

 私の心のタガも意外と外れやすいと認識した瞬間であった。

 く、その上目使いでその問いかけは反則ですよシオン……!

 

 

――二時間経過――

 

 

「そ、そろそろ行きますよ……」

「これだけのウイング分を補給した私に敵はいない。あと10年は戦え……いや無理。多分1ヶ月くらいが限界かも」

 

 何を言っているのやら……。私と1ヶ月程度しか離れられないなんて言われても困りますよ。……いや、嬉しいことではあるけど。

 

 シャワーも浴びて匂いも落としたし、とにかく今は師範の下へ行こう。流石にそろそろリィーナさんも落ち着いている……はずでしょう。師範の努力に期待しますか。

 

 尤も、私が師範に出逢えば恐らく賭けの件でこっぴどく叱られるのでしょうが……。

 はあ。私が悪いと言えば悪いのですが、それを賭けの対象にするのもどうかと思うのですがね。

 

「では行くとしましょうか」

「うん!」

 

 う、腕を絡めないように! 恥ずかしいでしょう!

 

 

 

 ……紆余曲折ありましたがようやく私たちは師範達がいるはずの場所、つまりはカストロ選手の部屋まで来た。だが私たちを出迎えたのは無残に破壊された部屋の中にいたカストロ選手だけだった。

 

「ふぅ、また来客か。一体何の用かな?」

「えっと、こちらにリィーナ様がいらっしゃったと思うのですが……」

「ああ、リィーナ殿のお知り合いか。残念だが彼女たちはすでにここにはいないぞ」

「えっ? じゃあ黒の書は? リィーナ様は黒の書を取り戻したの?」

「ああ、いや。黒の書はもう私の手から離れていてね。そのことをリィーナ殿に告げると何やら納得されていたが……」

 

 そうか、カストロが持っていた黒の書はすでにここにはなかったのか。カストロがヒソカとの試合中に黒の書の所持を断言していたのですぐさまにリィーナさんに報告したのだが、残念ながら無駄になってしまったようだ。

 

「ではリィーナ様は今どちらに……?」

「……何やら笑みを浮かべたアイシャさんという少女に連れられて去っていったよ」

「アイシャちゃんに!?」

「それは……どういう事でしょうか?」

 

 アイシャさんが何故ここに来て師範たちを連れて行ったのでしょうか? アイシャさんとお二方はもしやお知り合いなのか?

 

「私にも分からない。何やら知り合いの様子だったが……付いていこうとしたが、残念ながらリィーナ殿にここにいるように仰せつかってね。……弟子入りをしたからには師の命には服従せねばなるまい」

『弟子入り!? リィーナ様(さん)に!?』

「ああ。まあ弟子入りと言っても風間流を習うわけではない。私が習うのは念の技術についてだよ」

 

 成程! 確かにこの人はすでに虎咬拳の使い手としてほぼ出来上がっている。この上風間流を学んだとしてもよほどの年月を掛けて学ばない限り付け焼刃に終わるだろう。それよりもリィーナさんに念の修行をつけてもらう方がより成長が望めるでしょうね。

 あの時のヒソカとの戦いは見事なものでした。師もおらず、書物に書かれていた内容のみで修行したとは思えないほどに。その彼がリィーナさんほどの念能力者に師事を受けるとどれほどの使い手へと育つのか。

 

「そっか。じゃあ私とは兄弟弟子みたいなものなのかな?」

「? 貴方は?」

 

 確かに変則的かもしれませんが、シオンにとっては弟弟子とも言えますね。

 風間流には万を超える門下生がいますが、リィーナさんの直弟子ともなるとその数は僅か。あの人は弟子を取るくらいなら自分の修行を優先しますからね。

 そういう意味でもカストロさんは運がいいんでしょう。頼んでもそうそう弟子を取ることはないと聞くのに、よく弟子入りを果たせたものです。

 一体どのような方法で頼み込んだんでしょうか?

 

「私はシオン。風間流の門下生でリィーナ様の直弟子よ」

「何と! それは挨拶が遅れて申し訳ありません。私の名はカストロ。非才な身ですが、粉骨砕身で努力いたします。今度ともよろしくお願いします」

「いいよそんなに畏まらなくても」

「私はウイングといいます。以後よろしくお願いしますね」

「貴方もリィーナ殿の?」

「いえ、私は心源流ですよ」

 

 などと互いに挨拶をし終えるが、それは私たちの本題ではない。この場に師範たちがいないのならもう用はないだろう。カストロさんがリィーナさんの弟子となるならばその内会う機会もあるでしょうしね。

 

「じゃあアイシャちゃんの部屋に行ってみようか。そこにリィーナ様もいるかもしれないし」

「そうですね。しかし何故カストロさんにここに居るように命じたのでしょうかね? いや、そもそもアイシャさんがどうして師範たちを連れて行ったのでしょうか?」

「それは分からん。……だが、何やらリィーナ殿とビスケさんはアイシャさんに対して怯えていたように見える……」

 

 怯えて? あの二人が? アイシャさんに? ……もしやアイシャさんに借金でもしたのだろうか師範は。いや、それはないか。それならリィーナさんが怯える理由が分からない。そもそもリィーナさんが怯えている姿が私には想像出来ない。

 

「ん~。取り敢えず行ってみるしかないかな? 私たちは来てはダメとは言われてないし」

「それは屁理屈と言うんですよ。まあでも確かにそれしかないですか。ありがとうございますカストロさん。私たちはアイシャさんの部屋を訪ねてみます」

「いや気にすることはない。今後も何かと世話になるかもしれないしな。その時はよろしく頼むよ」

 

 中々に好感の持てる人でした。自分の力に慢心する事なく上を目指せるその心の持ち様は素晴らしいものです。

 私も負けてはいられませんね。弟子を取ったのも新たな段階へと至るステップということでしょう。弟子とともに自身の修行も見つめ直していくとしますか。

 

 

 

 そしてアイシャさんの部屋の前まで来たのですが……。

 シオンと二人でドアを開けず、呼び鈴も鳴らさずに二の足を踏んでいる……。こう、何というか……入ると師範に何を言われるんだろうと思うと……。

 シオンも師範を見捨てて逃げたのが後ろめたいのでしょう。呼び鈴の手前で手が止まっています。

 

「ウイングさん、シオンさん、そこにいるんでしょう? 中に入って来てもいいですよ」

『!!』

 

 ……どうやらアイシャさんには私たちがいることがバレていたようです。確かに気配は消していませんでしたが、個人の特定まで出来るとは。

 

「し、失礼しま~す」

「お、お邪魔します」

 

 恐る恐るとアイシャさんの部屋へと入る。そしてそこにはアイシャさんと師範とリィーナさんの3人がいた。それは私の想像してた通りだ。だが、想像を遥かに超える、いや想像することすら出来ない光景がそこには広がっていた。

 

「り、リィーナ様?」

「し、師範?」

 

 そこには、師範とリィーナさんが私たちに向かって正座をしていた。

 そして――

 

『お二人の恋路、並びに勘違いを賭けの対象にする等と、師として、人としてあるまじき行為、誠に申し訳ありませんでした!!』

 

 そして見事な土下座を披露してくれた。

 

 …………え? なにコレ? もしかしてギャグを言ってるんですか?

 混沌と混乱が私の脳を駆け巡った。

 

 

 

 

 

 

「さて、ここなら邪魔は入りませんね……!」

『ひぃっ! お、お許しを!』

 

 お怒りを顕にする先生。こ、こんなに怒気を荒げている先生を見るのは初めてです!

 言葉使いがアイシャ様のモノに変わっているので多少は落ち着かれたのでしょうが、それでもお怒りは静まってはいないご様子。

 ああ! 私の愚かな行為で先生をここまで怒らせてしまうなんて! 呆れられて見捨てられたらどうしましょう! そうなってはもはや生きていく価値がなくなってしまいます!

 

「2人とも少しやりすぎましたね。まさか弟子であの様な遊びをするとは思いませんでした。ビスケはともかく……リィーナ!」

「は、はい!」

「まさか弟子で賭け、それも恋心を利用した賭けをするなんて! そんな風に育てた覚えはありませんよ!」

 

 うう、先生にあの件がバレてしまうなんて! ああ! ビスケの口車に乗って賭けなんてするんじゃありませんでした!

 後悔しても時すでに遅し。もしビスケが~等と浅ましい言い訳をすれば先生のお怒りは頂点に達してしまうかもしれません。とにかくここは平にお謝りせねば!

 

「ま、誠に申し訳ありませんでした!」

「ビスケもです! あなたは私の弟子ではないので深くは言えませんが、それでも今回の一件は明らかに遊びすぎでしょう。あまつさえ弟子に対してあのような暴言を吐くとは……!」

「ご、ごめんだわさ……。あれ、弟子に対する暴言って……?」

「ウイングさんがあなたにシオンの性別の件で電話していた時、私もその場にいたんですよ。……しっかり聞こえていましたよ、賭けに負けた腹いせの怒鳴り声が。あなたもスープで顔を洗ってみますか?」

「すいませんでしたーー!」

 

 そんなことを言ってたんですか。相変わらず弟子に対して遠慮がないですねビスケは。

 

「思えばリィーナは覚えもよく素直で師の言う事はしっかりと守れるとても良い弟子でしたね」

「あ、ありがとうございます!」

 

 先生に褒められた! 先ほどまでとは打って変わった内容なのが気になりますが、それでも先生に褒められると嬉しさが込み上げてきます!

 

「それ故にあまり怒ったこともありませんでしたね。丁度いい。ここらでしっかりとお灸をすえるとしますか」

 

 ひぃっ! 上げて落とされた! こんなのはあんまりでございます先生!

 

「ビスケも同様にですよ?」

「あたしもなの!?」

「当然です。何ならネテロに了承を貰いましょうか?」

「い、いいわよ。どうせ嬉々として了承するに決まってるわさ……」

 

 1人だけ逃げようとはそうはいきませんでしたね。貴方も同罪なんです。そもそも貴方が言い出さなかったら良かったことですのに!

 

「いいですか、賭けをするなとは言いませんが――」

 

 

――少女説教中――

 

 

「――なのです。分かりましたか!?」

『はい! 申し訳ありませんでした!』

 

 先生のお叱りが始まってもう30分程経過しましたか……。

 その間正座で過ごすのは問題ないのです。たかだか30分、その気になれば半日だろうと正座することも出来ます。そう、問題はないのですが……!

 

 ビスケだけ堅と流をしながらというのが納得できないのですが!

 

「せ、先生。私も堅と流をした方がいいのでは? そ、その方が罰としてふさわしいかと……?」

「あなたの場合これはご褒美になるでしょう?」

「そんな!?」

 

 殺生な!? せっかくの先生からのご指導をビスケだけが受けられるなんてあんまりです!

 

「あ、あたしにはただの拷問だわさ」

「ビスケ、流が雑になって乱れていますよ。もう一度です。流動するオーラを一定の速度で、かつ出来るだけ速く回転させなさい。それを超高速で出来るようになれば私がネテロとの戦いの時に見せたオーラの高速回転、『廻』になります」

「いや口で言うのは簡単だけどこれ集中力半端ないし滅茶苦茶難し――」

「何か?」

「な、何でもないわさ!」

 

 ああ! なんて羨ましい! 私も先生から手ほどきでご指導を承りたいのに!

 

「……ふぅ。まあ、これ以上はもういいでしょう。私もアナタ達にお説教出来るほど出来た人間でもありませんしね」

「そ、そのようなことはございません! 先生は誰よりも立派な指導者です! そうですよねビスケ!」

「その通りだわさ!(ここで同意しないときっとリィーナに殺される)」

 

 流石はビスケ、良く分かっていますね。

 

「とにかく、ここいらにしておきましょう。せっかくこうして2人と再会出来たのですからね」

「せ、先生!」

「あ~、しんどかったわ。30分でどんだけ疲れさせんのよ~」

「……良かったらもっと指導しましょうか?」

「是非とも!」

「勘弁!」

 

 全くビスケときたら! せっかくの先生のご指導だというのにそんなに遠慮して。

 勿体無いことこの上ないですよ? 私なら他のどんな瑣末事を放ってでもご指導賜りたいというのに。

 

「あと、リィーナに1つ言わなければいけないことがあります」

「は! 何でございましょうか?」

「敬語を使うな……とまでは言いませんが、私の事を先生と呼ぶのは止めなさい」

「な!? そ、それは……で、ではお師匠様と?」

 

 先生を先生と呼んではいけないだなんて……!

 先生という呼称はお嫌でしたのでしょうか? でしたら師匠というのも良いかもしれませんね。

 

「いえそうではなくて。……先ほどカストロさんがいた時にも私の事を先生と呼んでいましたが、私の事情を知らない第三者がいる時にそのような呼び方をすると色々とマズイでしょう? 私の正体がバレたら面倒事ではすまないんですよ?」

「それはあたしも言おうと思ってたわさ。あんたがアイシャを敬うのを止めるのは天地がひっくり返っても有り得ないことなのは分かるけど、それでも先生と呼び続けるのはどうかと思うわね。あんたの先生って何の先生なのって勘ぐられるでしょ?」

「う、し、しかしですね。先生を先生以外でどう呼べば……」

「普通にアイシャと呼び捨てにしてもいいんですよ?」

「そのような不敬は出来ません! せめてアイシャ様と!」

「いや私は一体何なのですか?」

 

 至高の武人にして究極の指導者です! 私にとっての永遠の先達です!

 

「とにかく様付もダメですよ。私たちだけの時は何時も通りで問題ないから、他の人がいる時は自粛しなさい」

「わ、分かりました。あ、アイシャさ……………………ん」

「どんだけ葛藤してんのよあんた」

 

 仕方ないでしょう! 大恩ある先生をさん付け程度で呼んでしまうなんて!

 ああ、私は何という恥知らずなのでしょうか……? 地獄に落ちたとしてもまだ生ぬるい……。

 

「あまり気にしすぎないようにリィーナ。これは私からの命令と思ってください」

「はい! 分かりました!」

 

 命令とあらば致し方ありません。ここで失敗してしまえば先生の顔に泥を塗ってしまう事になります。それに、確かに先生の正体が無闇矢鱈と吹聴されるわけにはいけませんしね。

 

「そう言えばアイシャ。ウイングはともかくシオンには話さないの?」

「……ええ、まだ話すつもりはありません」

「そ、アイシャがそう言うならいいけど」

 

 つまり私たちだけの秘密……先生の秘密を知っているのは私(たち)だけ!

 ああ、言い様のない幸福感がこの身を包む。さらにはこの後は先生からのご指導を……! 明日世界が滅亡すると言われても私は幸せでしょう。

 

「では修行をするとしましょうか」

「はい! よろしくお願いいたします!」

「はぁ、しゃあない付き合ってあげるわさ」

 

 いえビスケは別にそこで待っててもいいんですよ?

 むしろ待っててください。私の修行の割り当てが少なくなりますから。

 

 

 

 

 

 

 リィーナとビスケと一緒に鍛錬に励む。

 さすがに2人とも相当な実力者だ。リィーナはネテロとの決戦前に幾度となく手合わせをしたから大体把握していたが、ビスケもかなりのモノだな。

 元の姿に戻ればより強くなるだろうに。あの姿が嫌いだからといっても少し勿体無いと思うな。

 

「2人とも基礎レベルでは言うことはありませんね」

「ありがとうございます先……アイシャさん!」

「ありがと。ま、これくらいは当然よね」

 

 増長ではなく確たる自信ですね。それほどに基本を怠っていない証拠。基本なくして応用はない。全ての土台となるのが基本だからな。

 私が今の強さに至れたのも基本を他の誰よりも重点的に鍛え上げたからだろう。【絶対遵守/ギアス】万歳である。あれがなかったらここまで鍛えてるわけがない。

 

「では次は……ん? どうやらシオンとウイングさんが来たようですね」

「……そのようですね。カストロさんにでも聞いたのでしょうか?」

「でしょうね。シオンのやつあの時逃げるなんて! どうしてくれようかしら」

 

 ビスケ……反省の色がないのか? だったら……。

 

「はて? ビスケは誰に何をしようというのですか?」

「はっ! ウイングとシオンに懇切丁寧に謝罪をする所存であります!」

「よろしい」

 

 おや? シオンとウイングさんが部屋の前で入室を躊躇っている様子。何で入ってこないんだろう。チャイムを鳴らせばいいだけなのに。

 遠慮しているのかな? まあいいや、こちらから声を掛けよう。

 

「ウイングさん、シオンさん、そこにいるんでしょう? 中に入って来てもいいですよ。……2人とも、分かっていますね?」

 

 シオンとウイングさんには聞こえないように小声でリィーナとビスケに話しかける。何が分かっているかなんて決まっている。しっかりと謝罪をすることをだ。

 

「勿論です。しかと謝罪いたします」

「今更グダグダ言わないわさ」

 

 2人の返事にこくりと満足気に頷く。

 

「し、失礼しま~す」

「お、お邪魔します」

 

 何やら恐る恐ると入ってきたシオンとウイングさん。何をそんなに警戒しているんだろう? もしかしたらリィーナやビスケに怒られると思っているんだろうか? でもそれなら大丈夫、もしそんなことになったらその3倍は怒り返すから。

 そんな考えも杞憂のごとく、リィーナとビスケはシオンとウイングさんに向かって綺麗な正座で向き合い、そのまま見事な土下座を披露した。

 

『お二人の恋路、並びに勘違いを賭けの対象にする等と、師として、人としてあるまじき行為、誠に申し訳ありませんでした!!』

 

 ……固まっている。2人の謝罪を受けたシオンとウイングさんが入って来た時と同じ表情と姿勢で固まっている。

 それも仕方ないだろう。この2人のそれぞれの弟子なのだ。それ故に師が弟子に平謝りする姿など見たこともないはずだ。しかも土下座で。

 

「……そっか、夢を見ているんだ。リィーナ様がこんなことをするわけがないし」

 

 ワッツ? シオンさん? 何言ってるんですか?

 あ、あまりの光景に驚き現実を夢と勘違いしてやがる……!

 

「どこから夢なんだろう? さっきウイングとエッチしたのが夢だったら嫌だな……」

「し、シオン!? これは現実です! 認めにくいのは分かりますが、正気に戻ってください! というか何を口走っているのですか!?」

 

 リア充爆発しろ。

 ここに来るまでに時間が掛かったと思っていたらこいつらイチャイチャしてやがったのか……。

 妬ましい。童貞とお別れできたウイングさんが妬ましい。私は捨てるどころか手に入れてすらないのに……!

 

「どうせ夢ならもっとウイングと色々しよう。現実では出来ない事が沢山……四十八手……緊縛……うう、鼻血が出そう。夢なのにリアルだね」

「お願いですから早く正気に戻って!! 師範たちの眼がかなりヤバイです! 視線で人が殺せるならとっくに死んでますよ私たちは!!」

 

 暴走するシオンを必死に止めようとしているウイングさん。それも致し方あるまい。私たちの視線、特にビスケのそれはもはや物理的な力を持つ程にまで至っていそうだ。

 流石に今回のは2人を止める気にもならない。と言うか私もかなりきている、ぱるぱるぱる。

 

「……もういいですよ2人とも。そろそろあなた達の弟子をどうにかして下さい」

「承知いたしました。謝罪もおざなりで申し訳ないですが、少し現実を見つめないといけませんねシオン?」

「分かったわさ。……ウイング、賭けの件は本当にごめんね~。でもねぇ……あたしの前で惚気話するなんていい度胸じゃない!」

「お、落ち着いて下さい師範! リィーナさん! そしてシオン!! いいかげん夢じゃないと気づいて下さい! こ、殺されますよ! 主に私が!!」

「ウイング~。夢なんだからもっと甘い言葉が欲しいな~。す、好き、とか、あ、ああ、愛してる、とか~。……ね、いいでしょ~」

 

 駄目だこいつ……早く何とかしないと……!

 

「すぅー……はぁー……。シオン!!!」

「うひぃ!? は、はははははいリィーナ様!! ……って、あれ? 何でリィーナ様に怒られているの?」

「……ですからこれは夢ではなく現実だと言っているでしょう」

「ほへ? えっと、じゃあこのリィーナ様は本物。今までのは夢じゃ……ないの? ………………………………ご、後生ですから殺さないで下さい……」

 

 現実を認識し自分の行動を省みた結果、シオンの取った行動は……掟破りの土下座返しだった。

 

「ど、どうかお許しを」

「あたしも鬼じゃないのよ。あんたが誰とどう恋愛しようと結婚しようと文句は言わないわさ。だからと言って目の前でこんなの見せられて怒らないほど人が良くもないのよねぇ」

「い、命ばかりはご勘弁を!」

「昔から夢見がちな子でしたが、まさか師である私をそっちのけでウイングさんとイチャつくとは思いませんでしたよ。少々仕置が必要でしょうか?」

 

 あっという間に立場が逆転してしまっている。リィーナたちの怒りは烈火のごとく燃え盛っており、かくいう私も流石にあれにはイラッと来た事を隠せそうにない。

 独り身の女性3人――1人は未亡人で1人はロリババアで1人は元男だが――の目の前であんなにラブ空間を見せつけたんだ。それなりの覚悟は出来ているんだろうな?

 夢だと思ってましたなんて言い訳は聞かん!

 

『すいませんでしたーー!!』

『だが許さん!!!』

 

 その後カップル2人がこってりとリィーナとビスケに絞られたのは言うまでもないことだ。……私もこっそりと説教に参加したのも言うまでもないことだ。

 

 

 

 さて、バカップルのお仕置きが完了し、取り敢えずそれぞれの興奮も落ち着いた。いいかげん時間も遅くなりクラピカと夕食を食べに行かなければならない時間となっている。

 なのでそろそろ本題に入らなければならない、その為にシオンとウイングにはこの場から退場してもらった。今頃はどこぞで大量の砂糖に包まれた空間で仲良く過ごしているだろう。私に対する疑念も少しはあったかもしれないが色々と衝撃的なことが続いてうやむやになっただろう。

 またその内思い出すかもしれないから後でリィーナたちと口裏を合わせておかなくちゃ。

 

「3人きりになったところであなた達に話すことがあります」

「何でございましょう?」

「……もしかして契約の件かしら?」

「ええ。ビスケには話していましたが……リィーナ」

「はい」

 

 ……これを言ったらもしかしたらリィーナは発狂してしまうかもしれない。だから本当ならしばらく言うつもりはなかった。

 でもここまで来たら話さないわけにはいかない。もしこの後リィーナとクラピカが出会ってしまったら……。そうなる前に先手を打たなければ。

 

「実は……私、今弟子を育てているんですよ」

「……は?」

「ですから弟子を育てているんです」

「……え? わ、私のことでは……なくてですよね?」

 

 こくりと頷く。

 元々クラピカの修行の為にリィーナには頼ろうと思っていたが、その際もどのようにクラピカのことを切り出せばいいのか正直迷っていた。でもリィーナが天空闘技場に来たのも何かの縁だろう。ここで全てを説明しておこう。

 

「え? どこの馬の骨とも分からぬ者が先生から教えを受けている? でも私は先生の修行を受けていない。……え? どうして? 宇宙の法則が乱れていませんか?」

 

 まずい予想以上にリィーナが壊れた! まさかここまでショックを受けるなんて想像すらできなかったよ!

 

「落ち着きなさいリィーナ! アイシャが教えているって言っても念能力に関してだけだわさ!」

「そんな……こんなこと……ありえない……夢? ……いや……そいつが先生を……まさか念で……」

 

 駄目だ完全に思考がぶっ飛んでいる! 私に念の操作が効かないことすら忘れているよ!

 

「そうです……こうなったら先生を誑かしたその輩を排除するしか……そうすれば先生もきっと正気に」

「風間流には思い込んだら一直線の馬鹿しかいないの!?」

「さすがにそんな馬鹿はリィーナとシオンくらい……だと思いたいです」

 

 いや本当に。これ以上こんなのが増えていたら私のストレスが【百式観音】より速く増えるよ。あとリィーナ。私は至って正気だ。

 

 はあ、この子の説得には骨が折れそうだ……。

 ごめんクラピカ。夕食に間に合わないかもしれない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十八話

クラピカ追憶編の情報があります。読んでない方は多少のネタバレがありますので注意してください。



 鎖の具現化をする為のイメージ修行は次なる段階に進んだ。イメージ修行を続けゆく内に鎖の夢を毎晩見るようになり、それをアイシャに報告すると本物の鎖を取り上げられた。

 それからは鎖がないまま過ごす時間が過ぎていったが、時折鎖の幻覚が見え始めた。アイシャが言うには修行は順調に進んでいるようだが、私としてはあまりの鎖漬けにとうとう頭が狂ってしまったかと思ったほどだ。

 することが他にないのでただひたすらに点と纏、そして練を繰り返す日々。鎖が具現化する前に修行を次の段階に移すのは逆に効率が悪くなってしまうそうだ。

 

 そしてさらに時間が経つと幻覚の鎖がリアルに、重さや冷たさまで感じるようになってきた。今日に至っては鎖がすれあう音まで聞こえてくる。

 ……何かが、もう少しで何かが掴めそうだ。そんな感覚が続く中、ふと、自分の中で歯車が嵌ったような感覚に陥った。

 

 気付けば何時の間にか幻覚の鎖ではなく具現化した鎖を弄っていた。

 

「……出来た」

 

 右手のそれぞれの指に5本の鎖。そして左手に1本の鎖……。ようやく具現化に成功した。これが幻覚の鎖でないか確認したく、1本の鎖を壁に向かって振るってみた。

 

 部屋に甲高い音が響き、壁の一部がひび割れる……本物の鎖だ。幻覚ではなく、私が具現化した……!

 

 ……壁の弁償はしなくてはな。

 

 まあいい、そんなことよりも喜びの感情が私の中を駆け巡る。ようやく、ようやく奴らを縛り付ける為の鎖が出来たのだから。

 

「ふぅ」

 

 ふと息を強く吐いた。時計を見てみるとすでにアイシャと夕食を取る時間を2時間も過ぎていた。どうやら没頭しすぎていたようだ。まあそれ自体は悪いことではない。より集中した方が修行の効果も早く出るだろうし、こうして具現化に成功もしたのだから。

 ……だが、アイシャがこんなに遅くなるなんて少しおかしいな。彼女が約束の時間を破ったことは一度たりともなかったはずだが……?

 

 少々気になるな。修行も一区切り付いて丁度いいので様子を見に行ってみよう。いや、まずは電話で確認してみるか。

 

 prrrr……prrrr

 

 ……出ない、だと?

 一体どうして? いや、出たくても出られない、とか? アイシャの身に何が? もしやヒソカにでも襲われているとか!?

 

 とにかく一度アイシャの部屋まで行ってみよう。そこにいなければゴンとキルアの部屋まで。もしそれでも見つからなければ何かがあったということだろう。

 それもアイシャにも対処しきれない不測の事態が! そうでなければ彼女が時間に遅れたり、連絡の1つもないというのはおかしい。

 

 急ぎアイシャの安否を確認しなくては!

 

 

 

“も、もう勘弁してください……”

 

 アイシャの部屋の前まで近づくと中から聞こえてきたのはアイシャの悲痛な声だった。

 

“そうね。これで最後にしてあげるわ”

“い、嫌です! そんな目に遭うくらいなら!”

“あら? リィーナとの約束を破る気かしら?”

“ええ、約束は約束でございますよ”

“うぐ! ……す、好きにしなさい”

 

 断片的にしか聞こえないので良くは分からないがアイシャは相当追い詰められているようだ! このままではまずい。だが、アイシャが追い詰められている相手に私が加わった所でどうにかなるとは思えない。

 しかし手を拱いている訳にもいかない。ここで助けに入らなくて何が仲間だ! 今行くぞアイシャ!

 

“ん? この気配……? やば! 気を取られすぎて気づかなかった! リィーナ、ビスケ! ちょっと待っ――”

「アイシャ! 無事か!?」

 

 慌てていたために確認も取らずアイシャの部屋の中に入ったのだが……。

 中にはアイシャと見知らぬ2人の女性がおり、特に争った形跡などもなかった。それについては問題はない。アイシャの体には傷の1つもなく喜ばしいことだ。

 問題は…………何故かアイシャがほぼ全裸の状態だという事か。

 シミの1つもない白い美しい裸体だった。文字通り傷1つないことが確認出来たな。などとあまりの光景に意識が飛んでおり益体もないことを考えていた。

 

「く、クラピカ、その、今は取り込み中でして……」

「ああ、そ、そのようだな。す、すまない出直して……」

 

 とにかくここから離れなければ! 謝罪はその後だ! アイシャは戸惑いつつもにこやかに笑っているが、残りの見知らぬ2人の殺気がヤバイ! 殺される!

 

「ドーモ、チカン=サン」

「ど、どうも、い、いや! 私は痴漢では!」

 

 屈辱だ! この私が痴漢扱いをされるとは! こんな扱いはレオリオの役目だろう!? いや、確かにこのような状況――どの様な状況かは分からないが――に入ってきたためそう取られても仕方のないことかもしれないが……!

 

「黙りなさい! チカン死すべし! イヤーッ!」

 

 駄目だ聞く耳を持っていない! 2人の内の1人、長身の女性がカストロと戦った時のヒソカにも勝るオーラを発しつつ高速で私に迫る!

 くっ! 避ける手立てがない!

 

「グワーッ!」

 

 つ、強い! 鎖を具現化する間もなく吹き飛ばされてしまった。咄嗟に練をする事で何とか防御は出来たが、実力差は明らかだ!

 

「とっさに堅でガードしましたか。加減していたとはいえいい反応です。ですがあれは凝でガードするべきでしたね」

 

 堅? いや私は練を、いやそんなことよりだ。か、加減していた……だと? あれでか! いや、確かにあのオーラではまともに攻撃を喰らえば今の私の防御力だと耐えきることは出来ないだろう。

 このままではまずい! そう思っていたところでアイシャが止めに入ってくれた。どうやら肌は上から布を覆ってカバーしているようだ。正直助かった。あのままでは目のやり場に困っていたところだ。

 

「リィーナ! 止めなさい!」

「しかしせん……あ、アイシャさ………………ん。この男は事もあろうにアイシャさ…………んの肌を覗き見るという愚劣なる行為を!」

 

 ……言い訳出来ないのが悲しいが、何故この女性はアイシャを呼ぶのにこうも躊躇しているんだ?

 

「彼はいいんです。クラピカ、大丈夫ですか?」

「う、む。……大丈夫だ、特に問題はない」

 

 練によるオーラ増大でガードしたことでダメージは抑えられたが……凝によるガード、か。ヒソカとカストロの戦いを見ても思ったが、やはり熟練した念能力者は凝による攻防力移動を基本として戦っているようだな。

 

「それなら良かった。では、服を着るので少し待っててもらえますか?」

「分かった。すぐに部屋を出るよ」

 

 言葉を言い終わる前に部屋を出る。こんな場所にいては私のキャラが壊れてしまう。

 くそ、何故ここにレオリオがいない? いればレオリオにこの役目が行くはずだというのに! ……何を考えているんだろうな私は。少し疲れているのかもしれないな。

 

 そうして頭を落ち着かせながらしばし外で待機していると中から声が聞こえてきた。

 

“入ってもいいですよクラピカ”

「では失礼する」

 

 中に入ると今までとは違い女性らしい可愛らしい衣装を着たアイシャがいた。

 ……さすがに驚いた。このようなアイシャを見るのは初めて、いや、ハンター試験の後アイシャと再会した時にも着ていたか。あの時はすぐに何時もの動きやすい服装に着替えていたが。

 

「改めて謝罪する。先程は本当にすまなかった」

 

 そう言い真摯に頭を下げる。女性の着替えを不可抗力とはいえ見てしまったのだ。謝っても許されるものではない。

 

「別にいいですよ。減るものじゃありませんし」

「いや、そういうわけには」

「相変わらず危機感がないわねこの子は……」

「ええ。せ……アイシャさ…………んのあられもない姿を見たのは罪の一言では済ませられない程です。もはや死刑すら生ぬるいかと」

 

 明確な殺意が私を襲う! 恐ろしい! いや、死は恐ろしくない。幻影旅団に復讐を果たすと決めた時に既に命は対価に捧げているようなものだ。

 それよりも。死よりも悲惨な目に遭わされそうだ……。それが何よりも恐ろしい。

 

「見られた私がいいと言ってるんだからいいんです。この話はこれでおしまいですよ」

「だってさリィーナ」

「分かっています!」

 

 先程から私に殺意と怒気と嫉妬といった負の感情を隠さずにぶつけているこの女性はリィーナという名前のようだ。正直堪える。明らかに私よりも強い存在からこのようなオーラをぶつけられてはな。

 

「リィーナ落ち着いて。私は気にしてないんですから」

「う、わ、分かりました」

 

 若干オーラが落ち着いたようだ。どうやらこのリィーナという女性はアイシャには弱いようだな。どういう関係なのだろうか?

 

「紹介しますね。彼が私の友達にして現在念の手ほどきをしているクラピカです」

「そうですか、彼が……!」

 

 っ! い、今、ほんの一瞬だが恐ろしい程の殺気を、そう、先程まで感じていた殺気など歯牙にも掛けぬほど恐ろしい殺気を感じた気がしたが……。

 ……気のせいか? 今は何も感じない。いや、強いて言うならアイシャが怒気を強めているようだが? そして何故か先ほど私の事を聞いてきた長身の女性が怯えている。

 とにかくアイシャだけに紹介させるわけにもいくまい。彼女たちはどうやらアイシャの知り合いのようだし、自己紹介をするとしよう。

 

「初めまして。私の名はクラピカという。……失礼だが、あなた方は?」

「……ええ、こちらこそ失礼しました。私の名前はリィーナ=ロックベルト。風間流合気柔術の本部長を務めている者です」

 

 風間流の本部長!? あの心源流と対を成すと言われている武術界の二大門派の1つ!!

 その本部長となれば言わば武術界の頂点の1人ではないか! 一体どうしてそのような方がアイシャの部屋にいるんだ!?

 

「私の名前はビスケット=クルーガーといいます。よろしくお願いしますねクラピカさん」

「あ、ああ。よろしく頼む」

 

 こちらの女性――少女と言った方が正確か。この少女は何者なんだろうか? どうやら特に普通の可愛らしい少女のようだが……。彼女も風間流の関係者なのだろうか?

 

「ビスケ、アナタに頼んでいるのはクラピカの修行の手伝いですよ。この先しばらくは一緒にいるんですから猫をかぶるのは止めておきなさい」

「ぐ、わ、わかってるわさ!」

 

 わさ?

 いきなり雰囲気が崩れたんだが?

 可憐な乙女から、何というかこう、世話好きのおばちゃんと言った感じに――!?

 

「――ねぇ、今何か考えたかしら?」

「い、いや、な、何も! 何も考えていないとも!」

 

 殺される! 私は今! 生と死の狭間に立っている! ここでこう答えていなかったら恐らく私は明日の朝日を拝むことは出来なかっただろう。

 死は覚悟していると言ってもこんな下らない理由で死にたくはない。

 

「……そ、ならいいわさ。改めて自己紹介するわね。アタシの名前はビスケット=クルーガー。心源流の師範でありプロハンターよ。アイシャに頼まれてアンタの修行のサポートをする事になったからよろしく」

 

 な! 心源流の師範! なんだこれは!? どうしてアイシャの部屋に武術界の二大門派の重鎮が揃っているんだ!?

 しかも私の修行の手伝いだと? あの時アイシャが言っていた特別講師のことか? 駄目だ、突然の事が多くて考えがまとまらない。一度アイシャの話を聞いてみよう。

 

「どういうことなんだアイシャ?」

「様を付けなさいこのデコ助やろ――」

「リィーナ?」

「……何でもございません」

 

 ……この訳の分からない状況で2つだけ分かっていることがある。

 私はリィーナ殿に嫌われている。恐らくは壊滅的なまでに……。私と彼女は初対面のはずだが、一体どうしてここまで嫌われているのか?

 そしてもう1つ。リィーナ殿は何故かアイシャに対して畏怖を抱いている。さらにはアイシャのことを目上のように扱っているように見える。風間流の本部長ともあろう方が何故アイシャに?

 

「クラピカ、ビスケはアナタの修行の効率を上げる為にここまで来てもらいました。彼女がいるといないとでは修行の成果がまるで違います」

 

 ……それは彼女がアイシャに代わって私の修行を見る……ということではないようだな。それならばサポートなどという言い方はすまい。

 だがサポートと言ってもどういうことをするのだろうか? 修行効率を上げるような特殊な修行法でも……いや、念か? そういう能力の念を持っているとなれば納得のいく話だ。

 

「まあサポートをしてもらうと言ってもまずはクラピカの具現化の修行が終わってからですが」

「ああ、それなら先程終わったぞ」

「……ええ、何かそうじゃないかって気がしていました。もうアナタの才能について驚くのは止めておきます」

 

 それほど早く具現化出来たのだろうか? 私としては少し能力の改良と追加をしたので具現化に時間が掛かった方だと思っていたのだが。

 

「とにかく、具現化が終わったのなら話は早いですね。ビスケの協力もありますし、基礎能力の向上と応用の修行に取り掛かるとしましょう」

「アイシャが言うにはかなりの才能の持ち主みたいね~。直接見てみないと何とも言えないけど、磨きがいがありそうでいいじゃない。……それに美形だし。カストロとどっちがいいかしら?」

 

 ん? 最後の方の声が聞き取れなかったが……。まあいいか。

 

「せ、アイシャさ…………ん、私もお付き合いしてもよろしいでしょうか?」

「え? アナタにはアナタの用事があるのでは?」

「いえ! 私の用事など些事に過ぎま――」

「いや、あんたカストロを放っておく気?」

「……あ」

「カストロさんがどうかしたのですか?」

「いや、その……」

「いやね、リィーナの奴カストロを弟子にしたのよ。念の技術のみの事だけどね」

 

 なんと。あのカストロがリィーナ殿に弟子入りとは。あのヒソカに負けたと言えどカストロの実力は確か。それが弟子入りとなるとリィーナ殿はやはりよほどの実力の持ち主だという事だろう。もしかしたらヒソカよりも強いのではないのか?

 

「なるほど。確かにリィーナが指導するとなるとカストロさんの実力は更なる向上を得ることが出来るでしょう。私が見た限りでも彼は相当な才能と信念を持っています。また直に会い、その力を悪用するような精神の持ち主でもないとも判断できました。あなたの修行にも耐え抜き稀代の実力者となることも可能でしょう。彼を指導するということは英断と言えますね。さすがはリィーナです」

「あ、ありがとうございます!」

「それではカストロさんも待たせていることですし、アナタは一度カストロさんの所へ赴いた方がいいでしょう」

「分かりました。それでは失礼いたします。……あ、アイシャさ……ん。いずれ道場にて」

「ええ、必ず」

 

 そうしてリィーナ殿は部屋から退出した。とても未練たらしく何度もこちらの方を見返しながら。……私には睨みつけながらだったが。

 解せん。彼女は真に風間流の本部長なのか? 確かに風間流の本部長の名前はリィーナ=ロックベルトだったはずだ。だが彼女はどう見ても20代前半だ。妙齢の美女とも言える。

 そしてリィーナ=ロックベルトは私の知識が確かならば今年で70歳を超える高齢のはず。いくら念能力者が老化しにくいといっても限度があるのではないか?

 アイシャのことを敬い尊重しているようだが、アイシャと彼女の接点も謎だ。アイシャは流星街の出身のはず、それが風間流の本部長と繋がりがあるというのが分からない。

 いや、もしや彼女がアイシャに念を教えたのでは? それならば――彼女が本物の風間流本部長だとして――アイシャの実力にも納得がいくかもしれないが……やはりそれではアイシャに対して敬意を払っている理由が分からない。

 

「……色々と疑問に思っているようだわね」

「! いや、私は――」

「いいわよ。アンタがそう思うのも無理はないわ。大方リィーナの若さ、アイシャに対する態度が疑問なんでしょ?」

 

 ……そんなに私の考えは顔に出ていたのだろうか? もっとポーカーフェイスを鍛えなければな。

 

「アンタの疑問に応えるわね。まず1つ、リィーナはああ見えても今年で71歳のお婆ちゃんよ」

「……念か?」

「そういうこと。まあ普通の念能力者ならさすがに70も超えれば見た目もそれなりに老人になるわさ。つまりあれはそういった能力で若作りしているだけのことよ」

 

 なるほど、それならば納得はいく。だがそうも簡単に能力についての情報を話してもいいのだろうか?

 

「この情報については問題ないわね。どうせあんたも知ることになるわ。あたしの能力だしね」

「では、貴方も?」

「ん……あたしはこれが素よ」

 

 ……彼女の見た目はアイシャよりも若々しい、少女と言っても過言ではないのだが……。見た目の年齢は10~12歳くらいではないか?

 

「そしてリィーナがアイシャに対して敬意を払うような態度を取っている理由はね」

「ビスケ……」

 

 今まで沈黙を保っていたアイシャがここで口を出した。その理由はアイシャにとって知られたくないモノなのだろうか?

 だとしたら……私はこの理由を聞くわけにはいかない。私はアイシャの口から直接納得の行くように説明してほしいからだ。

 アイシャが私に打ち明けたいと思ってくれた時に話してほしい。そうでなければいけない、そんな気がするんだ。

 

「いや、その理由についてはアイシャが直接話してくれるのを待つよ。……何か事情があるのだろう?」

「クラピカ……」

「……そ、ならいいわ。……アイシャ、いい友達持ったじゃない」

「ええ! 私の最高の友達です」

 

 そうストレートに言われるとさすがに照れるな。

 

 友達、か……。パイロ……父さん、母さん、長老、そして全ての同胞達よ。必ず、必ず奪われた眼を取り戻し、村を襲った悪逆非道の外道共に報復をする。それまで今しばらくの時間が掛かってしまうが、待っててくれ。

 

「あんた……。アイシャがこうも焦って鍛えているのにはそれなりの理由があるみたいね」

 

 ……またも感情が漏れ出ていたか。コントロールしないと戦闘中のミスに繋がるかもしれないな。

 

「私の事情はアイシャから聞いていないようだな」

「まあね。頼まれたのはアイシャの弟子の修行のサポートよ。その弟子たるあんたの事情には興味ないわ」

 

 さっきまではね――そう言って窺うように私を見つめるビスケット殿。

 

「……あなたの力があれば私は強くなれるのか?」

「そうね、少なくともアイシャだけで修行をつけるよりもより早く強くなれるわ」

 

 そう話す彼女の顔は自信に満ち溢れていた。その言葉に嘘偽りはないのだろう。

 

「分かった。私が力を求めている理由を話そう」

 

 

 

 

 

 

 クラピカが強くなりたい理由をビスケに説明している。

 その内容は決して気軽に話せるモノではない。暗い、凄惨な過去の出来事。いや、クラピカにとっては過去の話ではないだろう。

 クラピカが力を得たいのは復讐の為。それは一概に褒められた動機ではないと言える。

 復讐は何も生まない。ただ虚しいだけだ。そんな言葉を本やテレビ等でたまに耳にする。だが、それは当人でないから言える言葉なのではないか?

 実際に自分が同じ目にあったら、理不尽に家族を、友を、恋人を奪われたら誰もが嘆き、大なり小なりと復讐の意を抱くだろう。

 

 だが、やはり第三者からすればそうは受け止められないのも確かだ。

 同情はする、復讐相手に対して憤りも感じるだろう。しかしそれでも復讐はすべきではないと思う人間も多いだろう。法の裁きに任せるべきだと言うだろう。

 実のところ私も復讐に関してはいい感情を持っているとは言い難い。かつて平和な世界で過ごした感覚が残る私にとって殺人に忌避があるのは避けられないことだ。

 

 ……命を奪う覚悟と奪われる覚悟はある。例え修行好きという意識を植え付けていたとはいえ、長年武術家をしていればそれくらいの覚悟は出来てしまう。だからと言って好んで人を殺したいだなんて思えない。

 でもクラピカの復讐を止めることも出来ない。彼の苦しみ、悲しみ、そして怒りは彼にしか分からないだろうから。だから復讐をするなとは言えない。言っても彼の意思の強さから無駄だということは理解出来た。

 ならば私はクラピカに力を与えたかった。そうすればクラピカは死なずにすむ。力があれば無駄に敵を殺さずに無力化し捕えることも出来るだろうから。

 

 ……ネテロが知ったら甘いと言うだろうな。あいつは清濁併せ飲んで生きているからな。そうじゃなきゃゾルディック家と多少なりとも繋がってはいないだろう。

 

 どちらにせよ、幻影旅団は裁きを受けるべきだとは思っている。彼らは快楽の為に壊し、奪い、そして殺す。ハンターサイトで調べてみたが、相当な数の事件に幻影旅団が関わっていた。恐らくは知られていない犯行も多数あるだろう。

 その中でもクルタ族の事件は酷いものだった……。

 

 村人はそれぞれが緋の眼をより色濃くする為に凄惨な殺され方をされており、それには老若男女関係なく……いやむしろ怒りをより多く顕にする為に子ども達こそより多くの傷を付けられ無残な死体を遺していたらしい……。

 そして……クルタ族の眼はその頭部から全てくり抜かれ、クルタ族ではない外から入村した者の眼は奪われてはいなかったが全て潰されていた。

 吐き気を催すようなこの行い! それを平然とこなすような外道共にこの世をまともに横行する資格はない、そう私は思う。奴らを捕える為の力をクラピカが得たいと言うのなら尽力を惜しむつもりはない。

 

 ビスケはどうだろうか? クラピカの復讐を肯定するだろうか? それとも否定するだろうか?

 私はそのどちらでも構わない。ビスケがどう思い、どう感じるかはビスケだけのものだ。それによってビスケがクラピカの修行を手伝わないと言うならば……それは仕方なかったと諦めるしかない。

 

「――以上が私が強くならねばならぬ理由だ」

「……なるほどね。あんたの理由は分かったわ」

「ビスケ……」

「ああ、そんな顔しなさんなって。修行の件は受けるわよ。と言うか一度受けた仕事を簡単に反故するつもりはないわよ」

「ほ、本当ですか!?」

 

 良かった! 断られれば諦めるしかないとは思っていたものの、やはりビスケがいるといないとでは修行の捗りが断然違う! 断られなくて本当に良かった!

 

「いいのか? 復讐の為の力だぞ?」

「別に復讐を否定だなんて青臭いこと言わないわよ。話を聞く限り正当な復讐みたいだしね。……ま、復讐に正当とかあるかは別としてね。それにあんた、アイシャの友達なんでしょ?」

「ああ、勿論だ」

「だったらいいわさ。あたしはあんたじゃなくてアイシャの人を見る目を信じてる。アイシャが信じているあんたなら、手に入れた力を復讐以外には容易に振るわないでしょう」

 

 ビスケが私のことをそんなに信用してくれているなんて……。嬉しさがこみ上げてくるな。

 

「ありがとうございますビスケ」

「ああ、ありがとうビスケットさん」

「あたしのことはビスケでいいわよ」

「分かった。私のことはクラピカと呼んでくれ。これから宜しく頼むビスケ」

「あたしは厳しいわよクラピカ。覚悟しておきなさい」

 

 色々あったけれど、これでクラピカの修行については問題はなくなった。あとはただひたすらに修行漬けの日々をおくるだけだ。ビスケとの契約が切れる9月までには堅の持続時間を3時間以上に、応用についても一通りは習得させておきたいものだ。ヨークシンでの用件が終わればまたビスケの暇を見てもらい、修行に費やすとしよう。

 

 ……ん? そもそもどうして9月にヨークシンに行くことになったんだっけ? 私はその時いなかったから詳しくは知らないけど、確かゾルディック家でゴン達4人が無事再会した時に、次に会うのはヨークシンだと決めたみたいだけど。

 9月のヨークシンと言えば年に一度開かれる世界最大のオークション、ヨークシンドリームオークションがあるからそれに参加するのかな?

 ん~、多分そうだろう。何か引っかかるモノがあるけど、僅かに残っている知識の中でヨークシンのオークションがうっすらと浮かんできたんだし。

 

 残った問題はリィーナだな……。

 一応クラピカについては師匠権限で黙らせたけど、リィーナに不満があるのも確かだろう。リィーナからすれば私の修行を自身ではなくどこの誰とも知らぬ者に取って代わられたようなものだしね。クラピカのことを泥棒猫か何かのように思っているだろう。

 

 一応納得させる為に本部道場にてクラピカの実戦経験の為の門下生を借りる件を伝えた際に、その時にリィーナの修行を見ると言って納得はしてもらえたけど。

 ……まさかリィーナの説得から私の服装の話に繋がるとは……。く、ビスケめ。明らかに楽しむ為の発言なのに事もあろうに私の着替えをリィーナの説得に加えるなんて!

 リィーナもリィーナだ! ビスケの言葉に乗っかって私の着替えを条件に入れるなんて! おかげでしばらく着せ替え人形の扱いを受けてしまった……。もうお婿にいけない。

 

 まあこうなってしまったなら仕方ない。

 それにリィーナには迷惑と苦労をかけているのだ。私が、リュウショウが死んだ後の風間流を率いて現在まで繁栄させているのはリィーナの尽力あってのこと。それに報いる為と思えばこの程度の屈辱なんてどうということはないさ。クラピカとは違った意味で彼女は私にとって大事な人、弟子であり子どものようなものなんだから。

 ただ少しだけ師匠離れをしてほしいと思うのは確かだけど……。

 

 そう思いつつふと時間を確認するとすでに21時を過ぎていた。そう言えばまだ食事をとっていない。思い出したらお腹が減ってきた……。

 食事は日々の肉体を作るのに欠かせない修行に置いても重要な要素だ。しっかりと食べなくては!

 

「2人とも、そろそろ夕食にしませんか? 時間も押していますし、修行の段取りについては夕食を取りながら話すとしましょう」

「それもそうね。色々あって忘れていたわ」

「ああ、そういえばそうだったな」

「では行きましょうか」

 

 そうして3人で色々と会話をしながら食事をとり、この日を終えた。

 何というか、とても疲れた1日だった。本当にどうしてこうなったんだ? いや分かっている。リィーナとシオンが来たからだな。

 あのブッ飛んだ性格の2人。2人とも風間流……い、いや! あの2人が特別突き抜けているだけだ! 他の門下生達は普通だった……はずだ!

 そう、信じたい……。

 

 

 

 

 

 

 クラピカを紹介してもらった次の日。早速あたしはクラピカの現在の練度について確認してみたんだけど……。

 

「ねえアイシャ、もう一度聞くわよ。クラピカが念の修行を始めてどれくらいの年月が経ってるの?」

「ですから、2ヶ月未満ですね。念の修行を始めたのが3月9日なので」

 

 今は5月になったばかりだから確かに2ヶ月未満ね。

 そう。それはいいとしましょう。

 

「じゃあ念は無理矢理――」

「いえ、しっかりと瞑想によって1週間で目覚めました」

「……そう」

 

 何それ? 天才ってこいつのことを指す言葉ね。

 たった2ヶ月未満で基本を修め、その上具現化まで習得しているなんて。

 顔はイケメン、話した限りでは頭の回転もかなりいい。さらには念の天才と来たもんだ。

 

 ヤバイ、アタシの時代が来たかもしんない。

 ここでクラピカに厳しく修行に当たるアイシャ。そしてそれを優しく癒すアタシ。そして徐々に2人の仲は深まり距離は縮まっていき……グフフ!

 

 ああもう! カストロといい目移りしちゃうわね!

 どっちがいいかしら? 肉体ではカストロだけど、単純に顔だけ見るとクラピカの儚い感じもいいのよねぇ。

 それにカストロはある程度は完成しているけどクラピカはまだあまり手を入れられていない原石。仕上がったらどんな輝きを生み出すことか! 磨きたい! 徹底的に磨きたいわ! クラピカ程の逸材なら報酬だっていらないわね!

 ん? そうね。報酬、お金は受け取らない事にしましょう。その代わり……。

 

「アイシャ。あなたの言うとおりクラピカは素晴らしい才能を持っているわね」

「ええ、そうでしょう」

「彼なら私はアイシャの依頼抜きでも育て上げたいくらいよ」

「依頼? アイシャ、それは一体どういうことだ?」

 

 ああ、どうやらアイシャは依頼のことはクラピカには話していなかったようね。

 

「アイシャがあたしを雇ったのよ。あなたを鍛えるサポートの為にね」

「な!? アイシャそれはもしやかなりの金額が掛かったのではないか?」

「いえ、大したことはありませんよ」

「いや、そういうわけにはいかない。私の修行の為なのだから私が払うのが筋というものだろう。ビスケ、いくらなんだ?」

 

 やっぱりねぇ。クラピカならそう言うと思ったわ。だからアイシャも依頼については教えなかったんでしょうにね。アタシに口止めしとけば良かったのに。

 

「1億よ」

「は?」

「だから1億ジェニーって言ってるでしょ」

「あ、ああ。いやさすがにそれは」

「高すぎるって? あんた、あたしを馬鹿にしてんの? 自慢じゃないけどね、あたしクラスの念能力者は世界でも100に満たないわ。そして弟子育成に置いてあたし以上に適任の能力を持つ者も希少でしょうね。そんな念能力者がそこらの一山いくらの木っ端どもと同じような金額で雇えると思っているの?」

 

 念能力者に対する知識が欠けているわね。まだ素人に毛が生えたようなものだから仕方ないけどね。念能力者がどれだけ貴重で希少なのか分かってないわ。自分の隣りにいる念能力者がどれほどの存在かも理解してないんでしょうねぇ。世界有数なんてもんじゃない、私の知る限り世界最強の1人なのよ。

 

「分かった、1億だな。私が払おう。それならいいだろう?」

「いいえ駄目ね。あんたが依頼人なら1億では雇われないわ」

「!? どういうことだ。アイシャには――」

「アイシャとあんたじゃ信頼と信用が違うのよ。あたしも暇じゃないの。見ず知らずの人間に雇われようだなんてお人よしでもない。そもそも1億というのもアイシャだからこその金額よ。他の人間なら信用の置ける人でもこの倍は軽く出させるわね」

 

 これはアタシの当然の主張ね。そもそもやるべきことがないわけでもないんだから、見ず知らずの人に雇われるくらいなら宝石でもハントしているわさ。

 まあ、このクラピカを知った今ではクラピカの修行以外に何もする気は起きないけどね。これは言う必要はないわね。

 

「ではどうすればいいんだ?」

「ですからクラピカ、彼女は私が雇ったんです。お金に関しては別に気にしなくてもいいんですよ。私が勝手にしたことですから」

 

 アイシャ、お優しいことだけどね……。なんかあんた将来ヒモか何かに捕まってそうで心配だわさ。

 

「だがそう言うわけには!」

「はいはい、ちょっと話をさせてね」

 

 言い合っている2人に割って入る。これ以上2人を言い争わせても時間の無駄だし。

 

「お金なんだけどね。別に貰わなくてもいいわよアイシャ」

「え? どうしてですか?」

「私も仕事のつもりで来たんだけどね。クラピカの才能を見て自分の意志で育ててみたくなっちゃったのよ。だから今回はお金はいらないわ」

「ですがそれはさすがに……」

 

 まあアイシャのことだから無料で奉仕させるのは納得がいかないでしょうね。だけど落としどころをつければ納得するはず。

 

「いいのよ。それにこのままだとあなた達2人とも譲らないでしょ? だったら最初からお金は受け取らないって方針にした方が揉めなくてすむ分いいわよ」

「いいんですか? お言葉に甘えても」

「ええ、勿論よ」

 

 ええ、お金は受け取らないわ、お金はね。

 

「……すまない、私のせいで」

「あんたも気にしないの。まあその代わりと言っちゃなんだけどね。アイシャにしてほしいことがあるのよ」

「何ですか? 私に出来ることなら何でもしますよ」

 

 その一言を待っていた!

 

「本当に?」

「はい」

「何でも?」

「えっと、私に出来ることなら、ですけど」

「だ~いじょうぶよ~。アイシャになら、いえアイシャにしか出来ないことよ!」

「え? それは一体……」

 

 ふふふふふ! カメラを持って来て正解だったわね!

 

「それはね……毎日私がコーディネイトした服に着替えてもらうことよ!!」

「な!? そ、それはちょっと待ってください!」

「……私に出来ることなら何でもしますよ」

 

 拒否の色合いが強いアイシャに向かって先程アイシャ自身が口から出した言葉をぼそりと呟く。効果は抜群ね!

 

「うぅ! で、ですけどね、それだったら1億払った方が……!」

「駄目よそれじゃあ。そしたらお金でお友達との仲が拗れるかもしれないでしょ?」

「いや、そんなことで私は――」

「あんたは黙ってなさい」

「はい」

 

 余計なことを言おうとしたクラピカを速攻黙らせる。あんた程度を黙らせるなんてお茶の子さいさいなのよ。年季が違うわよ年季が!

 

「さ、アイシャ。何でもいうことを聞いてくれるのよね? 出来ないことを言ってるつもりもないわよ~?」

「う、うう……。はぁ、分かりましたよ」

「では私が代わりに着替えを――」

「あんたほんと黙れ」

「……すまないアイシャ」

 

 やっほぅ! これで毎日の着替えを写真に収めればリィーナに高く売れること間違いなし! クラピカ程の才能の持ち主ならお金を払ってでも鍛えてみたいくらいだし、いいことづくしね! さらに賭けがうやむやになったおかげで負け分を払う必要もなし。

 運が向いてきたじゃない、グフフ。

 

「ああ、あれはあくどいことを考えている顔です」

「うむ。それは私にも分かるな」

 

 おっといけないいけない。もう性格がバレたのは仕方ないとして、それでもクラピカに好印象与える為には程々に猫被んなきゃね。

 

「ゴホン! さてそろそろ修行を本格的に始めようじゃないの。アイシャの予定ではどうするつもりだったの?」

「そうですね。まずは凝ですね、戦闘中に凝を怠った念能力者は長生きが出来ませんので」

「確かにね。これについては1日の中で私のある行動をキーにしてクラピカに凝をするようにしてもらうわさ」

 

 戦闘中に怪しい何かがあれば必ず凝。念能力者の基本中の基本ね。遠くを見つめるとき目を凝らすのと同じくらい自然に素早く凝を出来るようにならなければね。今後クラピカには私が指を立てると必ず凝をするようにしてもらうとしよう。

 

「1日の半分を基礎能力の向上に当て、残りを堅の持続時間を伸ばす修行に当てます。凝や流の修行をするにしてもある程度の時間堅が出来なければ話になりませんからね。それが出来れば凝と流、そして系統別修行を加えます。時折組手を交え、就寝前の時間は出来るだけ堅の修行に。ビスケには修行の合間に能力を使ってクラピカを癒してください。多分そうしなければ途中でクラピカがくたばってしまいます」

「お、穏やかではないな……」

 

 まあクラピカがそう思うのは仕方ないけど、思った以上にハードスケジュールね。私の能力を当てにしないと組めない内容だわさ。

 本来なら基礎能力向上を主にするべきだろうけど、他の修行も同時進行しようとなるとかなりのハードさだわね。9月までしか時間がないのだから仕方ないかもしれないけどね。後で風間流の本部まで行くみたいだし、余裕はないってことね。

 

「基礎能力向上はどういう修行をするつもり?」

「穴掘りです。ここから東に150km程離れた場所に誰もいない山岳地帯があるので、そこまで全力でランニング。そして穴掘りで全身の筋肉を酷使、さらには穴掘りの道具に周を用いることでオーラの総量と技術の向上を目指します。多少の精神鍛錬にもなるでしょう」

「なるほどねぇ。さすがアイシャ、よく考えてるじゃない」

「……何かビスケにそう言われるととても悪い気がするのは何故でしょうか?」

 

 何でよ? 別にアタシのやり方を真似たとかじゃないんだからいいでしょうに。

 

「でもその山岳地帯で勝手に穴掘って大丈夫なの? 権利とかどうなってんのかしら?」

「ああ、それについては問題ないです。調べるとあの辺一帯は都合よく売りに出されていたようです。なので、風間流名義で買い取ってもらいます」

「いやあんた簡単に言うわね……」

 

 確かに風間流の資金力、と言うかリィーナの個人資産でも余裕で買い取れるでしょうけどねぇ。あいつって元々財閥のお嬢様でかつ社長だったわけだし。確か今は息子に社長譲って名目上だけだけど会長になってるんだっけ?

 リィーナに頼めば2つ返事で買い取るでしょうねぇ……。私にも回しなさいよその財力。

 

「その分彼女の願いは聞き届けるつもりですよ」

「……あんまり不用意に何でもするって言っちゃダメよ?」

「ええ、それはあなたで身にしみましたので」

 

 はて? なんのことかしらん?

 

「それじゃ凝の修行にもメリハリを付ける為に罰ゲーム有りにしましょうか」

「いいですね。ただし罰は修行になる罰ですよ?」

「勿論よ。それじゃあこんなのはどうかしら――」

「……私を置いて私への拷問のような修行内容が決まっていく。内容のいくつかは分からないが明らかに過剰だということは良く分かる……。私は復讐の前に生き延びられるのだろうか……?」




クラピカ具現化終了の知らせ。原作と違い能力が一部変更に、それに伴い左手にも鎖が1本追加。
能力は後の話で説明します。まあ、大抵は原作と変わりませんが。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十九話

――ザク! ザク! ザ! ザ! ザク!――

 

「はあっ! はぁっ!」

 

 岩壁に向かってスコップを振り下ろし掘る、掘る、ただひたすら掘る。すでにこの作業は4時間続いている。だが途中で終わることはない。終わるのはノルマをこなすまでだ。

 そのノルマも日々多くなっているがな……。私の基礎能力の向上とともにノルマも増大している。何時まで経ってもノルマが終わる時間は縮まらない。

 

 朝6時に起床し、朝食を取り、すぐにここに向かって全力疾走。そして直様スコップとトロッコにて穴を掘る。ノルマをこなすと昼食の時間になる。食事を取り、ビスケの【魔法美容師/マジカルエステ】にて30分の休養。

 この能力は素晴らしく、どれほど疲労していても僅か30分であらかた回復する。確かに修行の助けとしてはかなり効果的な能力だった。とてもありがたいが、地獄の時間が増えると思うといささか歓迎しづらい思いもある……。

 

 その後はビスケと堅の修行に入る。堅を維持しつつ、ビスケの硬による一撃を防ぐ修行だ。もちろんビスケは手加減してくれている。そうでなければ私はとっくにミンチになっている。

 アイシャがこの修行を私に行わないのはアイシャのオーラの質のせいだ。あの質は私の精神に多少の乱れを与えてしまう。そうなればまだオーラの未熟な私では修行の妨げになるかもしれないかららしい。

 この修行は私がへばるまで続く。そして【魔法美容師/マジカルエステ】による回復。そしてまた堅の修行が始まる。

 この間凝の修行も行っている。時折不意にビスケが指を立てるとその指先にビスケがオーラを変化させて文字を作るので、それを即座に言い当てるという修行だ。

 だがこれには罠があった。言い当てるのが遅いとその場で腕立て伏せをしなければならない。だがそれだけなら問題はなかった。

 最近は言い当てるのが安定して早くなって来たのでその修行にアイシャが参加してきたのだ。遅かったほうが腕立て伏せをするという罠。

 

 勝てるわけないだろう!

 

 おかげで最近は毎回腕立て伏せをしている。このままでは私の腕だけが異様に膨れ上がるかもしれない。そんなのは勘弁だ……。

 

 流の修行は堅の修行がある程度の段階に進めば行うらしい。話を聞く限り流は戦闘において非常に重要な位置にあるらしいので早く習得したいものだ。

 そして堅の修行が終われば実戦訓練だ。アイシャに向かって格闘戦をするのだが……ここで私の自信は木っ端微塵に砕け散った。まさか……まさか絶の状態のアイシャに何も出来ないまま叩きのめされるなんて。念能力者と非念能力者には超えられない壁がある。だが、私とアイシャの実力差はそれ以上だということだろう。

 初めは絶状態のアイシャに傷を付けてはいけないと思い手加減をして攻撃をしていたが、何度攻撃をしても投げ飛ばされる始末。全力で念を込めた攻撃をしても簡単にあしらわれてしまった。軽く絶望した。

 

 そんなアイシャは私と同じように穴掘り修行をしている。2人で一緒に穴を掘る係りとトロッコを押す係りを交互にしているのだが、何故アイシャが今更こんな修行を? と聞いてみたところ。

 

「私もまだまだ強くなりたいですからね」

 

 と、そんな答えが返ってきた。正直もう少しゆっくりして下さい。

 

 具現化の修行もまた段階を変えて進んでいる。具現化自体は終了したが、スムーズな具現化の仕方や隠による鎖の隠匿、鎖を用いた戦闘方法など学ぶことは山ほどある。

 私の最大の利点とも言うべき【絶対時間/エンペラータイム】を活かすべく緋の眼の修行も1日に組み込まれた。緋の眼への自力変化、持続時間の確認とその向上。

 もっとも、あまりに多量の時間緋の眼に変化しているとしばらく頭痛や疲労が濃くなり不調の時間が続いてしまう欠点があるので変化しすぎは逆に非効率だったが。

 【魔法美容師/マジカルエステ】である程度は緩和出来るが、それも完全ではない。ここはじっくりと慣らしていくしかないだろう。

 

 一通りの修行が終わると天空闘技場に向かって全力のランニング。

 遅めの夕食を取り、残った時間は堅の持続時間を伸ばす修行へと当てられた。

 そして全てが終わると泥の様に眠る。……もっとも、眠っている時も修行と言わんばかりにアイシャかビスケによる奇襲が時折行われるがな!

 奇襲を回避出来なかったら次の日の穴掘りノルマが倍になる仕組みだ。おかげでろくに眠ることが出来ない。だが疲労は全て【魔法美容師/マジカルエステ】で回復される、もはや拷問である。

 これがここ1ヶ月続けている私の地獄の修行内容だった。

 

 

 

「ふっ。ふっ。やはり結構鍛えられますねこれ」

「ああ、岩が固く、掘るためにはスコップに周をしなければならないからな。はぁはぁ。全身の筋肉を使うので、すぐに疲労してしまう」

 

 意外だったのがアイシャの身体能力だった。私はてっきりアイシャならこの程度修行にもならないのでは? と思っていたが、アイシャの身体能力は確かに今の私よりは上だったが、予想を遥かに超える程ではなかったようだ。

 

「1ヶ月もすると大分慣れたな」

「さすがの上達速度ですね。普通はその程度で慣れませんよ」

 

 周を使わずに穴を掘るお前には言われたくはないな。オーラが莫大すぎて周をすると逆に修行にならないらしい。何だそれは?

 

「しかし懐かしいですね。昔もこうして穴を掘ったものです」

「そうなのか。小さい頃から鍛えていたのだな」

「……ええ、そうですね」

 

 過去を懐かしんでいるのだろうか。アイシャの横顔は何処か遠いところを見るような表情になっていた。何か思うところがあるのだろうか……。そう思っていると、すぐに元の表情に戻り私に振り向いてきた。

 

「クラピカのオーラも大分増大したのでそろそろ次の修行に移りましょうか」

「本当か?」

 

 会話しながらも穴を掘り続ける私たち。今の身体能力は最早以前の比ではないだろう。だがこれでもビスケやアイシャに勝てないのだからな。彼女たちはどれほど上にいるのやら。

 ……もしかして彼女たちだけで幻影旅団を倒せるのではないか?

 

 い、いや、例えそうだとしても奴らを捕らえるのは私自らの手でやりたいものだ。

 その為にも今は実力を付けなければな。

 

「そろそろ休憩してもいいわよーー!」

「分かった! すぐに戻る」

「ああ、お腹が空きました。早くご飯にしましょう!」

 

 相変わらず食べることに目がないなアイシャは。この体のどこにあれだけの食事が入るのやら。……栄養は大部分が胸に行ってそうだな。

 いかんいかん。最近思考がレオリオに近くなっていないか? 切り替えなければ奴のキャラに飲まれてしまうな。

 

「はいお疲れ~。と言ってもさすがにもう大分疲れが見えなくなってきたわね」

「ええ。ですのでそろそろ次の段階に進めましょうか」

「そうね。堅の持続時間も大分伸びているし、凝と流の修行に移りましょうか。呆れるほどに上達が早いし。思った以上の逸材だったわ」

『数字の7!』

「はい正解。コンマ3秒ほどクラピカが遅い。腕立て伏せ500回」

「くっ! 1・2・3・4・5、何時も、思うのだが! アイシャ相手、なのは、卑怯ではないか!?」

 

 何度やっても勝てない。これはもうただのイジメではないだろうか?

 

「だったら頑張って勝てるように努力しなさいな」

「すいませんクラピカ。私の唐揚げあげますから」

 

 アイシャは身体能力と反射神経が比例していない。それほどアイシャの反射神経は鍛え上げられていた。聞くところによるとアイシャの武術はあの風間流らしく、その為肉体よりも反射神経に重きを置いて鍛えていたらしい。

 それなのに私よりも身体能力が高いのだ。正直悔しい。なのでこの訓練でアイシャの身体能力に追いつくのがもっぱらの目標だ。

 アイシャからもらった唐揚げを食べつつ意気込みを新たにする。

 

「ん~、中々美味しいわね~。アイシャが料理出来るなんてね~」

「まあ、それなりに年季がありますからね。独り暮らしも長かったですから料理くらい多少は出来ますよ」

 

 そういえば流星街で暮らしていたんだったな。だが独り暮らしが長かったと言うが、一体何歳くらいから自炊していたんだろうか? ……過酷な人生だったんだろうな。この歳でここまで強く、そして自身の力で生きていかねばならないほどに。

 

「しっかしアイシャもほとほと修行好きねぇ。どんだけ強くなるつもりなのよ」

「それはもちろんネテロに勝てるまでですよ。前の決闘では煮え湯を飲まされましたからね、今度はこちらが一泡吹かせてやります」

「じじいが血の泡吹きそうなんでやめたげてよぉ!」

 

 相変わらず内容がぶっ飛んでる会話だ。ネテロ会長と言えばプロハンター最強とまで言われている人。その人を相手に勝つだの血の泡だのともはや次元が違うな。

 今までのアイシャを見ていると一概にホラだとも思えないのが恐ろしい。

 

「あとそろそろ天空闘技場でも戦っておきましょうか。いいかげん他の念能力者との戦いも経験しておくべきでしょう」

 

 む、そうか天空闘技場の試合か……。正直忘れていた。修行にばかりかまけていたからな。ゴン達とも殆んど話せていないが、もう修行禁止も解かれた事だろう。今頃は試合の1つもしているかもしれないな。

 

「では次に天空闘技場に戻った時に試合の申し込みをしておきましょう。試合日は期限ぎりぎりで申し込んでおけば新人狙いの人たちが勝手に申し込んでくるでしょう」

「ああ、あの連中か。私にいつ試合するとしつこく聞いてきた奴ら。全く、念に関して何も知らない者や念の素人である新人だけを狙うなどと姑息な連中だ」

「馬鹿には出来ませんよ。確かに姑息ですが、その分何をしてくるか分かりません。念が弱くともハマれば強い能力を持っているかもしれないし、能力以外でも何かしてくるかもしれないですし」

 

 確かにな。ああいう連中は勝つ為の手段を選ばない事もあるだろう。姑息な手に負けるつもりはないが一応注意が必要だな。

 

「それとクラピカ、試合において前もって敵の情報を入手する事は禁止とします」

「それは……それも修行の為か?」

「それって試合中に敵の能力を見抜けってこと?」

 

 恐らくはビスケの言うとおりだろう。試合中に敵の能力を見抜く、つまりはより実戦を意識して戦えということか。

 なるほどな。確かに突発的に起こった実戦において敵の情報を入手していることなどないだろう。そして逆に言えば敵の情報を知る事は実戦において重要な要素だということか。敵の得意系統が分かれば攻撃方法も推測しやすく、また能力が分かれば対処もしやすい。

 

「そういうことです。実戦において相手の能力をあらかじめ知っているなど本来ありえません。相手の能力を見抜くのは実戦において非常に重要です。ここで少しでも敵の能力を見抜く力を養ってもらいます」

 

 やはりか。実際の戦闘ともなれば前もって情報を集めるのは悪いことではない、むしろ当然の行動だろう。事前に相手の能力を知れるのならそれに越したことはないのだから。だが実戦において見知らぬ相手と戦うことが殆んどなのは事実。ここで少しでも観察眼を磨けということか。

 

「そして逆に自身の能力を知られる事は非常にデメリットになります、なのでクラピカは鎖を使って戦うのまではいいですが、具現化を匂わせたり、鎖に付いている能力を使用することは禁じます」

「普通の鎖のように扱って戦えということだな」

 

 これは仕方ないな。あんな大勢の人の目につく場所で能力を使用するなんて自殺行為極まりない。私としては200階クラスの念能力者があんなに人前で能力を使用していることが理解できないくらいだ。

 

「……クラピカの言いたいことは分かりますよ。私もあんなに大勢の、それもビデオ等に映像を残す戦いで能力を見せる彼らの考えが分かりません……。まあ中には全ての能力を出してはいない者もいるでしょうが」

 

 ……そうだな。もしかしたらヒソカもカストロとの戦いで見せたあのゴムのような能力と蜘蛛の刺青を偽装していた能力以外にも何かを持っているかもしれない。いや、ほぼ確実に持っていると考えた方がいいだろう。そうしておけばいざという時の心構えにもなる。ヒソカが敵にならない保証など欠片もないのだからな。

 

「能力を隠すのは旅団にも言えていることですよ」

「分かっている。ヒソカから聞き出した旅団員の能力がそいつらの全てではないだろうな」

 

 あの時、ヒソカから手を組もうと言われた時、奴が知りうる団員達の能力を全て話させた。もちろんヒソカが隠している可能性はあるが、アイシャが言うには恐らく嘘は言っていないらしい。

 なんでもアイシャは相手のオーラの反応や質の変化から相手の心理を読むことが出来るらしい。熟練者なら誰でも出来る芸当なんだろうか? もうアイシャのことで驚くのは慣れてしまった気がする。

 もっとも、さすがにヒソカクラスにもなるとオーラを上手く操作する事で全てを読むことは難しく絶対の保証はないとのことだが。

 

「それじゃあ休憩の時間も終了。そろそろ修行の再開と行きましょうか」

「……私は休憩中ずっと腕立て伏せをしていたのだが?」

「では次は流の修行ですね。凝を用いて攻防力を変化させる実戦に置いて欠かせない攻防の基礎となる技術です」

 

 聞いていないなこいつら。腕立て伏せをしながら食事を取っていて正解だったな。こうでもしないと食事抜きで修行再開だっただろう。

 ……腕立て伏せをしながら食事をする、無駄に器用になってしまったものだ。

 

「じゃ、地獄の特訓午後の部を開始しますよー!」

「おー!」

「さて、今日は何回気絶するかな?」

 

 今までの最高記録は1日に7回だったかな? 大きな川の向かい岸に花畑が見えた時は天国とは本当にあったんだと思ったものだ。今日は気絶せずに終わりたいものだ。もっとも、気絶しなかった日などありはしないがな。

 

 

 

 

 

 

 今日は天空闘技場の試合を観戦に来ている。念の修行も解禁されたからオレやキルアの試合がない日はずっと修行してるけど、今日はクラピカとアイシャが試合するからキルアと一緒に応援する事になった。

 

「クラピカの奴どんだけ強くなってんのかな?」

「オレ達が念の修行が出来なかった時もずっとアイシャと修行してたんでしょ? きっとオレ達より強くなってるんだろうなぁ」

 

 オレがギドと再戦した時は念の修行が出来るようになって1ヶ月も経ってなかった。それなのにオレはギド相手に圧勝出来たんだから、それ以上の時間を修行に費やしてるクラピカならきっとオレよりもずっと強くなってるはずだよね。

 

「くそ、そう思うと少しムカつくな。念を覚えたのはオレ達の方が先なのによ~」

「ごめんね、オレに付き合ってキルアまで修行が出来なかったから……」

「あ~、別にいいよ。そんなフライングして強くなってもおもしろくないしさ。クラピカにもすぐに追いついてやるさ」

 

 キルアはそう言ってくれたけど内心少し悔しいんだと思う。負けず嫌いなとこがあるからなキルアって。でもオレを気遣ってこんな言い方をしてくれたんだ。感謝しなきゃね。

 

「ありがとキルア」

「そう思うならポップコーン奢ってくれ。前にアイシャが食ってたのを思い出したらオレも食べたくなってきた」

「あはは、じゃあ2人分買ってくるよ、飲み物は?」

「炭酸系で頼む。でもDr.ペッパーは勘弁な」

 

 笑って頷きながら売店へ買いに行く。……Dr.ペッパーって何だろう?

 

 

 

 2人でポップコーンを食べつつ待つこと10分。そろそろ試合開始の時間が迫ってきた。

 

『皆様大変お待たせいたしました! 間もなく本日の第一戦、ギドVSクラピカが開始いたします!! 両選手の入場です!』

「お、ようやくか」

「クラピカだ! 頑張ってねー!!」

 

 声が聞こえたのかこっちを見て手を上げてくれた! それに応えようとオレも手を振ろうとしたんだけど――

 

“キャアアアアアアアァァァァァァァ!!”

 

 ……周りの歓声が大きすぎて思わず耳を塞いじゃった……。なにこれ? どういうことなの?

 

「っるせぇ! 何だこりゃ!?」

「オレも分かんないよ!」

 

 大声で話さなきゃキルアにも声が届かないよ。今日は女性の観客が多いなとは思っていたけどこんなに沢山の声援が飛ぶなんて思ってもいなかった。

 

『凄まじい歓声です! それも仕方ありません。クラピカ選手はこの天空闘技場では珍しい程の美形! 逞しい男性が多いこの闘技場に置いて線の細い肉体と女性にも見間違えられる程の美形が相まって女性客の心を掴んでいるようです! 斯く言う私も実は200階に上がる前から目をつけておりました』

「何でいきなりカミングアウトしてんだよ!」

「クラピカって人気なんだね」

 

 クラピカはカッコイイから女の人に人気が出るのは分かる。でもこんなに騒がれるとは思わなかったよ。

 

『200階では初の試合となるクラピカ選手! 200階に上がるまでは何と一敗しかしておらず、その一敗も相手の攻撃を一度ガードした瞬間に負けを宣言するというもの! 他の試合では2分間攻撃をせず、相手の全ての攻撃を躱し残りの時間で勝利するという、圧倒的実力差がなければ出来ない所業をやってのけました! 狙ってやっていることは明白! 此度の試合でも同様の戦い方をするのでしょうか!?』

「まあそりゃ狙ってやってることはバレるわな。むしろ分からなかったらどんだけ節穴だよ」

「でも200階の試合でも同じことをするのかな?」

「さあな。……それより気づいたか? クラピカのオーラ」

「うん、まだ纏の状態なのに凄い力強さを感じる……。オレ達の纏なんて比べ物にならない」

 

 念を覚えたのはオレ達よりも遅かったのにたったの2ヶ月でこんなにも前を歩いている。すごいやクラピカ! きっと凄い修行をしたんだろうなぁ。

 

「ちくしょう! すぐに追いついてやるからな!」

「うん! オレだって!」

 

 そうだ。オレ達だって修行しているんだ。先に進まれたけど、たったの2ヶ月なんだ。きっと追いついてみせる!

 

『対するギド選手は闘技場ですでに8戦。ベテランと呼べますが戦績は5勝3敗とすでに後がない! この一戦で天空闘技場での運命が決まってしまいます! 落とすわけにはいかない一戦です!』

「ま、アイツ程度に苦戦することもないだろ。新人狩りの連中はどいつもこいつも弱いからな」

「うん、絶対にクラピカが勝つよ」

 

 そう断言出来る程に安心感すら与える程のオーラを纏っている。心なしかギドも怖気づいているみたいだ。

 

「始まるぜ。今のオレ達とクラピカの差を良く見ておくんだ」

「うん」

 

 この2ヶ月でどれだけの差が付いたのか。見させてもらうよクラピカ!

 

『始め!!』

 

「オレには後がないんだ! 様子見などせん、喰らえ! 【散弾独楽哀歌/ショットガンブルース】!!」

 

 アレはオレとの戦いで放った能力! でもオレに使った時よりも独楽の数が多い! でもその分威力は下がっているみたいだ。独楽1つ1つのオーラが少ない。クラピカのオーラなら練で防げるはず!

 

「ふっ!」

 

 練で防ぐ、もしくは回避すると思っていたけどクラピカの取った行動は違った。

 全ての独楽を右手に持っていた鎖で弾き落とした! 凄い! あれだけの独楽を鎖1本で全部防ぐなんて! オレも出来たかもしれないけど、クラピカの時よりも独楽の数が少なかったしね。

 

「鎖? あんなの持ってたかクラピカ?」

「ううん。前に持っていたのは2本の木刀をそれぞれ紐でつないだヤツだったよ」

「新しい武器か? 何で鎖なんだ?」

 

 分からないけどきっとクラピカには考えがあってあの鎖を武器にしたんだと思う。クラピカが意味のないことをするとは思えないもん!

 

「クソッ! だがここからが本番だ! 死の舞踏を舞うがいい! 【戦闘演舞曲/戦いのワルツ】!!」

 

「馬鹿だなアイツ。さっきの技もそうだけど、ゴンに効かない攻撃が今のクラピカに効くわけないじゃん。どうせなら独楽の数を少なくして1つの独楽に籠めるオーラを多くすりゃいいのによ」

「うん。でもそれだときっとクラピカには当たらないよね」

「そういうこと。どちらにしろ詰んでるよアイツは」

 

 そうキルアと話しながら観戦をしていると闘技場の様子がおかしかった。何時まで経っても独楽は廻らず、クラピカに弾き落とされたままの状態から動いていなかった。

 

「これは! ゴン! 独楽の先端を良く見てみろ!」

「え? ……独楽の先端が全部折れてる!」

 

 あれじゃ独楽が廻るわけがない! あの一瞬であれだけの独楽を全て弾いただけじゃなくて先端を全部折るなんて!

 

「ば、馬鹿な……!」

「まさか、あれで終わりなのか?」

「くっ!」

「……どうやらただ独楽を強化しただけの能力のようだな。操作性も悪く、強化に回していたオーラも少ない。数を多くしたのが仇となったな」

「黙れ! これならどうだ! 【竜巻独楽】!!」

『出たー! ギド選手困った時の【竜巻独楽】! この堅牢な回転を崩すことが出来るのかクラピカ選手!』

「くくく、確かにオレの独楽ではお前を倒せないようだが、貴様もオレにダメージを与えることは出来まい!」

 

 追い詰められて竜巻独楽を繰り出したギド。クラピカはアレをどう対処するんだろ?

 オレは釣竿でリングの石版をひっくり返せたけど、鎖ではそれも無理だろうし。

 

「それで終わりか? ……どうやらお前から得るものはないようだな」

 

 そう言いつつ鎖にオーラを籠めてギドに向かって振るうクラピカ。でもそれじゃあの回転に弾かれちゃうんじゃ?

 

「ふん! 無駄なことを! この【竜巻独楽】の前にはどんな攻撃も無――!?」

『な、なんとぉ!? クラピカ選手! 鎖で回転しているギド選手の鉄の義足を打ち砕いたあぁぁぁっ!! どんな威力が込められているんだあの鎖にはぁぁぁっ!? これは勝負あったぁ! 義足が壊されては最早ギド選手に対抗する術なし!!』

「勝者! クラピカ選手!」

 

 やった! クラピカが勝った! 本当にすごく強くなってるや!

 いつかオレも――

 

「おい、ゴン! 早く耳を塞いどけ!」

 

 ――って、え?

 

「どうしたのキル――」

 

“キャアアアアアアアアァァァァ! クラピカくーん!!”

 

「っ!? み、耳が!」

 

 うわ! クラピカへの声援で耳が痛い! そっか、始まる前であんなに声援が凄かったんだから、試合に勝ったらもっとすごくなるよね……。

 

「だから言ったのによ」

「うう、もう少し早く言ってほしかったよ」

「ばーか、それくらい察しろよな」

 

 む~、馬鹿とは何だよ馬鹿とは!

 

「んなことよりクラピカのヤツ、殆んど力を出さずに勝ちやがった」

「うん。凝はしていたけど練も使ってなかったしね」

「あ~あ。やっぱり新人狩りの奴ら弱すぎ! 全然クラピカの実力分かんなかったじゃん! あれくらいオレでも出来るよ」

 

 うーん。オレは無理かな? 独楽の先端だけを全部折るなんてのは。叩き落とすだけならいけると思うけど。

 でもクラピカの実力を知りたいなら……。

 

「あのさキルア。クラピカに聞けばいいんじゃない?」

「あ? 何をだよ?」

「クラピカの実力。聞けば答えてくれるんじゃない?」

「……あー、まあある程度は教えてくれそうだな」

 

 ある程度? 全部は教えないってこと? どうしてそう思うんだろう?

 疑問が顔に出ているのが分かったのかキルアが答えてくれた。

 

「あのな、能力ってのはそう大っぴらにするもんじゃないだろ? 相手の能力を知れば対処法なんて思いつくんだから」

「え? でもオレ達は――」

「友達でも、仲間でも、だ。情報ってのは知ってる人数が少なければ少ないほど漏れる確率は減るんだ。旅団相手に勝とうって奴が簡単に能力をばらしてどうすんだよ。まあそういう意味ではクラピカが天空闘技場で自分の能力を明かす戦いをすることは絶対にないんだろうがな」

 

 ――お前も簡単に能力やら得意系統やらを話すなよ?

 

 そう締めくくるキルア。全く、いくらオレだってそんなに簡単に自分の情報を誰かに言うわけないよ。

 

「クラピカだって必要だったらオレ達にも能力を教えるさ」

「うん、そうだね」

「それはそれとして、この2ヶ月どんな修行をしたかは聞き出すけどな」

「キルア、いい話だったのに台無しだよ……」

 

 でも確かにクラピカとアイシャには色々話を聞きたいな。オレだってヒソカにハンター試験での借りを返す為に強くなりたいんだ。

 最近は2人とも修行でどこかに出かけていたから話す機会がなかったけど、今日は夕食を一緒に取る約束もしたし、その時にたくさん話そうっと。

 

 

 

 

 

 

『素晴らしい実力を魅せてくれましたクラピカ選手! これからの天空闘技場を担う新たな闘士となるのは目に見えているでしょう! フロアマスターになるのもそう遠くない未来かもしれません!』

「クラピカはどうせフロアマスターに興味はないだろうにな。んなことより、そろそろ始まるぞ」

「うん。今日のメインイベント――」

 

『さぁーー! 本日のメインイベント、カストロVSアイシャ!! カストロ選手はあのヒソカ選手相手に善戦しつつも惜しくも再敗を喫してしまいました! ですがその実力に疑いはなし! フロアマスターにもっとも近い男の1人! 虎咬拳の達人!! 此度の試合で晴れてフロアマスターへの挑戦権を得られるのかーー!?』

 

 そう、ヒソカを相手にあそこまで拮抗した実力を持つカストロとアイシャの勝負。正直クラピカには悪いがこれが本命と言っても過言じゃない。

 

「ゴン、この一戦を一瞬たりとも見逃すなよ。カストロ相手にどこまで戦えるのか、この一戦でアイシャの実力が明らかになる」

「……やっぱりキルアもアイシャがすごく強いって分かってたんだね」

「……お前も気付いていたのか」

「うん、何となくだけど」

 

 いや何となくってお前な。勘で分かったのかよアイシャの強さをよ。どんな野生児だお前は。

 

「でもどうしてカストロはアイシャと戦うんだろう?」

「え? そりゃ……アイシャは新人だしな。フロアマスターになるのにいいカモと思った……何てことはなさそうだな」

 

 カストロについて詳しく知ってる訳じゃない。だけど、ヒソカに対する執着と敵愾心を見るとフロアマスターに拘っているとも思えない。

 いやそもそも今回2人が戦うのはたまたまってことも有り得る。アイシャが試合申告をしたのは戦闘準備期間が切れる手前。そのアイシャと戦える日にちにカストロが試合申請をしていたから今日の試合が決定した、とか?

 そうゴンにも話してみるが、ゴンはアイシャが試合申請をしている所を偶然見かけたという。そして見たそうだ。アイシャと合わせるように試合申請をしているカストロを。

 

「多分2人であらかじめ打ち合わせしてたんだと思う。そうじゃなきゃ同じ日に試合日を申請するなんてしないよ」

「お前、良く2人が同じ試合日を申し込んでいたなんてわかったな」

「うん、だってその後2人に聞いてみたんだ」

 

 ……コイツの天然具合を忘れていたよ。よくそんな状況で何も考えずに行動できるな。オレなら穿ってモノを見たり計算や打算を入れて考えるからそんな単純には動けねぇよ。時々羨ましくなるぜコイツの思考回路が。

 

「で、聞いてみたんだけど、どうして2人が戦うのかは秘密ってアイシャに言われた」

「なんだそりゃ? 結局なんにも分かんねぇんじゃねえか」

「だからキルアにも聞いてんじゃん。もう分かってたら疑問に出したりしないよ」

「そりゃそうだ。しかしそうだな、カストロがアイシャと戦おうと思ったのは……アイシャの実力を見抜いたから、とか?」

 

 言ってて何だが正直分かんねぇ。確かにそうかもしれないし、違うかもしれない。分かるのはカストロぐらいだろう。

 

「確かにそれも気になるけど、そんなのカストロくらいにしか分かんねぇだろ? だったら今はこの戦いに集中しとこうぜ」

「うん。そうだね」

 

『対するアイシャ選手! 200階クラスでは珍しい女性闘士! その容姿も優れているため200階に上がるまでに固定ファンが付いている模様です!!』

“アイシャちゃ~~~~ん!!”

 

 ぐ、アイシャもかよ! ウザってぇなこいつら!

 

『なんとアイシャ選手も先のクラピカ選手同様200階以下での試合では2分間相手の攻撃を躱し、その後に勝利を得るという戦法を成していました! かつ、無敗で200階に上がるという快挙をなした程の達人! 見た目に惑わされては痛い目にあうのは間違いなし!! なお、同様の戦法で勝ち上がってきたクラピカ選手と何らかの関係があることは明白でしょう!! 2人がプライベートで行動を共にしているのを目撃した声も多数上がっているようです!!』

“イヤァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!”

“イケメンは死ね!!! 氏ねじゃなくて死ね!!!”

 

「なあ、こいつら全員黙らせようぜ」

「はは、まあまあ落ち着いてキルア」

 

 分かってんだけど何かイライラすんな。静かに観戦してろってんだ。

 

『さあ! 初戦の相手に危なげなく勝ち、晴れてフロアマスターの挑戦権を得ることが出来るのかカストロ選手!! 初戦にして200階闘士最高峰の1人と戦うことになったアイシャ選手! 果たしてその心境は如何に!! 強敵カストロ選手を破って記念すべき1勝となるのか!? 今、審判の合図とともに注目の一戦が始まります!!』

「ポイント&KO制!! 時間無制限一本勝負!! 始め!!」

 

 さあ、お前の実力を見せてもらうぜアイシャ!

 

 

 

 相対する2人。アイシャとカストロは無言のまま向かい合っていた。2人は開始時の位置から一歩も動いていないけどその様相はまさに動と静を表していた。

 

 カストロは動。相変わらず相当量なオーラを練り上げて練を維持している。ヒソカには敗れたけど、今のオレ達じゃ逆立ちしたってかないっこないのは目に見えているな。

 

 対するアイシャは静、一切のオーラを発していなかった。つまりは絶。纏はおろか垂れ流しのオーラすら纏っていない。あれじゃカストロの攻撃をまともに喰らったら死んじまうぞ!

 

 いや、アイツがそんなことを分かっていないわけがない。そうだったらゴンが重傷を負った時にあんなに怒るわけがない。何か考えがあってのことだろう。……それが何なのかは分かんねぇけどよ。

 

 カストロもそんなアイシャに疑問を抱いてるんだろうな。オーラを一切纏っていないアイシャを警戒して前に出ようとしない。

 

「……来ないのですか?」

「何を馬鹿なことを。纏すら行わないとは死にたいのか?」

 

 カストロからすりゃそう見えるだろうな。ギド程度の能力者でも絶状態のゴンを全治4ヶ月(こいつは1ヶ月で治したけど)にまで追い込んだんだ。当たり所が悪けりゃカストロの攻撃力だと確実に死ぬ。良くて五体不満足だろうな。

 オレには出来ない。あんな無防備な状態であんな奴の前に立つなんて。

 

「お気になさらず。私には私の戦い方がありますから」

「そうか……ならば後悔はすまい!」

 

 っ! カストロが仕掛けた! 速い、いやだがヒソカ戦で見せた程じゃない!? 怪我の影響? いや手加減してんのか!?

 

 恐らくは加減してあるだろうカストロの攻撃。その動き、その鋭さは明らかにヒソカ戦の時よりも精彩を欠いていた。手は本来の虎咬拳の形ではなく、浅く固めている。手に纏っているオーラも極僅か。出来れば傷つけずに勝利を、といった魂胆だろう。

 

 だが、カストロの拳がアイシャの腹部に突き刺さろうとした瞬間。思わず立ち上がったオレの、いや、恐らくこの闘技場にいる全ての観戦者の想像を超える光景が目の前に広がった。

 

「ぐっ、はぁぁっっ!?」

 

 ……闘技場が静まりかえっていた。耳に残るのはカストロの苦痛の叫びと、カストロがリングの床に倒れ伏した音のみだった。

 あまりに想像と違った光景が目に映った為か、審判もポイントの宣言をしねぇし、実況の女も何も言わねぇ。

 

 ……いま、何が起こったんだ?

 

「く、クリティカルヒットォ!&ダウン! ポイント3-0アイシャ!!」

 

 ようやく判定を宣言した審判に合わせて歓声が拡がる。

 

『こ、これは一体どういうことだぁぁぁ!? 攻撃をしたと思ったカストロ選手がいきなり吹き飛んでいるぅぅ!!』

「おい、見えたか!?」

「見えなかった! カストロの攻撃が当たったと思ったらカストロが吹き飛んでいた! アイシャが何をしたのか分からない!」

 

 クソッ! オレと同じか! わかんねぇ! いや違う、何をしたのかは漠然とは分かる! 多分相手の力を利用したんだ!

 だけど見えなかった! カストロの攻撃が当たると思った瞬間! すでにカストロは吹き飛んでいた! 念能力で何かした? いやアイシャは今も絶のままだ。じゃあ技術? それこそ無理だろ? 絶のままで念能力者に、それもあのカストロ相手に技術でどうこうなるのかよ!?

 だが現実にカストロは絶状態のアイシャに吹き飛ばされた。やっぱり念能力を使ったのか? オレが知らないだけで絶のまま念を使う技術や能力があるとか? 分からねぇ!

 

「う、ぐ……いったい何が――」

 

 カストロが起き上がった。どうやらダメージは受けたけど戦闘不能になるほどじゃないみたいだな。だけどカストロも自分が何をされたのか理解していないのか?

 カストロが起き上がろうしていた間にアイシャはゆっくりとカストロに近づいていた。今はもう目と鼻の先にいる。手を伸ばせば触れられる、お互いに攻撃圏内だ。

 この状態から先に動いたのは……カストロだった。

 重心が後ろに下がっている。恐らく一旦距離を取ろうとしているんだろうな。アイシャが何をしたのか分からない今、いい判断だと思った。

 だが――

 

「くっ!」

 

 カストロは後方へとバックステップしようとして――宙を回転していた。

 ……カストロの身体が重力を無視した様に宙を回転し続けている。まるで扇風機の羽根みたいに何回転も回っている。あまりの光景にまたも闘技場が静まっている。オレもゴンも周りの有象無象の観客と変わらず阿呆みたいに呆けていた。

 

 10秒は回転していたか。その間に何回転したかは分からなかったが、ようやく回転が終わった。明らかに意識を失った虚ろな表情をしたカストロが地に倒れ伏す事によって。

 

『……け、形容する言葉が見つかりません……な、何が起こったのか? カストロ選手が宙を回り、そして今……崩れ落ちたぁぁぁぁぁ!!』

「ダウン! ポイント4-0アイシャ!! …………カストロ意識不明、試合続行不可能! 勝者アイシャ!!」

 

 実況と審判の声の後に歓声が響き渡る。何が起きたのか分からなくとも、凄まじい何かが起きたと理解出来たんだろうな。

 何はともあれ結果だけを見ると、初参戦の少女があのカストロ相手に何もさせずに圧勝した。驚愕するには充分な要素だ。

 だがオレ達にとって重要なのはそこじゃない!

 

「……強い」

「……うん。何も分からなかった。どうして念を使わずにカストロを倒せたのかも、カストロが吹き飛んだのも……アイシャが念を使わなかった理由も」

 

 そうだ。あの戦い方には違和感を感じた。あれだけ念の危険性をゴンに説いていたアイシャが、念を使わずに念能力者と戦うなんて。

 ここに来て実力を見せるのも分からない。何か思惑があるのか? それとも今まで見せる機会がなかっただけか?

 

「取り敢えずビデオを買っておこうぜ。ヒソカん時みたいにビデオで見れば分かることもあるはずだ」

「そうだね」

 

 クソッ! 予想以上に遠い。念能力だけの問題じゃない、根本的に技術で劣っている! 身体能力じゃ大差はないはずなんだ。でもあの動きを見切ることが出来なかった。圧倒的に技術に差があるってわけかよ……。

 

 いいぜ。今はオレ達が弱い。だけど絶対に追いついてやる! まずはクラピカからだ。2ヶ月で差が出来たけど、逆に言えばまだたったの2ヶ月だ。追いつけないレベルじゃない。

 

「ゴン」

「うん」

「強くなろうぜ」

「うん!」

 

 そうと決まればさっさとビデオを買って部屋で研究だ。夕飯までは時間があるしな。

 

 

 

 

 

 

 ……………………………私は、いったい…………………?

 

 ……何が、起こった? どうして私は寝ていたんだ? 寝る前に何をした? 思い出せない……。

 

 ここは……医務室?

 何故医務室にいる。怪我をした覚えはない、意識を身体に拡げてみるがどこにも不調は――

 

「――う、ぐぅ」

 

 いや、あった。気分が悪い、それも尋常じゃない程に。脳が直接揺れている様だ。眩暈と吐き気もするな……。一体なにが……。

 

「気付きましたか」

 

 !? この声は!

 

「り、リィーナ殿! お、ぐぁ」

 

 うう、勢い良く起き上がったものだから眩暈が酷く……。

 

「ああ、横になって安静にしても構いません。今起き上がるのは無理でしょう」

「も、申し訳ありません」

 

 このような体勢で師と話すのは不敬とは思ったが、今の体調では起き上がるのは少々キツイ。ここはリィーナ殿のお言葉に甘えさせてもらうとしよう。

 

「どうやら話をする分には問題はないようですね。水と薬を持って来たのでここに置いておきます。飲めるようならば飲んでおくといいでしょう」

「ありがとうございます」

 

 わざわざ私の為にそのようなことをしてくれるとは。初めて出会った時は想像とは違い気性の荒い女性だと思ったものだが、弟子として付き合ってみると見る目が変わったものだ。

 厳しいが思慮深く、常に冷静沈着で物事に公平な方だった。気品と優雅さを兼ね備えており、その知識の深さも見事なものだった。

 唯一の欠点がリュウショウ師が僅かでも関わった事柄だ。私の部屋の扉を無理矢理こじ開けて羅刹とも思わんばかりのオーラを噴出しながら私を恫喝した時は正直死を覚悟した……。

 

 ビスケさん曰く、“ああなったらリュウショウ先生しか止められない”とのことらしい。

 

「さて、今の気分はどうですか?」

「ええ、少しですが落ち着きました。気分も多少は良くなっています」

 

 覚醒してすぐには酷かった眩暈や吐き気も落ち着いてはきた。だが平衡感覚が狂っているのか、起き上がると少々ふらつきそうだ。先ほどのように急でなければ立つことは大丈夫だろう。

 

「ああ……どうやら記憶が少し飛んでしまっているようですね。私にも経験がございますよ」

 

 そう、懐かしそうな表情で言葉を紡ぐリィーナ殿。……記憶が、飛んでいる?

 そうだ。私が天空闘技場の医務室で寝ていたのはどうしてだ? 寝ていた? いや違う! 医務室で眠りにつくなど有り得ない!

 そうだ……! 天空闘技場! ここは天空闘技場だ! そして私は――!!

 

「どうやら思い出したようですね」

「私は! 私は!! ……私は、負けた、のか」

 

 そう。私はアイシャさんと戦っていたんじゃないか。そして――無様に負けた。

 ぐうの音も出ない程、至極簡単に、あっさりと、いとも容易く、何も出来ぬまま、一方的に……負けたのだ。

 

「どうですか? 敗北の味は?」

 

 敗北の味? 敗北の味ならば知っている。天空闘技場を無敗で200階に登り詰め、最早自分に敵はいない。そう思い上がっていた時にあのヒソカより苦い敗北を喰らった。

 だが! だが!! これほどまでに自らの力のなさに無念の思いを感じたことはない!!!

 

 ヒソカに負けた時は念を知らなかった。負けて悔しい思いはあったが、念能力者と非念能力者の差は大きい。念を知った当時は負けて当然だと思っていた。

 念を身に付けた今ならばそれを磨きあげ、必ずやヒソカに届く、いや追い越せると思っていた。事実2度目の試合では敗れはしたもののヒソカに追従出来る程に私は強くなれた。

 2度目の敗北を受けた時もやはり力不足に嘆いた。だがまだ強くなれる、必ずや追いつき、追い越せると奮起の想いが強かった。

 

 だが今はどうだ。

 あのような少女に無様に負けた。

 念を使っていない相手に、念を使い、何も出来ずに負けた。

 

 何か、言葉に出来ない何かが私の中を駆け巡っている。

 

「憤懣していますか? 念すら使わず戦ったアイシャさんに。己を侮辱するなと」

 

 いや違う。確かにそのような気持ちがないと言ったら嘘になる。だが違う、今の私のこの感情とは。

 

「羨望していますか? 念すら使わずに己に勝ったアイシャさんに。自分もああなりたいと」

 

 ああ、確かにその気持ちは強いな。だが、自身を打ち砕きたいとすら思わせるこの感情にそれは似合わない。

 

「無念ですか? フロアマスターの座を逃すことになって」

 

 無念? 確かに闘技場に来た当初はフロアマスターになりたいと思っていた。だが今はどうでもいい。ヒソカに勝ちたいという気持ちの方が強い。

 それにどうせ私はリィーナ殿に付き従い、風間流の道場を巡る予定だったのだ。フロアマスターなど既に興味は失せていた。

 

「……後悔していますか? 敵を侮り、全力を出さずに負けたことに」

 

 っ!!

 ……ああ、そうだ。後悔しているのだ私は。

 オーラを纏っていない、絶状態の少女を侮った。出来るだけ傷つけずに勝とうと思い上がり、手を抜いて戦った。

 結果はどうだ? 何も出来ず、何が起こったか理解も出来ずに負けた。

 

 初めから全力であったならば!

 負けはしただろう。彼女の実力は私の遥か上。もはや武の極みに達しているのではないかとすら思える位置にいるかもしれない。

 

 だが! こんなに不甲斐ない想いをすることはなかっただろう!

 

「初撃で全力、油断することなく攻撃していればあのように吹き飛ばされることはなかったかもしれません」

 

 そうだ。私は彼女が念能力者だと知っていた。リィーナ殿とはお知り合いとの話も聞いていたし、リィーナ殿より彼女も念能力者だと教えられていたのだ。

 だと言うのに油断。女性だからと、まだ13歳の少女だからと、勝手に侮り慢心した。

 

「油断せず全力であれば。例えば【邪王炎殺拳】を使用していれば、手首を取られ投げられることもなかったでしょう」

 

 そうだ。一撃目の油断の後。彼女に吹き飛ばされた私は何をしていた?

 驚愕に陥り、行動の選択の幅を狭め、後退するという選択しか思い浮かべていなかった。接近されたくないのならば素早く能力を発動していれば良かったのだ。炎による副次効果で相手が近寄りにくくすることは出来ただろう。リィーナ殿が言うように手や腕を取られることもなかっただろう。

 

「いえそれ以前。アイシャさんと私が知り合いだと知っているのだから、試合の前からアイシャさんが風間流の使い手だと予測することも出来たでしょう」

 

 そうだ。2人が何らかの関係を持っているのは明白だった。ならばアイシャさんが風間流の使い手だと予測する事は出来ただろう。

 もちろんその予測を絶対と思うことはない。確証のない予測に全てを賭けるなど出来はしない。だが予測を立てていれば彼女の攻撃にも対処や対応も出来ただろう。混乱も少なくすんだはずだ。

 

「念能力者の戦いに絶対はありません。油断・侮り・慢心、これらで散っていった強者は事欠きません」

「……はい」

 

 気付けば私は涙を流していた。恥ずかしい。強くなったと思い上がっていた己が。思い上がった末、油断した己が。ヒソカに敗れた時の気持ちを忘れていた己が!

 

「此度の試合。申し出たのはアイシャさんです」

 

 俯いていた顔をばっと上げリィーナ殿を見る。涙と鼻水でくしゃくしゃになった顔は隠そうとも思えなかった。

 

「もうすぐここから去る貴方に忘れないでほしいことがあるから、と。そう言ってアイシャさんは貴方との試合に臨みました」

 

 私に忘れないでほしいこと?

 ああ、分かっている。嫌というほどこの身に、心に刻みこんだ。

 

「あの先せ……アイシャさんが。このような観衆の前で貴方に屈辱的な敗北を味わわせた意味、受け止められないとは言わせませんよ?」

「はい。もう二度と! 例え相手が誰であろうとも! 下らぬ自尊に酔う事は致しません!!」

 

 そうだ。これが念能力者の世界だ。老若男女に関係なく、念能力者ならばどのような能力を持っているか分からない。油断は即、死に繋がる。

 ルールに守られた試合とは違う、相手の命を奪おうといかなる手も使おうとする者達が跋扈する世界だ。

 

「よろしい。……ところで体調の方はどうですか?」

「ええ。もう大丈夫です」

 

 軽い脳震盪がしばらく続いていたようだが、どうやらもう収まったみたいだ。ベッドから体を起こし、地に降り立つ。……うむ、支障はないな。

 

「それは良かった。……ふっ!」

「っ!? 何を!?」

 

 リィーナ殿が会話の途中でおもむろに私に向かって手刀を繰り出す!

 咄嗟に身を捩り手刀を躱し、体勢を整える! 一体どうしたというのだ!?

 

「ふむ、どうやら合格のようですね。ここで油断し、この程度の攻撃すら躱せなかったのならば破門にしていたところでしたが」

――ん? 門下生ではないので破門という言葉は正確ではないですね――

 

 などと軽く言っているが正直危ないところだった。この程度と言うが、そこらの200階闘士では避けることなど出来ない程の一撃だったのだが……。

 

「まあいいでしょう。あと2日でここを去ります。今日はゆっくりと休みながら荷物の準備を整えていなさい」

「いえ、持ち運ぶ荷物などたかが知れています。幸いアイシャさんは肉体にダメージを与えずに終わらせてくれたようです。なので本日も修行をお願いします!」

 

 今は体を動かしたい気分だ。じっとして休むなんて出来そうにない。ここで断られたら自分で修行に没頭するだけだ。

 

「ふぅ、いいでしょう。ですが体調が悪いから止めてくださいと言っても止めませんよ」

「はい!」

 

 呆れながらも笑顔を向けてくれたリィーナ殿に着いていく。

 アイシャさん、私に初心を思い出させてくれた貴女に感謝する。私が強くなる事が貴女への最高の恩返しだと信じて強くなろうと思う。

 

 そして必ずやヒソカをこの手で降す! 首を洗って待っていろヒソカ!!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十話

「ここだよここ。ここをスローに、そう、1番遅いので頼む」

 

 アイシャとカストロの試合をビデオで検証する為にウイングの部屋に来たオレとゴン。ヒソカとカストロの試合の時にもここで検証したし、ウイングならオレ達には分からないことも理解し説明してくれるんじゃないか、との期待もあった。

 ……まさかシオンまでいるとは思わなかったけどな。

 

 こいつ、確か天空闘技場から去ったんじゃなかったっけ? 師匠が呼んでるとか何とかでさ。普通にしれっと当たり前のようにウイングの横にべったりくっ付いているんだけど……。

 まあいいか。今はそんなことよりもビデオに集中しなきゃな。

 

 何も見逃すまいとアイシャの一挙一動を注視し、眼を皿の様にしてTV画面を食い入るように見つめる。その結果分かったことはアイシャがとんでもない化物だってことだった。

 

「……マジで絶でカストロの攻撃を利用したのかよ」

「信じがたいですが、どうやらそのようですね」

 

 ひょっとしたら隠を使ってオーラを隠していたのか? と思っていたけど、オレ達はおろかウイングやシオンも凝で隠を確認出来なかったようだ。

 

「ウイングさん達にも見抜けない隠ってことはないの?」

 

 ある意味真っ当な疑問かもしれない。だけどなゴン、それだとこの2人にも見抜けないレベルの隠をアイシャが身に付けているってことだぜ? ヒソカの隠ですらズシでもある程度は見抜けたっていうのによ。

 

「……分かりません。さすがにそれはないとは思いますが。仮にそうだとしてもどちらにせよ……」

「どちらにせよ?」

 

 ああ、言いたい事は分かるぜウイングさんよ。

 つまりは――

 

「どちらにせよ、アイシャはウイングさんやシオンさんを遥かに上回る実力者ってことだ」

「え? そうなのウイングさん?」

「……ええ、そうでしょうね。私ではカストロ相手にオーラを使用せず勝つ自信は欠片もありません。つまりは武術家として私はアイシャさんに劣っています」

 

 若干悔しそうに語るウイング。やっぱりウイングも武人ってことか。普段は飄々としてズボラさが目立つけど、年下の少女に武で劣るとなると悔しいんだろうな。

 

「そして仮にアイシャさんがあの戦いで隠を用いていたとしても、私の凝ではそれを見破れなかった。それは念能力者として圧倒的に格下だということです」

「あ、そっか」

 

 そう。どちらにしてもアイシャがウイング達よりも強いって推測はほぼ揺るがないってわけだ。ヒソカの隠をオレ達は見破れた。かなりのオーラを凝に費やしたけど、それでもオレ達でも格上のヒソカの隠を見抜けたんだ。

 ウイングがアイシャの隠(使用していたらだが)を見抜けないとなると格下なんてレベル差じゃないんだろうな。

 

「ねえウイングさん。カストロの最初の一撃をアイシャはどうやって防いだの? オレには何が起こったのか分からなかったんだけど」

「あれはそうですね。このビデオではアイシャさんが映っている角度が悪く何をしているのかわかりにくいですが、これは間違いなく相手の力を利用した技の一種、合気術と言われる武術の類です。これについてはシオンに聞いた方が早いでしょう」

「うん。まさかアイシャちゃんが風間流の使い手だとは思わなかったけどね」

 

 そう言いながらウイングから解説を引き継ぐシオン。

 風間流って聞いたことあるな。確か剛の心源流。柔の風間流って言われてる程有名な流派だったか? アイシャがその風間流の使い手、ね。アイツ流星街の出身だって話なのにどこでそんな武術習ったんだ? それとも流星街に風間流の使い手でもいたとかか?

 

「風間流?」

 

 ああ、まあゴンならそうだろうな。コイツ世間一般の常識を知ってそうにないし。さすがは野生児だな。

 

「風間流っていうのはね。ジャポンを発祥とした合気柔術の流派の1つで、開祖であるリュウゼン=カザマ様の直弟子の一人であったリュウショウ=カザマ様が世界全土に広めた流派だよ。自慢じゃないけど武術界に置いて知らない人は殆んどいないんじゃないかな!」

「いや自慢にしか聞こえないぞ?」

 

 めっちゃドヤ顔だったぞ今。確かに風間流は繁栄しているけどさ、別にお前の手柄じゃないだろ?

 

「それでね、合気柔術には相手の力を利用したり、関節や人体の仕組み、人間の反射や心理を利用した技が多いの。リィーナ様……あ、私の師匠ね。その方なんか指1本で大男を投げ飛ばすんだから!」

「相変わらず話を聞かねぇ女だなおい」

 

 オレの声はフィルターにでもかかってんのか?

 

「指1本で!? スゴイや!」

「でしょでしょ!!」

「はは、シオンはリィーナさんのことを本当に尊敬していますからね。実際リィーナさん程の実力者は世界でも両の手で数えられる程かもしれませんし」

 

 両の手で数えられる程ねぇ。……表の世界だとそうかもしれないけどよ、裏の世界にはその程度の実力者とかゴロゴロいそうだよな。

 ウチの実家を筆頭にさ。今思えばあそこって念能力者の巣窟なんじゃねぇか? あの家の執事で念を使えない奴がいるとは思えないぞおい。

 

「シオン、興奮するのは分かりますが今は落ち着いてください。アイシャさんが使った技の説明がまだですよ」

「あっと、ごめんね。つい興奮しちゃって……。実は私って興奮すると周りが見えなくなる時があるんだよね」

「ああ良く知ってる」

 

 身を持って味わったよ。もう二度と経験したくないね。とにかくようやく本題に戻ったか。オレが聞きたいのは流派自慢でも師匠自慢でもないんだ。

 

「最初にアイシャちゃんが使ったのは合気の奥義とも言えるモノだよ」

「奥義!」

「何だそれかっこいいなおい」

 

 奥義とか胸がワクワクする単語を使ってくるとはな。くそ、やるじゃないかアイシャめ!

 

「奥義と言うか、理想と言うか。さっきも言ったように合気柔術には相手の力を利用した技が多いから、あれはその最終形の1つと言ったらいいのかな? 相手の突進力、攻撃の威力を利用して力の流れを変えてコントロールし、そこに自分の力を加えて相手にまとめて返す技なんだけど」

「えっと、それってどんな攻撃も跳ね返されちゃうってこと?」

「いやいや、流石にそれはないだろ」

「うん、キルア君の言う通り。言うは易し行うは難しって言ってね、口で言った事を簡単に実現出来たら苦労はしないよ。理想としてはゴン君の言うことが出来ればいいんだけどね」

 

 だけどその奥義とまで言われる程の技法を実戦で使用出来るレベルで身につけているのがアイシャってわけか。

 

「……」

 

 ゴンもその事実に気付いたようだな。さっきまでとは顔付きが違う……って、妙に嬉しそうな顔してんな。

 

「おいゴン、何でそんなに嬉しそうなんだよ?」

「ん? うん……だって、アイシャが凄いってのが本当に実感出来てきてさ。そしたら何か、そう、オレの近くにこんなに高い目標がいると思うとさ、すごく嬉しくなったんだ」

 

 コイツって意外と戦闘狂なとこでもあるのか? ……でも、何となくその気持ちは分かるかもな。

 

「で、シオンさんはアイシャのような合気は使えんの?」

「うーん、出来るとも言えるし出来ないとも言えるね」

「これまた曖昧な答えだな」

「合気と一口に言っても色んな術があるから。それに相手の力量によっては合気も外されるし、アイシャちゃんが使った合気なんて僅かでもタイミングや力のコントロールを失敗したら敵の攻撃をそのまま受けることになっちゃうからね。正直あの戦いを見てて冷や汗じゃすまなかったよ」

 

 まあ合気柔術って武術なんだからそれは当然か。

 空手家にどこまで空手出来るって聞いてるようなもんだからな。出来ること出来ないことは人それぞれか。

 

「それに……いくらカストロがオーラを極端に少なくしていたとはいえ、絶の状態でオーラの籠った攻撃を利用する自信はない。と言うよりしたくない。そもそもあれでアイシャちゃんが無傷なのが信じられないよ」

「? 上手く合気が成功したから無傷なのは当然じゃないの?」

 

 ゴンの疑問ももっともだよな。それが出来るから合気の奥義とまで言われてるんだろ?

 

「あのねゴン君。絶、つまりは一切のオーラを纏ってない状態の身体の防御力なんてどの程度かはキミが良く知ってるでしょ? ゴン君は生身の力だけでギドの独楽を弾ける?」

「あ!」

「そんな状態でカストロの身体に触れて攻撃を逸らし力を利用した。確かにカストロのオーラは少なくなってたかもしれない。でもだからと言って出来るとは思えない。普通は手や腕に多少の怪我を負うよ」

「……考えられる点としては、やっぱりオーラを隠で隠していたってところか」

 

 それなら無傷ですむ理由として1番納得が出来るな。アイシャが隠に長けた能力者だとか、オーラを隠す能力を持っているとも考えられる。それなら今まで念能力者だっていうアイシャの纏すら見た事がないのも頷けるしな。

 

「もしくは……触れても問題のないように合気を仕掛けた、とかでしょうか今考えられるのは」

「どういうことだ?」

 

 オーラを纏った攻撃に触れても問題のない合気の掛け方ってどうやんだよ?

 

「いくら身体をオーラで覆っているからと言っても、触れるだけでダメージを受けるわけではありません。動いていない肉体とそのオーラでは相手を攻撃できないのは道理。威力を出すには速度が必要です」

 

 まあ当然だよな。身体を覆うオーラはあくまでその身体を強化する為のモノ。身体を覆うオーラそのものにただ触れるだけではダメージは負わないわけだ。

 例えばゴンが練をしたとして、動いてさえいなかったらオレが絶状態で触っても痛くも痒くもないわけだ。強い圧迫感は感じるかもしれないけどな。

 

「だけど攻撃をしているカストロ相手にアイシャは合気を掛けたぜ?」

 

 そう、あの時のカストロは動き、攻撃をアイシャに繰り出していた。既に前提の条件は崩れている。

 

「攻撃時とはいえ身体の全ての箇所が動いているわけではありません。いえむしろ攻撃時だからこそ動いていない箇所があるでしょう。そこを狙えば……」

 

 ……まあ、出来なくはない、のか? 合気でどこまでのことが出来るのかにもよるだろうけど。殴る時に動いていない箇所に対して合気を掛けられるモノなのかも分からないしな。

 

「もしくは……カストロの攻撃の速度を見切り、その速度と同じ速度で、擦り合わせるようにカストロの身体に触れればあるいは……例えオーラによる防御がなくとも己の肉体を傷つける事なく合気を掛けることも可能かもしれません」

 

 ……ああ、何か映画とかで見たシーンを思い出したよ。あれだろ? 同じ速度で並走する車から車へ乗り移るのと同じ理屈だろ? ねえよ。

 

 ……まだ前者の説明の方が説得力ある様な気がするな。

 ウイングも自分の言ってることがどれだけ至難の技か理解しているんだろうな。自分で言ってて自信なさげな表情をしてるよ。

 

「これ以上の考察は出来そうにもありませんね。あらゆる角度から撮られた映像があればもっと検証も出来ますが……」

「そうだな。それよりも今は続きを見ようぜ」

 

 今、考えても分からないことに時間を割いても仕方ない。それならば一通りビデオを見てから考えを纏めよう。

 

 そして映像は次の場面、カストロがアイシャから離れようとし、そしてアイシャによって宙に回転させられた所まで進んだ。

 

「改めて観ても凄まじい技量ですね」

「うん。完全にカストロの心理と動きを見切っているね。風間流の技量もだけど、戦闘においての『観』が凄いね」

『観?』

 

 オレとゴンのセリフが完全に重なる。観って、観察の観のことか?

 

「平たく言えば観察眼の事だね。人間である以上動作には必ず起こりがある。殴ろうとするなら手よりも腕、腕よりも肩が先に動く。相手の全体を『観』て考えるよりも感じる、それによって敵の動きを予測し予想する。リュウショウ様のそれは最早未来予知に匹敵するってリィーナ様が言ってたよ」

 

 相手の動きや心理を読んで行動を先読みするのか。確かに熟練した達人にはそういった事が出来るって聞いたことはある。オレにだって経験はあるし、格下相手なら可能な行為だ。

 つまりはアイシャにとってカストロは格下ってことか。ま、戦闘の結果を見れば明らかだけどよ。

 

「合気柔術はさっきも言ったように相手の心理や反射とかを利用した技が多いから、風間流ではその『観』を養うのも重要な修行の1つとして数えられているね」

 

 ああ、懐かしいな。ウチの家でもそうだったな。相手を良く観て実力や弱点を把握しろ。その結果、勝ち目のない敵と分かったら絶対に戦うな。あのクソ兄貴に良く言われたっけ……。それに従って、オレはゴンを見捨てて……!

 

 クソッ! あの時とは違うんだ! オレは二度とゴンを! アイツ等を裏切らない! あんな奴の呪縛なんかに縛られてたまるか!

 

「……ルア、キルアったら!」

「――!? あ、ああ! 何だよ」

「何だよじゃないよ。呼んでも返事しないんだもん」

「……わりぃ、ちょっと考え事をしてた」

「大丈夫っすかキルアさん? 凄い汗っすよ?」

 

 どうやら自分でも思っていた以上に囚われていたようだな。ゴン達の声も聞こえていなかったし、気付けばかなりの冷や汗をかいていた。

 

「大丈夫ですか? 体調が悪いのならまた後で検証しますが?」

「いや、大丈夫だよ。さあ、続きを見ようぜ」

 

 こんなことで立ち止まってたら何時まで経っても兄貴を超えられないんだよ。

 心配する皆に感謝しつつも続きを促す。

 

「じゃあ説明を続けるね。この時アイシャちゃんがカストロに仕掛けたのは合気柔術の投げ技だね。これも他の合気と同じで人体の反射や仕組みを利用した投げだよ」

「アイシャがカストロの腕を掴んだと思ったらカストロが回転してる。こんなことも出来るんだね風間流って」

「うん。これなら私でも今見せることは出来るよ。痛くしないように出来るから誰か体験してみる?」

「じゃあオレにやってみてよ! どんなのか経験してみたいし!」

 

 シオンの提案に速攻で乗るゴン。加減もしてくれるみたいだし、まあいいか。オレも間近でどんなのか見てみたいしな。

 

「それじゃ私に手を伸ばしてみて」

「こう?」

「うん。いくよ」

 

 シオンに向かって手を伸ばすゴン。その手首を掴んで技を仕掛けるシオン。シオンが掴んだゴンの手首を捻り、関節を極めようとしている。それに慌てて抗おうとして重心を移動するゴン。そしてその動きを利用されてゴンは見事に宙に舞った。

 

「わわっ!?」

「よいしょっと。はい、大丈夫ゴン君?」

 

 宙を舞ったゴンは綺麗に一回転して足から床へと着地した。

 前言通り手加減はしてくれたようだ。それだけじゃない。恐らく技の起こりや仕組みを理解しやすいようにあえてゆっくりと仕掛けてくれたみたいだな。

 

「うん、全然痛くないよ。でも凄いね! 抵抗したらそれを利用されて投げられちゃった!」

「それが合気柔術の真骨頂だからね」

「アイシャがカストロを投げたのも同じ技なのか?」

「うーん。基本を同じとはするけど、技術のレベルが違うね。なんかもうアイシャちゃんって風間流の極みに達してない? 何であれで投げられるの? 崩しなんてないに等しいのに。……もしかしたらリィーナ様並かも」

 

 シオンでも理解しきれない程の技術で投げたってことか。アイツ本当に13歳なのかよ。オレ達と1歳だけしか違わないなんて思えねぇよ。

 ……オレが1年経ったらアイツと同じ位置に立つことは出来ているのか?

 

「でも1回の投げでこんなに回転するものなの?」

「ああ、それは違いますよ。この時アイシャさんは宙を回転するカストロに更なる加速を促しているのです。いいですか、ここを超スローで再生してみますね。……ここです。この部分を観てください。アイシャさんがカストロの頭を足で刈っているのが分かりますか?」

 

 そう言いながら地面と逆さになっているカストロの頭を指差すウイング。

 ……確かにカストロの頭、より正確に言うならばつま先で顳顬をピンポイントで蹴っている。そうすることで回転の加速を促し、且つカストロの意識を断っているわけか。

 

「……お分かりですか? そう、この時アイシャさんはカストロの顳顬一点のみを正確に蹴っています。さらにはカストロの頭が上空に来た時には顎を正確に叩くことで回転をさらに加速させ、そして……カストロの意識すら断つ。止めは回転とは逆方向から顎に対して掌底。最早完全に意識を空へと手放したカストロは立つことすらままならず気絶しました」

 

 これが、これがアイシャの実力! 絶で念能力者、それもカストロ程の相手に勝つほどの!

 

「ここまですればオーラを身に纏わなくても念能力者を気絶させる事が出来るってわけか」

「ええ。流石に念能力者とはいえ脳をここまで揺さぶられてはひとたまりもありません……。カストロが平常時且つ練を維持していれば、こうはならなかったかもしれませんが」

 

 アイシャを舐めて油断した結果がこの敗北ってことだな。カストロが初めから全力で戦っていれば結果は変わっていたかもしれない。少なくともああも容易くあしらわれることもなかったはずだ。

 ちっ! カストロのバカ野郎! どうせやられるならアイシャの実力をもっと確認させろよな!

 

「ん~。カストロを気絶させるのにアイシャがここまでしたってことはさ。やっぱりアイシャはずっと絶だったんだね」

「あ! そうか、確かにそうだ! 高度な隠を使っているんだったらもっと簡単に気絶させられたはず!」

 

 つまりアイシャは見た目通りにオーラを発さずに戦っていた可能性が高いってわけだ。

 

「まあ、恐らくはそうでしょう。隠をどれだけ極めたとしても凝を完全に欺くは不可能に等しい。ましてや私たち全員の凝とまでなると考えにくいですしね」

 

 私たちなんて言ってるけど、ウイングとシオンを除けば十把一絡げだからな。ウイングが分からなかったらオレ達でも分かんねぇよ。

 

「結局このビデオで分かったのはアイシャが風間流の使い手だって事と」

「アイシャの実力が想像以上に高いって事だな」

 

 少なくとも確実にウイングよりは上だ。あーあ! アイシャに念を教わっているクラピカが羨ましいぜ。オレ達が最初からアイシャに念を教えてもらってたらな~。そしたら2ヶ月の修行禁もなく、今頃はクラピカにも負けてなかっただろうによ~。

 

「ま、終わったことを考えても仕方ないか。じゃあそろそろ時間だな、行こうぜゴン」

「え? どこに?」

「お前な~! アイシャとクラピカと一緒に晩飯食べるって約束してただろ」

「あ! もうこんな時間だ! ごめんねウイングさん、シオンさん! オレ達行ってくるから! ズシもまたね!」

「ったくしょうがない奴だな。そういう訳なんでオレ達はこれでお暇させてもらうぜ。アイシャにあったら聞きたい事が山ほどあるんでな」

「オッス! お2人ともお疲れ様でしたっ!」

「また遊びに来てもいいよ~」

「2人とも、点と纏を忘れずに! 水見式を用いた修行もしっかりとこなすんですよ!」

 

 別れ際に後ろ手に手を振りながら部屋を出て行く。全く、ウイングは心配性だな。それが性分なんだろうな。まあゴンを見ていると心配する気持ちも分かるけどな。アイツ危なっかしいし。

 

 さて、アイシャに会ったら聞きたいことを全部聞いてやる。覚悟してろよ。

 

 

 

 

 

 

 む、靴紐が切れた。不吉な。まるでどこかでプロレスしている超人が死んだかのように不吉だ。

 

 ……何でそんな意味の分からない具体的な不吉さが脳裏に浮かんだんだろう? ほぼ失ってしまったかつての世界の記憶の残滓でも出てきたのかもしれない。プロレスを趣味に持った覚えはないんだけどなぁ。

 

「どうしたんだアイシャ?」

「いえ、靴紐が切れただけです。替えを履いてきますね」

 

 切れたのは仕方ないからさっさと靴を履き替えてこよう。どうせ代わりの靴なんて腐る程……とは言えないけど、かなりの量があるからな。全部リィーナからのプレゼントだけど……。

 

 服装に合った靴を履かなければ意味がないとのことらしい。

 全くもって分からない。長く女性として生きて女性らしさが出てきたのはとても嫌だけど認めよう。だけど女性らしいセンスというのは磨かれていないようだ。こんな中途半端な男女のコーディネートをして何が楽しいというんだろうかビスケは?

 

 はぁ、早く男に戻りたいなぁ。最近男に戻っても女性っぽくなってるんじゃないかって心配になってるんだ……。

 うぐぐ! 嫌だ! 男の体で女口調なんて今以上に嫌だ! どうか母さんの能力が男に戻ったら効果がなくなっていますように! そして能力関係なく私に定着していませんように!!

 

 

 

 他の人には下らない、私にとってはワリと切実な願いを祈っていると天空闘技場にあるレストランの内の1つにたどり着いていた。

 ここでゴン達と夕食を取る約束だったな。私たち200階闘士にはルームサービスがあるからわざわざ外食をする必要はないけど、こうして友達や仲間と一緒に食べるのもいいものだ。違う味も楽しみたいしね。

 

 中には既にクラピカだけでなくゴンとキルアもいるみたいだ。私が1番最後になっちゃったか。どうやら待たせてしまったようだな。

 

「皆ゴメンね! 遅くなってしまいました」

「お! アイシャ遅っせぇ、んだ……よ?」

「大丈夫だよアイシャ! オレ達も今来たとこだからさ。ね、キルア」

「靴紐が切れたのだから仕方あるまい。2人にも理由は話してあるさ」

 

 良かった、ゴン達も今来たとこみたいだ。……なんかこの会話ってデートとかでありそうな定型文みたいだな。

 しかし……キルアはどうしたんだろうか? 何か私に文句を言おうとしたのは分かるけど、その後有り得ないモノを見たかのように固まっているんだけど?

 

「キルア? どうしたんですか?」

「な、な」

「な?」

 

 な? 何だろう?

 な、に続く言葉は……な、なんじゃこりゃー! とか?

 

 キルアの腹を見るも何も刺されていないな。なら大丈夫か。

 

「な、何だその格好は!!?」

「え?」

「ああ、そう言えばお前たちは初めて見るんだったな」

「アイシャ! 可愛いね、すごく似合ってるよ!」

「あ、ありがとうございますゴン。……でも服装の事はちょっと恥ずかしいのであまり言わないで下さいね」

「ええ? どうして? こんなに可愛いのに」

 

 うう、ゴンは天然も入ってるしこんな時に嘘や適当な事を言わない性格だろう。だからこのセリフも100%本気で言っていると分かるから尚更恥ずかしい……。

 本心をストレートにぶつけてくるから良くも悪くも人に影響を与えるんだろう。だからゴンは人を惹きつけるんだろうな。

 

「お前は受け入れんのがはええなおい! アイシャだぞ!? あのアイシャが! 万年運動着のアイシャが! まるで女が着るようなフリフリのドレスを着てるんだぞ!? どうして驚かないんだよお前もクラピカも!?」

 

 万年運動着とは失礼な! まだ出会って1年も経ってないのにどうしてそう断言出来る!

 まあそうなんですけどね!!

 

「え、でも似合ってるからいいじゃん。アイシャは可愛い女の子なんだしさ、着飾っても不思議じゃないでしょ?」

 

 こ、この子は天然の誑しなのか? 素でスラスラと口説かれているみたいだよ……。ああ、顔が真っ赤になっているのが分かる。

 いかんいかん! 私は男に戻る。私は男に戻る。私は男に戻る。よし、自己暗示終了。

 

「お前よくそんな台詞がペラペラと言えんな……。もしかして意外と経験豊富なのか?」

「経験? 女の人とデートとかなら結構した事あるよ」

『え?』

 

 自己暗示で精神を落ち着かせた私を簡単に揺さぶる言葉がゴンから聞こえたんだけど?

 

「まあミトさん……あ、オレの母親代わりの人ね。ほとんどがそのミトさんが相手だったけどね」

「……どちらにせよ、それ以外の女性ともデートをしたことがあるというわけか」

「うん。オレの故郷のくじら島には女だけの漁船もたまに来るんだ。その中に年下じゃなきゃダメって人がいてね、街についていったりして色々と教えてもらったんだよ」

『い、いろいろ……!?』

 

 相次いで訪れる驚愕の新事実に衝撃を受けている私とキルア。も、もしかしてゴンってそっち方面では私よりも経験が上なんじゃ?

 たかだか十余年程度の子に劣る恋愛経験……。前世の私は何をしていたんだ修行ですね分かります。

 

「って言うかクラピカは全然驚いてないな。普通驚くだろ? アイシャの服装も、ゴンの衝撃の発言もよ」

 

 そう言えばクラピカは私たち程驚いていなかったな。正確には驚いていたけど、それを上手く外に出さなかったといったところかな?

 

「ああ、そうだな。……最近驚く事が多くてな。慣れてしまったよ」

 

 ああ! クラピカが何か悟りを開いたかのような表情になっている! いや違う! これは全てを諦めた人の顔だ! 一体クラピカに何が有ったっていうんだ?

 最近はずっと一緒にいるから変化が有ったら分かると思うんだけど……? ここしばらくは修行漬けだったしなぁ。うーん……分からん。

 

「何故か激しくアイシャにツッコミたいのだが?」

「え? 何故に?」

 

 解せぬ。

 

「ふぅ、まあいい。ちなみにアイシャの服装に驚かないのはもう見慣れているからだ。初めて見た時は驚いたものさ」

「見慣れてる? これをか!?」

「ああ。何というかまあ……色々あってな。ここ最近はアイシャは女性らしい服装を着るようになったんだ」

 

 色々の部分は本当に色々あったからなぁ。私にとってもクラピカにとってもあまり思い出したくない出来事だ。疲れた顔をしている私たちに何か思うところがあったのか、キルアのそれ以上の追求はなかった。

 優しさが辛い。

 

「まあ、それはいいけどよ。……アイシャはこれからそういった服を着るようにしたのか?」

「いえヨークシンに行く頃には絶対に元の服装に戻します。絶対にだ」

「お、おう。……レオリオには黙っておいてやろう」

 

 何故そこでレオリオさんが出てくる? 分からん。

 うーん、人生経験多いと思っていたけど、意外と分からないことは多いなぁ。

 

「アイシャは今の服装って嫌なんだ? 似合ってるのになぁ。でも前の運動着も健康的で良かったと思うよ! アイシャってすっごく綺麗だからどんな服でも栄えるしね!」

「……一度ゴンにこういった知識を与えた人に色々と問い詰めたいですね」

「奇遇だな、オレもだよ」

「気が合うな、私もだ」

 

 純心無垢なゴンに何を植え付けたかと小一時間説教をかましたい気分だ。

 

「じゃあさ! 皆で一緒にくじら島に来ない? 綺麗な自然に囲まれたいい島だよ。魚も美味しいし。それにオレの家族も紹介したいしさ」

「ああ、興味あるな」

「それは……だが」

「そうですね、いいかもしれません。……クラピカ、たまには息抜きも必要ですよ」

 

 修行漬けにした私が言うのも何だけどね。でもそろそろ一度休息期を与えてあげたかったとは思っていた。ビスケの能力でいくら肉体的に疲労が回復しているとはいえ、精神的な疲労はそう簡単になくなるものではない。かなりのハードスケジュールで修行内容を詰め込んでいたからね。息抜きもしないと心が滅入ってしまうだろう。

 

 私の場合は全力で修行を楽しんでいたから精神的な疲労なんてこれっぽっちも感じていなかったけどね。疲れ果てて指1本動かなくなってから泥のように眠る。これが何よりの楽しみだった。

 今考えると狂気の沙汰としか思えない……。【絶対遵守/ギアス】、恐ろしい能力だった。

 

「……分かった。そういうことならお言葉に甘えさせてもらおう」

「ええ。くじら島を観光している間は基礎的な修行のみにしましょう」

「あ、修行がなくなるわけではないんですねそうですか分かりました」

 

 おや? またもクラピカが全てを諦めた顔に?

 

「まあ、ゴンの故郷に行く話はまた今度まとめとくとしてだ。……クラピカのこの様子といい、お前等どんな修行をしてんだよ?」

「うん、それはオレも聞きたい。クラピカは本当に強くなっていた。オレ達じゃ想像も出来ないくらいに」

 

 ふむ。どんな修行ときたか。正確に教えて今の時点で真似されても困るからぼかしながら説明しよう。

 

「そうですね。適度な運動と――」

「適度? 血反吐が出ない日はないんだが?」

 

 ……。

 

「適切な修行法に――」

「適切? 用量を守れと市販の薬にですら書かれていることだが?」

 

 ……。

 

「そして程よい組手――」

「程よい、か。一体いつになったら気絶しない日が来るのだろうか」

 

 ……。

 

「……そうですね。くじら島で修行を軽くする分、それまでの期間は修行の密度を上げましょうか」

「ゴン、くじら島へは明日から行くことにしないか?」

「アハハ……」

「クラピカがここまでキャラを失う程の修行……そこまでしないと強くなれないのか……!」

 

 全く失礼な! ビスケがいる分、私がしていた修行よりもまだマシだというのに!

 

「まあ冗談はさておき……私が受けている修行を聞いて自分達にも適用しようと思っているのだろうが、今のお前たちでは無理だな」

「何でだよ! アイシャならともかく、修行を受けている立場のクラピカが判断することじゃないだろ!?」

「いえ、私も同意です。クラピカが行っている修行は今のアナタ達にはまだ早い」

「な!?」

 

 クラピカに食いかかるキルアに対して冷たい言葉になるが、クラピカに同意する旨を伝える。

 だがそれは仕方ないことだ。今のキルアとゴンはまだ基礎を固めている段階だ。点と纏を日々こなし、よりオーラを増大・安定させなければクラピカがしている修行を受けてもあまり効果は見込めないだろう。

 2ヶ月というのは短い期間だけどこの3人の才能はまさに珠玉。たったの2ヶ月で凡才の数年以上の成長をしているだろう。

 

 だからこそ2人が受けた2ヶ月の修行禁止期間が大きい。

 日々の点は欠かしていないからオーラは淀みなく安定しているが、まだ力強さが足りていない。あとしばらくは点と纏のみに費やすべきだ。

 

「焦らないでキルア。あなた達は私が知る者の中でも比類なき速度で成長しています。ですが、何事に置いても前段階という物があります。今はまだ点と纏を日々こなして下さい」

「私も始めの内は修行の大半が点と纏だった。基礎をしっかりと築いていないと後の修行に響く事になるだろう。今のお前たちが私と同じ修行を受けると……死ぬかもしれん」

「……分かったよ。しばらくは点と纏に集中しておく。ただし! それが合格点に達したら絶対に修行を教えてもらうからな?」

「それは勿論です」

 

 と言っても今の感じだと2~3週間もすれば充分だと思うけどね。クラピカもそうだけど、成長早すぎて師としては楽な分、育てる面白みはないかもしれない……。

 こう、何というか、覚えの悪い弟子を徹底的に修行して達人にまで育て上げてみたい。私自身凡人だからね。やっぱり天才よりは親近感も沸くし。

 

「う~、でも早くクラピカみたいに強くなりたいなぁ。ヒソカには絶対に試験の時の借りを返すんだ!」

「そう言えばヒソカとはいつ試合をするんですか?」

「7月10日だよ」

 

 あと4週間もないのか。今は恐らく練、と言うよりも水見式の系統別変化をより強く発現させる為の修行かな?

 恐らく、いや確実にヒソカには勝てない。今のゴンは圧倒的に何もかもが足りないからだ。だけど……ヒソカが遊んでいる内ならば一矢報いるくらいなら出来るかもしれない。

 

「ヒソカは強いですよ?」

「分かっている。今のオレじゃ勝てないことも。でも、だからと言ってここで退きたくない」

 

 強い。とてつもなく強い確固たる意思を乗せた眼差しで私を見つめてくる。こうなったゴンを説得する事は無理だろう……。

 仕方ないか。ヒソカもゴンを殺すことはしないだろうし。アイツはどうも敵を太らせてから食べるタイプの戦闘狂だ。今のゴンはまだまだアイツにとって収穫時ではないはずだ。ゴンがもっともっと強くなるのはヒソカにも分かっているはずだからな。

 

 ……もしヒソカがゴンを殺そうとした時は、ゴンに恨まれようともヒソカを止める。

 

「ヒソカの能力の対処法は考えましたか?」

「えっと、凝?」

「それだけでは不十分です。カストロの戦いでヒソカが拳で殴るのと同時にあのゴムのような能力を付けていたのを忘れましたか?」

「あっ! そっか、じゃあヒソカの攻撃は全部避けなくちゃいけないんだ!」

「想像以上に厄介な能力だな」

「ああ。防御もダメとなるとどうすれば……」

 

 確かにあの能力は良く出来ている。近接戦闘で敵の攻撃を避け続けるのは至難の業だろう。さらに今回は相手が格上の存在だ。ゴンではヒソカの攻撃を全て避けるのは不可能だ。

 

「大丈夫。防御が無理だったら前に出るだけだよ!」

「それは……」

 

 ゴンだとそれが最善の戦法だろう。回避も防御も無理なら攻撃に転じるしかない。でもそこでそういう発想にすぐに至れるのは正直すごいと思う。一度決めたら迷うことなく前に進めるのはゴンの長所だな。

 もっとも、それが短所になる場合もあるけど。

 

「ところでそろそろご飯注文しない? オレもうお腹ペコペコだよ」

「あ、そういや忘れてたな」

「……思い出したら急にお腹が空いてきました。早く注文しましょう!」

「そうだな。この呼び鈴を鳴らせばいいんだな?」

 

 ウェイターを呼び各々好きに注文をする。

 よほどお腹が減っていたのか、ゴンとキルアはかなりの量を注文していた。ここって結構なお値段のレストランだけど、まあ天空闘技場で億単位で稼いでいるから問題はないだろう。斯く言う私もゴン達に負けないくらい注文しているしね。

 

「……よくそんなに食べれるモノだな」

「クラピカは少食なんだね」

「私は極一般的な食事量だ。お前たちが食べ過ぎなんだ」

「え? ……まあ、昔よりは多く食べるようにはなりましたね」

 

 リュウショウの頃だとこんなには食べられなかったな。歳も関係あるかもしれないけど。

 あとは……10年ばかり母さんのミルクとガムくらいしか食べるモノがなかった反動かもしれない。とても美味しかったけど、やっぱりそれ一辺倒だとどうしても他の食べ物が恋しくなるものだ。

 

「それじゃ遅くなったけど、2人とも今日の試合はお疲れ様! 凄かったよ! クラピカはすごく強くなっているし、アイシャは想像以上に強かった!」

「ああ、ありがとう。私がここまで強くなれたのはアイシャのおかげだがな」

「ありがとうございますゴン。クラピカが強くなったのはあなたの才と努力の賜物ですよ。それは自信を持ってもいい」

 

 私がいなくてもクラピカならいずれ達人の領域に辿り着くだろう。私がしたのはその後押しにすぎない。

 

「クラピカはまあいいとしてだ。アイシャ、お前なんであの試合であんな戦い方をしたんだ?」

「絶で戦った事について、ですか?」

「当たり前だろ? こればかりは答えてもらうぜ」

 

 ああ、やっぱりそこは追求されると思っていたよ。まあ仕方ないか。あれだけゴンに念の恐ろしさを語っておきながら、自分はオーラを使わずにカストロと試合をしてたら話にならない。

 さらには私が試合中に使った技術についても気になっているんだろう。もっとも、ウイングさんやシオンに話を聞いていたら私が風間流の使い手だともう分かっているかもしれないけどね。

 

「私がカストロさん相手に絶で戦った理由は……カストロさんに忘れてほしくないことがあったからです」

「忘れて欲しくないこと?」

「……! もしかして油断のことか?」

 

 さすがキルア、頭の回転が早いな。

 そう、私は彼に油断大敵という言葉を刻み込んでほしかった。彼は必ずや大成する。それだけの才能と努力を忘れぬ信念を持っている。

 

 でも彼は慢心しやすい傾向が見られた。私がそれを知ったのはカストロさんとヒソカが初めて戦った試合のビデオを見た時だ。ヒソカ相手に戦うであろうゴンの為に少しでもヒソカの戦力を見極めようと思ってしたことだったが。

 そのビデオではカストロさんは自信に溢れた表情で闘技場に現れていた。200階まで無敗で登り詰めた己に絶対の自信を持っていたのだろう。それまでの人生でも壁にぶち当たったことがなかったのかもしれない。でも自信も過ぎると慢心を生み出す。

 

 明らかに遊びで戦っているヒソカ相手にヒットとダウンを奪ったはいいが、興の乗ったヒソカにあっさりと敗れてしまった。

 そこからは念の存在を知り、私の忌まわしき黒歴史を手に入れた事で慢心からは離れていただろう。そうでなければたったの2年、一応の指導書はあれど1人であそこまで強くなれるとは思えない。

 

 だが、一度した事は二度してしまうのが人というものだ。

 慢心を捨て努力したとはいえ、強くなった今もう一度慢心しないとは限らない。だから私はリィーナにお願いしてカストロさんと試合をさせてもらうことにしたのだ。……リィーナがカストロに嫉妬したのは言うまでもない。

 

「油断大敵ね。確かにそれは忘れちゃいけない事だ。でもどうしてアイシャがカストロ相手にそこまでするんだよ?」

「それは……大成するであろう武人が下らない理由で死んでほしくないから、ですかね」

 

 まあそれもあるけど、本当はもう2つ理由がある。

 1つはリィーナの弟子になったからかな。私にとっても孫弟子に当たると思えば少しは手助けをしてあげたいものだ。少々厳しい手助けだったが、あれだけの屈辱を味わえばそうそう油断する事もないだろう。後はリィーナに任せるとするさ。

 この理由は今は教えることは出来ない。まだ私がリュウショウの生まれ変わりだと伝える勇気がない……。

 

 もう1つの理由は……ゴン達のためだ。

 あの試合を通じて、僅かな油断と慢心がどの様な結果を生み出すかを知ってほしかった。自身が経験したことではないが、あれほどのインパクトを与えておけば印象にも残るだろう。油断は即ち敗北への1番の切符なのだと。

 これを言えない理由は……実は恥ずかしかったからなのは秘密である。

 

「ふーん……」

 

 いまいち説得力がなかっただろうか? でも疑問には思えど追求するほどでもないみたいだ。この話題はこれで終わりにしてくれた。

 

「それにしても風間流ってすごいね! アイシャがカストロに何をしたのか全然分からなかったよ。シオンさんにも合気ってのを掛けてもらったけどアッという間に投げられちゃった」

 

 あ、やっぱり分かってたか。どうやらあの2人に教えてもらったようだな。恐らくビデオで私の映像を観て研究でもしたことだろう。

 技術の進歩って嫌だなぁ。あの試合を観て私に警戒心を抱いた人たちはあらゆる角度から私の武術を分析するだろう。分析されたところで生半可なことでは防がれない自信はあるけど。どうせリュウショウの時からされていた事でもあるし。

 

「合気はそれを知らない人だと対処が困難ですからね。初めて受けるゴンなら仕方ないですよ」

「そうだな。私もアイシャと組手をしているが、未だに対応出来ない。これは風間流が、と言うよりもアイシャの技量の高さが成せる技だと思うがな」

 

 それは確かにあるな。今のクラピカなら並の合気の使い手相手なら恐らく合気を外すことくらい出来るだろう。少なくとも負け続けることはないはず。私との組手を通じてクラピカは合気の力の流れを把握してきているし。

 

「しっかしさぁ、アイシャはどこで風間流を習ったんだよ? 流星街に風間流の人間でもいたのか?」

「……いえ。流星街に風間流の人はいません。私が知らないだけかもしれませんけどね」

「それじゃどこで誰に習ったんだ? 流星街を出てからの期間であそこまで極められるモノなのか?」

 

 どこで誰に習った、か。

 私の歳でここまでの合気を身につけているんだ。気になるのも仕方のないことか。

 

「かつて私の理想の武術を探してジャポンへ訪れた時に、その地にいるあるお方に習いました」

「あるお方って?」

「……詳しくは言えませんが、私が『この世界』で最も尊敬している人の内の1人です」

 

 リュウゼン先生と出会わなかったら私はここにいないだろう。この世界における私の父とも言える人だ。いつかは先生のお墓参りにも行きたいのだが……このような未練の塊をお見せするのはいささか心苦しい。

 そういった思いがあるせいか、中々踏ん切りがつかない……。

 

「……分かったよ。お前が言いたくなるまで待つとするさ」

「ありがとう、キルア」

 

 いつかは彼らに私の真実を告げる日が来るだろう。

 その時、彼らにどう思われても仕方のないことだ。覚悟はしておこう……。

 

「それにしてもアイシャってその人の事本当に尊敬してるんだね」

「勿論です。先生に習った風間流は私が誇れる数少ないモノの1つです。心源流と比べてもそれぞれ誇るべきところは違えど、決して劣るモノではないと思いますよ」

 

 私の中のちっぽけなプライド。それこそが風間流だ。これだけは誰にも負けない、負けたくない。【絶対遵守/ギアス】が解かれたとはいえ、今なお修行を続けているのはやっぱりこのプライドを失くしたくないからだろう。

 それにネテロに負け越したままなのも嫌だしな。

 

「己の中に誇れるモノがあるというのは良いことだ。それさえあれば人は前へ進むことが出来るからな」

「ええ、私もそう思います」

「誇れるモノ、か」

 

 クラピカの言葉を聞いて何やら考え込んでいる様子のキルア。

 何か思うところでもあるのか、いや、恐らくは自身の誇れるモノについて考えているのだろう。キルアは暗殺者として育った人生を嫌っている。それは自身の人生のほとんどを否定することだ。

 

 何せキルアはゾルディック家として生を受けたんだ。人殺しが関わらない教育は一切受けていないだろう。だから自分に誇れるモノがないと思っている。人殺しの業などどうして堂々と他者に誇ることが出来る、と。

 オーラの流れが乱れている、表情も曇り気味だ。この推測はそう外れてはいないだろう。

 

「どうしたのキルア?」

「ん? ああ、オレは何が誇れるかなって思ってな。人殺しの技術なんて誇れたもんじゃないし、かと言ってそれ以外には何もないしなぁ」

 

 やっぱりそうか……。

 でもそれは間違っている。キルアには誇れるモノがあると教えてあげたい。私がそれを口にしようとした瞬間、クラピカから呆れた声が響いた。

 

「何を考えているかと思えば……バカなことを言うなお前は」

「んな!? 何がバカなんだよ!」

「誇れるモノがない? 私の誇りの1つにはお前たちという素晴らしい仲間が出来たことがあるのだが……私の独りよがりだったのか?」

「そうだよキルア! オレ達がいるじゃん! オレはキルアと友達になれてすごく嬉しいよ!」

「2人の言う通りです。人と人の繋がりはとても尊いモノなんですよ」

 

 ああ、良かった。この子達は本当に素晴らしい心の持ち主だ。この子達と友達になれて私は本当に幸せ者だ。きっとキルアもそう思えるはずだ。キルアなら過去を悔いるだけでなく、前へ進むことが出来るはずだ。

 

「お前等……そっか、そうだな。悪かったな変なこと言ってさ」

「はは、殊勝な態度のキルアというのも珍しいな。明日は雪でも降るかもしれん」

「んだとこら! 人がせっかく謝ったのにそれかよ!」

「あはは! でもそっちの方がキルアらしいよ!」

「ええ、キルアはそうでなくては」

「ぐああ! もうお前等相手にはぜってぇ謝らねぇからな!」

 

 憎まれ口を叩いたり、冗談を言ったり、馬鹿話をしながら皆で笑い食事を続ける。こうして気を許せあう友がいるのはとても嬉しいな。

 

 

 

「ところでクラピカ。修行の件は冗談ではありま――」

「すいません調子に乗ってました許してください」

「分かればよろしい」

 

 皆の笑いが木霊する。周りのお客には迷惑なのは分かっていたけど、この楽しい空間を壊すことは出来なかった。ずっとこの楽しい時間が続けばいいのに。

 

 でもそういう訳にもいかないようだ。招かれざる客が来た。

 

 

 

「やあアイシャ♥ 部屋にいなかったから探しちゃったよ♣」

『ヒソカ!?』

「……何の用ですか? 見ての通り今は取り込み中ですが」

 

 来るだろうとは思っていた。カストロさんとの試合の最中から凄まじい程の視線を感じていた。隠す気のない程の凶々しい視線がね。

 でもまさかこんな場所にまで来るとは思わなかった。さすがのコイツも一般の人がいる場所ではやらかさないと思っていたけど……。

 

「うん、初めて見たけど似合ってるねその格好♦ 惚れ直しちゃったよ♠」

「あなたに言われても欠片も嬉しくありませんね。さっさと本題を言えばどうですか?」

 

 ゴンに褒められた時は恥ずかしくとも嬉しい気持ちもあったというのに、こいつに言われると怖気が走るな。

 

「さっさと用件すませて帰ってくんない? オレ達飯食ってる最中なんだけど」

「分かったよ。ボクの用件はたった1つ……アイシャとヤリたいのさ♥」

 

 その言葉に私以外の全員が臨戦態勢に入る。

 ……いや、確かに想像通りの用件だったけど、皆のこの反応は予想外だったかな? しかも臨戦態勢に入る速度も中々のモノだった。ヒソカもそれを感じ取ったのかより凶々しさが増してるんだけど?

 

「これはこれは……♣ 予想以上に成長しているようで嬉しいよ♠」

「お前と次に戦うのはオレだろ! 順番を守れよな」

「あの時の話を忘れたとは言わせんぞ」

「4対1だ。卑怯とは言わないよな?」

 

 クラピカに至っては全力で練をしているし……。あの時の話、か。

 ヒソカと手を組んだという話だろうけど、手を組んだから戦わない、等という考えはヒソカには通じないだろう。

 

「しょうがないじゃないか。あんなに魅せられちゃさ……我慢しようがないだろ♦」

 

 そう言いながらオーラを強めていくヒソカ。あまりのオーラとその凶々しさにオーラを感じにくい一般の人たちさえ怯え、動揺している。

 抑えがきかないくらいに私と戦いたいのか。困った変態だよ本当に。

 

「あなたと戦う気はないのですが?」

「襲いかかられても同じ台詞が言えるかな?」

「ご自由にどうぞ? 護身こそが合気の真髄なので。……何をしようと私はあなたを攻撃しない。あなたが望む戦いはそういうものですか?」

「……」

 

 今にも攻撃しようかというヒソカの動きが止まった。

 私の言葉に嘘がない事を見抜いたんだろう。今のままでは自分が愉しみたい死合が出来ない、と。そして次に来る言葉は恐らく――

 

「ゴン達を殺した後もそう言えるかい?」

「あなたらしくないですね? 今この瞬間の為だけに後の愉しみを自ら壊すつもりですか?」

「……それもそうだ♣ だったら周りの連中を――」

「私を聖人君子か何かだと勘違いしてませんか? そしたらその間に逃げますね。そして今後一切アナタと戦いません」

 

 実際にそうなったらヒソカを止めるだろうけどね。めんどくさいからそんなことは言わない。表情も変えず、オーラにも微塵の乱れも見せない。

 もっとも、今は【天使のヴェール】を使用しているのでそもそも乱れようがないけど。

 

「アイシャ?」

「黙っているんだゴン」

 

 ゴンとクラピカには演技とバレているようだ。私がそんな事をする訳がないと信じきってくれているのか。……キルアはなんか私の言葉に同意したような感じに見えるけどね。

 

「じゃあ、どうしたら戦ってくれるんだい?」

「そんな玩具を取り上げられた子どもみたいな表情で言われても……」

 

 そんなに戦いたいのか!?

 はあ、仕方ない。条件を付けて戦いの場を用意しよう。あまり無視すると暴走しそうだしね。と言うか、実際暴走間際だったよ。

 

「分かりましたよ。あなたと戦う約束をしましょう」

「本当かい――」

「但し条件があります」

「……? 条件? 一体何かな?」

「あなたの先約を終わらせてから、です。いるんでしょう? 何年も前からターゲットにしている男が。それが終わらない限り私はアナタと戦いません」

 

 ヒソカの先約、と言うか先に目を付けていた相手。

 幻影旅団団長クロロ=ルシルフル。

 団長と戦いたいが為だけにヒソカは旅団に入った。いや入ったフリをしている。その為にクラピカと手を組み、旅団をかき回しクロロと1対1で戦える場を作り出そうとしている。

 

 この男は戦闘狂で殺人者だが、単なる殺人狂ではない。自分なりのルールというものを持っている。その1つが強者との1対1での死闘だと思っている。

 ただ強者と戦いたいだけなら、クロロ1人に拘らずに他の旅団とも戦えばいい。常に団長の周りに他の団員が1人以上いたとしても、それを気にせず同時に殺り合えばいい。ただ人を殺したいだけなら強者に拘る必要はない。ヒソカ以下の弱者など世に溢れかえっている。

 

 だが、それはヒソカの真の愉しみには繋がらないんだろう。

 誰にも邪魔されず、自身と、自身を殺しうる相手との2人きりで死合を愉しみたい。

 恐らくそんなところだと思う。

 そうでなくては、ただ殺したいだけの殺人狂であれば、今この状況でゴン達を気にせず私に攻撃しているはずだ。いや、奇襲くらいしても当然だとすら思う。

 

「その条件をクリアしたらボクと戦ってくれるんだね♥」

「1対1。誰の邪魔もない状況で戦うことを約束します」

「……分かったよ。ここはその約束で収まろう♦ それじゃあ用件も終わったことだしボクも夕食を摂るとしようかな。お腹減ってたんだよね♠」

 

 そう言いながら空いたテーブルに備えてあった椅子を私たちのテーブルに持ってくるヒソカ。おい?

 

「ああキミ、これとこれを頼むよ♣」

「か、かしこまりました! しょ、少々お待ちください!」

「遅くなってもいいよ♥ ゆっくり会話を楽しんでいるからさ♦」

「はい!!」

 

 空でも走るかの様に全力で駆けているウェイターさん。そらあれだけの圧力を出していた相手から注文を受けたらそうなるわな。

 ってそうじゃない!

 

『いや帰れよ!!!』

「そうつれないこと言うなよ。ボクとキミ達との仲だろ♥」

 

 こうして楽しい楽しい食事会は最悪のモノになりましたとさ。

 めでたくないめでたくない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十一話 ※

ゴンvsヒソカは原作と変わりがないので飛ばしています。ご了承ください。


 ゴンとヒソカの試合はやはりヒソカの勝利で終わった。予想通りとはいえ、やはりゴンが負けたことは私も悔しく感じてしまう。

 

「取り敢えずは目標クリアか」

「うん。でも、負けちゃった……」

 

 ヒソカに一撃を返すという目標は達成できたけど、やっぱりゴンも悔しさを噛み締めているようだ。実力差がありすぎるから仕方ない、そんな分かりきっている事実があるとしても、負けた当人はそれで納得出来るわけがないよな。

 

「大丈夫ですよ。ゴンならきっとヒソカを超えられます。今回は残念でしたが、これも経験の内と思えばいいでしょう」

「ああ。あのヒソカ相手にいい試合だった。私もうかうかしていられないな」

「そうねぇ。あれで念を覚えて半年すら経ってないなんて思えないほどよ。想像以上に逸材じゃない。こんな原石がゴロゴロしてるなんてアイシャの依頼を受けて正解だったわさ」

 

 どうやらビスケもゴンの才能を見抜いたようだ。さすがはビスケ。人を見る目は確かだな。

 

「ありがとう。でもやっぱり悔しいな。ヒソカは明らかに手を抜いていたみたいだし……」

「それは……そうだな。明らかにカストロとの試合の時よりもオーラ量が少なかったのは確かだ」

「ああ。それだけじゃねぇ。体術でもゴンを必要以上に傷つけない様に急所を避けていたな」

 

 やっぱり手を抜かれていたのには気付いたか。

 まあそれは当然か。ヒソカの実力はカストロさんとの試合である程度は理解していたからね。あれが全力ではないだろうけど。まだ奥がありそうだなヒソカには。

 ……嫌な奴だけど、あいつと戦うのは少しだけ楽しみかもしれない。

 

「それは仕方ないわね。アンタはまだ未熟、磨きだしたばかりの原石よ。相手がどれほど研磨されていると思っているの?」

「ええ。これからですよゴン、そしてキルアとクラピカも。あなた達は念と言う名の山の麓に立ったばかりなのですから」

 

 クラピカもまだ一合にすら達していない。いやそもそも私も何合目にたどり着けたのやら。武の道は永く険しいものなのだ。生涯を費やしても五合にすら届かない者たちは星の数ほどいるだろう。

 だがこの3人ならあるいは……。そう思わせるほどの可能性を秘めている。

 

「そうだね。うん、分かったよ! オレはもっと修行してもっと強くなる! そしていつか必ずヒソカより強くなってみせる!」

 

 その意気や良し! 男子たるもの負けたままではいられないものなのだ! 私もネテロに負けると悔しさのあまり寝食の時間を削って修行したものだ。懐かしいなぁ。よくリィーナに身体を休めるよう懇願されてたっけ。

 

「ところでここですることもなくなったけど、これからどうする? 前に言ってたようにゴンの家に行くか? それとももっとここで修行するのか?」

「今は誰の試合も組まれていませんし、タイミングもいいのでゴンの家に行きませんか? くじら島は行ったことがないから楽しみなんですよね」

 

 リュウショウの時にも、アイシャとしてしばらく1人旅していた時にもくじら島には寄ったことがない。話に聞く限り自然溢れる島のようだ。空気も澄んでそうだし、海と山の幸も美味しそうで楽しみだな。

 

「オレはそれでいいよ」

「それは良かった。実は既に飛行船のチケットを人数分揃えていたんですよね」

「どんだけ楽しみにしてたんだよお前は」

「う、いいじゃないですか楽しみにしてたって」

 

 だって友達の家にお呼ばれしたんだぞ? それがどれほどぶりか分かっているのか? ちなみに私にも分からない。前世で友達の家に行ったのっていつだったっけ? この世界に来る前なのは確かだ。

 ネテロは別枠である。あれは強敵(とも)だからな。親友とは違うのだ。

 

 まあそんなこんなで楽しみにしていたせいで、ついチケットを買っちゃったんだ。

 

「くじら島に行くことは私も異論はないな。むしろ早くくじら島に行きたいものだ。……これ以上修行の増量が続けば本当に死んでしまう。ゴン知っているか? 三途の川にはサボリ気味の女死神の船頭がいるんだぞ」

 

 虚ろな目をしながら語るクラピカ。死神? 船頭? いったい何の話だろう? ……少し詰め込み過ぎただろうか?

 

「(ねえ、これヤバくない?)」

「(え、ええ。どうやら少々修行を盛り過ぎたようです……)」

「(だからあたしは止めた方がって)」

「(いや、私の修行ではあれくらいが……)」

「(先生と一緒にしたら可哀想でしょうに)」

 

「お前はクラピカに何をしたんだ? 軽く痙攣してるぞおい」

「た、タダの修行ですよ?」

「目を逸らさずに言えてたら信じてたかもなその言葉」

 

 くっ、その鋭い指摘、流石はキルア! 素晴らしい才能の片鱗だ!

 

「ねえクラピカ! クラピカってば!!」

「――っは!? 私は何を……?」

 

 あ、クラピカの意識が戻ってきた。

 最近たまにあるんだよね。そろそろ修行のペースを戻そう。クラピカの精神がマッハでヤバい。

 

「オレはクラピカがこんなになるような修行を受けることが出来んのか?」

「……オレも自信がないかな」

「良く分からんがまあそう言うな。一緒に強くなろうじゃないか。……お前たちが加われば地獄が分散されるかもしれないんだ。逃がさんぞ」

「本音ダダ漏れだな」

 

 クラピカ、くじら島ではゆっくりしてってね!

 

「さて、そろそろ飛行場へ行きましょうか。搭乗手続きをすませないと乗り過ごすハメになるわさ」

「そうですね。話は飛行船の中でも出来ますし」

「ああ。飛行船で港のある街へ移動した後にくじら島行きの船に乗るんだったな。以前くじら島に立ち寄ったのはハンター試験会場への道中だったから観光など出来なかったからな、今回はゆっくり回らせてもらうとしよう」

「そうだね。レオリオも一緒だったら良かったのに」

「ははは、レオリオも運がないよなぁ。……で、だ。そろそろ突っ込んでいいか?」

 

「どうしたのよ? 早くしないと遅れちゃうわよ?」

「お前誰だよ!? 何普通に会話に加わってんだよ! オレ達初対面だろうが!! ゴンもいいかげん追及しろや!!」

 

 あ、今更ながらにツッコミが入った。

 ゴンとヒソカの試合が終わって、ゴンと合流する時にビスケも一緒に合流したんだけど、ここまで会話に自然に加わっていたからスルーされているのかと思っていたんだけど。

 

「いや、何か普通に話してたから皆知り合いなのかなぁって」

「ありゃ、そう言えば自己紹介がまだだったわね。あんた達の話はアイシャから何度も聞いていたし、試合も何度か観戦させてもらってたからすっかり忘れてたわさ」

「そうだったな、お前たちは初対面だったか。普通に会話していたから忘れていたよ」

 

 それでいいのかお前ら。言わなかった私が言えたことじゃないけどね。

 

「あたしの名前はビスケ。ビスケット=クルーガーよ。プロハンターであんた達の先輩といったところかしら。今はアイシャの依頼でアイシャの手伝いをしているわ。堅苦しいのは嫌いだからビスケでいいわよ。よろしく」

「オレはゴン。よろしくビスケ」

「……キルアだ。アイシャの手伝いって何してんだよ?」

「修行の手助けですよキルア。彼女のおかげでクラピカが急成長出来たと言っても過言ではありません」

 

 実際私だけだと今の半分の行程も進んでいないかもしれない。回復に掛ける時間があれ程短縮されるのは本当に助かっている。

 ……それがクラピカの無限地獄を生み出しているのかもしれないが。

 

「修行の手伝い? お前が~?」

 

 あれま。ダメだぞキルア、外見に騙されちゃ。念能力者に常識は通用しないと思わないと。こう見えてもこの中で1番年上なんだよ彼女は。

 ビスケさん? 何故こちらを睨むのでしょうか? 私は何も考えていませんよ?

 

「止めておけキルア。ビスケはお前が思っている以上に強い。私は彼女に一度も勝てたことはないんだ」

「はぁ? この女がか?」

「あんなに強くなってたクラピカでも勝てないんだ」

「ま、あんた達とは年季が違うわね」

「いや、お前何歳なんだよ?」

 

 それは当然気になるよな。見た目はゴン達とさして変わらない美少女なんだから。実際の年齢を聞いたら驚くだろうなぁ。まさか50を超えているとは思うまい。

 

「ほほほ、女性に年齢を聞くなんてマナー違反だわよ?」

「取り敢えずオレ達より年上ってのは何となく分かったよ」

「うーん。見た目じゃ全然分かんないや。これも念なのかな?」

 

 長い付き合いになるのが分かっていたのか、今回は初めから猫を被っていなかったからな。この話し方なら年上と見られても仕方ないことだろうさ。

 

「ところでゴンとキルアはくじら島に行った後はどうするんですか? 私達は修行に戻るので、あなた達さえ良ければ一緒に修行したいと思っているのですが」

 

 点と纏も毎日しっかりと行っているようだ。これなら充分修行に付いてこられるだろう。

 

「うん。オレももっと強くなりたい。だからよろしくお願いします!」

「オレも修行させてもらうぜ」

「ではビスケも問題ないですね?」

「ええ。この2人ならこっちから頼みたいくらい。まあちゃんと依頼料は継続してもらうわよ?」

「うっ。……分かっていますよ」

 

 はぁ。何時までこの着せ替え人形状態が続くのだろうか? しかも着替える度に大量に写真を撮られる始末だ。あんな姿を形に残さないでくれ……。

 

「依頼料って? お金がいるんだったらオレが払うよ!」

「ああ。オレ達の為の修行だ。アイシャが払う必要はないだろ?」

 

 ゴン、キルア! そう言ってくれる気持ちは本当に嬉しい。

 でも無理だ。お金で解決することならとっくに私が解決しているんだ……。

 

「依頼料は着せ替えアイシャちゃんなんだけど。……あんた達が代わりになる?」

「ゴメンよアイシャ。オレは……弱い!」

「さて、早く飛行場に行こうぜ。お、丁度タクシーがあった」

「手の平返すのが早いですね2人とも!?」

 

 ちくしょう! 特訓で地獄を見せてやるからな! 覚えてろよ~!

 

 

 

 遅れることなく飛行船に乗り込み空の旅。到着日は3日後なのでのんびりするとしよう。もちろん堅の持続時間を延ばす修行は全員にさせるつもりではあるが。

 

「しかしあれだな。飛行船が便利なのは認めるけどさ、もっと速く飛べないのかよ?」

「それは贅沢というものだろう。何の障害もなく目的地まで一直線に進めるんだ。多少の遅さは目を瞑るしかあるまい」

「オレは飛行船好きだけど。何か高いところってワクワクするし」

「私も飛行船の旅は好きですね。普段観る事の出来ない景観を味わえますから」

 

 個人で飛行船を保有したいくらいだ。いくら位するんだろう? 今度調べておこう。

 

「まあ、それは嫌いじゃないけどさ。もっと速く飛べたら移動時間も無駄にならないだろ?」

「まだまだお子ちゃまね~。旅の情緒ってもんを分かっていないわ」

「うるせぇな。どうせガキだよオレは」

 

 っと、キルアが拗ねてしまった。子ども扱いされるのが嫌いみたいだな。早く大人になりたい、子供扱いされたくない。けど自分が子どもだというのは分かっている。そんな苛立ちだろう。思春期だなぁ。

 あとキルアよ、安心していいよ。移動時間は無駄にはしないから。アイシャブートキャンプは場所を選びません。人生これ修行なんだよ?

 

「まあまあキルア。飛行船が遅いのは仕方ないんですよ。理由があるんです」

「理由? なんだそれ? 遅くなきゃいけない理由ってどんなんだよ」

 

 そう。飛行船の、と言うより航空機系の速度が一定以上にならないのにはある理由がある。それは世界の秘密に関わる。常識ある大人たちの暗黙の了解。社会では習えない世界の真実。

 

「アイシャ、あんたまさか」

「ビスケ。彼らは確かに子どもでしょう。ですが真に資格を得たプロハンターでもある。知る権利はあり、自己が為した結果の責任も彼らにある。全てにおいて子ども扱いする必要はありません」

 

 もちろん彼らが年齢やその精神はまだ成熟した大人ではないことは否めない。だが、一度プロの名を掲げたならばそこから先は自己の責任が問われるのだ。年齢なんか関係ない、それが資格を持つということでもある。

 まあキルアはプロハンターの資格を持ってないけど……まあ、いっか。

 

「……そう。確かにそうね。分かったわ、あなたがそう言うならあたしから言うことはないわ」

「ありがとうございますビスケ」

「いったい何の話なんだ?」

「この世界の真実ですよ」

「世界の真実? なんだそれ? それと飛行船が遅い事に何の関係があるんだよ」

 

 関係はあるんだよキルア。この世界において科学技術は核ミサイルを生み出す程に進化している。それは私の元いた世界と極端には変わらぬ程の技術力だ。

 そんな世界で何故、空の通行が飛行船のみなのか。私の世界では当たり前に存在していた高速旅客機は何故存在しないのか。

 

「それは今から説明します。あなた達は世界地図をご存知ですか?」

「それは当然だろ? そこらで普通に売っているし。誰だって一度は見たことがあるよ」

 

「そうですか。ところでキルア、世界地図とはどのようなものですか?」

「どのようなって……。んなの文字通り世界の地図だろう?」

 

「では、その世界とは?」

「そんなのこの世界にある陸とか海とか、その全てだろ? それ以外に何があるんだよ」

 

 そうだろうな。それが当然だ。世界地図とは文字通りその世界全てを記した地図だ。

 

「キルアの言う通りです。ですが、それでは私は世界地図を見たことはないということになりますね」

「はあ? どう言う意味だよ?」

「……言っている意味が分からないぞアイシャ。キミが流星街の出身だといえ、こうして世界を旅している今、世界地図くらい見たことがあるはずだ」

 

 婉曲な物言いをしてたせいで怪訝な想いを抱いているようだ。大丈夫、今から真実を話すから。

 

「私達の知っているその地図は世界地図ではありません。世界の一部のみを記した地図です。その外側にある世界は一切記されていません」

「外側?」

 

「言葉通りの意味ですよ。私達の知るこの世界地図。その外側にある大きな、内側の世界とは比べ物にならない程に広大な世界の事です」

『!!!?』

 

 世界地図に記された世界は途轍もなく大きな世界の極一部に過ぎない。人類が未だ踏破していないその世界の事を人は暗黒大陸と呼んでいる。

 かつて幾度となく暗黒大陸への進出が成されていたが、その度に人類には大きな災いが降りかかったとされている。それ故か、近代5大陸――通称V5――によって不可侵条約が締結されている。

 

 暗黒大陸へ行くための手段もなくはない。だがそれには様々な条件が必要となる。例え一国の大統領クラスの権力を持っていたとしてもその条件を満たすことは容易くはなく、また果てしない時を費やすこととなる。

 

「――それが世界の真実です。私達が人生を掛けて旅をしても全てを廻りきれないかもしれないこの地図上の世界は――」

「……本当の世界の極一部ってことかよ」

「……すごい。すごいや……!」

「文献や古文書でも見たことも聞いたこともない。まさかそんな世界が広がっていたとは」

 

 3人とも興奮さめやらないといった表情をしている。ゴンやキルアはともかく、クラピカがこうも興奮するとは思わなかったな。クラピカは様々な文献とかを読んでいるみたいだし、知識欲が湧いたのかな? さすがに暗黒大陸の存在を示唆するような物は見たことがないみたいだ。

 

「さて、この世界については話しましたが、飛行船の話とどう結びつくか分かりますか?」

「っ! そうか。暗黒大陸への進出はV5によって禁止されている。だから――」

「速度のある飛行船は作られないってことか!」

「あ、そっか。すごい速さで飛ぶ飛行船があったら、勝手に暗黒大陸まで飛んで行っちゃう人が出てくるかもしれないからか」

 

 そう、その通り。ミサイル等の近代兵器はあるのに、利便性を求めた速度のある旅客機は存在しないのはそのせいだ。開発しようものなら重罪ではすまない刑罰を受けるだろう。これこそがこの世界に置いて高速航空機が発達していない理由だ。

 

 暗黒大陸を初めて知った時は私もさすがに驚いたよ。ネテロと酒を酌み交わしている時に教えてもらったんだったな。この身体になってから酒は呑んでいないけど、成人したら今度ネテロと一緒に呑もう。

 

「いつか行ってみたいな、その世界に!」

「止めときなさいよ。許可取るのにも苦労するし、取れたとしても決められた場所だけを監視付きで見学するだけの体験ツアー程度のものらしいわよ」

「それでも行ってみたい! どんな世界が広がっているのかなぁ。そう考えただけでもワクワクするよ!」

「……そうだな。まさに世界が広がったようだ。これほど好奇心が刺激されたのは子どもの頃にある本を読んだとき以来だよ」

 

 そう呟くクラピカは嬉しそうでもあり、どこか寂しそうでもあった。

 きっと失ってしまった過去を想起しているんだろう。そのオーラには様々な感情が含まれていた。

 

「さて、色々思うところはあるかもしれないけど、そろそろ修行をするわよ。ここではあまり激しい運動は出来ないから、練の持続時間を延ばす修行と凝の修行だけをするわ」

「そうですね。クラピカはともかく、ゴンとキルアはまだまだ下地が出来上がっていませんからね。と言ってもゴンの里帰り中に厳しい修行をするのもどうかと思うので、その2つの修行に重点をおきましょう」

「おす! よろしくお願いします!」

 

「よっしゃ! ぜってぇクラピカを追い抜いてやる! アイシャ! クラピカよりもキツイので頼むぜ!」

「忠告しておくぞキルア。三途の川で船頭を見かけても声を掛けてはいけない。サボっていたらそのままそっと元の道を戻ってくるんだ」

「そんな臨死体験したくねぇよ。て言うか死ぬこと前提かよ」

 

「大丈夫ですよキルア。まだクラピカは死んでいませんから」

「まだって何だよ? ちっとも大丈夫には聞こえねえ……」

 

 本当に大丈夫だって。人間意外と頑丈なんだよ?

 

 そう告げるもゴンとキルアの表情は死刑台に立たされた罪人のそれだった。ビスケすらも頷いている始末。唯一クラピカだけは嬉しそうだ。自分と同じ境遇の者が増えたのが嬉しいのだろうか? ……いや違うな。これは修行時間の割り当てが減ることに対する喜びだな。

 そんなに喜ばなくても修行量は元に戻すというのに。

 

 ……元の修行量でもキツかったのかなやっぱり?

 

 

 

 

 

 

 うーん今日もいい天気。洗濯物を干すのに絶好の日和ね。この空の下でゴンは今なにをしているのかしら。

 ハンター試験に合格したって連絡をくれてから一向に音沙汰がないまま。合格したのはいいけど、危ないことに首を突っ込んでなければいいんだけど……。

 

 はぁ。こんな心配しても無駄よねきっと。だってゴンはジンの息子だもの。きっとトラブルに巻き込まれているわ。ううん、自分からトラブルに飛び込んでいるくらいね。

 ……無事でいるといいんだけど。

 

 そんなことを思いながら洗濯物を干していると、どこからか懐かしい声が響いてきた。……もしかして。

 ある種の確信を持って振り返ると、そこには私に手を振りながら近づいてくるゴンの姿があった。

 

「ミトさーん!」

「ゴン!?」

 

 ああ、やっぱりゴンだ。変わらず元気そうで良かった。少し背が伸びたかしら? 髪も伸びているみたいだし、後で切ってあげなきゃ。

 まったく。帰ってくるなら連絡してくれればいいのに。そしたら食事の材料も良い物を用意したのに。

 

 けど、ゴンの周りにいる人達は誰なのかしら?

 見たところゴンと同い年くらいの少年少女と、少し年上の男性と女性。

 友達かしら? それとも同じハンター仲間? ゴン以外にもこんなに小さい子がプロのハンターになれるものなの? それにこの女性も少女もすごく可愛らしいし、本当にどういう関係なのかしら?

 

「ただいまミトさん!」

「おかえりゴン。もう、帰ってくるならそうと連絡をしてよね。色々と準備だってあるんだから」

「いいよそんなの。それよりも皆を紹介するね」

 

 紹介? やっぱり新しく出来た友達かしら? それとも女の子は実は恋人とか?

 まさかゴンに限ってそんなことは……いえ、よく考えたらゴンって結構デートとかもしてるのよね。

 ジンだって急に帰ってきたと思ったら子どもをこさえていたし、ジンに似ているゴンならあながち有り得ないとは思えないわね。

 

 もし本当にそうだったらゴンにはきっちりと教育をしなおさなくちゃ。いくら何でもこの歳で恋人とか早すぎるわ。くじら島を出てから見知ったはずだから、付き合いもそれほど長くはないはず。そういうのはもっとお互いを知ってからでないと。

 ……けして私に良い人がいないから嫉妬しているわけではないわ。

 

 

 

 そうして皆を紹介されたのだが、私の心配は杞憂だったようだ。ビスケちゃんは違うようだが、他の3人はゴンとハンター試験で苦楽を共にした仲だとか。今ではゴンの掛け替えのない親友だと言っていた。

 

 良かった。このくじら島にはゴンと同い年と言える子はいなかったから。

 唯一年下の子もいたけど、ノウコちゃんは歳が離れすぎていたし、こうして友達が出来ただけでも外に出たのは良かったのかもしれない。

 

 クラピカ君やアイシャちゃんは礼儀正しく、とても荒事をこなすプロのハンターだとは思えないくらい。

 キルア君は少しぶっきらぼうな面もあるけど、ちょっと照れてるだけの可愛らしい少年だしね。

 ビスケちゃんはどうも親友という感じではないようだけど、プロハンターの先輩らしく、色々と教わっているようだ。

 

 どの子もとてもいい子達。ゴンが友達になるのも良く分かるわ。ゴンもジンと同じように人を惹きつける何かを持っているのかしらね。

 

「じゃあご飯の用意をするから。皆その間にお風呂に入ってなさい。船の中じゃ碌なお風呂もなかったでしょ? もちろん女の子が先だからね。ゴン案内してあげて」

「すみません。では、お言葉に甘えさせてもらいますね」

「あっと、ビスケが先に入ってもいいですよ。私は後から入らせてもらいますから」

 

 あら。一緒に入るのが恥ずかしいのかしらアイシャちゃんは? 女の子同士なんだからそこまで気にしなくてもいいのに。

 

「別に私は気にしないわよアイシャ。さあ、時間も勿体ないから一緒に入りましょう」

「いや、あのですね。分かっているんでしょう? 私は――」

「だから気にしないって。それに分かれて入るとゴン達をさらに待たすことになるわよ? アイシャも今更裸の1つや2つ見られても気にしないでしょ?」

「だから私ではなくビスケがですね……」

「はいはい。早く来るの。アイシャの場合髪の手入れも適当にしてそうだから、この際あたしが教えてあげるわよ」

 

 ? 何かビスケちゃんの感じが少し違う気がするけど……まあ、友達だったらそれもそうよね。私を相手には遠慮していたんでしょうね。

 そうしてアイシャちゃんはビスケちゃんに連れられてお風呂へと移動した。……させられたとも言うわね。何がそんなに嫌なのかしら?

 

 さあ、こうしちゃいられないわ。計5人分の食事を作らなきゃいけないんだから。

 ふふふ。普段はおばあちゃんと私の2人分だけだから、こうして他の人の為にご飯を作るのはやっぱり楽しいわね。

 さあ、張り切るわよ!

 

 

 

 

 

 

 ゴンの実家で1泊。昨日は楽しい1日だった。

 ミトさんもゴンから聞いていた通りの人だったし、ゴンの友達のキツネグマからもらった川魚も美味かった。昨日1日は修行もなくゆっくりするって話だったしな。いいリフレッシュになったぜ。

 

 さて、今日から本格的に念の修行に入ると思って気合を入れていたところに、ゴンが不思議な箱を持ってきた。話を聞くと何でもゴンのオヤジがゴンがハンターになったら渡してくれって言っていた物らしい。

 

「なあこれってどうやって開けるんだ?」

 

 見たところ開閉のためのスイッチやとっかかりもない。ちょっと、いやかなり力を込めてみたがびくともしなかった。

 

「ふむ。キルアの力で壊せないとなると、どうやらただの箱ではないようだ」

「だな。鉄箱程度だったら溶接されてても捻じ開けられるしな」

 

 悔しいがクラピカの言う通りだろうな。見た感じでは鉄っぽく感じるんだけど、何か仕掛けでもあるのか?

 仕掛け……ハンターになったら渡してくれ……ハンターになった後に手に入れたモノ……不思議な箱……不思議な力……!

 

「そうかもしかして」

「ああ。念だ」

「念? 念がどうしたの?」

「この箱だよ。ハンターになったら渡してくれってことは、ハンターになった後に手に入れたモノがこの箱を開けるのに必要なんだよ」

「恐らくそうだろう。ゴン、試しにこの箱を持って纏をしてみてくれ」

 

 ゴンが箱を持って纏をすると、今までびくともしなかった箱が急にバラバラになった。ビンゴ! やっぱり念がキーになっていたんだな。

 中から出てきたのはまたも箱だった。まさかこの中にも箱が入っているってオチじゃないよな? もしそうだったらそのジンってオッサンは絶対にぶっ飛ばす。絶対にだ。

 

「この箱を覆っていた物はただの鉄の切れ端だな。材質に特殊なモノを用いたわけではないようだ。……この模様は一体なんだ? 全ての鉄切れに描かれているが」

「これって……ウイングさんがくれた誓いの糸に似たような模様が描いてあったよ!」

「ああ。あれも念を使うと切れるように仕込んでたって言ってたよな」

「誓いの糸?」

 

 ああ。クラピカは知らなかったな。

 かつてゴンが約束を破った時にウイングによって渡された誓いの糸について説明する。

 

「なるほど……つまりこの模様には念と似たような力があるのかもしれないな」

「うん。これって何なのかな?」

「それは神字というものですよ」

『アイシャ!』

 

 何時の間に入ってきてたんだ? お前はミトさんとビスケと同じ部屋で寝てたんだろ?

 

「おはようございます皆。ノックはしたのですが、返事がなく何やら興奮していたようなので勝手に入らせてもらいましたよ」

「おはようアイシャ。部屋に入ったのは全然いいよ。それよりもアイシャってこの模様のことを知っているの?」

「神字って言ったか? 何なんだそれって」

「念の補助をしてくれるモノです。その模様を念を籠めながら物体に描くことで様々な効果を持たせることが出来ます」

 

 なるほどな。今回のや誓いの糸は念を籠めるとパーツが崩れるようにしてたってことか。

 

「へぇ~。まだまだオレの知らないことはいっぱいあるんだね」

「興味深いな。機会があったら学びたいものだ」

「でしたら心源流か風間流に行けばいいですよ。師範代クラスなら習得している者もいますから」

「アイシャは神字を作ることは出来ないのか?」

「簡単なモノなら。でも、専門家には遥かに劣りますね」

 

 アイシャにも出来ないこととかあるんだな。何だか念に関してはこいつに出来ないことなんてないんじゃないかって思ってたよ。

 

「そういやゴン、その箱は開きそうなのか?」

「うん。ここに差し込み口があるから、もしかしたらここにカードを入れるのかも」

 

 そう言って箱にハンターライセンスを差し込むゴン。カチッという音とともに箱がゆっくりと開いていく。そして中に入っていた物は――

 

「指輪とテープと、ROMカードか」

「この指輪にも神字ってのが描かれているな」

 

 どうやらこれも何かしらの効果を持った物のようだな。念には念を入れてうかつにはめないようにゴンに忠告しておく。

 

「じゃあテープを聞いてみる?」

「そだな。あ、ダビングの準備もしといてくれ」

 

 これも念のためだ。相手はかなり用心深そうな奴だからな。念には念を入れても入れすぎにはならないだろ。

 

「ゴンのお父さんが残したメッセージでしょうか?」

「分からん。だがその可能性は高いだろう。……私たちが聴いてもいいのかゴン」

「うん、皆ならいいよ。むしろ聴いてほしい」

 

 そう言ってゴンはカセットのスイッチを入れた。オレ達を信頼してくれているんだろう。言葉の中にはそんな思いがこもっていた。

 

“よぉゴン。やっぱりお前もハンターになっちまったか”

 

 再生されたテープから聞こえてきた1人の男の声。

 ゴンも皆も黙って聴いている。これがゴンのオヤジ。自由奔放で確固たる自己を持っている。恐らくその信念はゴンと同じように揺らがないモノなんだろう。

 どうやら一筋縄じゃいきそうにない奴みたいだ。流石はゴンの父親ってところか。

 

 やがてテープから声は聞こえなくなる。聞こえるのはカセットがテープを回している音だけだ。どうやらこれで終いのようだ。そう思いテープを止めようとしたが、ゴンからストップが掛かった。

 

 しばらく待つとまたもジンの声が再生されたが、どうしてゴンは分かったんだ? 直感か何かか? それとも親子だからか?

 

 新たに再生された内容はゴンの母親についてだったが、ゴンはそれを最後まで聞かずにテープを止めちまった。

 自分の母親はミトさん、か。

 

 いいよなぁ。昨日もゴンに言ったけど、オレもあんな人が母親だったら良かったのによ。

 

「さ、ご飯食べようよ」

「ミトさんばかりに世話をしてもらっては恐縮なので、今日の晩御飯は私が作りましょうか?」

「はぁ? お前料理出来んのかよ?」

「アイシャの作る料理は美味しいぞキルア」

 

 何でお前がそんなこと知ってんだよ? 食べたのか? 食べたんだな。

 そんな風に話しながら部屋を出ようとすると、カセットから不意に音が聞こえた。ふと振り向くと、停止したはずのカセットが勝手に動いていた。

 

「これは!? テープが巻き戻されている!」

「念ですね。このテープを収録した時に念を込めたのでしょう。簡単な操作系で可能ですよ」

「冷静に説明してる場合ではないだろう! 今度は録音しているぞ!!」

「自分の音声を消す為でしょう。念能力者の中にはこのテープを聞くだけで場所を特定出来る者もいるかもしれませんから。ゴンのお父さんは中々用意周到な方のようですね」

 

 だから冷静に言っている場合じゃねえだろ!? クソッ! コードを抜いても動いてやがる! こうなったら!!

 

「悪いなゴン! 壊すぜ!!」

 

 全力で殴りつける! っておい! 傷1つ付いていねぇぞ!

 

「念でガードしていますね。10年以上経ってここまで強力な念を留めているとは、素晴らしい使い手ですね」

「だぁあもう! 何とか出来ないのかよ!?」

「ゴン。壊してもいいですか?」

「う、うん」

 

 壊せんのかよ? オレの攻撃が全然効いてないんだぜこのカセット。

 

「ふっ」

「はあ!?」

「ま、真っ二つになっちゃった」

「さすがアイシャ。私たちに出来ないことを平然とやってのける」

 

 そこにシビれるあこが、ちげぇよ!? オレがあんだけ殴っても無傷だったんだぞ! それが手刀であっさり真っ二つかよ! いくらアイシャがオレよりも強いからってこれはねぇだろう!

 

「すいませんゴン。テープを傷つけないように真ん中から切らせてもらいました」

「それはいいんだけど……」

「ゴン、キルアよ。アイシャに我々の常識は通用しないと思え。そしてそれを受け入れろ。それが自身のためでもある」

「私の扱い酷くないですか?」

 

 クラピカが達観した表情でオレ達を悟らせるように語る。その言葉には何かとても重いモノが篭っていた……。

 オレも大概常識外れだと思っていたけど、アイシャと比べると随分まともだったようだな……。

 

「けどさ。今のアイシャってオーラを纏っていないみたいだけど、どうやってあのカセットを叩き斬ったの?」 

 

 っ! そうだ。どうやった? どうしてあのカセットを念無しで壊せた? アイシャ自身がオーラでガードしているって言ってたのに。

 

「ああ、それはですね。うーん……まあ、あなた達ならいいでしょう。クラピカも知っていますし。……当たり前ですけど他言無用ですよ?」

 

 何だ? クラピカも知っているって、もしかしてアイシャの念能力に関する事か? まあクラピカはずっとアイシャと修行していたから知っていてもおかしくはないか。

 

 ちょっとだけ気に食わないけどな。何でこんな気持ちになるんだろう? 分かんねぇな。

 

「私の念能力に【天使のヴェール】と言うモノがありまして、この能力を発動していると私のオーラは常に垂れ流しの状態でしか感知出来なくなるんですよ」

 

 …………は?

 

「えっと……それってつまり」

「お前がどんだけオーラを纏っても、オレ達には何も分からないって事か?」

「まあ、そういう事です。デメリットもあるんですが、結構重宝していますよ」

 

 重宝どころじゃねえよ。何だその反則能力は? オーラが見えない念能力者相手にどうやって戦えばいいんだよ? 全部の攻撃を避けろってか?

 

「それじゃさっきの手刀にも?」

「もちろん。あれだけの念でガードされた物を素で壊すなんて私には出来ませんよ。……テープまで壊していいなら話は変わりますけど」

「マジでどんだけだよお前」

「ああ、かつての私がここにいる。お前達が通っている道は既に私が数ヶ月前に通過している!」

 

 ご同輩が出来たのがそんなに嬉しいのか?

 ……嬉しいんだろうな。こんな馬鹿げたのをオレ達よりもずっと間近で見てきたんだろ? 達観したくもなるぜ。

 

「本当に追いつけんのか……?」

 

 口に出すつもりはなかった言葉だけどついポロっとこぼれちまった。いかんいかん。弱気になってどうすんだ。絶対にアイシャを超えてやるんだ。1つ歳上とはいえ、いや、1つしか変わらない女の子に負けたままでいられるかよ。

 

 決めた。絶対に決めた。将来の目標なんてなかったオレだけど、今決まった。絶対にアイシャより強くなってやる。その為ならどんな修行だって受けてやるぜ!

 

「よっしゃ! ゴン! さっさと朝飯食って修行しようぜ!」

「う、うん。あ、でもこのROMカードを調べてないんだけど……」

 

 あ、そういやそうだった。すっかり忘れてたぜ。

 これって確かジョイステのROMカードだよな? 何でこんなんが一緒に入ってたんだ?

 

「これはジョイステーションのROMカードですね」

「お、アイシャもやってたのか?」

「ええ、少しだけですが」

「オレはやったことないなぁ。クラピカは?」

「私もないな。むしろアイシャがやったことがあるのが驚きだが」

 

 だよな。そんなイメージがあんまり湧かないな。

 

「このROMカードを調べる為にまずはジョイステを買うとするか」

「あ、私持ってますよジョイステ」

『何で持っているんだ(よ)!!』

 

 意味分かんねぇよ! どうして、今! ここで! アイシャがジョイステを持ってるんだ! あまりの驚きにクラピカでさえ突っ込んでるじゃねぇか!

 

「えっと、以前に買ったことがありまして。一度天空闘技場に置き忘れていたんですが、職員の方が私が置き忘れていた私物をずっと保管してくれていたようで、今回選手登録して少し経った日に返してくれたんですよ」

 

 いやぁ、サービス精神がすごいですね、じゃねぇよ。

 

「だとしても普通持ち歩くか?」

「しょ、しょうがないじゃないですか。私は根なし草なので持ち歩くしかないんですよ。捨てるのは勿体無いですし……」

「天空闘技場に置いてくれば良かったんじゃ?」

「いえ、天空闘技場に戻る予定はありませんから。私物は全部持ってきました」

 

 ん? じゃあアイシャとクラピカはもう天空闘技場じゃ戦わないのか?

 

「クラピカはもうあそこでは戦わないの?」

「ええ。今の天空闘技場のレベルではほとんどクラピカの経験にならないでしょう。バトルオリンピアまで行けばまた別もしれませんが、それにはどうしても闘技場のシステム上時間が掛かります。それに能力も披露しなくてはならない可能性も高いのでデメリットが多すぎます」

「私も私物は既に持ち運んでいる。もっとも、アイシャと違って僅かしかないがな」

「今後クラピカはくじら島を出立次第、風間流の道場での戦闘訓練に移ります。それまでのくじら島での修行は堅の持続時間を延ばす修行を主にしましょう」

「ああ、分かったよ」

 

 そうか。アイシャ達はくじら島から出たら風間流道場で修行か……。

 

「ゴン」

「うん。ねえアイシャ、オレ達もその修行に付いて行ってもいい?」

「私は構いませんが、いいのですか?」

「ああ、オレ達だけ置いてかれてたまるかよ」

 

 クラピカにも負けたままじゃ嫌なんだよ。まずはクラピカがくじら島でゆっくりしている間に出来るだけ追いつく。その為にはかなりハードな修行になると思うけど、そんなの関係ないね。やると決めたらやるだけだ。

 

「分かりました。ではROMカードを調べる為にジョイステを持ってきますね」

 

 そう言って部屋から出て行くアイシャ。アイシャが寝泊りした部屋にあるバッグからジョイステーションを取りに行ったんだろう。

 

「2人とも、アイシャとビスケの修行は厳しいという言葉を通り越して拷問に近いモノがある。……覚悟は出来ているな?」

「へっ。拷問なんて生まれた時から受けていたぜ」

「オレだって強くなりたいんだ。ジンに会うためにも、ヒソカに勝つためにも」

「そうか……。お前たちにこんな質問など愚問だったな」

 

「そういうこと。クラピカにも負けないからね」

「うかうかしてるとすぐに追いつくぜ」

「そうはいかん。私も怠けるわけではないのだからな」

 

 3人で顔を合わせながらニッと笑い合う。こういうのは男同士でないと分からない世界だな。そうして3人で通じ合っていると、アイシャがビスケを伴ってジョイステを片手に帰ってきた。

 

「何か面白そうなことしてるみたいじゃない。あたしも混ぜなさいよ~」

「おはようビスケ」

「起きるのが遅いんだよ」

「全く、怠惰だぞ。少しはアイシャを見習ったらどうだ?」

「うるさいわね~。睡眠はお肌に最高の栄養なのよ」

 

 相変わらず見た目に似合わないことを言ってんなコイツは。絶対見た目通りの年齢じゃない。賭けてもいいね。

 

「さて、それじゃあROMのデータを調べてみましょうか」

「しっかしアイシャがゲーム機を持ってるなんてねー。なんかゲームしてるところを想像出来ないわさ」

「私だってゲームの1つくらいしますよ。何だと思ってたんですか……」

 

 確かに。さっきは不思議に思ってたけど、コイツも年頃の女なんだよな。ゲームくらいしても当然なのか?

 

「ああ。そういやアイシャってどんなソフト持ってんだ?」

「格闘ゲームが何本かあるくらいと……あと――」

 

 お、格ゲーあんのか。後で皆でやったら面白そうだな。

 あとは何を持ってんだ?

 

「ドカ○ンを持っていますね」

「ド○――」

「――ポン?」

 

 なんだそれ? 兄貴の持ってたゲームをちょこちょこやってたけど、そのゲームは知らないな。

 

「面白いのかそれ?」

「……いつか友達が出来た時にと思って買っていたのですが……これは危険です。止めた方がいいでしょう」

 

 何だよそれ。逆に気になるな。後でやってみよっと。

 

「ねえ。このカードだけで何のデータが入ってるか分かるの? ゲームソフトもないんじゃ何も分からないんじゃ?」

「お前本当にゲームやったことないんだな。本体にソフトを入れずにROMカードだけ差し込んでからパワーを入れるとROMカードの内容が分かるんだ」

 

 ほんと、今時貴重な奴だな。……クラピカも何か感心しているように見ている。訂正だ、何て貴重な奴らだ。

 

「入っているゲームは……グリードアイランド? これだけで全部の容量を使い切っているのか」

「グリードアイランドですって!?」

「知ってるのアイシャ?」

「ええ。グリードアイランドとは念能力者が作ったゲームです」

『!!』

 

 念能力者が作ったゲーム!? 何だそれ? どうやってそんな、いや、どうしてそんな物を作ったんだ?

 

「グリードアイランドはね。複数の念能力者が100本のソフトに念を籠めて作ったとされる念能力者専用のゲームよ」

「念能力者のみがプレイでき、一度ゲームをスタートするとゲームの中に引きずり込まれる。そして死ぬか、帰還の為の手段を手に入れないと現実世界に帰ってくることは出来ない」

「未だにクリアしたものはいないとされる伝説のゲームよ」

 

 ビスケとアイシャが交互に説明を入れてくれた。未だクリアしたものがいない伝説のゲーム。念能力者しかプレイできず、死ぬ可能性もある危険なゲーム。

 

「ビスケもグリードアイランドについて知っていたのですね」

「まあね~。あたしもこのゲームをやりたいと思っていたし」

「奇遇ですね。私もそうなんですよ」

 

 この2人がやりたがっているゲームなのか。一体どんなゲームなのか興味が湧くな。

 

「ジンはオレを捕まえたければこのゲームをしろって言ってるのかな」

「さあな。でも、お前にそのROMカードを残したのはゲームをやってみろって意思表示だろうな」

「うん……!」

 

 楽しそうな顔してやがる。ワクワクが止まらないってか?

 ああ、オレだってそうだよ。どんどん楽しくなってきやがった。

 

「じゃあ早速このグリードアイランドを買おうぜ。……つうか、100本しかなかったら売り切れてね?」

「当たり前です。私たちではどう足掻いても入手することは出来ませんよ」

「何でだよ? 確かに世に出回っている数は少ないだろうけどオークションとかなら1つくらいは――」

「ソフト1本が100億ジェニー近い値段でも?」

『ひゃ、100億!!?』

 

 何だそりゃ!? 買えるわけねぇだろそんなもん! オレ達が全財産だしてもその10分の1にも届かねぇよ!

 

「ゲームソフトとはそんなにも高額なのか?」

「んなわけねえだろ! ぼったくりにも程があるわ!!」

「元々は58億だったはずですが、今では品数の少なさもあって値は急上昇しています。……しかも」

 

 しかも? この上まだ手に入れる難易度が上がる要素でもあるのかよ?

 

「バッテラという大富豪がこのグリードアイランドを金に糸目を付けずに買い漁っているため、僅かに世に出た貴重なソフトも購入されています」

「以前見たことがあるんだけど、バッテラがグリードアイランドを購入するのに消費した最高金額は200億を超えたそうよ」

 

 に、200億……。絶対に無理だ。届くわけがねぇ。何だその大富豪とやらは!? 大人の癖にゲーム買い占めてんじゃねぇよ!

 クソッ! じゃあどうやってもこのゲームを手に入れることは出来ないって……いや待て。ゲームと言ったらアイツが詳しいな。もしかしたらグリードアイランドを持っているかもしれないし、ダメ元でちょっと聞いてみるか。

 

「おいゴン、もしかしたらグリードアイランドを持ってるかもしれない相手に心当たりがあるから電話するぜ」

「本当!?」

 

 でもやだなー。こいつに頼み事すんの。ま、こういう時にしか役に立てないから仕方ないか。兄貴を役立たずにさせないオレって何て兄思いなんだろ。

 

「あ、ゴトー? オレオレ、キルアだよ。ブタくん呼び出してくんない? ――はぁ!? 嘘つけよあいつが修行するわけねーじゃん。ゴトーも面白い冗談言うようになったな、ははは。まあそれはいいからさ、10秒以内に電話にでないとてめーのフィギュアぶち壊すって――あ? フィギュアは全部捨てた? ねえよ」

 

 あのブタくんがあれだけ大事にしているフィギュアを捨てる? そんなの天地がひっくり返らない限りありえるわけがねぇ。

 もしそれが本当だとして、さらには修行に専念してるなんてことがマジだったら……。それはオレの知ってるブタくんじゃない。おぞましい何かへと変貌しているな。もしかして誰か操作系の能力者に操られてるとかじゃないか?

 

『はぁ、はぁ、何だよキル。いま、忙しいんだよ』

 

 あ、やっと来たか。相変わらず息が荒いなぁ。まともに運動してないからだよ。

 ん? 何か、何か声に違和感を感じるんだけど。

 

「兄貴? ……何か声変わったか?」

『すぅー、はぁー……。さあな。自分では実感わかないね。それより何の用だよ? さっきも言ったけど今忙しいんだ。用があるならさっさと言えよ』

 

 ……今、呼吸を整えたのか? 電話を取った時とは違ってスムーズに話し出している。マジでどうなってんだ?

 

 いや、そんなことよりも今はグリードアイランドについてだ。オレだってブタくん相手に長々と会話するつもりはないんだ、とっとと用件を伝えて電話を終わらそう。

 

『グリードアイランド? ……もしかしてお前、いまアイシャと一緒にいるのか?』

「は? 何でそんなこと兄貴に――」

『いいから答えろよ。それを言わないとこっちも何も言うつもりはないぜ』

「ちっ! ああそうだよ。それがどうかしたの?」

『そうか。じゃあアイシャに代ってくれないか』

「何でだよ。いいからこっちの質問にも答えろよ。こっちは答えたぜ。取引で嘘つく程にボケたのかよ」

『ああ、そうだったな。グリードアイランドはオレも持っていない。手に入れようにも当時は5歳だったからな。現在もバッテラって大富豪のせいで入手は非常に困難になっているな』

 

 ダメか。結局はアイシャとビスケから聞いたのと同じ程度の情報しか入らなかったか。ブタくんが入手を諦めるってのはさすがに驚いた。無駄にプライド高いところがあるから、持ってないことを指摘したらムキになると思っていたのにな。

 

『とにかく、アイシャに代われよな。こっちはアイシャに伝えなきゃならないことがあるんだ』

「兄貴がアイシャに何を伝えんだよ? 分かった、代わればいいんだろ」

 

 言われた通りにアイシャにケータイを渡す。一体兄貴がアイシャに何の用だってんだ?

 

「はい、代わりましたよ。――ええ、久しぶりですねミルキ。元気そうで何よりです。――はい、私も変わりはありませんよ。その節はお世話になりました。おかげで皆とも合流出来ました。――ありがとうございますね。このお礼はいつか必ず」

 

 ……何だか結構親しげに話してんな。アイシャが相手を呼び捨てにするって結構親しい仲じゃないとしないよな?

 さすがはアイシャか。あのブタくん相手にここまで嫌悪せずに相手出来るなんてな。普通ああいうのって女は嫌がるんじゃないのか? 少なくともオレは嫌だね。

 

「それで伝えたいこととは――! それは……盗聴の心配は――そうですか、分かりました。では折り返しということで。――ええ。ありがとうございます。本当にミルキにはお世話になりっぱなしですね。――ふふ、では後ほど。あ、キルアに代わりま……。すいませんキルア、あなたに代わる前に切れてしまいました」

「別にいいよー。聞きたいことは終わったし、ブタくん相手にそんなに話したいとも思わないしね」

「ダメですよお兄さんなんですからそんなこと言っては」

「いーんだよ。それよりもミルキが伝えたいことって何だったんだ?」

 

「ええまあ、少し頼み事をしていたんですよ。それについてでしたが、ケータイでは盗聴が危惧されたのでまた後ほど別の手段で連絡してくれるそうです」

「それってミルキに仕事の依頼をしたってことか?」

「いえ、ミルキが調べてくれると言ってくれたんです。……もちろんお礼は何かしらするつもりですよ?」

 

 そんな風にアイシャが言っているがオレはあまり聞いていなかった。それよりも驚きの方が大きかったからな。

 

 あのミルキが三次元の女の頼みを聞いた?

 

 …………信じられねぇ。アイツの嫁はモニターの中にいて、三次元の嫁はフィギュアだろ? それが生きてる女に対してこんなに尽くすなんて……俺の兄貴がそんなに殊勝なわけがない。ブタくんホントにどうしたんだ? こんなに兄貴を心配したことなんて初めてだぞおい。

 

 ……ま、いっか。ブタくんのことなんか気にしてもしょうがないしな。そんなことよりゲームでもしようか。ドカ○ンってどんなゲームだろうか。楽しみだぜ。

 

 

 

――この日、ある時間帯に限っての話だが、彼らの友情は破壊された――




怒りの鉄剣とかよくやってました。しばらくやってリアルファイトに発展しかけたこともありますがw

いきなり話が変わります。
ハトの照り焼き様から素晴らしいイラストをいただきました。まさか私の作品に絵が入るとは思ってもいませんでした……。感無量です。


【挿絵表示】


このイラストはハトの照り焼き様がpixivにも掲載されています。他にもイラストが描かれているので良ければご覧になって下さい。

http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=49797712


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十二話

前回のあらすじ?

キル「ああ! クラピカてめぇ!」
クラ「残念だが、武器屋を襲って賞金首になったお前が悪いのだよ」
アイ「そしてキルアの賞金を受け取ったクラピカから私がごっそりお金を奪います。行けゲッチューロボG!」
クラ「な、なんてことを!」
ゴン「うーん、またボスに負けちゃった。もっと強くならなくちゃ」



クラ「くっ、当たらん!」
キル「へへ、スピード型を舐めんなよ。さっきの仕返しじゃおらぁ!」
アイ「み、三つ巴で負けるなんて……ああ、私の武器を返してー!」
ゴン「トーレナいわのせいでダンジョンから出られない……」



キル・アイ「ぎゃあああ!」
クラ「魔力特化型のフィールド魔法には耐えられまい」
ゴン「……オレ何もしてないのに」



ゴン「もうこれで終わってもいい……だから……ありったけを」
アイ「全員逃げろー!!」
キル・クラ「え?」
アイ「ゴンがデビラーマンになった……! もうだめだ、おしまいだぁ」

ついに全てを捨ててデビラーマンになったゴン! 果たしてアイシャ達はこの先生きのこることが出来るのか!? 今までの諍いを捨てて、3人が一致団結する! 倒せ! 恐怖のデビラーゴン!

デビ「this way」




「ほらほら、へばってる場合じゃないわよ。回復するのはもっと後だからね」

「疲れている時だからこそ効果的な修行もあります。常に万全の状態でいられるとは思わないことです」

『6!!』

「はい正解。でもゴンとキルアは少し遅い。ゴンは500回、キルアは300回の腕立て伏せ」

 

 ぐぐっ! また負けた! クラピカの奴、反応速度が以前とは段違いだ! 聞いたところこの凝の修行をアイシャを相手にずっとやって、全敗し続けていたらしい。

 競う人数も増えたからアイシャを除いて3人で数字当ての修行をしたんだけど、その時初めて勝利したのが嬉しかったのか感動していたよ。もっとも、この数字当てで負けるのが習慣づいてしまったのか勝っても条件反射のように腕立て伏せをしてたけどな。

 アイシャ達がクラピカを見つめる目には申し訳なさと憐憫が籠もっていたよ……。

 

 しっかし、これがクラピカが受けていた修行か……。

 キツいのは確かだけど、修行自体は耐えられないもんじゃねー。電撃を浴びたり毒を飲んだり拷問や痛みに対する耐性を付けるとか、それこそ文字通り拷問のような修行じゃない。

 

 だが、問題なのはその密度だった。

 休む間もなく修行を詰め込まれ、ぶっ倒れるまで動かされるとビスケの【魔法美容師/マジカルエステ】で僅か30分で強制回復。そしてまた同じ修行が始まる。ただひたすらに周でシャベルにオーラを纏わせてから地面を掘る。掘って掘って掘り進む。

 ある程度掘ったら今度は掘り返した土を元に戻す。環境を出来るだけ壊したくないから同じ場所――ゴンの家の前の地面――でこれを繰り返している。

 

 確かに繰り返すと疲れはするし、シャベルをオーラで覆うのはかなり堪える。身体能力とオーラ量も増える一石二鳥の修行なのかもしれない。

 でも地面なんて掘るのは簡単だ。柔らかい土を掘るなんてシャベルにオーラを纏わせる必要もない。一度掘り起こして柔らかくなった地面なんてそれこそもう一度掘り返すのはどうってことはないだろうさ。

 

 だがそんな簡単な修行をアイシャがオレ達にさせる訳はなかった。

 本来簡単に掘り起こせる地面に対してオーラを纏わせたシャベルを使っている理由。それはオーラ増大の為だけではない。

 

 そうしないと地面が掘れなかったからだ……!

 

 アイシャのやろー!! 地面に対して周をするってどういうことだよ!

 

 アイシャが周をした地面はオレ達の力じゃシャベルを使っても掘り進むには難しく、オーラを纏ったシャベルなら何とか掘り進むことが出来る絶妙な硬さになっていた。

 そうして適度な硬さへと変化した地面を何度も何度も掘っては埋め、掘っては埋め。ただひたすらにこれを繰り返すという終わりの見えない、オレが受けていた拷問のような修行とは違った意味の拷問のような修行を受けさせられていた……。

 

 この修行で基礎能力と精神力、オーラ総量とそれを操る技術を向上させるのが修行の第一段階らしい。合間合間にアイシャとビスケによる念の講義と数字当てによる凝の修行も加えられている。

 

 クラピカはずっと点と纏、そして堅の持続時間を延ばす修行に専念している。たまにビスケと流を用いた修行――確か流々武を元にした修行とか言ってたか?――をしたり、アイシャと組手とかをしている。クラピカにすれば今までよりもずっと楽な修行のスケジュールらしい。

 ……本当にどんだけ過密な修行を施されていたんだ? もはやクラピカ魔改造計画と言われてもオレは信じるぜ。

 

 しかし、アイシャはマジでヤバい。どんだけ強いのかマジで分かんねぇ。

 こいつ、オレ達が掘っている地面を周で強化しながら本を読んだり筋トレしたりクラピカと組手したりビスケと組手したりしていやがる。それでいてオーラが尽きる所を見たことがない。どんなオーラ量してやがんだよ。

 

「今日の晩御飯は何にしましょうか。何かリクエストはありますか?」

 

 呑気に晩飯の話を持ちかけてくるアイシャ。

 話しかけているのは腕立ての後に穴を掘ってるオレ達にか? 怪しげな本を読んで悦に浸っているビスケにか? ……それともお前との組手の最中に今も宙を回り続けているクラピカにか?

 お、クラピカが回されながらも鎖をアイシャに巻きつけて…………鎖ごと回された。どうやった? なんで絡まってねぇんだよ?

 クラピカの三半規管が鍛えられる前にパンチドランカーが常時スキルとして身に付くかもしれないな……。

 

「何か、ひぃ、ひぃ、軽めのモノがいい……」

「オレも……。今、ぜぇ、ぜぇ、油っこいものは食いたくねー……」

「う、うぐっ。今日は、な、何も食べたくはないな。食えば、で、出る」

 

 3人とももはや虫の息だ。いくら体力が回復しようともこうもみっちり拷も……修行が詰まっていれば食欲もなくなるわ。

 

「なっさけないわねー。アイシャー、あたしはジャポン食が食べたいわねぇ。確か結構得意なんでしょ?」

「懐石料理とかは無理ですよ。そこまで本格的じゃないものなら多少はですが」

「それでいいわよ。アタシだって本職の様なのは求めてないし。それに家庭的な料理もいいもんよねー」

 

「あなたも自分で作ったらどうですか? 出来ないわけではないんでしょう?」

「やーよ。他人に作ってもらうのがいいんじゃない。いやしかし。周による地面強化は中々便利ねー。これなら穴掘りも場所を問わないしね」

「元々は風間流の投げのダメージを強化する為に使ってたんですけどね。念能力者相手ではただ地面に叩きつけただけでは効果が薄い事もありますから」

 

「意外な利用法ね。まあ、オーラ消耗は激しいけど」

「私の修行にもなって一石二鳥です。とても合理的でしょう?」

「ええそうね。穴掘りに使った山岳地帯を買う前に思いついたらもっと良かったわね」

「うっ……。ひ、必要に迫られないと出てこないアイデアもありますよ……」

 

 などと、オレ達が必死こいて修行してる横で楽しげに話してやがる。……ダメだ。怒鳴る気力もねぇ。

 

「うーん。そろそろ回復をお願い出来ますか? これ以上は逆に非効率でしょう。あ、クラピカは別ですが」

「はいはい。そんじゃあんた達横になりなさい。クッキィちゃんによる至福の一時をプレゼントしたげるわ。ただしクラピカは除く」

「こうして人々の間で徐々に軋轢が生まれ、それが差別へと繋がってしまうのだ。ここでその怨嗟を断ち切らねば後に大いなる災いとなって――」

「あんたまだまだ余裕でしょうが。ほれほれ、バカ言ってないで堅でもしていなさいな」

「解せぬ」

 

 クラピカの妙な言動にも慣れた。というかこんなのを続けていれば変になりもするよ。

 はあ、また回復か。今が午後3時くらいだから夕食までにもう一度穴掘りがあるな。確かに身体の疲労はなくなるけど、それよりも精神を休憩させたい。

 

「……ゴン、大丈夫か?」

「……なんとか。キルアは?」

「ギリギリ。もう動きたくねー」

「後30分で動けるようになるけどね……」

 

 はいその通りですよー。疲労が30分でなくなるなんて超便利。そう思っていた時期がオレにもあったよ。

 

「ふむ。しゃべる余裕があるとは。流石はゴンとキルア、これはもっとペースを上げても大丈夫そうですね」

『……………………』

 

 鬼だ。修行の時のこいつは鬼か悪魔だ。

 少し成長したら少し修行をキツくする。その修行でまた成長したら同じように修行がキツくなる。地面もなんか最初の時より硬くなっている気がする。明らかに籠めているオーラを強くしてるだろ?

 そしてどんなにキツくても身体は壊れることはないときた。何時まで経っても楽にならない。無限地獄だろこれって?

 

「みんなー! そろそろオヤツの用意が出来たわよー! 修行もいいけど、少し休憩したらどう?」

「ありがとうございますミトさん。それではお言葉に甘えて一時修行を中断しておやつとしましょうか」

「ミトさんありがとう!」

「やった! ミトさんマジ天使!」

「地獄に仏、いや女神とはこのことか」

「あはは、大袈裟ねー。今日はプリンを作ったから、ちゃんと手を洗って食べるのよ」

「はーい」

 

 大袈裟なもんか。これでしばらくは地獄から抜け出せる! ゆっくりじっくり味わって食うぜ!

 

「地獄に女神、ねぇ。それじゃあたし達はなんなのかしらねぇ?」

「いいでしょう。地獄らしく鬼にでも悪魔にでもなってあげましょう。それであなた達が強くなるなら本望ですよ。ふふふ」

 

 あ、まだ鬼だという自覚はなかったのか。

 ……このプリンが最後の食いもんになるかもしれないな。

 ゴンもクラピカもそう思ったのか屍人のような虚ろな表情でゴンの家へと戻っている。多分オレも同じような顔してんだろうな。

 

 …………本当によく味わおう。

 

 

 

「あんた達何も食べられないんじゃなかったの?」

「それはそれ。これはこれなんだよ」

「ミトさんのプリン絶品ですね。上に乗ってる生クリームが最高です」

「あー確かに旨いなこれ。しっかしあれだな。回復してもらったけど、筋肉のダルさまではなくならないんだな」

「ああ、それは肉体を酷使したせいで筋肉が傷ついているためだからな。疲労とオーラはともかく、傷ついた肉体までは癒せないようだ」

「そこまで万能じゃないわよ。まあ多少は回復も早くなりはするけどねー。それにしても、う~ん! やっぱり甘い物って最高よ~」

 

 それもそうか。そこまで回復してたら強力すぎだろ。それに筋肉の超回復による成長を妨げるかもしれないしな。修行っていう点で考えたら最適だなコイツの能力は。

 

「ねえアイシャ。グリードアイランドについては本当にあのやり方で大丈夫なの?」

「ええ。ソフトを手に入れるのが非常に困難な私たちではこれが最善です」

 

 グリードアイランドか。

 確かに100億以上するかもしれないソフトをオレ達が買うのはまず無理だろ。今度のヨークシンのオークションで数本流れるらしいけど、それもアイシャが言うにはバッテラって奴が全部買うだろうって話だしな。オークションともなれば下手すりゃ100億じゃきかないかもしれない。

 

 だからこそアイシャの言っていた方法。

 グリードアイランドを買ったバッテラのお眼鏡に適ってグリードアイランドをプレイする。この方法が一番現実的だ。

 

 そりゃグリードアイランドを買うならそれに合わせてプレイヤーも必要になるだろう。その為の念能力者を募集していても可笑しくはない。現にビスケの話だと今までにも何回か募集があったらしい。

 

 今回も既にハンターサイトや限られた者が見ることの出来るサイトで募集の広告が載っていたみたいだ。ビスケもその募集を見てプレイヤーの選考会に参加するつもりらしい。それにアイシャもその選考会に参加するって話だった。

 

「ゴンがグリードアイランドを手に入れたいというなら話はまた別ですが、ゲームをプレイしたいのならこの方法が確実でしょう」

「うん。オレはジンが作ったゲームをしてみたいだけだよ。ゲームそのものが手に入らなくてもいい」

「まあ選考会で合格しなければ意味はないけどねー」

「オレ達じゃ合格できないってのか?」

「さあ? 多分グリードアイランドの経験者が審査をすると思うわ。だからグリードアイランドの難易度次第で合格の基準も変わるでしょうね。まああたしが審査員だったら今のあんた達は不合格だけどね」

 

 今は、か。なら答えは簡単だな。

 

「今で無理ならもっと強くなってみせるよ」

「そういうこと。その内追い越してやるから楽しみにしてろよな」

 

 ゴンも同じ思いのようだな。そうだ。オレ達がこのままなわけがない。

 明日は今日よりも強くなっている。明後日には明日よりも強くなるように努力する。ただそれだけのことさ。

 

「前向きで何よりだわさ」

「ふふ。わざわざ意地の悪い言い方をしなくてもいいでしょうに」

「ま、ちょっと気を引き締めてやろうと思ったんだけど。必要なさそうねこれなら」

 

 当然だ。生っちょろい覚悟なんてしてないぜ。例え地獄のような修行でも人間死ぬ気になれば大抵のことは何とかなるもんさ。クラピカに耐えられてオレ達が耐えられない道理はない!

 

「まあ、万が一にも不合格にならないように修行を組むつもりですけどね。あと2ヶ月切ってますからね。キルアの希望でもありましたし、クラピカ以上の超ハードコースで行きましょう」

「ニゲロ」

「何で片言!? てかホントにくじら島に来てからの修行でも超ハードじゃないのかよ……」

 

 確かに軽めとは言ってたけどよ。これ以上のをクラピカは4ヶ月も耐えたのか。そらキャラもブレイクするわ。

 

「まあ、多少ハードではありましたね。でも睡眠中は何もしていませんし、まだ堅による防御や流の修行もしていませんから。これからは寝ている時も修行ですね。時折奇襲を掛けますから油断してはダメですよ。

 寝る前にはビスケの回復はしませんよ? 疲れて眠るからこその修行です。翌日に疲れを残さないようしっかりと休みつつ、油断もしないでくださいね。

 ああ、組手もしなければ。風間流の道場で色んな念能力者と戦えるからいい経験になりますよ。どんな方たちがいるか楽しみですね。

 後は系統別修行もしたいところですが、流石に無理でしょう。まあこれはグリードアイランドの中ですればいいでしょう。体内オーラを操作する修行もしたいですね。後は――」

 

「ミトさん、オレをここまで育ててくれてありがとう」

「落ち着けゴン。今ミトさんは買い物に出かけている」

「次にくじら島から出る船の日にちと時刻はっと……」

「お前もだキルア。私よりも強くなるんだろう!?」

 

 んなの生きてこその話だろうが! 今の話じゃ1日24時間365日修行としか思えねーよ!! 俺んちでもそこまでじゃないわ!!

 

「マジで超ハードコースね。今のを9月までに詰め込むの? ……これって死んでもあたしの責任にならないわよね」

「…………」

「いや何とか言いなさいよ」

 

 指導する側で責任のなすり合いが勃発しかかってんだけど?

 それよりも死ぬことを前提として話を進めてんじゃねぇよ。

 

「大丈夫です! 9月にヨークシンに行くまでの間だけですから! そこからは本来のペースに戻しますよ?」

『疑問形で終わらせないで!』

 

 こんな調子でくじら島での旅行という名を借りたナニカが過ぎていった。

 

 ……ナニカ? なんか気になる言葉だな。……なんだったっけ?

 

 

 

 

 

 

 夕食後の修行により皆がクタクタになって寝静まった頃を見計らってゆっくりと気配を消して起き上がる。目的はもちろん奇襲だ。さて、誰にしよっかな~。

 

 3人とも同じ部屋で寝ているのがネックだな。部屋数が限られているから仕方ないけど。しかしゴンもキルアも流石だな。修行始めてそれほども経ってないのに、目に見える程のスピードで成長している。いくらビスケのサポートがあるとはいえ、これは才能としか言い様がないな。もちろんそれ以上に努力しているからだけど。

 

 これなら9月までにはグリードアイランドの選考会に合格出来るレベルには到達するだろう。現在でも既に凡百の念能力者では勝てなくなっているしね。

 

 ……ん? ビスケの奴、本当に寝入っているな。こいつめ、夜の奇襲は私に全部任せる気じゃないだろうな? もしそうだったらビスケに奇襲してやろうか?

 同じことが続けばそうしようっと。

 

 おや? 居間に誰か……って、ミトさんか。そういえば寝室にいなかったな。

 どうしたんだろう? もう深夜を過ぎているのに。お酒でも飲んでいるのかな?

 

「ミトさん。まだ起きていたんですね」

「あら。アイシャちゃんじゃない。どうしたの? 眠れなかった?」

「いえ。少しゴン達に奇襲を仕掛けようかと」

 

 あ、やっぱりお酒呑んでいるや。少し酔っ払っているかな? しかし、聞かれたので素直に答えてしまったけど、これってどうなんだろうか?

 

「いや奇襲って。ダメよ女の子がそんなことしちゃ。もっと自分を大事にしなさい!」

「え? いや私は別に……」

 

 やっぱり少し酔っているみたいだ。このままでは絡まれて時間がなくなってしまう。そうなる前に脱出だ! こんな所にいられるかー! 私はゴン達の寝室に逃げるぞー!

 

 アイシャは 逃げ出した!

 

「こら。大人の言うことは聞いておくものよ。もう、本当にゴンはどうしてこうなっちゃったのかしら? 昔は素直でいい子……まあ、今もそうだけど。はぁ、どうしてハンターなんかに興味持っちゃったのかしら……?」

 

 しかし回り込まれてしまった!

 知らなかったのか? 酔っぱらいからは逃げられない。

 ……まあ、ミトさんにはお世話になっているし、少し愚痴を聞くくらいはいいか。

 

「ねえ、聞いてるの?」

「えっと、お父さんに憧れてじゃないんですか?」

 

 ゴンがハンターになったのはお父さんみたいなハンターを目指すためって聞いたんだけど? もっともゴンはお父さんがどんなハンターか知らないみたいだけど。

 

「うん、まあそうなんだけどね。私はゴンにジンのこと……あ、ゴンの父親ね。ジンがハンターだって教えていなかったのよ。それなのに何時の間にかゴンはジンに憧れててね……。あんなのにどうして憧れるのかしら?」

「……ミトさんは、ジンさんのことが好きなんですね」

「は!? え!? な、何を言うのよ! どうして私がジンなんかを!!」

 

 そんな風に否定しているけど、ミトさんがジンの話をしている時の感情には怒りはあったが嫌悪は見られなかった。

 不満もある、軽蔑もある、嫉妬もあった。だがそれらは全て愛情の裏返しだろう。きっと好きな人が自分の知らない世界に1人だけ行ってしまって、しかもゴンという子どもまで作っていたから色々な感情がごちゃ混ぜになっているんだろう。

 

「私があんな奴を好きだなんてアイシャちゃんの気のせいよ! 知ってるアイシャちゃん!? あいつはゴンをくじら島に預けてから一度もゴンに会いに来てないのよ! そんなロクデナシを好きになるなんて絶対にないわ!」

 

 うーん、どうやら自分でも気づいてないか、気づいているけど認めたくないというか。……それも仕方ないか。ミトさんの立場だと素直になれないのも分かる。いまさらって感情が強くなるんだろう。

 

 でもミトさんみたいな良い人がこんな所で燻っているのも勿体無いな。見た目も器量もいいし、結婚話とかないんだろうか? ミトさんなら相手は選り取りみどりだろうに。

 

「いいアイシャちゃん。アイシャちゃんはあんなロクデナシのような男に惚れちゃダメよ。最後に泣くのは女の方なんだから!」

 

 あ、それってミトさんがジンさんに惚れているって言っちゃってるようなもんですよ?

 

「アイシャちゃんは少し世間知らずな所があるし、自分のことに無頓着だからダメな男に騙されそうで心配よ」

「え!? そ、そんなことはないですから!」

 

 男と一緒になる気はないから! 私は早く男に戻ってもう一度青春をやり直すんだ!

 今の私は男性にも女性にも恋が出来ない中途半端な存在。でも男に戻りさえすればこの中途半端な性のズレもなくなるはず!

 

「そんなことあるわよ。今日もブラを付けずに上半身は肌着だけの薄着で夕食を食べていたでしょ! アイシャちゃんのそれは男の人の目に毒なのよ。飢えた獣の前で霜降り肉を見せびらかしてどうするのよ。アイシャちゃんは強いみたいだけど、今に自分よりも強い人に襲われちゃうわよ?」

 

 えっと、私よりも強い人ってネテロくらいしか今のところ思いつかないんですけど? ネテロに襲われる? 性的に? はは、ないない。あいつはそんな、そんな奴じゃ…………あいつ、結構スケベだったな。

 ……まあネテロが私に欲情するなんてないだろう。私がリュウショウだって知っていてそんな考えを持つ奴じゃないさ。

 でも私以上に強い人がいないとは限らないし、確かに注意した方がいいのかな?

 

「分かりました。今度から気をつけます」

「分かればいいのよ。アイシャちゃんはいい子ねー。それに比べてゴンは……」

「ゴンは私なんかよりも良い子ですよ」

 

 これはお世辞なんかじゃなくて本音だ。

 ゴンは誰よりも純粋で純心だ。一度人を信じたら疑うことはなく、それでいて人を見る目もある。あの子の純粋さに毒気を抜かれた人は多いだろう。

 それゆえに危うい所も多いんだけど。目が離せない弟って感じだな。

 

「うん。ゴンがいい子なのは知ってるのよ。でも、心配なのよ……。大怪我をしていないか、騙されたりしてないか……。親子って離れていても似るものなのかしら? 結局私は心配しながら待つことしか出来ないのよ」

「……ミトさん。……心配して待つこと以外にも、出来ることはありますよ」

「え? それって――」

「――信じて待つことです」

「信じて……って、結局待つことに変わりはないのね……?」

「ええ。同じ待つなら心配するより信じて待った方がいいですよ。その方が建設的です。ゴンはジンさんと似ているかもしれないけど、やっぱりゴンはゴンなんです。ジンさんとは違いますよ。

 こうしてちゃんとミトさんに会いに戻ってきたじゃないですか。……それに、心配するだけ無駄そうですしね、ゴンって」

 

 これも本音だったりする。確かに安心出来ない性格をしてるけど、多分あれはもう治らないレベルの性格だ。

 だったら心配してもこっちの心が滅入るだけ。それなら何があってもゴンならきっと大丈夫。乗り越えられるはずだと信じた方がよほどいい。

 

「ぷっ、あはは! あー、確かにそうかもしれないわね。心配するだけ無駄、か。そうね。何だかそんな気がしてきたわ。同じ待つなら信じた方がいいわね。……それに、ジンとゴンが似ていてもやっぱり違うってこと、私が一番分かってなきゃダメなことよね」

 

 良かった。空元気とかじゃなくて本当に元気になってくれたようだ。愚痴を聞いた甲斐があったというものだ。

 

「ごめんなさいね、私の愚痴に付き合ってもらったみたいで」

「何のことですか? 私はゴンの昔の話とか聞きたいからこうしてミトさんと一緒にいるんですよ」

「ふふ。ありがとう。それじゃそうね、どんな話をしようかしら――」

 

 そうしてミトさんから小さい頃のゴンやジンさんの話を聞いたり、私がハンター試験からのゴンの話をしたりと、楽しく会話しながら夜は更けていった。

 

 結局一度も奇襲を仕掛けなかったけど、まあいっか。

 

 

 

 くじら島で2週間ほど滞在し、そろそろ風間流の本部道場へ行くこととなった。

 9月まで残り僅か。当初の予定では1週間程で島を出て行こうと思っていたが、ミトさんを思うと少し躊躇われた。せっかく再会したんだ。ゆっくりと話もしたかったろうしね。

 ……本当はもっと一緒にさせてあげたかったんだけど、風間流への移動時間や修行のことを考えるとこれ以上くじら島でのんびり(?)とするわけにも行かなかった。

 

 予定より風間流での修行時間は少なくなったけど、その分基礎訓練を充実して行うことが出来たのだからいいだろう。

 クラピカも堅の持続時間が4時間以上に達したことだし言うことなしだ。堅の持続時間を10分延ばすのに1ヶ月は掛かると言われているのに大したものである。

 ゴンとキルアの穴掘り修行も順調だ。2人とも見違えるくらいに身体能力が向上した。

 

 夜襲においてゴンはまだまだだったが、キルアはさすがの反応を見せてくれた。元々そういう訓練もしていたんだろう。訓練当初のクラピカよりも反応は上々だった。ゴンも段々と反応が良くなって、今では僅かな空気の動きも察知するようになってきた。成長が早くて何よりだよ。

 

「いい。あんまり危ないことに首を突っ込んじゃダメだからね。それと修行もいいけど身体には気を付けるのよ。アイシャちゃんの言うことをしっかりと聞くこと。あと――」

「大丈夫だってば。分かってるよミトさん」

 

 いま、ミトさんとゴンが別れの挨拶をしている。

 心配するだけ無駄かもしれないけど、だからと言って注意をしないわけではないのだろう。

 ちなみに分かっていると言っているゴンだが、その言葉を信用することが出来ない私である。ゴンは絶対に何らかのトラブルに首を突っ込む。そうとしか思えない。

 

「アイシャちゃん、ゴンをよろしくね。きっとこの子は感情に任せて突っ走ってしまうことがあるだろうから」

「はい、任せてください」

 

 私も同意見だしね、力強く頷くとする。ミトさんみたいな人に心配されているゴンは本当に幸せ者だよ。

 ……ミトさんとゴンを見ていると何だか無性に母さんに会いたくなってきたな。もう会えないけど、それでも母さんの遺体のあるお墓を参ることはできる。

 

 この島にいる間にお墓のある場所は確認できた。物は試しとハンターサイトで父さんのファミリー――コーザファミリーを調べてみたら検索に引っかかった。

 母さんのお墓は父さんの家、つまりはコーザファミリーの本家にあるようだ。そしてコーザファミリーは風間流の本家道場のある街、アームストルの近くに本拠地を置いている。

 私もリュウショウ時代には幾度と名を聞いたことがあるマフィアのファミリーだ。私(リュウショウ)とは向こうから関わることはなく、一般人に危害を加えるような連中ではなかったので私も特に関わろうとは思わなかった。

 

 本拠地のある場所も知っている。風間流本部からならさほど時間もかからないだろう。

 ……折を見て母さんのお墓を訪ねてみよう。私を産んで死んでしまった母さんに謝りたい、お礼を言いたい。いま私は大切な友達に囲まれて楽しく生きているって報告したい。

 

 父さんはどうしたらいいだろうか……? きっと父さんは私は死んでいると思っているはずだ。いや、例え生きていると思っていたとしても、私が母さんの事や父さんの事を知っているとは思っていないだろう。私がそれを知っているのは母さんの念のおかげなんだから。

 

 ……父さんは私が生きていると知ったらどうするだろうか? ……きっと私を赦さないだろう。

 私も赦されるとは思っていない。私があの人にした事がどれほどの事か。それは私では測りかねることだ。それなのに。あの人がどれほどの悲しみと憎しみで今もその心を覆っているかもしれないというのに、私だけがのうのうと生きているわけにはいかない。

 会ってどうしたらいいか分からないけど、でも、それでも…………会わなくてはいけないと思う。

 

 

 

「それじゃミトさん! 行ってくるね!」

「何時でも帰ってきなさい! ここはアナタの家なんだから!」

 

 別れの挨拶もすみ、くじら島を出立する。新たな旅立ちに意気揚々と船に乗り込む私たち。

 

「くじら島ともこれでお別れか」

「ふむ。そんなに愛着が湧いたのかキルア?」

「ん~、まあちっとはな。ミトさんも良い人だったしな~。また釣りでもしに来たいね」

「時間が出来たらまた来てよ。きっとミトさんも歓迎してくれるよ」

「そうですね。今度来た時は修行は程々にもっとゆっくりしましょう」

『あ、程々にはするんだ』

「仲が良いようで何よりだわね」

 

 うんうん。その内3人がかりで私と組手でもしてみようかな。この3人なら息の合ったコンビネーションを見せてくれそうだしね。

 

 そうして船に乗って海の旅。くじら島に来た時も乗ったけど、船長は残念ながらおじ様ではなかった。おじ様だったら色々と楽しかっただろうになぁ。

 今頃はどこかの海を航海しているのかな。ハンターにもなれたし、会ってお礼を言いたかったな。

 

「次は風間流の本部か。どんな連中がいるのか楽しみだな」

「甘く見てると大怪我するわよ。本部にいる念能力者は一流ぞろいよ。体術も念もね。……1人を除いてだけど」

 

 ふむ。私が居なくなって約14年か。当時の師範代クラスも成長しているだろうし、新たな師範代や師範も増えているだろう。その内の幾十人は恐らく支部に回っているから、本部にいる師範代クラスは10人くらいかな?

 私も楽しみだなー。知らない門下生も大勢増えているだろうし、かつての弟子たちがどれほど成長したのかと思うとワクワクする。

 

「流石にアイシャも泳いでヨルビアン大陸まで行けとは言わないみたいねー」

「いや当たり前ですよ。私を何だと思っているんですか?」

 

 泳いでヨルビアン大陸って、一体何日掛けて泳がなきゃいけないんだ? いくら何でも死んでしまう。海には何がいるか分からないし、休憩も出来ないんだぞ?

 

「(アイシャなら言いかねないと思ってしまったのだが?)」

「(ああ。オレもだ。言われたらくじら島に逃げ込む気だったぜ)」

「(2人とも、流石にアイシャもそこまでは……言わないよ?)」

 

 何やらコソコソとナイショ話しているようだが、凝で聴力を強化してやろうか? 大体何を言ってるか予想がつくのが悲しい……。

 ……ちょっとだけ修行のペースを落とそうかな。

 

「それじゃあ3人とも」

「な、何だ!?」

「待て話せば分かる」

「ミトさんとの再会も早くなりそうだなー」

 

 おい。本当に私を何だと思っているんだ?

 ふー、落ち着け。彼らはまだまだひよっ子なんだ。修行がキツイと思うのは仕方のないことだ。私があの拷問のような修行を乗り越えられたのは【絶対遵守/ギアス】あっての事だろう。それがない素の彼らがこの修行に耐えているんだ。こうなっても仕方ないことさ。だから少しくらい身体と心を休ませてあげるべきだろう。

 

「3人とも、今日は修行は無しにしましょう。身体を休めながらゆっくりと船旅を楽しむとしましょう」

「ゴン!」

「うん! ……熱はないよ!」

 

「クラピカ!」

「ああ! ……脈は正常だ!」

 

「ビスケ!」

「ええ! ……近くに敵の気配はないわ!」

「くっ! 念能力で操作されてるわけでもないのかよ!」

「ぶん投げますよアナタ達」

 

 私の言葉に反応して即座に私のバイタルチェックをするとはどういう了見だおい。阿吽の呼吸とはこのことか。本当にいいコンビネーションだよ。そしてビスケ、私にその手の能力が効かないことは知っているだろう? 悪乗りするんじゃない。

 

「私は正気ですよ! たまには休息日をと思っていましたが、どうやら必要ないようですね! ついでですからビスケも一緒に稽古してあげますよ?」

「いい? 私が何とか10秒間アイシャを抑えるからその間にクラピカは鎖でアイシャを拘束。そしたらゴンとキルアが前後から上半身と下半身に攻撃を分けて挟み撃ちよ。その隙に私がアイシャを海に叩き落とすわ。タイミングが全てよ。一瞬でもしくったら……死ぬわよ」

「クソッ! こうなったらやぶれかぶれだ! やってやるさ!」

「ここで死ぬわけにはいかない。アイシャ、全力で抗わせてもらうぞ!」

「えっと、どうしてこうなったのかな……?」

 

 それは私にも分からない。

 ちょうどいいからこのままゴン達の集団戦闘の稽古をするとしよう。

 

 

 

 …………船が沈まずにヨルビアンに着いたのは運が良かったと思う。




船ダイン「ぐわああああああーーッッ!!」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十三話

 待ちに待った時が来たのだ。

 多くの修行法が無駄では無かったことの証の為に! 更なる弟子育成の理想を掲げる為に! 魔改造成就の為に!

 風間流本部道場よ! 私は帰って来たっ!!

 

 

 

 …………馬鹿なことを考えるのは止めにしよう。何故かこのフレーズの後に本部道場が粉微塵になるイメージが湧いてしまったし。

 

 それは置いといてだ。ふむ、感慨深いな。流石に14年近くも離れていると郷愁の想いが出てくるものだ。何せ132年というかつての長き人生の中、3分の1近くをここで過ごしているのだから当然とも言えるが。

 

 あまり変わっていないなぁ。私が居た時と同じジャポン風に建築された道場だ。

 でも建築から60年以上も経っているから多少は古びているし、よく見れば門の一部には新しい木材で補修した跡もある。変わっていないようで、それでもやっぱり多少の変化はあるんだな。

 少しそれが寂しいと思う私がいた。

 

「へぇ。ここが風間流の本部か。結構大きいのな」

「うん、すごい立派な門だね。それに奥に見える道場も大きいし」

「何でも1千人もの門下生がここに一同に揃って修行しているようだ。道場内の敷地も相当な面積になるだろう」

「千! すごいんだねー!」

 

 むふふ。何だか自分が褒められたように嬉しいな。

 もっと褒めてくれ。何だか身体がフルフルと震えそうだ。

 

「現在では世界各国に散らばる支部を合わせて10万を超える門下生がいるらしい。武術界で風間流の名を知らぬ者はいないとまで言われているな」

「ふーん。それだけいれば結構念能力者もいそうだな」

 

 私の時には10万もの門下生はいなかったな。確か6万とんで300人くらいだったか。リィーナや他の弟子たちが尽力してさらに増やしたんだろう。嬉しいことだ。

 

「支部長クラスは大抵が念能力者よ。当たり前だけど、それなりの実力がない奴に務められるモンじゃないしね」

「当然ですがこの道場にも念能力者はいるはずですよ。師範や師範代、それ以外にも風間流の門派でハンター試験に合格した人には必ず念能力を修めさせるようにしていますしね」

 

 あれから時が大分経つのでどれほどの念能力者がいるかは分からないが、少なくとも居ないということはないはずだ。

 

「そんじゃさっさと入ろうぜ。ここで修行するんだろ?」

「ええ。出来るだけ実戦形式で組手を行います。生死を分ける戦いではないのでそこまでの成果は望めませんが、それでも経験にはなるでしょう」

 

 実戦形式ではなく、緊張感溢れる実戦の方が身につくモノも多いだろうが、そこまで望むのは難しいだろう。訓練と頭で分かっていればどうしても緊張感は薄れてしまうだろうし。

 出来れば皆に念能力者との実戦を一度は経験してもらいたいけど、なにかいい方法はないものかな?

 

「組手か。皆アイシャみたいに強いのかな?」

「安心しなさいゴン。もしもそうだったら今頃この世の武術は淘汰されて風間流のみになっているわよ」

「どんだけですか私は」

 

 最近ビスケの私に対する扱いがひどい気がする。遺憾の意を示す所存である。

 

「ふむ。この門は一般の者でも自由に通っていいのだな」

「ええ。受付は門から入ってすぐ右手側にあります。入門の意思を持つ人は当然、見学希望者もきちんと受付で申し込めば道場内に上がることは許されています。もちろん冷やかしやマナーの悪い方には即退場してもらっていますが」

「詳しいんだなアイシャ。来たことあんのか?」

「……ええ、まあ。かなり昔のことですけどね」

 

 いけないな。ついつい色々と説明してしまった。だが、私が風間流を身に付けているのは皆が知っていることだし、まあ大丈夫だろう。

 

「では参りましょうか」

『おー!!』

「元気ねぇ。若いっていいわ~」

 

 その見た目に合わない年寄りくさいセリフは止めた方がいいと思うよビスケ。

 

 

 

「ようこそ風間流本部道場へ。本日はどのような――と、これはクルーガー様! ようこそいらっしゃいました! 本日は予定された日ではございませんが、どのようなご用件でしょうか?」

「ちょっとね~。リィーナいる?」

「はい。ですが本日は大切なお客様がお見えになられるようなので、お会いになられるかは少々伺ってみなければ……」

「ああ、いいのいいの。この子がそのお客様だから」

 

 どうもビスケは受付の人にも覚えられているようだ。何度もここに来ているのだろう。恐らく私(リュウショウ)が存命していた時よりも多く来訪しているのではないだろうか?

 リィーナとビスケの仲が良くなったのは本当に嬉しい。きっかけが私(リュウショウ)の死というのが何とも言えないけど……。

 

「こちらの方が? 大変失礼ですがお名前は?」

「アイシャと言います」

「アイシャ様。大変失礼いたしました。本部長より丁重にお迎えするよう仰せつかっております。只今本部長に連絡致しますので、こちらの客室にて少々お待ち頂けますでしょうか」

「はい」

 

 えっと、確かに今日到着するとリィーナには連絡していたけど、リィーナは私のことをどう伝えていたんだ?

 ……いや、まあ分かりきったことか。最重要人物とか何とか言って粗相のないようにとか言ったんだろうな。

 

 

 

「うわー。この部屋すごいね。これもジャポンの建築なの?」

「ああ。和室というらしい。部屋いっぱいに拡がる草の香りといい、紙のドアといい、独特のモノを感じるな。ジャポンではこれをワビサビというらしいぞ」

 

 侘び寂びね。ジャポンの美意識の1つだが、やっぱり世界は違えど生まれた故郷に似たこの空気は落ち着くモノを感じる。

 

「うっわ庭もあるぞ。それもかなりデカイな。さっきからカッコンカッコンとなっているのは何なんだ?」

「ふむ……。もしやこれがあのシシオドシか?」

「知っているのかクラピカ!」

「うむ。かつて文献で読んだことがある。シシオドシとは……。かつて獅子に出くわした商人がたまたま持っていた楽器を苦し紛れに鳴らしたところ獅子が商人の前から退散し、商人は九死に一生を得たそうだ。

 以来その音は魔除けや厄除けを秘めていると伝えられ、その時の音を模したモノがこのシシオドシから鳴る音だと言われている。もちろんシシオドシという名もこの逸話から付けられている」

 

 何だそのデタラメな文献は。獅子ではなく鹿(シシ)だ。元々は鳥獣威嚇の為のものだよ。……ん? あながち完全に間違っているとも言えないのか?

 多分勘違いとか伝え聞いたモノがどんどんと変化して最終的にそうなったんだろう。

 

「へ~。それはあたしも知らなかったわさ」

「さすがクラピカ。物知りだね」

 

 あれ? なんか間違いを指摘しにくい状況になってるんだけど? 今さら違いますよ、と言うのもなんだな。…………黙っとこっと。

 

「しっかしめっちゃVIP待遇だな。どうなってんだ?」

「うむ……。どうやらリィーナ殿……風間流の現本部長だが、その方はアイシャをかなり敬っている様子でな」

「なんでそんな凄い人がアイシャを敬っているの?」

「それは……分からん」

 

 だから言ったのにリィーナのおバカ! 私に対して敬意を払い過ぎだよ。皆の私を見つめる視線が痛い。何を考えているかオーラを見るまでもないよ。ビスケは……あ、知らんぷりしてる。ちくしょう。

 

 お、リィーナの気配が強くなってきた。走ってはいないようだけど、結構な速度で歩いているな。競歩でもしているのかと言いたくなる速度だ。

 既に部屋の前まで来ている。入室の声と共にリィーナが部屋に入って来た。

 

「失礼いたします。大変お待たせいたしました。アイシャさん、ようこそいらっしゃいました。

 そして皆様。本日は風間流合気柔術本部道場へようこそ。私が本部長を務めるリィーナ=ロックベルトと申します」

 

 おお、良かった! 私のことを先生と呼ばないかどうか少し心配してたんだよね。杞憂ですんだようで何よりだ。この子も日々成長しているんだなぁ。この調子で多少は師離れしてくれるといいんだけど。

 

「9月までの短い間ですが、よろしくお願いしますね」

「9月までなどと言わずにずっと居て下さってもよろしいのですが……」

「いえ、9月からはまた別の用事がありますからそうはいかないのです。気持ちだけ受け取っておきますね」

「左様ですか……。それで、彼らが修行に来た者たちですね?」

「ええ。左からキルア、ゴン、そしてクラピカです。クラピカとは以前会った事がありましたね」

「はい。キルアさん、ゴンさん、よろしくお願いいたします。

 そしてクラピカさん、でしたか。アイシャさんの裸体を覗き見たチカンヤローのことはよく覚えておりますよ」

「ああ、そう言えばあったわねそんなことも」

 

 ビスケの言葉が終わる前に脱兎の如く逃げ出そうとするクラピカ。だがその行動はキルアによって防がれていた!

 

 クラピカの動きはあの一瞬でよくぞここまでの反応を、と感心するほどのモノだ。だがクラピカの反応を上回るキルアの超反応! それはまさに電光石火とも言わんばかりだった。実際リィーナもビスケもあまりの反応の速さに驚愕を隠せていない。

 私の気のせいでなければキルアの身体から一瞬電気が走ったような気がしたんだけど?

 

「どこへ行こうというのかね」

「は、離せキルア! これは誤解だ! 離せば分かる!」

「話せば分かる……の間違いだろ? ぜってー離さねーよ」

「罠だ! これは罠だ! リィーナ殿が私を陥れる為に仕組んだ罠だ!」

「詳しい話を聞いてから判断させてもらうぜ。場合によってはレオリオにも話す」

「そ、それだけは止めてくれ! 奴に知られてしまったらもはや私の尊厳は御終いだ!」

 

 レオリオさんに対する皆の意識を小一時間問い詰めたい。

 

「ねえアイシャ。本当にクラピカがアイシャの裸を覗いたの?」

「まあ、不可抗力ですよ? 情状酌量の余地は大いにありますし、そもそも私は気にしてません。もう終わったことなんですが」

 

 リィーナを見ると計画通り、といった表情が見え見えだった。嘘は言ってないが、クラピカを陥れる為に言ったことは確かのようだ。やれやれ。

 

「キルア。クラピカは私の裸を覗き見てなどいませんよ」

「ほっ。アイシャ、すまないが説明してやってくれ」

 

 取り敢えずキルアのクラピカへの誤解を解くために説得しようと思ったが、ここでリィーナがトドメに入ってしまった。

 

「そうでしたね。入室の許可はおろかノックすらせずにうら若き乙女の部屋へ強引に入室し、更衣中の為に全裸であったアイシャさんを数秒間凝視しただけでした。

 更衣中と知っていたわけではないのでわざとではなく、確かに不可抗力と言えるでしょう。痴漢呼ばわりをして申し訳ありませんでしたクラピカさん。素直に謝罪いたします」

「ギルティ」

「違う! いや違わないが、今のは故意に脚色して伝えられている!」

「ダメだよクラピカ。女の子の部屋に勝手に入っちゃ」

「ゴン!? ゴンにまで言われてしまった……。もはや私に味方はいないのか?」

 

 なにこのカオス?

 キルアとゴン、そしてリィーナによって完全に物理的にも精神的にも逃げ道を防がれてしまったクラピカ。もはや絶体絶命か。

 

 だがそこに救世主が現れた。

 

「もうそれくらいにしときなさいリィーナ。クラピカは本当に故意にしたわけじゃないんだから。アイシャの部屋に入ったのもアイシャを心配してのことでしょ。少しの行き違いがあっただけよ。見られたアイシャ本人が許しているのにこれ以上追求する必要はないわよ」

「……そうですね。分かりました、正式に謝罪をさせていただきますクラピカさん。徒らに貴方の名誉を貶すような物言いをしてしまい真に申し訳ありませんでした」

「あ、ああ。分かってくれればいいんだ。私もノックをせずに入室したのが悪かったのだから。アイシャにも、リィーナ殿にも改めて謝罪しよう。本当にすまなかった」

「私はもういいと言っていますのに」

「私の気がすまないんだ。そしてビスケ、私を庇ってくれたこと感謝する。ありがとう」

「いいのよこれくらい。気にしないでね」

 

 

 

 

 

 

 気にしないでね、ですか。ビスケもよくそのような言葉が吐けるものですね。

 私には分かります。これこそが真の罠だと。ビスケは『痴漢男』の四面楚歌の状況を利用したのでしょう。

 『弟子擬き』が周りから追求されている状況下になるまで何も口を挟まず、それどころか事の発端である私の言葉を補足までする始末。そうして『師匠泥棒』が追い詰められた所で救いの手を差し伸べるわけです。

 これで『下衆』のビスケに対する好感度は上昇するという寸法でしょう。流石はビスケ。抜け目無いことです。

 

 私としてもビスケが『カマ男』と恋仲になるのは好都合です。そうすれば先生は晴れて自由の身となり、私との蜜月の様な修行の日々が再び始まることとなるでしょう。

 もしビスケと上手く恋仲になるのなら今までとは違い色眼鏡なしで見てあげるとしましょう。

 聞くところによるとかなりの優良物件の様子。先生にさえ手を出さないのであれば特に言うことはありません。

 ですのでビスケの手助けをするのも吝かではありません。ビスケが『産業廃棄物』に救いの手を差し伸べた時にビスケのアイコンタクトに乗って話を合わせたように。

 

 ですが…………。今後も先生にまとわりつくというのであれば話は別です。

 今回の修行の話はある意味好機と言えるでしょう。この期に『竈馬』の考えが変わるよう行動するとしましょう。

 

 手始めに修行と称して徹底的に扱いてあげましょう。

 ふふふ。どこまで耐えられるか愉しみですね。3日保てば褒めて差し上げますよ。

 

「さて、こうして話をしているのも何でしょう。皆様は修行に来られたのですから」

「そうですね。では、案内してもらえますか」

「はい。こちらへどうぞ」

 

 ああ、こうして先生と言葉を交わしながら再びこの道場を行き交うことが出来るなんて! まさに夢のよう! 支部巡りを早めて帰ってきたのは間違いではなかったようです。

 

「アイシャさん、お身体の調子はいかがでしょうか?」

「ええ、特に問題ありませんよ」

「そうですか。何かあればすぐに仰ってくださいね」

 

 もう二度と、私に何も言わずに去ってしまうのはご勘弁願いたいのです。先生が死んでしまうくらいなら私が先生より先に死にます。死んで死者の念を生み出してでも先生を守ります。

 

「アイシャさん、お腹はすいていませんか?」

「いえ、お昼はもう食べましたから」

「そうですか。では夕餉はこちらで用意しましょう。本日は懐石を予定しています」

 

 先生はジャポン食がお好みでしたから今日は最高級の懐石を用意いたしました。

 新鮮な魚介類、特に生のサシミを好まれていたのでもちろんそれも用意しています。醤油とワサビも忘れずに。私も以前は生の魚など食べることは出来ませんでしたが、先生の好みなので食べだしたところ今では私も好物となりました。

 本当ならばジャポン酒もご用意いたしたいのですが、今の先生は未成年ゆえにそれもやめておいた方がいいでしょう。

 

「アイシャさん、喉は乾きませんか? 上質の茶の葉があるのですが」

「今は結構ですよ」

「分かりました。それでは後ほど時間を作り茶をたてましょう。良い茶菓子もありますのでお口に合うと良いのですが」

 

 茶の作法も同じですね。先生が来られたジャポン由来の文化なのでつい身につけてしまいました。こうして先生に茶をたてる機会が出来たので全く後悔はしておりませんが。

 

「アイシャさん、今日は日差しが強いので日の下に出るのならこちらの日傘をお使いください」

「い、いえ、そこまでしなくても。私の肌はあまり日に焼けない体質のようですし」

「せっかくの大理石の如く美しい白いお肌が荒れてはいけませんので。ああ、庭を散策するのでしたら是非とも私にもお声を掛けていただけますか?」

 

「(なあ、アレは本当にこの道場で一番偉い奴なのか?)」

「(残念ながらそうよ。本当に残念ながらね)」

「(風間流の本部長はとても立派な方と言われているが……)」

「(なんかアイシャのことすっごく気にかけてるね)」

「(違うのよ。こうじゃないのよ普段のこいつは……。アイシャが関わるとダメなのよ……)」

「(シオンといいリィーナさんといい、風間流ってのにはこんなのしかいないのか?)」

「(否定してあげたいけど、トップのこいつがこうなんだから何も言えないわさ)」

 

 先生との至福の会話中に何やら雑音が聞こえますが、まあいいでしょう。先生と共に居られるという至上の喜びの前では例え世界が滅ぶことさえ些細なことです。この程度の雑音くらい大目に見てあげるのが情けというものでしょう。

 

「さて皆様。ここが当道場の鍛練場の1つです。他にも大小併せて複数ございますが、ここが主道場となっております。本部門下生一同がここに集い朝の挨拶から修行の1日が始まります」

 

 一応は案内を兼ねているので他の面々の為にも敷地内の施設を回りながら説明をするとしましょうか。先生は全てご存知ですが、初めて来られる方が殆どのようなので致し方ないでしょう。

 中では門下生たちが稽古に励んでいますね。私がいなくとも弛んでいないようで何よりです。

 

『お疲れ様です! 本部長!』

「お疲れ様です。皆さん私たちに構わず鍛錬に集中してください」

『はい!!』

「へー、やっぱりこんだけいると熱気がすごいな」

「うん。迫力あるね。……なんかオレ達注目されてる?」

「そりゃそうよ。本部長のリィーナが直々に案内するなんて滅多にないことよ。注目を浴びない方がありえないわね」

 

 確かに。鍛錬をしている最中にもこちらをチラチラと注視してくる者もいますし、耳を澄ませば何やら雑音も聞こえますね。

 ふむふむ?

 

――誰だあの人たちは? 何故本部長が直接案内を?

――クルーガー様だ。周りの者たちはクルーガー様のお知り合いか?

――おい稽古に集中しろ。リィーナ様に知られたらどうなるか分かっているのか? お叱りだけではすまんぞ。

――むしろご褒美です。

――勇者がここにいた。オレはビスケたんに叱られたい。怒られるじゃなく叱られたい。

――誰だあの可愛い子。名前知りたいな。入門希望者だといいんだけど。

――おい今ロリコンがいなかったか?

――そんなことよりおうどん食べたい。

――子ども? 入門者か? リィーナ様が直接案内しているから権力者の子どもとか?

――カッコイイ……誰だろあの人。

――イケメンは死ね。

 

 …………何やら意味の分からないことを口走っている者もいますね。

 私たちに構わず鍛錬に集中しなさいと言ってすぐにこの有様。弛んでいないと思っていましたが、どうやら私の勘違いのようでした。少々活を入れるとしましょうか。

 

「どうやら皆さん少々気が抜けているようですね。その様で乱取りをしても無駄に怪我をするだけで無意味でしょう。今日の残りの時間中は道場の周りを走っていなさい!」

『はい! 申し訳ありませんでした!』

 

 私の言葉に従い全員がランニングへと移動しました。おかげで鍛練場の中は私たち以外誰もいません。鍛錬に励んでいた者たちの方が多かったのですが、今回は連帯責任とさせてもらいましょう。

 

「おい、誰もいなくなったんだけど。オレ達の訓練はどうすんだ? また穴掘りか? それとも練か?」

「ご安心ください。あなた達の修行場はここではありません。この奥にあります」

「奥? ここにいた者たちが組手の相手ではなかったのか」

「当然でしょう。あなた達は念能力者を相手に組手をしたいのでしょう? 念能力者の存在は軽々しく公にしていいものではありません。それは風間流の門下生といえども同じことです。力を有するに値すると判断されない限りその存在は秘匿されています。

 つまり念能力者となった者たちの修行場はこことは違い秘匿された場所にあるのです。それくらい頭を働かせれば容易に想像できるでしょう。愚鈍ですねあなたは」

「そ、それはすまなかった……」

 

 ふ、この程度ですかこの『出歯亀』は。脳を使うことを忘れているんですか?

 

「クラピカにはとことん辛辣ねあんた……。気にしない方がいいわよクラピカ」

「疑問をすぐに他者に聞くのではなく自分で考えて答えを想像することですね。少しはない頭を捻りなさい」

 

 先生に指導されているのはこの『脳なし』だけでなくゴンさんとキルアさんというお2人もそうらしいですが、事の発端はこの『能なし』です。

 この『変態』が先生に弟子入りなどしなければこのようなことにはならなかったでしょうに。

 そもそも男が先生の裸体を見て何ら罰されずに生きているというのが既に問題なのです。

 故に私のこれはこの『変質者』への罰なのです。なんら問題はありません。決して私怨ではないのです。

 

 

 

「さあこちらです」

「この扉の奥に念能力者の修行場があるの?」

「ええ。あなた、ゴンさんと言いましたね。扉を開けてごらんなさい」

「う、うん。よっ……! あ、あれ? 開かないよこれ。ぐ、ぐぐぐ! はあっ! ダメだピクリともしないや」

「実は押すんじゃなかったりしてな」

「でも取っ手も何もないし…………。あ! もしかして」

 

 その言葉と共に纏をして再び扉を押すゴンさん。

 ほう、気付かれましたか。もしかしたら同じようなモノを知っているのかもしれませんね。先生もいることですし、教わった可能性も高いでしょう。

 

「よっと。やった! 開いたよ!」

「なるほど。念能力者にしか開かないようにした扉か。これなら確かに一般の門下生にも秘匿可能か」

「この扉があるこの部屋に入るのにも許可が必要となっています。このことはもちろん他言無用に願います」

 

 他の門下生はここで認められた者だけが奥義を伝授してもらえるのでは、と考えているようです。あながち間違いとは言えませんね。

 もっとも、念法は教えても風間流の最奥までは教えていませんが。

 

 それを教えるのは真に風間流を引き継ぐ資格を有していると断じられる者のみ。

 候補者は何人かいますが、その最たる者であるシオンも未だその域に達してはいません。シオン以上の腕前の持ち主も幾人かいますが、才能という一点でシオンに劣りますしね。

 あの子は切っ掛けがあったらもっと化けると思うのですが……。ウイングさんに発破を掛けてもらいましょうか?

 

「それでは参りましょう」

 

 ここから先が貴方の地獄ですよ『屑野郎』さん。ふふふふふ。

 

 

 

 

 

 

「せあ! しっ、ふ!」

「く、ちぃ! まだ、甘い!!」

 

 打突による体勢崩し、そこから体捌きを変えての柔を仕掛けてくるケンミ。打突にはしっかりとオーラを乗せており、容易に受ければこちらも無事ではすまない。

 何せこいつは強化系だ、オレよりも念能力歴は3年も短いが、特質系のオレよりも攻防力に対する比率は段違いに高いからそれなりの対応をしなきゃならねぇ。

 その対応を読んでの柔。なるほど、中々に念と合気柔術を組み合わせて攻撃してきやがる。だがまだまだ詰めが甘いな。柔に移る際にオーラと肉体に齟齬が生まれているぜ。

 

 その隙を突いて逆にオレが柔を仕掛ける。宙に舞い地に叩きつけられたケンミの顔面にたっぷりとオーラを乗せた踵を叩きつける。もちろん寸止めだがな。こんな所で殺人なんてする気は毛頭ねーよ。

 

「ま、参りました!」

「おう。まあなんだ。お前さんも大分一端になってきたぜ。だがまだまだだな。柔に移る時のオーラの動きをもっとスムーズにしないといけねーぜ。あれじゃ体幹が崩れて柔のタイミングがバラバラになっちまう。そこを突かれるとああいう風に簡単に返される。

 柔の動きに併せてオーラの攻防力移動をするんだ。これは自己鍛錬でゆっくり身体に馴染ませるしかない。頑張れよ、お前さんなら出来るさ」

「はい! ご指導ありがとうございますトンパさん!!」

 

 いいってことよ、と手をヒラヒラとさせながら返す。

 後輩が成長するのは先達であるオレの喜びでもあるからな。

 

「ははは。中々の指導っぷりだな。7年前のお前からは想像出来ないなトンパ」

「おいおい。それを言うなよランド。後輩に示しがつかなくなっちまうだろ」

 

 こうしてオレに軽口を叩いているコイツはランド。オレと同期で風間流に入門し、共に研鑽する仲間でもある。

 オレよりも1年早くにプロハンターになり、念に関しても一歩か二歩は先に行かれているな。

 性格は明るくサバサバしているので憎めない良いやつだ。オレのようなオッサンにもダチの様に接してくれるしな。

 

「ケンミ。次はワシと組手をするぞ。しばらく組手をした後は練をして今日は終わりじゃ。毎日のように言うが、点と纏を怠るなよ」

「はい! 分かりましたルドル師範代! よろしくお願いします!」

 

 ケンミの次の相手はルドル爺か。これまたケンミには荷が重いな。

 なんせルドル爺は本部道場でも3指に入る実力の持ち主だ。当然オレなど相手になるわけがない。

 一番歳食ってるだけのことはあり、後輩達の指導にも余念がない。リィーナ先生も信頼を置いている相手だ。ケンミじゃ勝てっこない……て、当然か。ケンミはこの中じゃ一番の新参だからな。

 

「トンパ、次はアタイと組手だ。休む暇はないぜ!」

「エイダかよ。能力は無しで頼むぜ」

「分かってんよ。そんじゃ行くぜ!」

 

 エイダ。女の癖に男勝りな言動が目立つ奴だ。

 こいつに発を使われるとオレじゃ勝つのは厳しすぎる。オレの能力は戦闘には使えないしなぁ。

 

「おら! 隙有りだ!」

「なろ! まだまだぁ!」

 

 こいつと組手するのはかなりしんどい。エイダは打撃を多く組み合わせて攻撃してくるからな。流石は心源流も習っていただけはあるぜ。おかげでエイダと組手をすると青あざだらけになっちまう。

 

「っし! しゃあ! 1本だろ今の!」

「まだや。トンパは凝で受身を取っとるさかい、1本とは言えんで」

「ち! 判定辛くねーかサイゾー」

「審判やさかいな。そらしっかりと見極めなあかんやろ。1本ちゅうのは相手を仕留めたってことや。あれじゃ無理やな~。油断しとったら反撃もらうで?」

「そういうこった、よ!!」

 

 サイゾーの言葉通りにすかさず反撃を行い寝技に持ち込む。流石はサイゾーだ。良く見てやがるぜ。こっちが投げられるのを分かって凝で受身したのを見過ごしてなかったか。

 しかしその方言はどうなんだ? ジャポン語なら分かるけど共通語だろ? わざわざ方言風に訳して喋らなくてもいいだろうに。

 

 まあいい、そんなことよりエイダとの組手に集中しよう。立ち技じゃ分が悪いが、こうして絞め技に持ち込めたのは僥倖だ。これを外すにはよほどの力量差がいるが、流石にそこまでの差はないからな。

 これでオレの勝ちだ! さっさとギブアップしないと落ちるぜ?

 

「う、ぐ、ぎ……らぁ!」

「ちょっ! 発は禁止って、ぎゃあああ!」

「はぁ、はぁ、ひゅー、み、見たか、アタイの勝ちだ!」

「アホか! 確かに実戦やったらそうやけど、こら模擬戦やで! あない大量の念弾ぶつけるアホがおるか! おいトンパ無事か!?」

「無事なわけあるか! 全身ボロ雑巾のようにされたわ!」

「そんだけ喋れたら大丈夫やな。あ~、でも結構やられとるな。おーいミズハ~。トンパ診たってや~」

「はい! と、トンパさん、だ、大丈夫です、か?」

 

 女神降臨。ミズハがいなかったらオレは1000回は死んでるね。

 

「ああ、こんなに傷ついて……。いま癒しますね」

「頼む。……あー、生き返る~」

 

 ミズハは強化系だがその能力を癒しの力にしている。この世界では珍しい回復系の能力者だ。大体念能力者ときたら自分を強くする為の能力を作ったりするもんだがな。

 ミズハは生来の優しさからか他人を癒す能力を作り出した。おかげでここでの怪我人は大いに減ったってわけだ。ミズハ様々である。

 

「もう! ダメですよエイダさん! トンパさんが死んでしまうところでしたよ!」

「い、いや悪かったって。でもこいつこの程度じゃ死なねぇだろ? リィーナ先生のシゴキに耐え抜いてきたんだぜ?」

「だからと言ってやって良いことと悪いことがあります! エイダさんは今日のおかずは一品抜きです!」

「そんな! ごめんってミズハ! それだけは勘弁してくれ!」

「謝るなら私ではなくてトンパさんにですよ!」

 

 ミズハはそのオーラを変化させて特殊な調味料を作り出し、それを食事に混ぜることで食材の効果を強化する能力も持っている。料理の腕も相当なもので、この場にいる全員の胃を掴んでいる。回復の能力といいもはや命を握っていると言っても過言じゃないな。おかげで本気でミズハを怒らせる奴はこの場にはいない。

 

「悪かったよトンパ。……しかしミズハはトンパに甘くねーか?」

「え!? そ、そんなことないですにょ!?」

「どもってるよミズハ」

「わ、私は、その、と、トンパさんのことを……」

「分かってるってミズハ。おいエイダ。ミズハに言いにくいこと言わせようとすんなよな。オレみたいなおっさんに惚れるなんてありえねーだろ。なあ?」

 

 ミズハは優しいからな。オレが傷つかないように言いにくいこともあるだろうさ。

 

「そ、そんなことはありません! と、トンパさんは素敵な人ですよ!」

「はは、お世辞でも嬉しいぜ。さて、もう回復は大丈夫だぜ。すっかり治っちまったよ。ありがとなミズハ」

「い、いえ! 当然のことをしたまででしゅ!」

「噛んでるよミズハ」

「ミズハさん! オレも治療してもらえないでしょうか!?」

「えっと、ピエールさん……? あの、これかすり傷程度ですよね? これは治療するまでもないですよ。それにあまり念能力に頼った回復をすると自己治癒能力が衰える場合もありますから多用は厳禁ですよ」

「そ、そうですね。ははは…………トンパぁぁぁ! ボクとも組手しようじゃないか!!」

「何でそうなるんだよ!? オレは休憩中だっての!」

 

 相変わらずミズハ一直線だなピエール。コイツがミズハに惚れているってのはもはや周知の事実だ。知らぬは本人とミズハのみだろう。どうしてミズハも気づいていないんだ?

 

「ダメですよピエールさん! トンパさんは治療が終わったばかりで体力が戻ってないんです。組手なら私が相手になります。トンパさんを傷つけないでください!」

「そ、そんな!?」

 

 オレの前に立ちはだかってピエールと相対するミズハ。

 恐らくその可愛い瞳には涙を浮かべてピエールをキッと睨みつけていることだろう。

 その効果は抜群だ。ピエールの戦意は一気に消沈していった。

 

「う、く……お、覚えていろよトンパ! お前のようなオヤジにミズハさんは似合わん! いつか決着を付けてやるからな!」

 

 言いたいことだけ言って去りやがった。何がしたかったんだあいつは?

 しかし助かったぜ。ミズハの言った通りオレの体力はかなり底を突いているからな。ミズハの回復能力は便利だが対象の体力を大きく消耗する欠点、制約がある。

 その制約を外してミズハ自身の体力を使用する事で対象の体力を損なわず治療することも出来るらしいが、それは最終手段だそうだ。頻繁にそんな事していたらいざという時にミズハの能力が使えなくなるからな。

 

「と、トンパさんはしばらく休んでいてくださいね。きょ、今日の夕食は精のつくものを用意しますから……」

「ああ、ありがとな」

 

 そう言いながらミズハの頭をグリグリと撫でる。年頃の女性に対して失礼な行為かもしれないけど、ミズハはこうされるのが好きらしい。ま、女のことなんてよくわからん。

 

「はふぅ……」

「こいつの趣味は理解出来へんわ……」

「あ? なんか言ったかサイゾー?」

「なんもあらへんよ。ただちょっとピエールが哀れと思っただけや。……あいつの名前のラストはルからロに変えたほうがええかもしれへんな」

 

 どういうこった?

 

「それよりもや。さっきの組手はトンパも詰めが甘かったで。念能力者相手に絞め技して速攻落とさな反撃喰らって当然やろ」

「う、分かってるって。次からは気をつけるさ」

 

 サイゾーの言う通りだぜ。実戦はルールのある試合じゃないんだ。絞め技極ったからって外す方法はごまんとあるだろうさ。エイダがやった反撃も実戦じゃ当たり前だ。絞めるなら即落とさなきゃな。

 

 まあいい。今日の訓練はあらかた終わった、後は反省点を洗い出しながら点と纏に努めるか。これを欠かしては立派な念能力者になれないからな。

 後は飯食って風呂入ってゆっくり休んで。同じように泊まり込みで修行してる仲間と話し込んで。そして明日に備えてぐっすり眠る。

 

 ああ、今日もいい1日を過ごせそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ってちげーよ! なんで充実した1日を送って満足してるんだよオレは!

 しっかりしろトンパ! お前の目的は何だ! ここで立派な念能力者になることか? そうじゃないだろ! お前の目的は夢や野望の為にプロハンターを目指している新人たちの希望に満ち溢れた顔が絶望に染まるのを見ることだろ!?

 こんな所で健全な生活をしながら鍛錬に励んでいる場合じゃないだろ!! なにマトモな人生を歩もうとしてるんだ!?

 

 クソッ! しばらくここに缶詰だったから思考が毒されていやがった! アブねー。危うく洗脳される所だったぜ。なんて場所だ風間流!

 だがどうする? こうして正気に返ったはいいが、ここから脱出するのは不可能に近い。出来たらオレはこんな場所にいるわけがない。

 

 昼はこいつ等と一緒にいるから抜け出す事は無理。特にルドル爺はここに住み込んでいるし、リィーナ先生からオレの監視を頼まれている。その目を欺くのは極めて困難だ。

 かと言って夜にこっそりってわけにはいかない。オレの部屋の周りには様々なセンサーが仕掛けられており、ある一定の時間が来ると自動でセンサーが作動する。

 センサーが発動するとすぐにルドル爺の持っているケータイに電波が送られるという仕組みだ。おかげで何百回と痛い目にあったぜ。

 

 もちろんルドル爺だって年柄年中この道場にいるわけじゃない。ここから出かける時もある。だがその時が好機になることはない。何故ならルドル爺は操作系。それも物体ではなく人間に掛けるタイプの能力を持っている。

 その能力は対象の行動の一部を縛るといったものだ。相手が死に関わるような操作や意識や動きを操作するタイプではない為比較的制約も軽く、また仕掛けやすい。

 そしてルドル爺は道場から離れる時必ずオレにその能力を使用する。縛る行動はただ1つ、オレがこの道場から出ようとする行動のみだ。

 これだけで詰んだ。もうどうしようもなかった。

 

 幸いルドル爺も常日頃からオレを操作するつもりはないようで、ルドル爺が外出しない時は特にオレに能力を使用することはない。

 だからオレが脱出する方法を実行するのはルドルの爺が道場にいる時だけ。そして昼間はさっきの理由でまず無理。夜はセンサーを誤魔化す方法がなくて無理。

 手詰まりだ。

 

 いや諦めるなオレ! ここで諦めたら御終いだぞ! ……と、思っても仕方ないか。何せオレは自分の念【箱庭の絶対者】の誓約を破ったことにより試験官になろうって気がさっぱりなくなってしまっている。

 新人どもの絶望の表情は見たい。だがそれには試験官にならなければならない。しかしオレは3年間は試験官になろうという気が起きない。

 

 クソッタレ!! あん時リィーナ先生にバレさえしなけりゃどうとでもなってたのによ!

 これも何もかもあの疫病神アイシャのせいだ! アイツがハンター試験を受験してなきゃこうはならなかったんだ!!

 

 …………落ち着け。今さらどうこう言っても仕方ないことだ。それよりもどうすればここを抜け出せるか。どうすれば新人たちの絶望が見られるかを考えた方が建設的ってもんだ。

 試験官になれないならどうすれば……。

 

 変装してもう一度試験を受ける? ダメだ。もしバレたらプロハンター資格を取り上げられるかもしれない。

 ……? あれ? 取り上げられても問題ないんじゃねーか? いや待て落ち着け。資格を失った者がもう一度試験を受けられるとは限らない。この辺は良く調べてからにしよう。下手をして資格を無くすと試験官にすらなれなくなる。

 

 そもそもここから抜け出せないと話にならないんだ。今は脱出方法を模索するのが先だ。

 

――この場の全員倒して無理矢理逃げ出す。

 

 無理。それが出来れば苦労はしない。そもそもオレの力で確実に勝てるのはケンミくらいだ。他のは良くて五分。ルドル爺なんて勝てる気がしねぇ。

 そもそもここの念能力者鍛練場は幾つもの班に分かれて修行をしているんだ。この班を倒しても他の班に邪魔されるのがオチだ。実現出来たとしても甚大な努力と膨大な時間を要するだろう。

 

――新たな念能力を開発して脱出。

 

 ……可能性は低い。

 オレの容量は現在の能力で一杯だ。修行により容量を増やしたり、使用している容量を抑えて空き容量を増やすことは出来るだろうが、どちらにせよ時間が掛かる。

 そもそもどういう能力で逃げ出せばいいのか。瞬間移動? 空を飛ぶ? 無理、放出系は離れている。操作系で誰かを操作。……可能かもしれないが、下手するとバレたら殺されるので却下。強化系、変化系では思いつく能力がない上にやっぱり得意系統から離れすぎだ。具現化系は……作ったモノに付与した能力次第ではありかもしれない。取り敢えず保留だな。

 

――信頼を得て自由行動を得る。

 

 無理……とは言い切れない。

 だがオレは既に自由行動を得た後に罰せられてここにいる。つまりは前科有りだ。もう一度信頼を得るには時間が掛かるだろう。

 

 

 

 結局どの方法も時間が掛かりすぎだぜ。何とか上手い方法はないものか……。

 

 そうして色々と脱出計画を思案している時だ。鍛練場の扉が開き中に誰か入ってきやがった。

 

「伝達!! リィーナ先生より大道場にて全員集合との事だ。急げよ!」

「了解!」

 

 大道場? 全員で模擬戦でもすんのか? それとも班毎に分かれてのチーム戦か? いや、多人数でのバトルロイヤルもあるか。

 どちらにせよ面倒なことだ。だがリィーナ先生の言葉に逆らう奴がこの道場にいるわけがなく、またオレも逆らうわけにはいかねー。

 仕方ない。逃げ出す為にも今は疑われるわけにはいかんからな。しばらく従順に過ごすしかないか。

 

「模擬戦かな!? やっりっ! 今日こそアタイが優勝してリィーナ様に直接修行してもらうぜ!」

「そうと決まったわけじゃないだろ?」

「あー? んじゃ何だってんだよランド?」

「ふむ。……確かに抜き打ち試合とかありそうではあるか」

「だろだろ!」

「朝方リィーナ先生が特別なお客様が来られると仰っていましたから、それでしょうか?」

「きっとそうですよミズハさん! いやぁやっぱりミズハさんは聡明だなぁ」

「頑張れ、負けんな」

「何故ボクを励ますサイゾー?」

「ふむ。分からぬならそれがオヌシの為じゃ」

「ルドル爺まで。わけが分からないな?」

「何にしろ模擬戦だけは勘弁してほしいぜ。体力残ってねーよ」

「でもリィーナ様のことですから、それでも参加は強制でしょうね……」

「ケンミの言うとーりやろうな。『体力が減ってるから休ませてくれ、と言って聞いてくれる敵がいるわけがありません』とか言われんのがオチやで?」

「お前の声真似怖いくらい似てるんだけど? どうやってるんだサイゾー」

 

 等と他愛ないことを話しながら大道場に辿り着くルドル班。

 大道場ではあらかた他の班の連中も集まっており、オレ達は大分後からやってきたようだ。

 

 全員が揃って5分程待ったか。誰も私語をするものはおらず、静寂が場を支配する。

 当たり前だ。ここで無駄話をしてリィーナ先生の怒りを買った日にはどうなるかなんて全員が分かりきっている事だ。

 

 そうして総勢百余名もの念能力者が整列して待っていると、正面の扉がゆっくりと開いた。全員の予想通り、そこから現れたのはリィーナ先生だった。そしてその後ろには幾人かの人影が見え――

 

「――げえっ!? アイシャ!!」

 

 そう叫んだ瞬間オレは心底縮み上がった。

 正面を見るとリィーナ先生がオレを見ていた……それも顔は笑っているが目はちっとも笑っていねー。……何だか知らんがマジで殺されるかもしれん。

 

「さて、お待たせいたしました。本日は皆に紹介したい方たちがいます」

 

 そういって周りにいた連中が前に出る。

 アイシャ以外も見覚えがある連中だ。あいつ等今期のハンター試験にいた奴らだったな。確かキルアって奴以外はプロハンターに合格してるはずだ。

 そんな奴らがどうしてここに? 風間流で念を習うにしても門下生以外で本部道場の奥にまで来る奴なんて初めてじゃないか? 風間流ではないプロハンターが念を教わるならもっと別の場所でしていたはずだろ? それとも門下生にでもなったのか?

 

「彼らはここで念の戦闘経験を積むために来ました。本来なら門派に連なる者と許可を得た心源流の者以外は立ち入ることを禁止としていますが、彼らもカストロさんと同じく特別とします。では皆さん、自己紹介をお願いいたします」

 

 そうして全員が一歩前に出る。まあオレは自己紹介なんかされなくても全員知ってんだけどさ。しかしこんな所まで稽古に来るたぁ熱心なことで。オレには理解できないね。

 

「アイシャといいます。よろしくお願いします」

「クラピカという。私たちに思うところもあるかもしれないが、よろしく頼む」

「ゴンだよ……です。よろしくお願いします!」

「キルア。よろしくな」

 

「皆には彼らを交えて組手をしてもらいます。もちろん手加減をする必要はありません。彼らも念能力者ですから。もっとも、知られたくない能力もあるでしょうから、能力使用の有無は皆の一存に任せます」

 

 まあ確かに。例え同門とは言え自分の能力を秘密にしてる奴なんてそこら中にいる。オレだってそうだ。オレの能力を知ってんのはリィーナ先生くらいだ。

 もしかしたらルドル爺にはリィーナ先生が話してるかもしれないが、同じ班のメンツで知ってる奴は他にはいないだろう。いたら絶対からかう奴がいるからな。主にランドとかサイゾーとかエイダとかピエールとか。

 

「では初めに彼らの実力をある程度皆に知ってもらう為に1対1の試合をしてもらいましょうか。皆さん、我流ながらもこの者達はそれぞれ確かな実力を持っています。確と見届けるように」

『はっ!!』

「それではゴキ……クラピカさん、貴方からどうぞ」

「いま私の名前ではない何かが口から――」

「当方からは……トンパさん。前へ」

「えっ!? いや、あの」

 

 オレかよ~!! どう考えてもさっきの失言が原因としか思えねー! 今のオレなんてケンミにすら負けるんだぞ! せめて体力を回復させてからにしてくれ!

 

「どうしたんですか? トンパさん、前へ」

「いや、実は体調が芳しくなくて」

「(あの蜚蠊を倒すことが出来たなら、貴方の先ほどの暴言を許しましょう。さらには自由への道も短くなると思いなさい)」

「しゃあ! オレが相手だクラピカ! かかってこい!」

 

 俄然やる気が湧いたぜ! 絶対負けるわけにはいかねぇ!

 そもそもコイツ念を覚えて半年足らずだろ? そんな奴に負けるわけがねえだろ。というか負けるとヤバい、下手すりゃ殺された方がマシな目にあうかもしれん。

 勝つ! 体力がどうのこうのじゃねー! 絶対に勝つ!

 

「それでは両者前へ。……始め!」

「はぁ!」

 

 なけなしのオーラを奮い立たせ、全力で練をする!

 心なしかいつも以上に練が強い。体力はとっくに限界だが、精神が肉体を凌駕しているんだ。行ける、今のオレは今までで一番強い!

 

「ふっ」

 

 え? ちょ? クラピカさん? 何ですかその練は? あなた念を覚えて半年経ってないんですよね?

 明らかにオレの倍以上あんぞおい! どうなってんだふざけんなよ!!

 クソッ! こいつハンター試験の前から念を覚えてやがったんだ! 実力を隠してやが――!?

 

 クラピカのあまりのオーラ量に驚き身を竦ませたオレは、クラピカから見れば隙だらけだっただろう。右手に装着してあった鎖でアッという間に縛られたオレは、そのまま引き込まれ強烈な一撃をもらって地に崩れ落ちた。

 

 意識を失う前に覚えているのは、リィーナ先生の養豚場に運ばれるブタを見るような目だった。

 

 ざんねん! オレの冒険はここで終わってしまった。

 

 




今回登場したオリキャラ達は今後出る予定は恐らくありません。ただの一発キャラ達ですのであしからず。
風間流では系統ごとの戦い方や攻防力を身にしみて覚えるため班分けは出来るだけ得意系統をバラけさせています。
一応大雑把にオリキャラ紹介。


・ルドル=ホフマン(62)男性:操作系
 トンパたちを指導する班の指導者。その実力は本部道場内で三指に入る。現在本部長後継の最有力候補とも言われている師範代。かつてリュウショウに敗北して風間流に門派変えをした。
 思慮深く、後輩の面倒見もよく、本部長のリィーナからも同門からも信頼されている。その為比較的若い人材を集めた班で教育している。
 その能力でトンパの逃亡を阻止している。実はリィーナに惚れており、叶わぬ恋と知りつつ独身を貫いている。



・ランド=グレーナー(21)男性:強化系
 トンパと同じ時期に風間流に入門した青年。明朗快活で、人を見た目だけで判断はしない好青年。以前美人の女性に惚れてしまい痛い目にあったことがある。
 風間流に入門したのも嫌なことを忘れたいためであり、その為かトンパが受けたシゴキと同じくらいの修行を自らに課していた。
 歳は離れていてもともに地獄をくぐり抜けたトンパの事を友人だと思っている。



・エイダ(19)女性:放出系
 スラムに暮らしていた孤児。その為か言葉使いがかなり荒い。スリで生活していたが、あろうことかショッピング中のリィーナとビスケを狙ってしまった。
 リィーナの言葉もあり、更生のため風間流と心源流に強制入門させられる。以来定期的に2つの流派を行き来していたが、現在は風間流に絞っている。
 本人は暖かい飯もあり、寝床もあるため現状を気に入っている。拾ってくれたリィーナに感謝しており、その強さに憧れている。
 多数の念弾を打ち出すのが得意。本人曰く数打ちゃ当たるとのこと。



・サイゾー(25)男性:変化系
 ジャポン出身。共通語をわざわざジャポンにある地方の訛り風に変換して話す変わり者。だがその実力は高く、ルドルとも幾度か引き分けに持ち込んだことがある。
 ノリが良く、ギャグもツッコミも両方こなせるルドル班でも貴重な人材。実はジャポンに伝わる暗殺集団ニンジャの元一員。いわゆる抜け忍だが、何故風間流にいるかは不明。
 なんでもアリなら班でもっとも強い。本名はサイゾー=キリガクレ。



・ミズハ=トロイア(18)女性:強化系
 ルドル班の肉体的にも精神的にも癒しの存在。生来から争いを好まない性格だが、その性格故に両親から心配されて護身術を学ぶ名目で風間流に入門する。
 強化系の能力で回復能力を作り、他人を癒す。料理も得意であり、調味料を作る際にオーラを変化させ混ぜ合わすことで食材の効果を高めることも出来る。その能力のためルドル班にいるが他の班から呼び出されることも多い。風間流で嫁・恋人にしたい女性V3を達成。
 本人は隠しているつもりだがオジコン&ファザコンであり、トンパが好みのどストライク。



・ピエール=カーペンター(22)男性:具現化系
 自他共に認める天才。精神性はやや危ぶまれていたが、僅か1年で風間流で念を学ぶまでに至った。念を学ぶ前に天狗になっていた鼻をリィーナによって木っ端微塵にされた。その為かリィーナが大の苦手。
 ボロボロになっているところをミズハに癒された為彼女に一目惚れ。彼女が甲斐甲斐しく世話をするトンパを毛嫌いしている。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十四話

 先生が来られて既に1週間。本日の鍛錬も終わり、皆が寝静まった夜深くに1人月を見ながら酒を飲む。

 

「ふぅ」

 

 酒を杯に注ぎ、一息に煽る。喉をジャポン酒が通りすぎ、爽やかな旨味と甘味が口内に拡がる。

 そうして独りで酒を飲んでいますと、ふとビスケが隣に座っていました。やれやれ、気配に気付かないとは。そこまで飲んだつもりはないのですが。

 

「なによ。独り寂しく手酌で飲むなんて色気ないわねー。あたしにも注ぎなさいよ」

「グラスですか。風情がないですね。ジャポン酒にはお猪口か杯と決まっています」

 

 そう言って空になった杯をビスケに手渡し、酒を注ぐ。

 

「何よそれ。飲めりゃいいのよ飲めりゃ。ふーん、ジャポンの大吟醸ね。……うん、ちょっと甘口だけどイケルじゃない。……それで、どうしたのよ?」

「何がですか?」

「何で独り寂しく飲んでいるのよ」

 

 別に理由がある訳ではないのですが。ただ何となく飲みたくなったから飲んでいるだけです。

 

「ただ何となく、じゃないわよね。あんたなんかあるとこうして独り酒するじゃない。……もしかして気づいてなかったの?」

 

 ……初耳ですね。そう言われればそうなんでしょうか?

