朝倉涼子さんと消失 (魚乃眼)
しおりを挟む

エピローグ
Epilogue1



この作品のテーマは『愛』です。





「この中に、宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたらあたしのところに来なさい!」

 

 ――以上。

 俺がパソコンのブラウザ越しに視聴したアニメに登場するヒロインの台詞だ。そのアニメを見た動機についてだけど、なんということはなく単なる暇つぶしでしかなかった。よく遊んでた友人にオススメされたアニメ、それが【涼宮ハルヒの憂鬱】だったのさ。

 第一話――厳密には放送された順番的に第一話は奇天烈な劇中劇を一切の説明なしに見せつけられる回なのだが、俺は友人からその回はとりあえず見なくてもいいと言われたため放送上は二番目に当たる内容から視聴したものだ――を見終えた俺の率直な感想としては当然「よくわからないなあ」だ。

 たった一話で何がわかるというんだ。いかなクソアニメとて一話で"切る"のは早計だと思うし、昔の俺は賢しいアニメ評論家気取りの野郎でもなかったのでね。放送されていた分までさくっと追い付き、以降は最終回までリアルタイムでテレビ視聴。かつての俺は愚直なまでのアニオタで、単純にあるものを受け入れていただけさ。これは涼宮ハルヒの憂鬱という作品に限った話ではない。

 だが、この場においては涼宮ハルヒの憂鬱という作品に限った話をさせてほしい。なぜなら俺は件の作品で描写された世界に近い世界で生きているからだ、今現在。

 要するにアニメで見たキャラが実在している、涼宮ハルヒの憂鬱の主人公と俺は同じクラスだ。主人公だけではなく他の登場人物もわんさかいる。

 何を言っているのかわからないと思うけど言っている俺すら理解できていないのだから始末が悪い。そもそもどうして俺がアニメすなわち二次元の世界へ飛び込んでしまっているのかは不明だ、ある日起きたらそうなっていたとしか言えない。強くてニューゲームなんてふざけたIFも馬鹿にできないから困るね。

 昔のことを考えるのはやめた。考えたところでしょうがないからだ。未練など皆無。

 どうあれ俺がこの世界で生きることになって早三年とちょっと、今となってはそれなりに充実した毎日を送っているのさ。

 これは俺が常日頃度々に痛感させられていることなのだが、感情というものはある一定のラインを振り切ると失せてしまうらしい。我が身に倦怠感すら湧かず、怒りを通り越して虚無に打ちひしがれる。昔の俺はまさしくそうだった。

 が、幸か不幸か俺にとってそんな虚無感を緩和してくれる存在がいるから異世界だろうと充実した毎日を送れているわけだ。少なくとも不幸ではないか。

 

 

「ほら、さっさと起きなさい」

 

 前言撤回。不幸かも。

 グースカ寝てた俺は気づかぬうちに部屋に来ていたお方による早業で毛布を引っぺがされてしまう。

 何が悲しくて朝こっ早くに布団から叩き出されなきゃならないんだ、ええ? 

 

 

「このまま二度寝しちゃったら遅刻よ」

 

 本日は晴天ならずとも世間一般でいうところの平日であり、現役高校生の身分である俺は然るべくして登校するというわけだ。俺は断固としてこれを行いたくないが。

 とにかく遅刻しても構わないから毛布を返してほしい。俺はまだまだ寝ていたいんですよ、学校は昼からでもよかろう。

 すると毛布強奪犯の彼女は呆れ顔で、

 

 

「力づくで起こしてあげても私は構わないんだけど」

 

 あんまりな発言だ。暴力反対、当方としては平和的解決を望む次第である。

 昔、彼女に一度つむじにグーを入れられたことがあるが、あまりの苦痛に絶叫し数十秒間バタバタ悶絶したのだ。あんな経験は二度と御免だ。

 

 

「はいはい……じゃあさっさと顔を洗いに行ってらっしゃい」

 

 そうした方がよさそうだ。まったく。

 下手に逆らうと色々と面倒なので嫌々ながら起きることとする。我ながら丸くなったものだ。

 洗面所で顔を洗い終えて居間に出た俺の朝食はトーストとベーコンエッグという面白味の欠片もないものであり、だからといって文句の一つでも言おうものなら母さんが料理するのを放棄してしまいかねないし、そそくさとたいらげなければ外で待たせている彼女が小言を俺にぶつけてくる。今現在俺の味方はいない、親父は朝早くから出勤しているし姉にいたっては家を出て久しい。まあ、仮にこの場に親父や姉さんがいたとして俺の味方をしてくれるとはとうてい思えないけどさ。

 何はともあれ制服に着替え、学生鞄片手に玄関を後にする。

 ――冗談ではない。

 家から出た瞬間、少しでも登校に対する意欲を沸かせたことを後悔した、寒い、寒すぎる。やっぱり布団に戻ろうかな。うん、そうしよう。自宅にいるのが安定です。

 季節は冬でそれも十二月。猫はコタツで丸くなるような時期なのだ。

 

 

「忘れ物でもしたのかしら?」

 

 しかし外でスタンバっていた彼女がグラディウスのオプションの如く俺に随伴しはじめたのもあり、こちらがきびすを返そうとするのを阻止される。シット。

 

 

「まあ……そんなところかな」

 

「……」

 

「ふーん」

 

 彼女は俺の発言を訝しみ、その横にいるもう一人、眼鏡の女子高生はというとまだ眠いのか半目で心ここにあらずといった様子だ。けっこう外にいたはずなのに眼鏡の彼女の睡魔は俺より上だということか。

 ちなみに忘れ物など俺はしていないのだが、バレなきゃ嘘ではないのさ。

 

 

「そんなわけないはずよ」

 

 微かなサボタージュ願望を知ってか知らずか彼女は切り返してきた。

 いやはや何を根拠に仰るのかね。

 

 

「あのね、自分でやらないから私が鞄の中の教科書やノート、プリントもだけど、時間割通りになるように入れ替えてあげてるのよ? それでいて忘れ物をするはずがないでしょ」

 

 そういえばそうであった。こんなことも失念するほどに俺も頭が回ってないらしい。

 いつまでも家の前に立ち止まっていては母に何を言われるやら。仕方ない、行くしかないのか、学校へ。

 

 

「……行きますか」

 

「まったく、最初から素直にそう言ってくれればいいのよ。ねえ? 長門さん?」

 

 彼女こと朝倉涼子さんが眼鏡の彼女こと長門有希さんの肩をがしっと掴んで同意を求める。

 長門さんはというと前述の通りすぐにでも眠ってしまいそうな有様だったため、

 

 

「うぇっ!? あ、う、うん」

 

漫画でいえば鼻ちょうちんが割れたようなリアクションである。

 ええい、ここでグダグダしていても寒いものは寒いのだ、さっさと学校へ行こうではないか。

 ようやく歩き出した俺と女子高生二人のご一行。ゆっくり行っても遅刻はしないだろう。

 ほんと、朝倉さんはニワトリの生まれ変わりかというほどに朝から元気だ。どうなってるんだ。

 

 

「早起きの秘訣は慣れの一言に尽きるわね」

 

 はあ。

 さりとて毎朝叩き起こされている俺や、俺と同様の仕打ちを受けているに違いない長門さんが早起きに適応できていないのは何故だろうか。

 

 

「決まってるじゃない、夜更かしが原因だわ。長門さんあなた昨日何時まで起きてたのかしら?」

 

「……二時」

 

「そんなんじゃ早く起きようにも身体がついてきてくれないんですからね。少しずつでいいから寝る時間を早くしなさいな」

 

「は、はい」

 

 廃人一歩手前の生活を送っている長門さんの趣味はゲームだ。携帯機、PC、テレビ、何でもやっている。ヒトは見た目によらないというがここまでゲーマーな女子は珍しいのではなかろうか。

 ところで俺の場合は特別に夜更かしをしているわけではないぞ。ネットサーフィンはライフサイクルに組み込まれているけど毎日二十二時には就寝している、いたって健康的だろうに。

 朝倉さんは何を今更と前置きし、

 

 

「あなたはそもそも早く起きる気がないじゃない」

 

仰る通りだ。

 休日に十二時間以上睡眠するのは最高だね。翌日頭がスッキリする。

 

 

「そのスッキリした頭を有効に使わないから時間の無駄なのよ」

 

 手厳しい。

 客観的に見て俺は羨望の眼差しを受ける立場かもしれない。

 なぜなら美少女二人を侍らせて登校しているからだ。

 しかし勘違いしないでほしいのだが、当の俺は決して手放しでこの状況を受け入れているわけではないぞ。自分にコミュニケーション能力というものが欠如しているということを正しく認識できているからだ。そしてそれを補うための努力をするつもりもない。つまり朝倉さんと長門さんのガールズトークが登校時間のやり取りの約7割を占めており、いったいどうして俺はここにいるのかと考えてしまうわけだ。

 いや、答えは知っている。どうして俺がこの二人と関わっているかといわれれば俺はこの二人と友人なのである。友達どうしの登校など普通だ、ぼっちで登校するのも珍しいことではないが。

 ではなぜコミュニケーション能力に問題ありと自己評価を下しているのに朝倉さんと長門さんの友人になれたのかというと、だ。

 そこんとこだが俺にもようわからん。

 考える必要のないことをわざわざ考えるほど時間を無駄にする主義ではないのだから彼女の言葉に反論したくもなるが、俺が何か言おうとした頃には朝倉さんの説教のターゲットは再び長門さんに戻っていた。まったく、おせっかい焼きにもほどがある。俺の母さんより保護者してるんじゃないのかって気がするね。

 まあ、俺が登校をこの二人とともにしているのは単純に二人が住んでいる家から高校へ向かう道中に我が家があるためだ。寄り道してまで来ているというわけではないのだよ。

 ちなみに全員が同じ高校へ通っている。俺と朝倉さんは一年五組で長門さんは隣のクラス、一年六組。そうそう、今更説明するまでもないが俺は友人が少ないのであしからず。

 

 

「あなたは頭の出来は悪くないのですから、馬鹿な真似をするのはほどほどにしなさい」

 

 これはいつぞや俺の素行を見かねた姉さんがくれた一言になる。

 姉さんの言う事は往々にして正しい。俺だって理解はしている。

 だが、人間の心の在り様というものはそうそう単純にいかないのだ。つまり俺が味わっている苦痛の大部分は学生という身分に起因するのだ。なぜかって考えてもみてほしい、諸君が一度でも学業に打ち込んだないし打ち込まざるを得なかった立場なら理解できよう、こんなのは一生に一度きりで充分なのさ。俺は高校生という身分を確かに一度終えたはずなのだ、が、前述の通りこのアニメの世界でなぜか生きることになり二度目の中学生を経て現在二度目の高校生をやらされている立場だ。本当に何が楽しいのかわからんね。わかりたくもない。

 けれども俺は今、学生であるからして、ガクセーはガクセーらしく義務教育でもないのに高校へ向かうしかない。現実逃避なんてのは逃避できるうちはマシなのさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何故にこんな山の上に学校を建てたのだろうと責任者に小一時間ほど問い詰めたくなるほど、急な坂のぼりを強いられるのが俺たちの通う高校の通学路だ。

 そしてその高校で受ける授業風景、なんてものに俺は一切の価値を見いだせてはいない。座学は殆ど寝ているし体育については疲れない程度の軽運動で全て済ましている。おかげで長距離走のタイムが悲惨なことになっているがこんなもののタイムをいくら縮めようと意味がないということはご存知なのでどうでもいい。

 

 

「いったいオレってなんのために生きてるんだろうな」

 

「……はあ?」

 

 俺の昼休みはクラスメートである男子四人のメンバーで飯を食うのが慣例となっており、教室の一角で机を囲み各々が昼食を食べる。だいたいが持参してきた弁当だ。

 つい先ほどまでは定期考査の内容がボロボロだったという谷口の自虐ネタで盛り上がっていたのだが不意に俺が呟いた一言は教室の天井にそのまま吸い込まれず、向かいに座る野郎に拾われてしまった。

 そいつは悪いものでも食べたのかと言わんばかりの顔色で、

 

 

「お前が相当なネガティヴ野郎だってことは俺も理解してたがここまでこじらせてるとはな」

 

飯が美味くなるとは思えない余計な一言を浴びせてきた。

 なんとでも呼ぶがいいさ、しょせん俺は異邦人でしかない。そんな見解も今となっては間違いなのかとしか思えないほどこの世界で生きるということに慣れてしまったが、これは俺の中だけの問題なのだよ。お前らに何か言ったところで頭がおかしいと思われるだけだろうに。

 さっきは面白おかしく自分の数学Aの点数について語っていた谷口はというと、

 

 

「キョン、こいつがこんなことを言い出すくらいだぜ、何かあったに違いねえ。もうちょっと言葉を選んでやれよ」

 

すっかりマジなトーンである。

 実際には何かあったわけではない。いや、三年以上前にあったといえばあったがその件は封印している。

 

 

「朝倉と喧嘩でもしたか?」

 

 どうしてそこで朝倉さんの名前が出てくるんだろう、谷口は馬鹿なんじゃないのか。まあ実際に馬鹿なんだけど。

 こちとら単純に思ったことを口に出しただけなのに何故こうも煽られなければならないんだ。

 変人扱いをされるのも困るので一応の釈明をするとしよう。

 

 

「オレは目標がないとやる気が出ないタイプなのさ。で、目下模索中だ」

 

「目標ねえ。またずいぶんと抽象的な話じゃないか」

 

 黙っていた国木田まで口を挟んできた。

 

 

「でもゴールの見えないマラソンほどきついものはないだろ。こう何かを達成した時の快感というか、カタルシスに餓えてんのさ、最近」

 

 反応を伺うも俺の持論の賛同者はいないらしい。

 だったらこの話はこれで終わりだ。

 

 

「まあ、こいつはさておいてだな、お前らは決まってんのか?」

 

 話題転換のつもりらしいがなんの話題にしたいかわからない切り出し方をした谷口が他二人に対して訊ねる。こいつというのは俺を指しているようだ。

 俺の向かいに座っている野郎は谷口に訊ね返した。

 

 

「なんの話だ?」

 

「だからな、クリスマスイブの予定だ」

 

 初耳だ。そしてその話題は耳が痛くなる。

 

 

「悪いが俺は決まってるんだな、これがよ」

 

 平素のナンパ戦績がボロボロの谷口はこの時に限っては鬼の首を取ったような笑顔だった。なるほど、だからテストの点数が悪かろうがダメージが少なかったんだな。

 どうぞ勝手にデートでもなんでもしていればよかろう。お前の予定が決まってようが決まってなかろうがこちとらどうでもよいのだから。

 

 

「やっぱ日頃の行いってやつか。俺の今までの努力も無駄じゃなかったのさ」

 

「そうかい、そりゃあよかったな」

 

「お前らにもそのうちいいことあるぜ、多分な」

 

 キョンは谷口の謎自慢を律儀に相手しているが俺と国木田は既に弁当の残りを処理する作業に突入している。

 惰性が慢性化しているいつも通りの時間であり、いつも通りの日常だった。

 ただひとつ問題となるのは俺の知り合いの大半がアニメの登場人物であるという点だ。はっきり言って異常なのだ、何度も言うように。

 この現在進行形で時間を共有している谷口、国木田、キョン、そして朝俺を叩き起こした朝倉さんと彼女の共通の友人である長門さん、全員が【涼宮ハルヒの憂鬱】に登場したキャラクターと瓜二つ。なんなら俺が通っているこの学校がその作品に登場する舞台なのだから。

 もっとも、宇宙人未来人がどうのこうの言っていた涼宮ハルヒそのお方はこの教室に存在していない。本来なら同じ一年五組の教室にいるべきなのだが何故かいない。

 前に一度朝倉さんに君は宇宙人ではないのか――アニメに登場する朝倉涼子なるキャラクターは宇宙人という設定なのである、厳密にはやや異なる――と訊ねたことがあるが、

 

 

「昨日やってた映画の話かしら?」

 

現実には黒服のウィル・スミスもトミー・リー・ジョーンズもいないということを念押しされただけに終わった。確かに地上放映されたメン・イン・ブラックは見たけどさ。

 俺の知る限りではあるが、世界に宇宙人はいない。そして俺という存在がアニメで描かれるような運命と交差することもない。この時はまだそう考えていた。

 なんともまあ、情けない話だ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue2

 

 

 何を隠そう俺は学校のクラブ活動に所属している。

 とはいえ運動系ではなく文化系の、それも文芸部である。SOS団なる悪の秘密結社ではないから安心してくれ。

 つまり授業時間が終われば必然的に部室へ向かうのが常だがこの日の俺は部室棟ではなく市内の某スーパーマーケットにいた。

 なぜだろう。

 

 

「はい」

 

 メモ切れ一枚と駄賃を俺に手渡して「じゃあお願いね」と言うや朝倉さんは明後日の方向へ行ってしまった。

 早い話が彼女の買い出しの手伝いである。今日は特売日なのだ。

 朝倉さんは高校一年生ながらも一人暮らしをしており荷物運びといった力仕事を俺が手伝うようになってから久しい。いわゆる家庭の事情ってヤツだが何も悪いことが原因ではなく、親父さんの仕事の都合上長期の海外出張が多いのだ。家族仲は良好である。

 まあ暇人オブ暇人の俺がどう時間を使おうが俺の自由だろう。文芸部の活動内容などあってないようなもので、であれば人様のためになるようなことをした方が気持ちがいいのである。彼女の買い出しの手伝いをすることに他意はないぞ。

 ちなみに俺の担当は調味料や麦茶の茶葉といったものであり野菜等の食材ではない、それは朝倉さんの担当なのだ。なぜなら俺は食材の目利きができないからな。

 かくして必然的に朝倉さんより早くレジに向かい俺は俺で会計を済ませてしまうことになる。レジ袋片手にスーパーの外で待機だ。

 

 

「……クリスマスイブ、ねえ」

 

 昼間にあんな話題をふられたおかげで柄にもないことを考えてしまう。

 べつに今年に限った話ではない。

 アニメの世界だろうが俺という個人にとっての十二月二十四日はケーキを家族でつつくだけの一日にすぎないのさ、俺がはたしてリア充なのかどうかはさておいてな。

 季節の移り変わりというものはあっと驚くぐらいスピード感があり、もう三年以上が経とうとしている。

 今から三年前の夏のある日の朝、ちょうど今日みたいに俺は見知らぬ青髪の少女に叩き起こされた。それが朝倉涼子その人であった。

 俺が"俺"としての意思を持つ前の俺、つまるところ本来この世界で生きているはずの俺というキャラクターにはどうやら不登校のきらいがあり、朝倉さんが引っ張ってく形で中学を登校させられていた――まあ俺は俺で学校なんて行きたくないとは思ってるわけだ――とか。ブレないな俺。

 この世界での中学時代は『かったるかった』が総括で、もしかしなくても高校時代も同様に終わってしまう。

 仮にそうなったとしても俺は後悔しないだろうさ。ああこれは確信を持って言えるね。

 大事なのは今日という一日に対して"悪くない"と評価できるかどうかであって、後後からぐだぐだ『やっぱり』とか『ああしていれば』なんてぐずるのは女々しくてしょうがない。あまりにもみじめではないか。

 そうさ、人間、考えすぎないくらいがちょうどいいのだから。

 

 

「待たせちゃったわね」

 

 なんてとうの昔に結論が出ている話を頭の中に展開させて時間を潰していると朝倉さんがやって来た。これにて買い出しは了だ。

 大量の戦利品が入っているであろうレジ袋を彼女から受け取ると俺たちはスーパーを後にする。朝倉さんの自宅まで荷物を持つのが俺の仕事よ、ここに対価を求めるほどナンセンスな男じゃあない。

 ところで俺が買わされた調味料および朝倉さんが買ってきた大根や豆腐をはじめとする食材をふまえると今日の晩御飯はおでんらしい。

 

 

「うーん。たまには水炊きが食べたいんだけど」

 

「そうなの? ごめんなさい、じゃあ次に鍋をするときは水炊きにするわね」

 

 彼女の買い出しの手伝いをした夜はお相伴にあずかることが多くこの日もそうであった。

 母さんが作る料理に不満などはないが朝倉さんの料理の実力は凄まじい、そんじょそこらの料理人に負けていないのではなかろうか。ただレパートリーは豊富なのだが朝倉さんはおでんが大好きでありその気になれば年中おでん生活で生きていける人間なのだ。初めて夏に冷やしおでんを出された時の俺の顔がどうなっていたか見てみたいもんだよ。

 外は既に陽が沈みかけている。

 真紅のコートに身を包んだ朝倉さんは手をポケットに仕舞えているが俺は両手がふさがっているため寒い。これくらいの荷物は負担ではないが寒さばかりは強くなれるもんでもないからな。誰だよ、夏より冬の方が好きって言うような奴は。

 と、寒さに耐え忍びながら歩いていると。

 

 

「……あら」

 

 前方を歩く男女二人組の姿が見えた。俺の友人のキョンと長門さんの二人である。

 ちなみに"キョン"なる呼称は単なるあだ名で本名はまったくかすりもしないようなものだが皆がそう呼ぶため俺もキョンと彼のことを呼ぶようにしている。というかあいつを下の名前で呼んでも「ん、ああ、俺か」と反応よくないしな。

 朝倉さんは遠巻きに彼らの後姿を眺めながら、

 

 

「長門さんとキョンくんっていい雰囲気よね」

 

イタズラ少年みたいな笑みを浮かべてそう言う。

 確かにあの二人はアニメの作中において絡みがそれなりにあるから当然っちゃ当然か。

 長門さんは小動物的な魅力を感じさせる美少女なので彼がころっとやられるのも無理はないんじゃないの。おまけに眼鏡タイプだし。

 

 

「あいつが文芸部に入って一週間だけど……長門さんは二割くらい明るくなったんじゃあないかな」

 

「ふふっ。長門さんったらついこの間はキョンくんに入部を断られたらどうしようってあたふたしてたのに、もう忘れちゃったみたい」

 

 そんなもんだろう。

 人間は悩み苦しんだ記憶なんてのは封印したがるものさ。

 

 

「なんだかなー、あの二人を見てると腹が立ってくるのよ」

 

 はい?

 とんでもない発言をした朝倉さんは俺をチラッと横目で見ると、

 

 

「ちょっと意地悪しに行ってくるから」

 

などと言い残し二人に水を差すため俺を残してかけて行った。

 まったく、俺へのあてつけなのだろうかね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局キョンと長門さんも一緒に朝倉さん宅で晩御飯をいただくこととなった。

 まあ鍋モノは大勢で囲むぐらいがちょうどよかろう。俺以外の三人についても文芸部に所属しているため気をつかうような仲でもないし。

 朝倉さんと長門さんは部屋こそ違うものの同じマンションに住んでおりそこは市内でも有数の高級分譲マンションである。

 長門さんも朝倉さん同様に一人暮らしなのだがいずれにしても一人で住むには広すぎるほどの部屋だ、これがぼっちだったら確実に病んでることだろう。

 

 

「ささ、上がってちょうだい」

 

 ガチャリとドアを開錠した朝倉さんの言葉に従い客人である俺たちは505号室にお邪魔した。

 はぁ、やはり室内はあったかい。ようやく一息つけるというものだ。といっても今すぐに荷物を放り投げるわけにはいかず、俺には買い出しの戦利品をしまう仕事がまだ残っている。先んじて居間のテーブルでくつろいでいるキョンと長門さんの二人が恨めしいがあっちは勝手にストロべっているがいいさ。クソが。

 などと心にもないような、でも僅かばかりはやっぱりあるようなことをキッチンの片隅で考えていると、

 

 

「いつも悪いわね」

 

エプロン姿に着替えた朝倉さんから聞いてるこっちが遠慮したくなるような一言が。

 初めて彼女の買い出しに付き合った日がいつなのかは知らない。三年以上も前から俺と彼女は交友関係があるのだとか、いわゆる幼馴染という奴らしい。聞けば俺の親父と朝倉さんのお父さんは仕事の関係で知り合い、何度か飲みに行っているうちにお互いに歳が同じ子供がいるので両家族で海にでも遊びに行こうという話が出たのがきっかけだとか。

 そのコミュ力、ちっとは俺にも分けてくれよ親父。

 

 

「今更気にしなくていいって」

 

「親しき仲にも礼儀ありって言うじゃない」

 

「確かにね。だけど困った時はお互い様だろ、この借しはいつか返してもらえればそれでいいさ」

 

「ふーん。じゃああなたは今何かに困ってるかしら?」

 

 なんですかその質問は。

 というか今なのか。

 

 

「借りを返すなら早い方がいいわ。だって利子がついちゃうから」

 

 さいですか。ならここは朝倉さんのご厚意にすがってもよかろう。今、何に困ってるかねえ。

 買ってきたキャベツを冷蔵庫に突っ込んでから小考。こういう時は自分に正直なことを言うべきだ。

 

 

「手がかじかんで指先の感覚がヘンなんだ、だからお湯を貸してもらう」

 

 黙って洗面所の蛇口をひねってもよかったが人様の家なのでことわりを入れるのが"礼儀"さね。

 しかし俺のお願いはあっさりと一蹴される。

 

 

「水がもったいないから駄目」

 

 せっかく俺たちは先進国に生まれたというのに何故だ。

 というかわざわざ何に困ってるか聞いておいて断るだなんて、露伴先生といい勝負の鬼畜さだぞ。

 はあ、とため息を吐くのをぐっとこらえて別の角度でお願いする。

 

 

「じゃあ余ってるカイロをひとつくれよ」

 

「あのね、もっと省エネでエコな方法があるのよ」

 

 と言った朝倉さんはいきなり近づいてきて俺の両手を取ったかと思うと、次の瞬間には自分の頬に俺の両手を押し付けた。

 おいおい、人間ストーブだとでもいうのか。

 

 

「ど、どう? あったかい?」

 

 ええっとですね。生暖かいといいますか、柔らかいといいますか。というか近いぞ。 

 年単位で顔を突き合わせている仲とはいえこんなパターンは初めてである。データにない行動には対応できん。

 とりあえず視線を朝倉さんから外しつつ生返事をすることに。

 

 

「あー、うん。でも朝倉さんの方は冷たいだろ」

 

 よって俺はこの手をさっさと彼女の頬から放したかったのだがあいにくそうはいかない、俺の手首を支配しているのは朝倉さんの両手なのだ。

 

 

「大丈夫よ。ひんやりしてて気持ちいいぐらいだわ」

 

「……ならよかった」

 

「ええ。私のことは気にしないであなたは手を温めてちょうだい」

 

 冷静に対処しろよ俺。きっと家にカイロが無いから朝倉さんは超法規的措置に出たに違いない、間違いなくそうだ。

 だいたい朝倉さんの大胆かつ不敵な行動は今に始まった話じゃないだろ。そうだろ。中学時代は散々振り回されてきた思い出があるぞ。なんだか悲しくなってきた。

 

 

「もう充分だから手を離したいんだけど」

 

「駄目よ。まだ冷たいじゃない」

 

「後はお湯であったまるから」

 

「だから、そしたら水が無駄になっちゃうでしょ」

 

 これは無駄ではないとおっしゃるのか。なんなんだ。

 よしわかった、いいだろう。じゃあこっちも強硬手段に出ようではないか。 

 俺の反撃は反逆のライトニング・ディスオベイ、ならぬパーになっていた手の形を変えるといういたってシンプルなもので、つまり朝倉さんの頬を揉むことになる。いい感触だな。

 

 

「はうっ!? い、いきなり何するのよ」

 

 猫のほっぺをつまんで広げるのが好きなんだよね俺、猫飼ったことないけど。まあ乙女の柔肌に傷をつけるのは忍びないので彼女にそこまではしない。 

 

 

「このまま突っ立ってるオレの身にもなってくれ。暇でしょうがないんだ」

 

 暇なんかじゃなく落ち着かないのが正直なところだけど。 

 ギロっとこちらを睨んでいる朝倉さんを視界に入れたくはないんだがな、この距離では無視もできないわけで。

 

 

「暇だったら私の顔で遊んでいいっていうの? 今すぐやめなさい」

 

 いいか悪いかでいうと悪いと言われた覚えはないし、やめろと言われてやめてやる道理もなかろう。

 

 

「これも返してもらう借りのひとつってことで」

 

「ぐうっ。覚えてなさいよ、私をコケにした借りは倍にして返してあげるから」

 

 ひょっとすると俺はとんでもないお方に喧嘩を売ってしまったのだろうか。そんなつもりじゃなかったのにさ。

 そして世界はいつだってこんなはずじゃないことばかりだ、とでも誰かが言わんばかりに、

 

 

「おい、すまん喉が渇いちまっ……」

 

キョンがキッチンに立ち入りしてきた。なんというタイミングだろう。

 ここで諸兄姉には客観的に俺と朝倉さんがどう見られるかを考えてみてほしい、シンクの前で野郎が女子の頬をモミモミしているのだ。少なくとも日常的な風景でないことは確かだろ。もっとも俺はキョンの登場を知覚してからすぐに手を動かすのをストップさせたが間違いなく俺は変態野郎だとこいつに思われたことだろう。

 朝倉さんはスッと俺の手を放してキョンに一言。

 

 

「何か、用かしら?」

 

 耳に届くだけで背筋が凍りつくような恐ろしい声のトーンだった。

 俺は素早くバックステップで彼女から距離を空ける。

 キョンも彼女に恐ろしさを感じたのか慌てて返事をした。

 

 

「ん、ああ……ちょっと喉が渇いたからお茶が欲しくなったんだが」

 

「ごめんなさい、そういえばまだお茶を出してなかったわね。あったかいのは後で淹れてあげるからとりあえず冷蔵庫の麦茶を飲んでてくれる。コップは食器棚にあるやつ適当に使っていいから」

 

「そうか、サンキュな」

 

 満場一致で先ほどまでの茶番をなかったことにするつもりらしい。賛成だ。彼女もそうだが俺だってどうかしていたんだ、小学生じゃないんだから。

 朝倉さんはコンロに火をつけ具材を土鍋にドボドボと投入し、キョンはコップを二つ取り出して麦茶を入れる。俺とキョンは何食わぬ顔でキッチンから立ち去ろうとしていた。後はエアコンの温風でも浴びながらおでんが煮えるのを待たせてもらおう。

 

 

「あ、そうそう」

 

 のつもりだったが野郎二人は朝倉さんに呼び止められる。

 そして彼女はポイっと大根を軽く宙に投げると右手に構えた包丁を光の速さで一閃、二閃、三閃、と振るう。朝倉さんが大根に憎しみをぶつけていたということは容易に想像がつく、バラバラにされた大根には気の毒だが。

 

 

「キョンくん、さっき見たことは忘れなさい」

 

「……おう」

 

「いいわね?」

 

「は、はいっ!」

 

 Yes以外の選択肢をとろうものなら次はお前がこの大根のようになるぞと言わんばかりであった。俗に言う『君でも殺すよ』って感じだぜ、昔あれを読んだときは正義のヒーローであるはずの主人公に対して子供心にビビったもんだ――

 

 

「それからあなたには後でお話があるからご飯を食べ終わってもすぐに帰らないでちょうだい」

 

 いや、直近でビビってるのは間違いなく朝倉さんに対してだったな。

 でもって"あなた"というのはどうやら俺のことらしい。頼むからお話(物理)はやめてくれよ、非殺傷設定なんて便利なもんは現実にはないんだからさ。 

 これから小一時間後に朝倉さんお手製のおでんがようやく振る舞われたのだが俺は楽しい夜ご飯の時間にも関わらず生きた心地がしなかった。

 おでんなんてコンビニの以外食ったことねえぜ、などというキョンが一口で手放し絶賛するほどおでんは美味しいはずなのだが俺は何をどれくらい食べたのか覚えていない。獄中飯ってのはこんな気分で味わうものなのかもしれない。笑えねえ。

 見た目によらず大喰らいな長門さんのおかげで鍋の具材とついでに炊飯器の中の米も綺麗さっぱりなくなり俺の夕飯時もとい執行猶予時間は終わってしまう。

 おなか一杯になった長門さんはほくほく笑顔で帰宅していき、キョンは帰り際に、

 

 

「……強く生きろよ」

 

などと俺の肩を叩いてさっさと逃げて行った。薄情すぎやしないか。

 さて、朝倉さんの説教スタイルは激情的にぶつけてくるものではなく、理性的に追い詰めてくるタイプだ。いやらしいよね。

 

 

「私に何か言うことは?」

 

「すみませんでした」

 

 テーブルの横に正座して頭を地につける。これ以上の謝罪があろうか。

 過去の経験上、顔をあげなくてもわかることがある。窺う顔色がないくらいに怒っている時の朝倉さんの表情が怖いってことだ。

 

 

「あなたがなんで謝らなきゃいけないのかわかってるかしら」

 

「悪ふざけが過ぎました……本当に、申し訳ありませんでした……」

 

「だいたいね、あなたはいつも――」

 

 かれこれ三十分以上"俺"という人間の在り方ついて説教をされた。並の人間だったら心折れてるんじゃないかな。まあ、俺は既に心が折れてるから毒にも薬にもならないけど。

 そもそもの発端は朝倉さんが俺の手をあんな方法で温めようとしたことであり、俺が一方的に何かを言われるのはおかしな話なのだが、この時の俺は早く帰ってグッスリ寝たいとしか思っていなかった。

 翌日になってから前日の愚行を後悔したのと、朝倉さんの顔を思い出して恥ずかしくなったのは内緒である。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue3

 

 さて、どこから説明したものか。

 まず最初になんで十二月二十四日にクリスマスパーティを、しかも学校の文芸部部室でやることになったかという話から始めようか。

 俺が朝倉さんの顔をもみもみした翌日の部活でのことになる。

 この学校はもう冬休み直前だというのに何をトチ狂ったのか今日という日まで短縮授業ではなく通常の時間割で授業が進められていたのだ。一説にはライバル校に模試の成績で負けたことを知った校長が当校生徒の学力向上を図るために今週頭から入るはずだった短縮授業を木曜日まで遅らせたとか、いい迷惑である。

 かくして本日の文芸部は昼から営業している。帰宅部の連中は帰って飯にありついていることだろう、なので谷口と国木田を交えたランチタイムじゃなかったというわけだ。

 いや、実は国木田も文芸部のメンバーなのだが彼はこの部の存続のために名前だけ貸してもらったいわゆる幽霊部員で、彼がここに来ることはない。

 それはさておき弁当や学食で各自適当に昼を済ませた午後一時過ぎ、長門さんが突然こんなことを言い出した。

 

 

「その……部室でクリスマスパーティをやろうと思ってるんだけど」

 

「いや無理だろ」

 

「常識的に考えてダメに決まってるでしょう」

 

 長門さんは体裁上は部長というポジションにも関わらずモラルもへったくれもないトンデモ発言をしでかしたがキョンと朝倉さんにあっさり切り捨てられた。かくいう俺も部室でパーティなんか駄目だと思う、大学生じゃないんだから。

 いくら俺たちが文芸部とは呼べないくらい適当な部活動をしている――長門さんは読書ではなく部室ではもっぱら携帯ゲーム機で遊んでいるのだ、対有機生命ナントカの宇宙人な長門有希に見せてやりたい――とはいえ部室パーティがまかり通るようでは秩序が崩壊する。荒野のウェスタンだ。

 まして二十四日は今学期の終業式であるため基本的に生徒は即時下校が原則だしクラブ活動でいるにしても午後五時前が限界というもの。

 クリスマスパーティをやるにしても部室じゃなく長門さんか朝倉さんの家でやればいいだろう、その方が時間を気にしなくていいし。

 

 

「でも、文芸部が潰れないで今も残ってるのはあなたたちのおかげ……わたしにとってこの部室は大切な場所で、だから、ここでみんなと一緒にお祝いがしたいの」

 

 なんというかアツくなる台詞だ。こりゃインターネッツ上で『長門は俺の嫁』とか恥ずかしげもなくぬかしてた連中の気持ちがちょっとぐらい理解できるぜ。

 

 

「……あなた今何か変なことを考えていなかったかしら?」

 

 もちろん俺はそんなことを考えてなどはいないが、っていうか朝倉さん君はエスパーなのか、養豚場の豚を憐れむような目で彼女に見られた。もしくは顔に出やすいタイプなのか俺。基本仏頂面にしてるつもりなんだがね。

 そんなこんなでクリスマスパーティをやろうという話になったがいくら長門さんがやりたいとは言っても部室は無理な気がする。

 といっても【涼宮ハルヒの憂鬱】の続きの話である【涼宮ハルヒの消失】劇中では実際にクリスマスパーティが行われていたんだよな、部室の内装をクリスマス仕様にする程度なら大目に見てもらえるだろうが、パーティとはすなわち宴会であり好き勝手飲み食いするのがメインだ。やってやれるものなのだろうか、創作物と現実とでは状況がかなり違う。

 

 

「学校側から正式な許可をもらえれば、まあ、部室を使っても大丈夫だとは思うわ」

 

 朝倉さんが言うにはそうらしい。

 おそらくこの中で生徒手帳なるものに記載されている内容を熟読したことがあるのは彼女だけだろう。その彼女が言うのだから可能かどうかという点では問題ない。

 問題なのは。

 

 

「で、誰が誰にその正式な許可とやらを貰いに行けばいいんだ?」

 

 まさか教頭や校長相手に殴り込みに行くわけにもいかない。

 キョンがこんなことを口にするのには理由があって、実はこの文芸部に顧問の先生などいないからだ。

 いや、書類上は顧問という扱いになっているが実際にあの人がここに来ることはない。国木田の件も含め文芸部はとんだハリボテ部だ。

 そもそもこの集まりが部として結成したのは今月に入ってからなのだ。それまでは俺と長門さんが不法に占拠しているような状態であり、部としての実態がなかったため今月で廃部になるところだったという有様。だからこそ長門さんがこの部室にこだわってるところがあるんだろうけど、そこらへんの話は今は置いておくとしよう。

 言い出しっぺの法則ってのもあるし、こんな無茶を頼みに行くのは一同を代表して部長である長門さんが行くべき。だが。

 

 

「……オレが行くしかないんだろ」

 

 不本意ながらあの人のとこまでな。ネゴシエートはあんまり得意じゃないんだがね、俺。

 そう言ってパイプ椅子から腰を上げた俺を見てキョンは不思議そうな顔をする。

 

 

「あん? どうしてお前なんだ」

 

「キョンくん、ここは彼に任せましょ。長門さんもそれでいいわよね」

 

 こういうやり方は俺が最も嫌いとする方法なのだが長門さんが教師の前まで出向いたところでNOを突きつけられるのは火を見るより明らかなわけで、となれば背に腹はかえられず朝倉さんが言うように俺に任せてもらうしかないのだ。俺にはアテがある。

 んじゃ早速行くとしますかね。下校時間よりは早く戻れるように善処する旨を述べて部室を後にし、数分後にはなるべくなら入らないでおきたい職員室なる闇黒空間に俺は踏み入ってしまった。

 授業時間が終わってから一時間以上経過していることもあり、目的の人物は所定のデスクで作業をしていた。いなかったら廊下で待たなくちゃいけないからな、とにもかくにも面倒だ。

 早足で職員室を突き進みデスクの一角で足を止めて声をかける。

 

 

「森先生、すいませんが少々お時間よろしいでしょうか」

 

 その人物とは森園生という若い女性の体育教師であり書類上文芸部の顧問をしているお方である。

 森先生はこちらを見て二足歩行するレッサーパンダでも見たかのような顔になり、

 

 

「あなたがここに来るなんて珍しいですね」

 

嫌味ったらしくこう述べた。

 見ればわかるだろ、俺だって来たくてこんなとこ来てねえのに。

 だいたい一日の在校生による職員室入場者数に俺がカウントされることが気に食わない、関わらない教職員に顔を覚えられるの嫌なんだよ。しかもついこの間だって俺は文芸部廃部に関わるゴタゴタの件でこの人のところまで出向いているのだから森先生の台詞には『またか』といった意味合いがきっと込められているのだろう。

 職員室内の教職員がまばらだということもあって単刀直入にこの場で俺は要件を述べることにした。

 

 

「正気とは思えませんね」

 

 クリスマスパーティをやるから十二月二十四日は夜まで部室を使用していいという許可が出るよう根回しをしてほしい、こんなことを言われたら誰だって『正気か』と思うし俺だってそう思うし森先生だってそう思ったようだ。

 

 

「とんだ不良少年ですよ、お母さんが泣きます」

 

「オレがいないぶん晩御飯の手間がかからないって喜ぶような人だから心配はいりませんよ」

 

「そういう問題じゃありませんが」

 

 わかってるが仕方ないだろ。

 ああ見えて長門さんは頑固だしキョンは人の意見に流されやすいし朝倉さんも長門さんには甘い――俺には厳しい――から結局俺が賛同しないわけにもいかないのさ。多数決の痛いところだ。

 

 

「本当にそれが理由ですか?」

 

 なんの話だ。

 しばらく俺が無言でいると森先生はふっと鼻で笑い。

 

 

「変わりましたね……あなたがこんな馬鹿なことをしたいって言い出すなんて、ちょっと驚きです」

 

「そうですかね」

 

「悪い傾向じゃないだけよしとしましょうか」

 

 私用で部室を使うのは悪くないとでも言うのかね。

 自分がいい傾向にあるのかどうかは俺が決めることだと思うんだが。

 

 

「文芸部としてしっかり活動をするってことなら話は通せるかもしれません」

 

 森先生は俺たちに協力的らしく、前向きな対応をしてくれるみたいだ。

 きちんとした言い訳つまり大義名分があれば部室の使用許可も出ようがあるということか。

 

 

「どんな活動ですか」

 

「たとえば年明けにでも文芸部の機関誌を発行するから、そのために夜まで残ってる、とか。ようはクラブ活動の範疇でやっていればいいんです。クリスマスパーティはそのついでということで」

 

 それを言い訳として使っちゃったら本当に出さなきゃいけないやつだろ。

 っていうか機関誌ってなんだ。

 

 

「知らないんですか? 文芸部の部員なのに?」

 

「あれが単なる道楽集団だってことは先生だって知ってるじゃないですか」

 

「かもしれませんがあなたが文芸部の部員なのには変わりませんよ。読んで字の如し、文芸部は文で一芸をするための集まりでしょう」

 

 朝倉さんとは違うタイプだけどこの人も充分口うるさい。

 だから来たくなかったんだよ。

 

 

「当校の歴代文芸部は最低でも年に一回、機関誌を発行していました。今年度でその歴史も終わりかと思われましたが」

 

 廃部にならずしっかり存在してるからにはやることやれってか。

 ちくしょう、イピカイエ。聞いてないぞそんなの。

 

 

「オレはそんなことがしたいから文芸部に入ったんじゃあないんですがね」

 

「べつにしなくてもいいですよ。ただ、そしたら二十四日に部室を使用する建前もなくなりますが」

 

 どうしてだよ。

 やれやれですね、と前置きしてから森先生はその理由を述べた。

 

 

「文芸部はつい最近まで存在を認められていませんでしたからね。あなたと長門さんが文芸部の部員だということは知れ渡っていますが、あそこで毎日何をしていたのかも私たちの間では公然の秘密となっています。まったく、時間の浪費とはこのことじゃないでしょうかね」

 

「……つまり?」

 

「今まであなたたちがやってきたことは文芸部の活動として認められていないのですから、単に『クラブ活動をする』という理由だけで許可は出ないということです」

 

 だろうな。 

 毎日部室でゲームしてる女子と昼寝してる男子のどこが文芸部なのか、俺でもわからんよ。今になってようやく読書を活動として取り入れてはいるが、今日に至るまで俺と長門さんの二人だけの部活のままだったら相変わらず時間という有限のリソースをドブに投げ込むような文芸部ライフを送っているだろうさ。

 機関誌を作る。その目標のために生徒が一致団結するのであれば教師も甘くなるというものか。ずいぶんとご立派な大義名分だがいかんせん本当に作るとなれば面倒だぞ。

 

 

「他にいい方法を考えてくれませんか」

 

「私の仕事じゃありませんよ」

 

 あんた顧問失格だぜ。なりたくてなったわけでもないだろうがよ。

 まあいい、このまま二十四日に不法に部室を使って停学喰らうよりはよっぽどマシだ。後であいつらには嫌な顔されるかもだが赤信号なら皆で渡れば怖くないだろ。俺一人なら機関誌作りなんて絶対やらん。

 

 

「わかりました。じゃあその方向で話を進めておいてください」

 

「感謝してくださいよ」

 

「ありがとうございます、"森"先生」

 

 むしろ恨み言のひとつでも言ってやりたいぐらいだ。

 森先生から明日の午後にもう一度ここに来るよう指示をされ、用件が済んだので俺はすぐに職員室から出ていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 で、部室に戻って顛末を語ったところ意外にも一同から否定的な反応はなかった。

 

 

「せっかくのクラブ活動なんだしそれらしいこともしなくちゃいけないわ。そうですよね? 長門さん」

 

「うん。このままだとわたしたち、全国の文芸部に失礼だから……」

 

 女性陣からの異論はなし。

 しかし長門さん、君の発言は今更すぎる気もするし何より俺たちが先にやろうとしているのは機関誌の制作ではなくクリスマスパーティのことだから失礼なのには変わりないと思うんだ。

 野郎のキョンはというと神妙な面持ちで、

 

 

「部室が使えそうなのはよかったが文芸部の機関誌っていったら自作の小説とか書くんだろ。俺、自信ないぜ」

 

「私だって自分に文章力があるわけじゃないけど、まあ、なんとかなるでしょ」

 

 正しくはなるようになる、といったところかね。

 森先生に任せておけば部室の件は十中八九大丈夫で、万が一ここでのパーティが駄目だってなれば機関誌も作らなけりゃいいだけの話だからね。

 どうやらこの中で機関誌に一番抵抗感があるのは俺らしい。自作小説どころか作文だって原稿用紙を破りたくなるような人間なんだよ俺は。

 

 

「とりあえず機関誌のことは置いておくとして、だ。二十四日は来週の火曜だぜ。さっさと準備しないといけないんじゃないのか」

 

「ケーキの心配はいらないわ。クリスマス用に6号のやつを予約してあるから」

 

 と述べる朝倉さん。

 6号といったらそれなりのサイズじゃないか、四人で食べたとしても余るはずだな。女子は甘いもの好きだし朝倉さんだって例外ではない。残ったケーキの処理は彼女の方でやるのだろう。

 だから体重がだな――

 

 

「私に言いたいことがあるみたいね」

 

 気づかぬうちに背後に回り込んでいた朝倉さんに後頭部をがしっと掴まれた。この人本当に人間なのか、やっぱり実は宇宙人だったりするのか。下手なことを口にすると頭がザクロのようにぐしゃっとやられかねない。

 ははは、君にあえて言いたいことなんてひとつもないさ。

 

 

「パーティにはターキーが必要」

 

 唐突にそんなことを言ったのは長門さんである。クリスマスパーティの件といい今日の彼女は突拍子もないことばかりだ。

 朝倉さんも思わず俺の後頭部から手を放してしまったようだ、危ないところだったぜ。

 

 

「ターキーって長門さん、そんなもの近所では売ってませんよ?」

 

 昨日行ったようなスーパーに行ってもせいぜい若鳥の半身揚げが割高な値段で置かれているだけだろう。

 長門さんの求めるターキー像は丸々とした一匹分のヤツに違いない、アニメとかでよく見るあれだ。確かにどうせやるなら普段口にしないような料理だって食べたい。美味しいものを食べることだけが生きがいみたいなもんだしな、俺。

 スーパーに置いてないなら商店街の肉屋はどうだろうか。

 

 

「あるかは怪しいわね」

 

「なかったらちょっと遠出になるが街まで行けばいいだろ」

 

 キョンに賛成だな。

 街には大型のデパートやショッピングモールが多く並んでいるためクリスマス商戦の渦中である今、シチメンチョウの都合はつくだろう。デパ地下はちょっとしたダンジョンだし。 

 

 

「うーん、ターキーっていくらぐらいするのかしら」

 

 シチメンチョウの金額なんぞ皆目見当がつかない。

 とりあえず今週の土曜はクリスマスパーティのためのショッピングということになった。クリスマスのパーティグッズだって買わなきゃいけないだろうしね。

 この日の活動は昼からやっていたので早めに切り上げ、チャイムにあわせた午後三時過ぎの下校である。

 

 

「それで、園生さんの反応はどうだったの?」

 

 登校時は面倒な坂道も下校時はスイスイとくだっていけるのだが、朝倉さんの一言により俺の気分は一気に急転直下してしまう。

 あの人の事を話題にしないでくれよな。

 

 

「べつに……いつも通りさ」

 

「その反応からして、園生さんに気に入らないことでも言われたみたいね」

 

 よくわかってるじゃあないか。

 俺をいじめて楽しいのかいたずら小僧みたいな顔をしやがって。

 

 

「そうさ、だから明日は君が森先生のとこまで行ってくれよな。部室使用許諾書をわざわざ出してくれるんだとさ」

 

「はいはい。わかったから拗ねないでちょうだい」

 

 拗ねてるって、そんなに機嫌が悪く見えるのか俺。

 キョンに訊ねてみた。

 

 

「お前は年中機嫌悪く見えるからな」

 

 彼の余計な言葉により長門さんにはクスクスと笑われてしまう。

 うるせえよ、ならお前は年中根暗野郎じゃねえか。

 

 

「そうでもないわよキョンくん。この人は単に子供っぽいだけなの」

 

「確かにな」

 

「うまくコントロールしてあげる必要があるのよ」

 

 まるで保護者みたいな発言だな朝倉さんや。

 俺はこんな些細なことで怒ったりはしないが、気分が害されたのは事実である。仮に俺の手に散弾銃があれば辺り構わずに撃ちまくってるだろうよ。

 こちらの不機嫌なオーラを察知した朝倉さんが打ったのはまさしく神の一手であり、俺の気分もたちまち良くなるような提案だった。

  

 

「じゃあ、今日はあなたが好きな"あれ"を作ってあげるから帰りにうちに寄ってきなさい。そしたら機嫌を直してくれるわよね?」

 

 なんだと。

 衝撃の一言に俺の足が立ち止まる。

 あれってのはもしかしなくてもあれか。

 

 

「もちろん怪獣ドーナツよ」

 

「か、怪獣……?」

 

「……ドーナツ」

 

 キョンと長門さんは知らないらしいがわざわざ説明してやる必要もなかった。

 朝倉さんが作る怪獣ドーナツは宇宙一のおやつだ、それ以上は存在しないしそれ以下にはならない。 

 勝ち誇ったように口の両端をつり上げて朝倉さんは俺に聞いてきた。一々わざとらしい。

 

 

「で? どうするのかしら」

 

 もちろん行かせていただきますとも。

 これを断るような馬鹿は何をやっても駄目だ。

 

 

「完全に餌付けされてやがる」

 

「ドーナツ……おいしそう」

 

「長門、お前がドーナツを食いたい気持ちはわかるが今日のところは我慢してやれ。朝倉はあいつに散々苦労してるんだからな」

 

「うぅ……ドーナツ」

 

「コンビニのでよけりゃ俺がおごってやるから、な」

 

「……うん」

 

 外野が何か話しているような気がしたが俺の頭にはブラックのコーヒーをすすりながら甘ったるい怪獣ドーナツを口に頬張るという至福のひとときのことでいっぱいだった。

 朝倉さんの家では怪獣ドーナツを食べた以外に何もなかったのでそのくだりは割愛させてもらうが、まあ、いつも思う事だけどこんな人が何故俺の幼馴染なんだろうな。 

 そして翌日、無事に森先生経由で学校側から二十四日の部室使用許可が出たことをここに補足しておく。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue4

 

 

 文芸部による暴挙もといクリスマスパーティの開催が決定した週の土曜、買い出しのために昼前ぐらいから駅前で集合する予定になっていた。

 俺はのびのびと午前中を自分の部屋で過ごしてから時間ギリギリに行くつもりだったのだが、十時ちょっとに朝倉さんが家までやってきたため予定より大幅に早く外出することに。既に起きていたため平日のように叩き起こされはしなかったがもう少しのんびり家の空気を味わっていたかったので決して気分のいいものではなかった。

 休日に若い男女が並んで歩く、聞こえだけはいい。もっとも今歩いているのは家以外に何もないような住宅街であり市街地へはこれから向かう。

 

 

「わざわざオレの家まで来なくてもよかったのに」

 

 俺の発言にはご足労いただきありがた迷惑だといった意味合いがあり聞き手である朝倉さんにもその点はしっかり伝わったようだ。

 馬鹿なことを言わないで、と呆れた様子で、

 

 

「一日中寝るのが好きだなんて言ってる人のことを私が信用できると思うのかしら。寝落ちされたら待つ方は困るのよ」

 

 はいはいそうですか。

 普段なら彼女が言ったような展開をよしとしている俺なのだが今回ばかりは違った。

 思い返せば仲のいい友人数人によるクリスマスパーティなど経験がないからな。何か特別なことをやるわけではないだろうが思い出づくりとしては申し分がない。うん、クリスマスパーティは俺的にポイント高い。つまり徐々にではあるが俺のテンションも上がってきてるのさ。

 だからだろうか、普段なら出ないような言葉も口から自然と出てきてしまう。

 

 

「そりゃオレだって真人間っていいなって思うさ。でもな、真面目で正しくあろうなんてのは結果が伴わなきゃ意味ねーの」

 

「ずいぶんと達観してるのね」

 

 経験者は語るってヤツさ。

 だからこそ朝倉さんはスゴイと思うわけだ。文武両道を地で行く上に自分からクラス委員長やりたがるような真面目スタイルで、それでいて誰が相手でも愛想よくしてるんだから彼女こそ紛うことなき真人間だ。

 

 

「褒めても何も出ないわよ。それに、そう思うならちょっとは私を見習いなさい」

 

「……気が向いたらってことで」

 

 本当は生きる気力なんてさらさらないような、空元気だけで生きている今の自分が相当に嫌いだ。

 もしここが【機動戦士ガンダム】の世界だったら迷わずコア・ファイターで特攻するぜ。ジオンサイドならヅダに乗ってみたいけどな。

 いずれにしても生きる意味が後からついてくるなんて考え方はできそうにないな。よって考えるのをやめているのが俺なのさ。

 目的地までは住宅街を抜けて県道に沿ってのんびり歩くこと三十分弱で到着したが長門さんもキョンも集合場所である駅前の広場にはいなかった。当然だ、まだ指定された時間まで小一時間ほどあるのだから。

 こういう時はカフェで優雅に時間を潰すと相場が決まっている。よほどの田舎じゃない限り駅から近くにカフェがあるもので、この北口駅付近に関しても例外ではない。

 何度も足を運んでいるこの個人経営のカフェは特別にコーヒーが美味しいわけでもないのだが俺は某有名チェーン店に行くのがあまり好きでもないのでこういうところの方が落ち着くのだ。あそこには季節限定のメニューを飲みに行く時ぐらいしか行かない。

 土曜ということもあって店内にはまばらに人がいた。スーツを着たおっさんやおじいさん、ノマドワーカーなのか知らんがノートパソコンを広げて作業している三十代手前らしき私服の男性、親子で買い物だろうかおばさんとその娘と見受けられる二十代ぐらいの女性、他にもママ友達っぽい主婦二人組、エトセトラ。

 適当に空いていた卓に座り、着ていたコートを脱いで横の席に置く。この日の朝倉さんが着ていた上着はいつも学校の登下校に着ている真紅のコートではなくベージュのコートである。インナーは厚手のシャツ。

 俺みたいに上着なんぞ一張羅でいい、ということはなく朝倉さんはオシャレに気を遣うタイプのお方だ。きっと親の教育がいいんだろう。我が家の例を考えれば姉さんも自分が着る服をそこまで気にしないような人だしな。生まれが違うとはまさにこのことだぞ。

 カフェの暖房は外の寒さをすぐに忘れられるくらいには機能していた。よきかなよきかな。

 

 

「ご注文はいかがなさいますか」

 

 素早く二人分のおしぼりとお冷を持ってきたウェイトレスは若い女性で、ひょっとすると俺たちと同じくらいの年齢かもしれない。っていうか間違いない、一方的にではあるが俺この人知ってるし。

 彼女にとってアルバイト先であるこのカフェの時給がいいのかどうかは疑問だがウェイトレスのユニフォームは素晴らしいな、みんな同じエプロンつけてることぐらいしか特徴がないあの店とは大違いだぜ。

 なんてことを考えつつメニュー表をひっくり返して眺めていたが俺のオーダーは常に同じだ。

 

 

「ホットコーヒーひとつ」

 

「私は紅茶で」

 

「ホットコーヒーひとつと紅茶ひとつですね、かしこまりました」

 

 すたすたとウェイトレスは立ち去ってく。

 俺がその姿を眼で追っていると向かい側に座っている朝倉さんがつんつんと俺のてのひらを指でつつき、

 

 

「あの人、北高の生徒よね」   

 

「知ってる人なのか」

 

 まさか宇宙人仲間とか言い出すんじゃないだろうな。

 俺が馬鹿なことを考えていると知らない彼女は淡白な物言いで疑問に答えてくれた。

 

 

「確か生徒会で書記やってる二年生よ。話したことはないけど」

 

 んな連中のツラをいちいち覚えてやるぐらい彼女の脳細胞には余裕があるらしい。羨ましい限りだ、ちっとばっかわけてほしいもんだぜ。 

 とは口に出さず「そっか」と返してからしばらく黙っていると、目を細めて俺の後方をちらっと見やってから朝倉さんが口を開いた。

 

 

「ふーん……ちょっと意外だったな」

 

「何が意外だって?」

 

 あの黄緑色の髪をした生徒会の書記さんがここで働いていたことについてだろうか。

 そういや聞いたことがあるな、うちの生徒会役員どもは原則としてアルバイト禁止だとかなんとかって。

 生徒会に入るような奴がそのルールを破ることが朝倉さんは意外だと思ったのかね。でもまあルールなんて破られるのが世の常じゃないか。

 

 

「なんでもないわ、ただのひとりごとよ」

 

 のわりには何か言いたそうな様子であったが追及は避けることにしよう。藪蛇になりかねん。

 それからものの数分と経たずウェイトレスにより注文したものがテーブルに届けられ、

 

 

「ごゆっくりどうぞ」

 

 などという定型句とともに伝票を置いてウェイトレスはまた引っ込んでいった。

 こちとらゆっくりするためだけに来たのだから言われずともそうさせてもらうし、かといって飯屋で同じフレーズを聞くと妙に癪に障るんだよ。俺にはあれが皮肉にしか聞こえないんでね。

 とりあえずといった感じで俺と朝倉さんは届けられたそれぞれのカップに口をつけて一口ほどすする。コーヒーの味はまあ普通だ、っていうかマズいコーヒーとなんてめったに出会わないだろうよ。昔飲んだたんぽぽコーヒーはすぐに飲むのを中断するほどだったが、っていうかあれコーヒー豆とは関係ないからコーヒーじゃないし。

 今更彼女と特別に語るような話題など持ち合わせていない俺だが一人端っこでコーヒーをちびちび飲んで時間を潰すよりはそんな時間を共有する相手がいる方が気が楽だからな。

 予定の待ち合わせ時間が近くになるまであっという間のひとときであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 月並みではあるがあえて言わせてほしい、どうしてこうなった。

 遡ること三十分前。つがなく駅前にてキョンと長門さんの二人と合流した俺たちは駅からちょっと歩いたとこにある商店街にターキーを求めたが想定通りにそんなものは精肉店に置いていなかった。

 

 

「やっぱりなかったか」

 

「手羽先はあったんだけどね、さすがにターキーは扱ってないみたい」 

 

 精肉店で購入したものが入っているビニール袋を片手に首尾が悪かった旨を語る朝倉さんとそれが当然の結果だという反応のキョン。ちなみにこいつも俺と同様に学校で着ているのと同じコートを羽織っている。

 そりゃファッションに興味がなけりゃ野郎が金かけるものなんて服や靴じゃなくてゲームとか目に見えた娯楽だしな、俺もどちらかと言うまでもなくそのクチだ。ではキョンは何に金を使ってるのやら。

 

 

「……」

 

 是が非でもターキーを食べたいタートルネック姿の長門さんはというと朝倉さんからもらった精肉店のメンチカツをおやつがわりにもちゃもちゃ食べている。お昼ご飯前にそんなものを食べるなんて本当に食いしん坊さんだな、彼女の小動物的可愛さも相まってまるでリスみたいだ。

 やはり駅まで戻って私鉄に乗って街に行くとしようか、肉屋のおっちゃんも大手のスーパーマーケットならターキーが置いているんじゃないかと言ってたらしいしな、そう思った矢先だ。

 

 

「おやーっ? そこにいるのはキョンくん、キョンくんじゃないか」

 

 俺は【おジャ魔女どれみ】ではあいこちゃん派だったからこの声の持ち主が誰なのかすぐに察しがついた。

 振り返ると後ろには文芸部以外の女子が二人もいたではないか。そのうちの一人、コートを着込んだ緑の長髪の女性こと鶴屋さんこそがキョンに声をかけた人物なのである。

 彼女に弱みでも握られているのかキョンは慌てた様子で、

 

 

「つっ、つつ鶴屋さん!? どうしてあっあなたがここにいらっしゃるんで……しょうか」

 

「なんだいその反応は。あたしが商店街に来ちゃ駄目だっていうのかいっ?」

 

「いいえわたくしはですねそんなつもりでは」

 

「ほーん、なるほど。この間の眼鏡っ娘と、他には委員長っぽい娘とトッポイ少年か。休日にダブルデートだなんていいご身分だねーキョンくんはさー、一人身のあたしにゃ眩しすぎるくらいだ。でもそんなんじゃあみくるファンクラブ会員の名が泣いてしまうよっ」

 

 何やらこのお方は俺たちのことをリア充サークルとでも勘違いしているようだ。トッポイだなんて言われたの初めてだぜ俺。

 そして彼女の横にいるセーター服の女性こそが俺たちが通っている北高のマドンナとされている美女、朝比奈みくるさんでありキョンは朝比奈さんのファンクラブに入会しているらしい。

 

 

「おいてめえ、そりゃ誤解だっつってんだろ」

 

 朝比奈みくるファンクラブ通称朝比奈FCの一員であることをかたくなに否定するキョンであったが、

 

 

「そうそう、キミにはまだ会員カードを渡してなかったね。ほれっ」

 

 鶴屋さんが彼に手渡したカードにはしっかり『みくるファン倶楽部"キョン"』と顔写真つきで書かれている。ちなみに彼の会員番号は119番だそうだ。

 朝比奈さんは本人よりも驚いた様子で、

 

 

「いつの間にキョンくんの写真を撮ってたんですか!?」

 

「ふふん、あたしには優秀な手下がいるのさみくる」

 

 ドヤ顔で語る鶴屋さんだがおおかた谷口あたりが携帯のカメラで隠し撮りしたんだろうな、カードに張り付けられている写真は背景から察するに教室の中で撮られたみたいだし、それに谷口も朝比奈さんのファンだ。  

 突然の来訪者を外宇宙からの使者でも来たかのような目で見る朝倉さんは小声で、

 

 

「噂には聞いてたけど朝比奈さんって相当なのね」

 

「いや鶴屋さんがぶっ飛んでるだけだと思うよ」

 

 こうして相対したのは初めてだが鶴屋さんはアニメで見た以上のおてんば娘といった感じだ。

 キョンが女子に囲まれてわたわたしているのを見ていて楽しいと思うわけがない俺だが、俺よりもそれを不愉快に思う人物がこの場にはいた。

 

 

「やめてくださいっ!」

 

 スッとキョンの前に躍り出て鶴屋さんの精神攻撃をシャットアウトせんとするのは先ほどまでやや空気と化していた長門さんである。

 新しいおもちゃが来たといった感じの悪人じみた顔で鶴屋さんは当然のように長門さんを煽り始めた。

 

 

「なんだい急に出てきて眼鏡っ娘。うちの会員をたぶらかして、その上で意見しようってのかいっ?」

 

「その……キョンくんも嫌がってるようだから……」

 

「ははっ、まるであたしが悪者みたいな言い方してくれるね」

 

 外野の俺に朝比奈さんが申し訳なさそうな顔を向けている。

 悪者かはさておきプロレスのヒール的立場なのは確かですよ鶴屋さん。

 その後キョンに対し朝比奈FCの会員規約――そんなものあったなんて驚きだ。きっと鶴屋さんが決めたんだろう。ちなみに退会に関する規約が耳に入ってこなかったように思えるんだけどその集まりはいつまで続くのやら。いや、規約とは名ばかりの俺ルールちっくな代物なのは重々承知している。中には朝比奈みくるに足を向けて寝ないこと、とかあったし――をつらつらと数分間にわたり述べてから鶴屋さんは満足したような顔で、

 

 

「さぁて、茶番はここまででいいかなっ」

 

 自覚があったようで何よりだ。

 鶴屋さんはビシッと効果音が出るような勢いで右手の人差し指をキョンに向け、

 

 

「話は聞かせてもらったよっ! 何やらターキーが欲しいみたいだねー。キミたちさえよけりゃうちの方で用意してあげてもいいけど」

 

「そりゃ本当ですか?」

 

「もちのロンだよ。なぁに、あたしとキョンくんの仲じゃないか」

 

「ええっと……ありがとうございます」

 

「いいっていいって、気にしない気にしない」

 

 ワハハと笑いながらキョンの背中をバシバシ叩く鶴屋さんから漂う大物オーラは平民のそれではなく、これこそが真の生まれの違いってヤツなんだろうな。何を隠そう鶴屋さんはお金持ちのバリバリのお嬢様だからパーティの食材なんざ有り余るほど用意しているはずで、だからターキーのひとつやふたつ簡単に提供できるというわけだ。

 なんともまあ思わぬ形でターキー問題解決のきざしが見えたではないか。

 やや鶴屋さんを快く思っていなかった長門さんも物欲には勝てないのかターキーと聞いてから顔をほころばせている。きっと彼女は鶴屋さんのことをああ見えて優しい人なんだと思っているに違いない。

 とにもかくにも全てが円満に行こうとする、そんな時であった。

 

 

「――甘い、甘いすぎるわキョンくん!!」

 

 突如として声を荒げたのは朝倉さんだ。

 

 

「これは罠よ。ターキーをエサにとんでもない見返りを要求してくるにきまってる」

 

 キリっとした面持ちでそう述べた朝倉さんからは『おやつ買ってあげるからついておいで』みたいなありきたりな児童誘拐を啓発する保護者の雰囲気が漂っている。

 "罠"ねえ。テロリスト集団ガンダムのエンディングテーマかよ。

 長門さんは朝倉さんの発言によりハッとした表情になったがキョンは冷静に突っ込みを入れてくれた。

 

 

「何言ってんだ朝倉。そんな言い方して、鶴屋さんに失礼だろ」 

 

「あのねキョンくん。あなたが優しい人なのはよく知ってるけど、甘いのはいただけないわね。世の中タダより高いものはないのよ?」 

 

 チョコラテは置いていけとでも言わんばかりの様子だ。

 俺も何か言おうかと思っていると、

 

 

「あはははははっ!」

 

 鶴屋さんの方からこれまた変な声がしたかと思えば隣にいた朝比奈さんの両肩を手でがしっと掴んでこちらにこう宣戦布告した。

 

 

「よく気づいたね委員長っ娘! とうっぜんターキーはタダじゃないよ! 譲渡権をかけてうちのみくると勝負してもらおうかなっ、眼鏡っ娘!!」

 

「勝負……って鶴屋さん、ええっ!? あたしがやるんですかぁ!?」

 

「朝比奈みくるファン倶楽部の大鉄則、会員はみくるだけを愛さなくちゃいけないって決まりをキョンくんが破ろうとしているからね。それほどまでにあの眼鏡っ娘が価値ある存在かどうかをみくるが見極めないで誰がやるってんだい?」

 

 本人の了解もなしの試合参加決定ってセレクターも真っ青な展開だな、朝比奈さんはてんやわんやだ。

 俺は誰も見極めなくていいと思うんだけどね。

 

 

「ふふっ。いいでしょう先輩、その勝負受けて立ちます!」

 

 やけに朝倉さんは乗り気だしほんと勘弁してほしい。

 承太郎とDIOみたいな構図で火花を散らす朝倉さんと鶴屋さんを尻目にずかずかと近づいてきたキョンは俺に意見があるようで。

 

 

「もしかしなくても朝倉のせいで話がこじれた気がするんだが」

 

「……かもね」

 

「お前がなんとかしろ」

 

 ああ、そりゃ無理だ。

 元はというとキョンがギャルゲの主人公みたいに女子と仲良いのが悪いんだからな、責任のたらい回しはやめてくれ。俺は悪くない。

 かくして切られた決戦の火蓋だが詳細は割愛させていただく。

 何故なら長丁場になるとふんだ俺は貴重なリソースである時間を活用するべく単身で私鉄に乗って街の店で大量のクリスマスパーティグッズを買うという役目を果たしたからな。両手いっぱいの荷物を抱えて帰ってきた頃にはいつの間にか長門さんと朝比奈さんの対決じゃなくて朝倉さんと鶴屋さんの対決にシフトしていたし、その内容もペットショップの動物をなつかせるだとかよくわからない内容だった。こんなんに付き合ってられんよ。 

 とりあえず結論としてはターキーがもらえるらしい。どっちが勝ちとかではなく引き分けとなった。なんだそりゃ。

 朝倉さんも鶴屋さんもお互いの健闘をたたえ合ってるけど、勝負の意味がどれほどあったのかは知らない。

 

 

「あの……鶴屋さんが迷惑をおかけしてすみません」

 

「こっちこそ朝倉さんが……」

 

 などと遠慮しあっている朝比奈さんと長門さんが苦労人というポジションの仲間に出会えたという意味ではよかったのかも。

 まあ、朝倉さんのストレス解消にはなっただろうな。

 彼女にストレスを与えている側と思われる俺が言うのも妙かもしれんがね。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue5

 

 

 週が明け、この年のクリスマスである十二月二十四日はあっさりと訪れた。

 そりゃそうだ。誰に頼まずとも日は変わるもんだ。

 しかしながら壁に刺した画鋲で張り付けているカレンダーが最後の一枚になっているのを眺めていると流石の俺もまた新しいのを買わなくちゃなという使命感以外にも思うところが出てくるわけで、はてそれはなんなのやら、自分でもわからないのだ。人の心は謎だってどっかの金髪仮面野郎も言ってたしな。心理学では他人から見た自分と、自分から見た自分と、他人が気づく自分の本質と、誰も気づかない未知なる自分の四つに分類できるとかいうのがあったっけ。それでいうと俺のは四つ目の部分に該当するはずだがこれなんて言うんだったかな、ハノイの窓だったような。

 ガチャリ。

 

 

「あら」

 

 いつも通り適当なことを考えて時間を潰していると、朝倉さんがドアをあけ部屋へ侵入してきた。

 本来なら寝ているはずの俺を強制的に起こしにかかるのだろうが今日の俺はとっくに起きて制服に着替えているし朝飯も済ませてある。朝倉さんの暴虐もここまでだ、残念だったな。

 彼女は俺が既に起床しているため一瞬はっとした表情となったものの、すぐに口の端をつりあげて、

 

 

「あなたが早起きするのなんて何か月ぶりかしら。それとも昨日は寝付けなかった?」

 

まるでオレが消防みたいだって言わんばかりの嘲笑を朝から見せてくれた。ありがたい限りだねまったく。

 やりたくもないのに学校が山の上にある以上はやらなくちゃいけない長く急な坂道へのハイキングというプロセスを経て登校を余儀なくされている俺たち在校生をこの日待ち受けているのはテンプレートでかったるい終業式という苦痛の時間なのは今更説明するまでもなかろう。

 明日にはすっかり忘れちまうようなペラペラの内容な校長じーさんの説教話を延々と聞かされるのは人生において一度や二度でも多いぐらいだというのに俺の場合は他の連中の倍は体験しているのだから本当に嫌になるぜ。

 少なくともこの場の八割、いや九割の奴は校長に合わせてやっている深々とした礼に敬意なんぞ込めていないはずだろ。無論俺もその仲間さ。

 そんな不毛な儀式が終わって教室にとんぼ返りさせられるとお次はホームルームで、担任教師の岡部先生から手渡されるのはクリスマスプレゼントならぬ通知表だ。

 ひとりまたひとりと名前を呼ばれては教卓まで通知表を受け取りに出向いていくクラスメートどもを見るのは面白いもんだが俺の通知表に記載されている点数が面白いかどうかはまた別の話である。もとより俺はこんなものに価値を見出していないので至極どうでもいいことなのだが、いかんせん幼馴染という設定のあのお方がうるさいのである。今に始まったことではないがね。

 

 

「みんな、冬休みだからってハメを外しすぎんように。俺は高校二年の時にな……」

 

 通知表を配り終えた岡部先生が次に配ったのは"冬休みのすごしかた"なる恒例のどうでもいい一枚紙であり、その内容を生徒諸君がわかりきっていることを承知している岡部先生はプリントの内容は各自で目を通しておくようにと一言つげたのち、学生時代の体験談を語りだした。このやけに暑苦しい体育教師が描いた青春時代の影など聞いてもプラスになるとは思えないが、部活仲間に茶々を入れられたせいでクリスマスデートが大失敗したという彼のほろにが体験談をラジオ感覚で聞き流しているとあっという間に下校の時間となったので少なくともマイナスにはならなかったんじゃなかろうか。

 チャイムが鳴り終わり、起立、礼でさようならだ。

 机のフックから鞄を外しながら学校から束の間とはいえ解放されるという喜び――よりも今日までの日々による積もり積もった気だるさを感じてため息をついているとポンポンと左肩を叩かれ、

 

 

「んじゃ俺はお先に失礼するぜ。そうしけたツラするなって、ハッピークリスマス!」

 

 肩を叩いた犯人である谷口はうざい台詞を残して足早に教室を後にした。

 何がハッピークリスマスだよ、お前の脳内は年中ハッピーホリデーだろうに。 

 などと心の中で谷口に対する評価を若干下げつつ俺は俺で一年五組から去っていったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やあやあ待っていたよ後輩諸君」

 

「こんにちは」

 

 部室棟よりも先に向かったのは二年生の校舎、その二年生の教室が並んでいる廊下にたむろしている在校生の中に鶴屋さんと朝比奈さんはおられた。

 朝比奈さんは相変わらず麗しくて何よりだが生徒はまだまだ校内に残ってるためこの女子中心のメンツに俺がいることによるヘイトがあちこちから高まっている気がする。こういうのはキョンがおっかぶるべきだろうにあいつは部室で長門さんと飾りつけの作業という名目でいちゃついているためここにいる文芸部の男子は俺と、

 

 

「んんっ? 君も一年みたいだけど見ない顔だね」

 

 こう鶴屋さんに言われている国木田である。

 彼が参加することになったのは昨日のことだ。

 

 

「おいおいマジかよ」

 

 というのは土日が過ぎ翌日の月曜、朝のチャイムが鳴る前の時間帯に文芸部クリスマスパーティ開催の旨を耳にした谷口の感想だ。

 明日お忙しいようだからまかり間違っても谷口が参加することなどないだろうが、念のため周知させておこうというつもりで俺がわざわざ教えてやったというのにこの反応じゃやはり彼が来ることはなさそうだ。

 呆れてものも言えない、といった感じに右手で顔を覆いながら谷口は、

 

 

「いい歳してんなことやろうってのか? しかも文芸部つったらキョンも一緒か、ますます救えねえ連中だぜ」

 

「僕も文芸部なんだよね一応」

 

 と突っ込みを入れたのは国木田。

 今の言葉通りお前は文芸部の仲間なんだし参加するよな。

 

 

「でもねえ、明日は家でゆっくりしようかなんて思ってたんだ。どうせ塾があるから冬休みになっても落ち着かないんだよね」

 

「ったくこいつらがお祭り馬鹿なら国木田は勉強馬鹿だぜ。いいかお前ら、高校生という黄金時代は一生に一度しか……」

 

 クリスマスパーティに微妙な反応を見せる国木田と年寄りじみた説教を始めた谷口。

 キョンはまだ来ていないので俺を含めた三人で会話しているのだがボケ担当のキョンがいないといまいちしまらないな、谷口はボケというかアホ担当だから。

 谷口の言葉を聞き流しつつ国木田に訊ねる。

 

 

「予定があるってわけじゃあないのか」

 

「まあそうだけど」

 

「実はな、いや、これを大きな声で言ってしまうとあれだから言いにくいんだが」

 

「なんだい?」

 

 谷口には教えていない重要な情報を国木田にだけこそっと小声で耳打ちする。

 

 

「お前さんが憧れているあの鶴屋先輩も明日来るぞ」

 

「……なんだって?」

 

 驚いた反応の国木田。

 俺たちのやり取りを見た谷口は不満そうな顔で。

 

 

「んだよ俺には隠し事か?」

 

「パーティにはターキーも出るって教えてあげただけだ」

 

「はあ?」

 

「お前さんも食べたくなったか」

 

「冗談きついぜ」

 

 嘘はついたが事実は言っているので問題なかろう。

 土曜のバトルの末に朝倉さんを心の友と認定した鶴屋さんはターキーを提供してくれるのみならずなんとクリスマスパーティに参加することになった――いつの間にか彼女と連絡先を交換していた朝倉さんがそう言っていた。ついでに朝比奈さんまで来るらしい、スペシャルゲストに違いないが北高のマドンナが文芸部なんぞで油売ってると箔が落ちるのではないか――わけだが、この国木田という優しい顔してむっつりタイプの表向き真面目くんは鶴屋さんが好きであり、本当はもっと上のランクの高校に行けたくせに鶴屋さんが通っているという理由だけでこの北高を選ぶほどなのだ。ちょっと引いてしまうよな。

 もっともそんなことを知っているのは【涼宮ハルヒの憂鬱】に登場する国木田というキャラクターの設定を知っている俺ぐらいであり、まさしく原作知識の無駄遣いってヤツだぜ。

 国木田は小考ののちに、

 

 

「前向きに検討しておくよ」

 

と愛想笑いで返し、結局現在こうしてクリスマスパーティのメンバに加わっているということなのである。以上回想終わり。

 鶴屋さんに対してこいつはあなたが目当てでそんなに行きたくもないクリスマスパーティに行くことを決めましたよなどとうっかり口を滑らせたのなら夜道に国木田にバックスタブをキメられること請け合いだ、俺は空気を読んで国木田も文芸部の一員だから参加する権利があるという部分のみを鶴屋さんと朝比奈さんに伝えてあげた。朝倉さんも国木田の下心には気づいていないだろう。

 値踏みするかのように足先から頭のてっぺんまで国木田をじーっと見た鶴屋さんはんーと唸ってから、

 

 

「ギリギリ合格って感じだね」

 

びしっと国木田に人差し指を突きつけてこう言った。

 

 

「よし、キミを今日からみくるファン倶楽部の一員として認めようじゃないか。会員番号は137番だからよろしくっ」

 

 なんともまあ、先が思いやられる展開だな、鶴屋さんは国木田が他の野郎どもと同様の朝比奈さんのファンだと勘違いしているみたいだ。国木田は苦笑いである。とにかくわざわざ知り合う場を提供してやったのだからめげずに頑張ってほしいもんだ。

 して、いつの間にか朝比奈FCに国木田を加入させていたらしい鶴屋さんは国木田に文句を言わせる隙を与えず、

 

 

「さっそくで悪いんだけどちょいと外までついてきてくれないかな。パーティ用に車でいろいろ持ってきてもらったから部室まで運ばなくちゃいけないのさ」

 

「鶴屋さん、クリスマスツリーを持ってきてくれたみたいなんですよ」

 

 今までポーカーフェイスを保ってきた俺だが朝比奈さんのセリフを受けて顔が引きつってしまう。

 俺の想定よりも鶴屋さんは数段上の人間らしい。ヤバさとか。朝比奈さんは世間知らずなのか自然なスマイルでいますが学校にツリーを持ってこられる人なんてそうそういないんですぜ、あなたはとんでもない人と友達なんですよ朝比奈さん。

 一方、朝倉さんがそこまで驚いていないのを見るに鶴屋さんから事前に聞いていたのかもしれんな。俺もメアド交換しとこうかな。

 

 

「長門さんとキョンくんも呼んできましょうか?」

 

「ツリーはそんなに大きくないから少年が二人もいれば充分だと思うよ。ターキーの他にも食材はたーんとあるし、手早くぱぱぱっと行くからねっ」

 

「了解しました、先輩」

 

 つい数日前に知り合ったばかりだというのに朝倉さんと鶴屋さんは仲がよさそうだ。二人ともコミュ力が高いからだろうかね。

 国木田はいまいち文芸部と朝比奈さんらの繋がりについてぴんときていないようだが当事者の俺もよくわかっていないので説明のしようもない。あえて言わせてもらうならばやはりキョンが主人公体質だということか、羨ましい限りだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで手分けして各々がクリスマスパーティに向けた準備作業に取り掛かることとなった。

 いったい朝倉さんがどんな魔術を使ったのか、あずかり知らぬうちに家庭科室まで使っていいことになっているのだから驚愕だ。まああそこならオーブンもあるからターキー肉の調理に困らんわな。

 鶴屋さんに先導されて駐車場まで向かい、俺と国木田はお嬢様が乗るにはいささかゴツい四輪駆動車から180センチ程度のツリーを引きずり出し部室まで運搬した。ちょっとした引っ越し業者の気分だぜ。

 女子は大量の食材とともに家庭科室へ引っ込んでいったようで、鶴屋さんが持ってきたブツを運び終えると四輪駆動のドライバーであるスーツ姿の中年男性が、

 

 

「わたくしはこれにて失礼いたします。お嬢様にはご帰宅が遅くなりすぎないようにとお伝えしてください、では」

 

と言い残して車とともに北高を去っていってしまった。雰囲気から察するに鶴屋家の使用人の一人だったようだ。

 鶴屋さんは金持ちだということに遠慮されたくないタイプだからか、自分からずかずかと踏み込むムーブをかましてくるのでああいう周りの大人たちはさぞ苦労しているに違いない。お嬢様の明日はどっちだってな。

 サボりがてら外でゆっくりしてから戻りたい気分ではあるが、寒さにはかなわないので大人しくさっさと戻ることにした。

 

 

「どうやら君のことを少し勘違いしていたみたいだ」

 

 生徒玄関の下駄箱から上履きを取り出していると国木田からこんなことを言われた。

 

 

「何をどう勘違いしてたって?」

 

「パーティのことさ。普段の君からは想像がつかないからね」

 

 失敬な。最低限度の社会性は持ち合わせているぞ、俺だってな。

 だが彼がこう口にするのも無理はない。普段の俺は机に突っ伏して寝ているだけだし、学校行事は可能な限りフケている。後で朝倉さんにめちゃくちゃ怒られるけど。

 なんと言われようと俺が今言えるのはこれぐらいだ。

 

 

「たまにはこういうのも悪くないだろ」

 

 上履きを履き終え、部室棟へ向かうべく校舎の廊下を黙々と歩き続ける。

 そんな中で先日あの人にかけられた言葉を思い返していた。

 変わりましたね、か。

 俺はこの世界で生きていく中で人として何かが変わったのだろうか。少なくとも森先生の眼からはそう見えたようだ。

 国木田がさっきああ言ったのは俺が変わったとかではなく単純に彼が俺という人間について正確に捉えられていないだけという話だからこれは俺が変化したかの判断材料にならない。つまりは他の人の意見が欲しいところだな、それも年単位の付き合いがあるお方の。

 運動系のクラブ活動のプレハブ小屋じみた部室に俺は立ち入ったことがないのでサッカー部や野球部等については不明だが、部室棟にある文化系のクラブ活動その部室については大なり小なりクリスマス色になっている。一例を挙げると文芸部のお隣さんであるコンピュータ研究部はクリスマスリースと"welcome"の文字が刻まれたプレートを扉に引っかけている。また、外から見られる部室棟の窓にはちらほらとクリスマスツリーや雪だるまの形をしたウォールステッカーが貼られており、文化祭の次ぐらいには風変りしている。

 して、部室に戻った野郎二人がキョンと長門さんに物資の運び出しが完了したことを報告する頃にはすっかり文芸部もクリスマスカラーに染まっていた。

 ご多分に漏れず装飾された窓、鶴屋さんが持ってきてくれたクリスマスツリー、天井にくっつけられている輪っかの紙飾り、黒板にはデカデカとカラフルにチョークで書かれた"メリークリスマス"、長門さんが描いたと思われる雪だるまくんはサンタ帽子をかぶっている。普段なら置物扱いされているテーブルの上の型落ちPCは部屋の隅っこに片づけられてしまったみたいだ、可哀想だがお前までクリスマス色になる必要はないもんな。

 

 

「まさかここまでのもんをやることになるとは思わなかったぜ」

 

 キョンの言う通り、保育施設と互角の気合いの入れようである。

 やけに気合いが入っているうちの一人である長門さんは、

 

 

「みんなに楽しんでほしいから……やるからには徹底的にやらないと」

 

熱血的な台詞まで吐いてしまうほどだ。

 きっと国木田は長門さんに対しても意外に元気な子なんだなと評価を改めているに違いない。

 誰が言った言葉だったか、人は皆思い込みの中で生きているそうだ。知識や認識は時として誤解を生むような曖昧なものなのだ。

 はっきりとした線を引くには割り切るってことも必要になってくるから面倒だ。人類の叡智であるはずの言語というプロトコルには重大な欠陥がある、それを知っているから俺は不自由してるんだよ。これはただの言い訳にしかすぎないが。

 まあ、んなことをあまり考えていても心は晴れない。だからこそ現実に逃避するべきなのだ。

 クリスマスなどというそれはそれでふわっとした空気に包まれているこの部室を見ているとちょっとは気が楽になるのだから。

 

 

「長門さん」

 

 たとえ俺が似合わない台詞を口にしたところでクリスマスの神様だって大目に見てくれるはずだ。

 

 

「この学校に入ってから今日が一番楽しいと思えたよ、オレ」

 

 眼鏡をかけた小柄な少女である友人はちょっと照れた様子で、

 

 

「……ありがとう」

 

と小声で返してくれた。

 まだ陽は沈んじゃいないしパーティも始まっていないが、これだけ楽しい一日が直近で再び訪れることはないだろうという予感はできていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue6

 

 

 普段なら型落ちデスクトップPCの他に何も置かれていないような学校備品の長テーブルだがこの日ばかりは違った。

 山盛りになったサラダ、ピラフのおにぎり、シャンパンのボトル、大きなクリスマスケーキ、そして主役のターキー肉。皿の上には錚々たる顔ぶれ。

 文芸部の部室、なんていえば誰でも埃を被ってるイメージだろうが昨日のうちに一足早く大掃除は済ませてあるので衛生的にはマシなはずだ、それでも褒められたもんじゃないがそもそもこのパーティ自体が褒められるような行為じゃないし。

 

 

「で……」

 

 左目をつむったまま向かい側にいる俺と国木田を見据えるキョンが口を開く。

 言いたいことの察しはつく。今現在この部室に女子はいない。

 

 

「あいつらはどこ行っちまったんだ?」

 

 知らん。国木田もそうらしく首を横に振っている。

 時刻は午後四時を回っており外はそろそろ暗くなってくる頃合いだ。家庭科室の後片付けにしちゃ時間がかかりすぎだからな。

 後日、クリスマスパーティなど本当はなく盛大なドッキリでしたと言われても信じるぞ、とだんだん思ってきたところ、

 

 

「お待たせしたにょろ!」

 

鶴屋さんの大声とともに部室のドアがバンと勢いよく開けられた。

 そしてぞろぞろと室内に入ってくる女子たち。

 

 

「……おぉ」

 

 なんてマヌケな声をキョンが出してしまうのも無理はなかった。

 ようやく戻ってきた四人全員の格好が北高指定のセーラー服から紅白のサンタ装束になっているからだ。

 道理で俺たちの前から姿を消していたわけだ。そんなものに着替えていたとは。

 

 

「鶴屋先輩が用意してくれたのよ」

 

 と朝倉さんが主犯の名を挙げる。

 心の中でグッジョブ鶴屋さんと言ったのは内緒だ。

 その鶴屋さんはというとしたり顔で、

 

 

「今年最後の出血多量大サービスさっ。サンタクロースのみくるなんて普通だったら金払わないと見れないからねー、そこんとこわかってるのかな少年たち?」

 

 わかってますとも。ええ。

 紳士たる俺はいくら朝比奈さんのあれがサンタ服によりおもちみたいに強調されてるとはいえそこからは眼を背けるようにしているのさ。こういう時はハリー・オードみたいにサングラスでもかけたくなるぞ。とにかく四人ともキュートなのは違いないよ。

 しかし長門さんはサンタ服が恥ずかしいのかやや朝倉さんの影に隠れている。まあこの中だと最もコスプレから遠い人種だろうし、無理もない。

 こういう場を活かして彼女もキョンにアタックすべきなのだが腐れ主人公くんはというと国木田ともども鶴屋さんと朝比奈さんに絡まれて満更でもなさそうな様子だ。畜生が。

 ちなみに俺は鶴屋さんが言うところの朝比奈FCに加入させられてはいないようだ。曰く彼女持ちは受け付けてないだとか、悲しいことに俺はフリーなんだがね。

 さて、俺の役目ではない気がするが現状やりそうな人がいないので仕方ないな。

 

 

「おほん」

 

 わざとらしく咳払いをしてテーブルの上に置かれたグラスを取る。多くの視線を浴びるのは嫌いなんだけどな、けど狙い通りキョンと先輩がたの絡みはストップしたから多少の我慢はするさ。

 既に中身は注がれているのだからやることはというと――

 

 

「皆さん、積もる話もあるかと思いますがまずは乾杯といきましょう」

 

 これに限る。

 俺の一言により全員がグラスを持ってくれた。長門さんも乾杯のためにとりあえず前に出てきてくれたことだし後は健闘を祈る。

 ところで何に乾杯するかって?

 無難に一年お疲れ様とかそんなんでいいんじゃないか、これ忘年会兼ねてるようなもんだし。

 ともかく俺たち七人はそれぞれのグラスをカチンとあわせて乾杯をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、クスリマスパーティとはいえ特別に何かやるわけではない。ただ料理を食べながら談笑するだけだ。

 鶴屋さんが持ってきたターキーがどれくらいのランクに相当する代物なのかは不明だが、かじりついているうちに俺の分の肉はあっという間になくなっていた。手羽先を数本食べるより量は少なかったが満足感はこっちの方があるな。

 つい先ほどは女子によるサンタ服のサプライズがあったが、他にも仮装グッズの用意があるようでキョンはサンタのマントを被せられ、顔に鼻眼鏡をつけられている。なんの罰ゲームだか。 

 

 

「……笑えるぜ」

  

 事実、キョンにサンタというか変質者じみた装備をさせた側である鶴屋さんおよび朝倉さん――ついでに見てただけの朝比奈さんも――は大笑いをしている。

 彼は何やら不服そうな様子だがウケがとれるなら芸人魂も冥利に尽きるんじゃなかろうか。

 

 

「てっきり男子は二人だけだと思ってたから国木田くんの分は用意してないんだよね」

 

 ひとしきり笑ってから残念そうに語る鶴屋さん。当の国木田は苦笑いを浮かべているが内心安堵していることだろう。

 彼女に国木田の参加を事前に伝えていなかったので当然なのだが、なんだ、その口ぶりではキョンのみならず"俺の分"があるみたいな感じだな。

 

 

「トッポイ少年にはこれだっ」

 

 どジャァァ~~んとでも口にしそうな勢いで鶴屋さんがどこからともなく出したのは一見すると茶色の布切れが折りたたまれただけの代物だったが、彼女が手に持ったそれを広げるとキョンの変質者セットより更に凶悪なものだということが俺にもわかった。

 それは茶色を基調とした覆面であり、鼻の部分は赤い丸の団子で、申し訳程度に上の方に左右それぞれ一本ずつくっついている角、これらの符号が意味するものはひとつ、トナカイのマスクだ。

 

 

「ぐふふふふ……」

 

 およそ女の人がするには下品すぎる声を出す鶴屋さんの笑みはゲスっぽく、彼女の隣にいる朝比奈さんは俺があれを被っている姿を想像しただけで笑ってしまっているらしい、口元を手で覆っている。

 やがて鶴屋さんのトナカイマスクを持っていない方の手である左手が俺を捕まえんと伸びてきたが、すっと身体を横に動かして回避させてもらう。

 

 

「おやぁ。ひょっとしてキミ、あたしが持ってきたこれを被りたくないっていうのかい?」

 

 いや誰が持ってきたとしてもんなもん被るのは御免だぜ。

 なおもしつこく鶴屋さんは俺に掴みかかってくるが捕まってやるものか。時折左手をエサに右手を使うなどしてフェイントを仕掛けてはいるがしょせん素人よ、この程度でやられる俺ではないのさ。

 だが、不意に後ろから羽交い絞めにされた。誰だ。

 

 

「鶴屋先輩やっちゃってちょうだい」

 

「でかした朝にゃん」

 

 ちくしょう、朝倉さんか。完全に気配を消してやがった。

 がっちり脇からホールドされ、フットワークが殺された手前これ以上の回避など無理だ。足だけは自由だがつま先を踏んで脱出なんてことは女子相手にやれないので無抵抗主義を貫くしかない。卑怯なり。

 

 

「朝倉さん、謀ったな!?」

 

「私はあなたの味方になった覚えはないわ」

 

 いくらなんでも酷すぎる。

 キョン、お前はこの苦しみをわかってくれるだろ。

 彼はシャンパングラスを片手に疲れた様子で、

 

 

「俺だっていいようにやられたんだ、お前だけ何も無しってのは公平じゃないだろ。これも運命だと思って大人しく受け入れろ」

 

 何が運命だ。ブレザーの上からサンタのマント被った鼻眼鏡野郎にだけは言われたくねえ台詞だな。

 朝比奈さんも国木田も楽しそうにこっちを見ている。最早ここまでか、無念。

 

 

「ゆえーい! トナカイ少年の完成だっ」

 

 俺は驚くほどたやすくトナカイマスクを被せられてしまった。

 目の前に鏡があったら叩き割りたい気分だ。

 

 

「ぷっ、くくくっ……に、似合ってるわ……ふふ」

 

「にゃはははははは!!」

 

「ふふふ、ひひ、お、面白すぎます」

 

 朝倉さん鶴屋さん朝比奈さんが一様に爆笑している。きっとトナカイマスクを被った俺の顔は変質者を通り越した変態のそれなのだと思料する。夜中に遭遇したら絶叫もんだが昼間だったら俺でも笑うぞ。

 おまけに野郎二人も俺を笑っている。かつて俺の人生でここまで笑い者にされたことがあっただろうか、多分ない。

 

 

「あんまりだ……」

 

 呪詛のように呟いたがきっと効果はないのだろう。

 その後、いつの間にか部室から姿を消していた長門さんを捜索しにキョンが行ったりする一幕もあったりもしたが、終わってみれば短かったような気がする。そんなクリスマスパーティだった。

 予想していた通り、楽しかったさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パーティで口にしたものたちが栄養バランスがいいとは思えなかったがそれで腹が膨れるのなら構わないというのが俺の主義なのだ。

 とにかく夜の八時を前にしてパーティはお開きとなった。鍵を返しに行った際に森先生から「遅いですよ」と小言を述べられたが彼女の辞書には無礼講の文字などなさそうだ、パーティに参加するつもりもなかったみたいだし。

 鶴屋さんは朝比奈さんと一緒に迎えの車で帰るそうで学校前でお別れである。

 

 

「今日は最高だったよっ。次に会うのは新学期かな? ばいばいっ!」

 

「ちょっと早いですけどみなさんよいお年を」

 

 もちろん俺たちは普通の制服姿にもどっている。トナカイマスクは返却済みだ。二度と付けてやるかあんなもん。 

 それにしても驚いたのはこの天気だ。

 つい一時間ぐらい前からそうなのだがまさか雪が降るなんてな。十二月二十四日だぜ、出来すぎだろ。ひょっとして宇宙人の仕業なのか?