 今まで独り酒を飲んでいた時を思い浮かべると……ああ、確かにそうかもしれません。

 

「そうですね。少し思うところがある時はそうなのかもしれません」

「でしょ? それで、当ててあげましょうか? あんたが思うところってやつ」

 

「……言ってごらんなさい」

「クラピカのことでしょ? 違う?」

 

 ……。

 

「先生を奪ったクラピカを認めたくない。先生の前で化けの皮を剥がしてやる。そう思っていたけど、目の当たりにしてみるとその才覚に気づかないわけがない。感情はそれを認めたくない。でも武人としての理性は認めてしまう。その葛藤ってところ?」

 

 はぁ、流石はビスケと言いましょうか。こうも私の心情を読みますか。

 

「貴方、実は特質系でしょう? 私の心を読んだのですね?」

「あれま。ドンピシャだったわさ」

 

 適当に言った、という訳でもないでしょうね。お互い色々と知り尽くしていますから。

 

「貴方の言う通りですよ。あんな覗き魔が先生の弟子などと認められるわけがありません。ですので、今回のこの道場での修行で奴に身の程を思い知らせてあげましょうと思っていました。……ですが、正直感服いたしました。長き時を武に注いで生きてきました。数多の弟子を見てきました。ですが、あれ程の才を持った者を見たのは初めてです。……それも3人も同時に見る事になるとは」

「でしょうね。あたしだって驚愕したわよ~。アイシャが弟子を取ったって言うから才能あるとは思っていたけど、あそこまでとはね」

 

 ビスケが空になった私に杯を返し、酒を注ぐ。それをクッと飲み干し、また返杯をする。

 

「この1週間で彼らは有り得ない速度で成長しました。目に見える成長というものをここまで実感出来たのは初めてです。……怒りや憎しみよりも、武人として羨望の意が湧きましたよ」

 

 既にあの男は風間流でも相手になる者を探す方が難しくなっています。オーラ量はプロハンター中堅どころに匹敵、それ以上とも言えるでしょう。

 先生と組手をしていたせいか合気に対する返しの反応の速さは並の門下生では太刀打ち出来ぬ程。後はより多くの経験を積むだけ。

 ゴンさんとキルアさんも非凡な才を持ち、その成長には目を見張ります。まさに乾いた砂に水を与えるが如くですね。

 

「あたしもそうよ。正直羨ましいと思ったことは何度もあるわ。あたしがあの域に到達出来たのは20代の後半に入ってからよ。どこまで成長するのか見てみたいわ。

 多分、アイシャもそう。クラピカを弟子にしたのには理由があるけど、クラピカがどこまで強くなるのか見てみたいって言うのもきっとあると思うわ」

「弟子にした理由? そう言えば聞いていませんでしたね。先生が才能をお気にめされただけではないのですか?」

「ん。……口が滑ったわね。まあお酒のせいにしときましょう。あたしが喋ったってばらさないでよ」

 

 そうしてビスケの口からこぼれ落ちたのはあの男の凄惨な過去。

 仲間を、友を、家族を失い、復讐に囚われてしまった……いや、復讐に囚われるしかなかった男の話。

 

「そういうことよ。あ~! 酒が不味くなるわね」

「話しだしたのはアナタですよ。……なるほど。そういうことでしたか」

 

 これで合点がいきました。いくら先生の修行が厳しいとはいえ、あの男が受けた修行の内容を話に聞いた時は頭を抱えたものです。

 この道場で地獄を見せてあげましょうとか思っていましたが、あの男は厳しい修行を乗り越えた門弟たちが根を上げるような修行を課せられても余裕を持ってこなしていましたからね。

 いえ、キツそうではあったのですが、何というか、その顔に「なんだこの程度か」みたいな表情を浮かべてましたから。

 先生が与えた修行に比べれば確かに地獄とは言えないでしょう。

 

 そしてそんな過密なスケジュールで修行を立てたのも単にあの男に死んでほしくないからでしょう。

 幻影旅団の悪名は私も聞き及んだ事があります。そして未だブラックリストハンターが捕らえる事が出来ずにいる事からその実力の高さも予測は出来ます。恐らく風間流の門下生に置いても決闘としてまともに戦うのならともかく、一切のルール無用の殺し合いで戦って勝てる者はひと握りでしょう。

 殺し合いともなれば1対多数など当たり前ですからね。私とて幻影旅団全てと相対すれば逃げの一手を取るでしょう。

 

 先生なら余裕でしょうけどね!

 

「ほら、もう一献」

「ん……ふう。月が綺麗ですね」

 

「そうね。……もう吹っ切れた?」

「別に。吹っ切れるも何も気にしてませんよ」

 

「ふふ、嘘ばっかり」

「まあ、クラピカさんのことは多少は認めてあげますよ。……勘違いしないでくださいよ。才能に関しては認めるだけです。別にさっきの話で絆された訳ではありませんからね」

「ツンデレ乙」

 

 つんでれ? また訳の分からないことを。この子はたまに私には分からない単語を使う時がありますね。

 

「夜空を眺めながら飲む酒もいいわね」

「ええ。たまにはこういうのも悪くはないでしょう」

 

 そうして2人で月を眺めながら酒を酌み交わす。

 ふと気付くと心の中の痼りのようなモノは消えていました。

 ……こうしてビスケに救われるのは二度目ですね。

 

「ビスケ」

「ん~?」

 

「ありがとうございます」

「……どういたしまして」

 

「ふふ、照れてますね。可愛い子です」

「ちょっ!? やめなさいよー! あんたのそういうの苦手なんだから!」

 

「そう言って。本当は嫌いじゃないんでしょう? あなた嘘吐く時は平然としていますが、照れている時は鼻の頭に血管が浮き出るから分かりますよ」

「え! うそっ!?」

 

「ええ嘘です。ですが、どうやら照れ屋さんは見つかったようですね」

「! あ、あんたね~!」

 

 ふふふ、ムキになって。本当に照れ屋ですね。素直じゃない、と言いますか。

 こうして2人楽しく会話しながら夜は更けていった。

 ああ、今宵の月は……本当に綺麗ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ。そういや私が作ったアイシャの写真集がある――」

「――10億で買いましょう。さらには独占契約を結びます。決して私以外に流さないと約束するならその3倍!」

「契約成立ね。はいこれ」

 

 ビスケから奪い取るように受け取った写真集をゆっくりと開いていく。

 そこには、私の知らない数多の衣装を着込んだ先生の美しい艶姿が幾百も写っていました!

 

「ああ! ヴァルハラがここに!」

「ちなみにVer.2も8月中に出来る予定よ」

 

「ビスケ」

「ん~?」

 

「ありがとうございます!」

「どういたしまして」

 

 

 

 

 

 

「クラピカさん」

「ぜぇっ! はぁっ! な、なんでしょう?」

 

 組手が一通り終わるとリィーナ殿から声を掛けられた。

 こうしてリィーナ殿に声を掛けられるのは何度目だろう? その度に罵詈雑言が飛んでくるのだが……。アイシャが見ていればそうでもないのだが、残念ながらアイシャは私用があるらしく今はこの道場から離れている。はあ、次は何を言われるんだ?

 

「先ほどの返しですがお見事でした。流石アイシャさんと共に組手を繰り返していただけはあります。ですが、返した後の攻撃は少し勇み足でしたね。相手のバランスが崩れ好機と思い仕掛けたのでしょうが、そこを逆に狙われ反撃を受けてしまっていました。

 焦らず、敵の動きを注視しなさい。眼を見れば相手の意思が伝わります。オーラを見れば相手の戦意を計れます。好機と危機は隣り合わせと知りなさい」

 

 そう言ってリィーナ殿は私から離れ、次にゴンの元へと移動していった。

 ……ん? もしかして私は今アドバイスを貰ったのか?

 

「おいクラピカどうしたんだよ? あの人がお前にアドバイスするなんて尋常じゃないことだぜ?」

「ああ、私にも分からん……。今までまともに話したことはなかったんだぞ? せいぜい嫌味や皮肉を言われるのが関の山だったんだ」

 

 私よりもキルアの方がまだリィーナ殿と話をしているだろう。それほどに私は彼女に毛嫌いされているのだ。それが……いきなりどういう心境の変化だ?

 

「うーん。分からねーな。まあいいや、そんなことより次はオレと組手しようぜ」

「いいだろう。手加減はせんぞ」

「当たり前だろ。したらぶっ飛ばす」

 

 そう言ってお互い開始線へと移動しようとして――お互いが攻撃を繰り出す!

 

「ちぃっ!」

「くっ! 流石キルア! そうそう不意はつけんか!」

「ったりめーだ! こちとら試合よりこっちの方が得意なんだよ!」

 

 お互いに不意を打とうとしていたが、周りにいる風間流の門下生たちは何も言わず各々稽古に励んでいる。

 常在戦場。それこそが武神リュウショウ=カザマが道場の最奥に記した一言。これを薫陶に皆が鍛錬を積んでいる。実戦に卑怯という言葉はない。勝てば官軍、死人に口無し。

 

 礼を重んじ、また作法すら学ぶ門派である。不意打ちを推奨するはずもない。だが、だからと言って不意打ちをされるのを良しとする等あるはずもなかった。武人が不意を打たれればそれは相手が卑怯なのではない。それはその武人が未熟なだけのことなのだ。

 だからこの道場では時折不意打ちを行う時もあるらしい。実際私も何度か不意打ちを受けたものだ。

 

「はぁぁっ!」

「クソッ! オーラ量じゃまだ勝てないか!」

 

 全身を強化しながらお互い打撃を繰り出す。その打撃戦の差は僅かに私に軍杯が上がる程度のモノだった。キルアの言う通り確かにオーラ量は私がまだ圧倒している。だがキルアは変化系だ。私よりも肉体の強化率が高い。そして経験に置いてもキルアの方が私よりも高い。ゾルディックで培ったその技術・反応・見切りの高さは目を見張るものがある。それが私とキルアのオーラ量の差を縮めているのだろう。

 

 ……この歳でこの経験。地獄のような日々だったんだろう。キルアはアイシャの修行を受けている時でさえどこか楽しそうであった。あの修行が楽しいと思える程辛い拷問のような修行を受けていたのだと思う。

 まあ。辛いのはゾルディックかもしれないが、キツいのはアイシャだと私は信じている。

 

「そこっ!」

「おわ!?」

 

 攻防の隙間にあった一瞬の間を狙い鎖で足首を絡め取る。打撃戦をしていたが別に武器の使用は禁じていない。卑怯とは言うまいな?

 

 そしてバランスを崩した瞬間を狙い一気に――近づかず、さらに鎖で全身を縛り上げた。

 

「ちくしょー! あ~! また負けた!」

「ふ、惜しかったなキルア。私もそうそう追いつかれるわけにはいかないのでな」

 

 悔しそうに歯噛みしているキルア。……ふと気になったことがあったので率直に聞いてみるとしよう。幸い周りの者達は組手に集中している。小声で話せば問題ないだろう。

 

「(キルアよ。お前は全力を出していないのではないか?)」

「(……まあな。でも良くわかったな?)」

「(悔しそうにしてはいたが、どこか本気で悔しがっていなさそうな気がしてな)」

「(ん……まあ、な。……ここじゃ全力を出すにしてもなあ。人目が有りすぎて出す気にならねーよ)」

 

 やはりそうか。恐らくキルアは発、己に見合った念能力を身に付けているのだろう。そしてそれを大勢の人の前で見せようとしていない。それはある意味正しい。能力を知られれば対策を練られるのは当然の事だ。

 私とて鎖を具現化したモノとしてではなく、本物の鎖に見せかけるように肌身離さず持ち歩いているし、また鎖に込められた能力を一度も見せたことはない。

 

 だが、能力を秘することはメリットもあるが、またデメリットも存在していた。

 

「(だがキルアよ。それでは何時まで経っても能力の実践をすることは出来ないぞ)」

「(……分かってるさ。でもどうしようもねーだろ?)」

「(いや……。ならば私たちだけで実践すればいい)」

「(オレとゴンとクラピカだけでか?)」

「(それにアイシャもだな。彼女に見てもらえば色々と参考になる話を聞かせてくれるだろう?)」

「(……そうだな。アイシャになら見られても大丈夫だろ)」

「(うむ。今度相談してみよう)」

 

 私も能力を作り出したはいいが、実際に他者に試したことはない。ゴンやキルア相手なら申し分ないし、また信用も信頼も置ける相手だ。アイシャから様々な指摘を受けることも出来るだろう。

 

「ねークラピカ! 今度はオレと勝負だよ!」

「ああ分かった。ただし、一戦だけだぞ。次は別の者と戦うからな」

「うん!」

「こんなこと言ってるけどどうせ負けたらもう一度って言い出すな」

「そんなこと言わないよ!」

 

 すまないゴン。私もお前がそう言うと思っているんだ……。私が言えた話ではないかもしれないが、ゴンは負けず嫌いだからな。

 

 結局私たちの予想通り、ゴンは私に負けた後に何度ももう一戦と言っていた。まったくもって分かり易い奴だ。

 ゴンと一戦した後、タイミングも良かったのでゴンに能力の実践訓練についての話を持ち掛ける。当然ゴンも了承してくれた。ゴンは未だ自身の能力について悩んでいるらしく、私たちと特訓しながら色々と考えてみたいとのことらしい。

 

 後はアイシャが帰って来た時に話をするだけだ。遅くても夕食までには帰ってくると言ってたから、その時にでも話をしてみよう。

 

 

 

 だが、夕食の時間が過ぎてもアイシャが帰って来ることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 本部道場より外へ出て街を歩きゆく。周りを見渡すと14年前には少なかった高層ビルが幾つも立ち並び、時の流れを私に感じさせた。この街の発展を幾十年と見守ってきた者としては、知らぬ間に成長しているのを見るとやっぱり寂しいものだ。

 周りを見渡すと知っている道なのに記憶にある風景とは大きく違う。色鮮やかで以前には見られなかった奇抜な形の店々が幾つも増えている。今風の建物なんだろうか? 私には良くわからないが、若い女性が大勢集まって楽しそうに食事やショッピングをしている。きっと流行というやつなんだろう。

 感覚的に付いていけそうにない。知っている街なのに知らない街にいるようで、独り時代に取り残されたかのようだ。

 

 ……感傷的になっているな。これからのことを思うと緊張もしているんだろう。

 今から私はコーザファミリーのアジト、すなわち母が眠る地であり、『彼』がいるであろう場所へと赴いているのだから。

 

 『彼』、つまりは私の父にあたるドミニク=コーザ。

 十老頭直系組頭のファミリーに属するコーザファミリーの組長。マフィアでも有数の穏健派らしく、一般の人には手を出すことはないらしい。もっとも、マフィアである限り何らかの形で堅気の人たちから搾取はしているのだろうが。

 

 少なくとも暴力を手段として街の人々を脅かすような真似はしていないのは確かだ。そうであったらとうに私(リュウショウ)がコーザファミリーを潰しているだろう。

 名前だけは知っていたが、会ったことも顔を見たことさえないマフィアのボス。そのボスの娘として転生するなんてどういう因果だろうか?

 思えば私が本部道場の間近にあるメンフィル総合病院で生まれたのも意味があるのだと思う。この世には数多の命が今にも生まれているというのに、こんな近くの病院で都合良く人間に転生するなんて有り得ない確率だ。

 

 今さら分かりきったことだけど、私が転生さえしなかったら彼は妻と私以外の子に囲まれて幸せな家庭で暮らせていただろう。……今も彼は独身を貫いているそうだ。マフィアの一ボスなのだから、後妻など望めばいくらでも取れるというのに……。

 彼は本当に母さんを愛していたんだ。それは母さんの話を聞いても良く分かったことだった。そんな彼に黙ったまま母さんのお墓を参るわけにはいかない。

 

 母さん、ミシャ=コーザが死ぬ原因であり、あなたの血を継ぐ娘であると告げるつもりだ。その結果彼は私を殺そうとするかもしれない。だがそれは仕方ないことだ。私だって母さんを深く愛している。その母さんが死ぬ原因になった者が現れたら怒りに身を任せないと言い切ることは出来ない。

 母さんの願いもある、だから死ぬわけにはいかないからそうなったら逃げ出すしかない。でも母さんにだけは、せめて感謝の一言くらいは言っておきたい……。

 

 

 

 罵倒されるのも非難されるのも殺されるかもしれないのも覚悟していたはずだけど……心なしか足取りが重い。

 本来なら昼過ぎには到着してもいいのに、既に午後の3時を過ぎている。無意識に彼に会う事を拒否しているのか? 覚悟していたはずなのになぁ……。

 

 だが、どれだけゆっくり移動しようとも、立ち止まらず、道順を間違えなければいずれ到着するのは道理。

 私の目の前には白い大きな館が建っていた。離れていても明らかに一般の家とは思えない。高い塀で囲まれ、門は固く閉ざされながらそびえ立っている。

 塀の各所には監視カメラやセンサーらしきものも設置されていた。庭には円で確認するまでもなく幾つもの気配が確認出来た。人ではない、動物、恐らくは犬か。

 

 全てに見つからないよう忍び込むことは可能だけどそれでは意味がない。意を決して正面の門まで歩き、壁に備え付けてあったインターホンを押す。

 数秒待つとインターホンから声が聞こえてきた。

 

『当家に何用でしょうか?』

 

 意外にも聞こえてきた声は丁寧で紳士然としていた。こういう家だから柄の悪い対応でもされると思っていただけに少し驚いた。

 

「あの……」

『はい。何でしょう?』

「えっと……」

 

 あれ? おかしいな。まともに喋れないぞ?

 ドミニクさんはいらっしゃいますか? 出来ればお会いしたいのですが? って簡単に言えばいいじゃないか。どうしてそれくらいのことが言えないんだ?

 

『……申し訳ありませんが、冷やかしならお帰りを。当家も暇ではありませんので』

 

 まずい! インターホンを切ろうとしている気配が分かる! このままでは新手のピンポンダッシュになってしまう!

 

「あの! ど、ドミニクさんは、い、いらっしゃいますか!?」

『……ボスに何の用だ? ボスに愛人はいねぇ。荷物も持ってないから宅配でもねぇ。お前のような女が来るなんて予定も聞いてねぇ。ウチがどんな商売をしているか分かってんだろうな? 妙な答えをするとタダじゃすまねぇぞ?』

 

 ドミニクの名を出した瞬間に声も態度もガラッと変わった。如何に穏健派と言ってもマフィアに変わりはないということだろう。でもマフィアがどれだけ恫喝しようとも怖くはなかった。怖いのは……ドミニク=コーザが私を知ってどういう反応をするのか、それだけだった。

 

「ドミニクさんに会いに来ました。会う約束はしていません。……会わせてもらえませんか?」

『……話になんねーな。帰んなお嬢ちゃん。ここはお前のようなお嬢ちゃんが来る場所じゃねぇ。世界が違うんだよ、痛い目にあわないうちに帰った方が身のためだ』

 

 ああ、この人はこの人なりに私を気遣ってくれているんだろう。ここのマフィアは地域の人とも密着している古き良きマフィアだと言うのは本当なのかもしれない。

 でもここで引き下がるわけには行かないんだ。ただ会わせてくれと言って会えないのは百も承知だ。

 

「ミシャ=コーザの娘が会いに来た、こう伝えてもらえませんか?」

『っ!? お前!? ……いや、確かに姐さんに面影が。……いや! だがそんなはずは……!』

 

 今度は母さんの名を出すと狼狽しだした。私に母さんの面影を見たようだけど、そんなに似ているだろうか?

 母さんは私よりも綺麗だし、優しいし、もっと包み込むような包容力があった。私が似ているのは髪の色くらいだろう。

 

『……お前が奥様の子どもであるという証拠は?』

「……ありません」

 

 証拠はない。母さんから貰ったものは沢山あるけれど、形として残っているモノはこの身体くらいだ。そしてそんなモノは証拠になるわけがない。DNAで証明することは出来るかもしれないけど、それには時間が掛かりすぎる。

 

『同じことを二度も言わせんな。話になんねーよ。よりにもよって奥様の子どもを騙るとはな。どこで聞いたか知らんがフザけた奴だ! ぶっ殺して――』

『待て!』

『ザザさん!? どうしたんですか?』

『お前は少し黙っていろ。……おい女。念は使えるか?』

「……はい、使えます」

『そうか。……今のお前のオーラは本当のオーラか? それとも擬態でもしてんのか?』

「!!」

 

 そうか! このザザという人は私を見た事があるんだ! 恐らくあの時病院にいた念能力者の1人! つまり私のオーラの質を知っているというわけだ。だから私の今のオーラに懐疑的になっている。今の私は【天使のヴェール】で普通のオーラを垂れ流しているように見えるから。

 

『答えろ。どっちなんだ?』

「……隠しています」

『なら本当のオーラを見せてみろ』

「分かりました」

 

 仕方ない。ここでオーラを隠したままだと私の話を信じてはもらえないだろう。円で確認しても周りには一般人はいない。【天使のヴェール】を解除する。

 

 瞬間、私の身体から漏れ出るオーラの質が大きく変わった。

 ヒソカにも匹敵せんばかりの凶々しいオーラ。並の人が感じればオーラが見えずとも走って逃げ出そうとするだろう。垂れ流しでさえこれだ。纏をすればなおさら、練をすれば弱い念能力者ならそれだけで心が折れるんじゃないだろうか?

 

『なっ! てめぇやっぱりボスを狙った――』

『黙ってろと言っただろう!!』

『ざ、ザザさん!?』

『……なるほどな。お前の話もまんざら嘘じゃなさそうだ。……少し待ってろ。ボスにお伺いしてくる』

 

 私の話に信憑性はなかった。だけどあの時の私のオーラを知っている人が見ればあの時のオーラと瓜二つのオーラだと分かったようだ。取り敢えず何も伝えられず門前払いされる事態は避けられたかな。

 

 待つこと5分。玄関口から10人程の黒服が現れた。どうやら全員が念能力者のようだ。私を警戒しているのか? それも当然か。私の言ったことが本当なら彼らからすれば14年近く前のあの化け物が帰ってきたという事だろうから。

 ……赤ん坊であんなオーラ出してたら警戒されない訳が無い。

 

「……ボスがお会いになるそうだ。付いてこい。……妙なことをしたらどうなるかわかってるな?」

「はい」

 

 そうして周りを念能力者に囲まれて家の中へと連れられていく。声からしてこの人がザザさんだろうか?

 毅然とした態度を取り私に脅しを掛けていたが、その内面は僅かに怯えているのが分かる。オーラを見るまでもない、その表情に現れていた。

 私が本当にあの時の赤子かどうか半信半疑なんだろう。だがオーラは酷似していた。もし本当だとしたら? そう考えるとあの時の恐怖を思い出すという事か。

 

 屋敷の内部は特に気になる点はない普通の構造だった。探せば隠し扉とかあるかもしれないけど、私にはよく分からない。強いて気になる点をあげるなら監視の視線が痛いくらいに突き刺さっていることだろうか。私の一挙手一投足を見て警戒している。妙なことをすればその瞬間に銃弾が飛んできそうだ……。

 

「ボス。件の娘を連れてきました」

『……入れ。お前たちも一緒にだ』

 

 周りの者も一緒に。その言葉に私がどれだけ警戒されているかよく分かる……。

 部屋に入る。かなりの広さを持つ部屋のようで、私を囲んでいる能力者達が全員入ってもまだ余裕があった。中には大きなソファに座る初老に入りかけたと思われる男性、そしてその後ろに控えるように念能力者が2人いた。後ろにいるのは護衛の者だろう。私の周りにいる10人を凌ぐ実力者のようだ。

 私から見れば然したる差はないが。それでも能力によっては侮ることが出来ないのが念能力者の怖いところだ。見て分かる実力だけで相手を判断するのは2流もいいところだろう。

 

 初老の男性はマフィアだと知っていなければ特別変わったところのない普通の人だった。ハンターサイトに載っていた写真と同じ顔。この人が、私の……。

 念能力や整形で同じ顔にした替え玉という可能性は考えなかった。深い哀しみと憎しみを綯交ぜにした瞳。この人が私の父だろうと確信した。

 

「……座れ」

 

 言葉に従い、この人の前にあるソファに座る。

 ジッと睨みつけるように凝視される。顔を、身体を、そして髪の毛を。全身を隈なく見られるが、不快感はわかなかった。

 

「……なるほどな。確かにミシャと似ている。いや、そっくりだ。……名は何という?」

「アイシャです」

「っ! ……ミシャの子どもがアイシャか、安直な事だ。……ミシャが女の子に付けようと決めていた名前と一緒だな」

 

 その言葉に周りの護衛たちが騒めく。私は母さんからそう聞いていたから驚くことはなかったけど、周りの人たちはそうではないだろう。

 

「だが、ミシャは死んだ。俺はミシャが産んだ子どもを捨てた。だから例えその子どもが生きていたとしても、その名が付けられることはない。……どこでその名を知った? 偶然とは言わせんぞ」

 

 その言葉とともに目の前から迫る圧力が強まる。同時に周りにいる念能力者たちもオーラを強めていった。下手なことを言うとこの場で攻撃されるだろう。元より下らない嘘を吐くつもりはないけど。

 

「母さんが付けてくれました。私の大切な名前です」

「母さんだ? どこのどいつだ?」

「あなたの妻、ミシャ=コーザ以外に私の母さんはいません」

「ふざけてんのか? そのミシャは死んだ! 俺の目の前で息を引き取ってな!」

 

 強い恫喝を受ける。そこには怒りよりも哀しみが強く篭っていた。未だに彼は母さんを愛している、その事実にこんな状況なのに嬉しさがこみ上げてくる。

 だがここでその感情を顕にするわけには行かない。私は強い意志を籠めて彼の眼を見抜く。ふざけてなんかいない、今の私の母さんはミシャ母さん以外いない。

 

「……お前の知っていることを話せ」

「……私は、生まれた時から記憶があります」

 

 ゆっくりと話し出す。生まれた時から記憶がある。これについてはさして驚かれていなかった。私はあの時、病院から飛行船に運ばれている最中に車の中でオーラを自在に操っていた。そのことを部下から聞いていたんだろう。意識や知恵がないと出来ない行動だからな。

 

「飛行船から落とされた私は何とか流星街に着地しました」

「あれで生きてたのかよ……!」

 

 周りから驚愕の声が上がったけど彼の一睨みで直ぐに収まった。

 

「流星街に無事降りられたことは良かったのですが、私のオーラが難を呼びました。……誰も私を拾ってくれなかったのです。そこで死ぬかと思っていた私を救ってくれたのが……私を産んで念に目覚めた母さんが作った、母さん自身を模した念獣でした」

 

 そこまで話すと驚きのあまりに彼がソファから立ち上がっていた。顔も先程までと違い険しいモノとなっている。

 

「ミシャの、念獣だと……!? ふざけ――」

「ふざけてなどいません! 母さんは、母さんは! 私を助ける為に自分を顧みず自らを具現化してくれたんです! 母さんのこの想いをふざけて話すなど私には有り得ない!!」

 

 思わず語気を荒げて返してしまった。だがこれだけは譲れない。この話をふざけた話だと受け取られるのは母さんを馬鹿にされたのと同じような気がしてならない。それは私にはとても我慢できないことだった。

 

「……っ! 続きを、話せ」

 

 彼は息を飲み、また深くソファへと腰掛け私に続きを促した。

 そして話した。念獣の母さんは死んだ母さんの記憶を全て持っていたことを、母さんに育てられたことを、教えられたことを、彼との馴れ初めを、2人しか知らないだろうことを教えてもらった限り話した。

 

「――プロポーズはあなたから。その言葉は――」

「待て! それ以上は言うな!! …………は、は。プロポーズの言葉まで知ってんのか。……おい、心を読む念能力の可能性はあるか?」

「…………否定しきれません。ただ、無条件でそれは有り得ません。特質、それも何らかの制約があってしかるべき能力です。少なくとも現状この娘がそれだけの制約を満たしているとは思えません。特質系能力者の数は少なく、また能力も多岐に渡ってとても括られたモノじゃありませんので詳しくは言えませんが、可能性としてはあるかもしれないくらいのものですね」

 

 この人が心を読む能力者の可能性を疑ったのも分かる。それほどまでに私はこの人と母さんだけが知っているはずの情報をここで話したのだから。

 

「……そうか、分かった。……おいお前ら、俺が呼ぶまで外で待機してろ」

「しかしそれは!」

「つべこべ言うな! 俺の言う事が聞けんのか! いいか、聞き耳を立てていたらぶっ殺すぞ!」

『はっ!!』

 

 そうして私と彼以外の人は全員この部屋から出て行った。

 ……いいんだろうか? 私が彼を害さないなんて決まっているわけでもないのに。いや、私に彼を害する気持ちはこれっぽっちもないけど。

 

「……おい、続きはどうした」

「え?」

「プロポーズの言葉だ!」

「は、はい! えっと、『愛している、結婚してくれないと俺は死ぬ』だと聞きましたが……」

「く、くっく、はぁっはっはっ!! ……マフィアの一ファミリーのボスがなんてプロポーズだ。……なるほど。確かにミシャがお前を育てたようだな。ミシャのやつ、男の決意を簡単に話すとはけしからん」

 

 これは……私の話を信じてくれたんだろうか?

 彼から伝わる感情には様々なモノが複雑に混ざり合っていて読み取れない。所詮は長く武に生きた経験からオーラの変化や表情で感情を読むだけだ。それこそ心を読めない限り真に相手の気持ちを理解するのは無理だ。

 

「くっくっく……。それで、あの時のガキが何しに来た? 復讐でもしに来たのか?」

「復讐なんて……する気はありません。私は捨てられて当然のことをあなたにしました」

「ああ、記憶があるんだったな。……じゃあなんでここに来た? 今さら子どもだと認めてくださいとでも言いたいのか?」

「……いえ、それが無理なのは、分かっています。……ただ、母さんのお墓を一目でも――」

「見てどうする? 謝るのか? 感謝でもすんのか? 今さら? ……ふざけるなよ! あれからどれだけ経ったと思っていやがる! いや、幼い頃は仕方ないだろう。流星街なんて閉ざされた場所にいりゃ外の情報も満足に手に入らないからな。だが、ミシャの念獣が消えたのはお前が10歳くらいだと言ったな? それから3年以上経っている。それまでお前は何をしていた? ずっと流星街に引きこもっていたのか? ここに来ることは出来なかったってのか!?」

 

 ……なにも、なにも言い返せない。私は母さんが消えて、天空闘技場でお金を稼いでから2年程世界を放浪していた。その間にここに来る機会は幾らでもあっただろう。母さんの墓を調べる方法がないなんて言い訳にもなりはしない。

 少なくともこの場所のことは知っていたんだ。ここにお墓があるかは分からなかったけど、ここに来て話をすることも出来ただろう、情報を集めることも出来ただろう。

 ただ……ただ、会いに行く勇気がなかった、先延ばしにしていただけなんだ……。

 

「何の反論もしねぇか。どうやら来ようと思えば来れたらしいな。…………そんな奴が、ミシャを殺した奴が! 今さら何を!」

「お願いします!!」

 

 その場で彼に向かって土下座をする。こんな行為で彼が許してくれるとは思わない。でも藁にもすがる想いで乞い願う。そうするしか私には出来ない。

 

「お願いします! 母さんに会わせてください! それが許されたなら二度とここには近寄りません! あなたと会うこともしません!」

「……やめろ」

「お願いします! 一度だけでいいですから……本当の母さんに会わせてください……」

「やめろ! ミシャの……ミシャと似た顔でそんなことをするな! 俺を惑わすな!」

 

 彼が銃を構えたのが分かる。撃鉄を起こし、後は引き金を軽く引くだけで銃弾が飛んでくるだろう。

 今の私は纏すらしていない。だが銃弾が触れる瞬間にオーラでガードする自信がある。確実に私は無傷ですむだろう。今の私に死ぬ勇気はない。まだやらなくてはならないことがある。だから彼の怒りと憎しみを受け止めるわけにはいかない……ただ、ひたすらに懇願するしか出来ない……。

 

「お願い……します」

 

 銃声が鳴り響いた。

 

 

 

「ボス! ボス! 何があったんですか!? 入りますよ!?」

「入ってくるなと言っただろう! そこで待機してろ!!」

 

 ……痛みはない。当たった感覚もない。銃弾は私の頭の横を通り過ぎ、床に穴を空けていた。狙って外したのか……。興奮して腕が震えたのか……。私には分からなかった。

 

「……消えろ。二度と俺の前に現れるな」

「私は――」

「館の裏だ」

「……え?」

「館の裏にアイリスの花が植えられた花畑がある。ミシャが作った花畑だ。最後にそれを見てから帰るんだな、それぐらいは許してやる。……二度は言わねぇ、分かったらとっとと消え失せろ!」

 

 館の裏、アイリスの花畑。そこに、そこに母さんの……。

 

 ゆっくりと立ち上がり、彼を見上げる。視界が少しぼやけている、気づかない内に泣いていたのか。気のせいか、彼もその瞳に涙を溜めているような気がした。……視界が歪んでいるから、本当に気のせいかもしれないけど。

 

「ありがとう……ございます」

「礼を言われる筋合いはない。俺はただミシャが好きだった花を教えただけだ」

 

 不器用な彼の私に見せてくれた恐らくは最後の優しさ。それを汲み取り、無言で頭を下げて部屋を出た。……きっと、あの不器用なところを母さんは好きだったのかもしれない。何となく、そう思った。

 

 部屋の外に出ると護衛の人たちが私を睨みつけた。

 だけど今はそれに構っている余裕がない。そっと頭を下げてそこから立ち去る。何人か私を止めようとしたが、部屋の中からあの人が護衛の人たちを呼んだのでそのまま邪魔されることなく立ち去れた。

 

 

 

 そのまま館の裏へと回る。そうすると目の前には多くのアイリスが植えられていた。花が咲いているのもあったが、残念ながら今は開花時期が過ぎているのだろう。花の数は極僅かに残っているくらいだった。このアイリスが一斉に咲き乱れたらどれだけ美しい光景になるんだろうか? 

 

 整えられた花畑を傷つけないように慎重に歩く。周りを見渡すととても丁寧に育てられているのがわかる。母さんが死んでからもうずいぶん経つのに少しも荒れていない。母さんが遺した花畑を壊さずにずっと面倒を見てきたんだ……。あの人が母さんをどれだけ愛していたのか痛いほどに分かってしまう。

 

 そして目の前に綺麗な墓石が建っていた。アイリスの花を形どった美しい彫刻が彫られた白い墓石だった。

 墓石の中央には文字が掘られていた。『ドミニク=コーザが愛した妻、ミシャ=コーザここに眠る』と。

 

 自然と涙が溢れていた。

 

「ご、ごめんなさい……母さんの、幸せを奪ってしまって、ごめんなさい……。私がいなければ、あの人と……『父さん』とずっと幸せに暮らせていたのに!」

 

「ありがとう。命を、懸けてまで、産んでくれて。あなたがいなければ、私は消えていなくなっていました。ほ、本当に、あ、ありがとうございます!」

 

「ごめんなさい母さん。ご、ごめんなさい父さん!」

 

 

 

 そこから先はよく覚えていない。ただ大声で泣き喚いていたのは確かだと思う。

 気付いた時にはもう夕暮れになっていた。もっとここに居たいけど、そういう訳にもいかない。

 

「母さん、これで本当にお別れだよ。母さんに教わったことは絶対に忘れないから。ここに居る母さんに言っても分からないかもしれないけど……」

 

 ここに眠る母さんは私を産んでくれたけど、育ててくれた母さんとは違う。でもどちらも同じ母さんで、私にとっては大事な人なんだ。

 

「友達も出来たし、私は幸せよ。これからも幸せになれるように頑張るから。……あと、花嫁姿だけは見せられないかも。それだけは本当にごめんなさい」

 

 母さんが私の花嫁姿を見られないのが残念だって言ってたけど……それは流石に叶えられないかもしれない。男の人と恋愛するなんてよく分からないことだし。

 でもせめてウエディングドレスを着た姿を見せに来ることくらいはした方がいいだろうか? だけどもうここに来ることは許されないし……。

 

「父さん……あの人が聞いたら怒ると思うけど、今だけはそう呼ばせてもらうね。父さんは今でも母さんのことを愛しているよ。それがすごく嬉しかった。父さんには許されなかったけど、それは当然だと思っているから怒らないであげてね。それだけ父さんは母さんのことを愛しているんだから」

 

 ああ。もっと話していたい。ここから離れたくない……。

 

「ごめんね。もっと色々と話したい事あったけど、言葉にならないよ。……もし、もしまたここに来ることが出来たなら……その時にいっぱい話すから。……それまで、さようなら母さん」

 

 墓石に向かって頭を下げる。そのまま背を向けて門に向かって歩き出した。

 

 門に辿り着くと自動で門が開いていった。庭に放たれていた犬も私を襲わなかったし、あの人がそう仕向けてくれたんだろう。

 僅かに視線を感じたので振り返って館を見ると、窓から私を見つめる彼の姿があった。

 今、あの人は何を思っているのだろうか? 私のことをどう思っているのだろうか? 知りたい気持ちは激しく溢れているけど、知りたくないと願う私がいるのも確かだった。

 

 もう一度あの人に向かって礼をして、そのまま館を去った。

 

 

 

 風間流道場に帰り着いた頃には既に夜が更けていた。とうの昔に夕食の時間は終わっている。でも構わない。どうせ今は食欲がわかない。

 道場の門をくぐり、私に貸し与えられた寝室へと移動しようとする。すると幾つもの気配を感じたので思わず立ち止まった。

 

「あ! お帰りアイシャ!」

「おっせーんだよ。何してたんだよ、飯が冷めちまったじゃねーか」

「お帰りアイシャ。まだ食事は摂っていないんだろう? さ、早く食べよう」

 

 戻って早々に言われた事は一緒に夕飯を食べよう、だった。

 何を言って……とっくに食事は終わっているはずだろう?

 

「皆さん……。あ、あなた達はまだ食べてないんですか?」

 

 もう日付が変わってしまっているんだぞ? それなのにこんな時間まで待っていたのか?

 

「うん。だって皆で一緒に食べた方がご飯は美味しいしね」

「だってよ。コイツが待とうってしつこいからな」

「ふ、そういうキルアも文句も言わずに待っていただろう」

「な、なに言いやがる!?」

 

 ずっと修行をしていたはずだ。動き疲れて倒れることも珍しくない日々を送っているんだ。食事と就寝はここに居る者たちにとって何よりも大事なことのはずだ。それなのに……。

 

「どうして……。どうして待っていたんですか……?」

「え? どうしてって、さっき言ったじゃん。ご飯は皆で食べた方が美味しいって」

「それに夕食までには帰ると言っていたからな。だったら待とうとキルアがな」

「言い出したのはクラピカだろうが! さりげにオレが言ったようにすんじゃねー!」

 

 キルアとクラピカが言い争っているのをゴンがまあまあと宥めているのをぼんやりと眺めていた。

 不意に涙が零れてきた。おかしいな? 悲しいことはないのに? 今日はよくよく泣く日だな。

 

「2人ともやめなよ。……! アイシャどうしたの? 何かあったの?」

「い、いえ、何でもないですよ!」

「おい、目が腫れてんぞ」

「顔も赤いな。熱があるかもしれん!」

「ほ、本当に何でもないですから!」

 

 慌てて目を擦って涙を拭う。でも何度擦ってもその度にポロポロとこぼれ落ちてしまう。恥ずかしい! この歳になって泣いているところを見られるなんて!

 

「……何があったか知らないが、あまり気を張り詰めるな。お前は私たちよりも強いが、それでもお前はまだ子どもなんだ」

「そうだよ! オレ達じゃ頼りにならないかもしれないけど、それでも一緒にいることくらいは出来るよ。だから、何かあったら相談くらいしてよ」

「まあなんだ。そういうこと。今は話聞くくらいしか出来ないかもしれないけど、その内お前より強くなってやるから楽しみにしてろよ?」

 

 ……ああ、母さん。私はやっぱり幸せ者だよ。

 だって、こんなにも素敵な友達が出来たんだから。

 

「ふふ、ありがとうございます。……それじゃ、少しだけお願いを聞いてもらってもいいですか?」

「うん! 何でも言ってよ!」

「アイシャのお願いなんて珍しいな。今回くらいは聞いてやるよ」

「君には返しきれない程の恩がある。少しなんて言わなくても多少の無茶は聞くさ」

 

 良かった。今日は昔を思い出したせいか無性に寂しいんだ。

 母さんが私にしてくれたようにちょっと彼らに甘えたくなってしまった。

 100年以上生きているのにこれだから困る。成長していないなぁ……。まあ、今回は年齢に精神が引っ張られたと自分で言い訳をしておこう。

 

「それじゃあ……今夜は一緒に寝てもらってもいいですか?」

「勿論だよ」

『どうしてこうなった?』

 

 

 

 

 

 

 月明かりだけが辺りを照らす暗闇の中。1人の男が白い墓石の前で立ちすくんでいた。

 

「……お前の娘は、お前に似て美人に育っていたぞ。……死んでまで産まれてすらいなかった子どもに尽くすとは大した女だよお前は。流石は俺の愛した女だ」

 

 男の周りには誰もおらず、その言葉に応えるのは風とともに揺れるアイリスの草花だけだった。

 

「なあミシャ。俺は勝手な男だな。マフィアとして何人もの敵対者を殺してきた。中には一般人だっていた。こんな商売してりゃ手を汚さずにいられるわけがねぇ。そんな俺が……あいつに対してお前を殺しておいて、等とほざくんだ。どの口がそれを言うんだよな」

 

 自らを嘲り笑うかのように自虐的な笑みを浮かべる男。その顔はとてもファミリーを統べるボスのモノではなく、ただの打ちひしがれた初老の男性のモノだった。

 男は今でこそ穏健派で通っているが、かつては武闘派としてそれなりに名を通していた。当たり前のように人を殺したことはあるし、命じて殺した数は指の本数だけでは数えられない。

 裏の稼業を持つ相手だけじゃない。目的の為なら何も知らない罪のない命を奪ったこともあった。幸せな家庭を持つ者もいただろう。それを容赦なく一方的に奪っておいて、自らが同じ事をされると怒り狂う。

 何のことはない、ただ自らの行いが返ってきただけじゃないか。男はそう、自嘲する。

 

 

 

 男が穏健派に変わったのはある女性に出会ってからだった。

 彼女に嫌われたくない、好かれたい。その一心のみで男はむやみに暴力を行使するのを抑えた。それは彼女が死んだ今でも変わることはなかった。

 だからこそ彼女の死に心を大きく痛め、その原因となった赤子を激しく憎んだ。だからこそ原因となった赤子を流星街に捨てたのだ。愛する妻を殺したのが自らの子どもだと認めたくなかったから。

 

 人は忘れる生き物だ。時が経つと感情の波は良くも悪くも収まってしまう。激昂した当時はともかく、数年も過ぎるとどうしてあんなことをしてしまったのかと自問自答するようになった。

 もちろん当時に戻れば男は同じことを繰り返しただろう。妻が死に、生まれた子どもから悍ましい何かを感じるのだ。捨てようと思わないのはそれこそ博愛主義の塊だろう。

 だが、子どもを悍ましいと感じた感情すら時の流れは薄れさせてしまう。故に思う。何故? どうして? 感情のままに行動してしまったのか、と。

 

 男はそう思った次の瞬間から部下に流星街を調べさせた。幸いマフィアと流星街には密接な関係があった。マフィアは流星街にゴミと称して大量の武器や貴金属を援助し、流星街はその見返りとして人材をマフィアへと流していた。

 知り合いのマフィアに渡りをつけ、そこから流星街の内部を調べることは可能だった。

 

 だが、目当ての情報が手に入ることはなかった。男は知らなかったがそれは仕方のないことだった。件の少女は流星街に置いてもタブーとして扱われており、その存在を口に出すことは流星街の議会により禁止されていたのだ。横の繋がりが何よりも深い流星街に置いてそのタブーを破るような者はいなかった。少なくとも男の部下が接した人物たちの中には。

 故に男は子どもは死んだものだと考えていた。大きな喪失感を覚えたが、元より見つかったところでどうしようと言うのだと自分に言い聞かせることで自らを慰めた。

 

 妻を失って早14年が経とうとしていた。マフィアの仕事を傍らに、妻が遺した花畑の手入れをするのが男の唯一の趣味となっていた。

 開花の時期も過ぎ、来年の為にまた新たに手入れをしなければと思っていた矢先の事、部下が不可思議なことを宣った。いや、言葉の意味はわかる。だが男はそれを理解しきれなかった。ミシャの娘と名乗る人物が現れた等と男の脳では処理仕切るのに数秒以上の時間を要した。

 

 騙りか? それとも殺し屋か? それともまさか……。男は困惑しつつもその人物に会うと決めた。嘘だったら蜂の巣にするだけじゃすまさない。生きているのを後悔するような思いを与えてやろうと決意して。最愛の妻は怒るだろうが、妻を侮辱されたかもしれないと思うと男は暗い感情を制御し切る自信がなかった。

 

 そしてその思いはその人物に出会った瞬間に吹き飛んでいた。

 ――ミシャ。思わず男はそう叫びそうになった。それほどその娘は男の愛する妻の面影を残していた。整形。念能力。妻の写真を入手する方法など幾らでもあるだろうことを考えると、顔を似せることなど容易いだろう。

 だが男はそう思わなかった。この娘はミシャの子どもだと何故か直感していた。

 

 そこから娘の話を聞いて男の直感は確信へと変わった。

 産まれて直ぐに捨ててしまった子どもが帰ってきた。それも妻と同じように美しく成長して、だ。捨てたことを後悔していた男にとってまさに僥倖とも言える出来事だっただろう。

 

 娘から捨てられたことに対する復讐の意が感じられない今、男が娘を認めれば失った幸せな家庭が一部でも戻ってきたかもしれない。

 だがそうはならなかった。確かに後悔はあっただろう。だが、男自身同じことがあれば同じことを繰り返すだろうと思っていた。

 そして何をどう言おうが自身が子を捨てたことに変わりはなく、この娘が原因で妻が死んだことにも変わりはなかった。

 

 男は自らの感情を制御出来ないでいた。人間は自分で思っているほど自身のことを知ってはいないものだ。感情というのはその最たるもので、同時に複数の感情に支配されることすらある。歓喜、絶望、憤怒、後悔、恐怖、親愛、嫉妬。様々な感情が綯交ぜとなって男の心を駆け巡っていた。

 

 気付けば男は感情のままに娘に吠え立てていた。

 

 気付いた時にはもう遅い。いや、恐らく娘が生まれた時から間違えていたんだろうと男は思う。自分と娘が幸せに暮らすという選択肢はとっくの昔になくなっていたのだ。そう気付いた男は娘を追い出した。これ以上一緒にいたら心が揺れてしまうと感じて。

 

 寂しそうに離れていく娘を見ながら目頭が熱くなるのを感じる男。

 その時を思いだし、男は白い墓石に向かって呟く。

 

「ふん。お前以外に俺に涙を出させる奴がいるとはな。……あの子は立派に育っていた。俺は何もしていない、お前があの子を立派に育て上げたんだ。誇ってくれミシャよ。お前は……最高の妻だ」

 

 男の呟きに応えるのは風に揺れるアイリスだけだった。

 

 




ちょっとシリアス。シリアスまじ苦手です。
アイリスの花言葉は『愛、あなたを愛す、優しい心、恋のメッセージ』など。
アイシャの名前の由来は言わずもがなです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ヨークシン編
第三十五話 ※


「リィーナ、少しの間でしたがお世話になりましたね」

 

 今日でとうとう風間流ともしばしの別れとなる。9月までは少しだけ時間があるけど、ヨークシンへの移動時間も考えたら今日くらいに出立しなければいけないだろう。あまりに遅くなるとレオリオさんを待たせてしまうかもしれないし。レオリオさんと会うのも久しぶりになるな~。半年以上も会っていないよ。元気にしているかな?

 

「お世話などとそのような! せ……アイシャさんならどれほど逗留されても何ら問題はありませんとも! ……もちろんアイシャさんのお弟子さん方も。貴方達のおかげで我が道場も活性化いたしました。やはり度々外の方とも手合わせをすると皆の身も心も引き締まるようです。ありがとうございました」

「いえ、我々こそ風間流にて大きな経験を積ませていただき、礼はこちらが言うべきことです。リィーナ殿、真にありがとうございました」

「ありがとうございました!」

 

 うんうん。クラピカとリィーナの確執も大分なくなったようで何よりだよ。2人の確執と言うより、リィーナが一方的にクラピカを嫌っていたんだけどね……。

 何が有ったのか分からないけど、リィーナの角も取れたようだ。クラピカへちゃんとしたアドバイスをしているのも何度か見かけたし。……初めの内は罵倒か厭味しか言ってなかったもんな。

 

「ねえアイシャ、契約が終わったからあたしがあなたにこんなこと言う権利ないのはわかってるわさ……。でもあえて言わせてちょうだい。……やっぱり服装変えない?」

「だが断る」

 

 ようやく、ようやく私は以前の動きやすい服装へと戻ることが出来たんだ! 契約が切れた今! もはや女性ものの可愛らしい服を着る必要はない!

 

「ああ、勿体無い。絶対損するわよアイシャ……。やっぱり私も付いていこうかしら?」

 

 ビスケはもう少し本部道場に残るようだ。目当てのグリードアイランドのプレイヤー選考会は9月10日のサザンピースオークションが終了してからその会場で始まるらしい。なのでゆっくりするようだ。まあ会場に入るにはサザンピースオークションのカタログを購入しなければいけないからギリギリでヨークシンに来ることはないだろうけど。私たちもカタログを買わなきゃいけないな。忘れないようにしないと。

 

「ビスケの言う通りです! アイシャさんは自分をもっと磨くべきかと……」

「武人として充分に磨いているからいいんです」

「それは磨きすぎよ……」

 

 そんなことはない。これでもまだまだネテロに確実に勝てるとは思えない。奴に完勝するまでは修行を怠るわけには! ……あれ? 私って本当に【絶対遵守/ギアス】解けてるんだろうか? ……最近そこらへん自信がないぞ。

 まあ、今さら腕を錆びつかせるつもりはないからいいけどね。

 

「ゴン君、キルア君、これでしばらくお別れだね。アイシャちゃんの言うことをしっかり聞いて元気に頑張るんだよ」

「シオンさん! ありがとうございました! シオンさんも元気でね」

「あんたも元気でな」

 

 シオンとカストロさんも見送りに来てくれた。カストロさんは本部道場でも一目置かれる存在となっている。あのリィーナが風間流の門下生でもない者を内弟子にするなんて初めてのことだし、当然とも言える。

 

「うん。ウイングとの式にはみんなも呼ぶからね!」

「ありがとう! シオンさんも早くウイングさんに会えるといいね」

「おいゴン! そんなこと言うと――」

「……ああウイング! もう68日と12時間32分も会ってないよ! 早くウイングに会いたい……。【映像記憶/オタカラフォルダー】だけじゃ限界があるよ。

 ……新しい念能力でも作ろうかな? どんな念能力がいいだろう? ウイングを具現化? ダメだ、完璧な操作をするには操作系は得意系統から離れすぎているし、何より何だか浮気みたいになっちゃう。

 テレパシーで声だけでも。ううん、それなら電話で大丈夫だし……。それに声だけじゃ満足できないよ! うーん……。そもそもウイングに定期的に会えればいいんだよ。具体的には1日24回くらい。

 そしたらこんな悩みもなくなるのに。でもそれをするにはここから抜け出さなきゃいけないし。そんなことしてバレたらトンパさんと同じ目に合っちゃうよ……。そうなったらもう御終いだ、私は監獄に囚われた囚人の如く……。はっ!? 囚われのお姫様、それを助けに来るウイング! 白馬に乗った王子様!? ぐ、落ち着け私! 2・3・5・7・11・13・17……ふう」

 

「お、遅かったか……。バカ野郎! 1ヶ月近くもシオンと付き合っていたらこいつの扱い方くらい覚えておけ! ゴン! お前は風間流で何を習ってたんだ!」

「念の修行だよ! シオンさんの扱い方じゃないのは確かだよ!」

「そうだ! 瞬間移動の能力を作ればいいんだ! 放出系は少し離れているけど、移動できるのがウイングの隣だけに限定すれば! あとは私のウイングへの愛で不得意系統の不利なんか吹っ飛ばすだけだよ!」

「おいリィーナさんよ。コイツが本当に次期本部長最有力候補者でいいのか?」

「……少々、早まった感はありますね……」

 

 うん。今日もシオンは平常運転で何よりだ。

 あと、その念能力はどうなんだろう? シオンは戦闘系の念能力を持ってない気がするんだけど大丈夫なのか? 私が言えることじゃないけど。戦闘用の念能力は私も持ってないし。【天使のヴェール】は充分戦闘用とも言えるけどね。

 

 シオンが暴走し、キルアが神速のツッコミを加えている横をカストロさんが通り過ぎてこちらまで近づいてきた。……心なしかシオンを見て疲れていたけど。

 

「カストロさん」

「アイシャさん。貴方には多くの恩がある。その恩に報いる方法は私なりに実行しているつもりだ」

 

 ああ、私の気持ちを汲んでくれている。この人は武術家としても人としても素晴らしい。今に彼は知らぬ人などいない程に立派な武人へと成長してくれることだろう。

 

「私は強くなる。誰よりも、ヒソカよりも、貴方よりも! ……だからアイシャさん。いつか私とまた戦ってくれ。その時は……必ず貴方を失望させないと誓おう!」

「……! はい! その時を楽しみに待っています!」

 

 彼からは断固たる決意を感じる。ヒソカを超える日もそう遠くないかもしれない。

 だが、あの男も停滞しているわけではない。故に油断は禁物だが……今のカストロさんなら大丈夫だろう。力強い、真っ直ぐな瞳をしている彼ならもう自分の力に驕ることはないと信じられる。

 ふふ、ネテロ以来ですね。戦うのを待ち遠しいと思うのは。

 

「みんな、名残惜しいだろうがそろそろ時間だ」

「そうですね。では、ヨークシンへ出発です!」

「おー!」

「元気なこって」

「いいことだろう。お前もあの時のアイシャを心配していただろう? 元気なのは多少は吹っ切れた証さ」

「それは分かっている。だけどな……あの時を思い出させるようなことを言うな。次の日に地獄見たの忘れたのか……。朝方アイシャの部屋から出てきたのをリィーナさんに見られてさえなけりゃ……!!」

「……すまない。自分で言っておいてなんだが今更ながら寒気がする。生きているとはそれだけで本当に素晴らしいと実感したぞ……」

「何してるの2人ともー! 置いてっちゃうよーー!」

 

 さあ、ヨークシンへ向けて出発だ。さらば風間流よ。さらばアームストルよ!

 

 ……次にここに戻ってくる時には、また母さんのお墓の前に立つことが出来たらいいな。

 

 

 

 

 

 

「ここがヨークシンかー! 凄いね、早朝なのに人がいっぱいだ!」

「今日からドリームオークションが始まるからな。観光客も含め、いつもよりも活性化しているんだろう」

「レオリオさんはお昼頃に合流するんでしたっけ?」

「はは、レオリオ以外ずっと一緒にいるって知ったらどんな反応するだろうな」

「ダメですよそんな意地の悪い事を……というか、レオリオさんに言ってないんですか? 私たちが一緒にいることを」

「ん? ああ、その方が面白そうと思ってなー」

「な、何ということを……! ハンター試験が終わった後にレオリオさんも私がいないことを気にしてくれていたみたいだから、連絡してくださいと言ったじゃないですか!」

「そだったっけ? ワリ、忘れてた。でもアイシャが連絡したら良かったじゃん」

「私はレオリオさんのケータイ番号もホームコードも知らないんですよ? それでどうやって連絡を取れと……」

「え? でもキルアやクラピカに頼んで教えてもらえばいいんじゃない?」

「本人以外から番号を聞くのは失礼じゃないですか?」

 

 少なくとも私はそう思うんだけど? これって常識的な考えじゃないのかな?

 

「律儀だなお前。ま、今回はしゃーないってことで。それよりもゴンはいいかげんケータイくらい買えよな。ハンターの必需品だろが」

「あ、すっかり忘れてた」

「ハンター以前に連絡用としてだけでもいいから持っておくべきだ。何かあった時に不便な思いをするぞ?」

「そうだね。じゃあレオリオが来る前にケータイを買ってきてもいい?」

「ええ。それじゃ一緒に……あれ? ……ちょっと待ってください。レオリオさんが近くにいるような……」

 

 この気配。真っ直ぐに私たちに向かってきているこれは多分レオリオさんの気配だ。しかしこれは……足運びが以前とは比べ物にならないくらい洗練されている? 何があったんだろう?

 

「お、いたいた。よお! 久しぶりだなお前ら!」

「レオリオ!!」

「おー、ホントにいたぜ」

「流石アイシャ。この雑多な中で良く分かったものだ」

「いえ、流石にこれだけの人の中では自信ありませんでしたよ」

「って! アイシャじゃねーか! お前無事だったのかよ! ハンター試験の後どこ探してもいなかったから心配してたんだぜ!」

「すいませんレオリオさん、何も言わずいなくなってしまって。……それと、心配してくれてありがとうございます」

「お、おお。まあ無事ならいいんだ」

 

 見た感じレオリオさんも強くなっている。纏はしていないけど、垂れ流しのオーラも淀みがない。きっとレオリオさんも厳しい修行を積んでいたんだろう。

 でも良かった。一緒にいるとどこか安心するこの雰囲気は変わっていない。医者を目指しているようだけど、きっとレオリオさんならとてもいい医者になってくれると思う。

 

「アイシャはハンター試験のあと何をしていたんだ? ヨークシンで待ち合わせって話はアイシャは知らなかったよな?」

「おーいレオリオ。積もる話もあるだろうけどさ、それはホテルにチェックしてからにしようぜ。ゴンがケータイを買いたいんだとよ」

「お? それはオレの出番だな。おいゴン、任せておけ。最新の機種でもとことん値切ってやるぜ」

「そう? それじゃレオリオにお願いするね」

 

 

 

 レオリオさんの値切り交渉は本人が言う通り凄まじいモノだった……。店が1本20万ジェニーと言っている機種を、半値近くにまで値切ってしまった。10の位まで値切りだした時の店員さんの眼にはもう半分涙が浮かんでいたんだけど……。

 

「……レオリオ。流石にやり過ぎだろう……?」

「そうか? 値切んのは常識だろ? 金ってのは節約するに越したことはないんだ。オレから言わせりゃ値切らない方が間違ってるね」

「金を節約して人としての何かを削ってんなコイツは」

「あはは……」

 

 まあでも確かにレオリオさんの言うことも分かる。お金がなくて苦しい思いをしている人は世の中にどれほどいるか……。人生には何があるか分からないから、そう考えると節約するのは間違ってはいないんだよね。

 ただ、流石にあんな値切り方は真似出来そうにない……。

 

「それで、お前ら念は習得したんだろ?」

「ああ、バッチリだぜ」

「レオリオはどうなの?」

「ああ、もう覚えたぜ」

 

 そう言えばレオリオさんはいったい誰に念を教わったんだろう? 心源流? それとも風間流かな? それとも……ん? ……ああっ!!

 

「れ、レオリオさん!!」

「おお!? ど、どうしたアイシャ?」

 

 重大なことを忘れていた! どうしてこんな大事なことを忘れていたんだ!

 

「レオリオさん! く、黒の書という本を持っていませんか!?」

 

 そう! カストロさんに聞いた話だとレオリオさんが黒の書を持っているはず!

 いや、カストロさんからレオリオさんの名前が直接出たわけではないけど、あの話で聞く限りカストロさんを助けたのはレオリオさんとしか思えない!

 ならば! 今こそ黒の書を取り戻しこの世から抹消する絶好の機会! この好機を逃してなるものか!

 

「どうしてアイシャが黒の書のことを知ってるんだ?」

「黒の書って何だっけ? どっかで聞いたことあるな」

「確か……カストロがヒソカと天空闘技場で戦った時に話していたな」

 

「お願いします! 黒の書を私に譲ってくれませんか!? お金ならあるだけ払います! 足りなければ幾らでも稼ぎますから何とぞ!」

「お、落ち着けよアイシャ! 金だなんて言わなくてもアイシャになら本くらいタダで譲るさ。けどな――」

「――ほ、本当ですか!?」

「熱はないか? 吐き気は? 具合が悪かったら早く言ったほうがいいぞ?」

「喧嘩売ってんだなクラピカ? まあそれはいいとして、だ。アイシャ落ち着いて聞いてくれ。アイシャには恩がある。黒の書をタダで譲るなんて屁でもねーくらいにな。ただな……オレはもう黒の書を持っていないんだ」

 

「そ、そん、な……」

 

 目の前が真っ暗になる。ああ、ようやく取り返せると思ったのに……。またも寸前にて黒の書が離れていく……。どうしてだ? 私は呪われてでもいるのか?

 

「で、では、いま黒の書はいったい何処に……?」

「そうだな。ホテルに着いたら全部話すか。お互い色々聞きたい事が多いみたいだしな」

 

 

 

 

 

 

 ホテルに着いたオレ達はチェックインをした後、アイシャの個室に集まって話をしだした。アイシャは節約の為に二部屋とって誰かと相部屋にとか言ってたけどとんでもねー。いくらオレでも金の節約の為に女の子を相部屋にさせるつもりはないからな。

 

「まずはオレから話そうか」

 

 アイシャはよほど黒の書が気になるみたいだからな。オレもアイシャがどうしてたのか気になってるが、ここはレディーファーストで行くとするか。

 

 

 

――あれは、そうだな。ゾルディックでお前たちと別れた後のことだった。

 オレは受験に備えて家に帰って勉強をするつもりだった。その為に船に乗り移動していたんだが、その時具合の悪そうなイケメンの兄ちゃんを見かけたんだ。

 イケメンはいけ好かねーが、病人に貴賎はない。オレはその兄ちゃんを診ることにしたんだ。素人に毛が生えた程度の診察だったが、幸いと言っていいのかオレが知っている症状だった。毒キノコの一種を食べた時と同じ症状になっていたんでな、話を聞くとやっぱりキノコを食べていたようだ。持っている薬でどうにかなったのも幸いだった。一晩もすりゃカストロはすっかり元通りに戻っていた。

 

 それで恩でも感じてくれたのか、そいつはオレに色々と話しかけてきてな。オレもまあ1人旅だったから暇を持て余していたし、丁度いい暇つぶしと思って飯でも食いながら色んな話をしたんだよ。

 その話の中でオレがプロのハンターだって話をしたんだ。そうするとカストロは神妙な顔つきになってな、こう言いだしたんだ。『念と言うものを知っているか』ってな。

 その時は念のねの字も知らなかったからな。念の話を聞いた時は半信半疑、いや、全然信じてなかったぜ。

 

 だが、そいつがオレに見せたモノはその念を信じさせるのに充分だった。何もない空間が急に熱くなったり、手に持っている紙が一瞬で燃え尽きたり、離れた位置にあった空き瓶を割ったりとな。手品の類じゃないのは見てわかったぜ。聞けば念はプロハンターに必須の能力らしい。カストロ自身はプロハンターじゃないみたいだけどよ、念の勉強をしている内にそういう話を聞いたことがあるそうだ。

 オレにも念が使えるのか? そう聞いたら努力次第で誰にでも使いこなせるって話だ。人によっては様々な個別の能力を手に入れることも出来る。興味が湧かないわけがなかった。

 

 そこでオレはそいつに念を教えてくれと頼んだ。だが、それは断られてしまったんだ。未だ未熟な身で他人に物を教えることは出来ないってさ。

 その代わりと言って渡されたのが『黒の書』だったってわけだ。その黒の書は伝説の武人リュウショウ=カザマが書いたと言われ、念の修行法について事細かく書かれているらしい。そいつもその本の通りに修行して念に目覚め、強くなったみたいだ。

 

 そいつと別れた後、ウキウキしてオレは黒の書を読んだ。これでオレも超能力者だってな。だが、どうも念に目覚めるには瞑想とかをやらなくちゃいけないときたもんだ。医者の勉強もあるし、何よりめんどそうだ。いきなり挫折か?

 そう思いながら適当に黒の書を読み進めていると、様々な念能力について書かれた項目に行き当たった。

 

 1人で考えたとは思えないくらい多彩な念能力。設定だけでも読むのは楽しくてな、結構夢中になって読んでいたよ。そして見つけたんだ。あの能力をな。

 

 

 

「あの能力って?」

「まあ待てって。ちょっと喉を潤わさせてもらうぜ」

 

 飲み物を飲み、一息ついてからまた話し出す。

 

 

 

――その本に書いてあった能力は本当に多彩だった。

 一瞬先の未来を予測する眼鏡の具現化、砂を操作して対象を攻撃、オーラを氷に変化させて切り刻んだり氷の柩に閉じ込めたり、1つの系統だけじゃなく複数の系統を組み合わせた高等な能力もたくさんあった。

 だがオレが気になったのはそんなモノじゃない。それは……癒しの能力だった。

 

 

 

「癒しの能力? それって」

「ああ、言葉通りの能力だよ。オーラで相手を癒すんだ。オレは目から鱗が落ちる思いだったぜ。こんな事も出来るのか、ってな」

 

 

 

――その力をオレが手に入れる事が出来たら、オレは多くの人を救う事が出来ると思った。この能力は病気などには効果がないと注意書きがされてあった。だがそれでもオレはこの能力を身につけたかった。

 当たり前だけどよ、人が死ぬ原因は病気だけじゃない。外傷が原因で死ぬ人間は事欠かない。大きな怪我を負って病院に運ばれても、出血が多すぎて輸血が間に合わず傷を縫合する前に死んでしまうなんて幾らでもある事例だろう。

 病気や感染症は治療法さえ確立すれば治すことは出来る。でも外傷による出血多量はどうしようもない。だけどこの能力があれば救われる人は増える。オレ1人で救える人なんてほんのひと握りだけどよ。それでもやれることはやっておきたかった。

 

 そう思った瞬間だ。俄然やる気が出てきてな。自分でも驚く程瞑想に集中出来たよ。絶対に念に目覚める。何よりもその一点だけを思って毎日瞑想した。

 そしたらだ、瞑想し出して1週間くらいたったらオーラを自覚できたんだよ。次の日には纏が出来てたな。

 

 

 

「……素晴らしい速度です。えっと、私はあなた達全員に嫉妬しても許されると思います……」

「え? そうなのか? お前らも同じくらいに目覚めたんじゃねーの?」

「私は1週間で目覚めたな。アイシャが言うにはとても早いらしい」

「オレ達は正規のやり方で目覚めてないからちょっと分からないや」

「ズシっていう才能がかなりあるって奴でも目覚めるのに半年は掛かったって言ってたぜ」

「レオリオさんも類まれなる才を持っています。それだけでなく、断固とした決意を持って瞑想に取り入ったのも良かったのでしょう。念は何よりも精神に左右されますからね」

 

「念に目覚めた話はいいけどよ、肝心の黒の書をレオリオが持っていない話はどうしたんだ?」

「ああ、それはもう少し先だな」

 

 

 

――念に目覚めたオレは黒の書に書いてある通り毎日修行をした。勉強も並行してやるのはきつかったけどな。それでも夢に向かって進んでいると思えばやる気も出たってもんだ。

 そんな風に毎日修行と勉強とで忙しくしている時の事だ、夜中にふと気配がして目が覚めたんだ。強盗か? そう思ってオレは身構えた。だが、目の前で人影が一瞬霞んだかと思うとオレは背後を取られ組み敷かれていた。

 

 このまま殺されるのか? そう思ったが、その人影はオレを見てこう言ったんだ。『……やっぱりレオリオかよ』ってな。

 そいつは急にオレから離れた。オレはそのまま咄嗟に起き上がって目の前の人物の顔を見たが、心底驚いたね。

 そいつはなんと……オレ達と同期のプロハンター、一緒にトリックタワーを乗り越えたあのハンゾーだったんだよ!

 

 

 

『ハンゾー(さん)!?』

「おお。吃驚したぜ、どうしてこんな所にハンゾーがいるのか見当もつかなかったからな」

「マジかよ。どうしてハンゾーはレオリオん家にいたんだ?」

 

 

 

――まあすぐに話すさ。

 相手がハンゾーだと確認したオレも疑問に思ったさ。『ハンゾー!? なんでここにハンゾーが?』そうするとハンゾーは少し迷った素振りを見せて、オレにゆっくりと理由を説明しだした。

 

 何でもハンゾーは隠者の書って巻物を探す任務を帯びていたらしい。それでハンターライセンスを使ってその隠者の書がある国に入国したまではいいけど、残念ながら隠者の書はその国から盗まれていたそうだ。

 目的の物が見つからなかったハンゾーは、それでも諦めるわけにはいかずに情報を集めたそうだ。そして……黒の書に行き当たった。色々と曰くつきの噂のある黒の書が隠者の書なんじゃないか? そう思ったらしい。

 そして黒の書の情報を探す内にオレの所まで来たそうだ。どうも船でカストロと会話しているのを他人に聞かれていたみたいだな。

 

 で、俺んちに忍び込んだってわけだ。

 

 それからはオレに黒の書を譲ってくれ、と頼み込まれた。どうも黒の書は目当ての隠者の書とは違ったみたいだけどよ、黒の書自体に興味を覚えたらしくてな。

 だけどオレだってまだ黒の書から学びたい事が山ほどあったからな。無理だと断ったんだよ。そうするとだ。『だったらオレがお前を鍛えるからお前が満足行くまで鍛えられたら黒の書を譲ってくれ』って言い出したんだよ。

 最初は何言ってんだ? と思ったさ。でもよくよく聞いたら悪い話じゃないと思ってな。独りで修行するにも限界があるだろうし、効率も悪いだろ?

 オレだって強くはなりたかったし、組手の相手や念の確認をしあえる相手がいるのは願ったり叶ったりだった。だからオレは――

 

 

 

「その話を承諾して、く、黒の書を譲った……と?」

「そういう訳だ。わりぃなアイシャ。お前が黒の書を欲しがっていたのを知ってりゃ断ったんだけどよ」

「い、いえ、いいんです。それよりもハンゾーさんは何処に行ったか知りませんか!?」

「悪い、それもわかんねーんだ。また隠者の書を探しに行くとは言ってたけど、行き先までは言わなかったからなぁ」

 

 多分聞いても答えてくれなかったろうけどよ。ハンゾーの奴、オレに修行をつけてくれたのはいいけど、忍としての技は絶対に見せてくれなかったからな。口は軽いしノリも良い奴だが、そこらへんは徹底してやがる。流石は忍者ってとこか。

 

「あぁ……」

「っと! だ、大丈夫かよアイシャ!?」

 

 ハンゾーの行方について話すといきなりアイシャが倒れ込んできた!

 アイシャの身体は鍛えられているけど女性特有の柔らかさや男にはない良い匂いが……って何考えてんだオレは!

 

「だ、大丈夫です。……すいません。少し眩暈がしただけですから」

「本当だな? 何処か痛いとことか、息苦しいとかないな?」

「ええ、本当に大丈夫ですから」

 

 め、眩暈を感じるほどショックだったのかよ……。どんだけ黒の書が欲しかったんだ? 何だか悪いことをしたな。

 

「黒の書については本当にすまなかった」

「仕方ありませんよ。私が黒の書を欲しがっているなんて知りようがなかったんですから」

「ああ。せめてアイシャのケータイ番号を知ってりゃなぁ」

「ええ、もっと早く番号を交換しておけば……。取り敢えず今からでも番号を交換しませんか?」

「あ、オレもオレも! せっかく買ったんだから使っておかなきゃね」

 

 これで5人全員がようやくケータイ番号を登録出来たってわけだ。出会ってから8ヶ月が経ってからとは、長いこと時間が掛かったもんだぜ。

 

「これで登録完了ですね。ああ、アドレス帳がこれで10人になりました。とうとう2桁に到達です!」

「アイシャ……そんな悲しいことを自慢げに言うなよ」

「いいなー。オレはまだみんなの分しかないや」

「ここにもっと強者がいたぞおい」

 

 ケータイを今日買ったばかりのゴンはともかく、流星街出身だったアイシャは番号を交換する知り合いも殆んどいなかったんだろうな。この若さで過酷な人生を歩んでいるもんだぜ……。

 

「さて、オレの方はこんなもんだな。それで、アイシャはハンター試験の後はどうしてたんだ?」

「はい。それについては謝罪を含めきちんと説明させてもらいます」

 

 

 

――少女説明中――

 

 

 

「――というわけで今に至ります。レオリオさん、ご心配を掛けて本当にすいませんでした」

「ああ、そんなに気にしなくてもいいよ。それよりも、だ……クラピカ君、キルア君。これは一体どういう事だね?」

 

 なんでオレだけ除け者にされてんだよ! オレ以外の全員が揃って一緒に行動してるってどういう事だ! いや、話を聞く限り仕方ないことだろうけどよ。それでも連絡くらいあってもいいだろうが!!

 

「ピューピュピュー」

「口笛吹いて誤魔化せると思ってんのかキルア?」

「いや、落ち着けレオリオ。これについてはすまなかったと思っている。だが、これは言い訳になるんだが、私も強くなることに必死だったんだ。決してお前の事を疎かにしたわけじゃない。それだけは信じてくれ。連絡を怠っていたことは本当に悪かったよ。素直に謝罪しよう」

 

 ぐっ、そう言われりゃオレも強くは言えねーじゃねーか。クラピカが強くなる理由は良く分かってるからな……。仕方ねー、クラピカは勘弁してやるか。

 

「クラピカは分かったよ。それでキルア君。君はどういうことだね? ん?」

「ちょ、ちょっと待てよ。オレだけっておかしくね? アイシャにゴンだって――」

「ゴンはケータイ持ってなかったし、アイシャはオレの番号知らねーだろうが。お前オレにメールでやり取りしてたんだから言ってくれても良かっただろ!?」

「…………てへっ! ちょっと驚かそうと思ってつい――」

「――お前覚悟は出来てんだろうな、あ?」

 

 今こそ修行の成果を見せる時だ。唸れオレのオーラ! 高まれ極限までに!

 

「ふむ。今回は少しイタズラが過ぎるな。私も協力するぞレオリオ」

「2対1だ。卑怯とは言うまいね」

 

 実戦に卑怯もへったくれもねぇ! オレはハンゾー相手にそれを嫌と言うほど味わったんだ!

 

「ま、待てレオリオ! じ、実はお前に言わなきゃならないことがあるんだ!」

「なんだ? 命乞いなら聞かないぜ?」

 

 この高まったオーラは最早何かに発散しない限り収まらねー。安心しろキルア。傷は癒してやるからよ!

 

「ああ、実はな……クラピカがアイシャの裸を覗き見した――」

「死ねよやぁっ!!」

「ぐはぁぁぁぁぁっ!!?」

『く、クラピカーーッ!?』

 

「今のはオレの恨み! そしてこれはオレの悲しみ! そしてこれはオレの憎しみ! そしてこれはオレの妬みの分だ!」

「もうやめて! クラピカのライフはゼロよ!」

「アイシャの裸を覗いただぁぁ? お前なんて羨ま、もといハレンチなことを! それだけでも許されないってのにお前何時の間にアイシャに呼び捨てにされてんだよ! つうかこのメンバーでさん付けで呼ばれてんのオレだけじゃねーか! 前々から鼻につくヤローだと思ってはいたがもう勘弁ならねー! 全国のモテない紳士に代わって成敗してくれるわ! あの世でオレにわび続けろクラピカーーーッ!!!」

 

「ぐは! ご、ま、まて落ち着ぐあ! こ、これは罠――」

「オレも加勢するぜレオリオ! (……ワリーな、オレの為にここでくたばってくれクラピカ)」

「お、おのれキルア! 謀ったな! 謀っ、ぐあぁぁあぁぁぁぁ!!?」

 

 

 

 

 

 

 レオリオさん&クラピカvsキルアという2対1の構図がキルアの策略により一瞬にしてレオリオさん&キルアvsクラピカという構図に変わってしまっていた。

 そして不意を突かれたクラピカはレオリオさんの渾身のオーラを籠めた一撃をまともに喰らい、体勢を立て直す事も出来ないままレオリオさんとキルアの2人掛りにより地に沈められていた……。な、何という殺戮劇……。

 

「……惜しい男を亡くしちまったな」

「ああ、オレ達の掛け替えのない親友だったよ」

「過去形にしないでください2人とも……まだ生きてますから。……本当にまだですが」

 

 一応ピクピクと動いているから生きてはいるけど……。完全に気を失っているな……。

 

「2人ともやり過ぎだよ。クラピカだって悪気があってアイシャの裸を見たわけじゃないんだよ?」

「それは良かったぜ。悪気があったらオレはこの瞬間にクラピカに止めを刺していたところだ」

「そ、そこまでしなくても……。本当にクラピカはわざとじゃないんですからもう許してあげてください……」

 

 リィーナの時といい、ここまでされたら充分すぎる罰を受けているはずだ。いや、過剰な罰と言ってもいいくらいだ。

 

「ちっ。悪かったなクラピカ。……やべ、白目剥いてんぞおい」

「や、やり過ぎたか? しゃーねーな。ちょっと回復するから待ってろよ」

 

 回復? ということはレオリオさんは癒しの能力を身に付けることが出来たのか!

 それは凄い。回復能力は使い手が少ないからとても重宝するし、レオリオさんの将来の役にも立てるだろう。

 

 問題は、だ。その能力が〈ブラックヒストリー〉に書かれている能力を模して作られているであろうということだ……。ああ、今度はどんな能力が世に出てしまったんだ? この何とも言えないもどかしい思いをどうすればいいんだ? 誰か教えてくれ……。

 

「傷は……打撲が殆どだな。多少の擦過傷もあり、と。骨は……折れてなし。診察終了、それじゃ行くぜ! 【掌仙術/ホイミ】!!」

 

 おいちょっと待て。

 いや、確かに癒しの能力だけどさ! 100年以上経っても覚えているよその言葉は! 正確にはその言葉を聞いて思い出したんだけど……。もう何というか、記憶野にこびり付いているんじゃないだろうか? 元いた世界の故郷ではそれほど有名な単語だろう。

 

 私が内心慌てふためいている間、レオリオさんの掌が優しげなオーラに包まれていた。その掌がクラピカの身体に触れるとゆっくりとクラピカの全身にレオリオさんのオーラが拡がっていき、見る見る内に外傷が癒されていった。

 

「う、うう……わ、私は」

「おお! クラピカが目覚めた! やるじゃんレオリオ!」

「うわ~! すごいやレオリオ!」

「ま、ざっとこんなもんよ。どうだクラピカ、どっか痛いところはあるか?」

「いや、どこも痛くは……はっ! おのれキルアよくも私を嵌めてくれたな!」

「やべっ」

「待て! 逃げるなこの!」

 

 狭くはないけど決して広くもない部屋の中で2人の追いかけっこが始まった。微笑ましいというか何というか。クラピカも以前よりも明るくなった気がする。いい傾向なんだろうけど……。

 

「もう、2人とも止めなよ。周りの部屋の人に迷惑だよ?」

「ゴンの言う通りです。そろそろ落ち着いてください」

「ぐっ、すまない……」

「ふぅ、助かったぜ」

「キルアはちょっとイタズラが過ぎますよ」

「ちぇっ、悪かったよ」

 

 まあ可愛いものですけどね、こういうイタズラも。……やられた側はそうでもないかもしれないけど。

 

「ふむ。身体に一切の傷も痛みもないということは、レオリオが私に癒しの能力を使ったんだな?」

「ああ、【掌仙術/ホイミ】つってな。お前が味わった通りの効果だ」

「そうか。……回復に相手の体力を消費しないのか?」

「いや? 別にそんな制約はないぜ? つうか患者の体力を消費したら傷が治ってもヤベーだろ? まあそんな制約を入れておけば回復力は強まるだろうけどな」

「あ、そう言えば風間流にいたミズハさんは相手の体力を消費して回復能力が発動するんだっけ?」

「ええ。ただ自分のオーラだけを消費して回復することも出来るようですよ。ただそれをして毎日怪我人を癒していると彼女のオーラが無くなり自身の修行もままならなくなるので緊急を要する時以外は控えているそうです」

「てことはレオリオの【掌仙術/ホイミ】はそこまで回復力がないのか?」

「ちっちっち。甘いなキルア。オレの【掌仙術/ホイミ】にもちゃんと制約を入れて回復力を強めてるんだぜ」

 

 おお。私が書いた【掌仙術/ホイミ】の内容をレオリオさんなりに改良したんだろうか? 元々どんな制約を入れてあったかなんて覚えていないけどね。

 

「まずは対象に触れることで効果が高まるな。患部を直接手で触れるとより一層回復力が上がる。だから外傷ならともかく内部の損傷には若干効き目が悪くなっちまう。まあ誤差の範囲だけどよ。

 後は相手の傷の具合を把握して、その傷に対する適切な医療法を学んでいると回復力がより強くなる。だから医者としての勉強もしておかないと重傷患者の場合は治せないなんてことになるかもしれねー。これは自分への戒めも含めた制約だな。勉強を疎かにしたら救えない命が増えるっていうな」

「……レオリオ。私は改めてお前を見直したよ」

「よせよ照れるぜ。……ん? つまりお前はオレを見損なってた時があるってことかおい?」

「品性は金でゲフンゲフン。……何でもないよレオリオ」

「こ、このヤロー、また古い話を持ち出しやがって……!」

「あはは。でも本当にスゴイよレオリオ。後はお医者さんになる勉強だけだね」

「サンキュなゴン。ま、それが一番難しいんだけどな」

「レオリオさんならきっと大丈夫ですよ。いつか立派な医者になれると信じてます」

 

 これは本心であり、希望でもある。レオリオさんなら誰からも頼られる医者になれる、なってほしい。

 

「やべ。回復役まで揃ったこのメンバーってもしかして敵なしじゃねーか?」

「油断は禁物だぞキルア」

「そうですよ。油断で人は死にます。それを忘れてはいけません」

「わかってるって」

 

 でもまあキルアの気持ちも分かる。私を抜いたこのメンバーが揃って戦えば同人数の相手なら大抵の者に恐らく勝てるだろう。

 勇者・戦士・魔法戦士・僧侶が揃った感じのパーティーだな。……私は何だろう? 【ボス属性】を考えると魔王とかか? 勇者PTに魔王参戦。洒落にならないな……。

 

「ま、回復役っつってもオレにも攻撃手段くらいあるぜ」

「え? マジで! どんなんだよ!」

「おいおいオレばかりじゃなくてお前らの能力も言えよなー。こういうのは本当は隠しておくもんなんだぜ?」

「うむレオリオにしては正論だ」

「一言余計だっての」

 

 隠しておくって言うのは確かに間違っていないことだ。例え仲間と言えども不用意に自身の能力について話してしまうと痛い目にあう可能性がある。

 この中で誰かが裏切ったりとかはないだろうけど、念能力者の中には対象を操作する者もいる。そんな能力で操られたら仲間の能力なんて簡単に話してしまうだろう。もっとも、クラピカはそんなことよりも幻影旅団を警戒しているんだろうけど。

 ヒソカから聞き出した旅団員の能力に触れるだけで相手の心を読み取る能力の持ち主がいた。確実に特質系の能力。一度捕まればその人の秘密はないも同然になってしまうだろう。

 だからクラピカは私以外の人には自身の能力を殆んど教えていない。これはゴン達が信用できないとかできるとかの問題じゃないしな。仕方ないとも言える。

 

「オレにはみんなみたいな能力がないんだよなー。普通に強化系で戦うだけだし……」

「お前にはあれがあるじゃん。ジャンケンのやつ」

「あれは確かにしっくりくるけどさ、よくよく考えたらタダの硬だし。みんなみたいな能力ってあった方がいいのかな?」

「あまり深く考え過ぎたらいけませんよゴン。強化系でそれ以外の系統能力を作っている者は確かにいます。ですが今のアナタはそんなことを考えるより日々点と纏を繰り返しオーラを強めた方が効率がいい。それが強化系というものなのです。他の系統の能力について考えるのは強化系を極めてからでも遅くはありません」

 

 これの良い例がネテロだろう。あいつは強化系だが【百式観音】という反則的な能力を有している。だが、その【百式観音】もネテロが己の強さに限界を感じ、それを乗り越えた末に辿り着いた境地だ。それ故に強いと言える。

 

「……うん、そうだね。難しいことを考えるのは苦手だし、出来ることからやっていくよ!」

「なあ、ジャンケンってどんな能力だよ? 強化系でジャンケンなんてどう使うんだ?」

「ああ、それはね――」

 

 

 

――能力公開中――

 

 

 

「……お前らどんな修行してたんだ? ハンゾーとの特訓を乗り越えたオレよりもオーラ量が圧倒的に上なんだけど?」

『地獄を見た』

 

 綺麗にハモった!? それだけの思いをしたのか……すまない皆。

 

「キルアはオーラを雷に変化させるのか。すげーな、それを放出出来たら相手は防ぎようがないんじゃないか?」

「ああ、それも考えてはいるけどさ。まだ放出系の系統別修行もまともに出来てないからそうそう上手くは行かないんだよな~」

「流石にあの短期間で系統別修行までこなすのは無理でしたね」

 

 系統別修行に関してはグリードアイランドに行って時間に余裕がある時にすればいいかもしれないな。

 

「で、クラピカは鎖を操作して色々すると。……色々ってどんなんだよ?」

「それは秘密だ。まあその内見せる機会があればそうしよう」

「ずっけーぞクラピカ!」

「オレ達が知ってるのは【導く薬指の鎖/ダウジングチェーン】くらいだな。鎖でダウジングするやつ。嘘ついてもバレるってどんなダウジングだよ」

「今さらだけど念ってスゴイよね」

「少なくても右手の指の本数、多分あと4つは能力があると見た!」

「さて、どうかな?」

 

 正確には【導く薬指の鎖/ダウジングチェーン】を除いてあと6つの能力をクラピカは有しているな。

 ……あれ? これなんてチート? おいメモリ、仕事はどうした? 私も5つ能力を持ってるけどその内2つは死にスキルだぞチクショウ。

 

「で、アイシャの能力が……オーラの隠蔽だって?」

「ええ、その通りです」

「……纏をしても?」

「分かりませんね。実際いま纏してますよ?」

「……練をしても?」

「バレません。ちょっと練してみましょうか? ……どうです?」

「全然分かんねーわ。え? これってどうやって戦えばいいんだ?」

「だろ? 何してもオーラが見えないから戦闘中の攻防移動が分かんねーんだよ。マジ鬼畜だぜ」

「そもそもアイシャの攻防移動が見えたとしても意味がないよ……。技術に差が有りすぎて勝負にすらならないんだもん」

「マジで? アイシャってそんなに強いのか?」

 

 レオリオさんの言葉に3人ともが一斉に大きく頷く。まあ念を覚えて1年未満のあなた達に負けるつもりは流石にないな。

 

「ネテロのじーさんと戦えるレベルだぜ? 強くて当然だろ?」

「でもあの会長には負けたんだろ? そもそもネテロ会長ってどんだけ強いんだ?」

「すっごく強いよ! オレとキルアとアイシャの3人がかりでボール取りゲームしたんだけど、全然相手にならなかったもん! あ、でもアイシャはあのあとボールを取れたんだったっけ?」

 

「正確にはネテロ会長が私に攻撃を加えたのでルール違反による勝利ですけどね」

「ネテロ会長は世界最強の武術家とまで言われている。さらにはあの伝説の武人リュウショウ=カザマともライバル関係にあったそうだ。そのネテロ会長と戦いあえるとなるとこの世界では数える程しかいないだろうな」

 

「うへぇ、そんなに強かったのかよお前……」

「皆さんより長く修行しているだけですよ。私と同じくらい修行すれば皆さんの方が私より強くなれます」

「それってどれくらいなんだ?」

 

 100年以上……かな。

 ……彼らの才能を考えたら10年くらいで追い抜かれそうで怖い。もっと修行しよっかな?

 

「そういや明日はどうするんだ? お前らはグリードアイランドが目的なんだろ? でもその選考会とやらはオークション最終日だから、それまでは何かすんのか?」

「……そう言えば、どうして皆さんはヨークシンで集合する事になったんですか?」

 

 9月にヨークシンで集合という話しか聞いていない。そういう話になった流れはどうしてなんだ? ゾルディックを出た時にはグリードアイランドの事は知らなかったはずだから、純粋にオークションを楽しもうとしてのことだろうか?

 

「ああ、確かクラピカの奴がヒソカに蜘蛛について知りたいなら9月1日にヨークシンで、そう言われたのが原因だったな」

「……え?」

 

 ヨークシンでヒソカと会う予定だった? クラピカとヒソカは天空闘技場で再会した。だけどあれはヒソカにも予想外だったということか。あの時のヒソカの反応・言葉からそう想像するのは容易い。

 そしてヒソカはクラピカの復讐心を利用して旅団の団長と殺し合いをしようと画策していた。……そして元々はヨークシンでその旨を話す予定だった。つまり……。

 

 ヨークシンに……旅団が来る!? その可能性が果てしなく高い!!

 

 まて、待て待て待て! ヨークシンで旅団が狙っている物はなんだ? 奴らは盗賊だ。来るとしたら物を盗みにとしか考えられない。そして9月1日の今日からオークションは始まっている! 狙いはオークションの品だろうことは明白だ!

 だとしたらどのオークションを狙っている? ドリームオークションと一言で言ってもオークションハウスの最高峰と言われているサザンピースを筆頭に公式で数万店にも及ぶオークションハウスがある。

 公式以外にもマフィアンコミュニティーが取り仕切っていると言われている盗品を扱ったアンダーグラウンドオークション等の闇の……っ!

 

 マフィアが、取り仕切っている? ま、まさか……!? いや、そんな確率は……! いやでも!

 私の中にある薄れた記憶の何かが私に最大の警告を放っている。これを無視するなんて出来ない!

 

「おいアイシャ? どうしたんだ? 明日は取り敢えず値札競売市にでも行かないかって話なんだが……」

「待ってくれレオリオ。すまないが明日私は別行動をさせてもらう」

「……おいクラピカ。お前まさか1人で旅団を探そうって言うつもりじゃないだろうな?」

「1人で!? そんなの無茶だよクラピカ!」

「……ヒソカの話から推測するに旅団はヨークシンに来ている可能性が――」

「クラピカ! 地下競売がいつ、どこで開かれているか分かりますか!?」

「――!? あ、アイシャ?」

「分かりますか!? 分かりませんか!?」

「あ、ああ。まて、待ってくれ。……地下競売は毎年行われる場所が変わっているそうだ。非合法のオークションだから当然だが。それを知るためには私たちならハンターサイトを利用するのが一番早く確実――」

 

 クラピカが言葉を言い切る前に部屋に備え付けられているパソコンへ向かい起動する。完全に立ち上がるまでの僅かな時間さえもどかしい! ネット回線がある部屋にして本当に良かった! まだか、まだ回線は……繋がった!

 

 即座にハンターサイトへのアドレスを入力しハンター専用サイトへ入室する。検索は今期アンダーグラウンドオークション。その開催場所と日時だ! 頼む、載っててくれよ。…………あった! 情報提供料も確認せずに入金する。金なんてどうでもいい、今は一刻を争うかもしれないんだ!

 場所は……セメタリービルの地下! 日時は……今日!? 時間は21時から! 今は20時51分だ。あと9分! 間に合うか!?

 いや、そもそも行って杞憂だったらどうする? ごめんなさいですむわけがない、下手すれば全マフィアンコミュニティーから狙われることになるぞ!?

 

 ……それでも! それでもあの人が……母さんが愛した人が巻き込まれる可能性が僅かにでもあるのなら!

 

 ヨークシンの地図を確認する。くっ! 遠いな! 時間が惜しい、ベランダから部屋を出て直接飛び降りる! 後ろから私を呼ぶ声が風に乗って聞こえるが今はそれに応える暇はないんだ!

 

 どうか……どうか私の杞憂であってくれ……!




レオリオ復活! レオリオ復活!
レオリオさんの修行相手はハンゾーさんでした。レオリオ強化のためとはいえちょっと強引だったかも……。
あと【掌仙術/ホイミ】はもう何をパクったか丸分かりでしょう。レオリオは自身の得意系統を分かっていて納得済みで強化系の能力を作っています。
ちなみにレオリオが持っている攻撃用念能力……もう大抵の人が予測出来るでしょうw
一応ホイミの能力詳細を書いておきますね。


【掌仙術/ホイミ】
・強化系能力
 対象の自己治癒能力を強化して傷を癒す回復能力。対象に直接触れる事でより高い回復力となるが、放出系と組み合わせて遠距離にいる対象を癒すことも出来る。ただし効果は著しく落ちる上、誰に当たっても回復してしまうため放出して使う機会は少ない。また対象の傷を把握し、その傷に対する適切な医療法を学んでいる事で回復力が強化される。
 レオリオの得意系統と完全に噛み合っているわけではないので最大の効果を発揮することは出来ないが、レオリオ本人の意思と覚悟が加わり効果は上がっている。

〈制約〉 
・対象に触れていない場合回復効果は著しく減少する。
・患部に直接触れないと回復効果は減少する。
・使用者が把握出来ない傷に対しては回復効果は減少する。
・傷に対する適切な医療法を学んでいないと回復効果は減少する。

〈誓約〉
・特になし



またもハトの照り焼き様からイラストを頂きました。ありがたいことです。


【挿絵表示】


なお、このイラストはpixivにも投稿されています。差分イラストもあるのでぜひご覧下さい。
http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=49914264


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十六話

 今回いつもよりも過激な表現が使われております。多少ダークとなっていますのでそれが気になる方は注意してお読みください。


 幻影旅団。

 それはA級賞金首の犯罪者集団。団長を筆頭にメンバーたる12人の団員たちは各々が一級の念能力者であり、その実力の高さは熟練のブラックリストハンターすら迂闊に手を出さないほどである。団員たちはそれぞれが身体の一部に団員ナンバーが入った12本足の蜘蛛の刺青を入れており、幻影旅団に近しい者や詳しい者からは[蜘蛛(くも)]と呼ばれている。

 

 彼らは死を恐れない。自らの死すら仕事の内と理解しきっており、例え死に直面したとしても動揺や怯えを見せる者は旅団の中に誰1人としていない。それ故に彼らは強かった。彼らは一級品の念能力者であるが、真に彼らを強者足らしめているのはその異常なまでの精神性が起因しているのが大きいだろう。

 意外にも仲間内の結束は高く、仲間が死ねば怒り、悲しみもするだろうが、自らの命にはそこまでの執着を持ってはいなかった。そしてそれ以上に他人の命に関心を持たない狂人集団。

 

 強者にして狂者。それが幻影旅団であった。

 

 そんな幻影旅団の活動内容、それは主に盗みと殺し。俗に盗賊と呼ばれる世間一般から悪と見なされるそれが彼らの仕事だ。だが、旅団として活動する以外には各々が自由に行動しており、旅団の活動が行われても全団員が揃うことなど滅多にないことだった。

 

 そんな彼ら13人が3年2ヶ月ぶりにヨークシンの郊外にあるアジト――世界中に点在するアジトの一つだが――にて一同に会していた。

 

 何のために? などと考える団員はいなかった。極稀に慈善活動をすることもあったが、そんなことをする為に団長が全メンバーに集合を掛けるとは考えられないことだ。

 彼らは盗賊。つまりこれから行われるのは盗み、それ以外に有り得ない。ならば何を狙ってのことか? それが団員たちが考えていることだった。

 この時期のヨークシンに来たということは狙いはオークションだろうとは予測される。ならばどのオークションを狙う? どんなお宝を奪う? ある団員は団長の周知の趣味が本のため古書全般を狙っていると考え、またある団員はサザンピースで出品されると噂されている世界一危険で高額なゲームだと予測する。

 

 アジトに会する全団員たちの興味と興奮が高まるその中で、団長クロロ=ルシルフルが発した言葉は――

 

「全部だ。地下競売(アンダーグラウンドオークション)のお宝丸ごとかっさらう」

 

 地下競売の宝を全て盗む。言葉にすることは誰にでも出来る。だがそれを実現、いや実行しようと思う者が世界にどれだけいるのか?

 地下競売は世界中のマフィア達が協定を結んで取り仕切っている。その地下競売に手を出すということはマフィアンコミュニティーを、つまりは世界中のマフィア全てを敵に回す行為であった。

 誰がそんなことを考える? 誰がそんなことを望む? 誰も望みはしないまさに狂人の発想。これに賛同する者など同じ狂人だとしか考えられないだろう。

 

 そしてここに居るのはその狂人だけだった。

 団長の言葉に臆する者は誰1人としておらず、むしろ中には興奮のあまり身体が震え、それを抑える為か歯を食いしばり口から血を垂らす者さえいた。そこまでの興奮を見せる者は他にはいなかったが、誰もが明日に思いを馳せていた。

 

 たった2人を除いて。

 

 1人は死の道化師ヒソカ。

 蜘蛛であって蜘蛛でない、旅団へ偽装入団した男。ヒソカが旅団に入団した理由はただ1つ、幻影旅団団長クロロ=ルシルフルと戦いたいが為であった。その為に入団テストにて前4番を殺し、蜘蛛の刺青を【薄っぺらな嘘/ドッキリテクスチャー】で偽装してまでクロロに近づいたのだ。

 だがその思惑はそう簡単には実らなかった。クロロはガードが堅く、旅団としての活動以外では何処で何をしているのか手がかり1つ残さず消える。その隠密性はヒソカですら追跡は出来ない程だ。さらに仕事中は常時2人以上の団員が傍に控えているためヒソカが望む殺し合いを挑むのは不可能だった。

 

 故にヒソカは考える。この状況をどう利用したら上手く旅団を出し抜きクロロとの1対1を存分に楽しめるのか、と。

 既に種はまいていた。幻影旅団に並々ならぬ復讐心を抱く少年クラピカ。その彼をヨークシンに誘導し、旅団と上手くかち合わせれば何らかのアクションを起こすだろう。そう考えてクラピカに蜘蛛の情報を匂わせておいたのだが、ヒソカの予想に反して2人は天空闘技場で再会した。

 それについては予想外ではあったが特に問題はなかった。ヒソカはクロロと戦いたく、クラピカは旅団を捕らえたい。2人の利害は一致しており、目的の為に協力を取り付けるのは容易だったと言える。

 

 今頃はヨークシンに到着しているか、それとも明日にでも到着するのか。旅団が地下競売を狙っていることを伝えるべきか、それとも事が起こったあとに連絡をするか。

 ヒソカは考える。クロロとの戦いを楽しみたいが為に。その後に待ち受けるであろう彼女との戦いを楽しみたいが為に。

 

 

 

 そして他の団員と違う考えに没頭しているもう1人の人物。

 その名はマチ。旅団員で3人しかいない女性メンバーであり、蜘蛛結成時からの初期メンバーでもある。クロロからの信頼も厚く、旅団全員への連絡係を務めている女性だ。

 

 今の彼女の心境を一言で表すなら『不安』。何の根拠も確証もない、ただただ嫌な予感がマチを襲っていた。このまま地下競売を襲撃すると何か蜘蛛にとって良からぬことが起こるのではないか? そんな漠然とした不安。

 マチの勘は一種の念能力ではないかと疑えるほど鋭いものだった。その勘の良さで蜘蛛の危機を回避したことすらあり、勘という具体性のない曖昧なモノでありながら他の団員たちも一目置いていた。

 それ故にマチが嫌な予感がすると言えばそれを真っ向から否定する者はおらず、確証はなくともその一言を念頭に置いて皆が行動していた。

 

 だが、そんなマチも今この状況でそれを言うことは出来なかった。

 いくら勘がいいとはいえ、まだ何も事を起こしていない、不安要素など欠片も見当たらないこの状況で、『嫌な予感がするから盗むのを止めよう』等と言えるわけがなかった。せいぜいが嫌な予感がするから気をつけるよう注意を促すくらいだろう。それはマチも良く理解っていることだった。

 

 マチも自身並びに旅団の強さを信じている。マフィア等に負けるなどと想像は出来ず、またそれは事実でもあった。

 マフィアが近代兵器に身を包んでいたとしても旅団は造作もなく打ち破るだろう。1流の念能力者集団が相手では非念能力者など例え1千や2千集まろうとも相手にならないだろう。マフィアにも念能力者がいるだろうが、魍魎跋扈する世界を強者として生き抜いてきた自分たちが敗れるなど想像だに出来ないことだった。

 

 蜘蛛に欠員がでるかもしれない。だがその程度のことは全団員が了承済のことだ。蜘蛛の死は旅団員全員の死、誰か1人でも生き残っていればそれでいい。生き残りの者が新たなメンバーを集め何事もなかったかのようにまた活動を開始するだろう。もちろん旅団員を殺した者へ相応の礼をして、だ。

 そういう点において旅団を滅ぼすのは至難と言える。何せ誰か1人でも残してしまえばそれは旅団復活を意味するのだから。

 

 旅団がマフィアとやり合っても完全な敗北があるとは思えない。マチが自身の予感について他のメンバーに何も言えないのはそのせいでもあった。

 せめて何らかの不確定要素が形として現れてさえいれば……そう思わずにはいられないマチであったが、無情にもここに団長からの号令が下った。

 

「オレが許す。殺せ。……邪魔する奴は残らずな」

「おお!!」

 

 肉体の強さは蜘蛛一と言われる男の力強い掛け声がアジトに響き渡る。マチはその力強さに一時心を託した。言いようのない不安をかき消してくれると信じて。

 

 

 

 

 

 

 9月1日。

 今日この日からヨークシンにてドリームオークションが開始された。年に一度開催される世界最大の大競り市。幾万店ものオークションハウスが開かれ、高価で物珍しい品が幾千万と売買される。昨日買った品物が明日には何十倍、何百、何千倍もの値段で売れたなどそこら中に転がっている話であり、まさに一攫千金を狙える夢の市であった。

 

 誰もがオークションに夢を描いている表の世界。だがその裏には光に紛れて開かれる闇のオークションが存在していた。

 犯罪もの、つまりは盗品や非合法の品など公式では扱えない品を競りにかける闇の市。そうした曰くつきの品にはいつの時代も大量の需要があり、どれだけ取り締まろうとも規制仕切ることは不可能だった。

 マフィアンコミュニティーが取り仕切る闇の市の最高峰、地下競売もそうだった。もっとも、コミュニティーとヨークシン市長は裏で結びついているため地下競売が取り締まられることだけはないのだが。

 

 毎年同じように開かれ、多少のいざこざはあれど何のトラブルも起こらずに無事オークションは終わる。今年もそうだろうとマフィアの誰もが思っていた。いや、何か起こるなどと考えてすらいないマフィアすらいた。

 地下会場内は武器の所持を認められておらず、会場内のセキュリティはマフィアンコミュニティーが責任をもって行っている。マフィアに喧嘩を売る馬鹿などいるはずもなく、問題など起こりようがなかった。

 

 ――そのはずだった。

 

 

 

「し、知らない! 本当に知らないんです! だからもう止めぎぃあああああぁあぁぁあぁ! や、やめてぐれぇぇ!!」

「止めてほしかたら知てること話すね。競売品はどこよ?」

「本当に知らないんだぁああぁ! お願いだからもう止め――ぎぃぃぁあぁっ!!」

 

 地下競売が行われるセメタリービルにて誰もが目を覆う光景が繰り広げられていた。

 拷問。それも並大抵のモノではない、明らかに相手の今後を考えていない極めて凶悪な拷問だった。拷問にかけられている男は今日行われる地下競売のオークショニア(競売進行役)。そして拷問を加えている喋り方が独特の小柄な男――フェイタン――は幻影旅団の一員であった。

 

 オークションに出される品を盗みに来た旅団がなぜ一介のオークショニアに過ぎない男を拷問にかけるのか。それは盗み出そうと思っていた品が金庫に1つもなかったからに他ならない。

 マフィアが厳重な警備をしているビルは旅団にとっては然したるモノではなく、容易く襲撃メンバーの7人が侵入を果たしていた。服装はコミュニティーの警備員が来ていたスーツと同じものを用意しており、何食わぬ顔でセメタリービル内を闊歩する。その姿は堂々としたものであり、正体がバレることへの不安は微塵も感じられないものだった。

 

 そして行き着いたのが地下競売で競りに掛けられるはずの競売品が保管されている巨大金庫だったのだが、旅団の予想に反してその中には1つたりとも競売品はなかった。

 当然その場にいた金庫番は既に全員が旅団によって殺されており、唯一生き残っていたのは金庫の番号を知っているオークショニアだけだった。オークショニアにとっては不幸な話だが、彼が拷問を受けることになったのは当然の流れと言えるだろう。

 

「どう? 情報吐いた?」

「駄目ね。コイツ本当に知らないよ」

「フェイタンが言うんじゃそうだろうなぁ。チッ! お宝は何処に行ったってんだよ」

「競売品を持っていったっていう陰獣。多分シズクと同じタイプの能力者だね」

 

 目の前で人間1人が壊されていく様を見ているにも関わらず彼らの口調は極めて軽いものだった。虫の足が千切れているのを見ても何の痛痒も感じないように、彼らは人の痛みに興味がない。

 既にオークショニアは虫の息であり、その様はむしろどうして生きているのか疑う程であった。壊さないよう、そして生かさないようある意味優しくゆっくりと壊された結果がこれである。

 

「もういいね。楽になれてよかたねお前。ワタシに感謝するといいね」

 

 そう、オークショニアが聞いていれば巫山戯るなと叫ぶだろう言葉を吐きながらフェイタンはオークショニアの命を奪った。あれほど殺さないように注意していたというのに、至極あっさりと。

 だがフェイタンが言うようにこれがオークショニアの為でもあっただろう。先程までのオークショニアは生きているだけで最早人とは呼べない無残なモノだったのだから。この場で生き延びた所で僅かに死への時間が延びるだけであり、例え助かったとしてもまともな人生を送ることは不可能だっただろう。

 

「さてどうする。お宝は何処とも知れない場所へ。手がかりは皆無だ」

 

 旅団の1人、顔一面にある無数の傷が特徴的な巨漢――フランクリン――が言外に言う。目当ての競売品が手に入らなかった今、次はどんな一手を打つかと。

 

「決まっているよ。陰獣の1人が持ち去ったって言うんなら、その陰獣が出て来ざるを得ない状況を作るだけさ」

 

 それに応えたのは優れた判断力と様々な知識に長けた智謀の男。爽やかな好青年を思わせる柔らかな微笑を浮かべて彼――シャルナーク――は言葉を続ける。

 

「このままオークションに参加してる客を全員殺そう。そしてその死骸をシズクが吸う。そうすると客がいなくなった事に気付いたマフィアはオレ達を追ってくるはずだ。その追っ手相手に暴れていればその内陰獣も来るはずだよ」

 

 旅団員たちが口々にしている『陰獣』。

それはマフィアンコミュニティーを束ねる大組織の長たち、通称『十老頭』自慢の実行部隊を指して陰獣と呼ばれている。それぞれの長が組織最強の武闘派を持ち寄って結成した、言うなればマフィア最強の念能力者集団である。

 

「陰獣か。強いといいなそいつら。楽しみだぜ」

 

 猛獣もかくやと言わんばかりに野性味溢れるその男――ウボォーギン――は好戦的に微笑む。マフィアに喧嘩を売り、そのマフィアの中でも最強と謳われる敵を相手にしても感じるものは恐怖ではなく愉悦だった。

 

「……あたしは反対だよ。一旦引いて団長の指示を仰ぐべきだ」

 

 未だに嫌な予感が消えていないマチは周りからは消極的とも言える意見を述べる。団長の指示と言っても電話1つで済む話であり、そもそもトラブルが起こったから指示をお願いしますでは子どもの使いと同義だと考えるメンバー相手に通じる説得ではなかったが。

 

「おいおい本気で言ってんのかマチ? オレたちゃガキの使いじゃねーんだぜ?」

 

 マチの意見に反応したのはジャポンで言う侍を模したかのような男――ノブナガ――だった。その言葉はマチの意見を否定しているものだ。そしてそれはマチ以外の旅団員全員の代弁でもあった。

 

「どうしたんだよマチ? おめぇらしくもねー。マフィア相手にビビるような奴じゃねーだろ?」

「……なんだか嫌な予感がしてね」

「勘か?」

「勘だよ。……あたし達の行動は先読みされている可能性がある。それはマフィアの急な変更指令を見ても想像出来ることだよ。もしかしたらあたし達旅団が来ると情報が漏れていたのかもしれない。その上で罠を仕掛けられていたら……」

「そりゃ勘じゃなくてお前の予測だろ? 本当にらしくねーな。おめぇはそういう予測をぶった切って勘を貫く奴だろうが」

 

 マチの予測は誰が旅団の行動を流したのかを考慮に入れなければ非常に納得のいくものである。だが普段のマチを知っている者たちからすれば違和感のある説得だった。ノブナガが言うように、理路整然と予想を連ねるのはマチと言う人間の人物像にそぐわないものだった。

 

「……おめぇの勘は良く当たるのは分かっている。だが今回ばかりはその勘を鵜呑みにするわけにはいかねぇ。それはおめぇも分かってんだろ?」

「……分かってるよ。でも不測の事態があったら全員屋上に即集合すること。これは絶対だよ」

 

 結局マチはそう提案することで自身を納得させた。所詮勘は勘。いくら勘が鋭いと言っても外れることがないわけではない。今回もきっとそうだと自身に言い聞かせて。

 

「ああ。皆分かったな。オレが言うのも何だがこいつの勘は当てになる。何か起こるものとして行動しろよ」

「本当にノブナガが言うこと違うね。否定しておいてけきょくそれよ」

「うるせーよ」

「ねー。話がまとまったんならこいつらもう吸ってもいい?」

 

 先程までの会話には混ざらずにいた女性。どこか浮世離れした雰囲気を醸し出す彼女――シズク――は何処からか掃除機を取り出しそう呟く。

 シズクが持っている掃除機がごく普通の掃除機で、ここが普通の家の中で、周りにあるのが埃やゴミならばその呟きに違和感を感じる者はいないだろう。

 だが彼女が持っている掃除機の口には鋭利な歯があり奇怪な鳴き声を出しており、いま彼らがいるのは地下競売が行われるビルの地下であり、そして周りに散乱してあるのはゴミではなく人の死体だった。

 

「ダメだよ。いまこいつらを吸ったら来る前に吸い込ませておいた気球が取り出せなくなっちゃうだろ」

「あ、そうだった。じゃあ屋上行って気球出しておくね」

「このビルの屋上はダメだよ。マフィアが見張っているから。気球を出したらこいつらを吸ってね」

「うん」

 

 シズクが具現化した掃除機。名はデメちゃんといい可愛らしい名前を付けられているが、デザインは名前にふさわしいものではなく、またその能力も優れ物だった。デメちゃんはシズクが生物と認識したもの以外の全てを吸い込むことが出来る。例え生物であっても死体となっていれば吸い込むことはでき、また最後に吸い込んだ物なら吐き出すことも可能だった。

 旅団においてもレアと言われている能力であり、それ故戦闘をメインとしている旅団員よりも生存の優先順位が高かった。

 

「じゃあ手はずを整えようか。競売の客を殺すのはフランクリンとフェイタン。シズクは会場の正面入口を、マチは裏口を見張ってて。オレとウボォーは警備員に扮して客を誘導するよ」

「おいおいオレにも殺らせろよな」

「こんな所にいる雑魚を殺しても楽しくないでしょ? どうせなら追ってきた奴らを殺りなよ」

「それもそうか。んじゃそうするか」

「それじゃ手はず通りに……行動開始!」

 

 シャルナークの掛け声とともに各々が行動を始める。その行動は全てが己の欲望を満たすためだった。己の欲望を満たすために他者を生贄にする。その果てに待つものがなんであるか理解しつつもその行動を止める者はいない。

 だが彼らは本当に理解していたのだろうか? 己の想像を超える存在がこの世にはいるということを。

 

 『それ』を本当に理解しているのはこの場にはいない旅団団長クロロ=ルシルフルだけであった。だが、そのクロロでさえ『それ』と出会うなどと考えてすらいなかった。

 

 そして……オークションという名の惨劇が始まった。

 

 

 

 

 

 

 ドミニク=コーザは毎年開催される地下競売に参加する為にヨークシンへと趣いていた。ここ十数年、と言うよりは妻を失くしてからは自ら参加せず代理の者を遣わしていたのだが、コーザファミリーの親に当たるファミリーのボスから直接出向くよう言付けを受けたのだ。流石に直系の親相手に言われれば従う他なく、こうしてヨークシンまで所有している飛行船でやって来た。

 

 愛する妻が死に、意気消沈という言葉がこれ程も似合うこともないと言えるほど落ち込んでいた彼を直系の親も気遣ってはいた。だが流石にマフィアの面子争いの一面を大きく持つこの地下競売に10年以上も不参加となると強行せざるを得なかったのが直系の親の心境だった。

 

 何か欲しいと思う品もなく、ただ参加する為だけにヨークシンまで来る羽目になったドミニクだったが、今回の話は彼にとっても渡りに船だった。

 

 先日、死んだと思っていた娘と再会した彼は過去の想いと現在の想いが綯交ぜになって自分でもどうすればいいのか分からなくなっていた。

 

 娘を許すわけにはいかない。何故なら最愛の妻が死ぬ原因を作ったのが娘だからだ。ドミニクとて何も知らずに産まれてくる子どもに罪があるとは思っていない。いくら最愛の妻が子を産んだせいで死んだとしても、それだけで妻が産んだ自分の子を捨てるなどとは考えなかっただろう。

 だがそうではなかった。産まれてきた娘は不気味な雰囲気を強烈なまでに放っており、部下の話ではその身からは有り得ないほど膨大で凶悪なオーラが溢れ出ていたという。妻が死んだのは子どもを産んだからではない。『この子』が産まれたからなのだ。そう結論付けるには充分な要素だった。

 

 さらにその子どもは産まれたてのはずなのに明らかに自我を持ち会話すら理解している様子を見せていた。これもドミニクが部下から聞いた話だったが、車で娘を飛行船へと運んでいる最中になんと娘はオーラを自由自在に操っていたという。

 念能力者として鍛えていた彼らにも出来得ない程の熟練したオーラ操作。生後間もない赤子にそんなことが出来るわけがない。悪魔か何かの生まれ変わりと断じて捨ててしまうのも当然の判断と言えるだろう。

 

 だが妻――を模した念獣――に育てられ、妻と同じく美しく成長した娘を見ると過去の感情も薄れてしまう。

 かつて見たオーラに――部下の報告では――変わりはなかったが、その顔立ち・仕草・憂いを帯びた悲しげな表情。それらを見ると悪魔など錯覚だったのではないかとさえ思えてしまっていた。

 例えそれが悪魔の狡猾な罠かもしれなくても、それでも娘と一緒に暮らせばかつての幸せが僅かではあるが帰ってくるのではないか? そういう得もしれない誘惑に駆られるのも仕方のないことだと言える。

 

 それでもドミニクはその誘惑を振り切った。妻が死んだのは娘のせいであることに変わりはない。例え意図した行為ではなかったとしても、娘が何らかの要因を作って我が子として産まれてきたのではと思うとどうしても許しきることは出来なかった。出来たのは精々が娘の要望である妻の墓の在り処を言外に教えるくらいのことだった。

 

 娘を許せない。だが妻の面影を残す娘をただ憎むことも出来ない。そのジレンマに陥っていた彼にはこうして他の事で気を紛らわすしかなかったのだ。

 

 

 

 子飼いでも選りすぐりの念能力者を引き連れ地下競売開催ビルに辿り着くドミニク。10年以上も不参加だったので周りにいる連中から奇異の目で見られているのが分かったが、その方が周りに意識を向けて余計なことを考えないですむ分気が楽だった。

 だがその視線もすぐに消えてしまう。地下競売でいざこざを好んで起こそうなんて考えるバカはマフィアにはいないからだ。下手なことをして周りから睨まれては組の損害は馬鹿にならないものとなるだろう。

 

 視線から解放された為またも思考に没頭してしまうドミニク。軽く頭を振り、別の何かを考えることで娘を思考の隅に追いやろうとする。考えても答えが出ないことは既に分かりきっていることだった。それならば今宵のオークションで何を買うのか考えた方がまだ建設的だと考えて無理矢理自身を納得させる。

 久しぶりに参加するオークションだ。どうせなら何か気に入った物でも買ってもいいだろう、そう考えながら警備員のチェックを越え会場内へと入室する。ドミニクだけでなく他の客も同様に。

 

 その扉が地獄の竃に繋がっていると知らずに。

 

 

 

 オークション会場に2人の男が登場し壇上に立つ。1人は傷だらけの顔を持つ巨漢。もう1人は巨漢とは対照的なほど小柄な男。

 この場に集まるどの客も壇上に立つ2人の男を疑っていなかった。2人の男はオークショニアとしては不釣り合いの強面だが、それがマフィアンコミュニティーが開く地下競売となれば話は別だ。さらにはこのオークションはマフィアンコミュニティーが全責任を持って警備に当たっている。ビル内にいる警備員は全てコミュニティーに属するマフィアであり、会場内には武器や記録装置、通信機器すら持ち込み禁止の厳重さだ。

 ビルの半径500m以内には客と警備員以外のマフィアは進入すら禁止されており、それでも数多のマフィアがそれぞれのファミリーからの参加者を護るために500m外から監視していた。

 

 そんな中で行われる地下競売で何かが起こるわけがない。今までもそうだったしこれからもそうだ。誰もがそう思い壇上に立つオークショニアの言葉を待つ。

 そしてオークショニアが紡ぎ出した言葉は――

 

「皆様ようこそお集まりいただきました。それでは堅苦しい挨拶は抜きにして――くたばるといいね」

 

 ――壇上に立つ2人の男以外に対しての無情なる死の宣告だった。

 

 小柄な男、幻影旅団の1人フェイタンが発した死の宣告が言い終わるや否や、フェイタンの後ろに立つ巨漢フランクリンがその両の指を客に向かって突き出す。

 だがその指は本来のそれよりも短かった。両の指その全ての第一関節から先がない。指先を失った両の手を突きつけるその様はまるで銃口を向けているかのようだった。そしてそれは間違いではなく、フランクリンの失われた指先から無数の、数えるのも不可能なほど無数の念弾が機関銃の如く発射された。

 

 マフィアとて闇社会に生きる者たちだ。いくら地下競売で襲撃されるという考えにくい現状に晒されたとはいえ、即座に反応し雇い主や己が主を護る為に身を挺して前に立った。

 だが、その命を賭けた行動は……主をほんの僅かに生きながらえさせただけだった。

 

 異常な速度で発射される念弾が奏でる轟音、そしてその念弾によって身体を細切れにされていくマフィアの絶叫が重なり不協和音となって会場内に響き渡る。

 圧倒的な破壊力を誇る念弾の嵐。一撃一撃が念能力者の防御を容易く貫く威力を持ち、それが秒間数十発も発射されているのだ。その死の嵐は男も女も、老人も若人も、念能力者も非念能力者も、一切の関係なく平等に死を振りまいていった。

 

 

 

 ドミニクもまた例に漏れず死の嵐に晒されようとしていた。護衛として連れてきていたダールとザザが身を張ってドミニクの前に立ち念弾を食い止めようとしている。

 だが――

 

「ぼ、ボス! 逃げてくださ……!」

「ザザァァーー!! クソッタレ! ボス早く外へ! オレももう……ガァッ!?」

「ダール! ザザ!」

 

 護衛の身を挺した行動は確かにドミニクを念弾の脅威から救った。……例えそれがほんの数秒程度だといえど。

 そして護衛が物言わぬ肉と化した今、ドミニクもまた死の嵐に巻き込まれた。

 

「がふぁっ!?」

 

 今まで感じたこともない程の激痛がドミニクの腹部を襲う。まるで灼熱の棒を差し込まれ掻き回されたかのような錯覚にすら陥っていた。

 ああ、俺はここで死ぬ。そう思ったドミニクが感じたのは死への恐怖……ではなく、安らぎと解放だった。これでようやく愛する妻の下に逝ける。これでようやく……娘を恨まなくてもよくなる、と。

 

 全てから解放されたと思ったドミニクがその薄れゆく意識の中で最後に見たものは……今にも泣いてしまいそうな悲しげな表情をした娘の姿だった。

 

 

 

 フランクリンの念能力、【俺の両手は機関銃/ダブルマシンガン】の脅威から運良く逃れられていた客たちは、この場に留まれば必ず訪れるだろう死の脅威から逃げ出そうと会場の入口を目指し走る。

 扉に向かって移動している間に幾人、幾十人と死んでいく。隣で誰かが死ぬと次は自分かと焦り文字通り必死で駆ける。

 そして彼らは見た。扉が四散し、扉を突き破った何かが高速で飛来していくのを。彼らは見た。その扉の向こうに美しい顔を怒りに染めた少女の姿を。

 

「とう……さ、ん……? あ、うぁ……」

 

 怒りに満ちた少女の顔は一瞬にて悲哀へと転じていた。

 そしてその身を僅かに震えさせたかと思うと、またもその表情は怒りに満ち溢れたモノへと変化していた。不思議と壇上から放たれていた念弾は何時の間にか止まっており、それすら忘れて何故か彼らは少女に釘付けになっていた。

 そして……少女から怒りの咆哮が轟いた。

 

「げんえいりょだぁぁぁぁぁん!!!」

 

 オークションの惨劇は終わらない。獲物を変えて、惨劇は続く。

 

 

 

 

 

 

 地下競売が開始される僅か9分前。アイシャは地下競売が開催されるセメタリービルに向かって高速で移動していた。地図でビルの場所を確認はしていたが土地勘のない土地なので【天使のヴェール】を使用したまま円を展開する。円で確認するものはビルを警備しているであろうマフィアの存在だった。

 円の範囲内にいる人間は何らかの遮蔽物に覆われていない限りその全てを把握できる。ならば進行方向さえ間違えなければセメタリービルの周辺にいるだろうマフィアの警備員を見つけることは可能だ。警備員か否かを判断するのは至って容易、動きが少なく、周囲を警戒している者がそうだ。

 

 交通の多い地上ではなく高く連なったビルからビルへと高速で飛び交う。オーラの放出による空中移動は使わず、全身をオーラで強化して全力で移動するのは2つの理由があった。

 1つはオーラの温存だ。あれの移動は莫大なオーラ量を誇るアイシャを以てしても消耗が激しい移動法だった。【天使のヴェール】を発動している今、そのような移動を行い余力を失うわけにはいかなかった。何せかの幻影旅団と交戦する可能性があるのだ。オーラは温存しておくべきだろう。

 

 もう1つの理由は……単純にその方が早いからだ。

 確かにオーラの放出による高速移動は早い。障害物のない空を一直線に進めば普通に走るよりも早く移動できるだろう。

 だが、全力の移動となれば話は別だ。ビルからビルへと飛び交う方がセメタリービルへは早く着くとアイシャは判断した。

 ビルを全力で蹴ることで得られる加速、超高速の流を用いて地を蹴る際は両足に、跳ね上がる瞬間にバネとなる膝付近へもオーラを、着地しまた地を蹴るまでに使われる筋肉を各部位ごとに瞬時にオーラで強化する。超高速の流を可能とするアイシャだからこその移動法。そうすることで有り得ない程の速度で移動しているのだ。そのあまりの速さにセメタリービルの周辺ビルで警備していたマフィアは隣をアイシャが通り過ぎても強い風が走ったくらいにしか感じなかった。

 

「……おい、今何か大きな音がしたぞ! 銃撃か!?」

「違うわ! 今のは銃弾の音じゃない! コンクリートが砕ける音よ! 何かがこのビルの屋上に強く当たったのよ!」

 

 だがアイシャが屋上を足場にした音は流石に聞き逃さなかったようだ。しかし今さら疑問に思おうが無意味だった。すでにアイシャはセメタリービルへとたどり着いていたのだから。

 

 

 

 アイシャは絶による隠行で自身の存在を限りなく希薄にし、ビル内に侵入する。幸いと言っていいのかビル内には然したる使い手はおらず、誰もがアイシャに気づくことなく変わらず警備を続けていた。

 

 ビル内の雰囲気を見るにどうやらまだ事は起こっていないようだ。取り敢えず安堵するアイシャ。もしかしたら本当に杞憂だったかもしれない。そう考えながら円で確認した地下へと降りていく。

 だが、その考えが甘いと言わざるを得ないと即座に気付いたアイシャは渋面する。

 

 上手く溶け込んでいるが確かに感じる。正面の扉付近に1人、裏に1人、上階に3人、そして……正面のオークション会場と思わしき一室に2人の強者の気配!

 

 明らかにマフィアとは一線を画す存在を感知しアイシャは正面の扉へと向かう。その存在が幻影旅団であろうと察して。だが――

 

 扉を開くではなく粉砕する勢いで走るアイシャの行く手をシズクが遮った。

 シズクが手に持つデメちゃんにてアイシャの頭蓋を打ち砕こうとする奇襲は、その存在を感知していたアイシャにとって奇襲足りえず容易く躱される。だがその足を止めることには成功していた。

 

「っ! 邪魔をしないでください!」

「えっ? ごめん、それは無理。そういう仕事だからね」

 

 そう軽口を叩きながらもシズクは何時もの彼女からは考えられないくらいにアイシャを警戒していた。完全に奇襲のつもりで放った攻撃がこうも容易く避けられたのは記憶に少ないことだ。……もっとも、シズクは一度忘れたことは思い出さない性質だったのであまり根拠のない記憶ではあったが。

 

 それを他所に置いても目の前の少女が強敵であるとはシズクにも理解できた。だが自分は課せられた仕事をこなすだけだ。そう考え、シズクは無言でアイシャに攻撃を加えようとしたその瞬間――

 

 惨劇が開始された。

 

 アイシャの耳に響き渡る轟音、肉が巻き散らかる生々しい音、そして……悲鳴。

 それを聞いた瞬間、アイシャは駆け出していた。会場内に入る最適な行動、すなわち眼前の邪魔者を排除する為に。

 

「……っ!」

 

 アイシャのあまりの速さに面を喰らうも、シズクは的確に反撃を行おうとしていた。いくら動きが速かろうともこうも直線的な動きならカウンターを取ることは出来る。凄まじい速度で突撃してくるアイシャに向かってタイミングを合わせデメちゃんを振るうシズク。

 殺った、そう確信するほどのタイミング。あの速度、あのタイミングで躱せるとはシズクには思えなかった。だが、シズクの腕に伝わったのはアイシャの頭部を砕いた感触ではなく、空を切った後の手応えのなさだった。

 

 ――え? あの動きからどう避け――

 

 シズクが初めて見るその動き。

 それは肉体を一切使用せず、地に面している肉体の部位に集めたオーラを高速で回転させることで移動・方向転換をすることが出来るアイシャの秘技、縮地であった。

 

 この秘技は相手が達人であればあるほど効果的だった。何故なら達人は対象のあらゆる情報を見抜き戦闘を構築していく。シズクも世界で上位から数えた方が早い程の猛者。これまでの戦いの経験から人に出来る動き、出来ない動きというものを熟知している。

 そしてシズクが見たアイシャの動きはその後者だった。全力で走り、全力で拳を握り、全力で殴りかかって来た相手が、目の前でその動きのままあらぬ方向へ移動するなど予測できるわけがなかった。

 

 シズクが驚愕に浸る間もなくアイシャは攻撃を加える。

 縮地によりシズクの背後へと反転し、そのまま拳をこちらへ振り向こうとしているシズクの顎先に叩き込む。脳を揺らし動きを止めた相手の左腕を捕り、そのまま手首・肘・肩の関節を捻りながら巻き上げ、その勢いと流れを止めずにシズクを扉へと向かって……投げつけた。

 

 アイシャを銃身に見立てるならば的は扉となる。そして弾丸は……言うまでもない、シズクそのものだった。1つの弾丸と化したシズクは薄れる意識を繋ぎとめ出来る限りのオーラで防御する。

 結果、オーラを纏った弾丸は容易く扉を粉砕し、その勢いを落とすことなく壇上にいる旅団の下まで錐揉み状に回転しながら飛び続けた。

 

 これに驚いたのは壇上に立つ2人の旅団だ。

 大量の念弾をばらまいて殺戮劇を楽しんでいたフランクリンも、地獄のような光景を眺めながら悦に浸っていたフェイタンも、まさか仲間が扉を突き破って飛んでくるとは思いもしなかった。

 高速で飛来する物体をシズクと確認したフランクリンは即座に【俺の両手は機関銃/ダブルマシンガン】の放出を止める。如何に狂人集団とはいえ仲間を撃ち殺すつもりはない。そしてその巨体を生かし凄まじい勢いで飛んでくるシズクを受け止める。あまりの勢いに受け止めたフランクリンも後方へと押しやられるもどうにか受け止め切れたようだ。

 

「おいシズク! しっかりしろ!」

「シズク、何があたね? 誰がやたよ?」

「……う、お、女の、子……入口、気をつけ、て……」

「……もういい喋るな。顎が砕けてる」

 

 細々と力なく囁くように出たその言葉は確と2人に伝わっていた。砕け散った扉の前を見やり、仲間を害した敵を確認するフランクリンとフェイタン。

 

 そして見つけたのは……その身にオーラを纏っていないただの一般人、この惨劇を見て顔を青ざめさせている年相応の反応を見せるただの少女だった。

 

 少なくともこの時この2人はアイシャのことをそう認識した。この時は、だったが。

 そして次の瞬間にその認識を何処かに捨て去った。代わりに得た認識はこうだ。

 アレは少女ではない。アレは……化け物だ。

 

 

 

 アイシャは惨劇の有様を見て絶望に包まれる。会場内は眼を覆わんばかりの死体、死体、死体。競売参加者数百人の死体が所狭しと敷き詰められていた。辺りにはむせ返るような鉄の匂いが広がり鼻腔を襲う。会場は赤とピンクの色で染まっており、全てを集めても人数分には届かないのではないかと思える程に肉片が散らばっていた。

 

 そんな地獄を目の当たりにしてアイシャは必死にドミニクの、父の姿を探す。死んでいるはずがない! 生きているはずだ! そう願望を込めて必死に探す。生きている者も幾人かはいた。この地獄にあって無傷で済んでいる者さえもだ。その中に父もいるはずだ! ……いや違う。いっそこの場にいなければいい。それならばドミニクはあの母が眠る屋敷にて健やかに過ごしていると思えるのだから。

 だが……その祈るような願いは届かず、アイシャは発見した、発見してしまった。……腹部に穴を空け、まるで眠るように横たわっているドミニクの姿を。

 

「とう……さ、ん……? あ、うぁ……」

 

 ――復讐は何も生まない。ただ憎しみを募らせるだけだ――

 

 そんな、今まで長き時を生きてきて聞いた事がある耳当たりのいい言葉はこの瞬間だけはアイシャの中から消えさり、そして残っていたのは……怒りだけだった。

 

「げんえいりょだぁぁぁぁぁん!!!」

 

 その言葉が合図だったかのように、アイシャの身体からまるでダムの堰を切ったかの如く莫大なオーラが溢れかえる。

 世界最強の武が、その力を怒りを以て他者に向けた初めての瞬間だった。

 

 

 

「……おいおい。一体何の冗談だこいつは?」

「シズクをやたのコイツね。殺すよコイツ」

「ま、そうだわな」

 

 アイシャから溢れ出るオーラは数多の修羅場をくぐり抜けてきた彼らでさえ記憶にないものだ。旅団最強の肉体と圧倒的なオーラ量を誇るウボォーギンすら比べるにおこがましい程のオーラ量。闇の世界でも滅多に見かけない程のどす黒いオーラの質。

 だが、それらが彼らの動きを鈍らせる要因にはならない。ここで怯む程度であれば蜘蛛はとうの昔に滅んでいるだろう。敵を恐れず、かと言って侮らず。強大で異質なオーラを持ったアイシャを敵にしたからこそ彼らから油断という文字は消えていた。

 冷徹に冷静に数の有利を存分に生かして敵を排除する為に動く。

 

「喰らえ! 【俺の両手は機関銃/ダブルマシンガン】!!」

 

 先手を取ったのはフランクリン。1人の人間に向けるのは過剰とも言える量の念弾をばら撒きながらアイシャの動きを牽制する。

 放たれたその念弾は一発一発が並の念能力者の防御をまるで紙を突き破るように打ち砕く威力を持っている。その念弾がアイシャの逃げ場をなくさんと言わんばかりに広範囲に打ち出される。

 逃げ場はない、左右どちらに飛ぼうとも念弾は部屋を埋め尽くすかの如く放たれている。後方へ飛んだとしてもそのまま念弾がアイシャを貫く。最後に残ったのは……上空のみ!

 

 だがそこは活路ではなく死路であった。フランクリンの攻撃の意図を言葉にせずとも読み取ったフェイタンは【俺の両手は機関銃/ダブルマシンガン】が放たれた瞬間にアイシャの上空へと飛翔していた。その手に何時の間にか仕込み刀を握りしめて。

 

――さあどちらを選ぶ!?――

――どう死にたいね?――

 

 左右と後ろは念弾の餌食、上空はフェイタンによる串刺しが待ち構えている。そんな状況の中、アイシャが取った行動はそのどれでもなく……前方、即ちフランクリンに向かって走り出すことだった。

 

「なんだとぉーーっ!?」

 

 アイシャはその身をドミニクの前に立たせてそのままフランクリンへと駆ける。迫り来る念弾など意に介さず、防御も回避もせずにその身で弾きながら。

 敵が強大だからといって竦むことなどなかった旅団もこれには驚愕しかなかった。避けるのならば分かる。凝や硬で強化した肉体の一部で弾くならばまだ納得も出来ただろう。実際ウボォーギンを筆頭にそれを可能とする者は蜘蛛にもいる。

 だが目の前の少女は、アイシャはただ堅のみの防御力でフランクリン自慢の念弾を防ぎ切り、そのまま速度を落とさずフランクリンへと迫っていたのだ。

 

 一直線にフランクリンへと迫り来るアイシャに対し驚愕しつつもフランクリンは【俺の両手は機関銃/ダブルマシンガン】の銃口を絞って対応する。そう、散弾から一点集中砲火へと転じたのだ。全ての念弾がアイシャのみを狙って放たれる。

 

 一方、上空へと飛翔していたフェイタンは天井を蹴りアイシャへ向かって急降下を開始した。生半可な攻撃では意味がないと悟り、その刀身を硬で強化しながら。

 

 だが……フェイタンが強襲しようとしているのを気配で察知したアイシャは振りかえ……ることすらせず、未だ自らに無駄に降りそそぐ念弾を上空後方へと弾いた。そしてフェイタンには一瞥もくれずにそのままフランクリンへと駆け続けた。

 

 上空から奇襲しようと思っていた矢先に、まさか仲間の念弾が飛んでくるとは予測外だったフェイタン。己に向かって飛んでくる幾つかの念弾は仕込み刀で弾くことが出来たが、硬による全力攻撃を敢行しようとしていたフェイタンではその全てに対処すること叶わず、咄嗟に防いだ左腕を突き破って腹部にまで攻撃を喰らいそのまま撃墜された。

 

 ――クソッタレが!!――

 

 仲間が自身の放った念弾で撃墜されるという屈辱を味わわされたフランクリンは激昂しながらも冷静に考えていた。このまま念弾を放ち続けても効果は少なく勝ちの目が薄いのは明白。ならばここは一旦引き、同じビル内にいる仲間と合流してからこの化物を倒すべきだ、と。

 その方が仲間を助ける確率も上がるだろう。このままでは自身も敗れ3人とも死ぬ可能性が高い。そう理解しつつも、ここで撤退するのは沽券に触ると考えるフランクリンだった。ここで尻尾を巻いて逃げ出すことは出来るかもしれない。だが、それをすれば確実に自信をいくらか失うだろう。それも念能力の強度に関わるレベルで、だ。

 

 そう感じ取ったフランクリンから逃げの手は消えていた。誇りある死などに興味はない、ただ全力でアイシャを迎撃することを選んだのだ。

 迫り来るアイシャは先程までと変わらず一直線に向かって来ている。そこに回り道をしようという意思は感じられない。恐らく、いや確実にフェイントはないと踏んだフランクリンは念弾の放出をやめた。いくら念弾を放とうともアイシャの動きに揺らぎはなくダメージは微塵も見受けられない。それならば最大の一手を放つ為に集中したほうがマシだと判断したのだ。

 

 アイシャがフランクリンへと駆け出してからここまでの間は僅か一秒にも満たない時間だ。そしてアイシャを打ち倒すためにフランクリンが集中した時間はそれよりも更に短いまさに刹那の時。

 だが、フランクリンは生涯において最高の集中力を発揮し、かつてないほどの短時間で顕在オーラの全てを両の手に集め切った。

 

 そしてそれを眼前まで迫ったアイシャの顔面に向けて一切の容赦なく撃ち放つ。

 敵を倒す為に、仲間を生かすために、己の誇りを護る為に、様々な思いを乗せて放たれた渾身の念弾。【俺の両手は機関銃/ダブルマシンガン】とは違い一撃の破壊力のみを追求した究極のそれは――

 

 アイシャの横殴りの一撃でいとも容易く霧散した。

 

「バケモンがぁぁっ!!」

「黙れ外道が!!」

 

 最大の一撃を無慈悲にも防がれたフランクリンは、だからと言って闘志を鈍らせることなく果敢にアイシャへと拳を振るう。

 だが今さらその程度の攻撃がアイシャに通じるはずもなく、身体を沈みこませ拳を躱すことでその勢いのままフランクリンの懐に飛び込んだ。

 

 そしてアイシャは両手を交差しフランクリンのスーツの襟首を巻き上げ、立ったままの絞め技へと移行した。フランクリンは掴まれたスーツを破る勢いで後ろに下がろうとする。絞め技を防ぐ為ではなく、アイシャから離れたいが為に。……だが、その思惑に反してスーツは微動にせず、フランクリンは僅かに足を一歩下がらせることしか出来なかった。

 

 ――馬鹿な!?――

 

 この時フランクリンは気付かなかったが、アイシャは立ち締めの際にそのオーラでフランクリンのスーツに周を用いていたのだ。強化されたスーツはフランクリンが全力で後退しようとも破れることはなく、またオーラで自身も強化していたアイシャは自身の何倍もの巨体であるフランクリンに力負けすることもなかった。

 

 そこから先は流れるように技が決まっていった。

 立ち締めにより頚動脈を圧迫。そして重心を移動し対象とともに床へと沈み込みながら、対象の鳩尾を蹴り上げそこから巴投げの要領で投げる。対象と一緒に自身も宙に浮き上がり空中にて上下が反転、対象を下とし、オーラを放出することで落下速度を加速。締めに使用していた右腕をそのまま首に当て固定、左手は両襟を捻り締め上げたままでだ。そして……対象の後頭部を地に強かに叩きつける。即座に襟首を締め上げていた左手を解放し、そのまま倒れこむ勢いを利用して肘を胴体へと追撃。

 

 この一連の技こそ、かつて天空闘技場にてシオンがウイングに対して放った風間流の奥義:山崩し。その変形。

 対象を倒す……ではなく、壊すもしくは殺すために編み出された風間流裏の奥義:山砕きであった。

 

 

 

 立ち締めによって一瞬で意識を落とされかけたフランクリンではアイシャの蹴撃を防ぐことは出来ず、その一撃で胸骨が砕かれ、同時に肋骨の幾つかもへし折られる。

 締めにより薄まった意識はその激痛により鮮明となるが、そのままなすすべもなく宙へと投げられた。口内は多量の血で溢れている、内臓のどれかを損傷したのだろう。

 フランクリンは激痛に苛ませながらも地に叩きつけられるであろう後頭部を凝にてガードする。それにより頭部のダメージは最小限に抑えられた。

 だが代償として殆んどオーラによる防御を為していなかった喉は潰され、脛骨が軋む音が響く。首の骨が折れなかったのは運が良かったのか、それともアイシャが加減していたのか。

 もはやその身に戦う力を失ったフランクリンに肘打ちによる更なる追撃が待っていた。肋骨をさらに砕かれ、内臓の幾つかは確実に破裂した。その証拠とばかりに大量の血がフランクリンの口から吐き出される。

 

「がばぁぁッッ!!?」

 

 アイシャは揺らりと立ち上がり、崩れ落ちたフランクリンを見下ろす。

 フランクリンは意識を完全に失い重傷を負ってはいたが、未だ死んではいなかった。体がピクピクと痙攣し力なく横たわっている。止めは……刺せなかった。アイシャは衝動に身を任せ怒りのまま戦ってはいたが、どうしても止めを刺すことができなかった。

 山砕きを放った時は相手が死んでもいいと思っていた。いや、それすら考えずに奥義を放ったかもしれない。だが、こうして既に死に体となっている相手に追撃を加えることは出来なかった。

 怒りはまだある。身を焦がすような怒りと、そして悲しみもだ。だが、アイシャの大半を構成するリュウショウの武人としての記憶と経験が、完全に無力化された敵を相手に更なる攻撃を加えることを押しとどめたのだ。

 

 それだけではない。このまま怒りのままに命を奪ってしまえば親友を裏切ってしまうような気がしたのだ。親友がその手を血で汚さなくてもいいようにと願っていた己がそれを忘れて蜘蛛を殺してしまうのはどうしても躊躇われた。

 

「……そこでお前たちが不用意に傷つけた人々の無念を僅かでも味わっていろ」

 

 もはや聞こえているとは思えなかったが旅団に対してそう呟き……突如としてアイシャはその場を飛び退いた。そして先程までアイシャが立っていた場所には筋骨隆々の男、ウボォーギンが拳を振り下ろしていた。

 

「ちぃっ! 絶で気配を消してたのに良く気づきやがったな!」

「こいつ強いよ! 皆気をつけるんだ!」

「んなの見りゃ分かんぜシャル。おいマチ、そいつらはどうだ?」

「シズクは命に別状はないよ。でもフランクリンはマズイ、早く治療しないと手遅れになるかもしれない!」

「フェイタンも重傷だ。左腕が千切れて腹に穴空いてやがる!」

 

 アイシャが旅団と戦闘している間、地下競売襲撃に参加していた残り4人の旅団もこのビルを覆う異変に気付いていた。

 最初にそれに気づいたのはマチだった。裏口という比較的会場から近い位置にいたのも幸いしたのだろう。悪寒が最大級に鳴り響く原因がこのオーラの持ち主だと理解したマチは直様仲間に連絡を取った。このまま1人でフランクリンたちを助けに行っても無駄に死ぬだけだ。なら今出来ることは残りの仲間と合流してともに彼らを助けに行く!

そうして仲間を打ち破っている少女に対して奇襲を仕掛け今に至る。

 

「……幻影旅団か」

「はっ! オレ達を知ってんのか。……やっぱりオレ達の計画がどっかから流れていたようだな」

「おいおい勘弁してくれよ。裏切り者でもいるのかねぇ」

 

 旅団の何人かは計画が漏れていることに裏切りを予想する。その対象に当たる者はある道化師だというのがほぼ全員の見解なのは道化師にとって可哀想なことだったが。

 しかしある意味ではそれは間違いではない。マフィアが競売品を持ち去っていたのはとある少女の能力による未来予知が原因だったが、アイシャがこの場にいる要因を作ったのはヒソカだと言えるからだ。

 

「今はそんな話よりもこっちに集中だ! 全員で殺るよ!」

 

 シャルナークの叫びに全員が同意する。1人の敵に多人数で挑むのは好まない者もいたが、ここで必要なのは己の欲求ではなく蜘蛛としての行動。

 今はただ蜘蛛として脅威を排除する!

 

「くく、いいぜ。初めて全力を出せそうな相手だ! オレを失望させるなよ!」

 

 ウボォーギンがその身に纏うオーラを高めていく。マチはオーラを糸状に変化させ部屋の中に張り巡らせアイシャの動きを牽制しようとし、シャルナークは自作の携帯電話を取り出し隙あらばアイシャに突き刺すつもりだ。ノブナガは居合の構えを取り円を展開。間合いに入った瞬間に敵を真っ二つにしようと試みる。そしてアイシャは臨戦態勢に移った幻影旅団を見ても臆すことなく構えを取る。

 

 全員が対峙し、いざ死闘が始まるという緊張状態を破るように最初に行動したものはこの中の誰でもなく……気絶したと思われていたフェイタンだった。

 

「■◇……(クソが……)。○※●×▼◇……●□(調子に乗りやがって)!!」

『!?』

 

 何時の間にか気絶から目覚めたフェイタンが立ち上がり何かしら呟いていた。アイシャには聞き覚えがない言葉であり、何処かの民族の言葉だろうと思われる。

 いやそれよりもアイシャが気になったのはその身に纏った衣、防護服であろうそれ。具現化したのか何時の間にか着込んでおり、重傷を負っているというのに明らかにオーラの力強さが増している!

 

「まずいぞおい!」

「一旦離れるんだ! ウボォー! マチ!」

「分かってるよ! フランクリンはオレが担ぐ! シズクは任せたぜマチ!」

「ああ! さっさとずらかるよ!」

 

 フェイタンの変化を見て慌てて傷ついた仲間を抱えて逃げ出す旅団員たち。それを見てアイシャは疑問に思うよりも早く理解した。これから来るのは敵も味方も関係ない、無差別攻撃だと。

 

 

 

 そしてその日、セメタリービルは謎の爆発により倒壊した。

 

 




 フェイタンが激昂した時に使う言葉は何かよくわからない漢語みたいな文字なので記号で代用しています。
 旅団ファンの方がいたらごめんなさい。結構ボロクソに書いたかも。私も旅団は好きですけどそれは漫画の中であるからで、実際にいたら出会いたくもありませんが。
 ちなみにシオンがウイングに使った山崩しは山砕きと違って喉に腕を当てないし、オーラによる加速もしません。肘による追撃もないです。そこまでしたらウイング死んじゃう(´・ω・`)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十七話

 アイシャがチェックインをしたホテルから飛び出してからすぐ後に、ヨークシンの街を走る4つの人影があった。ゴン・キルア・クラピカ・レオリオの4人である。4人は血相を変えて飛び出したアイシャを見てただ事ではないと察知し、アイシャが向かったと思われるセメタリービルへと駆け出したのだ。

 アイシャがセメタリービルへと向かったのはアイシャが見ていたPCから見て取れた。直様にアイシャを追った4人だったがアイシャの圧倒的な速度に追いつくことは出来ず、今は路上を全速で駆けている最中だった。尤も、アイシャの全力に追いつけないのは仕方のないことで、他の一般人から比べれば彼らの速度も有り得ないものではあったが。現に道を歩く人々は彼らを驚愕の眼差しで見つめていた。

 

「アイシャ……すごく青ざめていたね。一体どうしたんだろう?」

 

 人一倍仲間想いのゴンは飛び出す直前のアイシャの顔色を思いだし心配そうに呟く。アイシャと共にあってそれなりの時間が経つ彼らも、アイシャがあそこまで取り乱す様を見るのは初めてのことだった。

 

「今はそんなことよりセメタリービルへ急ぐべきだろ! おいクラピカ、こっちであってんだよな!?」

 

 アイシャの急変は気になってはいるが、それを知るためにもまずはセメタリービルに急ぐべきだと考えるレオリオはセメタリービルへの道を確認しているはずのクラピカにそう尋ねる。だがクラピカから返事はない。何か考え事でもしているのかその顔つきは神妙なものであり、レオリオの声は届いていないようだった。

 

「……」

「おいクラピカ!?」

「っ!? あ、ああ! どうしたレオリオ!」

「どうしたじゃねーよ! なにボーッとしてやがる!」

「す、すまない。少し考え事をしていたんだ……」

「おいおい! アイシャに何かあったかもしれないのにお前はなにを――」

「レオリオ落ち着けよ! 今は言い争ってる場合じゃねーんだよ! ……下手したら幻影旅団と殺り合うかもしれないんだぜ!」

「なっ!!?」

 

 煮え切らない態度を見せるクラピカに怒鳴りつけようとしたレオリオも、2人を仲裁しようとしていたゴンも、キルアのその言葉に驚愕を顕わにする。そしてクラピカも。……だが、クラピカの驚愕はゴンとレオリオのそれとは種類が違うものだったが。

 

「……お前も気付いたかキルア」

 

 そう、クラピカもキルアと同じ結論に至っていたのだ。ヒソカの言葉、ヨークシンで始まるオークション、マフィアンコミュニティーが取り仕切る地下競売、そしてアイシャの急変。全てを繋げると旅団が地下競売を襲撃するのでは? と予測したのだ。

 

「本当に!? 幻影旅団がヨークシンに来てるの!?」

「全ての話を繋げるとその可能性が浮上した! アイシャはそれに気付いてセメタリービルへと向かったんだろう!」

「でも待てよ! 幻影旅団が来てるからってどうしてアイシャがセメタリービルへ行ったんだよ! 別にマフィアなんざ護る義理もねーだろ!」

 

 この答えは現状の彼らでは得ることが出来ないモノだ。アイシャとマフィアの関連性を知る者はここには誰もいない。それを知っているのはマフィアでもコーザファミリーの一部だけなので仕方のないことではあるが。

 

「それは私にも分からん! ……それよりもお前たちはホテルに戻れ! このままでは幻影旅団との戦いに巻き込まれるかもしれんぞ!」

「はっ! 冗談言ってんじゃねーぞ! オレが仲間を見捨てて逃げ出す奴に見えんのか! もしそうだったら目ん玉に【掌仙術/ホイミ】かけてやんぜ!」

「そうだよ! それにアイシャが幻影旅団と戦っているんなら助けに行くのは当然だよ!」

「ま、そういうこった。お前だけに良いカッコさせねーよ!」

 

 幻影旅団との戦いは己の私怨。仲間を巻き込むわけにはと思ったクラピカだったが、ゴン達は関係ないと言わんばかりに付いてくる。

 ヒソカのレベルを見れば幻影旅団の実力も窺えるはず。詳しくは知らないレオリオはともかく、ゴンやキルアはそれを理解しているはずだ。それなのに、と思いつつも同時にこの3人ならそうだろう、と思うクラピカであった。

 

「……バカどもが。死んでも知らんからな!」

「オレ達だって強くなってるよ! あの時ヒソカと戦ったオレのままじゃない!」

「回復役がいた方が便利だろ! それにオレの能力はまだあるんだぜ!」

「……ま、もしかしたらアイシャだけで旅団潰してるかもしれないけどな」

「はは、ありそうで怖いな!」

 

 キルアの軽口に思わずゴンとクラピカが納得し苦笑する。今まで一度としてアイシャに勝てたことがないのだ。今はいないがビスケを含めた4人掛りで傷1つ負わせることも出来ずに負けたこともあるくらいだった。もはやアイシャが負ける姿が想像できない3人だった。

 

「ちょっ! そこまで強いのかよアイシャって!」

「化物だな」

「人間じゃねーよ。ありゃぜってーオヤジより強いね」

「ネテロ会長って本当にアイシャより強いのかなー? そう思うくらい強い!」

 

 レオリオの疑問に対して口々から出てくる肯定の言葉。そこにはアイシャへの絶対の信頼があり、例え何があろうとも彼女が負ける訳が無いと確信さえしているようだった。

 その力強い言葉にレオリオはアイシャへの心配を和らげる。いくら強いと聞いていたとはいえ、見た目は普通の女の子なアイシャを一番強く心配していたのはレオリオだったのだ。自分よりもずっと彼女の傍にいた時間が長い彼らがそこまで言うのなら大丈夫だろうと多少は安堵する。

 

 だが、その安堵を嘲笑うかのように、レオリオが味わったこともない程の凶々しいオーラが彼を覆った。

 

「ッ!? な、なん、だ? なんだ、これはっ!?」

 

 ただ凶々しいだけならば良かった。だが、およそ人が放つオーラだとは思えない程の莫大なオーラを感じたとなれば話は別だった。レオリオの短い念能力者としての経験の中で、最もオーラ量が多いと思っていたクラピカなど歯牙にもかけない程のオーラ。それがどれだけ離れた場所にいるのか分からない何かが発しているのだ。

 そのオーラに足を竦め恐怖に身を縮ませても誰も責めはしないだろう。周りを見渡せばオーラを感じにくい一般人ですら何が起こったのか分からず右往左往しているのだから。

 

「くっ! これって……ヒソカ!? いや違う?」

 

 ゴンはかつて天空闘技場で戦ったヒソカが見せたオーラを思い出す。この場の誰よりもヒソカと間近にいたため、誰よりもそのオーラを知っている。だがそうではないとすぐに悟る。確かに凶々しさはヒソカに匹敵、いやそれ以上かもしれない。しかしこのオーラからは怒りや憎しみ、そしてそれ以上に悲しみの感情が強く篭っているように感じたのだ。

 

「……ッ!!」

 

 このオーラに最も顕著な反応を見せたのがキルアだった。彼はこの有り得ないほど濃密なオーラに触れた瞬間にその場から一瞬にして離れたのだ。洗練された動きで即座に一定の距離を離れたキルアは全身から汗を滝のように流して叫んだ。

 

「行くな皆! 勝てるわけがない! 殺されるぞ!」

 

 キルアの叫びは当然の反応と言える。いかに彼らが才能の塊であり半年で類を見ない程の成長を遂げたと言えど、たったの半年だということには変わりないのだ。半年程度で伸びる力などどれほど才能があろうとたかが知れており、想像だに出来ない力を前に逃げに徹してしまうのは仕方のないことだと言えよう。

 

「ば、バッカやろー! アイシャを見捨てるってのかよ!?」

「ッ! そうじゃない! 誰が見捨てるかよ! だけどこんなオーラの持ち主に今のオレ達なんかじゃ足手まといにしかならねーだろ!!」

「そんなんやってみねーと分かんねぇだろうが!」

「2人とも落ち着いてよ! とにかく一旦アイシャと合流しよう! 5人揃えばきっと――」

 

 経験したことのない絶望的なオーラ量の差を目の当たりにし混乱に陥る3人。その中にあって比較的冷静な者が1人だけいた。

 そう、このオーラを経験したことがあり、その持ち主を良く知っている者が。

 

「落ち着け!! 落ち着いてよく聞くんだ皆。……これは敵じゃない。これは……アイシャのオーラだ」

 

 クラピカの一喝により多少の落ち着きを取り戻した3人は、しかしその後に続く言葉に何も返せなかった。言葉が理解出来なかったわけではない。ただ、意味が理解出来なかっただけだった。

 

「……あ? なに、言ってんだお前……」

「……本当のことだ。このオーラは……紛れもなくアイシャのオーラだ」

「嘘だろ? だってアイツのオーラは普通の……っ! オーラを、隠蔽する能力!」

 

 クラピカの言葉をすぐに信じきれないキルアだったがその持ち前の回転の速さからその答えに行き着いた。

 

「そうだ。アイシャがオーラを隠蔽しているのはこのオーラを隠すためだ」

「……クラピカは知ってたんだね」

「ああ。勘違いするな、お前たちだけに秘密にしていたわけじゃない、私が無理に聞き出したんだ。アイシャも時期を見てお前たちにも告げるつもりだっただろう。だから――」

「だからなに? それでオレ達が軽蔑すると思っているの? だとしたら黙っていたことよりそっちの方が嫌だよ!」

「そうだぜ! この程度の秘密でオレがアイシャを嫌いになると思ってたのかお前らはよ。見くびってもらっちゃ困るぜ!」

 

 アイシャの秘密に触れても臆すことなく仲間として、友としての思いを貫くゴンとレオリオ。

 

 そしてその後ろでキルアは1人葛藤をする。

 

『絶対に仲間を裏切るな』

 

 思い起こすのは父の言葉。そうだ、ゾルディックを出るときに父親と交わした約束を忘れたのか? アイシャは仲間だ。友達だ! そう自身に叫ぶように言い聞かせるキルアに囁くのは歪んだ愛だった。

 

『勝ち目のない敵とは戦うな』

 

 思い起こすのは兄の呪縛。キルアの髄にまで染み込まされた愛情という名の呪い。

 違う! アイシャは敵じゃない! 友達だ! 友達は絶対に裏切らない! そう約束しただろうが!

 気力を振り絞り兄の呪いを跳ね除ける。アイシャが敵ではないというのが幸いしたのだろう。兄の呪縛は鳴りを潜め、その拍子に下がってしまった分前に出るキルア。

 

「……ああ! そうだ! こんなんでダチを裏切ったりするかよ!」

「……そうか。だったらその言葉はアイシャに言ってやれ。きっと喜ぶさ」

「うん! その為にも早くアイシャの所に行かなきゃね!」

「ああ!」

 

 そうして再びセメタリービルへと走り出したゴン達一行だったが、今さら彼らがどれほど急いだところでセメタリービルへと辿り着くことは出来なかった。

 妨害が入っただとか、旅団との争いを恐れたからだとか、マフィアと関わりたくなかったからだとか、そのような理由ではない。もっとシンプルな答え。

 辿り着く前にセメタリービルが轟音とともに崩れ落ちたからだった。彼らがどれほど努力しようとも、なくなってしまったビルに辿り着くことは出来ないだろう。せいぜい跡地に行くくらいのものか。

 

「なっ! 何が起きたってんだおい!?」

「そんな! ビルが崩れた!? どうして!?」

「アイシャはあの中にいるんじゃないのか! ……アイシャのオーラは感じる。どうやら無事のようだが……」

「とにかく急ぐしかねー! マフィアとかち合っても無視しろ! 今はアイシャを見つけるのが先決だ!」

 

 ビルが崩れ落ちると同時にその跡地に向かって急ぐ4人。それぞれが焦燥を顕わにし全力で疾走する。離れた位置から崩れ落ちたビルの周辺をマフィアが集まっているのを確認するが、今の彼らにマフィアなどどうでも良く、その速度を落とすことはなかった。

 

 そんな彼らの前に上空から1人の人間が降り立った。

 それは彼らが今まさに見つけようとしていたアイシャ本人。全身からオーラを放出しゆっくりと、まるで壊れ物を扱うかのように繊細な動きで大地に着地する。

 

「アイシャ!! ……っ!?」

 

 唐突に仲間の下に戻ってきたアイシャに驚きつつも素直に喜びを表すゴン達。だが、それはアイシャが抱きかかえているあるモノを見てまた驚愕へと転じた。

 その腕の中には、1人の男性がその身を朱に染めて横たわっていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 フェイタンが豹変しその身に特異な防護服を纏ったのを確認した幻影旅団は、傷ついた仲間を抱えその場から退散しようとする。それを見たアイシャはフェイタンが行おうとしているのが敵味方を区別しない無差別広範囲攻撃だと悟る。

 そして次にアイシャの打った手は旅団と同じ撤退だった。

 

 旅団への追撃を行う選択はアイシャにはなかった。

 アイシャ1人ならそうしただろう。どのような攻撃が来ようともこの外道どもを逃がすつもりなどアイシャにはなかった。この場にいる全員を捕らえ、しかるべき裁きを受けさせる。その為にもここから離れようとしている旅団の足止めを、そう思ったアイシャに微かな呻き声が聞こえた。

 

 本当に微かな、鋭敏な感覚を持つアイシャだからこそ聴こえたその声。それはアイシャの父ドミニクから発せられたモノだった。

 そう、ドミニクは生きていた。確かに死の嵐に巻き込まれ重傷を負いはしたが、まだ死んではいなかったのだ。

 

 ドミニクの護衛、ダールとザザが身を挺してもドミニクを護ることが出来た時間は僅か数秒程度だった。だがその数秒で運命が変わることなどこの世には例に事欠かない。ドミニクもまたその1人だったのだ。

 腹部を損傷し意識を失いはしたが、損傷することで死に直結する内臓は無事であり、痛みと急激な出血によるショックで気絶しただけだった。もし、アイシャが来るのがほんの数秒でも遅れていたらこの結果はなかっただろう。

 

 アイシャは念弾がドミニクの体に当たらないよう、その遺体――とアイシャは思っていた――がこれ以上傷つくことがないよう配慮していたのだが、そのおかげでまだ生きていたドミニクも無事とは言えないが命を繋ぐことが出来ていたのだ。もっとも、刻一刻とその命の灯火が薄れていることに変わりはなかったが。

 

 父が生きている! そうと分かったアイシャの行動はこの場の誰よりも速かった。

ドミニクが横たわる場所まで縮地で移動し、繊細に、且つ迅速にドミニクを抱きかかえる。そしてフェイタンがその能力を発動する前にオークション会場から脱出を行う。

 

 あまりの怒りに冷静さを失っているフェイタンだったが、その怒りの元凶であるアイシャを見逃すことはなかった。オークション会場から離れようとしているアイシャを追いかけ、【許されざる者/ペインパッカー】にて痛みを何倍にもして返してやろう! 憤怒に染まるその思考。だが、その身は自身の思考を裏切り前へと進むことを許さなかった。

 

 左腕が失くなっただけならば良かっただろう。だが問題は腹部の傷だった。貫通まではしなかったものの、こぶし大の大穴が空いているのだ。まともに立つだけでも激痛が走り、その穴からは今も大量の血が溢れていた。

 旅団の中でも右に並ぶ者は少ないその俊敏さはここに至っては見る影もなく、僅かに数歩移動しただけで口から血反吐を吐き出す。そのような有様でアイシャを追うなど出来るわけもなかった。

 

 だがこのままで終わらせるつもりはフェイタンにはない。追いかけられないならばここから放つだけだ。アイシャが移動した方角へと腕を伸ばし、上階に向けて自身の身を苛む激痛と脳を焦がさんばかりの怒りを威力に変えて最大の一撃を放つ。

 

 ――結果、その一撃にビルの支柱は耐え切れず、支えを失ったビルは崩壊を始めた。

 

 

 

 フェイタンの念能力の範囲外へと逃れセメタリービルから飛び出したアイシャは、ドミニクに負担を掛けないよう繊細に扱いながら出来る限りの速さでその場を離れた。

 ビルの周りに集まっていたマフィアに見つからないよう元いたホテルへと移動するアイシャ。マフィアにドミニクを引き渡せば治療をしてくれはしただろう。だが、通常の医療では間に合わない可能性があった。

 腹部の傷は大きく、人の拳大もの大きさの穴が空いていた。今はアイシャがその傷口をオーラで塞ぎ出血を出来るだけ抑えているが、それにも限界がある。このままでは出血多量により死んでしまうだろう。早急に傷口を塞ぐ必要があった。

 

 そこでアイシャが思い至ったのがハンター試験で出会い、大切な友人となったレオリオだった。レオリオはハンター試験からヨークシンで合流するまでの間に治療系の念能力を修めていたのだ。

 あれならば失血が死に関わる前に傷口を塞ぐことが出来るかもしれない! そうしてレオリオの能力に一縷の望みを懸けてホテルへと急ぐアイシャは、しかしその足を止め反転していた。

 

「レオリオさん……!」

 

 ホテルへと向かう最中にレオリオの、いやゴン達全員の気配を感じ取ったのだ。どうやら彼らもセメタリービルへと向かっていたらしい。自分を追って来たのかと疑問に感じるも、危篤の父を思いすぐにレオリオ達の下に降り立とうとする。

 どんな理由があるにしろレオリオがこの場に来てくれたのはアイシャにとって好都合だった。僅かな時間の猶予もないのだ、治療は1秒でも早い方がいいに決まっている。セメタリービルへと駆けるレオリオ達の前に先回りすべく障害物のビルを越え、ドミニクに出来るだけ負担を掛けないようにオーラを放出することで緩やかに大地に降り立つ。

 

「アイシャ!! ……っ!?」

 

 目の前に現れたアイシャに驚く彼らに対しアイシャは余裕のない表情でレオリオへと迫る。

 

「レオリオさん! お願いします! 父さんを! 父さんを助けてください!!」

 

 4人はその悲壮感漂うアイシャの態度を目の当たりにし動揺を見せる。アイシャがこのように酷く狼狽えているのを見るのは付き合いが長いとは言えない彼らには初めてのことだった。もっとも、付き合いという点では最も長く、接した時間も最も多いリィーナや、アイシャの前世に置いても今世に置いても最高のライバルであるネテロも、アイシャのそのような姿を見たことはないのだが。

 

「父さん!? お前確か流星街の……! いや、そんなこと言ってる場合じゃねーな! 傷を良く見せてくれ!」

「この場で治療するのか!? ここではマフィアの連中に見つかってしまうぞ! そうなったらどう絡まれるか分かったものではない!」

「仕方ねーだろ! この人の傷はパッと見ただけでも深いと分かる! 落ち着いた場所を探している間に手遅れになっちまうぜ!」

「……分かった。レオリオは治療に専念してくれ! 周りにマフィアが近づいてきたら私たちで何とかしよう。いいなゴン、キルア」

「うん!」

「マフィアくらいどうってことないね」

「良し! アイシャはその人……お前の父の傍にいてやれ。後は私たちに任せておくんだ」

「み、みんな……! あ、ありがとう、ございます!」

 

 誰もが現状を理解しきっておらず、アイシャに聞きたいことはそれこそ山のようにあっただろう。なぜビルが倒壊したのか、セメタリービルで何が有ったのか、幻影旅団はいたのか、いたとして今は何処にいるのか、親に捨てられたのではないのか……。

 アイシャが軽く考えただけでもこれだけの事柄がつらつらと出てきたのだ。疑問を問いただしたいと誰もが思っているはずだ。

 

 だが誰もそれを口にせずそれぞれが今出来ることに集中してくれている。その全てはアイシャのため、友の、仲間のために。それが理解できたアイシャは自然とその目から涙を流し感謝の言葉を口から出していた。

 

「本当は無菌室とかありゃいいんだが無い物ねだりをしてもしょうがねー。アイシャ、その人を抱きかかえたままジッとしててくれ」

 

 そう言いながらレオリオはアイシャの腕の中で横たわるドミニクの全身を万遍なく確認する。【掌仙術/ホイミ】にはレオリオの認識が大きく関わってくる。レオリオが確認出来ない傷はその効果が弱まるし、治療法を知らない傷もそれは同じだ。

 

「……くそっ! この傷貫通してんのかよ! この傷の位置だと胃と肝臓も損傷しちまっているな。だが今はそれよりも失血がやばい! オーラに任せて力ずくで治療するぜ!」

 

 ドミニクの傷を診断してレオリオは【掌仙術/ホイミ】の最大効果を諦め、代わりに多大なオーラを消費しての力技による治療を選ぶ。幾つかの制約によりそれを守ることが出来た場合の回復量は飛躍的に上がる。だがその制約を守らなければ回復が出来なくなるというわけでもなかった。効果は減少するが、損傷した内臓の正しい治療法など今のレオリオが修めているわけもなく、この場ではこれが最善の方法だとレオリオは理解していた。

 これ以上診断に時間を掛けてしまえば助かる命も助からなくなってしまう。レオリオは自身の知識と経験不足に歯噛みしながらも全力で【掌仙術/ホイミ】をかける。

 

「……うぅっ!」

「父さん!?」

「大丈夫だ! 傷の再生が始まったから少し呻いただけだ。アイシャは落ち着いて親父さんの手を握っててやってくれ。家族の励ましで助かることだってあるんだ」

「……わ、分かりました」

 

 恐る恐るといった印象を出しつつもアイシャはドミニクの手を優しくそっと握り締める。

 

「……う、み、ミシャ……」

「と……ど、ドミニクさん、あまり喋らないで!」

 

 アイシャは思わずドミニクのことを父さんと勝手に呼んでいたのを自覚し、咄嗟にその呼び方を改める。だが、許しを得ずに父と呼んでいたことも、ドミニクを心配するその声も今のドミニクには届いていない。ただ愛する妻の名前をうわ言で呟くだけだった。

 

「ミシャ、すまない……ミシャ……」

「ど、ドミニクさん……!」

「心配すんなアイシャ! オレが絶対に助けてやる! オレはこういう時の為にこの能力を作ったんだ! だからオレを信じろ! 親父さんの生命力を信じろ!」

 

 レオリオはアイシャが父親を名前で呼ぶことに複雑な事情があることを察するが、この場では言及せずにただアイシャが安心するよう言葉を掛ける。そしてその言葉は嘘偽りではないものだった。なぜ己が治癒能力を開発したか。それは全てこういう時の為だ。ならいざその場面で人を助けられないなんて馬鹿な話を許せる男ではなかった。

 制約を満たしてないが故にその効果はかなり減少しているが、レオリオの覚悟と想いの強さがオーラを後押ししてその回復量を上昇させていく。徐々に、徐々にだがドミニクの傷が再生する。流れ出た血液は元には戻らないが、それでも傷が塞がっていくことでこれ以上の出血は抑えられた。

 

 治療からどれだけの時間が経ったか。

 ドミニクの手を握り祈る今のアイシャには正確な時間を計れる精神を持ち合わせておらず、それは【掌仙術/ホイミ】に全力を注ぐレオリオも同じことだった。だが、その2人にも1つだけ分かったことがある。それはドミニクの腹部に空いていた穴はなくなり傷口が完全に見えなくなったことだ。

 

「……良し! これで、傷は完全に、塞がったぜ!」

 

 その顔から珠のような汗を流し明らかに疲弊した姿を隠すことも出来ず、だが満足そうな顔でレオリオはアイシャにそう告げる。【掌仙術/ホイミ】を使っているレオリオにはその手応えで対象の傷が完全に治癒できたか大体把握できていた。もっとも、レオリオ本人が把握できていない傷に関してはその限りではないが。それでも把握できていない傷でも【掌仙術/ホイミ】の効果が完全になくなるわけではない。取りあえずは大丈夫だろうと思えた。

 

「これで後は病院で輸血を行えば……念のため内部の出血がないか念入りに調べるようにしてくれ。腹腔内の傷も完全に塞がったはずだが、何分ここまでの重傷を治したことはないから確認は怠らない方がいい。問題は傷口から入った菌による感染症だな。これも設備の整った病院でしかるべき検査を受けた方がいい。問題がなかったら栄養を取ってゆっくりと休めばすぐに退院できるさ」

「あ、ああ……ありがとう、ございます、ありがとうございますレオリオさん! このお礼は、もうどうしたら返せるのか……!」

 

 失血のせいか未だドミニクの顔面は蒼白としているが、それまでの苦しげな表情は薄れ、その呼吸も大分落ち着いたモノとなっていた。それを見て、レオリオの言葉を聞き安心したアイシャはレオリオに礼を尽くすしかなかった。もしレオリオが法外な金額を要求したとしても何としてでも支払っていただろう。

 だがそうはならなかった。傍から見たら間違いなく守銭奴と見られるであろうレオリオだったが、本当に欲しいものは莫大な金なんかではなかった。

 

「……へっ、金はいらねぇぜ。患者と、その家族が今のお前のような顔でありがとうって言ってくれりゃあ、それが一番の礼ってやつだ」

 

 自分で言ってて恥ずかしくなったのか言葉の途中からそっぽを向き頬をポリポリと掻くレオリオ。

 『金はいらない』――普段のレオリオからすれば有り得ないその言葉こそ、レオリオがこの世で一番言いたかった言葉だった。友人と同じように法外な治療費がないと治せない病気に罹った人を治してあげたい。治療費が払えなくて死んでしまった友人と同じように金が払えない人を医者となって治してあげたい。

 そしてこう言ってやるのだ。『金なんかいらねぇ』と。

 

 レオリオの金への執着は医者になるために必要だと言われていた法外な金額から来るものであり、本当に欲しいものはただの自己満足。そしてその自己満足は…………自己よりも多くの人の為になる自己満足だった。

 

「はい……! はい! 本当に、ありがとうございましたレオリオさん!」

 

 アイシャはレオリオのその素晴らしい黄金のような精神に歓喜する。この人が初めての友達で本当に良かった、と。一番の友達がこんなにも素晴らしい人で本当に良かった、と。

 

「さあ、あいつ等がマフィアを抑えてられんのも時間の問題だろう。アイシャは早く親父さんを病院に連れてってやりな」

「で、ですが皆さんを置いては……」

「大丈夫だって。こんくらいならすぐに逃げ出せるさ。それよりもさっき言ったとおり親父さんの傷も完全に治ったとは言えないかもしれねーんだ。輸血だってしていないからこのままじゃ脳や内臓にダメージを負っちまう。そうなる前に早く行ったほうがいい。それが親父さんの為だ」

「……分かりました。ですが、絶対に無理はしないでくださいね! 決して旅団を追おうとは思わないように!」

「っ! ああ、分かったぜ」

 

 やはり旅団が来ていたのかと驚くも、アイシャの言葉には反論せずに頷くレオリオ。

レオリオとて悪名高き幻影旅団と殺りあおうなどと無謀な考えは持ってはいない。

 いくらハンゾーと修行を重ねたとはいえ、いくらレオリオが才能豊かだとはいえ、それでも今の実力で幻影旅団とまともにぶつかって無事ですむとは思えなかった。

 

 問題はクラピカだろうとレオリオは考える。旅団に対して並々ならぬ復讐心を抱くクラピカが、旅団来訪を知って冷静さを失わずにいられるだろうか?

 そう思うレオリオはどうやってクラピカを止めようかと模索するも早々に良い考えが浮かぶことはなく、今はクラピカ達と合流するしかないと結論づける。

 

「とにかくアイシャは病院へ……そうだな、ここからならエル病院が近いしマトモな病院だろう。道順は……ちょっと待ってくれよ。…………よし、今アイシャのケータイに転送したといたぜ」

「何から何までありがとうございますレオリオさん。……いいですか、絶対に旅団を追ってはいけませんよ。今のあなた達では少々厄介な相手です。同人数ならともかく、相手は13……いえ、ヒソカと怪我人を除いても9人もいるのですから」

「……え? ちょっと待て。怪我人がいるのか旅団には?」

 

 アイシャの言葉に聞き捨てならないものがあったのを流石のレオリオも見逃さずすかさず追求する。

 

「ええ。交戦した際に手傷を負わせましたので……」

 

 その話が本当なら、アイシャはあの幻影旅団相手に1人で3人を倒すないし傷を負わせたということになる。アイシャを見るレオリオだったがその体に傷は確認出来ない。服すら破けておらず、明らかに無傷だと思われる。

 つまりアイシャは無傷で幻影旅団を、恐らくは複数人相手取って撃退したということに……。その結論に至った時、レオリオはゴン達がアイシャをどう評していたかを思い出す。

 

 ――本当にこいつ一人で旅団潰せんじゃねーか?――

 

 ゴン達の評価と先ほどのアイシャの言からレオリオはそう思うが、それはアイシャを詳しく知っている者であれば誰もが納得することであった。

 

 

 

 

 

 

 崩壊したセメタリービルから脱出した幻影旅団。彼らは今あらかじめ準備していた逃走用の気球に乗ってヨークシンの上空を移動していた。

 

「取り敢えず全員無事か。フェイタンはどうだい?」

「……だいじょぶね。……アイツ殺すまで死なないよ」

 

 傷口からの出血を応急手当によって抑えながらフェイタンは力なく呟く。腹部の傷はどうにか貫通を免れていた。左腕を犠牲にしてでも念弾の威力を削いだ結果である。能力を発動し力尽きかけた後は崩壊するセメタリービルから無事……とは言い難いが仲間に救い出されていた。

 フェイタンの【許されざる者/ペインパッカー】にて確かにビルは崩壊した。だが崩れ落ちるには多少の時間が掛かったのだ。その間に傷ついた仲間を回収し、崩壊しかけのビルから脱出するのは幻影旅団にはワケはなかった。

 

「それだけ強がり言えてりゃ大丈夫だな。シズクは左腕と顎砕けてんがまあ無事だ、戦闘はきついだろうけどな。……問題はフランクリンだぜ」

「フランクリンは早く治療しないと手遅れになる。さっき軽く診たけど内臓が幾つも損傷している。中には破裂しているのもある……。取り敢えず今のところはオレの【携帯する他人の運命/ブラックボイス】でフランクリンを操ってオーラを回復に回しているけど、これも時間稼ぎにしかならないよ」

 

 【携帯する他人の運命/ブラックボイス】はシャルナークの念能力だ。それは対象にアンテナを刺すことで、自作した携帯電話を用いて対象を操作するというもの。これを利用し意識のないフランクリンを操作することでそのオーラを治癒力強化に回しているのだ。

 

「お前らが揃ってここまでやられるたァな。……何もんだありゃ?」

「……オレ達の動きからフェイタンの能力を大まかに看破してた。フランクリン達のやられ方といい、あのオーラ量といい、相当な手練だよあの女は」

「なんでそんな奴がいたんだ? マフィアって感じじゃなかったぜ。……とにかくマチの予感が当たったってことか」

「……まだ嫌な感じは残ってんだけどね」

「おいおい勘弁してくれよ。まだこれ以上なんかあんのかよ?」

「あたしだって分かんないよ。ただ嫌な予感は消えてないだけさ」

 

 マチにそう言われれば他の団員たちにも嫌な感覚がまとわりつく。

 まだ終わっていない。ヨークシンの夜は長くなりそうだ、と。

 

「……アレはもしかして陰獣か?」

「可能性はあるね。陰獣が競売品を持ち去ったことといい、オレ達の情報がどこからか漏れて陰獣が警備に加わったという話はあるかもしれない」

「いや、私はアレは陰獣じゃないと思う。私たちに対して私怨を持っているように見えた。仇討ちか何かじゃないかと思うよ」

「また勘かよ」

「今はどうでもいいだろそんな話はよ」

 

 謎の少女についてそれぞれがその正体を気にしている中、1人ウボォーギンだけは仲間とは違う意見を述べた。

 

「マフィアの連中はオレ達を血眼になってでも探している最中だろうさ。このまま行けば気球は見つかって追撃を喰らうに決まっている。そうなったらオレ達はともかくこいつらは死んじまうだろう。

 フランクリンとフェイタンはいいぜ。オレたちゃ戦闘要員だからな、死ぬことも仕事の内だ。だがシズクは違う。こいつは旅団にとってもレアな能力を持っている。ここで死なすわけには行かねーだろ」

「囮がいる、か」

 

 ウボォーギンの物言いにその全てを理解したノブナガが答える。2人は旅団結成前からの付き合いであり、戦闘においてもコンビを組む仲。お互いの考えを読むのは容易かった。

 

「そういうことだ。……もちろんオレが囮になるぜ。お前らは先にアジトに戻っていろ」

「オレも行くぜ」

 

 ウボォーが残るのならば当然オレも。そう思い口にした言葉だったが、そこにウボォー本人から否定の言葉が入った。

 

「アホかお前は。お前まで残っちまったらこいつらの守りが薄くなんだろうが。オレを無視して追いかけてくる奴もいるかもしれねーのにこっちの戦力を削ってどうすんだ。怪我人3人護衛3人。丁度いい面子だろ」

「っ! だけどな! 下にはあのバケモンがいるかもしれねーんだぞ!? いくらお前でも1人じゃ――」

 

 ノブナガの言葉は心底ウボォーギンを心配してのことだ。ノブナガは旅団の誰よりもウボォーギンを気に入っている。一緒にいて気のおけない親友と言っても過言ではないだろう。だがその言葉は――

 

「おい。そりゃオレを侮辱してんのか? だとしたらいくらお前でも許さねーぜ?」

 

 ウボォーギンから発せられる怒気によって遮られた。

 旅団でも並ぶものがいない肉体とオーラの持ち主。自身を鍛え、強者との戦いに愉悦を感じるその男に対して、敵が想像以上だから危険だ、との言葉は侮辱に等しかった。

 だが、ノブナガもそれでただ怯むようならこの男のコンビを務められないだろう。

 

「――ッ!! だがな! あの女がつえーのは確かだ! マフィアにあの女! さらには陰獣まで来るかもしれねー! それをお前1人でどうにか出来んのかよ!?」

 

 ノブナガの言うことは尤もだろう。ウボォーギンが強いのは旅団の誰もが疑い無く思っていることだ。だがそれでもたった1人でどうにか出来る相手だとは思えなかった。

 

「いいかげんにしろよノブナガ。……お前だけだぜ反対してんのはよ」

「ぐっ!!」

 

 ノブナガと違い他の団員はこの場にウボォーだけが残ることに特に異論はなかった。特に問題のない状況ならともかく、旅団全体の危機に陥っている現状では、替えの利く戦闘員を失って旅団が生き延びるのならそれは大した痛手にはならないからだ。

 ノブナガとてそれは理解している。だがやはり長年のパートナーであり親友と呼べる男を失うかもと思うと普段通りではいられないのは当然のことだった。

 

「大体オメーはオレが殺られる前提で話してんじゃねー! いいか! オレにはお前たちにも秘密のとっておきがあるんだよ。マフィアだろうが陰獣だろうが……あの女だろうがオレ1人でぶちのめしてやんよ。それから勝利の凱旋をしてやる。楽しみに待ってるんだな!」

 

 猛獣のように獰猛な笑みを見せるウボォーギンは溢れんばかりの自信に満ちていた。そこに虚飾はなく、誰もが本気でそう言っていると確信する。

 旅団員には仲間であっても秘密にしている能力がある。仲間と言えども他人に念能力が知られたら致命的な状況になる可能性があることを理解しているからだ。例え仲間が裏切らなくても、その仲間が捕らえられでもしたら口を割らせる方法など幾らでもあるだろう。念能力となれば特にだ。ウボォーギンも例に漏れずそうだったようだ。

 

「お前……くそっ! 分かったよ! 帰ってこなかったらタダじゃおかねーからな!」

「はっ! 言ってろバーカ」

 

 帰って来れないのならばその時ウボォーギンはどうなっているかなど考えるまでもないだろうが、男たちはそう軽口を言い合う。これが今生の別れとなるかもしれなくとも、男たちは感傷に浸るようなセンチメンタルな間柄ではなかった。

 ただ互いを信じて自身の成すことを全うするのみ!

 

「それじゃな! ちょっくら行ってくるぜ!」

 

 まるで散歩にでも出かけるかのような気軽さでウボォーギンは気球から飛び降りる。

 全ては仲間が無事に撤退するために。己の成すことを成すために。

 

 

 

 ヨークシンの路上に降り立ったウボォーギンは近くにいる複数人のマフィアを見つけそのまま声を掛ける。そのマフィア達は路地裏を調べているところだった。恐らく地下競売を襲撃した自分たちを探しているんだろうとウボォーギンは判断する。

 

「よう」

「あ゛!? なんだテメーは! こっちは急いでんだ! 邪魔すんならブッ殺すぞ、お!?」

 

 軽々しく声を掛けてきた見知らぬ男に荒々しく応えるマフィアの1人。彼がそういう態度に出ているのはこの緊急の場にあって当然のことだ。マフィアンコミュニティーが開催したオークションが襲撃を受けた上に、その開催ビルまで崩壊するという大事件が起きたのだ。

 生き残りのマフィアから話を聞いたコミュニティー含む全マフィアが自分たちに喧嘩を売ってきた馬鹿に対して報復をしようとするのは彼らにとって息をするのと同じくらい当たり前のことだった。報復する相手を見つけるためにそれぞれのファミリーが血眼になって探している中、このように気軽に声を掛けられたら憤ってもしょうがないだろう。

 

「まあそう言うな、よ!」

「――ッ!?」

 

 そんなマフィアの男達に対してウボォーギンは軽く腕を振るう。すると1人の男を除いて複数いたマフィア達はまるで紙人形か何かのように簡単に弾けちった。

 残った男が驚愕する間もなく、ウボォーギンはそこらに置いてあったリンゴでも持ち上げるように軽く男の頭を片手で掴んで持ち上げた。その手から伝わる圧倒的な力にマフィアの男は悟る。こいつは粘土か何かを潰すように簡単にオレの頭を握りつぶせる、と。

 

「なあ、ちょいと聞きたい事があるんだけどよ。さっきセメタリービルでオレ達を襲った奴、お前は知ってるか? 陰獣か何かか? 死にたくなかったらとっとと答えろよ」

「し、知らない! オレが知っているのは地下競売が何者かに襲われたからそいつらを見つけて報復するって話だけだ!」

 

 その言葉から男が勘違いをしているとウボォーギンは判断し、質問を言い直す。

 

「ああ違う違う。地下競売を襲ったのはオレ達だ」

「な! てめーがぎゃああああああ!」

「質問は終わってないぜ。無駄口を叩いたら次は本当に潰す。いいか、オレが聞いてんのはだ。地下競売でオレ達を襲った奴だ。性別は女。見た目は結構美人だったな。年齢は10代後半から20代前半ってとこか。黒髪で、ケツまで届く長い髪を束ねていた。陰獣かそいつは?」

「知らない! ただ、オレは陰獣を見たことねーけど、陰獣に女はいなかったはずだ! だ、だからそいつは陰獣じゃないはずだ!」

「そうか。次の質問だ。オレ達幻影旅団が地下競売を狙っているって話はどこから知った?」

「げ、幻影旅団!? お、お前ら幻影旅団か! そんな大物が地下競売を狙ってたのか!!?」

「……オレ達が狙っていると知らなかったのか?」

「そ、そんな話は聞いたことがねー! もしその話を知っていたらオレ達はもっと厳重に警備していたさ!」

 

 男の必死の言葉に嘘がないと判断したウボォーギンは思考に耽る。

 

 ――どういうことだ? オレ達の行動が流れていたわけじゃないのか? だったら一体どうして――

 

「な、なあ! もういいだろう!? 知っていることは話したんだ。だから助けキョペッ」

 

 命乞いをする男のその言葉はあっさりと無視され一生を終えることとなった。

 

「ちっ。こんな下っ端じゃどうにもなんねーな。まあいい。オレがやることに変わりはねー。さあっ! ひと暴れさせてもらうぜぇ!!」

 

 ウボォーギンがその叫びと同時にその身体をオーラが包む。

 そしてそれを合図として、ヨークシンに再び惨劇が舞い降りた。

 

 

 

 

 

 

 囮として目立つ為に手始めにそこらにいたマフィアを片っ端から殺していたウボォーギンだが、今はもうマフィアを探しにいく必要もなくなっていた。探さなくとも、頼まなくとも、勝手に向こうから集まってくれるのだ。これほどありがたいこともないだろう。

 頭の回る者ならばウボォーギンの行動が囮だろうと判断出来るだろうが、仲間が殺されて直情的になっているマフィアではそうもいかなかった。

 

 1人で暴れるこの愚か者を囲み、奪った宝を取り戻し仲間を殺した報復をする。そこにはこの男だけでなくその仲間や家族も報復の対象となっていた。

 だが――

 

「なんだこの化物はぁぁーー!?」

「ひぃっ! 銃が、銃が効かねぇ!? 当たってるはずだぞ!!」

「応援だ! 応援を呼ぶんだ! このままじゃ全滅しちまうぞォォ!!」

 

 蟻と象。

 それがマフィアとウボォーギンを表すのに適した表現だろうか。誰が見てもそう思えるほど圧倒的な力の差を見せつけるウボォーギン。その鍛え抜いた肉体とオーラは銃弾はおろかバズーカ砲すら防ぎ、その拳は人を紙細工のように引きちぎっていた。

 

「はぁーはっはっはぁぁーーっ! どうしたどうした! その程度かマフィアってのはよぉぉっ! 普段は威張り散らしてるだけの簡単なお仕事ってか!? 楽なもんだなァァーっ!!」

 

 ウボォーギンのその侮蔑を含む明らかな挑発は、しかし彼らを奮起させるには足りなかった。当然だろう。誰が好んでわざわざ死にに行きたいと思う。捨石になることすら出来ない、圧倒的な暴力の差。それはマフィアの戦闘意欲を失わせるには充分なモノだった。

 

「う、うわぁぁああぁ! だ、ダメだ逃げろ! 勝てっこねぇーー!!」

「ば、バカヤロー! 逃げたらテメーから殺すぞおい!!」

「安心しろや。逃げようがどうしようが平等に殺してやっからよ!」

 

 それは地獄絵図のようだった。

 雲霞の如く群がっていたマフィア達を近くにいた者から手当たり次第に殺していく。プチプチプチプチと、逃げ惑う者も、呆然としている者も、未だ抵抗する者も一切の不平等なく手当たり次第に、だ。ヨークシンで繰り広げられるその阿鼻叫喚の地獄絵図は悪化の一途を辿っていた。

 

 非念能力者では相手にすらならない。では念能力者では? 念能力者に対抗できるのは念能力者だけだ。マフィアも敵対した念能力者に抗するために同じく念能力者を抱えているのは当然のことである。マフィアの一員が念能力者として鍛えたのか、念能力者がマフィアの一員になったのか違いはあれど、大事なのは使えるか使えないかである。

 そんなマフィアお抱えの念能力者たちは……皆が皆、その地獄絵図を見て目標たる男に向かうことを躊躇し手を拱いて見ているだけだった。

 

「じょ、冗談だろ!? あんな奴とやりあえって? 殺されちまうぜ!!」

「同感だ! オレ達の手に終える相手じゃねぇ! ここは面子にこだわらずに撤退すべきだ! このままじゃオレ達も全滅しちまうぞ!?」

「……だが、任務を放棄するわけにもいかん」

 

 この一団はとあるファミリーに雇われている念能力者のチームだった。地下競売の襲撃を受けたマフィアンコミュニティーはその報復として襲撃者に対して報奨金を懸けたのだ。その為組織ごとに分かれて行動してしまい連携プレイが出来なくなったのだが、それはこのチームも同じようだ。

 リーダー格の男も他のマフィアとは連絡を取り合うことなくチーム独自で動き報奨金を狙っていたのだが、その対象となる者のあまりの強さに足踏みをしていた。周りのチームメンバーもそれは同じ、いやリーダー以上の動揺を見せていた。男の念に比べれば自分たちのそれは何と貧弱なことか。まるで拳銃で戦車に挑むような心境。いや、彼我の戦力差はそれ以上と言えるだろう。

 

「それでわざわざ死にに行けってか? そんなのはゴメンだぜ!!」

「……ヴェーゼ。お前の念で操れないか?」

「アレにキスするまで近づけっての? あなたそんなこと出来ると思って? 私はさっき死線を乗り越えられたばかりなのよ。もう一度なんてゴメンよ!」

 

 ヴェーゼは先ほどの地下競売に客として参加していた内の1人だった。ヨークシンで起きた最初の地獄を必死の思いで乗り越えたというのに、それと同等の地獄に自ら突っ込む気はさらさらなかった。

 

「オレ達がそれをサポートすればどうにか――」

「待って!」

「――どうした!?」

「敵の近くに念能力者よ! それもかなりの使い手! 足音からして只者じゃないのが分かるわ!」

 

 チームの1人の叫びに残りの全員が地獄の中心を見やる。すると数人の男たちがウボォーギンへと近づいていたのが見て取れた。

 

「ありゃ一体……?」

「分からん。だが今は静観するしかあるまい……。オレ達では実力が違いすぎる。チャンスを待つんだ」

 

 リーダーは諦めた様子を見せなかったが、取りあえずはその言葉に他のメンバーも納得をする。ここで逆らって逃げ出したところでマフィアが相手なら報復は受けるだろうし、リーダー自身も勝てるとは思っていないようなので次善策を取ってくれると願って。そしてそれ以上に願った。あの念能力者たちがあの化け物を殺してくれることを。

 

 

 

 ウボォーギンは気負うことなく近づいて来た3人の男たちを見て瞬時に悟る。

 

「陰獣か」

 

 陰獣。マフィアンコミュニティーの大組織の長、十老頭が自慢の実行部隊。それが『陰獣』だ。マフィアの虎の子、マフィア最強の念能力者集団。それを見てウボォーギンは身構え、完全な臨戦態勢に入る。

 

 普段のウボォーギンならその戦いを思う存分楽しんだだろう。だが今は状況が違った。

 自分の後ろには仲間がいる。ここで自分が殺られでもしたら、何らかの念で操られでもしたら、残った団員たちに迷惑をかけることになる。

 仲間を護る為に。その思いがウボォーギンから油断と余裕をなくし、陰獣を排除すべき危険な敵として認識させた。

 

「警備と客をどうした?」

 

 痩せ気味で歯を鋭く尖らせた陰獣の1人であろうその男の言葉に応えず、ウボォーギンは全力でオーラを練り上げた。

 

「おおおおおぉぉぉぉぉおぉぉぉ!!! テメーら如きにゃ勿体ねぇが、見せてやるぜ!! これが! オレのっ!! 全力だぁぁぁっ!!!」

 

 ――【爆肉鋼体/マッスルエボリューション】!!――

 

 その瞬間オーラが膨れ上がり、それ以上にウボォーギンの身体が、否、筋肉が膨れ上がった。およそ人間とは思えない程の筋肉の盛り上がり。オーラから来る迫力も加えてまるで何倍にも巨大化したかのようにすら見える。

 

 これこそウボォーギンの念能力、【爆肉鋼体/マッスルエボリューション】。

 それはかつて幻影旅団が盗んだある書に載っていた能力からヒントを得て作られたものだ。その書は黒の書といい、そこには様々な念能力とその修行法が事細かに綴られていた。その中には旅団も知らなかった修行法もあり、旅団はそれを見ながら効率のいい修行をしていたのだ。

 

 だが、黒の書に記載されていた念能力を参考にした者は旅団には誰もいなかった。それは何故か? 確かに有用な念は数多にあった。発想すらしたことない念が山ほどにあった。

 だがそれは他人が考えた念能力だ。本にこうして記載されているということは、他にも同じ本が別に書かれていたら能力の詳細が他人にバレてしまうという大きな欠点を有していた。その危惧を肯定するように幻影旅団が盗み出した本は2冊あった。1つは原本、もう1つは写本だ。写本が1つしかないとどうして断言できる?

 他人に知られているかもしれない念能力を作るなどと考える者は幻影旅団の中に誰もいなかった。

 

 理由はもう1つある。それは念能力の特性。念には本人の思いが強く関係しているというものだ。自身が考案した能力ならともかく、他人が考案したモノをそのまま作ったところでよほど自身のインスピレーションと合致しない限り強力な念能力になることは少ないだろう。そもそも当時の幻影旅団はすでに各々がそれぞれ独自の念能力を編み出していたのだ。これから新たに作り出す必要もなかった。

 黒の書の写本は売り払われ、原本は古書好きの団長が物珍しさからそのまま所持した。黒の書は精々が修行法の参考になった程度だったのだ。

 

 1人の男を除いて。

 

 その男こそがウボォーギンだ。肉体を鍛えオーラを鍛え、最終的にはその拳の威力を核ミサイルと同等の破壊力を出すにまで高めることを目標にしている男。そんな男が何となしに黒の書を読み見つけたのが【爆肉鋼体/マッスルエボリューション】だった。

 およそ念能力をまともに学んだ者からしたら馬鹿げているとしか思えない制約。それを熟すことで得られる筋肉の境地。強化系の能力というのも相まってウボォーギンは密かにその能力に心を奪われていた。

 

 そこから先はただひたすらに鍛錬の日々だった。仲間からは非効率な修行を何故? と何度も言われたが改めることは一度たりともなかった。

 【爆肉鋼体/マッスルエボリューション】を知り、1年365日をただその修行に費やす。そして今日、修行を始めてから7年以上の月日が流れた今、初めてその能力が敵に対して奮われた。

 

「な、なんだこいつ! 急にデカくなりやがった!?」

「ハッタリだ! デカくなったところで動きが鈍くなるだけだ!」

 

 その言葉を証明してやろうとばかりに、ウボォーギンの後ろの地面から急に1人の男が出現した。陰獣の1人、蚯蚓。地面を自由に移動できる念能力者だ。それは柔らかい土はおろか、コンクリートすら土と変わらず移動できていた。その能力でウボォーギンの後ろを取り、死角から不意打ちをしたのだ。

 だがその会心の一撃は……ウボォーギンに蚊が刺した程度のダメージすら与えることなく……蚯蚓は反撃の一撃を喰らいその身体を微塵に変えることとなった。

 

「く、くくく! 光栄に思えよ。この姿を見たのはお前らが初めてなんだ。仲間ですら知らねぇオレの全力……受けきれるかぁ!!?」

 

 その叫びは歓喜。自らの力を奮うことの出来る歓喜から来るモノ。

 その叫びは願望。ようやく奮える力を思う存分に発揮させてほしい願望の声。

 

「蛭! の、残りの奴らに連絡しろ! 全員でかからねぇと不味いぞこいつは!」

「そりゃいい判断だ! 全員でかかってくることをおススメするぜ! だが、その程度でオレの力を止められるかよ!!」

 

 元からあった戦力差は絶望的なまでに開き、ここに処刑が開始された。

 ヨークシンの惨劇はまだ終わらない。

 

 




 父ちゃん死んでませんでした。一応前回の話でも死んだと表現はしていないです。
 黒の書を盗んだのは幻影旅団でした。ですが作中の説明にある通り魔改造は殆どしていません。ウボォー以外は精々が原作より地力を多少伸ばしているくらいです。その結果としてシャルナークは念能力者を操作したらその能力者のオーラもある程度操作できるほど操作精度が上がっています。まあ原作でもそこまで出来たかもしれませんが、ブラックボイスで操られたマフィアを見る限り細かい操作までは出来てなさそうだったし……。この作品ではそうということでお願いします。
 次の魔改造はウボォーギンでした。今のウボォーさんを分かりやすく説明するなら戸愚呂弟80%時の肉体にウボォーの頭を乗せている感じかな。

 能力の詳細です。

【爆肉鋼体/マッスルエボリューション】
・強化系能力
 筋肉を爆発的に強化するという、ただそれだけの念能力。だが、元々最高峰の筋肉を有していたウボォーギンが使用したことでその力は絶大なものとなっている。
 系統別修行は本来得意系統を主として他の系統修行も1日交代で山なりに行うのが基本である。それを無視して非効率極まりない修行法をする制約。歪な念能力者になってもいいという覚悟と強化系に懸ける執念が成した能力。
 制約を守っている期間が長ければ長いほど、日々の強化系系統修行に費やした時間が長ければ長いほど筋肉の強化率が増えていく。

〈制約〉
・強化系の系統別修行以外の系統別修行をしてはならない。

〈誓約〉
・強化系以外の系統別修行をするとこの能力の強化率は初期に戻ってしまう。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十八話

 レオリオがドミニクを治療している間のこと。

 ゴン達は治療の妨げとなる可能性のあるマフィア達がレオリオに近づかないよう足止めをする役を担っていた。3人がそれぞれ分かれ、レオリオが治療している場所へと繋がる道を封鎖する。それが3人が考えた取り敢えずの措置だ。

 

 3人にとってマフィア程度はどうということはなく、怪しまれると即座に気絶させ路地裏に隠すという作業をしばらく続けていた。その中でキルアはマフィアから情報を手に入れる。もちろんマフィアの善意の協力ではなく脅してであったが。

 それで分かったのは何者かによる襲撃があり、地下競売の客の大半が殺されたことと、その犯人を今も探しているという話だけだった。

 

 キルアはこの情報から襲撃者が幻影旅団である可能性が非常に高いものだと判断した。マフィア全てを敵に回すような異常極まりない馬鹿な真似をする者が他にそうそういるとは思えなかったからだ。そして思い出す、3年前の父の言葉を。

 

『割に合わない仕事だった』

 

 それは旅団の1人を仕事で暗殺した後のシルバのぼやきだった。

 その言葉は暗殺一家の長、シルバ=ゾルディックにとっての標的に対する最大の賛辞であり、その言葉に続けて息子たちに忠告を付け足す。『旅団には手を出すな』と。

 

 父親のその話から3年が過ぎている。その間に成長もしたし念も覚えた。以前の自分とは訳が違う。だが上には上がいるとアイシャやビスケ、そして風間流道場で嫌になるほど教わった。

 

 今の自分が旅団相手に勝てるのか? オヤジですら手こずった相手に?

 

 一度その思考に囚われてしまうともう抜け出せなくなってしまう。キルアの中では旅団は最大級の敵に昇格しており、自分では手に負えない敵だと思い込み出す。

 そしてキルアは思いつく。別に旅団と戦う必要はないじゃないか、と。

 

 今は旅団の方が強いかもしれないけど、いつか必ずオレは旅団よりも強くなる。ゴンもクラピカもそしてレオリオもそうだ。だからここは一旦引くべきだ。無理をする時じゃあない。

 そう、自分を納得させるように自身に問いかけながらもキルアは気づかない。それは間違ってはいないが、逃げの思考であることに。

 

 

 

 思考に耽っていたキルアは何時の間にかマフィアの姿が途切れていることにふと気づく。今までは気絶させても何処から湧いてくるのかと言わんばかりに現れていたマフィアが今はどこにもいない。キルアにとっては都合が良いので問題はないのだが妙に気になる。

 

 その時だ。路地裏から何かの音がする。マフィアが目覚めたのかと疑問に思うキルア。

 

「チッ。加減ミスったか? 丸1日は起きれないようにしたつもりだけどな」

 

 独りごちるキルア。だがその音は携帯電話の発信音だった。マフィアの持っている携帯電話が鳴っているだけだった。

 なんだ、と拍子抜けしたキルアは何か可笑しいことに気づく。鳴っている電話が1つや2つではないのだ。気絶しているマフィアのほぼ全員の身体から携帯電話の着信音がする。

 

「どういうことだ? なんでこんな一斉に?」

 

 疑問に思いつつも鳴っている電話の1つを取り画面を見る。その画面に書かれている名前はもちろんキルアの知らない名前だ。だがキルアは着信ボタンを押し堂々と電話に出た。普段なら無視するだろうが、あまりにも同時に着信が来たので気になったのだ。

 

「もしもし?」

『おせーぞ何やってたんだ!? は、早く応援に来い! 敵襲だ!!』

 

 そこから聞こえたのはマフィアであろう男の声。その声は平常時のそれとは思えず、明らかに焦っている様子を見せていた。

 

「敵襲? 相手は何人だ。場所は?」

『1人だ! 場所は3番道路沿いの――ぐひゅえ!』

 

 奇妙な声とともに何かがひしゃげる様な音が聞こえてそこから男は何も言わなくなった。

 

「ちっ!」

 

 男が死んだことで情報を得られなくなったことに苛立ちを見せるが、電話はまだ繋がっているのでそのまま耳を澄ましてみる。すると聞こえてくるのは大量の銃声と悲鳴、それに混じって聞こえる1人の男の大笑い。そこは戦場だとキルアは理解する。恐らくは幻影旅団。その内の1人がマフィアと抗争しているのだろう。

 

 どうするか? このままここで治療が終わるのを待つ? それとも一旦ゴン達と合流する? マフィアはもういない。恐らくは動けるマフィアは全員がその戦場へと趣いているだろう。ならばここは一度ゴン達と合流するべきだ。ここに残っても1人で動いても、旅団とぶつかれば目も当てられない事態になる。

 

 そう判断したキルアはすぐに行動に移った。……未だ見てもいない敵を内面で強大にしながら。

 

 

 

「ゴン! キルア! どうやら無事のようだな」

「クラピカ!」

「良し。取り敢えず合流出来たな。レオリオはまだ治療中か?」

 

 レオリオが治療中の路地に入る道は3つ。ちょうど3人いたのでそれぞれの入口付近で別れて警護していた3人は、中央の道を見張っていたゴンの下に集合していた。

 

「2人とも、マフィアの様子がオカシイのは分かっているな?」

「うん、急に誰も来なくなったし、さっきからマフィアのケータイが何度も鳴っているんだ」

「ああ、何かが起こっているようだ……」

「……マフィアの話を聞いた。どうもまた襲撃を受けているみたいだ」

「なに! 幻影旅団か!?」

 

 キルアの言葉に驚愕しそのままキルアに詰め寄るクラピカ。その反応を見て失言をしたとキルアは内心で舌打ちをする。幻影旅団に対して復讐心を抱くクラピカにこんなことを話せばこういう反応をして当然だった、と。

 だが今さら誤魔化すのも無理だと悟り取り敢えず知っている情報を話す。

 

「幻影旅団かどうかは分からないけど、マフィアと何かが交戦しているのは確かだ。マフィアの話では相手は1人みたいだけど、圧倒的な強さでマフィアとやり合っているみたいだ」

「場所は!?」

「3番道路……っておい! どこに行く気だよ!?」

 

 キルアの話を聞くやいなや直様に身をひるがえし走り去ろうとするクラピカ。

 

「お前たちは付いてくるな! アイシャとレオリオを守ってやれ!」

「バカ野郎! 幻影旅団相手に1人で戦う気かよ!」

「これは私の問題だ! お前たちを巻き込むわけにはいかない!」

 

 そう言ってオーラを全開にしてクラピカは駆けていく。そしてキルアの隣では同じようにオーラを全開にし、クラピカを追いかけようとするゴンがいた。

 

「おい! お前まで行く気かよ!」

「今のクラピカを1人にはさせられないよ! オレは大丈夫だからキルアはここに残ってて!」

「ゴン!! ……クソっ!」

 

 そう言ってゴンもまたクラピカの後を追い駆けていった。残ったキルアは僅かに逡巡するも、意を決してゴン達を追いかける為に走り出す。

 

 ――3人揃って、なおかつ相手が1人なら。頼むから他の旅団はいないでくれよ――

 

 そう願い、キルアは旅団との戦いに身を投じる決心をつける。

 だが1つだけ気になることがキルアにあった。

 

――なんだろう? 頭が酷く痛むな――

 

 キルアを苛む愛(呪い)は止まらない。

 

 

 

 

 

 

 【爆肉鋼体/マッスルエボリューション】の効果により膨大な筋肉を身に付けたウボォーギン。元々ウボォーギンは旅団最強の肉体の持ち主だ。それが【爆肉鋼体/マッスルエボリューション】によって更に増幅したとなるともはや人の範疇に収まるレベルとは思えない筋量となっていた。

 そしてその力は早々に示された。土中から現れ不意を打ってきた陰獣の1人、蚯蚓をたった一撃、それも決して全力とは言えない程度の一撃でその身体を微塵と化したことで。

 念能力によって爆発的に進化した筋肉を莫大なオーラによって強化する。これにより今のウボォーギンは並の念能力者では想像もつかない程の攻撃力と防御力を有していたのだ。

 

「他の面子はもう少しで来るはずだ! それまでオレ達がコイツを抑えるんだ!」

 

 ウボォーギンと対峙する陰獣の1人、蛭は恐怖を押し殺しながらそう叫ぶ。自分たちマフィアを襲撃している馬鹿を始末する為にこうしてこの場に現れたのだが、ここまで圧倒的な念能力者と対峙するとは夢にも思っていなかったのだ。

 マフィアにおいて己たちは最強だという自負があった。世界で最強などとは夢にも思わないが、それでも数少ない強者だという自信があった。

 

 それがどうだ。目の前にいる男が放つオーラ。そして人間がその身に裁量出来る量を明らかに上回ると思われる筋肉。そこから繰り出された攻撃は仲間である陰獣の1人をいとも容易く打ち砕いてしまったのだ。

 それを見た瞬間に蛭の己の強さに対する自信は砕け散った。今この場に残っているのは陰獣としての僅かな矜持と、逃げ出した所でマフィアによる粛清が待っているという現実の為だった。

 

「ビビんじゃねー! 所詮はただの筋肉馬鹿だ! 囲んで翻弄しちまえばどうってことはねぇ!!」

「そうなんだなうん。どんなに威力があっても当たらなければ意味ないな、うん」

 

 仲間からの言葉に蛭は多少の冷静さを取り戻す。落ち着いて見ると敵の肉体はこれでもかと言うほどに筋肉に覆われている。これほどの巨体がまともなスピードで動けるとは蛭には思えなかった。

 

 病犬(やまいぬ)の言うように3方から取り囲み翻弄してしまえばまともに当てることが出来なくなるだろう。

 豪猪(やまあらし)の言うようにどれほど威力があろうとも当たらなければどんな攻撃も意味はないだろう。

 殺られてしまった蚯蚓は迂闊に敵の攻撃範囲に入ってしまっただけだ。そう、蛭は恐怖を希望によって塗り替えた。

 

「はは、そうだな。他の陰獣を呼ぶまでもなかったか?」

「念には念だ。万が一にもしくじる訳にはいかねぇんだ。この筋肉馬鹿にマトモなダメージを与えられないかもしれないしな」

「ああ、そうだな」

 

 病犬のその言葉に賛同の意を示すように頷く蛭。不意を打ったはずの蚯蚓の一撃で然したるダメージを受けているようには見えないのだ。例え翻弄したとしても倒すことが出来ないのでは意味がない。いずれこちらが殺られてしまうだろう。

 

 だが――

 

 チラリと病犬の顔を見る蛭。それに対し病犬は鋭く尖った牙を見せ小さく頷いた。

 病犬はその名前の如く噛み付きを得意とし戦法に組み込んでおり、その牙には強力な神経毒が仕込まれていた。一度人体に打ち込まれれば首から下の身体の自由を奪う毒だ。逆を言えば首から上は神経毒の影響を受けず、身体が動かないまま痛みや恐怖を味わうことになる。拷問好きの毒と言えよう。

 

 病犬の嗜好がどうあれ、その牙の一撃さえ通れば確実に勝利出来る。そう思い至った蛭はもう恐怖を忘れ、早くも敵であるウボォーギンをどう料理するか考えていた。

 

「よう。オレを倒す相談はもういいのか? なんなら仲間が来るまで待ってやっててもいいんだぜ」

 

 ウボォーギンは陰獣が仲間を呼んでいる間も、自身を倒す算段を付けている間も何もせずただ腕を組んで仁王立ちして待ち構えていた。別に陰獣に情けを掛けたわけではない。アジトへと帰還する仲間の為に少しでも長く時間を稼ぐためだった。陰獣に仲間を呼ばせたのも、仲間の元に他の陰獣を行かせないためだ。

 

 全ては仲間を護る為に!

 

「舐めんじゃねーよ筋肉ダルマが」

「調子に乗ってるなこいつ、うん」

「吠え面かかせてやるぜこのデカブツが!」

 

 ウボォーギンの言葉を挑発として受け取った陰獣たちは打ち合わせ通りに3方向に別れてウボォーギンを取り囲む。陰獣たちは一定の距離を保ち、容易にウボォーギンの攻撃圏内に入ろうとしない。どれほど強い言葉を吐こうとも、やはりウボォーギンの力を警戒しているのは見て取れていた。

 

 先手を取ったのは豪猪だった。

 全身の体毛を操作し自由に操る。それが豪猪の能力。それによって豪猪の身体からは大量の体毛が数十cmも伸びる。その伸びた体毛をオーラで強化し針のように鋭く尖らす。そしてそれをウボォーギンに向けて――大量に撃ち出した。

 

 体毛が伸びてしかも銃弾のように撃ち出してくるとは流石に予想外だったウボォーギンだが、その体毛に篭められたオーラからさほど脅威ではないと判断する。

 躱すまでもなく、そのままオーラと肉体の防御力に任せて毛針を弾くが、それでも豪猪に一瞬だが気を取られたのは事実。

 

 その一瞬の隙に蛭がウボォーギンの視界に入り攻撃を加えようとオーラを高めて迫る。だがそれは陽動だった。豪猪が作った隙を利用して攻撃を加えるフリをして、ウボォーギンの意識を自身に集中させるための囮。

 

 本命の一撃は病犬の牙。仕込んだ毒によって敵の行動を奪ってしまえば後は煮るなり焼くなり好き放題だ。

 ウボォーギンの身体は筋肉の鎧とそれをさらに強化するオーラで守られている。全オーラを防御に回されれば病犬の鋭い牙でも貫けないかもしれないほどだ。だが、そのオーラも意識が別に逸れてしまえばどうだろう? 眼前に迫り来る蛭に対して迎撃の動きを見せるウボォーギンは自然とそのオーラを拳や腕、そして足といった攻撃に用いる箇所に集中させるだろう。

 そしてそれは攻撃の瞬間にはそれ以外の箇所のオーラは自然と少なくなるということだ。そこを突いて牙を穿つ! それが陰獣の作戦だった。

 

 そしてその作戦は……圧倒的な力の前に何の意味も為さずに散ることとなった。

 

 筋肉で肥大化した巨体でマトモなスピードが出るわけがない。付けすぎた筋肉が動きを阻害するだろう。その陰獣たちの考えは……真っ向から否定された。

 

 意識を己に向けさせるためにウボォーギンの懐に飛び込もうとした蛭に対して間合いを詰めるウボォーギン。その強靭な脚で大地を踏みしめコンクリートが陥没し弾けるほどの踏み込みを生み出し、蛭の予想を遥かに上回る速度で間合いを詰めていた。

 

「え?」

 

 その間抜けな一言が蛭が発した最期の言葉となった。

 想像を遥かに超える速度に面食らった蛭ではウボォーギンの攻撃を避けることは出来ず、蚯蚓と同じように肉体を四散させてこの世を去ることとなった。

 

 またも仲間を殺された陰獣だが、それで攻撃の手を止めるような連中ではない。彼らとて闇社会を生き抜いてきた猛者なのだから。蛭が殺されたのは計算外だったが、それでも攻撃後の一瞬の隙をついて牙を突き立てるには逆に好都合だった。ここで確実に無力化しないと後がなくなるかもしれない。この機会を逃さんと、病犬は全力を以てして最もオーラが少なくなっている背中に対して噛み付き攻撃を敢行する。

 

 ――殺った!――

 

 そう思った病犬の目の前にあったのは、すでに病犬に振り向いて、拳を振りぬこうとしているウボォーギンだった。

 

「は、はや――」

 

 言葉を最後まで言い切ることなく頭部を木っ端微塵に吹き飛ばされ、病犬は力なく崩れ落ちた。それに驚愕したのはたった1人残された豪猪だ。

 

 ――何故!? どうして!? あんな身体でどうしてあそこまで俊敏に動ける!?――

 

 その疑問も分からなくもないものだろう。誰が見てもあんな巨体であれ程の速度で動けるとは思わないだろう。陰獣達からしたら巨大な象がチーターの俊敏さをもっているようなものだ。巫山戯ていると言っても過言ではないだろう。

 だが勘違いしてはいけない。巨体と言っても肥満ではないのだ。ウボォーギンの巨体の殆どが筋肉で構成されており、そしてそれは見せる為の筋肉ではない、戦闘用の筋肉だ。ウボォーギンの肉体に余分な脂肪など毛ほどもなかった。スプリンターやプロボクサーは一般人よりもその身体を筋肥大させているが、その動きは一般人の比ではないのは周知の事実だろう。

 そう、速く動くために必要なのもまた筋肉なのだ。

 

 もちろん筋肉が付きすぎて動きを阻害するというのはある。効率的な鍛え方をしないと特に顕著になるだろう。ただ筋肉を大きく美しく見せるボディビルダーの鍛えた筋肉と格闘家として鍛えた筋肉とを比べると、こと戦闘という面では圧倒的にボディビルダーが劣る作りとなるだろう。

 

 だが、それらは全て常識の範囲内の話だ。ウボォーギンの身体は最早そんな常識を遥かに凌駕する領域にあった。巨大なれどその筋肉は1つ1つが鍛え抜かれ高密度に圧縮されていた。

 

 巨体であるが故の動きの阻害という不利、それを補って余りある程の筋肉を付ける。

 凡そ常識的とは言えないその暴論。それを実行に移す行動力と自身の身体を信じて疑わない精神力。強化系としての才能、最強へと至る為の非常識極まりない修練、それら全てが今のウボォーギンを作り上げたのだ。

 

「ひっ!?」

 

 攻勢を仕掛けたはずの自分たちが何時の間にか劣勢へと追いやられている。それもほんの一瞬にだ。仲間たちは自分を残して無残にも殺されてしまった。そんな豪猪が悲鳴を上げるのも仕方のないことだろう。

 

 だからと言って見逃してくれるような優しい相手ではなかったが。

 

「さて、後はお前だけ――」

「おいおい殺られちまってんじゃねーか。たった1人相手に情けねーぞ豪猪」

「――あ? なんだてめぇ等?」

 

 ウボォーギンが残った豪猪に止めを刺すために近づこうとしたその時、それを妨げるかのように声を掛けてきた者がいた。いや、者たちというべきか。

 

 ウボォーギンが声のした方向を見るとそこには6人の念能力者の存在があった。その誰もが並の念能力者とは一線を画す実力者。僅かな動きや立ち振る舞いからウボォーギンはそう悟る。

 

「おまえら! 間に合ったな、うん!」

 

 殺される寸前に仲間が現れたことで多少は安堵する豪猪。

 こうも都合良く陰獣がこの場に全員集まったのには理由がある。そもそも陰獣全員が常に集まっているなど本来は有り得ないのだ。それぞれが属しているマフィアファミリーで仕事をしているか、修行をしているか、プライベートを過ごしているかの違いはあれど、一同に会するなどそう多くはないことだ。

 

 だが今回のオークションにはあるきな臭い話が出ていたのだ。オークションに参加する客は死ぬという、そんなきな臭い話だ。

 この話のソースはある念能力者の占いによるものだった。占いと言って馬鹿にする者もいるだろうがその少女の占いは的中率100%を誇り、客の中には少女のファンになる者もいる程であった。ちなみに十老頭にも少女のファンがいるらしい。

 その少女が頼まれた占いをしたところ、オークションに参加予定の者全てに死を暗示する結果が出てしまっていた。的中率100%の占いでそのような結果を聞いて警戒しない馬鹿はいないだろう。なので十老頭はあらかじめ陰獣を全てヨークシンに集めていたのだ。

 

「ほう。お仲間を救いに陰獣さんのお出ましか。ひーふうみーの、おお! 全員揃ってんじゃねーか!」

 

 ――手間が省けたぜ――

 

 内心でそう嘲笑うウボォーギン。敵が集まったのはウボォーギンに取って好都合なことだ。仲間への追っ手の件もあるが、何よりも己のオーラ量が無駄に消費しなくてすむことが好都合だった。

 

 強化系として鍛え抜かれたウボォーギンのオーラは世界で見ても比肩する者が少ない程のオーラを誇っている。強化系の修行しかしていないウボォーギンに取ってオーラ量を増やすのは必須だったのだ。

 得意系統のみを修行するよりも、他の系統の修行も挟みながら修行した方が結果的に得意系統の習得も早くなる。これを理解しつつもウボォーギンは強化系しか鍛えていない。つまりウボォーギンは念能力者として歪でまともとは言えない成長をしていた。オーラを何らかの形に変化させることはおろか、念弾1つまともに放てないのが今のウボォーギンだ。そして強化系としても同レベルの強化系能力者から比べると一歩も二歩も劣っているだろう。

 

 だったらどうする? どうやってその不利を覆す?

 その答えがオーラ量の増加という力技だった。多少の不利はオーラ量の差で無理矢理埋めるという強化系の鑑のような思考で行き着いた答えだが、とにかくそれにより結果としてウボォーギンは一部を除き世界トップクラスのオーラ量を誇るようになった。

 

 そんなウボォーギンでも【爆肉鋼体/マッスルエボリューション】によるオーラの消費量は無視できない程のものだった。元々持っていた莫大な筋肉をさらに圧倒的なまでに進化させるこの能力は、ただ己の身体を強化するよりも遥かにオーラの消費量が高い。さらにはそこに肉体強化のオーラも使用しているのだ。

 ただ立っているだけでもオーラがどんどんと少なくなっている今、残りの陰獣がまとめて現れてくれたのは時間節約となりウボォーギンにとって都合が良かったというわけだ。

 

――もう充分に時間稼ぎは出来ただろう。こいつらを殺せばもうアジトに戻っても大丈夫なはずだ――

 

 ウボォーギンのその考えは間違っていないものだ。陰獣の内3人がすでに死亡し、ここでウボォーギンが残りの7人を殺せば陰獣は全滅となる。そうすればもう時間稼ぎをする必要はなくなる。ウボォーギンに立ち向かおうなんて考えを持った自殺願望の持ち主は最早マフィアにはいなかったからだ。自然と幻影旅団自体を追おうと考える者もいなくなるだろう。

 

 その考えに至ったウボォーギンはこの場で陰獣を逃さず皆殺しにする為に全力でオーラを練り始めた。

 

「はああああぁぁぁあああぁああ!!」

 

 気合と共に高まるウボォーギンのオーラ。あまりのオーラの高まりにウボォーギンの周りの空気が振動し砕けたコンクリート片が僅かに揺れてすらいた。

 

「こいつ!? なんてオーラ量だ!」

「ただのデカブツじゃないんだなうん! 油断すると死ぬんだなうん!」

「ああ、全員で殺るぞ。既に3人殺られてるんだ。これ以上調子づかすんじゃねーぞ!」

 

 陰獣も敵の強さに油断なくウボォーギンを包囲し集中攻撃を行おうとする。

 ある者はオーラを放出して牽制をしようとし、ある者は上空に飛翔し頭上から攻撃を行おうとする。またある者は布を具現化、全身を強化、オーラを変化させるなど、陰獣それぞれが得意な能力にてウボォーギンを牽制、または仕留めようとしていた。

 

 この状況で先手を取るのは誰か? そんな空気で戦場が緊張感に包まれる。その一瞬の間を取って先に動いたのは包囲されているウボォーギンだった。

 

「包囲して逃がさねぇつもりか? それはオレのセリフだぜ! 喰らえ! 【超破壊拳/ビックバンインパクト】ォォォ!!!」

 

 陰獣に包囲されている中、ウボォーギンが取った行動は至極単純なモノだった。

 全力で練ったオーラを、全力で右拳に集め、全力で大地を殴る。たったこれだけの単純な行為だ。

 

 【超破壊拳/ビックバンインパクト】と大袈裟な名前が付けられているがその実態はただの念を籠めただけの技とも言えない単純なパンチだ。だが、肉体を鍛えに鍛え、オーラを鍛えに鍛えた純粋な強化系能力者のウボォーギンがそれをすると単純な結果には収まらなかった。

 人が十数、いや数十人は埋まるような大穴が大地に出来るのだ。この結果から考えればこの名前も決して大袈裟とは言えないものだろう。名前を付けて必殺技とウボォーギンが認識しているのも念の効果を上げる1つの要素となっていた。

 

 そして人が数十人も埋まる大穴が出来るというのは……【爆肉鋼体/マッスルエボリューション】を使用していない、通常のウボォーギンの〈凝〉による【超破壊拳/ビックバンインパクト】の結果だった。

 そしてたった今ウボォーギンが放ったモノは【爆肉鋼体/マッスルエボリューション】によって限界を超えた筋肉を手にしたウボォーギンの〈硬〉による【超破壊拳/ビックバンインパクト】だ。

 

 全力で練ったオーラを、全力で右拳に集め、全力で大地を殴る。

 その単純な行為による結果…………ヨークシンに巨大なクレーターが出来ることとなった。

 

 かつての【超破壊拳/ビックバンインパクト】の何倍もの威力に放ったウボォーギン自身が驚いていた。この状態で全力の攻撃をしたことはウボォーギンにもなかったのだ。

 だがそんなウボォーギンよりも驚愕していたのが陰獣たちだろう。ただ拳を大地に振り下ろしただけで包囲していた自分たちが立っていた大地が陥没し崩壊したのだ。

 

 それだけではない。攻撃から生み出された衝撃波や高速で飛来したコンクリート片により陰獣の内の2人が即死する結果となった。その他の陰獣たちも死亡とまでは行かないまでも多少のダメージを負うこととなる。唯一無傷なのは空を飛翔している者だけだった。

 

「ば、化物かよ!!」

 

 それを上空から見ていた陰獣の1人は凡そ人がもたらしたとは思えないその破壊に身も心も震わせ、ウボォーギンに対する攻撃の機会を逸してしまうこととなる。

 そしてそれが彼の不幸を呼ぶ結果となった。

 

「避けろ蝙蝠!!」

 

 仲間からのその叫びを空を飛翔していた蝙蝠は最期まで理解出来なかった。避けるもなにも、敵であるウボォーギンは生き残っている他の陰獣に向かって駆け出している。空を飛ぶ蝙蝠に対して眼を向けることもなくだ。当然攻撃を繰り出した気配も感じなかった。むしろ避けるのはウボォーギンに迫られている仲間たちの方だろう。

 

――いったい何を避けろと――

 

 そこで蝙蝠の思考は永遠に途絶えた。上空から倒れてきたビルに押し潰されることによって。

 

 ウボォーギンがもたらした破壊はそのあまりの威力の為に近くにあったビル周辺の地盤まで砕いてしまっていたのだ。地盤が砕けたビルは当然のように倒壊。ビルはそのまま蝙蝠が飛翔していた角度へ向けて横倒しになった。それが蝙蝠を押しつぶす結果となってしまった。もし蝙蝠が攻撃後のウボォーギンの隙を突いて上空から攻撃をしていればこうはならなかっただろう。一瞬の躊躇が生んだ悲劇と言える。

 

 もっとも、悲劇という点では他の陰獣たちも負けていないだろう。

 包囲していたはずなのに早くも仲間が3人も死んでいる。元々の人数からすると既に半数を切ってしまったことになる。更に敵は一切の無傷であり、今も巨体に見合わぬスピードで生き残っている陰獣へと向かっているところなのだ。このまま調子づかせてはあっという間に全滅してしまうだろう。

 それだけは阻止するべく残りの陰獣は動き出す。

 

 ――守勢に回っていたら負けは必至。残ったメンバーで畳み掛ける!――

 

 誰もが生き延びるために全力以上の念を発揮してウボォーギンへと立ち向かう。

 死にたくない! その強力な想いが念の強さを後押ししたのだ。

 

「ハッ! いいねぇ。お前らのような命知らずは嫌いじゃねーぜ! だが死ね!!」

 

 ウボォーギンのその言葉を合図とし、更なる蹂躙劇が始まった。

 

 

 

 

 

 

 クラピカはキルアから聞いた場所と先程から聞こえる戦闘音を頼りにヨークシンを駆ける。その強い眼差しに込められていたのは揺るぎない覚悟。旅団を逃がすつもりも、旅団から逃げるつもりもクラピカには毛頭なかった。

 そして戦場と思わしき地に辿り着いたクラピカが見た光景、それは筋肉の塊が大地へとその巨腕を振り下ろした瞬間だった。

 瞬間、クラピカの足元が揺れた。いや、クラピカだけではない。離れた位置から戦いの様子を窺っていたマフィアと思わしき一団も同様に揺れていたのだ。

 

 ――何という馬鹿げた破壊力! 攻撃力はアイシャ以上か!?――

 

 大男がもたらした破壊痕から思わずそう推測するクラピカ。

 身体から発するオーラはアイシャの方が遥かに上であるが、その男の持つ圧倒的筋肉から繰り出された一撃はアイシャを上回るのではないかと思われた。さらにその攻撃でビルまで倒壊したとあっては流石のクラピカも息を飲んだ。

 

 驚愕したクラピカであったが、そんなことはどうでもいいと思わせるモノがクラピカの目に映った。それは大男の身体に刻まれた12本足の蜘蛛の刺青。蜘蛛の刺青には11という数字の刻印も入っており、それは間違いなく幻影旅団を表す象徴と見て取れた。

 それを見た瞬間クラピカの脳裏に思い浮かぶかつての惨劇。蜘蛛に対する大きな怒り。それはあっという間にクラピカを緋の眼へと変化させるほどのものだった。

 

 ――確実に強化系だな。あれ程の破壊を起こせる攻撃力、他の特殊な能力はない可能性が高いな――

 

 だがクラピカは激情に身を任さず、冷静に敵と思われる男の能力を測る。

 ここでただ憎き敵に飛びかかるのは至って簡単だ。だがそれで勝てるほど幻影旅団は甘くはないともクラピカは理解している。常日頃からアイシャに言われているのだ。敵を侮るな。能力を見破れ。能力を見破らせるな。観察は常に心掛けろ、と。

 今はその絶好の好機だ。蜘蛛は恐らくマフィアの念能力者と敵対している。ならばその状況を利用しない手はないだろう。

 

「す、凄い……!!」

「んだ、ありゃ……!? 化けもんかよ!!」

 

 クラピカが見に集中していると何時の間にかゴンとキルアもクラピカの隣に立ってその戦いを見つめていた。

 

 圧倒的。まさにその言葉が相応しい大男の蹂躙劇。

 小男が全身の体毛を強化するも大男の攻撃を防ぐこと叶わず、傷1つ負わせられずに砕け散る。布を具現化した陰獣に対しては砕けた地面を蹴り上げその破片で攻撃。どうやら布に何らかの能力があると警戒して無闇に近づかないようにしているのだろう。そこからクラピカはあの大男がかなりの戦闘経験を積んでいると判断する。ただの筋肉馬鹿ではないようだ、と。

 

 陰獣は布で飛来してきた破片を全て包み込み、そのまま布を小さくする。具現化した布による能力。あれならばあの大男も無力化できるか? 

 それは大男も理解していたのだろう。近寄らず、離れた位置から布を持つ陰獣に対処する。その対処法は……声だった。それもただの声ではない。空気が爆発したかのような振動を起こすほどの大声を叩きつけたのだ。

 

 その音の攻撃は十分に離れた位置にいるクラピカたちにも伝わり、その音が鼓膜を叩く前に咄嗟に耳を塞ぐ。ゴンとキルアも鼓膜が破れるのを防ぐことが出来たが、近くにいた陰獣たちはたまったものではなかった。

 残った陰獣の誰もが鼓膜を破られ意識を朦朧とさせている。最早大男の圧倒的な暴力に抗う術を持つ者は誰もいなかった。

 

 ――最初からこうしてりゃ良かったか?――

 

 それが、たった1人で陰獣を全滅させるという離れ業を成した男の戦闘後の感想だった。

 

 

 

「……撤退だ。今は態勢を立て直すべきだ」

「ああ! あんなのに勝てるわけがねー! さっさとここから離れるべきだ! おい、お前らも一旦退くんだ!」

 

 クラピカたちを他のマフィアチームと勘違いしたのだろう。ウボォーギンと陰獣の戦いを同じように見ていたマフィアチームはクラピカたちにも撤退を促し、そのままこの場から走り去っていった。

 

 その言葉に同意したのはキルアだ。

 

「あいつらの言う通りだクラピカ! 今はまだオレ達に気づいていない! 一度アイシャとレオリオに合流するべきだ!」

「ああ。お前とゴンはそうしてくれ。私はあの男に用がある」

 

 キルアの説得。そこには普段にはない必死さが見て取れた。アレと戦えば死ぬ! その思いがキルアの心を埋め尽くす。だがクラピカはそんなキルアの説得に耳を貸すことはなかった。

 

「~~! アレに勝てると思っているのか!? 素手でビルをぶっ壊すようなバケモンだぞ! 勝てるわけないだろうが!」

「そんなことは関係ない」

 

 もはや聞く耳持たぬと言わんばかりにクラピカは幻影旅団へと歩を進める。

 

「この頑固ヤロー! おいゴン! クラピカ気絶させてでも連れて帰るぞ!」

「待ってキルア。……ねえクラピカ。どうしてもやるの?」

「ああ。お前たちまで付き合う必要はない。早くアイシャの元に戻るんだ」

「分かったよ。だったらオレも戦う」

 

 決意を秘めた顔でクラピカに共に戦う意を告げるゴン。そこには決して退こうとしない断固とした意志が込められていた。

 

「……これは私の復讐だ。お前まで付き合う必要はないんだ」

 

 そうは言うが、ゴンは絶対に付き合うだろうとクラピカには理解できていた。1年未満という短い付き合いだが、仲間の性格を掴むには十分すぎるくらいに様々な困難を共に乗り越えてきたのだ。ここでゴンが絶対に退かないというのはこれまでの事から明らかだった。

 

「1人で辛いことも皆と一緒なら乗り越えられるよ。今までだってそうだった」

「……奴の強さは規格外だぞ。一撃でもまともに攻撃を受ければ死ぬかもしれん。それでもか?」

「アイシャに比べれば大したことないよ! 絶対にアイシャの方が強い!」

 

 ゴンのその疑念のない眼差しを見てクラピカは一瞬あっけに取られる。そしてすぐに口元を手で押さえ笑い出した。

 

「くっ……ははは! そうだな。確かにそうだ。アイシャの方があんな奴よりもよっぽど強い。……分かった。どうせ止めても無駄なんだろう? だったら一緒に戦うぞ。……いや、私と一緒に戦ってくれ」

「うん!! 任せてよ!」

 

 クラピカの初めての頼みに快く頷くゴン。だが、その後ろではこれ以上ないほど顔を青くしたキルアが叫んでいた。

 

「お前ら正気かよ! ああ、確かにあいつはアイシャより弱いかも知んねー! 感じるオーラはさっきのアイシャの方が強かったのは認める! だけどオレ達より強いのは間違いないんだぞ! あいつの力を見なかったのか!? 2人でも殺されるだけだ! ここはアイシャたちと合流して全員で掛かるべきだろ!?」

「そうしている間に奴が逃げ出さない保証はどこにもない。……大丈夫だ。私にも隠し球の1つや2つはある。負けはしないさ」

「っ!」

 

 気付けば何時の間にかクラピカのオーラ量はキルアの知るそれとは比べ物にならない程膨れ上がっていた。怒りがオーラを増大させたのかはキルアには分からなかったが、確実に強くなっているのは分かった。

 だが――

 

「それでもオレは反対だ。絶対に勝てると確信出来ない限り殺り合うべきじゃない!」

 

 それは暗殺者として育てられ、刷り込まれた……いや、埋め込まれた思考。勝ち目のない敵とは戦うな。兄の呪縛はキルアの知らぬ内に彼を苛んでいたのだ。

 

「キルアお前……いや、無理する必要はないキルア。お前はアイシャとレオリオにこの事を伝えてくれ。あの場から勝手に離れてしまったから心配しているだろう」

 

 キルアの形相から普段と何やら様子が違うことに気付くクラピカ。

 冷静で頭の回転も良く、敵の実力を測り危険の少ない戦闘法を選ぶ面はこれまでの修行で確かにあった。だがこれほど怯える姿を見るのは初めてのことだ。風間流道場でも相手が誰であれ逃げるような真似はしなかったのだから。

 

――いや、生死が関わっていなかったから? だがそれでもこの怯えようは――

 

 何かがおかしいと気付きつつ、クラピカはキルアを戦いから遠ざけようとする。元々誰かを巻き込むつもりはなかったのだ。キルアがここで逃げようとも何も責めるつもりはなかった。ゴンにもそれは分かっていただろう。クラピカがキルアを心から心配していることも。だからゴンもキルアを安心させるように言葉を紡いだ。

 

「大丈夫だよキルア。オレ達は強くなっているんだ。そう簡単にはやられないよ」

 

 だがキルアにはそれが分からない。その気持ちが伝わらない。

 今のキルアの心を占めているのは2つ。友達を見捨てたくないという気持ちと、友達を見捨ててでも逃げ出したい気持ちだ。

 

 ――どうする!? 不意を打って2人を気絶させて担いで逃げる!? 無理だ、1人ならともかく2人じゃ! そもそもクラピカはオレより強いんだぞ!

 いや電撃でなら? ダメだ! それであの化け物に気付かれたら逃げることも抵抗することも出来ずに2人が死んじゃうだろ!

 だったら見捨てて逃げるのか? そんなのは出来ない! 友達なんだ! 見捨てるなんて出来るわけないじゃないか!!

 いや、見捨てるんじゃなくて援軍を呼びに行くんだ。アイシャならあんな奴! どんなに強くても5人で掛かれば絶対に勝てる!

 ……違うだろ! 援軍を呼びに行くって言い訳をしているだけだろ! その間に2人が死なないってどうして言えるんだ!?

 どうすれば……! どうすればいいんだオレは!? クソッ! 頭が、頭が痛い……!

 

 キルアの葛藤は終わることなく続いていた。

 身体は逃げ出したいと訴えている。頭の冷静な部分もだ。だが心の中の大事な、何よりも大事な部分は逃げちゃダメだと必死に叫んでいた。

 ここで逃げたら一生後悔する。例え親友が許したとしても、自分自身が許せなくなるだろう。それを理解しつつもやはり身体は前へと動かない。まるで金縛りにあったかのように……。

 

「行くぞゴン」

「うん。……オレ達は死なないよキルア。絶対に勝つから」

 

 ゴンもキルアの様子がおかしいことには初めから気づいていた。だがそれでもキルアを優先しないのは放っておくとクラピカが1人ででも突っ走ってしまうと直感していたから。そして……何よりもキルアを信じていたから。一番の親友はきっと困難を乗り越えてくれると誰よりも、キルア自身よりもキルアを信じていた。

 

 だからゴンは立ち止まらなかった。キルアを信じて圧倒的な暴力の前に歩を進める。

 

「う、あ、ま、待て……待てよ。……お、オレも――」

 

 ――オレも戦う――

 

 どうしても、その言葉が口から出ようとしない。まるで何かに口元を押さえられているかのように。そしてキルアが己を縛る呪縛に囚われている間に……2人は幻影旅団ナンバー11、ウボォーギンの前に立っていた。

 

 

 

 

 

 

 ヨークシンの一角を廃墟にしたウボォーギンはかつてない程の充実感に包まれていた。今まで誰にも見せたことのない能力を思う存分に引き出し敵を蹂躙したのだ。仲間を護ったと言う実感と相まって満足するには充分の快感だった。

 オーラの消費が激しい【爆肉鋼体/マッスルエボリューション】を解除し、そのまま立ち去ろうとして……ふと立ち止まり振り返った。

 

「何だぁお前ら? マフィアってワケでもなさそうだが」

「幻影旅団だな」

「そうだが。オレは今機嫌がいいんだ。マフィアと関係ないなら見逃して……!? ……なるほどな。お前に覚えはないがその目には覚えがあるぜ。……仇討ちって奴だろ? まさかあの一族に生き残りがいたとはなぁ!!」

 

 クラピカの燃えるような緋色の眼を見てウボォーギンは驚き、そして次に喜びを顕にした。

 

「……何が嬉しい?」

「オメェみたいなリベンジ野郎を返り討ちに出来るからさ! オメェみたいな奴らはどいつもこいつも必死に強くなってオレ達に復讐しにやって来る! そう言った連中を返り討ちにするのがオレの一番の楽しみなのさ!!」

 

 そこには他人に対して何も感じていない狂人の一端があった。ウボォーギンのそのあまりの思考にクラピカは一層怒りを増し、ゴンも顔をしかめる。

 

「ねえ」

「あん?」

「どうして……どうして自分たちと関係ない人達を殺せるの?」

 

 ゴンのその言葉はこの場にあって今更な質問だろう。

 だがゴンは知りたかった。何故こんなにも簡単に人を殺せるのか? ゴンには分からない。だから聞いただけの単純な、そして純粋な質問。

 そしてその答えは――

 

「関係ないからさ。他人なんざどうなったってどうでもいいだろ?」

 

 その答えに嘘偽りは一切含めていない。いや、嘘を言う必要すらないと断言できる程ウボォーギンはその質問の意味を理解していなかった。人を殺すことに罪悪など感じたことがなかったから。

 

「……そっか。分かったよ」

「ああ。良く分かった。……償う罪を理解出来ないというのなら、私が理解させてやろう。痛みと屈辱を以てな!!」

「御託は終いか? だったらとっととおっぱじめようぜ!! テメェ等は陰獣よりも楽しませてくれよぉぉっ!!」

 

 対峙する3人のオーラは高まり一触即発の空気を生み出す。

 そして瓦礫の一部が崩れ落ちた音を合図とし――激戦が始まった。

 

 




 陰獣さんは早々にログアウトしました。ファンの方申し訳ないです。原作では唯一生き延びていた梟もご退場。空を飛ぶ陰獣を蝙蝠と呼称していますが原作では名前は出ていません。見た目が蝙蝠っぽかったから勝手に付けさせてもらいました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十九話

 廃墟と化したヨークシンシティの一角で、3人の念能力者が対峙していた。

 3人の内2人、ゴンとクラピカはその顔に怒りを顕にし、対照的に残る1人であるウボォーギンはその顔を愉悦に歪ませていた。

 人を殺すことに一切の躊躇も後悔も反省もなく、逆に喜びを感じているウボォーギン。そのウボォーギンに義憤を抱かないゴンではなく、また一族の敵を前にしたクラピカに怒りの感情を抑制することは最早不可能だった。

 

 人気もなく、高まるオーラとひしめく風の音のみが響く中、戦いは瓦礫が崩れた音を合図に開始された。

 

「おらぁっ!!」

 

 ウボォーギンは先手必勝と言わんばかりに猛然とクラピカに襲いかかる。オーラを込めた右拳を力強く振りかぶり攻撃するが、クラピカは当たる直前に跳躍により身を翻すことでそれを躱し、そのまま空中で体重を乗せた蹴りを延髄に放つ。

 

 その一撃を咄嗟にガードするウボォーギン。陰獣の攻撃はガードすらしなかったウボォーギンだが、それはガードする意味がなかっただけのこと。今は【爆肉鋼体/マッスルエボリューション】を解除しているので、肉体の防御力は当然落ちている。そしてクラピカの蹴りに籠められたオーラから延髄にまともに受ければ自分でもそれなりのダメージを負うと判断したのだ。

 クラピカの蹴りを完全に防いだウボォーギン。だが、クラピカは左足で蹴りを、つまりウボォーギンの右側面から延髄を狙っていた。ウボォーギンがそれを防ぐには攻撃した右腕でガードしなければならない。そのタイムラグが生んだ隙を上手く突いてゴンが攻撃を加える。

 

「はぁっ!」

「ぬぐっ! こ、のっ!」

 

 まともにゴンの拳を喰らうウボォーギン。だが顕在オーラの差、肉体能力の差からウボォーギンに若干のダメージを与えはしたが、決定打となるには程遠くそのまま反撃の一撃を浴びそうになってしまう。

 だがそこに蹴りをガードされた反動でさらに上空へと跳躍したクラピカが右手の鎖を振るいその攻撃をカットする。だがウボォーギン目掛けて放たれたその鎖は砕けた大地をさらに砕くだけに終わった。すんでの所で後方に飛ばれ鎖を躱されたのだ。

 

 ――あの攻撃のモーションからでも躱すとはな――

 

 ――あの鎖、かなりのオーラが籠められてやがるな――

 

 クラピカはウボォーギンの判断力を上方修正し、ウボォーギンもクラピカへの認識を改める。

 

「なるほどな。多少は出来るじゃねーか。陰獣よりよっぽど強いぜ。そっちのガキはまだまだだが、それでもオレにダメージを与えられるだけ大したもんだ」

「お前なんかに褒められてもちっとも嬉しくない!」

「そう言うなよ。マジメに褒めてんだぜ」

 

 軽口を叩きながらもウボォーギンは冷静に考えていた。

 

 目の前の鎖野郎は具現化系か操作系と判断する。物体にオーラを籠める技術は『周』と呼ばれ、念の応用技としては難易度も低くある程度の念能力者なら当然のように使用出来る技術だ。だが、先程大地を砕いた鎖の威力を考えると具現化系か操作系の可能性が高かった。これは両系統とも物体を主体とした能力を作る傾向が多いからだ。

 具現化系ならば物体を具現化し、具現化した物体にオーラを籠めるのは当然だが他の物体に籠めるよりも容易いだろう。

 操作系なら物体操作が多い。操作するのは何か思い入れがある物が多いので、こちらもオーラを籠めやすくなるわけだ。

 つまり両系統ともに武器を使って戦闘した場合他の能力者が武器を使うよりも武器にオーラを乗せ易いということになる。

 

 クラピカがそのどちらの系統を得意とするかはウボォーギンには分からないが、厄介なのは具現化系だろうと考えていた。操作系だとしたら鎖の操作だけに終わるかもしれないが、具現化系ならばそうはいかない。具現化系は具現化した物体に何らかの能力を付与することが多いからだ。同じ旅団員で言えばシズクがそうだろう。彼女の具現化した掃除機は彼女が生物として認識した物以外の物を全て吸い込んでしまう特殊な能力を持っている。

 この鎖にも何らかの能力があると見た方がいいだろう。勿論クラピカが操作系で、鎖の操作以外には大した能力はない可能性もあるが、そんな希望的観測は捨てた方が身の為だ。敵を侮り過小評価して痛い目を見た者はごまんといるだろう。

 

 次にウボォーギンは対峙しているもう1人の少年、ゴンについて考える。恐らくだが強化系、自分と同じような雰囲気を感じたのだ。強化系一途なウボォーギンならではの感覚である。

 そしてその脅威度は然程のものではないと判断した。確かに強い。そこらの念能力者などとは比べ物にならないだろう……あの歳にしては、だが。ゴンの強さは認めるが、それは年齢の割にはである。将来的にはもしかしたら自分に匹敵するレベルの強化系能力者になるかもしれないが、現時点では然程の脅威にはならないだろう。むしろゴンを相手に気を取られてクラピカの鎖を喰らう方がマズイ。

 

 ――ガキは放っておき先に鎖野郎をぶっ殺す!――

 

 これがウボォーギンの決断であった。

 そして即断即決。一度決断したからには迷うことなくウボォーギンは行動する。眼前のゴンを無視してクラピカに向かって勢いよく走り出す。

 

「私に狙いを絞ったか!」

「一番邪魔くせぇのから始末させてもらうぜ!」

 

 近づけさせまいと鎖を振るうクラピカだが、最小限の動きで躱され一気に間合いを詰められる。

 

「ここまで近づきゃ鎖も振るえねぇだろ!」

「それは、どうかな!」

 

 接近を許したがそれでも鎖をウボォーギンに向けて放つが、至近距離では思うように当たらず逆に腕を掴まれてしまう羽目になる。一度怪力自慢のウボォーギンに掴まれてしまえば抜け出すことは至難だろう。最早絶体絶命か。そう思えるこの状況は――

 

「捕まえたぜ!」

「ああ、私がな」

 

 ――クラピカの予想の範疇だった。

 

「うおっ!?」

 

 クラピカの発言に訝しむ間もなくウボォーギンはバランスを崩し大地に転がることとなった。確かに力強く握り締めていた。オーラのガードがなければ掴まれた腕は砕けるほどにだ。なのにどういう理屈かクラピカが掴まれた腕を僅かに動かしただけでウボォーギンは大地に向かって反転した。

 

「て、てめぇ何を――」

 

 ――何をした!

 そう叫ぶ声は続くクラピカの声によって遮られた。

 

「良いのか? 私ばかりにかまけて?」

 

 その言葉でようやく真後ろのオーラの高まりを感じ取るウボォーギンだが、全ては遅かった。

 

「最初はグー! ジャンケン!! グー!!」

「がふぁっ!?」

 

 仰向けになったウボォーギンの顔面に向けてゴンの全力の一撃が振り下ろされる。

 自分を取るに足らない存在と扱ったウボォーギンに対して『ふざけるな』という強烈な意志を込めたその一撃は、確実にウボォーギンの身体にダメージを刻み込んだ。

 

 ゴンが放った一撃は硬によるモノ。全てのオーラを拳に込めて放たれるその一撃は今のゴンに出来る最大の攻撃だ。

 それだけではない。攻撃の際に特定のモーションを取り、硬の準備に取り掛かり、技の名を発する。この工程を踏むことでかなりのリスクを生んでいる。無防備な状態を作り、オーラの防御もなくなることを前提とし必殺技としているのだ。そのリスクの高さはそのまま念能力の効果を高める結果となった。

 

 だが、そこまでの一撃を受けてなお……ウボォーギンは獣のように獰猛な笑みを浮かべていた。

 

「やるじゃねーかガキ! 認めるぜ! お前も脅威に値するってな!」

 

 鼻は砕けそこから止めど無く血が流れるが、それだけだ。ゴンの岩をも砕く最大の一撃を受けてもその程度のダメージしかなかった。ウボォーギンも高まるオーラに対して全力でオーラによる防御をしていたのだ。

 それでもここまでのダメージを受けたことに対してウボォーギンは素直に驚愕しているのだが、ゴンに取ってはそんなもの慰めにもなりはしないだろう。

 

「くっ!」

「そう嘆くなよ。かなり痛かったぜ。お前強くなるよ。……ここで死ななきゃなあ!!」

 

 颯爽と立ち上がり、やられた分はやり返そうとゴンに対して拳を振り上げたウボォーギン。まともにぶつかり合うと当たり負けすると判断したゴンはその攻撃を避けようとして……拳を振り上げたままのウボォーギンを不思議そうに見やった。

 

「な、腕が!? いや、身体が自由に、動かない、だと?!」

「ゴン!」

「うん! 喰らえ! ジャンケングー!!」

 

 まともに身体が動かないことに驚愕しつつも、ゴンの攻撃をオーラで出来るだけガードする。だが流石のウボォーギンも硬による防御ならまだしもただの堅による防御ではゴンの【ジャンケン】による一撃を防ぎきることは出来なかった。

 

「ごはっ!! ぐっ、こ、これは……鎖!? 何時の間に!? ……隠か!!」

 

 ウボォーギンの全身には何時の間にかクラピカの鎖が巻きついていた。ゴンに気は取られていたが、鎖から注意を逸した覚えはない。だが現にこうして鎖はウボォーギンを縛っている。

 そこからウボォーギンはクラピカの鎖が具現化した物だと完全に気付いた。具現化した物体ならば隠を用いることで具現化した物体を限りなく見えにくくすることが出来るからだ。

 

「隠も知っているか。頭の回転も悪くない。見た目通りのバカではないようだな。だが状況判断が疎かだな。2対1だというのに1人相手に気を取られすぎだ。こうして捕らえるのは容易だったよ」

「ぬぐっ! 舐めるなよ! こんな鎖なんかオレの力で引きちぎってやる! うおおおおおぉぉぉぉっ!」

「無駄だ。力でどうにか出来るものではない」

 

 ウボォーギンを捕らえたのはクラピカが開発した鎖の内の1つ、【束縛する中指の鎖/チェーンジェイル】の能力によるものだ。【束縛する中指の鎖/チェーンジェイル】でその身体を縛られた者は肉体が麻痺し身動き1つ取れなくなる。それが例えどのような怪力無双だとしても。そう、旅団一の肉体を誇るウボォーギンですらだ。

 

「ぐ、ぐぎぎぎぎ! く、クソッタレがぁぁぁぁっ!!」

 

 クラピカの言葉を証明するようにウボォーギンは指先1つ動かすことも出来ず、拳を振り上げたままの格好で固まっていた。

 

 この結果は全てクラピカの策によるものだ。クラピカは普段から鎖を具現化して行動している。それはクラピカの得意系統が具現化系と悟られないようにすることが目的だが、同時に戦略に置いても重要な役割を担っていた。

 人は目に映る物に注意を向ける。威力の高い鎖を振るわれれば、残りの指に付いている鎖から注意は逸れるだろう。そうして攻撃用の鎖――【打倒する人差し指の鎖/ストライクチェーン】――に注意を向けている間に、捕縛用の【束縛する中指の鎖/チェーンジェイル】を隠にて見えにくくし、ゴンに気を取られた一瞬にウボォーギンを縛り付けたのだ。

 もし鎖が見えていたならば、例えゴンに気を取られていたとしてもウボォーギンならば咄嗟に躱せていただろう。ここまで周到に準備をしていたクラピカの作戦勝ちだと言える。

 

 そして更にクラピカはウボォーギンを完全に無力化させる用意をしていた。この能力が発動して初めて完全な勝利と言える。そう、現状ではウボォーギンを無力化したとは言えないのだ。肉体の動きを完全に麻痺させているというのに、何故か?

 

 ――それはウボォーギンが身を以て証明してくれた。

 

「これならどうだァッ! うぉぉぉぉぉぉーーっ!!」

「くっ! 間に――」

 

 ウボォーギンを捕獲し、更なる一手を打とうとしたクラピカ。

 だが新たな念能力が発動する前にウボォーギンの念能力が発動してしまった。

 クラピカが最も警戒していた能力、【爆肉鋼体/マッスルエボリューション】が。

 

「――合わなかったか……。こうなる前に決着を付けるのが理想だったのだがな」

 

 クラピカは陰獣戦でのウボォーギンとその戦闘後のウボォーギンを見て、あの莫大な筋肉が念能力で作られたものだと判断していた。ウボォーギンは陰獣との戦闘が終わるとその能力を解いたのか明らかにその肉体を縮小させていたのだ。どう考えても念の仕業と思うのが妥当だろう。

 

 そして自分達との戦いでもその能力を使う気配はなかった。恐らく使わなくても勝てるという自信か、オーラの温存、もしくは何らかの制約によるものと予測していた。

 制約や誓約が関係しているならもう使用しないかもしれないが、自信や温存が原因ならいつまたあの化け物になるかは分かったものではない。

 なので自身の能力がバレていない内に先手を取り動きを縛り、更なる能力で完全にウボォーギンを無力化する予定だった。

 だが……それよりも僅かに早くウボォーギンの能力が発動してしまった。

 

 見る見る内に筋肉が肥大化し、それに合わせてウボォーギンを縛り付けていた鎖が砕けそうになる。そうなる前にクラピカは【束縛する中指の鎖/チェーンジェイル】を解除する。一度砕けてしまうともう一度具現化するのに時間がかかってしまう為だ。

 

「ぐはははははは! なるほどな、それがこの鎖の制約ってところか! 随分脆いんだなあの鎖! 力なんて入れてねーのに身体がちょっとデカくなっただけでひび割れてやがる!」

 

 そう。ウボォーギンの言う通りそれが【束縛する中指の鎖/チェーンジェイル】の制約の1つだ。捕らえるとその身体の自由を奪うことが出来るが、鎖の強度は然したるモノではない。例え肉体を麻痺させたとしても念能力の使い方次第では今のウボォーギンのように至極簡単に抜け出すことが出来るだろう。

 

「今のはかなり焦ったぜ……。だがもう同じ手は食わねー。テメーの鎖から注意を逸らすことはもう絶対にねぇ! さあ! 仕切り直しと行こうじゃねーか!!」

 

 

 

 

 

 

 レオリオは仲間を探しヨークシンを走っていた。

 アイシャを見送った後、マフィアを警戒する必要はないと仲間に伝え合流しようとしたが、その肝心の仲間がどこにもいないのだ。

 まさかマフィアに連れ去られたのでは? と考えたが流石に全員同時には考えにくく、それならば奥にいた自分達の所にもマフィアが来るだろうと思い別の原因があると考えた。

 そしてその原因の最有力候補として挙げられるのが幻影旅団だろう。旅団憎しのクラピカが旅団に突っ走り、それを止めるためにゴンとキルアも追いかけたのでは? そう予測を立てたのだ。

 

「くそっ! アイシャに旅団を追うなって言われたのにこれかよ! 頼むから馬鹿な真似してんじゃねーぞ!」

 

 1人愚痴を口走りながらレオリオはある場所を目指して走る。

 その場所は先ほど目に映ったビルが倒壊した地区だ。恐らくそこで戦闘が行われているのだろう。ならばそこに旅団やクラピカ達がいる確率は高い。

 レオリオは仲間の無事を祈りつつ出来るだけの速度でその場所を目指した。

 

 

 

 走り続けたレオリオはやがてキルアを見つけ安堵する。特に怪我もしていない様子で無事に二の足で立っていたキルア。

 だが――

 

「おいキルア! お前離れるならそうと言えよな。全く、心配させやがって! 他の皆は……!? お、おい! 大丈夫かお前!?」

 

 だが、その安堵は一瞬にして心配へと変わる。キルアの顔は酷く青ざめており、呼吸は荒く、明らかにマトモな状態ではないと判断出来た。

 

「れ、レオリオ! 逃げろ! 逃げてアイシャを呼んで来てくれ! このままじゃあいつ等が死んじまう!」

「あ? いきなり何を……うおっ! なんじゃあの化け物は!?」

 

 キルアの異常に気が取られて今の今まで離れた場所で戦うゴン達に気が付かなかったレオリオだが、キルアの言葉でようやくゴン達に気付く。そして仲間が戦っている敵の肉体、その身に纏うオーラの力強さに思わず一歩後ずさる。

 

「旅団の1人だ。クラピカは言っても止まらないし、ゴンもクラピカを助ける為に戦っている……。だがあんなのに勝てるわけがない! 早くアイシャを! そうだ! 電話でもいいから早く!」

 

 なるほど。キルアの焦りも尤もだろう。あの化け物が圧倒的な存在だなんて一目瞭然だ。まともに戦うとレオリオなら1分と保たずに殺されるかもしれない。今はまだ2人とも無事だが、2人掛りでも勝てないだろうと思われる。それほどの存在だとレオリオの目には映っていた。

 

「アイシャは今は親父さんを連れて病院に行っている。今すぐ呼んでも来られないし、例え来たとしても間に合わないかもしれねぇ! それよりもお前は何をしているんだ!? オレ達も戦いに加わるんだよ! 4人掛りなら勝てるかもしれないだろ! 全員で掛かって隙を作れば――」

「だ、ダメなんだよ……! 身体が、身体が動かないんだ……! オレだって助けに行きたいよ! でも……でも!!」

 

 そのキルアの悲痛な叫びと、その顔を見てレオリオは絶句する。

 年上を年上とも思わない小生意気な子ども。自分よりも強く、そして過酷な過去を持つ少年。だが年相応の面も見せ、どこか憎めない新たに出来たダチ。……その今にも泣きそうなその顔を見て絶句せざるを得なかった。

 

「っ! レオリオ! 耳を塞げ! 早く!」

「あ? ああ!」

 

 キルアの突然の叫びにただ事ではないと悟りレオリオもキルアに倣いすぐに耳を塞ぐ。そしてそのすぐ後に強烈な衝撃が鼓膜を襲った。

 

「ーーっ!! 何だこりゃ! 塞いでいたのに耳がキンキンしやがる!」

「ゴン! クラピカ! ……良かった。あいつ等も防いでいるか……」

 

 レオリオはキルアの安堵した顔を見て、そのままゴン達の戦いを見やる。強大な敵を相手に四苦八苦しながらも1歩も引かずに必死に戦っている仲間の姿が映る。そしてそれを苦しそうに見つめるキルアをまた見やり、そしてレオリオは優しく言葉を掛けた。

 

「……分かった。お前はそこで待っていろ。大丈夫だ、あいつ等はオレが助ける」

「な、何言ってんだ! お前が勝てる相手じゃねーだろ!?」

「んなの分かってんよ。オレじゃ殺されに行くだけかもしれないってな。……だけどよ。ダチを見捨てて生き延びて、それで医者になって胸張れる程……オレは器用じゃねーんだ」

「!?」

「……あまり自分を責めるなよキルア。なんだかんだ言ってもお前はまだガキだ。ビビっちまっても仕方ねーさ。だがよ。それでもオレはお前を……いや、なんでもねー」

 

 何かを言いかけ、そこで言葉を濁した。今のキルアの精神に重荷になる言葉を伝えるのを避けたのだ。そしてそのままレオリオはキルアを残し強大な敵と戦う仲間の元に駆け出した。

 

「お、オレは……オレは……」

 

 力なく項垂れ、走りゆくレオリオを見送るしか出来ないキルア。

 いや、今も精一杯の抵抗をしているのだ。頭痛は絶えず鈍く響き、身体が敵から遠ざかろうとするのを歯を食いしばって必死に抑えていた。

 

 ――逃ゲロ!

 

 ――うるさい黙れ!

 

 ――逃ゲロ! 早ク!

 

 ――嫌だ! 友達なんだ!

 

 ――逃ゲロ逃ゲロ逃ゲロ!

 

 ――皆友達なんだ! 見捨てたくないんだ!

 

 永遠に終わることのない葛藤。

 叶うならば後ろに向かって走り出したい。

 どこでもいいからこの場から今すぐに離れたい。

 だけどそれだけは出来ない。ここで逃げ出せばもう二度と大事なモノはこの手に戻ってこない。出来ることは仲間が、友が繰り広げている死闘を遠く見守るだけだった。

 

 だが恐怖にてキルアを縛るその呪縛は……さらなる恐怖の爆発によってかき消された。

 

 初めての友達。こんな自分を友達だと言ってくれた1番の親友。

 その親友が血反吐を吐きながら無残に吹き飛ぶ姿を見て生じた感情は新たな恐怖。死ぬことよりも、仲間から軽蔑されることよりも恐ろしい、永遠に友を失うかもしれない恐怖。

 

「うああああああああああああ!!!」

 

 絶望的な恐怖を怒りと、そして友達を失うかもしれない更なる恐怖で塗りつぶし、未だ自らを苛む呪縛に抗うかのようにキルアは己の頭に指を……突き入れた。

 

 

 

 

 

 

「はっはーっ! ちょこまかと必死に避けるじゃねーか! まともに殴りあうことも出来ねーのか!?」

 

 ウボォーギンは鎖から解き放たれてから文字通り暴れまわっていた。

 ただ単純に敵に近づいて手当たり次第に殴る蹴る。ゴンとクラピカは必死になってその暴威から逃れ、致命傷を避けながら戦っていた。

 

 今彼らの命を繋いでいるのはウボォーギンの戦いをあらかじめ見ていた為だ。

 巨体に似合わぬ動きの速さ、そして想像以上の破壊力。それらの情報を直接見たからこそまだ対抗出来ているのだ。もしこれが前知識なしでの戦いだったならば、ゴン達はとっくに挽肉になっていただろう。

 

 そしてウボォーギンに欠点があったことも攻撃を避けられる要因となっている。

 巨体となりそれでいてスピードが増しているという巫山戯たパワーアップを果たしたウボォーギンだが、それでも巨体ならではの弱点は有効だった。

 それは小回りの利かなさだ。確かに拳の速度や強力な踏み込みによる移動速度は脅威的だ。だがそれらの予備動作は大きく、拳を振り上げてから下ろす動作を予測して躱すことはゴンやクラピカならば不可能ではなかった。

 

 しかしそれだけだ。凄まじい勢いで突撃してくるウボォーギンが、その勢いのまま殴りかかってくるのを掻い潜って凌ぐ、ただそれだけ。

 その間に何発かは攻撃を加えたが一切のダメージを与えることなど出来なかった。

 クラピカの鎖は最優先で警戒されておりその眼は常に凝を行っている。隠を見逃すことはないだろう。ゴンの【ジャンケン】など使用出来るわけがなかった。もしそんな隙を作ってしまえばその場でお陀仏だろう。

 

「くっ、まるで重戦車だな! それもここまで素早く動かれると軽くホラーだよ!」

「言ってくれるな。だが逃げてばかりなんでこっちは飽き飽きだ。そろそろ終わらせるとするぜ!」

 

 そう言い、大きく息を吸い込むウボォーギンを見てクラピカは叫ぶ。

 

「ゴン!」

 

 その言葉にゴンは言葉では応えず行動で返す。ゴンもまた大きく息を吸い込み、そして同時に耳を塞いだ。

 

「はあっ!!!」

「わあっ!!!」

 

 互いに強烈な大声を出して相手の鼓膜を攻撃する。

 音には音。マフィアでの戦闘時にウボォーギンが使った音の攻撃に対して対策を立てておくのは当然のことだった。2人はあらかじめウボォーギンが大声による攻撃をする時の対処法を話し合っていたのだ。

 

 大声に大声をぶつけその威力を分散させ、耳を塞ぐことで完全に防御する。所詮は初見殺しの、技とも言えぬ攻撃だ。知っていれば対処は可能だろう。

 

「ちっ! こっちの耳にまで響きやがった。大した肺活量してるぜガキ! 今までで1番のダメージを食らったぜ!」

「うるさい! 今度はこっちの番だ!」

「待てゴン! 不用意に飛び込むな!」

 

 ウボォーギンのその挑発めいた言葉にカッとなったゴンが間合いを詰めて攻撃をする。それは油断もあったのだろう。これまで全ての攻撃を避けてこられたのだ。上手く掻い潜って急所やオーラの薄い部分を狙えばダメージも通るだろう。

 そう判断したゴンはやはりまだ経験不足と言えた。

 

 ――やっぱりまだガキだな――

 

 内心でそう言い放ち、ウボォーギンは不用意に近づいたゴンに対し地面を思い切り踏みつけることで大地を揺らした。ただの踏みつけもウボォーギンが行えば大地が砕ける。砕けた大地はゴンの足元にまで及び、そしてゴンは思わずバランスを崩してしまった。……化け物を眼前に置いたままで。

 

「じゃあなボウズ」

「ゴーーーン!!」

 

 クラピカの叫びに混じり骨がへし折れる音が辺りに響く。ゴンのボディには深々とウボォーギンの拳が突き刺さっており、血反吐を吐きながら遥か後方へと吹き飛ぶこととなった。

 

「ちっ! つくづくテメーはやりにくいな」

 

 渾身の一撃を加えたはずのウボォーギンから忌々しそうな声が漏れ、その瞳はクラピカを憎らしげに睨みつけていた。

 ウボォーギンは先程の一撃に然程の手応えを感じなかったのだ。それはゴンが咄嗟に防御したから、だけではない、クラピカが咄嗟に鎖を振るいウボォーギンの腕にぶつけることでその威力を削いでいたのだ。しかも同時にもう1つの鎖を操作してゴンを後方へと引っ張っていた。それによりダメージは軽減、ゴンは致命傷を免れたのだ。

 

「あのガキもガキでしっかりとオーラでガードしているしよ。おかげで一発で殺せなかったじゃねーか」

「き、貴様ぁっ!」

 

 わざとらしく肩を竦めるポーズを取るウボォーギンに、思わず激高しかけるクラピカ。だが、そんな彼を落ち着かせる存在がこの場に現れた。

 

「クラピカーッ!」

「レオリオ!?」

 

 こちらに向かって近づいてくるレオリオの叫びを聞いて冷静さを取り戻すクラピカ。2人はそれ以上言葉を交わさず、互いの顔を見てそれぞれがすべきことを理解し、そして即座に行動に移った。

 

 ――任せたぜ!

 ――任せたぞ!

 

 レオリオは吹き飛んだゴンの元へ。そしてクラピカはゴンの治療を邪魔させないためにウボォーギンの前に立つ。

 

「あ? まだ仲間がいたのか。まあいい。そいつも殺すだけだ」

「させると思っているのか?」

「死んじまえば邪魔も出来ねーだろ?」

 

 2人は対峙したまま互いに警戒を怠らず緊張感を高める。

 圧倒的な力を誇るウボォーギンだがクラピカの鎖にだけは注意していた。クラピカの指から具現化されている鎖の数は5本。それぞれの指に鎖があるのだ。まだ見ていない能力が3つはあると考えると油断するわけには行かない。

 クラピカとてそうだ。まともに攻撃を喰らうと一撃で致命傷になりかねない。いや、例えまともに喰わらなくてもかすっただけでダメージを負うだろう。それは致命な隙を作りかねない。

 2人は警戒しながら互いの隙を窺っていた。

 

 異変が起きたのはその時だった。

 

「うああああああああああああ!!!」

 

 突然の叫び声にクラピカも、そしてウボォーギンも互いに敵から意識をそらさずに声が聴こえた方角を見やる。そこにいたのは1人の少年。その少年をよく知るクラピカも、どこの誰とも知らぬウボォーギンもそれを見て呆然とした。

 離れているが見間違うことはなかった。そう、確かに頭に指を突き入れる少年の姿を2人は見た。

 

「キルア! 一体何を!?」

「あーあ、あれもお友達か? 可哀想に、気が触れたか? ま、そんなことよりさっさとケリを付けようぜ」

 

 自らの頭に指を突き入れるという奇行を見て気が触れたと思うのは当然の反応だろう。クラピカとて様子のおかしかったキルアを知っているため本当にウボォーギンの言う通りなのではと思っているくらいだ。

 

 そしてウボォーギンがキルアから興味を失ったようにクラピカを睨みつけた瞬間。

 真後ろから突然声が聞こえ、ウボォーギンはまたも振り返った。

 

「イルミの野郎、ホントやってくれたな。……こんなもん頭ん中に刺し込んでやがった」

「テメー! 何時の間に!?」

 

 そこにいたのはキルアだ。何時の間にかウボォーギンの真後ろわずか数メートルの位置にまで移動していたのだ。

 その手には歪な針を持っており、指を突き入れた頭からは当然のように血が流れていた。瞳からは涙が流れており、凡そマトモな精神状態ではないとクラピカは心配そうにキルアを見やった。

 

 だが、その心配をよそにキルアは全てから解放されたかのように清々しい笑顔を見せた。

 

「あー、すっきりした。完全に目が覚めた。いや、解放されたって感じか?」

「おいガキ、何ぶつくさ言ってやがる。本当に気が触れたか?」

「離れるんだキルア! 今のお前では殺され――!? ……お、お前は、本当にキルアか? な、何が有ったというのだ」

 

 キルアの変化にいち早く気付いたのはクラピカだ。付き合いの長さではゴンに次ぐクラピカだからこそすぐに気付いた。今のキルアは今までのキルアとは何かが違うと。

 

「おいデカブツ。オレのダチをよくもヤってくれたな。相応の礼はしてやるよ」

「ほぉー。言うじゃねーか。だがよ、そういうのは相手を見てから言うんだな」

 

 先程までとは最早別人のような気迫を見せるキルア。そしてそれを見てウボォーギンは侮りの言葉を吐きながらも内心警戒レベルを上昇させていた。

 

 ――このガキ! 明らかにオレ達よりの人種だ! それも半端じゃねーレベルの!――

 

「く、くくっくっく。何だよ何だよおい! 本当に面白いなお前らよぉ!! いいぜ! もう後先なんかどうでもいい! 全力で相手してやるからまとめて掛かってこいやぁぁぁぁぁっ!!」

 

 その言葉とともにオーラの温存など脳内から欠片も消し去ったかのように全力でオーラを纏うウボォーギン。

 

「冗談。お前みたいな筋肉バカにマトモにぶつかるわけねーだろ」

 

 そんなウボォーギンを嘲笑うかのようにキルアは肢曲と言われる特殊な歩法でウボォーギンの視覚を惑わすように移動する。

 

「なに!?」

 

 緩急を付けた特殊な歩法によりウボォーギンの視界には数多の残像が映り、本物のキルアを判別することが出来なくなる。

 だがそこは強化系の鑑。全部吹き飛ばせばいいと言う単純な解を即座に導き出し、大地を蹴って散弾を作り攻撃をしようとする。

 

「喰らえや!」

 

 だがそれよりも早くキルアが動く。

 何時の間にかキルアはウボォーギンの巨体を利用しその身を足がかりとして肩の上に立ち、ウボォーギンの耳に指を突き入れようとしていた。

 如何にウボォーギンと言えども耳の穴まで鍛えることなど出来るわけがない。オーラでガードするにしても薄い鼓膜など強化したところで如何程の意味があるのか。鼓膜を突き破り、その奥にある内耳にまで指が到達すればそれだけで人はマトモに動くことが出来なくなるだろう。いや、その奥にある脳にまで指が達すればその結果は言うまでもない。

 

「うおっ!? 離れろガキが!」

 

 これにはさしものウボォーギンも焦りを見せた。タフネスが売りなウボォーギンも流石にこれは許容できないダメージとなるのだ。必死に身体からキルアを振り払う。

 

「がっ!」

 

 そこにクラピカの放った鎖が後頭部にヒット。僅かにタタラを踏むが、そのまま鎖を掴みクラピカに反撃を試みる。だが掴んだ鎖は霞のように消え去り、引っ張った分体勢が崩れる結果となる。

 

「うおおっ!?」

 

 そしてキルアによる連撃が追撃された。それぞれが急所を狙った容赦のない攻撃であり、オーラと筋肉で守られているウボォーギンに僅かな、だが確かなダメージを刻む。

 しかしその程度のダメージなど意に介さず、ウボォーギンは悠然と大地に立ち続けていた。

 

「ちっ。マジでタフだな。これだけやって全然ピンピンしてるよ」

「うむ。今の私たちでは少々攻撃力不足のようだ。私たちで最大の攻撃力を有するゴンでも今のこの男にまともなダメージを与えるのは難しいだろう」

 

 【絶対時間/エンペラータイム】の副次効果によりオーラの絶対量が上昇し、全ての系統の能力も100%の精度で扱える反則のような能力を持つクラピカでさえ、現在の顕在オーラではウボォーギンに多少のダメージを与えるのが限界なのだ。

 そしてキルアも同じだ。どれほど正確に急所を狙ったとしてもキルアの攻撃力ではウボォーギンの防御を超えることは不可能に近いことだ。

 

「オオオォ!!」

 

 全てを破壊し尽くすかのように猛然と襲いかかるウボォーギンの猛攻をギリギリで避けながらクラピカとキルアは強大な敵を打ち倒す算段を付けていた。

 

「(おい。手はあるんだろうな? いくらアイツでもさっきの麻痺はもうマトモに喰らわないぜ? ずっと凝でお前の鎖を警戒しているんだからな)」

 

「(もちろん手はある。だがそれをするには些か奴の注意を引きつけてもらわなければならない。バレてしまえば二度と通じなくなってしまう)」

 

「(オレ1人で注意を引けってか? ……少しの間なら抑えられるけどよ。それだけでアイツがお前から注意を外すとは思えないぜ)」

 

「(ああ。だがこのまま避けに徹してもいつかは捉えられるだろう。どうにかして隙を作らなければ)」

 

 一撃でも当たれば即死となる攻撃の中、互いの口の動きを読み取り声を出さずに相談をする。一撃一撃を避けるたびに神経が削れていく。一瞬でも油断したらそこで人生が終わりを告げるだろう。

 こうしてどうにか致命傷を避けられているのはウボォーギンがクラピカを警戒しているためでもあった。隠を警戒し眼には常に凝でオーラを集めており、その為か攻撃も陰獣を相手取っていた時よりも精彩を欠いていた。

 【超破壊拳/ビックバンインパクト】を使うなど以ての外だろう。オーラを集中した瞬間を狙われてはたまったものではないのだから。

 

 その為にこうした膠着状態が出来てしまった。

 ギリギリで躱し僅かな反撃を続けるがこれといったダメージを与えられず、その精神を消耗させていくクラピカとキルア。

 オーラの消耗に内心焦りつつも、かと言って鎖から注意を外すわけには行かず攻めに集中しきれないウボォーギン。

 

 いつまで続くか分からないその状況は、ウボォーギンがその動きを止めることで流れを変えることとなった。

 

「ちっ。ダメだな。鎖警戒してると追い込めきれねー。このままじゃあ時間だけが過ぎるなぁ」

 

 いきなり攻撃の手を止め、そのようなことを口走るウボォーギンを胡乱な目で見ながらも警戒を続ける2人。既にウボォーギンはその目的を十二分に果たしていた。仲間が逃げるための時間はとうに稼ぎ終わっているだろう。

 それでもここに残っていたのは自分に向かってきたこの命知らずどもを叩きのめすためだったのだが、今の状況では先に自分のオーラが尽きてしまうかもしれない。

 そう考えたウボォーギンは――

 

「無駄に考えるよりも先に殺しちまえばいいよなぁ!」

 

 ――逃げるでもなく、このまま同じ状況を続けるでもなく……眼に回していたオーラを全身を強化する為に使用し、全力で敵を殺すことを選んだ。

 

「なっ!?」

「うおっ!?」

 

 動きを止めたと思ったらまたも猛襲を仕掛けてくるウボォーギンに面食らうクラピカとキルア。だが警戒していただけにそれくらいならば反応は出来る。だがウボォーギンの動きは今までとは一段違っていた。全てのオーラを肉体強化に回した結果、今までよりも何割か増した速度で巨体が動き出す。

 先程まで一定の速度で攻撃を避け続けた2人にそのいきなりの加速は奇襲に等しかった。

 

「捕まえたぜ!!」

 

 一瞬だが動きが固まってしまったクラピカの右腕を握る。まるで最初に柔を仕掛けられた時と同じ状況が出来上がっていた。クラピカは咄嗟に掴まれた腕で柔を仕掛けあの時と同じようにその怪力から逃げようとする。

 だが、ウボォーギンの肉体はほんの僅かにも揺らぐことはなかった。

 

「ば、馬鹿な!?」

「技を超えた純粋な強さ!! それがパワーだ!! さっきの技で今のオレを転がせると思うなよォっ!!」

 

 クラピカが幾千幾万と柔を受け続けたことにより自然と身に付けた柔の技は、ウボォーギンの力の前に何の意味もなさず……グシャ、という嫌な音とともにその腕を握りつぶされることとなった。

 

「ぐあっ!?」

「もういっちょ!」

「させるか!」

 

 さらに追撃をかけるウボォーギンにキルアがそうはさせじと攻撃を加える。ウボォーギンはその攻撃を見ても避けようともせずそのままクラピカに追撃を加えようとし、だがその動きが硬直し止まることとなった。

 

「ぎっ!?」

 

 その隙を利用しクラピカは自身の腕を掴んでいる側の腕の関節を蹴り上げどうにかその場から離れることに成功した。

 

「ぐ、電撃だと!?」

 

 そう。これがキルアの念能力。オーラを電気に変化する変化系能力だ。

 生まれた時から電気を浴びる拷問極まりない修行をしてきたキルアだからこその能力。他の者が同じ能力を作ろうとしたら才能を持った者でも数年に渡る歳月が必要だろう。

 いま使用したのは両手から電気を発し打撃とともに相手に叩きつける【雷掌/イズツシ】と言う能力だ。放たれる電撃は人を即死させる程のものではないが、それでも僅かに動きを硬直させることは可能だった。

 

「ぐ、お前オーラを電気に変化させているのか!? その歳でこの能力、末恐ろしいガキだな……!」

 

 キルアが今までこの能力をこの強大な敵に使わなかったのはここぞと言う場面で使用する為だった。一度使えば二度と通じない類の能力ではないが、それでも警戒されてしまえば効果は半減する。電撃の威力自体が下がるわけではないが、来ると分かっていれば多少は堪えられてしまい、電撃後の硬直も短くなる可能性もある。だがここで使わなければ恐らくクラピカは致命傷か即死のダメージを負うこととなっただろう。

 

「助かったぞキルア……」

「ああ。それよりも腕は……!」

 

 クラピカの右腕は無残にも前腕がひしゃげ、腕の肉ごと骨まで潰されていた。関節が1つ増えたかのように肘から先がブラブラと揺れているその光景にキルアは思わず顔を顰める。だが他人の心配をしている暇などキルアにはなかった。

 

 キルアもクラピカもその場から離れウボォーギンの追撃を躱す。

 キルアの電撃には舌を巻いたウボォーギンだが、それで止まるようなら幻影旅団などやっていない。むしろあそこで攻撃の手を緩めるとクラピカが何らかのアクションを起こすだろうと判断し攻め続ける選択を取っていた。

 

 その判断に内心舌を打ったのがクラピカだ。

 彼が持つ能力の1つに癒しの能力があるのだが、こうも矢継ぎ早に攻撃されてはその間も取れない。更にクラピカ達にとって厄介なことはウボォーギンの攻撃が段々と洗練されたものになって来ていることだ。

 大振りの一撃を徐々に徐々にコンパクトに抑え、一撃の破壊力よりもスピードと手数を増やし当てることを前提とした攻撃に切り替わってきたのだ。

 そしてそれは正解だった。例え手数を重視した攻撃でもその破壊力は計り知れないものがある。コンパクトに抑えた一撃でも当たりさえすれば動きは止まり、ガードした箇所は痺れ、まともに受ければ骨が折れる。

 

 加えてクラピカ達の攻撃ではまともにダメージを与えられず、キルアの電撃も一瞬動きを硬直させることが出来るがその後が続かない。クラピカの右腕が無事ならば鎖による攻撃を加えられただろうが、肝心の右腕は重傷。治療の鎖もこの状況に置いて使用する暇など有りはしない。

 

 まさに絶体絶命の危機!

 

「オラオラオラ! どうしたどうした。攻撃が完全に止まっているぜ!」

 

 もはや攻撃を防ぐのが精一杯となったクラピカ達に止めとばかりに襲いかかるウボォーギン。巨大なハンマーのような両の手で殴りかかり、大木のような脚で蹴りを放つ。

 攻撃1つを凌ぐ度に神経がすり減り、徐々に徐々に体力と気力が摩耗していく。避ける方向やガードするタイミング、籠めるオーラを間違えればそこで詰みとなるだろう。

 

 そしてとうとう、全てをなぎ払うように飛んできた蹴りを避けるために思わず跳躍してしまったキルアのその足を……ウボォーギンが力強く捕まえた。

 

「しまっ!」

「くたばれやぁっ!!」

 

 脱出は不可能。精神の消耗により咄嗟に電撃を放つことも出来なかったキルア。

 今度こそ確実に仕留めた! そう思ったウボォーギンの耳に有り得ない言葉が聴こえた。

 

「ジャンケングー!!」

「がぁっ!?」

 

 キルアに攻撃を加えようとしていた為に無防備になっていた脇腹に強烈な一撃が突き刺さる。オーラが薄くなっていたせいか、骨が折れる嫌な音が確かに響いた。思わず手に込めていた力も弱まり、キルアはその拍子に脱出を果たすことが出来た。

 

 身体に響く鈍い痛みよりも、小憎らしいガキがその手から逃げ出した口惜しさよりも、その攻撃を放った相手を見てウボォーギンは驚愕に顔を歪ませる。

 

「ば、馬鹿な! お前は確かにオレが仕留めたはず! 即死じゃなかったが、こんな短時間で戦線復帰出来る傷でもなかったはずだ!?」

 

 そう。先ほどの攻撃はゴンが放ったものだった。

 確かに手応えを感じた一撃を与えた相手が目の前でその両の足で確りと立ち、己にダメージを与えるほどの打撃を放つ。その有り得ない出来事に呆然としてしまうウボォーギン。

 

「【癒す親指の鎖/ホーリーチェーン】!!」

 

 そしてその隙を逃すクラピカではなかった。右手の親指から伸びた鎖が砕けた右腕に触れると見る見る内に傷が癒え、元通りの腕に戻っていく。

 

「な、なんだとォ!? お前は具現化系のはず! だと言うのに強化系並の治癒能力だと!! そんなこと有り得るわけがねぇ!! てめぇ何をしやがった!?」

「さて。それを貴様に教える必要があるのか?」

 

 クラピカの言葉に思わず歯ぎしりをするウボォーギン。当然すぎる正論である。だがそれよりもゴンが復活していることが疑問にあがった。確実に致命傷を与えたはずだ。例え意識が残っていたとしてもまともに能力を使うことは出来ないだろう。だが、現にこうして復活を果たしている。一体なぜだ?

 

「ゴン! お前心配させんじゃねーよ!」

「へへ。ごめんねキルア」

「……あ、謝るのはオレの方だ。オレがビビっていたからお前は――」

「オレはキルアを信じてたよ。絶対にキルアは来てくれるって。自分を乗り越えてくれるって信じてた!」

「ゴン……!」

「おいおい。感動の対面は後にしてくれよな」

「レオリオ! う、ゴホッ」

「おいゴン、無茶すんじゃねーぞ。まだ完全に治りきっていないんだからな」

「う、うん。へへ、アイツを倒したらゆっくり休むよ」

 

 互いの無事を、友の言葉を、それぞれが噛み締めている中ウボォーギンは会話の中から疑問の答えを見つけた。

 

「……そうか! そっちのグラサンは治癒能力者か! ……くくく! はあっはっはっはっ!」

 

 突如として大笑いをするウボォーギンに誰もが訝しむ。4対1という状況に追い詰められて何故笑っていられるのか?

 その答えは簡単だ。レオリオが治癒能力者だからだ。確実に重傷を負っていただろうゴンをここまで回復させる能力。それがあれば傷ついた仲間たちを癒すことが出来るだろう。例えレオリオが協力を拒んでも関係ない。能力を持っていさえすればいいのだ。後は団長と読心の能力を持つ仲間がどうにかしてくれるのだから。

 そしてもう1つだけ答えがあった。それは――

 

「……な、なに笑ってやがる!」

「おいグラサン! 良かったな、お前は命だけは取らないでおいてやる! ま、他は皆殺しだがなぁ!」

「て、てめぇ! オレ達4人相手に1人で勝てると思っているのか!?」

「勝てるさ」

 

 そう、この状況で負けるなどと微塵にも思っていないからだ。 

 

「お前らどいつもこいつもボロボロだろうが! そんな状況でオレに勝てると思ってんのか!?」

 

 ウボォーギンの言う通りであった。今の状況はただの4対1ではない。既に消耗が激しい状態の、万全ではない者達による4対1なのだ。

 ゴンは回復したといっても完全ではなかった。治療が終わる前にキルアの危機に飛び出した為、内臓が未だに負傷したままだ。最大の一撃を放ちウボォーギンにダメージを与えることは出来たが、激しい動きをするとすぐに傷口が広がることとなり、まともな戦闘を熟すのは困難と言えた。

 キルアは重機関砲のようなウボォーギンの攻撃に晒され続けたため身体のあちこちを負傷していた。まともに受けた攻撃はないが、避けそびれた攻撃をガードした腕には罅が幾つも入っており、また暴力の嵐の中心にいたことで精神的にも消耗している。息が上がっており、最初の頃のキレはもう出せないだろう。

 クラピカもキルアと同様に複数の傷が全身にある。そして右腕は完治したがそれ以外の傷はそのままだった。それはオーラが尽きかけている為に他の傷を治療する余裕がなかったからだ。これはウボォーギンも看破している。

 レオリオは唯一無傷ではあるが全身から大量の汗を流している。ドミニクに加えゴンという重傷患者2人をこの短期間で治療したのだ。当然相応のオーラを消耗していた。攻撃にオーラを回すと1回分が限界と言ったところだろう。

 

「どいつもこいつも半死半生じゃねぇか。強がってんじゃねーぜ! そんなナリでオレに勝てると思っているのかよっ!?」

「う、うう」

 

 その圧倒的な力を背景に持って放たれた怒号に思わずレオリオは後ずさる。

 だが、周りにいる仲間を見てその動きは押しとどまった。

 

 ゴンも、キルアも、クラピカも。誰もが諦めておらず、勝利を目指してひたすらにウボォーギンを見据えていた。

 

「さて、確かにお前の言う通りだ。だがお前とて普段通りの体調ではあるまい。その能力、かなりのオーラを消耗するのだろう? マフィアに次いで私たちとこれほど長く戦っているのだ。残っているオーラはどれほどだ?」

 

 そう、万全ではないのはゴン達だけではない。ウボォーギンもだった。マフィアの掃討、陰獣という念能力者集団との戦闘、そしてゴン達との死闘。すでにウボォーギンが戦いを始めて相当な時間が経っていた。どれだけオーラ量が多くとも、これだけの戦闘に加えて【爆肉鋼体/マッスルエボリューション】という消費の激しい能力を幾度も使えば消耗もするだろう。

 ここまで攻めてゴン達を倒しきれないでいたのは様々な要因があったが、その中の1つがウボォーギンの消耗であったのは確かである。

 

「強がってんのはどっちだってんだよ。半死半生相手に攻めきれない奴がよ」

「オレ達はお前みたいな奴に絶対に負けない! 降参なんかしてやるもんか!」

「て、テメェら!!」

 

 ウボォーギンの怒号にも負けず、なお強い覇気を放つ仲間たち。厳しい修行を乗り越え、自分たちよりも遥かな強者と接してきた彼らはこの程度の逆境や脅しで屈することはなく、逆にその気迫でウボォーギンを押し込んでいた。

 そんな仲間たちに支えられたように、レオリオも覇気を取り戻す。

 

「へっ! そう言うこったデカブツ! オレ達を舐めたらどうなるか教えてやるぜ!」

「さっきビビってたのに調子いいなレオリオ」

「っるっせぇ! ビビってたのはお前だろうがキルアちゃんよ!」

「ああ!? あ、あれはちげぇよ! あれはイルミのせいでなぁ!」

「アイシャに言ってやろうっと。鼻水まで垂らしてたもんなぁ」

「ばっ!? は、鼻水なんて垂らしてねーよ!!」

「いいや垂らしてたね! やーい鼻垂れキルアー」

「テメぶっ殺す!!」

 

 いつもの調子でキルアと戯れるレオリオ。クラピカもそれを見て安心するが、敵を目の前にして何時までも馬鹿をしている2人を流石に止めようとする。

 だが、そうするまでもなく2人はウボォーギンに向かって構えることとなった。

 

「テメェら……オレを前に遊ぶ余裕があるとは上等だぜ!!」

 

 地面を踏み抜き大地が揺れる。その身からはオーラが溢れており、その心は怒りで染まっていた。

 

「おいおい。本当にオーラ少なくなってんのか?」

「間違いない。初めに奴はオーラを温存しようとした節があった」

「で、どう勝つよ。鎖は警戒されている。オレの電撃も保ってあと2、3発だ。多分それくらいで充電が切れる。ゴンの【ジャンケン】も発動の隙に殺されるのがオチだ。レオリオは……まあ無理だろ」

「おい待てコラ。ったくよ。オレにもとっておきがあるんだぜ。攻撃手段はあるって言ってただろ?」

「それはあのバケモンに効くのか?」

 

 キルアの危惧は当然だろう。大岩を砕くゴンの【ジャンケン】のグーを受けても多少のダメージしか受けていないのだ。いや、恐らくオーラで防御力を高めていたらまともに受けてもダメージは望めない、そんな怪物なのだ。生半可な攻撃が通じるとは思えなかった。

 

 だが、キルアのその言葉にレオリオは自信を込めて答えた。

 

「絶対に効く。あいつが生きている限り、これを防ぐことは出来ねぇ。……本当なら使いたくないヤツだけどよ、この状況じゃそうも言ってられねぇわな」

「……分かった。その能力、頼りにさせてもらうぞ」

「任せとけ! ……これは直接当てなきゃ意味がない能力だ。まずオレが切り込む。確実に当てられるように援護頼むぜ。そしてオレが攻撃した箇所をそのまま追撃してくれ」

「うん!」

「死んだら骨は拾ってやる!」

「一言余計なんだよキルア!」

 

 レオリオは眼を閉じ息を大きく吸い、そして吐き出しつつ眼を開く。その時のレオリオには迷いも後悔もなく、仲間を信じてただ前だけを向いていた。

 

「行くぜデカブツーー!」

「おお来いや! お前みたいな奴は嫌いじゃないぜ! 殺さないように手加減するのが惜しいくらいだ!!」

 

 ウボォーギンへ向かって特攻と言わんばかりに突き進むレオリオ。

 ウボォーギンはレオリオを凝にて見るが隠はしておらず、離れているクラピカは機を窺っているのか鎖には隠をしているが鎖を動かす気配はない。尤も、隠を見破っているので捕らえられるつもりはなかったが。

 レオリオの後ろにはゴンとキルアが走っていた。レオリオを皮切りに波状攻撃を仕掛け、その攻撃で出来た隙を突いて鎖による攻撃をする算段だろう。

 

 ウボォーギンはそう判断し、レオリオ達と対峙しようとも常に眼を凝らしクラピカから注意を放すことはなかった。その上でレオリオの攻撃がどのようなものなのか考える。この状況で先手を打つのだ。それなりの自信があるか、はたまた玉砕覚悟で仲間の礎となるつもりなのか。そしてウボォーギンはレオリオの攻撃を前者と取った。

 

 ――あれはマズイ! 多分まともに受けるとヤバイ気がする!――

 

 己の直感を信じてウボォーギンはレオリオを迎撃しようと全力で構える。どんな攻撃も当たらなければ意味はない。それを実証するかのように、レオリオが振りかぶった拳よりもウボォーギンが放った拳の方が圧倒的に速かった。

 だが、その拳がレオリオに触れる前にゴンが割り込みウボォーギンの拳に自らの拳をぶつける。

 

 レオリオを殺さないよう手加減した手打ちの攻撃ではゴンの拳を打ち払うことは出来ずその場で相殺されることとなる。その隙に攻撃を叩き込もうとしているレオリオ。だがやはりそれでもウボォーギンが速かった。

 右腕が防がれた瞬間に残った左腕でレオリオを攻撃。先に拳を振るったのはレオリオだったが、打ち込む拳の速度が段違いすぎたため先に到達するのはウボォーギンの拳だ。

 だが―― 

 

「【落雷/ナルカミ】!!」

「があっ!?」

 

 その拳はレオリオの身体に触れる前に止まることとなる。いや、拳ばかりかウボォーギンの身体全体が硬直し止まっていた。突如として降りかかった落雷に驚愕し、雷による麻痺と驚愕の二重の衝撃で身体が固まってしまったのだ。

 これぞキルアの能力の1つ、電撃に性質変化したオーラの形態を変化させて伸ばす中距離攻撃【落雷/ナルカミ】である。

 

 ――あの雷小僧! 雷を変化させやがったのか!!――

 

 それはキルアの駆け引きだった。キルアはあえて直接触れることで電撃を相手に叩き込んでいた。注意すればいいのは拳だけ、触れられなければ電撃は来ないと相手に思い込ませるためにだ。そしてそれはこの重要な場面で最大の効果を発揮した。ウボォーギンはキルアに対し歯噛みしつつも、身動きの取れない状況で自らに吸い込まれるように突き刺さる打撃を見ることしか出来なかったのだ。

 

「くらえ! 【閃華烈光拳/マホイミ】!!」

 

 右手に残る全オーラを込めて放たれたレオリオのその一撃は確かにウボォーギンに命中した。だが、吹き飛ぶだの、激しい音がするだのといったリアクションは一切見られず、ウボォーギンは変わらずその場に悠々と立っていた。

 

 それに疑問を抱いたのは他の誰でもない、ウボォーギンだ。

 己を脅かす一撃が来ると警戒していたら何のことはない、ただの威力の足らない一撃なだけだ。その一撃に賭けていただろうキルア達の渋面を見て多少の溜飲を下し、そして愚かな攻撃をしたレオリオを嘲笑しようとする。

 

「はっ! ただのパンチじゃねぇか! 驚かせやが……って…………あ、ぐ、あ、があっ!?」

 

 だが、ウボォーギンの口から吐き出されたのは嘲笑ではなく苦痛の叫びだった。今まで何をしてもまともなダメージを受けなかったウボォーギンの苦悶の表情にゴン達も戸惑うしかない。原因であろうレオリオをこの場の誰もが見やる中、レオリオは仲間に向かって叫んだ。

 

「今だ! 畳み掛けろぉっ!!」

 

 レオリオは叫ぶと同時にオーラを使い果たしその場で倒れ込んだ。己のすべきことを全て成したレオリオは仲間を、友を信用してそのまま気絶する。

 そのレオリオの言葉に最初に応えたのはゴンだった。残ったオーラを出来るだけ拳に集めて最大の一撃を放つ!