 

 

「何馬鹿なこと言ってるのよ、たまたまでしょう」

 

 横から突っ込みが入れている君だって宇宙人の仲間かもしれないんだからな、その言葉だって信じたものかどうか。

 雪の勢いは強くないため明日の朝には止んでいるはずだ。もっとも路面はツルツルで滑りやすくなってそうだから外出などする気にはなれない。

 通学路の坂道をゆっくり下っていき、県道をしばらく進んだところで次にキョンと国木田とお別れとなった。国木田は私鉄を利用して帰宅するためであり、キョンは私鉄の駅に自転車を止めているためだ。

 そんな野郎二人とも別れの挨拶を済ませ、私鉄の線沿いに道をずっと歩くこと十分ほど。長門さんと朝倉さんが住まう分譲マンションに到着した。

 

 

「んじゃ」

 

 長くもない冬休みにさっさと入るとしよう、そう思いながらマンションの前できびすを返した俺だが。

 

 

「ちょっと待って」

 

 朝倉さんに引き留められた。

 なんだ。

 彼女は寒さで眼鏡を曇らせている長門さんに、

 

 

「長門さんは先に帰っててくれるかしら。私、彼と話がしたいのよ」

 

「……うん。わかった」

 

 などと言ったが俺の意見もなしに俺は朝倉さんとお話コーナーの時間を余儀なくされるのか。いや、俺の意見が受け入れられるかは別だが意見できるならさっさと帰らせてほしいぞ。

 結局長門さんは一人でエントランスに吸い込まれていき、彼女に手を振ってお別れをした朝倉さんはまだ帰らないつもりらしい。

 

 

「話って君の部屋でするわけじゃあないのか」

 

 寒いからあったかいマンションの室内に入りたいと思っての一言なのだが、これを受けた朝倉さんはジト眼になり。

 

 

「ふーん、そんなにうちに上がり込みたいんだ」

 

 今更何言ってるのか知らんが今日この場において彼女は俺を下種な送り狼とでも思っているようだ。上等だ。

 かくして目的地も告げられぬままに先を行く朝倉さんを追従すること数分、そこは公園だった。そう呼ぶには小さすぎる場所だが住宅街にあるような大きさならこんなもんだわな、大方300平方メートル弱といったところか。

 まさかと思うが彼女はこの公園で話をする心づもりなのか。

 公園内にはブランコと砂場ぐらいしか遊び場がなく、他にあるのは水飲み場とベンチ、そしてやけにほっそい木が二本ほど植えてあるだけ、後は街灯か。公衆トイレなどない。  

 

 

「持ってて」

 

 と鞄を俺に突きつけて朝倉さんはブランコの方へ行き、腰かけの部分の雪を払うとブランコに乗り出した。しかも立ち漕ぎをするらしい。

 益々頭の中を「なんなんだ」という気分でいっぱいにさせてくれる彼女だが、このまま黙って帰るのも忍びないので付き合ってやることにする。朝倉さんが漕いでいない、俺から見て左のブランコ前の安全柵に腰掛ける。

 一度でも立ち漕ぎの経験がある諸君なら承知しているはずだが、最初は運動エネルギーが皆無なため足の曲げ伸ばしを繰り返して勢いをつける必要がある。

 朝倉さんは今まさにそれを実践しており、キコキコとブランコを揺らしていく様はなんだか滑稽ですらある。

 

 

「あなたは乗らないのかしら」

 

「遠慮しておくよ」

 

「そう言って、スカートの中を覗くつもりでしょ」

 

 馬鹿にするような物言いだがそう思われるのも無理はないか。コートが足までガードしているから見たくてもあんまり見えなさそうだが。

 なら俺もブランコに腰掛けるとしよう。

 雪を払って大人しく座ると朝倉さんはピタッと動きを止めてこっちを睨んだ。 

 

 

「……何か?」

 

「そこからでも見えるじゃない」

 

「だったら向かなきゃいいんだろ、君の方を」

 

 首を右側に立っている木の方向に向けてやった。これで満足か。立ち漕ぎなんだから勢いづいたら横からはとうてい覗けそうにないし、結局見える確率はゼロに近いのにな。

 やがて隣からキィキィと再びブランコを揺らす音が聞こえてきた。

 

 

「公園で遊ぶのなんて久しぶりだわ」

 

 まあ、そうだろうな。

 

 

「遊具で遊ぶより砂遊びが好きだったわよね、あなた」

 

 そうかもしれないが中学一年より前のことを言われても"俺"にはわからん。

 公園の中にいるとどこかノスタルジックな気分にはなるが、そんなのただの年寄りの懐古主義でしかない。

 

 

「砂遊びに付き合ってたおかげで私の服はすぐ汚れちゃったんだから。お父さんには帰る度に笑われたわ」

 

 他に友達がいなかったのかね俺は。

 まあいい。

 ふーっと深い息を吐いてから切り出す、

 

 

「で、話ってのは」

 

 実のところ察しはついている。

 暫時無言の間が続き、俺がそろそろ公園の木も見飽きたなといった頃に彼女からレスポンスが返ってきた。 

 

 

「もう、一年になるわ」

 

「……ああ」

 

「まだ返事は貰えないの?」

 

 俺はこの幼馴染、朝倉涼子に告白されたことがある。

 去年の十二月二十四日のことだった。

 

 

「てっきり気が変わったと思ってたよ」

 

「それこっちの台詞。せめてイエスかノーかだけはハッキリさせてほしいんだけど」

 

 客観的に見て俺は弱い人間なのだろう。

 考えさせてほしい、などという引き延ばしを一年間続けているわけであり、あわよくばもう少し続けさせてほしいのだから。

 

 

「私はあなたが好きよ。今でも」

 

 君が嫌いな奴相手に思わせぶりな態度をとってることはないだろうしね。だったら彼女の言う通りなんだろ。

 正直、俺も朝倉さんのことは好きだ。異性として。

 つーか日頃からこんなにかわいい女子にベタベタされて惚れない奴はいないだろ。いたとしたらそいつはゲイだ。俺はゲイじゃないぞ。

 だがここがアニメの世界だとか、俺が実は異世界人だとか、そんな取ってつけたことよりシンプルに男女交際したくない問題があった。

 なぜなら俺は一度自殺したほどに自分に対する自信がないのだから。他人を背負うなどということはできない。朝倉さんが美人だからって無理なものは無理だ。

 と、昔ならそうだっただろう。だが、今はちょっと違う。違ってきた。

 

 

「それって今すぐ決めなきゃいけないようなことなのかな」

 

「何よ」

 

「別に、そのまんまさ」

 

 仮に俺が朝倉さんとお付き合いさせていただくとして高校生活にきっと大きな変化はない。

 彼女が気にしているのはその先の話で、俺にはまだ想像もつかないような日々のことだ。

 

 

「この前姉さんに言われたんだ。オレが変わったって」

 

「……」

 

「君はどう思う? なんか変わったかな、オレ」

 

「……いいえ。それはお姉さんの勘違いじゃないかしら」

 

 朝倉さんが言うのならやっぱり俺は昔のままなんだろう。

 だけどもし俺が胸を張って自分は変わったんだと言えるような時が来たら――

 

 

「返事はさ、その時でいいかい」  

 

 その後は再び朝倉さんをマンションまで送り届け、とぼとぼと自宅に引き返して今年の俺のクリスマスイブは終了。

 絶対に話すことはないが、谷口の耳に入ればゲラゲラ笑われるような一日だ。

 公園を出て道路を歩いている途中、小声で「変わらなくてもいいのに」と隣から聞こえたが、俺は反応せずに聞こえなかったことにした。

 自宅に帰ってから一時間とせずに就寝。外の雪はまだ降り続いていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Intermission1

 

 

 サンタクロースを信じるか信じないかはそいつら次第だが、都市伝説赤服じーさんが存在していないとしても異世界人は存在する。他でもない俺自身だ。

 しかし異世界まで来てやっていることが二度目のガクセー生活なのだから最高に笑えない。

 季節は春で、四月。

 新生活が始まる時期などとよく言われているがご多分に漏れず俺もそうだ。

 つい先日に高校の入学式が終わったとこで、ついでに授業も最初の一回であるガイダンスが消化され、本当の意味で高校生活がスタートした。そんな時期。

 

 

「だから最初のうちはゆっくりしてもいいと思うんだよね」

 

「黙って布団から出なさい」

 

 コタツから引きずり出される猫の気持ちがよくわかるよ。うん。

 うるさい目覚まし時計よりよっぽど厄介な朝倉さんのおかげで今日もこうして元気で登校できるのだ。幸せだなあ。

 中学時代は通学に際し私鉄に乗って市街まで行く必要があったが北高は一応歩いて通える距離なため毎日長々と歩く必要がある。

 自転車通学が楽なのは言うまでもないが北高はそれができないことで有名だ。理由は北高周辺の道路が急こう配なため、知るか。

 とまれ春だ。家を出て住宅街をゆけば桜の木がちらほら見受けられる。

 

 

「……綺麗」

 

 そんな桜を飽きもせずにショーケースのトランペットを眺める少年よろしくキラキラした目で眺めているのは長門さんだ。

 予想はしていたが彼女も北高に通うことになっていたとはね。流石に原作みたいに春でもカーディガン着てはいないが。

 これで一年五組の教室にあの涼宮ハルヒがいたら俺の安眠生活は灰燼に帰すが、涼宮ハルヒなる女子生徒は北高に存在しないそうだ。一安心なのかね。

 あるいはこの世界が【涼宮ハルヒの消失】というシリーズ全編を通しても特殊な設定が適用されている世界だったらまた別の話になるので、これについてはあまり考えないようにしている。いずれわかることだからな。

 して、学校に到着。隣のクラスである長門さんとは別れ、教室に入り込んで自分の机のフックに鞄をかけ、ホームルーム前にトイレでも行こうかと席を立って廊下に出たところ、後ろから誰かに肩を叩かれた。

 

 

「よう」

 

 と呑気な声で絡んできたのは谷口だ。その髪型、似合ってねえぜ。

 わざわざ呼び止めたのだから俺に対して言いたいことでもあるのだろう。面倒だな。

 だが義理で一応伺うだけはしておく。

 

 

「んだよ、なんか用か?」

 

「ちょっくら聞きてえんだが」

 

「後にしろ」

 

 俺はスタスタ廊下を歩き出す。

 すると谷口もついてきた。うざい。

 

 

「お前、あの朝倉涼子とどんな関係なんだ?」

 

 あのってどのだよ。俺が知っているのは三年くらい前までちんちくりんの胸はつるつるぺったんだったのに一、二年で大躍進政策かってぐらい発育が良くなって俺は目のやり場に困りつつある青色セミロングの委員長気質女子な朝倉さんのことか。

 まあ、どうせこいつが俺に聞きたいことなどそんなこったろうと思ってた。原作通りの色眼鏡野郎だな。

 

 

「ただの幼馴染だ」

 

 そうらしいので彼女の間柄を他人に聞かれた時はこう返すようにしている。

 特に顔色を変えずに谷口は続けて、

 

 

「んじゃあ長門有希とは?」

 

 こう尋ねてきた。

 質問は一回にしろ。

 

 

「彼女は朝倉さんの友達さ。同じマンションに住んでるから顔を合わせるうちに仲良くなったんだってよ」

 

「はーん」

 

 聞きたいことはそれだけか。

 だったらお前も小便がしたいってわけじゃないなら教室に戻ってほしい、野郎と股間の大きさ対決なんて御免だぜ。

 俺の言葉にちげぇよ、と谷口は苦笑しながら返し、

 

 

「自分で気づいてねーのかもしれねえがお前ちょっとした有名人だ」

 

「……あん?」

 

 俺が有名人。なぜ。

 男子トイレ前で谷口は立ち止まり一方的な話を始めた。仕方がないので聞いてやることに。

 

 

「この年にもなりゃあ女子と登校してるってだけでもまあまあ目立つのによ、それがお前の場合はAAランク+の朝倉涼子とAランク-の長門有希、二人もだぜ。だから噂になってんのさ」

 

 そうかい。なんとも勝手な連中だこと。

 ところで谷口は校内の女子に対してランク付けを行っているようだ。

 女子からすれば快いもんじゃないと思うんだけどね。

 

 

「友達どうしで仲良くやってるんだ。そっちがどう思おうが自由だけど、あんましあることないことだけは流布せんでくれよ」

 

 俺の言葉を受け谷口は気色悪い笑みを浮かべ、

 

 

「あいわかった。がな、朝倉と長門、どっちがお前の本命か知らないが早いとこツバはつけておかねえと横取りされちまうぞ」

 

「誰にだよ」

 

「俺とか」

 

「ははっ、面白いな」

 

「よく言われる。じゃまた」

 

 死ぬほど余計なお世話を俺にして一人で来た道を戻っていった。

 その後、小便のキレがなんとなく悪かったのは彼に絡まれたせいかもしれない。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 既に一度終わらせたことを再びやるのは無駄で面倒で手間で苦痛以外の何物でもない。

 そのうえ高校一年生の授業など中学生のそれと大差ないほどだ。やる気が出る方がスゴいって。

 つまり授業時間真っ只中である今、俺は寝ている。センコーの話を聞いていてもつまらんからな。涼宮ハルヒリスペクトさ。

 中学時代、朝倉さんは最初のうち俺の授業態度を非難していたが睡眠学習でも俺は成績が悪くないのでいつしか黙っているようになった。

 とんだ自堕落野郎だという自覚はあるがそもそも俺にセカンドチャンスなど必要なかったのだ。

 世の中には生きたくても明日がないような奴がたくさんいる、俺なんかよりずっともっと前向きに生きていける奴だっている、なのにどうして俺なのか。考えはしたがわからなかった、永遠にそうなのだろう。

 トラウマのおかげですっかり心折れている俺であるが高卒ニートというのは周りが許してくれなそうだしどうあれ就職するしかないようだ。でもやりたい仕事なんてねえぞ俺。

 どうせなら今度こそはマシな人生設計をしたいものだと夢うつつで時間を食いつぶしていると本日最後の授業が終わるチャイムが鳴った。

 にしても何故このまま帰らせてくれないのか、帰りにホームルームをやる意味とはなんなのか、気になります俺。

 

 

「いつでも寝てるあなたには関係ないじゃない」

 

 放課後、朝倉さんの買い出し手伝いにスーパーへ向かう道中で彼女にその旨を訊ねてみたが彼女もなぜショートホームルームなどという時間が毎日設けられているのかは知らないようだ。

 日本人というのは儀式的な行いを好む傾向が多分にあるため、中身がすっからかんな時間でも自然消滅せずにカリキュラムに組み込まれているんだろうな。じゃあどうして最初に始めようと思ったんだか。ひょっとしてこれも米国式なのか。

 

 

「オレに言わせりゃ学校の授業なんて受けようが受けまいが変わらんのさ。何が大事か決めるのは教師じゃあなくてオレなんだからな」

 

「まったく、後で痛い目にあっても知らないわよ」

 

 わかってるさ。

 だが朝倉さんはこいつにはいくら言っても無駄だろう、みたいなどこか悟った様子だ。

 自分に否がある上での舌戦など勝負にならないので話題を変えることにしよう。えーっと。

 

 

「ところで髪切った?」

 

「……ええ、一週間前に」

 

 ちょっとイラッとしているみたいなのは気のせいかい。

 似合ってるぞ、みたいな気の利いた台詞でも言うのが女子にモテる秘訣だとは思うが別に彼女は髪型を変えたわけでもないし、がっつりカットしたわけでもない、整えましたって感じ。だからこそ気がつかなかったのだが。

 我ながら失敗したなと思いつつも気づかなかったから謝ることでもなかろう。過ちは認めて次の糧とすればよい。

 

 

「そのタイミングなら高校デビューしてもよかったんじゃあないの」

 

「私がそういうタイプに見える?」

 

 いいえ。

 

 

「たかだか高校入学程度で我を忘れる私じゃないわ」

 

 かっこいい台詞だ。髪の毛をファサってやりながら言ったら某社のアニメキャラにそっくりだぜ、それ。

 その後、スーパーに到着した俺と朝倉さんは手分けして買い出しを行った。

 時たま思うのは俺たち二人は客観的にどう見られているのだろうということだ。身内は別にして。

 最初はあまり考えないようにしていたけど朝倉さんは"ただの幼馴染"と評すには実際の関係が深い気がする。

 昔、俺がかつて生きていた世界でも異性の幼馴染というのは数人いた気がする。

 気がするで止まってしまうのは俺が中学二年にもなった頃にはすっかり疎遠になっていたから。こっちが普通じゃないのかね。

 なんてことは朝倉さんに相談できないため結局のところ自分で判断するしかないのだ。

 

 

「ねえ」

 

「ん」

 

 呼び止められたので反応する。ふと辺りを見るともう既に某分譲マンション前まで来ていたようだ。

 エントランスホールに入って朝倉さんが自動ドアのキーを解除、それからこちらを伺い、

 

 

「うちで食べていくでしょ?」

 

 いや。

 

 

「遠慮しておくよ」

 

 自分でも驚くほどたやすくそう言っていた。 

 彼女は少しきょとんとしてから小声で、 

  

 

「どうして?」

 

「あんまし食欲がわいてないんだ。作ってもらっても残しちゃあれだろ、今日は帰るよ」  

 

「……そう」

 

 朝倉さんは俺から視線を外して伏目がちになっていた。

 俺は持っていたスーパーの戦利品が入っているレジ袋を彼女に渡し、自動ドアをくぐることなく、

 

 

「また明日」

 

「うん、また明日……」

 

 どこか残念がっているような声を耳に入れ、分譲マンションを後に。

 一人になりたい、とまでは言わないが本当に何も考えなくていいような時間が欲しかった。   

 旅でもすれば気分転換にはなりそうではあるもののそこまでの行動力がある俺ではない。

 そして自分の部屋に引きこもればいいという問題でもない。

 俺がこう思い詰めているのは全てあれが原因なのだ、あの、去年のクリスマスの出来事が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だからこそ翌日に俺はふたつの決断をした。

 ひとつは暫くの間、長門さんと朝倉さんの二人で登校してもらうこと。先に行っててくれという話だ。誰かに余計なことを言われたのがきっかけじゃないからな。なんとなく、だ。

 もっとも俺と一緒に登校せずとも俺を起こすためだけに朝倉さんは我が家に立ち寄るらしいから何かがそう変わるわけでもない。

 話す相手がいないと、やけに日差しがそこそこだとかまあまあ暖かいだとか天気について意識するようになるのかと思ったぐらいさ。昨日までは気にしてなかったのに。

 で、もうひとつについてだ。こっちが本題かもしれない。

 放課後、当番だったので音楽室の掃除を適当に終わらせた俺はそのまま帰宅せず、北高敷地内にある別の校舎へ移動した。

 文科系クラブを中心に各教室がそいつらの部室として割り当てられているそこはいわゆる部室棟である。

 帰宅部の俺がそんなとこに何故行くのか。決まっている、とあるクラブに入ろうと思っているからだ。

 おかげさまで校内の階段を下りたり上がったり手間をかけさせられたがほどなくして目的の部室の前までやってきた。ドアの上にあるプレートには"文芸部"と書かれている。

 さて、軽く深呼吸、俺はコンコンコンとノックをした。

 ちょっとして扉の向こう側から、

 

 

「は、はい」

 

という声が聞こえたかと思えば、カチャ、と恐る恐る扉が開かれ、俺の顔を見た長門さんはレンズの奥にある目が点になってしまった。

 

 

「……あっ」 

 

「どうも」

 

「こ……こんにちは……」

 

 絶対「なんで俺が文芸部にやって来たんだろう」って彼女は思っているはずだ。

 脅かしに来たわけじゃないんだけどな、と内心で苦笑しつつ、

 

 

「お邪魔しても大丈夫かな」

 

「あ、うん。いいよ」

 

 俺は初めて北高文芸部の領地に足を踏み入れた。

 一歩して、立ち止まり部室の中を見渡す。

 いつかどこかで見たような、メイド服やナース服や諸々のコスプレ衣装がラックされているハンガーセット、お茶を淹れるためのカセットコンロやヤカンそして茶葉、まさかの冷蔵庫――なんてものは当然ここに置いておらず、あるのは本棚と長テーブル、あと年季が入ってそうなデスクトップぐらい。想定通りの光景だ。安心した。

 

 

「どうかしたの?」

 

 ぼーっと突っ立っているのを不思議そうに長門さんが言うので俺はなんでもないと返すと足を休めるためにパイプ椅子に腰かけた。鞄は机の上に置かせてもらう。

 長門さんは申し訳ないといった表情で、

 

 

「ここじゃお茶も出せないんだけど……ごめんね」

 

「突然押しかけたオレに気なんて遣わなくていい」

 

 喉が乾いたら自分で自販機にでも行くさ。部室棟からは歩く必要があるが。

 窓辺からパイプ椅子をわざわざ俺の向かい側まで持ってきて座った長門さんは改まって、

 

 

「それで、わたしになんの用?」

 

 んー。長門さんに用があるっていうか、ここに用があるというのが正しい。

 ズバリ単刀直入に言えば。

 

 

「文芸部に入りたいんだ」

 

「……本当?」

 

 嘘ついてもしょうがないだろう。

 しかし長門さんは訝しんでいるようだ。

 ここは建前を述べておくとしようか。

 

 

「家にいても面白くないしね。それにここなら落ち着けると思ったんだ」

 

「たしかに落ち着けるけど、あなたにとっては退屈かも……やることがあるわけじゃないから」

 

「構わないさ。君さえよけりゃあね」

 

「わかった。いいよ、文芸部に入っても」

 

 ふっと笑みを浮かべる長門さん。なんだかこっちまでつられて笑いそうだ。

 もし俺の目の前にいるのがあの長門有希だったらどうなっていたのだろうか。

 彼女が涼宮ハルヒ絡みじゃない人間の入部を許すとは思えないが、なら普通の人間にギリギリ含まれないかもしれない俺は文芸部に、いや、SOS団に入れるのだろうか。わからない。

 実のところ、俺が文芸部に入ったのはこの世界が本当にアニメの世界そのままなのかを見極めたいと思ったからだ。

 ここが【涼宮ハルヒの憂鬱】の世界じゃないとしても【涼宮ハルヒの消失】の世界だったら。

 俺は将来訪れるであろう十二月を静観すればいいのか、あるいは――

 

 

「棚にある本は好きなの読んでいいから」

 

 と長門さんが言ったかと思えば彼女は自分の鞄をガサゴソと漁り、携帯ゲーム機を取り出した。

 携帯ゲーム機だって? 

 俺のエイリアンでも見るかのような視線に気づいた長門さんはバツが悪そうに

 

 

「あ、これ? ……先生にバレたら没収されるから、その、内緒にして」

 

「おう……それはいいんだが……」

 

 何?長門有希は文学少女ではないのか!?

 てっきり彼女は三度の飯より本を読むのが好きかと思っていた、朝倉さんが作る料理をガツガツ喰うもんだからそれよりも読書に対する熱があるのだと思っていた、だからこそ文芸部なんかにいるものだと。

 アニメで見た消失の長門さんはゲームのゲの字も知らないようなガッチガチの読書マニアといったイメージで、休日は自宅よりも図書館にいるのが自然だ。

 人は皆、思い込みの中で生きている。

 俺が見極めなければいけないものは考えているよりも多いのかもしれない。

 気をとりなおし、俺は電源が落ちているパソコンを指さして彼女に訊ねる。

 

 

「あのパソコンは使ってもいいのか?」

 

「うん。でもインターネットには繋がってない」

 

 そうだろうな。

 LANケーブルが刺さっていないようだし。

 

 

「まあマインスイーパが入ってんなら充分だ」

 

「有名どこはだいたい入ってるはずだよ」

 

「そいつはよかった」

 

 パソコンはまた後日だ。初日なんだし今日のところは文芸部らしく読書をするとしようかね。

 本棚には読むものに困らないほどの本が整列されており、その中にあった【地球の狂った日】を読むことにした。小学生の時、死ぬほど読んだぐらい好きな作品だ。

 最初のイラストつき登場人物紹介を数秒眺めてから早速読み進めていく。

 部室内はカチカチとゲーム機のキーを操作する音しかしない。

 そういえば俺と長門さんが二人きり、というのは初めてのことだ。いつも朝倉さん含む三人でしか関わっていなかったのだ。

 ゆえに彼女がややそわそわしている感じなのだろう。じきに慣れてほしい、まだ俺と彼女は友達の友達レベルに近いのだから。俺も善処するさ。

 昔、散々読んだ小説だけあってページをめくる速度は速いが今見ても面白いと思うのはこれが名作だということだ。名作は色あせない。 

 

 

「……」

 

「……」

 

 君はなんで文芸部に入ったんだ、とか、ゲームをするのが好きなのか、とか。言いたいことはそれなりにあったが黙っていた。

 他にも考えなければならないことはあるが今はただ時間の浪費に身を任せていたい。

 それから本を読み終えた俺は次に【液体インベーダー】でも読もうかと椅子から腰を上げたところで長門さんが、

 

 

「もう五時前だから、今日はおしまい」

 

 と告げ俺の文芸部生活一日目が終了したわけだ。

 部室の鍵は長門さんが職員室まで返しに行くと言ったが、せっかくだし一緒に帰ろうか、と俺は提案した。

 

 

「……朝倉さんに悪いから」

 

 しかしこう言われて断られた。

 ひとりで生徒玄関に行き、外靴にかえてから校舎を出た際に思ったことは、夕方になればちょっと涼しいなということだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue7

 

 面倒な選択を迫られた時、弱い人間が選ぶのは勢いに身を任せた決断でも現実逃避でもない。もっとも悪い別の選択肢である保留だ。

 結論の先延ばしというのは何かの解決にならないどころかただ事態の悪化を招くだけでしかないが、心が弱い人間というのは仮にそれを知っていたとしても選ぶことを保留してしまうものだ。そして俺は俺という人間が脆弱な人間だと理解している。

 だが、この日の俺は違った。保留ではなく逃避を選んだのだ。俺自身の意思として。

 ところで一月一日と聞いてみなさんは何を想像するだろう。

 学生の身分であればお年玉が貰える、普段洋食ばかり食べてるから特に好みではないが居間に置いてあるのでおせち料理を食う、正月とか関係なく家でぐーたらする、このどれもが正解である。

 が、正月とは往々にして親戚一同が集まる。これまた面倒な話である。

 しかも、しかもだ。我が家の場合はそれが親戚だけに限らない。

 だからこそ俺は休みぐらい自分のペースを保ちたいという主義のもとに朝早くから家を出て私鉄に乗り、街の大通りに面した某チェーン店のカフェで時間を潰しているわけなのだ。

 普段ならこんなとこ入らずに個人経営のカフェに転がり込むのだが、そういう店はもれなく三が日が休業なので渋々と本屋で買った適当なSFモノ文庫本を眺めながらここでホットカプチーノをすすっている。この店でコーヒーを注文するような気分ではなかった。

 

 

「……」

 

 店内は正月の十時半過ぎだというのにそこそこ人がいた。

 初売りのために街に来る主婦層は多い。その連れで来た旦那さんとかはこういうとこで過ごすのが落ち着くんだろうな。俺みたいになんでここにいるんだって感じの人もちらほら見受けられるが、他人の顔を気にするような場所じゃないしな、ここは。戦場じゃ相手の顔を見てはいけないのさ。

 とまれ十二時前まではゆっくりするつもりだ。

 それからファミレスかラーメン屋あたりで昼飯にしてまたここか別の茶店に転がり込んで一日を終わらせてやる。なんなら午後九時ぐらいまで帰る気はない。財布の貯蔵は充分だ。

 なぜそこまでするかって?そりゃ――

 

 

「ねえ、隣に座ってもいいかしら」

 

 突然、窓側の席に座る俺の背後から聞きなれた女性の声がした。

 いやまさか。幻聴だろう。

 

 

「……座るわよ?」

 

 そう言って空いていた右隣の席に座ったのは俺が幻覚症状に見舞われていないのであれば朝倉さんの姿をしている。多分本人だ。

 朝倉さんはトレーをテーブルに置き、マフラーとコートを脱ぎ畳んで膝の上に乗せた。そして俺の方を向き、

 

 

「あけましておめでとう。今年もよろしくね」

 

 笑みを浮かべつつ正月期間限定の挨拶をしてくれた。

 もちろん、こちらこそよろしくお願いするよと返事はしたがはたして俺たちはすんなり談笑してよいものなのかと思案してしまう。

 一般論からすると男子が女子に告白して「考えさせてほしい」とキープ的に返されることはあるだろうが、その逆パターンを俺はやっているわけで、しかも一週間近く前にそのことを思い出させられたのだから朝倉さんに対する気負いというか気まずいものを俺は感じているのだよ。あれから今日までの数日間会ってなかったわけだし余計に。

 だが朝倉さんは街中でばったり出会うという運命的演出をするために来たわけではない。間違いなく俺を追ってやって来たのだ。 

 

 

「オレの顔が恋しくなって来たわけじゃあないんだろ」

 

「違うわよ。そうだったら私もちょっとは気が楽だったけど」

 

「……やっぱり来てるのか、今年も」

 

「ええ。あなたにとっては嬉しくないことみたいね」

 

 君にとっては大切な家族なのかもしれないが俺にとってはストレスの原因に他ならない。

 クリスマスパーティ以来会っていなかった朝倉さんがここに来たということはつまり彼女の両親――特に親父さんだろう――が俺に会いたがっているということだ。あのお二方は俺の家に来ている、正月休みを利用してはるばる海外から。もう恒例行事なので驚きはしないが勘弁はしてほしい。

 彼女が持ってきたトレーの上にはフルーツパイひと切れとホット抹茶ラテが乗っている。なんと贅沢な。交通費込みでカネを払ってあげるから俺と会わなかったことにして立ち去ってくれるとありがたいのだが。

 フォークでパイをつつき始めた朝倉さんの顔色を窺いつつ俺は尋ねた。

 

 

「どうしてオレがここにいるってわかったんだ」

 

「逃げ込みそうなとこぐらいわかるわ。あなたゲーセン行くような人じゃないし」

 

 あっさりした様子で言ってのけた彼女だが本当は感知能力的なもので俺の居場所をつきとめたのではなかろうか、こう、コズミックなあれで。

 

 

「そんなわけないでしょう」

 

 俺の疑問を鼻で笑う朝倉さんからは謎の自信を感じた。そして俺は現に彼女に見つかっているわけなのでぐうの音も出ない。

 だったら次はゲーセンに逃げてやるからな。

 して、俺が言いたいことはこれだけだ。

 

 

「今日はオレ家に戻る気ないから」

 

 俺の言葉を受けた朝倉さんはフォークでカットしたパイを口に運んび呑み込んでから、

 

 

「んっ。あなたの気持ちはわからなくもないけど私も手ぶらで帰るわけにはいかないのよ」

 

「オレの意思はどうなるんだろうか」

 

 きっぱりとした表情で朝倉さんは問いに答えてくれた。

 

 

「諦めてちょーだい」

 

「んなアホな」

 

「私で無理だったら次はあなたのお姉さんが来ることになってるから」

 

 そりゃあんまりだろ。あの人を出すのは反則じゃないか。

 やれやれ。トラベラーリットを付けたまま抹茶ラテを飲んでいる君が俺の味方だったら少しは心強いんだけど。

 

 

「私だって父さんにうるさく言われたくないもの、お願い」

 

 お願いならしょうがないかもしれないな。でもね、朝倉さんの代わりにうるさく言われるのは俺なんだよ。

 自由になりたくてそんなに好きでもない店に入ったというのにこれだ。何が悲しくて幼馴染の親父に正月から絡まれなきゃいかんのだ、ザ・理不尽だぜ。

 機嫌を悪くしたつもりはないが俺は相当な苦虫を噛み潰したような顔をしていたのだろう。朝倉さんはおずおずと、

 

 

「大人しく私と一緒に帰ってくれるなら、あなたの言う事をひとつだけ聞いてあげるわ」

 

 もの凄く既視感を覚える提案をしてきた。

 俺に、どうしろと言うのだ。

 こういう時に下種な発言をして好感度を下げるのはナンセンスだろう。郷にいては郷に従え、しかし異世界人は紳士たれ、だ。 

 文庫本に栞を挟んで閉じカフェラテの横に置き、なけなしの甲斐性とやらを彼女に見せてやることにした。 

 

 

「じゃあ昼過ぎに帰ろう。それでいいかな」

 

「お昼前には居たほうがいいわ、ごちそうにするってあなたのお母様が言ってたから」

 

「いや、せっかく街まで来たからいろいろ見て回りたいんだ……君と」

 

 すると朝倉さんはトレーのパイから目を離し、俺の方をまじまじと見つめてきた。

 こういう彼女の反応がかわいかったりする。本人の前ではとてもじゃないけど言えないが。

 

 

「わ、わかったわ。それで手を打ちましょう」

 

 と言ってから朝倉さんはすぐに残りのパイを平らげて抹茶ラテをごくごくと飲み干すとコートを羽織り早々にトレーを片づけてしまった。

 俺には残ったカフェラテを早く処理しろと言うし、いったいなんなんだ。いや、まさかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 十三分前の自分の言葉を取り消したい。我ながら余計な提案だったかもしれない。

 わかっていたことではあったもののどうにもこうにも人が多いのだ。腐ってもここは地方都市だった。

 カフェから一番近い百貨店に入ってはみたが失敗もいいとこ、こんな日にこんなところで服とか靴とか見ようかなと思ってたのが俺の間違いだ。

 

 

「だからってベンチに逃げることないでしょう」

 

「ここなら下のフロアよりマシだ。君だってわたわたしてるの好きじゃあないだろ」

 

「それはそうだけど……」

 

 百貨店の人口密度に嫌気が差した俺は入店から数分とせずにエレベータでレストラン街まで移動した。理由は単純、人が比較的少ない。まあエレベータの中でさえパンパンだったのは言うまでもない。

 かくして朝倉さんが言ったようにベンチに座って作戦会議をしているのだが早くもどん詰まりである。

 時間があればいくらでも軌道修正可能だが夕方まで客を待たせるのは流石に悪い。うん、家に帰ることについては完全に諦めたよ俺。

 しかしながら今から昼を食べて帰るというのも味気ないのだ。そしてレストラン街の店はもれなく無駄に高い、マセた学生が入るようなとこじゃないからな。

 やはり俺が折れる必要があるのか。

 

 

「オーライ。さっさと見てさっさと出ようか」

 

「その次はどうするの?」

 

「通り沿いを適当に攻める」

 

「もう。結局ノープランじゃない」

 

 行き当たりばったりが好きなのさ。

 そんなこんなで物見遊山を再開した俺たちだがレストラン街を一階降りただけで俺のやる気がドレインされたのは言うまでもない。

 普段は広々としているはずの7階がこの有様だ。まったく、いつから日本人の正月は慌ただしくなっちまったんだろうな。

 しかもこのフロアはおもちゃ屋がある6階や婦人服を取り扱っている3階から5階より混んでいないのだから笑える。もちろん乾いた笑いだ。

 ご覧の通り死に体な俺とは対照的に朝倉さんは元気だ。

 食器売りコーナーにずらっと置かれているお皿を手に取って眺めては戻し、また器を手に取って眺めては戻しとやっている。何が面白いのかね。

 まさか買うわけでもないのに特選洋食器の一式を指さし、

 

 

「ねえ、あれいいわよね」

 

 と俺の評論を伺う朝倉さん。

 いやどう見ても普通の食器だろ。

 

 

「普通って……あなたいくらすると思ってるのよ」

 

「あそこにあった猫の形した皿のほうがオレは好きだ」 

 

「本気で言ってるの?」

 

「マジだ」

 

「あなたが猫好きなだけでしょ」

 

 朝倉さんは俺の美的感性の乏しさに薄ら笑いを浮かべた。

 ええい、彼女は猫より犬が好きだからあの皿の良さがわからんのだよ。

 他に台所日用品および家具を見回るといよいよ下のフロアに俺たちは降りた。

 ただちにエスカレーターでそのまま一階まで行きたくなったがなぜか紳士服はこの階にしかない、婦人服は複数フロアにまたがっているのになぜなのか。それは家族連れでもない限り男性客など百貨店に入り込まないだろうという予測の末の経営戦略なのかもしれない。

 のろのろと紳士服コーナーまで歩いていったはいいが服を吟味する気力は皆無だ。客層を見ても同世代の男など一人もいない、おっさんばっか。

 メンズ福袋に心惹かれるものもなく、おもちゃ売り場も無視して5階へ向かう。

 困ったことに本当の地獄とやらはここからだった。

 婦人服売り場ともなれば女子が元気を出すのは当たり前で、だからこそ年甲斐もなくおばさんたちが大挙して地方都市の百貨店まで押しかけているわけだが朝倉さんは商品に興味があっても俺にはてんでない。5階で気になるのはウォッチサロンだけだ。

 と、悪態をつきたくなるのはやまやまだがそうも言ってられない。つまらないオーラを出すのは空気が読めない奴のすることだ。

 

 

「何か欲しいものがあったら言ってくれ」

 

 日頃の感謝で一万円ちょっとなら出してやれないこともないぞ。

 朝倉さんは遠慮して、

 

 

「いいわよべつに。荷物になっちゃうから」

 

 それは俺の財政的にありがたいことを言ってくれたが結局ただ服を見るだけにも関わらず長々と百貨店内を彼女に引っ張られてしまった。本来の趣旨は俺が見たいものに彼女が付き合う、だったはずなんだけどな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気がつけば午後一時になっていた。

 パソコンオタクの俺としては家電量販店をハシゴしたかったところだがそこまでの気力は残っていない。飯食って帰宅ルートが安定だ。

 家に帰って親に何かを出してもらうというのは経済的発想であり、普段ならもちろんそうしてもらうのだが待ち受けている者たちの存在を考えると事前に昼を済ませておくというのがベターだろう。家で食べてもきっと落ち着かないし。

 そんなこんなで駅までの通りに面したパスタ屋に俺たちは転がり込んだ。正月らしくはないが昼に入る店としては無難かつ身の丈相応なチョイスじゃないかね。

 朝倉さんは注文した明太きのこスパゲッティ―を食べながら。

 

 

「一昨日に長門さんと話したんだけどね」

 

 と前置きしたのち、あまり考えたくないことについて言及した。

 

 

「文芸部の機関誌をどう作ろうかって」

 

 決して失念していたわけではないが機関誌云々を考えるのは冬休み明けでいいんじゃないかと思っているよ。

 なんて気の抜けた返事をすると朝倉さんは俺の倦怠感を咎めるように。

 

 

「後回しにしないで。具体的なプランを先に考えておいたほうが結果的に楽になるでしょ」

 

 へいへい。説教じみたことを言われんでもわかってるさ。

 何もSOS団みたいにガッチガチの本を作らなくてもいい、国木田入れて部員五人しかいないんだし薄い本でいいのさ。書く内容さえ決めりゃ各自で適当にやれば大丈夫だ。

 ただ"どうやって"書くかが問題となってくる。

 涼宮ハルヒと愉快な仲間たちはすったもんだの末にコンピュータ研究部から人数分のノートパソコンをふんだくっていたので作業がキーパンチで済んだが、それはラノベでの話であり、現実に文芸部が所有しているのはストレスなしに動かすことすら難しそうな型落ちのデスクトップ一台のみ。あれを複数人数で運用してくのは効率が悪すぎる。

 つまり俺たちが作業するとしたら原稿用紙に紙で書く、ぐらいしか方法がなさそうなのだ。

 

 

「べつにそれでいいじゃないの。原稿用紙なんて学校にいっぱいあるんだし」

 

「野郎の書いた雑な文字を誰が読むってんだ」

 

 俺はかつて書道の先生にお前の文字は狂人が書く字に似ているとまで言われた男だぞ。

 森先生から機関誌は一部が校内の資料として保存されるって聞いているので余計に手書きは気乗りしない。

 

 

「作業できるマシンがありゃあいいのにね」

 

「こればかりはどうしようもないわ。パソコンなんて部費じゃ買えないもの」

 

 顧問がポケットマネーで買ってくれれば話が早いんだがな。

 あの人の旦那は高給取りだって聞くし、未来の文芸部部員のためにもあんな化石PC一台じゃなくもっと部室の設備を良くしてほしいぞ。

 

 

「そんなに笑われたいなら頼んでみればいいんじゃない?」

 

「いや、やめておくよ」

 

「賢明な判断ね」

 

 言うだけタダというのは口に出す前の話であり、実際に言ってみた後にタダで済むかどうかは別問題なのだ。

 とりあえず今は何を書くかってことだけ考えてればそれで十分だろう。書き起こし手法を俺たち二人で議論していても解決しないのは明らかだしな。

 海鮮オイルパスタを咀嚼しながら次に俺が思考を巡らせたのは目の前のお方についてである。

 今ぐらいの関係が俺たちにはちょうどいいと感じている自分と、そうじゃない自分が少しだけいる。なぜかは考えてもわからない。

 俺にとって絶対的に欠けているピースがある。それは過去だ。

 対等な関係に見えるかもしれないが実際に彼女と俺とでは積み上げているものが違う。

 もしも幼馴染なんて設定なしに俺と朝倉さんが高校生になってから出会っていたとしたらどうだろうか、こんな身内みたいな関係には少なくともなっていないはずだ。彼女を素直に受け入れていいのかどうか逡巡している原因の一端にそういうことがあるのは確かである。

 ま、全部言い訳でしかないんだけどさ。

 

 

「そうそう、明日は初詣に行くわよ」

 

「誰が」

 

「私とあなたに決まってるじゃない」

 

 あっけらかんとした表情で言う彼女にとってそれは既に決まったことなのだろうか、俺は初詣に行くなんて一言も言ってないのに。

 また面倒な話だ。パスだパス、あえて行く必要を感じないね俺は。行きたいなら長門さんと二人で行ってくれ。

 

 

「長門さんは今日行ったと思うわ」

 

「なんで君は行かなかったんだ」

 

 そしたら俺が不幸な目にあうこともなかったかもしれない。

 いいや違う。さっき言ってたように朝倉さんじゃなく姉さんが俺を呼び戻しに来るだけか。

 あれ、最初から詰んでね?

 置かれている自分の状況にブルーな戦慄を覚えつつある俺の胸中など知らない朝倉さんは長門さんと一緒に初詣に行かなかった理由を教えてくれた。

 

 

「私がいたら邪魔者になっちゃうでしょ。キョンくんも一緒だから」

 

「そいつは重畳だな」

 

 なるようになるだろうさ、あの二人なら。

 そして昼飯をすんなりと終えてしまった俺と朝倉さんはいよいよ街から帰ることに。

 店を出て少し歩けば地方都市のコアともいえる大型のターミナル。その中の私鉄改札をくぐってホームに降りると、一秒でも早く帰れと天からの導きでも受けているかのようにちょうどいいタイミングで電車が到着した。

 真昼間だけあって席には余裕で座れた。これが帰宅ラッシュともなれば東京や横浜の車内ほどではないが相当混雑するのだからもうちょっと快適で便利な交通インフラが是非成立してくれと思う。電車は駄目だ。

 

 

「ねえ」

 

 メランコリックな気持ちをどうにかこうにか押し殺しながら正面の車窓から見える面白味もない景色を眺めていると、ふいに朝倉さんが口を開いた。

 

 

「何だい」

 

「もうちょっと……そっちに寄ってもいいかしら」

 

 ロングシートをわざわざ詰めるほど俺たちの横に誰かが座っているわけではない。

 だけど、まあ、朝倉さんがそうしたいのであれば俺は止める必要がなかった。 

 総合的かつ客観的に見て俺と彼女はリア充だった。彼女が寄せてきた肩を快く思うのと同じようにこれからのことを広い心で許せるかもしれない、そんな錯覚にさえ陥るほどに。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue8

 

 

 大して長くもない冬休み。どこか遠くへ旅行しに行くということもなくダラダラ過ごしているうちに最後の一日が終わってしまった。

 あの一月一日のことは思い出したくもない。朝倉さんのご両親はいい人には違いないのだが、プレッシャーというストレスが嫌いな俺からすれば同じ空間に存在しているというだけで心のゲージにスリップダメージが入ってしまう。

 嫌なことはさておき、翌日にあった初詣についてはまあまあ良かった。なんと貴重な晴れ着姿の朝倉さんをお目にかけることができたからね。申し分ない目の保養だ。

 ただ、神社の境内は異常なまでに混雑していて、そんな中を何分もかけのろのろと歩いてまで俺が初詣をしたかったのかと言われるとそんなことはなかったのだが。

 帰りがけに引いたおみくじが仰るには今年の運勢は吉だとよ。去年は小吉だったんだがな、悪くなってるよなこれ。ちなみに朝倉さんは中吉だと。

 

 

「当たるも八卦、当たらぬも八卦だわ」

 

 これは朝倉さんの弁だが、俺のおみくじに書かれていた恋愛の項目の『この人を逃すな』ってのを信じていいものなのかね。誰でもいいから教えてくれ。

 で、せっかくだからということで朝倉さんのお母さんが、若い二人の写真を撮ってあげると言い、人がそこまで多くない絵馬置き場近くで、いつも通りの一張羅な俺と晴れ着の彼女の2ショットを撮ってくれた。

 撮影されたデジカメの画像データは俺のパソコンにも取り込まれることとなった。

 朝倉さんのお母さんはデジカメを持ち歩いてパシャパシャするのが好きな人だけあって俺たちは見栄えよく映っている。永久保存版だなこれは。

 そして三が日の終わりとともに朝倉さんの両親は再び海外へ行ってしまった。次に会うことになるのはゴールデンウィークかお盆休みだろう。

 また高校へ通わなくちゃいけないダルさと機関誌を作らなきゃいけない課題の二つが困りものだが、ともかく基本的には学校で同じ毎日を繰り返す日々が戻ってきた。

 それは同時に無理やり朝倉さんに起こされる日々が戻ってきたということも意味している。

 

 

「最近思うんだけどさ」

 

「何かしら」

 

 布団をひっぺがしてまどろみを妨害した彼女に対し、俺はベッドから起き上がって思うところを述べることにした。

 

 

「起こすにしてももうちょっとマシなやり方はないのかね」

 

「……例えば?」

 

 朝倉さんに目覚めのキスなんてされたら一発で飛び起きれる自信があるがそんなことを頼む権利など今の自分にない。なぜなら彼女とは幼馴染であり、それ以上でもそれ以下でもないからだ――と、情けない男の台詞に同調してしまう程度に俺は情けない。

 普通に身体を優しくゆするぐらいがちょうどいいと思う、と言うと朝倉さんは鼻で笑ってから、

 

 

「それであなたが起きたためしがないからこうしてるんだけど」

 

 正論である。悲しいかな彼女のこの様子じゃ明日以降に起こし方が変わることはなさそうだ。

 大人しく議論を投了して俺は身支度を整え数週間ぶりに北高へ向かった。朝に長門さんの顔を目に入れるのも去年以来だな。

 十二月も一月も変わらずに寒い。元々低血圧で朝が弱いタイプの俺にとって一年のうち冬が最も嫌いな季節だから余計にこの寒空が憎く見える、睨んでやろうか。

 

 

「どうかした……?」

 

 信号待ち中に顔を上げて空を睨むなどというのは客観的に見れば奇行の類であり、長門さんが俺の正常を心配するのは当然のことであった。空から彼女の方へ顔を向けるも視線が痛い。

 いや、どうもしてはいないんだけどと言う俺の言葉に被せるように朝倉さんが長門さんに、

 

 

「気にしなくていいわよ。寒い風を送りつけてくる空が憎たらしいとかそんなんだわ」

 

「……空が?」

 

「ええ。それか彼には見えちゃいけないものが見えてるのかもしれないけど」

 

 まるで不審者を気にする子どもを窘める保護者のような態度で好き放題言ってくれた。しかもだいたい合ってるから困る。俺にはこの空がちゃんと青色に見えてるから安心してくれ。

 パッと信号機が青に切り替わったので横断歩道を渡っていく。歩こうが足を止めようが寒さに変化はなかった。

 そうだ。俺が変人扱いされるのは構わんがじゃあ君たちはどうなんだろう、寒くないのかよ、と女子二人に伺うも。

 

 

「寒いことは寒いけどわたしたちにはどうしようもないと思う」

 

「そうよ、あなたみたいに睨んだからって天気が変わるわけないんだからね。お天道様に罰当たりなだけじゃない」

 

 なんということだろう。新学期早々に文芸部内のヒエラルキーが危ぶまれているではないか。

 まあ笑いたい人には笑わせておくのが俺のスタンスなのでべつに困らないけど実害が出ないことを願うばかりだ。

 ところで終業式の必要性が謎なのはさることながら始業式というのはそれ以上にやる意味を感じない儀式ではなかろうか。なぜなら北高の始業式は終業式とほぼほぼ同じコマ割りであり、午前で解散となっている。最早ただの顔合わせだ。

 在校生の模試の成績がふるわなかったなどという理由で冬休み前の短縮授業を文字通り短縮しやがった学校長は始業式についてはノータッチらしい。まあ、授業がないのは楽でいいことだが結局文芸部があるので俺の帰宅時間は普段とそう変わらない。だったらいっそのこと休みを一日延長してくればいいのに、学校側もそうはいかないようだな。

 それから寒さを耐え忍んで通学路を行き、教室まで到着したはいいが悲しいことに我が一年五組の教室もずいぶんと冷えている。文字通りに。

 残念なことに私立校でもない北高は校舎の中にいたところで寒いことには寒いのだ。女子はひざ掛け必須である。

 

 

「ったく暖房代をケチりやがって」

 

 貧弱な公立校の設備に悪態をつきながら鞄を机のフックにかけて着席する。

 テキスト類は一切もってきていないので本日の机の中は空だ。

 朝のチャイムまでまだ十分ほどあるがトイレに行きたいわけでもないので俺はじっと前を向いて時間の経過を待つ。授業中ならいざ知らずこんな時間から机にダイブしていたら朝倉さんにシャーペンで刺されて起こされるのだ、中学時代に散々やられたからわかる。

 少しすると谷口が教室に入ってきて俺を見るなり、

 

 

「いよっ。明けましておめでとうだなこの野郎」

 

 と言ってこちらに近づいてきた。

 冬でもセーターなしの北風小僧なのはスゴいと感心するけどともすればセーターも買えない貧乏野郎に見られるぞ。

 すると谷口はなぜか得意げに、

 

 

「お前もキョンも暇がありゃ寒い寒い言ってるからな。だが俺にゃセーターなんざいらねえのさ、コート一丁でも暑いぐらいだろ」  

 

「なわけあるかよ」

 

「流石にブレザーだけってのはきついがな。やせ我慢じゃねえぜ」

 

 よく馬鹿は風邪をひかないなどと揶揄されるが、ひょっとすると馬鹿なる人種は常人と身体の作りが違うのかもしれんな。

 ところで谷口の顔を見て俺はあることを思い出した。彼の十二月二十四日についてである。

 デートの相手は周防九曜だったのだろうか。だとしてもこの世界の周防九曜もきっと普通の女子高校生なはずだ、朝倉さんのように。

 谷口という男のクリスマスイブについて気になるといえば気になるが、色恋沙汰という野暮ったいことを聞く主義でもないので言わぬが花だ。自慢できるような内容だったら彼の方から聞けるはずだし。

 俺はちらっと斜め前、教室窓側の前の方を見やった。女子がたむろしている。その中には俺の幼馴染がいた。

 よくわからん話題でも人数が集まればうるさいのが女子だ。休み明けで話題もたっぷりなんだろう、朝倉さんもあれこれ喋っているみたいだが。

 

 

「ところでよ」

 

 谷口が口を開いた。

 なんだ、クリスマスの話か。

 

 

「国木田から聞いたが文芸部で本出すんだろ?」

 

 その件か。

 

 

「本じゃあない、機関誌だ」

 

「何が違うんだよ」

 

「文芸部だから本みたいな形で作ろうとしてるだけで、元々機関誌っつうのは新聞の仲間だ。校内新聞の文芸部バージョンを作ると思ってくれ」

 

「はーん。ま、ようわからんがこの俺様の力が必要なら遠慮なく言ってくれよ」

 

 谷口は我こそ百芸に通ずるとでも言わんばかりの自信ぷりだった。彼に文芸の才があるかは甚だ疑問だが。

 部員の五名だけの内容というのは薄い気がしないでもない、けど谷口にわざわざ書いてもらうようなこともあるまい。SOS団がジャックした文芸部の機関誌じゃないんだからな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 始業式が開始してから外界からの情報など何ひとつ頭に入れずぼーっとしているうちに下校の時間となった。不毛すぎる過ごしかただろうか、俺はそう思う。

 この調子じゃ俺が変わったなど嘘でも自分で言えるはずがないが、こんな最低な日々が常になっているところがあるのだから真人間への道はまだまだ遠そうではないか俺。

 

 

「ん、どうした?」

 

 お昼の弁当を部室で食べ終え、鞄は置いたまま上着を持って部室を出ようとした俺にキョンが尋ねてきた。

 なんということはない。始業式の部活時間は普段より長いため小腹が空きやすいので、おやつでも買いに行こうと思ったのだ。

 その旨を述べた俺はコートを着ながら三人が座っている長机の方を見て、何か買ってきてほしいものがないかを聞いた。

 

 

「……プチシューが欲しい」

 

 長門さんが遠慮しがちな声でそう言った。

 これが野郎の頼みだったら俺は手のひらを差し出して金をよこせと言ってやるが、長門さんならタダで買いに行くね俺は。

 キョンの方に顔を向けると彼は首を横に振り、

 

 

「俺は別にいい」

 

 だと。

 で最後の朝倉さんはというと。

 

 

「あ、外出するなら私も行くわ」

 

 

 そんなこんなでキョンと長門さんを部室に残して朝倉さんと適当なコンビニを目指すことにした。

 本日は我々文芸部の目下の目標たる機関誌発行を実現するための作戦会議を行う予定であるが、外回りに小一時間かかったとしてもまだまだ活動の時間は残るから問題はあるまい。

 もちろん機関誌には国木田も関わるが今日は部室に来れないようなので彼には四人で決めた方針に沿って動いてもらうつもりだ。その方が国木田だってやりやすいはずだしな。

 部室棟には文科系のクラブが集まっており、休み明けというのに活動をしているのは文芸部だけに限らない。ようは校内には生徒がまあまあ残っているというわけだ。体育会系なんかはアホみたいな寒さだというのに外で練習してやがる始末だからな。

 

 

「正気を疑うね」

 

 廊下を歩きながらぽろっと呟いたら朝倉さんに脇腹を小突かれて、 

 

 

「こら、頑張ってる野球部に失礼でしょ」

 

 めっとした表情で叱ってきた。

 失礼、と本気でそう思えるのだから彼女はマジにグレートだ。俺には無理っス。 

 

 

「そのガンバリとやらが実のあるものだとは限らないっしょ、部費の無駄遣いだぜありゃ」 

 

「だからって彼らを馬鹿にしていいわけじゃあないのよ」

 

「スポ根が好きなの?」

 

「そうじゃないけど……あたなみたいに斜に構えるの、よくはないわ」

 

 残念だ。

 朝倉さんみたいに何でもできるタイプの人には簡単にわからんのだろうさ、うまくいかないクズの劣等感なんてものは。もっとも俺はそんなくだらないことを彼女に理解してもらいたくないがね。

 どうあれ俺の発言が世間一般に褒められるもんじゃないことは自覚している。過ちを認めようではないか。

 

 

「へいへいオレが悪うございました」

 

「反省の仕方をちょっとは考えてほしいものね」

 

 朝倉さんは目を伏せ、やれやれといった感じでそう口にした。

 北高の弱小野球部どもに罪はないがあいつらがもう少し強いチームだったら俺も考えを改められるんだがね。

 して、俺たちは校舎から外に出て校門とは反対の道を行き、外周コースで裏手に回る。

 おやつだけの用なら近くにある駄菓子屋に行く方が近いが、コンビニなら他にも色々あるしな。こう考えて古き良き店から足が遠のくのは現代っ子の悲しき性か。

 品ぞろえの観点でいうと北高から最寄りのコンビニは貧弱で、その次に近いとこは何と大学敷地内とかいうわけわからんとこに位置している。

 これは立地の悪さが影響しているのだろうか。更に次のコンビニとなるともう駅から近くだ。まあ今向かってるのはその私鉄の駅前にあるコンビニなんだがな、ちなみに俺や朝倉さんの家からはまったくの反対方向だ。

 なるべく信号の少ない路地を選びながら歩いていたが、店の近くの信号なしの十字路まできて車が来ないタイミングを窺いながら立ち止まる羽目になった。通る度に思うが不便な道路だ。

 

 

「あぁ、さみぃな……」

 

「マフラーでもしたらどうなの?」

 

 俺の防寒具はコートとブレザーの下に着たセーターだ。

 北国に住む方々ならわかっていただけるだろう、こんなんじゃ寒さには勝てないのさ。北高の冬服ズボンはさして暖かくないし。

 マフラー、マフラーねえ。朝倉さんは現に今オレンジのマフラーしてるし、ないよりはあった方がマシなのはわかる。

 

 

「なんつーかオレの趣味に合うもんがないんだよね」

 

「奇抜なデザインがいいのかしら」

 

 ジョセフ・ジョースターのあれが最高だと思うんだが、と言ったとしても朝倉さんはジョジョ知らないから話が通じない。

 べつに俺はマフラーに奇抜さを求めてはいないけど家にあるペラペラのやつを学校に持ってきたとこで邪魔になって煩わしいだけなので持ってきてないだけだ。

 ラブコメ的展開ならここで朝倉さんが手編みのマフラーを編むことを決意して、一生懸命にマフラー作りをするが失敗続きで、でも立派なものを渡したいと思って頑張ってようやく出来た頃には冬が終わってしまい彼女は悲しんでしまうが、渡された俺は次の冬まで大切に持っておくよと――

 

 

「……なにぼーっと突っ立ってるの、ほら、行くわよ」

 

 妙な妄想をバニッシュメント・ディス・ワールドしていたが彼女のどこか冷ややかな声でリアルに引き戻されてしまう。

 冷静に考えれば朝倉さんならマフラーを編むことなんて容易いわな。彼女の場合、少女漫画のテンプレートな流れにならずとも頼んだら普通にマフラーを編んでくれそうではある。手芸は女子の嗜みだし朝倉さんはそういうのを最も得意とするし。もちろん本当に頼むつもりはないが。

 十字路を突っ切ってやや進んだとこにあるこの店がコンビニの駅前店である。が実際のとこコンビニが面しているのは駅前とは名ばかりの日当たりさえ微妙な通りで、いかにも私鉄ローカル線駅前といった模様だ。

 自動ドアをくぐっていざ入った店内はガンガン暖房が効いていた。

 

 

「あったけえ」

 

「というより暑いぐらいね」

 

「でも寒いよかマシだぜ」

 

 特に多くの買い物をするつもりはなかったが、なんとなくコンビニの小さなカゴを手に取ってしまう俺。一人での買い物だったらカゴなんぞ使わず両手で商品を持っていくがな。

 少し店内を進み、スイーツコーナーに陳列してあるミルククリームプチシューひとつをカゴに投入。

 

 

「君は何もいらないのか?」

 

「そうねえ……」

 

 じろじろと包装されたスイーツたちを眺めた末に朝倉さんが選んだのはイチゴロールケーキの切れ端だった。

 俺が思うにコンビニのロールケーキというものは中のクリームが美味しいからいいのであって、イチゴが中に入ってることでクリームの量が減ってるうえに値段は上がっているこの商品はボッタクリそのものだ。朝倉さんは冬のイチゴフェアなどという広告に踊らされているだけでないか。

 なんてことを言うほど空気の読めない男ではないので俺は俺で好きな牛乳プリンをカゴに入れよう。うむ。

 

 

「他にはいいの?」

 

「いや、午後のコーヒーと、しょっぱいポテチもだ」

 

「無駄遣いしちゃ駄目よ」

 

「ムダかどうかはオレが決めることだろ」

 

 まあ無駄だと思ってるけどさ。

 かくして出した千円札のおつりに二百円も貰えないような買い物をしてしまった俺たちはこれまたのんびりと来た道を戻っていった。

 この時点までは普通の一日だった。特段、浮き沈みもないような内容。

 一昨年の十二月二十四日の俺が見たらきっと自分の進歩のなさに失笑してしまうことだろう。

 だがな、そんな俺でも予想だにしない展開だぜこりゃ。

 

 

「……あんたたちは誰?」

 

 コンビニ袋片手にひっさげ意気揚々と部室のドアを開けた先には女子生徒と男子生徒が立っていた。長門さんとキョンではない、二人は女子生徒と男子生徒の相手をしていたようだ。

 そして俺には本来見慣れないはずの女子生徒および男子生徒が何者なのかすぐに見当がついてしまった。

 冬休み明けの北高文芸部。その部室。そこには体操服姿のえらい美人と、イケメンじゃなかったら変態扱いされるような格好をしている短パン短シャツ姿の野郎がいた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue9

 

 

 俺と朝倉さんが不在の内に文芸部へ押しかけて来ていた二人組が何者なのか。俺は知っている。

 あの女子生徒こそが涼宮ハルヒ。かの【涼宮ハルヒの憂鬱】という題名にもなっている宇宙人がどうとかいうセリフで有名なお方だ。

 ちなみにアニメ放映当時あんな感じの自己紹介を学校でするのが一部界隈で流行したそうだが、現実で見たらマジどん引きだよありゃ。中二病全開じゃんよ。

 この世界でも彼女による地上絵事件はあったらしい。まあ、その事件発生当時に"俺"はまだこの世界にいなかったけどね。

 同じ中学出身の谷口いわく涼宮ハルヒは私立校の光陽園学院へと進学したとか。アニメ通りの筋書なら俺らと同じ北高生のはずだが、そうはなっていないというわけだ。

 その涼宮ハルヒが今更なぜここにいるのだろう。慎重に見極める必要がある。

 しかしながら愚かにもこの時の俺は冷静でいられなかったのだ。隣の朝倉さんが何か言うよりも早く涼宮ハルヒに質問してしまった。

 

 

「おい。どうしてお前がここにいる」

 

 質問の内容を口に出してからマズった事に気がついた。彼女は俺のことを一切知らないのにこれはいかがなものか。現に今の発言で涼宮ハルヒの顔はゲームでいうところのはてなマークが浮かんでいるような表情になってしまった。

 キョンは俺と涼宮ハルヒとを交互に見て、

 

 

「涼宮と知り合いだったのか」

 

「キョンがこの女をここに呼んだのか?」

 

 ついでに古泉一樹もだが。

 と、なれば遂に始まってしまうのか。といってもこの世界はもうクリスマス終わってるし、今日一日のキョンの言動を思い返しても【涼宮ハルヒの消失】みたいに狼狽してなかったしな。謎だ。

 噛み合わない会話をよそに涼宮ハルヒは、

 

 

「あたしはあんたなんか知らないわよ」

 

「だろうな……初対面だ」

 

「ストーカー? それとも隠れファン? どっちにしてもキモいわね」

 

 流石に顔を合わせて数分もしないうちにキモいと言われるのには悲しいものがある。その原因が俺の顔にないことを祈りたい。

 ちらっと横目で窺った朝倉さんも俺のことを訝しんでいるらしい。古泉一樹は邂逅から変わらず、営業スマイルだが。

 初手のミスは後悔しているがリカバリは効く、適当な言い訳は考えてあるからな。

 

 

「オレはそのどちらでもない。単なる好奇心から東中地上絵事件の犯人について調べていたことがあっただけだ。あんたなんだろ?」

 

 嘘は言ってない。

 

 

「……ああ、どうりであたしを知ってるわけね。ま、あたしもそんなに有名人になった覚えはないんだけどね」

 

 ふふっと不敵な笑みを浮かべて涼宮ハルヒはこう言った。

 

 

「若気の至りってヤツ?」

 

「何言ってんだ涼宮。その理屈で言えばこの前行き倒れてたのも若気の至りだろ」

 

「うるさいわね。過去は過去、今は今なのよ。とにかく終わったことをぐちぐち言わないでちょうだい」

 

 行き倒れ、なんの話かさっぱりだがひょっとするとキョンと他校生の涼宮ハルヒはその件がきっかけで出会ったのかもしれない。

 だが今は今という彼女の言葉には同感だ。他校生がなぜここに来たのか、それについて説明してもらう必要がある。事と次第によっては俺も黙ってはいられないからな。

 普段は折りたたんで部室の隅っこに追いやっている来客用のパイプ椅子を二脚出し、涼宮ハルヒと古泉一樹に座ってもらった。もちろん俺たち文芸部の部員も全員椅子に腰かけている。

 コンビニで買ってきたものは机の上に置いて、それから話を聞くことにした。

 

 

「自己紹介させてもらうわ、涼宮ハルヒよ」

 

 そう名乗った黄色いリボンをカチューシャのように長い髪にくくりつけている女子生徒はやはり光陽園の生徒で、なんでも今回は北高に遊びに来たとか。つまりキョンが呼んだわけじゃないそうだ。

 ちょっと一安心、なのだろうか。しかしなんだって北高に来たんだ。ハッキリ言って見どころないぜここ。昔旅行で行った北海道の時計塔ぐらい退屈な場所だと思ってるよ俺は。 

 

 

「ほら、始業式の日ってヒマだし遊びに行くにはちょうどいいじゃない? それに、この前そこの二人にあたしが行き倒れてたのを助けてもらったから、今日はそのお礼も兼ねてってわけよ」

 

 涼宮ハルヒが腕を組んで語ったのはアニメで見たまんまの謎理論だった。

 ちなみに"そこの二人"ってのが長門さんとキョンだと。 

 まったく、放課後のテンションで遊びに行く先が他校なのかよ。始業式の日が暇なのは君の問題であってこっちはこれからクラブ活動に勤しむとこなんだよ。っていうか行き倒れって何があったんだよ。等々突っ込みどころを挙げればキリがない。

 しかも涼宮ハルヒはつい先ほど俺と朝倉さんが不在のうちに北高文芸部ミステリー部門臨時部員なるものを勝手にでっちあげ、あまつさえ自信と連れの男子生徒をその架空の部門に所属させるとぬかしたそうだ。脳がいくつあっても理解できそうにねえぜ。

 で、そこのハンサム面を台無しにしている短パンファッションの野郎は何者だ。まあ知ってるけど。

 俺が義理で尋ねてやると彼は苦笑しつつ、

 

 

「どうも、古泉一樹と申します」

 

 無駄に爽やかな声で名乗ってくれたが服装からくる寒さ故か時折シバリングしており、なんかこう台無しな感じだ。

 聞けば涼宮と古泉が体操服なのは変装のためらしい。キョンのを貸してもらったそうだ。ところで今日は体育授業がないのによく持ってきてたな体操服なんて。普段なら教室に置きっぱなしでも構わないが休み中は持って帰らされるからな。

 他校生二人の変装については映画でも見た一幕だがよもや新年早々に現実のものとなってしまうとは。この二人を拝む日はもう来ないとばかり思っていたのだが。

 

 

「で、古泉はなんの用件で来たんだ。お前さんも行き倒れを助けてもらったのか」

 

「いえ。僕は単に涼宮さんに同行したまでですよ、特に理由はありません」

 

 さいですか。

 彼と涼宮の関係が気になるといえば気になるがあえて聞くことはしなかった。原作通りなら俺も知ってるし。

 俺から聞くことはもうない。では朝倉さんはどうだろうか。

 

 

「うん、だいたいわかったわ」

 

 状況を把握したらしい朝倉さんはどこぞの破壊者みたいな台詞を吐きながらコクリと頷き、俺が買ってきたコンビニのプチシューをもちゃもちゃ食べている長門さんへ顔を向け、

 

 

「長門さん」

 

「ん……な、なに?」

 

「この二人がうちに上がり込んでるの、先生にバレたらとっても面倒なことになるんですよ。それでもいいんですか?」

 

 現在の部室に良識ある人間がどれほどいるのかは不明だが朝倉さんの言うことが正しいというのは全員共通の認識なはずだ。 

 朝倉さんの言葉を受け長門さんはプチシューに手を伸ばすのを止めてすっかり不安そうな表情になってしまった。教職員の誰かに悪事がバレた時、長々しい説教を受ける羽目になるのは誰だろうと嫌だ。

 

 

「センコーにバレなきゃ大丈夫でしょ。現にここに来るまで何の問題もなかったんだし」

 

「私は長門さんに言ってるのよ。あなたは黙ってて」

 

 説教なんざ屁でもないといった様子で涼宮ハルヒは口を出したが保護者モードの朝倉さんには一蹴されてしまう。あの状態の朝倉さんだと俺でもまともにとりあってくれないからな。

 じーっと朝倉さんに見つめられておどおどしている長門さんだったが、やがてゆっくりと、

 

 

「せっかく来てくれたんだし……その、何も追い出さなくてもいいと思う」

 

「じゃあこの二人の入部を認めるんですね?」

 

「うん。ダメ……だったかな」

 

「ならいいです」

 

 あっさりと引き下がる朝倉さん。これにはちょっと驚いた。

 先ほどは委員長らしいお利口さんな発言をしていたのにどうしたやら。

 

 

「部長がちゃんと考えて決めたっていうのなら私はそれに従うまでよ」

 

 こともなげに言ってくれるがとんだ主従関係だぜ。映画でたとえるなら組織のボスよりナンバーツーの方がよっぽど邪悪だった、みたいな感じだろう。さしずめ長門さんがお山の大将で朝倉さんが極悪非道の副将というわけだな。タランティーノでそんな感じの映画があった気がする。

 俺個人の意見としては短パン変態野郎なんかと関わりたくないというのがあるが、それ以上に涼宮ハルヒなどという超ド級の危険分子が怖くてしょうがない。いったいどうなっちまうんだこれから。

 他校生を臨時部員とかいうわけのわからん立ち位置で入部させようとしている部は北高の歴史上今年の文芸部が初だ、間違いない。

 ただ、でっち上げのミステリー部門臨時部員さんが毎日ここに押しかけるわけでもないのだから頭を抱えているキョンのように悲観することもなさそうだ。連日こいつらが北高に入り浸ってたら流石に誰かにはバレるだろうし。

 そんな俺の推し測りが見当違いもいいとこだったと思い知らされるまでに時間はかからなかったが。

 

 

「よし、決まりね! んじゃ改めてよろしく」

 

 ニカッと笑う涼宮ハルヒはやけに眩しい存在に見えた。

 なるほど、こりゃヒロイン張れるわけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、ここって文芸部なんでしょ? 普段何やってんの?」

 

 さらっと質問した涼宮ハルヒに対して思ったことは活動内容を把握してないのに臨時部員になると言い出したのか、だ。

 まあ、うちに限らず文芸部などというものは在校生の大多数にその存在を知られていない。クラブ活動の中でもダントツに目立たないんだ文芸部ってもんは。

 しかもこと北高文芸部に関していえば俺が所属してから半年以上は実態がなかったようなふわっとしたクラブだ。あわや廃部までなりかけたし。

 

 

「特別やることがある部活じゃないんだが」

 

 とキョンは前置きし、

 

 

「近いうちに機関誌を作らなきゃいかんことになった」

 

 北高の数少ない誇りある伝統らしいからな機関誌は、他に何があるかは知らん。

 機関誌、と言われて涼宮ハルヒも「文集ね」と納得した様子だ。

 

 

「今から書くの?」

 

 書きたいのはやまやまだけどまだ何も決まっちゃいない、題材はおろかスケジュールも何もかも未定である。のでそれらを決めるための会議を本日するのだ。

 俺がそう涼宮ハルヒに言ってやると彼女は呆れ果てた様子で、

 

 

「はぁ~だらしない連中ねあんたたち、文章なんてもんはセンスで書くのよセンスで。うだうだやってても面白いもんは作れないでしょ。わかってんの?」

 

 非常にムカッ腹が立つようなことをのたまった。

 これが男か、もしくは超絶ブスの言葉だったのなら迷わず左ストレートでぶっ飛ばしていたところだ。でも美人だからって何言ってもいいわけじゃねえんだからな、覚えとけよ、と口には出さずただ忌々しい目で彼女を見ていると古泉一樹が割って入った。

 

 

「まあまあ涼宮さん、郷に入っては郷に従えですよ。確かにウォータフォールは手法として古典的すぎますが悪い点ばかりでもありません。作業をするにしても最低限のことは決めておいた方がよろしいかと」

 

「うーん。それもそうね。全部今日決めちゃうってならありかも」

 

 我が物顔で偉そうな会話をしている他校生二人だがなんだ、君たちも機関誌に携わるつもりなのか。

 

 

「当り前じゃない、あたしも古泉くんもここの部員なのよ。部員としての活動もするし意見もするわ」

 

 早々に長門さんに二人の文芸部加入撤回をするよう進言したくなってきたぞ。

 朝倉さんも何か言ってやってほしいが最早受け入れているムード出してるし絶望しかない。これがSOS団ってヤツなのか、涼宮ハルヒのワンマン企業もいいとこじゃないか。

 なにはともあれ、予定通りに会議をすることになった。

 ちなみに長門さんはプチシューをいつの間にか食べ終えてしまっていたようだ。小さいとはいえ十個以上入ってたのに。そして俺のコンビニ戦利品(朝倉さんのロールケーキ含む)はまだ手つかず。おやつは会議が終わってからになるな。

 普段まったく使われていない部室の黒板に朝倉さんがチョークでカリカリと本日の議題である"機関誌について"の文字を書いていく。委員長だけあってそういうのは慣れている。思い返せば中学の頃から学級代表やってたしな彼女は、俺には無理な芸当だ。

 長門さんは軽く咳払いをしてから、

 

 

「それでは、文芸部の会議を始めたいと……思い、ます」

 

 なんとも締まらない感じで開始の宣言をした。

 まずは期限を決めたいところだ。なあなあにやってても仕方ないし、時間に追われでもしない限り人間というのは動かん生き物だからな。

 

 

「森先生……うちの顧問が言うには年度末には仕上げてほしいそうだ」

 

 なんであの人に顧問なんか頼んじまったんだろうなと思い始めたのは内緒だ。

 年度末、つまり三月中が実質的なリミットなわけだがそれを聞いた涼宮ハルヒは笑いながら。

 

 

「一ヶ月で充分ね」

 

 マジで言ってんのかよそれ。

 うざったい調子で彼女は言葉を続ける。

 

 

「むしろ長すぎるぐらいだわ。ねえ、古泉くん?」

 

「あいにくと文才に恵まれた身ではありませんが、ひと月あればそれなりのものは書けるんじゃないでしょうか」

 

 キョンよ。倦怠感丸出しのお前はどうなんだ。

 俺と同じくそもそも機関誌に乗り気じゃない彼は、なんだかなと言わんばかりの感じである。

 

 

「もうちょっと時間があってもいいんじゃないか」

 

「時間と質が見合うとは限らないわ。それに、二月に入っちゃったらテストもあるのよ。今月中にメドが立つのが理想ね」

 

 学年末考査のことまで配慮しての発言だったのか。ちょっと驚いたね。

 彼女が言うように今月中にメドが立てば二月の一週二週は落ち着いて試験対策できよう。もっとも俺はそんなことなどするつもりないが、優等生たる朝倉さんにとっては重要なことだろう。

 ところでこの時の俺は期間の短さに対して、涼宮ハルヒと古泉一樹がどれくらいの頻度で文芸部に押しかけてくるのかを気にしてはいなかった。それの高さに驚くことになるのはすぐの話である。

 期限は約一ヶ月に決定し次は各自の題材とページ目安を考えることに、ずばりどれくらいのボリュームの機関誌を作るのか、だ。

 国木田含む全員が仮に原稿用紙十ページ分書いてようやく七十ページか。これが半分だとすると途端に薄くなってしまう。

 

 

「ひとつぐらいは大作があってもいいと思う」

 

 なんて穏やかじゃないことを言ったのはこれまで爆弾を投下してきた涼宮ハルヒではなく長門さんではないか。

 これには過激派な涼宮ハルヒも乗り気で、

 

 

「わかってるわね! そうよ、読み応えのあるもの作んなきゃ意味ないのよ!」

 

 トーシロ集団が下手にハードル上げるもんじゃないということを理解してほしい物言いだ。

 大作かどうかなんつうのは題材に合わせて考えるべきだ、例えば恋愛モノで大作なんて俺には千日かかっても無理だぞ。

 

 

「公平性を保つためにジャンルはくじで決めましょ。明日箱を持ってくるわ」 

 

 この女に任せたら恐ろしいものが中に入ってそうで俺は嫌だ。こういうのは文学少女である長門さんに、って彼女は眼鏡こそかけているがあの長門有希とは似ても似つかぬ存在だったな。

 というか明日も来るのかよ君は。今日と違って普通授業の日だろうに。

 ここに至って俺は涼宮ハルヒの暴君ぶりに何も言えなくなっていた。実際、ここのメンバから考えても実のある意見を言えば通るようになってはいるのだが、涼宮ハルヒの発言力は誰が相手でも決して揺るがないことだろう。一日目にしてこの調子なんだぜ。そう考えると原作のキョンって結構胆力あるよな。

 見ろ、朝倉さんは完全に書記オンリーでキョンは相変わらずの主体性皆無ぷり、長門さんはお飾り部長感丸出しという有様を。すっかり文芸部はジャックされてしまったのだ。くじ箱でもなんでも好きに持ってきてくれ。

 

 

「それで、原稿用紙に書いてくつもりなの? パソコンとかないわけ?」

 

 ご覧の通りだぜうちは。

 ないことはないがあんな化石一台でどうしろってんだ。書き直しが手間だが紙ベースでいくしかなかろう。学校に原稿用紙は山のようにあるんだ、その原稿用紙は後で森先生に言って調達してもらうとしよう。

 するとここで古泉一樹が挙手し、思わぬ発言を。

 

 

「貸与という形でよければ僕の方でマシンを手配することが可能です」

 

「……なんだって?」

 

 キョンの言葉は北高文芸部全員のインプレッションを代表していた。長門さんはきょとんとしてしまい、朝倉さんも古泉を見て何言ってんだこいつと言わんばかりの表情に。ただ、涼宮ハルヒだけは特に驚いた様子もなくうんうんと頷いている。

 私立校通ってる坊っちゃんだからって、流石にこれはジョークにしか聞こえないな。

 そんな俺の評論など知る由もなく古泉は説明を続けた。

 

 

「そうですね、週末までにはこちらへ持ってきます。OSは一つ前のものになるかと思いますがタイピング作業をする分には問題ないかと」

 

 バット片手にコンピュータ研究部を襲撃する、などという蛮族的行為を働かずに済むのは良いことだ。

 でもワケがわからない。リサイクルショップでも漁るつもりなのか。

 

 

「ちょっとしたツテがありまして。台数は六台でよろしいでしょうか」

 

 そのツテとやらについて聞いたところでいいことはないんだろ、今は知らんでいいさ。初日の相手にずかずか質問してやるほど俺も意地悪じゃないし他のみんなだってそうだ。

 文芸部は国木田を入れると七人になるが六台も手配してくれると言う古泉相手に「七台にしろ」と厚かましいことをぬかす奴はいなかった。

 とまれ、記念すべき北高文芸部初の会議らしい会議はこれで終わりになる。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue10

 

 

「じゃ、また明日ね」

 

 部活が終了して光陽園の制服に着替えなおした涼宮ハルヒはそう言って古泉一樹とともに北高前から駅の方向へと去って行った。

 そして、やっぱりまた明日も来るつもりらしい。

 

 

「……なんだったんだろうな」

 

 冬の暗がりへと溶けてゆく二人の後姿を見つめながら呟くキョン。それはこっちのセリフだろうに。

 ちなみに涼宮と古泉が変装に使った体操着だが授業がある手前ずっと貸し出すわけにもいかず、これから二人が北高に来る度、校舎前までキョンは呼び出されて体操着を渡しに行くそうだ。そのために連絡先まで交換したんだと。難儀なことで。

 俺は基本的に休み中、自宅警備を決め込んでいたのでこの時間帯に外にいるのは約二週間ぶりである。冬は朝も寒いがなんといっても夜がアホみたいに寒い。

 北高から長々と続く坂道を下っていき自宅に着いた頃にはすっかりお腹も減っていた。部室でおやつを食べはしたがしょせんおやつはおやつなのだからな。

 晩御飯を先に済ませてから風呂に入った俺は柚子の入浴剤が投入されている浴槽に浸かりながら考えることに。もちろん涼宮ハルヒと古泉一樹についてだ。

 ひとつ言えることがある。それは、あの二人との邂逅によってもたらされるものが決してよいものばかりではないということだ。

 この世界の涼宮ハルヒがただの一般人だとしても彼女の本質は変わっていないようだった。他校へ不法侵入するなど良識ある人間なら行動のひとつとしてそれを実行しようとは思わない。そもそも思い浮かばないはずだ。あの女は生来のトラブルメーカー気質なのだろう。

 俺としては厄介ごとに巻き込まれたくはないんだけど、多分無理だな。

 そう結論付け、浴槽でかいた汗をシャワーで流し風呂を上がり夜更かしもほどほどに就寝。

 翌日。昨日のやりとりなどなかったかのように手荒く起こされ、学生の本分とやらをまっとうすべく冬休み前と同様に素晴らしき我が学び舎で睡眠の延長戦を決め込んだ。今となっては俺のことを授業中に指導する教師もいなくなってしまった。もちろん、都合がいいのため現状維持で結構である。

 そして放課後。宣言通りに涼宮ハルヒとその子分が文芸部に再び現れた。

 

 

「ジャマするわよ!」

 

 ガハハと笑いながら入室する涼宮。何が楽しいのかはわからんが彼女の機嫌が悪いと世界規模のよくないことが起こりそうだからできれば一生ゲラゲラ笑っててほしい。

 続けて古泉は「失礼します」と一言そえて入ってきた。言わずもがな、二人とも北高体操服である。

 

 

「本当に来たのね」

 

「当然でしょ。あたし嘘はつかない主義なの」

 

 驚いたというよりは呆れた感じで言う朝倉さんに対し涼宮は勝ち誇ったようにこう返した。いったい誰と戦ってるのかね。

 そんな涼宮は持ってきた学校鞄に手を突っ込んで縦横高さが十数センチの四角い箱を取り出し机の上に置いた。

 箱の頂点には丸い穴が開いている。これが言ってたくじ箱か。厚紙でできたよくあるヤツだ。

 この中にもうくじは入っているのか?

 

 

「ええ、独断と偏見で選んだわ。このあたしがね」

 

 中身を考える手間を省いてくれるのはありがたいが涼宮が選んだもので問題ないのだろうか。かぐや姫ばりの無理難題が出てくる予感しかしない。  

 俺とキョンの不信感を察したのか涼宮は、

 

 

「安心しなさい。引いたお題に絶対従えとは言わないわ、しょせんくじなんて占いみたいなもんだしね。けど物を書く助けにはなるでしょ?」

 

 気休めにもならない言葉をくれた。いったいどうやって安心しろと言うのか。

 客観的にみて涼宮の発言はごもっともだというのに信用されていないのは、単に彼女が入部して二日目だからという交友期間の短さもあるがそれ以上にネジが数本抜け落ちたような脳で成り立っている涼宮ハルヒの思考回路が怪しさの塊だからだ。昨日聞いたが、涼宮が行き倒れていた原因というのはサンタクロースを捕まえるためにクリスマスの日徹夜して公園に張り込んでいたかららしい。あの日は夜に雪が降ってたし、翌日にはちょっと積もってたからな、そんな下手すりゃ命に関わるような馬鹿げたことでも平気でしでかすあたりやっぱり涼宮ハルヒは涼宮ハルヒなのだ、この世界でも。

 

 

「やれやれ……まあ引いてから考えるか」

 

 思考停止な感じでキョンは机の上のくじ箱に手を入れ、ガサゴソと動かしてからやがて四つ折りにされた紙切れを一枚箱から引き抜いた。

 図らずも先陣を切る形となったキョンが引いたお題はいかなるものなのか、彼の反応待ちだ。

 そしていよいよ四つ折りにされた紙を開き中に書かれているであろう文字を注視した。

 

 

「……"ミステリ"ねえ」

 

 キョンの表情は曇っていなかったが晴れてもいない。

 ミステリ、つまり推理小説は文学のジャンルとしてはベタベタだがズブズブの素人が考えるには厳しいものがある。

 探偵漫画だって風当たりが強いこのご時世に彼がどんな話を構想するのか興味は湧くものの、あえて彼を煽る気にはなれなかった。俺のお題によっては煽り返されるからな。

 涼宮はふふん、と鼻を鳴らし。

 

 

「アタリを引いたみたいね。なかなかやるじゃない」

 

 べつにアタリだからって何かあるわけではなさそうだ。

 それから俺たちは順次くじを引いていった。長門さんはファンタジー、朝倉さんは伝記(ロマン)、古泉はスポーツ、涼宮は冒険アクション、で俺はというとパニックホラーだった。

 頭を抱えるほどの結果ではかったが、はたして人様に見せられるような内容を書き上げることができるかは別問題である。本当に大丈夫なのか。

 

 

「大丈夫ですよ」

 

 俺の愚痴めいた呟きに反応したのは古泉一樹だ。

 昨日と変わらぬ営業スマイルを浮かべながら。

 

 

「内容はどうあれ機関誌を仕上げればいいのですから、酷評されようと我々の今後に関わることはありません。今回大事なのは機関誌を作ったという事実です」

 

 その事実とやらが我々のブラックヒストリーとして北高の歴史に刻まれるのだからたまったものではない。

 森先生が俺の駄文を読んだら間違いなく「小学生が授業時間にする妄想以下ですね」と切り捨てるのだ。せめて他の人は森先生を唸らせるような作品を書いてほしい、あの人べつに文章のプロでもなんでもないけど。

 ジャンルの難易度でいったら朝倉さんのが一番難しいのだろうか。ロマン伝記なんて俺にはまったくピンと来ない。アソボット戦記みたいのを書けばいいのか。

 

 

「普通の伝奇小説じゃ駄目なのかしら?」

 

「ダメよ。それじゃあ面白くないでしょ」

 

 朝倉さんの質問に対しあっさりとノーを突きつける涼宮。さっきお題は絶対じゃないとかぬかしてなかったか、おい。

 ともかく文芸部部員――国木田を除く――の機関誌に掲載する作品、そのお題(仮)が決定したわけだ。

 で、残りの活動時間は文芸部らしく読書タイムに充てることとなった。

 この部室にある本棚に並べられているは俺たちの何千何万倍も文章を書くことに時間を費やしてきた人たちが産み出した作品たちだ、感性やら啓蒙やらを高めるにはもってこいだろ。付け焼刃もいいとこだがな。

 意外にも涼宮ハルヒは真面目に読書をしていた。というか今回、彼女が編集長とかいう無意味なポジションにならなかったのが驚きだ。俺に彼女を理解しろというのが無理な話なのだろうが。

 しかし一通り十五少年漂流記を読み終えた涼宮は、ぱたんと本を閉じ、

 

 

「ぜんっぜん、おもしろくなかったわ」

 

 と無表情で冒険小説の金字塔に対し手厳しい評論をした。

 まるで俺が駄目出しされてるような気分になってしまったのは自意識過剰のせいではなく、十五少年漂流記が俺の好きな本のひとつだからだろう。多分。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 初めて朝倉さんの家で出された料理がなんだったか、あまりよく覚えてはいないが今よりも十センチ以上身長が低かった彼女の料理の腕前は「素晴らしい」と称賛に値するレベルに既に達していた。

 文芸部の活動が終了してからの俺は朝倉さんの誘いもあってこの日今年初となる"ご相伴"にあずかっている。

 新年一発目の料理はすき焼き、冬の定番だ。

 普段自分のうちで食べるやつは鍋に水で割った市販のたれを投入し肉鍋のようにしていくいわゆる関東スタイルなのだが、朝倉家のすき焼きは鉄の鍋に入れた肉を文字通り焼いていく京風である。ここいらではこっちの方が主流だけどね。

 朝倉さんのすき焼きを口にする機会は一年を通してあまり多くなかったりする。その理由はいい肉が安く手に入った時にしかやらないから。つまり最近その機会があったんだろう。

 火がついているカセットコンロの上に置かれた鉄製のすき焼き鍋には何枚もの牛肉が敷かれており、そいつらがザラメや割下と絡むことで極上の香りが引き立つ。よだれが出るとはこのことか。

 

 

「ゴキゲンな晩飯だ」

 

「ふふっ。そうね」

 

 後で長門さんにもおすそ分けするそうなので多少自重する必要があるのは残念だ。まあ無銭飲食とは思えぬ好待遇ぶりなのでこれ以上注文をつける気などないが。

 さて、この世のすべての食材に感謝を込めることはしなくとも最低限の礼儀として目の前の彼女にだけは限りない感謝をしよう。食事前の合掌には感謝がつきものらしいからな。

 

 

「いただきます」

 

「どうぞ召し上がれ」

 

 無事お許しが貰えたので早速お肉をいただいていくとしよう。

 いい感じに色が変わった肉きれを一枚箸で掴み、そのまま茶碗の中に盛られている白米の上に乗せて米と一緒に勢いよくかきこむ。うまい。

 次に溶いた卵に肉を付けて食べる。卵とすきやきの肉の親和性が高いことは言うまでもないだろう。当然これもうまい。

 俺は美味しいものを最後までとっておく主義なのだがその理屈でいうと白米しか食えなくなってしまうのでガツガツ箸を動かしていく。

 あっという間の出来事であった。二人がかりというのもあって第一陣はいともたやすく腹の中に納まってしまったのだ。

 しかしすき焼きというのはここからが本番である。

 次は肉だけでなく白菜やネギといった野菜を投入する。もちろん焼き豆腐と糸こんにゃくもだ。

 それからザラメと割下を鍋の中にいる食材たちにまんべんなく振りかけてゆき、野菜から水分が出てくるのを待つ。数分に渡る辛抱の時間である。

 手持無沙汰なのでちょっと瞑想でもしてようかと思った矢先に朝倉さんが口を開く。狙ったかのようなタイミングだった。

 

 

「ねえ、涼宮さんなんだけど」

 

「ん」

 

「何者なの?」 

 

 はて、なぜ俺に聞くのだろう。

 

 

「知ってる人だって言ってたじゃない」

 

「そんなこと言ったっけ」

 

「ええ、地上絵事件の犯人を調べてたらそれが涼宮さんだったって」

 

 ああ、たしかにそんな感じのことを昨日言った気がする。ううむ。やはり失言だったのか。

 でも俺が朝倉さんの立場だったら彼女に同様の質問をしているはずだ。一日経とうと涼宮ハルヒが常識を逸脱している不可解な存在であることには変わりないし、朝倉さんが涼宮のことを気にする気持ちはわからんでもない。

 

 

「涼宮は東中の生徒だった。オレよりも涼宮ハルヒと同郷の日向や高遠に聞いた方が詳しい話は聞けるぞ」

 

「確かにそうね。でも私が今聞きたいのはあなたの話よ。あなたは涼宮さんの何を知ってるのかしら?」

 

 お昼のドラマみたいな台詞を吐いてくれるなよ。気が滅入ってしまいそうだ。

 涼宮ハルヒについての質問を無視することは可能だったが現実問題として無視という選択を俺が選ぶことはないのである。こんな話題でも会話は会話だからな。

 俺の方は朝倉さんとあえて話をする必要性をそこまで感じていないのに彼女の方は違うみたいで、俺が黙っていると今度は俺の興味のないドラマやエンタメの話題で話しかけてくる。いかにもって感じだろ。そんなことを聞かされるぐらいなら涼宮のあることないことを語った方がマシだ。

 これは中学二年の時のことになる。いいかげん朝倉さんのおしゃべりが面倒くさいなと思って、

 

 

「そんなにおしゃべりが好きなら壁にでも話してればいいだろ」

 

 と言ってしまい、それから誠心誠意、頭を下げて謝るまでの一週間以上の期間彼女は一言も口を聞いてくれなかった。親しき仲にも礼儀ありというのを痛感させられたね。

 ちなみにその頃朝倉さんは俺相手に何も言わなかったくせに姉さんにはやたらと俺に対する悪態をついていたようで後日かなりの長丁場にわたる説教を姉さんから喰らった。あれ以来俺の身内から味方になってくれる人がいなくなったのかもしれないな、全面的に俺が悪いけど。

 それはさておき涼宮ハルヒの何をどう説明すればいいのかね俺は。例えばあれか、涼宮ハルヒは一部界隈においては神の如き存在だと考えられている、とか言えばいいのかね。この世界じゃそんな事実もなさそうだが。

 よし。間違いないことを言っておくとしよう。

 

 

「涼宮ハルヒはかなりの変人で有名だった。東中の地上絵事件もそうだが他にも奇行を繰り返していたとか」

 

「奇行?」

 

「教室の机を全部廊下に出したり、校内のいたるところに霊符を張り付けたりだ」

 

「れいふ……って何なの?」

 

「おまじないだ。わけわからん文字が札に書かれているヤツさ。効力は文字によって様々で、キョンシーが頭にくっつけてるのもその一種に当たる」

 

 俺の説明を聞いた朝倉さんの顔はすっかり引きつっていた。怖い。

 

 

「シャレにならないわね」

 

「同感だ」

 

「いったい彼女は何が目的なのかしら?」

 

「宇宙人や超能力者、あるいは魑魅魍魎の類が実在すると考えているらしい。そしてそいつらとコンタクトしたくて涼宮は――」

 

「そうじゃなくて」

 

 朝倉さんはすき焼き鍋に投入された白菜の様子を箸で確認しながら俺の言葉を遮った。

 いったい何が"そうじゃない"のだろうか。

 

 

「私が気になってるのは涼宮さんが北高に押しかけてきた目的よ。正確に言えば北高の文芸部にかしら」

 

「行き倒れを助けてもらったお礼がしたくて来たんじゃあなかったっけ」

 

「だったら校門の外で待ち構えるなりしてキョンくんと長門さんを捕まえればいいじゃない。涼宮さんは北高に忍び込むのがリスクある行動だって理解しているはずよ、でもあえてそのリスクを冒したんだから他に何か目的があると考えるのが自然でしょう?」

 

 なるほど。彼女の言う通りではあった。

 朝倉さんは知らないかもしれないが涼宮ハルヒという人間は自らにとって無駄だと感じるようなことは一切行わないのである。たとえ他人が無駄だと思うようなことでもあの女は自分が無駄じゃないと納得できるのなら何だってやってみせる、それがアニメの世界で描写されていた涼宮ハルヒなのだ。ねじ曲がった合理主義者といったところか。

 今回のケースで考えてみると涼宮が文芸部の二人に会うためだけに北高に忍び込むのは俺たち目線からすればただ危ない橋を渡っているだけの無意味な行為で、キョンと長門さんに会うという結果を得たいのならそれこそ朝倉さんが言ったように校門前で待ち伏せするのが安牌だろう。

 まあ、寒い外で待つぐらいなら自分から会いに行ってやる、というのは落ち着きがない涼宮ハルヒらしくはある。だが、本当に謎なのは涼宮が文芸部の一員になると言い出したことだ。それには何の意味があるというのか。

 

 

「昨日は何も言わなかったけど、涼宮さんが信用に足る人かどうかはしっかり見極めたいと思うわ。もちろん古泉くんもね」

 

 さすがに考えなしに入部を認めるほど朝倉さんもマヌケではないようだ。俺が知る中で一番完璧超人に近いからな、朝倉さんは。波風立てずに様子見したいから昨日は長門さんに賛同したのだろう。

 かくいう俺は涼宮の一連の行動、その動機について心当たりがなくはなかった。北高と涼宮を結びつけるものがこの世界にあればの話だが。

 いずれにしても俺と関係のない話なので涼宮と極力関わらなければいい、それが平穏のためには大事なことだから。

 

 

「さっ、もう大丈夫なはずよ」

 

 ピリピリした空気を払しょくするかのように朝倉さんはすき焼き第二陣の準備が完了したことを告げてくれる。

 涼宮ハルヒと古泉一樹に限らず俺が考えるべき内容は山積みであった。機関誌のことはそのひとつだ。

 パニックホラーねえ、なんちゃらオブザデッドな話でいいのか。しかしゾンビものはサバイバルホラーとパニックホラーの違いがわかりにくいから困る。

 人間は考える葦だっていう評論が的外れではないのかもしれないと時折感じている俺ではあるが、しょせん己が考えられることなんていうのは狭い世界での話でしかない。文字通り。

 他校生二人の襲来なんてチンケに思えるほどの、俺の人生を変えてしまうような出来事など想像すらできなかった。それが俺の限界なのかもしれない。

 そんな雑念もほどほどに食事を再開することにした。鍋から白菜のかけらとお肉を取り、口の中へ入れてみる。

 

 

「どう?」

 

「……うまいな」

 

「それは良かったわ」

 

 すき焼きは俺の味覚を刺激した。元は安物かもしれない野菜でさえデリシャスだと感じられるのはいったい何が原因やら。

 朝倉さんの料理を食べて出る感想なんてのは常に「美味しい」といった非常に簡単なものだけれど、俺がそう言うたび彼女は嬉しそうな反応を見せてくれる。にこやかになったり「ありがとう」と返してくれたりだ。

 今しがた見せてくれたのは前者にあたるか。彼女の顔が真顔じゃなけりゃ安心できるし、この人の笑顔は見ていて気分がいい。

 

 

「ご飯のおかわりは要るかしら?」

 

「いや、大丈夫」  

 

「そ」

 

 たいして長くもない一日だったがすき焼きを食べ終え朝倉さんの家を後にする頃には午後七時半を過ぎていた。

 外は相変わらず考えるべきことをすべて後回しにしてさっさとお風呂に入り睡眠したくなるような寒々とした天気である。もちろん、そうしたのは言うまでもない。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue11

 

 

 二月に入り冬の寒さも忘れられるかと思ったがそんなこともなく朝が弱い俺にとっては未だに苦しい日々が続いていた。

 なぜか。あえて説明するならそれは朝倉式ルームサービスが目覚まし時計の役割を果たしてくれているからである。そのようなサービスを導入した覚えはないのに。

 いくら世間一般でいうところの美少女に分類されるようなお方が相手とはいえ、

 

 

「起きなさい」

 

 がアラーム音なのはどうかと思う。義務付けられている感がはんぱじゃない。たまには寝起きドッキリ的な展開があってもいいのに、Hな方向で。冗談だけど。

 さて、二月ともなれば中ごろには学年末テストと相場が決まっており、もちろん北高もそうだ。

 まだテストまでは二週間ほど猶予がある。が、ただでさえ短い今月においては猶予と呼べるほど精神的余裕が生じるものでもなかった。どの道今月中にはテストの結果わかるしね。いつもながらではあるが、やるせない。

 

 

「はぁぁぁ、あったまるわ」

 

 これは部室に入るなり電気ストーブの前で暖を取った我が幼馴染こと朝倉さんの声である。

 電気ストーブはたいして大きくもないため朝倉さんと長門さん二人で定員オーバー、俺は一人寂しく団子のように丸まっている女子の後姿を眺めるしかない。

 ちなみにあの電気ストーブは涼宮が「寒いから」という理由で持ってきた。どこぞの電気店からかっぱらったのだろうか?