 

「最初はグー! ジャンケン! グー!!」

「おぐぅ!」

 

 不可解なダメージに戸惑っていたウボォーギンは無防備な姿を晒しており隙だらけであった。これまで数多の攻撃を弾き返してきた鍛え抜かれた腹筋は、ことここに至って何の意味も為さず、ゴンの渾身の攻撃はウボォーギンの腹部に深々と突き刺さることとなった。

 

 ゴンの攻撃で内臓にまでダメージを負い血反吐を吐き出したウボォーギンだったが、流石は裏社会の猛者か。未だ戦意は衰えず多大なダメージを負った身体を無理矢理動かしながら攻撃後の硬直をしたゴンに反撃を試みる。

 

「させるかよ! 残りの電気全部持ってけぇ!!」

 

 だがその攻撃をすかさずカットするキルア。最大限にオーラを籠めて放った電撃でまたも動きを止められる結果となった。

 

「が、ガキどもがぁっ!」

「今だ! 束縛せよ!」

 

 クラピカは立て続けに連撃を受け、動きが鈍ったウボォーギンに鎖を放つ。だがウボォーギンは満身創痍とは思えぬ程の反応でクラピカの鎖に対応した。

 

「それだけは、喰らわねぇって、言ってんだろうが!」

 

 それはただの意地なのだろう。敗れるにしても戦った末に殺されるのなら納得もいく。だが念能力で動きを封じられての決着を認めるなど、ウボォーギンの戦士としての矜持が許しはしなかった。残った力を振り絞り近づいてくる鎖を打ち払う。それだけで脆い鎖は砕け散る……そのはずだった。

 

「なっ! く、砕けねぇだと!」

「残念だったな。それは貴様を攻撃していた頑丈さが売りの鎖だよ」

「馬鹿な! テメェさっきは!」

「敵の言葉を信じるとは愚かだな。本命は既に貴様を捕らえている。喰らえ!」

 

 ――【封じる左手の鎖/シールチェーン】!――

 

 何時の間にかウボォーギンの身体にはクラピカの〈左腕〉から伸びる鎖が絡みついていた。そしてどういう訳か、ウボォーギンの身体が見る見る内に元の大きさに戻っていく。

 

「な、何故だ! どうして元に戻る!?」

「まだだ! 【束縛する中指の鎖/チェーンジェイル】!」

「うおおお!?」

 

 急に念能力が解かれたウボォーギンは今度こそ本当に【束縛する中指の鎖/チェーンジェイル】によってその動きを束縛された。

 またも【爆肉鋼体/マッスルエボリューション】を発動し束縛から逃れようとするが能力は一切発動せず、それどころか身体からオーラの1つも出せなかった。

 

「て、テメェ! な、何をしやがった!?」

「最早貴様は抵抗することは出来ない。それと、敵に能力を説明する必要はないといったはずだ」

「オレを封じている能力はどうでもいい! オレは確かに凝でテメェの鎖を見ていた! 隠をしていても見逃す訳がねぇ!」

「貴様が注視していたのは私の右手の鎖だけだ。左手に鎖があるなど今の今まで知らなかっただろう」

 

 クラピカの言葉を聞きウボォーギンはすぐさまクラピカの左手を確認する。そして確かに自身を縛っている鎖の1つが左手から伸びているのを確認した。今まで右手指から具現化した鎖しか使っていなかった為、左手への注意を怠っていたのだ。

 

 もちろんクラピカはそうなるように普段から振舞っていた。右手の鎖は具現化した鎖か本物の鎖かを見ても分からないように常日頃から具現化し続け、左手の鎖は一切具現化せずここぞという時に発揮するようにしていた。こうすることで具現化系だとバレた後も、左手の鎖には気付かれず注意も向けられないだろう。

 

 さらに戦闘中は右手の鎖を隠で隠していたが、ウボォーギンに悟られないように徐々に徐々に隠の精度を下げていたのだ。右手の鎖のみに注視していたウボォーギンは、その隠を見破ったことで安堵し本来の精度で隠をしていた左手の鎖を見逃すこととなる。さらに左手の鎖は地面の瓦礫を隠れ蓑に地を這って近づいてきたのだ。満身創痍のウボォーギンが気付けなくても仕方のないことと言えよう。

 

 そしてウボォーギンを捕縛した【封じる左手の鎖/シールチェーン】の能力は、捕縛した対象の念を封じると言うモノ。念を封じられればいかなウボォーギンと言えども能力を発動することは適わず、そして【束縛する中指の鎖/チェーンジェイル】によって身体の動きすら封じられたら抵抗することも出来ない。こうなってはもはや手はない、完全なる敗北である。

 

「ち、ち、チクショウがぁぁぁぁぁっ!」

 

 響き渡る蜘蛛の慟哭が、激闘終幕の合図となった。

 

 




 クラピカの新能力が特に捻りのないものでなんか申し訳ない。原作では人差し指の鎖が不明でしたが勝手に作りました。原作でとても重要な鎖として登場したら泣きます。
レオリオは大部分の方が予想していた通り閃華烈光拳でした。マホイミと読んでいますが効果はダイ大の閃華烈光拳と然して変わりません。
一応能力詳細書いておきますね。

【束縛する中指の鎖/チェーンジェイル】
・具現化系能力
 クラピカの右手中指から具現化された鎖。先端は鍵爪状になっている。対象に巻きつけその身体を麻痺させる能力を持つ。ただしその強度は脆く並の念能力者でも簡単に砕ける。

〈制約〉
・非常に脆い強度でしか具現化出来ない。

〈誓約〉
・特になし



【打倒する人差し指の鎖/ストライクチェーン】
・具現化系能力
 クラピカの右手人差し指から具現化された鎖。先端は錘状になっている。特に何らかの能力を持っているわけではないが、非常に強度が高く強いオーラが籠められる攻撃用の鎖。普段の戦闘ではこれをメインとして使用し、残りの鎖から注意を逸すようにしている。

〈制約〉
・特になし

〈誓約〉
・特になし



【癒す親指の鎖/ホーリーチェーン】
・具現化系能力+強化系能力
 クラピカの親指から具現化された鎖。先端は十字架状になっている。通常時には然したる効果を望めないが、【絶対時間/エンペラータイム】使用中だと重傷も数秒で完治する程の治癒力を発揮する。

〈制約〉
・自身以外には使用できない。※この制約は原作では確認されていません。この小説オリジナルの制約となっています。

〈誓約〉
・特になし



【封じる左手の鎖/シールチェーン】
・具現化系能力+特質系能力
 クラピカの左手から具現化された鎖。先端は星状(五芒星)になっている。対象に巻きつけ対象の念を封じる能力を持つ。ただし【絶対時間/エンペラータイム】使用中にしか効果を発揮しない。

〈制約〉
・【絶対時間/エンペラータイム】の効果中にしか能力は発動しない。
・能力が発動する前に対象に鎖が確認されると効果を発揮しない。また同じ対象にもう一度能力を使用する為には使用後24時間経過しなければならない。

〈誓約〉
・特になし



※他の鎖は原作と変化なしです。



【閃華烈光拳/マホイミ】
・強化系能力
 拳を硬で強化して放たれるレオリオ最大の攻撃。治癒の効果を籠めた拳を叩き込むことで対象の細胞分裂を異常促進させ破壊する能力。その能力から生物以外にはただの打撃となる。あまりの効果にレオリオも出来るなら使いたくない禁じ手としている。また必ず硬で拳を強化しなければ使用出来ないためリスクが激しい。

〈制約〉
・硬で強化した拳でなければ発動しない。
・対象の素肌に直接触れなければ効果は発揮しない。これは拳を何らかの物体(例:手袋)で覆っていても同じである。

〈誓約〉
・特になし


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十話

 エル病院へのドミニクの入院手続きは問題なく終わった。

 いや、正確に言うならば問題はあった。傷口は確認されず、だが大量の血液を失っている患者を不審に思うのは当然だろう。感染症も含めた精密な検査を要求するアイシャに疑問の声が上がるがそこで伝家の宝刀ハンターライセンスが輝いた。数多の特権を有するハンターライセンスを持ち出されては病院側は何も言えず、むしろ快くドミニクを受け入れてくれた。アイシャも話には聞いていたがライセンスの特権を実感したのはこの時が初めてだった。

 

 ともあれ、ライセンスのおかげでVIP待遇での最高治療が任せられるのはアイシャにとって嬉しい誤算だ。今は失った血液の輸血が優先して行われており、内部診察や感染症の確認またその結果にはまだ時間が掛かるとのことだ。医者には命に別状はないだろうと言われアイシャは一先ずの安堵を得た。

 

 輸血を受けながら眠り続けるドミニクを一目見やり、アイシャはその場を後にする。父に対する心配がなくなると今度は仲間への心配が蘇ってきたのだ。レオリオには強く言い含めたアイシャであったがそれだけでクラピカが止まるとは思えない。周りの言葉を振り切って暴走してしまう姿がアイシャの脳裏に容易に浮かぶ。

 

 アイシャが体験した旅団員の強さは相当なモノだった。アイシャ自身の有り得ないオーラ量と技術だからこそあそこまで圧倒することが出来たのだ。並の念能力者など束になっても敵わない実力を有しているのは間違いない。

 

 クラピカとて既に並どころか1流と言っても過言でない実力に至っているが、それでも数の不利を覆す程ではない。ヨークシンにいる幻影旅団があの4人だけだとしても、クラピカ1人では勝ち目はないだろう。

 いや、4人同時であればゴン達が揃って数の不利をなくしたとしても勝ち目は薄い。それほどの実力差が今の彼らと旅団にはあった。

 

 アイシャは仲間が旅団と戦うなどと馬鹿な真似はしていないよう願いながら、病院の電話室にて仲間へと連絡を取ろうとする。だが、ふと何かに気付き携帯電話を操作するアイシャの手が止まった。

 

「これは……。気配を、消しているのか?」

 

 アイシャが気付いたのは何らかの侵入者と思われる僅かな気配だった。夜の病院で気配を消して移動する存在などいるわけがない。それも気配の消し方が並のそれではない。アイシャでなければ気付かないほどの隠形。明らかに常軌を逸した存在がこの病院にいることの違和感にアイシャは訝しむ。

 

 ちなみに、自分が最も常軌を逸した非常識な存在だということは棚に上げているアイシャである。

 

 アイシャは侵入者と同じく気配を消して気配を感知した場所まで移動する。

 そこは病院の医療道具を置いている一室だった。その近くには病院のスタッフと思わしき人物が椅子に座っているように見せかけて気絶させられている。

 

 アイシャに気付いていない侵入者はその一室から大量の機材や道具を持ち出してそのまま部屋の外へと移動する。気絶した病院スタッフの陰に隠れ絶をしていたアイシャはその侵入者の顔を確認した。

 

 ――この男は幻影旅団の1人! 何故こんな所に!?――

 

 そう。病院に侵入していたのは幻影旅団が1人シャルナークであった。

 シャルナークはウボォーギンが囮となって飛び出した後に仲間と別行動をしていたのだ。その理由は治療器具の確保のため。シャルナークは旅団でも有数の知識人であり、その修めた技術の中には医者の真似事もあった。

 だが肝心の治療も満足いく治療器具がなければどうしようもない。差し当たって最も必要になっていたのが輸血用の血液だ。

 

 その為にシャルナークは手近な病院に侵入し必要な物資をこうして盗んでいたわけだ。ウボォーギンが大暴れをしている今なら、マフィアや自分たちを襲撃したアイシャに見つかる確率は少ないだろうとの思惑だったのだが……。

 アイシャがドミニクを運び込んだ病院に侵入してしまったのは運の尽きという他ないだろう。

 

 アイシャは病院内で暴れるのを避けるため、外へと移動しようとしているシャルナークに手を出さずにそのまま尾行する。周囲に溶け込むかのような隠密により尾行はバレてはいないようだ。

 

 シャルナークは荷物を抱えたまま病院の救急車まで移動する。どうやらこのまま救急車まで奪い逃走するようだ。仲間の元まで移動するのだろう。恐らく奪った治療器具も傷ついた仲間の治療に用いる物だとアイシャは予測する。旅団の仲間に対する意識を意外に思いながらもアイシャはこの後の行動に悩む。

 

 この場で取り押さえるのはさほど困難ではないだろう。相手は完全にアイシャに気付いておらず、奇襲を行えば容易に無効化出来る。

 

 だがこのまま尾行すれば幻影旅団のアジトを発見できるのでは? そう考え、アイシャはこの場での奇襲を躊躇する。

 

 どうするべきか?

 僅かに逡巡するアイシャであったが、その悩みも意味のないモノへと変化することになる。突如として辺りにケータイの着信音が鳴り響いたのだ。鳴ったのはアイシャの携帯電話だった。

 マナーとして病院内では電話の電源を落としていたアイシャであったが、先ほどゴン達に連絡を取るために電源を入れていたのだ。電話は待ち望んでいた仲間からのモノだったが、それが原因でアイシャが気付かれたのは言うまでもない。

 

「!?」

 

 誰もいないと思っていた空間で突如鳴り響いた音に驚きながらも素早い反応で音のなった方角を見やるシャルナーク。

 そこに居たのは1人の少女。己が気配を察知出来なかったことにも驚いたが、それ以上に驚愕したのがその少女の正体だ。

 

「お前はあの時の! クソッ! どうしてこんな所に!」

 

 シャルナークが驚愕する中、アイシャはシャルナークから視線を外さずに悠々と鳴り続ける電話に出た。

 

「もしもし。どうしました?」

『ああアイシャ。実は今旅団の1人を捕まえたんだけどよ』

 

 電話の相手はキルアだ。ゴン達は旅団の1人ウボォーギンを捕らえ、マフィアに見つかる前に宿泊していたホテルまで誰にもバレないよう連れ込んでいた。捕らえたウボォーギンやその後のことも踏まえ一度仲間全員で集合して話し合おうとアイシャに連絡したのだが、ゴン達と幻影旅団が戦っていたなど寝耳に水のアイシャは怒鳴るようにキルアに話しかける。

 

「な、何を考えているんですか!? あなた達だけで何という無茶を! 皆は無事なのですか!?」

『うおっ! いきなり大声出すなよ! しょうがないだろクラピカが暴走したんだからさ。怪我人はいるけど誰も死んじゃいないよ。安心しろって』

 

 その言葉にほっと胸を撫で下ろすアイシャ。

 無茶をした仲間に多少の怒りはあるが、それ以上に無事でいたことに安堵する。そう一喜一憂するアイシャを尻目に徐々に離れようとするシャルナークであったが、アイシャは電話をしつつもシャルナークを鋭く睨みつけその動きを牽制し釘付けした。

 

「それで、皆は今どこに?」

『ああ。宿泊ホテルで借りたルームにいるよ。親父さんはどうなったんだ?』

「はい、ご心配ありがとうございます。大丈夫、無事でしたよ」

『……? ……そうか。おい、お前いま厄介事に巻き込まれてないか?』

 

 キルアの鋭さに思わず舌を巻くアイシャ。

 先程からアイシャが固有名詞を口に出していないことを不審に思ったのだ。アイシャはキルアやドミニクの名前、そしてドミニクがこの病院に入院していることを悟られないよう言葉を選んでいた。それはもちろんアイシャの言葉を今も聞いているシャルナークに何も気取られないようにする為にだ。

 

「ええ、大丈夫ですよ。厄介事と言えば厄介事ですが、すぐに終わることですから」

『……ま、お前なら大丈夫か。それじゃ待ってるから早くしてくれよ』

「はい。それではまた後ほど」

 

 そう言って通話を切り、そのまま懐に電話をしまって改めてシャルナークと向き合う。

 

「お待たせしました」

「オレは別に待たなくても良かったんだけど? 何だったら今すぐ帰っていい?」

「それは駄目ですよ。だって泥棒はいけない事です。罰が当たりますよ?」

「アハハ。今まで当たったことないから大丈夫だよ」

 

 まるで久しぶりに再会した友人のように軽い口調で話し合う2人。だがその間にある空気はただならぬ圧力によって歪んでいるようにすら見えた。

 

「当たりましたよ? だって……私に見つかったじゃないですか」

「……そうかもね。あーあ、何でこんな所でキミと出会っちゃうかな? ……いや待て。……そうか! そういう事だったか! あっはは! 本当に運がないなオレ達は!」

 

 急に笑い出したシャルナークを怪訝に見ながらアイシャは尋ねる。

 

「何が可笑しいのですか?」

「いやなに、オレ達の運のなさが笑えてね。まさかマフィアの身内にキミのような化け物がいるなんてね」

「何を言っているのですか?」

 

 いきなりの核心を突くその言葉を出来るだけ冷静に流すも、アイシャは内心動揺していた。僅かな材料でそこまで読み切るとは。これにはアイシャも感嘆するしかなかった。

 

「隠すのが上手だね。でも無駄だよ、そうとしか推測できない。キミがあのビルにいた理由。オレ達を目の敵にした理由。そしてこの病院にいる理由。その全てを繋げると……いるんだろ? この病院に、あの時傷ついたキミの身内だろうマフィアがさ」

 

 シャルナークはその持ち前の頭脳でアイシャの内情を分析する。そしてその分析はまさに正鵠を射ていた。

 

「さて? 例えそうだとしてもこの場に置いて何の意味があると?」

 

 言外にそれがあっていたとしてもこの場で倒してしまえば何の意味もないと伝える。だが、その言葉の意味を理解しながらなおもシャルナークは笑みを強め提案を持ち掛けた。

 

「取り引きをしよう」

「取り引き?」

「そう、取り引きだよ。ここでオレを見逃してくれたらオレはキミとキミの身内について誰にも秘密にすると誓うよ」

「何を言い出すかと思えば……」

 

 あからさまに溜め息をつき、その愚かな取り引きにすらならない提案を一蹴しようとする前にシャルナークが言葉を続ける。

 

「いいの? ここでオレを殺したらオレの仲間がここに来るよ」

「……」

「オレがこの病院に行っていることを仲間は知っている。そのオレがいつまで経っても帰ってこなかったら当然仲間は不審に思うだろうね。そしたら一番最初に調べるのはこの病院さ。それで困るのはキミだろ?」

 

 アイシャはシャルナークの言葉になんの返答もせず思考する。シャルナークの言葉に嘘はないだろう。そのオーラは微動だにすら揺れておらずこの状況にあって平常心を保っていた。オーラの僅かな動きや質の変化から対象の感情を読み取るアイシャであってもその言葉が嘘偽りでないと判断出来た。

 

 だがそれはある程度の実力者なら誤魔化す方法は幾らでもある判断方法だ。アイシャも判断材料の1つにすれどこの技術に頼りきってはいなかった。オーラの操作に長けていれば堂々と嘘を吐こうともオーラが変化することはないだろう。この場では本気で言っていてもいざとなったら心変わりをする可能性もある。

 

 アイシャは僅かに思考し、そしてシャルナークに対して構えをとる。

 それは取引不成立の合図となった。

 

「……そっか。本当にいいの? 大切なんでしょ?」

「構いません。ここであなたを見逃しても約束を守る保証はありませんから」

「酷いなぁ。オレって約束は守るタイプの人間だよ?」

「人の物はおろか、命すら盗む盗賊の言うことが信用出来るとでも? それに誰が何人来ても問題ありませんよ。……全員倒せばいいだけのことですから」

 

「……!」

 

 その揺るぎない自負にシャルナークは気圧される。この少女1人で仲間を3人も倒されたことをここに来て思いだし、額から一筋の汗を流しつつ思わず一歩後ずさる。

 

「そう。それは……残念だね!」

 

 言い終わると同時にシャルナークは手に持っていた荷物をアイシャへと投げつけ、そのまま出口に向かって逃走する。

 

「逃しません!」

 

 投げつけられた医療器具を躱し、そのままシャルナークを追いかけるアイシャ。

 

 

 ――ああクソッ! せめて【携帯する他人の運命/ブラックボイス】が使えたらなぁ!――

 

 シャルナークは内心そう愚痴りながらも全身をあらん限りのオーラで強化して逃走速度を上げる。

 シャルナークの能力【携帯する他人の運命/ブラックボイス】はオリジナルの携帯電話に付属しているアンテナを突き刺すことで、その対象を自在に操作することが出来るという能力だ。だがその能力の対象は1人限定であり、そして現在は重傷を負ったフランクリンの治癒能力強化の為にフランクリン自身を操作するのに使用していた。

 つまり現状シャルナークは自身の能力が使用出来ないということだ。そのような状況で3人の仲間を圧倒したあの化物少女に勝てるとは流石の幻影旅団でも思っていなかった。

 

 対象にアンテナを刺しさえすればどれほどの強者であろうと勝利出来る。

 そして切り札として自身にアンテナを刺すことで自身を自動操作モードにすることで限界を超えた力を発揮出来るのだが、この状況ではどうしようもなかった。

 

 2人の距離は見る見る縮まっていった。アイシャとシャルナークでは肉体強化に回すオーラ量が違いすぎたのだ。アイシャは速度を落とさずシャルナークとの距離を縮め、その勢いのまま縮地を用いてシャルナークの眼前に回り込む。

 

「うわっ! 速すぎだろ!」

 

 そう言いながらもシャルナークはアイシャに向かって攻撃を仕掛けた。逃げられないのならば戦うしかない。そう判断したからには迷いなく行動に移っていた。

 

 走った勢いを拳に乗せての打撃。体重と加速が乗った拳に、その速度に見合った攻防力移動でオーラが加わる。その一連の技術にアイシャも感心する。なるほど、確かに一流の念能力者だと。

 だが、アイシャが敵の打撃を見て思うことは常に1つだった。

 

――ネテロよりも未熟!――

 

 比べる対象が世界最強の念能力者では誰であろうと分が悪いのは仕方ないと言えよう。アイシャはシャルナークの拳を最小限の動きで躱しながら右手首と右肘の関節を外す。

 

「つぅっ! この一瞬で関節を2つも外すなんてね!」

「どうも。でも外しているのはこれで3つめですよ」

「え? 何を……!」

 

 アイシャの言葉に自らの身体の異変を悟る。

 そう、右腕が使えなくなったので左腕で牽制しようとするが、その左腕もまともに動かないのだ。まさかと思い左腕を見やると、そこには肘関節が外され力なくぶら下がっている左腕があった。

 

「嘘でしょ……。何時の間に?」

「あなたを追い越した瞬間にですが」

「……はは。これは勝てないかも」

 

 その人間離れした技量を何でもないように軽く呟くアイシャに、シャルナークは乾いた笑いしか出てこなかった。

 

「降参しますか?」

「冗談。出来るだけ抗うとするよ」

「そうですか」

 

 アイシャは両腕を封じられながらも足掻く敵に対して容赦なく追撃を加える。元々この幻影旅団が原因で父であるドミニクが重傷を負ったのだ。さらに大切な友達であるクラピカの仇でもある。容赦をする必要など1つたりとてなかった。せめてもの容赦と言えば死なないように無力化するくらいである。

 

 

 

 程なくしてシャルナークは無力化された。

 両手足の、指1本1本に至る全ての関節を外され、さらに腰骨すらズラすという念の入りようでだ。今シャルナークが下手に抵抗して動けば脊髄を損傷するだろう。それで得られるのは僅かな身じろぎだけだから動かない方がマシに決まっていた。

 

 アイシャは自力で動くことも出来なくなったシャルナークを両手で抱きかかえ、ホテルに向かって移動する。誰かに見られたら厄介事にしかならないので、ホテルを出た時と同じようにビルからビルへと飛び移ってホテルを目指した。

 

「あはは。こんな経験は初めてだね。まさかこの歳になって、しかも男のオレがお姫様抱っこされるとは思ってもいなかったよ」

 

 そう。現在シャルナークはアイシャに所謂お姫様抱っこと呼ばれる行為をされていた。背負うと首筋を噛み付かれる恐れがあり、荷物のように肩で抱えようにも腰骨をずらしているため骨や神経に掛かる負担が大きいのだ。

 結果このような形になったのだが、やっぱり旅団の負担など無視すれば良かったかと思うアイシャであった。

 

「下らないことを言うと落としますよ」

「やめてよね。今落とされたら死んじゃうじゃないか」

「オーラで身を守れば大丈夫でしょう?」

「いやいや無理無理。受身も取れないこの状況じゃ打ち所悪かったら死ぬよ」

「だったら黙っていてください」

「はーい」

 

 はたして捕らえられたという自覚があるのかどうか。

 溜め息を吐きながらアイシャは元いたホテルのベランダに着地し、そのままベランダの扉を開けて中に入る。鍵が掛かっていないのを無用心に思うも、こんな高所のベランダから侵入しようとする輩に鍵など無意味かと思い直す。

 

「ただいま戻りました」

 

 中に入って部屋を見渡すとそこには気心の知れた仲間とセメタリービルで見た大男、幻影旅団の1人がいた。

 仲間の内、ゴンとレオリオは疲労のせいかベッドに横たわって眠っていた。どうやら怪我はしているが無事なようだと安心する。

 大男はその全身を鎖で捕らわれ部屋の床に転がされていた。クラピカが能力を上手く使って捕らえたようだと理解する。

 

「おお、お帰りー……って、誰だそいつ!?」

「おっ! シャルじゃねーか! わはは! お前も捕まったのかよ!」

「ウボォー!? なんでウボォーまで捕まってんだよ!?」

「アイシャ! まさかその男は幻影旅団ではないのか!?」

「しょうがねーだろ。負けちまったんだからよー」

「負けたって……この女の子に?」

「おいアイシャ! お前どこで何があってこいつ捕まえてきたんだよ!」

「ちげぇよ。オレが負けたのはこの4人組にだよ。いま2人は寝込んでっけどな。それよりお前はどうしたんだよ?」

「オレは皆の治療の為に病院に侵入したところでこの女の子に見つかって負けちゃってね」

「……うるせぇなぁ。オレは疲れてんだ。寝かせろよなまったく」

「うぅん。何なのキルア……あ! アイシャ! お帰りアイシャ!」

「お前女1人に負けたのかよ! なっさけない奴だなおいー」

「何言ってんだよ! この子化け物だよ! 筋肉バカのウボォーじゃ絶対に勝てないね!」

「貴様ら何を悠長に話している! 自分たちが置かれている状況が分かっているのか!」

「何だとコラァ! オレがそんなケツの青い女に負けるわけねぇだろうが!」

「ケツの青い子ども相手に負けてるウボォーのセリフじゃないよねそれ! それにこの子は十分育っているじゃないか! Eカップはあったよ! 間近で見たんだから間違いない!」

「おいそこの優男。そこんとこ詳しく話してくれ」

「こいつ今すぐぶっ殺したほうがいいんじゃねーか? つうか殺そう」

「お前そうやって普段も女の胸ばかり見てるんだろこのムッツリ野郎が!」

「男が女の胸見て何が悪いんだよ! 鎖で縛られて喜んでいるウボォーよりはマシだね!」

「えーと。これって一体どういう状況なのアイシャ? オレ目が覚めたばかりで良く分かんないんだけど」

「カオス。私に言えるのはこれくらいです」

 

 アイシャの言う通りこの一室はまさに混沌と化していた。各々が好き放題に言い合うのでもう訳が分からない状態だ。アイシャはまたも深い溜め息を吐きつつ、未だ言い争う連中に対して怒気を叩きつける。

 

「っ!?」

 

 そのあまりのプレッシャーに皆が何事かと身構え静まりかえる。……まあ、旅団の2人は身動きが取れないのだが。

 

「……落ち着きましたか?」

『あ、ああ』

 

 アイシャのプレッシャーを浴びて何度も頭を振って肯定の意を見せる4人。それを見ながら旅団の2人はこの場に置ける力関係を何となく理解した。

 

「とにかく。色々話したいことはありますが、その前にまずはこの旅団をどうするかですね」

 

 全員の目線がベッドで横になる2人の旅団員に向く。その視線に晒されながらも2人は平然としており、その顔には笑みすら浮かべていた。

 

「殺せよ。残念だがオレたちゃ何も吐かねぇぜ」

「そう言うこと。嘘だと思ったら拷問でも何でもしていいよ?」

 

 表情を変えず、汗すら欠かず、平常心を保ったまま自らの命を軽々しく捨てるように言い放つ蜘蛛。言葉には一切の虚飾がなく、常日頃から死を享受してきた狂人の思想がそこにはあった。

 

「……とんでもねー奴らだなおい」

「これが幻影旅団なんだね……」

 

 この中では比較的まともな生き方をしてきたゴンとレオリオはその覚悟の一端に触れ旅団への認識を深める。

 

「大した覚悟だ。だがそう簡単に死へと逃げられると思うなよ」

 

 未だその両眼を緋の眼に変化させたままクラピカは旅団を睨みつける。その緋色に染まった瞳に映るのは憎き仇。心頭怒りに満ちているが、そこで仇を安易に殺すという選択をクラピカは取らなかった。

 

「どういうこった?」

「その瞳! クルタ族か。生き残りがいたんだ。つまるところこれはオレ達への復讐ってことか」

 

 クラピカの言葉にウボォーギンは訝しみ、シャルナークはその瞳の色からかつて己たちが滅ぼした辺境の一族を思い出す。だからこそ困惑する。復讐ならば同胞と同じように殺すはずだろうと。

 

「貴様らを殺したところで私の同胞は帰ってこない。そして貴様らは例え死したとしても己がした行為に反省も後悔も、欠片ほどの懺悔も抱かないだろう」

 

 クラピカの言う通りだろう。彼らは自身が成した行為によって起こった結果に一切の悔いがない。それ故に強く、それ故に狂人と言えた。

 

「それじゃどうするってんだ? 気の済むまでオレ達をいたぶるのか?」

「いいや、こうするのさ。【律する小指の鎖/ジャッジメントチェーン】!」

 

 クラピカの右小指から伸びた鎖がウボォーギンの胸に突き刺さる。鎖はそのままウボォーギンの心臓に絡まり戒めの楔となる。

 

「ウボォー!」

「な、何だこれは!?」

 

 胸に深々と突き刺さった鎖は一切の痛みをウボォーギンに与えなかった。それが逆にウボォーギンを困惑に陥れる。

 

「貴様の心臓に戒めの楔を刺し込んだ。私が定めた法を破れば即座に鎖が発動し、貴様の心臓を握りつぶす。……その結果は言うまでもないな?」

「て、てめぇ! オレが貴様の言うことを素直に聞くとでも思っているのかよ!」

 

そんなウボォーギンの叫びを無視し、クラピカは淡々と冷酷に言葉を続ける。

 

「私が定めた法は次の5つだ。

 1つ。今後一切の念能力の使用を禁ずる。

 1つ。私たちに関する情報の一切を他者に伝えることを禁ずる。当然だが筆談だろうが他人の念能力によって情報が漏れた場合もこの法に触れる。

 1つ。他者を傷つける行為を禁ずる。

 1つ。私の許可なくこの部屋から出ることを禁ずる。

 そして最後の1つ。……大人しく法の下に裁かれろ」

 

 それはウボォーギンにとって死刑宣告よりも屈辱なものだっただろう。

 誰にも憚られることなく好き放題に生き、暴力のみで世界を渡ってきたウボォーギン。だが念能力を封じられ、他者との争いを禁じられ、尚且つ自ら自首することを強制されるなど死に勝る屈辱としか言いようがなかった。

 当然そのような巫山戯た法を守るつもりなどウボォーギンにはなく、屈辱にまみれるくらいなら死を選ぶつもりだった。

 

 だがそこに待ったの声が掛かった。

 

「いいじゃないかウボォー。大人しくその定めを受け入れようよ」

 

 それはウボォーギンの同胞、同じ幻影旅団であるはずのシャルナークの言葉。

 屈辱極まりない、憎き敵の定めた法律に従えと言っているのだ。そのあまりの言葉にウボォーギンは一瞬自分の耳と脳を疑いすらした。

 

「何言ってやがるんだシャル! テメェこんなクソッタレな奴の言うことを大人しく聞けって言うのかよ!!」

「そうだよ」

 

 怒りを隠そうともせず怒鳴る仲間と対照的に冷静にシレっと答えるシャルナーク。その冷静さを間近で見て、怒り心頭のウボォーギンも逆に冷静になってくる。そしてそのシャルナークの考えをクラピカも読んでいた。

 

「シャル、と言ったか」

「シャルナークだよ。シャルは親しい仲での愛称なんで呼ばないでほしいな」

「そうか。シャルナークよ。貴様はこう考えているのだろう。生きてさえいればいずれ私の念を解除する機会はやって来る、とな」

 

 その言葉に対してもシャルナークは冷静に受け答える。

 

「さあ?」

「とぼける必要はない。貴様はこの馬鹿とは比べ物にならないくらい頭が回るようだ。それくらいの答えに行き着いて当然だろう?」

 

「誰が筋肉馬鹿だ!」

 

 隣でわめく筋肉馬鹿を無視してクラピカはシャルナークを見やる。シャルナークもただ笑みを深めるだけで何も答えない。

 

「ねえアイシャ? 相手に掛けた念って他人が解除出来るものなの?」

「……クラピカ?」

「構わない、教えてやってくれ」

 

 クラピカと旅団の会話から思った疑問を素直に聞くゴン。この場に置いても発揮されるその素直さはある意味では大物ではあった。

 

「はい、解除出来ますよ。他人や物に掛けられた念を外す能力。それは除念と言われ、その除念を身に付けた能力者を除念師と呼びます。尤も、除念師の数はとても少ないため、そう簡単に見つけられるものでもないですが」

「へぇ~。でもクラピカの能力が外されたら駄目なんじゃ……?」

「そりゃ駄目に決まってるだろ。おいクラピカ、そんな面倒なことしなくてもとっとと殺せばいいじゃんか。確かに殺しはいけないことだろうさ。でも今回は例外だろ? こんな凶悪な奴ら例え念で縛っても安心出来ないね。もし本当にお前の念が外されたら、その時はこいつ等絶対にお前を狙うぜ」

「でもよキルア。クラピカの能力に従ったら法の裁きを受けるんだろ? だったらこいつ等どう考えても死刑じゃねーのか?」

 

 キルアの当然の危惧に、レオリオがこれも当然の疑問を突きつける。

 

「甘いよレオリオ。今の世の中凶悪犯ほどそう簡単に死刑になりにくいんだぜ。お前だってトリックタワーで一緒に見ただろ? 名前は忘れたけど、百人以上殺しているのに懲役何百年とかでずっと生かされてる奴をさ。

 多分ずっと飼い殺しにしていざという時に利用したり、凶悪犯だからこそ簡単に殺さずに長い時を後悔の時間に当ててるとか何らかの意味があるんだろうけどさ」

「ああ、なるほど。確かにそうだったわな。そんでそれだけ長い懲役ならその内誰かに助けられたり、除念とやらを受ける機会も増える訳か」

 

 キルアの危惧はまさにレオリオの言った通りだった。彼らが大人しくクラピカの定めた法に従ったとしても、そこから抜け出せる道はまだ残っている。

 法の裁きを受け、どこかの収容所に入れられたとしても、脱獄をしてはいけないとクラピカは定めてはいない。もちろん他者を害してはいけないのでそう簡単に脱獄出来るとは思えないがそこは幻影旅団。そう簡単に出来ないことをやってのける嫌な予感がキルアにはあった。

 

「そうかもしれないな。だがA級賞金首であり念能力者として悪名高い幻影旅団を収容する場所はそれに相応しい収容所となるだろう。念も封じられたこいつ等ではそう易々とは脱獄することは出来ない」

「だけどよ――」

「――それに、だ」

 

 キルアの反論を途中で遮り、クラピカは蜘蛛に対して冷酷に言葉を発する。

 

「逃げ道を作れば貴様らと言えどそう簡単に死を選ばないだろう? なにせ上手くいけば私に復讐する機会を得ることが出来るのだからな。……僅かな希望を胸に抱き、屈辱にまみれて生き長らえろ薄汚い蜘蛛!」

 

 それこそがクラピカの復讐。

 死を受け入れている蜘蛛に何をしたところで彼らはそれを痛痒にも感じない。だが念能力を封じられ、他者を害することを禁じられ、法の監視の下で窮屈な暮らしを強制されることは今まで傍若無人に振舞ってきた蜘蛛にとって死に勝る屈辱だろう。

 それでも希望が、己をこのような境遇に追いやったクラピカに復讐する可能性が僅かでもある限り蜘蛛は安易に死を選ばない。クラピカはそう考えていた。

 

 そしてそれは正しかった。

 

「……なるほどな。シャルの言いたいことがようやく分かったぜ……! いいだろう! 敗者はオレ達だ! 甘んじて受け入れてやる! だが覚えていろ! オレは必ずこの鎖を打ち砕いてテメェの前に再び現れる! その時がテメェの最後だと思え!!」

 

「そうか。では定められた法をしっかりと順守することだ。破れば即、死だ。別に私はそれで貴様が死のうとも構わん。生きるのに疲れたならば勝手に死ぬがいい」

「そのツラが絶望に染まる瞬間を愉しみにさせてもらうぜ……!」

 

 まるで食い殺さんばかりにクラピカを睨みつけるウボォーギン。だがクラピカはそんなウボォーギンを無視して次にシャルナークへと向きを変える。

 

「さて、次は貴様だ。この男と同じ戒めだが、異論はないな?」

「あってもどうせ同じでしょ? 早くしなよ」

 

 この状況に置いて最早抵抗など無意味と悟るシャルナークはあまりに潔く戒めの鎖を受け入れる。だがその心中はウボォーギンとさほど差はないだろう。今は屈辱を喰んででも生き延び、いつかは必ず復讐を果たすと誓っていた。

 

「いい度胸だ。【律する小指の鎖/ジャッジメントチェーン】!」

 

 ウボォーギンと同じようにシャルナークにもその胸に鎖が突き刺さり、心臓に絡みつく。これで先の法を破れば即座に鎖が反応し、シャルナークの心臓を握り潰すだろう。

 

「これで貴様にも戒めの鎖が突き刺さった。今しばしこの部屋で待っているんだな。準備が整えばお前たちに相応しい場所へと連れて行ってやる」

 

 そこまで言い放ったところでクラピカは立ちくらみを起こしたかのようにその場でフラリと体勢を崩す。それを見たアイシャが皆が何かを言う前にすかさず提案を発した。

 

「皆、無力化したとは言え幻影旅団がいる部屋では気も休まらないでしょう。ここは新しい部屋を借りてそこで休憩してはどうでしょうか?」

「確かにそうだな。それでは私が新しい部屋を借りてくるとしよう」

「ああ、私も付き添いますよ」

 

 そう言って流れるように2人は部屋から退室する。そのあまりのスムーズさに残された者たちはあっけに取られてさえいた。

 ただ1人、クラピカの異変を見てうっすらと笑うシャルナークを除いて。

 

 

 

 部屋の外へと出たクラピカは突然身体の力が抜けるようにその場で膝を突いた。

 

「くっ……」

「大丈夫ですか?」

「ああ……少々、長く変わりすぎていたようだ」

 

 クラピカの瞳が緋色から元の瞳の色へと変化していく。それと同時に緋の眼と同時に発動していた【絶対時間/エンペラータイム】の効果も切れることとなった。

 

 いまクラピカを襲っているのは極度の疲労だ。オーラの総量を劇的に増幅し、全ての系統の能力も100%の精度を発揮することが出来るという凄まじい能力にも当然のように制約が存在する。

 それこそがこの疲労だ。発動中はオーラの消耗も激しく、あまりに長い時間発動し続けると極度の疲労に襲われるのだ。場合によっては1日以上寝込むことすらある。

 新たな部屋を借りると言って部屋から退室したのも口実だった。実際新たな部屋を借りるのは必要でもあったから口実だけとも言えないのだが。

 

 とにかくクラピカは今の弱った姿を幻影旅団に見せることを避けたかった。無力化したとは言え、いつか本当に楔を外しクラピカへ復讐に来るかもしれないのだ。弱みの1つも見せるわけにはいかなかった。

 

「あまり無茶をしないでください。クラピカの能力は強力ですが反動も大きい。今は少しでも休んでください」

「大丈夫だよ。まだ限界まで変わっていたわけではないのだから。数時間休めば元の体調に戻せるさ」

 

 クラピカは笑ってそう言うが、現時点でもかなりの無茶をしているのはアイシャの目から見て明らかだった。確かに戦おうと思えば戦えるだろうが確実に精彩を欠いている。今すぐ旅団が襲ってくれば結果は言うまでもないだろう。

 

「出来るだけ早く休みましょう。私が新たな部屋を借りてきますから、クラピカは何処かで休んでいてください」

「……すまないな」

 

 アイシャが一緒に部屋を退室したのはこの為である。アイシャは仲間の中では唯一クラピカの全能力を把握していたからだ。あのフラつきからかなりの疲労が溜まっていると判断し、クラピカの弱点を悟られないよう自然と退室出来る流れを作ったのだ。

 

 だが、恐らくあまり意味がなかったなと退室時のシャルナークの表情を思いだしアイシャは渋面した。

 

「まあいいでしょう。弱点の1つバレたところで関係ないくらいクラピカを強くすればいいだけのこと」

 

 そう呟きながら今後の修行内容について1人考えつつホテルの受付まで移動する。

 

 ちなみにこの時クラピカの身に壮絶な寒気がよぎったのだが、それがアイシャの思考と関連性があるかはまだ誰にも分からないことだった。

 

 

 

 

 

 

 ヨークシンから僅かに離れた郊外にある幻影旅団のアジト。そこに幻影旅団の残り全ての団員が集結していた。残り全て。そう、ここに集っている団員の数は本来のそれよりも減っていた。

 旅団トップクラスの戦闘員ウボォーギンと、旅団の頭脳中枢の1人シャルナークの姿がないのだ。いや、姿だけで言えば戦闘員のフランクリンとフェイタン、そして団長のクロロとマチもこの場にはなかった。前者の2人はアジト内に居ることは居るが、アンダーグラウンドオークション襲撃のさいに重傷を負ってしまった為現在アジトの別室にて治療中であった。クロロとマチはその治療に赴いている為この場から離れているのだ。

 

「で、お前ら何があったんだ?」

 

 旅団戦闘員の1人、高い格闘能力を誇るフィンクスが襲撃班の仲間にそう問いただす。

 

「オレ達が地下競売の競売品保管庫に着いた時には中に何もなかった。その場にいたオークショニアの話によると陰獣の1人が競売品を持っていったらしい。出て行く時にゃ手ぶらだったって話だから多分シズクと同じタイプの能力者だ」

 

 それに答えたのは襲撃班の1人ノブナガ。ノブナガはそのまま話を続ける。

 

「オレ達は陰獣をあぶり出す為にオークション会場で暴れることにした。会場を襲ったのはフランクリンとフェイタンだ。そして――」

「……そこからは私が話すね」

 

 ノブナガの話に割って入ったのはシズクだ。シズクもフランクリンやフェイタンと同じく襲撃班の中で怪我をした者の1人だが、命に関わるほどの重傷ではなく比較的無事であったため治療もさほど時間も掛らずに終わっていた。と言っても、左腕の手首・肘・肩の関節が砕けているため軽傷というわけでもないのだが。

 

「私が会場の入口を見張っていると1人の女の子が襲撃してきたの。もちろん撃退しようとしたんだけど、よく分からない動きであっという間にやられちゃった」

「よく分からない動きだ?」

「うん。身体の動きと実際の移動がバラバラだった。どうやっているのか分からなかったし、速度もフェイタン以上だったかも。それでこんな目にあっちゃったんだけど……。

 とにかくやられて意識は朦朧としていたんだけど、何とか意識を保っていた私はフランクリンとフェイタンがその女の子と戦うのを見ていたんだ。……ちょっと尋常じゃなかったよその子。フランクリンの念弾をまともに受けても傷1つ付いていなかった。それどころかまるで意に介さずにフランクリンに向かって走ってた」

「はあ? 何だそりゃ!?」

 

 流石の幻影旅団もシズクの話す内容を瞬時に信じることが出来なかった。これまで強者として、奪う者として生きてきた強者のみの集団が幻影旅団だ。その旅団の攻撃をまともに受けて傷1つ付かない存在などそれこそまともな訳が無い。

 

「おいおいシズク。お前意識が朦朧として幻覚でも見てたんじゃねーか?」

「それはないよ。だって現にフランクリンとフェイタンはやられている。ノブナガも見たでしょ。フランクリン達が倒れている傍で無傷で立つ彼女の姿を」

「ああ。シズクの言ってることに間違いはないだろうな。オレも直接その女が戦う姿を見たわけじゃねぇ。だがありゃただもんじゃなかった。発するオーラの質、量ともに桁違いだったぜ」

 

 2人の話しぶりから法螺や誇張の類はないと理解する旅団員。仲間を害した存在を認め、だが何故そのような規格外な存在が旅団を襲ったのか疑問に思った。

 

「どうしてその女はその場にいたのかしら? その女はマフィアなの?」

 

 その疑問はパクノダと呼ばれる女性からのもの。パクノダは旅団に置いても類希なる能力の持ち主で、シズクと同じく特定条件下に置ける生存順位が優先されるほどだった。その能力は記憶を引き出す特質系能力。対象に触れることでその対象の記憶を読み取ることが出来るレア中のレア能力、まさに旅団の生命線の1つと言えた。

 

「分からねぇ。マチが言うにはマフィアって印象じゃなかったらしいぜ。ま、勘らしいけどよ。あいつの勘はよく当たるからなぁ。今回も嫌な予感がしていたらしいぜ」

「オレとしては襲撃が見越されていたのが気になるぜ。お前らが襲撃する前にそれを察知していたかの如く競売品を移動。その後にその女からの襲撃。……偶然とは思えねぇな。裏切り者でもいるんじゃないだろうな?」

「滅多なことを言うのはよせ」

 

 フィンクスの勘繰りに全身を包帯で巻いた異形の男――ボノレノフ――が異を唱える。

 

「裏切り者がいるにしろいないにしろ、それを決めるのはオレ達ではない。ここで何を言っても無駄になるだけだ。団長が戻ってくるのを待つしかない」

「あ? 敵がなんなのか推測すんのも無駄だってんのか?」

 

 一瞬にして室内に殺気が満ち溢れる。

 フィンクスも裏切り者がいるなどと本気で言ったわけではなかったが、それでもこうも真正面から自分の意見を否定されて平常心でいられるほど気の長い男ではなかった。まあ、一概に短気な男だと言える。

 

「そこまでよ。団員同士のマジギレは御法度。それを破るようなら私たちも容赦しないわよ」

 

 殺気立つフィンクスもその一言で落ち着きを取り戻す。もっとも、この殺気でさえフィンクスにとって本気ではなかったのだが。仲間内でもこの程度の殺気は日常茶飯事とも言える出来事なのだ。

 

「ちっ、分かってるよ。あー、治療はまだ終わんねーのか?」

「シャルが戻って来ていないしね。それまでは終わらないんじゃない?」

「治療道具を盗んでくるだけだろ? 何やってんだよシャルはよぉ」

 

 フィンクスのその愚痴に応えるものはいなかったがその言葉は全員が同意するものでもあった。治療道具を盗んでアジトに戻ってくる程度、旅団員の1人が成し得ない訳が無い。あまりに遅い仲間の帰りに焦燥感を抱く蜘蛛。

 そしてどれだけ待ってもシャルナークは帰ってこなかった。

 

 

 

 どれほどの時間が流れただろうか。

 待つことに痺れを切らして鬱憤の溜まっている旅団員から溢れる険悪な空気が場を支配する中、その空気を壊すように1組の男女が現れた。

 

「待たせたな」

「団長!」

 

 現れたのは幻影旅団団長クロロ=ルシルフルとマチの2人。たった今治療を終えこの場に戻ってきたようだ。

 

「治療は一先ず終わったところだ。マチの念糸縫合で出来る限りの処置は施したが、正直芳しくないな。フェイタンは峠を越したが、フランクリンは保って数日といったところか。傷もそうだがそれよりも血が足りない。……ウボォーはまだか?」

「まだだ。こんなに遅いなんてやっぱり異常だぜ団長。囮になったウボォーはともかく、病院に入ったシャルがこんなに遅いのはおかしいだろ」

「……わかった。シャルの件については置いておこう、まずはお前たち襲撃班に何が起こったのか一から説明してもらおうか」

 

 重傷を負った仲間の治療を優先したためにクロロは細かな話を聞けてはいなかった。尤も、治療と言ってもクロロが出来ることはもしもの為にある念能力を使うつもりなだけだったが。フランクリンも致命傷とは言え、持ち前の生命力からまだ完全に死に至るには時間に余裕があったためこうして他の旅団員の様子を窺いに来たのだ。

 

「ああ、あれは――」

 

 

 

 

 

 

 全ての話を聞き終えたクロロは静かに考えを纏める。そして蜘蛛を束ねる団長に相応しい頭脳で推測を固めていった。

 

「恐らくマフィアとその女に繋がりはないな」

「どうしてだよ? マフィアを襲っている最中に現れたんだろその女? どう考えてもマフィアと繋がってんじゃねーのか?」

「いや、恐らく関係はあるが繋がりはない。そんなところだろう」

 

 まるで謎かけのようなその答えに、フィンクスはおろか他の団員も意味を理解しかねて眉を顰める。

 

「まずはオレ達の中に裏切り者はいないと言っておこう。マフィアに蜘蛛を売ったところでそいつにどんなメリットがある? 金か? 名誉か? 地位か? そんな下らない物でメリットを得る奴がオレ達の中にいるのか?」

「それは……いねぇだろうな」

 

 クロロの言うことは正しい。彼らは盗賊であるが、そこにある欲望は金目の物を欲するだけではない。ただ金が欲しいだけなら蜘蛛を売るのもいいだろう。だが彼らは違う。欲しいものは奪い自由に生きる。何者かに束縛されたり与えられる生き方などまっぴらゴメンだった。

 

「それに密告があったにしてはマフィアの対応があまりに中途半端だ。競売品は撤去したというのに警備はお粗末。オレ達が競売品を狙っていると知っていたならもっと厳重に警備していてもおかしくはないだろう」

「その厳重な警備がその女じゃないのか?」

「違うな。それならば対応が遅すぎる。参加客にはマフィアの大物も大勢いたはずだ。殺されてから札を切る理由はない」

 

 その推論に一応の納得を見せた団員たちにクロロは続きを話す。

 

「マフィアの連中は何処からか仕入れた情報で今日何かが起こると知っていた。オレ達が来ると言う具体的な内容の情報ではないが、その具体性のない曖昧な情報を信じる者がマフィアンコミュニティーの上層部にいる。可能性として考えられるのは、情報提供者の情報が曖昧であっても信頼性の高い情報であると上層部では周知の事実であること。何らかの念による情報収集能力かもな」

 

 なるほど、それならばマフィア達のあの対応にも頷ける。曖昧な情報だが地下競売が襲われると知っていた為にあらかじめ競売品を運び出していたのだ。だが、曖昧な情報ゆえに競売品の移動も蜘蛛襲撃の日になり、警備もずさんな――幻影旅団からすればだが――ものだったのだ。

 

「そしてお前たちと交戦したその女はマフィアとの繋がりはないだろう。曖昧な情報でも襲撃があると予測しているのだ。それだけ強いならば初めから客として会場内に潜ませていればいいだけのことだからな。それがないということはマフィアそのものとは繋がりがないということだ。だがその女はマフィアの中に知人でもいたのだろうな。あるいは家族か? とにかく何らかの関係を持つ者が参加客の中にいた。最後は正直推論よりも予測が大きいが、オレの結論ではこうだな」

 

 

 クロロの推論は的外れなものではないのだろう、それは団員全てが理解した。だがその結論を正しいとするのなら――

 

「待てよクロロ。それじゃなにか? 襲撃班がやられたのはたまたまマフィアの関係者にその化物女がいて、そいつがたまたま近くにいたからってことか?」

 

 運が悪かった。ある意味そう集約しても過言ではないだろう。

 元々世界的に見ても上から数えた方が早い強者の集いなのだ。自分達以上の敵などそう出くわすものではない。それも1人で複数の団員を相手取って無傷で勝利する者など見たことも聞いたことも、考えたことすらなかった。

 だが、フィンクスのその意見をクロロは切って捨てた。

 

「運が悪いとでもいいたいのかフィンクス。それは違うな。オレ達がすることに運が作用することはない。あるとすれば実力が不足していただけだ」

「……そうだったな。オレが間違ってたぜ」

 

 そう。常に力が物を言う世界で生きている彼らに運が悪かったという言葉はただの逃げでしかない。たまたま強者に出くわして負けた? それは違う。運が悪いのではなく強者に負けた実力の無さが悪いのだ。強ければ何も問題はなく、負けた方が悪い。そういう世界を生きているのだから。

 

「それで団長。競売品は盗めなかった。フランクリンとフェイタンは重傷。ウボォーとシャルも戻ってこない。この状況でこれからどうするんだ?」

「そのことだが、シャルは恐らく帰って来られない可能性が高いな」

「……どういうことだよ? そういやさっきもウボォーの帰りは聞いたけどシャルの名前は出していなかったな?」

 

 そう。クロロは先ほどウボォーギンの帰還を確認したが、その際にシャルナークの名前は出さなかった。シャルナークもウボォーギンと同じくこの場を離れていながら、だ。聡明なクロロがそれを忘れているとは思えない団員たちは嫌な予感を膨らましながらクロロの言葉を待つ。

 

「シャルは恐らく死んだ」

『!?』

 

 クロロの口から出た言葉は想像の範疇ではあったがその中でも最悪のモノだった。これが真実で、ウボォーギンまでも死んでいたとすれば一夜の内に仲間を2人も失ったことになる。いや、未だ予断を許さないフランクリンが死ねば3人だ。そのような事態は蜘蛛結成以来皆無であったというのにだ。

 

「恐らく、だがな。捕らえられ無力化されている可能性もある」

「どうしてそれが分かるんだよ? 団長の能力か?」

 

 クロロの持つ能力は特殊性が高く、その真価を発揮すればこの世の誰よりも多岐に渡る能力を持つことが可能だ。現状クロロが幾つの能力を持っているか、その全てを把握している旅団員は1人もいない。10か20か、あるいは100を超えるのか。

 その中の能力で団員の生死を判断出来ると言われても不思議には思えないだろう。

 

「いや、オレの能力は関係ない。フランクリンがシャルに操作されて治癒力を強化されていたのは知っているな。オレ達が治療中のことだが、その操作が突然切れた。フランクリンは無事だったが、術者であるシャルがその能力を解く理由などそう多くはないだろう」

「敵と交戦してやられたってことかよ……!」

「その可能性が最も高いな」

「くそっ! ウボォーも戻ってこねぇってことはやられちまったのかよ! やっぱりオレも残りゃよかったぜ!」

 

 己の判断を悔やむノブナガだが時は二度と戻らない。

 今ここで吠えたけようともそれで仲間が戻ってくることはなく、それを理解しているからこそ歯がゆさが増すばかりだった。

 

「それで、これからどうするって話に戻すぜ団長。お宝諦めてトンズラか? それともあいつ等の仇討ちか?」

「どちらにしろ敵を少しでも知っておいた方が今後の為だ。パク、シズクの記憶を読んでオレ達全員に撃ち込め」

「分かったわ」

 

 記憶を撃ち込めという意味不明な言い回しを命じるクロロの言葉に、パクノダは迷わず従い行動を開始する。シズクの身体に触れることで能力の発動条件を満たし、そして特定の質問をすることで対象の記憶を呼び起こしそれを読み取る。

 

「あなたを傷つけた女性を思い出して。どんな姿で、どんな戦い方だった?」

 

 その質問とともにシズクの原記憶を刺激し、そこからこぼれ落ちた記憶をすくい上げる。その瞬間、パクノダはシズクが経験し記憶した女性の姿、オーラ、戦闘力を理解する。

 

「これは……本当にとんでもないわね」

 

 言葉では理解していたが、それでも実際に見てみるとまるで印象が違う。見た目とは裏腹なオーラの質。精錬されかつ苛烈とまで言える攻撃。掴み切ることが出来ない底の知れない実力。どれもが異質で異常な存在がそこには映し出されていた。

 

「それじゃあ記憶を撃ち込むわよ」

 

 懐から取り出した拳銃に弾丸を込める。だがその弾丸は通常のそれではなく、パクノダが具現化した特別な弾丸だった。6発分の弾丸を拳銃に装填して狙いを定める。その狙いは……仲間である幻影旅団に向かって伸びていた。

 

「おいパク!?」

「大丈夫だフィンクス。黙って見てろ」

 

 クロロの有無を言わせぬ迫力を合図に拳銃から6発の弾丸が発射される。6発の弾丸は狙い違わず6人の旅団の頭部に命中した。だがその弾丸で誰も傷つくことはなく、脳内に自分のものとは違う記憶がまるでビデオでも見ているかの如く再生されていった。

 

「これは…………なるほどな。記憶を撃ち込むとはよく言ったもんだぜ」

 

 そう、それこそがパクノダのもう1つの能力。

 パクノダが得た記憶を具現化した弾丸に込めて人を撃つと、撃たれた人はその記憶を植えつけられる。情報の共有に置いてこれほど有用な能力も少ないだろう。

 

「ボクにも撃ってくれると嬉しいんだけど♥」

 

 パクノダが持つ拳銃の装弾数の問題で一度に撃てる数は6発。そして記憶を撃ち込む人数はこの場に7人。見事に溢れてしまったヒソカはやや演技調にパクノダに訴える。

 

「分かっているわよ」

 

 そうしてヒソカにも記憶の弾丸が撃ち込まれる。これで全員に現状知る限りの敵の情報が伝わることとなった。

 各々がその姿からは想像も出来ない実力に舌を巻く中、1人ヒソカは笑みを浮かべていた。ここに誰もいなければ憚られることなく大笑いしていたかもしれない。

 

 ヒソカの脳内に流れている記憶映像に映っていたのはヒソカの想像通りの人物だったからだ。

 

 ――ああ、アイシャ! こうまでボクの期待以上に関わってくるとは思わなかったよ!――

 

 ヒソカの最も恋焦がれている相手。今まで見た中でどんな敵よりも唆られる強敵。

 誰にも邪魔されず殺しあいたい! 心ゆくまでアイシャとの死闘を味わいたい! それこそがヒソカの最大の望み、いや欲望と言うべきか。アイシャと出会う前まで心焦がれていた幻影旅団団長クロロとの死闘は、今となってはアイシャというメインディッシュに至る前のオードブルに過ぎなかった。

 もちろん今なおクロロが最高級のご馳走であることに変わりはない。ただアイシャがそれを上回る程の極上のご馳走であっただけのことだ。

 

 旅団員がアイシャに慄き、ヒソカがアイシャに焦がれる中、クロロはまた違った反応を見せていた。

 

 ――この女……いや、このオーラ……何処かで見たことが…………っ! まさか!――

 

 瞬間、クロロの脳裏にかつてのある出来事が思い起こされる。

 それは14年近くも前のこと。流星街に突如として現れた悪魔の子との出会い。

 長い年月を経ても今なお忘れえない敗北の記憶。幼かったとはいえ、未熟だったとはいえ戦わずして逃走を選ぶという屈辱の選択。

 その恥辱に塗れた経験をクロロに植え付けた悪魔の子が発していたオーラとこの記憶の少女のオーラは非常に酷似していたのだ。

 

 ――年齢は10代後半か? いや早熟であるならばこの見た目でも13歳というのは有りうる。それが念能力者ならば尚更常識は当て嵌らないだろう――

 

 一度疑ってしまえばもうその疑惑を解くことは出来なかった。確証もなく、どれほど考えても推論にしか至らない。

 だが、それでもクロロは記憶の少女が流星街の悪魔の子であると確信する。見間違うわけがない。このオーラは間違いなくあの悪魔の子だと。

 

「この女が敵か。ウボォーとシャルが帰ってこないのもこいつに殺られた可能性があるな」

「まだ分からないね。陰獣の可能性もある。1人で陰獣全て相手取るといくらウボォーでも殺られる可能性は高いよ」

「それにシャルは病院に行ったはずだ。いくら何でも広いヨークシンでこの女とそう簡単に鉢合わせになるか?」

 

 強大な敵を確認し団員たちがそれぞれ意見を言い合う中、考え事をしていたクロロがその意見を耳に入れ突如閃いた。

 

「待て。シャルは病院に行ったと言っていたが、どの病院に行ったか分かるか?」

「え? いや、何の病院に行くかまでは言わなかったな」

「そうか。パク、ヨークシンの地図を持って来い。襲撃班の中でシャルが気球から離れた位置を正確に分かる者はいるか」

「あたしが分かるわ」

 

 次々に指示を出しパクノダが持ってきたヨークシンの地図を見ながらマチが言う位置を確認する。シャルナークが飛び降りた地図の位置から近く、かつシャルナークの思考から割り出してどの病院を狙うか。

 そしてしばし地図を眺めその結論が出た。

 

「ここだ。このエル病院。ここが最も近くそしてかなりの規模を持つ病院だ。恐らくシャルはここに侵入した。シャル程の使い手が陰獣相手に遅れを取るとは思えない。1人で出来ないと判断したことは絶対にしない男だ。もし複数の陰獣を確認したなら必ず見つからないように逃げの一手を打つはず。だが現にシャルは帰ってこない。それはシャルの力ではどうしようもない何らかのトラブルに巻き込まれたということ。現状で考えられる中で最も可能性の高いものは……この女と遭遇してしまったということだろう」

 

「なんでこんな病院にこの女が居たんだよ。それよか帰りがけに見つかったって可能性もあるんじゃねーのか?」

「確かにその可能性がないとは言い切れない。だが慎重に事を運ぶシャルが広いヨークシンで偶然その女に見つかる可能性がどれほどあると思う? それよりはこの病院で出会ってしまった可能性を考えた方が自然だ。そしてそれにより何故この女がこの病院にいたのかという疑問に行き着く。そうすると次の推理は簡単だ」

 

 そこまで推測を語り、クロロは一拍置いてから続きを話す。

 

「……これまでの話を統合すると、この女はマフィアの誰かを助ける為にあの場に現れた可能性が高い。シズクの記憶にある女を見れば分かるだろう、明らかに怒りに駆られていたその姿を。そしてシズクの記憶を見るに客の大半が死んでいたが、それでも生き残りは多少はいた。この女の知り合いが生き残っていたとして、重傷を負っていたらどこに向かう?」

 

 所詮クロロの言っていることは推論に過ぎない。前提とした推論がどれか1つでも間違っていたらあっさりと崩れ去るほど根拠のない推論。だが自信に満ち、戸惑うことなく矢継ぎ早に推論を口に出すクロロを見ていると不思議とその言葉が正しいように団員たちは思えてくる。

 

「しかもだ。地下競売の会場があったセメタリービルからこのエル病院はそれほど遠い位置にはない。オレが女の立場で病院を選ぶならこのエル病院を選ぶだろう。可能性は少ない。そのマフィアが死んでいる可能性の方が高いだろうからな。だがそれでもこの病院を調べる価値はある。上手くするとこの女の生命線を握ることが出来る。そうでなくてもシャルの現状が分かる可能性は高い」

「つまりそれはあれか? 撤退戦じゃなくて全面戦争って解釈でいいんだな?」

 

 ウボォーギンに並ぶ幻影旅団きっての武闘派であるフィンクスが嬉しそうに笑みを浮かべる。他の面子もこのまま引き下がるつもりはないという顔つきばかりだった。不安に苛まれていたマチでさえここまでコケにされて引き下がるつもりはもうないようだ。

 

 当然だろう。お宝は1つとて手に入れられず、仲間は敵に傷1つ付けられず打倒され、仲間の為に動いた者も帰ってこない。幻影旅団としてこれほどの屈辱を味わったのは初めてのことだった。団長が撤退を指示すれば嫌々ながらも従っていただろうが、今の言葉からそうではないと悟り全団員の士気が膨れ上がる。

 

「計画変更だ。このまま夜明けを待って2人とも帰ってこなかったらエル病院へ赴く。以降の指示は全てオレが出す。いいな」

『おう!!』

 

 意気揚々と全ての団員が返事を返す。明日は蜘蛛始まって以来の死闘になるだろうと全員が確信する。

 過去の屈辱を乗り越えようとする者、不安を打ち消し前を見る者、死闘に愉悦を感じる者、そして己の欲望の為に策謀する者。

 様々な思惑をそれぞれが胸に秘めたまま、ヨークシンでの1日が終わりを告げる。

 

 




 クラピカの旅団に対する復讐はこのような形になりました。納得いかない方も多いでしょうが私はこの形で貫こうと思います。だってこいつ等殺してもそれで堪える連中じゃないですし。物語の流れでこれがクラピカが出来うる一番屈辱的な復讐かなと思いました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十一話

 アイシャ達が幻影旅団をホテルの一室に拘束した後、彼らは新たにホテルの一室を借りてその部屋で集まり一息をついていた。アイシャを除き誰もが疲れ果てて眠らずとも倒れ込んでおり、疲労を隠そうとすることも出来ない有様だった。

 無理もないだろう。気絶するほどにオーラを振り絞って勝ち得た死闘からまだ1時間ほどしか経っていないのだ。気絶していたゴンとレオリオも先の喧騒で覚醒してしまっていた。目を瞑ればすぐにでも眠れそうだが、今後のことを話し合わなければいけないのでそうもいかなかった。

 

「さて、皆さんお疲れのところ申し訳ありません。ですが事が事なのでもう少し話に付き合ってもらいます」

「うん、大丈夫だよ」

 

 ゴンの返答に他の誰もが首肯で同意を示す。それを確認しアイシャは話を続ける。

 

「まずは今日お互いに起こった出来事についての情報交換と行きましょうか。先程は旅団もいたので詳しい話も出来ませんでしたからね」

「ああ。アイシャが飛び出してビルで何があったのかも知りたいしね」

「お父さんは無事だったの? レオリオからは取り敢えず大丈夫だって聞いたけど」

「そこはオレも気になるな」

「そうですね。取り敢えず私から話をしましょうか」

 

 そうしてアイシャはぽつりぽつりとホテルを飛び出した理由とその後の話を切り出す。

 父がマフィアであること。自身が原因で勘当同然の身であること。旅団の狙いがマフィアが取り仕切るアンダーグラウンドオークションではないかと思い至ったこと。その後の旅団との交戦や瀕死の父を連れレオリオに治療してもらい、入院した病院でシャルナークを捕らえたことまで事細かく話していく。

 

「以上です。……皆さんに何も言わず勝手に飛び出してしまい本当に申し訳ありませんでした」

 

 全てを話し終えたアイシャは皆に深々と謝罪する。

 

「アイシャが謝ることはないよ! だってアイシャはお父さんを心配しただけなんだから!」

「いいえ。私が皆さんに何の相談もせずに先走った為、あなた達を幻影旅団との戦いに巻き込んでしまいました。ゴンの気持ちは嬉しいですが、やはりあなた達を危険な目に合わせてしまったのは私が原因なのです……」

 

 ゴンの言葉は慰めではなく真実そう思っての発言だ。それはアイシャにも伝わっている。事実あの状況では相談する暇もなかっただろう。だが友を危険な目に合わせた要因となったことに変わりはないと自責の念に駆られるアイシャはそう自身を責める。

 

「いや、アイシャは何も悪くはない。私は私の理由で蜘蛛と戦った。そこにアイシャの責はないし、また責を問うつもりもない。むしろ責は私にあるだろう。キルアの制止を聞かず旅団と交戦し、お前たちを巻き込んだのだからな」

「いえ、私が焦って冷静さを欠かなければもう少しやりようもあったはずです。今回旅団といきなり交戦をするようになったのは私のせいです」

「いいや違う。私は例えアイシャが先走らなかったとしてもこのヨークシンで旅団と戦っていただろう。ただそれが早いか遅いかの差でしかない。なのでアイシャが自分を責めるのはお門違いだ」

 

「いえ私が――」

「いや私が――」

 

 延々と互いが己の責だと自身を責め続ける不可思議な状態がしばし続く。そんな2人を見守っていたゴン達もいいかげん2人の言い分に我慢が出来なくなっていた。

 

「あーもう! 2人ともいいかげんにしろ! アイシャは親父さんを助けられて良かった。クラピカは仲間の仇が一部だけど取れて良かった。そしてオレ達は誰も死んでいない。それでいいじゃねーか。難しく考えすぎなんだよお前ら」

「え?」

「なに?」

 

 レオリオの突然の言葉に2人とも虚を突かれたのか言葉が詰まる。

 周りを見渡すも、ゴンとキルアもレオリオのその言葉を肯定するように頷いていた。

 

「アイシャもクラピカも責任感が強すぎんだよ。お前らオレ達の保護者か? オレ達が旅団と戦ったのも結局はオレ達の勝手なんだよ。そこをお前らが勝手に自分のせいにしてんじゃねーよ」

「そうだよ。アイシャもクラピカもさ、もっとオレ達を頼ってよ。力不足かもしれないけど、それでもオレにも手伝えることはあるよ!」

「ゴンとキルアの言う通りだぜ。オレ達はアイシャより弱いけどよ、それでも自分の命の責任くらい自分で持てる。それによ、オレ達が欲しいのは謝罪の言葉なんかじゃねーぜ」

 

 その時ようやくアイシャとクラピカは自らの思い違いを理解した。そしてそれを恥じつつ、思い違いを正してくれた友に向かって感謝を込めて礼をする。

 

「……そうだったな。皆、ありがとう。お前たちのおかげで旅団を2人捕らえることが出来た。本当に感謝する」

「はい。皆さんの協力のおかげで父さんを無事助けることが出来ました。感謝してもしきれません。本当にありがとうございました」

「ううん。オレ達でも力になれて良かったよ」

「初めからそう言えばいいんだよ」

「へっ、いいってことよ」

 

 素直に礼を受け入れる者、照れ隠しをする者、友の手助けを出来て充足感を感じる者。様々な反応を見せる皆を見て、友として、仲間としての絆を確かに感じつつアイシャは心の中でもう一度感謝の念を抱く。

 

 ――ああ、彼らと友達になれて本当に良かった――

 

 クラピカも同様の想いを抱いているようで、その顔には憑き物が落ちたかのような笑みが浮かんでいた。まだ全てが終わったわけではないが、それでも同胞の仇を僅かでも返すことが出来たので多少の満足感もあるのだろう。

 だが仇はまだこのヨークシンに潜んでいると思い直しクラピカは会話の続きを促した。

 

「アイシャの次は私たちが話す番だな。お前と別れてから何があったのかを話そう」

 

 そうしてクラピカはあの激闘の一部始終を語る。

 時折ゴンやキルア、レオリオの相槌を交えながら死闘の全てを話し終えた。

 

「……よく勝てましたねあなた達。誰1人死なずにいてくれて本当に良かったですよ」

 

 全てを聞き終えたアイシャの感想がこれである。話を聞いただけでウボォーギンの全てが理解出来るわけではない。百聞は一見に如かずとはよく言ったものだ。

 だがそれでも、耳にした情報だけでもウボォーギンの戦闘力は桁外れだと思えた。そんなウボォーギンを相手に誰1人欠けずに勝利することは万に1つの奇跡の勝利だと思えた。

 

「しかしキルア。あなた何があったんですか? まるで見違えるようなんですが」

 

 アイシャはその鋭い感覚でキルアの変化に気付く。

 今までとは違いオーラに自信が満ち、その力強さも大きく上がっている。実戦を経験した者がこうした変化を経ることはアイシャも何度も見てきたが、それにしてもキルアの変化は大きすぎる気がしていた。

 

「ん? ああ、多分オレを縛っていた呪縛が解けたせいだな」

「呪縛?」

「ああ、クソ兄貴にちょっとな」

 

 そうしてキルアは実の兄であるイルミによって施された針の呪縛について語る。いつ頃からか、キルアですら知りえない内にイルミの念によって強迫観念を植え付けられていたことを。そしてそれを引き抜いたことでその呪縛から解き放たれたことを。

 

「……なるほど。頭の中にそんなものが。私も気付けませんでしたよ。針が埋め込まれる前のキルアのオーラを知っていたら気付けたかもしれませんが……」

「まあいいさ。おかげで気分爽快だぜ」

「なるほどね~。てことはあんなに泣いていたのは針のせいだってことか」

「ほう。キルアが泣いていたと?」

「てめぇレオリオ! よ、余計なこと喋ってんじゃねー!」

「鼻水まで垂らしてたんだぜ」

「鼻水は垂らしてねーって言ってんだろうが! テキトーこいてるとブッ殺すぞレオリオ!」

 

 そのままキルアとレオリオの追いかけあいが始まった。

それなりに広いルームを借りているとはいえ、5人も人が集まっていると部屋の中はやはり手狭になるものだ。そんな中を2人は人や物に当たらないよう器用に走りながら追いかけあいをしていた。

 

「2人とも止めなよ。もう真夜中なんだから周りに迷惑だよ。……何かオレ昨日もこんなこと言った気がするんだけど?」

「ああ、確かにそうだな」

「悪かったってキルア。ほら、ゴンも言ってるしもう止めとこうぜ?」

「ちぃっ。覚えていろよレオリオ」

 

 一先ず全員が落ち着いたところで話は続く。

 

「先ほどの話で気になっていたのですが。あの大男、ウボォーギンでしたか。そのウボォーギンが使った念能力は巨大化する能力だったのですね」

「ああ。正確には筋肉を莫大に増幅する能力のようだな。それがどうかしたのか?」

「……いえ。何でもありません。気のせいでしょう」

 

 筋肉を増幅する能力。その能力に何か引っかかるモノを感じるアイシャ。だが喉元まで出かかっているがそれが何なのかまで分からない。アイシャはもどかしさを感じつつも今はそれを置いて話を続けることを選ぶ。

 

「それよりレオリオのあの技は何だったんだよ。どんな攻撃をしてもビクともしなかったあの筋肉ダルマが滅茶苦茶痛がってたぜ!」

「うん! 凄かったよあのパンチ! あの後オレが攻撃したら鉄みたいだったあの男の筋肉がまるで豆腐のようだったよ!」

「確かに凄まじかったな。あれが突破口となったのは確かだ。一体どういう能力なんだ?」

「それは私も気になりますね」

 

 アイシャが気になるのもまあ当然だった。その能力は恐らく自身の恥、黒の書を元として作られた能力のはず。どんな能力なのか知りたい。だが聞きたくもない。2つの相反する思いがせめぎ合い、そして好奇心が勝った。

 

「おお。あれは【掌仙術/ホイミ】を応用して作った攻撃用のホイミ。その名も【閃華烈光拳/マホイミ】だ!」

「マホイミ?」

「ホイミを改良? 回復能力を応用してどうしてダメージを与えられるんだよ?」

 

 キルアの疑問も尤もだろう。回復能力を応用した能力なんてやはり回復能力になると考えられる。そう思うのが万人の思考だ。

 だが何事も過ぎれば毒となる。草花に水や肥料を与えると確かに草花の育成は促進するだろう。だが水も肥料も与えすぎると草花には毒となってしまうのだ。

 

「それを応用したのが【閃華烈光拳/マホイミ】だ。これは相手の細胞の自己治癒能力、つまりは細胞分裂を促進させすぎることでその細胞を破壊してしまうんだ。正直あまり使いたくない能力だったんだがな。これは細胞を破壊しちまうから通常の治療行為じゃ完治は難しいんだ。攻撃を受けた部位を全とっかえ出来たら話は別だろうけどよ」

 

 レオリオの語る能力の凄まじさに誰もが口を閉ざす。

 回復不能、防御不能の絶対攻撃。そんなものをまともに、それこそ顔面に受けてしまえばどうなってしまうのか。想像するにゾッとする結果となるだろう。まあアイシャだけは別の意味で口を閉ざしていたのだが。綴った黒歴史が巡り巡ってこうなるとは執筆者本人にも分からないものであった。

 

「まあ強力な分制約もキツくなってるんだよな。硬じゃなきゃ使えないし、相手の素肌に当てられないと効果が出ないんだ」

「それは……あまり多用しない方がいいですね。ゴンの【ジャンケン】もそうですが、安易に硬を用いるのは危険極まります。ゴンはまだいいでしょう。当たりさえすればその攻撃力で敵を粉砕出来ます。ですがレオリオさんの能力は当てられる範囲が限定されすぎています。下手したら首から上しか狙えないなんてことも大いにあり得るでしょう」

「ああ分かってる。オレだってこんな自分にも相手にも危険な能力使いたくねーよ。本当にどうしようもなくなった時以外は使わないさ」

「それなら良かった」

 

 レオリオの本心からの言葉にアイシャも安心する。どう聞いても博打が過ぎる能力だ。どんな敵にもまともに当たりさえすれば効くだろうが、そもそもこの能力を使わなければならない程の強敵相手ではリスクが激しすぎる。

 今回のウボォーギン戦のように共に戦う仲間がいて初めて効果的に使用出来る能力と言えよう。

 

「しかし成程。あれ程の強敵相手に勝てたのも納得ですね。4人全員で互いをカバーして戦った結果でしょう。チームワークの勝利ですね」

「おお、今更ながらあんなバケモン相手によく勝てたよなオレ達よー」

「4人がかりでようやっとだったもんね。オレ達まだまだ修行不足だね……」

 

 ゴンはそう言って落ち込むが、ここまで限界ギリギリの修行を重ねているゴン達である。修行不足というよりは時間不足と言ったほうが正しいだろう。

 

「アイシャはあんな連中相手によく無傷で勝てたよな」

「いえ、あの男の攻撃をまともに受ければ私も無傷ではすまないでしょう。一撃で大地をえぐりクレーターを作りビルをも倒壊する。強化系だとしてもちょっと尋常ではありません」

「……なあ、今の言い方だとよ。アレ喰らっても無傷じゃないけど死にはしないって言ってないか?」

「私にもそう聞こえたな。……ふむ。レオリオ、良いことを教えてやろう。アイシャと付き合う中で重要なことだ。いいか? アイシャのすることにいちいち驚かないことだ。これくらいで驚いていては胃に穴が空いてしまうぞ。こんな言葉もあるくらいだ。アイシャだから仕方ない」

 

「……クラピカの私に対する認識がよく分かりましたよ」

 

 クラピカの己に対する言い様に対してジトっと半眼でクラピカを睨むアイシャ。だがそのアイシャに対してゴン、キルア、クラピカの3人が異口同音でツッコミを入れる。

 

『アイシャだから仕方ない』

「そんな! あんまりです!」

 

 アイシャの叫びを皮切りに皆が一斉に笑い出した。笑われているアイシャは頬を膨らませ納得できませんよと言う感じでポーズを作る。

 

「あー、笑った。最近ちょっと空気重たかったからスッキリしたぜ」

「うん。やっぱりこういう方がオレ達にはいいね」

「……次の修行内容を倍に……」

「ごめんなさい」

「勘弁してください」

「お前ら謝んのはえェなオイ!」

 

 アイシャの呟きからの驚異的な速さでの手の平返しであった。これにはアイシャも驚きである。それほどまでに骨の髄まで修行の労苦が染み付いていると思うと流石にやり過ぎたがと思うアイシャであった。

 だが、ただ1人。そう、先ほどの会話でキルアだけがアイシャの呟きに反応を示さなかった。いや、それには語弊があるようだ。キルアは十二分にアイシャの呟きに反応していた。

 

「いいぜ。倍の修行なんて都合がいい。なんなら3倍でもいいくらいだぜ」

「正気かキルア!」

 

 地獄の修行を3倍にしてくれなどと正気どころか狂気じみた発言にクラピカは己の耳を疑う。アイシャも、修行の厳しさを知っているゴンも何があったのかと目を丸くしていた。

 

「正気も正気だよ。オレはもっと強くならなくちゃいけないんだ」

 

 その瞳に映っていたのは断固とした意思。それを見るとこの場の全員がキルアの意志を理解する。

 

「キルア。何かあったのですか?」

「……ちょっとな。これは後で話すわ。今は幻影旅団に集中しようぜ」

 

 キルアは脳裏に浮かんだ最愛の家族を一時的に振り払い現状の問題に注視する。今はまだその時ではない。この場を乗り越え、もっともっと強くなってからだと自身に言い聞かせて。

 キルアの無言の決意を見てこの場での追求を取りやめアイシャ達も現状の危機、幻影旅団の話に戻る。

 

「次に蜘蛛はどう動くと思う?」

「奴らの内の2人は捕らえた。だがこれについては奴らも2人がどうなったかは理解していないだろう。死んだのか。それとも捕らえられたのか。疑問に思う奴らが次にすることは2つに1つだ。撤退か、それとも再びヨークシンを訪れるか」

「ヨークシンに来るとしたらシャルナークって奴を捕らえた病院。そこに来る可能性が高いね。連中あの優男が病院に行ったことは知ってるんだろ? 仲間が帰ってこないなら仲間が最後に行った場所を調べようとするはずだ」

 

 クラピカとキルアがこれまでの情報から幻影旅団がどう動くかを予測する。仲間の現状を確認しに来るか。それとも団が受けたダメージを看過出来ずに撤退をするか。

 クラピカとしてはここで憎き仇とのケリを付けたいと願っているため幻影旅団が逃げずに向かってくることを望んでいた。

 

「はい。シャルナーク自身もそのように言っていました。自分が病院へ行っていることは旅団も知っていると。ここで自分を殺すと仲間が調べに来る、と」

 

 ちなみにそれはシャルナークのブラフである。どの病院に行ったかまでは仲間達に伝えていないのだ。しれっと汗1つかかずにオーラも揺らがずに嘘を吐けるシャルナークであった。

 

「じゃあそこを待ち伏せすれば旅団と?」

「いやいや。お前ら旅団相手にまだ戦う気か? ここは一度撤退をだな」

「何言ってんだよレオリオ。旅団は今2人捕らえて、3人がアイシャにやられて重傷なんだぜ。今があいつ等を捕らえる最大のチャンスなんだ。ここで逃したらこんなチャンス二度と来ないね」

 

 キルアの言うことは正しい。今ほど幻影旅団が消耗している時はそうないだろう。それはレオリオにも理解出来ていることだ。だがそれでもあのウボォーギンと同等クラスの敵を相手取らなくてはならないと思うと弱腰になってしまう。

 

「それは……そうかも知れないけどよ。でもあんな化け物があと8人もいるんだろ? オレ達が1人抑えることが出来たとして、アイシャが残りの旅団を抑え切れるのか?」

「その点でしたら安心してくださいレオリオさん。あなた達が戦った敵は幻影旅団でもトップクラスの戦闘要員でしょう。いくら幻影旅団が強いとは言えその強さは均一ではありません。その証拠に私が戦った4人の旅団員はあなた達から聞いた程には化け物じみてはいませんでした。敵によってはクラピカ1人で打倒出来うる者も何人かいましたよ」

「それとだレオリオ。敵の数はもう1人減っている。お前たちには話していなかったがヒソカは幻影旅団の一員ではなく裏切り者だ」

「どういうことなの?」

 

 ゴンの疑問にクラピカがヒソカと協力関係を結んだことを説明する。ヒソカが旅団に入団した理由も、裏切った理由も。

 

「じゃあ7人か……それにヒソカの野郎が味方になってるなら……結構いけるか?」

「いえ、ヒソカを味方と見るのは危険でしょう。あの男は己の欲望に忠実です。今もその欲望を満たすために仮の仲間を裏切っている。いつ私たちを裏切るか分かりません。味方として捉えておかない方がいいでしょう」

 

 アイシャは最悪ヒソカがゴン達の誰かを害する可能性すら考えていた。

 ヒソカはアイシャとの死闘に最高の情欲を感じている。その為にアイシャの出した条件を受け入れたのだろうが、その条件を達成するのが困難な状況、つまりは団長に逃げられでもしたら……。

 その時はアイシャ自らが自身と戦いたくなるような手段を打ってくる可能性が高い。そうアイシャは考える。そしてその手段は至って簡単だ。大事な親友であり仲間である彼らの誰でもいい、誰か1人でも殺してしまえばそれだけでアイシャは全力でヒソカと戦うだろう。

 

 ヒソカに美味しく育つ予定の青い果実が熟す前にもぎ取るつもりはなく、アイシャもそのことをそれとなく理解している。だがいつヒソカが心変わりをするか分かったものではない以上、アイシャはヒソカを信用しきることが出来なかった。

 

「ヒソカに連絡して旅団の動きを聞いたらどうだ?」

「いや、奴から連絡をしてくるのはいいが、こちらからは連絡をしない方がいいだろう。こちらから掛けると奴のケータイに着信音が鳴ってしまう。マナーモードにしていたとしてもバイブ音は出るだろう。そうなるとヒソカが周りの旅団に不審に思われる可能性が僅かだがある。今のは誰からの連絡だ? とな。平時であれば何でもないだろうが、旅団も現状は緊急を要しているだろうからな。出来るだけヒソカが疑われる可能性はなくしておきたい」

「なるほどな」

「それにだ。ヒソカから聞き出した情報だが、旅団の中には触れた対象の心を読む能力者もいるらしい。名前はパクノダと言っていたな。そのパクノダに調べられたら私とヒソカが協力関係であるというアドバンテージが確実になくなってしまうだろう」

「マジかよ! じゃあ他にはどんな能力者がいるんだ!?」

 

 敵の能力の情報は喉から手が出るほど欲しいものだ。念能力者同士の戦いで敵の能力を把握していることは非常に強力な武器となる。キルアも常日頃から仲間以外には誰にも知られないように能力を秘匿している。クラピカも、レオリオも、そしてアイシャもだ。能力がバレてもデメリットが少ないゴンは既に風間流でもそれなりの人数に能力を知られているが。

 まあ逆にゴンの能力を知ることでそのあまりの威力に及び腰になる者も多くいたので、意外とメリットもあったりする。

 

「他にはオーラを機関銃のように放出するフランクリン、生命体以外のあらゆる物体を吸い込む掃除機を具現化するシズク、強力な強化系能力者ウボォーギン、これは私たちが倒したな。そしてアンテナを刺すことで対象を操作するシャルナーク、これもアイシャが倒して今はウボォーギンと一緒にいるな。あとはオーラを糸のように変化させるマチ、そして極めつけが……他者の念能力を盗む幻影旅団団長のクロロだな」

「はあ!? 念能力を盗むだぁっ!?」

「何だそりゃ! ふざけた能力だなおい!」

 

 他者の念能力を盗む。確かにふざけていると言われてもおかしくない程の強力で特殊な能力だろう。実際にその能力は六系統の中でも尤も特殊な特質系の能力であり、その特質系の中でも極めて稀な能力と言える。

 

「それってどうやって念能力を盗むの?」

「まずは相手の能力の詳細を知ることが必要らしい。他にも様々な制約があり、戦闘中にそれをこなすのは難しいとのことだ」

「それを聞いて安心したぜ。戦闘中に盗まれでもしたら最悪だからな」

「その盗んだ能力って自由に使えるのかな?」

「ああ。具現化した本を片手で持ち盗んだ能力が記載されたページを開くことでその能力が使用できるらしい」

「厄介だな。まあ盗賊の頭らしいっちゃらしい能力だわな」

 

 念能力は能力者の本質が現れやすい。それが特に顕著な系統が特質系だ。盗人の一団の長の持つ能力が念能力を盗む能力とはまさにその者の本質を表しているといってもいいだろう。

 どのような環境でどのような育ち方をすればそのような能力が発現するのか。アイシャには皆目見当もつかなかった。

 

「残りの能力者が誰が誰に該当するのかは分からないな。顔と名前が一致すればいいのだが」

「ああそれでしたら。フランクリンとシズクは私が倒しています。フランクリンは顔に多数の傷がある大男、シズクはメガネを掛けた黒髪の女性でした。シズクの方は左腕が使用出来ないレベルの怪我を負わせましたが戦闘は可能でしょう。フランクリンには致命傷レベルの重傷を負わせました。回復系の念能力がない限り復帰は難しいでしょう」

 

 そう言うアイシャの表情はやや曇っていた。いくら相手がA級賞金首に名を連ねており、自分の父親を害した極悪人とは言え、人を殺してしまったかもしれないと思うと気分も悪くなってしまうものだ。

 アイシャは生前も含めて人を殺したことは一度もない。いや、母親の件があるが、それを別として武を用いて人を殺したことはない。前世の生まれで人殺しとは縁遠い生活を送り精神の基盤を作り上げたアイシャにとって、人を殺すという行為はとても躊躇われる行為であった。

 フランクリンを瀕死の重傷に追いやったことを思い出し僅かに気を落とすが、それを仲間に悟られないようすぐに表情を戻す。

 

「それじゃ後はヒソカを除いて……えっと、何人の能力がわかってないんだっけ?」

「残り5人の能力が不明だ。と言っても、その内の1人はアイシャが倒しているようだが。それに名前と能力が分かっていても顔と一致していないので誰がどの能力を使うかは結局出会って確認をしなければ分からないな」

「ヒソカも顔写真くらい用意しろよな」

「全くだぜ」

「まあないものは仕方ないでしょう。敵の情報で分かっているのはこれくらいです。後はこれからどう動くか、ですね」

 

 アイシャの言葉に全員が神妙に首肯する。

 

「徹底抗戦だな。今の絶好の好機に全員捕らえるに限るぜ」

「ああ。それに奴らはアイシャの姿を知っている。このチャンスを逃したらアイシャが狙われるのは確実だ」

「そうか。そうだったな。それなら敵が揃ってない今の内にやるしかないか」

「うん。オレもあいつ等を止めたい。あいつ等は誰かが止めなくちゃいけないんだ」

「皆さん……。分かりました。この機に幻影旅団を全て捕らえます。その為の策を練りましょう」

「おう!」

 

 

 

 

 

 

 アイシャ達が話し合いをしている一方。捕らえられた幻影旅団、ウボォーギンとシャルナークは与えられたホテルの一室を仮の牢獄として過ごしていた。

 

「ちっ。ダメだな。部屋にある電話も一切繋がらねー。パソコンも回線が切られてやがる。どうにかなんねーかシャル?」

「無理だね。回線が元から閉じられてたらここからじゃどう足掻いても繋げることは出来ないよ。オレ達のケータイも取り上げられたし、部屋から出たら鎖が発動しちゃうし、外への連絡は諦めた方がいいよ」

 

 捕らえられた2人は現状に満足するわけがなく、自らを縛り付ける掟を破らない範囲でどうにかならないか模索していた。

 だがこの部屋の回線は全て切られていた。もちろんそれをしたのはクラピカだ。ホテルにハンターライセンスを用いて圧力を掛けこの一室のみネットワーク関係から切り離したのだ。

 シャルナークの言う通り外への連絡手段と成りうる携帯電話も取り上げ、身体検査も確りと行われている。更にはどんなことがあろうとも許可なくこの部屋への入室を禁止させたのでホテルの従業員が入ることもない。

 

「チクショウ! こうして待ってる他ないのかよ! く、つぅっ!」

 

 感情のまま叫ぶウボォーギンがその顔を苦痛に歪ませる。細胞を破壊された腹筋がジクジクと痛みウボォーギンの身体を苛んでいるのだ。その他の怪我による痛みはウボォーギンにとって我慢できる慣れ親しんだ痛みだったが、細胞を破壊されるなど初めての経験であった。

 

「随分とボロボロにされたもんだね。ウボォーがそこまで痛がるなんてさ」

「ちげぇよ。身体の傷なんて大したことねー。まあ腹ん中はちぃといてぇがな。ちょっと内臓やられてんなこりゃ。……それよりも腹の傷だよ。よく分からねーがあのグラサンの――」

 

「ストップ!」

 

 ウボォーギンが自らの身体に起こった異変について、その異変を起こしたであろうレオリオについて話そうとしたその時、シャルナークが突然に声を張り上げウボォーギンの話を遮った。

 

「あ? どうしたんだよシャル?」

「その話はこれ以上したらダメだよ」

「どういうことだよ?」

「……」

「おい、なんとか言えよシャル」

 

 シャルナークは自分達を縛る掟を理解しきっていないウボォーギンに思わず溜め息を吐きそうになる。だが詳しく説明するわけにもいかない。上手くぼかして説明したとしても、どこまで示唆したら自身の心臓に刺さっている鎖が発動するかも分からないからだ。

 シャルナークは自分で気付いてくれることを祈りながらウボォーギンの言葉を無視する。

 

 どれだけ話しかけても無視を決め込むシャルナークに、流石のウボォーギンも訝しむ。人をからかうことはあれど、無意味なことはあまりしない男だ。そんなシャルナークがこうして自分の言葉を無視するということは何かの意味があるのだろう。

 そうしてしばらく思考し、ようやくウボォーギンは自身を縛る掟について思い出した。『私たちに関する情報の一切を他者に伝えることを禁ずる』、確かにクラピカはそう言っていた。クラピカの言う『私たち』には当然仲間であるレオリオも含まれている。先のウボォーギンの戦いで起こったことを詳細に話すと彼らの情報について話さないわけがない。そうなったら、その情報を他者であるシャルナークに話してしまったら。確実に鎖は発動し即座にウボォーギンの心臓を握りつぶしていただろう。

 

「やっべ、すっかり忘れてたぜ……」

 

 ウボォーギンのその言葉を聞いてようやく理解したことに安堵する。

 

「しっかりしてよね。……念の為に聞くけど、『他者を傷つける行為を禁ずる』ってどんな掟か分かってるよね?」

「おう。業腹だけどよ、誰も殴らなきゃいいんだろ?」

 

 ウボォーギンのその自信満々の答えに思わず溜め息を漏らすシャルナーク。こんな調子でこいつは生き残れるのか? そう心配するのも仕方のない答えだった。

 

「あのねウボォー。傷つけるって行為は何も暴力だけの話じゃないだろ? 例え身体を傷つけなくても相手を誹謗中傷してその精神を傷つけたら……。それは他者を傷つける行為に値するんだよ」

 

 これに関しては掟として定められた法なので、別段クラピカ達の情報というわけではない。なので話しても大丈夫だろうと判断したのだが、今こうして鎖が発動していないことからどうやら正解だったようだ。

 

「はあっ!? じゃあ何か? オレはこれから誰かにどんなことをされても殴り返すことはおろか口で反論することすら出来ないのか!?」

「そういうこと。暴言は吐かないように気をつけるんだよ。心無い一言で誰かが傷ついたらそれでウボォーも死んじゃうからね」

「冗談じゃねーぜ! クソッ! 何されてもただ我慢するしかないのかよ……!」

 

 思っていたよりも自らに掛けられた掟が厳しい事実に流石のウボォーギンも少々まいっているようだ。これまで傍若無人に過ごしてきたツケだろうが、そう思って反省するような性根ならばこのような事態に陥っていないだろう。

 

 この時、シャルナークはある1つの仮説を立てていた。

 それは自らを縛る鎖自体が掟の順守を判断しているわけではないんじゃないか? という仮説だ。

 曖昧なのだ。鎖によって定められた掟が。他者を傷つけると鎖が発動するとあるが、その他者を傷つけたと誰が判断するのだ?

 縛っている鎖そのものか? 鎖に縛られている対象が誰かを傷つけたとして、その誰かが傷つけられたと鎖が判断できるのか? それが本当に分かるのは傷ついたと自覚する本人だけではないのか?

 

 世の中には自覚せず相手を傷つける人もいる。別に傷つけるつもりもない、何気ない言葉で相手が傷つくこともあるだろう。道端に捨てた空き缶を誰かが踏んで転んで怪我をすることもあるかもしれない。

 そうなったら鎖は発動するのか? 否、シャルナークはこう考える。恐らく鎖が発動するのは、その掟を破ったと掟に縛られた本人が認識した時だ、と。

 

 例え相手が傷ついていたとしても、それをそうと認識していなければ鎖は発動しないのではないか? それがシャルナークの仮説。だが所詮は仮説だ。絶対であるとは言い切れない。

 だからこそウボォーギンに忠告をしておいた。ウボォーギンが気づかない内に他者を傷つけたりしないように。肉体面だけでなく精神面でも傷をつけないよう注意するように。

 

 もしこの仮説が証明されたならば、そこから掟の裏を取り、自らを縛る鎖から解き放たれるのではないか。そう希望を抱きながらシャルナークは思考を巡らせる。この希望が既にクラピカの言う屈辱を育む最高の肥料となっていることを理解しながらも。

 人は希望を抱くからこそ絶望を知るのだ。希望があるからこそ生き足掻き、例え屈辱に塗れようとも生にしがみつく。

 

 ――ああクソ。本当に最高の復讐だよこれは――

 

 クラピカに対する怨嗟のこもった罵詈雑言を内心で吐露する。今はそうすることしかシャルナークには出来なかった。

 

「ところでシャルよ。お前いつまでその格好でいるんだ?」

「……好きでこんな格好でいるわけないでしょ」

 

 突如として話は変わるが、シャルナークは現在ベッドの上で横たわっていた。だがその身体は誰が見ても異常だった。手足の関節という関節は全て外れているのだ。これに糸を吊るせばまるで精巧なマリオネットのようですらあった。

 

「くく、何だったらオレがハメてやろうか?」

「いいよ? 無理に関節をハメて、それでオレが傷つけばウボォー死んじゃうけどね」

「治療行為だろ?」

「んー。どうなんだろうね。実際掟を破るという判断基準が完全に分からないからね。少しでも可能性のある行為は止めておいた方がいい」

 

 難儀なことだ。そう思い、シャルナークは溜め息をつく。言葉1つでもよく考えて選び会話しなければならない。

 ここまで話しておいてシャルナークはウボォーギンに対して挑発めいたセリフを言うのを何度も止めていた。普段であれば仲間同士の戯れで済むが、万が一その言葉でウボォーギンが傷ついたら、傷つけたとシャルナークが認識し、それが鎖の発動条件となったら。そうなれば分かりきった結果しか残らないだろう。

 

「はぁ。今は皆に期待しようか」

「……そうだな。あいつ等ぶっ倒してここまで来てもらうしかねーか。ああ、情けねー……」

 

 今はここに居ない仲間の助けを期待するしかない2人であった。

 

「……腹減った」

「関節、元に戻してほしいなぁ」

 

 A級賞金首とは思えない呟きが部屋の中に溶けていった。

 

 

 

 

 

 

 激闘の夜が終わり、日付が変わりヨークシンに朝日が昇る。

 街中でビルが倒壊し銃撃戦が行われるという未曾有の事件が起こった次の日とは思えない程、一般の人々はいつも通りの生活を過ごしていた。

 警察によるある一角への通行禁止、事件に関する報道の規制が行われているためだが、それでも噂というモノは止めきることが出来ず人々は口々に昨夜の事件について憶測を飛び交わさせていた。

 

 そんないつもと同じようで違うヨークシンの街中をひと組の男女が歩いていた。

 1人は黒髪の青年。耳たぶのイヤリングと額に付けた白いバンダナが特徴的な男だ。だが1番の特徴はその整った顔立ちだろう。道行く女性が思わず彼に見とれる程の美形だ。

 もう1人は金髪の女性。多少鷲鼻が目立つも、モデルもかくやの長身でグラマーな体型に女性用の黒のスーツが似合っている。こちらも道行く男性がその身体に眼を奪われていた。

 やや一般人離れしている2人だが特に不審に思われるはずもなく、当たり前のように日常の街に溶け込んでいた。

 

 だが2人の正体は日常とは掛け離れた場所にいる存在だ。

 男の正体は幻影旅団団長クロロ=ルシルフル。そして隣を歩く女性は同じく幻影旅団の団員パクノダだ。ブラックリストにA級賞金首として載せられる盗賊団の彼らがこうして2人街を歩いているのはもちろん観光……というわけではない。

 

 彼らが目指すは仲間が侵入したと思われるエル病院。その目的は消息を絶った仲間の情報を集めること。こうして一般人を装い身を隠すこともなく大通りを歩いているのは、件の少女に対して不審がられないようにするための擬態であった。

 クロロの予想通りにエル病院で少女がシャルナークを討ち取ったとしたなら、その少女は今も病院にいる可能性はかなり高いとクロロは判断していた。

 

 旅団が侵入した病院で旅団を倒したのなら、他の旅団が病院に来ると少女は考えるだろう。そう思い至ったら少女はどうするか。逃げるか、それとも待ち構えるか。

 もし待ち構えていた場合、気配を消して侵入するのは非常に困難だとクロロは考える。シズクの記憶映像から確認出来た少女の実力は幻影旅団の予想を遥かに上回るものだ。そのような実力者相手に気配を消したとしても発見される可能性は高い。

 

 ならば堂々と隠れることなく病院に入ればいい。いくら何でも一般人の全てを捕らえるなどという暴挙はすまい。幸い記憶を読む能力を持つパクノダと様々な能力を有し機転のきくクロロの顔は敵に知られていない。

 故に病院に入るのはこの2人となり、残りのメンバーはそれぞれ別個に病院を目指す手はずとなっていた。

 ちなみに他のメンバーが選ばれなかったのは能力以外に一般人とかけ離れている容姿や態度が原因でもあった。

 

「本当にいるのですかだん……クーロ」

 

 思わずいつもの調子で団長と言いかけ、咄嗟にあらかじめ決めていた偽名を言い直すパクノダ。

 

「さあな。可能性はあるが絶対ではない。だが現状もっとも可能性が高いのがこの病院だ。ここで情報を入手出来なかったら奴を見つけるのは困難になるだろう」

 

 そうなってしまっては仲間の仇を取ることも、旅団が受けた屈辱を晴らすことも何も出来なくなってしまう。敵の戦闘力を考えたらここで退くのが尤も蜘蛛として正しい判断だろう。あれだけの実力者、倒せたとしても何人かは犠牲者が出てしまうかもしれない。

 いや、犠牲者を出さなければ倒すことは不可能だろうとクロロは考えていた。

 

 尋常ならざるオーラ量に、それを完全に使いこなす圧倒的技量。過去の記憶とシズクから得た記憶映像、その2つとも合致するオーラの質。

 あれがかつて流星街で見た悪魔の赤子であると確信する。そして同時に思う、あの時殺しておくべきだったと。赤子の状態ならば。あの化け物も文字通り赤子の首を捻るように簡単に殺せていたかもしれない。そうすればクロロは屈辱を喰むこともなくすみ、仲間も失わなかっただろう。

 

 ――いや、感傷だな――

 

 仲間を失ったのは蜘蛛であっても悲しいものだ。それが結成当時からの仲間だと尚更のこと。だがそれに感傷されることはあってはならない。過ぎた時は決して戻りはしないのだから。

 ならば蜘蛛としてすべきことはただ1つ。それは失った仲間を想うことでもなければ、過去を悔いることでもない。己たちに牙を向いた敵を葬り去ることだ。

 その為ならば病院はおろかヨークシン全てを戦場と化す所存ですらあった。

 

 

 

 程なくしてエル病院の入口に辿り着く2人。だが目の前にあるのはエル病院の正面入口ではなく、病院の裏手にあるそれよりも小さな入口だ。

 ここは病院関係者が出入りするための専用の入口だ。つまりそこから出入りするのは病院のスタッフ以外は有り得ない。そしてこのような早朝から病院を出るスタッフといえば、当然病院には付き物の夜間勤務のスタッフだろう。

 

 クロロが狙っていたのはそのスタッフだ。昨夜に起きた事件による緊急入院の患者は当然夜間勤務のスタッフが受け持っただろう。つまり情報を得るには夜間勤務のスタッフを狙うのが一番確実だということだ。さらに周囲に人気もないため疑われても誤魔化しもきく。

 既にエル病院の勤務体制は確認済み。あとは勤務明けのスタッフが出てくるのを待つばかりであった。

 

 そうして知人が出てくるのを待つかのように何食わぬ顔で裏口で待ち構えるクロロとパクノダ。待つこと数分、ようやく誰かが裏口から現れ、そしてそれを見たクロロとパクノダの顔が驚愕に染まった。

 

「ようこそ幻影旅団。歓迎しますよ」

 

 裏口から現れたのは1人の少女。少女はクロロたちを見て幻影旅団と言い切り、そして敵対するように向かい合っていた。

 クロロとパクノダが驚愕したのは己たちが幻影旅団だと言い当てられたから、ではなく、その少女の顔にこれ以上ないほどに覚えがあったからだ。

 

 そう、その場にいるのは蜘蛛が報復すると決めた敵。仲間を傷つけた憎き仇。アイシャその人であった。

 

「何のことかしら? 私達は――」

「間違っていたら謝罪しましょう。賠償もしましょう。刑にも服しましょう。ですので話は捕らえてから聞きます」

 

 有無をも言わさぬその言葉に言い逃れは不可能と瞬時に理解する。

 どういう理由かこの少女は己たちの存在を知っていた。いや、幻影旅団がエル病院に来ることを予期していたのはまだいい。少女がシャルナークをこの病院で倒し、幻影旅団がもう一度この病院に来ると予測したということだろう。つまりはクロロの推測が当たっていたことになる。

 

 だが、そうだとしてもだ。どうして今この場に現れ、自分たちを幻影旅団だと断定出来たのか。なぜ襲撃時間まで予測出来たのか。なぜ顔が割れていない2人が幻影旅団だと分かったのか。なぜ裏口を張っているのがバレたのか。

 様々な疑問がクロロの頭に浮かび、そして1つの答えを導き出した。

 

「……ユダ、か」

 

 ポツリと零した言葉に真っ先に反応したのはパクノダだ。

 ユダ。その言葉の意味するところは裏切り。すなわち蜘蛛の中に裏切り者がいるとクロロは判断したのだ。パクノダは早計ではないかと思う。念能力の可能性もあるだろう。念ならば旅団のあずかり知らぬ方法で自分たちの襲撃を見越して動くことも出来るだろう。現に旅団の地下競売襲撃は予測されていたのだ。それを念能力での情報収集だろうと判断したのは他でもない、クロロだ。

 

 だがクロロは今回の襲撃に対する少女の対応が念能力による情報からもたらされたモノではないと判断していた。その理由は至って単純だ。あまりにも的確過ぎるのだ。

 自分たちの襲撃時間、裏口を張った行動、そして2人の正体。その全てが少女にバレている。これら全ての情報を念能力で入手出来るのならば、初めからその能力で旅団の地下競売襲撃を防げば良かったのだ。あのように襲撃が起こった後に慌てて割って入ることもないだろう。

 

 この点からこの少女は情報収集系の能力を持っていないと考えられる。例え持っていたとしてもクロロが判断した通り曖昧な情報しか手に入れられないのだろう。ならば少女がこの場にこうしてタイミングよく現れた理由はただ1つ。全ての情報を知る旅団員の誰かがその情報を少女に教えた他にはない。

 

「やれやれ。オレ達を売ったのはヒソカか?」

「……」

 

 問いかけるもアイシャはそれに応じず蜘蛛の2人を油断なく見据える。

 果たして本当に幻影旅団を売ったのはヒソカであるのか? それは正しくクロロの読み通りヒソカの仕業であった。

 アイシャ達は幻影旅団に対してどう対応するか話しあった後にそれぞれが休息についた。疲労が重なりオーラも尽きかけていた彼らに必要なのはたっぷりの睡眠時間だ。ゴンに至っては未だ内臓の損傷が回復しきっていないのだ。ゆっくりと休みオーラを回復させ、そこからレオリオの能力により治療する予定だった。

 

 唯一アイシャのみ余裕があったので夜間の襲撃に備えてエル病院に移動してから休息を取っていたのだが、明け方になってからヒソカから突然の連絡が届いたのだ。

 内容は幻影旅団の襲撃、その時間と方法であった。その全てを話し終えたヒソカはアイシャの言葉を無視して一方的に電話を切った。

 せめてもっと早くに知らせてもらえればやりようもあったものをと愚痴るが、致し方ないことだとアイシャは割り切る。

 直様にゴン達へと連絡を取り、アイシャが時間を稼ぐという昨晩立てた作戦が全く意味のない行き当たりばったりの結果になってしまった。

 出来たことは病院側に通達して裏口付近へ誰も来ないように指示するくらいのことだ。またもハンターライセンスの効力を味わうこととなったアイシャであった。

 

 クロロの言葉に反応しないアイシャの代わりに応えたのはまたもパクノダだった。

 

「ヒソカが!? それは本当なの?」

「さあな」

 

 パクノダの叫びにそう返すが、あの中にユダがいるとしたらヒソカだろうとクロロは確信していた。

 他の団員を信じている、とかではない。ヒソカの本性をどことなく理解しているクロロはいずれこうなるだろうと思っていたのだ。

 ヒソカが本心から蜘蛛に入団したわけではないとクロロは理解していた。狙いは恐らく自分だろうと考えていたクロロはヒソカと1人で対峙しないようにつとめていた。

 別にヒソカと戦うのが怖いとかではなく、ヒソカがこの状況からどうやって自分を狙ってくるのかを楽しんでいたのだが、今日このタイミングで来るとは流石に想像していなかった。

 

 ――オレもヤキが回ったか――

 

「……」

 

 クロロが内心で自嘲している間にもアイシャは何も言葉を発さずにただ2人を見据えていた。いや、アイシャの目線はパクノダを視界に入れつつもクロロの顔に集中していた。その表情には訝しげなモノが浮かんでおり、先ほどとは少々様子がおかしかった。

 

「オレの顔に何か付いているのか?」

 

 実際にはそんなことはないと分かっているが、あまりにもアイシャの視線が集中していたのでクロロは思わず冗談めいた言葉を発する。

 

「いえ……いや、あなた……何処かで会いませんでしたか?」

「はあ? 何この子? この状況でナンパ?」

「ナンパではありません! ……いえ、失礼しました。多分勘違いでしょう」

 

 アイシャの言葉に呆れるパクノダだったが、クロロはそうではなかった。その言葉を聞き、この少女と初めて出会った時を再び思い出す。

 確かに目が合った。笑いかけられもした。明らかに意思を持ってオーラ操作をしていた。そう思い出したクロロは思わず呟いた。

 

「まさか……覚えているのか?」

「え? やはり何処かで?」

「ちょっと。本当なの団長?」

 

 もはやパクノダのクロロに対する呼び方が偽名どころか幻影旅団であることを示唆するようになってすらいたが、クロロもそれに突っ込む余裕はなかった。

 

「流星街でオレ達は会っているはずだ。悪魔の赤子よ」

 

 そう言いながらクロロは額を覆うバンダナを外しその額の逆十字の刺青を晒し出す。

 

「っ! その呼び名。そうか、あなたは流星街の出身ですか。あなたとは何処で……流星街で出会った人はそう多く…………そうか思い出した! その顔! 額の逆十字! 私を見て逃げ出したあのイケメン少年!」

「は? ちょっと何言ってんのこの子。いや団長は確かにイケメンだけど。悪魔の赤子ってアレ? ずっと昔に団長が近寄るなって言ってた流星街の禁忌のこと? あれってもう死んでるって話じゃなかったの?」

 

 そんなパクノダの多くの疑問を無視するかのように2人は会話を続ける。

 

「……驚いたな。本当に覚えていたのか。赤子の時から尋常ではなく、意志を持っていたのは分かっていたが。まさか覚えているとは思わなかったよ」

「ええ覚えていますよ。あなたが私を見捨てて逃げたのもね。おかげさまで素敵な出会いに恵まれましたよ。幻影旅団の団長なんかに拾われなくて本当に良かったです」

「くく、酷い言われようだな。もしオレがお前を拾っていたらどうなっていたのやら」

「その時は感謝を込めてあなたを徹底的に矯正していましたよ。育ての親となる人が強盗殺人の常習犯になるなんて以ての外。道徳という言葉を意味だけでなく行動で体現出来るようになるまで叩き直していたでしょうね」

「それは怖いな。拾わなくて正解だったよ」

「ええ。お互い助かりましたね」

 

 会話について行けないのはこの場ではパクノダだけだった。一触即発の空気の中でよくこのような会話が出来るものだとある意味感心すらしていた。

 

「さあ、あるかないかのIFの話はもういいでしょう。抵抗するならしても構いません。仲間が集まる前に……これは」

「気付いたか。話を終わらせるのはいいが、別に無駄な話というわけでもなかったんだよ」

 

 クロロは異変に気付いたアイシャに対し懐から携帯電話を取り出して見せつける。それはただの携帯電話だ。ただし通話中のままの、であったが。

 クロロはパクノダと2人で行動している間、常にマチの携帯電話と通話中にしていたのだ。常に携帯電話にイヤホンを接続し、クロロ側の行動を確認していたマチが異変を察知したら即座に他の団員に知らせるようになっていた。

 クロロがアイシャと会話していたのは仲間が合流する時間を稼ぐためでもあったのだ。

 

 四方八方から続々と幻影旅団が集合する。アイシャが気配を感じて全員が集まるまでに10秒と掛からなかった。

 病院を背にしたアイシャを8人の蜘蛛が囲む。だがその中にヒソカの姿はなかった。

 

「よう。会いたかったぜ女!」

「こうして見てみりゃ普通の女だな」

「油断しちゃダメだよ! よく分からないけどオーラを纏っていないのに私はやられちゃったんだから」

「ヒソカのやつ! ここに来ないってことは本当にあいつがオレ達を裏切ったのか!」

「だとしたらオレ達の情報をマフィアが知っていたのもアイツの?」

 

 蜘蛛の面々は口々に感情を吐露する。仲間の仇であるアイシャを前にして、さらにその仲間の1人が裏切ったとなったら興奮するのも無理はないだろう。

 だが、その癖の強い団員たちの興奮を団長たるクロロは一言で鎮めた。

 

「黙れ」

 

 絶対的なカリスマとプレッシャーを以て放たれたその一言は旅団員の頭を冷えさせるのに十分だった。

 そう、敵は目の前にいる。それも初めてまみえる程の強敵が。頭に血が上って勝てるようなら苦労はしないだろう。

 全員が静まりかえったところでクロロはアイシャに対して話しかける。

 

「さて、オレの仲間はどうした? シャルナークを倒したのはお前だろう。ウボォーギンもお前がやったのか?」

「さあ? 私を倒して拷問でも何でもして吐かしたらどうですか?」

「お前は先ほどオレ達を捕らえると言ったな。つまりシャルも殺さずに無力化して捕らえているということか。だとしたら1人ではないな。シャルを見張る奴が……いや、お前の念能力によっては1人でも可能か。どちらにせよ仲間がいる可能性はある。全員油断するなよ。ヒソカもどこから何をしてくるか分からんからな」

 

「ああ!」

 

 流石は幻影旅団を纏める頭か。その頭脳はアイシャも舌を巻くほど明晰なものだった。

 蜘蛛は獲物を前に舌なめずりなどせず、確実に仕留める為にそれぞれがアイシャを油断なく見据えその身を強力なオーラで覆っていく。

 

「……殺れ」

 

 クロロの言葉を合図に、武神と蜘蛛の死闘が始まった。

 

 

 




 原作でヒソカがクラピカに教えた旅団の能力はウボォーギンとシズクの2人だけですが、この小説では7人分の能力を教えています。本気で旅団を潰してその後にアイシャと殺り合いたいからこうなりました。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十二話

 風間流の基本の構えを取るアイシャに対し、先手を取ろうと攻撃を仕掛けたのは旅団でもかなりの武闘派であるフィンクスだ。これから始まる死闘が楽しみなのか、凶悪な笑みを浮かべたままオーラを漲らせてアイシャへと突撃していく。

 もちろん考えなしの行動ではない。その後ろからはフィンクスを援護すべく蜘蛛が行動する。タイミングを合わせてパクノダは拳銃から弾丸を、マチは先端に針を付けた極細のオーラ糸をアイシャに向かって放つ。仲間の援護を信じての突撃だった。

 

 その連携をアイシャは縮地を用いて回避する。足裏に集めたオーラを高速回転させ、円を描くように移動し一瞬でフィンクスの裏を取る。

 シズクの記憶映像で事前に見たことのある動きとはいえ、見るのと体験するのでは訳が違った。フィンクスはその急激な動きについて行けずに無防備な背中を見せてしまう。フィンクスの裏を取ったアイシャは人数を減らすことを優先し、浸透掌にて一撃で仕留めようとする。

 

 だがそれを簡単に許す旅団ではなかった。マチは糸による拘束から敵が逃れたと悟ると前進していたフィンクスを引っ張り戻したのだ。予め糸を付けていたのだろう。アイシャを難敵と理解しているからこその準備だ。

 素早い判断に敵ながら見事と内心で称賛するも、アイシャもすぐに動き別の敵を狙いに行く。

 

 その時、不意に聞こえた音色を怪訝に思いアイシャが咄嗟に飛び退くと、先程までアイシャがいた地面にランスが突き刺さっていた。

 棒の両先端に刃のついたランスを構えて攻撃を仕掛けたのはボノレノフだ。体中の至るところに空いた穴から多様な音を奏で、そのメロディを戦闘力に変える一風変わった能力の持ち主だ。

 だがその実力は旅団の戦闘要員だけに一級品だ。音を奏でるその不思議な動きに惑わされないようアイシャも気を引き締める。

 

 攻撃を躱し続けるアイシャに蜘蛛の怒涛の連撃が迫る。

 糸を張り巡らせアイシャの縮地による移動を制限しようとするマチ。

 銃弾に周をすることでその攻撃力を底上げし、アイシャの動きを牽制するパクノダ。

 腕を回すことで攻撃力を強化し仲間の援護を得て全力で攻撃に集中するフィンクス。

 様々なメロディを奏で、独特な動きと念能力でアイシャを翻弄しようとするボノレノフ。

 懐から出した強力な毒を塗った刃物を左手で持ち、物体をコピーする能力で右手から大量に複製して射出するコルトピ。

 

 まさに息もつかせぬの連続攻撃。一歩間違えれば仲間にすら当たりかねない程のギリギリの攻撃だった。

 だが、その連撃をアイシャは見切り、逸らし、躱し、捌き、受けながし、その全てを無傷で切り抜けていた。

 

「マジかよ。これだけやって無傷だぁ?」

 

 アイシャの神業とも言える技術にさしもの旅団も焦りを見せた。

 1人の敵に対してこれだけの人数で掛かること自体が旅団にとっても覚えのないことだ。だと言うのに、目の前の少女はそれでも無傷のまま変わらぬ姿で佇んでいた。

 

「纏すらしていないのにこれは……」

「落ち着け。恐らく奴は何らかの能力でそのオーラを隠しているのだろう。オーラなしであれだけの攻撃を無傷で切り抜けることなど不可能だ」

 

 動揺する手足に頭からの言葉が行き届く。

 確かにそうだ。オーラを使わずにオーラによる攻撃を防ぎきるのは不可能だ、と。

 攻撃のほとんどは当たりさえしなかったが、幾つかの攻撃は確かにアイシャの身に届いていた。正確にはアイシャが触れていなしていたのだが、それでもオーラによる攻撃が触れたのは間違いない。

 あれだけの念を込めた攻撃が僅かとはいえ触れたというのに、一切のダメージを負わなかった理由。それはクロロの言う通り自分たちでは分からないようにオーラを隠しているのだろう。

 その結論に至った団員たちから動揺はなくなっていた。カラクリがある能力ならば攻略法もあるはずだろうと希望を抱ける。

 

 そうして動揺をなくした蜘蛛を見やりながら、アイシャは攻勢に出ようとはしなかった。動揺している時に仕掛けたなら、クロロがアドバイスを入れる前に1人くらいは仕留められたかもしれない。それでもアイシャが動かなかったのはある理由があった。

 

 それは未だ動かずにいる3人の旅団員が原因だった。

 

 クロロは右手に本を持ったまま戦闘を静観し、ノブナガは半径4m程の円を発動したまま居合と呼ばれる構えを取り続けていた。しかもその瞳はどのような理由があるのか完全に閉じられている。シズクは掃除機を具現化してはいるものの、やはりクロロと同じように静観している。

 凄まじい剣気を溜め込んでいるが瞳を閉じているノブナガ。クロロとシズクに至っては攻撃の気配すら感じられない。それが逆に不気味さを増していた。

 何かを狙っているのは明白。恐らく隙を突いての奇襲攻撃を行おうとしているのだろう。手段についてもある程度の予測は立つが、流石に全てを読むことはアイシャと言えども出来ない。

 

 ――まあ、それだけ分かれば十分か――

 

 敵が何をするのか分からないのは念能力者同士の戦いでは当然のことだ。それが複数に囲まれていれば尚更のこと。何をしようがその全てに対処すればいいだけの話。ある意味極論とも言える結論を出したアイシャであった。

 

 戦闘当初と変わらず風間流の基本とも言える構えを取るアイシャ。それに対して蜘蛛も変わらず包囲網を敷いていた。

 だがこのまま攻撃を続けても先ほどと同じ結果になるのは目に見えている。そう考えたフィンクスは危険を承知でアイシャの動きを封じようとする。

 

 決意を込め、腕を勢いよく回し拳の攻撃力を増大していく。

 20、いや30回転はさせたか。腕の回転を止めた瞬間にその腕の拳のオーラが爆発的に膨れ上がった。アイシャから見ればその右拳で攻撃しますよと大声で叫んでいるようにしか見えない行為だ。だがあれだけのオーラが籠められた拳がまともに直撃すれば流石のアイシャも怪我などという生易しいものではすまないかもしれない。

 そう警戒させるのが目的なのか。仲間の援護でアイシャの動きが止まるのを期待しているのか。どちらなのかはアイシャには分からないが、黙って攻撃を許すつもりは毛頭なかった。

 

「行く――」

 

 行くぜ。そう言葉にしようとしたのだろう。だがそこから先の言葉が声になることはなかった。

 一歩。そう、たった一歩前に出ようと足を動かした瞬間。意識が攻撃の為の移動へと向いた瞬間。その瞬間の隙を突いたアイシャの足刀がフィンクスの右足の甲を踏み抜いていた。

 

「がぁっ!?」

 

 オーラをたっぷりと込めた足刀で踏み抜かれた足は骨ごと砕け、半ば潰れかけてすらいた。アイシャはそのまま足を踏みしめたままフィンクスに密着する。完全に身体の内に入り込まれたフィンクスは莫大なオーラが籠められた拳を振り下ろすことさえ出来なかった。

 密着する勢いをそのままに肘打ちを鳩尾に叩き込む。更に勢いは殺さず、円を描くように靠撃(こうげき)にて追撃。一連の動作の間に踏みにじられていく足からは激痛が走っているだろう。

 骨が砕ける音が辺りに鳴り響き、踏みしめられた右足の甲は半ばからちぎれ、そのまま後方にいたクロロに向かってフィンクスは吹き飛ばされていった。

 

「フィン――!」

 

 意識を完全に失い吹き飛んでいく仲間に思わず眼を向けてしまったパクノダ。仲間を想うその行動は、アイシャを前にして致命の隙を生み出す最悪の行動となった。

 アイシャは吹き飛ぶフィンクスの射線上にいたクロロにではなく、一瞬の隙を作ったパクノダに向かって間合いを詰めたのだ。

 クロロがフィンクスを受け止める素ぶりを見せていたならばそのままクロロを攻撃する予定だったが、クロロは冷静に死闘を見つめ勝つための最善を取ろうとしていた。

 すなわち仲間を受け止めて自らの隙を作るのではなく、仲間を切り捨ててでも敵から眼を背けないという非情だが正しい判断をしたのだ。

 

 だが残りの蜘蛛の全てがそうではなかった。隙を作ってしまったパクノダはアイシャの接近を許してしまう。旅団の生命線であるパクノダを救おうと残りの団員たちが動くが、その全てはアイシャよりも遅かった。

 

 衝撃の全てを内部に叩き込む為に掌底を作り関節をしならせ腹部を叩く。掌底によって内部へと伝わる衝撃はパクノダの内臓をこれでもかと言うほどにシェイクしていく。その衝撃にダメ押しとばかりにオーラが乗せられるのだ。五臓六腑が無事で済むわけがなかった。全身の力を失くしたかのように力なく崩れゆくパクノダに対し、アイシャは念を押して顎にも掌底を叩き込む。

 脳と内臓を揺さぶられたパクノダにもはや戦闘力など微塵も残らず、完全に意識を飛ばし大地へと沈んだ。

 

 まさに瞬殺。いや2人とも死んではいないのだが、この時にはこういう表現でもあっているだろう。2人の旅団を無力化したのに有した時間は1秒にも満たぬ刹那の時。瞬く間に2人の仲間を無力化したアイシャに対して蜘蛛は驚愕どころか最早ある種の尊敬すら感じていた。

 

「ホント、こうまで嫌な予感が当たるなんてね。もしかしたらあたしって予知能力者かもしれないね」

「かもな。次からはお前の勘は絶対に信じることにしよう」

「ぼくも。でも今だけは――」

「ええ。勘なんて力ずくで捩じ伏せるわよ」

 

 だがそれでも蜘蛛の闘志が鈍ることはなかった。むしろ更なる闘志と覚悟を込めてアイシャへと向き直る。その目から、いや全身から立ち上る決意にアイシャも自然と警戒心を強める。

 

 ――ああいう覚悟を決めた眼をした敵は手強いな――

 

 長年の経験から、今の蜘蛛と似たような状況の敵とは幾度となく遣り合っていたアイシャには良く分かった。

 例え圧倒的なまでに実力に差があっても、覚悟を決めた者は時に予想外の力を発揮することがある。これは念能力者の戦いでは稀に見られる現象だ。

 覚悟に比例したかのように前衛を受け持つ3人のオーラがその身から迸る。アイシャはその3人と後方の3人、全ての蜘蛛から注意を逸らさずに自然体にて待ち構える。

 

 

 

 アイシャとの戦闘を考慮に入れてクロロは、団員たちに各々がすべきことをあらかじめ伝えていた。それを疑うことなく従い、ノブナガは仲間が傷つき倒れようとも居合の姿勢から微動だにすることはなく、シズクもまた歯噛みしつつも戦局を見守っていた。

 もちろんマチ達もやるべきことを仰せつかっている。それこそが命を賭してでもアイシャの動きを止めること。ほんの僅かでもいい、刹那の隙を作り出すために死ねと言われたのだ。

 

 そしてそれを全ての団員が承諾した。捨て駒にすると命令されてなおクロロの命令に是と返したのだ。

 自らの命を自らの物と考えず、全員で1つの蜘蛛として完全に割り切っている彼らに、命を賭す躊躇いも恐怖もなかった。

 すべきことは唯1つ。ならばそれを全うするのみ!

 

 攻撃の為に身体中の穴からメロディを奏で始めるボノレノフ。そのボノレノフの動きを合図にマチとコルトピは動き出した。

 全身全霊のオーラを振り絞って突撃、いや、特攻を敢行する。ただの攻撃では返り討ちに遭うのは目に見えている。敵は個の力にて蜘蛛を凌駕せんとする化け物だ。

 故に捨て身。生命力をそのままオーラに変換したかのような爆発力を発揮し、マチとコルトピは今までにない速度でアイシャへと捨て身の特攻を仕掛ける。

 

 その覚悟から来る圧力を感じながら、アイシャは敵の脅威度を一段階上に引き上げる。

 

 この捨て身の特攻を避けるのはアイシャには容易なことだ。オーラの放出を用いて空へと飛翔すればいい。制空権を有するアイシャに対抗出来るのは強力な遠距離攻撃を有する能力者か、同じく空を飛べる能力者くらいだ。

 だが、アイシャはその選択肢を選ばなかった。

 

 何故ならオーラを放出するとそのオーラは【天使のヴェール】によるオーラ隠蔽の効果を受け付けなくなってしまうからだ。

 そうするとどうなるか? アイシャが持つ死者の念による負のオーラがこの場に大量に撒き散らされ、身体や心の弱い者に大なり小なりと影響を与える可能性が高いだろう。

 実際どうなるかは分からないが、アイシャはその可能性を非常に懸念していた。この戦いは身体や心が常人より弱っているだろう病人が多数存在する病院の敷地内で行われているのだ。僅かでも可能性がある限り、アイシャは【天使のヴェール】を解除することもオーラを放出することも選択肢に入れるつもりはなかった。

 

 ちなみに理由はもう1つある。アイシャは気付いていないかもしれない理由だが。

 この覚悟を秘めた攻撃をそのような方法で回避してしてしまうと、負けてしまったと心の何処かで思っているからだった。要するにただの負けず嫌いなだけである。

 

 アイシャは迫り来る敵に対してオーラを高め迎撃の体勢を取る。

 右手を天に、左手を地に向け不動の構えにて敵を迎え撃つ。

 

 コルトピはその手に何の武器も持たず無手にてアイシャに特攻する。己の拙い攻撃力では何をしようとも無意味だと断じ、ならば死してでも敵に組み付いてやろうという魂胆だ。己自身を武器とみなして全てを込めて特攻する。

 

 マチは周りの木々や車に張り巡らせた糸の大元を強く握り締める。この大元の糸を引き絞れば周りの糸は中心に向かって全て収束するようになっていた。糸の中心にいるのは当然敵であるアイシャだ。この糸を引き絞れば糸の結界の中心にいるアイシャは糸に絡め取られて身動きが取れなくなるだろう。

 そして同じ空間にいるマチとコルトピも糸に絡め取られてしまう。それは分かりきった結末。だがそれで命令を実行でき、仲間へと希望を繋げられるならマチもコルトピも本望であった。

 

 ボノレノフは2人の特攻にタイミングを合わせてメロディを奏で終える。曲名は『木星』。そのメロディから使用される能力も同じく【木星/ジュピター】であった。

 その能力は音速で飛来する巨大な念弾だ。それがその名に負けぬ威力で敵を押しつぶすであろう。もちろん仲間も巻き添えにしてしまうだろうが、この一撃を放つ躊躇はボノレノフにはなかった。

 例えボノレノフの立場に他の誰が立っても同じ行動を取っただろう。それが蜘蛛の矜持なのだから。

 

 

 

 だが、命を賭した捨て身の特攻も、己を捨てて仲間へと繋げる献身も、蜘蛛の矜持を乗せた一撃も――アイシャの百年を超える研鑽の前に砕け散ることとなった。

 

 アイシャはオーラを左手に集め、そのオーラを高速で乱回転させる。ネテロとの戦いでも使用した念の応用技『廻』を更に応用した技だ。

 掌で強力な回転を繰り返すオーラは、その威力と密度を上昇させながら迫り来るコルトピに対してその牙を剥いた。

 アイシャがコルトピに対して放ったのは浸透掌でもなんでもないただの掌底。だがその掌底は乱回転によって籠められたオーラ以上の破壊力を有していた。

 

 覚悟は確かにオーラの力を強めるだろう。命を捨てても構わないという強い覚悟を籠めたその特攻は、コルトピの限界を遥かに超えた領域まで昇華していただろう。

 だが覚悟にも、想いの強さにも限界というものはある。どれほどの覚悟を籠めたところで無限大に威力が高まる訳が無い。

 結果としてコルトピの特攻はアイシャに組み付くことはおろか、その身体を僅かも後退させることすら出来ずにその掌底によって吹き飛ばされることとなった。

 

 アイシャはコルトピを吹き飛ばす際、その隣にいるマチを巻き込む角度で掌底を放っていた。直接掌底を受けたわけではないマチもそのあまりの威力と勢いに耐え切れず吹き飛ばされそうになる。そうなる前に何としてもアイシャの動きを止めようと糸を引き絞るが、それも無意味と化すこととなった。

 アイシャは左手で掌底を放った直後、間髪入れず右手で手刀を作りそれを振り下ろす。極限まで薄く研ぎ澄ませた刃状に変化させたオーラを纏い振り下ろされたその手刀は、アイシャに向かって収束しようとする糸の全てを断ち切った。

 

 マチとコルトピが吹き飛ばされると同時に巨大な念弾がアイシャを押しつぶさんと襲いかかる。2人の同時攻撃を対処した隙を突いてのその攻撃だったが、先の攻撃すらアイシャに隙を作るには至っていなかった。

 音速にて襲いかかる巨大な念弾を膨大なオーラを籠めた蹴りで迎え撃つ。弓矢の如く引き絞られた蹴りを受けた【木星/ジュピター】は、やはりアイシャにダメージを与えるには及ばず空中にて崩壊した。

 

 その一連の行動はほぼ全てが同時に行われ、またそれぞれの攻防に瞬時に数多の念の応用技術が用いられていた。

 基本と応用のみを只管に鍛え続けたアイシャのみに許された絶技。武人としてアイシャと同等の領域に立つネテロでさえこれだけの技術を同時に扱うことは出来ないだろう。

 

 それだけの絶技を放ったアイシャの心境は……驚愕と感心だった。

 

 ――これが狙いか!――

 

 ボノレノフの【木星/ジュピター】を蹴撃にて打ち砕いたと同時に、アイシャの身に煌く刃が迫っていた。

 その刃を放ったのはノブナガ。クロロの後方にて居合の構えを維持しながら待機していたノブナガが、何時の間にかアイシャの真横に存在していたのだ。

 

 移動した気配もなく自身の真横に出現したこの現象は、瞬間移動に属する能力によるものだろうとアイシャは見抜いた。放出系を駆使すれば可能な能力で、アイシャの戦闘経験にも同じような能力者と戦った経験は幾度かある。なのであの場から瞬間移動による攻撃をする可能性も考慮に入れていた。

 だからアイシャは蜘蛛の同時攻撃を迎撃している間もクロロ達に対する注意を怠ってはいなかった。だが、それでも予期出来ぬレベルでの能力発動。

 

 それもそのはず、瞬間移動の能力を用いたのはノブナガではなくクロロだったのだ。

 

 相手の意を読んで戦うアイシャはノブナガの強力な敵意を完全に読み取っていた。ノブナガからは能力を発動しようとする気配は微塵もなく、ただひたすらに間合いに入った者を切り殺そうという剣気のみが溢れていた。

 対してクロロからは何の意も感じられなかった。完全に戦闘を静観する傍観者と化していたクロロだったが、アイシャがボノレノフの【木星/ジュピター】に対処しようとした瞬間に能力を発動する。

 今の今まで全くと言っていいほどに何の意も放っていなかったというのに、好機を見つけるやいなやの判断から下されたその働きはアイシャも称賛する程の能力発動速度であった。

 

 クロロの能力が発動したと同時にノブナガはアイシャの真横へと出現していた。だが瞬間移動にて出現したノブナガはその事実に全くと言っていいほど気付いていなかった。

 彼がクロロより受けていた命令はこうだ。『眼を閉じ円を展開して居合の構えを維持しろ。間合いに入った者は誰であろうと確認せずに斬り殺せ』。

 居合の構えを維持し続け只管にオーラを練り上げていたノブナガは、命令に従い円の範囲内に入った異物に対し抜刀術を繰り出す。

 ノブナガに突然の瞬間移動による驚愕などあるわけがない。眼を閉じていた彼は己が移動していることさえ気付いていないのだから。

 

 対してアイシャは蹴りを放って巨大な念弾を砕いている最中。オーラの放出による移動は病院にいる病人を憚って使用は禁じている。右足は天に向かって蹴り上げられ【木星/ジュピター】を砕いているため、残った左足は大地を踏みしめかなりの圧力が掛かっている。故に縮地による移動も使用出来ない。

 もはやここに至って避けるのはアイシャをして不可能であった。

 

 ノブナガが練り上げたオーラを全て籠めた渾身の抜刀術は、アイシャにしても驚愕とも言える速度であった。アイシャの長き経験から見てもこの攻撃速度は類を見ないものだ。唯一の例外がネテロの【百式観音】だが、まあそれは例外過ぎるだろう。

 

 兎角、その速度の秘密はノブナガの念能力にあった。

 ノブナガの能力は蜘蛛にてタイマン限定と言われている。その言葉は能力の制約を聞けば納得するだろう。

 ノブナガの能力を発動する為には円を展開し常に居合の構えを維持しなければならないのだ。つまり敵に向かって移動することが出来ないということである。

 向かってくる敵に対してはその発動条件を満たすことが出来るが、逃走した敵には全くの無意味。いや、敵が複数いれば能力を発動する前に四方を囲まれ攻撃に晒されるだろう。故にタイマン限定とまで言われているその能力だが、その効果は至って単純明快なものだった。

 それは対象が円の範囲に入った瞬間、居合からの抜刀術の速度と斬撃の威力を強化するという単純極まりない能力だ。だが、単純ゆえに強力とも言える。発動すれば避けることはまず不可能、必ず当たる強力無比の一撃。

 その一撃が、旅団の執念を乗せた一撃が今、アイシャの肉体を……切り裂いた。

 

 

 

 

 

 

 時はアイシャと蜘蛛の死闘が始まる前まで遡る。

 燦々と輝く太陽が朝日となってヨークシンを照らす中、4人の人影がヨークシンを疾走していた。

 疾走しているのはゴン、キルア、クラピカ、レオリオの4人。彼らは昨夜の対旅団作戦会議が終了した後、泥のように眠っていた。死闘をくぐり抜けオーラも気力も尽きかけていたのだ。そうなるのも至極当然のことだろう。

 

 そんな彼らが目覚めたのはクラピカの携帯電話が鳴ったためだ。電話の相手はエル病院に先行していたアイシャだった。

 アイシャからもたらされた情報は、起きたてで回りきっていなかった脳を活性化させるには十分過ぎる程のものだった。

 旅団襲撃の報せである。蜘蛛の連中がアイシャの弱点を探るため、動かせる団員全てでエル病院に襲撃を掛けようとしていたのだ。それに慌てない者は4人の中に誰1人としていなかった。直ぐさま仲間をたたき起こし簡潔に情報を伝達し慌ててホテルより駆け出す。

 

「まさかこんな早くから蜘蛛が動くとはよ! 盗賊なら盗賊らしく夜に動きやがれってんだ!」

「同感! もうちょっと休ませろよな!」

 

 レオリオとキルアの文句もまあ仕方のないものだろう。

 別に盗賊が必ずしも夜間でのみ行動すると決まっているわけではないのだが、目立たないように動くのが犯罪者の大半の行動心理だろう。その上、昨夜の疲れが癒えぬままにこの騒動だ。文句の1つも言いたくなるというものだ。

 

「レオリオ大丈夫!? オレの怪我を治したせいで疲れてない?」

「ああ、これくらいへっちゃらだよ!」

 

 特にレオリオはこの中で最も体力とオーラを消耗していた。

 回復に当てる時間が少なかっただけでなく、オーラ量が最も少ないという点と、ゴンの治療の為に朝方から【掌仙術/ホイミ】を使用したためだ。

 ゴンがウボォーギンから受けた傷は完治していなかったのだが、昨夜はオーラが回復しきっていなかったのである程度オーラが回復した明け方に急遽治療となったのだ。

 そのせいもあってレオリオの体調は戦闘に支障が出る程に芳しくないものだった。徐々にではあるがレオリオと他の3人の距離に差が開いていく。地力の差もそうだが、やはりそれ以上にレオリオの消耗は激しかった。

 

「レオリオ!」

「大丈夫だ! それよりも、オレを置いて先に行け!」

 

 息を切らせながらもレオリオは自分よりアイシャを優先しろと仲間に叫ぶ。

 

「分かった!」

「いや待てゴン!」

 

 レオリオの気持ちに応え移動速度を上げようとするゴンに対し、クラピカが制止の言葉を掛ける。

 

「どうしたのクラピカ?」

「レオリオを置いて行く必要はない」

「なに、言ってやがる! 早くしないとアイシャが! お前らだけでも! 先に、行けよ!」

「落ち着け! そう簡単に殺られるアイシャではない! 私たちが束になっても勝てないんだぞアイシャには」

 

 クラピカの言葉にゴンとキルアは落ち着きを取り戻す。確かに、ビスケを含めた4人がかりでも勝てなかったのだ。例え幻影旅団が相手だといえ負けるところなど想像出来なかった。

 

「そうだな。ああ、なんかオレ達が着いた頃には旅団が全員やられてたとかありそうだな」

「あはは。本当にありそうで怖いね」

「だからってよ。助けに行かないわけじゃ、ねーだろうな!」

「そんなわけないだろう。だがなレオリオ。敵はあの幻影旅団だ。今の私たちでは1人を倒すのが精々の強敵。そんな奴らを相手に下手に横槍を入れてしまえばアイシャの足を引っ張ってしまう可能性もあるだろう」

 

 ウボォーギンが旅団の平均戦闘力ではないのだが、戦闘を通じて接した旅団員はウボォーギン1人なのでクラピカ達があれを参考にするのは当然だろう。むしろウボォーギンは個人戦闘力に置いては幻影旅団でもトップクラス、単純な攻防力で言えば比肩するものなど1人もいないのではあるが。

 

「じゃあ、どうしろって、言うんだよ!」

「旅団の隙を突いての奇襲攻撃。これしかあるまい」

「奇襲攻撃?」

「その通りだ。これから私たちは絶にて気配を絶って病院に近づく。旅団に気づかれないようにだ。そして戦況を確認し、隙を見て一斉に攻撃をする」

「なるほどな。アイシャ1人で3人の旅団を圧倒したって言うし、残った旅団もアイシャ相手じゃ苦戦は免れない。そうしてアイシャに気を取られている隙を突いて――」

「後ろからドカーンってわけか」

「そういうことだ。レオリオ、絶は当然出来るんだろうな?」

「へっ! オレが誰と一緒に修行したと思ってやがる。忍者ハンゾーとの修行で鍛えられたオレの絶を見せてやるぜ」

 

 そう言ってレオリオは絶にて気配を完全に消した。それはゴン達から見ても完全な絶であり、目の前にいるのにまるで存在感をなくしていたほどだ。

 

「やるじゃんレオリオ」

「ああ、十分な絶だ。いいか、ここからは常に絶で行動する。目的地に辿り着いたら状況を確認して行動に移る。いいな」

「うん!」

 

 そうして4人は気配を絶ったまま病院へと移動する。

 気配を消す為にその移動速度も遥かに遅くなってしまうが、焦らずアイシャを信じて確実に病院へと近づいていった。

 

 4人が病院の裏手を一望出来る場所まで辿り着いた時には既にそこは戦場と化していた。アイシャは件のオーラ隠蔽を使用しているらしくその身からオーラは感じないが、周りにいる旅団が発するオーラはそれだけで空間を歪ませる程に感じられていた。

 離れた位置にいる4人もその圧力に気圧されるが、これほどまでにプレッシャーが充満し戦闘に集中しているこの状況ではこちらの発見も困難だろうと判断する。

 

「(いいか、このまま私たちは気配を消したままバラけて敵に接近する。ある程度近づいたらそこで待機だ。絶対に敵に悟られる位置まで近づくなよ。そして隙を見て私が鎖による奇襲攻撃を仕掛ける。それを合図に全員が同時に奇襲を敢行する)」

「(了解)」

「(レオリオはキルアと一緒に行動してくれ。キルアが電撃を放ったらその敵が麻痺している間に敵に追撃して無力化するんだ)」

「(ああ、任せとけ)」

「(ゴンは全力で敵を攻撃すればいい。もし失敗しても私たちがフォローするから大丈夫だ)」

「(分かったよ)」

「(良し。では行動開始だ)」

 

 クラピカの言葉を合図にそれぞれが素早くかつ慎重に行動を開始する。

 絶にて巧妙に絶たれた4人の気配は、戦場でアイシャとの戦いに集中する旅団には気付かれることなく、4人とも物陰に隠れて一定の距離まで近づくことが出来た。後は完璧なタイミングを待つのみである。……アイシャがそのタイミングが訪れるまで耐えられると信じて。

 

 

 

 

 

 

 ノブナガの剣閃はアイシャの肉体の一部を確実に切り裂いた。

 切り落とされたその一部は大地へと落ち、その無残な姿を顕にした。

 

「ばか……な」

 

 それは誰の呟きだったのか。

 クロロか。ボノレノフか。シズクか。それとも剣撃を放ったノブナガ本人か。はたまたその全てか。

 分かっていることは唯1つ。驚愕の言葉を発したのが幻影旅団の誰かだということだ。

 

 そう、幻影旅団が驚愕した理由は唯1つ。

 仲間の犠牲と策を弄してまで放った完璧なタイミングの一撃を受けたアイシャが、一切の傷を負わずにその一撃を防いだからだった。

 

 あの回避不能の一撃をどうやって防いだのか?

 それは大地に散らばる黒髪と、ノブナガの刀に絡みついているアイシャの髪が答えだった。そう、アイシャはノブナガの神速の抜刀術を髪の毛で防いだのだ。

 

 たかが髪の毛と侮るなかれ、意外にその硬度は高い。モース硬度で言うところの3に値する硬さだ。これは同じ太さの銅線と同等の硬さである。

 そんな髪の毛だがハサミなどの刃物で簡単に切ることが出来る。それは銅線と同等と言ってもやはり髪の毛は髪の毛、その太さは知っての通りだ。だが数十、数百程度ならまだしも、数千数万もの本数を束ねた髪の毛を簡単に切ることは出来ないだろう。

 

 しかもアイシャはその髪の毛の硬度をオーラを用いて銅線はおろか金剛石を上回る程に強化したのだ。

 その強化した髪の毛を振りかざし己の身体とノブナガの刀の間に移動させる。それでもなおノブナガの抜刀術はアイシャの髪を切り裂いていった。だが強化された髪の毛を半分ほど切り裂いたところでその勢いも弱まってしまう。そこでオーラにより髪の毛を操作し、高速で捻ることでノブナガの刀を巻き上げたのだ。

 

 これにて蜘蛛の全てを賭した奇襲はものの見事に散ることとなる。

 クロロの策ではこの一撃で倒せなかったとしても、若干の手傷を与えている計算だった。僅かでも傷が出来ればそこから出血があるだろう。その傷口から流れ出る血液をシズクが【デメちゃん】にて吸い取り出血多量を引き起こす算段だったのだが、傷がなければどうしようもない。

 

「今のは素晴らしい一撃でしたよ。類希なる才能と努力の果てにある居合抜きの極致。堪能させてもらいました」

「……厭味かよ、傷1つ付いてないくせによ」

「本心ですよ。おかげで母譲りの自慢の髪が台無しです」

 

 これだけは大切にしていたのですが、と髪が半ばから切られたのを悲しげな表情で気にする素ぶりを見せるアイシャ。こうしているとそこらにいる少女と然して変わりはないだろう。

 

「あなたも素晴らしかったですよ。能力を発動する気配を出してからの発動速度は目を見張るモノがありました。他の皆さんもそうお目にかかれない程の実力者です。それだけに残念です。あなた方がもっと人の為になる力の使い方を出来れば……」

 

 そうひとしきり蜘蛛の実力を褒め称える。その言葉に嘘偽りはない。もちろん力の使い方を誤ったという弁もだ。

 

「生憎と人に言われて生き方を変えるほど器用じゃないんだ」

「そうですか。では強制的に変えてもらいましょうか」

 

 そう言いながら髪から刀を抜き取りノブナガへと返す……訳もなく、そのまま根元からへし折って地面へと放り投げた。

 

「テメェ! オレの刀を!」

「武器破壊は戦闘の基本でしょう?」

 

 愛刀をへし折られ怒るノブナガにアイシャは冷たく言い放つ。試合や正式な決闘であるならまだしも、ルールのない路上の戦闘で、しかも敵が犯罪者となればアイシャも容赦をするつもりはなかった。

 

「クソがっ! ……団長逃げろ。ここはオレが時間を稼ぐ!」

「うん。役には立てなかったけど、団長が逃げる時間くらいは作れるよ」

「ああ、団長さえ生き残れば蜘蛛の勝ちだ」

 

 

 残った団員たちがクロロを逃がすためにアイシャの前に立ちはだかる。

 刀を失ったノブナガも、片腕を負傷したままのシズクも、無傷ではあるがオーラの大半を消耗したボノレノフも、クロロさえ生き延びれば蜘蛛の再起は可能だと考え命を懸けて時間を稼ぐ所存であった。

 

「いや、オレが足止めをする。お前たちはそれぞれバラけて撤退しろ」

 

 だがクロロはそんな団員の行動を止め、自らに足止めの役目を課した。

 

「何言ってやがる! 頭が死んでどうしようってんだ!」

「ノブナガ、見極めを誤るな」

 

 クロロはその一言に言うべきことの全てを集約させた。

 それはかつて旅団を結成してまだ日が浅かった頃にクロロが当時のメンバーに伝えた言葉。頭たるクロロが死んでも他の誰かが後を継げばそれで蜘蛛は再生する。生かすべきは個人ではなく蜘蛛だと。

 

 クロロが撤退の時間を稼ぎ、その間に全員がバラければ誰か1人は逃走に成功するだろう。そうすればアジトに残る団員――と言っても2人しかおらず、1人は生死不明の重体だが――と合流しまた時間を掛けて蜘蛛の手足を揃えればいい。

 消耗しきった残りの団員では時間稼ぎにもならず、自身もすぐに捕捉されるだろうとクロロは冷静に判断したのだ。

 

 だが、そのクロロの行動はある男の乱入によって意味をなくしてしまった。

 

 

 

「やあクロロ♥ 大変そうじゃないか♦」

「ヒソカか」

 

 道化師の登場が場に更なる混乱を与える。いつ頃からいたのか、病院の屋上から飛び降り戦場の中心に降り立ちクロロの前に立ち塞がるヒソカ。

 

「ヒソカ! オレ達を売った奴がよくもノコノコと出てこられたな! 丁度いい! ここで斬り殺してウボォーの仇を取ってやる!」

「おお怖い♠ でも訂正させてもらうとボクは彼が殺られたのに関係ないよ♣ 情報を売ったのは今回の襲撃と旅団員の何人かの能力くらいさ、昨日の襲撃は誰にも教えていない♥ だから彼が殺られたのは自業自得さ♦ ついでに言うなら刀を失ったキミがどうやってボクを斬り殺すんだい? 逆に興味が湧くね♠」

「テメェ!」

「ノブナガ、少し黙れ」

 

 ヒソカの挑発に乗り切れかけたノブナガをクロロが押しとどめる。

 

「これが狙いかヒソカ」

「そういうこと♥ ボクが旅団に入ったのは、入ったと見せかけたのはクロロ、キミと誰にも邪魔されずに戦いたいからさ♣」

「なるほどな。お前の筋書き通りに事は運んだわけか」

「少し出来過ぎなくらいだけどね♦」

 

 すでにヒソカは完全なる臨戦態勢に入っていた。その身からはどす黒い邪悪なオーラを放ち、上半身をはだけ背中に付けてあった蜘蛛の刺青を引き剥がす。【薄っぺらい嘘/ドッキリテクスチャー】によって偽装していた蜘蛛の刺青は空中で消え去り、蜘蛛との決別を示すこととなる。

 

「アイシャ♥」

「私の名前を呼ぶ時に妙な情感を込めるの止めてもらえませんか? 怖気が走るんですが」

「それは無理♠ それよりもボクがクロロの相手をするから残りの旅団はキミに任せるよ♣ アイシャも彼らを逃がす気はないんだろう?」

「まあそれはいいんですが……。何というか、その、目の前のご馳走に気を取られて気付いてないのですね、ご愁傷様です。あとクロロでしたか。あなたも私とヒソカに気を取られすぎですよ。まあ状況が状況なので仕方ないと言えますが……」

「なに? どういうこと――!?」

 

 クロロとヒソカがアイシャの言葉に疑問を抱くも、すぐにその意味を理解する。だが、全ては遅かった。

 

 

 

◆ 

 

 

 

 そうしていよいよ奇襲の瞬間がやって来る。アイシャの真横にノブナガが現れた時は全員が焦ったが、ノブナガの居合があまりにも速すぎた為に飛び出す間もなかったのが逆に幸いした。そのような焦りを乗り越えて訪れた機会だ、これを逃す手はなかった。

 

 ヒソカとアイシャ、2人を前にして意識が完全にそちらに向いているクロロに対し、隠によって限りなく見えにくくした鎖をクラピカが放った。

 殺気など微塵もない、アイシャとヒソカに意識が向いていたクロロの隙を狙った完璧なる奇襲攻撃。如何なクロロといえども完全に虚を突かれてしまっては躱す暇もなかった。

 鎖によって動きを封じられたクロロは念すら使用することが出来なくなり、その手に持っていた具現化された本も消滅してしまう。

 

「これは――」

 

 クロロが事態に気付くも、その身体は拘束され身動き1つ取ることも出来ない。

 

「団長!」

「させねーよ!」

「うあっ!?」

 

 突如拘束されたクロロを助けんと飛び出そうとするシズクの頭上から雷が落ちる。完全に不意を打たれた上に、雷速の攻撃を回避することなど出来るはずもなく、敢え無く電撃にてその動きを硬直させられるシズク。

 

「わりーなネーちゃん!」

 

 そして硬直した瞬間をレオリオによって狙われた。懐に飛び込んだレオリオは的確にシズクの顎を打ち抜き、脳を揺らすことでシズクの平衡感覚すら奪った。

 

「奇襲だと!?」

「最初はグー!」

「な!」

 

 ゴンも鎖による攻撃と同時に奇襲を行っていた。ボノレノフも突然の奇襲により団長が束縛されたことに気を取られていたのだろう。背後から膨大なオーラを右手に集め近づいてくる敵、ゴンに対して反応が遅れてしまう。

 

「ジャンケングー!」

「っっ!!?」

 

 ここまでの戦いによる疲労が激しいボノレノフにその一撃を躱す余裕はなく、強烈なボディブローにて病院の壁へと叩きつけられそのまま意識を失うこととなった。

 

「何だこいつら!?」

「私の素敵な友逹ですよ。あと、戦闘中に隙を見せないこと。減点ですね」

 

 アイシャは仲間が突然の奇襲攻撃により次々と倒されていくのに驚くノブナガに対し冷静に呟く。その言葉にハッとしてアイシャに向き直るも、そんな大きすぎる隙をわざわざ見逃してやるほどアイシャも優しくはなかった。

 

 左手を掴み鋭い足払いでノブナガの足を刈り取る。刈り取った瞬間に左手を捻るとノブナガは宙に翻り、その勢いのまま空中にて高速で回転し続けた。

 その回転の勢いのまま地面へと頭を叩きつけ、ダメ押しと言わんばかりに喉へ足刀を叩き込む。ノブナガは全身をピクピクと痙攣させたかと思うとそのまま力なく大地に横たわった。

 

 クラピカの鎖を合図に行われた奇襲からわずか数秒で、残りの旅団も敢え無く無力化されることとなった。これにはヒソカも思わず目が点になってしまうあっけなさである。

 

「いや……これは……ないんじゃないかなアイシャ?」

「知りませんよそんなこと。……いや、その、そんな泣きそうな顔しないでくださいよ。まるで私が悪いみたいじゃないですか……」

「ようやくクロロと存分に殺りあえると思ったらこれだよ? 恨み言の1つも言いたくなるもんさ……♦」

 

 まあクロロと戦いたいが為に3年以上も幻影旅団に潜伏した末の結果がこれでは文句の1つも言いたくなるものだろう。

 アイシャにしても万が一にも旅団を1人でも逃すわけには行かなかったので、文句を言われようともクロロを解放する気はさらさらなかったが。

 鳶に油揚げをさらわれるという言葉がジャポンにあるが、まさにこの状況を指すのに適した言葉だろう。

 

「これってキミとの戦いも出来ないってことになるのかな?」

 

 ヒソカはクロロと決着を着けたら1対1での戦いをするとアイシャと約束をしていた。だがこの状況はクロロと決着を着けたとは言い難い。実質ヒソカは何もしていないのだから。

 

「いや、まあ……分かりましたよ。後で戦ってあげますよ……」

 

 悲しげな表情で訴えるヒソカに流石のアイシャも同情してしまい、思わず死合の約束を取り付けてしまう。するとヒソカは先程までの表情はどこへ行ったのか、楽しげにアイシャへと話しかけた。

 

「それは良かった♥ それならアイシャの殺る気を引き出す為にお父さんを殺す必要もなさそうだね♦」

「ッ! ……まさか!」

「おや? お父さんってのは適当だったけど当たってたかな? ドミニク、だっけ? ……ボクが旅団とキミを戦わせてそれで終わりだと思っていたのかい?」

 

 そう、ヒソカはアイシャと旅団を引き合わせた後、病院内で1人アイシャの生命線とも言える何かを調べていたのだ。もしアイシャがクロロを倒し、先日の約束を守れなかった等と言って自分との戦いを放棄した場合には何としてでもアイシャの殺る気を引き出すつもりだった。

 

「もしあの人に何かあったら!」

「いいよいいよその殺気! ゾクゾクするね! くくく、安心していいよアイシャ♥ キミのお父さんには傷1つ付けちゃいないよ♠ でも、本当にボクと戦ってくれなかったらどうなるかは分からないかな?」

「……いいでしょう。時と場所はあなたが決めなさい。望む場所、望む時間にお相手しますよ」

 

 ヒソカのクロロへの想いは無念にも終わりを告げる。

 だがアイシャへの執念は二重の手を打っていたことにより実ることとなった。

 食べきれるかも分からない最高の果実を前にして、道化師は不気味に嗤う。

 

 




 意外! それは髪の毛ッ!

 ノブナガの能力は勝手に作りました。強化系でタイマン専用で考えついたのが特に捻りのないあんな能力です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十三話

 1999年9月2日。この日、闇の世界にて悪名轟く幻影旅団は壊滅した。

 アジトに残されていた2人の旅団員、フランクリンとフェイタンも捕らえられた。アジトの位置は幻影旅団の裏切り者ヒソカの手引きにより判明したのだ。

 瀕死の重傷を負っていたフランクリンだったが、アイシャの願いに応えたレオリオによってどうにか一命を取り留めることとなった。完治はしておらず、1人では歩行もままならない有様ではあったが。

 

 死者こそ誰1人出てはいないが、その全てが捕らえられ特殊な念により無力化を強制され、今は全員が1つの部屋に閉じ込められている。

 欲しい物は何でも奪う。金だろうが、食べ物だろうが、お宝だろうが、そして人の命であろうが。人生の殆どを我が儘で押し通してきた彼らに取って現状の立場は屈辱極まりないものだろう。

 そんな彼らは今――

 

「やっぱり生きてやがったかこの野郎!」

「ハッ! このオレ様がそうそう死ぬわけないだろうが」

「よく言うよ。4人がかりとはいえ子ども相手に負けたくせにさ」

「うるせーな! そういうお前は女1人に負けただろうが!」

「いやいや。あの子1人で団長たち倒したんでしょ? オレ1人で勝てるわけないじゃん」

 

「フランクリン良かったよ~! もう大丈夫なんだね?」

「おお、まあまともに動くのは厳しいが、死にぞこなったのは確かだぜ」

「まあなんにせよ無事で良かったわ。生きていればいずれ完治するでしょうしね」

「そうだな。生き延びねば話にならない。オレ達は復讐せねばならないのだから」

「ぼくもそう思う。今は雌伏の時。機会を待つしかない」

 

「……殺す、あの女はワタシが殺すね……」

「おい、フェイタンがやばいんだが何とかしてくれ団長」

「放っておけフィンクス。直に落ち着くだろう」

「落ち着く前に鎖の掟を破りそうなのが怖いねあたしは」

「それよりも団長の落ち着き具合が半端ねーな。よくこの状況で本なんか読めるもんだ」

「どうしようもないからな。この部屋の備え付けの本しかないのが残念だが」

 

 ――各々自由に寛いでいた。とても力尽き敗れ捕らえられた犯罪者とは思えない姿だ。今の彼らを見てそうだと思える者は事情を知らない限りいないだろう。ここまで来ると逆に称賛したくなるほどの図太さと言えよう。

 

 そんな風にそれぞれが談笑――と言っていいのだろうか?――をしていたところ、部屋のドアが開きそこから誰かが入って来た。と言っても、この部屋に入れるのは極限られているので確認するまでもないのだが。

 

「……この状況で寛げるあなた達の精神力には感嘆しますよ」

 

 入室してきたのはアイシャとクラピカの2人だ。2人は部屋の外まで聞こえてきた幻影旅団の話し声に思わず頭を抱えていた。そのせいか部屋に入ったアイシャの第一声がそれだった。

 

「テメェ……! よくもノコノコと現れたもんだぜ! 足の礼でも受け取りに来たのか!?」

 

 そうがなり声を荒げるフィンクス。彼の右足はその甲が半分ほど千切れたままだ。アイシャに対する憎悪を隠すことなく放っていたフェイタンをどうこう言っていたが、彼自身も内心怒りに満ち溢れていた。足の損傷だけではない。己の渾身の一撃を歯牙にもかけずあしらったことにも憤慨している。こちらは己の力不足にだが。

 

「やめろフィンクス。フェイタンもだ」

 

 あわや一触即発かという空気を止めたのはクロロの一言。フィンクスはその言葉を聞き舌打ちをしつつも冷静になる。ここで立ち向かったところで自身の心臓に打ち込まれた忌々しい掟の剣が自らを貫くだろう。その結果は言うまでもない。

 今は雌伏の時なのだ。ここは屈辱を喰みつつも生き延び、いつか必ず楔を打ち砕き復讐を果たす。それが幻影旅団全員の総意なのだった。

 

 言葉には発さず行動をしようとしていたフェイタンもその動きを止める。感情的になっても敵に一矢報いることさえ出来ないと判断して。もしそれが出来ていればこの場に旅団員全てが捕らえられてなどいないのだから。

 むしろ誰1人殺さずに無力化し捕らえたという事実から敵の強大さが更に窺える。ここで後先考えずに暴れるのは馬鹿を通り越した何かだろう。

 

「それで、何しに来たんだ? オレ達を連行する手はずでもついたのか?」

「用があるのは私だ」

 

 クロロの問いに答えたのはアイシャではなくクラピカだった。

 

「幻影旅団団長クロロ=ルシルフル。お前に聞きたいことがある」

「……なんだ」

 

 クラピカの問いかけが何であろうとクロロに口を噤むつもりはなかった。

 それはクロロを縛る掟の中にクラピカの質問に偽証せず答えることとあったからだ。

 既に八方塞がりなレベルで捕らえられているのだ。今更秘密の1つや2つ話したところで痛手になるとは思えなかった。

 

「緋の眼を覚えているな?」

「……ああ、世界7大美色の1つ。クルタ族特有の瞳だな」

「そうだ。お前たちが彼らを皆殺しにし、その亡骸から奪い取っていったものだ。……貴様の知る限りの緋の眼の在り処を言え。お前が奪った盗品を誰かに売っているのは分かっているんだ!」

 

 クラピカの口調には段々と感情が篭り始めていた。質問を投げかけている最中に思わずかつての惨劇を思い返し怒りと悲しみがぶり返したためだ。

 だが、そんなクラピカに対してクロロはあくまで正直に、そして冷たく言い放った。

 

「知らないな」

「……詳しく話せ」

 

 クロロの言う言葉に嘘はない。それは鎖が反応していないことからも明白だ。鎖を仕掛けたクラピカ本人がそれを分かっている。そもそもヒソカからあらかじめ聞いていた情報の通りなのだ。

 だがそれでも。もしかしたらという泡末の希望を抱いての質問だったのだが、返って来た答えは残酷なものだった

 

「オレは手に入れた品を満足するまで愛でると適当な相手に売りつける。それは時に闇商人であったり、流星街の一員であったり、どこぞの金持ちだったりと様々だ。そこからどういう風に品が流れたかは興味がない」

「……緋の眼を売りつけた相手は?」

「確か……闇のブローカーだったな。そこから世界中のマニアに流れていっただろうな」

「その闇のブローカーを教えろ」

「死んだ。いや、殺したという方が正確か」

 

 くくっ、と笑いながらあくまでも冷たくクラピカの問いに答えるクロロ。それは今のクラピカの感情を逆撫でするには十分だった。

 

「貴様!」

「クラピカ!」

 

 感情に身を任せクロロに殴りかかろうとするクラピカをアイシャが制する。

 アイシャに止められたことによって一応の冷静さを取り戻すが、それでも怒りは収まらず鋭くクロロを睨みつける。

 

 クロロがこのようにクラピカを挑発するような物言いで話したのには意味がある。クロロはクラピカの性格を見抜く為に態と挑発したのだ。来るべき復讐のために、少しでも敵の情報を集めようとして。

 幻影旅団を捕らえているのはクラピカの能力だが、それでもクロロの役者はクラピカを上回っているようだ。

 

「……すまないアイシャ。もう大丈夫だ」

 

 アイシャはその言葉からクラピカが冷静さを取り戻したことを理解しその身体から手を離す。

 

「それで、他に質問は?」

「ない。……もうすぐハンター協会の者が貴様らを連行するためにやって来る。法に裁かれた貴様らは日の光も浴びられぬ深い檻の奥深くに捕らえられるだろう。そこに自由はなく、日常の全てにおいて屈辱がついて回る。抵抗も出来ぬままに己の無力さを噛み締めて生き続けろ外道ども」

 

「楽しみにしていよう」

 

 あくまでも余裕の態度を崩さずに何事もないように言葉を返すクロロ。

 その言葉の意味は虜囚の身を楽しむ、というものではない。そこから抜け出し復讐を遂げる日を楽しみにするという意味が籠められていた。

 クラピカはそれを理解し、無言で踵を返し部屋から退出した。

 

「……それで、お嬢ちゃんはどうして残っているのかしら? まだ用があるの?」

 

 そう。先ほど退出したのはクラピカだけだ。同時に入室したアイシャはまだこの部屋に残っていた。アイシャはパクノダの問いかけに対して肯定を示すように頷く。

 

「まあ、大した用事でもないのですが……」

「だったらとっとと出て行きやがれ! オレはお前の顔を見ているとぶち殺したくなるんだよ!」

「そうですか? それなら仕方ないですね。これでお暇させてもらいます。シャルナークさんの関節を元に戻そうと思っていたのですが……」

「待って! 行かないで! 早く元に戻して! ずっと我慢してたけどそろそろ限界なんだ! フィンクスも余計なこと言うんじゃない! 本当に帰ったらどうしてくれるんだ!」

「……ほほう。お前、漏れそうなんだな?」

 

 その必死の懇願とその内容からシャルナークの現状を察したウボォーギン。いや、この場にいる者全てが理解した。

 そして何人かの旅団員が意地悪そうにニヤリと笑みを浮かべた。

 

「早く出てくね。オマエ見てると思わず念つかてしまいそうよ」

「そういうことだ。刀へし折られた恨みを晴らしたくなるぜ」

「足の痛みを倍にして返すぞこら?」

「あー、殴りてー。とにかく殴りてー。具体的には黒髪長髪の女を殴りてー。だから早く出ていくことをお勧めするぜ?」

「お、お前ら!」

 

 まさかの裏切りである。いや、ただの仲間弄りなのだろうが、やられるシャルナークにはたまったものではない。事は尊厳に関わっているのだ。

 

「そ、そんな……分かりました。そこまで、言われるなら……すぐに……うぅっ、出ていきます……」

 

 まさかの裏切りである。いや、仲間というわけではないのだから裏切りではないのだが。そもそもあの程度の言葉で傷つくような女が己たちを打倒出来るわけがない。完全にノリなのは明白だ。

 

「いや待ってよ! どうしてそんな傷ついた風になってるんだよ!? 明らかに悪ふざけって分かってるだろ! なんでノリを合わせてくるんだよ!?」

「今回は貴様らの勝ちだ。だがいずれオレ達を生かしておいたことを後悔する時が来るだろう。その時を恐怖とともに待っていろ」

「お前もか団長! この流れでそんな締め方を切り出すなよっ!」

 

 もはやシャルナークに味方はいないようだ。哀れシャルナーク。可哀想な目で女性陣が見ているが、助け船を出さなければ同じ穴の狢である。

 

「楽しみにしていよう」

「それさっきの団長の真似だよね! 無駄に似てる……って本当に出て行かないでくれーっ!!」

 

 その日、シャルナークの魂の篭った叫びがホテル内外に響き渡った。

 なお、余りに可哀想になったのでこの後すぐに関節は元に戻してもらっている。幸いにしてシャルナークは自決したくなる程の恥辱を味わわずにすんだようであった。

 

 ちなみに、この時シャルナークが粗相をしてしまえば、その原因を担った幻影旅団はシャルナークの心を傷つけたことになるのだが……。それで鎖が発動していたかは誰にも分からない。

 

 

 

 

 

 ある男の魂の叫びが轟いてから数分後。同ホテル内のある一室にて5人の男女がそれぞれ片手に飲み物を持って祝杯を上げていた。

 

「かんぱーい!」

「お疲れ様! いやぁ、一事はどうなるかと思ったけど全員無事で何よりだぜ」

 

 祝杯の音頭とともにビールを勢いよく煽ったのはレオリオだ。

 彼はまだ未成年ではあるが、彼のいた国では既に飲酒可能の年齢に達していたので未成年の集うこの場に置いて1人だけ酒を飲んでいた。

 それに今回はレオリオの言う通り一事が万事の厄介事を潜り抜けて誰1人欠けずにこの場に集えたのだ。祝杯として酒の1つも飲みたくなる心情も分かるだろう。現に誰1人飲酒について文句を言い出す者もいなかった。

 

「ほんとだよ。何処かで何かがズレてたら誰かがお陀仏だったかもな」

 

 キルアも死線を切り抜けたことでようやく肩の荷を下ろしたかのように寛いでいた。格上相手に決して挑むなとの教えを徹底的に叩き込まれていたキルアにとって、例え兄の呪縛を解いたとしても今回の出来事は神経をすり減らす作業ばかりであったのだ。敵を無力化し周りが友に囲まれた現状は唯一キルアにとって安心出来るひと時なのだ。

 

「あとはハンター協会の人に幻影旅団を引き渡すだけだね。いつ頃来るのかな? そういえば誰が来るんだっけ?」

「ん? いや、私も知らないな。連絡はアイシャがしてくれたのだが」

 

 ゴンの疑問に疑問を持って返しながらアイシャを見るクラピカ。他の3人も揃ってアイシャを見つめながら答えを待っていた。そして爆弾級の答えをアイシャはその口から吐き出した。

 

「ネテロです」

「…………は?」

「ですから、ハンター協会会長アイザック=ネテロを呼びました」

 

 あまりにあまりな答えにアイシャ以外の誰もが口を開けて呆けている。

 それもそうだろう。如何に幻影旅団の連行という重大極まりない一件だからといって、ハンター協会のトップが出張って来るとは誰も思うわけがなかった。

 

「あ、アホかお前は! そんなことでハンター協会の会長を呼び出すんじゃねー!」

「いや、そもそもどうしたら呼び出せるんだよ。アイシャとネテロ会長にどんな繋がりがあるんだおい?」

「うわ~、会長呼ぶなんてアイシャ凄いねー」

「凄いとかそんなレベルではないぞもはや……」

 

 誰もがアイシャの暴挙とも言うべき行動に驚愕している中、アイシャもそれに押されながらも精一杯の言い訳をする。

 

「いや、だって幻影旅団ですよ? いくらクラピカの念で行動を縛っているとはいえ何をしでかすか分からないじゃないですか。それに幻影旅団は大量の人間に恨まれています。特にこのヨークシンでは今も大勢のマフィアが血眼になって探しているでしょう。

もし幻影旅団を連行中にマフィアが襲ってきたら、旅団はいいとしても下手なハンターではハンターもろとも殺されてしまうかもしれません。

 ですがネテロならその心配もない! 襲ってきたマフィアや殺し屋なんか鎧袖一触ですよ! あと、一応ネテロには変装するように言ってあるので正体がバレる可能性も少ないです!」

 

 胸を張って自身の行動の正当化を説明するアイシャ。聞けば確かに、と納得出来る説明ではあるが、やはりそういう問題ではないだろう。

 どうやってネテロを呼ぶことが出来たのか? どちらかと言えばそちらの方がゴン達には疑問だった。

 

「ネテロ会長を呼んだ理由は分かったよ。でもどうやって会長とコンタクトを取れたんだ? そんなに暇なのかハンター協会の会長はよ?」

「いえ、まあ、ネテロのケータイ番号は知っていますし。私もネテロ本人を呼ぶつもりはなかったのですが、今回の一件で相談したところ意気揚々と本人が出張ると言っていましたよ」

 

 確実に一介の長の成す行動ではない。だがまあネテロだから仕方ないだろうとアイシャは納得していた。物事を楽しむのはネテロの長所でもあり短所でもあるのだからと。

 

「ダメだ。何処から突っ込んでいいのか分からねー。もういいや、今日は疲れたから考えるのをやめよう」

「それがいいと思うよ。もうアイシャの何に驚けばいいのかわからないや」

「お前らのその達観がこえーよ」

「レオリオも直に分かる時が来るさ」

 

 だがそれで納得できるのはネテロとの付き合いが長いアイシャくらいのものだ。

 ハンター協会会長と直接連絡が取れ、かつ親しげな対応を見せるアイシャ。会長にあるまじき行動を取るネテロ。もうどれに驚いていいのか分からない皆は思考を放棄した。

 

 それについてこれないのはアイシャと接した時間が短いレオリオのみであった。残念なことにゴン達3人は既にアイシャに関して驚いては身が保たないと理解していたのだ。

 

「分かりたくねーなおい。……そういやアイシャ。お前の親父さんはどうなんだ? 治療したからには経過が気になるんだけどよ」

 

 レオリオは得体の知れない恐怖から逃げるために話題を変える。と言っても話題の内容は本心であるのだが。治療した患者の容態が悪化などしたら己の治療に不備があった可能性もあるのだから。

 

「はい。その節は本当にお世話になりました。エル病院に電話で確認したところ、経過は問題ないようです。皆さんもドミニクさんを守る為に協力してくれてありがとうございました」

 

 以前にも礼はしたが、幻影旅団との戦いがひと段落した為に改めて父を救うために尽力してくれた友に礼を述べる。治療を施してくれたレオリオは勿論、その治療がスムーズに行えるよう周りを警戒してくれたゴン達もアイシャにとっては変わらず恩人であった。

 

「へへ、いいってことよ」

「お父さん無事で良かったね」

「ま、貸しにしといてやるよ」

「気にする必要はないさ。アイシャから受けた恩に比べれば大したことはしていない」

 

 皆の気のいい言葉にアイシャも思わず破顔する。まあ、1人程素直じゃない者もいるが、それも愛嬌というものだろうと思っていた。

 

「むしろ私の方がアイシャに礼を言わなければならないくらいだ。幻影旅団を全員捕らえられたのはアイシャのおかげだ。私を強くしてくれ、そして大半の幻影旅団を無力化してくれた。アイシャがいなければ私の宿願は叶わなかっただろう。ありがとうアイシャ」

「いえ。私も幻影旅団は許せませんでしたから。全てがクラピカの為にやったわけではないのですから礼を言われるほどでもありませんよ」

「しっかしアイシャ滅茶苦茶強いな。幻影旅団が雑魚扱いじゃねーか。あんだけの数と戦って無傷ですんでるしな。……っと、髪がちょっと無事じゃなかったか」

「うむ、髪は女性の命と聞く。残念なことだが、これは切り揃えた方がいいだろうな」

 

 そうして皆がアイシャの髪に注目する。アイシャの腰まで届いていた黒髪はノブナガの抜刀術を防いだ代償として半分ほどの髪が背中の中心くらいまで切られていた。残り半分は以前と同じく腰まであるので、かなりアンバランスな状態となっている。

 

「まあ、仕方ないですね。丁度ハサミもありますし、バサっと切ってもらってもいいですか?」

「じゃあオレが切るよ」

 

 そうしてゴンがハサミを使ってアイシャの髪の長さを均等に揃えて切る。切り落とされた髪は用意してあった新聞紙の上に落ち、そのまま丸められた。

 

「あとはこれを焼却処分するだけですね」

「捨てるのは分かるけど、焼却までするの?」

 

 ゴンの当然の疑問にアイシャも首肯し、短くなった髪をゴム紐で束ねながら理由を話す。

 

「ええ、対象の身体の一部を利用した念能力というのも存在します。髪の毛などを完全に第三者に入手されないようにするのは難しいですが、それでも入手しにくいようにすることは必要でしょう」

 

 アイシャにとってそういう能力は【ボス属性】のおかげで無効化出来るのだが、だからと言って無防備でいられる程呑気でもない。

 

「となると、あの時切られた髪を回収しなくても良かったのか?」

「あれは仕方ないですよ。風で飛ばされてしまいましたからね」

「アイシャがいいって言うならいいけどよ。……それにしても聞きたいんだが。どうやったらあそこまで強くなれるんだよ?」

 

 レオリオにしてもハンゾーと共に厳しい修行をして強くなった実感はあるのだが、それでも雲の上と言える実力を見せたアイシャの強さの秘密が気になるところだった。

 

「1に修行、2に修行、3・4に実戦、5に修行ですね」

 

 返ってきた答えはこうだったが。秘密も何もなかった。

 

「アイシャの3大欲求は食欲・睡眠欲・修行欲だな」

「異論はない」

「酷くないですか?」

 

 キルアの一言に誰もが異を唱えなかった。アイシャとしては憤慨であるが、周りからすればそう取られても仕方ないものだろう。むしろ憤慨する方がおかしい。

 

「クラピカはこれからどうするの? 仇討ちは終わったんでしょ?」

 

 ゴンが前々から思っていた疑問を口に出す。復讐を終えた後のクラピカが心配だったのだろう。

 

「ああ、そうだな。やはり同胞の眼を探す為に動きたいのだが……。その前にやらなければならないことがあるからな」

「やらなきゃいけないこと?」

「ああ。今回の一件が落着したのは先程も言った通りアイシャの力によるものが大きい。正直私1人ではどうすることも出来なかっただろう。そして奴らは捕らえたはいいものの、いつまた逃げ延び力を付けて再び現れるか分からない。

 その時は私は己自身の力で奴らを退けたい。アイシャの力に頼ってばかりでは、復讐を果たしたとは言い難くてな。奴らが脱獄でもしようものならその時は私1人で叩きのめしてやるさ」

 

 そう、不敵に笑いながらクラピカは締めくくる。その答えにゴンは笑顔になりながらクラピカに語りかける。

 

「じゃあ、これからも――」

「ああ、アイシャの下で鍛えていくつもりだ。アイシャに頼らずと言っていながら、アイシャに修行を付けてもらうのもなんだがな」

「そんなことないよ! 一緒に強くなろうねクラピカ!」

「ええ。歓迎しますよクラピカ。アナタなら2年もみっちり修行すれば旅団の誰と当たっても負けない程に強くなるでしょう。複数で掛かって来ようとも対処出来るくらいに強くしてみせますよ!」

「よ、よろしく頼む。……死なない程度に頼むぞ?」

 

 これまでの地獄の修行を思い返し、思わず早まったかと早くも後悔してしまうクラピカ。これって拷問じゃないの? と誰もが疑問に思う程の修行を思い返せば後悔の1つもするだろう。

 クラピカは旅団に殺されるよりも修行で死ぬ可能性が高いのではと本気で悩んでいた。

 

「アイシャ、オレも修行を頼む」

「……キルア?」

 

 今までにない程の真剣な表情で頼み込むキルアに違和感を感じるアイシャ。いや、前にも見たことがある。前というほど過去でもない、昨夜のことだった。

 

「昨夜も言っていましたね。修行を厳しくしてほしいと。強くなりたいのは分かりますが、急にどうしたというのですか?」

 

 今までもキルアはアイシャやクラピカに追いつこうと修行には意欲的だった。以前にもクラピカより修行を厳しくしてくれと言っていた程だ。だが実際に修行を施されるとそう言った言葉もなくなっていた。

 修行自体は決して嫌がらないのだが、その厳しさに文句や愚痴は何度もこぼしていたのだ。それがこうも変わるとアイシャも疑問に思ってしまう。一体どういう心境の変化だと。

 

「……そうだな。後で話すって言ってたし、今話すか」

 

 そうしてキルアは強くなりたい、強くならねばならない理由を説明しだした。

 

 実家の奥深くに囚われたままの妹がいると。

 ゾルディック家をしてあまりにも危険で制御出来ない能力を持っていると判断され、幽閉された妹。キルアとも仲睦まじく、幼い頃はずっと一緒に遊んでいた最愛の家族。

 

 だが、いつからか。キルアの頭に埋め込まれた呪縛のせいか。キルアから妹の、アルカに関する記憶がなくなっていた。

 いや、なくなっていたのではない。意識出来なくなっていたのだ。キルアはやはりイルミの呪縛のせいだろうと確信していた。

 

「アイツを、アルカを自由にしてやりたい。だけど今のオレじゃどうしようも出来ない。助け出す力も、守り通す力もない。だからオレは誰よりも強くならなくちゃいけない。実家の連中が束になってかかってきても倒せるくらいにな」

「なるほど。そういうことか」

「オレも手伝うよキルア。皆で強くなろう!」

「バッカ。お前オレんちを敵に回すってどういうことか知ってんのかよ」

 

 そう、ゴンの自殺紛いの言葉に苦笑しつつもキルアは何を言ってもゴンが折れないと理解していた。この1番の親友は何があっても自分を助けるだろうと。例えそれが伝説の暗殺一家を敵に回したとしても。

 それを嬉しく思いつつ、キルアはさらに強くなる決意を改める。何が来ようと負けない力を手にすると。妹を、親友を、守りたいものを守れる強さを求めて。

 

「しっかしあのゾルディックが幽閉しなきゃならないなんてどんな妹なんだよ?」

 

 レオリオは伝説とまで謳われるゾルディック家が危険と判断を下す存在を想像する。

 しかし現れたイメージは人間とは思えない容姿の怪物が可愛らしくキルアに『おにーちゃーん』と呼びかけている姿だ。あの化け物の巣窟であるゾルディック家でさえ持て余す危険な能力の持ち主となるとレオリオがそう考えるのも分からなくもない。

 

「普通の可愛い妹だよ」

 

 そう、レオリオの想像するような怪物などではない。普通の、いや、虫も殺せないような無邪気な少女(少年?)だ。

 見た目も可憐な少女で、暗殺一家の一員だがその身体能力は年頃の子どもとさして変わらない。

 

 ただ有している能力が規格外なだけ。

 それは他人の願いを叶えるという、念能力の特性を無視したかのような圧倒的規格外の能力。どんな願いであろうと叶えられるその能力。聞けば誰もがアルカの存在を求めるだろう。それだけでゾルディック家がアルカを幽閉するのも理解出来るだろう。

 

 だがそうではない。それだけの能力がなんの代償もなく成立するわけがなかった。

 そも、願いを叶える条件として、アルカのおねだりを3回連続で叶えるというものがある。そのおねだりは初めは大したことはないのだが、相手の願いを叶えた後は、その願いの大きさに応じたおねだりに変化するのだ。

 

 例えばだが、億万長者にしてくれとアルカに願った者がいた。もちろんその願いは叶えられた。だが億万長者という願いの大きさは相当なものだろう。事実、その後のアルカのおねだりはとても人に叶えられるものではなかった。

 

 3回のおねだりを叶えられなかったらどうなるか。アルカの危険性はここに収束しているといっても過言ではないだろう。

 おねだりを全て拒否してしまった場合、そのおねだりの対象となった人物は死んでしまうのだ。それだけではない。おねだりの対象となった人物の最愛の人物も同時に死んでしまい、さらに願いの大きさによっておねだりの対象となった人物と接した時間が長い順に人が死んでいく。

 

 他にも細かな制約や決まりがあるが、これがゾルディックが把握しているアルカの能力である。下手すればゾルディック家が滅びかねない危険な能力。だが、もし使いこなせればこれほど有用な能力もあるまい。

 制御不能の願望機。それがアルカに対するゾルディックの印象であった。

 

 だがキルアはそうではない。キルアはゾルディック家の誰よりもアルカを理解している。その能力も、ゾルディック家が知らない、知られてはならない事細かな内容を知りきっている。

 そんなキルアからすればアルカの能力は誰よりも優しい能力なのだ。悪いのはアルカの能力を利用する者だ。

 だからこそキルアはアルカを自由にしてやりたい。自由になって、世界を見せてやりたい。アルカの中にいるもう1人の妹と一緒に。

 

「普通の、可愛い妹なんだ」

 

 キルアはもう一度同じ言葉を繰り返す。そこに込められた感情はアイシャを以てしても読みきれない。後悔、愛しさ、怒り、悲しみ、罪悪感、様々な感情が混ざり合っている。ただアイシャに分かることはキルアが己を責めているだろうことだ。

 

「絶対助け出しましょう。私も協力しますよ。大丈夫です。ゼノさんやシルバさんが来ても倒せるくらいになればいいんですよ」

 

 そんなキルアにアイシャが出来ることは強くなるための手助けをしてやるくらいだ。だから自分を責めるキルアの気が少しでも晴れるように明るく話しかける。キルアもそれに応えいつもの調子で話に乗った。

 

「当たり前だ。アイシャだって倒せるくらいになってやんよ」

「おっと、そう簡単には行きませんよ? 私もまだまだ強くなるつもりですからね」

「……お前、まだ強くなる余地あんのか?」

「それこそ当たり前です。オーラ量だってまだ増えてますよ?」

 

 え? あれ以上増えんの?

 アイシャを除く4人の思考が一致した瞬間である。

 

「武術に至ってはまだ理想に届いていませんしね……」

 

 え? あれで理想じゃないの?

 アイシャを除く4人の以下略。

 

「とくに精神性がまだまだですね。昔の方がもっと……」

 

 え? 今より凄い幼女って何それ怖い。

 アイシャを除く以下略。

 

「……? どうしたんですか? 皆して口を開けて?」

「もうなんて言えばいいのか分からなくてな……」

 

 ただでさえ底知れぬ実力を見せつけてきたアイシャがまだこれ以上強くなる、というか現状に満足していないことに最早驚愕を通り越して呆れすら浮かんでいた4人であった。

 

「ヒソカはこんなのに喧嘩を売ったのか……自殺行為だろ」

「あ~、無理だな。ヒソカが勝つ姿が想像できねーよ」

「うん。というよりもアイシャが負ける姿が想像出来ない」

「同感だ。アイシャに勝ったというネテロ会長は流石はハンター協会の長と言うべきだろう」

 

 実際にはあの勝負は引き分けのようなものだが、当人達はそれぞれが己の負けを主張していた。その上で次は勝つと互いに修行に精力を入れているのだからタチが悪い。

 アイシャはともかく、ネテロなどとうに全盛期を過ぎているというのにここに来て実力を取り戻し、さらに高めているのだ。念能力者とはいえ人間の限界を超えすぎである。

 

「しかし大丈夫なのか? アイシャの親父さんのことがヒソカにバレたんだろう? アイシャに本気を出さす為に親父さんを狙ったりしないのか?」

「今のところヒソカはこのホテルにいるので大丈夫ですが……。今後はどうか分かりません。私もヒソカが予測できない行動を取る前にドミニクさんの警護に向かうつもりです」

「てか、ヒソカの奴このホテルにいるのかよ」

 

 そう、ヒソカもまたアイシャ達と同じホテルにいた。幻影旅団のアジトを教え案内し、そこからホテルまで同行していたのだ。その後はホテルのレストランで食事を取り、借りた一室にて休息を取っている。アイシャはヒソカが隠れて行動してもすぐに分かるように常にヒソカの気配を察知しているのだ。

 

「今はここより下の階の一室で休んでいますね。あ、少し移動しました。……移動距離と動作からして浴室でシャワーを浴びているようです」

 

「ちょっと色々と待て。……おい、どうしてそこまで分かるんだよ?」

「え? 気配を察知してその動きを追っているだけですよ。そしたら動きから何をしているのか分かるでしょう?」

「いやいやいや」

 

 相変わらずぶっ飛んだ性能を誇る気配探知であった。というかやってることは最早ストーカーとなんら変わりない。段々とレオリオもアイシャに関して驚くのは止めようと達観しだしている最中である。

 

「そう言えばよ、クラピカは分かったけどレオリオはこれからどうすんだ?」

 

 取り敢えず話題を変えようとキルアがレオリオに話を振る。いくら耐性が付いたとはいえ、聞いてて思考が麻痺するのは勘弁願いたいのである。

 

「あ、ああ。オレはオークションが終わったら勉強だな。医者になるにしても国立医大の試験に受からなきゃ話にならねーからな」

「そっか。レオリオとはまた離れ離れになっちゃうんだね」

「仕方ないだろう。レオリオにはレオリオの道があるんだ」

「そうですね。私としてはレオリオさんと修行もしてみたかったのですが、こればかりは無理強いしてやるものでもありませんから」

 

 アイシャとしてはレオリオが修行によって【掌仙術/ホイミ】や【閃華烈光拳/マホイミ】の効果をどこまで高められるかを見てみたかったのだが、クラピカの言う通り人にはそれぞれの道があるのだ。

 

「そうだな。オレもアイシャの地獄の修行って奴に興味はあるけど、オレにもオレの目標があるからな。その内また会えるさ。グリードアイランドってのが終わったらまた連絡してくれよな」

「うん! その時にはレオリオもお医者さんになってるかな?」

「おいおい。お前は何年ゲームをしているんだ?」

「医者になるのに何年かかると思っているんだ」

「いや分かりませんよ? グリードアイランドは世に出て12年もの間クリアされてない幻のゲーム。私たちでも何年、何十年とかかるかもしれませんね」

「ゲームをクリアしたら30代でしたとかな」

「うわ、絶対に1年くらいでクリアしてやる」

 

 キルアの台詞に皆が笑い合う。

 こうして、死闘を潜り抜けた5人はひと時の平和を楽しんでいた。

 次に来る地獄(修行と勉強)に備えて。

 

 ただしアイシャは除く。

 

 

 

 

 

 

 9月4日。その日、ヨークシン一帯では雨が降っていた。

 土砂降りとまではいかないものの、それなりに雨足は強く、外出が億劫になる程度には降っていた。そんな日のことだ。アイシャの元にヒソカから連絡があったのは。

 そう、死闘の連絡が。

 

 

 

 ヨークシンから車で2時間程離れた山岳地帯。そこがヒソカが指定した戦いの場であった。

 何故それだけ離れた位置で戦うのか。何故このような天気の日に戦うのか。罠を思わせるその指定であったが、アイシャはそれに従い指定の場所へと移動した。

 ヒソカが戦う気になっているアイシャに対して今さら罠を張るとは思えなかったのだ。まあ、念を入れてゴン達にドミニクの警護を任せているのだが。

 

 指定された時間よりも30分程早くにアイシャはその場に辿り着く。そこには既にヒソカがそこらに転がっている岩の1つに腰掛けてアイシャを待ち構えていた。

 

「やあ♥ 早かったね♣」

「どうやら待たせてしまったようですね」

 

 呼び出しはアイシャをドミニクから離れさせる為の罠ではなかったようだが、周りの地を見る限りそれ以外の罠を仕掛けられたようだった。

 周辺は岩場だらけでゴツゴツとした大地が広がっている。足場は非常に悪く、平地と違い考えて動かなければ足を踏み外してしまうだろう。そしてそれ以上にアイシャの力を制限する場でもあった。

 

 ――縮地対策か――

 

 そう、アイシャが推測した通り、これはヒソカがアイシャの縮地に対する為の封じ手であった。

 縮地は地面と接している部位のオーラを高速で回転させることで360度自由自在に動ける移動法だ。その有効性は先の旅団戦やネテロとの戦いでも示した通りであり、並はおろか一流どころの使い手でも対処は難しい。

 ヒソカはパクノダの【記憶弾/メモリーボム】によって縮地を僅かだが見ていた。そしてその厄介さをよく理解していた。縮地を100%発揮出来る状況では勝ち目は限りなく薄くなってしまうだろう。

 そう考えたヒソカの縮地への対処がこれ、地の利を活かすことであった。

 

 こうも地面が凸凹していれば如何にオーラの扱いが世に並ぶ者がいないアイシャといえど縮地を用いることは出来ない。

 縮地とは言うなれば足の下にローラーを敷いているようなものなのだ。平らな地面や壁ならともかく、これだけ足場が悪い場所では縮地を使うと明後日の方向へと吹き飛んでしまうだろう。

 ヒソカはあの【記憶弾/メモリーボム】で見たアイシャの動きからその特性を理解し、それに対処する方法を考えついたのだ。戦闘に置ける考察は常人のそれを遥かに凌駕していると言えるだろう。

 

 敵の力を削ぐ状況を作り出し、それを利用して戦う。これを卑怯と罵る人は多くいるだろう。正々堂々と勝負しないのかと。

 だがヒソカは卑怯かどうかはともかく、こういった小細工をしてはならないとは欠片も思わない。戦いに置いて互いに平等な条件などあるわけがない。そんな勝負がしたければスポーツでもしていればいいのだ。いや、スポーツですらそんな条件を満たすことは不可能だろう。出来るとすれば対戦ゲームで同キャラクターを使用した時くらいだ。それもキャラの立ち位置を交代して優劣を決めてようやく公平と言えるだろう。

 

 殺し合いに正々堂々などない。あるのは勝つか負けるか。生きるか死ぬかである。それがヒソカの考えだ。唯一ヒソカの信念とも言えるモノがあるとすれば、それは1対1の状況を楽しみたいというものくらいだろう。

 

 アイシャもヒソカの地の利を生かした戦法を悪いとは思っていない。むしろあれだけの情報で縮地の特性を見抜いたその戦術眼を褒めたいところだ。

 戦いとは互いが持つありとあらゆるスキルを駆使して行うものだ。そこには身体能力や戦闘技術以外に情報や戦術ももちろん加わっている。

 ヒソカは勝つために最大限の努力をしただけであり、それを好む好まないはあれど、ただ卑怯と罵るのは愚か者の言い訳に過ぎない。

 

「ククク♦ そう、待ったんだよ♠ あの日、天空闘技場でキミに出会ってから何度もこの場面を想ったものさ♥ ハンター試験で再会して、いや、キミに投げ飛ばされて気絶した日からその想いは強まるばかりだ♣ ようやく…………キミとヤリあえる♥」

 

 そう、不気味に嗤いながらヒソカはその身に邪悪なオーラを纏わせる。オーラは高まり続け、あのカストロと戦った時よりも数段上のオーラを発するまでに至る。それは幻影旅団最高のオーラ量を誇るウボォーギンと比べても遜色ないレベルにまで達していた。

 

「……流石ですね。それだけのオーラを纏う者と戦うのは久しぶりですよ」

「……キミの戦ってきた相手を教えてほしいものだ♣」

 

 アイシャの台詞に戦闘意欲を高めていたヒソカも一瞬毒気が抜けてしまう。

 ヒソカ自身己が最強であるという強い自負があるが、それでもオーラ量が世界一を誇るとまでは思っていない。だがその反面、世界を見てもそう比肩するものはいないとも思っている。だというのにアイシャの今の口ぶりだ。どれだけの強者と戦ってここまで来たというのか。

 それを凄い、ではなく羨ましいと思うのがヒソカらしくはあったが。

 

「さあ、もういいだろうアイシャ♥ ここなら誰にも遠慮することなく全力を出せる♦ さあ、キミのオーラを見せてくれないか♠」

「なるほど。人気のない場所を選んだのはその為でもあったのですか」

 

 ヒソカの狙いにアイシャも呆気に取られてしまう。

 ヒソカはアイシャのあのオーラに魅せられてしまったのだ。あの時、地下競売を襲った幻影旅団を一蹴した時にアイシャが発していたあの禍々しいオーラ。自分とは違う質の、だが同じくらいに凶悪なオーラに魅せられた。アイシャこそ自分が求めていた相手だと思える程にだ。

 アイシャの前ではクロロですら霞んで見える。ヒソカにとってアイシャは恋焦がれた半身とも言うべき存在だった。このような僻地を選んだ理由は縮地対策もあったが、アイシャの全力のオーラを見たいが為でもあったのだ。

 

「ですがお断りします。……見たければその状況にまで追い込んでみなさい」

 

 だがアイシャはヒソカの願いを軽く無視する。

 別段周囲に誰もいないこの状況なら【天使のヴェール】を解除しても問題はないのだが、だからと言って解除してやる理由もない。そもそもオーラが見えないというのは有利に働くことはあれ不利になることはない。オーラの消耗が10倍になるのが大きな欠点だが、膨大なオーラ量を誇るアイシャに取って一度の戦闘程度では気にすることでもない。

 

「まだ焦らすのかい♣ 仕方ないなぁ、それじゃあ……そろそろ始めようか♥」

 

 それが死闘の合図となった。

 

 

 

 死闘が始まれど戦況は動かず。

 アイシャは自然体で待ちの構えを取り、ヒソカも開始直後から動くことはなかった。

 

「来ないのですか?」

「ずっと待ってたんだ♣ どうせだからキミが向かってくるまで待っているとするよ♦」

 

 戦闘狂のヒソカが待ちに待ったアイシャとの死闘で自分から仕掛けない。それもヒソカの戦術によるものだった。

 天空闘技場、そして今回の旅団戦とアイシャの戦いを観察し、ハンター試験に置いては自ら経験した。そこからアイシャの武術が相手の力や勢いを利用するものだと理解している。

 

 ヒソカは客観的に見てアイシャと自身の能力を数値化した場合大抵の能力が劣っていると判断している。身体能力はヒソカが上だろう。だがオーラ量は圧倒的な差が有り身体能力の差など簡単に覆っている。更には体術に置いてもアイシャに分があるだろう。まともにぶつかれば勝機がないのは明白。

 

 だったらまともにぶつからなければいいだけの話なのだ。

 戦いとはスペックだけで勝てるものではない。ヒソカは自身が最強だと思っていても最高だとは思っていない。自分を超える戦闘力を持つ者などこの世には少ないが確実にいるだろうとは分かっている。だが、戦いとは強い者が勝つのではない。勝った者が強いのだ。

 

 ヒソカは自身の力を最大限に発揮し、奇策を用い、相手の意表を付き、全ての術を駆使して勝つつもりでいた。

 

「そうですか。では……行きますよ」

 

 アイシャのその言葉とともに対峙するだけの時間は終わりを告げた。

 強力な踏み込みにより高速でヒソカに接近するアイシャ。雨で濡れた岩場は滑りやすいが、アイシャの動きには陰りが見えず見る間にヒソカとの距離を縮めていく。

 

 ヒソカには分からなかったがアイシャは常に凝にてヒソカとその周囲を観察している。そこからヒソカが周囲の岩場に【伸縮自在の愛/バンジーガム】を張り巡らせているのを確認していた。隠で巧妙に隠していたが、アイシャの凝を欺くことは出来なかった。

 

 それらに注意をしつつ、アイシャは接近してヒソカに向かって拳を振る――わず、周囲から飛んできたトランプの数々を躱し後方へと跳躍する。

 アイシャの視界の死角を突いてトランプを設置し、そこからヒソカは自身の眼前に向かってゴムの反動で射出したのだ。

 アイシャ自身に【伸縮自在の愛/バンジーガム】が付いていないのでヒソカの目測による狙いだが、アイシャを後退させるには十分だった。

 弾き落とすという選択肢もあったが、アイシャはそれを選ばなかった。ヒソカの【伸縮自在の愛/バンジーガム】はアイシャの【ボス属性】でも無効化出来ない能力だ。対象を捕縛する能力なら無効化するだろうが、【伸縮自在の愛/バンジーガム】はオーラに粘着性と伸縮性を持たせた能力だ。粘着性は物理的な面を持っているので、アイシャの【ボス属性】でも無効化出来ないのだ。

 攻撃が被弾すると例えダメージを負わなくてもその粘着の効果は及んでしまう。すぐに断ち切れるだろうが、その動作で無駄な隙が出来るのを避ける為に【伸縮自在の愛/バンジーガム】による攻撃は回避したのだ。

 

 後方に離れたアイシャが着地する前にヒソカが前進し追撃を仕掛ける。

 飛来したトランプの1つを手に取り喜々とした表情でアイシャに斬りかかる。

 アイシャはその動きを足が地に着く前に手で捌き、ヒソカの右腕を捕らえようとする。だがヒソカはまたもゴムの反動を利用する。自らに付けていたゴムを解放し岩場へと高速で移動、そこからゴムの反動跳躍を繰り返しアイシャの周囲を飛び交う。

 

 ――なるほど。予想以上に厄介な能力――

 

 アイシャの言う通りヒソカの【伸縮自在の愛/バンジーガム】は非常に厄介な能力だ。ゴムの伸縮を利用したトリッキーな動きは初見では見抜きにくく、また粘着は相手の動きを阻害し術者の自由度を大きく広げている。

 直接的で強力な攻撃力を有する能力ではないが、使い方は変幻自在であり、これほど対処しづらい能力もそう多くはないだろう。

 

 アイシャはヒソカを目で追うのを止める。

 四方八方を高速で動き回るヒソカをいちいち目で追っていると死角に周り込まれてしまう可能性もある。なのでアイシャはヒソカの動きを追う振りをしつつ、円を展開しそこからヒソカの動きを予測した。

 半径100mまで広げた円の範囲内でヒソカは岩から岩へと飛び回る。だがその円も【天使のヴェール】によりヒソカには気づかれていない。

 

 ヒソカから見てアイシャが自身が元いた場所に注視した時、アイシャの死角へと飛び移っていたヒソカはアイシャが向いている方向に配置していたトランプのゴムを解除し射出する。そして自身はアイシャの死角から一気にアイシャの元まで跳躍した。

 アイシャはまだヒソカに振り向いておらず、飛んできたトランプの回避に集中しているようだった。その無防備な背後から頚動脈を狙ってオーラを研ぎ澄ませたトランプを振りかざす。

 

 だが、様々な手を使い相手の意識を逸らしたその奇襲は、円を展開しそこからヒソカの動きを追っていたアイシャには奇襲足り得なかった。

 後ろ手にヒソカの腕を捕らえ、自ら回転することでその腕を捻り破壊しようとする。

ヒソカも咄嗟にアイシャと同じ方向に回転を加えようとするが、空中にいて足場がない状態では満足に身体を捻ることも出来ず、捕らえられた右肘の関節は捻れ破壊されていった。

 

 ヒソカの肘を破壊してからもアイシャの攻撃は止まらない。

 ヒソカが着地するよりも早く大地を踏みしめ、人差し指にオーラを集中させそのまま鳩尾を貫こうとする。だがヒソカは己の真骨頂とも言える【伸縮自在の愛/バンジーガム】の伸縮によりアイシャの追撃を喰らう前にその場から離れていった。

 

 ざっと50mは離れた位置に着地したヒソカは肘を破壊され激痛が走っているだろうに、未だ喜々とした不気味な笑顔を浮かべていた。

 

「やっぱりキミは素晴らしいよ♥ 何をしてもキミの虚を突くのは不可能じゃないかって思えてくる♠」

 

「まさか。私とて人間です。生きている限り虚も生まれますよ。それよりも、先ほど肘を破壊した時に私にその能力を付けなくて良かったんですか?」

「冗談♦ キミと真正面から距離を詰めるくらいならこうして離れた方がマシだよ♣」

 

 前述した通りまともな接近戦ではヒソカに分が悪い。あの場でアイシャに【伸縮自在の愛/バンジーガム】を取り付けていたらそれを利用する前に追撃を喰らい致命の一撃を受けていただろう。

 敵に能力を使用できる状況下で冷静に現状を判断し、最も最適な対処を取る。中々出来る判断ではない。アイシャはヒソカの戦闘に置ける分析力と状況判断能力の高さに内心で称賛していた。

 

「振り出しに戻る、でしょうかね?」

「ボクの肘を壊しておいてそれはないんじゃないかな♥」

 

 勝負開始時と同じように距離を取って相対する2人。違うのはヒソカが右肘を破壊されているということ。それは確実にヒソカの戦闘力を削ぐ結果となっているだろう。

 

「では、同じように再開しましょうか」

 

 その言葉とともにアイシャはまたもヒソカに向かって高速で距離を詰める。

 ヒソカはどう対処するのか。また同じように【伸縮自在の愛/バンジーガム】で四方八方を飛び回るのか。それとも別のアクションをするのか。

 アイシャはヒソカの動きを予想しつつ、実際のヒソカの動きとオーラを注視しながら距離を詰め――足を踏み外してしまう。

 

「なっ!?」

 

 足場が悪い岩場の為に踏み込む場所を間違えてしまったのか。

 いやそうではなかった。如何に足場が悪かろうとそれくらいで足を踏み外すようなアイシャではない。

 ならば何があったというのか。それは踏み込んだ足元の地面が破けるという不可思議な現象が起こった為だった。

 いや、地面が破れる等という表現があるわけがない。事実破れたのは地面ではなく、【薄っぺらな嘘/ドッキリテクスチャー】で地面に偽装されていた紙がアイシャの踏み込みで破れたのだった。

 

 ヒソカの【薄っぺらな嘘/ドッキリテクスチャー】はオーラを変化させ紙のように薄っぺらな物に様々な質感を再現するという能力だ。その再現出来る質感の数は軽く千を超えており、その中には当然岩や地面といった質感も存在している。

 この能力を用い、雨に濡れても破れぬ程度に頑丈な紙に岩場を再現。それを岩の窪みにかぶせ【伸縮自在の愛/バンジーガム】で固定していたのだ。

 

 オーラで再現した質感ならば凝で見抜けないか? という疑問もあるだろうがそれは非常に難しい。

 何故ならオーラそのものを別の質感に変化させるのがこの能力だ。見たところで変化した質感の物としか認識出来ないのだ。【薄っぺらな嘘/ドッキリテクスチャー】に使用されているオーラ量は極微量だというのも気付きにくい理由でもある。

 さらにこの雨の中の視界の悪さと周囲に散らばっている【伸縮自在の愛/バンジーガム】のオーラに紛れているというのもあり、アイシャと言えどそれを見抜くのは困難だったのだ。

 

 そしてアイシャが踏み込んだその窪みには大量の【伸縮自在の愛/バンジーガム】が設置されていた。岩に化けた紙によって遮られていた【伸縮自在の愛/バンジーガム】にも気付くことは出来ず、敢え無くアイシャはその【伸縮自在の愛/バンジーガム】の沼に左足を飲み込まれてしまう。

 

 ヒソカは罠にかかった獲物を逃がすまいと即座にアイシャの嵌った【伸縮自在の愛/バンジーガム】の沼に向けてトランプを投げつける。そのトランプにも【伸縮自在の愛/バンジーガム】が付けられており、トランプが【伸縮自在の愛/バンジーガム】の沼に癒着した瞬間オーラを籠めゴムの粘着を強化する。

 ヒソカは変化系の為、放出系はさほど得意とはしていない。なので身体から離れた【伸縮自在の愛/バンジーガム】の強度は著しく下がってしまう。それを防ぐためにオーラと身体を繋げたのだ。

 

 脱出しようとするアイシャに向かってそうはさせまいと更なる追撃が迫る。何十、いや何百ものトランプがアイシャに向かって飛んできたのだ。いやトランプだけではない。幾つもの大岩までもが飛んできていた。

 前もって準備をしていないと有り得ない程のこの弾幕。初めからこの場に追い込むことを目的としていたのだとアイシャは完全に理解する。あれだけ飛び回っていたのも、アイシャの攻撃を受け今の場所に避難したのも、アイシャをここに誘導する為だったのだ。

 

 アイシャは自分に当たるトランプと岩のみを叩き落とし、それと同時に左足のオーラを高速で回転させることで自らを捕らえている【伸縮自在の愛/バンジーガム】を捩じ切ろうとする。

 だがそうする前に、獲物が罠から逃げる前にヒソカがアイシャの死角、真後ろから攻撃を繰り出していた。ヒソカは飛ばした大岩の1つに捕まりアイシャの裏側へ回り込んでいたのだ。

 そしてアイシャがトランプや大岩、そして【伸縮自在の愛/バンジーガム】に対処している隙に渾身の一撃を繰り出し――だが、その拳もアイシャによって取り押さえられてしまった。

 

 どれほど虚を突こうともアイシャに隙は生まれなかった。

 アイシャは無数に飛来する障害物に紛れて自身の後方へ移動したヒソカを見逃さなかったのだ。この状況でヒソカが死角を取ったならば攻撃してこないわけがない。そうと分かっているアイシャがそれをまともに受けるわけもなかった。

 

 後はこの拳を掴んだままヒソカの攻撃の威力を利用して柔を繰り出すのみ。

 そこには始めの攻防と然して変わらぬ結果が待っているだろう。それはアイシャはおろか、ヒソカですらそう思っていることだった。

 

 そこに狂った道化師の奇術がなければ、だったが。

 

 

 

 アイシャは捕らえた拳から合気を仕掛けた瞬間に違和感を感じた。

 

 ――手応えが、ない?――

 

 拳を掴んでいるのは確かだ。だというのに柔が決まった手応えがなかった。

 まるで拳だけを掴んでいるような――

 

 まさかと思い咄嗟に振り向いたアイシャが見たのは、手首から先のない腕に全力のオーラを籠めてアイシャに向かって腕を振り下ろしているヒソカと、その左手のみを握りしめている自身の腕だった。

 

 ――拳を切り捨てただと!――

 

 絶句。アイシャの心境はその一言に尽きた。

 アイシャの経験上身体の一部を切り離して攻撃してくる能力者は確かにいた。だがそれはそういう能力を用いてのことだ。能力故に切り離した身体はその能力を解除したら元の形に戻る。

 

 だがヒソカはそうではない。ヒソカは左手を捨て札としアイシャの柔をやり過ごす為にあらかじめ切断したおいたのだ。

 切断した手首は【伸縮自在の愛/バンジーガム】で傷口を塞ぎ出血を止め、そしてその上からまた手首を【伸縮自在の愛/バンジーガム】で固定する。切断した痕は見ても分からないように【薄っぺらな嘘/ドッキリテクスチャー】で肌の質感を再現していた。

 これにて外面上は傷1つない元通りの腕が出来上がりだ。だがもちろん実際に手首が元に戻ることなどない。

 

 全てはアイシャの虚を突くために。全ては勝利の為に。

 その飽くなき勝利への渇望にアイシャも驚愕し、ヒソカの狙い通りほんの僅か、だが確かな隙を作ってしまった。

 

 ヒソカの全力の一撃が、アイシャの顔に突き刺さった。

 

 

 

 ――手応えあり、かな♥――

 

 全てを籠めた全力の硬による一撃だ。如何にアイシャと言えどもこれだけまともに喰らえばダメージを負わない訳が無いとヒソカも確信する。

 周囲の空間には血飛沫が舞うが、それが己の血なのかアイシャの血なのかはヒソカにも分からなかった。

 

 分かっているのはここを逃せば勝機を失うだろうということだった。

 ヒソカは大きく吹き飛んで行くアイシャを【伸縮自在の愛/バンジーガム】で引き寄せる。この一撃で終わるとはヒソカも思っていない。反撃の暇を与えずこのまま追撃をし一気に止めを刺す。

 

 アイシャをゴムの伸縮で無理矢理こちらに引き寄せ、そしてヒソカは見た。

 アイシャの眼を。渾身の一撃を受けてなお揺るがぬ意志を宿すアイシャのその瞳を。

 ぞくり、ぞくりとヒソカの背筋に心地よい何かが走る。

 

 その時、ヒソカは確かに聞いた。口を動かさず、声を発していないはずのアイシャの言葉を。

 

 ――【天使のヴェール】解除――

 

 瞬間、アイシャの身体から膨大で凶悪なオーラが溢れ出た。

 そのオーラの質と量については事前に知っていたので喜びはすれど驚くことはなかった。だが、次の光景を見たヒソカは先程までとは逆に虚を突かれることとなった。

 

 宙に浮いていることで抵抗することも出来ず、ヒソカに向かって引き寄せられるだけのはずのアイシャが、その身から膨大なオーラを噴出しながら突如として加速したのだ。

 速度の急激な変化により目測を見誤ったヒソカは、アイシャの攻撃を成すすべもなくまともに受けることとなった。

 ヒソカの腹部を貫くように拳を振り抜いたアイシャは、血反吐を吐き出すヒソカに更なる追撃を加える。大地に降りず、空中を自在に動きながら攻撃するという三次元的な攻撃によりヒソカの全身を叩き伏せる。

 

 顎を蹴り上げ、鎖骨に踵を落とし、背を肘で抉り抜き、頭上に膝を落とす。

 その連撃は何かの舞を思わせるかのように優雅で、そして熾烈だった。

 ヒソカは全力の堅で防御し、そのオーラを全て【伸縮自在の愛/バンジーガム】に変化させ衝撃を緩和させるも、確実にダメージを負っていく。凝による防御が出来ればまだいいのだが、高速で宙を移動し三次元殺法を披露するアイシャの動きにオーラの攻防移動が間に合わないのだ。

 攻撃する度にアイシャの身体に【伸縮自在の愛/バンジーガム】が付着していたが、その全てはオーラを高速で回転させることで瞬時にねじ切っていた。

 

 攻撃の合間に反撃をするも全てはアイシャの身に届くことなく空を切ることとなる。このままでは一方的にやられてしまうだけだと判断したヒソカは【伸縮自在の愛/バンジーガム】を解除しゴムの反動でこの場から離れようとする。

 だが、それはアイシャに完全に読まれていた行動だった。

 

 ヒソカが【伸縮自在の愛/バンジーガム】を解除した瞬間、アイシャは打撃から合気へと攻撃方法を瞬時に切り変える。ゴムの反動で吹き飛ぼうとするヒソカをその運動エネルギーを利用し、勢いを更に増して方向だけを変えて投げ飛ばしたのだ。投げた方向は……上空であった。

 

 凄まじい勢いで空中へと飛翔し続けるヒソカ。空中故に周りには【伸縮自在の愛/バンジーガム】を貼り付ける物体などあるわけもなく、空を飛ぶ術もないので為すがままとなるしかなかった。

 そんなヒソカが朦朧とする意識の中で見たものは、ヒソカを遥かに上回る速度で飛翔し自身に向かってくるアイシャの姿だった。

 

 全身に纏う禍々しく膨大なオーラを放出しながら飛翔するアイシャを見て、ヒソカは恍惚の表情を浮かべる。

 

 ――ああ、なんて美しいんだ♥――

 

 それが、この死闘でのヒソカの最後の思考となった。

 

 




 ヒソカが旅団達よりも善戦したのは前もってアイシャの戦闘力をある程度理解していたからです。それと己の能力を最大限活かせるよう戦術を練った結果がこれです。地の利、天の利すら利用したからこそですね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十四話

「――こちらは問題ない。そちらは――そうか、分かった。――ああ、先にホテルで待っているとしよう」

 

 その言葉とともに通話を切り携帯電話を懐に収めたクラピカは、その様子を窺っていたゴン達に振り返り彼らが最も聞きたいだろう事柄を伝える。

 

「アイシャからだ。戦いは終わったようだ」

「じゃあ!」

「ああ、アイシャの勝ちだ」

 

 クラピカのその一言でゴンがわっと歓声を上げ、病院内であることを思いだしばつの悪そうな顔をしながら口を噤む。

 

「やっぱりアイシャの勝ちじゃん。心配するだけ損って言っただろ?」

「うるせーなー。アイシャが強いのは分かってるけどよ、あのヒソカが相手となったら心配にもなるんだよ」

 

 レオリオの言い分にキルアもそれもそうか、と納得の表情を見せる。

 キルアはアイシャの勝利を疑ってはいなかった。あの幻影旅団すら一蹴してみせたアイシャが今さらヒソカ相手に負けるとは思わなかったのだ。レオリオもキルアと同意見なのだが、ハンター試験の時にヒソカから味わわされたあの形容し難い恐怖を思い出すと何処か安心出来なかったのだ。

 あの邂逅でヒソカがただ強いだけの存在じゃないと肌で感じたのだから、レオリオの才能もゴン達に負けず劣らず輝いているのだろう。

 

「アイシャは今からホテルへと帰ってくるそうだ。心配していた父親へのヒソカの強襲もなかったことだし、私たちも先にホテルへ帰って待っててほしいとのことだ」

「これで本当に一件落着か」

「うん。あとはグリードアイランドに行くだけだね」

「まあ、その前にゲームが出来るかどうかだけどな」

「グリードアイランドのプレイヤー選考会だね」

 

 グリードアイランドのプレイヤー選考会。それは世界有数の大富豪バッテラがサザンピースオークションが終了したその日、その時間、オークション会場をそのままの会場として開くゲーム参加者を決める選考会だ。

 その選考会の参加資格は第一に選考会自体の存在を知ることだ。無駄な人間が寄って来ないようにする為に、選考会の告知はある一定以上の実力を有する者にしか知りえないようになっていた。

 最も分かりやすい例がハンターサイトだろうか。あれを見ることが出来る者ならその告知を知ることが出来る。バッテラが自らの伝手を使いハンターサイトに告知を載せているからだ。ハンターサイトを利用出来る者はプロのハンター以外にそうは――中には極少数だが違法で覗く者もいる――いない。プロのハンターとなればその実力はそこらの有象無象とは比べるまでもないだろう。

 

 そうして選考会の存在を知った者が全員参加出来るかと言われればそうでもない。第二の参加資格は1200万ジェニーという一般人から見ればかなりの大金が必要となってくるからだ。別にバッテラが1200万ジェニーを徴収している訳ではない。ただ選考会の実地会場がサザンピースオークション会場で、開始時刻がサザンピースオークション終了後すぐというだけのことだ。

 つまりはサザンピースオークションに参加していないと選考会に参加することは出来ないのだ。そしてそのオークションに参加する為には、オークションのカタログを1200万ジェニーで購入しなくてはならない。もちろんこれも選考会前の選別だ。この程度の金額さえ用意出来ない者には用はないということだろう。

 

 これらの条件をクリアした者のみが選考会の参加資格を有することが出来るわけだ。もちろんゴン達も条件を満たしている。サザンピースオークションに参加するためのカタログは既に購入していた。天空闘技場での稼ぎは無駄ではなかったのだ。カタログに付いている入場券は1枚で5名まで入場可能となっているのでカタログは1つで事足りた。

 

「選考会って何をするんだろうね?」

「グリードアイランドを攻略出来る実力があるかを調べるんだろ? まさか人前で発とか使えってんじゃねーだろうな?」

 

 念能力者の実力を測るには幾つかの目安があるが、最も分かりやすいのが練によるオーラ量を見ることと能力者の能力、つまりは発を見ることだろう。

 オーラ量が多ければそれだけで戦闘には有利に働くだろうし、例えオーラ量がさほどでもないとしても有用な能力を持っていればそれだけで優秀な人材だ。

 だが前者はともかく、後者の方法は避けたいとキルアは思っていた。赤の他人、それも念能力者相手に自身の手札を無駄に見せるのは好ましいとは言えないからだ。

 下手すれば選考会の参加者全員に見られる可能性がある。そうなればキルアは強化系と偽ってでもただの練を見せるだけで終わらせるつもりだった。

 

「流石にそれは選考会が始まらないと分からないが、ある程度は考慮してくれているだろう」

「それならいいけどな。まあ、オレ達が落ちることはないだろうし、気楽に構えていようぜ」

「うーん、でもオレ達よりすごい人って一杯いるんだし……。残りの時間も出来るだけ修行してよっかなー」

「……そうだな。なんか修行してないと調子狂っちまうぜ。大体アイシャのせいだ」

「確かにな。幻影旅団のせいでここ数日まともに修行が出来ていない為かどうにも落ち着かない」

「お前ら……」

 

 レオリオは3人のあまりの不憫さに思わず目頭が熱くなった。なお、ゴンの言う自分たちよりすごい人とは、風間流の念能力者や幻影旅団を指している。彼らが基準になっていたら、並の念能力者は怒ってもいいだろう。

 

 

 

 そうこう話をしている内に4人はホテルへと戻ってきた。後はアイシャを待つだけなので、堅の持続時間を伸ばしたり、発に磨きをかけたり、アイシャ流鍛錬の一部を指導したりされたりと、各々自由に時間を潰していた。

 そんな時だ、ベランダの扉からアイシャが戻って来たのは。

 

「ただいま戻りました」

「お前そこが出入り口と勘違いしてねーか?」

 

 地上数十mの高さにあるベランダから出入りを繰り返すアイシャを見てキルアがそう突っ込むのも当然だろう。まあ、アイシャが好んでベランダから戻って来ているわけではないのだが。

 

「予想はしていたが、今回の土産はヒソカか……」

 

 そう、アイシャは傷つき気絶したヒソカを背負ってここまで来ていたのだ。

 流石にこんな重傷人を背負ってホテル真正面から帰って来るわけにもいかず、仕方なしにベランダから出入りをする羽目になっていた。

 アイシャは気絶したヒソカをベッドの上に寝かせて一息つく。

 

「ふう。皆さんお待たせしました。ドミニクさんの警護もありがとうございます」

「まあそれはいいけどよ……うわ、よくもまああのヒソカをここまでボコボコに……」

「その割に恍惚の表情を浮かべているのがヒソカらしいなおい」

「うん。オレとの戦いでもすごく嫌な感じがしたし」

「アイシャとの戦いで感極まったか……」

 

 全身を血や腫れで真っ赤にした重傷人が恍惚の表情で気絶している。

 軽くホラーである。でなければ極度のマゾだ。ある意味どちらもヒソカらしいが。皆がヒソカの惨状に引いていた所でレオリオがふとアイシャの左頬の傷に気がついた。

 

「おいアイシャ。お前左頬が少し腫れてるぞ!」

「本当だ! ヒソカの攻撃を受けたの!?」

「嘘だろ!? アイシャがダメージを受けた!?」

「馬鹿な! ヒソカ、恐ろしい奴……!」

 

 アイシャが敵の攻撃をまともに受ける。

 それはゴン達にとって晴天の霹靂、驚天動地とも言える程の出来事であった。

 アイシャはアイシャでゴン達の中での自分がどういう存在なのかを心底知りたかったが。

 

「いや、まあ私の傷はいいとして……。レオリオさん。ヒソカの左手を治せますか?」

「左手って……うおっ!? ち、ちぎれてんのかよ!」

「ええ。出来ますか?」

「……切断面は結構綺麗だから繋げた状態で【掌仙術/ホイミ】をすりゃ多分。切断してから相当時間が経ってたら駄目だろうけどよ」

「無理なら構いません。出来るだけお願いします」

 

 どうしてヒソカの左手を治してほしいのか? それはレオリオには分からないことだ。レオリオはこれまでにも瀕死の重傷を負ったフランクリンを治療したが、あれは文字通り瀕死だったからだ。あの時レオリオが治療しなければもって数日でフランクリンは死んでいただろう。

 だがヒソカは違う。左手はなくなってもそれが即座に死に繋がるわけではない。出血多量はあるかもしれないが、それは傷口を塞げばいいだけの話だ。わざわざ手を繋げるまでしてやる必要はない。

 

 しかしレオリオにはアイシャのその懇願を拒む理由も特になかった。

 

「分かったよ。左手だけでいいんだな?」

「はい。他の傷は放っておいて結構です」

「おっしゃ任せとけ! 【掌仙術/ホイミ】!!」

 

 手首を正しい位置で繋げ、そこにオーラを流し込む。暖かな光がヒソカの左手首を覆い、ゆっくりと傷口が塞がっていく。

 

「おいアイシャ。どうしてヒソカを治してやるんだよ?」

「私も疑問だ。勝負を挑んだのはヒソカだ。ならばその勝負でどんな怪我を負おうともそれはヒソカの自業自得。そこにアイシャの責はないだろう?」

「そうですね。それは分かっています。別に私も責任を感じているわけではありません。ですがヒソカには出来るなら五体満足でいてほしいのです」

「何か理由でもあるの?」

 

 皆が疑問に思う中、最後に質問したゴンに視線を向けるアイシャ。ジッとゴンを見つめ続けるアイシャに、ゴンもよく分からない表情で応える。

 

「まあ、そうですね。ゴン。あなたはヒソカに勝ちたいですか?」

「もちろん! ヒソカにはやられっぱなしだから、もっと強くなって絶対に勝つんだ!」

 

 アイシャの問いに間髪入れず返答したゴンにアイシャも優しげな笑みを浮かべる。期待通りの答えが聞けそれが嬉しかったのだ。

 

「そうですか。では、その時にヒソカが万全でなく、それで勝てたとしたら?」

「え? ……うーん、それは嫌だな~。ヒソカが全力じゃないのに勝てても嬉しくないや」

 

 これもまた期待通りの言葉にまたも嬉しくなり、アイシャは微笑を浮かべながらゴンに話しかける。

 

「でしょう? ですからヒソカには万全の状態に戻ってもらいます」

「え? じゃあこれってオレのために?」

 

 アイシャの答えにゴンも驚き目を丸くする。まさかそんな理由だとは思いもよらなかったのだ。だが、ゴン1人が理由というわけでもなかったが。

 

「ふふ、ゴンだけではないですよ。カストロさんもきっと万全のヒソカとの勝負を望み打ち勝ちたいと願っているでしょう」

 

 そう、打倒ヒソカに燃える武術家カストロ。

 彼は万人に勝る才を持ち、それでいてアイシャも認める程に努力を惜しまない正真正銘の武人だ。ヒソカやアイシャとの戦いを経て武人として更なる心構えを手にしたカストロのことをアイシャは快く思っていた。

 そんな彼には出来るだけ満足してヒソカと戦ってほしかったのだ。

 

「待てアイシャ。それはつまりヒソカは旅団と同じように捕らえないということか?」

「いえ、クラピカの鎖である程度は縛ってもらいます。幻影旅団ではなかったというだけで、ヒソカが凶悪な殺人者である事実に変わりはありませんから。ですが――」

「旅団と同じように法では裁かないってわけか」

 

 キルアの問いにコクりと頷くアイシャ。

 それはただのエゴだった。別段ヒソカを特別に想ってのエゴではない。友を、孫弟子を想ってのエゴ。同じような凶悪犯は法で裁く一方でのこの贔屓。エゴ以外の何でもないだろう。それはアイシャも理解していることだ。

 

「法で裁かないだけで、ある程度の不自由は覚悟してもらいますが。今さら文句はありませんねヒソカ?」

「え? ってうお!?」

 

 アイシャのその物言いに治療していたレオリオが思わずヒソカの顔に目を向けると、既に気絶から目覚めていたヒソカとバッチリ目があってしまった。

 

「……やっぱりバレてたか♥」

「一瞬呼吸が変わりましたから。それで、何か文句でもありますか?」

「うーん、内容によるかな?」

「贅沢言ってられる状況かよ……」

「戦闘力を奪うようなことはしません。ただ、無駄な殺生は止めてもらいましょうか。クラピカ」

「ああ」

 

 そうしてクラピカの【律する小指の鎖/ジャッジメントチェーン】によりヒソカに掟の鎖が埋め込まれる。その守るべき内容はこうだ。

 

1:挑まれない限り他者への攻撃を禁ずる。ただし、人助けの為の戦闘行為はこの条件に当て嵌らないものとする。

2:1の条件はアイシャのみ除くものとする。ただしアイシャへ一度挑むと次に挑むのは1ヶ月以上時間を開けること。

3:直接・間接問わず強制的に他者が自身に挑むように仕向けることを禁ずる。

4:ゴン・カストロの両名と戦い敗北した時、その半年以内に自首をして過去の罪を償うこと。

5:除念師との接触を禁ずる。なお、除念師と知らずに接触した場合対象が除念師と理解して10秒以内に離れること。その後その除念師と接触すると掟を破ったことになる。

 

 これがヒソカに課せられた死の掟となった。

 1の掟によりヒソカの殺人は限りなく抑えられるだろう。例外として人を助ける為ならば戦闘行為を許すことにしていた。

 2の掟はヒソカにとっての救いだろう。あまりに何も出来ないとヒソカが暴走してしまうだろうとアイシャが若干の仏心を出したのだ。

 3の掟によりヒソカから敵を作って自分に挑ませることは出来なくなった。意図的に危機状態の人を作り出し、それを助ける為に戦闘するという行為も出来ない。

 4の掟は酷な言い方になるがアイシャにとってヒソカの役目が終わった時のことだ。もっとも、ハンターライセンスの効力によって大した罪は問われないかもしれないが。

 5の掟は自由に動けるヒソカが除念師と出会って掟の鎖を解除するのを防ぐために加えられた。

 

「あらら♠ いいのかい? アイシャに戦いを挑んでってお願いするのは♣」

「いいですよ。あなたもただ敵が来るのを待つのは嫌でしょう。それに……」

「それに?」

「私も楽しかったですから。あなたとの戦いは」

 

 そう言ってアイシャは満面の笑みを浮かべてヒソカへと向ける。

 そう、アイシャも楽しかったのだ。あの駆け引きが、緊張感溢れる戦闘が、知略の限りを尽くして全力で向かってくるヒソカとの死闘が。

 結果で言えば圧勝したアイシャだったが、あの戦闘は万金に値する価値があると思っていた。

 そのアイシャの偽らざる想いを聞いて、ヒソカも鮮明に残っている死闘の記憶を思い描いて愉悦に浸り言葉を返す。

 

「ああ、そうだね♦ 楽しかったなぁ本当に♥ 次に戦う時が楽しみだよ♣」

「あ、言っておきますけど、挑んできたところで絶対にそれを受けるとは限りませんよ」

「ええ~、それはないよアイシャ♥」

「私にもやることがあるんです。あなたに構ってばかりはいられませんよ」

 

 そうして笑い合うアイシャとヒソカ。

 そんな2人を見てどことなく不機嫌になっていく者が2名程いたが、まあそれはどうでもいいことだろう。

 

「それはそうとさ! 今度こそひと段落したことだしこれからどうするよ」

 

 幾分声を荒げながらキルアが話を持っていく。

 アイシャは何故か不機嫌なキルアを怪訝に思いながらも、まあ思春期的な何かだろうと当たってはいるが理解は出来ていない予想を立てていた。

 哀れキルア。

 

「そうだなー。やっぱり選考会に向けて修行する?」

「いや、せっかくのヨークシンドリームオークションなんだから何か適当なオークションに参加でもしようぜ」

「でも別に欲しいもんなんてないしなー」

「私は出来るだけ緋の眼の情報を集めていよう。どこかのオークションで売られているかもしれない。競り落とすのが無理でも購入者を把握出来ていればその後の追跡が容易になるからな」

「私は空いた時間で適当にヨークシンを回って見ますか」

「それならオレと一緒に値札市に行こうぜアイシャ。ゴンとキルアは選考会の修行をするみたいだしよ」

 

 自分以外の全員が今後のヨークシンでの予定を述べたところでレオリオがタイミングを測ったかの如く提案を切り出してきた。それに対してアイシャは嬉々として答え、キルアはやられた! と言わんばかりの表情になって歯噛みしていた。

 

「ええ、一緒に回りましょうかレオリオさん」

「ああ、それならオレも一緒に行こうかな。値札市って興味あったし」

「……選考会まで修行した方がいいんじゃねーかキルア?」

「修行はするさ。でも息抜きも必要だろ?」

 

 何故かキルアとレオリオの間に火花が散っているように見えるが、男の戦いの渦中にあるとは露とも思わないアイシャにはその理由は分からなかった。

 哀れキルアとレオリオ。

 

「それじゃあ3人で行きましょう、ね?」

「……ああ」

「……そうだな」

 

 いと哀れ。

 

 

 

 

 

 

 ホテルの一室で今後のことを話していた矢先、アイシャの元にエル病院から連絡が届いた。その内容はドミニクの意識が目覚めたというものだった。ドミニクは瀕死の重傷から回復はしていたが、意識は目覚めることなく眠り続けていたのだ。

 それが今日ようやく意識を取り戻したと病院から連絡が入り、アイシャは急ぎエル病院へと駆けつけた。

 

 病院に辿り着いたアイシャは受付で話をしたあと、そのままドミニクの担当医の所まで行く。最も気になっていたドミニクの容態、特に入院時にはっきりとしなかった感染症の疑いを確認したかったのだ。

 だが懸念していた事態にはならなかったようだ。腹腔内に傷や出血は確認されず、感染症も問題ないと判断された。

 連絡にあった通り意識も戻っており、失血の影響としばらく寝たきりだったため立ち上がる程の体力は戻ってないが、容態は安定しているとのことだった。

 

 アイシャはようやく一安心してドミニクの病室へと歩を進める。

 

 

 

 ドミニクの病室に辿り着いたアイシャはノックをして返事を待つ。

 中からは1人の人間の気配を感じる。寝ている者のそれではない。意識が戻っているというのは本当のようだ。

 

「……入れ」

 

 ノックをしてから数秒し返事が返ってくる。

 アイシャはゴクリと生唾を飲み込んでから、ゆっくりとドアを開けて入室した。

 

「失礼します」

「っ! ……お前か」

 

 入室したアイシャを確認したドミニクは思わず息を飲んだ。

 病院の関係者が入ってくるものだと思っていたのだろう。まさかの人物の登場に驚きを隠せないようだ。

 

「何の用だ。二度とオレの前に現れるなと言ったはずだが?」

「……申し訳ありません。ですが……」

 

 ドミニクのいきなりの拒絶にアイシャは言葉を詰まらせる。

 色々と分からないことがあるだろうから説明を、と思いここまで来たが、いざ対面すると何からどうやって話したらいいのか分からなくなってしまったのだ。

 

 ドミニクもまた普段と違い戸惑っていた。

 急な再会にどうしたら良いのか分からず、思わず拒絶の言葉を吐いてしまった。娘を許したつもりはない、だがこうして再会したのだから話をするくらい良かったのではないか? だが男が一度言ったことを曲げるなどと……そんな考えが頭を巡りドミニクも軽く混乱していた。

 

「今日は!」

「は、はい!」

「天気がいい…………あ、雨が降ってるな!」

「え? あ、そうですね!」

「……」

「……」

 

 静寂が場を支配する。心なしかドミニクの頬は赤く染まっていた。

 アイシャはそれを見て血色が良くなったとズレた勘違いをしていたが。

 

「ゴホン!」

 

 ドミニクは咳払いをして自分の中で先ほどの恥辱をなかったことにし、改めてアイシャに問いかける。

 

「オレを助けたのはお前か?」

「……はい」

「やはりそうか……」

 

 あの襲撃でドミニクが最後に見た記憶はアイシャの悲しげな表情だった。なぜあの場にアイシャがいたのかは分からなかったが、己が今も無事なのはこの娘が助けたからとしか思えなかった。

 だが、あの地獄からどうやって己を助けたのか? あの瀕死の重傷はどうしたのか? 目覚めてからの疑問を目の前の娘にぶつける。

 

「何があったのか、詳しく話せ」

 

 ドミニクにそう言われようやくアイシャも思考をただし滑らかに話し出す。

 

「分かりました。……マフィアンコミュニティー主催の地下競売を襲撃したのは幻影旅団です」

「何だと!」

 

 アイシャの突然の言葉にさしものドミニクも眼を見開き驚愕する。

 幻影旅団の名は裏社会に置いてあまりにも有名だ。これまでも幾つものマフィアや裏社会の大物が餌食となっているのはドミニクも知っている話だ。

 だが、だからと言って全てのマフィアを敵に回すような愚かな真似をするとは思ってもいなかった。

 しかし一方で納得もする。幻影旅団ともなればあれだけの破壊を撒き散らす強力な念能力者を有していても当然だと。

 

「それで! 幻影旅団はどうなった? コミュニティーはどう対処した!?」

「お、落ち着いてください。マフィアンコミュニティーがどう対処したかは私には分かりません。私はマフィアではないですから。ただ、私の仲間から聞くには幻影旅団の一員と戦闘して大部分のマフィアが痛手を受けたそうです」

「……そうか」

 

 激昂しアイシャに詰め寄ったドミニクだったが、アイシャの言葉で多少の冷静さを取り戻す。マフィアンコミュニティーの詳しい現状など完全な部外者であるアイシャが知りようはずもないのだから。

 

「それで、幻影旅団はどうなった?」

 

 大勢のマフィアを相手に圧倒するような化け物集団だ。マフィア子飼いの念能力者では相手にもならないだろう。まんまと競売品を盗まれ逃げられたのか。そう思うと怒りではらわたが煮えくり返るようだ。

 だが、その後に続くアイシャの言葉でそんな思いも空の彼方へと消えさった。

 

「全員捕らえました」

「…………ん? ああ、すまないがもう一度言ってくれ」

 

 アイシャの言葉を聞き逃したのか、同じ言葉をもう一度催促するドミニク。

 アイシャはまだ意識がはっきりとしていないのかと心配しながらも先ほどと同じ言葉を連ねる。

 

「全員捕らえました」

「……」

 

 どうやら聞き間違いではなかったようだ。

 捕らえた? あの幻影旅団を? 全員? 誰が? どうやって?

 いきなりの有り得ないような情報にまたも混乱に陥るドミニク。

 

「……もしかして陰獣か?」

 

 そこでドミニクは陰獣という答えに行き着く。

 あの十老頭自慢のマフィア最強の念能力者集団ならあるいは――

 

「いえ、私とその仲間達でですが」

「……」

 

 だがそんな納得のいく答えは続くアイシャの言葉によってあっさりと否定された。

 

「ど、どうやって?」

「倒して無力化しました」

 

 もう、何を言ってるのか分からない。

 自分の娘はどれだけ強いのだ? あれを倒した? ミシャはどういう教育をしたんだ?

 いや、今考えるべきはそこではないと頭を振りかぶってドミニクはアイシャに質問を続ける。

 

「今、幻影旅団はどこにいる?」

「……それは言えません」

「何故だ!?」

 

 マフィアンコミュニティーに戦争をふっかけたばかりか、長年己に仕え続け護衛をこなしてきたダールとザザを殺されたのだ。ここまでコケにされて見逃してやるほどドミニクも穏健にはなっていなかった。

 無力化され捕らえられているとなれば好都合だ。死という名の報復を与えてやるつもりだった。

 だが肝心の居場所を娘は話さないという。激昂し、つい口調が荒くなってしまう。

 

「幻影旅団はしかるべき場所で法の下に裁いてもらいます。ハンター協会に連絡しすでにその様に取り計らってもらっています。今マフィアであるあなたに居場所を教える訳にはいきません」

 

 もし居場所を教えればドミニクは必ずマフィアと連絡を取って幻影旅団の身柄を取り押さえるだろう。

 そうなればクラピカの能力で無力化されている幻影旅団はまともな抵抗も出来ずに捕らえられるばかりか、あの部屋から無理矢理連れ出されそのまま鎖の掟を破ったとして死んでしまうだろう。

 そればかりかあのホテルにいるゴン達にもマフィアの手が伸びるかもしれない。そうなる可能性がある限り例えドミニクと言えどもこの件について話すつもりはなかった。

 

「……」

 

 その強い拒絶の意思を見てドミニクもアイシャがこれ以上話すことはないと理解する。話を聞く限りアイシャの戦闘力は相当なものだ。無理矢理聞き出すというのも不可能だろう。いや、妻の面影を残すアイシャに無理矢理というのがそもそも抵抗があった。

 

「分かった。その件はもういい。次に聞きたいことだが、オレを助けたのはお前だが、オレの傷を治したのもお前か?」

「いえ、ある人が治療を施してくれました」

「……そうか。そいつに礼を言いたい。今度連れてきてくれ」

 

 ドミニクはマフィアではあるが、仁義は心得ているつもりだった。

 命を救ってくれた者に礼の1つも言わずにいるのはドミニクの矜持が許さなかった。

 アイシャの言葉が若干曖昧なのは気になったが。

 

「……分かりました。今度会ったらそう伝えておきます。ですが、その人が来るかどうかは分かりませんのでそれは先に断っておきます」

 

 アイシャとしてはレオリオが治癒能力者であることを無駄に示唆するような会話は避けたかったのだ。

 念能力者は希少であり、その中で治癒能力者はさらに希少だ。レオリオの存在を知れば彼を手元に置きたがる者は星の数ほどいるだろう。

 ドミニクがそうだとは言わないし、彼が秘密をばらすとは思いたくないが、長年の習性とも言えるものからつい能力の秘匿に努めてしまうアイシャだった。

 

「……分かった。その場合は俺が大いに感謝していることを伝えろ。良ければオレの家に来てほしいと。相応の謝礼をするつもりだとな」

「はい、必ず」

 

 ドミニクにしても念能力者が己の能力を秘匿する重要性をある程度は承知している。部下の能力は全て把握しており、その中には能力が知られたら対応が容易な能力も幾つかあった。ドミニクの傷を癒した者も似たような理由で姿を現すのを控えているのだろうと予測する。

 

「あの、私からも1つ聞きたいことが……」

「……言ってみろ」

「あなたは今……念に目覚めていますか?」

「……」

 

 それはアイシャの当然の懸念だった。

 ドミニクはフランクリンの念弾を受け瀕死の重傷を負ったのだ。その際に浴びた強力なオーラによって強制的に精孔が開いたとしてもおかしくはない。というより、これで念に目覚めなかったらゴン達とは相反する1000万人に1人の才能の無さだろう。

 

 ドミニクは己を見つめるアイシャの視線から顔をずらし、1つ溜め息をついてから質問に応えた。

 

「ああ、目覚めた。身体から流れ出るオーラとやらがくっきりと見えるぞ」

「やはりそうでしたか……」

 

 念に目覚めたことは別段アイシャとしても問題に思っていない。

 強制的に精孔を開かれると身体から溢れるオーラによって体力を消耗してしまうが、あの状態のドミニクには溢れるほどのオーラ(生命力)もなかった。

 気を失った状態がある意味自然体となってオーラを留めることも出来たのだろう。

 

 ドミニクもいい大人であり、マフィアの1ボスとして念能力者の扱いも知っているので無闇矢鱈と無謀な行いはしないだろう。

 そう思いつつも、長年の経験から来る老婆心から一言注意を促す。

 

「念に目覚めたとはいえ、その力に過信し過ぎないで下さい。もしその力を使うならば、きちんとした鍛錬を積まないと大きなしっぺ返しがあるかもしれませんから」

「そんなことお前に言われなくても分かっている。そもそも俺はこんな力を使うつもりなんてない。もう俺は一線を退いているんだ」

 

 それはドミニクの本心だ。

 武闘派から穏健派に変わった際にマフィアの抗争とも遠く離れている。

 多少は身体を鍛えてはいたが、それも一般人と比べて強い程度だ。今さら魍魎跋扈する世界に飛び込むつもりは毛頭なかった。

 そもそもマフィアの1トップに戦闘能力など然して求められてはいないのだから。

 

「それなら構いません」

「ああ」

「……」

「……」

 

 2人とも聞きたいこと、言いたいことは出尽くした。

 いや、実際にはまだあるのだが、それが中々口に出せないでいる。

 かと言って場を繋ぐような気の利いた言葉を出せる雰囲気や間柄でもない。

 そんな訳でまたも静寂が場を支配してしまった。

 

 

 

 どれほどの時が経ったのか。1時間か、10分か、それとも1分すら経っていないのか。いずれにせよアイシャにとってこの静寂の時間は無限にも思える長さに感じられていた。

 だが何時までもこうしているわけにはいかないと、アイシャはこの場を立ち去ろうと別れの挨拶を切り出した。

 

「……あの、ドミニクさんの体調にも障りますし、私はそろそろ――」

「――オレは!」

 

 だがそんなアイシャの言葉を急にドミニクが遮った。

 突然のその大声に驚き扉へと向いていたアイシャはドミニクへと振り返る。

 

「あの、何か……?」

「オレは、恩人には報いる男だ! 命を救ってもらった恩は返す! だからお前がミシャの墓参りに来ることだけは許してやる! それだけだ! それ以外は何も許さん! お前を娘とも認めないし、オレの家で自由に過ごしていいとも言わん! 許すのは墓参りだけだ!」

 

 それはドミニクの精一杯の譲歩。アイシャへの痼りをなくすことが出来ない男の不器用な歩み寄り。

 だがその不器用な想いは確かにアイシャに届いた。

 アイシャはその言葉の意味を十全に理解し、瞳に涙を浮かべながら感謝の言葉を述べる。

 

「あ、あり、がとう、ございます……!」

「勘違いするな! お前の為ではない、オレの矜持の為だ!」

「はい、本当にありがとうございます!」

「もういい! とっとと出て行け!」

「は、はい! それでは、お元気で」

 

 銃を持っていたら今にも発砲してきそうな程興奮しているドミニクを尻目に、アイシャは今度こそ別れの言葉を出して退出しようとする。

 そこに、もう一度ドミニクが声を掛けてきた。アイシャの少し短くなった髪を悲しげに眺めながら。

 

「……ミシャの髪はもっと長かった」

「――! はい! また、伸ばします!」

 

 そうしてアイシャはドミニクの病室を後にした。

 

 

 

 アイシャがいなくなり、病室で1人となったドミニクは感傷に浸る。

 アイシャを見てミシャを想い、ミシャを想い出すことでアイシャを思い浮かべる。

 どれほど憎んでも、その全てを憎みきれない妻の忘れ形見。そんなアイシャへどう接していいのかドミニクには未だに分からない。

 

 自分が娘を許す日は来ないのかもしれない。親子として共に生きるという未来が訪れることはきっとないだろうと思っている。

 だがそれでも、ほんの僅かだが前へ進めたような気がした。失意のままに無意味に生き続けてきたあの日々よりは、前へ。

 

 どこかすっきりとした表情でドミニクは呟いた。

 

「……ミシャ。オレももう少し前を見て生きてみるとするよ」

 

 無性にアイリスの花畑と妻の墓を見たくなったドミニクは、早期に退院出来るよう手続きをする為にナースコールを押した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十五話

 9月6日。

 この日よりヨークシンドリームオークションの最高峰と言われるサザンピースオークションが開催された。

 サザンピースオークションの日程は5日間に及び、そこで出品される競売品は全て希少で貴重なものばかり。それでいて競売品の品数も多いため幾つものホールに分かれてオークションは開かれていた。

 アイシャ達の目的であるグリードアイランドもそのホールの中の1つにて開かれるオークションで競売される予定となっている。競売に出されるグリードアイランドは7本あるため、5日間かけて7本が少しずつ競売にかけられるようになっていた。

 この日は1本のグリードアイランドが競売に出されるが、アイシャ達は今日この場には来ていなかった。

 

 アイシャ達にとってサザンピースオークションに参加する価値はあまりなかった。

 グリードアイランドは入手が目的ではなく、ゲームその物をプレイすることを目的としている。そしてそのゲームに参加する為の選考会はサザンピースオークション終了日、つまりは10日に開かれる。最後の日に参加さえしていればアイシャ達の目的は達成されるのだ。

 サザンピースオークションのカタログを見て特に欲しい物がなかったアイシャ達にとって、10日以外のオークションに参加する意味は見いだせなかったのだ。強いて言うならオークションの雰囲気を楽しむくらいのものだろう。

 

 そう言う理由でアイシャ達はこの場、グリードアイランドが競売に出されるオークション会場にはいなかった。もしいればアイシャはこう言っただろう。

 あなたは何をしているんですか……と。

 

 

 

 サザンピースオークションはドリームオークション最高峰のオークションなだけに、話のネタとなるモノは幾らでもあった。

 そんなネタの中にこのようなものがある。世界有数の大富豪バッテラと世界一危険なゲームと言われるグリードアイランドについてだ。

 あのバッテラが膨大な時間と金額をかけてまで躍起になって手に入れているグリードアイランドとは一体何なのか? グリードアイランドの存在を知っている者はそれなりにいるが、バッテラがそこまでして求めている理由や目的を知っている者は殆どいない。

 オークションが始まる前にも記者からグリードアイランドに拘わる理由を質問されていたバッテラだが、結局ははぐらかして終わっている。

 10年以上クリアされたことがない幻のゲーム。それを集める大富豪。話題に上がらない理由がなかった。

 

 

 

 数百人は入場出来るホールにてオークションは開催された。

 ホールの席は満席と言える程に埋まっている。しかもその殆どが一般人から比べると金持ちと言われる人種だ。そも、入場料とも言える1200万ジェニーのオークションカタログを購入しないと入場出来ないのだ。金持ち以外でここにいるのは酔狂な人間か何かしらの目的を持つ者くらいだろう。

 

 壇上に立つオークショニアの女性が入場客にオークションの説明を行っている。このホールのオークションでは一風変わった品を取り揃えているらしく、1番目に出品された品も恐竜の糞の化石というオークショニアの説明も頷ける一品だった。

 幾つもの競売品が競りにかけられ、それをマニア達が高値で競り取っていく。ホールの熱も徐々に上がっているその最中で、とうとうグリードアイランドが出品された。

 

「――このゲームは大変危険です。安易な購入はお勧めしません。覚悟のある方のみご参加下さい!! それでは10億ジェニーからお願いします!!」

 

 オークショニアが競売品の説明を行い、競売のスタート値を言った瞬間からグリードアイランドの競売は開始された。

 

「11億出ました、15億出ました、106番、倍!! 30億!!」

 

 矢継ぎ早にオークショニアが客が提示した金額を口にする。客が指で示した合図を瞬時に見極め上昇していく金額を即座にホール全体に伝達しているのだ。

 これだけ大量の人の合図を同時に見て理解する。訓練を積んでいるプロの技術と言えよう。

 

「17番さらに倍!! 60億!!」

 

 30億という金額から一気に倍の60億へ上昇した時ホール全体に感心したようなざわめきが通る。そして60億を提示した17番は誰かと数多の客が見ると、誰もがああ、と納得した。

 そう、グリードアイランドのみを目的としてこのオークションに参加した大富豪、バッテラである。

 

 バッテラが提示した60億から70億へとすぐに値段は上昇したが、即座にバッテラがその倍、140億を提示した。これで客もオークショニアも含めた会場全ての者がバッテラがどうあってもグリードアイランドを手に入れるつもりだと理解した。

 

「140億!! 他ありませんか?」

 

 100億を超すという大金に客の大半が落札を断念するが、それでも半分意地になった者が10億のアップを行い150億を提示する。

 だがそれを歯牙にも欠けず、周りの者に止めを刺すかのようにバッテラが50億のアップを示す合図を出した。

 

「17番200億!! 他ありませんか?」

 

 流石にこれには意地になっていた者も折れた。これ以上の金額上昇は身を滅ぼすだけ。いや、どれだけの金額を提示してもバッテラがそれを上回る金額を提示するだけだろうと理解したのだ。

 会場の誰もがこれでこの日のグリードアイランドはバッテラが競り落としたと思った。オークショニアはおろか、バッテラ自身でさえだ。

 

「他ありませんか? では――!? よ、4番250億!!」

 

 この日一番のどよめきがホールを満たし、誰もが1人の客に集中した。

 バッテラもまさかここまで来て値を上げてくる者がいるとは思わず皆が集中した方向へと意識を向ける。

 そして驚愕した。何故? どうしてこの女性がここにいて、グリードアイランドを買おうとしているのだ、と。

 

 会場中の注目を集めた4番の札を付けた客。それは女性、しかも見目麗しい美女であった。ただそれだけではバッテラもここまで驚愕しないだろう。バッテラが驚愕したのは彼女が世界的にも並ぶ者が少ない程の有名人だからだ。

 世界有数の財閥であるロックベルト財閥の現会長であり、世界二大門派の1つ風間流合気柔術の現最高責任者でもあり、プロハンターの一員でもあるというとんでもない女傑。

 名はリィーナ=ロックベルト。ある1人の人間を敬愛し崇拝し盲信する軽く狂信者な女性である。

 

「250億!! 他ありませんか?」

 

 一瞬思考の海に囚われていたバッテラはオークショニアの言葉でハッとする。動揺している間に肝心のグリードアイランドが落札されては意味がない。彼女が何を考えてグリードアイランドを手に入れようとしているかなど今は関係がないのだ。

 そう、動揺を思考の隅に追いやりバッテラはオークションに集中する。

 

「17番300億!!」

 

 バッテラは即座に値を競り上げる。だがリィーナも涼しい顔で同じように更なる金額を提示し値を上げる。

 既にこの場の流れは完全にバッテラとリィーナの2人だけの物となっており、他の誰もただその流れを驚愕して見ていることしか出来なかった。

 だが、その異常な流れはほんの10秒程度で終わりを告げる。バッテラが提示した500億の金額を最後にリィーナは何も言わず沈黙した。

 

「500億!! 他ありませんか? グリードアイランド、17番500億で落札!! ありがとうございます!!」

 

 史上でも稀に見る大物競りの終わりに客の誰もが盛大な拍手で締めくくる。

 そして誰もがグリードアイランドに大なり小なり興味を持った。バッテラはおろか、あのロックベルト会長までが手に入れようとするゲーム。一体どのような物なのだろうか、と。

 

 バッテラは一先ず1本目のグリードアイランドを入手出来たことに安堵し、そしてふとリィーナを目にして戦慄した。

 リィーナは競り落そうとした品が手に入らなかったというのに未だ涼しげな表情を浮かべており、そしてバッテラを見て微笑を浮かべた。

 リィーナの微笑を見たバッテラは絶対に敵に回してはならない者を敵にしてしまったかのような錯覚に陥り、目的の物を手に入れられたというのに心穏やかにいることは出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 太陽が沈み夜が訪れる一瞬の間。沈みゆく太陽の赤みが僅かに残る逢魔が時。

 その時刻に、オークション会場のある一室でバッテラは護衛に囲まれながら一時の休息に身を休めていた。

 オークションで予想以上に精神的に消耗したバッテラは疲れた表情を隠そうともせず椅子にもたれこんでいた。そんなバッテラに対して隣に立っていた長身の男が話しかける。

 

「500億ですか……。痛いですな」

 

 話しかけた男の名はツェズゲラといい、プロハンターの1人にしてその中でもシングルの称号を持つ1流のマネーハンターであった。

 そんな男が大富豪バッテラと共にいる理由はもちろんバッテラに雇われたからだ。彼はバッテラが所有するグリードアイランドの参加者の1人であり、かつ最もバッテラからの信用が高い人物でもある。その為ゲームの選考会に置ける審査員を承ってもいた。

 なので選考会が近づいて来たこの時期にグリードアイランドから戻って来てバッテラの護衛を兼ねてオークションに参加していたのだ。

 その信用置ける男の言葉にバッテラは沈痛な表情で応える。

 

「いや、金は問題ではない。あの500億も私がいくら出してもグリードアイランドを買うというアピールになるからね。……問題なのはあの女性だ。ロックベルト会長が何故グリードアイランドを欲しがるというのか……」

 

 想定外の事態にバッテラは思わず舌打ちをしそうにすらなった。バッテラの目的の為にはグリードアイランドは1つでも多い方がいい。

 だと言うのに今日のように明日以降のオークションでリィーナがグリードアイランドを落札しようとすると、計算通りに事が進まない可能性は非常に高くなってしまうだろう。

 今日と同じように1本辺り500億で落札出来るのならまだ問題はないのだが、リィーナの予算の上限がそうだと限らない今、安心することなどバッテラには出来なかった。

 

 バッテラの不安を鋭い洞察力で察したツェズゲラはバッテラへと確認を兼ねて質問をする。

 

「彼女の持つ個人資産はバッテラさんのそれよりも上だと?」

「いや、それは私にも分からない。だが、予想よりも下回るという希望的観測はしない方がいいだろう。彼女はロックベルト会長としての資産に加え、あの風間流道場の最高責任者としての資産もあるのだからな……」

 

 それはツェズゲラも理解している。プロのハンターとして常に最新の情報を入手しているツェズゲラはリィーナのプロフィールも詳しく知識の1つとして蓄えていた。その知識ではリィーナ=ロックベルトは世界で最も成功した人間の1人となっている。少なくともツェズゲラはそう思っていた。

 

 若くして財閥を引き継ぎ、溢れる才覚で経営を安定させるどころか上昇させた才女。そればかりか心源流と対を成す武術、風間流の現最高責任者にまで登り詰めた武人でもあるのだ。

 プロハンターの一員として当然ながら念も修めており、風間流のトップという事実を考えれば世界最強の一角と言っても過言ではないだろう。更には念能力者な為か、それとも本人の体質か、既に齢70を超えるというのに20代に差し掛かったばかりの若さと美貌を保っている。

 金、名誉、実力、そして美貌。凡そ人が欲しいと願う欲求の代表とも言えるその4つを最高のレベルで兼ね備えている人物など、ツェズゲラの知る限りではリィーナくらいのものだった。

 

 そんな彼女が敵――と言っても競売品を巡ってだが――となると思うとバッテラの不安も分かるというものだろう。

 

 どう対処する? このまま単純に金にあかせて押し通す?

 それで泥沼の値上げ合戦になったら初めは良くても7本全てを落札する前に資産が尽きてしまうかもしれない。

 ならばどうすれば?

 

 リィーナの目的も分からず、強大な敵を迎えたバッテラはどうにかこの状況を打開する方法を模索していた。

 そんな時だ。バッテラの元に1人の客人が現れたのは。

 時刻は黄昏。魔物が現れるという逢魔が時。現れたのはバッテラにとって魔物そのものと言っても過言ではない存在、リィーナ=ロックベルトだった。

 

 

 

「アポイントも取らずに急な訪問申し訳ありませんバッテラさん。この通り、深くお詫びいたしますわ」

 

 リィーナは誰もが見惚れるような微笑を浮かべて丁寧な口調でバッテラに向かって急な訪問に対する詫びを入れる。

 上質な布で仕立てられたドレスで見事に着飾った美婦人のその整った仕草に、周りにいた護衛達も思わず動きを止めてリィーナの入室を遮ることが出来なかった。

 そうして誰も止めることが出来ないままバッテラのすぐ前までリィーナは歩み寄る。

 

「これはこれはロックベルト会長。まさかこのような場所でお会い出来るとは思いもよりませんでしたよ。とにかく光栄ですな。このような見目麗しい女性が直接私などに会いに来てくれるなど」

 

 流石は海千山千の猛者が蔓延る経済界を生き抜いてきた大富豪と言うべきか。内心の動揺などおくびにも出さずに満面の笑みを浮かべてリィーナを迎え入れるバッテラ。

 もちろんその笑みの裏ではリィーナへの警戒心を最大限に引き上げているのだが。

 

「まあ、お上手ですわね。私もバッテラさんとお会い出来て光栄です。実業家として名高いバッテラさんとこうして面と向かってお話するのは初めてなので些か緊張していますわ」

 

 ――どの口が言うのか――

 

 思わずそんな言葉が口から出そうになったバッテラはリィーナの言葉に苦笑を浮かべて何とか誤魔化した。

 

「して、本日は何の御用ですかな? 私としてもロックベルト会長とのひと時は嬉しいのですが、何分この後のスケジュールにも予定がありまして」

 

 残念そうにそう言うが、もちろんバッテラにこの後のスケジュールなど予定されていない。精々夕食を取るくらいのものだろう。

 バッテラは自分の言葉でリィーナがどう反応するのかを冷静に見極めようとする。

 

「それならご安心下さい。私の用件はほんの僅かで終わることですから」

 

 そう言ってリィーナはまるで合図を送るかのように上品に掌を2回叩いて音を鳴らす。その仕草に今まで動きのなかったツェズゲラが僅かに警戒するが、それは杞憂に終わった。

 

 リィーナの鳴らした音を合図に廊下から1人の女性、いや少女が入って来た。

 少女は大きなカートに幾つものケースを乗せて運び込んでおり、リィーナの隣まで来るとそこで動きを止めた。

 うら若い少女が大量のケースを運んで来たことに訝しむバッテラだったが、それを表には出さずにリィーナへと問いかける。

 

「はて? これは一体……」

「用件というのは他でもありません。バッテラさん、ここに1000億ジェニーあります。これで此度のオークションで落札したグリードアイランドを1つ私に譲って頂けませんか?」

 

 リィーナの要求はまさかの競売品の直接買収であった。

 大量のケースの中にあるのは全て現金なのだろう。今のご時世ネットワークを介しての入金で事は済むというのにこれだけの現金を用意した。

 つまりそれだけリィーナがこの取り引きに本気であるということがバッテラには伝わっていた。

 

 恐らくあの時オークションでバッテラと競り合っていたのは本気ではなかったのだろう。この取り引きの交渉を有利に運ぶ為の伏線だったとバッテラは推測する。

 あの競りに参加することでバッテラに自身を強く刻ませ、グリードアイランドを手に入れる為には何でもすると理解させる。それがリィーナの取った手段であった。

 

「……ははは。ご冗談を。貴女程の人なら私がグリードアイランドを集めているのは当然ご存知でしょう。そんな私が1000億積まれたからといってグリードアイランドを譲るとお思いか? それに、オークションが終わった後でこういうのは些かスマートではないと思いませんか?」

「そうですか? この方がお互いにとって利益になると思ってのこの場での取り引きなのですが。私が欲しいのはあくまでグリードアイランド1本だけです。その意味がお分かりですわよね?」

 

 その言葉にバッテラは苦汁を飲む思いをさせられる。

 そう、ここでこの取り引きを断ることは互いにとって不利益になる行為だというのが目に見えていた。

 いや、不利益を被るのはバッテラだけと言っていいだろう。

 

 リィーナはここで取り引きが成立しなくとも今後のオークションで出品されるグリードアイランドのどれか1つを落札すればいいのだ。

 その為にはここで出した1000億ジェニーを惜しみなく使うつもりだろう。こうしてバッテラからグリードアイランドを買うために用意した金だ。オークションで使うのに何の躊躇いがあるというのか。

 毎回1000億ジェニーの金額を提示されればバッテラはそれに対抗する為により多くの金額を提示しなければならない。

 如何に大富豪バッテラと言えども残り6本のグリードアイランドに1000億以上の大金をつぎ込んでしまえばその総資産の殆どを失ってしまうだろう。

 そもそもリィーナの用意した予算が1000億だけだと決まっているわけではないのだ。仮に2000億もあればバッテラはグリードアイランドの買い占めを諦めるしかなくなってしまう。

 

 更にはこの取り引きに応じた方がバッテラの外聞は傷つかないのだ。取り引きに応じずリィーナと競売で競り合った場合必ずグリードアイランドを1つは落札されてしまう上に、大量の資産を消費してしまう。

 下手すると他のグリードアイランドすら他者に落札されてしまう可能性もある上、オークションで身を滅ぼした愚か者の1人として醜聞を晒すことになるだろう。

 

 ――この魔女め――

 

 魔女。バッテラが内心で罵倒したその言葉こそ、経済界の裏で囁かれているリィーナへの別称だ。

 70代にして20代の美貌を誇り、相手の心を読むかの如く交渉を誘導し己の有利に事を運び、常に冷静沈着な素振りしか見せない女性に対する正しい認識と言えよう。

 まあ、その冷静沈着ぶりも特定条件下に置いてはぶっ壊れるのだが、そんなことバッテラには知る由もなかった。

 

 リィーナはバッテラが内心で罵倒した瞬間に見惚れるような笑顔を見せる。そのタイミングでのそれはバッテラに取ってまさに魔女の笑いにしか見えなかった。

 バッテラが恐怖でその心を萎縮したのを見計らったかのようにリィーナは次の手を打ってくる。

 

「先程も言ったように私はグリードアイランドを1つしか欲しておりません。ここでこの取り引きが成立すれば明日からのオークションではグリードアイランドの競売に一切手を加えないことを確約いたしましょう」

 

 そう言ってリィーナが隣にあるケースの1つを開け、中から1枚の用紙を取り出しバッテラへと手渡す。その用紙は先ほどリィーナが言った通りの内容が正式な文書で記載され、最後にリィーナのサインと印を押された誓約書であった。もしこの誓約を破ればリィーナは多大な痛手を負うことになるだろう。

 どこを見ても不審な点が見えないその誓約書を渡され、リィーナの本気を見せられたバッテラはより良い選択を決断するしかなくなった。

 

「……分かりました。今回落札したグリードアイランドをお譲りしましょう」

「ありがとうございます。これを機にお互いにより良い関係を築けられたら嬉しいですわ」

「ははは、そうですな」

 

 そのリィーナの言葉にはバッテラも賛同していた。確かにかなりの苦汁を飲まされてしまったが、全くメリットがなかったわけではない。リィーナ=ロックベルトとのコネクションが出来るというのはそれだけで大きなメリットとなるだろう。

 リィーナの持つ力は凄まじいモノがある。個人の力だけでなく、その立場が持つ力はバッテラのそれを遥かに上回っているだろう。

 そう言った力の恩恵を貰えれば、もしかするとバッテラの最大の目的がグリードアイランドをクリア出来ずとも達成出来るかもしれないのだから。

 

「ああ、ただ1つだけお願いしたいことがありまして」

「なんでございましょう?」

 

 取り引き成立の直後のその言葉にリィーナも表面には一切出さずに怪訝に思うが、あくまでも微笑を携えたまま冷静に会話を続ける。

 バッテラはツェズゲラ以外の護衛を部屋から退出させてから、リィーナへと願いを告げた。

 

「グリードアイランドをお譲りするのはいいのですが、出来ればゲームをクリアした時の報酬を私に譲って頂きたいのですよ」

「クリア後の報酬……ですか?」

「ええ。これだけの大掛かりなゲームです。クリア後の報酬もそれに応じた物だろうと私は睨んでいます。正直に言いますが、それを目当てとしてグリードアイランドを集めている次第でしてな」

 

 これはほぼ全てがバッテラの本音である。正確に言うならある目的の為にクリア報酬を欲しているというのと、クリア後の報酬がどのような物かの目処も立っているのだが。

 下手な嘘偽りを混ぜればすぐに見抜かれると思ったバッテラが真実を明かしてリィーナの協力を仰ごうとしているのだ。

 

「もちろんその報酬をタダで手に入れようなどとは思っていませんよ。代わりの報酬を用意しましょう。金、と言っても貴方には必要なさそうですから、ロックベルト会長が望む物を用意しましょう。もちろん私が用意出来る限りの物となりますが……。如何でしょうか?」

「……その前に、1つ聞きたいことがございます」

「聞きたいこと、ですか」

 

 リィーナの言葉にそう言い返したバッテラだったが、リィーナの聞きたいことがどのような内容かは予測出来ていた。

 

「バッテラさんがグリードアイランドのクリア報酬を求めている理由、それをお教え頂けませんか?」

 

 リィーナの質問はバッテラの予想通りのものだった。

 これまでに何千億ジェニーもの大金をつぎ込んでまでグリードアイランドを買い集め、百にも昇る念能力者を雇いクリアの暁には500億ジェニーの報酬を約束している。

 それ程までにグリードアイランドのクリア報酬を望むその理由。さしものリィーナも好奇心をくすぐられるというものだった。

 リィーナとしても他人の事情にあまり深く入り込むつもりはなかったが、先ほどのバッテラのお願いで好奇心が再び疼いてしまったのだ。

 

 クリア報酬そのものも気になっている。世間で噂になっている隠し財宝の在り処や、どんな願いでも叶うというのも眉唾ではないだろう。

 前者は大富豪であるバッテラが求める理由としては弱すぎるし、後者など考えるだけ愚かだろう。どんな願いも叶うなど超常の力たる念能力の法則すら上回っているのだから。

 

 好奇心に負けてしまったリィーナはバッテラの答えを静かに待つ。

 そしてバッテラは深い溜め息を1つ吐き、ぽつりぽつりと言葉を紡ぎ出した。

 

 バッテラには互いに深く愛し合っていた恋人がいる。

 バッテラの持つ資産が目当てではない、全ての資産を処分してから一緒になる約束を誓い合った、バッテラの掛け替えのない女性。

 だがその恋人は事故によりいつ覚めるやも知れぬ深い眠りについてしまった。

 もちろんバッテラはあらゆる手を尽くした。だがどの病院の名医にも現状維持以上のことは出来ないと言われてしまった。

 

 絶望の淵を漂うバッテラに一抹の希望が降ってきた。そう、グリードアイランドである。

 どんな病気や怪我も治せる呪文。若返る薬。夢物語に出てくるようなアイテムがクリアすれば手に入るかもしれない。

 当然バッテラは藁をも掴む思いでその希望に縋った。

 以来バッテラはグリードアイランドを集めクリア報酬を求め続けている。

 

 静かに語り終えたバッテラは真摯にリィーナの眼を見てから頭を下げて頼み込む。

 

「どうか! クリア出来たならば私にクリア報酬を譲って頂きたい!」

 

 リィーナはバッテラの言葉が嘘偽りではなく本心であると確信していた。

 それほどまでに先ほどの話には感情が籠められており、この願いには切なる想いが籠められていた。

 

「……頭を上げてくださいバッテラさん。事情は理解いたしました。貴方の願い、私も出来る限りの力添えをすることを約束しましょう」

「では!」

 

 リィーナの言葉に勢い良く頭を上げたバッテラが喜色の表情を浮かべる。

 

「ええ。私がクリア出来た暁にはクリア報酬はお譲りすると約束しましょう」

「おお! ありがとうございます! その際は私が用意出来る物ならばどのような物でも用意しましょう!」

 

 リィーナから望外の約束を取り付けることが出来たバッテラは満面の笑みを浮かべ、再び頭を下げた。

 

「それでは用件も終わりましたし、バッテラさんもお忙しいようなので私達はこれにて失礼させてもらいます。本日は私の急な訪問と用件に応えて頂き誠にありがとうございました。グリードアイランドはまだ届いていないでしょうから、後日受け取りに参りますわ」

「ええ、今日中には届く予定です。届き次第連絡しますよ」

「ありがとうございます。それでは、失礼いたしました」

 

 そうしてリィーナはバッテラと連絡先を交換した後に少女を伴って部屋から退出しようとする。

 だが、部屋の扉の手前で急に立ち止まり、振り向かずにそのまま話しだした。

 

「ああ、1つ忠告しておきましょう」

「? どうされたので?」

 

 何を言い出すのかと疑問に思ったバッテラだったが、リィーナが話し掛けていたのはバッテラにではなかった。

 

「試すのなら相手を良く選んでからすることです。生半可な行為は身を滅ぼすと知りなさい童よ」

 

 そう言ってそのまま振り返らずにリィーナと少女は部屋から退室した。

 最後の言葉の意味が理解出来なかったバッテラはリィーナが退室した後に頭を捻るが、その意味はすぐに理解することとなった。

 

「ぶ、はぁーっ!」

「ツェズゲラ!?」

 

 バッテラの隣で控え先ほどの交渉を見守っていたツェズゲラが、突如として膝を突き大きく息を乱しだしたのだ。

 その顔は酷く焦燥しており、全身からは止めどなく大量の汗を吹き出していた。明らかに異常なそのツェズゲラの態度にバッテラも心配そうに声を掛ける。

 

「どうした? 何があったのだ? 体調でも悪いのか?」

「……いえ、そうではありません。少々、殺気に当てられただけです」

 

 殺気と言われても何が何やら理解出来ないバッテラはどういうことか説明を要求する。

 本来なら話したくないのだが、雇用主の意向に逆らうわけにもいかず、思った以上に疲労した身体を椅子に預けながら渋々とツェズゲラは説明し出した。

 

「あの時、ロックベルト殿が退出しようとした時、私は彼女に一瞬だけ攻撃的な意をぶつけようとしたのですよ」

「な!? 何故そんなことを!?」

 

 思いもよらなかったツェズゲラの突然のその言葉にバッテラは怒りを顕にする。

 敵に回したくないと思っていた存在に手飼いの者が敵対行為とも取れる行動を取っていたのだ。だがそこでバッテラはツェズゲラの言葉を思い出し可笑しい点に気付いた。

 

「ぶつけようと、した?」

 

 そう、ぶつけた、ではない。ぶつけようとした、なのだ。

 つまりツェズゲラはリィーナに対して何かをしようとはしたが結局何もしていないということになる。

 一体どういう意味なのか理解出来ないバッテラの疑問に応えるようにツェズゲラは説明を続ける。

 

「ええ、ぶつけようとしたのです。あのリィーナ=ロックベルトがどれほどの実力者なのか試したく思いましてね」

 

 それはプロハンターとして、一念能力者としての性のようなものだろう。

 相手がどれほど強いのか知りたい、試してみたい。相手がその世界の頂点に位置する者となれば尚更だ。

 リィーナの見た目が見目麗しい美女だというのもその想いに拍車を掛けた。この華奢な女性がどれほど強いと言うのだと好奇心をより刺激したのだ。

 そしてツェズゲラは…………地獄を垣間見た。

 

「ぶつけようとした……ぶつけてはいないのです。だというのに、彼女を試そうと意識を集中しようとした瞬間……恐ろしい程の殺気が私の全身を襲いました」

「……」

 

 その時を思い出したのか、ツェズゲラの顔は白く染まり止まった汗が再び流れていた。

 バッテラもそんなツェズゲラに何を言っていいのか分からず黙って聞いているしかなかった。

 

「心臓を握り締められたかのような錯覚に陥りましたよ……。私が戦って勝つ姿が想像出来ませんな。この私が幼子扱い。あの風間流のトップだというのも頷ける……」

 

 最後の言葉はもうバッテラに向けてではなく独白のようになっていた。

 それほどにツェズゲラはリィーナに対し畏怖と恐怖を抱いていた。

 

「……それではやはりゲームクリアもロックベルト会長が?」

「いえ、グリードアイランドのクリアに強さは必要不可欠ですが、強い者が先にクリア出来るわけではありません。ゲームをどれだけ理解出来るか、スペルカードやイベントに必要なフラグに効果的なアイテムの使い方。決して強さだけではクリア出来ません。そして私はもう8割がたゲームを攻略している。如何にリィーナ=ロックベルトと言えども今から私を追い抜くことはまず無理でしょう」

 

 そう自信を籠めてツェズゲラは断言する。

 そしてそれは決して負け惜しみの言葉ではなかった。強いだけではグリードアイランドはクリア出来ない。何度もグリードアイランドをプレイしているツェズゲラは先の言葉を断言するのに躊躇いの1つもなかった。

 

 その力強い宣言にバッテラも多少は安堵する。クリア報酬を譲ってもらうという約束はしたが所詮は口約束。報酬に目が眩んで約束を破る可能性はないとは言い切れない。

子飼いの者がクリア出来ることに越したことはないだろう。

 そこまで考えてからバッテラは明日のオークションへと気持ちを切り替える。グリードアイランドを1つ失ってしまったが、その分残りの6本は必ず入手しなければならないのだから。

 

 全ては、彼女との幸せな日々を取り戻す為に。

 

 

 

 

 

 

 バッテラとの取り引きが終了した後、リィーナはタクシーに乗って滞在しているホテルへと戻っていた。隣の席にはリィーナに付き添っていた少女、ビスケが座りやれやれという表情で溜め息を吐いている。

 

「溜め息を吐くと幸せが逃げると言いますよ?」

「何言ってんのよ。誰のせいで吐いていると思ってんの? バッテラとの取り引きはいいとして、人を小間使いのように使うなんて何たることかと小1時間説教したいわさ」

 

 そう言って憤慨しているビスケ。見た目はゴスロリ調の服を来た可憐な少女だが、中身は齢50を超える念能力者であり、ダブルハンターの称号を持つプロ中のプロなのだ。

 そんな存在をただの荷物運びという小間使い扱いするなどと勿体無い使い方をする者などそうはいないだろう。

 

「いいではありませんか。無事取り引きも終了しましたし、これでビスケもグリードアイランドが出来るでしょう? 1200万ジェニーのカタログを買う必要がなくなって得ではないですか」

「まあそうだけどね。それはそうと、良かったの? クリア報酬を譲るなんて約束して。アイシャの為のグリードアイランドなんでしょ?」

 

 ビスケの疑問ももっともだった。リィーナがグリードアイランドを手に入れようとしているのはひとえにアイシャの為だが、そのアイシャの目的がグリードアイランドのクリア報酬なら今回のバッテラとの約束は完全に悪手となるだろう。

 

「問題ありません。先生は元々バッテラさんが開く選考会に参加してグリードアイランドをプレイされようとしていました。つまり先生はクリア報酬を得ることを目的としているのではないということ。バッテラさんの所でプレイするということはクリア報酬はバッテラさんが貰い受ける契約を交わしているはずですしね。それに先生なら、きっとバッテラさんにクリア報酬を譲られるでしょうから!」

 

 アイシャが性転換の薬を求めているなどと微塵にも考えていないリィーナはそう断言する。

 

「ま、そうかもね。それはそうと、あんたあんな奴にちょっとやりすぎじゃない? 可哀想に。あんなに萎縮しちゃってさ」

 

 ビスケが言っていることは勿論ツェズゲラの試しに対するリィーナの返し方だ。

 ビスケからすればツェズゲラはハンターとしてはともかく、念能力者としては二流どころという捉え方だ。

 そんな相手に超一流と言っても過言ではないリィーナがあんな返し方をするなんて大人気ないとしか言いようがない。

 メジャーリーガーが中学生の挑発に160キロの剛速球を危険球すれすれで返したと言えば分かりやすいだろうか。

 

「ああいう輩は嫌いではありませんが、場が場です。空気を読まずにあのような行為を仕掛ける悪戯っ子には程よい仕置でしょう」

 

 等と、大人気ない行為に対して何とも思っていないかのように涼しげな顔で応えるリィーナ。その言葉にビスケはまたも溜め息を吐いた。

 

「そんなことよりもグリードアイランドが手に入ったことが大事です! これで先生と一緒にグリードアイランドをすることが出来ます!」

 

 トラウマを与えたツェズゲラのことなど空の彼方へと飛ばしてリィーナは黄金の未来を想い悦に浸っていた。

 そこには冷静沈着な魔女の顔はどこにもなく、うふふふ、と気味が悪い程嬉しげに笑う壊れた何かがいた。

 

「これさえなければねぇ……」

 

 そんな親友の壊れっぷりを嘆いているビスケ。

 だが彼女も彼女で美男子の筋肉を愛好していたり、少年同士の友情を壊すのが好きだったりと偏屈した性癖を持っていたりする。

 まあ結局のところ似た者同士ということだろう。

 

「ところでさリィーナ」

「うふ、うふふ……はい? 何でしょうかビスケ?」

「グリードアイランドが手に入ったのはいいけど、あれって4人出来るんでしょ? あたしとあんたと、アイシャを誘ったとしてこれで3人。あと1人はどうするのよ?」

 

「ああ、そうですね。……シオンを、とも思いましたが、彼女には本部道場で私の代理を頼んでいます。なので修行の一環という意味も込めてカストロさんを連れて行こうかと」

「へぇ。いいんじゃない。じゃあ早速呼んどきなさいよ」

「ええ、ホテルに着いたら連絡するとしましょう」

 

 ビスケにしてもカストロを連れて行くという案は賛成だった。

 このロリババァ、未だカストロを堕とすという考えを捨てていなかったのである。

 ちなみにクラピカのことも諦めておらず、虎視眈々と好機を待っていた。

 

「ぐふ、ぐふふ……ダメよ2人でなんて。アタシは1人なのよ……」

 

 既にビスケの脳内ではカストロもクラピカも自分にメロメロという妄想が垂れ流れており、逆ハーレムという黄金の未来を想い悦に浸っていた。

 そこには可憐な少女の顔などどこにもなく、ぐふふふ、と気味が悪い程嬉しげに笑う壊れた何かがいた。

 

「これさえなければこの子も……」

 

 そんな親友の壊れっぷりを嘆いているリィーナ。

 結局のところ似た者同士なのである。

 

 

 

「ビスケ。ビスケ。ホテルに到着しましたよ」

「ぐふふ……ん? あっと、そう、ホテルね。あたしとしたことが捕らぬ狸の皮算用をしていたわさ」

 

 カストロに連れ攫われ囚われの姫となった自分を取り戻す為にクラピカがやって来たところでビスケの妄想は一応の終わりを見せた。

 リィーナが声を掛けなければ全三部作の一大ラブロマンスがビスケの脳内でスペクタクル上映されていたことだろう。

 

「さて、これからどうする?」

「カストロさんには連絡するとしまして、まずは食事といたしましょうか。何かリクエストはございますか?」

「そうね~。昨日は肉だったから海鮮系がいいわ!」

「それなら32階にあるレストランへ行きましょう。魚介類が新鮮で美味しいとの評判です。お酒も上等なのが揃っているそうですよ」

「いいわねー。早く行きましょ。食事の話をしてたらお腹空いてきたわさ」

「はいはい。ああ、このホテルには評判のスパもあるそうですよ。食事が終わったら行きませんか?」

「いいわよ。洗いっこしましょうか」

「いいですよ」

 

 そうして仲良く笑い合いながらホテルの中へと入っていく2人。

 美女と美少女の会話にたまたま近くにいたドアマンがスパの光景を想像し惚けてしまうが、中身は2人ともお婆ちゃんであるから盛大な詐欺であった。

 哀れドアマン。

 

 




 リュウショウ教の教主襲来!
 ネテロはまだ来ていません。会長なのですぐに自由に動けないためです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十六話

シリアス終了。三人称から一人称に戻りました。


 9月7日、朝である。希望の朝だ。

 清々しい目覚めだ。先日までの雨の影響もなくなり天気も良くなっている。まるで私の心のように晴れやかだ。

 

 こうも清々しい気分なのはドミニクさんが多少なりとも譲歩してくれたのが嬉しかったからだろうな。私を許さないのはもう当然のことだから諦めていたけど、母さんの墓参りを許可してくれるとは思ってもいなかった。おかげで昨日ホテルに帰ってからもずっとにやけていた自覚がある。

 

 ……いかん。思い出したら少し恥ずかしくなってきた。ゴン達の私を見る目がどこか暖かかったのはそういうことだったのか……。年甲斐もなく浮かれてしまうとは情けない。

 いや、でも仕方ないな。それだけ嬉しかったんだから。

 

 さて、気持ちを入れ替えていくとしよう。

 今日はキルアとレオリオさんと一緒にヨークシンを観光する予定だしね。

 年に1度の、それも長い人生で初めてのドリームオークションなんだから色々見て楽しむとしよう。オークションの前半はどこぞの盗賊団のせいで散々だったからな。

 

 そう思い、一応の準備を整える。

 ……たまにはリィーナ達からもらった洋服でも着ようか。こういうのは苦手だけど、たまにならいいだろう。折角買ってもらって試着だけで終わらすのも服が可哀想だしな。

 まあ、殆ど押し付けられたようなものだけどね。

 

 荷物から洋服を引き出しながらそれを広いベッドに並べていく。

 組み合わせは要らぬお節介で入っていたメモ用紙に色々と書かれているのでそれを参考にする。まさかまたこのメモを使うことになろうとは。

 

 広い部屋に広げた服とメモを見ながら悪戦苦闘しつつもコーディネートする。

 部屋に備え付けられている鏡を見ながら何処かおかしな所はないか確認。誰かいれば感想を聞けるんだけどな。

 ……私だけ別の部屋にさせられたからなぁ。天空闘技場では一緒に寝泊り出来たのに。横暴だ! 断固抗議する!

 

 ……やっぱり女というのがネックなんだろうなぁ。男性の中に女性が1人。そりゃ私を思って部屋を分けようとするか……。つまり男に戻れば皆ともっと仲良くなれるはず! 

 でも少し悩むんだよな。このまま男に戻っていいものかどうか……。童貞を捨てる意志は未だあるんだけど、男に戻るのは母さんはともかく、ドミニクさんに悪い気がする。あの人、私に母さんの面影を感じていたかもしれなかったし……。

 

 私があの人に僅かでも許されたのは、私の何処かに母さんを見たからかもしれないから。病院で別れる間際の、あの台詞を聞いてそう強く思えた。それを考えると簡単に男になるのもどうかと思ってしまうようになった。

 

 母さんが消えた時はこうは思わなかった。母さんは例え私が男になったとしても、最初は反対するだろうけど最後には納得してくれるだろう。そう思ったから性転換の道を進んでいたんだけど……。

 

 ……………………うーむ。

 よし! 性転換の薬を手に入れたら男と女と使い分けよう!

 基本男で生きていき、母さんのお墓参りなどでドミニクさんに会うかもしれない時は女の姿で行く! これだ!!

 ふっ。我ながら名案である。問題は性転換薬が一度限りしか効かない場合や、数が少ない時だが、それはグリードアイランドで薬を手に入れてから確認するしかない。

 

 

 

 ある程度納得のいく答えに行き着き、着ていく服の厳選作業に戻る。

 そして2つまで絞り込んだ所で熱が冷めたかのようにふと冷静になった。

 こっちは明るくて可愛い、いやこっちの方は落ち着いているし、等と自分が着る女性物の服をじっくり選んでいる元男。……これはあかん。

 

 冷静に戻ると自己嫌悪で落ち込んできた。

 あー、やめやめ! どうして私が友達と遊ぶ為とはいえそこまでしなければいけない。ちょっと最近精神がマジでヤバイ。女性へと傾きつつあるかもしれん。環境は人を変えるというが、長い年月念能力で精神が変わった身として本当に実感出来るよ。

 このままでは本当に男になった時にも女性らしさが残っているかもしれない。母さんの能力で口調を女性らしくしないといけないから、せめて服装くらいは女性らしさを出さないはずだったんだ。

 ここ最近、というかビスケの着せ替え契約のせいでそこら辺が曖昧になっていた。ここらでちょっと気を引き締めねば!

 

 そう決意してすぐに洋服を片付ける。そしていつも通りの動きやすさ重視の服を引っ張り出し、素早く着替える。うむ。これでいい。

 さっきまでのは気の迷いだったのだ。そうに違いない。

 

 

 

 着替えも終了した所で時間を確認する。

 現在7時ちょいか。7時30分には朝食を食べに行く予定だから、そろそろゴン達の部屋へ移動しよう。そう思っていた所で懐からケータイの着信音が流れてきた。

 

 はて、誰からか。……おお、ネテロか!