 とにかく涼宮と古泉が北高文芸部に入り浸るようになってからというものの、部室の中はすっかり様変わりしてしまった。

 なぜならば他校生の二人が連日色んなものをここに持ち運んで込んでくるからだ。

 機関誌づくりで必要になったノートパソコンはいいとして、移動式のハンガーラックにかかった怪しげなコスチュームや給湯ポット、急須、湯呑みの三点セット、小型の冷蔵庫、いつの間にか置かれていた部の備品ではない木製の収納棚、エトセトラ。

 なんとまあ。殺風景だった文芸部はアニメで描写されていたSOS団アジトそのものと化していたではないか。団長席がないのが唯一の救いである。

 それにつけても部室内は寒い。俺だって電気ストーブで暖まりたいがあの二人がすぐにどいてくれるとも思えん。

 ので、仕方なしに給湯ポットを抱え水道へ向かうことにした。暖かいお茶を飲んで一服だ。

 部室に戻った時には朝倉さんと長門さんはストーブ前から失せて定位置のパイプ椅子に座っていたがこの二人だってお茶を飲むだろうし俺の苦労も無意味ではなかろう。

 ポットのプラグをマルチタップのコンセントに挿して給湯ボタンを押下。お湯が沸くまでの間、俺はストーブに手をかざして待つことにした。

 

 

「遅いな」

 

「ん?」

 

 俺の呟きに反応したのは朝倉さんらしい。

 ちなみに長門さんは小袋に入っている節分豆をポリポリ食べながらいつも通り携帯ゲームに興じている。

 昨日は節分だった、で、買ってきた豆が部室にまだ大量に余っているのである。お茶請けには丁度いいので言うことなしだ。

 

 

「いや、キョンの野郎がまだ来てないだろ」

 

「そういえばそうね。何か用事でもあるのかしら」

 

 妙に嫌な予感がしていた。

 普段は特別何かするわけでもないこのクラブ活動において、部員一人の不在などどうでもいい――国木田なんか週一で来るかどうかすら怪しい――が、涼宮絡みとなると話は別だ。四六時中よからぬことを考えるのが大好きなあの女のことだからキョンを巻き込んで何かやらかしていたとしても不思議ではなかろう。面倒なことになっていなければいいが。

 やや暫くしてから俺の予感は見事に的中した。悪い予感と言うものは往々にして当たるものらしい。

 朝倉さんが淹れてくれたお茶をちびちび飲みながらノートパソコンに内蔵されているフリーセルで時間を潰していた時、いきなり勢いよく部室の扉が開けられた。

 

 

「G級クエストを達成したわよ!」

 

 わけのわからんテンションでここにやってきたのは涼宮だ。それ自体は珍しくもなんともないことである。

 しかしながら涼宮が脇に抱えるようにして女子生徒を連行してきたのは珍しいどころか初めてのことだった。

 

 

「見なさい、報酬はこれだから」

 

 オイオイマジかよ。涼宮が後ろ手で器用に扉を閉じながら部室内に片手で押しやった女子生徒は北高のマドンナこと朝比奈みくる先輩ではないか。

 ちらっと文芸部女子二人の方を窺ってみる。長門さんはゲームに集中、朝倉さんは何やってんだこいつと言わんばかりの顔。

 完全な被害者である朝比奈さんはというと狂乱した様子で、

 

 

「な、なんなんですかぁ? どうしてあたし、ここに連れてこられたんですか!?」

 

 小刻みにプルプル震えながらこちらに非常事態を訴えてきた。

 申し訳ありません朝比奈さん、我々文芸部にそれを聞かれても困ります。あの女の奇行と我々は一切関係ないので。

 俺は朝倉さんに目で訴えた。君が涼宮にどういうことかを聞いてくれ。

 露骨に嫌そうな顔をされたが朝倉さんは俺の言わんとすることを察し、忠実に実行してくれた。

 

 

「はぁ…………涼宮さん、いったい何が目的でその人を連れてきたんですか」

 

「いい質問ね涼子。ずばりマスコットよ!」

 

 どこかで耳にしたような台詞だ。

 涼宮はどかっとパイプ椅子に腰かけ、自分の隣には朝比奈さんを座らせる。

 テーブルに置いてある節分豆を一袋とると涼宮は説明を始めた。

 

 

「あたしどうもこのクラブには"萌え"が足りないと思ってたの」

 

「"萌え"?」

 

 朝倉さん、君はこんな電波女の言うことなんて無理に理解しなくていいぞ。

 

 

「ええ。北高文芸部は深刻的な萌え不足に陥っているわ。部長の有希がゲームオタクじゃねぇ」

 

「なに?」

 

 話半分も聞いていなかったからか長門さんはきょとんとした顔で涼宮の方を見やる。

 俺はタイミングを伺ってこの空間からどうにか抜け出せないものかと考え始めた。

 

 

「はっきり言ってあんたたち"あざとさ"に欠けてるわ!」

 

 失敬なことを言ってくれる。

 というか朝比奈さんは天然なだけであざといってのとは違うだろう。多分。

 

 

「ってなわけでこの娘を連れてきたのよ。どう? 見る目あるでしょあたし」

 

「まあ朝比奈先輩はこの学校じゃちょっとした有名人ですからね」

 

「有名人なんて……そ、それほどでもありません」

 

 朝倉さんの的確な評論に謙遜する朝比奈さん。

 いよいよもって俺の居場所がなくなってきた気がするので手を止めていたフリーセルを再開することに。まあ後は埋まっているダイヤのエースをホームセルに置くだけでクリアなのだが。

 長門さんも涼宮の発言が気にならなかったのかゲームに戻っていた。文芸部が彼女にとってのゲームクラブなのは今に始まったことではないがこれじゃ涼宮にオタク呼ばわりされるのもやむなしって感じだ。

 

 

「それにしてもよく朝比奈先輩を連れてこられましたね。涼宮さんみたいな怪しい人相手に鶴屋先輩が黙ってたんですか?」

 

「人聞きの悪いこと言わないでちょうだい。確かにあの露払い相手に犠牲なしでは勝てなかったわ」

 

「犠牲……?」

 

「そうよ涼子。キョンと古泉くんは犠牲になったのよ」

 

 涼宮が某ニンジャ漫画のセリフみたいなことを言ってるのはさておき、強盗めいたやり方にあの二人が協力するとはな。俺的にはポイント低いぜ。

 

 

「ていうかキョンのせいでその鶴屋って人に因縁つけられたのよ。あんたたちもついて来ればこんな面倒なことにはならなかったんじゃないのかしらね?」

 

「その言い方だとキョンくんがまるで役に立たなかったみたいですね」

 

「当り前じゃない。秒殺されてたもの……古泉くんもだけど」

 

 劇場版だとあいつ鶴屋さんに軽く一捻りされてたな。

 次に涼宮は自分に対するキョンの態度が悪いと文句を言い始めた。いわく自分と長門さんとでは扱いに差があるとか、当たり前だろ。

 俺が思うに扱いが悪いというより軽く見られてるだけじゃないか。んなことを口に出したら次は俺に火の粉が降りかかってくるであろうから絶対言わんが。

 それから俺がフリーセルで六連勝目を迎えた頃だった。

 

 

「おじゃまするよーっ!」

 

 鶴屋さんがさっき涼宮がやったように勢いよく部室のドアを開け文芸部に入ってきた。

 よくここがわかったなこの人。朝比奈さんに発信器でも付けてるのかもしれない。

 その鶴屋さんはというと、部室の中を一瞥して、

 

 

「みくる! ……と、誘拐犯もいるねえ」

 

 涼宮へ視線をロックオン。

 対する涼宮はというと、

 

 

「誘拐犯? それってもしかしてあたしのこと言ってるのかしら」

 

「もしかしなくてもあんたしかいないっさ、みくる泥棒」

 

「誤解ね。あたしは誘拐も泥棒もした覚えないわ。この子には任意同行してもらっただけよ」

 

 突っ込み役がこの場に必要な気がする。俺はやりたくないぞ、キョンが適任だろう。

 気が付けばいつの間にか机の上の豆が全部消えている。それにはどうやら涼宮の前に散乱している小袋のゴミが関係してそうだ。バクバク食べやがって、あれ俺が買ってきたもんだからな。金取るぞ。

 やがてフリーセルからスパイダーソリティアにゲームを切り替え、女子どもの姦しいトークをBGMに時間を浪費すること一時間弱、この日の部活はどうにか平穏のうちに収まった。

 ちなみに俺は帰宅してからついぞ部活に顔を出さなかった古泉とキョンのことを思い出したがきっと彼らは涼宮が言うところのクエストが失敗した際に先んじて直帰したのだろうと結論付け、深く考えずに一日を終えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 節分の二日後。他校生二人は文芸部に姿を見せなかった。

 北高へちょくちょく顔を出しているといっても毎日ではないのだから特別驚くほどのことでもない。

 この日は一日を通してキョンの機嫌が悪かった。ひょっとして昨日の件を恨んでいるのだろうか。だとしたら涼宮本人に当たってほしいものだ。

 それはそうと最近の文芸部が暇な連中に見えるかもしれないが今に始まったことじゃないし、進捗上機関誌については問題ない。

 みな先月のうちに原稿はある程度仕上がった。ハッキリ言って文芸どころか文かどうかも怪しい文字の羅列どもばかりだ。まあ、カタチにさえなっていればいいんだからな。機関誌のクオリティまではノルマにないわけで。

 作業の一環として保管されていた歴代文芸部の機関誌に目を通したがいずれも"修学旅行のしおり"より薄かった。部員数だけで言えば今年は充実してる方なのだろうというのが所感である。

 

 

「そうね。三ヶ月前には廃部寸前だったくらいだし」

 

 とは朝倉さんの弁である。

 はたして今年の新入生が文芸部なんぞに興味を持ってくれるかはわからないがもしかしたら部室が手狭に感じる日は遠くないのかもしれない。可能性は低そうだけど。 

 件の機関誌が発行されるのは学年末テストが終わってから、二月の最終週を予定している。

 さて、文芸部の近況を振り返るのを中断し俺の現状を説明しよう。

 平素であれば放課後のこの時間帯には文芸部の部室で油を売っているのだが今日は違う。市内某所の分譲マンション、その七階にある一室。つまり長門さんの部屋にお邪魔している。

 何故か。それは一週間ほど前の昼休み中の出来事だった。

 

 

「時代は斧だな。終盤まであれ一本で戦えるぜ」

 

 谷口が新作ゲームの武器についてあーだこーだとくだらないことを語っていた。

 俺とキョンはプレイ済だが国木田はゲーム機を買ってすらいないそうなので谷口にゲームの内容を聞いている。

 

 

「斧以外にはどんな武器があるわけ?」

 

「最初に貰えるのだと鉈と杖だな。けど斧と比べりゃ火力がわりい、俺好みじゃないな」

 

 脳筋キャラでも作成しているのだろう。谷口らしい育て方である。

 光の速さでそのゲームのトロフィーコンプリートを達成した俺に言わせれば斧など使いづらいったらありゃしないのだが。最終的に初期武装の火力差なんて気にしなくなるし、スタミナ管理しやすい武器の方が優れている。鉈が一番だ。

 谷口の持論に突っ込みもせず聞き流していると不意にポンポン肩を叩かれた。

 

 

「ごめんなさい。ちょっと借りたいんだけどいいかしら」 

 

 俺たち野郎四人の輪に入ってきたのは朝倉さんであった。

 "借りたい"、というのは他ならぬ俺の事らしい。

 どうぞどうぞな流れですんなり差し出された俺は彼女に廊下の階段、屋上に出るドア前まで連行された。どこかで聞いたようなシチュエーションだ。 

 

 

「で、なんの用?」

 

 こんなとこまで連れてこられた身としては心中穏やかでない。たとえ心を許しているような相手だったとしても。

 朝倉さんは一呼吸置いてから俺の質問に答えてくれた。

 

 

「協力してくれないかしら」

 

「……何に」

 

「長門さんのチョコレート作りに」

 

 そういう話か。既視感がただの勘違いで済んでくれて何よりだ、相手が相手なら新しいクラブ作りに協力しろと言われてたかもしれないからな。

 俺は二月といえばバレンタインデーなどというミーハー思考の持ち主ではないが、世間がそんなムードになっているのは嫌でも伝わってくる。コンビニに入ればチョコレートのコーナーが特設されている。そして翌週には十二月十四日が待ち受けているのだから多少なりとも意識しない方が難しかろう。

 

 

「なるほど、教室じゃ話しにくい内容ってわけだ」

 

「ええ。長門さん自信がないみたいなの」

 

 お相手が誰なんて野暮なことを聞かずともだいたいの事情は察した。

 けどさ、

 

 

「オレが協力できそうなことなんてあるか?」

 

 溶かして固めるだけとは言うがチョコレートなんて作ったことないぜ、俺。チョコの作り方を指導なんてのは無理だ。

 すると朝倉さんは首を横に振って、

 

 

「そっちは私がやるわ。あなたに協力してほしいのは味見よ」

 

「味見って……たかがチョコだろ」

 

「あなたにとってはそうかもしれないけど長門さんにとっては大事なことなのよ。下手なものは渡せないでしょ?」

 

 はあ。

 上手なものにこしたことはないが、どうあれ女子から貰えれば嬉しいだろ。

 

 

「ふーん」

 

 何やら微妙な反応。

 

 

「あなたの正直な意見に関心していたとこよ」

 

 俺に限った話じゃない気がするけど。

 しかも俺は過去三年を通して母さんと朝倉さんからしかチョコレートを貰えていない。実質一個だけだ。いや、数の問題じゃないのだが。

 朝倉さんに愛想を尽かされていないうちが俺の華なのだろうか。陰日向に咲くとはこういうことを言うんだろうな。

 

 

「まあいいわ。とにかくあなたの舌の良さは私が保障してあげるから、協力してちょうだい」

 

 残念なことに目の前の幼馴染はノーという言葉は受け付けてくれそうにない。

 来週の木曜は空けといて、と言われお開きとなった。

 空けといても何も俺に入れる予定なんてないってことはわかりきってるだろうに。

 そんなわけで二月十三日の今日、俺は落ち着かない様子で708号室のリビングでチョコレート試作一号が来るのを待機しているというわけだ。

 女子の手作りチョコが無償で食べられるとはいえ面倒だなと心底では思っていた。

 本当に面倒なことが翌日のXデーに起ころうとはゆめゆめ考えもしなかったさ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue12

 

 

 初めてチョコレートを口にした時のことなど覚えているはずもないが俺は幼少の頃よりチョコレート、いや正確にはチョコレートクリームが好きだった。特にパンにつけて食うのがよい。あれを牛乳で流し込むのが最高だ。俺が給食で好きな献立のひとつってわけだな。

 では固形のチョコはどうなのかというとこちらについては特に思い入れもなく、100円近くもする板チョコを買うぐらいなら30円ほどのコーンスターチ駄菓子を買う方がよいというしみったれた思想を持っていた。

 などということが言い訳にならないのは承知しているが、いざ試食として差し出された長門さん作の一口サイズチョコを食べたところでグルメリポーターチックな感想なぞ口にできようもなく、俺の舌を信頼しているらしい幼馴染には申し訳ないが俺の低レベルな感想がなんの参考になるのやらといった感じだ。

 長門さんより一足先にキッチンから出てきたエプロン姿の朝倉さんはそんな俺の内心を察したのか声をかけてくる。

 

 

「思い詰めることないでしょ」

 

「そんなんじゃあないって。ただシチュエーションがよろしくないと思ってただけさ」

 

「シチュエーション?」

 

 そうだ。

 

 

「明日の放課後、校舎の裏に呼び出されて……そこで待ち受けている女子生徒が頬を染めながらチョコを手渡ししてくれるってのと、この状況とじゃあ盛り上がるもんも盛り上がんないって」

 

 オウム返しされたから懇切丁寧に説明してあげたというのに彼女の顔は俺の主張など理解できないと言わんばかりに冷めきっていた。

 

 

「長門さんはあなたのために作ってるわけじゃないのよ」

 

「わかってるとも。でもオレの立場にもなってみてくれよな、女子からのチョコなんてそうそう拝めるもんじゃあないし、手作りだろ。つまり貴重なの。だからこそ状況が惜しいなあって感じるわけ」

 

「……惜しまなくったって」

 

 普段の彼女ならここでやっぱり理解できないわとバッサリ切っているはずなのだが、妙に歯切れが悪い。

 はてどうしたのやらと思っていると。

 

 

「その、チョコなら明日私が……ちゃんと渡すから、あなたに」

 

 少し照れた様子で言う朝倉さん。

 言われなくとも承知している。今までそうだった。きっと"俺"がこの世界で生きる前の、俺が幼い頃からそうなんだ。

 けれど改まってその事実を突きつけられるとなんだかこそばゆい感じがする。なんというか、卑怯だ。

 

 

「わかったよ」

 

「うん……」

 

「……」

 

「……」

 

 朝倉さんめ、搦め手に出るとはやるじゃないか。

 しかしお互い無言になってしまうほどに微妙な空気だ。俺が主導権を握っている時はそう感じないんだが。

 頼む。誰でもいいからこの悶々とした流れを変えてくれ。誰でもいい。宇宙人でも――

 

 

「お待たせ」

 

 リビングに現れたのは宇宙人、ではなく地球人長門さん。

 ああそうだ。このお題目は彼女が作ったチョコの味見なんだから今はそれに集中するべきじゃないか。

 朝倉さんも「んんっ」と咳払いして気を取り直したようだ。

 俺はチョコレートを作るのにどれくらい時間がかかるものなのか知らないがそれなりに待たされていた。母さんには遅くなるかもとメールしていたが、予感は見事に的中してくれた。もうちょいで陽が沈む。

 待たされただけあって力作であろうことは自然と察せられる。目に映る小粒のチョコレートは手作りだと言われなければ市販されているものだと勘違いするやもしれない。

 

 

「どうぞ……」

 

 もっとも俺に割り当たるのはたった一個だ。当然だけどさ。

 長門さんは緊張の面持ちであり、朝倉さんはさっさと食えとでも言いだけな様子だ。

 では早速いただくとしよう。チョコをつまんで一口、咀嚼していく。

 じっくりと時間をかけ、味を堪能していく。変に甘すぎることはないし苦みもない。

 これで塩味がする、なんて展開があったらどうしようかと思っていたところだ。杞憂で何より。 

 

 

「で、味は?」

 

 朝倉さん、うんうんと頷いている俺の様子を見ればどっかの諜報員よろしく味について聞くまでもないだろ。

 

 

「問題ない。美味しいよ」

 

「やった……!」

 

 緊張が解けて顔をほころばせる長門さん。

 オレが判断できることじゃあないが、後はまあなんとかなるだろうさ。

 なんて俺の考えはチョコラテよりも甘かったのだ。

 で、翌日。バレンタインデーが幕を開けた。

 念のためにご報告しておくが俺の下駄箱と机の中にサプライズはなかった。あったら驚きだな。

 にしても、そわそわしてる連中が多いのなんの。どこの学校でも似たようなもんだろうが野郎のそんな姿見てても気持ち悪いだけだ。

 というわけでいつも通りに俺は机に突っ伏して授業時間を過ごしている。

 何を言われようがこのスタイルなのだから、もはや俺に授業態度を指導してくれる教師などいなくなっているのさ。

 これで成績が悪かったら問題だがそうじゃないので問題とはなっていないわけだ。

 俺のことを問題児と捉えている人は教師にも生徒にもいるはずだが、俺に言わせれば問題児などというのは涼宮級の奴を指す言葉であって、俺なんかあいつに比べればゾウリムシみたいなもんだろう。

 そして寝ているだけあってあっさりとお昼休みになる。

 

 

「ここの女子連中は終わってやがるぜ」

 

 今日も今日とて野郎四人で飯を囲んでいると突然谷口は謎の批判を展開した。

 

 

「それどういう意味?」

 

 国木田から疑問が出るのも無理はない。

 なんとなく、俺には谷口が何を言いたいのか察しがついているが。

 

 

「バレンタインだってのに俺んとこには義理のひとつも届きゃしねえ。マジで終わってるだろ?」

 

「……ああ」

 

 苦笑しながらも国木田は納得したようだ。

 女子に対し文句を言ってる時点で立派な負け犬なのである。終わっているというか谷口の場合は始まってすらいない。

 とは口に出さなかったが鼻で笑った俺の態度が気に入らないのか谷口は。

 

 

「いいよな、お前はそうやって人を見下していられるんだからよ。どうせ朝倉から貰ったんだろ」

 

「さあね」

 

 まだ貰っていないというのが事実だ。例年通りなら彼女は帰り際にマンションの前でチョコレートを渡してくるからね。

 もっともこいつなんかにそんなことを教えてやる道理なんぞない。

 

 

「こんちきしょうめ」

 

 俺の反応が気に食わないのか恨み言を吐く谷口。俺に当たることで鬱憤が少しでも晴らせるのなら好きなだけやってくれて構わないぞ、いくら害悪だとわめいたところで同調してくれるのは同類のアホだけなんだから。

 それはそれとして。

 俺は二年前まで朝倉さんがくれるチョコに特別な意味なんてなく、ただ幼馴染という間柄ゆえの産物なのだと信じていた。義理のひとつにすぎないと。

 だが違った。彼女にとって俺という人間は特別らしい。だからこそ俺は悩んでいるわけだ。何故ならそれは――

 

 

「ところで」

 

「ん」

 

 キョンのほうを見る。俺に何か言いたいらしい。

 

 

「今日も部活は休みなのか?」

 

 そういや昨日は長門さんのチョコレート試食会のために部活をお休みにしたんだっけ。キョンには適当な理由を伝えておいたと朝倉さんが言っていたが今日は通常通りだ、文芸部的には。

 

 

「オレは特に予定ないし、多分普通にやると思うけど」

 

「そうか」

 

 この時点で俺はすっかり失念していた。

 去年のうちならいざ知らず、今の文芸部に"普通"というワードは通用しなくなってきつつあるということを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ朝倉さん」

 

「何?」

 

「寒い。部室に入りたい」

 

「我慢しなさい」

 

 かれこれ三分近くこうして廊下の柱の影に隠れていることになる。が、いかんせん身体が冷える。部室も寒さはあまり廊下と変わらないけどストーブがあるだけここよりはマシだろう。

 さて、なぜ俺と朝倉さんがメタルギアごっこをしているのか。とどのつまりは長門さんのためである。

 放課後。文芸部員たる俺はワークフローとして部室に足を運ぼうとしたが教室から出てすぐ朝倉さんにがしっと首根っこを掴まれた。動物虐待じゃないか。

 

 

「待って」

 

 待つも何も今の状態では歩き出せないんだけどな。 

 

 

「まだ部室に行っちゃだめよ」

 

「どうして」

 

「後で説明するわ。私についてきて」

 

 最近この人どっかの誰かに似てきたんじゃないかと思いつつ俺は言われるがまま朝倉さんの後を追う。

 それから朝倉さんは隣のクラスの長門さんも引き連れて屋上ドア前の階段へ。メンツ的にバレンタインのブリーフィングを始めるつもりらしい。俺必要か?

 

 

「作戦はシンプルです」

 

 彼女発案の作戦というのはこうだ。先にキョン一人だけを部室へ向かわせて後から長門さんが部室に入り、そのタイミングでチョコレートを渡す。

 ようは二人きりの状況に仕立て上げるという単純明快な内容。

 

 

「オレは邪魔するなってことか」

 

「ちょっと言いかたが悪いけど、そうなるわね」

 

 そんなこんなで作戦通りに動いた。

 後は長門さんが部室に入ってキョンにチョコを渡すだけ。俺と朝倉さんはすっかり待ちの姿勢である。

 

 

「ところでさ」

 

「ん」

 

「長門さんが部室に入った後、そっから俺たちはどうすりゃいいわけ」

 

 いいムードを台無しにしてまでクラブ活動に勤しむ必要もなかろう。機関誌づくりという例外を除いて部室は共用スペースでしかないんだし。

 顔をくるりと向けた朝倉さんの反応は「あちゃー」といったものだった。後のことは考えてなかったらしい。

 

 

「適当にどこかで時間でも潰す……とか?」

 

「アテもなくふらつくぐらいなら帰った方がいいだろ。疲れるし」

 

「期待した私が間違ってたわ」

 

 朝倉さんからは落胆の声が聞こえる。

 うむ。客観的に俺の発言がイケてないのは自覚しているし、彼女の評価を下げるのも忍びない。なのでここはこちらが折れるとしよう。

 

 

「……わかったよ。じゃあ君の案に賛成で」

 

「まったく。最初からそう言ってくれればいいじゃない」

 

 朝倉さんはニッと笑みを浮かべている。

 ギリギリ合格ってことか。

 

 

「君こそ……」

 

「何よ」

 

 俺とデートしたいなら素直に言ってくれりゃいいのに。断る理由ないし。

 って彼女に言ったらどんな反応をするのやら。気にはなるが更に機嫌をそこねかねないため、ごまかすことにする。 

 

 

「いいや、なんでもない。行きたいとこでも考えててくれ」

 

 こちとら特別行きたいようなとこなんてないしな。帰りが遅くなるかもしれないが街に行くのが妥当かな。

 などと考えていると遂に意を決した長門さんが部室に突入する。ふぅ、一安心。

 後は野となれ山となれ。俺たちはさっさと退散あるのみ。

 

 

「じゃ、行くとしましょ」

 

「ああ」

 

 散々振り回されたのだ、文句のひとつても吐いてやろうかと思った。そんな時だった。

 長門さんが勢いよく部室から出てきた。

 

 

「えっ」

 

 ――かと思えば走って俺と朝倉さんが隠れていた柱を横切る。

 あまりにも唐突な出来事で、二人して呆気にとられてしまう。

 いくら引っ込み思案のきらいがある長門さんとはいえ、ブツだけ渡してさっさとオサラバするとは考えにくい。恥ずかしさに耐えられず出てきたって感じでもなかった。

 なんだ、なんなんだ。

 少しして後ろを振り返るも長門さんの姿は消えていた。部室棟から失せたのかもしれない。

 

 

「長門さん…?」

 

 親友の名前を口にする俺の幼馴染は不安げだった。

 嫌な予感がする。それもかなり。 

 事態こそ呑み込めないが部室でただならぬ何かがあったことだけは確かだ。

 落ち着かない様子の朝倉さんに追従して文芸部の部室へ踏み込むとそこにはキョンがいた。

 プラス、もう一人。黄色いリボンカチューシャを頭に付けた光陽園の女子生徒涼宮ハルヒ。

 キョンが持っているチョコレート。それが長門さんのものではないということは先日の試食会を経た俺にとって簡単な結論だった、キョンが持っているのは100円ちょっとの市販板チョコなのだ。

 なるほどな、間が悪いってのはまさにこのことか。

 察するにあのチョコは涼宮がキョンに今しがた渡したんだ。そして長門さんはその一部始終を目撃した。きっと彼女はそれにショックを受けてここから飛び出したのだろう。彼女が受けた衝撃は計り知れない。

 かつん、と足に何かが当たる。そこには丁重に包装された箱が。長門さんのチョコレートか。

 それが床に落ちている。否、落としたのか。

 

 

「……」

 

 ギリッ、という音が聞こえた。隣からだ。

 眉間にしわを寄せて歯を食いしばっている。その表情は人間が見せるものとしてはとてもわかりやすいものであり、俺がそんな状態の朝倉さんを見るのは意外にも初めてのことだった。

 朝倉涼子は、怒っている。

 

 

「あんたねえっ!! いったい――」

 

「落ち着けって」

 

「――っ」

 

 左手で激昂する朝倉さんを即座に制す。

 今の彼女が何をしでかすのかわからない。涼宮に殴りかかってもおかしくないくらいだ。

 しかし俺たちは"部外者"だ。これは俺と君の問題じゃないんだよ。

 ここで涼宮をとっちめたって長門さんの気は少しも晴れやしないだろうに。そんなことぐらい、君だってわかってるはずだろ。

 俺はすぐにでも暴れ出しかねない相方を尻目にキョンへと質問する。

 

 

「さっき、長門さんが慌てて出て行ったが何かあったのか?」

 

「何もなかったわよ」

 

 答えてくれたのは涼宮だった。

 キョンは無言だ。察しが悪いのか、あるいは察した上でああなのか、どちらにしても俺にはどうしようもないことだ。俺も人の背中に後ろ指させるほどご立派じゃないし。

 涼宮は冷めたトーン。やけに熱くなっている朝倉さんとは対照的だ。

 だからこそ朝倉さんは余計に腹が立つのだろう。その苛立った表情は変わる気配がない。

 

 

「あったとしたらそれは誤解ね」

 

「誤解……」

 

 情けないとは思うが言い訳させてくれ。

 判断材料を持っていなかったわけじゃない。俺だけの話になるが。

 涼宮ハルヒという人間は常識を逸する行動ばかり取るくせに行事というか儀式というか、とにかくある種の節目みたいなもんを重要視している。そんなの"読者"ないし"視聴者"なら自然とわかることだ。

 彼女にしてみればバレンタインも単なるイベントの一つに過ぎない。まあ、わからんでもないさ。原作でもやってたんだしな。

 

 

「話は後にした方がいいんじゃない? まずはあの子を追いかけましょ」

 

 こちらに歩み寄ってきた涼宮は落ちていたチョコを拾い上げるとそれを差し出してこう言った。

 悔しいが同感だ。従う以外の選択肢はあるまい。

 涼宮からチョコを奪うように取ると朝倉さんは廊下へ駆け出す。

 はぁ、とため息を漏らした涼宮はキョンのほうを見て。

 

 

「あんた、ちょっとここで待ってなさい」

 

「……どうしてだ」

 

「あの子の誤解をといてからじゃないと収拾がつかなくなるでしょ」

 

 だな。古泉が来たら一緒にお茶でも飲んでるがいいさ。

 かくして、よりによってバレンタインの日に文芸部で騒動が起きてしまったのである。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue13

 

 

「で、どうすんの?」

 

 涼宮はかったるそうに廊下の壁に背を預けながら俺に尋ねてきた。

 どうもこうもあるか。長門さんを探すだけなのだが、彼女を一番心配しているであろう朝倉さんは単独で探しにいってしまいこの場にいない。あの様子じゃ無理もないか。

 

 

「まずは本館を当たるつもりだ」

 

 部室棟に長門さんがいるとは考えにくい。使われていない空きの部室こそあるが勝手に出入りできるもんでもないし、逃げ隠れできるような場所などここにはないのだから。

 それはさておいて。

 

 

「オレとしては一刻も早く長門さんを見つけたいとこなんだけどさ……」

 

「何よ」

 

「君がその格好で本館をうろつくのはマズいんじゃあないのか」

 

 今の彼女は光陽園学院の制服姿である。

 かつてアニメの中の彼女が着ていた北高のセーラー服よりもそっちのほうが似合っているとは思うが、教職員に見られると大事になる。人の出入りが少ない部室棟と違って本館じゃ廊下を歩けば間違いなく教師とエンカウントするにきまっている。

 しかも今回は人探しだ、行動範囲が広ければそれだけ発見のリスクも高まる。だからトイレにでも入ってさっさと体操服に着替えてきてくれないか。

 

 

「心配しなくてもいいわよ」

 

 そう言うと涼宮はポケットからカードを取り出して俺に突きつけた。

 名刺ぐらいの大きのそれには"入校許可証"と書かれている。なんだそれ。

 

 

「見りゃわかんでしょ、許可証よ許可証。確かに無断で他校に入っちゃうのはマズいわ。でも大丈夫、あたしと古泉くんは北高側からそのへんについて許可貰ってるから」

 

「……はぁ?」

 

 嘘だろ。入校許可証なんて初耳だ。

 いったいどんな妖術を使えば他校生がうちに入り浸っていいって話になるんだよ。 

 

 

「いわゆる学校間交流ってやつね。書類は適当にでっち上げたけど一応正規の手順は踏んであるわ」

 

「それのどこが"正規の手順"なんだ」

 

「現に許可が出てるんだから過程なんてどうでもいいじゃない」

 

「いつそんな許可が出たって?」

 

「先週。ここんとこ寒いし、体操服なんか着てらんないでしょ。で、せっかくだから堂々と北高を歩ける立場になってやろうって思ったわけ。制服も着れて一石二鳥よ」

 

 駄目だ。頭が痛くなってきた。

 涼宮に何を言おうが馬の耳に念仏でしかないのでこれ以上この話をするのはよそう。

 何かあったらこの女のせいだ。俺は騙されてましたで通そう、うん。

 それから俺と涼宮は北高本館の捜索を行った。

 まずは昇降口に向かい下駄箱を確認する。長門さんが帰っていたらいくら北高を探したところで見つかるわけがないからだ。

 

 

「マジかよ」

 

 長門さんの下駄箱には上履きが置いてあり外靴がない。

 帰ってしまったのか、あるいは北高敷地内か、いずれにしても校舎の中にはいないみたいだ。

 外靴に履き替えた俺たちは本館の捜索を早々に切り上げ、外に出る。

 こういう時真っ先に思い当たるのは中庭とゲンコツ広場だ。

 ゲンコツ広場というのは中庭の奥に位置する場所であり、普通のベンチの他に切り株の形をした椅子と机が設置されている。

 冬場はそもそも外で休憩するという発想すらないが、春先になるとお昼を食べるのに利用する人もちらほら見かける。北高生の憩いの場といえよう。

 だが長門さんは中庭にもゲンコツ広場にもいなかった。

 

 

「帰っちゃったんじゃないの?」

 

「……かもな」

 

 あまり考えたくないが涼宮の言ってることは否定できない。

 グラウンドと校舎の周りを一通り見終えたら中断だ。

 ゲンコツ広場を後にしようとした時だった。俺の幼馴染が中庭からこちらに向かって駆けてくる。

 まだ長門さんのチョコレートを持っているということは朝倉さんも見つけれてないということらしい。

 

 

「はぁっ……はぁっ……そっちは?」

 

「いいや。見つかってない」

 

「もう、どこ行っちゃったのよ……長門さん」 

 

 皆目見当がつかない。

 下駄箱に上履きが置いてなかったら教室か屋上が有力候補なのだが。

 すると隣にいた涼宮が痺れを切らしたかのように、

 

 

「あたし、謝んないから」

 

と朝倉さんへ噛みついた。

 一瞬なんのことかと思ったがすぐに理解した。キョンにチョコを渡した件か。

 落ち着きはらった様子で涼宮は言葉を続ける。

 

 

「なんてことないただのイベントでしょ。チョコひとつ渡すぐらい」

 

「ただの……ただのイベントじゃないのよ!!」

 

 朝倉さんが声を張り上げる。

 ものすごい剣幕だ。

 

 

「あなたにとってはただのイベントかもしれないけど、あの子にとっては大事な日なの。それぐらいわかりなさい」

 

「……わかってるわよ」

 

「だったらどうして!?」 

 

「どうって言われても」

 

 先ほど涼宮に説教を試みた俺だからよくわかるが、朝倉さんの主張はこの女にとって重要なことではない。涼宮ハルヒはいつだって自分が正義なのだから。

 乾いた笑いを浮かべながら涼宮は

 

 

「あたしのは義理チョコよ。義理チョコ渡す権利ぐらいあたしにもあるでしょ。それを勝手にあの子が本命って勘違いしただけの話。違うかしら?」

 

「勘違いしてんのは……」

 

 朝倉さんは拳を強く握りしめて涼宮へ詰め寄っていく。

 ヤバいな。あれは手が出る。

 

 

「あんたのほうでしょうが!!」

 

 大振りの右ストレート。

 朝倉さんが放ったそれは涼宮に直撃するかと思われた。

 

 

「んぐっ!」

 

 が、涼宮にパンチは当たらない。

 俺が涼宮を横に突き飛ばしたからだ。おかげで俺が涼宮の代わりに横っ腹にいいのを喰らうハメになっちまったが、しょうがない。

 

 

「かはっ……つつっ……」

 

 痛い。が、キドニーブローにならなかっただけマシだ。あれは下手すりゃ病院行きだからな。

 朝倉さんは信じられないものを見るような目でこちらを見ている。ちらりと横を見ると涼宮も同じ感じだった。殴られたかったのかよお前。

 

 

「な、何やってんのよ……あなた……」

 

「そりゃ……こっちの台詞だ」

 

 君の怒りは涼宮にぶつけてどうにかなるものではない。

 きっとただの八つ当たりなんだ。

 

 

「この女に何言っても無駄さ……マジに悪気がないんだからしょうがないって」

 

「……」

 

「殴ったところで、君の考えなんか理解してくれない」

 

 もっともそれは涼宮相手に限った話ではないけどさ。

 朝倉さんは黙っていたが、やがて眼を潤ませる。

 

 

「涼宮。いきなり手荒なマネしてすまなかった」

 

「……気にしなくていいわよ」

 

「悪いけどちょっと先行っててくれ」

 

「わかったわ」

 

 涼宮は足早にこの場を後にする。

 朝倉さんが泣き始めたのはそれからすぐのことだ。

 

 

「ううっ……うえええええええええええん」

 

 世話のかかる幼馴染だな。って、いつも世話をかけているのは俺だけど。

 彼女を抱いて慰める。俺にできるのはそれぐらいだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝倉さんがひとしきり泣いたあと、俺は彼女をゲンコツ広場のベンチに座らせた。

 いつまでも抱いているわけにもいかないし、あんなところを誰かに見られたら変な噂が立ちかねないからだ。

 この間レンタルしたB級映画の感想を述べるなどして少しでも彼女の気を紛らわそうと努めたのだが結果はかんばしくない。困ったな。もうちょっと面白そうな映画を見るべきだったか。

 

 

「コーヒー飲むかい?」

 

「……」

 

 返事はなかった。

 俺は中庭に設置されている自動販売機の前まで移動。小銭投入口に五百円玉を入れてホットコーヒーのボタンを二回押下。

 釣り銭と缶コーヒーふたつを回収してゲンコツ広場に戻り、朝倉さんの右隣に座ってからコーヒーをひとつ朝倉さんに渡す。

 

 

「ほら、あったまるよ」

 

「……頼んでないわ」

 

「オレは沈黙を肯定とみなす主義なのさ。知らなかったっけ」

 

「……」

 

 観念した朝倉さんはコーヒーの缶を開けると一口飲んだ。

 俺もいただくとしよう。やっぱコーヒーはいいね、このメーカーのはあまり好きじゃないけど。

 お互いコーヒーを飲み干すまでの間、無言だった。

 それから缶を自販機横のゴミ箱に捨てて戻ってくると、

 

 

「ごめんなさい」

 

ふいに朝倉さんがそう言う。

 悪いことをした、と思っているらしい。

 朝倉さんのマジギレを見るのは初めてのことだったが、落ち込んでいる彼女を相手にしたことは何度かある。こういう時の朝倉さんはしっかりフォローしなくちゃいけない。

 だから涼宮を先に行かせて二人きりになる必要があった。

 

 

「怒りってのは人を盲目にするもんだ。涼宮に腹が立っちまったんだろ? 気にすることないって、俺だって腹立つし」

 

「そうじゃないのよ……」

 

 朝倉さんは首を横に振ってから、

 

 

「私が腹立つのは自分」

 

自嘲するように薄ら笑いを浮かべた。

 俺は彼女の言葉を待つ。

 

 

「偉そうにお膳立てしておいて……いざ失敗したら全部涼宮さんのせいにした。涼宮さんの言い分だって間違ってるわけじゃないのに」

 

「それで?」

 

「挙句の果てには暴力を振るったわ。最低よね」

 

「涼宮はともかく、オレは君に殴られてもしょうがないよ」

 

「……本当にごめんなさい」

 

「だから気にすることないって」

 

 お寒い友人役に徹しているんだ、君が俺にそれ以上のものを求めていると知りつつもね。俺だって男としては最低だぜ。

 という俺の胸中を知らない朝倉さんは自責の念を強めていく。

 

 

「自分でもわかってるの。私がやってるのは迷惑なおせっかいで、自己満足にすぎない……って」

 

 なるほど。

 たしかに朝倉さんは超が付くおせっかい焼きだ。けど。

 

 

「それは違う」

 

 しっかりと彼女を見据えて言う。

 

 

「オレは君に何度も救われてきた。君のおせっかいがなかったら、中学に通えてたかさえ怪しい」

 

 朝倉さんが俺の幼馴染じゃなかったら。俺がひとりぼっちだったら。きっと家出でもして、のたれ死んでいたかもしれない。

 俺にとってこの世界で生きるということはありがたいことでもなんでもなかった。

 そんな俺に積極的に関わってくれたのは朝倉さんだった。

 間違いない。彼女がいるから俺があるんだ。 

 

 

「君のやっていることはオレにとって嫌なことなんかじゃあない。すごく嬉しいよ」

 

「……ほんと?」

 

「ああ。そういうわけだ、自信を持ってくれ」

 

 俺の言葉は一応の慰めになったらしい。

 再び涙目になった朝倉さんは精一杯の笑顔を浮かべ、

 

 

「ありがとう」

 

と言い、俺に抱き付いてきた。

 どういたしまして、ってまたこの体勢か。さっきは俺からだったけど。

 まあいいさ。べつに嫌なわけじゃないんだからな。

 俺は右手で朝倉さんの頭を優しく撫でる。すると不思議と心が落ち着く。

 なんとなくだが、彼女も同じように感じている気がする。

 

 

「ねえ」

 

「なんだい」

 

「もう少しだけ……こうさせて」

 

「かまわないよ」

 

 手のひらから伝わる髪の感覚が心地いい。

 俺なんてこのままずっと朝倉さんとこうしていたい気分だ。

 文芸部のことも、時間も、何もかも忘れ――

 

 

「お取込み中みたいだけどちょっといいかしら」

 

 ――るのは流石に無理があったか。

 朝倉さんの頭を撫でるのに夢中で気づかなかったが、涼宮が戻ってきていたらしい。何が気に食わないのか彼女は若干苛立っているように見える。

 名残惜しいと思いつつも俺は朝倉さんの頭から手を放す。それと同時に朝倉さんは俺の身体から離れた。

 はぁ、と涼宮は本日二回目のため息を漏らして、

 

 

「有希が見つかったわよ」

 

と告げた。

 ばつが悪そうにしていた朝倉さんもこれにはハッとした表情になる。 

 

 

「その、長門さんはどこにいたのかしら」

 

「渡り廊下の横にある階段よ。心ここにあらずって感じでぼーっと座ってたわ」

 

 

 そうか。

 先に帰ってなくてよかった。長門さんが家から出たくないっていう最悪のケースも想定してたが、考えすぎだったようだ。

 朝倉さんはベンチからすくっと立ち上がると、涼宮に向かって頭を下げた。

 

 

「さっきはごめんなさい。私の考えを押し付けたりなんかして……」

 

「顔上げなさい」

 

 涼宮の言葉を受けて朝倉さんは頭を上げる。

 朝倉さんの不安を払拭するかのように涼宮はニッと笑い。

 

 

「ま、あたしも口が悪かったしね。ここはひとつお互いさまってことで水に流しましょ」

 

「……ええ!」

 

 朝倉さんも涼宮につられて笑顔になった。

 まったく、仲直りしてくれて何よりだ。 

 

 

「んじゃあ長門さんは君たちに任せた。オレはキョンを呼びに行く」

 

 俺が長門さんにかける言葉も特にないしね。場違い感はんぱないだろ。

 二人の了承を得ると俺はベンチから立ち上がり、部室棟へと歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部室に戻るとキョンに加えて古泉がいた。

 古泉の愛想笑い野郎っぷりはこの日も変わらず。何が楽しいんだか。

 

 

「おいキョン。本館東側の渡り廊下横にある階段だ、さっさと行け。理由は聞くな」

 

 キョンはほうけたツラをしていたが、椅子から腰を上げると何も言わず俺の言葉通り足早に部室を後にした。

 残ったのは古泉と俺だけである。珍しいペアだ。

 俺が自分の席に着くと古泉が切り出した。

 

 

「恐れ入りますが、何があったのかお教えいただけますか?」

 

 古泉は文芸部が普段と様子が違うことに気づいているらしい。まあ女性陣の姿が皆無だからな。

 仕方がないので俺はかいつまんだ説明を古泉にした。

 今日はバレンタインだから長門さんがキョンにチョコを渡せるように俺と朝倉さんが二人きりの状況を作り上げようとしたが、涼宮が先んじてキョンに義理チョコを渡していた。で、タイミング悪くその光景を見てしまった長門さんが本命と勘違いしショックを受けて雲隠れしてしまった。そして必死の捜索の末、長門さんを発見したので当初の作戦をなんとか完遂させようとしている。

 

 

「――というわけだ」

 

「そういうことでしたか」

 

 俺と朝倉さんの触れ合いについては語る必要がないので黙っておく。

 その後、特にやることもない俺たちは暇つぶしにチェスをすることに。

 古泉とゲームで対決するのはこの日が初だ。 

 

 

「それにしても意外でした」

 

 と、白のルークを動かしながら古泉は口を開いた。

 何が意外だって。

 

 

「あなたは僕が思っていたよりずいぶんと義理人情に厚いお方のようだ」

 

「話術にしては下手くそだな」

 

「揺さぶりなんかじゃありませんよ。単なる評論です」

 

「今日の一件を聞いてそう思ったのなら考えを改めたほうがいい。オレは巻き込まれただけにすぎない」

 

「ではそうしておきましょう。巻き込まれただけの人間にしてはいささか自主的に動いている気もしますが」

 

 古泉の話術は俺を苛立たせる効果があったのだが、残念ながら対局結果は本日行われた五戦全てが古泉の黒星に終わった。知ってはいたけどここまで弱いとは。

 これ以上ボコボコにしても面白くないなと思い始めた頃、出払ってた文芸部部員がようやく帰ってきた。

 バレンタインの騒動が終息したということは連中の顔を見て察しがついた。やれやれだ。

 そして時間が時間なのでそのままお開きに。

 下校中、朝倉さんが語ってくれた話によると長門さんは涼宮の行動にショックを受けていたわけではなかったらしい。

 

 

「涼宮さんの邪魔をしたくなかったそうよ」

 

「オレたちと逆のことを考えてたってわけか」

 

「みたいね」

 

 俺たちは長門さんとキョンを二人きりに仕立て上げようとした。 

 それゆえに長門さんは涼宮がキョンにチョコレートを渡している最中、邪魔になると思いって慌てて部室から去っていったのだ。

 

 

「涼宮が言ったとおりさ。あの時あったのは誤解だ、みんな誤解してた」

 

「そうね……今回はしっかり反省するわ」

 

 俺もそうだが朝倉さんは涼宮を意識していなかった。だからこそああいうバッティングが発生してしまったわけで、あまり気乗りはしないが今後は涼宮と古泉の二人を俺らと同じ北高文芸部の部員として認識する必要がある。

 何はともあれ、例年よりも騒々しかったバレンタインは終わりを迎えた。

 否、俺に関してはまだ終わっちゃいなかったのだが、その話は割愛させてもらおう。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Intermission2


今更ですが説明。

Epilogue
→【長門有希ちゃんの消失】本編の時間軸
Intermission
→【長門有希ちゃんの消失】本編開始前の時間軸




 

 

 世間一般に五月といえば大型連休、ゴールデンウィークを真っ先に思い浮かべるだろう。

 我が家では祖父母に顔を見せるべくわざわざ田舎へ出向くのがゴールデンウィークのお決まりで、高校一年になるこの年も例外ではなかった。

 父方の祖父母宅は住宅街にあるという点において俺の家と変わりないが、田舎だけあっていっそう閑散としている。肌から伝わる空気や雰囲気が俺の家の近所とは違う。

 コンビニも徒歩十五分はかかるし最寄りのスーパーマーケットに関してはとてもじゃないが歩いて行こうとは思えない。車での移動が基本となる。

 俺にはまるで理解できないが、老後というのはこのような場所で過ごしたくなるものなのかもしれない。騒々しいのは確かに嫌だな。

 そんなこんなで母さんと親父と俺の三人でじいさんの家までやってきた。

 インターホンを押す――べつに俺がやらなくてもいいことなのに母さんにお前がやれとゴリ押しされた――とすぐにドアが開かれ、じいさんとばあさんが歓迎ムード全開で玄関に立っていた。

 しかし、祖父母宅で待ち受けていたのはじいさんとばあさんだけではなかったのだ。

 居間で通販番組を眺めていたその人物を前に、俺はこう問わずにはいられなかった。

 

 

「なんであんたがここに……?」

 

 その人物は俺の到着に気づくとこちらを一瞥し、

 

 

「久しぶりね。愚弟」

 

そう言ってからすぐに視線をテレビの中に映し出されている胡散臭い新型掃除機のプロモーションに戻す。

 普段は結っている髪を今は下ろしているが顔は変わるはずもなく、どうやらその人物が俺の姉であるという事実は揺るがないらしい。

 顔を合わせる機会はいくらでもあったが姉さんとこうして会うのはたしかに久しぶりだ。中学最後の夏休み以来か、冬休みには会っていない。三が日も開けてから家に帰ってきたようだがその時俺は不在だったからな。

 それはさておき。

 

 

「オレの質問を無視するなよ。なんであんたがいるんだ」

 

「貴重な休日を使ってかわいい孫娘の顔をおじいちゃんに見せに来た。それだけのことでしょう?」

 

 いい年してかわいいを自称って、笑えばいいのか俺は。かなり大爆笑だぜ。

 とりあえず姉さんの戯れ言は無視することにして、姿の見えない彼女の相方について聞くことにする。

 

 

「旦那さんはいないのか?」

 

「わたしだけ。あの人は来てないわ。先週からずっと忙しいみたいで……今日も出勤よ」

 

「へぇ、そいつはグレートだ」

 

 家計の為とはいえ祝日に休日出勤とはご苦労様としか言いようがないね。俺には考えられん。

 さて、ここで俺の姉について少々ばかり説明したいと思う。

 といっても俺だってそこまで詳しくは知らない。俺がこの世界で生きるようになってから三年、その期間に姉さんと過ごしてきた時間は多いとは言えない。

 姉さんは俺が中二の秋に今の旦那さんと結婚して家を出て行った。式のスピーチで知ったが旦那さんとは高校からの付き合いなんだとか。

 子どもの顔が早く見たいと身内からせがまれているが、姉さんとしてはもうちょっと働いていたいそうだ。そんな姉さんの想いを尊重してあげている旦那さんは心身ともにイケメンである。この世界で言うなら古泉一樹タイプの人間だぜ、ありゃ。

 朝倉さんが小さい頃は俺ともども姉さんが面倒を見てくれていたらしい。

 などという背景からか、朝倉さんは姉さんのことをやけにリスペクトしている。俺としてはどうかとも思うのだが、女にしかわからない何かがあるんだろう。多分。

 まあ、とりあえずはこんな感じだ。姉の容姿だとか職業だとかその辺は――いずれわかるさ、いずれな。

 今の時刻はそろそろ十二時を指すところで、ばあさんが昼飯の準備にとりかかっていた。

 ちなみに姉さんは日帰りだがうちら三人はここで一泊する。

 

 

「ところで愚弟」

 

 俺がじいさん宅の居間に飾られている町内ボウリング大会優勝――なんでもフルスコアをたたき出したとか。じいさんのボウリングの腕前はプロ並だと聞く――のトロフィーをぼけーっと眺めていると我が家のサッチャー、もとい姉さんが声をかけてきた。

 面倒な話じゃなきゃいいが、この人の話のうち八割は面倒な話だから困る。

 

 

「なんだよ」

 

「ついこの間小耳に挟んだのだけれど、あなた文芸部に入部したそうね」

 

 ほらきた。

 俺はポーカーフェイスを装って気のない返事をかえすよう努める。

 

 

「……それが?」

 

「気でも狂ったのかと思ったのよ」

 

 実の弟に対して言う言葉かね。

 気持ちはわからんでもないが。

 

 

「おいおい、クラブ活動は学生の権利のひとつだろ」

 

「しかもよりによって文芸部」

 

「なんか文句あんのかい」

 

「あなたを入れてもたった二人しかいない集まりがクラブ活動だなんて、あきれるったらありゃしない」

 

 姉さんの口撃にはむかっ腹が立つ一方だが姉さんにこっちの事情を話すわけにもいかない。話したところで余計に頭がおかしいとしか思われないだろうし。

 というわけで今日のところは好きに言わせておこう。無視だ無視。

 

 

「……涼子ちゃんとうまくいってるの?」

 

 前言撤回。

 なんで急にその話になるのか。 

 

 

「あなた最近、一人で学校に通っているそうじゃない」

 

「それが?」

 

「あなたと涼子ちゃんの間に何かあったと思うのは当然でしょう」 

 

 さすがの姉さんでも肝心なとこは知らないらしい。

 もっとも朝倉さんが話してないのであれば俺から話すつもりは毛頭ない。

 

 

「いやべつに……ただ、もう高校生だろ。幼馴染だからって理由でひっついてるのもどうかと思ったんだよ」

 

「だからあなたはアホなのよ」

 

 呆れ果てた様子の姉さんはそれ以上追撃を仕掛けてはこず、居間のソファへと向かって行った。

 姉さんはよかれと思って言っているのだろうが俺としては気分がいいものではなかった。

 それからしばらくしてから出された祖母作のお昼ご飯があまり喉を通らなかったのはきっと姉さんの精神攻撃が原因だったのだろう。俺自身、吹けば飛ぶような男だという自覚はあるのだが、もうちょっと精神的に強くなりたいものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 父方の祖父母宅でお世話になったその翌日には母方の祖父母宅へ行った。そしてそこには姉さんの姿はなかった。いたら俺一人で帰ってたかもしれない。

 で、じーさんばーさん宅への巡礼を終えた後はいつも通りの昼寝を続け、俺の高校一年生ゴールデンウィークは終了した。

 

 

「しけてんな」

 

 俺のゴールデンウィーク生活を聞いた谷口の感想がこれだ。

 やけに辛口評価だが彼は何様のつもりなのやら。

 

 

「もっと有意義に使えっての」

 

「そういうお前は何やってたんだ」

 

「決まってらぁ、バイトよ」

 

 俺と比べると有意義なのは間違いない。

 でもこいつの給料の使い道なんてナンパの軍資金だからな、そう考えるだけで笑えてくる。

 さて、なぜ俺とアホの谷口が絡んでいるのかというとなぜなのかは俺にもわからん。

 最初に絡まれてからというもの、彼のほうから一方的に話しかけてくるのだ。そうでなけりゃ朝のホームルーム前のこの時間、今頃俺は机に伏していることだろう。

 

 

「あのな。高校生にもなってジジババのご機嫌取りして何になるんだ?」

 

「小遣いは貰えたぞ」

 

「カネの問題じゃねえ、スケールの問題だ。高校生なら高校生らしいことをしなきゃ面白くねえだろ。お前のは小学生レベルだ」

 

 高校生らしさ、なんてものを俺に説かれても困る。

 俺の高校生活は既に終わったはずなんだからな。だからといって高校生活にノスタルジーを覚えるほど年をとっているわけでもないので、高校生らしい生き方が面白いとすら思えない。

 などと屁理屈を並べたところで歪んでいるのは俺のほうなのだ。その意識はあるので上っ面だけでも谷口の言葉に賛同しておくか。

 

 

「ありがとうためになったよ」

 

 我ながら白々しいにもほどがある。

 などという俺の心を見透かすことが谷口にできるはずもなく、礼には及ばねえぜと言い残して彼は自分の席へと戻っていった。

 そしてチャイムが鳴り、少しして担任の岡部先生が教室に入ると朝のホームルームが始まった。

 しっかしこの朝と帰りのホームルームって必要なのかね。なんの意味があるのかいまだにわからん。

 挨拶と連絡事項を周知して終わるだけ。とてもじゃないが重要とは思えないね。

 昔、中学時代の下校中にそんな意見を朝倉さんに述べたところ、

 

 

「重要に決まってるじゃない」

 

とキッパリ言われた。

 当然すっきりしないので俺は意見を続ける。

 

 

「でも連絡事項なんて特にないのが普通だろ。何かある時なんてわざわざ言われなくても行事予定表見りゃわかるしさ」

 

「みんながみんな行事予定表を把握してると思ってるの? それに急な連絡だってあるでしょ」

 

「だったらそん時だけ時間を割けばいいじゃあないか」

 

 すると朝倉さんはやれやれといった感じで首を横に振ってから、

 

 

「朝と帰りのホームルームっていうのはね……集団コミュニケーションだとかタイムマネジメントだとか、そういう社会性を育てる作業の一環なのよ。理解したかしら?」

 

中学生の発言とは思えぬ回答をくれた。

 あの時俺は「なるほどね」と朝倉さんに言ってその話を終わらせたがホームルームの存在意義について納得できたわけではない。

 集団コミュニケーションなど俺がもっとも気に入らないことのひとつだ。勝手にやってろっての。

 それにしても朝倉さんはタイムマネジメントなんて言葉どこで覚えたんだろう。彼女の親父さんが吹き込んだのかな。

 と、過去を回想しているうちに今日の朝のホームルームは終わったらしい。教室を後にする岡部先生の姿がそれを物語っている。

 じきに一時間目が始まるので俺は寝るとしよう。慣れてしまえば机で寝ることぐらいどうということはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一日中ぐでーっとしているうちに帰りのホームルームの時間となった。

 夜と朝を堕落のサイクルでなぞっていくのが俺の日常だ。

 朝倉さんはそんな俺を少しでも真人間にしようと努めているが、さすがの彼女も授業中ばかりは口出しできないので好きにやらせてもらっている。

 だが中三の時に一度、朝倉さんの席が俺のすぐ後ろになったことがあった。

 あれは地獄そのものだった。寝ていると朝倉さんが後ろからシャーペンでチクチク攻撃してくるのだ。

 怒ろうにも全面的に俺が悪いため怒れないので授業中に起きているしかなかった。

 だいたい同じクラスなのがおかしい。どういう星のめぐり合わせかは知らないが中学三年間通して朝倉さんと俺は同じクラスで、北高に入ってからも彼女は同じ教室にいる。単なる偶然だとは思うけどこうも続けば何か作為的なものを感じるね。

 どうあれ俺の後ろの席に朝倉さんが来る、なんてことがもう二度とないことを願うばかりだよ。

 などと考えているうちに帰りのホームルームも終わり、下校時間となった。

 掃除当番じゃない俺はすぐに帰宅するという選択肢もあるのだが、そうはせずに部室棟へと向かう。

 なぜなら俺は文芸部員だからだ。

 ほどなくして部室棟に到着し、部室がある三階まで階段をのぼっていく。

 そして部室の扉を開けると長門さんが定位置に座っていた。

 

 

「ウッス」

 

 という俺の声に反応して長門さんは笑顔でこんにちはをしてくれた。

 長門さんが掃除当番でない日は必ずといっていいほど彼女が先に部室にいる。そうでない時はもちろん誰もいない。

 基本的に部室は昼から帰りまでずっと鍵が開いているそうだ。長門さんは教室じゃなく部室で昼飯を食べているんだと。

 ぼっちめしは気が楽だからね。かくいう俺も高校入ってからは一人弁当だ、中学時代の給食は強制的にグループで喰わされてたがあれも朝倉さんがいうとこの集団コミュニケーションのひとつなのか。心を許せる人以外と食べる飯なんて味が落ちるだろうに。

 それにつけても文芸部はやることがないクラブだ。いや、べつにやることがあったほうがいいってわけじゃないけど。

 俺は読書なり授業の続き――ようは睡眠――なりをし、長門さんにいたっては携帯ゲームで時間を潰す。クラブ活動なんてしょせんは遊びの延長線上でしかないのさ。

 今日は移動教室も体育もなかったから快眠できた。なので今日は読書。

 てきとうに部室の本棚から本をセレクトする。タイトルは【魔術師が多すぎる】。

 "俺"の記憶が正しければ小学生の頃、図書室で読んだ。ダレン・シャンも苦笑するレベルの荒唐無稽さだった気がするが、詳細な内容は覚えていない。

 読書は嫌いじゃない。見知らぬ他人の感情が手に入るから。

 して、さっそく読み始めようと思ったが、ふと長門さんに聞きたかったことがあったのを思い出した。

 

 

「ねえ長門さん」

 

「なに?」

 

「長門さんはなんで文芸部に入ろうと思ったわけ?」

 

 それは入部初日に聞きそびれてしまったことだ。

 単なる好奇心からの質問にすぎないのだが、彼女の返答は意外なものであった。

 

 

「うまく言えないんだけど」

 

 と長門さんは前置きしてから語りだした。

 曰く、受験の下見の日に初めて北高に来た時、せっかくだから部室棟も見ておこうと思ったそうだ。

 だが下見の日は通常教室以外の部屋は鍵がかかっていて入れなかった。もちろん部室棟も例外ではない。

 例外ではないはずなのだが、たまたま文芸部だけ扉が開けっ放しの状態となっていたらしい。

 

 

「それでちょっと中に入ってみたの。そしたらその時、なんとなく"ここがわたしの居場所"なんだ、って安心できた。初めて来た場所なのに、ふふ、おかしいよね」

 

 おかしいだって?

 まさか。納得したさ。

 見えない力が働いたかのように彼女はここへと引き寄せられたんだろ。だったらそれが全てさ。なるべくしてなったんだ。

 だがあの長門有希と彼女とではあまりにも違いすぎる。朝倉さんだってそうだ。何もかもを認めるわけにはいかない。

 アニメの世界を思い出し、少しばかり胸糞が悪くなったのをどうにか取り繕ってから俺は俺の意見を述べる。

 

 

「いいや、たしかにここは落ち着くよ」

 

 机と椅子の他に部室にあるのは本棚とパソコン一台のみ。

 ちょっと殺風景な気もするが、ごちゃごちゃしたのは好きじゃない。

 風通しがいいってことはそれだけ落ち着くってことなのさ。

 

 

「それに、ここには君がいるしね」

 

 俺のこの発言は友人として心を許しているという意味だ。他意はない。

 が、急に長門さんはジト目になり、

 

 

「……ふうん。いつもそうしてるんだ」

 

と言ったきり、この日はこれ以上口をきいてくれなかった。

 長門さんはどういうわけか不機嫌になったのだ。

 いったい俺は何を間違ったのだろうか。選択肢をミスったことはわかるんだけどさ。

 仮に俺が魔術師だったとしても、その答えを知るというのは容易なことではないような気がした。

 まったく、あんまりだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue14

 涼宮が文芸部に押しかけてきた年の四月、俺は高校二年生になった。

 これは所感だが、なかなかどうして二度目の高校生活も捨てたもんじゃない。

 授業こそ全力投球とはいかないが、部活はそれなりに楽しくやらせてもらっている。

 涼宮が来てからは特にそう感じることが多い。あまり認めたくないけど。

 ところで進級に際し、クラス替えがあったのだが、やっぱり朝倉さんと俺は同じクラスになっている。

 もう驚く気にもなれない。

 それに同じクラスなのは朝倉さんだけじゃない、俺含めた四馬鹿――俺、キョン、谷口、国木田の四人だ。朝倉さん命名。でもキョンと谷口はさておき俺と国木田は成績優秀で通ってるのに馬鹿でくくられるのはいかがなものかと思う――と長門さんまでいる。

 入学当時の俺が聞いたらどんな反応をするのやら。

 

 

「――ちょっとアンタ!!」

 

 うん?

 視線を天井から涼宮へ戻すとなぜか彼女はちょっと怒っていた。

 今日は涼宮が部室に来るなり、大事な話があるとか言い出したので、こうして会議でもするかのように皆涼宮のほうを向いて座っているのだが。

 

 

「ちゃんとあたしの話を聞いてたのかしら?」

 

「ん……ああ、ええっと……なんだっけ」

 

「だから、合宿よ! 合っ宿旅行!!」

 

 言いながらバン、と勢いよく机を叩く涼宮。

 そうだ。俺は涼宮の突拍子もない発言に現実逃避していたのだった。

 いやいや合宿ってお前な。

 

 

「何すんだ?」

 

「合宿をするのよ」

 

 聞いた俺が馬鹿だった。

 ハルヒシリーズの作中において涼宮ハルヒ含む主要メンバーは夏休み中、合宿に行くのだが、そこで涼宮は今のような台詞を吐いていたっけ。

 合宿のために合宿に行く、とはね。二重表現もはなはだしいよ。

 作中で行われた不毛なやり取りを思い出した俺はこれ以上突っ込まないことにする。そういうのは俺の仕事じゃないし、なにより言うだけ無駄だからな。

 他が黙っているのを見かねた朝倉さんが顔を引きつらせながら、

 

 

「つまり涼宮さんは合宿がしたいのね」

 

と確認した。

 それに対し涼宮は「そうよ」と肯定する。

 

 

「文芸部で合宿って……この前みたいにみんなで本でも作るつもり?」

 

「あたしがしたいのは合宿旅行よ。合宿して旅行すんの」

 

「ただの旅行じゃねーか」

 

 涼宮に突っ込みを入れたのは俺ではなくキョンだ。いいぞ、その調子でもっとやれ。

 実のところ、俺は涼宮が言う合宿旅行とやらには乗り気である。だって楽しいに決まってるし。

 

 

「詳細は追って連絡するから、みんなゴールデンウィークは予定明けときなさい。以上」

 

 涼宮の話はこれで終わりらしい。

 異論を唱える者がいれば別だったかもしれないが、古泉は言わずもがな笑顔で静観に徹しており、部長の長門さんが合宿旅行に反対してない以上、朝倉さんもキョンもどうこう言わなかった。

 とまれ、今年のゴールデンウィークは合宿か。そうなると祖父母の家には行けないだろう。

 俺としちゃそこまで残念でもないのだが、やっぱり祖父母からすると残念に思うのかもしれない。夏休みは必ず行くようにしよう。

 それにしても涼宮はどこで合宿するつもになのだろう。

 無人島はさすがにないはずだが旅行って言われてもイマイチぴんと来ない。

 古泉に聞いたら何かわかるかと思い、こそっと聞いてみたが古泉も合宿地がどこかは知らないと言った。古泉が一枚噛んではいないということだ。

 なら少なくとも無人島じゃなさそうだ。あんまり安心できないけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 涼宮が第一回(二回目あるのか?)北高文芸部合宿旅行の決行を宣言した数日後。数学の小テストが行われた。

 どこの高校でもそうだが、授業によっては定期考査のほかに時たま小テストが行われたりする。北高の場合は国語系以外全教科ある。といっても行われる頻度は教師によってまちまちだが、その中でも数学は特に頻度が高いと言っていい。9組の連中――理数中心の特別進学クラスの奴らだ――はもっと高いだろうけど。

 進学校気取りの北高とはいえ新学年もそこそこに小テストをやるなんてちょっと驚きだ。

 数学教師の吉崎先生は教育熱心なのか、あるいは生徒をふるいにかけようとしているのか。

 いずれにしても俺に関係する話じゃない。

 やる気の問題から9組での入学を志望しなかっただけで、こちとら元々理数系の人間だ。こんな小テストなど頭の体操でしかない――てかワンミスでもあったらヘコむ。

 しかしながら数学の小テストが成績に関わってくるような奴は俺の身近にいる。

 休み時間中のことだ。

 

 

「頼む!」

 

 と言ってキョンが頭を下げてきた。

 件の小テストの点数がズタボロだったようで、俺に勉強を教えてほしいとのことだ。

 彼なりに反省心を持っているから俺のところに来たのだろうが、

 

 

「めんどい、パス」

 

無慈悲にも彼のお願いは蹴ることにした。

 理由は言った通りである。

 

 

「そこをどうにか……」

 

 だがキョンは食い下がってきた。

 嫌だと言っているのにどうもこうもあるのか。ないだろ。

 でも了承するまでこいつは俺につきまとってきそうだしな。

 

 

「しょうがねえ」

 

「おおっ!」

 

「助っ人に頼んでくるから待ってろ」

 

「……助っ人だと?」

 

「オレは面倒だから嫌だって言ったからな」

 

 自席から立ち上がり、俺はある人物の席まで移動する。

 そしてその人物に声をかけた。

 

 

「ちょっといいかい」

 

「何?」

 

「キョンに数学を教えてやってくれないか」

 

「……私が?」

 

 声をかけたのは他でもない、親愛なる幼馴染たる朝倉涼子である。

 教育係なら彼女の方が適任だろう。

 

 

「テストの点数なら私よりあなたのほうが上じゃない」

 

「まあ、な」

 

 それでも朝倉さんは俺より成績がいい。

 理由は俺の平常点が悪いからだ。知ってて改善してないんだけどさ。

 朝倉さんは仏頂面で、

 

 

「小テストの点数が悪かったとか言ってキョンくんがあなたに泣きついてきた。そんなとこかしらね。違う?」

 

 ぎくり。

 面倒を押し付けようとしているのがバレているのか。

 実は君エスパーか何かだったりするんじゃないの。

 

 

「人に教えてもらうってのは自分で努力して、どうしてもダメだった時の最終手段なのよ。あなたにだってわかるでしょ」

 

 やめろ朝倉さん。正論はぐうの音も出ないんだ。

 諦めてキョンを見捨てることにするか。

 

 

「……貸しよ」

 

「何?」

 

 俺が聞き返すと彼女は溜息をついてから、

 

 

「貸しひとつで引き受けてあげてもいいわ」

 

キョンの面倒を見ると言ってくれた。

 ありがとうございます、心優しい朝倉さん。

 って。

 

 

「その"貸し"ってのはさ……オレに言ってる?」

 

「もちろん」

 

「君のお世話になるのはオレじゃあないだろ。キョンに言え」

 

「私に頼んできたのはあなたよ」

 

 実に納得いかん。

 いや、ひょっとして朝倉さんは俺が頼んできたから"貸し"などと言っているのではなかろうか。

 国木田に頼っていたらこうなってなかっただろうが、あいつに頼るのも申し訳ないし、つまりは俺が割を食うしかないのである。

 ちくしょう。事あるごとに朝倉さんからの借りが増えていく気がしてならない。いったいいつになったら完済できるんだよ。

 そんな疑問に答えてくれる存在などいるはずもなく、俺は彼女が出した条件を粛々と呑むのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後。

 倶楽部活動の時間を使ってさっそく朝倉さんはキョンに数学を教えるらしい。

 思い立ったが吉日だ。あとはキョンが三日坊主にならなければいいのだが。

 

 

「しっかし遅いな、朝倉」

 

 キョンがぼやいた通り朝倉さんはまだ部室に来ていない。

 音楽室の掃除当番だった俺より遅いとは、何やってんだろう。長門さんも知らないらしい。

 ちなみに昨日の朝倉家ディナーはおでんだった。

 最低でも月イチはおでんが出てくる。それに、俺が見てないとこでも食べてるはずだ。絶対おでんウーマンめ。

 涼宮が来たらいっそのことあいつに頼むのも手ではなかろうか。涼宮ハルヒは頭いい設定だったし、あの女だってそうに違いない。朝倉さんからの借りをナシにしたいというのが本音だ。

 と考えていると、ガチャリと部室の扉が開かれた。

 

 

「待たせたわね」

 

 ようやく朝倉さんが部室にやってきた。

 が、なんと彼女は北高指定のセーラー服から姿が一変していたのだ。

 黒のスーツにワイシャツ、下はミニスカートとストッキング、靴に至ってはパンプスで、極めつけに赤いフレームの伊達眼鏡をかけているではないか。

 朝倉さんのそれは、みずほ先生もおったまげの煽情的な"女教師"スタイルだった。

 すかさずキョンがドヤ顔の朝倉さんに突っ込みを入れる。

 

 

「なぜ着替える必要がある」

 

「このほうが雰囲気出るじゃない」

 

「ていうかどっから持ってきた? そんなもん」

 

「あそこに一式あったのよ」

 

 朝倉さんが指さす先には涼宮が持ち込んできたコスプレセットが大量にかかっているハンガーラックが。びっしりかかっているから気づかなかったが、あの中に女教師セットは入っていたらしい。

 ――いや、そんなことはどうでもいい。どうでもいいのだ。

 

 

「おいキョン」

 

「なんだ」

 

「授業はオレが受ける」

 

「は……?」

 

「だから、朝倉さんの授業を受けたいんだよ!! お前は一人で自習してろ!!」

 

 ガタッと椅子から立ち上がり、声を荒げて言う。

 朝倉さんのコスプレ姿を前に俺のテンションは振り切れてしまっていた。

 ど真ん中、とまではいかないがストライクゾーンなのだ。

 

 

「何言ってやがる。一人じゃはかどらんから俺が頼んだんだぞ」

 

 俺の発言にたまらずキョンは反論する。

 空気の読めないヤツだった。

 

 

「朝倉さんに頼んだのはオレだ!」

 

「お前は朝倉に教えてもらわんでもいいだろ! ふざけやがって、いつも百点取ってるじゃねえか!」

 

「そういう問題じゃあねえ!」

 

「んじゃ何が問題だ!」

 

「気持ちの問題だろうが! 朝倉さんとの個人授業、これは最優先事項なんだよ!」

 

 互いに攻防がヒートアップしていく。

 しょうもない言い合いだが気持ちとしては【スクライド】の最終回ぐらいたかぶっている。

 そんなやり取りをしていると、突然頭に鋭い痛みが走った。

 

 

「いい加減にしなさい」

 

 朝倉さんが数学のテキストで俺の頭を叩いたのだ。

 

 

「いってぇ……角はやめてくれ」

 

「悪かったわね。でも不良生徒にきちんと指導してあげるのも教師の務めよ」

 

 なんだ。ノリノリじゃないか。

 俺は朝倉さんの一撃でちょっと我を取り戻したが、いつもなら微塵も感じないパトスが俺を支配しているのに変わりはない。俺は今、猛烈に感動している。

 朝倉さんは手をひらひらさせながら、

 

 

「あなたの相手は今度。今日はちょっと我慢しててちょうだい」

 

とキッパリ言い放った。生殺しもいいところだ。

 今度って今だろ。違うのか。

 しおれた花のように椅子に座る意気消沈の俺を見た長門さんは、

 

 

「キョンくんと一緒じゃ駄目なの?」

 

素朴な疑問を俺に投げかける。

 わかってない。わかってないよ長門さん。

 

 

「君には見えないのさ…………先の夢が」

 

 個人授業だからいいんだよ。

 放課後、二人きり、相手はセクシーな女教師、これらのフレーズの組み合わせが世の男子諸君にとってどれほど魅力的か。

 そうしてようやく勉強会が始まった。抜け殻となっている俺をよそに、だ。

 せっかくだからと長門さんも参加しようとしたが、なぜか朝倉さんは彼女の参加を拒んだ。気にせず長門さんはいつも通りゲームしてて構わない、だと。

 でも長門さんも一緒のほうがキョンにとってはいいはずだ。

 イチャイチャできるから、ではなく長門さんも数学の点数は高いからだ。

 ていうかここにいない国木田含めてキョン以外の文芸部員全員が学年順位十位以内だ。数学を教えてもらうのにこれほど恵まれた環境はないぞ、俺のやる気はともかく。

 これに加えて、うちには特別部員がいる。

 

 

「うぃーっす! 来たわよ!」

 

 旧校舎でもある部室棟の扉をまったくいたわらずに部室の扉をバン、と叩き開けてきたのは涼宮だ。もちろんお供の古泉もいる。

 最近では光陽園の制服姿で北高をうろつくことも少なくない。

 ともすれば涼宮のファンクラブなんかもできているのかもしれないな、なんて。

 そんな見てくれだけでいえばギャルゲーの生徒会長みたいな涼宮は朝倉さんのコスプレを見て、不敵な笑みを浮かべていた。

 

 

「あら、似合ってるわね涼子。フッ、でもまだまだ甘い」

 

 何かのスイッチが入ったのか、朝倉さんがなぜそんな恰好をしているのかなど気にせず涼宮は語りだす。

 

 

「涼子、今のあんたには決定的に欠けているものがあるわ」

 

「それは何かしら? 涼宮さん」

 

「ズバリ、"か弱さ"よ!」

 

 誰か解説を頼む。

 

 

「涼子のコスプレは高い完成度と言えるわ。けどね、肝心の素材が衣装に殺されちゃってるのよ。あざとくエロスを求めればいいってもんじゃないの。女教師ってのはね、ワンチャンスあれば押し倒せるんじゃないかってぐらいがちょうどいいわけよ」

 

 涼宮なりに哲学でもあるのだろうか。

 だが、たしかに今の朝倉さんは可愛いっていうよりエロいって方向だ。

 特にあの脚。朝倉さんのグンバツ脚線美については周知の通りだが、ストッキングを装備することで脚のよさがより引き立てられている。そして視線を少し上げればタイトなミニスカートが目に入るのだ、エロい、犯罪的ではないか。エロが故に俺は自分を見失ったのだ。年甲斐もない。

 女教師コスの朝倉さんを【つよきす】でたとえるなら祈先生。押し倒すどころかこっちがマウント取られそうなもんだ。

 

 

「その衣装はみくるちゃんレベルが着て、初めて真価を発揮するの。ま、いつか見せてあげるわ」

 

 また朝比奈さんを拉致するつもりなのかこいつは。

 朝倉さんも普通に感心しないでくれ。

 

 

「おや」

 

 ノートを広げ、教科書片手に唸っているキョンに古泉が気づいたようだ。

 

 

「勉強熱心ですね」

 

「私がキョンくんに教えているのよ」

 

「なるほど、それでそのような格好を」

 

 納得できるあたりこいつの精神が謎だ。アニメを見てても思ったが古泉一樹は物怖じしない。いったいどんな修羅場を潜り抜けてきたのか、なんてのは考えすぎかね。

 

 

「うーん?」

 

 ふいに涼宮がこんな声を出した。

 机に置いてあったキョンの小テストのプリントを見て首をかしげているではないか。

 

 

「なんだ。そんなに俺の点数がおかしいか」

 

「それもそうなんだけど……古泉くん、これ」

 

 涼宮から古泉に手渡されるプリント。

 そして彼もまた、涼宮と同様の反応をしたのである。

 何か不思議なことでもあったのかよ。

 

 

「この出題範囲は大分前にやったところではありませんか?」

 

 尚も不思議そうな表情の他校生二人だが、古泉の発言で俺はその疑問が何に起因するかを理解した。

 べつになんてことはない。

 

 

「君たちは私立で、しかもバリバリの進学校だろ。公立高校とじゃあ授業の進みが違うってこともあるわな」

 

 俺の言葉に涼宮と古泉は納得したみたいだ。

 基本を一通り叩き込まれた後は徹底した反復練習。とにかく問題を解きまくる。

 事実、凡人にとって勉強など量が全てだし、かくいう俺もそういう経験はあるのさ。

 俺は興味本位で光陽園が今やっている模試対策の問題集を見せてもらうことにした。

 接線の方程式とか超懐かしいな、恩師の講師がこの点は出ねえよとか怒鳴り散らしながら説明してたのを思い出す。

 ちなみに、この勉強会から暫くして再び数学の小テストがあったのだが、キョンの点数は雀の涙程度しか上がっていなかったことをここに補足する。

 朝倉さんとの個人授業はどうなったかって?

 うん、まあ、控えめに言って最高だったとだけ言っておくよ。ほぼほぼ女教師コス朝倉さんの撮影会だったけど。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue15

 二年生になって変わったことはいくつかある。

 自分のクラスが北高校舎の中館になったというのはそのうちのひとつであり、わかりやすく言うなら部室棟から近くなった。

 だからといって急いで部室に集まって熱心に何かに打ち込むようなクラブ活動でもない我々北高文芸部は今日も今日とて各々の娯楽に時間を費やしていた。

 長門さんはいつも通りの携帯ゲーム、キョンは今日発売の週刊少年漫画、そして俺と朝倉さんは古泉が持ち込んだボードゲームに興じている。

 昔じーさんの家で見たビー玉のボードゲームそっくりなそれは【アバロン】というらしく、オセロのように白と黒の陣営に分かれて戦う二人用のゲームだ。これがなかなか奥が深い。

 既に三戦を終えており現在の戦績は二勝一敗で俺の勝ち越し。なのだが。

 

 

「ふふ、ちょっと思考時間が長すぎるんじゃないかしら?」

 

 朝倉さんが余裕の笑みを見せながらこんなことを言っているので察しがつくと思うが、今やってるこの試合は俺が押されている。というかほぼ詰み。

 ルールを簡単に説明すると、このゲームは十四個ある自軍の駒を六個番外へ押し出されると敗北するというものだ。

 こっちはもう四個駒を叩き落とされており、アバロンをよく知らない人が見ても「あ、こいつが負けるな」と分かるような盤面であった。

 初戦、二回戦と続けざまに勝ってきた俺が三回戦の敗北を期に圧倒されている。

 何故か。

 答えは単純だ。朝倉さんの成長速度が異常なのだ。

 これが朝比奈さんとかだったらずっとカモれるだろう、しかし朝倉さん相手だとそうはいかない。

 退けば詰め、攻めれば打ち取る、先ほどまで俺が使っていた戦術をそっくりそのまま返されている。同じ戦い方なのに優劣がつくということは、つまるところ彼女が俺の読みの数段先を行っているということだな。怪物め。

 とかなんとか思いながらやっているうちにあれよあれよと俺の駒は弾かれていき、二敗目を喫してしまった。

 

 

「また私の勝ちね」

 

「……こういう日もあるさ」

 

「もう、ふてくされないの」

 

 ふてくされてなどいない。ただ俺は負けず嫌いなわけじゃないが『また勝てなかった』とか言いながらヘラヘラできるような精神構造をしているわけでもないのさ。

 朝倉さんはイーブンな戦績に白黒つけるべく第五ラウンドを所望しているみたいだ。けど心を抓む闘いをされた俺がその要求をすんなり呑めるはずもなく、アバロン対決は打ち止めとなった。

 涼宮と古泉が部室にやって来たのはそれからすぐのことだ。

 

 

「おいーす。みんな揃ってるわね」

 

「揃ってるも何もお前らが最後だろ、いつも」

 

 涼宮の発言に突っ込みを入れるキョン。

 彼が言う通り他校生である涼宮と古泉が最後になるのは当然のことであり、たとえ誰かが掃除当番だったとしてもそれは覆らないのだ。

 

 

「あたしは欠席者がいないってことを確認したのよ。今日は重大発表の日なんだから」

 

 んなこと言われなくてもわかってるという態度の涼宮。

 ところで彼女から穏やかじゃないワードが聞こえたのは気のせいだろうか。

 今日からここを北高文芸部改め世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団とする、なんて言われた日には不登校になるかもしれん、俺。

 

 

「そう煩わしい話じゃありませんよ」

 

 よほど俺の顔がげんなりしていたのか、古泉がそう言ってきた。正直気休めにもならん。

 聞いて損しない話だってんならとっとと聞かせてくれ。その重大発表とやらを。

 すると涼宮は学生鞄から小冊子を取り出し、長門さんへ全員に配布するよう言った。

 俺のとこにも回ってきたそれは"北高文芸部光陽園合同合宿 旅の歩み"と表紙に記載されている。

 

 

「ってなわけで、合宿の行き先が温泉に決定したことを今ここに宣言するわ」

 

 どういうわけだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 涼宮が持ってきた小冊子はいわゆる"旅のしおり"であった。

 日程は一拍二日、これなら今年も祖父母の家に行けそうだな。そして具体的な行き先は長野。温泉地としてはA定食ばりに定番である。

 しかし合宿で温泉なんてまるで大学生のようだ。俺は嬉しいが他のみんなは温泉と言われて心ときめくものなのか?温泉入りに長野まで行くくらいなら大阪にある某遊園地とか行った方が良かったりすんじゃないの。

 などという俺の懸念は長門さんの、

 

 

「温泉なんだ。楽しみだなぁ」

 

という呟きによってあっさり解消されてしまった。

 他の連中も不満そうなやつはいない。なら気にしなくてもいいだろう。

 だが俺が一番気にしているのはカネだ。

 こっから長野まで行くってだけでまあまあな金額になるし、ゴールデンウィーク中にいいとこの温泉旅館に泊まろうものなら学生には手痛い出費となる。

 身銭を切るのは我慢しろってことなのか、と思いつつ小冊子をめくっていくと、必要経費が書かれているページがあった。

 

 

「……あぁん?」

 

 それを目にした俺は、不良漫画でありがちな主人公がチンピラに因縁つけられた時の返しのようなセリフを吐いてしまう。

 

 

「どうかしたの?」

 

 俺の様子を不思議に思ったのか朝倉さんが訊ねてくる。

 いや、どうかしたどころの話ではない。

 

 

「こいつを見てくれ」

 

 問題のページを開いた小冊子を朝倉さんに手渡す。

 少ししてから彼女も俺のように訝しげな表情となった。

 

 

「……ねえ涼宮さん」

 

「なに?涼子」

 

「温泉宿の宿泊費なんだけど、いくらなんでも安すぎじゃない?」

 

 なんと小冊子に記載されていた金額はそこいらのカプセルホテルで一泊するよりも安いという常識では考えられないものであった。めちゃくちゃ怪しい。

 ひょっとして古泉が裏で糸を引いていたりするのか。あるいは涼宮が何か無茶をしたのか。

 その答えはどちらでもなかった。

 

 

「ああそれね。ホントはもっとするわよ」

 

 涼宮の言うことにゃ、合宿の話を聞きつけた鶴屋さんがそれならうってつけの場所があるということで涼宮に提案したのが件の温泉宿らしい。その絡みで鶴屋さんと、ついでに朝比奈さんも合宿に参加するんだと。

 

 

「文芸部の合宿じゃあなかったのかよ」

 

「べつにいいじゃない。文芸部なんて看板、お飾りみたいなもんだし。それに女子が多い方が嬉しいでしょ?」

 

 けろっとした表情で言う涼宮。

 まあ、彼女が言ったどちらについても否定はしないさ。

 そうそう、小冊子には他にも突っ込みどころがあった。合宿の感想を書く欄が設けられているのだが、そこに涼宮が全員分の感想を書いていたのだ。

 

 

「部員の交通費は部費で落ちることになってるから、しっかりした合宿の記録を学校側に提示しないといけないわけ。でもバカキョンなんかに任せたら貰えるもんも貰えなくなりそうだし、あたしが書いてやったってわけ。あんたらの分はそのついでよ」

 

 感謝しろと言わんばかりの横柄さだがいつものことなのでとやかく言う気になれん。

 つーか交通費すら浮くのか。めがっさ経済的だな。

 

 

「そういうことだから、後々センコーに何聞かれても答えられるように自分の感想にはしっかり目を通しておいて」

 

「……なんだか本末転倒な気がするぞ、それ」

 

「んじゃあたしはこれから鶴屋さんたちにも渡しに行くから」

 

 キョンのぼやきが涼宮に届いていないのは明らかである。

 鶴屋さんに旅のしおりを渡すという涼宮の発言を受けてハッとした表情になったのは朝倉さんだった。

 

 

「鶴屋さんにいつもお世話になってるし、ちゃんとお礼言わなきゃ」

 

「お礼ねえ。義理堅いったりゃありゃしないわ」

 

 そこんとこは俺も同感だが鶴屋さんに足向けて寝れないぐらいお世話になっているのも事実だ。

 俺は俺で鶴屋さんにしておきたい話があるので朝倉さんと涼宮の二人といっしょに書道部へ押しかけることに。あんましぞろぞろ行っても迷惑なだけなので他の連中は留守番である。

 書道部の前に到着するなり涼宮は「たのもー」と突撃しかけたものの朝倉さんがすぐさまそれを制す。

 何食わぬ顔で校内をうろつくこともあるようだが涼宮は他校生であり、まず事情を知らないであろう書道部の部員がこいつを見たら何事だと騒ぎになりかねん。よって朝倉さんの判断は正しい。まあ、涼宮が北高生だったとしても野放しにはしておけないが。

 というわけで呼び出しは朝倉さんが対応することになった。

 別に俺がやってもよかったが書道部って女子ばかりだし、野郎の俺が行ってもあらぬ誤解を招くだけでしかないからね。

 朝倉さんが書道部の扉を開けてから二十秒足らずで鶴屋さんと朝比奈さんの二人が廊下に出てきた。

 

 

「やっぽー。ハルにゃんとトッポイ少年」

 

 いつも通りの陽気にあいさつをかましてくる鶴屋さん。

 前々から聞きたかったんだけど俺のどこらへんがトッポイなのだろう。俺を魔術士オーフェンか何かと勘違いしてないか。

 

 

「はいこれ」

 

 早速涼宮は旅のしおりを二人に渡す。

 これにも涼宮が書いた合宿感想文が入っているはずなのだが、鶴屋さんの方にめがっさとかにょろとか出てこないかが心配だ。

 

 

「あんがとーっ。へえーっ、けっこう手の込んだの作ったんだねっ」

 

「涼宮さん、凄いです」

 

「あたしが凄いのは当たり前でしょ」

 

 上級生二人相手に威張るこいつは一体なんなんだ。

 涼宮の不遜すぎる態度が目に余ったのか朝倉さんがすぐに咎めにかかる。

 

 

「もう、今日はお礼を言いに来たんですよ。そんな態度はよしてください」

 

「いいっていいって朝にゃん。あたしたちはいつでも無礼講さっ」

 

 鶴屋さんの懐の広さには心底感心させられるね。俺だったらなんだァてめェと凄むところだ。

 親しき中にも礼儀あり(俺を除く)を地で行く朝倉さんはもやっとした気持ちがあるようだが、"いい"って言ってくれてるならそれでいいんじゃないのかと俺は思う。

 

 

「本当に鶴屋さんには何から何までお世話になって……」

 

「べつに迷惑だなんて思ってないよっ。むしろお役に立てて光栄なくらいだっ」

 

 大物すぎる鶴屋さんの発言に朝倉さんは苦笑するほかなかった。

 そして朝倉さんが――涼宮に無理やり頭を下げさせながら――感謝の言葉をひとしきり述べたのを見計らってから俺は切り出すことに。

 

 

「鶴屋さん」

 

「ん?」

 

「ひとつ相談なんですが、合宿の参加者をもう一人増やしても構わないっすかね」

 

「ちょっと!」

 

 ぐいっと割り込んできたのは涼宮だ。

 

 

「そういう話はまずあたしを通してからにしなさい」

 

 涼宮に話たところで宿泊先の都合で無理だって言われたらしょうがないだろ。

 というか鶴屋さんありきで誘うんだから、鶴屋さんが絡んでなかったら俺はこんな話してない。

 

 

「べつにいいだろ。オレが言ってるヤツだって文芸部の一員だぜ。文芸部の合宿に参加して当然だろ」

 

「あぁ、国っちのことかいっ」

 

 鶴屋さんはすぐに察してくれたようだ。

 にしてもなんで国木田が愛称で俺が貶称なんだ。

 

 

「はい。国木田のことです」

 

「もちのろんで大丈夫さっ。っていうかあたしはハナから来るもんだと思ってたよ」

 

「はは……」

 

 ただの文芸部の合宿ならあいつが来ないかもしれないが、鶴屋さんがいるとなっちゃ話は別だろう。

 何はともあれ鶴屋さんは快諾してくれた。機関誌の一件で国木田と面識がある涼宮もこうなると文句の言いようがなかった。

 

 

「ったく、またしおりの感想文を考えなきゃいけないじゃない」

 

 だから別にお前が考えなくてもいいんだぜ、それ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 で、あっという間に大型連休の前日となった。

 その間特筆すべきことなど何もなく、国木田は合宿への参加を了承してくれた。

 男子四人女子五人の総勢九名。ずいぶんな大所帯だ。

 

 

「いよいよ明日ね、もう準備は済ませたの?」

 

 テーブルの向かいに座る朝倉さんが質問してくる。わざとらしい。

 丸一日家を空けるとはいえ特売のチャンスは逃さないのが朝倉さんであり、合宿前日にも関わらず俺は買い出しの付き合いをしていたというわけだ。そして例によってそのまま彼女の家にお邪魔している。

 さて、朝倉さんの質問に対する答えはこうだ。

 

 

「いーや」

 

「……でしょうね」

 

「準備つっても着替え持ってくぐらいじゃあないか。そんなん朝イチでいいだろ」

 

「寝太郎のあなたが朝イチだなんて言っても説得力ないわよ」

 

 悪かったな。

 コップに注がれたスムージーに口をつけて気を紛らわす。

 ここのところ朝倉さんはスムージー作りにハマっており、食後には決まってスムージーが出てくる。今日のは赤色だ。トマトとか入ってるんだろう、多分。

 

 

「ねえ、覚えてるかしら?」

 

 突然そんなことを言われてもなんのこっちゃだ。

 朝倉さんもそれはわかっているようで、こちらの反応を待たずに言葉を続けてくれた。

 

 

「私が涼宮さんを信用に足る人間かどうか見極めるって言ったこと」

 

 ああ、そんなこと言ってたっけ。

 

 

「それで?」

 

「結論を出すには早いと思うけど、少なくとも悪人じゃないのは確かね」

 

 独善が悪じゃないとすれば彼女の言う通りだ。朝比奈さん誘拐の件は、まあ、置いておくとして。

 とにもかくにも去年と比べて俺たちの置かれている状況は劇的に変化した。

 文芸部の隆盛、涼宮と古泉の登場、そのどちらも悪くない傾向を俺たちにもたらしてくれている。

 だが――

 

 

「涼宮が出先で何かやらかすかもしれんがな」

 

「笑えないこと言わないでちょうだい」

 

 そう言って溜息をついた朝倉さんの顔を眺めながら思う。

 ――俺と彼女の関係は、未だ一年前のままなのだと。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue16

 

 第一回北高文芸部光陽園合同合宿当日。

 休日にも関わらず俺の朝の目覚めは平日と何も変わらぬ、いつも通りのものであった。

 

 

「起きなさい」

 

 朝倉さんに布団をはぎ取られ揺り起こされる。

 いや、なんとなく朝倉さんが来る予感はしていたがまさか本当に来ると思わなかった。当たり前だが頼んでなどいない。

 

 

「頼まれなくてもするわよ。私が起こさなかったらあなた遅刻しちゃうじゃない」

 

 遅刻しちゃう"かも"と言ってくれないのが悲しいよ俺は。

 時計を見るに彼女は俺が準備をしていないと思ったのか早い時間に来ている。

 だが今回は俺も考えを改め、ちゃんと寝る前に荷造りしていた。どうだ。

 

 

「どうだって威張れるようなことじゃないでしょ。それが普通なの」

 

 だよな。

 朝倉さんは時間の余裕などお構いなしで急かしてくるため、起きて早々にテキパキとした身支度を余儀なくされる。

 そういうわけで集合場所である北口駅前の公園には集合時間より三十分も以上早く到着した。

 普通だったら俺と朝倉さんと長門さん――俺と同じ感じで朝倉さんに起こされたのか家を出たら朝倉さんと一緒に立っていた――の三人が一番乗りになるはずだが、悲しいことに俺は普通じゃない奴を何人か知っている。

 

 

「あら、あんたたち早いわね」

 

「みなさんおはようございます」

 

 上は赤のハイネックシャツに下は白のミニスカート、私服姿の涼宮ハルヒが仁王立ちいやガイナ立ちで待ち受けていた。あとついでに古泉もいる。

 お前らいったいいつからいるんだよ。昨日の夜からここにいるんじゃないだろうな。

 

 

「そんなわけないでしょ。ついさっきよ」

 

「そうかよ」

 

「まっ、あたしより早く着きかったら一時間は早く来ることね」

 

 べつにそんなことで涼宮に勝ってもしょうがないだろう。勝つと景品が貰えるとしてもやらないぜ。

 そして他のメンツを待つこと十分、やって来たのは鶴屋さんと朝比奈さんの二人だ。

 

 

「おはっす~」

 

「おはようございます」

 

 合宿の実質的な主宰とも呼べる文芸部パトロン鶴屋さんの服装は緑のドレスワンピースにクリーム色のシャツ。まさに妙手といったところか。

 朝比奈さんのコーデはシャツとロングスカートという王道の組み合わせながらも、その仕上がりはモデル顔負けと評すに値する。

 これを見れただけでも来た甲斐があった――って、谷口なら言うに違いない。

 ちなみに長門さんはベージュのスプリングコートと黄緑のチェックが入った黄色のミニスカート、頭には白いポークパイハット。同姓同名の宇宙人みたいにセーラー服じゃなくてちょっと安心したのは内緒だ。

 朝倉さんはというと紫のカーディガンに下はジーンズ。いやぁジーンズはいいね、彼女の脚がよく映える。生足とは違った良さがあるのだよ。

 俺含めた男性陣の服装については割愛する。野郎が何着てるか、なんてのは至極どうでもいいことなのさ。

 国木田が駅前公園に現れたのは鶴屋さんペアが到着してから数分後のことだった。

 

 

「おはよう。もうみんな来てるのかい?」

 

「いいや、まだキョンが来てねえ」

 

「僕がビリじゃなくて安心したよ」

 

 俺だって朝倉さんが起こしてくれなかったら間違いなくビリレースに参加していたはずだからな。あんまし人のことを馬鹿にするのはやめておこう。

 結局キョンは集合時間から五分ほど遅れて到着した。

 そんな彼を見るなり涼宮は憤慨した様子で、

 

 

「遅いわよ!!」

 

と朝っぱらから声を張り上げる。

 バツが悪そうにキョンは平謝りだ。

 

 

「スマン。妹を振り切るのに手間取ってな」

 

「言い訳無用、遅刻者は罰としてオゴリだから」

 

「何を奢れって……?」

 

「あんたみたいに時間通りに来ない不届き者がいることを想定して集合時間は一時間近くも前倒してあんのよ。どうせ電車もまだ来ないしね。そこで茶店で時間を潰そうってわけよ、あんたにはコーヒー代を奢ってもらわ」

 

 そんなこんなで俺たちは駅前のロータリーに面した喫茶店に大挙して押しかけることとなった。朝倉さんと二人で入店したこともある、俺にとっては馴染みの店だ。

 二名用のテーブルを五脚くっつけ、男子と女子で別れて座ることに。俺は左端。対面は鶴屋さんだった。

 珈琲一杯なら安いもんだと最初は息巻いていたキョンも席に着くなり涼宮から全員分を奢れと言われ顔色が悪くなる。ご愁傷さまだな。

 他人の金だしどうせならブルマンでも注文してやりたかったがこの店では取り扱っていないのでアイスウィンナーコーヒーにした。

 今日はあの生徒会の書記さんはいないらしい。オーダーを取りに来たウェイトレスは大学生と見受けられる。

 

 

「ここに来た目的は時間潰しだけじゃないわ」

 

 注文したコーヒーをブラックのまま飲んでいる涼宮がそんなことを言いだした。

 俺はホイップとコーヒーをかき混ぜるべくグラスに刺さっているストローをガチャガチャさせながら話の続きを待つ。

 

 

「わかってると思うけど長野は遠いでしょ、つまり電車に乗ってる時間もけっこうなものになるじゃない? なら重要になるのはなんだと思う?」

 

「……どうやって時間を潰すかだろ」

 

 誰も答えないからか渋々キョンが口を開く。

 

 

「それもそうだけど重要なのは"誰と"時間を潰すかよ」

 

 すると涼宮は机の中心に右手を差し出した。その手にはつまようじが何本も握られている。

 要するに電車のペアをクジで決めようってことだな。

 握りこぶしで見えないがつまようじの先の尖った部分はマジックで色分けされてるらしく、その色が同じだったらペアになるという寸法だと。

 

 

「全員で九人だから三人のとこがひとつ出るわ。そこは座席を向かい合わせにしてちょうだい。ぼっちになっても楽しくないし」

 

 俺はぼっちになっても構わんけどな。昼寝できるし。

 かくして座席決めが行われた。

 涼宮が握るつまようじを各自適当な順番で淡々と取っていく。俺は赤色だ。

 さて、クジの結果だが以下のような組み合わせとなった。

 古泉と朝比奈さん、長門さんと朝倉さん、キョンのとこは国木田と鶴屋さんの三人。つまり。

 

 

「お前かよ……」

 

「それはこっちのセリフよ」

 

 最後に一本残ったクジが涼宮のぶんとなるのだが、あろうことか彼女のクジは赤色であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 弁明させてもらうと俺は涼宮のことが嫌いなわけではない。

 危険人物なのは確かだがちょっと機嫌を損ねたぐらいで世界が崩壊するわけでもないし(多分)彼女の歯に衣着せぬ物言いに感銘を受けることだってある。

 ただ一対一で同じ時間を過ごすとなると話が変わる。

 俺のコミュニケーション能力に問題がなかったとしても間が持たずに気まずくなること間違いなし。だから原作の涼宮ハルヒは孤立してたんだからな。俺にどうにかできるわけないだろ。

 ホームで電車を待つ俺の頭に絶え間なく"勝利への賛歌"が処刑用BGMとして流れているのはある種の現実逃避なのかもしれない。

 そうこうしているうちに電車がやってきた。

 まあ、なるようになるはずだ、と無理やり気持ちを切り替え電車に乗り込む。

 涼宮は席を見るなり一言。

 

 

「あたし窓側ー」

 

 勝手にしろと返事を言うよりも早く荷物を俺に押し付け窓側の席に座り込んだ涼宮。

 俺は棚に荷物を置いておずおずと通路側の席に座る。早くも先が思いやられる。

 この席から見て前の席が古泉と朝比奈さん、後ろの席が朝倉さんと長門さんで、左側の席が国木田とキョンと鶴屋さんの三人で向かい合わせ。

 他のみんなのように和気あいあいとできる自信がない俺は駄目もとで涼宮に訊ねる。

 

 

「昼寝していいか?」

 

「ダメ」

 

「なんでだよ」

 

「あたしが退屈するからに決まってるでしょ」

 

 んなこったろうと思ったよ。

 残念ながら行きの電車で"FXで有り金全部溶かした人の顔アイマスク"の出番はないらしい。

 彼女に振れそうな話題となると超常現象絡みが無難だろうと考え、先週やってた心霊特番の感想でも聞こうかと思った矢先である。

 

 

「ねえ、あんたと涼子ってどんな関係なの?」

 

 横の女はしれっとした様子でそう訊ねてきた。

 幾度も突きつけられてきた質問だ。答えは単純、すぐに出せる。

 

 

「ただの幼馴染だ」

 

「ふうん。幼馴染ねえ」

 

 涼宮は何か言いたげな様子だった。

 

 

「それがどうかしたのか?」

 

「あんたねえ……高校生にもなって"幼馴染"? はっ、そんなのギャルゲーでしか通用しないわよ」

 

 ギャルゲーじゃなくてライトノベルと言った方が適切だろうが特に口をはさみはしないでおく。

 言いたい奴には言わせておけばいいのだ。あまりにもうるさい時は俺も我慢ならないが、この程度。

 

 

「まあ精々頑張ることね」

 

 俺に何を頑張れってんだこいつは。

 それから涼宮は俺から有意義な情報が得られないと判断したのか、先週の日曜にテレビで放送されてた映画についての話を切り出した。

 殺し屋役でジェイソン・ステイサムが大暴れする話だ。俺は劇場で見た。

 

 

「あたし、映画はそれなりに見る方だと思うけどあれはほんとしょうもない作品よね。だいたいあのハゲが出てる映画って全部似たようなもんじゃない」

 

「お前言っていいことと悪いことがあるぞ」

 

「何あんた? ステイサム好きなの?」

 

 愚問だな。

 

 

「ステイサムが嫌いな男なんているわけねえだろ」

 

「だからってあの脚本は信じらんない。終わり悪けりゃすべて悪しね」

 

「カッコいいステイサムが見られりゃあそれでいいんだよ。アクション映画だぞ? 他に何を求めるってんだ」

 

「ははっ、アホ丸出しの意見ってやつかしら」

 

 涼宮はラストがもやもやっとした感じで終わる映画が嫌いらしい。海外映画の大半がそんな感じだろうに。

 その偏屈ぶりが高じて映画を自分たちで作るとか言い出すのが原作の話であるくらいだ。やる気があるのはいいことなんだがな。

 

 

「じゃあお前はどういう映画が好きなんだ?」

 

「見て良かったって思えるような映画よ。やっぱりオチは綺麗じゃないと、ショーシャンクみたいに」

 

 気持ちはわからんでもないが【ショーシャンクの空に】を映画の基準にしてしまうのはハードルが高すぎると思う。

 俺も朝倉さんも映画のジャンルにこだわりなどなく、雑食である。

 ただ俺は映画の演出に見所があるかどうかを重視しているのに対して朝倉さんは涼宮みたいにオチを気にするタイプだ。俺がDVDレンタルしてきた【ゼイリブ】にケチをつけたことがあったし、【ドーン・オブ・ザ・デッド】を見た後は小一時間ほど文句を言ってきた。

 

 

「手放しで面白いって言えるような映画はないのかしら」

 

 こいつはもうマーベル映画だけ見てればいいと思う。アイアンマン三部作とかオススメだぜ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やがて話題は涼宮お得意の超常現象ネタへとシフトしていった。必然である。

 グレイがどーのバシャールがどーのとお前はMMRのメンバーなのかと言いたくなるような与太話のオンパレード。

 俺も俺でそういう方面の知識がなまじあるものだから会話が弾んでしまう。他人とチュパカブラについて語る日が来ようとは。

 長野に到着したのはお互いの引き出しが尽きようかとしていた、そんな時だった。

 

 

「あー、やっと着いたわね。つっかれたー」

 

 改札を抜けるなり荷物を床に置いて首をポキポキさせる涼宮。

 修学旅行以外でこんなに長く電車に乗ったのは初めてだ。そして長野に来たのも初めて。

 長野駅は長野のど真ん中にあるだけあって我らが北口駅とは比べ物にならないほどの巨大ターミナルである。未知のエリアは冒険心をくすぐられるな。

 

 

「で、こっからどうすんだ」

 

 このアンポンタンはしおりを読んでないのだろうか。

 キョンの問いに答えたのは鶴屋さんだった。

 

 

「旅館は山の中だからねー。こっからは車で移動さっ」

 

 しかし鶴屋さんが手配した送迎車は旅館のチェックインの関係もあって夕方前に来ることになっている。それまでは観光というわけだ。

 俺たちがこれから向かうのは長野では定番中の定番、善光寺。

 駅のコインロッカーに荷物を預けて駅前ロータリーからバスに乗り込む。

 善光寺は駅から徒歩で行ける距離ではあるが、こんだけ女子がいたら歩くってのはナシだろうよ。涼宮は平気かもしれんが。

 バス移動の時間は長くならないこともあって特に席決めなどはせず、キョンみたいに開いている席に座り込む奴もいれば涼宮と古泉みたいにつり革を掴んで突っ立っている奴もいたりと、適当である。