 電話をしてきたということはようやくヨークシンに来る算段が着いたのかな? 名前を確認し、すぐにボタンを押して話しかける。

 

「はいもしもし」

『おお、アイシャか。連絡が遅くなってスマンのぅ』

「まああなたの立場が立場ですからね。ヨークシンに行きます、はいどうぞ。とは行かないのは分かっていますから」

『うむ。組織の長などと言っても自由な時間も少なく縛られる毎日よ』

「よく言いますね。あなたの突拍子のない行動でビーンズがどれだけ苦労したことか。昔酒の席で愚痴られたのを忘れていませんよ」

 

 リュウショウの時代にネテロと酒を酌み交わした時の話だ。

 たまたま仕事がなく、その場にいたビーンズも交えて軽く酒を呑んだのだが、疲れからかストレスからか、少量の飲酒で酔っ払ったビーンズが溜まったストレスを盛大にぶちまけたのだ。

 愚痴の大半が仕事に関することで、さらにその内の大半がネテロに対する愚痴だ。ネテロは優秀だが、時に意地の悪いことをしでかして他人を困らせて楽しむという子どもじみた所があるからな。

 被害にあった人は数知れず。ビーンズもそれに漏れず、しかもネテロの秘書という立場故にネテロの被害を受けた人たちから陳情を受けることもしばしばあったそうな。

 直接ネテロに言うことが出来ない人は多いだろうしな。板挟みになって苦労してるんだろう。それでも慕われるこいつは人としての魅力が大きいんだろうけどな。

 

『そうは言うがの。ワシも協会の為に動きつつ、僅かな時間を自由に使っておるんじゃ。だから少しくらいハメを外してもいいじゃろう?』

「それが他人に迷惑を掛けない外し方なら誰も文句は言わないでしょうね」

『厳しいのぅ。いいかげんワシも隠居しようかの? 歳じゃし、集中してやりたいことも出来たしな』

 

 そう言うネテロの声は今までとは違い言い知れぬ圧迫感を持っていた。

 顔を見ずとも分かる。今のネテロは確実にいい笑顔をしていると。

 

「歳、ね。私に負けても歳のせいにしないでくださいよお爺ちゃん?」

『抜かせ。そっちこそ負けを歳のせいにするなよ小娘が』

 

 そう言って互いに不敵に笑い合う。

 やっぱりネテロとのやり取りは楽しい。

 好敵手としてのこの関係は、友逹であるゴン達との関係とはまた違った楽しさがある。またこいつと闘えると思うとそれだけで心が躍ってくる。

 

「再戦を楽しみにしていますよ」

『こっちの台詞じゃわい。首を洗って待っとれよ』

 

 ではな、と締め括って電話を切るネテロ。

 齢120を越えるというのに、私に勝つ為に今も修行に励んでいるのだろう。

 そう思うと心にゾクゾクと響くものがある。私も負けていられないな。

 グリードアイランドではゴン達の修行を見るとともに自分自身もより高めるようにしよう。基礎修行は当たり前として、新たな技でも開発するのもいいかもしれないな。ふふふ、グリードアイランドへ行くのがまた楽しみになってきたな。

 

 ……はて? 何か忘れているような?

 

 何を忘れているか少し考えて、ふと思い出した。

 思い出したとほぼ同時にケータイが鳴った。

 着信名はネテロだった。

 

「えっと……もしもし」

『あ、今日……ホテルに昼頃到着予定じゃ』

「あ、はい。その、待ってます」

『……じゃあ、また後での』

「……ええ、また後で」

 

 私たちは互いになかったことにした。

 

 

 

 しかし、ネテロが昼頃に来るとなると今日のお出かけは中止か。

 残念だけど仕方ないね。いいかげん幻影旅団を放置しておくのも何だし。ネテロにはさっさとあの犯罪者どもを連れて行ってもらうとしよう。

 まあ取りあえずは朝食の時に皆にこの件を話すと――と、また電話か。立て続けに電話が掛かってくるなんて珍しいな。またネテロか?

 

 着信名は……リィーナ? どうしてリィーナから電話が? まあ、話を聞けば分かるか。

 

「はいもしもし」

『お早うございますアイシャさん。このような朝から申し訳ございません』

「いえ、いいんですよ。それで、どのような用件ですかリィーナ」

『はい。実は現在ヨークシンに来訪していまして。本日アイシャさんの元へとお伺いしたいのですが、よろしいでしょうか?』

 

 え? リィーナもヨークシンに来ているの?

 オークションで欲しい物でもあったのかな? それとも仕事?

 いや、もしかしたらビスケに付き合って来たのかもしれないな。ビスケもグリードアイランドをプレイする為に選考会に出る予定だし。

 あの2人、仲いいからね。昔はあんなにいがみ合っていたのに、喜ばしいことだ。

 

「構いませんよ。ビスケもいるのでしょう? 2人で遊びに来なさい」

『ありがとうございます! では、2人でお伺いさせていただきます。それで、先生がいらっしゃるのはどちらのホテルでしょうか?』

「ええ、――というホテルです。場所は分かりますか?」

『はい、大丈夫です。ヨークシンにある大方の宿泊施設は把握済みですから』

 

 ……私が泊まっている宿泊施設に辿り着くのに手間を少しでも減らす為にあらかじめ予習してきたのだろうな。相変わらず私に関しては間違った方向で努力をする子である。

 

『では、本日昼の12時程にそちらに参ります。先生にお土産がございますので、楽しみにお待ちください。それでは失礼いたします』

「ええ、また後で」

 

 そう言って電話を終える。そうか、2人が遊びにくるのか。お土産ってなんだろう?

 ……あ。12時? しまった。ネテロが昼頃だから、時間がブッキングしてしまったな。

 うーん。……ま、いっか。特にネテロと出かける用事があるわけでもないし。リィーナもネテロと長い付き合いだからな。

 

 おっといけない。そろそろ朝食の時間だ。遅れないように部屋を出るとしよう。

 さて、今日は忙しい1日になりそうだ。

 

 

 

 

 

 

 時刻は11時55分。そろそろ来る頃だろうと思いホテルのロビーで待機する。

 

「もうそろそろか?」

「ええ、リィーナは時間には正確なので、待ち合わせ時間の5分以内に到着するはずです」

「ロックベルト会長か~。まさかアイシャ達がそんな天上人と知り合いとはな~」

 

 ああ、レオリオさんはリィーナをロックベルト財閥の会長として知っているのか。医者になる為にお金に執着していたレオリオさんからすれば確かにリィーナは天上人だな。リィーナの総資産ってどれくらいあるんだろう?

 

「レオリオ。リィーナ殿に対して甘い考えは捨てておけよ。あの人は他者にも自身にも厳しい人だ。金をせびるなどというふざけたことを仕出かすと……私たちは友を1人失うことになる」

 

 一度強くレオリオさんを睨みつけ、そして明後日の方向を遠い眼差しで見つめるクラピカ。下手な脅しではなく、その信憑性のある言動にレオリオさんも気圧され、ゴクリと唾を飲みこんでいた。

 

「お、おお。もちろんそんなことするつもりなんかないぜ?」

(するつもりだったんだ)

(するつもりだったな)

(するつもりだったか)

(するつもりだったんですね)

 

 心を読まなくても聞こえてくる皆の声。

 今、確かに私たち(レオリオさん除く)の心は1つになっていた。

 

 そうして少しお喋りをしていると、ホテル入口前に黒いリムジンタクシーが止まった。そこから降りてきたのはシックなドレスに身を包んだ美女と、ゴスロリドレスを着飾った美少女。リィーナとビスケの2人である。

 

 優雅に大人のドレスを着こなし、ホテルのサービスマンの荷物運びに穏やかな笑みで丁寧な断りを入れ、凛と姿勢を正したまま自動ドアから入ってくるリィーナ。

 まさに淑女。弟子の晴れやかな姿を見るととても嬉しい。

 

 隣を見ると、初めてリィーナを見るレオリオさんが見惚れていた。美人だからなリィーナ。実年齢は71のお婆ちゃんだけどね。今更だけど念能力ってすごい。

 

 そんな見た目完全淑女のリィーナがどうやら声を掛ける前にこちらに気付いたようだ。その瞬間、微笑を携えていた顔が花咲くように恍惚の笑みに変わり、先程までの優雅さを明後日の方向へ投げ捨てて一瞬で近づいて来た。

 ……弟子の、晴れやかな姿など、なかった。

 

「せ――あ、アイシャさん! お久しぶりでございます! アイシャさんに会える日を一日千秋の思いで待っていました!」

「いえ、別れてからまだ10日程ですが」

「そうでございましたか? 私にはその10倍は月日が流れたと感じる程でしたが」

 

 うむ。このブレなさ、まごうことなき我が一番弟子である。

 ……どこを間違ったかなぁ。私の教えが悪かったのか? ホント、どうしてこうなったんだろう?

 

「変わんねぇなこの人はよ」

「むしろ10日程度で変わっていたらそれは偽物だろう」

「うん。オレでも疑うよ」

「……こんな人だったのかよ。ゴンでも疑うってどんだけなんだ?」

 

 ああ、あの純粋なゴンですらマトモなリィーナを疑うか……。

 

「おや、いらしたのですか皆様」

「気づけよ」

「無茶を言うなキルア。アイシャが居る時のリィーナ殿がアイシャ以外を視界に入れる訳がないだろう」

「失礼ですね。皆様の存在感がアイシャさんに比べて薄すぎるのがいけないのですよ」

「そっちの方がよっぽど失礼だなおい」

 

 全くである。この面子で存在感が薄いって、私はどれだけ濃いんだ? というか、今一番空気になっているのはリィーナに完全に食われているビスケだがな。

 

「はいはい、少し落ち着きなさいなリィーナ。見たところ初見の人もいるじゃない。まずは自己紹介からでしょ」

「……そうですね。申し訳ございません。私はリィーナ=ロックベルトと申します。以後よろしくお願いいたします」

「私はビスケット=クルーガー。ビスケでいいわよ、よろしくね」

「あ、ああ。オレはレオリオ=パラディナイトってんだ。よろしくな」

 

 ようやく初対面の3人が自己紹介をした。

 というかレオリオさんのフルネームを初めて聞いたぞ。パラディナイト……なんか格好良いな。

 

「へぇ~レオリオ、パラディナイトって苗字なんだ」

「に、似合わね~!」

「んだとコラーッ!」

 

 レオリオさんのフルネームを聞いて爆笑中のキルア。そのキルアに怒って追いかけるレオリオさん。

 全く。ロビーには他のお客さんもいるから迷惑になるっていうのに。暴れる2人の方を向いて注意をしようとする。

 

 ――その時だった。

 

「もう、ダメですよ2人と――」

「――あ、アイシャさん!? ど、どうなされたのですかその御髪は!!?」

 

 リィーナの大音量がロビー中に響く。あまりの大声で暴れていた2人も動きを止めてこちらを向いたくらいだ。

 私の髪でどうしてそんなに驚くんだろう。……ああ、そう言えば髪が少し短くなってたな。その程度で大げさな。いや、私も短くなったのには不満はあるけど。

 折角母さん譲りの黒髪だったのに。髪が長く綺麗だった母さんと唯一似ている部分なのだ。大事にしてたんだけど、切られたから仕方ない。でもこれからまた伸ばすからね。せっかくドミニクさんに言われたんだし! 絶対元の長さまで戻そう。

 

「これはですね。ちょっとした事情がありまして」

 

 そうしてリィーナに事情をかい摘んで説明する。

 幻影旅団との戦闘も話すことになるけど、特に問題はないだろう。

 

「幻影旅団を……流石はアイシャさん! あの幻影旅団を全て捕えるとは!」

「いえ、皆さんの協力あってのことですよ」

『いや、それはない』

 

 ……異口同音で否定しないでよ。

 

「アイシャと比べたら私たちのしたことなどどれほどのモノだというのか……」

「なあ。1人でほぼ全ての旅団やっつけといてそれはないだろ」

「オレ達の協力って必要だったのかなぁ?」

「クラピカの能力は必須だったな。それくらいじゃね?」

「皆さん、どうやら中々分かっていらっしゃるようですね。褒めて差し上げましょう」

 

 なんか皆の言葉を聞いてリィーナが気分良くなっている。

 私を褒めているように捉えているのだろうか? 褒められてる気がしないよこっちは。

 

「いえ、今はそうじゃありません。重要なのはアイシャさんの御髪を切り裂いた奴が幻影旅団にいるということです」

「幻影旅団もやるじゃない。幾ら多勢だったとはいえアイシャの髪を切るなんてさ」

「何を言っているのですかビスケ!! その盗賊どもはアイシャさんの御髪という国宝級と言っても過言ではないお宝を盗んでいったのですよ!!」

 

 過言にも程がありますよリィーナさん。私の髪にどれだけの値打ちを付ける気だ。

 どっと疲れが……おや? この気配はもしや……。

 

「即刻その者達には相応しい裁きを――」

「それは困るのう。そ奴らはハンター協会で捕らえ法の下に裁くと決まっておるのじゃが」

 

 やはりか。

 後ろから聞こえた声でようやくその人物に気づきバッと後ろを振り向くリィーナ。わざわざ絶を使ってリィーナを驚かす辺りコイツの意地の悪さが窺える。

 まあ、本気で気配を消していなかったようだから、気づかなかったリィーナが悪い。

 

「ネテロ会長!?」

「じじいがなんでここにいるわさ!?」

「ほっほ。無防備に後ろを取られるとは修行不足じゃのリィーナ嬢ちゃん。今ので1回死んどるぞ?」

「ぐっ! せん……アイシャさんの前で何たる不覚……! こうなったらこの老害を滅して汚名を返上するしか!」

「待て。落ち着け。話せば分かる、爺のちょっとしたお茶目じゃろ? じゃからそんなに殺気を叩きつけるんじゃないわい!」

 

 おお、何という殺気。周囲に拡散するのではなくただネテロ1人に集中して叩きつける研ぎ澄まされた殺意! ネテロが冷や汗を流すほどの殺気でありながら周囲の一般人はそれに気付いていない。これに気付けるのは一般人ではなく逸般人だ。

 その証拠にゴン達は直接殺気を当てられたわけでもないのにリィーナが殺気を放った瞬間にそれぞれ距離を取った。

 うんうん、いい反応だ。修行の成果も出ているというものだ。

 

「こりゃアイシャ! 何を悠長に満足気に頷いとるんじゃ! は、はようリィーナを止めんか!!」

「アイシャさんに助けを求めるとは何という惰弱! そのような惰弱者に生きる価値なし! このまま引導を渡して差し上げましょう! 安心なさい。葬式は豪華な物にしてさしあげますよ?」

「安心出来るかっ!」

「いいわよ~。もっとやりなさいリィーナ~!」

「こりゃビスケ! ちょっとはお師匠様を労わらんかい!」

 

 おお、流石に余裕あるなネテロ。

 リィーナの攻撃を捌きながらビスケへのツッコミも欠かしていない。心なしか動きが以前戦った時よりも若干鋭くなっている気がする。

 ふふふ。こいつもあれから修行したのだろう。再戦が楽しみになってきたな!

 

「何腕組んで不敵に笑っとるんじゃ!? 早く止めろと言っとるじゃろ!?」

「あ、忘れてた」

 

 いかんいかん。ついネテロとの再戦に胸を躍らせてしまっていた。

 

「リィーナ。こんなところで暴れたらホテルの従業員や他のお客さんにご迷惑ですよ。やるなら誰の迷惑もかからないところでやりなさい」

「いや、それって止めてなくね? 先延ばしにしただけじゃね?」

 

「はい! 申し訳ございませんアイシャさん。何処か人の迷惑のかからないところで殺ってきます」

「字が違……くはないか、こやつの場合……」

 

「謝るのは私にではないでしょう?」

「うむ、全くじゃ」

 

「はい、そうですね。皆様。このような場で騒ぎを起こしてしまい、誠に申し訳ございません。この通り、深くお詫び申し上げます」

「あ、ワシにじゃないのね。いや、分かっとったよこうなるって」

 

「ちぇー、つまんないわね。もっとやりなさいよー」

「お前破門していい?」

 

 いつからネテロに弄られ属性が付いたのだろうか?

 きっと私(リュウショウ)が死んでリィーナとビスケが仲良くなってからなんだろうな。哀れネテロ。

 

「いや、お前もワシ弄ってなかった?」

「人の心を勝手に読まないでください」

「お前が言うなと心底叫びたいんじゃけど」

 

 心外な。人の心を読むだなんてそんなプライバシーの侵害はしないぞ?

 私はただ顔色や筋肉の微妙な動きとオーラの反応で相手の心の機微を察しているだけで、文字通り心の中を読んでるわけじゃないからな。

 

「まあいいわい。それよりも早う何処か落ち着ける場所へ行かぬか? ここじゃ色々と不都合じゃろ」

「そうですね。では私の部屋へ行きましょうか」

 

 幻影旅団の引渡しともなれば細かい話もあるかもしれないしね。一般人もいるロビーで長々と話すことでもないだろう。まあ、聞かれても冗談にしか聞こえないだろうけど。どうにせよ、この注目されまくった状態は御免被りたい。なので皆を引き連れて私が使っている部屋へと移動するとしよう。

 

 

 

「さて、落ち着いたところで本題に入るとしようかの」

 

 全員が部屋に入って備え付けの冷蔵庫にある飲み物を口にし、それぞれ一息ついたところでネテロが本日来た目的を切り出そうとする。

 

「アイシャ、ゴン、キルア、クラピカ、レオリオ。以上の5名、A級賞金首である幻影旅団の討伐及び捕縛、誠にご苦労であった」

 

 先ほどまでとは打って変わり、佇まいを正したネテロが真面目に労いの言葉を掛けてくる。普段からこうしていればいいけど、常にこんなネテロだと気持ち悪いからやっぱりいいか。

 

「此度の成果はそれぞれが一つ星(シングル)の称号を得るに相応しい働きである。希望する者がいればその者をシングルハンターとして登録することも可能じゃ。おっと、すまぬがキルアは無理じゃ。お主はプロハンターではないからのぅ」

「別にいいよ。シングルとか言われても興味ねーし」

 

 シングルハンターか。特定の分野に置いて多大な業績を残したハンターに与えられる称号。700人を越えるハンターの中でもひと握りしか存在しないプロ中のプロ。

 と言っても特定の分野ということは恐らく――

 

「ちなみに今回の業績はブラックリストをハントしたことによるもの。故にシングルの称号もブラックリストハンターとしての物になるが、どうするかの?」

 

 やっぱりか。特定の分野に置ける業績に与えられる称号だからそうなるよな。

 

「んー、オレはいいよ。自分がまだそんなにすごいハンターだと思えないし。それにハンターとして認められるならまずはジンを見つけてからの方がいいや」

 

 ジン。ジン=フリークス、ゴンの父親か。

 聞けば聞くほどハンターとしては超一流みたいだが、1人の父親としてはどうなんだろうか? 自分のやりたいことの為にゴンをくじら島に置いていくなんて。せめて幼年期くらい一緒に過ごしてあげればと思う。自分の子どもよりやりたいことを優先するなら初めから作らなければいいのに。無責任にも程がある。

 ゴンはそれに対して特に思ってもいないみたいだけど。私としては一言物申したい。あの優しいミトさんも悲しませているし、会えたらちょっと根性入れ直してやろうか。

 ……いや、このゴンの父親なんだ。私程度では性根を変えることは出来ないかもしれない。ゴンと同じく頑固そうだもんなジンって人も。

 

「ほっほ。そうかそうか。ジンを見つけるのは苦労するぞ?」

「大丈夫! 絶対見つけてみせるよ!」

「うむ。見事見つけてみせた暁にはジンハンターとでも名乗るか?」

「え~、それはいいや……」

「何ですかそのハンター……特定の人物限定じゃないですか」

「いや、ハンターが何をハントするかは自由じゃからの。世の中にはかわ美ハンターというのもいるくらいじゃぞ」

 

 かわ美……ハンター? いや、それは本当に何をハントするんだ?

 可愛いものや美しいものを好んでハントするのか? もうそれってただの女子高生とかじゃないのか……?

 

「ともかくゴンは辞退と。他の者はどうするかの?」

「オレも遠慮するぜ。ブラックリストハンターなんて言われてもピンと来ないしな」

 

 レオリオさんは医者になる目標があるからね。プロのハンターとしてはあまり活動しないつもりなんだろう。ハンターになったのも高い授業料なんかを免除出来るかららしいし。

 お金のない人の為に医者になって頑張ろうとするなんて本当にレオリオさんは素敵な人だなぁ。レオリオさんには頑張って立派な医者になってほしいな。

 

「ふむ。ではお主はどうするかのクラピカ?」

「私は……。その申し出、ありがたく頂こう」

「あい分かった。正式な申請は後ほどじゃが、これでお主はシングルのブラックリストハンターじゃ。これからもハンターの第一人者として皆の模範となるよう頑張ってくれい」

「ああ。……すまないな皆。皆が辞退しているというのに」

「別に気にしなくていいよ。クラピカはオレ達と違って旅団を捕まえるのにすっごく役立ったんだから」

「そうそう。今旅団を捕らえてんのお前の力じゃん」

「そうだな。オレ達は興味ないけど、お前にはシングルの称号が必要だったんだろ? だったら貰っとけ貰っとけ」

「そうか。……アイシャもすまない。幻影旅団の捕縛の大半はお前の業績だというのに」

「そこまで気にしなくてもいいですよ。ゴン達が言うように、あなたも旅団を捕らえるのに一役も二役も買っているのですから。それに、シングルの称号も緋の眼を取り戻すためなんでしょう?」

「……ああ。シングルの称号ともなればかなりの利用価値がある。上手く使えば緋の眼を探すのにも便利だろうからな」

 

 シングルハンターともなればその称号だけでどれほどの価値があるか。

 名を売って闇社会から信用を得れば、世界中に散らばる緋の眼を探すための情報網を手に入れることも可能かもしれない。

 ブラックリストハンターというのが闇社会からすればネックかもしれないけど、世の中には賞金首でありながらプロのハンターというのもいるから実力さえ示せば使ってくれる相手など腐る程いるだろう。

 

「さて残るはアイシャ、お主だけじゃが……。お主の場合、弟子であるクラピカがシングルハンターとなっておる。ハンター十ヶ条其乃六を照らし合わせると、やや変則的じゃが二つ星(ダブル)の称号を与えることも出来るぞい?」

 

 ダブルかー。でも星とか貰っても特に嬉しくないかな。偉くなってしたいこととかもないし。ダブルハンターの称号が性転換の薬を手に入れるのに必要なら話は別だけどね。

 

「いえ、私も辞退します」

「よいのか?」

「ええ。別に称号が欲しくてハンターになったわけではありませんから」

「ふむ……。ま、お主ならそういうじゃろうとは思っとったがの」

 

 ま、そこは長年の付き合いってやつだな。

 

「あんた達謙虚ねー。貰える物は貰っとけばいいのに。称号あれば便利になることもあるのよ?」

「ハンターライセンス1つで十分便利ですよ」

 

 このホテルもタダだし、病院にも融通が利いたしね。

 おかげでドミニクさんにも最高の治療を施すことが出来た。ライセンス様々である。

 

「欲がないわね。まあいいけど。ちなみにあたしはストーンハンターのダブルよ。宝石専門のハンターだから、希少な宝石を手に入れたら宝石店より高く買ってあげるわよ~」

「ビスケってダブルハンターなのかよ!? ゴンやキルアと変わらないくらいなのにすげーなそりゃ」

 

 ここにもビスケの見た目に騙されてしまった犠牲者が1人……。

 見ただけで実年齢が分かったらその人は何らかの念能力を使っているね。

 

「てことはロックベルト会長さんも?」

「リィーナで結構ですよ。期待に応えられなくて残念ですが、私は称号を得ておりません」

「へぇー。強けりゃ称号が取れるってもんでもねーんだな」

「こいつ、リィーナさんになんて口聞きやがる。自殺願望でもあんのかお前?」

「キルアさん? 後でお話がございますのでお覚悟を。ああ、それとレオリオさん、でしたか? 私はハンターとしての活動を行っていない為に称号を手に入れる機会がないだけですよ」

 

 そう言ってニッコリと微笑むリィーナ。けどその笑顔、顔は笑ってても目はちっとも笑っていませんからー。

 レオリオさんが引きつった顔してるよ。あとキルアが青ざめてる。墓穴掘ったなキルア。なんか助けを求めるようにこっちを見てるけど、今のはキルアが悪い。無言で首を横に振る。

 

「くそっ敵しかいねー!」

「自業自得です」

 

 周りを見ればクラピカはキルアに向かって十字を切り、ゴンは手を合わせて苦笑していた。ネテロとビスケは無茶しやがってという表情だ。逃げ場なし。キルア、骨は拾ってやるからな。

 

「まあキルアさんとのオハナシは後にしまして。それよりもネテロ会長、貴方がここに来られたのはアイシャさんが捕らえた幻影旅団を引き取る為では?」

「うむその通りじゃが」

「でしたらそちらの方に注力してはどうですか? 称号授与も一通り終わったようですし、もう用はないでしょう?」

「いや、そうじゃけどさ。ちょっとくらい話してもいいじゃろーに」

「いえいえ。幻影旅団の連行という大役を請け負っているのですよ。今この瞬間にも逃げられるかもしれません。さあ、迅速に行動してくださいな」

「お主どんだけワシのこと嫌いなの?」

「何を仰るのやら。竈馬よりは好感度は高いですよ?」

「それって下から数えた方が早くないかの?」

「仲いいですね2人とも」

『まさか。そんなことあるわけないじゃろ(ございません)』

 

 いや、めっちゃ仲いいと思うよ。息ピッタリじゃん。喧嘩するほど仲がいいってまさにこのことだよね。

 

「だがリィーナさんの言う通り早くあいつ等を連れてってほしいぜ会長さんよ。いくら無力化したってもあんな奴らとひとつ屋根の下なんてゾッとするぜ」

「レオリオの意見に賛成。あんな物騒な連中とはとっととオサラバしたいね」

「おや、話の分かる方ですねレオリオさん。それにキルアさんも。先ほどの失言はなかったことにしましょう」

 

 あ、2人がものすごくホッとした顔になった。

 

「さ、職務に励んでくださいな会長。協会のトップとして下の者達に見本を見せる機会ですよ」

「ぬぐ、仕方ないのぅ。今回はそれが目的で来たわけじゃからな。早く帰らんとビーンズにどやされるしの」

「積もる話をする機会はまたありますよ」

「そうじゃな。ま、次の機会ではリベンジをさせてもらうとするかのぅ」

「それはこっちの台詞ですよ」

 

 前回の勝負はお互いに負けたと思っている。

 私はネテロより重傷を負っていたし、ネテロは最後の攻撃を私があえて受ける選択をしたから実際は負けだと思っているのだろう。

 お互い勝ちなしの勝負なんて心残りが大きすぎる。次は完全なる決着をつけてやる!

 

「……ねえ。ネテロ会長との戦いってアイシャが負けたんじゃなかったの?」

「いや、ワシの負けじゃよ」

「いえ、私の負けです」

「いえいえ、アイシャさんの勝ちです」

「いやいや、ジジイの勝ちだわさ」

 

 …………。

 

「ワシの負けじゃ!」

「私の負けだと言っているでしょう!」

「アイシャさんが勝ったに決まっています!」

「じじいが勝ったって言ってんでしょ!」

 

 こ、この頑固じじいめ! 私の負けだと言っているのだから素直に勝利を喜べばいいものを!

 喧々囂々とする私たちを見てゴンが溜め息を吐きながら言葉を紡いだ。

 

「つまり、引き分けってこと?」

「……そのようだな。お互いそれを認めてないみたいだが」

「なんか、予想してたよりもあの2人って仲いいよな」

「ああ、なんかオレ達に対するのとはまた違うよな。もっと遠慮がないっていうかさ」

 

 呆れたように私たちを見守るゴン達を尻目に、私たちの意地の張り合いは白熱していったのだった。

 

 

 

 

 

 

「全員で12名か。幻影旅団は総勢13名じゃと聞いとったが?」

「ああ、1人は幻影旅団に偽装していたのですよ。まあヒソカのことなんですが」

「あ奴か」

 

 幻影旅団の連行は恙無く進んだ。ネテロが用意していた大きな護送車に、捕らえた12人の旅団は大人しく乗車した。暴れたり、逃げ出したところで意味がないと理解しているのだろう。もしそのようなことをすれば即座にクラピカが施した念の鎖によって心臓を貫かれてしまうからだ。

 彼らは最後まで悪態をついたり冷静にすましていたりと後悔も反省の色も見せずにいた。きっと死の瞬間にも彼らは彼らのままでいるのだろう。三つ子の魂百までというが、まさにその言葉に相応しい性根だ。悪い意味でだが。

 

「ヒソカはどうしたのじゃ?」

「倒しました」

「ほっ。なるほどのぅ。どうじゃった?」

「強かったですよ。あれはまだ強くなります」

 

 ネテロの言葉にあの戦いを思い出す。

 私を倒すために練り込まれた戦術。力の差を知っても微塵も揺るがない勝利への執念。勝つためには手首を切り捨てるその精神性。私がヒソカに感嘆したのは純粋な戦闘力ではなく、戦闘力だけでは測りしれないところだった。

 今回の敗北はヒソカをより強くするバネになるだろう。ゴンとカストロさんも苦労するだろうが、好敵手は強い方がいいに決まっている。

 

「ほう。楽しかったようじゃのぅ。顔に出ておるぞ」

「ええ。その内またやりあいたいですね」

「妬けるのう。ワシが先約じゃからな?」

「分かっていますよ。とにかく、ヒソカに関しては問題ありません。捕らえてはいませんが、楔は打っています。もう気軽に犯罪は出来ませんよ」

 

 ヒソカは敗れた次の日には既に部屋からいなくなっていた。

 私にやられた傷は完治してないだろうが、まあヒソカなら大丈夫だろう。

 今頃は何処かで傷の回復に集中していることだろう。

 

「ならいいわい」

 

 そう言ってネテロは護送車の中の旅団をもう一度確認し、こちらに振り返る。

 

「では、ワシはこれにてオサラバじゃ」

「ええ。ああ、もしかしたら幻影旅団を狙ってマフィアや殺し屋が襲ってくるかもしれませんから気を付けてくださいね」

「返り討ちにしてやるわい」

 

 ネテロだからそうだろうね。言っておいてなんだが、こいつがマフィアに出し抜かれる姿を想像出来ないし。

 これでネテロともしばらく会えないな。グリードアイランドに行けば簡単には出てこられないだろうし。再戦はしばらく先になりそうだな。

 ……グリードアイランドの後は、もしかしたら再戦出来ないかもしれないけど。遥か過去の薄れた記憶の中で、朧げながらも覚えている数少ない知識。もしあれが起こってしまえば……。

 

 止めよう。今そんなことを考えても仕方ない。この世界は漫画の世界ではない、私と変わらないたくさんの命が生きる現実の世界なんだから。

 漫画で起こったことが絶対に起きるわけではない。こうしている今も世界は動いている。漫画のように主人公に視点が置かれた紙の世界ではないんだ。精一杯今を生きるくらいしか私には出来ない。

 その上でもし、あの災厄が起こったら……。

 

 

 

 私がアレを止める。

 ネテロを倒すのは私だ。私以外にネテロはやらせん。

 いや、ネテロが戦って敗れるならばそれは仕方ない。それで死んだとしてもそれも戦いの常だ。友人として悲しむも、武人としては受け入れよう。

 だがあんな死は認めない。武人としての死すら許されないなんて、1人の武人として、ネテロの好敵手として絶対に認めない!

 あの時のネテロはプロのハンターとして死んだ。だが、私はネテロに武人として生きて死んでほしいんだ。あの時、【絶対遵守/ギアス】に操られていたからとはいえ、死の淵で私(リュウショウ)が満足して逝ったように。

 

「……おいアイシャ。どうした?」

「あ……いえ、何でもないですよ?」

 

 顔に出ていたのだろうか? 表情は変えてないつもりだけど……。

 ネテロだからな。私の雰囲気から何かを読み取ったのだろう。相変わらず鋭い奴だ。

 

「そうは見えなかったがな。……まあいいわい。そうそう、言い忘れとったが、幻影旅団を捕らえた報酬を渡しておかねばな」

「報酬だって! おいおい、幾ら位なんだ会長さん!?」

 

 私の後ろで今まで黙って立っていたレオリオさんがお金の話が出た瞬間にすごい反応をした……。いや、おかげで空気が弛緩したからいいけどね。ちょっと柄にもなくピリピリしてしまっていたし。

 

「ほっほ。まあ渡すと言ってもアイシャのハンターライセンスにまとめて入金するだけじゃがの。ほいほいっと。これでOKじゃ」

「もう終わったんですか?」

 

 小さな機械を操作しただけなんだけど? 今時はそれくらいで入金も出来るのか。便利な世の中になったもんだなぁ。

 

「うむ。後で確認するといい。報酬をどのように分けるかはお主らに任せるとしよう」

 

 そういえばライセンスって銀行のカードの代わりにもなるんだな。というか、大抵のカードの代わりになるか。ホント便利だわこのカード。

 幻影旅団にもライセンスカード持ってる奴いたくらいだし。犯罪者でも持てるってちょっとどうかと思うけど。ま、没収して燃やしたけどね。ライセンスが失くなってもプロハンターであることに変わりはないが、彼らの罪はプロハンターと言えど裁かれるに十分な重さだ。精々他の旅団員より禁固年数が減るくらいだろう。それでも数百年単位になるだろうが。

 

「それではの~」

 

 今度こそ本当にネテロは去っていった。次に会う日を楽しみにしておこう。

 

「さて、それじゃあ無事幻影旅団の引き渡しも終わったことですし、一度部屋へ戻りましょうか。リィーナも私たちに用があるようですしね」

「ええ。アイシャさんに取っておきのプレゼントを用意致しております」

 

 ああ、そういえばそんなこと言ってたな。また可愛い服とかだろうか?

 でもリィーナが持っているのはノートパソコンが入るくらいの大きさの手提げ鞄くらいだし。部屋の中に置いてこずに持ち運ぶということはかなり貴重なものなんだろうか? この子のことだから凄い金額の物を買ってそうで怖い。

 

「オレは早く幻影旅団の報酬を確認してみたいぜ。く~、かなりの報酬なんだろうな~。アイツ等A級賞金首らしいし!」

「ん、まあ億は軽いだろうぜ。オレ達にもかなりの金額の賞金懸かっているみたいだし」

「そういやお前の顔写真に1億ジェニーの賞金が……。キルアくん、ちょっとお願いがあるんだが?」

「想像つくけど断る」

「いやいや。友達を売るわけないじゃないか。ただちょいとお前が実家に帰った時に家族の集合写真を撮ってきて欲しいってくらいで。もちろんお前抜きでいいからよ」

「予想以上に酷いお願いだったよおい」

「馬鹿なことを言ってないで早く行くぞバカリオ」

「お、おう。……って誰がバカリオだ!」

「あ、なんか懐かしいねそのやり取り」

「確かハンター試験で寿司を作る時のですね」

 

 そういえばあれからまだ9ヶ月しか経っていないのか。1年未満なのに、すごく凝縮した時間を過ごした気がする。長年生きてきたけど、今は本当に充実しているなぁ。

 

 そうやって物思いに耽りながらホテルの中へと戻ろうとすると、何処からか爆発音が聞こえてきた。

 

「これは……」

「この爆発音……じじいが走っていった方角からね」

「恐らくはマフィアか殺し屋の襲撃でしょう。まあそれはどうでもいいのですが、気になるのはどうやってネテロ会長が幻影旅団を連行していると知ったのかですね」

「……もしかしたら協会から漏れたのかも。じじい相手にそういう嫌がらせする奴に心当たりあるし」

「ああ、あの腐れ副会長ですか」

「副会長とネテロって仲悪いんですか?」

 

 今の副会長は知らない人だ。前副会長とネテロは良い信頼関係が築けていたと思うけど。副会長は会長であるネテロが選んでいるから、自分の思い通りにいかない人物でも選んだか? そういう弄れたところがあるからなネテロは。

 

「そうね。副会長はネテロに嫌がらせして楽しんでいるし、それをネテロも楽しんでいるから、ある意味では仲いいのかもね」

「私はあの者は好みませんが。奴のネテロ会長への嫌がらせのおかげで黒の書を取り戻す機会を失ってしまいましたしね……!」

 

 あ、それは私も許せないわ。ちょっとマジで。人の恥部が世界中に流れる要因の1つを担っているとは許しがたい大罪である。

 

「あの、普通に話してるけど、ネテロ会長の心配をしなくてもいいの?」

「ゴンは優しいですね。でもネテロですから大丈夫ですよ。それにこういうことが起こった時の為にネテロを呼んだのですから」

「そうそう。あのじじいの心配するだけ無駄よ無駄」

「全くです。さ、アイシャさんのお部屋へ戻りましょう」

 

 そう言って私たちはネテロのことを気にも留めずにホテルの中へと戻って行った。

 

「……いいのかな?」

「……いいんじゃね?」

「……いいんだろうな」

「んなことより早く賞金の確認しようぜ!」

 

 どこまでもブレないレオリオさんであった。

 

 




 今頃世界の裏側(描写されてない場面)ではネテロと暗殺者やマフィアによる壮絶なバトルが起こっているでしょう。頑張れネテロ! 負けるなネテロ! ピンハネ王子の嫌がらせに屈するな!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十七話

 幻影旅団の引き渡しも終わり、部屋へと戻ってきた私たち。部屋の中ではある2人の人物がウキウキしながら今か今かと待ちわびている。

 1人はリィーナだ。どうやら私へ早くプレゼントを渡したくてウズウズしているみたいだ。私が喜んだり、私に褒められたりするのを想像して心が躍っているのだろう。子どもか。

 

 もう1人はレオリオさん。幻影旅団討伐の賞金額が気になって仕方ないようだ。これが漫画とかなら目が完全にお金になってしまっていることだろう。

 

 まあ報酬の確認はいつでも出来るから先にわざわざ来てくれたリィーナの話を聞こうか。

 

「それでリィーナ。私にプレゼントがあるという話でしたが」

「はい! アイシャさんが欲している物が手に入りましたので、是非にと思いまして!」

「え!? 性転換の薬が手に入ったんですか!?」

『何でそうなるんだよ(ですか)(だわさ)!!』

 

 うお! 総ツッコミを喰らった!

 いやだって、私が欲しがっている物なんてそれくらいだし。

 ていうかリィーナの台詞に驚いて勢いで性転換の薬って言っちゃったよどうしよう……。

 

「何でそんなモン欲しがってんだよ! 男になってどうしようってんだ!」

 

 脱童貞です! なんて口が裂けても言えるか!

 これは例えゴンだろうがネテロだろうが絶対に秘密の目的だ。墓場まで持ってくぞ!

 

「それは私も疑問に思うぞアイシャ」

「つうか男になるなんて勿体ねーだろうが!」

「うーん、アイシャって男になりたいの? どうして?」

 

 うう、ついポロっと出てしまった台詞でこんなにも追い詰められるなんて……。

 何か、何か良い言い訳は…………そうだ!

 

「いや、だって、皆が私を避けているようですので……。男になればそういうこともなくなるかと思いまして」

 

 これは嘘偽りない本心でもある。やっぱり複数の男の中に女が1人というのはアンバランスなのだろう。ゴン達もそれで私に遠慮している部分もあるはずだ。友達としてそういうのはなくして欲しいんだよ。

 

「何でオレ達がアイシャを避けるのさ」

「ああ、絶対にそんなことはないと断言出来るぞ」

「意味分かんねー心配してんじゃねーよ」

「おお、ダチを避けるなんざありえねーな」

「皆……本当ですか?」

『もちろん!』

「じゃあ今度から一緒の部屋で寝泊りしてもいいですか?」

『もちろん!』『いやそれは待て!』

 

 どっちだよ。

 ゴンとレオリオさんは賛成で、キルアとクラピカが反対。

 結局前と同じ構図じゃないか。おのれキルアとクラピカ。私も一緒にお泊まり会に加えろー!

 

「多数決です! 皆で一緒に寝泊りしたい人!」

『はーい!』

 

 ふはは! 賛成3人! 反対はキルアとクラピカの2人のみ!

 賛成多数で可決である! 民主主義万歳!

 

「男女分けた方がいい人!」

『はい!』

 

 ふ、反対は……! おいリィーナとビスケ。なんでお前たちも多数決に加わっているんだ?

 

「賛成3。反対4。反対数が多いため今回の議案は否決とする。キルア書記官、記載を」

「あいよ」

「異議あり! リィーナとビスケは今回の議案に関係ないと思います!」

「いいえアイシャさん! ジャポンにはこのような言葉があります。『男女七歳にして席を同じゅうせず 』。つまりは年頃の男女ともなればみだりに同衾するなど以ての外! 例え親しき仲と言えど節度あるお付き合いをするべきです!」

「リィーナの言うことはちょっと大げさだけど、アイシャは自分が女だっていうのをもっと自覚するべきよ」

 

 こ、この2人! どっちの味方だ! 特にリィーナ! お前は誰の弟子だ!

 くそ! まさか弟子に裏切られるとは!  リィーナ! 謀ったな、リィーナ!

 

「多数決を持ち出したのは失敗だったなアイシャ」

「ぐ、今回は引きましょう。ですが次は必ずや……!」

「別に一緒に寝るくらいいいじゃん。天空闘技場や風間流道場ではアイシャも一緒に寝てたしさ」

 

 おお、ゴン。あなたは本当に優しい子ですね。私はあなたのような純粋無垢な友人が持てて幸せだよ。

 

「……ちょっと待て。おいキルア、クラピカ。お前ら前にアイシャと一緒に寝たことあんのか?」

「ええ、聞き捨てなりませんね。道場での一件はともかく、天空闘技場の件は初耳ですが?」

 

 …………誰かの唾を飲み込む音が響く。

 幽鬼のように立ちキルアとクラピカを睨みつけるレオリオさんとリィーナ。2人が発するプレッシャーに部屋の中の空間が歪んでいるかのようだ。

 リィーナはともかく、レオリオさんがここまで怒気を発するとは……それほど一緒にお泊まり会をしたかったのか。私も同じ気持ちだよレオリオさん。

 

「……やるぞキルア」

「ああ、レオリオはともかく、リィーナさんは言葉で止めることが出来ねー。殺られる前に……やってやる!」

 

 どういうわけか、死闘が始まった。

 

 

 

 

 

 

『すいませんでした』

 

 死闘は終わった。

 リィーナ&レオリオさんコンビとクラピカ&キルアコンビの戦いは激しかった。

 クラピカは何度もオーラで強化された床に叩きつけられ、キルアは何度もオーラで強化された壁に叩きつけられ、何故か最後にレオリオさんもオーラで強化された天井に叩きつけられた。

 うむ。一方的にリィーナが暴れただけだったな。というか、何時の間にかやられる側になっていたレオリオさんに黙祷。

 

「いいですか。先程も言いましたが、貴方達は子どもではなく年頃の男女なのです。それがみだりに女性と閨をともにしようなど、不届き千万にも程があります!」

「いや、私たちはどちらかと言うと反対していたのだが……」

「お黙りなさい。同衾した時点で反論の余地はありません」

「ていうか、何でオレまで……」

「貴方も同衾に賛成していたでしょう」

「ゴンはいいのかよゴンは……」

「あの子は貴方達と違って無邪気ですから良いのです。それよりも。先程から聞いていればいい歳の男子が集まって言い訳ばかり。情けないと思わないのですか? いいですか。真の男性とは寡黙でありながら内に静かな炎を秘めており、その全ては言葉ではなく行動で示すような方なのです。つまりは――」

 

 リィーナの説教(?)は続く。既にキルアもレオリオさんも聞き流しているけど。律儀に聞いているのはクラピカくらいだ。

 というか、さっきから話している理想の男性像ってもしかしてリュウショウのことか? もしそうならめっちゃ恥ずかしいから止めてほしいんだけど。

 

「――なのです。ですから貴方達も――」

「あー、リィーナ?」

「はい! どうなされましたかアイシャさん?」

「いえ、私へのプレゼントが何かなー? と気になりまして」

 

 嘘だ。いや、気にはなっているんだけど、今回はちょっとレオリオさん達が可哀想だから、説教を切り上げる方便として使わせてもらう。

 私がプレゼントが気になると声を掛けると先程までの不機嫌はどこに行ったのか、すぐに笑顔になるリィーナ。この子の私至上主義はどうにかしたいところである。

 

「ああ! そうでしたね。申し訳ございませんアイシャさん。すぐにお見せしますね」

 

 そう言って床に置いていた鞄を取りに行くリィーナ。

 それを見てレオリオさん達はようやく解放されたとホッとした表情を見せる。

 

「こちらになります。さあ、どうぞ開けてみてください」

「これは……ジョイステーション? ……いや、これはまさか」

 

 鞄を開けて出てきたのはジョイステーション。だが普通のジョイステとは違うところがあった。ただのゲーム機のはずが、オーラを纏っているのだ。そんなゲーム機の存在を私は1つしか知らない。

 

「グリードアイランド!?」

「流石はアイシャさん。その通りでございます」

 

 おお、まさか選考会で合格する前にグリードアイランドを見ることになるとは。簡単には手に入らないだろうに、どうやって手に入れたのだろうか? 

 

「これは一体どうしたのですか?」

「ええ。実はバッテラさんにお譲り頂いたのです。誠心誠意お願いしたら快く譲って頂けました。とても良い方ですねバッテラさんは」

「誠心誠意? あれが?」

「ビスケ、何か?」

「何でもないわさ~」

「……あなた、脅したりとかしてないでしょうね?」

「とんでもこざいません! きちんとお話をしてお互い納得しての取り引きでございます」

 

 それならいいんだけど。なんかビスケの言い方からして、脅しとまではいかなくても取り引きをせざるを得ない状況に持ち込んだんじゃないだろうかと勘ぐってしまう。

 

「ただ、ゲームをするにあたって1つ注意点がございます。ゲームをクリアした場合、その報酬はバッテラさんにお譲りすると約束していますが、よろしかったでしょうか?」

 

 ああ、それなら納得だ。バッテラ氏はゲームのクリア報酬を手に入れるためにあれだけグリードアイランドに固執していたんだろうからね。そういう約束をしていたのなら無理矢理脅して奪ってきたとかはなさそうだな。良かった良かった。

 

「それは構いませんよ。どうせ選考会からゲームに参加した場合でも、それと同じ契約をしなければならなかったでしょうし」

 

 どうせクリアしたところで報酬を自由には出来ないだろう点は織り込み済みだ。

 私が欲しいのは性転換の薬だ。この場合、グリードアイランドで性転換してしまえば薬を外に持ち出せなくても何の問題もない。

 面倒なのが男と女を使い分けるのにいちいちグリードアイランドに入らなければいけないことだが、こうしてグリードアイランドが手元にあればそれも多少は楽になる。リィーナ良くやってくれました!

 

「ああ、これは予想外に嬉しいですね。リィーナ、ありがとうございます」

「ああ……。アイシャさんに喜んで貰えたのなら私も望外の喜びでございます!」

 

 私が喜んだのを見て、惚けた表情で私以上に喜ぶリィーナ。はは、相変わらず大げさだなぁ。

 

「(なあ、前から疑問に思ってんだが、どうしてリィーナさんはアイシャに対してこうも傾倒してんだ?)」

「(それが分かったら苦労しないのだよ。どれだけ私がアイシャに関してリィーナ殿に責められたと思っている)」

「(それはお前が悪い。アイシャの裸を覗いたことを忘れたのか?)」

「(だからあれは不可抗力だと……)」

「ねえ、何の話?」

「気にするなゴン。ほら、待望のグリードアイランドが手に入ったんだぞ?」

 

 露骨な話題逸らしだなクラピカ。私には2人の会話聞こえていたけどさ。キルアもいい加減にその件については許してあげたらいいのに。私は気にしてないんだからさ。

 

「これでわざわざ選考会に参加しなくても――」

「どうやら勘違いされているようですが、このグリードアイランドに誘っているのはアイシャさんだけですよ?」

「え? でもこれってマルチタップを付ければ4人で出来るんだろ?」

「ええ。ですから、アイシャさんと私とビスケ、そして最後にカストロさんを呼んでいるので合計4人ですね」

「はあ!? オレ達は出来ねーのかよ!?」

「選考会があるでしょう? 頑張って合格してくださいませ」

 

 無慈悲なるリィーナの宣告であった。というかリィーナ、お前もグリードアイランドをするつもりか。いや、このグリードアイランドを用意したのはリィーナだから文句を言う気はないけど。

 でも流石にちょっとゴン達に悪いかな。……いや、やっぱり今回の機は利用させてもらおう。

 グリードアイランドに行く為に必要なアレをするには、選考会ではなくリィーナの用意してくれたグリードアイランドを使った方がいい。見知らぬ第三者がいる前で私の弱点を見せるわけにはいかないからな。当初の予定ではそれに関しては諦めていたけど、今回のこれはいいタイミングだったと言える。

 

「すいません皆。私はリィーナの用意してくれたグリードアイランドでゲームに参加します」

「え? それはいいけどさ……」

 

 ゴンが私の言葉に驚いてか眼を丸くしている。

 私がそんなことを言うとは思ってもいなかったのだろう。きっと皆と一緒に選考会に参加すると言い出すだろうと。

 私だって事情がなければそうしたい。皆と一緒にここまで来たんだ。どうせなら選考会も一緒に受けたいという気持ちは勿論ある。

 

「……分かった。では私たちは10日の選考会でゲームに参加するとしよう。アイシャは先に入っていてくれ」

 

「ちぇっ。先に入ったからってゲームをどんどん進めるなよな」

「大丈夫ですよキルア。多分しばらくは大人しくしていますから」

「?」

 

 少なくとも1ヶ月はまともに行動しない方がいいだろう。その間は信頼の置けるリィーナとビスケに護ってもらうしかない。2人には事情は後で説明しよう。

 

「それじゃあアイシャは今日にはグリードアイランドに入るのか?」

「そうですね……。リィーナ、カストロさんは何時頃到着するのですか?」

「昨夜連絡して車でこちらに向かっているはずですので、早ければ明日の朝には到着するかと」

「分かりました。聞いての通り、カストロさんが到着してからグリードアイランドに入ると思います」

 

 出来るだけ早く入った方がいい。選考会に参加する連中よりも早くにだ。ブッキングしてしまえば私の弱点が多くの人にバレてしまう可能性がある。

 

 でも、そうなるとレオリオさんとはしばらくお別れか。レオリオさんは医者になる為の勉強をしなければいけないからな。結局一緒に遊んだりは殆ど出来なかった。レオリオさんには本当に申し訳ない……。

 

「レオリオさんとしばらく会えなくなるのは寂しいですが……」

「そうか。しゃあねーな。ま、次に会う時は今回の埋め合わせをしてくれや」

 

 そうだね。結局一緒にオークションを回ることすら出来なかった。私に出来ることなら埋め合わせの1つや2つくらい容易いことだよ。

 

「はい、必ず」

 

 快く私を許してくれたレオリオさんに精一杯の笑顔で応える。

 今はこれくらいしか出来ないけど、また再会出来た時に色々と恩返しをしよう。

 ドミニクさんの件もあるし。……あっと、そういえばドミニクさんから頼まれていたことがあったな。昨夜から浮かれていたから伝えるのを忘れていたよ。

 

「そうそうレオリオさん。ドミニクさんからレオリオさんに伝えてほしいことがあると言われていました」

「ああ、あの人か。どうしたんだ?」

「はい。今回の治療のことで礼を言いたいと。レオリオさんが良ければ会いに来てほしいと言っていました」

「そうか。礼が欲しかったわけじゃないんだけどな」

 

 ドミニクさんに言えば多額の礼金を貰うことも出来るだろうに。

 幻影旅団の報酬には凄い執着していたけど、医療に関してはお金なんて気にしてないんだな。私の中のレオリオさんへの好感度が120ポイント程上昇した。ストップ高も見えるレベルの上昇値である。

 

「もしマフィアであることを気になさっているなら、私も一緒に行きますが?」

 

 私がいれば多少は安心してくれるだろう。ドミニクさんは義理堅い人みたいだから、レオリオさんを害することはないだろうけど。

 

「ご紹介に与らさせていただきます!」

「? 治癒したのは念能力とばれているので、秘密にしたいなら無理しなくてもいいんですよ?」

 

 急に乗り気になった? もしかして私に遠慮しているんだろうか? 優しいレオリオさんなら有りうるけど……。なんか違う気もする。どこか欲望めいた何かを醸し出しているな……。

 まあ会いたいのなら今度ドミニクさんの所に連れて行くとしよう。まだドミニクさんは入院しているはずだから、連れていける機会はレオリオさんと再会した時かな?

 

「いやいや、全然問題ないぜ!」

「おいレオリオ。何か目的変わってねーかお前?」

「ははは何を言っているのかねキルアくん? それよりもそろそろ幻影旅団の報酬を確認しようぜ?」

「そうですね。ではちょっとパソコンで確認を……」

 

 誤魔化すようなレオリオさんの言い分はともかく、報酬の確認は確かにした方がいい。レオリオさんともこれでお別れとなると、報酬の分配もしなければいけないしね。

 ホテルのパソコンを起動させ、私の預金残高を確認する。ライセンスを読み込んで、と。…………ふぁ?

 

「いちじゅうひゃくせん……さ、340億程入金されていますね……」

『340億!?』

 

 幻影旅団ってこんなに賞金掛けられていたのか!? 何かの間違いじゃ……。あの時機械の操作をミスって1桁間違えたんじゃないのか? ちょっと気になるからネテロに確認してみよう。ケータイで電話してっと。

 

「……あ、ネテロですか? ちょっと賞金のことで話が」

『いやちょっと待て! 今それどころじゃ……おっと!』

 

 電話の向こうから聞こえてくるのは爆発音。そういやマフィアか何かに襲われているんだった。ネテロなら問題ないと思っていたけど、意外と苦戦しているのか?

 

『ふぅ。危うく護送車がお釈迦になるところじゃったわ。それでなんじゃ? 賞金がどうこう……ぬおお! は、早めに頼むぞい!』

 

 さらに聞こえてくるのは車の走行音。すごい勢いで走っているようだ。車が急に動いた時の地面とタイヤの摩擦音がここまで響いている。その後に聞こえてくる爆発音。ミサイルか何かで狙われているのだろうか?

 

「いえ、私の通帳の残高を確認したら340億もの入金があったので、何かの間違いじゃないかと思いまして」

『間違って――【百式観音】!――おらんぞ! 内訳は旅団員1人頭20億! 幻影旅団そのものを壊滅させたことで100億の追加じゃ!』

「あなた今百式観音使いませんでした?」

 

 車の走行中に器用な……じゃない。百式観音を使わなければ対処出来ない程追い詰められているのか? ネテロが?

 

『ええいしつこいのう!』

『ち、流石じゃな。シルバ、ワシが車の動きを止める。あれに構わず後ろの蜘蛛のみを狙えい』

『了解』

『全く。ネテロが相手なんざ聞いとらんぞ。割に合わん仕事にも程があるわい』

 

 ……いや、何か聞き覚えのある声と名前が聞こえてきたんだけど。走行中の車でも聞こえてくるってことは、その車に並行して走っているってことか?

 それだけの実力者で聞き覚えのある声。しかも名前がシルバ。どう考えてもゾルディック家の襲撃ですねありがとうございます。

 

「あ、色々と疑問は晴れましたので失礼します。どうやら忙しいみたいなので頑張ってくださいね」

『ちょい待て! ちっとは手伝おうと思わんの――』

 

 頑張れネテロ。お前がナンバーワンだ。

 まあゾルディックの狙いはネテロ本人ではなく幻影旅団みたいだから、最悪やられてもネテロが殺されることはないだろう。

 それに、そう簡単に負けないと信じているしね。

 

「どうやらこれで間違いないようですよ」

「おお、マジかよ! 340億だから5人で分けると……68億ジェニー!?」

「すげーな。それだけあればチョコロボ君が……4500万以上買えるぜ!」

 

 あ、どうやらさっきの会話はキルアには聞かれていないか。

 ネテロの方はフリーハンドにしていたから周りの音がよく聞こえたけど、私はそうしてなかったからな。もしキルアに聞こえていたらゼノさんとシルバさんの声に反応するだろうし。

 

 しかしキルア。お前は賞金の分け前を全てお菓子に注ぎ込む気か? それだけのチョコロボ君、1日何個食べたら食べきることが出来るんだ?

 キルアがあと100年生きるとして、食べ切るには……1日約1232個か。間違いなく太る。それ以前に絶対食べきる前に成人病か何かになってその内死んじゃう。太ったキルアってなんか想像出来ないな。ミルキみたいになるのかな?

 

「うーん……」

「どうしましたゴン?」

「うん。……実は皆に提案があるんだけどさ」

「提案?」

「うん。このお金なんだけどさ、全部クラピカに上げるってのは駄目かな?」

「ゴン!?」

 

 ゴンの提案にクラピカも驚いている。いきなり340億もくれるってなったら驚くだろうけど。

 でもどういうつもりでそんな提案したんだろう? 別にお金はそんなに欲しくはないから私はいいけど。何か意味があってこういう提案をしたと思うんだけど。

 

「おいおい正気かゴン。クラピカが蜘蛛の連中を捕まえるのにすげー貢献したのは分かるけどよ、全額はないだろ? それならアイシャが大半を受け取る資格があるぜ」

「レオリオの言う通りだゴン。私だけが受け取るなど出来るわけがないよ」

「うん、アイシャが1番頑張ったのは知ってるよ。でもさ、これだけのお金があったらクラピカが仲間の眼を取り戻すのに役立つでしょ?」

 

 ……ゴン。この子は本当に……。

 優しい子なんですね。誰よりも純粋で、仲間に優しい。

 それが危うい子でもあるけど、いつまでもそうであってほしいとも思うな。

 

「ゴン、お前という奴は……」

「そうですね。私に異論はありません」

「しゃーねーな。後でチョコロボ君奢れよクラピカ」

「アイシャ、キルア……ありがとう……」

「……1億くらい駄目?」

 

 ……レオリオさん。この人は本当に……。

 私の中のレオリオさんへの好感度が4ポイント程減少した。現在3452ポイントである。

 

「冗談だよ冗談! は、はは! 仲間の眼を集めるの頑張れよクラピカ!」

「ああ、ありがとうレオリオ」

「うう。いい話じゃないわさ」

「ほらビスケ。これで涙をお拭きなさい」

 

 ビスケって意外と涙もろいな。そしてそんなビスケにハンカチを渡しているリィーナの、ビスケを見る目が何というか慈愛の目に。

 リィーナにとってビスケは可愛い妹なんだろうな。たまに、いや結構頻繁に立場が入れ替わっているようだけど。

 

「それではアイシャさん。賞金の件も落着したようですので、グリードアイランドをプレイする為の場所までご案内いたしましょうか?」

「プレイする場所ですか」

「ええ。一応は警護の為を考え、ヨークシンのある場所に屋敷を用意致しました。ホテルなどでプレイして、グリードアイランドを見知らぬ第三者に勝手に動かされては何か不都合が起こるやもしれませんから。私たちに取って未知の念能力を用いたゲームです。用心を重ねて損はないかと思いまして」

 

 なるほど。元々バッテラさんの用意した物でプレイするつもりだったからそこまで考えていなかったな。確かにどういう仕組みか分かっていない他人の念能力によるゲームだ。注意深く行くべきだろう。

 

「分かりました。カストロさんが先に来ては失礼ですし、早めに行くとしましょう」

「はい! それではご案内いたしますね!」

 

 これで本当にレオリオさんとはお別れだな。寂しいけど、次に会う日を楽しみにしよう。

 

「それでは皆、先にグリードアイランドで待っていますね。……レオリオさん。勉強頑張ってくださいね」

「……ああ。ちっ。オレもやりたくなってきたぜグリードアイランド」

「ふふ。そしたらゴン達と一緒に修行地獄ですよ?」

『レオリオも来たらいいと思う』

 

 何故ハモるし。

 

「はは。そりゃおっかねーな。勉強してた方が身の為っぽいぜ」

「失礼な。適度な修行は健康にもいいんですよ?」

『適度とは一体……?』

 

 だから何故ハモるし。

 

「……それじゃ、待たな」

「はい。また、会いましょう」

 

 最後にレオリオさんにお別れして、私は部屋を出て行った。

 

 

 

 

 

 

 リィーナがホテルへやって来た時に乗っていたリムジンタクシーで案内される。

 リィーナが用意していたのは予想を超えた大きさの屋敷だった。ドミニクさんの屋敷と比べたら庭もなくずっと小さいけど、一般人の家と比べると雲泥の差だ。

 

 大きな屋敷ですね、と感心すると、今回の為に急遽用意したものだからみすぼらしくて申し訳ありませんとか謝られた。私の感覚がおかしいのか? 誰か教えてほしい。

 

 中には品のいい、私が見ても高価だと分かるような調度品がたくさんあり、どの部屋も綺麗に掃除されていた。……本当に急遽用意したんだろうか? どれだけのお金が動いたんだろう……。怖くて聞けないんだけど。

 

 そうしてしばらく屋敷でリィーナ達と過ごしていると、カストロさんが屋敷へとやって来た。時刻は19:00を少し回ったくらいだ。確かカストロさんって本部道場にいたはずだけど、どれだけのスピードでここまで来たんだ?

 私たちはゆっくりしていたとはいえ、汽車の旅で3日かかったんだけど。

 

「お待たせしましたリィーナ殿、ビスケさん。そしてアイシャさん。お元気そうで何よりだ」

「カストロさんも元気そうですね。修行の方はどうですか?」

「ああ、リィーナ殿の修行は厳しいが、その分強くなれていると実感出来ている。風間流道場の門下生も強く、勉強にならない日はないな。日々が充実しているよ」

「それは良かった」

 

 言葉の端々から自信が窺える。それだけの修行を課せられ、乗り越えてきたのだろう。リィーナに鍛えられてどれだけ強くなったのか、楽しみだな。

 本部道場では一緒に修行する機会はなかったから、グリードアイランドでどれだけ鍛えられたか確認しよう。今のゴン達よりも格上だろうから、ゴン達の修行にもいい影響を与えてくれるだろう。

 

「さて、カストロさん。今回は貴方も私たちと一緒にグリードアイランドをプレイしてもらおうとお呼びしました。グリードアイランドは念能力者が作った、死の危険もある念能力者専用のゲームです。呼んでおいてなんですが、お嫌でしたら帰っても構いませんよ?」

「ご冗談を。そのように言われて私が帰るとお思いか? リィーナ殿もプレイされると言うなら、そのゲームの中で直に修行を付けてもらえるということ。否があろうはずありません。今すぐにでも大丈夫です!」

「よろしい。ですが体調を万全にしておくことに越したことはありません。今日の所はゆっくりと休んで行きなさい。丁度食事の用意も出来たところです」

「それは申し訳ありません。では、お言葉に甘えてご相伴に与らせていただきます」

 

 ……うん。完全にリィーナを師匠と崇めてるなカストロさん。口調からしてリィーナを敬っているのが分かるわ。本当に尊敬してるんだろうなリィーナのこと。

 

「カストロさん! 今日の料理は私も手伝ったんです!」

「ああ、ありがたく頂こうビスケさん」

 

 あれ? ビスケってカストロさんにまだ猫被っているの?

 初対面の人には良くしているのは知っているけど、もうカストロさんとはリィーナを通じてそこそこの付き合いになっていると思っていたけど。

 

「貴女はお米を研いだだけでしょうに。カストロさん。今日の夕食はアイシャさんが手ずからお作りになられた物です。よく味わって食すように」

「いえ、私はオカズを少し作っただけですよ。リィーナこそとても良い手際でしたね。見習いたいくらいですよ」

「それでしたらアイシャさん! 今度一緒に料理の修行をいたしませんか?」

「あんたの修行好きってアイシャが絡めば何でもいいのね……」

「はは、このような美しい女性に囲まれて手料理を頂けるとは、男冥利に尽きますね」

「う、美しいだなんてそんなホントのことを~! ぐふ、ぐふふ!」

 

 おいビスケ。猫がどっか行ってるよ?

 そんなビスケを見てちょっと困った感じだけど優しく見守っているカストロさん。

 もうこれバレてるんじゃない? しかもなんか妹を見るような目なんだけど。

 ……頑張れビスケ。

 

 

 

 

 

 

 リィーナの別宅、と言っていいのか? とにかく屋敷で一夜を過ごした。今日はようやくグリードアイランドをプレイ出来る記念すべき日だ。いや、本当に記念すべき日は男に戻れた日にするべきだな。今日はまだ通過点なんだから。

 

 うう、ドキドキしてきた。本当にグリードアイランドへ行けるんだろうか?

 【ボス属性】の制約では、私の考えで間違っていないはずだ。

 だが一度も【ボス属性】の効果でオーラが枯渇したことがないから本当に上手くいくとは限らない。

 でも、それに賭けるしかない!

 

 ミルキから貰った情報では、グリードアイランドは現実の世界にあるとのことだ。くじら島でミルキからの連絡でそう聞いて、そう言えばそうだったと私も思い出した。

 でも現実世界のどこにグリードアイランドがあるかは分からなかった。ミルキが言うには実際にグリードアイランドを調査すれば大体の位置が分かるらしいが。

 そもそも分かったところで外からグリードアイランドに入国出来るかどうか分からない。入国出来たとして、不正規の入国では性転換の薬が手に入らないかもしれない。目的の為には正規の方法でグリードアイランドへ行くしかないんだ。

 

 

 

「それでは、これからグリードアイランドを行うにあたって必要な説明をいたします」

 

 リィーナが用意した地下のある一室にはモニターとそれに繋がっているジョイステーションがあった。私たちがプレイ中にグリードアイランドが何者かに盗られたりしないように地下の隠し部屋まで用意するとは準備周到にも程がある、とは言えないか。

 念能力者との戦いは何が起こるか分からないから注意を怠るなとは私の教えだ。これも変則的だが念能力の関係することだしね。私の教えを十二分に守っている証拠だろう。出来の良い弟子で嬉しいよ。

 

「バッテラさんに譲って頂いたグリードアイランドに付属されていた説明書にはこう書かれていました。稼働しているゲーム機の前で練を行うと、グリードアイランドの世界へとプレイヤーは飛ばされるようです。一度グリードアイランドへと赴くと、こちらへ戻ってくるにはある特定の条件を達しないといけないようです。なのでしばらくはここに戻ってくることは出来ないでしょう。よろしいでしょうか?」

「はい」

「大丈夫よ」

「問題ありません」

「分かりました。それでは私から――」

「いえリィーナ。私からやらせてもらっても構いませんか?」

「ですが、万が一を考えると……」

「いえ、私が先にやらねばならないのです」

 

 私が後からやると、先に入った人を待たせてしまうだろう。

 それにもし私がグリードアイランドに入ることが出来なかったら、リィーナと離れ離れになってしまう。私は大丈夫でも、そうなったらリィーナが取り乱すかもしれない。というか取り乱す、絶対。

 

「アイシャさんがそう仰るのなら……」

「すいませんリィーナ」

 

 さて、やるか。

 ゲーム機の前に立ち、手をかざして練を行う。即座に私の念に反応してグリードアイランドの能力が発動する。効果はプレイヤーをグリードアイランドへと瞬間移動させるものだろう。

 そして……私はその効果が発動したにも関わらず、先ほどと同じ部屋の中で立ちつくしていた。

 ……やっぱり【ボス属性】が発動してしまったか。

 

「えっと、アイシャ? どうしたの? ゲーム機に練するだけでしょ?」

「ええ、そうですね」

 

 皆から見て私はただ手をかざしているだけなんだろうな。【天使のヴェール】でオーラを隠匿しているから当然だけど。ふう。やっぱり事情を説明するしかないか。

 

「もしや、アイシャさん……!」

「リィーナは気付きましたか。ええ、今も練はしているんですよ」

「それってどういう……! ああ! オーラを隠す能力!!」

「オーラを……隠す能力?」

 

 カストロさんには教えていなかったな。あまりみだりに能力を教えたくはないけど、今回は仕方ない。それにカストロさんはむやみに他人に能力を話したりはしないだろう。……蜘蛛みたいに心を読む能力者とかいたらどうしようもないけど。

 

「ええ。私の能力に、自身のオーラを隠蔽する能力があります」

「それでは今もその能力を?」

「発動しているんですよ。その上で練をしているんですが……」

「それでどうしてグリードアイランドへ行けないのよ? もしかして不良品でも掴まされたのリィーナ?」

「いえ……。忘れたのですかビスケ? アイシャさんが持つもう1つの能力を」

 

 流石。リィーナは覚えていたか。あの時、ハンター試験での面談の時に私が語った【ボス属性】の効果を。この子が私に関することで物事を忘れるとは思えないからね。

 

「あっ! ……なるほどね。でもそれじゃアイシャはグリードアイランドがプレイ出来ないってことじゃない」

「……? どういうことだ? アイシャさんの能力のせいでグリードアイランドをすることが出来ない?」

「あー、その、アイシャ? カストロさんに話してもいいの?」

「そうですね。ここまで関わらせて、話さないというのも不義理でしょう。私が説明します。私にはもう1つ念能力がありまして、その効果は私に影響を及ぼす特殊な念を無効化する、という物なんですよ」

「――!」

 

 驚愕のあまり声も出ていないカストロさん。

 念を無効化する念を持っているなんて想像もしていなかったんだろう。普通に考えたら無茶苦茶強い能力だと思うよね。

 でも攻撃的な念は通用するし、オーラの消耗も激しいから無敵の能力ってわけではない。むしろ今のところ役立った覚えがないよこの能力……。こうしてグリードアイランドに行くのに足かせになってるし。

 いつか活躍することを期待してるぞ【ボス属性】!

 

「それではアイシャさんは……」

「大丈夫ですよ。こうなることは予測していたので、方法は考えています」

「方法?」

「ええ。……少々強引ですけどね」

 

 そう言って、練を強める。傍目からは【天使のヴェール】で分からないだろうが、今の私はかなりのオーラで覆われていた。

 

「そのことで皆さんにお願いがあります」

「はい! 何なりと!」

「この能力はON/OFFが出来ません。それが制約の1つですから。なので私はこれから全力で練をします。そうすれば、グリードアイランドの効果を打ち消す為に私の能力は発動し続けるでしょう。そうなると、私のオーラは枯渇します。グリードアイランドの効果を打ち消す為に必要なオーラが私の潜在オーラを上回った時、私はグリードアイランドへ行けるでしょう」

 

 これが私の秘策だ。どんな念能力も、元となるオーラがなければ発動することはない。強引だが、これが私に残された唯一の方法だ。

 

「オーラが枯渇するまで消耗したら気絶しちゃう可能性が大きいわよ。そんなんでグリードアイランドに行けば向こうで倒れて怪我でもしちゃうわよ? 大丈夫なの?」

「……いえ、大丈夫ではありません。オーラの枯渇くらいならどうということはありませんが、私の能力が発動してオーラが枯渇した場合、私は確実に気絶した上で、1ヶ月もの間念能力の一切を使用出来なくなります」

『!?』

 

 これが私の最大の弱点だ。気絶から目覚めるのにどれだけの時間が掛かるかも分からないし、1ヶ月間念能力が使えないというのは大きな痛手となるだろう。

 それは念能力者がプレイすることを前提として作られた危険なゲームの、その危険度がより一層増すということになる。

 

「それはあまりにも危険すぎます! お止めくださいアイシャさん!」

「いえ、心配は嬉しいですが、例え誰に止められようとも私はグリードアイランドへ行きます」

「そんな……!」

 

 念能力が使えない危険性は私も良く分かっている。

 念を甘く見るなと弟子たちにも、ゴン達にも口を酸っぱくして教えてきたつもりだ。そんな私がこのようなことをするのは教えてきた皆に申し訳ない。でも、こうまでしないとグリードアイランドへ行けないんだ!

 こればかりは私の悲願の為にも誰に止められようとも止まるつもりはない。

 

「お願いってもしかして、アイシャが念を使えない間アタシ達に護ってほしいってこと?」

「……厚かましい頼みだと思っていますが」

 

 自分から窮地に陥るように行動し、その助けを請う。

 愚かで浅ましい願いだということは分かっている。例えここで彼女たちが私を見捨てたとしても当たり前だと思う。

 だが、それを咎めるつもりも、そして今の愚かな行動を止めるつもりも毛頭なかった。

 

「……畏まりました。アイシャさんの身は、私が必ずやお護りいたします!」

「はあ……。リィーナはそうでしょうね……。ああもう! 仕方ないわね! 護ってあげるわよ。こんな馬鹿な人だとは思ってなかったわさ」

 

 リュウショウの時を参考にしないでね。あれってかなり達観した私だから。私があの領域にいくのはあと何十年かかるやら。

 

「……ありがとうリィーナ、ビスケ。あとビスケ。地が出ていますよ?」

「あ」

 

 ギギギ、という音が出そうな程ゆっくりとカストロさんに向かって首を動かすビスケ。やっちまったという表情のビスケに対し、カストロさんは柔らかな笑みで応えた。

 

「心配しなくともいいさビスケさん。妙に取り繕ったビスケさんより、今のビスケさんの方が私は好ましい」

「か、カストロさん!」

 

 チョロいよこの子。

 イケメンに甘く優しく囁かれて一撃でノックアウトしてるよ。

 将来が不安になるな。もう60近いお婆ちゃんなのに。

 

「私もアイシャさんを護る為の一助となろう。もっとも、私程度ではどれほどの力になれるかしれないが」

「いえ。とても心強いですよカストロさん。本当に、ありがとうございます。……では、私が向こうに移動したら、出来るだけ早く助けに来てくださいね」

「お任せ下さい!」

 

 ふふ。リィーナなら私が消えてすぐにでも飛んで来るだろうな。

 いつもは師匠離れしなさいと思っているところだが、こういう時はとても頼りになる。

 

「では、さらにオーラを強めます!」

 

 言葉を言い終わると同時に本格的にオーラを練り上げる。【天使のヴェール】を発動中に全力の練をし、グリードアイランドの瞬間移動能力を【ボス属性】で無効化し続ける。

 いくら私の膨大なオーラ量でも、これだけの消費量ならばオーラが枯渇するのにもそう時間は掛からないだろう。

 

 

 

「はあ、あ、ぐっ」

 

 練を維持して数分程で息が切れる。今の私には貴重な、経験だな。

 オーラが枯渇寸前まで行ったのは、どれほどぶりか……。練の持続時間を伸ばす修行中も、念の為に余力は残していたから、な。

 やっぱり、【天使のヴェール】中の【ボス属性】発動は、いただけないな。代償が大きすぎる。いい、勉強になったよ。

 

「そ、そろそろ、限界です、ね」

 

 全身から珠のような汗が流れ出る。残りのオーラ量も、僅か、だな。恐らく、もう数回【ボス属性】が発動したら――

 

「あ――」

 

 だめだ、いしきが、とお、の、く――

 

 

 

 

 

 

 ようやく待ちに待った選考会だ。これで先に行ったアイシャに追いつけるな。まあまずは選考会に合格しなきゃならないんだけどよ。

 

 それはそうと、だ。

 

「なんでレオリオまで選考会に来てんだよ」

 

 確かに1つの入場券で5人まで入れるけどさ、お前は医者の勉強をする為に頑張るんじゃなかったのか?

 

「いやぁ。ついでだからオークションの雰囲気を味わいたかったってのと、選考会がどんなもんか気になってな~。別に選考会自体に参加しなけりゃいいだろ?」

 

 ……本当かよ。アイシャと離れるのに未練でもあるんじゃねーだろうな。別に今生の別れってわけでもねーだろうによ。

 

「まあまあいいじゃん。オレはレオリオと少しでも長くいれて嬉しいよ」

「いいこと言うなゴン~。どこかのひねくれたガキとは大違いだぜ」

「んだとコラ?」

 

 ぶっ飛ばしたろかこいつ。

 

「落ち着けキルア。ほら、そろそろ選考会の説明が始まるみたいだぞ」

 

 クラピカの言葉に前を見ると、1人の黒服男が壇上に立ってマイクを持っていた。

選考会が始まるんじゃしょうがねー。後で覚えてろよレオリオ。

 

「皆さんお待たせいたしました。それではこれよりグリードアイランドプレイヤー選考会を始めたいと思います」

 

 そうして黒服の説明が始まった。

 審査方法は各々の念を見せて、ツェズゲラって奴が独断で合否を決定する、か。

 ちっ、発まで見せなきゃいけない可能性が高いか? いや、初めに全力の練を見せてやる。それで実力を示せれば文句はねーだろ。

 

 壇上に立っていた黒服と交代してツェズゲラってプロハンターが説明を続けた。

 

「――32名!! 合格者が出た時点で審査は終了とする」

 

 そう締め括って壇上の上からシャッターが降りてきた。残った黒服が審査の進行をそのまま進める。

 

「では、審査を受ける方はこちらからどうぞ」

 

 それだけだ。説明はたったのそれだけ。黒服の言葉が終わると同時に何人かが素早く動いて審査に挑戦していく。

 

「おい、説明はあれだけなのか?」

 

 隣で聞いていたレオリオも疑問に思っているみたいだ。最低限の説明、分からないことだらけの審査。でもそれに対応して動く志願者たち。

 

 素早く動いた者。その後に続いた者。そして動かない者。

 どれだ? どれが正解だ?

 冷静になって考えろキルア。今すべきことは説明されたことから残りを推察し、最善の手を尽くすことだ! 僅かな情報で答えを導く。そんなことは風間流道場で念能力者との戦いを繰り広げて腐る程習ったはずだ。

 

 ツェズゲラの言葉を詳細に思い出せ。何処かに答えを導く何かがないか、違和感を見つけろ。

 

 ………………32名。合格者は32名って言ってたな。

 つまり32名がグリードアイランドの最大参加人数ってことか?

 合格者が揃った時点で審査が終了って言ってたな。もし32名合格者が出たら、その後ろに並んでいた志願者は審査も受けられないのか?

 そんな馬鹿なことはない。審査を受けていない志願者が先に合格した者たちに劣るってどうして分かる! そうだ。今回の選考会で合格者は32名も出ない!

 

 グリードアイランドの情報と、バッテラの立場で物事を考えたら簡単だった。今回の選考会では例え合格者が何人出ようともそれに関係なく全員審査するはずだ。その上で合格者は最大人数には満たさせず、今後に有望な志願者が現れる時の為の保険を取っているって寸法か。

 

「お、おい! 大丈夫なのかよ! なんかどんどん審査が進んでるのに審査を受けた連中が誰も戻ってこないぜ!?」

 

 やれやれ。レオリオの頭じゃそこまで考えつかないか。仕方ないな。オレが説明してやるとするか。

 

「並ぶ必要はないぜ。早く並んだところでどうせ意味はないしな」

 

 ……あ? 誰だ? 後ろからオレたちに声掛けてきた奴は?

 せっかく人が説明してやろうとしてんのに邪魔しやがって。

 

 睨みつけながら後ろを振り向くと、そこにいたのは黒髪の男だった。

 身長は180くらいか? 結構高いな。顔は鋭い目つきが特徴の整った顔立ちをしてる。身体はよく鍛えられ引き締まっている。……こいつ、強いな。しかも裏の人間だ。

 雰囲気で分かる。こいつはオレと同種だ。殺し屋独特の気配の殺し方や佇まいをしている。

 

「あんた、それってどういうことだよ?」

「ああ、それはな――」

「いいよ。オレが説明するから」

 

 レオリオはコイツの雰囲気から実力を察することが出来ていないみたいだな。

 それも仕方ないか。元同業のオレだから分かるレベルの気配の消し方なんだ。レオリオじゃ気づかねーのも当然だな。

 

 

 

「――ってわけ。分かったかレオリオ」

「なるほどな~。やるじゃねーかキルア」

 

 ふ、お前とは頭の出来が違うぜ。

 

「へえ。やるじゃんキル。外の世界で腑抜けてたわけじゃないみたいだな」

「……誰だよあんた?」

 

 オレを知ってる? オレをキルって呼ぶのは家族だけだ。でもオレはこんな奴を知らな――!? オレを知って、黒髪で、家族! ま、まさか!?

 

「は? おい、兄貴の顔を忘れたの――」

「――死ねぇっクソ兄貴!!」

「うおお!? な、何しやがる!?」

 

 ちぃっ! この至近距離からの不意打ちを躱しやがったか!

 流石にこの程度じゃ殺れねーか、イルミ!!

 

「黙れ! オレはもうお前の操り人形じゃない!」

「何の話だよ! 人形なら全部捨てたわ!」

 

 ふざけんな! オレの頭に針なんざ打ち込んでおきながらよ! 誤魔化そうったってそうはいかねーぞ!

 

「あんたの呪縛はもうない! オレはお前を乗り越えたんだ!」

「……! 馬鹿ッ! オレはミルキだ! イルミ兄じゃねーよ!!」

 

 あ?

 …………上を見て、下を見て、また上を見る。

 これがミルキ? この一見クールっぽいイケメンが? この引き締まった肉体の持ち主が? ミルキ? ……ねーよ。

 

「騙されるか! どうせ針で顔を変化させてんだろ! あのブタくんがそんなに痩せてるわけねーだろうが! 嘘吐くならもっとマシな嘘を吐け!!」

「アホか! んなくだらない嘘吐くか! 痩せたんだよオレは!!」

「ありえねー!! ミルキが痩せるなんざ天地がひっくり返ってもありえねー!! しかもこんなにカッコよくなるなんてマジでありえねーんだよ! 馬鹿にしてんじゃねーぞ!!」

「馬鹿にしてんのはお前だ! ぶっ殺すぞこのクソガキが!」

「上等だ! 返り討ちにしてやるぜ!」

 

 既にオレのオーラは全開だ。こいつはぜってーぶっ飛ばす!

 もうこいつをイルミだとは思っていない。アイツだとしたら、ここまでの演技はしないだろう。もっと堂々とオレに接触してくるはずだ。ハンター試験の時とは訳が違うんだからな。

 だが、こいつをミルキだとは絶対に認めたくねー! あのミルキが! ブタくんが! 万年肥満オタク野郎が! こんなに痩せてカッコよくなるなんてあるわけねーだろうが!

 

 こいつもオレのオーラに呼応するように臨戦態勢に入った。ちっ! 顕在オーラだったか? 表面に現れるオーラはオレよりも上かよ! ますますミルキっぽくねー! つうかあいつ念使えんのかよ?

 

「兄貴への態度って奴を教えてやる!」

「テメーなんざ兄貴じゃねーっつってんだろ!」

 

 言葉では興奮しているが、実際は互いに冷静に相手の隙を見つける為に身じろぎ1つを観察している。こいつ、マジで強いぞ!

 

「もー、止めなよキルア~。他の人に迷惑だよ?」

「ゴンの言う通りだ。ここで暴れると審査を受けられなくなるかもしれないぞ。そちらもだ。ここにいるということはグリードアイランドのプレイヤーになりたいのだろう?」

 

 ゴンとクラピカの言葉に冷静さを取り戻す。

 ……確かにそうだ。ここで暴れてグリードアイランドが出来なくなったら元も子もねーか。くそっ! グリードアイランドに行ったらぶっ飛ばしてやるぜ!

 

「ちっ。確かにそうだな。……おいキル。まだオレがミルキだって認めない気か?」

「……」

 

 そう言われてよーーーーくコイツの顔を見る。

 顔立ちは確かにウチの家系、つうか、お袋の血だ。どことなくミルキの顔の面影も残っている。いや、たまにミルキがするマジな顔によく似ている。あれが痩せたらこうなるんだろうなって顔だ。

 

「……マジでミルキ?」

「そうだって言ってるだろ」

 

 う、嘘だろ? ホントにミルキなのか? 何があったらあのブタがこうなる!? 最後にあって半年しか経ってないんだぞ!? どうしてこうなった!!?

 

「そうか! 念で痩せたんだな!?」

「アホか。念能力で痩せるなんて無駄なことするバカがいるか。死ぬほど努力して痩せたんだよ」

「……どういう心境の変化だよ」

 

 信じがたいけど、確かにそれだと納得いく出来事があったな。

 確かグリードアイランドについての情報を聞きたくてミルキに電話した時に、ゴトーがフィギュアは全部捨てたって言ってたし。

 あん時にはもうダイエットしてたんだろう。声もなんか感じが違ってたしな。肉で埋もれていた声帯が痩せたおかげで発掘されたってことか。

 

「……べ、別にどうでもいいだろ。ちょっと痩せたくなっただけだよ。そ、それよりもアイシャはどこにいるんだ? グリードアイランドのプレイヤー選考会に参加してるはずだろ?」

 

 ……こ、この野郎! アイシャに惚れやがったな!

 ブタが人様に恋して木に登った結果がこれか! ブタの呪いが解けたら美形になるってのは物語の中だけでいいんだよ!

 

「おいおい。キルアの兄貴だが何だか知らねーけどよ。何でそこでアイシャが出てくんだ? あ?」

「……何だよお前? お前には関係ないだろ? 消えろ、殺されないうちにな」

「関係あるんだよ。オレはアイシャの1番のダチだぜ?」

 

 レオリオ、お前いい度胸してんな。忘れてんのかもしれないけど、オレの兄貴ってことはゾルディックってことだぞ。そんな相手にメンチ切るとはな。しかも何げにアイシャの1番のダチって自称してんじゃねーよ。正確には1番最初に出来たダチ、だろうが。アイシャもそう言ってたぞ。

 

「ダチ? そうか。じゃあやっぱり関係ないな。ずっとダチで満足してろよ」

「あ? 喧嘩売ってんのかコラ?」

「それはお前だろ?」

「やめとけレオリオ。審査が受けられなく……。いや、お前は審査受けないんだったな。いいぞ、もっとやれ」

 

 そうだそうだ! レオリオは審査を受けないから暴れて退場喰らっても問題ない!

 そのとばっちりでミルキも退場すれば万々歳じゃねーか! 頑張れレオリオ! オレはお前を応援するぞ!

 

「いいや気が変わったぜ。オレもグリードアイランドをやる!」

「はあっ!? ちょ、おまっ! 医者の勉強はどうした!?」

「こいつがアイシャに……だなんて、心配で勉強に集中出来るか!」

「でもレオリオ。受験はどうするの?」

「大丈夫だ。医大のセンター試験の申し込みは来年の1月半ばが締切だからな。それまでにこっちに戻ってくりゃ問題ねーよ。それにやる気になればゲームの中でも勉強くらい出来るぜ!」

 

 んな無茶な! 勉強道具とかグリードアイランドにあるわけねーだろうが! いや、持ち込めるのか? いややっぱ無理だろ。ゲームの中だし。

 

「……そうか。お前もアイシャを……」

「あ? ち、ちげーよ! ダチを心配してるだけだ! あいつは悪い男に騙されてホイホイ付いて行きそうだからな!」

「誰が悪い男だって?」

「オメーだオメー」

 

 睨み合いを続けるレオリオとミルキ。流石に選考会に参加出来なくなると思ってるからか、殴り合いには発展しないみたいだけど。

 ちっ! レオリオのバカ野郎! いきなり心変わりしやがって!

 

「はあ。いい加減にするんだな。レオリオ。審査を受けるのなら無駄な力は使うな。ミルキとやらもだ。喧嘩するのならグリードアイランドでするんだな。……もっとも、喧嘩なんかしたらアイシャが傷つくだろうがな」

「ぐっ。……確かにそうだな。悪かったよ、えーと……」

「レオリオだ。いや、オレも悪かった。いきなり喧嘩腰になってスマン」

 

 クラピカの物言いに2人とも落ち着きやがったか。

 アイシャの名前を出せば2人が話を聞くとよく理解してやがる。

 

「そうか。オレはミルキ。こいつの兄貴だ。弟が世話になってるな」

「お、なんだ。キルアの兄貴なのに話せるじゃねーか。ホントにこのガキンチョのお世話は大変なんだぜ。人をすぐにおちょくるしよ~」

「ああ分かる分かる。すぐに人を小馬鹿にするんだよ。昔はまだ可愛げがあったんだけどな」

「おお、気が合うな意外と」

「そうだな。とある件についてはライバルだが、それ以外は仲良くやれそうだな」

 

 ……どういうことなの?

 なんか握手とかしてんだけど。何時の間に友情が築かれたんだ?

 ていうか、勝手に人をダシにして仲良くなってんじゃねーよ。審査が終わったら闇討ちしたろかこの2人。

 

「レオリオ、キルアのお兄さんと仲良くなれたみたいだね」

「うむ。何か通じる物があったのだろう。仲良きことは良いことだ。犠牲はキルアの心だったが」

「うるせーよ。それよりもレオリオ。和解したんなら大人しく勉強してろよ」

「いいや、オレもやっぱり参加するぜ。アイシャが心配だってことに変わりはねーしな」

 

 本気でグリードアイランドまで付いてくる気だなこりゃ。まあレオリオがどうするのもレオリオの勝手だからいいけどよ。……ま、いないよりはマシだしな。からかう奴が増えると楽しいし。

 

「そうだ。ちょっと待て。どうしてアイシャがいないんだよ? キル、説明しろ」

「愛しのアイシャはここにはいないぜ。残念だったなミルキ」

「なっ! どういうことだよ!?」

 

 ケケケ。慌ててやがる。

 まあこのままからかってもいいけど、ここまで痩せた兄貴の努力に免じて素直に教えてやるか。……マジでどんだけ努力したんだろうな。確か140kg以上あったはずだぞ?

 

「冗談だよ。アイシャならもうグリードアイランドをプレイ中だぜ」

「なんだって? 一体どうやって?」

「ま、色々あってな。アイシャだけプレイ出来るようになったんだ」

 

 リィーナさんのことはめんどくさいから説明はいいだろ。よくよく考えたら、今アイシャの所にあの人いるんだよな。……ミルキ、お前に未来はない。アイシャを物にするにはハードルが高すぎだぜ。

 

「おいお前たち。そろそろ私たちも審査に行くぞ。もう残り僅かしかいなくなっている」

「お、何時の間に」

 

 オレ達が話している内にもう大分人が少なくなってんな。ざっと200人はいたのに、残りはオレ達含めて10人くらいか。よし、さっさと合格してアイシャに追いつくとするか。

 

 

 

 

 

 

「良し。合格だ」

 

 これで合格者は16名か。残りは僅かしかいないはずだが、これは20名も合格者は出んかもしれんな。

 いや、最後に残っているのはこの審査の本質を理解している者が殆どだろう。そういう奴らは実力も相応することが多い。

 現にここ数人は連続で合格している。予定では20人前後のプレイヤーを厳選するつもりだったが、残りの合格者によっては予定の人数を越えるかもしれんな。場合によっては合格した者の中でもレベルの低い者を不合格にせねばならんかもしれん。やれやれ。そうなったら恨まれるな。

 ま、因果な商売をしているんだ。それくらいは覚悟出来ているがね。

 

 む。次の挑戦者が来たか。

 

「よろしく」

 

 子どもか。子どもの念能力者というものは確かに意外と多いが、実戦的なレベルの者は少ない。だが、それでも念能力者に一般的な常識を当てはめるのは先入観が過ぎるというものだ。

 

 私はそれをリィーナ=ロックベルトに嫌という程に味わわされたのだからな。

 

「では、〈練〉を見せてもらおうか」

「練ね。いいよ」

 

 そう言って少年が見せたのはただの練だった。

 ふぅ。やれやれ。〈練〉と言われて素直にただの練を見せるとは。

 アマチュアだな。基本的なハンター用語も知らないようだ。これでよくここまで来れたもの、だ……!

 

「……な、何というオーラ!」

「どう? これでもダメ?」

 

 ほ、本当に見た目通りの年齢か!? オレの練とさほど変わらんレベルの練! この歳の少年がこれほどのオーラを練り上げるとは!

 

「いや、合格だ」

 

 あの表情、どうやら練のみで合格出来ると踏んでいたな。生意気な少年だが、先が楽しみでもあり、末恐ろしくもあるな。……オレもうかうかしてられないな。

 

 

 

 さて、次の挑戦者は……これも子どもか。先ほどの少年と然して変わらない歳か。続けて来たところを見ると、恐らくは仲間か何かだろう。となると、この少年も……。

 

「では、練を見せてもらおう」

「オス! はっ!」

 

 掛け声とともに吹き出すオーラ。やはりか。オーラ量は先ほどの少年に匹敵する! いや、力強さではこの少年の方が上だ! なんという少年たちだ!

 

 どうやらこっちの少年は先ほどの少年とは違い、練の意味を本当にそのままの意味で捉えていそうだ。だがこれほどの基礎能力を持つ者をそれだけの理由で不合格にするわけにもいかん。強力なプレイヤーはライバルになるが、雇われている身として私情を挟むつもりはない。

 

「いいだろう、合格だ」

「やった!」

「ただ、老婆心ながら助言しておこう。ハンターにとって〈練〉を見せろとは、鍛錬の成果を見せろという意味を持つ。どれだけの強さを持っているかを問う言葉だ。覚えておくといい」

「え!? そうだったんだ。ありがとう! えっと……」

「ツェズゲラだ」

「そうだった。ありがとうツェズゲラさん!」

 

 中々素直な少年のようだ。良い師に巡り会えているならこれからもっと伸びるだろう。ふ、初心を思い出させてくれるな。

 

 

 

「それでは練を見せてもらおう」

 

 次も若いな。先の少年たち程ではないが、10代半ばといったところか。右手に鎖を巻いているのか。武器か、それとも別の何かか。

 

「練か。……あの壁、少々傷ついても問題は?」

「ない。思う存分力を見せるがいい」

 

 なるほど。どうやら彼はハンター用語としての練を理解しているようだな。彼の言葉に、彼が指差した壁を見やる。そしてすぐに自身の異変に気付いた。

 

「な!?」

 

 何時の間に!? 右手の鎖が地を這って伸び、オレを縛っているだと!

 そしてオレが驚き、目の前の青年から意識を逸した瞬間、既に彼はオレの喉元にオーラを込めたナイフを突きつけていた。

 

「……失礼」

 

 数瞬の間を置き、彼はナイフを懐にしまい、オレの身体を縛っていた鎖を解いた。

 言葉でオレの意識を誘導し、一瞬の内に鎖を操作し私を縛り上げる。そればかりかナイフに纏わせていたオーラも相当なものだ。

 文句なしの合格だな。

 

「いや、構わん。合格だ。あちらの扉を開けていくといい」

 

 ……ここまで連続でこのオレが驚かされるとはな。

 残り僅かだろうが、気を引き締めなければな。

 

 

 

「練? それって確かハンター用語だったか?」

「そうだ。鍛錬の成果を見せてみろ、ということだ」

 

 次の挑戦者は先程までと比べると少々年上といったところか。だがそれでも10代後半から20代前半。挑戦者の中では若い方だろう。

 

「鍛錬の成果って言われてもなー」

「安心しろ。私もプロの、それもシングルの称号を持つハンターだ。ここで見せた能力を簡単に言いふらしたりなんかはせんよ」

「……うーむ、オレの発って回復系なんだよな。見たところ傷ついてるようにも見えないし、ただの練じゃ駄目なのか?」

「回復系の念、だと?」

 

 もしそれが本当だとすればこいつはかなり希少な能力者だ。

 大体念能力者という者は我が強く、自分の為の能力を作る者が殆どだ。サポート系の念能力者は戦闘系と比べると数が少なく、その中でも回復系となればさらに希少! 確認の必要はあるな。

 

「待て。それなら私が傷を作る。それを治療してみせろ」

「おいおい待ってくれ。医者志望の身として、自分を傷つけるなんて馬鹿なことを黙って見てるわけにはいかねーぜ」

 

 なるほど。医者志望か。志高く、性根も非常に良い青年のようだ。回復能力とやらがなくとも、良い医者になるだろうな。

 

「安心しろ。傷と言っても指先を少し切るだけだ」

「しゃーねーな。少しだけだぞ」

 

 能力を確認する為に傷を作る。指先をナイフで少しだけ切り裂き、彼に向かって突き出した。

 

「さあ、頼む」

「分かった。これくらいならすぐだぜ。……ほら、治ったぜ」

 

 本当に治っているな。完全に傷は塞がっている。傷跡もない。一瞬で傷が綺麗になくなったな。

 なるほど。確かに治癒能力だ。だが、さほど深い傷ではなかったのでどれほどの重傷が治るかまでは分からないな。

 

「……この能力はどれほどの傷まで治せる?」

「あー、この能力はオレの知識による部分も大きいからなー。でもオーラ量でゴリ押しすれば大抵の傷は治せると思うぜ。消耗が悪いから、早く知識を高めないといけないけどな。前に治療した中で1番重傷だったのは、腹部に大きな損傷が出来て内臓が幾つか破損していたやつだな。一応完治したぜ」

 

「そうか。……素晴らしい能力だ。これからも精進するといい」

「おう、サンキュー。それで、オレって合格なのか?」

「そうだったな。もちろん合格だ」

「よっしゃ!」

 

 あの能力、グリードアイランドでは本当に重宝されるだろう。

 グリードアイランドにあるアイテムと魔法で回復系の物は大天使の息吹くらいのもの。そして大天使の息吹は未だ誰も入手したことのないレアカードだ。危険なゲームの中、回復能力を持つあの男は貴重な存在となるだろうな。

 もし誰ともチームを組んでいなかったら、オレ達のチームに誘いたいくらいだ。今のグリードアイランドには、悪意の塊と言ってもいい存在が蠢いているからな。治療系能力者がいるのは心強い。

 

「ところで相談だが、良かったらグリードアイランドで私のチームに入らないか? 自慢になるが、現在グリードアイランドでもっともクリアに近いのが私たちのチームだ。クリア報酬を手に入れるのに1番の近道になるだろう。報酬も完全な等分とはいかないが、かなりの割合を約束しよう」

「ありがたいお誘いだけどよ。オレもダチと一緒に参加してるんでな。お断りさせてもらうよ」

「そうか、残念だ。ところで、名前は何という?」

「レオリオだ」

「説明の時にも言ったがツェズゲラだ。何かあったら私に連絡するといい、多少の便宜は図ろう」

「おお、そりゃありがたいなツェズゲラさん」

 

 まあ幾分打算的な物はあるがな。便宜を図っておいて損はないだろう。

 

 しかし、回復系能力か……。

 あの時、バッテラさんがリィーナ=ロックベルトに話したグリードアイランドのクリア報酬に拘わる理由。恋人が原因不明の昏睡に陥った悲劇。どんな名医にも治療することは出来なかったという。

 だが、念能力ならばもしや……。

 

 ……治療が上手くいけば、ゲームをクリアした際の報酬はなくなるかもしれんな。シングルマネーハンターのオレが、甘くなったもんだ。先程から若い連中に触発されたせいかな。やれやれだ。チームの連中に謝らねばならないかもしれないな。

 

 まあ、レオリオの情報料と、治療が成功した場合のクリア報酬の継続くらい願い出ても罰は当たらんだろう。

 ……その場合、レオリオには勝手に能力を漏らした謝罪金も払わなきゃいかんか。あんなことを言っておきながら全く……はぁ……甘くなりすぎだろう。

 バッテラさんの話なぞ聞かなければ良かった。

 

 




 ようやくグリードアイランド編に突入です。プーハットの出番なんてなかった。
 レオリオも一緒に来ることになりました。医者の勉強に集中しないなんてレオリオらしくないかもしれないけど、原作でも主人公4人が一緒に活躍してほしかったんだ。レオリオもクラピカも、ずっと出てこなかったし……。あ、勉強道具はグリードアイランドに持ち込み出来ます。向こうで勉強に修行にゲームにと、1番忙しいレオリオです。

 グリードアイランドに蠢く悪意……一体何スルーなんだ……? カストロは美しい女性(ババア・筋肉ババア・元男)に囲まれてとってもリア充。爆発……しなくてもいいかな?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

グリードアイランド編
第四十八話


 グリードアイランド。それは文字通り欲望が渦巻く島。

 数多の念能力者がその欲望を満たすために命を懸けて行う史上最も危険なゲーム。その危険度は生死にも関わることすらあり、中にはプレイヤー同士による殺し合いも稀に起こっていた。

 グリードアイランドが発売されて早12年という年月が経っているというのに、未だにクリアした者はいない幻のゲームだ。

 

 クリア者が出ないままグリードアイランドで燻るプレイヤーが増える中、その状況を良しとしない者が徐々に増えつつあった。

 それは悪意の塊。プレイヤーが増えることによる弊害を減らし、自分の利益を少しでも増やす。それだけの目的で、プレイヤーを殺害するプレイヤーが増え始めたのだ。

 プレイヤー狩り。それが悪意の名だった。同じゲームをプレイしている他のプレイヤーを殺す。それはライバルを減らす為、ただそれだけではなかった。

 

 それを説明するにはグリードアイランドのシステムについて説明しなければならないだろう。

 グリードアイランドではその中に存在する特定の条件に満たない物以外は、全てカードへ変化してプレイヤーが所持することが出来るのだ。それはアイテムや魔法といったまさにゲーム的な物から、そこら辺の石ころやモンスター、果てはゲーム内の人間(NPC)すら、全てカード化することが出来るのだった。

 

 そしてこのゲームのクリア方法は、カードナンバー0から99までの指定ポケットカードと呼ばれるカードを全種類集めることである。

 

 もちろん指定ポケットカードと言われるだけに、その取得難易度も通常のカードなどより遥かに高く、また特殊な効果を持つ物も多い。そして、そのカード化枚数制限もまた通常のカードと比べて遥かに少ないのだった。

 そう、このゲームにある物は大抵がカード化出来るが、どのカードにもカード化限度枚数が設定されているのだ。

 例えば、カード化枚数制限が10枚のカードがあるとしよう。そのカードは文字通り10枚まではカードにして所持することが出来るが、それ以上となるとカード化することなく元のままとなるのだ。

 当たり前だが、クリアする為にはカード化した物を集めなければ意味がない。

 

 これが先のプレイヤー狩りを生み出す結果となった。

 プレイヤーが死ぬと、所持しているカードは全て消滅してしまう。なのでプレイヤー同士で殺し合いが起きると、例え相手を殺しても目的のカードを奪うことは出来ないのだ。本来ならそれはプレイヤー同士の殺し合いを禁止する為の措置と言えよう。

 だが、グリードアイランドをプレイする者が増え、カード化枚数制限が徐々に少なくなり、目的のアイテムを手に入れてもカード化出来ないという状態が多くなってきたのだ。

 

 それを少しでも解消する為にプレイヤー狩りは他のプレイヤーを殺す。もちろん最初から殺そうとすることは少ない。痛めつけ、脅し、拷問にかけ、生かしてカードを手に入れようとする。

 だがプレイヤーは全て念能力者。多少の拷問では意志を曲げない者も中にはいる。その場合は殺して良しとするのだ。殺してしまえばカードは奪えないが、死んだプレイヤーが所持していたカードは消滅し、カード化枚数制限に空きが出来るからだ。

 自分がカード化する為の空きが少し増えるかもしれない。その程度の理由でプレイヤーを殺す者が現れるほど、今のグリードアイランドは過渡期にあると言えよう。

 

 グリードアイランドに蔓延る悪意、プレイヤー狩り。そんなプレイヤー狩りの中で、最も悪質で狡猾なのがボマーと呼ばれる存在だった。

 ボマー(爆弾魔)はその通り名が表すように、爆弾を使用したかのように対象を殺害する。誰にもその正体を知られず、常に水面下で動き、気づかれないようプレイヤーを殺し続けていた。その目的は前述したカード化枚数の件ももちろんある。だが、1番の目的はそうではなかった。

 

 彼はある組織に潜伏していた。その組織はグリードアイランドでも最大の人数を誇る組織だ。通常プレイヤー同士がチームを組んでも数人程度だが、その組織は現在50名を越える程の大組織となっていた。それだけの人数を集めたのは、彼らがゲームのシステムを利用したいわゆるハメ技を考えついたからだ。

 

 このゲームにはスペルカードと言い、魔法のような効果を持つカードが存在する。

 スペルカードは大まかに移動型と攻撃型と防御型の3種類に分けられている。

 移動型はその名の通り街や他プレイヤーの現在位置へ即座に移動することが出来るスペルだ。攻撃型は対象プレイヤーの現在位置や所持カードを盗み見たり、カードを奪うことが出来る。防御型でそういった攻撃型のスペルカードを防ぐことが出来る。

 逆を言えば防御型のスペルカードがなければ攻撃型のスペルカードを防ぎようがないということだった。

 これを突いたのがこの組織だ。人数を集め、防御型のカードを独占し、他のプレイヤーが為すすべもない状況を作り、攻撃型のスペルカードでカードを奪う。上手く行けば誰も傷つけずに100種のカードを集めることが出来る、まさにハメ技と言える作戦だった。

 

 この計画は成功までに長い年月を必要とした。

 計画を練った当初は10人の仲間しかいなかった。1人のプレイヤーが持てるカードの所持枚数に限界がある為、仲間は多ければ多いほどいい。

 なにせ計画に必要なスペルカードを独占する為には約1900枚ものカードを手に入れなければならないのだ。それを集める為にも、保管する為にも、更には計画を実行に移す為の監視・勧誘などにも人はいる。彼らの想定では70人前後の集団が理想的だった。

 

 そんな彼らの計画は徐々に実りつつあった。

 仲間は増え、必要なカードも集まってきた。仲間が増えたことでカードも加速度的に集まりだしたのだ。

 年月が経つごとに計画は順調に進んでいった。このまま行けば彼らがクリアするのも時間の問題と言えるだろう。

 

 その組織の中に、最悪のプレイヤー狩りがいなければ、だが。

 前述した通りボマーはこのハメ組とも言える組織に潜伏している。それも計画当初という最初期からだ。それどころかこのハメ技を計画したのもボマーだ。全てはハメ組が集めたカードを自らの物にするために。

 ボマーという通り名も自ら広めたものだ。ボマーの能力は爆弾を対象に設置するというもの。その能力の使用条件の1つとして、対象に触れてボマーというキーワードを言わなければならない。

 そのキーワードを口にしても不自然のないようボマーという通り名を広め、組織の仲間となった者全てにボマーへの注意を促すフリをして爆弾を仕掛けていく。

 一定数のカードが集まれば、ボマーは平然と彼らを裏切り爆弾を交渉材料に使いカードを奪うだろう。そして交渉の結果に関係なく彼らは皆殺しの目にあう。ボマーに彼らに対する仲間意識など欠片もないのだから。

 

 この計画は5年前から。否、それ以上前から立てられていた。

 周到に、組織の誰にも怪しまれないよう立ち回り、ボマーの恐怖をグリードアイランドに広めていく。

 もう理解出来ただろう。他のプレイヤーを殺すのはカード化枚数だけが目的なのではない。この計画にボマーの名を広めることが必要だったからだ。

 彼は組織の為に動くフリをしながら犠牲者を探す。定期的に、かつそれが分からないようランダムに適当なプレイヤーを殺し、ボマーという存在をプレイヤーに印象付ける為に。

 

 自らの為、金の為、欲望を満たす為、グリードアイランドに蔓延る悪意は、今も動き続けていた――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――はずだった。

 

 

 

「二度と愚かな考えが頭に浮かばないよう性根を叩き直してあげますから、覚悟なさい」

「どうして……どうしてこうなった……?」

 

 悪意はちょっと折れかけてた。

 

 どうしてこうなったのか? それを説明するには、少々時間を遡らなければならないだろう。そう。アイシャが念願のグリードアイランドに入国したその日まで。

 

 

 

 

 

 …………う、あ。

 身体が……重たいな。しんどい。もっと寝てたい……。

 あれ? 何で寝てたんだろう? 寝る前になにをしてたっけ?

 ……あ。そうだ。グリードアイランドに……。

 

「う、ここ、は」

「アイシャさん! 良かった! お目覚めになられましたか!」

 

 リィーナ? 私を心配するように覗き込むリィーナの顔が目に飛び込む。

 少し周りを見るとビスケとカストロさんの姿もあった。2人も私を見てホッとした表情を見せる。

 ……そうか。私は【ボス属性】の誓約で気絶していたんだな。どれだけ気絶してたんだろう? いや、そんなことよりもだ。

 

「リィーナ、ここはもしや?」

 

 まだ覚めやらぬ朧げな視界に映るのは気絶する前にいた地下室とは全く異なる景色だ。気絶した私をこんなベッドも医療道具もない妙な部屋に運び込むリィーナではない。ということはここは……!

 

「はい。恐らくグリードアイランドの中かと」

 

 その言葉を聞いた瞬間、身体が震えた。

 グリードアイランド! ああ、ようやくだ! ここを目指して13年! グリードアイランドが完成する前から焦がれていた地に、ようやく辿り着いたんだ!

 

「……私はどれだけの間気絶していましたか?」

「大体6時間ってとこね。どうやらここではケータイは圏外みたいだけど、時計としては使えるわね」

 

 6時間か。戦闘中に【ボス属性】でオーラが枯渇したら致命的なんてものではないな。

 まあそれは初めから分かっていたことだ。そうならないように立ち回るしかない。

 問題は1ヶ月間の絶状態だな。こればかりはどうしようもない。何とか1ヶ月は大人しく過ごすとしよう。

 性転換の薬を探すのはそれからだな。

 

「私が気絶している間、ずっとここで待っててくれたんですね」

「当然でございます。気絶したアイシャさんを置いて行くなどどうして出来ましょうか」

「護るって言ったしね。それに、アイシャを護るだなんて貴重な機会もそうそうないでしょ」

「確かに。私程度で普段のアイシャさんを護るなどおこがましいな。麗しい女性を護らせていただく栄誉を賜って感謝したいくらいだ」

 

 皆優しいな。今回は心から甘えるとしよう。

 

「ふふ。まるで物語のお姫様になった気分です」

 

 お姫様とかちょっと元男的にアレだけど、少し悪くない気分でもあるな。なにせ護ってもらう経験なんてちょっと記憶にないからなぁ。たまにはいいかもしれない。

 

「うわっ……このお姫様、強すぎ……!」

 

 おいビスケ。どういうことだ? 今の私はちょっと合気柔術を極めただけの女の子だぞ。

 

「アイシャがお姫様なら魔王も攫うの大変でしょうね」

「アイシャさんを攫いに来るのならば、その魔王とやらは風間流全門下生を敵に回すことになるでしょう」

 

 いやリィーナさんや? それは職権乱用というのだよ? 私自身は風間流とはもう関わりがないからね?

 

 とにかく、今はこんなことを話している場合じゃないな。今にも他のプレイヤーがグリードアイランドに入って来ないとも限らないんだ。私が弱っている状態なのを気付かれる可能性は出来るだけ減らしたい。その為には早くここから移動して、人目のつかない場所を見つけなければ。

 

「皆さん。私が起きるまで待たせてしまい申し訳ありません。もう大丈夫ですので、そろそろ先に進みましょう」

「かしこまりました」

「ようやく愛しのブループラネットちゃんに会えるのね~」

「では、私が扉を開けよう」

 

 私が先に進むために部屋に唯一ある扉を開けようとすると、カストロさんがさっと私の前に立つ。

 ……どうやら何か危険がないか確かめるため私より先に行こうとしているようだ。気を遣わせてしまったな。扉は独りでに開いた。どうやら前に立つと勝手に開くように出来ているみたいだ。

 

 カストロさんを先頭に前に進んでいくと、また扉があった。先ほどと同じようにカストロさんが前に立つと扉が開く。

 中には1人の女性が宙に浮いた奇妙な椅子に座っていた。グリードアイランドの説明役と言ったところだろうか?

 

「グリードアイランドへようこそ……。ここではゲームの説明をいたします。申し訳ありませんが、説明は1人ずつさせていただきますので、先に入られた方以外は少々お待ちください」

「どうやら私が先に説明を受けるようだ。皆さんは少々お待ちを」

「はい」

 

 扉まで戻り、しばらく待つ。数分経ったか。説明室の扉が勝手に開き、中から声が聞こえてきた。

 

「次の方、どうぞ」

「では、次は私が参ります。ビスケ、頼みましたよ」

「はいはい。大げさねぇ」

 

 リィーナも私より先に入って危険がないか自身で確認するようだ。カストロさんでは信用できないというよりも、自分で確認しないと気がすまないのだろう。ゲームの序盤、それもただの説明で危険があるとは思えないけど、私の為を想ってのことだし心配性だと一概に切って捨てることは出来ないな。

 

 そうしてまた数分経つと扉が開く。

 

「では、次は私が行きますね」

「あたしゲームの説明とか良く分かんないから代わりに覚えといてね」

「ちょっとは自分で覚えなさい、全く」

 

 ビスケの軽口に応えて扉をくぐる。

 説明役の女性は幾度となく説明したであろうゲームのルールをスラスラと教えてくれた。その際に渡されたのが1つの指輪だ。この指輪をはめていると誰でも『ブック』と『ゲイン』という2つの魔法が使えるようだ。

 

 『ブック』はカードを納める本(バインダー)を召喚する魔法。

 『ゲイン』はカードにしたアイテムを元に戻す魔法。

 

 ゲインは分からないが、ブックは私にも使えた。どうやら【ボス属性】に引っかかる類の能力ではないようだ。

 私の声に反応してこの指輪が本を具現化する仕組みなんだろう。私自身が具現化するようにする指輪だったら、【ボス属性】で無効化されていただろうな。

 恐らくゲインも問題なく使えるだろう。カード化したアイテムは私の身体とはなんの関係もないのだから。

 

 いやだが待て。私は現在念能力が使用出来ない状況にある。

 それが理由でブックが使用出来たと考えることも……。とにかく念能力が使えるようになったら確認しなきゃいけないな。

 

 最低限の説明を受けて説明は終了した。

 詳しい情報は自分で調べろということなんだろう。プロのハンターが作ったゲームだけのことはある。

 階段を降り、部屋を出るとそこにはリィーナとカストロさんが待っていた。そしてもう1つ。見渡す限りの大平原も私を待ち構えていた。

 いいな、こういう景色も。でも情緒に浸るには邪魔な存在が多すぎるな。

 

「お疲れ様でございますアイシャさん」

「ええ。しかし、見られてますねぇ」

「はい。ですが、この距離から気付かれるとは未熟者にも程がございます。アイシャさんがお気になさることもないでしょう」

「ですが、油断は禁物です。アイシャさんは念が使えないのですから」

「そうですね。アイシャさんは私たちの後ろへ。何があっても私たちが対処いたしますので」

「うう、迷惑をかけますね……」

 

 雑談をしているとビスケが降りてきた。これで全員集合だ。さて、これからどうするか……。

 

「どっちに進む?」

「視線を感じる方向に恐らく街か何かがあるとは思います。ですがアイシャさんが念を使えない今、軽挙にプレイヤーが多くいるであろう場所へ移動するのはどうかと……」

「ですが、食料の問題もあります。街に行きゲームの情報を少しでも集めるのも必要でしょう」

「じゃあ二手に分かれる? 街に行って情報と食料を手に入れる人と、アイシャを安全な場所で護衛する人と」

「それがいいでしょう。まずは安全な場所を確保し、そこから代表1人が情報と食料を入手すると。残りの2人はアイシャさんの護衛ですね。その方針で如何でしょうかアイシャさん?」

 

 私が黙っても会議は進む。いや、なんか申し訳ないくらい楽です。

 

「はい。それで問題ないでしょう」

「じゃあ街から離れすぎても合流に手間取るでしょうから、街からちょっと逸れた方向に進んでみましょうか」

「そうですね。ところで、視線は2方向から感じますが、どちらに進みます?」

「それはアイシャさんに決めてもらうのはどうでしょう?」

「始まったばかりで何も分かんないから、それでいいんじゃない?」

「そうですか? でしたら……こっちに行きましょう」

 

 視線を感じる2方向の内、1つを何となくで選ぶ。ビスケの言うように始めたばかりのゲームだからよく分からない。なのでまあ、行き当たりばったりでも仕方ないだろう。

 

 

 

 先頭をリィーナとカストロさんが2人で並び、その後ろに私、そして私の後ろにビスケというポジションで前に進む。

 完全に護衛ポジションである。全員何気ない会話をしているようで、誰もが周囲を警戒している。もちろん警戒している気配は並の使い手には微塵も悟られないよう隠していたが。

 

 道中試してみたが、やはりアイテムをカード化するのも、ゲインでカード化したアイテムを元に戻すことも出来た。

 だがこれも念能力が使えるようになってからもう一度試さないと何とも言えないな。

説明の時の推察が合っていれば多分大丈夫だろうと思うけど。

 

「しっかしホント凄いわね。本当にここってゲームの中なのかしら?」

「そうですね。肌に触れる風、草の匂い、踏みしめる大地の感触……どれも現実を思い起こさせます」

「このようなゲーム、例え念能力と言えど作り出せるのだろうか?」

 

 3人ともグリードアイランドの現実感に戸惑っているようだ。無理もない。ゲームの中に入るという説明を受けているのだから。

 

「いえ、ここはゲームの中ではなく現実世界の何処かですよ」

「え? そうなの?」

「ええ。グリードアイランドは現実世界の何処かを使って作り出されているんです。あのゲームはプレイヤーをこの場所まで飛ばすための念が込められた装置ですね」

「なるほど……それならば然程大きなルールを必要といたしませんね。あの程度の装置でゲームの中に入るなどどのようなルールで作られたのかと疑問に思っていましたが、それならば納得でございます」

「アイシャさんはそれを何処で?」

「友達が教えてくれたんですよ」

 

 ミルキ元気かなぁ? グリードアイランドに関わる情報を色々と教えてくれて本当に助かったよ。いつかお礼をしなきゃね。

 

 ……ん? 空から何か音が聞こえてくる。

 皆も気付いたようだ。全員が空を見上げている。私を中心にして、何が起こっても対応出来るようにしてくれている。

 

 音を出していた何かは、音が聞こえてきて直ぐに私たちの近くに降り立った。

 空から降り立ったのは見知らぬ男だ。恐らくプレイヤーだろう。空から来たのは念能力か、それともゲーム内で使えるカードの効果か。どちらにせよ警戒は必要だな。

 リィーナが一歩前に立ち、不審人物に語りかける。

 

「何者です?」

「……ふむ。ここはスタート地点近くの平原。てことは君たちゲーム初心者かな?」

「質問に質問で返すのはよろしくありませんね」

 

 男はリィーナの質問を無視してバインダーを操作している。恐らく何らかのカードを使おうとしているのだろう。それが何を目的としているかは分からないが。

 

「ふむふむ。リィーナ、カストロ、アイシャ、ビスケね」

「……」

 

 なるほど。カードを使ってプレイヤーの名前を知る方法があるのか。それともバインダーを操作しているのはフェイクで何らかの念能力を使用しているのか。ゲームを進めていくと分かるだろう。

 

 全員が警戒心を上げ臨戦態勢に入ろうとしている。

 リィーナは先手を取ろうとしたけど私が止めた。後ろから意を発するだけでリィーナは気付いてくれたようだ。

 この男は大した使い手ではないようだ。このゲームに不慣れな私たちはゲームに置けるプレイヤーの動きをこの男から少しでも学ばなければ。

 

「……見たところ、あんたら只者じゃなさそうだね。なら……“密着/アドヒージョン”使用! リィーナを攻撃!!」

「!!」

 

 男が何かのワードを叫んだ瞬間。男からリィーナに向かって何かが飛んできた! これは念なのか!?

 

「っ!」

「キャハハハァーー! 残念! スペルから逃げることは無理なんだよーー!」

 

 リィーナは素早い動きで飛んできた光を避けるが、光は高速で動きリィーナを追尾していく。自動追尾する能力か? あれが念能力の産物ならリィーナなら対処出来るかもしれない。

 

「リィーナ! 『あれ』を!」

「はい!」

 

 近づく光を躱しながらリィーナが能力を発動する。

 瞬時にリィーナの両手を覆うように現れたのは黒と白の薔薇の刺繍が施された美しい手袋(シャーリンググローブ)。

 グローブを具現化したリィーナは、近づいてくるスペルとやらをそのグローブで……掴み取った。

 

「……はぁ!? な、ど、どうなっていやがる!? なんでスペルが止められるんだよーー!!?」

「スペル、ですか。貴方には色々とお聞きしたいですね」

 

 掴んだスペルとやらをそのままシャーリンググローブに吸収するリィーナ。

 ふむ。リィーナの能力で吸収出来たということは、スペルとは念の産物か。だが、それならば今の私に見ることが出来るというのはどういうことだ?

 今の私はオーラを見ることが出来ないはずだ。それが可能なのは具現化系の能力のみ……。もしかして……。あのスペルとやらは具現化しているのか?

 念能力者が見ても具現化した物体は通常の物体と見分けがつかない。それと同じようにスペルを見てもあれが念能力の産物だとバレないよう光るように具現化している……。

 もしそれが当たっていたら……このゲームの製作者は凝り性なんてもんじゃないぞ。もう何というか、そこまでするか? 凄いとしか言えないよ。

 

「“再来/リターン”使用! マサドラへ!!」

「あ、逃げた」

「逃げたな」

「逃げましたね」

「申し訳ありませんアイシャさん。逃してしまいました」

「いえ、仕方ないでしょう。私たちはこのゲームの特性をまだ理解していないのですから。恐らくスペルという様々な効果を持ったカードがあるのでしょう。私たちの名前が分かったのも、飛んで移動したのも、あなたに何らかの攻撃をしたのもスペルの力だと思います」

 

 だとしたら気になるのはあの男がリィーナに対して使ったスペルの効果だな。

 アドヒージョン、と言っていたな。アドヒージョン……粘着を意味する言葉だな。

 言葉の意味通りに取ると、ヒソカの能力みたいな効果か? でもそんな能力をあの場で使用するとは思えないし。

 やっぱり情報が足りないな。安全な場所を見つけて情報収集を待つとしよう。情報がなければ性転換薬を手に入れるどころか、私たちも危機に陥る可能性もある。

 

「……移動速度を上げてはどうでしょう? 何時また他のプレイヤーが襲撃してくるやもしれません。まずはアイシャさんが隠れることの出来る場所を見つけるのが早急かと」

「そうね。……あっちに森があるから、そこで適当な場所を見つけましょう。例えさっきみたいに飛んできても開けた場所じゃなければ見つかりにくいでしょうし。あとは気配消して潜伏しとけばそうそう見つからないでしょ」

「確かに。アイシャさんがプレイヤーに見つかる可能性は少しでも低くした方がいいでしょう」

 

 うう、皆の心遣いが痛い。ごめんね、自業自得の結果なのに護ってもらって。

 

 

 

 リィーナとビスケの提案に従い、森へと疾走する私たち。

 だが私は皆と違って生身のみの速度でしか走れない。そうなるとオーラで強化出来る皆と差が出来てしまう。

 なので現在リィーナにお姫様抱っこされている。この何とも言えない恥ずかしさは一生忘れないだろう。当のリィーナはすっごく嬉しそうだけどね。ああ、早く元に戻りたい……。

 

「うーん。森に到着したはいいけど……森って言うより林かしらね」

「そうですね。思ったよりも木が少ないです。でもまあ姿を隠すには十分な茂みや窪みもありますから、大丈夫でしょう」

 

 ここら辺は平原だから身を隠す場所は少ない。

 だがこれ以上高望みをすることも出来ない。この場所は街から遠すぎず近すぎずの程よい距離だ。高望みをすると街から離れすぎてしまう。どんな危険が待ち受けているか分からない現状では出来るだけ情報が手に入るだろう街から離れすぎない方がいい。

 同じように考えるプレイヤーは多いだろうが、周りには同じような林が幾つもある。どこに隠れているか探すのは骨だろう。一旦はここで身を潜めるとしよう。

 

「私はここでしばらく身を潜めます」

「分かったわ。それじゃ次は情報収集とアイシャの護衛役を決めなきゃね。ま、情報収集する人は決まってるけど」

「……私はアイシャさんのお傍に――」

「はいダメ~」

 

 リィーナが恐る恐る希望を言うが、ビスケにダメだしを食らってしまった。

 リィーナもその理由が分かっているから苦い顔をしながらも文句を言えないようだ。

私の傍にいたいのは分かるけど、情報収集するのにリィーナが適任なんだよな。

 

「あんたも分かってるでしょ? 現状で単独の行動をするならあんたが最適だってのは。あんたの【貴婦人の手袋/ブラックローズ&ホワイトローズシャーリンググローブ】はオーラを掴むことの出来る能力。それはこのゲームのスペルとやらにも通用したわ。あたし達じゃ防げないスペルをあんたは防ぐことが出来る。あんた以上の適任はいないのよ。諦めなさいな」

「う、うう。ですがアイシャさんを護るのは私の……」

「リィーナ。私は大丈夫ですよ。あなたの親友と弟子を少しは信じなさい」

 

 ビスケは文句なしに一流の念能力者だ。カストロさんはまだ未完だが、それでも並の念能力者を凌駕する実力を有している。この2人なら凡百の能力者が束になっても容易くやられはしないだろう。

 まあ油断は禁物だから、戦闘は最終手段だけど。見つからないに越したことはないんだ。気配を消して過ごしていよう。

 

「お任せ下さいリィーナ殿。身命に賭してアイシャさんをお護りすると誓います」

「心配しすぎなのよリィーナは。ここは任せて早く情報を集めてきなさいよ。それもアイシャの役に立つ大事な役目でしょ?」

「……分かりました。アイシャさんを頼みましたよビスケ、カストロさん。アイシャさん、お気を付けて……いざとなったらその2人を囮にしてお逃げください」

「おいコラ」

「それでは、行ってまいります!」

 

 ビスケの突っ込みを無視してリィーナはこの場から一瞬で移動した。

 方角は街がある方角ではなく別方向だ。恐らくこの場所が少しでも誰かにバレないように遠回りしてから街に辿り着くつもりだろう。

 後はリィーナが情報を持って帰ってくるのを身を隠して待つだけだ。

 

「さて、私たちは気配を消して潜んでいましょう」

「了解。どっかいいところないかしらね~」

 

 

 

 

 

 

 気配を消して移動しながら、適当な窪みを見つけたのでそこに身を潜める。

 周囲に人気はない。私の気配探知はそれなりのレベルだと自負があるから、多分誰もいないだろう。私以上の実力者か私でも感知出来ない念能力を用いているなら話は別だけど。

 

 リィーナが情報収集に赴いてから数時間は経った。

 そろそろ戻って来てもいい頃だと思うんだけど。あんまり遅いと心配だな。あの子も十分な実力者だから大抵のトラブルは対処出来ると思うんだが……。

 未知のルールがあるこのゲームだし、リィーナでも対処出来ない何かがあったのかもしれない。大丈夫かなリィーナ……。……あ、この気配はもしかして。

 

「ビスケ。聞こえますかビスケ。私です、リィーナです」

「……ネテロ」

 

 良かった。やっぱりリィーナか。

 ところでビスケや? いきなりネテロの名前を出すなんてどういうこと?

 

「くそじじい」

「どうやら本物のようね」

「あ、あなたは本当にネテロの弟子ですか……?」

 

 今のは合言葉か!? そんな言葉を合言葉にするなよ。

 ネテロェ……。どれだけ人望が……いや、これも人望の内なんだろうか。弟子におちょくられるのも遠慮がない証拠なのでは? 私ももうちょっとフランクに行けば良かったのかな?

 

 ――Heiリィーナ! もっと気楽に行こうYo!――

 

 ……ないな。こんな私(リュウショウ)を想像した私が馬鹿だった。

 何というか、私どころかリュウゼン先生すら馬鹿にしたかのような気持ちが……。申し訳ありませんリュウゼン先生!

 

 大恩ある師に心の中で詫びを入れていると、ビスケがリィーナを連れて戻って来ていた。どうやら無事に戻って……なんか人担いでるんですけどリィーナさん?

 誰? どゆこと? 何で人なんか連れてきてんのさ? どうやら気絶してるみたいだけど……。

 

「リィーナ、あんたとうとう誘拐を……」

「失礼ですね。これには事情があるのです。アイシャさん! ただいま戻りました! 何事もなかったようで何よりです!」

「あなたは何事かあったようですね……どうしたのですかその人は?」

「はい、実は……」

 

 リィーナの話はこうだ。

 情報収集の為に街(アントキバというらしい)に到着したリィーナはそこで色々とグリードアイランドと外の世界の違いを調べてきた。

 通貨すらカード化しないと使用出来ない買い物のシステム。アントキバにある月例大会。情報屋も発見したそうだが、それにもカード化したお金が必要となるみたいだ。

 これ以上の情報はもっと本腰を入れて調べなければならないだろう。取り敢えず一度私たちに合流して情報を整理しようと思っていた時に、この男が声を掛けてきたそうだ。

 

 どうやらリィーナをゲーム初心者と分かって声を掛けてきたらしい。

 優しげな表情で、柔らかな声色で、グリードアイランドに付いて注意しなければいけないことを教えてくれようとしたらしい。

 

 彼は“ボマー”という存在を知っているかと聞いて、リィーナがそれについて知らないと答えると、ボマーとやらの脅威を教えたそうだ。

 ボマーとはこのグリードアイランドにいる悪質なプレイヤー狩りで、このボマーに狙われた者は身体が爆弾か何かで爆発したかのような死に方をするらしい。ボマー(爆弾魔)とはよく言ったものだ。

 そうしてボマーの脅威を教えた後、彼はリィーナの肩に手を置こうとして……手首を掴まれ投げられ地に叩きつけられ喉元を踵で潰され鳩尾に一本拳を突き入れられ気絶して全身の関節を外されここまで連れ去られて来たらしい。

 

 ……うん。ひどいなこれは。

 いや、確かにこの人が信用出来ないのは分かる。初心者に声を掛け、いきなりボマーに注意しろでは少々不自然だ。特に身体に触れようとしたのが怪しい。能力の発動条件に関わるのかもしれない。

 もちろんただの心優しいプレイヤーの可能性もあるけど。注意するに越したことはないというリィーナの判断は分かる。

 でもこれはないだろう……。この人何かビクンビクン痙攣してるんだけど。もしこれで本当にただの心優しいプレイヤーだったらどうしたらいいんだ?

 

「大丈夫です。私に良い考えがございます」

「考え、ですか?」

「はい。とにかく、この男が怪しいことに変わりありません。この男の監視は私がしますので、アイシャさんとビスケは離れた場所でお休みください。カストロさんは食料を探して来てもらえますか? 残念ながら街では食料を手に入れることが出来ませんでしたから」

「了解しました。何か野生動物でも探してきましょう。……キノコはもう勘弁だからな」

 

 ああ、キノコに当たったんだっけ。それをレオリオさんに治してもらったんだな。そういえばレオリオさんがグリードアイランドをプレイするならカストロさんと再会出来てたんだな。カストロさんも恩人であるレオリオさんと再会出来たら嬉しかっただろうけど。残念だなぁ。

 

 あとカストロさん。食べ物は清潔な物にしてくださいね。鹿とか猪とかならいいけど、鼠とか虫とか不潔を思い起こす物は私食べられないから。

 ……サバイバルに向いてないなぁ、私。

 

 

 

 

 

 

 ここがグリードアイランドか。

 見渡す限りの大平原。これがゲームだとすればこの身に感じるリアルも再現したものなのだろうか? 現実の何処かと考えた方が現実的だが……そう考えるのは私に夢がないからだろうか? 昔はもっと冒険心があったものだが……。

 

 昔か……。あの頃、一冊の本に書かれた冒険活劇に憧れて外の世界に出たのだったな。復讐と同胞の眼を取り戻す為にそんなこと忘れていたが……皆の眼を取り戻し、同胞へと返すことが出来たら、冒険の旅に出るのも良いかもしれないな。

 色んな場所を冒険して、未知の体験をして、その冒険話をパイロに語るのも悪くない。ああ、悪くないな……。

 

「おー、待たせたなクラピカ」

「来たかレオリオ」

「おお。しっかしすげーなこりゃ。本当にゲームの中なのか?」

「それはきっと初めてこのゲームをした者全てが思うことだろうな」

 

 レオリオが来たとなれば次はゴンか。その次はキルアだったな。

 ……いや、キルアよりミルキが先か。恐らくあの男は私たちに付いて来るだろうからな。私たちと行動を共にするのがアイシャに会う1番の近道だろうからな。

 アイシャもゾルディックに惚れられるとはな。しかも2人もだ。キルアはそう言っても認めないだろうがな。

 

「そういえばレオリオ。お前は選考会の後、1人でバッテラ氏と会っていたらしいが?」

 

 選考会が終わりグリードアイランドをプレイする上での注意事項や誓約書を渡された後、レオリオだけがバッテラ氏と面会したらしい。

 私たちは午後の5時にターセトル駅からグリードアイランドのゲーム機を設置している古城まで車に乗り継いで辿り着いたが、レオリオだけ先に到着していた。

 どうやらバッテラ氏にヘリコプターで送ってもらったらしい。選考会が終わってから何をしていたのか、気にならないと言ったら嘘になるな。

 

「あー、わりぃがそりゃ話せねーな。守秘義務ってやつだ」

「そうか。なら仕方ないな」

 

 守秘義務……。となるとバッテラ氏のプライベートに関わる話か?

 レオリオを名指しで呼んだということは、レオリオでないと意味がない話であったということ。

 この男に出来て私に出来ないことは少ない。その中で特筆すべきものが……【掌仙術/ホイミ】だな。

 誰かの治療にでも当たっていたのか? それならば医者を目指しているレオリオなら守秘義務というのも納得だ。

 だが、バッテラ氏ならばどのような名医でも患者に当てることが出来るだろう。名医に成し得なかった治療がレオリオに可能なのか? 【掌仙術/ホイミ】はレオリオが知覚できない損傷や治療に必要な知識がない損傷に対しては著しく効果が下がるようだが……。

 

「治療は上手くいったのか?」

「……オレはもっと勉強するぜ」

「……そうか」

 

 ダメだったか。レオリオの表情から力不足に嘆く悲壮な感情が覗ける。

 

「私が言えた義理ではないがな……。焦るなレオリオ。人は神にはなれない。1人の人間に出来ることなんてたかが知れている。万人を救うなんて不可能なんだ」

「オレだってそんなことくらい分かってるさ……嫌というほどな」

 

 そうだな。小さい頃に大切な友を救えなかったのだからな。

 私も痛いほどに分かるさ。私も1人で復讐を果たそうとした。1人で強くなって1人で解決しようと……。

 だがな、それもお前たちに出会って変わったよ。1人で出来ないことも、仲間と共に立ち向かえば乗り越えられた。

 だからレオリオ――

 

「もっと私たちを頼れ。お前1人で出来ないことも、皆と一緒だったらきっと乗り越えられる。私に無理でも、ゴンもキルアも、アイシャもいる。ここにはリィーナ殿やビスケまでいるんだ。出来ないことの方が少ないさ。……頼っていいんだよレオリオ」

「……けっ。クサイ台詞吐いてんじゃねーよ小っ恥ずかしい」

「ふ、照れてるのか?」

「るせーよ! ……お前、ちょっと変わったよな」

「そうか? 自分ではよく分からんな」

 

 もしそうなら、お前たちが変えてくれたんだよ。

 復讐のみに囚われていた私を、な。

 

「ああ、変わったぜ。もちろんいい方向にな。……サンキュな。ちょっとアイシャに相談してみるわ。あいつなら何かいい案出るかもしれねーし」

「そうか。そうするといい。私に話してくれるなら出来るだけ手伝おう」

「おお。あんまり多くの人に話していい類の問題じゃねーからな。お前の力が必要だったらそん時に話すぜ」

 

 レオリオも吹っ切れたようだな。

 レオリオが医者を目指すなら、どうしても救えない人に必ず出会うだろう。そんな時に立ち止まってしまえば救える人も救えなくなってしまう。

 

「頑張れよレオリオ」

「? おお?」

 

 お前に言う気はないが、アイシャを除いて私が最も尊敬しているのがお前だよ。言えば調子に乗るから絶対に言わないがな。ちなみに仲間内で最も軽蔑しているのもお前だがな。

 

「お、ゴンが来たようだぞ」

「お待たせー! うわ、すごいね! 見渡す限りの大草原だ! ……ん? これって……」

 

 ゴンもグリードアイランドの世界に感動しているようだな。

 そして気付いたようだ。私たちを監視するこの視線に。レオリオは気付いていないようだがな。

 そのままたわい無い話をしながら数十分ほど待ち、ようやくキルアが降りてきた。

 

「お待た。チクショー、最後になるなんてついてねーよ」

「ははは。20人以上いてビリなんてジャンケンよえーなキルア」

「るせーよ」

 

 グリードアイランドをプレイする順番はジャンケンだったからな。

 運がなかったとしか言いようがないな。

 

「ところで、行き先は2つあるがどちらに行く?」

 

 まずは情報収集をしなければならない。

 この世で最も恐ろしい物の1つ、それが未知だ。何も分からない手探りの状態で、何も考えずに進むなど考えられない。

 

「何で2つなの?」

「視線を感じるのがあっちとこっちの2つからだからさ」

 

 このスタート地点を見張っているのだろう。

 監視をするには街の近くであることが理想だ。故にこの2方向を辿ればどこかしらの街に辿り着けるだろう。

 

「アイシャがどっちに行ったかだな」

「ミルキまだいたの? もう1人でいいだろ? さっさと行けよ」

「……お前たちと一緒の方がアイシャと合流しやすそうだからな。しばらく一緒に行かせてもらうぞ」

 

 やはりか。別に私は構わないのだが、キルアは嫌そうだ。

 実の兄だから気まずいのかもしれないな。元々キルアは実家を嫌っていたそうだし。

 だが話に聞く程の人物ではなさそうだ。この男も変わったのかもしれないな。アイシャのおかげか?

 

「もういいじゃんキルア。お兄さんが一緒でもさ。仲良くやろうよ」

「……ワリーな。ゴン、だったか?」

「うん。よろしくねミルキさん!」

「そうだな。アイシャに会うのならこれから一緒に行動することも多いだろう。私も自己紹介しよう。クラピカという。よろしく頼む」

「ああ、ミルキ=ゾルディックだ。……よろしくな」

 

 キルアがミルキを見て怪訝そうにしているな。

 やはり変わったのだろう。前のミルキはきっとゾルディックに相応しい性格だったのかもしれない。

 少なくともこうして私たちと挨拶を交わすような人物ではなかったのだろうな。かなり太っていたようだし、見た目も性格も変わっていればキルアが戸惑うのも仕方ないか。

 

「さて、自己紹介も終わったし、どっちに進むか決めよ――」

「それには及ばないわよレオリオ」

『!?』

 

 突如頭上から聞こえてきた声に誰もが意表を突かれ、即座に声が聞こえた方を注視する。

 先ほどの声はもしや。そう思い確認すると、やはりスタート地点の小屋の上にビスケがいた。ビスケは私たちが驚いたのを見ると楽しそうに飛び降りた。しっかりとスカートを押さえていたのは流石だ。

 

「ビスケ!? どうしてそんな所にいたの?」

「そりゃもちろん隠れる為よ。ここって身を隠す場所が少ないのよね~」

「なんでわざわざ隠れてたんだよ?」

「他のプレイヤーから隠れてたの。スタート地点に知らないプレイヤーが待ち伏せしてたら警戒されるでしょ?」

「なるほど。ではビスケが私たちを待っていたのはアイシャの所へ案内してくれる為か?」

「そうなるわね。……ところで聞き耳立てて悪かったけど、こっちの彼キルアの兄弟みたいね。信用は出来るの?」

「悪い奴じゃないぜ。結構話分かる奴だし」

「……これはアイシャの重要な秘密に関わる質問なの。悪いけど、信用出来ない奴をアイシャの元へ連れて行くわけにはいかないわね」

 

 アイシャの重要な秘密? オーラの質のことか? 確かに秘密にするに越したことはないが……。だがそれはアイシャの能力で隠蔽しているはず。つまりはそれ以外の秘密ということか?

 一体どういう秘密なのだろうか。

 

「オレはアイシャが傷つくようなことは絶対にしない! もちろん初めて会うオレを信用出来ないのは分かる。だからアイシャにミルキが会いに来たと伝えてくれ。それでアイシャがオレと会うのを断れば、オレはグリードアイランドから立ち去るさ」

 

 何という覚悟。今のミルキからは断固とした信念すら感じられる。

 それがキルアにも伝わったのだろう。キルアがミルキの援護をしだしたのだから。

 

「ビスケ、オレからも頼む。アイシャに聞くくらいならいいだろ?」

「キル……悪いな」

「……別に。久しぶりなのに会えないのは流石に酷いって思っただけだよ」

 

 相変わらず素直ではないな。それがキルアの味とも言えるが。

 

「……分かったわさ。アイシャがOK出せば問題ない話だしね。話がまとまったなら早く行くわよ。ちょっとクラピカの力が必要なのよね」

「私の?」

「そ。さ、付いて来て」

 

 そう言って平原を疾走するビスケ。すぐに私たちもその後を追う。

 私の力が必要? アイシャとリィーナ殿、それにビスケとあのカストロもいるはずだ。なのにどうして私の力が必要となる?

 私の能力か? 私の鎖の内の何かが必要となった……。妥当なのは【律する小指の鎖/ジャッジメントチェーン】といったところか。

 まあ、ここで深く考えていても意味がないか。とにかく今はビスケに付いて行くとしよう。

 

 

 

 

 

 

 ビスケの後を追い、やって来たのは木々に囲まれた林の中。

 ここにアイシャがいるのか? どうしてこのような場所にいるのか分からないのだが……。アイシャの秘密とやらに関係してくるのかもしれないな。

 

「ここら辺ね。リィーナ、連れてきたわよー」

「……リュウショウ先生」

 

 どこからかリィーナ殿の声が聞こえてきた。どうやら隠れていたようだ。流石に気配の消し方も1流だな。

 だがリュウショウ先生とは一体どういう意味だ? 恐らくリィーナ殿の師である今は亡き伝説の武人リュウショウのことだと思うが……。

 

「マンセー」

「ビスケ、お疲れ様です」

 

 ……合言葉なのか今のは?

 かの武神も自分の名前がそんな風に使われるとは露とも思わなかっただろうな。

 

「くしゅん!」

 

 ん? 今クシャミか何かの音が聞こえたような。気のせいか?

 

「よく来てくれましたクラピカさん。他の皆さんもグリードアイランドに来ることが出来たようですね。おめでとうございます。……1人見知らぬ方がいらっしゃいますが、この方は?」

「アイシャの知り合いらしいわよ。アイシャに会っても大丈夫か聞いて許可が出たら問題ないでしょ」

「……アイシャさんが許可を出すのならば私に否はございません」

「そう。それじゃ私はアイシャの所へ行ってくるわね」

 

 そうしてビスケは私たちから離れて別の場所へと移動した。

 アイシャの状況が気になるが、リィーナ殿が落ち着いているので命の危機というわけではないようだ。

 

「それで。私の力が必要だそうだが?」

「ええ。貴方の能力が必要です。少々協力していただけますか?」

「協力する内容によるな」

 

 私の能力で悪巧みをするような方ではないが、私もおいそれと念能力を他者に使用する気にはならない。明確な理由がなければな。

 

「詳細を説明いたします。まずはこちらへ」

 

 そうして連れられた場所で見たのは、1人の男が全身の関節を外されて凡そ人が取れるとは思えない格好で全身を雁字搦めに縛り上げられていた姿だった。口にはしっかりと猿轡もしている。

 正直同情した。この男が何をしたのかは知らないが、これは酷い……。気絶しているようだが、それは最早救いだな。この状態で意識があればただの拷問だ。

 

「えっと、なにこれ?」

 

 ゴン。その疑問は私たちの代弁なのだよ。

 全員が疑問の表情でリィーナ殿を見ていた。

 

「彼は私が近くの街で情報収集をしていた時に話しかけてきたのです」

 

 リィーナ殿の説明によると、彼の接近と言葉は妙に不自然だったらしい。

 長年の経験から怪しいと悟り、彼を気絶させ捕縛し、ここまで連れ去ったようだ。

 それが私たちがグリードアイランドに来る3日前の話で、以後目覚める度に気絶させ続け今に至るらしい。

 

 ……むごい。誰もが見知らぬ男に同情の視線を向けている。この3日間、目覚める度に気絶させられていたということは、ずっと飲まず食わずでいたのだろうか?

 気付けば非難が篭った目でリィーナ殿を見ていた。リィーナ殿はその視線をシレっと流していたが。

 

「ところで、クラピカさんの力を借りたいのですが、この方はいいのですか?」

 

 ……ああ。私の能力が知られてしまうという点か。

 確かにミルキはアイシャを傷付けないという点で信用しているが、仲間というわけではない。そんな彼に能力が知られるのは少々問題ではあるな。

 

「すまないがミルキ、少々場を外してもらっても構わないか?」

「……仕方ないな。能力を秘匿するのはオレも良く分かってるつもりだ。オレだって同じ立場なら同じことをする」

「念の為オレが付いて行くぜ。ここから離れてアイシャの所へ行くかもしれねーからな」

「……信用したんじゃないのかよキル」

「念の為っつってんだろ。信用して放置しとくとオレがリィーナさんに怒られんだよ」

 

 流石キルア。リィーナ殿の行動をよく理解しているな。風間流での1ヶ月は無駄ではなかった……!

いや、そんなことに詳しくなっても嬉しくはないが……。嬉しくはなくとも詳しくならねばならなかったからな。

 主にアイシャと深く関わる者たちはな。

 

「じゃあオレも行くよ。キルアとミルキさんが2人きりだと喧嘩しそうだしね」

「……んなことしねーよ」

「こいつが喧嘩売らなきゃな」

「んだとこら!」

「やるのか? 前のオレと同じだと思ってたら大間違いだぜ?」

「もう! 止めなよ2人とも~」

 

 ……あのまま2人で行けばゴンの予想通りになってたかもしれないな。ナイスフォローだゴン。

 

 

 

 ゴンとミルキがキルアと共に離れたところで改めてリィーナ殿が私に協力を要請する。

 

「この者に貴方の能力で楔を刺してほしいのです」

「……楔の内容は?」

「『リィーナ=ロックベルトへの絶対服従』です」

「いや、さすがにそれは――」

「ご安心ください。この者が白であれば楔を解除してもらっても構いません。聡明な貴方のことです。一度掛けた能力を外すことは出来るようにしてあるのでしょう?」

 

 確かにそれは可能だ。楔を掛けた対象が改心したのならばその楔を解除することも考えている。もっとも、幻影旅団だけは別だがな。あの連中だけは何があっても能力を解除することはない。

 

「もちろんこの者が黒であったとしても、この楔の効果を悪用することは致しません。この者の性根を入れ替えるのに必要な楔故にこのような内容にさせていただきました。何せこの者、そこらの凡百の念能力者とは比べ物にならない程の使い手です。現状ではゴンさん達では勝ち目は薄いでしょう。クラピカさんで良くて互角といったところかと」

「げ、こいつそんなに強いのか?」

「ええ。能力の相性を除けばの話、ですが。それにこのグリードアイランドではスペルカードと言われる特殊な効果を持ったカードがございます。それを使えば一瞬で遥か遠くへ移動することも出来るようです。そのようなスペルを使われると思えば轡を外すことも縛りを解くことも侭なりません」

 

 なるほど。リィーナ殿がこれほどまでにこの男を厳重に拘束しているのはその為か。このゲームで出来る何かを理解していない私たちでは、それを理解しているだろうこの男に出し抜かれる可能性が高いと踏んでいるのだろう。

 それは正しい。無知であると理解して、それに危機感を抱かないのは最も愚かな行為の1つだろう。この男には少々悪いが、今回はこの楔を掛けさせてもらうとしよう。その上でこの男が白であれば、リィーナ殿に相応の謝罪をしてもらうしかあるまい。

 

「分かった。彼に【律する小指の鎖/ジャッジメントチェーン】で楔を掛けよう。ただしそれには条件がある。それが呑めない限り協力はしない」

「条件、ですか?」

「ああ。リィーナ殿に『この男が善意で話を持ちかけていた場合、相応の謝罪をする』という楔を打ち込ませてもらう。それが私の条件だ」

 

 ここまでするのは心苦しい。彼女は私が強くなる為に協力してくれた恩人の1人なのだから。

 だが、先程の楔をこの男に打てば、この男の人生はリィーナ殿によって好きに歪められてしまう可能性もある。人の一生を左右するようなルールを定めるならば、相応の代償を払ってもらわなければならない。

 

「よろしいでしょう。そうであったならば私も自身の非は認めます。その上でこの者が受けた被害に対して相応の謝罪をする所存です」

「では、まずはリィーナ殿に鎖を打ち込ませてもらう」

「どうぞ」

 

 私を信用しているのだろうか? 鎖を打ち込まれることにも恐怖はないようだ。微塵も疑いのない目で私を見つめている。まるで心の底を見透かされるような瞳だ。

 ……アイシャが時々同じような眼をする時があるな。アイシャも時折心を読んでいるのではないかと思う時がある。

 

「【律する小指の鎖/ジャッジメントチェーン】! ……これでリィーナ殿の心臓に私の鎖が打ち込まれた。先程のルールを遵守しないと鎖が心臓を握り潰す。……本当に気を付けてくれ」

「ええ、もちろんでございます。さて、次は貴方の番ですよ」

 

 リィーナ殿が男の方を見ると、既に男は目覚めていた。

 その顔は憤怒と屈辱で染まっている。まあ、例え彼が善意の人物だとしてもこれだけの仕打ちを受けたら怒りの1つも覚えるだろう。

 

「えらくいいタイミングで起きたなこいつ?」

「クラピカさんが私に楔を打ち込む前に気付けを入れておきました。これでこの者も現状を理解したでしょう」

 

「そうだな。念の為説明しておこう。これからお前の心臓に念の鎖を打ち込ませてもらう。私が定めたルールを破れば鎖はお前の心臓を握り潰す」

「ぐむ! ぬぐぅ!」

「定めたルールは1つ。……『リィーナ=ロックベルトへの絶対服従』だ」

「むぐぅぅ!」

 

 うむ。何を言ってるのかさっぱり分からんが、恐らく『ふざけるな』というニュアンスだろう。

 まあそうだろう。3日も拉致監禁されて、挙句には心臓に鎖打ち込みますだからな。呪うならリィーナ殿に怪しまれる行動を取った自分を呪ってくれ。何で私がこんなことをしなければならないんだ……。

 

「安心しろ。お前が無害だと分かれば鎖は外そう。リィーナ殿から相応の謝罪も払う約束を取り付けている。そうでなかった場合は……まあなんだ、諦めろ」

「ふぐ! うごぉおぉ!!」

 

 私の言葉が死の宣告にでも聞こえたのだろうか? 全身をオーラで強化し必死に身体をくねらせて私から離れようとしている。

 その身を覆うオーラはかなりのものだ。今の私では【絶対時間/エンペラータイム】を発動させずに戦った場合、力負けするだろうな。リィーナ殿が評価するだけのことはある。まあ、今の状態ではどれだけオーラで強化しようとも亀の歩みなのだがな。

 そうして無駄な努力をする彼に、私は無慈悲に鎖を突き刺した。

 

「むぐおおおおぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 

 

 

 

 リィーナ殿に逆らえないこの男――ゲンスルーというらしい――は、リィーナ殿の許可なくカードを使用することを禁じられた。さらに虚偽を禁じられた状態でリィーナ殿の質疑に掛けられる。

 

 最初に聞いたのはゲンスルーの真の目的。どういう魂胆でリィーナ殿に声を掛けてきたのか。文字通り命を握られた現状で逆らうことも出来なかったゲンスルーは渋々だが全てを話した。その内容はもう完全にアウトだった。真っ黒にも程がある。

 

 ボマーとしての活動、グリードアイランドで行った殺人、ハメ組を騙して爆弾を仕掛けていたことも、ゲンスルーは洗いざらい話した。

 ボマーという悪名を広める為の犠牲者としてリィーナ殿を選んだとは……。見た目に騙されたのか? 外から見ると妙齢な令嬢だからな。

 とにかく相手が悪かったと言うしかないな。最早同情の余地もないが。

 

 ゲンスルーからは他にも有益な情報を聞けた。もちろん全てグリードアイランドにおいて重要な情報だ。その情報はスペルカードの詳細やスペルカードを売っている唯一の街マサドラを含めた重要な街に、トレードショップとやらの有効な利用方法など多岐に渡る。

 虚偽は認められてないのでこの情報に誤りはないと思っていいだろう。ゲンスルーが間違いを信じている場合を除いてだが。

 

「オレの知ってるこのゲームの情報はこれくらいだ……。もうお前たちに関わらないと約束する。だから解放してくれないか……?」

「その言葉に嘘はないようだな」

「嘘だったら今頃死んでるんだろう? 頼まれたってお前たちには近づかねーよ……」

 

 完全に心が折れてるな。それだけの仕打ちを受けているのだから仕方ないが。

 それも自業自得だから何とも言えないがな。

 

「いえ、貴方にはまだ聞きたいことがございます。貴方、この計画は1人のみで行っていたのですか?」

 

「………………」

 

 仲間の確認か。確かにそれは必要なことだ。

 そしてゲンスルーは黙秘、か。確かに虚偽は認められていなかったが、黙秘はそうではないな。

 黙っているだけでそれは答えを言っているも同然。しかもリィーナ殿に黙秘すら禁じられたら意味のない行為だ。それはゲンスルーにも分かっているはず。これだけの計画を数年にも渡って誰にも知られずに進めていたのだ。頭の回転もかなりのものだろう。

 

 しかし絶対服従の掟、か。これ1つで大体事足りるな。……蜘蛛にあんなにたくさんのルールを強いなくてもこれ1つで良かったのでは?

 

「黙秘、ですか。まあそれで十分答えになっていますが。もう1つ質問です。このまま貴方を拘束していれば仲間は貴方を助けにやって来ますか?」

「……それはない。オレが定期的に送っている連絡が来なくなれば、不測の事態に陥ったとしてオレを見捨てるようになっている」

 

 仲間がいることがバレたのはもう隠しようがないと悟ったか。そしてこの答えに虚偽はない、か。だが分かったことがあるな。その仲間はどうか知らないが、このゲンスルーという男は仲間を想っているということが。

 

「そうですか。では、貴方の仲間を呼び寄せることは出来ますか?」

「………………」

 

 やはり黙秘か。

 私がゴン達を想うように。ゴン達が私を想ってくれているように。ゲンスルーは仲間を想い、仲間を護る為に命を捨てようとしている。

 仲間よりも自分の命が大事ならば、仲間の有無を問われた時に黙秘で通そうとは思わないだろう。今までの質問には虚偽なく答えたのだから。

 その黙秘すら禁じられたとしても、恐らくゲンスルーは口を割らないだろう。そう思える覚悟をこの男から感じることが出来た。

 

「私が虚偽だけでなく、黙秘も禁じれば貴方は鎖の掟に触れ、その心の臓を握りつぶされるでしょう。そうなれば待っているのは確実な死です。……最後の質問です。貴方は仲間の為に命を捨てるのですか?」

「殺せ。死んでも、仲間は売らねぇよ」

 

 ……本当に意外だよ。このような外道極まりない者でも、仲間を想う心があるということが。悪意だけで人が成り立つことはないのかもしれないな……。

 

「なるほど……。いいでしょう。貴方のその仲間を想う心、確かに見させて頂きました。その想いと覚悟に免じて仲間について言及することは致しません。

 ……ですが、仲間を想う心は素晴らしくとも、大金の為に数多の人を騙し殺傷したその性根は腐りきっています。完全に悪に堕ちてないのは僥倖です。その性根、私が矯正して差し上げましょう!」

 

 あ、リィーナ殿の目が爛々と輝いている。

 代わりにゲンスルーの目は死んでいるが。

 

「あちゃー。リィーナの悪い癖が出たわねー」

 

 ビスケ、戻ってきたのか。アイシャは一緒ではないようだな。

 

「悪い癖、だと?」

「そうよ。リィーナはね……根性のひん曲がった奴を見つけると叩き直したくなる癖があるのよ。エイダとかトンパもその犠牲者ね。エイダは最終的に喜んでたけど。他にも何人もの人間がリィーナによって矯正されてきたわさ。もっとも、叩き直す余地がなさそうな奴は全員刑務所行きだったけどね」

 

「二度と愚かな考えが頭に浮かばないよう性根を叩き直してあげますから、覚悟なさい」

「どうして……どうしてこうなった……?」

 

 だから自業自得なのだよ。

 

 

 

 

 

 

「久しぶりですねミルキ。見違えましたよ」

 

 ビスケからミルキが私に会いに来たと報告を受けた。どうしてグリードアイランドにいるのか気になったけど、ミルキもゲームが好きだし、私のお願いでグリードアイランドの情報を調べていたから興味を持ったのかもしれない。

 わざわざ会いに来てくれたのなら会わないつもりはない。確かに今の状態を多くの人に知られるのは問題だけど、ミルキは信頼出来ると思っている。私の為に色々と力になってくれたミルキを疑いたくないのだ。

 

 そして久しぶりに会ってみたらあらびっくり。

 滅茶苦茶痩せているのである。何時の間に相撲取りからモデルにクラスチェンジしたんだ? 僅か半年でここまで痩せるなんて並大抵の苦労じゃなかっただろう。

 これだけの努力をして、私の為にたくさんの情報を集めてくれたんだ。会わないなんて考えは私にはなかった。

 

「ひ、久しぶりだなアイシャ! 元気にしてたか?」

「ええ。ミルキは痩せましたね。そちらの方がいいですよ(健康的に)」

「そ、そうか!」

 

 嬉しそうだなミルキ。努力が認められるというのは誰でも嬉しいものだ。

 この再会は喜ばしい物になりそうだ。あと、もう1人再会した人がいたな。思ったより早い再会だったけど。

 

「レオリオさんもグリードアイランドに来たんですね。一緒に居られるのは嬉しいですけど、医者の勉強は大丈夫なんですか?」

 

 そう、まさかのレオリオさんのグリードアイランド参戦である。医者の勉強に専念する為にレオリオさんは私たちとは別行動するはずだったんだけど……。

 

「おお。勉強ならここでも出来るからな。勉強道具も持ってくることが出来たしな。センター試験がある1月までにここから出れば大丈夫だぜ」

 

 そうか。確かに身に着けていたものはグリードアイランドに持ち込むことが出来るな。

 レオリオさんが持っている荷物の中身は勉強道具か。1月までは私たちと一緒にいながら勉強をするわけだ。

 

「グリードアイランドは危険な場所ですよ。あまり勉強に適した環境とは言えないと思いますが……」

 

 グリードアイランドがどれだけ危険かは私にも詳しくは分からない。

 でも部屋で勉強するのと比べたら天地の差があるのは間違いないだろう。

 そんな場所で勉強に集中出来るのか心配だし、命の危険もある。

 

「らしいな。まあ、オレもアイシャの修行に興味あったからな。勉強と修行、両方並行させて行くさ。強くなれば危険も少なくなるだろ?」

「それはそうですが……」

 

 勉強と修行を並行? ……大丈夫だろうか?

 いや、ビスケの能力を利用すれば……。それにレオリオさんの治癒能力が強化されるのはレオリオさんの為になるはず。

 

「いえ、分かりました。ただし、修行と勉強と両方するのはとても厳しいですよ。覚悟は出来ていますか?」

「おう!」

 

 それなら良かった。こうなったらレオリオさんをどこに出しても恥ずかしくない程の念能力者に鍛え上げよう。

 

「レオリオ……遺書は用意しとけよ」

「歓迎しようレオリオ。ようこそ地獄の一丁目へ」

「あはは。一緒に頑張ろうねレオリオ」

 

 私の修行が地獄とな? 私の修行時代は天国と感じてましたよ?

 【絶対遵守/ギアス】のおかげだったけどね! アレがない彼らには修行は地獄の苦しみなんだろうなぁ。

 

 おっと、再会と言えばこっちもだったな。

 

「おお、誰かと思えばキミは!」

「ああ! あん時の兄ちゃんじゃねーか!」

 

 そう、レオリオさんとカストロさんの再会である。2人とも実は互いの名前を知らないんだよね。これを機に自己紹介をしている2人である。

 

「いや、あの時は本当に助かったよレオリオ」

「気にすんなって。黒の書なんて礼も貰ってるんだ。おあいこさ」

 

 ぐ、黒の書……。今頃はどこに行ってるんだ……。ああ、早く私の所に戻っておいで。……完全に消滅させてあげるからさ。

 

「それでアイシャよ。お前の秘密に関わる話とやらだが……」

「……そうですね。皆さんには話しておきたいと思います。絶対に他言は無用でお願いしますよ」

 

 全員が肯定してくれたので、【ボス属性】の能力と私の現状について説明をする。

 

「――と、言う訳なのです」

「お前は馬鹿か?」

 

 うぐ、は、反論出来ない……。キルアの言うことはもっともだ。念能力が使えなくなると分かっていて、念能力者の集まるゲームに参加するのは馬鹿の証だろう。

 

「その能力は凄まじいが、デメリットも大きいな」

「ああ。ON/OFFが出来ないのは結構痛いな。それがなければ完璧な能力とも言えるが……」

「それがあるからこその効果だな。制約としてそれくらいなければ強すぎる能力になってしまう」

 

 なんかクラピカとミルキは私の能力について考察している。2人とも頭脳戦得意そうだなぁ。

 

「1ヶ月は念が使えないんなら、アイシャを護ってあげなきゃ。何だかアイシャを護るって不思議だな~」

「だな。つうか、護る必要あんのか? 絶でもカストロ倒すんだぞコイツ」

「いえ、あの時とは状況が違います。カストロさんとの試合では、身体を覆うオーラは絶でなくしていましたが、目の精孔は開いたままでした。なのでオーラを見ることは出来ていたのです。でも今はそれすら出来ません。そんな状況では念能力者の攻撃を予測するのは難しいです……」

 

 敵がオーラを放出してきたらそれを見ることも感じることも出来ないのだ。

 長年の経験と勘で予測することは出来るかもしれないけど、流石にそれだけで対応し続けるのは無理だろう。

 

「今の私はこの場の誰にも勝つことは出来ないと思いますよ」

『信じられない』

 

 ゴン達の息の合い方が異常だと思う今日この頃。それも私に関することだけにだ。くそ、私が何をした? いやすいません。大体分かってますはい。

 

「お前らいいかげんにしろよ。念が使えなくて不安なんだぞアイシャは。安心しろよアイシャ。お、オレが護ってやるからさ!」

「オレだってアイシャを護ってやるぜ。怪我したらいつでも治してやるからな」

「ミルキ、レオリオさん。2人ともありがとうございます」

 

 2人とも優しいなぁ。私には過ぎた友達だよ。

 

「どうやら話し合いは終わったようね」

「ビスケですか。そちらも尋問は終わったようですね」

 

 リィーナが捕らえてきたあの男の人。詳しい話はまだ聞いていないがどうやら思っていた以上に真っ黒だったらしい。

 

「あの男、ゲンスルーなんだけどね。……リィーナが徹底的に矯正することになったわさ」

 

 ……ああ。あの子の趣味でしたね。人格矯正って。

 でもまあ、救いがない悪人は問答無用でしたから、そういう意味ではゲンスルーとやらはまだマシなのだろう。悪人であることに変わりはないので、これを機に心を入れ換えてほしいものだ。

 

「そうだビスケ。私は1ヶ月念が使えないので、この機会を利用してゴン達の修行に専念したいと思っているんですよ」

「そうね。それでいいんじゃない。今のアイシャじゃグリードアイランドをプレイするのは無理でしょうしね」

「ええ。それでビスケにも前みたいに協力してほしいのですが……どうでしょうか?」

「……そうね。いいわよそれくらい。今回は依頼料もなしでいいわさ。ゴン達の才能なら、こっちからお願いしたいくらいだしね」

 

 良かった。賛同してくれるとは思っていたけど、依頼料なしは嬉しい誤算だ。お金はまだ余裕あるけど、前みたいに着せ替えを依頼料にされるのはもう勘弁だ。ビスケの趣味が才能ある人間を磨き上げることで良かった……。

 

「……これで修行→回復の地獄コンボの復活か」

「甘いなクラピカ。今はレオリオもいるんだぜ? 怪我しても回復するから以前よりタチわりーよ」

「そうですね。レオリオさんの修行にもなりますし、怪我をしても治療出来る現状なら以前より組手のレベルを上げても良さそうですね」

「またあの川に行きそうだなぁ……」

 

 ゴン、それってどの川なの? クラピカも前に言ってたけどあなた達はどこに行ってるの?

 

 

 




 シリアスはヨークシンに置いてきた。ハッキリいってグリードアイランド編(ギャグ編)についてこれそうにない……。
 グリードアイランドの山場? ボマーとの戦闘? ああ、原作にはあったね。原作には。だがここにはそんなもの存在しない!
 スペルカードの推察は私の勝手な想像です。実際は非念能力者には見えない具現化されたものではないのかもしれません。

 リィーナの能力の詳細を書いておきます。

【貴婦人の手袋/ブラックローズ&ホワイトローズシャーリンググローブ】
・具現化系能力
 術者の両手から肘近くまでを覆う白黒2色のバラの刺繍が入った美しい手袋。この手袋はオーラを衣服の如く掴むことが出来る。リィーナがこの能力を作った理由は、どんな相手であろうとも風間流のあらゆる技を掛けることが出来るようにするため。合気柔術なので衣服を利用した技も勿論あるのだが、その技は相手が衣服を着ていなかったら意味がない。それがリィーナには我慢ならなかったのだ。リュウショウに教わった技がたかだか衣服を着てない程度で無効化されるのが許せないという一念で生み出した能力。
 リィーナの顕在オーラを上回るオーラを掴むことも出来ないが、掴まれたオーラはリィーナが外そうとしないか、対象が絶などで消すかしないと外すことは出来ない。また、掴んだオーラはグローブに吸収することも出来る。もちろん吸収した場合は掴んでいたオーラは消滅するので、新たに掴み直さなければならない。具現化した物体も掴んで、その物体を覆うオーラと具現化に使用したオーラの合計値がリィーナの顕在オーラ以下ならば掴んだ部分をオーラへと戻して吸収することが出来る。吸収するかしないかはリィーナの自由。
 吸収したオーラは貯め込むことができ、自在に使用することも出来る。吸収出来るオーラの総量はリィーナの最大潜在オーラと同等。貯めていられる時間は最初にオーラを吸収した瞬間から1時間が限界。1時間経過すると吸収したオーラは全てリセットされる。

〈制約〉
・自身の顕在オーラを上回るオーラを掴むことは出来ない。
・貯めて置けるオーラの総量は最大潜在オーラと同等とする。

〈誓約〉
・最初にオーラを吸収してから1時間以内に吸収したオーラの総量が最大潜在オーラを超えた場合、吸収したオーラ量と同等のオーラ量を消耗してしまう。また、吸収したオーラを使用すると吸収したオーラの残量は減るが、総量が減ることはない。

 以上です。ちょっと分かりにくいかもしれません。吸収したオーラの総量は、例えリィーナが吸収したオーラを消費しても減りません。例えば合計して10000のオーラを吸収した時に、リィーナがその内5000のオーラを使用すると、残りのオーラ量は5000になります。
 ですが今まで吸収したオーラの総量は10000から減ることはありません。この状態でさらにオーラを1000吸収したとすると、吸収オーラ総量は11000に、残オーラ量は6000になるということです。そして吸収オーラ総量がリィーナの最大潜在オーラ量を超えた時、合計オーラ量分のオーラを失ってしまうというわけです。
 この計算は最初にオーラを吸収してから1時間経つと吸収したオーラとともにリセットされます。長期戦でこの能力を多用すると誓約に触れる可能性が上がります。まあリィーナの潜在オーラもかなりの量なので、そうそうパンクすることもないですが。
格上(先生)には通用しにくく、格下(先生以外※)には非常に有効な能力である。ちなみに誰かと協力してオーラを貯めておくと強力。協力した誰かはオーラが殆どなくなるけど。
 ※リィーナの理想。先生以外の存在より強く有りたいという。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十九話

 あれ? ここってどこだっけ?

 うーん? どこか見覚えあるんだけど……。

 大きな川に渡し舟。近くにある木の傍には同じく見覚えのあるお姉さんが寝ていた……。

 

 ……そうだ思い出した! くじら島で何度か見たことある場所だ! どうしてこんな所に来たんだろう? オレって何してたんだっけ?

 

 えっと……確かアイシャが念能力が使えなくなっちゃったから、元に戻るまでの1ヶ月間はグリードアイランドの攻略よりもオレ達の修行に専念するってなってたんだよね。

 それで、今まで通りビスケの能力でぶっ倒れるまで修行して回復して、怪我したらレオリオの能力で回復して、修行して回復(ビスケ)して修行して回復(レオリオ)して。

 それに加えてグリードアイランドのモンスターをゲットする修行も加わったんだ。モンスターは色々と念の応用を上手く使わないと倒せないようそれぞれ特徴があるから、修行には丁度いいって話だった。キルアもクラピカもオレより早くモンスターを倒したから、オレももっと頑張らなきゃ! 

 それでそれで……えっと……そうそう! 確かアイシャと念なしの模擬戦をしてたんだ。……それから記憶がない。どうしたんだっけ?

 

「あれま。また来たんだ。久しぶりだね~」

 

 物思いに耽っていたらお姉さんが声を掛けてきた。今までずっと寝ていたから話したことなかったのに……。

 

「えっと、オレのこと知ってたの?」

「そりゃあね。お前さん、何度かここに来たことあるでしょ? それにここに来る人で喋ることが出来るのは珍しいからねぇ。前に来た時独り言喋ってたし、印象的だったから覚えちゃったよ」

 

 うわ。前にここで喋ってたの聞かれてたんだ。

 でもこのお姉さん、悪い人じゃないと思う。前にクラピカにここに来たらお姉さんに声を掛けずすぐに帰って来いって言われたけど。

 クラピカは何でこのお姉さんを警戒してたんだろ?

 

「ここに来た人って喋れない人が多いの?」

「ま、皆喋れたらちょっと問題だね。そういう意味ではお前さんも問題なんだよね~」

 

 え? 何が問題なんだろう? 普通は喋れない方が問題なんじゃ?

 

「まあとにかく。早くしないとあたいも仕事しなきゃいけなくなっちゃうから。早く元の場所にお戻り。ここはお前さんが来るにはまだまだ早い。喋れるのがその証拠よ。もっと青春謳歌してから来なさいな」

「え? うん、分かった」

 

 そうだ。オレはこんな所でゆっくりしている暇はないんだった。皆の所に帰らなきゃ。

 そう思った瞬間、意識が徐々に薄れてきた……。

 

「もう……るんじゃ……わよー!」

 

 お姉さんが何か言ってるけど、もうよく聞き取れないや……。

 

 

 

「……! おいゴ……! ……りしろゴン!」

 

 ん? お姉さんの声じゃない? 誰だっけ? 聞き覚えのある声なんだけど。

 さっきとは逆に徐々に意識が戻ってくる。一体誰の声なんだろう?

 

「ゴン! しっかりしろ!」

「……レオリオ?」

「おお! 目を覚ましたか! 心配させやがってこの野郎!」

 

 どうしてそんなに慌ててるんだろう? 目には涙も浮かんでるし。

 

「どうしたのレオリオ?」

「どうしたじゃねーよ! お前一瞬息が止まってたんだぞ! アイシャが胸に手を当てたら息を吹き返したけどよ!」

「なんだ。また止まってたんだ」

「……また?」

「大丈夫だよレオリオ。アイシャやビスケの修行で息が止まるなんて日常茶飯事だからさ」

「……は?」

 

 どうしたんだろうレオリオ? そんなに呆けて。

 

「だから言ったろレオリオ。心配するだけ損だってさ」

「生かさず殺さず。私たち弟子は師の匙加減1つで生死を彷徨っているのだ。たかだか呼吸が止まったくらいでは死なせてはくれないのだよ」

「……オレか? ここではオレが異常なのか!?」

「……安心しろレオリオ。お前はきっと正常だ」

「ああ、異常なのはここの連中だ。どいつもこいつも狂ってやがる……!」

「ミルキ、ゲンスルー……そうだよな。オレはおかしくないよな?」

 

 なんかレオリオとミルキさんとゲンスルーさんが集まって悲壮な顔してるや。そんなにおかしいのかな今のオレ達って? 短期間で強くなるんだから、厳しいのは当たり前だと思ってたんだけど。

 

「ゴン。身体は大丈夫ですか?」

「あ、うん。……うん、異常ないよ」

 

 確かアイシャの攻撃を受けて気絶してたみたいだけど、身体に異常はないや。アイシャが後遺症を遺すような攻撃をするとも思えないしね。

 

「そうですか。なら修行を再開しますよ」

「おっす!」

『こんなの絶対おかしいよ』

 

 そんなにおかしいかな? オレ達の修行内容って。

 

 

 

 

 

 

 修行という名の矯正、いや矯正という名の修行か?

 どっちでもいい。どちらにせよオレのすることに変わりはないからだ。忌々しい鎖のせいでオレはあのクソッタレ女に逆らうことは出来ない。

 あんな奴の命令を聞くのは業腹だが、命を天秤に掛けられている現状では仕方ない。

 クソッ! どうしてこうなった!

 

 あの時、あの女に話し掛けたのが全ての間違いだった。

 長年の計画成就のため、ボマーとしての悪名を広めようと適当なターゲットとして選んだのがあの女、リィーナだ。

 適当と言ってもデタラメに選んだんじゃねぇ。その場に他のプレイヤーがいない状況を確認し、かつターゲットとしてやりやすい奴を選んだ、つもりだった。

 歩き方、オーラの質、身に纏う雰囲気。どれもが2流の女だった。だからターゲットに選んだんだ。

 だがそれは擬態だった。自分の強さを隠していたんだ。オレは自分でも1流の使い手だと自負している。だからこそ気付かなかった。

 オレからすら己の強さを隠しきる。そんな奴は想定外だったんだ。オレよりも圧倒的な実力を誇る存在。それがあんな女だと思うわけがなかった。

 ……言い訳だな。オレは感じ取った実力だけでなく、見た目を判断材料にしちまってた。グリードアイランドのプレイヤーのレベルの低さに慣れすぎてたのかもしれない。

 

 とにかく、オレは奴に敗れた。まさか肩に手を置こうとしただけであんな反撃を喰らうとは思ってもいなかった。オレが本当に善意の忠告をしただけのプレイヤーだったらどうしてたんだ? 一生のトラウマものだぞ?

 その後はあのクソガキの能力であの女に絶対服従を誓わされた。おかげでこのゲンスルー様があの女の言いなりだ。いつか必ずこの鎖を外して復讐してやる!

 

 ……だが、あのクソガキはともかく、あの女は今のオレじゃあ勝ち目がない。

 それを徹底的に思い知らされた。

 

 全力での戦闘を許可された。勝てば解放するって約束でな。

 恐らく力の差を見せつけて逆らう気力を削ごうと思ったんだろうな。鎖で従順になってはいるが、心まで屈したつもりはないからな。

 解放の約束を鵜呑みにするつもりはなかったが、許可されたんなら攻撃しても鎖は反応しない。例え殺してしまっても不慮の事故だ。そう思って全力で殺しにかかった。

 

 オレの能力、【命の音/カウントダウン】については知られちまったが、もう1つの能力【一握りの火薬/リトルフラワー】はまだ知られていない。ひと度オレがこの手で掴んでしまえば、あんな細い腕や首なんか簡単にちぎれ飛ぶだろう。

 達磨にするなんて無駄なことはしない。こいつが強いというのは分かっている。遊びも油断も無しで確実にぶっ殺す!

 

 掴むのを悟られないよう、フェイントを混ぜ、掴むではなく殴るように拳を振るい、まずは腕を爆破してその痛みに驚いている隙に首を爆破してやろう。

 そう思って攻撃したが、先に掴まれたのはオレだった。掴まれたと思った瞬間に身体が宙を舞っていた。合気の一種だと理解した時にはあの時と同じように喉に踵を落とされた。

 苦痛に耐えていると何時の間にかオレは立ち上がっていた。オレが立ったのではない。この女に立たされたんだ。寝転がっていたのにどういうわけか身体が勝手に立ち上がるとは。これも合気なのか?

 そうしてまた投げられた。何度も何度も投げられた。硬い地面と言えど、念の籠もっていない地面に叩きつけられても念能力者であるオレにそこまでの痛痒を与えることは出来ない。

 だがこうも連続で投げられたら話は別だ。衝撃は完全に消せず、肺の中の空気は漏れ、呼吸もまともに出来ない。しまいにゃ空中でお手玉のように何度も何度も投げられていた。もう意味分からなかった。

 

 しばらくしてようやく攻撃が終わった。オレは立つことも出来ず地べたに横たわって喘いでいたが。

 クソッタレ! 攻撃が! 【一握りの火薬/リトルフラワー】が当たりさえすればこんな奴!

 無意識に喋っていたんだろう。オレがそう思った後にクソ女がこう言った。

 

「ほう、当てさえすれば勝てると。どういった能力かお教え願いますか?」

 

 何を口走ってしまったんだオレは。自分の馬鹿さ加減に怒りすら覚えた。

 逆らうことは出来ない。オレは隠していた最後の能力の詳細をペラペラと話した。

 完全に詰んだと思った。もうオレの両手は警戒されてしまった。能力を発動するなど不可能だ。

 

「では、その能力を当ててご覧なさい」

 

 その言葉を耳にした時は自分の耳を疑った。そして聞き間違いじゃないと分かった時、この女は馬鹿だと思った。調子に乗りすぎだとな。

 いくら強かろうともそれは技術の話だ。オレとこの女では技術に差がありすぎる。それは認めよう。

 だが身体を覆うオーラに差は然程ない。いや、むしろオレの方が上なくらいだ。当たりさえすれば、【一握りの火薬/リトルフラワー】が通用しないわけがない。

 オレは覚束ない身体を叱咤し、女の傍までゆっくりと近づく。女は余裕のつもりか身動き一つせずオレの攻撃を待っていた。

 馬鹿めが。死んでから後悔しろ! 【一握りの火薬/リトルフラワー】!!

 

 結論。こいつは化け物だ。

 オレの全力の【一握りの火薬/リトルフラワー】で傷1つ付かなかった。その時のコイツのオーラはオレなど比べ物にならないレベルのそれだった。

 しかも爆発の瞬間、掴んでいた箇所を瞬時に凝でガード。その時のオーラの移動は見惚れる程だった。

 

「肩こり解消に良さそうですね。肩もお願いしていいですか?」

「……勘弁してください」

 

 心が折れた音が聞こえた気がする。

 

 

 

 オレがあの女に心砕かれてから1週間が経った。

 この1週間は地獄だった。只管に基礎修行の繰り返し。ただそれだけなら別に問題はない。オレだって1流を自負する能力者だ。基礎修行くらい定期的にやっている。

 だが問題はその密度だ。1日ぶっ倒れるまで繰り返される基礎修行。延々と同じことの繰り返し。1週間でオレがした修行法それ自体は片手で数えられるくらいだが、修行に費やした時間は1日の7割だ。

 残りの時間? 飯とトイレ、そして就寝の以上だ。就寝中すら修行させられているがな。休憩の文字はどこにある?

 別に寝ずの修行ってわけじゃない。緊張を保ったまま寝ることくらい慣れている。……それも日中の修行の疲れがなかったらだが。ゲロ吐いたのはどれくらいぶりだ?

 

 1週間も経つと少しは自分の置かれた環境に慣れてきた。慣れたくはなかったがな。周囲を見る余裕も出来た。オレを服従させている女の周りにいる大勢の仲間たち。リィーナ・ビスケを筆頭に、多くの弟子が集っているようだ。どいつもこいつもそこらの念能力者が束になって掛かっても勝てないレベルだ。

 

 ガキども――ゴンとキルア――はまだ発展途上だが、この歳じゃ上等だ。いい才能を持っている。あれは強くなるな。

 オレを縛った鎖の持ち主。あの女と同じくらいムカつくクソ野郎も相当なもんだ。実力で言えば弟子クラスの中じゃ上位だな。

 カストロって奴は弟子とは言えないレベルだな。戦って負ける気はないが、かなり苦戦するだろう。能力の相性如何では負ける可能性もあるな。

 レオリオはこの中じゃ実力的には1番下だ。だが才能はある。誰よりも未熟な分成長も1番早いな。だが医者の勉強とやらと並行している分修行に割く時間が少ないのが痛いな。

 ミルキは念能力は弟子クラスじゃかなりの練度だ。こいつは弟子とは少々違うらしいが。

 

 レオリオとミルキ以外はどいつもこいつもキチガイだ。

 この密度の修行をこなしておいて、それをおかしいと思っていないのか? 修行を付ける方も付ける方だが、受けている方も狂ってやがった。呼吸止まっても当然のようにしてんじゃねーよ。

 

「ふう。通常の組手はこれくらいにしておきましょう」

「オッス! 次はどうするのアイシャ?」

 

 アイシャ。こいつが1番分からない存在だ。

 実力はある。間違いなく強いだろう。あのクソ女と同じ武術の使い手で、その技術も同じくらい高い。

 だがそれだけだ。コイツは今まで念能力の一切を見せていない。身体を覆うオーラはゼロ。常に絶で過ごしているのだ。このグリードアイランドにいる以上、念能力者であることに間違いはないはずだが……。

 いや、そんなことは今はいい。それよりも気になるのが、あのクソ女のこいつに対する態度だ。まるで主従のように付き従い、敬っていやがる。恐らくこのアイシャがあのクソ女の生命線だ。アイシャを上手く利用すれば………………オレは確実に殺されるな。今自分の未来を幻視したぞ?

 

「そうですね、次は……」

 

 オレがアイシャを見たのが分かったのだろうか? アイシャがオレを見て何やら考えている。まずい。今はあのクソ女はこの場にいないが、その間はアイシャの言いなりになるように言いつけて行きやがった。

 修行をサボっていたわけではないが、こうしてアイシャを見ていたのをそう思われたら……シャレにならない。

 しかしオレを縛るこのルール、些か反則じゃないだろうか。絶対服従はねぇよ。

 

「ゲンスルーさん」

「な、なんだ?」

「今からゴンと念有りの組手をしてもらえませんか? もちろん手加減はしてください。あくまで修行ですので。あと、発はなしでお願いします」

 

 ……どうやらサボっていたと見られてはいないようだな。

 しかしガキの修行を付けろだと? なんでオレがそんなめんどくさいことを……。いや待て。今の修行をするよりもゴンの修行を付けた方が楽じゃないか?

 確実に楽だ。是非受けよう。ノルマはあるが、少しは休憩をしてもいいだろ。

 

「分かった。おいゴン、さっさとかかってこい」

「オス! よろしくお願いしますゲンスルーさん!」

 

 ……このガキも良く分からねーガキだ。

 オレが大量殺人者で、ここにいるのも捕まったせいだと知っているはずだ。なのにこのガキはオレに対して悪感情を抱かずに見つめてきやがる。

 自分に対して何もしていなかったら関係ないとでも思っているのか? 甘ちゃんのガキの考えだな。

 

「オラ。オーラの動きがぎこちないぞ。それじゃオーラの動きで攻撃が予測される」

「うぐっ! まだ……まだぁっ!」

 

 タフさは大したもんだ。練も発展途上だが中々いい。

 だが経験不足はどうしても否めないな。こればかりは修行しながら実戦を経験するしかない。

 

「攻撃にオーラが付いて来ていないぞ。それじゃどんな攻撃も意味がないな」

「なら! これで!」

 

 器用に攻撃を仕掛けてくるが攻防力移動がお粗末過ぎる。

 だが飲み込みはいいな。こうして組手をしている最中にも成長が見て取れる。……大したガキだ。

 

「それまで」

 

 10分くらいは戦ったか。ガキは既に息もたえだえだ。

 まあ保った方か。最後の方はオーラでフェイントも仕掛けて来たくらいだしな。十分だろう。

 

「あ、ありがとう、ございました……」

「レオリオさん、ゴンの治療をお願いします」

「おう、任せとけ」

 

 オレとの組手で傷ついたゴンがレオリオの能力で回復していく。

 中々便利だなレオリオの回復能力。まあ回復するとすぐに修行が始まるから考えものだがな。

 

「ありがとうございましたゲンスルーさん。中々的確な指導でしたよ」

「ケッ。命令されたからやっただけだ」

「そうですか? 私は組手をしてとは言いましたが、指導をしてとは言っていませんよ?」

 

 ……そう言えばそうだったな。

 アイシャがゴンに指導をしているのを見た後だからか、オレもつい指導してしまったようだ。ゴンも指導しがいがある飲み込みの良さだ。やってて違和感がなかった。

 

「ふふ。これからも時々お願いしますね。ゴン達だけでなく、カストロさんやクラピカとも。2人ともゲンスルーさんレベルとの勝負はいい刺激になるでしょう」

「……命令されたらやってやるよ」

 

 どうせオレに拒否権はないんだからな。

 ただただ同じ修行を繰り返すくらいなら、あいつ等と組手でもした方が遥かにマシだ。結構な使い手だしな。多少は歯ごたえがあるだろ。

 

「では、また今度お願いしますね」

「けっ」

「……ところで少し聞きたいことがあるんですが。その、性転換のアイテムってありますか?」

「あ? ああ、あるな。ホルモンクッキーのことだろう」

「そ、そのアイテム! ゲンスルーさん持っていますか!?」

 

 なんでホルモンクッキーにそこまで拘わるんだ? まさか性転換でもしたいのか? この女が? オレが言うのも何だが変わっているとしか言えないな。

 

「残念ながらオレは持ってないな。ハメ組の連中なら持ってたはずだぜ」

「そ、そうですか……。すいません。この話は聞かなかったことにしてください……」

 

 目に見えて落ち込んでんな。本気で性転換したかったのか? 何を考えてるんだ本当に。

 

 しかしハメ組か……。これまでにも何度かハメ組の連中から“交信/コンタクト”が送られてきてたな。全部無視せざるをえなかったが……。今頃あの雑魚どもはオレと連絡がつかなくなって不審がっているだろうな。

 まあ今さらどうでもいいがな。どうせオレにもうクリアの目はないんだからな。だがその内あいつ等が直接“磁力/マグネティックフォース”で接触してくるかもしれないな。場合によっては“同行/アカンパニー”で集団で来るかもしれない。

 そうなったら……ま、ここの連中の反応次第だな。あのクソ雑魚共じゃ文字通り束になっても勝てっこねぇよ。オレの正体をバラして【命の音/カウントダウン】を解除させるってところが妥当か。逆上したクソ雑魚共に攻撃されるかもしれないが、むざむざやられるつもりもないしな。

 ……あのクソ女が反撃を許可したらだがな。クソ! いつか必ず復讐してやる! 覚えていろよ!

 

 そうと決まれば修行再開だ。まずは地力を伸ばさなきゃ話にならない。

 そう。これはあのクソ女に屈した行動じゃない。反撃の為の牙を研ぐ行為なんだ。

 ……そう思わなきゃやってられねぇよ。

 

 

 

 

 

 

 ゲンスルーさんにこっそり聞いたけど性転換のアイテムは持っていないそうだ。残念。だけどグリードアイランドにあるのは確かだった。ハメ組の誰かが持っているらしい。……欲しい。

 交渉して譲ってもらえないだろうか? 流石にそれは無理か。交渉材料が1つもないしな。いや、ゲンスルーさんの付けた爆弾があるけど、それは交渉材料にはしたくないし。

 仕方ない。やっぱり自力で手に入れるしかないな。問題はそのホルモンクッキーの入手方法が全く分かっていないことか。ゲーム初心者には仕方ないことだけど。

 

 ……いや、ゲームのアドバイザーなら適役がいるじゃないか。

 

「ゲンスルーさん。もう1つ聞きたいことが。そのホルモンクッキーの入手方法を知っていますか?」

「……教えてもいいが、条件がある。オレを解放しろ」

 

 えー。いや、それは無理でしょ。

 私もゲンスルーさんの現状にはちょっと同情するけど、自業自得の結果だし。

 それにホルモンクッキーは欲しいことに変わりはないが、別に教えてもらえなかったら自力でゆっくり探すだけだ。

 

「残念ですがそれは無理です。そしてまだ反省が足りないようなのでいつものセットを倍こなしてくださいね」

「待て。オレが悪かった。教えるから待ってくれ」

「問答無用です。さあ、早くしないと今日中に終わりませんよ?」

「く、クソッタレ!」

 

 情報は惜しいが、今のゲンスルーさんに譲歩するわけには行かない。

 リィーナの人格矯正もちょっとアレだが、悪人をのさばらすつもりは私にもあまりない。少しは反省した方がいいだろう。

 

 ……まあ、今のゲンスルーさんは私に絶対服従するようリィーナに言われていたから、私が命令すれば全ての情報を吐いただろうけど。それはちょっとどうかと思った。少なくとも私個人の欲を満たす為に使っていい命令権じゃないと思う。

 

 さて、お目当てのホルモンクッキーがまだ手に入れられないとなれば、することは1つ。ゴン達の修行促進だ。というか、情報を聞けたとしても今の無力な私ではカードを入手することは出来ないだろう。

 入手出来ても他の誰かにカードを奪われるのがオチだ。アントキバの月例大会で優勝したキルアがカードを奪われたように。

 毎月15日に開催されている月例大会で優勝したはいいけど、その後他のプレイヤーにスペルカードで取られちゃったんだよね。

 

 リィーナがその場にいたら【貴婦人の手袋/ブラックローズ&ホワイトローズシャーリンググローブ】でそのスペルも防げたんだろうけど。残念ながらリィーナは今グリードアイランドから出ていってるんだよな。

 

 グリードアイランドでレオリオさんと再会した時に相談されたあの話。

 バッテラさんは最愛の恋人を原因不明の昏睡から元に戻したいが為に、グリードアイランドのクリア報酬に拘っているという。これはリィーナも直接バッテラさんから聞いた話らしく、リィーナ曰く嘘偽りではないらしい。

 

 レオリオさんはそのバッテラさんの恋人に【掌仙術/ホイミ】での治療行為を行ったそうだ。能力に関してはバッテラさんに雇われているプロハンターにして、グリードアイランドプレイヤー選考会の審査員をしていた人がバッテラさんに教えたとのこと。

 ……正直守秘義務がなってないと思ったね。レオリオさんには情報漏洩の賠償金と治療行為の礼として相応のお金が与えられたらしいけど。

 レオリオさんは治療の礼金は断ったらしい。レオリオさんらしいな。

 でも賠償金はしっかりと受け取ったらしい。レオリオさんらしいな。

 

 とにかく、レオリオさんの相談はその昏睡に関してだった。【掌仙術/ホイミ】が全く効果を及ぼさず、数多の名医も原因を突き止められなかった昏睡。

 ただの病気か怪我とは思えなかったそうだ。そう説明されてまず思ったのが、念能力による攻撃だ。念能力が原因ならどれだけ名医であろうと原因不明で終わって当然。怪我ではないので治癒能力である【掌仙術/ホイミ】もその効果を及ぼさない。

 バッテラさんはかなりの大富豪だ。そういう人は敵も多いだろう。そんな中の1人がバッテラさんを苦しめる為に恋人に対して念能力で攻撃している可能性はゼロじゃないだろう。

 そうなると、その恋人を助ける為には念能力を掛けた本人に能力を解除させるか、除念で念能力を外すかのどちらかしかない。まあグリードアイランドのクリア報酬でも治せるかもしれないが。

 

 だがクリアまでその恋人が昏睡状態のままでいるとは限らない。出来るだけ早急な治療が必要だろう。……レオリオさんが助けたくて、助けられなかった人。その話をしている時の、無力感に覆われたレオリオさんの顔は見ていられなかった。私に出来ることなら何でもしてあげたくなった。もっとも、今の私に出来ることはリィーナを頼ることだけだったけど……。

 リィーナなら風間流にいる除念師とも渡りをつけることが出来る。ひきかえ、私はグリードアイランドから出ていくことも侭ならない。情けないな。武神と謳われても実態はこんなもんだ。

 

 私がお願いすると、リィーナはすぐにゲンスルーさんを脅し、もとい協力要請をして、外の世界への脱出方法を聞き出し即座に実行した。

 脱出方法は2種類あり、1つがスペルカードによる方法。もう1つがこの島唯一の港の所長を倒す方法。

 スペルカードの“離脱/リーブ”は結構貴重なカードらしいから、リィーナは港へと赴いた。……もちろんゲンスルーさんに案内させて。

 ゲンスルーさんだけ帰って来たから、無事外の世界に出られたんだろう。

 

 後はバッテラさんの恋人が除念で助かればいいのだけど……。こればかりは祈るしかない。本当に念による昏睡とは限らないのだから。

 今の私に出来ることは自分とゴン達の修行に集中するくらいだ。念も使えないし、基礎身体能力を集中して磨くか。

 

 

 

 

 

 

 グリードアイランドで修行を始めて早2週間が過ぎた。

 ゴン達の修行も基礎修行に系統別修行を加えたものへと変化した。

 基礎修行を倒れるまで行い、ビスケの【魔法美容師/マジカルエステ】で回復。流々武を元にした流を鍛える組手と念有りの全力組手を交互に行い、ボロボロの身体をレオリオさんの【掌仙術/ホイミ】で回復。1日1系統の系統別修行をそれぞれの得意系統に合わせて行い、また基礎修行に戻る。

 グリードアイランドのモンスターも修行に一役買っている。念の応用を上手く使わなければ倒せないようになっている、らしい。今の私には分からないけど……。

 このグリードアイランドは順序良く進めていけばプレイヤーがレベルアップしやすいように出来ているようだ。ビスケの談だけど。

 ……作った人の想いが込められているらしい。ジン、つまりゴンの父親がゴンの為に作ったんだとビスケは思っている。……別に、ゴンのことをどうでもいいと思っているわけではなさそうだ。

 

 ゴン達は見る見る内に成長していく。ここまで成長が早いと驚きを通り越して感心する。レオリオさんもゴン達に負けないように修行に励んでいる。レオリオさんもかなりの才能の持ち主だ。それだけでなく、医者になってたくさんの人を救いたいという想いの強さが念の成長を後押ししているのだろう。勉強に時間を費やしているのに、成長の階段を一足飛びで駆け上っている。

 

 レオリオさんは放出系を得意系統としている。放出系なのに強化系の回復能力を作ったのは、まさに人助けの一心だろう。それゆえに得意系統の隣の強化系の能力だが、【掌仙術/ホイミ】はそれなりの回復量を有していると言えよう。

 だがやはり得意系統が放出系なのに変わりはない。なので、この修行期間を利用して放出系の能力も作る予定らしい。レオリオさんが言うには前から考えていた能力があるそうだ。……しかも、黒の書を参考にしている能力らしい。

 

 どこまで付き纏うつもりだ我が黒歴史よ……! 去れ! 忌まわしい記憶と共に!

 ……ああ、早く見つけて処分したいなぁ。今どこにあるんだろう? ハンゾーさんが持っていったらしいけど……。

 

 黒の書の話を聞いた時は少々落ち込んだが、まあそれはいい。

 今の私は念が使えないので、レオリオさんの能力に関してはビスケに一任している。というか念に関しては全てビスケに頼りっきりである。今の私に出来ることは自己鍛錬とたまにやる念なしの体術修行以外にはないのだ。

 しかも何をするにも誰か1人は私の傍で護衛をしている。完全にお姫様モードである。……ああ、不甲斐ない。

 早く念が使えるようにな~れ。

 

 

 

 最近ゴン達の修行の厳しさが増した。

 修行のレベルが上がったわけではない。いや、成長とともに上がっているのは確かだが。それとは別に厳しくなったのだ。修行1つ1つの負荷が増したせいだ。

 発端は食事中の私の一言だった。

 

 

 

「ゴン達も大分基礎修行に慣れてきましたね。もうひと工夫しないと基礎体力が上がりにくくなってきたかも……」

 

 そう。ゴン達の成長は本当に著しいのだ。ちょっと鍛錬したらメキメキ成長する。目に見える成長とは思っていたけど、いい加減成長速度がおかしいと思う。

 だがそれにも限界というものがある。穴掘りも慣れてくると負荷が足りなくなってくるのだ。今のゴン達の身体能力の成長速度は修行初期と比べると大分落ちてきている。それでも並の成長速度じゃないけど。

 

「こいつ等何かドーピングでもしてんのか?」

 

 ゲンスルーさんの言葉には全面的に賛成である。生まれた時から何かを摂取してんじゃないのか? こんなの絶対おかしいよ。わけが分からないよ。

 

「……それならアイシャ。オレがいい方法を知ってるぞ」

「ミルキが? ……でも、いいんですか?」

 

 ミルキもあのゾルディック家の一員だ。伝説の暗殺一家に相応しい修行法を叩き込まれてきたのだろう。その修行法には私が知らないものも多くあるだろう。中には門外不出の修行があっても疑問には思わない。

 そう思っての発言だったが……。

 

「……ああ。別にゾルディックの秘奥とかそんなんじゃないしな。大体、キルアが強くなるならオヤジ達も文句は言わねーよ。それにこれはオレの能力が関係しているだけで、ウチとは直接関係ないしな」

「能力なら尚更ですよ。ここでそれを教えるのは多くの人に能力をバラすことになるのですよ?」

 

 暗殺者にとって実力を知られる行為は御法度だ。手札を明かせばそれだけ暗殺確率も下がる。商売上そういう行為は禁止されていると思うんだけど……。

 

「別に大丈夫だよ。オレはもう……ああそうだ。もう、殺しを商売にはしないからな」

「ミルキ……」

 

 暗殺一家としての自分に疑問を持っていたキルアと違い、ミルキは、いや自分以外の家族はそうではないとキルアから教わった。

 だが、今のミルキは本気で暗殺者を辞めると言っている。今の私にオーラを読むことは出来ないけど、それでもミルキが本気でそう言っていることくらい分かる。

 何がミルキをそうさせたのだろう。でも、この変化は本当に嬉しいものだ。ミルキは私の友達だと言える。その友達が、暗殺者を辞めると言ってくれたんだ。嬉しくないわけがない。

 

「うん、ミルキがそうしたいなら、それでいいと思います。いえ、その方が……私は嬉しいです」

 

 心の底からそう思う。ミルキの心変わりが嬉しくて自然と笑顔になった。

 

「あ、アイシャ……! オレ、アイシャのことが――」

「おっとてがすべったー」

「あっつぁああ!? な、何しやがるキルーッ!!」

「いやわりぃわりぃ。手が滑ったんだよ。ほら、早く顔拭けよ。イケメンが台無しだぜ兄貴」

 

 その割にはすごい棒読みだったような気がするんだけど? というか、思いっきり狙ってお茶をミルキの顔へかけてたよね?

 

「ほらこっち来いよミルキ。【掌仙術/ホイミ】かけてやっからよ(抜けがけ禁止の協定はどうしたおい?)」

「あ、ああ。悪いなレオリオ(ス、スマン。つい衝動的に……)」

 

 この2人、仲良いよなぁ。良く2人一緒に話をしているのを見かけるし。気が合うのかな? 良いことだけど。もしかしたらレオリオさんと友達になったおかげでミルキも暗殺家業から足を洗う気になったのかな?

 そうかもしれないな。うん。そうだといいな。友情って素晴らしい。

 

「ほらほらあんた達。話が逸れちゃってるわよ。修行の話じゃなかったの?」

「そうだった。とにかく、オレの能力を使えば修行がさらに捗るだろう」

「それってビスケやレオリオみたいな能力なの?」

 

 2人と同じと言うと回復系の能力か。でも多分違うと思う。

 今さら回復系の能力を加えても、然程修行が捗ることはない。強いて言えば、治療系ならレオリオさんの負担が減るくらいのものだ。

 

「いや違うな。オレは操作系だ。その中でも物質操作が主な能力になるな」

「物質操作ですか。それでどう修行が捗るのですか?」

 

 正直思いつかないな。物質操作ではなく、人体操作ならまだ分かる。でも物質を操作したところで修行が効率化するだろうか? 念能力の戦い方の1つを経験することは出来るが、それくらいだろう。

 

「ああ。確実に捗る。キルと、そうだな。確かゴンとクラピカとレオリオもオレの能力の恩恵を受けたことがあるはずだ」

「オレ達が?」

「……? どこでミルキの能力の恩恵を受けたのか、思い浮かばないな」

「ああ。オレ達だけってことは、アイシャがオレ達と会う前か?」

 

 この4人が受けていて、私は受けていない……。何時の話だろう? 4人が念能力を知ってからはほぼずっと私は一緒にいたはずだ。天空闘技場でゴンとキルアが念能力を覚えた時にはミルキはその場にいなかったはずだし。レオリオさんもミルキと接点はないはずだ。

 

「確かお前たちはウチの門の前で修行してたんだろ? その時に高重量の湯呑や衣服を使ったはずだ。あれはオレが作ったんだぜ」

「ああ、兄貴ってそういうの作るの得意だったよな。でもあれって兄貴特注の合金なんだろ? 念能力と何の関係があるんだよ」

「お前は馬鹿か? 合金したところであそこまで重くなるわけないだろ? 比重の高い純金や白金を使っても無理だよ。常識的に考えろよ」

「ぐぐぐ……! じゃあどうやってあんな金属作ったんだよ! お前は具現化系じゃないだろうが!」

 

 まあ確かに。キルアの言うことももっともだ。操作系のミルキが具現化系の能力を使えないわけではないが、2つ隣の能力を作るのも考えにくい。

 複数の系統を組み合わせるならともかく、具現化系だけの能力を作るとは思えないし、具現化したものを複数作って身体から離すには放出系の能力も必要になる。重たい金属の為にそんな能力を作るのは非効率的だろう。

 

「正確には金属を作ったんじゃない。物質の重さを操作したんだよ」

「重さを操作だって?」

「ああ。オレの能力は重量操作だ。それで物を重くして修行に使ってたんだよ」

 

 重量操作か。物を重くしたり軽くしたり出来るのかな。

 でもそれだけじゃ説明がつかないな。確かに操作系は放出系と隣り合っている。だから重量を増した物体がミルキの身体から離れても然程能力の効果は落ちないだろう。

 だがそれにも限界がある。離れれば離れるほど効果が落ちることに変わりはないし、複数の物体を重くしたらオーラも相応に消費する。そしたら能力の効果もさらに落ちることになる。

 その点はどうやって解決したのだろうか? 制約と誓約か?

 

「ミルキ、その能力は複数の物体を重くしても大丈夫なんですか? 皆の修行の為には相当な数の重量操作をしなければいけないですし」

「ああ、その点は大丈夫だ。確かに普通に能力を使ったら複数の物質の重量操作を維持するのは難しいけど、操作する物体に神字を組み込んだら問題ない」

「神字ですか。それなら納得ですね」

 

 神字は念能力を補助する働きを持っている。特定の神字を組み込んでおくことで、その物質の重量操作を安定させているのだろう。

 

「じゃああの湯呑やスリッパにも神字が入っていたのか?」

「ああ。内側に刻んである。そういう意味であれはオレが作ったと言えるんだ。分かったかキル」

「るせーよ!」

「まあまあキルア落ち着いて。ではミルキ、私たちにも高重量の修行アイテムを作ってくれるということですか?」

「そういうことだ。というか、もう出来上がっているぜ」

「おお、何時の間に……」

「2週間の間に少しずつな」

 

 確かに夜なべして何か作っているのは知ってたけど、そういうことだったのか。皆の為に苦労して作ってくれたんだな。神字って結構手間かかるのにありがたいことだ。

 

 ミルキが鞄から取り出したのは上半身に付けるベストタイプと腕や足に付けるバンドタイプの2つだ。それぞれ持ってみたが、見た目からは想像つかない程の重量となっていた。リストバンドなんて見た目では精々2~3キロ程度なのに、1つ当たり20キロはある。

 これを複数付けたら確かに修行も捗るだろう。ベストも100キロはあるし、いい負荷になるな。

 

「オレがオーラを注ぎ込んだら重量をさらに重くすることも可能だ。今の重さに慣れたらまた重くすればいい」

 

 おお……。素晴らしい能力だ。皆の基礎能力の向上も更なる飛躍を遂げるだろう。

 

「修行が捗るよ! やったね皆!」

「……アルカの為だアルカの為だアルカの為だアルカの為だアルカの……」

「……打倒ヒソカ打倒ヒソカ打倒ヒソカ打倒ヒソカ打倒ヒソカ……」

「お姉さん。また会いに逝くからね……」

「ゴン! あそこに逝ったらすぐに帰ってくるんだぞ! 二度と戻れなくなるぞ!」

「オレ、グリードアイランドから出たらセンター試験を受けるんだ」

「サブ、バラ。お前たちは生きろよ……」

 

 全員目が死んでいる……。嬉しくないのかな?

 

「じゃあ明日からは常にこれを付けて生活するようにしましょう」

「生活(修行)ですね分かります」

 

 クラピカよ……大体合ってる。まあなんだ。強くなろうぜ!

 

 




 ミルキの念能力はもちろん勝手な想像です。ミルキ特注の普通に考えたらありえない重量の合金。さらにWikiで見たミルキの情報で、ミュージカル版では外見によらない高い身体能力を見せたという一文から、重量でも操作してるのかと想像しました。
 まあ単純にこの世界では金よりも比重の思い金属が普通に存在している可能性もありますが。この作品ではミルキの能力はこれでいきたいと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十話

 ミルキの作ってくれた修行道具はかなりの成果を上げている。重さ自体はゴン達が着けても問題なく動けるレベルだが、負荷が増している状態でいつも通りの修行をするのはやはりかなりキツいようだ。

 それぞれ今の身体能力に合わせて重りを着けているので、誰もが基礎修行でいつもの半分程の時間でヘトヘトになっている。かく言う私もかなり疲れている。だが、この負荷に慣れてくれば身体能力も更に上昇するだろう。ふふふ、首を洗って待っていろよネテロ。

 

 そうしてグリードアイランドに来て3週間が過ぎようとしていた時のことだ。

 今日もいつも通り修行に熱中している最中、空からあの音、スペルカードによる移動音が聞こえてきた。誰もが修行を中断し、空に向かって集中した。全員臨戦態勢に素早く入っている。うんうん、いい成長だ。

 

 そして4人の男性が空から降り立った。ゲンスルーさんの近くに降り立ったことから、スペルカードでゲンスルーさんを目標に飛んで来たのだろう。つまり彼らはゲンスルーさんが騙していたというハメ組の人たちかな。全員私たちをチラリと見ながらもその意識はゲンスルーさんのみに向いている。一応私たちを警戒しているようだが……。

 

「ゲンスルー。何故オレ達と連絡を絶った? “交信/コンタクト”には気付いていたはずだ!」

「……ふぅ。オレはゲームを降りた。後はお前たちで勝手にしろ」

『なっ!?』

 

 やっぱりハメ組の人たちか。ゲンスルーさんと長いこと連絡がつかないから痺れを切らして直接乗り込んで来たわけだ。

 多分ハメ組の中でも戦闘経験に長けた人を連れて来たのだろうけど……。恐らく私たちの誰が戦っても彼らに勝つことは出来るだろう。まだまだ未熟だな。

 

「どういうことだ! ようやくだ、ようやくクリアの目処が立ってきたんだぞ!?」

「ここまで来るのに5年も掛かったじゃないか! 今さらクリアを諦めるのか!?」

「最近バッテラ氏に雇われたプレイヤーが大勢仲間になった。これで人数も目標をクリアした。スペルカードも今まで以上のスピードで集まるだろう。なのにどうしてだ! 答えろゲンスルー!」

 

 計画初期からの仲間だったゲンスルーさんの素っ気ない言葉に気が動転したのか、語気を荒げてゲンスルーさんに詰め寄るハメ組さん達。ゲンスルーさんはあからさまに溜め息を吐いた。本当に彼らを仲間とは思っていなかったようだな。

 

「どうでもいいだろ。さっきも言ったがオレはゲームクリアなんてもうどうでもいい。オレの分の報酬はお前たちで好きに分ければいい。オレが持っている指定ポケットカードも渡す。“ブック”……ほらよ、さっさと持っていけ」

「……本気なんだなゲンスルー」

「そう言っている。早くしろよ。オレは今日のノルマを終わらせないといけないんだよ」

「?」

 

 ハメ組さん達が何を言っているのか分からなくてキョトンとしているな。

 ノルマはゲンスルーさんに課せられた修行の量だ。そのノルマを毎日こなさないとリィーナによる折檻を受けるようになっている。誤魔化すことは禁じられているので毎日頑張っている。……頑張らざるをえないとも言う。負けるなゲンスルーさん。

 

 何というか。悪人なのは知っているんだけど、初対面でのゲンスルーさんの受けた仕打ちが印象的で、私たちの誰もゲンスルーさんに悪印象を持っていない。

 もちろん全員ゲンスルーさんがしてきた悪行は知っている。でもそれはキルアもミルキも同じだと言っていた。腹にまだ一物あるんだろうけど、ここまでの仕打ちを受けて修行に励むゲンスルーさんを見ているとやっぱり悪くは思えないようだ。

 ゴンなんか結構ゲンスルーさんに念の戦闘について教えてもらっているくらいだし。あの子は裏表がないからゲンスルーさんにも1番好意的に接している。ゲンスルーさんはそれに悪態をついたり、鬱陶しそうにしているけど、何だかんだで丁寧に教えている。ゴンの飲み込みも早いから、教えがいもあるのだろう。

 

 ハメ組さん達はゲンスルーさんの言葉を怪訝に思いながらもバインダーから指定ポケットカードを回収した。これでゲンスルーさんのバインダーには少しのスペルカードとその他のアイテムカードしかなくなったわけだ。

 

「ゲンスルー、周りの彼らは?」

「今さらだな。……どうでもいいだろ。さっさと行けよ」

「そうはいかん。お前と一緒にいるということはオレ達の計画やアジトについても知っている可能性もあるわけだ。どうなんだゲンスルー?」

「……」

 

 ゲンスルーさんが僅かに私に視線を向けた。

 私の意志を確認しているのか。今のゲンスルーさんへの命令権は私にあるからな。

 私はゲンスルーさんに首肯で応える。彼らにどう答えるかはゲンスルーさんに任せよう。

 

「計画を気にするくらいなら見知らぬ奴らがいる時に話すべきじゃないだろうに……。まあいい。こいつ等は確かにお前たちの計画について知っている。アジトの場所までは話してないがな」

「……彼らを計画に誘っていたんじゃないのか?」

「違うな。アジトについて信用出来ないならさっさと場所を変えるんだな」

 

 どうやらボマーについては話す気はないようだ。まあここでそのことについて話したら話が拗れるなんてもんじゃなくなる。しかも私たちまでボマーの仲間だと思われるだろう。それは勘弁だ。

 彼らにはゲンスルーさんの爆弾が付いているようだが、ゲンスルーさんが条件を満たさなければ爆弾が発動することはないようだし。彼らも覚悟を持ってこのグリードアイランドに来ているんだ。他人の念能力に掛かったのは自業自得の面もある。これくらいは問題ないだろう。

 

「……分かった。後悔するなよゲンスルー」

「いいのかニッケス」

「構わん。ゲンスルーの意思は固いようだ。時間も惜しい、早くアジトも変えなければいけない。戻ろう」

「……分かった」

 

 そうしてハメ組さん達は私たちから離れていった。

 多分私たちを“同行/アカンパニー”に巻き込まないように離れたのだろう。

 半径20m以内にいるプレイヤー全てが“同行/アカンパニー”の対象になるようだからな。

 

 スペルカードについてはゲンスルーさんのおかげで全員が網羅している。あ、ビスケは除く。あの子はこういう細かいことを覚えるのは嫌いなのである。

 私は結構ゲームとか好きだから覚えた。遥か昔を僅かに思い出すなぁ。オリジナルの魔法とか詠唱とか考えた記憶ががが。

 

「“同行/アカンパニー”使用! マサドラへ!」

 

 行ったか。このまま彼らが順調に計画を進めていけばゲームをクリアするのは彼らになるのかな。ゲームクリアをするつもりまではなかったから別にいいけど……。なんか少し納得いかない自分がいるな。

 元ゲーマーの血が騒ぐ。困難なゲームをクリアしろと叫んでいる。静まれ私の血よ。目的を違えるな!

 

「良かったのゲンスルーさん?」

「はあ? 何言ってやがる。オレをそうさせたのはお前らだろうが」

「うん、それは仕方ないと思ってる。でも自分でゲームクリアしたかったんじゃないの?」

「だから、それをあの女にぶち壊されたんだろうが」

「だったらオレ達と一緒にゲームをクリアしようよ!」

「あ?」

「ゲンスルーさんがやったやり方はオレも認められない。でも、あの人達のやり方もオレは好きになれない。だからさ、今からオレ達とまともなやり方でゲームをクリアしようよ! あの人達に負けないようにさ!」

 

 ……きっとゴンの中ではゲンスルーさんはもう輪の中の1人なんだろうな。

 その純粋さが人の心の垣根を越えることもあるのだろう。だが、それゆえに危ういんだけど……。

 

「馬鹿かお前は。クリアしてもオレに金が入ってくるわけでもない。あの女がそこまでしてくれるとは思えんしな。無駄な労力を使う気はねぇんだよ」

「そうかなぁ。リィーナさんは公平だから、ゲームのクリアに貢献したらちゃんと賞金を分けてくれると思うよ?」

「そうですね。リィーナはその辺は平等です。例え相手が誰であれ、役目に応じた報酬は出すでしょう」

 

 私に関すること以外ではあの子は本来平等なのだ。他人に厳しくする分、自分にも厳しくしている。理不尽なことはしない子だ。私に関すること以外で。私に関すること以外で。

 例えかつて犯罪を犯したことがある人でも、仕事をキチンと為せば見合った報酬は出してくれるだろう。

 

「それにオレ達と一緒にゲームをしたら、修行も少しは楽にな――」

「――そこまで言うなら仕方ないな。協力してやる」

 

 早い、早いよゲンスルーさん! そんなに修行が辛かったんだね! ごめんねゲンスルーさん!

 

「でもよゴン。このままじゃあのハメ組の連中がクリアするんじゃねーか? あいつ等もうクリア目前まで来てるらしいし。オレ達が貴重なカードを手に入れてもすぐに奪われると思うぜ?」

「いや、そうとは限らないな。あいつ等のやり方ではどうしても取れないカードが幾つかある」

「ホントに!?」

 

 流石はハメ技を考えついたご本人。ハメ技に出来ること出来ないことくらいお見通しか。

 

「まず第一に、あいつ等は弱い。束になっても数で劣るオレ達に勝てないくらいにな。そんな連中では自力でのカード入手は恐らくSランクカードが限界だ。SSランクカードになるとよほど運が良くないと手に入れられないだろう」

 

 どうやら本当にさっきの彼らはハメ組でも戦闘要員だったようだ。あの程度の実力だから正直もしかしたら他に戦闘要員がいるのかと考えていたけど、5年間もハメ組にいたゲンスルーさんの情報からしてそれはないようだな。

 

「次に、あのハメ技では絶対に奪えない防御法がある。それが“堅牢/プリズン”だ。お前たちにも教えたように、このスペルで守られた指定ページのカードはどんなスペルでも奪うことは出来ない。あとは“聖騎士の首飾り”だな。“徴収/レヴィ”には意味がないが、攻撃スペルはこれで反射出来る。この2つを揃えるのが最初の関門だな」

 

 なるほど。つまり私たちはSSランクの指定カードをどうにかして手に入れて、それを奪われないようにすればいいわけだ。奪われさえしなければハメ組は全てのカードを集めることが出来ず、クリアには至らない。そうして少しずつ自分たちのカードを集めていくと。

 

「だがそれでもクリアするには幾つもの問題がある。第一に“堅牢/プリズン”の入手が困難なことだ。人海戦術でスペルカードを集めていたハメ組でさえ“堅牢/プリズン”は1枚しか所持していない。それから3週間近く経っているから、もう何枚か揃っていてもおかしくはないがな。ちなみに“堅牢/プリズン”のカード化限度枚数は10枚だ。5000枚を越えるカードの中から運良く手に入れるしかない」

 

 5000枚か。お金もカードにしないといけないし、それだけの量のカードを買い占めるのは購入面でも購入後も物理的には不可能か。つまり“堅牢/プリズン”は地道にコツコツと購入を繰り返して運良く手に入れるしかないわけだな。

 

「運良く“堅牢/プリズン”を入手出来たとしても、守ることが出来るのはSSカードとそれと同じページのカードの計9枚だけだ。他のカードは集めても“徴収/レヴィ”で奪われる可能性があるな。オレ達のカード枚数がそれなりに集まったら確実に“徴収/レヴィ”による邪魔をしてくるだろう。例え奪ったカードが奴らに必要ない物だとしてもな。更に他の奴らが独占しているだろう指定ポケットカードの存在もある。そういったカードはスペルで奪うのが1番だが、生憎大抵の貴重なスペルはハメ組が多く所有している。オレ達が手に入れられるのは極僅かだろうな」

 

 聞けば聞くほど“堅牢/プリズン”入手が困難に思えてきたんだけど……。

 

「でも“徴収/レヴィ”のカード化限度枚数は25枚なんだろ? そんだけ使ったらすぐに無くなるし、補充も難しいんじゃないの?」

「いや、指定ポケットカードの1つに“徴収/レヴィ”と同じ効果を持つカードが存在する。それを使えば所持している指定ポケットカードがランダムに1枚破壊されるが、指定ポケットカードがあれば何回でも“徴収/レヴィ”を使うことが出来る。あの連中は余分な指定ポケットカードを使えばいいだけだし、そもそも“贋作/フェイク”を指定ポケットカードに変化させて、他の指定ポケットカードを仲間に渡していれば破壊されるのはその“贋作/フェイク”だ。どうせ重要な指定ポケットカードの全ては複数人に分けた上で何処かに隠れて厳重に保管しているだろうしな。唯一の救いはカードを保管している奴らが“堅牢/プリズン”による防御をしていないことか」

「どうして貴重なカードを“堅牢/プリズン”で守らないの?」

「使っちまえば他の誰かが“堅牢/プリズン”を手に入れる可能性が出てくるからさ。だから重要なカードは全て所持しているプレイヤーが隠れることで守るわけだ。もちろんそいつ等は聖騎士の首飾りと大量の防御スペルを持っているだろうな。

 ……いや待て。“擬態/トランスフォーム”を使えば“堅牢/プリズン”も増やせたな。駄目だな、全部のカードがガードされている可能性の方が高い」

「八方塞がりじゃねーか! どうすんだよゴン。こりゃクリアなんて到底不可能だぜ?」

 

 ……いや、方法はあるな。私たちには“堅牢/プリズン”がなくても“徴収/レヴィ”は疎か大抵の攻撃スペルを防ぐ方法がある。その方法を持っている人物が仲間にいるのだ。

 

「“徴収/レヴィ”を防ぐ方法に心当たりはありますよ」

「……どうやってだ? “堅牢/プリズン”以外でアレを防ぐことは出来ないはずだ」

「今は言えません。私に言えることは、現状は動くことが出来ないということくらいですね」

 

 リィーナの念能力を勝手に話すわけにはいかない。場合によってはこの方法は使用出来ないだろう。今はリィーナが帰ってくるのを待つしかないな。どうせ私の【ボス属性】による絶もまだ戻らないし。

 

「私の考えている方法ももしかしたらダメかもしれません。なので、あまり期待しないでねゴン」

「うん、大丈夫だよ。例えアイシャの考えた方法が無理でも、オレ達がクリア出来る可能性はゼロじゃないんだ。だったら諦めたりしないよ!」

「しゃーねーな。オレも付き合ってやるよ」

「ゴンの諦めの悪さは今に始まったことじゃねーしな」

「ああ、慣れたものだよ」

「オレってそんなに諦め悪いかな?」

 

 自覚なかったのゴン? ゴンってかなり負けず嫌いだよね。ハンター試験で私に勝つために釣り勝負に引きずり込まれたことを私は忘れないだろう。

 まあ、そういう私もかなり負けず嫌いか。

 

「まあやる気がなくならないなら手伝ってやる。その方が修行も楽になるしな」

「ありがとうゲンスルーさん!」

「勘違いすんなよガキが。オレはオレの為に手伝うんだ」

 

 ツンデレ入りました。ありがとうございます!

 

「いいか、何はともあれ最初にやることは“聖騎士の首飾り”の入手だ」

「それってどこにあるの?」

「アントキバの月例大会の賞品だ」

「げっ、あそこのかよ。また奪われそうだぜ……」

「何月の大会で賞品に出るんですか?」

 

 月例大会は月ごとに大会の内容も賞品も変わっているらしい。そして指定ポケットカードは奇数月の月例大会の賞品だ。なので1年で6種類の指定ポケットカードが手に入れることが出来る。勝てばだけど。

 つまり最低でも1年間はプレイしないと全ての賞品を集められないということである。これでは他人のカードを奪った方が圧倒的に早いだろう。

 

「1月だな。まだ先だが安心しろ。月例大会の賞品は全てBランク以下のカードだ。そしてBランクのカードはトレードショップで全て購入可能だ。同じトレードショップで50回以上買い物をすると得意客になり、店側から話をもちかけてくる。聖騎士の首飾りはDランクだが、“堕落/コラプション”を使えば楽に入手できるしな」

「おお……!」

「やはり経験者がいると情報の有無が違うな」

「ああ、攻略本を読んでいるみたいでなんだがな」

 

 やっぱりミルキはゲーム好きだな。私も攻略情報は見ずにゲームをする派だ。だがこの状況では使える物は出来るだけ使わないとハメ組より先にクリアなんて不可能だろう。

 

「あとは出来るだけ金を貯めて全員でマサドラでスペルカードの購入だな。全てのカードを独占するのはあの連中にも無理だからな。これは早ければ早いほどいい。“堅牢/プリズン”が1枚でもあるとないでは大きな違いだ。移動系のスペルカードも多い方がいいな。移動に割く時間は省いた方がいい。あいつ等はあと1ヶ月ちょっとでカードの収集を終わらせてクリアへ向けて本格的に動き出す予定だ。早く動かないと手遅れになるぞ」

「じゃあ当面の目標はお金を貯めることですね。あと10日でここに来て1ヶ月になります。動くのはそれからとしましょう。残りの時間は修行しながらモンスターをカード化していきましょう。それを売ればそこそこのお金になるでしょうし」

「まあ、今すぐ動かないならそれが妥当だな」

「じゃあ方針が決まったところで、ゲームクリア目指して頑張りましょう!」

『おー!!』

「取り敢えず今日の修行を終わらせましょうね」

『おー……』

 

 この落差である。

 

 

 

 

 

 

 昨日も修行今日も修行。明日も明後日も修行の予定。修行漬けの毎日だ。

 時々思う時がある。私は本当に【絶対遵守/ギアス】の効果が切れているのだろうか、と……。前ほどに修行に傾倒してないから切れてはいるんだろうけど。【絶対遵守/ギアス】がかかる前の私だったら絶対に途中で逃げ出しているな。

 まあいい。強くなるのは良いことだ。グリードアイランドが終わったら嫌でも死闘が待っているんだからな。知識の中ではあのネテロでさえ勝てなかった化け物と戦うんだ。強くならなければ話にならない。

 でも思うんだ。今のネテロなら勝てるんじゃね? 絶対あいつあの知識のネテロより強いよ。そう思わないとやってられないくらい強いよ。いつか勝ち星を負け星より増やしてやる。

 

 そんな風に気合を入れながらいつも以上に修行に熱中していると、遠くから人が近付いてくる気配を感じた。かなりの速度だ。この気配は……リィーナか!

 

「……さーん! アイシャさーん! お待たせしましたアイシャさん! リィーナ、ただいま戻りました!」

「ああ、お帰りなさ……い?」

 

 勢い良く走って帰って来たリィーナだったが……おかしいな。何か妙な物体を持ち運んでいるんだけど? 何故だろう。既視感を感じる……。

 

「あの、リィーナ? その……あなたが連れている、でいいのですか? その人たちはどうしたんですか?」

 

 そう、リィーナはかつてゲンスルーさんを縛り上げて連れてきた時のように、見知らぬ2人の男性を縛り上げていた。

 それを担いでここまで全力で走ってきたようだ。流石のリィーナも多少息が上がっている。人を2人も担いでバランスを取りながら全力で十キロも走ったらそら疲れるよ。全力じゃなければリィーナなら問題ないだろうけど。私に早く会いたくて全力で走ったんだろうなぁ……。

 

「ああ、彼らは――」

「サブー!? バラー!?」

「――ああ、やはり貴方のお仲間でしたか」

「何でこんな所にお前たちが!? このクソ女がぁ! サブとバラに何をしやがった!?」

「言葉使いが悪いですよゲンスルーさん。ノルマ3倍です」

「この2人に何をなさったのですかリィーナ様!」

「別にそこまでの敬称を付けなくても。先生と付けるくらいでいいですよ」

「そのようなことはどうでも良いので早く説明をお願いいたしますリィーナ先生!!」

「落ち着きなさい。まずはアイシャさんへここまで遅くなった理由をご説明いたしますので。彼らについてはその後に説明いたしましょう」

 

 そうして興奮するゲンスルーさんを他所にリィーナは外の世界に行ってからの経緯を説明しだした。

 

 外へと脱出した後、リィーナは風間流にいる除念師へと連絡を取った。除念師にバッテラさんの恋人の説明をした後、除念師を伴いヨークシンに滞在していたバッテラさんの元へと訪ねたそうだ。

 アポイントは取ったそうだが、大層驚いていたようだ。こんなに早くグリードアイランドから戻ってくるとは思わなかったらしい。

 そうしてリィーナはバッテラさんに恋人が何らかの念能力の影響を受けている可能性を説明する。念能力の攻撃を受けていたとは考えもしなかったバッテラさん。念能力者を知っていても、彼は念能力者ではないということだ。

 念について詳しく知っていればその可能性も考えついただろうけど。

 

 とにかく、一度除念を試みようという流れになった。

 除念師と共に、リィーナは例の恋人が眠る病室へと連れられた。

 除念師は一目見て彼女が念に侵されていると察知したらしい。そういう能力も持っていたようだ。そうしてすぐに除念を受けた恋人だが……見事、除念は効果を及ぼし、すぐに目覚めたそうだ。

 バッテラさんはそれは歓喜したらしい。それも当然だろう。もう何年も眠り続けていた恋人が、ようやく目を覚ましたんだから。

 

 レオリオさんもこの話を聞いて嬉しそうにしている。自分が救えなかった人が救われたんだから、複雑だけどやっぱり嬉しいんだろう。

 本来ならこれで話は終わってすぐに戻って来ようと思っていたリィーナだったけど、そうはいかなかったらしい。

 

 何でもバッテラさんはまた恋人が眠りにつくんじゃないかと危惧したようだ。

 一度あったことが二度ないとは言い切れない。それにその恋人に念を仕掛けていた犯人も、自分の念が外されたことに気付くだろう。再び狙われる可能性は確かにある。

 なのでバッテラさんはリィーナに協力を求めたそうだ。二度と恋人が狙われないよう、狙われても大丈夫なように出来ないか、と。

 

 リィーナは自分の持ちうる力を最大限に利用してそれに応えたそうだ。バッテラさんの恋人に念を仕掛けていた者を、風間流の念能力者を動員して速攻で捕まえたらしい……。

 えー……どんだけ念能力者を動員したんだろう……。人探しの念能力を持っている者、仕掛けてきた念能力に反応して逆探知する能力を持つ者、他にも様々な能力者を使って犯人を見つけたそうだ。

 これはひどい。犯人もまさか風間流そのものが敵に回るなんて思ってもいなかっただろう。リィーナ、恐ろしい子……!

 

 そんなこんなで、犯人を捕まえたリィーナ。もちろんそれに対してバッテラさんは報酬を払った。莫大な報酬を、だ。

 それはバッテラさんの持つ全て。自分と恋人が慎ましく生きていけるお金と海岸にあるという小さな別荘以外の全てをリィーナが引き継いだらしい。

 正確にはロックベルト財閥が、だが。その引き継ぎの為の書類やその他諸々の面倒事を終わらせてくるのにかなりの時間が掛かったようだ。

 

「と、言うわけでございます。これほど遅くなりまして誠に申し訳ございません」

「いえいいんですよ。それよりも、バッテラさんも恋人も救えて本当に良かったです。少しやり過ぎな感もありますが、良くやりましたねリィーナ」

「ありがとうございますアイシャさん!」

 

 この子に尻尾があったらすごい勢いで振られているだろうな。それほどの喜びようだ。

 

「ちょっと待て、ください。ならもうクリア報酬は出ないのか? それは契約違反になるだろうですよ?」

「ご安心なさいゲンスルーさん。グリードアイランドのクリア報酬に関しては以前のままです。クリア報酬は事故で失った時間を取り戻す為の若返りの薬だけはバッテラさんが受け取り、それ以外の報酬は私の自由となりました。あと敬語が出鱈目ですよ」

 

 なるほど。本当にバッテラさんはお金なんかより恋人と、その恋人と一緒に過ごす時間の方が大切なんだな。

 いい話だ。人にはお金よりも大切なモノが出来るといういい例だよ。もちろん生きていく上でお金も大事だけどね。

 

「それでどうしてサブとバラがこうなったんですか!?」

「その話はこれからです。少し落ち着きなさい」

 

 そうして重要な書類や引き継ぎが終了したリィーナは、残りは息子に託してさっさとヨークシンの別荘まで戻ってきたそうだ。

 また面倒事を投げてきたなぁ。クリストファー君。強く生きろよ。

 

 だがログインしてからが問題だった。丁度同じタイミングでログインした者がいたのだ。それも2人も。それが今気絶しているこの2人、サブとバラらしい。

 彼らはリィーナを見て、「ゲンスルーという男を知らないか?」と聞いてきたそうだ。リィーナはそれで彼らがゲンスルーの仲間ではないかと思ったようだが、その場では彼らを無視してさっさとスタート地点から出て行ったそうだ。

 だが彼らはリィーナを追ってきた。質問を無視して行ったのだから当然だけど。そしてまた同じ質問をする。

 リィーナは彼らに対してこう言ったそうだ。「彼のことは忘れて真っ当に生きなさい」と。私は知っていますよと白状したも同然である。彼らはもちろんリィーナに攻撃を仕掛けてきたそうだ。仲間想いなんだろうな。

 そして結果は聞くまでもない。こうしてボロ雑巾のようになっている彼らが答えだ。

 

「サブ! バラ! 馬鹿野郎! どうしてオレのことをほっとかなかったんだ!?」

「う、うう……げ、ゲン!?」

「気づいたのかサブ!」

「お前……無事だったのか! 馬鹿野郎、心配させやがって!」

「バラ! 何言ってやがる、馬鹿はお前たちだ! オレからの連絡が途絶えたら計画は中止、グリードアイランドには入ってくるなと言っただろうが!」

「ふざけるな! ヤバイ橋を渡る時は3人一緒だろうが!」

「そうだ! オレ達はずっと3人でやって来たんだ! お前1人見捨てられると思ってるのか!?」

 

 ヤバイ。普通に仲間想いの3人組なんだけど。

 今この状況だけを切り取ったら悪いのは完全にリィーナと周りにいる私たちである。

 

「皆さん仲間想いで何よりです。それではクラピカさん。このお2人にも鎖の掟をお願いいたしますね」

「ふざけんなぁーっ!! この2人には手を出さない約束だろーがぁーっ!?」

「え? そのような約束はしておりませんが? 私がした約束は、お仲間について言及しないということだけです。手を出さないとも、鎖を仕掛けないとも言っておりませんが?」

「お前は悪魔かぁぁぁぁ!?」

「失礼ですね。一度は見逃したのですよ。感謝して頂きたいくらいですが。見逃されたというのに私に挑んで来たことが間違いだったのです。さ、クラピカさん。よろしくお願いいたしますよ」

「……何というか、本当にすまん。強く生きろよ。……いや、強くはなるな。強制的にだが」

「止めてくれクラピカーー!!」

 

 彼らの受ける仕打ちが自業自得であることに間違いはない、間違いはないのだが……。リィーナ以外の全員が彼らを同情の目で見ていたのは言うまでもなかった。

 頑張れ3人とも。その内改心したと判断されたら自由になれるさ。多分。

 

 

 

 

 

 

 リィーナが合流し、新たな修行仲間(?)が加わってから数日の時が流れた。

 サブさんとバラさんもゲンスルーさんに事情を説明されて仕方なく行動を共にしている。強制とも言うけど……。サブさんとバラさんもゲンスルーさんと同じようにリィーナに心折られていた。必要な処置らしい。

 何はともあれ、彼らも数日で諦めの境地に陥っている。愚痴を言いながらも抵抗の意思は少なくなっているようだ。

 ゲンスルーさんは仲間が同じ境遇になってしまったことを残念に思っているが、やっぱり大事な仲間と一緒にいるとどこか嬉しそうだった。

 

 そして今日でグリードアイランドに来て丁度1ヶ月が経った。つまり私の念能力が元に戻る日である。これでようやくカード集めをすることが出来る。つまりホルモンクッキーが手に入る日も近づいて来たということだ。

 楽しみだ。私がグリードアイランドに来たのは朝方だったから、もうすぐのはずだ。ワクワクしながら皆と一緒に朝食を摂っている。その時だ。

 

「……ん? お、おお!」

 

 おお、戻った! 念能力が戻ったぞ!

 ふはは! この漲るパワー! 馴染む、実に馴染むぞ!

 最高にハイってヤツだー!

 

「ふふふふ……あれ? 皆さんどうしたんですか?」

「どうしたもこうしたもあるか!?」

「いきなりお前のオーラをぶつけられたら驚きもするわ!!」

 

 あ、【天使のヴェール】忘れてた。しばらくの間絶状態で過ごしてたのに、急に戻ったからうっかりしてたよ。私のオーラの質を知っているゴン達もいきなりのことだから吃驚したようだ。

 知らなかったカストロさんやミルキにゲンスルーさん達なんかは私からめっちゃ離れているんだけど。特に顕著なのがゲンスルーさん達3人組だな。見るからに怯えている。カストロさんとミルキは驚いて一足飛びに離れたけど、少しずつこっちに近づいて来ている。

 

「そ、そのオーラは一体……どういうことなんだアイシャ?」

「あー、私って昔からちょっとオーラの質が禍々しいんですよね」

「ちょっと? これがか?」

 

 そこはスルーしてよゲンスルーさん。

 ……なんか自分で審議したくなったなこの台詞。口に出さなくて良かった。

 

「このオーラ……でもこれなら家族も……おお、行けるんじゃないか?」

 

 ? ミルキはどうしたんだろう? 私のオーラを見て驚いていたけど、今は喜んでいる? 怖がられないのは嬉しいけど、どうして喜ぶんだろうか?

 

「とにかく一度オーラを隠しますね」

 

 【天使のヴェール】を発動してオーラを隠蔽する。これで誰も私のオーラを感じることも見ることも出来ない。

 

「オーラの質が変わった?」

「どういうことだおい?」

「アイシャ、説明してもらお――」

「――この件に関して聞くことも口外することも禁止いたします」

『マム! イエスマム!』

 

 実に飼い慣らされてしまったゲンスルー組である。あ、なんか涙が。

 

「さて、私もようやく元に戻れたので、今日から本格的にゲーム攻略に乗り出しましょうか」

『おー!』

「最初にすることはマサドラでスペルカードを買い集めることでしたねゲンスルーさん?」

「ああ。オレが“同行/アカンパニー”を持っているから、それを使ってマサドラへ移動する。あとはオレ達が持っているモンスターカードを全てトレードショップで売る。その時一度に売らずに50回に分けて売れば得意客になれて一石二鳥だな。

 その後スペルカードをある程度買ってから、何人かでチームを作ってそれぞれでカードを集めるのが効率的だろう。“交信/コンタクト”を使って連絡を取るのを怠るなよ。同じカードを何枚も取って無駄になることもあるからな。

 後は貴重なカードが手に入ったらリィーナ先生に渡すように。念能力で“徴収/レヴィ”も防げるようだしな。……このゲームじゃ反則だなその能力」

 

 確かに。スペルカードをカード以外で防ぐなんて誰も想像しないだろうしな。

 後は何人かのチームに分かれてカード集めか。ゲンスルーさんが知っている限りのカードの入手方法は全員教わったから、70枚くらいは効率的に集まるだろうとのことだ。

 ……くくく、もちろんホルモンクッキーの入手方法も知ることが出来た。待っててね私のホルモンクッキー!

 

「では、チーム分けはマサドラへ行ってから考えましょうか」

「わ、私はアイシャさんと同じチームが!」

「後って言ってんでしょ。大体そのチームは倍率高いわよー」

 

 そうなの? 私は誰と組んでもいいんだけど? 誰と組んでも楽しそうだしね。ゲームは楽しむべきだよ。

 

「それじゃ飯も食ったし、マサドラへ行くぞ。全員オレの20m以内にいろよ。“同行/アカンパニー”使用! マサドラへ!!」

 

 その言葉とともに皆が光に包まれマサドラへと飛んでいった。

 私はオーラが減った。

 

 ……光が飛んで行った方向を見つめながら私はふと1人で呟いていた。

 

「ああ、あっちがマサドラかぁ。……走るか」

 

 どうやらチーム分けは私と私以外になったようだ。

 

 ……お、おのれ【ボス属性】ィィィィィ!!

 

 




サブバラも仲間?になったよ! やったねゲンちゃん! 寂しくないよ!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十一話

 検証するのを忘れてたけど、【ボス属性】ならスペルカードを打ち消す可能性は確かにあったよ。他のスペルも効かないのかな? 移動系以外も確かめた方がいいだろうな。

 はぁ。とにかく今はマサドラに向かって走るとするか。リィーナ達も心配しているだろう。

 

 じゃあちょっとオーラ全開で……ん? スペルカードの飛行音? 聞こえてきたその音を頼りに空を見上げると、誰かがこっちに向かって飛んできていた。ああ、顔を見るまでもない……リィーナだろうな。

 

「アイシャさん! ああ、やはり……スペルカードを無効化してしまったのですね!」

 

 やっぱりだよ。私がいないのに気づいてすぐに戻ってきたんだな。その内辿り着いたのに。“磁力/マグネティックフォース”で来たんだろうけど、スペルカードが勿体無いよ。

 

「ええ。どうやら私に移動系のスペルカードは効かないようです。他のスペルも無効化するかもしれませんが。それは後で確認しないといけませんね」

「お労しやアイシャさん……ですがご安心下さい! 私がアイシャさんをマサドラへとお連れいたします!」

「……? どうやってですか? 私に移動スペルは効かないと実証されましたよ?」

 

 本当にどうするつもりだろう。私を単純にマサドラまで走って案内するつもりか?

 でも方角は分かったから後は走ればいいだけだ。そして全力で走れば私の方がリィーナよりも早い。案内するのは時間の無駄なんだけど。

 

「はい。私がアイシャさんを抱きかかえてマサドラまでスペルで移動すればいいのです! そうすれば私と一緒にアイシャさんもマサドラへと移動しているはず!」

「おお……! 確かに上手く行くかもしれませんね……。試してみる価値はあるでしょう。お願いしますねリィーナ」

「はい! で、では。失礼いたします!」

 

 そう言って壊れ物を扱うように私をお姫様抱っこするリィーナ。

 心なしか、というか確実に嬉しそうである。いつものクールな表情は何処かへログアウトしたようだ。この顔を旦那が知れば泣くぞ?

 

「それでは。“再来/リターン”使用! マサドラへ!」

 

 そうして光に包まれたリィーナがマサドラへと飛んで行った。

 私はその場で尻餅を搗いた。

 

 体勢を直して着地することは出来た。でも何故かする気力がわかなかった……。

 ……オーラすら減っていない。どうやら【ボス属性】で無効化したわけではないようだ。つまりは1人用の移動スペルを使って、今みたいに複数人を移動させることは出来ないようになっているわけか。

 ふ、ふふふ。やってくれるな。本当に徹底してるよ。いいだろう。そこまでするならこっちも本気出してやる。

 

『他プレイヤーがあなたに対して“交信/コンタクト”を使いました』

 

 ん? 急にバインダーが現れて何か喋った。……なるほど。これが“交信/コンタクト”か。スペルによる電話みたいなものかな。

 

『アイシャさん! も、申し訳ございません! すぐにそちらに向かいたいのですが、移動系のスペルカードは丁度切れてしまい……。すぐ購入して迎えに行きますので!』

「いえ、構いません。どうやら移動系のスペルは私には本当に無意味のようです。これ以上スペルを無駄に費やすわけにはいきません。私はここから直接マサドラへ向かいます」

『アイシャさん……。分かりました。では、ここでお待ちしております』

「ええ、少しだけ待っててくださいね。それでは」

 

 “交信/コンタクト”が切れたのでバインダーを指輪に収納する。

 どうやら指輪を介する系統の効果は無効化しないようだな。“ブック”も使えたし、“交信/コンタクト”も受けることが出来た。これなら私から“交信/コンタクト”を使用することも出来そうだな。これは指輪そのものがスペルの効果を発揮していると思っても良さそうだな。

 

 つまり……バインダーは指輪が具現化した物。なので私の身体に関係がないから“ボス属性”では無効化しない。“交信/コンタクト”も指輪が受信するようになっている。バインダーから“交信/コンタクト”が使われた報せが聞こえたのがその証拠だろう。

 そして同じようにバインダーに入っているカードを盗んだり、バインダーの内容を調べたりするような、指輪に対して効果を発揮するスペルは私には無効化出来ないということだ。だけど移動系は私の身体を直接移動させているから【ボス属性】で無効化する、と。

 

 カードを奪うスペルは無効化しないのに、移動系は無効化する。とことんデメリットのみにしか効果を発揮していないな【ボス属性】よ。

 

 ……この怒り、全てオーラに回してやろう!

 全 力 全 開 だ!!

 

 

 

 

 

 

 あの場所から20分は走ったか。途中面倒事があったけど、ようやく大きな街が見えてきた。あれがマサドラだろうか。道中に小さな町があったけど、あれは魔法都市(マサドラ)という名前に相応しくなかったし、無視しても大丈夫だっただろう。

 

 お、街の入口付近に複数人の人影が。ゴン達だ! よし、ここで合ってたか!

 

「皆ー! お待たせしましたー!」

「はや! どんだけ早く……!? お、おいアイシャ! ふ、服はどうした!?」

 

 え? ああ、服か。そういえば上半身はインナーウェア、いわゆるスポーツブラだけしか着ていなかったな。少し前まで普通に服を着ていたのに、何十分かいなかっただけでいきなりそんな格好になっていれば驚きもするよね。

 

「お見苦しいものを見せて申し訳ありません。少々事情がありまして」

「皆さん! 早く目を瞑りなさい! アイシャさん! 早くこれを着てください!」

「ああ、すみませんねリィーナ」

 

 急いで私に着替えを渡してくれるリィーナ。この島では買った衣服もカードにして持ち運べるから便利だなぁ。

 

「くそっ!」

「く、少しくらい……!」

「……ちっ」

 

 どうしたミルキにレオリオさん。あとキルアも。何を残念そうに舌打ちしている? ……いやまあ分かるけどね。若い男だから仕方ないか。

 

「ちょっとサイズが合わないですねやっぱり」

「申し訳ございません。ですが、アイシャさんも替えの衣服を持っていたはずです。衣服がなかったことといい、どうなされたのですか?」

「ええまあ。ここへ来る途中物乞いに出会いまして」

「物乞い?」

 

 そう、あれはマサドラへ向けて走っている最中に山を突っ切っていた時のことだ。山の中で不穏な気配を感じた私は、まあいいやとそれを無視した。だがその気配は私の目の前に現れ、いきなり土下座をかましてきたのだ。

 話を聞けば病気の子どもの為に色々と物入りらしい。多分プレイヤーの懐事情を何らかの方法で把握しているのだろう。私が持っているカードと手持ちの衣服全てを要求してきたのだ。

 

 これも恐らくゲームのイベントの1つだと思い、私は全ての要求に応えた。ゲンスルーさんに聞いた情報にもなかったものだから、上手くすれば貴重なカードが手に入るかもしれない。そう思っていたんだけど……。

 

「何も手に入らなかったと」

「そういうことですビスケ」

「ちょっとその山まで向かいますので詳しい場所をお教え願いますかアイシャさん?」

 

 落ち着け。人殺しの目をしてるぞおい。

 

「まあ取られたのはモンスターカードと多少の食料、そして衣服くらいです。貴重なカードもなかったし、別に怒っていませんよ。強いて言うならここに来るのが遅くなったくらいですね。あ、でも……すいませんミルキ。あなたに貰った重りも与えてしまいました……せっかく作ってくれたのに、ごめんなさい」

「いいってそれくらい! アイシャが欲しいなら何時でも作ってやるからさ!」

「ありがとうございますミルキ!」

 

 良かった。あの重りはかなり使えるんだよね。全身鍛えるのに最適だよ。今度はもっと重くしてもらおうっと。

 でもあの物乞いさん達、モンスターカードとか重りまでどうして必要とするのか。滅茶苦茶な理由を付けて私の持ち物を全て取ってったよ。

 

「……ん? つまりお前は途中まで重りを付けて、その上物乞いのお願いを聞いてからここまで来るのに20分だったということか?」

「そうですけど? どうかしましたかゲンスルーさん」

「……なんでもねぇよ」

 

 ちょっと全力で動いたから驚いたのかな? でも重りって言ってもオーラが戻った私には軽いくらいの重さだったし。

 

「まあそれはいい。だが1つ聞きたいことがある。……アイシャ、お前は何らかの念能力でスペルカードの効果を無効化した、そうだな?」

 

 流石に気付くか。ゲンスルーさんの思考力はかなりのものだからな。

 まあいい。ここまで来たら教えないと今後の攻略に差し支えるかもしれないしね。

 

「ええそうです。私の念能力に、ある種の念を無効化する能力があります」

「……なるほどな。そしてそれは……自分の意思で無効化するかしないかを選ぶことが出来ない。違うか?」

「そこまで気付きますか。素晴らしいですね」

「けっ。リィーナ先生が迎えに行った時にスペルが無効化されたのを知れば誰でも気付く」

「言葉」

「気付きますはい」

 

 別に私にはいいのに言葉遣いくらい。もっとフレンドリーにしてくれた方が嬉しいくらいなのにな。

 

「リィーナ。私にはそういう言葉遣いは不要です。ゲンスルーさんへの命令を解除してあげてください」

「……分かりました。ゲンスルーさん、アイシャさんへの言葉遣いはいつも通りで構いませんよ」

「ふぅ。話を戻すぞ。これからのことだが、チームに分かれてカード入手に動くわけだが……。アイシャはこのマサドラ近辺にあるカードを探すようにした方がいいだろう」

「……え?」

「それは仕方ないな。スペルカードによる移動が出来ないのでは移動時間が掛かりすぎる。無駄を出来るだけ省く為にはアイシャは今いるマサドラを拠点として動いた方がいい」

「確かにそうだな。こればかりは仕方ないぜアイシャ」

 

 クラピカとミルキがゲンスルーさんの言葉を補足する。

 いや、でも、それだと……ほ、ホルモンクッキーが自力で取れなくなってしまうじゃないか! 事前に聞いたホルモンクッキーの入手場所はここから離れた街にあるみたいだ。つまりホルモンクッキーは私とは別のチームの人が取りに行くということ。

 それは困る! それだと私がホルモンクッキーを気軽に使えなくなってしまうじゃないか!

 

 本来なら私の分とクリア用の分、2つを手に入れるつもりだった。そして自分用を誰にも見られないようにこっそり使う予定だったのに!

 このままでは計画がおじゃんである。別チームが1つしか入手しなくても、それを“複製/クローン”で増やせば問題ないんだけど。それだとこっそりホルモンクッキーを使うのは難しい。他の人のバインダーに入っている物を使うとなると誰かに見られるのは当然の話だ。絶対、確実に、邪魔が入るに決まっている!

 クソッ! どうすればいい! 悔しいけど反論する余地がない! いくら私が全力で走っても移動スペルには敵わない! お、おのれ、おのれ【ボス属性】! お前本当にどこまで足引っ張る気だ!

 

「とにかく全員揃った所で一度トレードショップでカードを金と交換するぞ」

 

 ぐっ、仕方ない……今はゲンスルーさんの言う通りに行動するしかない。今は雌伏の時なのだ。機を待つしかない。

 

 既にゲンスルーさんは得意客になっているが、他にもなった方が良いということで何人かが得意客になる。

 1人のフリーポケットに入れることが出来るカードの枚数は45枚だから、フリーポケットカードを得意客になる1人に渡していく。そうして交換を繰り返し、結果ゴンとクラピカとリィーナとミルキとカストロさんが得意客になった。他にも何人か得意客になれたけど、増やしても意味がないので止めておいた。

 

 これで全員の持ついらないカードをお金へと交換出来た。フリーポケットはお金のカードで一杯だ。あとは出来るだけスペルカードと交換するだけだ。そうしてゲンスルーさんに案内されてスペルカード売り場へと向かう。

 

「ここがスペルカードショップだ」

「おお、早速買いに行こうぜ!」

「どんなのが手に入るか楽しみだね!」

 

 それは私も楽しみだ。スペルの名前と効果は教えてもらっているけど、それとこれとは話が別だ。買って何が手に入るか、開けてみるまで分からない所がいい。レアスペル手に入るかなぁ?

 

 

 

 皆でカードを購入した結果、計330枚のカードを手に入れた。

 1人あたり30枚のスペルカードを持つことになる。これ以上はフリーポケットを圧迫するから買いすぎない方がいいらしい。

 肝心のカードだが……。

 

 “盗視/スティール”11枚 “透視/フルラスコピー”8枚  “防壁/ディフェンシブウォール”2枚 “磁力/マグネティックフォース”7枚

 

 “掏摸/ピックポケット”13枚 “窃盗/シーフ”2枚 “交換/トレード”12枚 “再来/リターン”23枚

 

 “擬態/トランスフォーム”1枚 “複製/クローン”3枚 “左遷/レルゲイト”15枚 “初心/デパーチャー”13枚

 

 “離脱/リーブ”1枚 “念視/サイトビジョン”4枚 “漂流/ドリフト”32枚 “衝突/コリジョン”19枚

 

 “城門/キャッスルゲート”1枚 “贋作/フェイク”2枚 “堕落/コラプション”2枚 “妥協/コンプロマイズ”1枚

 

 “看破/ぺネトレイト”4枚 “暗幕/ブラックアウトカーテン”18枚 “追跡/トレース”8枚 “投石/ストーンスロー”13枚

 

 “凶弾/ショット”2枚 “道標/ガイドポスト”7枚 “解析/アナリシス”29枚 “宝籤/ロトリー”18枚

 

 “密着/アドヒージョン”2枚 “浄化/ピュリファイ”1枚 “神眼/ゴッドアイ”1枚 “再生/リサイクル”8枚

 

 “名簿/リスト”23枚 “同行/アカンパニー”7枚 “交信/コンタクト”17枚

 

 防御スペルが、すごく……少ないです。

 

「……どう考えてもハメ組のせいだな。防御スペルが極端に少ない。まあそれは分かっていたことだ。それよりも痛いのは攻撃スペルも少ないことだな。1番欲しかった“徴収/レヴィ”はおろか“強奪/ロブ”すら出ないとはな」

「攻撃スペルもあいつ等の計画には必要だからだろうな。特にその2つはな」

「これだけ買って出ないということはカード化枚数限度に達している可能性が高いな。それに“堅牢/プリズン”も入手出来なかったか。1枚でも出ていれば“擬態/トランスフォーム”で増やせていたかもしれないが……。まあ“擬態/トランスフォーム”と“神眼/ゴッドアイ”が1枚手に入っただけでも良しとするしかないな」

 

 まさかここまで防御スペルがないとはなぁ。使える防御スペルって数枚しかないし。ハメ組の作戦は順調に進んでいるということだろう。

 

「それじゃあこれをそれぞれが持つとするか」

「“神眼/ゴッドアイ”は使っておいた方がいいんじゃない? 盗られるかもしれないし」

「いや、貴重なSランクスペルだ。大天使の息吹の引換券を手に入れる為に取っておいた方がいい。リィーナ先生に持っていてもらえばスペルで奪うことも難しいだろう。他にも1枚しかないカードは使わないことだ。いつか引換券を手に入れなければならないからな」

「となると、本気で防御スペルは使えないな」

「攻撃スペルは“聖騎士の首飾り”で防ぐしかないか」

「それも“徴収/レヴィ”には無理なんだろ?」

「貴重なカードはリィーナ殿に持っていてもらうのが1番だろうな」

「いや待て。……アイシャの念能力は攻撃スペルも防げるのか?」

「……多分無理だと思いますよ。試してないので分かりませんが」

 

 私の考えが正しければ指輪に記録されているカードを奪う効果は私では無効化出来ないはずだ。

 

「試してみよう。これなら使っても問題ないだろう。“掏摸/ピックポケット”使用! アイシャを攻撃!」

 

 ゲンスルーさんの手のカードが光り、私へと飛んできた。光に当たったが私のオーラは減少することなく、ゲンスルーさんの手元に新しいカードが現出していた。

 

「……どうやら攻撃スペルは防げないようだな」

「ええまあ、分かっていましたよ……攻撃スペルはプレイヤーではなくプレイヤーの指輪に効果を及ぼしているのでしょう。私の念能力は私の身体に効果を及ぼす能力でない限り無効化出来ませんから」

 

 グリードアイランドでは完全に足を引っ張るしかない能力になっている……。いつか、いつかきっと敵の能力を無効化してくれるはず……そう信じてるぞ【ボス属性】!

 

「なら当初の予定通りリィーナ先生に貴重なカードを保管してもらった方がいいな。これから何チームかに分かれて動くが、入手困難なカードが手に入ったら必ずリィーナ先生に渡すように。特にオレが教えた中にないカードが手に入ったらすぐに渡せ。

 チームにはそれぞれ“交信/コンタクト”と“磁力/マグネットフォース”を均等に分けておこう。ああそれと、マサドラに残るチームは定期的にスペルカードを買っておけよ。貴重なスペルが出るかもしれないからな」

「では、チーム分けですが私はアイシャさんと――」

「――あんたはダメよ。あんたにはゲンスルー達と一緒に行動してもらわなきゃ」

「な、何故ですか!?」

「何故も何も……あんたが1番適任でしょうが。彼らを教育してんのはリィーナで、リィーナに絶対服従のルールもある。リィーナが彼らを管理するのが責任ってもんでしょ。ああ、彼らと一緒にアイシャと行動したいなんて言わないでよね。分かってるでしょうけど、それって戦力過多ってもんだわよ」

「う、うう……! び、ビスケなんて嫌いです!」

「子どもかあんたは!」

 

 ビスケの正論に反論出来ないリィーナであった。

 となると、私は誰と組むのかな?

 

「1つ目のチームはリィーナ・ゲンスルー・サブ・バラの4人組ね。分かったわね」

『はい……』

 

 全員覇気がないな。リィーナは私と一緒になれなくて、ゲンスルーさん達はリィーナと一緒になったせいでだろう。

 

「それじゃ2つ目だけど……バランスを考えたら、私とカストロとクラピカがいいと思うのよね。残りのゴン達4人はこの2人に比べたらまだ未熟だし、そこにアイシャが加わったら丁度いいバランスになるんじゃないかしら? アイシャと一緒にならカード探ししながら修行も出来るしね」

「このアマぶっ殺しますよ。どう考えても貴方に都合のいい人選ではありませんか!」

「いや、理にかなっているな。オレは賛成だぜ」

「全くだ。異議なし」

「オレも文句はないぜ。これでいいじゃん」

「えっと、いいんじゃないかな?」

「私に異論はないな」

「私はリィーナ殿の指示に従うが……」

「リィーナ~。多数決って知ってるかしら~」

「殺したい、この笑顔」

 

 カストロさん以外がビスケの意見に賛同している。ここでゲンスルーさん達を多数決に使っても6対5だ。リィーナの負けは確定だ。

 

「あ、アイシャさん……!」

 

 ん? 私? そんな期待込めた目で見られてもなぁ。私も別に文句はない。文句があるのはマサドラ周辺のカードしか入手に行けないことだ。獅子は我が子を千尋の谷に落とすという。リィーナ、これも修行だと思え。

 

「特に問題はないと思いますが?」

「ああ……! 何故ここまで来てアイシャさんと離れ離れにならなければ……! ……こうなったら神速でカードを集めます! ゲンスルーさん! 案内なさい!」

「マム! イエスマム!

 と、その前にだ。リィーナ先生組とビスケ組は一度オレと一緒に“同行/アカンパニー”で移動してもらうぞ。それぞれ拠点とする重要都市に移動した方が移動時間も短縮するからな。あとは渡しておいた情報を元にカード集めをしてくれ」

「それでは皆さんまた会いましょう。あ、カード集め中も修行はしてくださいね。リィーナ、ビスケ、よろしくお願いしますよ」

「お任せ下さい」

「もちろんよ」

 

 

 

 そうしてリィーナ組とビスケ組は別の都市へと移動していった。後に残ったのは私とゴン、キルア、レオリオさん、ミルキの5人である。

 

「それじゃあ私たちもカード集めと行きましょうか」

『おー!』

「どれから行く?」

「1番近い奴からでいいだろ」

「そうだな。マサドラで手に入るのは――」

「――いや待て。その前にちょっとアイシャに聞きたいことがある」

 

 ん? 私に聞きたいこと? 何だろうか。

 

「何ですかミルキ?」

「ああ、お前がここに来る途中で会ったという物乞いのことだ。どう考えてもゲームのシナリオの1つなのに、何もカードが貰えなかったのが気になっていたんだ」

「何かのフラグを建てられなかったんじゃないの?」

「いや、逆にこれがフラグなんじゃないかとオレは思っている」

 

 私がアイテムを恵んだのが1つ目のフラグということか。ならこの後に何かをすればシナリオクリアとなるのかな?

 

「これがフラグだとしてもよ。この後どうすりゃいいんだよ?」

「ああ、アイシャの話を聞いた後、“聖騎士の首飾り”の効果を確認して思ったんだ。“聖騎士の首飾り”は他プレイヤーの攻撃スペルを反射するだけじゃない。触れたカードの呪いも解けるんだよ」

「……? ……ああ! そういうことか!」

「分かったかキル」

 

 どういうことだろう? 呪いを解くことと追い剥ぎさん達に何の関係が……? カードの呪いを解く……。呪い、カード。……ああ、もしかして。

 

「あの追い剥ぎ達も呪われている可能性があるということですか」

「そういうことだ」

「え? でもその人たちってカードじゃないんでしょ?」

「忘れたのかゴン。このゲームじゃ大抵がカード化出来るんだろ。ゲンスルーも言っていたが、それこそNPC(ノンプレイヤーキャラクター)なら人間でもな」

「なるほど! その追い剥ぎ達をカード化してから“聖騎士の首飾り”で呪いを解いたら!」

「いや待てよ。追い剥ぎは病気なんだろ? 呪いとは違うんじゃないのか?」

「だけど試してみる価値はありますね」

 

 無駄だったら仕方ないと思うしかない。でも上手く行けば何かのカードが手に入るかもしれない。流石はミルキだ。こんなことを簡単に思いつくなんて。ゲーマーだけのことはあるな!

 

「アイシャでも“聖騎士の首飾り”を使うことは出来るだろう。これはアイシャの身体に直接効果を及ぼすアイテムじゃないからな」

「ええ。プレイヤーが持ったカードに反応するのだったら、そのはずです」

「じゃあ一度アイシャにはその追い剥ぎの所へ行ってもらうか。オレ達はその間に街中で手に入るカードを入手してるよ」

「分かりました。それでは一走りしてきますね」

「いってらっしゃーい!」

 

 

 

 

 

 

「……行ったか」

「ああ。つか、滅茶苦茶はえーな。もう見えないぞ」

「アイシャに驚くのは今さらだろ」

「だね。このままじゃオレ達が何かをする前にアイシャが帰ってきちゃうよ。マサドラで手に入るっていうアイテムを取りに行こうよ」

 

 確かにな。あのスピードじゃアイシャが帰ってくるのも時間の問題だ。その前にやることをやっておかなきゃな。

 

「……」

 

 レオリオの無言の視線に僅かに首肯する。

 焦るな。確かに今は迅速を尊ぶが、焦ればゴンはともかくキルに気付かれる。そうなったらどうなるか分かっているだろう。

 

「じゃあここからさらに二手に分かれるぞ。このマサドラでは2種類の指定ポケットカードが手に入るようだしな。オレとレオリオ、キルとゴンに分かれてそれぞれ調べようぜ」

「……ふーん。まあ、それでいいぜ」

 

 まずい、気付かれたか? ……いや、大丈夫だ。何か感づいた様子もなくゴンと談笑してやがる。

 

「じゃあオレ達は行くからよ。さぼんじゃねーぞ」

「さぼらねーよ。お前こそ、アイシャが帰ってくるまでにアイテムを見つけられるのかよ」

 

 挑発はわざとだ。こう言えばキルはムキになってカード探しに夢中になるだろう。

 

「あ? お前よりも早く見つけてやるよ」

「いいぜ。競争と行こうじゃないか」

「もうー、また2人とも喧嘩してー」

 

 喧嘩腰なのはキルだけだよ。オレのはフリってヤツだ。いつまで経ってもお子様だな。別に競争で負けてもどうでもいい。キルが調子に乗るだろうが、それよりもオレ達には重要なことがあるんだ。

 

「それじゃ行くぜ」

「ま、頑張れよキル」

 

 精々カード探しに熱中しててくれ。

 

 

 

「……ゴン達はいないな?」

「ああ。気配もねーぜ」

 

 良し。上手くいったか。だが念の為に人影の少ない所へ行こう。

 

「こっちだレオリオ」

「ああ! くぅー、早く見せてくれよ! バッチリ撮れてんだろうな!?」

「任せろ。オレの技術は知ってるだろ?」

 

 そう、オレの技術はゾルディックでも随一だ。機械類に関してオレの右に出るものはそうはいないぜ。

 

 オレは右耳に付けているピアスを慎重に取り外す。さらにそのピアスから小さな小さなマイクロチップを取り出す。

 

「相変わらずすげぇな。こんなちっちゃなピアスで写真が撮れるなんてよ」

「まあな。機械を作るのは得意なんだぜ」

 

 メスの蚊に取り付けられる程の小型の爆弾だって作れるんだ。ピアス大のカメラだって楽勝さ。

 

「しかしよ、どうやって撮影してんだ? これじゃシャッターを押すことも出来ないだろ?」

「そこがオレの凄いところだ。このピアス型のカメラは耳に一定の力を加えることで稼働するんだ。だから手を触れる必要もない。もちろんシャッター音もならないからバレることもまずないわけだ」

 

 これを使うには耳のみを動かせるようにならなければならない。

 その上で動かしたと分からないように絶妙な力を込め、その力で稼働するようにピアス型カメラを作る。まさに完璧な技術だ。

 

「おお……! すげぇな。無駄に洗練された無駄のない無駄な技術と技能のオンパレードだな」

「ふ、そう褒めるなよ」

 

 あとはこのマイクロチップを同じくオレ特製の携帯印刷機にセットしてと。

 

「ま、まだか!」

「お、落ち着け……! もう少しだ!」

 

 高画質に拘っているため、この大きさの印刷機だと現像に少し時間が掛かる……!

 ジジジ、という音とともにゆっくりと輝かんばかりの写真が現像されていく。

 待ち遠しい……! 一瞬一瞬が無限に思えてくる時間の中、ようやく写真がプリントアウトされた!

 

「お、おおお……おおおおおおお!!」

「あ、あああ……あああああああ!!」

 

 オレ達は自分でも何を言っているか分からない程歓喜していた。

 ここに写っているのはまさに……女神だ!!

 

「ぐふぅおぉおぉ! こ、ここまで鮮明に写ってんのかよ!」

「ふ、ふふふ! 当然だろ! オレが作った機械だぞ!」

 

 そう! この写真に写っているのはアイシャ! それもただのアイシャの写真じゃない! あの時、あられもない姿でマサドラまで走って来た時の、つまりは下着写真だ!!

 ま、まさかこんな写真を撮る機会が来ようとは……! これまでにもアイシャの写真は撮ってきた。レオリオとそれを2人でこっそり共有し合っていたが、これほどのお宝に巡り会えるとは思っても見なかったぜ!

 う、うう、感無量だ。今死んでもオレは後悔しない。

 

「ミルキ、あなたが神か」

「よせよ。オレはただの恋する1人の男さ」

「いや、お前のことは漢と呼ばせてくれ。いや呼ばせてください」

「オレとお前の仲だろう? 敬語はやめてくれよ」

「ミルキ!」

「レオリオ!」

 

 2人でがっしりと握手をする。何というか、こいつとは妙に気が合う。これが友人って奴なんだろうな。今ならキルアの気持ちも理解出来るかもしれない。

 オレ達ゾルディックでもダチを作ってもいいんだ!

 

「さあ、もっと現像しようぜ!」

「ああ、これを2人の友情の証としよう!」

「へえ、そいつは良かった。オレもその友情を祝福してやるぜ」

『え?』

 

 声? キル? しまっ! 電撃! 避け……! 無理! データ! 間に合わ!?

 

「【雷掌/イズツシ】!!」

『ギャアアアアアアァァァァ!?』

 

 あががががが! お、おれの、オレのお宝、お宝データがぁぁあぁあぁぁっ!

 

「やっぱりロクでもないことしてやがったか」

「うわぁ。この写真、さっきのアイシャのだね」

「どうやって撮ったんだか。これはオレが責任持って預かっとくぜ」

 

 ふ、ふざけるな! テメェそう言って1人占めする気だろうが!

 

「よ、よくもオレのマイクロチップを! お宝データを! 女神の肖像を! ぶ、ぶっ殺すぞコラァ!!」

 

「げ、スタンガン3本分の電撃なのにもう起きやがった。さすがは腐ってもオレの兄貴。電気への耐性はあったか」

「……ミルキだけじゃねーぜキルアぁ」

「嘘だろ!? なんでレオリオまでもう回復してんだよ!」

「オレも成長してんだよ。これがオレの新能力、【仙光気/リホイミ】だ!」

 

 おお、レオリオ、オレとの特訓が生きたな。

 薄い【掌仙術/ホイミ】を全身に纏うことで常時回復を促す能力。回復能力と来たらゲーム。そしてゲームを思い起こせばこれくらい思いついたぜ。

 欠点は自身にしか使えないことと、瞬間回復量は【掌仙術/ホイミ】に劣ることか。だが常に回復し続けるのはかなり強いだろう。電撃による麻痺も回復したのは僥倖だぜ。

 

「ここじゃ周囲を巻き込む。街の外に行こうぜ……久しぶりにキレちまったよ」

「上等だよ。ゴン、やるぞ!」

「どうしてこうなったの?」

 

 それはこのクソガキが男の夢を壊したからさ。

 夢を壊した奴に手加減も気兼ねもする必要はない。全力で殺るぞレオリオ!

 

 

 

 

 

 

 オレ達は周囲を巻き込まないようマサドラの外に出てから相対した。

 これからこのクソガキに大いなる制裁を加えなければならない。

 思えば長いことこいつには苦労させられた。ゾルディックの長い歴史を見ても飛び抜けた才能を持っている癖に暗殺者としてはムラがありすぎる。何度となくそれに苛立たせられたか。そればかりじゃない。こいつが家を飛び出した時にオレの腹にナイフを突き刺したのも忘れちゃいない。こいつはそのことを少しも反省してないだろう。

 オレが強くなったのはアイシャに見合う男になりたいが為だったが、こいつに兄貴としての威厳を教え込む為でもあったのかもしれない。

 

「〝待〟ってたぜェ! この〝瞬間〟をよォ!」

「あんま〝調子〟ノンなよミルキよォ。〝ひき肉〟にしちまうゾ?」

「〝オレ〟がインのも忘れんなよォ? この〝レオリオ〟を〝ナメ〟るんじゃねーゾ……〝キルア〟ァ!」

「何だろう? オレだけ世界が違う気がする」

 

 おいおい。躊躇ってたら〝不運〟と〝踊〟っちまうぜゴン?

 

「オラァッ!」

「シィッ!」

 

 どちらが先に動いたのか? 多分同時に動いたんだろう。

 オレとキルはオーラを漲らせながら初手から全力で攻撃を繰り出していた。

 

 互いに隙を作り出す為に幾多ものフェイントを交えながら攻防する。

 やはり純粋な体術と身体能力においてオレはキルに劣る。ずっとまともに動いていなかったんだ、それも仕方ない。だがオーラに関してはオレに1日の長がある。オレはこいつよりも幼い時に念に目覚めさせられたからだ。

 キルは本当にオヤジ達に期待されていた。だから念についてはずっと秘密にさせられていた。早期から念について知ってしまえば、それに頼って身体能力を疎かにするかもしれないからだ。オレみたいにな。

 発にしても子どもの純粋な発想も確かにいいが、考えなしで作ってしまうこともある。オヤジ達はキルに最高の暗殺者になって欲しいがために慎重に育てていたんだ。

 

 だが、それがここに至ってはオレの有利に働いた。あと数年、いやこいつの成長速度からしたら1年も掛からずにオレを上回るかもしれないが、今この瞬間はオーラに関してはオレが上だ。

 潜在オーラ、顕在オーラ、オーラ技術、その全てにおいてキルはオレに劣っている。念能力者の戦いにおいてそれは致命的だ。しかもこいつの能力である電撃はオレには効果が薄い。一応は同じ地獄を潜って来てるんだからな。電気への耐性なんて生まれた時から鍛えられてたさ。

 勝てる! オレは生まれて初めてマトモにキルに勝てる!

 

「死にさらせェ!」

「テメェがだダボがァ!」

「ゴン、オレらも〝ケリ〟ぃ付けようゼ?」

「いや、止めようよ。絶対何かおかしいよ」

 

 既にオレ達に後退の二文字はねぇんだヨっ!

 

「ぐっ? こ、これは!?」

「くく! 掛かったな〝馬鹿〟がよォ? オレの〝能力〟忘れたのかヨ?」

 

 そう、オレの能力は重量操作! それは何もお前たちにやった重りだけに限ったわけじゃねーんだぜ? オレが触れた物体はそれが何であろうと、そう、生物だろうとその重量を増すのさ! オレと戦う時はオレに触れられないようにしなきゃどんどん重くなっちまうぜ?

 

「重く出来んのはお前だけじゃねーんだゼ!」

「ぐっはぁっ!?」

 

 オレはオレ自身も重くすることが出来る!

 攻撃のインパクトの瞬間に拳や足、靴などの重量を増せば、その破壊力は絶大なものになる!

 

「ちぃ! 〝ナメ〟てんじゃねーぞミルキぃ!」

「おっと」

「〝何〟ぃ!?」

 

 キルアの反撃を軽く避ける。その時の動きが予想外だったんだろうな。驚愕で顔が染まってんぜ?

 

「何度も言わせんなヨ? オレの〝能力〟忘れたのかってなァ!」

 

 重量〝操作〟だ! 重くすることも、軽くして動きを早くすることも出来んだよ!

 

「貰ったぜキルアぁ! あの世で〝反省会〟でもするんだなァ!」

 

 キルアは反撃が避けられたことで体勢が戻っていない! そんな状態でオレの攻撃を防ぐことは出来ない! 勝った! オレの勝ちだキルアぁぁぁぁ!

 

「あぐぁ!?」

 

 !? ど、どういうことだ!? なんで攻撃したオレの方がダメージを受けている!? 確実に当たっていたタイミングだった! あれで避けるどころか、反撃をするなんて出来るわけがない!

 し、しかも僅かだが身体が痺れてやがる! 電撃を喰らったのか!?

 

「どうした? オレの〝能力〟を忘れたのかヨ?」

 

 なん……だと?

 こ、こいつ! キルの髪が総毛立っている!? 全身に電気を帯びてんのか!?

 だが、どうしてそれであんな神速の反撃が……!?

 

「ま、まさか!?」

「その〝まさか〟だよクソ兄貴ぃ!」

 

 こいつ! 電気信号で直接神経を刺激してんのか! それで文字通り雷速の反応をしたのかよ! な、なんて能力作りやがる! キルの電気が切れるまでコッチの攻撃は全部反撃される! 無敵に等しいぞ!?

 

「すげーなおい……」

「あ、レオリオ元に戻ったんだ。良かった~」

「ああ。隣でこんな高レベルの戦闘されたらな。正気にも戻るわ」

 

「これなら避けきれないだろうが! くたばれやミルキぃ!!」

「ぐああああぁぁ!」

 

 全身をキルアの攻撃が襲う! クソッ! 反応することすら出来ねぇ!

 く、くくく、だが、避けることは出来なくても、耐えることは出来るぜ!?

 

「な、なに! 何で攻撃が効かない!」

「随分と攻撃が〝軽〟いなキルアよォ?」

「!? まさか!」

「軽くなって動きやすくなっただろ? 感謝しろよォ!?」

 

 そう! オレはキルアの重量を今までとは逆に軽くしたのさ! 一度オレが重量を操作した物体は重くするのも軽くするのもオレの意思次第! より重く、もしくは軽くするにはオーラを籠める必要があるが、初手の攻防で十分にオーラは籠めてある。

 

「どうせ避けらんねぇならよォ……〝重〟くする意味もねぇだろォ?」

「〝クソ〟がァ!」

 

 あとはキルアの電気の充電が切れるのを耐えるだけだ! 急所は常にガードしていればいずれは……!

 

「〝上等〟ォ! 電気切れる前にお前の〝電源〟切ってやんよォ!」

「〝ヤ〟ってみろやァ!」

「ミルキィィィィィィィィ!!」

「キルアァァァァァァァァ!!」

 

 

 

 

 

 

 身体が熱いぜ。キルとこんなに殴りあったのは、本当に初めてだな。もう、お互い指1本動かす体力も残っていない。2人とも地べたに転がって息を荒げている。

 

「ぜぇ、ぜぇ……や、やるじゃん兄貴……」

「ひゅー、ひゅー、お、おまえ、こそ、な……」

 

 オヤジやジイチャンに地獄の修行を付けてもらって自信がついたけど、やっぱりキルは凄い。才能だけじゃない。どれだけ努力していたかはグリードアイランドに来て良く分かっている。アイシャと一緒ってのが羨ましいけどな! オレはマッチョとジジィで、お前は美女美少女女神に囲まれてるってどういうことだよ?

 ……いや、女神以外はちょっとアレな女達だが。

 

「いや……正直本当に見直したぜ……あのブタくんがここまで強くなるなんてな」

「キル……」

 

 まさかこいつからオレを認めるような発言があろうとはな。

 思ってもみなかったぜ。何だろう。身体はボロボロなのに、こみ上げてくる何かで無性に身体を動かしたくなる。

 

「……さっきは悪かったな。つい衝動的にやっちまった」

「いや、オレが盗撮なんてしたのが間違いだったんだ。お前がしたことは正しいことだよ」

 

 素直にキルの謝罪を受け止められる。いい気分だ。蟠りが溶けていくようだ……。

 

「ほら、写真は返すぜ。……あとよ、この写真上手く使えば……」

「ああ。オレの技術なら複製は楽勝だぜ?」

「おお! じゃあ、その……」

「ふ、皆まで言うな」

 

 こいつも男ってことだ。ガキだガキだと思っていたが……ふ、成長しやがって。

 

「あ、兄貴!」

「キル!」

 

 今、オレ達は本当の兄弟になれた!

 

「あの……何してるんですか2人とも?」

「アイシャ、この写真ミルキが盗撮してたんだぜー」

「キルアァァァァァァァァァ!?」

 

 裏切るのも雷速かこのクソガキィ! こいつやっぱりぶっ殺す!

 ていうかもう帰ってきたのか女神! もといアイシャ!

 

「え? この写真……?」

 

 見られた。終わった。さよならオレの初恋……。もはやこの世に生きる価値なし。死んで償おう。あ、キルを殺してからな。

 

「もう、ダメですよミルキ。こんなの勝手に撮って」

「……え? そ、それだけ?」

「それだけって? ええ、別に写真撮られたくらいでそんなに怒りませんよ? でも、勝手に撮るのはダメですよ。言ってくれれば写真の1つや2つくらい」

 

 ――慣れてますし――

 

 慣れてんの? こんな姿のだよ?

 え? 撮っていいの?

 

「あ、でも……流石にこの写真はダメですよ……。やっぱりちょっと恥ずかしいです……」

『ぐはっ!』

 

 アイシャが恥ずかしそうに顔を赤らめて俯いた姿にオレとキルとレオリオが吐血した。

 

「なんで血を吐くの!?」

 

 お、男だからさ……。

 

 

 

 

 

 

 全く。写真を撮るなら言ってくれれば別に怒らなかったのに。何時の間に撮ったんだろう? 視線は感じていたけど、写真を撮られているとは思ってもいなかったよ。

 ピアス型のカメラだなんて凄い技術だな。どうやったらそんなの作れるんだ? キルアが電撃で壊したらしいけど。勿体無いなぁ。

 でも、写真として見るとなんだか恥ずかしかったな。あの時はあんな格好でも恥ずかしいと思わなかったのに……なんでだろう?

 

「ねぇアイシャ、物乞いの病気は“聖騎士の首飾り”で上手くいった?」

「ああ、そうそうそれですよ。上手くいきましたよ! これを見てください! “ブック”」

 

 バインダーを開き、ゴンに手に入れたカードを見せる。

 開かれたページは指定ポケットのページ、つまり指定ポケットカードを手に入れることが出来たんだ! ふふふ、何か楽しいなこういうの。全部のアイテムをコンプリートしたくなってくる。

 

「おぉー! 指定ポケットだ! ミルキさんの考えが当たってたんだね!」

「ええ。これはゲンスルーさんの情報にもなかったアイテムです。凄いですよミルキ!」

「それほどでもないぜ」

 

 またまた謙遜しちゃって~。しかし、情報にない指定ポケットカードを早々に入手出来るなんて、これは幸先がいいな。意外と本当にクリアも出来るかもしれない。

 

「じゃあ早くこれをリィーナさんに渡しとこうぜ。オレ達が持ってたら奪われるかもしれないしな。ゲンスルーが知らなかったってことはハメ組も未入手のアイテムの可能性高いし」

「そうだな。それじゃオレが持ってくぜ。アイシャじゃ移動系のスペルは使えないしな」

「お願いしますねレオリオさん」

 

 レオリオさんに入手したアイテム、“奇運アレキサンドライト”を渡す。

 私も移動系スペル使いたいなぁ。一瞬で移動するってどんな気持ちなんだろう?

 

「任せとけ。それじゃやってみるか。え~と、こうだったか? “磁力/マグネティックフォース”使用! リィーナ!」

 

 レオリオさんが光に包まれて一瞬で移動する。

 いいなぁ。もう私も飛んで移動しようかなぁ。

 

「それじゃレオリオが帰って来たらオレ達もカード集めといこうぜ」

「ああ、さっさと集めないと他のチームにどやされちまう」

「皆がおかしなノリにならなきゃ1枚くらい集められたかもしれないのにね」

「そ、それを言うなゴン……」

「オレ達が悪かったよ……」

 

 ゴンがジト目でキルア達を見つめている。こんなゴンは珍しい……本当に何をしてたんだろうか? キルアもミルキもボロボロだし。私の写真を取り合ってたのか? そんなのビスケに頼めば一杯手に入るのに……。

 あ、そんなこと知らないか。

 

「あの、私の写真が欲しかったのならビスケにお願いしたらくれるかもしれ――」

「――その話詳しく」

「え、ええ。少し前にビスケにたくさん写真を撮られていたので、かなりの量の写真を持っているはずですよ」

 

 く、食いつき早いなミルキ。

 でも、言っててなんだがアレも見られるのは少し恥ずかしいな。いつもの格好じゃなくて女性物の、それもかなり可愛いかったり際どかったりも……。

 ……ビスケ、あの写真リィーナに売ったりなんかしてないだろうな?

 

「次にレアカード手に入ったらオレがリィーナさんの所に持っていくよ」

「お前その帰りにビスケん所に寄ってくつもりだろ? ざけんなオレが行く」

「……次にリィーナさんの所に行くのはオレにするね」

 

 そうした方がいい気がする。

 でも何だろう。心なしかキルアとミルキの仲が前より良くなっている気がする。兄弟仲が良くなるのは良いことだけど……本当に何があったんだろうか?

 

 

 

 

 

 

 本格的にゲーム攻略に取り組んでから1ヶ月近くが経った。

 大分カードも集まってきたな。リィーナがまとめて管理している指定ポケットカードの数は70枚を超えているはずだ。その中にはあのホルモンクッキーもあるはず……!

 欲しい。でもリィーナは遠く離れた場所にいる。私は移動系スペルを使えないから気軽に会いに行くことは出来ないのだ。

 だから一計を案じた。私が行けないならリィーナに来てもらえばいいじゃない。

 

 

 

「こうして皆が揃うのは久しぶりですね」

 

 マサドラだよ! 全員集合!

 ふふふ。カード集めもかなり進んできたので、一度一区切り付けて全員で集まって話し合いを兼ねた休憩をしようと皆に声を掛けたのだ。

 作戦の第1段階は成功だ。あとは上手く“ホルモンクッキー”を手に入れることが出来れば……!

 

「はいアイシャさん! お元気そうで何よりです!」

 

 お前もいつも通りで何よりだよ。たまにはブレていいのよ?

 

「なんかゲンスルーさん達やつれてない?」

「……おお、ゴンか。生きて会えて嬉しいぜ……?」

「ねえこいつ誰? オレの知ってるゲンスルーじゃない気がする」

 

 キルアの言うことももっともだ。精根尽き果てているなゲンスルーさん。完全に人が変わっているというか。隣にいるサブさんとバラさんも目が虚ろだ。何がどうしてこうなった?

 

「いえ、ちょっとカード集めの最中も修行の手を緩めなかっただけなのですが……」

「鬼か?」

「鬼ね」

「鬼だな」

「いや鬼が可哀想だろ?」

「うむ。これはひどい」

 

 そらカード集めに奔放してるのに修行のノルマが減ってないんじゃこうもなるわな。

 

「……3人とも、この機会にゆっくり休んで下さいね」

「そうですね。3人ともかなり尽力して頂きました。今回の貴方達の貢献は確かなものです。なので今回はゆっくりと休むことを許可しましょう」

『ありがとうございますリィーナ先生!』

 

 あ、多少生気が戻った。目が輝いているよ。この1ヶ月、まともな休みもなかったんだろうなぁ。哀れな……。

 

「そう言えば、貴方達はお金欲しさにグリードアイランドで暗躍していたのでしたね」

『申し訳ございませんリィーナ先生!』

 

 ゲンスルーさん達の一糸乱れぬお辞儀である。どれほどの教育を受けたのか良く分かるよ……。

 

「いえ、責めているわけではありませんよ。もちろん反省はしてもらいますが。そうではなく。このまま上手くグリードアイランドをクリアすることが出来れば、貴方達の貢献に免じて十分な報酬を渡すことを約束致しましょう」

『お前偽物だろう?』

 

 間髪いれず、一糸乱れぬ疑問の声であった。

 

「休憩はなしですね」

『申し訳ございませんリィーナ先生!』

「死に急ぐか、馬鹿な奴らだ……」

「うむ、リィーナ殿の温情を蹴るとはな……」

「いや、オレがあいつ等と同じ立場だったら確実に疑うね」

「オレもだ。こいつ誰ってなっても仕方ない台詞だった」

 

 リィーナの評価が正当すぎて涙が出そうである。

 

「はいはいそろそろコントは御終いにしときなさい。これじゃ話が進まないわさ」

「そうですね。色々と話をしたいこともありますから、一度他のプレイヤーの邪魔が入らない場所まで移動しましょう」

 

 

 

 そうして皆でマサドラから離れてモンスター跋扈する岩石地帯へと移動する。

 ここら辺のモンスターくらいならこの中の誰が相手でも負けることはない。それに他のプレイヤーが来るほど重要な場所でもない。秘密の会話をするなら十分な場所だ。

 

「では司会進行はゲンスルーさんにお任せします」

『異議なし』

 

 このゲームに1番詳しいのはゲンスルーさんだ。現状の詳しい説明をするのに相応しいだろう。

 

「まず、現在集まった指定ポケットカードから説明しよう。今リィーナ先生が保管している指定ポケットカードは全部で72種だ。これは1ヶ月という期間では非常に早く集まったと言えよう」

『おおー!』

 

 72種か。つまりあと28種でコンプリート! だが後に残ったカード程入手が困難になってくるだろう。簡単にはクリアとは行かないだろうな。

 

「喜ばしいことはまだある。1種のカードはオレ達で自力入手し独占することが出来た。これで他のプレイヤーがクリアするのは難しくなっただろう」

 

 それは嬉しい報せだな。独占出来たカードは私たちから奪わない限り他のプレイヤーが入手することは出来ない。

 

「だが悪い報せもある。幾つかのカードは入手出来てもカード化することが出来なかった。既に他のプレイヤー達によってカード化限度枚数に達しているようだな」

 

 私たちがしていることは他のプレイヤーがしていても当然か。これはそのカードをスペルで奪うか壊すかしないと入手することは出来ないな。

 

「それともう1つ。ハメ組がリィーナ先生に目を付けだした。指定ポケットカード所持数が70枚を超えた辺りでハメ組と思わしき連中が何人か通り過ぎたことがある。オレ達を意識しまいとしていたが、逆にそれで意識が漏れていたな。取り敢えず放っておいたが、あれは確実にリィーナ先生をバインダーに登録する為に近くを通り過ぎたのだろうな。恐らくその内にリィーナ先生に対してスペルによる攻撃をしてくるだろう」

 

 リィーナが全ての指定ポケットカードを所持しているせいでランキングにもその名が載っている。ハメ組がそれを見ればリィーナに注目が行くのも当然だろう。あとは“念視/サイトビジョン”を使えばリィーナが持っているカードは丸分かりだ。欲しいカードがあれば奪いに来るだろうな。

 それにリィーナにはゲンスルーさんが一緒にいたんだ。ハメ組としてはかつての仲間が別のプレイヤーと一緒に急速にカードを集めているとなったら気にもなるだろう。

 

「アイシャ達マサドラ組がスペルカードを集めていたおかげで幾つかのレアスペルカードが手に入ったのはいいが……」

「“強奪/ロブ”や“徴収/レヴィ”は何枚か手に入りましたが、やっぱり“堅牢/プリズン”だけは出てきません。“名簿/リスト”でも何度か調べてみましたけど、ずっと限度枚数に達したままです。所持しているプレイヤーはバラバラでしたが、恐らくほぼハメ組と見た方がいいかと……」

 

 私たちマサドラ組はゲンスルーさんの言う通り、こつこつとモンスターをカード化して売ったり、ダブって不要になった指定ポケットカードを売ったりしてスペルカードを買っていたのだ。

 おかげで“堅牢/プリズン”以外のスペルカードは集まったし、貴重な“徴収/レヴィ”も数枚はある。“擬態/トランスフォーム”も結構持っている。でもこれは“擬態/トランスフォーム”を使ってハメ組が“堅牢/プリズン”を増やして独占かそれに近い状況にしているからだろうな。

 

「やはりそうか。これでは“大天使の息吹”を入手することは難しいな。例え呪文カード四十種コンプリートできたとしても、“大天使の息吹”も奴らが独占しているから入手はまず無理だ」

 

 これは困った。やっぱりハメ組が攻略のネックになってくるな。どうしたものか……これが戦闘ゲームならアジト見つけてアボンしてくるんだが……。

 無理矢理奪うって何だかなぁ。ゴンもそれを嫌っているし、この案は却下だろう。

 

「ハメ組が独占してるならスペルで奪うのは無理だよなぁ」

「“堅牢/プリズン”で守っていたら完全アウト。それ以前に誰が持っているかも分からない、何処にいるかも分からない。お手上げだな」

「せめて“堅牢/プリズン”が手に入ったらな。そしたらハメ組の誰かが大怪我でもして、“大天使の息吹”を使わざるを得なければもしかしたら……」

「運否天賦に過ぎるだろうそれは」

「……交渉で譲ってもらうのはどうだ?」

 

 ミルキ? でもそう簡単に交渉に応じるとは思えないんだけど。

 

「おいおい。あいつ等が“大天使の息吹”を譲るわけがないだろ?」

「いや、それなりの餌を用意すれば食いつくかもしれない。奴らがまだ手に入れてないカードならな」

「……オレ達が独占したカード……」

「そうだ。オレ達はハメ組が唯一カードを奪うことが出来ないチームだ。まだハメ組による攻撃は受けてないが、奴らもリィーナさんがスペルカードを防げると分かれば……」

 

 なるほど。今までのハメ技が通用しない相手が自分たちの持っていないカードを独占している。そうなったら彼らに残された方法は無理矢理奪いに来るか交換するかの2つ。そして彼らは戦闘能力に自信がないから交換をするしか残らないわけか。

 

「だがオレ達が独占しているのはAランクの“闇のヒスイ”だ。これじゃ流石にSSランクの“大天使の息吹”との交換材料にはなりにくいな」

「だったら同じSSランクを手に入れればいい。前に“名簿/リスト”で調べた時に確認したが、No.2の“一坪の海岸線”は誰も手に入れていなかった。これをオレ達が入手して独占出来れば……」

「……交換材料には申し分ないな」

「でもよ、それだとハメ組が先にクリアするんじゃないか?」

「いや、“闇のヒスイ”を独占している状況でそれはないな」

「おお、ならいけるんじゃないか?」

「取らぬ狸の皮算用だ。まずは“一坪の海岸線”を手に入れてからだよ」

「そうですね。早く手に入れた方がいいので、今回の休息が終わったら“一坪の海岸線”を探す方向でいくとしましょう」

 

 次の方針が決まったな。段々とクリアへと近づいているな。

 そして私の目的達成も間近だ。くくく、ホルモンクッキーが待ち遠しい……!

 

「では一度ゲームのことは忘れてゆっくり休みましょう。たまの休憩ということで修行の方も休みにしてね」

『イヤッホーーーッ!』

 

 拍手喝采の嵐である。ゲームクリアしてもこれほど喜ばないんじゃなかろうか?

 

「では今日は女性陣が手料理を振る舞いましょう。リィーナとビスケも買い出しに付き合ってくださいね」

「かしこまりました!」

「はいはい。ま、たまにはいいわね」

 

 丁度師匠全員が女性なのである。せっかくの休息なんだから私たちが食事の準備もした方がいいだろう。店で買った食事はあるが、たまの休みくらい手料理を振る舞ってあげよう。

 

 

 

 

 

 

「いやぁ美味かったな」

「ああ。ビスケも意外と料理が上手なんだな」

「家庭的な女性はいいと思うな」

「ポイントアップキタコレ」

「いや、口にしたら駄目だろ……。ところでビスケ、アイシャの写真とやらで相談が……」

「あ、写真が欲しかったらリィーナに言いなさい。写真の権利は譲ってあるから」

「もうダメだぁ……おしまいだぁ……」

 

 食事も終わり、皆が思い思いに話に花を咲かせている中、私はリィーナを連れ出して皆が寛いでいる場所から少し離れていく。

 後ろを見ると誰も私たちを気にしていない。私が男へなろうとすると何故か必ず邪魔が入るからな。本当はもっと離れたいんだけど、そしたら怪しまれるかもしれないからな。

 

「それで、御用とは一体なんなのでございましょう?」

「いや、大した要件ではありませんよ。指定ポケットカードも大分集まってきたでしょう。それを少し見させてもらいたいのですよ」

「そうでしたか。それくらいお安い御用でございます。“ブック”。さあ、どうぞご自由にご覧下さいませ」

「ありがとうございますリィーナ!」

 

 ホルモンクッキーホルモンクッキーホルモンクッキー! 夢にまで見た私の性転換アイテムホルモンクッキー!! これで、これでようやく私の願いが叶う!

 

 1つ1つ指定ポケットページを捲りながらカードを確認していく。

 焦っては駄目だ。ゆっくりと1枚1枚のカードをよく見てからページを捲るんだ。焦って早くホルモンクッキーのみを探そうとすればリィーナに私の考えがバレてしまうかもしれない。大丈夫だ。ここまで待ったんだ。あと少し待つくらい出来る。だから焦るんじゃない私!

 

 ………………あった。

 ああ、これが、これがホルモンクッキー…………。ようやく、これが手に入るのか。男に戻れるのか……。うう、嬉しさのあまり目が滲んできた。涙が溢れる、我慢しなければ……。

 

 まだ男に戻ったわけじゃないんだ。目的を達成する為にはまだしなければならないことがある。これを私のバインダーに入れて“複製/クローン”でコピーし、本物を返さなければ。

 コピーでも本物と同じ効果となるのは確認済み。“複製/クローン”は指定ポケットに入っているカードをランダムで複製するのだが、私は指定ポケットには1枚もカードを入れていない。つまり“複製/クローン”で複製されるのはホルモンクッキーのみ!

 

 さあ、さらばだ女の私! そしてお帰り男の私! これからは一人称もオレにするからね!

 素早くリィーナのバインダーからホルモンクッキーを奪い取る。すまないリィーナ! 本物は必ず返すから!

 

「アイシャさん!?」

「ごめんね! “ブック”!」

 

 バインダーを開き指定ポケットにホルモンクッキーを入れる! あとはフリーポケットにある“複製/クローン”を使用すれば!

 

「“複製/クローン”使用!!」

 

 手に持った“複製/クローン”がホルモンクッキーへと変化する!

 よし、これでようやく……はっ!?

 

「くっ!?」

「ちぃっ! 流石はアイシャ! 完全に不意を突いたつもりだったんだけどね!」

 

 ビスケ!? 何時の間に私の傍に……! 危うくホルモンクッキーを奪われるところだった……! くっ、ホルモンクッキーに意識が集中し過ぎてビスケに気が付かなかったとは……! 不覚!

 

「やっぱりそれがアイシャの狙いだったのね」

「……バレていたのですか」

「はい……。アイシャさんが以前から性転換をしようとしていたこと、グリードアイランドに行きたがっていたこと……。そのホルモンクッキーを手に入れた時に思い至りました……」

 

 リィーナに気付かれていたのか……。これだけの情報があれば気付くか。

 だがそれならどうして私にバインダーを見せるような真似をしたのだろうか。私がホルモンクッキーを手に入れる為だと理解しているならバインダーを見せない方がいいと分かっているはず……。

 

「リィーナは出来るだけアイシャを疑いたくなかったのよ……。リィーナのその気持ち、あなたなら分かってあげられるでしょう?」

「り、リィーナ……! そこまで、私のことを……!」

「せ……アイシャさん……!」

 

 うう、私は果報者です……! 師に恵まれ、好敵手に恵まれ……この上弟子にも恵まれているのだから……!

 

「分かってくれたのねアイシャ! じゃあそのホルモンクッキーはこっちに――」

「――あ、それとこれとは話が別です」

 

 おや、ビスケがずっこけた。

 

「こ、この頑固者! やっぱり何だかんだであんたとネテロは似てるわさ!」

 

 失礼な。私のどこがネテロに似ているというのか。あんな負けず嫌いの頑固ジジイと一緒にしないでもらいたい。

 

「こうなったら覚悟を決めなさいリィーナ」

「ええ……。申し訳ございませんアイシャさん! 不忠者と罵られようともこのリィーナ! アイシャさんが男になるのを見過ごすわけにはいきません!」

「……誰が不忠者と言いましょうか。私はあなたの成長が嬉しいですよリィーナ……」

 

 あのリィーナが。師の言うことは絶対と断じるリィーナが。私が言うことは何でも叶えようとするだろうリィーナが。私の意思に背くというのだ。これを嬉しいと言わずに何と言うのか。離れていく子を見る親の気持ちは多分こんな感じなのだろうな。

 

 でも、今じゃなくてもいいんじゃないかと切に叫びたい。

 

「アイシャさん……。ありがとうございます……! ならば私に出来る最大の抵抗をさせて頂きます!」

 

 む? どうする気だ?

 

「全員集合!」

『おう!』

「ぶはっ!?」

 

 リィーナが一声掛けたら寛いでいたはずの男性陣全員が飛んで来やがった!

 こ、こいつ等あらかじめ内通してやがったな!? そうじゃなきゃ一声掛けただけであんなに素早く私に向かって“磁力/マグネティックフォース”で飛んで来れるもんか! そうして一糸乱れぬ動きで私を取り囲んだ。手際良すぎない君たち?

 

「悪いが邪魔させてもらうぜアイシャ!」

「スマンが今回はリィーナ殿に賛同させてもらうよ」

「アイシャが男になるなんざ認められねーんでな!」

「そういうことだ! それを認めるとオレは何のために痩せたのかと……!」

「悪いが師の命令だ。覚悟してもらおうアイシャさん」

「悪いが命が懸かっている。覚悟してもらおうアイシャ」

「右に同じ」

「左に同じ」

「総力戦よ。いくらアイシャでもこれだけの人数にこれだけの質……同時に相手して勝てるかしら?」

「これが私の全力の抵抗です。これを突破出来れば……あとはお好きになさってください!」

「……1日くらい良いと思うんだけどなぁ」

 

 お、おお……!?

 良く分からないけど全員から異常なほどの気迫が漂ってくる! リィーナ達はともかく、キルアとレオリオさんとミルキ、そしてゲンスルーさん達からは並々ならぬ物を感じる……! ゲンスルーさん達は確実にリィーナの命令だな。キルア達はそんなに私が男になるのが嫌なのか? あとゴン。1日くらいって何の話?

 

 いや、そんなことは今はどうでもいいんだ。

 今大事なのは、彼らが私の悲願の邪魔をしようとしていることだ……。

 時間が経ちカードからアイテムへと変化したホルモンクッキー1箱を大事に胸元へと仕舞いながら全員を睨みつける。……ていうか、何箱あるんだこれ? 結構な数が地面に落っこちたんだけど?

 まあいいや、取り敢えず1箱は死守しよう。残りは出来たら回収する方向で。

 

「いいでしょう。全員かかってきなさい。ですが……今の私は阿修羅すら凌駕する存在だと知れ!」

 

 私vs反性転換連合の死闘が今ここに狼煙を上げた。

 

 




 アイシャがスポーツブラとはいえ下着を着けだしたのはビスケからノーブラだと胸の形が崩れると言われたからです。そこから体幹が崩れるのを嫌がったためですね。

 レオリオ新能力。と言っても【仙人掌/ホイミ】を利用したものなので然程メモリも取らない能力です。

【仙光気/リホイミ】
・強化系能力
 術者の身体を薄い【掌仙術/ホイミ】で覆うことで常に回復効果を得続ける能力。回復量は【掌仙術/ホイミ】に劣るが、身体が動かなくてもオーラを操る意思1つあれば使用可能。全身を覆う為か、代謝や抵抗力も上がっており多少の毒や麻痺なども回復する。だが元は【掌仙術/ホイミ】なので術者が把握していない傷や適切な医療法を学んでいない傷には効果は減少する。

〈制約〉 
・術者本人にしか効果はない
・使用者が把握出来ない傷に対しては回復効果は減少する。
・傷に対する適切な医療法を学んでいないと回復効果は減少する。

〈誓約〉
・特になし


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十二話

 魔法都市マサドラから北東の方角にある岩場にて12名のプレイヤーが対峙していた。その12名はそれぞれが1流の使い手で、念能力者のみが集うこのグリードアイランドでも上位に位置する強者達だ。

 プレイヤーのみで見ればこの12名が完全にトップであり、ゲームマスターを加えたとしてもそれと同等、あるいは上回る実力者も複数人いた。

 

 そんな彼らが集まりその身にオーラを纏わせ全力の戦闘態勢へと移行している。それはこの場に他のプレイヤーがいれば確実に腰を抜かすだろう程のプレッシャーを生み出していた。もっとも、プレッシャーの原因、もとい戦闘の切っ掛けはアイシャの性転換阻止という極めてどうでもいい物だったが。

 

 アイシャを取り囲む11名に緊張が走る。特に顕著なのがアイシャを良く知る者たちだ。その実力を誰よりも知っているアイシャの一番弟子リィーナ。師であるネテロとの戦いを見続けていたビスケ。仇である幻影旅団の殆どをたった1人で壊滅させたのをその目で見たクラピカ。クラピカと同じくゴンとキルアとレオリオもあの戦闘の一部を見ていた。

 化け物もかくやと言わんばかりのアイシャに自分たちが打ち勝てるのか? いや、勝たねばならんのだ! 己が為にも!

 

 だがそれはアイシャも同じだった。

 14年だ。14年も待ち望んだ悲願がようやく達成されようとしているのだ。例え弟子であろうと、弟子の親友であろうと、己の親友達であろうと、孫弟子であろうと容赦をするつもりはアイシャには毛頭なかった。

 なのでアイシャは、勝つ為に自身のオーラすら利用した。

 

「皆さん! 少しの間時間を――」

 

 リィーナがある作戦を完遂する為に必要な時間を稼いでもらおうと皆に声を掛けたその瞬間。全員の身体に怖気が走った。

 その身にまとわりつく不快なオーラ。何時の間にこんなオーラに包まれているのか? 精神を蝕むような禍々しいオーラの質と思わず身を竦めてしまうような圧倒的なオーラ量に、誰もがその身を硬直させてしまう。

 アイシャのオーラを良く知る者達はそのオーラの正体に気付きすぐに精神を立て直す。だがそれが僅かに遅い者たちがいた。アイシャはそれを見逃すほど優しくはなかった。

 

『――!?』

 

 縮地で一瞬の内に死角へと回り込み、流れるようにゲンスルー達の首筋を手刀で打ち抜くアイシャ。ゲンスルー・サブ・バラの3人は抵抗はおろか声を出す間もなくその場で崩れ落ちていった。彼らが稼げた時間はリィーナの発した言から僅か0.4秒程である。

 

「何という役立たず……!」

 

 かなり酷い言い草であった。尤も、リィーナの言葉はアイシャ以外のほぼ全員(ゴンを除く)の代弁でもあったが。

 だがゲンスルー達を責めるのは酷というものだろう。アイシャはゴン達の隙を作る為に【天使のヴェール】を使用した状態でオーラを高め、かつ全員を囲む円を展開し、その状態でいきなり【天使のヴェール】を解除したのだ。

 前置きなく突如として不快で強大なオーラに我が身が包まれているのだ。人間なら大抵ビビる。驚いて硬直しても仕方ないと言えよう。事実リィーナですら一瞬硬直した。

 リィーナやビスケ、ゴン達はアイシャに対する信頼や前情報のおかげで立ち直りが早かっただけなのだ。未だそこまでの信頼関係を結べていないゲンスルー達では、いきなりのこのオーラに戸惑うのは当然だった。

 

 倒れ伏すゲンスルー達。だがアイシャは気絶したはずの3人……正確にはゲンスルーにのみ追撃を加えようとする。それにいち早く気付けたのはキルアだけだった。この時キルアは既に己の念能力、【神速/カンムル】を発動していた。

 神経に直接電気による負荷を掛けることで、潜在能力の限界すら超越する動きを強制する荒技。伝説の暗殺一家ゾルディックの長き歴史に置いても最高の才能を持つキルアだからこそ出来うる能力。

 思考を飛び越え反射のみで動いたキルアは、未だ意識を保っていたゲンスルーに飛びつきアイシャの追撃から守ることに成功する。

 

 これにはアイシャも驚愕である。3人の意識を断つ為の手刀、だがゲンスルーだけ手刀の手応えが弱かった。凝による防御が間に合ったことを称賛しつつも無情なる追撃を加えたのだが、まさかあの距離から仲間の援護が間に合うとはアイシャすら思ってもいなかった。

 

「皆さん時間を稼いで下さい!」

 

 ゲンスルーが気絶をまぬがれたことと、キルアの神速の反応に驚きながらも再び時間稼ぎを願い出るリィーナ。その横にはビスケとカストロがオーラを漲らせながら並んでいた。

 反性転換連合の最大戦力である3人が前に出ようとしないのを疑問に思うも、残りの4人はアイシャの前に立ち塞がる。アイシャの追撃を逃れたゲンスルーとキルアもその中に加わろうと体勢を立て直そうとしていた。

 

「助かったぜキルア……!」

「礼はいいから早く立――」

 

 言葉を言い切ることは出来なかった。アイシャの狙いは完全にキルアへと向いていたからだ。キルアの新たな能力はこの場の誰よりも脅威に値するとアイシャは判断した。およそ反射速度という一点に置いてなら、今のキルアはアイシャすら上回るだろう。この上電撃による麻痺もあるとなれば真っ先に叩いておかねばならない存在だった。

 

 キルアが体勢を立て直す前に【神速/カンムル】もかくやと言わんばかりの速度でキルアに接近するアイシャ。だが神速の反射神経を持つキルアも負けてはいない。瞬時にゲンスルーを掴んだまま体勢を立て直し、即座にその場を離れアイシャの攻撃からかろうじて逃れる。

 

「……なるほど、とてつもない疾さです。成長しましたねキルア」

「まあな。オレだって何時までもお前に負けてらんねーからな」

「そうですか。ですが、逃げ回っていても私は倒せませんよ?」

「……アイシャ、止める気はないんだな?」

「言葉で止められるとは思わないことです!」

 

 キルアの時間稼ぎを兼ねた言葉をアイシャは一蹴する。もとより説得1つで諦めるくらいなら転生などしてはいないのだ。この程度の言葉ではアイシャの心に1つの波紋すら作ることは出来なかった。

 

「こんなの産んでくれたお母さんに申し訳ないと思うよ?」

「うぐっ!?」

 

 結構揺らいだ。どうやら大きな波紋が出来たようだ。

 

「そ、それでも……うう、ごめんなさい母さん! それでも私は止まれないのです!」

 

 持ち直した。

 だがゴンの純粋な瞳から来る一言はアイシャの心にかなり突き刺さっていた。

 

「悪いこと言っちゃったかな?」

「いやナイスだゴン!」

「ああ! 心なしかオーラも弱まっている気がするぜ!」

 

 オーラには精神が強く表れる。意志を強く持てばそのオーラも強まり、逆は当然弱まることになる。アイシャのオーラは若干だが弱まっていた。ゴン達からすれば100が95になったくらいだが。

 だが何よりもゴンの言葉がもたらした成果は僅かでも時間を稼げたことだろう。アイシャが動揺している隙にキルアとゲンスルーも既に臨戦態勢を整えていた。

 

「キル! サポートしろ!」

「今回は言うこと聞いてやんよ!」

 

 ミルキとキルアの兄弟タッグがここに完成する。ミルキがアイシャへと突撃していくのをキルアが神速の行動でサポートする。アイシャがミルキに攻撃を加えようとするとそれをキルアが僅かにアイシャの動きを逸らす。

 僅かだけでいい。そうすればミルキがアイシャの身体、正確には身に付けている衣服に触る隙が出来る。むしろそれ以上アイシャの動きに干渉してしまうと【神速/カンムル】発動中の自身ですら柔に巻き込まれるとキルアは判断したのだ。

 

 ミルキがアイシャの衣服に触れた瞬間にオーラを出来るだけ流し込み衣服の重量を操作する。徐々に重くなっていく衣服。だがその重さが1tを越えようともアイシャの動きが止まることはないだろう。

 しかし、例え動けたとしても重くなればなるほど負荷が掛かることに変わりはない。それが僅かでもアイシャの動きを鈍らせることに繋がればいいのだ。

 

 もちろんゴン達もそれを黙って見てはいない。戦力を各個撃破されるなどもっとも愚かな戦法なのだから。ミルキとキルアに続いてゴン達も攻撃を加えていく。

 ゴンとレオリオがアイシャへと全力の攻撃を振るう。どうせ自分の攻撃などアイシャにとって然したる問題にはならないと理解していた。だったら初めから遠慮無しで全力でぶつかるまでだった。

 アイシャは2人の決死の攻撃を捌きながらそのまま力の流れを変えて2人に戻す。複数人だろうが合気を仕掛けるのはアイシャにとって容易い行為だ。

 

「ぐっ!」

「おわっ!?」

 

 吹き飛ばされるゴンとレオリオ。だがアイシャへの攻撃は終わらない。すぐさま別の誰かがアイシャへと襲いかかる。

 次にアイシャへと攻撃を仕掛けたのはクラピカだ。既に【絶対時間/エンペラータイム】を発動させており、己に出来うる最大限の強化を施してアイシャへと【打倒する人差し指の鎖/ストライクチェーン】を振るう。

 

 クラピカの鎖を躱し、それだけでなくその鎖を掴むアイシャ。アイシャが鎖を引っ張るとそれに抵抗するクラピカ。その力の流れを操作し、鎖伝えに柔を仕掛けようとする。

 クラピカはそれを具現化した鎖を消して回避する。だが鎖を消す瞬間にアイシャは一気にクラピカとの距離を詰める。このタイミングでのその動きにクラピカも対処しきれないでいた。

 クラピカへと風間流の奥義・浸透掌を叩き込もうとするアイシャ。だがクラピカは浸透掌を受ける前にその場を離脱することが出来た。

 何故かクラピカに触れる直前にその動きが止まったアイシャ。それはアイシャの後方から放たれたキルアの【鳴神/ナルカミ】が原因だった。

 いくらアイシャといえど、電撃を受ければ身体は硬直するようだ。今まで攻撃が通じた覚えがないからキルアも若干不安だったのだが。

 

「お前ら! オレが動きを止めた瞬間を狙え!」

 

 そうと分かればラスボス攻略法も見えてきた。キルアの電撃で動きが硬直した瞬間を狙えばさしものアイシャも攻撃も防御も不可能だろう。

 そう思い、続けて【鳴神/ナルカミ】をアイシャへと放ったキルアはそこで信じられないモノを見た。

 

「んな!?」

 

 なんとアイシャが飛来して来る雷撃を避けたのだ。

 普通人は雷を避けられない。だがそれは放たれてから避けようとすればの話だ。落雷のタイミングは読めなくとも、これは念能力による雷。つまりそこには人の意思が介在する。ならば放たれる瞬間を読めない道理などアイシャにはなかった。

 当たらなければ身体が麻痺することもない。至極当然の結果である。だが電撃が当たったものと思って行動した者たちにとってそれは何とも残酷な結果だった。

 

 開幕の仕返しと言わんばかりに飛び掛っていたゲンスルーはその腕を掴まれ、アイシャへと迫っていたクラピカの鎖の盾として扱われる。

 鎖の直撃を受け、その痛みを感じる前にゲンスルーはアイシャによってクラピカのいる方向へと勢い良く投げ飛ばされた。

 

「ぐおおっ!?」

「くっ!?」

 

 高速で飛来してきたゲンスルーを迷わず避けるクラピカ。それを先読みし、避けた方向に移動しようとしていたアイシャ。

 そしてクラピカへの追撃をキルアが【鳴神/ナルカミ】で防ごうと――していたところでアイシャが縮地により急激に方向を転換しキルアへと迫った。

 

「いっ!?」

 

 まさかあの状況で自分を標的にされると思っていなかったキルアは、一瞬戸惑うも持ち前の神速の反応でアイシャの攻撃を躱す。カウンターで攻撃を加えることも出来たが、キルアは自身の勘を信じて回避に徹した。攻撃すればどうにも捕まえられる気がしたのだ。

 アイシャはそのままキルアを追いかける。キルアはアイシャの追撃を躱す。そこに第三者が入ることは出来ない。誰もその動きに追いつけないからだ。文字通り神速と化したキルアはともかく、アイシャの動きと速度もゴン達には目で追うことも出来ないでいた。

 

「は、疾すぎる!」

 

 ゴン達の目の前で目まぐるしい神速の攻防が繰り広げられる。追うアイシャに逃げるキルア。しかし両者の差は一向に縮まらず、キルアが捉えられることはなかった。

 だが両者には圧倒的な差があった。アイシャはこの動きを1日中だろうと続けることが出来るが、キルアはそうではない。

 キルアの動きはオーラを電気に変化させる能力を応用した物。そしてその能力は身体に充電している電気がなくなってしまえば使用することは出来なくなる。いや、例え充電が十分に保ったとしてもいずれはこの動きを維持出来なくなるだろう。両者のオーラ量には圧倒的な差があるのだから。

 このままではジリ貧だということはキルアが1番良く分かっていた。だから、キルアは次のアイシャの挑発に乗ることにした。

 

「どうしましたか? さっきも言いましたが、逃げるばかりでは私を倒せませんよ? いえ、このまま逃げ続けるのなら私はホルモンクッキーを食べるだけです」

 

 倒さなければ性転換を阻止出来ない。そう言われては攻撃に転じざるを得なかった。

 確かにそうだ。アイシャは別にキルア達を倒す必要はないのだ。あくまでアイシャの目的は性転換。その邪魔をするキルア達を倒そうとしているだけで、邪魔をせずに逃げるのならばそうする必要はない。このままアイシャも離れてホルモンクッキーを食べるだけだ。

 そうさせるわけには行かない。キルアもアイシャが男になるなんて認めることは出来ないのだ。

 

 アイシャと一定の距離を保ち動きを止めるキルア。それを見てアイシャも動きを止めキルアの行動を待つ。

 一瞬、だがこの場の誰もが数十倍の時間の流れを感じたその時、キルアの【神速/カンムル】の1つ、【電光石火】が発動した。

 

 キルアの新能力【神速/カンムル】は大別して2種類の能力に分けられる。

 1つは【疾風迅雷】。予めプログラムした行動を相手の動きに感応して自動的に働かせる能力だ。だが【疾風迅雷】ではアイシャに対して効果が薄いとキルアは判断した。前もって設定した動きではアイシャに対応される恐れがあり、また臨機応変の柔軟な対応が取れない為だ。アイシャの神がかった読みに対してそれは致命的だ。

 なので、自らの意志をダイレクトに肉体に伝え、思考と反応のタイムラグを失くすことで神速の動きを取れるもう1つの能力、【電光石火】にてキルアはアイシャに挑む。

 

 その動きはアイシャにも目で見てから反応しては対処出来ない程の疾さ。だが、アイシャの長年の経験がキルアの意志を、オーラの流れを見切り、動きを先読みした。

 キルアが動いた瞬間にはアイシャも既にキルアの攻撃予測地点に腕を運んでいた。キルアが神速ならばアイシャは神業である。キルアが能力で成した神速の領域にアイシャは修練にて達したのだ。

 だが、やはり速度という一点ではキルアがアイシャに勝る。攻撃に反応されたのなら、その動きにさらに反応すればいいのだ。キルアは瞬時に攻撃の軌道を変え、攻撃の狙いを変更した。いや、こちらがキルアの真の狙いだった。

 そう、狙った箇所はアイシャの……豊満な胸元だった。

 

 衣を裂く音が夜の岩場に響く。アイシャの露わになった胸元からはホルモンクッキーが飛び出していった。

 

 ――やった!――

 

 果たしてどういう意味で喜んだのか。とにかくキルアは目的を達成した。

 アイシャがホルモンクッキーを食べるのが勝利条件なように、キルア達もアイシャを倒す必要はない。ホルモンクッキーを奪い取ればいいのだ。

 宙に舞うホルモンクッキーを【電光石火】でキャッチし、そのまま視線をアイシャの胸元に持っていき、キルアは満足した。

 

 ……満足してしまった。

 

 ――勝利を前に油断。減点です――

 

 それは言葉を発する暇もない刹那の間。だがキルアは確かに聞いた。アイシャのその声を。

 奪われたなら、奪い返せばいいじゃない。アイシャはそれを実行したまでだった。キルアを叩きのめすというおまけ付きで、だが。

 

 宙に浮いているキルアはアイシャの動きに反応することが出来ない。

 いや、反応自体は出来るのだが、宙に浮いている故に移動することが出来ないのだ。

 逃げることが出来ないなら迎撃するしかない。だがキルアは片手にホルモンクッキーを持っている。その状態で高速で迫り来るアイシャを迎撃することは【神速/カンムル】発動中のキルアでも困難だった。

 

 キルアが一瞬で何撃もの攻撃を繰り出しても全てオーラで弾かれる。廻によるオーラの高速回転で攻撃がアイシャの身に届く前に弾かれてしまうのだ。如何に速度を増してもオーラ量が増えたわけではないので速度ほど攻撃力は上がっていないようだ。

 最終手段としてアイシャの身体を踏み台にしてその場から離れようとするが、それはアイシャに読まれていた行動だった。オーラの放出により空中で急激に速度を増したアイシャはそのままキルアに組み付く。離したらまたも神速の動きで逃げられるのだ。そうなったら面倒だとアイシャは力一杯キルアを抱きしめた。

 さらにオーラの放出角度を変え、地面に向かって急降下。そのままキルアは地面とアイシャにサンドイッチされたまま、大地の下へとアイシャと共に埋まっていった。

 

「……お、おい。どうなったんだ?」

 

 見ることすら困難な戦いにレオリオがそう口にする。だが誰もそれに答えられる者はいなかった。

 やがて土埃が舞う中、アイシャがゆっくりと現れた。その腕に気絶したキルアを抱きかかえて。キルアが受けたダメージは相当な物らしく、その鼻からは大量の血が流れていた。顔を強く強打したのだろう。決してアイシャの胸に顔を埋めたことが原因ではない。少年の名誉の為に繰り返す。決してアイシャの胸に顔を埋めたことが原因ではない。

 何処か幸せそうな笑みを浮かべたまま気絶しているキルアを優しく地面に降ろし、アイシャは改めて残ったゴン達5人と相対する。

 

『ぐぶっ!』

 

 訂正。3人に減った。

 

「レオリオ!? ミルキさん!?」

「くっ! 2人には刺激が強すぎたか!?」

「卑怯だぞアイシャ! そんな攻撃するなんざよ!」

「早く服を直すんだアイシャ! このままでは2人が出血死してしまうぞ!」

 

 先ほどまでの緊迫感など次元の彼方へと消え去っていた。

 卑怯も何も、こんな風にしたのは自分ではないのだが、と若干の理不尽を感じつつもアイシャは胸周りを布で覆う。その際に取り戻したホルモンクッキーをまた胸元に戻すことを忘れない。

 

「大丈夫かレオリオ! こんな死に方をしたら末代までの恥だぞ!?」

「あ、ああ。大丈夫だ。まだやれるぜ! あの胸もといホルモンクッキーを奪うまではな!」

「お、オレもだ……! くそっ! あの時キルアがオレのピアスを壊してなけりゃ……!」

「……結構大丈夫そうだね」

「お前ら馬鹿やってないで気を入れ直せ!」

 

 どうやらレオリオとミルキも無事復帰出来たようである。

 

 take2。アイシャは改めて残ったゴン達5人と相対する。

 

「分かってはいたが、圧倒的だな……」

「クラピカ、お前の能力なら……」

「いや無駄だ。私の能力の大半がアイシャには無意味だ。彼女の能力を忘れたのか?」

 

 クラピカの能力、相手を無力化する【束縛する中指の鎖/チェーンジェイル】と【封じる左手の鎖/シールチェーン】のコンボに期待を寄せるレオリオだが、返ってきたのは無情な答えだった。

 そう、アイシャの能力【ボス属性】の前ではクラピカの鎖の大半が無効化されてしまうのだ。有効なのは精々【打倒する人差し指の鎖/ストライクチェーン】くらいのものだ。

 アイシャに対してはクラピカはその戦闘力の大半を失ってしまうのだ。上手く使えば格上であろうとも無力化出来るのがクラピカの能力の真骨頂なのだが……。

 アイシャの【ボス属性】が初めて役に立った瞬間であった。……アイシャ本人にその自覚はなかったが。

 

「クソッ! 使う気はねぇけど、オレの【閃華烈光拳/マホイミ】も意味ないよな……」

「オレの【命の音/カウントダウン】もな。アイシャに勝つには実力で勝るしかないってわけだ」

「衣服なら重く出来るが、アイシャ本人は重くは出来ないな。衣服も重くしたところで脱いでしまえば意味は……いや、これしかないな!」

「ああ、それで行こうぜ!」

「真面目にやれ2人とも。馬鹿は放っておくぞ。とにかく、現状1番期待出来るのは純粋な攻撃力だ。つまり……」

 

 クラピカの言葉に全員が強化系であるゴンを見る。

 

「うう、プレッシャーが……」

「こうなったら全員で行くぞ。少しでも隙を作り出すんだ。その隙を突いてゴンの最大攻撃力を叩き込んでくれ」

「……隙が出来なかったら?」

「……共に死のう」

 

 死は怖くない。そう言っていた頃をふと思い出したクラピカだった。

 

「いえ、殺しませんからね?」

「行くぞ!」

『おう!』

 

 アイシャの言葉を無視し、5人が決死の覚悟で特攻を仕掛けようとしたその時、後方から制止の声が掛かる。

 

「お待ちなさい。無闇にアイシャさんに掛かっても無駄死にするだけです」

「だから殺しませんって」

「り、リィーナさん……!」

「間に合ったか……」

「ああ、これで死なずに済むかもしれねぇぜ」

「あなた達、実は私のこと嫌いでしょう?」

 

 一体自分を何だと思っているのだろうか? 憤慨するアイシャであったが、彼らの立場からすれば怪獣相手に生身で挑んでいるようなものなのだ。死の1つや2つ覚悟するくらい広い心で許して上げて欲しいところだ。

 

 戦場に現れたリィーナのその身からアイシャに匹敵する程の膨大なオーラが溢れ出る。本来のリィーナのオーラとは比べ物にならないそれは、後方でぐったりと息を荒げながら倒れているビスケと、ビスケよりはまだ余裕があるが同じくかなりのオーラを消耗しているだろうカストロの2人が原因であった。

 そう、リィーナは【貴婦人の手袋/ブラックローズ&ホワイトローズシャーリンググローブ】にてビスケのオーラを限界ギリギリまで吸収したのだ。カストロのオーラは若干残してあるが。

 【貴婦人の手袋/ブラックローズ&ホワイトローズシャーリンググローブ】にて吸収したオーラはリィーナが自由自在に引き出して使用することが出来る。それは本来の顕在オーラにさらにオーラを上乗せすることも可能だということだ。

 今のリィーナの顕在オーラはアイシャに比肩するほどまで高まっていた。

 

「あたしのオーラ殆ど渡したんだから……負けたら承知しないわよー……」

 

 大地に伏したビスケは息も絶え絶えにリィーナを叱咤激励する。

 そのままビスケはよっこらせっという掛け声を上げてさらに後方の岩陰へと入って休息を取り出した。

 

「ありがとうございますビスケ。ゆっくりとお休みなさい……」

 

 そんなビスケを優しく見守り、リィーナはアイシャと対峙する。

 

「……行きますよリィーナ」

「はいアイシャさん!」

 

 互いに同じ風間流の構えを取り相対する。こうして本気で師弟が戦うのは一体何時ぶりだろうか。弟子の成長を確かめる意味を込めて、アイシャから攻撃を仕掛ける。

 

 まずは小手調べと組手争いを仕掛けるアイシャ。それにリィーナも応える。互いに自身が有利になるように相手の衣服を掴もうと両手を高速で動かす。

 猛烈な組手争いを制したのはやはりアイシャであった。衣服への僅かな指の引っ掛かりを利用してリィーナの体を崩しに掛かる。

 だがリィーナも負けてはいない。力の流れを読み、逆にアイシャへと技を仕掛けようとする。それをさらにアイシャは利用しようとし、リィーナもそれを先読みして動きを変える。

 

 傍から見れば殆ど動いていない2人、だがそこにはゴン達では理解出来ない複雑な攻防があった。やがて互いに離れて距離を取る。アイシャは愛弟子の成長を確かに確認し、それを嬉しく思った。

 

「素晴らしい。よくぞここまで……」

「全ては師の指導のおかげ……私はそれを怠らなかっただけの話でございます」

 

 師のおかげと謙遜しているリィーナだが、内心は狂喜乱舞していた。

 師に褒められることは彼女にとって麻薬に等しい喜びなのだ。ちょっと、いやかなり危ない。まあ傍目には分からずともそんな風に狂喜乱舞していればアイシャからすれば隙だらけである。

 

 先ほどの攻防は何処に行ったのやら。一瞬にして間を詰められ気付けばリィーナの視界は反転していた。

 リィーナは浮かれていた自分を罵倒し、全身をオーラでガードする。そのまま浸透掌にも備えて体内オーラの操作を心がけておく。だが、アイシャの攻撃は浸透掌ではなかった。アイシャは腕をしならせてリィーナに叩きつけることでその体を空中で弾く。

 

 ――まずいこれは!――

 

 リィーナがそう思おうと後の祭りだ。

 空中で弾かれたリィーナは、吹き飛ぶ前にまたもアイシャの攻撃によって弾き飛ばされる。左右に、上下に、斜めにと何度も、何方向にも弾かれ続けるリィーナ。

 ビスケから吸収したオーラでダメージを防いでいても意味はない。これはアイシャが、いやリュウショウが非力な己でも敵を倒せる技の1つと重宝していた風間流の奥義なのだから。

 例え身体にダメージを負わなくとも、まるで濁流に飲まれた木の葉のように空中で弾かれ続けることでその平衡感覚は狂わされていく。このまま脳を揺さぶられ続ければ最終的には意識も失ってしまうだろう。

 

 この状況からの脱出は力の流れに逆らわずに敢えてその流れに身を任せることが唯一の方法だ。だがそれは常人の場合の話だ。今戦っているのは念能力者。ならば脱出方法は他にもあった。

 

 リィーナは膨大なオーラを放出することで空中から一気に距離を取る。アイシャも使っているオーラの放出による空中移動を利用したのだ。

 これには瞬間的にかなりのオーラを放出出来ることと、放出系の技量もそれなりに必要となってくるが、そのどちらも現在のリィーナは有していた。

 

 ――ビスケとカストロさんのオーラがなければここで終わっていたかもしれませんね――

 

 改めて2人に感謝するリィーナ。放出系の技量はまだともかく、瞬間的なオーラの放出量は具現化系であるリィーナでは己自身の力のみでは成し得なかったのだ。

 ともかく、危機を乗り越えられたのは確か。だがやはりオーラで互しようとも、戦闘能力ではアイシャが上なのはリィーナにも分かっていた。純粋な風間流の技量のみならばまだいいが、アイシャとリィーナにはオーラ技術に差があるのだ。

 さらに潜在オーラの差も大きい。リィーナがアイシャに匹敵するオーラを放っているのは、自身の顕在オーラに吸収したオーラを加算しているからだ。吸収したオーラは自由自在に使用出来るので、顕在オーラを大量に上げることは出来るが、そうすれば吸収したオーラが失くなるのも当然早くなる。

 長期戦になれば確実に負けてしまう。そう確信したリィーナは目的達成の為に師との1対1の拘りを捨てた。

 

 思わぬ方法で危機を脱したリィーナを、さあ次はどうするのかと若干目的からズレた思考で見守っていたアイシャ。だが、次の瞬間さらに思わぬ物を見てしまい驚愕に慄いた。

 

「カストロさん!」

 

 リィーナがそう叫んだ瞬間。後方で地に膝をついていたカストロが立ち上がり、最後の力を振り絞って全力の一撃を繰り出した。

 

「おおおぉぉ! 【邪王炎殺虎咬砲】!!」

 

 カストロから放たれたのは闇の炎で形作られた漆黒の虎。それは獰猛な唸りを上げるように、激しく炎を唸らせて大地を疾走した。

 …………リィーナに向かって。

 

「な!?」

 

 まさか味方であるリィーナに向かって技を放つとは思ってもいなかったアイシャ。なぜ? どうして? 疑問は様々に浮かんでは消えるが、それを遥かに上回る驚愕が待っていた。

 

「はああぁぁっ!」

 

 リィーナは自身へと飛びかかってきた漆黒の虎を両の手で殴りつける。

 両手に莫大な顕在オーラを籠めることでカストロの放ったオーラの塊を弾き返したのだ。

 

「!?」

 

 …………何が何だか分からない…………。

 アイシャの心境を言葉にするとこんな感じだろう。師に向かって攻撃したと思ったら、師はそれを弟子に弾き返す。新手のキャッチボールか? 疑問も謎も最大限に深まったところで更なる混乱がアイシャを襲う。

 

 弾き返された【邪王炎殺虎咬砲】を、カストロは避けもせずにまともに正面から受けたのだ。

 

「か、カストロさん!?」

「お、おい! 大丈夫なのかよ!」

 

 これにはアイシャだけでなく周りで見ていた者たちも混乱した。あれだけのオーラが籠められた攻撃をまともに受けて無事でいられるわけがない。まさかこんな馬鹿な戦いで人死が出るのかとアイシャ達は天を仰いだ。そうして皆がカストロの元へと駆けつけようとしたその時、彼らは信じられない物を見た。

 

「こ、これは!?」

「こおぉぉぉぉぉぉっ!」

 

 そこにいたのは、暗黒のオーラに身を纏ったカストロだった。その身には傷1つなく、そればかりか疲労困憊だったその身は膨大なオーラを纏ってすらいた。

 

「これぞ【邪王炎殺拳】最大最強の奥義。炎殺虎咬砲はただの放出系ではない。術者のオーラを爆発的に高める栄養剤(エサ)なのだよ」

 

 一瞬遥か過去の何かを思い出し掛かったアイシャは、それを意志の力で封印する。思い出したら多分身悶えしてしまうと無意識に理解したのだ。

 

 アイシャの葛藤は横に置いておき、これこそがカストロの最大の切り札であった。【邪王炎殺虎咬砲】に隠された真の能力。それは暗黒の虎を吸収し術者の力を底上げするブースト能力だった。だが、その使用条件が激しく厳しい使い勝手の悪すぎる能力でもあった。

 

 【邪王炎殺虎咬砲】を放った後の潜在オーラが、【邪王炎殺虎咬砲】に使用した顕在オーラ以下であること。その【邪王炎殺虎咬砲】を受けた相手が無傷であること。

 この2つの条件を満たさなければ発動しない能力なのだ。しかも【邪王炎殺虎咬砲】自体が一度使用すると24時間使用出来ない切り札中の切り札なのだ。

 

 あまりの使い勝手の悪さ。そもそも【邪王炎殺虎咬砲】を無傷で防ぐ者などどれだけいるのか。だがその使用条件の悪さは能力の向上に繋がることになる。発動することさえ出来れば脅威的なパワーアップが出来るだろう。

 そしてリィーナとカストロは2人で特訓している時に、相手のオーラを吸収する【貴婦人の手袋/ブラックローズ&ホワイトローズシャーリンググローブ】を利用して条件を達成させることに成功していた。

 

 前述した通り、【邪王炎殺虎咬砲】は24時間に一度しか使用出来ない。その制約により【邪王炎殺虎咬砲】はかなりの攻撃力を有している。その攻撃力を見て、リィーナは自身の通常のオーラでは無傷で弾き返すことなど不可能と判断していた。だが他者のオーラを吸収して、顕在オーラを上昇させればあるいは……。

 2人での修行中の実験にてそれは証明された。これによりカストロは【邪王炎殺虎咬砲】のブースト効果を受けることが出来るようになったのだ。

 

 というか、あまりの攻撃力の高さにそれまで【邪王炎殺虎咬砲】のブースト効果を発揮したことがなかったのだ。あのヒソカでさえまともに受ければ死に関わるダメージを負ってしまうのだから、その攻撃力は推して知るべしだ。

 リィーナのおかげで定期的に【邪王炎殺虎咬砲】のブースト効果を修行に組み込むことが出来たカストロは、【邪王炎殺虎咬砲】も含めて練度を高めることが出来た。リィーナの協力があればカストロは最大の力を発揮することが出来るのだ!

 

「行くぞアイシャさん!」

「!?」

 

 アイシャの知るカストロとは比べ物にならないスピードで高速接近する。強化系の能力を十全に発揮し有らん限りのオーラで全身を強化しているのだ。流石は強化系というべきか。アイシャもこのパワーアップには思わず舌を巻いた。

 だが、強化系の戦法と風間流は相性がいい。如何に疾かろうと、如何に強かろうと、猛進してくるならそれを返すまで。

 

 カストロの力を合気にて返そうとする直前、アイシャは突如その行動を取り止めカストロの攻撃から身を躱す。だが僅かにその判断が遅かった。その鋭い一撃を完全には躱せず、服の一部が燃え尽きてしまった。

 そう、燃え尽きたのだ。何故か暗黒色になっていたオーラで一見分かりづらいが、カストロの両腕は【邪王炎殺拳】が発動したままだったのだ。これを通常の攻撃と判断して合気で返そうとすればかなりのダメージを負っていただろう。

 

「カストロさん! 狙いは!」

「承知!」

 

 言葉を言い切らずともリィーナの意図を読んだカストロ。そう、狙いはアイシャ本人ではなくその胸元にしまいこんだホルモンクッキーだ。それさえ奪い取り、食べることが不可能なレベルで粉砕してしまえばアイシャの性転換は防げるのだ。

 

「皆さん! 何を呆けているのですか! 総力戦です!」

『りょ、了解!』

 

 リィーナの戦闘やカストロの変化に驚き見学人と化していたゴン達も、リィーナのその激に動きを見せる。

 ゴン、クラピカ、レオリオ、ミルキ、ゲンスルー、そして吸収したオーラで強化されたリィーナと、【邪王炎殺虎咬砲】にて強化されたカストロ。総勢7人の猛攻がアイシャを襲う!

 

「くっ!」

 

 これにはさしものアイシャもたまったものではない。

 強化されたカストロの動きは、技の冴えはともかくそれ以外はネテロと比べても遜色がないレベルへと向上していた。技の冴えもネテロと比べれば見劣りするというだけで、十分に達人といってもおかしくないレベルに達している。いや、純粋な攻撃力――【百式観音】を除き――だけならネテロすら上回っていた。しかもその両手は高温の炎を纏っているのだ。1対1ならともかく、これだけの人数で襲いかかられては対処も至難だ。

 ゴン達も決して足手纏いではない。カストロをサポートするべくカストロの攻撃の合間合間を狙ってアイシャへと牽制を仕掛ける。さらに全体の動きをリィーナがサポートしていた。ゴン達がアイシャの攻撃を受けそうになると即座に割って入ってカバーをする。アイシャの動きを誰よりも知るリィーナだからこそのカバー。7人が一個の生命になったように動き続けアイシャを追い詰める!

 

 ゴンの【ジャンケングー】を逸らし、アイシャの腕を掴みかかってきたゲンスルーへ向けて力を受け流す。だがクラピカが【打倒する人差し指の鎖/ストライクチェーン】でゴンを引っ張ることでそれを防ぐ。

 ゲンスルーにそのまま腕を掴まれ【一握りの火薬/リトルフラワー】にて爆破されるが、高速の凝によりダメージを無効化する。しかしゲンスルーの狙いはダメージを与えることではなく爆発によりアイシャの視界を遮ることだった。その為に威力を減らし爆発量を大きくするよう調整していた。

 腕を掴んでいた為、そこからバランスを崩され大地に叩きつけられるゲンスルー。だが目的は達成していた。爆発の陰からカストロが猛獣の連撃を思わせるラッシュを繰り出してくる。そのどれもがまともに受ければアイシャのオーラすら超えてダメージを与える威力を誇る。

 アイシャはゲンスルーを蹴り上げることでカストロへとぶつけ、その隙に縮地にてその場を離れようとする。だが完全に離れる前にレオリオが組みかかってきた。一同でもっとも実力が劣ることを自覚していたレオリオは下手な攻撃をせずにアイシャの動きを少しでも止める為にタイミングを見計らっていたのだ。

 その隙を逃さずミルキがアイシャの衣服に触れさらにその重量を増す。これで僅かに、だが確実にアイシャの動きはさらに制限されるだろう。

 レオリオとミルキを呼吸法と体捌きにて大地へと叩きつけるも、止めとなる追撃はリィーナによって防がれる。

 

 全てが思い通りに行かない戦いはそう記憶にないアイシャ。まさに苦戦。ここまで苦戦したのはネテロとの戦いくらいのものだ。そう思い、アイシャはふと笑っている自分に気がついた。

 

 ――楽しいな――

 

 そう、アイシャはこの戦いを何時の間にか楽しんでいた。

 弟子が、友が、孫弟子たちが、これほどまでに成長し自分に食いついて来るこの戦いを心底楽しく感じていた。願わくばこの時間がもっと長く続いて欲しい。そうアイシャは思い始めた。

 

 だが、楽しい時間はそう長くはないようだ。アイシャはカストロの心情から焦りがあるのを読み取ったのだ。

 今この状況で焦りを感じる。つまりはカストロのブースト効果はそう長くは続かないということだろうとアイシャは推測した。しかも同じ焦りをリィーナも感じている。リィーナの吸収したオーラも底が見えてきたのだ。アイシャに対抗する為のオーラを顕在させ続けた為だ。

 

 それでいてアイシャはまだまだオーラ総量に余裕があった。いや、それどころか廻によるオーラの高速回転をキルアとの戦闘以外で使用していないのだ。それはアイシャは全力を温存しているということだった。

 押しているように見えるが、このままではジリ貧だろう。そう判断したリィーナとカストロは全てを込めて最後の攻撃に転じる。

 

「はっ!」

「おおっ!」

 

 全体のサポートに回っていたリィーナがカストロと同時にアイシャへと攻撃を仕掛ける。反性転換連合の最高戦力による同時攻撃。アイシャもそれに全力で応えようとする。

 天地上下の構えを取り、己の全ての技術を籠めて両者を迎撃しようとして――足首を掴まれ大地に足を飲み込まれ体勢を崩すこととなった。

 

「なっ!?」

 

 驚愕したアイシャが見たのは地面の下から生えた一本の腕だった。

 なぜ地面の下から腕が!? そう驚愕する間もなくリィーナとカストロがアイシャへと突撃してきた。

 片足を掴まれ、しかも地面に片足が足首まで埋まった状態で両者を迎撃するのはアイシャでも不可能だった。足を強く引っ張られ、バランスを保つのが精一杯。そこに最高レベルの実力者が2人も掛かってくるのだ。

 咄嗟に足首にて廻を発動し掴んでいる手首を弾こうとするも、その手に全力の硬をしているためか、攻撃を捌くのに注力せざるを得ず廻に集中しきれない為か、はたまたその両方か、とにかく簡単に弾くことは出来ないでいた。

 数手、数十手と攻撃を凌ぐも、最後にはリィーナによって胸元のホルモンクッキーを奪い取られ、カストロの暗黒の炎によって焼き払われてしまった。

 

『お、おおぉ……や、ったーーーーっ!!』

 

 ラスボス撃破である。

 困難を達成した反性転換連合は誰もが喜びの声を上げた。

 

「……やられましたね。ところでビスケ、もういいでしょう?」

「……ぷはっ! ふう、このあたしがモグラの真似事をするなんてねぇ。ま、流石のアイシャも予想してなかったみたいね」

 

 地面からビスケが這い出てくる。そう、アイシャの足を掴んでいたあの腕はビスケのものだったのだ。

 リィーナにオーラを吸収されつくしたはずのビスケ。だが、その実ビスケはまだオーラに余裕を残していたのだ。あの息も絶え絶えだった姿も演技だ。岩陰へと避難したのも、地面を掘り進んでいるのを見られないようにするためだ。

 地面を掘る道具はゴン達の修行道具としてのスペアをカードとしてバインダーに入れていたのを使用した。戦闘の真下までバレないように掘り進み、あとは機を見て奇襲を敢行したのだ。

 地上の状況は地面の下にも伝わってくるオーラの応酬と、リィーナの耳に仕込んであった小型の通信機から把握していた。ちなみにこの通信機はミルキ作である。アイシャの位置はそのオーラの質から判断していた。禍々しいオーラを撒き散らしているので簡単に位置を判別出来ていた。

 

「……初めからここまでの作戦を練っていたのですか」

 

 ビスケの話を聞いて肩を落とすアイシャ。完全に策に嵌められた結果である。だがそれでもここまで戦い抜いた皆にアイシャは賞賛を送る。

 

「皆さん、素晴らしかったです。それぞれが全力の力を発揮した結果と言えるでしょう。……私の負けです」

 

 そう、誰もが力を出し切ったのだ。カストロのブースト効果は残り僅かで切れる寸前であり、リィーナの吸収したオーラも僅かしか残っていない。

 ゴン達も圧倒的な実力とオーラを放つアイシャを相手に普段以上にオーラを消耗している。ダメージ自体は然程でもないが、誰もが疲弊していた。ちなみにゲンスルーは結構ボロボロである。特に最後のアイシャの蹴りが効いていた。

 ビスケも戦闘に殆ど参加こそしていないものの、リィーナへのオーラ譲渡、地面を掘り進む際に慎重に、かつ素早く移動する為に殆どのオーラを消耗している。アイシャの動きを止めるのには最後の力を振り絞っていた。しかもアイシャの足を掴んでいた手は廻の威力に耐えていた為に皮膚が破れ血が滲んでいた。

 誰もが残り僅かな力しか残っていない。まさにギリギリの勝利だったのだ。

 

「……アイシャ?」

 

 素直に負けを認めたアイシャは皆に笑顔で賞賛を送り、そのまま寂しそうにゆっくりと場所を移動する。アイシャのその行動は悲願を打ち砕かれたが故の哀愁から来るものだと誰もが思い、それを見守る。

 

「あ、アイシャさん……!」

「止めておきなさいリィーナ……」

 

 アイシャへと駆け寄ろうとしていたリィーナをビスケが止める。そう、今さら勝者が敗者に声を掛けて何になろうと言うのか。アイシャの悲願である性転換を阻止しておきながら、それを慰めようなどとおこがましいとリィーナは自身を恥じた。

 そもそも、ゴンの言う通り性転換の効果は1日だけだったのだ。それなら敬愛する師の願いを叶えても良かったのではないか? 愛くるしいアイシャの姿が失われるのかと思い少々暴走したのではとリィーナは後悔する。

 

 そうしてリィーナが後悔に苛まれている間に、アイシャは最初にホルモンクッキーをカードからアイテム化した場所まで歩いていき…………その場に落ちてあるホルモンクッキーを1箱取って胸元に隠しこんだ。

 

『……え?』

 

 あれ? どういうこと? あ、そう言えばあれって10箱入りだったな……。

 などと完全に呆けている反性転換連合を尻目に、アイシャは悠々と残り8箱のホルモンクッキーを全力で様々な方向へと投げ飛ばす。

 これで例え今持っているホルモンクッキーがまた奪われ破壊されたとしても、残りの内どれか1つでもアイシャがゲットしに行けばいい。幾ら何でもこれだけの数を同時に対処することなど出来ないだろう。

 

「私の負けです。……第1ラウンドは、ですが。さあ、第2ラウンドと行きましょう。今度は初めから全力で行かせてもらいますよ」

 

 アイシャのその宣言とほぼ同時にカストロのブースト効果が切れる。その反動でカストロは完全な絶となった。戦力大幅ダウンである。いや、まともな戦闘力の残っている者など誰もいなかった。だがラスボスは完全に本気である。

 敢えて全力の練を行い戦意を見せつけた上で【天使のヴェール】でオーラを隠す。さらに両手に纏うオーラをボーリング大の球形に変化させる。

 【天使のヴェール】で隠されたオーラは身体から離れない限り念能力者の目に映ることも感じることも出来ない。つまり見えない凶器の完成である。これで攻撃されれば目測を見誤り避けることはまず無理だろう。

 今まであまりに卑怯だろうと思い対ネテロ戦でも使用したことのない禁断の技をアイシャは解禁した。これも目的成就の為である。容赦などなかった。

 

『……』

「来ないならこちらから行きますよ?」

 

 ラスボス(第2形態)VS反性転換連合(満身創痍or疲労困憊)の第2ラウンド……否、蹂躙が始まった。

 

 




 このアイシャ容赦せん!
 グリードアイランドラスボスはレイザーではない。このアイシャだー!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十三話

 争いは虚しい。だが、人は戦わなければ生きていけない生物なのかもしれない……。などと意味があるかないか分からないことを考えている場合ではないな。ゴン達には悪いが、ようやく男に戻る時がやってきたのだから……!

 

 気絶したゴン達を見下ろす。若干、いや結構後味悪いけど、今回は勝ちに行かせてもらった。

 最初は皆の成長を確かめる意味合いが大きくなりすぎていた。そしたら真面目にピンチに陥ったからな。あれには吃驚した……まさかカストロさんがあんなパワーアップをするとは……。

 キルアも凄かったな。あの年齢であのレベルに到達するなんて……数年後が楽しみだな。最後には大人気なく勝ちに拘ってしまった。【天使のヴェール】+変化系は相性良すぎだな。

 

 私は変化系が苦手な為に攻撃力は大分落ちるけど、それでも見えない攻撃は脅威的だ。最後は誰も対処出来ていなかったからなぁ。

 問題はやっぱり攻撃力の低下とオーラの消費量の高さだな。【天使のヴェール】と苦手な変化系で消費量もドン、だ。短期戦には向いているけど長期戦ではあまり使用しない方がいいな。

 

 死屍累々の戦場跡を見て多少のやり過ぎ感はあるけど、これも悲願達成の為だ!

 さらば女の私! でもまたその内戻るから待っててね! だが今はとっとと男に戻って童貞喪失じゃああぁああ!!

 男として生きて132年! 女に生まれ変わって14年! 合わせて146年! 私は長き童貞の時代に終わりを告げるぞーーー!

 

 おっと、気が早い。まずは相手を見つけないとな。ははは。男に戻ってからが大事じゃないか。まあ焦らずゆっくり探すとするか。でも150年に到達しないことを目標にしておこうか。切りが良くてなんか嫌だ。

 とにかく、今はホルモンクッキーを食べて男になろう。

 

 ホルモンクッキーの箱を開けて、中からクッキーを1枚取り出す。

 ふふふ、これを食べたら性転換……だが、そうは問屋が卸さないだろうことは理解している! そう! グリードアイランドのアイテムは全て念で作り出された物! つまりこのホルモンクッキーも念能力の産物! それは私の【ボス属性】により無効化されることを意味する! そんなことはとうの昔に分かっていたわぁ!

 

 ……いや、【ボス属性】を作った時は分かっていなかったけどね。あの時はそういう薬があると思い込んでいた。普通に考えたらそんな薬念能力以外では有り得ないのにな。私って、ほんとバカ。

 

 一時はそれに思い至って正直絶望しかけたが、まだ望みはあると考えついた。

 そう、グリードアイランドへの入国方法自体がその答えだ。そもそもグリードアイランド自体プレイ出来ないんじゃと絶望しかけていたんだが、【ボス属性】の誓約を上手く使えば何とかなると考えついたのだ。

 結果は成功だった。30日もの間絶状態を強いられるが、オーラを消費しきれなかった場合の念能力は無効化出来ずに私の体にも効果を及ぼした。

 つまりはそれと同じことを今回もすればいいだけのこと! 皆との戦闘でオーラもそこそこ減っている。これをさらに消耗させ、残り僅かになったところでホルモンクッキーを食べれば……!

 

 念願の男ってわけだよ。

 くくく、まずはホルモンクッキーを1つ食べてオーラの消耗度を確認しておこう。もちろん【天使のヴェール】は発動してな。

 さて、いただきまーす!

 

 モグモグ、意外と美味しいな。味は期待してなかったんだけど。

 よく噛んで味わって咀嚼する。さて、オーラは……………………あ、あれ?

 おかしいな、もう1枚……………………あ、あれあれ? 3枚、4枚、5枚……………………お、オーラが、へら、ない?

 

 

 

 

 

 

 ……はっ! あまりのことに一瞬意識が飛んでいた。

 いかんいかん! まずはどうしてオーラが減らないか原因を考えるんだ!

 ……ホルモンクッキーは1枚のカードで10箱アイテム化した。これは1箱全て、もしくは10箱全てを食べきらないと効果を発揮しないとか?

 1箱ならともかく、10箱だったらまずい! 最初の1箱は完全に焼却されてしまっている! まずはこれを確認しなければ……! でもどうやって!?

 

「……う、うう」

「っ! キルア?」

 

 呻き声が聞こえた方を見てみるとキルアが意識を取り戻そうとしていた。

 

「と、桃源郷が……」

「丁度良かった。キルア、これを食べてください」

「え? ムグッ?」

 

 キルアの口にホルモンクッキーを1枚突っ込む。

 すると、キルアの身体が徐々に変化していき、やがて男性から女性へと変化した。顔つきはキルアの印象を残しつつも女の子らしくなり、体つきもまだ子どもだから分かりにくい所もあるが出るところは少し出てるし、腰も細くなってお尻も少し膨らんでいる。何より骨格が完全に女性のそれであった。

 

「ん? んん? ……な、なんじゃこりゃぁーーっ!」

 

 き、キルアは女になった……。 何で? 私はオーラが減らなかったよ!? それって私は性転換の効果が発揮されなかったってことだよね! どういうことなの!?

 

 お、落ち着くんだ。ま、まずは確認の為キルアの身体を点検しよう。

 

「ちょっ! やめ! やめろ、やめろって……! やめて! いやぁー!!」

 

 ぐぅ、完全な女性だ。間違いない……。

 もう1枚ホルモンクッキーを食べる。だが私のオーラはひと欠片も減りはしない。え? あれ? 本当にどうして? なんで私は?

 

「うう、もうお婿にいけない……」

 

 さめざめと泣いているキル子ちゃんの横で放心する私。私だって泣きたい。でも今は原因究明が先だ!

 

 キルアには1枚でホルモンクッキーの効果が現れた。つまり1箱全部食べきる必要はないわけだ。私の【ボス属性】で無力化した場合は私のオーラがその効果に合わせて減少する。【天使のヴェール】も発動しているのでそのオーラの消費は元の10倍だ。これでオーラの消費に気付かないわけがないだろう。

 しかも性別を変化させるなんて結構なオーラを消費する効果だと思う。何せ人体のホルモンや仕組みを操作して身体を変化させるという高度な、のう、りょ、く………………操作、して? ……そう、さ……操作、系?

 ま、まさか、ホルモンクッキーの効果は……操作系の、能力? だとしたら……。

 

 念能力操作系ボス属性無効化オーラが減らない効果がない操作系早い者勝ち母さん操作系操作系操作系操作操作操作操作操作……!!

 

 操作系は、早い者勝ち……誰かに操作された物を他者の念で操作することは……出来ない。そして……私は母さんの……母さんの能力で……操作されている……!

 

『アイシャちゃんは女の子なんだから、オレなんて言っちゃダメ。女の子らしくしなくちゃいけないのよ』

『アイシャちゃん。汚い物を食べてはダメよ! お腹壊しちゃうからね! わかった?』

 

「あ、ああ……あああああ……」

 

 母さんの言葉が脳内でリフレインされる……。

 そう、母さんの能力で意識の一部を操作されている私に操作系の能力は効果がない……。そして、効果がない能力を受けても……【ボス属性】は反応しない……。当然だ。効果がないのに無効化なんておかしい話だろう。

 

 つまり、つまり、つまりつまりつまり!

 操作系の能力であると思われるホルモンクッキーは、例え【ボス属性】がなかったとしても……!

 私に効果を及ぼさない…………。

 私は男に戻れない…………。

 私は、私は…………。

 

 

 

 ………………おわった。

 

 

 

 

 

 

「アイシャ、まだショックみたい。朝ご飯いらないって」

「……そうか。まさか男になれなかったのがそこまでショックだとはな……」

 

 あの死闘という名の蹂躙から一夜が明けた。

 まだ身体のあちこちが痛むが、全員動くのに支障はないようだ。

 アイシャも何だかんだで手加減をしていたのだろうな。そうでなければもっと早くに私たちを倒せていた筈だ。

 

 だが死闘を制したアイシャが目的を達成することは出来なかった。

 何が原因かは聞けなかったが、どうやら【ボス属性】以外でホルモンクッキーを無効化してしまったらしい。そのせいでアイシャは昨夜から非常に落ち込んでいる。今もゴンが朝食に呼びに行ったのだが、拒否されたようだ。

 

「そんなにオレ達と一緒に寝泊りしたかったのかなぁ……?」

 

 確かに性転換の動機はそのようなものだと聞いたが、流石にそれはどうなんだろう? その程度であそこまで性転換に執着するだろうか? 性転換出来なかったことにあそこまで落ち込むだろうか?

 流石にこれは解せないな。おそらくもっと違う何かがあるのではないだろうか……。

 

 これにはアイシャの周囲の人物がヒントになっている気がする。リィーナ殿とビスケ……いや、リィーナ殿が特にそうだろう。彼女は明らかにアイシャに対して敬愛の態度を示していた。風間流の最高責任者が一介の少女にどうしてと思っていたが、今までそれを追求することはしなかった。2人とも私が世話になっているしな。

 

 だが、追求はせずとも思考することは出来る。今までの情報を纏めてみよう。

 アイシャは風間流の使い手。それも1流のだ。いや、それに超がつくだろう。リィーナ殿と比べても遜色ないレベルに達している。彼女の普段の態度を見れば彼女よりも上にすら見える。

 しかもそのオーラはとても14歳のそれだとは思えない。14年間を無駄なくオーラの修行に費やしたとしてもあそこまでオーラが高まるだろうか? ビスケの能力を駆使しても不可能だろう。そもそも14年前は赤子なのだから、オーラの修行など出来はしない。それを考えれば10年の余裕があるかないかだ。

 

 14歳で風間流の最高責任者以上に風間流を操り、オーラ量は比肩する者がいないレベルに達する。

 

 ……ない。これはない。無理だ、不可能だ。どんな才能があっても14年という短い歳月であそこまで強くなれてたまるか。私たちの年代から14年ならともかく、赤子から14年だぞ? 出来たらそれは人間じゃない。

 だがアイシャはまごうことなき人間だ。これまでずっと一緒にやってきてそれは理解している。優しく、厳しく、甘く、老成しているようで時に子供っぽさを見せる、普通とは少し違うかもしれないが我々と変わらない人間だ。

 

 ……まて、14年? 14年前と言えばかのリィーナ殿の師である武神リュウショウの……っ!?

 

 少女……男になりたい……老成……歳にそぐわない強さ……14年……風間流……リィーナ殿が敬う……。

 

 1つ1つがパズルのピースが埋まっていくように合わさっていく……。

 いや、そんな馬鹿な……。それにしては精神年齢が……いや、だがしかし……それならば納得がいってしまう! まさか……! アイシャの正体は……!

 

「よし!」

「っ!?」

 

 ゴンのいきなりの掛け声に意識が外へと戻ってくる。

 周りを見ないほど集中していたようだ。……このことは誰にも言わないようにしよう。言っても混乱を呼ぶだけだ。私の予想が当たっているとも限らない。私の胸の中だけにしまっておこう。

 

「どうしたのだゴン? いきなり声を上げて」

「うん。アイシャがそんなに男になってオレ達と一緒に遊びたかったならさ。オレ達がアイシャとおんなじになればいいかなって思ってさ」

「すまんちょっと言ってる意味が分からないんだが」

 

 つまりどういうことだ? ゴンもキル子と同じく性転換するということか? いやオレ達というのはつまり私たちもか?

 

「おいおい! それってオレもキル子ちゃんと同じように女になれって言うのかよ!?」

「キル子って言うなコラァッ!! ぶっ殺すぞレオリオ!」

「そう怒んなよ。か、可愛いぞ、くっ、き、キル子ちゃん、ぐ、ダメだ腹が痛い……!」

「ミルキてめぇ!」

「お兄ちゃんって呼んでいいんだぞ?」

「誰が呼ぶかクソ兄貴がぁ!」

 

 うむ。意外と可愛いぞキルア。キルアが女になるとまさかここまで美少女になるとはな。ミルキとレオリオがからかうのも分かる。

 いや、他人を見て笑っている場合ではない。私も同じ境遇になるかもしれないのだぞ?

 

「ゴンの意見に賛成だぜぇ。お前らも女になってオレの気持ちを味わうといい!」

「うおっ! 何しやがるキルア!」

「逃げろ! 今のキルに何を言っても無駄だ!」

 

 いかん! キルアが完全に暴走している! ホルモンクッキーを持って私たちに無理矢理食べさせようとしてきた!

 

 あ、ゴンは自分でホルモンクッキーを食べた。

 女になったゴンは活発なイメージの元気な少女だな。ツンツン髪を下ろせばもっと似合うだろう、って違う。今は逃げるのが先決だ!

 

「誰も逃がさねぇぜ……【電光石火】ぁあぁ!」

『や、やめろーー!』

 

 やっぱり【電光石火】には勝てなかったよ……。

 

 

 

 

 

 

 崖の上で膝を抱えてぼうっと座り続けている。

 もう一夜が明けたのか。ゴンが朝ごはんに呼びに来てくれて初めて気付いたよ。

 ゴンには悪いけど、正直食欲がわかない。14年の悲願が叶わないという残酷な現実を叩きつけられたんだ。簡単には気持ちの整理はつかないさ……。

 いや、前世の年数も入れれば146年か。ははは、私は一生童貞というわけだ。いや、童貞すらないか。私はずっと女なんだから。

 

 …………これからどうしよう。

 正直、力が抜けた。気力がわかない。人生の目的は永遠に失われてしまった。もちろん蟻の化け物を倒すというのはあるが、今はそれを考えてもどうにも力が入らない。目前まで来ていた目的がさっと消えてなくなったんだ。この喪失感は簡単には拭えそうにない……。

 

 ……手段はある。手術による性転換だ。これならば念能力は関係ないので男になることは出来るだろう。

 でもそれで性転換して、また女に戻ることが出来るのだろうか。多分無理だろう。そう簡単にコロコロと性別を変えられるものじゃないだろう。私は父さんの想いを無碍にしたくない。

 却下だ。童貞を捨てたいが為にそこまでしたくない。その思いで母さんを犠牲にしてるんだ。そんなのはもうたくさんだ。

 

 いや、もう1つあったな。……除念だ。私を縛る母さんの念を除念したら後は【ボス属性】を例の方法でどうにかしたらホルモンクッキーの効果は出るだろう。

 だがこれも却下だ。これは母さんの愛だ。私を縛る鎖ではない、私を護る母さんの愛なのだ。これを除念するということは母さんを否定することになる。それだけは絶対にない!

 

 ……これからは女性として生きていくしかないのか?

 でもそれってどういう生き方なんだ? 初めから女ならともかく、男として生まれ男として生きた記憶がある私にはよく分からない。

 

「アイシャさん……いえ、先生」

 

 リィーナか。いたんだ。気付かなかったよ。

 気配にも気付かないなんて……。今の私なら誰でも勝てるだろうな。

 

「……どうしたんですかリィーナ?」

「その、気を落とさないでください先生……。例え女性でも先生は先生じゃございませんか……?」

 

 そうだな。私が女性でも私であることに変わりはない。それは分かっている。

 でもお前には分かるまい。ずっと童貞卒業という男にとって生まれたならば必ず成し遂げたいことを100年以上に渡って成せなかった私の気持ちなどな。

 これは同じ男にしか分からないだろう……。どれだけ私と共にいても、リィーナは女性なんだから……。

 

「リィーナには分かるまい……私の無念が……」

「そ、そのようなことは……!」

「ならば私を男にしてください」

「そ、それは……」

 

 ……意地の悪い言い方だったな。

 正直かなり荒んでいるようだ。歳下に当たるなんて情けない……。

 

「すまない……ただの八つ当たりだ。許してください……」

「せ、先生……」

「アイシャ、もういいでしょ。仕方ないじゃない。男になれなかったんだからさ」

 

 ビスケ……。仕方ない、か。そうだな、仕方ないな。

 それは分かってるんだ。仕方ないんだよ。どうしようもない。

 でもそれで納得しきれないんだ。自分の中で現実を消化しきれないんだよ。

 

「……アイシャのお母さんがあなたに残した念が、あなたを縛っているのよね?」

「……ええ」

 

 リィーナとビスケには事情を説明した。いや、したんだろう。昨夜にそんな話をした記憶が朧げにだがある。何で話したんだか。この2人ならいいだろうと思ったのか。

 それもあるけど、多分誰かに何かを話したかったんだろう。愚痴でも言いたかったのかもしれないな。

 はは、ここまで心が参るとはな……ネテロが見たら嗤うだろうな。

 

「それってあなたのお母さんがあなたが女性として生きていくことを願っているんじゃないの?」

「……え?」

 

 母さんが? 願う?

 いや、でも……私を縛るこの念能力はそんな意図で私に掛けたわけじゃないだろう。それはビスケも分かっているはずだ。でも……。

 

「確かにこんな状況を思って能力を掛けたわけじゃないでしょうけどね。でも、自分の子が女の子として生まれてきたのよ? 母親なら、女としての幸せを願わないわけないじゃない」

「あ……」

 

 そうだ。母さんは私のウエディングドレスを見たがっていたな……。

 本当の母さんにも、念獣の母さんにも見せることは出来なかったけど……。

 女としての幸せ……? ……やっぱり分からないな。

 でも、少しは気が晴れたような気がする。まだ心の整理はつかないけど……。

 

「おーい! アイシャー!」

 

 そんな風にビスケの言葉を色々と考えていると、ゴンの声が聞こえてきた。

 ……ゴン、だよね? 若干声が高いような気がするんだけど?

 

「アイシャー!」

「ぶっ! あ、あは! あはあははははははは! な、何してんのよあんた達! ぶふっ!」

 

「お、おお……! み、皆さん向こうで着替えをしてみませんか? 今の服装のままでは少々勿体無いですよ?」

 

 何だ? ビスケもリィーナもどうした?

 ビスケは爆笑しているし、リィーナは軽く興奮しているんだけど?

 気になってつい後ろを振り向く。気分は天岩戸の天照だ。

 

「……は?」

 

 多分これほど驚いたのは私の長い人生でもそうはないだろう。

 振り向いた先にいたのはゴン……だろう。そしてクラピカとミルキとレオリオさん……と思わしき人たちも一緒にいた。キル子ちゃんもだ。

 だが、その全員がまさかの性転換をしていた。どういうことなの? どうしてこうなった? あれか? 性転換出来なかった私への当てつけか? ……いかん、本当に心が荒んでいる。

 

「あの……皆さんどうしたんですか?」

「どうしたもこうしたも……」

「キル子ちゃん?」

「キル子ちゃん言うな! ったく! 全部ゴンのせいだよ!」

 

 なんでゴンのせいで皆が女性になっているんだろう?

 ゴンは元気な笑顔がよく似合う可愛らしい女の子に。

 ミルキはクールな雰囲気を漂わすモデルのような美女に。

 レオリオさんは長身で頼りがいのあるお姉さんに。

 クラピカは特に変わりない。あれ?

 

「クラピカはホルモンクッキーを食べなかったのですか?」

「……いや、私も食べさせられたが?」

「?」

 

 食べさせられたという言い方は気になるけど……食べたのになんで見た目に変化がないんだろう?

 ……いや、よくよく見ると骨格は女性のそれに変わっているな。声も微妙に高くなっている。胸も確かに膨らんでいた。元々体型や顔つきが女性に近かったから変化が乏しいのだろう。

 まあいいや。それよりもどうしてこんなことをしたかだ。

 

「それで、どうして皆で性転換なんかを?」

「うん! アイシャってオレ達と一緒に寝泊りしたかったから男になりたかったんだよね! でもアイシャが男になれなかったから、だったらオレ達が女になれば一緒に寝泊り出来るよ!」

「ご、ゴン……」

 

 確かにゴン達には性転換の動機はそう説明していた。

 それは嘘ではない。男になったらそうしたかったのも本当のことだ。でも、嘘ではないだけで本当の動機ではない。

 それをゴンは信じて……私の言葉を信じてこんなことを……! 私の為に女になってくれるなんて……!

 

「ゴン……クラピカ……ミルキ……レオリオさん……キル子ちゃん……私の為に……」

「なんでオレだけキル子なんだよ」

 

 性転換したいが為に皆を叩きのめした私にこんなにも優しくしてくれるなんて……。

 

「なんか感動してるけど、これっていいの?」

「う、うう。アイシャさんが男と同衾、いえあれは皆可愛らしく美しい女性達、ですが元は男、いやそれを言うなら……」

「あ、駄目ねバグったわ」

 

 リィーナって百合嗜好はなかったはずだけどな?

 

「じゃあ今日は皆で一緒にお泊まり会をしよう!」

『おー!』

 

 ゴンの掛け声に皆が元気に返事をする。……私のは空元気だけど。

 

 正直、まだ心が晴れたわけではない。だが私を心配してここまでしてくれた皆の想いには応えたい。後は時間を掛けて自分の生き方を考えよう。

 幸せになる。そう母さんが私に願ったように、私は幸せになる。……それは、例え男に戻れなくても出来るはずだ。

 

 辛くない、悲しくないと言ったら嘘になる。こうしている今も胸が張り裂けそうな程に落ち込んでいる。でも……それだけじゃない。辛いだけが今の感情を占めてはいない。

 だって、こんなに素敵な友達が出来たんだから。

 だから、次に行く時はきっと幸せだって報告出来るようになってるからね、母さん。

 

「どうしてこうなった?」

「諦めるしかないのだよキル子」

「黙れやクラピ子」

「皆さん。せっかくの容姿もそのような雑な服装では台無しでございます。さあ、マサドラへ赴き衣装を用意いたしましょう」

「やべぇ。このリィーナさんはいつになくやべぇぞ」

「くっ! ここに来てまたも難敵登場か!」

「そうね。この子らの着せ替えもおもしろそ~ねぇ」

「“ブック”! “再来/リターン”使用! アント――」

「おっと、1人で逃げようとするなよミルキ」

「か、カードを返せキル子!」

「だからキル子って言うなっつってんだろ!」

「あはは。でも結構可愛いよキルア」

「からかうんじゃねぇよゴン!」

 

 お前ら少しくらい感傷に浸らせろよ。

 

 




 大抵の方が予想していたボス属性による性転換の無効。だが実際はこうでした。ボス属性など関係なかった罠。
 ホルモンクッキーが操作系の効果なのは私の勝手な判断です。実際にどうかは分かりません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十四話

 ゴン達とお泊まり会をしてから3日が過ぎた。

 あれは楽しかったなぁ。皆がリィーナの用意した可愛い服や綺麗な服で着飾られていたし。最初は抵抗していたけど、最後には皆諦めていたな。今日1日だけだと我慢していた。私を思ってのことだったら嬉しいな。

 

 途中でキルアの性転換が切れた時が大変だった。キルアだけ皆よりも早くにホルモンクッキーを食べたから効果が切れるのも早かったんだよね。おかげでキルアは男の姿で女性の服を……あれ以来時々明後日の方角を眺めて黄昏ている。正直すまんかった。

 

 でも……ホルモンクッキーが1日しか効果がないとはなぁ。キチンとアイテムの説明を読んでいなかった。興奮してたし、感動のあまり涙が出て視界が歪んでいたしな。

 はぁ……例え私にホルモンクッキーの効果が出ていても目的を果たすのは難しかったのか。1日しか性転換出来ないなら、恋人を見つけるのも難しいだろうし……。女に戻る度に性転換しなくてはならない。

 最大でも200日だ。童貞喪失するだけならそういう店に行けばいいけど、恋愛をするには短い日数だろう。私だってここまで待ったからには恋愛してキチンと童貞喪失したかったし。

 

 なんか、逆に諦めがついて来た。どうせ無理だったんだって。もちろん男に戻れるなら戻りたいけど……。念能力で無理ならもう無理だ。だったら……ビスケの言う通り、女として生きていくしかない。

 それが母さんとドミニクさん……父さんの為でもある。そう思うとそんなに嫌でもない。あの人たちのおかげで今の私があるんだ。あの人たちの想いに応える生き方をしてもいいだろう。

 

 まだ簡単には割り切れないけど、そう思って新たに生きていこう!

 心の整理に時間が掛かったけど、そう思えば少しは前を向けるようになってきた。

 そもそも私にはまだすべきこともあるんだ。ずっと落ち込んでいるわけにもいかない。そう、グリードアイランドが終わった後のあの出来事の為にももっと強くならなくては!

 まずはアレが本当に起こるかどうかも調べなければいけないな。グリードアイランドをクリアしたらネットで情報を調べよう。確か巨大なキメラアントが原因だったから、虫関係の情報をハンターサイトで調べていればいずれ分かるだろう。

 起こった後で動くから後手に回らざるを得ないけど、それは仕方ないと割り切るしかない……。どこであの事件が起こるのか、そこまでは私も覚えていないからな……。確か、ミテネ連邦の何処かだったはずだけど……。

 まあこればっかりは同じ場所で起こるとも、そもそも本当に同じことが起こるとも言えないからな。事件が起きるまで待つしかない。

 もしかしたら時期がずれる可能性もある。もっと先になるか、あるいは今この瞬間にも起きているかもしれない……。

 

 いや、今はそれを考えても仕方ないだろう。まずはグリードアイランドをクリアしなくちゃね。ここしばらくグリードアイランドでの活動を控えていたけど、今日からまた頑張るとしよう。

 

 

 

「皆さんおはようございます!」

「アイシャ! 元気になったんだね!」

「え? ……そんなに違いますか?」

 

 いつもと変わらない朝の挨拶をしただけなんだけど、そんなに違うのかな?

 

「全然違うよ! ちょっと前のアイシャは元気そうに見せてただけだったけど、今のアイシャはいつものアイシャだった!」

 

 そうか、そんなに違っていたのか。

 皆に心配させないようにいつも通りにしていたつもりだったけど、本当につもりだったみたいだな。まだまだ修行が足りないな。……いや、ゴンが鋭いのかもしれないな。

 

「元気になったんなら何よりだぜ」

「ありがとうございます。……その節は皆さんにご迷惑をお掛けしました。申し訳ありません」

「全くだ。おかげで酷い目にあったぜ」

「ああ、少しは反省をしろよ」

「サブ! バラ! ま、待ってくださいリィーナ先生! お、オレからしっかりと言っておきますから何卒ご勘弁を!」

 

 サブさんとバラさんの言い分ももっともなんだけどな。

 しかしすごいなゲンスルーさんの対応の速さは。リィーナがサブさんとバラさんをどうこうする前に反応して先に謝るなんて。というか、本当にゲンスルーさんって仲間思いだな。他人の為にここまでするなんて。サブさんとバラさんと本当に仲良しなんだな。

 

「リィーナ。今回は私の暴走が招いた結果です。彼らの不平は当然の反応ですよ。許して上げてください」

「……分かりました。今回はアイシャさんとゲンスルーさんに免じて無かったことといたします」

「ふぅ。悪いなアイシャ」

「いえ、本当のことですし」

 

 サブさんとバラさんに悪いこともしたしね。性転換の邪魔にならないように念には念を入れて最初の一撃で丸1日は昏倒するようにしていたし。ゲンスルーさんも2人の世話で1日潰れたしね。まあ、修行も免除されたから嬉しかったかもしれないけど。

 

「今日からまたグリードアイランドの攻略を始めましょう。私のせいでしばらく何も出来ていませんでしたからね」

 

 この3日間は私を気遣ってか誰も攻略を進めずにいた。まあゴン達は修行していたけど。

 私は気持ちの整理を付けるために日がな1日ぼうっとしてたなぁ。こんなにゆっくりしたのはどれくらいぶりだろうか? 今日からまた気合を入れ直して頑張ろう!

 

 

 

「さて、アイシャの調子も戻ったことだし、これからの方針を話し合うぞ」

 

 司会ゲンスルーさんによるグリードアイランド攻略会議が始まる。すっかり司会進行役が板についたゲンスルーさんである。

 

「まず、前に話していた通り、オレ達が1番手に入れなければならないのは指定ポケットカードNo.2“一坪の海岸線”だ。既に場所は“道標/ガイドポスト”で割っている。ソウフラビという街だ。だがこのカードはまだ誰も手に入れたことがないカードだ。先ほども念の為に調べてみたが所有しているプレイヤーは0だ。SSランクだけに、それだけ入手方法が困難なんだろう。オレの調べた限りでも入手の目処も立っていないようだ」

 

「困難なのは分かるが、今まで誰も入手しようとしていないわけじゃないんだろ? それなのに誰も入手出来ていないのか?」

「恐らく特殊な条件があるんだろう。特定の時期、特定のアイテム、とにかく何らかの条件を満たしていないと入手出来ないんだろう。Sランクのカードでも他の指定ポケットカードを使わなければ入手が困難なカードは幾つもある。SSランクともなれば困難さは推して知るべしだな」

 

 なるほど。一筋縄では行かなさそうだな。単純に強ければ取れるというわけでもないだろう。その条件をどうにかして見つけなければ。

 

「まずはソウフラビに行ってみるか? ここで話していても現地に行ってみなけりゃ条件も分からないだろうしな」

「まあそうするしかあるまい。だが、問題は、だ……」

 

 ん? 皆が私を一斉に見る。

 ふふ、分かっているさ。どうせ私に移動系のスペルカードは効きませんよ。

 

「いいですよ。私はここで留守番していますから。皆さんでどうぞ」

 

 不貞腐れてなんかいないやい。

 いいないいな、皆して空飛んで移動出来ていいな。

 私も飛べるけど、それとこれとは違うんだ。一瞬で別の場所に移動出来るっていうのがいいんだ。

 

「いや、また幾つかのチームに分かれたら……」

「だけどよ、SSランクのカードだぜ? 全員で調べた方がいいんじゃないか?」

「だがアイシャはどうする?」

「また走ってくればいんじゃね? アイシャなら大丈夫だろ?」

 

 そらまあ走ればいつかは辿り着くけどね。街への方向さえ分かればどうにかなる。グリードアイランドがどれだけの広さかは分からないけど、その気になれば1000キロや2000キロくらい走れるだろう。

 

「へへ。まあ待てよ皆、オレにいい考えがある」

「なに? どういうことだレオリオ?」

 

 レオリオさん? いい考えって何だろう?

 

「まあオレの考えを実行するならまずはソウフラビに行かないと意味がないな。一度オレをソウフラビに連れて行ってくれないか? オレはまだ行ったことがないからスペルじゃ行けないんだよ」

「……レオリオ、お前アレを試すつもりか?」

 

 ミルキにはレオリオさんが何をしようとしているのか分かっているのか?

 この2人、時々2人っきりで色々としているようだから、何か私たちに知らないことを知っているのかも。最初はレオリオさんとミルキがここまで仲良くなるとは思ってもみなかったよ。

 

「へへ。まあな。多分アレなら上手く行くはずだぜ」

「いや、だがスペルでの移動は……いや、スペルと違いアレなら……」

「まあ物は試しでやってみるさ。とにかくゲンスルーさんよ、オレを一度ソウフラビに連れてってくれよ」

「何をするか分からんが、まあいいだろう。だがどうせならアイシャを除く全員でソウフラビへ行くぞ。これから何をするにしても移動出来る場所を増やしておくのに越したことはない。何人だろうとどうせ使うのは“同行/アカンパニー”1枚だしな」

「そうだな。それがいいだろう」

「アイシャさん! すぐに戻りますので少々お待ちください!」

「いえ、私を気にせず“一坪の海岸線”を探していてもいいんですよ。レオリオさんの考えとやらが無理でしたら、走って追いかけますから」

 

 光が飛んで行った方向へ向かって走ればいつかは辿り着くでしょ?

 走るよ。走ればいいんだ。クソッ! ゲームマスターどもめ! 細かな設定しやがって!

 

「大丈夫だ! きっと上手くいく! 待ってろよアイシャ、すぐに迎えに来るからな!」

「それじゃ行くぞ。“同行/アカンパニー”使用! ソウフラビへ!」

 

 皆が光に包まれて飛んで行った。

 私のオーラはまた減った。……20m以上離れていれば良かった。

 

 レオリオさん……。どうやって私をソウフラビへ連れて行くのだろう?

 でも、ああ言ってくれたんだ。信じて迎えに来るのを待とう。

 

 

 

 皆がソウフラビへ行ってから5分程経ったか。まだレオリオさんは来ない。準備に時間が掛かるのかもしれない。5分待ってもリィーナが来ないんだから、レオリオさんの考えとやらはまだ実行中なのだろう。もし失敗したらすぐにリィーナが飛んでくるか“交信/コンタクト”で連絡してくるからな。

 

 そうして待っていると空からスペルの飛行音が聞こえてきた。

 きっとレオリオさんかリィーナだろう。どっちかな? いや、信じて待つと決めたんだ。レオリオさんだと思う。

 

 空から着地したのは……レオリオさんだ!

 レオリオさんが迎えに来てくれた。どうやって私をソウフラビへ連れて行ってくれるんだろう。楽しみだな。

 

「待たせたなアイシャ! ちょっとまだ不慣れなことをしてたから時間が掛かっちまったぜ。わりぃな」

「いいんですよ。それより、どうやって私をソウフラビまで連れて行ってくれるんですか?」

「ああ、それなんだがよ……す、少しだけアイシャを抱きかかえることになるけど、い、いいか?」

「え? それは構いませんけど……? でも、それだと……」

 

 リィーナが試したことはレオリオさんも知っているはずだ。例え抱きかかえたとしても、移動スペルでは私を連れて行くことは無理だった。細かいプログラムだと憤ったが、不正防止の為には当然の処置だ。

 

「いや大丈夫だ。オレがこれからすることにスペルカードは関係ないからな。まあ、移動スペルを参考にしてはいるんだがよ」

 

 え? 移動スペルを参考にしているのに、スペルカードは関係ない?

 ……え、も、もしかして……。

 

「ほら、行くぜ」

「あ……は、はい」

 

 レオリオさんに抱きかかえられる。お姫様抱っこだ。リィーナにもされたけど、やっぱり少し恥ずかしいな。なんだかリィーナの時よりも恥ずかしい気がする……。嫌な気はしないけど。

 

「落ちたら危ないから少し強くするぜ。痛くないか?」

「はい、大丈夫です……」

 

 痛くはない。ただやっぱり恥ずかしい。

 多分今顔が赤くなっている。こんな歳で抱っこされるのはな……。

 

「それじゃ行くぜ! 【高速飛行能力/ルーラ】使用! ソウフラビへ!」

「!?」

 

 レオリオさんがそう叫んだ瞬間! 凄まじい勢いでレオリオさんが空を翔けた。

 いや、私もだ。レオリオさんに抱き締められている私も一緒に空を翔けている。下を見ると景色が目まぐるしく変わっていく。周りは青一色の空だ。これが……皆が移動スペルを使用した時の感じか。

 

 空の旅はすぐに終わりレオリオさんは大地に降り立った。

 周りにはゴン達もいる。ということはやっぱりここはソウフラビなんだ。

 ほんの1、2秒くらいで到着した。凄い。これがレオリオさんの……新たな念能力か!

 

「へへ、どうよ」

「す、凄いです! 放出系の能力を作ったんですね!」

 

 確かにこれなら私でも移動出来る!

 私そのものを移動させることは出来ないけど、移動するのはレオリオさんだ。そのレオリオさんが私を抱えれば、一緒に私も移動する。私の身体に効果を及ぼす能力じゃないから【ボス属性】でも無効化しない! そしてグリードアイランドの移動スペルでもないから私を抱えてもシステムに無効化されもしない!

 これが瞬間移動の類なら私の【ボス属性】で無効化しただろうけど、レオリオさんのは高速飛行して目的地まで移動する能力だ。レオリオさんが言っている通り移動スペルを参考にしたんだろう。移動スペルは目的地に向かって瞬間移動するんじゃなくて、高速で飛んでいく効果だからな。移動スペルを何度も体験したおかげで能力を作るのにかなりの参考になったんだろう。

 

「ああ、前から考えていた能力なんだよ。これも黒の書に載っていたんだよな」

「あ、ああ。そうなんですか……」

 

 私ってこんな能力まで考えていたんだ……。

 いや、今回は良くやったと思おう。良くやったぞ過去の私!

 

「でも中々上手く出来なくてな。グリードアイランドでビスケに色々と放出系について細かく教わってたんだ。都合よく移動スペルなんてあったから、すげぇ参考になったぜ」

 

 確かに能力を使用する時もスペルを使っているみたいだったな。

 移動スペルと同じようにすることで明確なイメージを固めているんだろう。何事もイメージがあるとないとでは大きな違いだ。念に関してはそれがより顕著に現れる。

 グリードアイランドに来たことはレオリオさんにとって予想外にいい刺激になったみたいだ。

 

「移動地点の目標を定めるのをどうしようかと悩んでいたんだけどよ。それはミルキのおかげで何とかなったぜ」

「ミルキの?」

「ああ。ミルキから神字を少し教わってな。オレが念を籠めて書いた目的地の名前を刻んだ神字を目標にすることに成功したんだ」

 

 なるほど。離れた位置に飛ぶのには何らかの目標を作らないと難しいからな。それを神字で補ったわけか。

 

「後は能力を使用する時に刻んだ神字の名前を言えば、そこに飛んでいく仕組みだ。問題は目標の神字が何らかの理由で消えたらそこへは移動出来なくなるし、目標の神字を何処かへ動かされたらそこに向かって移動しちまうことだな」

「……目標が地面の下とかに隠されたらどうなるんですか?」

 

 瞬間移動系じゃないから、石の中にいるとかにはならないと思うけど……。

 

「まあ大丈夫だぜ。地面の下に隠しても特に問題はなかった。一応それはミルキに言われて試しているからな。ぶっつけ本番でアイシャを巻き込むわけにもいかないしな。あと目標が動かされても大体の位置は分かる。もし深海とかに隠されても大丈夫だぜ。まあ目標は地面の下に隠すつもりだから簡単には動かされないだろうけどな」

「なるほど……。本当に素晴らしい能力ですレオリオさん!」

 

 よく考えて作られている。これなら一度行った場所なら下準備さえしていれば何時でも行けるということだ。放出系でも最高に便利な類の能力だな!

 

「ありがとよ。……元々は世界中を素早く移動したくて作ろうとしてたんだよ。これがあれば、助けを求めている患者の元にすぐに行けるからな……。ま、アイシャの役にも立てたし、完成して良かったぜ」

「レオリオさん……」

 

 ……そうか。その為に作った能力なのか。レオリオさんの能力の殆どが、人を助ける為に作られているんだ。これほど人の為に能力を作った人を私は知らない。

 

「レオリオさんは、きっと誰よりも素晴らしい医者になれると思います」

「へっ、よせよ。照れるぜ」

 

 顔を赤らめてそっぽを向いたレオリオさん。

 ふふ、結構レオリオさんって褒められるのに慣れてないよな。恥ずかしがり屋さんめ。

 

「いい話だ。感動的だな。だが死ね」

「ぬわーーっっ!?」

「れ、レオリオさーん!?」

 

 な、何をするだァーッ!?

 キルアとミルキによってレオリオさんが吹き飛ばされていく!? レオリオさんに抱きかかえられていた私は地面に落ちる前にリィーナに抱きとめられた。

 

「何時までアイシャ抱きかかえたままくっちゃべってんだよ! 上手くいったんならさっさと降ろせや!」

「くそっ! こんなことなら神字なんて教えるんじゃなかったぜ! これからも移動の度にレオリオがアイシャを抱きかかえるとなれば……! 貴様との友情もここで終わりのようだな! 眠れ地の底に!!」

「キルアさん。ミルキさん。私が許可します。やっておしまいなさい」

『あらほらさっさー!』

「ぐああ! し、痺れ! お、重い! 身体が痺れて潰れるぅ!!」

 

 やめたげてよぉーー!!

 

 

 

「それじゃあ無事アイシャも合流出来たので“一坪の海岸線”捜索に移る」

『おー!』

 

 ソウフラビ近くの海岸にて再びゲンスルーさん司会進行による攻略会議が始まる。

 ただしキルアとミルキとリィーナの3人は正座で話を聞いているが。膝の上にはミルキの作った重りをこれでもかと乗せている。少しは反省するがいい。

 全く、レオリオさんが何をしたというのだ。

 

「おのれレオリオさんめ……!」

「……何だろう。アイシャに叱られるのも悪くない……」

「兄貴、その領域は危ないから帰って来い」

 

 ……結構余裕そうだな。重り増やすか?

 

『ぬわーーっ』

 

 これくらいでいいだろう。さ、ゲンスルーさん、話を続けてください。

 

「(……もう少し重くしてもいいんだぜ?)」

 

 ははは。こういうところでリィーナに復讐しようとしてると後が怖いですよ? でもたまのリクエストなので応えましょう。

 

『ぬわーーっっ!』

 

「さて、話を戻すぞ」

 

 心なしか満足そうにしているゲンスルーさんが会議を進める。……会議の進行も心なしかゆっくりな気がするけど。

 

「あー、つまりだ。SSランクともなると入手には複雑な流れが――」

 

 

 

 

 

 

「何を言いたいかと言うとだ、情報収集こそが1番大事でありかつ――」

 

 

 

 

 

 

「もしかしたら危険な戦闘もある可能性も無きにしも非ず、なので全員がそれぞれ注意を怠らず――」

 

 

 

 

 

 

「連絡を密にすることで危険の回避を――」

 

 

 

 

 

 

 なげぇよ。

 

「……そろそろいい加減にいたしませんと、私の堪忍袋も限界になりますよゲンスルーさん?」

「というわけだ! 皆頑張って情報を集めてくれ! 以上!」

 

 自分が悪いと思っていたから我慢していたみたいだけど、流石にリィーナも限界に来ていたな。

 慌てて話を切り上げるゲンスルーさん。焦るくらいなら初めからそんなことしなければ良かったのに。

 

 とにかく、全員でバラけて情報収集が始まった。

 ソウフラビの住人に話しかけて“一坪の海岸線”について知らないか聞き込みをする。知っている人がいたらそこからさらに情報の真偽を確かめていくんだけど……。

 

 

 

 

 

 

「どうだ?」

「駄目だな。情報の欠片も出てこない」

「こっちも。一坪のひの字も出てこなかったよ」

「オレもだ」

「私もだな」

 

 全員外れか。

 本当にソウフラビで合っているのか? そう考えるほど情報は手に入らなかった。SSランクとはいえ、これほど情報が出てこないものなのか?

 

「……今までもオレ達と同じように“一坪の海岸線”を探そうとしたプレイヤーはいたはずだ。だがオレ達と同じように見つけることは出来ていない……何かあるな」

 

 何年もグリードアイランドをプレイしているゲンスルーさんでも分からない条件。何らかのアイテムか、時期か、それとも他の何かか……どれも今すぐには分からないものばかりだ。

 

「時期が関係しているとしたらどうする?」

「……可能性としてはないとは言い切れないな。もしそうだとしたら……」

「ソウフラビをしばらく拠点として活動しないか? もし時期が原因だとしたら定期的に情報を集めるしか判断しようがない。もしかしたら情報収集を行った回数がトリガーになっているかもしれない。何も分からない現状だと、ここを拠点に動いた方がいいだろう」

「……そうだな。ここで情報収集を定期的に行いつつ、他のカードを集めるようにしよう」

「異議なし」

「オレも」

「それでいいだろう」

 

 大体の方針は決まったな。

 

「もちろん並行して修行もしますよ。海岸もなかなか修行に良さそうな環境です。砂場や海など抵抗が程よくあって修行にもってこいですね」

「異議あり」

「オレも」

「それはないだろう」

 

 知らなかったのか? 修行からは逃げられない。

 

 

 

 

 

 

 12月になった。

 あれからソウフラビに毎日情報収集に向かっているが何の情報も出てこない。時期がフラグだとしたら、12月ではないということだろうか? それともやっぱり時期は関係ないんだろうか?

 まだ結論を出すのは早いな。

 

 指定ポケットカードは78種まで集まった。流石に残りはSランク以上が殆どなので、簡単には集まらなくなった。これからは攻略に掛かる時間も多くなるだろう。

 

 来月には新年、つまりは1月になる。1月と言えばハンター試験がある月だ。キルアは前回のハンター試験に残念ながら落ちている。今回のハンター試験はどうするつもりだろう?

 

「キルア、来月にはハンター試験がありますが、キルアは受けるんですか?」

「あっ!」

 

 うむ。どうやら忘れていたようだ。

 キルアはそこまでプロハンターになる気はなかったみたいだけど、もう受ける気はないのかな?

 

「今日って何日だったっけ?」

「12月3日ですよ」

「もうそんな時期か。すっかり忘れていたぜ」

「あれから1年近く経つんだなぁ。何だか2、3年は一緒にいる気がするぜ」

「そうだな。かなり濃い日々を過ごしているからな。そう思うのも仕方あるまい」

 

 そうか。来月にはゴン達と知り合って1年になるんだな。

 レオリオさんの言う通りまだ1年も経っていないとは思えないくらい色々あった1年だった。きっとゴン達と一緒にいるとこれからも色んな出来事と関わっていくんだろうな。きっと退屈はしないだろうな。

 

「うーん、今すぐに行っても時間が勿体無いな」

「だったらギリギリまでここにいれば? 試験の申し込みの締め切りは12月31日だから余裕があるといえばあるわさ」

「でもあんまり遅くなっても間に合わないかもしれないぜ」

「うむ。申し込みが間に合っても試験会場に辿り着けないかもしれないからな」

「それなら大丈夫! ほら、キリコにオレ達の友達だって言えばきっと今回の会場まで連れて行ってくれるよ」

「ああ! あの魔獣か!」

「そう言えば来年も案内してくれると言っていたな」

「ああ、私も案内してくれましたよ」

 

 キリコ……凶狸狐か。懐かしいな。空の散歩は楽しかった。あれのおかげでオーラの放出による空中移動を思いついたと言ってもいい。キリコ達には感謝だな。

 

「アイシャも同じナビゲーターだったんだな」

「ええ。ドーレ港から一本杉を目指しました。親切なおじ様に教えてもらったんですよ」

「お、おじ様?」

 

 おじ様元気かな? きっと元気な気がする。ああいうタイプはかなりしぶとい。おじ様ならきっとどんな荒波も乗り越えていけそうだ。思い出したらまた会いたくなってきた。おじ様って呼ぶと怒られるだろうけど。

 

「ゴンの言う通り彼らなら案内をしてくれるだろう。少しくらいここを出るのが遅くても間に合うだろうな」

「それなら1週間くらい前に出るとするか」

「ああ、それならオレも一緒に行くぜ」

「兄貴が? プロハンターになんか興味なかっただろ?」

「……今さら家の仕事をする気にもなれないしな。かと言ってしたいこともないし、どうせだったらプロハンターの資格を持ってれば色々と便利だろ?」

 

 そんなに手軽に手に入れていいものなんだろうか。プロハンターの資格が欲しくて毎年何百万人の人が試験に臨んで、合格出来る人はその中でもほんのひと握りなのになぁ。

 でも2人の実力なら意地悪な試験じゃない限り大抵受かるだろうしな。……また寿司みたいな試験ないよね?

 

「ミルキがそう言うなら2人で行ってくればどうですかキルア?」

「うーん、ま、いっか。足引っ張るなよ兄貴」

「お前がだキル」

「まーた2人で喧嘩する~」

「ふふ。喧嘩するほど仲がいいんですよゴン」

『誰がこんな奴と! ……真似すんなよ!』

 

 めっちゃ仲良しです。息ぴったりじゃん。

 

 

 

 さて、今日もソウフラビで情報収集してこようか。多分成果はないだろうけど、それでも継続することに意味がある。というか、ここまで来ると意地だ。今さら後には引けない。もしかしたらあと1回情報収集すると何か分かるかもしれない。もしかしたら継続して情報収集し続けると何か分かるかもしれない。

 そう考えたら今さら止められないのだ。他の方法は別の人が試している。私は日々の情報収集が仕事なのだ。

 

 では、朝の修行も終わったことだしソウフラビに……? はて、空から移動スペルの音が? でも私たちは今全員いるし……ということは他のプレイヤーか?

 

 そうして空を見ると、すぐに私たちの傍……正確にはリィーナの傍に10人のプレイヤーが降り立った。

 “同行/アカンパニー”か。ここはソウフラビから少し離れているから、狙いはリィーナだな。ということは彼らはハメ組か……間違いない。以前ゲンスルーさんに会いに来ていた人もあの中に何人か混ざっている。

 

「……久しぶりだなゲンスルー。ゲームクリアから降りたんじゃなかったのか?」

「その話か。事情が変わってな。今はこいつ等とクリアを目指している」

 

 あ、ゲンスルーさんの言葉に何人かが切れかけてる。

 

「ふざけるな! オレ達から勝手に離れて、ゲームを降りると言っておきながら今さらクリアを目指すだと!」

「やっぱりオレ達を裏切る気だったのかゲンスルー!」

「なんとか言ったらどうなんだ!」

 

 ……仲間と思っていたんだからな。特に初期から一緒だった人達は複雑なんだろう。色々と憤りもあっても不思議じゃないか。

 

「皆落ち着け! ……ゲンスルー。オレ達の元に戻ってくる気はないのか?」

「……なに?」

「確かにお前は身勝手な理由でオレ達から離れていった。だが、お前がオレ達に貢献したことは小さな物じゃない。オレ達の基本となる戦法を考えたのもお前だ。今ならお前の仲間も含めてオレ達のチームに入れてもいい。報酬は少なくなるが、1人1億、お前は2億だ。もちろんお前たちが持っているカードでオレ達が持っていないカードは高く買い取ろう。……悪くない話だと思うが?」

 

 これは彼らなりの譲歩、最後の優しさだな。

 彼ら、ハメ組はもうゲームを殆どクリアしたものと思っている。ここに来たのもリィーナが持っているカードが狙いなのは明白。

 私たちが仲間になればリィーナが持っているカードはそのままハメ組の物に、仲間になるのを断ればスペルで奪い取るだけ。私たちが“堅牢/プリズン”で指定ポケットページを守れていないのも知っているのだろう。

 

 無理矢理奪いに掛かっても勝算はあると踏んでいるのに、私たちに報酬を用意してカードの買い取りまで持ち掛けるのはゲンスルーさんへの借りを返す為だろう。彼らがゲームクリア寸前まで辿り着くにはゲンスルーさんの力は不可欠だったからな。例えそれがゲンスルーさんの計画の内でも、そこまでは彼らには分からないことだし。

 

「……なるほどな。そりゃいい話だ」

「なら!」

「まあ落ち着け。リィーナ先生。このまま先生がクリア出来たらオレの報酬は幾らになりますか?」

「そうですね。貴方の情報とその分析はかなりの役に立ちました。これだけの短期間でここまでのカードが集まったのは間違いなく貴方のおかげです。このままゲームクリアが出来たならば、500億の内40%をゲンスルーさん達で分けてもらっても構いませんよ。もちろん今後さらなる貢献を成したら報酬は上がるものと思って頂いて結構です」

「……というわけだ。悪いな、他を当たってくれ」

 

 おお、予想以上の報酬にサブさんとバラさんが喜色満面になっている。ゲンスルーさんはハメ組の人と交渉中だから冷静な仮面を被っているが、内心は大喜びしているな。

 何せ報酬なんて無いものと諦めていただろうからな。そこに降って湧いたように200億の報酬が手に入る可能性が出て来たんだ。喜びもするだろう。

 

「っ! 後悔するなよ! その答えが大金に目が眩んだ愚かなものだと教えてやる! “ブック”!!」

『“ブック”!!』

 

 交渉していた彼……確か以前来た時にニッケスと呼ばれていたかな? ニッケスさんがバインダーを出したのを合図に他のハメ組もバインダーを出した。全員がリィーナを20m以内の距離に収めている。スペルでカードを奪いに来たか。

 

「彼女がお前たちの指定ポケットカードを一手に集めているのは既に確認済みだ! その中でオレ達に必要なカードがあるのも分かっている! お前ならオレ達がどういう手に出るか分かっていただろうに、馬鹿な選択をしたよ! “強奪/ロブ”使用! リィーナを攻撃! No.75!!」

 

 ニッケスさんが手に持ったカードから光が飛び出しリィーナへと飛んでいく。ハメ組の人たちは皆勝利を確信した顔をしている。攻撃スペルを防ぐのに必要な防御スペルの殆どを独占しているんだ。例えこれが防がれたとしても、長くは保たないと確信しているのだろう。

 対して私たちも誰も焦っていない。リィーナはこの日の為に常に【貴婦人の手袋/ブラックローズ&ホワイトローズシャーリンググローブ】を具現化して装着しているからだ。彼らの戦法と確信は間違ってはいない。ただ、リィーナの能力がグリードアイランドというゲームに置いて予想外の能力だっただけだ。

 

「ふっ」

「……はあっ?」

 

 リィーナがスペルを掴み取って吸収した。

 ハメ組の人たちは皆呆然としている。まあ気持ちは分からなくもない。彼らからしたら想像だにしていなかった現象が目の前で起きたんだから。必勝を期した戦法がいきなりスカされたんだから放心の1つや2つくらいするだろう。

 

「え? いや、え?」

「は? す、スペルが……つ、掴まれて……」

「き、消えた?」

「おや? どうされました? もっとスペルを撃ち込んでも良いのですよ?」

 

 リィーナさん、挑発はやめてあげて。何だか可哀想になってくるから。

 

「あ、有り得ない! そうだ! 今のは“聖騎士の首飾り”の効果だ!」

「いや、お前に跳ね返っていないだろうが」

 

 ゲンスルーさんの言う通りだ。“聖騎士の首飾り”は受けた攻撃スペルを対象に跳ね返す“反射/リフレクション”の効果を身に付けていれば常時発動するというもの。つまり“強奪/ロブ”の効果が跳ね返っていないのだから、“聖騎士の首飾り”の効果というのはおかしいだろう。

 

「違う! オレも“聖騎士の首飾り”を身に付けているからだ! だからスペルが反射し続けるんだ。それをゲームシステムがスペルを打ち消すという結果にしたに過ぎない!」

 

 ああ、確かにそういう風に取れなくもないな。

 実際どうなるんだろう? “聖騎士の首飾り”を付けた者の間でスペルが反射し続けるのか、それとも消滅するのか、それとも反射は一度だけなのか。試したことがないから分からないな。

 

「“徴収/レヴィ”なら“聖騎士の首飾り”も意味はない! “税務長の籠手”を使うぞ!」

『おう!』

 

 ニッケスさんの掛け声と共にハメ組から3人程前に出てきて他のメンバーが下がった。彼らの腕には初めから籠手が装着されている。どうやら“聖騎士の首飾り”対策に何人か“税務長の籠手”の使い手を用意しているようだ。

 準備が良いことだが、まあそれも無意味に終わってしまうと思うと悲しいな。おっと、私たちも下がっておこう。巻き込まれてカードが取られても嫌だからな。

 全員分かっているようで、私が下がると同時に皆がスペルの範囲外に出た。

 

『“徴収/レヴィ”使用!!』

 

 “徴収/レヴィ”を放ったハメ組のメンバーから大量の光弾が放たれる。それぞれ範囲内にいるプレイヤーに“徴収/レヴィ”の効果が発動したのだ。

 その光弾の内の3つがリィーナに向かって飛んでいく。高速で飛来するそれは避けてもリィーナを自動追尾して必ず命中するだろう。

 だが逆に言えば避けようと思えば避けることが出来る速度だということだ。リィーナならその程度の速度のスペルなど3つが10に増えようとも全て掴み取ることが出来る。

 

「ふっ」

「……あ、あ……あり、えない……」

 

 3つの光弾を掴み取り、無効化したリィーナを見てニッケスさんが驚愕を顕にしている。他のハメ組の人達もだ。まあ目の前でスペルカードをスペルカードやアイテムカード以外で無効化されたらそうもなるよね。

 

「そういえばさっき面白いことを言っていたな。オレも言ってやろうか? お前たちがどういう手で来るか分からないオレだと思っていたのか? 対策があるからこそ強気な態度なんだよ」

「貴方の力ではないでしょうに」

 

 ごもっともである。

 

「さあ、どういたしました? まだ“税務長の籠手”は使用出来るのでしょう? どうぞ指定ポケットのカードが無くなるまでお試しくださいませ。どうせ失うカードは余った指定ポケットカードかスペルで偽装した不必要なカードでしょうから、惜しくはないでしょう?」

「う、うあ……」

 

 ニッケスさんが、いや、ハメ組全員がリィーナの圧力に押されている。実力で劣っているからこその人海戦術にハメ技だ。これほどのプレッシャーを味わったことなどないのかもしれない。

 ……まあ、リィーナクラスのプレッシャーなんてそう味わう機会もないか。

 

「ぜ、全員でスペルを仕掛けろ! 相手は両手でスペルを打ち消している! 何らかの念能力だろうが、両手以外では打ち消せないはずだ! 全員で打ち続ければいずれは防御を突破出来る! 出来るはずだ!!」

 

 もはやすがる思いだろうな。全員で我武者羅にスペルで攻撃しようとしている。

 だが確かに有効な戦法でもある。リィーナとて人だ。無数に飛んでくるスペルの全てを両手で掴むことは出来ないかもしれない。いずれは掴み損ねてしまうだろうな。

 けど、そう来るならそれなりの対処をすればいいだけだ。

 

『“徴収/レヴィ”使用!!』

 

 ハメ組がそれぞれ“税務長の籠手”やスペルによる“徴収/レヴィ”の連続攻撃を行う。これだけ“徴収/レヴィ”を撃っても当たるかどうか分からない上に、例えリィーナの防御をすり抜けて当たったとしても“徴収/レヴィ”ではどのカードが手に入るか分からない。

 

 しかも“徴収/レヴィ”のカード化限度枚数は25枚。“税務長の籠手”で放てる“徴収/レヴィ”にも限界はある。合計したらハメ組が撃てる“徴収/レヴィ”は100にも満たないかもしれないな。上手くいく可能性は低いのにそれが分かっていない。かなり動揺しているようだ。

 

 まあ、そもそもリィーナは“徴収/レヴィ”が当たる位置にすらいないんだけどな。

 

「なっ!? い、何時の間に移動したんだ!?」

「近距離スペルの有効範囲は20m。貴方がたがスペルを使用する間に離れるには私にとって短すぎる距離です。そして貴方がたの実力では私の動きを追うことは出来ないでしょう。……誰か1人でも私の動きを捉えられていましたか?」

『……』

 

 誰もが呆然としている。実力の差というものを感じたのだろう。

 

「ところで……先ほどから悠長にスペルで私のカードを奪おうとしていますが。まさか、自分たちが攻撃を受けないとでも思っているのですか?」

「っ! ……ふ、ふふ、む、無駄だ。オレ達が持っているカードはスペルカードが殆ど。指定ポケットに入っているカードも――」

「――ああ、そうではありませんよ」

「?」

「……私を怒らせて、無事で済むと思っているのですか? と言っているのですが……理解出来ませんでしたか?」

『ひっ!?』

「まさか貴方がた、そのような方法で他のプレイヤーからカードを奪っておいて、一切恨まれないとでも? だとすれば随分おめでたいですね。確かにゲーム上で貴方がたのやり方は不正ではございませんが、だからと言って全てのプレイヤーが納得すると思っていらしたら大間違いです。……そのような甘い考えでは、いつか痛い目にあってしまいますよ?」

「あ、“同行/アカンパニー”使用! ジート!!」

 

 あ、リィーナの脅しに押されたか。青い顔をしながら“同行/アカンパニー”で逃げていった。まあ実力差を見せつけられた上であんな風に脅されたら逃げもするわな。

 

「……せっかく忠告をして差し上げたというのに逃げるとは。失礼な方がたですね」

 

 ……ああ、リィーナなりの忠告だったのね今の。どう聞いても脅しにしか聞こえなかったけどね。

 

「……忠告?」

「脅しの間違いじゃないのか?」

「リィーナの中では忠告なのよきっと」

「ビスケ、聞こえていますよ」

 

 まあ丁度いい具合にハメ組への威嚇になっただろう。これで彼らもリィーナに対しては今までのやり方が通用しないと理解出来たはずだ。今後の交渉も上手くいく可能性も上がっただろう。

 ……まあ、“一坪の海岸線”が手に入らなければ交渉も何もないけど。

 それじゃ、“一坪の海岸線”を手に入れる為にも日課の情報収集に出掛けるとしますか。

 

 




 レオリオ新能力。もうレオリオが超便利キャラに。一家に1人レオリオさん! その内世界を股にかけるスーパーグローバルドクターレオリオとなるでしょう。将来的にはクランケハンターを名乗らせたい。患者をハントして健常者に戻すという意味で。

【高速飛行能力/ルーラ】
・放出系能力
 黒の書に載っていた能力をレオリオがミルキの協力のもと完成させた放出系の移動能力。瞬間移動ではなく、空を高速で移動する。その為室内や洞窟などの開けていない場所では使用出来ない。オーラを籠めた神字で目的地の名前を刻んだ目印を作成し、それを目標にする。能力発動時に刻んだ目的地名を言えばそこへ自動で高速飛行する。
 グリードアイランドの移動スペルを参考にしてイメージも完全に出来上がっていたためその完成度も高い。移動スペルと同じく高速で移動してもその移動の際に空気の壁でダメージを受けるなどといった影響はない。しかも途中に巨大建築物や飛行物体があれば自動で避けてくれる。
 移動スペルと違い術者の身体に触れている他者も一緒に移動することが出来る。別に抱きかかえる必要はないが、アイシャの場合は抱きかかえないと移動できない。他の人は触れてさえいればOK。ただし、人数が多くなるほどオーラの消耗も激しくなる。
 目印が何らかの要因で失われるとその目印へは移動出来なくなる。また目印の位置が変わると移動場所も変わってしまう。

〈制約〉
・オーラを籠めた神字で作った目印がないと発動出来ない。
・術者の身体に触れている対象も一緒に移動出来るが、1人増えるごとに消費オーラ量は倍化(2人で2倍。3人で4倍)する。
・目印の作成数に限界はないが、作成する時に消費したオーラは回復することはない。作成した目印を破棄することは術者の自由。その場合破棄した目印の作成に消費したオーラは元に戻る。また、破棄した目印を遠隔で元に戻すことは出来ない。

〈誓約〉
・特になし。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十五話

 1月になった。

 新年となりおめでたいが、未だ“一坪の海岸線”に関してはおめでたい情報はない。……日課の情報収集も続けているけど、もうこれ関係ないだろ多分。

 いくら何でも2ヶ月以上も情報収集し続けなければ入手フラグが立たないなんて難易度高すぎる。SSランクどころじゃないよ。同じ相手に何回も話しかけなければ情報をくれないかもってキルアに言われたけど、もう何十回話したか分かんないくらいだ。

 

 多分他の条件があるんだろう。

 やっぱり時期か? 何か関連するクエストをクリアしていないとか? それとも手持ちのアイテムか?

 もう“宝籤/ロトリー”で当てた方が早いんじゃないか? ハメ組あたりがやってそうだな。そう考えると早く独占したいんだけど……。

 

 キルア達がグリードアイランドから出てもう3週間か。試験は1月7日に始まるから、順当に進めば今頃は第3次試験か第4次試験あたりか?

 ハンター試験はその年によって試験の回数も難易度も違うから掛かる日数も変わってくる。もしかしたらまだ最初の試験が終わっていないという可能性もあるな。

 2人が帰ってくるのはいつ頃だろうか。合格してるといいんだけど。

 

 レオリオさんも今頃は勉強に集中しているだろうな。

 センター試験は確か17日だったはず。その日はレオリオさんの合格をお祈りしよう。キルアとミルキは別に祈らなくてもまあ大丈夫だろう。命の危険もある試験だけど、あの2人がハンター試験で死ぬなんて難易度高過ぎて想像出来ないよ。

 

 おや、空から聞きなれたスペル音。招かれざるお客様かな?

 ……ぶっ!?

 

「よう、今戻ったぜ」

「アイシャ! 久しぶりだな! 元気だったか!?」

「あ、お帰りキルア! ミルキさん!」

「2人とも早かったな。試験はどうだったんだ?」

 

 親方! 空から男の子が!

 いや、ちょっと早すぎない? え? 試験開始日が5日前でしょ? 試験会場からジョイステーションを設置している場所まで戻るのにも数日は掛かるはずだよ?

 何でもう帰って来てんの? どんなに試験が早く終わってもこれだと1日くらいしか試験に掛けた時間がないことに……。

 ……ああ、そうか。そういうことか……。

 

「キルア、ミルキ、お帰りなさい……。試験は残念でしたけど、無事帰って来ただけでも良かったです。試験はまた来年受ければいいだけの話ですからね!」

 

 ハンター試験……きっと第1次試験か第2次試験で落ちてしまったんだろう。実力は十分の2人だから、きっと実力以外の何かで落とされたんだ。去年の寿司みたいな意地の悪い試験か何かに当たったのかもしれない。

 運が悪いとしか言いようがない。全く、プロのハンターから見てもこの2人の実力はかなりの物だと言うのに。今度ネテロに文句言ってやる!

 

「……? 何言ってんだ?」

「アイシャ? ハンター試験ならオレ達2人とも合格してきたぜ?」

 

 ……はい?

 

「2人とも合格か。おめでとう」

「それにしても早かったわね~」

「そうですね。一体どのような試験だったのですか?」

 

 こんなに早く終わる試験って何をしたんだろう?

 

「簡単な試験だったぜ。ただ他の受験生のプレートを5枚集めればいいってだけの」

「それだけならすぐに終わったんだがな。キルとどっちが多くプレートを集められるか競争になってな」

「途中から互いに妨害するから中々終わらなかったぜ」

「結局全員倒してプレート奪ってから2人で制限時間ギリギリまでタイマンして、互いに不毛だと思って止めたんだよな」

「ああ、無意味な時間を過ごしちまったぜ」

「……まあ、兄弟仲が良くて何よりですよ」

 

 ……この2人、自分たち以外の受験生全部倒してきたのか。可哀想に。今年の受験生は運がなかったと思うしかないな。

 

「お前らは何か進展あったか?」

「何もありませんね。“一坪の海岸線”に関してはお手上げ状態です」

「……こうなったら他のカードを優先して集めた方が効率的かもしれないな」

「でも大体のカードは集まってんだろ? 他のプレイヤーのゲイン待ちのカードも結構あるしよ」

「そうだな。だが、このままソウフラビにいてもあまり意味はないかもしれない。……レオリオが戻ってきたらもう一度全員で相談しよう。それまでは今まで通りでいいだろう」

「そうですね」

 

 レオリオさん待ちか。どうかいい結果が出ますように。

 

 

 

 

 

 

「よく集まってくれた。礼を言う」

 

 錚々たる面々がオレの呼びかけに応えて集まってくれた。

 アスタ組・ヤビビ組・ハンゼ組・リィーナ組・ソロプレイヤーのゴレイヌ・そしてオレ達カヅスール組。総勢16名のトッププレイヤーがマサドラ近くの岩場に集合していた。この6組のどのチームも50種以上の指定ポケットカードを所有している。

 この面々以外にもトップレベルのチームは他にもいるが、クリア間近なツェズゲラ組を呼ぶわけにもいかないし、他のは協調性のない連中が多かったからな。

 

「“交信/コンタクト”で話した通り、あの連中……ハメ組と呼ぶか。ハメ組の台頭に対策を立てる必要があると見てこうして皆に集まってもらった」

 

 ハメ組。奴らのやり方はまさにハメ技だ。

 数十人もの集団でスペルを買いあさり、攻撃も防御もおいそれと出来ない状況を作り出し他のプレイヤーから重要なカードを奪う。

 よく考えられたやり方だ。だが、それをまかり通していいわけがない。やり方自体を非難するわけではないが、クリアを譲るつもりはないからな。

 

「あいつ等アタシ達からもカードを奪っていったのよ……! このままあんな連中にクリアさせるなんて許せないわ!」

 

 アスタか。やはりこの中にも奴らの餌食になったものはいたか。

 

「オレ達もやられている。盗られたカードはまた入手することは出来たが、根本的な解決になっていない。このままじゃあいつ等がクリアするのも時間の問題だ」

「そうだ。このまま奴らの好きにさせるわけにはいかない。何とかしてクリアを阻止しなければ」

 

 正直難しいだろう。奴らはオレ達の手持ちカードの状況を把握することが出来る。だがオレ達は奴らがどれだけのカードを集めているのか、何処にいるのかすら分からない。

 仲間の誰かにカードを分配して隠しているんだろう。おかげでランキングにも載っていないし、誰がカードを持っているかも分からない。

 これではこちらから打って出ることすら出来ない。いや、例え打って出ることが可能だとしてもスペル数に差がありすぎてどうすることも出来ないだろう。

 

「“聖騎士の首飾り”で“徴収/レヴィ”以外の攻撃スペルからは身を守れるだろ?」

「ゴレイヌ。どうやらお前はまだハメ組の襲撃を受けていないようだな。奴らは“聖騎士の首飾り”を身に付けているプレイヤーに対しては“税務長の籠手”を使用した“徴収/レヴィ”の乱れ打ちをしてくるんだ。しかも複数人でな。いくら“徴収/レヴィ”がランダムにカードを奪うとしても、何回もやられたらいずれは目的のカードを奪われる」

 

「スペルで逃げたらどうだ?」

「すぐに追いかけられるさ」

「無理矢理あいつ等を叩くって手もあるわよ」

「奴らの方が数は多いんだぜ? 10人以上に囲まれてるんだ。こっちが逆にやられちまうさ」

 

 そうだ。例え個々の力で上回っていたとしても、数はそれを越える力だ。数を覆せる力を持った人間なんてほんの少数しかいない。オレ達じゃあれだけの人数相手に戦ったら返り討ちが関の山だ。

 

「じゃあどうするのよ!」

「落ち着けアスタ。それをこれから話し合うんだろう」

 

 アスタは少々短気なところがあるな。仲間がそれを抑えて補っているようだが。だがアスタが憤るのも理解出来る。このままじゃジリ貧だ。まさかあんな方法でクリアを目指すなんてな……。

 

「……“一坪の海岸線”」

「え?」

 

 今のは……リィーナか。ここ最近かなりの速度でカードを集めているチームのリーダー。噂通り見目麗しい美女だ。プレイヤーの中にファンがいるというのも理解出来るな。

 

「それは確かNo.2のカードだな。それがどうかしたのかリィーナ?」

「……」

「? どうかしたのか?」

 

 オレの疑問に答えることなく、なぜか沈黙するリィーナ。心なしかこちらを睨んでいるような気がする。何か気に障るような事でもしたか?

 

「……いえ。先程も口にした“一坪の海岸線”ですが、これはまだ誰も入手したことのないカードです。これを彼らよりも早くに入手して独占して守れば、少なくとも彼らがクリアするのを防ぐことは出来るでしょう」

「はぁ? あんた馬鹿なの? そんなことしたってあいつ等にカードを奪われるに決まってるじゃない。誰も手に入れてないならそれだけ入手難易度が高いってこと。だったらあいつ等も簡単には手に入れられないんだから、そのカードは放っておくのが1番じゃない」

 

 ……リィーナの言ったことは正しいが、アスタの言うことも確かだ。

 例えカードを独占出来てもそれを奪われたら話にならない。ここはその“一坪の海岸線”の入手難易度を利用して時間を稼いでその間に何か他の方法を……。

 

「ふぅ。他人の意見を貶す前に自分が何を言っているかきちんと理解してから言葉を発した方が宜しいと思いますよ……アスタさん、でしたか?」

「……っ! あんた、喧嘩売ってんの!?」

 

 おいおい勘弁してくれ! いきなりトラブルなんて勘弁だぞ。

 

「2人とも落ち着け! ……リィーナ、確かにアスタの言い方は悪かったが言っていること自体にはオレも同意だ。あいつ等からカードを守る方法が確立していない現状、不用意にレアカードを手に入れるべきじゃないだろう」

「……」

「どうした?」

 

 またか。一体なんだこの沈黙は?

 

「……いえ、何でもございません。それではこのまま彼らがクリアするのを指をくわえて待っているのですか? 確かに彼らが“一坪の海岸線”を入手するのは困難かもしれません。ですが、絶対に入手出来ないと決まっているわけではないでしょう。そもそも彼らは人海戦術を用いたスペルの独占を基本戦術としているのですよ。“一坪の海岸線”を“宝籤/ロトリー”で引き当てられないと言い切れるのですか?」

 

 ……確かにそれはあるな。だが、それこそまさに宝籤に当たるくらいの確率だぞ?

 

「だったら、どうやって手に入れたカードを守るっていうのよ! 手に入れてもすぐに奪われるんじゃまだ“宝籤/ロトリー”で当てられるのを待った方が時間が稼げる分マシよ!」

「私の話を聞いていましたか? 独占して守れば、と言ったのです。カードを守る方法がなければこんな提案はいたしません」

「奴らからカードを守る方法があるのか!?」

「一体どうやるんだ!?」

「まさかあんた“堅牢/プリズン”持っているの!?」

 

 “堅牢/プリズン”があれば指定ポケットは守ることが出来る。だが問題は“一坪の海岸線”を独占した上で守るには“堅牢/プリズン”が複数枚必要だということだ。

 ハメ組が多くのスペルを独占している現状、それだけの“堅牢/プリズン”を所有することなど出来るのか?

 

「いいえ、スペルは使用しません。要はカードを所持したプレイヤーをハメ組から見つからない場所に隠せばいいのです」

「……はぁ。所詮その程度の考えか。奴らがどれだけの人数揃えてると思っているの? 詳しい人数は知らないけど、多分50人は超えてるわよ。それだけの数から今さら私たちが逃げられるわけないじゃない。この場にいる全員がハメ組の誰かのバインダーに名前が登録されてるわよ。あとはスペルで“一坪の海岸線”を所持している奴を見つけられてはいオシマイ。分かった?」

 

「そこまで理解していてどうしてその先まで理解出来ないのか……私の方が理解に苦しみますね」

「あんたやっぱり喧嘩売ってんでしょ。いいわよ買ってあげるわよ!」

「えーいいい加減にしろ! 争うならここから出てってくれ!」

 

 この2人絶対相性悪い! この面子をオレが仕切らなきゃいかんのか? 勘弁してくれ!

 

「貴方にも理解出来るように説明してあげましょう。簡単な話です。ハメ組の誰もが知らないプレイヤーを新たに連れてくればいいだけではありませんか」

「……あ」

 

 なるほどそういうことか! 盲点だった! 確かにそうすればハメ組の攻撃は全て防げるじゃないか!

 

「彼らのやり方が通じるのは彼らのバインダーに名前の載っているプレイヤーのみ。なのでこの場の誰かが外へと戻り、知り合いの念能力者に頼み交代でグリードアイランドをプレイしてもらうのです。もちろんスタート地点には誰かが待っていなければなりません。ハメ組と接触する前にその場から移動しなければなりませんからね。

 そうして新たなプレイヤーに“一坪の海岸線”を保管してもらい、何処かに隠れてもらえばハメ組からの攻撃を受けずに済むでしょう。ああ、この時出来るなら2人連れて来た方がいいでしょう。もう1人には食料などの調達をしてもらいます。私たちの誰かがカードを守るプレイヤーと接触している時にたまたまハメ組が襲撃してくるという可能性もないとは言えませんから」

 

「そ、そんなの誰がやるっていうのよ。この場の誰もが自分たちがクリアしたくてここに来てんのよ。今さらプレイヤー交代なんて承諾出来るわけないでしょうが!」

「別に貴方にやってほしいとは言いませんよ。誰がこの方法を取っても結構ですし、取らなくても結構。ただ、他の方法があるのならどうぞ案を提示してくださいな」

「うっ……」

「とにかく、今は“一坪の海岸線”をどうにかして入手する、もしくはその入手方法を探ることが先決だと思いますが? ハメ組の方たちに先に入手されることが1番恐れるべき状況でしょう。入手さえ出来れば、後はすぐに“離脱/リーブ”で一度脱出してから先程の案を実行することも出来ますから」

 

 ……聞けば聞くほどこれ以外の方法はないな。

 確かにこれならハメ組の襲撃を躱すことは可能! 例え“名簿/リスト”で“一坪の海岸線”を誰かが入手していると分かっても、それが誰かまではハメ組には判別出来ない! そればかりか他のカードも新しく入ってくるプレイヤーに任せれば盗られる心配もなくなるだろう!

 オレの知り合いの念能力者に渡りを付けて呼んでもいいな。この際報酬が少なくなっても仕方ない。それ以上のメリットがある。リィーナの言う通り2人交代した方が安全だが、1人でも確実性は減るが今までとは安全度が雲泥の差だ。

 これは例え“一坪の海岸線”を手に入れられなかったとしてもやる価値はあるな。

 

「唯一の欠点は“衝突/コリジョン”は防ぎようがないということでしょうか。こればかりはどうしようもありません。ですが、この場合は出会う敵も1人のみ。遭遇してしまった場合はすぐに仲間の元へスペルで移動し、相談してまた新たなプレイヤーと入れ替わるのがいいでしょう」

 

 そうか。“衝突/コリジョン”までは防げないな。そうなるとまた保管要員を入れ替えなければいけないのか……。そうなると少々手間だが、この際致し方あるまい。

 

「良し。リィーナの言うことももっともだ。今は“一坪の海岸線”の捜索を行うとしよう。入手出来なければ仕方なし。出来たならばリィーナの――」

 

 っ! 何だ? どうした? リィーナの様子が……リィーナから凄まじいプレッシャーを感じる……! あ、汗が止まらない……周りを見てもオレ以外は何事もなさそうにしている。オレだけか? ……いや、アスタも同じようになっているな。

 どうしてオレとアスタだけが……!? ヤバイ。とにかくヤバイ。オレは今人生の岐路に立っている。ここで選択を誤ればオレは死ぬかもしれない。大げさじゃなくそれだけのプレッシャーを味わっている!

 

「…………り」

 

 間違えるな! 今までで彼女が発した違和感を見極めろ!

 

「……り、リィーナ、さん」

 

 プ、プレッシャーが収まった! やった! オレは生き延びることが出来たんだ! 見ればアスタもプレッシャーから解放されたようだ。

 恐らくオレは不用意に呼び捨てにしたせい、アスタは今までの態度が原因だろうな。オレが彼女をさん付けで呼んだことでアスタも一緒にプレッシャーから解放されたということは、アスタの方はオレのついでに巻き込まれたようだな。

 ……これから不用意に女性を呼び捨てにするのは止めよう。絶対にだ。

 

「あー、とにかく“一坪の海岸線”を入手出来たならリィーナさんの案を試してみよう。オレにも知り合いの念能力者がいるし、他のチームもそうしたいならしてもいいだろう」

「……何があったんだカヅスール?」

「……何でもないさ」

 

 頼むから聞かないでくれ。

 

 

 

 

 

 

 全く。ほぼ初対面の女性の名をいきなり呼び捨てにするとは何事ですか。女性ならばまだともかく、殿方に呼び捨てにされる謂れはございません。私の名を呼び捨てにしても良い殿方は良人や家族を除きリュウショウ先生のみでございます。

 

 初めは我慢もいたしましたが、流石にそれも限界でした。

 アスタさんがあまりに失礼な態度を取られていたのも原因でしょう。私の提案を理解出来ないのはいいのですが、全てを説明する前に頭ごなしに否定して馬鹿にするなどと、もう少し礼儀というものを身に付けるべきですね。

 最近の若者はそういったモラルがなっていません。嘆かわしいことです。

 

 まあいいでしょう。とにかく、彼らを“一坪の海岸線”捜索に誘導することに成功したのですから。

 今回の話は渡りに船でしたね。私たちも“一坪の海岸線”の捜索が難航していましたから、彼らにはフラグとやらを見つけてもらうのに役立ってもらいましょう。もちろん役に立って頂けたら彼らにもそれなりの報酬はお渡ししましょう。悪人ではない彼らを利用したままでいるなど私の矜持が許しません。

 

「さて、それじゃあこれから“一坪の海岸線”捜索に向かおうと思うのだが……。“一坪の海岸線”は何処で入手出来るんだ?」

「それについても調べてあります。ソウフラビという海辺の街です」

「おっ。オレ達行ったことある」

「じゃあ“同行/アカンパニー”で行くとしよう。誰か持っているか?」

「私が持っているので、それを使用しましょう」

 

 ……先生はソウフラビから少し離れた海岸で皆さんと修行しているから、このメンバーと出会うことはないでしょう。ソウフラビにやって来たプレイヤーと揉め事が起こらないよう離れていたのが幸いしましたね。

 私たちが既に“一坪の海岸線”の入手を試みているのが彼らに察せられたら少々面倒かもしれませんし。

 

「“同行/アカンパニー”使用! ソウフラビへ!」

 

 “同行/アカンパニー”を使用すると程なくしてソウフラビへと到着する。

 この移動スペルは本当に便利です。この効果を念能力で再現したレオリオさんは評価に値します。しかも先生の黒の書を参考にしているというのですからなお良しです!

 カストロさんといい、中々分かってらっしゃる方たちですね。黒の書が世界を流れているのは遺憾ですが、こうして善き人に渡っているのは嬉しい誤算でしょう。

 まあ、中には悪人の手に渡っている物もあるかもしれませんから、早く全て回収しなければなりませんが。……クリア報酬の内の1つは“失し物宅配便”にいたしましょうか。

 

 レオリオさんには私が世界を移動する時に手助けをしてもらいましょうか。もちろん報酬は色をつけて。手早く移動したい時には非常に便利なのです。まあ、一度立ち寄ってその場所に神字を刻んだ目印を設置しなければいけないので、すぐには無理でしょうが。

 

「ここがソウフラビか」

「結構でかい街だな」

「まずは全員の行動を統一する為に入手までの流れを確認しておこう」

 

 カヅスールさんの説明は前にゲンスルーさんが教えてくれたことと大体同じのようですね。ですがこれでは何の情報も手に入らないでしょう。何せ同じことを私たちは毎日のように行っているのですから。

 恐らく無駄足になるでしょう。あまり意味のない誘導だったかもしれませんが、僅かでも情報入手の確率を上げることが出来たと思えばまあ良いでしょう。

 

 ――そう、思っていたのですが……。

 

「情報提供者が見つかったぜ」

「こっちにもだ」

「私たちも話を聞けたわ」

 

 …………どういうことなの? わけが分かりませんが?

 

「おかしいな。何ヶ月か前にオレ達が調べた時は全く手掛かりさえ話さなかったんだが」

 

 こちとら3ヶ月以上は調べ続けましたが何の情報も出て来ませんでしたが?

 

「時間的な条件があったんじゃないか? この時期しかイベントが発生しないとか……」

 

 今月に入ってから朝も昼も夜も必ず聞き込みに来ていましたが?

 主に先生が。率先して動いてくれた先生の働きを馬鹿にしてるんですか?

 もしそうならこのイベントを作った方にオハナシしなければいけませんが?

 

「とにかく聞き込みを続けよう」

 

 そうですね。フラグの原因解明はさておき、今は情報が手に入ったことを喜びましょう。このまま“一坪の海岸線”についてもっと調べなければ。

 先生! リィーナは頑張ります!

 

 

 

 そうして情報を集めていると重要な話を聞き出せた。

 “レイザーと14人の悪魔”。

 それがこの街を仕切っているという海賊たち。彼らは“一坪の海岸線”を入口とする海底洞窟に眠る財宝を狙ってこの街に来たらしい。

 そうして“一坪の海岸線”の場所の手掛かりを知っている者は全て拷問を受けて殺されたそうです。許しがたい非道……! ……まあ、ゲームのイベントなのは分かっていますがね。

 

 とにかく、その海賊どもを追い払えば“一坪の海岸線”の場所を教えてくれるということ。ふ、ならば後は話は簡単ですね。その海賊どもを叩きのめせばいいだけのことです。

 ……問題はこのイベントは先生と他の皆様でも発生させることが出来るかどうかですね。もし出来なければ彼らと共にその海賊どもと戦うことになるのですが……。

 

 どうにも彼らでは心もとないですね。全員まとめても私は疎か、ゲンスルーさん達にも勝てないでしょう。

 ……いえ、1人だけ別格がいますね。あの方……名前は存じませんが、失礼な言い方になりますが猿顔が特徴のあの方は中々の実力者とお見受けします。

 

 まあ、彼らがどれほどの実力だろうと私とゲンスルーさん達で海賊を倒せば問題はないでしょう。後はイベント発生の条件を確認せねば…………。

 ……ふむ。もしかしたら――

 

「イベントの発生条件がプレイヤーの人数だったかもしれないわね」

「え?」

 

 ほう。やはり同じ結論に達する方がいましたか。

 それ以外には考えにくいでしょう。“レイザーと14人の悪魔”。つまりは15人の海賊どもということ。そして私たちは現在16人のパーティとして動いている。

 1人多いですが、きっかり同じ人数でなくとも15人以上のパーティを組めばイベントは発生すると考えていいでしょう。

 

「しかしゲームキャラはどうやってそれを判断するんだ?」

「“同行/アカンパニー”だろうな。15人以上で“同行/アカンパニー”を使いソウフラビに来る。恐らくこれがイベント発生の条件だろう」

 

 ゲンスルーさんの意見以外は考えられませんね。

 つまり先生たちも同じことをすればこのイベントを受けられるということ。

 ふふ、これは好都合ですね。例えこのイベントで“一坪の海岸線”を手に入れられなかったとしても、後から先生たちが挑むことが可能ならば問題はございません。

 海賊がどれほどの強さだろうとも、先生相手に勝てるわけがありません。悔しいですが、先生の相手になるのはネテロ会長以外では考えられませんからね。

 

 ……いえ、先生はもしかしたらこのイベントに参加出来ないのでは? “同行/アカンパニー”で一緒に来られないとなると、15人のパーティには含まれないはず……。

 くっ! 何ということでしょうか! このイベントを作ったのはきっと最低の人物に決まっています!

 ……こうなったら先生には後からこっそり合流してもらって、さりげなくパーティの一員として振る舞えばバレはしないのでは……?

 

「えげつねェな……」

 

 おや、あの方は……。

 なるほど。どうやら彼はこのイベントの嫌らしさを理解しているようですね。戦闘能力だけでなく頭も回るようです。

 15人で挑まなければ発生しないイベント。ですが15人ものパーティを組んでいるプレイヤー等あのハメ組以外にはいないでしょう。

 つまり複数のチームが組んで挑まなければならないということ。その際に3チームでパーティが組めればいいのですが、それ以上のチームとなると……。

 イベントクリア後のカードの分配で揉めるのは必然でしょうね。彼の言う通り、先生が参加出来ない可能性も含めてえげつない設定のイベントだと言えるでしょう。

 

 まあ私たちは先生を除いても11人。あとの4人はそうですね……外の世界に帰りたくとも帰ることが出来ないでいるプレイヤーを“離脱/リーブ”を報酬にして誘えば……。

 いえ、勝負の形式によってはそれも拒否されるかもしれませんね。ともかく一度海賊どもがどのような輩でどのような勝負を持ち出して来るのかを確認した方がいいでしょう。

 

 

 

 

 

 

「これで8勝。オレ達の勝ちだな。出直して来な。まだしばらくオレ達はこの街で好きにさせてもらうぜ」

 

 海賊との勝負。スポーツをテーマに、互いに15人の代表を出して先に8勝した方が勝利という形式の勝負。

 何やら肩透かしですね。海賊との勝負と言うからにはもっと殺伐としたものを想像していたのですが。まあそれだとこのメンバーの大半が海賊に殺されていたでしょうから、この方が良かったのでしょう。

 海賊どもも然程の力量ではありませんが、彼らの実力はそれ以下でしたからね。まともな勝負では相手にならないでしょう。むしろスポーツである方が勝ち目がまだあったでしょうね。

 

 まあそれでもこのメンバーで海賊に勝利するのは難しいので、ゲンスルーさんのアドバイス通りにして良かったでしょう。

 わざと負けるのは癪でしたが、負けた時のデメリットもなく、メンバーの1人でも入れ替えればまた再挑戦も可能だと言うのですからこれが効率のいいやり方ではあります。

 これを先生に教えてメンバーを整えて挑めば、私たちのみで8勝など余裕でしょう。残り4人のメンバーは先ほどの通りに帰りたがっているプレイヤーを誘えば解決するでしょう。

 

 ……ただ、あの海賊のリーダーであるあの男……。彼だけは一筋縄ではいかない相手ですね。勝負の内容にもよりますが、恐らくゴンさん達ではまず勝てないレベルでしょう。……いえ、正直まともな戦闘ならともかく、スポーツによっては私でも負けるやもしれません。

 これほどの実力者がいようとは。……ゲームのNPCとは思えません。恐らくゲームマスターかそれに雇われた1流の念能力者。他の海賊もそうでしょうが、彼だけは桁が2つは違いますね。

 どうせなら彼と1対1でスポーツではないまともな決闘をしたいものです。

 

 

 

 さて、勝負も終わりこの16人で今後について話し合うようですが……彼らはどう動くでしょうか。

 

「アタシ達はこれで抜けるわ。この内容なら例えハメ組が15人以上のパーティで攻略に来てもクリア出来ないわ。アイツ等私たちよりも弱いしね。リィーナ姐さんが言っていたように“宝籤/ロトリー”でゲットするかもしれないけど、それは運が悪かったと思って諦めるしかないわね」

 

 なるほど。アスタさん組はここで手を引くと。

 ……ところで、どうして私を姐さんと呼ぶのでしょうか? とくと聞きたいのですが。

 

「……確かにそうだな。今のオレ達で無理なら奴らでも……」

「オレ達も一度このイベントから手を引こう。それよりもリィーナさんが言っていたやり方を試したいんでな。“一坪の海岸線”は手に入らなかったが、それでもこれ以上ハメ組にカードが奪われないようにしたい。それが奴らのクリアを阻止する可能性にも繋がるからな」

「ではこのパーティはここで解散ということでよろしいでしょうか?」

「ああ。皆ご苦労だった。おかげでNo.2のイベントトリガーも分かったし、ハメ組に対する新たな対抗策も見えた。今回の集いは有意義なものだったよ。感謝する」

 

 それはこちらの台詞でもありますね。おかげで長いこと進まなかった攻略に道が開けました。これは相応の謝礼をしなければなりませんね。

 

「それでは皆様これをお持ちください」

「これは?」

「名刺? 裏にリィーナさんの直筆サインか? ……って! この名刺!?」

「ろ、ロックベルト財閥の……会長!?」

「申し遅れました。私ロックベルト財閥会長のリィーナ=ロックベルトと申します。此度は皆様のおかげで重要な情報が手に入りました。つきましてはこの件に関して謝礼をと思いまして。

 外の世界に戻った暁にはその名刺を持って財閥の本社か風間流本部道場にお越し下さい。1人当たり2000万ジェニーの謝礼金を約束致しましょう。事前に私の所在をそこに書いてある電話番号にお掛けになって確認して頂けるとお互いに手間が省けて助かります。日によっては対応出来ない場合もございますので。

 ああ、ご本人がその名刺をお持ちになって直接お越しになることが条件です。代理人が受け取りに来た場合も、名刺が手元にない場合も謝礼金はお渡し出来ませんのでお気を付けください」

 

 おや、皆様目を丸くなさっていますね。

 まあ大抵の方が驚かれますが。私、別に正体を隠してもいませんし、メディアにもそれなりに顔を出しているのですが……。

 やはり見た目でしょうか? ビスケのエステを受ける前は年齢より少し若いくらいの見た目でしたからね。今では20歳そこそこの見た目を維持出来ています。ビスケのおかげですね。維持費はそれなりですが、美貌を保つのには安い買い物です。

 

 ……バッテラさんに頼まれている魔女の若返り薬、私も頂きたいですね。本当に20歳くらいに戻れば先生とずっと一緒に修行をすることが!

 おお……! 夢が広がってきました! うふ、うふふ! これはいい考えです! 必ずやグリードアイランドをクリアして報酬を頂きましょう!

 今回の一件で“一坪の海岸線”も入手出来そうですし、ゲームクリアも近づいて来ました!

 そう考えるとこの情報は金よりも重く価値があるものです。2000万ジェニーでは安かったかもしれませんね。

 

「ほ、本当に貰えるの!?」

「いえ」

「はぁ? 何よ、やっぱり嘘なのね。ぬか喜びさせないで――」

「――よくよく考えれば2000万では妥当ではございませんね。1人につき1億の謝礼金とさせていただきます」

『どうして増えた!?』

 

 そう大声を出さないでください。

 増えた方が嬉しいでしょう? 私にとってはそれほどの情報だっただけのことです。

 

「ああ、控えさせてもらいますので、今一度貴方がたのお名前をお教え願ってもよろしいでしょうか」

 

 全員の名前を聞き出し控えておく。バインダーに記録されているでしょうが念の為です。出会った場所や順番によっては誰の名前か分からない場合もあるでしょうし。後は彼らが名刺を持って謝礼金を受け取りに来た時に確認すればいいでしょう。

 

 即席のパーティがそれぞれのチームに分かれて解散する。

 誰もが何処か現実味のない物を見たような表情で離れていきますね。そんなに衝撃的だったのでしょうか?

 

 残ったのは私たち4人ともう1人、ゴレイヌさんだけ。

 さて、ゴレイヌさんは彼らの今後の方針に賛同の意見を出してはいませんでしたが、どうするおつもりでしょうか?

 

「ゴレイヌさんはどうされるのですか?」

「……出来ればあんた達の仲間に入れてもらいたいな」

「……申し訳ございませんが、貴方を仲間にするわけにはまいりません」

 

 なるほど。私たちが今後どのような行動に出るか理解されているようですね。

 ですが、ゴレイヌさんを仲間にするメリットは殆どありません。戦力という点では私たちは十二分に揃っているのですから。しかも仲間にした場合のデメリットが大きすぎるのです。

 ゴレイヌさんを仲間にした場合、彼もゲームクリアを目的としているのですから“一坪の海岸線”を報酬として渡さなくてはならなくなるでしょう。

 そうすると彼がハメ組に“一坪の海岸線”を奪われた場合、私たちは“大天使の息吹”を手に入れられなくなるやもしれません。

 

「……あんた達はこのイベントを諦めてないんだろ? そうじゃなきゃあんな風にわざと負ける意味はないからな。だったら強い仲間が必要なはずだ。あの風間流の最高責任者であるあんたにゃ及ばないが、オレもそこそこの実力者だぜ?」

「貴方の実力はある程度ですが肌で感じられています。仰る通り、かなりの実力者でしょう。ですが私たちは既に残りの仲間の目処が立っております。貴方を加えるのは私たちにとってメリットになりにくいのです」

 

 強いて言うならば敵となる可能性のあるプレイヤーを味方に引き込めるかもしれないのがメリットでしょうか。今回のイベントのみではなく、クリアまで仲間になるのならば先のデメリットはなくなります。

 ですがその場合は彼にも報酬を渡さなければならないということ。別に報酬を惜しむつもりはありませんが、報酬を払ってまで仲間にしたいとは思えないというのが正直な意見ですね。

 

「そりゃ残念だ。じゃあ今回は縁がなかったってことで」

「ええ。それではお互いに頑張りましょう」

 

 ……行きましたか。

 いずれは彼ともクリアを巡って争うことになるかもしれませんね。ツェズゲラさんもかなりの枚数のカードを集めていらっしゃるようです。戦闘ではともかく、ゲーム上では気を引き締めないと足元を掬われるやもしれませんね。

 

 …………そんなことより先生に会いたい。

 先生! 不肖の弟子リィーナ、喜ばしい情報を持って今すぐ戻ります! もうしばらくお待ち下さいませ!

 

 

 

 

 

 

 ハメ組に関して対策を立てたいというプレイヤーの連絡を受けて出掛けていたリィーナが帰ってきた。それも特大の情報を持って、だ。

 

「なるほど、人数が原因だったのか……」

「道理で何回話を聞いても情報が出て来なかったわけだな」

「やったじゃない! これで攻略も進むってことね! いい加減潮風で髪が痛みそうなのよね~」

「貴方は能力で髪質も整えられるでしょうに」

「アイシャの髪質は無理なのよね」

「さあ早く“一坪の海岸線”を手に入れてこんな場所からは移動しましょう。さあ、さあ!」

 

 落ち着けリィーナ。別に髪質なんか……髪質なんか……髪?

 あかん。母さん譲りの髪だけは大事にせねば!

 

「行きましょうすぐ行きましょう。さあ皆、その海賊とやらをとっちめますよ! さあ、さあ!」

「落ち着けアイシャ。レオリオがまだ帰ってきてないだろうが」

「レオリオさんがいなくとも十分でしょう。アイシャさんが参加出来なかったとしても、残りの10人で8勝すればいいだけのことでございます」

「いえ、それには問題がありますリィーナ先生」

「何の問題があると仰るのですかゲンスルーさん?」

 

 問題? レオリオさんを置いていくのは確かにどうかと思ったけど、リィーナの言う通り勝つだけなら今のメンバーでも問題ないんじゃないか? リィーナの話では海賊のボス以外は大した使い手ではないということだし。

 

「今オレ達が持っている“離脱/リーブ”の数です。レオリオがいない場合、5人のプレイヤーを誘わなければいけません。そのプレイヤーには外の世界に帰りたくても帰ることが出来ない者を“離脱/リーブ”を報酬に人数合わせに誘う予定ですが……」

「私たちの手持ちの“離脱/リーブ”の枚数は?」

「……4枚です」

「今すぐ手に入れてきなさい」

「そんな無茶な! 限度枚数30枚ですよ!? ハメ組が大体を、残りも他のプレイヤーが所持しているに決まっています! 残り1枚2枚もあるかも分からないのです。流石に今すぐ手に入れるのは……」

 

 なるほど。報酬がなければ人を雇うことは出来ない。当たり前の話だ。そういうことなら仕方ない。レオリオさんがいないまま“一坪の海岸線”を手に入れるのもどうかと思う。レオリオさんもずっとソウフラビで情報収集を頑張っていたんだし。レオリオさんが帰ってきてから攻略を進めよう。

 

「ではレオリオさんが帰ってくるまで待ちましょう。トリートメントに気をつければ髪もそうそう痛まないでしょう」

 

 ……念の為オーラを頭に多く回しておこう。これで髪を強化して潮風なんぞに負けないようにしてやる!

 

 

 

 

 

 

 2月も後1週間で終わりになる。今月中にはレオリオさんが帰ってくる予定なんだけど……。センター試験は2回に分けて行われるので、1次試験で落ちていたらもう帰ってきているはず。

 つまりレオリオさんは1次試験には合格しているということだ。このまま2次試験も合格出来るといいんだけど。

 

 “一坪の海岸線”はまだ誰も入手出来ていない。

 時々こまめに“名簿/リスト”で確認している。もしハメ組や他のプレイヤーが先に手に入れたら作戦はおじゃんだ。

 ハメ組は“宝籤/ロトリー”で、他のプレイヤーはリィーナと一緒に海賊に挑んだプレイヤーか、もしくは彼らに情報をもらったプレイヤーがイベントをクリアする可能性がある。

 特に意外と怖いのが“宝籤/ロトリー”だ。案外これで手に入ったなんてことが起こるかもしれない。確率は何十、もしくは何百万分の1かもしれないけど、現実の宝籤なんかもっと低い確率の1等を当てている人なんてゴロゴロいるんだ。

 確率が低いから起こりえないなんて考えるのは馬鹿の考えだろう。……レオリオさん早く帰ってこないかな~。

 

「アイシャ! ぼうっとしてる暇があったらオレと組手しようぜ!」

 

 気合入っているなキルア。

 キルアもそうだが、ゴンやクラピカも今まで以上に気合を入れて修行に励んでいる。どうやらリィーナに聞いた話でカチンと来たようだ。何せゴン達では海賊の親玉には勝てないとハッキリ言われたからな。

 リィーナにまともな決闘で勝負してみたいと言わしめる程の実力者だ。そうそうお目にかかれないレベルの実力者だな。

 

 その親玉、レイザーだったか。彼がゴン達の刺激になって良かった。たまにはそういった変化がないとね。修行も楽しみながらやれたら1番なんだけど、そう簡単にはいかないし。

 

 ゴンは最近悩んでいるんだよな。キルアにさっぱり勝てないって。発無しの組手でも勝率はキルアの方が少し上だったのに、発有りの組手だと100%負けている。

 というか、キルアにまともに勝てる弟子クラスがいない。【神速/カンムル】強すぎワロエナイ。

 ガチンコで戦ったらクラピカも一方的にやられる。クラピカが【絶対時間/エンペラータイム】を発動させて全力で堅を維持して攻撃を凌ぐのが精一杯だ。

 クラピカならそこから鎖の能力を駆使して勝ちに持っていくことも出来なくはないけど、それでも勝率は低い。

 ゴンに至っては攻防力では強化系のゴンが勝っているけど、オーラ量に差がないから速度で圧倒するキルアに負け続けだ。【ジャンケン】なんて使う暇もないからな。当てるどころか使うことすら出来ない。疾さは強さであった。

 

 疾いだけならまだ対処のしようもあるかもしれないけど、キルアの【神速/カンムル】は疾い上に電撃による麻痺があるからな。攻撃を受けると電撃で身体が僅かに硬直してしまうんだ。これに耐えることが出来るのはキルアと同じ修行(拷問)を受けて育ったミルキくらいだ。

 ミルキとキルアの勝率は半々くらいだ。ミルキが堅で耐えている間に少しずつキルアにオーラを流し込んで重くしたり軽くしたりと重量を操作する。攻撃を軽くされたらミルキの防御力をキルアの攻撃力じゃ突破出来ないのだ。まだミルキの方が顕在オーラが上なのでダメージを与えられなくてキルアが悔しがっていた。

 

 ミルキもキルアに負けたくないから必死で潜在オーラと顕在オーラを増やしている。ビスケの能力を知った時に自分もしてくれと頼み込んでいたし。

 おかげでミルキもビスケの能力の恩恵を受けられるようになった。ビスケもイケメンの頼みに弱かったのだ。まあミルキが十分原石として輝いているというのもあるだろう。

 何があったか知らないけど、ゾルディック家で出会った時とはひと皮もふた皮も剥けているようだし、これからもっと強くなるだろう。

 

 ――ップ!――

 

 カストロさんは弟子クラスというレベルではないが、ゴン達とも良く組手をする。上のレベルと戦うのはいい刺激になるからな。あまりに実力に差がありすぎたら参考にならない場合もあるけど、カストロさんは丁度いいくらいだ。

 もちろんカストロさんがゴン達と戦う時は発は無しだけど。あれを使うと威力がありすぎて危ないんだよね。そんなカストロさん相手でもキルアは勝ち星を上げたことがあるからな。【神速/カンムル】の強さ恐るべし……。

 

 ――ってんだろ!――

 

 ゲンスルーさん達はもう随分私たちと溶け込んでいる。

 普通に話して普通に笑って、ゴン達の修行の手助けをしたり、キルアに負けた時に悔しがっていたり、次にキルアと戦った時に大人気なく本気で倒してたり。

 ミルキとも結構仲良く話すし、今はいないレオリオさんとも仲がいい。どうにも常識人だから話が合うと言っていたのを聞いたことがある。

 ……私も常識人のはずだ。そのつもりだ。そうに違いない。私とも気軽に話してくれるし、きっとそうだろう。常識がないのは私狂いのリィーナとか美男子に目がないビスケとかだ。

 

 ――ギブギブ! 言葉通じてんのかコラーっ!?――

 

 ふぅ。レオリオさん早く帰ってこないかなぁ。

 早く攻略を進めてゲームをクリアして外の世界に戻らなくちゃいけないんだよ。もし今にもキメラアントの事件が起きているかと思うと……。早く調べたい。

 レオリオさんには時間が有ったら最近キメラアントによる事件が起きてないかハンターサイトで調べておいてとお願いしたけど……。どちらにせよレオリオさんが帰ってこなくちゃ意味がない。もう少しで帰ってくるはずだし、辛抱しなきゃな。

 

「ギブアップって言ってるだろ早く技を解けよ!」

「何を言うのです。まだここから抜け出す方法はありますよ」

 

 キルアが地面に這いつくばってもがいている。

 動きが取れないように技を掛けているけど、上手く身体をずらせば簡単に抜けられるようにしているんだけどな。

 

「くそぉー、また負けた……」

 

 はっはっは。【神速/カンムル】を使わないキルアにはまだまだ苦戦はせんよ。【神速/カンムル】を使われてもまだまだ負けはしない。どれだけ疾くともオーラ技術が未熟だ。攻撃を読み切ることは出来る。同じ理由でリィーナとビスケもまだキルアには負けていないな。

 でも逃げに徹せられると私でも捕まえる自信はない。疾さはどうあがこうともキルアが1歩先を行く。逃げられたらキルアの充電が切れるまで鬼ごっこするしか方法はないかな。

 ……全力で踏み込んでその勢いにオーラを放出してのブーストダッシュ加えたら逃げられる前に捕まえられるか?

 

「どうしたキルア? 急に身体を震えさせて。風邪か?」

「……いや、なんか木っ端微塵にされそうな気がしてな」

 

 ……加減はするよ?

 

「アイシャ! 次はオレとも戦ってよ!」

「いいですよ」

 

 ゴンは負けず嫌いだから、負けたらすぐにもう一度勝負とせがんでくる。まあ私にとっては弟の我が儘みたいで可愛いものだ。何度でも勝負してやろう。

 キルアに負けたくないみたいだけど、それはちょっと諦めた方がいい。あれは軽く反則の能力だ。素の実力で劣っていてもあれを使えば勝てるようになる。素の実力が伯仲しているゴンでは【神速/カンムル】発動中のキルアに勝つのは現状不可能と言ってもいいだろう。

 

 ゴンの実力で出来るあれの対策が正直思いつかない……。

 地力を伸ばして超スピードにも対処出来るようにするのが確実で無難な方法だろう。何度か相談は受けているけど、いいアドバイスが出来なくてごめんね。

 

「うー、負けたかー」

「もう一戦やりますか?」

「うーん……」

 

 おや? 普段なら当たり前と言わんばかりに食いついてくるのにな。

 ……やっぱりまだ悩んでいるんだろうか。1番の友達だもんな。置いていかれたみたいで不安なんだろう。

 

「キルアのことで悩んでいるんですか?」

「うん……何とかキルアの【神速/カンムル】に対抗したいんだけど……。アイシャ、何度か聞いたけど、やっぱりアドバイスはない?」

「うーん……アドバイス、ですか」

 

 難しいな。今のゴンでどうやったら【神速/カンムル】の疾さに対抗出来るだろうか?

 

 キルアより疾くなる。

 ……無理。何か能力を作っても雷の反射速度には敵わないだろう。【百式観音】ならキルアに当てられるだろうけど、そんな例外はそうそうない。

 

 キルアを遅くする。

 ……無理。ミルキの重量操作みたいな能力をゴンが作るのはまず無理だ。操作系と強化系は相性が良くないからな。作れないことはないけど、今のゴンでは威力不足になるのがオチだ。

 

 キルアが反応しても避けられない攻撃をする。

 ……だからそれは【百式観音】くらいのものだ。

 

 キルアが【神速/カンムル】使っても勝てるくらい強くなる。

 ……あと10年は修行漬けだな。だがこれが1番堅実な方法ではある。

 

「そうですね……やはり、地力を上げるしか方法はないでしょう」

「でも、それじゃ何時までかかるか……」

「キルアは能力という意味ではもうほぼ完成形にあります。それは逆に言えばこれ以上発展することはあれど極端に伸びることはないということです。電気を応用して神速の反射速度を得ているのですから、これから修行してもそれ以上の反射速度になることはないわけです。後はゴンが修行して差を縮めていくしかないでしょう」

 

 鍛えに鍛えて、強化系の売りである攻撃力と防御力を限界まで極めるのだ。そうしてキルアの攻撃ではビクともしない頑健さで攻撃を凌ぎ、逆転の一撃を叩き込む。

 最高レベルまで極めたゴンの【ジャンケン】のグーをまともに喰らえば相手は死ぬ。私でも死ぬ。まともに喰らう気はないけど。ゴンにキルアを殺すつもりもないだろうけど。

 

「とにかく今ゴンに出来ることは基礎を極めることです。以前にも言いましたが、他に目を向けるのはそれからでも遅くはありませんよ。確かに1対1という状況ではキルアは飛び抜けていますが、ゴンの攻撃力は類を見ないレベルで高まっています。それをさらに伸ばし、威力を活かせる状況を作り出せるようになればどんな敵も一撃で倒せるようになりますよ」

 

 まあ理想だけど。でもゴンならいつか辿り着く領域かもしれない。

 ネテロばりの正拳をそれを遥かに上回る威力で放つ。まさに一撃必殺だ。

 レベルを上げて物理で殴るの極みである。

 

「……うん。そうだね。ちょっと焦ってたみたい。もっと頑張って修行して早くキルアに追いつく! アイシャ! もう1回戦ってよ!」

「ええ、いいですよ」

 

 良かった。少しは吹っ切れたようだ。悩んでいても修行に身が入らなくて悪循環になるだけだ。ゴンは吹っ切れて前に突き進んでいた方が伸びはいいだろう。

 頑張れゴン。遅咲きだけど、いつかは大輪を咲かすタイプだよゴンは。

 

 ……まあ、他人から見れば現状でも十分大輪なんだけどな。

 ゴンもキルアも贅沢者だよ。自分達がどれだけ才能に満たされているか分かっていないんだからな。私が今のお前たちの強さに到達するのに何年掛かったと思っているんだ……。

 

 チクショウ。絶対負けてやんないからな。この2人がどれだけ強くなっても1歩先を行ってやる。歳上の意地を見せてやる。

 

 

 

 

 

 

 あいも変わらず修行に勤しむ日々を過ごす。

 砂浜にはゴンが突き刺さり、キルアが波打ち際で波に攫われかけ、クラピカは宙を舞う。

 いつもと変わらないそんな風景を眺めながら自身の修行に注力する。

 修行の合間に海賊とのスポーツ勝負の練習もしておく。私も参加出来るか分からないけど、一応練習はしておいた。……参加、出来るといいなぁ。

 

 そんな毎日を過ごしていると、空から飛行音が聞こえてきた。

 スペルか? そう思って振り向くと、着地して来たのはレオリオさんだった。

 

「レオリオさん! お帰りなさい!」

「よう。今帰ったぜ。皆変わりは……ああ、変わりはないみたいだな。いつも通りの修行風景だぜ……」

 

 そんな哀愁漂うように言われても……。もうレオリオさんも慣れていいと思うよ?

 

「むにゃむにゃ。おねぇさん。サボってばかりいるとまた……様に叱られるよ……」

「起きろゴン。そこからは早めに帰って来いって言ってるだろうが」

「……うーん……ん? あっ! レオリオ? お帰り! いつ帰ったの!?」

「今さっきだよ。スペルがないけど、【高速飛行能力/ルーラ】があるからすぐ戻ってこられたぜ。これがなけりゃマサドラまでスペルを買いに行かなきゃならないからな」

 

 そうだな。グリードアイランドから外に出るとフリーポケットの中身は全部失われてしまうからな。スペルカードも何枚持ってようが全部なくなってしまう。

 スペルカードが欲しければ、グリードアイランドに戻ってきたらスタート地点からマサドラまで移動するか、他のプレイヤーから譲ってもらうしかないからな。

 私たちがどこに移動してもすぐに合流出来るように、私に【高速飛行能力/ルーラ】の目印の1つを持たせたレオリオさんの判断は正解だったな。

 

「レオリオさん。試験はどうでしたか?」

「ああ、1次試験はバッチシだったぜ。2次試験はまだ合格発表が出ていない。来月には通知が来る予定だな」

「それならグリードアイランドにいてもいいんですか? 合格していたら手続きとかもしなければいけないですし、外の世界にいた方がいいのでは……?」

 

 レオリオさんがいないと寂しいし、攻略も不便になるけど、レオリオさんの一生の方が大事に決まっている。

 

「大丈夫だって。外の世界に戻ったついでに、オレの家に目印仕込んできたし、医大の近くのマンションにも目印仕込んできたからな。これで何時でもすぐに【高速飛行能力/ルーラ】で戻ることが出来るぜ」

 

 おお。本当に便利だな【高速飛行能力/ルーラ】。飛行船しかないこの世界でこんな便利な移動能力持っているレオリオさんはものすごく重宝されるぞ。これだけで色んな人たちから勧誘されるだろう。

 

「な、なるほど……うっぷ。レオ、リオに、しては……うぐぅ……。中々、考えて……行動してるじゃ、うぅ、ないか」

「そんな状況でも嫌味が言えるのはむしろ尊敬に値するぜ。ホレ、酔い止め飲んどけや」

「す、すまないな」

 

 酔い止めで治るのか? まあないよりマシだろうか。

 あ、キルアがいない。波に攫われたか?

 

「ぶはぁっ!? はぁ、はぁ! お、オレは一体……?」

「おお、生きてたかキルア」

「ん? レオリオがいる? くっ、どうやら地獄に落ちたようだな……」

「いいぜ、今すぐそうしてやるよ」

 

 うん、いつも通りの皆だ。やっぱりこうでなくちゃな。

 ゴンがいて、キルアがいて、クラピカがいて、レオリオさんがいる。皆で揃って遊んだり馬鹿やったり喧嘩したり、そんな皆と一緒にいるのが楽しいな。

 

「そうだレオリオさん。ちょっといいですか?」

「お? どうしたんだ?」

 

 レオリオさんを連れて少し離れた場所まで移動する。聞きたいことはあんまり大げさに話したくないことだしね。

 

「レオリオさん。頼んでいたことはどうでしたか?」

「ああ、キメラアントだったな。調べてみたけどよ。そんな話はなかったな。過去に起こったキメラアントによる幾つかの種の絶滅ってのは出て来たけどな」

 

 それは普通のキメラアントの話だろうな。

 そうか、まだ起きてはいないようだ。それともハンターサイトにも載っていないだけか……。まあいい。クリアして私自身が調べるしかないだろう。

 

「そうですか。ありがとうございましたレオリオさん。勉強で忙しい時に余計なことを頼んですいませんでした」

「いや、それはいいんだけどよ。息抜きにもなったし、何よりアイシャの頼みだからな。……そんなことよりよ。なんか悩みごとでもあんのか? オレで良かったら相談に乗るぜ?」

「いえ、そんなことじゃありませんよ。少し気になったことがあっただけですから」

「そうか。ならいいけどよ」

 

 ……ごめんなさいレオリオさん。こればかりは誰にも相談出来ることじゃないんです。反則で得たような未来の情報、しかも確定していないことを大っぴらに話すわけにはいかない……。

 

 話も終わったので皆の元に戻る。

 レオリオさんが戻ってくるなりキルアとミルキに何か言われている。何を話してたか気になったのかな?

 

 さて、レオリオさんも戻って来たことだし、気を取り直してゲーム攻略を進めよう!

 

「それじゃあレオリオさんが戻って来たので“一坪の海岸線”攻略を進めましょう!」

「よっしゃ! やっと攻略が進むぜ!」

「ああ。ゲームが詰まった状況ってのは性に合わないしな。レオリオが帰って来て良かったぜ」

「ミルキ、抜けがけはしてないだろうな?」

「安心しろ。二度も約束は破らないさ」

 

 抜けがけ? 約束? 何なんだろうか?

 

「それより“一坪の海岸線”の情報が手に入ったのか?」

「ああ。詳しく説明してやるよ」

 

 ――ミルキ説明中――

 

「なるほどな。じゃあオレが帰って来たから後は外の世界に帰りたがっているプレイヤーを4人誘えばいいってわけか」

「そういうことだ。マサドラ辺りで張ってりゃそういう連中に出会えるだろう」

「じゃあ早速人数揃えようぜ!」

『おー!』「うっぷ」

 

 吐くなら海にお願いしますよクラピカさんや。

 

 




ポックル「今年こそは!」
キルア「くたばれミルキ!」
ミルキ「お前がだキル!」

ポックルダイン「ぐわああああああーーッッ!!」

 皆の人気者。森の賢者ゴレイヌ参上。でも仲間にはなりません。仲間にする理由がないんですよね。でも活躍どころはまだありますのでご安心を?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十六話

 ほう。新たなパーティが挑戦に来たようだな。

 以前に16名のパーティが挑戦してから1週間は経ったが、メンバーはどのように変わったかな?

 あの時のパーティメンバーは殆どがオレが出る幕もないレベルの奴らだったが、その中でも5人だけは別格だったからな。

 途中から彼らはわざと勝負に負けていたから、その内彼等が中核となって挑戦しに来ると思っていたぜ。

 

 ゲームマスターとして、イベントキャラを演じつつここでプレイヤーを待っているが、ここまで辿り着けた奴は今までいなかったからな。

 暇で暇で仕方なかったんだ。今回は楽しませてくれよ。オレの出番が回ってくると期待してるぜ。

 

 灯台に入って来た15人のプレイヤー、いや、16人か。

 15人でいいと前回で分かっているだろうに、1人多いのはたまたまか?

 パーティを組んだチームが合計して16人になっただけ……というのはないな。

 明らかにあの16人の内の4人は格が低い。まともなプレイも出来ていない雑魚だろう。人数合わせに雇ったのは明白。ならば他に理由があるはず……。

 

 残り12人の戦闘レベルは申し分ないな。

 正直その全員と勝負をしたいくらいだ。残念ながら人数上の関係で出来ないがね。

 奴らが7勝した状況でオレの出番が来ても、残っているのが5人とクズでは興ざめだな。少々予定と違うが、雑魚を除き残り8人になったらオレが出るとしよう。

 

「また来たのか。懲りない連中だな。前にも言ったがオレ達をこの街から追い出したければオレ達に勝つんだな。互いに15人ずつ代表を出して戦う。1人1勝で、先に8勝した方が勝ちだ」

「そのことで1つ質問があります」

「ん? なんだ?」

「私は“同行/アカンパニー”で来た15人の中に入っていません。このソウフラビで合流したプレイヤーですが……。私はこの勝負に参加することが出来ますか?」

 

 ……なるほど。それで人数が1人多かったのか。

 初めから“同行/アカンパニー”で来れば良かったのにな。いや、ソウフラビにたまたま来ていたソロプレイヤーか?

 

「残念だがそれは無理だな。オレ達と戦う資格があるのは同じパーティの仲間だけだ。そうでない者は本来ここに入ることすら許されない」

 

 本当に残念だ。この少女の戦闘力はかなりのものだろうに。

 ……いや待て。そもそも“同行/アカンパニー”で一緒に来たパーティ以外はここに入れないようプログラムされているんだぞ? どうしてこの少女はそれを無視してここまで来られたのだ?

 グリードアイランドのシステムに不備が出たのか? それならシステムを担っている奴から連絡が来るはずだが……?

 

「おい。お前はどうしてここまで入ることが出来た? 15人以上のプレイヤーが“同行/アカンパニー”でソウフラビに来ない限りこの灯台に入ることは出来ないようになっているんだがな」

「……企業秘密です」

 

 どこの企業だ。

 恐らく念能力か。複数の念能力者が制約と誓約に膨大な神字まで籠めて作ったシステムだったんだが、どこかに抜け道があったか。スペルカードを防ぐ能力者が現れたとも聞くし、原因を調べさせて対処しないといけないな。

 それにしても、オレに言わなければバレなかったというのに正直なことだ。黙っていてくれればオレとしても嬉しかったのだが、知ってしまえばルールには従わなければならない。もちろんゲームマスターであるオレ自身もな。

 

「もう一度言うが、残念だがお前は参加不能だ。本来ならこの場から出て行ってもらうところだが、特別に見学なら許してやるぜ」

「……そうですか。ありがとうございます……」

 

 オレの答えに落ち込んだのか、少女は仲間に激励の声を掛けて壁際で座り込んだ。……少々可哀想だが、これもルールだ。

 

「では改めて勝負を始めるとしよう。まず、最初の勝負はボクシングがテーマだ!」

 

 

 

 そうして開始した勝負だが……やはり結果は見えていたな。

 12人、いや、少女が減ったから11人か。その誰もがオレ達のメンバーの実力を凌駕している。誰が相手でどんなテーマだろうとも勝ち目は薄いな。

 

 既に3連敗だ。これ以上は残り人数が少なくなって雑魚プレイヤーが混ざってしまう。その前に勝負を切り上げるか。

 

「なるほど。中々強いな。いいだろう、次はオレが相手になろう」

「ふむ。海賊の頭がこのような序盤で出てくるとはな」

「おし。それじゃコイツの相手はオレがするぜ」

「駄目だよ! レイザーとはオレが戦うんだから!」

「ちょっと待て2人とも。私もこの勝負は引くことは出来ないのだよ」

 

 ふ、人気者だな。まあ悪い気はしないが、どの連中もオレに勝つ気が満々だな。負けず嫌いは結構だが、相手は良く見た方がいいぜ?

 

「皆さん落ち着きなさい。彼の相手は私がいたします」

「えー、そんなこと言わないでよリィーナさん!」

「あんだけ煽られたらこちとら引けないんだよ。オレでもあいつに勝てるって教えてやるぜ」

「そういうことだ。今回は私たちの誰かに戦わせてもらいたいな」

「……ふぅ。致し方ありませんね。私も彼と戦ってみたかったのですが……」

 

 ……何か勝手に話が進んでいるな。安心しろ。全員と戦ってやるさ。

 

「ゴン、クラピカ、不公平のないようジャンケンで決めようぜ」

「いいよ!」

「ふっ。グリードアイランドに入って来た時のことを忘れたのかキルア?」

「るせ! 今度は負けねーぞ!」

 

 ……ん? 今確かにゴンと……。

 あの少年の名前か? ゴン……あの少年の見た目と年齢……まさか!?

 

「ジャンケン――」

「――待て。少し聞きたいことがある」

「ポ――って、何だよおっさん」

「おっさ……いや、それはどうでもいい。そこの少年、ゴンと言ったか? お前のファミリーネームはもしかしてフリークスか?」

「え? そうだけど。なんで知ってるの?」

 

 やはりそうか。あれからそんなにも年月が経っていたんだな。

 ジンの息子がこんなに立派になってここまで来るとは……。ジン、お前の言ったことは本当だったぞ。

 

「ふふふ……」

「!?」

 

 歓喜と共にオーラを練り上げる。

 これだけの興奮は久しいな。楽しませてくれよゴン!

 

「お前が来たら手加減するな……と言われているぜ。お前の親父にな」

「ジンを知っているの!?」

「ああ。オレはジンと一緒にグリードアイランドを作り出したゲームマスターの1人だからな」

「じゃあジンもここに――」

「――おいおい、お前たちはここに何しに来たんだ? そういう話をしたいんなら、オレ達に勝ってからするんだな」

 

 今必要なのは語り合うことなんかじゃないだろ?

 さあ、お前の力を見せてみろ!

 

「……キルア、クラピカ!」

「ああ、分かったよ。今回はお前に譲るよ」

「そうだな。父親に関することなら仕方あるまい」

「ああ、勘違いしているようだが、オレと戦うのは1人だけじゃないぜ」

「え? どういう――」

 

 ゴンが言葉を言い切る前にオレの念能力を発動する。オレの周りに8体の悪魔が現れる。念で創り出したこの悪魔がオレのコマだ。1体は審判用だがな。

 

「オレのテーマは8人ずつで戦うドッジボールだ! 8人メンバーを選べ。こっちはもう決まっているからな」

「ちょ、待てよ! 8人で戦うって、勝敗はどう決めるんだよ!?」

「だから勝った方に8勝入るのさ。1人1勝、簡単な計算だろ?」

 

 そう。これこそがこのイベントの本当の勝負だ。

 オレ以外の海賊を倒して7勝したところで、オレが出て8勝すればオレ達の勝利となる。どう足掻こうとオレを倒すしかこのイベントに勝利する方法はないのさ。

 

「……なら、こっちの8人も決まっているわね」

「ええ。彼らをこの勝負に出すわけには行きませんからね」

 

 だろうな。あんな連中がノコノコと参戦したところですぐに死ぬのがオチだ。全く。覚悟も何もない連中がこんなゲームに参加するなんてな。

 まあいい。そんなことよりも今はこの勝負を楽しむとしよう。

 

 

 

 

 

 

「それでは試合を開始します。審判を務めますNo.0です。よろしく」

 

 こうしてレイザーとの勝負、ドッジボールが開始された。

 ゴンチームの外野にはレオリオ。レイザーチームの外野にはNo.1の悪魔が配置された。

 審判のスローインがゲーム開始の合図となるが、レイザーチームのジャンパーはボールを取ろうとはせずにゴンチームのジャンパーであるキルアは邪魔されずにボールを自陣エリアへと送り込んだ。

 

「先手はくれてやるよ」

 

 それは余裕の表し……ではなく、自身の有利な勝負に持ち込んだが故の最初で最後のハンデだった。これ以降はレイザーも一切のハンデを与えるつもりもなく、ゴン達と全力で戦う所存であった。

 

「後悔するなよ」

 

 ゴンチームで先手を取ったのはミルキだ。

 ボールにオーラを籠め、助走を付けながら狙いを定め、レイザーチームに投げつける。勢いの付いたボールはそのままミルキの狙い通りNo.2の悪魔にヒットする。これでNo.2はアウトとなり、外野へと移動した。

 しかもボールはゴンチーム側の外野に落ちたので、ボールはそのままゴンチームの物になった。

 

「ナイスミルキ! もいっちょかましてやれ!」

 

 外野にいるレオリオがミルキに向かってボールをパスする。

 レオリオの言う通り、ミルキはこのまま続けてボールを投げるつもりだった。

 最初にNo.2という数字が書かれている悪魔を狙ったのは、それがレイザーチームの内野にいる悪魔で1番数字が小さい悪魔だったからだ。

 レイザーが創り出した悪魔にはそれぞれ数字が書かれてあり、またその大きさもそれぞれ異なっていた。ミルキはこれを悪魔ごとに強さが違うのではと考えた。だから最初に狙ったのは1番小さな数字の悪魔で、次に狙うのは1番大きな悪魔、つまりNo.7を攻撃するつもりだった。

 先ほどと同じ威力のボールを受け止められたら、悪魔は大きさや数字により強さが変わるということであり、逆にそれでアウトを取ることが出来たら、強さが変わろうともどうということはないわけだ。

 ミルキの頭脳が輝いていた。流石はゾルディック家でも屈指の頭脳と技術を有する逸材であった。

 

「ミルキ! 頑張ってくださいね!」

「喰らえレイザー!!」

 

 先程よりも遥かに威力を籠められたボールがレイザーに向かって飛んでいく。

 ゼノ=ゾルディック曰く、ミルキは頭がいいが馬鹿なのが玉に傷だ、と。アイシャの声援を受けたミルキは先程までの作戦など次元の彼方へとすっ飛ばしたのだ。

 

「おっと危ない」

「ギシャ!!」

 

 だがレイザーに向かったそのボールは、No.3の悪魔がカバーすることで弾かれてしまった。もちろんNo.3はアウトになる。ボールは残念ながらレイザーチームの陣地に落ちてしまったが。

 そんなことよりもミルキは、いや、ゴンチームの誰もが今の悪魔の行動を訝しんだ。

 

「……どういうつもりだ? どうしてわざわざボールに当たりに行った?」

 

 そう、今のはただNo.3がレイザーを庇ったのではない。わざとNo.3がレイザーに向かうボールに当たりに行ったのだ。受け取る素振りも見せないその不自然さを見逃すような者はゴンチームには誰1人としていなかった。

 

「なに。中々いいボールだったんでな。つい守ってもらってしまったんだよ」

「……上等だ。舐めた真似するなら痛い目に合わせてやるぜ?」

「舐める? 冗談言うなよ。こっちも結構本気だぜ」

 

 レイザーの言う通り、レイザーにゴン達を舐めているつもりはない。実際にミルキのボールはレイザーはともかく、No.3では受け止めることが出来ない威力を出していた。

 それにレイザーは最初から2体の悪魔を外野へと送るつもりだったのだ。そう、これからの攻撃の為に。

 

「さて、今度はこちらから行かせてもらうぞ!」

 

 そう言ってレイザーは外野にいる悪魔に向かって超高速のパスを送る。それを悪魔は速度を落とさずに次の悪魔へとパスを送り、また次の悪魔がその次の悪魔へと、その悪魔がレイザーへとパスを繋げる。

 超高速のパスはゴンチームを囲んで目まぐるしく動き続け、ゴン達にボールの行方を読ませないようにする。

 

「は、速い!」

 

 突然の高速パスに動揺している隙を突いて外野の悪魔、No.3がカストロへとボールを投げる。

 

「ぬっ! 舐めるなよ! 【邪王炎殺虎咬拳】!!」

 

 だがカストロはその速度に反応していた! 超高速のパスに惑わされることなく、動きを読み切り、その速度に負けない程の速度で能力を発動したのだ!

 かつて天空闘技場でヒソカと戦った時とは明らかに能力発動の速度が上昇していた。リィーナの下で修行を続けていた成果が現れているのだ。

 そうして強化系でも類い希なる威力を誇る【邪王炎殺虎咬拳】によってカストロを狙っていたボールは破裂して木っ端微塵になった上で焼却され燃えカスも残らず消滅した。

 レイザーがオーラを籠めたボールは、外野の悪魔を経由することでその威力を格段に落とすが、それでも並の念能力者を一撃で打ち倒す威力を誇る。

 その威力のボールを一瞬で破壊し尽くす【邪王炎殺虎咬拳】の破壊力はまさに計り知れないものなのだろう。カストロの実力の高さが示された一撃であった!

 

「カストロ選手アウト!! 外野へ移動です!」

「……ぬぅ」

「ボール壊すなよアホかテメェ!」

「すまん、つい……」

「ボールを破壊してはなりません。そもそも受け止めていないのでアウトです」

 

 キルアと審判の突っ込みは当たり前だった。

 これはドッジボールである。ボールを受け止めずに破壊していいわけがない。カストロはリィーナの呆れた眼を見てすごすごと外野へと移動して行った。

 

「ボールが破壊されたのはゴンチームの内野なのでゴンチームの内野ボールとして試合を再開します!」

「よし! 次こそはレイザーをぶっ飛ばすぜ」

「落ち着けミルキ。審判、バックは最後に内野に残った者がアウトとなった瞬間に宣言しても有効か?」

「内野の人数が0になった瞬間負けとなりますので、最後に内野に残った選手がバックを宣言しても無効となります。ただし、最後の1人がアウトになったのと同時に外野の選手がバックを宣言して内野に戻るのは有効です」

「了解した。ミルキ、狙いは分かっているな」

「ちっ、分かったよ」

 

 バックを宣言した外野の選手は内野に戻ることが出来る。だがこれは試合中に一度しか使用出来ない。なので、ゴン達はレイザーをアウトにするのは最後にした方がいいと判断したのだ。途中でレイザーをアウトに取れたとしても、バックで戻って来られたら苦労も水の泡だ。強者を相手に2度も戦うような苦労を買って出る必要はないのだ。

 

「おい兄貴、アレを使うのは最後でいいだろ」

「ああ、もちろんだぜ」

 

 ミルキはキルアの言いたいことをすぐに察する。自身も同じ考えをしていたからだ。

 そうしてミルキは助走を付けて今度こそNo.7の悪魔へとボールを投げつける。勢いの付いたボールは一直線にNo.7へと飛んで行く。

 だが、ボールが当たる前にNo.7の隣りにいたNo.5がNo.7と合体をした。

 

「はあ?」

 

 合体して1体となった悪魔の数字はNo.12へと変化していた。その数字の通り、5と7が足された結果だろう。そして体もそれに合わせて大きくなったNo.12はミルキの投げたボールを安々と受け止めた。これにはミルキも唖然である。

 

「ちょっ!? あれ有りかよ!!」

「有りです」

「ふざけんなよ! 合体が有りなら分裂もアリってことかよ!?」

「ハイ。ただし規定人数をオーバーするのは駄目ですから」

 

 最初から説明しとけと言いたいキルアであった。

 

「よせよキル。相手の作戦勝ちだ。それに、合体なんて男のロマンじゃないか。中々分かっているなあのレイザーって奴は」

 

 どうやらミルキが唖然としていたのは合体におけるロマンとやらが理由であったようだ。何故か見学しているアイシャがミルキの意見に何度も頷いていた。どうやら彼女に取っても合体とはロマンであるらしい。

 

「お前らを相手にするにはこいつだけでは心もとないな」

 

 そう言ってレイザーは残っていたNo.4とNo.6を合体させ、No.10の悪魔を作り出す。これでレイザーチームの選手は3体まで減ったが、その戦力は増える結果となる。ゴン達のような強者を相手にして弱い悪魔が数体いるよりも、強い悪魔1体の方が役に立つのは当然だろう。

 

「さぁ……再び攻守交代だな」

「これでまたあいつから球を取り戻さなきゃ駄目だね」

「なんとしてもあの球を止めるぞ」

 

 ボールを持つレイザーを睨みつけ、ゴン達は堅で防御を固める。

 ゴン達の堅を見たレイザーは驚愕し、そして感嘆した。

 

 ――何というオーラ! いや、それだけではない、身体を覆う堅の滑らかさと来たら……!――

 

 ゴンの、その年齢には似つかわしくないその力強いオーラを見てレイザーはゴンがジンの息子だと再確認する。周りの仲間もゴンに負けず劣らずのオーラを放っている。

 いいハンターの周りには人が自然と集まってくる。ジンもそうだったと今のゴンを見てレイザーは過去のジンを思い出す。

 

「どうした! 来いよレイザー!」

「……そうだったな。ふ、堅が出来るのなら死ぬことはないだろう。……行くぞ! ゴン!!」

「来い!!」

 

 ゴンのその叫びを皮切りに、レイザーはゴンに向かって剛速球を投げつける。

 それは、ミルキの投げるボールとは根本的に何もかもが違っていた。

 ボールを投げる時の身体の使い方、全身のバネ、タイミング、バランス……そればかりではない。全身を覆うオーラも、ボールに籠めたオーラも、ありとあらゆる全てがミルキを遥かに凌駕していた。

 特別な物ではない、普通のボールから死という不吉な単語を彷彿させる程のイメージを叩き出す。それがレイザーの実力だ。

 だが、ゴンはその殺人的な剛速球を見ても怯むことなく真っ向からぶつかり合った。

 

 足に攻防力30、腹部に10、両腕に60という割合でオーラを割り当て、レイザーのボールを受け止めるゴン。

 余計な能力を覚えていないほぼ完全なる強化系による身体強化により、ゴンの身体能力は弟子クラスでは誰よりも高いレベルに到達していた。

 ゴンはまるで高速で打ち出されたボウリングのボールを受け止めたかのような錯覚を覚える。だが、意地でもボールを離すことなくコートを踏みしめながら後方へと吹き飛ばされていった。

 

「ぐぅ!」

 

 ゴンはレイザーのボールの威力に押されコートを削りながらも耐えるが、内野から足を踏み出してしまう。

 だが、受け止め切った。外野に出てしまったのでルール上アウトになってしまうが、ゴンは受け止め切ったのだ、あのレイザーの剛速球を。

 真っ向から勝負してしまった為に、ゴンの手は傷だらけになり、腹部にもかなりのダメージを負ってしまう。恐らく内臓も痛めただろう。それでも五体満足でレイザーのボールを受け止めたことに変わりはない。

 次は完全に止める! そう決意し、アウトになったゴンはさらに気力を充実させていた。

 

「おい、大丈夫かゴン?」

「バックの宣言、オレがするから」

「あ、駄目だな。こうなったら話を聞かないぜ」

「いいんじゃない? ゴンのやりたいようにやらせてあげなさいな」

「そうだな。とにかく、今のままでは内野に戻って来たとしてもレイザーのボールを受け止めるなんて不可能だろう。アウトになったことだし、外野でレオリオに回復してもらえ」

 

 そうしてゴンは意気揚々と外野へと移動する。

 レイザーの強さを体感しても、その意思は折れることはなくそれどころかますます高まっていく。レイザーはそんなゴンを見て背筋にゾクリと来るものを感じていた。

 

 

 

 ゴンが外野へと移動し、決意を新たにするが、依然としてボールはレイザーチームの物。どうにかして捕球をしなければ一方的にやられていくだけだ。

 キルアは今の自分ではボールを避けることは出来ても捕球することは出来ないと判断する。いくら【神速/カンムル】で反射速度を高めていても、あれだけの威力のボールを受け止めるには力不足なのだ。

 

 クラピカも自身に出来ることを考えていた。

 直接受け止める……【絶対時間/エンペラータイム】を発動してもゴンの二の舞がいいところだとクラピカは判断する。いくらクラピカが【絶対時間/エンペラータイム】で強化系の能力の威力と精度を100%まで発揮出来たとしても、強化系としてのレベルはゴンよりも下だ。

 あのレイザーは明らかに今のクラピカよりも格上。そんな強敵を相手に真っ向からの勝負で勝てるとはクラピカも考えてはいない。

 鎖を具現化して威力を逸らす……だが恐らく逸したところでレイザー側の外野に逸らすのが精一杯だろう。

 鎖で敵を攻撃する……隠で鎖を消して上手く攻撃を成功させれば……だが、直接敵に念能力で攻撃をしてもいいのだろうか?

 

「審判、質問だ。選手に対して念能力で攻撃をした場合はどうなる?」

「それが直接念能力による攻撃で選手にダメージを与えた場合はその選手は失格となります。ただし、ボールを介しての能力ならば有効です。また、直接攻撃しない場合ならば選手への念能力は有効となります。今レオリオ選手がゴン選手に対して治療の念能力を掛けているのもオーケーとなります」

 

 どうやらクラピカの能力でレイザーを無力化するというのは可能と言えば可能らしい。上手くいけばこの勝負は簡単に決するだろう。だが……。

 クラピカはレオリオの治療を受けているゴンを見つめる。……その瞳から感じる強い意志を見て、クラピカはフッと息を1つ吐き、顔に笑みを浮かべた。

 

 ――たまには能力に頼らずに戦うのもいいだろう――

 

 クラピカは今のゴンを見て、とてもではないがレイザーを無力化するという方法を取る気はなくなってしまった。まあ、そもそもレイザー相手に隠による奇襲が成功する確率は非常に低かっただろうが。

 

「さて、と。次は……誰かな!?」

 

 レイザーチームの投手はまたもレイザー本人。オーバースローではなく、サイドスローからの剛速球を放つ。

 ボールの狙いはキルアだ。キルアはその威力を見てまともに受け止めるのは無理だと判断し回避を試みようとする。

 だが、直前になってボールの回転に気付く。明らかにボールの回転が通常の回転とは異なっていた。そう、まるで野球の変化球のような――

 

「避けろ!」

 

 キルアは回転とは逆方向に身を沈めながら自身の左隣にいたクラピカとミルキに危険を知らせる。

 そしてその言葉が示す通り、ボールは突如として軌道を変えてクラピカへと迫った。

 自身に向かってくるボールをクラピカは咄嗟に避けることに成功するが、クラピカの横にいたミルキはクラピカの身体が死角となって急に現れたボールに反応しきることが出来なかった。

 咄嗟にオーラを集中させ衝撃に備えるミルキ。せめてボールを自陣の内野内に落としてやろうと身構えるが――

 

 ――【貴婦人の手袋/ブラックローズ&ホワイトローズシャーリンググローブ】――

 

「なに!?」

 

 ミルキにボールが当たる瞬間、ミルキの後ろにいたリィーナがその両手でボールを掴み取った。

 手を前に出した不安定な状態でボールを掴んだリィーナは、その身体ごと回転することでボールの勢いを殺していく。そして回転が止まった時には何事もなく立つリィーナの姿があった。

 

 ――馬鹿な。あの程度でオレのボールの威力を殺しただと?――

 

 それはレイザーから見ても不可解な現象だった。

 確かにリィーナのした技術ならばボールの勢いを削ぐことになるだろう。だが、レイザーのボールの威力はあの程度で殺されるものではなかった。

 もしレイザーがリィーナと同じことをしたとしても、ボールの勢いに押され手が弾かれるか回転しながら吹き飛ばされるかのどちらかになるだろう。

 だがリィーナはただ1回転しただけで、完全にボールの勢いはおろか、その威力までも殺したのだ。

 正面からならばレイザーでも威力を殺すことが出来る。だが、今のリィーナの態勢からボールを掴み取り威力を殺すことはレイザーであっても不可能だろうと思われた。

 

 レイザーは知る由もないが、これはリィーナの念能力【貴婦人の手袋/ブラックローズ&ホワイトローズシャーリンググローブ】の効果による結果だ。

 ボールを掴んだ瞬間に能力を発動し、ボールを覆っていたオーラを吸収する。オーラがなくなったボールは勢いはともかくその威力を殆ど失うこととなる。

 あとはボールの勢いを殺す為に回転するだけだ。単純だが、リィーナの顕在オーラがレイザーがボールに籠めたオーラを上回っていないと起こりえない結果である。僅かでも顕在オーラが低ければボールを掴んだまま吹き飛ばされていただろう。

 

 ボールを掴んだリィーナは、さてどうしたものかと悩んでいた。

 そもそもリィーナの技術とドッジボールは相性が悪いのだ。いや、レイザーがどのような威力のボールを投げようとも、全て無傷で防ぐ自信はあった。

 だが、ボールを受け止められるかとなれば話は別だ。受け流す、逸らす、力の流れを変える。このどれもが受け止めるという結果には繋がらない。力の流れを変えて威力を増してレイザーに返すことは出来るが、それが避けられたらアウトになるのはリィーナだ。

 ではまともに、ゴンのように真正面から受け止めればいいのではないか? 普通はそう考えるだろう。事実リィーナはそれが出来るだろうと確信していた。

 

 ――でもそれは風間流の戦い方ではございません――

 

 敵の攻撃を真正面から受け止めるなど、風間流の現最高責任者である自分がする行為ではないとリィーナは本気で思っていた。

 紛うことなき馬鹿であった。風間流馬鹿である。恐らくアイシャよりも風間流に対する想いが強いだろう。アイシャは状況によっては風間流以外の行動を取ることなどいくらでもあるのだから。

 

「助かったぜリィーナさん」

「お気になさらず。さあ、そろそろいいでしょうゴンさん?」

「オッス! バック!」

 

 リィーナに言われ、ゴンがバックを宣言して内野に戻ってくる。身体の傷は完全に癒えていた。

 リィーナは戻ってきたゴンにボールを渡して後方へと下がる。攻撃は完全にゴンや他の者に任せるつもりだった。ボールを投げて攻撃するのもリィーナの不得意とすることだからだ。具現化系を得意とするリィーナは放出系が苦手だ。出来ないわけではないが、その威力はかなり落ちるだろう。あのレイザーに通用する威力になるとは思えなかった。

 それならレイザーと決着を着けたがっているゴンに任せた方がまだいいだろうとリィーナは判断した。

 

「さてどうする? こっちのボールになったはいいが、あのNo.10とNo.12、特に12の方は倒すのは少々きついぞ」

「ああ、オレのボールを難なく受け止めやがった。レイザーはもっと上だと思うと底が知れないな」

「大丈夫、オレに考えがあるから。キルア、ボールを持ってそこに立って」

「? ああ」

「腰を落としてしっかりボールを持ってね」

 

 ――なるほど!――

 

 ゴンの考えをチームの全員が理解する。

 ゴンは己の必殺技、【ジャンケン】の構えを取り、オーラを練り上げて右拳のみに集中させていく。

 キルアはそれを見て【神速/カンムル】を発動する。ゴンのこれからやろうとする行為に備えて反射速度を高めているのだ。

 

「最初はグー!!」

 

 その一言と共にゴンのオーラが跳ね上がる!

 それは制約によるもの。構えを取り、言葉を発するという戦闘中に置いて隙だらけの行為。全身のオーラを拳1つに集めるという防御を捨てた行動をしているのにそんな隙だらけの行為を取ることは、まさに命懸けのリスク。それがゴンの【ジャンケン】の威力を底上げしていた。

 そしてこの1年近くの修行により、ゴンのオーラはプロハンターの中堅クラスすら凌駕していた。そのオーラを全て籠めた一撃を、ボールに向けて放った。

 

「ジャンケン!! グー!!!」

 

 ゴンがボールに拳を当てた瞬間に、キルアはオーラの攻防力移動を行い手をオーラでガードする。さらにそこから神速の反射速度でボールから手を離し、ボールの威力を殺さずに自身の手にも威力が伝わらないようにする。

 もしボールを持ったままで、オーラによる防御をしなかったとしたら、キルアの両手はボールの威力によってボロボロになっただろう。

 かと言って常に両手をオーラで守っていれば、そのオーラによりゴンのパンチ力を殺してしまい、ボールにパワーが伝わらなくなってしまう。

 それを防ぐ為のオーラの高速移動術だ。厳しい修行をこなしたキルアはこの高難度の技術を成し遂げるレベルまで成長していたのだ。

 

 そして全く威力を削がれることのなかったボールは、レイザーの投げたボールの威力すら凌駕する勢いでNo.12へと直撃した。

 No.12は捕球はおろか一瞬でも耐えることすら出来ずにそのまま外野へと吹き飛ばされていく。ミルキの放ったボールを軽々と受け止めた悪魔の中でも1番の大物を容易く仕留めたことに周囲から感嘆の声が漏れる。

 

「よっしゃ! あのデカブツをぶっ飛ばしたぜ!」

「やっぱりあの攻撃力は異常だな」

「ああ。戦闘中は毎回冷や冷やさせられるからな」

「当たった瞬間戦闘終了だからな」

「オレからすれば皆の方が凄いんだけどなぁ……」

 

 ゴンの修行中の戦績はレオリオの次に低い。そんなゴンからすればキルア達の言うことは納得が行かないことなのだ。

 だが考えてみてほしい。ゴンの【ジャンケン】は当たれば死ぬかもしれないのだ。これは比喩でも何でもない、純然たる事実だ。

 そんな技を振り回されれば否が応でも警戒してしまう。その為ゴンと全力で戦う時は全員命懸けなのだった。

 しかも戦う度にゴンは【ジャンケン】の使いどころやタイミングを改善してくるのだ。次はまともに当てられるかもしれない。そう思うと僅かな油断すら出来ない。

 弟子クラスの誰も――【神速/カンムル】発動中のキルア除く――がゴンとの戦闘が1番神経をすり減らすと答えるだろう。

 

「末恐ろしいな……」

 

 ゴン達が仲間内で嬉々としている一方で、レイザーは改めてゴンの資質に畏怖していた。この年齢で、とは何度も思っていたが、それでも尚そう思わざるを得ない一撃だったのだ。あれがこれからさらに成長していくかと思うとレイザーは冷や汗が止まらない思いだった。

 だが、だからといって負けを認めたわけではない。先はともかく、今は強いのはレイザーだ。ならば先達として実力の差を見せつけてやろう。

 

 そうしてレイザーは創り出した悪魔たちを全てオーラに戻して吸収する。悪魔がどれほどいようとも今のゴン達に対抗することは出来ないだろう。ならばオーラを全て集めて自身を強化した方が遥かにマシだと判断したのだ。

 

「……これが!」

「ああ、レイザーの……本気か!」

「なるほどな……ゲームマスターというだけのことはある」

 

 既にスポーツの勝負を終え、殺人ドッジボールを見学していたゲンスルー達もレイザーの実力の高さに唸る。

 まともに戦えば自分たちでも勝てないかもしれない。ゴン達を遥かに上回る戦闘経験を持つゲンスルー達にもそう思わせる実力をレイザーは有していた。

 

「大丈夫です。きっと皆が勝ちます!」

 

 どのスポーツにも参戦出来ず見学することしか出来なかったアイシャは、最初からゴン達の勝利を信じていた。例えレイザーがどれほどの実力だろうと、ゴン達が協力すればきっと打ち倒せるだろうと。

 

 ボールはゴンチームの外野に転がったのでゴンチームはそのまま攻撃を続行することが出来る。だが、レイザーは先程までとは比べ物にならない程のオーラを放っている。全力のレイザー相手にゴンの一撃が通じるかどうか。

 

 ゴンはドッジボールのルールを気兼ねなく使用し、ゆっくりと集中して全力の練にてオーラを練り上げる!

 

「最初はグー! ジャン! ケン! グーッ!!!」

 

 ゴンもまた先程の一撃よりもなお凄まじい威力の拳をボールに叩き込む。

 その一撃によるボールはレイザーがまともに捕球すればその威力によってエリア外、つまりはゴンチームの外野まで押し出されてしまう程だった。

 それほどの威力のボールを、レイザーは捕球――ではなく、バレーのレシーブの要領で両腕で受け止める。ボールが両腕に触れた瞬間に、体ごと腕を引くことで威力を殺し、ボールを上空へと弾き飛ばしたのだ。

 

「……すっげぇ!」

 

 これにはゴンも、そしてその場の誰もが素直に称賛する。

 レイザーがしたことは刹那の狂いも許されないタイミングを要求される。それをあの威力のボールを相手にやってのけたのだ。

 レイザーはそのまま後方へと下がった後に、上空に弾かれたボールを難なく――ではなく、慌ててジャンプして捕球する。

 

「くっ、弾かれてしまったか」

「危ない危ない。今のは焦ったぜ。オレがアウトになったらバックは出来ないんでね」

 

 空中に浮かんでいたボールをクラピカが鎖にて自陣に手繰り寄せようとしていたのだ。それに気付いたレイザーは鎖に向かってオーラを放ち弾くことで時間を稼ぎ、すぐに捕球したというわけだ。

 今のでアウトを取られてしまうと、レイザーの内野内には誰もいなくなるばかりか、バックで戻ってくるメンバーも1人もいないのだ。レイザーがアウトになった瞬間に勝敗は決してしまうのである。

 

「来るぜ!」

「次こそがレイザーの本当の全力だ」

「どうする? どうやって止める?」

「……リィーナ殿は?」

「私は貴方がたがアウトになるまでは手を出さないことにいたしましょう。その方が貴方もスッキリするでしょう、ゴンさん?」

「オス! ありがとうございますリィーナさん!」

 

 リィーナの心意気に気合を入れて応えるゴン。

 

「あたしもそうするわさ。本当は手を出したいんだけど、ここは苦汁を飲んであんた達に任せるわよ!」

「お前はサボりたいだけだろ。何もしてねーじゃねーか」

 

 ビスケのものぐさに突っ込みを入れて応えるキルア。

 

「だがどうする? 今の私たちでは自力で捕球することは難しいぞ」

「大丈夫だよ。自力で無理なら皆でやればきっと止められる!」

「皆でって……どうやるんだよ?」

「うん、あのね――」

 

 ゴンが考えた作戦を説明する間、レイザーは攻撃をせずに待っていた。

 別に審判にタイムを要求すれば数分程度の時間を取ることは出来たのでこれくらいはいいだろうと思ってだ。そして、彼らがどのような方法で自分の攻撃を攻略するかを楽しみにしていたからでもある。

 

「良し! やろう!」

『おう!!』

「相談は終わったか? それじゃ……行くぞ!!」

 

 レイザーはボールを天高く放り投げ、それを跳躍して全力で叩きつけようとする。それはまるでバレーのスパイクに酷似していた。

 全ての顕在オーラを籠めて、ボールをゴンに向けて打ち出す!

 

 かたやゴン達はそれを待ち構えていた。

 ゴンを正面に、その後ろにキルア、キルアの後ろにミルキと、3人が重なって1つとなりレイザーの最大の一撃を受け止めようとする。

 クラピカは具現化した鎖を構えてゴンのすぐ傍で待機していた。いったい何をしようとしているのか。

 

 ゴンがその両手に全てのオーラを集中する。レイザーの最初のボールを受け止めた時とは違い、これでは例え捕球出来たとしてもまともに踏ん張ることも出来ずに吹き飛ばされていくだろう。

 それを防ぐのがキルアだ。2人の間にはさまれ、クッションと踏ん張りの2役を1人で担ったのだ。クッションに必要な身体に集めるオーラの攻防力、踏ん張りに必要な足に集めるオーラの攻防力。この2つを何対何で振り分けるか、誤差1%以下の精度でそれを見抜き完璧にこなしたのだ。

 そしてミルキはその2人がそれでもボールの勢いに負けて吹き飛ばされた場合の保険だ。自身の体を重くして重しとなったのだ。

 クラピカはゴンがボールを取りこぼさないよう、捕球の瞬間にゴンとボールを鎖で巻きつけた。さらにそこから後ろの2人にも鎖を巻きつけることで衝撃を一体にして緩和する。

 

 そして……ゴン達は内野ギリギリの位置まで押されながらも、レイザーの最大の一撃を受け止めきった。

 

「おおぉー! やるじゃねーかお前ら! くっそー、オレも内野で戦いたいぜ!」

「ああ、あの時馬鹿なことをしなければ良かったよ」

 

 外野にいるレオリオとカストロはゴン達の奮闘を見て興奮する。

 そしてレイザーもゴン達の奮闘に脱帽していた。4人がかりとはいえ、あのような方法で自分の最大の一撃を止められるとは思ってもいなかったのだ。

 だが同時に攻略法も思いついた。合体する前に攻撃を叩き込めばいいのだ。機はゴン達の攻撃の直後だ。その瞬間ならば合体する暇もないだろう。

 ゴンの放つボールはまともに受ければレイザーでも踏ん張りきれずにエリア外に出てしまう。なのでレイザーはレシーブによってゴン達にカウンターを叩き込むつもりだった。

 レシーブといえば先程のように上空にボールを弾くことだろう。だが、それは弾いた角度が上空だっただけのことだ。レイザーならばレシーブの方向をゴン達に向けて弾き返すことも可能だ。もちろんそれはゴン達が避けてしまえばレイザーのアウトとなる。だが、ゴン達がボールに当たって捕球が出来なければその限りではない。

 そしてレイザーはゴンが弾き返したボールを避けて勝ちを取るような奴ではないと確信していた。

 

「それじゃ、行くよキルア!」

「ああ! (……兄貴)」

「(任せろ)」

 

 ゴンがボールを殴る前にキルアはミルキに向かって合図を送る。

 それにミルキも応えた。言われずともここが勝負どころだからだ。

 

「すー、はー」

 

 深呼吸を行い、今までよりも深く集中する。

 そして体内でオーラを練り上げ、それを一気に体外に……放出する。

 

 ――練!――

 

「……あのガキはバケモンだな」

「ああ、これだから強化系馬鹿は嫌いだぜ」

「ゴンはオレ達とは違う意味でブッ壊れているからな。ストッパーがないといつか痛い目にあうぜあいつは」

 

 今までで最大のオーラを練り上げたゴンを見てゲンスルー達も思わず悪態を吐いた。ここ1番という時に、修行中でも見たことのないオーラを練り上げたのだ。それは今この瞬間にも成長しているということ。

 それほどの才能を見せつけられたゲンスルー達がそう言ってしまうのは嫉妬もあるのだろう。それは武術家としての誇りがあるからでもあった。

 

「ま、大丈夫だろ。あいつ等がいれば上手くストッパーになるさ」

「……そうだな」

「それよりも意外だなゲン。長くいてあのガキどもに情が移ったか?」

「けっ、冗談言うなよ。オレは5年以上あの雑魚どもと付き合ってたんだぜ? そんなオレがたかだか数ヶ月であんなガキ共に絆されるかよ」

 

 口ではそう言っているが、内心はそうではないだろうと隣で話を聞いていたアイシャは思った。何だかんだで今の彼らはゴン達に多少ではあるが心を開いている。ゴンの裏表のない性格と、ゴンに惹かれて集まった仲間達に囲まれたゲンスルー達もまた、ゴン達の影響を受けたのだ。

 まあ、リィーナという彼らにとって不倶戴天の敵がいるからこそ、そうではない存在のゴン達に対して少なからず情が湧きやすかったというのもあるだろうが。

 

「行くぞレイザー!! さい、しょは……グー!」

 

 まるで音を立てているかのような幻聴を伴う程のオーラが拳1つに集まっていく。その計り知れない威力の拳を、ボールを持つキルアを信じて余計なことは何も考えずボールに向けて打ち込んだ。

 

「ジャン!! ケン!!! グー!!!!」

 

 予想以上の威力。レイザーをしてそう思わせる程のボールが唸りを上げてレイザーへと突き進む。だが、予想以上も予想外ではなかった。どれほどの威力だろうとそれがボールならば相手に弾き返すことが出来る。

 これが念弾や、ボールとは違う材質では無理だっただろうが、ボールという柔らかく弾力のある物体ならば威力をそのままに跳ね返すことが出来る技量をレイザーは持っていた。

 

 そう、予想以上はレイザーに取っては予想の範疇だった。

 だが……レイザーにとって本当の予想外はボールの威力ではなかった。

 

 ――なっ!?――

 

 受け止めた瞬間に感じたのは有り得ない程の重さ。レイザーのボールを受け止めた時、ゴンはまるでボウリングのボールを受け止めたように錯覚したが、それは実際にそうであったのではなくレイザーのボールの威力がそう感じさせただけだ。

 だがこのボールは違う。本当にボールそのものの重さが増しているのだ。それもボウリングのそれよりもずっと重くなっていた。

 

 それだけではない。それだけならばレイザーはレシーブによってボールの威力を殺せていたかもしれない。

 ボールの重さに不意を打たれた故にまともにゴン達に向かって打ち返すことは出来なくても、先程と同じように上空に打ち上げることなら出来た可能性はあっただろう。

 だがそれはボールを覆う微量の電撃によって阻止されてしまう。ボールが体に触れた瞬間に重さと一緒に電撃も味わい、一瞬だが体が硬直してしまったのだ。

 

 刹那のタイミングのズレすら許されないレシーブによるボールの反射は、そのタイミングをずらされた為に成功することはなかった。

 

「ぐおおおおおぉぉっ!?」

 

 レイザーはそのままボールの威力に押されて吹き飛んでいく。

 あまりの威力にコートから足も離れた為、踏ん張りを利かすことも出来ずにエリア外を越え、さらに後ろの壁に叩きつけられたことでようやく止まることが出来た。

 ボールはレイザーの腕に弾かれて天高くまで吹き飛び天井に埋まりこんでいた。これでは落ちてくることはないだろう。

 僅かな静寂が場を支配し、そして審判の告げる言葉を聞いて歓声が上がった。

 

「レイザー選手アウト! よってこの試合! ゴンチームの勝利です!!」

 

 

 

 

 

 

「よっしゃー!!」

「やったぜ!」

 

 ……試合が終わった。ゴン達の勝ちだ。ゴン達は歓声を上げて喜んでいる。

 レイザーという格上の存在をスポーツという枠組みの上でとはいえ撃破したのだから喜びもひとしおだろう。

 私も嬉しい。皆の成長が再確認出来たしね。最後は皆のコンビネーションによる勝利だというのも嬉しさの一因だ。

 そして寂しい。何もしないままイベントが終わってしまった。全ての試合をただ見てるだけしか出来なかった。

 参加出来ていたらきっと皆と一緒にもっと喜べただろうになぁ。

 

「負けたよ。約束通りオレ達は街を出て行く」

 

 あ、レイザーさんが壁から出てきた。

 結構大丈夫そうだな。あの威力のボールを受けても大したダメージにはなってないようだ。やっぱりまともに戦えばゴン達では厳しい相手だったな。スポーツというルールのある試合で良かった。

 

 レイザーさんはそのままゴンと2人で離れて話をしている。ジン=フリークスについてらしい。やっぱりここにいるんだろうか? 気になるけど、私が聞いていい話でもないだろう。

 

「お疲れ様でした皆さん。キルアもミルキもクラピカも凄かったですよ」

「オレだってゴンの治療とかしてたぜアイシャ!」

「はい。レオリオさんのおかげでゴンも全力を出せましたから」

「まあレオリオが内野にいても役には立てなかっただろうけどな」

「んだとキルア!」

「まあまあ落ち着いてレオリオさん」

 

 けど今回はレオリオさんは最初から外野にいて正解だったと思う。

 回復とか内野にいてもやる暇は中々ないだろうし、正直攻撃力でこの場の誰よりも劣るレオリオさんでは確かに活躍するのは難しかっただろう。

 雑魚はともかく、あのレイザーに通用する球を投げることは出来ないだろうし、レイザーの球を受け止めるのも難しい。レオリオさんの念能力【閃華烈光拳/マホイミ】は直接対象に触れないと効果を発揮しないから、ドッジボールではレオリオさんは不利なのだ。

 

「世の中強い奴は多いな。アレは親父でも割に合わない仕事になるぜ」

「それはゾルディックにとって最大の賛辞だろうな。自分が受けたくはないが」

「違いない」

 

 そう言って笑い合うミルキとクラピカ。それは笑い話にならない気がする……。

 

「なあ、もう勝負は終わったんだろ?」

「だったらもうオレ達は必要ないだろ? 早く“離脱/リーブ”をくれよ!」

「報酬をくれないなんて言わないよな?」

「落ち着いて下さい。報酬は必ず払います。ですが、一応“一坪の海岸線”が手に入るのを確認してからです」

「ならいいけど……」

「本当だろうな?」

 

 リィーナが人数合わせに雇ったプレイヤーを宥めているな。

 早く帰りたいのは分かる。想像していたよりも危険なゲームだったんだろうな。でもそれは正直想像力が足りない、そうでなくても覚悟が足りなすぎる。

 念能力者なら同じ念能力によって作られたゲームがどれだけ危険かは考えつくだろうに。報酬か何かに釣られて来たんだろうけど、これを教訓にうまい話には裏があると思えるようになるといいな。

 

 

 

 ゴンとレイザーさんの話も終わり、イベントも進んで無事“一坪の海岸線”を入手することは出来た。人数合わせのプレイヤー達に“離脱/リーブ”を約束通り渡す。彼らは嬉々としてゲームの外へと戻っていった。もう来ることはないだろう。

 

「これでようやく攻略が進むな」

「ああ、後はこれを交渉材料にしてハメ組と“大天使の息吹”を交換しよう」

「後はツェズゲラだな。奴が独占している“浮遊石”と“身代わりの鎧”、そして“一坪の海岸線”と同じSSランクの“一坪の密林”。この3枚は交渉で手に入れるかカードで奪うしかないわけだが……」

「交渉いたしましょう。ツェズゲラさんとは一応面識もございますし、交渉する余地はあるでしょう」

「……そうですね。今のオレ達ならツェズゲラも交渉に乗る可能性はあります」

 

 今のオレ達、つまり指定ポケットカード所有種数85枚の私たちなら、ということだろう。あまりに多くのカードを持っていれば、ツェズゲラさんも交渉を渋るかもしれないからな。もしそれでカードが全て集まりでもしたら彼らがクリアすることは出来なくなるのだから。

 つまりこれが上手く行けばゲンスルーさんの作戦は成功したということだ。スペルカードを上手く使うなゲンスルーさんは。流石はあのハメ技を考えただけはある。

 

「“浮遊石”と“身代わりの鎧”にはランクは落ちるが“闇のヒスイ”と“奇運アレキサンドライト”で交渉に臨もう。“一坪の密林”は“一坪の海岸線”だ。これには文句も言うまい。後は交渉次第だな」

「独占していた“闇のヒスイ”を私たち以外の者に渡すとハメ組の攻撃で奪われる可能性がありますから、ここからはスピード勝負ですね」

「だったらツェズゲラよりも先にハガクシ組とトクハロネ組に交渉した方がいいんじゃないか?」

「そうだな。この2組のゲイン待ちカードは持ってはいるが、ゲインを待っている間にツェズゲラがハメ組にカードを奪われたら面倒だ」

「良し、それじゃ今後の方針も決まったな」

「もうすぐクリアか」

「うー、何だかドキドキしてきたよ!」

 

 勝負が決まる前に勝ったと思うのは駄目だけど、私もドキドキしてきた。最初はクリアなんて無理だと思っていたけど、本当にクリア出来そうになるなんて。

 さあ、最後の勝負を仕掛けるとするか!

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十七話

「これでオレ達のカードの所有種は何種になったんだニッケス?」

「ああ、今回で94種まで集まった。あと6種だ。もうじき全てのカードが集まる。諸君! クリアも目前だ」

 

 オレの声にアジトに集まった一同が高らかに声を上げる。だがそれは虚構の声だ。オレの言葉とは裏腹にクリアには大きな障害があるのを皆が知っているのだ。

 今回はその障害をどのように対処するかを話し合うために全員に集まってもらった。

 

「さて諸君。皆も知っているだろうが、我々が奪うのはツェズゲラ組の3枚と、リィーナ組の2枚だ。だがツェズゲラ組はガードが固く、また運もいい。我々が攻撃に出ても我々に必要な3枚を奪うことは出来なかった」

 

 ツェズゲラ組も面倒だが“聖騎士の首飾り”で“徴収/レヴィ”以外の攻撃スペルからカードを守っている。

 今までに何回か大量の“徴収/レヴィ”と“税務長の籠手”による物量作戦を敢行したが、その全てが空振りに終わっている。手に入ったのは我々に必要のないカードばかりだ。……危険だが、“リスキーダイス”と“徴収/レヴィ”のコンボを使うことも視野に入れなければならないかもしれないな。

 

「だがツェズゲラ組はまだいい。いずれは“徴収/レヴィ”によってカードを奪うことが出来るだろう。……問題はリィーナ組だ」

 

 そう、クリアに向けての1番の難関がリィーナ組だ。

 リィーナ組はカードの所有種数85種とクリアにはまだ遠いが、我々の作戦で何の戦果も上げられないというのが問題なのだ。

 まさかスペルカードを無効化する能力を持つ能力者がいるとは思ってもいなかった。反則じゃないのかあれは? ゲームマスター出てこい。訴えてやる。

 

「知っての通りリィーナ組のリーダーであるリィーナはスペルカードを無効化する能力を有していると思われる。しかもその実力は我々よりも遥かに上だと予測される。もし戦闘になってしまえば全員で掛かったとしても多くの犠牲者が出るだろう。今回集まってもらったのはこのリィーナ組にどう対処するかを話し合うためだ。全員忌憚ない意見と案を出してくれ」

 

 オレの言葉を皮切りに全員が周囲にいる仲間たちと意見を出し合う。

 だが中々話が纏まらないようだ。無理もない。今まで順調に進んでいたからな、こんな障害が出来るなんて予想外だったんだ。

 そんな中、2人の仲間から意見が飛び出てきた。

 

「無理矢理奪うのが無理なら交渉しかねぇだろうな」

「プーハットの意見に賛成だ。それ以外に方法はあるまい」

 

 意見を出したのはプーハットにアベンガネか。

 この2人は新参だが、頭の回転はかなりのものなので信用に置ける。プーハットはアベンガネに対して少々ライバル心を持っており、負けず嫌いな点がマイナスだが。

 だがアベンガネは常に冷静沈着で今までにも合理的な答えを何度も導き出している。オレ達の仲間として幾度も役に立つアドバイスをしたこともあった。この2人が同じ意見ならそれはほぼ間違いない答えなのだろう。

 

「だが交渉に応じるのか? もしそこから戦闘へと発展してしまえば……」

「いや、そんな好戦的な性格じゃないと今までのリィーナ女史のプレイから推測するぜ」

「そうだな。もし好戦的な性格であれば、ニッケス達がカードを奪いに行った時に殺られているだろう。例え“同行/アカンパニー”で逃げた所で追い掛けることは出来るのだからな。それをしなかったということを考えれば、こちらから交渉を持ち出せばいきなり戦闘を仕掛けてくることはないだろう。もちろん、こちらが騙し討ち等をすれば話は別だろうが」

 

 ……確かにな。あの時、オレ達を殺そうと思えば1人や2人くらいは殺せただろう。

 そうはしなかったし、今までのプレイでも好戦的な行動を見せたという話は聞いていない。このグリードアイランドで好戦的な行動をしているプレイヤーの噂は非常に早く回るからな。

 ボマーのように正体を隠していたとしても、そういうプレイヤーがいるという話は出回る。だがそのような話も一切ない。

 ……そう言えばボマーの犠牲者を最近はとんと見なくなったが、どうしたんだろうか? ……案外プレイ中に死んだのかもしれないな。

 

「問題は交渉するのなら、こちらの交渉材料をどうするかだが……」

「彼女たちが持っていないカードなら何でもいいんじゃないか?」

「いや、それでは難しいな。彼女たちは“一坪の海岸線”を手に入れているんだぞ?」

 

 それだ。それが1番のネックだ。全く、どうしてそんな高ランクのカードをあの連中が手に入れてしまったんだ。手に入れたからには“擬態/トランスフォーム”と“複製/クローン”で限度枚数まで増やしているに決まっている。

 “一坪の海岸線”のカード化限度枚数は3枚だから、いくらオレ達がスペルカードを多く所有していたとしてもそれくらいのスペルは持っていると見ていいだろう。

 

「ならこっちもそれに値するカードを渡さないと……」

「……つまり、同じSSランクの“ブループラネット”か――」

「――“大天使の息吹”か、だな」

 

 ……やはりそうなるか。

 

「そして“ブループラネット”は既に彼女たちも所持している。交渉材料になるのは“大天使の息吹”のみだ」

「だけどよ! “大天使の息吹”を渡すのは癪だぜ! アレを手に入れるのに何年掛かったと思ってるんだ!?」

「落ち着けアッサム。気持ちは分かるが、それ以外に方法はないだろう」

「そうだぜ。クリアしなくちゃ報酬もないんだ。ここは割り切るしかないさ」

「そうだ。それによく考えてみろ。例えここでリィーナ組に“大天使の息吹”が渡ったとしてもすぐにクリア出来るわけじゃない。リィーナ組のカードの所有種は85種だ。ここで1枚や2枚増えた所でまだクリアには程遠い」

「逆にオレ達はここで“一坪の海岸線”と“闇のヒスイ”を手に入れることが出来れば、後はツェズゲラ組が持つ3枚だけだ。ツェズゲラ組はリィーナ組と違って“徴収/レヴィ”の物量作戦が通用するから、リィーナ組の独占するその2種さえ手に入れることが出来れば……!」

「……後はリィーナ組がカードを集める前にツェズゲラ組からカードを奪えばいいだけ……!」

「そうなると……99種揃って!」

「クリアは目前だ!」

 

 こうして希望的な材料を並べると先が明るくなってきたな。No.000のカードは恐らく99種のカードが集まった時に起きるだろうイベントで手に入れることが出来るアイテムだと言われている。

 つまりリィーナ組との交渉さえ上手く行けば……!

 

「なら“闇のヒスイ”と交換する指定ポケットカードも考えた方がいいか?」

「相手が指定してきたのでいいんじゃないか? リィーナ組が必要なのは“大天使の息吹”を除いてあと13種だから、その中でオレ達が持っているのを1枚でいいだろう」

「いや、奴らもオレ達に独占しているカードを取られたらどうなるかは考えているだろう。もしかしたら“闇のヒスイ”の交換は応じないかもしれないな」

「だったら3枚くらい渡せばいいだろ。そしたら食いついてくるんじゃないか?」

「だがそれだとクリアに近づいて――」

「でもそうじゃなきゃ――」

 

 ふむ、話が纏まらないな。こればかりはリィーナ組と実際に交渉してみない限り分からないだろう。3枚くらいなら交渉に応じてもいいが、それ以上となると流石に許容は出来ないな。オレ達がツェズゲラ組からカードを奪う間にクリアされるかも……いや、それは……。

 

「落ち着け。ここは3枚くらいまでなら交渉に応じるべきだろう。どうせ我々から4枚のカードを手に入れた所で、リィーナ組がクリアすることはない。そもそもツェズゲラ組が独占するカードを手に入れることが出来ないだろうからな」

「おお」

「確かに」

 

 あの慎重なツェズゲラのことだ。独占しているカードを交渉材料にすることはあるまい。

 奴もオレ達のやり方を知っているんだ。他のプレイヤーにカードを渡してそれがオレ達に奪われると考えたらそう簡単には交渉には応じないだろう。

 リィーナも自分のアドバンテージを他人に教えるような馬鹿じゃないはずだ。教えてしまえば逆に警戒されて交渉を跳ね除けられるかもしれないからな。

 何せオレ達のやり方を無効化出来る唯一のプレイヤーだからな。そんなプレイヤーにカードが集まるのはツェズゲラも御免だろう。

 

「よし、ではリィーナ組と交渉に入る。この結論に異議のある者はいるか?」

 

 ……誰もいないな。

 よし、ここからが本番だ! 上手く行けばオレ達は億万長者だ!

 

 

 

 

 

 

「我々と交渉したいと?」

『ええ、トレードの申請です。どうでしょうかツェズゲラさん?』

 

 ゲンスルーというプレイヤーからの突然の“交信/コンタクト”を取ってみれば、会話に出たのはあのリィーナ=ロックベルトだとは。

 リィーナ=ロックベルトがここ最近凄まじい勢いでカードを集めているのも、4人程のプレイヤーが集まって行動しているのも知っていたが、ゲンスルーがその仲間だったとはな。

 ゲンスルーはかつて私と交渉した時に『爆弾魔』の話を振って来た男。話題の切り替えがやや不自然で警戒していたんだが……それが何故リィーナ=ロックベルトと行動を共にしているんだ?

 

「トレードと申されましてもな。一体何と何をトレードしたいと?」

『“一坪の密林”と“身代わりの鎧”、そして“浮遊石”も欲しいですね。こちらからは“一坪の海岸線”と“奇運アレキサンドライト”に“闇のヒスイ”を提供いたしましょう。……如何ですか?』

「……少々お時間頂きたい」

『かしこまりました。それでは20分程後にまた“交信/コンタクト”にて連絡いたします』

「それには及びません。その時はこちらから連絡いたしましょう」

『それはわざわざすみません。それではお言葉に甘えさせて頂くといたします。良い返事が聴けるよう期待しております。それでは失礼いたします』

 

 ……これはどうするべきかな。ここまで大事のトレード交渉になるとは……。

 

「どうするんだツェズゲラ?」

「この交渉、受ける気か?」

「……確かにこの交渉は悪くはない。“一坪の海岸線”をリィーナ=ロックベルトが入手したことは確認済みだ。恐らく独占もされているだろう。我々が自力で入手するには彼女からカードで奪わなければならないわけだ。そして“闇のヒスイ”に関しても同じだ。全てリィーナ組に独占されている。“奇運アレキサンドライト”は入手方法は知っているが、今の我々ではその条件を満たすことは困難だ」

 

 そう、リィーナ組が独占したカードを手に入れる方法は交渉を除くとスペルによる奪取しかない。戦闘で無理矢理奪うなんて不可能だろう。それほどの実力差が我々との間にはあるのだ。

 逆に彼女が実力行使に出て来たらたまったものではない。そんな人物ではないとは思うが……。

 

「オレはこの交渉に賛成だぜ」

「……ゴレイヌか。理由は?」

 

 ゴレイヌ。最近までソロで活動していたプレイヤーだ。だがソロに限界を感じたらしくオレ達に接触してきた。有力な情報を手土産にな。

 “一坪の海岸線”の入手方法とハメ組への対策法は確かに役に立った。それだけでも十分な報酬を約束してもいいくらいだ。

 彼自身も優秀なプロハンターだ。グリードアイランド攻略までという条件付きで仲間に加えるのは悪くない話だった。

 

 彼のおかげでハメ組への対策も立てることが出来た。

 今我々が持っている重要なカードの殆どが“贋作/フェイク”で作った偽物だ。

 本物はゴレイヌに渡してある。もちろんゴレイヌが狙われないようゴレイヌには定期的に外の世界に出てもらっている。

 相談の為と重要なカードを預かってもらう為に週に一度は戻って来ているが。こうしてリィーナ=ロックベルトからの連絡があった時に居合わせたのは運が良かったのだろう。

 ゴレイヌが裏切るかとも思うが、報酬を約束している以上裏切る心配は少ないだろう。それに彼が裏切ったとしても単独でのクリアは難しいのだからな。

 それなら我々と共にクリアを目指した方が建設的というものだ。彼なら合理的な判断を取るとオレも判断した。

 

「それは彼女が持っているカードをハメ組に奪われる可能性が僅かでもあるからだ」

「……だが、彼女がハメ組への対抗策を教えてくれたんだろう?」

 

 そうなると、既に“一坪の海岸線”はハメ組にも知られていないプレイヤーが持っている可能性もあるわけだが……。

 

「確かにそうだ。だがさっきツェズゲラに貰った“念視/サイトビジョン”で調べてみたんだが、まだ“一坪の海岸線”をリィーナ=ロックベルト本人が持っているんだ」

「……何だと?」

 

 それは……まずいな。万が一ハメ組の強襲を喰らえばすぐにでもカードが奪われる可能性があるということじゃないか!

 

「恐らくツェズゲラと交渉が上手く行った時のトレード用に所持しているのだろうが、これでハメ組に襲われでもしたら……」

「我々のクリアは遠のいてしまうな……」

 

 それだけは阻止しなければならない。問題はリィーナ=ロックベルトが持つカードの所有数だが……。確か前に確認した時は83種だったな。今はどうなんだ?

 

「ゴレイヌ、現在のリィーナ組の持つカード数は?」

「“念視/サイトビジョン”で調べた限りでは85種だ。チーム内の他のプレイヤーが持っていたカードはダブリのカードかスペルカードとどうでもいいカードのみだったな」

「……良し、交渉を受けよう」

 

 私たちから手に入れるカードを合わせても88種だ。これではクリアはまだ遠いな。例えそれ以外のカードを他の仲間が隠し持っていたとしても、“大天使の息吹”だけは持っていないはずだ。

 あれはハメ組が全て独占している。それに引き換え券をリィーナ組が手に入れるのも難しいはず。彼女たちがグリードアイランドに来てからでは全てのスペルカードを集めるのはまず不可能なはず。ハメ組のせいでスペルカード不足だったからな。

 

 そして私たちはこれで98種になる。後は“大天使の息吹”を手に入れさえすれば……!

 “大天使の息吹”の引き換え券は入手済み。ハメ組が独占している“大天使の息吹”を使用すれば、私たちの持っている引き換え券は自動的に“大天使の息吹”に変化する。

 この際多少強引だが彼らの内の1人を痛めつけるという手段に出なければならんかもしれないな。

 まあいいだろう。彼らもこのゲームに参加しているからには危険な目に遭う覚悟はしているはずだ。それにあんな手段でカードを奪っているんだ。多少は痛い目に遭うのもいいだろう。

 

 

 

「お久しぶりですねツェズゲラさん」

「ええ、お元気そうで何よりです。最近はカードの集まりもいいようで、クリアも間近ですな」

「ふふ、お世辞はいいですよ。それにツェズゲラさん程ではございません。もうクリアも目前ではないのですか?」

「ははは。今回のトレードで95種ですな。あと5種です。おかげさまでクリアに近付けましたよ」

 

 軽く嘘を言っているが、何だか普通にバレている気がする。噂通り心を読む能力でも持っているのかもしれないな。そんな噂をあながち嘘だと言えない所が恐ろしい……。

 敵には回したくない女傑だ。無駄な会話もせずに交渉を終わらそう。

 

「それではトレードに移るとしよう。ただ1つだけ注意が。“一坪の密林”は“複製/クローン”で増やした物ですので、“聖騎士の首飾り”を付けているとカードが元に戻ってしまいますから気を付けて下さいよ」

「なるほど。では首飾りは外しておきましょう。それと私たちも同じ注意を。私たちの“一坪の海岸線”と“奇運アレキサンドライト”も“複製/クローン”で増やしたカードでございますのでお気を付け下さい。もちろん“贋作/フェイク”でないことは私の名と風間流最高責任者の肩書きにかけて誓いましょう」

「信じていますよ。私たちもリィーナ殿を相手に交渉事で下手を打つつもりはありません。このカードが“贋作/フェイク”でないことは保証しますよ」

 

 一言話す度に精神が削られるようだ。これでもし“贋作/フェイク”でも渡そうものなら殺されるだろうな。藪をつついて龍を呼ぶつもりはない。こんな下らないことで死んでたまるか。

 

「それではこれで……」

「ええ、交渉成立ですね。……そうそう、ツェズゲラさんはある集団にカードを奪われたりなどされておりませんか?」

「ある集団? ああ、恐らく彼らのことでしょうな。確かに何度か襲われましたが、重要なカードは奪われることなくすんでおります。運が良かったですな」

「そうですか。それは良かった。彼らに負けないよう私たちもクリアを目指すといたしましょう。それではこれにて失礼いたします」

 

 そうして何事もなくリィーナ殿は去っていった。

 ……ふぅ、思わずため息が漏れるな。あの人は苦手だ。私すら赤子扱いするのだからな。あんなのからカードを奪おうとするハメ組の気が知れんよ。自殺志願者の集まりか?

 

「……上手くいったな」

「ああ。というか、別に普通のトレードだ。上手く行かない方がおかしいだろう」

「確かにな。でもあの人を見ると正直普通ってのが実感湧かなくてな。アレがリィーナ=ロックベルトか。お前が簡単にあしらわれたって話も頷けるな」

「その話はもういいだろう? 勘弁してくれ」

 

 アレはオレの恥部だ。二度とあんな真似はせんぞ。

 

「とにかく交渉が終わったんだからゴレイヌに連絡しよう。後は“大天使の息吹”だけだな」

「ああ、クリアも間近だ。このゲーム……我々の勝ちだ!」

 

 

 

 

 

 

「こうして交渉に応じてくれて助かるよリィーナさん」

「いえ、お気になさらず。それよりも交渉とは? 無理矢理カードを奪うのが貴方がたのやり方ではありませんでしたか?」

 

 ……その話を持ち出すのは勘弁してほしい。

 何をしても意味がなかったのは知っているだろう? その張本人なんだからな。

 

「その件は本当に申し訳なかった」

 

 頭を深く下げて謝罪をする。こちらの方が立場は下なんだ。機嫌を損ねさせてしまうとどうなるか分からん。出来るだけ下手に行かなければな。

 

「その点はもう結構でございます。私は何の被害も被っておりませんから。それで、交渉とやらに移りたいのですが?」

「そうだったな。簡潔に行こう。そちらが所持している“一坪の海岸線”と“闇のヒスイ”をトレードしてほしい」

「……なるほど。それは分かりました。ですが、そちらがトレードに用意されたカードは何なのでしょうか? それによってはこのトレードはお断りさせて頂きますが?」

 

 だろうな。だが安心しろ。お前が飛びつくような材料を用意してあるからな。

 

「こちらが出すのは“大天使の息吹”! そしてさらに! そちらが所持していないカードを3枚までなら出そうじゃないか!」

「!?」

 

 ふふ、表情が変わったぞ。喰らいついたな。

 喉から手が出る程欲しがっただろうカードが一気に4枚も手に入るんだ。悩む必要はないだろう?

 

「…………」

「これは破格の条件だと思っている。何せこちらが出すのはSSランクを1枚と、そちらの任意のカード3枚だ。SSランク1枚にAランク1枚との交換なら悪くない条件だと思うが?」

「……確かに」

 

 もしやオレ達がこれでクリアするかと危惧しているのか?

 ……確かにその考えはあるな。ちっ、オレ達のカード入手状況をバレないようにしたのが裏目に出たのか? ここで渋られたらカードの入手はハードモードに突入する、いや、ルナティックの方が的確だな。

 勘弁してくれ。そんなの500億でもやりたくないぞ?

 

「分かりました。そのトレードに応じましょう」

「本当か!」

 

 やった! ルナティック回避! いや落ち着け! ここで喜びを見せすぎたら無駄に怪しまれるかもしれないぞ!?

 

「んん! それじゃあそちらが欲しいカードを言ってくれ。そのカードをすぐに持ってこよう」

「では――」

 

 

 

 

 

「上手く行ったな!」

「ああ、これでカードは96種まで集まった!」

「後はツェズゲラ組から奪うだけだな!」

「“徴収/レヴィ”の枚数は?」

「18枚だ」

「十分だな。“税務長の籠手”は?」

「6人が装備している。その6人には指定ポケットにそれぞれ20枚ずつカードを入れてある」

「ツェズゲラのバインダーを確認したか?」

「今さっき確認したばかりだ。独占カードは両方ともツェズゲラが持っている。所持しているカード枚数の合計は100に満たない」

 

 良し! 良し良し良し! 準備は万端だ! これでツェズゲラを襲ってカードを奪い取ればいい!

 合計して138回の“徴収/レヴィ”による攻撃だ! ツェズゲラのカード所持数は指定ポケットとフリーポケットのカード枚数を合わせても100枚以下! つまり我々の“徴収/レヴィ”を防ぎきることは不可能!

 

「手順を確認するぞ。“徴収/レヴィ”による攻撃は3交代制によるものだ。攻撃した者はすぐに距離を取り、目的のカードを奪えたか確認する。奪えてなければ再び攻撃に加わり、奪っていた場合は移動スペルでその場から離れること。いいな。念の為戦闘になった場合に数でも押せるように戦闘要員全員で行くぞ。“同行/アカンパニー”の準備だ!」

『おお!』

 

 ふふふ! 待っていろツェズゲラ!

 このゲーム……オレ達の勝利だ!

 

『プレイヤーの方々にお知らせです』

 

 ……何? バインダーから声が? “交信/コンタクト”ではないぞ?

 何だ? こんなことは初めてだが?

 

『たった今あるプレイヤーが99種の指定ポケットカードを揃えました』

 

 ……パードゥン?

 

 

 

 

 

 

「上手く行きましたね」

「これにてミッションコンプリートォ!」

「99種集まったわけか! ははは、ハメ組ざまぁ!」

 

 テンション上がってるなゲンスルーさん。ハメ組を出し抜けたのが嬉しいのかな? でもこれでクリアかと思うと確かに嬉しい。

 

「ハメ組の方たちが自分から交渉を持ちかけて下さったのは嬉しい誤算でした。おかげでこちらの狙いに気付かれる心配も少なくなりましたから。彼らの前で演技をするのは疲れましたよ」

 

 そう言って笑うリィーナ。結構演技が上手い気がするんだけど?

 そうじゃなきゃ財閥の会長なんて出来やしないだろうし。

 

 さて、そろそろリィーナにカードを返そうか。

 

「“ブック”。リィーナ、受け取ってください」

「ありがとうございますアイシャさん」

 

 そうしてリィーナに私が持っている“聖水/ホーリーウォーター”を渡す。

 するとそのカードをリィーナが持った瞬間、身に付けていた“聖騎士の首飾り”の効果で“聖水/ホーリーウォーター”が元のカードに戻った。それは指定ポケットカードの1枚、“メイドパンダ”だ。

 そうしてゴンやキルア達も次々とカードを渡していく。そのどれもが私たちの必要な指定ポケットカードへと変化していった。

 

 これこそがゲンスルーさん発案! “擬態/トランスフォーム”による指定ポケットカードの偽装だ!

 私達は手に入れた指定ポケットカードをすぐに“擬態/トランスフォーム”によって別のカードへと変化させていたのだ。そうすることで私たちが指定ポケットカードを手に入れても、“念視/サイトビジョン”では別のカードを持っているようにしか見えないのだ。こうして所持しているカード枚数を少なく見せかけて、交渉に応じやすくしたわけだ。

 

 そう、私たちの本当の指定ポケットカード所有種数はツェズゲラさんとハメ組との交渉前には既に92種あったわけだ。私たちがカードを集めて行くと必ずクリア前に邪魔が入ったり、交渉が上手く行かないことが多くなるから偽装した方がいいとゲンスルーさんが考えついた作戦である。

 

 後はツェズゲラ組とハメ組の独占カードと、ハガクシ組とトクハロネ組のゲイン待ちだけが残りのカードだった。残念ながらハガクシ組とトクハロネ組との交渉は断られてしまったが、その分のカードはハメ組が持っていたカードを貰うことで補えた。

 余分にカードを出してくれるなんて太っ腹だ。彼らにはクリアの算段がついていたのだろうが、残念ながらそれは諦めてもらおう。

 

「これで99種目でございます」

 

 リィーナが99種のカードをバインダーに収めた。

 さて、何が起こるのかな?

 

『プレイヤーの方々にお知らせです』

「!?」

 

 おお、バインダーから声が? これは……受付の人の声かな?

 

『たった今あるプレイヤーが99種の指定ポケットカードを揃えました。それを記念しまして、今から10分後にグリードアイランド内にいるプレイヤー全員参加のクイズ大会を開始いたします。問題は全部で100問! 指定ポケットカードに関する問題が出題されます。正解率の最も高かったプレイヤーに賞品としましてNo.000カード“支配者の祝福”が贈呈されます。皆様バインダーを開いたままでお待ち下さい』

 

 ………………こ、これは。

 バインダーから流れたNo.000のカード取得条件を聞いた皆の視線がある1人に向けられる。

 

「…………待て、待ってくれ」

「頼んだぞゲン」

「お前に掛かってるぞゲン」

「ゲンスルーさん頼むぜ」

「お前に任せた」

「オレ達も頑張るけど、ゲンスルーさんならきっとトップを取れるよ!」

「待ってくれ! グリードアイランドにはあのツェズゲラがいるんだぞ!? あいつは自力獲得では恐らくダントツのトップだ! そいつを押しのけてオレがトップを取れるわけが――」

「――トップを取った暁にはクリア報酬を10%増やすことを約束いたしましょう」

「全力で臨ませて頂きます!」

 

 素直でよろしい。

 でも正直厳しいな。ツェズゲラさんを押しのけてトップを取ることが出来るかどうか……。

 まあ分かっているのはハメ組の人たちにはトップを取ることは出来ないということだな。彼らのカードの自力獲得数は低いなんてもんじゃないだろうからな。

 

 

 

 そうして始まったクイズ大会。

 今までに皆と色々と話していたおかげで私が取りに行っていないカードの問題についてもある程度は分かった。

 だがそれでも確実に解けた問題は半分程度だろう。残りは正直うろ覚えと勘だ。70点取れてたらいい方ではないだろうか?

 

『それではこれより最高得点者を発表いたします!!』

 

 ゲンスルーさんでありますように。

 これでツェズゲラさんだったらまた面倒なことに……。

 

『最高点は……100点中96点!!』

 

 あ、駄目だこれ。点数聞いた時点でゲンスルーさんが絶望の表情で首を振っている。そこまで取れた自信がないんだろう。多分最高得点者は……。

 

『プレイヤー名……ツェズゲラ選手です!』

 

「はぁ……」

「やっぱりな」

「ゲン……」

「オレか? オレだけが悪いのか?」

「残念ながら10%アップは無しですね」

「クソッタレーッ! ツェズゲラがぁ……覚えていろよぉ!」

 

 それは逆恨みですゲンスルーさん。ツェズゲラさんは何も悪くないからね。

 トップを取れなかったのは残念だけど、今はそれよりもどうやってNo.000のカードをツェズゲラさんから手に入れるかが問題だな。

 

 

 

 そうして私たちが悩んでいると、その悩みの種であるツェズゲラさんから“交信/コンタクト”を受けた。

 

『リィーナ殿、まずは99種達成おめでとうと言わせて頂く。油断したよ。あの時点でそこまでカードを集めているとは思いもよりませんでした。“大天使の息吹”だけは持っていないものと思っていたのですがね』

「それは申し訳ございません。ですが、騙し取ったつもりはございませんよ?」

『その点に関しては責めるつもりは毛頭ないですよ。気付かなかった私が愚かだっただけの話。まあ今回の“交信/コンタクト”はそのようなことを話したくてしたのではない。

 本題に移ろう。……我々と代表者5名による勝負をして頂きたい。勝負は1対1を5回繰り返す星取り戦。先に3勝を上げた方の勝ちだ。勝者には敗者が持つ好きなカードを1つ手に入れることが出来る……どうです?』

 

 ほう、そういう交渉で来たか。これは面白い。

 彼ら5人と、私たちの内の5人で勝負をして、先に3勝した方が勝ち、と。分かりやすくていいじゃないか。

 リィーナが私に向けて確認のサインを送ってきた。私は周りを見回して全員が頷いたのを確認してリィーナにサインを送り返す。

 

「その話、受けさせて頂きます」

『それは良かった。代表の5人は戦う順番を予め決めておくのはどうだろうか? それを戦闘前に確認してその順に戦うという方式だ。どうだろう?』

「いいでしょう。それで結構です」

『ありがとう。日時は明日。順番などをよく考えておいてください。場所は追って説明しよう。……では、これにて失礼する』

 

 そうして“交信/コンタクト”が切れた。

 勝負は明日か。さて、5人の代表を選ばなくてはいけないけど、誰が出るかな?

 

「オレは出るぜ。ツェズゲラの顔面爆破してやる!」

「落ち着けゲンスルー。あまりやりすぎるとお仕置きを受けるぞ」

「……手を爆破するくらいで勘弁してやろう」

「まあゲンスルーさんが出るのはいいでしょう。他に出たい方はいらっしゃいますか?」

「オレも出たいね」

「オレもオレも!」

「待てよ。オレはドッジボールでずっと外野だったから殆ど何も出来ていないんだぜ? オレが出てもいいだろう?」

「あ、それなら私も出たいです。ドッジボールはおろか、他の試合もずっと見学しか出来ませんでしたし……」

「ツェズゲラ乙」

「……爆破は勘弁してやろう」

「これで1勝と。あと2勝で確定だな」

 

 どういうことなの?

 

「それではアイシャさんとゲンスルーさん、そしてレオリオさんも確定でいいでしょう。他の方はジャンケンで決めてくださいませ」

 

 それでいいのかおい? ツェズゲラさんは本気で来るだろうになぁ。

 

 

 

 

 

 

「これで良かったのか?」

「これしかあるまい。全く、油断したよ。あの交渉の時には既にリィーナ=ロックベルトの中では必勝の確信があったのだろうな」

 

 あの交渉が私たちを騙すためのものだったわけではない。

 何せ交渉自体は嘘ではないのだからな。リィーナ=ロックベルトがカードの所持数を申告したわけでもない。私たちが調べた結果から勝手に所持枚数を予測しただけなのだ。“念視/サイトビジョン”にも穴があるというのに、それを過信した私たちが愚かだったのだ。

 

 今回のイベントは僥倖だったと言えよう。上手くNo.000のカードを手に入れることが出来たのだからな。正確にはNo.000のカードを手に入れる為の引き換え券みたいなものだが。

 ……この島の支配者からの招待状か。恐らく待っているのはゲームマスターだろうな。

 

 カードを交換した後はゴレイヌを呼び出しに行かなければな。No.000を持っている者が直接呼びに行った方がいいだろう。ハメ組が狙って来ないとも限らん。

 全く。昨日グリードアイランドから出て行ったばかりのゴレイヌを呼び戻すハメになるとはな。

 

「だが勝てるのか? 相手はあのリィーナ=ロックベルトだぜ?」

「だからこその星取り戦だ。例えリィーナ=ロックベルトに負けたとしても、残る4人で3勝すれば問題ない。問題は戦闘の順番だ。奴らは戦力を前半に固めてくるか後半に固めて来るかのどちらかだと思われる。なので初戦は捨て札だ。最初と最後にリィーナ=ロックベルトが出てくる可能性が高いからな」

「なら先鋒はオレがやろう。オレが最も適しているだろうしな」

「……悪いなドッブル」

 

 ドッブルの能力は探知型だからな。戦力としても十分に役に立つが、我々の中で1番戦力が低いのも彼だ。彼には捨石になってもらうが、それが勝利に繋がることになる。重要な役割だ。頼んだぞドッブル!

 

「次鋒はオレかゴレイヌでいいだろう。奴の実力は確かだ。リィーナ組の実力は不明だが、それでも通用するレベルではあるはずだ」

「ああ、リィーナ組はリィーナ=ロックベルト以外のプレイヤーもかなりの者らしいが、1番厄介なのはリィーナ=ロックベルトだということに変わりはない」

「ゴレイヌが言うにはゲンスルーもやはりかなりの実力者らしい。一緒にいた残り2人もそれに近いレベルではあるとのことだ。正直分の悪い賭けになるだろう……」

「今さらだろう。オレ達はずっと一緒にハントして来たんだ。この程度の苦難乗り越えてやるさ」

「そうだぜ。これを乗り越えれば500億だ。やる気も増すってもんさ」

「フ、そうだな」

 

 後の1人が完全に未知数だが、それはもう仕方ないだろう。ここまで来たら後は実力で勝つしかない! この数ヶ月、あの子ども達に触発されて基礎鍛錬を充実させて来たんだ。必ず勝ってみせる!

 

 

 

 そうして勝負の時がやって来た。

 勝負の場所に選んだのはNo.000のカードを受け取った城下町リーメイロから少し離れた場所にある山岳地帯。

 ここなら遠くから覗く者もいないだろう。能力を使用したバトルになるだろうからな。そういう点も配慮しなければならん。

 

 そしてリィーナ組がやって来たのだが……。

 

「お待たせいたしましたツェズゲラさん」

「あ、ああ……いや、たいして待ってはいませんよ」

 

 ……12人もいるとは思ってもいなかったよ。

 隣にいるゴレイヌを見ても首を振る始末。ずっと4人でプレイしていたから、仲間がいても1人か2人くらいが精々と思っていたのだが……。しかもあの子ども達までいるじゃないか。リィーナ=ロックベルトの関係者だったのか?

 まあそれはいい。人数が多いのも問題ない。どれほど仲間がいようとも試合に出られるのは5人までだ。

 

「それで、試合のルールなのですが……」

「ああ、それですか。そうですね……」

 

 そう言えば細かいルールを決めていなかったな。

 ふむ、あまり命の危険がないようなルールにはしたいな。クリアの為とは言え死にたくはない。もしリィーナ=ロックベルトと当たったら殺されるかもしれんからな。

 

「目突きや金的、そして相手を殺してしまった場合は反則負けというのは?」

「分かりました。こちらも殺すつもりなどございませんからね」

 

 良かった、呑んでくれたか。

 これで誰かが殺されるという最悪の事態は避けられたな。

 

「それではこれが私たちの代表と順番となります」

「はい。これが私たちの代表と順番だ。確認を」

 

 お互いに作っておいた代表とその戦闘の順番を書いた紙を渡す。

 さて、リィーナ=ロックベルトはどの場所に……なんだこれは?

 

「その、リィーナ殿に質問が……」

「はい、何でございましょう?」

「これは、その……ちゃんと考えて作ったのでしょうか?」

「いえ? ジャンケンで選んだ代表に同じくジャンケンで順番を決めただけでございますが?」

 

 馬鹿にしてるのかおい?

 ゲンスルーはいい。キルアもだ。彼は若輩ながら確かな実力を選考会で示したからな。だがカストロとは誰だ! アイシャとはなんだ!? レオリオは治療系念能力者だろうが!

 リィーナ=ロックベルトの名前はどこにも載っていない。最大戦力抜きで勝てると思っているのか!?

 

 どうやら我々を随分侮っているようだな。いいだろう。それが愚かな選択だったと教えてやる!

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十八話 ※

 先鋒はドッブルvsゲンスルー。

 ゲンスルーはその対戦表を見てチッと舌打ちをした後オレを睨みつけた。

 ……オレが何かしたか? 何でそんな目でオレを睨む?

 

 まあいい。だがゲンスルーが先鋒に出てくれたのはありがたい。敵の代表の中で最も脅威となるのがゲンスルーだろうからな。ドッブルでは勝ち目はないだろう。だがそれは当初の予定通りだ。

 

「それでは先鋒戦。ゲンスルーさんvsドッブルさん……始め!」

 

 リィーナ=ロックベルトが審判役を買って出たのでそれを通す。

 彼女に八百長をする気など今さらないだろう。勝つことに拘わるならもっと真面目に代表を決めればいいだけなのだからな。

 

「うおおぉっ!」

 

 ドッブルがオーラを高めてゲンスルーに向かう。

 だがどの攻撃もゲンスルーにはカスリもしない。ゲンスルーは余裕の表情で攻撃を躱している。

 ……やはり相当な実力者! 恐らく純粋な戦闘ではオレでも敵わんだろう。すまんドッブル。お前が先鋒に出てくれて本当に助かったぞ!

 

「ちっ。雑魚かよ。これじゃオレの気が収まらねぇぜ」

 

 そんな腹立たしい台詞を吐きながらゲンスルーはドッブルの首筋を手刀で叩きドッブルの意識を絶った。く、やはり駄目だったか。ドッブル、よく頑張った!

 

「勝者ゲンスルーさん。それでは次鋒前へ」

「オレの番だな」

「頼んだぞゴレイヌ!」

 

 ゴレイヌが負けたらかなり厳しい物になる。

 相手はキルアか。年齢通りと思っていたら痛い目に遭う、そんなレベルの能力者だ。その能力も不明。勝てるのか?

 

「では次鋒戦。キルアさんvsゴレイヌさん……始め!」

 

 開始の合図と同時にゴレイヌが2体の念獣を具現化する。

 黒と白のゴリラ。アレがゴレイヌの能力か。

 

「ゴリラ? これって念獣?」

「そうだ。これがオレの能力だ。まさか卑怯とは言わないよな?」

 

 能力の使用厳禁とはルールになかったから反則ではあるまい。念獣で数の不利に思えるかもしれないが、使っているのはゴレイヌ本人なんだからな。

 

「別にそんなことは言わねーよ。さて、そのゴリラにどんな能力があるのかなっと」

 

 おお? キルアのあの動きはなんだ!? 複数のキルアがゴレイヌを囲むように……!

 そうか! あれは独特の足運びで残像を生じさせて相手を惑わす歩法か! なんという技術! 体術ではオレ以上か!?

 

「ちっ! なんだこりゃ!?」

 

 ぬぅ、やはりゴレイヌでも捉えきれない動きか! このままでは翻弄されていいようにやられてしまうやもしれんな……。

 ぬ? ゴレイヌが具現化した黒いゴリラに向かって殴りかかっただと? トチ狂ったのか? 一体何を――

 

 ――【黒の賢人/ブラックゴレイヌ】――

 

 な! 黒いゴリラとキルアの位置が入れ替わった!? なるほど! これがあの黒いゴリラの能力か!

 

「うおっ!?」

 

 流石に自分の立ち位置がゴリラと入れ替わるとは思わなかったようだな。完全に奇襲攻撃となったゴレイヌの一撃をまともに受けてキルアは吹き飛ばされた。だが決定打にはなってないようだな。堅でダメージを減らされたか。大した顕在オーラだ。

 

「ってー。今のがあんたの能力かよ。結構厄介だな。……ま、しゃーないか」

 

 む? キルアの身体から放電が? 髪も逆立っているようだ……これはまさか……。

 

「まさか、オーラを電気に変化させてんのかよ……」

 

 ゴレイヌも気付いたか。オーラを電気に……確かに理論上は可能!

 だが一朝一夕で身に付くことではない! 拷問に近い強力な電気を浴びる修行だけでも数年は必要なはず! 才能だけではない。執念のような修行があっての賜物! 恐ろしい少年だ……。

 

 くっ、だが、これは厳しい! ゴレイヌの勝率は大幅に下がったと言ってもいいだろう。電撃を完全に防ぐことが出来る人間などいるわけがない。攻撃を受ける度に身体が麻痺して硬直してしまうだろう。

 もしゴレイヌの念獣が自動操作ではなく遠隔操作の類ならば、ゴレイヌが麻痺して操作出来なければそれだけで念獣は役に立たなくなってしまうぞ!

 黒いゴリラの能力もバレてしまっている。意表を突くのはもう不可能だろう。便利な能力ゆえにまだ使用は出来るが、警戒されるとされないでは大きな違いだからな。

 

「お前は変化系が得意系統のようだな」

「さてね。どうでもいいじゃんそんなの。それじゃ……いくぜ」

 

 ――【疾風迅雷】――

 

「がっ!?」

 

 は、疾い! なんだ今のは!? 動きを目で追うことが出来なかっただと!? あの一瞬でゴレイヌとの距離を詰め、さらに複数回も攻撃したのか?

 ゴレイヌがたたらを踏んでいる! しかもキルアは既に元の位置まで戻っているだと? 疾すぎる! これでは攻撃が当たるわけがない!

 ……駄目だ。勝てるわけがない。こんな反則的な能力者だとはな。オレでも勝てん……。

 

「どうしたの? ゴリラの能力はもう使わないの?」

「舐めんなよクソガキ!」

 

 ゴレイヌが再び黒いゴリラに向かって殴りつける。だが――

 

「がっ? ぐっ!?」

 

 くっ、あれでも反撃が可能だというのか。何という反射速度! 結局ゴレイヌの攻撃は当たらず、逆に数発も反撃を喰らってしまった。

 いかん! キルアはこのまま勝負を決めるつもりか! キルアの攻撃が止まらん!

 

「ぐっ、あがっ! くそ、った! れが!」

 

 ――【白の賢人/ホワイトゴレイヌ】――

 

 おお! 白いゴリラとゴレイヌの位置が入れ替わった!

 なるほど。こっちのゴリラはゴレイヌとの居場所を入れ替える能力か。中々いい能力だ。応用によっては格上すら倒せるだろう。

 ……だが、キルア相手にはもう無理だな。既に能力は明かされてしまった。ゴレイヌのしたことはやられる時間を延ばしただけにすぎん。

 

「はぁ、はぁ」

「やるじゃん。でもそれで終わりみたいだね」

「へ、へへ、そいつは、どうかな?」

 

 ハッタリか? まだ何かが残っているように見せかけているだけか? だがゴレイヌからはハッタリだとは思わせないような凄みを感じる。そのせいかキルアも攻めるべきか様子を見るべきか悩んでいるようだ。

 

「使うつもりは……なかったんだがな。そうも言っていられない、か」

「へぇ。切り札とかあるんだ?」

「ああそうさ。オレの切り札が怖かったら今すぐ攻撃することをオススメするぜ?」

 

 上手いな。下手な挑発に聞こえるかもしれないが、ここで攻撃を選ぶのは難しい。攻撃されることを望んでいるようにも聞こえるからだ。攻撃がトリガーとなって発動する能力と思えば中々攻撃はしづらいだろう。しかもキルアは先程ゴレイヌの能力に嵌って一撃もらっているからな。警戒するのは仕方ないだろう。

 そしてキルアが挑発に乗って待つことを選択したら能力発動までの時間を稼げるというわけだ。キルアは強いとは言っても子どもだからな。ああいう挑発には弱いかもしれん。

 

「いいぜ。その切り札とやらを見せてみろよ」

 

 うむ。挑発に弱かったようだ。リィーナ=ロックベルトや仲間の何人かも溜め息を吐いている。

 だが挑発に乗せたのはいいが、このままではジリ貧だぞ? 本当に切り札などあるのか?

 

「【黒の賢人/ブラックゴレイヌ】! 【白の賢人/ホワイトゴレイヌ】!」

 

 なんだ? 黒と白のゴリラが横並びになった? 何をする気だ!?

 

「これがオレのジョーカーだ! 行くぞ! 【賢人融合/フュージョン】!!」

 

 お、おお!? 黒と白のゴリラが不可思議なポーズを取りながら動いている? 一体何が起きるというのだ!?

 

「いでよ黄金の戦士! 森の守護賢人【金の賢人/ゴールデンゴレイヌ】!!」

 

 な、なにぃ!? ご、ゴリラとゴリラが融合してゴリラが生まれただとぉ!?

 白と黒が混ざって金になるとはどういうことだ? いや、そんなことはどうでもいい! 問題はあのゴリラが強いかどうかだ。アレならキルアに勝てるのか?

 

 あとリィーナ=ロックベルトと仲間の女が驚愕しているな。ゴリラが融合したのがそんなに驚きか? ……いや、確かに驚いたがな。

 

「行け【金の賢人/ゴールデンゴレイヌ】! あの生意気なガキをぶっ飛ばせ!」

 

 黄金に輝くゴリラがキルアに向かって突進する。

 その動きはかなりの速さだ! オレの動きよりも速いだろう。ジョーカーだというのも頷ける。……ゴリラに負けているなど悔しくて堪らんが。

 だがやはりそれでもキルアよりは――

 

「――ま、オレより遅いね」

 

 そうしてキルアが一瞬で掻き消え、黄金のゴリラは幾多もの攻撃に晒され吹き飛ばされてしまった。……やはり駄目か。

 

「こんなもんか。じゃ、そろそろ終わらせ……あ、あれ?」

 

 ん? どうした? キルアの様子がおかしい……?

 む!? キルアの身体を覆っていた電気のオーラが失くなっているだと? どういうことだ!?

 

「あれ? まだ充電は持つはずだぞ!? どうしてオーラが電気にならないんだよ!?」

「くっくっく。【金の賢人/ゴールデンゴレイヌ】の能力を味わった気分はどうだ? 今ならお前の首でも簡単に落とせそうだぜ? まるで花をつむようにな」

「お、お前……! オレにいったい何をした!?」

 

 お、おお! ゴレイヌ! 何をしたかは分からんが勝てるかもしれん! あと、首を落とすのは止めろよ? 反則負けになるからな。

 

「教えてやるよ。オレの【黒の賢人/ブラックゴレイヌ】は対象と入れ替わる能力。【白の賢人/ホワイトゴレイヌ】はオレと入れ替わる能力。……そして【金の賢人/ゴールデンゴレイヌ】はな」

 

 ゴクリ、と全員が唾を飲み込む。

 い、いったいどのような能力だというのだ。というか、能力をペラペラ教えていいのか?

 まああれだけ一方的にやられていた所から逆転したのだから調子に乗っているんだろう。まだ逆転出来たわけではないだろうが。

 それにあの黄金のゴリラがどんな能力を持っているかは私も気になる。ここは突っ込まずに聞いていよう。

 

「【金の賢人/ゴールデンゴレイヌ】は対象の得意系統と不得意系統を入れ替える能力を持っているのさ!」

『な、何ぃーーっ!!?』

 

 と、得意系統と不得意系統を入れ替えるだとぉ!?

 なんだそれは! ふざけているのか! そんなことをされたらまともに戦えるわけがない!

 キルアは確実に変化系だろう。オーラを電気に変化させるなんて他の系統では出来るとは思えん! つまり得意系統と不得意系統が入れ替わったキルアは現在操作系が得意になってしまったわけだ。そして変化系は最も苦手な系統となった……。それはオーラを電気に変化出来なくなるのも当然だな。

 

 そればかりか今までとは勝手が違うオーラのせいでまともにオーラを運用することも難しいだろうな。身体の強化率も違う。放出するオーラ量も違う。得意な系統はほぼ使えなくなる。これで系統が入れ替わる前と同じように動けるわけがない!

 

「さて、反撃と行かせてもらおうか……」

「う、うう……」

「やれ【金の賢人/ゴールデンゴレイヌ】! オーラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラーーッ!!!!」

 

「ぐわぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 黄金のゴリラによる物凄いラッシュによってキルアが遥か彼方へと吹き飛ばされていく。間違いなく《再起不能/リタイア》……ではなく、決着はついただろうな。

 

「……完全に気絶していますね。勝者ゴレイヌさん」

「おっしゃー!」

「やったぜゴレイヌ!」

「すげぇぜ!」

「ああ、良くやってくれた!」

 

 皆が喜び勇んでいる。当然だ。負けたとばかり思っていたからな。

 あそこから逆転出来るとは誰も思っていなかっただろう! 間違いなく今回のMVPはゴレイヌだ!

 

「少々よろしいでしょうかゴレイヌさん」

「あ、な、何だよ」

 

 り、リィーナ=ロックベルトがゴレイヌに何の用なのだ? まさか先ほどの勝負に物言いでもする気か?

 

「いえ、先ほどフュージョンと仰っていましたが……。貴方、もしかして黒の書をお持ちではございませんか?」

「あ、ああ。確かに持ってるぜ?」

「今すぐ渡すか死ぬかお選びなさい3秒だけ待ちましょう321さあ返答を」

「ふぁっ?」

「なるほど死んでも渡さないといい度胸ですよろしいではこの場で――」

「――はいストップ~。ごめんね~、怖くないからね~。すぐにこの山姥をどけるからね~」

「は、放しなさい! く、黒の書が! 先生の黒の書がここに! ここにあるんですよ!」

 

 こ、殺される。誰もがそう思っただろう。

 特に間近で殺気を浴びたゴレイヌなんか悟りを開いたような顔をしている。これはもう死を享受しているな。

 

「ゴレイヌさん!」

「は!? な、なんだ?」

 

 おお、正気に戻ったかゴレイヌ。

 だが今度はなんだ? リィーナ組にいた女性がゴレイヌに詰め寄って来たが……。

 

「どうか黒の書を譲って頂けませんか!? お金が必要ならゴレイヌさんが黒の書を買い取った金額の倍、いえ3倍でも出します!」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。少し落ち着いて話をだな」

「譲る気がないというのならこの場で私が――」

「だぁーもう! あんたは話がややこしくなるから黙ってなさい! ほらあんた達! ぼさっとしてないでリィーナを抑えるのを手伝いなさい!」 

『オッス!』

 

 複数人掛りで押さえつけられるリィーナ=ロックベルト。……こんな女性だっただろうか?

 

「それで、譲ってくれるのでしょうか? それとも……駄目でしょうか?」

「う、わ、分かったよ。譲る、譲るさ」

 

 折れたかゴレイヌ。若い女に上目使いで請われたら乗ってしまうのが男の性か……。

 あとゴレイヌ。胸に目が行きすぎだ。傍目で見ても分かるぞ。

 

「本当ですか!? じゃあおいくらでしょうか?」

「そうだな。正直に言うとオレが買った時の値段は1億ジェニーだ。だがもう必要もないしな。今回はタダで――」

「ふ、ふざけないで下さいませんか!? 黒の書が1億ジェニー!? ましてやタダ!? 私が100億、いえ1000億ジェニーで買取りむぐもごもぐぅ!?」

「何でもないからねぇ。気にしないでねぇ。馬鹿の戯言だからねぇ」

「あ、ああ。と、とにかく今は持っていないんだ。グリードアイランドから出たら持っていくよ。どうせリィーナさんの所に寄る予定もあったしな」

 

 ああ、“一坪の海岸線”の情報の報酬だったか?

 というか1000億ジェニー……グリードアイランドのクリア報酬の2倍か……。こう、こんなにもあっさりとそのような金額を提示されると、我々の今までの苦労はなんだったのかと小一時間問い詰めたくなる……。

 ……これが終わったら黒の書を探してみようかな? 確か現在4冊の黒の書が確認されているらしいしな。ゴレイヌが持っているのを除いても後3冊だ。上手く行けば一攫千金だ。そうでなくてもリィーナ=ロックベルトに恩を売ることが出来るだろう。

 

「ありがとうございます! 必ずお願いしますねゴレイヌさん!」

「もごぉ! むがむぐぅぅ!」

 

 ……なんだかどっと疲れたよ。

 

「あ、そうだ。ゴレイヌさん。キルアの得意系統が入れ替わったことですが、元に戻ることはないんですか?」

「ああ、安心してくれ。あの能力の効果は30分だからな。その内元に戻るさ」

 

 最初にまずそっちを確認しろよ。キルアが哀れでならん。

 

 

 

「……少々お見苦しい所をお見せしました。申し訳ございません皆様」

 

 しょう、しょう? ……いや、言うまい。

 

「では中堅戦。レオリオさんvsバリーさん……始め!」

 

 中堅戦が始まった。ここで勝つと勝利は目前だ。頼んだぞバリー。

 バリーは近接戦闘の得意な強化系だ。鋭い踏み込みと身軽なフットワークで敵に近付き自分の得意な距離で戦うのを得意としている。

 相手のレオリオも恐らく強化系。あの時の選考会で見せた回復能力は強化系ならではのもの。そうでなくとも隣り合わせの系統だろう。

 放出系でない場合はバリーとは戦闘距離が噛み合いやすい。そうなったら戦闘経験が上のバリーが勝つだろう。これで放出系なら距離を潰せればバリーの勝率は大きく上がるだろう。レオリオが得意とする距離が何かによって勝率は変わってくるな。

 

 開始の合図と同時にバリーが一気に距離を詰めようとする。レオリオもまた距離を詰めてきた。やはり強化系の可能性が高いな。

 

「しっ!」

「おっとぉ!」

 

 ……これは予想以上だな。

 選考会で感じたレオリオの実力は、未知数ながらもまだまだ熟練の域には遠いと思っていた。だがバリーと戦うレオリオを見てそれは間違いだと教えられた。

 攻防力移動、オーラの見極め、体術、顕在オーラ、そのどれもが1流に近いレベル! まだ戦闘経験の差でバリーが上手に試合を進めているが、オーラ量は確実にレオリオが上!

 信じられん! キルアといい、レオリオといい、この若さでこれほどまでの強さを手に入れるとは!

 

 ……いや、リィーナ=ロックベルトがいるのだ。彼女が指導したとなればそうおかしな話でもないかもしれん。それでも何年もの修行に耐えたのだろうな。才能と努力によって身に付けた実力だ。誇ってもいいだろう。

 

 だが! それでも勝つのはバリーだ!

 

「ふっ!」

「ぐぅ!?」

 

 執拗なボディ責め。レオリオの防御力に対してバリーではろくにダメージを与えることは出来ん。

 だが当てることは出来る。まだ体術という括りではバリーの方が上。ボディを細かく攻撃することで徐々にダメージを蓄積しているのだ!

 腹を打たれ続けると後に響くからな。攻撃力ではレオリオが勝るから、あの距離で戦い続けるのはかなりのプレッシャーを受けているだろう。

 それでも前に出て戦うバリーの健闘には頭が下がる想いだ……。頑張れバリー!

 

「しぃっ!」

「おらっ!」

 

 くっ、レオリオの学習能力が思ったよりも高い! もうバリーの動きに対応しだすとは! 攻撃も殆どガードされるようになった。そればかりかバリーにもダメージが与えられている。攻撃が当たりだしたのだ。

 

「へへ、ここ最近修行から離れていたからな。ようやく調子が上がってきたぜ!」

 

 なんと……。本調子ではなかったというのか、アレで!

 これはマズイ。レオリオの言葉が本当なのか、尻上がりのタイプなのかは知らんが、それでも動きがどんどんと良くなってきているのは確か! 既にバリーの方が防戦一方となっている……。これでは先ほどとは立場が逆だ!

 

 くっ! バリーの攻撃も効いているはずだ! 攻防力に差があろうとも極端な差はないんだ! あれだけ執拗なボディブロウを喰らえば動きが鈍ってもいいはずだ!

 レオリオは回復系の能力を使用している様子もない。なのに何故だ!? 何故あんなにもスピーディに動ける!

 

「これで……沈みな!」

「がぁっ!?」

 

 レオリオの鋭いアッパーカットが綺麗にバリーの顎を捉える……。あれは、無理だ。

 崩れ落ちるバリー。倒れてからピクリとも動こうとはしない。気絶したようだな……。

 

「それまで。勝者レオリオさん」

「よっしゃ!」

「お疲れ様でしたレオリオさん」

「おうよ! どうだアイシャ? オレの勇姿はよ?」

「何が勇姿だ。滅茶苦茶苦戦してたじゃねーか。オレならあんなの10秒も掛からないぜ」

「うるせーなー。最近勉強ばっかで鈍ってたんだよ!」

 

 ……クソッ! リィーナ=ロックベルトが代表者を適当に決めたというのは、オレ達を侮っていたわけじゃない……。余裕の表れだったというわけか。誰が出ようとも3勝することは出来るというな!

 これほど腹が立ったのも久しぶりだな。バリー! 仇は取ってやるからな!

 

「それでは最終戦、ではありませんでしたね」

 

 最終戦だと? もう勝ったつもりか。舐めるなよ。

 ここでオレが勝てば2勝2敗! そして最後にカストロという奴をロドリオットが倒すことが出来たら我々の勝利だ!

 カストロの実力は未知数だが、それでもジャンケンで決めたというリィーナ=ロックベルトの言葉を信じるなら大将に相応しくない実力の可能性もある。

 

 とにかく、今はオレが勝つことに集中すべきか。シングルハンターの実力と意地を見せてやる!

 

「副将戦。アイシャさんvsツェズゲラさん……始め!」

 

 おや? 何故アイシャの姿が逆さまに?

 いやこれは!? 世界全てが逆さまになっているだと? そうか! これはアイシャの念能りょ――

 

 

 

 

 

 

「それまで。勝者アイシャさん!!」

 

 ツェズゲラさんには申し訳ないけど勝負は早めに終わらせてもらった。

 どうやらツェズゲラさんは少し興奮していたようだし、開始と同時に虚を取って縮地で距離を詰めてからの柔を叩き込んだ。

 後は地面に叩きつけてから、念の為鳩尾に指を1つ入れ込んだ。そのせいでツェズゲラさんは泡を吹いて気絶している。

 

「ツェズゲラぁぁぁぁ!?」

「あ、大丈夫ですよ。そんなに深くは指を入れてないので、しばらくすれば意識も戻りますから」

 

 ツェズゲラさんを心配して寄ってきた皆さんに説明しておく。これで少しは安堵してくれるだろう。……何だか私を見る目に恐怖の色があるけど。信じてくれるよね?

 

「えっと、レオリオさん。良ければ回復してもらってもいいですか?」

「いいぜ。ツェズゲラには世話になってもいるしな」

 

 ああ、そう言えばツェズゲラさんから結構な大金を貰っていたんだったな。能力を勝手にバラされた代償金だから、貰っても当然だとは思うけど。

 

「……う、こ、ここは? わ、私はいったい……?」

「おお! 目が覚めたかツェズゲラ!」

 

 ほら、すぐ回復した。手加減してるよ? ホントだよ?

 

「私は…………そう、か。私は、負けたのか」

「ええ、アイシャさんの勝利でございます。これで私たちの3勝でございますね」

「……分かった。約束は守る。“ブック”。……No.000、“支配者の祝福”だ。受け取ってくれ」

 

 これが最後の指定ポケットカード……。

 ツェズゲラさんもやはりプロだな。負けを認めて素直にカードを渡してくれた。

 

「確かに。それではこれにて」

「ああ」

 

 リィーナも余計なことは言わなかった。

 すまなかった。申し訳ない。そんな慰めの言葉なんかに意味はない。

 こういう時に勝者が敗者に掛ける言葉はないんだ。

 

「ゴレイヌさん。良ければ私たちと行動を共にいたしませんか? その方がゴレイヌさんに支払う予定の報酬を渡す手間も省けるのですが?」

 

 絶対報酬なんて関係ないな。黒の書の為にゴレイヌさんを逃がさないようにする為だ。

 

「いや、オレはツェズゲラの仲間だからな。グリードアイランドにいる間はあんた達と一緒に行動するのは止めとくさ。グリードアイランドから出たら必ず風間流かロックベルト本社に寄るから待っていてくれ。もちろん黒の書も持っていくぜ」

 

「そうですか。了解いたしました。それでは皆様、ご機嫌よう。……ゴレイヌさん、必ずお越し下さいね?」

「あ、ああ。絶対に行く。絶対だ」

 

 大事なことだから2回言ったんですね分かります。

 これで来なかったらゴレイヌさんはリィーナに一生狙われるだろう。馬鹿な考えをしないことを祈る。

 

 

 

「これで全部のカードをコンプリート!」

「グリードアイランド攻略完了!」

「ひゃっはー! クリア報酬ゲットだぜー!」

 

 これでようやくクリアとなった! ゲンスルーさんも形は違うけど念願が叶ったようで何より。

 私の念願は叶わなかったけどね!

 

「ゴリラに負けたゴリラに負けたゴリラに負けた無様に負けた~」

「ああもううるっせーんだよクソ兄貴! そんなにオレが負けたのが面白いか!」

「ああめっちゃ面白かった。油断しまくりじゃん。お前の悪い癖だぜ?」

「ぐぎぎぎ……!」

 

 キルアがミルキにおちょくられてるな。

 だが今回はミルキの言う通りだ。勝っていた内容の勝負なのに、油断するから足元を掬われる。念能力者の戦いに絶対はないんだ。例え実力で勝っていようと、能力1つ戦い方1つでひっくり返ることはザラにある。今回はこれを反省材料にすることだ。

 

「さて、これで100種目です。さあ、何が起こるのでしょうか?」

 

 リィーナがバインダーの指定ポケットを全て埋めた。

 これでクリアになるはずだけど?

 

『おめでとうございます! あなたは全ての指定ポケットカードを手に入れました。つきましては、クリア報酬について説明いたしますので、城下町リーメイロまでお越し下さい』

 

 バインダーから声が聞こえたと思ったら、空からフクロウがカードを1枚落としていった。どうやらこのカードが招待状となっているようだ。

 

「どうやらこれを持つ者のみが城への入城を許可されるみたいですね」

「じゃあリィーナさんしか行けないってことか?」

「いえ、ゴンさんがお行きなさい」

「え? オレが?」

「ええ。ゴンさんのお父上がこのゲームの製作者なのでしょう? ならば他のゲームマスターもお父上のお知り合いのはず。この城で待っているのは恐らくゲームマスターでしょうから。話をしたいでしょう?」

「リィーナさん……! ありがとう!」

 

 いい子だリィーナ! 久しぶりに頭を撫でたくなってきたよ! 小さい頃は良く撫でて上げてたなぁ。技が上手に出来たのを褒めてあげるととっても喜んでいた。懐かしいなぁ。

 

「ただし、クリア報酬のカードを勝手に選んではなりませんよ? 1枚はバッテラさんに頼まれている“魔女の若返り薬”。残りの2つは私に所有権がございますから」

「お、オス!」

「ああ、アイシャさんは何か欲しい物はございませんか? 私は黒の書の捜索の為に“失し物宅配便”が欲しいのですが」

「え? 黒の書はゴレイヌさんが後から持って来てくれるのでは?」

 

 今さっきの話だぞ? リィーナが忘れるはずがない。それなのにどうしてそんなアイテムが必要になるんだ?

 

「……ゴレイヌさんが所持しているのは世界中に散らばっている黒の書の1つに過ぎないのです」

「……どゆこと?」

 

 え? 何それ初耳なんですけど? いや、え? だって黒の書だよね?

 私が書いた〈ブラックヒストリー〉は一冊だけだよ? なんで複数あるかのように言ってんのこの子?

 

「……ねえリィーナ。あんたもしかして黒の書の写本を作ったの言ってないんじゃない?」

「ああ! そうでした! 申し訳ございませんアイシャさん! 実は黒の書は私が原本を元に翻訳版を複製してしまったのです……!」

 

 嘘だと言ってよリィーナ!?

 

「しかも写本の写本も出回ってるわよ。私が聞いた話を統合すると、原本も合わせて4冊の黒の書がこの世に出回っているわね」

「リィーナ。クリア報酬は何としても“失し物宅配便”を選びなさい」

「りょ、了解いたしました!!」

 

 なんてことをしてくれたんだ!!

 あんなのが4冊も出回っているだって!? もう勘弁してくださいよホントに! いい加減泣くぞ! 恥も外聞もなく泣くぞ!?

 

「あれ? でも“失し物宅配便”って持ち主が失くした物しか宅配してくれないんでしょ? リュウショウ先生の私物はリィーナが遺産として賜ったから、原本とリィーナが作った写本は戻ってくるでしょうけど……」

 

 あ、あの、何でそんな不吉そうな言い方をするのかなビスケさん?

 

「残りの2冊の写本は他の人が作った本だから、その2冊は宅配されないんじゃないの?」

 

 意識が遠くなる。駄目だもうオシマイだ。グリードアイランドは魔の島だ。私の心を削ることしかしないのか?

 もういっそこの島全部吹き飛ばしてやろうか? 今の私なら1年ぐらい時間を掛けたら多分出来るぞこんちくしょう。

 

 

 

 

 

 

 私の精神を幾度となく消耗させたグリードアイランド。何はともあれ私たちはクリアすることが出来た。

 ゴンはゲームマスターの人達と色々と話をすることが出来たけど、やっぱりお父さんに関する情報を手に入れることは出来なかったらしい。

 クリア報酬の3枚を使って何かを考えていたらしいけど、自分の勝手で報酬を好きにすることは出来ないからと断念したそうだ。

 

 こればかりは私もリィーナにお願いすることは出来ない。

 何せリィーナはバッテラさんに代わってこのゲームの出資者になっている。

 私がグリードアイランドをプレイするのにもリィーナの力をかなり借りている。クリアにもリィーナの協力は不可欠だった。

 その上でさらに報酬までねだるわけには行かない。ごめんねゴン。

 

 結局クリア報酬は“魔女の若返り薬”、“失し物宅配便”、“死者への往復葉書”の3つになった。

 “魔女の若返り薬”はバッテラさんの注文。これは契約だから外すことは出来ない。

 “失し物宅配便”は黒の書の捜索の為だ。ビスケの言う通り、別の誰かが書いた黒の書の写本は宅配してくれないだろうけど、原本とリィーナ手書きの写本は手元に戻ってくるだろう。

 “死者への往復葉書”は……これは、リィーナの言うことに甘えさせてもらい私が選んだ。……これならドミニクさんは母さんと……。

 

 本当に死者から返事が来るのか分からない。でも、一度死んでこうして転生出来た私がいるんだ。可能性はある。

 ドミニクさんがこの葉書を余計な物と思う可能性もある。今さら死んだ人と葉書で話を出来ても慰みにしかならないのは分かっている。

 それでも、それでもこのアイテムの効果を知った時に、ドミニクさんに渡したくなったんだ。

 

「くっ。オレの“レインボーダイヤ”……!」

「“コネクッション”が……!」

「お前らどっちも意味ないこと分かってて言ってんだろうな?」

 

 全くだ。ミルキもレオリオさんも何を欲しがっているのか。それってどっちも相手の意識を操作するタイプのアイテムだよね? 誰に使おうとしてたのか。

 そもそもキルアの言う通り、クリア後に選べる3枚はリィーナに決定権があるから頼んでも無理だと思うよ。リィーナに甘えている私の言うことじゃないけど。

 

「安心なさい。代わりの報酬はお渡しいたしますよ」

「リィーナ先生! オレ達の報酬は幾らになりましたか!?」

 

 ゲンスルーさんは以前までは500億の内40%が報酬だったな。あれからさらに貢献しただろうから、上がったのか気になるんだろう。

 

「そうですね。スペルカードによる指定ポケットカードの偽装作戦は非常に上手く行きました。これがクリアへの一助となったのは明白でしょう。他にも細かな点で貴方達はよく動いてくれました。なので、全体の60%。300億ジェニーを今回の報酬といたしましょう」

『おおお!!』

 

 300億。かなりの大金だ。ゲンスルーさん達が狙っていた500億と比べると見劣りするのは仕方ないけど、本来なら報酬なんか何もないのが当たり前だったんだ。0から300億まで上がったなら十分だろう。ゲンスルーさん達も大喜びしている。

 

「丁度切り良く1人100億で分けることも出来るでしょう。どのように配分するかは貴方達がお決めなさい」

「オレとサブは50億ずつでいい」

「ああ、ゲンが1番貢献したんだ。50億でも貰いすぎなくらいだ」

「何言ってやがる! オレ達のしたことに関係なく取り分は等分するって決めてただろうが。きっちり3等分だ。これは譲らねぇからな!」

 

「何という厚い友情だ」

「ここだけ見るとプレイヤーキラーとは何だったのかと言いたくなるな」

 

 全くだ。この気持ちを他の人に少しでも向けることが出来たら良かったのにな。

 でも最近のゲンスルーさん達は私たちにもそういった感情を向けてくるから、大分改善されてはいるだろう。

 

「リィーナ先生、ありがとうございます!」

『ありがとうございます!!』

 

 うん。教育は順調のようだ。

 まだ数ヶ月程度しか教育してないからすぐに外に放つのは不安だけど、この様子なら数年もしたら自由が得られそうだ。何せリィーナにお礼を言う時のオーラが微動だにしていない。嘘偽りない謝礼だった。

 

「貴方達、これからも私に付いて精進しなさい」

『はい!!』

 

 あ、なんかカストロさんがあの4人を見てちょっとご機嫌斜めになってる。リィーナを取られたみたいで嫌なんだろうか?

 

「リィーナ殿! これからもご指導ご鞭撻の程、よろしくお願いいたします!」

「ええカストロさん。貴方が大成する日を楽しみにしておりますよ」

「ありがとうございます!」

 

 美しい師弟愛である。

 

「さて、残りの報酬ですが。残り200億をアイシャさんに――」

「――ちょっと待てや」

「流石にそれはないわよねリィーナ~?」

「……冗談でございますよ?」

『嘘だ!』

 

 これは誰もが嘘だと見抜くよ。絶対本気だった。きっと誰も反対しなかったらそうしてただろう。

 

「残りの200億は残った皆さんでお分けください。ああ、ビスケはなしで。貴方には“ブループラネット”を諦めていただいた代わりに私から別に報酬をお渡ししますから」

「すっごく欲しかったんだから、奮発してよね!」

「分かっておりますよビスケ」

「ああ、私のブループラネットちゃん……!」

 

 宝石が好きなのは変わらないなぁ。ごめんね私の為に我慢させて。

 

「すいませんビスケ、私の我が儘を聞いてくれて……」

「……いいのよ。どうせ私が“ブループラネット”を欲しがっても、皆も他に欲しいアイテムがあるんだから私だけクリアアイテムを手に入れるなんて出来なかったわよ。アイシャなら角も立たないでしょうし、丁度良かったのよ……」

 

 その割には納得いってない顔だよ……。ごめんね。今度埋め合わせするからね。

 

「それじゃ残った報酬は等分か?」

「それだと端数が出るな」

「ああ、私は遠慮しよう。修行の名目で来ていたのでな。報酬は君たちが好きにするといいさ」

「カストロがいらないとなると残りは6人か」

「あ、私もいりませんよ。クリアアイテムまで貰っておいて、報酬まで貰うわけにはいきません」

 

 私もカストロさんと同じく報酬を辞退だ。

 というか、既に報酬を貰っている身だ。この上お金まで貰うなんて皆に悪い。

 

「じゃあ残りはオレ達で5等分か?」

「いいんじゃないかそれで」

「じゃあ1人40億ずつで!」

「なんか大金過ぎて金銭感覚麻痺しちゃいそうだよ」

「チョコロボ君がいくつ買えるか……」

 

 落ち着けキルア。お前は糖尿か何かで死ぬ気か?

 

 

 

 さあ、これでグリードアイランドともお別れだ。

 何だかんだで楽しいひと時だった。辛いことや悲しいことはあったけど、というか滅茶苦茶辛かったけど。

 それでも楽しいこともあった。皆と一緒に修行したりカードを集めたり遊んだり。そう思うとグリードアイランドを出るのも寂しいものだ。

 

 だが私は外の世界でしなくてはならないことがある。

 その為にも、ここで足踏みしているわけにはいかないんだ!

 さらばだグリードアイランド。もう来ることはないだろう。

 

 

 

 

 

「れ、レオリオさん。出来れば私を【高速飛行能力/ルーラ】で外の世界まで運んでくれませんか?」

「お安い御用だぜ」

 

 忘れてた。私は【ボス属性】のせいで外に出ることもままならなかったんだ……。

 レオリオさんが【高速飛行能力/ルーラ】を覚えていて本当に良かった!

 

 改めて。さらばだグリードアイランド!

 

 




 ハトの照り焼き様から頂いたイラストです。
 3つあった挿し絵を1つにまとめました。開いて少し待てば次の挿し絵が出てくるようになっています。


【挿絵表示】


 【黒の賢人/ブラックゴレイヌ】と【白の賢人/ホワイトゴレイヌ】を融合! 新たに【金の賢人/ゴールデンゴレイヌ】を召喚するぜ!