 もちろん席に座っている奴に俺も含まれるのだが、窓の外の景色――大通りなだけあってビルばっかだ――に気がとられていると、ちゃっかり朝倉さんが隣に座っていた。

 

 

「隣いいかしら?」

 

 事後承諾を得ようとしないでほしい。

 念のために周囲を見てから彼女に言う。

 

 

「他にも空いてる席はあるけど」

 

「ここに座りたかったのよ」

 

「……勝手にしてくれ」

 

 俺はそう言って再び窓の方を向く。

 

 

「電車で涼宮さんと何話してたの? ずいぶんと楽しそうだったじゃない」

 

 退屈はしなかったが楽しそうってのとは違う。言うなればおかしそうだ。

 だが終わってみれば最初に思っていたより精神的疲労は少なかった。

 その理由には心当たりがある。

 

 

「くだらない話ばっかさ。UMAだとかオカルト情報誌だとか……実にくだらない話さ」

 

「私が意見できるような話じゃないわね」

 

「おいおい、君だってそういう話得意だろ」

 

 朝倉さんは時たまSF小説を読むうえ、好きな映画は【ジュブナイル】ときた。

 彼女も変な知識では涼宮に負けていないのだ。

 

 

「得意になった覚えはないわ」

 

「そーかい。そいつは悪かった」

 

「あなたねえ、そっぽ向けられた相手に『悪かった』って言われてもちっとも響かないんだけど」

 

「確かに」

 

 朝倉さんの方へ首をひねる。

 その様子に朝倉さんは多少満足してくれたのか、どこかしたり顔である。

 

 

「じゃあついでにもう一つ謝らせてくれ」

 

「なに?」

 

「去年のことさ」

 

 北高入学から文芸部廃部騒動が起こるまでの間、俺は意識して朝倉さんを避けていた。

 最終的に俺の方から彼女を頼る形になり、そこをきっかけに俺と彼女の距離感は中学時代のそれに戻った。

 だが彼女も俺も何も言わなかったため今日に至るまでうやむやとなっていた。朝倉さんがそのことを気にしていなかったわけではないと思う。

 

 

「今更謝るなんて卑怯よ」

 

 朝倉さんは苦笑混じりにそうこぼす。

 

 

「こんな陽気な日でもなけりゃ言えそうになかったんだよ」

 

 市バスの席に並んで座る俺と朝倉さんを去年の俺が見たらきっと根負けしたのかと思うことだろう。

 実際のとこは違う。あくまで俺たちの関係は"戻った"だけであり、"変わった"わけではない。

 けれどあの期間が完全に無意味で不毛なものだとは考えちゃいない。少なくとも俺は。

 

 

「君といる方が落ち着くってことがわかったからね」

 

「……バカじゃないの」

 

 自分でも馬鹿みたいな台詞を吐いてしまったと自覚しているが、朝倉さんの頬は自然と緩んでいた。

 これが二人きりのデートとかだったらワンチャンある流れなんじゃないかと思うと今日この日にこんな流れを作ってしまったことが最大の馬鹿だな。まったく、同じ手は使えないんだぜ。

 などということはさておいて、だ。

 さっきまで涼宮と電車で会話していた間も気が付けば今のような落ち着いた気持ちになっていた、それこそが俺の精神的疲労が少なかった理由だ。

 涼宮ハルヒなんてソニック・ザ・ヘッジホッグばりに落ち着きから最も遠いところにいるような人間を相手してなぜそうなったのか。

 俺の見解はこうだ。朝倉さんと涼宮はよく似ている。

 片や優等生、片や問題児と対極的な二人だが、根っこの部分は近いものがある。アメコミでたとえるならバットマンとジョーカー。どっちがどっちかは言うまでもない。

 つまるところは涼宮も朝倉さんのようにおせっかい焼きタイプだということ。

 そして俺はそういう人種に弱い駄目人間なのだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue17

 

 

 バスに揺られること十分程度、近くのバス停にて下車。

 とっくにお昼は過ぎていたが皆おなかは空いているので善光寺近くのそば屋に入ることになった。鶴屋さん曰く明治三十年から続いてる老舗だとか。

 この時間にも関わらず店内の客入りはそこそこ。老舗の看板は伊達じゃないってか。

 喫茶店の時と同様にテーブルをくっつけ全員着席。壁に設置されているメニュープレートにはそば以外にうどんと中華そばが書かれていた。丼ものはないみたいだ。

 暖かくなり始めた時期ということもあり、俺たちの中ではざるそば――長門さんは大盛り――を注文するメンバーが多かった。ざるそば以外を頼んだのは俺とキョンと鶴屋さんの三人で、俺は山菜そば、キョンが天玉うどんで鶴屋さんは天ぷらそばである。

 

 

「我々がこれから向かう善光寺はいわゆる"パワースポット"と呼ばれる場所のようですね」

 

 食事中にうさんくさいことを言い出したのは古泉だ。

 彼の隣の席でそばをすすっていた涼宮の眼の色が変わる。

 

 

「パワースポット?」

 

「ええ。超自然的な"力"が宿っているとされる特定の場所のことです」

 

 なんともまあスピリチュアルなお寺さね。仏教的にもそういうのがあるってスタンスなのかい。

 

 

「日本ではお寺や神社に多いそうで、その中でも善光寺は開運、厄除けに霊験あらたかとされています」

 

 んなくだらない情報を涼宮のためにわざわざ仕入れる古泉。

 まったく甲斐甲斐しいな。

 

 

「ふーん、超自然的ねえ」

 

「行くだけで力がもらえるらしいですよ」

 

「はっ、そんな話信じるやつの顔が見てみたいわ」

 

 さも興味なさげな言葉を吐いていた涼宮だったが、顔はいつになくニヤけている。

 それから涼宮は半分近く残っていたそばを急いでかきこんでいく。

 

 

「んぐっ……じゃあ腹ごしらえも済ませたことだし、ちょっと念のため見に行こうかしら古泉くん」

 

「承知しました」

 

 するすると残りのそばをたいらげる古泉。

 あたし先行ってるから、と言い残して早々に店から出ていく涼宮。古泉は涼宮のぶんも含めた代金をテーブルに置くと彼女の後に続いて店を出て行った。

 我らが委員長の朝倉さんは光陽園の二人に勝手なことをされておかんむりである。

 

 

「合宿で団体行動乱すなんて何考えてんのよ……」

 

「ハルにゃんは走り出したら止まらないタイプだからねー、しょうがないよっ」

 

 鶴屋さんの中じゃ涼宮は某スーパー戦隊の一員なのだろうか。あいつが大きな夢を追っかけているのは確かだが。

 

 

「後からオレたちも行くんだし気にしなくていいんじゃあないの」

 

「そういう問題じゃないでしょ、勝手なことをするなって話よ」

 

 こりゃ後で説教確定か。

 さて、気を取り直して食事に戻るとしよう。俺まで朝倉さんにガミガミ言われたらかなわん。

 山菜そばのいいところは食べていて飽きないとこだ。

 ぬるっとしたなめこ、歯ごたえのいいタケノコにシャキシャキのわらびとふき、オマケにかつおぶしときた。

 美味しくならないわけがないぜ。この調和を見事と呼ばずして何と呼ぼうか、まさしく最強の組み合わせ。

 そこいらで喰らうかけそばのつゆは食欲そそられるいい香りにも拘わらず、いざ口に含み舌で転がすと案外パッとせずうやむやのうちに味が消えていくように感じる――まるで続編を匂わせたエンディングを見せつけるくせに興行収入の悪さから一作で打ち切りになった映画のようだ――が、ここのは違った。コクがありつつも後味はスッと消えていく。

 長野といえば信州そば、などとウリにしているだけあって麺が美味いのはもちろんのことだが、そばつゆがここまで高いレベルだとはな。おっと、途中から七味を入れるのも忘れちゃ駄目だ。これもまたオツなんだ。

 結局、俺たちが退店したのは涼宮と古泉が出て行ってから二十分近くが経過してからのことだった。

 

 

「わあっ……すごい迫力ですねえ」

 

 朝比奈さんがそんな感想を述べたのはそば屋を出て少し歩いたとこにある仁王門の仁王像だ。

 俺たちの何倍もの大きさを誇るいかつい巨像、それが二体。

 

 

「"阿形"と"吽形"だね。デカいなぁ」

 

 国木田も感心したように呟く。

 仁王像が両脇に配置されている仁王門は大きなお寺の定番だ。阿形と吽形の二体を合わせて仁王と呼び、あうんの呼吸って慣用句の由来でもある。

 ちなみに善光寺の仁王像は通常とは配置が逆になっている。理由は不明だが、そもそもたまたま他と逆になっているってだけで配置に厳格な決まりなどないんだとか。

 

 

「昔は何を作るにしても手間がかかっただろうに、よくこんなもん作ったよな」

 

「それだけ昔の人にとっては大事なことだったのよ」

 

 キョンの言葉に反応する朝倉さん。

 理解しがたいといった様子のキョンは「そんなもんか」と気のないコメントをする。

 俺だって目に見えない上に、本当にいるのかもわからない神や仏のような存在を信じている奴の気なんざ知れない。信心深くもないしね。

 だが、そんな超常的存在を"ありえない"などと頭ごなしに否定はしない。

 なぜなら俺は異世界人だからだ。超常的とまでは言わんが、少なくとも普通じゃない。

 俺みたいな存在がゴロゴロいるなどと思えないが、自分自身が普通じゃないのだから"ありえない"なんてことはありえないと考えるしかなかろう。

 事実、俺の考えは正しかったのだと後々思い知ることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 仁王門から本堂にかけての大通りは数々の店が立ち並んでおり、そのどれもが和風の造りとなっている。なんでも仲見世通りと呼ぶそうな。

 ここいらは京都ほどではないが古き良き日本らしさ、和を感じられる景観だ。

 そんな中を涼宮求めて奔走するのはごめんこうむるということで、俺たちはのんびり観光に集中することにした。まあ、いざとなったらケータイで呼び出せばよかろう。

 

 

「食い物もいろいろあるみたいだな。長野って何が名物なんだ?」

 

「そば……はさっき食べたね。あとは林檎に……おやきとか。ほら、あそこで売ってる」

 

 昼飯を終えたばかりだがこれだけ目につけば自然と食指が動いてしまう。キョンと国木田が食べ物の話をしだすのも無理はない。

 国木田が指さした先にある、のぼり旗に書かれた"おやき"の三文字には俺も心惹かれているし、店頭に貼りだされている写真は購買意欲を掻き立てられる。巧妙だ。

 

 

「オレはひとつ買おうかな。朝倉さんは?」

 

「うーん、おいしそうだけど電車でお菓子けっこう食べちゃったから全部食べきれるか怪しいのよね」

 

 だそうだ。あの手の食べ物って意外とボリュームあるからな。

 しかしながら朝倉さんの視線はおやきの写真に釘付けとなっている。逡巡こそしているが、せっかく長野まで来たのだから長野ならではのものを口にしたいという気持ちはあるようだ。

 

 

「だったらオレのを分けてやるよ。それでいいだろ?」

 

「そう? 悪いわね」

 

 安いもんさ、俺の取り分が減るくらい。それで朝倉さんのご機嫌が取れるんだしさ。

 というわけでおやきを店頭販売しているおみやげ屋に立ち寄ることとなった。

 俺とキョンと国木田は野沢菜おやきを一個ずつ購入、鶴屋さんと朝比奈さんはおやきを買わずに店内を物色するんだと。

 で長門さんはというと。

 

 

「……四種類もある」

 

 お品書きを見てそう呟いた。

 写真に使われているおやきは野沢菜だが他にもつぶあん、かぼちゃ、あんずが売っている。

 そして驚くべきことに長門さんはその四種類全部を購入した。

 一個だけ買った俺やキョンはバーガー袋におやきを入れられてそのまま渡されたが、四個買った長門さんは紙袋で渡された。

 

 

「あはは……」

 

 長門さんの胃袋の大きさをよく知っている朝倉さんもこれには苦笑い。

 そばは腹持ちがそんなによくないと言われているけど長門さんが食べていたのは大盛りだ。何より昼飯を終えて三十分と経たぬうちにおやきを四個も食べようとするのは欲張りだとかそういう次元じゃない、どうかしている。

 

 

「長門、お前」

 

「なに?」

 

「いや……なんでもない」

 

 キョンは注意の言葉でもかけようと思ったみたいだが、長門さんのどこにも変なとこはないよ、といった感じのオーラにのまれて何も言えなくなっていた。

 まあいい。俺は自分のぶんだけに専念するよ。

 おやきというとその名の通りに焼かれた、焦げ目がついているものが連想されるが、ここのおやきはまんじゅうのように蒸して作られている。こっちではこれが主流らしい。

 できたてってわけでもないのだろうに、直前まで蒸し器に入っていたおやきはアツアツである。いや、アツアツなんてもんじゃ済まない。

 

 

「あ゛っつ!!」

 

 危うく手を放しかけた。ちょっとおやきに触れただけにも関わらずこの熱量、俺は地獄の釜に手を付けてしまったんじゃないのか。

 バーガー袋の端っこをつまんで持たざるを得ないレベルの熱さであるこれを手で割ろうとすると軽い火傷をしかねない。よって朝倉さんとのおやきシェアは食べ残し半分を彼女に渡すことで解決した。まあ、小腹を埋めるには半分で充分か。

 息をふーふー吹きかけて、一思いに噛り付く。その味はというと。

 

 

「一個買えばよかったかも……」

 

 と朝倉さんが言い出すほどの美味であった。

 饅頭よりかはパンに近い噛みごたえのある生地、ぎっしり詰まった野沢菜餡の充分な塩気、昼食後だろうが問答無用で更なる食欲を刺激させられてしまう。

 つまるところ俺たちのおやつ漁りはこれだけに留まらなかった。

 四種類のおやきを手早く頂いた長門さんは店という店をハシゴ。牛肉コロッケにぽたぽた焼き、果てには焼きおにぎりまで。

 よくもまあたらふく食えるものだ。あの身体のどこにそんな容量があるのだろう。人体の神秘ってやつか。

 さすがに俺や他のみんなはそこまで買い食いしないものの、昼のシメに甘いものは欲しいのでみそソフトなるスイーツを購入。味噌も長野の特産品だとか。

 普通のミルクソフトクリームにみそのソースがかかったやつなら俺も食べたことがあるがクリーム自体にみそが含まれているのは初めてだ。

 

 

「なんだか不思議な味がしますね」

 

 これは朝比奈さんの感想である。

 クリームに味噌が練り込まれたみそソフトは甘じょっぱいテイストながらも口当たりはあっさりしており、みたらし団子の砂糖醤油たれに近い感じ。濃厚な味噌のイメージとはちょっと違う、確かに不思議な味だ。けど悪くない。

 充分に仲見世通りの味覚を堪能した後は商店の売り物を見て回ることに。

 

 

「しっかしこういうのって売れてんのか?」

 

 みやげ店の一角に置かれているキーホルダーラックにかかっている、剣にドラゴンがまとわりついてる金属製のキーホルダーを手に取って呟いた。

 すると横から朝倉さんが。

 

 

「一定の需要があるんでしょ」

 

「需要って言ってもな、小学生ぐらいだろ」

 

「でしょうね。あなただって昔持ってたし」

 

 マジかよ。俺にも歳相応の少年時代というものがあったのか。

 "俺"の知らない俺の一面に軽い衝撃を受けてしまう。茫然自失だ。

 

 

「そんなの眺めてないでちゃんとお土産選んだら?」

 

「もうだいたい決まってる」

 

 母さんはせんべい好きなのでみそせんべい、親父にはそばまんじゅう、姉さんは冷凍のおやき。

 今買っても荷物が邪魔になるだけだし参拝してから買うつもりだ。

 朝倉さんはというと、早くとも夏休みまでは両親が帰ってこないためか食べ物じゃなく置物を見ていた。

 

 

「ねえ、これどう?」

 

 そんな中から朝倉さんが手に取って俺に見せてきたのは牛――牛に引かれて善光寺参りを意識してか牛のお土産は数多い――の置物。

 いや、どうって言われてもな。

 

 

「……いいんじゃあないかな」

 

「そうよね。うん、ひとつ買うわ」

 

 朝倉さんは俺なんかよりもよっぽど常識的なのだが、たまにちょっとズレてるんじゃないかと思う。

 玄関に木彫りのクマを置いているぐらいだから民芸品が好きなのだろうが、牛ってどうなんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 仲見世通りをひとしきり歩いたので、いよいよお参りの時間だ。

 一休さんか何かの絵本で見たような小さい橋を渡り、山門付近へと到着。これまたデカいし高い。ただの門なのに。

 手水舎は山門の前にあった。正直俺は作法などどうでもいいと思っているクチだ。まあ、ある以上利用するが。

 効果の実感が湧かない清めの作業を行った後、山門をくぐろうとしたのだがデカいだけあって山門には二階部分があるようで、中に入れるらしい。学生料金とはいえちゃっかり入場料を取る賢しさにはつい悪態をつきたくなるけどな。

 歴史ある建造物とはいえ階段の角度が殺人的なのには肝を冷やした。蟻のように隊列を組んで階段移動するため、誰か一人でも足を踏み外したら大惨事間違いなし。上りきった後は思わずため息を吐いてしまった。

 

 

「おー、いい眺めだねっ」

 

 山門の楼上からは俺たちがさっきまでいた仲見世通りなど境内を上から見ることができる。鶴屋さんの言う通りいい眺めだ。

 けれども、まあ、他に何があるかと言うと小さい仏像やら置物やらがあるだけで、総評としては値段相応のものしかなかったなと思いつつ山門を後にすると、ついに本堂が見えてきた。

 またまたずいぶん立派なものだと感心していたところに、だ。妙な光景が目に入る。

 本堂前に設置されている香閣から煙が大量に湧き上がっているではないか。

 いたずら心から子どもがいっぱいお香を投入したのかと推測したが、それよりよほど性質が悪かった。

 

 

「何やってんだあいつ……?」

 

 キョンの呟きはこの場の全員の気持ちを代弁したものに違いない。少なくとも俺は彼と同じことを思ったよ。

 煙に埋もれてはいるものの、あの後ろ姿は昼飯を済ませるなりどこへともなく消え失せた涼宮ハルヒその人だ。

 いったい全体どうしたかはわからんが、涼宮の奇行に関わる気など毛ほどもない。声をかけるのは帰り際でいい。

 などという俺の考えを知る由もない朝倉さんは一人ずかずかと涼宮の方へ歩みを進めていく。

 先ほどは涼宮の独断専行に腹を立てていた彼女だ。ともすれば取っ組み合いをおっぱじめかねないので慌てて俺も後を追う。

 案の定、香閣付近はかなり煙たい。お香もここまで来ると公害レベルだぞ、咳が出る。

 目をつむり、タイタニックのようなポーズで煙に身をゆだねている涼宮。朝倉さんはすっかり呆れ果てていた。

 

 

「もう! 何してるんですか」

 

「ああ涼子ね。見てわかんない?」

 

 これ見て何かわかるような奴、お前は涼宮ハルヒ検定一級だ。

 でもって他の連中は俺と朝倉さんごとこの厄介者を捨て置いてお参りしに行ったらしい。お利口なことで。

 

 

「パワーを浴びてるの。この煙を浴びると肉体強度が上がるそうよ」

 

 また頭の悪そうな単語が飛び出てきたぞ。肉体強度ってなんだ、体育会系の阿良々木くんか。

 煙を浴びれば身体の悪いところがよくなるって話は聞くが、しょせんプラシーボ効果じゃないのかね。医学的な作用は皆無のはずだ。

 ところでなんで煙が異常なまでに湧き出ているのかというと涼宮指示のもと古泉が一分間隔で線香を投入していってるからだと。

 呆れ顔の朝倉さんもこれには憤慨し、古泉に一喝を入れ、涼宮を羽交い絞めして香閣前から引きはがした。

 

 

「ま、まだパワーが溜まりきってなかったのに……」

 

「ここは公共の場なんですから他の利用者のことも考えてください」

 

 涼宮はブーブーと文句を言っているが相手が悪い。人は憎まないが罪は憎むのが朝倉さんだからな。俺も彼女と口論はしたくない。

 だいたい謎パワーが本当にあったとしても涼宮にもたらされるかは甚だ疑問である。ゴルベーザ様だっていいとは言わんだろう。

 朝倉さんと涼宮の不毛なやりとりを眺めつつ、俺は古泉に釘を刺す。

 

 

「あんまり涼宮を甘やかしすぎんな。あいつはすぐ天狗になるタイプだ、うまくコントロールしてやれ」

 

「僕のような若輩者が御せるお方じゃありません、涼宮さんはね」

 

 苦笑を浮かべながらそう返してきた古泉。

 だが俺はそもそも彼から涼宮を御したいって意思を感じない。これでは埒が明かん。

 

 

「そうは言ってもな、オレがアテにできるのは涼宮の一番身近にいるお前さんぐらいなわけ」

 

「なるほど。公序良俗に反しそうな場合は意見しておきます」

 

 今回のは充分アウトだと思うが、中学時代の涼宮伝説よりは幾分かマシであろう。

 それから朝倉さんの説教に根負けした涼宮が香閣での儀式を断念したため、ようやくお参りに。

 本堂の階段を上ると年季の入った賽銭箱が目の前にあった。当たり前だがキョンたちの姿は見当たらない。授与品所にでも行ってるのだろう。

 賽銭箱には犬なのか獅子なのかよくわからない生物をかたどった大きな置物がくっついている。香炉にも似たものがついていたな。

 横一列で並んだ俺たちはまず軽く一礼をし、各々小銭を投入する。俺は無難に五円。

 

 

 ――そして祈る。

 

 俺が祈願するのはもちろん無病息災平穏無事な学生生活。

 もっとも横の光陽園学院生二人、特に涼宮が北高文芸部に絡んでくる以上、"何事もなく"とはいくまい。

 けれども願望を実現する能力とやらがないだけこの涼宮は遥かに平和な存在だ。

 二次元世界の涼宮ハルヒだったらこうして寺や神社にお祈りするだけで一大事になってそうだからな。

 ま、なるようになってくれよ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue18

 

 

 参拝を終えると各々自由行動となった。

 自由行動なのだから一切合切の制約がそこには存在していないわけで、文字通り自分の好き勝手にすればいいだろうに、

 

 

「なんでオレについてくるんだ」

 

好き勝手の結果なのか俺の隣に朝倉さんがずっといる。

 偶然移動先が同じというわけではない。

 興味本位で駐車場の方を覗いた時でさえついてきてたのだ、ここ数分確実に追従されているぞ。

 当の朝倉さんはあっけらかんとした様子である。

 

 

「ついてきちゃダメなの?」

 

「駄目じゃあないけど見ての通りアテもなく彷徨ってるだけなんだ」

 

「だったらこことかどうかしら、さっきの入場券で入れるみたいよ」

 

 山門の入場受付でもらった善光寺MAPを開いて見せてくる朝倉さん。ついてこないという選択肢はどこいったんだ。

 さっき君といる方が落ち着くなんて言ってしまったからな、こっちも邪険に追い払うわけにいかない。べつに嘘言ったわけじゃないし。

 

 

「わかったよ。一緒に行こうか」

 

「ふふっ、たいへんよろしい」

 

 したり顔の朝倉さんを見る限りしばらくは嫌われずに済みそうだ。

 かくして、境内の見ていないところを朝倉さんと回ることになった。

 まずは彼女に言われるがまま境内の端にある霊廟へ向かう。石段を上がった上にある三層の建物、あれがそうらしい。

 

 

「すげえな」

 

「パワースポットって呼ばれるのも納得ね」

 

 一目で霊廟と分かるスピリチュアルな建築物だ。信心深い仏教徒というわけでもないのに神々しく見える。

 そんな霊廟の中は資料館になっており山門で買った入場券で中に入ることができた。

 資料館と聞くと何か物々しいイメージが湧くものだが、ここの場合どちらかというと厳かな感じ。仏教らしいといえば仏教らしい。

 昔本堂で使われてた額をはじめ、仏教絵画に仏像群、チベット僧たちがこしらえたマンダラなどなど。興味のある分野じゃ毛頭ないが見ていて飽きはしない。

 

 

「ここにいるだけで徳が高くなりそうだ」

 

「その発言がもうアウトじゃない」

 

「いいんだよ。しょせん気の持ちようなんだから」

 

「……大したプラシーボ効果ね」

 

 だから信心深い仏教徒じゃないんだって。

 資料館には展示スペースのほかプロジェクターで映像資料を垂れ流している部屋があった。せっかくなので見てみることに。

 律儀にも朝倉さんは真剣な表情でじっとスクリーンを見つめ続けていたが、一再生二十分弱にわたる上映時間を終えた俺の口から、はぁ、とため息が出たのは想像に難くないだろう。

 何度もありがたい気持ちにさせてくれた霊廟を後にして次に向かうのは本堂。というのも本堂前で解散したきり中へ入っていなかったのだ。

 本堂内部でまず目に入ったのは小さいおじさんみたいな仏像に人が群がりペタペタあちこち触られているという異様な光景だった。

 

 

「患部を撫でると病気が治る撫仏ですって」

 

「んなアホな……」

 

「信じる者は救われるって言うでしょ?」

 

 だとしても今すぐ救済が必要なわけではないので興味ない。

 あの仏様が生前どれほどの伝説的説話を持っていようとあそこにあるのはただの置物なのだから、置物以上でも置物以下でもあるまいて。もっともあれが涼宮ハルヒ像なら話は別かもしれないがな。

 更に先へ進むにあたり例によって入場券が必要だった。

 山門、資料館と巡り、入場券はここで効力を失ったため改札職員にそのまま破棄してもらう。

 しかしどこへ行くにも金がかかるシステムか、重要文化財維持のためとはいえ世知辛い。

 改札から先は土足厳禁のためビニール袋に入れて持つのを余儀なくされた。

 何故そうなっているのか。単純明快だ、内陣の床が畳だから。

 ガワがデカいので当然だが本堂内部は相当開放的な空間になっている。人はそこそこ入っているのに全然気にならない。

  

 

「こんなに広い畳だと横になってすぐ昼寝できる」

 

「今ここで寝たら今度からあなたの起こし方をレベル3に引き上げるわよ」

 

 睨みを利かせるように警告する朝倉さん。

 レベル3で何がどう変わるのか、そもそも今までのレベルは1か2のどちらなのか、気になることばかりだ。

 ちゃんとしていれば実害はなさそうなので黙って内陣参拝に努める。

 焼炉盆の前まで行き正座して一礼。焼香をパラパラ炉に入れて合掌、礼拝。

 正直もう祈るようなことは思い浮かばないので無心で行う。格好だけつけばいいのさ。

 そして順路を進んでいくと、地下へと続く謎の階段にぶち当たった。

 階段の横にある案内によればこれは戒壇巡りなる体験スポットで暗闇の中地下通路を進んでいき右の壁にある"極楽の錠前"に触れればいいらしい。

 戒壇巡りをせず本堂を出ることも可能だったが、そんな無粋なことなどせず靴置き場に靴を預け俺が先に行くことに。

 ご丁寧に携帯電話の明かりを使わないでくださいという張り紙までされている始末で、何を大げさなと甘く見ていたら階段を下りて少し歩いただけで真っ暗闇の世界へと招待されてしまった。

 

 

「やっべえな」

 

 ほんと何も見えない。闇の中。

 右手を壁につきながら歩いているが、右を向こうが左を向こうが視界は同じ。ちょっとした恐怖さえ覚える。

 自然と歩みも遅くなり、先を進みたいのに進めない気持ちでいると、不意に左手が後ろに引っ張られた。

 俺の後ろにいるのは朝倉さんなはずで、引っ張ってきたのも朝倉さんなはずだ。

 朝倉さんじゃなかったら、怪奇現象的な何かだとしたらマジにブルッちまう。

 

 

「朝倉さん……?」

 

「……うん」

 

 後ろから聞こえてきた声は確実に朝倉さんのものだった。

 

 

「ちょっと、怖くなっちゃって……手、握ってもいいかしら」

 

 俺が特別ビビりなわけではないことにちょっと安堵した。

 ああ、もちろん彼女の要求には応えてあげるさ。 

 こっちは平手のまま右手を彼女に握らせる。ちょっとしっかり握りすぎな感じがするけどこれで不安が紛れるのならそれでいい、好きにしてくれ。

 お互いの存在を再確認したところで先の見えない闇を進まなければならない事実は変わらず、牛歩の時間が続いてく。

 

 

「曲がり角だ、曲がるぞ」

 

「わかったわ」

 

 コースは長方形となっており、ある程度進むと右に曲がる必要がある。当然道は見えないので右手の感覚だけが頼りだ。

 朝倉さんに注意喚起しつつ慎重に曲がる。そして少し進むとまた曲がる。

 錠前とやらを確認できたのは二回右に曲がってその先を十歩ほど進んだ時だった。

 金属みたいな小さな塊を右手で確認できた。きっとこれだろう。

 ちょっとの間立ち止まって錠前をガチャガチャ触ったら歩くのを再開。

 そして、暗闇が徐々に晴れて輪郭を帯びてきた頃、出口の階段にたどり着いた。

 腕時計を見ると五分ほどの体験だったそうだが体感時間は十分以上だ。ぱなかったのう。

 

 

「あー、朝倉さん」

 

「なに?」

 

「まだ握ってたい?」

 

「あっ……」

 

 俺に言われて慌てて手を放した朝倉さん。なんかそっけない対応で悲しい。

 何はともあれ戒壇巡りが終わったので靴を履いて本堂内部から出る。

 ちょっと微妙な空気を切り替えるべく俺は次に授与品販売所へ行くことを提案した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから、境内中の文化財を見てまわり、再び仲見世通りに行きお土産を買うとすっかり夕暮れ時に。

 集合場所は善光寺の駐車場。時間までには全員ちゃんと揃っていた。

 そして停車していた一台のジャンボタクシーに乗り込んだ。宿泊先の旅館へはこれで向かうらしく、約三十分の道のり。

 座席数は運転席含め十席と人数ギリギリ。まあこれ以上いたら別ので行くんだろうけど。

 助手席に鶴屋さんが座り、その後ろは朝比奈さんと涼宮、長門さんと朝倉さん、キョンと古泉、俺と国木田は最後部座席って感じで二人づつ座っている。

 なんと運転手の中年男性はいつぞや見かけた鶴屋さんの関係者と思わしき人物だった。

 俺たちの送迎のためだけにわざわざ長野まで来たのだろうか。ひょっとすると鶴屋さんはこの人が運転する車にしか乗らないのかもしれない。だとしたらまるでラオウだ。

 それにつけても、だ。

 

 

「……線香くさいな」

 

 車内に線香のニオイが漂っている。

 わかりきっていることだが原因は涼宮にあった。

 朝倉さんから注意を受けた涼宮はドカドカ香炉に線香を投入することこそ止めはしたものの、夕方になるまでずっと香閣前に張り付いて煙を浴びてたんだと。そうして立派なスモークハルヒの出来上がり、芳香剤もかたなしってね。冗談じゃない。

 線香のニオイは猫の小便なんかに比べれば遥かにマシだがずっと嗅いでたら不快にもなる。過剰につけすぎた香水と同じだ。

 涼宮は外では気にならなかったのか自分に染みついたニオイに対し、

 

 

「けむい! くさい! 早くお風呂に入りたーい!!」

 

だのと今更わめき散らしている始末。

 まったく、何がお風呂に入りたいだよ。こっちはお前を今すぐ川っぷちに叩き込んでやっても構わないんですがね。

 俺は気分を少しでも落ち着かせるべく音楽プレーヤーで好きな曲を再生することに。今は亡きオアシスのセカンドアルバム。名盤中の名盤よ。

 しばらく音楽の世界に身を投じていると不意に車が停車した。窓から見えるのは旅館などではなくスーパーマーケット。ここはスーパーの駐車場か。

 イヤフォンを外し国木田に問いかける。

 

 

「いったいどうした?」

 

「涼宮さんが買い物したいって」

 

 なんでも持ってきたおやつが切れたからだとか。そういやあいつ俺たちと違って食べ歩きなんかしてないから小腹が空いているのかもしれない。

 車から降りたのは涼宮と付き人の古泉、雑用のキョン。他のみんなは降りていない、俺もそうだが特に用ないしな。

 涼宮が戻ってきたのは二十分近くが経過してのことだ。

 

 

「ごめんごめん、待たせちゃったわね」

 

 言葉と裏腹に悪びれない表情の涼宮。

 彼女は両手に中身の詰まったレジ袋を引っ提げており、今日明日分のおやつだという。やけに時間かかったと思ったが買いすぎだろ。早くも古泉がアテにならない気がしてきたぞ。

 それから十分ほど。うっそうとした樹々が生え盛る田舎道の果て、人里離れた山の近くに旅館はあった。陽も落ち夜の帳が空を覆い始めた頃の到着である。

 ジャンボタクシーから降りた俺たちを待ち受けていたのは旅館スタッフらしき大人三名。

 

 

「皆様、ようこそおいで下さいました」

 

 その一人である番頭と思わしき中年男性が前に出て、どうぞこちらへと入口に案内する。あとの二人は仲居だろうか。

 すぐにでも風呂に入りたい涼宮はそそくさと旅館へ入っていく。急がなくたって風呂は逃げんぞ。

 仲居さんに荷物運びを手伝ってもらいつつ俺たちは涼宮の後に続いた。

 北高文芸部が今回宿泊する部屋数は四部屋。同じ廊下の並びだ。

 男子は俺と古泉、キョンと国木田の二名づつで女子は朝倉さんと長門さんと涼宮、朝比奈さんと鶴屋さんの三名二名という部屋割り。

 鶴屋さんお抱えの運転手は別の宿に泊まるらしい。

 

 

「わたくしのことはお気になさらずどうぞ合宿をお楽しみ下さいませ」

 

 だそうだ。流石の気遣いである。

 さて室内の様子はというと、ごく一般的な旅館の和室を想像すればい。間取りは十畳ほど。

 手洗いしようと洗面所の蛇口を捻ると水からは硫黄のにおいがした。

 正真正銘、本物の温泉旅館に来たというのをありありと感じるね。

 晩飯時まで和室でくつろいでいるのもよかったが温泉を前にそのまま座して待つことなど俺にはできなかった。早速の入浴タイムだ。

 隣の部屋に声をかけ、男子全員で備え付きのタオルと浴衣を持って移動開始。

 エレベーターで一階まで降りて廊下を歩いていると壁に色紙が何枚か貼られてあるのを見つけた。評判は良いようだ。

 大浴場前まで辿りつくと迷わず青いのれんをくぐり、早々と衣服を脱衣所の籠に入れ、いざ入浴。

 

 

「なるほど」

 

 シャワー、三種類の浴槽、サウナ、奥に露天風呂への扉。

 そこに確かな佇まいで大浴場が演出されているのだから心が躍るのも当然のこと。

 浴場内が広すぎない大きさなのがむしろ嬉しい。落ち着いてゆっくりと湯に身を委ねられそうだ。

 まずはかけ湯でささっと洗い流して主浴槽に浸かる。

 瞬間、

 

「くぁぁぁぁっ」

 

たまらず声が出た。

 お湯に包まれたことで全身の細胞が訴えてくる、今までお前の身体は暖まっていなかったのだと。

 そして徐々に徐々に身体が暖かくなっていく。この唯一無二である癒しの時間こそが温泉入浴の醍醐味と言えよう。

 

 

「ほんといい湯だねえ」

 

 珍しくほっこりした表情で国木田が言う。

 彼の言葉に異を唱える不届き者など一人もいない。

 

 

「かの武田信玄もこの源泉で湯治したそうですよ」

 

 解説してくれたのは打たせ湯を背中に浴びている古泉。ここは戦国武将のお墨付きというわけだな。

 湯の成分は硫黄をはじめとしたカリウムナトリウムカルシウム等の各種イオン。浴用としてリウマチや神経麻痺やニキビ、女性だと月経異常や不妊症にも効果があるらしい。どこまで本当かは知らないがこの風呂に入ると一発でストレスが消し飛ぶのは確かだ。

 しばらくして額に汗が滲んできた。ここで一旦主浴槽からあがり、シャワー前の風呂椅子に腰かける。

 論理的な話をすると、最初に浴槽に浸かっておくことで血行がよくなり毛穴が開かれ身体の汚れが落としやすくなるらしい。

 全身をしっかり洗い終え次に入るのは薬湯だ。壁の説明によれば茶色っぽいお湯には漢方生薬が溶け込んでいるのだと。

 で、湯加減の方はというと主浴槽より肌で感じる温度は低いのだが、じわじわ体の芯が暖まる感じがする。見事なり。

 

 

「五臓六腑に染み渡る……」

 

「こちらも素晴らしいですね。鶴屋さんがご贔屓になさるのも納得できます」

 

 しれっと古泉も薬湯に浸かっているが主浴槽と違い薬湯は浴槽が大きくない。足長野郎と一緒に入ろうものならば手狭に感じてしまう。

 

 

「狭いから出てってくれ。あと顔が近い」

 

「これは失敬。では露天風呂に移動するというのはどうでしょう、お二人は先に行かれたようですが」

 

 遂にメインディッシュか。いいだろう。

 薬湯から上がり、ガラス戸を開けると古泉の言葉通りキョンと国木田が岩でできた露天風呂に入っていた。

 

 

「湯加減はどうだ?」

 

「ああ、ビームサーベルで温泉作ったシローの気持ちがわかるぜ」

 

「ここにアイナはいないけどな」

 

 キョンのガンダムネタを適当に拾いつつ露天風呂の中に腰を下ろす。

 お湯の体感温度は露天風呂が一番高く、夜のひんやりした外気とベストマッチ。

 温泉、サイッコー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 男子というのは女子ほどおしゃべりな生き物ではない。

 しかしながら、四人集まっておいて終始無言なはずもなくひとしきり与太話をしていた。

 アナログゲーム以外の趣味を持ち合わせていないと思っていた古泉だが、光陽園に転校してからは涼宮の話題に合わせるべく漫画を読むようになったんだと。

 花のJKらしからぬことに涼宮はコテコテの能力バトル漫画を読んであーでもないこーでもないと批評するのが好きらしい。

 オタク受けの良さそうなラブコメ系統も一応目を通しているみたいだけれども、あまり話題には上がらず、スポーツ漫画に至っては毛嫌いしておりまったく読んでないそうだ。

 つまらない以上の理由を古泉は聞いていないようだが俺には大方の予想がつく。一生懸命練習に打ち込んできた主人公チームが泥仕合の末に勝利を手にするといった展開にせよ、相手との圧倒的実力差に苦悩する展開にせよ、そこいらの体育会系よかバリバリ運動できるあいつにとってはちっとも心に響かないのだろう。

 そんな話をした後、俺は一足先に露天風呂を上がり温度を下げたシャワーを浴びる。理想は十五度前後の水風呂に十秒以上入ることだが、悲しいことに水風呂がないのでシャワーで代用しているわけだ。

 なぜ水浴びをしているのかというと、こうすることによって自律神経を整えるためだ。それに頭に水を被ることでのぼせないようにする意味もある。

 ここからはサウナタイムだ。五分~十分の入室の後に水シャワーを浴びるのをワンセットとして、たまにサウナを内風呂に切り替えながら何セットも繰り返していく。

 やがて入浴開始から一時間が経過した。既に他の三人はあがったらしく、姿が見受けられない。

 俺もそろそろあがるが、最後にもう一度だけ露天風呂へ。

 

 

「いいねえ」

 

 思った通りだ。誰もおらず夜の空を独り占めできる。

 こんな星の夜は歌でも歌いたくなる気分だ。別に、迷惑にならない程度の声なら構わんのだろう?

 で、俺がいい気分で某伝奇活劇ビジュアルノベルのアニメ版後期OPを歌っている時だった。

 

 

「ずいぶんと上機嫌ね」

 

「え……?」

 

 左の方を向くと、小さい神社みたいな置物の小窓から朝倉さんが顔を覗かせている。

 小窓の中だけ女風呂が僅かに見える仕掛けだ。なんて冒涜的。

 

 

「そこ開くようになってたのか」

 

「ええ。こちら側からだけ開く仕組みよ」

 

 ただの縁起の良い置物かと思っていたがまさかの仕掛けだ。よく見ると説明が露天風呂の仕切りに書いてあるな、お見合い神社って。

 よりによって朝倉さんに聞かれていたのもそうだが、こんな方法で話しかけられたのでドキッとする。

 

 

「そ、そっちは君だけか?」

 

「そうよ。今は私一人だけ。そっちも一人よね?」

 

「……ああ」

 

「じゃなかったら気分よく歌わないか」

 

 小馬鹿にされた気がするがどうでもいい、あまり彼女の方を見ないようにしよう。

 しかし視線を逸らしながらお見合い神社から離れるよう移動すると、

 

 

「ちょっと! せっかくだからこれ使って話しましょ」

 

よくわからないが咎められた。なんでだよ。

 渋々お見合い神社の前まで戻ると朝倉さんは「よしよし」と頷いていた。

 なんかもうさっさとあがりたい。

 だってさ、高さ的に顔から下は全然見えないけど、鎖骨から下のあたりを否が応でも想像してしまうじゃないか。いくら俺に好意があるからってそんなゲスな目で彼女を見ていい理由にはならないぞ、自分で自分が情けなくなる。

 忸怩たる思いにかられている俺のことなどあずかり知らない朝倉さんは語り出す。

 

 

「こうしていると思い出すわ。幼稚園の頃」

 

「……」

 

「覚えてないかしら? 家族ぐるみでリゾートホテルに泊まったの」

 

「ああ、そんなこともあったっけか」

 

 適当に相づちを打った。

 もちろんそんな記憶などない。

 

 

「あの時は屋外プールだったけど、あそこで見た夜空もこれぐらい綺麗だった気がするわ」

 

「不思議なもんだね。オレたちの町がそんな都会ってわけでもないのに、こういうとこの方が星はよく見える。今回ばかりは涼宮の行動力に感謝しとくか」

 

「そうね。こんないい旅館を格安で使わせてくれる鶴屋さんにも感謝しないと」

 

 本格的な温泉にどっぷり浸かれたため、この時点でかなり満足度は高い。

 さりとて待ち受ける晩御飯の内容にも期待してしまうのが人間というもの。

 なんて、普通に合宿を楽しんでるあたり新鮮な感じがする。

 二度目の高校生活ってのも悪くないものだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue19

 

「卓球大会をするわよ!」

 

 これは風呂をあがり部屋に戻ろうとした俺を廊下で呼び止めた涼宮の言葉だ。

 半ば強制的に湯上りラウンジへ連行されると他の全員も雁首を揃えられていた。どうやら本当に卓球大会をやるつもりらしい。

 もちろんここに卓球台があるから涼宮は卓球大会をやるとか言い出したのだ。

 風呂上がりに浴衣姿で卓球とは、乙なものよな。

 

 

「トーナメント戦で争い優勝者は初戦敗者の中で一番スコアが悪かった人に牛乳を奢ってもらう、ってことで」

 

「……そりゃ構わんがハルヒよ、ここにいるのは9人だ。トーナメントだと余りが出るぞ」

 

「心配御無用。対戦カードは考えてあるから」

 

 キョンの指摘を受けて涼宮が浴衣のポケットからA4用紙を取り出した。そこに書かれていた組み合わせはこうだ。

 第一試合、俺と国木田。第二試合、キョンと古泉。第三試合、長門さんと朝比奈さん。第四試合、朝倉さんと鶴屋さん。

 涼宮はというと、第二試合の勝者と戦うようトーナメント表にねじ込まれていた。

 

 

「なんでお前がシード的扱いなんだ。横暴だ!」

 

「うっさいわね、誰が企画したと思ってんの」

 

 吠えるキョンをあしらう涼宮。見てる分には笑える漫才だよホント。

 確かに涼宮の言い分は横暴そのものだ。しかし残念ながら彼女に意見する人間はキョンのほかいない。あの電波女相手に下手につっかからない方がよいことを各々理解しているからだ。

 すると朝比奈さんがおずおずと挙手して、

 

 

「あのう、不戦敗でいいんでわたしのところに涼宮さんが入れば丸く収まるんじゃないでしょうか……」

 

「ダメよみくるちゃん。不戦敗なんてちっとも面白くないじゃない」

 

「でも、わたし1点も取れそうにありませんし……やる前からビリっこだってわかりきってますよ」

 

「あのね、人生にはたとえ負けるとわかってても戦わなきゃならない時があるの。それが今なの!」

 

絶妙な提案をしてくれたものの、参加に拘る涼宮に却下された。

 そうだな、俺から見ても朝比奈さんは最下位有力候補だが、ここは涼宮に同調するね。是非とも朝比奈さんには戦ってほしい。

 あのバストサイズを誇る朝比奈さんが卓球をすると胸がどのように揺れ動くのか物理学的な観点から見ても大変興味が――

 

 

「ア゛ッ!?」

 

 隣から物凄い殺気を感じたその瞬間、俺の左足つま先が踵によって踏みつけられた。 

 思わず絶叫しそうになったがどうにか最小限に声を抑える。

 

 

「ん? どうかした?」

 

「いや、くしゃみが出そうになってね……」

 

 実行犯である朝倉さんが白々しくそう訊ねてきた。

 ちくしょう。一体全体俺に何の恨みがあるんだ。

 そして朝倉さんは俺の首根っこを引っ張りながら涼宮のとこまで行き、 

 

 

「ねえ涼宮さん。第一試合なんだけど、彼の対戦相手を国木田くんから私に変更してくれないかしら」

 

「最初は同性で戦うようにせっかく配慮してあげたのに。涼子が戦いたいってんなら別にいいけど」

 

「国木田くんも、いいわよね?」

 

「あ、うん……僕は構わないよ、どうぞ……」

 

そんなこんなで国木田が入れ替わる形となり、俺の対戦相手は朝倉さんになってしまった。

 ギーク国木田の方が楽に勝てそうだったのに、ちくしょう。

 

 

「なんで朝倉さんに反対しなかった」

 

「僕が断れると思うかい? なんだか知らないけど君がやらかしたんだろ、諦めなって」

 

 他人事だからって薄情な奴だ。断固たる決意が必要って安西先生も言ってただろ。

 まあいいさ、こちとら卓球は少しばかりかじったスポーツ。"俺"は卓球教室に通ったこともある。ズブのトーシロじゃないんだよ。

 朝倉さんの身体能力の高さについて俺の知るところではあるが、彼女に体育授業以上の競技経験はないはずだ。いくらなんでも負ける気はしないね。

 唯一気がかりなのは朝倉さんが試合中にラケットを投げつけてきそうなくらい殺気立ってるということだが、ううむ、フェアプレーに徹してくれるといいなあ。

 勝負は1セットぽっきり。卓球大会と銘打たれているもののあくまで晩飯前の軽い運動ということだ。

 

 

「サーブ権は貰うわ」

 

 目の前までにじりよってきた朝倉さんが有無を言わさぬ迫力で言った。

 あ、はい、わかったから顔を離してください。近いって。

 そして台に置かれているシェークハンドラケットを取り、位置に付く。

 

 

「行くわよ」

 

 朝倉さんの声と共に放たれるサーブ。

 ラリーしてれば卓球やってる気分になるだろ、と適当なツッツキをしたら鋭いドライブをバック側に入れられてしまった。

 

 

「随分なまっちょろい球だこと」

 

 ああ、そうかい。

 朝倉さんによる2本目のサーブ。

 今度はバックフリックで弾き返してやると簡単に点を取り返せた。

 

 

「どうしたァ!? そんなもんか妖怪おでん女」

 

「なんですって……誰がおでん女よ、このヘタレオタク!」

 

「んだと」

 

 この言い合いを皮切りに壮絶な戦いが始まった。

 俺は持てる技術を駆使して得点を重ねたが、朝倉さんもしつこく食い下がり10オールまでもつれ込んだ。

 そこから中々勝負が決まらない。

 左右に振ろうが執念じみた気迫で拾ってくるし、強烈なスマッシュを決めようがしっかりブロックしてくる。これでマジに素人だってのか、化け物め。

 繰り返される1点の奪い合い。激しいラリーも度々繰り広げられていた。

 

 

「ちょっとあんたら、いつまでやってんの。後がつかえてるんだからさっさと終わらせなさい」

 

 大会の進行に業を煮やした涼宮が偉そうに文句をたれる。

 時計を見ると十分近く経過していた。こりゃ急かされるわけだ。

 次のサーブは俺で、現在こちらが1点先取。いいかげんここで決めたい。なので気乗りしないがイチかバチか奥の手を使う。

 

 

「朝倉さん。君にひとつ言っていいか」

 

「なによ」

 

「浴衣姿――

 

 言い終わる前にサーブを構える。

 そして、

 

 

――超かわいい」

 

「はあっ!?」

 

言葉と共に素早いサーブを放つ。

 朝倉さんもこちらの動きを警戒していたが俺の戯れ言に一瞬だけ気を取られてしまう。

 迫ってきたボールを見るなり慌ててツッツキで返そうとしたが、返球は彼女の想定よりもずっと高く浮く。

 

 

「……あっ」

 

 ボールはコートに入ることなくストンと俺の横に落ちる。

 レシーブミス、俺の得点、俺の勝ち。

 ここまで温存してきた高速ナックルサーブが華麗に決まった。

 自慢のサーブであるが朝倉さんの戦いぶりからすると彼女なら初見でも対応しかねない。だから揺さぶって保険をかけたわけだ。

 

 

「勝者、サブカルクソ野郎。はい次キョンと古泉くんね。巻きで頼むわよ巻きで」

 

 いつの間にか涼宮に侮蔑的なあだ名を付けられていた。

 名前を呼ぶ気がないならもうちょっと聞こえのよいあだ名にしてくれ。鶴屋さんのトッポイ呼ばわりの方が遥かにマシじゃないか、サブカルクソ女め。

 今の俺なら周回遅れのクルサードに接触したシューマッハの怒りがわかるぞ、何か言わなきゃ収まりがつかない。

 だが何か言わなきゃ収まりがつかないのは俺だけじゃなかったようだ。

 相手コートの方からドン、と台を強打する音がしたかと思えば、

 

 

「納得できるかーー!!」

 

朝倉さんが絶叫していた。

 彼女はこちらをキッと睨む。

 

 

「何よさっきの!? 反則、反則だわ!!」

 

「ははっ、悪いね朝倉さん。勝負ってのは勝ったモン勝ちだ」

 

「くぅぅ……あなたはどこまで人の気持ちを弄べば気が済むのよ!」

 

 うっ、耳が痛い、痛いぜ。

 どうにか取り繕おうとあれこれ言い訳を重ねていると、

 

 

「コラーーー!! 二人ともいつまでそこにいんの! イチャつきたいならよそでやれ!!」

 

涼宮が怒鳴り込んできたではないか。

 鬼気迫るものを感じたので朝倉さんを連れてそそくさと休憩所へ移動した。

 ホテル椅子に腰かけて彼女に向き合う。

 

 

「で、どうしたって?」

 

「どうもこうもないわ、最後のサーブの話よ」

 

 様子からして朝倉さんはすっかり疲れてしまったようで、少なくとも掴みかかってくるようなことはなさそうだ。

 

 

「私の負けってところは認めてあげるけど、いくら動揺させたいからってあんなこと言うだなんて……冗談にしては度が過ぎてる」

 

「冗談じゃあないさ」

 

 確信犯ではあるけど。

 すると朝倉さんは凛とした表情になり、

 

 

「だったら証明して」

 

まるで王の選定でも行うかのようなことを言い出した。

 証明してって言われても浴衣姿の朝倉さんがかわいいのは事実だから困る。

 ここは紳士的な対応が求められているに違いない、軽薄な言葉と思われてるからこんなこと言ってるんだしな。考えろ、考えるんだマクガイバー。

 そして思案を巡らせた末、導き出した方法を伝えていく。

 

 

「知っての通りオレは猫派だ」

 

 やおらスマホを取り出しテーブルの上に置く。

 スリープを解除して待ち受け画面を朝倉さんに見せる。芝生の上ごろんと横になって目を細めている茶トラの画像である。

 

 

「これは君の家の周辺に住み着いている野良猫、よく撮れてるだろ」

 

「そうね」

 

「猫のかわいさに癒されたくて待ち受けにしているんだ」

 

「ふーん」

 

「だから、その、次は君を待ち受けにしたら証明になるかなって……写真を撮らせて下さい」

 

 言ってて視線を合わせるのも恥ずかしいので誤魔化すように頭を下げる。

 束の間の無言が続いた後、やがて朝倉さんが口を開いた。

 

 

「こういうこと、私以外の子に絶対言っちゃ駄目だからね」

 

 どうやら当たりを引いたらしい。

 ただ、唯一の誤算がこれだ。

 俺のスマホで撮影された新しい待ち受け用の写真には若干照れた様子で笑顔を浮かべる朝倉さんとややバツが悪そうにしている俺の二人が肩を寄せて映っている。

 朝倉さんの強い要望により自撮りツーショットとなってしまった。あんまり他人に見られないようにしよう、説明が面倒だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんとなく予想できていたことだが卓球大会の優勝は涼宮だった。

 順を追って大会結果を説明すると、二回戦は古泉がキョンと圧倒して勝利、三回戦は普通の素人卓球が繰り広げられた末に長門さんが朝比奈さんを下す、四回戦は国木田が善戦するも鶴屋さんの多彩な技の前に屈した。

 ここからが酷い。古泉は手首を痛めたとかぬかして涼宮との対戦を棄権、鶴屋さんも唐突に審判役をやりたいと言い出したため棄権扱いで長門さんが駒を進める形に。

 かくいう俺も色々と疲弊していたので朝倉さんと同等以上の実力を持ってそうな涼宮と戦いたくはなく、棄権した。

 で、決勝戦。涼宮の圧勝かに思われたが長門さんは案外強く、涼宮の攻撃をことごとくカウンター。3点リードする場面も見られた。

 しかし戦っている最中、普通にラリーしていると返球を凡ミスしてしまうという長門さんの弱点を見つけた涼宮が強打を封印し、最終的に僅差で勝利。地味すぎる幕切れだった。

  

 

「ぷはぁーっ、運動後の牛乳は沁みるわー」

 

 満面の笑みで牛乳ビンを空にする涼宮。

 予選の最低得点が朝比奈さんの5点より低いキョンの1点であったため、牛乳はキョンの奢りとなった。

 まあそんなことはどうでもよくて、満を持して夕食の時間だ。

 食事会場の部屋は人数分の机椅子が並べられており料理も既に各々机の上に置かれていた。

 目立ちたがりの涼宮が当たり前のようにお誕生日席に座ったため、なるべくあいつから離れたい俺は一番端の席に座る。

 全員のご飯を仲居さんがよそい終わったのを見計らって席から立った涼宮が乾杯――当然だがアルコールではなく普通のジュースだ――の音頭を取る。

 

 

「文芸部の更なる発展と世界征服を祈願して、乾杯!」

 

 こいつはアレクサンドロス大王にでもなりたいのか。とにかく、乾杯。

 机の上には目移りするほど様々な料理が置かれているが最初に食う物は決めていた。

 香物、野沢菜。

 箸で一切れつまみ口に運び咀嚼する。程よい塩味と食感、地産地消の味。

 次はお造り、地鶏のたたき。

 一口噛んだだけですぐにわかった。こいつはすごいぞ、モノが違う。

 さくっと噛んでしまえる柔らかい肉、ジューシーな鳥。

 特製ダレに付けると鳥の味が更に引き立つ。あっという間に俺の分が全部なくなってしまったぞ。

 前菜を愉しむのも忘れてはならない。オクラのわさび醤油漬け、枝豆の袱紗焼き、トウモロコシ、逸品ぞろいだ。

 特にこのトウモロコシ。見た目こそ地味だが粒はしっかりコクのある甘さだった。

 今まで食べた中だと北海道のトウモロコシが断然トップだったが長野産も負けてない。なかなかやるな、信州。

 

 

「おい国木田。あの二人、眼を閉じながら無言で食べてるぞ」

 

「いわゆる孤独のグルメってやつかな。ほっときなよ」

 

 キョンよ、しっかり聞こえてるぞ。

 おそらく二人というのは俺と朝倉さんのことだろう。

 前を見ると朝倉さんは茶碗蒸しを食べながらしきりに頷いており、信州の味覚にいたく感じ入っていた。

 食事の楽しみ方は人それぞれなのだから誰に何を言われようが俺は粛々と食事を進めるだけでしかない。

 気を取り直して次の料理に手を付けよう。朝倉さんに便乗して俺も茶碗蒸しだ。

 生まれてこの方寿司屋に行った時は必ず注文するぐらい茶碗蒸し好きでね、蓋を開けた時の香りだけでテンション上がる。

 専用のさじでダシと一緒に具をすくう、そしてぱくり。

 う、うめえ。

 ベクトルは普通の茶碗蒸しからブレてないはずなのに格の違いが歴然。レジェンド級の逸品じゃないか。

 食べ進んで更に驚かされる。中の具がどれもおざなりじゃない。海老、銀杏、鶏肉、松茸、どれも味が損なわれていないんだ、凄すぎる。

 速攻で茶碗蒸しをやっつけてしまった。次は馬刺しといきたい気分だな。

 生姜のすりおろしを醤油に溶かし薬味のネギと一緒に特産の赤身を食べる。

 ああ、美味しい。

 モチっとした食感。そして口の中に広がる肉、タレ、ネギが三位一体で織りなす味。

 これぞ贅沢、俺は今贅沢を食べているんだ。贅沢万歳。

 おかずが美味しいと自然と米の消費も進んでしまう。まず米が美味しい、ワシワシ食える。

 

 

「失礼します。皆様、肉料理をお持ちいたしました」

 

 よきところで仲居さんが再び現れ人数分の肉料理が運ばれる。

 真打ち登場、信州牛の陶板焼き。

 絵に描いたようなルックスの霜降り肉。赤と白のコントラストが美しい、メインディッシュ相応の貫禄。

 スライスされたニンニク、しめじとあわせてさっそく陶板に乗せ焼いていく。

 ジュウゥゥと肉が焼ける耳触りの良い音、宙を漂う肉から染み出る脂の挑発的な匂い。いかん、脳がステーキになってしまう。

 両面に焼き色がついてきたのを見計らって陶板から肉を取り、岩塩を付け食す。

 

 

「……フッ」

 

 思わず頬が緩む。

 うまいよ、うまいに決まってるじゃないかこんなの。反則だ。

 塩だけでこの味ときた。恐るべし信州牛。

 ふむ、次はわさびを付けてみよう。

 

 

「~~~~ッッ」

 

 おお、ドンピシャ。良いじゃないか。

 ツンとした辛さが肉の味を引き立ててくれる。激うま。

 おっと米がなくなった。揚げ物が来る前におかわりを頼まないとな。

 信州牛をおかずに二杯目のご飯をかきこんでいると揚げたてカラっカラの揚げ物が出てきた。

 カボチャ、パプリカ、エリンギと太刀魚の唐揚げだ。そいつを焼き塩で頂く。

 まずは太刀魚からガブリ。

 

 

「…………ほぉ」

 

 思ったより身がギッシリ。歯ごたえけっこうあるなあ。

 噛めば噛むほど衣の中から魚のうま味が溢れ出るのがたまらない、身に脂がしっかり乗ってる証拠だ。

 野菜も実に美味しい。揚げ物が苦手な人でも食べられるアッサリ仕様なのが好印象だね。

 やばい、うまいもんしか食ってないぞ俺。

 そんな夢のような時間にも必ず終わりが来るわけで、いつしか料理はデザートを残すのみとなっていた。

 デザート、黒糖葛餅。

 黒糖の優しい甘さと葛餅のつるんとした食感、和菓子は安心できる。

 

 

「ふぅ……」

 

 そして何より和菓子は熱いお茶と合う。

 いやほんと日本人で良かったと思うよ俺。重畳重畳。

 かくして、全員丸っと綺麗に料理を平らげ、北高文芸部合宿旅行の晩餐は終了した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Subliminal

 

 

 正直言うと昔は彼のことがあまり好きじゃなかった。

 もちろん最初からそんな苦手意識だったかといえば違う。家族ぐるみの旅行も、二人して公園で遊んだことも、素晴らしい日々だったと振り返ることができる。掛け値なしに。

 ただ、小学校四年生あたりを期に彼はかなりの内向的な人間になっていった。

 当時先生が私に語ってくれたところによると複数人の友達を巻き込んだトラブルがあり、全員と関係が悪くなったのだとか。私がそれを知ったのは全て終わってからのことになる。

 そして一部のクラスメートと顔を合わせることすら辛くなった彼が出した結論は学校に行かないこと。つまり不登校。

 彼を責めるつもりはないけれど、うじうじと性根が腐る彼を見て少しばかり不快に思えたのは確か。幼馴染だからというだけでプリントを届けさせられるのだから、こっちの都合はお構いなし。

 小学校卒業後は両親の配慮もあって私と彼は市外の中学校に通うことになり、人間関係の問題もクリアされた。

 が、一度沈んだぬかるみから抜け出すのは容易なんかじゃなく、中学一年の一学期は完全不登校といかないまでも出席率の低い状態が続いた。

 そんな悪習も夏休み明けの二学期に解消された。彼の祖父が根性を叩きなおしたとか、まあ、詳細は知らないのだけれども。

 ざっくりとした彼の過去を聞いた長門さんはどこか気抜けした様子だ。

 

 

「へぇ……ぜんぜんそんなふうには見えないなあ」

 

「そうは言っても怠け癖があるのは今も変わりませんから」

 

「あはは」

 

「私としてはもう少しシャキッとしてほしいんですけどね」

 

 ため息を押し殺すかのようにカップをすする。ここのお気に入りはロイヤルミルクティー。

 井戸端会議とでも呼ぶべき休日に駅前の喫茶店で行う長門さんとの会合も久しぶりなもので、今年に入ってからはまだ二回目。

 もとは長門さんから部活中の彼の話を聞くために始めた集まりであり、情報共有が不要となった今はただのお出かけ的な側面が強い。

 

 

「それで……?」

 

「はい?」

 

「朝倉さんはどうして彼を好きになったのかな、って」

 

 やっぱ気になるかー、そこ。

 

 

「んー。私が言うのも変な話ですが、中々の捻くれ野郎ですからねあの男は。長門さんがそう思うのも当然のことです」

 

 面倒な相手を好きになってしまったという自覚はある。

 口は悪いし、授業態度最悪、朝も弱い。どういうわけかテストの点数は学年順位トップクラスだけど、ええ、彼を形容するのに最も相応しい言葉は"ロクデナシ"でしょうよ。

 

 

「ボロクソ言うね」

 

「なんでかしら…………そんな男だってわかりきってたのに……」

 

 後悔じみた感情を抱きながら私は過去を回想していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 中学一年生時点における私と彼との関わりは学校や買い出しの手伝いぐらいで、プライベートでの交流なんてのは家族が絡まない限り皆無だった。

 幼馴染だなんだと言ったところでお互いが意識していなければ何か起きようはずもない。

 だからこそこの年の秋のある週末、彼から突然かかってきた電話には驚かされた。

 

 

『明日ヒマか? 実は……』

 

 聞くところによると彼は明日公開のSFアドベンチャー映画を見るつもりで、父親にネット予約をお願いしていたらしいのだけれど、席を二つで予約されていたことを先ほど知らされたそうだ。

 もう決済がされており払い戻しができないため、せっかくだから誰かと行けと言われ、今に至る、と。

 まあ、明日は何も予定ないし、件の映画はCMで気になっていたのでこの話に乗っからない理由は特になかった。

 

 

「いいわ、行きましょ映画。上映開始は何時なの?」

 

『9時半だ』

 

「じゃいつも通りの時間に行けば充分間に合うわね」

 

『いつも通りって?』

 

「あなたを起こしに行く時間よ」

 

 寝坊されたらむかっ腹が立つだけだし。

 

 

『いや……誘った手前来てもらうのは……元々一人で行くつもりだったしな、心配しなくても起きるさ』

 

「わかったわ。じゃあ8時半駅前集合でいいかしら?」

 

『ああ』

 

 ひょっとして自分はデートに誘われたのでは、と我に返るのは電話が切れてからのことだった。

 まさか。彼の人脈からして私ぐらいしか候補がいなかっただけでしょう。

 いや、チケットが余っているなんてのはいかにもな建前である。

 真意がどうあれこっちは普段通り相手すればいいと結論付けこの日は就寝。

 で翌日、彼は10分前に現れた。

 

 

「ういっす」

 

 水色のポロシャツにチェック入ったジレ、下はネイビーのパンツ。

 彼の服装がこんな感じなのは知ってたけど今日はどこか気合入ってるように見える。考えすぎかしら。

 ちなみに私は15分前着になるよう行動していたのでさっき来たところだ。

 

 

「おはよ。来なかったらどうしてやろうかと考えてたわよ」

 

「平日にギリギリまで寝てるのは授業が面倒だからでね、オレなりの敬遠ってわけだ」

 

「得意げに言うことじゃないでしょ……」

 

 なんか肩の力を抜かれた気分。

 とにかく合流したので移動を開始する。

 わざわざ駅前に来たのは単純に映画館が街にあるからだ。つまり電車で行く。といっても小一時間とかからない。

 電車を降りてからも速い。コンコースからデッキへ抜け直通の大型モールに入りエレベーターで上がって映画館に到着。

 やはりというか、休日の映画館は朝早くでも客が多い。特に上映前の売店は列が長い。

 彼はチケットの発券を済ませるや否やごく自然な足取りで売店レジ待ちの列へと加わった。

 

 

「オレはコーラ買うけど君は?」

 

「アイスティーのMにするわ」

 

「あいよ」

 

 そして列がはけ、ドリンクを買い終え――ナチュラルに奢られた。こっちは映画代だって払ってないのに――指定の席に座る。後部最前列の真ん中だ。

 大作映画とプロモーションされていただけのことはあり客席は満席に近い。

 スクリーンの照明が落ちて尺の長い上映前コマーシャルが流れ終わり、いよいよ上映が始まった。

 ざっくり内容を纏めると、失踪した兄の手がかりを追う主人公が冒険の果てに偉大な発見を成し遂げるというものだった。

 90分に及ぶ上映時間は映画館の大スクリーンから久しく離れていた私にとって満足のいく映像体験だった。

 有益無害のハッピーエンド。偉そうに評論なんてできないけれど、いい映画じゃないかしら。

 たとえ途中で展開が読めたとしても気分よく劇場を後にできればよい。

 しかし斜に構え太郎の彼は私と同意見ではなかった。

 

 

「映像の造り込みは良かったけどさ……演出が単調すぎたし所々リアリティに欠ける」

 

 モール内のフードコートに転がり込んで先ほどの映画についての感想を述べた彼の第一声がこれだ。

 彼からすれば期待外れだったのかもしれないが自分で誘っておいて平気でシラけるようなことを言うのだから苦笑いで済ませている私自身を褒めてあげたい。

 

 

「てっきり冒険が好きなタイプかと思ってたわ」

 

「映画の中の話なら好きさ。さっき見たのもアドベンチャー映画としちゃあ合格点だ。主役だってカッコよかったし総合的には好きな部類に入ると思う。ただどうしても過去の名作と比べると粗を感じるね、べた褒めはできないかな」

 

 私は皮肉を言ったつもりだったが返しを聞くに映画を見るうえで彼なりの視点というものがあるようだ。

 

 

「もちろん相対的な評価だけで物事を測るのはナンセンスだが……造詣が深まればそれだけ人の評価ってのは辛くなりがちなのさ。さっきの映画ひとつとっても君とオレとで満足度が違うわけだしね」

 

 思い返せば不遜そのものな彼の発言なのだけれど、この時の私は素直に感心した。

 それと同時に思った。

 私は彼のことをぜんぜん知らないし知ろうともしていなかった、と。

 いいえ違う。知ろうとするのを止めていた。

 なんでだろうか、出会った頃は大切なお友達だったのに最近じゃ幼馴染という関係性を甘えに最低限の関わりしかしてこなかった。

 街にまで出て初めてそんなことを思うなんて、我ながら軽薄だ。

 

 

「……ねえ」

 

 いつ何かが変わったのか。

 はっきりとは言えないのだけれど、確かなのはこの日、私は彼の好きな映画を一つ知った。

 

 

「あなたが好きなアドベンチャー映画って?」

 

「【ハムナプトラ】」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後は、というと彼から色んな昔の映画をオススメされつつランチを済ませ、モール内をぶらついて日が暮れる前に解散。

 終わってみれば特別意識するほどでもないあったりした休日だったが、これをきっかけに彼と私の物見遊山的サムシングは定期化していくのである。

 

 

「そんな感じですかね。気がついた頃には手遅れだったんですよ」

 

「なんというか……ごちそうさま……」

 

「じっくりやられたからこそ勝算はあったんですけどね」

 

 結果は未だにどっちつかず。

 今が嫌なわけじゃいが、もっと深い関係を期待しているのが本音。

 

 

「だいたいあっちもあっちじゃないですか。散々連れまわしといてまだ遊ばせろってなんなの、あ゛ー!」

 

「と、とにかくお互い頑張ろ。ねっ」

 

 結局この日は私の愚痴を長門さんが聞く回となってしまった。反省。

 明日お礼にカレーをおすそ分けしようと思いながら今日の晩御飯を準備していく。

 一昨年のクリスマスからというもののフラストレーション溜まる実感があるが、最近では徐々に手ごたえを感じている。

 こっちが攻めたらそれなりのリアクションがあるというのは中学生の時じゃ見受けられなかったし。

 踏ん張りどころ。正念場。絶っ対に打ち克ってみせると気合を入れ、コンロに火を付けた。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue20

 

 六月。

 気温が急上昇したかと思えば大雨で、まさに梅雨真っ最中の今日この頃。

 エアコンをかけようが湿気による精神的な苦痛は不可避であり早い話がやる気が出ない。一割、いや二割増しで。

 まあ、そんなことは俺の幼馴染には関係ないというか知ったこっちゃないというか。

 

 

「はいさっさと起きる」

 

 布団を剥ぎ取られリアルと向き合う時間がやってきた。

 まったく、俺がカート・コバーンなら今頃散弾銃を探してるとこだよ。

 しかし俺は銃と無縁な普通の日本人であり、高校生である。この瞬間においての最善策は大人しく起床することだけだ。

 将来的にはこういう姿勢も改める必要があるというか、いつまでも朝倉さんに起こされるわけにはいかないのだろうが、学校に対するモチベーションの低さが根本的な原因ゆえ改善しにくいというのが正直なところ。

 こればかりは、な。

 自分を奮い立たせ朝のサイクルをなぞり幼馴染およびその親友との登校を開始する。

 

 

「クソッ、今日もジャンジャカ降りやがって……」

 

「明後日には止むみたいよ」

 

「そりゃあ明日も楽しめそうだ」

 

「もうっ、卑屈なこと言わないの」

 

 朝倉さんに上腕を小突かれた。

 この幼馴染ときたら、俺相手だったらいつでも叩いていいと思ってるみたいなんだよな。別に構わんが。

 

 

「確かにこう雨が続くと気力が削られるわ。洗濯物は部屋干しだし、なんか生活リズム乱されちゃってる感じ」

 

 けど、と朝倉さんは言葉を続け、

 

 

「私より気の抜けた腑抜けくんがいるんだもの、ぼーっとしてられないわよ」

 

ずいぶんなご挨拶をかましてきた。  

 人の振り見て我が振り直せかね、ご立派なことで。

 しかしだな、

 

 

「オレも人のことをとやかく言えるような立場じゃあないが……ぼーっとしてるってのはまさにあんな感じだろ」

 

指さしで朝倉さんの視線を誘導した先には一人で五、六歩ほど先行している長門さんの後ろ姿。

 その足取りは全身に酔いが回った週末の中小企業管理職か、はたまたノックアウト寸前のボクシング選手かというぐらいに不安定も甚だしい。

 って、まずい。あのままだと電柱激突コースだ。

 

 

「長門さん危ない!」

 

「前!前!」

 

「……ふぇ?」

 

 足を止め、ちらっとこっちを見てから前を向いた長門さんは電柱の存在に気づき「わ!」と声を上げて後ずさる。

 朝から冷や汗もんだぜ。額と電柱がごっつんこしなくて何より。

 けど――

 

 

「――長門さん」

 

 冷淡なトーンで親友の名を呼ぶ朝倉さん。

 やば、完全にお怒りじゃんか。

 

 

「昨日は何時に寝ましたか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人間なる生物である以上、睡魔というバイオリズムは抗うことが非常に困難な相手である。

 とくに長門さんは見るからに典型的な低血圧少女で、加えて梅雨という季節が体調に悪影響を及ぼしているのは間違いない。うつらうつらで前方不注意にもなるさ。

 が、夜更かししてゲーム三昧――寝たのは26時30分、つまり今日の2時半らしい――だったとくれば話は変わるようで、説教モードの朝倉さんによる雷が長門さんへと落とされた。

 雨空の下じゃなかったら正座くらいさせてたであろう朝倉さんの純粋な善意からくる正論パンチラインは5分ほど続き、怒りの矛先にないはずの俺さえ反省の気持ちが湧いてくるほどだった。

 

 

「これに懲りたら日付が変わるまでゲームしないこと!いいですね!」

 

「はい……」

 

 有無を言わさぬとはこのことか。

 さて、朝倉さんのターンが終了したところで、再三にわたり文句を言わせてもらいたいことがある。

 ご存知だろうが北高前の通りは長ったらしい坂道となっており、その事実は雨が降ろうと槍が降ろうと変わらない。要するに梅雨の登校は普段より割増のキツさだ。

 今日に関しては雨脚が激しいだけなのでまだ良い。先週末なんかそれなり風が吹いてたからな、しかも向かい風。罰ゲームの域だよな。

 もっとも俺にとって最大の罰ゲームは授業に他ならず、今日も今日とて机に顔を預けるだけの一日。

 天候は異常なれど俺は平常運転だった。

 

 

「それでよ、その社員が人使い荒い奴でな~」

 

 平常運転なのは谷口のくだらない話もか。

 季節柄ただでさえ気分が暗くなるのだから昼メシ時くらい明るい話を持って来ればいいのに、こいつときたらバイト現場の社員がどうとか割に合わない給料だったとか、大あくびだな。

 そんな態度が気に食わなかった谷口は俺を煽る。

 

 

「余裕そうでいいよなお前は。悩みなんかねえってツラに見えるぜ」

 

 馬鹿を言うな。

 なるべく考えないようにしているだけで思い出す度に自分を悩ませる事柄が俺にはある。

 無論、朝倉さんに関してだ。

 今年こそは何かしらのアクションを起こすべきかでは具体的にどうするかということの堂々巡りでもう六月。悩むというか、焦るので精神衛生上の都合により思考を止めている。

 などということを語って聞かせる道理はない。

 

 

「君は何か悩んでるのかい?」

 

 だんまりの俺を気にせず谷口に問う国木田。

 国木田にしては愚問だな。こいつの悩みなんざいい女がナンパに引っかからないことか、あるいは定期考査の点数のいずれかだろうに。

 

 

「あのな、中間テストのダメージが抜け切れてないってのにもう期末テストまで一ヶ月切ってんだぜ。学年順位上位様にゃ関係ない話かもしれんが俺にとっちゃ大きな悩みの種よ」

 

「一応ヤバいって自覚はあるんだな……」

 

 そう呟くキョンもヤバそうじゃないのか。

 学年順位などという指標など最終的に何のアテにもならないということを識っている俺からすればどうでもいい話、勉強ってのは取り組む姿勢こそが後の人生で活きてくる要素だからね。俺が言っても説得力ゼロか。

 この日一番面白かった話は国木田が親戚の結婚披露宴に行った時の話だった。

 平凡で、平穏だった。

 唯一それをお構いなしにぶち壊しそうな空気の読めない女を知っているけど、流石の涼宮ハルヒも人の子らしい。

 

 

「あー、こんなに雨降ってたらやんなっちゃうわー」

 

 彼女は今、文句を垂れながら文芸部のデスクに突っ伏している。

 こういう時の涼宮は決まって何かしら思いついた事をやろうと言い出すのだが、いかんせんアウトドアなことが出来ないときたらここでぶーぶー言い続けるしかできない。

 涼宮のストレスに伴う世界の崩壊を心配する必要はないんだしな。哀れなものよ。

 さりとて、有意義な時間を過ごしているのは物理の参考書を眺めている古泉と洋書を読んでいる長門さんだけであり、朝倉さんはお茶を飲みながら音楽雑誌を読み俺とキョンはポケット人生ゲームに興じている。文科系クラブの活動らしくはあるか。

 人生ゲームの勝負状況としては事あるごとに低い出目とマイナスなマスに止まり続けたせいで圧倒的に俺の資産が負けている。

 購入早々に家を失うってなんだよ。ドラえもん1話の未来のび太より悲惨じゃないか。

 ルーレットの回転音をBGMに約束手形を返せないままゴールしてもおかしくないと萎え始めた時、

 

 

「……あ」

 

ぽつりと声を上げたのは朝倉さんだ。

 一同の視線が集まる中、少しばつが悪そうに彼女は切り出す。

 

 

「今日たまごの特売日だったの忘れてたわ。先に帰るわね」

 

 慌ただしく荷物を纏める朝倉さん。

 もちろん俺も同行する。すっかり勝ち誇った様子のキョンに一言を忘れずにね。

 

 

「ノーコンテストだ」

 

「なんだって?」

 

「俺も朝倉さんと一緒に行くから勝負は仕切り直しってことで」

 

「バカ言え。どう見てもお前の負けだろ」

 

「さあ? 人生の勝ち負けってやつは終わってみるまでわかんないもんだぜ」

 

 盤上から駒をどかしゲーム内通貨を束にしてキョンに押し付ける。

 三十六計逃げるに如かず、俺の座右の銘かもしれない。

 何はともあれ敗北感を味わうことなく部室を後にできるのは気分が良いや。

 廊下に出るや俺に向かって朝倉さんは、

 

 

「あなたそんなんじゃ友達なくすわよ」

 

と鋭い一言を浴びせた。

 ああいうのは相手を選んでやるから心配しなくてもいいさ。

 

 

「そう。煙に巻くのは得意だものね……冗談よ」

 

「ははは……」

 

 渇いた笑いしか出ねえ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天気のせいもあり、いつものスーパーに着く頃には空がすっかり暗くなっていた。

 この時間帯の客入りはそこそこ、夜は夜で帰宅中のサラリーマンが利用するため店員が落ち着けるのは午後9時を過ぎてからといったところか。

 俺は頼まれた品だけをカゴに入れてくわけだが、これが自分での買い物となるとどうだろう。余計なものばかり買いそうだ。

 朝倉さんの倹約ぶりは高校生徒と思えぬほど凄まじく、俺には到底真似できない境地。俺だったらおやつにプロセスチーズとか買っちゃうね。

 仕送り生活といっても彼女の父親はそれなりの企業の偉い人である。

 しかも可愛い一人娘が相手となれば贅沢しても困らないほどお金を渡してそうな感じだが、ブランド物買ったりとかもしないんだよな。ほんと奇特なお方だ。

 

 

「……っと、お待たせ」

 

 会計を済ませて現れた彼女が両手にぶら下げている戦利品は心なしかいつもより多そうで、実際ひと袋受け取ると多少の重量感がある。

 

 

「ここのところ買い出しに行けてなかったから今日は多いの。ひとつでいいわ」

 

「持てる重さだしそっちも持つよ」

 

「傘差すのに片手じゃきついでしょ?」

 

 確かに。腕の休憩のために傘と荷物の持ち手を交換しながら行くのは無理じゃないが最終的にひーこら言う羽目になりそうでかったるい。

 だが朝倉さんに持たせるってのもな、これからご相伴に預かる手前気乗りしない。

 どうしたものかと逡巡していると朝倉さんは「じゃあこうしましょう」と前置きした上でこのように提案した。

 

 

「傘は私が持つから、レジ袋はあなたが持ってちょうだい」

 

 なるほど確かにそうすれば俺の負担はいつもと左程変わらないし傘の問題も解決する。

 解決するが、その行為は相合傘って呼ぶんだぜ。

 

 

「まあ、君がいいならオレはいいけど……」

 

「決まりね」

 

 にっと笑う朝倉さん。困ったな、そういうの弱いんだよ俺。 

 同じ傘の中で肩寄せ合う高校生男女なんてのは季節柄珍しくないが、いざ自分がそういう立場になるとどうだ。絶滅危惧種にでもなったかのような気分。

 ていうか俺の傘を朝倉さんに持ってもらってるわけだから傍から見りゃ完全にやりたくて相合傘してる状態じゃないか。

 俺に若干のテンパりがある一方、朝倉さんから表面上の変化は窺えない。ワイドショーのトピックなんかを話題としていつも通りにお喋りしながら家路を辿る。

 

 

「やっぱり日本人が勝つのは難しいのかしら」

 

「ベスト8だっけ。充分凄いんじゃあないか、相手が悪かっただろ」

 

「最初はいい感じだったのにああも簡単にひっくり返されちゃ素人でもレベルの差を感じちゃうわよ」

 

「そういうもんさ。フィジカルだけの問題でもない」

 

 どこぞのSOS連中は非常識パワーで大学野球のチームをねじ伏せてたわけだが、あれを実力扱いするのはナンセンスか。

 北高の体育会系部員をこき下ろしたりもした俺だがスポーツ自体は嫌いじゃないし野球中継を観ることもある。

 もっともそれはプロの試合だからであり、興行として成り立っているからだ。トップクラスのアスリートが競り合うからこそ面白い、と俺は思う。アマチュアでも全国大会は面白いかもしれんが北高には縁のない話さね。

 適当な事で思考にノイズを走らせながら歩き続け、某マンションに到着した。

 後は気楽なものだ。すっとろいエレベーターで5階に上がって廊下を少しばかり歩いた先は朝倉さんの部屋。

 

 

「はぁ、ようやく一息つける」

 

「お疲れ様。自分でしまうからあなたは休んでて」

 

 朝倉さんはレジ袋を持ってキッチンへ向かう。

 彼女の言葉に従いリビングで絨毯の上に寝転がる俺。勝手知ったる朝倉さんの家という感じ。

 料理が出来る前の間、ザッピングで時間を潰すこともあれば無心で横になることもある。ちょっと疲れたのもあって今日は後者。

 スマートフォンでインターネットの天気予報を見たところ雨は止まず明日まで降り続けるらしい。最悪だ。

 それにしても。

 

 

「……やっぱ無理があるよな」

 

 先月の合宿で朝倉さんと撮った写真は未だに待ち受け画面に設定――元待ち受けの茶トラ猫画像はホーム画面にシフト――しており、視界に入れる度にメンタル面の何かが削られていく。 

 どこまでいっても自分本位な人間でしかない俺だが、朝倉さんに対しては家族以上に自然体な"俺"でいられる。

 そう、間違いなく特別な存在だよ。確かだ。言葉にして伝える覚悟はまだないけど。

 こうなったら禅の修行でもしてみるか、などと半分本気で思った時だった。

 

 

――ガシャン

 

 突然、キッチンの方から音がした。

 何事かと見に行ってみると、冷蔵庫前の床に散乱したガラス片と液体が。

 察するにお茶の入ったガラスボトルを落としてしまったみたいだ。

 

 

「ちょっとドジっちゃった」

 

 ソワソワした感じで言う朝倉さん。

 購買日を失念していた件といい今日は本調子じゃない日なのかね。

 少しばかり憂う気持ちになったが、食卓に出された料理を口にするとそんな気持ちは霧散した。

 

 

「マジでうめえ」

 

「ふふっ。作った甲斐があるわ」

 

 宝石のような朝倉さんの料理、食卓を支配。

 メインのおかずとなるトンポーローは感動すら覚える味だ。なんでも昨日から仕込んでいたとかで、珠玉の一品と言えよう。

 そして副菜も手を抜かないのが朝倉流。ごぼうの和え物にだし巻き卵と地味な見た目ながら味の主張はしっかりしている。

 いつも通り一心不乱に食べていると朝倉さんが話しかけてきた。

 

 

「もう来月には夏休みね」

 

「早いもんだ」

 

「何か予定はある?」

 

「墓参り以外何も」

 

「そ、じゃ――」

 

 聞くまでもないような事をわざわざ聞くなよ。と若干冷やかされたような気になり、ほんの僅かテンションが下がる。

 だが非常事態ってヤツは俺の気持ちなんか露知らず、あずかり知らぬ内に動き出していた。

 

 

「――他の日は私と一緒にいられるわね」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue21

 

 

 狐につままれる、とはこのことだろうか。何を言われたか理解できなかった。

 十秒ほどかけてようやく言葉を受け止めたはいいものの彼女の真意がわからない。

 押し黙ったところでわからないことには対処のしようがないため、いったいどういうことか問おうとした時だ、

 

 

「なんてね、冗談よ」

 

朝倉さんは柔和な笑みを浮かべそう言った。

 彼女による本日二度目の冗談は流石の俺も笑えなかった。

 俺だって夏休み期間を無味乾燥な日々として過ごそうとは思っちゃいない。ノープランなりに考えている事だってある。

 朝倉さんの荒唐無稽な冗談に神経衰弱させられた俺が自宅に着いた頃にはごちそうになった料理の味さえ曖昧なものとなっていた。

 要するに真意を問うのが憚られたままおめおめと逃げるように帰ってきたわけだが、別に慌てなくとも平日でいる内は毎日顔を突き合わせるわけだし何日かしてから聞けばいい。明日は明日の風が吹くのだから。

 と、適当に結論付け、やることもないので早々に就寝。

 寝て起きればリセットされるとまでは行かないが、切り替えることはできよう。

 

 

「起きる時間よ」

 

 そして翌日。いつも通りの時間帯にいつも通りの感じで毛布を朝倉さんにどかされる。

 楽しい楽しいスクールライフが今日も始まるぞ、といった感じであくびとともに身体を起こすと視界に入る情報に強烈な違和感を抱く。

 

 

「おはよう」

 

「おはよ」

 

「……ねえ朝倉さん」

 

「何?」

 

「なんで私服なんだい……?」

 

 俺を起こしに来た朝倉さんは北高指定のセーラー服でなく、フリルの付いた白いブラウスにベージュのレギンスパンツと完全な私服ときた。

 夏休みがどうとか昨日言ってたがまさか今日からというわけじゃあるまい。

 俺の質問に対し朝倉さんは事も無げに、

 

 

「私今日は学校お休みするわ。詳しくは後で説明してあげるからあなたは準備してちょうだい」

 

そう言うと部屋から出ていってしまった。

 何だ何だよ何ですか、認識改竄系のスタンド攻撃でも受けてるのか俺は。

 ともかく彼女の言葉に従い朝のルーチンワークを開始する。

 一階に降りて洗面所で顔を洗う。少しは眼が冴えたはずだが鏡の前にいるのは昨日と相も変わらぬ無気力ボーイ。

 

 

「どうした、笑えよ」

 

 なんて鏡像の自分に言ったところで痛々しいだけだった。

 朝食は白米、グリルした手羽先、わかめ味噌汁、あとひじきの佃煮。平凡な男子高校生の朝食だ。

 心に余裕を持って食事せよがモットーなのだが今日の俺は朝倉さんの話が気になるためそそくさと朝飯を処理していった。

 そして制服に着替え学生鞄と傘を持って外に出る。

 降りしきる雨の中、家の前にいたのは朝倉さんだけで長門さんの姿は見受けられない。

 

 

「それで休むってのは」

 

「うん。昨日あなたが帰った後のことなんだけど――」

 

 淡々と行われた朝倉さんの説明はこうだ。

 トンポーローをすそ分けしに長門さんの部屋を尋ねたところ彼女のテンションが異様に低く、何かあったのかと聞けば帰り道で車に轢かれかけたと言うではないか。

 車両と接触はなかったとのことだが避けた際に転倒して手足を擦り、頭もぶつけた。

 当の本人は「大丈夫」の一点張り。でも朝倉さんからすれば大丈夫かはわからない。特に頭の怪我は怖い。

 気分が悪くなったらすぐに知らせるように念押しした上で、翌日病院で診てもらうことにし、朝倉さんはその付き添いに行くために学校を休むそうだ。つまり長門さんも当然休み。

 これも何かの冗談と思いたいね。実際に長門さんが来てないのだからマジなんだろうけど。

 

 

「事情はわかった。大事ないことを祈るよ」

 

「キョンくんにはあなたの方から説明しておいて。診察が終わったら連絡するから」

 

 それじゃ、と言い朝倉さんは来た道を引き返していく。

 久方ぶりのぼっち登校としゃれ込むにはアガらない状況だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一般的に、高校という箱庭の機能は生徒2人欠いた程度じゃ支障をきたさない。何もなかったかのように進んでいく。

 が、それは授業を進める教職員の話であり、生徒からすると絡む相手が減るわけだから授業外の時間においては僅かでも変化があるし何より気になる。

 朝のホームルームで朝倉さんと長門さんの欠席が担任の岡部教諭により告げられ――休むにあたり、朝倉さんはある程度の説明をしたと思うが、岡部教諭の配慮により詳しい説明はなかった――10分休みに入るや否や俺の席に女子生徒が1人押しかけてきた。

 

 

「朝倉さんが休んだ理由って知ってる?」

 

 単刀直入に聞いてきたのは同級生の西嶋。朝倉さんとは1年の時から昼ご飯を食べるグループ仲だ、そりゃ気になるわな。

 さてどう答えたものか。

 プランA。質問を質問で返す。

 

 

「なんでオレに聞く?」

 

「だって、あなたに何も言わず休むようには思えないから」

 

 当たり前のように言ってくれるじゃないか西嶋よ。まあ、向こうが言わなかったらこっちが聞いてると思うし俺に聞くのが正解だと俺でも思う。

 ここで意地の悪い対応ばかりしていると後で朝倉さんにシメられかねないので本当のことを言わない作戦にする。

 

 

「朝倉さんどころか長門さんが休んだ理由まで知ってるよオレは」

 

「やっぱり。で?」

 

「朝倉さんは長門さんの付き添いで病院に行くって。詳しく聞いてないけど長門さんの体調不良みたいだ」

 

 車に轢かれかけた挙句、頭の検査をしに病院へ行ってるなんて言ったら悪い方向に心配が広がりそうだからな。

 俺自身長門さんの容体を把握しているわけじゃないし、長門さんは心配されたら申し訳なく思うタイプの人だし。

 

 

「そうだったの。2人とも1人暮らしだもんね……」

 

 納得したのか西嶋は自席へ引っ込んでいく。

 だが納得してない奴が後ろから、

 

 

「さっきの話本当か?」

 

と声をかけてくる。

 

 

「ふむ。朝比奈みくるファンクラブ会員番号119番のキョンか」

 

「余計な形容詞が多いぞ」

 

「耳をダンボにするのは勝手だが顔くらい見せたらどうだ。人様に質問するならそれなりの礼儀があろう」

 

「何様のつもりだ」

 

「オレ様」

 

 観念したキョンは俺の前に出てきた。

 

 

「8割方オレの言った通りさ」

 

「残りの2割はなんだ」

 

「診察結果待ち」

 

「長門に何かあったのか?」 

 

 人が言葉を選んでいるというのに青春野郎め。

 朝倉さんじゃなくてこいつが付き添いに行くのが一番良かったんじゃないかと思えるね。

 

 

「オレだって全てを掌握してるわけじゃあないんだぜ。朝倉さんから連絡が来たらお前にも共有してやるからピーピー言わず席へ戻りな」

 

「……わかったよ」

 

 キョンは大人しく引き下がってくれた。

 まったく、朝からこうも落ち着かないと気が滅入るっての。

 そんな言い訳を用意したところで決まった時間にチャイムは鳴る、授業は始まる。

 当たり前のことが何か寂しいことのように思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お昼休みに入ると見計らったように朝倉さんからショートメールが届いた。「今電話に出れる?」ね。

 わざわざこう伝えてきたってことは込み入った話になりそうなので、少し待ってほしい旨を伝え弁当箱を持って部室棟へ移動。

 文芸部の部室に入り、OKの返事をするとすぐに電話がかかってくる。

 

 

「もしもし」

 

『診察は終わったわ。画像検査で命にかかわるような異常は見受けられないそうよ』

 

「重畳だね」

 

『ただ――』

 

 朝倉さんの口から語られたのは予想だにしない内容だった。

 曰く、転倒で頭をぶつけた折に記憶障害のような状態になっていたそうで、自分の意識と記憶の間に乖離がある状態らしい。何も覚えていないわけじゃないがそれを自分の出来事と感じていない、と。

 

 

『すぐ言ってくれれば良かったんだけど、怖かったって』

 

 記憶があるだけマシじゃないか。とは言えなかった。 

 一応日常生活は問題なさそうなので明日から復帰するとの事だが、長門さんがいつ元に戻るかは神のみぞ知るといったところか。

 通話を終え、俺以外誰もいない部室で一人ため息をつく。

 4年前に似たような体験をしている身としては何とかなるさと言ってやりたい。

 こういうことが起きてしまうのも現実だからなのか。少なくとも俺が観た小説とアニメではこんな展開なかったぞ。

 弁当を無理矢理腹の中に入れ、教室へ戻るとキョンを引き連れ生徒玄関2階の吹き抜けに面した廊下へ移動し、彼にありのままを伝えた。

 キョンは受け止め切れていないといった様子だ。無理もない。

 

 

「とにかくオレたちにできるのはいつも通りに接してあげることだ」

 

「ああ……そうだな……」

 

「心配なら放課後様子を見に行ったらいい」

 

 俺の言葉にすっかり黙り込んで思案してしまうキョン。

 これ以上余計な事は言わず、俺は一人用を足しにトイレへ移動した。

 昼休みが明けてからは時間の経過がやたら緩やかなものだったがしょせん2時間弱、自ずと放課後は訪れる。

 結局、キョンは長門さんの家へ直行したため本日の文芸部は俺と光陽園からの侵略者コンビの計3人だ。

 で、今日は何をしているかというと古泉が持ち込んだボードゲーム【グリモリア】で暇を潰している。

 こうなると最早なんの集まりかわからない。傍から見れば完全にゲーム倶楽部じゃないか、姉さんに見られたらどう釈明しよう。

 

 

「あ、そうそう。あたしたち明日からしばらく来れないから」

 

 ゲーム道具の魔道書をぺらぺらめくりながら涼宮がそんなことを言った。

 

 

「期末テストが近いということで追加講習や時限数の追加がありまして」

 

 俺が何か聞くよりも早く太鼓持ち野郎の古泉が解説を入れてくる。

 テスト対策強化週間ってやつか。なんちゃって進学校の北高と違って光陽園学院様はそこらへん徹底してるみたいで何よりだ。

 元を辿れば暇だからとかいう理由でやってきたからなこいつら。それが文芸部のパラサイトにまで発展したわけだが、学生である以上は学校のカリキュラムが最優先ということか。

 

 

「そんなわけで、期末が終わったら覚悟の準備をしておくよう伝えときなさい」

 

 パタリと魔道書を閉じ涼宮はキメ顔でこう言った。

 

 

「夏が来たら思う存分遊ぶわよ!」

 

 どうやら俺の夏休みに人権はないらしい。

 そりゃあ家に引きこもっているよりかは何千倍もマシな展開というか、UMAやミステリの類が絡まなければ信用できる女が言うのだからきっと楽しい夏になるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部活動の時間が終わり、光陽園の2人とも別れ未だ雨が降る道を歩いていく。

 精神的な疲れを感じる一日だったがボードゲームが気分転換になったのか気分はそこまでダウナーじゃない。

 だが朝倉さんは俺以上に疲弊していることだろう。

 日頃お世話になっている手前、愚痴のひとつくらい聞くべきだ――ついでに明日の起床が穏やかなものになればいい――と思い昨日に続いて某マンションに向かっている。

 明日止んでくれるか疑わしい雨の中、延々歩き続けようやく馴染みの建造物が見えた。

 共用エントランスのオートロックに505の順でナンバーキーを押しそこの住人を呼び出す。

 インターホンは待ち構えていたかの如く迅速に繋がった。

 

 

『はい』

 

「オレだ」

 

『どうぞ』

 

 施錠が解除され、自動ドアが開く。

 小奇麗なロビーに用はない。エレベータに乗り、すぐに5階へ上がり、505号室のピンポンを鳴らす。

 数秒の後、ガチャ、と部屋の扉が開かれる。

 扉の向こうにいたのはTシャツとハーフパンツのバリバリ部屋着な朝倉さん。

 

 

「いらっしゃい。私の顔が恋しくなったようね」

 

 俺を部屋に招き入れるや否やそんな事を言ってくる。

 好意的な解釈をしてくれるのは実にありがたいよ。

 リビングに上がり、木製の椅子に腰かけ小休止。

 朝倉さんはお茶を注いだコップをテーブルに差し出すと対面に座った。

 

 

「それで話って何かしら?」

 

「オレが話したいというより話を聞きに来たというか……今日一日、大変だったろ」

 

「あら、ひょっとして私の心配に来てくれたの?」

 

「……そんなところかな」

 

 こそばゆくなり視線を逸らす。

 一方の朝倉さんはというと、すっかり上機嫌になり、

 

 

「話を聞くだけなんて言わずに今日もうちで食べていったら? ゆっくりすればいいじゃない」

 

などと誘いの言葉をかけてくる。

 視線を戻せば微笑んでいる朝倉さんの顔。満面の笑みでもないのに5000ルーメンの輝度を感じるのは俺が変に気を回してるだけなのか。

 魅力的な申し出なのは違いない、けど妙に尻込みした俺は謝絶の意を伝える。

 

 

「いや、今日は遠慮するよ。君がまいってなくて安心した」

 

 ともすれば逃げ口上かのように聞こえるかもしれないが連日ご馳走になるなど遠慮したくもなろう。

 ただ朝倉さんの反応は想定より悪いものであった。

 

 

「……そ」

 

 電力供給が断たれたかの如く微笑みは消え失せ、か細い声で落胆を表す。

 まるで捨てられた小型犬みたいな雰囲気だ。ここで帰ったら悪者じゃないか俺。

 

 

「――と思ったけどやっぱり食べようかな。急に腹が減ってきた、飢え死にしそうだ」

 

 白々しい自覚はある。

 朝倉さんは俺の変わり身など識ってたと言いたげに口角をつり上げ、

 

 

「ふふっ、わかったわ。準備するから待ってて」

 

キッチンへ引っ込んでいった。

 かくして、昨日と同じく晩御飯が不要な旨を母にメールする羽目となり、帰ったら色々言われる未来に辟易しながら料理を待つことに。

 しばらくするとテーブルに出てきたのは具が大量に詰められた鍋。お得意のおでんだ。

 

 

「今日は趣向を変えて黒おでんよ」

 

 確かに鍋のつゆがオーソドックスなだし汁ではない。真っ黒な液体で満たされており、そいつが染み込んだ具は黒く変色している。邪悪な代物だ。

 静岡のご当地おでんなる黒おでんは、取り皿へ移した具にだし粉と青のりをかけて食べるのが流儀だという。

 朝倉さんが出す料理はもれなく美味しいということを本能で理解している俺でもダークはんぺんを口に入れるのに少々勇気が必要であったが、ひと口で歓喜の唸りを上げさせられた。

 

 

「どう? 初めて作った割にはイケるでしょ?」

 

 大根玉子を白米と合わせて喰らう。

 シンプルにうまい。

 

 

「いつぞやの味噌おでんも良かったけどこれは格別だな。つゆひとつでこんなに変わるのか」

 

「おでんには無限の可能性があるもの、探究の路は果てしないわ」

 

 朝倉さんはおでんマイスターを目指しているのかもしれないがもう既に名乗っていい域にいると思う。

 むしゃむしゃ食べるのに夢中になりすっかり当初の目的を失念してしまっていたが、ご飯のおかわりをもらったタイミングでふと思い出せた。俺は今日一日の朝倉さんの所感を聞きに来たのだ。

 とはいえ馬鹿正直に大丈夫かと聞いても大丈夫としか返ってこないだろうし、自然な形でストレスが解消されるのが望ましい。

 

 

「長門さん。明日から復帰するって話だけど、君的には問題なさそうに思うかい?」

 

 少しでも不安があるのなら俺もフォローに回る。

 そんな想いから言ったつもりだった。

 

 

「……さあ?」 

 

 どこか白けたようにはぐらかす朝倉さん。

 それどころか、

 

 

「上辺じゃ何も判断できないでしょう」

 

さも他人事のように言い出す始末。

 

 

「結局本人次第じゃないかしら」

 

 俺は彼女の異様さに唖然とした。

 おせっかい焼きの朝倉涼子が"本人次第"だって?