 ゴレイヌ。今回の魔改造キャラ。何故か特質系になって本作品に登場。ネタが入っているため納得出来ない方がいるかと思います。ちなみにホワイトゴレイヌとブラックゴレイヌの制約である距離20mはこのss独自の設定です。それだけの制約入れてないとあれ強すぎでしょう。


【白の賢人/ホワイトゴレイヌ】
・具現化+操作+放出
 術者と念獣の位置を入れ替える能力を持つ。

〈制約〉
・術者との距離が20m以内である。

〈誓約〉
・特になし

 

【黒の賢人/ブラックゴレイヌ】
・具現化+操作+放出
 他人と念獣の位置を入れ替える能力を持つ。

〈制約〉
・対象との距離が20m以内である。

〈誓約〉
・特になし

 

【賢人融合/フュージョン】
・特質系能力
 具現化した【白の賢人/ホワイトゴレイヌ】と【黒の賢人/ブラックゴレイヌ】に特定の動作を取らせることで二体の念獣を融合する能力。融合する事によりその能力は大幅に上がる。

〈制約〉
・二体の念獣を同時に遠隔操作し、特定の動作を行わなければならない。この時自動操作では効果を発揮しない。
・合体し、30分間経つと合体は解除される。

〈誓約〉
・特定の動作に失敗してしまうと念獣は消滅し、その後30分間は念能力が使用出来なくなる。
・合体解除後の30分間は念獣を具現化する事が出来なくなる。

 

【金の賢人/ゴールデンゴレイヌ】
・特質+具現化+操作+放出
 【白の賢人/ホワイトゴレイヌ】と【黒の賢人/ブラックゴレイヌ】が【賢人融合・フュージョン】によって融合する事で具現化される新たな念獣。融合したことによりその能力は融合前よりも大幅に上昇している(ぶっちゃけ身体能力は術者よりも遥かに高い)。もっとも、遠隔操作ゆえ術者の操作能力以上の動きは出来ない。
 対象の系統を操作し対象の得意系統と最も苦手な系統を入れ替える能力を持つ。効果時間は30分間となる。

〈制約〉
・使用する対象が【賢人融合・フュージョン】する場面を見ていなければならない。
・使用する対象の得意系統を宣言し言い当ててから【金の賢人/ゴールデンゴレイヌ】で対象に触れなければならない。
・具現化後、30分経つと合体は解除され【金の賢人/ゴールデンゴレイヌ】は消滅する。

〈誓約〉
・得意系統を言い間違えて能力の発動条件を満たした場合、【金の賢人/ゴールデンゴレイヌ】は消滅し、術者の得意系統と最も苦手な系統が30分間入れ替わってしまう。

 ちなみに敵対した念能力者の苦手な系統は特質系。得意系統を苦手系統に入れ替えると相手が強化系になってしまう。特質系の能力は使えなくなるが、基礎戦闘能力が跳ね上がってしまう。




 没ネタ。

「これがオレのジョーカーだ! 行くぞ!」
 
 ――身体はゴリラで出来ている――

 ゴレイヌは静かに言葉を紡ぎ出した。それはまるで詠唱のようであった。誰にも理解されない賢人への想いを籠めた祝詞のようでもあった。

 ――DNAは人で、心は賢人――
 ――幾たびの森林を越えて不敗――
 ――ただの一度も敗走はなく――
 ――ただの一度も理解されない――
 ――彼の者は常に独り森の奥でゴリラに酔う――
 ――故に、その生涯に意味はなく――
 ――その体は、きっとゴリラで出来ていた――

 誰にも理解されることのなかったゴリラへの愛が詰まった詠唱が終わる。
 その時……世界が変わった。

「な、なんだ、これは!」

 キルアが驚愕する。
 いや、キルアだけではない。ゴレイヌ以外の全てが変わりゆく風景に驚愕した。
 それは清浄なる森林。人の手によって汚されていない森の聖地。
 そしてそこには、森の守護神にして優しき賢者、そう、ゴリラがいた。1匹や2匹ではない。10、20、いや、数え切れない程のゴリラが周囲を囲んでいたのだ。

「これがオレのジョーカー、【無限の賢(人)製/アンリミテッドゴリラワークス】だ。オレの力はゴリラを創る能力じゃない。無数のゴリラを内包した世界を創るのさ!!」

 意味が分からない。
 これがこの場にいるゴレイヌを除く全てのプレイヤーの気持ちだった。

「行くぞ雷小僧。電気の充電は充分か?」




 これは流石に没にしました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十九話 ※

 レオリオさんのおかげでグリードアイランドから出ることが出来た。感謝感激である。

 レオリオさんにお礼を言うと何故か逆にお礼を言われた。解せぬ。

 その後レオリオさんはゴン達と合流した時にキルアとミルキとリィーナに睨まれていた。解せぬ。

 

 さて、久しぶりの外の世界だ。文明の光が懐かしい。空気も澱んでいる気がする。グリードアイランドには排気ガスとかなかったからなぁ。

 色々嫌なことが有ったから二度と行く気はなかったけど、住むだけならいい場所かもしれない。でももう一度行くにはまたオーラを枯渇させて1ヶ月絶で過ごさなきゃ行けないんだよなぁ。やっぱり不便か。止めておこう。

 

 外の世界に戻って来て最初にしたことはバッテラさんにクリア報酬の1枚を渡しに行くことだった。

 

「おお、ロックベルト会長! よくぞクリアしてくれました!」

「皆様の協力あってのことでございます。さあ、こちらがお望みの若返り薬でございます。どうぞ」

「おお、これが! ……あ、ありがとうロックベルト会長……! 何から何まで貴方のおかげだ! これで、これでようやく私と彼女の人生を歩むことが出来る……!」

 

 ……良かったねバッテラさん。彼女が昏睡状態で失ってしまった時間もこれで取り戻せるし、後は幸せに過ごすだけだね。

 

「お気になさらずに。既に報酬は支払われております。それは当然の対価でございます。あと、その薬の注意点を1つ。それは1粒飲めば1才若返る薬ですが、年齢以上の数を飲んでしまえば死んでしまいますので、お気を付けください」

「なるほど、それは怖いですな。ですがご安心を。彼女が眠っていた時間以上は若返るつもりはありませんからな。彼女もそう願っておりました。失った時間さえ戻ればそれでいいのですよ」

 

 ……素晴らしい。何という愛だ。望めばそれ以上の物が簡単に手に入るというのに……。彼女の為に私財の全てを投げ打ったことといい、打算のない本当の愛だ。なんて素敵な2人なんだろうか。

 

「それならば大丈夫でしょう。何かあれば私を頼ってくださいませ。出来る限り力になることを約束いたします」

「おお、それはありがたいですな! 私たちに困難なことが起きればその時は喜んで頼らせてもらいますよ」

「あと、少しだけ浅ましいお願いがあるのですが……」

「? なんでしょうか? 今の私でロックベルト会長の力になれることは少ないと思いますが?」

「実は……」

 

 ……何をお願いしているんだろう? 誰にも聞こえないようにバッテラさんだけに何かを伝えている。バッテラさんの言う通り、私財の殆どをリィーナに譲渡したバッテラさんに出来ることなんて少ないと思うけど……?

 

「ははは、なるほど。ロックベルト会長もやはり女性だということですか」

「失礼な。女は何時になっても乙女なのですよ」

「はは、そうですな。それは失礼をした。いいでしょう。その話、了承しましたよ」

「ありがとうございます! では、また後ほどに!」

「ええ。皆さん、本当にありがとう! 皆さんの人生に幸有らんことを」

 

 そうしてバッテラさんとお別れをした。

 バッテラさん達にも幸がありますように。

 

 

 

 

 

 

 そしてやって来たのはアームストル。ここに来ると帰って来たという気持ちになる。やっぱりここが私の故郷の1つだ。

 私が故郷と想う場所は4つある。1つは二度と帰ることのない、帰ることの出来ないかつての世界。そしてここ、人生の大半を過ごしたアームストル。そして私の人生を決定づけた想い出深き風間流発祥のジャポン。最後は流星街だ。と言っても、母さんと過ごした一部のみを故郷と想っているだけだ。他の流星街は知らん。私はともかく母さんを悪魔と呼んでいた奴らが住んでいる土地を故郷とは想わん。

 

 まあいい。それよりもアームストルに帰って来たのだ。やるべきことはたくさんある。

 

「本当にいいんですかリィーナ? しばらく世話になりますが」

「全くもって問題などありません! あるわけがございません! それはもう10年でも100年でも1000年でもご自分の家と思ってお過ごし下さいませ!」

「いや、それは死んでるだろ……」

「無駄だよキルア。今のリィーナ殿の耳はアイシャ以外の声をシャットダウンしているのだよ」

 

 流石はクラピカ。既にリィーナの特性を理解しているな。こんなことで褒められたくはないだろうけどな。

 

「んで、どうして兄貴もここまで付いて来てんの?」

 

 キルアの言う通り、ミルキも私たちと一緒にアームストルへとやって来た。ゴンとキルアとクラピカがアームストルにやって来たのは修行の為だ。

 この3人、もう今の修行を当たり前に思っている節がある。成長したな。もう1段階修行レベルを上げよう。

 レオリオさんも一緒に来た。合格通知は携帯電話からでも分かるようになっているから家に戻る必要もないそうだ。それなら一緒に行きたいと言ってくれた。

 私としてもレオリオさんが一緒なのは嬉しい。それに、ドミニクさんにレオリオさんを紹介することも出来るし。

 カストロさんとゲンスルーさん達も当然一緒に来た。彼らは風間流で修行の日々を送るのだろう。

 そしてミルキも付いて来た。というかグリードアイランドのメンバー全員が来ている。

 

「べ、別にいいだろ! 家に帰るわけにも行かないし、修行してお前に勝ち越さなきゃいけないしな!」

「はっ。返り討ちにしてやんよ」

 

 ミルキも修行がしたかったのか。皆修行大好きになって来たなぁ。私としては嬉しい限りだ。

 

「では、初めて来られる方もいらっしゃるので説明いたしましょう。ようこそ皆様。ここが風間流合気柔術本部道場でございます」

「ここが風間流の本部道場か」

「初めて見たが、結構でかいな」

「ああ、ここがオレ達の新たな牢獄もとい修行場か」

 

 まあ、ゲンスルーさん達にとってはここから出るのもままならない缶詰状態にされるからね。牢獄扱いになるかもしれない。でもそんなこと言ってるとリィーナに叱られるよ?

 

「さて、早速ですが中をご案内いたしましょう。どうやらすぐにでも地獄の修行をなされたい方がいらっしゃるようでございますし……ねぇ、バラさん?」

「オワタ」

「死ぬなよ」

「生きろ」

 

 いい加減リィーナの禁句ワードを覚えた方がいいと思う。ゴン達は覚えているぞ。リィーナの怒りを買わない。それがここで過ごす上で1番重要なことなのだ。それが出来ない者は門下生の中にはいないだろう。あ、2人くらいいたかな。

 

「では皆さんこちらへ」

 

 リィーナの案内で中へと入っていく。数ヶ月ぶりだな。やはりここは落ち着く。自分の家にいるみたいだ。まあ、リュウショウの時は殆どここで過ごしていたから当然か。

 

「これは! お帰りなさいませ本部長!」

「本部長! お帰りなさい! お疲れ様でした!」

「皆さん。しばらく留守にして申し訳ございませんでした。私のことは気にせず修行に励みなさい」

『はい!』

 

 リィーナの帰還を喜ぶ門下生の声が続々と響いてくる。

 リィーナは今の風間流のカリスマだからね。門下生10万を超える道場の最高責任者なのだからな。一門下生からしたら武の頂きを見る思いだろう。見た目もクールで美人だし、男女ともに憧れている者は多いだろうな。

 リィーナに憧れる女性は特に多い。多分私が最高責任者をしていた時より女性の比率が多くなっているんじゃないだろうか?

 

 

 

 そうして風間流でも念能力を修めた者しか入ることを許されていない道場の奥にある隠し道場まで到着する。中には多くの念能力者がそれぞれ研鑽を積んでいた。その中で、それらの門下生に対して指導している人物がこちらにいち早く気付いた。

 

「り、リィーナ先生!?」

『リィーナ様!?』

 

 最初に気付いたのはシオンだ。シオンは確かリィーナが不在の時にリィーナの代行を務めていたんだったな。今もそれで指導に当たっていたんだろう。

 その場にいた全員がシオンの声でリィーナの存在に気付く。そこから他の練習場にいた門下生達もリィーナが帰って来たことに気付いてどんどん集まって来た。総勢100を超える念能力者が集った。

 

「これが風間流の念能力者達か……」

「なるほど。程度の差はあれ、どいつもこいつも大したもんだ」

「ああ、敵に回したくはないな」

「1人2人ならともかく、それ以上となると厳しいな」

 

 初めてここに来るミルキとゲンスルーさん達も驚いているようだ。質・量ともにここまでの念能力者が一斉に集まることもそうないだろう。

 ふふふ、どうだ。これが風間流だ。理解したらリュウゼン=カザマを称えるがよい。

 

「しばらく留守にして申し訳ありませんでした。私が留守の間も修行に励んでいたようで何よりです」

「それはもう! 私もしっかり指導しましたよ!」

「ご苦労様です。ですが、そういうことは自分で言うものではありません」

「アイター!? い、痛いですよリィーナ様ー」

 

 再会してそうそう頭を殴られるシオン。変わりないようで何よりである。

 

「あ、ビスケ様に、それにゴン君、キルア君、クラピカ君にアイシャちゃんも。久しぶり! ゴン君達はまた修行しに来たの?」

「シオン。積もる話もあるでしょうが、それは後になさい。まずは互いに色々と報告することがあるでしょう?」

「あ、そうですね。それに丁度良かったですよ。リィーナ様が帰って来てくれて本当に良かった~」

「……? 何かあったのですか?」

 

 シオンの口ぶりからして、何かあったんだろうけど、それほど大事ではなさそうだ。言葉に緊張も不安もないからな。

 

「はい! 私妊娠してるんでしばらく休みます!」

 

 大事だった。大事件だった!

 

「はぁ!? に、妊娠って! まさか相手はウイングじゃないでしょうね!?」

「何を今さらなことを仰るんですかビスケ様! 私がウイング以外の人とチョメチョメするわけないじゃないですか!」

 

 チョメチョメ言うなし。

 いや、これは驚いた。2人がまあチョメチョメ……そういうことをしているのは知っていたけど、まさか妊娠したなんて……。

 

「そ、そうですか。それはおめでとうございます。祝福いたしますよ。しかし、大丈夫なのですか? ここで指導していたようですが、あまり激しい動きをしては母子ともに危険ですよ?」

 

 リィーナが持ち直した。まさかこんな時にこんなカミングアウトをされるとは思ってもいなかっただろうからな。一瞬だったけどリィーナがフリーズしてたし。多分あの瞬間に攻撃を仕掛けたらシオンが勝っていたな。

 

「はい。まだ安定期には入っていないんで本格的な指導はせずに助言だけにしています」

「そうですか。それなら……待ちなさい。今、妊娠何ヶ月目なのですか?」

「え? 2ヶ月目ですけど?」

 

 2ヶ月か。あと8ヶ月くらいしたら赤ちゃんが産まれるんだな。まだ男の子か女の子か分からないな。どっちだろうか?

 

「早く子どもの性別が分かるくらいに成長してほしいですねぇ。やっぱり最初は男の子がいいかな! きっとウイングに似た可愛くてカッコよくて頭も良くて優しい子になるよねぇ。ううん、女の子もいいよねやっぱり! きっとウイングに似た可愛くて美人で頭も良くて優しい子になるよねぇ。あ、双子というのはどうだろう! 男の子と女の子の双子とかヤバイ! もう最高じゃん! この際3つ子でも4つ子でもばっち来い! 私は一向に構わん! 将来はサッカーでチーム戦が出来るくらいは産むよ! あ、そうなったら早く孫も欲しいなぁ。あはは、流石にそれは気が早いか。そう思いますよねリィーナさアイター!?」

 

 これはひどい。

 

「この脳みそパープリンお花畑馬鹿娘は……! いい加減妄想の世界から帰ってきなさい!」

「……おい、コレはなんだ?」

「シオン。風間流の次期最高責任者候補」

「風間流の未来も真っ暗、いや真っピンクだな」

「流石にリィーナ先生の頭を疑うぞ」

「……返す言葉もございませんね」

 

 リィーナも今回のゲンスルーさんの暴言には何も言い返せないようだ。私だってそう思う。いくら優秀でもこれはない。考え直せと言いたくなってきた。

 

「とにかく! 今妊娠2ヶ月目なのですね!?」

「はい! その通りです!」

「……お相手のウイングさんはどこにいるのですか?」

「え? 天空闘技場ですけど? 妊娠を心配してくれてましたけど、弟子のズシ君をほったらかしにさせるわけにもいきませんからね。私は大丈夫だからと天空闘技場に留まらせました。夫の仕事に寛容な出来る妻! くふふ、ああ、私って健気! やっぱり男の人って尽くすタイプに弱いと思うんですよ。私って一途だし? 1人に尽くすタイプだし? その辺りの魅力にウイングもやられアイター!?」

 

 お、さっきよりも突っ込みが早い。学習したかリィーナよ。

 

「ウイングさんは天空闘技場にいるのですね!?」

「はい! その通りです!」

「……2ヶ月前にウイングさんがここまで来ていたのですか?」

「え? ウイングはずっと天空闘技場にいましアイター!? ま、待ってくださいリィーナ様! 私まだおかしなこと言ってないじゃないですか~!?」

「申し訳ありません。つい先に突っ込んでしまいました」

「うう、酷いですよ~」

 

 いや、どうしてもリィーナが悪いとは思えない。何故だろうか。

 それとシオン。まだってことは言うつもりは有ったのか? というか、おかしなことという自覚が有ったのか?

 

「では、貴方は私の命に背いて道場を留守にして天空闘技場までウイングさんに会いに行っていたと? そういうことですかシオン?」

 

 ……シオンの言うことが本当ならそういうことになるな。

 ここから天空闘技場に行くとなると飛行船でもかなりの日数が掛かる。その上往復となると1週間近くは道場を留守にしていたことになるだろう。

 

「そ、それは……」

「どうなのですかシオン? はっきりと答えなさい」

 

 徐々にプレッシャーが増している。

 既に門下生はシオンとリィーナの半径10m以内から離れている。大した反応速度である。慣れてんのかな?

 

「て、天空闘技場に、行ってたのは確かです! で、ですが、休みの時間を利用しただけで、道場を長い時間留守にはしていません!」

「どういう意味ですか? 休みの時間だけで天空闘技場まで行けるわけがないでしょう。そうであるならばそれを可能とした理由を述べなさい」

「は! それは私の念能力で天空闘技場まで瞬間移動したからであります!」

 

 瞬間移動? 念能力で? いや、念能力で確かにそれは可能だけど……。放出系だよ瞬間移動って。シオンって変化系だよね? それで放出系の能力を覚えるのは……。

 複合能力で放出系を必要としているならともかく、瞬間移動は純粋な放出系の能力だ。シオンが覚えるとなるとどれだけの容量を使ってしまうのか……。

 

「瞬間移動……! 馬鹿な能力を……。貴方には発を作る時の重要性をとくと教え込んだはずでしたが……」

「大丈夫です! 制約と誓約をすっごく重くしましたから! 然程容量は取っていないはずです! というか、もうウイングに会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて。想いが募りすぎて気が付いたらウイングの隣に瞬間移動していました……。無意識に能力を作っていたみたいです。すいませんでしたリィーナ様……」

「い、いえ。それほどの想いなら、仕方ないのでしょう。ええ」

 

 想いじゃないよ。重いだよ。リィーナが引いて怒りを収めるくらい重たい想いだよ。というか怖いよ。私も引くよ。皆引いてるよ。初対面のミルキとゲンスルーさん達の印象も最悪レベルになってるよきっと。

 なんて残念な子なんだ……。もうウイングさん逃したら終わりだな。頑張れウイングさん。

 

「ありがとうございます! それじゃあ、後はリィーナ様にお任せして私は産休に入らせて頂きますね!」

「まあ、産休には少々早いでしょうが、身重の身でする仕事でもありませんからね。ただ、念の修行なら体に負担もかけないでしょうから、それはキチンと続けておくのですよ。ただし衰弱するまで消耗しないように。分かりましたね?」

「はい! あと、結婚式は5月に予定しております! お腹が目立つ前にウェディングドレスを着たいんでアイター!?」

「そういうことは早くお言いなさい!」

「う、うう~、申し訳ありません~。そ、それではこれ以上怒られる前に今日は休みます……。あ、ゴン君達もまた後でね。グリードアイランドの話を聞かせてくれると嬉しいな」

「う、うん。また後で色々話そうねシオンさん。色んなことがあったからきっとシオンさんも楽しんでくれると思うよ。ね、キルア」

「……ん? もう妄想は終わったのか? 悪いなゴン。話を耳に入れないようにしていたからな」

 

 キルアのシオン対策がもう熟練の域に達しているんだけど? これには私も脱帽である。

 

「ひ、酷いよキルア君!」

「悪いなシオンさん。オレの精神の安定の為にもあんたの妄想は聞き流した方がいいんでな」

「キル。後でオレにもコツを教えてくれ」

「私も頼む」

「あ、オレもよろしくな」

「オレも頼むぜ」

「もちろんオレもな」

「頼んだぜキルア」

「うう、クラピカ君ばかりか、初めて会う人たちまで!?」

 

 ごめん。フォローする言葉が出てこない。どうしてこういう子になったのかなぁ。初めて見た時は緊張してたけどこんなんじゃなかったのになぁ。ウイングさんのせいなのかなぁ? いやウイングさんを責めるのはお門違いだよなぁ。シオンの素だもんなぁ。

 ……本当にどうしてこうなった?

 

 

 

 

 

 

 さて、本部道場に住み着いて2日が経過した。初日は色々バタバタしてたから大変だったな。

 しばらくここで情報収集をしたいから、私の為に用意してくれた一室にはパソコンも用意してもらった。まあ昨日はこうしたパソコンやネット回線を繋げるのにほぼ時間を費やしてしまったのだが。大体はミルキがやってくれた。流石機械関係に強いだけのことはある、ミルキ様々である。

 用意してくれたパソコンは最新式で、色々とグレードアップしているらしい。ミルキがスペックを見て凄い欲しがっていた。幾らくらいするんだろう? 相場は詳しくないけど、50万ジェニーくらいかな? 後でお金を出しておこう。

 

 早速ハンターサイトでキメラアントと思わしき事件がないか調べて見たが、何の成果も得られなかった。

 虫関連の情報なら結構あった。希少な虫のハントの要望や、生態を調べる仕事の要望だ。でもそれらはちゃんと何の虫かの情報が正確に載っていた。キメラアントではなかった。

 キメラアントの事件が起きれば、巨大キメラアントとか正体不明の巨大昆虫という風に情報が出るはずだからな。

 

 まあ仕方ない。情報が手に入るまでは地道にハンターサイトや他のサイトなんかを調べていくしかない。情報が見つかるまでは修行に力を入れよう。キメラアントと戦う為には地力を伸ばさなければ。

 このことは誰にも言うつもりはないから、キメラアント討伐にも私1人で行くつもりだ。どれだけのキメラアントがいるかも分からない。体力勝負になるな。走り込みと堅の持続時間を延ばす修行を重点的にしておこう。

 

 そうして私は机の上にある2つの本をふと見て溜め息を吐いた。

 昨日、早速リィーナが“失し物宅配便”を使ったんだけど……やっぱり戻って来たのは原本とリィーナの書いた写本の2冊だけだった。残り2冊……どうかゴレイヌさんが持っていたのがリィーナの書いた写本じゃありませんように……。もしそうだったらゴレイヌさんの持っていた写本はここに来たことになる。つまり残り2冊の行方は分からないままということに……。

 せめてゴレイヌさんが持っていたのが別の人が書いた写本なら、後からゴレイヌさんが持って来てくれるはず。それなら行方が分からないのは後1冊だけということになる。

 

 …………ふぅ。こればかりは祈るしかないな。

 まあ、今日は他にしなくてはならないことがあるんだ。黒の書のことを考えるのは後にしよう。

 

 

 

 

 

 

「ここが……」

「はい。ドミニクさんのお屋敷です」

 

 レオリオさんを連れてドミニクさんの屋敷までやって来た。ドミニクさんはレオリオさんにお礼を言いたいそうだし、レオリオさんもそれを拒否していない。なら紹介しても問題はないだろう。ドミニクさんには“死者への往復葉書”を渡したかったから丁度良かった。

 

 さて、突然の訪問だけど、ドミニクさんはいるかな? 電話番号とか調べてアポイントメントを取っていれば良かったんじゃないだろうか?

 ……前に母さんのお墓参りは自由にしてもいいって許可は貰えたから、私がインターホンを押しても拒否はされないだろう。……多分。

 うう、緊張してきた。前にもこんな風に緊張してた気がする。いや、なんか前以上に緊張している気がする。なんでだろう?

 

「どうしたんだアイシャ? インターホンを押さないのか?」

「え、ええ。今押します」

 

 ええい! 女は度胸だ! 当たって砕けろ!

 ……押したった。数秒待ったらインターホンから声が聞こえてきた。

 

『当家に何用で……あ、おじょ……あんたか。一体何の用だ?』

 

 今何か言おうとしてなかった?

 まあいいや。そんなことより用件を言わなければ。

 

「あの、ドミニクさんはいらっしゃいますか?」

『ああ。それで、何の用なんだ?』

「ドミニクさんが以前お会いしたいと言っていた方を私が連れてきたと伝えてもらえませんか? それで分かると思います」

『!? もしかして、隣の男がボスの命の恩人か!?』

「あ、ドミニクさんから聞いていたんですね。はい、その通りです」

『少々お待ち下さい! 只今ボスにお伺いしてきます!』

 

 おお、すごいな。レオリオさんのことを教えたらすぐに態度が変わったぞ。それだけドミニクさんを助けたことに感謝しているんだろう。

 

「これから親父さんに挨拶をするのか……くー、緊張してきたぜ」

「大丈夫ですよ。ドミニクさんはレオリオさんに深く感謝していましたから。

 レオリオさんが邪険に扱われることはありませんよ」

 

 私は別だけどね。レオリオさんを紹介して、“死者への往復葉書”を渡したら母さんに挨拶してすぐに帰ろう。私が長くいるとドミニクさんも辛いだろう……。

 

『ボスがお会いになるそうです。迎えを寄越しますので、少々お待ち下さい』

 

 受付の人がそう言ってすぐに正面玄関が開いて複数の黒服を着込んだマフィアの構成員が出てきた。

 彼らは急いで門までやって来るとリモコンを操作して開門し、一同礼をしてレオリオさんを出迎えた。

 

「お待たせしました! ご案内しますので、どうぞ中へお入りください!」

「お、おお。……すげぇなこりゃ。VIP待遇だぜ」

「それはそうですよ。レオリオさんは彼らのボスの恩人なのですから」

 

 そうしてレオリオさんと一緒に私も中へと案内される。

 心なしか私に対する警戒心が以前と比べると薄いな……。義理堅いドミニクさんだから、きっと私が幻影旅団から助け出したことを部下たちにも教えているのかもしれないな。それなら私に対する態度が軟化しているのも頷ける。

 

「こちらでボスがお待ちになっています。どうぞ中へ」

「失礼します」

「し、失礼します!」

 

 中には大きなソファーに腰掛けたドミニクさんが待っていた。

 良かった。元気そうだ。病院で見た時よりも血色がいい。食事もしっかりと摂っているようだ。痩せてこけていた頬も張りが出ている。

 

「良く来てくれた命の恩人よ。オレの名前はドミニク=コーザだ。因果な商売をしちゃいるが、これでも義理人情は捨てちゃいないつもりだ。受けた恩を忘れるような不義理な生き方をしたくはない。取り敢えず、まずは礼を言おう。命を救ってくれてありがとう。本当に助かったよ。お前が望むなら、十分な謝礼も用意しよう」

「いや、そう言ってくれるだけで十分だ、です」

「はっはっはっ。敬語は苦手か? なら堅苦しい言葉はなしでいいぞ。好きなように話してくれ。お前らも分かったな。この人がどんな言葉遣いをしようとも何もするな。オレが許したんだ。いいな!」

『はっ!』

 

 おお……! こんな機嫌の良いドミニクさんは初めて見る!

 これが本当のドミニクさんなんだろうな。私と話す時に不機嫌になるのは仕方ないから、こんなドミニクさんは新鮮だ!

 ……レオリオさんが羨ましいな。

 

「そう言ってくれると助かるぜ。えっと、謝礼に関してなんだが、遠慮しとくぜ。オレはオレが助けたいから助けたんだ。礼ならさっきの言葉だけで十分さ」

「欲がないな。今時の若者には珍しい。だがそういう所も気に入った! 名前はなんて言うんだ?」

「そう言えば自己紹介がまだだったな。そっちから名乗ってもらったのにすまん」

「なに、気にすんな」

 

 まるで友達のような会話だ。う、羨ましいなぁ。

 レオリオさんとドミニクさんが仲良くなるのはいいことだけど……何だかレオリオさんに嫉妬してしまいそうだ。

 

「では改めて……。初めましてお義父さん! 私はレオリオ=パラディナイトと申します! つきましては娘さんと長い付き合――」

「殺せ」

 

 うぉおい!? さっきまで良い雰囲気だったじゃん! どうして!? なんでそうなる!?

 

「どうした? 早くこの害虫を殺せ」

「いや、ですが、この方はボスの命の……」

「そうだったな。じゃあボコれ」

「ま、待ってくださいお義父さん! 話を――」

「やっぱり殺せ! このクソガキをぶっ殺せ!」

 

 あわわわわ! こ、このままではレオリオさんが殺されてしまう!? いや、この場にいる念能力者でレオリオさんより強い人はいないけど……。

 って! そういう問題じゃなかった! とにかくドミニクさんを落ち着かせなければ!!

 

「お、落ち着いてください父さん!」

「………………今なんてった?」

「え、あ……落ち着いてください……?」

「その後だ!」

 

 あ……そ、そうか、思わず父さんって言ってしまった……。今までドミニクさんと話す時は父さんと呼ばないようにしていたのに……。勝手にそんな呼び方をしたら怒るに決まっているから……。凄い剣幕でこっちを見てる……。やっぱり怒ってるんだ。

 

「何と言ったかと聞いてるんだ」

「と、父さんって……その、ご、ごめんなさい」

「……二度と勝手に呼ぶなよ」

 

 ふんっと鼻を鳴らしてドミニクさんはソファーに座り込んだ。

 …………あれ? もう怒ってないの? 私もそうだけど、レオリオさんに対してももう何も言わなくなった。

 

「おいドミニクさんよ! アイシャはアンタを助ける為に幻影旅団を相手に戦ったんだぜ! オレがしたことは傷の治療だけだ! アイシャがいなかったらそれも出来なかったんだ! アイシャと縁を切ったのも、アイシャが原因でのことらしいけどよ、それでももうちょっと言い方ってもんがあんだろうが!」

「ふん。何も知らん部外者が口を挟むな。これはオレとこいつの問題だ」

「んだと!」

「いいんですレオリオさん。ドミニクさんの言う通りですから」

「けどよアイシャ!」

 

 レオリオさんの気持ちは本当に嬉しい。私の為に真剣に怒ってくれているのが良く分かる。でもドミニクさんの言う通り、これは私たちの問題なんだ。そして非は全て私にある。例えドミニクさんに何と罵倒されようとも私に言い返す資格はない。

 

「ありがとうございますレオリオさん。でも、本当にいいんです」

「……分かったよ」

 

 レオリオさんは渋々だが引いてくれた。荒々しくソファーに座り込んで不機嫌そうにそっぽを向いている。もう暴れようとすることはないだろう。周りに控えている部下の人たちも冷や汗を流しながらホッとしているようだ。

 

「……」

「……」

「……」

 

 うう、沈黙が続く……。誰も話そうとしない。レオリオさんは不機嫌なままだし、ドミニクさんは私とレオリオさんを何度か見て怪訝そうにしている。空気が重たい。誰かタスケテ。

 

「……おい」

「は、はい!」

「……お前たち、本当に付き合っているのか?」

 

 え? 付き合うって……。買い物、とかじゃないよな?

 修行に付き合う……でもないよな? ど突き合う……もないか。

 じゃあ……付き合うって……やっぱりそういう意味だよな。

 

「いえ……付き合ってはいませんが……」

 

 あ、レオリオさんがすごく落ち込んでいるのが分かる。

 やっぱり男の人だから、女の人にそんな風に言われたらへこむのかな。私もそうだったろうか。……お、覚えていないなそんな昔のことは……。

 リュウショウの時は修行馬鹿だったから女の人とは修行以外での触れ合いなんて殆どないし。修行馬鹿になる前のことなんて殆どが記憶の彼方に消え去っているからなぁ……。

 

「……本当か」

「はい」

 

 でも本当のことだからハッキリと言っておこう。

 

「……そうか」

 

 ……ドミニクさんの機嫌が良くなっているな。

 わ、分からない。さっきから何が原因で機嫌が悪くなったり良くなったりしてるんだ? 修行で培った読心術はどこ行った? こういう時に役立てよ。駄目だ。経験にない心の変化だから何とも理解しがたい。

 

「さっきは悪かったなレオリオ」

「るせーよチクショウ!!」

「はっはっは。そう嘆くな。お前はオレの若い頃に似ている。きっといつかいい女に巡り会えるさ」

「そうですよ。きっとレオリオさんの良さを理解してくれる素敵な女性と出会えますよ!」

 

 私はレオリオさんの良いところを一杯知っているしね!

 ……あれ? ドミニクさんが何言ってんだコイツって顔でこっちを見てるんだけど? レオリオさんは天を仰いでいる。え? 私、何か変なこと言った?

 

「……おい、これは素か?」

「素なんだよこれが……」

「……そうか。その、なんだ。さっきは本当に悪かったなレオリオ。頑張れよ」

「ほっといてくれ……」

 

 ……ドミニクさんがレオリオさんに同情している。本当に何があったし。

 ……まあ、喧嘩するよりはいいのかな?

 

「話が逸れたな。とにかく、レオリオはオレからの礼は必要ないってことだな」

「あ、ああ。オレが勝手にした治療だ。そんなので金を貰うつもりはねぇからな」

「……そうか。ならこれ以上は無理には言わん。だが、何かあればコーザファミリーが力になると約束する。オレを恩人に恩の1つも返さない不義理な男にしてくれるなよ」

「ああ、そういうことなら1つ頼みがある」

「ん? なんだ。早速か。いいぞ、言ってみろ。出来ることなら力になってやる」

「緋の眼って知ってるか?」

 

 !? レ、レオリオさん……! この人は、本当に……!

 

「知っている。世界7大美色の1つ。クルタ族の瞳のことだな」

「それの情報が欲しい。ドミニクさんの持つコネクションで探すことは出来ないか?」

「……どうして緋の眼の情報を欲しがる?」

「ダチの為だ」

 

 ドミニクさんの緋の眼を欲しがる理由の追求に、レオリオさんは簡潔に、そして全てを籠めた一言で返した。

 ……やっぱりレオリオさんは素敵な女性と付き合えるだろう。だって、こんなにも素晴らしい人なんだから。

 

「……」

「……」

 

 レオリオさんの答えを聞いたドミニクさんがレオリオさんを凝視し続ける。

 レオリオさんはドミニクさんから視線を逸らすことなく見つめ返した。

 

「ダチの為に、か。……嘘じゃないようだな。真っ直ぐな目をしてやがる。いいだろう。深い事情は聞かないでおいてやる。緋の眼に関してはオレの持つ情報網で出来る限り調べておこう」

「ありがたいぜドミニクさん!」

「ありがとうございますドミニクさん!」

「礼には及ばん。受けた恩を返すだけだ」

 

 そういうドミニクさんは優しく微笑んでいた。

 私は一生見ることが出来ないと思っていた顔……。きっと母さんが愛した表情なんだろう……。

 ……そろそろドミニクさんに“死者への往復葉書”の話をしよう。

 

「あの……ドミニクさんに渡したい物があります」

「……なんだ?」

 

 ……これを受け取ってくれるだろうか。それとも今さらこんなものを渡されても困るだろうか。怒られるかもしれない。怒鳴られるかもしれない。でも……。

 

「これです」

「……? 葉書か?」

「はい。……グリードアイランドというゲームを知っていますか?」

「聞いたことはある。世界で1番高額で危険なゲームだとな」

「これはそこで手に入れたアイテムです。念能力者が作った特殊な葉書……。これに……亡くなった人の名前を書いて手紙をしたためておくと、次の日には名前を書いた人から返事が返ってきます……」

「何だと!? ふざけて……っ! ……いや、ミシャのことでお前がふざけることはない、か」

 

 ……前に言ったことを、信じてくれてるんだ。それだけでも嬉しい。

 

「だが、そんな葉書を信じることは出来ん! 死んだ人間から返事が来るなど……! いくら念能力と言えどあるわけがない!」

「グリードアイランドのアイテムはどれも常識では計れない効果を持つ物ばかりでした。こうしてアイテムとして用意している以上、嘘はないはずです」

 

 私だって死者から返事が来るのはおかしいと思う。

 それでは死者に意識があってずっと世界を漂っているということになるからだ。

 もしかしたら死後の世界とはそういうものかもしれないけど。

 

 私はこの葉書が死者そのものではなく、人が死んだ時に残るオーラの残留思念か何かを読み取って、それが手紙の受け答えになっているのではないかと思っている。

 人が死んだ時に強い残滓を持っていると、その想いは死者の念となって後々にも強く残っていることがままある。母さんの念獣も、私を想う心から創り出されたものだ。

 でも、そんな形に残る程の想いじゃなくても、死んだ時には何らかの残留思念がオーラとなって漂っているのかもしれない。

 それをこの葉書が書いた人の思念を読み取り、書かれた名前の死者の残留思念を見つけ出してそこから返事が来るのではないか。そう考えた。

 それは死者本人ではないけれど、思念そのものは死者のものだ。だから返ってくる返事も死者が書いたものと同じ返事となるだろう。

 ……穴だらけの推測で何の確証もない考えだけど。

 

「……今さらこんなものを渡してどういうつもりだ? これで許してほしいとでも言う気か?」

「いいえ、私がドミニクさんに許されることはないでしょう。許されて良いわけがありません……。ですが、これを……この葉書を知った時に……ドミニクさんに渡したいと……そう、思ったんです」

 

 これが慰みになると思っていない。いや、僅かな慰みになるかもという期待がないと言えば嘘になる。

 これで逆に傷付くことになるかもしれない。手紙で会話出来たとしても、母さんは帰ってこないのだから。

 これで癒されるのかもしれない。母さんの言葉を見て、母さんと再び会話出来たら、もしかしたらドミニクさんの心は癒されるのかもしれない。

 私にも分からない。理由なんて幾らでも思いつくし、どれも本当じゃないかもしれない。

 

「…………ふん。くれるもんなら貰っといてやる」

「ありがとうございます……。……どうぞ」

 

 ドミニクさんは“死者への往復葉書”を受け取ってしげしげと眺めている。

 色んな想いが複雑に絡み合っているようだ。今のドミニクさんに何を言っても話は進まないだろう。

 

「では、私たちはこれで失礼させてもらいます」

「……ああ」

「……それじゃあなドミニクさん」

「ああ。……レオリオ、何時でも来てくれ。歓迎しよう」

「そりゃありがたい。……いつか、その言葉をアイシャに言えるようになるって信じてるぜ」

「……」

 

 ドミニクさんはレオリオさんの最後の言葉に何も答えることはなかった。

 否定も、肯定もだ。……悩んでいるんだろうか。色々と整理がつかないんだろう。

 母さん……お願い、ドミニクさんの力になってあげて。

 

 

 

「レオリオさん。少しだけ寄り道をしてもいいですか?」

「ああ。どこに行くんだ?」

「……母さんの所です。……そうだ、レオリオさんも来てくれませんか?」

「オレも? いいのか?」

「はい。母さんに紹介したいんです。私の初めての友達だって」

「……ああ、いいぜ」

 

 良かった。これで断られたらへこんでいただろう。

 

 レオリオさんを連れて母さんのお墓へやってくる。

 周りにあるアイリスの花畑はまだ花は咲いていないようだ。調べてみたけど花が咲くのは5月から6月くらいらしい。今度その季節に母さんに会いに行こう。そしたら満開のアイリスが迎えてくれるだろう。

 

 母さんのお墓の前まで行く。前に来た時と変わっていない、アイリスの花を形どった美しい彫刻が掘られた白い墓石。ドミニクさんが丁寧に手入れしているんだろう。目立つ汚れはどこにもなかった。母さん、愛されているね。

 

「久しぶり母さん。今日は私の友達を連れて来たよ」

「ど、どうも。レオリオっす。アイシャさんにはいつもお世話になっていますです」

 

 ふふ、レオリオさんったら、いつもと違うから何だか少し面白いな。

 

「レオリオさんは医者を目指しているの。世界中の恵まれない人たちを助けたいっていう、立派な志を持っている優しい人だよ。ド……と、父さんもレオリオさんが救ってくれたんだ。大怪我したけど、レオリオさんのおかげでもう全然平気だから大丈夫だよ」

「いやいや、将来のおと……お友達を救っただけっす、はい」

 

 え? レオリオさんってドミニクさんと将来友達になるって分かってたの?

 もしかして予知能力者か何かだろうか? いや、ただの比喩か何かかな?

 

「私はちょっと悲しいことがあったけど……うん、母さん的にはそれで良かったのかも……」

 

 うう、お、男に、男に戻れなかったのは辛い……。でも母さんは私が女の方が嬉しいんだろうな、きっと……。だったら今だけはそれで良かったと思おう。母さんが喜ぶなら私は女と、お、女として……!

 ……うう。まだそこまで言い切れない……。

 

「レオリオさんだけじゃないよ。他にもたくさんの素敵な友達がいるから。いつか皆を紹介出来るといいな」

 

 ゴンやキルアにクラピカにミルキ。皆私には勿体無いくらいの友達だ。母さんもきっと気に入ってくれるよ。

 

「……母さん。もしかしたら、父さんが母さんに手紙を送るかもしれない。そしたら父さんに優しくしてあげてね。父さんは母さんをずっと愛しているんだから」

 

 母さんのことだから、もしドミニクさんが私を捨てたことを手紙に書いてたらすっごい怒りそうだ。捨てられたのは私のせいなんだけど、それはそれ、これはこれとか言ってドミニクさんに怒った返事を書くような気がする。

 というか絶対怒る。だって念獣の母さんが父さんに対して怒っていたし……。

 

 ――私との愛の結晶であるアイシャちゃんを捨てるなんてね。ドミニクさんとは少しオハナシしなくちゃいけないようね――

 

 なんてこと言ってたな……。母さん、怒ると怖いからな……。

 

「ほ、本当にドミニクさんは悪くないからね! 優しくしてあげてね!」

 

 大事なことなのでもう一度言っておこう。

 

「父さんに母さんのお参りを許してもらえたから、何時でも来られるようになったんだ。だから、また来るね母さん。……行きましょうレオリオさん」

「……もういいのか?」

「ええ。付き合ってくれてありがとうございますレオリオさん」

「……アイシャってよ。オレ達と話す時は遠慮してたんだな」

「え? そう、ですか? ……そんなつもりはなかったんですけど」

「オレ達と話す時とお袋さんに話し掛ける時じゃ口調が全然違ってたぜ」

 

 そうなのかな? ……そうだな。あんまり意識してなかったけど、人と話す時は出来るだけ丁寧に話していたな。

 

「えっと、私の話し方って、変でしょうか?」

「いや変じゃないけどよ。さっきお袋さんに話しかけていた時みたいに話してくれた方がオレは嬉しいぜ。なんか今のを聞いたらよ、アイシャがいつも通りの話し方をすると何だか遠くにいるような気がするしな」

 

 そういうものなのか。私はそんなつもりはないんだけどな。

 でも私にそんなつもりはなくても、レオリオさんがどう受け取るかはレオリオさん次第だもんな。

 

「……そうですね。すぐに直せるか分かりませんが、頑張ってみたいと思います」

「はは、言ってるそばから固いぜ。まあ、無理しないでゆっくり慣れていけばいいさ」

 

 うう、すぐには慣れないな。でもこれって母さんの能力でこうなったんだよな。

 母さんの能力で植えつけられた“女の子は女の子らしくしなくちゃ駄目”っていうのは私の認識が強く影響されるから。

 極端な話、私が女の子の一人称を[オレ]だと認識していれば私は[オレ]という一人称になっていただろう。

 まあ言うなれば今の私の話し方が、私の思う女の子らしさということだろう。人と話す時は丁寧に話すというのもそれが原因だろう。

 母さんと話す時は母親にはこんな話し方でも大丈夫って思ってるんだろうな。

 

 ……あれ? つまり私に対して女の子はこうだって教え込んで、それで私の認識が変わったら私の行動も変わってくるってことか?

 

 ……お、恐ろしい事実に気付いてしまった! これはリィーナとビスケには話すわけにはいかん! 話すと最後、延々と女性らしさについて教育されてしまい、体はおろか心まで完全な女になってしまうかもしれん……!

 

「どうかしたのかアイシャ?」

「い、いえ、何でもないです! さあ、そろそろ帰りましょう!」

「お、おお」

 

 レオリオさんにも気付かれるレベルで動揺していたようだ……! これは誰にも話せないな。絶対に秘密にしなければ。また墓まで持っていく秘密が出来てしまった……。

 

 

 

 

 

 

 ………………。

 あの娘が持ってきた葉書をじっと眺めてどれだけの時間が過ぎただろうか。

 死んだ人間と手紙の上だけとは言え、やり取りが出来るという葉書。

 眉唾物だ。そんな超常現象を信じられるわけがない。だが、超常現象を知っている身としては一概にそうは言い切れないのも事実。

 

 ……念能力。それを身に付けた者は超人、超能力者、仙人などと言われ常識では考えられない力を発揮することが出来る。

 オレの部下にも何人かいるし、オレ自身も何の因果か念能力に目覚めてしまった。まあ強制的にだったがな。

 世に一般的には知られていない念能力者だが、意外とその数は多い。オレが知ってるだけでも3桁近く存在する。文字通り知っている数でそれだ。知らない人間も合わせたら万は超えるだろう。

 それだけいるんだ。超人にもピンからキリまでいるに決まっている。残念ながらオレのところにいる奴はキリの方から数えた方が早いだろうがな。

 あの娘は……部下の話を聞く限りピン、つまりは念能力者の中でも常識外れのレベルらしい。幻影旅団相手に勝つってのはそういうことみたいだ。

 

 ……そんな奴がなお常識では計れないと言った効果を持つアイテム。つまりそれだけの力を持っているということだろう。

 なら、本当にこれでミシャと……! 手紙を通じて死んだミシャと話すことが出来るのか……!

 

 おっかなびっくりと筆を取り、葉書にミシャの名前を書く。

 そしてしばらく筆を持ったままじっとして……おもむろに懺悔を書き出した。

 

 生まれたばかりの娘を捨てたことを書いた。

 それを後悔したことを書いた。

 なのに再会した娘に辛く当たったことを書いた。

 その娘に命を助けられたのにまだ厳しく当たったことを書いた。

 そして後悔しても、どうしても娘を許せない自分の愚かさを書いた。

 

 最後には何を書いたのか分からなくなっていた。

 だがそれを確認することなく筆を置いた。

 

 ……何をしているんだろうなオレは。こんなことを書いても本当にミシャの返事が返ってくるわけがない。

 書いた葉書を机の中に入れる。まあいい。今の手紙はミシャへの懺悔だ。そう思うと何だか少しは気分が晴れた。あいつの持ってきた葉書も無駄ではなかったということだろう。

 

 

 

 ……もう朝か。結局眠れなかったな。昨日は色々あったからな。それも仕方ないだろう。

 今日の予定は特に何もなかったな。だったらいつも通り花畑の世話をしてゆっくりと休もう。

 

 そう考えている時、ふと昨日書いた葉書のことを思い出した。

 ……手紙を書いた次の日には返事が返ってくる……ふ、まさかな。

 そう思いつつも僅かな期待を込めて机の引き出しを開ける。そこには幾つかの書類と一緒に1枚の葉書が無造作に置かれていた。

 葉書はオレが置いた通りに雑多に置かれている。恐る恐る葉書を手に取る。葉書の表にはオレが書いたミシャの宛名が……。

 

「はぁ?」

 

 思わず妙な声が口から出た気がする。

 だが、それを気にしている場合ではなかった。

 

「あ、宛名が……」

 

 あ、宛名が変わっている!? オレは確かにミシャの名前を書いたはずだ! そんなことを忘れたり、間違えるほど耄碌はしていない! なのに……なのになんでオレの名前が宛名になっているんだ!?

 誰かにすり替えられた? そんなことはない! オレは寝てなかったんだぞ! そんなオレの隙を突いて気付かれないように部屋に入って机を開けて葉書をすり替える? 出来るわけがない!

 

 ……それにこの字、この、見覚えのある懐かしい字は……お、オレが間違えるわけがない! ミシャの、ミシャの字だ! まさか……本当にミシャからの返事が返って来たのか?

 

 オレは今なお信じられない気持ちでゆっくりと葉書を裏返す。これで、これでミシャからの返事じゃなかったらきっとオレは立ち直れないだろう。

 そう思いつつも、葉書の裏を見たいという気持ちはどんどん強まった。意を決して勢い良く裏返す!

 そしてそこに書いてあったのは――!

 

 ――私との愛の結晶である我が子を捨てるなんてね。ドミニクさんとは少しオハナシしなくちゃいけないようね――

 

「すいませんでした!!」

 

 最初のその一文を見て反射的にしたことは、東洋に伝わると言われている最上級の謝罪、DOGEZAだった。

 条件反射という奴だろう。ミシャに怒られた時を思い出す。……これは、まさか本当にミシャが書いたのか?

 

「ボス! どうしたんですか! ドアを開けますよ!?」

「な、何でもない! 少し寝ぼけていただけだ! 入ってくるな!」

「りょ、了解しました!」

 

 ふぅ。こんなところを部下に見られたらたまったもんじゃない。

 すぐにDOGEZAから体勢を直してもう一度文面を見直す。

 

 ――と、いきなり私が怒るのも筋違いね――

 ――だって、私はドミニクさんを置いて勝手に逝ってしまったんだから――

 ――ごめんなさい。辛かったでしょう? 私のせいで、貴方にも娘にも辛い想いをさせたのね――

 

 み、ミシャ……! 何を……何を言う! お前が悪いわけがない! そんなわけあるものか! 辛いのはお前の方だろう! オレと娘を残して逝ってしまったお前が1番辛いんだ!

 

 ――せめて私が死ぬ前に貴方に何かを言い遺せていたら良かったのに――

 ――そしたらきっとドミニクさんはこんなにも悩まなくても良かったはずだから――

 ――ごめんなさいドミニクさん――

 

 お前が謝ることは何1つない!

 謝るべきはオレだ……お前が命を懸けて産んだ子を捨ててしまった……!

 お前なら、例えどんなことがあっても見捨てなかっただろうに、オレはお前を失った悲しさと怒りに我を失って……!

 

 ――ドミニクさん。ドミニクさんは色々と悩んでいるみたいだけど――

 ――あの子を許せなくて悩んでいるのよね。それ自体は悲しいけど、嬉しくもあるわ――

 ――だって、それって私のことそれだけ愛してくれている証拠でしょ?――

 

 当たり前だ。オレが愛する女は生涯にただ1人、お前だけだ。他のどんな女だろうとオレの目にはどうでもよく見える。

 

 ――それに、私にドミニクさんの気持ちが理解出来るなんてことも言えないわ――

 ――だって私はドミニクさんじゃないもの。だから、許してあげてなんて勝手なこと言わないわ――

 

 ……言ってくれないのか。お前がそう言うなら、オレはきっとあいつを……。

 

 ――ドミニクさんのことだから私がそう言うとそうしちゃいそうだから言いません――

 ――自分で考えて、悩んで、それから結論を出しなさい――

 

 あ、はいすいません。

 ……か、考えが読まれている!

 流石はミシャ。オレなどでは到底かなわんな。

 

 ――でも、ずっと1人で悩んでいるのは辛いでしょうから愚痴なら聞くわ――

 ――あ、この不思議な手紙ってまだあるの? あるならもっと色々と聞きたいんだけど?――

 ――というか私が死んで何年経っているの? そもそも娘の名前は? 女の子なんだからやっぱりアイシャ?――

 ――次があるならそういうことも――

 

 ……文はそこで途切れているな。葉書の容量が足りなかったか。

 ふ、ふふ。安心しろ。この葉書は1000枚入りだ。まだ999枚残っている。

 また手紙を書くよ。今度は今回みたいな情けない手紙じゃない。もっと色んなことを書こう。

 1番最初に書くのはそうだな……。

 

 ――お前の娘は、アイシャは立派に育っているぞ――

 

 

 

 

 

 

 レオリオさんが無事センター試験に合格し、医大生となった。これでレオリオさんが医者になる為の第1歩を歩みだしたわけだ。でもこれから会う機会が少なくなると思うと寂しくなるな。

 

 まあいざとなったらレオリオさんの【瞬間飛行能力/ルーラ】で会えるけど。風間流本部道場にも目印を置いていったしね。何時でも来ようと思えば来られるわけだ。

 それでも一応はお別れになるから皆でお別れ会をした。楽しかったなぁ。皆でレオリオさんにプレゼントも贈ったけど、私だけレオリオさんからプレゼントを貰ってしまった。

 

 私だけ悪いと思ったけど……貰っておいてほしいと言われたから受け取った。

 人間関係を円滑にする幸運のお守りらしい。……ドミニクさんとの仲を考えて渡してくれたんだろう。……ずっと身に着けておこう。

 

 それはさておき、4月に入っても大型キメラアントの情報は出回っていない。

 もしかしたらこのまま何も起こらないのかもしれない。それが1番いい話だけど……。

 だが今起こらないからこの先ずっとそうだとは限らない。だから今は調べ続けるしかないだろう。

 ……それに、もう事件は始まっている可能性もある。情報が事件が起きる前に出回るわけがないのだから。

 

 代わりというわけではないが、嬉しい報せもあった。

 ゴレイヌさんが黒の書を持って来てくれたのだ。リィーナにグリードアイランドで約束していた報酬を受け取った時に私宛にリィーナが預かったようだ。

 どうやらゴレイヌさんが持っていた黒の書はリィーナが書いたものではなかったようだ。これで後1冊である。少しは気が楽になった。

 

 

 

「なあアイシャ、お前最近なにか悩みごとでもあるのか?」

「どうしたんですかキルア? 別に何も悩んでなんかいませんが?」

 

 5月が近付こうとしている中、キルアに出会い頭にそう問われた。

 キルアに勘付かれた? いや、顔には出していないはずだけど……。気を付けているようで張り詰めていたのかな?

 

「いや、最近前よりも修行の密度が濃いだろ? オレ達じゃないぜ、お前自身がだ」

 

 ……そうだな。ここ最近は今まで以上に修行に力を入れていた。

 不安なんだろう。ネテロでさえ貧者の薔薇という最悪の兵器を使わなければどうしようもなかった化け物を相手にしようと言うのだから。

 しかもその薔薇ですら殺しきれていなかったはず。私の記憶に残っている情報ではそうだった。

 

 ……勝てるか? いや、ネテロに出来なくて私に出来ることもある。内部を破壊しさえすれば生物なら致命傷を受けるはずだ。

 ネテロは強いが外部破壊の技が基本だからな。自身の攻撃力よりも勝る防御力を持つ敵を苦手とするだろう。以前の私との一戦がその証拠だ。

 逆に私は敵の防御力をある程度は無視出来る。浸透掌は内部破壊の極みだし、合気柔術には他にも単純な防御力だけでは防ぎきれない技が幾つもある。

 

 ……それでも勝てるかどうか分からないのがキメラアント。いや、その王だ。

 最もいい解決策は王が生まれる前にキメラアントの女王を倒すことだ。そうすれば他のキメラアント程度はどうとでもなるだろう。

 だが、最悪の事態というのは常に考えておかなければならない。王と直接対決する可能性も視野に入れておかねば。

 そう思うと修行に力も入ってしまう。そこをキルアに不審に思われたか。

 

「それはもう、修行に力も入りますよ。今度こそネテロをグウの音も出ないほどに倒さなきゃいけませんからね」

 

 ……また嘘を吐いている。こうして皆を騙すのは何度目だろうか。

リュウショウのこと。性転換の目的。ネテロとの関係。細かく上げるともっとあるだろう。

 ゴメンねキルア。この戦いが終わったら……そしたら皆に全部話すよ。

 あ、童貞卒業以外はね。

 

「それならいいけどよ……」

 

 キルアは鋭いからな。何か気付く前に事を終わらせたい。

 これは未来という不確定な情報を知っている私だけがすべきことだ。反則のような方法で得た不確定な情報で、今を精一杯生きる者達を巻き込むわけにはいかない。

 

 ……いや、言い訳だな。私はゴン達を巻き込みたくないだけだ。

 

 ゴン達は強い。その実力は既に1流どころと比べても遜色はないだろう。

 だがそれは基礎能力という点のみでの話だ。それはあまりに急激に強くなりすぎた弊害。そう、経験が足りないのだ。

 この1年近くという期間で言えば凄まじい経験を積んでいるが、それでも足りない。足りなさすぎる。

 

 念能力者の経験とは同じ念能力者とどれだけ戦ったかで変わってくる。

 修行だけでは積み重ねることが出来ない実戦の空気。それが彼らにはまだまだ欠けているのだ。

 

 そんな経験不足のゴン達を連れてどうにかなるレベルなら、ネテロが負けるわけがない。これはゴン達への侮辱になるだろう。私が彼らを連れて行きたくないのは、彼らを守りきる自信がないからだ。

 きっとゴン達には軽蔑されるかもしれない。だがそれでも……それでもゴン達が死んでしまうよりはいい。

 

 勝手だが、それでもいい。ただのエゴだ。ゴン達を巻き込まないのも、キメラアントを倒すのも。

 このエゴは貫き通させてもらう。悪く思うなよキメラアント。

 

 

 

 

 

 

 ……5月になってハンターサイトにある情報が上げられているのを発見した。

 

 “未確認の大型昆虫の足が発見される”

 

 それを見た私はすぐにその情報をクリックした。

 どうでもいい情報ならタダでも手に入るが、詳しい情報を得るとなるとお金が必要となってくる。だが高額を要求される代わりに精度の高い情報がいち早く手に入るのがハンターサイトだ。

 迷わずライセンスを専用のスロットに差し込み提示された金額を入金する。

 

 “ヨルビアン大陸南西の海岸にて謎の巨大昆虫の足が流れ着いているのが発見された”

 “巨大昆虫の本体は消息不明。既に死んでいるのか、それとも生きて何処かに流れ着いているのか”

 “発見された海岸付近では巨大昆虫の目撃例はない”

 “あの付近の海流は複雑に変化する為、発見された足と本体が別の海岸に流れ着いている可能性もある”

 “海流の関係から本体が流れ着いた可能性のある領域はバルサ諸島全域が含まれる”

 “巨大昆虫の目撃例がない現状、本体が生きていればミテネ連邦のNGLと東ゴルトー共和国に流れ着いた可能性が高いだろう。この2国なら情報が外に出ない”

 “現在複数組のハンターが調査に乗り出している”

 

 …………これだ。

 とうとう起きたか。ミテネ連邦、そしてNGL……。

 やっぱりNGLだったか。色々調べている内に記憶に引っかかるものを感じたからここだと大体当たりは付いていたが……。

 あらかじめNGL内に入れば……キメラアントの犠牲者が出る前に方を付けることが出来たかもしれないな……。

 ……いや、結果論だ。本当にNGLに女王が流れ着くという確信がなかった状況で先にNGLに入っていても時間を無駄にするだけだったかもしれない。

 それに、いくら武神と謳われていようと私は神様じゃない。全てを救うなんて不可能だ。

 

 ……こうしている今にもキメラアントによる被害は増えている。急がなければ。

 それだけではない。複数組のハンターが調査に乗り出しているとのことだが、彼らの実力は知らないが犠牲になる可能性が高い。

 

 しかもキメラアントは食べた生物の特徴を次の世代に引き継いでいく摂食交配という特殊な交配で次世代を増やしていくんだ。

 そのハンター達がキメラアントに捕食されたら、次世代のキメラアントは念能力のスペシャリストとして産まれてくる可能性が高い。そんなことを許すわけにはいかない。

 

 ……皆には謝らないといけないな。直接言うわけにもいかないから手紙を残そう。

 シオンには本当に申し訳ないことをするかもしれない。結婚式、間に合わないかもしれないな。でも行かなくちゃ。キメラアントは待ってはくれないんだから。

 

 ……ネテロには連絡して討伐隊を結成してもらおう。既に情報は世に出ている。私の知識のみの話ではなくなったのだ。

 それに私が王を産む前に女王を倒したとしても、残りのキメラアントを全て討伐することは難しい。うち漏らしがいればそこから被害が拡大するかもしれないからな。

 うち漏らしを討伐してもらう為にも少数精鋭で結成した討伐隊を連れてきてもらわねば。

 

 まあ、お前が着く頃には決着もつけておく。本来のお前の相手を取ってしまうけど、勘弁してくれよネテロ。

 

 

 




 次からキメラアント編に入ります。キメラアント編はもうずっとシリアス。キメラアント編でギャグは無理。初めから半端ないギャグシナリオじゃないと無理。

水霞様に描いていただいたリィーナのイラストです。オリキャラにまたも挿絵が入るとは……感無量です。


【挿絵表示】


こちらはpixivにも投稿されています。
http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=50334045


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

キメラアント編
第六十話


※キメラアント編はいつもよりダークな表現が多くなりますので苦手な方は注意してください。



 キメラアント。それは第一種隔離指定種に認定されている非常に危険な蟻である。

 摂食交配という特殊な産卵形態をとる蟻で、女王が摂食した生物の特徴を次世代に反映させることが出来る。

 より強い生物の遺伝子を取り込むことで種の保存を図ろうとするあまり、気に入った種が絶滅するまで摂食を続けることすらある。

 

 そして最も恐ろしいのが爆発的な繁殖力だ。

 女王が王を産むと、その王は巣から旅立つ。女王は巣に留まって一定周期で王を産み続ける。そして王は放浪しながら様々な生物と交配し、次世代の女王を孕ましていく。

 この連鎖を止めない限りキメラアントは増え続けるのだ。あまりに増え、あまりに多種多様な遺伝子を取り込む為、外見だけではキメラアントと判断出来ない程に変化することすらある。

 

 そんな危険な蟻だが、人間社会を脅かすような危険度ではない。

 どれだけ貪欲で獰猛な蟻だろうと、どれだけの生物の遺伝子を取り込み次世代を強化しようと、蟻は蟻だ。女王蟻の大きさは10cm程度。次世代も捕食した種の大きさに多少の影響はあれど、極端に変わることはない。摂食する種もそれに応じた大きさの生物だ。同じ昆虫類や、小さな鳥や小さな哺乳類などが精々だろう。

 

 獰猛な蟻に殺された人間という事例もあるにはあるが、それは無数の蟻によって病気などで弱って身動きが取れない者が犠牲になるくらいだ。

 健康な人間が正常な判断で動けば殺される前に逃げることくらい出来るだろう。気付いた時には数千万の蟻に囲まれていたとかならば話は別だが。

 それはキメラアントでも同じだ。多種多様なキメラアントの中には人間を殺す毒を持った蟻もいるだろうし、数が集まれば人間1人程度食い殺すことは可能だろうが、それだけだ。

 どれだけキメラアントが危険だろうと人間社会を脅かすことはないだろう。個体としての人間を屠れたとして、種としての人間に影響を与えることは出来ない。

 そう、それが普通のキメラアントへの認識だ。いや、認識ですらない。蟻が人を脅かすなどと考える人がどれだけいるのか。

 

 ……だが、その蟻が、キメラアントの女王が、体長2mを超える常識では考えられない大きさだったならばどうだろうか?

 前述した通り、キメラアントは摂食した生物の遺伝子を取り込み次世代に引き継ぐ。この時産まれてくる次世代はキメラアント内での常識的な大きさだ。

 つまり女王の体長である10cmを超える次世代はそうはいない。いても精々数cm大きい程度だ。

 

 では女王の体長が2mならば? 女王が2mでも次世代は10cm程度か?

 否。次世代も女王の大きさに応じた大きさで産まれてくるに決まっている。

 そして体長2mを超えるキメラアントの女王は、人間を捕食することが出来るだろうか?

 出来る。出来てしまうのだ。平均的な人間の大きさを凌駕する肉食の虫が、動物は捕食して人間は捕食しない等という都合の良い話があるわけがない。

 

 普通に考えれば2mを超えるキメラアント等IFの話だろう。空想上の生物だ。

 だが、それは実在していた。キメラアントと同じ性質を持った蟻が、体長2m以上という驚異的な大きさで存在しているのだ。

 

 それは暗黒大陸からやって来た外来種だった。

 何故暗黒大陸にいた種が、内側の、人が支配する領域へとやって来たのかは分からない。

 だがそんなことは問題ではない。問題なのは、人を捕食する程の大きさのキメラアントが、内側の世界に、それもよりにもよってNGL内に流れ着いてしまったということだった。

 

 ネオグリーンライフ。通称NGL。それは機械文明を全て捨てて自然の中で生活しようという団体。

 その理念に則って国内には一切の機械類が存在しないと言われている。外部からの機械の持ち込みも完全に制限されており、国境付近にある検問所では国内に入る者に厳しい検査を行っている。

 もし意図的に文明の利器を国内に持ち込んだ場合極刑を受けることすらある。NGLではそれ程まで徹底して機械文明を排除していたのだ。

 

 自治国での通信手段は主に手紙、交通手段は主に馬という時代の流れを遡っているその国は、全てを自然のままにという理念で活動している。

 以前NGL内で強力な伝染病が蔓延したことがあったが、それすら“自然のままに”と受け入れ、国際医師団の入国を拒否していた。

 伝染病が凶悪な生物からの被害に変わっても同じだ。例え何が起ころうとも外部に頼ることはないだろう。それは外部へと情報が流れるのが非常に遅いということでもあった。

 

 そんな国に巨大キメラアントの女王は流れ着いてしまったのだ。

 巨大キメラアントが巣を作り、周囲の人間を襲い捕食し続けようとも、NGLに生きる人々はそれを脅威と思いつつも、自然の流れとして受け入れ外の国に助けを求めない。

 女王が流れ着いた場所がNGLのような鎖国的な国ではなかったなら、もっと早くに巨大キメラアントの情報が世界中に広まっていただろう。

 NGLだからこそ情報が出回ることがなかった。そして気付き始めた時にはもう遅かった。既に女王は悠々と巨大な巣を作り、人間や様々な生物を捕食し続け多くの次世代を産み出していたのだ。

 

 しかも女王は人間を非常に好んでいた。女王にとって人間は味・質ともに最高の餌であり、その為既に大量の人間がキメラアントによって捕食されている。

 それはキメラアントの次世代に人間の特徴を反映した蟻が産まれているということだ。

 そう、人間に取って最大の武器、その最たる特徴は知恵。2m大の蟻が人間と同等の知恵を持つ。これは最早恐怖以外の何ものでもない。

 

 人間が世界に繁栄したのは他のどの生物よりも知恵が優れていたからだ。

 強靭な肉体も、鋭い爪も牙も、尻尾や針といった特殊な武器の何1つもない人間は、身体能力という点では動物の中で下から数えた方が早いだろう。

 だが、それを覆すのが知恵だ。知恵という他の何にも勝る武器で人は様々な敵を打ち破ってきた。

 

 その知恵を、人間よりも遥かに強大な種であるキメラアントが手にする。

 ライオンのような強靭な肉体を持つキメラアントが。鳥のように空を飛ぶキメラアントが。様々な昆虫の特徴を強く受け継いだキメラアントが。

 それら人間よりも遥かに強大な肉体を持ったキメラアント達が人間と同じように考えて行動するようになるのだ。

 もし巨大キメラアントに王が生まれてしまえば、その数を爆発的に増やすことになるだろう。それは人間が種としても劣ることを意味する。

 数で利するしかない相手に、その数でも差がなくなってしまえば……。

 

 そうなれば人類の滅亡は冗談の一言では済ませられない現実的な物となる。個としてのポテンシャルで圧倒的に劣り、種としても劣り、数でも差がないとなれば人類に勝ち目はないだろう。

 あまりに増えすぎれば核兵器や貧者の薔薇と呼ばれる極悪な爆弾を使用したとしても駆除しきれなくなり、逆に人間にもそれら兵器の影響が拡散して大きな被害を被ることになるだろう。

 最悪、キメラアントによってそれらの兵器を奪われるという事態に陥るかもしれない。この未来はこのままキメラアントが増え続ければ現実のものとなる可能性は大いに含んでいる。

 

 もしそんな未来が訪れたら、キメラアントは人類の新たな厄災の1つとして挙げられることになるかもしれない。

 その未来に、まだ人類が存在していたらの話だが。

 

 

 

 

 

 

「皆! アイシャの部屋に来て!」

 

 早朝に響き渡るゴンの大声。

 それは食卓にいたキルア達を急かすには十分な程に切迫した思いが込められていた。

 

「どうしたゴン!?」

「アイシャに何かあったのか!?」

 

 朝食の時間が過ぎても何時まで経っても食卓にやって来ないアイシャを呼びに行ったゴン。そのゴンからこのような呼び出しがあればアイシャに何かあったと考えるのは至極当然だろう。

 そしてそれは的中していた。

 

「アイシャが何処にもいないんだ!」

「いないってお前……どっか出掛けてるとか、たまたま部屋にいないだけじゃないのか? その、朝シャンしてるとか、と、トイレとか……」

「兄貴が何を妄想してんのかはともかく、言ってることには賛成だぜ」

「ああ、私もそう思うぞ」

 

 アイシャが部屋にいない。別にそれは不思議なことではないだろう。ミルキの言うように部屋から出ているだけ。そう思うのが正しい考えだ。

 朝食に遅れているのも何かしらの理由があるだけだ。その内何事もなかったように普通に現れるだろう。

 キルアもクラピカもミルキもそう思っていた。……次のゴンの言葉を聞くまでは。

 

「オレも部屋に入ってアイシャがいなかった時はそう思ったよ。でもこれ見てよ」

「これって……な!? アイシャのパソコンが!?」

「……完全にブッ壊れているな」

「どういうことだ? 一体何があった?」

「後これ。机の上にあった手紙なんだけど……」

 

 ゴンはそう言って1枚の手紙をキルア達に見えるように広げる。

 キルア達が手紙を覗き込む。そこにはこう書かれていた。

 

 “しばらく留守にします。数週間は帰って来ることが出来ないかもしれません。何も言わず出ていくことを許してください。あと、シオンさんの結婚式には参加できないかもしれません。本当にごめんなさいシオンさん”

 

「……何だよこれ?」

「文面の通りだとすると、数週間は何かをする為に出掛けたことになるな」

「それだけなら別に問題はない。問題は、オレ達にも秘密にしていたことと、パソコンが不自然に壊れていることだ」

「うん、絶対に変だよね。だから皆を呼んだんだけど……何か分かる?」

 

 ゴンの問いかけに全員が考え込む。

 最近のアイシャの行動、態度、そういったアイシャに関するあらゆる情報を思いだして答えを導き出そうとする。

 ゴンは直感はともかく、物事を深く考えて理知的に答えを導き出すのが苦手だ。なのでそれが得意な彼らを頼ったのだ。まあ、ゴンはたまに殆ど考えずに答えを出すこともあるのだが。短所とも長所とも言えるゴンの特徴だった。

 

「……リィーナさん達がいないのは関係あるのか?」

「リィーナ殿とビスケがいないのはシオンを連れて天空闘技場にいるウイングに会いに行っているからだな。それならアイシャが秘密にする程のことではないと思うが?」

 

 そう、リィーナとビスケはシオンを連れてウイングに会いに行っていた。

 結婚とまでなれば色々と話し合うこともあるのだ。リィーナは孤児であるシオンの後見人として付き添ったのだ。

 ちなみにビスケはウイングをからかいに行っただけである。

 

「そうだな。しかもシオンの結婚式にも参加出来ないかもしれないと書いてある。あのアイシャが知り合いの結婚式への参加をすっぽかす程だ。よほどの何かがある」

「誰かに連れ去られたってのは?」

「……アレをか? 連れ去る? オレ達に気付かれないように? 音も気配も立てず? ……それってどうやるんだ?」

「…………悪い。考えつかないな」

 

 アイシャを無理矢理連れ去る。操作系で操ることが出来ないアイシャを連れ去るには力ずく以外に方法はない。

 だがこの風間流本部道場で寝食している念能力者全てに気付かれないようにアイシャを倒して連れ去る。

 どんな実力者ならばそんなことが可能なのか。この場の誰にも見当はつかなかった。

 

「ケータイは?」

「ちょっと待て……駄目だ、電源を切っているな」

「探知出来ないの?」

「無理だ。電話に出てくれればその場所を調べることも出来るけど、そもそもそういった設備がない」

「パソコンが壊れているのは何でだ?」

「……アイシャが自分で出て行ったのなら、これを壊したのはアイシャか、アイシャがいなくなった後に誰かが壊したことになる」

「後者は考えにくいな。理由がなさすぎる」

「つまりこのパソコンはアイシャが壊したと考えた方が自然だ」

「それはパソコンを壊すことに意味があったということになるな」

「調べられるとアイシャにとって不利益になる何かが残っていた……」

「つまり……現在のアイシャの目的、あるいは目的地などの情報というのが妥当な線だろう」

「それだけオレ達に知られたくない、関わらせたくない何かにアイシャは関わっているわけだな」

 

 次々と情報を整理してアイシャの行動を推理していくキルア達。

 ゴンはそれを聞いてアイシャの想いを感じ取る。

 

「……きっと危険な何かだ。オレ達が関わったら死ぬかもしれない程の……。そうじゃなきゃ、オレ達に秘密にして勝手に行くアイシャじゃないから」

「……オレ達じゃ足手纏いだってことかよ」

「だが事実だ」

 

 ゴンの言葉にキルアが激高しかけるが、クラピカは冷徹に事実と断ずる。

 

「そうだな。オレ達が束になって掛かってもアイシャを倒すことはおろか、傷1つ付けることも出来なかった」

「……分かってるよ、んなことは」

 

 キルアだって理解している。アイシャと己の歴然とした実力の差を。

 いかに【神速/カンムル】にて圧倒的な速度を手に入れたとしても、それを覆す力をアイシャは持っている。

 圧倒的な初動すら見切る先読み。オーラ技術は大人と子ども以上の差がある。オーラ量に至っては、例えキルアが1000回攻撃を叩き込んでも無傷である程の差が両者にはあった。

 

「我々では足手纏いだから置いていった。つまり、アイシャじゃないとどうしようもない何かが起きている可能性が高いということだな……」

 

 クラピカの言葉に全員が息をのむ。それはゴン達には想像もつかないことだった。

 彼らにとってアイシャとは絶対の力だ。彼らの知る誰よりもアイシャは強かった。常識外れと言ってもいい。

 ゴンにとってヒソカよりも強く、キルアとミルキにとって家族の誰よりも強く、クラピカにとって幻影旅団よりも強い。

 そう思わせる力を持つアイシャ。そのアイシャが動かないとどうしようもない何かが世界の何処かで起きている。

 その何かを想像出来る者はこの場にはいなかった。

 

「少なくともオレ達を守りきる自信がないと判断するくらいには危険な事件が起きてるのか」

「そんな大事件ならニュースで流れているんじゃないかな?」

「いや、ここ最近のニュースでそんな情報は流れていないと思うが……」

「一応調べてみようぜ。もしかしたら今日のニュースで初めて流れていたのかもしれない」

「オレはアイシャのパソコンを調べてみる。もしかしたらデータを復元出来るかもしれないからな」

 

 そうして各々がそれぞれのやり方でそれらしい情報を調べた。

 だが、ニュースにも新聞にも、そして壊れたパソコンのデータの中にもそれに該当するような情報は出て来なかった。

 

「……駄目か。ニュースでやってんのはいつもと大して変わんないもんだぜ」

「パソコンも駄目だ。データが消されているとかなら復元も出来るが、物理的に壊されている。これじゃ復元は無理だ」

「念入りなことだな」

 

 有力な情報が手に入らないまま誰もが頭を抱えている。

 そんな時に、ゴンがある一言を呟いた。

 

「……キメラアント」

「……なんだって?」

「キメラアント? それは確か第一種隔離指定種に認定されている蟻のことだな」

「オレも知ってる。見たことはないけど変わった蟻らしいな。だがそれがどうかしたのかゴン?」

 

 いきなりのゴンの発言に誰もが疑問に思う。

 一体どうしてこの状況でそんな蟻の話が出てくるのかと。

 

「うん。前にレオリオから聞いたんだけど。グリードアイランドにいた時にさ、レオリオが受験の為に外の世界に戻った時があったよね」

「ああ、それがどうしたんだ?」

「その時にレオリオがアイシャに頼まれたんだって。キメラアントについて何か事件が起きていないか調べてほしいって」

『!?』

 

 何故アイシャがキメラアントについて調べてほしかったのか。それもグリードアイランドにいる時期にだ。別に外に出た時に自分で調べればいいだけの話だろう。

 キメラアントによる事件など、そんなこと普通は考えつかないし、調べようとも思わない。別に緊急の話ではないのだから。

 だからこそ怪しい。このキメラアントにこそアイシャ失踪の鍵があるのではないかと誰もが考えた。

 

「すぐに調べるぞ」

「オレのパソコンで調べよう。アイシャのと同じスペックだ。アイシャのパソコンに出来てオレのパソコンに出来ないことはない」

「……お前、たまに発想がストーカーのそれになるよな?」

「何でだよ!」

 

 想い人と同じ物を共有したいという考え自体はまだ微笑ましいかもしれないが、度が行き過ぎると危険ではある。

 まだミルキはそこまでのレベルには至ってはいないようだ。彼が道を踏み外さないことを兄弟として祈るキルアだった。

 

 

 

「……キメラアントで調べてみても特に何もないな」

「普通にキメラアントの生態とかの情報だったり、過去に起きたキメラアントによるある種の絶滅とか、あんまり意味のない情報ばかりだぜ」

「ハンターサイトで調べようよ。ニュースになってないんだし、普通に調べても分からないかも」

「そうだな。オレもそうしようと思っていた。ライセンスを手に入れて良かったのはハンターサイトが利用出来ることだな」

「兄貴ならハンターサイトにも忍び込めるんじゃないの?」

「馬鹿言うな。そりゃ出来なくはないけど、バレる可能性がめっちゃあるぞ。ハッカーハンターなんて電子世界専門のハンターもいるくらいだぜ?」

 

 軽口を叩きながらもミルキは素早い動作でパソコンを操り情報を探る。

 そして見つけた。ハンターサイトにて、謎の巨大昆虫の足が見つかるという情報を。

 

「……! これか?」

「アルビオン大陸南の海岸にて謎の巨大昆虫の足が流れ着いているのが発見された……か」

「これとキメラアントとどういう関係があるんだよ。キメラアントは精々が体長10cmなんだろ?」

「これ……足の画像……すごく大きいよ。多分1m、ううんそれより大きい」

 

 ミルキが入金したおかげでヨークシンで調べられた謎の巨大昆虫の足の画像も見ることが出来た。

 それは明らかに既存の昆虫とは一線を画す巨大さ。足の節から計算して、優に2mは超えると推測される程のだ。

 

「おい、ちょっと待てよ。キメラアントってあの摂食交配の蟻だろ?」

「……そうだ。摂食した生物の特徴を次世代に反映させるという特殊な産卵形態だ」

「こいつ、この大きさ……人間も食えるぞ」

「人間を食べるキメラアント……それって」

 

 ゴンの危惧は正しい。それは未曾有のバイオハザードに発展する恐れがある大事件だ。

 昆虫の大きさを逸脱しないキメラアントだからこそ脅威とみなされないだけだ。それが根本から覆されてしまっているのだ。

 まだこの巨大昆虫がキメラアントだと確定は出来ないが、もしそうならば下手すればこの世界は蟻によって支配されるようになる危険性を孕んでいた。

 

「この足が発見されたのは……おい、まだ発見されてひと月くらいしか経ってないぞ」

「どういうことだよ? アイシャがレオリオにキメラアントの情報を調べてほしいと頼んだのは去年の12月のことだろ?」

「……アイシャは巨大キメラアントのことを足が流れ着く前に知っていたのか?」

「それって……未来を知っていたってこと?」

 

 そんな馬鹿な。だが、そう言い切れない何かがあった。

 巨大キメラアント。アイシャが動くには十分な大事件、しかも謎の巨大昆虫が発覚する前からキメラアントについて気にしていた。

 これらがゴンの意見を馬鹿に出来ないものとしていた。

 

「……いや、確かに可能性はある。前に聞いた時は眉唾物かと思っていたけど、マフィアの念能力者の中に予知能力者がいるって噂があった」

「予知能力者……可能とするのは特質系だな。有り得ない話ではない」

「アイシャは流星街出身だし、父親もマフィアだ。ヨークシンで未来の情報を聞いたってのはあるかもしれないな」

 

 なまじ頭の回転が早く理知的な為、推理が間違った方向へと進んでいた。

 だが、1番納得の行く推理とも言えるだろう。実はこの世界を漫画にしたものが別の世界にあってそこからキメラアントのことを知っていました、などと推理出来たら逆に頭がおかしい。

 

「じゃあアイシャがキメラアントのところに行ったんなら、オレ達も早く行こうよ!」

 

 ゴンが憤っていた。足手纏い扱いされたことに、子供扱いされたことに、そして何よりそう思われる程度の実力しかない自身に憤っていた。

 行ってもアイシャの邪魔になるかもしれない。でも、このまま待つこともゴンには出来そうになかった。

 

「行くっつっても、何処にアイシャはいるんだよ?」

「だから巨大キメラアントの所に――」

「――で、その巨大キメラアントは何処にいるんだ?」

「……あ」

 

 興奮して空回っていたようだ。キルアに指摘されてようやくそれに気が付いたゴン。

 

「ミルキさん、何か情報ない……?」

「待ってろ今調べてる……あった、これだ」

 

 ミルキが入手した情報ではNGLと東ゴルトー共和国に流れ着いた可能性が高いとのことだ。もっとも、キメラアントの女王が生きていたらの話だが。

 この2国ならば例え生きた女王が流れ着いたとしても外に情報が漏れることが非常に少ないのだ。2国とも鎖国状態と言っても過言ではない国だからだ。

 

「この2つなら……NGLだな」

「何で? 東ゴルトーの可能性もあるんだろ?」

 

 クラピカの確信めいたその選択にキルアが疑問を挟む。

 

「東ゴルトーは閉鎖的な国ではあるが、上層部は諸外国と一応の繋がりがある。未曾有の危機に陥った場合、これまでの政策や諸外国への対応など気にせず恥知らずに救援を求める可能性もあるだろう」

 

 クラピカが持ち前の知識による推理を働かせる。

 

「だがNGLは違う。あそこは機械文明を捨てて自然と共に生きるという理念を持っている。国内で何が起こってもそれを自然の理と言って享受するだろう。故に東ゴルトーよりも情報が外に漏れる確率が非常に少ない。さらにこの国には黒い話が付き纏っている」

「黒い話って?」

「表向きは自然保護を訴えるエコ団体だが、その実態は巨大な麻薬制作元という話だ。自然保護や機械文明脱却を訴えているが、それは麻薬を隠すためのお題目という奴だな。国民の殆どは末端の構成員で、その事実を知らずに過ごしている。ほんの僅かな上層部のみが裏で全てを牛耳っている。なのでNGLがキメラアントの被害に遭ったとしても情報を外に出すわけがない。末端の殆どは理念に則ってその災厄を自然の理と享受し、上層部は裏の顔を表沙汰にするわけにはいかないので諸外国に助けを求めることも出来ない」

 

 クラピカの説明からキメラアントが流れ着いたのはNGLが最も可能性として高いと誰もが納得した。

 念の為ミルキがNGLへ行く為の船の確認をしている。ハッキングによって乗客名簿を調べているのだ。

 

「……あったぞ。アイシャの名前だ。行き先はミテネ連邦にあるロカリオ共和国。NGLの隣国だな。NGLに直接行くことは出来ないから、ここからNGLへと入国するつもりだろう。クラピカの考えは間違っていないだろうな、アイシャの行き先はNGLだ」

「……急ごう」

「ああ、アイシャがここを出たのが深夜だとしたら、もう半日以上経っている。早くしないと追いつけない」

「今ロカリオ共和国へ行く為の最速便を調べている。……良し、船のチケットも発行したぞ」

「こういう時は兄貴が1番頼りになるぜ」

「一言余計なんだよお前は」

 

 軽口を言い合いながらもこの兄弟は既に信頼し合っていた。かつての関係とはもう別物と言えるだろう。キルアにとって本当に気の許せる家族などアルカくらいのものだったのだが、今はそこにミルキも加わろうとしていた。

 

「……最後の確認だ。今回の事件に関わることは恐らく命懸けだろう。下手すればアイシャの足手纏いになりかねん。……それでも行くんだな?」

「うん! 絶対にオレ達を置いていったアイシャに一言文句言ってやる!」

「足手纏いになる? そんなのやってみないと分からないだろうがよ!」

「危機に陥った姫を助けるナイト。そんな夢みたいなシチュエーションを味わえるかもしれないんだぜ? ここで引くわけないだろ!」

「ふ、馬鹿な奴らだ」

「お前もだろクラピカ?」

「違いない」

 

 全員が笑い合う。だが、誰もが命の危険があると理解していた。そればかりかアイシャの足を引っ張ってしまう可能性も理解の範疇にあった。

 だがそれでもゴン達はアイシャを追いかけることを決意した。

 その判断がアイシャを救うのか、それとも窮地に陥れるのか……それはまだ誰にも分からない。

 

 

 

 

 

 

 ロカリオ共和国に到着したゴン達は国境に近いドーリ市でNGLに行く為の交通便を探していた。

 NGLは隣国であるロカリオ共和国とも国交がなく、その為定期的な交通便など有りはしなかった。

 だが、だからと言ってNGLの国境までが完全に封鎖されているわけではない。少なくはあるが、NGLに入りたいという者もいることは確かだし、NGLとしても完全に交流を閉ざしているわけではない。

 故に定期便はなくとも頼めばNGLの国境付近まで旅客を運んでくれる運送屋は少ないがあった。運送屋としては金さえ払ってくれればいいだけの話だ。別に運送屋がNGL内まで入るわけではないのだから。

 まあ、1日で10組近い客を乗せてNGLの国境まで案内したのは運送屋としても初めての経験だったが。

 

「すまない。ここならNGLの検問所まで運んでくれるとのことだが」

「ああ、あんた達もかい? 珍しいねぇ。あんなトコに何が有るって言うんだか」

 

 運送屋の運転手を務める男はまた同じような客が来たと不思議そうに肩を竦める。NGLへ行きたいという客など1年に数える程しかないのだ。それが1日で10組以上も客が来れば不思議に思っても仕方ないことだろう。

 

「今日だけで10組目だよ。いや、11組目か。たった今も同じ用件の客を乗せて出発しようとしてたところだ。相乗りでいいなら乗れるけど、どうする? もちろん金は1人ずつ払ってもらうよ」

「相乗りでも構わない、頼む」

「まいど。まあその前に相乗りOKか確認してくるよ」

 

 そう言って男は一度トラックへと移動していった。あのトラックにその先客とやらが既に乗っているのだろう。

 男の話からこれまでにも自分たち以外に9組のハンターがNGL内に入っているのだろうとゴン達は予測する。

 少ない情報を元にNGLに巨大昆虫が流れ着いたと判断した者達だ。相乗りすることになった先客も恐らく同業のハンターである可能性が高いだろう。

 だが、今日NGLを訪れたハンター達のどれだけが巨大昆虫をキメラアントだと理解しているのだろうか?

 それを理解せず、また実力も足りないハンターでは犠牲が増えるだけだろうとゴン達は危惧する。

 

「相乗りOKだそうだ。良かったな」

「そうか。……そう言えば、今日乗せた客の中にアイシャという女性はいなかったか?」

「女性も何人かはいたけど、どの客も名前までは聞いてないよ」

「黒髪長髪の女性だ。見た目は10代後半くらいだな」

「ああ、それならいたよ。まあその客があんたの知ってる人と同じかまでは知らないけど」

 

 それだけ聞ければゴン達には十分だった。

 元々目撃例がなくてもNGLまで入って調べるつもりだったんだ。アイシャと思わしき目撃例があれば尚更だ。

 

「それじゃ出発するとこだったからあそこのトラックの後ろにすぐに乗ってくれ。頼むから先客と諍いを起こさないでくれよ。何かあっても責任は取れないし、備品が壊れたら弁償はしてもらうぜ」

「分かった。こちらが相乗りさせてもらう立場だ。気を付けよう」

「……どんな連中かな?」

「十中八九ハンターだろうけど、実力や人柄は会ってみない限りには分からないな」

「強くていい人ならいいんだけど」

 

 ゴン達が若干の期待と不安を籠めてトラックに乗り込む。

 

「失礼する。今回は急な相乗りを承諾してもらい感謝する」

 

 そうしてクラピカが先にトラックの荷台へと乗り込み先客へと礼の言葉を掛ける。

 そこに乗っていたのは複数人の男女だ。だがその中でクラピカはたった1人の男にのみ注視した。その男もまたクラピカを見極めるように注視している。そして互いに思ったことは同じだった。

 

 ――強いな――

 

「いや、構わないさ。どうせお互い同じ目的のようだしな」

「そのようだな。同乗者があなたのような実力者で安心したよ」

「それはお互い様だ。オレの名前はカイト。あんたは?」

「私は――」

「――カイト!? いまカイトって! ……! やっぱりカイトだ!」

 

 自己紹介を返そうとしたクラピカに割って入ってゴンがトラックに飛び込んで来た。

 クラピカはゴンのその行動に驚くが、それよりもカイトという男がゴンに対して驚いていた。

 

「ゴン? ゴンかお前!? おー、でっかくなったな。というかお前、こんなところで再会するなんてな……驚いたぞ」

「それはオレもだよ! カイトとこんなところで出会えるなんて!」

「……ゴンの知り合いなのか?」

「らしいな。オレも話に聞いたことがあるくらいだけど」

「おい、積もる話は乗ってからにしようぜ。こうしてる間にもアイシャは先に進んでるんだぜ」

「あ、そうだった」

「おーい! もう出発しても大丈夫かー!?」

「こちらは大丈夫だ! そっちは?」

「私たちもこれで全員だ。大丈夫だ! 出発してくれ!」

 

 そうしてゴン達を乗せたトラックはNGLに向けて出発した。

 思いがけぬ人物と共に。

 

 

 

 

 

 

「――というわけなんだ」

「……なるほどな」

 

 久しぶりの再会を果たしたゴンとカイトはそれぞれの仲間たちを紹介してこれまでの経緯を説明し合った。

 

 カイトはカキン国の依頼であった生物調査が終了した後に、ヨークシンのサザンピースに持ち込まれた巨大昆虫の足について知る機会が出来たのだ。

 そこから様々な情報を調べ上げていく内に、巨大昆虫の正体がキメラアントの女王である確率が高いことと、NGLにその女王が流れ着いている可能性があると踏んでこうして調査に来ているわけだ。

 

「その女性、アイシャと言ったか。迂闊だな。キメラアントと分かっていたならば1人で来るべきではなかった」

「そ、それは……」

 

 いくらアイシャの実力を知っているゴンと言えども、カイトのその言葉には反論することは出来なかった。

 それが正論だからだ。巨大キメラアントという存在の危険性を正しく認識するなら1人で討伐に行くべきではない。

 例えどれほどの実力を有していようと、予想外の出来事は起こり得るものだ。それが未知の存在が相手ならば尚更だ。

 

「それ言うならカイトだって1人で来てるじゃん。あんたの仲間には悪いけど、この中で強いのはカイト1人だろ?」

 

 そう、キルアの言うことも事実だ。カイトとチームを組んでいるメンバーは調査が主であり、戦闘に関してはからっきしである。念能力を使える者もこの中ではカイトのみだった。

 

「オレだってそれくらい弁えているさ。オレ1人だったらキメラアントの存在と危険性を確認したら戻って報告するつもりだったが……」

 

 そう、カイトとてキルアの言っていることは理解している。

 自分がそれなりに強いことも分かっているが、キメラアントの危険性や規模によっては1人では太刀打ち出来ない可能性が高いだろうと。

 なので1人だけでNGL内を調査して、キメラアントの有無とその危険性を確認したらそれをハンター協会へと報告するだけに留まるつもりだった。

 

「つもりだった、ということは今はそうではないということだな」

「ああ。お前たちが一緒なら話は別だ。どうやら全員かなりのレベルのようだしな。上手く行けば王が産まれる前に女王に辿り着けるかもしれない」

 

 カイトはゴン達を見てその実力の一端を理解したのだ。

 それはカイトの予想以上の実力だった。これなら予定を変更してキメラアントの中核まで攻め込んでも大丈夫だろうと思わせるくらいに。

 

 そしてそれはゴン達も同じだった。

 ゴンは念能力者になってからカイトと再会したことで、以前には分からなかったカイトの実力を肌で感じ取る。

 キルアやクラピカにミルキも同じだ。念能力者としての年季はそれぞれ己よりも上だとすぐに理解していた。

 

「じゃあ今回はオレ達でチームを組むとしよう。アイシャの助けになるには強い奴は多い方がいい」

「異議なし」

「私もだ」

「オレも」

「そっちからそう言ってくれると助かる」

 

 ミルキの提案は当然のように賛成された。

 時間がなかった上に、危険なことに巻き込むことが出来ないから風間流の誰も連れてくることはなかったが、仲間は多い方がいいに決まっている。

 カイトもその提案自体を喜んでいた。だが、そこにミルキがカイトに対して1つ忠告をした。

 

「それよりも、あんたは自分が感じている危険を1段か2段は上げといた方がいいぜ」

「カイトでいい。……お前たちは今回のキメラアントの一件についてどれだけ知っているんだ?」

「それについてはカイトと然して変わらないと思うぜ」

「? だったら何故?」

 

 カイトと然して変わらない情報量ならば、その危険性もカイトと同レベルの認識になるだろう。

 一体何処に違いがあるというのか? それが分からないカイトの問い掛けに、ミルキではなくゴンが答えた。

 

「アイシャがオレ達を置いて行ったのは、オレ達が一緒だと危険だと判断したからだと思う」

「……ああ、それで?」

 

 ゴンのその言葉だけでは危険度の認識を高める理由としては弱いだろう。

 それくらいならカイトだって理解している。体長2mを超え、人間すら食べる恐れがある巨大キメラアントだ。その危険度は推して知るべしだ。

 疑問が深まるカイトに今度はキルアがさらに困惑する説明をした。

 

「カイトはオレ達全員を同時に相手して勝てると思う?」

「……まだお前たちの実力を詳しく把握してないから何とも言えないが、難しいだろうな。1人ならともかく、2人以上となると勝ち目が薄くなるだろう」

 

 カイトは自身でも1級の実力者だと自負している。そうでなければ危険極まりないキメラアントの巣窟と予測されるNGLを1人で調査しよう等とは思わない。

 他にそんなことを考えるのはこのNGLの危険性を認識していないか、自身の実力を勘違いしている愚か者のどちらかだろう。

 そのカイトですら今のゴン達相手に真っ向からぶつかってまともに勝てるとは思えなかった。1人ならまだ勝てるかもしれない。だが複数が相手となれば……。そう思わせる実力をゴン達から感じていた。

 

「そうか。1対1なら勝てるってのは悔しいが今回はその強さを期待しておくぜ。話を戻すが…………アイシャはオレ達と、オレ達と同等、そしてそれ以上の念能力者を含めた11人を同時に相手して無傷で勝つ実力者だ」

「……は?」

 

 カイトはミルキのその言葉を聞いて、その言葉の意味を良く理解して、自分の脳がイカレてないか何度か再確認する。

 

「いや、流石にそれは……」

「ついでに言うならアイシャと戦った11人の念能力者の内、1人は風間流の現最高責任者だ」

「あと、ネテロ会長と引き分けた実績もあるな」

「お互いに自分の負けって言ってたね」

「幻影旅団も殆どアイシャ1人で壊滅させたんだろ?」

 

 ゴン達の口から次々と出てくる情報を信じられない思いで聞いているカイト。これが真実ならばそのアイシャとはどんな化け物なんだ、と。すでにカイトの中でアイシャが人間の姿で想像出来なくなっていた。

 

「もう分かっただろ? そんなアイシャがオレ達を置いて行ったんだ。危険だから。守れないかもしれないからってな。まあこの辺りの理由はオレ達の想像だけど、大して間違っちゃいないだろうな」

「……なるほどな。分かった、正直理解しきれん所もあるが、想像よりも更に危険だと心しておこう」

 

 カイトもゴン達の話を信じていないわけではないが、アイシャという人物を見たことも聞いたこともない現状では鵜呑みにすることも出来ない。

 だが、ゴン達の話しぶりから今回の事件についての認識を改める必要があるという判断には達したようだ。

 

 

 

「着いたぞ。あれがNGLの検問所兼大使館だ。そんじゃな。こんな辺鄙なトコに来る機会がまたあるなら利用してくれ」

 

 NGLの国境付近まで運送してくれた男はそう言い残してドーリ市まで帰っていった。

 トラックから降りたゴン達の目の前には大きな川を跨ぐように繋がっている2本の大木があった。この大木をくり貫いて作った道を利用して検問としているのだ。つまりこの木の中を通って川を超えればそこはもうNGLということである。

 

 検問所に入ったゴン達を待ち受けていたのは厳重な検査だった。

 まだ国境間際にある検問所はNGL国内ではないので、そこには大量の機械が設置されており、その機械で徹底的に入国者の身体調査をするのだ。

 全てはNGL国内に文明の利器を入れない為に。

 

 金属類はもちろん、身に着けている物に石油製品ガラス製品化学繊維等が含まれていると天然素材の衣服へと着替えなければならない。

 体内に異物が埋め込まれているかどうかも様々な専用機器で調べられる。

 そうして厳しい審査を乗り越えられた者だけがNGLへの入国を許可されるのだ。

 

 結局入国出来たのは5人だけだった。

 入国出来なかった者達はカイトのチームメンバーの6人。その内2人は入国条件を満たしてはいたが、ゴン達からの情報により予想以上にキメラアントの危険性が高い可能性があると踏んで入国を取りやめておいたのだ。

 彼らはカイトに2週間経っても連絡がない場合はハンター協会に緊急連絡をするように頼まれて、ドーリ市で待機することになった。

 

「お疲れさま。どうぞお通りください。NGLへようこそ!!」

 

 検問所の所員の歓迎を受け、NGL自治国に新たなハンター5人が足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

 巨大キメラアントの存在が一部の人間たちに発覚される前に、既にキメラアントの女王はNGL内で巣を築き上げていた。

 幾度か移動を繰り返し、気に入った土地を見つけた女王は大量の建築蟻を産み出して凄まじい速さで居城を建城したのだ。

 そこで女王は王を産む準備に取り掛かっていた。大量の人間を摂食し、その栄養を全て胎内にいる王に注ぐのだ。

 

 それだけではない。王が産まれるまで、王を産むために最も重要な自身を護らせる為に自らの忠実な兵たちを強化しようと試みた。

 

 “師団長ども集まれ”

 

 女王から師団長――キメラアントの階級の1つ。王と王直属護衛隊を除き、女王に次いで階級が高い――をキメラアント特有の信号で呼び付ける。

 女王が王を産むために作られた一室にて横たわりながら集まった師団長達に命令を下す。

 

 “これより私は王を産む準備に専念する!!”

 

 女王の命令は1日に50体の人間を餌として自身に届けよというものだ。

 王を産む時期になると女王の食欲は増してくると言われているが、この大きさのキメラアントになるとその食欲も相応のものになっていた。

 このままキメラアントにとって順調に事が進めば、一体どれだけの人間が犠牲になるのか……。

 

 そして、女王の命令はそれだけではなかった。

 

 “もう1つ。人間どもの中に稀に生命エネルギーに満ち溢れた者が混じっているのを知っているな”

 

 女王は餌である肉団子――元が何であるかは言うまでもない――を食べた時にその違いを何度も味わっていた。

 明らかに通常の肉団子と比べて味が上質で生命エネルギーに満ちている肉が時折混ざっているのだ。

 部下に確認したところ、そう言った存在を見かけたこともあるらしい。部下たちはレアモノと言っていたが。

 

 とにかく、その存在を女王は欲していた。そのレアモノは餌として最高級のご馳走だからだ。

 だが部下からそのレアモノはそこらの餌よりもよっぽど手強いとの報告があった。それはやはり生命エネルギーに満ちていることが原因だろう。

 そして女王は考えた。人間に出来ることならば我々にも出来るのでは、と。

 

 女王は心の何処かで自身に薄くはあるが人間の血が流れているのではと思っていた。

 さらに思考が出来、知恵があり、強靭な肉体がある。人間などよりも優れた存在であるキメラアントだ。

 ならば人間に出来ることが出来ないわけがない。そう結論付けるのに大した時間は掛からなかった。

 

 だが、どのようにしてあのような生命エネルギーに溢れた存在に成ることが出来るかまでは女王には分からなかった。

 そんな女王にその生命エネルギーについて詳しく進言した師団長がいた。その師団長曰く、その生命エネルギーは念能力と呼ばれる物だ、と。

 

 【念能力】。それこそがレアモノと呼ばれる人間が扱う未知のエネルギー。

 それ自体は生物全てが持つエネルギーではあるが、扱うとなればそれなりの知識と技術が必要だ。

 つまり知恵なき生物ではまともに扱うのは無理だということだ。例えそこらの下等動物が念能力に目覚めたとしても、人間ほど念を操ることは出来ないだろう。

 

 “この者を見よ”

 

 だが、キメラアントはどうだろうか?

 もちろんただのキメラアントでは念能力を操るなど出来るわけがない。一般的な蟻と違えど、所詮は蟻に過ぎないのだから。

 しかし人間の特徴を反映させて産まれてきたキメラアントなら話は別だ。

 そう、人間最大の武器……知恵を身に付けたキメラアントならば、念能力を身に付けることも可能だということ!

 そしてその証拠を、女王の前に立つ1匹の師団長が見せつけた。

 

『おお……!』

 

 数多の師団長の前で1匹の師団長がその身にオーラを纏う。

 それをゆっくりとだが自在に動かして、その場の師団長たちを驚かせた。

 

 女王は人間を好んで摂食するようになったため、産まれてくる次世代キメラアントも人間の特徴を反映して産まれてくる。

 その次世代の中には元となった人間の記憶を全てではないが継承して産まれてくる者もいたのだ。

 記憶の継承には個人差があり、前世の名前を覚えている者もいれば、全く何も覚えていない者もいる。

 その中に、前世が念能力者であったキメラアントがいたのだ。彼は師団長として新たに産まれ、人間を捕獲している内にレアモノに出会った。

 その時に自身も念能力者だったことを思い出したのだ。そして一度思い出せば念能力を再び身に付けるのは簡単だった。

 

 “この力をお前たちも覚えよ。そして更なる上質な餌を私に献上するのだ”

 “はは!”

 

 そうして念能力を覚えた師団長による授与式――念の洗礼――を全ての師団長と兵隊長が受けることとなった。

 初めに念を覚えた師団長は、元となった生前の人間がたまたま念能力者であった為にキメラアントとして産まれ変わってもすぐに念を覚え直すことが出来た。

 だがそんなキメラアントは極少数だ。大多数のキメラアントの元はただの人間だ。そもそも記憶を継承していない者もいる。

 師団長クラスになると多くの者が記憶を多少ではあるが継承しているが、そこから階級が下がるごとに記憶の継承は少なくなっていく。戦闘兵や雑務兵――師団長や兵隊長の世話係の蟻――となると殆ど覚えていないだろう。

 

 とにかく、生前念能力者ではないキメラアントが大多数を占める為、念能力を覚えるのに最も手っ取り早い方法をキメラアント達は選んでいた。

 それが念の洗礼である。

 

 念に目覚めていない体に念による強力な攻撃を与えることで全身にある精孔を無理矢理こじ開けるという危険な方法だ。

 上手く行けば一瞬で念能力に目覚めることが出来るが、下手すれば死ぬ可能性もあるだろう。

 この洗礼で幾多のキメラアントが使い物にならなくなるだろうが、元々強靭な肉体を持つキメラアントだ。人間よりも生き残って念に目覚める確率は高いと言えた。

 

 そしてそれは当たっていた。全ての師団長は洗礼を乗り越え、兵隊長も半数以上が洗礼を乗り越えることが出来た。

 それは人間を超えるポテンシャルを持つ存在が、更なる力を手に入れた瞬間でもあった。

 

 ――ふふふ。これで我が兵は更なる力を手に入れた――

 

 女王は部下から送られた信号により洗礼の結果を知り内心でほくそ笑む。種全体を強化することは王を強化することに繋がるからだ。自身も部下から聞いた念の本来の目覚め方を実践しつつ、胎内で育ちつつある王を思って確固たる予感を覚える。

 

 ――我が王よ。其方は必ずやこの世界の頂点に立つ!!――

 

 




 原作と違い、師団長の中に念能力者がいたのは捕食されたNGLの裏の連中に念能力者がいたからです。まあ原作でもいたかもしれないけど。

 ここら辺から原作でも細かな日数経過が曖昧。なので当ssでもちょっと日数の進みは適当です。NGL入国後にカイト達がキメラアント探索に掛けた日数とか良く分からないのです……。NGL自体が地図で見た限り北海道よりは大きいと思うんですよね。で、キメラアントと遭遇したのが大体国の中央よりもやや西側。カイトが入国した国境は真東のはず。流石に1日以上は掛かっていると思うけど、そういう描写が少なすぎて分かんない(´;ω;`)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十一話

 ゴン達はNGL入国後、海岸線を沿って西へ西へと移動していた。キメラアントの女王がNGLにいるとしたらどこかの海岸に流れ着いたはずだ。なので海岸沿いを探しながら移動すればキメラアントの痕跡が見つかる可能性が高いというわけだ。それはNGLに侵入したハンターなら誰もが考えつくだろう。つまりアイシャを追うにもこれが最適ということになる。

 

 そうしてゴン達は長距離移動の為にレンタルされている馬を人数分借りて移動している最中だった。

 機械文明を捨てて自然と共に生きることを理念に掲げているはずだが、レンタル料はジェニーで支払えるようであった。親切なのかもしれないが、建前を即効で崩しているように感じたゴン達であった。

 ちなみにレンタル料は馬1頭が1日1万2千ジェニー。馬に何かあった時の賠償金は1頭500万ジェニーである。

 

「なあ」

「どうした」

 

 移動中、キルアがカイトに問い掛ける。

 

「馬じゃ遅すぎるよ。こんなんじゃ何時まで経ってもアイシャに追いつけない。オレ達で走って行こうぜ」

 

 キルアの不満は移動速度が遅すぎることだった。

 馬が走る速度は一般人から見れば走って追いつくなど考えられないが、逸般人であるキルア達なら追いつくどころか軽く追い越すことが可能だ。

 しかも持久力でも馬を上回っていると来ている。この世界で鍛え上げた人間とは常識を何処かへ投げ捨てているのだ。

 

「それはやめておけ。確かに馬じゃ遅いが、体力の温存にはなる。まだ何処にキメラアントがいるかも分かっていないんだ。闇雲に走って体力を失えば、そのアイシャとやらを助けるどころか自分が窮地に陥るぞ」

「……そうだな。分かったよ」

 

 カイトの答えは正論だった。アイシャもキメラアントも、進む先に都合良くいるとは限らないのだ。

 全力で移動すれば馬の数倍どころの速度ではないレベルで走ることが出来るが、ゴールも見えずに走ると疲労どころか徒労に終わりかねない。今は手掛かりを見つけるまでは馬で移動した方がいいだろうという正論はキルアも理解出来た。

 いや、最初から分かってはいた。だが、アイシャが危機に陥っているかもしれないという焦りがキルアから正常な判断を奪っていたのだ。

 

「大丈夫だよキルア。アイシャは強い! だからキメラアントがどんなに凄くても、きっと無事でいるよ!」

 

 ゴンのアイシャを信じる強い眼差しがキルアを射抜く。それはキルアの不安を打ち消す程の力を秘めていた。

 

「……そうだな。もしかしたらオレ達が追いついた時にはキメラアントなんてもう全部倒してるかもな」

「ははは。アイシャならありそうだ。幻影旅団の時も似たようなものだったな」

「幻影旅団って親父でも面倒な相手だって言ってたんだけどなー。つくづくアイシャの強さはヤバイな」

 

 クラピカもミルキもキルアの軽口に合わせて軽口を叩く。仲間同士で話している内に、誰しも内に秘めていた緊張や焦りが取れているようだった。

 それを見てカイトは安堵する。どうやら心配するほどでもなかったようだ、と。

 

 ――しかしそのアイシャとやら、話を聞く限り本当に人間なのかと疑うな――

 

 ジンという破天荒な師を持つカイトも、ゴン達から得た情報だけではアイシャを計り切ることが出来ないでいた。

 情報の全てが正しいとすれば、戦闘力という一点のみならばアイシャはジンを超えているのでは? そう思うと流石に全ての話を鵜呑みにすることは出来ないでいた。

 ゴンとキルアがまだ見た目年若いというのも原因だろう。尊敬する仲間を過剰に評価している節があるのでは、そうカイトが思っても仕方ないとも言える。

 カイトが全く聞いたことのない人物だというのもあるだろう。この世界、名の知られていない実力者は多いが、圧倒的な力の持ち主は逆に名が知られやすい。

 ジンに匹敵する実力者なら、それなりの情報網を持つ自身が情報の欠片もないというのは考えにくいのだ。まあ、偽名という線はあるが。

 これでカイトがアイシャの実年齢が14歳だと知ったら完全にゴン達の言うことを話半分以下に聞いていただろう。

 

 そうして馬で移動している内に、1つ目の集落へと一行は辿り着いた。

 

 

 

「こちらが国境から1番近い海岸沿いにある集落になります」

 

 ゴン達一行に付いて来たガイド兼交渉役――特殊言語地区や未開部族との交渉役――の2人に案内されて集落の中へと入る。

 ガイドというが、ていのいい監視役である。ゴン達もそれを馬鹿正直に信じてはいなかった。もしゴン達がNGLにとって何かしら不利益になる行動をしたり、理念にそぐわない物を見せたらガイドから密告屋に早変わりするだろう。

 

「さて、何か情報の1つでもあればいいのだが……」

 

 そう言うカイトだが、流石に1つ目の集落でキメラアントの情報が手に入るとは思ってもいなかった。

 この付近の海岸に女王が流されていたら、この集落からは人がいなくなっているだろうからだ。まあ、流れ着いた女王がただの死骸だったならば話は別だが。

 だが集落からは人の気配が多くあった。それも普通に暮らす人々の気配である。決してキメラアントに襲われたとは思えないだろう。

 女王が生きていると仮定するなら、この集落では大した情報は手に入らないということである。

 

「すまない、少し話を聞きたいのだが――」

 

 だがそれでも情報収集を怠ることはない。何もない、と断定して先へ進むのは愚か者のすることだ。情報は正確に、精密に調べておくに越したことはない。しかもここはNGL。外の国の人間からすると何があるか分からない国だ。細かく調べておいて損はないだろう。

 

 まあ、キメラアントについての情報は一切なかったのだが。

 だがそれ以外の情報なら見つかった。そう、アイシャの情報だ。

 

 

 

「こいつらか?」

「そうだよ。綺麗なお嬢さんがしばらく預かってほしいって言って置いて行ったんだ」

 

 カイト達が村人に案内されて入ったのは集落にある何の変哲もない小屋だ。そこには4人の男性が横になって寝かされていた。それぞれ完全に意識を失っているらしく、外傷はないようだが目覚める気配はなかった。

 

「駄目だな。気付けしてみたが起きる気配はない。完全に気絶してるな。やったのは相当な腕前だぞ」

「アイシャだね」

「アイシャだな」

「アイシャだろう」

「アイシャ以外ないな」

「なんだその意味分からん確信は?」

 

 ゴン達のアイシャに対する若干間違った信頼に汗をかくカイトであった。

 

 とにかく、彼らが気絶しているのはゴン達によるとアイシャの仕業であるらしい。

 村人から話を聞くとどうにもこの4人はゴン達と同じように外から来た外来人のようだ。彼らがここに来て行った質問もゴン達と似たようなもので、その目的も恐らく同じだろう。つまりは彼らもハンターだということだ。アマかプロかは別としてだ。

 

 そんな彼らはこの集落で何の収穫も得られないと分かると、新たな集落へと移動しようとしていたそうだ。

 そこにある女性がやって来たそうだ。その女性は彼らに対してこう言った。

 

 ――あなた達ではこれ以上先に進むのは危険です――

 

 4人はそれはもう怒ったそうだ。明らかに歳下の女性に大の男が4人揃ってそんな風に言われれば癇にさわるのも当然だろう。

 女性は色々と説明したが、彼らは聞く耳を持たなかったそうだ。激昂した4人は女性を無視して先に進もうとした。

 だがその女性は4人を瞬く間に気絶させ、この集落の人たちに世話を頼み、自分も情報収集をしてから去っていった。

 

「きっとアイシャが彼らを守る為に気絶させたんだと思う」

「だろうな。こいつらじゃどうしようもないんだろ。オレ達でさえ置いてかれたんだぜ?」

「彼らも念能力者だろう。彼らがキメラアントに捕食されてしまえば脅威は増すばかりだ」

「キメラアントの危険度を知らないんだろうな。まあ、オレだって完全には理解出来ていないから仕方ないっちゃ仕方ないけどな」

「……やはり気になるのはその女性、アイシャとやらだな。どうにも彼女はキメラアントの危険度を詳しく知っていそうだ。彼女も直接見たわけではないはずだが……」

 

 カイトの意見にはゴン達も同意だった。

 確かに以前は予知能力者から情報を得たのでは、と思っていたが、それにしてもアイシャの行動が徹底している気がするのだ。

 もっと詳しくキメラアントが起こすであろう危機を理解しているような、そんな気がしてきたゴン達であった。

 

 集落を後にし、ゴン達は更に西へと移動していく。アイシャと思わしき――ゴン達は確信しているが――人物も海岸線に沿って西に向かったとの情報も得られた。

 行き先が同じなら出来るだけ早く移動したい。だがやはりキメラアントの巣が何処にあるか分からない今、無闇に体力を消耗するのは避けたい。ゴン達の目的はアイシャを助けることだが、同時にキメラアントについても留意しなければならないのだから。例えアイシャの移動方向が判明したところで、アイシャがどこで移動先を変えるか分からない現状では馬での移動を捨てるわけには行かないのだ。

 

 そうして1日が移動と情報収集に費やされた。

 最初の1日の成果は然程ない。アイシャの足取りをそのまま追っているだけのようだ。

 

 

 

 2日目の捜索が始まる。

 水分や食料は道中の村々で手に入れることが出来た。

 そして新たな成果はすぐに見つかった。

 

「おい! 前から誰か来てるぞ!」

 

 先頭に立つカイトが前方からカイト達に向かって、つまり東の国境を目指して移動する5人組を発見した。

 

「はぁっ! はぁっ! お、おお……は、ハンターか!?」

「お、お前たちも、あの、化け物を調べに来たのか!?」

 

 5人は馬もなく、自力でここまで走って来たようだ。

 かなり体力を消耗しており、そしてそれ以上に精神が削られているようだった。

 

「化け物? キメラアントを見たのか!?」

「ふぅ、ふぅ……き、キメラアント? あれが? あ、あんなでかい、キメラアントがいるのかよ……」

「……いや、た、確かに……今、考えるとキメラアントと言われたら……納得するぜ」

 

 どうやら彼らはキメラアントを発見した、もしくは遭遇したハンターのようだった。ここまで走って来たのもそのキメラアントから必死で逃げて来た為だろうとカイトは予想した。

 

「何処だ? 何処でキメラアントを見た!?」

「ま、待て!? まさかあの化け物の所へ行こうってんじゃないだろうな!」

「やめておけ! 死ぬのがオチだ! オレ達は戻ってハンター協会に報告するつもりだ! そしたら討伐隊が組まれるはずだ! それに任せるしかない!」

「悪いが、オレ達もやらなきゃならないことがあるんでな。場所を教えてくれると助かる」

 

 カイトの、いや、ゴン達全員の覚悟を決めたその顔を見て、ハンターの1人は諦めたように呟いた。

 

「……ここからあの山に向かって行けばいい……クソッ! どいつもこいつも死にたがりかよ!」

 

 どいつもこいつも。それはカイト達以外にも死にたがりと彼らが称する相手がいたことを意味する。そこにゴン達は反応した。

 

「おい! あんた等もしかして黒髪の女を見なかったか!?」

「……ああ、見た」

「何処で見たの! 教えて!」

 

 キルアとゴンが1人の男に詰め寄って問い詰める。

 さらにクラピカとミルキも黒髪の女性を見たと言った男を逃がさないよう取り囲んだ。

 

「わ、分かった、教えるからそんなに凄むな!」

「黒髪の女を見たのは……お、オレ達がそのキメラアントに襲われた場所でだ……」

 

 ゴン達の問い詰めに答えたのは別の男だった。

 彼はキメラアントに襲われた時のことを思い出したのか、体を震わせ顔は蒼白になっていた。

 

「オレ達があの化け物の住処を調べている時、気配が漏れたのか、匂いか何かでバレたのか……。とにかく、化け物に襲撃されちまった。何匹かは倒したが、倒した数以上に囲まれてもう終わりだと思った時にその女が現れた……」

「凄かったよ……オレ達が苦戦してようやく倒したキメラアントを、あの女はあっという間に……」

「倒し終わった後はオレ達に帰るように言ってまた別の場所へと立ち去っていったんだ……。言われた通りにすぐに逃げて来たよ。誰が好んであんな化け物の巣窟に行くかよ……」

 

 代わる代わるに説明をする彼らの話を聞き終えてゴン達はまたも確信する。

 

「アイシャだね」

「アイシャだな」

「アイシャだろう」

「アイシャ以外ないな」

「お前ら……」

 

 4人のアイシャに対する信頼はともかく、有力な情報を聞けたカイトは馬での移動を放棄することを考える。

 

「ここからあの山へ向かって行けばいいんだな?」

「ああ……オレ達は出来るだけ早く戻ってハンター協会に連絡する。

 ……死ぬなよ。もしあの女性に生きて会えたら、オレ達が感謝してたと伝えてくれ」

 

「ああ。任せておけ。あんた達はあんた達に出来ることを頼む」

「……すまない」

 

 そう言い残して5人組のチームは国境へ向けて移動を再開した。

 それを見送ってすぐにカイトは交渉役へと話しかける。

 

「通訳さん、悪いが先を急ぐ」

「はい。もう少しスピードを上げても馬は大丈夫ですよ」

「それじゃ遅すぎる」

 

 カイトは、いやゴン達全員がすでに馬から降りていた。

 

「行くぞ。ついてこれなきゃ置いていくぞ?」

「こっちの台詞だね」

「準備OK!」

「問題はないな」

「早く行くぞ」

 

 それぞれが既に準備は整っていた。目的は見つけたのだ。後は一刻も早く辿り着くのみだ。

 そうしてゴン達は交渉役も馬も置き去りにして走り出した。いや、残された彼らからすれば音すら置き去りにせんばかりの速度だったが。

 交渉役が唖然としている間に、既にゴン達の姿は地平の彼方へと消えて見えなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 ゴン達がNGLに入国した時間から遡ることおよそ半日。アイシャは既にNGL内に入国していた。

 道中見かけたアイシャと同じ目的のハンター達を説得し、それが叶わなければ力尽くででも気絶させて無駄な犠牲を減らしつつ、アイシャは確実にキメラアントの巣へと近付いていた。

 

 そしてアイシャはあるものを見つけた。

 

「……これは」

 

 それは巨大な岸壁にたくさんの穴をくり貫いて作られた巣のような何か。

 事前に調べた情報でキメラアントの作る巣とは建築方法が違うので、キメラアントとは関係ないと判断するが、一応調べておこうとアイシャは中に入り込む。

 それに感じたのだ。そう、ここに生物がいる気配を。

 

 穴の奥へと入っていくアイシャが見たものは、NGLには不釣り合いの機械で埋め尽くされた工場だった。

 床や壁にはキメラアントが襲ってきた時に抵抗した痕がいくつもあった。血痕やちぎれた衣服、それにマシンガンや弾痕等もだ。

 これのどこが機械文明を捨てて自然と共に生きる理念なのだろうかとアイシャは呆れ返る。

 

 そう、所詮NGLの掲げる理念はお題目に過ぎない。実態は巨大な麻薬工場なのだから。もっとも、暮らしている国民でそれを知っているのは本当に極一部の裏の人間だけであり、何も知らずに麻薬の原材料を育てている国民も多く存在している。

 

 そんなNGLの実態をまざまざと見せつけられたアイシャは、この真っ黒極まりない国に溜め息を吐きながらもキメラアントを探して前へ進む。

 確かにNGLの上層部は最悪だが、普通に暮らす人々に罪はないのだ。こうしてNGLの麻薬工場がキメラアントに潰された今、新たな麻薬が作られることもないだろう。まあ、ここが唯一の麻薬工場ならばの話だが。

 

 そうして気配を辿り工場内を進んでいくと、前方から複数の気配がアイシャに向かって近付いて来た。

 その気配から人間ではない別の生物だと判断するアイシャ。恐らくキメラアントだろう。いや、同時に人間の気配もする。

 キメラアントと人間が行動を共にしている? それを怪訝に思うが、もしかしたら話が通じる相手なのかと僅かな期待も寄せるアイシャ。

 だがそのアイシャの期待は次の瞬間には砕かれることとなった。

 

「何だお前? オレの縄張りに勝手に入り込みやがって」

 

 薄暗い穴の奥から現れたのは1体のキメラアントと“2匹”の人だった。

 そう、2匹だ。彼らは人でありながら人間として扱われていなかった。

 4本足の巨大な体躯を誇るキメラアントによって裸を晒され首輪を付けられ犬の散歩をするように四つん這いで移動させられている。それは人が犬に対して行う行為だ。いや、それ以下だろう。このキメラアントにとって人間とは玩具に過ぎないのだから。

 

「……その人たちを解放してはくれませんか?」

「ん~? 何を馬鹿なことを言ってるんだ? こいつ等はオレの犬だ。それなのにどうして解放しなくちゃいけないんだ?」

 

 ――ああ、これは無理だ――

 

 アイシャはこのキメラアントを見て話し合いという平和的な解決方法を放棄した。

 分かったのだ。その目を見て、表情を見て、オーラを見て。このキメラアントが根本的に人間とは違うと。話し合いなど土台無理なのだと理解してしまったのだ。少なくともこのキメラアントに関しては間違いない判断だとアイシャは感じ取った。

 

「た、たすけ……たすけてっ」

「うるせーぞポ――」

 

 4本足のキメラアントはアイシャに対して助けを乞う自分のペットを踏み殺そうと足を振り上げた。だが、その足が振り下ろされることはなかった。

 

「――あ?」

 

 キメラアントが気付いた時には足の関節がおかしな方向へと曲がっていた。大地に向かっていた足の蹄が、何故か己の顔へと向いているのだ。

 そして、そのことに気付いた次の瞬間には世界が逆さまになっていた。

 

「がぎぃっ!?」

 

 鎖を持っていた左腕は関節ごと捩じ切れ、何時の間にか空中で逆さになっていたキメラアントはそのまま大地に叩きつけられ意識を失うことになる。

 

「な!?」

「貴様!?」

 

 4本足のキメラアントがやって来た穴の両隣にある別の穴から2体のキメラアントが現れた。元々この2体でアイシャを捕らえて新たなペットにするつもりだったのだが、アイシャに先手を取られてしまったようだ。

 仲間をやられて激昂した2体は同時にアイシャへと攻撃を仕掛けてきた。

 

「食らえ! 千手拳!」

「蚊蚊蚊! 死になさい!」

 

 百足の血でも混ざっているのか、16本の腕を持つキメラアントが全ての拳でアイシャを殴りつける。

 もう1体は蚊を元にしているのか、アイシャに向かって口元から鋭い口吻を突き出した。

 

 アイシャは体捌きにより腕の多いキメラアントの左側に移動する。これにより16本の攻撃を避けると同時に蚊のキメラアントの口吻から身を隠す。

 そして腕を振るったキメラアントの体を僅かに押して重心を崩し反転させた。空中で逆さまになったそのキメラアントを隣にいるキメラアントに勢い良くぶつけ、その勢いのまま壁へと叩き付けた。

 

「ぐぎゃ!」

「おおぅ!?」

 

 そうして僅かな時間だがキメラアントが無力化している間にペット扱いされていた2人の男性に向かって声を掛ける。

 

「今の内に逃げなさい」

「あ、ああ! ありがとうございますぅぅ!」

「ああああぁぁあ!」

 

 2人はまともな精神が残っていないのか、涙や涎など様々な体液をまき散らしながら声を荒げてその場から離れていく。

 だが、よほど過酷な環境にいたのか、体はボロボロで早く走ることが出来ないようだ。それだけではない。アイシャは2人の表情から何かしらの薬でも打たれている可能性も読み取った。これではまともに動くことなど出来ないだろう。恐らくこのままではこの2人は人間の生活圏に到達する前に力尽きるか、別のキメラアントに見つかって餌となるのがオチであった。

 

「この……糞女がぁ!」

 

 そうして逃げ惑う2人をどうしたものかとアイシャが悩んでいる内に、最初に気絶させた4本足のキメラアントが起き上がった。

 玩具や餌くらいの感覚でしかない人間にいいようにやられたことで怒り狂っている様子が見て取れる。更には壁に叩き付けた2体のキメラアントも体勢を立て直してアイシャを睨みつけている。最早一触即発だろう。

 だが、アイシャはそのキメラアントに交渉を試みた。

 

「引いてくれませんか?」

「ああ゛っ!?」

「あなた達が人間に危害を加えずに、ここでひっそりと暮らすと約束してくれれば、私はこれ以上何もしません」

 

 例え、この言葉に賛同したとしてもこのキメラアント達が生き方を改めることはないだろうとアイシャも分かっていた。

 それでも、それでも一縷の望みを懸けて交渉してみたかったのだ。

 

「巫山戯るなよ! 貴様ら人間はオレ達の欲を満たす為の道具なんだよ!! 下等動物風情が付け上がるな!! ……決めたぜ。貴様は殺さずにずっと飼い続けてやる。殺してくれって頼まれても殺してやらねぇ!! 裸にひん剥いて! 薬を打って! 自分が何だったのか分からなくなるまで飼い続けてやる!」

 

 そう、例え無駄だと分かっていても、だ……。

 

「そうですか……残念だ」

「そう! 貴様の残念な残りの人生を――」

 

 話しながらアイシャに向かって残った3本の足で駆け出そうとしたキメラアントだが、その途中で大地に倒れることとなる。無事だった左前足の関節が大地を強く踏みしめた瞬間に外れたのだ。

 それはアイシャがこのキメラアントを投げ飛ばした時に念の為に関節が外れやすくなるように仕掛けていた為だ。

 大地を強く踏み付けたら、そう、例えば敵を攻撃する為に突進でもしようものならその衝撃で簡単に関節が外れるようにしていたのだ。

 

 急にバランスを崩して大地へと転げたそのキメラアントに対してアイシャがその隙を見逃すはずもなく、その頭部にそっと手を添えて浸透掌を放った。

 浸透掌。繰り出した掌底の衝撃にオーラを乗せて体内にオーラの衝撃を叩き込むことで内部破壊をする奥義。

 掌底とともにオーラを放たなくてもオーラを内部に流し込むことは出来るが、この浸透掌は掌底の振動を強化することで少量のオーラで多大な効果を生み出しているのだ。

 その分難易度が上がるが、長期戦に置いて最小限のオーラの消耗ですませたい現状では最適の技である。

 

 4本足のキメラアントは何で転倒したのかも理解出来ないまま永遠に意識を失った。

 浸透掌を受けた脳は完全に破壊されていた。腹部に受けたら内臓がやられるのだ。頭部に受けたら脳がやられるのは当然だ。

 そして脳が破壊されて無事でいられる生物というのはまずいないだろう。まさに一撃必殺だ。それゆえに、今の今まで頭部への浸透掌は動物以外には試したことはなかったアイシャだったが……。

 

「……」

 

 初めて知恵のある生き物を殺したアイシャ。ここに来るまでに倒したキメラアントは巨大であったが全て喋ることも出来ない者達だった。こうして会話が出来る生物を殺したのはこれが初めてだったのだ。

 その衝撃は小さくなく、アイシャの精神を苛んだ。だが、その衝撃が収まるのを敵が待ってくれるはずもなかった。

 

「貴様ぁーー! よくもユンジュを!」

「もうペットなどどうでもいい! 死になさい小娘!」

 

 どうやら4本足のキメラアントはユンジュという名前のようだ。

 今さらどうでもいい情報だが、アイシャにとっては忘れがたい名前になるかもしれないだろう。

 

「死にたくなければ……仲間を殺されて怒るなら……」

 

 アイシャは激昂した2体の攻撃を柳葉揺らしによって躱す。

 アイシャを見失った2体はキョロキョロと周りを見渡すが、独特の歩法で動くアイシャの姿を捉えきることが出来ないでいた。

 そうして2体の内の1体、16本の腕を持つキメラアントの死角へと回り込んだアイシャは背部から心臓を破壊するように浸透掌を放った。

 

「……初めからこんなことをしなければ良かったのだ」

「あ、ああ……」

 

 心臓が破壊され倒れ伏した仲間を見て、今さらながらアイシャに対して怯えを感じた蚊のキメラアント。

 アイシャはここまでほぼ絶の状態で戦っていた。体から生命エネルギーであるオーラを発していないその人間を、完全に雑魚と侮っていたキメラアント達。

 だが蓋を開けてみるとそんな雑魚に2人の仲間が殺られてしまった。しかも1人は自分よりも強い師団長だ。

 

 自分よりも小さな目の前の人間が、今では巨大な何かに見えてくる。そこにあるのは圧倒的な実力差だ。

 念を覚え、最早敵などいないという万能感に浸っていた少し前の自分が愚かしいとさえ感じていた。

 

「……ふ、ふふ」

「?」

 

 恐怖に怯え震えていた残りの1体が突然笑い出したことにアイシャが怪訝に思う。

 

「仕方ないわね。私の方が弱かっただけのこと……。でも、黙って殺されるつもりもないわ!」

 

 そう言って覚悟を決めてアイシャへと襲いかかるキメラアント。

 実力差を理解して、負けると分かってなお立ち向かうその覚悟に、アイシャは敵ながら見事と内心褒め称えた。

 

「蚊っ!」

 

 口元から伸びる鋭い口吻でアイシャを貫こうとするキメラアント。

 それを躱したアイシャだが、それくらいはキメラアントも予測済みだった。

 本命である尻尾にある毒針をしならせてアイシャの死角である背中へと突き刺そうとする。

 

 だが、戦闘に置いて相手の意を読むことに掛けてアイシャの右に出るものは片手で数えられる程だろう。

 柳葉揺らしにて本命の針も躱したアイシャはキメラアントの死角に回り込む……振りをした。後ろを取られると思いすぐに振り返ったキメラアントは、その実殆ど真正面から来ていたアイシャに逆に死角を提供してしまうこととなる。

 

 そうして蚊のキメラアントの後頭部に掌底を当て、オーラを流し込んだ。

 痛みを感じる間もなく脳を破壊され死んだキメラアント。それがアイシャのせめてもの情けだった。

 

「……すまない」

 

 殺した敵に謝るアイシャ。それが自分への慰みにしかならないことも理解している。

 だが、意図的に相手を死に至らしめた経験が今回が初めてのアイシャは、そうでもしないと心が潰されてしまいそうだったのだ。

 

 

 

 数分の間、その場でじっとしていたアイシャは思い出したかのように動き出した。

 こうして何時までも後悔に苛まれているわけにはいかないのだ。事は一刻を争うのだから。

 

 死んだキメラアントを置いてその場から離れようとするアイシャ。

 だが、そのアイシャに奇襲を仕掛けた者がいた。

 

 ――死ね!――

 

 それは心臓を破壊されたはずの大量の腕を持つキメラアントだった。

 キメラアントは元が蟻故に、虫の強い生命力も併せ持っていた。心臓は確かにキメラアントにとっても明確な弱点だが、潰された瞬間に死に至ることもなかったのだ。確実に殺すには脳を破壊する必要があるだろう。

 

 そしてそれは……アイシャにも分かっていたことだった。

 

 せめて相討とうと死んだふりを、完全にアイシャの虚を突いたつもりだったキメラアント。だがアイシャは心臓を破壊したキメラアントをわざと放置していたのだ。

 これから先多くのキメラアントを倒していかねばならないのだ。敵の力を把握しておくことは重要だろう。生命力もその1つだ。心臓が破壊されてどれだけ動けるのか、それを調べる為にわざと脳ではなく心臓を破壊したのだ。

 残酷かもしれないが、やると決めた以上はそれを貫き通す意思くらいはアイシャも持っていた。

 

「ふっ」

 

 生きていると悟られていたならば奇襲は奇襲足りえない。

 噛み付き、そこから毒を流し込もうとしていたキメラアントは、アイシャではなく地面に口をつけることになる。そしてそのまま頭を踏み潰されることでその短い生涯を閉じた。

 

「……やはり生命力も人間を凌駕しているか」

 

 こうしてキメラアントとの初戦闘を終えたアイシャは、その戦闘で気付いたキメラアントのポテンシャルに眉をひそめた。

 戦闘自体はアイシャの圧勝だ。傷1つ付いていない上に、オーラも殆ど消費していないのだから。

 だがそれがキメラアントが弱いという結論には繋がらない。

 

 触れた瞬間に分かったその外皮の硬さ。それでいて人間の柔軟性を持ち合わせている。それはリュウショウがネテロの【百式観音】に耐えるために身に付けた防御法――堅による剛の防御と体の脱力による柔の防御を組み合わせたもの――と似たようなものだ。

 キメラアントは生まれつき頑健さと柔軟さを備え付けているのだ。

 

 そして今も実感したその生命力の高さだ。

 虫は頭と体が切り離されてもかなりの時間を生き延びることが出来る。

 それは単に脊椎動物とは違い頭部に脳がない為だ。だがキメラアントは人間や動物と混ざったため、虫にはない脊椎動物には必須の脳が出来てしまった。それゆえに本来の虫よりは頭部の重要度が上がり、ある意味では弱点は増えたと言えよう。

 だがそれは元々の虫と比べて、だ。人間と比較すると比べ物にならない生命力を誇っているだろう。人間が心臓を破壊されたら、例え即死でないにしてもあれだけ動くことが出来るわけがない。しかも数分も生き延びることが出来るだろうか? まず不可能だろう。

 

 何より、1番の脅威は念能力だった。

 そう、先ほどのキメラアントは念能力を身に付けていたのだ。

 まだ身に付けて間もないのか、その練度は拙いものだった。まだまだ初心者の域を出ないだろう。だが、それが逆にアイシャを戦慄させていた。

 

 ――初心者の域を出ないレベルであの戦闘力か――

 

 そう、キメラアントの戦闘力はとても覚えたての念能力者のそれとは思えない程だった。オーラ量もそうだが、オーラに関するセンスも並を凌駕する。産まれた時から人間とはポテンシャルが違うのだ。

 

 ――もしキメラアントが増え続けたら――

 

 そうなれば人類は確実に滅ぶだろうとアイシャは予測した。

 それは高確率で当たる予測だろう。数万数十万というキメラアントの全てが念能力を操って人間を駆逐していく。そんな悪夢のような光景をアイシャは思い浮かべる。

 

「……そうさせるわけにはいかないな」

 

 元々は好敵手であるネテロが武人にあるまじき死に方をするのが見過ごせなくてキメラアント退治に乗り出したアイシャ。

 だがそれとは別にキメラアントの存在を放置しておくわけにはいかないと認識を改めた。これは最早バイオハザードの一種だ、と。放置することは人類全ての害となるだろう。

 

「……早く女王を倒さなくては」

 

 アイシャは己を鼓舞するかのように決意を口に出す。

 そうして再びその場を離れようとしたのだが、初めからその決意を邪魔するかのような光景が目の前に広がった。

 

「ひ、ひぃぃ!」

「ああ、たす、たすけっ!」

 

 先ほど逃がした2人の男性がまだ入口から程遠い場所で逃げ惑っていたのだ。

 その顔は完全に正気を失っているようで、近付いて来たアイシャにも気付いていないようだった。

 まあ、アイシャはずっと絶をしているので気付かないのは仕方ないことだが。

 

「ふぅ……」

 

 アイシャは溜め息を吐いて2人の男性を気絶させた。そしてそのまま両脇に抱え、その場から高速で離れていく。

 アイシャに彼らを助ける義理も義務もない。しかも彼らは恐らくだがこの工場で働いていた者達だろう。

 それはつまり麻薬の生産をしていたということだ。アイシャはここで麻薬を作っていたことまでは知らないが、それでも何らかの悪事をしていることは分かっていた。掲げている理念に真っ向から反する機械の工場だ。悪いことを隠していたに違いないという判断は子どもですら出来るだろう。

 

 そんな悪人に該当する存在など放置してもいいのだが、あそこまでボロボロの姿を見ると哀れで見捨てるのも難しかった。

 

 ――自分を第一に考えて、それでも余裕があるなら他の人に手を差し出してあげなさい、か――

 

 思い出すのは母から教わった言葉。

 余裕があるのなら他人を助けてあげなさい。……今の自分に余裕があるのかと自分で自分を嘲笑する。だが、それでも悪い気はしなかった。

 

 

 

 

 

 

「早く逃げなさい」

「あ、ああ!」

「ありがとう! 助かったよ!」

 

 アイシャはキメラアントの巣へ近づきながらも、中々巣へと辿り着くことが出来ないでいた。巣の位置が完全に判明してないというのもあるが、それ以上に足手纏いが多いのが大きな原因だった。

 現在NGLにはアイシャ以外にも複数のハンター達が巨大昆虫の調査という名目で入国している。その内の数組が既にキメラアントの巣に近付いているのだ。

 

 彼らは別にアイシャの仲間というわけではないのだが、それでも見殺しにするのは忍びなく、周囲を探知し発見次第助けに入っているのだ。

 恐らく、アイシャが見つける前に幾つかの組のハンター達はキメラアントによって帰らぬ人になっているだろうが……。アイシャも万能ではない、出来ないこと等幾らでもあるのだ。

 とにかく、アイシャには彼らを簡単に見捨てることは出来なかった。人道的にも、戦術的にもだ。念能力者がキメラアントに捕らえられるということは、キメラアントの戦力増強に繋がるのだ。わざわざ敵を強くしてやる必要もないだろう。

 短期間でアイシャがキメラアントの女王を狩れるなら彼らを見捨ててでもキメラアントの巣へと向かった方が戦略的には正しいのかも知れないが、アイシャですら確実に短期間でキメラアントの巣へと到達出来るかは分からないのだ。時間を掛けて殲滅した方が戦略的に正しかった場合、彼らを見捨てるのは悪手へと繋がってしまうだろう。

 

 そうしてまたひと組のハンター達がキメラアントに襲われていたのでそれを助けに来たアイシャ。彼らが逃げる時間を稼ぐ為に、ここら一帯のキメラアントの殲滅にかかった。

 

 アイシャはその身にオーラを全く纏うことなく行動する。それは完全なる絶だった。

 周囲には多種多様な形状のキメラアントがアイシャを囲んでいる。何故そのように敵に囲まれた状況で絶という無防備な姿を晒しているのか。

 それは全てオーラの節約の為だった。アイシャは1人でキメラアントの全てを壊滅させる気だった。

 

 その為にはオーラを温存して長期戦に備えなければならない。だが、戦闘中では纏をしているだけでもオーラが消耗していく。

 個人差はあれど、オーラ技術に置いて右に並ぶ者が少ないアイシャでさえ、臨戦態勢中の纏のオーラ消耗を零に抑えることは出来ない。それが堅の維持になれば纏などよりも遥かにオーラを消耗する。

 だが絶状態ならばそれも最小限に抑えられる。いや、ある程度は回復すらするだろう。精神によっぽどの負荷が掛かるなど、状況によっては絶状態でも減るかもしれないが。

 

 とにかくアイシャは常時絶で行動していた。

 そんなアイシャを見て兵隊蟻や戦闘蟻は脅威に感じなかった。

 当然だ。生命エネルギーとも言うべきオーラを全く発していないのだ。既に念能力者である兵隊長からすれば拍子抜けの相手だ。

 

「何だ何だ。ただの雑魚か」

 

 それがそのキメラアントが発した最後の言葉となった。

 一瞬で間合いを詰めたアイシャがその首を捻り取り思考する能力を奪ったからだ。

 人語を解する生物を殺した気色の悪い感覚がアイシャを襲う。だが、それを精神で無理矢理押さえ込んだ。

 

 キメラアントが完全に相容れない存在だと割り切ったのだ。彼らは生きる為にではなく、快楽の為でもなく、本能で人を殺し喰らうのだ。

 最初に出会ったキメラアントのように中には本能を越えて快楽の為に殺す者もいるが、それは人の遺伝子を取り込んだ結果によるものだ。蟻そのものの本能が消えたわけではない。蟻としての性質が無くならない限り、女王に命令されればどんな相手も殺しにかかるだろう。

 女王が死ねばまだこちらの話を聞くキメラアントも出てくるかもしれないが……。それは希望的観測に過ぎないだろう。

 

 人間でも異質の集団、幻影旅団とも違う分かり合えない存在キメラアント。まだ人間の法で裁ける幻影旅団の方がアイシャには可愛いものだった。

 

 だがキメラアントは違う。言葉は通じても完全に別種の生物。蟻の本能と人間の持つ凶悪さが混ざり合って出来た恐るべき生物なのだ。

 人の法も彼らには適用出来ず、例え出来たとしてもどれだけいるか分からないキメラアントを全て無力化して捕らえるなどクラピカの力を借りても不可能だろう。

 故にアイシャに出来るキメラアント事件の解決方法は、駆除という方法しか残されていなかった。

 

 そうと決意したらアイシャの行動は早かった。

 キメラアントを発見したら急所を壊しに掛かる。首を捩じ切り脳を破壊し心の臓を破裂させる。例え虫の生命力で生き延びても動けなければ意味がない。

 中には最後の力で攻撃をしてくる者もいたが、そのような攻撃を察知出来ないアイシャではなかった。

 今のアイシャは今まで以上に敏感になっていた。常時絶でいることで神経が研ぎ澄まされ、探知能力に磨きが掛かっているのだ。

 そして完全に敵を倒すことに集中しているアイシャは、その精神をリュウショウの域にまで近づけていた。

 

 攻撃の瞬間だけオーラを集中する超高速の攻防力移動や内部破壊の浸透掌を使いこなし、必要最小限のオーラの消費でキメラアントの群れを殲滅していく。

 

 それはキメラアントからすれば悪夢のような光景だった。

 餌であるはずの人間が。レアモノですらないただの人間が。たった1人で何の武器も用いずに無数の同胞をなぎ払っているのだから。

 

「な、何なんだお前はーー!?」

 

 ワニを彷彿させるキメラアントが己の最大の武器である大きな口でアイシャを噛み殺そうとする。その巨大な口にはワニらしく鋭い歯が付いていた。この鋭い歯にワニの咬筋力とオーラによる強化が加われば、大抵の物が噛みちぎられるだろう。

 当たれば、の話だったが。

 

 アイシャに組みかかって噛み付いたつもりのキメラアント。だが彼がそうではないと気付いたのは左腕に走る激痛からだった。

 左腕の関節を逆に取りながら一本背負いのようにワニ型キメラアントを投げ飛ばすアイシャ。肘の関節を砕き、逆さになったワニ型キメラアントの後頭部を蹴りつける。インパクトの瞬間のみにオーラを集中させたその一撃は容易くワニ型キメラアントの頭部を粉砕した。

 既に数十体いたキメラアントは最後の1体を倒したことで壊滅していた。先ほどのワニ型が最後だったのだ。

 

 ――周囲に気配はないな――

 

 アイシャは周囲の気配を探り、特に敵意のある生物がいないことを確認して更に奥へと進む。

 そして感じた強大な何か。気配を感じられる距離ではないのに感じ取ることが出来るその力の大きさ。しかもそれが3つも。

 ……ゴン達を置いてきたのは正解だった。そう確信するアイシャだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十二話

 アイシャがキメラアントの巣に近付いている中、ゴン達も順調にアイシャへと近付いていた。

 そしてその途中で見つけたのは1つの村だ。山の麓にある村だが、そこには人1人いなかった。あったのは散乱した衣服や自然から作られた何かしらの道具だけだ。そこからキメラアントの襲撃があったのだろうとゴン達は予想する。

 

「……何か臭うよ」

 

 村を調べている最中にゴンが異臭に気付く。

 ゴンの嗅覚は犬のそれに匹敵しており、この場の誰よりも早く異臭に気付いたのだ。

 

 ゴンの案内で異臭のする方角を調べる一行。

 するとそこには複数の木にそれぞれ1匹の大きな獣が突き刺さっているという不気味なオブジェがあった。どうやら異臭の原因はあの獣が腐敗した為らしい。

 

「まるで早贄だ」

「ああ、鴃の早贄だな」

「何だそれ?」

 

 キルアの質問にクラピカが詳しく説明をする。

 鴃とは捕らえた餌を木の枝などに刺すという独特の習性を持つ鳥の一種だ。だが鳥なので捕らえる餌は昆虫や節足動物、大きくても小型の鳥類がいいとこだ。

 しかし突き刺さっているのはゴンやキルアよりも大きな動物たちだ。一体誰がこんなことを……そう思っていたゴン達の元に、早贄の持ち主が自ら姿を現した。

 

「おい」

『!?』

 

 それは完全に気配を消してゴン達に近付いていた。気配を完全に消せることにカイトが僅かに驚く。

 ゴン達の裏にある木々の合間から現れたのは人間ではない何か。顔つきはどことなく兎をイメージさせるが、顔自体は人間に近いものがある。腕には鳥の羽のようなモノが生えていた。まるで幾つもの生物を組み合わせたかのような生物。

 

 これがキメラアントだろうと全員が確信する。まさにキメラだ。

 

「ゴミども、それはオレのだ。近付くなっ!」

 

 早贄に近付かれたことを自らの獲物を奪われると思ったのか、そのキメラアントは一瞬で激昂してゴン達へと攻撃を仕掛けてきた。

 だがゴン達がそれに動揺することはなかった。この程度の不意打ちに対応出来ないような修行は受けていないのだ。

 

 ゴン達は急速に駆けて来たキメラアントに瞬時に臨戦態勢に入る。

 それを見てそのキメラアントもゴン達の実力をある程度だが理解し、勢いを殺して後方へと跳び下がる。

 

「……レアモノか」

 

 5対1。念能力を覚えて調子に乗っていたそのキメラアントだが、それでもこの戦力差を計れない程愚かではない。人の血が混ざってはいるが、野生に生きる動物たちも元となっているのだ。相手の力を本能的に察したのだ。

 

「1匹か。じゃあこいつはオレがやる」

「おい兄貴。勝手に決めんなよな、オレにやらせろよ」

「待て。キメラアントの力を計るいい機会だ。私にやらせてもらおう」

「ずるいよ3人とも! ここはいつも通り【ジャンケン】で決めようよ!」

「お前なんかそのジャンケンに不吉な括りを入れてないか?」

 

 ゴンの言うジャンケンをすれば命の危機に陥るような錯覚を覚える3人。

 

「……最初はグーは無しで行こうぜ」

「賛成だ」

「右に同じ」

「えー。何かそれだと調子出ないんだけどなぁ」

 

 そんな調子の出し方をするなと3人の心が一致した。

 

「まあいいや。それじゃいくよ!」

『ジャンケン! ポン!』

 

 ゴンはチョキ、キルアとクラピカとミルキは揃ってパー。つまりゴンの勝ちだ。

 

「やった!」

「くっそー」

「く、ゴンはグーで来るという思い込みが……」

「オレもだ……」

 

 ゴンと言えばグーという何処か強迫観念に似た思い込みが3人の思考を制限してしまったのだ。全く以てどうでもいいことであるが。

 

「……貴様ら舐めてるだろ」

 

 明らかに敵である自身を舐めた行動を取る4人に対し、キメラアントは完全に切れていた。カイトも無理はないと若干そのキメラアントに同意していたが。

 

「別に舐めてないよ。ところでさ、オレが勝ったらもう人間は食べないって約束してくれる? そうすればオレに負けてもキミは死ななくてもすむんだけど」

「っ! それがっ! 舐めてるって言うんだよ糞ガキがぁっ!!」

 

 ゴンの優しさと甘さから来るその言葉は、キメラアントへの挑発として最適の効果を発揮した。

 怒り狂ったキメラアントは全身のオーラを高めてゴンへと突進してくる。そのオーラを右腕の羽から生やした刃に集め、ゴンの首を切り裂こうと一閃する。

 このキメラアントは本来かなり嗜虐的な性格をしており、獲物はひと思いに殺さず嬲って楽しむタイプだが、今回はあまりの怒りに楽しむことも忘れ完全に殺しに掛かっていた。

 

 だがそんな逆上して行った単調な攻撃を読めないゴンではない。

 鋭い一撃を攻撃した腕の側、つまりキメラアントの右側へと躱し、追撃を容易に行えない位置へと移動する。

 キメラアントがゴンの方向へと向き直そうとするが、ゴンはその前に攻撃して伸びきった右腕の関節を強く蹴り上げる。

 

「ギッ!?」

 

 蹴り上げられた腕の関節は完全に折れてしまった。

 その痛みに顔を顰めているキメラアント。だがゴンの攻撃はそれで終わっていなかった。顎を打ち抜くようにアッパーカットですくい上げる。その一撃のあまりの威力にキメラアントは大地から足が離れ空へと浮かび上がった。

 そしてゴンは止めの一撃の準備に入った。

 

「最初はグー!」

 

 腰だめに構えた拳に圧倒的なオーラが集中していく。

 空中に飛ばされたキメラアントはそれを見て背筋を凍らせた。

 

 ――な、なんてオーラだっ!!――

 

 まともに喰らえば完全に死んでしまう。そう思わせるには十分過ぎるオーラがゴンの右拳に集まっていた。

 このままでは殺される。逃げなければ。そう思い、空を飛んで逃げようとするキメラアント。両腕の羽は飾りではない。鳥類の血を反映させた彼は空を飛んで逃げることもできるのだ。

 大地を這うことしか出来ない人間風情が。この痛みは万倍にして返してやる!

 そう思ったキメラアントは、しかし飛ぶことも出来ずにそのまま大地へと墜ちてゆく。

 

 ――み、右腕が!?――

 

 そう、彼の右腕はゴンの攻撃によって折られているのだ。

 そんな状態でまともに飛ぶことなど出来るわけがない。彼に出来たのは精々落下地点を僅かにずらしたくらいだった。そしてその程度でゴンの攻撃から逃れられるわけもなかった。

 

「ジャンケングー!!」

「!!?」

 

 ゴンの【ジャンケングー】を腹部に食らったキメラアントは、まともな発音で叫ぶことも出来ずに上半身と下半身が分かれて吹き飛んでいった。

 例えキメラアントの持つ生命力でも死は免れない程の破壊。頭が無事ならしばらくは生き延び意識もあるだろうが、ある意味その方が地獄と言えるだろう。

 

「相変わらずおっそろしいな」

「だが少し過剰だな」

「ああ。ゴン、これから先どれだけの敵がいるか分からないんだ。もう少しオーラを節約していけよ」

「うん。オレも彼らがどれだけの耐久力があるか分からなかったから少しやり過ぎちゃった。でも手応えではすごく硬かった。半端な攻撃じゃ弾かれてたと思う。昆虫の頑強さと人間の柔軟さを持ち合わせているみたい」

 

 ゴンも初めてのキメラアント戦に少々力を入れすぎたようだ。

 だが一戦したおかげで敵のポテンシャルの一部が理解出来たようだ。

 

「そうか。やっぱり厄介みたいだなキメラアント」

「それだけじゃない。アレは精々兵隊クラス。それが念能力を使っていたんだ。これから先は全てのキメラアントが念を扱えると思って行動した方が無難だな」

「厄介だな。キメラアントの階級構成上、あれよりも強い蟻は幾らでもいる。あれと同クラスに至ってはそれこそ100じゃ利かない数がいるかもしれないだろうな」

「キル、あんまり能力は使うなよ。お前の能力はここじゃ充電出来ないからな」

「ああ、分かってる。よっぽどじゃないと使わない」

 

 先程戦ったキメラアントの情報をまとめながらこの先の為の戦術も見直す。

 特にキルアの能力はオーラを電気に変える能力。その制約として体内に外部から電気を充電していなければならない。NGLに来る前に大量の電気を充電して来てはいるが、使い切ったら充電する場所等あるか分からないのだ。何せ機械文明を捨てているのだから。

 まあ、クラピカが言ったように何処かに麻薬の工場等の機械を操る場所には電気もあるだろうが、そう都合良く見つかると考えない方がいいだろう。

 

「……」

 

 カイトはキメラアントに関しての情報をまとめている4人を見て驚きと共に安堵する。

 

 ――これは予想以上だな――

 

 ゴンと兵隊蟻との一戦はカイトの予想通りの結果であり、そして予想以上の過程であった。

 ゴンの実力からして兵隊蟻程度には負けないとは思っていたが、それでもあそこまでの圧勝とは思ってもいなかったのだ。

 あの時の一撃は傍から見てもゾッとするものだった。まともに喰らえば完全に勝負の決まる一撃だ。

 更に驚いたのはあの一撃を当てる為のプロセスだ。隙の大きい一撃であることを理解して、相手が避けられない状況を作り出してから必殺の一撃を繰り出す。

 しかも外見から推測してあのキメラアントが空を飛べることを想定して飛んで逃げられないようにダメージを加えていた。

 

 それを見ていたキルア達3人の様子や、戦闘後の会話から、彼らもゴンと同等かそれ以上の使い手だと窺える。これはカイトにとっては嬉しい誤算というやつだった。

 

 そして一方で嬉しくない誤算もあった。

 そう、キルア達が言っているように、キメラアントが念を扱っているのだ。

 産まれてから然程の月日も経っていないはずのキメラアントが早くも念を操っている。人間と混ざったキメラアントが念能力を覚える懸念はカイトにも有ったが、それでも幾ら何でも早すぎる。

 

「む?」

 

 思考するカイトや会話していたゴン達もそれに気付く。

 少し離れた森から1つの影が飛んでいったのだ。

 

「……なるほど、部下に戦わせてこっちの手の内を探ったか」

「さっきのみたいに直情馬鹿ばかりじゃないみたいだな」

「それはこちらの情報にもなったな。一層気を引き締めよう」

 

 どうやら部下を先行させゴン達の手の内を探っていたらしい。

 その行動からキメラアントにも戦術を扱う者もいると、元々懸念はしていたが今回ので確信するゴン達。

 

「……行こう」

「ああ。アイシャに追いつかなくちゃいけないからな」

「ああ。それに時間を置けば置くほどキメラアントの利になるだけだ」

「そうだな。奴らがまだ念の初心者の内に潰すのが1番だ」

 

 ゴン達の顔を見て、カイトはゴン達に覚悟の有無を確認する必要がないと判断する。

 ここから先は勝っても負けても地獄を味わうことになるだろう。数多のキメラアントと命懸けの戦闘、いや、戦争をするのだから。

 だがゴン達は既にその覚悟が出来ていた。仲間内では1番甘いゴンでさえ敵を殺すことへの躊躇を切り捨てた。そうしなければ自分だけでなく仲間まで、いや世界そのものを危険に晒すと理解しているのだ。

 

「それじゃ行こうか」

『おう!』

 

 そうしてゴン達は前へと進む。アイシャは、そしてキメラアントの巣は近い。

 

 

 

 

 

 

 今、キメラアントの巣で師団長が一箇所に集まって会議をしていた。

 本来自由奔放で勝手な行動をするキメラアントが多い中、こうして師団長が揃って会議しているのには理由があった。

 

「殺せばいいだけの話だ」

「賛成だな。強いって言っても所詮は兵隊長を倒したくらいだろ?」

「だがユンジュ達も殺られている。他にも連絡の途絶えた部隊もある。舐めて掛かるとこっちが殺られるぞ?」

「ユンジュからの信号では敵はたった1人って話だ。コルトの言う奴らとは別に動いている人間のようだな」

「1人で動いているってことは余程自信があるんだなその人間」

「事実既に2個師団がその人間1人に壊滅させられているんだぞ。早期に殺すべきだ」

「だが相手の実力を知らずに無闇に攻めても戦力を無駄に浪費するだけだぞ」

「じゃあ黙ってそいつが巣に来るのを待ってるってのか?」

「ここまで来たら総力を上げて殺せばいい。その方が確実だ」

「遠征に出ないでずっと待ってろって言うのかよ!?」

 

 等とそれぞれが各々の意見を言い合う。

 だがやはり人間と混ざった為か、キメラアントの性格にも個性が大きく出ており中々意見がまとまらないでいた。

 そんな師団長に対し、あるキメラアント達が意見を申し出た。……いや、それは意見ではない。命令だった。

 

「餌を取ってこないと王にちゃんとした栄養がいかないんだよね」

「そのレアモノ達を殺して女王の餌にすればいい。それだけのこと……」

「めんどくせーな。お前ら全員で殺しに行けばいいだけだろ?」

 

 その言葉に師団長全員が息を呑み、会話を止める。それは圧倒的上位から齎された恐怖が原因だ。普段まとまった行動を取ることのない者が多い師団長が、全員集まって会議じみた行為をしているのもこの3者が原因だ。

 

 王直属護衛軍の1人ネフェルピトー。

 同じくシャウアプフ。

 同じくモントゥトゥユピー。

 

 師団長等とは産まれた時から格が違う存在。

 念能力を覚え、調子に乗っていた師団長達が全員頭を垂れる程の実力を産まれながらに有する存在。

 勝てるわけがない。見た瞬間にそう思わせるオーラを放つ化け物。それが王直属護衛軍だ。

 

 本来の歴史に置いてはこのタイミングで目覚めているのはネフェルピトーのみのはずだった。シャウアプフもネフェルピトーに僅かに遅れて目覚めるが、それでもまだ目覚めるには少し早く、モントゥトゥユピーに至ってはもっと遅れて目覚めているはずだった。

 だが、蝶の羽ばたきが歴史を変えてしまった。

 

 キメラアントが餌にしたレアモノ、念能力者の数が本来の歴史よりも多いのだ。

 キメラアントの調査に来ていたハンター達はその犠牲者を大きく減らしている。だが、NGL内にいた念能力者の数が史実と比べて圧倒的に増えていたのだ。

 それはある1冊の書物が原因だった。NGLを支配していた者達が念能力について細かく書かれたその書を読んだ為、NGLの裏を牛耳る連中が能力者となっていたのだ。

 

 そしてそれはキメラアントの女王にとって最高のご馳走となってしまった。

 本来よりも多くの栄養を確保出来た女王は、王直属護衛隊へ回す栄養を早めに摂取出来たのだ。

 もちろん念能力者が多かった為にキメラアントの犠牲も多かったが、多少の犠牲など女王にとっては些事に過ぎない。女王にとって大事なのはただ1つ、王のみなのだから。

 

 幾ら念能力者が多かったといえ、キメラアントの持つポテンシャルと数に圧倒され、多くの念能力者が女王の餌となってしまった。

 唯一NGLのトップだけは逃げ延びたが。逃げ延びたトップは今も何処かで再起を窺っているが、それはここでは意味のないことなので話を戻そう。

 

 とにかく、女王が多くの栄養を摂取したことにより護衛軍は早くに目覚めてしまった。唯一モントゥトゥユピーのみ魔獣をベースとしたキメラである為その中でも遅く産まれてきたが、それでも本来の歴史よりも早くに目覚めることとなった。

 

 そんな彼ら護衛軍のすべきことはただ1つ。

 

《全ては王の為に!》

 

 そう、それのみを掲げて護衛軍は生きている。

 王以外のモノは全てが瑣末事に過ぎず、そこには己の命すら入っていた。

 王の為なら己の命すら必要としない。己の全てを懸けて王に忠誠を尽くす。だからこそ王直属護衛軍なのだ。

 

 女王に一応の忠誠を捧げているが、王が産まれればその瞬間に女王のことなど護衛軍の頭から消えてなくなるだろう。

 だが今はまだ女王を重んじている。忠誠を誓うべき王を身篭っているから当然の話だ。ここで女王が死んでしまえば彼らの存在意義は無くなってしまうのだから。

 

「巣を空にするわけにはいかない。彼らは陽動なのかもしれないのだから」

「ん~。女王を殺す為に巣に侵入してくるかもしれないってこと?」

「そういうことです。巣の戦力を減らしてしまえば別の敵が攻めてくるやも……」

「でもボクの円で警戒しているから侵入者はすぐに分かるよ?」

「念は奥が深い……瞬間移動で女王の真横に現れないとも限らない……警戒のし過ぎはない、それだけのこと……」

 

 物事を考えるのが苦手なモントゥトゥユピーを除いてネフェルピトーとシャウアプフの間だけで話が進んでいく。モントゥトゥユピーは話を理解するのが面倒になって来て欠伸をしていた。

 

「ユピー、少しは真面目に考えてはどうですか?」

「悪いが難しい話はお前らに任す。オレは王の為に敵を殺すだけだ」

 

 何よりも愚直で純粋な答えを返されてはシャウアプフも文句の1つも言えなかった。溜め息を1つ吐いて、シャウアプフは周りの師団長に命を下す。

 

「貴方達の裁量で師団を動かして敵を殺してきなさい。殺した敵はその日の内に必ず女王に届けることです。女王には豊富な栄養を摂取してもらわねばなりませんからね」

『……はっ!』

 

 結局は師団長の会議など意味を為さなかった。全てはシャウアプフの一言で決まったのだから。

 これにより師団長達が各個撃破されたとしても護衛軍はそれを意に止めない。師団長が倒されることで戦力が減る等とは露ほどにも思っていないのだ。

 何故なら王を守るのに自身たちさえいればいいと信じきっているからだ。師団長など瑣末事を片付ける為の道具程度にしか感じていなかった。戦力にすら換算されていないのだ。

 それを師団長達は理解しつつも逆らうことは出来ない。逆らったところで待っているのは死だけだからだ。彼らに出来ることは誰が人間を殺しに行くかを決めるくらいのものだった。

 

 

 

 

 

 

 アイシャはキメラアントの巣を肉眼で確認出来る位置まで近付いていた。と言っても実際の距離はまだ数十キロ以上離れているが。

 巣が巨大なことと、障害物がないこと、アイシャの視力が異常なことによりその距離からも巣が確認出来ただけだ。

 そして巣を視認したことでアイシャは巣の中にいる力ある存在をより強く認識した。

 

 3体の突出した力を持つキメラアントがいる。以前にも感じたその力を今はもっと肌で感じ取れていた。その3体だけで他のキメラアントの総力を上回っていると確信出来るほどの実力。

 3体を同時に相手すれば自身でも危ういだろう。まさかそこまでの力の持ち主が既に3体も産まれているとは流石にアイシャも予想外だった。

 

 ――何とか1体ずつ誘き寄せられれば――

 

 流石にそう上手く行くかは分からないが、1対3の状況に陥るのは避けなければならない。いや、場合によっては全てを無視して女王を殺しさえすれば、最悪の状況を生み出すことはなくなるだろうが。

 その場合待っているのは高確率で自身の死だろうとアイシャも理解している。数多のキメラアントに囲まれた状況で、特にこの3体がいればアイシャでも逃げきれるかどうか……。

 

 当初とは予定が違うが、討伐隊として来るであろうネテロを待つのも手の1つかとアイシャは考える。

 アイシャがキメラアントについて報告してから既に幾日も経っている。早かったら既に討伐隊が差し向けられているだろう。その中にはネテロもいるはずだ。ネテロと2人で組めばこの程度の戦力ならば突破出来るはず。そうなれば王が産まれる前に方を付けることも可能だろう。

 

 そうして今後の方針を考えていたアイシャは複数のキメラアントの気配を察知する。

 巣から多くの部隊が出て来たようだ。その動きから何かを探しているのをアイシャは理解する。

 恐らくアイシャを探しているのだろう。巣から出てきたキメラアントは工場へ向かう部隊とアイシャが敵の師団を壊滅させた辺りに向かう部隊との二手に分かれたからだ。

 

 好都合だ。少しでも戦力を減らしておくにこしたことはない。

 3体の強者が巣にいることを確認し、アイシャは自分に近いキメラアントの部隊へと奇襲を仕掛けるために移動を開始した。

 

 

 

 完全に気配を消したアイシャは樹上にてキメラアントの師団を確認する。

 どうやら複数の師団がまとまって行動しているらしい。二手に分かれたとはいえ戦力が集中しているのは各個撃破を避けるためか。

 少しは考えて行動しているようだ。だが、それでもキメラアント達はアイシャを過小評価していた。

 

 アイシャは樹上から4体のキメラアントを見つけ出す。

 纏うオーラや雰囲気からそれらが師団長クラスだと判断したアイシャは、匂いによって気付かれる前に奇襲を敢行した。

 

 音を消して1体の師団長の頭上から攻撃を加える。

 その師団長はアイシャはおろか、浸透掌を受けたことにより死んだことにも気付かずにこの世を去った。

 

「は?」

 

 突然自分たちの隊長が殺されたことに周りのキメラアントが呆気に取られる。

 アイシャはキメラアント達が正気に戻る前に一瞬でその場から離れた。移動先は別の師団長だ。統率の取れている隊を瓦解させるには統率者を倒すのが1番だ。

 そうしてキメラアント達が動揺して、仲間へと信号を送ることも出来ていない内にアイシャは1番近くにいた2体目の師団長の首を捻じ切った。

 

「て、敵襲だーーっ!!」

 

 そうなって初めてキメラアントはアイシャの存在に気付いた。信号を送り、仲間へとアイシャの存在を知らしめる。

 

 “ゴラン隊長、そしてゼム隊長死亡! 敵は素早く動き回って次々と仲間を殺しています!”

 “落ち着け!! ゴラン隊とゼム隊は私の指揮下に入れ! バイタル隊は前へ! ゴラン隊はバイタル隊と合流せよ! ゼム隊とポコロ隊はバイタル隊をフォローしろ! 陣形を崩すな! 敵の思う壺だぞ!”

 

 師団長の1人がそれぞれの部隊へと信号を送り指揮を取るもキメラアントの混乱は収まらない。元々まとまって行動することを苦手とする者達が多いのがキメラアントだ、こうした連携は不得手なのだろう。

 人間が混ざったことにより様々な利点を手に入れたキメラアントではあったが、それが故に我が強くなりすぎて連携を取ることが上手く出来ないのだ。

 まあ、産まれて然程時間が経っていないのも理由の1つでもあるが。キメラアントが経験を積めば全てに置いて人間を凌駕する可能性があるのだから恐ろしい話である。

 

 次々と仲間達の信号が減っていくことに恐怖を抱くキメラアント達。

 それが更なる混乱を呼び、まともに姿を見せず強襲と離脱を繰り返すアイシャを捉えることが出来ないでいた。

 アイシャは兵隊長クラスを見つけるとそこに強襲し、一瞬で兵隊長を破壊してその勢いで周りにいる戦闘蟻を瞬殺していく。

 そうして一部隊を壊滅させるとまた樹上へと移動し姿を隠す。時折樹上にもキメラアント達がいるが、それすらアイシャによって瞬く間に壊滅させられる。

 

 ――ん? 視線?――

 

 アイシャは何処からか自身を見つめる視線に気付く。そしてそれと同時にオーラが僅かにだが減少したことも感じ取った。

 いや、減少した、ではない。減少し続けているが正解だ。このオーラの減り方には覚えがあった。そう、【ボス属性】が発動しているのだ。つまりアイシャは何らかの念能力の影響下にあるということ。

 

 だがその原因を探す前にキメラアント達がアイシャに向かってやって来るのを察知した。匂いで気付かれたのか、何らかの念能力か、奴らの誰かが視線の持ち主なのか、それともたまたまか。

 詳しくはまだ分からないが、アイシャはまずその兵隊長達を迎撃することに専念する。

 

「いたぞ! 殺せ!」

 

 兵隊長クラスと戦闘蟻が複数で同時にアイシャに攻撃を仕掛ける。

 アイシャはそれを素早く捌き、敵の攻撃を別の敵でガードすることで同士討ちを図る。更に力の流れを支配し幾つかの攻撃は相手自身へと返した。そこから生きている者へ止めを加える。

 

 そうしてその場を離れるが、またも別の部隊がアイシャに向かってくる。

 偶然ではない。確実に何かがアイシャを探知している。アイシャはそれを確認する為に周囲を集中して観察する。

 

 ――……この視線! 複数からの視線だが、気配は同一!――

 

 そうしてアイシャは視線の正体を見つける。

 アイシャの周囲にいる数匹のトンボが視線の正体だ。ただのトンボかと思いきや、どうやらこれもキメラアントの仲間か念の一種のようだ。

 アイシャは恐らく探索系の念能力だと推測する。このトンボが映した映像を何処かで本体が受信しているのだろう。

 つまり本体は安全な位置から戦場を見張っているはず……。

 

 ――上か!――

 

 アイシャは上空に意識を飛ばし、1体のキメラアントを確認する。

 そこにいたのはトンボを元にしたかのようなキメラアント。間違いなくあれが本体だと判断する。

 

 “フラッタから各隊へ、敵は新たにポイント――”

 

 フラッタ――トンボのようなキメラアント――はアイシャの位置を【衛星蜻蛉/サテライトンボ】と言う能力で創り出した複数のトンボで視認していた。

 【衛星蜻蛉/サテライトンボ】が視認した映像は、フラッタの【超複眼/スーパーアイ】に受信され、あらゆる角度から対象を観察することが出来る。

 アイシャは【ボス属性】を有している為、アイシャの肉体は【衛星蜻蛉/サテライトンボ】には映らないが、その身に纏っている衣服は別だ。

 フラッタも衣服しか映っていないのは不思議に思っていたが、敵の居場所が分かれば問題はないと考えていた。

 

 とにかく、原因が分かればこの程度はアイシャにとって何の問題もない。頭上にいれば安全だと考えていたキメラアントは愚かとしか言い様がなかった。念能力者の戦闘に絶対はないのだから。

 

 アイシャは上空にいるフラッタに向けてオーラ弾を放つ。

 圧縮されたオーラ弾は仲間へとアイシャの位置を教えていたフラッタの股間から脳天までを貫いた。完全に即死である。

 即死したフラッタはそのまま大地へと落ちていった。アイシャはそれを確認し、すぐに自身に向かってきている部隊の殲滅に移る。

 

 次々と部隊を壊滅させていくアイシャ。

 それを戦場から離れた位置にいる2匹のキメラアントが恐々と見つめていた。

 

「何あれ……あいつ絶対人間じゃないですよハギャ様!」

「……」

 

 ハギャと呼ばれたライオン型のキメラアントと、その隣に立つ人間に近い見た目のキメラアントがアイシャを見て恐れを抱いていた。

 人間とは思えないその戦闘力。そう、あれではまるで護衛軍のようではないか。そう思わせる実力をまざまざと見せられたのだ。

 部下であるフラッタをレアモノ捕獲部隊に貸与え、自身は敵の戦力を計るために離れた位置から戦場を確認していたのだが、まさかここまでとは思ってもいなかった。

 

「……退くぞ」

「賛成! あんなの相手にしてられないですよね!」

 

 今は無理をするべき時ではない。かつては己が絶対強者だと思っていたが、上には上がいると知った。生まれ変わって強くなったが、それでもやはり上というのは存在することを護衛軍で学習した。

 そう、学習することが1番の武器なのだ。ここで無理をしても無駄死にするだけだ。

 ハギャはそう考えてその場を離れた。そしてハギャ達が移動した一瞬後、ハギャ達が元いた位置をアイシャのオーラ弾が2つ通り過ぎていった。

 

「ひえっ!?」

「なん……だと?」

 

 当たらなかったのは運が良かっただけだ。この場は退くと判断して離れていなければ、今の攻撃はハギャ達の体に確実に当たっていただろう。

 攻撃を放ったであろうアイシャを確認することもなく、すぐにその場から離れる2匹。全力で走り、戦場から大きく離れた所でようやく一息つく。

 

「はぁっ! はぁっ!」

「し、死ぬ、殺されるぅー!」

 

 2体とも体力以上に精神力が焦燥しきっていた。

 まさかあの位置にいても安全ではないとは思ってもいなかったのだ。

 一瞬の油断が生死を分ける。その野生の常識は分かっていたが、まだ世界の広さを知らないキメラアント達であった。

 

 

 

 アイシャは全ての部隊を壊滅させるが、かなりの時間が掛かってしまった。

 さすがのアイシャも向かってくる者達はともかく、途中から逃げ出し奔走したキメラアントを残さず倒しきるのは少々手間がいることだった。

 確実に何体かのキメラアントは逃がしただろうが、それは誤差の範囲だとアイシャも諦める。

 

 逃げ惑う敵を追いながら殲滅戦をしていたので、大分敵陣の奥に入り込んだようだ。だが元々の目的の為にはそれも好都合だ。上手く3体の強者の内の1体でも釣れないかどうかを確認してみるのも手の1つと考える。

 そうしてアイシャはキメラアントの巣から数km離れた位置から巨大な巣を眺める。

 

 あの中に女王がいるのだろう。女王を守る為か、信じがたい程に巨大な円が巣を覆っていた。アメーバ状に変化する円は一部で最大2km程には延びていた。これに触れれば円の使用者にアイシャの存在は簡単に察知されるだろう。

 

 ――これ程の円、そしてこの不気味なオーラ……確実に3体の内の1体――

 

 これにわざと触れることでその1体を誘き寄せるか……そう考えるも、残りの2体が同時に出てくる可能性もあると逡巡するアイシャ。

 いや、師団長のみにアイシャの捜索を任せていたということは、3体全てがアイシャを攻撃しに出てくるとは考えにくい。

 女王を守る手勢として確実に1体は残っているだろう。ならば上手くすればここで3体の内の1体を倒すことが出来るやも……。

 

 そう考え、円の範囲内へと移動しようかと思っていたアイシャはある存在を見つけた。

 キメラアントの巣から、1体のキメラアントが姿を現したのだ。

 

 ――アレは!――

 

 一目見た瞬間に理解した。アレこそがずっと感じていた強大な力の持ち主、その1人だと。身に纏うオーラから、円を発動していたのはあのキメラアントだとアイシャは確信する。

 そのキメラアントがある一点を見つめていた。しかも両足が膨れ上がり、姿勢からもその場から跳び立とうとしていることが分かる。

 

 円の持ち主――巣から出てきた――何かを見つけ――跳び立とうとしている――師団長ではなく――より上位のキメラアントが。

 その情報からあのキメラアントの狙いが自分以外の存在だと理解し、アイシャはキメラアントが見つめていた方向へと視線と意識を向ける。

 

 瞬間、アイシャとキメラアント――ネフェルピトー――は同時にその場から跳び立った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十三話

 時は少し遡る。

 ゴン達は襲ってきたキメラアントを倒した後、NGLの裏の顔である麻薬工場まで辿り着いていた。初めはキメラアントの巣かと思ったゴンとキルアだが、クラピカ達の説明によりそうではないことを知る。

 

 念の為工場内を素早く探索するが、生きている者と遭遇することは出来なかった。だが、キメラアントの死骸ならば発見することになる。

 

「……これって」

「ああ……」

「間違いない。アイシャの仕業だ」

 

 キメラアントの死骸を検分するとすぐに分かる。関節の砕け方や外され方等の外傷から、このキメラアントを殺したのがアイシャの仕業だと。

 

「……アイシャ」

 

 ゴンは何処か信じられない物を見た気持ちになる。

 それはゴンだけではない。キルアもクラピカも、そしてミルキもこれをアイシャが殺ったことに何処か現実感が湧かないでいた。

 あのアイシャが人間ではないとはいえ敵を殺す図がゴン達の頭には浮かび上がらないのだ。

 

 理性ではこれが当然の結果だと理解している。

 ただの敵ではない。人間を食料にして進化し続ける最悪の害虫なのだ。

 敵対して殺さないという選択肢を取るのはお人好しではない、キメラアントの危険性を理解出来ていない愚か者だ。

 キメラアントに個体差がある故にあるいは人間と共生出来る者も中にはいるかもしれないが、それも女王が存在する限り意味を為さない。キメラアントにとって女王の命令は絶対なのだから。女王が人間を摂食対象にする限りキメラアントは人間と敵対し続けるだろう。

 

 つまりアイシャが敵を殺したことは何ら間違っていない、むしろ正しい行為と言える。だが、それでも無闇に人を傷付けることをしなかったあのアイシャが。父親を害したあの幻影旅団さえ殺さずに無力化したあのアイシャが。こうして敵を殺したという現実はゴン達にとって少なくない衝撃だった。

 

「早くアイシャと合流しなきゃ……!」

「ああ。オレ達でアイシャの負担を出来るだけ少なくするぞ」

「敵の戦力は分からないが、あの兵隊蟻の実力を見る限り私たちでも力になれるだろう」

「そうだな。雑魚を減らすだけでも大分違うはずだ」

 

 ゴン達が更なる決意に身を固めている間、カイトはキメラアントの死骸を更に検分していた。

 

 ――これは……――

 

 死骸から、そして周囲の戦闘痕跡からここで行われた戦闘を推察するカイト。そこから導き出されたのは、アイシャの実力の高さだ。どうやらゴン達の言うことは話半分ではないかもしれない。

 そういう期待も膨らみ、キメラアントの王が産まれる前に女王に辿り着ける可能性が高まってくるのを感じるカイト。

 

 ――ゴン達といい、そのアイシャという奴といい、期待以上にも程があるな――

 

 カイトはまだまだ己が未熟だと自嘲して己を戒める。

 ゴン達を導くつもりだったが、彼らはここまで殆ど自分たちの力でやって来たのだから。例えカイトがいなくとも、ゴン達はこの場まで辿り着き、アイシャと合流してキメラアント事件を解決していただろう。

 そう思うと自分もまだまだ負けていられないなとゴン達と同じように気合を入れ直す。

 

 そうしてゴン達は工場を後にする。

 だが、工場から外に出てすぐに全員が気付く。周囲を夥しい数のキメラアントが囲んでいることに。

 

 

 

 ゴン達の周囲を複数のキメラアントが取り囲んでいる中、1体のキメラアントがゴン達に近付いて来た。

 

「さて、お前たちには3つの選択肢がある。

 ①戦う順番を決める。

 ②逃亡を試みる。

 ③諦めて我々に捕まる」

 

 蛙型のキメラアントがゴン達に選択肢を突き付ける。

 それは彼らがゴン達を完全に餌としてしか見ていない余裕から来るものだった。

 仲間の情報から、ゴン達がレアモノだと聞いてはいるが、4つの師団が集まった自分たちが負けるはずはないと思い切っているのだ。

 

「①を選べば――」

「④だ」

「……あ?」

 

 選択肢を選んだ場合の自分たちの反応をゴン達に教え込もうとしていた蛙型キメラアントの声を遮ったクラピカの言葉が続く。

 

「④時間が勿体ないから殲滅戦に入る。これが私たちの選択だ」

 

 それが戦闘開始の合図となった。

 クラピカが言葉を言い切った瞬間にゴン達はそれぞれ散らばって周囲のキメラアントを殲滅しにかかった。

 最初の犠牲者は先程まで喋っていた蛙型キメラアントだ。理由は1番近かったというだけの簡単なものだ。クラピカが振るった【打倒する人差し指の鎖/ストライクチェーン】によって絡め取られたそのキメラアントは勢い良く振り回され仲間のキメラアントに叩き付けられる。

 

 キルアは二度と使うつもりのなかった暗殺者モードに入る。

 暗殺者としてのスイッチを入れたキルアは、冷静に冷酷にそして効率良く敵を殺す為に行動を開始した。頚椎を捩じ切る、頭部に指を突き入れる等、生命力の高いキメラアントを確実に無力化するように頭部に攻撃を集中させ、瞬く間にキメラアントの死骸を積み上げていく。

 

 ミルキもキルアと同じく暗殺者としての顔を見せる。

 仕事として暗殺者をすることはもうないと決意していたが、これは仕事ではない、人間と蟻の生存戦争だ。キルアに負けない程の技術を発揮し、次々とキメラアントを無力化していった。

 

 ゴンはこの場で最も強いオーラを放っているキメラアントと相対する。

 複数の敵を倒す技術はキルアやミルキに比べて劣るだろうと自覚していたゴンは、出来るだけ強い敵を先に排除することを選んだのだ。それは数で勝る敵を相手にする時に最適な戦法の1つだった。

 

 カイトもゴン達に負けじと周囲のキメラアント達を排除していく。

 その手には具現化した槍を持っており、突く度にキメラアントがその身に複数の穴を空けて大地へと倒れ伏していく。流石にゴン達とは積み重ねてきた経験が違うのか、その動きは誰よりも無駄がないものだった。

 

 

 

「お前ら! この数相手に勝てると思っているのか!?」

 

 ゴンと相対している牛型のキメラアント――ビホーン――がゴンに向かって吼えたける。この状況でまさか総力戦を選ぶなどとは思ってもいなかったのだ。数でも質でも劣る人間ならば、1対1か、逃げるかのどちらかを選ぶものとばかり思っていた。

 

「勝てる勝てないじゃないんだ。オレ達は前に進む、邪魔をするな!!」

 

 ゴンはそんなビホーンの言葉を切って捨てて攻撃を開始する。

 明らかにそこらのキメラアントよりも力強いオーラを発するその敵を、ゴンは師団長クラスだと判断する。つまりは敵の主力だ。これを倒せれば戦況はゴン達の側に傾くだろう。

 

「舐めるなよ人間風情が!」

 

 ゴンの拳とビホーンの拳がぶつかり合う。

 威力は拮抗し、互いに拳が弾かれる。

 

「び、ビホーン様と互角!?」

「ば、馬鹿な!? オレは師団長No.1の怪力なんだぞ!?」

 

 嘘か誠か、ビホーンは仲間内では怪力で知られているようだ。

 確かに純粋な膂力ではゴンを圧倒するだろう。それはゴンも拳と拳が触れあった瞬間に感じ取った。

 だが……膂力だけで勝負が決まるならばオーラ等戦いに必要なくなるだろう。

 

「力が有っても……オーラの使い方がなっちゃいない!」

 

 ゴンは修行によって身に付けた高速の攻防力移動を駆使して攻撃の度にオーラを一点に集中させる。更に殴る時には力が伝わりやすいよう足首から腰の捻りなど、回転を加え拳に更なる力を乗せていた。

 単純な腕力ではビホーンはゴンを圧倒するが、それ以外の全てに置いてゴンはビホーンを上回っていた。

 

「最初はグー!」

 

 ゴンの右拳にオーラが集中していく。それを見てビホーンはすぐにその攻撃を潰しにかかった。この一撃を放たさせてはならないと直感したのだ。それは野生の勘とも言えるものだろう。

 だがその程度の妨害は、今までの修行で何度となく味わっていた。

 

 ゴンは右拳に集中させていたオーラをそのまま両足に移動させる。

 集まったオーラを噴出力に変えたかのように、その場から高速で移動するゴン。

 溜めの姿勢に入っていたゴンが目の前から一瞬で消えたことでビホーンはゴンの姿を見失ってしまう。

 

「ど、何処に――」

「ジャンケン! チー!」

「――ッ!?」

 

 ゴンがいたのはビホーンの真後ろだ。それに気付いた時にはビホーンの体は逆袈裟に切り裂かれていた。

 刃状に形状を変化させたオーラで対象を切り裂く。これがゴンの【ジャンケンチー】だ。その鋭い刃は固いキメラアントですら容易く切り裂いた。

 

「び、ビホーン様が!?」

「さあ、次は誰だ!」

 

 ゴンの叫びに周囲のキメラアントが後ずさる。

 

「来ないなら、こっちから行くぞ!」

 

 

 

 キルアは戦場で1体の師団長を発見した。

 師団長だろうとキルアの殺り方に変わりはない。他のキメラアントのように一瞬で頭部を破壊しようと樹上から駆け下りる。

 だが、チーター型のキメラアント――ヂートゥ――はその攻撃が体に触れるすんでの所でキルアの想像を遥かに上回る速度でその攻撃を回避した。

 

「惜しい! もうちょっとだったね!」

 

 ――こいつ! 疾い!――

 

 キルアはヂートゥのスピードに脅威を抱く。

 それは純粋な疾さでは素のキルアを軽々と上回っていた。

 

「オレより遅いけど中々やるじゃん。今度はオレと遊ぼうよ!」

「……悪いけど、オレ今遊んでる暇ないんだよね」

 

 キルアとヂートゥの勝負が始まる。

 その勝負は他のキメラアントが割って入ることを許さない速度で行われていた。

 キルアが瞬時に数発の攻撃を急所に叩き込もうとするも、その全てをヂートゥは当たるギリギリまで引きつけてから回避していた。それはヂートゥとキルアの間に絶対的なスピード差があるという証拠だ。ヂートゥはキルアの攻撃を目で見て確認してから避けられる程の動体視力と反射速度を有しているのだ。

 

 更にそこからヂートゥは反撃に出る。

 自慢のスピードを遺憾なく発揮し、足を止めずにキルアの周囲を高速で回り続け、全身に攻撃を浴びせる。

 一撃一撃の威力は然程でもない。キルアの顕在オーラならば大したダメージにはならないだろう。速度に関しても、ヂートゥは己のポテンシャルをそのままにぶつけているだけだ。技術のない戦い故に、キルアならばいずれその動きを捉えるだろう。

 

 だがキルアはそれを面倒に感じた。

 いつかは捉えられるだろうが、それにはまだまだ時間が掛かる上に、もし逃げに徹せられたら取り逃がしてしまう可能性もあった。

 

「あははは! どうしたの? まさか見えなかったの? 避けないと死んじゃうよー?」

 

 だからキルアはヂートゥが油断している間に能力を解放して勝負を決めに掛かった。

 

 ――【電光石火】――

 

「あはは……あ? 何それ?」

 

 キルアが電気を帯びたことによりその雰囲気を一変させる。

 それは調子に乗ったヂートゥを警戒させるには十分な変化だった。

 ただ、警戒しても意味はなかったが。

 

 キルアの体の変化を見たヂートゥは、次に信じられないモノを見た。

 いや、見たというのは正確ではない。見えなかった、が正しいだろう。

 そう、誰よりも疾い、誰の動きもスローで見えるはずのヂートゥが、キルアの姿を見失ったのだ。

 

「え? がっ!?」

 

 キルアの一撃はヂートゥの顎を掠めるように放たれた。

 その一撃を回避することはおろか、防御することも出来ずにまともに受けたヂートゥはその場で尻餅をつく。

 

「あれ? どうしたの? まさか見えなかった?」

「~~ッ!!」

 

 キルアのその挑発めいた言葉はスピードに絶対の自信があったヂートゥのプライドを刺激するには十分だった。

 怒りに狂ったヂートゥは格の差――スピードの差――を見せつけてやろうと立ち上がる。だが、そんな下らない誇りに付き合ってやる程キルアも甘くはないし、余裕もない。

 

「このガキ! ちょっと手加減してやれば調子に……! あ、あれ?」

 

 顎先を掠めた先の一撃は、ヂートゥの脳を多大に揺らしていた。

 脊椎動物と同じ最大の重要器官、脳。それが出来たことはキメラアントにとって最大の進化であり、また最大の弱点が出来たことでもあった。

 脳を激しく揺らされたヂートゥはまともに立つことも出来ずにたたらを踏む。何とか体勢を直そうとするも、それはキルアからすれば隙だらけの行動だった。

 

「ぐぎぃっ!」

 

 キルアは文字通り電光石火のスピードでヂートゥの首を捻じ切る。

 視界が大地に向かって落ちていくヂートゥが最期に聞いた言葉は、ヂートゥの全てをへし折るものだった。

 

「残念だけど、オレよりは遅いね」

 

 

 

 クラピカは【打倒する人差し指の鎖/ストライクチェーン】を高速で振り回しながら周囲のキメラアントを次々となぎ倒していく。

 【打倒する人差し指の鎖/ストライクチェーン】の先端に付いてある錘は重くそして尖っており、クラピカがオーラを集中させ、更に遠心力を加えることで硬いキメラアントの装甲を突き破っていく。

 

 そうしてキメラアントの数を順調に減らしているクラピカに向かって何かが飛来してきた。飛来してきた何かに気付いてクラピカは後方へと下がる。そしてその飛来した何かを確認した。

 

「……糸?」

 

 そう、それは糸だった。だがただの糸ではない。一目見て粘着性を持つ糸だとクラピカは気付いた。

 そしてもう1つ、あることに気付いた。そう、まるでこれは“蜘蛛”の糸のような……。

 

「今のを避けるだなんでやるだなー」

 

 樹上に糸を付けて降りてきたのは1体のキメラアントだ。

 見た目は蜘蛛を元にしたキメラアントだとハッキリ分かる程蜘蛛の形を残している。この蜘蛛型のキメラアント――パイク――が先程の粘着性の糸を出したのだろう。

 

「なははは! 中々強いだお前さん。んだが、このパイク様が――」

「――黙れ」

「え?」

 

 パイクはクラピカの急変に唖然とした。

 気のせいか瞳の色が緋色に染まり、その身から溢れるオーラの力強さは格段に上がっていた。先程までとは違う、圧倒的な強者の威風を纏うクラピカにパイクは恐怖し怖気づく。

 

「そのような姿で産まれた己の不幸を呪え」

「な、何を言ってるだーッ!?」

 

 だがパイクは恐怖を拭いさりクラピカへと粘着糸を飛ばす。

 例えどれだけ強者だろうとも、この粘着糸に絡まれば身動き出来なくなる。この粘着糸が怪力No.1のビホーンですらちぎれなかったことからパイクはそう確信している。

 クラピカは鎖を振るうことでその粘着糸を鎖に巻きつけ体に届かないようにする。

 

「とったど!」

 

 パイクは粘着糸を全力で引っ張ることで鎖ごとクラピカを引き寄せようとする。

 だがクラピカは鎖に籠めていた力を緩めた。全力で引っ張っていたパイクは急な変化に対応出来ずバランスを崩すことになる。

 

「おお!?」

 

 そしてバランスの崩れた所でクラピカが今度は鎖を思い切り引き寄せる。

 力で勝っていたはずのパイクはバランスを崩され上手く力の流れを誘導されたことで簡単にクラピカへと引き寄せられてしまった。

 

「ああー!?」

 

 クラピカは具現化していた【打倒する人差し指の鎖/ストライクチェーン】を消し去り、糸から解放した後に瞬時に具現化し直す。

 そうしてバランスを崩したパイクを【打倒する人差し指の鎖/ストライクチェーン】で巻きつけ、思い切り振り回し――

 

 ――後ろから迫っていたキメラアントに勢い良く叩き付けた。

 

「ぐっ!?」

「おおぅ!? ざ、ザザン殿ー!?」

 

 ザザンと呼ばれる蠍のような尾を持つ女性型のキメラアントはパイクと戦っているクラピカの隙を狙っていたようだ。

 だが戦場において、目の前の敵のみに意識を向ける程クラピカは未熟ではない。

 クラピカは鎖にパイクを絡めたまま更にザザンへと叩き付けようとする。

 

「のわーーっ!」

「何をしているのパイク! 糸を出して動きを止めなさい!」

 

 鎖に絡まれた状態でも糸は出せるだろう。そして粘着性の高い糸ならば、周囲の木々に糸を付けることで動きを固定し、現状を打破することも可能だろう。

 だが、そう出来ない理由がパイクにはあった。

 

「そ、それがー! 糸を出すぐぎゃ! あ、穴がぁぶへっ! く、鎖で塞がれおごっ!」

 

 何度となくザザンに向けてパイクを叩き付けるクラピカ。そしてザザンはそれを避ける。その度にパイクは地面や木や岩などに体を叩き付けられることになる。

 

「くっ! この……!」

 

 この役立たず。そう言おうとしてザザンは何とか思いとどまる。

 パイクはメンタル面が脆いのだ。上司であり尊敬するザザンに褒められれば調子が上がるが、貶されでもすれば戦力にならないレベルで落ち込むだろう。

 

「仕方ないわね!」

 

 ザザンはパイクを助ける為に攻撃に転じた。

 自身に迫るパイクを避け、パイクと鎖が通り過ぎた瞬間にクラピカへと駆け寄る。

 

 ――疾いな――

 

 その動きはクラピカから見てもかなりのレベルだった。素の状態のクラピカなら面倒な相手だったかもしれない。

 だが今のクラピカは全ての能力が【絶対時間/エンペラータイム】によって底上げされていた。

 

 鎖を掻い潜って迫ってきたザザンをクラピカは冷静に対処する。

 ザザンの攻撃を片手と体術でいなし、その間に鎖を引き寄せてまたもパイクをザザンへとぶつけようとする。

 だがその攻撃をザザンは素早く躱した。ザザンが避けたことで、後ろから迫ってきたパイクは勢いをそのままにクラピカへとぶつかろうとする。

 

 ――馬鹿ね! 自爆しなさい!――

 

 だがその程度のことは、自身の攻撃が避けられた後の状況などクラピカの予測範囲内だ。パイクがザザンに当たればそれで良し。当たらなければ……。

 

「はぁっ!」

「っ!?」

 

 自身に向かってきたパイクに止めをさせば良し、だ。

 迫ってくる勢いに合わせて、オーラを籠めた拳を叩き込む。それだけでパイクの頭は粉砕された。

 クラピカは拳を振るい血と脳漿を落としてザザンを睨みつける。

 

「き、貴様……!」

「……ふむ。お前はこれが私たち人間とお前たちキメラアントの殺し合い、戦争だというのを理解しているか?」

 

 クラピカは部下を殺され激昂したザザンに向かってそんなことを聞く。

 今さら何を言い出すのかとザザンは一瞬呆けるが、すぐに自分を舐めているのだと怒りに我を忘れる。

 

「何を当たり前のことを――」

 

 当たり前の指摘をするクラピカに、怒りを以て応えようとするザザン。

 怒りは、最後の切り札である真の姿で己の全力を見せつけ、恐怖に慄く目の前の人間をゆっくりといたぶってやろうという嗜虐的な思考に変わっていく。

 だが、真の姿を見せるまもなく、ザザンの命は潰えた。

 

「――言って……え?」

「悪いなクラピカ。お前の獲物だったか?」

 

 ザザンの首はミルキによって360度1回転させられていた。

 どうやら戦場を巡ってキメラアントを殺していたミルキによってザザンは新たな獲物に数えられたようだ。

 クラピカのみに意識を取られていたザザンの隙を突くことなど、暗殺者としての人生を歩んで来たミルキにとって息を吸うように当然のことだった。

 

「いや、問題ないさミルキ。……どうやら理解していなかったようだな。殺し合いで目の前の敵のみに注意を取られるとそうなる。来世があれば活かすといい」

 

 その言葉を言い終えると同時にクラピカはザザンの頭部に向かって鎖を振るう。

 オーラを集中させた錘は、ザザンの頭部を無慈悲に砕いた。

 

 

 

 

 

 

「終わったようだな」

 

 カイトは周囲に生きたキメラアントがいないことを確認した後、ゴン達と合流する。

 

「お疲れ皆」

「全員無傷だね。これなら女王まで行けるんじゃない?」

「いや、師団長クラスは相当なレベルだった。油断すると危ないぞ」

「確かにな。1対1ならいいが、複数を同時に相手すると厳しいぞアレは」

 

 戦闘が終わり、キメラアントの戦力の一端に触れたゴン達は各々の意見を言い合う。

 

「油断はしないよ。だけどよ、アレはまだ念能力者として未熟なんだぜ? それなのにあの強さだ。時間を置けば置くほど奴らは進化する。このままアイシャと合流して一気に女王を潰すのが最善だろ?」

「……確かにそうだな」

 

 キルアの意見は至極もっともだ。

 時間を与えれば与えるほどキメラアントは進化する。念能力の練度を高め、新たな発を作り出し、女王は強力なキメラアントを産み、そして王が産まれてしまう。

 王は別の種の雌に女王を孕ませ、そして女王はまた王を産む。時間を与えればこのように人間にとって負の連鎖が出来上がってしまうだろう。

 

「よし、早く進むぞ。アイシャという女性は既にキメラアントの巣に到達しているかもしれないしな」

「そうだね。アイシャなら本当に1人で全部終わらせてそうだし」

「そうなる前にオレ達もアイシャに合流しなくちゃな。美味しいところを全部アイシャに持ってかれちまう」

「私たちがアイシャより先に女王を倒すというのも有りかもしれん」

「いいなそれ。アイシャ驚くだろうな」

「多分怒られるだろうけどね」

「オレ達を置いて行ったんだ。こっちが怒ってやるさ」

 

 そうやって何時も通りに話すゴン達を見てカイトは頼もしく思いながらも、何処かで不安を感じ始めていた。

 

 ――順調だ。順調すぎるくらいに順調だ。これなら王が産まれる前に女王の元に辿り着ける――

 

 そう思いつつも、何か見落としているような、漠然とした不安を感じるカイト。

 そんなカイトの不安を知らずにゴンが話し掛けてくる。

 

「――イト。ねぇっカイトってば」

「っ!? あ、ああ、どうしたゴン?」

「どうしたってさっきから呼んでたのに、聞こえてなかった?」

「悪いな。少し考え事をしていたんだ。それで、どうしたんだ?」

「もう、カイトの能力だよ。さっき槍を具現化してたけど、あれがカイトの能力?」

 

 どうやらゴンはカイトの能力が気になったようだ。

 カイトはそんなゴンに対して自身の能力を簡単に説明する。

 

「ああ。オレの能力は【気狂いピエロ/クレイジースロット】と言ってな。ルーレットで出た1から9までの数字によって様々な武器に変化する」

「ルーレットって、出る武器は自分で選べないってこと?」

「ああ。その上一度出した武器はちゃんと使わない限り変えられないし消せない。しかもピエロが勝手に喋る。全くもって鬱陶しい能力だ」

 

 ――なら何故そんな能力に……――

 

 ゴン達の内心が一致した。

 カイトの能力はゴンの父親であるジンの協力の元に作り出された物だが、何故このような能力にしたかは全くもって謎である。

 

「お前たちの能力も見させてもらったが、オレと違って中々使い勝手がいいようだな」

 

 カイトも戦場で見たゴン達の戦法や能力から各々が得意とする系統や能力の一部を言い当てる。

 特に能力らしい能力を見せなかったミルキだけは分からなかったが、今後のことを考えて全員の能力をある程度教え合ったので問題はないだろう。

 まあ、もっと早くにしておけば良かったことだろうが。

 

 そうして仲間と話している内にカイトは自身の不安を打ち消していく。

 だが、何時までも拭いきれない不安がカイトに薄くまとわりついていた……。

 

 

 

 カイト達が4個師団を壊滅させたのに有した時間はアイシャが同じく4個師団を壊滅させた時間よりも早かった。

 それはカイト達の戦力がアイシャを上回っていたというより、単純に人数が多いための手数の差だ。

 さしものアイシャも1人で出来ることには限界がある。複数の師団をたった1人で壊滅させるのは多少の手間が掛かったのだ。

 

 ともかく、カイト達はアイシャとほぼ同時に4個師団を相手取り、アイシャよりも早くに敵を殲滅した。

 だからだろう。先に巣に近付いていたアイシャよりも早くに、カイト達が巣の目前まで辿り着いたのは。まあ、目前と言ってもまだ2km以上は離れているが。

 ここまで来てアイシャと合流出来なかったのは、単にアイシャがカイト達の辿った道を大きく外れていたからだ。それはアイシャがNGLにやって来ていた他のハンター達を救う為に山のあちこちを移動していたのが原因だ。

 

 キメラアントの巣を肉眼で確認したカイトが、次に観たのは有り得ない程膨大な広さを誇る円だった。

 アメーバのように形を変えながら最大で2kmまで延びる円を観て、カイトはその円に触れるか触れざるかで悩んだ。

 

 ゴン達もその円を観てしまった。そして理解した。アイシャが自分たちを置いて行った理由を。

 見ただけで死をイメージさせるオーラ。それも円で、だ。

 全身を纏うオーラを大きく広げることで円は出来上がる。これを2m以上に広げ、1分以上維持するのが円の最低基準だ。

 目の前の円は最大で2kmまで延びている。なのに死をイメージさせる程の密度と不吉さを持っているのだ。

 

 こんなのを相手に自分たちが勝てるのか? ここまでキメラアント相手に完勝してきたゴン達にそう思わせる程の実力者。そんな化け物が敵にいる。

 勝てるのか? アイシャは何処にいるんだ? まさかもう殺られたのか? そんなはずはない? だが敵は健在だ。

 様々な思いが交錯し、ゴン達は思考が混乱状態に陥った。強くなったが故に起こった軽いパニック症状だ、今のゴン達ならば直に落ち着くだろう。

 

 だが、事はゴン達が落ち着くのを待ってはくれなかった。

 

 明らかに強者の気配。恐らくこの円に触れてしまえばキメラアントでも最大の戦力が出てくるだろう。

 だがこの円の中に踏み込まないと女王の元には辿り着けない。そうなると人類は絶滅の一途を辿るやもしれないのだ。

 そして何より、カイトはこの円に触れてみたかった。この円の持ち主がどれだけ強いのか知りたかったのだ。それは闘いを生業にしている者にとって本能とも言えるだろう。

 

 大丈夫だ。自分だけではない。強力な仲間がいる。

 それが後押しとなり、カイトはその円に足を踏み入れた。

 そしてそれをゴン達は止めることが出来なかった。混乱から立ち直ったゴン達が気付いた時には、カイトは円に足を踏み入れていた。

 

「駄目だカイト!」

 

 全ては遅かった。カイトは円に触れてしまったのだから。

 そして瞬時に理解した。圧倒的な力を、実力の差を、生物としての根本的な差を。

 

「……化け物だ」

「くっ! 退くぞ!」

「馬鹿! アイシャはどうするんだ!?」

「こうなったら全員で迎え撃つぞ!」

「うん!」

 

 カイトが実力の差を実感した時にはゴン達は臨戦態勢に移っていた。

 それは敵の圧倒的な力に触れたカイトからすれば愚かな行為にしか見えなかった。

 

「逃げろ! ここから早く離れるんだ! オレが招いた結果だ、オレが抑える!! だから早く――」

 

 ――不吉を運ぶ猫が、巣から跳び立った。

 

 




 カイトの槍は勝手に出したオリジナル設定です。原作でカイトのピエロが槍になるかは分かりません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十四話

 キメラアントの巣に幾つもある部屋の一室に、3体のキメラアントが集まって寛いでいた。その3体は王が産まれていない今、女王に次いで地位が高く、そしてキメラアント最強の王直属護衛軍と呼ばれる者達であった。

 

「ん~、師団長達はちゃんと餌を獲ってくるかな~?」

「負けたとしても問題はない。餌の備蓄は大量にありますから」

「でもよ。そいつ等レアモノなんだろ? だったら女王に捧げた方がいいんじゃないのか?」

 

 モントゥトゥユピーの疑問はもっともだ。女王に最高の王を産んでもらうためには上質の餌を提供することが1番重要だ。ただの餌だけならば王が産まれるまでは十分だろうが、レアモノは1体で並の餌の千倍以上の栄養になるのだ。王がより強く、より強靭に、より聡明に産まれてもらう為にはレアモノは1体でも多い方がいい。

 しかも現在巣の近くに来ているレアモノはこれまでに幾つものキメラアントを返り討ちにしている。つまり並のレアモノよりも更に上質の餌であるということだ。

 

「彼らがレアモノを捕らえて来たのならばそれで良し。そうでないならば私たちの誰かが出ればいい。それだけのこと……」

「んー。女王の警護はどうするニャ?」

「師団の大半はここに残っています。それと私たちの内2人が残っていれば警護には十分でしょう」

 

 現在キメラアントの巣には20の師団が残っている。1つの師団には師団長が4~5匹の兵隊長を従え、更に兵隊長がそれぞれ10~15匹の戦闘兵を指揮している。

 つまり巣の中に戦闘出来るキメラアントは1000体近くはいるということになる。そこに師団長を遥かに上回る力を持つ護衛軍の2体がいれば、女王の守りは磐石と言えよう。

 

「じゃあその時はオレに行かせろよ。ここで待つよりは楽しそうだ」

「それは駄目。だってボクが行くんだからさ」

「ああ? オレが行ってもいいだろうが」

 

 ずっと巣に篭っていて暇で仕方ないモントゥトゥユピーは不満をタラタラにするが、ネフェルピトーは断固として意見を変えなかった。

 

「だってボクずっと円で巣を警戒しているんだよ? それくらいのご褒美があってもいいと思わない?」

「ぐ……」

 

 そう、巣を覆うアメーバ状の円はネフェルピトーのものだった。

 これまでずっと円を展開して侵入者が来ないかを調べていたのだ。つまり現在護衛軍でもっとも仕事をしているのはネフェルピトーと言える。

 だからこのネフェルピトーの言い分にはモントゥトゥユピーも言葉を返せないでいた。

 

「じゃあオレが今から円の役割を代わるからよ――」

「ユピーの円って何mまで延びるの?」

「……」

 

 論外だったようだ。

 護衛軍で円を最も大きく広げられるのはネフェルピトーで、その次がシャウアプフだ。モントゥトゥユピーはダントツのビリ。そういうのが苦手なタイプのようである。

 

「……分かったよ。だけど次に侵入者が来たらオレの番だからな!」

「分かったよ。ま、次も何も、レアモノ捕獲部隊が上手くやっていたらボクらの出番は――」

「――どうしましたピトー?」

 

 急に様子の変わったネフェルピトーを訝しむシャウアプフ。

 ネフェルピトーは嘆息し、そしてすぐに微笑を浮かべた。

 

「どうやら出番があったみたい。ちょっと行ってくるね」

 

 その微笑は力を振るえることによる歓喜から来るモノだった。

 ネフェルピトーは巣の防衛を残った仲間に任せてその場を立ち去った。

 

「侵入者ですか……」

「あいつ等ほんと役に立たねぇな」

「問題ありません。彼らには元から期待していませんから。女王を、王を守るには私たちがいればいい。それだけのこと……」

 

 そう言いながらシャウアプフはネフェルピトーの代わりに円を展開する。その大きさはネフェルピトーには及ばないが、一般の念能力者が展開する円とは比べるまでもない大きさであり、巣の周りを覆うには十分な広さだった。

 後は女王の元に2匹の護衛軍が控えていればいい。それで護衛は問題ないだろう。そう、2匹は思っていた。

 

 

 

 ネフェルピトーは防衛を残った仲間に任せて巣にある穴から外を眺める。円に反応した場所を見つめ、そこにいた複数の人間を発見する。2kmも離れ、木々に囲まれている小さな人間を視認するその視力は人間を軽く凌駕していた。

 

「見ーっけ――」

 

 発見と同時に、ネフェルピトーの両足は音を立てながら膨張した。張り詰められた筋肉を解き放とうとするその姿勢は、まさに猛獣が飛び掛る前の準備姿勢を思わせた。

 

「――た!」

 

 瞬間、ネフェルピトーの体は円に侵入した人間、カイトの元へと跳び立っていた。

 2kmの距離などなかったかのように一足飛びで距離を詰めていくネフェルピトー。その動きを見切れていた者など、カイト達の中には誰もいなかった。

 そう、カイト達の中には、だ。

 

 円を消して侵入者を殺すことのみに意識を向けていたネフェルピトー。

 だが、巣から跳び立ってカイト達に近付いている最中。1秒にも満たぬその刹那の時間で、ネフェルピトーは侵入して来た〝餌〟等とは比べ物にならないナニカに感づいた。

 円で確認したわけではない。気配を察知したわけでもない。そもそも意識は完全に餌へと向けられていた。なのに幽かな予感がネフェルピトーを過ぎった。そしてそれはすぐに直感に変わった。

 

 ――餌ではない! 敵がいる!――

 

 

 

 

 

 

「逃げろ! ここから早く離れるんだ! オレが招いた結果だ、オレが抑える!! だから早く――」

 

 カイトの叫びは何もかもが遅かった。既にネフェルピトーは巣から跳び立っており、ゴン達は逃げる素振りを見せずに立ち向かおうとしている。

 ジンの下で修行して、ジンから与えられた最終試験であるジンの発見も乗り越えて、1人前のハンターになったと自覚していたカイト。

 そのカイトが勝ち目がないと判断した。例え全員で掛かっても全滅の恐れがある化け物が後1秒も間を置かずに襲来するのだ。

 

 全ては己の撒いた種。愚かな自負が全員を窮地に陥れた。せめてゴン達だけでもと思ったが、そのゴン達はカイトの心を知らずか誰も逃げようとはしない。

 絶望がカイトを襲う中、前方から不吉を運ぶ凶猫がカイトの――

 

 

 

 ――カイトの真横を……通り過ぎた。

 

「――な!?」

 

 ――無傷!? 何故!?――

 

 困惑するカイト。完全に無防備な状態を晒していたはず。あのタイミングで攻撃しない理由など何処にもない。

 死すら覚悟していた。四肢の1本で済んでいたら御の字と言えた。そんな隙を何故狙わなかったのか。

 

 理解が追いつかない中、カイトを、否、カイト達を更なる困惑が襲う。

 圧倒的オーラを放つ目の前の化け物が、周囲にいる人間の誰1人にも目を向けておらず、まるで周囲には何もいないかのように振舞っているのだ。

 

 それだけではない。凶猫は何かを警戒するように一点を見つめていた。これ程の存在が何を警戒しているというのか。混乱が頂点に達しようとしていたカイト。

 

 ネフェルピトーがこの場に降り立ってまだ1秒も経っていなかった。

 その僅かな時間に、この場の誰もが数十倍の時の流れを感じる。動きは取れずとも思考のみが加速していく中、眼前の化け物に対してどう動こうかを全員が模索する。

 

「逃げ――」

 

 逃げろ。こいつはオレが引き付ける。

 混乱を振り切ったカイトがゴン達を逃がす為に発しようとした台詞は最後まで言い切ることは出来なかった。

 

 何故なら……不吉を告げる凶猫に、武神が死を告げにやって来たからだ。

 

 

 

 

 

 

 ネフェルピトーが巣から跳び立ったのと同時にアイシャもゴン達の元へと跳び立っていた。

 

 ――何故ゴン達がここに!?――

 

 疑問は幾らでも出てくるが、今はそんなことを考えている場合ではないとすぐに無駄な思考を振り切る。考えるべきは、ゴン達が犠牲になる前にあの敵を倒すこと!

 全身の筋肉を無駄なく稼働させ、オーラを最大限に効率的に使用し、アイシャはネフェルピトーに匹敵する速度でその場から高速移動する。

 オーラを勢い良く放出することで更なる加速を促し、ネフェルピトーに遅れることコンマ数秒の差でゴン達の元に到着する。

 

 アイシャが到着する直前。まだアイシャの姿が誰の目にも映っていない時、ネフェルピトーはアイシャのオーラに誰よりも早く気付き、不気味な笑みを浮かべた。

 最高の玩具を見つけたのだ。目の前の餌など歯牙にも掛ける必要のない……いや、歯牙に掛ける暇すらないほどの玩具を。この玩具を前に無駄なことをすれば待っているのは己の死だ。

 

 アイシャが大地に着地するよりも早くにネフェルピトーはアイシャへと飛び掛る。

 激突する最凶と最強。2人のファーストコンタクトは空中だった。

 

「かっ!」

「しゃっ!」

 

 空中ですれ違う2人。その刹那の間にも攻防が繰り広げられていた。

 嬉々として飛び掛って来たネフェルピトーはアイシャに向けて拳を振り抜く。

 それを紙一重で躱したアイシャは通り過ぎようとしているネフェルピトーの脇腹をえぐり抜く勢いで肘を放つ。

 だがそれはすんでの所で同じく肘で防がれた。そのままアイシャはゴン達の傍に、ネフェルピトーは離れた木へと着地する。

 

「あ、アイシャ!?」

「おま、どっから――」

「――下がってなさい!」

 

 急に現れたアイシャに驚き、話しかけてきたゴン達だが、それをアイシャは一喝して黙らせた。眼前の敵は油断すればアイシャでも負けうる存在だ。そんな強敵との戦いにゴン達が割って入りでもしたら命の保証は出来ない。

 大切な友を、仲間を、弟のように思っている存在を失くしたくない。

 そんなアイシャの想いが篭った言葉は、ゴン達にはこう聞こえていた。

 

 “足手纏いだから下がってなさい”

 

 そしてそれはあながち間違いではなかった。

 もし今アイシャが割って入らなければどうなっていたか。

 ネフェルピトーを目の前にして、勝てるイメージを持てた者は誰1人いなかった。

 全員が力を合わせれば倒せてたやもしれない。だが、冷静さを欠いた状況では何人かは犠牲になったかもしれない。

 ゴン達は誰もがその思いに至り、未だアイシャの足元にも及ばない己の実力に歯噛みした。

 

 

 

 アイシャは風間流の構えにてネフェルピトーを待ち構える。

 対してネフェルピトーは樹枝の上で四足獣のように身を丸める。その大腿部はカイト達を襲撃する直前に見せた強張りの倍程までに膨らんでいた。

 全力全開。全ての力を突進力に変えてアイシャに向かって突撃する。ネフェルピトーが足場にしていた樹の枝は、その踏み込みで完全に砕け散っていた。

 その反動さえも突進力とし、瞬きをする間にアイシャへ飛来するネフェルピトー。その速度はキメラアント最速を自負していたヂートゥを遥かに上回っていた。

 

 だが、こと疾さに関する対応力でアイシャ以上に経験のある者などこの世にいるかどうか。

 最大の好敵手であるネテロが放つ【百式観音】は始動から発動までが0.1秒を切る最速の攻撃能力。不可避の速攻である。

 それを千を超える回数受け続けて来たのがアイシャだ。前世と今世で【百式観音】に対抗する為にどれだけの労力を費やしたか。

 そんなアイシャからしたら、ネフェルピトーの突撃はまだ対応可能なレベルであった。

 

 突進するネフェルピトーの攻撃を僅かに体をずらすことで避け、その上でネフェルピトーの体に触れて力の流れを変化させる。

 あとはネフェルピトーの突進力にアイシャの力を加える。それだけでネフェルピトーは明後日の方向へと吹き飛んでいった。

 その場に残っているのは先程までと僅かに姿勢の変わったアイシャのみ。誰もが何が起こったのかを視認することは出来ないでいた。

 

 何が起きたのかはネフェルピトーでさえ理解出来なかった。攻撃を避けられたと思ったら、次にはあらぬ方向へと己が吹き飛ばされていたのだ。

 空中で完全に姿勢を崩して吹き飛ばされていくネフェルピトーに出来たことは全身を全力の堅で守ることだけだった。

 轟音が鳴り響き、少しして木々が倒れる音が続く。

 

「あぐぅ!?」

 

 ネフェルピトーは木々を幾本も犠牲にし、大岩に叩きつけられてようやく止まることが出来た。強大なオーラで守られた体に大きな損傷はないが、木々や岩に強く打ち付けられた為に全身が痛む。

 痛みを糧に、改めて敵の強さを認識する。アレは玩具ではない。自身を殺しうる最大の敵だ、と。それは女王を害する危険すら起こりうるということだ。女王を害されるということは、すなわち王を害するということ。それを許せる護衛軍などいるわけがない!

 王の為、命を賭してでもアイシャを殺す。死すら厭わぬ覚悟を以てアイシャの元へと駆け寄ろうとして――ネフェルピトーは咄嗟にその場から飛び退いた。

 

 次の瞬間には先程までネフェルピトーの頭部があった位置と胴体があった位置を鋭く研ぎ澄まされた念弾が2本ずつ通り過ぎていく。その念弾は余計な破壊を生み出さずに、進行上にある障害物に綺麗な穴を空けて彼方へと過ぎ去っていった。

 あのまま立ち止まっていれば、アイシャに向かって直進していれば、ネフェルピトーは死ぬか、死なぬまでも多大なダメージを負っていただろう。

 

 アイシャは念弾の手応えのなさに敵がまだ健在であると知る。元よりこの程度で倒せるとは思ってもいなかったが。

 あのタイミングでも避けられたとなるとこの距離から念弾で追撃しても意味はないと悟る。アイシャはネフェルピトーを逃がさない為にもこの場を離れネフェルピトーの元へと駆け寄っていく。

 

「アイシャ!」

「くそっ! 追いかけるぞ!」

「待てっ!」

 

 アイシャを追いかけようとするゴン達をカイトが止める。

 

「正気かお前ら! あの娘を追いかけてどうしようってんだ!? まさか加勢するとか言うつもりじゃないだろうな!?」

「……もしアイシャが危なくなったら加勢するよ」

「っ! ばっかやろう! オレ達じゃあの娘の足手纏いだって分からないのか!! 行った所で加勢どころか邪魔になるだけだ!」

「そんなこと、カイトに言われなくたって分かってるさ」

「私たちがどれだけアイシャと共に過ごして来たと思っている」

「言っただろ。オレ達全員合わせてもアイシャの足元にも及ばないんだ。それにゴンの言ったことをちゃんと聞いたのかよ? ……もしって言っただろうが」

 

 カイトの叫びにキルア達は冷静に返す。

 そしてゴンはアイシャへの揺るぎない信頼をカイトにぶつけた。

 

「アイシャがあんな奴に負けるはずがない! オレ達はそれを信じて見守るだけだよ」

 

 加勢した所でアイシャの邪魔になるだけなのは分かっている。

 だが、それならせめてアイシャの戦いを見守りたかったのだ。

 力不足だが、それでもあの戦闘に割って入りさえしなければゴン達ならば自分の身を守ることは出来る。例えネフェルピトーがゴン達に狙いを変更したところで、多少は粘ることも出来るだろう。

 いや、全員で固まって行動していれば、全員で冷静になってネフェルピトーに対処すれば、それなりに戦えるとさえゴン達は思っていた。

 

 アイシャの無事な姿を確認出来て、ネフェルピトーを相手に互角以上に戦うアイシャを観て、恐慌状態から元の精神状態に戻って来たのだ。

 そうなればゴン達でも敵の戦力を冷静に見ることが出来る。確かに強い。個々の実力では敵いはしないだろう。

 だが1人の圧倒的強者を相手に連携して戦うことには慣れていた。1人で勝てなくても全員でならば犠牲を出さずに凌ぐことは出来る。

 そもそもにしてネフェルピトーがゴン達を狙うことは出来ない。そんな暇などアイシャを相手にしてあるわけがない。そう、アイシャの実力を信じきっていた。

 

「大丈夫だよカイト。アイシャは絶対に勝つ!」

「あんまりオレ達の話を信じてなかっただろ?」

「見るがいい。アイシャの強さを」

「オレのアイシャに勝てる奴なんかいるわけないぜ?」

「お前のじゃないけどな」

 

 この緊迫感溢れる状況にあって談笑するゴン達を見て呆気に取られるカイト。

 そして徐々に自身を縛っていた絶望が薄れていくのが分かった。

 

 ――情けないな。こんな年下に救われるなんてな――

 

 自嘲するも、カイトはすぐに意識を切り替える。

 

「良し、ならお前たちご自慢のあの娘があいつを倒すところを見させてもらおうか」

「そうこなくちゃ」

 

 そうしてカイトを含むゴン達はアイシャとネフェルピトーが戦う場へと急行した。

 

 

 

 

 

 

 ネフェルピトーは自身に出来る最速の攻撃でアイシャへと襲いかかる。

 鋭い爪を振るう。当たれば鋼鉄だろうが切り裂くだろう。鋼のような筋肉からなる脚で蹴りを放つ。当たれば巨岩だろうと砕くだろう。それらの、当たれば即死するような攻撃を幾つものフェイントを混ぜて幾数、幾数十と繰り出す。

 

 だが、当たらない。どれだけ素早く攻撃しようと、どれだけ力を籠めて攻撃しようと、どれだけの攻撃を打ち込もうと、アイシャに攻撃が当たることはなかった。

 

 ――ボクの方が力も! 疾さも! 全部上のはず! なのに!――

 

 なのに当たらない。

 ネフェルピトーが思っている通り、両者の身体能力ではネフェルピトーに軍配が上がる。

 今世では身体能力にも重きを置いて修行をしていたアイシャ。肉体の才能もあってか、日々の修行でリュウショウの頃とは比べ物にならない身体能力を有するようになった。

 だが幾多もの生物を混合させ凝縮して産み出されたキメラアントの中でも特別な王直属護衛軍には及ばなかった。生まれ持った身体能力でアイシャの十余年を軽々と超えているのだ。

 

 だが、アイシャを強者足らしめているのは身体能力などではない。いや、確かに身体能力の高さも戦闘力に関係しているのだが、アイシャの真骨頂はそこではなかった。

 元より身体能力が一般人の域を出ないからこそ学んだのが風間流合気柔術なのだ。弱者である北島晶が、強者に負けじと身に付けた武術。リュウショウと成って柔を極め、最強と謳われたネテロ相手にすら渡り合った。

 

 そんな経験を持つアイシャにとって、今の己とネフェルピトーの間にある身体能力の差など、かつての己とネテロとの間にあったそれに比べれば微々たるものにしか感じなかった。

 絶対に負けられない戦闘故か、張り詰めた緊張が程よくアイシャの精神を高め、その精神性を完全にリュウショウの域に戻したアイシャが目で追いきれる攻撃に対応出来ないわけがなかった。

 

 ――右、右、左、右蹴りから回転して左回し蹴りと見せかけて尻尾、のち左回し蹴り――

 

 身体能力に任せての連撃は、視線、体捌き、オーラの反応、筋肉の動き、そして心情。それら全てを観て相手の動きを予測しているアイシャには通じなかった。

 アイシャは最後の回し蹴りに合わせて仕掛ける。軸足を刈り、バランスを崩したところで同時にネフェルピトーの左足を跳ね上げる。

 合気によって空中で独楽のように勢い良く回転するネフェルピトー。宙で身動きが取れないところに風間流の奥義・木葉舞を放つ。

 

 両手を鞭のようにしならせ、宙にいるネフェルピトーを大地に落とさぬよう、連撃で弾き続ける。右に強く弾かれたと思ったら左に、上に、斜めに、下に、360度縦横無尽に次々と弾かれ続けるネフェルピトー。

 それはまるで嵐に巻き込まれて舞う木の葉のようであった。

 

 反撃もままならない。アイシャの攻撃に合わせて反撃しようにも空中で掻き回されているネフェルピトーにはアイシャの攻撃をまともに予測することも叶わない。

 例え上手く合わせられたところで、反撃自体をアイシャに読まれ別の攻撃に晒されて余計なダメージを負う。

 こうなったら回避は不可能。脱出するには技術で対抗するか、何らかの念能力で対応するしかないのだ。

 

 だが、それは相手が人間だったならばの話だ。

 ネフェルピトーは宙でもがきながら必死の思いでアイシャの腕に尻尾を絡ませてその場から逃げ出すことに成功する。

 尻尾という人間にはない部位が役に立ったようだ。少し離れた樹の枝に着地し、ようやく一息つくネフェルピトー。

 

 ――つ、強い! 何より……上手い!――

 

 ネフェルピトーは完全に技術で圧倒的に負けていると理解する。

 絶対的な力を持って産まれてきた。同等の存在は同じ護衛軍しかいなかった。それ以外の全てが弱者に見えた。自分以上など産まれていない王しか存在し得ないと思っていた。

 だが違った。所詮それは産まれて1年にも満たない子どもの考えだった。ここに来てネフェルピトーは学習する。上には上がいる、力を圧倒する技がある、と。

 

 ――戻るか? 巣にいる2人と協力すれば……駄目だ! こいつを巣に入れてはならない!――

 ――こいつならばあの2人を掻い潜り女王の元に到達しかねない! 王を身篭って動くことも出来ない女王を殺すことなどこいつには造作もない!――

 ――ここで! ここでボクが仕留める!――

 

 王の為。王の為。王の為!

 全ては産まれてすらいない王の為!

 ネフェルピトーはその想いだけでアイシャに立ち向かう。

 

 ――【黒子舞想/テレプシコーラ】!! 限界を越えて舞え!!――

 

 ネフェルピトーの念能力が発動する。

 【黒子舞想/テレプシコーラ】は対象を操作する能力を持つ。本来なら大量の生物を操ることも出来る能力だが、自身に使うことも可能であった。

 ネフェルピトーの背後に現れた巨大で不気味な黒子がオーラの糸でネフェルピトーそのものを操る。それはどんな外傷を負ったとしても、肉体の反応を無視しても、本人の限界を越えて動き続けられる能力。ネフェルピトーは肉体が、命がどうなってもいいという覚悟でアイシャへと立ち向かった。

 

 対するアイシャもネフェルピトーのその覚悟を読み取る。

 発動した念能力の詳細も気になるが、それ以上に危険なのはその覚悟。

 想いが念を後押しする。この戦いが終わった後のことなど考えていないネフェルピトーは先程よりも遥かに強い!

 

 ネフェルピトーはアイシャに技術で上回ることは不可能だとここまでの短い攻防で理解した。アイシャに通常の攻撃は通用しない。力も疾さも、技術で押さえ込まれる。そして技術で勝つことは不可能だ。技術でアイシャに勝るには後100年は修行しなければならないだろう。

 ならばどうすればいい? 簡単だ。今のままで通用しないならばより強く、より疾く、アイシャの技術でも対応出来ないレベルまで攻撃を高めればいい。

 それがネフェルピトーの出した結論だ。

 

 【黒子舞想/テレプシコーラ】によって肉体の限界を越えて動けるようになったネフェルピトーは、今までで最速の攻撃を最短の距離でアイシャに叩き付ける。それをアイシャは合気で返す……ことは出来ず、躱すだけに留まる。

 続けてネフェルピトーが全力全速の一撃を再び放つ。それもアイシャは避けるも、ネフェルピトーの力を利用することはなかった。

 

 ――いける!――

 

 ネフェルピトーはアイシャの限界を見た。

 まだ当てられない。限界を超えたはずの一撃も躱される。餌としか見ていなかった人間がここまで強いとは驚きを通り越して感動すら覚える。

 だが最高の一撃ならば、アイシャは技で返すことが出来ていない。避けるのが精一杯でその余裕がないのだ。

 ならば限界よりも更に上の力を出し続ければ、いずれは捉えられるだろう。その時には肉体が酷使され過ぎてどうなるかすら分からないが、この人間さえ殺せるならネフェルピトーにはどうでも良いことだった。

 

 

 

 次々と連撃を加えられたアイシャは防戦一方となる。

 ネフェルピトーが念能力を発動させて上がったのは力と疾さだけではない。攻撃の正確さも格段に上昇していた。それも全て【黒子舞想/テレプシコーラ】によって無駄が省かれた結果だ。

 常に的確な攻撃を最速でしかも全力で振るう。生物が持つリミッターを取り外して動き続けるネフェルピトーの攻撃を避けられるだけでも神業と言えるだろう。

 

 戦場から少し離れた位置に辿り着いたゴン達は、防戦に追い込まれるアイシャをただ見守っていた。ここまで追い込まれるアイシャを見るのは初めてのゴン達。1対1でこんなに苦戦する姿を見るなんて想像だにしていなかった。

 アイシャを詳しく知らないカイトはネフェルピトーを相手にここまで戦えているアイシャを信じられない目で見ていたが。

 

 戦場の近くにゴン達が現れてもネフェルピトーはゴン達を歯牙にもかけず、ただアイシャだけに集中していた。それは戦場に置いて愚行のはずだ。目の前の敵だけに注視するなど愚か者のすることだ。実際にその愚行のせいで死んだキメラアントは多くいた。

 だが、ネフェルピトーはそうではない。ゴン達に集中していないのではない。集中する意味がないのだ。アイシャ以外はどうでもいいと思い切っているのだ。アイシャさえ倒せば後はどうとでもなると思っているのだ。

 敵としてすら見られていない。それはゴン達にとって屈辱にしかならなかった。

 

 ゴン達が見守る中、戦闘の流れが変わった。防戦一方のアイシャが反撃に転じたのだ。

 ネフェルピトーが行った全力の刺突をぎりぎりで躱す。あまりに紙一重な回避故に脇腹を掠め僅かに一筋の傷が出来る。ネフェルピトーは続けて残った左腕で刺突を放つが、アイシャは半身だけ体をずらし、そのまま勢い良く踏み込むことで回避と同時に肘を叩き込む。

 大地を揺るがす震脚を行い、力を連動させ肘へと送り込む。インパクトの瞬間に全ての顕在オーラを一瞬で集め、瞬速の硬にて威力を跳ね上げる。

 

「がぁっ!?」

 

 衝撃を逃がさないよう下向きに放たれた肘をまともに受けたネフェルピトーは、そのあまりの威力に大地に叩き付けられそのまま地に深く沈み込んでいった。周囲には粉塵が飛び交い、ネフェルピトーが沈み込んだ大地には大きな穴が空いていた。

 

「す、凄い……」

 

 ゴン達の誰かがそう呟く。呟いたのは1人だが、全員が同じ思いを抱いていた。

 

 ――強すぎる!――

 

 それがアイシャ以外の全ての存在がアイシャに抱いた印象だ。

 ゴン達も、カイトも、そしてネフェルピトーも、アイシャがここまで強いとは思っていなかった。

 

「はぁっ、はぁっ……じゃあっ!!」

 

 穴から這い出てきたネフェルピトーは自身のダメージを確認もせずにアイシャを攻撃する。どんなダメージだろうと関係ない。【黒子舞想/テレプシコーラ】なら損傷など気にせずに動ける。痛みは無視すればいい。

 

「あ、アレを食らって、まだあんなに動けるのか!」

 

 先程までと変わらぬ動きでアイシャを攻撃するネフェルピトーを見てミルキが叫ぶ。実際は念能力という理由があるのだが、それを知らないゴン達では驚愕は免れないだろう。

 

 戦闘は少し前の焼き回しのようになっていた。

 ネフェルピトーが最適の攻撃を最速で放つ。それをアイシャはぎりぎりで躱す。

 先程は僅かに出来た隙を狙われた。いや、隙を作らされた。ならば次はそうならないように攻撃をする。

 そうしてネフェルピトーは徐々に攻撃を修正しながらアイシャを追い詰める。

 学習。それこそがキメラアント最大の武器。まだ幼いが故に、誰もが恐ろしいスピードで成長するのだ。

 

 ――末恐ろしいな――

 

 アイシャはキメラアントの恐ろしさを再び目の当たりにする。

 このまま放置すれば、いずれは目の前の敵はアイシャにも手に負えないレベルに成長するだろう。それは遠くない未来の話だ。自分もまだ強くなるつもりではあるが、それを超えた速度でキメラアントは成長する。

 

 ……だからこそここで仕留めなければならない。

 

 アイシャはそれを申し訳なく思っていた。

 ここでネフェルピトーの命を断つことを勿体無く思った。

 これだけの存在だ。もっと強くなる。もっと強大になる。その先にこの者はどこまで到達するのか。それをアイシャは見てみたかった。

 

 だが、それは人間にとって最大の敵を生み出すことになるのだ。

 これまでのキメラアントもそうだ。多くのキメラアントがそこらの凡百な念能力者を産まれながらにして凌駕していた。早期に対処せねば多くの災いを生み出すだろう。

 

 だが、アイシャからすれば成長しきっていない幼子を手にかける……。

 

 ――ああ、彼らが人間であったならば!――

 

 そう思わずにはいられないアイシャ。

 キメラアントだからこそ戦うのだ。キメラアントだからこそ倒すのだ。キメラアントだからこそ……殺すのだ。彼らを人間の法で縛ることは出来ない。放置すれば災厄にしかならない。

 

 人間であったならば! 改心のしようもあっただろう。法や念で縛ることも出来ただろう。だが彼らはキメラアント。女王と王にのみ忠誠を誓う人外のモノ。人間を餌とする害虫なのだ。捕らえたところで改心などするわけがない。クラピカの念で縛ったところで死を恐るわけがない。

 幼子だろうと、いや、幼子の内にこそ摘まねばならないのだ。

 

 アイシャは僅かに逡巡し、そして決意を新たにする。

 

 

 

 当たりさえすれば勝てる。

 そう信じてネフェルピトーは肉体の崩壊する音を聞きながらもそれを無視して更なる加速を促す。

 当たりさえすれば。それは間違いではない。研ぎ澄まされ限界を越えた攻撃は今のアイシャの防御力を上回っている。まともに当たれば。鋭く伸びた爪であればそこは切り裂かれ、鋼のような筋肉から繰り出される蹴りであればそこは弾けるだろう。

 

 だが………………当たらない。

 

「何で!? 何で何で、何でだぁっ!!?」

 

 血反吐を吐きながらネフェルピトーは慟哭する。

 限界を越えて越えて越えて、最初に限界を越えた時よりもまだ疾くなった。

 すでに筋組織は崩壊を始めていた。骨にも幾つもの罅が入っている。それでも【黒子舞想/テレプシコーラ】の能力によって全身を朱に染めながらも動きは止めない。

 アイシャが攻撃せずともその体はボロボロになっていく。先程までネフェルピトーに恐怖していたゴン達でさえ痛ましそうにネフェルピトーを見やっていた。

 

 それでもなお、どれだけ王を想おうと、死を厭わぬ覚悟をしようと、肉体を顧みず酷使しようと……その攻撃はアイシャに届かない。

 

「ああああっ!!」

 

 崩壊しゆく全身から血を流しながらもアイシャの身を切り刻もうと両の手から伸ばした爪を幾度も振りかざす。

 それをアイシャは先程までと変わらずに躱し……ネフェルピトーの攻撃を利用して合気を仕掛けた。

 

「がっ!?」

 

 力が抜けるように流される。そのまま体の動きを操作されたかのように、激流に飲まれたかのように、ネフェルピトーはアイシャによっていいように投げつけられる。

 投げられ大地に叩きつけられ、その度に起き上がり、攻撃を仕掛け、また投げられる。先程までとは打って変わってアイシャはネフェルピトーの攻撃に合わせて柔を仕掛ける。

 

 ――な、なんで!?――

 

 避けられはすれども、技を掛ける程の余裕はないはずだった。

 ネフェルピトーは全く通用しなくなった己の攻撃に疑問を覚える。

 力が弱まった? 遅くなった? 精度が落ちた? 否。そのどれでもない。肉体のダメージに反して念の精度は上がっていた。それは操作されている肉体の動きも良くなっているということ。だというのにこの有様だ。

 つまりこれは――

 

 ――ま、まさかこいつ! は、初めから――

 

「そうだ。初めから、だ」

 

 ネフェルピトーの心を読んだかのように答えるアイシャ。

 投げられながらもそれを聞き、ネフェルピトーは背筋を凍らせる。

 こいつは人間じゃない。私たち以上の化け物だ、と。

 

 

 

「な、なんでアイシャが一方的に攻撃出来るようになったんだ?」

「奴の動きに慣れたのか?」

「あのスピードにかよ……最初の時より疾くなってるんだぜ……?」

「……いや……違うな」

 

 ゴン達も急に攻防が入れ替わった戦闘を見て疑問に思うが、その疑問にはカイトが答えた。

 

「あの娘は……恐ろしく冷静で……冷酷に……先を見据えていたんだ」

「どういうことだよ?」

 

 キルアの言葉に、カイトはキメラアントの巣を指差しながら答える。

 

「眼を凝らしてアレを見ろ。……巣の周りに円があるのが分かるか?」

 

 ゴン達はネフェルピトーに意識を割きながらも、凝を行いながらキメラアントの巣を見る。すると巣の周囲をネフェルピトーの円には及ばないが、大きな円が覆っているのが見えた。そのオーラはネフェルピトーに勝るとも劣らぬ程の質と量。つまりそれはネフェルピトーに匹敵する存在がいることを示していた。

 

「まだあんなのがいるのかよ……」

「そうだ。それはあの娘も理解しているだろう……。だからあの娘は……あのキメラアントを試金石にしたんだ」

「それって……つまり」

「そう……調べていたんだ。あのキメラアントで、残りのキメラアントに、攻撃が通用するか、技が通用するか、耐久力は、速度は、威力は、オーラ技術は、発の有無は……。そういった戦闘に置ける重要なファクターを調べていたんだ。……次の戦いに繋げる為に、な」

 

 戦慄が走った。その為に、アイシャはあの化け物の攻撃を避け続けていたのだ。

 攻撃に転じなかったのは、どれだけの攻撃が出来るのか確認する為。浸透掌を放つ機会もあったが、純粋な耐久力を確認したいが為に機会を見逃し通常の打撃にて攻撃した。

 戦闘中の成長速度を見て、時間を掛けるのはキメラアントに利するだけと理解して、アイシャは学習を終わりにした。

 

 そう、学習していたのだ。学習とはキメラアントだけに許された特権ではない。元々人間こそが学習することを最大の武器とした生物なのだ。

 アイシャはネフェルピトーを相手に残りの2体の力を大まかに測っていた。もちろんネフェルピトーの力を残りの2体にそのまま当てはめることはしない。だが同格の存在ならば基準にはなるだろう。ネフェルピトーが他の2体と比べて劣っていることはないとアイシャは直感している。得意としている能力は違うだろうが、残り2体の身体能力の最低値をネフェルピトーに合わせていれば問題はないだろう。

 

「化け……物め……!」

「……否定もしないし、謝りもせん」

 

 アイシャは既に動くことも出来ずに倒れるだけのネフェルピトーにゆっくりと近づいていく。ネフェルピトーの四肢は全て関節が壊れた人形のように曲がっていた。これでは幾ら【黒子舞想/テレプシコーラ】で操作しようにもまともに動かすことは出来ないだろう。

 どんなにダメージを無視して動けたとしても、生物として動かせる機能がなければどうしようもない。いや、動くこと自体は出来るだろうが、やはりその動きは通常時のそれに比べて劣るものになるだろう。

 

 アイシャはネフェルピトーに止めを刺すべくその眼前まで近寄った。

 そしてその頭部にそっと手を添えようとして……残った力を振り絞ったネフェルピトーの最後の攻撃を……アイシャの喉元を食いちぎらんばかりの噛み付きを……無慈悲に、避けた。

 

「お――」

 

 ――浸透掌――

 

「お、う――」

 

 頭部への掌底から内部に伝わっていく振動は、オーラによって強化されネフェルピトーの脳を破壊しつくす。

 王に最期まで忠誠を尽くした1匹のキメラアントは、王を見ることもなくその命を散らした。

 

 




 ピトーファンの方々ごめんなさい。伏してお詫び申し上げます……。
 【黒子舞想/テレプシコーラ】は多分こんな能力かなっていう想像です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十五話

「……アイシャの、勝ちだ」

「す、凄いものを見た」

「やっぱりアイシャは最高だ!」

「落ち着けよ兄貴」

「ふぅ、だが、これで少しは一段落したな」

 

 ネフェルピトーが崩れ落ち、死闘を制したアイシャへと駆け寄ろうとしたゴン達。

 だが、アイシャはゴン達に振り返りもせずに、死体となったはずのネフェルピトーを未だに警戒していた。

 

「来るな!」

 

 そしてアイシャは近寄って来るゴン達を一喝して制する。

 未だ臨戦態勢を解かずにネフェルピトーを見やるアイシャにゴン達も怪訝に思うもその場に留まり、そして次の瞬間に信じられないモノを見た。

 

『!?』

 

 誰もが驚愕した。己の眼を疑った。信じられなかった。

 確かに死んだはずだ。顔の穴という穴から血を吹き出していた。糸が切れたかのように倒れ伏した様は人形を思わせるようだった。生気は完全に失くなっており、誰が見ても死体だと判断していただろう。

 

 それが再び動き出したのだ。

 一切の予備動作もなく、アイシャへ向かって両の鋭い爪を揃えて突撃してくるネフェルピトー。アイシャは今まででも最速のその攻撃を縮地にて躱す。

 今までオーラの消耗を避ける為に使用していなかったが、命には代えられない。当たっていればアイシャでも致命傷を免れかねない攻撃だったのだ。

 

 アイシャは縮地で僅かに体をずらして攻撃を回避しながら、真横を通り過ぎゆくネフェルピトーの頸部に中高一本拳を突き入れる。

 骨が砕けた音が周囲に響き渡る。手応えからも完全に頚椎が砕けたと実感するが、ネフェルピトーは未だ動いていた。

 

「な、何だあれは!?」

「ま、まさか……!」

「死者の念か!」

 

 そう、ネフェルピトーは完全に死んでいた。

 生命力が強靭なキメラアントでも、脳が破壊されたら生命活動を停止する。だが、それでもなおネフェルピトーは動いていた。

 ネフェルピトーを動かしているのは己自身の能力【黒子舞想/テレプシコーラ】。それが死者の念となって暴走し、死体となった本体を動かし続けているのだ。

 

 念というのは術者が死ねば消える物が殆どだ。だが、稀にそうではない物がある。それが死者の念だ。深い恨みや未練を残したまま死ぬと、その念はより強大になって残ることがあるのだ。

 もちろん【黒子舞想/テレプシコーラ】もそうだ。つまりはネフェルピトーは相当な未練を残して死んだということ。では、その未練とは……考えるまでもないだろう。

 

 全ては王の為。王の為! 王の為!!

 己の全てを王に捧げる為に産まれた。それだけが存在理由。王の役に立てない護衛軍など存在する価値がない。

 王の為。その為にすべきことを成す為に、死者の念はネフェルピトーを動かし続ける。

 

 王の為に何をすればいい?

 目の前の敵を殺す?

 だが敵は強大だ。殺す前に壊される。

 ならばどうする? どうする? どうする?

 

 アイシャの念能力と違い、元々死後を想定していなかった念能力故に、死者の念となった【黒子舞想/テレプシコーラ】は完全に暴走している。

 だがそれでも、王を想う感情の大きさ故か、ネフェルピトーは王の為に最善を尽くそうとする。

 

 死者の念でより強大になったが、それでもアイシャには届かない。肉体が自身の動きに耐えられないのだ。このままアイシャと戦っても自滅するか、【黒子舞想/テレプシコーラ】でも操作出来ない程の破壊を受けてそれで終わりだろう。

 つまりそれは王の為にはならないということ。そんなことが許されるわけがない!

 

 ならばこの身で王の為に出来ることはただ1つ!

 

 ネフェルピトーは砕けた足で大地を蹴り、操り人形のようにバラバラの関節の四肢を使って高速で這うようにその場から離れていく。死者の念で強大になった【黒子舞想/テレプシコーラ】が壊れた肉体すら無理やりに操って動かしているのだ。

 

 行き先はアイシャの元、ではなく、キメラアントの巣だった。

 

「なに!?」

 

 これにはアイシャも驚愕した。まさか敵を目の前にして逃げるとは思ってもいなかった。敵を倒す為に出来た死者の念が逃走などという行動に出るとはアイシャでも想像出来なかったのだ。

 だがアイシャは勘違いしていた。ネフェルピトーは決して敵を殺す為に死者の念を産みだしたのではない。

 全ては王の為に! 王の役に立つ為に、産まれてから一度も王の役に立つことが出来なかったその無念こそが死者の念を産みだしたのだ。

 

 アイシャという最大の外敵を倒すことは確かに王の為になるだろう。

 だがそれが叶わないなら、ここで朽ち果てるだけならば、それはただの役立たずで終わることになる。それでは王の役に立つことは出来ない。

 だから、最初で最期の奉公をする為に、巣へと戻ったのだ。

 

 アイシャには理解出来ないこの行動に、アイシャの中の何かが警鐘を鳴らしていた。

 

 ――アレを巣に行かせてはならない!――

 

 アイシャは去りゆくネフェルピトーに向かってオーラ砲を放つ。

 人1人など軽く飲み込む程のオーラ砲がネフェルピトーの体へと放たれるが、ネフェルピトーは周囲にある木に尾を巻きつけてそれを躱す。

 完全には躱しきれず右腕が消し飛ぶが、死体がそんな損傷など全く意に介すわけもなく、ネフェルピトーはそのままシャウアプフが展開している円の中に入り込んだ。

 

「くっ!」

 

 ――どうする? 追うか? いや、あの中にはアレに匹敵する蟻がまだ2匹いる!――

 

 アイシャは僅かに悩み、そしてゴン達に振り返る。

 

「あなた達はもう帰りなさい! あそこには先程の蟻と同レベルの存在があと2匹います。あなた達では――」

「――オレ達じゃ役立たずだって言いたいの?」

 

 ゴンのその真っ直ぐで突き刺すような瞳は、今のアイシャには何故か痛かった。

 

「――! ……そ、そうです。だから――」

「――だから帰れっていうのか?」

 

 キルアの睨みつけるような瞳がアイシャの心をえぐる。

 

「……ええ、そうです。帰って――」

「――帰ってどうしろと? 仲間が、友が傷付いて戦っているのを知りながらのんびりしてろと?」

 

 クラピカの厳しくも暖かい言葉がアイシャを苛む。

 

「わ、私は傷付いてなどいません。精々かすり傷が良いところです。あんなの後2匹くらい――」

「――傷付いてるだろうが! お前、どんな顔であいつに止めを刺したか分かって言ってんのか!」

 

 ミルキの叫びが、アイシャの胸に浸透していく。

 

「……え?」

「そんな泣きそうな顔しながら帰れって言われて、はい帰りますって言えるわけないだろうが!」

「優しいお前のことだ。敵に止めを刺すことがどれだけ辛かったか……」

「オレ達はアイシャより弱い。でも、アイシャの助けになるくらいは出来るよ」

「少しくらいなら支えてやれるから、ちょっとは頼れよ」

 

 ゴン達の言葉が次々とアイシャの胸を打つ。

 それはキメラアントを殺していく度に冷えていったアイシャの心を解きほぐしていった。

 

「あ……で、でも……」

「あんたの気持ちも分かるが、こいつ等の気持ちも汲んでやってくれ」

「あ、あなたは……?」

「オレはカイト。こいつ等と道中一緒になってな。目的はあんたと同じキメラアント退治だ。まあ、予測が甘くて死ぬ思いをしたところをあんたに助けられたんだがな。あの時は助かった、礼を言うよ」

「あなたがカイトさん……話はゴンから良く聞いています」

 

 礼を言うカイトに対して逆に頭を下げるアイシャ。

 そんなアイシャに苦笑しつつ、カイトはアイシャに語りかける。

 

「オレもこいつ等に色々と助けられた。子ども子どもと思っていても、何時の間にか成長してるもんだ。年上はそれに気付きたくないのか、中々分かってやれないんだがな」

「……そうですね。いつの間にか成長してる。体だけじゃなく、心も……」

 

 今もアイシャはゴン達に救われた気持ちになっていた。

 先程まで心の隅にあった鬱屈した想いが軽くなっていくのをアイシャは感じる。

 それはゴン達に言われるまで自分でも気付かなかった想い。

 ゴン達に指摘され、初めてアイシャは自身が想像以上に心を痛めていたことに気付いた。

 

「ですが、それでも敵は強大です」

「分かっている。あの円に触れて嫌というほど理解した。いや、あんたとあのキメラアントの戦いで、更に上だと知った」

「なら……」

「だが、足止めなら出来る」

 

 カイトのその言葉にゴン達が力強く頷く。

 

「あのキメラアントと同レベルが2匹いるんでしょ?」

「オレ達が1匹受け持つ。そしたらアイシャは残った1匹に専念してくれ」

「お前が敵を倒したら、私たちを助けに来てくれればいい」

「まあ、オレ達全員で掛かれば勝てるかもしれないけどな。アイシャの戦いを見て、あいつ等にはまだ技術がないことも理解出来たし」

 

 最後のミルキの言葉は決して強がりではなかった。

 アイシャに匹敵するオーラに、アイシャ以上の身体能力を見て勝ち目がないと当初は思っていた。

 だが、アイシャとネフェルピトーの戦いを通じて、敵はどれだけ強大でもまだ産まれたてだと理解出来たのだ。

 ならば付け入る隙はある。全員が力を出し切れば、1体くらいなら勝てるだろうと自信を持って言えた。

 

「オレ達とあんたが一緒なら、女王に届く。一緒に行かせてくれ」

 

 カイトが頭を下げてアイシャに頼み込む。

 皆の決意を見て、そのオーラが揺るぎない物だと理解して、アイシャは溜息を吐きつつも、どこか嬉しそうに承諾した。

 

「分かりました。でも、危なくなったら逃げてくださいよ?」

「うん! その時はアイシャも一緒だよ!」

「ふふ、そうですね。危なくなったら一緒に逃げましょう」

 

 NGLに入国して、初めて笑ったアイシャ。

 まだ嫌な予感は感じるが、それでも皆と一緒なら乗り越えられる。

 そう思っていたアイシャ。

 

 だが、その想いはすぐに砕け散ることとなった。

 

 

 

 

 

 

「こ、これは!」

「ぴ、ピトー!?」

 

 キメラアントの巣は騒然となっていた。

 巣の近くまで近付いていたレアモノを捕らえに行ったはずのネフェルピトーが、死体となって帰って来たのだ。

 しかも死体でありながら動き続けている。女王の元へと凄まじい勢いで駆け寄ったその死体を、一瞬敵の念能力かとシャウアプフは疑った。

 だがネフェルピトーは女王の手前で動きを止めた。女王の近くで警護していたシャウアプフもネフェルピトーの死体が怪しい動きをしないか訝しげに見つめる。

 

 するとネフェルピトーは女王に跪き、その身を差し出した。

 

 “ネ、ネフェルピトーよ! 其方は死してなお!”

 

 死してなお、王の為に。

 外敵を打ち倒せないならば、せめてその身を王の糧に!

 その王への有り余る献身に、女王は感動のあまりに体を震わせた。

 

 “分かった。お前の献身、頂戴しよう。その身は余すことなく王に捧げられるだろう!”

 

 女王が発するその信号を受け取る能力はネフェルピトーにはない。単に死体だからというわけではなく、元々護衛軍の3体は信号を発信することも受信することも出来ないのだ。

 だが、女王がその信号を放ったすぐ後に、まるで安心したかのようにネフェルピトーは崩れ落ちた。

 

 “この忠義者を我が下に!”

「はっ!」

 

 王を身篭り、身動きが出来ない女王が傍で仕えるキメラアントの1体に信号を送り、シャウアプフに命令を下す。

 死体となったネフェルピトーを丁寧に抱き上げ、女王の下に運ぶシャウアプフ。

 そして女王はネフェルピトーを余すことなく食しだした。

 

 その食事風景を同じ場にいた師団長達の何匹かは沈痛な表情で眺める。

 餌である人間ならともかく、同族が食べられるとは思ってもいなかった。

 だが、ネフェルピトーと同じ王直属護衛軍の2匹は食べられるネフェルピトーを羨ましそうに見つめていた。

 

 ――王の一部になれるとは!――

 ――オレだって王の為に働きたい!――

 

 それが王直属護衛軍の感覚だ。

 同胞が食べられようと、それが王の為ならば善きことなのだ。喜ぶべきことであり、羨むことなのだ。

 そうして女王はネフェルピトーの全てを食べ終えた。

 

 “全員聞け。私は今から王を産む”

 

「な!? それはまだ早すぎます女王! 王がお産まれになるにはあとひと月以上は掛かると仰ってたではありませんか!」

 

 女王からの信号の内容を傍にいたキメラアントから聞いたシャウアプフは女王の発言に驚愕する。あまりにも早すぎるのだ。今、王を産んだとしても未熟児にしかならないだろう。

 

 “分かっている。だが敵はもうそこまで来ている”

 

「ならオレが行って殺して来ますよ!」

 

 モントゥトゥユピーがそう言うが、女王は頑として意見を変えなかった。

 

 “いえ。ネフェルピトーが殺されたのだ。お前たちでも殺られるやもしれぬ”

 

「ですが今王を産んでも!」

 

 “私の命を使う”

 

「な!?」

 

 女王はそう言ってすぐにオーラを高めていく。

 王が成熟するまで女王の計算では後2ヶ月は必要としていた。

 実際には後ひと月もせずに産まれて来るのだが、それは女王の知る由ではない。どちらにせよ敵の襲撃には間に合わないだろう。

 

 敵は強大だ。あの王直属護衛軍すら倒しうるのだ。しかも複数存在している。全てが護衛軍と同等の力を持つなら巣の戦力全てで当たっても負けるやもしれない。

 そうさせるわけにはいかない。そうなれば王は産まれる前に殺されてしまうからだ。

 ならば王を守る為に必要なことはなにか? 答えは簡単だ。それは王が守られる必要がない状態にまで育てばいいのだ。

 最高の餌で育まれた王ならば、外敵など一蹴するだろう。その確信が女王にはあった。だが実際には王が産まれるにはまだまだ時間を必要とした。しかし、不可能を覆し可能とする力がこの世にはあった。

 

 そう、念能力だ。

 

 女王は既に念を修めていたが、能力は作っていなかった。

 どんな能力にしようか等と悩んではいなかった。王の為になる能力にしかする気はなかったのだから。

 ただ、産まれてきた王を確認してから能力を作ろうとしていたのだが、ここに来てそれが功を成した。

 

 産まれてくる子どもの成長を早める。それは本来なら女王の未熟な念能力では成し得ない程の強力な力。

 だがそれを制約と誓約で補う。自身の全てを王に捧げ、命を懸けて念能力を作り、王へと注ぐ。

 未熟なれど王を想うその気持ちが、自身の命も厭わぬその覚悟が、女王の念を形作っていく。そう、想いが念を後押しするのだ。

 

 “み、皆の者……お、王を。王を頼む!”

 

「はっ!」

「身命に賭しましても!」

 

 女王の最期の命に護衛軍の2匹は躊躇もなく応える。

 それに続き残りの師団長全てが頭を垂れた。

 

 “お、王よ……我が子よ……私には見える……其方が世界を統べる姿が……”

 

 女王を中心に光が広がっていく。

 そして光はやがて縮まり、徐々に女王の元に収束していく。

 

 “其方の名は……メル……全てを、照らす――”

 

 女王のその最期の信号を受け取れたキメラアントはおらず、女王は力なく息絶えた。

 そして光が収まった時、そこに女王の姿は欠片も残っていなかった。

 

 代わりに在ったのは1匹のキメラアント。

 その姿から放たれるのは王の威風。

 護衛軍すら一線を画す圧倒的なオーラ。

 磨き抜かれた彫刻のような肉体。

 全てのキメラアントが一目見て理解した。

 

 ――王!――

 

「余は空腹じゃ。馳走を用意せい」

 

 名も無き王が、絶望を告げる産声を上げた。

 

 




 少し短いですがきりがいいのでここで切ってます。

 王誕生。今の王は原作初期の王より強いです。表記するとこんな感じ。
 原作初期王<軍議を学んでコムギと通じ合った原作王<今作王(new)<<<<プフとユピーを食った原作王。
 本来ならまだ産まれるには栄養も足りてなく完全体にはなっていなかったけど、そこは女王の命と念で補い、その上でピトー食ってるので原作より遥かにパワーアップして産まれています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十六話 ※

 女王が命懸けで産みだしたキメラアントの名も無き王。

 その体から発せられる圧倒的なオーラの前に、キメラアントの誰もが足踏みをする中、2匹のキメラアントが王に傅いた。

 

「王、我らは王直属護衛軍」

「これからは私どもが御身の手足となり、王の望むもの全てを手に入れ、王の望み全て叶えまする。何なりとお申しつけくださいませ」

 

 当然その2匹は王直属護衛軍だ。王の手足となることを至上の幸福と捉えている2匹は、その本懐をようやく遂げられる喜びに震えていた。

 だが、王はその2匹の忠誠に対して攻撃という不機嫌極まりない対応で返した。

 強靭な尾から繰り出された一撃は誰の目にも止まることなくシャウアプフに命中し、壁の向こう側まで吹き飛ばした。

 

「二度は言わせるな。馳走を用意せい」

「も、申し訳……ございません。……ただいま、お食事を御用意いたします」

 

 王の二度目の要求に答えたのは吹き飛ばされたシャウアプフ本人だ。

 護衛軍として強大な力を持って産まれたその身でも先程の一撃にはダメージを免れなかったようだ。いや、そもそも護衛軍でなければ確実に死んでいたであろう一撃だったのだが。

 

「ほう? おぬし、名はなんという?」

「シャウアプフにございます……プフとお呼びください」

「そうか。プフよ、おぬし中々強いな。殺すつもりで殴ったのだがな。その強さに免じ、余の飯を用意しておらん愚行を許す」

「ありがたき幸せ!」

 

 食事を用意していなかった。ただそれだけで部下を殺そうとするその様はまさに暴君。このまま王が精神的に成長せず、暴君のままに世を支配したら、そこには人の居場所など何処にもなくなるだろう。

 いや、家畜という立場でなら存在しえるかもしれないが。

 

「それで、余の飯は何時になったら用意出来る」

「は! すぐさま貯蔵庫から食料を用意して参ります!」

「おい、それはもちろん豊潤な生命力に満ちた肉であろうな?」

「……それはレアモノのことでしょうか? それでしたらレアモノは優先的に女王に出していたのでもう貯蔵庫には――」

 

 王の質問に答えたモントゥトゥユピーに対しても、王は尾による強力な一撃で返す。

 シャウアプフよりも頑強な為か、大きく吹き飛ばされるも壁を突き破ることはなかったが、それでもたたらを踏むほどのダメージを受けていた。

 

「そんな物を余に食わそうとしていたのか。この愚か者が」

「も、申し訳ございません!」

「ふむ。おぬしも頑丈だな。名は?」

「モントゥトゥユピーでございます」

「ではユピーと呼ぼう」

「は! ありがたき幸せ!」

 

 この3匹の行為を見て、残りの師団長達は背筋が凍っていた。

 

 ――なんだこの悪魔たちは!――

 

 この凶悪極まりない王と、それに付き従い、理不尽とも言える仕打ちを受けてもなお幸福を感じている護衛軍。

 同じ女王から産まれているが、まるで違う生物。同じ世代の同胞も見た目も中身も全然違うが、それとはまた意味が違う別物。

 目の前の3匹が繰り広げる行為をただ跪いて見ることしか出来ない師団長達。

 だが、次の瞬間に悪魔は彼らに興味の対象を移した。

 

「味気ない飯など食う気もせん。が……。ここにはレアモノは十分にいるようだな」

 

 師団長を見て、王が、悪魔が不気味に笑った。

 

 

 

「さて、そこそこ腹も満ちたし、行くとするか」

「は、お供いたします」

「それで、どちらにお出かけになるのですか?」

 

 近場に在った食料で前菜を食べ終えた王が次にすることは、主菜を食べることだった。

 

「決まっておろう。この近くまで来ておる人間を狩りに行くのだ」

 

 王の肉体の一部となったネフェルピトーの記憶を覚えている……わけではない。

 王が産まれる前に王を構成する肉体の材料となった人間達の記憶など、王には欠片も残っていない。それはネフェルピトーですら同じことだ。だから王は記憶として侵入者であるアイシャを知っているわけではない。

 ただ、王の細胞が感じたのだ。最高級の餌が近くにいることを。

 

「くくく、姿は見えずとも感じるぞ。最高級のレアモノだ。食欲をそそられる……! はは、逃げているのか? まあ良い、これも狩りの醍醐味だ。精々必死に足掻くがよい。

 ……まあ、無意味だがな」

 

 そう呟き、王は円を展開した。一瞬で広がる王の円は、あっという間に数kmは離れているアイシャ達の元まで到達した。それはネフェルピトーを上回る円の領域だった。

 円にてハッキリと感じる極上の餌に、王は悦びを感じる。そして餌を追うためにその場から跳び立った。続いて護衛軍もそれぞれの全速で王を追いかける。

 狩りが……始まった。

 

 

 

 

 

 

「逃げろ!!」

 

 アイシャの突然の叫びに誰もが疑問を抱いた。

 先程まで一緒にキメラアントの巣へ行くという話になっていた矢先にこの言葉だ。

 巣を見つめながら顔から汗を流すアイシャ。ネフェルピトーとの一戦ですら汗1つかかずに勝利したというのにだ。

 

「どうしたのアイシャ?」

「逃げなさい! 今ならまだ間に合う! 私が抑える! 私なら時間を稼げる!」

 

 ゴンの問いに帰ってきたのは切迫した答え。

 アイシャなら時間を稼げる。それはアイシャでも時間を稼ぐのが精一杯という意味ではないか? そんな、アイシャの実力を知る者からすれば想像出来ない言葉に全員が困惑する。

 

「王が産まれた!!」

「馬鹿な!? 早すぎる!」

「どんなに早く産まれても数ヶ月は先だろう!?」

 

 それはキメラアントの生態を良く調べていたカイトとクラピカの叫びだ。

 キメラアントの女王が王を産む為に必要とする期間を調べ、そこから今回の巨大キメラアントがどれだけの期間で王を産むかを計算していたのだ。

 そこで出た結論は、早くても後2ヶ月は有するというものだ。もちろんそこには巨大キメラアントというイレギュラーも含めて考えてある。

 まだ人類には時間があったのだ。2ヶ月を短いと見るか長いと見るかは人それぞれだが、このメンバーならばミッションをクリア可能な時間だと思っていた。

 

「確かです! この圧倒的存在感! 王以外には考えられない!」

 

 全員がキメラアントの巣へと意識を向ける。

 すると確かに感じられた。これだけ離れて、直接そのオーラに触れたわけでもないのに感じられる圧迫感。

 絶望がゴン達を襲う。勝てるイメージなど端から持つことさえおこがましい。そんな存在の違いを王の姿を一目見るまでもなく突きつけられた。

 

「っ! あ、アイシャも逃げるぞ!」

「私は王を――」

「駄目だ! 逃げるなら一緒って決めたよね!」

「そ、それは……しかし、王を放置するわけには!」

 

 痛いところを突かれるが、王を放置することは出来ない。もしこれを世に放ってしまったら、世界は確実に終わる。そう思わせる不吉さと暴力をアイシャはこの場の誰よりも感じていた。

 

「ゴンに賛成だ! これは1人でどうにかなるレベルじゃない! ハンター協会に、いや、国家レベルの武力が必要だ! 全世界にこの事実を通達するべきだ! お前の力は後の戦いに必要だ! 今は死ぬな!!」

 

 カイトの必死の説得にアイシャも歯噛みするが納得する。納得せざるを得ない。

 勝ち目がない戦いだとは思わない。思いたくもない。だが、勝率は限りなく低い。それもゴン達がいなければ、の話だ。ゴン達は護衛軍ならともかく、この王を相手には完全に足手纏いだ。ゴン達がいれば彼らを気にするあまりアイシャの力は制限されてしまうだろう。

 

 ここは退く。今は勝てない。時間を置けば勝ち目は更に無くなる。

 だが、ゴン達がいては少ない勝ち目もゼロになる。

 決断したら即時行動だ。余裕など今のアイシャ達にはないのだから。

 

「退きます! ですが、殿は私が務めますよ!」

「分かった! 行くぞ!」

 

 流石に殿がどうこうまでは誰も文句を言い出さない。その意味も、暇さえもないのだから。

 

 全員がその場から高速で立ち去る。まずは全力でここから離れ、その後気配を消して完全に逃げ去る。そのつもりだった。

 だが、全て手遅れだった。

 

『っ!?』

 

 王が展開した円が閃光の如き速度でアイシャ達を捉える。

 王のオーラに触れた時、先程までの絶望はまだ甘かったと誰もが理解する。そのあまりのオーラに円に触れたゴン達は足を止めてしまったほどだった。

 

「止まるな進め!」

 

 アイシャはそう言いながらもその場で動きを止め、キメラアントの巣へと向き直る。円で捉えられた以上逃げられる確率は非常に低い。少なくとも、獲物を逃がすような甘い敵ではないだろう。

 全員で戦ったら誰1人生き残れない。だが、アイシャ1人が足止めすれば、他の5人は逃げ延びる可能性が上がる。

 

「駄目だ! 足止めならオレが!」

 

 アイシャの力は今後の世界の為に必要だと判断したカイトは足止めを買って出る。

 だが……。

 

 ――もう遅い――

 

 アイシャの言葉は声にすることが出来なかった。する暇もなかったのだ。

 そう、全ては遅かった。誰がアイシャの代わりを買って出ようとも、その足止めに意味はない。

 何故ならば……王はあのネフェルピトーよりも更に疾かったからだ。

 

 高速で駆け寄る王はその優れた動体視力で獲物達の姿を捉える。

 そしてその中の1人、アイシャと目が合ったのを理解した。

 

 ――不遜な輩め!――

 

 王である自身を睨めつけるというその度し難い行為。そればかりか、この愚か者は王を迎撃せんとばかりに構えていた。

 王である自身を止めることが出来ると思っているのか? だとしたらその増上慢をへし折ってやろう。

 

 果たして増上慢はどちらなのかと、王の心情を見ることが出来る者がいたらそう言っていたかもしれない。

 だが、王のそれは増長ではない、真実最強の力を持って産まれた者の余裕。いや、慢心と言ったほうが正確か。

 最強の力を持ち、産まれて間もない王に、慢心するなという方が無理だろう。当の王は慢心しているなどと思ってさえいないのだから。

 

 そして王は……初めて己の慢心を知る。

 

 高速で接近した王がアイシャの首を捥ごうと腕を振るう。

 その一撃で確実に仕留めたと王は思っていた。避けられるとは、防がれるとは欠片も想像しない。耐えられたならば、玩具として認めてやろう。最高級の餌とはいえ、アイシャに対してはその程度の認識しかなかった。

 王の中にネフェルピトーの記憶や知識がないのはアイシャにとって不幸中の幸いだった。もし、僅かでもネフェルピトーの残滓が残っていれば……王から慢心は消えていただろう。

 

 アイシャと王が交差する。

 そして鳴り響く轟音。先の一戦で吹き飛ばされたネフェルピトーよりも、遥か遠くまで吹き飛んでいく王。それはアイシャの力の成せる業……ではない。王の力による結果だ。

 合気の基本にして奥義とも言えるものが、相手の力を利用することだ。その究極とも言えるのが、相手の力をそのままに、自身の力を加えて相手に返す技術である。

 敵は攻撃したと思ったら、それ以上の力で反撃を受けるのだ。まさに合気の極み。全ての攻撃に合わせられるならば敵はいないだろう。まあ、所詮は理想論に過ぎないが。

 

 吹き飛ばされた王が最初に感じたものは痛み……ではない。

 ダメージが全くなかったわけではないが、この程度で痛みを覚えるほどの柔な作りではなかった。

 王が感じたのは怒りだ。産まれて初めて恥をかかされた。餌に過ぎない人間風情が、至上の王である自身に!

 

 そして次に感じたのは戒めだ。

 敵を餌と侮っていた。いや、餌に変わりはないが、それでも餌が噛み付くこともあると考えていなかった。どんな抵抗も無抵抗にしかならないと思い切っていた。

 

 次に感じたのは賞賛の気持ちだ。

 人間という種としてキメラアントに劣る存在が、キメラアントの王である自身に一矢報いたのだ。その研鑽。どれだけの時を費やせばあそこまで到れるのか。それは産まれ持った絶対強者である王には計り知れないものだった。

 

 そして最後に感じたのは愉悦だ。

 その積み重ねた研鑽を、努力を、相手の全てを奪うことが出来る。己の圧倒的暴力を振るい、相手の全てを奪い喰らう。それは最高の力を持つ自身のみに許された栄誉!

 

「く、くっくっく」

「王ー! ご無事ですか王!!」

 

 薄く笑う王の元に2匹の護衛軍が馳せ参じる。

 自分たちよりも遥かに疾く敵に到達した王が、まさかあらぬ方向へと吹き飛ばされるとは夢にも思っていなかった。

 だが、目の当たりにして実感した。アレが同胞であるネフェルピトーを殺した人間なのだと。

 

「はーっはっはっはっは!」

「お、王?」

「くっく、愉快だ。産まれて早くもこんなにも愉しめるとはな」

 

 突如として嗤いだした王を護衛軍の2匹は不思議に思うが、王はそれを意に介さずに、アイシャへ向かって歩き出す。

 走る必要はない。あの人間は逃げても無駄と悟ってあの場で待ち構えている。本来ならば王である自身の元に来るのが礼儀というものだが、今回は王自らが近く寄ってやろう。有り難く思うがいい。そんな不遜な考えでアイシャへと近付いていく王。アイシャとしては回れ右して帰れと言いたいだろうが。

 

「付いてこい。有象無象がいる。余があの人間と遊んでいる間に駆除しておけ」

『はっ!』

 

 護衛軍を引き連れて、悠々とアイシャを目指す王。

 それは悪魔の行進。確実に迫る死の歩み。

 徐々に近付きつつあるその死の具現に抗うように、アイシャは精神を研ぎ澄ましていく。

 

 

 

 

 

 

「あ、アレを吹き飛ばしたのか……」

「おい、もしかしたら勝てるんじゃないか……?」

 

 勝ち目がないとしか思えなかった王を吹き飛ばしたアイシャを見て、そんな楽観的な思いを抱くミルキ。

 だが、現実はそう甘くはない。続くクラピカの言葉でそれを思い出してしまった。

 

「敵が王だけならば、な……もしかしたら、アイシャならば勝ち目はあるかもしれん」

「……はは、そうだったな。あの化け物の横には別の化け物が2体もいるんだったな」

 

 そう、王の強大さに目が眩み忘れていたが、王には劣るものの自分たちよりも遥かに強いキメラアントが2体護衛としてついているのだ。

 護衛よりも強い王様なんてふざけるなよと、ミルキは内心で吐き捨てる。

 

「もう逃げるのは無理だね」

「ああ、相手もそれを分かっているのか、ゆっくりとこっちに近づいて来ているぞ」

「は、遊んでいるのかよ。クソッ!」

 

 歩いてゆっくりと近付いてくる王の行為は、キルアには虫けらを追い詰めて遊ぶ行為にしか見えなかった。

 王の足音をキルアの優れた聴覚が捉える。それは死が這いよる音にしか聞こえなかった。

 

「……オレ達であの2匹を抑えるぞ」

「それは無理です! あなた達ではあの2匹を倒すことは――」

「倒せなくてもいい! 抑えるだけだ。アイシャが王との戦いに専念出来るように時間を稼ぐだけだ」

「王さえ倒せればまだ何とかなる。アイシャなら……」

 

 アイシャなら何とかしてくれる。今まで数も質も相手にし、圧倒的実力で勝ち続けてきたアイシャならば。そんな期待を籠めて、ゴン達は命懸けで時間を稼ぐ作戦に出る。

 

 アイシャも今はそれしか方法がないと理解していた。

 だが、確実に誰かが死ぬ。そして誰かが死ねばそこから戦力が減ったことで更に誰かが死ぬ。その前に王を倒す自信はアイシャにもなかった。

 

 せめて護衛軍がいなければ! そうでなくても、護衛軍を任せられる戦力があれば!

 そう思わずにはいられないアイシャ。だが、これはアイシャが招いた結果でもある。

 誰かを巻き込みたくないからと1人で来た。その為に他の戦力を連れてこなかった。ネテロにはNGLに来る前に連絡しておいたが、ネテロが討伐隊を編成してここまで来るにはまだ日数が掛かるだろう。

 誰も死なせたくはない。出来るだけ犠牲を減らしたい。そんな思いからのアイシャの行動だが、結果としてゴン達はアイシャの目的に気付き、ここまで来てしまった。

 幾つかのハンターチームを救ったが、最も大切な者達が代わりに犠牲となるだけだった。

 

 アイシャを後悔と絶望が襲う。

 大切な友が、仲間が、自分の甘い考えで死んでしまう。

 

 ――誰か、誰でもいい。私はどうなってもいい! お願いだから、皆を助けてくれ!――

 

 そのアイシャの悲痛な願いは、いかなる奇跡か叶えられた。

 空から聞こえてくる、何処か懐かしい飛行音にアイシャが気付く。

 

「こ、これは……まさか!?」

 

 

 

 

 

 

 時は少しだけ遡る。

 レオリオは医者の勉強と修行を並行する忙しい毎日を送っていた。だが、そんな風に頑張り続けるのも限界がある。たまには休みの日をゆっくり費やしてもいいだろう。

 【高速飛行能力/ルーラ】を使って風間流へ飛んでゴン達と遊んで休みを謳歌しよう。そう思い、ゴン達に連絡を取るレオリオ。

 だが――

 

「電源が切れてる? 全員が?」

 

 誰に電話をかけても繋がらない。ゴンもキルアも、クラピカもミルキもアイシャもだ。明らかにおかしい。誰1人として電話に出られないなどあるのだろうか? ないとは言わないが、非常に少ない確率だろう。

 何か起きたんじゃ? そう思ったレオリオはアイシャに渡した【高速飛行能力/ルーラ】の目印の位置を確認してみた。

 

 実はアイシャに渡していたお守りには【高速飛行能力/ルーラ】の目印を入れていたレオリオだった。レオリオは【高速飛行能力/ルーラ】の目標として作った目印の位置を確認することが出来る。これを利用すれば、アイシャの位置を大体だが把握することが出来る。もっとも、アイシャが何らかの理由で目印のお守りを手放していたら話は別だが。

 

「これは……何処だここ? アームストルとは全然違う場所だぞ?」

 

 アイシャに渡した目印の位置はかなり移動しているようだった。

 今も移動していることから、誰かが持っていることは確実だ。アイシャであることを祈っているが、そこまではレオリオにも分からない。

 レオリオは取り敢えず世界地図を見ながら目印の位置を確認する。

 

「えっと……NGLだぁ!? なんだってそんな国にアイシャが? いや、目印があるんだよ!?」

 

 そう叫び、少し冷静になって考えてみる。

 アイシャやゴン達全員に連絡がつかないのは全員がNGLにいるからではないか? もしそうであるなら、NGL内は機械類を持ち込めないので電話で連絡がつかないことに説明がつく。

 

 何か重大な事件に巻き込まれているのか? すぐに飛んで加勢に行くべきか? だがそれで場を混乱させたらどうなる?

 どうすればいいか分からなくなったレオリオは、誰か事情を知ってそうな人物に連絡が取れないか試してみた。

 

 リィーナやビスケ、カストロやシオン。そう言った者達ならば事情を知っているかも。だが、彼女たちも全員NGLにいれば……。

 風間流に確認しても何も分からなければ、その時はもう何も考えずにNGLへと飛んでやると決めてリィーナへと電話をかける。

 

『はい、リィーナでございます。レオリオさんですか? どうなされました?』

「リィーナさん! アイシャ達は今何処にいるんだ!?」

『っ!? いえ、実は私も良くわからないのです。先程風間流道場へ戻ってきたばかりでしたが、何処にもアイシャさんはおらず、ゴンさん達も行方不明でして……』

 

 リィーナも知らないとなるといよいよきな臭くなってきた。

 アイシャ達が誰にも秘密にしていなくなるなど普通は考えられない。

 アイシャの行動とゴン達の追跡を知らないレオリオからすると、いなくなっている全員が行動を共にしていると思っていた。

 まあ、あながち間違いではない。全員の目的地は一緒なのだから。

 

「実はよリィーナさん。アイシャに渡していた【高速飛行能力/ルーラ】の目印がどうもNGLにあるんだよ」

『何ですって!? ……この際貴方がアイシャさんに目印を渡していたことは眼を瞑りましょう。それよりもNGL……? 何故そのような国にアイシャさんが?』

 

 NGLと言えば黒い噂の絶えない国だ。企業家としての一面も持つリィーナにはその内部も大体は理解していた。

 そのような国にアイシャがいるというのがまず想像出来ないことだ。確実に何かが起こっている。そう確信するリィーナ。

 

「いや、もしかしたらアイシャが目印を持っていない可能性もあるぜ。オレに分かるのは目印の大まかな位置だけだ。その目印を持っている人がアイシャかどうかは分からないからな」

『確かにそうですが……ですが、可能性としてはNGLが1番でしょう。アイシャさんの室内にあったパソコンも壊れており、しばらく留守にするという置き手紙まで……。レオリオさん、NGLにある目印に飛ぶことは可能ですね?』

「勿論だ」

『ならば今すぐ風間流道場へと来てくださいませ。嫌な予感がいたします……杞憂ですめば良いのですが……。とにかく、戦力を集め今すぐNGLまで飛びますよ!』

 

 リィーナのその言葉にレオリオが待ったを掛ける。あまりにも複数の人数を集められると困る要因があるのだ。

 

「待ってくれ。オレの【高速飛行能力/ルーラ】は複数人連れて移動することも出来るが、人数が増えれば増えるほどオーラの消耗が激しくなっちまう。アイシャの所にゴン達がいるなら合わせて5人。帰ることを考えるとあんまり多くは連れて行けないぜ?」

『複数回に分ければ……いえ、そうは出来ない状況という考えもしていなければなりませんね』

 

 アイシャが現在どのような状況にあるかなど知りようがないのだ。飛んでみればNGLと戦争中でしたとなっていても不思議ではない。移動した矢先に戻ることもあると考えなければならない。つまり多くの人数は連れて行けないということになる。

 

『分かりました。こちらからは私とビスケ、そしてカストロさんを連れて行きましょう』

「3人か。なら多分大丈夫だと思う」

『では、事は一刻を争うやもしれません。早く風間流道場へとお越し下さい』

「ああ!」

 

 

 

 レオリオが風間流本部道場へと到着すると、そこには既に準備を整えたリィーナ達が待っていた。

 

「待たせたな!」

「いや、私たちも先程準備を終えたところだ」

 

 カストロはそう言いながら両手に巻いた不燃布を確認する。オーラを炎に変化させるとその熱で自身もダメージを負ってしまうので、しっかりと炎対策をしていなければならないのだ。最近はより良い性能の不燃布をリィーナの力――財閥と金とコネ――で開発してもらっている。弟子となって旨みしかないカストロである。

 

「こんなに早く来るなんて、相変わらず便利な能力ね」

「ビスケ、軽口を叩いている暇はございませんよ」

「分かってるわよ。でも大丈夫でしょ? あのアイシャよ? ほっといても戻ってくると思うけどね~」

 

 アイシャがピンチになるなどとは考えにくいらしく、ビスケはそう言ってリィーナの過保護っぷりに呆れていた。まあ今に始まったものではないかと諦めているが。

 

「そのようなことを言って! それでもしアイシャさんが危機に陥っていたらどうするのですか!?」

「そんときゃ風間流の道場の周りを元の姿で逆立ちして10周してやるわよ」

「忘れないで下さいねその台詞」

「もちろんよ」

「おいおい、そんなこと話してる場合かよ」

「そうでした! さあ、準備は万端です! NGLまでよろしくお願いいたしますよレオリオさん!」

「ああ。何があるか分からないから、何があっても対応出来るように心掛けておいてくれよ!

 全員オレに掴まってくれ! ……行くぞ、【高速飛行能力/ルーラ】使用! アイシャ!」

 

 こうして新たな戦士達がNGLへとやって来た。

 そこが予想を遥かに上回る地獄だと知らずに……。

 

 

 

 

 

 

「アイシャ!」

「アイシャさん!」

 

 飛行音の原因がアイシャの傍に降り立つ。

 空から降り立ったのはアイシャの予想通りレオリオだ。そしてレオリオに掴まって3人の男女も降り立った。リィーナ、ビスケ、カストロである。この3人まで来たことに驚きを隠しきれないアイシャ。

 

「レオリオ!? それにリィーナさん達まで!?」

「お、お前らどうやってここまで来たんだよ!」

 

 ゴンとミルキの驚愕も当然だ。

 ここまで飛んで来たのはレオリオの【高速飛行能力/ルーラ】であることは確実だが、それには必要な条件を満たしていないはずだ。【高速飛行能力/ルーラ】はレオリオの神字を刻んだ目印を目標として移動する能力。どこでも好きに移動できるわけではないのだ。

 

「まさか……!」

 

 アイシャは目印に覚えがあるのか、ポケットからある物を出す。それはレオリオから貰ったお守りだった。特に変哲もない袋で、中にはレオリオが神字で書いたお守りが入っていると言っていた。

 その神字は人間関係が上手く行くように念を籠めて書いたと。そうアイシャには説明して渡されたお守り。

 確かにレオリオのオーラは僅かに感じていたが、先に説明された通りのものだろうとアイシャはレオリオを信じていた。

 だが、今回ばかりはレオリオにいっぱい食わされたようだ。

 

「悪いなアイシャ。なんかお前が心配だったから、そうして目印を渡させてもらってた。それに、人間関係が上手く行くように念を籠めて書いた神字も一緒に入れてあるから嘘じゃないぜ?」

 

 レオリオは前もって受験の時にキメラアントを調べてほしいとアイシャに頼まれた時からアイシャが心配だったのだ。

 何処かで自分たちに黙って無茶をしそうな気がしていたので、アイシャを騙す形になるが、【高速飛行能力/ルーラ】の目印を渡しておいたのである。

 予想は当たっていたようで、アイシャは何か危険なことに首を突っ込んでいたようだ。まあ、もしかしたらゴンとかの可能性もあるかとレオリオは考えるが。

 そして予想以上なこともあった。……眼前から迫るこの圧迫感。正直友がこの場にいなかったら逃げ出していただろうとレオリオは唾を飲み込みながら思う。

 

「なん、だ、こりゃ……?」

「何とも間の悪いことだなレオリオ。わざわざ死地に来るとはな」

「おいおい、説明しろよクラピカ? こりゃ何事だ? あっちから悪魔でも来てんのか?」

「良く分かってるねレオリオ」

 

 レオリオのクラピカへの問い掛けにはゴンが答えた。実際はキメラアントの王だが、悪魔と言ってもあながち過言ではないだろう。

 話しながらも誰もが同じ方向を見ている。誰も仲間の顔を見てはいなかった。この圧迫感から眼を逸らせば、その時には自分の命も失くなってしまいそうな錯覚を感じているからだ。

 

「アイシャさん、これは!?」

「敵は巨大キメラアント。その王と側近の護衛軍、強さは感じている通りです」

「巨大キメラアント! そのような馬鹿なことが……!」

 

 アイシャの言うことを全く疑いはしないリィーナだが、それでもこの馬鹿げた存在に驚きを禁じえない。

 

「全く、あなた達まで来るなんて……レオリオさん、今回の件は後で怒りますからね」

「ああ、怒ってくれていいぜ、アイシャに叱られんのも新鮮だし、後があるなら万々歳だぜ」

 

 そう、後という未来があるのならばどれだけ叱られようとも構わない。

 だが、場の状況を断片的にしか把握出来ていないレオリオですら、その未来が掴めるかどうかが疑問であった。

 

「……このまま皆を連れて【高速飛行能力/ルーラ】で帰るというのは――」

「――その皆にアイシャがいるなら何も問題はないよねレオリオ」

「ゴンの言う通りだぜ」

 

 アイシャの最後の案は呆気なく却下された。

 王も新手が増えたことは察知している。ここから逃げる素ぶりを見せれば一瞬で間を詰めてレオリオが【高速飛行能力/ルーラ】を使用する前に殺しに掛かってくるだろう。

 それを防ぐにはアイシャが残ればいいだけだが、それを許すような者はこの場に1人もいなかった。

 予想通りとはいえ、こんな死地に望んで来るなんて本当に……本当に、友と仲間に恵まれたとアイシャは実感する。

 

「やれやれ。こりゃ罰ゲーム決定だわね……」

 

 そう言いながら、ビスケは諦めたかのように自身に掛けている能力を解除する。

 手加減をして勝ちの目を拾えるような生易しい敵ではないようだ。真の姿はビスケにとって恥ずべきものだが、死んでまで守るほどのものでもない。

 

「おい、オレの目の錯覚か? ビスケが大きくなっているんだが?」

「奇遇だなキル、オレもだ。どうやら極度の緊張状態が続いたせいか幻覚まで見え出したようだな」

 

 どんどんと見た目を変化させていくビスケ。

 ゴン達と同年齢くらいの可愛らしい姿から本来の姿、身長2mを超える筋肉隆々の大女へと変化したのである。

 キメラアントの王が来る方角がビスケのいる方角な為、後ろからそれを見ていたゴン達は己が眼を疑い唖然としていた。無理もない反応である。

 

「カストロさん、貴方のオーラを3分の1程もらいますよ」

「了解しました。どうぞお受け取り下さい」

 

 リィーナも予想を遥かに上回るこの状況に本気を出せるように準備する。カストロのオーラを【貴婦人の手袋/ブラックローズ&ホワイトローズシャーリンググローブ】にて吸収し出す。

 3分の1ものオーラを吸収するとカストロの戦闘力に多少の影響は出るが、短期戦ならば問題はないレベルだ。

 そして敵が強ければ短期戦でもオーラの消耗の度合いは大きい。だがオーラが減らなくては使えない奥義がカストロにはある。

 上手くすれば格上ですら倒せる切り札となるだろう。通常の戦闘でも支障が少なく、かつ切り札へと繋げ易い目安が3分の1なのだ。

 

「こうして敵がゆっくりと近付いているのは余裕の現れかしらね?」

「さあ? 余裕か慢心か侮りか。どれにせよ多少の準備時間があるのは良いことでしょう」

「そうね。ふふ、最近こんな緊迫感のある死合をしていなかったからたまにはいいわね」

「どうやら頼りになる戦力が増えたか。初顔だが、今回は背中を預けさせてもらうぞ」

 

 そうやってこの状況においても逃げ出す素ぶりも見せずに話す皆を見てアイシャは嘆息する。

 

「ふぅ……こうなったら全員で生存の道を勝ち取りますよ」

「初めからそのつもりだよ!」

「誰かが犠牲になるくらいなら、全員で玉砕するか、全員で生き残るかの2択だぜ」

「ギャンブルは嫌いじゃないぜ」

「ギャンブルと同じと思っていると痛い目に遭うぞレオリオ」

「死ぬか生きるかは生まれてこのかた慣れっこだぜ?」

「アイシャさんを置いて逃げていればこの場の誰も無事に余生を過ごせておりませんね」

「逃げても死ぬのね……」

「ならば戦って勝つのみ!」

「ここが人類の命運を分ける戦いになるな。否が応でも気合が入る」

 

 もはや開き直ったか、それとも僅かでも希望の光を見たか。

 どちらにせよ既に逃走という選択はなくなった。もう王はすぐ近くまで来ている。ならば後はこの生存闘争に打ち勝つ他に道はない。幸か不幸か戦力は集まった。これならば護衛軍を任すことも出来るだろう。そう、アイシャは仲間を信じる。

 後は自分が王に打ち勝つことが出来るかどうかだ。

 

 ――ふふ、ここまで勝ち目の薄い戦いは……久しぶりだな――

 

 思わず己と王の戦力差に自嘲するアイシャ。そう、仲間たちと護衛軍はそこまで問題ではない。問題なのは、アイシャと王の一戦だ。

 あの一瞬の交差で理解した。身体能力はネフェルピトーの比ではない。アイシャと比べればどれだけの差があるというのか。

 オーラ量は倍以上の差がある。今世に置いて自身のオーラに並ぶ者を見たことがなかったアイシャも、流石にこれには恐怖よりも感動を覚えた。

 元よりリュウショウの時代よりオーラ量で並ぶ者などネテロ以外にいなかった。オーラ量でここまで圧倒されることは流石に初の経験だった。

 だが、これに勝たねば未来はない。それはアイシャ達だけでなく、全人類の未来も含まれている。アイシャの一戦に世界の命運が懸かっていた。

 

 だというのにアイシャは内心の何処かでこの状況を楽しんでいた。

 もちろん今でもゴン達が逃げてくれるならそうしてほしい。王が産まれる前に女王を倒したかったという後悔はないわけではない。

 だが、あの王を相手にどこまで戦えるのか? 自分の武は通用するのか? 勝つことは出来るのか? そう考えるだけでアイシャは心が奮えた。自身よりも強いだろう難敵に挑むこの高揚。久しく感じていなかったものだ。

 そう、これはかつてネテロに初めて挑まれた時と同じものだ。そう思い至ったアイシャは笑っていた。

 自嘲ではなく、心から楽しそうに笑っていたのだ。

 

 ――武人の性だな。難儀なものだ――

 

 そう自覚しつつも、ここに至っては致し方なしとアイシャも全ての迷いを捨てる。

 ゴン達の心配も、世界の命運もここでは意味がない。あるのは勝つか負けるか。生か死か。

 ならばやることはただ1つ。全力で勝つ。それだけだ。

 

 

 

「来る」

 

 アイシャの言葉を皮切りに王が姿を現した。

 2匹の僕を引き連れ、悠々と歩むその姿は王の行進。例え僕の数が少なかろうと、そんなことは関係ない。王の威風がそれを帳消しにして有り余る。王のオーラがそんなことを感じさせない。まさに生まれながらの王。統治者の風格。

 ……ただし、暴君という種の王だが。

 

 王と2匹の護衛軍はアイシャ達から10m程離れた位置で立ち止まり、アイシャのみを値踏みするように睨めつける。

 

「よくぞ余の攻撃を凌いだものよ。人間にしておくには惜しい力だ」

「それはどうも」

 

 まさかの賞賛の言葉にアイシャも驚くが、それは表には出さずに平静に言葉を返す。

 

「だが、王である余を地に付けるという度し難い行為。許すわけにはいかんな」

「……」

 

 アイシャは無言で、だが最も体に馴染んだ風間流の構えを取ることで王の言葉に応える。

 

「王直々に刑に処す。これを最大の誉れと思うがいい」

「……来い、産まれたての王よ。人間の研鑽を見せてやる」

 

 アイシャと王の間で、膨大な殺気と闘気がぶつかり合う。

 

「くくく。矮小なる人の身でどのような研鑽を積もうとも、決して王たる余には届かん。太陽に手を伸ばしても何も掴めないのと同じようにな。プフ! ユピー! おぬしらは周りの有象無象を掃除しろ。余の邪魔はするなよ」

『は!』

 

「皆、護衛軍を頼みます。……誰も死なないでね」

『おう(はい)!!』

 

 王とアイシャ。護衛軍とゴン達。

 それぞれの死闘が始まろうとしていた。

 

 




ハトの照り焼き様から頂いたイラストです。いつもありがとうございます。


【挿絵表示】


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十七話

 アイシャと王が対峙する最中、ゴン達と護衛軍はその場を離れていく。どうやら互いにアイシャや王の邪魔にならない場所にて決着を付けるようだ。

 

 そしてこの場に2人だけとなったアイシャと王。

 アイシャは変わらず最早慣れきった構えを取り、王は不敵に笑いながらアイシャを見る。

 

 王から見てアイシャは脆弱な餌に過ぎない。それは先の一撃をいなされ、自身に返された今も変わらない考えだ。今見てもアイシャから感じる力は己よりも圧倒的に下だ。生命エネルギーは隠しているのか殆ど見えない。

 それなのに、全力ではないといえ、人間に反応出来るとは思えない一撃に反応し、それを返した。

 

 如何なる業を用いたのか。人間という下等生物がここまで至るに掛かった努力は如何程なのか。そしてその全てを喰らえるとなると、どれほどの至福を味わえるのか。

 そう思うだけで王は声を漏らして嗤ってしまった。

 

「くっく――」

 

 王の視界が反転した。否、視界が暗闇に閉ざされていた。

 気付けば王は大地に頭から叩きつけられ、大地を突き破って地中に突き刺さっていた。

 

 自分を餌と見て嘲り嗤う王は、アイシャにとって隙だらけだった。

 完全にアイシャから意識が逸れた瞬間に距離を詰め、虚を突き柔にて天地を逆さまにする。そして顎へと硬による一撃を叩き込み、更に王が大地に叩き付けられる前に大地の一点、王を叩き付ける一点のみを硬にて強化し、そこ目掛けて全力で叩き付ける。一連の流れで硬を使い分ける超高速の流。これこそがアイシャの念能力の真骨頂とも言えるものだ。

 

 オーラで強化された大地に頭から叩きつけられても、王の頭部は損傷することなく地を砕き沈んでいった。それくらいはアイシャも予想していた。王のオーラならばこの程度は耐えることも造作もないだろう。

 

 そこからアイシャは更に追撃を加えようとするが、アイシャの頭部があった位置を王の尾が通り過ぎていった。瞬時に頭を下げることでそれを躱すも、続けてアイシャの体を狙うようにまたも尾が振るわれる。

 アイシャはそれを更に体を沈ませることで躱し、通り過ぎゆく尾を掴んでその勢いを利用する。王の力に自身の力を加え、王を大地から引き抜きまたも大地に叩き付ける。

 

 王の力も加わった為か、先の一撃とは比べ物にならない爆音を上げ、大地に大きなクレーターが出来上がる。

 アイシャは攻撃を途切れさせないよう更なる追撃を加えようとする。クレーターの中心にいる王へ向かって駆けようとし……次の瞬間にアイシャはその場から、王から離れた。

 

 攻撃を受けたわけではない。攻撃を避けたわけでもない。ならば何故、何故あの状況からあの場を離れたのか。

 

「……貴様」

 

 それは怒気だ。王から発せられる尋常ならざる怒気。その怒気だけでアイシャは退いた。退いてしまった。

 

 土煙が晴れ、クレーターの中心にいる王が鮮明に映る。

 その顔はオーラを読むまでもなく怒りに染まっていると誰もが理解するだろう。

 いや、並の能力者ならば理解する前に意識を手放している。そうしなければ精神が崩壊しかねないからだ。

 それほどの怒りをオーラに乗せて王は発していた。

 

「人間風情が、余に……王たる余に大地を舐めさせたな! 一度ならず、二度までも!!」

 

 ――まるで堪えていないか――

 

 王の暴威に触れ、思わず飛び下がってしまったアイシャ。

 だが冷静さは失っていない。それどころかますます研ぎ澄まされていくようだ。そうしなければ勝ちの目が消え去ると本能で理解しているのだ。

 アイシャは冷静に王の戦力を分析する。

 

 開幕の攻撃も、王自身の力を加えた二撃目も見た目にはダメージらしきものはない。開戦前に王が飛び掛って来た一撃を返した時とは違い、今度は大地にオーラを籠めて威力を上げていた。

 王に放った先の一撃をまともに受ければネテロでさえ即死するだろう。なのに無傷、まさに桁が違うと言ったところか。

 

 ――攻撃力、速力、耐久力、全てが人間の限界を軽く凌駕しているな――

 

 耐久力だけでなく、その肉体のスペックもある程度は理解出来た。

 正直理解したくなかったというのがアイシャの本音である。アイシャは長年数え切れぬ程の、それこそ星の数程も敵の攻撃を合気で返している。それ故か、アイシャは相手に触れるだけで相手の肉体のスペックをある程度把握出来るようになった。

 そして、王のスペックは計り知れないということを理解出来た。ネテロですら、そしてネフェルピトーですら把握しきったというのに、だ。

 最早人外という言葉すら生易しい存在。それが王だ。

 

 そんな王がアイシャへとその怒りをぶつけていた。

 

「その罪! 万死に値する!」

 

 アイシャがソレに反応出来たのはネテロのおかげと言っても過言ではないだろう。ネテロと幾百も戦い、幾千もの【百式観音】を味わい、それに対抗すべく業を練り上げてきた。最速の念能力に対抗してきたからこそ、王のその攻撃に反応出来た。

 

 王の攻撃は別段特異なものではない。

 走って近付き敵を殴る。ただそれだけである。そこには技術の欠片もなかった。

 だが……怒りに任せて放たれる王のそれは、それだけで必殺の攻撃となる。

 今まではまだ遊んでいたのだろうと理解出来る。アイシャでも反応するのがやっとの速度で近付き、アイシャでも受け流すのが精一杯で攻撃を返すことが出来ない程の威力で殴る。

 

 攻撃を王に返すなど烏滸がましい。そう言わんばかりの一撃をどうにか受け流したアイシャはその余波で吹き飛んでいった。

 正確には追撃されないよう力を抜いて自ら吹き飛ばされたのだが、それでも予想を遥かに上回る距離を吹き飛んでいくアイシャ。

 

「ぐぅっ!」

 

 コロの原理や脱力や流やオーラの回転による受け流しなど、様々な技法を交えて威力を逸らして、なおこのダメージ!