 まるで反抗期の子供に嫌気が差した親みたいじゃないか。

 実は長門さんと喧嘩でもしたのか。

 いや、俺がよく知る朝倉さんは友人に何かあったら自分まで気を揉むような優しすぎる人間だ。

 そして気丈に振る舞ったとしても俺には弱音を吐いてくれる。そんな関係性を築いてきたと思っている。

 

 

「なあ――」

 

 だからこそ、ここに来たのだ。

 

 

「――君は誰だ?」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue22


She has come to.





 

 

 彼女の主張には一理がある。

 いくら友人だ親友だ親密に絡んだところで結局他人は他人、行き過ぎたおせっかいは時に迷惑な過干渉となる。

 ともすればおかしな事を言っているのは俺の方なのかもしれない。けどな。

 

 

「何が言いたいのかしら」

 

 眉をひそめて聞き返す彼女が普段通りなわけがない。

 長門さんと何かあったにしても、俺にまで仮面を被る必要はないじゃないか。

 

 

「君らしくないってことさ。いつもの君なら長門さんが遠慮しないギリギリのラインまでサポートしようとするじゃあないか。どうしたんだ?」

 

「そうね……」

 

 口をつぐみ、一拍間待ち、

 

 

「あなたには知る資格があるわけだし話してあげる」

 

と前置きした上で切り出した。

 

 

「らしくないのも当然のこと、私はあなたの幼馴染である朝倉涼子じゃないわ」

 

「は……?」

 

 こちらを見据えている数十センチ先の女性が朝倉さんじゃないと自称することに戸惑いを禁じ得ない。

 そりゃ今日の朝倉さんはおかしい。"別人のよう"だとは思った。

 けど本当に"別人だ"なんて言われてみてもどうだ、容姿や声は紛れもなく朝倉さんなのだから朝倉さんと認識するほかないだろう。

 生き写しのそっくりさんならば日本全国津々浦々探せば一人くらいはいるかもしれないが、いたとしても朝倉さんの部屋で俺を待ち受けていたという前提がおかしい。金をかけたテレビのドッキリじゃあるまいし荒唐無稽だ。

 俺の推論が明後日を通り越してブラジルの方を向いていたと思い知るのはこの直後だ。

 

 

「情報統合思念体によって造られた対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース……その残滓が私よ」

 

 ――眩暈がした。

 耳に入った言葉が脳をぐわんぐわんと強く揺さぶったのだろう。

 彼女が口にした記号の意味を俺は知っている。

 かつて俺が観たアニメの登場人物たる朝倉涼子は普通の人間じゃなかった。空間を造り変え、魔法みたいな攻撃を放ち、主人公の命を狙う異能の襲撃者だった。

 対有機生命体うんちゃらかんちゃらというのはその正体であり、かいつまんで表せば宇宙人的存在である。

 この世界が【涼宮ハルヒの憂鬱】の世界に近いと知った時、アニメの主人公よろしく俺は朝倉涼子に自分は普通の人間じゃないと打ち明けられるのではないかと想像した。

 それが想像通り現実となって今ここに現れた。どうすりゃいいんだ。

 俺は顔がこわばるのを自覚しつつも努めて冷静に問い返す。

 

 

「つまり君が朝倉さんじゃあないってんなら、当の朝倉さんはどこにいるんだ? ここは彼女の家だぞ」

 

「朝倉涼子の家? それってここのことかしら?」

 

 パチン、と彼女が右手で指を鳴らす。

 すると一瞬で景色が変わった。

 マンションのリビングから一転し緑一面の森の中。

 辺りには生い茂る草木、テーブルと椅子はそのまま。そして昼間みたいな晴れた日差しと気温。ワープでもしたかのような状況に思わず息を呑んだ。

 

 

「ふふっ、驚いた?」

 

「……ああ」

 

 朝倉さんが実は森に棲んでたなんてな。

 もちろん冗談だ。

 立ち上がって近くの木まで歩いてみる。

 足に伝わる感触はフローリングのそれではなく芝生と土。見たまんま。

 木に触ってみてもリアルな感覚。撫ぜれど叩けど木は木で、紛うことなく木である。物凄いプロジェクションマッピングを投影したって線はなさそうだ。

 

 

「とにかく私が普通じゃないってことは理解できたわよね」

 

 君があの朝倉涼子ならこれぐらい朝飯前だろうさ。

 もう一度彼女が指パッチンをすると部屋は元通り、見慣れたリビングルームに。

 俺が再び椅子に座ったのを見計らい彼女は口を開く。

 

 

「わかりやすく例えるなら私は朝倉涼子に憑り付いた幽霊のような存在なの。身体は朝倉涼子のものだけど、今制御してるのは私。朝倉涼子の意識は休眠状態にあるわ」

 

 まだ全貌が見えてこないが、俺の知る二次元キャラクター朝倉涼子と彼女は何やら異なる存在らしい。

 しかし彼女が霊的な存在だとして何故朝倉さんに憑り付いているのだろう。

 

 

「私の成り立ちについてはまた今度話すとして、朝倉涼子が生まれた時から私は彼女と共存してきた……共存っていっても彼女は私のことを知らない、私はただ彼女と同じ景色を見てきただけ。あなたのこともね」

 

 眼を細めてニコッと笑顔を見せる彼女。

 写真にでも収めたくなるくらいとても素敵な笑顔のはずだが、心が落ち着かない。

 

 

宿主(ホスト)が危機的状況にでもならない限り私は表に出るつもりがなかったんだけど、今回はエマージェンシーを受け取ったの。だから私がわざわざこの身体の支配権を奪っているわけ」

 

 なんとも穏やかじゃない単語が聞こえた。

 エマージェンシーとやらが何に起因するか、彼女が粛々と語った内容はこうだ。

 昨日の夕方、朝倉さんが晩御飯の用意をしてた頃に長門さんの事故が起こった。

 車と接触しなかったという話は嘘であり、実際のところ長門さんは通りがかりの車に"撥ねられた"。

 

 

「どれくらいのスピードだったかは私にもわからない、ただ間違いなく生命の危機を感じたはずよ。そして()()が目覚めた」

 

 話に出た"彼女"こそ朝倉さんと同様の長門さんに憑りついているインターフェースの残滓。

 まさしく宿主の危機を前にして出てきたそいつは自身への修復を含めいくつかのことに能力を使い――ドライバーの記憶操作や車の修復といった事故の隠蔽を行ったのではないかというのが朝倉さんに憑り付く彼女の見解――事なきを得た。

 その折にエマージェンシーが発令され、朝倉さんの人格が切り替わった為にガラスボトルを落としてしまったそうだ。

 

 

「本当ならすぐにでも長門さんのところへ向かうべきだったんでしょうけど、あなたを置いて行くわけにはいかないもの」

 

 ガラスの破壊音を残して神隠しにでもあったかのように消えられたら発狂しかねんぞ俺は。いや、今のこの状況も中々にSAN値がピンチだが。

 閑話を休題すると、俺が帰った後に彼女は長門さんの部屋を訪ね、状況を把握した。

 

 

「私と違って彼女は長門有希の中で眠っていた存在……何故かは私も知らないわよ? で、偶発的な覚醒だったもんだから不完全な状態で出てきてしまったみたい」

 

 結果として今の長門さんは自分がスペースアンドロイドであることすらわからない状態らしい。人格障害ってのもあながち間違いではないのか。

 そこで万が一、長門さんが無自覚のまま能力を振るう状態になった時、つまり暴走した時すぐ対処するため朝倉さんの代わりに日常生活をしながら様子を見ることにした。と。

 

 

「君は長門さんに何も教えなかったのか?」

 

「ええ。アイデンティティの喪失に苦しんでるようじゃないし、()()()くらいそのうち思い出すわ。長くてもひと月かからないでしょう」

 

 知らない方が都合がいいといった口ぶりに聞こえるのは俺が捻くれてるのかな。

 眼の前のお方がどこまで俺の知る存在と同じなのかわからないが、少し信用できない相手に思える。

 というか君が暴走したら誰が止めてくれるってんだ。

 

 

「私の暴走なんて、そんな心配しなくていいわよ。ただ……」

 

「ただ……?」

 

「あなたが他の娘に色目を使うようだと、バチが当たっちゃうかもしれないわね」

 

 寒気で身の毛がよだっちまった。

 ――で、こんな話を聞かされたのだ。

 食欲は完全に消失してしまっているが、図々しくおかわりまでした以上おでんも白米も残して帰るという選択肢はない。

 まあ、食べたら食べたでやっぱりうまい。

 

 

「これは君が作ったんだよな?」

 

「ええそうよ。気に入ってもらえたかしら」

 

 無言で頷いておく。

 それから諸々の質問も交えつつ食事を済ませると俺はそそくさと帰宅した。

 案の定、家に帰ると母さんに四の五の言われてしまう。

 二日連続で晩飯をキャンセルしたのだから迷惑をかけ申し訳ない気持ちは当然あるが、朝倉さんの料理がそんなに食べたいのならうちを出て行って彼女の家に住めばいいとか言ってくるのは違うんじゃないかと思う。

 部屋に戻った俺は寝間着に着替えるとパソコンもゲームもせずそのままベッドに潜り込んだ。

 未だ整理し切れていないが、整理できたとして何がどうだというのか。ほとほと参るね。

 俺が持つ唯一の手札である異世界人カードを切る日は近づいていると予感しつつ、それを振り払うかのように眠りに落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の日。

 俺の起床はいつもと変わらぬものだった。

 

 

「朝よ。起きてちょうだい」

 

 なんて声と同時に俺の上から毛布がのけられる。

 犯人は朝倉さん。いや、彼女に憑依してる宇宙人か。今日はセーラー服だ。

 

 

「おはよう。もう起こしに来ないんじゃあないかと思ってたよ」

 

「そんなわけないでしょう。私は朝倉涼子と同じように振る舞うのだから、あなたも彼女を相手にしていると思ってくれて構わないわ」

 

 昨日聞いた話だと、宇宙人の彼女が朝倉さんに身体を返す時、朝倉さんが休眠状態の間の記憶をうまいこと補完させるらしい。記憶がすっぽり抜け落ちてたら大変だからな。

 それを踏まえると彼女の言う通り俺は幼馴染を相手にしている体で接した方が良いのだろう。後で会話が噛み合わないことがあるかもしれないし。

 何にしても善処はする。中身が変わっても朝倉さんは朝倉さん、だといいんだけど。

 朝食を終え、外に出ると昨日までが嘘だったかのように晴れていた。

 路地に立つ朝倉さんの隣には長門さんの姿。

 

 

「朝倉さんから話は聞いたよ」

 

「…………」

 

「しばらく大変かもしれないけど、何か困った事があれば相談に乗るくらいはできるぜ」

 

「わかった」

 

 想定通りと言うべきか、長門さんの雰囲気はSOS団宇宙人枠長門有希のそれと化していた。

 対照的に朝倉さんはいつもと変わらぬ様子で俺や長門さん相手に世間話。昨日の一件がなければ別人とわからぬまま過ごしているに違いない。

 彼女の役者っぷりはクラスでも遺憾なく発揮される。

 教室に入るとすぐに数人の女子がこちらに押しかけて来た。もちろん目当ては朝倉さんだ、俺はさっとその場から離れて自分の席についた。

 押しかける女子の数は更に増えて2人を囲んでおり、まるでハリウッドスターの来日みたいな様相を呈していく。

 朝倉さんは顔色一つ変えずクラスメートの相手をしている。俺の席からだと会話はあまり聞こえないが、聖徳太子みたいな感じでやってんだろう。

 

 

「来て早々に朝倉を取られて残念そうだな」

 

 意味の分からない台詞を吐いたのは北高2年軽薄男子ランキング上位の谷口。

 こっちはため息を吐いちまいそうだ。

 

 

「あれのどこを見て残念がればいいんだ? オレだったらストレスで死ぬっての」

 

「しっかりしろよ。いつの世も女王と付き合うってのは大変なんだぜ」

 

 平成の世しか生きてない分際で何を言ってるんだか。

 教室入口付近に形成された女子のグループはホームルームが始まる直前まで解散されなかった。

 さて、知っての通り北高はテスト直前シーズンとなっていて、多少なりとも授業内容に変化はあるようだが俺のスタイルは何一つ変わらない。小テスト以外は机を枕にしている。

 対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースたちの授業風景が気にならなくはないものの起きてまでして見たいかというとノーだ。

 つまるところ俺は俺の平穏を維持するのが一番だと思っている。

 などと考えたのがいけなかったのかもしれない。

 野球でたとえるなら7回無安打無失点といった風にテンポよくお昼を迎え、弁当を取り出そうと鞄を開けたらテキストしか入ってないではないか。

 母さんが入れ忘れたのかストライキなのか、理由はともかく弁当がないのが事実だ。

 仕方がない。購買で飯になるものでも買いに行こうかね。

 

 

「ねえ」

 

 席を立った俺の行く手を阻むように朝倉さんが現れた。

 そして俺が何用か聞くよりも早くこちらへ巾着袋を差し出し、

 

 

「私今日はあなたの分もお弁当作ってきたの。ふたりで一緒に食べましょ」

 

満面の笑みを浮かべながらとんでもないことを言ってきた。

 この提案に手放しで乗っかれるほど気楽な性質じゃない俺だが、購買部の程度が知れた総菜パンやおにぎりと比べ彼女のお弁当の方がそそられるという事実。

 実質的に逃げ道のない選択肢だ。

 そんなこんなで部室まで移動して彼女の望み通り二人で昼食をとることに。

 差し出された巾着から弁当箱を取り出す。蓋には黒猫がプリントされているファンシーなデザインだ。

 さて、弁当にありつく前にひとつ聞いておかねばならないな。

 

 

「いったい何を企んでるんだ?」

 

 俺の問いに彼女はきょとんとした顔になる。

 何が朝倉さんと同じように振る舞うだ、クラス中から奇異の眼で見られたに決まっているぞ。

 

 

「何も企んでなんかないわよ」

 

「偶然母さんが弁当を入れ忘れて、偶然君がオレの分まで作ったなんてあり得ない。君の仕込みだろ」

 

「それはそうよ。でも企んでるって言い方は心外ね、純粋な好意だもの。それにあなたのお母様は喜んでたわ」

 

 俺が喜ぶかは別の話だろうに。

 これが朝倉さんらしくない行動なのはどう説明する気だ。

 

 

「実態はさておき、二年五組の生徒の大半はあなたと朝倉涼子が付き合ってると思っているわけだし、そういうこともあると受け入れられてるわよ」

 

 そんな馬鹿な話があるかよ。

 本当だとしたらとんだ色眼鏡連中じゃないか。

 

 

「だいたい君は長門さんを見張ってなきゃいけないんじゃあなかったのか。そっちはどうしたんだ」

 

「どうもこうもないわ。あなたとの時間の方が大事ってこと」

 

 ここにきてようやく自覚したが、俺はどうやらこの宇宙的存在に好かれているようだ。

 嫌われたり憎まれたりするよりよっぽどいい。しかし何故なのか、朝倉さん側に感情が引っ張られてたりするんだろうか。

 

 

「それに今は別のインターフェースに長門さんを任せてるから」

 

 朝倉さんの皮を被った彼女はあっけらかんとした様子でそう言った。

 彼女と長門さんの2人以外にも宇宙人が北高にいるらしい。

 

 

「喜緑江美里、あなたも知ってる人でしょ」

 

「生徒会の不良書記だろ」

 

 喫茶店でバイトしてた彼女を見た時に朝倉さんから聞いた。

 付け加えるなら喜緑江美里も【涼宮ハルヒの憂鬱】じゃ宇宙人キャラとされていた。もう特に驚きはない、矢でも鉄砲でも火炎放射器でも持ってきてくれよ。

 

 

「なあ、君たちみたいなのはいったい何人いるんだ?」

 

「3体よ」

 

「君と長門さんと喜緑さんか」

 

「ええ」

 

 他にもいそうなもんだが。

 

 

「私があなたに嘘をつくわけないじゃない」

 

「君はオレのことをよく知ってるみたいだが、オレは君のことをよく知らないんだぜ」

 

「だからこうして一緒の時間を増やしているのだけれど」

 

 そりゃどうも。

 かくして俺の高校生活は少しの間、朝倉さん(宇宙人)にジャックされることとなった。

 もし昨日の俺が彼女の言葉を聞き流していたとしたらどうなっていたかなど今や知る由もないが、俺と朝倉さんの関係性において一つの分水嶺となったのは確かだろう。

 言うまでもないと思うが朝倉さん(宇宙人)のお手製ハンバーグ弁当は副菜の玉子焼き含めとても美味であったことをここに補足しておく。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue23

 

 

 

 躁鬱のような天気も一定の落ち着きを見せ始めた6月半ば。

 俺と幼馴染に憑りついてる宇宙アンドロイドな彼女の学校生活も少しは落ち着いたものとなっている。

 そりゃそうだ。みんな手前のことでいっぱいいっぱいとまでは言わないが人の噂も七十五日、俺が否定しようと彼女が言ったように俺と朝倉さんとの関係が男女交際のそれとみなされている以上は中2日の朝倉さん弁当など谷口にすら何も言われなくなっていった。

 朝倉さん(宇宙人)がおかしな感じなのは俺相手ぐらいなもので、朝倉涼子としての役割は実直にこなしていた。

 一方の長門さんは違う。

 では具体的にどう違うか説明しよう、相違点その1。

 運動神経が体育会系の女子より凄まじい。

 短距離走は陸上選手ばりに綺麗なフォームで颯爽と駆け抜け、バスケットボールは本業の部員すら圧倒する動きでコートを支配。

 本来の長門さんは運動音痴というわけではないのだが、特段足が速くもなければスポーツはガチガチの素人で成績2か3といった感じなのだ。それが今や何やっても無双してるんだから覚醒なんてレベルじゃない。

 

 

「長門は体育祭も球技大会も特に活躍してなかったはずだけどな……手抜きしてたか?」

 

 女子の尻を追っかけることに余念がない谷口もこのように首をかしげる始末。

 ちなみに1年の時、体育の授業が始まったばかりの頃に体操服姿の朝倉さんをやらしい眼で見てた谷口に俺が注意――もとい軽く焼きを入れた――して以来、谷口が何か言い触らしたのか5組の野郎連中は体育の時間中に朝倉さんのことを視線で追わないようにしてるみたいだ。

 閑話休題。

 長門さんの運動神経が凄いというのは女子の間でも話題となり、今からでもうちの部に入らないかという勧誘が多少あったとか。もちろん全部断ったそうだ。

 何か宇宙パワーでインチキしてないか朝倉さん(宇宙人)に聞いてみたものの。

 

 

「そうだったらとっくに止めてるわよ。あれは単に肉体のポテンシャルを十全に引き出してるだけ、センスの問題」

 

 彼女にとっては問題外といった様子だ。

 相違点その2。

 勉強を人に教えられるようになった。

 元々長門さんの成績はクラスの中でも良い方なのだが、人に教えるのが致命的に下手っぴで、数学に至っては式がぐっちゃぐちゃの空飛ぶスパゲッティ状態。口を開けばギュインギュインのズドドドドといった感じの意味不明な説明。オイラー先生も呆れるしかない。

 それが今や問題集の解説ができる状態で、尚且つ期末考査を控えているときたら赤点ボーダーラインを是が非でも越えたいキョンが長門さんに教えを乞うのは当然の成り行きであろう。

 最近じゃテスト前に全部活が休みとなっているから、キョンと長門さんは2人で仲良く図書館で勉強会だと。

 そして俺は部活がない放課後をどのように過ごしてるかというと、だ。

 

 

「どうかしら?」

 

「……ああ、似合ってると思う」

 

 肩が出てるシフォンブラウスにショートパンツの夏コーデで試着室から出てきた彼女にコメントしている真っ只中。

 いわゆる放課後デートになるのだろうか。

 制服のまま街に出て、デパートやショッピングモールをぶらついて、カフェで休憩して、普通の高校生をやってる。ちなみに今いるのはデパートの女性服フロア一角にある店の中。

 もちろん全部彼女の主導だ。まあ、長門さんを見張るのが彼女だとすれば彼女を見張るのは俺の役目だしな。

 

 

「ちょっと、何ぼーっとしてるのよ」

 

 あれこれ物思いにふけっていると朝倉さん(宇宙人)が軽く小突いて注意を引いてきた。

 次は黒のサマーニットに薄いベージュのフレアスカートか。赤いハイヒールでも履いてみたらどうだ。

 

 

「あー、いいんじゃあないか……」

 

「イマイチな反応ね、白けちゃう。そんなんじゃ本番も失敗するんじゃないかしら?」

 

 本番ってなんだ。その口で下ネタを言うのは勘弁してくれないか。

 などと返したら更に強く小突かれる。

 

 

「馬鹿!」

 

 声が大きいって。

 巡回してる女性店員からの視線が痛々しく感じる。俺が下手なこと言ったと思われてそうだ。事実だが。

 

 

「そういう意味で言ったんじゃないわよ……これはあなたと朝倉涼子が付き合った時のためにやってるデート予行演習なの、本番当日はシャキッとしなさいよね」

 

 知らなかったぞ、初耳だ。

 でも予行演習の割には彼女に引っ張られてるだけだから俺は何も成長できてないと思うんだけどな。べつにいいか。

 気を取り直した朝倉さん(宇宙人)のショーはその後も続けられた。

 彼女のチョイスは気まぐれといった感じで、俺の幼馴染が休日にしてくるような落ち着いたコーデもあれば、ドクロのシャツにダメージデニムとロックにキメたり、果てにはノースリーブで胸元とおヘソを見せつけて来た。

 人の身体で好き勝手するなよと思いつつ、ちゃっかり堪能しているので文句は言えない。というかこの状況で文句ある奴いるのか。

 そんな時間をひとしきり過ごし彼女がセーラー服に戻るとレディースファッション店から離れて生活雑貨やレジャー用品のフロアへ移動することに。

 季節柄なのかアウトドア推しがやけに目につく。

 

 

「夏が来たら思う存分遊ぶとか涼宮は言ってたがキャンプとかもしたりすんのかね」

 

「場所と道具があればやるでしょうね、涼宮さんなら」

 

 だよな。ゴールデンウィークに合宿という体の観光旅行した以上キャンプなんてハードル高くもないか。

 俺としちゃテントなんか張らんでも川っぺりか適当な会場でバーベキューできれば充分なのだが。

 いずれにせよ道具を自前で揃えるなんてのは経済的に厳しい身分なので充分な計画の下でアウトドアすべきだ。

 まさか買うわけでもないのに寝袋をあれこれ吟味している宇宙人の彼女。

 

 

「寝袋に興味があるのか?」

 

「私が興味深いのは値段の差よ。言い換えれば人間の価値観ってとこかしら」

 

「まあ、見ての通りピンキリだ」

 

「そうね」

 

 こちらからすればヒューマノイド・インターフェースの価値観が気になるところだが、聞いたら怖い話をされそうなので黙っておく。知らぬが仏ってね。

 レジャー用品と生活雑貨フロアの冷やかしを終え、デパートから出て次に向かったのは線路沿いの通りにある本屋だ。

 ああ、本屋で思い出した。

 長門有希の相違点その3、文学少女。

 我らが文芸部の長門さんは読書こそたまにするが部活時間の大半はゲームで消化している生粋のゲーマー女子。

 対して今の長門さんはゲームなど眼中にあらず、休み時間も家に帰ってからもハードカバーにかじりつく本の虫状態。

 

 

「君たちは読書が好きなんだな」

 

「私の場合は文学というより文化に関心があるって感じなのだけれど」

 

 そう言う彼女がいの一番に向かったのは女性雑誌のコーナー。俺一人じゃ間違いなく近寄りもしないゾーン。

 本に落とし込まれた文化の中でも彼女が情報を得たいのは人間社会の流行だとか。

 俺に言わせりゃ違いが分からない雑誌を3冊見繕って会計を済ませる彼女。今日のところは他の売り場に用はないらしい。

 で、後は帰るだけ。

 駅までの道を引き返して電車で住宅街に戻る。そこからはそんなにかからない。

 

 

「テスト対策は大丈夫?」

 

 歩きながら朝倉さん(宇宙人)が俺に聞いてくる。

 連れまわしてるのはそっちだというのに心配するのか、いやフリか。

 自分でもどんな理屈なのかわからないのだが俺は"前の世界"の記憶を完全な形で引き出すことが可能だ。

 いわゆる完全記憶能力、ってやつとは違う。あくまでこの身体になってからの話だし、この世界での出来事は普通に忘れたり思い出せなかったりすることもある。

 昔取った杵柄というか過去にそれなりに頑張ってた記憶があるから雑な復習だけで高得点を維持しているわけだ。余計なことまで思い出すのがありがた迷惑だけど。

 なんて俺の秘密を打ち明けるはずもなく、彼女の言葉に返事をする。

 

 

「わかってるだろ、オレは問題ないよ。君の方こそどうなんだ?」

 

「どうもこうもないわ。しょせん人間が出す問題だもの、この私に通用するはずがないでしょう」

 

 ドヤ顔で言われてしまった。

 いや、俺が心配しているのは君じゃなく幼馴染の朝倉さんの方である。

 テスト期間が終わる前に長門さんが元に戻り、役目が終わって朝倉さんも元通りとなるのなら休眠期間の勉強面についてもフォローしておいてくれよ。

 

 

「ええ、そうなったら放課後は勉強してたことにするから。だって――」

 

 と彼女は言葉を続けて、

 

 

「これは()()()()()のデートだもの、ね?」

 

今日一番の笑顔を見せてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 と、こんな日々を過ごしている。

 つまるところ朝倉さんや長門さんが宇宙アンドロイド人格となったことで俺に何かしらの災厄が降りかかったりはしていない。まだまだ油断はできないが、幼馴染のガワでグイグイ来る宇宙アンドロイドの彼女に絆されつつある感は否めない。

 土日に関しては特に何もない。朝倉さん(宇宙人)がどのように過ごしているか知らないが、俺は相変わらずの昼寝と家庭用ゲーム。幼馴染が相手だとどっか行くのに誘ったり誘われたりがあるが今のところそういうのはナシ。

 そんな俺の聖域を着信音で侵すのは誰か。涼宮じゃないなら1人しかいないよな、宇宙人に人格を乗っ取られている朝倉さんだ。

 

 

「……なんの用だい」

 

『お休みのところ悪いんだけどちょっと来てくれないかしら? 長門さんの部屋まで』

 

 まさか敵対勢力の攻撃を受けて長門さんが高熱で寝込んでしまったとか言うんじゃないだろうな。

 いったい何事かを電話越しの彼女に問うてみると。

 

 

『片づけを手伝ってほしいのよ』

 

 なんだそんなことか。お安い御用さ。

 30分で行く旨を伝え、そそくさと某マンションへ向かう。

 オートロックを解除してもらい、上りのエレベータを待ち合わせていると、

 

 

「お前も朝倉に呼ばれたクチか」

 

聞き覚えのある無気力主人公の声がした。

 振り向くまでもない。キョンだ。

 

 

「呼ばれてないのにオレが来ると思うのか?」

 

「だろうな」

 

 この時点での俺は大分楽観的に物事を捉えていたと言えよう。

 彼女がヘルプを要するほどの状況というのがいかほどのものか、思い知らされることになる。

 エレベータでいつもより多く階を上がり、7階通路を進んだ先にある8号室のインターホンを押す。

 出迎えてくれたのは朝倉さん(宇宙人)だった。彼女に導かれるまま玄関を上がり、洋室に入ろうとした。入れなかったのだ。

 

 

「凄ぇな……」

 

 部屋中本まみれ。ハードカバーや文庫本で埋め尽くされていた。

 ベッドは面積の殆どが山のように置かれた本に覆われており、床にも節操なしに本が投げ散らかっている。足の踏み場もない。

 

 

「見ての通りの状況なのよ」

 

 幼馴染に憑りついた宇宙人が空笑いしつつ言う。

 昨日の余り物を差し入れに来たらこの惨状だったんだと。

 部屋がこんな状況で寝られないだろと思ったがここ数日は和室に布団を敷いて寝てるらしい。その和室も酷い散らかり様なのだが。

 朝倉さん(宇宙人)からこってり絞られたであろう部屋の主はすっかり意気消沈となっており、いつになく言葉数が少ない。

 

 

「お、俺だってこんくらい散らかす時はあるぞ。だから気にするな」

 

「…………」

 

 キョンよ、大したフォローになってない気がする。

 それにしてもこれほどの蔵書を有していたとは素直に驚きだ。元々父親の所有物だったものが押し入れに封印されてたとか。今じゃ入れ替わりでゲームのハードやソフトが押し入れ行きとなっている。

 俺とキョンが来る間に図書館から借りてた分はサルベージできたそうで、その数15冊。実に貸し出し冊数の上限いっぱいである。

 何より驚くべきなのはこれだけ本を読んでも尚、長門さんの読書欲が尽きていないということだ。脳内に地球の本棚でも作る気なのだろうか。

 いずれにせよ引き受けたのだからやるしかない。

 本の整理は野郎2人、リビングや水回りの掃除は宇宙人娘2人で分かれて作業に着手。

 適当に仕舞って構わないと長門さんは言っていたがやはり最低限著者別で固めておきたい。誰だってそうだ、俺もそうだ。

 このため本を拾っては平積み拾っては平積みにしてタワーを何個も作り、背表紙を見て著者を判断、タワーを細分化。

 そしてようやく本棚や収容用ケースに押し込んでいく。

 結局、本の片づけに1時間以上かかった。

 

 

「あんなの長門さん一人に任せてたら日が暮れてたでしょうね、流石男子」

 

「……ありがとう」

 

 本来の落ち着きを取り戻した洋室を見て労いの言葉をかけてくれるのは女子2名。

 で、すっかりお昼時となっていたため朝倉さん(宇宙人)が昼飯を用意してくれた。

 テーブルの中央に置かれた大皿には千切りキャベツ、湯がいた豚肉、細切りのワケギが盛られている。冷しゃぶだ。

 それを4人でペロリと平らげ――おかずとご飯のおかわり含め――少し休憩してから午後は勉強会となった。

 いや、なんでさ。

 

 

「なんでって、火曜からテストなのよ?」

 

 確かにそうだけど俺は別に付け焼刃を必要としちゃいないし、参加しなくていいだろ。

 すると朝倉さん(宇宙人)はニコニコしながら俺の耳を貸せといった感じで人差し指をちょいちょいさせ、

 

 

「あなたが望むなら例の衣装に着替えてあげる」

 

と耳打ちした。

 例の衣装というのはいつぞやの女教師コスプレだろう。アレはヤバかった。

 特に個人授業と称した朝倉さんを撮影する会は己の理性との闘いだった。刺激的すぎたので画像写真はハードディスクの奥底に封印している。というか他人に見られたら何も言い訳できない、でも削除はできないから不甲斐ない。

 俺の煩悩を煽ろうというのかこの宇宙アンドロイドは、なんてやつだ。

 彼女にコスプレさせるのは幼馴染への罪悪感が酷いことになりそうなので却下。ただ、お願いされたら断りづらい立場でもある。

 けどな。

 

 

「すまん長門、ここちょっと教えてくれないか」

 

「ええと、そこは――」

 

 肩寄せ合って2人の世界をやられちゃあこっちは場違い感しかないがどうするよ。

 シット、勝手にストロベっているがいいさ。

 

 

「……帰りましょ」

 

 朝倉さん(宇宙人)も自分の出る幕などないと観念したようだ。

 そういうわけで俺と彼女はテキストを広げてから数分で勉強会を打ち切り、キョンを置いて708号室を後にする。

 エレベータで降りていく最中、彼女は含み笑いながら口を開いた。

 

 

「近くで見て確信したわ。長門さん、徐々に記憶の統合が進んでる。来週には元通りでしょうね」

 

「そうか、それは……」

 

 よかった、と言葉に出すのが躊躇われた。

 彼女はそんな俺の様子を見て。

 

 

「私とお別れするのが寂しくなっちゃった?」

 

 正直そう思ってしまった自分がいる。

 フラッシュバックするのは"俺"がかつてアニメで観たあのシーン、塵芥のようにフッと消えて失われていく朝倉涼子の身体。

 不安だ、それが現実のものとなるような気がして。

 

 

「寂しがる必要なんかない。ただあるべき姿に還るだけだもの」

 

 わかっているさ。

 俺が好きになったのが君だったなら、何と引き換えにしてもこのままでいてくれと言うべきなのだろう。

 だが違う。俺が失いたくないのは幼馴染の朝倉さんなのだ。

 

 

「ふふっ、そこまでわかってるならいいわ」

 

 何がよくて何がよくないんだか。俺にはさっぱりわからない。

 エレベータは5階で止まり、通路へ出る彼女。

 その表情はどこか安心した感じに見える。

 

 

「また明日ね」

 

「ああ、さようなら」

 

 会話の終わりを告げるように扉が閉じられた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue24

 

 テスト前最後の通常授業も俺にとって依然重要などではなく、無任所なまま惰眠を貪り尽くしている。

 昼休みが来れば幼馴染のガワを被った宇宙アンドロイドと2人部室で弁当を喰らう。

 明日からの4日間は期末テストであり、昼前に全生徒完全下校となるためこれが最後のお弁当だ。

 俺は主菜の中華炒めを咀嚼し飲みこんでからテーブル越しの彼女に問う。

 

 

「今日はどこ行くんだ?」

 

「そうね……今日はお休みかしら」

 

 テスト前日ともくれば自重するわな。

 俺の考えは甘かった。

 

 

「その分、明日からはたくさんお出かけしましょ」

 

 眩しい笑顔で言う朝倉さん(宇宙人)。

 真面目なお堅い委員長らしい台詞で安心したよ。

 なんて皮肉を返せば彼女は呆れた顔でこう言った。

 

 

「だって家に帰ったって勉強するわけじゃないんでしょう?」

 

「まあそうだけどさ」

 

「じゃあ一緒にお出かけしてもいいわよね」

 

 何が"じゃあ"なのか、してもいいということは当然しなくてもいいはずなんだけど彼女の選択肢にそっち側は無いようだ。

 一度くらい彼女の言葉に反発してみたくはあるが、機嫌を損ねた彼女がナイフ持って突進してきたら俺には避けられる自信がない。というか躱されないようガチガチに金縛りされそうだし俺に抵抗する術はない。

 さりとて、彼女が底知れない存在であるのと同時にやはり俺は彼女にけっこう気を許しているわけで、心の底では朝倉さんの新しい一面を知れたとかそんな風に捉えている自分がいてもおかしくない。

 肩入れしすぎないよう自分で自分に念を押しつつ、明日の放課後は明日の放課後で楽しめばいいんじゃなかろうか。

 そういうわけでこの日は俺も朝倉さん(宇宙人)も寄り道せず自宅へ直帰。

 で、翌日。

 一部の生徒にとっては来て欲しくなかったであろう期末テストの初日。

 俺のスタイルとしては速攻で解答を埋め、寝る。これは授業でやる小テストの時と何ら変わりない。

 見直しを一切やらないので凡ミスの誤答こそあったりもするが、別に満点狙ってなんざいないので構わず机に伏す。一定の結果を出せば同じなのさ。

 そんな感じで3時限目までを過ごし、あっという間に下校時間を迎えた。テスト中はショートホームルームなしにそのまま解散だ。

 

 

「さ、行きましょ」

 

 テスト監督の教師が出ていくやノリノリで俺の席まで朝倉さん(宇宙人)が寄って来る。

 行くのはいい。だが制服でうろつくと完全にサボってる感が出るので一度帰って着替えたい。

 

 

「わざわざ着替えなくていいじゃない。マイペースなくせに変なとこ気にしちゃって」

 

「お時間を取らせた分楽しんで頂けるよう努力はしますので……」

 

「へぇ、期待させてくれるのね」

 

 あんまりハードル上げてほしくないけどね。

 12時半に駅前公園待ち合わせでお互い一旦帰宅し、特に服装に凝りもせず適当に着替えて家を出ようとして母さんに飯も食わずどこに行くのかと聞かれ「その辺」と適当に返し家を出る。

 誰かと違って遅刻などするはずもなく数分前に着くと朝倉さん(宇宙人)は当然のように俺を待っていた。

 北高の夏服セーラーからブルーグリーンのチュニックと白いチノパンに着替えた彼女は左手にした腕時計をわざとらしく見てから言う。

 

 

「うーん、5分前か。及第点ギリギリってところかしら」

 

「走って来いって言いたいのか」

 

「それくらいの気概は持つべきじゃない?」

 

 わかったよわかりましたよ次から気を付けますとも。

 今日は俺がリードするというわけではないが、行き先を決めたのは俺だ。

 私鉄のローカル線を乗り継ぎ、更にモノレールへ乗り換え小一時間かけ目的地の最寄り駅へ到着。

 そこから少し歩けば目的地である大型ショッピングパークに着く。

 

 

「県外まで出て、てっきり遊園地にでも行くのかと思ったわ」

 

 テスト終わりに遊園地なんて普段の朝倉さんからは絶対に聞けないようなワードだ。

 俺としてはそういうのもやぶさかではないが、今日のところは普段の延長線上みたいなデートにしようと思った。アホ広い施設なので時間の潰し甲斐はあるぞ。

 ただ、それなりに空腹を感じるためまずは腹ごしらえといこう。

 宇宙アンドロイドに好き嫌いなんかありゃしないとわかっちゃいるけど一応何食べたいのか聞いておく。ここには大抵の料理が出揃っている。

 

 

「何でもいいけどせっかく遠くへ足を運んだわけだし、フードコートじゃなくて店内で落ち着いて食べる方がいいわ」

 

 となるとフードコートの店は候補から外れる。

 もちろん他にもインショップの飲食店は数多い。センスが問われる瞬間。

 俺が選んだのは洋食屋。案内板の画像写真のビーフカツが美味しそうだった。

 平日の14時前にも関わらず店内に客はそこそこ、ともすればようやく席が空いてきたのか。都会の人口密度を感じる。

 俺はビーフカツ、彼女はチーズハンバーグをそれぞれセットでオーダー。

 デートにおける野郎の役割なんざ程よいリードと上手な聞き手を務めることではあるものの、たまにはこっちから話題を提供しようと思い最近制作が発表された映画について語ることにした。

 続編モノなのだが前作から10年の時を経ての制作となった作品だ。ずっと続編が出てほしいと期待していたが正直作られることはないと思っていた。

 

 

「生きていれば何があるのかわからないものね」

 

「ああ、奇跡だよ」

 

 前作のメインキャスト全員出演だ、否が応でも期待してしまうというものよ。

 なんてオタク話を続けているとテーブルに料理が運ばれてきた。

 切り分けられたカツと備え付けの野菜&ポテサラからはザ・洋食という気品あふれる佇まいがする。

 早速いただこう。端の一切れを口へ運ぶ。

 

 

「……ふむ」

 

 デミグラスソースとカツの中のレア焼きされた牛肉が合っている。安定感のある味だ。

 何より肉を喰っている事を実感できる食感が良い。噛めばうま味が口に広がる。

 セットのライスとミネストローネに特筆すべき点などないが、俺はスープの中でミネストローネが一番好きなので出てくると少し嬉しい。

 

 

「ねえ」

 

「ん」

 

「一切れずつ交換しない?」

 

 断る理由もないため俺のビーフカツと彼女のチーズハンバーグでトレードが成立した。

 でろでろに溶けたチーズとソースが絡んだハンバーグを食べてみる。ハンバーグ自体もしっかり肉の味がする、牛肉感がチーズとソースに負けてない。

 外食してる感バリバリな時間を終え、店を出ようかと思ったらテーブル越しの彼女が食後のデザートとしてアイスを追加オーダー。

 もっとも、運ばれてきたそれはグラスにクリームやフルーツの類が敷き詰められた上にキャラメルソースがかかったバニラアイスが積まれた代物であり、アイスよりパフェと呼ぶ方が相応しい見てくれをしている。

 デザートは別腹だなんて言うけど、あのボリュームを喰おうとはね。

 細長いスプーンでマイペースにデザートを楽しむ様を眺めながらお冷をすすっていると、アイスが乗っかったスプーンが不意に俺の方へと差し出される。

 

 

「はい、あーん」

 

 冗談だろ。

 反応に困っている俺を見てきょとんとする彼女。

 

 

「食べないの?」

 

「……普通に食べさせてくれよ」

 

「それじゃ練習にならないじゃない」

 

 俺が彼女とマジにお付き合いしたら羞恥心を押し殺してノるのかもしれないが、その仮定は仮定でしかないし、相手が朝倉さんだったとしたらまずこういうことしてこないから練習にすらならないと思うんだけども。

 結局、グラスとスプーンを渡してもらい普通に回し食いする形となった。最初からそうさせてくれ。

 口直しが完了したところで会計、店を出る。

 そして俺と朝倉さん(宇宙人)とのデート演習が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女との期末テスト直後デートは冒涜的――真面目に勉強してる連中に対し――であったと言えよう。

 2人で街を歩き回り、いいだけ遊び回った。

 相も変わらず変なところで積極性を見せてくる宇宙アンドロイドガールも、こっちが意識していなければ普通の女子高生と何ら変わらない。

 果たして俺の経験値がどれほど上昇したのかは不明だが、気の使い方みたいなのは適宜指導されたので気持ちマシになったと思う。

 そんな日々も今日で一応の終わりを迎えるようだ。

 金曜日、週末であると同時に期末テスト最終日であり、そしてそのテストは先ほど全教科完了したところだ。

 

 

「あーーー、終わった終わった」

 

 清々した感じで言うキョン。

 今日は朝倉さん(宇宙人)が午後から用事があるらしく、放課後デートは昨日で最後。

 昨日は彼女がとても行きたそうにしてたため有名テーマパークへ行った。ああいうとこに学校行事以外で入るのは"俺"の小学四年生ぶりだったので、普通に楽しんでしまったよ。キャラ物のアトラクションを馬鹿馬鹿しいと思ってた自分が情けない。

 まあ名残惜しさ少々、連日の外出で疲労も少々。帰ったら昼寝だな。

 それにしてもこんな風に4人で下校するのは久しぶりな気がする。

 キョンの様子を見た朝倉さん(宇宙人)は煽るように言う。

 

 

「ずいぶん余裕そうねキョンくん。いい点取れそうかしら」

 

「長門のおかげで勉強が捗ったんでな、何点かは分からんがいつもに比べりゃ手応えを感じるぜ。神様仏様長門有希様だ」

 

「えへへ……」

 

 こいつがこれだけ調子良さそうにしてるのは初めてかもしれない。ヨイショされた長門さんが嬉しそうなのはいいことである。

 勉強教えてくれる系ガールフレンドがいたら谷口も成績良くなるんじゃないのかね。 

 

 

「お世話になったんだったらちゃんとお礼してあげなさいよ」

 

「そうだな。長門、何かしてほしいこととかあるか?」

 

 キョンの呼びかけに対し長門さんは鞄から半分に折り曲げられた紙を取り出して見せた。

 A4用紙のそれは今週末開催される古本市の案内チラシであった。

 

 

「……ここに行きたい」

 

「わかった。じゃ明日行くか」

 

 テストが終わったことだし存分に楽しんでくるといいさ。

 などと他人事のように聞いていたら翌日朝倉さん(宇宙人)に叩き起こされた。

 

 

「起きなさい」

 

「あの、今日土曜だけど」

 

「古本市行くのに待ち合わせてるんだから遅れちゃダメでしょ」

 

 いつの間に君と俺も行く流れになってたんだ。

 あの2人でヨロシクやってりゃいいじゃないか。

 

 

「だって、ダブルデートはしてなかったもの」

 

 仕方なしにベッドから起き上がる。

 言われるがまま彼女と一緒に待ち合わせ場所御用達の駅前公園へ行くと2人が既にいた。

 挨拶もそこそこに私鉄で古本市会場の最寄り駅まで向かう。

 駅から歩いて10分弱で着いたそこは歴史ある神社の表参道。

 その左右にテント設営された古本の出店がずらりと立ち並んでいる。

 ご年配の方々が多く見受けられるが、意外に盛況している感じだ。

 

 

「ほー、すげえな」

 

 感嘆の声をあげるキョン。

 俺もショボいフリーマーケットみないなのを想像していただけに少し驚いている。

 待ちきれなかったのだろう、長門さんは足早に出店へ駆けていく。

 そんなわけで各自適当に見回ることにした。

 古本というだけあってどれも値段は二束三文、適当に平積みされてたり扱いも心なしか雑だ。

 聞いたこともないような出版社が背表紙に記された文庫本をペラペラめくる。堅苦しい文章で読む気はすぐに失せた。紙の本を読めというが、自分に合った本じゃなきゃ拷問だぜ。

 お、これは知ってるぞ。細い1冊の本を手に取る。ちょっと古いが有名な児童書だ。 

 挿絵だけ楽しむつもりが思わず最後まで読んでしまう。なんだかノスタルジックな気持ちになる。

 

 

「……泣けるぜ」

 

 思い出は色あせないということだ。

 人間の流行がどうとか気にしてた宇宙アンドロイドガールは料理本を眺めていた。【究極のおかず】って、胡散臭すぎるタイトルだな。

 この無節操に陳列された古本の中には絶版で希少性のあるものや名作の初版などがあるのだろうが、それとわかったところで欲しくなるような性質(タチ)でもないので気になったものだけを手に取り流し読みしてブラブラした。

 

 

「何読んでるの?」

 

 朝倉さん(宇宙人)が厚めの文庫本を集中して読んでいた俺に話しかけてきた。

 80年代以前の本が珍しくないこの市場の中では相当新しく刊行された部類の本だ。

 

 

「ああ、【比類なきジーヴス】……名作だよ」

 

 教えてあげたというのに興味がないのか彼女は真顔で沈黙していた。まったく。

 それにしても今日は暑い。今月の最高気温更新は間違いない。

 出店巡りを中断して少しばかり涼もうぜとキョンが声をかけてきたのでそれに便乗し、女子2人も引き連れ鳥居近くの休憩所へ移動。

 休憩所では氷菓子などが販売されており、茶店にもなっている。

 まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような雰囲気の店内に入り、各自思い思いに注文。

 昔ながら――実際どうだったか知らんけど――長椅子に腰かけながら容器を持って食べるのがここのスタイルらしい。テーブル席は置かれていない。

 受け取り口でおばちゃんから商品を貰い並んで座って食べ始める。

 俺が注文したのは冷やしお汁粉。透明なガラス容器にあずき汁と白玉、氷が浮かんでいる。

 スプーンで汁を啜る。甘味がくどくない、優しい甘さだ。

 因みに長門さんは抹茶あずき、キョンはいちごミルクのかき氷で朝倉さん(宇宙人)は餅と黒豆茶のセットを頼んでいる。

 なんというか、雅だ。

 吊るされた風鈴の音が心地よい。

 これがダブルデートになってるのかイマイチ謎だが、キョンと長門さんの邪魔にはなってないようなので一安心。

 そして氷菓子を堪能し終えると再び表参道に戻り古本市の店を回る。

 当分補給で元気が出たのか長門さんはキョンを引き連れ縦横無尽に古本を漁っていく。

 そんな長門さんの様子を眺めながら気がつけば俺の隣にいた朝倉さん(宇宙人)が言う。

 

 

「あの子、自分に残された時間がもうないってわかってるみたい」

 

 だからこそ後悔のないよう今を彼と楽しんでいるのだろう。

 どうやら君の出番は無さそうだな。

 

 

「それが一番よ」

 

 違いない。

 もし彼女が暴走した長門さんを止める展開になったら平和的な手段で解決を図ると思えないのはアニメの影響かもしれないけど。

 そういやインターフェース仲間の喜緑さんとは結局何も話していないな。

 穏健派っていってもよく知らない存在だし、わざわざコンタクトしに行く必要もないから気にしないままで良いと思うが。

 

 

「私の見立てでは明日の夕方ってところね。全部終わったら連絡するわ、そしたらあなたも安心して寝れるでしょう?」

 

「オレが一々気にするタイプに見えるか?」

 

「ええ、もちろん」

 

 爽やかな笑みと共にハッキリ言い切られてしまう。

 何とも形容し難い気持ちとなった俺は心のもやを振り払うかの如くスマホで昼飯の店を探し始めることにした。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue25

 

 

 

 そして日曜日が来た。

 変に意識してしまっていたのか、彼女に叩き起こされるわけでもなしに規律正しい時間に起きてしまった上うまいこと二度寝できなかったため、朝食のトーストとソーセージエッグを平らげると暇潰しのため映画館に向かった。

 無性に落ち着かなかったのだ、家にいても。

 予約もせず来たため久々にチケットを窓口で購入。席はスタッフに案内されるがまま適当に決めた。

 これから見るのはSF洋画シリーズのスピンオフ作品。地球外生命体がどうとかいうさして珍しくもない話だ。

 バイトくんにチケットをもぎられ指定のスクリーン室に入って着席。CMを数分間垂れ流された後に上映が始まった。

 この御時世、会員制の動画配信サイトで過去の映画はいくらでも見れるし新作だって公開終了後ひと月もすればワンコインで有料配信される。コストだけで言えば明らかにこっちの方が良い。

 だけど俺が2千円近く払ってわざわざ映画館で見るのには自分なりの理由がある。

 それは映画館の座席という身動きが制限された空間でスクリーンと相対することでどんな駄作が相手でも真摯に向き合うことができるという点だ。

 もちろん家でくつろぎながら気楽に作品を見られたり、気になったシーンをリプレイできたりという利点がストリーミングサービスにはある。

 ただ俺の場合少しでも微妙に感じたらオチまで飛ばしてしまう傾向にあるので余り肌に合わない。DVDも然り。

 なんて話を昔―中3の夏の某日に――したら朝倉さんは呆れた顔でこう返してきた。

 

 

「これだから映画オタクはめんどくさいって言われるのよ……」

 

「うーん手厳しい」

 

「私に言わせりゃどこで見るかより誰と見るかの方が重要だと思うわ」

 

「じゃあ君は誰となら良いってんだ?」

 

 この返しに朝倉さんは軽くため息を吐いてから、

 

 

「……さあね」

 

とやけにぶっきらぼうにとぼけてみせた。

 今でこそ彼女が言いたかったことが解るが、当時の俺は釈然としないまま会話を打ち切られたため自分のコミュニケーション能力の低さを恨めしく思ったものだ。

 で、俺が今日見た映画について一言で表現するのであれば"縷々綿々"これに尽きる。

 いくらスピンオフといえど同じタイトルを冠している以上、過去作と比較して悪い部分が目立つのは仕方ないがそれにしても凡庸な作品に成り下がってしまったというか、スケールダウンが否めない。

 2時間かからなかった映像体験にハードル上げ過ぎたのが悪いと結論付けて劇場を後にする。

 もうそろそろランチタイムという時間帯で、身の振り方を考えなければならない。

 帰れば何かしら飯にありつける。しかし今日は雑なもの、具体的に言えばジャンクフードでも食べようかという気分だった。そんな気分に身を委ねたのが運の尽きだった。

 駅から徒歩5分のハンバーガーショップに行き、テリヤキバーガーのセットを注文。

 商品を受け取り席に座るべく2階へ上がり、落ち着ける座席がないか探していた時だ。そいつを見つけてしまったのは。

 窓際の席でしかめっ面浮かべながら退屈そうにオニオンリングつまんでるアイツは、俺の眼が確かならば涼宮ハルヒに違いない。

 そりゃ行動圏内が同じなら休日に知り合いの1人や2人と遭遇するさ。だがよりによってあの女は勘弁してほしい。

 慌てて引き下がろうとした時には遅かった。

 

 

「――あら」

 

 最悪だ。

 俺の姿に気付いた涼宮は意地の悪い笑みを見せ、こっちへ来いと言わんばかりに手招きしてくる。

 無視したらギャーギャー騒がれそうなので渋々相席しておく。

 

 

「ちょうどいいところに来たわね」

 

 何がどうちょうどいいのか知らんが涼宮に目を付けられたのは確かだ。

 さっき見た映画の小道具みたいにこいつの記憶をフラッシュ焚いて消してやりたい。お呼びじゃない。

 

 

「話し相手が欲しいなら喰い終わってから聞いてやるが」

 

「べつにあんたとおしゃべりしたいわけじゃないわよ」

 

「じゃあ何だってんだ」

 

「テスト期間が終わったことだし、打ち上げ気分で市内を探索してたのよ。くまなく探せば不思議なモノの一つや二つ見つかると思ってね」

 

「はあ……収穫はあったのか?」

 

「全然ダメ。空振りばっか」

 

 収穫があったらあんな不満そうな顔してないわな。

 Mサイズ容器に入ったドリンクをストローでズズッと飲んでから涼宮は言葉を続ける。

  

 

「やっぱ一人じゃいくら注意しても見落としちゃうし、午後からの方針を見直してたところだったの。で」

 

 涼宮が次に何を言い出すか察してしまった。

 

 

「あんたにも手伝ってもらうことに決めたわ」

 

「勝手なことを言うんじゃあないよ」

 

「どうせヒマしてたんでしょ? 別にいいじゃない」

 

 いいかどうかじゃなくて俺が嫌だと言ってる。

 第一、何故通りがかりの俺に頼むのか。そういうのを喜んで引き受けそうなのがお前んとこにいるだろうに。

 

 

「古泉くんは法事で来られないって」

 

「法事ね、都合のいい言い訳だな。今度オレも使おうかな」

 

「何……? 古泉くんがあたしに嘘ついてるとでも思ってんの? そんなことするわけないでしょ」

 

「まあな」

 

 となると代わりのスケープゴートになりそうなのはキョンぐらいか。上手な騙し文句を吐けたとしても素直に来てくれるとは思えないが。

 観念した俺は日が暮れるまでという条件を付けて涼宮の不毛な探検に同行することに。

 無駄に急かされながら食べたハンバーガーはファストフードとしての本懐を果たしていたが、そんなつもりでここに入ったわけじゃない。十分前の自分が恨めしい。

 そして店を出てから開始されたそれは俺にとって苦行以外の何物でもなかった。

 アテもなく夢遊病患者のように右行ったり左曲がったりする涼宮をただ追いかけるだけの時間。これが見知らぬ土地とかだったら景色を焼き付けるという面白味があるのだが、ここは"俺"の生まれ育った土地じゃないとはいえ今となっちゃ市内で知らない場所の方が少ないのだから面白くもなんともない。

 これを散歩だと割り切るには少し時間がかかった。

 今は高架下をグルグルと回っている。俺は昔プレイしたポケモンのバグ技を現実でさせられてる気分だ。

 いったい何回続けるのか、四週目の途中で涼宮に話しかける。

 

 

「なあ」

 

「何よ」

 

「不思議なモノ、って具体的にどんなのを探してんだ?」

 

「あたしが不思議だと思うもの全般よ」

 

「四つ葉のクローバーとかじゃあ駄目か? さっき公園に生えてたぜ」

 

「草なんか不思議でもなんでもないでしょうが。せめてエリクサー持ってきなさいよ」

 

 生憎と万能薬どころか薬草の類さえ持ち合わせていないぞ俺は。某ロールプレイングゲームとタイアップした炭酸飲料で良ければ渡してやれるが。

 まあ、こいつがかの有名な自己紹介よろしく宇宙人未来人異世界人超能力者を探しているのだとしたら内2名とは会ってるわけだし、現状で満足してくれるのがベストなんだけど。

 結局謎の高架下周回は七周半行われ、河原や近隣中学校でも同様の徘徊に付き合わされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして何の成果も得られることなく無事終幕した市内探検から一人帰ってる途中、右ポケットに突っ込んであるスマートフォンから着信音が鳴る。コールドプレイの神曲、そのイントロを設定している相手は俺の幼馴染だ。

 ボタンを押して電話に出る。電話の相手はポツリと一言。

 

 

『終わったわ』

 

 長門さんの件は片付いたらしい。

 既に陽は落ちている。適当に感謝の言葉を返して電話を切れば俺も日常に帰れる。

 

 

「……今から会って話せないか?」

 

 だが、藪蛇と分かっていても最後に彼女と話をするべきだと感じた。

 家路から彼女のマンションへ道を変更し、何を話そうとか考えを纏めながら歩みを進めていく。

 到着後、エントランスを抜けてエレベータに入る。

 僅かに揺れながら上昇していく。既に5階は通り過ぎた。彼女から指定された場所はマンションの屋上、つまり最上階まで乗っていく。

 エレベータを降り、通路を突き進んだ先にある鉄製の扉に手をかける。そこから中の階段を上がって、踊り場に面したガラス引き戸を開けると屋上に出た。

 

 

「こんばんは」

 

 対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースの彼女が俺に笑いかける。

 彼女は夜風に髪とスカートをなびかせながら手すりに預けていた背中を離し、こちらへと歩み寄る。

 

 

「涼宮さんとのデートは楽しかった?」

 

 何故彼女が俺の行動を把握しているのか。

 そりゃその気になれば24時間リアルタイムで俺の監視なんぞ造作もなく行える存在だというのはわかるが、だったらアレがデートでも何でもない虚無虚無タイムだということもわかっていてほしいものだ。

 もちろんわかっているはずだが、形だけでも弁明しておく。

 

 

「あいつの散歩に強引に付き合わされただけだ。別に誰でも良かったんだと思うぜ」

 

「ええ、涼宮さんにそんな気がなかったのはわかってるわ。私はあなたの方を心配してたのよ。ああいう強引なの、嫌いじゃないでしょう?」

 

 なんと返したものか、考えあぐねていると彼女は悪戯っぽく笑みを浮かべた。

 

 

「そんなわけないか。私の考えすぎよね。あなたが好きなのは何があってもあなたを受け入れてくれる子なんでしょうし、唯我独尊な涼宮さんとは仲良くなれても恋愛的に相容れないわよね」

 

「どうしてオレの好みを知ってるんだ?」

 

「どうしてって、朝倉涼子がそうだもの。違うかしら?」

 

 思わず返す言葉に詰まる。

 俺の様子に彼女は満足そうに眼を細める。

 

 

「それで、何か私に聞きたいことがあって来たんでしょう?」

 

 心の奥を見透かしているように彼女は言う。

 涼宮ハルヒのこと、情報統合思念体のこと、この世界のこと。もちろん疑問は尽きない。

 

 

「いいや。君に言いたいことがあって来たんだ」

 

 が、そんなことはもうどうでもいい。

 今の俺にとって重要なのは間違いなく君の方じゃない。

 だからこそ、去りゆく彼女に俺は伝えたい。

 

 

「オレは普通の人間じゃあない」

 

 彼女の蒼い瞳をしっかりと見据えて言う。

 

 

「4年前の夏、この身体に突然憑依した異世界人……それがオレだ」

 

 それからどうのこうのと自分なりの説明をしようとした。

 俺の真正面にやってきた彼女は素面でじっと見つめ返して一言。

 

 

「なあんだ、わざわざそれを言いに来たの?」

 

 驚きの一つでも見せるのかと思えばくつくつと笑い声と立てる彼女。

 続けて放った言葉に俺は呆気にとられてしまう。

 

 

「知ってたわよ」

 

「は……?」

 

「一線引いてる自分に負い目を感じているから私に打ち明けたみたいだけれど、そんなの別に重要なことじゃないわ」

 

 彼女は人差し指で俺の鼻頭をちょんと突いて、

 

 

「朝倉涼子は()()()()()()好きになったのよ?」

 

言外にしっかりしろ、といった感じを込めてそう言った。

 全く、かなわないお方だ。

 しかし彼女はどうやって"俺"のことを知ったのだろうか。まさか読心術の類さえ使えるなんてことないだろうな。

 それについて聞いたところ「説明してもわからないでしょうけど」と前置きされた上で原子構造がどうのこうのと難解な話をされ、

 

 

「つまりあなたが憑依したっていう日から別人であることはわかってたわ」

 

「オレに問い詰めようと思わなかったのか?」

 

「言ったでしょ? 今回みたいな非常事態でもない限り表に出るつもりがなかったって」

 

 彼女にとって宿主の幼馴染がある日突然成り代わっているのは非常事態じゃないのだろうか。彼女による諸々の説明の裏には何かしら思うところがあるような口ぶりであったが、追求の糸口などなかったため放念することにした。

 過程はどうあれ俺が彼女から一定の信頼を得ているのは確かで、仮にそうじゃなかった場合は何かしら対処していたかもしれないとは彼女の弁。

 おいおい、情報操作で転校したことにするってパターンなんてよしてくれよ。

 それからの時間は他愛もない話をした。

 "俺"の自分語りや、今日視た映画の話だとか、そんなところだ。

 きっと俺はこの時初めて彼女に対して何も気負わずいられたのだろう。聞いてる側が面白くもないような話を話しすぎていると自覚しつつも、何かのつっかえが取れたように言葉が吐き出されていった。

 やがて屋上の夜風が強くなり、いい加減そろそろ帰るべきだと思ったので気の利いた別れの一言を探っていた時だ。

 

 

「せっかくだから一つ教えておいてあげるわ、色んなお話を聞かせてくれたお礼にね」

 

 朗らかに笑顔を見せる幼馴染に憑りついた宇宙人の亡霊。

 彼女の口から語られた内容は暫くの間、俺の思考を停止させるのに充分すぎる内容であった。

 そして翌日。

 月曜日であり、テンプレ通りの高校生活がこの声から始まる。

 

 

「はい、起きる時間よ」

 

 俺を起こすと同時に淀みない所作で布団を刈り取っていく幼馴染の朝倉涼子。

 彼女と目が合った俺は一つ質問を投げる。

 

 

「君は対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースか?」

 

「……何ですって?」

 

 眉を寄せ、こちらの言ったことにピンと来ていない朝倉さん。その様子を見て全ての終わりを確信した俺は「何でもない。昨日見た映画の話だ」と返してベッドから起き上がる。これ以上何か聞くと頭の心配をされそうだ。

 洗顔、食事、着替えとお決まりのルーチンを済ませて外へ出る。天気は無風で、夏の訪れを感じさせるような暑さだ。

 

 

「おはよう」

 

 朝倉さんの横にいる長門さんが挨拶をくれた。

 なんというか、先週までと比べて垢抜けてない感じがする。実際会話してみると彼女も元に戻ったのだと実感することができた、こっちの長門さんの方が天然っぽい。

 何かしらの近代兵器で更地に出来ないものかと俺を苦しませる坂道をえっちらおっちらと越えて学び舎に到着。

 さて、と俺は考える。

 全ては元通りとなっている。

 あの宇宙アンドロイドが今でも朝倉さんを通して俺の事をじろじろ見ているか定かではないが、やはりあれは現実にあった出来事で、叶う事なら諸々の話を忘れてしまいたい。

 だが、そういうわけにもいかないから困る。

 

 

「ざまあないぜ」

 

 気取ったつもりになって小声で自嘲してみた。

 言うだけ言って消えていった彼女の言葉が昨日から俺を支配しているのだから、様など無くて当然だ。

 ゴールの見えないマラソンほどキツいものはないが、たとえ終着点を視界に収められたとしても俺との間にマリネリス峡谷ほどの長くて深い溝があればゴールできないも同然だろう。

 まあ、遅かれ早かれ直面することになったであろう話ではあるが、事前に知れただけマシと言えよう。

 返却された現代文の解答用紙を眺めつつ、俺は俺なりのやり方を模索すべく、思考の海へ落ちていった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue26

 

 

 梅雨明け直後というものは蒸し暑さがやけに感じつくものだが、7月に入り夏が本格始動した今日この頃は輪をかけたように暑く、授業中の昼寝すら心地悪い時期となっていた。炎がオーバードライブしてやがる。

 もし俺の眼の前にナメック星人の創ったオレンジ色の球が7つ揃っていたらすぐにでも神龍を呼び出してこの世から湿気を消してもらうのに。

 などという俺の主張を心底どうでもよさそうな顔で聞いていた朝倉さんは花や蝶が描かれた自前の扇子をパタパタ扇ぎながら。

 

 

「あなたのエゴで生態系を破壊されたらたまったもんじゃないわよ」

 

「だったら校舎全域にエアコンを付けろと願ってやる。ナメック語で言ってもいい」

 

「そんなありもしない願望機より石油王が北高に設備投資してくれる方がまだ実現するんじゃないかしら」

 

 適当なこと言いやがって。

 エアコンが無理ならせめて窓から差し込む殺人光線から身を守るために遮熱カーテンを取り付けようではないか。

 ジャージャービンクス並に弁論の才能がある涼宮であればお飾りで存在しているうちの顧問を丸め込み部費で購入させることも能おう。

 

 

「あなた自分の姉をなんだと思ってるの」

 

「フン。既に合宿の件で涼宮に丸め込まれた実績があるからな、もう奴はオレにとって絶対的存在でもなんでもない」

 

「はいはい、陰ではなんとでも言えるわよね」

 

 事実を言ったまでさ。

 期末テストが終わり平常運転に戻った文芸部ではぐだぐだ言い合いをしている俺と幼馴染の他に携帯機で某怪獣狩猟ゲームの通信プレーをしているキョンと長門さんがおり、光陽園の2名はまだ来ていない。

 そういえば今日は7月7日、いわゆる七夕とかいう節句の日である。

 【涼宮ハルヒの憂鬱】なら主人公は後の伏線となるような不思議イベントに巻き込まれる一日だが俺には縁もゆかりもないような話だ。宇宙人だけで手一杯だからタイムトラベルとかマジ勘弁。

 などと杞憂しているところに部室の扉がバァンと勢いよく叩き開けられる。

 

 

「いやっほーい!!」

 

 人間台風のお出ましだ。

 当然のように古泉に鞄持ちさせてる涼宮はずんずかと部室に入り、やれテストから解放されただの目一杯遊ぶだのと言った後、今日は七夕だから願いごと吊るしをすると宣言した。

 それ自体、驚くことでもなんでもない。だが今から竹を確保しに行くわよと言い出した時はまさかと思ったね。

 涼宮は俺キョン古泉の野郎どもを学校の裏にある竹林まで半強制的に引き連れ、

 

 

「我々北高文芸部がする七夕に相応しい立派な竹を見繕ってきてちょうだい」

 

とノコをこちらに手渡した。

 北高生なら誰でも知ってることだが、この竹林は私有地でイタズラ目的で入らないようにと入学早々ホームルームで注意喚起されている。まして勝手に竹なんて取ったら問題になる。

 その旨を述べたところ涼宮は平然とした顔で。

 

 

「大丈夫、その辺の抜かりはないわ。既に管理者に話はつけてあるから安心して」

 

 本当かよ。

 

 

「はい。先ほど僕と涼宮さんで直接お伺いを立てましたので問題にはならないかと」

 

 俺の疑念を払拭するべく古泉が口を開いた。

 ありもしないはずの機関の関与を疑いたくなるね。

 

 

「そこまで行動するなら君が伐採しに行けばいいじゃあないか。オレたちにやらせんな」

 

「なっさけないこと言うわね。あんた女子に力仕事させる気?」

 

 原作じゃお前が勝手に竹取りしたはずなんだがな。

 仁王立ちの涼宮がテコでも動かぬ様子なため言われるがまま男子三人で竹林に侵入することに。

 ただ1本適当な竹を取るだけの作業ではあるのだが、これが存外手こずった。

 素人のノコギリ捌きなど無駄に時間と体力を消耗する代物でしかなく、学生服という俺たちの格好は炎天下の中作業するのに何ら適してしない。最低限タオルと軍手は欲しいぞ。

 

 

「ハルヒのやつ、手伝わないにしてもせめて応援ぐらいしろよな」

 

 竹を手で押さえながら愚痴るキョン。

 古泉は当然涼宮の肩を持つことを言う。

 

 

「ここは蚊もたくさん飛んでいますし、来ない方が涼宮さんにとって良いでしょう」

 

 俺たちにとっては最悪以外の何物でもないっての。

 神龍に叶えてもらう願いのひとつに蚊の絶滅を入れる必要がありそうだ。

 そして時間をかけて竹の切り取りが終わると、うちの肉体派じーさんの受け売りで伐採後の切り株の腐食を早めるため縦一閃の斬り込みを入れた。

 ようやく竹林から出た頃には30分近くが経過していた。

 外で待ちぼうけを喰らっていた涼宮は当然イライラしており、

 

 

「遅い!」

 

労うという気持ちの欠片もないような言葉を浴びせてくれる。

 こんな人の心をわからぬ不遜極まりない輩が相手でも古泉は自分の落ち度ですと言わんばかりに平謝りするのだから大したものだ。俺にはできん。

 敷地の主に許可を取っている手前、何かしらの校内規則には抵触していないはずだが、他校生と一緒にぶっとい竹を持ち運んで校内をうろつくのは悪目立ちがすぎるためいそいそと動く。

 部室へ戻った俺たちを見た朝倉さんと長門さんの2人は目が点になっている。願いごと吊るしといってまさか竹を取ってくるなんて思いもよらなかっただろう。

 先ほどまでの出来事を説明された朝倉さんは呆れを通り越して感心したようで、

 

 

「それにしてもよく許可なんて貰えたわね。あそこの竹林の管理人は気難しい方だって聞いてたけど」

 

「もっともらしいこと言ったら簡単に許してくれたわよ? 涼子も試してみたら?」

 

「いや、こんな大きな竹2本も要らないでしょ……」

 

 竹なんか眺めても雅だなんて思わないのが現代の日本人だからな。多く置いても困るだけだ。

 涼宮は朝倉さんの返しを気にすることなく鞄から100均で購入したであろうチープな外装の短冊セットを取り出し、皆に2枚づつ配った。

 2枚渡されたのは織姫用と彦星用を書くからだそうだ。

 果たして地球人にただ観測されただけの星々に願望を実現する能力があるか甚だ疑問であるが、そんなことを口に出して言うほど俺は空気が読めないわけじゃない。

 だが、いきなり願い事を、それも16年と25年も未来に向けてのやつを考えろと言われて何が思いつくよ。こちとら夢や希望なんてもんを忘れて久しい身分だぜ。

 他人のを参考にしてみたいがこういうのってそれご法度だからな。いや困った。

 それから全員が書き終わったのを見計らい、涼宮が両手を叩いて音を立てる。

 

 

「はいはい、みんな書けたかしら?」

 

 団長どころかここの部長でさえないのにトップ感出しまくりな涼宮は生粋の仕切りたがりなのだろう。

 で、書き終わったということは当然あの竹に短冊を吊るすわけだ。

 めいめいが順番に適当な場所へ紐でくくりつけていく。あまり立派なことを書いていないと自覚している俺は自主的に後の方に回ることに。

 狂い咲きサンダーバード涼宮の願い事は痛々しい。

 

 

『宇宙人未来人超能力者があたしのところにやってくる』

 

『UMAと遊ぶ』

 

 こいつ光陽園の入学式の自己紹介でもこんなこと言ったんじゃないだろうな。

 てか異世界人はどうしたんだ異世界人は、なんだか俺がないがしろにされてる気がする。

 続いてやれやれ無任所野郎のキョンはこれだ。

 

 

『衣食住に困らない程度の金をくれ』

 

『知力が劇的に上昇する』

 

 掃いて捨てるほどの俗物といえよう。

 古泉と朝倉さんは似たり寄ったりの安全祈願系四字熟語短冊。これもこれで面白くない。

 じゃあ俺は面白いかと言われると、そうだな。

 

 

『精神的に安定した生活を送る』

 

『何かしら大きなことで成功する』

 

 大学生が適当に考えたような願い事である。

 欲にしては浅くも深くもない感じ。そんなもんよ。

 最後に長門さんが書いた短冊を見てみよう。

 

 

『みんな仲良く』

 

『変わりなく』

 

 素晴らしく純真そのものだ。

 これにはキョンも心打たれたのか、

 

 

「なんだか自分の願いが情けなく思えるぜ……」

 

とげんなりした顔に。

 長門さんは「そんなことないよ」と苦笑いでフォローするが、ああいう馬鹿はそっとしておいてやるのが正解だと思うね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 で、短冊を書いて竹に吊るして七夕は終わり。とはならなかった。

 なぜなら涼宮が、

 

 

「それじゃ外に運びましょ」

 

と言い出したからだ。

 運ぶ、というのは短冊が吊るされた竹のことを指しているのだが、何故外に運ぶ必要があるのかわからないぞクエスチョン。

 

 

「ベガとアルタイルに短冊を見てもらうために決まってるじゃない。ここに置きっぱなしといても見れないでしょうが」

 

 この女は織姫彦星の眼が究極生命体のそれと同等だと思っているんじゃなかろうか。地上との距離的に文字の判別なんかできやしないんだから部室に置こうが外に置こうが何ら変わらないと思うがね。

 そして当然のように男子部員が竹と立て掛け用の机を中庭まで運ばされ、中庭の真ん中に竹をセッティングする。

 これだけでも充分だろうに、実際に星が夜空に浮かぶまで待つんだと。律儀なことで。

 陽は傾きはじめているがそれでもまだ時間がかかる。諸々で俺の行動力ポイントは尽きかけているため中庭から離れてゲンコツ広場のベンチで横になっていた。

 まだ気温は暖かいがそよ風が気持ちいい。

 俺の意識が徐々にまどろみの中へ沈みかけていく。

 

 

「そんなとこで横になってたら寝ちゃうわよ?」

 

 などという声と同時にひんやりした物体が俺の右頬に押し当てられた。

 声の主である朝倉さんが俺を覗き込んでいるので身体を起こす。

 

 

「眼が覚めたかしら」

 

 すると朝倉さんは俺に押し当てていた物体を渡してくる。それは冷たいスチール缶で、微糖のアイスコーヒーであった。

 ベンチの空いた右側に腰を下ろす朝倉さん。

 お互い何も言わず黙りながら飲み物に口をつけていく。

 やがてそんな時間に耐えられなくなり、俺は彼女に問いかける。

 

 

「オレに何か言いたいことがあるんじゃあないか?」

 

 ただお喋りがしたいなら自ら話題を提供するのが朝倉さんであり、こういう時の彼女は決まって俺に対して思うところがあるというのは数年も付き合えばわかることだ。

 朝倉さんは飲んでいたレモンティーのミニボトルを横に置いてから答えた。

 

 

「最近あなた、様子がヘンよ」

 

 特に変わった素振りは見せないよう努めていたはずだが、彼女にそう言われると思っていなかった俺はやや虚を突かれた形となってしまう。

 どうにか素知らぬ顔を保ったまま朝倉さんに問い返す。

 

 

「オレのどこら辺がヘンだって言うんだい」

 

「私の事ジロジロ見たかと思えば何も言わなかったり、授業中に居眠りもしないで何か考えてるみたいだったり……全部ね」

 

「……そうか?」

 

 ポーカーフェイスには自信があったんだけど態度でバレバレみたいだ。

 はて、どう答えたものか。

 少し考えて脳から捻り出せたのはやはり常套句だった。

 

 

「近いうちに話す」

 

「まったく……いつまでも待ってくれるだなんて思わないでよ」

 

 拗ねたようにそっぽを向く朝倉さん。

 彼女の言葉の真意を識っているだけに話したいところではあるが、込み入った話になるから今はちょっとな。Xデーはもう定めてあるが今日じゃない。

 しかしこのままというわけにもいかないのでどうにか空気を変えるべく話題を探る。

 

 

「ああ、そういえば七夕だったな」

 

 俺の呟きに対してちらっとこちらを伺う朝倉さん。

 さっきの話とは別件だ、と前置きした上で彼女に言う。

 

 

「中学一年の7月7日……あの日からだろ、オレが不登校じゃなくなったのは」

 

「ええ。あなたがその話題を出すなんて珍しいわね。てっきり黒歴史かと思ってたわ」

 

 黒歴史といえば黒歴史なんだろうが、べつに"俺"からすりゃなんでもないことだし。

 七夕というのはむしろ俺にとってこの世界で初めて過ごした一日という側面の方が強い。四年前の7月7日は"俺"が彼女に初めて叩き起こされた日だ。

 

 

「いったいどういう心境の変化だったのかしら? って、答えにくいならいいけど……」

 

「さあね。あん時オレが思ったことなんてもう覚えちゃあいないさ。強いて言えば【カラフル】って小説みたいな感じだったとしか」

 

「何よそれ」

 

 割と真実に近い事を言ったものの、朝倉さんは【カラフル】を読んでいないらしく意味がわからないといったご様子。

 俺にもプラプラみたいなサポート役がいたら何か変わってたかもな。いや、そんな奴一人で変われるほど単純でもないか俺は。

 

 

「知らないのか。名作だぜ」

 

「ふうん」

 

 元々の俺がどのような思いで不登校となっていたかなど知ったこっちゃないが、俺はただ状況に流されるがまま学校に行ったまでだ。

 よって前にも言った通り朝倉さんのおかげといえば朝倉さんのおかげである。

 

 

「最初から素直に従ってくれてればもっと楽だったのに」

 

「それはそれは大変失礼ございやした」

 

「あなたの辞書に載ってる謝罪の文字をまっとうなものに書き換えてやろうかしら」

 

 だって"俺"には非がないし。

 その俺も最初は朝倉さんのことも妙に絡んでくる上に何かあればキャンキャン吠えるうざったい女子としか認識していなかったわけで、そこら辺の認識が大幅に改善されたのは中学二年の時に起こったあの一件を経てからである。

 

 

「……ほんと最低よね。人のこと散々遊びに誘っておいてそんな風に思ってただなんて」

 

 これに関しては侮蔑の眼で見られてもしょうがない。俺が悪いし深く反省している。

 委員長気質ってやつがアレルギー的に苦手だったので自分のペースでいれない時が嫌だったんだよ。

 

 

「わかってる。私だってあなたのこと全然知らなかったし、お互い様なとこもあるわ」

 

 まあ、今でもお互い知らない事や相手に言ってない事が幾らかある。それでも三、四年前に比べたら雲泥の差だろう。

 少なくとも四年前だったらこんな身体密着させて座ってないし。パーソナルスペースが大幅に狭まってやがる。昔の俺がこの光景を見たらなんて言うのやら。

 

 

「っと、もう陽が沈むな」

 

 自分で自分の気を紛らわすかのように呟く。徐々に夕暮れの明かりが彩度を落としていく空を見上げる。

 マジックアワー、この時間帯が好きだ。校舎の外で眺めるのもまた乙なものよ。

 妙な郷愁を感じながら缶コーヒーを飲んでいると、

 

 

「おーいっ!」

 

こちらを呼ぶ元気溌剌な女性の声がした。

 後ろに顔を向けると鶴屋さんと朝比奈さんの先輩ペアの姿が。

 

 

「こんなとこで逢引きかい? お邪魔しちゃったかなっ?」

 

 状況をわかってて言うから困るんだよなこの先輩。

 ところで普通の生徒はとっくに帰ってる時間だと思うのだが、何故おられるのだろうか。

 その説明は朝比奈さんがしてくれた。

 

 

「涼宮さんが星見会をしようって、わたしたちも誘ってくれたんです」

 

「差し入れ持ってきたよ。星見といえばお団子さっ!」

 

 右手に引っ提げたどこぞの和菓子屋のビニール袋を見せつける鶴屋さん。月見とごっちゃになってそうだけどありがたく頂戴するとしよう。 

 たかが七夕。めでたい日でもなんでもなかったはずなのにこうして仲間内で集まればちょっとしたイベントと化す。

 相変わらず授業はかったるい高校生活だが、遊びなら気分を乗せて楽しくやれる都合の良さを受け入れてる俺がいる。

 自分は変わったなどと未だに思っちゃいないものの、あの宇宙人から言われた言葉もあり、俺の腹はとっくに決まっていた。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Subliminal2

今更ですが説明。その2。

Subliminal
→朝倉涼子の一人称




 

 

 高校生活も折り返し地点を迎えようとしていた7月末の某日。

 一学期終業式のこの日もいつもと変わらず私は長門さんと彼を起こしに行く。

 おかげさまで随分な朝方人間となってしまった。一人暮らしで何かと家事が多いというのもある。

 こんな仕事も明日からは夏休みに入るためちょっと休業となる。恐らく文芸部のみんなでどこか遊びに行くとなれば2人とも私が起こしに行くでしょうけど。

 部屋を出た私はエレベータの上行きボタンを押す。先ずは長門さん。

 長門さんの部屋の前に着いた私はインターホンで呼び出しをする。これで暫くして出てこない場合は貸してもらっている合鍵で入って叩き起こすのだけれど、今日はどうかしら。

 待っているとドタドタという足音とともにガチャリとドアが開けられた。

 慌てて出てきた長門さんに挨拶する。

 

 

「おはようございます。長門さん」

 

「おはよう」

 

「昨日は何時に寝ました?」

 

「ええと……11時半」

 

 ということはギリギリ7時間睡眠か。うーん、日付をまたがないだけ大きく改善されていはいるけどもう少し早く寝てほしい。あまり口うるさくしてもかわいそうなので黙っておくけど。

 玄関を通してもらい、長門さんが支度を終えるのを待ち、その間に私は持ってきた昨日の残り物をレンジで温める。オーソドックスな筑前煮だ。

 それに茶碗いっぱいのご飯とインスタントしじみ味噌汁を添えて朝食が完成。

 

 

「いただきます」

 

「どうぞ召し上がれ」

 

 私が言い終わると長門さんはすぐ料理にありつく。

 黙っているとものの数分で全て平らげてしまうため、しっかり噛むよう注意する。大食いな上に早食いではこの娘の20年後が心配だ。

 長門さんの朝食が終わると次は彼の番。

 昨日と変わらぬ時間でインターホンを押すと彼のお母様が扉を開け入れてくれる。

 彼のお母様も私に合鍵を渡そうとしたが、彼が知ったら微妙な反応をすると思ったため丁重にお断りした。

 なんて過去の話を思い出しながら階段を上り2階の彼の部屋に入る。寝ているのでノックは不要だ。

 カーテンを開け、陽の光が入るようになった部屋で彼の寝顔をじっと眺める。これは私だけの特権である。他にやりたがる人がいるか知らないけど。

 

 

「まったく」

 

 気が抜ける顔だ。

 何でも訝しんでくる彼の眼も、屁理屈ばかりを並べる彼の口も、この時間だけは機能していない。そりゃこっちも気が抜けるか。

 いつまでもこうしているわけにはいかないので布団をめくって身体を軽く揺さぶる。

 

 

「朝よ。起きなさい」

 

「んん……あぁ……おはよ、朝倉さん」

 

 ハムスターみたいに目をショボショボさせながら起きる彼。ハムスターと違って人畜無害じゃないけど。

 さて、後は外で待つだけだ。

 日陰に入り長門さんとお喋りしながら待つこと二十分弱、顔にかったるいという文字が見えるくらい覇気のない様子で彼が出てきた。

 そして3人で北高までの道を歩く。悪名高い坂道を上るのも慣れたものだが、この暑さともなれば額にじっとり汗が滲んでくる。

 校舎の中は外より幾分かマシだけど、清涼感は窓からの風頼みとなっているため彼に限らずゲンナリしている生徒は多い。

 まあ、今日は終業式なのだし変に肩の力を入れる必要なんてないでしょうし、私も咎めたりはしない。

 チャイムが鳴り、岡部先生が教室に入ってくるとすぐに体育館へ移動。学校長、PTA会長、学年主任が原稿用紙にしたためてきた素晴らしいお話を順次読み上げていき、それらが終わると閉会。

 終業式の次はホームルームの時間。つまり成績通知表が渡される時間でもある。

 皆テスト返却と同じくらい一喜一憂する。かくいう私も現状を維持していることが確認できて一安心。

 岡部先生が夏休み中の心構えを学生時代の失敗談混じりに語ると――よほど苦い思い出なのか、1年の時も同じ話をしていた――あっという間に下校時間となった。

 帰宅部や午後から遊ぶ生徒はすぐさま下校し、校内に残るのは倶楽部に所属する生徒のみとなる。

 これといって決まった活動をしない上、集まること自体を何も強制していない文芸部だけど、塾に通い詰めの国木田君を除く全員は部室に出席している。居心地がよいということだ。

 

 

「一学期の成績はどうだったのかしら?」

 

 購買部から仕入れたメロンパンを昼飯代わりにしている彼に聞いてみた。

 彼は面白くもなさそうに言葉を返す。

 

 

「どうもこうも、聞かなくてもわかるだろ……体育が2で他は軒並み4。オマケしてくれたのか日本史だけ5」

 

「ほんともったいないわね」

 

「べつに……君に勝とうなんて思っちゃあいないし」

 

 能ある鷹は爪を隠すと言うが、彼の場合ただの怠慢でしかないのが残念。

 キョンくんの方を見てみるも俺に聞くなと言わんばかりに視線を逸らされる。テストの点数は前より良くなっても成績は大きく良化していないようね。

 昼食をとり終えると普段通り自由時間。

 長門さんは携帯ゲーム機で最新作のRPGに熱中し、私と彼とキョンくんの3人はいつの間にか部室に置かれていたバランスゲームで遊んでいる。

 猿型の人形を揺れる塔に引っかけていき倒した人が負ける単純明快なゲームだ。

 黙々と順番に猿を引っかけるが、6巡目でキョンくんが塔を倒してしまう。

 キョンくんはため息を吐き、散らばった猿人形を手元に戻しながら口を開いた。

 

 

「なあ、ジェンガは無いのか」

 

「この類のゲームだと他にはクラッシュアイスゲームだけだな」

 

「なんで定番どころを外すかね……」

 

 元々アナログゲーム部じゃないのだからレパートリーにケチをつけてもしょうがない。全部古泉くんの趣味で持ってきてくれてるものだし。

 猿も木から落ちるゲーム連敗中に嫌気が差したキョンくんを見かねたのか、幼馴染の彼は立ち上がり部室の隅っこに置いてあるダンボール箱を漁り始める。

 野球道具やらタンバリンやら誰が持ってきたかわからないガラクタのような品々が詰め込まれているその箱から彼が取り出したのは小さなバスケットゴールのおもちゃ。

 下がクリップになってるそのバスケットゴールをゴミ箱のふちに取り付け、

 

 

「古典的だが、これはどうだ?」

 

と球入れゲームを提案した。

 最早小学生が休み時間にやる遊びだわ。

 そんな私の冷めた感想と異なりキョンくんは上々の反応を見せ機関誌制作で余っていた原稿用紙を丸めて球を作ると彼とキョンくんは決まった距離からの投げ合いを始めた。

 提案しただけあって得意なのか彼は何回も連続でゴールを成功させる。よくもまあ器用にバンクショットができるものだ。

 キョンくんもゴールの成否に一喜一憂しつつ、コツを掴んだのかサイドスローで続けてゴールを決めている。

 私には理解できない世界ね。彼とキョンくんのペーパートスを頬杖つきながら眺めていると、部室の扉が弾けるような音とともに開けられた。

 

 

「みんな揃ってるかしら!」

 

 普段より一層テンションの高い涼宮さんといつも通りのはにかみ顔の古泉くんが入ってくる。

 そして涼宮さんはキャスター付きのホワイトボードを引っ張り出し、ボードをバンと叩く。

 

 

「全員注目! これより文芸部の夏休み活動計画を立てるわよ!」

 

 不敵な笑みを見せる涼宮さん。

 ええ。夏休みが騒々しいものになるということは容易に想像できたわ。

 涼宮さんの手によって次から次へとマジックペンでホワイトボードに書き込まれていく文字たちを見る限り夏休み活動計画と大層なことを言っているけど実際はただの遊びたいことリストだ。

 夏季合宿、プール、ボーリング、海水浴、盆踊り、エトセトラ。文芸部らしからぬアウトドアな娯楽ばかりが10種以上候補に挙げられている。

 これら半分でも実現すれば私には充分すぎると思えるが、涼宮さんにとっては足りないらしい。

 

 

「あたしが思いついたのはこんなところだけど他に案は無いかしら? 聞くだけ聞くわ」

 

 この言葉に手を挙げたのは私の幼馴染だ。珍しい。

 彼は紙のボールをジャグリングのように弄びながら言った。

 

 

「文芸部らしく文化的に、芸術鑑賞なんていいんじゃあないか」

 

 よもや彼の口からそんな言葉が出ようなどと思っていなかったが、思い起こせば修学旅行の自主研修で行った博物館で一番熱心に展示物を眺めていたのが彼だった。インテリぶってただけかもしれないけど。

 まあいいんじゃないの、と言いつつ涼宮さんは彼の意見をホワイトボードに追記する。

 いくら涼宮さんにやる気があろうとこの時点では絵に描いた餅でしかない活動計画だったが、あーだのこーだの言っている内に鶴屋先輩と朝比奈先輩が部室に来たことによって活動計画は現実味を帯びていった。

 鶴屋先輩はホワイトボードを眺めるなりしたり顔で言う。

 

 

「豊岡にうちの別荘があるよっ。海も近いし合宿と海水浴にはうってつけさっ」

 

 色々と次元が違いすぎて同じ学校に通っていることが不思議にさえ思えてくる。

 それから各々都合の悪い日などを申告し、活動予定のすり合わせが行われた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 終業式にも拘わらず、結局下校時間は普段と変わらぬ夕暮れ時。ずいぶんとまあぐだぐだとやったものだ。

 私と彼と長門さんの登校時と同じ3人で線路沿いの道を歩いて帰っていく。

 この時間まで話し合った甲斐あって活動計画予定の大枠が決まった。直近の予定が明後日で、例によって泊りがけの合宿というのはいくらなんでも慌ただしすぎる。

 涼宮さんの無茶振りに顔色一つ変えず快諾してくださった鶴屋先輩には本当に頭が上がらないわね。

 

 

「ほんと奇特なお方だ」

 

 彼が言うところの"奇特"は些か捻くれている気がするため素直に同調できないが言いたいことはわかる。

 それはそれとして夏休み最初のイベントが海水浴兼合宿となったわけだが、プライベートで泳ぎに行くのなんて中学生ぶりだ。中学生の頃とは体型がすっかり変わっているので昔の水着は着られない。

 

 

「長門さん、遊びに着る用の水着ってありますか?」

 

「……ううん」

 

 私の問いに対して長門さんは首を横に振る。

 まさかプール授業のやつを着ていくわけにもいかないし、明日買いに行くしかないか。開幕から落ち着かない夏休みだ。

 明日のお昼前に街へ行く予定を長門さんと立てている私を尻目に彼は呟いた。

 

 

「女子は何かと大変だ」

 

 誰のせいで気を使ってると思ってんのよ。

 聞き逃せなかった私は彼に言い返すように言う。

 

 

「海パン一丁あればなんとかなる男子は水着に困ることなんてないわよね」

 

「確かにそうかもしれんが、オレが何も拘ってないと思ってもらっちゃあ困るぜ」

 

 どういうことだろう。

 不思議がる私に対して彼は言葉を続ける。

 

 

「男性用の水着なんて興味ない君は知らないかもしれないけどピンキリでね。オレが持ってるやつだってれっきとしたブランドものさ」

 

 普段から何かしているわけでもないのに彼は装備品に拘るタイプらしい。

 ただ、センスの良さをそこまで期待できないのでハードルは上げないでおく。

 こっちはこっちでギャフンと言わせてやろう、なんて思っていると自宅のマンションが見えてきた。

 

 

「じゃあまた明後日ね」

 

 長門さんと一緒に彼とお別れしようとしたが。

 

 

「…………あー、ちょっと待ってくれないか」

 

 彼に引き留められた。

 

 

「ごく個人的な用件で朝倉さんに話があるんだ」

 

 まるでいつかの逆パターンのようだ。

 長門さん一人で先に帰ってもらい、彼は私を連れて最寄りの公園へ行く。

 遊具はブランコだけで後は砂場しかない小さな公園だが日中は近所のちびっ子が利用している。昔はこんな空間がやけに広く思えたっけ。

 なんてしみじみ思っているとベンチに彼が腰かけていたので私も隣に座る。鞄は足元に。

 呼ばれた立場な以上、急かす権利くらいあるはずなので早速用件とやらを聞くことにする。

 

 

「それで? なんの話かしら?」

 

 正直この時の私は何も身構えていなかった。

 彼はこちらに顔を向け、やけにかしこまった様子で切り出した。

 

 

「この前……近いうちに話すって言ったことについてだ。ほら、オレの様子がおかしいって言ってただろ」

 

 なんとなくそのことだろうと感づいていた。

 

 

「まあ、色々と思うところがあってさ。気持ちの整理をしながらあれこれ考えてたわけだ」

 

 

 もっとも話の内容までは想定できなかった。

 何故なら――

 

 

「朝倉さん。高校を卒業したらカナダに行くんだろ?」

 

「……え?」

 

――彼がそれを知るはずがないから。

 まさしく晴天の霹靂だった。頭が真っ白になる。

 

 

 なんで。どうして。

 

 疑問符ばかりが浮かんでいく。

 愕然とする私を置いて彼は話を続ける。

 

 

「オレはね、朝倉さん。きっと無意識のうちにずっと君が近くにいるもんだと勘違いしてた。そうじゃあなくなるとしても、まだ先のことだろうと思い込んでたんだ」

 

「……」

 

「けどあと1年と半年で海外なんて想像もしてなかったよ」

 

「誰から聞いたの……?」

 

「それは今重要じゃあない」 

 

 わざとらしく手をひらひらさせる彼。

 私が精神恐慌を起こしている上に彼が要領を得ない話をするものだから真意が読み取れない。

 

 

「とにかく、君がカナダに行ってオレが適当な大学に入る未来を考えてみたんだけど……」

 

「……」

 

「間違いなく留年するだろうなって。1コマ目を自力で行くとか無理ゲーだよな」

 

 そんなこと得意げに言わないでよ。

 あなたがだらしないからそうなるんでしょ。

 

 

「ああ、わかってる」

 

 だったら変わればいいじゃない。

 変わる努力をすればいいじゃないの。

 今のままなら駄目だってわかってるんだから。

 胸張って自分は変わったって言ってもらわないと、あなたに変わってもらわないと、私――

 

 

「――私、あなたのことを諦められないじゃない!」

 

 蓋をして閉じ込めていたものが内側から溢れていくように、私の頭は激情に駆られていく。

 逆恨みみたいな怒りさえ湧いてきた。腹立たしい。

 この男の胸倉を掴んで公園中引きずりまわしてやろうかなんてことまで浮かんでくる。 

 

 

「何度でも言うけど去年までのことは本当に悪かったと思っているよ。そして今日に至るまで君からの告白を保留にし続けてきたことも。だから、それを踏まえてオレの話を聞いてほしい」

 

 いつになく真剣な目つきの彼に思わず身がすくんでしまう。

 いや、これから先に続くであろう言葉を聞くのが怖かったのかもしれない。

 

 

「まず第一に。オレが胸張って変わったと思えた時に返事するってやつだけど、あれは無し。先のことを考えてるうちに無理だと悟ったんだ」

 

「は……?」

 

 本当どこまでだらしないのかと呆れ果ててしまうような台詞。

 彼にとってそれが重要だから引き延ばされてたはずなのに、私にとっては最初からそんなことどうでもよかったのに。

 

 

「次に、カナダ行きの件だが。オレも親父さんに説得するから取り止めにしてほしい」

 

「何言ってるのよ。無理に決まってるじゃない」

 

 頭がおかしくなりそうだ。

 そんな無茶、いくら私と長い付き合いの彼が言ったところで通るはずがない。

 元々中学卒業の時点で行くはずだったところを私のワガママで延期してもらっている形なのだから。

 

 

「取り止めが駄目ならオレもカナダに行くよ。ああつまり、その……これが最後の話になるけど……」

 

 すぅ、はぁ、と深い呼吸をしてから彼は言った。

 

 

「君が好きだ。これからも、オレのそばにいてくれないか」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue27

 

 

 

 夜風が吹き付ける分譲マンションの屋上。

 あの日、幼馴染に憑り付いている宇宙人の彼女は朗らかな笑顔でこう言った。

 

 

「朝倉涼子は高校を卒業したら親元へ行くわ」

 

「……何?」

 

「カナダで両親と暮らすってことよ。進学するかどうかとか具体的なことはまだ決めてないけど」

 

 彼女が語ってくれたところによると、元々中学卒業を期に朝倉さんは両親と一緒にカナダで暮らす予定だった。

 しかしある日急に日本に残ると言い出したらしい。

 

 

「なんでかわかるかしら?」

 

 意地の悪い質問だ。

 この話をわざわざ俺にしているのだから察しがつく。

 

 

「……オレがいるからだろ」

 

「ええ。あなたへの好意を自覚した朝倉涼子があなたと離れるのを嫌がった」

 

「それで朝倉さんが一人暮らしを続けることになったのはわかった……でもなんで高校を出たらカナダへ行くことになるんだ?」

 

「一人娘を残して働く父親の身にもなってみなさい、悪い虫が寄ってくるのを心配してるのよ。高校生の間はまだしも大学に行ってからはあなたと過ごす時間も激減するでしょうし」

 

 ただ、と彼女は付け加える。

 

 

「あなたが朝倉涼子のナイトになってくれれば話は変わるかもしれないけどね」

 

 どこまでも意地が悪い。

 カナダ行きを朝倉さんが俺に伏せている理由は単純だった。

 この件を伝えて関係性が変わることに負い目を感じているからだとか。彼女らしい。少しは自分勝手になればいいのにな。

 俺はヒューマノイド・インターフェースの彼女に一応聞いてみた。

 

 

「お得意の情報操作で反故にできたりしないか?」

 

「あのね、私にそんな気があったら最初からそうしてるわよ」

 

 まあそんなことだろうと思ってたさ。

 彼女はチッチッチと人差し指を振りながら。

 

 

「私はあくまで居候みたいなものなの。朝倉涼子の意思を尊重こそすれど、私の好きなように事態を動かすわけないじゃない」 

 

 弁当作ってきたりデートしたり今まで好き勝手やってたように見えたが敢えて指摘しないでおく。

 

 

「でも朝倉涼子があなたにこの話を言わないのはフェアじゃないなって思ったから、卒業まで時間に余裕がある今のうちに教えてあげたのよ」

 

 本人と同じ顔を前にしてこんな話をされるのは妙ちくりんな気分にしかならないが、とにかくこれが宇宙人の彼女から俺に語られた内容である。

 宇宙人の真意なんて俺にはついぞわからなかった。

 嘘こそついていなかったにしても、本当のことを全部言っていたか疑わしい。それが彼女だった。

 そして今、俺が導き出した結論を朝倉さん本人にぶつけたところだ。

 あの日と同じ公園を選んだのは俺なりの筋を通すためというか、彼女の家に上がり込んで言うのは逃げ場を与えてない感じがして嫌だった。

 俺から言いたい事は全部言ったので後は朝倉さんの返事を待つだけなのだが、なんというか、放心したのか彼女は無言で宙を見上げている。

 これ以上余計な台詞を並べるのもな、と自分で自分の気を紛らわしていると彼女が沈黙を破った。

 

 

「……なんなのよ」

 

 消え入るような声だったが、次の瞬間には段違いの声量で。

 

 

「人の気も知らないで! 勝手なことばかり言って! 私がどんな想いで過ごしてきたと思ってんのよ!!」

 

 朝倉さんは激しい剣幕を見せた。

 こういう時どっしりと優しく受け止めるのがいわゆるひとつの男らしさなのだろうが、俺は俺で全く冷静じゃなかった。

 第一声がそれかよ、とカチンと来てしまい。

 

 

「ああ、君の想いを踏みにじってきたのはオレだけどな、そんなにオレが好きならカナダ行きなんて大事な話なんで黙ってた!?」

 

「それは…………」

 

 剣幕から一転して歯切れが悪くなった彼女にたたみかける。

 

 

「カナダ行きをダシにするのが嫌だ? オレを巻き込みたくない? ふざけんな! 置いてかれる方の気持ちはどうでもいいのかよ」

 

「……っ」

 

 顔を歪ませる彼女を見て、流石に言い方を考えるべきだったと後悔した。

 俺が取り繕うための言葉を探してる内に朝倉さんの目から涙が零れていく。

 

 

「不安、だったのよ。私が好意を伝えても……いつも、いつもあなたは思わせぶりなだけで、うう……」

 

 右手で涙を拭い続ける彼女。

 わかってる。ここまで彼女を追いつめたのは俺だ。

 これまでのことも、今日の話も、全部俺のエゴでしかないんだからな。

 だから俺がしっかりケジメをつけなくちゃいけないんだろ。

 嗚咽を漏らす朝倉さんを抱き寄せ、

 

 

「もう一度言わせてくれ」

 

「うぇ……」

 

「君が好きだ。これからもずっと、オレのそばにいてほしい。君が許してくれるなら」

 

「い"いにぎま"っでるでしょ……っ」

 

彼女がひとしきり泣き終わるまで黙って彼女の後頭部を撫でていた――

 

 

 

 

 

――そして。

 

 

「朝倉さん」

 

「なに?」

 

 まだ涙が乾ききってない彼女を見つめて俺は切り出した。

 本当に朝倉涼子のことが好きなのだと言葉でなく行動で証明するために。

 

 

「っと、その……」

 

 いや、こういう時は黙ってするもんだよな。野暮なこと言うもんじゃない。

 彼女の蒼い瞳に吸い込まれるように、そっと肩へ手を伸ばし顔を近づけていく。

 

 

「……」

 

「……んっ」

 

 高校2年1学期、終業式の放課後。

 正確な時間なんて確認していない。

 俺は幼馴染の朝倉涼子とこの日、はじめてキスをした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――2日後。

 夏休み最初のイベントこと文芸部夏季合宿が開催される今日この日も普段と変わらず朝倉さんに起こされるところから1日が始まる。

 だがその内容は前例のないものであった。 

 

 

「朝よ。起きて」

 

 何割か増しで優しいトーンのような気がした声とともに揺り起こされる俺。

 眼を開けるとベッドの脇には満面の笑みを浮かべる朝倉さんが。いや、何事ですかね。

 寝起きで頭が回ってないがとりあえず挨拶を返す。

 

 

「おはよう、朝倉さん」

 

 するとどうだろうか、

 

 

「もう! まだ()()()()だなんて他人行儀な感じで私を呼ぶの?」

 

彼女は少しむっとした様子だ。

 別に他人行儀ってわけじゃないんだけども、そう感じるのなら改めるべきなのだろう。

 

 

「あー……そうだな。おはよう、涼子」

 

「うん。おはよ」

 

 しかし昨日の今日で顔を合わせることに多少の気まずさを感じていた俺だが、どうやら彼女の方は違うようだ。

 でなけりゃ上半身を起こしてベッドから出ようとした俺にいきなり抱き付いてなどくるものか。

 

 

「何してんの……?」

 

「……少しだけこうさせて」

 

 俺なんかの胸でよけりゃいくらでも貸してやるけどさ、マジで何事よ。

 しまいにゃ猫か何かみたいに顔を擦りつけてくるし。

 見てるか宇宙人、お前の宿主こんなんなっちまったぞ。

 俺としては涼子と朝からストロベるのもやぶさかではないが、同世代の女子と比べて大きめのふにっとした感触――具体的な名詞を出すのは差し控えさせて頂きたい――が俺の理性をガンガン削りに来てるので何せず抱かれたままでいるのはとても辛いものがある。

 やましい心がせめて別の感情へシフトするよう贔屓のプロ野球チームがボロ負けした昨日の試合を思い出し、怒りの炉心に火をくべながら孤独な闘いを精神世界で必死に繰り広げていると、やがて満足したのか涼子はパッと離れた。

 いったいなんだったのか彼女に聞いてみたところ、やや恥じらいながら。

 

 

「だって、ようやくあなたと恋人同士になれたのに……合宿中は2人きりじゃないでしょ? だから今くらい、ね」

 

 今度はこっちから抱き付きに行ってしまった。許してほしい。

 こんな朝のスキンシップを惜しみながら身支度を済ませランデブーポイントの北口駅に向かう。

 相変わらず一番乗りの光陽園ペアは気合が入っているのかなんなのか。まあ、今回は長野の時と違って三泊四日の予定なので自ずと気合が入るもんなのかもしれない。

 荷物に関して、前はボストンバッグで充分だったが三泊ともなれば流石に厳しい。旅館に行くわけじゃないから寝巻きだって入れる必要がある。

 よってスーツケースに衣類を詰め込んできたのだが俺は自前のを用意してなかったので親父のを借りてきた。

 親父は出張なんて基本ないくせに妙な拘りがあるらしく、詳しい値段は聞いてないが海外製で高いヤツだから大事に使えと念押しされたな。

 そんなことを思い出しながら涼宮と古泉のスーツケースと自分のを見比べていると、次いで鶴屋さん朝比奈さんの先輩コンビがやってきて、つまりまたしてもキョンがどんじりボーイとなった。しかも今回は保護者もとい保護対象同伴での登場ときたもんだ。

 

 

「こんにちはー!」

 

 天真爛漫な笑顔で元気いっぱいに挨拶してくれたそのちびっ子はキョンの妹氏である。

 キョンは妹氏を連れて行くつもりなどなかったそうだが、兄が出かけるのを察知した妹氏が連れてけと駄々をこねまくったので渋々動向を許可したんだと。

 

 

「すみません、急に連れてきてしまって」

 

「いいっていいって。かわいい旅のお供が増えるのは大歓迎だよっ」

 

 申し訳なさそうにするキョンを意に介さず妹氏の髪をわしゃわしゃする鶴屋さん。

 妹氏も嬉しそうで、なんだか尊い光景だ。

 

 

「ほんとにあの子がキョンの妹なの? 兄貴とは正反対みたいね」

 

 ある種の感心を抱いた様子でこう言ったのは涼宮だ。

 彼女の気持ちはわかる。俺も姉さんと全然似てないとかよく言われるがこいつはそれ以上じゃなかろうか。

 それにしても、キョンの妹氏を見てるとなんだか昔の涼子を思い出してしまう。中学1年の頃の涼子はクラスで3番目くらいには背が低かったからな。

 もっとも性格は今とさして変わらない。いや、俺に対しては多少棘があったような気もしたが、いつの頃からか良好な関係となっていた。

 それはそれとして、国木田は今回不参加である。

 当然彼も誘ってみたが夏休み早々に親族の集まりで北海道へ行くらしい。鶴屋さんの水着姿を拝みたかっただろうに残念だ。

 さて、全員集まったところで前回同様この駅から私鉄に乗車しての出発となるわけだが今回は特急に乗り換えを行う。

 つまり新幹線より時間がかかる上、俺たちが乗る列車のダイヤは1時間1本であり乗り換えの駅で小一時間足止めを食らう形となった。

 もちろんそんなことは織り込み済みなため駅ナカの喫茶店で時間を潰す。ホームに備え付けられたカチカチのプラ椅子に座って何十分も待つだなんて死んでもごめんだからな。

 ぞろぞろと店内に入り、適当な一角を見繕うとテーブルをくっつけて席を占領する。

 左利きの俺は当然の権利を主張するかの如く左端に座るが、その右を我が物顔で埋めてきたのは涼子。

 まったく、逃げも隠れもしないってのに。

 で、おしゃべりもそこそこに恒例の席決めくじ引きだ。

 

 

「その結果がこれか」

 

 乗車時間になり、指定席――贅沢なことにグリーンシートだ――に座った俺たち。

 アームレストに預けている俺の左腕を誰が手つなぎで拘束していると思う。涼子だ。

 俺は宇宙人の介入を疑っているのだが、ともかく厳正なるつまようじくじの結果俺と涼子が相席となった。

 

 

「なんの話?」

 

「いや、一昨日俺が普通に帰ってたら君とこうして手を繋ぐこともないだろうなって」

 

「でしょうね…………ねえ」

 

 顔を涼子の方へ向けると、彼女はそわそわした様子で。

 

 

「もう1回、あの時あなたが言ったこと聞かせてほしいんだけど」

 

 とんでもないお願いをぶちかましてきたではないか。

 会話の流れからして一昨日のアレを言ってるに違いないのだが、移動中だぞ。無茶言うなよ。

 

 

「ええーっ」

 

「あんなの何度も言うもんじゃあないだろ」

 

「そんなぁ。また聞きたいのに」

 

「……ったく」

 

 俺の方が立場は下なのでお願いされちゃ仕方ない。

 涼子の耳元に小声で言う。

 

 

「君が好きだ。これからもオレのそばにいてくれ」

 

 言ってて思ったが、なんだかプロポーズじみてないかこれ。

 これで満足しただろうかと顔色を窺ってみる、めっちゃニヤニヤしてらっしゃる。見てて恥ずかしくなってきたので顔を窓の外へ逸らす。

 すると彼女の方からも、

 

 

「あなたが好きよ」

 

お返しと言わんばかりに囁いてきた。ずるい。

 声量を落としているとはいえベタベタ身体をくっつけてこんなやり取りをしてるため、はっきり言って俺と彼女が付き合ってるのはバレバレユカイだった。べつに敢えて全員の前で発表してないだけで聞かれたら答えるけど。 

 畑だとか山だとか谷間だとか、眺めてても無味乾燥な車窓風景が延々と続く線路を特急とは名ばかりのスピード感で走る列車に揺られる状況は睡眠時間に充てるのが最も賢い選択肢だと思うが、涼子相手にその択は使えないので文芸部とは別に彼女と俺の夏休み計画を立てるなどして2時間弱の乗車時間を過ごした。

 特急列車から降車した駅は場末もいいところな閑散とした駅で、そこから更に貧弱な本数の田舎バスに乗ってようやく鶴屋さんの別荘に到着した。

 我々小市民は別荘というとコテージ的なものや角ばった開放感がある邸宅を連想しがちだが、偉大なる先輩のそれは豪邸を通り越し最早ホテルとでも呼ぶべき壮大な代物であった。というか何も知らない人が見たら間違いなくホテルだと思うぞ。

 ほんと、レベルが違え。

 

 

「皆様、お待ちしておりました。どうぞ中へお入り下さい」

 

 別荘のスケールに圧倒されているうちに出迎えてくれたのはまたしても鶴屋家の使用人らしき白髪の中年男性だ。

 今日はスーツ姿でなく、デニムジーンズにロイヤルブルーのポロシャツとおじさんらしい格好だが、歳の割に身体が引き締まっているのでおじさんはおじさんでもイケおじな感じがする。こういう歳の取り方をしたい。

 聞けば別荘の清掃と食料品購入のために前日入りしていたとか。本当にお疲れ様ですとしか言いようがない。

 別荘の中は絵に描いたような洋風屋敷であり、妙齢の女性使用人さんが部屋を案内してくれた。

 俺たち全員を1人ずつあてがっても尚、客室の数に余裕がある状態だったがキョンの妹氏は小学六年生といえど流石にほったらかしにできないので朝比奈先輩と一緒の部屋に泊まってもらうことに。というか本人が朝比奈先輩と泊まりたがってるし。

 さて、昼飯は駅弁を列車内で食べているため部屋に荷物を置いて即時行動を開始する。

 正直ここまでのワクワク感は久しぶりだった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue28

 

 

 

 鶴屋さんの別荘は海まで道路を歩いて2、3分と言う驚異的な立地で、そのうえ海水浴場が実質的なプライベートビーチとなっている。よって海の家などという公共施設は存在せず、更衣は各自の部屋で行われた。

 男子と女子じゃ時間のかかり方が違うので着替え終わった順でビーチに来ている。つまり今いるのは俺とキョンと古泉だけ。海に来ててもこれじゃ手持無沙汰感が凄い。

 

 

「はー、すっごい綺麗な水だ」

 

 浅瀬を眺めながらぼけーっとした顔でキョンが言ってる。

 それが声に出てたのか、彼は俺に不満があるようにこちらを向いて。

 

 

「誰の顔がぼけーっとしてるだと。てかお前、そのイキったグラサンはなんだ」

 

「オークリーですね。スポーツ選手なども愛用している海外ブランドです」

 

 素晴らしい解説だが古泉よ、キョンは俺のサングラスがなんなのかって意味じゃなく何お前グラサンなんてかけてんだって意味で言ったんだと思うぞ。

 後者についての答えはシンプルだ。

 

 

「男が上がるだろう?」

 

 微妙な反応だった。

 俺のサングラスはさておき、日本海に面したこの海岸線は絵に描いたような景色だ。俺たち以外に人がいないのもあって非日常感が強い。

 古泉が親戚のおじさんに孤島を持ってる人がいるだとか殺人事件を模したイベントを開催しただとかどこかで聞き覚えのあるような話をしていると。

 

 

「お待たせしたにょろ~」

 

「あたしが来たわ!」

 

 まずは鶴屋さんと涼宮がビーチに登場した。

 鶴屋さんはセレブリティ感のある四角いミラーレンズのサングラスに胸元が大胆なVネックの水着ワンピースが目を引く。着やせするタイプなのか、こうして水着姿を見ると立派なバストをお持ちになられているということがわかる。国木田、残念だったな。

 一方、涼宮は虹色のラインが入った黒のトライアングルビキニである。谷口に身体だけは100点と言われるだけあって凄まじいプロポーション、素直に"良い"と思ってしまった自分が悔しい。

 

 

「あんたら何ぼーっと突っ立ってんの。夏は待ったなしよ」

 

 どいたどいた、と俺たち男子の間を通り過ぎると涼宮は遊泳前のストレッチを早速開始する。

 潮の満ち引きこそすれど海は逃げないというのにどれだけエネルギーを持て余してんだか。 

 で、お次は涼子がやって来たのだが。

 

 

「どうかしら?」

 

 どうもこうもなかった。

 思い起こせば涼子の水着姿を見るのはこれが初めてで、付き合いたてというのを抜きにしても期待感が多分に膨らんでいたのだが、想像以上の破壊力に思わずサングラスを外して肉眼で上から下、下から上と舐めるように見てしまう。

 素人は胸に眼を奪われがちだが、やはり涼子の真の魅力はヒップから脚にかけてのボディラインだ。

 筋肉と脂肪の黄金比がほどよい厚みを演出しており、絞まったウエストとの対比がセクシーでグラマーな存在へと彼女を昇華させている。

 また水着のチョイスも大変良い。イエローのビキニが涼子の白い肌を引き立てているのだ。

 暫し、言葉を失っていた俺に涼子はずいっと寄ってきて。

 

 

「……どうって聞いてるんだけど」

 

 今なら仙水の気持ちがわかる。

 一言、自然と口から漏れる。

 

 

「すばらしい」

 

 絶世の美女がそこにいた。

 図らずも世辞などでない"ガチ"の反応を見せてしまった俺を鶴屋さんが煽るように肘でぐいぐい押してくる。

 

 

「おんやあトッポイ少年、いつもの余裕はどこ行っちゃったのかなっ?」

 

 偉大なる先輩といえどこの時ばかりは相手してられなかった。

 感想を求めてきた涼子はというと。

 

 

「そ、そう。良かったわ」

 

 何やら満更でもない様子だ。後で絶対写真撮ろう。

 こんなやりとりをしてる内に長門さんも来ていて――キョンと長門さんも似た感じでやりとりしていた。なんなんだろうな――後は朝比奈さんとキョンの妹氏を待つのみとなった。

 そして満を持して登場した朝比奈さんは、うん、圧倒的だった。何がって説明不要だよな。

 ようやっと全員揃ったのだから水泳大会だ、とはならず各々自由に遊ぶ形となった。

 とはいえまずは海に入るというのが基本であり、ほぼ全員がそうした。俺でさえクロックスを砂浜に置いて浅瀬に立ってるのだ。

 俺は晴れだろうが雨だろうが雪だろうがオールウェイズ猫のようにコタツで丸くなるタイプだと自覚しているが、今この瞬間ばかりは夏の体験を存分に享受するさ。むしろビーチパラソルの下に敷いたゴザでくつろぐキョンと古泉の2人の方がおかしいと言える。そりゃ女子が水遊びしてる様は充分すぎる眼の保養となろう、でも間近で見た方が絶対良いだろ。

 そんな事を考えながら鶴屋さんと涼宮に水責めされる朝比奈さんを眺めている俺の顔面に横からドーンと水がかけられる。

 

 

「ぅおっ!?」

 

「あら、危機を察知できなかったようだけど何に見とれてたのかしらね?」

 

 奇襲だった。

 少なからず不純さが宿っていた俺の心を修正してやると言わんばかりに矢継ぎ早の手捌きで俺に水をかけてくる涼子。

 よろしい、ならば戦争だ。

 どちらかの根負け以外に決着の付けようがない水かけバトルがここに開幕した。

 上体を逸らして涼子の攻撃を回避する。

 

 

「っ、この! 避けるんじゃないわよ!」

 

「動きが単調すぎるぜ!」

 

 避けきれなくともちょっとやそっとの水には怯まず反撃を浴びせていく。

 でりゃあっ。

 

 

「きゃっ!? ……やってくれたわね」

 

 顔に喰らってしまった涼子のお返しは凄まじく、海面を平手で薙ぎ払い衝撃波のように飛沫をかけてくる。まるで散弾銃だ。

 そんな照りつける陽光よりもアツい海上闘争は涼宮がスイカ割りをやるぞとこちらに声をかけてくるまで続けられた。

 まだ泳いですらいないというのに俺と涼子は髪までべちゃべちゃで、これが雪合戦だったらきっとお互いの身体はボロボロになっていることだろう。

 のそのそと砂浜へ戻りながら疑問に思ったのか彼女は俺に問うてきた。

 

 

「ねえ」

 

「どうした?」

 

「私たち、なんで戦ってたのかしら」

 

「……あー」

 

 理由はともかく仕掛けてきたのは君なんだけどな。

 まあ、余計なこと言わずにはぐらかすとしよう。

 

 

「さあな……スイカ割りが終わったらこれの決着を水泳でつけるのはどうだ?」

 

「乗ったわ。私に挑んだことを後悔させてあげる」

 

 だから先に挑んできたのは君の方だって。

 得意気な笑みを浮かべる涼子を鼻で笑ってやりたい気分になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まん丸の大玉スイカを相手に朝比奈さん、涼子、そして涼宮の女子3人がスイカ割りに挑戦したが誰1人として成功することはなく、結局ナタみたいな包丁で切り分けて食べることに。

 毎年なんだかんだスイカを口にする機会はあれど海で食べるのは今日が初だ。これもひとつの風流だろうか。何の変哲もない普通のスイカのはずが、特別な味に感じられた。

 おやつを済ませた後は宣言通り涼子との水泳対決を行う。

 アキレス腱のストレッチを念入りに行っている涼子に対して一言。

 

 

「先に言っとくがオレは速いぞ」

 

「へえ、それは凄い。そこまで言うなら負けたら罰ゲームね」

 

「構わんよ。万が一にも有り得んと思うけど」

 

「はいはい」

 

 浅瀬から遠くへどんどん行くのは危険なため、足がギリギリ付くところからビ―チ端にある岩場までをコースとして行うことで合意。50mは無いだろうが、それなりの距離である。

 こちらも入念な柔軟を済ませ位置につく。そしてゴーグルを装着。

 野次馬根性からかスターター役は鶴屋さんが務めてくださる。ライフガードよろしく首元にホイッスルを引っ提げており、あれで合図するんだと。

 準備が整い、涼子と互いに顔を合わせる。やる気充分だ。

 

 

「涼子っち! トッポイ少年! ふたりとも用意はいいかなっ!? さん、にー、いちっ」

 

 ピーッと100デシベルはあろうかという甲高いホイッスルの音とともに顔を海面に付けて泳ぎの体勢を作る。

 当たり前のことだが海での水泳はプールと様々な点において異なる。競争する上で特に大きいのは壁蹴りスタートができない点と少なからず泳ぎに波の影響を受ける点だろうか。

 かくいう俺も海の泳ぎに慣れているというわけじゃ全くないが遥か昔に通っていた水泳教室の経験を思い出しながら無駄のない動作を意識する。横の幼馴染を気にする余裕などなかった。

 バチャバチャと一心不乱にクロールを続け、バタ足で推進していく。息継ぎのペースを一定に保つのも忘れない。

 まさしく、完璧な泳ぎだった。

 

 

「うっしゃオラァ!」

 

「……ぐっ」

 

 岩場に上がり、勝利のガッツポーズを決める俺と力なくうなだれる涼子。

 勝負事で彼女に完勝したのは久しぶりな気がする。卓球のアレは自分でも反則だったと思うし。

 涼子はたいそう悔しそうに。

 

 

「体育2の男に負けるだなんて……」

 

 なんとでも呼ぶがいい。俺の気分が良いことには変わりないのだから。

 顔を上げた涼子は勝ち誇る俺をキッと睨みつけて。

 

 

「次は潜水対決で勝負よ!」

 

 絶対にリベンジを果たしてやるという気迫を見せた。

 かくして再びゴーグルを装着し、海に入る。

 特段肺活量に自信があるわけでもないため単なる我慢勝負になるだろうと思っていたが、同時に何か仕掛けてくるかもしれないと想定した。

 何にせよ安全第一を心がけねばと思いつつ、お互い大きく息を吸い込んでから全身を海中に潜らせる。

 本当に素敵な海だ。そして向かいの彼女も。

 ただ、雑念を捨てなければ勝てる勝負も勝てないため無心になるよう頭の回転を放棄した。

 そんな俺の状態を隙と見たのか、涼子は脚を動かしてこちらへ寄ってくる。

 やはり仕掛けてきたなと身構える俺だが、彼女はパンチやキックを仕掛けるでもなくただ間近まで接近してくるだけ。対処のしようにもしようがない。

 

 

「……」

 

「……」

 

 数センチとないような距離感で海中にいる俺と涼子。

 それは時間にして5秒に満たなかった。

 なぜなら異様な雰囲気に呑まれた俺が海面へ逃れようとし、遂には顔を外へ出してしまったからだ。

 俺の完全敗北で、そこに文句はない。

 だが今のはなんだろう。

 自分なりのロジカルシンキングを試みたがもっともらしい答えは得られず、ならば浮上した彼女に聞いてみることにしよう。

 

 

「アレはなんだ? オレにプレッシャーを与えたかったのか? だとしたらお見事、大成功だ」

 

「はぁ…………やっぱバカね」

 

 何を失敬な、とゴーグルの向こうに隠れる彼女の瞳をじっと睨み込む。

 それに腹を立てたのか涼子は俺の額にコン、とヘッドバットをかますと無言で離れていき、そのまま海から上がり、砂でお山を作っているキョンの妹氏の横に座り込んで自分も砂遊びを始め出した。

 真っ白な画用紙の上に落として滲んだ絵の具のような痛みを眉間に感じた俺は。

 

 

「なんなんだよ」

 

 と海の中で倦怠感を混じらせ呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 砂浜に戻った俺は道路に続く石段の上にしゃがみ込んで小休止をしていた。

 他に休憩中なのは同じく石段に腰かけ相変わらず女子を目で追っかけるだけのキョンと、ゴザの上で携帯ゲームに興じている長門さん。

 呆れる2人だ。せっかくだし何かして遊べばいいのに。

 とか思っていると不意にキョンがこちらを向いて話しかけてきた。

 

 

「なあ」

 

「なんだ」

 

「……お前と朝倉、付き合ってるのか?」

 

 まあ、見ての通りだ。

 キョンは納得した様子で。

 

 

「そうだよな。いつからだ? やっぱ期末の前からか?」

 

「いや、一昨日」

 

「……冗談だよな?」

 

 正直に答えてあげたというのにその顔は無いだろ。

 ちょっとむかっ腹が立つので冷やかすように聞き返す。

 

 

「お前さん、もしかして涼子を狙ってたのか?」

 

「んな訳あるか。シンプルに気になっただけだ」

 

 ミーハーな奴め。

 話はそれだけかと思ったが、どうやら違うらしくぽつぽつと語り出した。

 

 

「この前4人で古本市に行ったよな」

 

「ああ」

 

「あの翌日にな、長門と話したんだ……元に戻る前の、あの長門と」

 

 十数メートル離れた先の長門さんを見ながら言うキョン。

 まさか彼女も自分が対有機生命体コンタクト用ほにゃららだとキョンに打ち明けたのだろうか。

 落ち着き払って彼の言葉を待つ。

 

 

「ほんとに偶然のタイミングというか、借りてた本ちゃんと返せよって注意するためだけに電話かけてみたんだが……なんて言われたと思う?」

 

 ばつが悪そうな感じを誤魔化すように彼は鼻で笑ってから。

 

 

「俺が好きだって。告白された。で、慌てて会いに行ったら元通り。別人だった時のことは綺麗さっぱり忘れちまってた」

 

「そうか」

 

 なるほど。彼も彼で一時期の俺みたいに宇宙人ガールの言葉に惑わされている、と。

 だからぼけーっとしてたんだな。

 

 

「そんなにぼけーっとしてるか俺」

 

「こんなとこに来てまでそうしてるんだから重症に見えるが」

 

「どうすりゃいいと思う……?」

 

「知るか。自分で考えろよ」

 

「それが上手くいってないからお前に相談してんだ」

 

 相談のつもりだったのかよ。

 と言われてもな。俺のケースなんて全く参考にならないし、つーかしちゃいけないし。キョンと俺とじゃ色々と前提が違うし。

 はてなんと答えてやろうかと思案していると、いつの間にやら俺たちの前に現れた涼子が。

 

 

「ねえキョン君。せっかく海に来ているというのにあなたずっと座り込んでるだけよね」

 

 ビシッと岩場の方を指差し。

 

 

「ボサッとしてないで長門さんの遊び相手になってあげなさい」

 

 なんだか凄みのある笑顔でそう言った。

 その長門さんは岩場の近くに落ちているボールを拾い上げていた。自分でゲームを中断したとは思えないので涼子の差し金だろう。

 有無を言わせぬ圧力に屈したキョンは言われるがまま立ち上がって長門さんを追うように岩場へ向かって行った。

 

 

「いったいなんのつもりだい」

 

 キョンと入れ替わりで石段に座る涼子に問う。

 彼女は綺麗な顔をほころばせ。

 

 

「さしずめ恋のキューピッドってやつかしら。2人とも、その気はあるのに何も動こうとしないんだから」

 

「そう言う君だって、オレに告白するまでは好意なんて匂わせてこなかったじゃあないか」

 

「は?」

 

 信じられないといった様子でこっちを見てくる涼子。

 俺の発言は的外れだと指摘するべくイラっとした様子で彼女は言う。

 

 

「あのねえ、誰が好きでもない人と休みの日にふたりきりで遊びに行くんですか? 誰が好きでもない人に毎年手作りのチョコを渡すんですか? 誰が好きでもない人を家に上げて晩ご飯食べさせるんですか? 誰が――」

 

「ああ、わかったって! 幼馴染だからって理由じゃあ説明つかないよそれ!」

 

 涼子の眼からハイライトが失せ、ホラー映画の悪霊かってぐらい恐ろしい存在に変貌しかけてたため慌ててストップをかける。

 なんというか昔の俺は彼女そのものに対してもそうだったが、それと同じくらい幼馴染という関係に甘えていたのだ。

 素面に戻った涼子は、お前本当にわかってるのかと言いたげな感じで。

 

 

「……というかあなた忘れてるかもしれないけれど、最初にふたりで遊びに行った時ってあなたの方から誘ってきたのよ?」

 

 うーん。そうだったっけ。

 いや、まさか"俺"が誘ったわけじゃないだろう。小学生坊主だった頃の話じゃないの。

 俺の顔を見てぴんと来てないことを察した彼女はいつのことだか教えてくれた。

 

 

「はっきり覚えてるわ。あれは中学1年の10月末、映画のチケットが余ってるから明日行かないかって」

 

 言われてようやく薄らぼんやりと思い出せた。

 もっとも当時の俺に余分なチケットの有効活用以外に他意は無かったし、君もそれを理解していたはずだ。

 

 

「ええ。まさかあなたが建前を用意してまで私をデートに誘っただなんて思っちゃいないわ」

 

 でもね、と涼子は言葉を足して。

 

 

「ただ親同士の付き合いの延長線上で接してきたあなたを……個人として意識するようになったのは、あの日からなの」

 

 感慨深い様子でそう告げた。

 あんまり感傷的になるのは好きじゃないが、俺にとっては何でもない1日でも彼女にとっては大きな意味のある1日だったのだろう。そして期せずしてフラグを立てたのは俺の方らしい。

 色々と思いがけない話を聞いたためか居ても立っても居られない気分になってきた。よし。

 石段に預けてた腰を上げて涼子に言う。

 

 

「また競争だ。今度は平泳ぎ縛りでやろう」

 

「……そうね。1対1のままじゃ終われないわよね」

 

 同意するように立ち上がり、んーっと伸びをする涼子。

 さっきの話を反芻すると、右往左往してきただけの俺の人生にも意味があったんだと思えたがそれを口に出すほど恥ずかしいことはない。

 けれども、彼女と手を繋いで海岸へ向かうのはこれっぽっちも恥ずかしくない。そんな夏だった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue29

 

 

 

 身体が疲労感を訴え始めた頃、日差しが傾き出したのでビーチから撤退し別荘に戻った。

 外観だけでなく内装まで立派な別荘の欠点は大浴場が存在しないことだが、そんなもんまずあるわけがないし、あてがわれた部屋はスイートルームかって思うくらいわけわかんないほどオシャレで1人で使うには広く、窓からのオーシャンビューも素晴らしくて、しかもバストイレが別ときた上に壁掛けの液晶テレビと横になれるソファまで置いてあるのだから何一つ不自由しなかった。ここに住みたいぐらいだ。

 それに大浴場が無いとはいえバスルームからも謎の高級感が漂っているし、置かれたソープ類は見慣れない海外製品だがきっと優れモノなんだろうよ。

 シャワーを済ませ私服に着替え直してふかふかベッドの上で横になれば夢うつつ。

 たちまち俺の意識はブラックアウト。一時間は眠っていただろう。

 もちろん、こうなれば一時間やそこらじゃ起きず本格的な睡眠に落ちてしまうのだが、そうはならなかった。何故かはわかるよな。

 

 

「あだっ!?」

 

 額に強打を受け、睡眠を中断させられる俺。

 しかめっ面で瞼を開けると平手を構えている涼子。察するに彼女にチョップで文字通り叩き起こされたらしい。

 必要がなかったとはいえ鍵もかけずに寝落ちしたもんだからこうやって簡単に起こされてしまうのだ。マスターキーを持ってこさせる手間が省けたとも言えるが、俺としては少しでも寝てたかったわけで。

 そんな俺の心持ちなど知らず涼子は休日のオカンかってくらいの粗暴さで身体を揺さぶる。

 

 

「もう、早く起きないと晩ご飯抜きよ」

 

「あのさ……もうちょっと優しく起こしてくれてもよかったよね?」

 

「鶴屋先輩の別荘に来てまで昼寝してるようなお馬鹿さんにはこれくらいがちょうどいいの」

 

 こちらに非があることは認めるが、これじゃ付き合う前と何も変わらんではないか。今朝のアレは何だったんだ。

 俺の悪態を聞いた涼子は顔色一つ変えずこう返す。

 

 

「それはそれ、これはこれ」

 

 何事も俺に決定権が無いということがよくわかったよ。

 武士は喰わねど高楊枝と言うが、俺は晩ご飯抜きが普通に嫌なのでこれ以上無駄口を叩かずベッドから起き上がる。

 お互いにどこか投げやりな雰囲気を出しつつも足並みだけは揃えて部屋を出て夕食会場まで移動していく。

 これは俺の勝手なイメージに基づく話だが、どこであれ別荘というものはリビングないしダイニングが一番広い作りになっているのが一般的。

 ともすればこの鶴屋さんの別荘は日本ランキングの上位に食い込みかねないような代物であり、当然の帰結としてダイニングは開放感溢れる大部屋。ここで晩餐会となる。

 部屋の中心にドカンと置かれた2、3人で使うには寂しすぎる大テーブルを全員で囲んでの食事は温泉合宿の旅館とは異なる趣がある。甲乙つけがたい。

 食費含めた宿泊費用は全部無料という状況からして、借りてきた猫よりも低い物腰であるべき俺たちはたとえ白米と漬物だけでも何ひとつ文句言わずにありがたく食すべき立場なのだが、まさかこれが出てくるとは思わなかった。

 

 

「わー! でっかいおにく!」

 

 キョンの妹氏が熱い視線を送る先には鉄の大判皿に乗っかった分厚いステーキ。300グラムはありそうな感じだ。

 聞けば国産ブランド牛のサーロインときた。最早申し訳なさを通り越して罪悪感さえ覚えるレベルだぞ。

 こんなもの誰がどう見ても美味しいに決まっているが、実際に一切れ口に運んでみると想像の10倍を軽く超える肉の味わい、柔らかさ、くどすぎない脂。ウマい。

 

 

「かーっ、やっぱ体動かした後は肉に限るわね!」

 

 今日ばかりは涼宮の主張につい頷きたくなってしまう。単なる思い込みにすぎないと承知していてもスタミナ付けてる感あるし。

 スープのミネストローネは俺が飲んできたなかでトップクラスと言っても過言ではない完成度で、使用人の白髪紳士がじっくり仕込んだものらしい。完璧すぎないかあのおじさん。

 肉と汁物がうまけりゃ自然とご飯が減るわけで、厚かましくもおかわりまでしてしまった。不可抗力だよな。

 ファミレス顔負けのステーキセットを美味しく頂戴した後、暖かいお茶を飲んで暫しリラックスタイム。

 明日は朝から近場の水族館に出向く予定だ。こういうのをバカンスと呼ぶのだろう。

 部屋に引っ込んだ後は何をするでもなくテレビをザッピングして時間を潰す。数少ない自慢のひとつが無限に寝ていられることだが、流石に出先で20時前に寝るのは気が引けるのでせめて22時までは起きてるつもりだ。

 これも余暇の過ごし方のひとつだろうと思いつつソファにふんぞり返りながらローカルの旅番組を眺めていると、部屋の扉がコンコンとノックされた。

 訪問者は涼子である。

 

 

「ちょっとつきあってほしいんだけど」

 

「何につきあえって?」

 

「お出かけに」

 

 お願いなのかもよくわからない彼女の言葉に従うがまま部屋を出ることに。

 涼子は階段を下り、廊下を進んでいき、使用人の女性に外出する旨を伝えてから別荘を後にする。

 さていったいどこへ行くつもりなのかと訊ねてみると。

 

 

「ん? 特に決まってないわよ? 食後の運動じゃないけど、お散歩でもしようかなって」

 

 平然と返された言葉に俺は何とも言えない気持ちになった。

 道路こそ舗装されているものの見たところここいらの道路照明は皆無に等しい。散歩にしてもわざわざ夜道を歩くことないだろうに。

 だがそれを敢えて口に出すことをしないようにできる程度には俺も人間的に成長していた。

 デート中は否定的なことばかり言うもんじゃないとあの宇宙人に口酸っぱく注意されてたからというのはあるが、ていうかこれデートでもなんでもないけど、とにかくうちの姫様のご機嫌を取るのが大事なんだと。

 なんとなくではあるものの、彼女が俺を誘った動機的な部分について推論できていたが、そこも今は口にせずまずはジャブを打つように思ったことを話す。世間話というやつだ。

 

 

「星が綺麗で風は静か……いい夜だ」

 

「そうね」

 

「こんな空の下、森林公園みたいなとこで寝られたら気持ちいいんだろうな」

 

「あなたの頭の中は寝ることばかりなの?」

 

「一度やってみたいってだけだよ」

 

 昼間より気温が下がっているといえど夏の夜は寒くないため外で寝ても風邪ひかなさそうだし。

 森林公園ほど立派な場所は近くに無いと思うが少し道路から逸れれば樹々が生い茂っているように見受けられる。いや、マジではやらんけど。 

 見知らぬ地での散歩、それも店も何もないような海沿いの道を延々と歩く。いつかは何かしらの建物にぶち当たるはずだが今のところ家屋さえ見当たらぬ閑散ぶり。まあ、静かなとこにあってこその別荘か。

 さっき見た旅番組で紹介されてた海鮮丼の店についてだとか、今年の文化祭は文芸部として何かした方がいいんじゃないかだとか、そんな話をしながら歩き続けてると脇道に海が一望できるスポットがあったのでホイホイと移動。

 当たり前だが真っ暗でロクな海模様など見れたものではない。むしろ遠くの灯台の光にしか興味が沸いてこないような有様。

 彼女も似たような感想を抱いたのか互いに顔を見合わせて苦笑する。

 

 

「なーんも見えねえや」

 

「昼に来たらいい眺めなのかしら」

 

「どうだか。別荘の窓から見た海は良かったけど」

 

「写真は?」

 

 もちろん撮ったさ。

 すると彼女はそうじゃなくて、と首を横に振り。

 

 

「ここで撮りましょうってことよ」

 

 わざわざ虚無みたいな夜景を背にセルフィーせんでもいいと思うが。

 こうしてまたしてもスマホのライブラリに涼子とのツーショット画像が追加された。

 俺の待ち受け画像が今なお長野の温泉旅館で撮った奴であることを確認した彼女は満足げな様子だ。

 あん時はイレギュラーだとしても今となっちゃ恋人同士なわけだし、こんな感じの写真を事ある毎に撮ってくんだろうよ。まあ、悪い気はしないわな。

 これは私の分、と彼女のスマホでも律儀にツーショ決め終えると俺は引き返すことを提案する。

 

 

「そろそろ帰ろうか」

 

「ええ」

 

 明日の水族館で泳ぐ姿を見るのが楽しみなゴマフアザラシに対する情熱を語ってもよかったのだが、そんな与太話をする前に涼子にひとつ言っておく。

 同じ気持ちだとしても言葉で出して共有することが大切なのだから。

 

 

「大丈夫さ、なるようになるって」

 

「……それで励ましのつもり?」

 

「一応ね」

 

 不安なのは俺も一緒なんだぜ。

 けど常日頃から彼女に助けてもらっている立場なんだし、彼女が不安な時はタフガイぶってでも精神的な支えになってあげないと。

 きっと涼子は俺の余裕の無さなど見え透いているのだろう。それでも、

 

 

「私の気分転換につきあってくれてありがと」

 

心からの感謝と笑顔でこう返してくれた。

 もちろん気分は良いが、少しむず痒さも感じてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二日目の朝も当然のように涼子に起こされる形でスタート。

 一応弁明しておくと、自力で起きれはしたのだがベッドの寝心地が良すぎたため二度寝を決めたわけだ。迷いなどなかったね。

 着替えと顔洗いを済ませて向かったダイニングでの朝食は昨夜のアメリカンなディナーと打って変わり日本人らしい和食である。

 メインのおかずがカンパチの煮付け、小鉢に揚げだし豆腐、ほうれん草のおひたし、なめこの味噌汁と茶碗には白米。朝の補給は100点満点といったところか。

 鼻歌でも歌いたくなるような朝食を終え、一息ついてから本日の予定である水族館へ向かうことに。

 2、30分ほどバスに揺られ着いた先にある水族館は海沿いを通り越して施設の一部が海岸と一体化しているそうで、ここならではの見どころが数多くあるとリサーチに余念のない古泉が解説してくれたが、過去合計で3回行ったか怪しい水族館なるスポットについて他との違いを楽しむなんて芸当俺には土台無理な話である。

 ここは特別大きい施設というわけではないが、流石に9人でぞろぞろと行動するのはどうかということもあり、朝食後のくじ引きで決めていた班での館内行動となる。

 そのくじ引きの結果、俺は鶴屋さん朝比奈さんの先輩2名とキョンの妹氏、それに古泉を加えた5名の班となった。

 宇宙人パワーで抽選が操作されていたとしたら間違いなく涼子が誰かしらと入れ替わりで入っているはずなのでやはり昨日の座席決めは偶然だったのだろう。疑心暗鬼になりすぎてたな。

 さて、水族館と言うと薄暗い建造物の中あっちこっちに水槽が置かれているのをイメージすると思うが、ここは動物園みたいに屋内外の展示場が点在している形だ。順路も何もなく、行きたいとこへ勝手に行けという感じ。

 涼子の方の班は涼宮が何も考えず走っていったため右往左往するのだろうが、こっちは落ち着いて見物していく方針だ。そのために広場で作戦会議を開始する。

 

 

「あたしはガキのころしょっちゅう来てたからねーっ。行き先はみんなに任せるよっ」

 

 この中で一番権力のある鶴屋さんがそう言うと決める方はかえってプレッシャーである。

 そんな状況でも涼しそうな顔で古泉は提案する。

 

 

「では、先ずは手堅く海の魚から見るというのはいかがでしょう」

 

 まあ水族館に来たのだからそうするのが無難だろう。

 古泉の意見を採用し、広場から水族館エリアへと移動する。同じ方向へ向かっていく親子連れの多さがメインストリームであることを証明している。

 海中生物なのか海藻なのかもよくわからぬキャラクターが描かれた自動ドアをくぐって館内に入るといきなり床から胸元ぐらいまでの高さの大きな水槽が目に入ってきた。

 岩や草がキャパの半分近くを占めているその水槽は淡水水槽となっており、ぷかぷかと魚どもが自由気まま泳いでいるのが見える。

 こんなもの程度では何の感情も湧いてこないのは年のせいだろうか、俺と違ってキョンの妹氏はガラスにおでこをくっつけ熱心に水槽内を見ているという熱の入りようだ。

 

 

「微笑ましいですね。僕も昔は図鑑で見たのと同じ魚を探すのに夢中になりましたよ」

 

 少年古泉の体験談など知ったこっちゃない。

 どうやらキョンの妹氏はオオサンショウウオを探しているらしい。水槽横のパネルによるとこの中に3匹ほど棲んでおり、ボクを見つけてねと書かれている。

 などと言われてもオオサンショウウオくんを見つけるのは至難の業だ、彼の身体はこんにゃくとも称される泥みたいな保護色なのだから注意深く観察しなければそれと気付かないだろう。

 だがそこは情熱溢れるちびっ子、キョンの妹氏はあっちこっち場所を変えながら探していく。そして。

 

 

「あっ、みくるちゃん!」

 

 顔をガラスにつけたまま朝比奈さんのスカートの裾をちょいちょいと引く妹氏。

 彼女の視線の先には岩の隙間に身体をすっぽり入れてるオオサンショウウオの後ろ姿が。

 思わず俺もかがんで見てしまう。意外に大きいな。

 

 

「ここのはどれも1m越えだよっ」

 

「へぇー。はぁー」

 

 自分が育てたと言わんばかりにドヤ顔を見せる鶴屋さんといたく関心の声を上げる朝比奈さん。

 居場所がバレたのを察したのか、オオサンショウウオがのそのそと体勢を変えてこちらに顔を向ける。どこに眼ん玉が付いてるかわかりにくい不思議な生物だ。

 淡水水槽を後にして先へ進んで行くと吹き抜けにドデカい水槽が見える。

 お次は海洋生物の超巨大水槽らしい。川魚よりふた回り以上は大きい魚がたくさんいる。

 古泉が魚図鑑を読み込んでいたというのは伊達じゃないようで、

 

 

「あっちがアジで、こっちがタカベですね。どちらも黄色い尾をしてますが、背びれの大きさやうろこの模様で見分けがつきます」

 

こんな風にスラスラと魚の解説をしてくれる。

 刺身や寿司が好きでも生きてる魚なんてサンマとサケぐらいしかわからない俺にしてみれば大したスキルだ。

 そして彼の良いところはうんちくを語りすぎない点にあるのかと思った。涼宮にウザったい奴と思われたらいくら低姿勢を貫いたとしても相手されなくなるのだろうし、その辺のバランス感覚というか引き際が優れているのは育ちの良さなのかね。

 自由気ままに超巨大水槽を泳ぐマンタに癒された後はフロアを移動しながら次から次へと展示されている水槽を眺めていく。魚以外にもサンゴや貝類、大きなクラゲなんかもいた。

 水族館エリアを出て次に向かうのはトドやアシカといった海の獣たちが生息するエリアだ。

 もちろん俺の目当てはゴマフアザラシ。ちょうどアザラシのエサやりショーの時間になったため飼育員がバケツ持ってやって来る。

 アザラシたちも己の役割を理解しているのだろう、水面から飼育員の立つ岩場まで腹ばいで這い上がっていく。

 

 

「やっぱゴマちゃんなんだよな」

 

「トッポイ少年はアザラシがお好きかいっ?」

 

 あんなかわいい生物を嫌う奴なんていないでしょうよ。

 それからアザラシたちの他にセイウチやトドのエサやりなんかを見て、少し早めのランチタイムとなった。

 施設内のレストランは特に動物がモチーフになってたり描かれてたりもせず、海辺のカフェみたいな感じのオシャレな店だ。

 テラス席に陣取り、潮風を浴びながら少し優雅な気分に。サングラスかけてくれば良かったな。

 まだ書き入れ時じゃないからか、5人分のオーダーが席に届けられるまであまり時間はかからなかった。

 俺が注文したのは海鮮炒めのワンプレート。匂いが美味しさを物語っているが、果たして。

 

 

「……うん。良いね」

 

 ぷりっぷりの海老を咀嚼しながら呟く。

 ごま油と魚醤油で炒めたらそりゃウマいに決まってろうよ。

 味も凄いが何より凄まじいのは俺たちがこの昼飯を実質的にタダで食べているという事実。

 ここの関係者と繋がりでもあるのか、鶴屋さんの謎の力が働き全員の入園料がロハな上この施設内レストランの食事券まで渡されているのだ。

 本当どれだけ感謝の言葉を述べても足りないくらいですわ。

 と、貸しの多さから来る台詞を吐いたところ和風ランチの味噌汁を一口飲んでから鶴屋さんはいつも通り無礼講を唱える。

 

 

「なーに改まったこと言ってんだいっ、私と君の仲じゃないか」

 

 言うほどの仲か、と思いつつも顔には出さないように平伏の姿勢を貫いていると眼前の御大は口の端をつり上げ。

 

 

「だから駄賃代わりに聞かせておくれよー、君と朝にゃんの馴れ初めについてっ」

 

「!? ゲホッゲホ」

 

 思いもよらぬ方向から飛んできた発言に驚愕してコショウが喉に引っかかりむせてしまう。

 いや、みんなにバレバレとは思ってたけどそんなこと面と向かって言われると思わなかったし、しかも俺一人の時に。

 なんでこんな事を言い出してきたのかと思えば、昨日の夜に女子全員で一部屋に集まってウノしながらガールズトークをしてたんだとか。

 となると必然的に恋バナにも話題が及び、今日のお前どうしたんだいつもよりイケイケじゃないかって感じで皆に問い詰められた涼子が俺と付き合うようになったことを白状したそうな。

 

 

「じゃあ先輩が聞きたい話は涼子から聞けたんですよね?」

 

「そうだけどさぁ、少年の視点からも語ってもらった方が厚みが増すんだよねっ」

 

 わかります、わかりますよ、わかりますけども。

 古泉は事も無げな表情をキープしているが、朝比奈さんとキョンの妹氏は興味津々といった様子でチラチラこっちを見ている。

 諦める以外に選択肢はなかった。

 

 

「馴れ初めだなんて言われましても……幼馴染なんで接する機会は多かったですけど、あんまし昔の事は覚えてませんね」

 

 覚えてないのではなく識らないというのが正しいが、敢えて言う必要はない。

 しかし何をどう説明するべきか。涼子がどんな話を昨日したか知らない身としてはそこと噛み合わない話はしたくない。

 "俺"が語れる話として必然的に中学時代を回想する形となる。

 

 

「今でこそ誰もが羨むザ・委員長みたいな感じになってますけど、中二の頭ぐらいまではキョンの妹さんと同じくらいの身長だったんで……それでいて今と性格はそこまで変わってないんで子ども委員長って感じでしたよ」

 

「涼子お姉ちゃん、あたしくらいちっちゃかったの!?」

 

 現在の完全体スタイルからは想像もつかないのだろう、妹氏が信じられないといった表情をしている。

 昔から芯がブレてないというのは涼子の素晴らしさと言えるが、当時は見た目もあって今ほど認められていなかった面もある。特に男子相手がそうだ。

 

 

「出る杭は打たれるというか、生意気な奴って思ってた連中は多かったっすね」

 

「でも"俺は違う"って感じだねっ」

 

「べつに涼子の味方でいようだなんて考えてたわけじゃあないですけど、彼女に見捨てられない程度には頑張ろう、と」

 

「にゃるほど~。それで副委員長やったりもしてたんでしょっ? うんうんっ」

 

 そんな話までしてたのか涼子よ。

 中学生活における副委員長もとい学級副代表というのは思い出したくもないほど面倒な役割だ。間違っても俺が自主的にそんなポストに納まるはずもなく、つまるところ誰もやりたがるやつがいなかった末に行われたジャンケンで俺が負けたというだけの話。

 やっぱ止めだ、昔の振り返りなんかしてもメシがマズくなる一方だ。

 結局。休日に2人で遊びに行った時の話だとか、当たり障りのないエピソードをいくつか喋ってこの場は切り抜けられたが、こんな羞恥プレイは二度とご免である。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue30

 

 

 北高文芸部夏季合宿三日目。

 泳ぐなり生き物を見るなりで昨日一昨日と海を満喫した俺たちだが、今日は場所を変えて山に向かう。

 事の発端は昨日の夜、海はそろそろ食傷気味でしょという前置きとともに鶴屋さんが肝試しをやろうと言い、せっかくならうっそうとした森の中でということになり海の別荘から離れることに。

 なんでも鶴屋さんの親戚のおばさんが所有する山の屋敷を宿泊に利用させてくれるらしい。スイートルームでの生活が惜しまれるところだが今日がラスト1泊と考えると、趣向を変えるのも悪くないか。

 例によって目的地までバスで移動。

 またしても涼子が俺の隣を無許可で陣取ってきたため昼寝せずお喋りしているのだが。

 

 

「そっちもアジ釣り大会やったんだろ?」

 

「ええ……」

 

「オレは4匹だったんだが、鶴屋さんは7匹も釣り上げてたぞ。流石だよな」

 

「……ええ」

 

「涼子は何匹釣れたんだ?」

 

「そうね……」

 

 こんな調子で生返事ばかり返してくるし、物凄いダウナーな雰囲気を漂わせている。

 理由はわかっている。彼女は今日の夜にやる予定の肝試しが嫌なのだ。

 鶴屋さんが言い出したというのもあって反対意見こそ出さなかったけど、"肝試し"というワードを耳に入れた途端表情が硬くなってたからな。

 劇場やレンタルDVDの映画を一緒に見てきたから俺は知っているが涼子は和製ホラーの類が大の苦手だ。怨霊だとか日本人形だとかその類と言えば分かりやすいか。

 ギャグに寄ったプロモーションしてた【貞子vs伽椰子】でさえ一緒に見ないかと冗談半分で誘っても。

 

 

「……絶っ……対行かない……あなた一人で見てきて」

 

 と心底嫌そうにNG出されてしまった。

 苦手なのはあくまで和製ホラーだけで海外発のクリーチャー主体SFホラーやパニックホラー、人間にフォーカスしたサイコホラーなんかは普通に見れる。ホラー全般がダメというわけではない。

 きっと幼少の頃に見た【リング】とかその辺の和製ホラー映画がトラウマになってるのだと思われる。試す前から涼子の肝がぷるぷる震え上がっているのは間違いない。

 しかし幽霊みたいな存在と自称していた宇宙人が自分に憑り付いていると彼女が知ったらどうなるんだろう。

 なんて疑問は捨て置くとして、少しでも涼子の気を紛らわそうと合宿から離れた話題を出す。

 

 

「鶴屋さんから聞いたよ、中学の時の話をしたんだって? 何を言ったんだ」

 

「べつに特定の個人を攻撃するような発言はしてないわよ」

 

「どうだか。副代表やらされてたのってオレの黒歴史トップテンに入る出来事なんだけど」

 

「そういう星の下に生まれただけじゃないかしら。そもそも黒歴史って言うほど嫌なら()()()()()()()()()()()?」

 

 単なる運の無さだと割り切りたいのに運命論まで持ち出してくるとは。

 俺だって高2で副委員長とかいう名ばかりスーパーサブやらされるなんて考えたくもなかった。

 こちらが忌々しがっているのを見て悪どい笑みを見せる涼子。狙い通りの成果を得たはずなのに気分が悪い。

 だからこそ俺は特に違和感も無いまま彼女を辱めるためのエピソードを掘り起こすのに躍起なのだろう。

 

 

「こっちも昔の君の話をしてやったけど、本人の名誉を思ってあの話だけはしないでおいたんだぜ」

 

「……あの話って?」

 

「中2の頃は色々あったっけな」

 

 俺の言葉に心当たりがあるのか、涼子の顔から余裕の笑みが消える。

 何もハッタリをかけているわけではない。

 確かに彼女は俺が知る中で一番完璧超人に近いが、どんなヒーローにもオリジンがあるように彼女も今日に至るまで失敗の一つや二つやらかしているわけで。

 その中で中学2年の話となれば指し示す符号はたった一つ。

 

 

()()()()ね……」

 

「さあ、他にもあるかも」

 

「そんなわけないでしょう」

 

 まるでスラダンのワンシーン、メガネくんに帰りの飛行機のチケット予約しとけよと煽られた板倉みたいな形相で俺を睨む涼子。およそ彼氏相手に見せていい貌ではなかった。

 たちまち剣呑な雰囲気になりかけるが、そうは言ってもその一件に関して俺は彼女の暴走に巻き込まれた側なので感情論以外で責めることはできない。珍しく俺に正当性があるのだ。

 となれば聡明な涼子はお返しに俺の耳が痛くなるエピソードを出し、こっちも次のネタを出す、といった会話の殴り合いに発展した。

 そんなやり取りの甲斐あってかバスを降りる頃には涼子の頭の中から肝試しへの恐怖がすっぽり抜け落ち、ほぼほぼ通常状態に戻っていた。

 で、雨が降ったら猫バスがやってきそうな田舎の山中停留所から5分くらい歩くとこれまた立派な日本屋敷の姿があらわに。

 

 

「これはこれは」

 

「もう何を見ても驚かん」

 

 格式ある文化財みたいに厳かな屋敷を前にしては古泉もキョンも圧倒されまいと声をあげるので精一杯か。

 関係者の鶴屋さんと一緒にずかずか進んでく涼宮の面の皮は厚いを通り越して鉄仮面レベルだ。

 出迎えてくれたおばあさんが言うには昔は大家族でここに住んだりもしてたそうだが、今や別荘としてさえ使われなくなった持ち家なんだとか。つくづく庶民には想像つかない世界の話だね。

 今日一日過ごすことになる和室は完全に旅館のそれだった。もちろん豪華さでいえば昨日までいた海の別荘の方が上と言えるがアレは例外中の例外だし、この和室も1人で使うにゃ充分すぎる。

 部屋に荷物を置いてから居間へ向かう。

 

 

「なんか不思議な安心感がするわ」

 

 開けっ放した窓から外縁に出て涼子が言う。

 都会の喧騒から離れた、と形容するには些か離れすぎな気もするが、外にはきちんと手入れされた芝生が青々と生い茂る庭と時おり心地よい音を立てる風鈴。ここは間違いなく心落ち着ける環境と言えよう。

 そして涼子と並んで外縁に座ってみると完全に精神的なスイッチがオフになってしまった。

 

 

「こんなとこでぼーっとしてると……もう何十年も生きた気がするよ」

 

「なに腑抜けたこと言ってるの。まだハタチにもなってないでしょうに」

 

「メンタリティの問題だろ、実年齢は関係ないって」 

 

「ぷっ……」

 

 吹き出しそうになったのを手で抑える涼子。

 あんまりだ。逆の立場だったら実力行使に出られててもおかしくないほどの狼藉ではなかろうか。

 余程げんなりしていたのか、涼子は俺の顔の切り替わりを見てなだめるように。

 

 

「もう。私が悪かったから拗ねないの」

 

「べっつに……拗ねてないよ、慣れっこだし」

 

「あーあ、せっかく素直になってくれたと思ったのに」

 

 がっかりさを演出するためか涼子はわざとらしく目元を両手で覆う。

 素直とか言われても、な。あまのじゃくやってるわけじゃないし。

 まあ、思ったことをそのまま伝えるのも素直さの一種か。

 

 

「オレはただ何十年か後もこうして君と余暇をまったりできたらなって……」

 

 そう言うと涼子が俺の右肩に身体を寄せてきて。

 

 

「できたら、じゃなくてそうするんでしょ?」

 

 いよいよ俺はこの世界での人生設計に着手しなくちゃならないのだと覚悟させるような言葉を吐く。

 自分でも調子のいい奴だと自覚はしているが、ある意味年齢相応の思考回路をしていたのだ。

 と、いくら正統化したところで第三者からすれば俺と涼子は完全に色ボケた男女にしか見えず、合宿どころかデートしに来たカップルって感じなわけで。

 

 

「うぉっほん!」

 

 後ろから鶴屋さんが露骨な咳払いをしてから。

 

 

「昨日の分までイチャつきたいのはわかるんだけどさっ、先輩からの差し入れだぞっ。ちょっち中断して食べておくれよ!」

 

 居間のテーブルに置かれた三角カットのスイカを指差して言う。

 他の面々からの視線が妙に生暖かい――あの涼宮ですら――という状況は俺のSAN値を削るには充分であったが、これに関しては慣れるしかないと割り切ることにした。でないと死ぬぜ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 せっかく山に来たのだから、ということでスイカを食べ終わった後は虫取りに出かけることになった。

 服装はともかく網やカゴといった昆虫採取道具なんて誰も持ってきてるはずないのだが、そこは流石の鶴屋さん、昨日の内に人数分の道具を用意していたらしい。これで使わなかったら金の無駄とかそういう発想すらなさそうなのが恐ろしい。

 ともかく虫取りが決行される運びとなった。

 ゲーセンに置いてある昆虫王者なバーコードカード排出ゲーに興じていた過去を持つ俺も山にまで来て虫取りするのなんか初めての体験だ。

 当然、ロクな成果は得られず。樹々の少ない開けた場所で迷い込んだように一匹飛んでたモンシロチョウを網にかけただけに終わる。

 他の連中も精々がセミだのちっこいミヤマだかヒラタだかのクワガタだのといった感じたったが、どんな魔法を使ったのか長門さんの虫かごには随分立派なツノを携えたヘラクレスオオカブトが収まっていた。ビギナーズラックってやつか。

 

 

「確かに獲物の凄さで言えば有希がトップかもしんないけど、捕まえた数はあたしの方が上だから」

 

 またしても自分に都合の良い理論を展開する涼宮の虫かごはモンスターハウスかってぐらい大量のセミが入れられている。こいつのセミに対する執着はなんなんだ。

 そのセミどもも最後には一斉リリースを行い、ヘラクレスオオカブトだけをトロフィーとして夕方前には日本屋敷に戻った。

 晩御飯は家主のおばさんが手作りしたニンニク抜き餃子と山菜のおひたし。ステーキと比べるとインパクトは無いが、立派な家庭料理を美味しく頂く。

 そして食事を済ませると、いよいよその時は訪れた。

 

 

「はーい、それじゃグループ分けするよっ」

 

 陽が沈みすっかり暗くなった日本屋敷の中庭、鶴屋さんが懐中電灯で自分の顔を照らしながら言う。

 外に出てからずっと渋い顔をしている涼子より肝試しに乗り気なキョンの妹氏が参加するに相応しいのだが、彼女は虫取りで動き回った疲れからかご飯を食べ終えるとすっかり爆睡してしまったのであえなく欠席である。

 

 

「妹ちゃんの面倒はおばちゃんがみてくれるから、りょこたんも安心して参加するにょろよ」

 

「あははは、楽しみだわー」

 

 名指しされ逃げ場を完全に失った涼子はやけくそになっていた。

 なおグループ分けといってもアトランダムなどではなく、夜道を進むということもあって男女混合となるように妥当なペアが決められた。つまり光陽園のコンビ、長門さんとキョン、パイセン2人、そして俺と涼子だ。

 

 

「トップバッターはもちろんあたし! あんたらトーシロが超自然的存在に対処できると思えないしね」

 

 順番決めに際し機先を制するようにこう宣言したのは涼宮。

 宇宙人と会話したことのない彼女が俺を素人呼ばわりとは笑えるね。そっちは対処できるのかって話だ。

 といっても俺は涼子に憑り付く"彼女"以外の超常的な輩と知り合いになんてなりたくないが。

 涼宮と古泉は肝試しじゃなく不思議探検の延長上なノリでとっとと行ってしまう。

 

 

「ほいじゃお次は誰行くーっ?」

 

「……私と彼で」

 

 気を取り直してといった感じで投げかけられた鶴屋さんの問いかけに対しおずおずと手を挙げたのは涼子だ。

 さっさと終わらせたいというオーラ全開の彼女を咎める者はいなかったため、数分経過したのを見計らって俺と涼子はけもの道を進み出した。

 曲がりなりにも肝試しなのだから俺は渡された懐中電灯を右へ左へと照らしてお化けを探すようなムーブをするべきなのだろうが、マジにビビり散らかしてる隣の彼女を相手に冗談でもそんな行為はできないので数歩先の足元を照らし続けるのみに動きを留めている。

 しかし涼子の怯え竦みたるや、俺の右肩に縋り付く有様である。

 万が一、魑魅魍魎の類が出てきたら俺が何とかしてくれると思ってるかもしれないので彼女に一応伝えておく。

 

 

「なあ。今のうちに言っておくけど、オレはウィンチェスター兄弟みたいに悪霊退治なんて無理だからな。マシュマロマンが出たらゴーストバスターズを呼んでくれ」

 

「……そこは嘘でも俺に任せろって言ってほしかったわ」

 

「いつも素直にがモットーなんで」

 

「何よそれ、後付けもいいとこじゃない」

 

 だよな。

 戯言を並べたところで神経衰弱以上の効果は得られないため右腕で彼女を抱き寄せる。

 横目で涼子の様子を窺うと、何故かぐぬぬと悔しそうな表情をしていた。Why。

 よほど間抜けに見えたのか俺がどれだけ人の心がわからない奴なのかを彼女は説明してくれた。

 

 

「今だから言ってあげるけどね、あなたずーーーーっとこんな感じのこと私にやり続けてきたのよ。付き合ってもないただの幼馴染相手に」

 

「まさか。オレはキングスマンに入れるくらい紳士的な男だぞ」

 

「よく言うわ妖怪女たらし。胸に手を当てて自分の行いを振り返ってみなさい」

 

 右腕は涼子、左腕は懐中電灯で塞がっているため実際にポーズを取ることはしないが、女たらし等と揶揄されるような行動を本当にとっていたか思い返してみる。

 ちなみに直近1年分は彼女からの好意を自覚していたためノーカンだ、この発想が既に終わってるのかもしれんが。

 少し時間を貰ってはみたものの思い当たる節などなかった。しかしながらこれは受け取り方の問題であり、彼女をなるべく尊重するようにしてきたのは確かなのでそういう思いやりの心が拡大的に解釈されたのだろうと結論付ける。俺が悪いということにしとけばいいのだ。

 

 

「わかったよ、態度を改めればいいんだろ」

 

 そう言って俺は右腕を離したが距離感は変わらず、むしろ彼女が俺に寄って来ている状態に。

 こっちが何か聞くよりも先に彼女が消え入るような声で。

 

 

「改めなくていいわよ……私相手だけは」

 

 なんて言うもんだから少しの間、歩く速度がカメよりもすっとろくなってしまった。彼女が可愛すぎるのが悪い。

 ホラー映画の死亡者ランキングの1位にバカップルが君臨する理由がなんとなくわかるだろ。

 そんなこんなでちんたら歩いていると開けた場所に到着した。涼宮と古泉がいるのを見るにここがゴール地点らしい。

 進んで行くと道が木の橋と繋がっており、周りは池になっていた。さしずめ山の公園といったところか。

 

 

「あら、二番手はあんたら?」

 

 こちらに気付いた涼宮が面白くもなさそうな顔で独り言のように言う。隣の古泉は「お疲れ様です」と労いの言葉と軽い会釈。

 涼宮の表情からしてめぼしい成果が無かったようだが俺と涼子に何か見つからなかったか聞いてこないのは何故なのか。

 

 

「はっ、肝試しは随分楽しんだみたいだけど幽霊を探す努力してたように見えないんじゃ聞く気にもなりゃしないっての」

 

 失笑混じりに涼宮が述べた内容はこちらがどのように受け取ろうと事実であることに違いはない。

 無駄な努力御苦労様、と声には出さず内心呟いてから橋の手すりに肘を乗せ夜の池を眺めることにした。 

 田舎の山ならではだろうか、時折水辺を黄色い閃光が飛び交っている様が見受けられる。蛍だ。

 

 

「綺麗ね」

 

 普段じゃ中々お目に掛かれない幻想的な光景を前にして恐怖心が薄れたのか素直に感じ入る涼子。

 あれを人魂とかオーブとか呼ぶには小さすぎる気もするが、それでも俺はごく自然と口走ってしまう。

 

 

「幽霊の正体見たり枯れ尾花、ってな」

 

 すぐに右から俺の脇腹に肘鉄が飛んできた。

 

 

 

 

 







朝倉さん「私とは付き合えないって言ってたくせになんなんでしょうか。そんなだから女たらしって呼ばれるんですよ」

俺氏くん「オレは女たらしじゃあない」

ゆきりん(えぇ……(長門有希ちゃんの困惑))

鶴屋さん ※ワイ鶴将、今後みくるの半径2m以内にトッポイ野郎立ち入り禁止を決意

ハルハル ※どうでもいい。てっきり木陰でヤってから集合場所に来るもんだと思ってた






目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue31

 

 

 

 

 

 三泊四日にわたり大自然を満喫した文芸部の夏季合宿が終わってから二週間と数日が経過した。

 その間の大きな出来事として挙げられるのはカナダから一時帰国した涼子の親父さんとお母さんに娘さんとの交際を報告したことだろう。

 まさかこの年でそんな仰々しいことをやる羽目になるなどと数年前には微塵も思っていなかった俺だが、真剣な男女交際をする以上高校卒業後の身の振り方を抜きにしてもご報告の場は必要だった。

 大企業で立場あるお方の一人娘を貰い受けようというのだ。弱い人間なりに相当の覚悟を持って臨んだのは言うまでもなかろう。

 

 

「……何してるの?」

 

 報告の当日、馴染みのマンションまで俺一人で向かっても良かったが主にメンタル面を心配されたため涼子に迎えに来てもらうことにした。

 そしてお決まりのパターンで俺を起こそうと部屋に入った彼女が見たのは寝間着姿のままベッドの上で眼を閉じ正座している俺。

 

 

「見ての通り、瞑想をしている」

 

「残念だけど私には迷走してるようにしか見えないわ」

 

「そう言われると思ったよ……」

 

 彼女が来た時間帯がいつもより遅かったのでとりあえず起きていたが、仮に寝ていたらこの前みたいに甘々な起こし方をしてくれたのかもしれないと思うと惜しい気分になる。まあ、今日ばかりはそんな展開なさそうだが。

 なるべく落ち着いた服装になるよう心掛け、アメコミ原作映画が好きな女性は日本の特撮映画は見ないのだろうかなどと現実逃避じみたお喋りをしながら移動して、いよいよ敵陣本丸である某マンション505号室前まで来た。

 今日に関して涼子の両親には詳細を伏せたまま大事な話があるという旨だけを伝えている状態だが、きっとおおよその察しは付いていたことだろう。

 世辞かマジか知らんけど、実年齢よりも綺麗で若いだとか言われるのを度々耳にするうちの母よりもひと回りくらい若く見えるアンチエイジングの域を越えた涼子のお母さんに快く部屋へ招き入られ、いよいよ一挙手一投足に神経を尖らせる時間がやってきた。

 まるで家族会議。俺と涼子、ご両親の2対2でテーブルを囲むとジャブのような世間話もそこそこに俺は単刀直入に言い出した。

 

 

「自分は涼子さんと将来を考えたお付き合いをさせてもらっています」

 

 やはりこれくらい想定済みだったのかご両親は素面のまま俺の言葉を受け止める。

 一秒。

 十秒。

 無言の間がしばらく。

 時が止まったようにさえ思えた。

 やがて神妙な面持ちで正面の親父さんが口を開いた。

 

 

「"将来を考えたお付き合い"などという言葉は簡単に言っていいものじゃない。仮にそう思ったとしてもだ、それを私と家内の前でするということは今後こちらもそういう認識で君たちのことを見ることになる。何かあったらお互い無責任じゃ済まなくなる」

 

「子どもの戯言に聞こえるかもしれませんが、自分は深刻な話をしているつもりです」

 

「本気で言っているんだな?」

 

「「はい」」

 

 頷きながら声が合う俺と涼子。

 彼女も俺も一時の迷いなどではなく生涯の伴侶として今後を過ごしたいと――割とイチャつきながら――事前に話し合っていたとはいえ、こうして他人に打ち明けるまでは若干の不安があった。

 だからこそ改めて気持ちを確認できた今この瞬間が少し嬉しくある。

 親父さんはこちらの返事に一言「そうか」と呟いてから。

 

 

「……もう十年以上も前になるのかな。私たちと君の家族とで志摩にあるいいホテルに泊まった……あの時、ホテルの廊下で楽しそうに追っ掛けっこする涼子と君を見て、もしかしたら今日みたいな日が来るかもしれないと思ったよ」

 

 穏やかな口調で"俺"の識らない過去を追想する。

 そして深く息を吐いてから言葉を続けていく。

 

 

「いくら涼子が本気だったとしてもどこの馬の骨とも分からぬような輩が相手なら私は簡単に認めないだろう。別れろ、と言うかもしれん」

 

 だが、と俺の顔を見据え。 

 

 

「君で良かった。私も家内も反対する理由がない」

 

 "俺"か、それとも"俺"以前の俺かは知らないがそれなりの信頼は積み上げていたらしい。

 厳しい言葉をいくつか貰っても引かない不退転の気概でいただけに、こう言ってはなんだが拍子抜けだ。

 

 

 ――――後は気楽なもんだった。

 涼子と俺がくっついたのがそんなに良かったのか、ぽろぽろと嬉し泣きする彼女のお母さん。

 それを見て恥ずかしくなった涼子が「まだ泣くようなタイミングじゃないでしょ!」と言う。

 すると親父さんはどこぞのリゾートホテルに続いて昔話をして感無量の面持ち。

 暖かい家族の団欒を見て柄にもなくほっこりしてしまう俺。

 と、これにて一安心ではあったが、もう一つの本題であるカナダ行きに関しては宿題を出される形となった。

 つまるところ涼子と俺の2人でどうするのかを選んでほしいというのだ。

 親父さんは俺なら安心して任せられると言ってくれたが正直な気持ちとしては涼子にカナダに来て欲しいそうで、仮に俺が涼子と一緒に渡加するのであれば全面的に生活を支援するとまで言う。

 その他細かい話は諸々あったものの、どうあれ後悔しないようにしっかり考えてから答えを聞かせてほしいとのこと。

 これが事の顛末だ。

 

 

「なんか取り越し苦労しちゃったって感じね」

 

 夕方まで滞在した505号室からの帰り、エントランスまで見送りに来た涼子が苦笑しながら言う。

 今回ばかりは日頃の行いが良かったということだろう。

 

 

「なーに調子いいこと言ってるの、私のこと1年間もキープしてたってお父さんに言いつけちゃうわよ?」

 

「ごめんなさいすいませんマジで勘弁してください」

 

 下降中のエレベータで恋人相手に土下座するような情けない男が日本で俺以外にいたら教えてほしい、いい酒が飲める仲になれると思う。

 自分で蒔いた種に苦しむ俺を哀れんだ涼子は顔を上げなさいと優しい声をかけてくれた。もっとも満面の作り笑いを浮かべられては安心もできなかったが。

 

 

「ねえ、誠意は言葉じゃなくて行動で示すべきだと思わないかしら」

 

 どこぞの野球選手みたいなことを言われても具体的に何をすればいいのやら。

 俺のそんな察しの悪さなど知ってましたといった様子で言葉を続ける涼子。

 

 

「私たちまだ1回しかしてないわよね」

 

「……ここで?」

 

「今は2人きり、でしょ?」

 

 この時俺が思ったのはもっとガツガツ行くべきなのだろうかという疑問であるが、これからもそばにいてほしいという要求を呑んでもらえた時点で割かし満足していた俺と1年以上フラストレーションを溜めていた涼子との間には根源的な欲求という部分において開きがあった。そこら辺を自覚する頃には完全に後に退けない状態となっていたけれども。

 そんなこんなで土下座の次はお熱い口づけをエレベータ内で彼女と交わし、当座のXデーを無事に終えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、8月も中旬を迎え本格的な夏休みに突入しようかという中、俺は涼宮に呼び出される形でいつもの喫茶店へと向かっていた。

 電話越しの女は何用か一切語らなかったが何をするかといえば夏休み活動計画の大詰めだ。

 何故断言できるのかというと、俺同様に喫茶店集合とだけ涼宮に言われて電話を切られた涼子が「用件ぐらい言いなさい!」と逆ギレして電話をかけ直して聞きだしたからだ。事実上、涼宮ハルヒの敗北である。

 

 

「勝つとか負けるとかじゃなくて最低限の礼儀をしなさいって話よ」

 

 芋虫を食べたような顔で親しき中にも礼儀ありを語る涼子。

 エンドレスエイトよろしくいきなり市民プールとならなかっただけここの涼宮は幾分かマシだと思うがね。

 そのかわり恐らくこれから夏休み最終日の今月末までは待ったなしで遊びに出掛ける日が続くのだろう。

 

 

「確かに涼宮さんならそう言い出しかねないわね」

 

「終業式に立てた活動計画のうちまだ3つしかやれてないからな。残りを全部やるとなると1週間じゃきかん」

 

「何も全部やる必要ないでしょう」

 

「それは涼宮に言ってくれ」

 

「……家でエアコン浴び続けるより健康的だと思うことにするわ」

 

 思い返すまでもなく過去の俺の夏休みは虚無虚無プリンそのものであった。ちなみに中学時代の涼子のパジャマは恵体ペンギン紳士ことタキシードサムだ、そして俺が一番好きなのはペンギン違いのばつ丸くん。

 そんなキャラ物事情はさておき、去年までと違って彼女がいるわけだし今まで待たせていたぶん夏休みくらいふたりの時間を確保するべきだと思った俺は合宿が終わってからほぼ涼子と顔を合わせていた。

 ご両親が帰国していた一週間弱についてもそうであったため、親父さんが部屋は余っているのだから涼子と一緒に505号室に住んではどうかと言い出したほどだ。それなんてエロゲ?

 流石に思考停止でハイとは頷けなかったが、渡された合鍵を拒むことはできなかった。合鍵に関しては持っている方が都合いいけど。

 要するに今日から文芸部の学校外謎活動漬けになったとしてもお釣りがくるぐらいには朝倉さんラブラブポイントを貯めていたというわけだ。まさか彼女の家の墓参りまで一緒に行くとは思ってなかったが。

 親父さんに誘われたからホイホイついて行ったものの、彼女の祖父母に婚約者通り越して旦那みたいな感じで認知されたのは果たしてどうなんだろう。気が早すぎないか。

 

 

「なんというか、オレたち物凄い勢いで外堀を埋められてるよね?」

 

「外堀どころじゃないわ。包囲網よ」

 

 言い得て妙だ。

 もちろん長い付き合いのある幼馴染だからこそ信頼の目で見られているというのはわかる。

 それにしてもせめて高校生の間は何も言わず見守っててほしいものだ。再三言うように、俺は周囲に気を遣うという行為が死ぬほど苦手なのだから。

 

 

「あらそうなの? 愛想よくとはいかないまでも結構まともな感じだったじゃない」

 

「まともって……褒め言葉と受け取っておくよ。そしてできるできないの苦手じゃなくて好きか嫌いかって方の苦手だ。神経を削りたくない」

 

「もう、大人になりなさいよ」

 

 俺がダメ人間なのは間違いないが、涼子は涼子で立派すぎやしないかと思う。

 とかなんとか言っているうちに北口駅近くの喫茶店に到着した。

 店内には店主かってぐらい偉そうな雰囲気でテーブル席を確保していた涼宮と、当然のようにセットでいる古泉。

 ほどなくして長門さんとキョンもやってきて、涼宮が呼び出した全員が来た形になった。

 

 

「それじゃ改めてこれからの活動計画を確認するわよ」

 

 八つ折りにされてたA4サイズの紙切れが展開されテーブルに置かれる。

 あの日ホワイトボードに書かれてた内容がそっくりそのまま転写された手書きの計画書だ。

 涼宮はその文字の中から既に達成済みのものにペンでバッテンマークを付けていく。

 

 

「肝試し……はあれでいいけど、釣りは水族館のだったし違うわよね。やっぱ川でやんないと」

 

 合宿、昆虫採取、肝試しとバッテンが付いたが、涼宮の中で釣りは未達成らしくバッテンを回避した。

 そして残ったのはというと、だ。

 

 

・プール

・盆踊り

・花火大会

・天体観測

・釣り

・ボウリング

・映画館

・芸術鑑賞

・バッセン

・その他

 

 

 改めて見ると呆れてくる。

 小学生が運動会の夜に連れてってもらったバイキングで後のこと何も考えず目についた料理取りまくったワンプレートみたいな内容だ。

 ま、こんなもんかしらと納得した様子の涼宮は横のよくできた部下に早速指示を出す。

 

 

「古泉くん、この辺りで明日以降にやる予定の盆踊りか花火大会を調べといて」

 

「承知しました。追って連絡致します」

 

「任せたわよ」

 

 眉ひとつ動かさず雑務を引き受ける古泉。

 毎度ながらこの男が絡むと謎の機関が介入してそうで変に勘ぐってしまう。

 早速どれかしらの活動に取り組もうかと思われたが、喫茶店を出れば生憎の土砂降りの雨。こんな天気では興が乗らないといった様子の涼宮は。

 

 

「これじゃ移動するのも億劫ね、今日は解散にしましょ。その代わり明日からは倒れるまで遊び倒すわよ!」

 

 倒れたいのか倒したいのかそもそも彼女が何を相手してるのか不明瞭な発言だ。

 結局、何をする予定かも言わずに古泉とともに去ってしまう涼宮。機関が用意した如何わしいホテルで雨宿りでもすればいいさ。

 明日のことは明日決めるのであればわざわざ今日集まる意味あったのかね。ここの喫茶店にお金を落とすのはやぶさかではないけども。

 何をするにしても日中の微妙な時間帯であるため、俺も帰ってプロスピのペナントモードでもやろうかと思ったが涼子の買い出しの手伝いに同行するため直帰ではなくなった。

 となると必然的に彼女の家まで荷物を運ぶことになり、その結果リビングで出された麦茶をすすっているわけだ。

 

 

「ありがと。お礼に肩でも揉んであげましょうか?」

 

 購入した商品をしまい終えた涼子がリビングにやって来るなり嬉しくなるようなことを言う。

 なればこそ、こちらも遠慮せず彼女に注文をつける。

 

 

「久々に怪獣ドーナツが食べたいから作ってほしいな」

 

「ええ、わかったわ」

 

 じゃあ出来上がるまで待っててねと言い残して再びキッチンに引っ込んでいく涼子。

 その間完全に手持が無沙汰な俺はテレビの電源を入れ、ファイヤースティックを操作して画面を切り替え、吟味した末に昼間見るのに無難な映画を再生する。

 ストリーミングサービスより映画館に行くことを選ぶ俺だが、ストリーミングサービスを利用しないとは言っていない。こうやって人様の家で見る分には強力すぎるコンテンツだと思う。

 

 

『...You suicidal?』

 

『Only in the morning』

 

 劇中のオーシャンズが大強盗のための仕込みを進めている頃、キッチンから涼子が戻ってきた。

 テーブルに置かれたお皿の上に盛られている不格好なきつね色の塊たちはまさしく俺の好物である怪獣ドーナツそのもの。そして俺が何も言わずともマグカップにコーヒーを淹れてくれているところが涼子だ。

 素晴らしい仕事ぶりには最大級の賛美で讃えるべきであろう。

 

 

「君はいいお嫁さんになれると思うよ」

 

「ふふっ。じゃああなたにはいい夫になってもらわないと」

 

 そう言ってこちらにもたれかかってくる涼子。

 つい二、三ヶ月前まではこんなふうにソファに座って映画を見るにしても俺と涼子の間に多少の間隔が空けられていたが、今やそんなものは気の弾みでなくとも完全になくなってしまっていた。

 このバカップルモードがいつまで続くのかはわからないが、終了した時に後悔しないためにも彼女との密着を楽しんでおくことが大事だ。

 もちろん、挑戦的な言葉を吐いた可愛い彼女をからかうことも忘れない。

 

 

「オレの理想の夫像はダニーだ」

 

「かっこいいのは認めるけど盗みで生計を立てるような夫は人として最低だと思うわ」

 

「この映画の結末は知ってるだろ? そんな夫を妻が受け入れて、ハッピーエンドさ」

 

 できたての怪獣をひとつつまんで口に運ぶ。

 甘くてほやほや、良い意味で雑な出来上がりなのがたまらない。カロリーボムってやつだ。

 そいつをブラックコーヒーで胃に流し込んでやると、最高。この世のありふれたおやつが馬鹿らしく思えてくるね。

 

 

「……ねえ」

 

 小腹を埋めながら気分よく映画の展開を眺めていると不意に声をかけられたので視線を横に向ける。

 いつの間にか右腕に抱き付かれていたが、そんなことは気にしちゃいない。彼女の言葉の続きを待つ。

 

 

「その、良かったらだけど……今日は晩御飯、うちで食べてかない?」

 

 とりあえず二つ返事で了承した。

 後の話は割愛させてもらうが、何にしてもハードワークが予想される翌日に支障をきたさないようにしなくちゃな、と薄らぼんやり考えながら夜まで過ごしたとだけ言っておく。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue32

 

 

 

 

 喫茶店の集まりの翌日、雨も上がり外は夏としか言いようのない熱気が立ち込めている有様。

 まさしく絶好の運動日和と判断したのか涼宮が初回に指定したのはバッティングセンターだった。

 幹線沿いにあるバッセン前を通り過ぎることは何度もあったが実際に入店したのはこれが初めてである。

 明日にでも心筋梗塞で倒れてもおかしくないようなお爺ちゃん店員のちんたらとした受付を済ませた涼宮に対しキョンは。

 

 

「わざわざ開店時間に突撃するなんて、甲子園に影響されたのか?」

 

「はぁ? ジャリボーイどもの草野球なんか興味ないわあたし。野球星人が攻めてきた時にボコスカ打ち負かしてやるための練習をしに来たのよ」

 

 このイカレ女の発言がどこまで本気か知らないが少なくとも彼女の横につっ立ってる営業スマイルばら撒き野郎の古泉はマジに受け取ってることだろう。だが野球星人なるインベーダーがわざわざ侵略に来たとしてもこいつらに地球の命運は任せたくない。現役メジャーリーガーから選抜したドリームチームか、最低でも侍ジャパンにお願いしたいね。

 お昼まで適当に遊ぶ形となったが、やはり複数人で来た以上は打率を勝負したいものである。

 いや、俺は別にそんな勝負を求めてなどいなかった。したいとか言い出したのは親愛なる我が幼馴染、涼子だ。

 ヤンキー漫画の不良みたいにレンタルの金属バットを肩に乗せ、人差し指を俺に突きつけこう言った。

 

 

「打率勝負よ!」

 

 なんか彼女テンションが涼宮に引っ張られてるように見えるんだけど。

 勝負勝負と俺なんか打ち負かして楽しいのかね。楽しいんだろうな。

 昨日は生後二ヵ月の子猫ちゃんみたいに全力で甘えに来てたのに今日はこれだぜ、フラットな低空飛行で生きてる俺からすると切り替えが凄まじい。

 そんな感じのことを涼子に言ってやると彼女は自分が昨日見せた恥ずかしいムーブの数々には一切触れず。

 

 

「ダウトね、今更クールコアぶっても遅いわよ。"個人授業"の時のあなたの音声を聞かせてあげましょうか?」

 

 お前もテンションに高低差あるからなと言われてしまった。

 あの時は確かにテンションがおかしかったので自分の発言などあまり覚えてないが絶対変な事ばっか言ってたよ俺。

 

 

「ええ。他の子が聞いたら変態呼ばわり間違いなしね」

 

「……というか音声なんて録音してたのか」

 

「カードは多く持っておいて損はないでしょう?」

 

 何かあれば脅しの材料にでもするつもりらしい。恐ろしすぎるぞ。

 さて、バッティングセンターを利用すること自体今回が初なので他の店がどうとか全く知らないが、ここの最速は150キロで最遅が80キロ。オプション設定を変えれば変化球も混ぜてくるようになり、1回20球で交代。

 まずは肩慣らしよね、といきなり140キロのレーンに突っ込んでった涼宮ハルヒとかいう超高校級のアホはさておき、ズブのトーシロである俺と涼子はハッキリ言って100キロレーンでも低レベルな結果しか出ないだろう。そこんとこどう考えてるんだ。

 

 

「条件はイーブンなんだから地力が結果に出てくれるわ」

 

 過去の勝負を振り返ってみて、俺が腕に覚えのある競技でさえ涼子が惜しいとこまで食いついてきてるという事実を理解して言っているのか君は。だとしたらお前に勝算なんてないと言っているようにしか聞こえない。

 というかまともなバッティング経験は皆無って言ってやったら勝算アリって感じでニヤニヤし出すし、このままでは戦う前から敗北が決まってしまうのでハートだけでも負けないように己を鼓舞する。

 決戦は120キロ直球のみのレーンで行うこととし、ジャンケンの結果先攻が涼子で後攻が俺となった。

 

 

「まあじっくり見てなさい」

 

 言われんでもそうするさ。

 レーン後ろのベンチに腰掛けガラス戸越しに涼子の勇姿を眺める。

 俺が彼女との日常会話でこちらから出す数少ない話題の一つが日本プロ野球――主に贔屓チームの試合について――なのだが、彼女はNPBの中継なんて殆ど見ない。バッティングフォームの基礎さえ知らないような女だ。

 にも関わらず、天性の才能かはたまた憑りついた宇宙人の仕業か、吉田正尚ばりのフォロースル―で繰り出されたフルスイングは3球目にしてバックスクリーン位置にあるホームランターゲットに白球を叩きこんでいた。ふざけんな。

 こうなるとお手上げだ。涼子はすぐにコツを掴んでしまいバカスカ打つようになってしまった。やってられんね。

 20球を終えてレーンから出てきた涼子は力いっぱいバットを振り回していた割に涼しげな顔で。

 

 

「ホームランは2本だったけど13球打てたわ」

 

「おかしくねぇ……? 実は隠れてここに通ってたりしてないよね?」

 

「まさか。まともにバットを持ったのなんて今日が初めてよ」

 

「ドヤ顔かわいいからやめろ」

 

「ふふっ。さ、次はあなたの番ね」 

 

 お手並み拝見といった雰囲気でレーンに送り出された俺。

 精神統一の時間もロクに与えられず、無情にも目の前のスクリーンは投球のカウントダウンを開始する。

 イメージするのは常に最強の自分――ではなく最もリスペクトしている打者、異名は北の侍こと小笠原道大。

 だがガッツの変態的フォームは類稀なるバットコントロールあっての代物であり、俺なんかが彼の打撃をちっとも模倣できるはずもなく、20球中6安打うちホームラン0、自打球1と圧倒的な力の差で無事敗北した。

 倦怠感とともに打席を後にした俺を涼子は満面の笑みで迎えてくれた。

 

 

「お疲れ、ナイスファイト」

 

 仮に俺が勝ってたらさぞ悔しそうな顔をしていたことだろう。

 勝者への貢物としてジュースを献上する羽目になった俺はゲームコーナー脇の自動販売機へと重い足取りで向かう。

 その道中、80キロレーン後ろのベンチで座って交代を待つキョンを見かけたので愚痴を言うことにした。

 

 

「オレの彼女がチートすぎるんだが」

 

「なんだいきなり。惚気話がしたいなら帰ってくれ」

 

 彼の視線の先にはバッターボックスに入っている長門さんの後姿。

 だが彼女は運動神経抜群の宇宙人モードではない、へっぴり腰で80キロの球を振り遅れていた。これが普通だよな。

 

 

「野球経験のない普通の女子は長門さんみたいになるはずだぞ」

 

「知らん」

 

 さらさらまともに取り合ってくれないようなので俺は80キロレーンベンチを大人しく通り過ぎ、自動販売機でいちごオーレと自分用の微糖コーヒーを買って涼子がふんぞり返っている120キロベンチへと戻る。

 受け取ったいちごオーレを美味しそうにストローからチューチュー吸ってる涼子を見て俺は変化球有りでの再戦を希望した。

 結果、スライダーやカーブボールに翻弄され涼子の安打数は5本にまで落ち込んだものの、当然こちらも変化球などまるで打てないため2安打で終わり、完全敗北を喫したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二時間ほどバッセンで白球打ちに勤しんだ後は同じ通りに面した適当なファミレスに入店してランチをとることに。

 こうしてる瞬間は普通に高校生やってる気がするんだが、文芸部かお前らって言われるとはいそうですとは言い難い今日この頃。少なくとも去年は本読むだけの集まりだったはずだ。

 

 

「それで、お次は何だ」

 

「決まってるじゃない。ボウリングよ」

 

 キョンの質問に対してさも常識のようにこう返す涼宮。

 最早この女の思考回路を理解しようとする方が間違っているため何故だとかどうしてとか一々聞き返しやしないが、スポーツの娯楽施設であるという点以外にバッセンとボウリング場に繋がりは一切ない。

 だがな、そんな脈絡の無さよりも涼宮の食事の酷さの方が何か言ってやりたくなるね。

 ミックスグリルに追加のエビフライを2本、ライスは大盛り。それだけでも充分なのにサラダバーで取ってきた器には大量のレタス、ワカメ、ヤングコーンの上にマカロニとポテサラを暴力的に乗せ、スープバーのおかわりは既に3度行っている。どんな胃してんだ。

 

 

「長門さん、あれを真似しちゃだめですよ。おかわりは程々にしてください」

 

「うん……次が最後」

 

 そんな涼宮に優るとも劣らぬ食事量を誇るのが長門さん。

 メインディッシュは普通の目玉焼きハンバーグだがサラダバーの利用頻度がエグい、目を離せばサラダやカレーをおかわりしに席からいなくなっている始末。

 ともすれば涼子に咎められてしまったものの、ラストワンチャンスを望むあたり貪欲なまでの食欲だ。

 涼子が特別小食ってわけではないが、このドカ盛り女子2人に比べると子リスとミルコ・クロコップぐらいの戦力差を感じてしまう。

 強く育て、という思いで俺のカットステーキをこっそりふた切れ涼子のチキングリルが乗ったプレートに移動させるもそれに気付いた彼女が切り分けたチキンをふた切れこっちに寄越してきた。これでは単なるトレードだ。

 

 

「君も量を食ったらどうだ」

 

「私はいいの」

 

 つっけんどんになられても困るので寄越されたチキンを彼女へ返すことはせず自らのおかずとして食べる。うむ、下味がしっかり付いててうまい。

 こうして各々が自らにとって最適な量のガソリンを補給した後、ファミレスを出て涼宮に引き連れられボウリング場へ到着。

 

 

 駅から少し離れた場所にある大型ビルのワンフロアに位置するここは、市内で唯一のボウリング場を謳っているものの他のフロアがヨガだったりパークゴルフだったりご年配層向けに商売していることもあり俺たちのような学生にはそこまで利用されていない。部活終わりにボウリングするような陽気な学生は私鉄乗って隣町の駅前にあるアミューズメント施設を利用するのが殆どだ。

 よってここで知り合いとバッタリ顔を合わせるなんてこともなく、落ち着いてプレーできる環境と言うには客の少なさから些か閑散としすぎてる気がする空間の中で俺たちはゲームを開始した。

 ――先程までの白球打ちと異なりボウリングに関しては多少の自信がある。

 涼子は知らないだろうが俺の父方の祖父はプロになっていないのが不思議なまでのガチボウラーであり、祖父母宅のリビングには数々の大会トロフィーが飾られているほどの腕前を誇るお方。その祖父にボウリングが出来る男はモテるぞ、などと時代錯誤なことを言われ何ゲームも修行させられた過去がある。おかげでハウスボールでも多少数字は出せるようになった。

 そういうわけで、1フレーム目こそピンを残してしまったものの2フレーム目でストライクを決め、続く3フレーム目は連続ストライクとなった。

 幸先の良いスタートに小さくガッツポーズ。この結果に一喜一憂する感じがいいんだよな、ボウリング。

 そんな俺を目障りだとでも言わんばかりに睨みを利かせながら涼子は。

 

 

「ニヤニヤしてないでさっさと戻りなさい」

 

「別に慌てなくてもいいんだぜ。モニターが自分の番に切り替わってから、ゆっくり席を立って準備すればいいさ」

 

「素敵なアドバイスどうもお世話様」

 

 図らずもこのやりとりが精神攻撃となったのか、涼子は1投目で綺麗に割った挙句2投目をガーターしてしまう。

 心底悔しそうな顔をしていたので戻ってくる彼女に励ましの言葉をかけることに。

 

 

「しゃーない、切り替えてこ」

 

 無言で脛を蹴られた、痛い。

 で、3ゲームを終えて身体の軋みを自覚する頃には夕方となっており。

 

 

「明日はプールか映画で。決まったら連絡するから」

 

 涼宮は両極端な二択を一方的に宣言してニルヴァーナのスメルズを口ずさみながら夕陽をバックに歩いて行く。

 彼女の後を追う前に古泉が親切に予告する。

 

 

「少々遠くではありますが、明後日開催の花火大会があるお祭りを見つけましたので恐らく明後日はそちらに伺うことになるかと」

 

 アンストッパブルにも程があるだろう。

 ちなみにボウリングはアベレージ177で俺がトップだった。

 一発逆転でパーフェクトを狙うと息巻いていた涼宮は第3ゲーム目に限って言えば俺のスコアを上回ったが、もちろんパーフェクトとはならずに終わっている。それでも遊びの範疇としては充分凄い。

 分譲マンションまでの道すがらハウスボールとマイボールはジムとイデオンくらい性能が違うという旨の講釈を垂れ、今日は普通に帰ろうかとエントランス前で別れようとした俺を涼子が引き留めた。

 

 

「……どうした?」

 

「ちょっと話しておきたいことがあるの」

 

 どこか思いつめた様子で言う彼女。誘い文句にしては落ち着かない口ぶり。

 別れ話、なんてことは無いにしても深刻そうなのは確かな感じに思えた。

 そして昨日に続いてお邪魔した505号室のリビングで彼女から語られた内容は思いもよらないものだった。

 

 

「話ってのはね……最近見た夢のことなの」

 

 夢、つまりドリーム。

 いかな内容であろうと所詮脳という臓器が勝手に作り出した虚構に過ぎない。

 だが、彼女のそれは虚構と切り捨てるにはやけにリアルな体験だったのだという。

 

 

「この前見たのは私が長門さんと戦う夢。見た事もないような不思議な空間の中で、まるでアニメや映画みたいに私は長門さんと戦いを……いえ、殺し合いをしてた」

 

「殺し合いって、どんな風に?」

 

「お互いに不思議なチカラを使ってよ。私は両手からビームみたいなのを打ち出して、長門さんはそれをバリアーで弾く」

 

「おかしな夢だ」

 

 そう言うのが限界だった。

 勝負の結末がつく前に涼子は目が覚めたそうだ。結末を見なくて良かったかもしれない。

 彼女が語るところの夢の出来事に近いものを俺は知っている。そしてそれは単なるフィクションでしかないということも。

 更に衝撃を受けたのは次の話だ。

 

 

「そしてこれは今日見た夢なんだけど――」

 

 今度は見た事もない場所じゃなく、馴染み深い道路。北高前の通りである通学路。

 とっくに家で寝ているはずの夜中に街灯の下で対峙する長門さんと、俺。

 

 

「あなたは長門さんをピストルで撃とうとするの、そして私はそれを止めようとして」

 

 背後からナイフで一突き。俺を刺した。

 痛めつけるようにナイフのハンドルをぐりぐりと回し俺の身体から引き抜く。

 貧血で立っていられなくなった俺を蹴り倒してトドメを刺そうとエッジを心臓に突き立てようとして、目が覚めたという。

 笑えない話だ。

 

 

「君に刺されても文句は言えないと思ってるけど、酷い夢だな」

 

「ええ、恐ろしい夢だった。夢のはずなのに、本当に人を刺したらこうなんじゃないかって感触がしたの。……今でも手に残ってる気がするわ」

 

 涼子が語った二番目の夢についても近しい話に覚えがあった。

 だがそのストーリーで朝倉涼子に刺されたのはキョンだ。俺じゃない。

 

 

「いったいどうしてその話を俺に?」

 

「わからない。ただなんとなく聞いてほしかった……ふふ。ほんと、おかしな話よね」

 

 自嘲気味に言う涼子。

 俺はカウンセラーでもなければ胡散臭いメンタリズムに通じてもいない。

 だが唯一、この夢について何か知っていそうな存在の心当たりがある俺は、癪だがそいつを呼び出すことにした。

 心底では苦い思いをしつつ、表情に出さないように取り繕いながら大好きな彼女の透き通る瞳を見据えて俺は言う。

 

 

「きっと、おかしな話なんかじゃあない。何か理由があるんだと思う」

 

「夢占いみたいなものかしら……?」

 

「オレにはわからないけど、知ってそうなヤツなら知ってるよ」

 

 テレビの中で小言を吐き続けてきたキョンの気持ちが少しだけわかった気がする。

 宇宙的存在を頼りたくないのに頼るしかないんだからな。

 

 

あいことば(パスワード)だ。"見よ、蒼ざめた馬を"」

 

 次の瞬間、失神のようにくらっと顔をうつむける涼子。

 数秒置いてから意識を取り戻し、合言葉の返事が来る。

 

 

「"その馬に乗る者の名は死"……こんばんは。思ったよりも早い再会になったわね」

 

 

 

 






ポニーテールは関係ない。多分。




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue33

 

 

 

「色々と言いたいことはあるわ。でも私が一番言いたいことがなんなのか、あなたはもうわかってるはずよね?」

 

「……余計な混乱を招きたくなかった」

 

「それはあなたが決めることじゃないでしょう」

 

「オレの判断が間違っていた。悪かったよ、申し訳ない」

 

「だいたいね、もう、本当にあなたはいつもそうやって――」

 

 久方ぶりに長丁場の説教を涼子から受けリビングの床でひたすら土下座を続けている俺。時折背中をピタンと叩かれもする。

 ひとつ言わせてくれ、どうしてこうなった。

 

 

 

 

 

 あらかじめ決めておいたあいことば(パスワード)を使って朝倉さん(宇宙人)を呼び出したのがつい三十分ほど前の出来事。

 実に二ヵ月ぶりの再会となった彼女は自分が呼ばれた用件などとうに把握しているはずなのに随分勿体ぶった様子で。

 

 

「私の狙い通りに事が運んで、あなたが朝倉涼子とデキてくれたのはいいんだけど……もうちょっとあなたにデレてほしいのよねー。気取ってばかりじゃダメよ?」

 

 などと謎の立場で人様のことをとやかく言い出す。

 俺は俺に出来る最低限の努力しかしていないが最大限努力したとしてもデレろとか言われて素直に実行できるわけがない。しかも何をもってデレたことになるんだ。

 本当に有機生命体とコンタクトする気があるのかさえ怪しいインターフェース女の煽りは続く。

 

 

「それで? 初体験の寸評でも聞きたいのかしら?」

 

 聞きたいような、聞きたくないような。いや、本人の同意も無しにそんな恐ろしい話を聞くのは論外だ。

 戯言に惑わされないように少し気持ちを切り替えてから彼女と向き合うべく口を開く。

 

 

「なあ、与太話がしたくてわざわざ呼び出したわけじゃあないんだぜ。用があるのはハクション大魔王でもアクビちゃんでもねえよ、涼子に憑り付いてる君だ」

 

「どうやらそのようね」

 

「説明してくれ。彼女が視た"夢"とやらを」

 

「こういうことになるから出てきたくなかったのよ……」

 

 観念した様子、と形容してやるにはわざとらしく肩をすくめてから彼女は言う。

 

 

「なにも見せたくて見せたわけじゃないわ。たとえ休眠状態だったとしても私の現出は宿主(ホスト)に影響を及ぼしていたということ」

 

「二ヵ月前の話だろ? なんだって今更そうなるんだ」

 

「蟻の一穴。あの時は微かなものでしかなかったのでしょうけれど、時間の経過が徐々にそれを大きな綻びへと変化させた。直接関わらずして、私と朝倉涼子の繋がりが出来てしまった」

 

 その結果が涼子が視た夢だと言うのか。

 だとしたらそれは。

 

 

「ええ、あなたの想像通り。彼女が視たのは人間で言うところの記憶に相当する情報よ」

 

「君の記憶……」

 