 まともにガードしたわけでもないというのに、受け流す為に使用した腕が痺れている。少しでもタイミングを間違えていれば……。

 骨が折れるならばまだ良いだろう。下手すれば腕がもがれていただろう。

 

 ――まともに受ければそれで終わりだな――

 

 こちらの攻撃は殆ど通じず、相手の攻撃は即死級。なんて理不尽。

 だが、この化け物に勝てなければそこで終わりだ。自分が死ぬだけなら良し。だが確実にゴン達も殺されるだろう。

 そして世界がキメラアントによって侵食されていく。その過程でアイシャの多くの知り合いも犠牲になるだろう。

 それを許すわけにはいかない。勝ち目のない戦いなどとは思わない。どんなに勝率が低かろうとも勝たなければならないのだ。

 

 アイシャがまだ生きていることに更なる怒気を孕みつつ、王はアイシャへ向かって駆ける。そして先程と同じように攻撃を繰り出す。見ることすらままならぬその攻撃に、アイシャはまたもかろうじて反応して受け流すことに成功する。

 またも吹き飛ばされるアイシャ。それを追って王は追撃を加える。それすらもどうにか受け流し、また吹き飛ばされる。

 

 ――人間風情が!――

 

 自らよりも劣る人間を仕留めきれない現状に苛立つ王。

 そうして何撃目かの打撃を繰り出す。次こそは殺すと力を込め、振り抜いた拳はまたもアイシャを捉えることなく受け流された。

 いや、受け流されただけではない、先程までとは逆に王が吹き飛ばされることとなった。

 

「ぬう!?」

 

 先程までとは違った結果に少々の戸惑いを禁じえない王。

 だがこの程度で戸惑いはすれど今さら驚きはしない。敵が人間にしてはヤルということは理解している。どうせこの程度では然程のダメージはない。この程度の抵抗、死期が僅かに延びただけのこと。次の一撃にて仕留めてみせる!

 そう思い、吹き飛ばされてすぐに周囲の岩を足場にし、アイシャへと駆け寄り間を詰める。そして死を纏う一撃を振るい――

 

「ぐっ!」

 

 またもアイシャによって自身の力を利用されて吹き飛ばされることとなった。

 

 ――馬鹿な! あやつ何故!――

 

 吹き飛ばされた王はそれ自体を驚いてはいなかった。前述したとおり、アイシャが自身に僅かながらも抗いうる力を持っていることは理解している。

 王が驚愕したのは全力の攻撃を返されたからではない。王が驚愕したのは――

 

「何故眼を瞑っておる!?」

 

 アイシャが瞳を閉じたまま、王の攻撃を返したからであった。

 

 何故超速で繰り出される王の攻撃を前に、視覚という生物で最も外部情報を得ることの出来る感覚を閉ざしたのか。

 それは王の攻撃があまりにも速すぎる為、視覚から得られる情報が少なすぎることが要因であった。視てから反応していては遅すぎるのだ。それでは攻撃を受け流すのが精一杯なのだ。

 

 視て遅いのならば、視る必要はない。それがアイシャの結論だ。

 視覚を閉ざし、残りの感覚を最大限に発揮する。オーラすら閉ざし、完全な絶となって更に感覚を研ぎ澄ます。

 そこまでしてようやく王の攻撃に反応が追いついた。そこからは体が覚えている通りに動かす。触れられる瞬間のみにオーラを用い、完全なる合気にて力を返す。

 何万、何十万、何百万、いやそれ以上か。どれだけの組手をこなしたかは分からない。どれだけの攻撃を受けたかは分からない。どれだけの攻撃を返したかは分からない。

 北島晶の数十年が、リュウショウの数十年が、アイシャの十余年が。今のアイシャを構成する全てが、王の攻撃を視ずとも反応することを可能としたのだ。

 

 王の攻撃を察知。触れる前に触れる箇所のみにオーラを纏う。全身を使って攻撃を逸らし、触れたオーラを回転させてさらに受け流す。

 そして王の攻撃を流しつつ、自身の力を加え、あらぬ方向へと吹き飛ばす。

 

 この繰り返しだ。吹き飛ばされた王に殆どダメージはないが、全くないわけではない。自身の力が返ってくるのだ。頑丈な王と言えど多少はダメージを受ける。見た目には分からないが、痛みがないわけではなかった。

 それでもこの方法では百や2百の攻撃を返しても王を倒すことは出来ないだろう。

だがアイシャはそれを理解しつつも揺るぎない精神で技を振るう。百で駄目ならば千。千で駄目ならば万の合気を叩き込むのみ。

 

 ――私を舐めるのは良い。だが、風間流を舐めるなよ――

 

 アイシャの意地が、積み重ねた研鑽が、王に確かな痛みを刻んだ。

 

 

 

 

 

 

 アイシャと王が対峙する中、ゴン達も護衛軍の2匹と対峙していた。

 数の上ではゴン達が有利だ。その差は7、つまり9対2という大差である。だが、それで実際の戦闘でも有利かと言われればそうだと頷ける者はゴン達の中にはいないだろう。

 

 護衛軍の2匹。シャウアプフとモントゥトゥユピーから発せられるオーラは王には劣るものの、アイシャと然程変わらない程のオーラ量だ。

 そしてそのアイシャを相手にこのメンバーは全員で纏めてかかって敗北している。しかもその時は今よりも3人の念能力者がいたにも関わらず、だ。

 オーラでアイシャに匹敵する敵が2体。そんな敵を相手に数で有利だからと油断するわけがなかった。

 

「さて、王より貴方達の相手を仰せつかりましたが、ここでは王の邪魔になるでしょう。ここから離れた場所で戦おうと思っているのですが、いかがですか?」

 

 そう提案してきたのはシャウアプフだ。見た目は優男と言ってもいい風貌で、外見に合った柔和な言葉遣いで語りかけてくる。

 キメラアントからの提案だが、それ自体はゴン達も願ってもない提案だ。こんなにも近くで戦っていてはアイシャも王に集中することが出来ないかもしれない。

 それに如何に王が護衛軍に手を出すなと言っても、その命令を破ってでも護衛軍が王の手助けをするやもしれないのだ。場所を移すことに異議はなかった。

 

 シャウアプフの提案にゴンが全員の代弁として首肯する。

 

「それは良かった。では、あちらへ移りましょう。少し離れた場所に丁度よく開けた土地があります」

「良かったな。お前らの寿命が延びたぞ。そこに行くまでは死なないからな」

 

 モントゥトゥユピーの嘲りには誰も何も返さなかった。明らかに人間を見下しているその台詞だが、そう思ってくれているならそれはそれで好都合だ。

 こちらの力を過小評価しているならそれに越したことはない。敵が油断しているならそれを突くだけだ。

 

 

 

 アイシャ達から十分に離れた場所にて再び対峙するゴン達と護衛軍。

 既にアイシャと王は戦いを始めているようだ。離れた場所でもアイシャと王の戦闘の余波が響いてくる。それを耳にして、シャウアプフは「ほう」と感心したように息を吐く。

 

「まさかここまで王と戦えるとは……」

「王が遊んでおられるだけだろ? 人間にしてはやるようだが、王に勝てるわけねーよ」

「まあその通りではありますが、それでも流石はネフェルピトーを屠った者、と言ったところでしょうか」

「あ? あいつがピトーを殺した人間か?」

「そう考えるのが妥当でしょう。それほどの人間ならば王とも多少は渡り合えるのも納得ですから」

 

 ゴン達と対峙しつつもそう話している2匹に緊張や王を心配する気持ちはなかった。何故なら2匹は王に絶対の信頼を抱いているからだ。

 もちろん王を護る護衛軍として、王と戦える人間がいるというのは脅威となる話だ。だが、2匹は確信している。王が全ての生物とは次元を隔てた存在に至っているということを。

 女王とネフェルピトーの死者の念を引き継いだ王のオーラに間近で触れた2匹は、王に勝つことの出来る存在がこの世にいるとは到底思えなかった。

 オーラの多寡だけが勝敗を分ける重要な要素ではない。そんな念能力者の常識を覆す圧倒的オーラを持って産まれた王。まさにこの世を統べる絶対者。

 今は少し強い人間を相手に戯れているだけ。その気になれば最初の襲撃でも容易く方が付いたはず。2匹はそう信じて疑ってはいなかった。

 

「アイシャを舐めんなよ。王と離れたことを後悔することになるぜ?」

「それはそれは。ですが、本当は彼女の元に駆け寄りたいのでしょうに、虚勢はみっともないですよ?」

「!?」

 

 まるで心を見透かしたかのような言葉にキルアは絶句する。

 まさにシャウアプフの言った通りの心境だ。出来るなら今すぐにでもアイシャに加勢したい。だがそれが無意味であると理解しているからここにいるのだ。行っても邪魔にしかならない、ならば敵を分断して抑えておくのが最高の援護だと分かっていた。分かってはいるが、感情と理性は必ずしも一致しない。それをもどかしく思うが、それよりも重要なことをキルアは考えていた。

 

 ――こいつ……オレの心を正確に把握している?――

 

 果たしてそれは洞察力に優れているだけか。それとも何らかの能力によるものか……。

 能力ならばまだいい。能力による読心ならば防ぎ方もあるだろう。能力の発動条件を満たさせなければ能力は発動しない。発動条件が緩ければ、それだけ能力も然程効果は高くないということだ。それならそこまで問題視する必要はない。

 だがこれが洞察力によるものなら厄介だ。洞察力故に発動条件などない。心を読まれないようにするには、相手に判断材料を与えないようにしなければならない。

 表情を隠す、精神を平常に保つ、オーラの変化を隠す。いずれも戦闘中に注意していれば戦闘そのものが僅かでも疎かになりかねないだろう。

 

「お気になさらず……何となくそう感じる、それだけのこと……」

 

 そう言い放つシャウアプフの言葉を鵜呑みにするキルアではない。むしろこの一言で確信に近いものを感じた。これは鋭い洞察力ではなく、何らかの能力による読心に近いものだと。

 洞察力とは経験から察せられるものだ。いくらキメラアントが産まれ付き知識を持っているとはいえ、ここまで細かくキルアの心情を把握するなど出来るとは思えなかった。ならば残った答えはたった1つだ。

 

 キルアの予想通り、シャウアプフの読心は洞察力によるものではなく能力によるものだった。【麟粉乃愛泉/スピリチュアルメッセージ】。それがシャウアプフの能力の1つだ。自身の鱗粉を相手の周囲に散布してオーラの流れを鮮明に把握し、そこから相手の感情やその時の思考を読み取る能力。正確には感情や思考を読み取る、推測するのは能力に関係なくシャウアプフ自身の頭脳によるものだが。

 とにかく、この能力によりシャウアプフは対象の思考を読み取っているのだ。

 

 そしてシャウアプフが能力により導き出した答え。それは目の前の敵――ゴン達――の戦力を侮ってはならないというものだった。

 どの敵も予想を遥かに越えた戦士たちだ。この状況にあっても絶望しておらず、警戒をしてかつ警戒し過ぎて臆病にはなっていない。全員が緊張感と覚悟、そして自信を有している。オーラの大小の差はあれど、誰もが警戒に値するオーラを纏っていた。

 自分達程ではないが、彼らは強い。人間でも精鋭の兵士だろう。ゴン達のオーラを読み、シャウアプフはそう思い至った。

 

 ゴン達も護衛軍の強大さを理解している。確実に個としてのスペックは相手が上だ。能力を数値化すると、ほぼ全ての能力が護衛軍に劣っているだろう。優っているのは数と経験、そして技術といったところか。

 他の数値には絶望的な差がある。だが、有利な点があるならば勝てない道理はない。後は如何に戦闘を運ぶかだ。

 

 そうやってゴン達とシャウアプフが互いの戦力を計って思考を巡らせている中、1匹のキメラアントが痺れを切らした。

 

「おい、何で攻撃しないんだよ? こいつ等もう殺していいんだろ?」

 

 モントゥトゥユピーは物事を深く考えるのが得意ではない。故に現状を短絡的に、そしてある意味では誰よりも正しく認識していた。

 王の敵を殺す! そこに戦略も戦術も戦法もない。目の前の敵を叩き潰す、ただそれだけだ。それが王の為になるならばそれだけで十分なのだ。

 

 モントゥトゥユピーは肉体を音を立てながら変形させる。見た目は人間に近かったその肉体は、上半身に幾つもの眼を作り、複数の腕を生み出したことによって異形の化け物へと変化していった。

 そして複数の腕を1つにまとめ、巨大な一腕としてハンマーを振り下ろすように、ゴン達に向けて叩き付けた。

 これが戦闘の合図となった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十八話

 モントゥトゥユピーの放った一撃は大地を大きく抉った。あまりの威力にクレーターのような大穴が出来上がり、粉塵は飛び交い、衝撃だけで木々が悲鳴を上げる。破壊力という一点に置いてはネフェルピトーを遥かに上回るだろう。だが、その一撃にモントゥトゥユピーは何の手応えも感じていなかった。

 

 開幕の一撃に圧倒的な破壊力を見せつけられたゴン達は、何とかあの一撃を無傷で切り抜けることが出来ていた。大振りの、しかし素早い一撃を咄嗟に避けられたのは日頃の訓練の賜物と、そしてモントゥトゥユピーの一撃から発せられた圧倒的な迫力からだった。

 そう、天を覆うような巨大な槌を振り下ろされたかのような錯覚。その錯覚がゴン達を緊急回避へと導き、命を救ったのだ。

 

「なんって、破壊力だよ!」

「臆するなレオリオ! 奴らが出鱈目なのは承知の上だ!」

「おりゃあお前と違って初見なんだよ!!」

 

 曲がりなりにもモントゥトゥユピーと同格の護衛軍であるネフェルピトーの力を間近で見た経験のあるゴン達だが、NGLに途中参加したレオリオ達はそうではない。

 人間とは比べようもない圧倒的な存在にレオリオはおろかリィーナやビスケですら面食らっていた。

 

「こりゃ無茶苦茶ね……」

「気は進みませんが1対1の正面からは避けますよ。数の利を活かします!」

 

 リィーナもこの状況では武人としての拘りではなく戦闘に勝つ為に利を選んだ。

 そういう拘りを持ち出す状況ではないのだ。仲間の誰が死ぬかも分からない、そればかりか敬愛する師すら命の保証がない。ここは勝つ為に拘りを捨てる場面なのだ。

 

 幾多の訓練や試合、実戦を通してゴン達は各々の戦力をほぼ把握している。

 それ故にこの状況で最も効率の良い戦い方も理解していた。

 

「喰らえ!」

 

 カストロが粉塵を突き抜けその先にいるシャウアプフへと攻撃を仕掛ける。

 それに続きリィーナとビスケもシャウアプフへ向かって攻撃態勢を取った。

 

「ふむ。これは中々」

 

 カストロの猛攻をシャウアプフは涼しい顔で捌く。だがそれとは別に内心ではカストロの戦闘力に賞賛の意を持っていた。人間風情にしてはやる。賞賛と言ってもそれくらいのものだが。それくらいカストロとシャウアプフには戦闘力に大きな差があったのだ。

 

「はあっ!」

 

 虎咬拳の連撃にてシャウアプフへ猛攻を加えるが、そのどれもが完全に見切られていた。それは戦闘技術の差、ではない。そも技術に置いてはカストロに軍配が上がるのだ。それでもなお覆せない身体能力の差が今のカストロとシャウアプフの戦闘を物語っていた。

 

 だが、そこにリィーナとビスケが加わると話は変わる。

 

「おや?」

 

 カストロを仕留めようと猛攻を避け切った後に反撃をしようとしたシャウアプフ。

 だがそれを許すリィーナではない。シャウアプフの鋭い一撃を柔にて捌き、そのまま体を崩してシャウアプフを投げ飛ばす。そして投げ飛ばした方向にはビスケが待ち構えていた。元の姿に戻り、完全な戦闘力を取り戻したビスケの全力の一撃が、シャウアプフの顔面を捉えた。

 吹き飛び、大地に倒れ伏すシャウアプフ。その一撃はゴンの全力の一撃に匹敵、いや、凌駕していたかもしれない程だ。

 

「こっちはあっちほど出鱈目じゃなさそうね」

 

 アイシャを除いて最高戦力とも言える3人が纏まってシャウアプフと対峙しているのは理由がある。それはモントゥトゥユピーよりも組みやすしと見たシャウアプフを出来るだけ早くに片付けて、すぐにゴン達の加勢をして残ったモントゥトゥユピーを一気に倒そうと計算していたからだ。

 リィーナ達が合流するまではゴン達はあの圧倒的破壊の持ち主と対峙しなければならないが、彼らが防御に徹すれば時間を稼ぐことは出来るだろう。そして全戦力で叩き潰す。これがリィーナ達の戦術であった。

 

「油断は禁物ですよ。どのような能力を有しているのか判明していないのですから」

「分かっているわよ。さあ、こいつを倒してゴン達に加勢するわよ!」

「おう!」

 

 本来ならこれで決着だろうが、相手は護衛軍だ。先のモントゥトゥユピー程強力ではなさそうだが、それでも油断出来る相手ではない。

 そう思っていたリィーナ達だが、それでもまだシャウアプフを侮っていたと後に理解することになる。

 

 

 

 リィーナ達がシャウアプフと戦っている一方で、ゴン達はモントゥトゥユピーと対峙していた。

 数の上では6対1。圧倒的な差だ。だが、それを有利だと思わせない程の力をモントゥトゥユピーは全身から発していた。

 

「雑魚が。群れても意味がないことを教えてやる!」

 

 複数の触腕を無造作に振り回す。周囲を囲む蚊とんぼを払うかのように、無造作に、高速で、ただ振るい続ける。それだけでモントゥトゥユピーの周囲は死を撒き散らす暴風域と化した。

 開幕の一撃に比べたら触腕1つ1つの威力は低いのだろうが、それはモントゥトゥユピーからすればの話だ。ゴン達がまともに喰らえばそれだけで致命傷に至るかもしれない。そんな攻撃が無数の腕から繰り出されるのだ。脅威以外の何物でもない。

 

 だが、どんな攻撃も当たらなければ意味はない。

 

「ちぃ! とっとと当たれよ!」

 

 モントゥトゥユピーの苛立ちが示すのは、ゴン達が無事だという事実だ。

 鞭のようにしなる触腕の攻撃は、一撃たりともゴン達にヒットしていなかった。

 流石のモントゥトゥユピーも、複数に分かれて自身を囲むゴン達を細かく狙って攻撃することは出来ない。1人に集中すればその1人は既に倒せているだろうが、そんな戦法を取るほどモントゥトゥユピーも愚かではない。

 1人の敵に集中して他の敵を疎かにすればどのような目に遭うかも分からないのだ。同胞のネフェルピトーが殺られたという事実が、モントゥトゥユピーを慎重にさせていた。

 

 そして周囲を大まかに攻撃するような雑な攻撃ではゴン達でも避けることは可能だった。触腕の攻撃範囲を見切り、その全てをどうにかして切り抜ける。

 しかしゴン達が攻勢に出ることはなかった。こうしてモントゥトゥユピーの攻撃を凌いでいるだけだ。だがそれで良かった。ゴン達は決定的な瞬間を、勝機を待っていたのだ。

 それはリィーナ達ではない。リィーナ達がもう一体のキメラアントを倒して加勢に来てくれるのが理想ではあるが、現実はそう上手くいかないことばかりだ。ならば勝機は自らたぐり寄せるしかない。

 ゴン達は死を撒き散らす暴風の傍で耐え凌ぎ、その瞬間が訪れるのをただ待っていた。

 

 そして、思ったよりも早くにその瞬間は到来した。

 

「このっ! ちょこまかと! ウザったい蠅どもがぁ!!」

 

 元々気が短いモントゥトゥユピーだ。その苛立ちが増してくると、攻撃も大雑把になる。そう、開幕の一撃と同じ、全てを巻き込むような大打撃を放って来たのだ。

 そしてゴン達はそれを待っていた。

 

 ――潰れ死ね!――

 

 右の触腕を全て束ね、巨大な鉄槌に変えてゴン達に向けて叩き下ろす。

 外れても良し。外れたら当たるまで叩き付けてやる。弾け飛ぶ岩石まで全てを避け切れる訳が無い。そして脆弱な人間ならばその内力尽きるだろう。

 それがモントゥトゥユピーの見解だ。それはあながち間違いではない。直撃を避けても、間近にいる故に衝撃や飛び交う岩石までは避けきれない。

 このままモントゥトゥユピーが攻撃し続ければ、戦闘の結果はモントゥトゥユピーの思った通りになるだろう。

 攻撃し続けられれば、だが。

 

「最初はグー!!」

「!?」

 

 モントゥトゥユピーは背後から聞こえたその声に反応する。

 あの攻撃を避け、岩石や衝撃を物ともせずにモントゥトゥユピーの背後に回り込む。強化系を極めんとするゴンだからこその芸当だ。

 その体には幾つかの傷が出来ていたが、この程度ではゴンの動きが鈍ることはない。仲間内で最も頑丈なのがゴンなのだ。

 

 全力の一撃を放った後という最大の隙を狙って攻撃を叩き込もうとするゴン。

 だが、モントゥトゥユピーは不意を突いた攻撃にも反応した。ゴンの声に反応して即座に反撃を、いや、迎撃を選択。背中を変化させ、鋭い刺を大量に生やしてゴンを突き刺そうとする。だがその攻撃がゴンに届くことはなかった。

 

 ――【落雷/ナルカミ】!――

 

「ギッ!?」

 

 ゴンを殺さんとするその一撃は、キルアの電撃によって防がれた。強靭な肉体を持つとはいえモントゥトゥユピーも生物だ。生物であるならば電撃による一時的な神経の麻痺は防ぎきれない。それを防ぐことが出来るのは特殊な訓練を積んだ者くらいだ。

 

 モントゥトゥユピーが肉体を硬直させたところにゴンが全力の【ジャン拳】を叩き込む。仲間を、友を、キルアを信じていたゴンは、モントゥトゥユピーから反撃を喰らうという不安を欠片も抱かずに、全力で攻撃に意識を割いていたのだ。

 

「ジャンケン、グー!!」

「がぁっ!?」

 

 【ジャン拳】に置いて最大の破壊力を持つグーを放ち、モントゥトゥユピーの巨体を吹き飛ばす。流石のモントゥトゥユピーもこの攻撃にはダメージを受けた。そしてダメージ以上に怒りを覚えた。

 

 ――雑魚が!――

 

 餌風情が己に痛みを与える。そんなモントゥトゥユピーからすれば許し難い行為は、モントゥトゥユピーから冷静さを更に奪い取った。

 感情の赴くままに己に痛みを与えたゴンへと怒りをぶつけようとする。だが、吹き飛ばされて着地した場所は、モントゥトゥユピーに取って死地だった。

 

「糞餓鬼がぁっ!」

 

 ゴンへと向き直り、先程よりも怒りと殺意を籠めてその力を増していく。力とともにその巨体も更に大きさを増していた。

 だが、そこまでだった。そこから先は、その力は振るわれることがなかった。

 

「な、何だこれはぁぁっ!!?」

「捕縛完了。こうなったら最早逃れる術はない」

 

 何時の間にか、モントゥトゥユピーの全身に2種類の鎖が巻きついていた。

 鎖の出処はもちろんクラピカだ。右手の中指から放たれた【束縛する中指の鎖/チェーンジェイル】がモントゥトゥユピーの肉体を縛り、左手から放たれた【封じる左手の鎖/シールチェーン】が念能力を縛る。

 

 全ては計算通りだった。開幕の一撃からモントゥトゥユピーの性格が攻撃的で短気なものだと推測していた。

 そしてモントゥトゥユピーの攻撃を全て躱している内に、いずれは我慢出来なくなり開幕の一撃のような荒く隙の大きい攻撃をしてくると踏んでいたのだ。

 その隙を突き、粉塵に紛れて砕けた地面に仕込んでおいた2つの鎖までモントゥトゥユピーを押し込む。ゴンの攻撃力ならそれが可能であり、隙を突けなかった場合のフォローもキルアがするようにしていた。

 その2人で無理なら他の仲間が更にフォローに回る予定だったが、どうやらゴンとキルアのみで十分だったようだ。

 そしてモントゥトゥユピーを助けることの出来るシャウアプフはリィーナ達と激戦を繰り広げている。あれではモントゥトゥユピーの元へと辿り着くことは出来ないだろう。

 そう、最初から全ては計算通りだったのだ。ここまでの濃厚な修行の日々が、ゴン達に相談なくとも阿吽の呼吸で作戦を成功させる要因となったのだ。

 

「舐めるなよ! こんな鎖如き! がぁぁぁぁぁ!!」

 

 肉体と念。その2つを完全に縛られたモントゥトゥユピーにこの状況から抜け出す方法はない。どれほど力を籠めようとも、オーラを放とうとしても、そのどちらもモントゥトゥユピーの意思通りには動かなかった。

 

「ば、馬鹿な!? このオレが、こんな虫けら風情に!!」

「人間を侮り過ぎたなキメラアント」

 

 念能力者の戦いに絶対はない。それを証明するかのような戦闘だった。

 戦闘力ではゴン達全員の数値を足してもモントゥトゥユピーの方が上だ。だが結果は数値通りには進まなかった。

 

 ――これが念! これが人間!!――

 

 圧倒的に劣るはずの人間にこうしてあしらわれたモントゥトゥユピーは、怒りとともに人間に対する賞賛の意を抱いた。

 ちっぽけな存在が、知恵と戦略によって戦力差を覆す。強大な存在として産まれたモントゥトゥユピーには思いもつかなかった戦いだ。

 

「ぐぉぉぉぉぉぉっ!!!」

 

 だがちっぽけな存在の驚くべき力を賞賛している場合ではない。ここで己が死ねば残ったシャウアプフは1人窮地に立たされる。そうなれば数の利でそのまま押し込まれるかもしれない。こうして自身が敗北しそうなのだ。有り得ない未来ではない。

 そしてその次は王だ。王を護るべき護衛軍が全滅する。それは王を危険に晒す可能性が遥かに増すということだ。

 それを許すわけにはいかない。人間への賞賛など頭から追い出し、全力を籠めて鎖から抜け出そうとする。

 だが――

 

「無駄だ。どれほど力を籠めようともこの鎖は砕けんよ」

「クソがぁぁぁぁっ!!」

 

 鎖の能力で完全に動きを封じられたモントゥトゥユピーではどう足掻こうとも鎖から抜け出す方法はない。身動き1つ出来ずに足掻き続けるモントゥトゥユピーに、無慈悲にも止めを刺すために全員が躊躇ない一撃を繰り出そうとする。

 いや、何人かは動けない敵に止めの一撃を振るうことに多少の躊躇いはあったが、その躊躇いで仲間が死ぬかもしれないのだ。

 後悔は終わった後にする。そう割り切り、念を使うことも出来ずに動けないモントゥトゥユピーへと全員が飛びかかった。

 

 ――瞬間。モントゥトゥユピーを縛る鎖が砕け散った。

 

『なっ!?』

「おおおおおお!」

 

 突如として解放されたモントゥトゥユピーは、足掻いていたままに肉体を暴れさせた。まさかクラピカの鎖から抜け出せるとは思ってもいなかったゴン達はその攻撃とも言えない暴力に晒されてしまう。

 咄嗟に全身を全力の堅でガードするが、思いもよらぬ攻撃に幾人もが痛手を負ってしまった。不幸中の幸いか死者は出ていないが、それでも無視できない程のダメージを受けてしまった。

 

 束縛からの解放はモントゥトゥユピー自身も思いもよらぬことだった。そうでなければあのタイミングで確実に幾人かは屠れるように攻撃していただろう。無造作に暴れたからこそ的確な攻撃ではなく、ゴン達も大きなダメージにはならなかったのだ。

 

 ――何故だ!?――

 

 それはこの場の全ての存在が同時に思ったことだ。

 何故モントゥトゥユピーは鎖から解放された? それはモントゥトゥユピー自身も疑問に思っていた。

 戦場に疑問が膨れ上がる中、その答えが姿を現した。

 

「おやおや。危なかったですねユピー?」

「プフか!? お前、どうしてここに!?」

 

 空中から現れたのはリィーナ達と戦っているはずのシャウアプフだった。

 何もない空間から突如として現れたシャウアプフに動揺を隠せないゴン達。

 だが、シャウアプフは突如として現れたわけではない。元々ここに居たのだ。

 

 これにはシャウアプフの念能力【蠅の王/ベルゼブブ】が関係している。

 【蠅の王/ベルゼブブ】はシャウアプフの肉体を最小でナノサイズまで分解することの出来る能力である。自身を様々な大きさ・数に分裂させることが可能で、サイズが小さければ小さい程その数は増える。ナノサイズまで分裂したシャウアプフを肉眼で捉えることはまず不可能だ。つまりシャウアプフは急にこの場に現れたのではなく、あらかじめナノサイズまで分裂していた分身を等身大まで集合させただけなのだ。

 

 シャウアプフはここまでの戦闘を分身によって全て見ていたのだ。敵をたかが人間と侮っているのはシャウアプフも他のキメラアントと変わりない。

 だが、その上でなおシャウアプフは敵の戦力を把握する為にナノサイズの分身を空中で待機させていたのだ。そして流石に同胞の危機を見過ごすことはなく、鎖を砕ける大きさまで戻って鎖を断ち切った。これがモントゥトゥユピーが鎖から解放された経緯だ。

 

「あっちにもお前がいる……お前って増えることが出来るんだな」

「……あまり敵の前で味方の能力を教えないでもらえますか?」

 

 その言葉にゴン達もシャウアプフが2人いることに気付く。

 思いつくのは具現化系の能力だ。それによって自身を具現化した。それが最も行き着きやすい答えだろう。実際に細かな分体を見ない限り、肉体をナノサイズまで分裂可能な能力だと思いつくことはまずないだろう。

 

「さて、私はそろそろ戻りますよ。あちらの私も苦戦しているようですから」

 

 力を分散していたシャウアプフではリィーナ達とやり合って少々押されているようだ。分身は増やせば増やすほどその力も分散するのだ。今リィーナ達と戦っているのは全体の半分と言ったところだった。そしてここにいるのが残りの半分だ。流石にリィーナ達ほどの実力者を半分の力で倒しきるのはシャウアプフにも無理なようだ。

 

「……わりぃな」

「お気になさらず。ああそれと、先程の鎖はもう使えないようですよ」

「へぇ、そうなのか? そりゃあいいな」

 

 シャウアプフの言葉に不気味な笑みを浮かべるモントゥトゥユピー。

 何故それがバレた!? そう驚愕するクラピカだが、そのクラピカに向かって微笑みながら分身のシャウアプフは本体へと戻っていった。

 

 ――ふふ、貴方のオーラがそれを教えてくれた。それだけのこと――

 

 【麟粉乃愛泉/スピリチュアルメッセージ】。一度見破られるともう一度使用するのに時間という制限がある切り札を破られ、焦りを抱いたクラピカの心象を正確に読み取っていたのだ。

 正確には使用出来なくなったのは【封じる左手の鎖/シールチェーン】のみであり、対象を無効化するもう1つの能力【束縛する中指の鎖/チェーンジェイル】は見破られても使用可能だ。

 だが、肉体を麻痺させることは出来てもこの鎖は非常に脆い。モントゥトゥユピーのオーラならば堅をするだけでも砕けるやもしれない。念そのものを封じない限りモントゥトゥユピーを拘束することは不可能だろう。

 

「くそっ!」

「まさかあれで仕留めきれないとはな……」

 

 左手を負傷したカイトが悔しげに呟く。先のモントゥトゥユピーの攻撃を防ぎきれずに負傷したのだ。骨が変形しているのが傍から見ても理解出来る。どうやら完全に骨折しているようだ。右手に【気狂いピエロ/クレイジースロット】が変化した刀を持ち眼前のモントゥトゥユピーに構えているが、この刀がこれほど頼りないと思ったのはカイトも初めてだった。

 カイト以外も大小それぞれダメージを負っている。ゴンは両腕の骨に罅が入っていた。両腕を交差して攻撃を受けた為だ。むしろこの程度で済んだのは僥倖だろう。

 ミルキはスピードを上げる為に自身の重量を軽減させていたのが功を奏したのか然程のダメージは受けていない。体重が軽すぎたことと、攻撃の威力が高かった為に直接攻撃が当たる前に風圧で吹き飛んだのだ。

 キルアも念には念を入れて【神速/カンムル】を発動していたので際どいところで攻撃を躱している。攻撃を仕掛けた中で完全に無傷なのはキルアくらいだ。

 レオリオは誰よりもダメージを負っていた。肋骨が幾本も折れ、その内の1本は内臓を傷つけてすらいた。だが、シャウアプフとモントゥトゥユピーが話している内に【掌仙術/ホイミ】を使用して殆どのダメージを癒していた。

 

 無傷なのはキルアとクラピカのみ。だがキルアは充電していた電気を少しずつだが消費している。オーラと違って休めば回復するものではないのだ。ここで使い切ったら充電は不可能だろう。

 クラピカは確かに無傷だが、切り札を使用出来なくなったのは大きな損失だろう。ミルキは軽傷であり戦闘に支障はないだろうが、レオリオは傷を癒す為に相応のオーラを消費してしまった。

 ゴンは動きが鈍ることはないだろうが攻撃には確実に支障が出るだろう。両腕が使えないとゴンの攻撃力は相当下がってしまう。

 カイトはゴン程ではないが、片腕が使用出来ないのは十分な痛手だ。利き腕は無事だが、利き腕のみで振るう攻撃が通用するとは思えない敵なのだから。

 

 対して相手は殆ど無傷だ。攻撃などキルアの電撃とゴンの【ジャンケン】を食らったのみ。それも致命傷には程遠いだろう。

 片や負傷し、片やほぼ健在。数の利で押して、切り札を切った上での結果がこれでは勝率は大きく下がったと言ってもいいだろう。

 誰もが焦燥するが、それで止まってくれる敵ではない。敗北を味わいそうになった屈辱を怒りに変えて、モントゥトゥユピーはゴン達へと暴威を振るい始めた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十九話

 リィーナとビスケ、そしてカストロの3人の連携は、あの圧倒的な個である王直属護衛軍の1体、シャウアプフを追い詰めていた。

 3人の身体能力とオーラ量を比べるとそれぞれシャウアプフに劣りはする。だがその能力の差も3人が攻撃を間断なく続け、それぞれの隙や死角を埋めながら高度な連携で攻め立てることで覆っていたのだ。

 

 カストロが強化系に相応しい猛攻を振るう。虎の牙をも凌駕する両爪がシャウアプフを抉るようにその牙を剥く。

 リィーナはカストロが全力で攻撃に集中出来るようカストロと寄り添うように動き、カストロの攻撃の間隙を縫ってくるシャウアプフの反撃を封じる。

 ビスケは2人の動きを阻害しないように遊撃し、リィーナによって動きを阻害されたシャウアプフに強力な一撃を叩き込む。

 

 ビスケの強力な一撃で吹き飛ばされ大木に叩きつけられたシャウアプフ。そこへさらに追撃として虎咬拳を振るうカストロ。止めと言わんばかりにシャウアプフの喉元へ迫る両爪。

 だが、その鋭い一撃がシャウアプフに命中することはなかった。

 

 ――取った!――

 

 そう確信したカストロは、しかし次の瞬間に目標の姿を見失ってしまう。

 いや、目標だけでなく、視界全てがおかしいことに気付く。景色が反転しているのだ。そう、これには覚えがある。これは合気を仕掛けられた時と――

 

「――リィーナ殿!?」

「失礼カストロさん。ですが、緊急を要しましたので」

 

 そう。カストロは背後にいたリィーナに合気を仕掛けられたのだ。それにより体は反転し、目標を見失うこととなった。だが何故? 何故味方であるリィーナがカストロに合気を仕掛けたのか?

 その理由はリィーナに優しく大地に降ろされた後に理解が出来た。いや、理解と同時にさらなる混乱を招くこととなったが。

 

 そこには、カストロが先程までいた場所に拳を振り下ろしているシャウアプフがいたのだ。そしてその後ろには大木に叩きつけられバランスを崩していたシャウアプフも同時に存在していた。

 同じ顔をした者が同時に2人存在していることに驚愕するカストロ。だが残りの2人は冷静に現状を把握しようとしていた。

 

「具現化系かしら?」

「1番の可能性はそれですね。自身のダブルでしょうか」

 

 2人の会話であれが念能力の産物であるとカストロも理解する。理解できれば混乱も落ち着くというもの。戦闘中に冷静さを失ったことに不甲斐なさを感じるが、後悔は後にして目の前の強敵を睨みつける。

 

「おやおや。苦戦していますね」

「ええ。かなりの戦士ですよ彼らは」

「1人1人が強いだけでなく、連携も取れているとなると少々厄介ですね」

 

 自分同士で会話をするという奇妙な光景だが、自己を持った己自身を分裂して増やすことの出来るシャウアプフにとっては別段奇妙でも何でもない。

 分裂した個体が増えれば増えるほど力は分散されるが、それだけ情報量も増えていくというメリットもある。まあ現状では無駄に細かく増えるつもりはシャウアプフにはない。リィーナ達の実力的に分散しすぎると意味がないと判断したのだ。

 

「さて、まずはその連携とやらから対処してみましょうか」

 

 そう言ってシャウアプフは2体から3体へと分身の数を増やした。そしてそれぞれがリィーナ達と1対1になるように動き出す。これくらいの数ならば問題はないという判断だ。そしてリィーナ達の最大の利を奪おうという魂胆でもある。

 

「ちっ! 数の利を削ろうってわけ!?」

「ええ。個々で劣る貴方達の最大の利点、それが数の有利」

「それを奪われた時、貴方達はどう対処するか」

「見させてもらいますよ」

 

 ビスケの言葉に対して分身がそれぞれ答えを返していく。

 そしてリィーナ達とシャウアプフの分身がそれぞれ対峙したところで、戦闘は再開された。

 

 

 

 リィーナは分身と戦いながらも他の分身たちに注意を向ける。

 シャウアプフの鋭い一撃を自身が回転することで力を受け流し、そして反撃の一撃を叩き込む。その回転の最中にビスケやカストロの戦闘も確認していた。

 

 ――この手応え。これは念獣? ですが……――

 

 自身の戦闘に集中しきらずに確認したかったこと。それはどのシャウアプフが本物か、であった。

 これが念獣ならば、倒したところで徒労に終わる可能性もある。もちろん念獣を倒せば相手のイメージ次第ではあるがその念獣はしばらく具現化することは出来なくなる。だが必ずしもそうなるとは限らない。念獣がやられたところで気にもせず再び念獣を具現化する能力者もいないわけではないからだ。正確には念獣を倒されるという強いイメージを与えないと念獣を破壊しにくいと言ったほうが正しいか。

 とにかく、念獣使いを倒すのに手っ取り早いのは本体である能力者を直接倒すのが1番なのは明白だ。なのでこの3体の中のどれが本物かを見分けようとしていたのだが……。

 

 ――いえ、これはまさか――

 

「おや? お気づきになりましたか?」

 

 【麟粉乃愛泉/スピリチュアルメッセージ】にてリィーナのオーラを読み取ったシャウアプフはリィーナが己の能力の一端に気が付いたことを悟る。

 

「やはり! これは念獣ではなく全てが本物!」

 

 そう、シャウアプフの分身は本人を模して具現化された念獣ではない。細胞をナノサイズまで分裂させ、それを本体と同じ形、大きさへと集合させたものなのだ。

 リィーナがそれに気付いたのはシャウアプフの力量の変化であった。僅かの間だがこうして戦闘をしていて、先程までよりも戦闘力が下がっているのに気付いたのだ。

 なので最初は目の前のシャウアプフは念獣なのかと思ったのだが、ビスケやカストロと戦うシャウアプフを見てそれも疑念に変わった。

 

 同じなのだ。どのシャウアプフも、その体から発するオーラ、動き、力強さなどが。

もちろん他のシャウアプフとは接していないので細かくは分からないが、長きに渡って武の道を歩んで来たリィーナの目が、これらの戦闘力がほぼ同等であると見抜いたのだ。

 念獣であるならば本体と完全に同じようには具現化出来ないだろう。具現化系の能力であるならば放出系と操作系が得意系統から離れているはずだ。分身2体を同時に操って本体から離れて戦闘させているのに全てが同等などあるわけがない。

 まあ、制約や誓約の重さによっては全く不可能というわけではないだろうが。

 

「その通り。全てが本物です。なので、どれかを倒せば残りも消える、などということはありませんよ?」

 

 ――馬鹿な!――

 

 シャウアプフの言葉に内心有り得ないと叫ぶリィーナ。

 そう、如何に念能力が超常の能力と言えど、一定の法則はあるのだ。このような全てが本物という分身を作り出すなど到底不可能なはず。

 

 リィーナの疑問は正しい。強力な能力とはそれなりの制約があって成り立つのだ。シャウアプフの【蠅の王/ベルゼブブ】とて同じだ。

 シャウアプフは【蠅の王/ベルゼブブ】にて細胞をナノサイズまで分解して無数の分身を生み出すことが可能だ。そしてその分身を好きな大きさに集合させてそれぞれが自我を持って行動することが出来る。しかもそれぞれ交信が可能という凶悪な性能を誇る。

 

 これだけならまさに強すぎる能力だが、やはりデメリットは存在する。

 まず、分裂すればするほど、小さくなればなるほど身体能力もオーラ量も分散する。現在は3体に分かれているので力も相応に落ちているわけだ。

 

 そして【蠅の王/ベルゼブブ】最大の弱点。それは、核となる本体はどれだけ分裂しても蜂程度の大きさは残さなくてはならないというものだ。

 本体も分裂に応じて能力が低下するので、蜂程度の大きさでは念能力者には文字通り虫けらレベルの力しか持たない存在となる。つまりその状態の本体を見つけ倒されればそれでシャウアプフは絶命するということだ。

 

 ――もっとも、現状それは有り得ないですがね――

 

 もちろんそんな弱点をさらけ出した状態で戦うほどシャウアプフは愚かではない。

 先程はリィーナに対してああ言ったが、実際はリィーナと戦っているシャウアプフこそが本体なのだ。

 どれだけ本体と見た目が同じでも分身は分身だ。本体と比べるとその戦闘力も落ちることになる。今シャウアプフの本体と分身2体が同じ戦闘力なのは、そうなるようにシャウアプフが調節しているためだ。そうすることで全てが本物であると錯覚させているのである。1つだけの本物などないと嘘の情報を植え付けようとしたわけだ。

 

「ならば全てを倒せばいいだけの話です!」

 

 リィーナとて敵の言葉を信じたわけではないが、それを見抜くことが出来ない現状では全ての敵を倒すという手段しか思いつかなかった。

 オーラを乗せた踏み込みにより爆発的な速度で近付き、浸透掌にて一気に仕留めようとする。

 だが、掌底がシャウアプフに触れようとするも、その掌には何の手応えも伝わらずに、リィーナの腕がシャウアプフの身体をすり抜けた。

 

「な!?」

 

 掌底が腕もろとも敵の身体をすり抜けるという理解不能な現象を目の当たりにしたリィーナの耳に、ビスケの声が響き渡った。

 

「こいつ念獣じゃない! 分裂して増えてるんだわさ!」

 

 念獣ではないというのは既に理解していたが、分裂して増えているとは流石に想像の範疇を超えていた。

 眼を凝らして見てみれば、リィーナの腕をすり抜けた箇所は無数の粒子のような物が飛び交っており、それが再び集まって元の形を形成していた。

 

 

 

 

 

 

 リィーナが分身と相対している間にビスケとカストロも同じくそれぞれ分身の1体を相手取っていた。

 そしてその戦いは何時の間にか1対1ではなく、2対2という構図になっていた。それというのもカストロがシャウアプフに圧倒されているのが原因だった。

 

「なるほど。やはり貴方だけこの場で著しく力が劣るようですね」

「くっ……」

 

 そう、シャウアプフの指摘通り、カストロはこの3人の中で最も実力が劣っていた。その最たる証拠はカストロの体にある幾つもの傷だろう。1対1となって僅かな間にシャウアプフの猛攻によってここまでのダメージを負ったのだ。

 追い詰められていたカストロを助けたのがビスケだ。彼女も分身の1体を受け持っていたが、やられそうになっているカストロを見捨てるような真似は出来なかった。ビスケの近場までカストロが追い詰められていたというのも手を貸す切っ掛けとなった。

 

「敵の言葉に耳を向けない。少しでも気を取られたら死ぬわよ!」

「ああ、すまないビスケさん!」

 

 ビスケの助けにより体勢を立て直したカストロ。負けるものかと虎咬拳の構えを取りシャウアプフと再び相対する。

 2対2となればその戦いは1対1とは全く異なるものとなる。1対1が2つではないのだ。互いのコンビネーションによって実力以上の差が出るだろう。

 そしてビスケとカストロはここしばらくは修行を通じて互いの癖や動きを理解している。コンビネーションという点では申し分ないだろう。

 だが、今回は相手が悪かったとしか言い様がない。

 

「はっ!」

 

 カストロの裂帛の気合とともに繰り出された攻撃をシャウアプフが受け止める。そして間断なくビスケがシャウアプフに攻撃を繰り出すが、もう一体のシャウアプフがそれを阻止する。

 カストロの目の前にいるシャウアプフがそのまま反撃してくるが、それを躱し更に攻撃を加えようとするカストロ。

 だが後ろからの突然の衝撃にバランスを崩すこととなる。

 

「ぐぅっ!?」

 

 衝撃の正体はもう一体のシャウアプフの攻撃によるものだった。ビスケと戦っているはずのその分身は、後ろを見もせずに的確にカストロへと攻撃を加えてきたのだ。

 まるで背中に目でも付いているかのような攻撃。それもそのはず。分身たちはそれぞれが見ている情報を本体経由で受け取ることが出来るのだ。

 完全に同一の存在によるコンビネーション。それはどれだけ時を積み重ねようと、所詮は他人同士であるビスケとカストロでは越えられない壁であった。

 

 バランスを崩したカストロに眼前のシャウアプフが追撃を加える。

 強力な蹴りを顔へと放ち、吹き飛ぶ前に腕をつかみ投げ飛ばす。そして投げられた所へ既に向かっていたもう一体の分身が止めの攻撃を放つ。

 

「させないわよ!」

 

 それを寸でのところでビスケが防いだ。

 カストロを受け止め、シャウアプフの攻撃を代わりにその身に受ける。

 鍛え抜かれた肉体と凝による防御でダメージを抑えるが、それでも完全には防ぎきれない痛みがビスケを襲う。

 

「いっ、たいわね!」

 

 だがその程度で堪えるような柔な鍛え方ならば、リィーナと長年ライバルとして連れ添ってはいない!

 そう気合を込めて、攻撃を受けたとほぼ同時に反撃の一撃を放つ。まさか攻撃を受けても怯みもせずに即座に反撃が来るとは思っていなかったシャウアプフ。

 

 僅かに驚きの表情へと変化するが、それもすぐにいつもの涼しげな笑みへと戻った。

いや、嘲笑と言ったほうがいいだろうか。

 

「んな!?」

 

 ビスケの豪腕から繰り出された攻撃はシャウアプフに届いた。

 だが、その強力無比な攻撃がシャウアプフにダメージを与えることはなかった。

 突き抜けたのだ。ビスケの太い腕がそのままシャウアプフの身体を通過していた。しかしそこに手応えはない。

 そこでビスケは見た。通過している付近のシャウアプフの身体から細かな粒子が湧き出ているのを。

 そして腕を透過させながら身体をずらしたシャウアプフは再度粒子を集めて身体を再構成した。

 

「こいつ念獣じゃない! 分裂して増えてるんだわさ!」

 

 それらを見てビスケはシャウアプフの能力の一端を見抜いた。

 どのような理屈かはさておき、シャウアプフは自身と同一の存在を具現化しているのではなく、自身そのものを分裂させて3体に増えているのだ、と。

 

 少し離れた位置にいるリィーナもビスケのその言葉で気付いた。

 シャウアプフの能力が完全に分散しているのも、具現化系による念獣ではなく細胞を分裂させて作り出した分身となればそれも納得出来る。

 分身を作れば作るほどオーラと身体能力もそれに応じて低くなるのは道理だ。

 

 だが能力が分かれば対処出来るというわけではない。少なくともリィーナとビスケには手持ちの能力でシャウアプフを倒す手段は思いつかなかった。

 2人の攻撃の主体は合気と打撃。どちらも分裂されてしまえば効果はないものだ。能力に置いても現状打破出来る物はなかった。3体に分裂していてもシャウアプフの顕在オーラはリィーナよりもまだ上なのだ。これではオーラを吸収することも出来ない。

 詰みである。2人では【蠅の王/ベルゼブブ】の弱点を見抜かない限りシャウアプフに勝つことは限りなく不可能に近いだろう。

 

 そう、リィーナとビスケの2人では、だ。

 

「カストロさん!」

「はい!」

 

 リィーナの叫びにカストロが応える。

 そして自らを吹き飛ばした相手にまたも虎咬拳による攻撃を仕掛けた。それを見てシャウアプフはさらに嘲笑する。

 物理攻撃は意味がないと理解出来なかったのだろうか、と。ならば今一度見せてやろうとあえてその一撃をその身に受ける。

 だが、それは最大の悪手であった。

 

「【邪王炎殺虎咬拳】!」

「なっ!?」

 

 能力発動とともにカストロの両手に漆黒の炎が灯る。鋭い斬撃のような攻撃とともに繰り出されたそれはシャウアプフの分身の肉体をいとも容易く切り裂き焼き滅ぼしていった。

 如何に細胞を粒子レベルまで分裂することが出来る能力であろうと、細胞そのものを焼かれては防ぎようがなかった。

 

「ぐ、ぅうっ!?」

「これは!?」

「黒い、炎!?」

 

 まさかオーラを炎に変えて攻撃してくるとは思ってもいなかったシャウアプフ。ここら辺が経験のなさ故の限界だろう。

 正直シャウアプフはカストロを侮っていた。3人の敵の中で最も未熟な敵だと。それがまさか最も恐ろしい敵に化けようとは思ってもいなかったことだった。

 そのことに驚愕するが、3分の1の分身が焼き滅ぼされるのを良しとするわけもなく直様カストロを殺す為に動き出す。

 だが、シャウアプフが天敵とも言える存在を良しとしないならば、リィーナ達がカストロを殺されるのを良しとするわけもなかった。

 

「邪魔は!」

「させないわよ!」

 

『くっ!』

 

 カストロへと攻撃を加えようとした2体のシャウアプフをそれぞれリィーナとビスケが食い止める。

 純粋な身体能力で劣ろうとも圧倒的な経験を持つ2人だ。如何に強大とはいえ3体にまで分身したシャウアプフ相手ならば相性が悪くとも、勝てはせずとも負けもしない。

 分裂という能力によりまともにダメージを与えられないが、抑えるくらいならどうとでも出来た。

 

「ぐぅ、こ、これはマズイですね……!」

 

 リィーナ達が2体のシャウアプフを抑えている間に暗黒の炎で細胞を焼き滅ぼされていくもう一人のシャウアプフ。

 完全に誤算であった。まさかこの能力にダメージを与える能力の持ち主がいるとは想像していなかったのだ。このままでは肉体の3分の1を失ってしまう。時間を掛ければ元に戻ることは出来るが、この戦闘中には不可能だ。そしてそれは戦闘力の激減を意味する。

 

「仕方ありませんか……!」

 

 暗黒の炎に燃やされていた分身がその言葉とともに弾け飛んだ。いや、粒子レベルまで分裂したようだ。その際に一部の細胞が燃え尽きるが、それを厭わずに全細胞が1つに集中する。そう、全細胞が、だ。

 残りの2体のシャウアプフも同様に1つに集まったのだ。そうして現れたのは完全体へと戻ったシャウアプフだった。

 

「……どうやら完全に1つに戻ったようですね」

 

 そう。シャウアプフは今のリィーナ達を相手に分身を作ることを愚行と判断したのだ。中途半端な戦闘力ではリィーナ達を殺すことは出来ないばかりか、カストロの炎によって細胞を焼かれてしまい己の死期を早めるだけ。それならば完全体へと戻り、圧倒的な戦闘力で敵を殲滅したほうがいい。

 

「好都合じゃない。こいつを倒せばそれで終わりってことでしょ」

「ええ。恐らく分身はもう作ることはないでしょう。そのようなことをすれば――」

「――私が燃やし尽くすのみです」

 

 リィーナ達もシャウアプフが分身を作り無駄に戦力を消費するようなことはしないだろうと推測は出来ていた。ここまで来れば後は自分たちの連携が勝つか、敵の戦闘力が勝つかの勝負である。

 

「それでは……行きますよ」

 

 そう言ってシャウアプフは今までとは段違いの速度でリィーナに接近した。

 鋭い手刀を振るいリィーナを貫こうとするが、それを寸でのところで避け、柔にてシャウアプフを投げ飛ばす。だがシャウアプフは飛翔することでそれを回避した。背中の羽は飾りではないのだ。

 そうして空中にてバランスを取ったシャウアプフがリィーナを蹴り飛ばす。

 ガードは間に合ったが、予想以上の威力にリィーナは勢い良く吹き飛び木に叩きつけられた。

 

「こんの!」

 

 ビスケが丸太のような腕から繰り出した強烈な一撃を叩き込もうとするが、それも空中を素早く移動することで避けられる。

 そのままビスケを狙って大地に急降下してきたシャウアプフにタイミングを合わせてカストロが攻撃を振るうが、その一撃はシャウアプフの腕のひと振りによって弾かれてしまった。

 

「ば、馬鹿な!?」

 

 今まで通用していた【邪王炎殺拳】が防がれる。これはシャウアプフが本来の力に戻ったためである。

 身体能力、オーラ量、共に先程までとは大幅に上がっており、カストロの炎ではダメージを与えられなかったのだ。

 いや、まともに当たれば多少のダメージはあるだろうが、あのようにオーラを籠めて防御されてはその限りではない。

 

「ふっ!」

「ぐふぅっ!!」

 

 渾身の一撃を弾かれ動揺したカストロ。その隙を突いてシャウアプフの攻撃がカストロの腹部に突き刺さる。

 咄嗟に堅をしたことでダメージは抑えられたが、それでも肋骨の幾つかが折れた音をカストロは聞いた。

 

 動きが鈍ったカストロに止めを刺そうと追撃を加えようとするシャウアプフだが、ビスケが割って入った為にそうはいかなかった。

 ビスケが大量のオーラを乗せた右拳を振るうが、シャウアプフはビスケの半分の太さもないような細腕でその豪腕を受け止める。

 

「くっ!」

 

 その巨体には似つかわしくない動きでシャウアプフを攻め立てるビスケ。だが、同じくその細身には似つかわしくない力でそれをねじ伏せるシャウアプフ。

 技術では完全にビスケが優っている。だが、他の全てでシャウアプフが優っていた。純粋な肉体とオーラの性能のみでビスケを圧倒しているのだ。

 

「っ!?」

 

 やがて攻守が反転し、シャウアプフに攻め立てられるようになったビスケ。嵐のような攻撃を磨いた技術で捌くが、それでも徐々に追い詰められていく。

 そしてとうとう鉄壁の防御を越えてビスケの肉体にシャウアプフの攻撃が届いた。力で技術を突き破ったのである。

 

「ぐ、うぅっ!」

 

 鍛え抜いた肉体とオーラを越えて確実なダメージを刻まれる。そしてシャウアプフの攻撃は一向に止む気配はなく、むしろその勢いはさらに増していた。

 反撃などする暇もない、こうして凌ぐのが精一杯だ。いや、このままではいずれ凌ぎきれずに猛攻に曝されるだろう。

 1対1だったならば、だが。

 

「させません!」

 

 何時の間にか、ビスケの横にはリィーナの姿があり、ビスケをサポートするように動きを合わせていた。

 シャウアプフの猛攻を2人で捌き、徐々に徐々に押し返していく。2人の動きはまるで意思を統一したかのように合っていた。

 長きに渡り好敵手として幾度と力を比べ、友となって寝食を共にした仲だ。息を合わせたコンビネーションに置いては右に出る者達も少ないだろう。

 

 それでも。世界でもトップクラスの実力者が力を合わせても、王直属護衛軍の一角を攻めきることは出来なかった。

 

「これは……」

「こいつ、本当に致命的に相性が悪いわね!」

 

 2人の攻撃は確実にシャウアプフに届いていた。2人のコンビネーションはシャウアプフの身体能力を超え、その身に少なくない攻撃を叩き込んでいたのだ。

 だが、やはりというべきか、その攻撃は殆ど意味をなさないでいた。如何に無闇に分身を作らなくなったとはいえ、その能力が消えてなくなったわけではない。

 全身の細胞を粒子化することが出来る相手に、打撃や合気で攻撃を加えたところでどうなるというのか。

 殴られた場所だけ粒子化し、掴まれた場所だけ粒子化する。それだけでリィーナ達の攻撃は無力化されてしまった。

 

 ――やはり!――

 ――あれしか!――

 

 決定打は1つしかない。2人は同時にその結論に至る。

 いや、もう1体も同じ結論に至っていた。そしてその場の誰よりも早くに……シャウアプフは己の天敵を滅ぼしに動いた。

 

 シャウアプフは突如としてその場から飛び上がり、凄まじい速度を持ってカストロの元へと飛翔する。

 

「しまった!」

「待ちなさい!」

 

 シャウアプフ最大の天敵。それは当然のごとく細胞そのものを焼き滅ぼす能力を持ったカストロに他ならない。

 何せこの戦闘中にまともにダメージを食らったのはカストロからの攻撃のみなのだ。如何に完全体に戻ったとはいえ、カストロのみがシャウアプフにダメージを与えたのには変わりはない。

 ならばここで止めを刺せば勝利は確実なものになるだろう。

 

 カストロは既に十全な動きを発揮出来ないほどに傷つき消耗している。そしてリィーナとビスケは先の戦闘でカストロからは僅か十数メートル程だが離れていた。

 速度はシャウアプフが勝っている。もはや邪魔が入るはずもない。シャウアプフは確実にカストロを殺せる状況を作り上げたのだ。

 

 ――ここでこの男を殺せば私の勝利は揺るぎません――

 

 そうして勝利を確信したシャウアプフは妙な物を目にした。

 傷つき消耗したはずのカストロが、オーラを四方八方に放っているのだ。

 その一見意味のない行動に疑問を覚えるシャウアプフ。傷付いているのならば、消耗しているのならば、体力やオーラを温存するのが当然だ。

 だというのにカストロは真逆のことをしている。意味がないどころか、自身を追い込んでいるだけだ。

 

 何かの罠か? そう思い僅かに思い止まるが、後ろから迫ってくる面倒な2人の気配を感じて疑念は頭の隅へと追いやった。

 ここでカストロを仕留めておかねば確実な勝利から僅かな敗北の芽が出てしまうのだ。後ろの2人は【蠅の王/ベルゼブブ】がなければ苦戦どころか敗北する可能性がある程の強者。そこに天敵となる能力を持つ男を加えるとどうなるかは分からないのだ。

 

 ――ここで確実に殺す!――

 

 逡巡を振り払い、再び攻撃する為にカストロに飛びかかろうとして……シャウアプフは必死にその身を上空へと逃がした。

 そうしてシャウアプフが飛び上がった真下の大地。数瞬前までシャウアプフがいた場所を、漆黒の炎虎が通り過ぎていった。

 触れなくても感じるその熱量。見ただけで理解出来る莫大なオーラ。圧倒的な破壊力を感じさせる圧力。強大な力の持ち主、王直属護衛軍であるシャウアプフに死をイメージさせるほどの力の塊であった。

 

「これほどとは……」

 

 相手を強敵を認めつつも、何処かで所詮は人間と蔑んでいたシャウアプフは、カストロが放った先の一撃を見て人間に対する認識を再度改め直した。

 まさかこれほどの一撃を放ってくるとは予想だにしていなかった。この戦闘中、幾度も予想を超えられたが、その中でも一等脅威を感じた一撃であった。

 

 だが、どれほど強大な一撃であろうと当たらなければ意味はない。そして消耗しきっていたカストロが先の一撃と同じ威力の攻撃を放てるとはシャウアプフには思えなかった。

 そうして致死的な一撃を避けることが出来たシャウアプフは安堵して炎虎の行く末を見る。するとそこで今まで以上に驚愕する場面を目にすることとなった。

 いや、ここからシャウアプフは驚愕しか出来なかった。

 

 カストロが放った起死回生を思わせる攻撃、【邪王炎殺虎咬砲】はシャウアプフに掠ることもなくそのまま直進した。

 そして直進した先には、カストロを助けようと駆けていたリィーナとビスケの姿があった。

 このままでは炎虎は2人に直撃するだろう。そうなれば面白いとシャウアプフは思うが、その裏ではそうはならないとも理解していた。

 あの2人は人間の身で自身と渡り合えているのだ。如何に威力があろうとも、直進してくるだけの攻撃など躱すのは容易いだろう、と。

 

 だが、結果はシャウアプフの想像を遥かに超えていた。

 シャウアプフですら受ければ相応のダメージを負うだろうという攻撃を前に、2人の内の1人、リィーナが躍り出たのだ。

 何を考えているのか? まさかとち狂いでもしたのか? 疑問に包まれるシャウアプフに、さらに信じがたい光景が映った。

 

 あの莫大な威力を誇るであろう炎虎を、それを遥かに上回るオーラが籠められた拳で殴り返したのだ。

 シャウアプフをして信じがたい光景。あの拳に籠められた顕在オーラはシャウアプフのそれすら凌駕していただろう。

 それもそのはず。シャウアプフは知りもしないが、リィーナは拳に【貴婦人の手袋/ブラックローズ&ホワイトローズシャーリンググローブ】にて吸収していたカストロのオーラの大半を注ぎ込んでいたのだ。

 

 その圧倒的な一撃にて炎虎は弾き返された。まさか己に向って来るのではと一瞬危惧するシャウアプフだが、拍子抜けするかの如く炎虎はシャウアプフではなく……炎虎を放ったカストロ本人へと向かっていった。

 そしてそのままカストロは……炎虎の炎に包まれていった。

 

「……貴方達は、何をしたいのですか?」

 

 あまりにあまりの光景に思わずそう問い掛けるシャウアプフ。

 味方同士で攻撃を撃ち合うという意味の分からない結果に唖然とするも、これで厄介な敵がいなくなったと思えば心証も変わる。

 燃え尽きようとしているカストロを眺めながら悦に浸るシャウアプフ。カストロが漆黒の劫火に焼かれながら崩れ落ちる様を見ながら――。

 

「――崩れ……な、に?」

 

 漆黒の劫火に包まれたカストロ。だが、シャウアプフの予想に反してカストロはしっかりと二の足で大地を踏みしめ立っていた。

 

「こぉぉぉぉぉっ!!」

 

 そして気合一閃。息吹と共にオーラを安定させ、闘志を瞳に乗せてシャウアプフを睨みつける。

 満身創痍、疲労困憊とは思えないほどのオーラを纏うカストロ。しかもそのオーラは何故か漆黒に染まっていた。先程までのオーラは何だったのかと言いたくなるその圧倒的なオーラにシャウアプフは僅かに、だが確かに気圧された。

 

「な、なんだというのですか……!?」

 

 目の前で起こった数々の驚愕な一連の出来事に動揺を隠せないシャウアプフ。

 そして、そんなシャウアプフが落ち着くのをカストロが待つわけがなかった。

 

「はぁっ!」

 

 爆発的に膨れ上がったオーラを惜しみなく使い空中へと跳び上がるカストロ。

 その速度は動揺したシャウアプフの隙を突くには十分過ぎるほどだった。

 

「【邪王炎殺虎咬拳】!!」

「ぐぅっぁぁ!」

 

 叩き込まれたのはカストロの流派、虎咬拳による一撃。

 虎の牙を模したその一撃は漆黒の炎によって強化され、シャウアプフのオーラを突き破って確実なダメージを与えた。

 

 ――ば、馬鹿な!? 先程とは威力も速度も違いすぎる!――

 

 そのあまりの威力にシャウアプフは驚愕する。

 全ての細胞を集合させたシャウアプフはカストロが放った同様の一撃を確かに防いだはずだった。ほんの少し前、僅か数分前の出来事だ、忘れるわけがない。だというのに、ほんの数分でこの変わりようだ。驚愕せざるを得ないだろう。

 

 この劇的なパワーアップには先程の妙な一連の行動が関わっているのだとシャウアプフは確信した。そしてそれは間違ってはない。これこそカストロの切り札中の切り札、【邪王炎殺虎咬砲】に隠された最大の奥義なのだから。

 厳しい使用条件を満たしてようやく発動する能力。制約と誓約により、今のカストロは時間制限の間ならば王直属護衛軍に匹敵する力を手に入れることが出来たのだ。

 

「ふっ!」

「が、あぁぁっ!」

 

 猛虎の連撃がシャウアプフを宙から大地へと叩き付ける。大地に倒れ伏したシャウアプフは身体を苛む痛みを無視して空中へと飛び上がろうとした。

 

 ――一刻も早くこの男から離れなければ!――

 

 恥も外聞もなくシャウアプフはカストロから遠ざかろうとしていた。

 それも仕方ないと言えるだろう。今シャウアプフは確実に追い詰められているのだから。物理的なダメージのほとんどを無効化することが出来るシャウアプフ。だがその弱点はもう理解出来ている通り炎だ。

 いや、炎以外でも細胞を滅することが出来る種類の攻撃ならばシャウアプフはダメージを負ってしまう。

 

 ともかく、攻防ともに劇的にパワーアップしたカストロはシャウアプフの防御を確実に越えてダメージを与えることが出来る。それは攻撃すれば攻撃するほどシャウアプフの細胞を、ひいては肉体を削り取れるということだ。

 そうなればシャウアプフはどんどんと弱体化していくだろう。肉体を構成する細胞が減少すれば弱体化するのは当然のことだ。

 

 最後にはろくな抵抗も出来ずに殺されるだろう。そうなるわけにはいかなかった。

 生きて王に仕えなければ。いや、王の為に死ぬことは至上の喜びだが、敵を誰1人倒せていない現状で死んではただの犬死だ。

 

 ――そうなるわけにはいかないのです!――

 

 幸い厄介な敵は未だ空中にいる。いくら強くなろうとも所詮は羽もない人だ。空中で軌道を変えることなど出来はしない。重力という法則に縛られ大地に落ちるのを待つしか出来ないだろう。その間に自分は追って来られない程の高さまで飛翔する。

 逃げるわけではない。一時的に離れるだけだ。このような力が何時までも持つわけがない。必ず何らかの制限があるはずだ。その時を待てば!

 

 そう考えるシャウアプフ。

 だが、それを許さぬ者達がいるということをシャウアプフは失念してしまっていた。

 

「申し訳ありませんが――」

「――1対1の試合じゃないのよ、ね!」

 

 大地を蹴り上げ跳び上がり、背の羽を羽ばたかせて飛翔しようとしたシャウアプフを押しとどめたのは当然リィーナとビスケだ。

 脅威的なパワーアップを成し遂げたカストロばかりに意識を向けて背後から迫る2人に気付かなかったシャウアプフ。

 これが試合や決闘ならばシャウアプフは圧倒的な差でカストロに勝利していただろう。だが、これはルールなどない殺し合いなのだ。

 人と蟻の生存戦争。そこには情けも容赦もない。そのようなものを持ち出してしまえば、滅びるのは己なのだから。

 

「じゃ、邪魔をっ……!」

 

 2人の攻撃によって羽を損傷したシャウアプフは空中でバランスを崩してしまう。

 すぐさま細胞を集めて羽を再構成しようとするが、その度に攻撃を受けて細胞を散らされてしまっていた。

 

「逃がさん! 【邪王炎殺煉獄焦】!!」

 

 大地に降り立ったカストロはシャウアプフへと接近し、両手にオーラを集中させ高速の連撃を繰り出す。その両爪はシャウアプフの肉体を容易く削り取り、纏った炎は削り取った肉体を焼滅させていく。

 連撃を防ごうにもリィーナとビスケがシャウアプフの動きを阻害するよう攻撃をしているため防御もままならない。

 

「が、あああああっっ!?」

 

 肩から袈裟斬りのように引き裂かれ、脇腹を抉られ内部を焼かれ、顔を両の爪に挟まれ砕かれる。細胞1つ1つが意思を持ち生きているシャウアプフを殺す為に、苛烈とも言える攻撃を叩き込み続けるカストロ。逃げることも防ぐことも避けることも出来ず、シャウアプフは断末魔の叫びを上げる。

 ここに完全に勝敗は決した。未だ生き延びているが、大半の細胞を焼かれその戦闘力のほとんどを失ったシャウアプフに逆転の目はなかった。

 

 

 

 どれだけの攻撃を打ち込んだか。既にシャウアプフはその原型を留めてはいなかった。大地に崩れ落ちるシャウアプフの残骸。その残骸に、完全なる止めとしてカストロは炎を放った。

 

「……終わったかしら?」

 

 黒く焦げた大地を見やりビスケが呟く。

 同じく大地を見つめていたリィーナがそれに応えた。

 

「どうやら……そのようですね」

「はあ、しんどかった。正直1人ならヤバかった敵だったわさ」

「そうですね。あのような能力があろうとは。細胞ごとに分化出来るなど流石に想像を逸していましたよ」

 

 リィーナの言う通り、シャウアプフの能力は常識では計れない能力だ。人間だとあのような能力を作ることは出来ないだろう。キメラアントだからこその、そしてその中でもさらに特異な念能力と言えよう。

 

「はあ、はあ、ぐ、うぅ……」

「カストロさん!」

 

 膝をつき、息を荒げるカストロ。その身に纏うオーラはなくなり強制的に絶の状態となっていた。これは【邪王炎殺虎咬砲】の効果が切れたことを意味している。

 オーラの増幅によって傷ついた肉体を無理矢理動かしていたのだ。その効果が切れた今、肉体のダメージと疲労が一気にカストロに襲いかかっていた。

 

「も、申し訳、ありません……これ以上は……お、お役には、立てないようです……」

 

 息も途切れ途切れに己の不甲斐なさを語る。

 幾度も助けられ、力を借りてようやく敵を倒すことが出来た。

 だが敵はまだいるのだ。それもより強大な敵が。だというのにこの体たらく。己の弱さに歯噛みする思いだった。

 

「カストロさん、貴方なくして先の勝利はありませんでした。己を卑下することはありません。今はそこで休んでいなさい」

「そうよ。正直あたし達じゃ相性悪かった敵だったしね。それでそんなこと言われちゃあたし達の立つ瀬がないわさ」

「では……お言葉に甘えさせて、いただく……」

 

 2人の言葉に安堵し、カストロは一時の眠りにつく。さらに強くなることを胸に誓いながら。

 

 

 

 

 

 

 カストロが眠りにつき、リィーナとビスケがいなくなった戦場跡。

 その中で、炎に焼かれ黒く焦げた大地が僅かに盛り上がった。

 

「く、はぁっ! はぁっ!」

 

 そして盛り上がった大地から何かが現れた。

 大地から出てきたのは小さな、蜂ほどの大きさの存在だ。

 多少のデフォルメは見られるも、それはシャウアプフにそっくりな虫だった。

 

「ふ、ふふ、ぐ、うう……ふ、ふふふふ、ど、どうやら、賭けには勝ったようですね……」

 

 いや、シャウアプフにそっくりな虫ではない。それはシャウアプフそのものだった。

 焼き滅ぼされたはずのシャウアプフが何故このような姿とはいえ生きているのか?

 それはカストロによって止めを刺される直前に、シャウアプフの残骸が大地に崩れ落ちたことから始まる。

 

 あの時シャウアプフは殆ど死に体であった。だがそれはダメージを受けすぎたためではない、最後の最後に生き延びる為に力を蓄えていたからだ。

 逃げることも防ぐことも避けることも出来なかったシャウアプフは生き延びる為に必死に足掻いていた。攻撃を受けながらも体内で本体を蜂サイズにしてそこにオーラを出来るだけ蓄える。そして残骸が大地に崩れ落ちると同時に残骸から抜け出て大地に潜り込んだのだ。

 

 残骸を燃やし尽くした炎によって大地が熱せられ、蜂サイズでしかない本体も大ダメージを受けたが、それでもオーラを蓄えていたおかげで何とか生き延びることが出来た。

 もはやオーラも尽きかけ本体も満身創痍だが、それでも生き延びることが出来ればいい。生き延びさえすれば王の為に働くことが出来るのだから。

 

 人間を侮り敗北した己を恥じ、王の命令を果たせなかったことを不甲斐なく思う。

 後悔は大きく、今ここで叫んで泣き喚きたい気持ちで溢れかえっている。

 それでも、そうするわけにはいかない。そんなことをしてせっかく生き延びたのにバレてしまっては意味がないのだ。

 王に己の敗北と罪を告げ、それで罰せられて死ぬのならそれでもいい。だが、それまでは生き延びねばならない!

 

 そう決意して、ふと視線がカストロへと向いたシャウアプフ。

 自身に敗北を刻む最大の原因となった憎むべき敵の姿だ。今は何も警戒することなく眠りについていた。無理もない。あれだけの力を振るったのだ、消耗も激しかったのだろう。

 

「傷つき、ボロボロですねぇ……」

 

 横たわるカストロを見てシャウアプフは笑みを浮かべる。

 自身も力の大半を失っているが、こうして無防備に眠る人間を殺すことは容易い。

 小さな身体を利用して口から内部に入り込み、中から肉体を喰らって殺してやろう。そうすれば多少は回復も早まるだろう。これ程の栄養溢れる人間も珍しいのだから。

 

「ふふふ、私をここまで消耗させたからには苦しみもがかせながらゆっくりと殺したいところですが……。それでバレても困りますからね。肺を喰い破り、心臓を喰らってすぐに殺してさしあげますよ」

 

 いざカストロの内部へ飛び込もうとしていたシャウアプフ。だが、突如としてその体が動かなくなった。

 信じられない。そんな思いがシャウアプフの中を駆け巡る。そしてゆっくりと背後に振り返るが、現実は非情だった。

 そこには、冷酷な瞳でシャウアプフを指でつまんで睨みつけるリィーナの姿があった。

 

「き、気付いて、いたというのですか……?」

「いえ、気付いたのは先程ですよ」

 

 そう、リィーナは地面に隠れ潜んでいたシャウアプフに気付いてはいなかった。

 流石のリィーナもオーラの炎によって焼かれていた大地の下にいる小さな気配とオーラを察することは難しかったようだ。

 だが、その後の気配は別だ。命を長らえ、敵が見当たらず、天敵は傷つき倒れ伏している。そんなシャウアプフが悦と共に発した僅かな殺気は鋭敏なリィーナに感知されたのだ。

 愛弟子の近くに突如出現した不穏な気配に全力で駆けつけると、そこには死んだはずのシャウアプフがカストロを殺すために動こうとしていたわけだ。

 

 そうしてそれを阻止する為に蜂サイズのシャウアプフを掴み取ったのだが、そこでリィーナはシャウアプフの焦燥を感じ取った。

 

 ――この状況でこの焦り。掴まれても分裂して逃げることは容易のはず――

 

「……なるほど。どうやら本体はこれ以上分裂は出来ないのですね?」

「っ!?」

 

 最も知られてはならない弱点を知られてしまいさらに焦燥する様を見て、それが正解だったとリィーナは確信した。

 ならばこの状況でリィーナのすることはたった1つだ。

 

「や――」

「聞く耳持ちません」

 

 シャウアプフが何かを叫ぼうとするも、リィーナは無慈悲にシャウアプフを潰した。断末魔の悲鳴を上げることすら出来ずにシャウアプフは潰れ死んだ。

 完全にシャウアプフの意思が消えたことを確認し、確実に倒したことを確信する。

 そして未だ眠り続けるカストロを見て僅かに微笑み、踵を返してリィーナはその場から立ち去った。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十話

 まさに暴力の嵐。モントゥトゥユピーの攻撃は苛烈を極めていた。

 敗北寸前まで追い詰められたことがモントゥトゥユピーからゴン達への侮りを完全に消し去り、全力を尽くして排除するべき敵だと認識させたのだ。

 それは人間を餌という下等な存在と決めつけ侮っていたモントゥトゥユピーが精神的に成長したことを意味する。

 だがそれはゴン達にとってたまった物ではない成長だった。

 

 触腕がゴン達に向かって振るわれ続ける。鞭のようにしなるそれはモントゥトゥユピーの身体能力も合わせて見切ることも難しい速度に達している。

 しかもその触腕は戦闘当初よりもさらに細かく複数に分かれていた。数を増やしたことでより細くなり、オーラも分散し攻撃力は下がっている。

 だが元々脅威的な攻撃力を誇るモントゥトゥユピーだ。これでもゴン達に十分なダメージを与えることが出来るだろう。

 一撃一撃は弱くとも、数を増やすことで当たりやすくなる。当たりさえすればダメージを与えることが出来る。そうすればいずれ足も止まる。そこで止めをさせばいいだけだ。

 大振りの、最大の一撃など必要ないのだ。敵がどれほど巧く、どれほど戦闘に熟達していようと、脆いことに変わりはないのだから。

 

 そしてモントゥトゥユピーのその結論は間違ってはいなかった。

 今はまだ耐え凌いでいるが、この触腕の嵐に曝され続けるといずれは飲み込まれるだろう。そこに待っているのは明確な死だ。一撃喰らえば骨に影響が出るような攻撃が無数に高速で飛んでくるのだ。動きを止めた瞬間にその身を肉塊に変えられることになるだろう。

 

「クソッ! このままじゃ!」

 

 ジリ貧だ。

 ミルキの言葉の続きは声にはならなかったが、その場の誰もが理解していた。

 このまま守勢に回っていても敗北するまでの時間が長くなるだけだ。ただ生きながらえているだけではいずれ動きを捉えられるだろう。

 そうなる前に何とかして倒しきらなければならないのだが……。

 

「くっ!」

「ゴン!?」

 

 触腕の一撃がゴンの身を掠めていく。まともに食らったわけではないのに掠めただけでゴンの体がぐらつく。

 そこにさらに追撃とばかりに複数の触腕がゴンを襲う。

 だが、その触腕はゴンに触れることなく大地を抉ることとなった。

 

「クラピカ!」

 

 キルアが叫ぶよりも早くにクラピカの鎖がゴンを間一髪のところで引き寄せその命を救っていた。ゴンが無事だったことでホッとするキルア。だが一息吐く間もなくキルアにも複数の触腕が飛び掛って来た。

 

「ちぃっ!」

 

 持ち前の素早さでそれらを何とか躱すが、それだけだ。躱したところで反撃を行うことは出来ない。今やモントゥトゥユピーの周囲には隙間を見つけるのも困難な程に触腕が振り回されているのだから。

 

 危機を乗り越えられたものの、所詮は一時的、ただのその場しのぎに過ぎない。そう思わせるようにモントゥトゥユピーはゴン達をジリジリと追い詰めていた。

 焦らず、獲物が疲弊するまで攻撃の手を緩めずに徐々に徐々に近づいていく。

 

 その冷静さにたまったものではないのはゴン達だ。

 

「冗談じゃねーぞ! どう見ても力馬鹿なのにせこい戦いしやがって!」

 

 あまりな状況にレオリオが思わず悪態を吐く。

 

「わめいたところで状況は変わらん! 今は活路を開く方法を考えるんだ!」

 

 カイトの言葉に全員が冷静さを取り戻し活路を見つける為に思考を繰り広げる。

 その間にもモントゥトゥユピーの攻撃は止んでいないが、回避に徹したゴン達ならば避けることは不可能ではなかった。

 ある一定以上の距離を保てば触腕は届かず、例え届いたとしてもゴン達ならば反応して避けることが出来る。

 かと言って離れすぎてモントゥトゥユピーを見失わない絶妙な位置取りをゴン達はしてたのだ。

 

 だが、それにも限界というものがあった。

 

「ぐあぁっ!」

 

 高速で迫る触腕を躱しきれず吹き飛ばされるレオリオ。

 一撃でもまともに受ければ致死的なダメージを負う攻撃に曝され続けているのだ。

 神経を削りながらの回避は確実に体力と精神を疲労させていくだろう。そしてレオリオは先のダメージを回復させる為に【掌仙術/ホイミ】を使ったことでさらにオーラを消耗していたのだ。

 オーラの消耗は体力の消耗に等しいものがある。そうした悪環境が重なり、とうとうレオリオはモントゥトゥユピーの攻撃を浴びてしまった。

 

「レオリオーッ!」

 

 咄嗟にガードは出来たのか、攻撃を受けた右腕はひしゃげている。しかも腕越しに内臓にまで衝撃が伝わったのか吐血もしていた。

 どうやら即死というわけではなく、力なく膝をつき【仙光気/リホイミ】によって回復してどうにか体勢を立て直そうとしているが、そんな行為も僅かに生きながらえるだけの無駄な行為なのかもしれない。

 何故なら、吹き飛び体勢を崩したレオリオを見て好機と悟ったモントゥトゥユピーが、猛然とレオリオに接近し止めの攻撃を繰り出そうとしていたからだ。

 

 ――まずは1匹!――

 

 鬱陶しい蠅のような連中をようやく1匹消せることに悦びの感情を見せるモントゥトゥユピー。

 だが、すぐにその顔は嗜虐の表情から苦悶の表情へと変化することになった。

 

 モントゥトゥユピーが振るった無数の触腕。

 それは体勢を崩し、重傷を負ったレオリオでは避けることも受けることも不可能な攻撃だ。一体幾つの触腕を振るったのか。数えるのも億劫なそれが目にも止まらぬ速度で鞭のようにしなり襲いかかるのだ。

 上下左右から迫り来る触腕。今のレオリオにそれを凌ぐ方法はないだろ。

 

 そう、レオリオには、だ。

 

「させん!」

 

 レオリオが吹き飛ばされたと同時に。モントゥトゥユピーがレオリオに駆け出し追撃を繰り出すよりも早くにそれを阻止するように動いた人物がいた。

 それはカイトだ。この場で最も念と戦闘の経験が豊富なカイトは、この場の誰よりも状況を判断して咄嗟に動くことが出来たのだ。

 

 だが、迫り来る触腕を前にカイト1人でレオリオを庇いきれるのだろうか。最悪殺されるのが1人から2人に増えてしまうだけになるかもしれない。

 キルアはこの状況で電気を節約する為に【神速/カンムル】を使用していなかったことを後悔した。咄嗟に【落雷/ナルカミ】を放ちモントゥトゥユピーの動きを止めようとするが果たして間に合うかどうか。

 

 だが、そんなキルアの後悔を切り裂くように、カイトは右手に持つ刀を一閃した。

 無数の触腕に対してひと振りの斬撃など焼け石に水としか言えないだろう。

 誰もがそこでカイトとレオリオの命運は尽きたと思った。この荒れ狂う無数の死の洗礼に、たった1本の刀を一閃したところでどうなるというのか?

 

 だが、カイトの持つ刀はただの刀ではなかった。【気狂いピエロ/クレイジースロット】というカイトの念能力で具現化した武器なのだ。

 【気狂いピエロ/クレイジースロット】は様々な武器に変化することが出来る具現化系能力だ。そしてその武器の変化はカイトの自由に選ぶことができない。その名の通り、スロットで出た数字に割り振られた武器へと変化する仕組みだ。

 しかも一度でも出した武器は使用しない限り変えられないし消すことも出来ないというデメリットもあった。

 

 状況に応じて自由に武器を変化させることが出来れば便利なのだが、デメリットというのは念能力に置いて1つの強みでもあった。

 そう、武器がランダムに変化しその場の状況に合わせられず、簡単に武器を変えられないという制約があるからこそ、変化した武器1つ1つに強力な能力を付けることが可能なのだ。

 

 そしてカイトが振るった刀の能力。

 それはオーラを籠めれば籠める程に斬撃を増やすことが出来るというものだった。

 ひと振りの斬撃にて同時に幾重もの斬撃を放つことを可能とする能力。制約として斬撃は刀の斬撃範囲内というものがあり、斬撃を増やせば増やすほどオーラの消費も膨れ上がる欠点もある。

 だがこの状況では最適の能力だろう。カイトはここ一番でこの刀が出ていたことに自身の運も捨てたものではないと笑みを浮かべていた。

 

 いくらカイトと言えども、広範囲に広がる無数の触腕を全て切ることなど出来はしない。だが今モントゥトゥユピーはレオリオを倒す為に全ての触腕をレオリオに向かって振るっていた。

 1人の人間を狙うならば、どれだけ広範囲だろうと最後には1つに向かって収束されていく。もちろん全ての触腕が同時に迫ってくるわけではない。多少のバラつきはあって当然だった。

 だが、カイトはその触腕の全てが刀の斬撃範囲に入る一瞬のタイミングを見極め、渾身のひと振りを放ったのだ。

 

「はぁぁぁぁぁっ!」

 

 それはまさに刹那の見極め。

 もし僅かでも遅れていれば切られるよりも早くに触腕はレオリオとカイトを貫いていただろう。

 もし僅かでも速ければ切り裂ききれなかった触腕がレオリオとカイトを貫いていただろう。

 

 レオリオへと迫る無数の触腕は、同じく無数の斬撃によって全てが切り払われた。

 これに驚愕したのはその場にいるカイト以外の全員だ。あれだけの触腕を刀のひと振りで切り裂くとは思ってもいなかったのだ。

 

「ば、馬鹿な!?」

 

 その中でも一番驚愕したのはもちろんモントゥトゥユピーだ。

 必殺を確信した攻撃を、たった1人の人間に防がれるばかりか、あれだけの触腕の全てを切り裂かれるなど思ってもいなかったのだ。

 

 実際は無数に分かれた触腕だからこそ切り裂けたのだが。

 もし触腕の数が半分ほどだったら。つまり触腕1本1本の太さが今の倍だったならば。左手を負傷し片腕しか使えない今のカイトの攻撃力では触腕の全てを切り裂くことは不可能だっただろう。

 

 だがそんな事実など今は関係がない。全ての攻撃が無効化されたことにモントゥトゥユピーが衝撃を受けたことに変わりはないのだ。

 そしてそんなモントゥトゥユピーの衝撃は、彼に大きな隙を作り出すこととなった。

 

 これまでの人生で最大数の斬撃を生み出した為、オーラを消耗しすぎたカイトは息を荒げながら大地に膝をつく。

 恐らく戦闘に回す余力はないだろう。カイトは自己の戦力を冷静にそう判断する。だがカイトは戦闘意欲を敵に見せつける為に刀を構える。

 ハッタリも時には武器になるのだ。警戒に値すると思い込ませていれば先程のような攻撃も躊躇うかもしれないのだから。

 

 実際にはもう刀を振るう体力もない。だが、そんなことをおくびにも出さずにカイトは叫んだ。

 

「攻めろーーっっ!!」

『っ!!』

 

 カイトの叫びに反応してゴン達は未だ呆然としているモントゥトゥユピーを攻め立てる。

 一番最初にモントゥトゥユピーを攻撃したのはゴンだ。レオリオを助けようと無謀にもレオリオの前へ出ようとしていたのが幸いしたのか、今のゴンはモントゥトゥユピーに最も近い位置にいたのだ。

 

 そして全力でオーラを籠めて僅かな溜めを作り、今出来うる全力の一撃を放った。

 

「最初はグー! ジャンケン、グー!!」

 

 放ったのは拳ではなく、蹴りだった。

 ゴンの両腕はモントゥトゥユピーの攻撃を防御した為に罅が入っているのだ。罅程度で攻撃を躊躇うゴンではないが、どうしてもそれでは攻撃力が落ちてしまう。無意識に庇う庇わない以前に、力が上手く伝達しないのだ。

 

 そこで足だ。足は腕の三倍の力があると一般的に言われている。

 その足に全ての顕在オーラを籠め、【ジャンケン】の要領で思い切りモントゥトゥユピーを蹴りつけたのだ。

 

「ぐああっ!?」

 

 脇腹を抉るような鋭く重い一撃に、あのモントゥトゥユピーが確かな苦痛の声を上げた。

 効いているのだ。ゴンの一撃が、圧倒的な暴力の化身に確実に届いたのだ。それは人間の力が王直属護衛軍に通用するという証でもあった。

 

「こ、この……!」

 

 自身に二度も痛みを与えた小癪な雑魚に仕返しをしようと大木のような足で蹴りを放とうとする。

 だがその足には既にクラピカの鎖が巻きついていた。

 

「うおお!?」

 

 地獄もかくやという修行のおかげで習わずとも柔の一部を手に入れたクラピカ。そんなクラピカにとって、今のモントゥトゥユピーのバランスを崩し転倒させることは造作もなかった。

 

 蹴り上げようとした足を勢い良く引っ張られて転倒したモントゥトゥユピーに更に追撃が入る。

 

「ぬっ! ぐっ!?」

 

 ミルキが倒れたモントゥトゥユピーに遠慮ない攻撃を叩き込む。一撃や二撃ではない、出来うる限りの連撃をその巨体に叩き込み、そして同時に自身のオーラを流し込んでいった。

 

「図に乗るなカスどもがァァーーッ!!」

 

 咆哮一閃。

 いいようにやられ冷静さを失い憤怒に飲まれたモントゥトゥユピーは、その体から無数の刺を生み出しミルキを串刺しにしようとする。

 だが、ミルキは刺が生える前兆を見て即座にその場から離れていた。

 過去はともかく、ミルキはあのゾルディックで暗殺者として過酷な修行を受けてきたのだ。一度放った敵の攻撃、しかも僅かに予備動作があるのを見ていたならばそれを察知することくらいは出来た。

 

 攻撃を避けられたことを忌々しげに思いながらも立ち上がるが、そこでモントゥトゥユピーは僅かに違和感を覚えた。

 

 ――何だ? 何かおかしいぞ?――

 

 ほんの僅かではある。だが確かに何時もより体が重たく感じたのだ。

 それは気のせいではなくミルキの能力によるものだ。自身のオーラに触れた物の重さを操作出来る能力。ミルキは先程の攻撃で出来る限りのオーラを流し込んでいたのだ。

 

 だがモントゥトゥユピーはそんな小さな違和感を怒りによって吹き飛ばした。

 圧倒的な身体能力と溢れんばかりのオーラで増した自身の重さなど気にせず動き出したのだ。

 

 立ち上がったモントゥトゥユピーはまずは邪魔な鎖を砕こうとする。その為に肉体を変化させながら切り裂かれた触腕を腕として再生させる。

 これはモントゥトゥユピーの念能力によるものではない。モントゥトゥユピーが生来持つ生物としての能力だ。

 

 キメラアントで唯一魔獣の混合型として産み出されたモントゥトゥユピー。

 その為か、念能力を用いずとも肉体の細胞を変化させある程度自由に体を変形させることが出来た。そしてそれを応用して腕を生やしたのだ。もちろんちぎれた腕が元に戻ったわけではないので全体の体積は減少しているが。

 

 体積の減少は自ずとモントゥトゥユピーの戦闘力の減少に繋がるのだが……。

 自身を縛る鎖を握り締め、引きちぎろうとするモントゥトゥユピーの力を鎖越しで感じたクラピカにはモントゥトゥユピーの戦闘力の減少など微塵も感じられなかった。

 

「な、何という馬鹿げた力だ!」

 

 力と言えばクラピカにとって最も印象づいていたのは幻影旅団が1人、筋骨隆々の男ウボォーギンであったが、これはそれを遥かに上回る力だ。

 最も頑丈なはずの、そして【絶対時間/エンペラータイム】によって100%の出力を発揮し強化系の力で強化された【打倒する人差し指の鎖/ストライクチェーン】が容易く軋みを上げていく。このままではものの数秒で引きちぎられるだろう。

 

 モントゥトゥユピーは両手で鎖を掴みこのまま一気に引きちぎろうと力を籠める。

 だが力を入れた瞬間に鎖が突如として跡形もなく消え失せてしまった。クラピカが具現化を解いたのである。物の出し入れが自由なのが具現化系の強みの1つだ。

 そして力を込めた瞬間に力を入れる対象が消えてしまった為、またもモントゥトゥユピーは思い切り体勢を崩すことになった。

 

「よっと!」

「ぎっ!?」

 

 そんな大きな隙を突いたのはキルアだ。

 今も【神速/カンムル】は使用していない。長期戦を見越して電気を節約しているためだ。【神速/カンムル】を使えばモントゥトゥユピーですら反撃出来ない程の速度で攻撃出来る自信はキルアにはあった。

 だがそれで出来るのは僅かな時間稼ぎくらいだ。モントゥトゥユピーを殺しきるには圧倒的に攻撃力が足りなかった。

 そしてそれ以上に充電している電気も心もとなかったのだ。ここぞという時にしか電撃系の能力は使用するつもりはキルアにはなかった。

 

 体勢を崩したモントゥトゥユピーの顔面をキルアは思い切り蹴り飛ばす。

 ゴンほどの攻撃力はない為に然程のダメージにはならないが、それでも体勢を崩していたモントゥトゥユピーに尻餅をつかすには十分な威力だ。

 続けてクラピカが尻餅をついたモントゥトゥユピーを再び【打倒する人差し指の鎖/ストライクチェーン】にて両腕を含んだ胴体を縛りつける。

 

 そしてまたもその隙を突いてゴン達が殺到した。

 ゴンの【ジャンケングー】による蹴りにて大地に沈み込むモントゥトゥユピー。

 ミルキも僅かでも動きを鈍らせる為に攻撃と共にオーラを流し込んでいく。

 キルアは頭部を集中して攻撃し脳にダメージを蓄積していく。脳震盪の1つでも起こしてくれたら万々歳だ。

 

 各々が出来る限りの攻撃でモントゥトゥユピーを打倒する。

 1つ1つの攻撃は積み重ねとなり、確実にモントゥトゥユピーにダメージを刻んでいた。

 

 ゴンの攻撃は何よりも大きなダメージを与えている。だがオーラも相応に消耗し、【ジャンケン】の使用も残り数回が限度だろう。後先を考えればこれ以上の消耗は自殺行為になる可能性が高い。

 それでもゴンは全力の一撃を叩き込み続ける。例えそれで倒せなくても、少しでも敵の動きが鈍ることに繋がれば後は仲間が何とかしてくれると信じているから。

 

 ミルキの攻撃も目には見られないが確かな効果を発揮していた。

 どれほど重量を増しても然程の影響も見られないモントゥトゥユピー。だが既にモントゥトゥユピーに掛かる重量は本来の10倍以上に膨れ上がっていたのだ。

 生来のオーラ量と身体能力でそれを誤魔化しているが、戦闘当初のように無数の触腕で攻撃をすれば増した重さによって本来の攻撃速度は確実に落ちているだろう。鞭のような細長くしなる物ほど重さの影響は受けやすいのだから。

 

 キルアの攻撃は攻撃力の問題によりそこまでのダメージを与えてはいない。本来なら目や耳といった防御力のないデリケートな部位を攻撃したいのだが、流石のモントゥトゥユピーもそれは警戒して頭を大きく振るい攻撃箇所を絞らせないようにしていた。無理に攻撃しようとすれば大きな反撃を受けるやもしれず、仕方なく後頭部や延髄といった部位を攻撃する。

 如何に頑丈であろうとも頭部というものはデリケートなものだ。一撃一撃の威力は低くとも、積み重ねれば衝撃は徐々に浸透していく。その僅かな積み重ねが戦闘の結果を左右することもあるのだ。そう信じて神経を削りながらキルアは攻撃を続けていた。

 

 クラピカも鎖を上手く使って出来るだけモントゥトゥユピーの動きを制限する。

 幾度となく鎖をちぎられそうになるが、その度に鎖を緩めたり、力に逆らわないようにしたりと上手く敵の力を受け流していた。もしクラピカの鎖がなければゴン達はこうも自由に攻撃出来ていなかっただろう。ダメージは与えていないが、最大の殊勲はクラピカにあるだろう。

 

 そして本日最大の攻撃が、モントゥトゥユピーを襲うことになった。

 

「ゴン!」

「うん!」

 

 モントゥトゥユピーへの攻撃を一端取りやめ、オーラを集中していたゴンに触れるミルキ。すぐにミルキの意図を理解し、ゴンは全力の一撃を叩き込む。

 

「さい、しょは、グー! ジャンケン、グー!!」

 

 残りのオーラの殆どを詰め込んだ一撃。

 まるで踏みつけるように放たれたその一撃がモントゥトゥユピーに触れる直前に、ゴンの重量が一気に増した。ミルキがゴンに大量のオーラを流し込んでその重量を操作したのだ。

 

 体重が増すということは一撃の重さも増すということだ。

 あまりに重くなると通常の戦闘も困難になるが、振り下ろしの一撃ならそれほどの影響も出ない。

 腕の3倍の力の足で、全力の硬をして、数百キロの重量となったゴンが、モントゥトゥユピーを踏みつけたのだ。

 

「ーーっっ!?」

 

 もはやモントゥトゥユピーの口から出た叫びは言葉になっていなかった。

 口からは血反吐が吐き出され、大地に沈み込んでいくモントゥトゥユピー。どうやらあまりの威力に大地に大穴が出来てしまったようだ。

 その破壊はウボォーギンの【超破壊拳/ビックバンインパクト】をクラピカやキルアに思い出させる程だった。

 

「うおっ!?」

「と、とんでもないな」

 

 あまりの破壊力に近くにいたキルアもミルキも、そして攻撃を放ったゴンすらも衝撃で吹き飛ばされていた。

 まさに必殺の一撃。これを受けて生きていればそれはもう化け物としか言いようがないだろう。

 

「……やったか?」

「分からない。手応えは、あったけど……」

 

 キルアの呟きに全身から珠のような汗を吹き出すゴンが息絶え絶えに応える。

 もうゴンには戦闘力は殆ど残っていない。カイト同様戦闘の続行は難しいだろう。

 

 これで終わってくれ!

 だが……そう願うゴン達全員の祈りは、儚くも散ることとなった。

 

「っ! 全員離れろーっ!」

 

 最初に異変を感じたのはクラピカだった。

 クラピカの鎖は未だモントゥトゥユピーを縛り付けていた。だが、突如としてその鎖が砕け散ったのを感じ取ったのだ。原因を察し、そして膨れ上がる圧力を前にクラピカは一時的な退避を選んだ。

 

「あああああああーーーーーっ!!! どいつもこいつもーーーーーーっ!!!」

 

 穴から現れたのはモントゥトゥユピー……と思われる何かだ。

 モントゥトゥユピーが沈んだ大穴から現れたからこそそう思えたのだ。

 一目見てモントゥトゥユピーと理解出来ないほどに、今の彼はかつてのそれとは決定的に違うほど見た目が変化していた。

 

 人間という下等生物にいいようにされるという屈辱が怒りとなり、冷静さを保とうとしていた理性を振り切ったのだ。

 怒りのままに肉体を変化させた結果、モントゥトゥユピーの肉体はその怒りに見合ったように膨れ上がっていた。そこから感じ取れるのは破壊。その一言に尽きるだろう。

 

 モントゥトゥユピーは怒りの全てを右腕に込めて怒りの対象に向けて振り下ろす。まるで天が墜ちてきたかのような錯覚。それを前にして立ち向かうという選択肢は今のゴン達にはなかった。

 

 クラピカの叫びを聞いて誰もがその場から離れる。

 キルアはゴンを、ミルキはカイトを、クラピカはレオリオを担ぎ、全力で疾走する。直後、破壊の鉄槌が大地に振り下ろされた。

 

 爆音。衝撃。そのどちらも先のゴンの一撃を遥かに上回るものだ。

 その衝撃は空気を伝播してゴン達を吹き飛ばした。直接命中すれば骨すら残らないだろう。その証拠と言わんばかりに大地にはゴンが作った大穴を超えるクレーターが出来上がっていた。クレーターから少し離れた森の中に隠れたゴン達はそれを見て呆然とするしかなかった。

 

「体重軽くしてこれかよ……」

 

 ミルキは攻撃の瞬間に能力を操作してモントゥトゥユピーの体重を減少させていたのだ。前述した通り体重と破壊力は密接している。その体重を出来る限り減らしてなおこの威力だ。通常時の体重ならばこの数段上の威力になっていただろうと想像するとゾッとするしかないミルキだった。

 

「ば、化け物め……!」

 

 クラピカはクレーターと、あのゴンの一撃を受けて未だ健在なモントゥトゥユピーを見てそう呟く。

 一体どうやったらこの化け物を倒すことが出来るというのか? その明晰な頭脳を必死に回転させながら様々な手段を模索する。

 

 だが――

 

 ――ゴンもカイトも既にオーラを殆ど使い果たしている。これ以上の戦闘は困難だろう――

 ――キルアの【神速/カンムル】も決定打には成らない。ああも肉体を変化させる化物だ。急所を攻撃しても殺しきれるとは限らん――

 ――ミルキの能力にも限界はある。これ以上重くすることは難しく、出来たとしても奴の動きが多少鈍る程度――

 ――レオリオも限界だ。多少は回復しているようだが、それでも傷は重すぎる。まともに動くことも出来まい――

 ――くそっ! 私の鎖で勝負が決まっていたら! 唯一通じる【束縛する中指の鎖/チェーンジェイル】は脆すぎて容易く壊されるだろう――

 

 手詰まりか。誰もがそう考えた。

 手札の大半を消費し、残っているのはほんの僅か。

 だというのに敵は未だピンピンしているのだ。

 

 確かにダメージは与えている。確実に消耗している。

 だが、こちらのダメージと消耗はそれ以上なのだ。

 

「おれが、食い止める。……その間に、逃げろ」

 

 カイトが力なく刀を構えてそう告げる。

 ここに至ってはもはや負け戦だ。ならば犠牲は少ない方がいいに決まっている。

 そう思っての自己犠牲だったが、ゴン達は誰もがその場から動こうとはしなかった。

 

 逃げる? そうすれば命は助かるだろう。カイトが時間を稼いでくれたならば、そしてこの森を利用すれば手負いの仲間を連れて逃げることは可能だろう。

 だがそれはアイシャを見捨てるという結果に繋がる。もしあの敵が王の援護に向かいでもすれば……。

 王の言葉を信じるなら、王の命令を忠実に守るのなら、モントゥトゥユピーは王の援護はしないのだろう。

 だが王が敗北しかけたならばそれも確かではない。王と護衛軍を同時に相手にして1人で勝てるわけがない。

 

 逃げればアイシャは確実に死ぬ。

 それを許せるような者はゴン達の中にはいなかった。

 

「逃げない……絶対に、ここでこいつを倒す!」

 

 ゴンがなけなしの体力を振り絞って立ち上がる。

 

「当たり前だ。こんな木偶の坊とっとと倒してアイシャを助けに行くぞ」

 

 キルアが最後の切り札である【神速/カンムル】を何時でも使用できるよう心構えをする。

 

「相手も消耗している。ならば勝機はないわけではない」

 

 クラピカは頭で考えて出た結果を切り捨て、全てを投げ打ってでも倒す覚悟を決める。

 

「お姫様を置いて逃げるなんて締まり悪すぎんだよ」

 

 ミルキも叩き込まれた暗殺の掟を無視して圧倒的強者に立ち向かう。

 

「お前ら……死んでも知らんぞ」

 

 たった1人で絶望の権化と立ち向かっている仲間を思うと、弱気になんてなれるわけがなかった。

 

 

 

 ゴン達が覚悟を決めた直後、クレーターにいるモントゥトゥユピーはその姿を元の状態に戻していた。それと同時にモントゥトゥユピーは冷静さを取り戻していた。

 

 激しい怒りを糧に放たれた一撃は大きな破壊を生み、同時に快感を伴っていた。

 そして急速な体積の減少はモントゥトゥユピーに強い喪失感を伴わせた。

 それは激情にかられたモントゥトゥユピーに冷静さを取り戻す要因となっていた。

 

 そしてそれは己の力の使い道を理解する切っ掛けとなってしまった。

 怒りを溜め込み肉体とオーラを増幅する能力。それを冷静に利用する。

 冷静に怒りを溜めるという矛盾。それを可能とするのは滅私の奉公だ。

 己の全ては王の為にある。その精神が、矛盾を越えてモントゥトゥユピーの力となったのだ。

 

「ちょこまかと逃げやがってクズどもがぁっ! 逃げずに向かって来やがれぇーー!!」

 

 能力を利用する為に偽りの怒りをわめき散らす。

 偽りなれど言葉にして行動することで確かな怒りも蓄積されていく。

 その怒りを冷静に管理しコントロールすることが出来れば、己はより王に貢献出来るようになるだろう。

 

 それは敵を打ち倒すという結果に繋がる。

 モントゥトゥユピーはこうして怒り狂う様を見せればゴン達が攻撃をしてくると理解していた。

 ここまで自身がやられたのは冷静さを失った時が殆どだ。そしてあの怒りに爆発した自分を見た奴らのことだ。同じことをすればその隙を突いて来るに決まっている。

 

 そのモントゥトゥユピーの考えは、ゴン達に取って致命的なまでに正しかった。

 

「あいつ……まだ怒りに囚われているのか」

 

 モントゥトゥユピーの叫びが辺りに響き渡る。それは当然ゴン達にも届いていた。

 

「好機だ」

「ああ。あの攻撃の直前、膨張した瞬間を狙えば……」

「あれだけの攻撃だ。オーラの消費も激しいだろう」

「あとはヒット&アウェイか。分が悪すぎるぜ」

「でも、やるしかないよね」

 

 覚悟を決めて怒りを振りまくモントゥトゥユピーに対し、決死の特攻を仕掛けようとする。

 その怒りが偽りと気付かずに……。

 

「ま、待て」

 

 だが、そんなゴン達に制止の声が掛かった。

 その声の主はレオリオだ。重傷を負ったレオリオが、そのボロボロの体で再び大地に立ち上がっていたのだ。

 

「レオリオ! 休んでいた方がいいよ!」

「ああ、流石にお前は無理だ。傷が重すぎる」

 

 レオリオもこの特攻に参加すると思ったのだろう。

 ゴンとキルアがそれを押しとどめるよう説得する。

 

「正直、今のお前は役立たずだ。今の内に【高速飛行能力/ルーラ】で帰った方がいい」

 

 ミルキの言葉は決して責めているのではない、それは優しさから来る言葉だ。

 親友とも言えるようになったレオリオに死んでほしくない。そして出来ればキメラアントの脅威を多くの人に伝えてほしい。

 そんな想いが籠められた言葉だ。

 

「ば、ばーか。オレが一番あいつを倒すのに貢献出来るってんだよ……」

 

 力なくもそう言って笑うレオリオにゴン達が怪訝な顔をする。

 強がりかと思うも、レオリオが持つ能力を思い出してゴンが叫んだ。

 

「あ! 【閃華烈光拳/マホイミ】!」

 

 そう、レオリオの切り札である【閃華烈光拳/マホイミ】。

 細胞を崩壊させるという、生物であれば防御は不可能な絶対攻撃だ。

 

「確かにあれなら……」

「あ、ああ。頭に叩き込んでやりゃ……イチコロだぜ。だ、だからオレを……オレを無事にあいつに、たどり着かせてくれ!」

 

 口から血を出しながらも力強く宣言する。膝はガクガクと震え、立っているのもやっとだろう。既に【仙光気/リホイミ】は使用していない。【閃華烈光拳/マホイミ】の為にオーラを温存しているのだろう。それだけオーラを消耗しているということだ。

 だが、その瞳に籠められた覚悟は全員に伝わっていた。

 

「……分かった。なら、絶対にお前を連れてってやる。あの化け物には指一本触れさせないぜ。その代わり、絶対にぶちかませよ」

「任せろ!」

 

 レオリオの覚悟を受け取ったキルアの言葉に、レオリオが全力で応えた。

 

「皆、作戦変更だ。オレ1人であいつを食い止める」

「キルア?」

「これは賭けだ。全てのチップをレオリオに賭けるぜ」

 

 ここが全ての使いどころだとキルアは確信した。【閃華烈光拳/マホイミ】を当てる為に全てを賭ける。それが1番勝率が高い道だと確信したのだ。

 

「皆はレオリオが攻撃した後に合わせて攻撃してくれ」

「……よし、キルアの作戦で行こう」

「いいのか?」

 

 カイトの確認の言葉に、クラピカだけでなくゴン達全員が頷いた。

 

「キルアとレオリオなら絶対にやってくれるよカイト」

「オレ達はその後押しをするだけさ」

「レオリオは私が運ぼう、1人では走るのも辛いだろう」

「わりぃな……」

 

 どうやらゴン達の中ではこの作戦で決定しているようだ。仲間同士、友達同士で信頼しあっているのだろう。誰もが失敗を考えずに自身に出来る最善を尽くそうとしていた。

 それを見てカイトは羨ましいと素直に思った。これ程の仲間はそうは見つからないだろうと。

 

「よし、ならさっさと行くぞ。どうやら奴さんも待ちくたびれているようだしな」

 

 未だにクレーターの中からは破壊と怒号が響いていた。まるで触れるもの全てを壊し、目に映るもの全てを憎むような怒りの咆哮にすら聞こえる。

 だが、今さらそのようなことで臆するような者はこの場にはいなかった。

 

 キルアを筆頭に全員がクレーターの端に立ち、眼下にて暴れ狂うモントゥトゥユピーを見下ろす。

 

「カスどもが! ようやく姿を現しやがったか!!」

 

 ようやく獲物がやって来たことに内心で嘲笑するが、それをおくびにも出さずにモントゥトゥユピーは怒る振りをする。

 

「群れなきゃ何も出来ない雑魚が手間ばかり取らせやがって! 殺す!! てめぇら全員ぶち殺してやるっ!!!」

 

 モントゥトゥユピーは激情を冷静にコントロールしながら怒りを溜めていく。

 出来る。自分ならこの能力をコントロールすることが出来る! そう強く思うことで本当に自身の新たな力を自在に操れるようになりつつあった。

 

「はっ。お前にゃ無理だ木偶の坊」

 

 キルアのその一言が合図となった。

 モントゥトゥユピーはこれを切っ掛けに怒りに我を忘れた振りをして膨張を開始しようとした。相手もそれを見越して攻撃をしてくるだろうとモントゥトゥユピーは確信している。

 膨張による一瞬の隙を突くくらいは出来る実力の持ち主達だと敵であるゴン達を完全に認めていたのだ。

 

 その瞬間を狙い、膨張をコントロールして元の肉体へと戻り逆にカウンターを叩き込む。どれだけ巧く連携を取れようと、どれだけ自分を翻弄出来ようと、脆弱な肉体を誤魔化すことは出来はしない。分かたれた触腕ではなく、この太い腕で殴りつければ確実に殺せるだろう。

 この雑魚どもを蹴散らして、新たに得たこの能力を有効に利用しこれからも王の敵を排除する。それが己に出来る唯一にして最大の貢献なのだ。

 

 だが……モントゥトゥユピーが夢見るような最高の未来は、訪れることはなかった。

 

「ッ?!」

 

 膨張しようとしていたモントゥトゥユピーの肉体は突如としてその動きを止めた。

 それはモントゥトゥユピーが膨張をコントロールした――為ではない。膨張する前にモントゥトゥユピーの肉体が硬直した為だった。

 

 ――な、なにが!?――

 

 気付けばモントゥトゥユピーの眼前にはキルアの姿があった。

 何時の間に? そう驚く暇もなく、更なる硬直と衝撃がモントゥトゥユピーを襲う。

 

「ガッ!? ギッ!!」

 

 またも反応する間もなく攻撃を食らった。いや違う。モントゥトゥユピーが行動を開始しようとした瞬間に攻撃を受けているのだ。

 

 これこそキルアの【神速/カンムル】の1つ、【疾風迅雷】の能力である。

 敵の害意を示すオーラの揺らぎに反応し、予めプログラムした攻撃が発動する。

 脳の命令を省いて反射で動くことを可能とするこの能力により限界を超えた速度で繰り出される攻撃は、容易にモントゥトゥユピーの動きを凌駕した。

 

 どれだけ足掻こうとも、どれだけ殺意を高めようとも、全ての動きに機先を取られる。純粋な実力では確実に勝っている、だというのにこうして苦戦を強いられている。モントゥトゥユピーは今ここで完全に理解した。これが念、これが人間だと。

 

 そして、まともに動くこともままならぬモントゥトゥユピーに、同じくまともに動くことも出来ずクラピカの力を借りてようやく近付いたレオリオが、最凶の一撃を放った。

 

「喰らえや! 【閃華烈光拳/マホイミ】!!」

 

 レオリオを抱えたままクラピカが跳び上がり、モントゥトゥユピーの頭部へと近付く。キルアにより動きを止められていたモントゥトゥユピーにそれを止めることなど出来ず、レオリオ渾身の【閃華烈光拳/マホイミ】は頭部を見事に打ち抜いた。

 

「ぐぬ!?」

 

 頭部を殴られたモントゥトゥユピーは衝撃に僅かにぐらつくも、予想を遥かに下回る威力の低さに困惑していた。この状況で放つ攻撃がこの程度なのか、と。

 ……だが、その困惑は更なる困惑によって上書きされることになった。

 

「あぁ? お、おご、あぁぁぁっ?!」

 

 殴られた頭部を中心に感じたこともない痛みが広がっていく。目眩に吐き気も催し、視界もおぼつかない。足もふらつき真っ直ぐに立つことも困難だ。

 何故? どうしてこんなダメージを?

 

 ――いや、そんなことよりもこいつ等を早く殺さねば――

 

 不可解なダメージを疑問に思うも、それよりも迫る敵を倒す方が先決だ。そう思うも体は言うことを聞きはしなかった。

 それもそのはずだ。レオリオの【閃華烈光拳/マホイミ】は細胞を破壊する念能力だ。

 かつてのレオリオの【閃華烈光拳/マホイミ】だと触れた部分にしか影響は与えなかった。だが修行により成長したレオリオの【閃華烈光拳/マホイミ】は触れた表面だけでなく内部にもその威力を発揮するようになっていた。

 もちろん表面に比べれば威力は落ちるが、脳という非常にデリケートな箇所だと大きな効果を発揮するだろう。

 

 つまり今のモントゥトゥユピーは脳を直接攻撃されたに等しい状態なのだ。

 そんなモントゥトゥユピーがまともに動くことが出来ないのは当然だろう。むしろまだ生きていることにその生命力の高さを窺えるというものだ。

 

 既に瀕死とも言えるダメージを負ったモントゥトゥユピー。だが、だからといってそれで攻撃を止めるゴン達ではなかった。

 

「これで!」

『終われぇぇっ!』

 

 立つこともままならず膝をついたモントゥトゥユピーに、ゴン、キルア、ミルキ、カイトが集中攻撃をする。全員が弱ったであろう頭部のみを狙い今出来うる全力の一撃を叩き込む。

 

「があぁぁぁぁっ!!?」

 

 細胞が崩れた頭部にそのような攻撃を叩き込まれて無事でいられるはずもなく……モントゥトゥユピーは完全に大地へと沈み込んだ。

 

 ――馬鹿な……オレが……こんな雑魚どもに――

 

 どいつもこいつも、1人1人の強さは大したことはなかった。

 だというのにそれぞれが協力して、工夫して、様々な方法で力を補うことで圧倒的な力の差を覆したのだ。

 今のモントゥトゥユピーには様々な感情が駆け巡っていた。

 王の役に立てなかった己の不甲斐なさ、王への申し訳なさ、人間などに殺られた悔しさ。そして……弱っちい人間の癖に己を打倒したゴン達への――

 

「す、げぇな……お、おまえ……ら………………」

 

 死に行くモントゥトゥユピーの口から出た最期の言葉は、恨みでも悔みでもなく……己を打倒した敵への賞賛の言葉だった。

 

 




カイトの刀はオリ設定です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十一話

「……終わったか」

 

 頭部が半ば砕け倒れ伏しているモントゥトゥユピーを油断なく見下ろしながらカイトはそう呟く。

 もはやモントゥトゥユピーから生気は感じられなかった。如何に生命力が高いキメラアントとはいえ、脳を破壊されては生きてはいられない。

 モントゥトゥユピーのあまりのタフネスさにもしやとも思ったが、どうやら完全に死んでいるようだ。

 

「勝った……のか?」

 

 誰よりも傷つきボロボロになっているレオリオが信じられないというように首を振る。自らの能力が切っ掛けとなって倒せたのだが、あの圧倒的な破壊の権化を相手に勝てたことが不思議でならなかったのだ。

 

「ああ、勝ったんだ」

「や……ったーー!」

 

 クラピカの言葉を皮切りにゴンが両手を上げて勝利の雄叫びを上げた。

 そしてそのまま体の力が抜けるように両手膝を大地につけることになる。それほど消耗しているということだろう。

 

「落ち着けよ、まあこいつ相手に勝てたのが嬉しいのは分かるけどな」

「何度死ぬかと思ったか……」

「誰1人欠けていても勝利はなかった。まさに薄氷の勝利だな」

 

 カイトの言う通り、この場の誰か1人でも欠けていれば勝利はなかっただろう。

 それぞれが出来ることを最大限に発揮したからこその勝利と言える。

 

「レオリオ、大丈夫?」

「ばーか……オレの心配よりも自分の心配しろよ、ヘトヘトじゃねーか……」

「一番重傷なのはお前だよレオリオ。傷は本当に大丈夫なのか?」

 

 レオリオの右腕はひしゃげたままであり、肋骨も幾本か折れている。吐血したことから内臓も痛めているのが分かる。オーラも少なく回復することもままならぬ現状、戦闘続行は不可能に近かった。

 

「ああ……命に関わることはねーよ」

 

 念能力者は常人よりも生命力が強い。常人ならば死に至る傷でも長らえることも多いだろう。そしてレオリオは並の念能力者よりも強い力を持っているのだ、しばらく休めば命に別状はないレベルに回復はするだろう。

 

「だがこれ以上は無理だな。お前はここで休んでいるんだ」

「馬鹿言うなよ! まだアイシャが、ぐ、ごほっ!」

「無理すんなレオリオ! 今のお前がアイシャの助けになると思っているのか!?」

 

 ミルキの言葉はレオリオにも分かっていたことだ。今のままアイシャの救援に行ったとしても何もすることは出来ないだろう。

 いや、例え万全の状態でもあの王を相手にどうにかすることが出来るとは思えなかったが。

 

「ゴンとカイトもだぜ。お前らもレオリオ程じゃないけど傷ついてるし、オーラもほとんど残ってないだろ?」

「……うん」

「すまん……」

 

 ゴンとカイトもこれ以上の戦闘は難しかった。

 ゴンは両腕に罅が、カイトは左腕がへし折れていた。そしてなによりオーラの消耗が激しすぎた。多少の傷でも動くことは出来るが、2人のオーラは空に近い。これではまともに動くことも至難だ。

 

「まあオレ達も大分消耗してるけどな……」

 

 残りの3人、キルアとクラピカとミルキは殆ど無傷ではある。だがその戦闘力は通常時のそれと比べて遥かに落ちていた。

 オーラの消耗は当然として、キルアは電気の充電を殆ど消費していた。これ以上オーラを電気に変化させることは難しいだろう。

 クラピカは既に緋の眼の状態から通常の瞳へと戻っていた。これだけの戦闘で緋の眼になっていたのだ。普段よりも消耗は激しかったようだ。緋の眼になれなくなったクラピカは大半の切り札を失うことになる。

 唯一ミルキのみオーラの消耗以外のデメリットはない、というくらいのものだった。

 

 このような状況でアイシャの助けになるのだろうか?

 そう誰もが思っていた時、不意に草場から物音がしたので全員がそちらに振り返った。

 

「敵か!?」

 

 咄嗟に構えを取り警戒するも、それは意味のない行為となる。

 

「はいはい落ち着きなさいな」

「ビスケ!」

「どうやら貴方達もご無事のようですね」

「リィーナさん!」

 

 そう、現れたのはビスケとリィーナだった。

 これには心底ホッとした表情を見せるゴン達。流石にこの状況で新手が現れたら対処するのはかなり困難だっただろう。

 それこそモントゥトゥユピーと同格の護衛軍でも現れていたら全滅は必至だと言えたのだ。ホッとするのも仕方ないことだった。

 

「そちらの敵は?」

「倒しました。貴方達も無事倒されたようですね。お手伝いをとも思いましたが、必要なかったようで何よりです」

 

 リィーナはあの強敵をゴン達だけで排除出来たことを確認し、誰1人欠けずに勝利したことに安堵する。

 

 ――これで先生が悲しむということはございませんね――

 

 ……ちょっとずれた安堵の仕方だったが。

 

 ゴン達もリィーナ達が護衛軍の一角を倒したという朗報に喜びの声を上げた。

 これで王の周りにいた厄介な存在はいなくなった。後はアイシャが王を倒せさえすれば……。

 

「リィーナさん、その……カストロさんは?」

 

 この場にいないカストロが気になりゴンが心配そうに質問するが、リィーナはそれに対して優しく答えた。

 

「ご心配なく。カストロさんは切り札を切った為に消耗激しく休息を取っております。なので命に別状はございませんよ」

「そっか。良かった」

 

 あの強敵相手に本当に誰1人死なずに勝利したことは信じがたいことだ。

 もしあの時、レオリオ達が増援に来てくれていなかったら……確実に誰1人生き残ってはいなかっただろう。

 

「さて、それでは貴方達はここでゆっくりとお休みください」

「はぁ? 何言ってんだ、オレ達もアイシャの助けに――」

「死ぬわよ」

 

 リィーナに反論しようとしたキルアの言葉をビスケが遮る。

 

「今の、いいえ、例え万全の状態のあんた達が助けに行った所でどうにかなる相手だと思ってんの?」

 

 それはゴン達にとって重たすぎる正論だった。

 誰もが内心で理解していた。レベルが違いすぎるのだと。

 この場にいる誰もが万全の、それも絶好調の状態だとしても、アイシャと王の戦いに割って入ることなど出来はしないのだと。

 

「それでも!」

「命を張ってでもアイシャさんを助ける……とでも?」

「う……」

 

 ミルキの言わんとした台詞を先んじるリィーナ。

 そう、ミルキはリィーナの言う通り例え力及ばずとも命懸けでアイシャの盾になるつもりだった。それで僅かでも時間が稼げれば、それで僅かでもアイシャの勝率が上がるならば本望だったのだ。

 だが、現実は非情だった。

 

「はっきり言いましょう。貴方達がどれほど命を張ろうとも意味はありません。砂上の楼閣を崩すが如くに蹴散らされ命を失うだけ。そればかりか、アイシャさんの集中を乱すやもしれません。そうなっても貴方達は良いのですか?」

『……』

 

 誰もが二の句を告げなくなっていた。

 自分達ではどう足掻こうともアイシャの助けには成りえない。

 そんな残酷な現実を冷静に告げられたのだ。そしてそれを理解出来ないような者はこの場にはいなかった。

 

「……あんた達ならアイシャを助けられるのか?」

 

 キルアは一縷の望みに懸けてリィーナ達に問いただす。

 自分達とは一線を画す実力の持ち主であるリィーナとビスケ。この2人ならば、アイシャと王の戦いに割って入ることも可能なのでは、と。

 その問いに答えたのはビスケだった。

 

「正直に言うわね。……無理よ」

 

 ……どこまでも現実とは非情だった。

 確かにリィーナとビスケは強い。その実力は世界でもトップクラスと言えよう。

 だが、相手は世界最強と言っても過言ではない存在なのだ。

 世界最高の武を身に付け、人間としては破格のオーラを持つアイシャ。

 キメラアントの集大成として産まれ、更にはネフェルピトーのオーラすらその糧とした王。

 

 人間とキメラアント。2つの種の規格外とも言える存在の戦いに割って入れる者など果たしてどれだけいるというのか。

 リィーナとビスケの知る限りでは、アイシャと同等の戦闘力を誇るネテロくらいのものだった。

 

「じゃああんた達はどうするんだよ!?」

 

 キルアの叫びが木霊する。

 アイシャは今も絶望的な敵を相手に戦っているのである。

 今こうしている間にも遠くから爆音が響いてくる。まだ生きているのだ。まだ戦っているのだ。だが、それも何時まで持つか分かったものではない。もう限界かもしれない、あと少しで殺られるのかもしれない。

 そう思うと冷静でいられるわけもなかった。

 

 それはキルアだけではない。アイシャと共にここまで来たゴン達全員が同じ気持ちだ。誰もが何か手はないのかと必死に思考し、そして何も思い浮かばないことに絶望していた。

 そんなゴン達に対し、リィーナはいとも簡単に答えを口にした。

 

「決まっております。アイシャさんが勝利する様を見届けに行くのです」

「え……?」

 

 リィーナの言葉が聞こえなかったのか? それとも理解出来なかったのか?

 疑問の表情を浮かべるゴン達にリィーナがもう一度答えた。

 

「何か悲壮感漂っておりますが、アイシャさんが負けるとでもお思いですか? アイシャさんは勝ちます。私はそう信じております。ですから手助けなどいたしません、その必要がございませんから。遠くからアイシャさんの勝利を見届けに行くだけです」

 

 そう言い切った。

 アイシャの勝利を微塵も疑わないと。

 必ず勝利すると。

 

 いや、リィーナも本当は分かっている。アイシャと言えども勝率は限りなく低いものだと。ゴン達よりも秀でた実力を持っているからこそ、王を一目見た瞬間にその絶望の深さをより理解した。

 それでも、それでもアイシャなら。世界最強の武神ならば奇跡を見せてくれる。そう誰よりも信じたかったのだ。武神の一番弟子として。

 

「話は終わりですか? それでは時間が惜しいので私達はこれにて失礼いたします」

「待って!」

 

 踵を返しアイシャと王の戦場地へと移動しようとしたリィーナをゴンが呼び止める。

 その瞳には先程までの悲壮感はなくなっていた。代わりにあったのは迷いを失くした真っ直ぐな瞳だった。

 

「オレも……ううん、オレ達も行くよ。行ってアイシャの勝利を見届ける!」

「そうだな。アイシャがあの化け物相手にどうやって勝つのか見させてもらうぜ」

「ふ、確かに。今後の参考になるな」

「おいおい……そんな今後なんてあってたまるかよ」

「違いないぜ。こんなの二度とこりごりだ」

 

 何時の間にか、誰もが先程までの悲壮感を捨て去り何時もの調子を取り戻していた。

 そこにあったのはアイシャへの信頼だ。アイシャならば。あのアイシャならばキメラアントの王であろうとも必ず勝利を得てくれると。

 

 そんなゴン達の変化を見てカイトは溜息を吐きながらやれやれと首を振る。

 

「全く……ここで逃げ延びてもアイシャが王に負ければ未来は然して変わりないか。オレも見届けよう。お前たちが信じるアイシャの勝利をな」

 

 そうして全員が立ち上がりリィーナを見つめる。

 もう今さらここで退くという考えを持つ者は誰もいないようだ。

 

「……了解いたしました。貴方達の意思です、私が止めるような野暮な真似はいたしません。ですが、アイシャさんの邪魔をしないためにも巻き込まれない程の距離で見届けますよ?」

『おう!』

 

 そうしてゴン達は傷ついた体を動かしてアイシャの戦いを見届けに行った。

 アイシャと王の戦闘が見られる見晴らしの良さと、戦闘の邪魔にならない程度の距離を合わせ持った高台に到着し、そこでゴン達は見た。

 

 アイシャが、王の頭部に浸透掌を放った瞬間を。

 

 

 

 

 

 

 どれだけの攻防が繰り広げられただろうか。

 王は、どれほど攻撃しようとも未だまともに命中することなく、全ての攻撃を返されている現状に困惑していた。

 

 ――何故余の攻撃は尽く通じぬ――

 

 王は暴虐で激昂しやすい性格である。

 それ故に王たる自身の尊顔を大地に付けるという度し難い行為を成した愚か者に対し、怒りのあまり冷静さを失い攻撃を繰り返した。

 たかだか人間風情に尊顔を大地に叩きつけられ見下ろされたのだ。冷静でいろというのは産まれたての王には無理な話だった。

 

 だが、王は暴君ではあるが愚王ではない。

 むしろその才は人間を遥かに凌駕していると言ってもいいだろう。それは力だけに限った話ではない。知略と、そして学習能力に置いてもだ。

 

 産まれて間もない故学習する暇もなかったが、王がその気になって学べば様々な知略を用いる勝負でその道の人間の大半を下せるだろう。それも僅かひと月に満たぬ短い時間で、だ。

 

 だがそれは王に取って児戯にも等しい才能だ。

 やはり王の真骨頂はその戦闘力に尽きるだろう。どのような才を持ち、どのような研鑚を積んだ者であろうと、その才も努力も無に帰すことが出来るこの世のありとあらゆる分野の才能を凌駕する才能、それこそが圧倒的な暴力だ。盤上遊戯に優れる者も、スポーツに秀でた者も、難解な数式を解ける者も、最高の料理を作れる者も、無数の言語を操れる者も、王の暴力の前では無力だ。

 だが、そんな圧倒的な暴力を誇る王がどれほど攻撃を繰り出そうとも、アイシャに攻撃を当てることが出来ないのだ。

 

 激昂して10の打撃を放った後、並の打撃では通じないと悟った。どれだけ力を込めて全力で殴ろうとも視界を閉ざしたはずのアイシャに返されてしまう。

 

 王は愚王ではない。キメラアントの集大成と言えるだけに、その学習能力も秀でている。

 

 王は攻撃を威力ではなく速度重視で放つようになった。

 人間如きに工夫を凝らすというのも屈辱だったが、このままやられ放題でいるという現状はそれよりも遥かに屈辱だった。屈辱が王を成長させようとしていた。

 

 20の打撃を放つが、未だに攻撃はアイシャに届かない。速度に重きを置いても全てに対応されてしまった。

 そこで王は気付く。アイシャの動きが完全なる理に適った動きだと。一切の無駄な流れのない、理合の動き。流れに逆らうことも出来ずに全ての力が己に返ってくる。

 逆上していた頭が冷静さを取り戻した時、その流れの美しさに王は気付いた。

 

 この流れを打ち砕くには速度だけでは事足りなかった。

 ならば流れを壊すように動かねばならない。冷静さが王を成長させようとしていた。

 

 それから王はアイシャの動きを学習した。

 あらゆる角度からあらゆる打撃を放ち、その全てを返される中でアイシャの理合を吸収していったのだ。

 

 100の打撃を返された頃。王はアイシャの理合を理解した。

 流石に自らの攻撃を返され続けた為にその身に積もるダメージも馬鹿にはならないが、それもここまでだ。理合を学習した王にはここから先の未来が容易に想像が出来ていた。

 

 だが、その通りにはならなかった。

 アイシャの理合を、合気を、柔をその身を持って理解したはずだった。

 王のその常識を越えた学習速度によって合気の理を把握したはずだった。

 

 実際、今の王は風間流の門下生と比べても並ぶ者が少ない程に合気を学習していた。ほんの僅かな時間で、だ。風間流の技そのものは殆ど知らずも、受けた攻撃をそのまま相手に返すという合気の奥義ならば再現することも可能だろう。それが可能な者はアイシャとリィーナを除き、風間流でもごく僅かだ。

 

 それでもなお、アイシャの身に攻撃は届かなかった。

 理を学んだが故、その理を崩すように攻撃を放った。

 だがアイシャは王の更に上を歩んでいたのだ。

 

 どれほど技術を学ぼうとも。どれほど理合を学ぼうとも。どれほど理合を崩すように攻撃しようとも。アイシャはその一歩先を読んでいた。

 

 王がアイシャの理を崩す攻撃をしても、それを読んでいたアイシャは王の理を崩すように攻撃を捌く。それに王が対応しようとしても、それを更に読んでアイシャは一歩先んじる。

 

 どれだけ攻撃しようとも、どれだけ学習しようとも、打撃にてアイシャを打倒することは王をして叶わなかったのだ。

 ここに来て王は理解した。アイシャ以外の人間を殆ど知りはしない。だが、目の前の人間こそ人類最高の実力者なのだと確信したのだ。

 

 

 

 王がアイシャを認めているところで、アイシャはアイシャで王の成長速度に舌を巻いていた。

 

 ――あまりにも学習が早すぎる――

 

 アイシャと王が戦ってまだ数分程度しか経ってはいない。だというのに、王は既に合気の真髄に触れる領域にまで辿り着いていた。

 アイシャが、いや、リュウショウが数十年の年月を掛けて辿り着いた領域に、王は物の数分で到達してしまったのだ。

 

 絶望的な才能の差。圧倒的な学習速度。

 もしアイシャが王に指導したならば、1日足らずで風間流を学び、1週間足らずで合気の深奥にまで到達するやも知れなかった。

 

 今はまだアイシャが優っている。王が如何に学習しようとも、『読み』に関してアイシャを上回ることは出来ない。学習だけではない、圧倒的な経験こそが物を言うのが『読み』の深さなのだ。

 相手の意を読み動きを先読みすることに関してアイシャの上を行く者がいたとしたら、それはアイシャ以上の経験の持ち主くらいだろう。

 王がどれほど才に溢れていようとも、産まれて1日も経っていない身でそこまでの領域に立てるわけもなかった。

 

 アイシャの先読みは極限まで達した集中力のせいもあってか、既に未来予知に等しい領域にまで高まっていた。僅か数瞬先の未来だが、その数瞬という限られた時間の中ならば念能力に匹敵する精度を誇るだろう。

 

 だが、それも何時までも保ちはしない。

 当たり前の話である。念能力ならばまだしも、集中力と経験のみで成り立っている先読みを延々と続けられるわけがない。

 集中力が途切れ、先読みが遅れた瞬間。その瞬間こそアイシャの敗北の瞬間となるだろう。

 

 そしてそれがそう遠い未来ではないとアイシャは予測していた。

 これだけの圧力の中、圧倒的な攻撃を捌き返し続けているのだ。

 どれほど強靭な精神をしていようと消耗しないわけがない。

 

 王とて生物だ。どれほど頑強だろうと自身が放った力がその身に返ればダメージも負う。それでも未だ王は動きを鈍らすことなく攻撃し続けている。

 王が耐え切れなくなるまで攻撃を返し続ける気概はアイシャにあれど、それが出来るかどうかは話が別なのだ。

 

 冷静に戦況を把握し未来を見通しているアイシャにはこのままでは敗北することは目に見えていた。ここまで王の成長速度が早いとは思ってもいなかったのだ。

 王が相対した時のままならば、もしかしたらこのまま勝てていたかもしれない。

 だが一撃一撃ごとに成長する王を相手にして、アイシャの集中力は想像以上に削られてしまっていた。

 

 このままでは敗北必至。ならばどうする?

 決まっている。そうならないように勝負を仕掛けるしかない!

 

 アイシャはこれまで攻撃してきた王が自身から離れるように合気にて攻撃を返していた。それは次に攻撃するまでの時間を稼ぐという意味もあったが、実はもう2つだけ意味があった。

 

 1つは王に単調な流れを覚え込ませるためだ。

 何度も何度も、100を超える攻撃を同じように返し続けることで、王にその流れを覚え込ませたのだ。学習という行為は成長に繋がるが、時にそれは固定観念という弊害を生み出すこともある。

 こうすれば、こうなるはずだ。そう覚え込んだが故に、そうならなかった時に次の行動に僅かな間が出来てしまうのだ。

 それは王とて例外ではなかった。

 

 そしてもう1つは――

 

 

 

 王がアイシャに攻撃を仕掛ける。幾度返されようと、それで怯むような王ではない。

 確かに目の前の人間は驚嘆に値する存在だ。傲慢な王がそう認める程の実力者だ。

 だがそれでも勝つのは自身だと王は確信していた。

 

 どれほどこの敵が攻撃を返そうとも、それも何時までも保つわけがない。何時かは耐え切れずに攻撃を浴びることだろう。そうすれば、脆い人間などゴミクズのように壊れる定めだ。

 

 その時を楽しみにしながら王は嗤う。

 そしてアイシャの理合の流れを壊すように攻撃をして、またも返され――

 

 大地へと叩きつけられた。

 

 ――なっ!?――

 

 驚愕。それしか王には浮かばなかった。

 今まで通りならば、どれほど王がアイシャの理合を崩すように攻撃しようとも、その上を行かれて攻撃を返されていた。

 だがそれは自らを遠くへ弾き返すようにだ。このように大地に叩き付けることは開幕以外にはなかった。それは単純に攻撃されてから次の攻撃の間を開けるという意味があったためだろう。

 

 だが実はそれだけではないということを王は理解していた。

 理合を学習した今の王ならば理解出来る、それが最善の返し方であったからだと。

 一切の無駄を排し、攻撃を返す為に生まれる理合の流れ。その最善の中にあるのが互いの距離を開けるという行為に繋がるのだ。

 それをしなくてはアイシャは王の次なる攻撃を返し切れなくなってしまう。互いの距離が近すぎると、王の攻撃に対してアイシャが反応しきれなくなるのだ。それが王には理解出来ていた。だからこそ解せなかった。何故この期に及んで完全なる理合を切り捨ててしまったのかと。

 

 それが、その悩みが、王の隙を作ることとなった。これこそアイシャの狙い。王が理合を学習した故に、それを逆手に取ったのだ。

 

 王を大地に叩き付けたアイシャは動きを止めることなく流れるように行動する。

 王自身の攻撃力のせいもあって、王を叩き付けた大地は砕け衝撃波が余波となって大地の破片と共に襲ってくる。だがそんなものは今更意にも介さずにアイシャは王に詰め寄った。

 

 そして驚愕し僅かに硬直している王の頭部に掌底を叩き込み……オーラを流し込んだ。

 

 ――浸透掌!――

 

 浸透掌。頼りない攻撃力を補うためにリュウショウの時代に編み出した奥義。掌底によって振動を体内へと叩き込み、その振動にオーラを乗せて対象の体内を破壊するという荒業。心臓や脳に決まれば確実に対象を死に至らしめるという危険極まりない技だ。

 

 これを防ぐには体内オーラを操作し振動に乗せられたオーラを相殺しなければならない。初見ではまず不可能。それが出来るのは浸透掌を身に付けているアイシャとリィーナ、そしてアイシャのライバルであるネテロくらいのものか。

 つまり王にそれを防ぐことは不可能ということだ。

 

 不可能なはず……だった。

 

 

 

 最初に感じたのは違和感だった。

 決まれば一撃必殺のはずの浸透掌は確かに打ち込んだ。

 だがその一撃には何時もと違う違和感があった。

 

 これはかつて感じたことのある違和感だ。

 そう、あれは、ネテロに浸透掌を防がれた時と――

 

「ッ!!」

「遅いわ」

 

 脳を破壊されたはずの王がニタリと嗤い、倒れ伏したままその拳をその場から離れようとしたアイシャの腹部に叩き付けた。

 硬による防御と脱力による防御。2種の防御により咄嗟にダメージを最小限に抑えたアイシャだが、それでも肋骨が折れた音が辺りに響いた。

 

「ぐぅ!」

 

 アイシャはそのまま勢いのままに吹き飛ばされる。柔の防御である脱力法を使ったのだ、攻撃の威力に押され吹き飛ばされるのは当然だ。

 突き上げるように攻撃をされたため上空に浮かび上がるアイシャ。追撃されないようオーラの放出により飛翔しようとするが、王の様子を見てそれを取りやめる。

 

「ぬ……?」

 

 好機とばかりにアイシャに追撃しようとした王がたたらを踏んでいるのだ。

 それを見てアイシャは浸透掌が全くの効果を及ぼしてなかったわけではないと悟る。そう、王は脳に確かなダメージを負った為に脳震盪を起こしていたのだ。

 

 だがそれでも浸透掌を頭部に食らったにしてはダメージが少なすぎるだろう。

 何故、王は浸透掌を防ぐことが出来たのか? 体内オーラを操作した? いや、王とて初見の攻撃に合わせてそのようなことは出来ないだろう。

 ならば何故か?

 

 ……答えはあまりにも単純なものだった。

 王の体内オーラが強大すぎて、ただ在るだけのオーラでアイシャが振動に乗せたオーラの大半をかき消してしまったのだ。

 まさに理不尽。信じがたいほどの膨大なオーラ。産まれ持った才のみでアイシャの必殺の一撃を防いだのだ。

 

 だが流石に全てを防ぎ切ることは出来なかったようだ。それが先の脳震盪になるのだろう。不幸中の幸いと言っていいか、おかげでアイシャは王の追撃から逃れることが出来た。

 

「今、余に何をしたのかは知らんが……おぬしの反応からして余程自信のある技だったようだ……。くくく、残念だったな、余には通じぬわ」

「……」

 

 王が自らの体調を確認し、脳のダメージが早くも回復したのを確認して穴から上がってくる。

 アイシャも大地に降り立ち、王の動きを見ながらも内心でネテロに感謝していた。

 

 ――あの時の勝負がなければここで勝敗は決していたな――

 

 そう、ハンター試験の最中のネテロとの真剣勝負。

 あの時に浸透掌を防がれた経験があったからこそ、王に浸透掌が完全に決まっていなかったことに気付けたのだ。そうであるからこそ回避は出来ずとも咄嗟に防御することが出来たのだ。

 

「切り札を破った今、おぬしを殺すのはもはや時間の問題よ。だが、余とここまで戦えるおぬしをこの場で殺すのはちと惜しい」

 

 突如としてそのようなことを言い放つ王。

 今までは人間如きと侮り激昂し、殺意高らかに攻撃していたのだ。

 それが急に何の話だとアイシャは怪訝に思う。

 

「どうやらプフとユピーも殺られおったようだ。余達以外の存在など塵芥に過ぎぬと思っておったが、おぬしを含め多少の例外はおるようだな」

 

 アイシャも他の戦闘が既に終わっていることは感知していた。

 良く知る気配が今も離れた場所からここを見守っているのだ。

 全員無事に生き残ったことを心底嬉しく思うも、今はそれを隅に追いやり王に集中する。

 

「余の配下となれ」

「なに?」

 

 王の口から出たのはまさかと疑うような台詞だった。自分以外の存在の価値など毛ほども感じていない王からの言葉だ。到底信じられるわけがなかった。

 

「余は世界を支配する王として生まれた。1人でもそれは叶うが、より効率良く世界を支配する為には余の手足となって働く者が必要不可欠。護衛軍の2人はそれに見合う力を持っておったが、死んでしまえば何の役にも立たぬ。それに比べておぬしは別よ。人間でありながら余に抗える力を持つ者は稀であろう」

 

 王の為に戦った者に対しても、死んでしまえば役に立たぬと言い放つ傲慢。

 戦いの中で成長しようとも、戦いのみの成長故に王は暴君から脱することは叶わなかった。

 

「もう一度言う。余に仕えよ。さすれば世界を統一する余の隣に立つ権利を与えよう。おぬしにはその資格と力がある」

 

 そう言って王はアイシャに手を差し伸べる。

 王はアイシャに言った言葉がアイシャにとって最上の幸福になると信じて疑っていなかった。至上の存在たる自身と共に歩む資格と権利を与えられるのだ。それが歓びでなくて何だというのか。

 

 それをアイシャも理解した。

 王が嘘偽りない思いを述べていると。

 アイシャが王の手を取りその身を委ねることがアイシャにとっての最善の行動だと信じているのだと。

 

 確かにこの手を取ればこの場は確実に生き延びることが出来るだろう。

 頼み込めば恐らくゴン達の命も見逃してくれるだろう。全員が生き延びるという点では最も確率の高い手段が目の前にぶら下がっていた。

 

 だが、それでどうなる?

 生き延びた所でどうなると言うのだ?

 

 人間と敵対しキメラアントの王国を作る為に協力する?

 有り得ない未来だ。そんなことをしても多くの守りたい命が失われるだけだ。その中にはゴン達の命も入っているだろう。この場で見逃され生き延びたとしても、ゴン達ならば必ず王を止める為に動くだろう。

 

 この場だけ恭順する振りをして後の機会を待つ?

 これもない。次の機会などあるわけがないのだ。王は時間を与えれば与えるほどに成長していく。1年も過ぎれば誰であろうと、何人が集まろうと抗うことは不可能な存在へと進化するだろう。

 

 そして何よりもだ。どちらの方法もアイシャの矜恃に反していた。

 

「断る」

「……愚かな決断だぞ?」

「1つ教えておこう蟻の王よ」

「む?」

 

 言葉と共にアイシャは再び風間流の構えを取る。

 そして裂帛の気合を込めて言い放った。

 

「勝ってからほざけ」

 

 そう。勝負は終わってはいないのだ。

 傷つこうともアイシャは健在。未だ闘志は萎えておらず、勝負を捨てるつもりは微塵もなかった。だというのに勝ったつもりで物事を進めて会話する王はアイシャにとっては滑稽でしかない。

 

 武人が劣勢に追いやられたからといって勝負を捨てるわけがない。

 それがアイシャと王の最大の違いだ。王は生まれながらにして王。故に武人という存在を理解出来なかったのだ。

 

「ふ、ふははははははははははははは!! ならば……そうさせてもらおう!!」

 

 そこから先は言葉は不要だった。

 

 王は今までと変わらずに攻撃を繰り返す。

 アイシャはそれを返し続ける。

 

 戦闘当初の焼きまわしの如くに繰り返される攻防。

 だが、そこには目には見えぬ程の小さな変化が存在していた。

 そしてそれは……激しい攻防を繰り広げている2人にとっては果てしなく大きな変化であった。

 

 幾度となく攻撃を返されながら王は確信する。

 

 幾度となく攻撃を返しながらアイシャは確信する。

 

 ――僅かにズレがある!――

 

 それは本当に極僅かなズレだ。

 合気の理を目に見える形に出来たとして、それでも顕微鏡で確認しなければ気付かないような小さな歪み。

 完璧な理合をその手にしていたアイシャの合気に、ほんの僅かな誤差が生じていたのだ。

 

 それはアイシャが負ってしまったダメージが原因となっていた。

 肋骨が多少折れた程度ではアイシャの戦闘力に大した影響はないだろう。

 だが、今のアイシャは極限の集中力を持って完全なる合気を用いてようやく王の攻撃を返しているのだ。

 そこまでしてようやく王の域に届いていた。ならばその完全なる合気が崩れてしまえば? 当然そのような半端な合気で王の攻撃を捌き切れるわけもないだろう。

 

 今はまだいい。誤差と言っても本当に極僅か、0,01%にも満たない誤差だ。だが、一度出来てしまった誤差は修正することは出来なかった。

 並の敵ならば話は別だが、王を相手にこの崩れた流れを修正する余裕など有りはしなかったのだ。

 

 一撃一撃を返す度に誤差は徐々に徐々に広がっていく。

 0,01%から0,02%へ。0,02%から0,03%へ。0,03%から0,04%へ。1%にすら満たぬその誤差は、徐々に、だが確実に広がっていった。

 

 そしてそれは……アイシャの死へのカウントダウンに等しかった。

 

 王はアイシャに及ばずとも合気の真髄に触れている。

 ならばここに来て攻撃の選択を間違えるようなことはなかった。1手1手を隙なく、アイシャに取って最も返し辛い攻撃を繰り出す。そうすることでアイシャに流れを修正する暇を欠片たりとも与えなかった。

 

 もしこの戦闘を盤上で、例えば将棋で表したらこう言われるだろう。詰将棋と。

 そして盤上で戦っているのは並の打ち手ではなくどちらも超一流の打ち手だ。既に互いに終局までの流れを読み切っており、その読みは互いに完全に一致していた。

 

 ――あと10手で――

 

 ――余の勝利だ――

 ――私の敗北か――

 

 もはやここに至って読みを外すようなことは互いにない。

 

 現状出来うる最適な動きを取り続けねばアイシャは王の攻撃に対応出来ない。

 だがその最適な動きは1手ごとに最適から遠ざかっているのだ。

 

 もはやアイシャに敗北を覆す1手など打てはしない。そう王は確信している。

 先の浸透掌を放つ隙を作った時とは既に前提が違っているのだ。

 最善の合気を取らなかった瞬間に……王の一撃はアイシャの肉体を抉るだろう。

 アイシャもそれを理解しているからこそ、死へと繋がる攻防を続ける他なかった。

 

 ――あと9手――

 

 一撃ごとにアイシャの動きが精彩を欠いていく。

 

 ――あと8手――

 

 それでもなお攻撃に合わせて返せるアイシャを王は心底評価する。

 

 ――あと7手――

 

 だが、だからと言って攻撃に手心を加えるような真似など王はしない。

 

 ――あと6手――

 

 何故なら、一度差し伸べた手をアイシャは払い除けたのだから。

 

 ――あと5手――

 

 ならばもはや慈悲はない。

 

 ――あと4手――

 

 そして。

 

 ――あと3手――

 

 王の拳が。

 

 ――あと2手――

 

 アイシャの体に。

 

 ――あと1手――

 

 ……突き刺さった。

 

 

 

 

 

 鮮血が、舞った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十二話

 ――何故だ?――

 ――何故外した?――

 ――何故動きが逸れた?――

 ――何故――

 

 王は困惑していた。

 完全に読み切っていたはずだった。

 互いに最高の1手を打っているからこそ、そこに余分な動きなどあるわけがない。

 だから描いていた未来は必ず訪れるはずだった。

 最後の1手で、王の拳はアイシャの心臓を貫いているはずだったのだ。

 

 だが実際にはそうはならなかった。

 王の拳はアイシャに届けど、その拳は心臓ではなく右脇腹に突き刺さるだけに留まっていた。

 

 何故心臓を外したのか?

 何故攻撃が逸れたのか?

 何故…………王の腕はあらぬ方向に曲がっているのか?

 

 完璧な理に触れた王だからこそ、この結果が理解出来なかった。

 何者かが介入したのか? そう思うもすぐに王はその考えを排除する。

 余人が介入出来るような領域ではなかったのだ。そのような次元とは隔絶した次元の攻防なのだ。

 

 ならばこの結果を作り上げたのはただ1人。そう、王と相対しているアイシャ以外には有り得なかった。

 

 アイシャと王の予見した終局は寸分違わず同じであった。

 それはアイシャの心臓を王が貫くという結果に収まっていた。

 だがそうはならなかった。それは何故か? アイシャは何をしたというのか?

 

 アイシャと王の攻防は理合を突き詰めた為に過程が決まりきっていた。決まった過程から外れた動きをすれば、そうした方が劣勢に陥るという完璧な攻防だ。

 ならばそれをひっくり返すにはどうすればいいか?

 

 理合の動きではもはや対抗すること叶わぬなら、それ以外の力で対抗する他ないだろう。

 そう、念能力である。

 

 両者ともここまで念能力の真骨頂とも言える発を使用していなかった。

 それもそのはず。アイシャは単純に発を使用しておらず、王は戦闘用の発を身に付けてはいなかった。

 王は産まれながらにして、食べた相手のオーラを吸収するという特質系にして規格外の念能力を持っていたが、この時点ではあまり意味のない能力と言えよう。

 

 だからだろう。両者の戦いは発という念能力の真髄を抜いた、不確定要素のない個と個の極限の戦いとなっていたのだ。

 だからこそ。王はアイシャの発に動きを乱された。

 

 幾つもの念能力を開発してきたアイシャの、唯一攻撃に転じることが出来る念能力。そう、【天使のヴェール】である。

 

 【天使のヴェール】はアイシャのオーラを何者であろうとも知覚出来ないように隠蔽する特質系能力だ。肉体から離れたオーラ、つまりは放出したオーラには効果を及ぼさないが、逆に言えば肉体と繋げてさえいればどんなオーラだろうと知覚は不可能。

 見ることも感じることも出来ないオーラ。それは変化系の能力と最高に相性のいい発であった。

 

 アイシャは最後の1手を放ってくる王を前に、【天使のヴェール】を発動していたのだ。そしてオーラを変化させ、そのオーラを用いて迫り来る王の攻撃を……僅かに逸した。

 アイシャは合気を極めている存在だ。そのアイシャにとって変化させたオーラを以て合気を仕掛けることなど造作もない。

 だが相手はキメラアント最強の存在だ。変化系を不得意な系統とするアイシャでは完全なる合気を仕掛けるなど不可能だった。

 

 それでも。それでも動きを僅かにずらすくらいならば可能であった。

 王にも知覚出来ないオーラの動きだ。如何に王とて意識の外からの攻撃には対処すること叶わず、最後の1手の流れは狂う結果となった。

 これが盤上の勝負ならば、アイシャのしたことは相手の駒の配置を置き換えるという反則行為に等しいだろう。

 だがこれは盤上の勝負ではないのだ。互いの持つ全てを懸けた命懸けの勝負。ならば全ての手札を用いて戦うことは何ら恥じ入るものではなかった。

 

 だが、僅かにずらした程度では心臓を逃れることは出来たものの完全に避けきることは出来なかった。

 しかし、ずらせると分かっていたならば当たる箇所も予測出来る。予測出来たならば命中する右脇腹にオーラを集中することでダメージを軽減することも出来るわけだ。

 もっとも、軽減して腹部を突き破るのだからたまったものではないが。

 

 この極限の土壇場まで【天使のヴェール】を温存していたのもアイシャの策だ。

 もしここまでの戦闘中に【天使のヴェール】を使用していれば、一時の有利は作り出せていただろう。

 だがこの王ならば、例えオーラを知覚出来なかったとしても有ると分かっていれば相応の対応をしてきただろう。

 そう、この場面でも、動揺することなく続け様に追撃を放っていたはずだろう。

 

 だが今の王にとって【天使のヴェール】は初見の能力。

 故に困惑した。何故動きが逸れたのか、と。

 完全に読み切っていたからこそ、最後の1手だったからこそ、勝利を確信していたからこそ、その困惑はより強いものになっていた。

 

 だからこそ。王はアイシャの次の1手に対応出来なかった。

 

 王は右腕から鋭い痛みが発せられていることに気付いた。

 動揺したままにふと視線を右にやると、そこには肘関節が捻じ曲がっている己が右腕があった。

 

 ――おお、余の、腕が――

 

 完全なる存在として産まれた自身の、完全なる肉体が損なわれていた。

 初めて味わう種の痛み、自身の肉体が大きく損傷するという有り得ない現象。

 その2つを同時に味わい、動揺が怒りに変わる。その怒りをアイシャに叩き付けようとして――

 

 それよりなお早く、アイシャは更なる1手を先んじていた。

 

 アイシャと王は共に終局までを見通して読み切っていた。

 だが、王はそれで満足し、アイシャはその終局の更に先を読もうとした。

 それがこの差に繋がった。終わりの更に先を読んでいたアイシャは間断なく流れるように動き、そうでなかった王は1手1手で遅れを取ってしまったのだ。

 

 王がその怒りをアイシャにぶつけるよりも早く、アイシャの両手が王の頭部を挟み込んでいた。そこから放たれたのは、既に破られたはずのアイシャ必殺の奥義、浸透掌だった。

 左右の掌底からほぼ同時に放たれた浸透掌。掌底と共に流し込まれたオーラはその大半が王の膨大な体内オーラで相殺された。

 

 だが、先に防がれた浸透掌を見ても理解出来るように、王とて脳内のオーラを完全に相殺することは出来てはいなかったのだ。

 そしてこの浸透掌も同様だ。両手から発せられたオーラはその大半をかき消されるが、僅かに残ったオーラが、互いのオーラを増幅しあった。

 

 そして、王の脳内に確かな傷跡を残すことに成功した。

 

「ぬぐっ!?」

 

 王は苦悶の表情を浮かべる。またも初めて味わう痛みだ。それだけではない、目や鼻、耳と言った顔の孔から血も吹き出していた。

 だが、もはや初めて味わう痛みという経験は初ではない。王はその身を苛む目眩や吐き気を無視し、無事な左腕をアイシャに叩き付ける。

 

 それをアイシャは右腕を犠牲にすることで防いだ。

 王の叩き付けるような一撃に、自らの右腕を叩き付ける。

 もちろんだが、攻撃力では圧倒的に王が上だ。例え既に万全の状態でなかろうとそれはひっくり返りはしなかった。

 だが、やはり万全の状態でなかったというのも大きい要因となったのだろう。

 アイシャの右腕はひしゃげ、骨は砕け散った。だが、確かに王の一撃を防ぎきっていたのだ。

 

 そしてアイシャは更なる1手を放つ。

 

 残る左腕で王の後頭部を掴み、王を逃がさぬようにする。

 そしてそのまま王の顔と自身の顔を一気に近付けた。

 それにより未だ腹部に突き刺さる王の右腕が更に深く食い込むが、アイシャはそれを意に介さず、そして王の拳がアイシャの内臓を傷付けることもなかった。

 

 王の拳がアイシャの腹部を貫くよりも早く、アイシャはオーラを操作して内臓の位置をずらしていたのだ。

 こうなると分かっていたからこその防御法だ。流石のアイシャも内臓を大きく損傷しては無事ではいられないのだから。

 

 そして、既に互いに抱き合える距離まで接近していたアイシャと王の距離が更になくなり…………互いの唇と唇が触れ合った。

 

「っ!?」

 

 戦闘中に口づけという不可解な行動を取るアイシャ。

 産まれて間もない王もこの行為が何を意味するか理解している。基本的な知識の殆どは産まれる前に修めているのもキメラアントの特徴なのだ。

 故にこれが戦闘に関係ない行為だと理解している。だが、その疑問はすぐに解けることになった。

 

「――ッッ!?」

 

 まるで体内で爆弾が爆発したかのような錯覚が王を襲う。

 今までの比ではない激痛が駆け巡り、呼吸すらおぼつかない。

 何をされたのか理解した時、王はアイシャをその尻尾で吹き飛ばした。

 

「ぐぅっ!!」

 

 アイシャもこの一撃は左腕を捨てて防御することが限界で、その場に留まることは出来なかった。

 王を倒す為に意識の全てを攻撃に傾けていたためだ。反撃も織り込み済みの、決死の一撃だったのだ。

 左腕は王の尾の一撃にてへし折れてしまった。突き刺さっていた王の右腕が無理矢理外れた為に傷口も大きく広がることになる。大きく開いた穴からは血が止め処なく溢れていた。

 だが、その程度で済むなら御の字だ。何故なら、それ以上のダメージをアイシャは王の体に刻み込んだのだから。

 

 そう、アイシャは王に最大の攻撃を叩き込んだのだ。

 先の口づけは決して接吻などという生易しいものではない。

 アイシャは王と口づけをした瞬間に、一気に大量の息を吹き込んだのだ。

 

 アイシャの肺活量で吹き込まれた息は大量の空気となって勢い良く王の気道に入り込んでいった。そして王の両肺は大きく膨れ上がることになる。だが、それだけでは王にダメージを与えることは出来なかっただろう。

 如何に内臓と言えど、最高の肉体を持って産まれた王だとその強度も人並み外れていた。確かに内臓故に柔らかいのだが、その柔軟性や強靭性は人間は愚か、既存の生物を見ても比較出来ないほどに頑強であったのだ。並の人間ならアイシャの吹き込んだ息で肺が破裂していただろうが、王の肺はその程度ではびくともしなかったのだ。

 

 だが、息と共にオーラを吹き込まれては話は別だ。

 オーラを放出する時に一般的に用いられるのは手だ。それは手がオーラを放出するのに最も適しているからだ。

 だが念能力者が全身から吹き出るオーラを纏っているように、オーラは手以外の箇所でも放出することは可能なのだ。

 これまでにもアイシャは体の各所から放出したオーラの勢いを利用して空中を移動している。つまり、口からオーラを放出することも熟練した念能力者ならば不可能ではなかった。

 

 肺は送り込まれた大量の空気によって大きく限界まで膨らみ、そしてそれは同時に放たれていたオーラによってまるで膨らんだ風船に針を刺したかのように……破裂した。

 

 そして、王のダメージはそれだけではすまなかった。

 肺を突き破ったオーラはそのまま王の体内で暴れ狂うように吹き荒れた。

 前述したように、王の内臓は頑強だ。だが、アイシャのオーラによる攻撃を防げる程に頑強なはずもなかった。

 

 王は殆どの……心臓という最重要器官を含む殆どの内臓を破壊されたのだ。

 その痛みたるや想像を絶するだろう。いや、痛みなどもはや関係ないだろう。

 何故なら、もはや死は免れぬ程の重傷を負ったのだから。

 

 だが、それでも王は立っていた。

 

 右腕が捻じ曲がり、脳を損傷し、内臓の大半を失った。心臓は当然止まっており、肺もないため呼吸も出来ない。

 それでも王は未だ立ち闘志衰えぬ瞳でアイシャを睨みつけていた。

 

 アイシャもそれに応じて王の眼前まで戻ってきた。

 アイシャも王に劣るものの、普通なら死んでもおかしくない程の重傷を負っていた。

 両腕は王の攻撃を受けて骨が砕け肉が裂けており、貫かれた腹部には拳大の穴が空いているのだ。

 このまま治療をせずにいれば死に至るのも時間の問題だろう。

 

 既に瀕死に陥った2人。

 だが、互いに退くという選択肢はなかった。

 

 先に動いたのは王だった。

 今の体のどこにそのような力が残っているのかと疑いたくなるほどの速度でアイシャを殴りつける。

 それをアイシャは避けることなくその身に受けた。

 

 もちろんただ受ける訳が無い。オーラを回転させ、攻撃を出来るだけ受け流し、自らも王の威力に負けないように回転する。

 そしてその回転を力に変え、王の体を蹴りつけた。

 

 軸となる足の足首、膝、腰を経て力を伝導し、蹴り足へと繋げる。

 王の力を利用して放たれる合気の打撃は、弱った王には十分すぎる一撃だった。

 

「――ッ!」

 

 アイシャの蹴りは王の胴体に命中した。見た目には傷のないその胴体の中身は既にぐしゃぐしゃだ。その威力に王の内部は更にミックスされ、大量の血を吹き出すこととなる。

 

 攻撃を返したアイシャも無傷では済まなかった。

 今のような返し方ではどれほど完璧に返したところで王の威力を完全に受け流しきることは出来ないのだ。

 受け流した箇所の肉は裂け血は吹き出る。骨も見えるのではないかという傷だ。

 それでも、王に最大の攻撃を加える為にアイシャは肉を削る戦法を取ったのだ。

 

 互いに攻撃する度に互いの肉体が傷ついていく。

 だが、それでも2人は止まることはなかった。

 

 武人の矜持が、王の矜持が、敗北を拒み勝利を掴む為にその肉体を動かし続けているのだ。

 

 

 

 

 

 

 ゴン達はアイシャと王の攻防を固唾を飲んで見守っていた。

 誰もが叫び、誰もが飛び出したい気持ちでいっぱいだった。

 今駆けつければアイシャを助けられるかもしれない。王は見ての通り弱っている。今なら、全員で掛かれば倒せるかもしれない。

 

 それでも体は動いてくれなかった。

 この、意地と意地の張り合いのような殴り合いを邪魔することがどうしても出来なかったのだ。

 

「……なんで」

 

 なんで体が動かないんだ。

 その答えは、何時の間にかゴンの隣に立っていた男が答えた。

 

「そりゃあお主達がアイシャのことを良くわかってるからよ」

『ネテロ(会長)!!?』

 

 そこにいたのはハンター協会会長にして、アイシャ最大の好敵手、アイザック=ネテロであった。

 何故彼がこの場にいるのか? それは当然キメラアント討伐を目的としてここまで来たからであった。

 

 アイシャから急な連絡を受けたネテロは急遽としてキメラアント討伐隊を結成してNGLへと来訪した。これはハンター協会会長としては異例の事態である。会長直々に討伐隊を結成するともなれば、相応の時間というものが必要になる。それを半ば強権を発動してまで異例の速度で結成し、こうして駆けつけてきたのである。

 

 一ハンターの言葉だけで容易に動くことなど出来る立場ではない。

 しかもアイシャの言葉では未だ起こっていない出来事の話なのだ。いや、実際には起こっているのかもしれないが、報告してきたアイシャがキメラアントを未確認なのでは同じことだ。

 例え将来どれほどの未曾有の事件になろうとも、何も起こっていない状況で動ける程ハンター協会会長の座は安くはない。

 

 それでもネテロは迅速に行動した。

 本来なら有り得ない程に、ネテロにちょっかいを掛けることに愉しみを覚えている副会長すら手を出す暇もない程に迅速にだ。

 全ては好敵手の言葉を信じていたから。下らない虚言を吐くような奴ではないと信じていたからだ。

 これで空振りに終わり現状の立場を失ったとしても、ネテロは何ら悔いることはなかっただろうと自信を持って言えた。

 

 そしてNGLに到着して進む内に強大なオーラのぶつかり合いを感じ取り、こうして他の討伐隊のメンバーを置いて1人駆けつけて来たのである。

 今頃は残りの2人の討伐隊もあれこれとネテロに文句を言いつつもこの場を目指しているだろう。

 

「アイシャは武人だ。誰よりも何よりもそういう生き方をしてきた。そんなアイシャの決闘を邪魔してみろ。例えそれで生き延びても後でアイシャに怒鳴られるだけだぜ」

 

 ネテロの言葉に誰も何も言えなかった。

 言われずとも分かっていたことだ。アイシャは真剣勝負にて1対多はすれど、多対1をしたことは一度もないのだから。

 ここでアイシャの手助けをして、それでアイシャの命が助かったとしても、それはアイシャの誇りを汚すことに繋がるのだ。

 それでも生きていてほしいと願う者もいる。だが、そう思っても、この戦いに手を出すことは出来なかった。

 

 だから、手を出すことが出来ないのであれば……せめて口に出してアイシャを助けるしかなかった。

 

「がんばれ……!」

「いけ、アイシャ」

「負けるな! 絶対勝って帰って来い!」

「そんな奴とっととぶっ倒しちまえ!」

「アイシャなら絶対勝てる!」

「アイシャさん!」

「あんたを倒せんのは1人だけなんだからね! だから!」

「勝ってくれ!」

 

 ゴン達に出来ることはアイシャに声援を送ることだけだった。

 それ以上の手助けは武人の矜恃を汚すだけ。だが、その小さな手助けをゴン達は全力で行った。

 

 ネテロはそんなゴン達を見て、そして王と死闘を繰り広げるアイシャを見てふと呟いた。

 

「ちっ、自分だけいい戦いしやがって。……羨ましいじゃねーか」

 

 そうしてネテロもアイシャに向かって言い放つ。

 

「負けんなよ。お前を倒すのはオレだけだぜ」

 

 

 

 

 

 

 ――ああ、分かってるさ――

 

 ネテロが呟いた言葉は風に乗って流れて消えていった。

 だが、確かにそれはアイシャへと届いていた。

 そして、ゴン達の声援も、だ。

 

 仲間の、友の言葉はアイシャの肉体に確かな力を与えた。

 もはや血に濡れてない箇所を探す方が困難な程に朱に染まった体を、意志の力を以てして無理矢理に動かす。

 

 王が、その体でどうやって繰り出しているのかという程の攻撃を放つ。

 それをアイシャはオーラを放出して無理矢理体を逸らすことで避けた。

 そうしてその勢いで倒れこむ体を利用して足を用いて王を柔にて大地に投げつける。

 

「――ッ!?」

「あ、ああぁっ!」

 

 倒れそうになる体をオーラの放出にてどうにか立て直し、大地に倒れ伏す王に追撃を入れる。

 起き上がろうとする王に跨り、オーラを上空へ放出することで逃さないように押さえつける。

 そして頭を思い切り振りかぶり……全力で王の頭部に叩き付けた。

 

「……っ」

「ぐぅっ……!」

 

 アイシャの額から鮮血が飛び散る。

 そして王の額は無傷だ。だが、額の内側、王の脳はそうではなかった。

 アイシャは頭突きをしたと同時に、その一撃で放たれた衝撃に合わせてオーラを放ったのだ。

 

 これは浸透掌の応用技である。本来掌底と共に放つのが浸透掌だが、それは掌底が衝撃を浸透させるのに最も適しているからだ。その気になれば掌底以外の攻撃でも浸透掌を放つことは可能だった。

 もちろんその威力は掌底と比べると落ちてしまう。だが、傷つき弱った王の脳をさらに破壊するには十分だったようだ。

 

 捻じ曲がっていた右腕は既にちぎれていた。内臓は度重なる攻撃で見る影もない。脳は半壊してると言ってもいいだろう。

 それでも王は生きていた。生きて、反撃の一撃を放とうとしていた。

 アイシャももう限界だ。いや、そんなものはとうに過ぎているのだ。あとほんのひと押しすれば崩れ落ちるだろう。

 

 だが……そのひと押しが出来なかった。

 

 ――もはや余の意思にも反するか――

 

 王がどれほど肉体を動かそうとしても、王の肉体はその意思を無視した。

 既に意思でどうにかなるダメージではないのだ。王がどれほど意思を振り絞ろうと、運動を司る小脳が破壊されてはどうしようもなかった。

 

 ――余が、負けるのか――

 

 もはや肉体は指1つたりとて動かすことは出来ない。

 心臓は鼓動を止めており、脳も破壊された。

 逆転の目はないと傲慢な王をして自覚せざるを得なかった。

 

 朧げな視界に映るアイシャをどうにかして見やる王。

 その瞳には既に狂気も怒りもなく、何処か澄んだ瞳でアイシャを見つめていた。

 

 ――力で敗れた――

 

 単純な力なら王が上だ。身体能力ではアイシャが逆立ちしても敵わないだろう。

 だがそうではない。身体能力も念能力も技術も戦術も、全てをひっくるめて力なのだ。

 

 産まれて間もないというのに、この世の誰にも負けないという自負があった。それは子どもの傲慢ではなく、キメラアント全ての集大成として産まれたからこその事実だった。

 だが負けた。油断もあっただろう、慢心もしただろう。だが最後には全てを懸けて戦い、その上で負けた。

 

 もはや己に残された時間は少ないだろう。だというのに、王はどこか清々しい思いだった。

 

 ――王として全力で戦い、そして負けた。ならばこれが天命ということよ。悔いは――

 

 悔いはない。いや、あった。

 このまま死しては大きな後悔を残してしまうだろう。

 己を打倒したこの者。そう、〈この者〉なのだ。

 王である自身を倒した勇者の名を知らぬのだ。

 

 ――貴様、名は何と申す――

 

「……ッ」

 

 想いは、言葉にはならなかった。

 既に王は言葉を話す能力すら失っていたのだ。

 肺もなく、脳も損傷している状態で言葉など出はしないだろう。

 

 ――口惜しいな――

 

 己の不甲斐なさに情けなくなる。

 だが、もし会話する力があるならその力を戦闘に使用していただろうと思うと我がことながら若干可笑しくもあったが。

 

 そうして王が内心で自らを嘲笑している中、アイシャはフラフラと立ち上がり王を見下ろしていた。

 勝者が敗者を見下ろす。正しく戦闘の習わしだ。

 それを見て王はより強く自身の敗北を実感し、より強くこの者の名を知らずに死すことを残念に思った。

 

「アイシャ」

 

 王は自らの耳を疑った。既に壊れかけの身だ。果たして今聞こえた言葉が幻聴でないとどうして言えよう。

 

「私の、名は、アイシャ……だ」

 

 だが、それは空耳でも幻聴でもなかった。途切れ途切れだがはっきりとしたその言葉は王に幻聴ではないことを確信させた。

 王の想いは言葉にはならなかった。だが、確かに届いていたのだ。

 アイシャが相手の意思を読むことに長けていたなどは関係ない。

 そんな物を超越して、王の想いはアイシャに届いたのだ。

 

 ――アイシャか。良き名だ。余は――

 

 想い伝わり、好敵手の名を知ることができ心残りもなくなったはずの王。

 だが、名乗られたからには名乗り返すのが礼儀というものだ。

 王が下々の者に礼を取る必要などないが、相手は王を打倒した者故に話は別だ。

 

 しかし王はアイシャに名乗る名など持ってはいなかった。

 母の命を糧に産まれ、その後にすぐに巣を離れたのだ。

 王を名付ける者などいるはずもなく、王もそのようなことを気にすることもなかった。

 

 名乗り返す名がない。

 それを恥じ入るも、致し方なしと諦める王。

 だが、そんな王はまたしても耳を疑うような言葉を聞いた。

 

「メルエム。……王よ、お前の……名だ」

 

 ――何故、其方がそれを――

 

 誰にも名付けられなかった名無しの王。

 だというのに何故アイシャはそれを知っているのか?

 アイシャの口から出た名が嘘やその場で思いついた適当な言葉ではないと王は確信していた。そのような下らないことをする輩ではないと、この死闘を通じて骨身に染みるほど理解していたのだ。

 つまりこの名は正真正銘王の――

 

「メルエム。〈全てを照らす光〉……という、意味と、願いが、込められた……名だ」

 

 アイシャ自身、王の名を覚えていたわけではない。遥か過去の書物でしか知らなかった知識だ。100年を超える時が名前という細かな記憶など風化させていた。

 だが、何故かこの場で王の名が頭に浮かんだのだ。何故かは分からない。記憶が刺激された為かもしれない。

 しかし理由などアイシャにはどうでも良かった。王の名前を思い出せた。それだけで満足だったのだ。この場で王の名を思い出さなくてはならないと思ったのだから。

 

 ――そう、か。感謝するアイシャよ。余は……名無しの王では、なか……った――

 

 王は、その半日に満たぬ生涯を全力で駆け抜け、そして命を失い名を得て……散っていった。

 

「さらば、だ……メル、エム。……う、生まれ変わることが、あれば、その名に相応しく、あってほしいと……私も願おう」

 

 果たして、その言葉は王に届いたのかはアイシャにも分からない。

 だが、死して倒れる王のその顔は、どこか満足そうに笑っていた。それでアイシャには十分だった。

 

 そしてアイシャは、その意識を手放し、大地へと倒れ込んだ。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

最終話

 ……………………………………………………。

 ……………………私は…………いったい…………。

 …………寝ているのか? ……身体が、重い。……寝る前、私は何をしていた?

 意識がハッキリとしない……。私は何をしていた? 眠りにつく前は、何を?

 

 …………そうだ。私は戦っていたはず。戦い……誰と? 強かった。とても強い何かと……。

 強い……キメラアント……王……メルエム……!

 

 そうだ! 私はキメラアントの王と、メルエムと死闘を繰り広げて……!

 倒した? そう、倒した……はずだ。……駄目だ。記憶が朧げだ。

 ここは何処だ!? 私は……生きているのか? ゴン達は? リィーナやビスケ、カストロさんは?  ネテロは?

 

 ぐ、瞼が重たい……。目を開くんだ。ここは一体どこなんだ……?

 

 ゆっくりと目が開いていく。そしてうっすらとした光が私の目に注がれて……。

 

「ここ、は……」

 

 目に映ったのは知らない天井だ。だがこの雰囲気は何処か覚えがある。

 そう、これは病院の――

 

「うう……」

 

 もしやと思って自分の周囲を見渡す。

 まともに首を動かすのも億劫だ。鈍い痛みが全身を走っている。

 痛みか……痛いということは生きているという証だ。どうやら私は生きているようだな。

 

 それに……やはりここは病院の一室か。

 私の周囲には夥しい数の医療器具が揃っていた。

 私に繋がっている点滴や脳波を調べるだろう機器。他にも私の知らない幾つもの機器がずらりと私に繋がっている。まるで重体患者のようだ。

 

 …………まるでじゃないな。重体患者そのものか。軽く全身を確認してみたけど……こりゃあかん。自分でも把握しきれない程の怪我を負っているな。

 両腕は動きそうにないな。指先の感覚はあるから使い物にならなくなったわけじゃなさそうだ。でもしばらくはまともに動かせないな。骨が剥き出しになって肉を突き破っていたからなぁ。

 

 腹部は鈍痛が走っている。身じろぎしたらより強い痛みが走りそうだ。手術をしたのだろう。引きつったような感覚はあるが、既に穴は閉じているようだ。……ま、空きっぱなしだったら出血多量で死んでるしな。

 

 あとは全身至るところに縫合しただろう傷があるかな?

 見えないから分からないけど、最後の方はメルエムの攻撃を受けながら攻撃を返していたからな。肉が裂け、中には骨が見えていた場所もあったはず。

 

 内臓も幾つか確実にやられてるなこれは。

 良く生きてたものだ。……いや、本当に良く生きてるな。我が事ながら大した生命力だ。治療がなければ確実に死んでたろうけどね。

 

 しかし……それでも生きている、か。

 ………………勝った、のか。

 私は、キメラアントに、王に、あのメルエムに……勝ったのか。

 

 そうだ。確かに勝った。今、ふつふつと実感が沸いてきた。

 私はあの最強の王に勝ったんだ。

 

 ……全身を痛みではなく充足感が襲ってくる。

 強大な難敵を相手に勝利を得た。武人として最大の幸福だ。

 あのひと時は……本当に充実したひと時だった。

 王が怖かった。負けるのが怖かった。そしてそれ以上に興奮し、楽しかった。

 

 あれほどの強者と戦える機会など生涯にどれほどあるか。

 別に戦いを好む性格じゃないと思っていたけど、ああも血が滾るとはね。

 メルエム、感謝するよ。お前と戦えたことを……。

 

 ……メルエム、か。

 ずっと忘れていた名前だった。キメラアントの王の名前なんか記憶の彼方に消えていたはずだった。けど、あの時。メルエムの最期の瞬間に、何故か唐突に思い出した。その名も、名の由来も。何故かは分からないけど、思い出せて良かったと思う。

 

 しかし……持てる手を全て切っての辛勝だったな。ああまでしないと一分の勝率もなかったんだ。本当に強かった……。もしメルエムと戦うのがあとひと月も遅かったら……。確実に負けてたな。そう思うとホッとするような、どこか勿体ないような、よく分からない感情が私を襲った。

 

 ふぅ…………。

 って! いかんいかん! 感慨に耽ってる場合じゃないよ!

 あれからどうなった!? ゴン達は無事なのか!? 巣にはまだ大量のキメラアントがいたはず! あれらはどうなった!?

 

「だ、誰か……いませんか?」

 

 く、大きな声はまだ出せないか。口を開くだけで痛みが走るとは。

 ナースコールはあるけど押すことも出来ない。誰か気付いてくれ。

 

「誰か……」

 

 む。……こちらに向かってくる誰かの気配。それも複数だな。

 ゴン達……じゃないな。知ってる人じゃない。それに武の経験のない人だな、そういう歩き方だ。

 

「失礼します!」

 

 入ってきたのは白衣の女性とそれに追従するナースか。どうやらこの病院関係者のようだ。タイミングといい、慌てようといい、モニターか何かで私の様子を窺っていたのか?

 

「意識が戻ったようですね?」

「ええ……」

「良かった。あ、失礼しました。私は貴方の担当医のケイトと申します」

 

 心底ホッとした様子を見せるケイトさん。

 ……これは誰かに何か言われたな? 恐らくリィーナあたりに私が無事で済まなかったらタダじゃおかない的な何かを。

 

「り、リィーナに」

「はい! 検査後直ちにロックベルト会長に連絡いたします!」

 

 こりゃあかん。絶対言われてるわ。めっちゃ脅されてるわきっと。

 あとでこっぴどく叱っておくから勘弁してねケイトさん。

 ……いや、リィーナも私を心配してのことだし、私の為に死地に飛び込んでくれたんだ。ちょっとだけにしよう。

 

 

 

 しばらく検査してから病室を移動した。

 集中治療室にいる必要はもうないようだ。本当だろうか? あれだけの重体なのに、そんなに簡単に出られるものなのか?

 

 まあいい。もう少ししたらリィーナが来るだろう。そしたら色々と確認をしよう。

 リィーナがいるということはきっと他のメンバーも無事なはずだ。そう思うと安心してきたな。

 

 あ……この気配は。

 

「邪魔するぞい」

「ネテロか……」

 

 やっぱりネテロか。この距離まで気付かないなんて流石だな。

 リィーナよりも早くに来るなんてすごいな。リィーナなら飛んできそうなものなのに。まあそんなことはいいや。重要なのは私が気絶してから何があったかだ。

 

「無事で何よりじゃの。医者は最悪を覚悟してくださいとか言っておったぞ? めっちゃ青い顔でな。リィーナに何としても助けなさいと脅されておったしのー」

「やっぱりか。あとで、少し叱るとするよ……。それよりネテロ……」

「分かっとる。お主が倒れてから何があったか、じゃな?」

 

 流石はネテロだ。言わずとも分かってくれるか。

 喋るのも億劫だからしばらく聞きに徹していよう。

 

「まずは一番気になっとるじゃろうゴン達じゃが。安心せい。全員無事じゃ。何名か重傷を負っておったが、レオリオのオーラが回復したらすぐに治療されたわ。今では全員ピンピンしとるぞ」

 

 それは何よりだ。レオリオさんの能力は本当にいい能力だな。

 きっと将来はもっとたくさんの人々を助けることだろう。

 

「キメラアントじゃが、あの後巣に残っておった奴らの大半は討伐した」

 

 大半、か。つまりまだ生き残りがいるということか。

 数によっては新たな脅威になるな。メルエムや護衛軍程じゃないけど、一般人や並の念能力者には危険な存在だろう。

 

「残った少数じゃが、抵抗せずに降伏してきてな。人間並の知能と理性はある連中じゃったが故に条件付きで降伏を許可した」

 

 降伏したのか? あのキメラアントが?

 人間を餌やオモチャ扱いしていたあのキメラアントがか?

 

「女王も王もおらず、これ以上人間と争っても全滅必至と分かったのじゃろう。本当にごく少数名じゃが、降伏したキメラアントは隔離された土地にて厳重に管理及び監視しておる」

 

 ……そうか。あのキメラアントにもそういう理性的な者達がいたのか。もしかしたら私が殺した中にも争わずに済んだキメラアントがいたのかもしれないな……。

 ……よそう。考えても仕方ないことだ。それにあの時は女王が生きていたんだ。女王の命令に忠実なキメラアントでは話し合いも不可能だろう。女王が死んだからこその降伏だったんだ。

 

「じゃが、恐らく何匹かは逃げている可能性もある。しばらくはキメラアント捜索の為にハンターが動くじゃろうな」

 

 やはり取りこぼしは出てくるか。あれだけの数がいたんだ。1匹や2匹くらい逃げられてもおかしくはない。

 厄介だな。出来るなら何の被害も出ない内に討伐されてほしいが。

 

 キメラアントについてはこんなものか。

 万事解決とまでは行かなかったが、少なくとも被害は抑えられたはずだ。

 私も武神とか言われたことはあるけど本当に神様というわけじゃないんだ。これ以上を望んでは罰が当たるだろう。

 

 ……そういえば、私はどうやって助かったんだろう? 治療出来る場所まで持つとは思えなかった傷だったけど。

 

「私は……どうやって?」

「ん? ああ、お主は緊急を要する状態じゃったからの。ワシが連れてきた討伐隊の1人に頼んで病院へ運んでもらったのじゃよ」

 

 私が死ぬ前に病院へ運べる念能力者。移動系の念能力を持っているのか? それも私の【ボス属性】で無効化しないタイプの。

 中々希少だな。その人にも礼を言っておきたいところだ。念能力がバレたくないならネテロから伝えておいてもらおう。

 

「その人に、礼を……」

「うむ。伝えておこう。取り敢えずはこんなところかの。もう少ししたらリィーナ達も来るじゃろう」

 

 そうか。

 ん? そう言えば……どうしてネテロはこんなところにいるんだ?

 さっきも疑問に思ったけど、リィーナやゴン達よりも早くに来るなんて。

 ここらに常駐でもしてるのか? 会長の仕事はどうしたおい。

 

「ネテロ……仕事は?」

「ないぞよ」

 

 いやないぞよって。

 お前会長だろうが。しかもキメラアントの件で色々とゴタゴタしてるんじゃないのか? ……いや待て。もしかしてそのゴタゴタは全部終わってるのか?

 今まで気付かなかったけど、私が気絶してどれだけの時間が経ってるんだ? もしかしたら1ヶ月くらい経ってるんじゃ……。

 

「私が気絶して……どれくらい経った?」

「5日じゃよ。ワシん時より早く起きたからワシの勝ちじゃろ?」

 

 何でそうなる。あの時の勝負で入院した時よりも早くに目覚めたから王様に勝ったとでも言いたいのか。子どもかお前は。

 

 ってそうじゃない。5日で会長の仕事がなくなるものなのか?

 結構な事件だったからもっと書類仕事や各所への報告とかあるだろうに。

 

「ビーンズに、迷惑かけてない?」

「かけてるかものう。だってワシ、会長辞めたもん」

 

 もんじゃねーよ。何が会長辞めただ……。わっつ?

 

「ネテロ……! どういう、う、ぅ」

「興奮すんなよ重体患者が。まあ落ち着いて話を聞け」

 

 く、そうだな。まずは落ち着こう。興奮すると傷に障るだけだ。

 

「一応会長としての仕事はちゃんと終わらせてきたぞ。キメラアントの件も大半は処理してきた。じゃから立つ鳥後を濁さずに辞職してきたわい」

「だからといって……」

 

 会長を辞める必要はないだろう。お前を慕っているハンターが協会にはどれだけいると思っているんだ。まだお前を必要としている人だって……。

 

 そういう考えが表情に出ていたのだろう。先程までとは打って変わってネテロは真面目な顔になった。

 

「仕方ないだろ……あんな戦いを魅せられて、それで大人しく会長なんてやってられっかよ」

「……!」

 

 ネテロから闘志が溢れ出ている。

 お前、それじゃあ……。

 

「もう十分に協会には尽くしてきた。オレがいなくてもやっていける下地もある。年寄りは引退さ。そして――」

 

 ああ、その先は分かっているさ。

 

「残りの人生はお前との勝負に専念させてもらうぜ」

「ふ、望むところだ……」

 

 そうか。そこまで言われたらもう私から言うことはない。

 ネテロの人生だ。ネテロが道を決めて当然だ。

 だが覚悟しろよ。私との勝負に専念しなかった方が良かったと思わせてやるさ。

 かつての戦績は私が負け越しているんだ。今からそれを巻き返してやる!

 

 私とネテロの闘気がぶつかり合う。

 ふふ、私も寝入ってばかりはいられないな。

 早く怪我を治さなくては!

 

 …………む。ヤバス。

 

「……ネテロ」

「ん? どうした?」

「済まないが、少し席を外してくれ……」

「……………………トイレじゃな?」

 

 なぜバレたし。いや、ふと尿意がね。

 体はまともに動かないけど、だからといって誰かの世話になりたくないし。

 なんか前にも同じようなシチュあった気がする。でもあの時は目の前にこんな邪悪な笑みを浮かべる妖怪はいなかったがな。

 

「そうか、それは仕方ないの。どれ、ワシが下の世話をしてやろう。なに遠慮するな。まともに体も動かんじゃろ?」

「ぶっ殺しますよこのエロジジぶふぅっ!?」

「うおお!? あ、アイシャ!?」

 

 あ、これあかん。あかんやつや。なんか傷開いたっぽい。しかも内臓。興奮して勢い良く体を起こした上に咳き込んだのがまずかったな。あ、目眩が。ナースコール押してくれネテロ。

 

「アイシャさん! お目覚めになられたとアイシャさーん!?」

「どうしたのよリィーナってアイシャー!? ジジイ何してんのよアンター!」

「アイシャ! 何があったの……血だらけだ! もう大丈夫じゃなかったの!?」

「ネテロ会長何しやがった! 場合によっちゃこの場の全員を敵に回すぜ!」

「落ち着け皆! まずはアイシャの容態を確認するんだ!」

「うおお! 【掌仙術/ホイミ】ーー!」

「アホかレオリオ! アイシャのオーラを失くす気か! しかもどさくさに紛れて胸触ってんじゃねーぞこらぁ!!」

 

 そんなことより早く医者を呼んでください……。し、死ぬ。

 

「お前ら落ち着け。早く医者を呼ばなきゃアイシャが死ぬぞ」

『あ』

 

 ありがとうカイトさん。あなたが命の恩人です。

 そうして私は集中治療室に舞い戻った。

 

 

 

 

 

 

「死ぬかと思いましたよ」

『申し訳ありませんでした』

 

 再手術が終わり、更に1週間の期間を開けてようやく面会が出来るようになった。

 以前の検査で集中治療室から出られたのは早くにリィーナに連絡したいが為だったようだ。それほど切羽詰っていたんだろう。施術後も何度も謝られた。逆に申し訳ないよ。

 

 今、私の前であの場にいた全員が土下座している。

 全く。見舞いに来てくれたのはありがたいが、怪我人を余計に悪くしてどうする。

 主にネテロのせいだがな!

 

「あいすまんかったアイシャ。この通りじゃから許してくれ」

 

 この通りだから。言葉としてはおかしいだろう。

 だが今のネテロを見れば意味は良く分かる。

 うん、全身ボロボロだな。皆から折檻食らったのだろう。

 ……まあなんだ。広い心で許そうじゃないか。流石にこれ以上は忍びない……。

 

「もういいですよ。あなたにも助けられましたからね」

 

 実際ネテロが討伐隊を組んでNGLに来なければ私は死んでいたんだからな。

 結果的に命の恩人の1人なんだ。これくらいは大目に見なくては。

 

「皆さんもです。私を助けに来てくれて本当にありがとうございました」

 

 平頭する皆に逆に頭を下げる。

 ゴン達が来なければ、レオリオさん達が来なければ。

 私だけでは死んでいただろう。

 

 皆が護衛軍を倒し、そして声援を送ってくれたから勝てたようなものだ。

 あの声援は確かに私の力になった。限界を越えていた体を動かせたのは私の意思だけではなかったと思う。

 

「オレはむしろ礼を言う方さ。お前さんがいなければ確実にオレは死んでいただろうからな。ゴン達と違ってオレはお前を助けに来たわけじゃないからな。助かったよアイシャ」

「いえ、お互い無事で何よりですよ」

 

 カイトさんは1人キメラアントの調査に来ていたんだったな。

 それで戦闘になったんだろうけど、ゴン達と会ってなかったらきっと戻っていただろう。そうなるとやっぱりカイトさんがキメラアント戦で命懸けの戦いをしたのは私に原因があるんじゃ……。

 

「私がアイシャさんをお助けするのは当然のことでございます。礼を言われるほどのことではございません」

「うん、ありがとう。でもあなたはこの病院の医師に謝っておきなさいね?」

 

 どれだけ圧力かけてたのか。

 医者の面々の私への態度といい、私の病室の超VIP仕様といい。全く。

 まあ、私を思っての行動と思うと可愛く思えもするけど。

 

「も、申し訳ございませんでした……」

「それは別の人たちに言うことですよ。でも、本当にありがとうリィーナ。それにレオリオさん、ビスケ、カストロさん。あなた達が助けに来てくれなかったら今頃は……」

 

 ゴン達は確実に護衛軍に殺されていただろう。

 そして私も……。

 

「オレがアイシャを助けるのは当然だぜ。気にすんなよ」

「私を諌めてくれたアイシャさんの助けとなれたなら本望だよ」

「そうそう。それより、感謝の言葉はいいから今度はあたしを助けてくれない? このままじゃ元の姿で風間流の道場を逆立ちして10周しなくちゃいけないのよ……」

 

 どうしてそうなる?

 一体何があったのさ?

 

「実はね……」

 

 なるほど……。そんなことを言ってたのか。

 私がピンチになることないと思ってたら、めっちゃピンチだったと。

 それは申し訳ないというか、何というか……。

 仕方ない。これは助け船を出しておこう。ビスケも私を助けてくれたんだし。

 

「リィーナ……」

「はい、分かっておりますアイシャさん。ビスケ、あんな口約束はもう結構ですよ。私に付き合って命を懸けてもらい本当に感謝しているのですから」

「セーフ! いやー良かったわさー。一時はどうなるかと思ったわよ」

「ちっ、つまらんのう」

 

 止めとけネテロ。煽るとまたボコられるぞ。

 

「ゴン達も、ありがとうございました。皆が来てくれなかったら私は……」

 

 そう、私はきっとキメラアントを殺した重圧に負けていただろう。

 私自身も気付かない内に心に積もっていた負の感情。それをゴン達が気付かせてくれた。私の心を救ってくれたんだ。

 

「ううん。オレ達がもっと強ければアイシャも1人で無理しなくても良かったんだ」

「今度は1人で勝手に行くんじゃねーぞ。どうせオレ達は追いかけるんだからな」

「そういうことだ。1人で抱え込む必要はないさアイシャ。私はそうお前たちに教わったんだ」

「例え地の果てだろうとアイシャの為なら助けに行くよ。だからこっそり消えても無駄だぜ?」

 

 皆……。うう、いい友だちを持ったよ私は。

 ……私の為に命を懸けてくれるこんな彼らに、何時までも黙ってはいられないな。

 丁度いい機会だろう。気がかりもなくなったんだ。全てを打ち明けよう……。

 童貞以外な。

 

「皆、ありがとう……。それと……皆に話したいことがあります」

「話したいこと?」

「……まさかアイシャ」

 

 ん? これは……もしかしてクラピカは知っているのか?

 

「気付いていたんですかクラピカは?」

「推測だがな……グリードアイランドでようやく気付いたよ。当たっている確証もないし、荒唐無稽な話だが」

 

 ああ、やっぱりか。多分それは当たってるよ。

 転生なんて荒唐無稽過ぎて想像出来る方がすごいからね。

 

「良いのですかアイシャさん?」

「ええ、何時までも黙っているわけにもいかないでしょう」

 

 リィーナが心配そうに見つめてくる。

 大丈夫だよ。例えこれで嫌われても、仲直りすればいいだけさ。

 それが友だちってものだろう。何年掛かっても謝り続けるさ。

 

「アイシャが隠していたことか」

「うん。キルアには前にいつか説明するって言ってましたね」

「そうだな……クラピカは自分で気付いたのかよ」

「ああ。だが、これは恐らくキルアには、そしてレオリオとミルキも気付けなかっただろうな……」

 

 なんでその3人は気付けないんだ? キルアとかかなり洞察力高いと思うけど。

 

「そうね。その3人は無理ね」

「ですね」

 

 ビスケとリィーナもクラピカと同じ意見なのか。

 怪訝に思うけど、3人に何か共通点でもあるのかな?

 

「リィーナさんやビスケも知ってるんだ。ねえクラピカ、オレなら気付けるの?」

「いや、ゴンは素で無理だな」

「ひどいよクラピカ!」

 

 ドッと笑いが巻き起こる。ゴンには悪いけど、こういうのはやっぱり楽しいな。

 

「ふふ、大丈夫ですよゴン。気付ける方がおかしいのですから」

「ううー」

 

 拗ねるな拗ねるな。

 さて、何時までもこうやって話を長引かすわけにもいかないな。

 真実を告げよう……。

 

「私の正体は……リュウショウ=カザマといいます」

『……え? いや、え?』

 

 キルア、レオリオさん、ミルキ、カストロさんが混乱している。

 ゴンはそうでもないけど、キョトンとしているな。もしかしてリュウショウの名前を知らないのかもしれない。

 

「リュウショウって確かリィーナさんの道場の前責任者じゃなかったっけ?」

「ええ、そうですよ。良く知っていましたねゴン」

「うん、だってリィーナさんに教え込まれたしね……」

 

 何教えてるんだリィーナ……私のことより武術教えろよ。

 

「でもその人ってずっと前に死んだんでしょ? それがどうしてアイシャの正体になるの?」

 

 すごいなゴンは。こうもハッキリと自分の聞きたいことを聞けるのもある種の才能だよ。キルア達なんて未だに固まってるぞ。

 

「はっ! そうだよ、ゴンの言う通りだ! 冗談きついぜアイシャ!」

「だよな! 冗談だよな!」

「嘘だと言ってよアイシャ!」

 

 落ち着けミルキ。何か口調変わってるぞ。

 でも仕方ないか。こんなのすぐに信じられる方が稀だからね。

 だけど……本当のことなんだよ皆。

 

「お主らの気持ちは分からんでもないがの」

「あんた達もネテロのジジイと仲良かったり、リィーナが傾倒しているのを見ておかしいと思ったでしょ?」

「もはや憚られることもないのでこう言いましょう。……先生の仰っていることは全て事実です」

 

 ネテロ、ビスケ、リィーナと私と親しい者達が立て続けに同意する。こうまで言われてはキルア達も冗談とは受け取れないだろう。

 

「だ、だけどよ。リュウショウ=カザマが死んだのも事実じゃないのか?」

「はい、確かにリュウショウとしての私は死にました」

「じゃあ何で……いや、リュウショウっていつ死んだんだ?」

「14年と少し前ですね」

「今のアイシャの年齢は……」

「ええ、14才です。今年で15才になりますね」

 

 キルアとミルキも気付いたか。

 ここまでヒントが出れば聡明な彼らなら気付きもするだろう。

 

「確かに……アイシャさんがリュウショウ殿だと言うのならば色々と納得はいきますな。風間流の武術と念能力。ともにリィーナ殿を上回るともなると、そうはいますまい」

 

 カストロさんの言葉が更に判断材料になった。

 レオリオさんも認めたくないのだろうけど反論材料がないから唸っている。

 ……やっぱり前世持ちなんて嫌なんだろうか。

 

「でもどうやって……」

「念能力、だな?」

 

 ゴンの疑問にはカイトさんが答えた。

 その言葉に私は頷いて肯定する。

 

「特質系、もしくは具現化系ならば可能やもしれん。オレもそれに近い能力に覚えがある」

 

 私以外にも似たような能力を作った人がいるのか?

 世界は広いな。もっと経験を積まねば。

 

「リュウショウの時代に転生をする念能力を作っていました。それがリュウショウの死と同時に発動し、今の私となったのです」

「転生……」

「マジかよ……」

「嘘だろ……」

 

 簡単には信じられないか。

 無理もない、私も自分で体験しなかったら転生なんてそうそう信じられはしないだろう。

 

「うーん、リュウショウさんが死んで、アイシャになったんだよね?」

「ええそうです。その際にオーラや経験も引き継いでいるのでここまで強いわけですね」

「そっか。なら別に問題ないんじゃない?」

 

 え? そうなの? 簡単に言うけど前世があって元130才以上のお爺さんだったんだよ? それをずっと黙ってたのにそうあっさりと問題ないで済ませられるの?

 

「アイシャは念能力で転生したんだろうけどさ、転生って念能力がなくても出来るんじゃないの? だってそうじゃなきゃ転生って言葉が作られないだろうしさ」

 

 時々この子は凄い核心を突くよな。概念としての転生は確かにある。

 でもそれはそういう宗教観念であって、実際にそうあるわけではないと思っていた。

 だけど、こうして私が念能力でとはいえこうして転生しているんだ。記憶の引き継ぎとかはなくても命は輪廻転生しているのかもしれないな。

 

「アイシャは念能力のおかげで記憶があるだけで、他の皆も……オレ達だって昔は別の何かだったかもしれないでしょ。それを忘れてるだけでさ。そんなの気にしてたら今を楽しめないと思うんだ。だから、アイシャも昔はリュウショウさんでも、今はアイシャでいいんじゃないの?」

 

 ご、ゴン……。

 

「私は……私のまま、ゴンと一緒にいてもいいんですか?」

「当たり前だよ! 昔は昔、今は今でしょ」

 

 この子の器にはきっと穴が空いているか……それとも、海よりも広いのかもしれない。

 

「昔は昔……」

「今は今、か」

 

 キルアとミルキが私を見つめてくる。さっきまでとは違ってそこにはもう混乱は見られなかった。

 

「そうだな、ゴンの言う通りだぜ」

「ああ。オレ達だって過去は最低の仕事をしてたんだ……」

 

 キルアもミルキも、かつての家業により重い過去を持っている。

 けど今はそんな過去から離れて明るい人生を歩もうとしているんだ。

 だからだろうか。2人とも私を認めてくれたのは。

 

「悪かったなアイシャ。お前の過去なんて関係ないよな」

「ああ、ちょっと、いや正直かなり動揺したけど……受け入れればこの属性もありかもしれない」

 

 なんかミルキが遠い場所へ行ってしまいそうで怖いんだけど。

 でも嬉しい。なんだか涙が出てきそうだ。

 

「クソっ! オレだけウジウジ悩んでて馬鹿みたいじゃねーか!」

「レオリオさん……レオリオさんが悪いわけじゃ……」

「いや待てアイシャ。別にオレはお前を責めているわけじゃない。こんなの簡単に話すこと出来ないのは分かるさ。そんなことでお前から離れたりしねーよ」

 

 レオリオさんの優しい瞳を見てそれが本心であると理解出来る。

 ああ、こんな私を受け入れてくれるのか。もっと早く話せば良かったなぁ。

 

「でも、正直自分の中で整理しきれない気持ちもあるんだよ……」

「分かる。それは分かるぜレオリオ……」

「そうか? もうオレは覚悟を決めたぜ。前世なんてなかった。今あるがままのアイシャを見るぜ!」

「今だけは兄貴を尊敬するぜ……」

 

「……何が気になるんだろ?」

「詮索してやるなゴン。奴らも男なんだよ……」

「? オレもクラピカも男だよ?」

「私も元男ですが、良く分かりませんね……」

「アイシャ、出来るなら元男という言葉は口に出してやるな、あまりにも奴らが不憫だ……」

 

 はあ、まあ男に戻ることは出来ないからそれはいいけど。

 

「これでアイシャがここまで鈍感だった理由が分かったぜ」

「ああ、前世の記憶のせいだな」

「間違いない」

 

 失礼な。私はそれなりに鋭いつもりですよ?

 ……戦闘関連はだけど。それ以外の機微に疎いのは分かってるけど。

 

「まあなんだ。グダグダ言っちまったけど、お前に言った言葉に嘘はないぜ。ゴンが言った通り前世なんて関係ない。アイシャはアイシャだからな」

 

 レオリオさんの言葉に皆が頷いてくれる……。

 こんな私をまだ友だちと思ってくれている。ずっと、大事なことを黙っていた私をまだ……。

 

「う、ぅぅ……」

『泣いた!?』

 

 泣きもするよ。本当は怖かったんだ。ゴン達に嫌われたらどうしようって。

 話したくはなかった。けど、もう話さずにいるのも嫌だったんだ。

 

「もう、思い残すことはありません……」

『死ぬ気か!?』

 

 いえ、それくらい嬉しいということです。

 実際思い残すことはまだあるので死にたくはないけど。

 ……もう1つ、けじめが残っているからな。

 

「これが本当に武神リュウショウの生まれ変わりなのか?」

「この泣きっ面見てそう思える奴がいたらそいつの脳を疑うぜ」

「やばい、可愛い。もう元とかどうでもいい」

「修羅の道を進むかミルキ……」

「何書いてんのリィーナ?」

「いえ、要注意人物のリストを更新していただけですよ」

「リュウショウ殿、後でサインを……」

「取り敢えず写メじゃ。こんなアイシャレアすぎる。後でからかおう」

「ゴン、お前ら何時もこんなノリなのか?」

「大体そうだよ!」

 

 ……何時も通り過ぎて安心するよ。

 あとカストロさん。サインはいいですけど呼び方はアイシャでお願いします。

 それとネテロ。お前は治ったらぶっ飛ばす。

 

「みんな!」

 

 突然大声をあげた私に驚いて皆が一気に静まった。

 私は息を吸い込んで勢い良く今の気持ちを言葉にする。

 

「私は、みんなと出会えて本当に幸せだよ!」

 

 

 

 

 

 

 ~それぞれのその後~

 ※名前のないキャラは殆ど省いています。名前あっても省いているキャラもいます。また、既に作中で亡くなっているキャラもありません。

 

 

 

・リィーナ=ロックベルト(五話初登場)

 キメラアント事件から少しして、バッテラとの取引で手に入れていた“魔女の若返り薬”を使って見た目相応に若返る。本来ならアイシャと同じ年齢まで若返りたかったが、薬がビスケにバレた為それも叶わなかった。グリードアイランドの報酬の一件により、2人で薬を分けることになる。

 若返ってしばらくして風間流本部道場長の座を一時的にルドルに託す。本当ならシオンをとも思っていたが、彼女は妊娠・出産を繰り返しているので無理だった。

 アイシャとの修行の日々に幸せを感じている時、カストロからの猛烈なプロポーズを受けて根負けし再婚する。ビスケからは相当妬まれたという。

 

 

 

・アイザック=ネテロ(五話初登場)

 ハンター協会会長を辞職した後、修行とアイシャとの決闘に明け暮れる。メルエムとの戦いを経験し、その上未だ発展途上だった身体能力とオーラも成長し続けるアイシャを相手に多くの敗北を喫することになるが、最後の勝負には意地を見せての逆転勝利を得る。そしてその1週間後に満足したかのように息を引き取った。

 享年132歳。奇しくもリュウショウ=カザマの享年と同じであったという。最期に発した言葉は「今度はオレが勝ち逃げよ」だった。その死に顔はいたずらが成功した子どものようだったそうだ。

 

 

 

・ドミニク=コーザ(六話初登場)

 ※閲覧禁止。

 

 

 

・べロム(六話初登場)

 アイシャのオーラを浴びて恐怖のあまり失神。激怒していたドミニクによって下っ端に降格されるが、すぐにマフィアから足を洗う。その後は故郷に戻り実家の畑を手伝いながら日々を過ごした。

 

 

 

・クロロ=ルシルフル(六話初登場)

 他の幻影旅団とともに脱出不可能と言われる念能力者専用監獄に収容される。

全ての念能力も封じられ、他者を傷付けることも禁じられているため過酷な収容生活を強いられている。だが、残りの旅団員ともども脱走を諦めてはおらず、虎視眈々と機会を窺っている。

 

 

 

・ディオウ(七話初登場)

 自称ダブルビーストハンター。アイシャのオーラを浴びて失神するも、その後も特に変わらず過ごすある意味図太い神経を持つ。

 

 

 

・流星街の議会員(八話初登場)

 流星街を取り仕切る中、対処困難な事態が発生した時に以前の契約を利用しアイシャに救援を求む。その後も変わらず流星街を取り仕切っている。

 

 

 

・ヒソカ(九話初登場)

 様々な掟で縛られるも意外と楽しく人生を謳歌する。人助けをしながら敵を排除し、アイシャと再び戦える時を楽しみにしながら牙を磨く。

 

 

 

・船長(十話初登場)

 ゴンのようなハンターの卵を見ることを楽しみにしながら毎年ハンター試験志望者達を運ぶ。

 

 

 

・クイズババア(十話初登場)

 レオリオのようなハンターの卵を見ることを楽しみにしながら毎年ハンター試験志望者達を篩いにかける。

 

 

 

・魔獣凶狸狐達(十話初登場)

 今もハンター協会に協力してハンター試験案内人をしている。

 

 

 

・ビーンズ(十二話初登場)

 ネテロの辞職後ハンター協会のゴタゴタであくせくする。ネテロ死後はハンター協会を辞職し、ネテロの墓の近くに家を建てて余生を過ごした。

 

 

 

・イルミ=ゾルディック(十一話初登場)

 キルアに執念を燃やすも、キルアの周りにいる面子のせいで上手くはいかない。だがそれでも諦めることなくその歪んだ愛を貫き続けている。

 

 

 

・ゴン=フリークス(十一話初登場)

 修行を続け、強化系として最強とまで言われるようになる。高速の流から発動する両手足から繰り出される変幻自在の【ジャンケン】は驚異の一言。この頃にはキルアとの勝率も五分五分に。

 父親であるジンを見つけ、目標の1つを終えた後は信頼する友と一緒に世界を旅してハンター生活を満喫する。その後も様々なトラブルに巻き込まれたり首を突っ込んだりするが、一緒にいる友の力もあって困難を乗り越えていった。

 

 

 

・レオリオ=パラディナイト(十一話初登場)

 念願の医者となってから、ハンターライセンスの力を借りて世界中を飛び回り自由に人々を治療する生活を始める。多くの人を助け、多くの人から感謝されるが、貧しい人から金を受け取ることは絶対になく、世界一貧しい医者と呼ばれるようになる。

 ゴン達とも【高速飛行能力/ルーラ】の力で離れていてもすぐに再会出来るので、よく一緒に遊んだり冒険したりしていた。そう言った冒険や、多くの人を救った功績が認められ数少ないトリプルハンターの1人となる。

 

 

 

・クラピカ(十一話初登場)

 多くの仲間の助けを得て、紆余曲折を経て長い時間を掛けてようやく全ての緋の眼を集め終わる。緋の眼を一族の墓に埋葬し、弔った後は夢であった冒険家となり世界中を旅する。その中でゴン達とも一緒に冒険をし、充実した人生を送った。

 

 

 

・トンパ(十一話初登場)

 幾度となく脱走を繰り返し、その度に折檻される。諦めることはなかったが、ついぞ夢(笑)が叶うことはなかった。だが数年後にミズハと結婚。美しい妻と3人の子どもに囲まれるという、一般的にリア充と言える人生を得る。本人はそれでも充足していなかったが、なんだかんだで幸せになった。……周りからの嫉妬は激しかったという。

 

 

 

・キルア=ゾルディック(十一話初登場)

 ゴン達とともに厳しい修行を続け、十分な自信をつけると実家に帰る。そして閉じ込められていた最愛の妹(?)を救い出し、再び家出をする。友と妹と一緒にそのまま世界中を旅したり、冒険したりと過去を乗り越えて楽しく生きていった。

 

 

・ニコル(十一話初登場)

 引きこもった。

 

 

 

・ブハラ(十二話初登場)

 美食ハンターとして人生を謳歌する。

 

 

 

・メンチ(十二話初登場)

 同上(チチでけーな)

 

 

 

・ハンゾー(十二話初登場)

 黒の書を読み、SINOBIとして実力を高める。その後隠者の書を見つけることに成功し、新たな任務……抜け忍狩りについた。

 

 

 

・トードー(十二話初登場)

 第287回ハンター試験後、力不足に気付いて修行をし直す。その後プロハンターになれるかどうかは彼次第である。

 

 

 

・ロッククライマー(十三話初登場)

 アイシャに助けられるも、3次試験をクリア出来ずにリタイア。次のハンター試験も受けるが、キルアとミルキのどちらかに一瞬で倒されてハンター試験そのものを諦める。

 

 

 

・リッポー(十三話初登場)

 今も刑務所の所長を続け、時折ハンター試験の担当をこなす。

 

 

 

・ポックル(十五話初登場)

 第288回ハンター試験にてキルアとミルキの攻防に巻き込まれて不合格となる。だが、多くの受験生が諦めた中、心折れかけるが持ち直して修行に勤しむ。結果、第289回ハンター試験にてプロハンターとなる。今は念願の幻獣ハンターとなって活動中。

 

 

 

・ビスケット=クルーガー(十六話初登場)

 リィーナから分けてもらった“魔女の若返り薬”で20代に若返り再び青春を謳歌する。だが、アタックを仕掛けていたカストロがリィーナとくっ付いてしまったためしばらくグレて旅に出た。帰ってからは冷やかしながらもリィーナ達と仲良く過ごす。

 恋人募集中。強くてかっこよくて金持ちで優しく言うことを何でも聞いてくれる人なら誰でもOKとのこと。

 

 

 

・ノヴ(十七話初登場)

 キメラアント討伐隊に選ばれるも、ただの1匹も討伐することなくアイシャやゴン達を連れて帰る。彼のおかげで命が助かったのでアイシャには恩人として見られている。王や護衛軍のオーラを見ることがなかったので禿げてはいない。ある意味救われた人。

 

 

 

・ケンミ(十九話初登場)

 風間流で修行の日々を送る。才能は普通だが、類まれなる努力により師範代まで登り詰めた。後に心源流のズシといいライバル関係になった。

 

 

 

・ゼブロ(二十話初登場)

 身体が老いて試しの門を開けなくなるまで門の前で守衛のフリをしながら掃除夫として働く。

 

 

 

・ゼノ=ゾルディック(二十話初登場)

 仕事以外では殺さない職業暗殺者の鑑のようなスタイルを貫き続ける。最近は孫の成長を確認するのが中々の楽しみになっている。

 

 

 

・ミケ(二十話初登場)

 侵入者を丸かじりする癖は何時までも直らなかった。でも骨は食べずに捨てる。

 

 

 

・シルバ=ゾルディック(二十話初登場)

 父親としてキルアやミルキの成長を嬉しく思うが、予想に反してキルアが家に戻って来ないので家督はイルミに継がせようかと思案中。

 

 

 

・キキョウ(二十話初登場)

 お気に入りのキルアに付き纏っている(と思っている)アイシャを毛嫌いしていたが、同じ流星街出身と知って態度を改める。元々強さは気に入っていたので今はキルアかミルキの嫁にしようと画策中。

 

 

 

・ミルキ=ゾルディック(二十話初登場)

 アイシャの正体を知った時は少々へこたれたが、すぐに開き直った。今は前世も含めてアイシャの属性だと割り切っている。だが中々想いを伝えることが出来ていない。

 キルアと協力して妹(?)を救い出す。喧嘩をすることもあるが、仲良し兄弟となった。この作品でもっとも原作とかけ離れた人物の1人である。

 

 

 

・カルト=ゾルディック(二十一話初登場)

 兄の殆どが家からいなくなった為、自ら家を飛び出し世界を旅する。目的は兄とともに日々を過ごすこと。カルトちゃんの冒険が今始まる!(嘘)

 

 

 

・ウイング(二十二話初登場)

 シオンと結婚後も心源流の師範代として真面目に修行したり弟子の育成にあたる。結婚後も波乱万丈の生活を送るが、多くの家族に恵まれ何だかんだで幸せになった。最近の悩みは娘が性的に狙ってくること。

 

 

 

・ズシ(二十二話初登場)

 真面目な性格もあり、努力を重ねてバトルオリンピアに参加するに至る。その後も修行を続け心源流の師範代となった。ウイングに教わったように、多くの弟子を取って教授する。

 

 

 

・シオン(二十二話初登場)

 ウイングと結婚後、しばらく主婦に専念して風間流からは遠ざかる。結婚後も順風満帆な性活を送り、産めや増やせやと7男5女の子宝に恵まれた。子育てが落ち着いてから風間流に復帰。齢50にて本部長となった。

 最大のライバルは娘。念のおかげで見た目は若いが結構年を気にしている。最近“魔女の若返り薬”を取りに行こうか悩んでいる。

 

 

 

・カストロ(二十五話初登場)

 修行を重ね、ヒソカに再戦を挑む。ヒソカの片腕を奪うも自身も左目と片腕をやられ、それでも死闘を繰り広げるが結果は痛み分けに終わる。ヒソカとの決闘後、勝てはせずとも負けもしなかったことにようやく自信を取り戻す。その後ずっと敬愛していたリィーナに一世一代の告白をする。

 結婚後は尻に敷かれていたが、それでも幸せだった。結婚後もヒソカに完勝することを目標に弛まぬ努力をする。

 

 

 

・ミト(三十一話初登場)

 ずっとゴンの帰りをくじら島で待っている。時々帰ってくるゴンの話を聞くのが1番の楽しみとなる。

 

 

 

・ランド=グレーナー(三十三話初登場)

 トンパの結婚を祝福するも、過去のトラウマから自身は結婚など考えずに修行に励む。実は彼を好いている女性が近くにいたりするが全然気付いていない。

 

 

 

・ルドル=ホフマン(三十三話初登場)

 リィーナへの恋心は心の奥に追いやり、彼女の再婚を祝う。その後リィーナに託された風間流本部道場を切り盛りすることに粉骨砕身する。

 

 

 

・エイダ(三十三話初登場)

 リィーナを尊敬し憧れていた為、その再婚相手であるカストロを嫌っている。だが、トンパやリィーナと結婚話が続いた為近くにいるある男性を意識するようになった。こっそりアタックしているが、当人には気付かれていない。

 

 

 

・サイゾー=キリガクレ(三十三話初登場)

 何時もと変わらず修行に明け暮れていたが、ふとした拍子に風間流本部道場から姿を消す。数ヵ月後にボロボロの姿で帰ってくる。心配していた仲間に事情を聞かれるが、ケジメをつけて来たとだけいってそれ以上は語らなかった。その後も時々姿を消すことがあったが、最後には必ず風間流本部道場に戻ってきたという。

 

 

 

・ミズハ=トロイア(三十三話初登場)

 数年後、好みのタイプど真ん中ストライクであるトンパに強化系の本領を発揮するような押しでゴールインする。本人は幸せだが、家族からは何度も反対されたり、多くの門下生から結婚を惜しまれたという。

 

 

 

・ピエトロ=カーペンター(三十三話初登場)

 片想いだったミズハがトンパと結婚したことで失意のあまりに出奔する。過去を忘れるように心源流の門を叩き、しばらく修行した後に2つの流派を合わせた新たな流派を作り出した。

 

 

 

・幻影旅団員(三十六話初登場)

 クロロ=ルシルフルの項を参照。

 

 

 

・バッテラ(四十五話初登場)

 恋人と海辺の一軒家で幸せに暮らしている。

 

 

 

・ツェズゲラ(四十五話初登場)

 しばらく黒の書捜索に力を入れていたが、大半をリィーナが集め終わっていることを知って肩を落とす。その後もマネーハンターとしてプロハンター活動を繰り広げる。

 

 

 

・ゲンスルー(四十八話初登場)

 風間流本部道場で修行に明け暮れながら10年。ようやくリィーナから解放の許可を得る。サブ・バラと共にグリードアイランドの報酬で世界中を巡り豪遊するが、やがて虚しくなり3人で風間流本部道場へと戻ってきた。今では3人で風間流の外部念能力者指導員として働き充実した毎日を送る。

 

 

 

・ラターザ(四十八話初登場)

 未だグリードアイランド内にいる。

 

 

 

・ある川の船頭のお姉さん(四十九話初登場)

 よく仕事をサボるので上司のヤマなんたらさんに叱られている。

 

 

 

・ハメ組(五十話初登場)

 クリア直前にクリアをかっさらわれた形となったので、その場で仲間割れが起きた。死人こそ出なかったが、多くが傷つき解散することになる。中には未だグリードアイランドから出られない者も。

 

 

 

・サブ&バラ(五十話初登場)

 ゲンスルーの項を参照。

 

 

 

・カヅスール組&アスタ組&ハンゼ組(五十五話初登場)

 グリードアイランドから離れてリィーナに報酬の1億ジェニーを貰う。その後は各々自由に活動した。

 

 

 

・ゴレイヌ(五十五話初登場)

 ゴリラの住む森を守る為今も頑張っている。きっとグリードアイランドのクリア報酬もその一環だったのだろう(捏造)。

 

 

 

・レイザー(五十五話初登場)

 グリードアイランドがクリアされたので、新たにイベントなどを他のゲームマスターと一緒に作り直している。その内ゲームも再開されるだろう。次は“一坪の密林”を守っていただろうゲームマスターに出番があることを祈る。

 

 

 

・ツェズゲラ組(五十七話初登場)

 ドッブル、バリー、ロドリオット。今もツェズゲラと組んでマネーハンターとして活動中。

 

 

 

・カイト(六十話初登場)

 キメラアント事件後、ゴン達と別れハンターとしての活動を続ける。優秀なハンターとして次々と新たな発見をし、師であるジンを追い越そうと更に邁進していた。

 

 

 

・生き延びたキメラアント達(六十話初登場)

 殆どのキメラアントが討伐された中、コルトとペギーを筆頭とした比較的穏健派とも言えるキメラアントはネテロに投降。その後隔離された土地にて静かに余生を過ごす。中には人間の頃の記憶を取り戻し、無害と判断され故郷の村に帰れた者も。

 

 

 

・逃げ延びたキメラアント達(六十話初登場)

 討伐隊からどうにか逃げ延びた者達。メレオロンはその能力を使って人間に見つからないようひっそりと過ごす。ハギャはある場所にて再起を図るが……。

 

 

 

 そして――

 

 

 

 1人の女性がその長き人生に終止符を打とうとしていた。

 別に病気や怪我などが原因ではない。幸運にも老衰という天寿を全うした死に方だ。齢150年にもなろうというギネスにも乗っている最長寿だ。〈前世〉も含めると300年近い人生を歩んでいる、もう十分だろうと彼女は思う。

 

 彼女……アイシャは死を間近にこれまでの人生を思い返していた。

 好敵手との幾多の決闘。友との多くの冒険。多くの出会いがあり、多くの別れがあった。

 好敵手が亡くなった時は悲しみ、そして悔しかった。勝ち逃げなんてしてと憤慨したものだ。自分も同じ気持ちを相手に与えていたことを思い出すと悔しさも多少は紛れたが、それでも悔しいものは悔しかった。

 

 いつか自分のように生まれ変わったりはしないかと思っていたが、それに値するような敵についぞ巡り会わなかった。

 そう、アイシャはネテロ亡き世界でハンター達から最強と謳われるようになっていた。幾度もネテロと戦い勝利を手にしていたのだ。その話がプロハンターに流れないことは流石になかった。……アイシャにとって、敵のいない最強なんて虚しいだけだったが。

 

 友とはそれからも研鑽した。

 彼らは瞬く間に成長し、アイシャも認める程の強者となった。

 だが、そんな彼らももういない。時の流れは残酷だった。

 

 アイシャは唯一の肉親であった父が死んでから、以前に夢に見た孤児院を設立した。

 自分が愛され育てられたように、親のいない孤児達に愛情を注いであげたくなったのだ。

 多くの援助もあり、孤児院は無事運営出来ていた。今も多くの孤児たちが楽しく遊んでいる声が聴力の衰えた耳に届いている。

 孤児が多いということは良いことではないが、それでも子ども達が楽しそうに過ごせている事実は自分がしたことが無駄ではなかったと思わせてくれた。

 

 そんな子ども達の声を眠り歌にして、アイシャはゆっくりと意識を落としていく。

 既に逝ってしまった友たちに再び会えるだろうかと期待する。

 愛弟子はきっと待ち続けているだろうと確信していた。

 好敵手はきっと待つことなく先に進んでいるだろう。必ず追いつこうと心に誓う。

 父と母は仲睦まじく過ごしているだろう。そうであることを願った。

 

 長い、長い人生だった。

 後悔は多く、やり直せるならやり直したいと何度も思った。

 だが、それと同じくらい……いや、それ以上に充実した人生だった。

 

「母さん……私は、幸せだったよ」

 

 孤児院の職員が昼食を運んで来た時には既にアイシャは息を引き取っていた。

 その死には孤児院の子どもや職員を始め、多くの人々が悲しんだという。

 

 齢150歳。激動の人生を歩んで来たアイシャのその死に顔は、とても安らかなものだったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――【輪廻転生/ツヨクテニューゲーム】発動!――

 

 

 

 

 

 

 暗い暗い場所にいる。意識がはっきりとしない。ここが死後の世界なんだろうか? もしかして地獄かなとも思うが、何故か全身を安心感が包んでいる。地獄とはそのように安心感を抱く場所なんだろうか?

 そう思っていると身体が外気に触れたのが分かる。どうやら先程まで液体の中にいたようだ。

 

 不思議に思って周囲を確認しようとするが、身体の機能の殆どが自由にならない。感覚も大分鈍いな。これではどういう状況なのかさっぱり……って、痛い痛い。何で叩かれているのか。

 

 ――叩かないでもらえませんか――

 

 そう声を上げても、声は言葉にならずに別の音となって口から飛び出た。

 そう、オギャーという泣き声となって。

 

「良かった泣いた!」

「おめでとうございます! 無事生まれましたよ!」

「ああ、初めまして……私がママよ」

 

 …………どうしてこうなった?

 

 

 

 

 

 ~Fin~

 

 

 




 これにて、どうしてこうなった?は完結となります。この二次創作は、自分がハンターハンターの世界に行けたらどうするか、という中二心から始まりました。良くネット小説であるような長い時間を修行に費やしたとか絶対に私には無理です。ちょっとの訓練で強くなる才能もないし、チートなんてもらえるわけない。
 それなら念能力はどんな風にしたらいいかって考えた結果が【絶対遵守/ギアス】だったりします。これなら怠惰な私でも強くなれるだろう! そういう思いで考えた能力ですね。
 まあ、そもそも念能力を都合よく覚えられるのが既にご都合主義ですが。ちなみに1番のご都合主義はハンターハンター世界にトリップしたことです。
 あとは題名にして作品コンセプトである、どうしてこうなった? の通りに主人公の思い通りには全てが運ばない流れを作っていきました。人生なんてそんなものさ。

 さて、完結した当作品ですが、主人公の冒険はまだ続いたりします。またどこかの世界で色々と楽しむのでしょう。書くことはないかもしれませんが。やっぱり終わりはどうしてこうなったで締めたかったのです。
 リュウショウの時は未発動に終わった【輪廻転生/ツヨクテニューゲーム】ですが、能力として作ってあったことに変わりはありません。なので特質系となった主人公が発動条件を満たしていればこうなるわけです。

 また、どうしてこうなった?は本編としては終わりですが、短編や後日談的な話は少しだけ投稿する予定です。今までみたいに20時に定期的に投稿とはいきませんが。結構期間が空くと思います。また、蛇足になる可能性が高いのでそれが嫌だという方は見ないほうがいいかも。それでも良いという方はまたこれからもよろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

後日談
後日談その1 ※


 ※本編の後日談となりますが、蛇足と思われる方もいらっしゃると思います。そういった方はそっとBackすることをお勧めします。



 入院してから1ヶ月以上が経った。

 ようやく退院出来たが、まだ完全復活というわけにはいかないな。身体が鈍っているのもあるけど、退院出来たというだけで傷が完治したわけではないからな。恐らく完治にはまだ1ヶ月くらいは掛かるだろう。それ程の重体だったんだ。

 

 残念なのはシオンの結婚式に行けなかったことか。確か5月に予定していたはず。もうとうに過ぎているからな。ゴン達はそのことについて何も言わなかったけど、私を気遣ってくれていたんだろう。

 

 ……さて。完治していなくてもこれだけ治っていれば十分だ。

 出歩けるようなら問題はないからね。私の最後のけじめをつけるには……。

 

 ごめんね皆。もしかしたらもう会えないかもしれない。

 でも、もうやらなければならないことは終わったんだ。

 だったらあの人にも話さなくては。……ドミニクさんにも、ゴン達にした話を。

 

 前世の話をする。これは意図してかそれとも無意識にか、私がドミニクさんに話すことはなかった。

 恐らく、この話をするとドミニクさんの怒りは完全に振り切れるだろう。当たり前だ。生まれて来た不気味な赤子のせいで最愛の妻が死んだだけでも怒り狂うには十分だろう。だというのに、その赤子が前世で作った能力が原因と知れば……。

 

 母体が持たず命を落としたとしても、生まれた赤子に罪はないと言えるだろう。しかし、この場合は明らかにその赤子に原因があるのだ。

 例え私が意図して母さんを害したわけではなくても、それで納得出来るようならあの時ドミニクさんは私を捨ててはいなかっただろう。

 

 もしかしたら私は殺されるかもしれない。でも、これは受け入れようと思う。

 もうやり残したことはない。ネテロとも戦った。男には戻れないと分かった。ネテロの敵も倒せた。ゴン達にも秘密を打ち明けて、受け入れてもらえた。

 もう十分だろう。元々100年以上生きていた上に、一度死んでいるんだ。前世は念能力に縛られた人生だったけど、楽しかった記憶に嘘はない。

 唯一……母さんの言葉を破ることになるのが心苦しい。でもごめんね母さん。これだけは言わなくちゃいけないんだ。本当なら母さんにも言わなきゃいけなかったけど、あの時は勇気がなくてごめんなさい。あの世で会えたらいっぱい謝るから。だから、その時はいっぱい叱ってほしいな。

 

 ゴン達には書置きを残しておこう。黙って行って悪いけど、言ったら絶対付いてくるしね。そしたらドミニクさんとどうなることか……。容易に想像出来るな。

 キメラアントの時と同じことをしてごめんね。これが最後だからさ……。

 

 もし……本当にもし、ドミニクさんが許してくれたら……。その時は何かゴン達に埋め合わせをしよう。あとリィーナにも。私の入院費リィーナが払ってるし。……ドミニクさんに会う前にリィーナの口座に振り込んでおこう。

 おっと、レオリオさんに貰ったお守りを置いていかねば。レオリオさんには悪いけど、これで居場所がバレたら意味がない。

 

 それじゃ、お世話になりました。無事退院させていただきます。

 

 

 

 

 

 

 しばらく旅をしてようやくアームストルに到着。そのまま即座にドミニクさんの屋敷に行く。

 以前と変わらず大きな門に大きな庭だ。庭の犬も健在の様子。

 屋敷から伝わる雰囲気からして特に変わったことは起きてないようだ。マフィアなんてしてると何時死ぬかも分からないからなぁ。

 ……ハンターも然して変わらないかな?

 

 そういえば、“死者への往復葉書”はちゃんと効力を発揮したのだろうか?

 あれで母さんと手紙の上でやり取りが出来るなら、死ぬ前に一度だけ使わせてほしい。本当の母さんにも色々と言わなくちゃいけないことがあるからね。主に謝罪と感謝だけど。

 

 さて、意を決してインターホンを押す。

 すぐにインターホンから声が聞こえてきた。押して数秒でこの反応。管理が行き届いているなぁ。

 

『はい、当家に何用で……あ! お嬢様! お帰りになられたのですか!』

 

 おいちょっと待て。なんだその対応は? お嬢様? あなた達私を毛嫌いしてなかったっけ?

 

「えっと、ドミニクさんはいらっしゃいますか?」

『ええ、ボスはご在宅です。すぐにボスに伝えて参ります。あと、迎えの者を寄越しますので少々お待ちください!』

 

 なんだこれ? え? どうなってんの? ちょっと意味わからないんですけど!?

 いや、え? マジでどういうことなの? 今までと全然態度が違うよ?

 いかん。混乱している。今メルエムと戦えば1秒で負ける自信があるぞ?

 

 混乱している内に黒服さんが大勢出てきて私を迎え入れた。

 

『お嬢様! お帰りなさいませ!』

 

 迎え入れてのこの一声である。何人もの強面黒服が一同に礼をする。

 私の困惑に拍車がかかった。わけがわからないよ。

 

「え、ええ。あの、ドミニクさんは……」

「自室にてお待ちになっております。どうぞこちらへ」

 

 めっちゃ紳士的にエスコートされた。以前あった警戒は欠片も見当たらない。

 私は訳も分からずされるがままに連れられていく。もうどうにでもなーれ。

 

 

 

「どうぞ中へお入りください。ボスがお待ちです」

「はあ、し、失礼します……」

 

 中に入るとドミニクさんが私を待っていた。

 周りには護衛の人がいない。前に私1人で来た時はいたのに……。信用されているということだろうか?

 ……それでも今からする話を聞いたらそのなけなしの信用もなくなるだろうな。

 

「ふん、やっと来たか。もっと早く来るかと思っていたがな」

「えっと……どうしてですか?」

「……あの葉書がどうだったか知りたくなかったのか?」

 

 ああ、いやそれはすごく気になります。

 話をする前にそれだけは聞いておこう。

 

「すごく気になります。あの……どうでしたか?」

「ふん。その割には来るのが遅かったじゃないか」

「す、すいません。外せない用もあって……あと、しばらく入院していた――」

「なに!?」

 

 うわっ!? いきなりソファーから立ち上がって凄い剣幕で睨みつけてきた。ど、どうしたんだろう?

 

「入院だと? 何があった? 事故か? それとも病気か?」

「えっと、ちょっと、いえ、かなり強い敵と戦いまして、それでその、怪我をして……」

 

 かなり、でも足りないな。滅茶苦茶強すぎる敵だな。

 ……本当によく勝てたな私。もう一度やって勝てるとは思えんぞ?

 

「……怪我はもう治ったのか?」

「ええ。こうして出歩けるくらいには」

 

 ……もしかして、心配してくれているのかな?

 こうして細かく色々と聞いてくれているんだ。そう、思ってもいいのかな?

 ……駄目だ駄目だ! そんな風に思うと余計に言い出せなくなる! 甘い考えは捨てるんだアイシャ!

 

「……ふん、ミシャに貰った体を不用意に傷つけるな。いいな!」

「は、はい! 出来るだけ気をつけます!」

 

 ん? なんだか周りの黒服さん達がドミニクさんを見て微笑んでいるような……。

 

「おい、何がおかしい貴様ら……?」

『い、いえ! 何でもありませんボス!』

「とっとと持ち場に戻れ!」

『はい!!』

 

 一瞬にして黒服さん達は部屋から逃げていった。

 あ、ドミニクさんの顔が少し赤くなってる。なんだか可愛いな。これが母さんが好きになった一面なのかもしれない。

 

「全く……まあいい。葉書に関してだったな」

「は、はい」

「……あれは確かに死んだミシャから返事が返って来た」

 

 ああ……良かった。グリードアイランドの賞品だから効力は確かだろうけど、やっぱり話を聞くと安心する。

 そうか……ドミニクさんは母さんと手紙の上でも話が出来たのか……。羨ましいな。

 

「あの、1枚だけ“死者への往復葉書”を譲ってくれませんか! わ、私も母さんと、一度だけでも話を……」

「……駄目だ」

 

 その言葉に肩を落とす……そうか、いや、そうだよな。

 大切な人とやり取り出来る貴重な葉書なんだ。1枚足りとて無駄には出来ないよね……。

 

「それで。お前の用はそれだけか?」

「っ! ……いえ、重要な話が、あります」

 

 そう、重要な話だ。母さんに何も言えなかったのは辛いけど、仕方ない。

 過去の過ちを話し、裁いてもらおう。一番その権利があるドミニクさんに。

 

「ドミニクさんに話していなかったこと、残りの全てをお話します……」

 

 

 

「以上です……」

「…………」

 

 前世のこと、そして念能力による転生を話し、全てを聞いたドミニクさんの反応は無言だった。

 意外だと思う。もっと激昂してすぐにでも私を殺すのかと思っていた。

 それとも内心で静かに殺意を高めているんだろうか。いや、そんな気配はないけど……。

 

「……なるほどな。道理で生まれた時からオーラを操ってたわけだ。部下の話を聞いた時はただ不気味に思っていただけだったが、自分で念能力者になってより疑問に思ってた。どうやって赤ん坊の時にオーラを操れていたんだ、てな」

 

「はい。全ては前世の経験です」

「あの武神リュウショウが前世とはな。世の中分からないもんだ。……どうして最初に会った時にそれを言わなかった?」

「……逃げていただけです。それを話したら、もう本当に許してもらえないんじゃないかって」

 

 それが答えだろう。もしかしたら許してもらえるんじゃないかって甘えた考えをしてたんだ。前世のことまで話さなかったらもしかしたらって……。

 

「あの武神様とは思えない考えだな」

「そうですね。世間では立派な武人と称えられているようですけど、中身なんてこんなものですよ」

 

 あんなのは私には分不相応な評価だ。

 武神なんて言われたのもただ単に強かっただけの話だ。人格までそれに相応しいわけじゃない。所詮はただの普通の一般人なんだから。

 

「まあいい。お前がオレに今さらそんな話をしたってことは、オレに裁かれたいということだな」

「……はい、その通りです。どんな処罰でも受け入れるつもりです。ドミニクさんには私を裁く権利があります。……誰よりも」

 

 流石はマフィアを纏めているボスだけのことはある。私が何を望んでいるのかも分かっていた。

 

「違うな。お前を裁く権利は俺よりも相応しい奴にある」

「え? ですが……」

「オレに言ったことをもう一度説明しろ。……ミシャに対してな」

 

 ……え? ああ、そういうことか。私を母さんのところに送るということだな。

 そっと瞳を閉じて下されるだろう裁きを待つ。

 

 でも天国とか地獄があれば、母さんは絶対天国にいるだろうしな。私がそこに行けるかな? 一応は善行もしていたと思うけど、母さんを殺したし、キメラアントも大量に殺したし……。うん、地獄行きかな。

 

 ……………………しばし待つけど何もなし。

 あの、覚悟決めてるので出来れば焦らさないで欲しいのですが。

 ……あれ? 気配が増えて……これは、人じゃない? でもどこか懐かしい気配が――

 

「何をしている。さっさと目を開けろ」

「え……え、え?」

 

 ドミニクさんに言われてゆっくりと目を開ける。

 するとそこには銃を構えたドミニクさん、ではなく――

 

「か、あ、さん……?」

「あらあら。私に似てとっても美人な女の子ね。本当にドミニクさんったらこんな子に冷たく当たって。もっと素直になればどうですか?」

「……オレは最初から素直だ」

「意地っ張りなのは変わらないんだから。そんなんじゃ娘に愛想つかされますよ?」

「べ、別に構わん!」

 

 ………………え?

 なにこれ? 何で母さんがいるの?

 母さん? そうだ、母さんだ。念獣の母さんと違ってオーラは穏やかだけど、あの母さんにそっくり……そうか!

 

「念、獣……ですね」

「流石だな。すぐに分かったか」

 

 やっぱりか。この母さんはドミニクさんが具現化した念獣だ。

 ドミニクさんの得意系統が具現化系か、それに近い変化もしくは可能性としては低いけど特質系なんだろう。

 ドミニクさんは母さんに凄い愛情と思い入れがある。それならば母さんそっくりの念獣を具現化することも出来るはずだ。

 ここまで母さんそっくりに操作するのもすごいけど、出来なくはないだろう……。

 

 でもそれは母さんそっくりの人形を作っただけだ。

 確かに私を育ててくれた母さんも念獣だけど、あの母さんは本物の母さんが自分を投影して具現化してくれた本物そのものの母さんだ。

 だけどドミニクさんが具現化した母さんはドミニクさんの記憶に従って作り出されている。だからドミニクさんが知らない母さんの記憶は植え付けられない。

 そんな母さんを母さんと呼べるのだろうか? ……無理だ、ただ無意味に自分を誤魔化して慰めているだけに過ぎないだろう。

 

「ドミニクさん、この母さんは……」

「こら! そんな他人行儀には言わないの! お父さんでしょ!」

「ご、ごめんなさい母さん!」

 

 うう! 久しぶりに怒られたよ……。偽物でもやっぱり母さんに怒られるとつい謝ってしまう……。

 ……本当に偽物なんだろうか? ここまで似せて具現化して操作出来るものか? 怒る時とかの母さんの細かな所作とか本当にそっくりなんだけど。それほど母さんを愛しているということなんだろうか。

 

「言っておくが、このミシャは念獣ではあるが本物だぞ」

「え? でもドミ――」

「アイシャちゃん?」

「と、父さんが具現化しても本物の母さんとは……」

 

 つい父さんって言ったけど……怒らないかなドミニクさん。

 ……怒ってないな。逆に機嫌がいいような気がする。っと。それよりもこの母さんが本物ってどういうことなんだ?

 

「このミシャはお前から貰った葉書を核にして具現化している」

「……え?」

 

 “死者への往復葉書”を核として具現化?

 それはどういう――

 

「あの葉書は死者の宛名を書くとその死者から返事が来る。だが、もし同名の死者がいた場合はどうなる? ミシャという名前が1人だけなどという都合がいい話はないだろう」

 

 確かにそうだ。だから私は書いた人の思念を葉書が読み取って、書かれた宛名の死者の残留思念を見つけているのではと予想していたけど。

 

「つまりこの葉書はオレの考えを読み取っているわけだ。そして死者であるミシャの返事も読み取り葉書に書いている。そういう特殊な葉書だ」

 

 そうだ。それが考えられるこの葉書の能力だろう。

 よくこんな葉書を作り出せたと思うよ。グリードアイランドのゲームマスターは超一流ぞろいだな。

 

「この葉書が実はオレの思念だけを読んで、死者からの返事もオレの思念や記憶を読み都合のいいように返事を創作している可能性も考えたが……。ミシャしか知らない情報も書かれてあった。確認するとそれは合っていたんでな。この葉書は本当に死者の返事を書いているわけだ」

 

 なるほど。検証もしていたのか。母さんしか知らない情報か……。

 恐らくドミニ……と、父さんには話したことがなく、かつ調べれば分かるような情報。家族の話とか、そんなところかな。

 

「そこでオレは考えた。葉書で死んだ人間とやり取りが出来るならば……死んだ人間を具現化することも出来るんじゃないかってな」

「ま、まさか……!」

 

 “死者への往復葉書”を核として具現化した! 確かに父さんはそう言った!

 “死者への往復葉書”は死者の思念を読み取って葉書に返事を書いてくれる葉書だ。

 逆説的にそれは死者の想いが思念となってこの世に残っているということを意味する。その想いを読み取る葉書を核にして具現化したということは……!

 

 他人が具現化した物体を利用して新たに具現化出来るかは私にも分からない。

 でもグリードアイランドの報酬は具現化されたアイテムでもかなり特殊なものだろう。すでに具現化した能力者から離れた一個のアイテムと言える存在だ。

 そうでなければアイテムを作った能力者、例えそれが複数人であろうとも、その全員が死んだら具現化した物体も消えるのだから。それは報酬として不釣り合いだろう。

 恐らく神字をも用いて具現化したアイテムを固定するようにしているはず。それならば……この葉書を核にすることも可能なのかもしれない。

 

「気付いたか。部下に念能力を教わって2ヶ月。オレが具現化系というのも幸いした。葉書を1枚消費して1日しか具現化は出来ないし、オレから5メートル以上離れると具現化も解けるが……。もう一度言うぞ。……ここにいるのは体は念獣でも、心と記憶は本物のミシャだ」

 

 震えながらゆっくりと母さんを見る。瞳も滲んでいる、視界があやふやだ。

 それでも何故か母さんの姿ははっきりと映っていた。母さんは優しく微笑んで、ゆっくりと頷いた。

 

「かあ、さん……?」

「そうよアイシャちゃん。私が、あなたのお母さんよ」

 

 ああ、嘘じゃない。嘘じゃないんだ。

 父さんが母さんのことでこんな大掛かりな嘘を吐くわけがない!

 これは、本当に、私を産んで、私が殺してしまった母さんなんだ!

 

「――!」

 

 気付けば私は母さんに多くのことを話していた。

 泣きながら前世のことを話した。私のせいで死んだことを謝った。産んでくれたことを感謝した。死んでも念獣になって育ててくれたことを話した。友だちが出来たことを話した。

 そして……本当は誰にも言うつもりがなかった、下らない理由で転生したことを話した。

 

 

 

 

 

 どれだけ時間が過ぎただろうか。

 私は母さんに優しく抱きしめられながら泣いていた。

 もう全部話し終わったけど、母さんはそれでもずっと抱きしめてくれていた。

 

「……もういいよ母さん。優しくしてくれて嬉しかった」

「えー、せっかく会えた娘なのよ。もっと抱きしめさせてくれてもいいじゃない」

「いや待て。流石に童貞云々は聞き捨てならんのだが」

「そんなことどうでもいいわ! 私には娘を可愛がる方が大事なの!」

『どうでも!?』

 

 死因が童貞卒業だよ!? それがどうでもいいの!?

 

「いいじゃない。前世なんて誰にでもあるものよきっと。アイシャちゃんはその記憶があるだけの話よ。それにあの武神様がそんな理由で死にたくなかったなんてちょっと可愛いと思わない?」

 

 いえ、結構恥なんで可愛いとか言わないでください。

 

「まあ童貞で死んだのはむごいとは思うが……」

「い、言わないでぇ……」

 

 同情しないで。こんなことで同情されると辛いんです……。

 

「まあいいだろう。それでミシャよ。お前はどうしたい?」

 

 そうだ。父さんが言った通り、母さんは私を裁く1番の権利を持っている。

 私がいなければ死ぬこともなく幸せな人生を歩めていた母さん。

 母さんに裁かれるならもう悔いは本当に残らない。言いたいことも全部言えた。

 あとは母さんの言葉を待とう。

 

「そうね……。アイシャちゃんには罰を与えるわ」

「はい」

「前世のことは前世、今は今。これからは女性として生きていくように。これが罰よアイシャちゃん」

 

 ……え、軽すぎないか?

 だって私はあなたを――

 

「そ、そんなことで……」

「え? 結構重たい罰だと思ったんだけど。前世の男の意識が残ってるのに、今は女として生きて行かなきゃいけないのよ?」

「でも! そんなこと母さんを殺したことに比べたら!」

 

 そう叫ぶ私を、母さんはもう一度優しく抱きしめた。

 

「いいのよ。母親が子どもの為に命をかけるのは当たり前のことよ」

 

 !! ああ……母さんと、私を育ててくれた母さんと、同じ言葉……。

 

「前世なんて関係ないわ。愛するドミニクさんに託されて、お腹を痛めて産んだ我が子なんだから。……生まれて来てくれてありがとう」

「わ、わたしが、にくくないの?」

「憎めるわけないじゃない。子どもを愛さない母親はいないわ。そんな人がいたら母さんぶっとばしちゃうわ」

 

 ああ、母さんだ。同じだよ。あの母さんも、この母さんも、同じ母さんだ……。

 私には、母親が3人もいるんだ。産んでくれた母さん、育ててくれた母さん、そして今抱きしめてくれている母さん……。

 こんなに幸せでいいんだろうか? 許されていいのか? こんな私が、こんなに幸せで……。

 

「……オレは父親だからセーフだよな?」

「ぶっとばしちゃうわ」

 

 と、父さん……。力抜けるよ……。

 

「そういうわけだ。……オレはお前が憎くないわけじゃない。だが、それでも被害者であるミシャがお前を許すというのならこれ以上オレから言うことはない」

「と、父さん……ありがとう、ございます……」

「ドミニクさんも大概素直になれないわね。そんなだからアイシャちゃんが余所余所しいのよ?」

「うるさい!」

 

 ふ、ふふ。やっぱり母さんは父さんのこういうところが好きなんだな。

 意地っ張りで素直になれないところが。私にも少し分かる気がする。

 

「何を笑っているアイシャ!」

「え?」

 

 父さん、今、私の名前を……。

 今まで一度も呼んだことのない私の名前を、呼んでくれた。

 それだけ、たったそれだけのことなのに、父さんが私を認めてくれた気がした。

 

「父さん……名前、呼んでくれた……」

「黙れ! こっちを見るな!」

「あれ照れてるのよ。きっと顔真っ赤っかね」

「うるさい!」

 

 父さんツンデレ過ぎるよ。これは母さんに勝てないわけだ。

 この家の実権は母さんが握っているな。

 

「さあ、まだわだかまりもあるでしょうけど、それはこれからゆっくり解していけばいいわ。差し当たって……そうね、親子で一緒に寝ましょうか?」

「え……父さん、いいの?」

 

 父さんと母さんと一緒に寝る。それはすごく幸せなことだ。

 でも、父さんはいいのかな? 私は元男だから、母さんと一緒に寝られると嫌なんじゃ……?

 

「……たまには許してやる」

「(ね? なんだか可愛いでしょ?)」

「(うん。私もそう思うよ)」

「……何か文句でもあるのか?」

『ううん。何でもないですよ?』

 

 むくれる父さんを見ながら母さんと一緒に笑う。

 こんな未来が私に訪れるなんて思ってもいなかった。

 寝て起きて、これが夢だったら私は立ち直れないかもしれない。

 でも、夢じゃない。現実なんだ。

 

 そして私は父さんと母さんに挟まれて幸せに包まれて眠りについた。

 ああ、きっと明日はいい日になる気がする……。

 

 




 ハトの照り焼き様から頂いたイラストです。感謝感激です。

【挿絵表示】

 こちらはpixivにも投稿されています。差分もあるので興味のある方はどうぞご覧ください。
http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=50552795

 最終話の各人エピソードでドミニクが閲覧禁止になっていたのはこの話のネタバレがあったからです。どうしてもミシャの念獣については書かないわけにもいかないのであそこでは書かないでおきました。一応ここに書いておきます。

・ドミニク=コーザ(六話初登場)
 妻が死んで十余年の年月を経て、ようやく妻(念獣)と娘という家族を得ることが出来た。その後しばらくはアイシャの指導の元に念の修行を受ける。全ては“死者への往復葉書”を必要とせずに妻を具現化する為にだ。
 2年後、“死者への往復葉書”の残数が僅かになった頃に具現化に成功。それからは妻の具現化以外には念能力は使わずに余生を過ごした。
 ドミニクの死後、ミシャ(念獣)は死者の念となることなくドミニクと共に消えていった。これはドミニクが未練なく死んだ証だろう。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

後日談その2 ※

 昨日は幸せだった。

 念獣とはいえ私を命懸けで産んでくれた母さんに会え、その上父さんが私を娘と認めてくれた。私のような咎人がこんなに幸せでいいのだろうかと何度も思った。

 でも私がそういう態度を表情に出すと母さんが鋭く気付いてメッてされた。叱られただけですごく嬉しかった……。

 

 3人で一緒に食事をして、色んな話をした。

 私が流星街で念獣の母さんに育てられた時の話をすると、母さんはその母さんにちょっと嫉妬してた。

 

「小さい頃のアイシャちゃんも見たかったなー……」

 

 そう言ってちょっと拗ねてる母さんは可愛かった。

 あとは服についても色々言われちゃったな。私の服装はとても女性らしいとは言えたものじゃないから……。

 その内3人で買い物に行く約束もした。一応女性物の服は持ってるけど、全部風間流の道場にある部屋に置いてあるし、母さんや父さんに選んで欲しいし……。

 買い物に関して父さんは渋々そうだったけど……。でも多分そんなに嫌じゃないんだと思う。何となく父さんの内心が分かるようになってきた。

 

 そうして私と父さんと母さんは一緒のベッドに入って眠りについた。

 私を真ん中にして、少し話しながらゆっくり眠りにつく。

 ふと疑問に思ったけど念獣の母さんは眠れるのだろうか? 確認したら人間に出来ることは大抵出来るらしい。そういえば夕食も食べていたな。どうやって消化しているんだろう?

 

 そんな細かいことを気にしながら、私は幸せを噛み締めて眠った。

 明日がより良い日になると信じて……。

 

 

 

 信じて、たんだけど……。

 

 身体に違和感を感じた私は早朝の、まだ日が完全に昇る前に目が覚めた。

 昨日はあんなにも幸せで心地よかったはずなのに、今は何故だか気分が優れない……。

 気持ちが悪く、目眩や吐き気を感じる。下腹部には鈍痛が響いているようだ……。

 

 何だこれ? もしかしてメルエム戦での傷が開きでもしたのか?

 そう思って隣で寝ている母さんと父さんを起こさないようゆっくりと上半身を起こす。そのままこっそりとベッドから抜け出して、身体の調子を確かめてみる。

 

 …………分からない。

 傷らしい傷はない。内臓関係もそのはずだ。でもおかしい。オーラの巡りも普段と違う。

 う……駄目だ。ちょっと気分悪いからトイレを借りよう。

 

 

 

 ――少女■■中――

 

 

 

 ……私は、死ぬのか?

 ま、まさかあんなところからあんなに血が出るなんて……。

 もしかしたらメルエムとの戦いの傷が治療されきっていないのかもしれない……。

 医者が気付かないまま放置していた小さな傷が、今になって大事に至ったのでは……?

 

 どうしよう、どうしよう、どうしよう……せっかく父さんと母さんと一緒になれたのに……。

 昨日は死んでもいいと思っていたのに、今は死にたくないと思っている……。勝手だけど、このまま死ぬなんて嫌だ。父さんと母さんともっと一緒にいたいんだ。

 

 ……そうだ。レオリオさんに聞いてみよう。私も人間の体の構造には詳しいつもりだけど、医者との知識量の差は比べるまでもないだろう。医者の卵のレオリオさんなら私の症状も何か知っているかもしれない。

 今の時間に電話するのは迷惑だけど、背に腹は代えられない。ごめんねレオリオさん。

 

 切っておいた携帯の電源を入れる。すると大量の電話とメールが入っているのが分かった。

 ……どうやらゴン達からのようだ。私を心配して連絡してくれたみたいだ。申し訳ないけど、嬉しかった。

 

 いや、感慨に耽るのはあとだ。とにかく今はレオリオさんに連絡をしてみよう。

 

 prrrr……prrrr……。

 しばらく電話を掛けると慌てたような声が電話口から聞こえてきた。

 

『アイシャか! 今どこにいるんだ!? あんな書置きを残してまたいなくなって、どうしてたんだ! 皆心配しているんだぜ!』

「心配かけてすいませんレオリオさん。今は父さんのところにいます。その、実はレオリオさんに相談したいことがあるんです……」

 

 私を心配してくれているレオリオさんや他の皆には申し訳ない。

 けど、今は一刻も争うかもしれない。まずはレオリオさんに私の症状を話して何か心当たりがないか確認してみよう。

 

『相談したいこと?』

「ええ……じ、実は今日目が覚めたら目眩と吐き気がしまして……」

『目眩と吐き気? ……頭を強く打ったりとかは?』

「していません」

『嘔吐は?』

「吐き気はありますが、大丈夫です」

『他に何か自覚症状は?』

「ええ、その……血が」

『血? 何処からだ? 口からか? それとも縫合していた傷が開いたのか? もう癒着していたはずだけど……。落ち着いて説明してみてくれ』

 

 おお、流石はレオリオさん。医者の卵なだけはある。私が慌てないよう優しい声色で落ち着いて話しかけてくれている。

 私もそれに習って落ち着いて説明しよう。落ち着いて……どこから血が出たっけ? えっと…………。

 

「その……からです」

『はい?』

「で、ですから……い、いん……からです」

『悪いアイシャ。よく聞こえないぜ?』

「で、ですから……い、いん、ぶ……からです」

 

 うう、何だこの言いようのない恥ずかしさは……! 顔から火が出そうだ! 

 

『…………血が?』

「出たんです……」

『陰部から?』

「……は、はい」

『…………』

 

 沈黙が続く。うう、何か分かったんだろうか? そうも黙っていられると不安になるんだけど……。

 

『聞くがアイシャ、今までそこから血が出たことは?』

「ありません。初めてです……」

『……良し。今からそっちに行って患部に【掌仙術/ホイミ】をかけるからちょっと待ってグアァッ!?』

「れ、レオリオさん!?」

 

 何だ!? 襲撃か!? レオリオさんが突然叫び声を!?

 

『ぐは、やめ! 何を!?』

『何をじゃねーよ。一緒の部屋に泊まってりゃ話聞こえて当然だろうが!』

『断片的に聞いてもアイシャがどんな状態か分かるわ!』

『だというのに、アイシャが女性の知識に疎いのを良いことに自分の欲望を優先しようとはな』

 

 キルア、ミルキ、クラピカの声がうっすらと聞こえてくる。

 どうやら襲撃ではないようだ。皆で同じ部屋に泊まってるのか。ちょっと羨ましいな。

 それは置いといて。その3人にレオリオさんはフルボッコされてると。なんでさ?

 

『もしかしてアイシャってあの日なのかな?』

 

 あ、ゴンの声も聞こえる。あの日? あの日ってなんだろう?

 でも、どうやらゴン達は私の症状に覚えがあるようだ。医者でもないゴンですら知っている? 何なんだあの日って。

 

『そのようだ。しかし、レオリオに相談する辺り、アイシャも初めてなのかもしれん』

『多分そうだと思う。女の人があの日になったら匂いで分かるけど、今までアイシャからそういう匂いを嗅いだことないし』

『……そういうことは女性には話すなよゴン?』

『うん。ミトさんにも怒られたからわかってるよ……』

 

 女の人があの日になる? 女性なら私と同じ症状になるのか?

 あの日……目眩に吐き気……あそこから血が…………あ。

 まさか!

 

「せ、せい……!」

 

 あの日か! 女性特有の、あの日! なんで私が! って、私女じゃん! 今まで生理なんてきたことなかったからそんなのがあるなんてすっかり忘れていたよ!

 

 

※説明しよう! アイシャは女性であるという事実を認めたくないあまり、無意識の内に体内のバランスを操作していたのだ! それが月経という女性特有の生理現象を今まで妨げていたのである!

 

 

 でも今までそんなのなかったのに、どうしてこんな急に!

 それにこういうのってもっと早くに来るんじゃないのか!?

 私は学年で言うと中学2年生くらいだ。そんなに遅いものなのか?

 

 

※説明しよう! アイシャは昨日両親との語らいでようやく自身を女性として受け止めたのだ! それ故に今まで塞き止めていたホルモンバランスが働き出し、一気に女性の日に持っていったのである! まさに人体の神秘である!

 

 

 いやしかし……そうか、生理か。分かってみればどうということはなかったな。

 別段命に関わることでもないし。慌てて損した。ああ、ホッとした。

 ……いや待て。生理ってどうすればいいんだ? あんなに血が出てほっといてもいいのか? 分からない……。前世でも学んだことないし、私を育ててくれた母さんはまだそこまで教えてくれていなかった。

 

 うう、急に不安になってきた……。そうだ!

 母さんに聞けばいいんだ! 母さんなら色々とアドバイスをくれるだろう!

 そうと分かれば今は母さんと父さんのところに戻ろう。

 あっと、ゴン達にも私の現状を伝えておかなきゃね。

 

「もしもし、聞こえますか?」

『――もしもし? アイシャなの?』

「あ、ゴンですね。ええ、そうですよゴン。心配を掛けたようでごめんなさい。キルア達にもそう伝えてもらえますか?」

『うん。でもそれは自分でも言わなきゃ駄目だよ。それで、今何処にいるの?』

「ええ。必ず伝えます。今は父さんの屋敷にいます。レオリオさんに言えば場所は分かるはずです」

『またトラブルでもあったの?』

「いえ……父さんに、アナタ達に話した前世のことを話しただけです」

『そっか。大丈夫だった?』

「ええ……まだわだかまりはありますが……それでも受け入れてくれました」

 

 うん。受け入れてくれたんだ。それが何よりも嬉しい。

 昨日のことを思い出すだけで心が暖かくなり涙が出てきそうになる。

 

『良かったねアイシャ……。でも、勝手に出て行くなんてひどいよ! キメラアントの時みたいにまた何かあったのかって心配したんだからね!』

 

 うう、そうだよね。キメラアントの時も皆に黙って出て行って、また同じことをしたら心配もするし怒りもするよね。

 

「本当にごめんねゴン。次は勝手なことしないから」

『約束だよ?』

「ええ。約束です」

 

 ゴンとの約束を経て電話を終える。

 次は絶対に勝手に出て行かない。この約束は絶対に守ろう。

 

 良し! とにかく今は母さんに助けを求めよう! ……うう、気持ち悪いの治る薬とかないかな?

 

 

 

 

 

 

 初の家族買い物お出かけが生理用品購入になった件について。

 いや、まあ他にも色々と買ったけどね、うん。

 

 護衛もつけずに3人の家族水入らずでの買い物は楽しかった。

 まあ護衛は私がこなすけどね。誰であろうと2人を傷つけようとするなら絶対に許さん。全力で相手してやるぞ。

 

 問題は父さんと母さんが5m以上離れられないことだな……。

 生理用品は当然女性だけが必要としているもので、必然的に女性物ばかり置かれるコーナーにあった。

 だから父さんも母さんと私に付き合ってその中まで入らなくちゃいけなかったのだ……。すごく、不機嫌でした。ごめんなさい。まあしばらくしたら母さんが宥めて機嫌を直してくれたけど。

 

 その後は服を見たり、父さんのスーツに付ける小物を母さんと2人で選んでプレゼントしたり、レストランでご飯を食べたりと、楽しい時間を過ごせたな。

 こんなに幸せでいいのだろうかと思う時があるけど、きっといいのだろう。幸せになってと、私を育ててくれた母さんにも言われたんだから。

 

 そんな幸せな日を過ごしていると、ゴン達からたくさんのメールが届いた。

 色々書いてあったけど、要約すると明日には皆がこの家に到着する予定のようだ。

 ちょうどいい。皆を父さんと母さんに紹介したかったんだ。レオリオさんは父さんとは会えたけど、母さんとは初めてだし。

 取り敢えず皆が来ることを父さんと母さんに知らせよう。

 

 そうして私室を出て父さんと母さんの部屋へと移動する。

 この家に私用の部屋が出来たのは何だか不思議な感覚がする。まだ慣れないけど、嬉しいな。

 父さんと母さんは同じ部屋なんだよな。母さんは父さんと離れられないから当然だけど。今までの分も含めて愛を深め合ってほしい。

 

 部屋の近くに来ると護衛の人が立っているのを発見する。

 

「お疲れ様です」

「あ、お嬢様。ボスに御用でしょうか?」

 

 このお嬢様という呼ばれ方はちょっと慣れないんだよな。今までそんなお高い存在になったことないし……。

 ……ん? リュウショウの時の方がある意味お高かったのかも? まあいいや。

 

「はい。父さんは中にいますか?」

「ええ。少々お待ちください。ボス、お嬢様が来られましたが……」

『入ってかまわん』

 

 父さんの声が聞こえて、護衛の人は扉の前から離れた。お疲れ様です。これからもよろしくお願いしますね。

 

「失礼します」

 

 そう言って中に入ると、そこには練を維持して汗をかいている父さんと、それを微笑みながら見ている母さんがいた。

 修行中だったか。父さんは母さんを“死者の往復葉書”を使用せずとも具現化出来るように修行をするようになったんだったな。

 何せ“死者の往復葉書”の枚数は1000枚。今までにも使用したから残りは900枚を切っているだろう。あと3年もしない内に母さんは具現化出来なくなってしまうのだ。

 それは私も嫌なので、父さんが私に頼んだ修行は快く受けた。

 

 取り敢えずはある程度のオーラを持ってもらうようにしている。

 戦闘で必要な修行はするつもりはなく、あくまで母さんの具現化に関する修行だが、それでもオーラが多いと出来ることは多くなる。

 逆に言えばオーラが少なくては出来ないことが増えるということなのだ。

 

「お疲れ父さん。調子はどう?」

「う、む。ふぅ、ふぅ、まだ、練の持続時間は、30分も届かんな……」

「それは仕方ないよ。10分延ばすだけでも1ヵ月はかかると言われてるから」

 

 父さん焦ってるな。残りの期限が決まっているから当然か。……ビスケ雇おうかな?

 

「はいあなた」

「ああ」

 

 母さんが渡したタオルで汗をふく父さん。

 水差しから入れた水を飲んで、一息ついた父さんが再び私に向き直る。

 

「それで、どうした? 何か用があるようだが?」

「うん。明日だけど、レオリオさんを含む私の友達がここに来るって言ってるんだけど、家に上げてもいいですか?」

 

 急な訪問だから無理かもしれない。父さんはマフィアだからな。簡単に家に人を上げることもないだろうし。

 

「レオリオか! いいぞ。他の友達とやらもレオリオのダチなんだろう? なら問題はない」

 

 おお! 明らかに機嫌が良くなった! レオリオさん本当に父さんに気に入られてるな。羨ましい……。

 

「あら。アイシャちゃんのお友達に会えるのね! 楽しみねぇ」

「うん。皆良い人達なんだ。私の最高の友達だよ」

 

 命を顧みず私を助けに来てくれた。損得を抜きにして想い合える本当の友達だ。

一緒に笑って、遊んで、時に喧嘩して、また笑って。一緒にいて気が置けない最高の友達。

 かつての世界の私には、ここまでの友達はいなかっただろうと思える。だって、昔の友達のことは忘れたけど、ゴン達のことは何百年経っても忘れそうにないんだから。

 

 だから父さんと母さんも気に入ってくれると嬉しいな。

 

 

 

 

 

 

 今日はゴン達がこの家に来る日だ。あと少しで来る予定なので、リビングで父さんと母さんと一緒にリビングで待っている。

 この時の為に母さんにおめかしをされてしまった。女として生きると決めたからいいんだけど、まだちょっと恥ずかしい。

 女性物の服は着せられてきたけど、髪飾りを付けるのは初めてだし……。似合ってるかな? 母さんは可愛いと言ってくれたけど。

 ゴン達に馬鹿にされないか不安である。

 

 

 

 そうして内心ドキドキしていると、黒服の人がゴン達の来訪を告げてくれた。うう、ドキドキが膨らんできた。

 

「入れ」

 

 ドアからノックがなり、ドミニクさんが入室の許可を出す。

 黒服さんがドアを開けると、そこからゴン達がぞろぞろと中に入ってきた。

 

『失礼します』

 

 お、礼儀正しい。クラピカに指導でもされたのだろうか。全員綺麗なお辞儀をした。

 ん? リィーナやビスケがいないな。てっきり一緒に来てるものかと思っていたけど。ビスケはともかく、リィーナなら絶対に追いかけてくると思ってたのに。少しは師離れ出来たのかな?

 

「良く来たレオリオ。そしてその友たちよ。オレがアイシャの父ドミニクだ。よろしくな」

「初めまして、クラピカと言います。娘さんにはいつも世話になっています」

「ゴンです」

「キルアだ……です」

「ミルキです」

「久しぶりだなドミニクさん。元気そうで何よりだぜ」

 

 一通り挨拶が終わって、ゴン達が私と母さんに視線を向けてくる。

 ……若干レオリオさんとミルキの息が荒いのは気のせいだと思いたい。

 

「それと紹介しよう。オレの妻のミシャだ」

「皆さん。いつもアイシャがお世話になっています。これからも娘をよろしくお願いしますね」

 

 あ、皆呆然としてるな。まあ当然だよね。母さんは死んでるって私が言ってたし。

 

「疑問や積もる話もあるだろう。オレ達がいると話も弾まんだろうから、少し席を外しておこう」

「えー、色々とアイシャちゃんのこと聞きたかったんだけどなぁ……」

「後でも出来るだろう。ほら行くぞ」

「はーい。それじゃ皆さんまた後でね」

「そうそうレオリオ。これを渡しておこう。後で見るといい」

 

 そう言って父さんはレオリオさんに1枚の紙を渡してから母さんと一緒に席を外した。色々と気を利かせてくれたんだ。ありがとう父さん。

 

 

 

 改めて、リビングにはいつものメンバーが集まったので気兼ねなく会話が始まった。取り敢えず第一声は私の謝罪からだ。

 

「みんなごめんね。また勝手に黙って抜け出したりして……」

『全くだ』

 

 うう、総突っ込みを受けてしまった……。でも私が悪いから仕方ない。

 

「ドミニクさんには許されたんだな……」

「レオリオさん……うん、まだ蟠りがないわけじゃないけど……受け入れてくれたんだ」

「そっか。良かったなアイシャ」

「うん。ありがとうレオリオさん」

 

 レオリオさんはずっと私と父さんのことを気に掛けてくれてたからな。

 本当にありがたいことだ。あの時もらったお守りって本当にご利益があったのかもしれないな。

 

「あ、そうだお守り……」

「ああそうだった。全く、オレ達が追って来れないようにお守りまで念入りに置いてくなんてよ。ほらよ」

 

 レオリオさんが懐から出して渡してくれたのはあのお守りだった。

 わざわざ持って来てくれたのか。良かった。置いてきたけど捨てるつもりはなかったんだ。

 

「ありがとうございますレオリオさん。もう手放しませんから」

「そうしてくれるとありがたいぜ。これで何時でもアイシャのところに行けるしな」

「ふふ、そうですね」

 

 【高速飛行能力/ルーラ】の能力があれば皆がどれだけ離れていてもすぐに会えるしね。本当に良い能力だよ。

 

「なんだか距離近くなってないかこいつら……?」

「抜け駆けしやがって……後で覚えてろよレオリオ」

 

 落ち着け。マジで殺気が漏れてるぞ2人とも。庭にいる犬が怯えてるのが分かる。どうしてそんなに殺気だってるのやら。

 

「この馬鹿2人は置いておいてだ。アイシャ、話を聞いた限りでは確かお前の母親は亡くなっていたはずだが?」

「そうだったね。お父さん再婚したの?」

 

 殺気だってるキルアとミルキを無視して疑問を聞いてくるクラピカとゴン。

 レオリオさんもそれは気になっているだろう。何せ母さんのお墓の前で挨拶したしね。

 

「そうですね。少し長くなりますが説明します」

 

 

 

 ――少女説明中――

 

 

 

「――というわけなんですよ」

『親父さんすげーよ』

 

 うん。それは私もそう思う。普通は死者の具現化とか考えないし、考えてもまず出来ないと思うだろうしね。

 

「まさか死者の具現化とはな……」

「うーん。念って奥が深いね」

「いやマジで尊敬する。具現化か……」

「何考えてんだくそ兄貴」

 

 皆色々と思うところがあるみたいだな。流石に具現化能力で死者を具現化するとは思ってもいなかったようだ。

 私だってそんなの考えたことがない。今まで聞いたことないしね。“死者の往復葉書”が有ったからとはいえ、正直脱帽した思いだ。

 おかげで母さんと父さんと一緒に暮らすことが出来るようになれたから万々歳だけどね。

 

「そういうわけで、しばらくはここで生活をしたいと思います」

「そうだな。家族仲良く暮らすのが一番だ。良かったじゃないかアイシャ」

「うん。会えなくなるわけじゃないしね。また風間流道場にも来るんでしょ?」

「ええ。走ればすぐの距離ですしね」

 

 歩けば数時間は掛かるが、私なら全力で走れば数分も掛からないだろう。

 まあそこまですれば確実に変な噂が流れるからしないけど。

 そうだ。私も気になることがあるんだった。

 

「そういえばリィーナとビスケはどうしたのですか? てっきり一緒に来てるものと思ったのですが」

 

 リィーナが私関係でこの5人に遅れを取るなんて中々考えられないことなんだけど。

 

「あー。リィーナさんにもアイシャがどこにいるか教えたんだけどな」

「立場が立場だからな。マフィアのドンの家に来るわけにはいかなかったそうだ」

「ビスケはリィーナさんに付き合って一緒に待ってるよ」

「なのでアイシャから連絡を取ってやってくれ。彼女も心配していたぞ」

 

 あー、なるほど。

 確かにロックベルト財閥の会長が白昼堂々とマフィアの家に入ったら大事だわな。

 スキャンダルなんてもんじゃないだろう。大抵は握りつぶせるだろうけど、火種はわざわざ作る必要もないか。

 

 後で確認したら大量のメールの中にリィーナからの謝りのメールも入っていた。

 マジでごめん。大量すぎて全部確認出来ていなかったんだ。後で何か埋め合わせを考えておこう。

 

「そういえばレオリオ。さっきアイシャの親父さんから貰った紙はなんなんだ?」

「そういやそうだな。ちょっと見てみるか」

 

 確かに気になるな。一体何の紙なんだろうか?

 

「……これは。なるほどな。ありがたいぜドミニクさん」

「なんだったのレオリオ?」

「ああ。オレじゃなくてクラピカに必要なもんだな」

「私に?」

 

 そう言ってレオリオさんがクラピカに紙を渡す。

 クラピカに必要な紙。そうか。あれのことか。父さん調べてくれてたんだな。

 

「……これは! レオリオどうしてこれをお前が!」

「何なんだよ一体?」

「どうしたんだクラピカ?」

 

 クラピカの急変に皆が驚く。冷静沈着なクラピカが驚くくらいだ。余程のことがあったと思うだろう。そしてそれはクラピカに取っては本当に余程のことなんだ。

 その紙にはきっと――

 

「この紙には……幾つかの緋の眼の在り処が書かれている……」

『!!』

 

 そう、あの時。レオリオさんが父さんに頼んだこと。

 治療の代価に求めたのが、緋の眼の情報だった。あれから3ヵ月は経った。それまでに調べてくれた情報が書かれているのだろう。

 

「どうしてこれをレオリオが……?」

 

 クラピカのその当然の疑問には、恥ずかしそうにそっぽを向いているレオリオさんに代わって私が答えた。

 

「レオリオさんが父さんの治療の代価に頼んだのが、緋の眼の在り処に関する情報だったんですよ」

「べ、別に頼みたい物が他になかっただけだしな」

 

 私の周りにはツンデレの男が多い気がする。

 

「レオリオ、お前……ありがとう」

「へっ。患者でもねー男から礼言われても嬉しくないんだよ」

「なんなら“ホルモンクッキー”を食べてから礼を言ってもいいぞ? 今ならそれくらいはしてやる」

『“ホルモンクッキー”の話は止めてくれ……!』

 

 私とキルアの魂の叫びがハモった。

 

 

 

 その後は父さんと母さんも合流して色々と話をした。

 正直私の話題ばかりになって恥ずかしかったけど……。

 今までどんなことをしたとか母さんが色々聞いて、父さんも楽しそうに笑って……。

 まあ恥ずかしいけど、2人が笑ってるならいいか。

 

 宴もたけなわ。楽しく盛り上がっていたお話だが、時間も大分経って夕暮れが近づいてきた。

 

「もうこんな時間か。お前たち、この後予定はあるのか?」

 

 父さんのそんな言葉に、レオリオさんが周りを見渡して皆が首を振ったところで全員を代表して答えた。

 

「いや? 特にないな」

「そうか。なら夕食を食べていくといい」

「あら、それなら今日は奮発しなきゃいけないわね。少し面倒かもしれないけど、付き合ってねドミニクさん」

 

 ああ、母さんがご飯を作るなら父さんが近くにいないといけないしね。5mって結構面倒な制約だな。何とか伸ばせないものか。

 

「いいのドミニクさん?」

「ガキが遠慮するな。何だったら今日は泊まっていくといい。自分の家だと思って寛いでいいぞ」

 

 父さんはゴンやキルアに何だか優しい気がする。子どもに男の子がいればって考えているのかもしれない。

 ……ちょっぴり嫉妬である。

 

『お世話になりますお養父さん』

「殺すぞ?」

 

 レオリオさんとミルキは何を言ってるのやら。

 父さんもそんな冗談を真に受けないでよ。銃は構えないでしまいましょうね。ちょっと、何で銃をオーラが覆ってるの? まだ周教えてないよ?

 

「おいアイシャ、飯出来るまでゲームしようぜゲーム」

 

 なんで私のジョイステを持ってるキルア? しかもすでにTVに接続済みとか。お前はちょっと寛ぎすぎだと思うよ?

 

「おま、これドカ○ンじゃねーか!」

 

 おお、流石ミルキ。ドカ○ンを知っていたか。って違う違う! 何てものをセットしたんだキルア!

 

「さあ、無情なるゲームの始まりだぜ?」

「いいだろう。だが、この私を倒せるかな?」

「……オレは止めとくよ。何だか嫌な予感がするんだ」

「私も止めておきます。眺めてるだけでも楽しいですしね」

「ゲームとあらばオレの出番だろ。あと1人出来るからレオリオもやろうぜ」

「おお、いいぜ。面白いのかこれ?」

 

 地獄の友情破壊ゲームです。これが終わった時に皆さんの友情が残っていることを祈っております。

 

「ハウスルールはどうする?」

「何でも有りに決まってるだろクラピカ」

「お、いいね。後悔すんなよキル」

「そっちこそな」

「ははは。ゲーム1つで大げさだなお前ら」

 

 ――この後、すぐにこの言葉を撤回したレオリオであった。その後の泥沼な争いは言うまでもない――




ハトの照り焼き様から頂いたイラストです。いつもありがとうございます。

【挿絵表示】


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

外伝2

「はっ、はっ、はっ!」

 

 夜のヨークシンの一角を、1人の女性が走っていた。

 人気がほとんどないビルの路地裏を息を切らせながら走るその女性の表情は必死そのものだ。

 まるで足を止めたらそこで死んでしまうかのような、そんな必死さを見せて女性は走る。

 

 街明かりを目印に人気がある方へと走っている。あの角を曲がればもう少しのはずだ。

 そう思って走るが、路地裏の出口には1人の男が立っていた。

 それを見て顔をしかめながら、しかしすぐに方向を切り替えて別の道へと走る。

 

 まただ。女性はそう思う。逃げても逃げてもこの繰り返し。もう少しで明るい場所へと、安全な場所へと辿りつけるというのに、その直前で防がれてしまう。

 遊ばれている。自分を絶望させるためにわざと泳がされているんだ。きっと奴らがその気になればすぐに捕まえることなど出来るのだろう。

 絶望が女性を包むが、だからと言って諦めるわけにはいかない。諦めたらそこで終わってしまうからだ。……彼女の人生が。

 

 

 

 女性の名前はシャーロット。フリーのジャーナリストをして生計を立てている女性だ。主な活動はヨルビアン大陸で、今はヨークシンで活動中であった。

 彼女が狙っていたスクープは去年の9月1日、つまりは1999年9月のドリームオークション開催日に起こった大事件についてだ。

 2つの大型ビルが倒壊し、多くの死人が出たはずの大事件。だが、そんな大事件にも関わらずその詳細はあまり一般には知らされていなかった。

 

 それもそのはず。事件はドリームオークションの裏、マフィア主催のアンダーグラウンドオークションが発端であったからだ。

 そしてマフィアとヨークシン市長は結託していた為、当たり障りのない内容へと事件を書き換えもみ消していたのだ。

 ちなみに警察署長は市長の子飼いのようなものだ。マフィアと市長と警察がグルなのだ。もみ消しも容易だっただろう。

 

 シャーロットはこの事件を知り、調べていく内にその不自然さに気付いたのだ。明らかに何らかの手が入っているのを。

 今までにもその道の人間にはマフィアとヨークシン市長の繋がりは噂されていた。だが、それが明るみになったことはない。

 もし自分がこの噂をすっぱ抜き、記事にすることが出来たなら……。そう思うと興奮が止まないシャーロット。そこには失敗すればどうなるかという考えはなかった。

 

 彼女は優秀だった。少し考えが足らず勢いで行動を決めることはあるが、それでもいくつものスクープを今までに上げている。

 その証拠というべきか、今回も上手く行っていた。独自の情報網を使い、市長の周囲を調べ、根気強く粘ることで、マフィアと市長が一緒に食事をしている光景を写真に収めることが出来たのだから。

 そのマフィアは一般にもマフィアと知られている男だった。市長とマフィア。明らかに混ざってはいけない者同士だ。それが一緒に食事をしている光景は十分にスクープになるだろう。

 

 もちろんだが市長とマフィアが関わっているなど公になって良いわけがない。つまりこの会食も厳重に警戒して誰にも見られないように配慮されている。

 市長の息が掛かった信頼出来るホテルのレストランを貸し切り、周囲にも多くの黒服が警戒しており、ホテルに入るのも時間を分けている念の入れようだ。この警戒を超えて写真を撮るなどまず出来ないだろう。

 では、なぜシャーロットはこの光景を撮ることが出来たのか。窓もなく遠距離から撮影することも出来ない。入り口は黒服に守られている。そんな密室の写真をどうやって撮ったのか?

 

 それはシャーロットが市長とマフィアの会食が始まるよりずっと前に、レストランの天井にあるダクトに隠れ潜んでいたからだ。

 彼女は独自の情報網と執念で、本日市長が誰かと食事をすることを突き止めたのだ。そして市長に関して調べている内に市長が良く貸し切りして利用するレストランにも気付いていた。

 そこから彼女は勘で動いていた。確実にそのレストランで食事をすると分かってはいなかったが、彼女の勘がここで何かがあると囁いたのだ。

 そしてシャーロットはホテルに忍び込んでダクトへ入り込み、レストランの天井裏へ隠れ潜んだ。ちなみにこの時シャーロットは天然で絶を使用していた。一念が生み出した驚異である。

 

 そうして勘に従い特ダネをゲットしたシャーロットであったが、その勘は特ダネ以外、つまりは自らの危険に関しては働かなかったようだ。

 

 

 

「失礼します」

「どうした? 私は今大事な話をしているんだぞ?」

 

 シャーロットが決定的瞬間を撮影した直後。シャーロットがその場からすぐに離れようとした瞬間に、ドアの前に立っていた黒服の1人が室内に入ってきた。

マフィアのボスが誰も中に入るなと命令していたというのに入室してくる。つまり相応の何かがあったということだ。

 市長もボスも怪訝な表情でその黒服を眺める。そして黒服は入室した理由を答えた。

 

「いえ、ネズミがいたものでして、ね!」

 

 その言葉を発した瞬間に、天井裏のシャーロットは慌てて逃げようとし、それよりも早くに黒服が念弾を天井に放出した。

 

「きゃああっ!?」

 

 天井が弾ける大きな音と煙と共に、シャーロットがその場に落ちてきた。

 シャーロットは念能力の欠片も知らない一般人だ。何が起こったか理解出来ないままに、地面に落ちた衝撃で痛む体をさすっている。

 

 ここまでは完璧な絶にて気配を消していたシャーロットだったが、特ダネを手にした喜びのあまりに気配が漏れてしまったのだ。それをこの黒服に察知されてしまったのである。

 

「この女……!」

「知っているのか?」

「私の周りを嗅ぎ回っていたジャーナリストです。まさかこんな所まで!」

「やっば……」

 

 己の置かれた状況を理解し、シャーロットはすぐさま踵を返して部屋から逃げ出した。一般人にしては早いその動きに、部屋の外で待機していた数人の黒服は一瞬呆気に取られてしまい捕まえるタイミングを逸してしまったようだ。

 

「何をしているカルロ! 早くあの女狐を捕まえろ! 写真でも撮られていたら面倒なことになるぞ!」

 

 シャーロットを見つけた黒服――カルロ――に怒鳴って命令を下すボス。怒りも当然だ。カルロはシャーロットが逃げるのを黙って見ていたのだから。

 カルロはボスの構成員でも最強の念能力者だ。そのカルロならあのような一般人程度造作もなく捕まえられたはずだ。だというのに一体どういうつもりなのか?

 

「ご安心ください。この通り、あの女が持っていたカメラや録音機はすでに奪ってますぜ」

 

 そう言ってカルロは後ろ手にしていた両手を前に出す。その手にはカルロの言った通りの機器があった。

 あの時、シャーロットが天井から落ちてきて状況を理解する数瞬の間に奪い取っていたのだ。

 

「おお……」

 

 自分の地位を脅かす証拠がないことに安堵の溜め息を漏らす市長。

 だが、ボスはまだ怒りを顕わにしていた。

 

「だからと言ってあの女狐を逃がす気か?」

 

 その怒りが混ざった視線と言葉に対し、カルロは肩を竦めてこう答えた。

 

「まさか。ところでボス。狐狩りってお嫌いですかね?」

 

 その台詞を聞き、カルロの意図を理解してボスはニヤリと笑みを浮かべる。

 

「嫌いじゃないな。朗報しか聞く気はないぞ?」

「もちろんですよ、ボス」

 

 そうして、ヨークシンの夜で狐狩りが始まった。

 

 

 

 

 

 

 ホテルから逃げ出したシャーロットは、ホテルの前にあったタクシーに乗り込み空港まで移動しようとしていた。

 だが、タクシーに一本の電話が入った後、何故かタクシーは横道にそれて行き、人気のない場所で無理矢理シャーロットを降車させてそのまま走り去って行ったのだ。ホテルが市長の息が掛かっているということは、そのホテルのタクシーも同様だった。

 

 呆然とするシャーロットだったが、すぐに気持ちを切り替えてその場から離れようとする。

 だが、いつの間にか目の前には1人の黒服が立ちはだかっていた。

 

「よう、いい夜っ!?」

 

 シャーロットはすぐさま懐に忍ばせてあった小型の護身銃を取り出し、躊躇せず撃った。シャーロットが黒服――カルロ――を認識してわずか2秒程度の出来事である。

 常識を超えた存在に取って2秒は長すぎる時間だが、一般人のはずのシャーロットには短すぎる時間だろう。

 そんな短い時間で躊躇うことなく自身を敵と認識して銃を撃つとは、流石の裏社会の猛者であるカルロも思ってもいなかった。

 

 倒れたカルロを見てやっちまったと僅かに後悔するシャーロットだったが、どうせ生きていても人様の役に立たない社会のゴミだとすぐに割り切った。相当図太いようだ。

 だが、人を殺してしまったという後悔も、敵を倒したという安堵も、すぐに霧散することになった。

 死んだはずのカルロがゆっくりと立ち上がったのである。

 

「やってくれるなこのアマ。大した度胸だぜ」

「ば、化け物!?」

 

 小型とは言え銃は銃だ。その殺傷能力は十分にある。心臓付近に2発、頭部に2発のコロラド撃ちをすればどれだけ殺傷能力が低くても致命傷になるだろう。

 例え胴体に防弾チョッキの類を着けていたとしても、頭部を守る物は何1つないのだから。強いて言うなら黒のサングラスくらいだろうか。

 だが、一流の念能力者であるカルロを殺すには威力不足にも程があったようだ。

 

「……出会い頭にいきなり銃をぶっ放す女に化け物呼ばわりされるのも癪だな」

 

 尤もである。結果的に見ればカルロはシャーロットを捕らえるもしくは殺す為に来たのであり、シャーロットがしたことは自己防衛とも言える。

 だが、流石に出会って喋る間もなく相手を撃つというのはない。しかもコロラド撃ちだ。殺す気満々である。

 状況が状況でなければ裏社会にスカウトしたくなる逸材かもしれなかった。

 

「殺すにゃ惜しい女だ」

「っ!?」

 

 その言葉を聞いて、この男が自分を殺しに来た追手と完全に理解する。

 銃も効かない化け物だ。女の自分が勝てるわけがない。理解したら判断は早かった。即断即決は彼女の長所である。……短所でもあったが。

 

 とにかく、勝てる相手ではないのだ。シャーロットは即座に踵を返して逃げ出した。

 だが、それはカルロの思惑通りの行動だったが。

 

 

 

「はっ、はっ、はっ!」

「おーっと、こっちは行き止まりだぜ?」

「くっ!」

 

 どこへ逃げようとも、どこまで行こうとも、行く先々には先回りした黒服の男たちがいた。

 カルロとは違うが、同じ黒服だ。こいつらも同じ化け物――実際は無能力者だが――だと勘違いしたシャーロットは黒服を見る度に方向転換して別の場所へと逃げた。

 だが、巧みに部下に連絡をして逃げ道を塞いでいるカルロの手腕により、シャーロットはどれだけ逃げても人気の有る場所へと辿り着くことは出来なかった。

 

「何処に行くのかなお嬢ちゃーん?」

 

 下卑た笑い声が後ろから響いてくる。捕まればどうなるか? それを容易に想像させるような声だ。

 そんな目に遭ってたまるか! その想いが限界のはずの肉体を無理矢理動かしていた。

 

 そんな必死なシャーロットを、黒服たちは確実に、しかしゆっくりと追い詰めていく。遊ばれているのは分かっている。だが、だからといって諦めるわけにはいかない。

 

「ひっ!?」

 

 シャーロットの周囲に何発かの銃弾が飛び交った。命を容易に奪うその音が自分に向けられたことを恐怖し足を竦め、当たらなかったことに安堵する。

 続けざまに数発の弾丸が地面や壁に当たる音が響く。だが当たってはいない。それどころかシャーロットとは掛け離れた位置に銃弾は着弾していた。

 どうやらこれも遊びのようだ。わざと当てないことで恐怖を煽っているのだろう。悔しさで歯噛みする想いだ。だが、立ち止まっていたら捕まってしまう。屈辱をバネにしてシャーロットは再び走り出す。

 

 だが……どれだけ必死になろうとも、所詮は一般人の域を出ない女性だ。

 常識を逸脱した念能力者の遊びには勝てるわけもなかった。

 

 

 

 逃げて逃げて。走って走って。どこにも逃げ道がなくなって、辿り付いたのは廃ビルの屋上だった。

 好んでこんな場所に逃げたわけではない。ここしか逃げる場所がないようにゆっくりと誘導されたのだ。

 周囲には同じくらいの高さのビルがあるが、今いるビルから飛び移るには遠すぎる距離があった。

 そしてビルの高さは30mを超えている。どんなに運が良くても落ちたら重傷は免れないだろう。運が良くてそれだ。悪ければ……確実に死ぬだろう。

 

 逃げ道はない。どう足掻いても絶望だ。もうどうしようもないその残酷な現実に、シャーロットは疲れ果てた体を屋上に張ってあったフェンスにもたれ掛けることしか出来なかった。

 

「お疲れさんっと。よく逃げたじゃないか。正直もっと早くにギブアップすると思ってたぜぇ?」

 

 その声にシャーロットがゆっくりと振り向くと、そこには屋上のドアを開けて入ってきたカルロとその部下の黒服たちがいた。

 シャーロットは意味がないと知りながらも、残り2発しかない護身銃を構えて必死に虚勢を張る。

 

「こ、来ないで! それ以上近づいたら撃つわよ!」

 

 その虚勢に男たちはニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべる。当然だ。虚勢であると誰もが理解しているからだ。

 黒服はリーダーであるカルロの強さを知っている。あの程度の銃でどうにかなる存在ではないのだ。

 

「撃ってみろよ。上手く眼にでも当てられればそんな銃でもオレを倒せるかもしれないぜ?」

「う、うう……」

 

 撃つことは出来なかった。

 眼という小さな的を狙い撃つ技術などシャーロットにはないし、この残り2発の銃弾がなくなってしまえば本当に心の拠り所がなくなってしまうように感じたからだ。

 

「お前さんも馬鹿な真似をしたもんだ。人間はな、分ってやつを弁えなきゃならない。それを超えちまったら……。ま、これ以上言う必要はねぇか。どうせもうすぐ自分の体で理解するんだからなぁ?」

 

 カルロの言葉に続いて黒服たちが嗤い声を上げる。

 もうすぐ自分に降りかかる非情な運命を鮮明に理解し、シャーロットは震える体を抱きしめた。

 

 女性としての尊厳を嬲られてから殺されるなら、いっそのこと自殺した方がマシか。この銃で頭を撃てば痛みは一瞬だ。

 そんな風にシャーロットが諦めかけた時……この場に不釣合いな陽気な声が響いた。

 

「大変そうだね? 助けてあげようか?」

 

 誰もが動きを止めた。この場を支配しているマフィアと、嬲られるだけのか弱い女。それ以外の存在がこの場にいるとは誰も思わなかったのだ。

 中でもカルロの驚愕は一層際立っていた。この場所はシャーロットを追い込むために選んだ場所だ。その際に軽くだが下調べは済ませてある。逃げ場を失くす為の追い込み場所だ。調べずに逃げ道を残しては台無しなのだから当然だ。

 だというのに、しかもこのような人気のない場所に第三者がいて、それに自分が気付いていなかったのだ。一流を自負する自分がだ。

 

「何者だ!」

 

 誰よりも動揺したカルロだったが、動揺から立ち直るのも誰よりも早かった。

 声のした方向を向き、そこにいる第三者を確認する。

 カルロに続いてその場にいる第三者を除く誰もが同じ方向を見た。

 

 そして見た。給水タンクの上に立ち、雲の合間から照らされる月明かりを浴びて存在感を際立たせる……何故か股間を滾らせている1人のピエロを。

 

「通りすがりの、正義の味方さ♥ っ!?」

 

 シャーロットはすかさず撃った。反射的に銃を撃った。2発の銃弾を的確に頭部と男の急所に撃ち込んだ。変態ピエロ――当然ヒソカである――がガードしなかったら彼は第三の足を失っていただろう。

 

 カルロは銃弾を防いだヒソカの実力よりも、いきなり銃を撃ったシャーロットの反応に唖然とした。この状況であの反応。この女、一体どういう思考回路をしているのだろうか? そう、誰もが疑問に思った。

 

「あっと、その、ごめんね? つい……」

「……いい腕してるね? その道に知り合いがいるから紹介しようか? いい暗殺者になれそうだよ?」

 

 反射的に銃を撃ってあれだけ正確に人間の急所(+男の急所)を狙えるのは相当である。然るべき所で訓練を積めばそれなりの暗殺者になれるかもしれない。

 

「ところで、助けない方が良かったかな?」

 

 ヒソカとて善意だけで彼女に助けの手を差し伸べようとしたわけではないが、あの対応はあんまりである。

 さしものヒソカもげんなりしていた。

 

「ああ! 待って待って! 超助けてほしい! お願いこの通り!」

 

 この絶望の状況を一変してくれるかもしれない存在の不興を買ったことを後悔し、とにかく平謝りするシャーロット。

 ヒソカとしてももう助けるの止めようかなーと思いもしたが、自分の欲求を満たす為には人助けは必要不可欠なことなのだ。

 だから先ほどのことは無かったことと気持ちを切り替えた。

 

「まあいいよ、助けを求めるなら応じるのが正義の味方ってものさ♦」

「お前のようなヒーローがいたら他のヒーローの尊厳が傷つきそうなんだが?」

 

 全くである。何処の世に股間を膨らませて興奮しているピエロなヒーローがいるというのか。これがアニメで流れたら世の子どもはヒーローに絶望するだろう。

 

「まあそう言わないでくれないかい? 仕方ないじゃないか、だって……久しぶりの獲物なんだから、さぁ♣」

「っ!」

『ひっ!』

 

 ヒソカから突如として放たれた殺気にシャーロットはおろか、黒服たちも全員竦んでしまった。

 その殺気に対応出来たのはカルロくらいだ。そしてそれを見て、ヒソカは獲物の味を確かめるように舌なめずりをする。

 

「少しは楽しめるかな?」

 

 枷を持つ身としてはかつてのように思う存分暴れることは出来ないヒソカ。

 興奮を鎮める機会が極少数な今、カルロは上等な獲物と言えた。

 

「お、おい! この女がどうなってもいいのか!?」

 

 黒服の1人がシャーロットに向けて銃を構える。

 恐怖でその身は震えており銃身もブレまくりだ。とてもではないが弾を当てられるとは思えない。そしてその愚かで無駄な行為は男の寿命を縮めただけだった。

 

「この女を殺されはひゅっ!?」

 

 いつの間にか、銃を構えていた黒服の喉元にはトランプが突き刺さっていた。

 ただの変哲のないトランプだ。それが人の肉を裂き、骨まで断っている。

 あれもまた化け物だ。シャーロットは味方と思っていいのか分からないヒソカに恐怖する。

 

「お前たちは下がってろや! 邪魔にしかならねぇよ!」

 

 カルロのその言葉は別に部下を思ってのことではない。言葉通りの意味だ。

 この広いとは言えない空間で、これだけの足手まといがいてはまともに戦うことが出来ないのだ。

 

「そういうこと。キミたち程度なら、このトランプ1枚で十分♠」

 

 だがそんなカルロの危惧はすぐに解消された。

 いつの間にか給水タンクから降り立ったヒソカが、瞬く間にたった1枚のトランプで残る黒服たちの命を刈り取ったことで。

 

 屋上に死の臭いが充満する。

 屋外だというのに、その死臭は簡単には消えそうになかった。

 

「うわ……」

 

 仕事柄人の死体を見たことも幾度かあるシャーロットも流石に口元を押さえるほどの惨状だ。その惨状を生み出した当の本人、自称正義の味方はとてもスッキリそうな表情であったが。

 

「ほら、これで邪魔はいなくなったよ♣」

「そいつは……ありがたいねぇ!」

 

 牽制のつもりか、カルロは殺された部下をヒソカに向かって蹴り飛ばす。それをヒソカは避けることなく持っていたトランプで切り裂いた。

 トランプの長さで人を半分に切り裂くという理不尽な現象に、シャーロットの理解は飽和状態になっていた。

 

 だが、そこから廃ビルの屋上で起こった出来事はシャーロットを更に混乱へと導いた。

 

 シャーロットの目線で説明しよう。

 

 眼で追えない動きをする両人。激しい音だけが聞こえ、頻繁に周囲の物が壊れていく。素手でコンクリートが砕け、トランプで金網が切り裂ける。

 ようするに訳が分からない、である。いつからここはファンタジーや物語の世界に入ったのだろうか? 一般人であるシャーロットがそう思っても仕方ないだろう。

 

 そんなシャーロットを置いて、ヒソカとカルロの戦いは激化していく。

 

 

 

「中々やるじゃないか。大したものだよ♣」

「貴様こそ! このオレに付いて来れるとはな!」

 

 余裕そうにしているが、カルロは内心で焦っていた。これほどに接戦するとは思ってもいなかったのだ。

 カルロは自分に比肩するレベルの念能力者がそうはいないと思っていた。その自惚れも仕方ない。念能力者となって今まで彼は負けたことがないからだ。その自信に胡坐をかかず、日々の鍛錬も怠っていない。次代の陰獣に選ばれると周りから予想されていたし、去年の事件で陰獣が全滅したことから陰獣確定と言われている男だ。

 

 そんな自分にここまで接戦するこの男は何者なのか。

 

 ヒソカが高速で振るうトランプを避けながらそう考えるカルロ。

 たかがトランプと侮ることはカルロにはない。確かに紙で出来たトランプの耐久力などたかが知れている。

 だが、その紙も高速で振るえば人の肌を切るくらいは出来るのだ。しかもそのトランプには大量のオーラが乗せられて強化されている。

 念能力者は思い入れのある物体には普通の物体よりもオーラを乗せやすくなる。このトランプも例に漏れていないだろう。

 例え同じ念能力者と言えど、たかがトランプと侮っていては部下と同じ目に遭うだろうとカルロには分かりきっていた。

 

 とにかく、男の正体は置いてまずはこの難敵を倒すことを考えなければならない。

 念能力者の戦いで重要なことは、敵の能力を知ることだ。それには単純な身体能力や戦術もそうだが、やはり最重要なのは得意系統とその発だろう。

 それが分かれば戦闘は有利に働くことになる。ここまで接戦するほど戦闘力に差が無い戦闘ならば尚更だ。

 

 カルロは戦いながら注意深くヒソカの力を測っていく。

 

 トランプという物体にオーラを多く籠められていることから操作系か具現化系の可能性がある。その2つの系統は物体に強いオーラを籠められる傾向が多いからだ。

 だが身体能力自体は放出系の自分と変わらないほどだ。眼で見て分かる肉体を覆うオーラも互いに然程の差は無い。

 その上で身体能力が互角ということは、放出系である自分と変わらない強化率で肉体を強化しているということ。つまりこの敵は変化系か、自分と同じ放出系である可能性が高い。

 前述した通り、例え操作系や具現化系でなくても物体に強い想いがあればオーラも乗せやすくなることから、変化系か放出系でもトランプにこれほどのオーラを籠められておかしくはない。

 まだ確定ではないが、十中八九この2つのどちらかの系統だろうと予測する。

 

 ここまでヒソカはトランプを用いた接近戦で戦っている。

 放出系は文字通りオーラを放出することを得意としている。接近して戦うならば変化系の可能性が高い。

 だがカルロ自身放出系でありながらこうして接近戦を講じている。それは単純に自身が放出系と悟られないようにするためだ。

 同じことをヒソカがしないとは限らない。

 

 ――いや待て――

 

 そこでカルロは気付いた。

 この戦闘が始まる前、カルロの部下がシャーロットを人質にしようとした時にヒソカが投げたトランプ。

 あの時、トランプを覆っていたオーラはどうだった? 今トランプを覆っているオーラと比べてどうだった?

 確実に少なかった。見間違いではない。確かに少なかった。

 

 放出系ならば体から離れたオーラがあそこまで減少することはない。単に籠められたオーラが少なかったわけではない。この男がトランプを投げてから少なくなったのだ。ならばこの男の得意系統は変化系のはず!

 

 そう思い至って、カルロは内心で笑みを浮かべる。それは勝利を確信した笑みだ。

 カルロは変化系と自分の相性がいいと思っていた。変化系はオーラを何かしらの性質に変化させるのが得意な能力だ。そして変化系は放出系が得意ではない。それは総じて接近戦が得意になってくるということだ。

 そういうタイプの敵に対して、離れながら戦うことを得意とするカルロは苦戦したことすらない。たまに強化系まっしぐらな馬鹿がその肉体の強さを頼りにまっすぐ突っ込んで来て思わぬ苦戦を強いられたことはあるが、変化系だとそれもない。

 オーラをどのような性質に変化させようと、一定距離を保ちながら戦えばその変化したオーラも当てることも出来ずに意味なく終わるのだ。

 そう、カルロは変化系を格下に見ていた。

 

 しかも得意だろう接近戦でも自分相手に互角が精々な相手だ。自分が得意な遠距離戦に持ち込めば勝利は容易い。

 もはやここまで分かれば相手の能力など考えても意味が無い。どうせどのような能力だろうと、そう、例えオーラを炎や氷に変化させようと当たらなければ意味はないのだから。

 

 そう判断したカルロはヒソカの鋭い一撃を躱した後、牽制の蹴りを放ってヒソカを僅かに後退させ、その隙に大きく飛び上がり後方へと離れた。

 

「おや? もしかして逃げるのかい?」

「はっ! 冗談言いなさんなよ。どうしてオレが勝てる戦いで逃げなきゃならないんだ?」

 

 ヒソカの言葉に対して肩を竦めながらカルロは答える。

 そうだ。もはや眼前の敵は脅威にあらず。勝てる敵を相手に逃げる馬鹿はいないのだ。

 

「へぇ? 逃げるつもりがないのに離れるということは、キミは放出系かな?」

「それはお前の体で確かめるんだな。変化系の兄ちゃんよぉ!」

 

 互いの得意系統を言い当て、戦いは更に激化していくことになった。

 

「ほらほらほらほらほらぁ! 避けきれるかなぁ!」

 

 カルロが次々と念弾を放つ。1つ1つが球状の、野球のボール大の大きさの念弾だ。

 ヒソカがその念弾を躱すが、ヒソカを襲う念弾の数は減ることなく、それどころかどんどんと増えていっていた。

 それもそのはず、カルロが放った念弾はヒソカが避けた後にその角度を変えて再びヒソカへと迫っているのだ。

 避けても追尾してくる念弾。しかもその数は増え続けている。数に限界はあるだろうが、それより先にヒソカの回避に限界が来るだろう。

 

 避けるだけでは追いつかなくなり、ヒソカは念弾を破壊しようと試みる。

 後方から迫る念弾を肘で叩き壊そうとする。だが、オーラを籠めたその肘を食らったはずの念弾は破壊されることなく、まるでボールが弾むように遠くへ吹き飛び、そして再びヒソカへと向かっていった。

 

「これは……」

「無駄だ! オレの念弾はその程度では壊れることはない!」

 

 これがカルロの念能力であった。オーラをバレーやサッカーのボールのように弾力性のあるオーラに変化させてそれを球状にして放出する。

 変化系を混ぜているため威力は若干下がるが、それにより破壊されることなく攻撃し続けられるのだ。

 そしてこの能力には操作系も含まれていた。予め対象に目印を付けて置くことでその対象目掛けて襲い続けることが出来る。

 目印はヒソカと戦っている内に仕込んであった。触れさえすれば仕込める簡単な目印だ。その為に放出系でありながら接近戦を講じていたのだから。

 

 この能力は念弾を放ってから10分で目印の効果が切れるのが欠点だが、今まで5分と持った相手などいはしなかった。

 確かに1つ1つの念弾の威力は低いが、避けても避けても向かってくる無数の念弾を受け続けて耐え切れる者などいるわけがない。10分という効果時間はカルロには長すぎるものだった。

 

「はっははは! いつまで耐えられるかな!?」

 

 念弾を避け、打ち払い続けるヒソカに、遠距離から更に念弾を増やすカルロ。

 勝ちパターンに入ったことでどこまでヒソカが足掻けるか、楽しみに観察しているようだ。

 既に念弾の数は100近くまで増えていた。今はどうにか持っているが、限界が来れば圧倒的な数に押され、挽き肉になるのも時間の問題だろう。

 

「どうした? お前の能力を見せてみろよ! ま、見せる暇もないだろうけどな!」

 

 内心で勝利を確信しているカルロはヒソカを見下しつつ、屋上の隅で蹲っているシャーロットを見やる。

 頭を抱えながら小刻みに震えているようだ。無理もない、理解の範疇にない出来事が起きているのだ。

 しかも眼で見えない念弾が周囲を飛び交い屋上を跳ね回るせいで聞こえてくる破壊音もあるのだ。恐怖も一入だろう。

 そんなシャーロットを見ながら、カルロは彼女を甚振る時が来るのを楽しみにしながら舌なめずりをした。

 

 そして再びヒソカに注意を向けた時、そこでカルロは信じられない物を見た。

 

「な、何!?」

 

 合計100。カルロが同時に展開出来る最大数の念弾。四方八方飛び交い襲い来るそれだけの数の念弾を、ヒソカは一撃たりとも被弾することなくいたのだ。

 その全てを避け、払い続け、ただの一度もまともに当たってはいない。ここまで耐える者はいたが、それでも被弾無しというのは初めてのことだ。

 自分に同じことが出来るだろうか? いや出来はしない。だが、先ほどの戦いに置ける体術では自分と然程変わらないレベルのはず、だと言うのに何故?

 

 まさか、まさかまさかまさかまさか――

 

「ま、まさか、手加減していたのかっ!?」

 

 あの戦いは、あの接戦は、あの死闘は、手を抜いたことで出来上がった演劇だったというのか。

 その気付きたくなかった現実を知り、そんな馬鹿なと首を振るうが、未だ眼前で繰り広げられるヒソカの動きを見て否が応でも現実を直視させられる。

 既に能力を発動して8分が経つ。だというのにクリーンヒットの1つもないままだ。このまま行けば効果時間が切れるまでにヒソカに致命傷を与えるなど出来はしないだろう。

 

 ――逃げるか?――

 

 ここに来て自身の勝利を確信するほどカルロは愚かではなかった。

 あれは化け物だ。最初から勝ち目などなかったのだ。ただ遊ばれていただけだったのだ。

 自分が圧倒的弱者であるシャーロットで遊んだように、圧倒的強者であるあの化け物に遊ばれていたのだ。

 

 今ならば逃げることは出来る。化け物は100の念弾を対処するのに注力しているからだ。

 如何に化け物と言えど、あれだけの数の念弾を対処しながら自分の逃走を妨げることなど出来はしないだろう。

 

 そう思い、逃走を決断し、いざ離れようとしたところでその動きを止めるカルロ。

 逃げるのを止めたわけではない。ただ、逃げる前にやらなければならないことがあるのだ。

 

 そう、狐狩りという仕事が残っていたのだ。

 

 今なら殺せる。ヒソカを殺してからゆっくりと嬲ってから殺そうと思っていたので今まで生かしていたが、この状況に至ってそのような余裕などない。

 だが殺すだけなら簡単だ。ヒソカを攻撃している念弾の1つを自動操作から遠隔操作へと切り替え、シャーロットに飛ばすだけでいい。それだけで一般人の女など簡単に殺せるのだから。

 

 1つだけならばヒソカへの攻撃に然程の影響はないだろう。そして防ぐのに精一杯なヒソカではシャーロットへの攻撃を止めることなど出来るわけがない。

 そうして女狐を狩ったあとはすぐさま逃げ出せばいい。残り1分程で能力の効果時間が切れるが、逃げ切るにはわけない時間だ。

 

 シャーロットを痛めつけられなかったことを残念に思いつつ、カルロは念弾を1つだけ操作してシャーロットへと放った。

 屋上の隅で小さく蹲っているシャーロットは迫り来る念弾に気付けるわけもなく――

 

 ――シャーロットに触れる直前に、その念弾は切り裂かれ霧散した。

 

「何だとっ!?」

 

 そこにはいつの間にか、数多の念弾を対処しているはずのヒソカがトランプを振りかざして立っていた。

 

 ――馬鹿な!――

 

 あれだけの念弾の包囲網を一瞬で潜り抜けて弾力性に富み壊れにくいはずの念弾を破壊した。

 それはカルロには考えられない出来事だった。いや、確かに弾力だけでは打撃は防げど斬撃は防ぎきれないだろう。だが問題はそこではない。あれだけの数の念弾を一瞬で振り切ってシャーロットの元へ駆けつけられるなど到底出来るとは思わなかったのだ。

 

 そしてカルロは更に見たくもなかった現実を突きつけられる。

 

 高速で移動したヒソカ――目印――を追尾して残る99個の念弾が向かってくる。

 だが、その全てをヒソカはたった1枚のトランプで切り裂いていった。

 

 瞬く間に霧散する念弾。そして無傷で立つヒソカ。

 もう逃げるタイミングも逸してしまった。絶望がカルロを包みこむ。

 

「こ、これだけの実力がありゃぁ――」

「最初から簡単にキミを殺せたはず、かい?」

 

 カルロが疑問を口にする前にヒソカがその疑問を先読みして言葉を放つ。

 そして続けて疑問の答えを口にした。

 

「キミはそこそこは強いからね。長いこと楽しみたかったのさ、何せボクは面倒な制約を課せられててねぇ……♠」

 

 制約。またも疑問に思う言葉が出てくるが、ヒソカは関係なく話を続けた。

 

「さっきの能力もいい運動になったよ。もう少し数と威力を増やせれば良かったんだけどね♦」

 

 己の全力はこの化け物にとってその程度だということだ。

 精々スポーツジムで良い汗をかいた。そんな感想しか浮かばないようなレベルの差。

 

 ――実力が違いすぎる――

 

「どう、して……」

 

 諦めたように膝を突くカルロ。そんなカルロに対し、ヒソカは先輩が後輩に諭すように優しく語り掛ける。

 

「どうしてこうなった、かい? 人生なんてそんなものさ♥」

 

 その言葉が終えると同時に、カルロの人生は終わりを告げた。

 

「中々楽しかったよ。でも、やっぱりキミたち程度なら1枚のトランプで十分だったね♣」

 

 そう言ってヒソカはカルロを切り裂いたトランプを手から離す。

 ひらひらと風で揺れながら、トランプはゆっくりとカルロの顔へと落ちて行った。

 

 

 

 

 

 

 全てが終わり、溜まっていたものがスッキリとしたヒソカは上機嫌であった。

 念能力者は1人だけだったが、そうは見れないレベルの敵ではあった。ヒソカ式点数で言えば55点といったところか。

 満足行くほどではないが、それだけの実力者というのは意外と多くはない。ヒソカが55点と付けているだけで、並は凌駕する実力者なのだ。

 まあ、ヒソカにとっては実戦の勘を鈍らせないくらいの丁度いい実力者といったところだが。

 

「さて、と♥」

 

 ヒソカが屋上の隅へと視線をやると、そこにはシャーロットが呆然とした表情で立っていた。

 

「お……終わったの?」

 

 恐る恐るとヒソカに決着の有無を確認する。

 確かに自分を襲ってきた恐るべき男は死んだが、ここまでファンタジーな現実を見せられては――見えないことが多いが――死んで復活するのも有り得るのではないかと考えてしまうのだ。

 

「うん、終わったよ♠ これでキミの身は安全さ、良かったね♥」

「ほんと……? はあぁ……」

 

 ヒソカの言葉を確認し、心身ともに無事に終われたことに心底安堵する。

 そして力が抜けたようにペタリと大地に膝と手を突いて……勢い良く飛び上がった。

 

「ねぇ! 今の何なの!? どうやってあんなに速く動いていたの! ビュンッ! ってなってたわよ! もしかして改造人間!? それにどうやってトランプで人を斬ってたの!? ただの紙じゃないの!? もしかして金属かしら!? あと見えない何かが飛んでたのを防ぐように動いていたけど、あれって何!? もしかして超能力なの!? ねぇねぇいいでしょ教えてよ! お礼ならするからさ! この通り!」

 

 

 声掛けるんじゃなかったかな? そう後悔するヒソカである。

 ヒソカとしてはここで助けたことを利用して上手く連絡先を取り、何かしら困ったことがあれば手助けをするように話の流れを持っていくつもりであった。

 そうすることで彼女がまた事件などに巻き込まれれば、ヒソカは人助けと称して戦いを楽しむことが出来るのだから。

 彼女に頼んで敵を用意してもらったら、間接的に他者を自身に挑むように仕向けることになるが、彼女から助けを求めてくれば話は別だ。

 言質を取らず、言外に上手くそうなるように話を誘導するつもりだったのだが……。

 

「ねぇ! 教えてよー! あ、もしかして銃を撃ったのを怒ってる? ごめん! この通り謝るから!」

「いや、うん、それはいいんだけどね……♣」

「じゃあ教えてくれるの!?」

「……まあいいよ。キミって才能ありそうだしね……」

 

 才能はあるが、自分が好むような育ち方はしてくれそうにない。

 ヒソカのその直感は大いに的中することとなった。

 

 その後、数多のスクープを挙げ続ける1人の敏腕女性ジャーナリストが誕生するのだが、彼女がどうやってそれらの特ダネを手に入れたかは杳として知られることはなかった。

 

 

 

「どうしてこうなったのかな?」

 

その呟きに応えてくれたのは屋上に吹く風だけだった。

 

 




 シャーロット=ラミレス(外伝2初登場)
・フリージャーナリストを営む24歳の女性。ある事件を切っ掛けに念能力者への道を進む。だがその能力を戦闘ではなく己の趣味と生きがいである特ダネゲットの為に練り上げた。師であるヒソカから一応の戦闘技術も教え……もとい強制的に叩きこまれたが、それを活かす気は毛頭ないようだ。ちなみに最も得意なのは絶であることからお察し。
 念能力を手にしてからは多くの特ダネをゲットしスクープしている。やばいことに首を突っ込んででも特ダネを手に入れようとする為、頻繁にヒソカの助けを借りている。Win-Winの関係なのでヒソカとしても良いことではあるが。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

後日談その3 ※

 ハンター。その言葉を一般的に解釈するならば狩りをする人、すなわち狩人や猟師といった存在を指す言葉となるだろう。

 だが、この世界に置いて専門的な意味合いでのハンターは一般的なそれとは異なるものになる。珍獣・怪獣、財宝・秘宝、魔境・秘境。未知という言葉が放つ魔力に魅せられ、それを追うことに生涯をかけている者達のことを【ハンター】と呼ぶのだ。

 

 ハンターと一口に言っても様々なハンターがいる。未知と言っても多くの未知があるように、ハンターにもそれぞれ何を目標としているか、何をハントの対象としているかで種別があるのだ。

 世界中の未確認生物を見つけ出す幻獣ハンター。遺跡の発掘と修復・保護を行う遺跡ハンター。賞金が懸けられた犯罪者を捕らえるブラックリストハンター。犯罪そのものを取り締まるクライムハンター。他にも電脳ネット上の違法行為を取り締まるハッカーハンターや、新たな美味を求めるグルメハンターに、金のためだけに活動するマネーハンターなど、様々なハンターがそれぞれの思惑で活動している。中にはお悩みハンターやかわ美ハンターと言った一風変わったハンターもいる。

 これらはあくまで一部の例だ。他にも様々な対象をハントする多種多様なハンターがこの世には存在している。

 

 そんなハンター達にもアマチュアとプロという括りがある。

 アマチュアとなるのに特にこれといった制限はない。本人がそう名乗ったらその時点で他人が信じる信じないはともかくその者はアマチュアハンターとなるだろう。実力や実績は置いといてだが。

 だがプロは違う。厳しい試験を潜り抜け、特殊な力を手に入れた者こそがプロのハンターを名乗れるのだ。

 

 この世にプロハンターは755名存在している。これを多いと取るか少ないと取るかは人それぞれだ。だが、年に1回の試験で全世界から100万を超える人数が試験を受けながらも、現在のプロハンター資格保有者が755名だというのだからその希少性と難易度は推して知るべしだろう。

 

 厳しい試験を乗り越えてプロとなったハンターとアマチュアとの間にある差は果てしなく大きい。

 第1に実力の差だ。厳しい試験を乗り越えた者とそうでない者。運によって合格不合格の差が出ることはあれど、やはり実力の差は大きく出るだろう。

 特に合格後に得られる念能力がアマチュアとの大きな差を広げる要因となる。もちろんアマチュアでもプロに勝る実力を持つ者は極少数だが存在するが。

 

 第2に信頼の差だ。プロとアマ、どちらかを選べと言われれば互いの人柄や実力を知らないならば殆どの人がプロを選ぶだろう。

 それだけの信頼がプロにはあるのだ。それを裏付けるのがハンターライセンスの存在だろう。ハンターライセンスは持つだけで多くの特権が得られる所謂特権階級の証だ。それも全てはプロハンターを特別視させる為でもある。

 その効力は絶大だ。電脳ページの無料使用、殆どの国はフリーパスで入国でき、公共施設の95%はタダで使用、民間人が入国禁止の約90%と、立入禁止区域の75%まで入ることが可能。売るだけで7代遊んで過ごせ、持ってるだけで一生何不自由なく暮らせる。

 

 これらの特権を知ってプロハンターになりたいと思わない人間は極稀だ。一般人なら一度はなってみたいと思い憧れる職業がプロハンターだろう。

 そしてそれだけの特権をプロハンターに与えることが出来る程の力を持っているのが、ハンター協会なのだ。正確にはその裏に政府の力があるのだが、それは一般人は深くは知らないことである。

 

 そんなハンター協会の本部ビルのとある一室に、複数の男女が集まっていた。彼らはこの世で選ばれた存在であるプロハンターの中でも更に選ばれた者達だ。

 【十二支ん】。それが彼らの呼称だ。会長であったアイザック=ネテロにその実力を認められた12人。会長が有事の際に協会運営を託す他、ネテロが暇な時に遊び相手になったりもするネテロが信頼する者達だ。

 十二支んという名の通り、それぞれには干支に関するコードネームが与えられており、ネテロに心酔する者達の殆どはその名に合わせて改名やキャラ変をするなどちょっと間違った方向に努力している。まあ何事にも例外というものはあるが。

 

 彼ら十二支んはネテロが認めた通り相応の実力を有している。それは単純に戦闘力に限った話ではなく、ハンターそのものとしての実力や仕事の難易度の高さにも現れている。つまりは、彼らは実力相応に忙しいということだ。それぞれがそれぞれのハンターとしての職務を全うしつつ、十二支んとしての活動もしている。

 その為十二支んが一同に会するということは珍しいことだ。……1人だけこの場にはいない十二支んもいるが。

 

 

 

「納得いきませぬ……!」

 

 静かに怒鳴り声を上げているのはボトバイ。辰(タツ)をコードネームに持つ男性だ。十二支んの中では一番の年配者であり、その実力も十二支んでトップクラスと言われている。

 

「同感だ! 理由を説明してくれよ会長!」

 

 ボトバイの意見に同意し語気を荒げるカンザイ。寅(トラ)のコードネームを持つ男性だ。短慮で短気で小学生でも知っていることを知らない程に学がない彼だが、戦闘能力は1級品だ。それだけで十二支んになったと言ってもいいだろう。

 

「理由は言ってたわよ~~。聞いてなかったのかしら~~?」

 

 間延びした声でカンザイに駄目出しをするピヨン。卯(ウ)のコードネームを持つ女性だ。小柄な少女だが実力は十二支んに選ばれているだけのことはある。皮肉と毒舌が目立つのが難点だが。

 

「その理由が納得いかないという話に戻るだけでは? →卯」

 

 独特の喋り方をしているのはチードル。戌(イヌ)のコードネームを持つ女性だ。戦闘能力は十二支んの中では高いとは言えないが、理知的で頭の回転が速く多くのハンター達から支持されている。

 

「戻るのも仕方ないわね。私たちの意見はそこに集約されるのだから」

 

 チードルに意見を返したのは大人な女性と思わせる風貌を持つゲル。巳(ミ)のコードネームを持つ女性だ。そのコードネームの通り腕を蛇のように操作することが出来る。コードネームに由来する能力を持つ者もいるのだ。それほど会長を心酔しているということだろう。

 

「がいぢょおおあああん!! やべないでぇええええ!!」

 

 大声で泣き喚いているのはギンタ。未(ヒツジ)のコードネームを持つ男性だ。感情表現が豊かというべきか、会長を心酔している為か、ネテロが会長を辞めると聞いてからは終始この様子だ。もっともその実力は十二支んでもトップクラスだが。

 

「ギンタうるさい! 暑い!! 臭い!!」

 

 近くで泣き喚くギンタに容赦なく毒舌を叩き込んだのはクルック。酉(トリ)のコードネームを持つ女性だ。思ったことをすぐに口に出すのが特徴だ。酉の名を冠する故か、鳥を操る能力を持っている。

 

「うるせーんだよクズ。今そんな時じゃねーだろーがカスがよ」

 

 喚き騒ぐ連中を罵倒しているのはサイユウ。申(サル)をコードネームに持つ男性だ。事あるごとに相手を罵る言葉を発しており喧嘩っ早い男だが、十二支ん以外で彼に喧嘩を売るものはそうはいない。それだけの実力を持っていると知られているのだ。

 

「理由は聞きました。ですが、まだ会長はハンター協会に必要です。どうかご再考を……!」

 

 周囲で喚く連中を無視し、真っ直ぐに意見を発したのはミザイストム。丑(ウシ)のコードネームを持つ男性だ。十二支んでも良識派であり、犯罪を取り締まるクライムハンターである。

 

「私も同意見です。いえ、ハンターの多くがそう願うでしょう」

 

 ミザイストムの意見に同調したのはサッチョウ。午(ウマ)のコードネームを持つ男性だ。彼もまた十二支んでは良識派として知られている。お悩みハンターという悩み事を解決するハンターをしている。

 

 ミザイストムとサッチョウの意見が重なったタイミングで、この場に集まる全ての十二支んの視線が1つに集まった。

 

『どうなんですか、会長!?』

「そう言われてものぅ~」

 

 ほぼ全ての十二支んからの期待と願いが籠められた叫びを受けながらも困ったように頭を掻いている老人。彼こそが全てのハンターの頂点。協会の会長にして最強の念能力者と謳われているアイザック=ネテロその人である。

 もっとも、現在は会長に元という頭文字がつくが。

 

 会長を辞したはずのネテロが何故この場にいるか。まあ言わなくても分かるだろう。十二支んから熱烈な辞めないでコールが入った為である。

 今までにも再三と言われていたが、何度願ってもネテロが意見を曲げてくれなかったのでこうして全員で集まって説得をしているのだ。

 まあ、唯一ネテロが会長を辞めることに興味がないと言った亥(イ)のコードネームを持つジン=フリークスだけはこの場にはいないのだが。

 

「前にも言ったじゃろ? すでに協会はワシの手を離れた。もうワシがいなくても十分に回るじゃろう。年寄りは引退じゃよ」

 

 それで納得がいくならこのような会議はなかっただろう。

 その証拠とばかりに多くの十二支んが怒号をあげるかの如く叫びだした。

 

「いいや、まだ会長は必要です!」

「年寄りだなどと、この場の誰よりも強い人の台詞ではありません→会長!」

「オレ達を置いていこうっていうのかよ!」

「会長!」

「会長!」

『会長!!』

 

 この有様である。まさに親離れ出来ない子どもの集まりと言ったところか。

 それだけ尊敬しているという証であり、ネテロがそれだけ尊敬される存在であるという証でもあるのだが、渦中の当人はたまったものではなかった。

 

「まあまあ皆さん落ち着いてください」

 

 興奮の坩堝と化していた室内を鎮める一言が発せられた。

 あれだけ興奮していた十二支んの注意を一纏めにした男こそ、子(ネ)のコードネームを持ち副会長という会長に次ぐ権力を持つ男性。パリストン=ヒルである。

 見た目は爽やかで常に笑顔を絶やさない好青年だ。その美貌と柔らかな物腰に夢中になっている協会員の女性は数知れない。だが中身は好青年とは程遠い存在だ。狡猾で抜け目がなく、人の心理を把握し操り誘導する術に長けている。

 実力も高く十二支んでも数少ないトリプルハンターの1人で、役職・実績共に会長に最も近い存在である。

 

 ネテロがパリストンを副会長に抜擢したのは彼がネテロの最も苦手とするタイプだからだ。イエスマンだけではつまらないというネテロの捻くれた嗜好から選ばれた彼は、それに相応しい働きをこれまでに多くしている。

 会長であるネテロの足を引っ張るために様々な手を尽くしたり、その手腕で多くの協会員や協会専門のハンターを囲っている。

 そして茶々を入れられたネテロが嬉しそうに困る様を見るのがとても大好きという捻くれ者であった。ある意味ではネテロと似通った部分があるのだろう。

 多くの人間はパリストンが会長になる為にネテロの足を引っ張っていると思っているがそうではない。彼は単純にネテロと遊ぶのが楽しいからこそ様々な悪巧みを講じているのだ。

 まあ、それで犠牲になる人間はふざけるなと声を大にして言いたいだろうが。

 

 とにかく、そんなネテロが困ることをするのが大好きなパリストンがネテロの会長辞任を認めるだろうか? まあそんなことあるわけがなかった。

 

「皆さんの仰ることはご尤もです。私もネテロ会長が辞任をするというのを簡単に認めることは出来ません。いえ、私も会長の仰る理由はよく分かります。これまで協会を牽引してきたネテロ会長が、若者たちに次代を託すという考えは非常に正しいでしょう。私としても会長のその想いを受け取りたいし、会長のように在りたいと常々思っています。

 しかし! 今ネテロ会長が辞められるのは責任の放棄ではないでしょうか? 会長の責務を果たした上での辞任ならば先ほど仰られた理由も含めて納得いたしましょう。ですが、会長は先のキメラアント事件に置いて様々な規定を無視して討伐隊を結成しNGLへと赴いています。確かに人間大のキメラアントというのは未曾有の大事件かもしれません。ですがだからと言って規定を無視していい訳ではありません。それが全てのハンターの模範となるべき会長ならば尚更のことでしょう。全てのハンターのトップともあろう人が、一介のハンターの未確認情報1つで規則を破るような行為を取るのは如何なものかと思いますが?」

 

 良くここまで舌が回るものだと幾人かの十二支んが感心していた。

 中には何を言ってるのか分からない状態の者も若干名いたが。

 

「パリストンうざい! くどい!! うるさい!!」

「おや? 私は皆さんと志を同じくしているつもりですが? ネテロ会長の説得、したいんでしょう?」

 

 あまりの話のくどさと長さに苛立ちを見せていたクルックに対し、パリストンはそう言い放つ。

 この場でパリストンに好意を持つものはネテロを除いて1人もいなかったが、今回だけはパリストンの言う通り、ネテロを除く全ての者が志を同じくしていた。

 ネテロに会長を続けてほしい! 全てはその一点だ。十二支んの内この場に集まる11人は普段はいがみ合うことがあってもそれだけは同じ気持ちだった。

 もっとも、パリストンだけはネテロに対する尊敬ではなくネテロが困るだろうという思惑でだったが。つくづく歪んでいるのである。

 

「まあパリストンのいうことも尤もじゃ。だからワシは責任を取って辞任をじゃな――」

「これはこれは! 会長ともあろう御方の台詞とは思えませんね! 不手際を起こした際に辞めることが責任を取ることになるのでしょうか? 私はそうは思いません。責任を取るというのはその役職から離れることではなく、起こしてしまったことに対して力を注ぎ汚名を返上することではないでしょうか? ネテロ会長が為さったことは先程も言ったように責任の放棄にしか思えませんが?」

 

 言ってることは分かるのだが、お前が言うなという想いが複雑に絡み合う十二支んである。

 このようにペラペラと口が回るパリストンであるが、自分がして来たことは一切合切棚に上げての言い分なのだ。

 十二支んでも頭の回る者ならば薄々と理解している。パリストンが副会長の座に着いた3年間で闇に隠れてどれだけのことをしてきたかを。

 もちろんその全ては公になってはいないし、パリストンが何かをしたという証拠はないのだが。その辺りの情報操作もパリストンはお手の物なのである。

 

「今回はパリストンの言うことに賛成ね→会長。もうしばらくは会長として働いてほしいです→会長」

「ふ~む」

 

 どこか困った風に頭を掻くネテロ。

 彼らの言い分も自分への信頼も分かっているつもりだ。だが自身の意思を曲げることはないと断固として決めている。

 もう我慢出来ないのだ。あの、好敵手と最強最悪の存在との対決。あれを見てからハンターとしてではなく武人として生きたいという想いが日に日に強くなっていくのだ。

 

 もちろんハンターとしての日々が嫌だったわけではない。望んでなったプロハンターだ。嫌どころか素晴らしく楽しくて充実した日々だった。

 これまでハンター協会を牽引して来たという自負もあるし、会長としての務めも立派に果たしてきた。満足のいくハンター人生だったと言えるだろう。

 だが、いや、だからこそ。ハンターとしてはもう満足しているのだ。唯一心残りが暗黒大陸にあると言えばあるが、あそこには自分が求めた強さはなかった。

 そして自分が求めた強さを誰よりも持っているのが最大の好敵手アイシャなのだ。暗黒大陸でも十二支んでも満たすことが出来なかった渇きを満たせる存在。

 

 自分はそうは長く生きれないとネテロは思っている。良くてあと10年と言ったところだろう。……120歳を超える身で思うことではないだろうが。その残りの人生を彼女との勝負のみに専念して費やしたいのだ。

 好敵手は今も強くなっている。彼女は肉体的に成長期なのだ。強さは衰えるどころか強くなり続けるだろう。

 対して自分はそうではない。この歳でこれだけの強さを保っていることが驚異と言えるような年齢だ。残る人生を修行に費やさねばあっという間に好敵手に置いていかれるだろう。

 それだけは何が何でも避けたいネテロである。いつまでもアイシャの好敵手でありたいと思っているのだ。そして最後には勝ち越して勝ち逃げをしてやるのが今のネテロの生き甲斐であり最大の楽しみなのだ。

 自分が死んだ後に悔しそうになっているだろうアイシャを想像するとそれだけで笑みが浮かぶネテロであった。

 

「くくっ」

「どうしたのですか会長?」

 

 突如として笑い声を上げるネテロを怪訝に思う十二支ん。

 それをネテロは何でもないように軽く誤魔化した。

 

「ちょっと思い出し笑いをしただけじゃよ」

「真面目に聞いてください! →会長!」

 

 自分たちは真剣に会長復帰を願っているというのに、当の本人はこの調子だ。

 

「そもそも会長復帰とか言うても、ワシが辞任したことは決まっておるじゃろうに」

 

 ネテロの言うことは尤もだった。どれだけ十二支んがネテロに会長を続行してほしいと思ったとしても、既に辞めているのだからどうしようもあるまい。

 今さらやっぱり会長辞めませんなどと引退宣言したアイドルが前言撤回して戻ってくるような真似を出来るわけがなかった。

 

「あ、大丈夫ですよ。ボクが上に掛けあってネテロ会長の辞任届けは保留にしてもらってますから」

「おい?」

 

 どうやら会長の頭文字に元はまだ付いていないようだった。色々と裏で悪巧みをしているパリストンを嫌っている他の十二支んも今回ばかりは内心で良くやったと褒めていた。何人かはパリストンがネテロの会長辞任を阻止している本当の目的は何か、と訝しんでいたが。

 今まではネテロの邪魔をして自分が会長になるように動いていた男だ。裏では何を考えているか分かったものではなかった。

 まあ、彼の本心を知るものはハンター協会ではネテロとジンくらいのものだろう。

 

「ネテロ会長は安心して会長としての責務を果たしてくれればいいんですよ?」

 

 とても爽やかな笑みを浮かべながらそう言うパリストン。

 ネテロにとっていつもなら困りつつもその実楽しみを覚える展開だが、今回ばかりは本当に困っていた。

 

 ――うーむ。他の十二支んはともかく、こ奴は厄介じゃのう。どうやって煙に巻こうか――

 

 ネテロが内心でちょっぴりだけパリストンを副会長に据えたのを後悔している時、パリストンの携帯電話が室内に鳴り響いた。

 

「あ、ちょっと失礼しますね」

 

 会議の場に関わらず電話で応答するパリストン。緊急を要する連絡が入る可能性があるハンターだ。会議中だろうと電話の電源を落とすことはしない。

 

「ええ――そうですか――はい、そのようにお願いしますね」

「お忙しいのねピンハネ王子さま~~。まだ私腹を肥やしたりないのかしら~~?」

「あはは、私腹だなんて嫌だなぁ。あれはプール金です。協会をより大きくする積み立て制度ですよ。あと、今の電話はちょっとしたサプライズに関したものでして。もうすぐ分かりますよ」

 

 前半の建前はともかく、後半のサプライズについては何のことなのか十二支んの誰も分からなかった。ネテロだけは何故か猛烈に嫌な予感がしていたが。

 

「あー、会議も長くなってきたからそろそろ終わりにしようかの。また次の機会に改めて話し合いの場を開くので、ここは一旦お開きに――」

「そう言ってのらりくらりと逃げる気でしょう? 会長の手口は分かっているわよ」

「せめて納得のいく説明をお願いしたい! 何か他に理由があるのでしょう!?」

「がいぢょおおおぉぉ! やべないでええ!!」

「会長!」

「会長!」

『会長!!』

 

 取りあえず先延ばしにしてこの場から逃れようとするが、流石はネテロと付き合いの長い十二支ん。ネテロの手口はよく理解しているようで逃がす気は更々なかった。

 会議室の緊張と興奮が高まりつつある中、会議室のドアからノック音が聞こえてきた。最初は室内のあまりの騒音に聞こえなかったノック音だが、数回続く内に何人かの十二支んがそれに気付き、それにともない徐々に室内も落ち着きを取り戻していった。

 

「はい、何でしょうか?」

『あ、会議中に申し訳ありません。例のお客様をお連れしました』

 

 全員の代表の如くにドア前にいるだろう人物に語りかけたパリストン。そしてそれに返ってきたのは誰もが怪訝に思う言葉だった。

 

 ――お客様?――

 

 それは十二支ん全員――パリストンを除く――の疑問だった。

 会長と十二支んの会議中に事件が起きたことは今までにないわけではないが、客などという第三者が来るのは初めてのことだ。一体誰が? いや、どういう用件でこの場に来るというのか?

 何人かの十二支んは疑問に思うと同時にすぐにパリストンを睨みつける。いつもと変わらない爽やかな笑みを浮かべている胡散臭い表情だ。確実にこいつが何かをしたのだと理解する。と言っても、何をしたのか、誰を連れてきたのか、何が目的なのか。さっぱり理解出来ないのだが。

 

 そして誰よりも嫌な予感がしているのがネテロだ。この状況は確実にパリストンが作り出した状況だろう。ネテロが辞任を表明してから既に2ヶ月が過ぎている。それからというもの十二支んが何度も心変わりを申し出ていたが、こうして十二支ん全員――ジンは除くが――が集まって会議を開いてまでネテロに詰め寄ったのは初めてだ。

 そんな時にこのタイミングでパリストンが電話に応対してすぐに客が来る。100%黒だとネテロは確信していた。そしてパリストンはネテロを困らせることに全力を尽くす男だ。ならばこれから起こることはネテロに取って良い出来事になる可能性は限りなく低いだろう。

 

「どうぞ入ってください」

「失礼します」

 

 ドアを開けたのはプロハンターの一員であり、その中でも協専と言われている男だった。

 

 協専とは、協会の斡旋を専門としているハンターの略称である。

 ハンター協会には政府や企業から直接仕事を請け負い、それをプロハンター達に依頼として斡旋するケースが多々ある。この依頼を受けたハンターは仕事の成否に関わらずリスクや難易度に応じた一定の報酬が協会から保証されている。その為これだけを仕事として選ぶハンターもいるのだ。それが協専と呼ばれるようになったのである。

 

 これら協専はそれ以外のハンターから揶揄されることがままある。プロとしての自分に誇りを持つハンターが多い中、仕事を斡旋してもらって小銭稼ぎをしていると思われやすい協専は誇りがないように思われがちなのだ。

 そしてもう1つ理由がある。それは協専ハンターが副会長子飼いのハンターだと実しやかに噂されているからだ。

 

 協会の依頼斡旋は協会の審査部と呼ばれる機関が取り仕切っている。1つの依頼に多くのハンターの応募が殺到した場合、彼ら審査機関がハンターを審査し適切だと思われるハンターを選出するのだ。つまり協専のハンターは審査部に逆らうことはまずないと言えた。彼らの心証を悪くすれば依頼を受けられないことすらあるのだから。ここら辺が誇りがないと呼ばれる所以だろう。

 

 そして審査部は副会長派の連中によって抱きこまれている……という噂があった。これが本当ならば審査部を通して副会長は協専ハンターを操ることが出来るということだ。

 噂は噂だ。確たる証拠はない。だが、経験あるハンターや十二支んの殆どはこれが真実であると確信していた。

 

 この協専が客とやらなのか? いや違う。戦闘にも優れている十二支んは協専の男の後ろに他の人間の気配があるのを感じる。

 

 これが客なのだろう。そして副会長子飼いの協専が客とやらを連れてきた。パリストンが噛んでいる確率100%から150%に上昇である。これで協専の男が客だったら200%だったが。

 

「それではお入りください」

 

 協専の男がドアを開いた後、誰かに入室するよう促す。

 そうして入ってきた者を見て大半の者が――誰だ?――と疑問を思い浮かべたが、ネテロだけが驚きの声を上げた。いや、気配を感じた時の驚愕が姿を見てようやく言葉になったと言うべきか。

 

「げぇっ! アイシャ!」

「失礼しま――って、何で私を見て驚きの声を上げるんですかネテロ?」

 

 ネテロの驚愕する様を見て誰もがこのアイシャと呼ばれる女性の正体を勘ぐる。

 この場で楽しそうに笑っているのはパリストンのみだった。




 ジャーンジャーンジャーン。
 パリストン動かすのめっちゃ難しい。頭のいいキャラは裏で色々するから動かす時は大変です。さじ加減が難しくて……。
 十二支んの紹介はところどころ想像も含まれています。細かい設定とかまだ分からないキャラたちですから。早く原作再開しますよーに。

 ハトの照り焼き様から頂いたイラストです。

【挿絵表示】


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

後日談その4 ※

 ネテロと十二支んが会議する場に入室してきたアイシャ。

 まさかの好敵手の登場に驚きを顕わにするネテロ。

 そんな2人を見てアイシャの正体とネテロとの関係を勘ぐる十二支ん。

 そしてこの状況を楽しそうに眺めているパリストン。特にネテロの驚き具合を見てサプライズは成功したようだと喜んでいるようだ。

 

 そう、アイシャをこの場に連れてきたのは他ならぬパリストンであった。……いやまあ、この場にいる殆どの人間はそうだろうと予測しているが。

 それはともかく、一体何故この場にアイシャを連れてきたというのか? いや、そもそも何故パリストンはアイシャのことを知っているのか?

 その全ては…………ネテロへの嫌がらせ、この一言で説明が付くことだった。

 

 パリストンはネテロに対してちょっかいを掛けることが大好きだ。そしてそのちょっかいに対してネテロがどう反応するかが楽しみなのだ。

 その悪趣味な嗜好を満たす為には、ネテロの情報について詳しくなければならない。今までもネテロの行動や近況の情報を集め、それらの情報を利用して悪巧みをしてきた。かつて黒の書捜索を邪魔したのもパリストンの茶々入れだ。それも予めネテロが黒の書を探しているという情報を知っていたからこそだ。

 

 そして最近の情報の中に、アイシャという女性の名前が幾度も挙がっていた。

 最初にアイシャという名前を見たのはネテロが原因不明の重体となって入院した時のことだ。突然の入院に十二支んの誰もが怪訝に思ったが、ネテロはそれらの意見を全てはぐらかしてまともに答えることはなかった。

 ネテロに聞いても無駄だと理解していたパリストンは病院関係者やネテロ周辺の人物を出来るだけ調査した。その結果出てきたのは、ネテロが個人資産を使用してある女性の入院費を肩代わりしていたという事実だった。その女性の名前がアイシャだったのだ。ネテロと同時期に同じ病院に入院している女性だ。パリストンがこれに目を付けないわけがなかった。

 

 それからもネテロを調査していく内にアイシャの名前は挙がってきた。

 A級賞金首幻影旅団の捕縛及び連行の時、キメラアント事件の第一情報提供者、そして遡れば第287期ハンター試験に置いてネテロ会長とゲームをして試験合格するという異例の事態を引き起こしている。

 これらの情報を見て、アイシャという女性はネテロにとって重要な人物であるとパリストンは理解した。

 少なくともパリストンはネテロがたかが一ハンターの未確認情報だけで規則を破ってまで動くことはない人物であることを知っている。

 つまりアイシャという女性はネテロに取って一ハンターという立ち位置ではないということだ。

 

 そしてパリストンはネテロを追い詰める1手になると予想してこの会議に、ジンを除く十二支んが揃っている会議の場にアイシャを呼び出して連れてきたのだ。

 何が起きるかはパリストンでも予測し切れないが、少なくともこれで何か面白いことが起きたらいいなと思っている。言うなれば愉快犯みたいなものだ。

 ちなみにアイシャを呼んだ時の理由――建前とも言う――は簡単だ。アイシャがキメラアント事件の時に行った未確認情報による討伐隊の要請について確認したいことがある、と連絡しただけだ。

 アイシャとしてもネテロを無理矢理動かしたという後ろめたさがあった為、ハンター協会からのそのお達しに逆らうこともなくこうしてのこのこ指定された日時に協会本部へとやってきた訳だ。

 

「というか、何であなたがここにいるんですか? 会長辞めたはずでしょう?」

「うむ、まあ色々と面倒事が残っておってのぅ……。そういうお主はどうしてここに……まあ大体分かるがの」

 

 そう言いながらジト眼でパリストンを睨むネテロ。とっても素敵な笑顔で返されたが。

 

「はあ、あなたが面倒事というのは相当ですね。全く、私も本調子に戻ったのでいつやり合えるかと待っているのですが」

『ヤリ合う!?』

「お前わざと言ってないじゃろうな!?」

「ぷっ、く、くっ……!」

 

 サプライズの予想以上の効果に思わず笑いが零れ落ちるパリストン。駄目だ、まだ笑うな、と我慢するも完全には耐え切れなかったようだ。

 ネテロは確実にこうなると分かっていたからアイシャとの関係がパリストンにばれないように手を尽くしていたつもりだった。

 もちろん情報を完全に隠蔽することは出来ないとは理解していたが……。アイシャは副会長がどのような人物か細かくは知らないのでこうなる可能性はあったのだ。

 アイシャと口裏を合わせていなかったのが最大のミスであったと後悔するネテロであった。

 

「会長! この女性は誰なんですか!」

「随分と親しそうですが、どういうご関係で?」

「不潔よ~~、犯罪よ~~。会長さいて~~」

「やり合うって、この女が会長と戦うってのかよ!!」

 

 尋問や冤罪紛いの言葉の中、カンザイの純粋(馬鹿)な言葉はネテロを癒す清涼剤となっていた。

 

「何でこの場に無関係な人がいるのかしら→子。説明して貰えるかしら→子」

 

 興奮冷めやらぬ中、チードルは冷静にパリストンに説明を要求する。

 もっとも、気配に敏感なアイシャは彼女から嫉妬と憤怒が混ざったような気配がビンビンと自分に向かって突き刺さっているのを感じているのだが。他にもこの場にいる人間から多くの感情が混ざった視線を感じている。結構負の感情が多いが、どうやら興味を持たれているのだと理解する。

 

 ――さて、彼らは何者なのか――

 

 アイシャの疑問はこの場の人間の強さに関してだった。

 誰も彼もが1流と言っても過言なき実力者だ。いや、中には超1流と言える存在も何人かいる。恐らく幻影旅団とまともにぶつかり合ってもこの場にいる面子――アイシャとネテロを除く――だけで勝利を得られるだろう。

 もちろん幻影旅団が勝つ可能性も大いにある。彼らもまた1流の集いなのだから。これだけの実力者同士だと勝敗はたゆたって当然だろう。

 

 ともかく、そんな幻影旅団と同等ないし凌駕するような存在がこれだけ一同に集まるとは一体何事なのか。

 この場で取調べを受けると説明されていたアイシャだったが、取調べではなく拷問になるんじゃないかとちょっぴり危惧していた。まあネテロがいる時点でそれはないなとすぐに考え直したが。

 

 そして一通りアイシャが会議室の面々に眼を通していると、1人の男に一瞬だが意識が向いた。

 

 ――おや、彼は――

 

 アイシャがある男性について想いを馳せていると、パリストンがこの場を仕切りだした。

 

「いえいえチードルさん。彼女はこの場において無関係ではありませんよ。ねぇネテロ会長?」

「むぅ……」

 

 そう、無関係ではない。パリストンがアイシャを呼ぶ理由に使った件は決して今回の会議と無関係ではないのだ。

 ネテロが会長を辞任する理由は、アイシャのキメラアント討伐隊要請を規則を無視してでも受けて行動したことの責任を取る為と、ネテロ自身がそう説明したからだ。

 これはネテロが会長を辞任する為に利用した言い訳のようなものだが、アイシャが原因だということに変わりはない。

 

「どういうことなんだネズミよー、もったいぶらずにさっさと説明しろやボケカスが」

「ネテロ会長が会長を辞任するのは会長曰く責任を取る為ですよね。その責任を作る原因、つまりはキメラアント討伐隊を要請したのが彼女なんですよ。つまり会長は彼女のお願いを聞いた為に規則を破り責任を取る形で辞任を申しでた、ということになりますね」

 

『――!!』

 

 瞬間、吹き荒れる殺気の嵐。それらはパリストンを除く十二支んの全てから発せられ、アイシャへと収束していた。

 自分たちの尊敬するネテロが会長を辞める原因を作った女。しかも先程から聞いていればネテロと親しい様子。それがパリストンの説明に説得力を持たせていた。そこまで知って怒気が湧かない者は最初から干支に合わせてキャラ変などしていないだろう。

 

 ――わお……――

 

 突き刺さる殺意に流石のアイシャもどうしたものかと悩んでいた。そしてこの状況を作り出した男を僅かに見やる。

 完全にダシに使われている。どうやらあの似非王子風の男がこの混沌とした状況を作り出す為に自分を呼んだのだろうと推測出来た。

 以前リィーナやビスケが副会長のネテロへの嫌がらせについて口から零していたが、確実にこれがそうだろうとアイシャは確信した。

 

 そうして悩むこと数瞬。アイシャはパリストンの王子スマイルとネテロの焦り顔を見て、どうせならこの状況を楽しもうと判断した。

 そう、この状況でアイシャがしたことは――

 

「ひぃっ……! ね、ネテロのおじ様、この人達、こ、怖いです……た、助けてください……!」

 

 ――最悪の1手を放ってきたのである。……主にネテロに取っての最悪だったが。

 

「ぶほぉっ!!」

『おじ様!?』

「あはっ! あはははははっ!」

 

 アイシャの思わぬ言動にネテロは何言ってんのと噴き出し、十二支んはマジでそういう関係なのかと本気で唖然とし、パリストンは堪えきれずに吹いた。

 パリストンはアイシャの性質をどことなく理解した。アイシャとネテロがそういう関係でないことはパリストンも掴んでいる。

 だというのにこの状況でこの行動。相当肝が据わっていると見た。更にはネテロを弄るお茶目な一面もあるということはやはり相当親しいのだろう。

 ネテロとアイシャの細かい関係を知らない残りの十二支んはアイシャの言動で完全に冷静さを失っていたが。

 

「会長! 本気ですかこんな曾孫と言ってもまだ若いような歳の差の女性を手篭めにするなんて!」

「モラルがなっていないわ! →会長!」

「最低よ~~鬼畜よ~~通報しなきゃ~~」

「マジかよ。この女ネテロ会長の姪っ子なのか」

「そうじゃねーだろバカカスかおめーはよー」

「会長。恋愛は自由ですが彼女の年齢如何によってはクライムハンターとして会長を罰しなければなりません」

「いや待てこれは違う。罠じゃよ、これはこ奴らの――」

「あ、私14歳です。今年で15歳になります」

「お前何でこの状況で年齢言うの!?」

「会長、残念です……」

「会長キモイ! 下品!! 最低!!」

「ぬぅ。流石にこれは弁護出来ませぬ会長……」

「がいぢょおぉぉぉ!」

 

 まさにフルボッコである。途中のアイシャの茶々入れもあってネテロへの追求は更に加速した。パリストン自身アイシャをこの場に連れてきてどうなるかまでは予測がついていなかったが、どうやら正解だったようだと思いながらこの状況をひたすら楽しんでいた。

 

 十二支んに散々に責められ続けるネテロ。弁解の言葉を出す暇もない程に追い詰められている好敵手を見て流石に悪いと思い始めたのか、アイシャはぼそりと小さく呟いた。

 

「まあ冗談なんですが……」

「もっと大きく言わんかい!!」

 

 どうやら聞こえていたのはネテロくらいだったようだが。流石の地獄耳である。

 

「ところで私もう帰っていいですか?」

「こんだけ場を引っ掻き回して逃がすと思ってんのかおい?」

「おじ様こわーい」

「こいつぶん殴りてー」

 

 興奮していた十二支んも流石に様子が可笑しいことに気付きだした。

 どうもこの2人は勘ぐっていたような関係ではなさそうだ。そんなものよりももっと、そう、まるで長年連れ添った仲のように映っていた。

 そう気付くとある思いが再び巡ってきた。この女性は何者なのか、この女性のせいで本当にネテロが会長を辞任するはめになったのか、と。

 

「ふぅ、一旦落ち着きましょう→皆」

 

 その一言で十二支んは落ち着きを取り戻し、そして代表してチードルがアイシャへと疑問を問いただした。

 

「一体何者なのかしら? 会長との関係は? →貴女」

 

 個性的な話し方に戸惑うも、自分のことを聞かれているのはこの状況で分かりきっている。関係と言われても、どうやらネテロは自分との関係を隠していたようである為、アイシャは確認も兼ねてネテロにアイコンタクトを送った。

 

 ――いいんですかばらして?――

 ――この状況じゃ仕方ないじゃろ。適当ぶっこくなよ?――

 

 流石の付き合いの長さである。これくらいのアイコンタクトは朝飯前な2人であった。

 

「私の名前はアイシャと言います。前年度ハンター試験でプロハンターとなった者です。先輩がた、以後お見知りおきを」

「やはりプロハンターではあったか」

「まだ2年目だろ。ルーキーに毛が生えたもんじゃねーか」

「歳も歳だ。むしろ優秀な方だろう」

「いや、あの殺気を浴びても平然としていた。年齢通りだと思わない方がいい」

「確かに。大したものだね」

「その体で会長を誑し込んだの~~?」

「不潔よ→ピヨン」

 

 流石は十二支んと言うべきか。何人かはアイシャの底知れぬ実力を感じ取っている者もいた。下衆の勘繰りが終わっていない者もいたが。

 

「それで、会長との関係は? →アイシャさん」

「ライバルです」

「は?」

「好敵手と言ったら分かりますか?」

 

 ライバル。好敵手。アイシャの言っている意味が即座に理解出来ない十二支ん。いや、言葉の意味は理解出来ている。だがその意味と彼女が繋がらないのだ。

 それもそのはず。一体どうして世界最強の念能力者と謳われるネテロと、目の前の自称14歳という美少女がライバル関係にあると思えるのだ。

 

「……それは何かのゲームとか芸術とかでの話かしら? →アイシャさん?」

「いえ、武人としてですが」

「ふざけているの? →アイシャさん?」

 

 チードルのその言葉は十二支ん全員の代弁でもあった。

 尊敬するネテロ会長のライバル。それも戦闘という分野でだ。

 彼ら十二支んはネテロが暇な時の遊び相手になることもある。それはネテロと試合をすることも当然あった。

 だがそれは文字通り遊び相手なのだ。十二支んが本気で戦ってもネテロ相手では本気を引き出すことが出来ないのだ。

 具体的にはネテロを最強足らしめる【百式観音】すら引き出せずに負ける者が殆どだろう。

 

 だというのに、こともあろうにそのネテロを相手にライバルだと言い張る少女。大言壮語もいい加減にしろと言わんばかりにパリストンを除く全員がアイシャに殺気を放った。それは先程アイシャに放った殺気とは比べ物にならないレベルのそれだ。それだけアイシャは彼らの琴線に触れたのだ。

 

 だが――

 

「このアマ……!」

 

 カンザイの驚きの声は、やはり十二支ん全員の代弁となった。

 人が殺せるんじゃないかと言える程の密度の殺気の中、アイシャは平然と立ち涼しい顔で殺気を受け流していたのだ。これにはパリストンも笑みが消えて「へぇ……」と驚きの声を呟く程であった。

 

「そ奴の言っていることは本当じゃよ」

『会長!?』

 

 ネテロの言葉にまたも驚愕する十二支ん。

 アイシャだけならともかく、ライバル宣言された当人から肯定の言葉が出れば疑いも薄まるというものだ。

 だが、それでも信じきることが出来ないでいた。ネテロは簡単に嘘を吐くことがあるから尚更だ。

 

「ワシが以前入院したのを覚えているじゃろう。あれはの、アイシャと本気で戦った結果によるものじゃ」

『ッ!?』

 

 今日1日で幾度も驚愕した十二支んだったが、これが最大の驚愕となった。

 あの入院は誰もが記憶に新しく覚えている。病気ならばともかく、ネテロが怪我で入院するなど考えられないことなのだから。

 誰しも理由を問うたがネテロが真面目に答えることのなかったことも記憶に焼き付ける要因となっていた。

 その原因がいきなり降って湧いて出てきたのだ。驚くなという方が無理だろう。

 

「信じられるか! こんな女がネテロ会長をだと!!」

 

 カンザイは机に拳を振り下ろすことでその怒りを顕わにする。

 オーラまで籠められたその一撃に机は耐え切れず、一部分だけ粉砕されてしまう。その際机は僅かにしか揺れなかった。それだけ威力が集中していたということだろう。

 カンザイはその怒りを机だけではなくアイシャにも向けようとした。それは直接アイシャに危害を加える行動を取るということだ。

 そしてそれを止めようとする十二支んはいなかった。止められないわけではない。カンザイの行動に対処することはこの場の面々ならば不可能ではない。

 ただ止める気がないだけのことだ。ネテロ相手に渡り合えるのが本当ならば、カンザイくらいあしらえて当然なのだから。

 

 ――さあどう対処する!――

 

 見。それが残りの十二支んの対応だ。カンザイへの対処によってアイシャの実力が理解出来るだろう。

 それが出来なければ大言壮語を吐いた己が悪いということだ。まさかカンザイも殺すまではしないだろう。

 だが――

 

「事実じゃよ。ま、ワシの方が若干傷は浅かったけどな」

「良く言いますね。ビスケに助けてもらわなかったら死んでたくせに」

「負け惜しみじゃな。退院はワシが早かったことに変わりないわい」

「……今すぐ入院させてもいいんですよネテロ?」

「おいおい。退院して1ヶ月で戻りたいとか病院が恋しくなったかアイシャ?」

 

 ネテロとアイシャの間に流れる圧迫した空気に誰しもが動きを止めた。

 それは今にもアイシャを攻撃しようとしていたカンザイも含まれている。

 2人は無言で笑みを浮かべながら睨みあっている。ただそれだけで、先程十二支んが放っていた殺気を凌駕するプレッシャーが渦巻いていた。

 

「こ、これは……!」

「……信じられん」

 

 前述した通り、この場にいる者は誰しも1流の念能力者達だ。だからこそ理解出来る。アイシャの実力がネテロに拮抗するものだと嫌でも理解出来てしまっていた。

 

「くそっ……!」

 

 カンザイは決して頭が良いわけではない。いや、憚らずに言えば馬鹿だ。そこらの小学生の方が物を知っていることも多いだろう。

 だが戦闘者としては1流だ。並の念能力者が束になって掛かっても容易く倒せる実力を持っている。だからこそ馬鹿でも十二支んの1人になれたのだ。

 頭は悪く直情的だが、アイシャの戦力を理解する実力はあり、自身との戦力差を把握せずに飛び掛るほど愚かでもなかった。

 

「とまあ、おぬし等ならもうアイシャの実力はある程度理解出来たじゃろう」

 

 出鼻を挫かれた感があった十二支んだったが、ネテロのその一言で落ち着きを取り戻した。冷静になったことで余計に疑問が増えたが。

 アイシャの実力は理解出来た。いや、正確には計り知れない実力を有しているというのが理解出来たと言うべきか。強さの上限までは完全には理解出来ないのだ。

 それだけの強者であるのだから、ネテロのライバルというのもあながち出鱈目ではないのだろう。ネテロの適当なはぐらかしという訳でもないと分かった。

 だからこそ疑問に思う。アイシャという少女は本当に何者なのかと? 強さにもはや疑問はない。疑問なのはその存在。14歳という若さでネテロと渡り合える存在などいるのだろうか? いるとすればそれは化け物だ。このような若さでそこまでの実力を手にするなどどうすればいいのか。パリストンを含む十二支んは皆目見当がつかなかった。

 

「本当に14歳なの……?」

「ええ。正真正銘14歳ですが」

 

 ゲルのその呟きにしれっと応えるアイシャ。その言葉や表情には嘘を言っている様子は見られない。

 権謀術数ひしめく世界を生きる者たちは経験上相手の嘘を見抜くことに長けているが、それでもアイシャの言葉が嘘であるとは思えなかった。

 まあ嘘ではない。アイシャの肉体の年齢は14歳であることに間違いはない。経験と精神とオーラが百数十年ほど加算されているだけだ。まあ詐欺に近いものである。

 

「……その年齢でどうやってそれだけの力を手に入れられたのだ?」

 

 実力・年齢ともに十二支んの最高峰であるボトバイがアイシャに疑問を投げかける。彼は十二支んの御意見番と呼ばれている。それだけの実力と実績と人柄を持っており、彼自身もそれを自負している。だからこそアイシャの強さにこの場で最も疑問を抱いていた。

 会長であるネテロを目指して修行を続けていた。御意見番という特に権力や実態のある立場でなくてもそれに相応しくあろうと努力していた。今の彼があるのは数十年の努力の賜物なのだ。

 だというのに、それを嘲笑うかの如く自身を遥かに上回る存在が現れた。それが自分と同じか、いや、多少年下でも成人ならば納得していただろう。世に天才はいるものだ。そして自分は天才ではないのだから。

 だが違う。14歳。たった14年しか生きていない、ボトバイからすれば娘どころか孫とも言えるような歳の少女がだ。実力で自分を超えているなど簡単に認められる訳がなかった。

 

「それって私が呼ばれたことに関係があるのでしょうか?」

 

 だがアイシャから返ってきた言葉はこれだった。

 当然だ。ここは確かにアイシャが呼ばれたのは質疑の為であったが、それはキメラアント事件に関してのことだ。

 強さに関してその秘密を聞きだすなどハンターとして、念能力者としてマナー違反になって当然だった。

 

「……いや、関係はないな。馬鹿な質問をした。すまない」

 

 ボトバイもアイシャの言葉に自分が何を馬鹿なことを言っているのか理解した。

 完全に冷静さを失っていた。これでは会長に追いつくなど夢のまた夢だ。そう自分を叱咤していたボトバイに、アイシャはある言葉を投げかけた。

 

「努力したからだよ」

「っ! その言葉は!?」

 

 アイシャの何でもないような言葉にボトバイは驚きを顕わにする。それを見た十二支んは何故そんなありきたりな言葉に驚いているのか分からなかった。

 ボトバイはその言葉を聞いて数十年前もの過去を思い出す。忘れるはずもない。ネテロと互角に渡り合ったあの伝説の武神。彼と初めて出会った時、より強くなりたかった若かりし自身が若気の至りで武神に問いかけたことがあった。

 

 ――なぜそのような体でそこまで強いのですか?――

 ――努力したからだよ――

 

 当たり前のことだ。誰だって強くなるために必要なのは努力だと理解しているだろう。だが、本当に努力し続け、肉体的には並の成人男性と然して変わらぬ身でありながら、最強と謳われるネテロと渡り合った男から聞かされたその言葉は何よりも重みがあった。100年以上に渡り努力し続けたからこそ、そこまで強くなれたのだ。

 それからボトバイは余計なことを考えずに努力した。努力こそが道を拓く唯一の手段と思い打ち込み続けたのだ。ボトバイにとって最も尊敬する人物はネテロだが、その次にと言われれば出てくる人物は1人しかいなかった。

 

「努力して強くなりました。それだけですよ」

 

 ボトバイが過去に思いを馳せる中、アイシャは軽く二の句を告げる。

 それを聞いた十二支ん達は馬鹿にしているのかと思ったが、ボトバイだけはその言葉の重みを理解していた。

 

 ――努力を重ねているようだ。あの時の青年がここまで強くなるとはな――

 

 アイシャもボトバイと同じく過去を思い懐かしんでいた。かつてネテロと研鑚を積んでいた時の休憩中に話しかけてきた青年。強くなることに必死で余裕がなかったあの青年が、本当に立派になったものだと。

 

「そんなん当たり前だろうが! 馬鹿にしてんのかおい!?」

「そう言われても本当のことですし……。ところでキメラアント事件について聞くんじゃないんですか? そうじゃないなら私帰りますけど。私も暇じゃないんです」

「アイシャさんの言う通りですね。この場は彼女の強さを詮索するような場ではありませんしね」

「ぐっ」

 

 カンザイはアイシャとパリストンの正論に言葉を詰まらせる。

 目の前の謎の少女の秘密が気にならない者は誰1人といないが、公に詮索するような場ではない。それがしたければ個人的に場を作って聞きだすか、それぞれが持つ情報網で調べ上げるしかないのだ。

 もっとも、パリストンですら調べきれないのだから他の十二支んが調べられる可能性は非常に低いが。

 

「それでは話を本来の形に戻しましょうか。アイシャさん、貴女はキメラアント討伐隊の要請をネテロ会長に行った。これに異論はありますか?」

「ありません」

 

 そうしてアイシャへの質疑が始まった。もちろん問いかけているのはパリストンだ。彼がキメラアント事件におけるアイシャの行動について確認するため、という名目でアイシャをこの場に呼び寄せたのだから当然の流れだ。

 

「では、貴女はこの時キメラアントの脅威を直接確認していたのですか?」

「いえ、直接確認したのはNGL内でのことです。連絡した時はキメラアントの存在は未確認でした」

「それでは何故未確認の情報でネテロ会長に要請をしたのですか?」

「まず私はハンターサイトにてキメラアントと思われる情報を入手しました。それは人間大のキメラアントが存在するのでは、という情報です。これを見て私は危機感を得ました。キメラアントについては皆さんご存知だと思われますので細かな説明は省きます」

 

 ここでキメラアントって何だ? という小さな声が上がるが周りの十二支んは呆れつつもそれを無視した。

 

「人間大のキメラアントが存在するならば、それは放っておくと世界の危機に繋がると思いました。キメラアントがいると思わしき場所はミテネ連邦。その中でもNGLに流れ着いている可能性が高いと予測されます。理由は――」

 

 アイシャは当時の状況を出来るだけ詳細に伝えていく。

 こうなることは予測出来ていたから説明もスムーズに進んだ。嘘は1つも吐いていない。どれも本当のことだ。ただ前世での知識という反則な情報を伝えていないだけである。全ての真実を話す必要はないのだから。

 そこは十二支んにも分かっている。嘘はないが、全てを明かしている訳ではないだろう、と。

 まあ所詮は茶番だ。これはアイシャをこの場に呼ぶ為の名目に過ぎないということも殆どの十二支んは理解しているのだから。本当にアイシャやネテロを追い詰めるつもりがあるのなら、そもそも2人が同じ場所にいる時に同時に質疑をするなどありえないだろう。口裏を合わせられないよう別個にしてするべきなのだから。

 

「――以上です」

「なるほど良く分かりました。では、貴女がネテロ会長を未確認の情報で動かした、ということに変わりはないのですね?」

「いいえ、要請はしましたが、ネテロ会長が動いたのはネテロ会長の判断です。私は要請はすれども強制はしていませんし、そのような権限もありません」

 

 軽くネテロを売っているように思えるが、これはアイシャが悪いわけではない。

 ここでパリストンの言葉に肯定してしまうとその時点でアイシャがネテロを動かしたことになってしまう。その場合今回のネテロの規則違反の行動の責任はアイシャにもかかることになるのだ。

 もちろんアイシャは自身に責任があると個人的に思っているし、ネテロに対してなんらかの責任を取るつもりはある。

 だがこのパリストンを相手に言質を取られるようなことをすれば何をさせられるか分かったものではない気がしたのだ。そうなるとネテロに対しての責任ではなく、もっと別の何かを課せられることになるだろう。それではパリストンが喜ぶだけだ。

 

 それはネテロも理解しているからこそ、この自分を売るようなアイシャの言い分に対して別段怒りも湧いてはいない。むしろ良く言ったと感心していた。アイシャにそういう権謀術数の心得があるとは思いもしなかったのだ。何せ自分以上の修行馬鹿なのだから。まあアイシャも伊達に長生きしていないということだ。

 

「確かにそうですね……。ネテロ会長、彼女の言い分に何か間違いはありますか?」

「ないのぅ。アイシャはワシへとキメラアントの危険性と討伐隊の要請をしたが、ワシ自身に規則を無視して動けなどとは言っておらん」

 

 これも本当のことである。ネテロが規則を破ってまで迅速に行動したのはあくまでネテロの判断によるものだ。

 あのアイシャが自分に助けを求める程の事件が起こっている。その思いがネテロをパリストンの横入れも入らぬ程の早さでNGLへと動かせたのだ。

 おかげで命が助かったことにネテロへの感謝は絶えないアイシャだ。なのでこの場でネテロの行動は自業自得だと言い張るのは心苦しいものがある。

 全てが終わりネテロのしがらみがなくなった時、感謝の気持ちを言葉と、そして行動で示そうと思っていた。もちろん全力で戦うことがその行動なのだが。

 

「なるほど。……未確認の情報で討伐隊を要請したことに関しては特に罰することではありませんね」

「そうだな。安易な行動だが、別段違反という訳ではない。普通は未確認なので討伐隊ではなく調査隊を組むことになるので要請段階で却下されることだしな」

「直接ネテロ会長に連絡を取るというのは越権行為にならねーのかおい?」

「あくまで会長と個人的繋がりがあって連絡出来ただけだろう。要請くらいならば越権行為にはなるまい」

 

 十二支んがそれぞれの意見を出し合ってアイシャの行為に関して決を出す。

 それは――

 

「ではアイシャさん。キメラアント事件に置いて貴女が行ったことは特に罰せられる物ではないと決議されました。良かったですね。むしろ未然に世界の危機を救ったことに感謝しなければいけないくらいですね。キメラアントの危険性はそれらと遭遇したプロハンターからも挙がっていましたから。彼らを救ったのも貴女のようですしね。罰するどころか表彰物ですよ。申請すればシングルは確実ですが、如何ですか?」

 

 とまあ、特に問題はなかったという結果だった。

 

「いえ、遠慮します。それならばネテロ会長の違反に対して温情を頂けた方がありがたいです」

「そうですか。欲がないようで。まあ分かりました。あ、ネテロ会長の件はまた別ですけどね」

 

 残念。ネテロ弄りに定評のあるパリストンが簡単にネテロへの助け舟を通すわけがなかった。

 だが、次にパリストンが放った言葉を聞いて誰もが耳を疑った。

 

「ですが、ただ違反をどうこうと規則を盾にして責めるばかりなのも少々フェアではありませんね。ネテロ会長が迅速に行動したおかげでキメラアントの被害拡大が未然に防がれたのも事実です。

 アイシャさんに詳しく聞けたことで巨大キメラアントの危険性がより詳しく理解出来ました。その危険性を鑑みるにネテロ会長が成された功績は違反を差し引いても余りあるものと思います。

 もちろん違反は違反。規則を破って罰則なしでは規律が保てません。それは会長とて同じことです。しかし、世界を襲っていたであろう危機を未然に防いだという功績を無視するのも如何なものかと思います。ですので、ここはネテロ会長の希望を叶えることを功績とし、ハンター協会会長の立場を辞任することで違反の罰則とする。

 これが一番良い落とし所ではないかと思いますが、如何でしょうか皆さん?」

 

『何言ってんだおい!!?』

 

 まさかの掌返しである。さっきまで会長の辞任は責任の放棄などと言っておきながら、舌の根が乾かぬ内にこれだ。

 確かに話の筋は通っている。先程までのパリストンの言い分は責任の放棄についての言及であった。

 しかし功績を認めることでネテロの希望を叶え、辞任を罰則として受け入れる。辞任自体は確かに罰則に相応しくあるので異論は挟みにくいだろう。

 元々辞任を認めなかったのもネテロへの嫌がらせの為のいちゃもんに等しい言い分だ。この裁定なら何も可笑しくはないだろう。ネテロだってパリストンへの言い分として考えていたことだ。

 ただ、それを言い出したのがパリストンでなかったらの話だが。絶対に裏があることが目に見えている提案にしか思えないだろう。

 

「どういうこと? →子」

「それじゃあお前はネテロ会長が辞任するのを認めるというのか!?」

「はい」

「最初に言ってたことと随分違うじゃねーかカスがよ?」

「それは功績を重んじてなかったからですよ。でも先程ボクが言ったように、アイシャさんのおかげでネテロ会長がキメラアント事件で成したことはとても素晴らしい功績だと理解出来ました。その功績を無視することは公平な立場で見れば可笑しくないですか?」

「ふざけんな! テメェやっぱり会長の座が欲しいだけじゃねーのか!?」

「それならば最初からネテロ会長が辞任することを反対しませんし、政府に掛けあってまで辞任を保留にするなんて手間を掛けたりしませんよ」

 

 他の十二支んの様々な疑問や反論を正論に聞こえる言葉で返していくパリストン。言っていることに間違いはないので言い返すことも難しいのが性質が悪い。それがパリストンのやり方だが。

 これに異論を挟めば十二支んはネテロの成した功績にケチを付けることになるわけだ。元々私情でネテロの辞任を拒んでいた十二支んだが、この功績を無視することは私情で済ませて良い話ではなくなるだろう。

 

「皆さん落ち着いてください。確かにネテロ会長がその座から離れることはとても悲しいことです。私たちを常に牽引してくれた頼れる父とも言える人がいなくなるのは寂しいものです。ですが、子はいつか親離れをするものです。今がその時ではないのでしょうか? そしていつまでもネテロ会長に頼るのではなく、その跡を継いでネテロ会長を安心させることこそ、親孝行と言えるのではないでしょうか?」

 

 聞こえが良い、耳触りの良い正論である。だがそれを聞いてパリストンを除く十二支ん全てが同時に叫んだ。

 

『お前が言うな!!』

 

 この叫びもまた正論である。

 

「あはは、やだなぁ。情報が増えることで状況の変化を知り、それに合わせて意見を変えるのは当然のことじゃないですか」

 

 もっとも、パリストンの屁理屈には全く届かない正論だが。

 

「でもどうします? ネテロ会長を説得することが皆さんに出来ますか? ネテロ会長の頑固さ、知っていますよね皆さん?」

『……』

 

 その言葉には誰もが苦い顔を顕わにすることで返事を返していた。

 そう、ネテロを説得する材料がないのだ。感情に任せての説得はこれまでに何度もした。今更同じことを繰り返したところでネテロが心変わりをすることはないだろう。

 そして規則を武器とした説得もパリストン自らが台無しにすることで不可能となった。会長辞任を妨げる要素がない以上、説得のしようなどあるわけがない。

 どうすれば? そう苦悩する十二支んにネテロが優しく、そして断固たる決意を籠めた口調で声を掛けた。

 

「おぬし等の気持ちは嬉しいもんじゃ。じゃが、ワシは何があっても会長辞任を撤回することはない」

『会長……』

「もうアイシャの存在もばれたしいいじゃろう。今まで話した理由は会長を辞める口実に過ぎぬ」

『!?』

 

 その言葉に驚きネテロに注目する十二支ん。そして次の言葉を聞き、驚きと共にどこか納得するものを感じ取った。

 

「本当の理由はの。このアイシャとの決闘に力を注ぎたいからじゃよ」

 

 たった1人の少女との決闘に心血を注ぎたいから会長を辞める。

 それが、世界最強の念能力者から零れた台詞だった。

 信じたくない。だが、信じさせる何かをこれまでのやり取りでアイシャから感じ取った。

 

 十二支んの威圧を怯むことなく軽く受け流し、逆に底知れない力を見せ付けられた。遊び相手が精一杯の自分たちとは違い、ネテロを病院送りにすることすら可能な実力者。

 アイシャへの妬みや怒りが湧き上がる。だが、それ以上に自身の力の無さに怒り嘆いた。何故なら、自分達が強ければネテロが離れていくことはないのだと、ネテロに言われたようなものだからだ。

 

「そういうわけじゃ。ま、そんなに落ち込むでない。ワシが安心して会長を辞めるのもおぬし達がいるからじゃ。おぬし達ならば協会を任せられると信じておるからじゃ。あまり駄々をこねてワシの目が曇ってたと思わせんでくれよ」

『……会長』

 

 ネテロの言葉に僅かだが癒される十二支ん。そして徐々に全員が生気を取り戻していく。何人かは会長に情けない姿を何時までも見せないよう自身に一喝し、何人かはより強くなって会長を見返してやろうと決意する。1人は大泣きしていたが。

 

「それにな、会長じゃなくなっただけで関係が切れる訳でもあるまい。暇な時にでも遊びにくれば相手くらいしてやるわい」

 

 その言葉に十二支んの大半が感動する。ギンタは更に大泣きしていた。

 子が親を離れようと決意し、それを親が見守っているという心温まるその光景を見ながらアイシャは思う。

 

 ――私、もう帰っていいのかな?――

 

 大分前から思っていたことだが、口に出すのは空気が読めてない状況が続いていたので黙って見守るしかないアイシャであった。

 

 




 ボトバイの過去の描写とかは捏造設定です。十二支ん最年長であるしリュウショウとも出会ったことがあると思いこういう設定になりました。

ハトの照り焼き様から頂きました。いつもありがとうございます。

【挿絵表示】


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

後日談その5 ※

 十二支んがそれぞれの決意を新たにしたところで、パリストンから止まっていた会議を進める声が放たれた。

 

「さて、皆さんネテロ会長の辞任に納得なされたところでボクから提案があります。ネテロ会長の辞任にともない、第13代会長選出についての議題を話し合いたいと思います」

 

 そう、ネテロが会長を辞めるということは、次期会長を選出しなければならないということである。

 トップ不在で回り続けるほど組織というものは甘くはない。すでにネテロが会長の座を離れて2ヶ月になる。

 いくらパリストンが引き延ばしていたとはいえ限界はあるのだ。早急に会長を決める為の選挙を行わなければならないだろう。

 

 ここで問題になってくるのは選出の方法だ。

 ハンター十ヶ条その9にあるように、全同胞の過半数の支持がなければ会長となることは出来ない。なので基本的には選挙を以ってして会長が選出されることが多い。だが会長が不在の場合の会長代行権は副会長が持っている。なのでそのまま副会長が会長に繰り上がることもままあった。副会長ともなれば全ハンターの過半数の支持を受けていることも多いからだ。

 他にも異例の抜擢という例はないわけではない。パリストンが次期会長選出に関しての議題をこの場で提案するのも分からなくもないだろう。

 

 だが、殆どの十二支んが副会長であるパリストンが何故わざわざそのような議題を挙げるかが理解出来なかった。

 黙っていれば副会長という立場にいるパリストンがそのまま繰り上がって会長となる可能性が高いのだ。議題など出す意味がない。このまま代行を務める方針で話を進めるのが最善だろう。

 自分が不利になることしかない議題を出してきたパリストンの不気味さに幾人もの十二支んが不審に思い、中には苛立ちすらする者もいた。

 

「ボクとしましては――」

「――あー、そのことじゃがの」

 

 パリストンが何か言おうとしたところをネテロが遮る。

 パリストンは言葉を遮られたことを別段怒った様子も見せずに笑顔でネテロに続きを催促するよう首肯した。

 

「次期会長は選挙で決めるように。これはワシからの最後の依頼じゃ。選挙の方法は十二支ん全員で決めること。以上じゃ」

 

 ネテロからのその最後の依頼に異を唱えるものは誰もいなかった。

 前会長が次期会長の選出方法を決めることは長きハンター協会の歴史の中にも前例があることだ。

 十二支んとしてはパリストンに会長の座を渡す可能性を減らせることになるし、パリストンとしてはむしろ自ら持っていきたかった話の流れだ。異論などあるはずもない。

 

「はい、ボクはそれでいいですよ」

「私も」

「同意する」

「異論はない」

 

 次々と賛成の意見が出て、反対者もなく13代会長を選出する選挙を行うことが決定された。

 

「それでは特に意見がないならこれにて議会は終了としますが……はい、ないようですね。それでは皆さんお疲れさまでした」

 

 最後の十二支んであるジンがいない以上、ネテロの言う条件を満たすことは出来ない。この場で選挙の方法を決定することは不可能だ。

 なのでこれにて会議は終了である。ネテロの会長辞任撤回から始まった会議はパリストンの爽やかな笑顔と共に幕を閉じた。

 

 なんで会議が終わるまでこの場にいたのか分からなかったアイシャは、まあいいやと気持ちを切り替えてその場から離れた。

 もちろんネテロもアイシャと一緒に付いていく。もう会長としては本当にこれで終わりなのだ。後は自分の好きに動くだけである。

 

 

 

 会議室を出て道なりに進みながら2人は会話をする。

 

「全く。あなたのごたごたに巻き込まれるとは思いませんでしたよ」

「すまんすまん。まあこれで貸し借りなしということで勘弁してくれい」

 

 ネテロの言う貸し借りとはキメラアント事件の時にアイシャを助けたことだ。ネテロが迅速な行動をしていなければ確実にアイシャは治療が間に合わずに命を失っていただろう。今のアイシャがあるのはネテロのおかげと言っても過言ではなかった。

 

「……それはあなたの方が損をしていますよ。別のことで返します」

 

 命を救ってもらった恩が、この程度の迷惑くらいで釣り合うわけがない。

 そう思っての言葉だったが、ネテロは別段気にするなという風に手をヒラヒラと振るう。

 

「ワシの労力的にはトントンじゃよ。おぬしを助けるのに大した手間は掛かっておらんわい」

「……分かったよ。お前がそういうならありがたく受け取っておこう」

 

 好敵手の思いやりを受け取り、この話題はここで打ち切るアイシャ。

 無駄に気をつかっても迷惑がられるだけだ。今更そんな細かいことを気にする間柄でもない、後で上手い酒でも差し入れて呑むくらいで丁度いいだろう。

 ……まだ飲酒しては駄目かな、と悩むアイシャだったが。どう考えてもあの父母が許してくれるとは思えないアイシャであった。

 

「さて、どうするアイシャ?」

 

 唐突に楽しそうな笑みを浮かべてそんなことを聞きだすネテロ。

 周りに人がいれば一体何のことを言っているのか分からないだろうが、聞かれた当人であるアイシャには分かっていた。

 

「どうするって、あなたの部下なんでしょう? どうにかしてくださいよ」

「えー、だってワシもう会長じゃないしー」

 

 いい歳して子どものようにふざけるネテロに、いつまでも変わらないなと若干の諦めとそれでこそのネテロだという複雑な想いを抱くアイシャ。

 そんな2人の後ろから、2人の謎の会話の原因である人物が声を掛けてきた。

 

「待てよ女!」

 

 後ろからそう声を掛けてきたのは十二支んの1人、寅のカンザイだ。

 彼は射殺すような目つきで振り向いたアイシャに向かって吼えたけた。

 

「オレと勝負しろ!!」

 

 

 

 

 

 

 ところ変わって、アイシャとネテロとカンザイの3人は協会本部にある訓練所へとやってきていた。

 念能力者が訓練する場所のためか、どこもかしこもボロボロだ。これでも定期的に修繕しているのだが、念能力者が本気で訓練すれば頑丈に作った訓練所でもすぐに壊されてしまうのだ。

 周囲は完全に閉ざされており、個々の念能力の秘匿も十分に対処されている。そんな場所に移動した理由は、もちろんアイシャとカンザイが闘うためだ。

 

「ここなら思う存分暴れられるぜ!」

 

 興奮し息巻いているカンザイ。すでに全身のオーラは迸り臨戦体勢に入っているのは目に見えていた。

 

「どうして私とあなたが闘わなくてはならないのですか?」

 

 問うても意味がないことだとは理解している。恐らく言葉で彼を説得することは出来ないだろうと予測していた。

 アイシャも今までに見たことはあるが、言葉よりも別の何かで納得するタイプの人間だ。それでも理由を確認することは悪いことではないだろう。

 

「お前が強いのは分かっている! ネテロ会長のライバルってのも嘘じゃないんだろうさ! だがな! 闘いもしていない相手を簡単に認められる程オレは器用じゃないんだよ!」

 

 アイシャの予想は当たっていたようだ。

 カンザイは頭が悪いが愚かではない。アイシャの実力が自身より高いのは理解している。だがそれを認める理性と感情はまた別なのだ。感情が納得しない限り、理性で抑えることは出来そうになかった。少なくともこれが他の十二支んに関わる何かならば納得していただろう。

 だが事はネテロに深く関わることだ。それをただ見過ごして納得出来るような性格ならば、カンザイは今頃別の人生を進んでいただろう。

 

 アイシャはカンザイのその決意を見て、確認するようにネテロを見やった。

 

「すまんなアイシャ。こやつの意思を汲み取ってやってくれ。それとなカンザイよ。ワシャもう会長じゃないぞい。気軽にネテロさんと呼んでくれい」

 

「オレに取ってはいつまでも会長はあんただ! 他の奴が会長になってもその気持ちを変えるつもりはねぇ!」

 

 真っ直ぐ過ぎるその想いはけして曲がることはないだろうと実感させるものが籠もっていた。

 やれやれと思いつつも、慕われて悪い気持ちはしないネテロであったが。

 

「さあ行くぜ! お前の力を見せてみろ!!」

「……分かりました」

 

 ネテロのカンザイを思う気持ちとカンザイの自分を納得させたいが為の覚悟に、アイシャも応えようとする。

 両者が開始線に立ち、ネテロが見届け役として開始の合図を任される。

 

 全力でオーラを練り上げ全身を強化するカンザイ。確実に強化系を思わせる小細工のないその姿勢にアイシャは好感を持ったくらいだ。

 対するアイシャはオーラを纏ってすらいない。カンザイが見たアイシャの姿は隙はなくとも全力の欠片も見えなかった。

 だがカンザイはそれを見て手を抜いているとは思いはしない。全力の出し方が人それぞれなのはカンザイ程の経験者ならば理解しているからだ。

 もしこれが手を抜いている結果だとしたら、それは闘い終わった後に分かることだ。そうなればその時はこの女を認めることはないと決まるだけだ。

 だから、今は自身が全力を尽くして闘うことに集中した。

 

「良いか。これは試合じゃ、決闘ではない。試合後には互いに遺恨を残さぬように。良いな」

「おう!」

「はい」

 

 2人の了承の声を聞き、続いてネテロによる開始の号令が放たれた。

 

「始め!!」

 

 号令が終わるや否や、間髪入れずにカンザイはアイシャへと向かっていた。

 分かり易い程に愚直な突進だ。開始前の入れ込み具合を見れば大抵の人間がこう来るであろうと予測出来たであろう。

 だが、予測出来ることと対応出来ることはまた別だ。例え相手の心が読めていたとしても、その動きに反応することが出来なかったら意味がないだろう。それと同じである。

 カンザイの突進はそれだ。寅のコードネームに相応しい、まさに虎を思わせる瞬発力と力強さだ。例え来ると分かっていても反応出来るのは極僅かしかいないだろう。

 

 そしてアイシャはその極僅かの内の1人だ。猛獣が迫り来るようなプレッシャーの塊を合気にて対処する。

 それだけでカンザイは自身の勢いのままに吹き飛ばされる。だが、カンザイは壁にぶつかる前に瞬時に空中で体勢を整え、壁を軽やかに蹴ることで衝撃を緩和しダメージを最小限に抑えて床へと着地した。

 まるで猫のようだとアイシャは思う。虎の攻撃力と猫の俊敏性を有しているかのようだ。

 

 対するカンザイは自身の攻撃が簡単にいなされたことに歯噛み……することはなく、着地と同時に再びアイシャに向かって全力で攻撃を仕掛けた。

 相手が格上だというのは理解している。これは勝つための試合ではない、納得するための試合なのだ。もちろん負けるつもりで闘いを挑んだりはしないが。

 小細工は無用。余計な思考も不要。自身の全力を叩きこむことのみに全てを費やして、カンザイはアイシャへ猛攻を仕掛ける。

 

 二度目の突進も愚直そのものだ。だが先の一撃よりも更に威力が増しているように思える。手を抜いていたわけではなく、更に気合が乗った結果だろう。どうやら興奮すればするほどオーラが増すタイプのようだ。

 だが勢い、威力ともに増したその一撃も、アイシャにとっては対応可能なレベルの打撃だった。念能力は除くが、メルエム戦を経たアイシャに対応出来ない打撃など技術でアイシャに伍さない限り放つことは不可能であろう。

 

 アイシャに向かって突進していたはずのカンザイは突如としてその動きを空中で止め、その場で高速回転を始めた。

 カンザイの突進から生まれた運動エネルギーの流れを合気を以ってして転換したのである。つまりカンザイは自らの力で宙を廻っているということだ。

 体に漲っていた力が一瞬で空回りし、突如として肉体の自由を奪われ宙にて回転させられたカンザイ。その唐突な変化にカンザイの反応は瞬時に対応することが出来なかった。

 反応が遅れ、その上宙を高速で回転するという無防備な状態で、アイシャが放った掌底を避けることなど出来るわけもなかった。

 アイシャの放った掌底は鳩尾に正確に突き刺さる。その威力に宙を廻っていた肉体はその回転を止める。回転と掌底の衝突が生み出した威力はカンザイから戦闘力を奪うには十分過ぎるものだった。

 

「――グハァッ!?」

 

 血反吐を吐き出して大地に沈むカンザイ。意識は残っている。だが、肉体はその意思に応えてはくれない。どれだけ力を籠めても立つことはおろか指1つ動かすこともままならなかったのだ。

 

「それまで! 勝者アイシャ!」

 

 そして勝敗を決する声が響いた。

 完敗である。全力を出した、だがその上で圧倒された。しかも相手は全力を出し切ってはいないだろう。

 カンザイはその事実に腸が煮えくり返る。だが仕方ないと納得もしている。相手が全力を出す前に力尽きたのだから。

 腹が立っているのはアイシャにではなく、その程度の実力しかない自分自身にだった。

 

「がふっ、こひゅ、ひゅぅっ、ぅ……」

 

 内部に浸透した衝撃のせいで未だに呼吸は整わない。

 だが、それでもゆっくりと時間を掛け、苦痛に顔を歪ませながらも自身の力で立ち上がった。

 そしてそのまま開始線まで千鳥足ながらも戻っていく。すでにアイシャは自身の開始線に戻っていた。

 

 時間を掛けつつも開始線に戻り、カンザイは残る力を振り絞って――

 

「あ、りがとう、ござい、ました……」

「ありがとうございました」

 

 試合後の礼を行い、力尽きるように倒れた。

 カンザイはネテロが言った言葉を守ったのだ。これは決闘ではなく試合だ。ならば試合が終われば対戦相手に礼をするのは当たり前だ。

 苦痛に倒れたカンザイだったが、その表情はどこか晴々としたものだった。そして倒れたままにアイシャに話しかける。

 

「おま、え……名前、なんて……った?」

「アイシャ、アイシャ=コーザです」

「おぼえ、とくぜ。次はオレが……勝つ!」

「ええ。楽しみに待っていますカンザイさん」

 

 アイシャのその言葉を聞いて、カンザイは満足したように意識を手放した。

 

「ほっほ。面倒な奴に目をつけられたの。カンザイは何度でも挑んでくるぞ?」

「こういう人は嫌いじゃありませんよ。あなただって面倒などと本当は思っていないでしょう?」

「まあな」

 

 小細工なしで真正面から気持ちをぶつけてくる相手だ。ネテロとしても嫌いな相手ではなかった。

 時々疲れることもあるが……。

 

「それよりもあの副会長の方が面倒でしょうに」

「まあな……」

 

 小細工をしないことがない相手である。しかもその小細工は超がつくほど1流だ。ネテロとしても苦手な相手であった。

 まあそんな苦手な相手を近くに置くことが楽しいと思う捻くれ具合のネテロであるのだが。

 

「自分の楽しみに全力を尽くす姿勢は嫌いじゃないですけど、それで人をダシに使われるのは御免です」

「何言ってやがる。あん時にワシを落としいれるような言動しやがって!」

「だ、だって……ネテロを弄れるいい機会だったんだもん……」

「お前絶対性格悪くなってんよ」

「若気の至りなのです」

 

 まあ実年齢が若いのは間違いではない。人生経験自体は人類最高峰だろうが。

 

「まあそんなことよりも」

「話を流す気じゃよこやつ」

「気にしない気にしない。それよりもあの子、ボトバイ君でしたっけ? 大きくなりましたねぇ。努力もしているようですし、立派になって嬉しい限りですよ」

 

 ボトバイと初めて出会った頃を再び思い出すアイシャ。

 そして同時に数十年という時の流れを実感する。あの未熟な青年があれだけの雄に育つほどなのだから。

 

「お前に発破掛けられてから無駄なこと考えずに修行に没頭するようになったからの」

「私の一言でそんなに影響を受けるなんて思いませんでしたよ」

 

 アイシャとしては悩める若人に当たり前だがもっとも重要なアドバイスをしたに過ぎないのだが、それをそこまで受け止めてくれるとは思っていなかった。

 真剣に汲み取ってくれたその想いに悪い気はしないどころか嬉しく思っていたが。

 

「彼なら次期会長も務まるのでは?」

「まあ大丈夫じゃろうな。しかし難しいと思うぞ」

「会長は務まっても、なることは難しいと」

 

 ネテロの言い回しに何を言いたいのかを悟る。ボトバイが如何に会長に相応しい器を持っていたとしても、会長に選ばれなければ意味はないのだ。

 

「パリスがいるからのー。あ奴がいて選挙でボトバイが勝つイメージは湧かんな」

 

 ボトバイは確かに会長の器だ。質実剛健を体現したような人物で、彼を慕う人物は数多い。

 だが彼のその質実剛健が選挙では仇となるのだ。情報量が豊富で情報操作が得意なパリストンがいる限り、ボトバイのようなタイプが選挙で勝つことはまず不可能だろう。

 情報操作が得意なタイプの人間ならばまだ食い下がれるだろう。だが、パリストンを上回る者はちょっと想像出来ないネテロであったが。唯一対抗出来るのはジンくらいだろうか。

 

「彼は厄介ですね。ちょっと底知れない何かを感じますよ」

 

 アイシャの人生でもパリストンのようなタイプと出会った経験は少ない。

 しかもパリストンは同じようなタイプの人間とは一線を画す何かを持っているように思える。ただの策謀に優れた男には見えなかった。

 

「彼、あなたの邪魔をするのが好きなんでしょう? 次はどんな1手を放ってくるのやら」

「うむ、まあ予想はついとるが……」

「そうなんですか? どんな手を打ってくるんです?」

「……まあ予想は予想じゃよ。まだ何とも言えんわい」

「はあ、まあいいですけど」

 

 ネテロの曖昧な返答に訝しむも、ネテロなら自分のことはどうにかするだろうと思うアイシャ。

 だが、ネテロはパリストンが次に仕掛けてくるであろう1手を読み、内心ほくそ笑んでいた。

 

 

 

 

 

 

 ネテロと十二支んの会議の日から1週間後。全ハンターに第13代会長総選挙の通達が為された。

 その選挙内容は多くのハンター達を驚かせた。選挙と言えば立候補者に投票するものだが、その立候補者が驚きの原因だ。

 全プロハンター755人。それら全てが選挙立候補者として挙げられたのだ。誰もが候補者かつ投票者ということだ。

 異例とも言える選挙方法に驚きを隠せない者は多かっただろう。ほとんどの者が自分が立候補者でも当選するわけではないとすぐに落ち着きを取り戻していたが。

 

 選挙通達の用紙に書かれていた選挙のルールはまだあった。

 最高得票数が全ハンターの過半数を得なかった場合、上位16名で再選挙を行う。それでも決まらない場合は順次人数を半分にする。

 更には投票率が95%未満の場合、その選挙をやり直すというルールもあった。

 これはかなり厄介なルールであった。例え得票数が1位であっても場合によっては意味をなさないこともある。しかも複数の上位者が手を組めば1位の人間を落とすことも可能だ。

 逆もまた然り。1位が複数の人間と手を組めば容易に会長の座を得ることも可能だろう。人と情報を上手く操れる者が有利だというのは実際の選挙と然して変わらない物かもしれないが。

 ちなみに無記名による投票は無効である。これはこのルールを考えた者が誰が誰に入れたか分かった方が面白いという理由で作られたものだ。

 もっとも、投票用紙を確認出来るのは公平な立場として選挙最高責任者に選ばれた前会長ネテロの秘書ビーンズのみだったが。

 

 そうして通達から2週間。とうとう第13代会長総選挙が開始された。

 投票場所はハンター協会本部といくつかの別地が用意されている。

 その数箇所に世界中のハンターの大半が集まっているのだ。これほどのハンターが一堂に会するのはそうそうない出来事だろう。

 

 多くのハンターが参列する協会本部にて、早めに投票を終えたアイシャは本部内を退出せずにしばらくその場で待機していた。

 そんなアイシャを見て他のハンター達は人が大勢いる中で投票し終わった人間が未だに退出せずにいることに怪訝に思うが、それが美少女だったので大抵の男は内心で許した。

 

「おい、投票終わったのに何でいるんだよ」

「いえ、人を探しているんですよ。ここなら見つかるかなって」

「ちっ! 迷惑にならないよう端っこにいろよ。ったく、なんでこんなに早く再会するんだよ」

「そんなこと私に言われましても……」

 

 憎まれ口を叩いているのはカンザイだ。十二支んはそれぞれ投票場所の見守りをする役目を与えられており、カンザイはこの本部の投票を見守る係りだったのだ。

 もちろんカンザイ以外にも見守りの十二支んはいたが。

 

「随分と仲がいいわねお2人さん~~」

「カンザイは闘って認めた相手には何だかんだで優しいからね」

 

 ピヨンとギンタである。カンザイと合わせたこの3人が本部投票の見守りであった。

 ちなみにアイシャとカンザイの戦闘はすでに十二支んの中では周知の事実として知れ渡っている。カンザイが隠し事が苦手な性質なのだからまあ知られるのに時間は掛からなかった。

 

「うっせーんだよ!」

「皆さん投票見守りに集中しましょうよ……」

「元はと言えばおめーのせいだろうが!」

 

 そんな風にじゃれ合っていると、ようやくアイシャの尋ね人がやって来た。

 他の投票場所に行っている可能性もあったがどうやら協会本部で正解だったようだ。

 まあ、他の投票場所にはゴン達に頼んでいるのでそっちに行っていても大丈夫だっただろうが。

 

「ハンゾーさん!」

「ん? おお! お前さんは確か……! そう、アイシャだったな! いやぁ久しぶりじゃねーか。元気にしてたか? 今回は突然の会長選挙にびっくりしたよな。おかげでジャポンからまた遠出になったぜ。いやまあ外の世界に出るのは気に入っているからいいんだけどな。任務以外で外国に来るのも滅多にないことだしな。ゴン達とは会えたか? あいつらハンター試験中にお前がいなくなって心配してたんだぜ」

 

 相変わらずの良く回る口に少々呆気に取られるアイシャだったが、本命を思いだしてハンゾーに決死の覚悟で問いかける。

 

「ゴン達とは再会出来ましたよ。それより実はハンゾーさんにお願いがありまして……」

「お願い?」

「ええ、ここでは何ですのでこちらへ」

「内密の話ってことか……」

 

 アイシャの瞳に宿った覚悟を読み取ったのか、ハンゾーもその姿勢を正してアイシャに向き直る。

 そうして2人は周囲に会話が漏れない場所へと移動していった。

 残された十二支んは何だったのかと思いながらも、そのまま仕事である投票の見守りを続けた。

 

 

 

「ここなら周囲に気配もない。さ、用件を言ってもらおうか」

 

 本部会場を離れ、人気のない森の中までやって来た2人。ここまでする必要はあったのかアイシャの方が疑問だったが、忍者としてのハンゾーの周到さが話を大きくしているようだ。

 ハンゾーの中では自分の用件がどのような内容で繰り広げられているのだろうか。少々疑問に思うアイシャであった。

 

「ええ……実はハンゾーさんが持っている黒の書を譲って欲しいのです!」

「……それだけ?」

「はい。それだけですが」

「なんだよそれだけかよ。オレは真剣な表情で話しかけてくるもんだからてっきり仕事の話かと思ったぜ」

 

 一体どんな仕事を頼むと思っていたのだろうか。

 忍者として人殺しもこなしたことのあるハンゾーだ。裏の仕事も請け負っているのだろう。

 アイシャとしてはそんな仕事を頼む気など更々ないが。そう思いつつも、裏の人間の知り合いが最近増えている気がするアイシャ。

 多分まともな知り合いは殆どいないのではないだろうか。いや、殆どではなくいない気がしだした。

 ちょっと自分の交友関係に不安が出てきたアイシャである。

 

「どうした何か落ち込んでないか?」

「いえ、何でもありません……。それより、私にとって黒の書はとても重要なんです。出来れば譲っていただきたいのですが。もちろん礼は弾みます!」

「うーん、そう言われてもなぁ」

 

 ハンゾーのその反応に思わず嫌な予感が過ぎるアイシャ。というかこのパターンは――

 

「もう人に譲っちまったんだよな。わりぃなアイシャ」

「そんなことだろうと思っていましたよチクショウ!」

「どうした急に!?」

 

 最後の黒の書のお決まりのパターンに思わず語気を荒げるアイシャ。

 無理もない。この一冊だけはのらりくらりとアイシャやリィーナ達の手から逃れているのだから。

 もうこれは悪魔か何かが嫌がらせでもしているのかと疑いたくなるレベルだろう。

 

「はぁ、はぁ、いえ、何でもありません……。それよりも、一体誰に譲ったんですか?」

「何でもないように思えないが……まあいい。譲ったのは里にだよ。今後は見込みがある奴に黒の書を見せるようになるだろうな。というわけで、お前が里に来ても譲ることはまずないだろうな。諦めてくれ」

 

 つまり黒の書は定期的に複数の人間に見られ続ける運命ということである。

 あまりの絶望に意識を手放したくなる程だ。

 

「もうお終いだ……。回収の方法はもう……。いっそ……里を……」

 

 小さく呟いているため忍者のハンゾーでも良く聞き取れないが、何やら不穏なことを呟いている気がする。

 これはまずいと思ったのかどうにかしてハンゾーはアイシャを宥めようとする。

 ハンゾーは忍者として優秀で、念能力者となって更に強くなった。才も努力にも溢れた実力者だ。

 だからこそ、ハンター試験の時よりもアイシャの実力が良く理解出来た。

 

 ――絶対勝てないっての! こんなの里に行かせたらヤバいなんてもんじゃねー!――

 

「あー、あれだ! 写しで良ければ今度作って持って来てやるか――」

「――あなたはこれ以上私を追い詰める気ですか!?」

「なんで!?」

 

 まさかの激怒である。欲しい本を写本とはいえ渡すというのにどういうことなのか。

 アイシャの真意を知らないハンゾーがそう思うのは仕方ないことだった。

 

「いえ……もうしわけありません。私のことを想ってくれるならどうか写本だけは作らないでください……。こうなったらあなた達が黒の書を管理してください。もし写本が新たに出回っているならば、まず里を疑いますよ」

「わ、分かったよ」

 

 元はアイシャの本とはいえ、現在の所有者はハンゾー並びに忍者の里である。相手が譲れないというなら諦める他はない。

 それならばいっそ写本を管理してもらえば黒の書の拡大は防がれるだろう。

 忍者の里はもう手遅れだ。厨二病の温床になってしまった(アイシャ的に)。

 ならば里だけで拡大を抑えてくれた方がマシというものだ。

 

 悪用の危険性も考えるが、どうせ黒の書がなかろうと念能力は里に知れ渡っている。今まで念能力を知らなかったとしてもハンゾーが教えれば同じことだ。

 黒の書がなくても念能力を悪用することは可能なのだ。ならば有ってもなくても同じことだろう。

 

「お願いします。決して新たな写本を作らないこと、そして黒の書を里から出さないことです。頼みましたよハンゾーさん!」

「命に代えても!」

 

 阿修羅を思わせるその圧力にハンゾーは屈してしまった。拷問にも耐え抜く精神力も形無しである。

 いや、ハンゾーは何も悪くはない。もしこれに抗ってしまえば、この阿修羅は里に牙を向くやも知れないのだ。

 絶対勝てない。無理ゲー。里の戦力を知るハンゾーはそう思わざるを得ない実力差をアイシャから感じ取っていた。

 元々里のみで共有するつもりの知識だ。他にばら撒いて商売敵を強くしてやる必要もないからアイシャの提案を断る理由もなかったのだが。

 

「ありがとうございますハンゾーさん」

「良いってことよ。だからジャポンには来ないでね」

「え? ジャポンは好きなのでその内旅行に行くつもりでしたけど、どうしてですか?」

「絶対里から黒の書は出さないから! だからせめて里には来ないでくれ!」

 

 アイシャには意味が分からない懇願であった。

 そもそも場所も知らない場所に来るなと言われてもどうやって行けと言うのか。

 

「はあ、まあ行く気はないので大丈夫ですけど」

「そうか、信じてるぞ」

 

 どれだけ怖がっているというのか。

 ちょっと脅しが過ぎたかと反省するアイシャであった。

 

 

 




どうも、私が悪魔(作者)です。
会長選出の方法は捏造設定です。実際はどうかは分かりません。

ハトの照り焼き様から頂きました。いつもありがとうございます。

【挿絵表示】



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

後日談その6 ※

 疲れた表情で離れていくハンゾーを見送ったアイシャはそのまま家に帰ろうと――せず、その場でしばらく立ち止まっていた。

 

「もう出てきてもいいんじゃないですか?」

 

 アイシャ以外誰もいないはずのその場でそんなことを呟くと、木々の陰から2人の男性が突如として現れた。

 

「やっぱりアイシャから隠れるのは無理だったか。驚かそうとしてたのに、残念♥」

「……」

 

 木々の裏に気配を消して隠れていたのはヒソカ。そして顔に大量の針を刺している異様な風体の針男だった。

 ヒソカはともかく、この針男は何者かと僅かに逡巡するアイシャ。そして印象的なその見た目とハンター試験後にビーンズから聞いた言葉を思い出す。

 

「あなたは確か……キルアとミルキのお兄さん、でしたか?」

「知ってるようだね。2人に聞いたのかな」

 

 そうしてイルミは顔から全ての針を抜き、ギタラクルという仮面を捨てて本来の姿に戻る。目付き以外どこかミルキに似ているが、ミルキよりも人間味を更に薄くしたような雰囲気を漂わせている。

 これがゾルディックの闇なのだろうとイルミを見た瞬間にアイシャは思った。同じ暗殺者として育てられていたキルアやミルキとはまるで別の存在だ。あの2人も時間を掛けて徹底的に育てられていればイルミと同じようになるのかもしれない。

 そう考えると絶対にあの2人をゾルディックに戻したくないと決意するアイシャであった。

 

「暗殺者が何の用でしょうか?」

「キルから離れてもらえないか? 暗殺者に友達は必要ないよ」

 

 予想はしていた。だが、家族からそんな言葉が出るような環境しか与えられていなかったあの2人を思うと憐憫と怒りが湧き出る。

 いや、少なくとも父親と祖父からはまだまともな愛情を感じられた。確かに2人とも暗殺者であり、キルア達に拷問のような修行を課していたが。

 だがこのイルミは歪みすぎている。ただの家族愛ではすまない歪んだ愛をキルアに向けていた。どちらかと言えば父親よりも母親に似たような雰囲気だろう。

 

 その愛の全てはキルアの才能から来るものだ。キルアは長きゾルディックの歴史の中でも最も優秀と言っても過言ではない才能を誇っている。

 だからこそ家族の中で最も大切に育てられてきた。念能力の存在も教えずに基礎能力や技術を磨きあげ、ある程度成長したら放任することで刺激を与えて更なる成長を期待する。

 そして家族の中で誰よりもキルアに期待しているのがイルミだ。誰よりもゾルディックそのものを最重要に置いているのがイルミだろう。

 だからこそ、ゾルディック最高峰の暗殺者となるキルアを過保護とも言える愛を注いで育てていたのだ。その愛の中に相手の意思の尊重というものは欠片もなかったが。

 所詮はイルミの愛は器への愛だ。キルアの心まで考慮に入れるわけがない。そうであるならば、キルアの意思を抑制する針を脳に埋め込んだりなどしないだろう。

 

 ともかく、そんなイルミからしたらアイシャやゴンの存在は許しがたいものだ。大事にしていた宝物を掠め取られた気分になるのも不思議ではない。

 現ゾルディック家当主であるシルバからキルアのことは放っておけと言われたから今までは放置していた。

 だが、会長総選挙にて偶然にもアイシャの姿を見たからには一言言っておきたくなったのだ。

 

 もっとも、そんな下らない――アイシャにとってだが――言い分を大人しく聞くアイシャではないが。

 

「お断りします。彼らは暗殺者の道を抜けました。いえ、例え暗殺者だろうと友達は友達です」

「彼ら? もしかしてミルも?」

「ええ」

 

 家族としての立ち位置は自分たち寄りだったミルキが何時の間にかそんなことを言い出している。イルミとしては有り得ないと言ってもいい現象だ。操作系の能力の可能性も考慮に入れている程だった。

 

「そ――」

「操作しているとか言い出したら、どうなるかはあなたの体で理解することになりますが?」

 

 イルミの台詞に被せるように発せられた言葉に、イルミは口を閉ざしてしまう。

 いや、言葉ではない。アイシャから発せられた怒気によって喋るよりも警戒するしか出来なかったのだ。そして一瞬にしてイルミは十数mは後方へと下がっていた。

 

『勝ち目のない敵とは戦うな』

 

 自らが口をすっぱくしてキルアに叩きこんだ教え。それは自らもまた親にそれを叩きこまれたからでもある。

 勝ち目がない。操作系である自分なら針さえ刺すことが出来ればとも思うが、その針を刺せるイメージが湧かない。

 こんな化け物の傍に大切なゾルディック家の跡取りがいることを危惧するが、同時に安堵もする。これなら大抵の危険からは守れるだろうと。

 

 ちなみにヒソカの方は股間が放送禁止レベルになっていた。

 禁欲が長いヒソカにアイシャの怒気は禁断症状手前のジャンキーの前に大好物の麻薬を置くようなものだ。

 

「今すぐ襲い掛かってもいいかな? とっくに1ヵ月は過ぎてるしね♣」

「聞くだけ理性が残っていると思うことにします……。今は大事な話があるから後にしなさい」

「えー……♠」

 

 変態に毒気を抜かれたのか、アイシャから怒気は消えていた。それと共にヒソカの息子も消沈していったが。

 

「……まいったな。オレじゃ勝てそうにないや。ねぇヒソカ、報酬は払うから協力してくれない?」

「キミのお願いでもそれは駄目♦ 彼女はボクの、ボクだけの獲物さ♥」

「当人の前で暗殺依頼を出したり獲物呼ばわりするの止めてくれません?」

 

 アイシャを警戒しながら対応出来る距離を保ちつつ、イルミは何でもない風にヒソカに暗殺の協力依頼を出していた。

 当人の前で大した度胸である。流石は暗殺一家の長兄というべきか。

 

「考えを変える気はないみたいだね」

「もちろんです。そちらこそ考えを変えることをお勧めしますが」

「それはないよ。でも分かった。キルはしばらくそっちに預けておくよ。危害を加えることはないだろうし。でも、キルはいずれオレ達のところに帰ってくる。それがキルにとって最も幸せなことだからね」

「キルアの進む道も幸せも、全てはキルアが決めることです。道を指し示すことはすれど、道を決めつけることなど誰にも出来ません」

「……キミとは相容れないかな」

「お互い様ですね」

 

 武道の頂点と暗殺の極点とも言うべき2人は考えが混ざり合わない水と油のような存在だ。決してその道が重なることはないのだろうと2人同時に確信する。

 母親がミルキにならアイシャを嫁にしてもいいと言っていたのをイルミは思い出すが、例え家族になったとしてもイルミに取ってアイシャは部外者となるだろう。

 

「それじゃあね。キミが家族にならないことを祈るよ」

「……何のことですか?」

「……まあミルくらいは応援してあげよう」

 

 普通の愛が理解出来ないイルミにもそう思えてしまうアイシャの鈍感具合であった。

 アイシャに取って訳が分からない台詞を残して、イルミはそのまま立ち去った。

 残っているのはアイシャとヒソカのみである。

 

「さて……やるんですか?」

「ここだと邪魔が入るよ。何せハンター協会本部の間近だ♥」

「じゃあ移動しますか?」

「いや、止めとくよ。今はまだ勝てそうにない。勝ち目が薄い戦いは嫌いじゃないけど、勝ち目がない戦いはする気にはなれない♣」

 

 ヒソカとてあれから強くなった自信はある。だが、アイシャもまた強くなっていた。少なくとも自分と戦った時よりも一段か二段は上になっているのをヒソカは感じていた。互いに強くなっているならその差はほとんど縮まってはいないだろう。

 あの時は策を講じて勝率を上げていたが、完全に対等の状況下ではその勝率も著しく下がってしまうのは目に見えている。

 強い相手に勝ちたいから戦うのだ。絶対に負けると分かっていて戦う程ヒソカは愚かではなかった。

 

「今回はボクもこれで退くとするさ♦」

「そうですか。それでは次の機会を楽しみにしていましょう」

 

 アイシャとしても意外とヒソカとの再戦を望んでいた。ヒソカ程の実力者は稀であり、思う存分力を揮える機会も少ないのだ。

 ネテロとの再戦を楽しみにしていたがここ最近の出来事のおかげでお流れになってばかりだったので、アイシャも意外と欲求不満だったりする。

 

 

 

 ヒソカもいなくなり、いよいよこの場にはアイシャしかいなくなった。

 完全に周囲から気配が消えたことを確認し、更に念には念を入れて協会本部から視認出来ない程に離れる。

 そして携帯電話を取り出して、ある人物へと連絡をした。

 

「……あ、もしもし――投票は終わりましたか? ――そうですか――はい、もう迎えに来てもらっても大丈夫です。それじゃあ待ってますね」

 

 電話を終えて十数秒もすると、空から飛行音が聞こえ誰かがその場に降り立った。

 そんな能力を有するのはアイシャの知る限りただ1人。そう、先程の電話の相手レオリオである。

 

「よう、待たせたな!」

「いえ、流石の速さですね」

 

 レオリオの【高速飛行能力/ルーラ】に必要な目印をアイシャは常に携帯している。首から提げているお守りがそれだ。

 これを目印にすればいつでもレオリオはアイシャの――正確にはアイシャの持つ目印だが――元へと辿りつけるわけだ。

 

「ここが協会本部のある街か」

「ええ。この街にも目印を設置した方がいいでしょう。何かあった時に便利ですし」

「そうだな。ちょいと時間貰うぜアイシャ」

「はい」

 

 そうしてレオリオは目印作成に入る。適当な石を刻んで念を込めた神字を記し、それを地面に埋める。これで完成だ。これでいつでもこの街や協会本部へ移動できるようになったわけだ。協会本部から少々離れているが、直接協会本部に飛ぶような目立つ行為は避けたかったので丁度いいだろう。

 まあレオリオの能力が周知の事実になってきたら話はまた別だろうが。利便性の高さに、飛行という目立つ移動方法だ。いずれはハンターの誰もが知ることになるだろう。

 

「これでよしっと。それじゃ一旦家に帰るか」

「ゴン達を拾ってからですよ。彼らも投票が終わることでしょうし」

「そうだな。そういやハンゾーには会えたのか? オレが投票した場所にはいなかったけど」

 

 レオリオの言葉にハンゾーとのやり取りを思い出したのか意気消沈するアイシャ。

 その表情に「あ、これは駄目だったな」とアイシャの返事を聞く前にレオリオは察した。

 

「ええ……ですが、残念ながら黒の書は回収出来ませんでしたが」

「そうか、そりゃ残念だったな。また誰かに譲ってたのか?」

「いえ、そう言うわけではないですね。詳しくはゴン達と一緒に説明しますね」

「そうだな。それじゃゴン達を回収しに行こうぜ」

 

 そうしてレオリオはアイシャを抱きかかえる。所謂お姫様抱っこという奴だ。

 アイシャは【ボス属性】によって【高速飛行能力/ルーラ】の恩恵を無効化してしまう。そんなアイシャを【高速飛行能力/ルーラ】で移動させる方法がレオリオが抱きかかえることなのだ。こうすれば【高速飛行能力/ルーラ】によって移動するレオリオに引っ張られる形でアイシャも移動出来るわけだ。

 とある2人からは不満だらけの方法だったが。

 

「ま、万が一にも落ちないようにしっかりと抱きしめるからな」

「はい、よろしくお願いしますレオリオさん」

 

 滅茶苦茶役得のレオリオであった。

 落ちないようアイシャの体を引き寄せ密着させ、アイシャも落ちまいとしっかりとレオリオに抱きつく。

 自然とアイシャの胸の感触を布越しとはいえ味わえる。【高速飛行能力/ルーラ】を作って本当に良かったと感動するレオリオ。

 

 アイシャの豊満な肉体や女性特有の柔らかな香り――最近は入浴時のシャンプーや石鹸を変えたのかより良い匂いを放っている――を感じながらレオリオは思う。

 

 ――ゴン達が別々の投票場所に行ってて良かったぜ――

 

 ハンゾー確認の為、協会本部以外の別地投票場所へと何人かに分かれたので【高速飛行能力/ルーラ】による移動回数も必然的に増える。

 つまりはアイシャとの密着時間が増えるわけだ。今回の幸運を特に信じていない神に感謝するレオリオだった。

 ちなみにゴン達にもそれぞれ【高速飛行能力/ルーラ】の目印を渡してある。

 

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……あの?」

「お、おう!? どうした?」

「いえ、出発しないのですか?」

「そ、そうだな! それじゃ行くぜ! 【高速飛行能力/ルーラ】使用! ゴン!」

 

 たっぷり数十秒はアイシャの肉体を堪能してからレオリオはアイシャに促されてようやく【高速飛行能力/ルーラ】を発動した。

 

 

 

 

 

 

「せいっ!」

「なんのー!」

 

 ミルキの振るった拳をレオリオはクロスアームガードでしっかりと衝撃を吸収し防ぐ。レオリオは反撃のローキックを放つ。まずは機動力を奪うつもりだ。地味だが効果的な攻撃だろう。

 

「甘い!」

 

 だがそれはキルアによって防がれた。軸足を刈られたレオリオはバランスを崩してしまう。

 転倒することはなくどうにか体勢を保ったが、それでも動きを止められたのは確かだ。その隙をすかさずドミニクが追撃する。

 

「たまには体を動かさんとなぁ」

「そう言いながら銃撃ってんじゃねぇよドミニクさんよぉ!?」

 

 笑いながらレオリオの足元に発砲するドミニク。一応当たらないように撃っているようだが、良く見ると銃弾にはオーラが覆われていた。

 もし当たればレオリオの防御を越えることは間違いないだろう。いくらドミニクのオーラがレオリオより低くても、銃弾自体の威力は高いのだから。

 ちなみにドミニクの良心であるミシャはこの場にはいない。激しい動きをするとミシャから5m以上離れてしまうからだ。

 つまりドミニクを止めることが出来るのはこの場にはいないのである。唯一アイシャがそれに値するが、そのアイシャは何故か幸せそうに悦に浸っていた。

 

 

 

 この騒ぎの発端はレオリオがゴン達を連れてドミニクの家まで帰ってきたことから始まる。

 ドミニクの家にも【高速飛行能力/ルーラ】の目印は設置されていた。もちろん家主の許可は得ている。一瞬でアームストルまで帰ってきたことに改めて【高速飛行能力/ルーラ】の有用性を感じるゴン達。

 だが、タイミングが悪かった。レオリオ達が降り立ったのは家の庭だったが、そこにはたまたま庭を散策していたドミニクとミシャがいたのだ。

 突如として降り立ったレオリオ達に驚くドミニク達だが、【高速飛行能力/ルーラ】に関しては前もって説明していたのですぐにそれに思い当たる。

 そうしてレオリオ達を歓迎しようとするが、そこでドミニクは許しがたい物を見てしまった。

 そう、レオリオの腕に抱かれる娘の姿である。そして次のミシャの一言でドミニクの怒りは頂点に達した。

 

 ――あらあら、お姫様抱っこなんて。アイシャちゃん羨ましいわ――

 

 ドミニクの怒りは完全に振り切れた。

 ドミニクは本来親馬鹿である。もしミシャが死なずにアイシャが生まれていたら今頃デレデレの姿を娘に見せていただろう。

 未だにアイシャに対して蟠りがなくなったわけではない。だが、一度受け入れてからは徐々に親馬鹿な一面を見せるようになっていた。

 

 そんなドミニクが、アイシャが異性に抱き抱えられている姿を見てしまったのである。しかもミシャのこの台詞が決め手となった。聞きようによってはミシャがレオリオにお姫様抱っこされたいと言っているように聞こえるだろう。

 いや、普通はそう思わないだろうが、今のドミニクにはそう聞こえてしまったのだ。完全に冷静さを失っている結果である。

 

 ミシャが止める間もなくドミニクはレオリオからアイシャを奪い取り、怒りのままに攻撃を開始した。

 キルアとミルキはそれに便乗したのである。アイシャを抱き抱えるという羨ま……もといけしからん行為をした罰を与える為にだ。

 ドミニクが5m離れて肉体が消える前に、あらあらと呆れるも微笑ましい笑みを浮かべてミシャは消えていった。

 レオリオにとっては微笑ましくも何ともなかったが。

 

 アイシャはアイシャで父が自分のために嫉妬して怒ってくれていることを嬉しがっていた。

 始めに冷たく当たられて後から愛を受けるとコロリと行く。冷静に状況を見ていたクラピカはヒモに引っかかりそうなアイシャに若干の危機感を覚えた。

 

「レオリオ結構頑張るね」

「ああ、まあ時間の問題だがな。キルアとミルキの2人掛かりでは私でも勝てん」

 

 ゴンももうこの程度の騒ぎなど慣れっことなったので普通に観戦していた。

 助けてくれーとか聞こえるが、きっと気のせいだろうと流していた。

 

 3人相手に逃げ切れるわけもなく、やがてレオリオは大地に沈んだ。

 

「ふん、今日はこれくらいで勘弁してやる」

「まだ温いくらいだぜドミニクさん」

「ああ、修行中はこの程度じゃないからな」

「そうか? じゃあ後2、3発殴っとくか」

 

 容赦の欠片もなかった。まさに死体蹴りである。

 キルア達もピクピクと痙攣するレオリオに止めとばかりに蹴りいれていた。

 

「ふぅ、すっきりした」

「しっかしあれだな。アイシャが遠出する度にこれなのか」

「個人の飛行船なら所有しているがそれでは駄目か?」

「それだけじゃ遅いしなぁ。【高速飛行能力/ルーラ】が便利過ぎるのが痛いぜ」

 

 げしげしと未だに蹴りを入れながらもそんなことを話し合うドミニク達である。

 

「アイシャ、そろそろ止めてあげたら?」

「……はっ!? そうでした! 父さん、2人も! もうレオリオさんを許してあげてください!」

 

 ゴンの声掛けでようやく夢の世界から帰ってきたアイシャ。

 3人はアイシャに庇われるレオリオに更に嫉妬を強くするが、これ以上は自分たちが危ないと悟りレオリオへの追撃を保留することにした。

 

「ちっ。命拾いしたなレオリオ」

「月夜の晩ばかりと思うなよ」

「1人歩きする時は後ろに気をつけるんだな」

 

 まるでチンピラのような捨て台詞を吐いて3人は家の中へと入って行った。

 3人と入れ替わるようにすぐに黒服が2人やって来てレオリオを介抱する。

 ドミニクの何だかんだ言ってもレオリオに対する優しいその行為にアイシャはやっぱりツンデレだなぁと和んでいた。

 もっとも、その実態はアイシャがレオリオを介抱するのを防ぐ為だったりするのだが。

 

 

 

 

 

 

 選挙投票を終えたアイシャ達は特に結果を気にせずに何時も通り過ごしていた。

 誰が会長になろうとも別段自分たちに関係ないと思っているのだろう。

 適当に投票した人は誰かとか会話をしながら夕食が出来るのを待っている6人である。

 

「誰に投票したんだゴン?」

「オレはビスケにしたよ。いつも修行で世話になってるしね。キルアは?」

「あー、確かにな。オレはリィーナさんだな。ビスケも考えたけど、あいつは会長とかしそうにないだろ? リィーナさんなら務まるだろうしな」

 

 ビスケが聞いたら憤慨しながらも納得する言葉である。

 リィーナは組織運営などはビスケと比べるまでもない経験と実績もあるし、ハンター協会会長も十分に務まるだろう。

 もっとも、そこにアイシャという要素が加わらなければの話だが。

 

「私もリィーナ殿に投票した。彼女にその気がないなら迷惑になるだろうが」

「オレもだ。リィーナさんならいい会長になれそうだしな。ミルキはどうなんだ?」

「オレもリィーナさんを書いた。他に思いつかなかったんだよな」

「あらら、リィーナが多いですね。もしかして本当に会長になったり……。ちなみに私は十二支んのボトバイさんに投票しました。いい会長になってくれそうな人ですよ」

 

 この場の面子だけで既に4票を得ているリィーナ。風間流のプロハンターが全員投票したとすればそれだけで相当な票数になるだろう。

 他にもリィーナを慕うプロハンターがいれば更に増える。会長になる可能性も0ではないだろう。

 少なくともある程度会長を狙える位置にいる可能性は高いだろう。

 

「アイシャも結構票が集まるんじゃないか?」

「そうかもな。アイシャが為したことを知っているプロハンターも少ないがいるしな」

「そうでしょうか? まあ票が入っても1、2票がいいところでしょうね」

 

 確かにアイシャの実績を知るハンターはいることはいる。だがその殆どが自分に投票をするとは思えないアイシャ。

 ネテロは確実に投票しないだろう。会長を辞めてまでアイシャとの勝負に専念しようとするネテロがアイシャを会長にしようなど本末転倒だ。

 リィーナもまずない。アイシャが会長になればアイシャと共にする時間が少なくなるのは道理だ。もっとも、アイシャが会長になれば新たな十二支んになりそうではあるが……。

 ビスケは投票するともしないとも言えない。どうせ会長になることもないと思って適当にアイシャの名前を書く可能性もあった。

 この場にいる面子はすでにアイシャ以外に投票済みなので論外だ。

 

 他にはNGLにて助けたハンター達がいるが、彼らの全てがプロハンターというわけではない。中にはアマチュアもいただろう。

 しかも名前を知らない者が殆どだろうことからアイシャに投票したとしても数名がいいところで、下手すれば0ということも大いに有り得た。

 こんな状況で自分が会長の座を狙えるレベルで票が入るとは全く思っていないアイシャである。

 

 いや、アイシャを含む誰もがそう思っていた。会長選挙など半分は他人事だ。誰が会長になろうと彼らは気にせず何時も通り過ごすだろう。

 後日、彼らは選挙結果を見てその考えを改めることになる。

 

 

 

 

 

 

 第13代会長総選挙投票結果。

 

 1位 ネテロ      188票(24.9%)

 2位 パリストン    156票

 3位 リィーナ      85票

 4位 チードル      31票

 5位 ボトバイ      23票

    イックションペ   23票

 7位 ミザイストム    16票 

 8位 アイシャ      12票

 9位 サッチョウ     11票

    ビスケット     11票

 11位 ギンタ       10票

    ピヨン       10票

    クルック      10票

 14位 キューティー     9票

 15位 サンビカ       8票

 16位 クラピカ       7票

    ジン

    テラデイン

    ルドル

 20位 リンネ        6票

    ブシドラ

    ツェズゲラ

    カイト

 23位 モラウ        5票

    ノヴ

 25位 ヒソカ        4票

    ゲル

 27位 カンザイ       3票

 28位 サトツ        2票

    メンチ

    他8名

 38位 ゴン         1票

    レオリオ

    ハンゾー

    他22名

 

 無効票          14票(自分の名前を記入、誤字脱字、氏名該当者なし等)

 欠席票          20票(シャルナーク、クロロ他18名)

 過半数票獲得者       なし

 投票率         95.4%

 

 

 

 過半数票獲得者は出なかったが、投票率が95%を超えたことにより得票数が上位16名による再選挙が行われることが確定した。16名というが、同順位の者がいるので実際には19名だったが。

 いや、そんなことはアイシャ達には関係がなかった。半分は対岸の出来事と思っていた選挙でまさかの事態が起こったのである。

 

「な、なんで私が8位に!?」

「いや、それよりも何故私が16位に!?」

 

 そう、アイシャとクラピカがそれぞれ上位16位以内にランクインしているのだ。

 そんなに目立つようなことをした覚えがないアイシャはこの結果に納得が行かなかった。

 だがクラピカとしては少々票は多いがアイシャがある程度の票を獲得することは予測していた。

 特に難しいことではない。アイシャに助けられたハンターがそれだけいたということだろう。その上にアイシャの見た目だ。見目麗しいうら若き乙女で人格も良く、しかも実力者。これだけで知っていれば投票しても可笑しくはないだろう。

 

 だが自分は何故だと真剣に悩むクラピカ。そこまでのことをした覚えは本当にない。

 クラピカはプロハンターとなってから殆どの時をアイシャと共に過ごしている。ならば自分が成したことよりもアイシャが成したことの方が目立つのが当たり前だ。

 関わったプロハンターも殆どいないというのに、一体どうしてこんなにも票が集まっているというのか。

 

 しばらく考え、その明晰な頭脳が答えを出した。

 幻影旅団捕縛の件である。あれはアイシャあってこその結果だが、それを知る者はゴン達を除きネテロとリィーナとビスケくらいだ。

 詳しく内情を知らない者が結果だけを見ればシングルハンターとなったクラピカだけに注目が行くのも可笑しくはない。

 クラピカのその考えは当たっていた。多くのプロハンター達は幻影旅団捕縛についてこう認識していた。

 あのA級ブラックリストの幻影旅団を捕まえた奴がいる。そいつの名はクラピカ、今回の功績でシングルブラックリストハンターになった実力者だ、と。

 

 幻影旅団は並のプロハンターでは手を出すことすら考えない犯罪者集団だ。今までにも何人ものプロハンターが返り討ちにあっているだろう。

 並どころかシングルの称号を持つブラックリストハンターですら捕らえられていないのがその実力を物語っている。

 そんな凶悪な犯罪者集団を1人で捕まえたのだ。一部のブラックリストハンター達からの期待が今回の投票に現われてたのが今回の選挙結果である。

 

「2人ともおめでとう……なのかな?」

 

 ゴンのどう言っていいのか分からないその言葉に、アイシャはげんなりとして応えた。

 

「嫌ですよそんな面倒な。これって棄権は出来ないんですか?」

「無理だな。立候補式ならともかく、この選挙は全ハンターが強制的に立候補者となっている。個人の理由で棄権は不可能だろう」

 

 クラピカが諦めたようにそう説明する。

 アイシャも分かってはいたが、改めて面倒な現実を突きつけられて思わず溜め息をつく。

 

「それよりもネテロのじいさんも大変だな。せっかく会長を辞めたってのにこのままじゃ強制復帰しそうじゃん」

「確かにな。アイシャやクラピカは流石にここから巻き返して会長になることはないだろ。ちょっと面倒だけど少しの我慢さ」

 

 キルアとミルキの言う通り、多少の面倒事はあるだろうが2人が会長になることはまず無理だろう。

 流石に188票と12票では差がありすぎる。どう足掻いても逆転は難しいというのに、本人に逆転する気がないのだから尚更だ。

 それよりもネテロの方が面倒だろうとアイシャは思う。このままでは会長の立場に逆戻りだ。この結果は果たしてネテロの人徳によるものか、はたまた副会長の罠か。アイシャとしては判断に悩んだ。

 

 あの時ネテロは次の1手は予想が出来ていると言っていた。ならばこれも予想の範疇ということ。会長を辞めるのを推薦しておきながら、選挙にてネテロを合法的に会長に戻す。確かにネテロを会長に戻したいと言っていたパリストンならやりそうな手ではある。

 

「あ、ジンの名前がある」

 

 クラピカの名の下、同順位にジンの名があるのをゴンが発見する。

 いずれは名前だけでなく本人を発見したいと思っていたゴンだが、どうにもこの選挙を通じて意外と早く出会えそうであった。

 

「リィーナさんも凄いね。オレ達が入れた票もあるけどそれ以上にたくさんの人がリィーナさんに入れてるよ」

 

 リィーナは現状3位、ネテロやパリストンには劣るが四位以下を大きく離しての3位だ。会長の座を狙うのも不可能ではないだろう。

 リィーナは風間流の門下生からプロハンターになった者達は当然として、それ以外のプロハンター達に意外と人気があった。

 十二支んのような色物ではなく正当派とも言える見た目に、風間流最高責任者という立場と実力。これらから密かにファンがいたりするのだ。

 あの冷徹な瞳で見て欲しいと思っている者もいるとかいないとか。まあこれらは当のリィーナはもちろん、アイシャ達も知らないことだが。

 

「リィーナさんはともかく、私は確実に落ちるだろう。上が多すぎる。会長の立場になれば緋の眼の情報も入りやすくなるかもしれないが、その分動きが制限されるのが辛いしな」

「そうですね。私も8位ですが、正直上との差が開きすぎて五十歩百歩と言ったところですし」

 

 そう、2人とも会長になるかもしれないという心配は特になかった。面倒だと思っているのはそれ以外のことだ。

 

 そんな2人へとハンター協会から通達が来た。内容は、次回の選挙の前に上位16名の紹介と演説を撮影するので協力してほしい、とのことだ。

 ハンターサイトの動画に流して全ハンターに見せるための撮影だ。上位16名の細かな詳細などを分かりやすくするためだろう。

 やはり面倒事が来た。そう思うも逃げ道はないと諦めるしかない2人だった。

 

 

 




 イルミの歪んだ愛は嫌いでしたが愛情だけは認めてはいました。
 でも選挙編でアルカの有用性がキルアの存在を上回るとキルアを木偶にしてもお釣りが来るとか言う始末……。
 キルアへの愛も結局はゾルディックの利のみで考えていたのでしょうね。キルアが優秀な才能を持っていたからこその愛だったと思い知らされた。

 選挙に関しては色々と票が原作と変わっています。ネテロがいたりパリストンが違う動きをしているのが大きいですね。
 ビスケの順位が上がっているのは良くリィーナと一緒にいるからです。風間流の紳士なプロハンターの何人かが投票しました。
 ヒソカの順位が上がっているのは正義の味方の影響だったりなかったり……。

 ハトの照り焼き様から頂いたイラストです。

【挿絵表示】

 差分です。

【挿絵表示】

pixivに他の差分があるので興味があるならご覧ください。
http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=51227014


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

後日談その7 ※

 現在アイシャ達はハンター協会本部に逗留していた。

 アイシャとクラピカは第1回13代会長総選挙にて上位16位に入選してしまい、その為に紹介と演説の動画を撮らなくてはいけなくなったからだ。

 ゴン達はその付き添いだ。どうせすぐに第2回目の選挙が、そして2回目で会長が決定しなければ第3回と選挙が続くのだ。協会本部に直接居た方が移動の手間が省けて楽というものだ。

 プロハンターならば協会本部にある部屋を借りて寝泊りすることも可能だ。もちろん費用は掛からない。その為かゴン達と同じような考えの者達が本部には多く集まっていた。

 

「もしかしたらジンもここにいるのかな?」

 

 選挙は全ハンターに参加する義務がある。もちろん中にはそれを拒否して欠席している者も少なからずいるが、ジンがハンター協会にいる可能性は常よりも高くなっているのは確かだろう。

 ゴンは今ならばジンと出会えるのではないかと期待する。ジンが第1回選挙に置いて16位以内にいたこともゴンの期待を高めていた。ジンもアイシャ達と同じように演説動画を撮る為に協会本部にいるだろうと思えたからだ。

 

「探してみるか? アイシャとクラピカも撮影してるから、今なら2人がいる場所に行けば出会えるかもしれないぜ」

「だな。アイシャの細かい位置ならアイシャが持っている【高速飛行能力/ルーラ】の目印があるから分かるぜ」

「お前の能力ストーカーにも使えるな……」

「つ、使ってねーよ!」

 

 レオリオがアイシャに渡している目印はそれを刻んだレオリオ本人ならばその位置を確認することが出来る。それを使えばアイシャがどこにいるのか分かるのだ。

 アイシャの現在地の詳細を完全に把握していれば、アイシャが何処で何をしているかまで大まかに理解出来るだろう。もっともアイシャが目印であるお守りを持っていることが前提だが。

 もちろんレオリオは協会本部を把握していないので、アイシャの位置が分かってもその位置がどのような場所なのかは理解出来ない。

 もし出来ていればアイシャが特定の場所で特定の行動をしていることが予測出来るわけだ。ストーカー呼ばわりもあながち間違いではないかもしれない。

 

「で、今どこにいるんだ?」

「ちょっと待てよ……上の階だな。大体15階くらい上かな」

「相変わらず便利だな」

 

 そうしてゴン達は連れ立ってアイシャがいると思わしき階層へと移動した。

 レオリオの案内に従って移動した結果、アイシャがいるだろう部屋の前には見知った人物たちが立っていた。リィーナとビスケである。

 

「リィーナさん、ビスケ!」

「皆様、このような場所にどうされたのですか?」

「アイシャの出待ち? 撮影はもう少しで終わると思うけど」

 

 リィーナとビスケもアイシャと同じく上位16位に選ばれていた。なので撮影の為に協会本部に居てもおかしくはない。

 2人ともすでに撮影は終了しており、今はアイシャが出てくるのをこうして待っていたようだ。もちろんビスケはリィーナに付き合ってだが。

 

「アイシャもそうだけど、ゴンの親父のジンって人を探してるんだよ」

「ジンも撮影してるんでしょ? どこにいるか見なかった?」

 

 ゴンの期待の籠もった眼差しにリィーナ達は表情を曇らせながら残念そうに答えた。

 

「ジンはもういないわ。一番最初に撮影終えてさっさと出て行ったみたい」

「私達が撮影の為にここへ赴いた時には既におりませんでした。恐らくは……」

 

 リィーナの言葉の続きは言わずともゴンには理解出来た。

 恐らくジンはゴンと出会うのを避ける為に早々に撮影を終えて逃げたのだろう。

 自分を見つけたければこんな手ではなく、実力で見つけてみろ。そう呟くジンがゴンの脳裏には映っていた。

 

「よーし……絶対に見つけてやる!」

「ちょ、おいゴン!?」

 

 ジンの挑発――と言ってもゴンの想像だが――に触発されたのか、ゴンは衝動に任せてその場を飛び出していった。キルアの言葉も聞かず、窓を開けて飛び降りていくゴン。

 ジンがどこにいるかも分かっていないが、近くにいる可能性がある上にこのような逃げられ方をした為にじっとしてはいられなくなったようだ。

 

「……行っちまったか」

「まあ腹が減ったらその内帰ってくるだろ」

 

 レオリオの言葉に誰もが頷いたところで、撮影室のドアが開いた。中から出てきたのはアイシャとクラピカだ。

 

「アイシャさん、お疲れ様でございます!」

「リィーナもビスケもお疲れ様です。皆も待っていてくれたんですね」

「まあゴンの付き添いでな」

「ふむ。そういうゴンがいないようだが?」

「飛び出してった」

「は?」

「……やはりあの気配はそうでしたか」

 

 レオリオ達の説明を聞いてゴンの行動に納得するアイシャとクラピカ。

 まあゴンだからなと納得される辺りゴンも相当である。

 

「それより撮影はどうだったんだ?」

「まあ可もなく不可もなく終わりましたよ」

「こちらもだ。どうせ勝つ気はないのだからな。当たり障りなく終わらせてきた」

 

 アイシャもクラピカもこれ以上選挙で勝ち上がる気はなかった。そもそも現在の状況が望んでいない物なのだから当然である。

 特に会長になってからの方針や方策などもなく、協会がどのような方向に進もうと自分たちの害にならない限りは特に問題はない。そんな2人が力を入れて選挙演説を行うわけがなかった。

 

「演説動画っていつから見られるんだ?」

「全員の撮影が終わればすぐにでも見られるわよ~。アイシャ達で最後だったから、もしかしたらもう配信されてるんじゃないかしら」

 

 ビスケの言葉通り、ハンターサイトでは既にビーンズによる選挙報告と同時に演説動画も配信されていた。

 演説動画では投票数の多い順に上位16位(19名)が紹介されていく。

 その中でアイシャとクラピカの紹介はこうだ。

 

 アイシャ=コーザ。ルーキー。突如として現れた超新星。何を成したのか不明のダークホース。本人曰く「投票しないでください」とのこと。

 クラピカ。ブラックリストハンター(シングル)。あの幻影旅団を捕らえたスーパールーキー。だが選挙には乗り気ではなく投票は遠慮すると言っている。

 

「……アイシャとクラピカは分かるけどよ。上位の内4人が投票しないでってどうなんだ?」

 

 レオリオの呟き通り、この紹介では19名中4名が投票は不要との断りが入っていた。アイシャとクラピカ以外ではネテロとサンビカ=ノートンという女性ハンターである。ネテロも会長の立場に戻る気はなく、サンビカも興味はないようだ。

 だが興味があろうがなかろうが、この選挙のルールには関係がないのである。本人がどれだけ乗り気でなかろうと、他人から評価され投票されたら嫌でも会長になる可能性があるのだから。

 

 場合によってはこのままフェードアウトすることは出来ないかもしれないと不安に思い始めたアイシャとクラピカであった。

 

 

 

 そうしてゴンを除く全員が揃って和気藹々と話しながら歩いていると、1人の男性が立ちはだかった。

 立ちはだかると言ってもその男性に敵意はないようだ。プロハンター故か多少の威圧感を放っていたが、アイシャ達の誰もが警戒心を抱くほどの威圧ではなかった。

 この場では最も立場の高い――世間的にはだが――リィーナが代表するように男性に問いかける。

 

「何か御用でしょうか?」

「これは失礼ロックベルト殿。私はブシドラというものだ。用があるのはそちらの彼……クラピカ君にでして」

「私に?」

 

 ブシドラと名乗った彼に対して何人かは聞き覚えがあるようだった。

 確か第1回選挙において16位と惜しくも1票差となり脱落した人物の中にブシドラという名があった。

 記憶力の良い者達がそう思い出し、アイシャとクラピカは彼の立場を羨んでいると、ブシドラがクラピカに向かって話しかけた。

 

「早速君達の選挙動画を見させてもらったよ。幻影旅団の捕縛については聞き及んでいたが、本当に素晴らしい功績だ。同じブラックリストハンターとして尊敬する」

「……仲間の協力あってのことだ」

 

 幻影旅団については自分の力で成した事柄とは言えないので、それを褒められてもクラピカは素直に喜べはしない。

 

「謙遜する必要はない。もちろん私とて君1人で成したこととは思ってはいない。それだけ幻影旅団は強大だったのだから。だが、君がいなければ成しえなかったのも事実ではないのかな?」

 

 ブシドラの言う通り、クラピカ1人では成しえなかったが、クラピカがいなければまた不可能だった。それだけクラピカの能力は優秀と言えた。

 ブシドラはクラピカの能力など知りもしないし、その実力の詳細も知らないが、まだ若いクラピカが1人で幻影旅団の全てを捕らえられるとは思っていなかった。

 なので仲間の協力あっての手柄だと初めから踏んでいたのだ。その仲間の中で中核を成したのがクラピカだろうと考えているのだが……。

 

「それで、何の用なのだ? 世間話ならば勘弁を願いたいのだが?」

「私も無駄話をするつもりはない。率直に言おう。我々に協力してもらいたい」

「協力?」

 

 そうしてブシドラはクラピカに、いや、この場にいる全員に向かって熱弁する。

 現在の協会の問題点。ハンター十ヶ条の疑問。

 ネテロ会長の素晴らしさを説きつつ、彼に傾倒するだけでなくより良い協会を目指すという理想。

 

「君もブラックリストハンターならば分かるはずだ。十ヶ条の四、このような悪法があってはいつハンターの中から大罪者が現れるか分かったものではない。だが、ネテロ会長を心酔する者が会長になってはその悪法も引き継ぐ可能性が高い。そうならない為にも、我らが同志テラデインに会長になってもらいたいのだ」

 

 要約するとクラピカの持つ票をテラデインに下さいな、ということである。

 クラピカが持っている票は現在僅か7票。全体の1%未満だ。それでも票を集めていかなければ会長にはなれはしない。ならばコツコツと積み重ねるしかないのだ。

 

「もちろんいきなりこのようなことを言われても戸惑うのは仕方ない。なので、次の選挙にて同志テラデインが勝ち残っていれば、その時にまた返事をしてほしい」

「そうは言うが、私の票は今回でなくなる可能性があるが?」

 

 クラピカは既に動画にて投票は不要と声明している。その声を聞いたクラピカへの投票者はその票を別の候補者へと移す可能性が高いだろう。

 そうなればクラピカは選挙から脱落するはずだ。そうなっては協力のしようがなくなるだろう。

 

「問題はない。君が我々と共に協力の意思を示す声明を出してくれれば、それで君に期待している者たちからの票が集まるだろう。君のような若さと実力を有した未来ある人物が我々と共に有る。そう思ってくれれば同志テラデインに集まる票も自然と増えるはずだ」

 

 あながち間違ってはいない案である。数とは力だ。人が集まるところにはより多く人が集まるようになっている。中心人物の回りに人を集める力を持つ者が多ければ尚更だ。

 

「アイシャ君、君にも協力をお願いしたい」

「へ?」

 

 アイシャはクラピカとブシドラのやり取りを見ながら、キルア達と一緒にどうなるかとコソコソと話している所に突然話を振られて思わず間抜けな声を出す。

 それにかまわずブシドラはアイシャに畳み掛けるように話し出す。

 

「君も選挙には興味がない様子。ならば、君がもし第2回選挙にて勝ち残った場合に同志テラデインへの協力を演説してくれれば、第3回選挙にて君も選挙から開放されるはずだ。……まあ、第2回で選挙が決着すれば話は別だが。君にも悪い話ではないはずだ。考えておいてくれ」

「はあ……確約は出来ませんが……」

「それでいい、考えておいてくれ。……出来ればロックベルト殿にも協力していただけると嬉しいのですが」

 

 クラピカとアイシャへの協力が終わり、最後に上手くいけば儲け物という風にブシドラは恐る恐るとリィーナへも協力要請を出す。

 

「お断りします」

「……そうですか。いえ、失礼しました。長く押し留めて申し訳ない。私はこれで失礼する」

 

 そうしてブシドラが立ち去った後、疑問に思ったアイシャはリィーナに問いかけた。

 

「リィーナは会長になる気があるんですか?」

「まさかそのような気はございません。会長などになってしまえばアイシャさんと共にいる時間が少なくなってしまいますから。ああ、もちろんアイシャさんが会長になれと仰るならば、例えどのような方法を用いてでも会長になってみせますが」

「あ、いえ、そこら辺はあなたの自由になさい……」

 

 相変わらずアイシャに関してだけはイエスマンであるようだ。周りはドン引き……ではない。すでに慣れているからだ。

 この程度で引いていたらとっくにこちらの精神が病んでいただろう。悲しい鍛えられ方をしたキルア達であった。

 

「それでは何故ブシドラさんの協力を断ったのですか?」

「別に彼に対して思うところがあるわけではありませんが、協力しても意味がない人物の手を取るつもりはございませんから」

『?』

 

 リィーナの言葉の意味を全員が理解したのは第2回選挙の結果を見た後だった。

 

 

 

 

 

 

 アイシャとクラピカが不安を抱いたまま第2回13代会長総選挙はつつがなく始まり、結果はすぐに発表された。

 

 1位 パリストン     191票(25,2%)

 2位 リィーナ      122票

 3位 ネテロ       120票

 4位 チードル       40票

 5位 ボトバイ       35票

 6位 アイシャ       32票

 7位 イックションペ    29票

 8位 ミザイストム     28票

 9位 サッチョウ      24票

 10位 ビスケット      22票

 11位 ギンタ        18票

 12位 テラデイン      15票

 13位 ピヨン        14票

 14位 クルック       13票

 15位 キューティー      9票

 16位 ジン          7票

    ルドル         7票

 18位 クラピカ        3票

    サンビカ        3票

 

 無効票            5票

 欠席票           18票

 

 投票率          96.6%

 

「なんで!?」

「よし!」

 

 悲鳴と喝采。その2つが同時に上がった。

 悲鳴の主はアイシャ、そして喝采の主はクラピカである。

 クラピカの喝采の理由は至って簡単。今回の選挙結果で上位8位に入ることなく、そして投票率が95%を超えている為上位8名による再選挙が決定したからである。

 つまるところクラピカは煩わしい会長候補の立場から逃れることが出来たわけだ。

 

 対してアイシャの悲鳴の理由も簡単だ。

 

「なんで順位が上がってるの?!」

 

 そう、まさかの順位上昇であった。演説にてアイシャは自分は会長になりたいと思ってないので投票は不要という説明をしていた。

 同じような演説をしたネテロ・クラピカ・サンビカの3名は見事に目論見通りに投票数が落ちている。……それでも上位にいるネテロの人気は凄まじいが。

 だというのに、何故かアイシャだけ投票数が増えているのだ。いや、それだけならばいい。票が増えても上位8位以外ならば問題はなかった。問題なのは上位8位以内に残ってしまったことだ。

 

「だ、誰が私に投票するっていうんですか!?」

 

 全くもって投票される理由が分からないアイシャはこの結果に困惑している。

 前回の投票結果はまだ納得が行く理由があった。恐らくだが、アイシャがNGLで助けたプロハンターが投票の多くを占めていたのだろう。

 だが今回の投票数は32。明らかにアイシャが助けたプロハンターの人数を超えた投票数だ。演説でも投票不要を発したというのに何故なのか?

 

「まさか、アイシャの美しさに惑わされて……」

 

 などと戯言を呟くミルキは放っておいて、アイシャは原因を考える。

 そして思いついた。いや、思い出したというべきか。

 

 ――彼、あなたの邪魔をするのが好きなんでしょう? 次はどんな1手を放ってくるのやら――

 ――うむ、まあ予想はついとるが……――

 

 そう、アイシャがパリストンにハンター協会に呼び出されたあの日にネテロが意味深に呟いた言葉。

 あの時、ネテロがアイシャを見る顔は何か面白い物が見れそうだと楽しそうにして笑いを堪えていた顔だった。

   

「あ、あのじじい! こうなるのを予測してたな!」

 

 アイシャはこの時になって理解した。自分が選挙で勝ち残っているのはパリストンのせいだと。

 パリストンが票を操作することでアイシャに一定数の票を獲得出来るようにし、選挙に勝ち残らせているのだ。

 何故そのようなことをするのか? 理由も簡単に予想が出来た。全てはネテロへの嫌がらせである。

 ネテロはアイシャとの戦いを希望して会長を辞めた。そしていくらパリストンとはいえネテロを会長の座に留めておくのも限界がある。

 だったらアイシャを会長の座に祭り上げればいい。そうすればネテロへの嫌がらせになり、新たな玩具(アイシャ)への嫌がらせにもなる。まさに一石二鳥であった。

 そんな状況を予想しつつもアイシャが戸惑っているであろう未来を予測して愉悦に浸っていたネテロに対してどうしてやろうかと憤慨するが、今はそれどころの話ではない。

 

「まずい。この考えが当たっているとしたら、このままでは……!」

「なるほどねぇ。あの腹黒王子が考えそうなことね」

 

 アイシャの考えを聞いたビスケはありそうな話に頷いていた。

 

「アイシャさん、私が副会長を亡き者にいたしましょう。そうすればアイシャさんも後顧の憂いがなくなるでしょう」

「相変わらずアイシャのことに関しては恐ろしい人だぜ……」

 

 これの恐ろしいところは真面目に提案していることだろう。まさしく狂信者の類だ。

 まあ狂信者的には提案しているだけマシかもしれないが。良かれと思って勝手に動きだしたら手遅れである。

 

「あなたの育て方は間違ったかもしれません……」

「そんな! アイシャさんに間違いなどあろうはずがありません!」

 

 リィーナを除く誰もが思った。やっぱり手遅れかもしれない、と。

 

「しかしあれだな」

「ああ。何と言うか……」

 

 キルアの呟きにクラピカが曖昧に応える。

 他にも何人かはキルアの言いたいことが理解出来たようだ。

 

「どうしたのキルア?」

「ああ、ゴンはあん時いなかったから分からないよな」

「だな。……あんだけ熱弁しておいてよぉ」

 

 ますます何を言ってるのか理解出来ないゴンがキョトンとした顔になる。

 

『落ちてんじゃねーかテラデイン!!』

 

 キルアとミルキとレオリオの叫びがはもった。

 あれだけブシドラが協力要請を呼びかけ、理想を熱弁し、次の選挙では等と謳っておきながら、テラデインまさかの落選であった。

 

「リィーナさんはテラデインが落ちるって分かってたのかよ?」

 

 あの時リィーナが発した『協力しても意味がない人物の手を取るつもりはございません』。これの意味を考えるとこの時点でリィーナはテラデインの落選を読んでいたことになる。

 

「ええ。テラデインさんは脱会長派として有名な方ですので。ネテロ会長は忌々しいですが協会内での求心力は相当なものです。だというのに、ネテロ会長が存命の内に脱会長派を謳って票が多く集まるわけがございません。それでも第2回まで残られるだけそこそこは優秀だったのでしょうが……」

 

 リィーナの説明に全員が納得する。

 

「なるほどな。まあいいや知らない奴のことなんか。特に興味なかったしな」

「そうだな」

 

 それでテラデインやブシドラに関する話題は潰えた。哀れ。

 

「しっかしゴンの親父さんも脱落か。これじゃ完全に逃げられたな」

「うん、せめて今回の選挙に勝ち残ってればまだチャンスはあったんだけどね……」

 

 あの時ジンを追いかけたゴンだったが、当然ジンは見つからなかった。手がかりなしで探しに飛び出したのだから当然である。

 第2回の選挙で勝ち残っていればまだ協会本部にて出会える可能性はあったかもしれないが、今回の結果にてそれもなくなったようだ。

 

「でも、いつか絶対見つけてやるんだ!」

 

 チャンスを逃したゴンだったが、逆にそれがゴンを燃え上がらせたようだ。

 簡単に落ち込まず、気持ちを切り替えたら悩まないという点はゴンの長所だろう。ある意味ゴンの強さの1つでもあると言える。

 

「しかし、私を会長の座に祭り上げる。それが副会長の手ならば、どうすればそれを回避出来るのか……」

 

 話はアイシャの会長就任へと戻る。現在最大の投票数を有しており、協会内での発言力が高い副会長が裏から手を回せば本当に会長になってしまう可能性がある。

 そうならないためにはどうすればいいか。今のアイシャにとって重要なのはそれだけだ。テラデインなにそれ美味しいの? 脱落出来て羨ましいなチクショウ、がアイシャの本音である。

 

「このまま会長になる気はないって演説し続ければいいんじゃないの? いくら副会長だからって拒否し続ける奴を会長にまで持っていけないだろ?」

「いや、それだけでは不安が残るな。現にアイシャは先の演説で選挙に興味がないことを伝えているが、それでもアイシャの票は増えている」

「うーん。他の人、例えばビスケとかに投票してってお願いしてみたら?」

「ちょっと、あたしを巻き込まないでよ」

「例えだってば」

「そうですね……私的にボトバイさんなら会長に相応しいと思っていますので、彼を推してみます。多少は効果があるでしょう」

「じゃあ他には――」

 

 等と、全員でアイシャを会長にさせない為に話し合っている。

 誰しもアイシャが会長になることを望んでいないのだ。一緒にいる時間が減るのが嫌だという思いを持つ者が多いが、その根底にあるのは本人が嫌がっているからというものだ。友情?である。

 

「全体の方向性としてはそれで問題はありません。ですが、その程度であの副会長から逃れることは出来ないでしょう」

 

 様々な案を出すが、それらの案では副会長の魔の手からは逃げられないとリィーナによって断言される。

 戦闘馬鹿が多いこの面子の中、リィーナは唯一といっていい経済界の猛者だ。

 腹黒くて当たり前。生き馬の目を抜くような魑魅魍魎が跋扈する世界を経験しているリィーナのその言葉は妙な説得力があった。

 

 だからこそ期待する。リィーナならばアイシャの窮地を救ってくれるのではないか、と。

 

「何か案があるのですか?」

「先程も言いましたが、全体の方向性としては皆様の案に訂正はございません。それで会長就任に至らなければ何も問題はないのですから」

「だけどそれじゃ無理ってあんたが言ったじゃない。リィーナが色々とプロハンター達に呼びかければ可能性が増えるんじゃないの?」

 

 リィーナのプロハンター達への影響力はそれなりに高い。

 風間流門下生のプロハンターは言うまでもなく、門下生でなくても風間流で念に目覚めたプロハンターも多い。

 彼らの多くはリィーナが声を掛ければその意思にある程度は従ってくれるだろう。

 

「いえ、副会長の嫌らしいところは真実で攻めてくるところです。人の弱みを握り裏から手を回すだけならばただの小物なのですが……。恐らく副会長はアイシャさんの素晴らしさを広めてくるでしょう。キメラアント事件の最大の功労者。あのネテロ会長を超える実力。こういった他人が聞いて耳触りの良い真実を突かれると、いくら私が手を回しても副会長の影響力を超えることは出来ないでしょう」

 

 表も裏も、2つ同時に操ってこその一流。副会長嫌いのリィーナですらパリストンの手腕は認めていた。

 他の人物ならまだしも、協会の表と裏の両方で大きな影響力を持つパリストンが真実を利用して攻撃して来た時、こと協会内ではリィーナでも太刀打ち出来ない程であった。

 

「じゃあどうすれば……」

「ご安心ください。私にいい考えがございます」

 

 どことなく一抹の不安を感じさせるフレーズだが、リィーナの考えを聞いたアイシャは驚愕しつつもそれしかないと納得するしかないのであった。

 

 




 長らくお待たせしました。なんとも時間が掛かってもうしわけありません。次は結構早く投稿出来ると思います。その次は未定ですが……。
 ブシドラは原作で一人称をオレとしていますが、ここでは他人に協力をお願いする立場なので丁寧に私という一人称にしています。

ハトの照り焼き様から頂いたイラストです。いつもありがとうございます。

【挿絵表示】


【挿絵表示】


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

後日談その8 ※

 第3回13代会長総選挙は概ねリィーナの予想通りに、そして多くのハンターの予想を大きく外れる結果となった。

 

 1位 パリストン     194票(25,6%)

 2位 リィーナ      146票

 3位 アイシャ      118票

 4位 ネテロ       100票

 5位 チードル       62票

 6位 ボトバイ       55票

 7位 ミザイストム     37票

 8位 イックションペ    25票

 

 欠席票           18票

 

 今回も得票数1位であるパリストンであったが、その得票率は過半数を超えていない。全体の95%のプロハンターが投票しているので上位半分、つまりは4位以内による再選挙である。

 それはいい。そう簡単に終わらないルールとなっているのがこの選挙なのだから。そんなことよりも多くのハンターを驚愕させたのが、アイシャという存在の急激な台頭であった。

 

 今までの選挙で大半のプロハンターがアイシャに対して特に何も感じていなかった。アイシャが投票されている理由が全く分からなかったからだ。

 中にはその見た目で判断して投票しているのではと思っている者も多いくらいだ。しかしそれも仕方ないと言えよう。アイシャの功績を知る者は極僅かなのだから。

 アイシャの演説動画を見た者達は本人は特に選挙に興味はないが、周りの者が興味本位や見た目に惑わされてからかい半分で投票したのが積み重なり、その結果順位が上がったのだろうと予測していた。

 だが、今回の投票結果を見て、流石にそのような予測を立てる者はいなかった。前回32票の6位から、109票へと大幅に増加しネテロ会長を超えて3位に浮上したのだから。

 この急激な上昇に誰もがいぶかしんだ。演説動画でそのような急激な票の増加を見込めるような演説はしていなかった。それどころか票を拒否していたくらいだ。なのに何故だ?

 

 一部の者――十二支んの一部やアイシャ達――はその答えに行き付いていた。パリストンの仕業である、と。

 今回のパリストンの得票数は194票。全体の数字で見るならば立派なものだ。今回も見事に1位をキープしている。

 だが、前回のパリストンの得票数は191票。これを考えると194票というのはおかしいのだ。少なすぎると言えよう。

 

 確かに前回と比べると得票数は上がってはいる。だが、この選挙は上位半分が再選挙をすると同時に残りの下位半分は脱落するシステムだ。

 そうなると脱落した分の票は残った候補者達の誰かに投票される。つまり選挙の回数が多くなる程に候補者の得票数も多くなっていくのだ。もちろん少なくなる者も中にはいるだろうが。

 第2回総選挙にて脱落した候補者達が有していた票は135票。135人のプロハンターがそれぞれ会長に相応しいと思う人物に新たに投票することになる。

 それだけの人数がいれば現在1位であり会長最有力候補のパリストンにも多くの票が流れることもあるだろう。

 だというのにだ。実際にはパリストンの得票はたったの3票しか増えておらず、情報が殆どないルーキーであるアイシャが86票も増えているのだ。

 

 大抵の者はそうなる理由が理解出来なかったが、パリストンを良く知りアイシャとネテロの関わりを知った十二支ん達は理解した。この流れを作っているのがパリストンだと。

 アイシャ達もこうなるだろうと予想はしていた。ここまで極端に得票数が上がるとは思っていなかったが。

 

 だが、この流れを作ったのがパリストンだと理解出来ても、何故そのような流れを作ったのかまでは理解出来ない。

 そう困惑しているのは十二支ん達だ。パリストンが何をしたいのか理解出来ないのだ。選挙にてネテロ会長を合法的に会長に戻すのかと思いきや、アイシャという少女を無理矢理勝ち残らせる。

 その先にある目的が何なのか全く理解も想像も出来ないでいた。……ただのネテロへの嫌がらせだとは思考の端にすら浮かばないでいた。

 

「どういうつもり? →子」

 

 パリストンの思い通りに選挙が動き、自らもそれを阻止すること叶わず落選することとなったチードルは、パリストンに有無を言わせないような圧力を以って問いかける。

 だがそんな圧力など何もないかの如く、パリストンはいつもの笑みを絶やさずに気軽に答えた。

 

「どういうつもりと言われましても? 何のことですかチードルさん?」

「何故、あのアイシャさんを勝ち残らせるの? →子」

「何のことでしょう? アイシャさんが残っているのは実力ですよ実力。アイシャさんは素晴らしい人物だと思いますよ。ボクは彼女なら会長に相応しいとも思っています。実力はネテロ前会長のお墨付き! その上あの若さです。美貌も申し分ない。見た目とは非常に重要な要素ですからね。新たな協会を牽引する力として申し分ないでしょう」

「……」

 

 はぐらかすように答えているが、パリストンが裏で手を回したのは明白だ。ただそれを探っても意味がないのはチードルも理解している。

 証拠を残すようなことはしていないだろうし、例え残していたとしてもそれは別にばれてもどうでもいい証拠だろう。

 とにかく、何らかの目的があってアイシャを会長にしようとしているか、会長にしようとせずともここまで勝ち残らせた意味はあるはずだ。

 それを少しでも探ろうとこうして声を掛けたのだが……。やはりいつもの如くのらりくらりと躱されて終わりそうだ。

 

「あなたが何をしようとも、協会はあなたの思い通りにはさせないわ」

「へぇ……」

 

 いつもならそんな台詞を口にしたりはしないチードルだが、今のところは全てがパリストンの思い通りになっている気がして対抗するようにそう言ってしまった。

 自身が会長になる可能性も潰え、パリストンの動きを阻むことが出来なくなったのも理由の1つだろう。

 

 そう言い放ってチードルはその場から立ち去って行った。

 

 ――嫌だけど、彼女に頼るしかない……!――

 

 そんなチードルの最後の希望は、しかしパリストンには容易く読まれていた。

 パリストンはチードルには聞こえない程小さく呟く。

 

「ふふ、貴女では彼女は動かせませんよ」

 

 ほぼ全てが思い通りに動いている現状、次に起こりうる出来事を考えてパリストンは溜め息を吐いた。

 

「ま、これが限界なんですけどね。アイシャさんには優秀な味方が多すぎる……これ以上の手は打っても意味はない、か」

 

 ネテロとリィーナ。この2人が味方に付いているだけでパリストンに出来ることは最早なかった。

 どちらか片方だけならばいいのだが、どちらもというのが問題なのだ。

 協会内でのネテロの発言力は未だ健在。その存在は会長を辞職してなおハンター協会の顔と言えよう。

 対してリィーナは協会内の発言力はともかく、経済界での発言力の高さが問題だった。多くの政治家ともコネクションを持っており、ネテロでは不可能だろう政府への発言すら可能な程だった。ある意味ネテロ以上に厄介な存在だ。

 ネテロだけならば政府の動きを通じて無茶を通すことも可能だっただろう。リィーナだけならば協会の力で選挙を思い通りに動かせただろう。だが2人同時に相手をしてしまうとパリストンでもこれ以上の手を打っても無意味な物とされてしまうのだ。

 

 ここまでは理想通りに動かせたが、だからこそ最後の展開まで読めてしまう。そしてそれを防ぐ手立てはパリストンにもなかった。

 いや、会長になる為にならば動きようがあるが、会長になることに愉しみを覚えていないパリストンにその気はなかった。

 

「ま、防げないならそれで良し。そうなったらそうなったで今後を愉しみましょう。アイシャさんの秘密も大体は想像付きましたしね」

 

 アイシャを調べている内にその人間関係で理解した、いや直感したアイシャの秘密。

 確証などなくとも確信する突拍子もないそれは、パリストンが興味を持つのに十分過ぎるものだった。

 

「そう、チードルさんでは彼女、リィーナ=ロックベルトは動かせない。彼女を動かすことが出来る者は極僅か。ネテロさんとクルーガーさん、そして……」

 

 パリストンは真の意味でリィーナを動かすことが出来る唯一無二の人物を思い浮かべる。

 

「いやぁ、本当に愉しくなってきたなぁ」

 

 端から見れば天使のような、パリストンの内心を知る人が観れば悪魔のような微笑を浮かべながら、パリストンは心底愉しそうにその場から立ち去って行った。

 

 

 

 

 

 

 第4回13代会長総選挙は今までと違い、投票権を持つほぼ全てのハンターが1つの会場に集まり、残る4人の候補者の主張を聞いてから候補者同士の質疑応答などを終えて投票するという流れになった。

 これを提案したのはパリストンだ。残った候補者も4人となり、会長決定も間近と言える。だからこそ全てのハンターに候補者達の生の声と主張を聞いて自らが選ぶ会長を後悔なく決めて欲しいという理由からだ。

 もっとも、パリストンの言う理由などを信用している十二支んはいなかったが、例によって例の如く反対意見を正論で潰されての可決となった。

 

 ちなみにほぼ全てのハンターが集まったというだけに、全ハンターが集まったわけではない。その最たる例がジンだろう。

 彼はとっとと協会本部から逃げ出しており、この選挙の投票も別の場所から行うようにしていた。多くの十二支んが叱責していたが、それでも聞く耳持たずなのがジンである。

 これにより多少の厳罰は受けるだろうが、十二支んでありダブルハンターの称号を持つジンならばそれ程重い罰にはならない。それを見越して逃げたのだが。

 全てはゴンに見つからないようにするためである。現在ゴンは会場内を見渡しながらジンを探しているが、残念ながら徒労に終わるようだ。

 

 

 

 現在壇上には4人の候補者と、今回の選挙の司会を務めることとなった十二支んのピヨン、計5人がいる。

 ピヨンが特徴的な間延びした口調で選挙の詳しい説明をする中、壇上に立つことが出来なかったチードルは歯噛みしながら壇上を見る。

 彼女は昨日パリストンの読み通り最後の希望であるリィーナに協力を願い出た。チードル自身リィーナのことを好ましく思っていない。敬愛するネテロに対して隠すこともなく悪態を吐いている人物だ。嫌悪して当然だろう。

 それでもパリストンの思い通りにことが運ぶくらいならばリィーナが会長になった方がマシというものだ。

 だがそんなチードルの想いは『興味がございません』という一言でけんもほろろに一蹴された。

 

 分かってはいた。リィーナは自分たちと相容れることはない、と。だが、それでも一縷の望みを賭けるしかなかったのだ。

 こうなっては残った十二支んでも自分と同じ良識派のボトバイやミザイストムなどと協力し、何とか外から票を操作しリィーナに投票を集中させるしかない。

 短い時間で出来ることは少なかったが、自分たちの手の内にいるハンターにはそう働きかけた。最後に残った手は1つだけ。

 その最後の1手が壇上にある巨大な画面に映し出される。

 

 画面に映っているのはチードルだ。前回の選挙で落選した候補者からのコメントを流しているのだ。つまり事前に撮っていた動画である。

 既に残りの落選者である3人――ボドバイ、ミザイストム、イックションペ――のコメントは終了している。

 イックションペは別だが、ボドバイとミザイストムのコメントは今から流れるチードルのコメントとほぼ同じ内容だった。

 

『私は会長に相応しい人物はリィーナさんだと思っています。彼女の実力と卓越した政治力は皆さんも知っての通りです。彼女ならば協会をより良く導いてくれるでしょう』

 

 他の2人と違い簡潔ではあるが、3人の元会長有力者が同一人物を会長に推すのだ。効果はそれなりに期待出来るだろう。

 自分たちの信奉者はもちろん、これで少しでも他の候補者たちに投票していたハンターの票がリィーナに流れることを期待する。後は壇上を見守ることしか出来ない。

 それが一番悔しかった。せめて壇上に立ててさえいれば、どうにか主張や質疑応答を通してもっと世論を動かすことも出来るというのに……。

 チードルは壇上にいるパリストンを見る。落選した元候補者の3人がリィーナを会長に相応しいと推しているというのに、彼の顔にあるのはいつもの涼しげな笑顔だ。その余裕の表情を見て余計に苛立ちを覚え表情を変えずに歯軋りをする。

 

 チードルの想いをよそに選挙は進む。

 残った候補者の中で得票数が少ない者から順にそれぞれの主張を述べていく形式だ。

 最初の候補者は4位のネテロだ。前会長にして未だ現役。老いてなお最強のハンターと名高いネテロが壇上に立つと自然とどよめきが起こり、すぐにそれも静まる。

 

「あー、ワシに投票してくれた者たちの気持ちはありがたいがの。前回の演説でも見たように、年寄りは引退させてくれんか? 後は若い風が吹く時代よ。おぬし等1人1人が協会を形作っているのじゃ。老兵は去るのみじゃよ」

 

 お前のような老兵がいるか。ネテロを良く知る者は誰もが内心でそう怒鳴った。

 そんなことはさておきネテロの主張は続く。

 

「先も言ったが、今の協会は若い風が吹く時代じゃ。そんな中ワシが最も会長に相応しいと思う人物が壇上におる」

 

 ネテロが会長に相応しいと思う人物。一体誰なのかと皆が考える。

 やはりパリストンか? いやリィーナさんだろ? リィーナ殿は若くはないんじゃ……? 等と小声で話す者が多く、小声と言えども多くの者が話すことで会場がざわざわと騒がしくなっていく。

 ちなみにリィーナはちゃんと自分のことを若くないと言った人物を脳内にインプットしていた。

 

「それはな……アイシャじゃ!」

 

 ネテロの口にした名を聞き、会場は一気に騒然となる。

 今回のダークホースとも言える存在を前会長が推している。その事実がアイシャの急激な台頭を物語っているようだった。

 実際にはパリストンが裏で動いた結果なのだが、そこまで想像するのは内情を知らない者達には難しいだろう。

 

「アイシャならば協会を牽引する力となるじゃろう。うむ間違いない! ワシからは以上じゃ」

 

 何とも力強く断言し、ネテロは壇上にある椅子へと戻っていった。

 そんなネテロの主張を聞いて、パリストンはやはりと自身の予想が当たっていたのを確信した。

 

 ――やっぱりこの状況になりましたか。となるとリィーナさんの主張も……。そうなるとボクが何を言っても無駄ですね。流れに任せるとしましょう――

 

 少しでも面白くなるように掻き回してね、と最後に付け加えて、パリストンは予定調和となった選挙を見守っていた。

 

 ネテロの主張が終わり、次に3位の投票数を獲得しているアイシャが壇上中央の机の前に立つ。

 その表情はどことなく諦めの境地が見えた。実際は内心物凄く嫌がっていた。どうしてこうなったと声を大にして叫びたい気分であった。

 

 アイシャが前に立つと会場内は一気に静まった。全員が渦中の存在であるアイシャという人物を見極めようと集中しているのだ。

 今回の選挙でアイシャの名前と顔は一気に売れてしまったようだ。もはや手遅れといえよう。

 面倒事に巻き込まれないようにと祈りつつ、すでに面倒事に巻き込まれたからこうなったのかと思い直し、アイシャは自身の主張を述べた。

 

「えー、私は会長になる気はありません。なので他の方をお勧めしますよ? 以上です」

 

 そう簡潔に述べてアイシャはネテロの隣の席に座る。

 特に前もってリィーナやネテロから貰ったアドバイスでは、アイシャが何を言おうと結果は変わらないというものだった。

 ならば出来るだけ本心を語らせてもらっただけである。

 

 アイシャの選挙へのやる気のなさにどよめきが走るが、続いて第2位のリィーナが前に立ったことでそのどよめきも落ち着いていく。

 会場内が落ち着きを取り戻してすぐにリィーナの主張が始まった。

 

「まず、私に投票して下さった方たちに感謝を。私をそこまで評価してくださってありがたく思います。ですが、私よりも会長に相応しい方がいらっしゃいます。……それはアイシャさんです」

 

 その発言に静まっていた会場内がまたも揺れた。ネテロとリィーナ。協会内で知らぬものはいないと言える程の有名人の2人がこぞって1人の女性を援助する。

 これに驚愕しない者が果たして何人いるというのか。リィーナの発言を聞いたチードルとミザイストムは驚きのあまり目を見開いた程だ。

 旗頭にしようとしていた人物がまさかの選挙放棄に等しい発言だ。しかも会長に推したのがパリストンが裏で票を操作しているアイシャなのだ。

 一体何を考えているのか? リィーナがパリストンを嫌っているのは周知の事実だ。それがリィーナを旗頭に選んだ理由の1つでもあるのだから。

 リィーナならばパリストンがアイシャの票を操作していたことなど見抜いていただろう。だというのに、パリストンを手伝うような真似をするとは露とも思っていなかったチードル。

 

 ネテロがアイシャを推しただけですでに計画は破綻し掛けていたというのに、これで完全に計画は潰えただろう。

 最早チードルにパリストンを止める手立てはない。せめてパリストンの真意を見抜こうと、壇上に立つパリストンを睨みつけるように見つめる。

 

 そうして最後の1人、獲得投票数1位を持つパリストンの主張が始まった。

 

「皆さん、ボクはとても嬉しいです! 何故なら、壇上の4人の気持ちが同じだったからです!」

 

 突然何を言い出したのか? 壇上の4人の気持ちが同じなど、すでにアイシャが会長には興味がないと言っている時点でありえないだろう。

 パリストンの発言を理解出来たのは壇上にいる残りの候補者3人だけだった。

 つまるところ嫌味みたいなものである。アイシャ達の行動は理解していますよ、ボク達の気持ちは同じです、と暗に伝えているのだ。

 

「ネテロ前会長やロックベルト女史が仰るように、会長に最も相応しいのはアイシャさんです!」

 

 またもアイシャを推すその発言に、最早会場内はどよめきが収まることはなかった。

 ネテロ・リィーナに続き、パリストンまでもがアイシャという無名の少女を会長に推薦する。

 そこにある理由・背景が全く理解出来ない。そんな会場内の想いに応えるように、パリストンは主張を続けた。

 

「何故彼女が会長に相応しいのか? それを説明する為にまず我々プロハンターに最も重要な要素を説明いたしましょう。それは戦闘力です! これは我々の活動の性質上絶対条件! そして全ハンターの代表足る会長にもそれは求められて当然です! ネテロ前会長のその強さは皆さんも知っての通り、彼がプロハンター最強だからこそ、皆さんも安心することが出来たでしょう! ネテロ会長さえいればハンター協会は安泰だ! そう思ったことは一度や二度ではないはずですよ? 皆さんにも覚えがあるでしょう! ボクだってそうです!」

 

 パリストンの言葉に多くの者が納得する。確かにそうだ、と。

 ネテロの強さを間近で見たことのある十二支んは言わずもがな。詳しく知らない者でも、ハンター試験などで僅かに触れ合っただけでその強さを実感したことがある者は多い。

 プロとなり念能力を覚えた後に出会えばより顕著だ。副会長派と言える者たちでさえそう思ったことはあるだろう。

 

 だが何故今になってその話を持ち出すのか? アイシャという少女を見て、すぐに強さと結びつく者は少なかった。

 例外はアイシャと親しい者達以外では、NGLにてアイシャに助けられたプロハンターと十二支んくらいだった。

 

「だからこそ! ボクは彼女が会長に相応しいと断言出来ます! 何故ならば……彼女はネテロ前会長と戦いネテロ前会長を病院送りにした程の実力者だからです!!」

 

 今度こそ、会場内が爆発した。いや、爆発したかのようにざわめいたのだ。

 ネテロ会長と闘い、病院送りにした。それがどのような意味を持つのか理解出来ない馬鹿はこの場には1人としていない。

 あの少女が、壇上に構えられた椅子に座り、どこか頭が痛そうに呻いている少女が、あのネテロ会長と闘い勝ったというのだ。これに驚愕しない者はいないだろう。

 ちなみにパリストンはアイシャがネテロに勝ったとは一言も言っていない。あくまで病院送りにしたと言っただけだ。パリストンとてネテロとアイシャの戦いの勝敗を知らないのだから。

 都合の良い真実のみを抽出して話し、あとどう想像するかは聞き手の勝手というわけだ。

 

「これは真実です! 何ならネテロ前会長に確認をしてくださってもいいですよ? しかもネテロ前会長と比べて彼女は若い! それは彼女が更に強くなるということを表しています!」

 

 会場内のハンター達がパリストンの言葉に右往左往しているところに、パリストンはさらに畳み掛けるようにアイシャの素晴らしさを並び立てていく。

 

「さらに! 彼女は巨大キメラアントを駆除するという偉業も成し遂げています! 巨大キメラアントに関しては皆さんの中にもご存知の方もいるでしょう! 中にはアイシャさんに直接助けられた者もいらっしゃると思います。そういう報告も協会に届いていますからね。キメラアントという凶悪な生物が人間大のサイズで存在している。これに脅威を覚えない皆さんではないでしょう。そんな恐ろしい存在が世界に拡散することを未然に防いだのが、アイシャさんなのです!!」

 

 会場内のざわめきはもはや止まることなく拡がり続けている。周りにいる者たちにキメラアントについて確認する者、ハンターサイトにて調べる者、アイシャに助けられた者の声を聞きパリストンの言葉に信憑性があることを実感した者。そういったハンター達を見て十分に効果があったことを確認し、パリストンは最後の締めとばかりに主張を続ける。

 

「もちろん、彼女が若い故に経験が足りないと仰る方もいるでしょう! ですが経験不足は補うことが出来ます! そう、ボク達が一丸となって支えれば、多少の経験不足など容易く埋めることが出来ます! ですが強さは違う! 圧倒的な力というものは時に数では補えないこともあります! そんな掛け替えのない力を彼女は有している! だからこそ、彼女こそ! この場で会長に最も相応しい人物だと、改めて言わせてもらいましょう!! ネテロ前会長やロックベルト女史が彼女を推薦するのもその証拠と言えましょう」

 

 そう言い切り、パリストンは笑顔とともに椅子へと戻って行った。

 パリストンは既にネテロとリィーナがアイシャに協力していることでこれ以上の目論見は無意味だと悟っていた。

 だからこそパリストンは出来る限りアイシャを美辞麗句にて飾りたてた。アイシャの注目度を上げる為にだ。

 そうすることでアイシャの動きを少しでも阻害し、それがネテロへの嫌がらせに僅かでも繋がるなら儲け物ということだ。ついでに新しい玩具になりえるアイシャへの嫌がらせにも繋がる。まさに一石二鳥である。

 

 パリストンの主張を聞いたハンター達の反応は様々だ。

 多くの者が虚偽や大風呂敷だと思ったり、何か企んでいるのかと訝しんでいたが、中には少数ながらも素直に信じる者もいた。主に信じているのはパリストンの信奉者だったが。

 だが、アイシャの強さに疑問を抱いていた者たちも、アイシャの隣に座るネテロの顔を見てその疑問もまた揺らぐこととなる。

 自分を病院送りにしたという不名誉な情報を流されたネテロ本人が、特に不満や抗議を出すこともなく平然と座っているのだ。

 わざわざパリストンがネテロに確認をしてもいいと断言したことが更にアイシャの強さに真実味を持たせていた。

 

 ここまで来ると段々とパリストンの話を信じる者が増えてきた。ネテロとリィーナという2つの巨頭がアイシャを強く推すのもその実力の高さ故かと納得し出したのだ。

 

 候補者全員の主張が終わり、続いて候補者同士の質疑応答が始まったがこれはたった1つの質疑応答で終わることとなった。

 

「ネテロ前会長に質問です。先程ボクの言ったネテロ会長がアイシャさんに病院送りにされた、これについて何か異論はありますか?」

「特にないの。真実じゃからのぅ」

 

 これだけだ。これだけで終わりであり、アイシャ達やパリストンに取ってこれだけで十分だった。

 もっとも、アイシャは苦虫を噛んだような気持ちになっていたが。もちろん顔には出さないように気をつけていたが、どこまで自制出来たかアイシャも分からなかった。

 前もってネテロからこうなる可能性も大いにあると忠告されていたが、いざそうなると何とも言えない気持ちになってしまった。

 

 ――結果が変わらないなら過程を楽しみ、その上で次の目的への布石を打ってくるか。ネテロが気に入るわけだよ……――

 

 何ともネテロが苦手そうで、だからこそ気に入るような性格だとアイシャは思う。

 

 ともあれ、この後の投票において4回に渡った第13代会長総選挙は終わりを告げる。

 

 1位 アイシャ      708票(93,7%)

 2位 パリストン      15票

 3位 リィーナ        8票

 4位 ネテロ         7票

 

 獲得投票数708票。得票率93%以上の圧倒的1位となったアイシャが第13代会長に就任することとなった。

 

 壇上には既にアイシャ以外の姿はない。第13代会長となったアイシャが会長としての初の声明を行うのだ。

 アイシャが一礼をしたところで大きな拍手が鳴り響く。その拍手が収まったころにアイシャはゆっくりと口を開いた。

 

「えー、この度会長となりましたアイシャです。早速で何ですが、会長としての初仕事をしたいと思います」

 

 会長としての初仕事。新たなスローガンでも掲げるのか、それとも副会長を選抜するのか、はたまたハンター十ヶ条の改定を宣言するのか。

 誰もが期待と不安と興味をない混ぜにした視線を向ける中、アイシャはとんでもない台詞を吐いた。

 

「私は副会長にボトバイさんを指名し、この場で会長を辞することとします! 短い間でしたがありがとうございました。それでは!」

 

 そう言ってアイシャは笑顔で手を振りながら呆気に取られているハンター達を尻目にその場から立ち去った。

 

 これぞリィーナがアイシャにしたアドバイス、『逆に考えるんだ、会長になっちゃってもいいじゃない』である。

 会長になるのを防げないならば、一度会長になればいいのだ。その上で会長を辞任すればいい。ハンター協会会長に任期年数などなく、規定の年数を会長として務めなければならないという法もないのだから。

 会長が会長の立場を辞するのは自由なのである。ネテロも同様の方法を前日の内にアイシャに伝えていた。

 この2人が協力すればパリストンがどう動こうともアイシャに会長になるだけの票を集めることが出来るのだ。

 

 それはパリストンも予想していたことだった。そして会長になったアイシャがそのまま会長の座を辞することもまた予想していた。

 自分が同じ立場でも同じことをするだろうと考えていたのだ。その上アイシャにはネテロとリィーナが付いている。

 どちらか、もしくは両方がこの結論に至ってアイシャに入れ知恵していたとしても可笑しくはないとパリストンならば気付けたのだ。

 

 アイシャを会長にするのを止めることも会長の座を辞することを止めることもパリストンには出来ない。

 だからこそ積極的にアイシャを会長にするように動きつつ、アイシャへの注目度を上げるように大げさな熱弁をしていたわけだ。

 

 

 

 後に残されたハンター達は呆然自失となった後、騒然と喚きだした。だが、いきなり副会長に抜擢され驚愕していただろうボトバイがそれを抑えた。

 

「皆、静粛に! 突然の出来事に驚愕しているだろうが、プロのハンター足る者いかなる時でも冷静さを保ってほしい。私も副会長に抜擢されてしまい戸惑っているし、私が副会長ということに納得の行かぬ者もいるだろう。だがこのままでは話は進むことなく混乱の一途を辿るだろう。なのでこうして私がこの場を取り仕切ることを許してほしい」

 

 力強く、しかし落ち着いた口調が会場内に響く。それに伴い徐々にハンター達も落ち着きを取り戻していった。

 

「ありがとう。ではまず次の会長選出について――」

 

 皆を纏めるボトバイの姿を遠目からこっそりと覗き見ていたアイシャはうんうんと頷きながらその場から離れて行った。

 

「いやぁ、やっぱり彼に任せていれば大丈夫そうですね」

「それはそうじゃが、いきなり大役を任されるボトバイも難儀じゃのう」

「……私は彼なら出来ると信じていますから」

「面倒事を他人に押し付けただけとも言うの」

「ぐ……」

 

 いつもならお前が言うなとネテロに言い返しているアイシャだったが、流石に今回のことは言い返すことが出来ない程ボトバイに対して申し訳なく思っていた。

 思っていたが、会長などという面倒事をするつもりはアイシャには毛頭ないので前言を撤回するつもりはないのだが。

 それにボトバイならば会長に相応しいと思っているのも事実だ。戦闘力・経験・ハンターとしての実力。そのどれもが会長に相応しい水準にあるだろう。

 唯一政治力が不安だが、それは十二支んで補うことも可能だろう。

 

「まあそれはいいが、問題なのは」

「パリストン……ですね」

 

 2人して同時に溜め息を吐く。完全に目をつけられているという嫌な自信がアイシャにはあった。

 確実に今後何らかのアクションを起こしてくるだろう。彼に目をつけられるのはある意味会長になるよりも面倒事かもしれなかった。

 

「ああ、どうしてこうなったのか。……彼に元々目をつけられていたネテロが悪いということにしよう」

「パリストンに呼ばれてホイホイとやって来たアイシャが悪いんじゃよ」

 

 お前だ、いやお前じゃ、という不毛な言い合いをしながら、2人は追手が来ても見つからないように高速で協会本部から走り去っていった。

 

 




これにて選挙編は終了です。結局アイシャの取った手段が原作パリストンの丸パクリ……。これ以上を思いつけないのが私の限界です。

ハトの照り焼き様から頂いたアイシャの挿絵です。良ければご覧下さい。


【挿絵表示】


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

外伝3

 遥か昔。今から1500年も前に、とある土地が廃棄物の処理場として利用されるようになった。

 そこには何を捨てても許されるという暗黙の了解がある。ゴミに武器、死体に赤子。ありとあらゆるモノが捨てられる。

 中には何らかの事情によって表社会で生きていくことが出来なくなり自らその土地に逃げ込む者もいた。

 世界中からそうした人間が集まり、更には彼らの子孫も生まれ、やがてその廃棄物処理場には1つの街が出来た。

 流星街。それが全てを捨てられる街の名前である。大量の廃棄物に覆われたその街には800万人もの人が住んでいると言われているが根拠はない。

 

 流星街に住む者たちは全てを受け入れる。そこに何を捨ててもいいように、何だろうと彼らはその懐に入れるのだ。

 誰の子か分からぬ赤子だろうと生きていれば拾い分け隔てなく育て、外の世界で極悪人と呼ばれる者もここに来れば同胞として迎え入れるだろう。

 ……もちろん例外というのはどんな事にも存在するが。

 

 流星街では住民同士の繋がりが非常に濃い。同じ流星街に住んでいる。たったそれだけで見も知らぬ他人の為に死を厭わぬ行動をするのだ。

 いや、正確には他人の為にではないのだろう。彼らは全てを受け入れる。見知らぬ人だと言えど、同胞ならば血より濃い絆を持たせることが出来るのだから。

 それを裏付ける話がある。仲間の1人が冤罪で捕らえられていると発覚した時、報復の為に31人の住民が仲間の冤罪に携わった31人に対して復讐したことがあるのだ。

 復讐の方法は31人がそれぞれ爆弾を持ち、対象を道連れに自爆するという狂気に満ちた方法だ。これだけで彼らの異常性が理解出来るだろう。

 常識ある人間なら関わろうとしない社会の闇。それが流星街なのだ。

 

 

 

 その流星街にある存在が潜伏していた。

 多くの人が住み着き、世界で最も多種多様な人種が交わる街と言われている流星街にあっても異質の存在。

 かつてNGLという国で発生し、一歩間違えれば世界を覆う脅威となっていた存在。そう、キメラアントである。

 

 キメラアントはその多くがNGLにて滅びを迎えた。だが僅かに生き残った者たちもまた存在していた。

 生き残ったキメラアントの多くはハンター協会に服従し、監視付きではあるがNGLの一部にて平和に暮らしている。

 だがそんな彼らと違い、ハンター達に見つかることなく逃げ延びたキメラアントもまた存在していたのだ。

 その逃げ延びたキメラアントの一部が流星街にたどり着いていたのだ。

 

 そのキメラアントの名前はライオンをベースにしたハギャとウサギをベースにしたヒナという。

 彼らはNGLにてキメラアントを襲撃したハンターから命からがら逃げ延びた後、巣には帰らずにそのまま国外へと抜け出していたのだ。

 その判断は正解だったと言えよう。もし国外へ逃げずに巣に留まっていれば有害な生物として駆除されていた可能性が非常に高かった。

 それだけハギャの性質は危険だった。他者を蹴落とし自らが頂点に登ろうとする野心を持っていたのだ。

 人間ならまだしも、キメラアントという存在でそのような性質を持つ者をハンターが見逃すわけがなかったのだから。

 

 ともあれ、NGLを抜け出したハギャとヒナは姿を隠し人間に見つからないように動きつつ、情報を集め流星街へとたどり着いた。

 流星街についてからもハギャ達は自分たちの存在をひた隠しにした。いくら流星街が全てを受け入れるとはいえ、キメラアントという異物までそうとは限らないと判断したからだ。

 住民たちと全く出会わないようにするのは流石に不可能だったが、顔と体を布で隠し絶にて気配を断てば見つかる可能性は限りなく低くなり、例え見つかったとしても顔を隠した存在など流星街には数えきれぬ程いるので怪しまれることもなかった。

 

 そうしてハギャは隠れながら流星街の情報を集めていった。

 何をするにも必要なのはまず情報だ。そう、世界を統べる王になるためにもだ。

 ハギャは自らの野望を捨てていなかった。ライオンであった頃、全てが思いのままに暮らしていた王の記憶。

 キメラアントに捕食され、キメラアントとして生まれ変わった今もその記憶は無くなっていない。

 例え幾度敗北に塗れようとも生きてさえいれば再起は可能。そう思い泥を啜ってでも生き延び牙を研ぎ機会を待った。

 

 流星街にて情報を集めて約1年が過ぎた。慎重に事を進めた為に時間が掛かったのだ。だがハギャは焦らなかった。

 事を焦ってしまえばいつどこで自分の存在が外の世界に露見するか分からない。そうなればまたあのキメラアント以上の化け物がやってくるかも分からないからだ。

 

 だが情報を集めて1年も経ち、流星街について詳しく把握した頃にハギャは動き始めた。流星街に自らを王とする国を作ろうとしたのだ。 

 流星街の特性上、中の情報が外の世界に漏れる可能性は非常に少ないと判断したのだ。漏れるとしたら外の世界で暮らす流星街の住民のみ。

 それがあの化け物に繋がる可能性がどれだけあるというのだ? 砂浜の中から小さなダイヤを見つけるような確率だ。まず有りえない。流星街と関係している人間など極僅かしかいないのだから。

 

 外に自分の存在が漏れる可能性がないと判断したハギャは兼ねてから準備していた計画を実行し始めた。

 国を作るには戦力が必要だ。現在の戦力はハギャとヒナの2体しかない。それでは不十分過ぎる。

 ハギャはキメラアントでも師団長クラスと言われる上位個体でありその強さもキメラアント内で上から数えた方が早い実力者ではあるが、1人で出来ることにも限界はある。

 それに上には上がいるというのを嫌というほど味わっているのだ。現状の戦力で満足など出来るわけがない。

 

 自らを鍛え強い王にするのは当然として、戦力の拡大の為にハギャは同胞にして部下であるヒナにある念能力を作るように命じた。

 ヒナが女性型のキメラアントであるというのもハギャにとって幸いだった。キメラアントが戦力を増やす為の最も確実な方法を取れるのだから。

 そう、産卵である。

 

 産卵と言ってもヒナにキメラアントの女王のような産卵能力はない。あれはあくまでキメラアントの女王蟻のみが持つ生物としての機能だ。

 ヒナはキメラアントであっても女王種ではない。産卵自体は可能だが、あれだけの速度であれだけの数を産むことは不可能であった。

 だからこその念能力だった。ハギャはヒナに対して女王の産卵機能を念能力にて再現しろと命じたのだ。

 さすがにそれは嫌がったヒナであったが脅されては話は別だ。自分の命には変えられない。

 

 ヒナの能力の発現には長い時間が必要となった。

 女王の産卵機能を再現しようというのだ。並大抵の才能と努力では実現出来ないだろう。

 だがハギャは焦らない。ヒナの能力が完成するまで他のことをしていればいいだけだ。

 

 ハギャは自分たちの拠点を作り出した。場所は既に決まっている。流星街の住民が禁忌と呼び立ち入ることを禁じている土地があるのだ。

 それなりの広さを持ち、流星街の住民は立ち入らない。ハギャに取っては都合のいい場所だ。

 大きな巣を作れば人目に付くため、地下を掘り進み巣を作っていった。巣を作る者はハギャ1人の為作業は長い時間が掛かった。

 さらに巣を作る作業と平行しつつ自らを鍛え高みへと至る。そんな生活がしばらく続いた。

 

 ヒナの能力が完成したのは3年後。ハギャが流星街に潜伏してから4年目のことである。巣もとうに完成しており、ハギャは見違えるほど強くなった。これで戦力強化の準備は整った。

 ハギャは計画を始動する前に自らの名をレオルと改めた。これは王として新たに生まれ変わったことを自らに示すためであった。

 

 レオルは夜な夜な流星街の住民を攫い、ヒナの念能力の実験台にした。

 ヒナの念能力は具現化系能力だった。自らの体を媒体とし産卵機能を具現化する。そこに別の生物を生贄とすることで新たな生物を生み出すのだ。

 命を利用し命を生み出すという念能力の中でもとびきりの発と言えるが、ヒナのキメラアントという生まれと女王というお手本のような存在がいたことで時間は掛かったが完成した能力だ。

 

 そこらの昆虫や動物と攫ってきた人間を掛け合わせ生み出された新たなキメラアントは十分な戦力として育っていった。

 もちろんこの能力で生み出された新キメラアントは能力者であるヒナとレオルに従順になるように能力を作り出している。自らの戦力に攻撃されるなどという愚かな真似はするつもりはなかった。

 

 レオルは生まれた兵隊達に念能力を教えた。教えるといっても正規の覚え方ではなく強制的に目覚めさせるやり方だが。

 レオルにとって嬉しい誤算だったが、なんと全ての兵隊が念能力に目覚めることが出来たのだ。これはこの兵隊達が念能力で産み出された産物だからか、はたまた悪辣な環境を生きる流星街の住民故に生命力が高かったからか。それともその両方か。

 ともかくレオルの好都合ではあった。

 

 そして更にレオルは念能力に目覚めた兵隊達に発を身に付けるように命じた。

 発の有無は念能力者に取って非常に重要な要素だ。戦闘力に差があろうとも発によって戦況が逆転することは多々ある。

 それだけではない。レオルは他人の念能力を借りることが出来る【謝債発行機/レンタルポッド】というかなり特殊な能力を有している。

 部下が多種多様な能力を覚えれば覚えるほど、レオルはそれらの能力を借りて自らの物とすることが出来るのだ。

 能力を借りるには幾つかの条件があるが相手が従順な兵隊の為容易く条件はクリア出来た。使用にも制限があるがそれでも状況に応じて数多の能力を選ぶことが出来るのは強みだろう。

 

 時間を掛けて兵隊の数は徐々に増えていった。既に流星街では失踪者について何らかの動きを見せているようだが、レオルは問題にしていなかった。

 ここは流星街の連中が来ることのない禁忌の土地であり、例え来たところで並の人間が重火器を持ってきてもどうにもならない戦力を既に有しているからだ。

 念能力者が来たところで余程の念能力者でない限り対処出来る自信もあった。流星街に強力な念能力者の存在は確認されていないというのも大きい。

 

 このまま焦らず流星街の住民を兵隊へと変えていけば、いずれは100万を超えるキメラアントによる念能力者の大軍が完成するだろう。

 そうなれば最早敵はいない。どれだけ個が強かろうとも、最終的に数という暴力には敵わない。かつてのキメラアントが個に負けたのは数が足りなかっただけなのだ。

 レオルはそう考えながらかつて己を恐怖させた化け物を思う。いずれはあのすました顔を恐怖に歪めさせてやろうと悦に浸りながら、レオルはその時が来るのをゆっくりと待った。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 流星街で起こったある異変。それは流星街で多くの住民が失踪するという流星街では起こり得ない異変であった。

 多くの廃棄物が捨てられあちこちから有毒なガスが垂れ流されているような環境だ。人が死ぬことなど日常茶飯事の世界ではある。

 だが死体が残らない失踪というのは流星街ではあまりにも不可解な事件だった。流星街では死体でさえも拾われ利用される。

 だと言うのに、失踪者は百を超えて増え続けてもなおたった1つの死体も見つからなかったのだ。

 

 これには流星街の中枢である議会も焦りを見せた。

 議会は流星街を取り仕切っている組織で、同胞が害された時に報復者を決定する権限なども持っている。

 だが今回は少々勝手が違っていた。失踪者が自分の意思で失踪しているのか、それとも何者かの手によって拉致されているのか、どちらかが判断出来ないでいたのだ。

 何者かによって拉致されているならば何を以ってしてもその犯人を見つけ出し報復をするのだが、自らの意思ならばそれを咎める理由はなくなる。

 流星街ではルールさえ守っていれば何をしても問題はないのだから。

 

 議会も失踪者の行方を調べてはいたが、一向に見つかる気配はなかった。

 だがある時有力な情報が手に入った。それは人間大の大きさの化け物が人を連れてある方角へと去っていくというものだった。

 真夜中での目撃だったので見間違いという可能性はあった。だがその情報は失踪者が未だ見つかっていないことにより信憑性を増すこととなった。

 何故ならその化け物が去った方角は流星街でも禁忌とされ誰であろうと近づくことを禁じられている悪魔の住処だったからだ。

 

 そこはかつて流星街でさえ受け入れることが出来なかった悪魔の親子が住んでいた土地だ。

 全てを受け入れるはずの流星街の住民も、その赤子が発する禍々しい何かによって近づくことも憚られていた。

 やがてその赤子が存在する土地には誰もが近寄らなくなった。議会が立入禁止を命じたことでそれは決定付けられた。

 

 そのような場所に失踪者が連れ去られていたとしたら、どれだけ探しても見つかるはずがない。探していない場所にいるのだから当然の話だ。

 議会では決まることのない会議が続けられていた。それは禁忌の場所に立ち入ってでも失踪者を探すか、それとも禁忌は禁忌として触れるべからずを通すかだ。

 流星街として失踪者が拉致されているのであれば捨て置くことはありえない。

 だが禁忌に触れることもまた流星街が定めたルールを破ることとなる。

 

 流星街出身にして異質の存在である幻影旅団を頼ろうとするが、肝心の彼らとは連絡がつかなかった。

 なので議会はある決断を下した。かつて悪魔の赤子と交わした約定を使用したのである。

 

 

 

 流星街の中にある議会の本部。その一室に複数の男女が集まっていた。

 その多くは老人だ。十数人の老人が1人の女性と向き合っている。

 

「……久しぶりだな悪魔の子よ」

「お久しぶりですね。お元気そうで何よりです。あと、私の名前はアイシャと言います。出来れば名前で呼んでほしいですね」

 

 女性は彼らが悪魔の子と呼ぶ流星街の禁忌、アイシャであった。

 アイシャはかつて流星街の議会と『我々のみで対処困難な事態があればその手助けをする』という約定を交わしていたのだ。

 当時は携帯電話やホームコードを持っていなかった為に連絡先を交換することは出来なかったが、それらを手に入れた後にきちんと連絡先を交換しておいたのだ。約束は守らねばならない。

 

 約定を交わして8年以上の年月が経っているが、こうして久方振りに流星街に戻ってきたのはアイシャにとっても良い機会だと思っていた。

 育ての母(念獣)と共に生きた故郷と言える土地に赴き、消えてしまった母に色々と報告したいことがあったが、最近はごたごたが多く中々時間が取れなかったのだ。

 議会の依頼を解決した後は、何も残されていないが想い出深き土地にて少し時間を取ろうと思い、議会からの連絡を渡りに船とばかりにこうして流星街へとやってきた。

 

「さて、私に依頼するともなれば余程の事態なのでしょう。早速話を聞かせてもらえますか?」

 

 アイシャは議会から依頼があるから来てほしいと頼まれただけで、その依頼内容までは詳しくは知らない。

 この世界ではハッカー技術に長けたものならば通話内容など容易く傍受されることもある。

 議会もそれを知っており、流星街の内情が万が一にも外に漏れるのを防ぎたく直接出会ってから依頼内容を話そうとしたのだ。

 アイシャもそれは理解しており、特に不満を持つこともなくここまでやってきた。

 

「……今流星街では多くの同胞が拉致されている」

「犯人は不明だ。僅かな目撃者によると巨漢の化け物が同胞を連れ去っているのを見たという報告が上がっている」

「他にも虫のような化け物だとか、鼠の顔をしていただとか不確かな目撃情報がある」

「被害者はすでに百を超えている。どうにかして解決してほしい」

 

 議会員が口々に情報を話していく。それを聞いてアイシャは怪訝に思った。

 

 ――虫のような化け物に、鼠の顔の化け物? まさか――

 

 犯人の正体に心当たりのあるアイシャはこの事件が流星街の者達では解決困難な物だと想像出来た。

 

「その犯人、キメラアントの可能性がありますね」

 

 アイシャの言葉に議会員たちがざわつく。

 

「キメラアントとは?」

 

 アイシャはかつて起きたキメラアント事件を説明した。

 そしてあらかたのキメラアントは駆逐されたが、僅かに外の世界に逃げ出した者もいると。

 

「もしキメラアントが犯人であるならば、拉致された人達は恐らく食料にされた可能性が高いですね……」

「おお……」

「何と言う……」

「おのれ……!」

 

 同胞が食料にされたという可能性に議会に怒りと悲しみが渦巻く。

 それを痛ましく思いつつ、アイシャは残った疑問を議会に確認した。

 

「そこまで目撃情報があってあなた達は何もしなかったのですか?」

 

 何故彼らは自らの力で解決を試みようと思わなかったのか?

 聞けば目撃情報もあるはず。ならば彼ら得意の自爆特攻をしてでも犯人を殺そうとするはずだ。それが流星街なのだから。

 犯人を追跡出来なかったとしても、人海戦術を駆使すればいずれは犯人に辿り着くだろう。流星街には数百万もの人間が住んでいるのだから。

 

「我らとて自らの力で解決したかった」

「……だが、犯人がいると思わしき土地が問題だった」

「その場所は――」

 

 議会から犯人の潜伏場所を聞いた後、アイシャは有無を言わさぬ圧力を放ちその場から立ち去った。

 議会員たちは思う。犯人はこれで終わりだ、と。本来慈悲をかける必要もない報復対象であったが、今回ばかりは僅かに祈った。

 せめて楽に死ねればいいと。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 レオルは地下を掘り進めて作り上げた巣の奥、巣の中でも一際大きな一室にある玉座のような物に座っていた。

 いや、玉座のような物ではなく玉座その物なのだろう。彼に取っては自分はこの巣の王なのだから玉座に座るのは当然という考えだった。

 

 玉座にてレオルは兵隊達から借りた念能力の利用法を模索していた。

 なにせレンタル出来る能力は数十にもなるのだ。状況によって上手く使い分けなければどれほど多くの能力を有していても宝の持ち腐れだ。

 レオルが特に重要視したのが他人を操ることが出来る操作系の能力だ。

 敵がどれほど強かろうと操ってしまえばどうということはない。むしろ強ければ強いほどこちらの戦力になった時に助かるというものだ。

 その操作系の能力を上手く使用出来る状況を作り上げるように、他の能力を連続で使用して相手を嵌めるハメ技を考え付いた時、レオルは笑いが堪えられなかった。

 

 まず最初に相手の動きを阻害する。これをクリアしたのは円の範囲内にいる自身を除く全ての生物の動きを停止させるという操作系能力だ。

 強い能力だけにデメリットはあり、その状況で能力者が円の範囲内にいる存在を傷つけることは出来ない。

 しかも何らかの原因により円の範囲内にいる者が傷つくと、その傷は能力者自身に返ってきてしまう。

 

 だがこの能力ならば余裕をもって次の行動に移ることが出来る。しかもこの能力の利点は部下には一切の効果がないということだ。

 この能力は操作系に属する能力だ。そしてレオルの兵隊は産まれた時からヒナの能力で操作されているのだ。

 操作系は早い者勝ち。この法則によって部下を巻き込まずに敵だけの動きを止めることが出来るというわけだ。

 

 次にレオルは対象の動きを念能力とは別の方法、物理的な方法にて阻害することにした。

 その為に用意しているのが糸玉と呼ばれる物だ。これはかつて同胞にいた蜘蛛のキメラアントが作り出す糸からヒントを得て生み出したものだ。

 ヒナの能力によって人間と蜘蛛を組み合わせて蜘蛛型のキメラアントを生み出し、そのキメラアントが作った糸を球状にしたものだ。

 この糸玉を強く投げつけ何かにぶつけることで糸玉は弾け、強靭な蜘蛛の糸が相手に絡み付くのだ。この蜘蛛の糸はレオルが引っ張っても千切れることはない。全力でオーラを練って初めてどうにかなるという程強靭だった。

 

 もちろん人間でもこの糸を引きちぎることは可能だろう。レオルは自身が最強だとは思ってはいない。自分に出来ることはあの化け物にも可能だろうと理解している。

 なので次にレオルは対象の念能力を封じることにした。先程の対象の動きを阻害する能力と似たような能力で、円の範囲内にいる者の念能力を封じるという物だ。

 もちろん似たような能力なのは、そうするようにレオルが部下に命令して作らせたからだ。そうすることで上手くコンボが繋がるようにしたわけだ。

 命令して作らせた故に本人のインスピレーションと違った能力になるので効率は悪かったが、時間が掛かっても覚えることが出来ればいいのだ。

 大事なのは能力そのものであって、部下の強さではないのだからレオルには何の問題もない。

 

 この能力のデメリットは自身もこの能力以外の念が使えなくなることだ。肉体を強化することも出来はしない。

 だがそれでも良いのだ。何故なら脆弱な人間と違ってレオルはライオンをベースとした強靭な肉体を持っているのだから。

 念能力というファクターがなければ、肉体のみの強さで言えばレオルの方が人間など圧倒しているのだ。少なくともこの4年間で鍛錬してさらに強くなった肉体を持つレオルはそう確信している。

 さらに相手は糸玉にて全身を絡め取られているのだ。念能力を使うことなくこの蜘蛛の糸を引きちぎることなど人間には不可能だろう。

 

 あとは相手を嬲り殺すも良し。毒で弱めたところで相手を操作する能力を使用するも良し。まさに料理し放題だ。

 

「くっくっく」

 

 自らを恐怖させたあの化け物を隣に侍らすのも悪くはない。

 そう下卑た想像をしつつ、レオルは隣でぶすっとした表情をしているヒナに話し掛ける。

 

「どうしたヒナ? 機嫌が悪そうだが」

「そりゃそうよレオル様! ずぅーっとこんな穴倉の中にいちゃ気分も滅入るってもんですよ!」

 

 そう不満を漏らすヒナの見た目は特に何らおかしな所はない。いや、もちろんウサギのような耳がある時点で人間からすればおかしいとは言えるかもしれないが。

 ともかく、ヒナは見た目的に普通の体型をしていた。キメラアントの女王のように産卵をするような機能があるとは思えない程普通の体型だ。

 これはヒナの能力が具現化系の能力だということが理由だ。産卵能力はあくまで具現化能力なので、産卵していない時は具現化を解けば元の姿に戻ることが出来るのだ。

 現在は攫ってきた人間のストックが切れた為、産卵能力を使用する必要がないのでこうしていつもの姿で過ごしているわけだ。

 

「私もいい加減外に出ていいでしょう?」

「……そうだな。流星街の中ならばもう問題はないだろう」

 

 巣が完成してからはヒナは巣の外に出たことは一度もなかった。

 レオルにとってヒナは最も重要な道具だ。戦力を生み出し増幅する為の利用出来る道具であったのだ。

 その道具を失うことは絶対に避けなければならない。なのでこれまではヒナを絶対に巣から出さなかった。

 だが流星街の中ならば危険はないだろうとレオルは判断する。戦力は十分に揃った。多くの護衛を連れていけば流星街の貧弱な人間などに負けることはないだろう。

 

「ほんとレオル様!?」

「ただし護衛も一緒にだ」

「えー! 自由に動きたいですよー」

「そう言うな。女王として下々の者を侍らせていると思えばいい」

「え? うーん、じゃあいっか!」

 

 女王と言われてヒナは一気に機嫌を取り戻す。現金な性格をしているようだ。

 この扱いやすさもレオルがヒナを重宝する理由である。

 

「オレも行くぞ。王と女王の姿を下等生物に見せるのも悪くはないだろう。ついでに兵隊の材料を纏めて手に入れてくるとするか」

 

 レオルはヒナを万が一にも失いたくはない。もしもの時には転移能力でヒナを連れて逃げ出すつもりだった。一緒に巣の外に出るのはその為だ。

 ヒナさえいればいくらでも再起は可能だ。生き延びることこそが先決だ。例えどれだけの屈辱を食もうとも、生きてさえいれば何とでもなるのだから。

 

 そうして重要な能力を持つ部下は巣に残して行き、戦闘力が高い部下を引き連れて巣の外に出る。

 レオルの能力【謝債発行機/レンタルポッド】はレンタルした能力の本来の使用者が死んでしまえばその能力は削除されてしまう。

 なので本当に必要でレアな能力者は大事に巣の中で保護しているわけだ。もちろん無駄に保護したりせず常日頃から鍛錬をするように言い渡しているが。

 

 レオルは外出する前に【謝債発行機/レンタルポッド】を発動する。小さな機械のような物が具現化され、そこから幾つかの紙が発行される。

 これがレンタルした能力を発動するのに必要な券だ。これを破ることでその能力が発動する。万が一のことがあればこの券を破り躊躇せず対象を無力化するつもりだ。

 レンタルした能力には使用回数などの制限があるが、使用回数は容易に増やすことが出来る。

 具体的には相手の能力を実際に見るか能力名を知り、相手に恩を売りそれがただではないことを同意させれば条件は整う。

 実際にこれをクリアするのは結構な手間が掛かるが、レンタルする相手は従順な部下なので条件のハードルは非常に低くなるのだ。 

 

 いとも容易く増やすことが出来る強力な能力の数々。それはこれから更に増え続けるだろう。

 全てが上手く行っている。これからが自分の人生の絶頂期なのだ。そう思いながら巣の外に出たレオルは……修羅を感じ取った。

 

 レオルは巣の外に出る時に無意識の内に円を展開していた。

 レンタルした能力には円が重要となってくる能力が幾つかある。円の中に何者かが侵入すればすぐに分かるし、範囲内にいれば無効化も出来る。

 流星街でここまで警戒する必要はないかもしれないが、かつてNGLにて受けたトラウマがレオルを無意識下で慎重にさせていたのだ。

 そんな自分を自嘲し、流星街では大丈夫だと自身に安心させるように内心で呟き、レオルは円を閉じようとする。

 

 その時だ。レオルは円の範囲内に人間らしき者が入り込んで来たのを察知する。

 そして躊躇せずに発行していた券の内で対象の動きを停止させる能力の券を破り捨てた。

 

「えっ!? レオル様何を!?」

 

 発行券を破り捨てた瞬間に能力は発動した。レオルの傍にいるヒナも円の範囲内にいるので能力に巻き込まれてしまったが。

 だがそれでも構わなかった。円で感じ取った瞬間にレオルは理解したからだ。円に入り込んだ人間が、あの時NGLで見た化け物なのだと。

 円には範囲内の対象が何者なのかを判断する能力はない。なのでそれを理解したのはレオルの本能そのものだ。本能が死を恐れてレオルに第六感とも言うべき直感を働かせたのだ。

 

「は、ははは! どうしてここが分かったかは知らないが、これで終わりだな化け物!」

 

 能力が発動した瞬間、確かに自身を除き円の範囲内にいる存在全ての動きが止まった。

 勝った。絶望は瞬時に安堵に変わり、そして勝利の悦へと転じていく。

 

 だが……絶望は何事もなかったかのように動き出した。

 

「はははは……は?」

 

 間の抜けた声がレオルから漏れる。能力は確実に発動している。ヒナを見ればそれは一目瞭然だ。

 だがあの最悪の化け物は、アイシャは何の制限もないように自由に動いていた。

 

「ば、馬鹿な……」

 

 呆気に取られるレオルに対してアイシャは最初にして最後の通告をする。

 

「降伏するなら良し。抵抗するなら容赦はしない。動けばその時点で抵抗したと判断します」

 

 その通告は圧倒的で膨大で、そして凶悪なオーラと共に発せられた。

 勝ち目を考えるのが馬鹿らしくなるようなオーラ。それを浴びた瞬間に、レオルの心は折れかけていた。ヒナに至っては完全に折れていた。

 レオルの心が折れなかったのは未だ手の中に切り札があったからだ。転移の能力を持つ発行券。これを破れば瞬時にレオルはこの場から消えていなくなるだろう。

 そうすればこの場は凌ぐことが出来る。破るだけだ。たった1枚の紙切れを破るだけ。まだ敵との距離は開いている。これだけの間合いがあればそれくらいの動きは――

 

 そうして左手に持つ券を右手で破ろうとして、レオルの右手は途端にその動きを止めた。

 馬鹿な、と思い右手を見ると、その右手は何時の間にかレオルの隣に立っているアイシャによって押さえられていた。

 どれだけ力を籠めてもピクリとも動きはしない。そればかりか掴まれた箇所の肉が軋み骨が折れる音が辺りに響き渡った。

 

「がぁっ!?」

「警告はしましたよ」

 

 そう、アイシャの警告は他のキメラアントではなく特にレオルに向けた物だった。

 レオルが手に持った紙を破った瞬間に何らかの能力が発動したことをアイシャは理解していた。

 自分には効果がないことから今一どのような能力なのかは分からなかったが、レオルの反応を見る限りどうやら知らずに無効化した可能性があった。恐らく操作系の能力だと判断する。それならばアイシャには【ボス属性】に関係なく効果のない能力になるからだ。

 そして左手に幾つもの券を持っていることから、恐らく同じ能力ではなく別種の能力を発動させる為の券だろうと当たりをつけていた。

 もちろん同じ能力である可能性もあるにはあるが、相手の過小評価は重大なミスに繋がる。多くの能力を発動させる為のキーだと思っていた方がいいだろう。

 

 そう判断したアイシャはレオルに対して動くなと忠告した。券を破るだけで能力が発動するなら僅かな動きも見過ごすわけにはいかない。

 そして相手は警告を聞かなかった。ならば最早容赦をする必要はないだろう。

 

 レオルは左手に持つ券を口で破ろうとする。だがそれも左手の関節を外されることで防がれてしまう。

 

「くそっ! 化け物がぁっ!」

 

 レオルは大きく口を開けて、牙と顎をオーラで強化しアイシャを喰らい尽くさんと文字通り牙を剥く。

 ライオンの頭部を持つだけにその鋭い牙は容易く肉を切り裂き骨も断つだろう。

 そんなレオルの決死の攻撃を、アイシャは避けることなくその身に受けた。

 

 アイシャの首筋に喰らいついたレオルは勝ちを確信した。どれだけ強かろうと人間の、それも雌の柔肌だ。

 オーラで強化した鋭い牙に、ライオンをベースとした強力な顎から繰り出される噛みつきだ。無事ですむわけがない。

 そんな、レオルの常識的な判断は……念能力という非常識な力を理解しきっていない希望的な判断だった。

 

 アイシャはその膨大なオーラでありったけの強化をしていた。それはレオルの常識的な判断を覆す常識外の力だった。

 人の皮膚で鋭い牙を無傷で受け止める。それを成すには顕在オーラにどれだけの差があれば可能なのか?

 それを理解した時、レオルは完全に心が、牙が折れた。

 

「た、助け――」

「命乞いならお前が攫っていった人達の同胞の前でするといい」

 

 そう言って、レオルの懇願を切り捨てたアイシャは力任せにレオルを殴りつけた。

 振り上げるように拳を顎に叩きつけ、物理的に牙をへし折ってレオルを吹き飛ばす。

 空中で縦に数回転してからようやくレオルは地面に倒れ伏した。

 

「ふぅ」

 

 地に伏し全身をピクピクと痙攣させているレオルを見て、アイシャはようやくその身に宿った怒りを霧散させた。

 アイシャは自身の行動を振り返って反省する。別にレオルを倒したことに何かを思っているわけではないが、それでも冷静さに欠ける行動だった。

 普段のアイシャなら態々敵の攻撃を受けることなどするはずもなかった。力任せに殴るなども有りえない。

 

 これらは全てアイシャの八つ当たりだった。育ての母との思い出の地を穢されたという想いからくる怒りで冷静さを欠いていたのだ。

 ここは別にアイシャの所有する土地ではない。この流星街では個人が所有する土地というものはなく、強いていうなら空き地に人が住めばその土地はその人の土地になる。

 そしてその土地から人がいなくなれば、別の誰かが勝手にその土地に住もうとも自由なのだ。それが流星街なのだから。

 だからアイシャに土地云々に関してレオルを罰する権利はなく、これはアイシャの八つ当たりに過ぎないのだ。

 その八つ当たりの怒りを発散させる為に力任せに攻撃を防ぎ、力任せに敵を殴ったわけだ。

 

 自分の我が侭加減に少々落ち込むも、とりあえず依頼は達成するべきだと思い直しアイシャはヒナ達に視線を向ける。

 

「ひっ!?」

 

 自身に標的が向いたと感じたヒナは、レオルの能力の影響が無くなりすでに体の自由を取り戻しているというのにピクリとも体を動かすことが出来なかった。

 まさに蛇に睨まれた蛙と言ったところか。

 

「聞きたいことがあります」

「はい! 何でもお答えします!!」

 

 だから助けて下さい。

 心を読まずともその言葉が聞こえて来るような必死の返事であった。

 アイシャは少々やり過ぎたかと内心反省するも、従順なのは好都合なので取り敢えず良しとした。

 

「あなた達が攫った人はどうしました? まだ無事な人はいますか?」

 

 アイシャは食料にされただろう人達の安否を問う。恐らく確実に生き残りはいないだろう。これだけのキメラアントがいれば人間の百や2百などあっという間に食い尽くすだろうから。

 だが確認は必要だ。もしかしたらということは何にでもあるのだから。

 

「……も、もういません」

 

 やはり駄目だったか。その言葉を聞いて僅かな可能性が潰えたことにアイシャは溜め息を吐く。

 それを自分の死刑宣告だと受け取ったのか、ヒナは必死になってアイシャに弁解をしていた。

 

「れ、レオル様が! いえ、レオルの奴がやれって無理矢理命令したんです! そ、それに一応は攫った奴らは全員生きてます!」

 

 全ての罪をレオルに擦り付けるヒナ。あながち間違いではないのだが。

 それでもヒナも関与しているだけにアイシャはヒナを逃がすつもりはなかった。

 だがヒナの言葉の矛盾がアイシャは気になった。食料にしたはずの人間が生きている? 先程もういないと言ったのは何だったのか?

 

「どういうことですか? 攫った人達はあなた達が食料にしたのでは?」

 

 アイシャの疑問はキメラアントの常識を理解しているからこその物だ。

 キメラアントを増やすことが出来るのはその女王だ。もちろん兵隊蟻にも異種の雌と強引に交尾して次世代蟻を産ませることが出来る。

 だが女王のように摂食交配をすることは出来ないはずだ。その上異種の雌と女王とでは次世代の生産速度も段違いである。

 多くの兵隊蟻が世界中に拡散したら大事だが、数匹程度ならば極端な増殖にはならないのだ。もちろん脅威ではあるのだが。

 

 その点でアイシャが疑問に思っているのは攫われた人間が全員男性だけだという話を議会から聞いているからだ。男性を攫ってもキメラアントを増やすことは出来ない。

 目の前の女性型キメラアントが攫った男性と交尾をするというのも考えづらい。人間と交尾をするよりは同じキメラアントと交尾をして次世代を産んだ方がより強い蟻が産まれるだろう。

 ヒナの能力を知らないアイシャからすれば食料にしたと判断するのが一番合理的だったのだ。

 

「えっと、実はですね――」

 

 そうしてヒナは自身の能力の詳細を説明した。もちろんレオルに無理矢理作らされたというおまけ付きでだ。

 

「なるほど……」

 

 ヒナの話を全て聞いたアイシャは少し考え込む。

 ヒナの周囲にいるキメラアントはどうやら普通のキメラアントとはその生まれが違うようだ。

 ならばヒナの能力による支配を解けばどうなるのだろうか? それがアイシャに生まれた新たな疑問だった。

 

「あなた……えっと、名前は?」

「ヒナです!」

「ではヒナさん。取り敢えず彼らの操作を解いてください」

「え? ……いやいや、そんなことしたら私殺されるかもしれないじゃないですか」

 

 ヒナの危惧は至極尤もなことだ。彼らの支配を解けばどうなるかはヒナにも分からない。何故なら解いたことがないからだ。

 もしかしたら女王が産んだキメラアントのように支配を解こうともヒナに忠誠を誓うかもしれない。

 だが生前の記憶を持っていた場合。そして従来の女王と兵隊のように絶対の上下関係が無かった場合……その時彼らがヒナにその牙を向けないとどうして言えるだろうか。

 

「解きなさい」

「いやでも」

「解け」

「喜んでー!!」

 

 確実に死ぬのと生き残る可能性があるのと。どちらか選べと言われれば後者を選ぶだろう。誰だってそうする。ヒナは生存の可能性がある道を選んだだけだ。 

 けしてアイシャの笑顔から放たれるプレッシャーに屈したわけではないのだ。

 

 

 

 結論から言うと、支配が解けたキメラアント達は驚くことに全員が人間であった頃の記憶を持っていた。

 やはり摂食交配による生まれと念能力による生まれに違いがあるのだろうかとアイシャは推測する。

 厳密には彼らはキメラアントと言える存在ではなく、念能力によって多種の生物が混ざってしまった人間と言えるだろう。

 

 ヒナの支配から解かれた流星街の住人達はまずヒナに対してその怒りを向けた。

 当然だ。勝手に攫って勝手に人外にされて怒りを覚えない者は少ないだろう。

 だがその怒りがヒナを傷つけることはなかった。アイシャがヒナを庇ったのである。

 別にアイシャはヒナを助けるつもりはなかったが、一応はヒナは主犯の1人だ。

 流星街の議会に何があったかの説明をする時に必要な存在となる。後々どうなるかは知らないが今は生かしておいた方がいいだろう。

 ……アイシャとしてもどこか憎めないような性格をしているヒナを殺したいとは思わないが、それを判断するのは被害にあった流星街の人間だ。

 もう1つ理由としてヒナが死んだ場合に危惧することがあるのだが……。

 

 アイシャによって制止された住民たちは構わずヒナを殺そうと動いたが、アイシャがオーラを発した瞬間に動きを止めた。そして誰かがこう呟いた。

 

「あ、悪魔の赤子……!」

「本当か!?」

「嘘だろ。伝説じゃなかったのか?」

「お伽話だろ!?」

「オレは議会に逆らうと悪魔の赤子が食べに来るって聞いたぞ?」

「間違いない! オレはこのおぞましい感覚を覚えている! 爆弾も効かなかったあの化け物だ!」

 

 どんなお伽話だ、そこらの爆弾なんぞ効かない奴は結構いるよ、とアイシャは内心憤慨する。

 だが一応はアイシャの話を聞いてくれるようだ。逆らうと食べられると思っているのかもしれない。

 取り敢えずアイシャは瀕死のレオルとヒナ、そして拉致された住民を連れて流星街の議会室へと赴いた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「なるほど……」

「むぅ……」

 

 アイシャから全ての説明をされた議会員達は各々難しそうに唸っていた。

 同胞が拉致されて無事で済んでいるとは思ってはいなかったが、まさか全員生きて帰り、しかも人外の者になっているとは想像だにしていなかったのだ。

 だが例え改造されて変異していようとも同胞は同胞だ。彼らの記憶が以前のままならば例えどのように変わってようとも流星街は彼らを受け入れた。

 

 残る問題はこの事件の首謀者だ。

 未だ気絶から覚めないレオルと自身に漂う死の気配に怯えるヒナを見据える議会員。

 不当に同胞を傷つけた者には報復を。それが流星街の掟だ。報復対象に慈悲を掛ける必要は全く無い。

 

 殺気の混ざった視線を一身に受け、このままでは確実に殺されると悟ったヒナは傍にいるアイシャに助けを求める。

 

「助けて下さい何でもしますからー!!」

「え、そう言われましても……」

「手出しは無用だアイシャよ」

「依頼は完遂された、感謝する。ここからは我らの掟に従ってもらう」

 

 アイシャに流星街の掟を守る義理も義務もないが、ヒナを守る義理と義務はもっとない。ないのだが……。

 ヒナへの同情は抜きにして、危惧していたことがあるのでその点は議会へと伝えておくべきかとアイシャは議会がヒナを殺す前に忠告をする。

 

「彼女を殺すのは別にいいのですが、そうすると被害者の彼らがどうなるか分かりませんよ?」

「……どういうことだ?」

「彼らを支配する術は解けたはずではないのか?」

 

 確かに彼らの意識を操作していた能力は今は解けている。

 だが彼らを産み出した能力が消えて無くなったわけではないのだ。

 ヒナがその気になれば何時でも彼らは再び支配下に置かれるだろう。今なお彼らはヒナの能力に縛られていると言えよう。 

 

 それだけではない。これがアイシャが危惧していることだが、ヒナが死ぬことでヒナの能力で変異した被害者達にどのような変化が起きるか分からないのだ。

 今と変わらず意識を保ったままなのか、元の記憶すら失ってしまうのか、暴走して周囲を攻撃してしまうのか、はたまたそれら全てが犠牲者それぞればらばらに起こるのか。

 少なくとも元の人間の姿に戻る可能性は限りなく低いとアイシャは考える。いや、そればかりか肉体を保てずに死んでしまう可能性すらあった。

 更に言えばヒナが死んで死者の念を残した場合が厄介だ。そうなれば確実にヒナの能力の被害者は暴走ないし死亡するだろう。

 

 それら全てを説明された議会はまたも難しそうに唸った。

 報復対象に報復をすることは流星街では当然のことだ。だがそうすると同胞を無駄に傷つけてしまうかもしれない。それでは本末転倒だ。

 1人の被害者の為に数十人が殉教者となり報復対象に自爆特攻をするのが当たり前の流星街だが、それとこれとはまた話が別だ。

 今回の場合は被害者の為にではなく、報復してしまえば被害者に更なる被害が及ぶのだから。

 殺した場合実際にどうなるかを試すわけにも行かず、議会はしばらく混迷した。

 

 そしてようやく出た結論がこうだ。

 

「首謀者のこのライオンは殺す。だが、同胞の為にもその女を殺すわけにはいかん」

「我らは念能力に詳しくはない。その上その女が何かを企てた場合止めることも難しい」

「なので、その女の処遇をアイシャ、お主に頼みたい」

「え? とばっちりなんですけど……」

 

 まさかの結論であった。アイシャとしてはどうしてこうなったと切に叫びたい。

 だが議会の言うことも理解出来る。ヒナが持つ能力は厄介極まりなく、万が一流星街に置いていて何かしでかされたら今度こそ多くの被害が出るだろう。

 しかしアイシャならばヒナが何をしようともどうとでも出来る実力を有している。彼らにとってヒナという殺すことも出来ぬ厄介者はアイシャに預けるのが一番なのだ。

 

「頼む。もしこの頼みを受けてくれた場合は以後もあの土地を誰にも近づけぬよう管理及び監視することを約束しよう」

「乗りましょう」

 

 契約成立であった。

 議会は今までと変わらぬようにあの土地に誰も近寄らないように言い含めればいいだけで厄介払いができ、アイシャは以後も母との思い出の地が穢されないと約束される。まさにWin-Winである。

 

「これからは私があなたの面倒を見ます。分かりましたねヒナ?」

「は、はい! ……えっと、お姉さまのことは何と呼べばいいのでしょうか?」

「お姉さま……アイシャで良いですよ」

「分かりましたアイシャお姉さま!」

 

 ギリギリの所で命が助かったヒナはこの拾った命を捨ててなるものかとアイシャに完全服従する。

 すでにかつての上司であるレオルのことは頭にない。人間――キメラアントだが――自分が恋しいものなのだ。

 

「もしあなたが怪しい行動を取れば……どうなるか分かるよね?」

「もちろんですよ! 絶対服従を誓います!」

 

 その言葉に嘘はないとアイシャも感じ取った。

 

「それじゃあ折角だからあの土地で一晩明かそうか。ヒナも来ていいよ」

「ありがとうございますアイシャお姉さま!」

 

 あの土地とやらがどこかは分からないが、とにかく何かを許されたのでヒナは反射的に礼を言う。

 アイシャはアイシャで姉呼ばわりされてどこか嬉しそうであった。弟的な存在はいるが妹的な存在はヒナが初めてなので意外と喜んでいるようだ。口調が柔らかくなったのもそのためだろう。

 ヒナは微妙に嬉しそうなアイシャを見て、意外とチョロいけどこいつ大丈夫か? と若干心配していた。なったばかりの妹分に速攻で心配される姉というのもどうなのか。

 

 ちなみに、アイシャ達が出て行ってすぐにレオルは瀕死の状態から瀕という文字が抜ける状態へと変化したが、それを同情する者は誰もいなかった。

 

 




 この話の時間軸は選挙編から4年後くらい未来の話です。アイシャの外見年齢に殆ど変化はありませんが、だいたい19歳くらいの年齢になっています。
 ちなみに変化がないのは外見年齢だけで、髪の毛は母親と同じくらいの長さに戻っていたり、軽くオシャレらしいこともしてたりと、見た目に多少の変化はあります。

次回予告!
 アイシャの妹分という立場を得てどうにか命を長らえたヒナ! だが、そのヒナに新たな命の危機が迫っていた! ウサギと卯! 果たして勝ち残るのはどちらだ!
○○○「ウサギのキャラは1人だけでいいのよ~」
 次回! ウサギ×兎×卯!
 ……嘘です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

外伝4

 忍。それはヨルビアン大陸の北の海にある小さな島国、ジャポンに存在する特殊な集団のことである。

 彼らは忍法と呼ばれる特殊技術を習得しており、その技術を培って世界中で暗躍している。

 その仕事は多岐に渡る。一般人が見つけることが難しい物の探索。様々な情報を収集しそれを売りさばく。そして高い身体能力と技術を用いた……暗殺。

 

 栄華を誇る者がいれば、その裏には辛酸を舐める者もいる。成功者がいればその裏では多くの者がその成功を妬んでいるのが世の常だ。

 そしてそうした妬みが、いずれ殺意に変わることは珍しいことではなかった。そういった者達が思いつくことの1つが暗殺者への依頼である。

 誰しも自分の手を進んで汚したくはないものだ。社会的立場を持つ者なら尚更だ。そうして有名な暗殺者や殺し屋、そして忍が雇われるわけだ。

 需要がある限り供給はなくならないものである。例えそれが人殺しだろうとだ。

 

 

 

 リィーナ=ロックベルトはこの世で最も成功した人間の1人と言えた。

 ロックベルト財閥という世界でも有数の財閥の1人娘として生まれ、その才覚で女性でありながら財閥を牽引し更なる発展を促した。

 それでありながら世界二大武術と言われる風間流合気柔術を学び、達人と呼べる腕前に至ってるばかりかその本部長となって全世界10万を超える門下生のトップに立っている。

 その上で既に老齢であるというのに20代の若さとモデル顔負けの美貌とスタイルを有している。

 

 そんなある意味完璧超人と言っても過言ではない存在を前にすると、大半の人間は憧れか嫉妬のどちらかを覚えるだろう。

 だからだろう。そんなリィーナに対して忍の魔の手が伸びたとしても、それは不思議なことではなかった。

 

 忍を育成する雲隠れの里――ジャポンにある忍の里の1つ――にある1人の忍がいた。彼は若手では最も優れていると称えられており、その実力は確かなものだった。

 忍にはその実力に応じて下忍・中忍・上忍とランクが上がっていくが、当然その忍は上忍だった。

 しかも10代に差し掛かったばかりの時に上忍へと至っている。それはその忍の里でも異例と言える速さであった。

 

 任務達成率も100%を誇り、若手ならば誰もが憧れ目指すべき存在であり、里の上層部からしても今後の里を担う期待の忍だった。

 そんな彼だからこそ、リィーナ=ロックベルトの暗殺依頼が舞い込んだのだろう。

 

 実はリィーナに対する暗殺依頼は多くの暗殺者や殺し屋が承っていた。だが未だリィーナが健在であるということからその結果が知れるというものだろう。

 そう、リィーナは全ての暗殺者を自身で返り討ちにしてきたのだ。

 そうした暗殺者の大半は未だに牢屋の中だ。だが何人かは消息が不明になっている者もいる。恐らくは内密に消されたのだろうと裏社会では実しやかに噂されていた。

 

 忍の里にもリィーナを殺してほしいという依頼は今までにも来ていたのだが、これまでは全て断ってきた。

 理由は2つ。依頼の難易度が高すぎることと、そのリスクが高すぎることだった。

 

 難易度については言うまでもない。風間流の強さは雲隠れの里でも周知の事実だ。

 元々風間流はジャポン発祥の武術であり、元祖風間流とも言うべき道場ももちろんジャポンにある。

 単に世界的に有名なのがリュウショウ=カザマが広めた風間流なだけなのだ。

 つまり基本的にジャポンで仕事をしている忍ならば風間流の強さは良く知っているわけだ。

 

 そしてリスクの問題だ。リィーナ=ロックベルトを狙った場合のリスクは果てしなく高い。

 この世で最も成功した人間と呼ばれているのは伊達ではない。彼女の持つ力は下手な国よりも高いものがあった。

 それは単純に強さというだけでなく、経済力・政治力・権力者とのコネクションなど多岐に渡る。

 これらの力をフルに使えばジャポンという小さな島国の裏家業集団など容易く蹴散らされるのでは? という不安が里の上層部にはあったのだ。

 

 だが、それらの不安もメリットとデメリットを考えた結果、最終的に里の最も優秀な忍に仕事を任せるという結果に至ってしまった。

 里への有力なスポンサーから猛烈な暗殺依頼のプッシュがあったことと、その破格の依頼金額。そして優秀すぎる忍という3つの要素が依頼を受けた要因となった。

 

 万が一任務が失敗したとしても里の情報が漏れるような物的証拠を持つことはない。

 優秀な忍であるその男は拷問に対する厳しい鍛錬も積んでいる。口を割るわけがない。そもそも捕らえられたら自害をするように言い渡されている。

 ならば失敗しても里にデメリットはない。強いて言うならば優秀な忍が1人減ってしまうことだが、優秀と言えど忍とは使い捨ての道具という認識があった。ならば問題はなかった。

 そうして、雲隠れによるリィーナ=ロックベルトの暗殺は決行された。

 

 

 

 誰もが寝静まるような丑三つ時。それは厳しい修行をしている風間流と言えども変わりはしない。

 いや、厳しい修行をしているからこそ夜はしっかりと休養を取るものなのだろう。風間流道場では昼間の騒がしさは微塵もなく静まり返っていた。

 そんな虫の鳴き声だけが響き目立つ道場の屋根の上を1人の男が気配を消して動いていた。

 僅かな足音も出さずに移動するそれは完全に裏の住人を思わせるそれだ。消し去った気配は例え姿を間近で見られてもそこに人がいることを認識させない程のものだった。

 これらの動きだけでこの忍が一流だと誰が見ても理解出来るだろう。見ることが出来る者も一流と言えるだろうが。

 

 忍は前もって調べていた情報に従って迷うことなく屋根を移動し奥へと進む。目指すはもちろん目標がいると思わしき寝室だ。

 だが、なぜわざわざリィーナが本部道場にいる時を狙ってきたのだろうか?

 ここには多くの達人やそれを目指す武術家がいる。道場に通っている者ももちろん多いが、寝食を道場にて行っている者もまた数多い。

 周囲に第三者が多い状況では邪魔が入り暗殺を妨げる可能性が高くなるだろう。

 リィーナ=ロックベルトが外出している時や、道場以外で寝泊りしている時を狙った方が良いのでは、と誰もが思うかもしれない。

 

 だが、忍はそうは考えなかった。

 目標は超一流の達人だ。その上今までにも幾度も命を狙われている。ならば危険が大きいと思われる場所では確実に警戒心が高まるはずだ。

 そう、暗殺しやすい状況というのは暗殺者だけでなく暗殺をされる側も理解出来るのだ。それが武の達人ならば尚更だ。

 これまでに暗殺される状況に陥ったのも道場外が全てだろう。

 

 そう予測した忍は、だからこそ最も暗殺をしにくい場所である本部道場内での暗殺を選んだ。

 昼間は厳しい修行を自己にも課して疲れ果て眠りが強くなっているはず。そして周囲には信頼置ける門下生達が寝泊りし、本人も安心して眠りにつけるだろう。

 厳しい条件を潜り抜ければ、そこは最も暗殺をしやすい状況が待っているのだ。

 忍は闇夜に溶け込みながら任務を遂行させる為に屋根を進む。……そこに若干の期待を寄せながら。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 誰もが寝静まった夜遅くに、ふとある男が突如として目を覚ました。

 男の名前はサイゾー=キリガクレ。風間流本部道場の門下生の1人である。

 彼は基本的に本部道場にある一室にて寝泊りをしている。風間流では優秀な門下生にはただで三食食事付きの宿泊を無料で提供しているのだ。

 もちろんその審査にはそれなりの水準が求められているが。ここでの水準とは当然強さである。つまりそれが認められるくらいにはサイゾーは優秀であった。

 

 サイゾーが目を覚ましたのも当然風間流にある自室だ。だが何故こんな夜更けに目を覚ましたというのだろうか。

 

「……こらまた面倒事やなぁ」

 

 サイゾーはこんな夜更けに気配を消して動く何かを察知したのだ。

 しかもその存在は屋根の上を移動している。気配を消して屋根の上を移動する存在。怪しいことこの上ない。間違いなく面倒事だろう。

 しかし気付いたからには捨て置くわけには行かなかった。溜め息を吐きつつ、サイゾーは素早く準備を整えて音もなく部屋から移動した。

 

 

 

 気配も物音も消して屋根の上を行く侵入者は、同じく気配も物音もなく唐突に現れたサイゾーを見てその動きを止める。

 

「よう。こないなええ夜にどないしたんや?」

 

 まるで知り合いのような気軽さで話掛けてくるサイゾーに侵入者は僅かな驚愕を見せる。

 だが次の瞬間にはすぐに冷静さを取り戻し、懐からクナイ――忍が使用するナイフのような物――を取り出し構えた。

 

「おいおいええんか? こないな場所で騒ぎ起こしたら面倒なんはそっちやで?」

「……」

 

 侵入者はサイゾーの言葉に答えない。だが、その動きを止めて攻撃を仕掛けないことから理解はしているようだ。

 ここは武の聖地風間流本部道場だ。その屋根上で戦いなどしようものならどれほど静かに終わらせようとも気付かれないわけがない。

 

「分かっとるようやな。ワイも目立ちたくない。お互いここはなかったことにして帰らへん?」

「……ふざけるなよ」

 

 サイゾーの申し出に侵入者は怒りを顕わにしていた。

 心を殺して冷静に仕事をこなす忍としては失格と言える感情の動きだろう。

 だが、この忍にはサイゾーの適当な言葉がどうしても許せなかったのだ。

 

「はあ、やっぱり無理か。しゃーない、こっちや」

 

 そう言ってサイゾーは素早く移動する。そして侵入者もサイゾーの後を追い、道場から姿を消した。

 

 

 

 サイゾー達は本部道場から遠く離れた人気のない場所までやってきた。

 ここなら多少暴れた所で誰かが駆けつけることもないだろう。

 

「ここならええやろ。もうその頭巾外してもええんやないか? なあ?」

 

 どこか親しげに話掛けるサイゾーに若干のいらつきを見せるように忍は黒頭巾をかなぐり捨てる。

 そこから現れた顔はかつてゴン達と同時期にプロハンター試験を受け、時には苦楽を共にし試験を潜り抜けた男、ハンゾーであった。

 

「……久しぶりだなサイゾーさんよ」

「おお、久しぶりやなハンゾー。元気しとったか?」

 

 ハンゾーがサイゾーを睨みつける中、サイゾーは旧来の友に再会したように気安く語る。

 確かに2人は知らぬ仲ではない。だが今は気安く話すことが出来る関係ではなかった。

 だと言うのに普段と変わらないような態度のサイゾーがハンゾーの神経に障った。

 

「吞気なもんだな……抜け忍のくせによ!」

 

 抜け忍。文字通り忍を抜けた者に付けられる総称だ。

 そう、サイゾーはかつて忍の一員であり、そしてハンゾーと同じ里の出身であった。

 忍は里の為に全てを捨てて尽くす存在だ。だが抜け忍は里から逃げ出した裏切り者である。

 それは忍にとって最も愚かで度し難く最悪の罪となる。里の道具でありながら里を裏切り、下手すれば里にとって不利益な情報を拡散し里へ災いをもたらす存在。

 それが忍の抜け忍に対する評価である。そして抜け忍は見つけ次第殺すように忍は教育されている。

 サイゾーとハンゾーが出会った今、ここで殺し合いが起こるのは最早必然だった。

 

「風間流に行けばあんたに会えると思っていたぜ」

「おお、どんぴしゃやん。大当たり~! 賞品は何がええ?」

 

 あくまでもふざけるような話し方をするサイゾーにハンゾーはその苛立ちを疑問に変えてぶつけた。

 

「どうしてだ。どうして里を裏切った!? 任務を放棄して逃げたのは何故だ! 答えろサイゾー!」

 

 ハンゾーにとってサイゾーは憧れの存在だった。

 自分よりも年上で頼れる兄貴分。そして忍にとって必要な全てを誰よりも高く身に付けていた男。

 サイゾーが目標だった。彼を目指して厳しい修行をこなした。若くして上忍になれたのはサイゾーのおかげと言っても過言ではなかった。

 だが、そんなサイゾーは忍にとって最も許しがたい大罪、抜け忍となってしまった。

 

 抜け忍と里に判断されたサイゾーはすぐに里から処分が下された。

 それを認めることはハンゾーにとって容易ではなかった。だが里の決定は絶対だ。

 ならばどうすればいい? 悩んだハンゾーはいつの日か答えに行きついた。

 殺すならば己の手で下す。憧れの存在だからこそ、他の誰でもない自分が殺す。それがハンゾーの答えだった。

 

「それを言うたところでワイを殺すのを止めるわけやないやろ?」

「……そうだな。ああ、そうだよ。ただ……最高の忍と言われたあんたが抜け忍になった理由を知りたかっただけさ」

 

 ただ、自分の憧れが突如としていなくなってしまった当時の憤りを再会した今ぶつけたかっただけ。

 そして感情は言葉にしてぶつけた。後は行動で示すだけだった。

 

 

 

 忍と抜け忍の戦闘は前触れなく始まった。

 互いに懐から取り出した手裏剣を投げる。一度の投擲で十を超える手裏剣が放たれる。

 幾つかの手裏剣はぶつかり合い弾かれ大地に落ち、残った幾つかもそれぞれ何時の間にか構えていたクナイにて弾いていた。

 

 そしてまたも同時に2人は動き出す。

 ハンゾーはクナイを躊躇なくサイゾーの急所へと振るう。

 眼・喉・頚椎・鳩尾・心臓・肝臓・腎臓。他にも刺されれば命の危険を及ぼす急所や動きに弊害が起こる箇所を幾度も狙って攻撃をする。

 だが、急所を幾度もクナイで攻撃するということは、肝心の急所に一度たりとも命中してはいないということである。

 ハンゾーが振るう鋭く無駄のないクナイによる攻撃を、サイゾーは同じくクナイにて弾いたり躱すことでその全てを防いでいたのだ。

 

 サイゾーも攻撃されてばかりではない。ハンゾーのクナイを弾いた後に素早く反撃に移る。

 攻守は一転したかのようにサイゾーが苛烈な攻撃を繰り出す。

 ハンゾーのように急所は狙ってはいない。だがそれはハンゾーを想っての手加減ではない。

 急所狙いは効果的だが互いに暗殺者としての訓練を受けた者同士が急所を狙ってもその狙いが読まれてしまうことが多い。

 互いに狙いが同じならば攻撃の軌道を読むこともまた容易いのだ。

 だからサイゾーは急所は狙わずに攻撃を当てることを念頭に置き手数を増やしてクナイを繰り出した。

 鋭く尖ったクナイだ。例え急所でなくても人体に当たれば当然肉は裂け血が噴き出す。

 そうなれば徐々に体力は奪われ動きの精彩も欠くことになるだろう。それがサイゾーの狙いだった。

 

「くっ!」

 

 ハンゾーの二の腕と頬に僅かな切り傷が出来、そこからうっすらと血が流れ出す。

 かすり傷に等しいが、傷は傷だ。先に傷つけられたことがハンゾーにとって敵が未だ超えられない壁であるという錯覚を抱かせる。

 その錯覚を振り払うようにハンゾーはクナイを振るい、そしてそれをサイゾーが防いだ時に出来た僅かな隙を狙ってその場から離れようとする。

 だがサイゾーはそれを許そうとはしない。距離を取られる前にさらに距離を詰めようとし、それを嫌がったハンゾーはサイゾーへと鋭い蹴りを放つ。

 

 地から天へと伸びるようなその一撃は、しかしサイゾーに命中することはなかった。

 だが、確かにハンゾーの蹴りを避けたはずのサイゾーのその衣服が縦に裂かれていた。

 そしてそこから僅かに血が滲み出す。そう、ハンゾーの攻撃は完全に避けられてはいなかったのだ。

 

「……やるやん」

「へっ」

 

 サイゾーは自身を傷つけた攻撃の秘密を見抜いた。

 それはハンゾーの足の指に挟まっている手裏剣だ。ハンゾーは先程投擲し地に落ちた手裏剣を足の指で挟むことで蹴りの間合いを僅かに伸ばしていたのだ。

 

 静けさが広がる真夜中だというのに2人の戦いの音はくないが衝突する時の金属音しかなく、月明かりのない夜だと言うのに互いにその動きを見切り行動している。

 それら全ては2人が忍として高い実力を有していることを示していた。それを確認し終わったかのように、サイゾーは口を開く。

 

「成長したなぁ。あん時のガキが」

 

 自分に憧れていた少年は今では一流の忍になっていた。

 

「あんたを超える為さ。もうオレはガキじゃない。雲隠れの上忍なんだよ」

 

 そして掟を守る為に、自分を超える為に今こうして立ちはだかっている。

 それがサイゾーはどこか楽しかった。

 

「言うやないか。そんなら、これくらいは出来るよな?」

 

 ハンゾーの忍としての強さはサイゾーの想像以上だった。

 ならば次に確認するべきはある力だ。それがなければどれだけ強かろうと、どれだけ忍として完成してようと、この世界の強者足り得ない。

 

 サイゾーの身に靄のような何かが纏わりついていく。

 それは見る者を圧倒させるような力強さを持って膨れ上がっていった。

 

「当然だろ!」

 

 ハンゾーもまたサイゾーと同じように全身に靄が立ち上がりたちまち膨れ上がっていく。

 これが生物が持つ命の力、オーラ。そしてそれを自在に操る能力こそ念能力である。

 念能力を操る念能力者と非念能力者の間にある壁は果てしなく高く分厚い。

 例え技術で勝り体格で勝り身体能力で勝ろうとも、非念能力者では念能力者にはまず勝てない――一部例外はいるが――だろう。

 

 忍と忍の戦いは終わった。ここからは忍の技術を持った念能力者同士の戦いとなるのだ。

 今までと違い、互いの手札が分からない未知の能力者同士の戦いだ。両者の間に流れる緊迫感はより一層激しく高まっていく。

 

 ハンゾーが懐から再び複数の手裏剣を取り出しサイゾーへと投擲する。

 まるで戦闘開始の焼きまわしのようだがその手裏剣には戦闘開始とは違いオーラが籠められていた。

 

 サイゾーはクナイにオーラを籠めてその全てを切り落とす。

 弾いた、のではない。切り落としたのだ。放たれた手裏剣の全てはクナイによって真っ二つに切り裂かれていた。

 同じ材質のクナイと手裏剣をぶつけ合わせても互いにその身が欠けることはあれどどちらかが切り裂かれることなど起こりえない。

 それを可能とした力が念能力である。と言ってもサイゾーは特別な能力を使用したわけではない。

 単にハンゾーが放った手裏剣を強化するために使用したオーラよりもサイゾーがクナイを強化するために使用したオーラの方が多かっただけの話だ。

 

「ちぃっ!」

 

 それを見てハンゾーはサイゾーの念能力者としての基礎能力が自身を超えていると瞬時に判断した。

 それは単純にクナイに籠められたオーラ量の差から判断したのではない。

 クナイにオーラを籠める速度、オーラの攻防力移動の速度が明らかに自身よりも上なのだ。

 攻防力移動は念能力者同士の戦闘において非常に重要な要素だ。これが速くスムーズに出来る者ほど戦闘は有利になるだろう。

 

 たった一合のぶつかり合いでハンゾーは己の不利を悟る。流石は里の天才と言われただけはある、と。

 ハンゾーも念能力を覚えて既に5年という月日が経っているが、それでもこれほどの差がある。恐らく自分よりももっと早くに念に目覚めていたのだろうと推測する。

 だが、忍にとって武器とはその全てだ。肉体も、知識も、言葉も、仕草も、道具も、念能力も、等しく武器なのだ。

 念能力という武器の精度が相手に劣っていようが関係ない。劣る武器でもようは使い方次第なのだ。

 

 ハンゾーは再びオーラを籠めた手裏剣を投擲する。

 今度は4枚の手裏剣を投擲した。先程よりは大分数が少ない。その分1つ1つに籠められたオーラ量は上だ。

 その上4枚の手裏剣は一目見ても3枚しか見えなかった。1つだけ投げた手裏剣の陰、対象の死角になるように黒塗りの手裏剣を投げているのだ。影手裏剣の術である。

 しかも黒塗りの手裏剣は隠によってオーラを視認しにくくしていた。これにより余計にオーラが目立つ表の手裏剣が注目され、裏の手裏剣への注意が減るだろう。

 忍の技術と念能力の技術を駆使した難度の高い術と言えよう。

 

 だがサイゾーは凝にて影手裏剣の存在を見抜いていた。

 元々影手裏剣の術には注意していたのだ。手裏剣による攻撃の全てに影手裏剣を警戒していれば見抜くことはサイゾーには造作もなかった。

 サイゾーは先程と同じように1つ、2つ、3つと高速で迫り来る手裏剣を瞬時に切り落とす。そして最後に隠された影手裏剣を切り落とそうとし――

 

「っ!?」

 

 だが、影手裏剣が切り落とされることはなかった。なんと軌道を変えてサイゾーのクナイを避けたのである。

 ハンゾーが影手裏剣を操作しその軌道をずらしたのだ。オーラの籠められた物体は操作系の発で操作し動かすことが出来る。これはその応用だ。

 別段難しい発ではなく、操作系やそれに近しい系統の能力者なら訓練次第で容易にこなすことが出来るだろう。

 いや、操作系と真逆の変化系能力者にも可能なレベルだ。もちろん熟練者という前書きは必要だが。

 

 そうして軌道を変化させた影手裏剣は再びサイゾー目掛けて飛来する。

 そしてサイゾーの胸元に命中する瞬前に、サイゾーが口から放った含み針に当たり軌道が逸れて大地に落ちた。

 

「あっぶな!」

 

 ふぅ、と嘆息しているサイゾーに緊張感はなさそうだったが、これには内心肝を冷やしていた。

 これはハンゾーの念能力者としてのレベルが高いというよりその使い方が巧みであったと言える。

 影手裏剣と隠。2つの技術により存在を隠匿していた手裏剣だ。それらを見抜けば問題はないと考えても可笑しくはない。

 その心理的な隙を突いて僅かな操作で大きな効果を得ようとしたのだ。

 

「こらうかうかしとったら負けてまうかもしれんなー」

「そうやって死の間際まで余裕ぶっこいてりゃいいぜ!」

 

 余裕そうに見えるサイゾーに怒気をぶつけるが、その実ハンゾーは冷静であった。

 忍として常に冷静であるように精神修行も積んでいるし、そもそも激高したところで勝ちの目がなくなるだけなのだ。

 どんな時でも冷静に、それでいて果敢に責め続けて相手を封殺する。それがハンゾーの戦術であった。

 もちろん今のサイゾーを相手に封殺する程の手札を有しているからこその戦術だ。その手札となるある物を、ハンゾーは取り出した。

 いや、正確には取り出したのではない。具現化したのだ。

 

 突如としてハンゾーの手に現れたのは1つの巻物だ。サイゾーはそれを見て警戒心を強める。

 具現化した物体だというのはその現れ方から一目見て理解出来る。問題なのはあの巻物にどのような能力があるかだ。

 具現化した物体に何らかの能力を付与するのは具現化系能力者として当たり前のことだからだ。

 そしてその能力の詳細は千差万別という一言に尽きる。どの系統にも属さないような能力を付与することも可能で、最も特質系に近い能力者が具現化系能力者なのだ。

 戦闘力としてのバランスは強化系やその両隣の変化・放出系能力者に劣るが、何が出てくるか分からない恐怖という物が具現化系にはあった。

 能力によっては圧倒的格上相手にも勝ちの目が拾える系統の能力だろう。

 

 サイゾーの警戒を他所にハンゾーは一気に攻め立てる。

 巻物を開き、それと同時に指を噛み傷を作る。そして血が流れる指を開いた巻物に押し付けた。

 

 サイゾーはこの一連の行動が何らかの能力を発動する条件だろうと当たりをつける。

 様子見をしていては押し切られる可能性もあるが、詳細不明の能力相手に下手を打てば勝敗は一気に相手に傾くだろう。

 接近戦は対応が出来ない可能性があるので危険。まずは遠距離戦で能力を見極める。そう判断してサイゾーは手持ちの手裏剣を投擲する。

 

 対してハンゾーも懐から取り出した手裏剣を投擲する。能力を発動しないのかと怪訝に思うサイゾーだったが、次の瞬間にそれは驚愕に変わった。

 

「【手裏剣分身の術(しゅりけんぶんしんのじゅつ)】!」

「なあっ!?」

 

 ハンゾーが投げた手裏剣はたった1枚だ。それがハンゾーが両手で何らかの印を構えた瞬間にその数が一瞬で100を超える数に増えたのだ。

 しかもそれだけではない。増えた手裏剣にはそれぞれ実体があった。サイゾーが投げた複数の手裏剣が全て撃ち落とされたのがその証拠だろう。

 サイゾーは素早い動きでその場から離れて手裏剣から身を守る。流石のサイゾーでもあれだけの数と勢いで飛んでくる手裏剣の全てをクナイ1つで弾くのは困難だ。

 

 ハンゾーはあれだけの手裏剣を咄嗟に避けたことを内心流石と褒め称えるが、それは予測済みの結果でもあった。

 サイゾーが移動するだろう場所を先読みし、そこに更なる追撃を加える。

 またもハンゾーは指から流れる血を巻物に押し付ける。そして叫ぶ。

 

「【火遁の術(かとんのじゅつ)】!」

 

 ハンゾーの手から放出された大きな球状のオーラがその身を炎へと変えてサイゾーへと襲い掛かる。

 それに対してサイゾーもオーラを放出し相殺を試みる。だが、サイゾーが放ったオーラ弾はハンゾーの【火遁の術(かとんのじゅつ)】に押し負け、オーラの火球は勢いを殺さずにサイゾーへと襲い来る。 

 しかしそれはサイゾーの想定内の出来事ではあった。いや、ある意味想定外な事実が確認出来たのでサイゾーにとっては良くないと言えたが。

 

 とにかくオーラ弾が押し負けるのは想定内だ。ならば迫り来る火球を避けることも出来る。

 だが、このままではジリ貧になる可能性もサイゾーの頭によぎった。

 

 ――なんやねんあいつ……具現化系なのは確実やろうけど、変化系も放出系も具現化系のレベルやないで――

 

 サイゾーはこれまでの戦闘結果でハンゾーの得意系統が具現化系だと予測していた。

 まず最初に手裏剣を操作した時のことだが、操作系にしてはその操作がお粗末と言えた。操作系が得意系統ならばより巧みに手裏剣を操作してサイゾーを追い詰めていただろう。

 もちろんわざと操作精度を落とし得意系統が操作系ではないと誤認させるという考えも出来るが、サイゾーに手傷を負わせる可能性を捨ててまですることとは思えない。

 次に巻物を具現化したこと。これがある意味決定打だ。具現化系以外でも物体の具現化をする能力者はもちろんいる。だがここまでの戦闘でのハンゾーのオーラが彼を具現化系だとサイゾーに教えていた。

 

 風間流では系統毎のオーラの働きを理解するように念能力者を指導している。

 強化系が肉体を強化した時と、変化系が肉体を強化した時ではその強化量にはもちろん違いがある。

 見た目では同じ顕在オーラでも、実際は最大100%強化出来る強化系と最大80%強化出来る変化系では大きな差があるだろう。

 それを見極めるには何度も実際に系統毎の能力者と一緒に鍛錬をするしかない。もちろん実戦で学ぶことも出来なくはないが。

 

 そうして鍛えてきたサイゾーにはハンゾーの得意系統が具現化系であると察知出来たのだ。

 手裏剣に籠められたオーラ。それが投擲されハンゾーから離れると手裏剣に籠められたオーラは目に見て衰えていた。

 そして実際に切り裂くことで籠められたオーラの力を実感する。その上で操作の拙さと具現化された巻物。

 それら全てを総合するとハンゾーは具現化系能力者だと理解出来るわけだ。

 

 だからこそ、先程の手裏剣の具現化とオーラの火球は納得が出来ないのだ。

 いや、手裏剣の具現化はまだいい。ハンゾーが具現化系能力者ならば納得のいく能力だ。

 しかし火球に関しては話が別だ。具現化系能力者では変化系は80%の威力が限界。その上火球は放出されている。具現化系能力者の放出系能力は40%が限界だ。

 こんな制限された能力であれだけの威力が出るわけがないのだ。

 

 ――そんなバケモンはアイシャちゃんだけで十分やっちゅうねん――

 

 自らの知る最大の戦闘力を有する存在を思い出す。あれこそ理不尽の権化と言えよう。勝ち目を考えるのが馬鹿らしくなる戦力差だ。

 

 ――ま、それでもいつかは、な。っと、今はそんなことより――

 

 またも巻物に血を押し付けるハンゾーを見て、サイゾーは意識を戦闘に集中させる。

 

「【白光の術(びゃっこうのじゅつ)】!」

 

 またも新たな能力のようだ。これで4つ目の能力である。

 1人の念能力者が持つには多過ぎるとは言えないが、得意系統が違う能力ならば話は別だ。

 既にサイゾーの中ではハンゾーの能力の秘密は大体予測がついていた。たった今発動したばかりの能力をやり過ごして――

 

「がぁっ!?」

 

 だがサイゾーのその考えはいささか都合の良い物だったようだ。

 ハンゾーの放った新たな能力は知っていればともかく、初見では対応が困難な能力だったのだ。

 

 ハンゾーが放ったのは1つの小さなオーラ弾だ。

 そのオーラ弾はサイゾーに向かって来るが、サイゾーならば余裕を持って避けられる程度の速度だった。

 だがそのオーラ弾は直接当てる必要がない能力を有していた。オーラ弾は突如として夜闇を切り裂き真昼にするかのような強烈な光を発したのだ。

 閃光弾とも言うべき能力に、サイゾーの視界は完全に潰されてしまう。流石のサイゾーも光の速度に反応する程の反射神経はなかった。

 

 サイゾーはあまりの光量に瞳を焼かれてしまう。どう足掻いてもしばらくは視力が戻らないだろう。

 それでも身体を屈めずに臨戦体勢を保っていたのは修行の賜物と言えよう。普通ならば強烈な光に晒され反射的に身を屈めてしまうものだ。

 

 だが視界が潰されたというのは非常に大きなハンデとなる。

 人間が視界から得る外部情報量は80%を占めていると言われている。残りの感覚では20%程度しか外部の情報を得ることが出来ないということだ。

 もちろん修行次第でそれも変わり、サイゾーも音や匂いから感じ取る情報量は一般人の比ではない。だがそれでも視覚という物は他の何よりも大きな情報源なのだ。

 

 視界が潰されたこの瞬間は確実に大きな隙が出来るだろう。そしてそんな隙を逃すハンゾーではなかった。

 巻物へと血を塗りつけ、新たな能力を発動させる。

 

 ――【分身の術(ぶんしんのじゅつ)】!――

 

 無言にて発動される能力。別段能力を発動するのに声を大にして発音する必要はなかった。

 今までそうして来たのはそれが発動条件になると相手に思いこませるためだ。能力を発動する時にわざわざ能力名を発言するなど相手にこれから能力を使用しますよと教えるようなものだ。

 そのような相手のメリットになる行為をすることで、相手にそうしなければならない制約を組んでいるのだろうと思わせたのだ。

 

 そして最後の1手。止めを刺す最後の1手は無言にて能力を使用する。

 その最後の能力は分身の術。自分自身を具現化するという能力だ。

 そして分身をサイゾーへと直進させ、本体は絶を用いてサイゾーの裏へと素早く回りこむ。

 分身の気配ももちろん消している。だが完全な絶を用いたハンゾー本体と比べるとやや気配の消し方が荒いと言えた。

 それでも並の実力者を上回る気殺と言える。だがハンゾーはサイゾーならばこれくらいの気殺如き目が見えずとも捉えられると思っていた。

 だが目の見えぬ状況で僅かに捉えた気配だ。それのみに集中してしまい、それ以外の気配を察するのは難しくなるだろう。それがより高度に気配を消していたら尚更だ。

 

 分身がクナイをサイゾーの顔面目掛けて振るう。それを見ずともサイゾーは防ぎきった。

 だがそれによってがら空きとなった胴体に向かってハンゾー本体がクナイを突きだした。

 完璧とも言えるタイミングだ。例えハンゾー本体の気配に気付いていたとしてもこれを防ぐのは困難だっただろう。

 ましてや目が見えないこの状況で防げるとは思えなかった。……少なくともハンゾーはそう思っていた。

 

「馬鹿な……! 見えてんのかよ……!」

「いやぁ、見えてへんよ。ほんま厄介な能力やで」

 

 あの状況、あのタイミング、そして分身との2人掛かり。これだけの不利な条件が揃っていながら、サイゾーはハンゾーの攻撃を凌ぎきっていた。

 

「っ! 円か!」

 

 何故この状況で攻撃を防ぐことが出来たのか、ハンゾーはすぐにそれを見抜いた。

 何時の間にかサイゾーが円を展開していたのだ。円を展開するとその範囲内にいる存在を知覚することが出来る。例え視覚が潰されていようとそれは変わらない。

 だが円は念能力の応用技術でも高等技術の1つだ。それをあの一瞬で、しかも視界が潰された瞬間に展開する。

 これらの一連の流れで最も恐ろしいのはその判断力だろう。視覚が駄目ならば円というのは分かるが、あの強烈な光を浴びた瞬間に円を展開する判断力の速さは凄まじいの一言だ。

 しかも平常時とは掛け離れた状態でありながらこの円の展開速度だ。その上で円の知覚のみでハンゾーの本体と分身による二段攻撃を防ぎきる。

 念能力者としての実力。そして経験値の絶対的な差をハンゾーは思い知った。

 

「ほんま大した能力や。あれだけ多彩な術を使いこなせるお前の技術も含めてな。けど、詰めが甘いで?」

「ほざけ!」

 

 ハンゾーは分身と合わせて鋭い攻撃を幾度も繰り出す。だがその悉くが防がれてしまった。

 これにはサイゾーの円の展開距離が要因となっている。サイゾーは円を若干2mしか展開していないのだ。

 これはこの距離が限界というわけではない。サイゾーがその気になれば100m以上は円を延ばすことが可能だった。

 だが2mに限定することで、その範囲内のみに集中し円による知覚を最大限に高めたのだ。

 今のサイゾーは視界からの情報よりもより詳しく精密にハンゾーの攻撃を見切ることが出来ていた。

 

「くそっ!」

 

 確実に殺せるタイミングで放ったと思われた必殺の攻撃が防がれ、その後の攻撃も悉く見切られる。

 ハンゾーはそれに焦りつつもここは離れてもう一度勝機を作り出すことが正しい戦術だと冷静に判断する。

 分身にサイゾーの相手をさせ、本体であるハンゾーはサイゾーの射程外へと離脱。そしてまたも巻物を広げそこに血を押し付けようとする。

 

 だが、ハンゾーが指を巻物に押し付けるその瞬間、ハンゾーの足元から突如として闇が迫り上がりハンゾーの持つ巻物を切り裂いた。

 

「なっ!?」

「あかんなぁ。足元がお留守やったで」

 

 ハンゾーの手から離れた巻物は研ぎ澄まされた闇の刃がバラバラに切り裂いてしまう。

 巻物は具現化された物体の為破壊されても再び具現化は可能だ。だが目の前で具現化した物体を破壊されてしまうとそのイメージが残ってしまい再具現化には多少の時間が掛かることもある。

 ハンゾーもその例に掛かっているようだ。再び巻物を具現化しようと集中するがどうにも上手く出来そうになかった。

 

「あの巻物がお前の多彩な能力の源なんはあんだけ披露してくれたら猿でも分かるわ。しかも巻物を広げた瞬間にその直前まで使用しとった能力は消えるようやな。分身消えて不意打ち楽勝やったで?」

 

 ハンゾーにとって能力の詳細が暴かれるのは覚悟の上だった。それだけサイゾーは優秀だと理解していた。

 だからこそ対処される前に一気に決着をつけようとしていたのだ。

 

「あの巻物。あれだけの多彩な能力はお前の能力やのうて、巻物を介して他人の能力を使用する。そういう能力やろ? 制約は血を付けることと、別の能力と同時併用は出来へんというくらいしか分からんかったけど」

 

 そう、あの様々な能力はハンゾー自身の能力ではない。ハンゾーの能力はあくまで巻物【吃驚忍法帖(びっくりにんぽうちょう)】の具現化である。

 【吃驚忍法帖(びっくりにんぽうちょう)】は自身以外の忍の念能力を記録し、それを使用することが出来る念能力である。

 記録には他の忍の念能力を知り、その忍当人から【吃驚忍法帖(びっくりにんぽうちょう)】に署名して貰わなければならない。

 他人の能力を使用することが出来るかなりレアな能力だが、制約で記録出来るのが忍の念能力のみとなっているのでそこまで多くの念能力を集めることは出来ない。

 だが黒の書が雲隠れの里にあるため、現在雲隠れの里では多くの忍が念能力を覚えているのだ。

 

 もちろん同じ里の忍とは言え、他人に念能力を教えることは本来あまりないことだ。

 だがハンゾーはサイゾー抹殺の命を受けていた為、里の上層部が部下の忍たちにハンゾーに協力を要請していたのだ。

 それだけ上層部がハンゾーに期待していたということでもある。ハンゾーもまた天才と言われる部類の存在であった。

 

「そういうあんたは影を自在に操る能力ってところか」

「さてな~」

 

 サイゾーはそう言ってはぐらかすが、事実ハンゾーの言葉は正確ではない。

 サイゾーの能力【影化の術(えいかのじゅつ)】は影を操るのではなく、オーラを影のように変化させているのだ。影のように変化させたオーラを実際の影に重ねて動かしてそう見せているだけに過ぎない。

 この能力には何らかの特殊効果があるわけではない。影のオーラに捕まったら身動きが取れなくなるとか、サイゾーと同じ動きを強制させられるといった忍術のような効果はなかった。

 ただ影のような見た目に変化するだけ。それだけだ。

 

 だがそれが曲者でもあった。影と一口に言ってもその濃度が違うのは子どもでも知っているだろう。

 強い光で出来た影は濃くなり、弱い光で出来た影は薄くなる。それと同じように【影化の術(えいかのじゅつ)】は自在に影の濃さを変化させることが出来る。

 これを実戦で使い分けられたら果たしてどれだけの能力者が対応出来るだろうか。

 

 日中だと多くの影が出来る。それらに混ざって【影化の術(えいかのじゅつ)】を使われては本物の影とオーラの影と判別は困難を極める。

 夜中だともっと恐ろしい。夜の闇に紛れて迫る影のオーラだ。その恐ろしさは説明するまでもないだろう。

 

 単純だが使い勝手が良く相手の裏を突いて急所やオーラの防御が薄い箇所を攻撃することが出来る。

 派手さはないが実に元忍らしい能力と言えよう。

 

「で、どないする? ここらで手打ちにしてくれたらワイも面倒なくてええんやけど?」

「ふざけるなよ! 例え刺し違えてでもあんたを殺してやるさ!」

 

 既に勝ちの目が消えかけていることはハンゾーも理解していた。

 だが、だからと言ってすごすご尻尾を巻いて逃げるという判断だけはなかった。

 もう少しで憧れの存在に手が届くのだ。あと少しだった。だと言うのに逃げるなど出来るわけがない。

 

「そない言うてもな……もう詰んどるでハンゾー」

「っ!?」

 

 そんなハンゾーの想いは完全に打ち砕かれていた。

 何時の間にか、ハンゾーの体には【影化の術(えいかのじゅつ)】によるオーラの刃が突きつけられていたのだ。

 これらは【吃驚忍法帖(びっくりにんぽうちょう)】を切り裂いた時に既に周囲の闇に溶け込ませていたものだ。

 それを影の濃度を濃くすることでこうして目に映りやすくしただけだった。

 

「さっきの、会話は……!」

「忍は会話も武器や。忘れてたんか?」

 

 そう、先の会話はこの影の刃に気付かれないようにするためにハンゾーの意識を自身へと集中させるサイゾーの罠だった。

 もはやハンゾーに打つ手はなかった。どう足掻こうとも相打ちに持ち込むことも出来ない完全な詰みだ。

 そう悟ったハンゾーは力なく腕を下げ、そして呟いた。

 

「……殺せよ」

 

 憧れた男はやはり強かった。負けたことは悔しく、任務を果たせなかったことを情けなく思う。

 だが乗り越えたかった壁が今なお高かったことはどこか誇らしく、そして僅かでも手が届きそうだったことが嬉しかった。

 だから悔いはあれど、サイゾーに殺されるのも悪くはないと思えた。

 だが……。

 

「え、やだ」

 

 そんなハンゾーの思いは軽い一言で却下された。

 そして唖然としているハンゾーが反論をする前にサイゾーは言葉を重ねる。

 

「文句あんならもっかい掛かってきぃ。もっとつよなったらまた相手したるで」

「見逃すって言うのかよ……また殺しにくるぜオレは!」

「ええよ。お前とやるんは楽しかったからなぁ」

 

 楽しかったから殺しに来い。暗にそう言うサイゾーにハンゾーは呆気に取られた。

 

「楽しかったって……」

「ほんまやで。……ワイが忍止めたんはな、楽しゅうなかったからや」

「何だそりゃ!?」

 

 楽しくなかったから忍を止めた。ずっと知りたかった理由がまさかの物であったハンゾーの衝撃は大きかった。

 

「そんなことで……抜け忍になったってのかよ……」

「……ワイに取って忍は簡単やったからなぁ」

 

 どこか寂しそうに呟くサイゾー。それを聞いてハンゾーは思い出す。

 かつてのサイゾーの里での評価は誰よりも高かった。若手では最も優れていると称えられており、異例と言える速さで上忍へと至った。

 

「どんな任務もこなせたわ。簡単過ぎて当時は世界が狭く感じとった」

 

 サイゾーの当時の任務達成率も100%だ。これは里の忍では唯一の達成率だった。

 若手ならば誰もが憧れ目指すべき存在であり、里の上層部からしても今後の里を担う期待の忍と言われていた。

 

「ま、最後の任務でそんな考えが世界の広さを知らんガキの考えやと知ったけどな」

「……だから風間流にいるのか」

「そうや。だからここにいる」

 

 そう答えるサイゾーの顔はハンゾーも見たことない笑顔だった。

 同じ里で長く接していた時には見ることが出来なかった楽しそうな笑顔だ。

 それを見てハンゾーはどこか胸につかえていた何かが落ちたような気がした。

 

「……いいぜ。いつかあんたを後悔させてやる。首を洗って待ってろよ!」

「おお、楽しみが増えたわ。待っとるで」

 

 互いににやりと笑みを浮かべる。先程までの殺伐とした雰囲気はそこにはなかった。

 かたや乗り越えるべき壁というだけでなく相手を好敵手として認め、かたや自分を追いかけるだけの後輩ではなく武を競い合える好敵手として認める。

 そこには何の憎しみもしがらみもなく、ただ相手より強くなりたいという純粋な思いだけが渦巻いていた。

 

「……ところでどうしてそんな方言使ってんだ?」

「……いや、なんとなく風間流でキャラ付けしよ思うて使い出したんやけどな。意外と気に入ってもうてな……」

 

 元々方言のない喋り方だったサイゾーが方言風に喋っているのを疑問に思っていたハンゾーだったが、返って来た答えは本当にしょうもないものだった。

 

「これが……オレの憧れ……」

「まあ落ち込むなや。あんま気にせん方がええで」

「あんたが言うなよ!!」

 

 ハンゾーの心の底からの叫びが辺りに木霊し闇夜に吸い込まれていった。

 

 

 

 

 

 

 ハンゾーとの戦いを終わらせたサイゾーは帰路に就く。

 そうして風間流本部道場へと戻ってきたところで、門の前にいる人物を見て僅かに驚愕した。

 

「お疲れ様です」

「いやー、ばればれでしたか。流石はリィーナ先生や」

 

 そう、門の前に立っていたのはリィーナだった。

 

「サイゾーさんはともかく、侵入者は僅かに殺気を放っていましたので。お知り合いでしたか?」

「後輩ですわ。話は付けてきたんで問題ないはずでっせ」

「そうですか。……思いだしますね、あの夜を」

「そうですなぁ……」

 

 過去を思い返すようにリィーナは目を瞑る。

 それを見てサイゾーもしみじみと過去に想いを馳せ――

 

 ――クナイをリィーナの喉元へと振るった。

 

「おっと。以前よりも鋭くなりましたね」

「……かなんなぁ。これでも厳しい修行積んでるつもりやけどなぁ」

 

 サイゾーの鋭い一撃をリィーナは2本の指で押さえていた。

 あわや殺される直前だったというのにリィーナは動揺もせずに何気なく会話を続ける。

 対するサイゾーにも緊張や動揺は見られなかった。

 

「本気ではないでしょうに。あなたは本当に私を倒しに来るならば不意打ちなどいたしませんよ」

「……本当に、敵わないな。だがいつか絶対に超えてみせる。楽しみに待ってろよ」

「ええ、望むところでございます」

 

 そう、互いに不敵に笑みを浮かべ、2人は道場へと戻っていった。

 

 




 オリキャラサイゾーの外伝話。忍の設定とか捏造妄想のオリ設定です。実際はどうなのか分かりません。
 ハンゾーの能力を勝手に作ってしまった。これも全部黒の書が悪いんだ。
 もちろん【吃驚忍法帖(びっくりにんぽうちょう)】は黒の書に載っていた能力です。これは主人公がレオルの能力を参考に作ったものですね。
 それを忍限定とすることで利用のし易さを上げて開発したのがハンゾーになります。

 なお、今回の話を読めばもう分かってると思いますが、サイゾーはかつてリィーナを殺しに来た忍です。
 ですがリィーナに負けてそのまま風間流に入門しました。今では強くなってリィーナを倒すことに生き甲斐を感じています。
 結構バトルジャンキー(強者限定)だったり。あとサイゾーの能力【影化の術(えいかのじゅつ)】は彼オリジナルの能力です。黒の書には載っていません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。