「正確には違うのだけれど。ま、概ねその認識で問題ないわ」 

 

 俺の脳内に浮かび上がる符号が指し示す答えは恐らく真理に限りなく近いだろう。

 要するにマジにここは俺がかつて見たアニメの、それも劇場版のやつの延長線上にある世界だということだ。もっとも俺は今更SOS団なんて入るつもりは毛頭ない。復元用だかのプログラムもとっくに有効期限切れなはずだ。

 俺としてはこの平穏さえ続けばよいのだ。なのでいくつかハッキリさせておく必要がある。

 

 

「涼子が視た夢に関してだ。長門さんとバトってたのはオレが見たアニメと同じ展開だが二つ目は違う。アニメじゃあ君に刺殺されかけたのはキョンだった、オレじゃあない。いったいどういう経緯でそうなったんだ?」

 

 宇宙人の彼女が【涼宮ハルヒの消失】を知らないにせよ、それがどこかで起きた出来事なのだとしたら何故自分が刺されなきゃいけないのか俺が疑問に思うのは当然で、朝倉さん(宇宙人)も質問される想定はしているはずだ。

 が、返ってきたのは明瞭な説明などではなく。

 

 

「……それ、私の黒歴史の中でもダントツのやつ」

 

 だから話したくない、とでも言わんばかりに彼女は黙ってしまった。

 黒歴史という言葉の意味が気になるところではあるが、とりあえず置いておいてもう一つの疑問をぶつける。こっちが本題で俺が最も気にしてる部分になる。

 

 

「じゃあ、今の状況はどれぐらいマズい? 君と涼子の繋がりとやらが深刻な問題に発展したりしないか?」

 

「どれぐらい、ね。緩やかな死と同じかしら…………ごめん冗談よ、怖い顔しないの」

 

「っ、笑える冗談にしてくれ」

 

「今のところ朝倉涼子への影響は記憶の共有とでも呼ぶべきこの現象以上のものは起こらないでしょうよ。マズいってほどじゃないわ。でも彼女がどう思うかは別の問題」

 

 日常と非日常の交錯。なんとなく俺は昔見た【トータル・リコール】を思い出していた。

 あの映画みたいに現実の出来事として涼子の身に何か起こることなんてのはまず無いにしても、曲がりなりにも俺のことを好きだと言ってくれてる彼女がそんな俺を刺し殺す夢なんて何度も見ようものなら自分の精神状態を疑いたくもなるだろう。好きよ好きよは嫌のうちじゃない。

 こればかりはヒューマノイドインターフェース様々でもどうにもならないらしい。

 

 

「対処療法なら出来るけど、そうやって私と朝倉涼子の繋がりが深くなってしまえば夢以外にも影響を与えかねない。そうなれば今度は私が他のインターフェースに監視される番よ」

 

「穏やかじゃないね」

 

 もう一人の宇宙人こと喜緑さんについてはよく知らないのが現状だ。

 少なくとも軍用ナイフ持った朝倉さん(宇宙人)ほど危険な存在ではないと思うが、俺の常識で測れない相手なのは間違いない。

 

 

「……と、なると最後の手段をとるしかないわ」

 

 さも気乗りしない感じに言うのだからその最後の手段とやらが立派なプランBでないのは間違いない。

 

 

「一体何をするんだ」

 

「長門さんの時と同じ。朝倉涼子と私を統合させる。具体的には記憶の共有というか、私という人格を受け入れてもらうことになるわね。【遊☆戯☆王】は知ってる?」

 

「ああ、シンジくんが声やってた頃から知ってるよ」

 

「だいたいあんな感じね」

 

 軽い調子で言われてもな。どうあれ俺には彼女に任せることしかできない。

 そんなこんなで別人格同士が精神世界で対話するべく少しの間休眠すると言い残しソファに身体を預けて彼女は眠ってしまってからもう10分が経過している。

 

 

「……すぅ、すぅ」

 

 穏やかな顔で寝息を立てる涼子。彼女の寝顔を見るのはこれが二度目だ。

 前回は間違っても写真なんか残せる状況じゃなかったので今回はしっかり撮らせてもらったぜ。

 それにしても本当に普通の睡眠かって感じの寝入りっぷり。生理的な睡眠として寝てるわけじゃないからうるさくしても起きないだろうけど、なんとなくテレビを点けるのは憚られる。

 だがあまりにも手持無沙汰なため涼子の頬を指でつんと突いてみた。普段だったら絶対できないやつだ。

 

 

「すぅ……」

 

 二、三回ほど突いてみるも変化ナシ、まいった。

 でも涼子が起きて俺がいなくなってたら錯乱するだろうし、帰らずに大人しく待つしかない。

 その間、彼女の頭を撫でたり二の腕をつまんだりするのは俺の自由だろ。ぷにぷにだ。

 

 

「はは、こりゃ彼氏の特権だな」

 

「…………何が特権ですって……?」

 

 ――冷や汗。全身の毛穴から汗が吹き出した。

 恐怖による精神恐慌が俺の自律神経をかき乱したからだ。

 目覚めた彼女は恐ろしく冷淡な声で俺に命令する。

 

 

「指を離しなさい」

 

 俺の行動は迅速だ。

 ソファから飛び退いてリビングの床に両足の膝と頭を擦り付ける。

 

 

「すぃやせんした!」

 

 で、冒頭の説教(いまげんざい)に至るわけだ。

 涼子と朝倉さん(宇宙人)との間でどのような語らいがなされたのかは不明だが、涼子曰く全部知ってるとのこと。

 当然、何故黙っていたのかと怒られた。そりゃそうだ。ついこの前は俺が涼子に同じセリフを吐いたわけだしな。

 だがそれ以上に彼女をイライラさせているのは俺がテスト期間中に朝倉さん(宇宙人)と遊び呆けていた過去についてらしい。

 

 

「あんな露出の多い服ばっか着せて、よくも人の身体を好き勝手に辱めてくれたわね」

 

「誤解だ。あれは全部彼女が勝手にやったことだぞ」

 

「それ見て鼻の下伸ばしてたのは事実でしょうが!」

 

 役得だった、なんて言った日にはグーパンが飛んできてもおかしくないので平謝りに徹する。

 とにかく亀のように丸くなって耐える俺は浦島太郎の助けを心から待ったが、残念ながらそのような存在がこの場に介入することはなく説教は延々と、いや永遠と続いていき。

 

 

「この続きは晩御飯を食べてからよ」

 

 涼子はジト目でこんなことを言い出す始末。

 

 

「い、いや、昨日もご馳走になったし……今日は帰らせてもら」

 

 俺が断りを入れようとした次の瞬間だ。

 幼馴染は顔をずいっと近寄せ、甘い声で言う。

 

 

「うん、それ駄目」

 

 駄目らしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 有り合わせの食材の都合か、それともあまり手間をかけたくなかったのか知らないが今日の晩御飯は冷やしおでんだ。昨日は酢豚だった。

 器に盛られた具材は普通のおでんと代わり映えやしないものの、冷たい出汁やポン酢ジュレを付けておでんを食べるのは不思議な感覚がする。

 いつもは動物園からリスが脱走したとか至極どうでもいいニュースを話題にしてまで俺に話しかけてくる涼子もこの時ばかりは無言を貫く始末。

 状況が状況だけに気まずい空気感を耐えられなかったのでこちらから口を開くことにした。

 

 

「……何も言ってこないんだな」

 

 取り皿に箸を伸ばしていた涼子の手が止まる。

 

 

「オレは君の幼馴染じゃあない。どういうわけか二度目の学生生活をする羽目になった男だ」

 

「そうみたいね。それで?」

 

「説明したって信じてもらえるわけなかったと思うけど……それでも騙していたようなもんだろ。二年前のクリスマスだって、この件が関係しなかったわけじゃあない」

 

「まったく……」

 

 涼子は箸を置いて、

 

 

「さっき怒った以上のことを言うつもりはないわ」

 

キッパリとそう言った。

 さりとて、俺は腑に落ちない顔をしていたらしい。

 涼子は答え合わせをしてくれた。

 

 

「あなたは私の幼馴染じゃない。でも、あの日私を映画に誘ってくれたのはあなたよ」

 

 最早どんな内容だったかも満足に思い出せないくらい取るに足らない作品を見たあの日。

 "俺"と"朝倉さん"の関係はきっとそこから始まったのだろう。

 

 

「学校祭の時もそう。あなたが根回ししてくれたおかげで何とかなった」

 

 この前イタズラ心から過去の話を持ち出してしまったからか改めて学祭の件を言われてしまう。

 恩着せがましい奴だな、俺。

 

 

「まあ他にも色々あったけど、要するに私は()()()()()()好きになったのよ」

 

 そう言い、精一杯の笑顔を見せる涼子。

 わけのわからない情報量を詰め込まれた彼女の頭はパンク寸前のはずだが、泣き事ぬかす俺のために普段通りの姿勢で俺と接してくれている。

 そんな彼女だから俺は好きになったんだ。

 だったら俺も俺なりの誠意ってもんを見せるべきだろ。

 

 

「もう二度と君に嘘や隠し事はしないと誓うよ。だから、こんなオレで良ければ今までと同じ風に付き合ってほしい」

 

「ええ、勿論よ」

 

 とまあ、これが事の顛末である。

 後のことを付け加えると、冷やしおでんを平らげてからの俺は日中の疲労感を癒す間も与えられぬまま涼子に思う存分しぼられた。精神的にも肉体的にも。

 なればこそ、俺は今日中の帰宅を諦めて朝帰りの言い訳を必死に脳内構築しているのだ。

 

 

「……ねえ」

 

 ダブルサイズとはいえ2人で利用するのに決して広くはない寝床を折半している相方から声をかけられる。

 顔を横に向けると涼子は何やらおずおずといった感じで尋ねてきた。

 

 

「その、聞かせてくれる? あなたが見た、私や長門さんたちが登場するアニメについて」

 

 俺自身はこの話に一切登場しないという前置きをしてから、かつて視聴した作品のあらましをつらつらと述べていく。

 彼女に憑り付くヒューマノイド・インターフェース相手でも具体的な内容について語るのは差し控えていたのだが、それは必要なことのように思えた。

 願望を実現する能力を持った涼宮ハルヒ、幸か不幸かそんな女に気に入られた普遍的中庸な一般人代表キョン、宇宙人に未来人そして超能力者が揃うSOS団。

 こいつらのバックボーンだけでも【チョコレート工場の秘密】が崇高に思えるほどの与太話になるというのに作中であった事件やイベントの数々は荒唐無稽としか言いようがない。

 

 

「アニメの涼宮さんは相当ぶっ飛んでる存在なのね。ほぼジャイアンじゃない」

 

「こっちの涼宮はアレでもマシな方ってことさ」

 

「そうね。そう思うことにする」

 

「だけどな、そのぶっ飛びガールが画面いっぱいに暴れ回る学園生活はさ、とても楽しそうだったんだ」 

 

 ヒロインに連れ回され、委員長の皮を被った宇宙人に襲われ、団員の面々からトンチキな話を聞かされ、終いには世界の命運すら託されるそんな主人公を見るのが楽しかった。

 だからこそ特定のキャラクターに思い入れなぞ無かったし、まして、主人公の視点からは敵以外の何者でもない朝倉涼子というキャラクターを好きになるはずなんてない。

 

 

「……壁にでも話してろ、なんて私に言ったのはそのネガティブなイメージが理由かしら」

 

 我が今世やらかしランキングの上位に未だ居座る中学二年時のバッドコミュニケーション事件に関してジト目で聞いてくる涼子。

 ここで素直に、いや違うあれは単に君とおしゃべりするのが煩わしく思えただけだよ、なんて言った日にはどんな報復が待っているかわからんぞ。

 はてさてどう答えるべきか。もうそろそろ意識を眠りの海に沈めてやりたい時間だってのに考えなきゃいけないことが多すぎる。考えろ、考えるんだマクガイバー。

 結局、二度と嘘や隠し事をしないという誓約(ゲッシュ)に従い当時の自分の心根を言うことにした。

 

 

「そんなんじゃあない……あれはただオレが馬鹿だっただけだ。君がオレに絡んでくる訳も考えず、つい一時の感情に身を任せてああ言ってしまった」

 

「正直に話してくれてどうもありがと。私じゃなかったら絶対許してなかったでしょうね」

 

 刺々しいトーンでチクリ。

 聞く人が聞けばあれは絶縁宣言なためこう言われるのも無理はない。

 俺は弁明を続けることにした。

 

 

「第一、中二までの君とアニメキャラの朝倉涼子は似ても似つかぬ存在だった。混同するはずもないさ」

 

「それってどういう意味かしら?」

 

 ずいっと顔を寄せてくる涼子。

 質問してる割に顔はニコニコしているので俺がなんて答えるのかわかってるんだろうな。

 

 

「君がさっき言った事と同じだ。オレにとって君は唯一の存在で、アニメに出てようが出てまいが関係ない……オレが好きなのは毎日起こしに来てくれる君なんだよ」

 

 これが最大限の俺のデレだぞ宇宙人。どうだ満足か。

 引っ込んでいる存在がどう感じたかは不明だが横にいる彼女は、んふーと変な声を鼻息と一緒に立てているので多分喜んでいることだろう。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Intermission3

 

 

 

 俺がまだ中学生だった頃の話だ。

 中学三年の終業式、つまり十二月二十四日。世間一般で言うところのクリスマスイブの日である。

 この世界での生活も早三年ということもあり、俺は十二月二十四日がXデーでもなんでもない、"以前"と変わらぬただの一日であることを理解していた。言い方を変えるとこの生活にすっかり適応していた。

 まあ適応できなければ何万年前の隕石衝突後に訪れた氷河期に絶滅してしまったであろう生物どもと同様、俺も死に絶えているだけの話だ。

 それほどまでにセカンド、いやツヴァイか?ともかく二度目の学生生活は当初ハードルが高かった。

 これを心折れた人間(じぶん)のモラトリアム期間だと割り切れるようになるまでに要した時間は実に一年以上に及ぶ。

 勿論、俺一人なら今のように適応できていないことだろう。幸運なことに俺の支え――と呼ぶにはそこまで大袈裟な間柄ではないが――となってくれる人物がいるから今日も中学生なる身分を多少興じることができるのだ。

 

 

「時間よ、とっとと起きる」

 

 前言撤回。不運だった。

 すやすやと寝ていた俺は意識のない間に部屋に侵入していた輩によるスライハンドな早業で毛布を引っぺがされてしまったのだ。

 俺の本能が今日は冷え込んでいるぞと訴えかけているのに何が悲しくて布団から出なければならないのか。教えてくれないか。

 

 

「何言ってるの。今日がラストなんだから後一日ぐらい頑張りなさい」

 

 むっとした表情で枕元にある俺の顔から視線を外さない彼女の名は朝倉涼子。俺の幼馴染らしい。

 最早逃げ場などどこにもない。諦めて寝床から出ていくことにする。

 彼女が口にするところのラストである今日の内容なんてのは終業式とホームルームであり、まさしく頑張る必要性が皆無の内容だ。ハッキリ言って俺一人教室から消えたところで何ら不都合の生じぬただの儀式的側面が強い一日なはずだが、実際に俺が休むと朝倉さんに学校終わりに通知表やその他プリント類を持ってきてもらうことになってしまうため、今日もこうして俺自身が校舎まで赴かねばならないのだ。

 顔を洗い、朝食をとり、制服に着替え、コートを羽織り、学生鞄を持って玄関を出る。

 

 

「さ、行きましょ」

 

 外で俺を待っていた朝倉さんはぐだぐだする時間も与えずに移動を開始した。

 慌てずとも学校までは徒歩二十分とかからない距離に俺の家はある。だがそれは俺が通う中学とは別の校舎であり、俺と彼女が通っているのは市外にある某中学校だ。

 当然、徒歩で通える距離じゃないうえ、自転車でも一時間以上かかるので電車通学の日々を送っている。

 一体どういう経緯でこうなったのか俺は知らないが、やはり電車通学は面倒なことも多いし、来年からは徒歩圏内の高校に入学する方向で担任とは話を進めている。

 それは朝倉さんも同様で、進学先に困らない優等生の彼女が希望しているのは俺と同じく市内にある県立北高校らしい。

 何故そこにするのか。彼女に直接尋ねたことなどないが、なんとなくだがなるべくしてなっている感が否めない。

 

 

「どうしたの? 変な顔しちゃって」

 

 よほど変な表情に見えたのか、朝倉さんがそう聞いてきた。

 今の俺の顔が変なら年中無休でずっと変だから安心してほしいね。

 まさかこのタイミングで進学先について聞く気になんかなれやしないので適当に返事をする。 

 

 

「この学ランともあと三ヶ月弱でお別れかと思うと感慨深くもなったのさ」

 

「お別れって、学ランなんてどこも似たようなものじゃない」

 

「北高は男子がブレザーだ」

 

「ああ、そうだったわね。私は今とそんなに変わらないから男子がブレザーなの忘れてたわ」

 

 確かにセーラー服であるという点においては変わらないだろうが、見た目の印象は大きく変わると思う。

 彼女が今着ているのは白地で襟元が黒いベーシックなセーラー服で、北高指定のは襟元、袖、スカートが水色となっている。多分北高の方が目立つデザインだ。

 

 

「あなた女子の制服なんかに興味あったの?」

 

 セーラー服の違いについて解説する俺を怪訝そうに見てこう言う朝倉さん。

 件の女子生徒制服がどこぞの高校のものであればデザインなど覚えてないだろうし、俺がそれを覚えている理由なんて決まっている。アニメに出てくるヒロインたちが着ているからだ。

 もちろんそんなことを口に出して言えるはずもないので、俺は朝の駅のホームで制服フェチなどでは断じてないという旨の弁明をする羽目となり、微妙な一日の始まりとなった。

 中学校の最寄り駅までの乗車時間は三十分弱。普通列車しか停まらないため下校時間ともなると本数が少なくなる。

 駅からは徒歩十分と学校側が謳っているものの、それは恐らく学校の外周端までの話であり、校門を抜けて長ったらしい校舎前までの敷地を歩いてようやく生徒玄関に入った頃には十五分近くが経過しているのがデフォルトだ。

 教室に入るといつも通り誰とつるむでもなく机に突っ伏す。だがしかし今日は終業式のためそのまま睡眠に突入することはできず、登校してしまった以上否が応でも式に参加させられてしまう。

 団体行動で向かう先は朝一の体育館だ。まともに暖房の熱が屋内に広まっておらず冬の寒さが充満するサムシングエルスなことこの上ないこの空間で一時間近くに及ぶ式を行うのは生徒の健康管理上果たして適切なのだろうかと疑わしく思う。

 不適切ならどうしろって?そりゃ決まってる。校長やPTA会長だのの話は教室のテレビで見ればいい。何のために校内に放送室があるのか、もっと考えてくれ。

 とか何とか考えているうちに終業式はつつがなく閉式し、冬休み前のロングホームルームも適当に聞き流しているうちに下校時間となった。

 特に示し合わせたわけではないが、お互い帰宅部ということもあり朝倉さんと俺は下校も行動を共にしている。

 それは校舎を出て、駅までの平坦な道のりを歩いている最中のことだった。

 

 

「……あの」

 

 不意に脚を止める朝倉さん。

 どうかしたのかこちらが問うよりも早く彼女は切り出した。

 

 

「ちょっとこの後、行きたいところがあるんだけど」

 

 と言われて君一人で勝手に行けばいいと返すほど俺は馬鹿じゃない。もっとも、彼女の真意など察そうともしていなかったあたり大馬鹿ではあった訳だが。

 はてさてどこへ向かうのかと思いきや帰りの電車を途中下車したのは市内のターミナル駅である。少なくとも地獄の一丁目が目的地じゃないようだ。

 コンコースから地上2階のデッキに出て、入った先は駅前の超大型ショッピングモール。普段映画観に来ている馴染みのところだ。

 

 

「放課後ぶらり旅かい?」

 

「まあそんなところかしら。いい時間だし先にご飯食べましょ」

 

 異論は無かった。

 電車通学生ならば当然財布は持ち合わせているのでこういう事態にもキッチリ対応できる。

 エスカレーターを降りると1階に出た。ここと4階のフロアは飲食店が立ち並んでいる。

 特に希望は無いので店選びを朝倉さんに一任すると、彼女は少考の後。

 

 

「オムライスにしましょう」

 

 と言った。

 ギリギリ冬休み前であるため、この時間帯でもすんなりと店に入ることができた。これが明日だったら絶対しばらく待つことになっただろう。

 席に通され早速オーダー。俺は季節限定のプレミアムビーフシチューがかかったバターライスのオムライス。朝倉さんはトマトソースとチキンライスのスタンダードなオムライス。

 

 

「それにしても、どういう風の吹き回しだ?」

 

 食前に運んでもらったセットの紅茶をすすっている朝倉さんに俺は質問する。

 終業式の日にそのまま街に行く学生は星の数ほどいるが、彼女はそういうタイプじゃないと思っていた。

 まして、俺なんか誘って何がしたいのか。

 

 

「言っておくけど冬服選びになんか協力できないぜ。そういうのは同じ女子を頼ってくれよな、古田とか」

 

「あなた真性のアホなの?」

 

 眉を寄せ、心底からそう思ってそうな顔で言う朝倉さん。

 質問に質問で返すなよ、と言いたいところなのに彼女は俺に非があるといわんばかりの様子だから困る。

 

 

「アホでいいから理由を教えてくれ」

 

「……後でわかるわよ」

 

 朝倉さんはだんまりを決め込む意思表示といった感じにカップへ手を伸ばし紅茶を飲む。

 後になってわかったことだが、この時の彼女は思わせぶりすぎだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こんなところに連れてきたのだから、お目当ての品が何かしらがあるのかと思っていたがそうではないらしい。

 エスカレーターを上がり、衣料品の店舗をアテもなく回っていく。こういうモールはメンズよりレディースの方が多く店を構えている気がしてならない。

 実際に冬服を買う訳ではないのだろうが、ロクな判断ができないと俺が前置きしていたのにも関わらず朝倉さんはハンガーかかった服を手に取って。

 

 

「これ、どう?」

 

 なんて聞いてくる。"これ"というのはポンチョコートだ。しかもフードに角が生えてるあざとい系のやつ。

 こちとら今年の流行もよくわかってないようなファッションに対する意識の低さだというのに、好きなブランドかどうかでしか普段ものを見てないんだぞ。

 仕方なしに俺の想像力をフル回転させ、あくまで朝倉さんが着たらどう見えるかというのだけを考える。

 

 

「うーん……似合わなくはないと思うけど、普段あんましこういうの着てない印象だから多分驚かれるんじゃあないかな」

 

「そうよね」

 

 まるで気まぐれだったというように朝倉さんは未練なくポンチョコートをハンガーラックに戻す。

 このようなやり取りをしばらく続けた後、メンズ中心の店舗に入ったので俺は意趣返しをすることにした。

 自分だったら絶対着ないようなロゴの主張が夥しい厚地のインナーを朝倉さんに見せ。

 

 

「どうだ、最高にクールだと思わないか?」

 

 すると彼女は病人を見るような目でこう返してきた。

 

 

「最高にフールね」

 

 人が散々言葉を選んで意見していたというのに自分の番となると手厳しいではないか。

 なんだかむかっ腹が立ったため、ぶっきらぼうにこう言ってやった。

 

 

「こんなとこいても君は面白くなさそうだからロフトの雑貨でも見てくるといいさ。オレはしばらく一人でおニューのアウターを漁ってるから」

 

 三十分後にモール内の喫茶店で合流することにすると、言われるがまま彼女はその場から立ち去っていった。

 どちらがガキっぽかったかでいえば圧倒的に俺の方だったが、この時はこれで良いと思えたのだからしょうがない。

 建前としてアウターの新調と言ったが、流石に今日そこまでの持ち合わせは無い。俺がマジで欲しいダウンジャケットは4万を超える代物だ。

 お気に入りのブランドのシャツをあれこれと眺めているうちに俺の思考は冷静なものに戻っていった。そしてやらかしたことを理解した。

 

 

「ったく。言い方ってもんがあるよな、お互いよ」

 

 朝倉さんと別れて十五分と経過していなかったが、すぐにでも会って謝るために俺は携帯を取り出し電話をかけた。

 去年からまるで成長していない自分の不甲斐なさを忸怩たる思いで受け止め、喫茶店前で落ち合うなり頭を下げた俺に対し朝倉さんは呆れた声で。

 

 

「罰として一杯おごってもらおうかしら」

 

 お安い御用さ。

 そこからの時間を振り返ると、先ほどまでと打って変わり俺自身がノリノリでこのモール巡りを楽しんでいた。

 当たり前だ。数少ない気心の知れた仲である親友とでも呼べるような間柄の方と放課後を満喫しているのだから。

 なんて、洋服のボタンを一つ掛け違えたような状態のまま楽しい時間はあっという間に過ぎていき、気がつけばもう午後五時を迎えていた。

 買いもしないインテリアを眺め、店舗を出ると俺はそろそろ帰らないかと家路につくことを提案した。

 

 

「じゃ最後に、あそこに寄って行きましょ」

 

 そんな言葉とともに朝倉さんに連れてかれた先はモール4階にある屋上庭園。

 広々とした公園みたいな空間であり屋外の休憩スポットみたいな側面が強いこの場所も、今は十二月の真っ只中。

 

 

「……綺麗ね」

 

 陽が落ちて暗くなった屋上庭園は通常のライトアップとは別にあちらこちらでイルミネーションが施されており、普段と雰囲気を異にしている。

 こんな感じのイルミネーションはクリスマスシーズンとなればどこもかしこもやっているし、今日びそれらが視界に入っても大した感慨もなく素通りしてきたが、この日ばかりは朝倉さんと同感だった。

 まだ五時を過ぎたばかりとはいえこの景色を観に屋上庭園まで出てきている人は数多く、その客層を見て今日が何の日だったか改めて確認できた。

 ひょっとすると俺と彼女も、その客層の一部と思われているのかもしれない。なんて自意識過剰なことを頭に浮かべながら、光る噴水をキャンプのたき火でも眺めるように無心で見続けていた。

 結局今日、朝倉さんが何を目的に俺をウィンドウショッピングに誘ったのかハッキリとはわからない。目的なんて無かったのかもしれない。

 少なくとも俺はこの日に至るまで、休日に彼女を誘って出かけた日々の数々やこのウィンドウショッピングに対して"デート"等と考えちゃいなかった。

 だからだろう。帰り際、まさに別れの直前というタイミングで朝倉さんから放たれた言葉に驚いたのは。

 この三年間で度々訪れた市内某所の分譲マンション前、家路をなぞって辿り着いた最終地点で俺はさよならの挨拶をする。

 

 

「今日はとても楽しかったよ、貴重な時間をどうもありがとう。言っておくけど皮肉じゃあないぜ」

 

「あ、ちょっと待ってくれる?」

 

 俺が別れの言葉を切り出すのを察した朝倉さんは慌てて学生鞄の中を漁り出す。

 そして教科書ぐらいの大きさの箱を鞄から取り出し。

 

 

「はい、これ。クリスマスプレゼント」

 

 ギフト用のラッピングがされたそれを俺に突きつけてきた。

 ここで言っておくと、こんなことは今日が初めてなので、おっかなびっくりといった塩梅で混乱しかけている。

 

 

「あ、ありがとう。でも、悪いけどお礼なんて用意しちゃあいないんだ」

 

「いいわよ別に。見返りを求めたらサンタさんじゃないもの」

 

 そう言って悪戯っぽい笑顔を見せる朝倉サンタからのプレゼントが一体何なのか。

 本来は家に帰ってから開けるべきなのだろうが、おかしな熱に浮かされたテンションの俺は中身が無性に気になってしまう。

 

 

「ここで開けてもいいかな?」

 

「ええ、どうぞ」

 

 リボンを解き、ビリビリにならないよう丁寧に雪のマークがプリントされた包装紙を剥がしていく。

 中の黒い箱の蓋を外すと、入っていたのはマフラーだった。

 

 

「マジかよ、これって」

 

 グレーのケーブルニット生地にワンポイントで刺繍されたロゴ。

 俺が好きなブランドのやつだ、めちゃくちゃ嬉しい。がこれの値段を俺は知っている。決して安い買い物じゃない。

 

 

「あなたいっつも寒い寒いって文句言うくせに、マフラーしないでしょう? だからそれにしたの」

 

「ありがとう。大事にする」

 

 いつかこれのお礼をしなくちゃな、と決心してきちんと折りたたんで箱に戻す。

 そんな俺を見て朝倉さんは一言。

 

 

「どうせなら巻いて帰りなさい」

 

「今日はそんなに寒くないし、ほんと、大事に使わせてもらうよ」

 

「そう。送った側としては使い倒してもらうくらいがいいのだけれど」

 

 言いつつも俺が口にした大事というフレーズに満更でもない様子の彼女。

 まったく、クリスマスプレゼントだなんてとんだサプライズだ。

 

 

「……それとね、もう一つあるの」

 

 俺が鞄にマフラーを仕舞い終えたのを見計らって切り出す朝倉さん。

 おいおい、まだあるのかと若干ビビり始めていた。警戒ってほどではないが。

 

 

「私がお昼に言ったこと、覚えてる? 私のお出かけにあなたを付き合わせた理由、後でわかるって言ってたでしょ」

 

「ああ、覚えてるけど」

 

「別に大した理由じゃないわ。それでも聞きたい?」

 

 もったいぶった言い回しをされたら誰だって気になるし、その理由をさっきまで考えてても自分じゃ分からなかったのだから聞きたいに決まっている。

 すぅ、はぁ、と深く呼吸をしてから彼女はその理由を教えてくれた。

 

 

「私はね、あなたのことが……(れい)くんのことが好きなの」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue34

 

 

「うわあああああああああああん!」

 

 半狂乱な叫び声を上げながらソファの背もたれをポコポコ叩きまくる俺。

 つい数十秒前まで普通に会話していたというのに突然この有様なのだから、隣に座っている話し相手の涼子は何事かと当然驚く。

 

 

「ちょっといきなり何よ、どうしたの? 私何か変な事言った?」

 

 別に変な事を言われたからこうなったのではない。

 俺の脳が忘れようとしていた現実を彼女が突きつけてきたから心の自己防衛をしているに過ぎない。

 少しして事態を察した涼子は呆れ顔で言う。

 

 

「そんなに夏休みが終わるのが嫌なの……」

 

 当然だろう。

 今日は八月三十日で、明後日には夏休みが終わってしまうのだ。嫌に決まっている。

 

 

「いつもそうやって休みが終わる直前に駄々こねてるのかしら」

 

「なんだって?」

 

 何やら誤解があるようなので弁明させてもらいたい。

 それもこれも全て夏を満喫し過ぎたのが悪いのだ。

 文芸部の面々と遊びまくった上、涼子の家に転がり込んで親睦を深める日々が続いた。今更学校に行けと言われてもどうすりゃいい。

 

 

「どうもこうもないでしょ、学生の本分を果たすの」

 

 いいんちょらしい冷静で的確なセリフである。

 涼子は人を小馬鹿にした表情。ううむ、わかってない。

 ならばと彼女にわからせるべく行動する。えいやっ。

 

 

「……今度は何」

 

 いきなり俺に抱き付かれ身動きが取れなくなる涼子。

 彼女の髪の匂いを感じながら俺は理由を説明する。

 

 

「ずっとこうしてたいんだ。学校なんかより君と過ごしてる方が居心地いいし」

 

「はぁ、とんだダメ男ね」

 

「そんな奴を好きになるなよな」

 

「できたら昔の私に忠告してあげたいわ」

 

 憎いことを言いつつも涼子は抱き返してくる。

 たまにはこうやってひっ付くだけの時間もよいものだ。ちょいちょいやってる気がするけど。

 それにしてもなんとハピネスの高い一日であろうか。

 こんな生活が続くのならこの部屋に移住するのもやぶさかではないと思い始めている。

 俺が恥ずかしげもなくそう言うと涼子は唸り声を上げながら悩み始めた。

 

 

「うぅ、流石に同棲は早いわよまだ高校生だし……起こしに行く手間は省けるけど色々とマズいでしょ……うーん」

 

 もしこの話をうちの両親に聞かせたら諸手を上げて賛成することだろう。

 だが実際そんなことにはならず、涼子が自分の携帯にかかってきた電話に出たことによりこの一件はうやむやとなった。

 電話相手が誰か。それは相づちを打つ涼子の顔が徐々に苦笑いと化していく様を見て自然と察せられる。

 そもそもこんな真っ昼間に何の前触れもなく電話してくるような輩なんて知り合いに一人しかいないわけで。

 

 

「涼宮さんからよ。夏休み最後の会をやるからいつもの喫茶店に集合だって」

 

 苦笑を素面にシフトさせつつ電話の要件を伝えてくれる涼子。

 予想通りの展開なので特に驚きもせず、身支度のためにソファから立ち上がってリビングを後にする涼子の背を見送りながら夏休み中のあれこれに思いを馳せていた。

 あちこち行った、いろいろやった。100点あげても足りないくらいの出来だろう。

 だからこそ終わりが口惜しく思えるわけで、考えてみるともっと休みたいという気持ちで夏休みを終えたことはあれど、もっと遊びたいという気持ちになっているのは今回が初めてだ。

 この世界じゃ8月がエンドレスなんてこともない。ロム兄さんが言っていたようにどんな番組にも必ず終わりは来るのだ。

 などと、普段の俺らしからぬ些かおセンチになりすぎていたせいか。

 

 

「お姉さんの言ってた通りね」

 

 リビングに戻ってきた涼子が一人納得の表情で喋る。

 うちの姉が要らんことを彼女に吹き込んでいるのは知っているが、何がどうしたのかね。

 

 

「独りが好きなくせに寂しがり屋だって」

 

「また随分なことを言ってくれたな……オレのどこが寂しがり屋なんだ」

 

「さっきの顔。写真にとっておけば良かったかしら」

 

 そのさっきの俺とやらはそんなに寂しそうな顔をしていたのか。

 

 

「そりゃあもう」

 

 何となく一人勝手に気まずい気分になった俺はその場を立って出発するよう彼女に促してマンションを後にする。

 どうやら他の連中は立派な涼宮ハルヒ一派のようで、喫茶店に入ると既に全員お決まりの席に座っていた。

 涼宮は因縁つけるような目つきで一言。

 

 

「遅いわよ」

 

 むしろ迅速に行動した部類なのだが何故文句を言わねばならんのか。

 横のミスター・涼宮のお供Aこと古泉を睨んでやるが彼は笑顔を最大量にキープしたまま悪びれもせず会釈を返すだけ。

 とりあえず席につき、機を狙って注文を取りに来たウェイトレスの喜緑さんにアイスコーヒーをオーダー。涼子はアイスティー。

 最近の俺たちは毎日に近い高頻度でこの喫茶店にたむろしており、アルバイト中の喜緑さんを見るのも珍しいことではなくなっていた。

 これは谷口に聞いた話だが、喜緑さんはコンピュータ研究部の部長とお付き合いしているらしい。

 アニメの中では何かと世知辛い立場であった彼もこの世界では涼宮なんかと関わらず平穏無事に暮らしているのかと思うと心温まる気がするが、はたして彼は知っているのだろうか。自分の彼女に訳わからん地球外生命体の亡霊が憑り付いているということを。

 正直気になるものの藪蛇をつつくような真似はしたくないのでこっちから何かするつもりなんてない。

 よく言うじゃないか、"好奇心猫を殺す"と。俺は猫を殺したくない。

 そんなことはさて置いてだ。いつぞやのようにA4の紙切れにペンでバッテンマークを書き込んでいる涼宮は上機嫌そのもので、鼻歌を歌っていることからもそれは明らかであった。さながら【レオン】のゲイリー・オールドマンだ。

 

 

「うん、ぼちぼちってところね」

 

「何がぼちぼちだ。いいだけ遊び倒しただろうが」

 

 A4用紙をバツまみれにし終えた涼宮はキョンの突っ込みをスルーしてホットドッグを食べ始める。

 昼飯にしては早いが彼女にとっちゃおやつ感覚なのだろう、満足できなきゃサンドウィッチやワッフルの類を追加注文する涼宮をこの夏休み中に何度も見たからな。

 

 

「そういえば夏休みの宿題はちゃんと終わらせた?」

 

 遊び倒したというワードに反応したのか涼子がキョンに訊ねる。

 すると涼宮は口をもちゃもちゃさせながら。

 

 

「愚問ね涼子。宿題なんて7月中に終わらせるもんでしょ」

 

 事も無げに7月中と言ってのけたが夏休み早々に合宿しに行ったのだから実質三日しかない。そんな短期間で終わらせたら勉強と呼べるか甚だ疑問だ、復習なんかしないだろうし。

 記憶の神殿に頼りっぱなしの俺とて教師が望むスタイルで勉強しているわけでは決してないが、それでも夏休みの宿題への取り組み方に関して言うと今年はマシな方だった

 例年であればずるずると先延ばしにするところを涼子のマネジメントに従って計画的な進め方をして終わらせた。

 実際はノルマを速攻でこなすとその後は勉強の反動な感じでベタベタしていたから宿題をしたという感覚は絶無なのだが。

 そんな裏の話は出さず、涼子は自分の宿題状況について語る。

 

 

「私はスケジュール組んでやったから8月頭いっぱいまでかかったわ」

 

「あー、そういう絵に描いた優等生みたいなタイプだったわね涼子」

 

「タイプというか一応優等生ですから」

 

 えっへんと自慢げに胸を張る涼子。

 気がつけばこんな風に素の自分を出すほど涼子は涼宮と打ち解ける仲となっていた。

 いや、涼宮の方が文芸部側に打ち解けたと言うべきか。でなけりゃこの前みたいにいくら暇してるからって俺なんぞを不思議探検のお供に誘うはずがない。あの時バーガー屋で遭遇した相手が俺じゃなくて谷口とかだったら間違ってもそんな展開にならんだろうよ。

 そんな涼宮が涼子のクソ真面目っぷりに関心しているとキョンがおずおずと挙手して。

 

 

「ふぁい……夏休みの宿題、全然終わってないっす……忘れてました」

 

 とても絶望に満ちた暗い顔でそう述べた。

 それを聞いた俺は「お前の宿題が終わってないのはエンドレスエイト関係ねえのかよ」と一人心の中で突っ込みを入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうあがいても自分ひとりの力では宿題が終わらないというキョンの泣き言により、ただ夏休みの活動を振り返るだけの集まりから一変してキョンの家で勉強会をすることに。

 テイストは異なるがこれはこれでエンドレスエイトを彷彿とさせる展開だ。超天変地異みたいなループ現象からの脱出がかかってないから気楽なもんだが。

 かくして一度解散し、各自昼食をとってから筆記用具等を持ち寄っての最集合となった。俺は特に持って行くものもないので帰宅せず涼子に付いて行くことに。

 

 

「……ねえ、ほんとにこれ着てかなきゃいけないの私?」

 

 げんなりした顔で涼子がつまんでいるジャケットはお馴染み女教師コスのそれである。

 俺はなるべく冷静さを保つようにして言う。

 

 

「勉強会に相応しい格好するのは当然だろ? 教師役として君以上の適任はいない」

 

「ほんと物好きなんだから……ていうかなんでこれが私の家にあるのよ」

 

 505号室に戻ったらリビングに置いてあったのを俺が見つけた。間違いなく宇宙人の仕業である。

 仕方なしといった感じで涼子は女教師コス一式を小脇に抱えて自分の部屋に引っ込む。

 そして着替えが終わってリビングに戻ってきた涼子を見て俺は感情の昂りを隠さず言う。

 

 

「いいねいいね再の高だ!」

 

 本当に好きな映画は何度でも見返したくなるもので、俺にとって彼女のコスプレはそれと同じだ。

 朝倉涼子という最高級の素材にちょっとしたスパイスを足すことで萌えの破壊力は倍以上に跳ね上がる。さながらウィルスミスとトミーリージョーンズ、もしくはR指定とDJ松永、とにかく最強の組み合わせってこと。

 しかし熱狂的なオーディエンスの反応と対照的に涼子本人はやはり気乗りしない感じで。

 

 

「……やっぱり着替えなおすわ」

 

「はぁっ!? なんでさ」

 

「この格好のまんま外歩けって言うの? 羞恥プレイもいいとこじゃない。知り合いに見られたらどんな顔すればいいの」

 

「だったらキョンの家に着いてから着替えればいいだろ」

 

「よそのお家に上がり込んでコスプレのために着替えるだなんて、それこそ嫌」

 

 ごもっとも。

 俺はお願いをしているだけであって決めるのは彼女なのだから無理強いはしない。嫌だと言うのならしょうがない。

 

 

「露骨に残念そうな顔しないで。悪い事してないのに罪悪感を感じちゃうわ」

 

「……なぁ、着替えなおす前にしてほしいことがあるんだけど」

 

「何よ」

 

「膝枕」

 

「生徒に膝枕やる教師なんていないわよ」

 

 こう言いつつもこのお願いは聞き入れてくれたようで、涼子はソファに座って自分の太ももの上をポンポン叩きどうぞご自由にと意思表示をした。

 ならばこちらも遠慮せず失礼する。首から下をソファに預け、頭を彼女の太ももに乗せる。

 スカート越しでも分かるこの感触たるや、脚フェチじゃなくともグッとくるものがあるだろう。

 

 

「はぁ。落ち着く」

 

「とんだビッグベイビーね」

 

「これを枕にして毎日寝たい」

 

「それじゃ私が寝れないでしょ」

 

 俺の心は雲一つない青空みたいに澄み切った穏やかな気持ちになっていた。

 そんな小休止を経て向かったキョンの家では早々に宿題消化へ着手。

 キョン同様宿題が残っている長門さんと古泉や、サボらないよう監視役を務めると言い出した涼子はともかく俺はやることがないので屈託そのものである。

 もう一人やることがない涼宮はというと部屋の主に断りも入れず本棚から漫画を見繕って床に寝そべりながら読んでいる。我が物顔だ。

 俺も何か読もうと本棚のラインナップを上から下に見回して、絶句。

 

 

「おいキョン。なんで【スラムダンク】がねえんだ」

 

「なんでって……そりゃ世代じゃないからな」

 

「馬鹿野郎! 完全版が出たばっかだろうが! スラダンは男の教科書だぞ!」

 

「知るか! 黙ってろ!」

 

 まったく。

 背後からこれ以上茶々を入れるなと涼子の圧を感じるため大人しく黙っておくとする。

 さて何を読むか。自分の家にあるのは除外するとして、どれにするか。

 やがて俺は少年誌掲載の漫画ばかりが目立つ本棚の中で一際異彩を放つ作品を見つけ、その一巻を手に取った。【あそびあそばせ】だ。

 気になっていたが読んだことはなかったのでいい機会だな。

 

 

「んー、暇ね」

 

「暇なら俺の宿題を手伝ったらどうだ?」

 

「悪いけどあんたの手伝いするほど暇じゃないわ」

 

 キョンのお伺いを一蹴した涼宮は読んでいた漫画をほっぽると立ち上がり部屋を物色し始めた。

 タンスを漁るも当然衣類以外は入っておらず、面白いものはないかとベッドの下に手を突っ込んでいる涼宮。泥棒の中でもありゃ相当切羽詰まってるタイプだぞ。

 

 

「……ん?」

 

 涼宮がそんな声をあげたのと同時にベッドの下からサッと何かが飛び出す。

 そいつは登場と同時に全員の視線を一瞬で奪って行った。白黒茶の三毛に覆われたそいつは泣く子も黙る毛玉生物、猫だ。

 

 

「あら、キョンくん猫飼ってたの」

 

「元はいとこの家の猫だったのをウチで引き取ることになってな」

 

 名をシャミセンというその三毛猫は文芸部が部屋に押しかけているこんな状況でも物怖じせずじっと香箱座りを決め込んでいる。中々の胆力。

 かような猫の宿命か、シャミセンは涼子と長門さんと俺に散々モフられ、やがて彼を探しに来たキョンの妹氏により連行されていった。実際のところシャミセンの落ち着きはいいだけ身体を触られるからもう好きにしてくれという諦めの境地だったのかもしれない。

 ベッドの下から引っ張り出したプレステ2で涼宮がDMCの無印をプレーする様子を無気力で眺めながら俺は思う。

 

 

「やっぱ猫いいよなぁ。猫飼いたい」

 

「あなたちょくちょくうちの裏に住み着いてる野良猫たちと戯れてるじゃない」

 

 同じくぼーっとテレビ画面を見ている涼子が言う。

 先ほどまでキョンが宿題をサボらないよう目を光らせていたが、長門さんのおやつ買い出しに彼が付いて行ってしまったため暇している。いくら休憩したいからって家主が出ていくのはどうなんだか。

 それはそれとして、野良猫との戯れは確かに現代人が不足ちがちな猫成分を補給できるがソリューションには程遠いのだ。

 

 

「野良猫だっていつもあそこに居るわけじゃあない。君が猫を飼ってくれればいつでも吸えるのに」

 

「吸えるって何……?」

 

「吸うんだよ、お腹とか背中とかを。野良猫相手にはできないだろ」

 

 涼子は理解できないといった顔だった。

 と、こんなやり取りをしたからか。或いは宇宙人の入れ知恵か知らんが後日、男女交際の一環として行われる交じわりの折に涼子はどこからか調達した煽情的な黒猫のコスプレをして寝室に現れ、

 

 

「……吸ってもいいわよ」

 

視線を落とし、恥ずかしげにそう言った。

 俺はもちろん"猫吸い"をした。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Intermission4



バレンタイン特別回です(大遅刻)
中学一年の朝倉さんは【長門有希ちゃんの消失】6巻の18Pをご参照下さい




 

 

 これは俺が中学一年の時の話であり、この世界で"俺"が俺として生きるようになってから迎えた初めての二月十四日の話。

 そうだ。有り体に言えばバレンタインデーの話になる。

 まず最初に大前提として俺の中学校、特に一年生の間というのは超が付くほどクラスの輪に入れていなかったし入ろうともしちゃいなかった。幽霊生徒に近しい存在だったろう。

 一学期の頃は殆ど不登校だったのだからあまり関わろうと思われないのも無理はない。俺も俺で他人の眼なんかどうでもいいと思っていた。

 そんなわけで男子の一部が浮き足立つようなバレンタインなるお菓子メーカーが打ち出した日本独自のマーケティングに俺が関わることなどないと考えていたのは当然の帰結であった。

 普段から女子と関わっていないのだから縁も所縁もない。そう、朝の時点での俺は幼馴染のことを異性などではなく小うるさいコロポックル程度にしか考えていなかった。

 

 

「そんな渋い顔して何を一体悩んでいるの?」

 

 駅の自動販売機の前で立ちつくす俺の横顔を見て朝倉が訊ねてくる。

 毎日登校する仲だというのにわからんのか。

 

 

「ジョージアが売り切れてやがる」

 

「……こっちもジョージアでしょ?」

 

 そう言って朝倉は売り切れ表示されている隣のコーヒー缶を指差す。

 だが種類が違う。

 

 

「微糖がいい。エメマンは甘すぎるし今日はブラックの気分でもない。微糖の日だ」

 

「知らないわよ。電車来ちゃうから買うなら早く買って」

 

 コンビニ行ってやろうかとも思ったが急かされたため自販機で渋々ブラックを購入。

 ぐびぐび飲みながら改札をIC定期のタッチで抜けてホームに出る。

 

 

「ほんと、ブラックなんてよく飲めるわね。美味しい?」

 

「眠気覚ましには丁度いい」

 

「カッコつけちゃって」

 

「うっせ」

 

 飲み干したスチール缶をゴミ箱に捨てる。

 そして二、三分待たずに電車が来たので乗り込む。三両編成のどローカル線だ。

 すぐに夙川で八両編成の路線に乗り換えを行い車窓からの景色に建造物が少なくなってきたのを実感した頃、俺たちが通う中学のある駅に到着。

 外の気温の塩梅を体感した俺は綿が詰まったモコモコのダウンを着込んだ朝倉に対し。

 

 

「天気予報見たか? 最高気温二十度越えだと。まだ二月だぞ」

 

「ええ。京都では雪が降るところもあるっていうから驚きよ」

 

「その格好は暑くないか」

 

「あなたの方こそ寒そうに見えるけど」

 

 確かに学ランの上に何も羽織っちゃいないから寒そうに見えるだろうが中にカーディガンを仕込んでいるし上下でヒートテックを着ているので今日の程度じゃ寒さは一切感じない。

 やはり女子は男子より寒がりな生物なのだろう。授業中にひざ掛けするのも珍しくないし、と朝倉のモコモコダウンに一人納得。

 キオスクさえ無いような田舎駅を後にし交通量が皆無の国道をまたいで学校へと向かう。いつも通りの朝だった。

 ここで俺たちが通う中学について少し説明する。

 周りに畑があるような田舎に位置し、一学年二百五十人弱で全校生徒が七百六十人ほど。この町で一番生徒数が多い学校である。

 学校施設としての設備面で特筆すべき点はないが、敢えて挙げるとすれば空から見た時の校舎の形が四等分したホールケーキのひと切れみたいで特徴的だという点か。

 いわゆる円形校舎とは異なり、正面の生徒玄関から見ると普通の四角い校舎に見えるが外周を回ると丸みを帯びた面の辺に気付く。この円の辺に各クラスや学級以外の教室が配置されており、ケーキの断面みたいな直線の面は専ら通路となっている。

 別に校舎がどんな形してようが生徒に関係ないのだが、四組という円の辺の真ん中に位置するクラスに所属していると移動教室でどこ行くのも時間がかかる。

 まあ、俺からすれば時間がかかるぐらいが丁度よいというか授業内容に興味ないし、一階の端っこにある図書室に行くのが煩わしいくらいだ。

 

 

「今日はまた一段と難しい顔をしておられますね」

 

 三時間目の体育授業。

 バスケットボールに勤しんでいる連中を体育館の端で眺めている俺に三組の抜水が人の気を知った風な口ぶりで話しかけてくる。

 はたしてこの野郎を友人と呼ぶに値する関係なのかは微妙なとこだがこの学校における数少ない話し相手の一人であることは確かだ。

 

 

「別に、いつも通りだが」

 

「それは失敬。僕の洞察力もまだまだですね」

 

 "俺"と違って年齢通り十二年しか生きていないはずの男が何を言うのやら。

 一年四組のリーダーを俺の幼馴染である朝倉涼子と位置づけるなら一年三組のリーダーは間違いなくこの抜水優弥だろう。

 教職員はおろか同学年の生徒を相手にしてさえ敬語を使う様は胡散臭いことこの上ないが、クラス委員の絡みで少なからず交流があるとはいえ隣のクラスのはみ出し者である俺にわざわざ話しかけに来るあたり変態的に社交的な野郎なのは間違いない。

 バスケ部員が無双する低レベルな授業風景を眺めながら馴れ馴れしく横に座ってきた抜水に言う。

 

 

「お前さんは試合に出なくていいのか?」

 

「僕のチームは休憩中でして。この試合で勝ったチームと当たることになっています」

 

「そうかい」

 

 いくら記憶の神殿を活用してテストの点数を良くしようと実技が重視される体育ではパフォーマンスを見せないと成績に反映されない。

 そして成績の良し悪しなど気にしちゃいない俺は無駄な体力の消耗を嫌っているため必然的に体育の成績が1か2となる。まあどうでもいいが。

 一方、抜水は帰宅部ながらジュニアの水泳チームに所属しており運動神経の高さには定評がある。

 実際試合が始まるとルカ・ドンチッチばりにコートを制圧するのだから、本職の泳ぎはさぞ凄いのだろう。

 

 

「……あまり心配せずとも大丈夫ですよ」

 

 ケセラセラとでも言いたげな台詞を思わせぶりに吐いた抜水。

 そりゃいったいどういう意味だと問いただす前に試合終了のホイッスルが鳴り、抜水はコートへ足早に向かって行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当たり前だが中学校の下校時間は高校のそれと比べ早い。

 いや、平日みっちり朝の九時から午後の五時まで働く未来が待っていることを考えると高校の下校時間も早いもんだが。

 放課後を告げるチャイムが鳴れば帰宅部の俺はどこぞの部室に向かうこともなくただ帰るだけだが、生憎と今日は掃除当番。しかも面倒な体育館前の廊下掃除ときた。

 こんなとこ毎日掃除する意味あるのかね。数時間後にはまた上履きで踏み荒らされているような通路だぞ、運動系の部活の奴が部活終わりにやればいい。

 

 

「そこ、何ぼけっと突っ立ってんの。さっさと動きなさい」

 

 おまけに俺のことをやたら監視してくる幼馴染が同じ班だからサボることも手を抜くことも許されていない。

 このモンチッチみたいなおチビちゃんがあの朝倉涼子と同一人物なのか本当に疑わしい。これじゃクラスのアイドルというよりマスコットだ。

 だが朝倉の放つ脛蹴りは痛い。そう何度も喰らいたいものではないので仕方なしで清掃業務に取り組む。

 

 

「はいはい……」

 

「"はい"は一回!」

 

 何か文句言わないと気が済まないのか朝倉は。

 くたびれたモップで廊下のホコリを拭き取っていく俺。この作業が終わらないと雑巾がけできないので急かされるのは分かるが俺は省エネ主義者、ダバダバ全力で走りながらモップ掛けなんざごめんだ。

 マイペースに廊下を往復し終えモップに溜まったホコリをゴミ箱に払い落としていると、ゼンマイを限界まで巻いたチョロQのような猛スピードで雑巾がけする朝倉の姿が見えた。他の女子もあそこまでやってないってのに。

 お陰様で早々と掃除は終わり、大手を振って帰れるようになった。

 午後の日差しはやや雲がかっているものの気温はもう冬と言える感じじゃなく花見でもしたくなるような暖かさ。

 

 

「今月はあんま見たい映画ないんだよな」

 

「そうなの? あのお爺さんが主役の奴は面白そうじゃない。奇妙な物語だかって」

 

「奇妙な物語ってタモさんが出てくるホラー番組かよ……数奇な人生な。その手のファンタジー要素が混じったヒューマンドラマは【グリーンマイル】を見て以来大っ嫌いでね、胃がムカムカする」

 

「ふうん。じゃあ今月はお出かけ無しね」

 

 どこかぶっきらぼうに言う朝倉。

 俺たちの交流は学校生活やこうした登下校を除けば休みの日に映画を観に行くというものだが、別に出かける目的を映画に限定する必要は無いんじゃないかと最近思い始めている。

 

 

「どういうこと?」

 

「どうもこうも、映画館じゃあなくてもいいだろって話だ。それこそモールの店舗見て回るだけでもいいし、君がどっか行きたいとこあるならそれに付き合うしさ」

 

「…………」

 

 なんで無言になるんだ。

 コミュニケーション能力に諸々の問題を抱えている自覚はあれど、多少なりとも信頼関係を築いてきたと思っていたのだがそれは俺の自意識過剰というのか。

 内心戦々恐々としながら朝倉の様子を窺っていると。

 

 

「……再来週から学年末テストが始まるわ」

 

 一部の生徒にとっては思い出したくもない事柄を述べ。

 

 

「ちゃんと復習しておきなさい。遊ぶのはテストが終わってからよ」

 

 人差し指をビシッと俺に突きつけこう言った。

 いまいちわからないが、遊ぶこと自体はOKらしい。

 少し安心した気分になれたものの、学年末テストというワードを持ち出した朝倉はすっかり説教モードに。

 

 

「だいたいあなた、ちゃんとノート取ってるの?」

 

 電車の中でもお構いなしにそんな話をして来る。ちょっと恥ずかしい。

 もちろんノートなど取っていない。それどころか普段の授業を受けることが苦痛となりつつあるので居眠りするようにしようかと真剣に考えていたところだ。

 ここは適当に合わせておこう。

 

 

「当たり前だろ。板書の鬼と呼ばれて久しいオレにそれを言うのかね」 

 

「本当かしら。授業中はいつも上の空に見えるけど」

 

「頭じゃなく手で覚えろとでも言いたいのか? 馬鹿馬鹿しい。脳は頭にしか無いんだ、手で覚えられるか」

 

「その頭すら使ってるように見えないって言ってるのよ」

 

 実際使っていないのだから反論のしようがない。

 あーだのこーだの言い合っているうちにゴールの駅に到着。

 どこへ寄り道するでもなく、線路沿いの道を数分かけて歩けば朝倉が住むマンションに到着。

 

 

「じゃあまた明日」

 

 いつも通りここで別れて自分の家に帰ろうとした俺だが。

 

 

「ちょっと待ちなさい」

 

 朝倉に引き留められた。

 いったいなんだ。

 俺の疑問などお構いなしで朝倉は自分の鞄のジッパーを開けながら、

 

 

「あなた、今日が何の日か知らないなんて言わせないわよ」

 

包装された長方形の箱を取り出し、俺に手渡してきた。

 これが何なのか分からないほど俺も馬鹿じゃない。

 

 

「……バレンタインのチョコ、だよな」

 

「もちろんそうよ」

 

 近頃じゃ男子に渡すというよりグループの友達と交換しあうのが学校のバレンタインで、母と姉以外から貰えると思っていなかった俺は素直に驚いている。

 そんなハトが豆鉄砲喰らったような俺の顔を見て朝倉は。

 

 

「幼馴染ボーナスよ。別に他意はないわ」

 

 また明日ね、と言い残すと用は済んだといった風にきびすを返してエントランスへ引っ込んで行った。

 と、これが事の顛末である。

 箱の中には丸いチョコが三個セパレートされて入っており、ホワイトと普通のとビターの三種。

 たとえ義理であろうと家族以外から貰えたという事実は嬉しい。ボーナスだか知らないが、俺の積み上げてきた信頼関係は自意識過剰じゃないということだ。

 そしてこれは相当後になってから知ることになるのだが、中学校の三年間で朝倉がバレンタインにチョコを渡した異性は俺だけだったとか。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue35


恥ずかしいセリフ禁止!




 

 

 高校二年の九月。

 夏休みが終わり北高生が一番最初に直面するのはかったるい始業式の訓示でなければ新学期早々の小テストでもない。通学路の坂道地獄だ。

 この通学路に関して険しい道のりであると度々言及してきたが、夏期は特にしんどい。

 普通に歩いてたって気狂い太陽がこれでもかと熱射線を浴びせてくるのにスキー場の上級者コースみたいな勾配をしている坂道をえっちらおっちら往かねばならんのだ。涼しい顔できるかっての。

 付け加えると過酷なのは登校時だけではない、下校時は坂道を延々と下っていく。これも中々しんどい。

 もちろん登校時と比べ体力的な負担は少ないがキツい傾斜の道を下るということはどういうことか。勢いづいて足がもつれて転げ落ちないよう一歩一歩セーブしながら進む必要があるということだ。当然、脚に負担がかかる。

 そんな毎日を余儀なくされているのだから北高生の殆どが外靴はスニーカーを履いて登下校しているわけで、学校帰りに制服のまま遊びに行くような女子は駅でヒールの高い靴に履き替えてから行動するんだと。これは涼子情報だ。

 

 

「つまり鞄の中に遊び用の靴を入れておくわけだろ?」

 

「ええ。そうなるわね」

 

「荷物増やしてまでご苦労なことで」

 

 件の坂道を上る朝のルーティンの最中、俺と涼子はたわいもない話をしながら強制ハイキングに対する不快感を紛らわしている。

 長門さんを含むこの三人での登校というのは今日も変わらないが、最近じゃこうやって俺が話す場面も増えた。正確には涼子に気負わず搦めるようになったという感じか。

 

 

「見てみろオレなんか登山用の靴だぜ。もう一年以上履き続けてるが未だに健在だ」

 

「ゴツすぎよ。女子にそれ履けってのは無茶でしょ……ねえ長門さん」

 

「うん」

 

 苦笑しながら涼子の言葉に頷く長門さん。

 まあ理解されようとは思ってないし、北高女子はニューバランス履いてるくらいが丁度いいさ。ニューバランスかわいいよね。

 アップにしては充分すぎる運動な坂道上りを終えて校舎に辿り着いたは良いものの、うだるような夏の暑さからは解放されず元気ハツラツとは程遠い生徒諸君。

 いや、一人だけ元気な奴がいたか。

 

 

「まだ九月だってのに三年は夏休み明け早々にセンター試験の説明会だとよ。うちは進学校気取りか?」

 

 弁当を包む風呂敷を解きながらぼやく谷口。

 午前の授業が終わりお馴染みのメンバーで久々に囲むランチタイム。

 といってもキョンとは夏休み中殆ど顔を合わせていたし、国木田も何回か文芸部の活動に参加していたため本当に久々なのは谷口だけだ。

 その谷口は何とも言えない表情で俺を一瞥してから。

 

 

「にしてもマジで今まで朝倉とデキてなかったってんだから驚きを通り越して呆れ果てたぜ」

 

 流石ミスター下世話の谷口。俺が涼子と付き合いだしたことは把握済みだ。

 驚くのも呆れるのも勝手にやっててくれ、語って聞かせる道理は無いがこっちも色々あったんだからな。

 因みに朝倉さん(宇宙人)がやらかしたあれこれ――弁当だとか放課後デート練習だとか――は他の連中の記憶から抹消されているらい。未だに何がしたかったのかわからん。

 で、特に言う事もないので黙っていると谷口は気を取り直したのか夏休みの話題を振って来る。

 

 

「こいつのことはともかくおまえらはどうだったんだ? 高二の夏だ、アバンチュールの一つや二つあったんだろ?」

 

 "こいつ"は俺、"おまえら"はキョンと国木田を指す。

 キョンは相変わらずどこか呆けた顔で。

 

 

「今年の夏は例年になく遊び回ったがお前の期待するようなアバンチュールとやらはやって来なかったぞ」

 

「どうせ何もしてこなかったんだろ? そういうのはな、自分から行動しなきゃ結果が出ねえようになってんだ。果報は寝て待てだなんて虫が良すぎるわな」

 

 随分と鼻に付く物言いだがキョンは適当に聞き流していた。正しい対応だ。

 一方、国木田は逆に聞き返す。

 

 

「そういう谷口は何かいいことあったの?」

 

「よく聞いてくれた国木田。俺様の夏休みはな、それはそれは充実したものだったぜ」

 

 聞けば谷口は去年のクリスマスを共にした光陽園の女子とまだ続いており、このシーズンのために稼いできたバイト代をつぎ込んでデート三昧だったという。

 だが他人の惚気話ほど聞いててムカムカするものは無い。どちらもウザいことには変わりないが、去年の今頃みたいに皮肉や僻みを聞かされる方が精神衛生上マシである。

 さて、昼休みが終わり午後の授業。

 たらふく食べたわけじゃないが食後はどうしても睡魔の誘惑に襲われる時間帯。

 色々と思うところがあり、二学期からの俺はその生理的欲求に反抗して見かけだけでもまともに授業を受けるようになっている。

 だいたい俺が授業中に居眠りするようになったのは中二の頭ぐらいからだし、それまではこんな風に倦怠感を抱きながらルーズリーフに適当な板書をとる無味乾燥な時間を過ごしていたわけだ。

 俺の自分語りはさて置き、放課後になりいつものように部室へ向かうとその中には先客がいた。

 

 

「お邪魔してるよーっ」

 

 パイプ椅子に腰かけながらお菓子の類を食べている鶴屋さんと、こちらに軽く会釈をする朝比奈さんの三年生二名である。

 この人たちは実質的に文芸部の部員みたいなものなので好きに来てもらって構わないのだが、用も無しに来るとは考えにくい。また涼宮が余計な入れ知恵をしたのではと訝しんでしまう。

 涼子も疑問に思ったようで、鞄を置いて鶴屋さんに訊ねる。

 

 

「書道部の方はお休みなんですか?」

 

「お休みっていうか、あたしら三年は今日センター試験の説明会が終わったらそのまま帰りなんだけどねっ。ちょっち寄り道してから帰ろうってわけさっ」

 

「家に帰っても落ち着かないというか……勉強しなきゃってプレッシャー感じるんです」

 

 ばつが悪そうに苦笑する朝比奈さん。

 確かにセンター試験の話を聞かされた後だと直帰して遊ぶにしても集注できなさそうだ。

 そりゃあやらないよりやった方が身の為になるだろうが、慌てて詰め込んだ知識は長持ちしないと相場が決まっている。このお二方のレベルならマイペースにやってった方が合格も確実だろう。

 鶴屋さんと朝比奈さんという思わぬ来訪者が登場したものの、特に何かしらのイベントの前触れということもなく後から来た涼宮は平常運転でグダグダするだけ。

 けどまあ、セカンド高校生活としては悪くない時間の浪費であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日が暮れるよりも少し早い時刻。

 俺と涼子は先に部室から出て御用達のスーパーマーケットへ向かっている。

 当たり前だが、そのまま直帰するより幾分か遠回りな道のりだ。

 そもそもガチガチの住宅街である俺の家から北高までの登校ルートにスーパーなどという小売店は存在しない。

 最寄り駅の近くに別のスーパーがあるものの、そこは少しでもお得に買い物すべく使い分け。玉子の特売はこれから向かう方に分があるということである。

 

 

「それで午後からは軽く大阪城でも観光しようかなって…………ちょっと、聞いてる?」

 

 ぬっと俺の正面に出てくる涼子。

 危ないので下り坂でいきなりそんな動きをかまさないでほしい。

 話をサッパリ聞いていなかった俺は素直に非を認める。

 

 

「ごめん、聞いてなかった」

 

「でしょうね。ほら、再来週の話よ」

 

 涼子は引き下がりながら説明してくれた。再来週の話というのは予定しているデートのことだ。

 夏休み中は二人きりでお出かけするタイミング殆どなかったからか涼子はノリノリでなのである。

 もちろん俺だって楽しみだ。そんな楽しい話題に集中できていない理由は単純で、もっと重大なことについて考えていたからに他ならない。

 

 

「なあ、どう考えてるんだ? 卒業後のこと」

 

 センター試験うんぬんを耳にしたせいかどうしてもこのことを考えてしまう。

 といっても俺自身のスタンスは既に言ってある通り涼子の決めた方に付いて行くだけ。だからこそ彼女には後悔してほしくない。

 

 

「……まだわかんない」

 

 通りがけにある武家屋敷みたいな一軒家を眺めながら涼子は言う。

 

 

「はじめはこっちに残りたい気持ちが強かったわ。長門さんは放っておけないし、あなたは告白の返事をくれなかったし」

 

「今は違うのかい?」

 

「別に残りたくなくなったわけじゃないけれど、やっぱり家族で暮らしたいってのが正直なところよ」

 

「だよな」 

 

 世界には暮らしたくても暮らせない家族が少なからずいる。その中でも選択肢が与えられている涼子は相当幸せな方だろう。

 といってもただ一緒に暮らすのではなく海外に移住する必要性があるとなると不安も生じるわけで、彼女の悩みは普通の人間が抱く自然なものだ。

 俺はカナダに行く覚悟などとうに出来ているし、彼女と違って二度目の人生だ。日本への拘りというか未練みたいなものは無い。

 

 

「人生の先輩として何かいいことを言ってやりたいところなんだが……生憎と君みたいな真人間相手にする説教なんか持ち合わせてないんだ」

 

「じゃ私について行くっての抜きにして、あなた個人の考えを聞かせてちょうだい。いわゆる海外留学よ?」

 

 君と一緒という前提が無ければ海外留学などまずやろうとすら思わんのだが、ともかくそういう過程をすっ飛ばして高校卒業後の俺がカナダに拠点を置いてどこぞの州にあるなんとかユニバーシティーへ通う数年間を仮定する。

 

 

「カナダは日本人が済みやすい国で有名だしな、案外悪くないと思う。もっともオレ独りの生活力じゃあ半年、いや三ヶ月保つか怪しいけど」

 

「それは日本にいても変わらないでしょ」

 

 俺もそう思う。

 道中ビバークしたくなるような下山ルートの険しさも鳴りを潜め出し、歩道の勾配が徐々に平坦なものとなっていき、住宅地から少し外れると目的のスーパーマーケットへ辿り着いた。

 いつも通りそれぞれの担当に分かれての買い物をしつつ俺は例えばカナダでの買い出しはどうなるだろうかと想像する。

 涼子と同じ大学で同じ時間帯に行動するような生活だったとして、今みたいな感じにはならなそうだ。

 下校時間だってお昼前になるのは少なくないだろうし、そもそも下校がてらスーパーに寄るかさえ分からない。涼子のご両親と一緒に休日、郊外の大型店舗へ行き大量に買い込むなんて一般的な核家族みたいな買い出しがメインになる方が可能性として高い。

 俺はそういう土日を過ごすことなど珍しくない――ちゃんと起きてたら――が、涼子はそんな普遍的家族交流から遠ざかっているわけで。

 

 

「……ははっ」

 

 会計を済ませ、スーパーの外で涼子を待ちながらあれこれ考えていると空笑いしたい気分になった。

 自分のことしか第一に考えてこなかったこの俺が、人様の人生をてめえのこと以上真剣に考えてるじゃないか。

 もしかすると誰かさんのおせっかい気質がうつったのかもしれないな。

 

 

「お待たせ……いったい何が面白くてそんなニヤニヤしてるのかしら?」

 

「別に、何も。それ持つよ」

 

 お前気味悪い顔してんぞと言いたげな涼子からレジ袋を受け取り、事も無げに彼女のマンションへ向け歩みを進める俺。

 依然として懸案事項は解決しちゃいないがそれをクリアするのは別に今日である必要はない。早く解決して困りはしないだろうけど。

 俺はてんで上の空で話を聞けていなかった再来週の件に話題を戻す。

 

 

「大阪城がどうとか言ってたけど、お城なんて興味あるんだ」

 

「なんだかんだ行ったこと無いもの。一回くらいは拝んでおきたいじゃない」

 

 無理して行くほど遠いわけでもないから構わんのだが、デートスポットかと言われると間違いなく定番から外れる。

 にも関わらずお城マニアでもなければ歴史マニアでもない彼女がわざわざ大阪城に興味を示したのは何故か。

 少し考えて自己解決。この前彼女は食事中に録り溜めしてた【真田丸】を流していた。それが理由だ。

 敢えてそれを言うこともなく、俺は涼子に他に行きたい場所がないかを聞く。

 

 

「そうねえ。気になってるお店はいくつかあるけど、あまり遅くなるのも嫌だし厳選しましょう」

 

 と、あれこれ話しているうちに毎度お馴染み市内某所分譲マンションに着いた。

 もちろん俺も涼子と並んでエントランスを抜けていく。

 近頃じゃ買い物の手伝いをせずともご相伴にあずからせて頂いているが、やはり今日みたいに一仕事してからの方が変に気負わず済む。

 あるだけマシといわんばかりの徐行運転で上昇するエレベータが俺たちを五階へと運び、遠慮なく505号室にお邪魔する。

 それから戦利品をしまい、リビングでローカルの夕方報道番組を頭空っぽで見ながら待つこと三十分程度。

 

 

「はい、お待ちどおさま」

 

 テーブルに並べられていく料理。今晩のメインディッシュはホイコーローか、久々に喰う気がする。

 かぐわしい豆板醤の香りが食欲をそそるが食前の儀式を忘れてはならない。

 小さく合掌し一言。

 

 

「いただきます」

 

「どうぞ召し上がれ」

 

 箸を持ち、皿に盛りつけられたホイコーローの肉とキャベツをつまんで一口。

 その様子を見た涼子は決まってこう言ってくるのだ。

 

 

「お味はいかがかしら?」

 

「もちろん最っ高だ」

 

「ふふっ。それはよかったわ」

 

 俺の答えなど常に一つだというのに、わざとらしい奴め。

 だいたいホイコーローなんて調味料メーカーが出してる合わせ調味料をブチ込んで適当にじゃーじゃー炒めただけでもうまいのに涼子のは自家製ソースだ。コクというか、味に深みがある。炒め方だって完璧。

 もう何年もの付き合いになるので、こういうガッツリした料理は俺が来なければわざわざ作らないということぐらい気付いている。

 もっとも最初に気付いた頃は単に俺への配慮からだろうと結論づけた。料理で男性の胃袋を掴むなど今時耳にすらしない作戦だからな。

 

 

「ん、どうかした?」

 

 無言で顔を見つめられているのに気づいた涼子が俺に何事か訊く。

 なんかあれこれ考えていて、彼女に色々と言いたい事があるにはあるのだが、それらをうまく言葉に纏められそうにないので考える必要のないことを言う。

 

 

「やっぱオレ、君が好きなんだなって」

 

「っ…………もうっ。食事中に真顔で言わないでよ、空気読みなさい」

 

 すぐに視線を俺から外す涼子。 

 だが恥ずかしがっているというよりかは、口元が緩んでいるように見受けられる。

 まあ、こんなこと言うもんだからこの日もこの日で帰りが遅くなってしまった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue36

 

 

 俺のセカンド高校ライフもまさしく中間地点に差し掛かった高校二年の今日この頃。

 今年、俺にとって最大級の変化が涼子との関係なのは一点の疑いようもないだろう。

 紆余曲折――させたのは主に俺だけど――の末、俺は彼女と男女の交際をする運びとなった。有り体に言うと恋人同士。

 で、土曜日の今日が涼子と付き合ってから初の二人きりでデートらしいデートをする日。

 夏休み中はどこか行くにしてもいつものメンバーだったし、二人きりの日は彼女の家でぐだぐだしてるのが殆どだったりして今に至る。

なればこそ俺は牛丼屋がギリギリ朝定食を提供しているこんな時間からお馴染みの北口駅前に立っているわけだ。

 敢えて待ち合わせる必要もなかったと思うが、これは涼子たっての希望――最寄駅ですらないが――だからしょうがない。今まで休みの日はどこか出かけるにしても涼子が家まで叩き起こしに来るスタートがテンプレートだったからこういう形だと、まあ、相手のことを意識はする。よな。

 いや、思い起こせば"俺"が初めて涼子と映画見に行った時は待ち合わせしたんだっけか。もう四年も前になる。

 きっとあの頃の俺にまともな男友達がいたら幼馴染を敢えて誘うこともなかっただろうし、そうなると彼女とのフラグも立ってないかもしれないと思うと自分の交友関係の狭さだって捨てたものではない。

 何はともあれ、俺自身今日この日に限り特別装いを変えたりしていない。普段と違う所を挙げるとすれば腕時計に観賞用のラドーを付けているのと、寝癖を念入りに直してきたぐらい。着ているジージャンは去年買ったやつだし、シャツズボン靴も特に新調しておらず、香水だって家にあるローテーションのひとつ。あくまでいつものスタイルだ。

 では彼女の方はどうだろうか。その答え合わせは待ち合わせ時間の十七分前に行われた。

 

 

「おはよ」

 

「お……」

 

 駅の出口から現れ、俺の姿を確認するなり駆け寄って来て朝の挨拶をしてくれた一人の女性。

 見たところ彼女はいつも通りの髪形で、服装は白いブラウスに薄手のカーディガン、下が膝下丈のキャメル色プリーツスカート、いつも通りの落ち着いたファッション。まさしく俺のよく知る朝倉涼子像そのもの。

 だがどうだ、いざ面と向かうと等身大の彼女に魅了されているではないか。

 結局平常心を装ったところでデートに浮ついた自分が必ずどこかにいたってオチよな。

 挨拶も返さず惚けた様子で立ち尽くす俺に涼子は首をかしげ問うて来る。

 

 

「どうしたの?」

 

「なんつーか、その」

 

 何テンパってんだ俺。

 いつも通り言いたい事を言えばいいだけだろ。

 俺は咳払いをして言葉を捻り出す。

 

 

「えっと……この人素敵だな、って。見とれてました、ハイ」

 

「……っ」

 

 軽く小突かれた。

 俺に喰らわせたグーを引っ込めながら涼子はぶっきらぼうに言う。

 

 

「べつにいつもと変わらないでしょ」

 

 それがいいってことを確認できたからこの待ち合わせは有意義なものだったよ。なんてことを言おうものならもう一回小突かれそうだ。

 とにもかくにも合流したのだから早速移動を開始する。

 先日の下校時に大阪城がどうとか言っていたことから分かる通り、今回の行き先は大阪である。

 ちょうど秋冬の新作が発売されるタイミングとあってアパレルブランド店舗に物見遊山というわけだ。

 もちろん我らが地元の西宮にも多数ある店舗だが、せっかくのデートなので大都会に練り出してみようと決めた。

 

 

「正直、六割ぐらいだと思ってた」

 

 私鉄の座席に腰を預け車窓からの風景を眺めていると横からこんな台詞が。

 そのまま涼子の方へ首は向けずに聞き返す。

 

 

「何が六割だって?」

 

「あなたが遅刻しない確率」

 

「逆に四割でオレが遅刻するってか」

 

 ええ、と肯定する声が無慈悲にも耳に届く。

 

 

「最初くらいちゃんと待ち合わせして行きましょって言ったけど、後でやっぱり家まで行ったげたほうがいいんじゃないかって考え直したりもしたわ」

 

「んじゃあ、もし寝過ごしてたら……」

 

 視線を車窓から涼子の方に向ける。

 彼女はニッと笑みを浮かべ俺にこう返す。

 

 

「聞きたい?」

 

 素敵な笑顔のはずだがどうして恐怖心が芽生えてるんだろうか、彼女の言葉の先を聞く勇気など俺にはなかった。

 まあ、実は俺が早起きでいつもは二度寝三度寝にかまけているから涼子に起こしてもらっているということは彼女も知っているしな。なんだかんだ言いつつも、今日は二度寝しないはずという俺の誠実さを信用してくれたんだよ。

 

 

「仮に遅刻しそうな時間まで起きなかったら、引きずってでも連れてきてもらうようあなたのお母様にお願いしてたの。自力で起きてきたってメールが来たから安心したけど」

 

 全然信用されてないじゃないか。

 あんまりだ。

 

 

「ふふっ、ふてくされちゃって」

 

 少女漫画のキザな相手役だったらその生意気な口を塞いでやる、とか言って強引にキスするような場面だぜ。

 もちろん公共の場でそんなことしない。黙って車窓から見える移りゆく街並みに視線を向けるだけ。

 やがて、俺たちを運ぶ列車は目的地である終点の駅に到着。車内に居座ってても折り返されてしまうのでさっさと降りる。

 ――関西が誇る最大クラスのビッグシティ、梅田。

 私鉄のホームひとつをとっても西宮と比べ物にならない規模感である。

 改札を抜けるともうそこはダンジョンの第一層。あちらこちらへ道が分かれており、ぼやぼやしてると人波に揉まれてしまうような都会のカオス。

 あてもなくぶらついても充分に時間を潰せそうだが、まず梅田に来て最初に行くところといえば一つ。

 

 

「んじゃあ10時のおやつと行こうか」

 

「おやつ……?」

 

「ここ梅田だぜ。たこ焼きに決まってるだろ」

 

 俺が彼女を引き連れて向かったのは私鉄とJRの乗り換えルート途中にある高架下の飲食街。

 その隅にあるたこ焼き屋は梅田でもトップクラスの人気を誇る立ち食いカウンター式の店舗であり、ここで食べてから店を回ろうということだ。

 開店早々のこの時間から既に人だかりが出来ている状態で、次から次へと人が並ぶがそこは流石の回転率。並んで10分せずに俺と涼子はカウンターへ通された。

 俺はネギマヨ、涼子は塩ダレをそれぞれ6個で注文。

 たこ焼きが見えなくなるほどてんこ盛りのネギを見て涼子は。

 

 

「流石大阪って感じね。見たことない量だわ」

 

「チェーン店とはスケールが違うだろ」

 

 もちろん味も違う。

 一口運べば口の中で溶け広がっていく生地、出来立ての熱量を伴うそれはまさしくここでしか味わえないような格別の味。

 そして肝心かなめ、中身のたこだがこれもまた美味。身がぷりっぷりで噛むと塩気のあるうま味が出てくる。

 

 

「うんめえにゃ~」

 

「にゃーって何よ。確かに美味しいけど」

 

「このネギがまたたまらんのですよ。苦味が全然ないし、シャキシャキのネギと生地の相性が最の高」

 

「そこまで言う?」

 

 何を大げさなと俺の舟皿からひとつ奪っていく涼子。

 ネギマヨを食べた彼女の顔が美味しさでむふふと綻ぶのは当然の結果だった。

 等価交換の原則にのっとり俺も涼子の塩ダレをひとつ貰う。ネギマヨ以外を食べるのは初めてだが、果たして味の方は如何に。

 

 

「ほう、なるほど。こっちもアリだな」

 

 ネギマヨが複数の味の調和だとすればこちらはたこ焼き本来の味に特化したテイスト。

 塩ダレの主張が強くないため出汁の味を引き立たせている感じだ。美味い。

 ぺろっと食べ終わり、店を後にすると涼子が一言。

 

 

「また来たい」

 

 お嬢さん、すっかり気に入ったご様子。

 

 

 

 

 

 小腹を埋めたところで最初の目的地であるアパレルブランド店舗へと向かう。

 駅前の大通りに面したジャンボサイズのテナントビル。眼前にそびえ立つそいつに少しばかり圧倒されつつも敢然と中に入っていく。

 店内は地元西宮にある馴染みのショッピングモール内一角のそれと異なり広々しているはずだが、客の密度は盛況そのもの。

 そして大阪という土地柄だろうか。店内の広告はやたらケレン味のあるものばかりだ。

 

 

「"大阪の最高は世界の最高"だってさ」

 

「それだけ自信があるのよ」

 

 どこに根拠があるのやらだ。

 目を引くのは店内広告だけではない。ショーウィンドーのバックにはコラボしてるわけでもないのに虎の顔のマークが貼りつけられている。関西圏で人気を誇る球団、タイガースをイメージしてるのだろう。

 確かに定番商品の品揃えは大阪最高かもしれないが、今日のお目当ては季節モノである。店内のPOPを頼りにあれこれ物色を開始。

 涼子がまず目を付けたのはセーター、マネキンのコーデを見るにタートルネックか。

 

 

「こういうの流行ったわよねえ」

 

「君も持ってるだろ?」

 

「私のはこんなにふわふわしてないわ」

 

 手に取ったセーターの袖をにぎにぎする涼子。

 俺も触ってみるがこりゃ確かにふっわふっわの手触りだ。なんでもラムウール生地らしい。

 ウールとラムウールの違いなど寡聞にして知らないけど後者の方が上質なのだろう、商品名にプレミアムとか付いてるし多分そうだ。

 この商品の隣には違うタイプのセーター。こちらはラムウールじゃなくウールクレープだと。何が何だかもうサッパリである。

 どんなもんか気になったのか涼子はセーターを持って試着室に入っていった。

 着替えを待つのは慣れているが、その慣れを作ったのは宇宙人だということに気付くと微妙な気分になる。フィクサー気取りめ。

 スマホブラウザを眺め、いくつかリストアップしていた昼飯の候補からどれにしようかと考えているうちに涼子が試着室から出てきた。

 彼女は右手を腰に当て得意気な笑みを浮かべ。

 

 

「どう? 結構いいと思わない?」

 

 柚子色のセーターはコクーンシルエットを演出するゆったりとした作りになっており、元々履いてるプリーツスカートと合わさって非常にかわいらしい印象だ。

 だがこの組み合わせはかわいすぎる。少々くどいということだ。ゆるふわガール路線は涼子にマッチしていないと思う。

 とはいえ思ったことをそのまま言うほどデリカシーに欠けた人間でいたくないので言葉を選んで返す。

 

 

「いいと思う、いいと思うよ。でもそれを普段使いするなら下はもう少しシュッとしてる方がいいかな。スカートよりもズボン系で」

 

「意外としっかりしたご意見ね」

 

「あくまでオレの好みだけど」

 

 これだけはハッキリ真実を述べておくが、俺は脚フェチなどではない。()()()()()()フェチなだけだ。

 というわけで実際にズボンを合わせてもらうことに。

 

 

「……これで満足?」

 

 上のセーターはそのままでスカートをジーンズに着替えた涼子。

 ただそれだけで彼女がたおやかに見える。トップスの緩さが彼女の脚線美をいっそう良く感じさせてくれる。

 中学時代前半のお子様ランチなちんちくりんと違って今の涼子は抜群のプロポーションであるため、言ってしまえば何でも着こなせてしまうのだ。

 そんな俺の中でモデルに負けてない存在である朝倉涼子の最大の武器とも言えるグンバツの脚、俺が膝枕目当てで彼女に耳かきをお願いするようなその脚が120%の魅力を解放している。

 最早言葉は不要。感動のあまり拍手をした俺に涼子は少し引いていた。

 それから四階あるフロアを全部回り、季節モノやキャラクターコラボの商品をあらかたチェックし終え、アパレルブランド店舗を出て次に向かった先は某ディスカウントストア。こちらも店内繁盛している。

 エスカレーターで最上階まで上がると俺は早速自分が一番興味のあるブースへ移動する。

 ショーケース前に立って中の商品をじっくり見る俺に涼子は。

 

 

「あなたほんと好きよね」

 

「何が?」

 

「時計。いつも寄りたがるでしょ」

 

 もちろんだとも。

 馴染みあるショッピングモールのウォッチサロンに負けてない品揃えだしなここは。国産から舶来まで、どれを見るのも楽しいものだ。

 すると俺の左腕の変化に気付いた涼子がそれを指摘する。

 

 

「そういえば今日はいつものGショックじゃないわね」

 

「ああ、スイス製のラドーだよ。Gショックは安いし丈夫でいい時計だけどやっぱカジュアルだから……こういうカッチリしたのも持っとかないと困るだろ」

 

 一応シチズンのアテッサとカルバンクラインのシティも持ってるけど。

 時計オタクでもない涼子はラドーという単語がピンときていないため微妙な表情だ。少し講義するか。

 

 

「いいか? ラドーはメイド・イン・スイスなんだぜ、モノが違う。君も知ってるロレックスやオメガだってスイス産だ。スイスは時計ブランドの総本山なのさ」

 

「ああそう……それで、モノが違うスイス製腕時計やらはいくらしたの?」

 

 顔にめんどくせえと書いてある涼子の質問に対し、俺は静かに返答する。

 

 

「十一万と四千円」

 

「うっそみたい」

 

 俺の右手にひっ付いた時計にそこまでの価値があるのかと驚き眼をぱちくりさせる涼子。

 一度貯金が消し飛んだのは言うまでもない。これを買うためにコツコツ貯金してたわけだから消し飛んでくれて結構だけど、通帳を記帳した時は心にくるものがあったね。

 しかし時計の世界からしたらまだまだ登竜門というか、高級ブランドじゃなくても五十万円台のが売ってたりするし、上には上がある。

 大事なのは値段の高さじゃない、自分が着けた時に自信を持って人前に出れるかどうか。それは家にスラムダンクが全巻揃えてあるのと同じくらい男の価値に関わるんだよ。

 なんて講釈は心の内に伏せておき俺はこの時計について語る。

 

 

「買ったのは去年の六月だけど、いわゆる観賞用に買ったからこうして身に着けて外に出たのは今日が初めてでね。まあ、誠意の表れとでも思ってくれ」

 

「ふふっ。なんなのそれ。カッコつけたかっただけでしょ?」

 

「……悪いかよ」

 

「いいえ、嬉しいくらいよ」

 

 ニヤニヤしている涼子に釈然としないまま時計ブースを後にし、次に向かったのは香水売り場。

 ハイブランド品を買うなら大型デパートや百貨店の方が品揃えは良いが、この店はリーズナブルな価格帯のものが多い。俺ら学生にはうってつけというわけだ。

 いつも使っているブランドの中から何か買おうかと物色していると涼子は煽るような声で。

 

 

「香水ねえ。あなたいつの間にか洒落っ気づいてたわよね」

 

「これもカッコつけの一環さ」

 

 中学の頃からそうだった、と言うとイキっているだけに見えるかもしれないがかつての"俺"の習慣をそのまま引き継いでいるだけなので自分としては洒落っ気づいたという感慨は無い。

 その点女子というチート生命体はどうだ。

 特別フレグランスなどに頼らなくとも普通に風呂入ってるだけで何故かいい匂いがする、これがフェロモンなのだろうか。涼子のしか嗅いだことないけど。

 俺自身匂いフェチというわけではないのだが、彼女の後頭部に顔をうずめて吸った髪の匂いはその道に目覚めそうなくらい盛大な充足感を得られた。あれは合法的なドラッグだった。

 それはそれとして、涼子が香水について聞いてくる。

 

 

「今日はどんなのを付けてるの?」

 

「あれだ。黒い箱のやつ」

 

「いかにも男向けって感じね」

 

「最初はシトラス感が強いけど徐々にフローラルな感じも出てくるからそんなにキツくならないんだ」

 

「ふうん、良さそうね。ちょっと嗅いでみたいわ」

 

 あいにくとサンプルが置いていない商品のため涼子の希望は叶わなかった。

 否。サンプルで嗅ぐのが叶わなかったのであり、他の方法でそれは叶った。

 

 

「あなたが付けたのを嗅げばいいじゃない」

 

 あっけらかんと言う涼子。

 それはつまり俺の身体――この場合は手首だが、それでもどうだろう――を彼女に嗅がせるということであり、量販店内でそれを行った俺たちは無事にバカップルの仲間入りを果たしたのであった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue37

 

 

 涼子と大阪をデートした翌日の日曜。

 この日は前日と打って変わって完全な引きこもりモード。

 といっても俺が引きこもっているのは自分の部屋じゃない、幼馴染兼恋人の部屋だ。

 

 

「ふふんふふんふ、ふんふふふ~ん」

 

 その幼馴染は鼻歌交じりに洗濯物を干している最中である。

 俺はというと、ソファに身体を預けながら何をするでもなく彼女の後姿を見てぼんやりと思っていた。もう家に帰るのめんどくせえな、と。

 昨日をダイジェストで振り返るとこうだ。

 梅田でぶらぶらした後はメトロで少し移動した先のオフィス街にある欧風カレーの店で優雅にランチを済ませ、大阪城天守閣を観光、全国区のチェーン店カフェで休憩し、帰りがてら梅田ダンジョンから家電量販店を見て回り大阪デートは終了。

 私鉄を降り、涼子を家まで送って俺は帰ろうとしたが、こちらが別れの言葉を切り出すよりも先にガシッと腕を掴まれ。

 

 

「晩御飯、うちで食べてくわよね?」

 

 有無を言わさぬ圧でこう問われてはYES以外に返事のしようもなく、生姜焼きと自家製ポテトサラダをご馳走になり、後は野となれ山となれで一晩を過ごし、今に至る。

 なんというか俺も涼子も思考回路がバグってるとしか思えない。数週間前は同棲なんて気が早いとか話してた気がするが今となっちゃ寝巻きも部屋着もこの家に置かれているのだ。

 歯ブラシは旅行用のやつを使っているが、ちゃんとしたのに置き換わる日もそう遠くなかろう。

 

 

「ふぅ、掃除機かけたいけどちょっと休憩」

 

 などということを考えている内に洗濯物を干し終えた涼子が俺の隣に座ってくる。

 そしてごく自然な流れで身体を預けてくる。あざといとかそういう次元じゃないぞ、まあ見てろ。

 

 

「……ねえ」

 

「なんだい」

 

「充電させて」

 

 彼女が言う"充電"はスマホのことじゃない。いわゆるハグである。

 抱き付きたいのはむしろ俺の方なのに気持ち悪がられるだろうからこっちから何かするのは自重しているというのに、向こうはお構いなしである。

 これは付き合い始めてすぐにわかったことだが、俺と完全に二人きりの時の涼子はかなり甘えんぼモードに突入しやすくなっている。言動がふにゃふにゃにこそならないものの、ハグしてきたり頭を撫でるよう懇願してきたりとまるで人肌恋しい女児のよう。

 もちろん俺は都合のいいダッフィー人形などではない。無抵抗を装い、涼子アームに捕まる直前で俺は抱き付き返す。

 

 

「あーりょこたんの抱き心地ほんと最高」

 

「ちょっと、これじゃ充電にならないじゃない」

 

「此方も抱かねば無作法というもの……それに充電は双方向に行われた方が全体の幸福度が高くなる」

 

「もうっ」

 

 あーだこーだ言いつつもホールドした腕の力を緩めない涼子。

 その彼女の襟首から漂う香りは何度嗅いでもたまらない。

 

 

「完全に変態ね」

 

「君とこうしてられるなら変態で結構だよ」

 

「知ってた? あなた寝てる時も私のにおい嗅ごうとしてるの」

 

「ほう。じゃあ君がオレを抱き枕にしてるのはサービスか何かなのか?」

 

「……寝相が悪いだけでしょ」

 

 起こりうる確率ならばベッドから弾き出される方が高そうなものだがあまり意地悪したくないので黙っておく。

 昨日も愛し合った手前、昼間からにゃんにゃんしてしまうのは常識的に考えていかがなものかと思うがここに俺たち二人以外の基準は存在しない。思考がバグってようと思ったことが正常になるのだ。

 なればこそ、この二人だけの王国の領土を土日祝の休日から拡げたいと思う。

 

 

「なあ、この前も話したことだけどさ」

 

「なに?」

 

「君さえ良ければオレをこの家に住ませてほしい」

 

 ホールドしていた腕をだらんと垂らす涼子。

 俺も充電返しを中断して彼女の様子を窺う。

 

 

「……本気で言ってるの?」

 

「ああ。もちろんオレに居られちゃ鬱陶しいなら諦めるよ」

 

「そんなことないわよ。けど、やっぱり問題じゃない? 高校生で同棲なんて」

 

「親が認めてくれれば何も問題ないよ。学校にバレても両親公認なら向こうもとやかく言えないって」

 

 むぅ、と黙り込んでしまう涼子。

 彼女の内にある理性的で社会的な通念という最終防衛ラインを攻略すべく俺は正直な胸の内を明かす。

 

 

「休みの日はけっこう会ってるけど平日は殆ど付き合う前と変わんないだろ?」

 

「それは当り前じゃない」

 

「けっこうしんどいんだぜ……夢に君が出てくるの」

 

「…………」

 

 何か反応するかと思って待っていると、涼子はスッと右手を俺に向け、そして不意打ちでアイアンクローを決めてくる。

 

 

「あなたねえ! 今更そんなこと言われても私にはちーっとも響かないんだから」

 

「いでででで!!」

 

 頭蓋骨を握り潰されるような錯覚を覚えながら襲い来る激痛に絶叫する俺。

 ようやく解放されたかと思えば涼子はむすっとした表情のまま。

 

 

「あの日から私が何度あなたの夢を見させられた事か。少しは逆の立場を考えて物を言いなさい」

 

 なんというか彼女の説教モードも久々で妙な懐かしさを感じる。

 数分間にわたり涼子からぶつくさ言われた俺が得た教訓は、思ったことをそのまま言うのであれば言われる側の気持ちを推し量れということだ。難しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこからはトントン拍子である。

 この件を互いの親に伝えるや否や待ってましたを通り越し、知ってましたと言わんばかりのレスポンスで許可を貰う。

 何より恐ろしかったのは誰がいつの間に依頼してたのか引っ越し屋が俺の主な私物を移転先である505号室に運んできたことだ。

 宇宙人の情報操作が介在していることは明らかであったが手間を省けたことは単純にありがたい。

 かくして俺は部屋から一歩も出ずに移住を完了したのだった。

 

 

「さて、色々やらなくちゃいけないけれどまずはお昼にしましょ」

 

 そう言い残しキッチンへ向かう涼子。

 時刻はもうすっかり十三時を回っている。

 夏の慌ただしい日曜にさっと食べられる手軽なメニューは何か。答えは一つ、そうめんだ。

 テーブルの大皿に盛られた白い麺をただひたすらすするだけの動物性たんぱく質とはかけ離れたこのメニューが何故我々を魅了してやまないのか、それは我々が日本人だからであろう。

 

 

「んー、夏はやっぱりこれよね」

 

 つるつると麺をすすりながら涼子は言う。

 確かに夏と言えば母親が作ってくれたそうめんだろうよ。

 

 

「誰がおかんよ、私は幼馴染なんですけど?」

 

「全国的にみれば幼馴染にそうめん作ってもらう方が珍しいから」

 

「それもそうね」

 

 めんつゆが飽きてきた頃ごまダレに切り替えるのも定番である。

 特別うまいというわけでもないのに箸が止まらず食べ終えると安心感すらある不思議。それがそうめんだ。

 昼食を終えるといよいよ引っ越し荷物の整理を開始。

 言い出しっぺながらここに住む実感が全く湧かないがいくつものダンボールを放置しておくわけにもいかないため整理にかかることに。

 移住に際し俺に割り当てられたのは505号室の中では死に部屋と化していた和室である。

 元々涼子のご両親が夫婦の寝室としていたそうだが親父さんがカナダへ赴任されたのを機に殺風景なもぬけの殻と成り果ててしまう。

 だが掃除が面倒なだけのデッドスペースであるのも今日まで、何故なら俺が住むのだから。

 結局、涼子が手伝ってくれたのもあって荷物の整理は一時間弱で完了した。俺一人だと漫画読んでサボるから倍以上の時間はかかったに違いない。

 

 

「なんていうか、不思議な気分だわ。急に同居人ができるなんて」

 

 解体したダンボールをビニール紐で纏めながらそう言う涼子。

 きっと新婚の時も似たような気になるのだろう。口に出したら脇腹を小突かれそうなので黙っておくが。

 

 

「後はパソコンのインターネット設定ぐらいだけど、これは後でいいし休憩がてらゲームでもしようか」

 

「ゲーム?」

 

「そ」

 

 元々この家はゲームと一切縁がなく、スーファミや64すら置いてない始末であったがこの度わが家からプレステ3と4が持ち込まれた。

 所有するソフトの殆どがゴリゴリのアクションゲームである俺が持つ数少ない対戦可能なパーティゲーム、【人生ゲーム】だ。

 テレビに出力ケーブルを接続し、電源とソフトを入れてソファに並んで座る。

 

 

「真ん中のボタンを押せばコントローラーの電源が入る」

 

「へぇ、今時は無線なのね」

 

「……もう十年前からそうだよ」

 

「悪かったわねゲームに疎くて」

 

 涼子に肘で右腕を軽く攻撃されつつデモムービーをスキップしてスタートボタンを押す。

 プレイ時間が2、3時間になるようゲームモードの設定を行い、人生ゲームの醍醐味であるキャラクターエディットに入る。

 

 

「名前生年月日性別血液型はそのまま、性格は"普通"で」

 

「ほんと? "陰険"の間違いじゃないかしら」

 

「うっせ」

 

「出た、あなたのうっせ。久々に聞いた気がするわ」

 

 始まる前から楽しそうで何より。

 俺のエディットが終わり次は涼子の番。

 ぼーっと眺めていたら性別をデフォルトである男のまま決定していたではないか。

 

 

「性別変えんの?」

 

「だって私が他の男と結婚するのなんて嫌でしょう?」

 

 ゲームごときに何を考えているのか彼女はドヤ顔でそんなことを言う。

 逆に俺が女CPUと結婚するのは嫌じゃないのか聞いてみると。

 

 

「あなたにその度胸があるならどうぞご自由に」

 

 妙なプレッシャーを感じたので今回は恋愛を封印してプレイしよう、うん、それがいい。

 CPUの設定は適当に行い、いざゲーム開始。

 ゲームキャラクターの天使と悪魔が軽くゲームの説明を行い、実際に操作画面に切り替わる。

 

 

「赤ちゃんから開始なのね……」

 

「だって人生ゲームだし、ゴールする頃には立派な老体だ」

 

 かくして3時間弱に及ぶ人生ゲームの火蓋が落とされた。

 結論から言うと優勝したのは涼子である。

 ゲーム仕様を熟知している俺に一日の長こそあったが、運でまくられてしまってはどうしようもできない。次は実力がそのまま出るゲームにしよう、レースゲーとか。

 そして恒例、俺と彼女との勝負には罰ゲームがつきものである――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――俺に課せられた罰、それは今晩のおかずを俺が用意することだ。

 これを命ぜられた瞬間即座に俺は反論した。

 

 

「オレの料理スキルは君の脚元にも及ばないぞ」

 

「作ってもらうことに意味があるのよ。それにいくらあなたでも肉を炒めるくらいできるでしょう?」

 

 まあ彼女に全部任せきりというのもどうかと思うし、やっちゃるか。

 というわけで珍しく俺がキッチンに立っているわけだが、俺の背中にぴったり貼り付いて様子を窺っている存在に言及せずにはいられないだろう。

 

 

「何なのさ」

 

「心配だから見守っておかないと」

 

 やっぱりおかんじゃないか。

 俺をガキ扱いするのは構わないが密着されては邪魔なだけなので離れてもらう。

 涼子が言った通り、俺に出来るのは炒め物ぐらいである。よってこれから作るのは肉野菜炒めだ。

 まずは具材を切っていく。ピーマンを細切りに。

 

 

「もうちょっとゆっくり切った方がいいわよ」

 

「はいはい」

 

「その持ち方じゃ手が疲れるわ」

 

「……はいはい」

 

 大量の細切りピーマンを用意した次はタケノコを細切りに――したかったが冷蔵庫に入ってなかったため代わりに椎茸を薄切りにして使う。

 肉は当然豚だ。細かく切っていくが正直大きさは適当でいい。

 

 

「次は秘伝のたれを作る」

 

「ああ、チンジャオロースね?」

 

「そういうこと」

 

 秘伝といっても別に大したことはない。

 醤油、オイスターソース、水、片栗粉、そして万能調味料であるXO醤とウェイパーを混ぜ合わせるだけ。

 どこぞの中華料理漫画ではXO醤など邪道と言われていたがこれを入れるだけでそれっぽくなるのだから使わぬ手はなかろう。こちとら素人じゃい。

 たれが出来たら豚肉と椎茸を中火で炒める。サラダ油でも構わないが、やはりごま油の方が風味が良くなる。

 焼き目が付いて来たらピーマンを投入して最大火力。最後にたれを具に絡ませていき、頃合いだと思ったら火を止め皿に盛りつける。

 

 

「おあがりだ」

 

「結構良さそうじゃない」

 

 漢の料理なので副菜は一切存在しない。というか作れない。

 ただこれと白米だけでは物悲しいため中華スープを作る。

 片手鍋でお湯を沸かし、ウェイパーとごま油を少し入れて溶き卵を投入。カップに移して完成。

 テーブルに運び終えると実食タイム。いただきます。

 おかずを咀嚼しながら涼子の反応を伺う。個人的には及第点の味なのだが。

 涼子は味覚に集注するかのように瞳を閉じながらじっくり味わい、そして静かに口を開く。

 

 

「おいしいわ」

 

「……よかった。作ってる最中は気にしなかったけど、いざ出すと君みたいなプロが相手じゃあ何言われるか怖くもなるさ」

 

「あれこれダメ出しするほど空気読めなくないわよ。もちろんこうした方がいいってのはあるけど、あなたの料理を食べれただけで私は満足なの」

 

 笑顔を浮かべながらそう言う涼子。天使か。

 嬉しい気持ちになれた反面、今度からは彼女の料理をもっと褒めてあげねばという使命感が生じた。

 何より最愛の彼女を愛でたい。こう思うのはとても自然なことであり、結果として昨日に引き続き涼子の部屋のベッドで寝る羽目になってしまった。

 流石に明日からは自重して行かないとと思いつつ、こうして一緒に寝るのが幸せになりつつある自分を頭花畑野郎となじりながら今日も彼女のにおいを吸って、まどろみに意識を溶かしていくのだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue38

 

 

 

 俺がこの世界で生きることになり早四年弱。

 色々あったような気もなかったような気もするがとにかく今となっては充実した毎日を送っている。充実しすぎていると言ってもいいくらいだ。

 かつて繰り広げられた虚無感との闘いの日々は幕を閉じ、最近じゃ何かと感謝することが増えてきた。

 

 

「ほら、起きなさい」

 

 その感謝の大元である幼馴染に揺り起こされ、身体を起こす。

 寝ぼけ眼で辺りを見渡して再確認する。そうだ。俺は朝倉涼子と同棲生活を始めたのだ。

 この部屋が年頃の女の子のそれであることを思い出し、ベッドから出る前に一言。

 

 

「あー……一、二分待ってくれないか」

 

「どうかした?」

 

「起きる前に布団のにおいを嗅いでおきたい」

 

「……はぁ」

 

 もの凄い眼で見られたし、強制的にベッドから引っ張り出された。

 結局、濃厚な朝倉汁が溶け込んだシーツを嗅ぐことは叶わなかったものの、本人のにおいを直で嗅がせてもらったので、まあ、良しとしておこう。

 俺のトリップタイムから解放された涼子は呆れた様子で。

 

 

「言っとくけど、私以外にはやらないでよそれ。絶対捕まるから」

 

 謎の心配をしてくれる。

 流石に平日なのでストロベるのはここまでにして洗面所へ顔を洗いに行く。

 鏡に映るこの男を哀れだと感じていた時期もあったが今や「笑えよ」なんて言わずとも笑顔を作れる。いい傾向だと思っておくよ。

 洗顔を済ますと朝ご飯の時間。チンジャオロースは昨日で食べ尽したので朝のおかずは涼子特製の煮物である。

 椎茸、人参、タケノコ、豚肉はもちろんのこと、俺の好物である高野豆腐を入れてあるのがポイント高い。

 

 

「朝から君の料理を食えるなんて最高だ」

 

「ありがと。でも朝だけじゃないわ」

 

 もしかしなくても昼のお弁当は涼子が作ったやつか。

 ということは朝昼晩三食完全に彼女の料理を食べることになる。胃袋を掴まれるってレベルじゃない。

 

 

「じゃあ最高の二乗ってことで」

 

「ふふっ、おだてても何も出ないわよ」

 

 その笑顔を頂ければ充分さ。

 朝食を終えると登校のため制服に着替える。当然ながら俺も涼子も自分の部屋で着替えを行う。

 彼女と同棲するにあたってお互いのためにいくつかルールを決めたのだが、そのうちの一つがパーソナルエリアを尊重することだ。

 散々涼子の部屋で愛し合っておいて部屋自体に今更聖域感はないが、円満な関係を続けていくためにも一人の時間を作るのは大事ということである。

 それに朝から彼女の着替えなんて見てみろ。襲わずにいられる自信がないぞ俺は。

 着替えを済ませ、学生鞄を片手に玄関を後に。

 

 

「ちょっといい?」

 

 しようと靴を履くタイミングで涼子が声をかけてきた。

 はて、忘れ物の類はないはずだが。

 

 

「その……」

 

「なんだい」

 

「……だから」

 

 えらく歯切れの悪い様子の涼子。俺はちんぷんかんぷん。

 やがて彼女は意を決したようにキリっとした眼光で、

 

 

「行ってきますのキスを、しましょう」

 

やけくそに言い放った。

 まったく、完全に新婚気分じゃないか。

 自分の顔が気持ち悪いくらいニヤついてきた自覚がある俺の返事を急かすように涼子はぐいっと詰め寄って来る。

 

 

「で、するの? しないの!?」

 

 はい。もちろんしますとも。

 彼女の方に身体を寄せ、軽く唇を合わせるようなキスをする。

 数秒にも満たない刻が経過し、身体が離れお互いの顔を見合わす。

 涼子はファーストキスの時でさえしてなかった嬉しいのか恥ずかしいのか分からないような表情だ。

 

 

「……やべえ。君の事どんどん好きになる」

 

「っ……じゃ行くわよ」

 

 俺を押しのけ靴を履く涼子。

 それから部屋を出てエレベータに乗るまでの間、俺と涼子の周囲にむず痒い空気が漂っていたのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 と、普通のラブコメならなんとも言えない空気間のまま登校する主人公とヒロインの独白が続いていくのだろうが、これは人生だ。俺と涼子だけがキャストじゃない。

 同じマンションに住む長門さんのお世話に708号室へ向かう幼馴染と別れ、俺はマンションの裏庭で野良猫たちと戯れている。

 俺も彼女に付いて行けば良かったじゃないかって?

 馬鹿言え、用も無いのに女子の家に上がり込もうとしたら涼子に折檻されてしまう。

 借りた本の片付けをしに行った時は特殊な状況だっただけで女子の家にお邪魔するなど、この年であれば滅多なことでもないのだから。付き合う前から俺が涼子の家に少なからずお邪魔していたという事実は置いておいて。

 

 

「オレもお前たちみたいに自由気ままな生活を送りたいよ」

 

 気がつけばしゃがむ俺を七、八匹ほどの野良猫が取り囲んでおり完全に猫まみれである。

 かつてスマホの待ち受け画像だった茶トラくんはあぐら座りの俺の股に入って香箱を作っている。

 カイトにハンターの器量を認められそうなくらいには動物に好かれやすいのが俺の数少ない自慢のひとつだが、この猫たちの中でも茶トラは特に俺になついている。かわいい奴だ。

 一日中モフモフしてあげたいのに学生の立場がそれを許さない。今日も別れの時間が訪れる。長門さんと一緒に涼子がやってきたのだ。

 脚にも肩にも猫を乗せる俺を見て涼子は。

 

 

「相変わらず凄い光景ね」

 

「うん……ここの子たちは大人しいけど、こんなに人になつくなんて」

 

「同じ猫仲間だと思われてるだけですよ」

 

 長門さんに好き勝手吹き込んでいるではないか。

 まあいい。名残惜しいが立ち去るべく猫を一匹づつどかして立ち上がる。

 俺をじっと見つめてくる茶トラくん、どうか許してほしい。次はおやつにちゅーるを持ってきてあげるから。

 ブレザーに付いた猫毛を涼子に払ってもらい、裏庭を後にし登校を開始。

 いつも通りの一日がこうして始まっていくわけだが、いつもと違って俺が既に起きていることを長門さんは当然疑問に思う訳で。

 

 

「朝倉さん、今日は先に彼を起こしに行ったの?」

 

 ちらりと涼子の顔を見る。微妙そうに眼を細めた。

 長門さんにまだ説明してなかったらしい。

 あなたが説明しなさいよ、といった感じで涼子はガンを飛ばしてくるが質問された君が答えるべきだと思うので肩を竦めてお断りのサインを送り返す。

 いっそう睨みはきつくなったが、長門さんを無視し続けるわけにもいかないとやがて諦念した様子になる。

 

 

「実はですね長門さん……その、彼と一緒に暮らすことになりまして」

 

「ええっ!?」

 

 そりゃ驚くよな。

 同棲に関して、両親の了解を得てやっているので問題は無いが言い触らすようなことでもないので胸の奥に仕舞っておいてほしい旨を長門さんに伝えた。

 最早驚くこともないといった疲れたような感心したような溜息を吐いてから長門さんは。

 

 

「そっかあ。去年はどうなっちゃうか心配だったけど、二人とも長い付き合いだもんね」

 

 どこか羨ましそうに言う。

 それに対し、今日びラブコメで幼馴染ヒロインが優勝する作品なんてありゃしないぞ、などとうっとおしいオタクみたいな台詞は吐かずに黙っておく。言ったら涼子にど突かれそうだし。

 宇宙人の長門さんに告白されたキョンが猛烈に長門さんを意識しているということを知っている身としては多少もどかしさを感じる。

 長門さんの方はともかく、あいつは何かしらアクションを起こしてやるべきだと思うのだが。

 俺は俺。行く道一つのただ一つだ。おせっかい焼きの幼馴染と違って恋愛サポーターを務めるほどの気概は無いわけで、憎たらしい北高通学路の坂道を相手取るのに手一杯である。

 

 

 

 で、なんのかんのしてるうちに学校に到着し、いつもの学生生活へ身を落としていく。

 土日にあったイベントの数々が嘘みたいにフラットな時間がここでは流れる。俺がどう心を入れ替えたとしても授業に面白味を見出すことは難しい。

 俺が授業中の居眠りをやめたのは率直に言って平常点の改善が目的であり、さらさらまともにやるつもりは無い。

 授業中における俺の脳内リソースの八割強は涼子のことを何かしら考えており、残りの力で真面目にやってる風を装ってるだけでしかない。

 そんな頭朝倉な状態がおびき寄せたような出来事が起きたのが昼休みのお食事時である。

 

 

「先週のバキ読んだか?」

 

 集まるなりこう言い出したのは谷口。

 ここ数年の展開が微妙なのでまともに読んでない俺からするとロロッロが終わったことの方が重要だ。

 相撲の描写がどうこういう谷口の講釈を聞き流しながら俺は鞄から弁当を取り出す。

 箸を取り、愛妻弁当にドキドキしつつ蓋を開ける。二段箱の一段目はおかずたち。煮物だとかミートボールだとか、案外普通で拍子抜けした。

 となると二段目はごま塩ご飯だろうと考えた俺がチョコラテのように甘かった。

 

 

「は……?」

 

 箱一面に詰められた黄色い生地に赤いケチャップがかけられたそれはオムライスに違いないのだが、ケチャップで『れーくん♡』と書かれているのは一体何事か。てかスプーンはどこだ。入れ忘れたのか。別に箸でも喰えるけど。

 なんかこれを他人に見られるのは非常にマズいような気がしたので即座に一段目を積み直してオムライスを隠す。

 あまりにも挙動不審な俺を見て国木田は。

 

 

「どうかしたの?」

 

 どうもこうも、幼馴染がマジの愛妻弁当作って来てビビってるとこなんだが。 

 俺はクラピカと対峙したウヴォ―ギンの顔を思い出しながら、

 

 

「別に何も」

 

と言い、興味を失った国木田は谷口の与太話に耳を傾け事なきを得た。

 だがしかしいつまでも二段目を封印しておくわけにはいかない。炭水化物食べたいし、涼子の料理を残すわけにはいかないし、困った。

 ケチャップ文字を光の速さでぐちゃぐちゃにして誤魔化すというのが最有力候補なのだろうが、せっかくの演出を無下にするのも気が引けてしまう。だって想像してみろ、朝早く起きた涼子がこのオムライスを用意している絵面を。ウキウキでメイド喫茶みたいな文字を書く涼子を。かわいいじゃないか。

 冷静に考えてみると別に隠す必要ないんじゃないか。俺が奇異の眼で見られるだけで済む問題だろうし、某軍事国家の大統領は自分の城に裏口から入る理由などないと言う。

 そうと決まれば早速俺は切り出すことにした。

 

 

「ちょっといいか」

 

 俺に谷口国木田キョンの注目が集まる。

 

 

「実はこの弁当、涼子が作ってくれたものなんだ……だからこれを見ても変に思わないでほしい」

 

 再び一段目を除けて二段目の封印を解く俺。

 そしてテーブルの中央にオムライスを突き出すと、野郎三人は一様に冷めた眼で俺を見る。

 キョンはやれやれ、といった感じで肩を落としてから。

 

 

「朝倉がお前にぞっこんなのはわかったから、次からは一々報告しなくていいぞ」

 

 冷やかしてこないなんて。

 いい友人を持ったな、俺。

 

  

「うるせえ。お前も谷口も惚気はウザがられるって自覚を持て」

 

 この発言に食いついたのは谷口。

 彼も彼でさもありなんとでも言っておけばいいものを、心外だと言わんばかりに。

 

 

「おいキョン、俺をこいつと一緒にすんのはどうかと思うぜ」

 

「いや完全に同類だと思うが」

 

「あのなぁ」

 

 有り難いことにあっちに飛び火したようだ。

 これで落ち着いてオムライスにありつけるがその前にパシャリとスマホで写真を撮っておく。

 俺が涼子に対し唯一秘密にし続けているのが自分のパソコン内にあるASAKURAフォルダの存在だ。

 元々はスマホの画像を整理するために用意したフォルダだが、いつの頃からか涼子を被写体にした写真が増えてきたため別枠で残すことにした。今となっては完全に自己満足用だし、彼女と距離を置いてた期間中に中身を覗いてはダウナーになってたのは自分でもキモかったと思う。

 で、帰宅後。

 愛のこもったオムライス画像を宝箱に入れてちょっとした自己満足に浸りながらリビングで夕方のワイドショーを見ていると。

 

 

「ねえ黎くん」

 

 やけに上機嫌なニコニコした顔で涼子が俺に呼びかける。

 何かあったと考えるのが自然だが、その中でも最悪の部類だった。

 

 

「あなた、私に隠してることあるでしょ」

 

「あ――」

 

 俺は涼子の言葉を聞いた僅か0.1秒足らずの間にこの先の展開を予想し、そして戦慄した。

 それは、俺が彼女と過ごした四年弱に渡る経験から全てのパターンを想定した上で弾き出した結論だった。

 ――ASAKURAフォルダがバレている。

 いいやまだ敗北を認めるのは早い、彼女は鎌をかけるのだって得意だ。ここはシラを切らせてもらう。

 

 

「まさか。いったい何を隠してるって言うんだい」

 

「白状するなら今の内よ?」

 

 ハッタリに決まっている。

 だが違った。

 

 

「悪気は無かったんだけど、私の中に住んでる宇宙人さんがあなたのパソコンに面白いものがあるって言うから見させてもらったわ」

 

「……パスワードは?」

 

「あら、いつから"ryoukolove"にしたの?」

 

 もう何もかもバレているではないか。

 無条件降伏あるのみ、土下座の平謝りだ。

 

 

「ああいうフォルダがあること自体はそこまで驚かなかったし、むしろ嬉しいくらいだったけど、私が知らない間に撮ってたっぽいのもあったし、何よりこれは立派な隠し事よね?」

 

「すいませんどうかお許しを」

 

「そうねえ、約束を破ったのは事実なんだから罰は必要よね」

 

 結論から言うとそれは罰とは名ばかりの女教師コス――まだ家にあったのか――での生徒指導プレイであったのだが、猫吸いの時といいコスプレで愛し合うのは変態指数が高まっている気がしてならない。

 今回の件から俺が得るべき教訓は、パスワードはパーソナル情報から推測されにくい強固なものに設定するということと、そろそろ大きいベッドを買った方が良いということだ。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue39

 

 

 一般論を持ち出さずとも蛇口を捻れば水が出るくらい当たり前の事として、学校生活では何かとイベントがついて回る。

 つい先日に実施された体育祭など分かりやすい例だろうか。悩ましい事件もあった。

 全ての競技参加にNOを突きつけた俺は1キロカロリーたりとも無駄な運動なんぞに消費せずこの日を終える腹積もり――何なら体操服に着替えてすらいない――である。だが、そうは問屋が卸さなかった。

 部室でスマホを弄りながらサボっていると不意に勢いよくドアが開け放たれたではないか。俺は反射的に声を出す。

 

 

「何者だ、名を名乗れ」

 

「やっぱりここだったわね」

 

 はぁ、と部室に入るなり一息ついたのは涼子だ。

 様子からして俺を探していたようだが俺が参加する競技など何も無いぞ。

 

 

「ええ。クラス対抗戦ではそうだけど、私たちは別の方にも出なくちゃいけないのよ」

 

「別のだって?」

 

「忘れたの? クラブ対抗リレー」

 

 あと十五分で始まるから、と言う涼子の声に俺はちょっと待てを唱える。

 忘れたも何もクラブ対抗リレーは全クラブ必須参加ではない。

 

 

「あれは任意参加なはずだろ。何で文芸部が出なくちゃあいけないことになってる」

 

「参加クラブ募集の時期に参加するって表明したからよ」

 

「オレは聞いてないぞ」

 

「だって言ったら反対されるもの」

 

 ニコッとスマイルを浮かべる涼子。

 この憎たらしいくらい可愛い顔に何度騙されたことか。

 

 

「ありがと。もっと褒めてもいいのよ」

 

「涼子最高可愛い愛してる……それはそうとなんで制服なんだ」

 

 当たり前だが体育祭は体操服で参加するものである。

 だというのに涼子は普段通りのセーラー服。

 

 

「クラブ対抗リレーは部活中の格好で行うのよ? 文芸部は制服がユニフォームじゃない」

 

「なるほどね……けどスカートで走るのは色々と良くないな」

 

「大丈夫よ、ちゃんとブルマ履いてるから」

 

 恥ずかしげもなくスカートをたくしあげて俺にブルマを見せつける涼子。

 二人きりだからっていきなりそんな動きされると心臓によろしくない、ドキッとしたぞ。

 俺としてはスカートの中がパンツでなかろうと涼子のスカートを覗こうとする不届き者が出てくること自体嫌なのだが。

 この心のモヤモヤを込め駄目元で反対するだけしてみることに。

 

 

「今からでも文芸部のリレー参加に反対させて貰えやせんかね」

 

「それは無理」

 

 うん、それ無理ね。わかってたさ。

 気だるげにパイプ椅子から立ち上がる俺の背中を涼子は平手でバンバン叩きながら。

 

 

「せっかくの体育祭なんだから少しくらい運動していきなさい」

 

 どうせ夜も運動することになるだろ、とか寒い事言わずに渋々部室を後にする。

 まるで参加意欲のない俺が把握しているクラブ対抗リレーの概要は参加者五名による500mのリレーであるということ。つまり一人100m走らされる。

 リレーといえば400mが相場だろうに何故五人走らせる必要があるのか、これが分からない。四人だったら俺は走らず済んだのに。

 部室棟の廊下の先を歩く涼子は調子のいい声で。

 

 

「期待してるわよ。中学時代は100m13秒台だったんでしょう?」

 

「君にタイムを自慢した覚えなんかないんだが、何故そんなことを知っている」

 

「親友の抜水くんが僕より早いって褒めてたから」

 

 何処の誰があの野郎と親友なんだよ。

 涼子は不思議そうな表情で。

 

 

「違うの?」

 

「違う」

 

 たまに会うだけの仲だ。それ以上でもそれ以下でもない。

 更に追及しても俺が意固地になるだけだと悟ったのか涼子は抜水の話をやめた。

 そんなこんなで部室棟を抜けグラウンドまで引きずり出されてしまった俺。

 

 

「バリあっちぃ」

 

 空調が無いとはいえ炎天下に比べれば部室の方が遥かにマシだ。

 リレーが行われるトラックの中心には参加クラブの面々が集合しており、我々文芸部も例外ではなかった。

 キョンは俺を見るなり。

 

 

「ようやくエースのお出ましか」

 

「エースね。涼子に何を吹き込まれたか知らんけど、千秋風に言わせて貰うなら過度な期待はしないでくれ」

 

「誰だ千秋って」

 

 最近の若者はアニメ版【みなみけ】も知らんらしい。

 ユニフォーム姿の運動部連中に紛れている俺たちは場違い感しかなかった。

 涼子は他の文芸部員に対し言う。

 

 

「走順を決めましょう」

 

 んなもん適当に決めればいい。

 俺はマジでどこでもいいので相談は他の連中に任せて待つこと一、二分。決定した走順は以下の通りである。

 第一走者、俺。

 第二走者、国木田。

 第三走者、キョン。

 第四走者、長門さん。

 そしてアンカーが涼子。

 リードオフマンを任されるのは微妙な気分だが否が応でも注目の集まるアンカーよりはマシか。

 勝っても負けても何もないから何位で終わろうがどうでもいいのだが、あからさまに手を抜いたら今晩の食卓が貧相なものとなりかねないため最大限の努力をしたという姿勢で臨む。

 実行委員の女子生徒から緑色のバトンを渡されいよいよスタートラインに並ぶ。こんなただの余興がやたらと注目されている気がするのは外野がやけに騒がしいからだ。

 そしてスターター役の体育教師が走者全員の準備完了を見計らい号令をかける。

 

 

「位置について、よーい」

 

 パァン、と号砲から火薬の炸裂音が響き、各者一斉に走り出す。

 北高指定のブレザーは決して運動に適している服装というわけではないけど、いくつかのクラブに比べれば走りやすい部類だ。防具フル装備の剣道部なんてビリ不可避だし。

 文芸部という陰の者とは思えぬ完璧かつ好調な走り出しを決めた俺だったが完全独走とはならない。ラグビー部の奴はボール片手に重機関車のような走りで俺に迫って来てるし、クソったれ陸上部の野郎は俺の前でF1カーばりの加速を見せている。

 俺の奥歯に都合よく加速装置など存在しないので本職のスプリンターには流石に勝てん。

 ラグビー部員に抜かされないことだけを目標に疾走、第二走者の国木田にバトンを繋いでレーンから外れると俺はズボンが汚れるのも気にせずグラウンドに座り込んだ。

 

 

「……しんど」

 

 十月とは思えぬバカ高気温のせいもあり、額には汗が滲んできた。

 軽く深呼吸して視線をレーンに向けてみる。

 国木田の走りは勉強小僧にしては中々の健闘ぶりと言えるが力及ばずラグビー部はおろかバレー部、テニス部、卓球部に抜かれ中団争いに転落。

 ドリブルで走るサッカー部員と並走し何とかキョンに繋いだ国木田は息を切らしながらこちらに歩いてくる。

 バツが悪そうな様子で国木田は。

 

 

「はぁ、せっかくいい感じでリードしてくれたのに全然ダメだった」

 

「オレたちゃ文芸部だぞ。ナイスファイトだ」

 

「そう言ってもらえると助かるよ」

 

 第三走者であるキョンの走りは国木田より速かったが他をゴボウ抜きできるほどのものではなく、運動部連中が部活道具を持って走るというハンデさえなければ今頃剣道部とビリ争いをしてたであろうことは想像に難くない。

 

 

「キョ―ン! もっと気張らんかい!」

 

 順位などどうでもよいが、それはそれとして騒がしい外野の同調圧力的な熱気にあてられ気付けば俺も激を飛ばしていた。

 そんな体育祭の魔物じみた存在のせいか、そうでなければやたら涼子との仲を気にかけてくる宇宙人のせいか知らないが第四走者の時にそれは起こった。

 リードを取る長門さんの手にキョンがバトンを渡した瞬間、否、刹那のことだ。

 

 

――轟

 

 と風が吹き荒ぶ。

 それが気流によって生じる自然現象でないことは理解できた。

 

 

「……は?」

 

 ありのまま今起こった出来事を話そう。

 長門さんが走り出したと思ったらいつの間にかアンカーの涼子にバトンを差し出していた。

 いや、何が起こったかはわかる。ただ単純に長門さんが物凄い速度で先行集団を抜き去る走りをしただけ。だがその速度が人間離れしていたのは言わなくてもわかるだろ。眼で追えるギリギリの速さだったし、あの風は走りによって生じた衝撃波ってことだ。

 涼子は棒立ちのままバトンも受け取らずにじっと俺の方を見てきた。何事か俺だって知らんぞとぶんぶん首を横に振る、こちとらポルナレフ状態だぜ。

 とにかく陸上部に追い付かれる前に行けとあっち向いてホイの要領で涼子に指差しサインを送る俺。

 走り出したら止まらない。スタートを切った涼子の身体能力はそこいらの運動部男子より優れているため陸上部といえど容易に追い付くことなどできない。そのままゴール。

 かくして、体育祭クラブ対抗リレーの優勝は我々文芸部が文字通り掻っ攫っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガチャリ、と部室の扉を施錠し彼女の方を向いて単刀直入に言う。

 

 

「長門さんに何が起こったのか説明してくれ」

 

 宇宙人の開口一番は自己弁護であった。

 

 

「私は何もしてないわよ」

 

 けろっとした様子で言う朝倉さん(宇宙人)。球磨川くんばりの白々しさだ。

 本来であれば優勝を祝しスラダン山王戦ラストよろしく涼子とハイタッチを交わしたいところであったが、長門さんのアレを日常とスルーできるほど俺は呑気じゃない。

 仮に彼女が何かしていたとしても俺に確かめる術がないのでその答えに意味などない。ただの戯言だ。

 

 

「まあ、推測で良ければ聞かせてあげる」

 

「聞かせてくれ」

 

 すると宇宙人の彼女は何処からか取り出した眼鏡をかけ、ホワイトボードの前に立つ。

 そしてマジックペンでホワイトボードに書き込みながら説明をする。

 

 

「元々有機生命体の人間である長門有希と私と同じインターフェースの残滓である長門さんが二人いた、ここまではいいわね?」

 

 朝倉さん(宇宙人)はデフォルメされた長門さんと思わしき似顔絵を二つ描く。

 

 

「で、宿主に取り込まれるように二人は統合されたわけなのだけれど……そんな存在が普通の人間と呼べるかしら?」

 

 二つの似顔絵の間に+マークを足し、その下方向に矢印を描く。

 俺は彼女の説明の続きを促す。

 

 

「つまりどういうことだ」

 

「ドラゴンボールの合体戦士と同じよ。違うのはインターフェース側の人格が残ってないことぐらい」

 

「……じゃあアクセルフォームみたいなあの走りは長門さんが自分で能力を使った結果ってことか」

 

「そういうこと。でも本人に自覚は無いみたいね」

 

 矢印の下に長門さんの似顔絵を書き足していく彼女、長門さん+長門さん(宇宙人)=ネオ長門さんということらしい。

 顔の周りにオーラみたいな線も描かれているのはドラゴンボールをイメージしたつもりなのだろうか。

 俺はふと浮かんだ疑問を彼女にぶつける。

 

 

「わかりやすい図式はいいが、今の長門さんは前に君が危惧してた状態なんじゃあないのか?」

 

 危惧していたのは無自覚のまま能力を振るう状態のはずだ。

 だというのに朝倉さん(宇宙人)は特に対処しようと動いてないように見受けられる。

 

 

「そこまで深刻じゃないからよ。暴走って言っても今の長門さんの精神状態だとまず起こらないでしょうし」

 

「……専門家の君がそう言うならとりあえず安心しとこうか」

 

「もちろん自暴自棄になったりだとか荒れに荒れちゃったら話は別よ?」

 

 そうならないように気を付けてね、と言い残し宇宙人の彼女は引っ込んでいってしまった。

 意識が戻ってきた涼子は怪訝そうな面持ちで。

 

 

「あらかじめどうにかしようって考えがないみたいね……もう一人の私は」

 

「ああ、あんまりだ」

 

 俺がこの世で一番嫌いなものこそ心労だというのに、どうしてこうトラブルの種がポコポコ生えてくるのか。

 こんな役回りはアニメの主人公が引き受けるべきじゃないのか。SOS団のキョンの気持ちが少しは分かったぜ。

 考えている内に何もかも嫌になってきた俺は部室から去ろうとする涼子の肩を掴み。

 

 

「涼子」

 

「ん?」

 

「ちょっと膝を貸してくれ」

 

 すると意図を察した彼女は顎の下をもにょもにょ動かしながら。

 

 

「……たまには私に甘えさせてよ」

 

「じゃあハグで」

 

「ん」

 

 部室にソファの一つでもあればもっと落ち着いて密着できるのだが無いものは無いので立ったままのハグをする。はぁ、落ち着く。

 だが涼子が次の種目に参加するギリギリまでハグしていたのが災いし、彼女が去った後の虚無感が躁鬱の鬱レベルでエグかった。涼子シックである。

 こんな有様なので帰宅してからの俺はいつにも増してだる絡みしまくりのダルビッシュで面倒なメンドーサであったがそこは俺の数百倍という次元で人間が出来ている涼子、家事の手を止めてまで俺の相手をしてくれるのは女神かと思ってしまう。

 

 

「女神って、いちいち大げさね」

 

 俺を膝枕しながら夜のバラエティ番組を観る涼子。

 食後のひとときは何かと忙しい彼女もリラックスしている。

 

 

「君が女神でなけりゃ誰がそうだって言うんだい」

 

「さあ。私は慈善事業しようってほど心は広くないもの」

 

「膝枕は慈善事業じゃあないのか」

 

「もちろん。あなたのことが好きだからやってるだけ」

 

 ドヤ顔っぷりに腹が立ったので身体を起こしてキスしてやった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue40

 

 

 俺と涼子を除くグラウンドにいた連中全員に対する何かしらの認識改変が行われたのか長門さんの超人走りは特に騒がれることもなく、しかし俺の胸中には消化不良に似た薄い不快感を残し無事に閉会した体育大会。

 そんな体育大会が終わると校内はすぐに次のイベントである文化祭ムード一色となった。

 実際は体育大会の前から文化祭の準備は粛々と進められていたのだが、実際に手足を動かしたりミーティングの密度が増えたりするのは今現在この時期からだ。

 して、我らが二年五組が今年何をするかというと。

 

 

「……ダンスパフォーマンスね」

 

 辛気臭いといった様子で呟くキョン。

 一方の谷口は。

 

 

「去年のアンケートに比べりゃよっぽどマシじゃねえか。それにお前らは文芸部で出し物あるからつって参加してないだろ」

 

「まだ何も決まってないがな」

 

 長門さんと俺のリラックスルームでしかなかった文芸部も今や文科系クラブとしての体裁を保つ程度には実態を伴ってきているわけで、となればウチのやる気元気おでん大好き娘が何かやりましょうと言うのは分かり切っていた。クラブ対抗リレーに参加表明してたのがいい例だ。

 もっと言わせてもらうと、各クラスから数名選出する文化祭実行委員に立候補したのに留まらず半強制的な形で俺まで実行委員にさせられた。挙手など一瞬たりとてしてないのに俺が手を挙げたと涼子に言われ、クラスの他の連中はだんまりでなし崩し的に決定。ここはいつから朝倉政権となったのかね。

 何よりも面倒事が嫌いな俺は当然不機嫌となったがそこは涼子、俺の懐柔の仕方を熟知しており。

 

 

「この方が一緒の時間が多くなるでしょ?」

 

 とか恥じらいを見せながら言われたら、それが演技だと分かってても許しちゃうし、別に最初から素直にお願いしてくれてたら喜んで協力してたし。と、その日の夜も彼女と愛し合ったのは言うまでもない。

 そういうわけで最近の俺は真っ当に高校生らしい高校生活を送っている。

 

 

「ところでさあ、あの話って本当なの?」

 

 黙々と愛妻弁当を食していると不意に国木田が俺に質問してきた。

 あの話ってなんぞ。

 

 

「ほら、今年の文化祭は光陽園と合同でやるって話」

 

「あー……」

 

 既にそこかしこで噂になっているものの大事だからか、まだ正式に発表されてなかったよな。言っていいのだろうか。

 俺はオフレコだぞ、と念押しした上で国木田の質問に返答する。

 

 

「マジだ」

 

「そういえばその話、ハルヒが絡んでるって聞いたぞ」

 

「ハルヒ……? ハルヒってあの涼宮ハルヒのことか!?」

 

 流石に勘の良いキョンと思わぬ名前の登場に反応を見せる谷口。

 そのどちらの発言にもYESと肯定せざるを得ない。

 俺も詳細なところは知らないし、知りたくもないが確かな事実として涼宮ハルヒが光陽園のお偉いさんを動かして北高と合同の文化祭をやることになった。

 今まで隠していたわけじゃないけど実は涼宮と彼女の手下Aも文芸部の一員である旨を谷口に伝えると。

 

 

「相変わらずとんでもねえ女だな。中学時代より悪化してやがる」

 

 呆れた表情で言う谷口だが、この世界の涼宮は閉鎖空間も神人も造り出さないだけよっぽどまともな存在なのだと彼は知らない。

 涼宮に関するあれやこれやを思い出しているのか忌々しい表情を浮かべる谷口に対し国木田は呑気そうな声で。

 

 

「でも谷口さあ、合同で良かったね」

 

「あん?」

 

「文化祭。光陽園の彼女さんと回れるでしょ」

 

 国木田の言葉でそのことに気付いた谷口はすぐに気味の悪い笑顔に切り替わる。王騎みたいなキモさだ。

 キョンは不気味な様相の谷口に対し。

 

 

「お前の脳内だけに存在する彼女じゃないのか」

 

「んなわけあるか。これを見ろ!」

 

 谷口が俺たちに突きつけたスマホの画面には海で撮影したと思わしき谷口と彼女氏のツーショットが映っていた。どう見ても周防九曜です。本当にありがとうございました。

 それから谷口の自慢フェイズがやってきたが特段聞き応えのある話でも何でも無い。聞きたい奴は自分で聞いてくれ。

 

 

 

 ――まったく、脳細胞のクレンジングとして涼子の近況について思い返そうじゃないか。

 俺からすれば彼女はスキル天性の肉体Aを持っていると言っていいほどのパーフェクトボディを誇る存在なのだが、最近は食後しばらくしてからの脂肪燃焼ストレッチに余念がない。リビングにヨガマットを敷き、スマホで実演動画を再生しながらやる徹底ぶりだ。

 左右に身体を捻りながら汗を流す涼子に俺は。

 

 

「どこも太ってないと思うけど?」

 

「見ても分かりにくいところに脂肪が詰まってるのよ。ブラだってきつくなってきたし」

 

 それは俺が定期的に涼子っぱいをもみもみしているからではなかろうか。と言ったら殴られそうなくらい真剣に取り組んでいたので黙っておいた。

 しかし驚くべきことに彼女の胸はまだ成長し続けているらしい。最終的に朝比奈先輩ぐらいデカくなったら谷間に顔を埋めたいね。いや、既に何度かやってるけど。

 俺は涼子の努力を尊重しつつも、これだけは忘れずにいてくれと言った。

 

 

「適度な脂肪がセクシーさを生むんだ」

 

「はい?」

 

「霜降りの牛肉と同じさ。ガチガチに絞まりきるより脂肪による多少の厚みがあった方がオレは好きだ。特に脚、今の状態が大好きだから引き締めるのはお腹だけにしてくれ」

 

「あなた何個フェチを抱えてるのよ」

 

 元来、特定の部位に対する拘りなど無かったのだが彼女のことを意識するようになってからというものの、いつの間にやらフェティシズムという新世界が知らぬ間に開拓されていた。

 見てるだけで膝枕が恋しくなるような脚は言わずもがな、悩殺目的で分泌されてるとしか思えない香しい匂いを前に俺が正気を保てるか。答えは否だ。

 

 

「もう総合して朝倉涼子フェチってことにしよう」

 

「はぁ……」

 

 やる気を削がれたのかストレッチを中断し首にぶら下げてたタオルで汗を拭く涼子。

 そして彼女は物凄く刺激的な提案をしてきた。

 

 

「……お風呂、一緒に入る?」

 

 何を言われたのか理解できなかったが、とりあえず首を縦に振っておいた。

 残念ながらここから先はR指定なので今回は説明を割愛させてもらおう。

 彼女との仲は良好を通り越してエクセレントであり、日課である登下校時のキスにしても事務的な行為に成り下がらずしっかり涼子成分を経口補給している日々。

 とはいえクラスにおいては付き合う前とそこまで変わらない距離感をキープしてある。別に見世物じゃないし。

 

 

 

 閑話休題。つつがなく午後の授業を終えて放課後。

 今日も今日とて文化祭に向けた打ち合わせで、私立光陽園学院高校の実行委員様がわざわざ北高にご足労なさるらしい。

 

 

「前例のないことをやるんだから打ち合わせの回数が多くなるのはいいだろう」

 

 同じ実行委員である涼子と長門さんとキョンの三人が黙して待っている中、独り言のように俺は口を開いた。

 不満とまでは言わないが釈然としないことがあるからだ。

 

 

「だがな、光陽園側の実行委員との打ち合わせ会場が資料室って。オレ達なんだかのけ者にされてるんじゃあないか?」

 

「仕方ないでしょ。どこもかしこも文化祭の準備で使ってるんだから、空き教室なんてないの」

 

「なら図書室はどうだ」

 

「別の打ち合わせに使われてるわ」

 

 会話こそいつも通り俺の愚痴に涼子が正論をぶつける形式であるものの、座っているパイプ椅子を並べて極限まで密着している状態なため傍から見れば何イチャついてんだと思われてることだろう。

 しかしだな、キョンも長門さんも俺たち二人のことを面白くもない眼で見るくらいならそっちだって同じことをすればいいのだ。そうしたら分かるってもんだ、カトルみたいに宇宙の心とかが。

 やれやれとでも言わんばかりにキョンが溜息を吐いていると、ガラッと資料室のドアが開けられた。光陽園の実行委員が来たらしい。

 資料室に入ってきたその二人組を見るなり俺は驚いた。心底驚愕したね。

 

 

「遅れて申し訳ない。少しばかり迷ってしまってね」

 

 光陽園の実行委員その一人は才色兼備なボーイッシュ・ガール、原作ライトノベルでは涼宮ハルヒと対を成す存在である佐々木さん。

 そしてもう一人は、だ。

 

 

「おや、僕の知らない間にお二人の仲が随分進展していたようで……ご無沙汰しております」

 

 古泉なんかよりよっぽど胡散臭い優男である抜水優弥がそこにいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それぞれの顔見知りである二人の登場により場が混乱したため気を取り直して自己紹介することに。

 まずは客人である向こうから。佐々木さんはクールな態度で。

 

 

「僕は佐々木。そこにいるキョンの親友だ」

 

「……といっても同じクラスなったのは中三の間だけだがな」

 

「卒業してからはお互い音信不通」

 

「別に連絡を取り合う必要なんてなかっただろ」

 

「くく、違いない」

 

 なるほど親友さながらな息の合い方だ。

 しかしこっちは違うぞ。

 

 

「そして僕は抜水。そこの彼と朝倉さんのお二人と同じ中学に通っていました」

 

 さも自分も親友枠だというツラでこちらを見る抜水。

 涼子に余計なことを言われる前に機先を制すべく俺が補足情報を述べる。

 

 

「佐々木さんと違ってこの男はオレや涼子と一度も同じクラスになってない。体育とか隣のクラスと一緒の時に話してた程度の仲だ、親友じゃあないからそこんとこ間違えないように」

 

「こら! そういう物の言い方はないでしょう」

 

 隣から肘で小突かれるが事実を言ったまでだ。

 俺の塩対応など見透かしていたかのように抜水は。

 

 

「確かに僕と彼は親友と呼べるほどの間柄ではありませんが、彼が僕の同志であることには違いありません」

 

「オレがいつお前の同志になった」

 

「中学生活の三年間において、僕と同じレベルで物事を語れる人間はあなただけでしたからね。同志と呼ぶに相応しいでしょう」

 

 涼子が「何の話?」と訊いたので俺が代わりに答えておく。

 

 

「かっこつけて言うほどのことじゃあない、アニメの話だ。こいつは超が付くほどのクソアニオタ野郎なんだよ」

 

 全員から意外そうな眼で見られる抜水。どうだ、参ったか。

 ノーダメを装っているのか、或いは本当に気にしていないのか抜水は涼しげな顔で。

 

 

「それはそれとして、そちらからも自己紹介をお願いしたいのですが」

 

 無駄話をいつまでも続けているわけにはいかないので彼の言葉に従う。

 こういう時の先陣はキョンに任せるに限る。

 

 

「俺は……まあキョンとでも呼んでくれ。さっき言った通り佐々木とは同じ中学だった」

 

「それだけかい? 他には?」

 

「俺がアニメで語れるのはガンダムぐらいだ」

 

 佐々木さんの無茶振りにしっかり応えるキョン。

 次はお前だとばかりにキョンが視線を送ってくるため俺の番に。

 

 

「あー……よくお前の名前アムロ・レイみたいだってバカにされてる。オレのことは好きに呼べばいいが、黎くんって呼んでいいのは横に座る涼子だけなんで。よしなに」

 

 ちなみに好きなモビルスーツはケンプファー。あの突撃しか考えてなさそうなデザインがたまらない。

 俺からこれ以上語ることもないのでそのまま涼子にバトンタッチ。

 優等生らしく涼子は姿勢を正してから自己紹介をする。

 

 

「朝倉涼子です。文化祭の実行委員は慣れてますから、困ったことがあれば遠慮せず私に相談して下さい」

 

 慣れているなんてもんじゃない、こと文化祭の実行委員とかいう七面倒な立場において彼女は百戦錬磨と言っていいほどの経験を持つ。酸いも甘いも知っているのだ。

 そんな彼女の近くにいるからこそ俺も同じ立場を強いられているのだろう。去年こそ何もしていないが、中二と中三の時も何やかんや因縁付けられて実行委員を押し付けられていた俺。

 ちなみにうちの中学では文化祭じゃなく学校祭というお題目であったがその実態は変わらない。お偉いさんが最初にどっちの名称を思いついたかの差でしかないのだろう。

 さて、自己紹介最後は自覚なしに人間辞めつつあるらしい長門さんの番。

 

 

「えっと……長門有希です。三人とは同じ文芸部で、わたしが部長……一応」

 

「へぇ、キョンが文芸部に」

 

「色々あったからな」

 

 意外だと言われることなど分かってたとぶっきらぼうな態度を佐々木さんにとるキョン。

 とにかく自己紹介が終わり、早速文化祭についての話を始めたいところだったのだが。

 

 

「実はうちの実行委員がまだ二名来ていないんだ……文化祭に向けて独自の催し物を考えたいと言ってね。まあ、君たちも良く知ってる二人のようだから許してあげてほしい」

 

 二人というのはもしかしなくても涼宮と古泉のことだった。誰かあの女に優先順位ってもんを教育してやくれないかね。

 そうは言っても涼宮の気持ちはわからんでもない。古今東西、日本における会議とは意義の有無を問わず往々にして散文的な時間なのでである。

 ここで北高の文化祭について大まかな概要を解説しよう。

 文化祭は金土の週末二日間に渡って繰り広げられ、一日目が主に仮想パフォーマンス等に代表されるステージ発表で、一般公開日の二日目が出店だったり各教室で展示やってたりという感じだ。他の学校と大差ないな。

 だが今年は全日程を光陽園と合同で行うので色々と話が変わってくる。

 去年の一日目は生徒全員が体育館に押し込められステージ発表を眺めるだけの時間が長く続いた。それと同じことが今年も出来るかと言えばノー。光陽園の生徒まで体育館に入れるキャパシティなど一介の公立高校でしかない北高にあるはずもなく、一日目に関しても一般公開日のように校内を見て回れる形にしようというのが今年の文化祭の基本線である。

 文化祭そのもののタイムテーブルは今頃生徒会役員共が必至こいて考えていることだろう。正直なところ全部向こうで考えて欲しいものだが、とても手が回らないため俺たち平民が実行委員という名目で兵役召集されているわけだ。

 そんな放課後の仕事を終え、光陽園連中と解散した帰り道。先を歩くキョンの長門さんの二人に聞こえないよう涼子がヒソヒソ声で。

 

 

「ねえ、あの佐々木さんって人もアニメの登場人物なの?」

 

 厳密に言えばアニメ化されていない話に登場するキャラクターだが、その認識でも間違っていないため頷いておく。

 すると続けざまに涼子は。

 

 

「もしかして……キョンくんの元カノ?」

 

「いや違うと思うけど。ただこの世界ではどうか知らんし、気になるならあいつに聞きなよ」

 

 こうして朝倉涼子と俺が付き合っている以上、他の人間をアニメやラノベと同一視して語るのは無理がある。敷かれたレールなんてものは無いのだ。

 万が一キョンと佐々木さんが交際していた過去があったとして、今日再会した二人はギクシャクしていたわけでもないので円満な別れ方をしていることだろう。

 佐々木さんとの関係を聞くのは地雷じゃない。というか涼子が気にしてるのだから長門さんはもっと気にしてるはずだ、変わりに聞いてやれ。

 

 

「そうね。恋のキューピッドとして頑張らないと」

 

 気合が入った涼子は長門さんと談笑中のキョンに突撃する。

 傍から見てもありがた迷惑なムーブだが、言わぬが華というやつだろう。

 

 

「ねえキョンくん、佐々木さんとはどんな関係だったの?」

 

「さっきも言った通り親友だ。いや親友ってのは大袈裟かもしれんが、同じ塾に通ってたのもあって中三の頃はあいつとよくつるんでた」

 

「ふうん。友達以上ってことは?」

 

「あったら同じ高校に進学してるだろ」

 

 キョンに見えないように腕組みしながら長門さんにサムズアップを送る涼子。北高のグローバル・ホークとでも呼ぶべき立ち回りだ、親友のためであろうと俺には絶対できない。

 そんなこんなで文化祭へ向けて日常という日々がいっそう騒がしくなるのだが、実行委員という立場以上に面倒なことにならないことを祈るばかりである。

 

 

 






※注! 以下本作における裏設定(捏造)

登場人物の好きなサーヴァント


・キョン
メルトリリス

・古泉
ネロ・クラウディウス

・国木田
クレオパトラ

・主人公くん
源頼光



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Subliminal3

 

 

 夏休みが終わり一ヶ月が経った十月。

 変わらぬ日常に戻った私。ただ、黎くんとの関係は幼馴染という曖昧なものから大きく変化した。

 そのきっかけが私に憑り付いている彼女の一言なのは少し癪ではあるけど、彼の気持ちに嘘はないようなので不問に付す。

 彼が言った通り、私から打ち明けてたらもっと早く付き合えてたのかもしれないし。

 

 

「……ん」

 

 午前五時十二分、昨日と変わらぬ時間帯に私は睡眠から覚醒した。

 ――今日もまた一日が始まる。

 と、少し前までは無理矢理にでも起き上がってお昼のお弁当の用意に取りかかっていたのだけれど、今は違う。

 身体を左に向けると私の恋人が寝ている。これが今の私の日常。

 彼とシない日でもこうして同衾することが殆どなのでベッドを大きなサイズに買い換えたのが約二週間前のこと。以前より快適な睡眠が保障されたはずだった。

 けれど布団に入れば何かしらの理由を付け寝床中央に寄り合ってる二人。それは私の方からでもあるし、彼の方からでもある。

 正直に告白すると、彼と密着して眠るのに幸せを感じています。ハイ。

 長い間一人暮らしをしていたのだから今更人肌恋しいということはないのだけれど、彼のいない生活を考えるだけで心寂しくなるほど彼が恋しいのは確か。

 

 

「はぁ、重症ね」

 

 ベッドから出ず、物言わぬ彼の顔を眺めながら取り留めのない話を考えるのに時間をかけている始末。これは重症と呼ぶ他ない。

 いつまでもこうしていると本当に遅れてしまうので心を決めて静かにベッドを出て洗面所へ向かう。

 洗面所に限った話ではないが、彼と暮らすようになり家の所々に彼の物が置かれるようになった。蛇口脇に置かれたコップに入っているごつい歯ブラシは正にその象徴と言える。

 去年の自分だったら行き過ぎた妄想だと切り捨てたに違いないこの状況に思わず口元が緩んでしまう。私は浮かれ女か、冷たい水で素面に戻す。

 顔を洗うだけだった朝のルーティンにスキンケアを取り入れたのは去年一月のこと。

 当時彼のことでやきもきしていた私に母が指導してくれた。曰く若い内からお肌の手入れを怠ってはダメ、と。高級な化粧水までプレゼントされた。

 その甲斐あってかハリとツヤが前より良くなった自覚はある。黎くんが気付いているかといえば微妙なところだけど。

 ルーティンの最後にマッサージを済ませると台所へ行きお弁当作りに取りかかる。

 とにもかくにもまずお米を炊くところから。必要な分をボウルに入れ水でシャカシャカ研いだお米を炊飯器にセット。

 次は弁当のおかずを用意。とはいえ作って入れるのはお決まりの玉子焼きとプラスアルファぐらいなもので、後は前の晩の残りと煮物系で弁当箱を埋めていく。

 朝ご飯の味噌汁を仕込み終えた頃、いい時間なので彼を起こしに部屋へ戻る。

 数十分前までと変わらぬ彼の爆睡ぶりには感心を覚える。

 

 

「起きなさい。朝よ」

 

 呼びかけながら身体を揺すってあげると直ぐに彼の意識が現実の世界に。

 彼は寝起きの小動物のように目をショボショボさせて大きなあくび。

 

 

「ふぁあ……」

 

 そして私と目が合うと顔をほころばせて。

 

 

「おはよ、涼子」

 

 と朝の挨拶。

 彼を起こすという作業は昔からやっているのだけれど、彼が寝起きにクオッカワラビ―みたいな毒気を抜かれる笑顔を見せるようになったのは付き合って暫くしてからのこと。

 普段からこれくらい笑えばいいのにと思う反面、こういうレアな表情の彼を知っていることに優越感じみた感情を覚えるのも事実。なんて、今更ライバル登場の心配なんて不要か。

 私の胸中などいざ知らず緩慢な動作でベッドから起き上がりのそのそと洗面所へ歩いていく彼。

 こっちの仕事はまだ終わってない。キッチンに戻り朝ご飯を用意、テーブルに運ぶ。

 洗顔後、リビングに現れた彼はすっかりいつもの気難しい顔に戻っていた。

 

 

「まったく解せんな」

 

 左腕で頬杖をつきながら朝のニュース番組を観てぶつぶつ言う彼。

 テレビ画面には生後一週間ほどのまだ毛も少ししか生えていないパンダの赤ちゃんがよちよち歩く映像。これのどこが解せないのだろう。

 

 

今日日(きょうび)パンダごときで大騒ぎする必要あるか。このバズアニマルが日本に来てから何年経ったと思ってんだ」

 

「いいじゃないパンダ。かわいいでしょ」

 

「かわいいからって猫熊野郎だけ異様にメディアの露出が高いのはおかしいぞ、不平等だ。オレはゴマフアザラシの赤ちゃんが見たいのに」

 

「そうね」

 

 こういう状態の彼に余計なことを言えば延々と不満を並べ立ててくるので適当に相槌を打つ。

 不思議なことに黎くんは幼少の頃からアザラシ――特にゴマフアザラシ――が好きで、そこは今の"彼"と変わらない。確かにゴマフアザラシは漫画の題材になるくらいアザラシの中でもキャッチ―な存在だけど、彼の中では画像収集するほど猫と肩を並べる存在らしい。

 そんな話はさて置いて、用意が出来たので朝ご飯の時間だ。

 主菜はバンバンジー。昨日の夜はよだれ鶏を作ったので余った蒸し鶏を別の料理にした。

 鶏肉とお米を充分に咀嚼し飲み込んだ彼は。

 

 

「かーっ、うまい。無限に食える」

 

「腹八分目までにしときなさい」

 

「タレが違うだけでこうも変わるかね」

 

「お肉の切り方も違うのよ? 流石に棒で叩いたりはしてないけど、別物になってるでしょ」

 

「つくづく有料級だよ君の料理」

 

 調子のいいことを言ってくれる。まあ、悪い気はしない。

 一人暮らしをする中で洗練されていった自炊スキルであれど、人のために作る方が料理は楽しい。それが好きな相手であれば尚のこと。

 

 

「そうね……一食三百円いただくとして、今まであなたに作った分を合計したら結構な額になるでしょうね」

 

「もしかして脅されてるのオレ」

 

「さあ、どうかしら?」

 

 脅すも何も、こんな関係になっておいて逃げられるとはゆめゆめ思わないことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学校での生活は文化祭絡みのあれこれが時期柄発生しているぐらいで、特に変わりはない。

 と、少なくとも自分ではそう思っているのだけれど、周りからすれば違うようだ。

 

 

「――それでウチに来たんだけど、本当に漫画だけ読みに来たって感じで何も無くてさー。あたしは小学生かって」

 

 お昼休みの時間に西嶋さんの先週の休みにあった話を聞きながら、彼女の幼馴染くんの不甲斐なさに内心頷いていると。

 

 

「じゃ次は朝倉さんの番」

 

「はい?」

 

 そっちも何か話してといった風に会話のボールを西嶋さんが投げてきた。

 この場合における"何か"というのは所謂"恋バナ"に違いない。

 人に聞かせるような面白いエピソードなど持ってないのに、こう期待の表情を向けられると困ってしまう。もう、長門さんまでニヤついちゃって。

 わかったわ。大人しく空気を読んでデートの話をしてあげようじゃないの。

 

 

「彼の希望で土曜日は映画を観に行きました」

 

「あの漫画家の二人組が主人公のやつ?」

 

 西嶋さんの問いに私は首を横に振る。

 

 

「洋画。殺し屋がドンパチする暴力的なの……正直デートには向いてませんね」

 

 私はそんな感じの映画を見慣れてしまった――彼のせい――ので痛々しかったり猟奇的な描写に対する耐性があるけど、苦手な女子の方が圧倒的に多いだろう。

 彼の映画趣味を知っている長門さんは苦笑で済んでいるが、西嶋さんや佐伯さんは軽く引いている貌だ。

 そんな他の娘たちと対照的なのが阪中さんで。

 

 

「あ、キアヌが主演のやつでしょ。あたしも観に行った。犬さんが酷い目に合う場面は辛かったけど、アクションがしっかりしてて面白かったのね」

 

 頷きながら映画の感想を語る彼女は見かけによらずハードな映画好きらしい。

 アクションの素晴らしさは彼も評価してたところで、銃の持ち方が実戦的だとか何だとか興奮した様子で語っていたけど、聞く方としては「あなたほんとの実戦知ってんの?」と言いたくもなる。

 どこか呆れた声で佐伯さんは。

 

 

「佳実の意見は参考にならないから置いておくとして、映画の後は?」

 

「別にいつも通りですよ。感想戦がてらお昼ご飯と、ガーデンズをぶらついたって感じで」

 

()()()()()……くぅーっ、これがリア充の余裕……」

 

 絶賛彼氏募集中という佐伯さんは悔しさ半分羨ましさ半分といったリアクション。

 私からすれば黎くんと付き合う前から度々そんな流れで土曜日曜を過ごしてきた訳で本当にいつも通りというか、デートそのものに特別感は無い。

 が、実態としては大きな変化があった。

 手を繋いで歩くのはもちろん、ご飯やデザートの食べさせっこ、多少のスキンシップは外でするのに抵抗が無い状態。

 彼と付き合ったらこんな感じでイチャイチャしたいという妄想の一つや二つしてこなかったわけじゃないが、それらを越えるおめでたカップルになっている気がする。

 人様に惚気ようと思わないだけマシだ、冷やかされるのが嫌なのもあるけど。

 

 

「けど瑞穂が言う通り、リア充の余裕じゃないけど最近の朝倉さんはちょっと落ち着いた感じなのね」

 

 佐伯さんと名前で呼び合う親友仲の阪中さんが不意にそんなことを言う。

 まるで過去の私に落ち着きがなかったかのような物言いに首をかしげていると西嶋さんが。

 

 

「ありゃ、自覚してなかった系……?」

 

「? 自覚って?」

 

「……怒らないでね」

 

 聞くところによると去年の私というのは日常の掃除当番や学校行事において彼と他の女子が絡んでいるところを見るや、途端に目つきは険しいものとなり、殺気じみた威圧感を放っていたのだという。

 ううむ。精神的に不安定な時期だったという自覚はあるけど思いのほか荒れている風に見られてたらしい。

 というわけで私から黎くんのことなど特に何も語ってなかったにも関わらず、彼のことを好きだというのは周囲にバレバレだったそうな。

 こんな話をお昼に聞かされたものだから放課後、美術室の掃除を終えて部室へ向かうタイミングで黎くんに去年の私について聞いてみることに。

 彼は鼻の下を平手でさすってから微妙な表情で。

 

 

「いやまあ、君も察してたと思うけど文芸部のゴタゴタがあるまでオレは君のこと避けてたし、何なら気にしないようにしてたからさ」

 

「へえ。つまり私のことなんて眼中になかったってわけ」

 

「意地悪なこと言わないでくれよ」

 

 確かに。少し反省。

 

 

「だいたい君は先に手が出るタイプだろ。何回グーが飛んできたことか」

 

「あなたが変なこと言った時しかやってないでしょ」

 

「そうかなあ、恥ずかしいの誤魔化す時とかもやってるような気がするけど」

 

 うぐ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 文芸部の出し物について()()()()()()()()というのを前提に話し合った結果、オススメ図書百選に決定した。

 文科系クラブであれば展示系が基本線なため、無難なチョイスと言えるのだけど涼宮さんはちょっと納得いかない様子で。

 

 

「せっかくの合同文化祭だってのに盛り上がりに欠けるわね。バンドステージ参加の方がいいじゃない」

 

 とブーブー言っていた。

 バンドステージに出たいのであれば有志を募って参加してほしい。

 

 

「私がバンドなんてやれるわけないのよ。ギターもドラムも演奏できないしボーカルだって無理」

 

「オレは好きだけどな、涼子の歌」

 

 下校中、帰りの坂道を下りながら彼はさらりとそう言った。

 ……何だコイツ。

 知った風な顔をする男に指摘するように私は言葉を返す。

 

 

「あなたが私の歌を聞いたのって夏休みに行ったカラオケぐらいでしょ」

 

「いやあ、中学の合唱コンの時からいい歌声だと思ってたよ」

 

「女子のコーラスの中から聞き分けてたの? なんか気味悪い」

 

「気味悪いって……褒めてる人間に言うセリフかそれ」

 

 彼のかわいい反応が見たくてわざと辛辣な言葉を選んでしまうのは私の悪い癖かもしれない。

 あるいは歌声を褒められて気恥ずかしいという感情を顔に出したくなかった誤魔化しがゆえのセリフ。

 なんて自己分析はともかく、素直に謝ろう。

 

 

「意外な話だったから驚いちゃって。ごめんなさい」

 

「べつに気にしてないけど、君の歌がいいってのはマジだから。なんならプロデュースしたい」

 

「何よそれ」

 

 喜んでいいのかよくわからない。

 私としては彼が"好き"と言ってくれるだけで充分なのだから。

 

 

 その後、通学路の勾配が緩やかになってきた辺りでキョンくんと別れ、それから線路沿いの道を歩いてマンションに到着してエレベータの五階で長門さんとお別れ。

 マンション廊下を少し歩き、鍵を開けてウチに帰ればそこからは二人の時間。

 靴を脱いで玄関廊下に上がってから彼と向き合い、間を置かずにキス。

 別にそうと決めたわけでもないのにお帰りのキスは行ってきますのキスと比べて、こう、大人な感じ。

 最近では彼がエスカレートというかエロくなってきて、ナチュラルに手を私の腰に回してくるし、唇の密着もガッツリくるもんだから私も負けじと舌を突き出して彼の口に入れる。結果としてお互いの唾液を絡めるキスが映画のワンシーンみたいな長さで行われた。

 

 

 こんな有様なので当然の生理現象として興奮状態に陥ってしまう。

 身の火照りを解消するため帰宅早々一儀に及ぶ日もあるのだけれど、まだ火曜日ということもあり自重した。

 だからといって家事に取り掛かれるメンタルでもないため休日昼間のようにリビングのソファでだらだらとテレビを見ている。

 黎くんは明日の天気予報などに目もくれず私の頭を頬で撫でるようにさすりながら。

 

 

「あ~、やっぱモフるなら猫より涼子だわ。良すぐる」

 

 などと意味不明なことを言う。

 彼の中で猫のウェイトが高いのは知っているが、それにしても猫と私を比べるのはいかがなものか。

 髪をいいようにされているのもあり、私は抗議の声を上げる。

 

 

「私が猫だったらきっとウザったいと思ってるわよ」

 

「いいや、涼子にゃんは構ってあげた方が喜ぶだろ? うりうり」

 

 私の喉元に指を這わせる彼。

 完全に猫と同じ扱いじゃない。

 得意そうな感じが嫌だったので指を折り曲げた右手で左斜め後ろにある彼の額を叩いてやる。

 

 

「んおっ! いきなり何なのさ」

 

「"猫パンチ"よ。猫ならやって当然でしょう」

 

「人生で猫パンチ喰らったことなんか一度もないぞ」

 

「そう? 貴重な体験ができて良かったわね」

 

 文句のつもりなのか、自分は猫に好かれているという旨をぶつぶつ述べる彼。

 気付いた時にはうちの近所に生息してる野良ちゃんたちに懐かれていたようなので、猫から攻撃されたことがないという話も嘘ではなさそう。たまたまだと思うけど。

 猫のかわいさに関しては私も認めるところだけど、個人的にはワンちゃんの方が魅力を感じる。特に毛の多いもこもこした品種が好きだ。

 阪中さんに見せてもらった愛犬の写真を思い出しながら尚も継続する彼のモフりを受け流していると。

 

 

「なんかさ、親父の気持ちが分かった気がする」

 

 不意にそんなことを言い出した。

 語りながらも彼の手の動きは止まらない。

 

 

「ウチの親父はもういい歳だってのに何かと母さんが好きだってアピールしててね、後ろから抱き着いたりなんかちょくちょくあった」

 

 私の父はそういう姿を見たことがないのでピンとこない部分もあるが、仲の良い夫婦だと何年経とうがデレデレしたりするものなのだろう。

 

 

「ずっと新婚気分が抜けてないだけかと思ってたけど、きっと親父は母さんに不安になってほしくないからそうしてるんだと思う」

 

「どういうこと?」

 

「ほら、よく言うだろ。長いこと一緒に暮らしてたら倦怠期とか……愛情が希薄になるだとか」

 

 先のことを考えた時に、私としてもそのような不安が無いわけではない。

 実際に破局や離婚とまで行かずとも、今と同じボルテージをいつまでも保てるか分からないし、彼に冷めてほしくもない。

 そんな私を安心させるように彼は口を開く。

 

 

「だから、これからは親父を見習って君が好きだって伝わるように最大限のアピールをし続けるから」

 

「…………」

 

「……涼子?」

 

「そろそろ晩ご飯の準備しないと」

 

 髪に乗っかっていた彼の頭と手をどかしてソファから立ち上がり、キッチンへ向かう私。

 ――なんか腹立つ。

 付き合うまで何も言ってこなかったくせに、都合のいいことばかり言ってきて、急に手のひらを返されたみたいだ。

 そもそも最初に本気になったのは私の方なのだ。あんな男に主導権を握られてなるものか。

 新たな決意を胸に抱き、私はエプロンに腕を通した。

 

 

 






デレ与奪の権を他人に握らせるな!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue41


(公式が新刊発売発表してからは)初投稿です。





 

 

 文化祭もいよいよ開催が近づいてきて大詰めな感じである今日この頃、俺たち実行委員は北高を飛び出して光陽園学院へ来ている。

 こちらで造られた諸々の展示物や資材を運び出すため力仕事というわけだ。なので今はジャージを着ている。

 

 

「おー、光陽園の敷居を跨いだのは初めてだが思った通りお堅そうな空気がぷんぷんしやがる」

 

 腕のストレッチをしながら谷口がそんなことを言う。

 この男はもちろん実行委員ではないのだが、何故俺とキョンについてきたのかというと光陽園側の実行委員である彼の彼女にいい所を見せるためらしい。

 賃金も発生しないというのにわざわざご苦労なことだ。俺には無理だね。

 

 

「世の中金で買えないもんもあるってこった」

 

 言いながら得意気な貌を見せる谷口。

 好都合なことに調子のいい馬鹿ほど使い勝手の良い駒は無いため、俺の分まで働いてもらおう。

 裏門でぐだぐだしながら待っていると光陽園の女子生徒二人がこちらへ向かってきた。

 

 

「やあ君たち、わざわざ来てくれてありがとう。今日はよろしく頼むよ」

 

 一人は準備期間中、幾度となく顔を合わせた佐々木さん。

 こんなべっぴんさんに好意を持たれて(推定)手を出さなかったキョンの神経が疑わしい。頭ピグモンか。

 そしてもう一人は毛髪量が佐々木さんと対照的な超ド級ロングヘアの眼鏡女子。写メで見たことがあるので間違いない、彼女こそが周防九曜その人だろう。

 彼女は俺とキョンにぺこりと一礼して。

 

 

「初めまして、周防です……よろしくお願いします……」

 

 おずおずと挨拶の言葉を述べた。

 実際に周防九曜を見てみた印象としては長門さんのような小動物系な雰囲気を纏った少女である。長門さんがシマリスなら周防九曜はエゾリスといった感じ。

 谷口は我こそ北高代表だと言わんばかりの勢いで前に出て。

 

 

「おう! 俺が来たからには百人力だぜ」

 

「来てくれてありがとう谷口くん……でも怪我には気を付けてね」

 

「なあに、搬出なんてバイトで慣れてらあ」

 

「ふふ……じゃあ頼りにさせてもらおうかな」

 

 自然と顔がほころぶ周防九曜。

 この打ち解け方からしてマジに谷口と彼女は親密な関係らしい。

 佐々木さんは興味深そうに二人を見て。

 

 

「おや、周防さんと知り合いなのかい?」

 

「俺もこの期に及んで信じられてないんだが彼氏彼女の関係だそうだ」 

 

「なるほど彼が噂の……」

 

 キョンの説明に頷く佐々木さん。

 一体どういう噂が光陽園内で立っているのか知らないけど現実の谷口より酷いってことは無いだろう。得てして風評とは脚色されるものだ。

 さて、早速仕事にかかるわけだが段取りとしては校内にある資材をトラックのコンテナに積み込むというもので、ありふれた搬出作業である。

 ただ今日の直前までに制作ないし使用されてきたような物が運び出しの対象となるため、あちらこちらから回収しなければならない。まあ、光陽園の生徒が一か所に資材を纏めてくれてたら外部のヘルプ要因なんて必要ないのだから手間があって当然か。

 俺たち北高生は持参してきた軍手を装着――谷口に至ってはゴム軍手――し、校舎内へと立ち入る。

 そこからは手分けしての作業となり、各々光陽園の生徒に指示を受け移動。俺も見知らぬ女子生徒に言われるがまま階段を上り、廊下を歩いていく。

 黙ってガイド役だけ務めていればいいのに話したがりなのか女子生徒は会話を振ってくる。

 

 

「ねえねえ、抜水くんと同じ中学だったって本当?」

 

「……そうだけど」

 

「どんな子がタイプなのか、もし知ってたら教えてほしいなーって」

 

 くそかったりい。

 本人に聞いてくれよという感じだが、俺という藁にすがる程度には難儀しているのかと思うと老婆心じみた感情も多少沸いてしまう。涼子じゃあるまいし。

 とはいえ俺があいつに関して知っているパーソナルな部分などそう多くない。アニオタであることと、同級生の男子にストーキングじみた行為を繰り返す一学年下の妹に手を焼いていたことぐらいだ。

 好みのタイプかは分からないが、抜水の好きなキャラクターを思い出してみる。CCCのエリザや艦これの雷……やべーやつじゃねーか。

 

 

「うーん、元気のある活発な人が好きなんじゃあないかな」

 

 本質情報への言及を回避するよう慎重に言葉を探しながら女子生徒の質問に答える俺。

 積極的に行けば自分にもワンチャンあるかもしれないと感じた女子生徒が感謝の言葉をくれたが、どうなることやら。

 して、女子生徒に案内された先は多目的教室らしく部屋の床あちこちに展示物と思わしき物体が節操なく放置されていた。

 手伝いで来ているとはいえ力仕事なのだから野郎に任せて指示出しに徹してもバチは当たらないのに、女子生徒は一緒に運ぶと言う。

 

 

「早く終わった方が嬉しいでしょ」

 

 なんと尊き親切心。

 いや、涼宮ハルヒとかいう女暴君のせいで感覚麻痺していたがこれが普通なんだよな。

 というわけで超協力プレイで進めること一時間弱。多目的教室の運び出しが完了。

 その後は教室前の廊下に置かれている大型の展示物を一緒に運んでいき、どうにかこうにか日が暮れる前に仕事を終わらせた。

 裏門を見るもまだ終わってないのかキョンと谷口は来ていない。涼子なら率先して手伝いに行くのだろうが俺にそんなボランティア精神などない。校舎の壁にもたれかかって二人が来るのを待つ。

 

 

「あ! いたいた!」

 

 元気はつらつな声がする方を見やると先ほどバディを組んでいた女子生徒がこっちへ向かってくる。

 なんだ、手伝いに来いってかと内心げんなりしていると。

 

 

「お疲れ様。はいこれ」

 

 と缶ジュースを手渡してきた。

 ははあ、これが私立光陽園学院の民度の高さか。ありがたく頂戴しますとも。

 プルタブを開け喉にジュースを流し込む。しゅわしゅわ感と強い酸味が同時に口内を駆けずり回る、なんだこれ。

 

 

「どう? 美味しい?」

 

「……なんの炭酸だ、スポーツドリンク?」

 

「そう、新発売のやつ。最近のお気に入り」

 

 マズくはないが万人受けしなさそうな味だ。

 他人からの貰い物にケチを付けるほど偉い身分でもないため黙っておく。

 それからキョンと谷口が来るまでの三十分近く女子生徒の話を一方的に聞かされる大変ありがたい時間が続いた。結果として精神的疲弊の方が大きかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 無償の肉体労働を終えて帰宅した俺を涼子は労ってくれたが、俺が欲しいのは数秒後には宙に溶け消えてしまうような言葉じゃなく実体を伴った奉仕である。そもそも労いの言葉は佐々木さんから貰っているので充分だ。

 そして奉仕とはつまり、膝枕を意味する。俺の主張を聞いた涼子は口をあんぐりさせ息を吐いてから。

 

 

「どういう理屈なの」

 

「涼子の太ももは最高だってことだ」

 

「ああそう……」

 

 涼子は突っ込む方が馬鹿らしいと観念した様子でソファに腰かけ、どうぞと自らの太ももをポンポン叩く。もちろん遠慮なく行かせてもらう。

 ソファの上で横になり頭を彼女の太ももに乗せる。マジで落ち着くわこれ。 

 

 

「晩ご飯の準備したいから10分だけよ」

 

「そんな。せめて30分は頼む」

 

「だーめ」

 

 くうう。

 ならばせめてもの抵抗として寝返りをうち、涼子のお腹に顔を密着させる。

 慣れている涼子は特に驚くこともなく俺の頭を撫でながら。

 

 

「よしよし、今日も一日頑張ったわね」

 

 と赤子をあやすかのような対応。

 なるほど。今俺の胸にふつと湧いた感情こそが"バブみ"なのかもしれんね。

 事実、母さんと同じかそれ以上に面倒を見てもらっている立場であるため涼子に母性を感じて当然ではあるのだが、彼女にオギャってしまうと俺はマザーファッカーということになるためこちらとしても冷静な対応をしなければならない。

 視界が涼子のお腹に塞がれた状態のまま俺は声を上げる。

 

 

「オレを子供扱いするな」

 

「あなた自分が大人だとでも思ってるの?」

 

「大人も大人。君より一回りは長く生きてるんだぞ」

 

「その割にはねえ」

 

 わざとらしく言い淀む涼子。

 なんだよ、一回り下の女の子を好きになって悪いのかよ。

 

 

「そうじゃないわ」

 

「いや、わーってる。みなまで言うな」

 

 精神成熟度の低さなど自分が一番知っている。

 俺がふてくされているように感じたのか涼子は話題を提供しようと文化祭の話を切り出す。

 

 

「ところで推薦図書は決まった?」

 

「……三冊ぐらいは」

 

「全然足りないじゃない!」

 

 百選というからには一人十冊以上選出しなければならないわけで、部長の長門さんは二十冊、副部長――自分からなった覚えはない――の俺は十五冊も選ぶ羽目に。

 

 

「通ぶって海外小説なんか読んでるくせに推薦図書の十冊も決められないの?」

 

「別にオレは多くの本を読んできたわけじゃあないんで」

 

「自分の非を素直に認めるのが大人よ」

 

「その通りっす。耳が痛い」

 

 結局10分経たない内に太ももから引き剥がされ膝枕は強制終了となった。

 晩飯を作りに涼子はキッチンへ消え、居間には俺一人が取り残される。

 消化不良だ。今日の放課後丸々顔を合せなかった分、もっと涼子とベタベタイチャイチャしたい。

 だからといってかまちょムーブをかまして料理の邪魔をすればガチ説教を喰らう(一敗)ので我慢を余儀なくされる。

 やることもないから推薦図書の候補を考えてみるが如何せん偏りが出てしまう。同じ作者から何冊も選んでては手抜きに思われるから駄目と涼宮が言っていたので、幅広く選ばなきゃならんわけだ。

 因みに涼子は早々に選出ノルマを達成した。その中に料理のレシピ本が入っているのは彼女らしいと言うべきか。

 それからひとしきり頭を悩ませたが進捗は無い。だいたい俺一人で考えられてたらこうなっていないのだから今進捗が得られないのは当然のことである。

 

 

「ふうん。考えてもお手上げな状態と」

 

 晩飯を食べながらぼやく俺に対しおかずである銀だらの切り身を箸でほぐしながらこう言う涼子。

 去年と違って今の俺は気兼ねなく彼女に助力を乞えるのだから、どうにもならない時は困った時の朝倉さんだ。

 彼女は数秒間黙り、やがて良いアイデアが思いついたといったようにクールな表情になり。

 

 

「何もないとこから思いつくのは難しいでしょうし、やっぱあれしかないわね」

 

「あれって?」

 

「餅は餅屋ってこと」

 

 本は本屋。

 

 

 

 というわけで翌日の放課後、北口駅近くにある中古本販売で有名な某チェーン店にやって来た。

 いつも映画を観に行く大型モールまでの道のりを横に逸れ少し歩いた先にあるそこは平日土日問わず漫画の立ち読みに来るガクセーどもが多い。この手の店ならどこも同じか。

 それはそれとして。

 

 

「何でお前らついて来てんだ?」

 

 俺は放課後デートの心づもりでいたのに、当然のように黒セーラー女と学ラン野郎までいてビビってるんだが。

 黒セーラー女こと涼宮は虫が好かない様子の俺を鼻で笑ってから。

 

 

「本選びって体であんたら二人だけサボろうったってそうはいかないんだから」

 

「随分な言い草じゃあないか。で、お前はいつも通り涼宮のSPか」

 

「はてさて。僕は馬に蹴られるつもりなどないのですが……こういう古本屋に立ち寄ったことがなかったので、個人的な興味が湧いたという感じです」

 

 学ラン野郎の古泉は朗らかな営業スマイルで俺に弁明する。

 それらしい建前を用意したところでこの男が涼宮の腰巾着であることには変わりない。涼宮が行くと言ったら南極基地だろうと同行するはずだ。

 と、店の前で光陽園ペアに小競り合いする俺の右手を涼子が掴み、

 

 

「ほら、さっさと選ぶわよ」

 

 彼女に引っ張られていく形で店内へ入る。

 この店は一般的に古本の取り扱いで認知されているが最近じゃ古物で利益を出せればなんでもよいのかCD・DVD、ゲーム機・ソフトはもちろんのこと、トレーディングカードゲームまで取り扱っている。

 遊戯王カードが並べられたショーケースを見るとなんとも言えない気持ちになるね。そんな俺の雰囲気の変化に気づいたのか涼子が訊ねてくる。

 

 

「あなたああいうの好きだったの?」

 

「そりゃあね。"俺"も昔は集めてた」

 

 ふーんと相槌の声を打つ涼子。

 昔と聞いて彼女は小学生あたりの時期を想像していることだろうが、実のところいい歳まで集めていたし遊んでいた。仲間内で流行っていたというか、対戦相手に困らなかったという要因が大きかったのだろうが好きでやっていた事に変わりはない。

 まあ"俺"のアニオタ以外の側面もいつか涼子に語る日が来るかもしれないけど今日は今日、ハードカバーがぎっしり詰まった棚の中から琴線に触れるものを選定するのがミッションだ。

 俺らを監視するような旨を述べていた涼宮の姿は近くにない。きっと古泉と漫画コーナーで立ち読みでもしてるのだろう。

 

 

「さてと、端から攻めていくか……」

 

「適当に決めちゃ駄目だからね」

 

「うい」

 

 涼宮とかいう外圧がなくとも俺は涼子に監視される運命にある。

 まず目についたのは【ゾンビの世界】なるセンセーショナルなタイトルの一冊。手に取って中をパラパラ見てみるとゾンビという空想上のクリーチャーの生態について書かれているわけではなく、ゾンビ映画にスポットを当てた評論本のような感じだ。

 涼子は俺の横っ腹を肘でつつきながら。

 

 

「早速わけわかんないのに興味引かれちやって」

 

「いやこんなん絶対気になるだろ」

 

「悪趣味よ」

 

「言うて気になっただけでゾンビ映画に思い入れないからなオレ。宇宙人とか出てくるSF映画の方が好きだ」

 

「…………()()()ねえ」

 

 何か言いたげな様子で俺の出した宇宙人というワードを反芻する涼子。

 ここでフォローできる程度には俺の対人能力も成長していた。

 

 

「あのさ、べつに宇宙人属性がなくたってずっと前からオレは君のことが好きだったよ」

 

「ええそうね。黎くんからそんな言葉が聞けるようになったのはあの人のお陰だもの。それくらいわかってますけど?」

 

 意固地になるなよ。今日はそういう日なのかもしれんけど。

 どうせ家に帰れば彼女もいつも通りに対応してくれると思うが俺と同じで根に持つタイプなのは知ってるし、少しでも心のモヤモヤは晴らしたい。

 これ以上気の利いた言葉など言えそうにない俺の取れる手段は直球をぶつけることだけである。

 

 

「確かにあの話を聞いてオレも腹をくくったけど、今年の冬までにはちゃんと返事をするつもりだったんだ」

 

 そのための準備自体はしていた。

 なんやかんやで当初の想定から色々すっ飛ばし前倒した今となっているが。 

 涼子は俺の情けなさを責め立てるかのように。

 

 

「後付けで言うのは簡単なんだから、ちゃんと証明しなさい」

 

「何を?」

 

「ずっと前から私のことが好きだったって」

 

 難しい注文だ。

 この瞬間の自分の想いすら100パーセント伝えるのはとても難しいというのに、過去の想いを証明しろときた。

 俺が持つジョーカーを切れば簡単にこの問題は解決するうえ今晩の営みは初体験の時以上に燃え上がることになるのだろうが、ぶっちゃけ今ここで使う気はサラサラ無い。タイミングも場所も考えてある。

 だとすれば代替案に使えそうなのは三年前のあの話ぐらいだろう――

 

 

 






※おまけ(立ち読み中の古ハル)


ハルにゃん「何よこの漫画! 主人公が闇堕ちしてまで助けた相手が保護されないどころか内臓抜き取られるってわけわかんない!」

いっちゃん「怒らないでくださいね。この漫画に一々突っ込んでたらバカみたいじゃないですか」





目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue42

 

 

 ――七月七日。

 年間行事の一つ一つを楽しみとする小学生ならいざ知らず、中学二年生の身分である俺としては何の面白味も感じられぬ平凡無風な一日である。

 幼馴染の朝倉に叩き起こされる()()の目覚めから始まり、あくびが出るほど退屈な時間を学校で過ごし帰ってゲームやって一日を終える。気が狂いそうな日々の繰り返しだ。

 登校のため駅へ向かう道中、俺は隣を歩くちんちくりんのコロポックルちゃんに対し嫌味ったらしい声色で言う。

 

 

「ハッキリ言っておくが、オレがわざわざ学校に通ってるのは君に家から引きずり出されてるからだ」

 

「でしょうね」

 

「義務教育なんてしょせんモラトリアム期間だからな。それ以上の意義なんてありゃあしない」

 

「モラトリウム……?」

 

 何言ってんのという顔の朝倉。

 中学生には難しい単語だったか。

 

 

「……何でも無い」

 

 聞いても無駄と悟ったのか朝倉は黙った。

 こうなると俺が悪者みたいなので話題を変え誤魔化すことに。

 

 

「知ってるか。北海道の七夕は今日じゃあなくて八月なんだとよ」

 

「へぇ、どうして?」

 

「知らん。旧歴で月がズレてるとかそんなだろ」

 

「何よ、いい加減な知識ね」

 

 言ってろ。

 すると七夕の話題を出したからか、今度は朝倉の方から。

 

 

「それであなたは何をお願いするの?」

 

「は? お願い?」

 

「短冊に書く願いごとよ」

 

 この女子、見た目だけじゃなく頭ん中身もお子様ランチなのか。

 言葉を失う俺に追い打ちをかけるかのように朝倉は。

 

 

「ちゃんと考えておきなさい」

 

 と、思わせぶりな発言をした。

 願いごと、願いごとね。

 こんな生活にも徐々に順応できている気がしてる俺だが"夢"だとか"目標"だとかといった未来の事は何一つ考えちゃいない。

 よくたとえ話で人生が何度もあったら、とか言うが実際に体験させられる身にもなってほしい。異能チートで無双もできないとなれば気力など湧かないのだ。

 いつも通り思考を鈍化させ省エネを超えたエネルギーセーブ状態で授業時間を乗り切り、今日は掃除当番じゃないのでさっさと帰る。

 一人で帰ってもいいのだが、そうしようとスタコラサッサで教室から出ようとすぐさま朝倉が待ちなさいと追いかけてくるので今年に入ってからは大人しく一緒に帰る選択肢を取るようにしている。

 朝倉は廊下に出るや開口一番。

 

 

「願いごとは考えた?」

 

 早速朝の宿題を提出しろときた。

 俺が忘れてたと言うとギャーギャー騒ぎそうな女だというのはここ一年の付き合いで充分承知しているため適当に返事をする。

 

 

「なんとなくな。でもなんだ、まさかマジに短冊に書いて吊るすとか言うんじゃあないだろうな」

 

「じゃなかったら考えてって言うわけないでしょ」

 

 何言ってんのという表情の朝倉。

 短冊に書くのはいいとしてどこで短冊を吊るすつもりなのだろう。まさか朝倉の家にクリスマス・ツリーよろしく竹があるわけないし。

 

 

「それは今晩のお楽しみ」

 

 したり顔でそう言う朝倉を見て思ったね。また面倒なことになってきたぞ、と。

 だが悲しいかな、こんなちびっ子ぐらいしか俺にはコミュニケーションを取る相手がいないのだ。取ろうと努力してないのも事実だが。

 俺の胸中などいざ知らず夕方駅前に来るよう告げる朝倉。

 やることも無いのでそれに従い、帰宅後私服に着替え家を出て指定の時間に最寄りの私鉄駅前へ向かうと既に朝倉が待ち受けていた。

 ボーダーのシャツと青いスカートに身を包んだ朝倉は俺を見るなりむっとした様子で。

 

 

「遅い!」

 

「遅くない。時間ピッタシだろ」

 

「いつも10分前行動できてるのになんで今日は時間ピッタシなのよ」

 

「10分前行動の必要を感じなかったからな。映画の時は上映に遅れたら困る」

 

「まったく……」

 

 呆れたと言わんばかりに顔を背けスタスタ改札へ向かっていく朝倉。

 俺もそれについて行くがまだ行き先を聞いちゃいないぞ。

 

 

「七夕に相応しいスポットよ」

 

 どこでもいいが明日も学校があるのだからあまり遠くに行くのは良くないのではなかろうか。別に俺は明日休んでも構わんがね。

 それから私鉄に乗り、学校と反対方向へ向かう特急に乗り換え朝倉の世間話を聞かされること10分弱、朝倉に言われるがまま全く来たこともないような寂れたホームの駅で降車した。

 てっきり商店街の短冊吊るしイベントだとかそういう地域活動的なやつに参加すると思っていただけに謎すぎる展開だ。

 改札を抜けるとすぐに出口があるような超ローカル駅から出ると、朝倉の案内に従い見知らぬ道を歩いていく。

 そうして15分くらい歩いて、

 

 

「ここ」

 

と朝倉が目の前にあるそびえ立ったタワーを指さし、俺は目的地に到着したことを悟った。

 まだ完全に陽が没してないものの既にライトアップされているそのタワーの存在自体は知っていた。管状の赤いフレームで覆われた外観が特徴的だ。しかしながら道中の道のりが初見なことから分かるように、実際に来るのは初めてである。高いとこに上がれるだけの場所にわざわざ来る理由なんかないし。

 入口からタワーの中に入りチケットカウンターで展望フロアへの入場券を購入。学生料金は大人の半分以下だ。

 こういう時、ツレがちんちくりんだと学生証を出す手間が省けてありがたい。

 カウンター横の階段から2階へ上がり、特に見て回ることもなく展望フロア行きのエレベータに乗る。

 

 

「なんでここに来ようと思ったんだ」

 

 上昇中、展望フロアや周辺施設の紹介をする自動音声がスピーカーから聞こえてくるのを聞き流しつつ俺は朝倉に訊ねる。

 朝倉の返事はぶっきらぼうそのものだった。

 

 

「さあ。自分で考えたら?」

 

 分からんからてめえに訊いてんだろがい。

 ギスギスした感じになるのも嫌なのでこれ以上俺から何か言うこともなくシースルーエレベータから見える外の景色に視線をやる。

 天国にでも連れていかれそうな長さのエレベータが展望フロアへ到着すると、息つく暇もなく階段で更に上へと行く羽目に。

 そして展望フロアの最上階、設置されている望遠鏡の横にあつらえ向きの竹笹が手すりに沿って起立させられていた。

 ここまで来れば言葉は不要。願いごとを書くため台に置かれている短冊とペンを取る。

 言うまでもなく短冊に吊るす願いなど考えてなかった俺は思いついたことをそれらしく書いた。即ち。

 

 

「『恒久的な世界平和』ってあなた……何思ってもないこと書いてるのよ」

 

 俺が短冊に書いた祈りにも似た願いを見て気味悪いとでも言いたげな反応を示す朝倉。

 対する俺のリアクションはわかりやすく嘘くさかった。

 

 

「失敬な。オレはどうすれば世界がより良くなるのか常日頃から頭を悩ませてるんだぜ」

 

「ペラいったらありゃしないわね」

 

 そういう朝倉はなんて書いたのか。

 すっと俺に突き付けてきた短冊に書かれてる文字によると『友達とずっと仲良くできますように』だと。なんともまあ、お子様らしい。

 だが俺はこのちびっ子と違い本音と建前を上手に使い分けられるので「良い願いだな」と言っておく。

 そして短冊のパンチ穴に紐を通し、笹の葉に引っ掛けて吊るす。

 これで七夕としては終わりになるわけだが、わざわざ入場料払ってまで来たのだから施設本来の楽しみ方をしなくては勿体ない。

 ただ外を展望するだけの時間。そういえばこういう場所で夜景を眺めたことなんて殆どなかった。来るとしても大抵昼間だ。

 周辺のビルと高さそこまで変わんねえなとか、タワー自体がもっと高ければ遠くまで見渡せたのにとか、微妙な感想が浮かんでくるのになぜか俺の気分は悪いもんじゃなかった。

 

 

「いい眺めでしょ」

 

 踏み台に乗り、俺と同じ目線になっている朝倉が横から声をかけてくる。

 

 

「ああ。いい眺めだ」

 

 自分でも驚くほど素直な相槌だった。

 窓から漏れる明かりで照らされるマンション、ビルの数々。絶え間なく高速道路を飛び交う車。夜の湾岸に停泊しているボート。近くの児童向けテーマパークのライトアップされた観覧車。展望室を一周して俺が観た景色の全て。

 夜景のレベルとしては良くて中の上であろうこの景観の何がいいのか具体的にはわからないけど、俺の感受性もまだまだ捨てたもんじゃないのかもしれない。

 

 

「一人で来てたら帰るのが寂しくなってたと思う」

 

 下りのエレベータに乗るため最上階の階段を降りながら呟く俺。

 朝倉はプッと吹き出し。

 

 

「あ、あなたにもそんな感情があったなんてね」

 

「んだよ。馬鹿にしてんのか?」

 

「心配しなくても私がついてってあげるから、ね?」

 

 ニヤニヤした顔のちびっ子を見ながら俺は後悔した。

 感傷的なセリフは口に出さない方がいい――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――あの日を思い返しながら懐かしい気持ちになる。

 まあ、古本屋というのは何かとノスタルジーを感じてしまう場所だ。この話は本と全く関係ないけど。

 

 

「覚えてるかな。中二の七夕、湾岸の展望タワーに行ったこと」

 

 学生鞄から長財布を取り出しながら涼子に訊ねる。

 彼女は一瞬フリーズした後、こくんと頷く。

 

 

「覚えてるわよ。私が誘ったもの」

 

「あの時はさ、マジで1ミリも君の気持ちなんてわかってなくて……デートスポットとして有名だもんな」

 

「わかってなくて当然ね。私なんて眼中になかったみたいだし」

 

「そういうわけじゃあないんだけどさ」

 

 俺が言い訳したところで彼女からすれば同じようなもんかと思い、話を軌道修正させる。

 

 

「オレが財布と小銭入れを使い分けてるのは、君も知ってるよな」

 

「ええ。財布がパンパンになるのが嫌なんでしょ?」

 

「それもあるけどもう一つの理由が……これさ」

 

 長財布の中央にある小銭ポケットのチャックを開け、中に入っていた物を取り出し涼子に見せる。

 形状から五百円玉と見紛うような金色の物体には件の展望タワーが刻印されており、それを目にした彼女の顔は驚愕の色を見せていた。

 俺が財布から出したそれは観光スポットによくある販売機から購入した記念メダルだ。

 下りのエレベータに乗るために階段を降りた後、‎順路にあった売店横に設置されていたマシンに釣られた涼子がせっかくだから買いましょうと言い、渋々購入したものだった。

 裏面には訪問した日付と名前がローマ字で刻印されているのだが、このメダルに刻印されている名前は俺じゃない。

 

 

「最初はお守り代わりのつもりだった。他に入れるもんもないし、メダル一枚くらいなら財布の厚みも変わらないし」

 

 それが財布を買い替えてからも続いていき、そして彼女に想いを告げられたあの日、これはただのメダルじゃなくなった。

 このメダルの裏に刻まれたアルファベットは"ASAKURA RYOKO"。

 要するに俺と涼子でメダルの交換を行ったのだ。誰と行ったか思い出せるように、という彼女の言葉に従って。

 

 

「ほんと、眼中になかったって言われても仕方ないよな。オレはそれが普通って思ってたわけだし、朴念仁どころかただの愚鈍だ」

 

 彼女の想いを知り、彼女と距離を置き、それでも尚このメダルを常に持ち続けた俺。

 そうしていた時点で答えは出ていたのだ。ただ俺が救えないほど臆病だっただけでしかない。

 

 

「ってことで、証明になりま」

 

 せんかね、と訊ねようとした俺の言葉は遮られた。

 涼子に正面から抱き着かれたのだ。

 

 

「……ごめんなさい。私、意地悪なこと言って」

 

「いやいや、別に気にしてないんだけど、その」

 

 ここお店の中ですよお嬢さん。

 SNSでバカップル発見と晒されても文句言えない状態なんですがとテンパって視線を上げた先に涼宮がいた。

 涼宮は呆れたのが物凄く伝わってくる微妙な表情になり、すぐさま書籍コーナーから立ち去ってしまう。

 

 

 これ、俺が悪いのか?

 

 大丈夫な旨を何度か伝えた後に俺の身体は解放されたものの、とてもじゃないが本選びに集中などできる雰囲気じゃない。

 かといって明日に仕切り直すというのも色々と面倒――今日はキョンに押し付けてきたが、実行委員の雑務も何かとある――なためタイトルや作者で関心を抱いたものを適当にセレクトし、購入。

 七冊購入したので残りのノルマは五冊。これであれば頑張って図書室の本から選べるだろう。選べなかったら漫画でわかるシリーズから選出してやる。

 どうにかこうにか切り抜けたので光陽園組を呼びに漫画コーナーへ行くと二人してバキを立ち読みしていた。

 

 

「もっとかかると思ってたわ」

 

 と、こちらに気づいた涼宮が本棚に単行本を戻しながら言う。

 ()()()()()に時間がかかると思っていたと聞こえるのは俺の気のせいじゃないだろう。

 にしても立ち読みしてた本がバキか。女子なら絵柄がキモいとか言いそうなもんだが。

 

 

「やっぱ大擂台賽編までは面白いのよねえ」

 

 まとめサイトのテンプレじみたコメントみたいなことを平然と吐く涼宮。

 横の優男はそのあたりどう思ってんだ。

 

 

「お恥ずかしながら僕は初見でしたが作者の力量でしょうか、読んでいて妙な説得力を感じましたね」

 

 古泉の発言で知ったがどうやらバキは男の必修科目じゃないらしい。

 それから俺と涼宮がバキの再登場してほしいキャラ――俺が天内悠、涼宮が純・ゲバル――について熱く語り合いながら北口駅までの道のりを歩いていき、帰りの線が違うため光陽園の二人とは駅構内で別れた。

 で、涼子と二人きりなわけだが、実に気まずい。さして長くもないはずの帰りの乗車時間がやけに長く感じる。

 主に彼女が自己嫌悪的状態に陥っているのが淀んだ空気を産む原因なため、ここは彼女に非がないことを理解してもらうよう何か言おうとした瞬間、

 

 

「あのメダル。とっくに捨てたと思ってた」

 

ぽつりと呟くように涼子が口を開いた。

 会話のフックとしては充分なので引っかかりにいく。

 

 

「そう思うのも無理ないって。あの頃のオレはマジで態度悪かったし」

 

「確かに。口は悪かったわね」

 

 昔の俺が涼子に好かれてると思ってなかった最大の原因はそもそも俺自身が彼女に好かれようとしてなかったからだ。

 学校祭の件があってからは彼女に対する俺の意識も大分改善されたが、その程度で距離感を変えようなんて。

 

 

「まあ、メダルに入ってる名前が自分のだったらこんな扱いはしてなかったと思うよ」

 

「そ。私の想いは伝わってなかったにせよ交換した甲斐あるわね」

 

「……ところで気になったんだけど、オレが君に渡したメダルはどうしてるんだ?」

 

 ふと疑問に思ったので訊ねた。当然といえば当然の疑問だ。

 すると涼子はさっと視線を逸らし。

 

 

「あ、あー、そうね。確か机の引き出しにしまってあったかしら」

 

 どこかしどろもどろな返しをした。

 この様子を受け、彼女の方こそメダルを捨ててしまったのだろうと思った俺だったが、そうじゃなかった。

 後日。涼子が生徒手帳にメダルを常に入れていることを知った俺は胸が張り裂けそうになり、心ゆくまで彼女を抱きしめた。

 

 

 






Q.「宇宙人に干渉された件は不問に処すって言ってませんでした?」
A.「恐らく女心と秋の空と考えられる。やっぱし怖いスね幼馴染ヒロインは」

Q.「学校祭の件って?」
A.「ああ! それってハネクリボー?」





目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Post-credit1

Post-credit = 番外短編


 

 

 

 現代日本において海外文化がどれくらい浸透しているかなんて話は文化人類学者の領分だが、俺みたいな一般人でも"ハロウィン"が元来日本の文化でないと知っている。

 だが普通の生活を送っていてハロウィンなんざと関わる機会などまずない。

 過去を思い返してみても幼稚園の頃に園内でイベント感ある時間を過ごしただけで、外国のように近隣住民にお菓子をねだりに行ったことなどないし、仮装でパーティ紛いの催しをしたこともない。

 世の大半がただの有り触れた一日として消化するのが十月三十一日と言えよう。

 

 

「いったい何が面白いのかね」

 

 涼子に耳かきをしてもらいながら、夕方のニュースで取り上げられている去年都内某所に集まったコスプレ集団の映像を見て俺は呟く。

 

 

「渋谷なんて何もなくても無駄に人多いのに、それ以上集まったらどうなるのかわからんのかね」

 

「渋谷行ったことあるの?」

 

「そりゃあね。東京圏住んでたことあるし」

 

 もちろん"俺"の話だ。

 それにしても毎年ハロウィン時期になるとこの手の報道が多くなる。

 若者が大挙して押し寄せると街が混乱するため自重しろ、といった旨の内容なのだが、深刻な事態というより面白可笑しい風にマスコミが扱っているため注意喚起ではなく煽動しているように感じてしまう。

 

 

「あなたああいうの嫌いだものね」

 

「それは君も同じだろ」

 

「人様に迷惑かけるのは駄目よ」

 

 流石委員長。

 コスプレそのものは涼子も嫌いじゃないのだ。

 

 

「それはあなたがお願いするからしてるのであって、誰も喜んでコスプレしてるわけじゃないから」

 

「オレのせいかよ」

 

「もちろん」

 

 そりゃないぜりょこたん。

 絶対ノリノリだったと思うが下手なことを言うと鼓膜を破られかねないので黙っておく。

 ぼーっとテレビを眺め、涼子の心地よい綿棒捌きに癒されるこの時間。最高に良い。

 右耳が終わったので左耳をやってもらうため寝返りして体制を変え再び涼子の太ももに頭を預ける。彼女のお腹に顔をうずめるのは耳かきが終わってからだ。

 

 

「……たとえば、ハロウィンのコスプレだったら何が好きなの?」

 

 番組の音声が明日の天気予報コーナーに切り替わると、不意に涼子がそんなことを訊ねてきた。

 これはあれか。答えたら三十一日の夜はその恰好してくれるってことなのか。

 それはそれとして、その問いかけに即答するのは難しい。

 

 

「定番だと魔女か白布のお化けだけど、涼子はドラキュラもイケると思うし、チャイナ服見てみたいからキョンシーも捨てがたい」

 

「魔女っ子は可愛いわよね。あ、魔女と言えばあなたが好きなあいこちゃんの恰好してあげましょうか?」

 

「いやなんで知ってんだよ」

 

 君に【おジャ魔女どれみ】の話をした覚えは無いんだが。

 ちなみにキャラクターコスプレを涼子にしてもらうのであれば、あいこちゃんよりプリキュアのほのかちゃんの方が見たい。俺はキュアホワイト派だ。

 

 

「あなたのパソコンは私に筒抜けだもの」

 

「ははは、そういやそうだった」

 

 笑うしかない。

 もはや見られてマズいものなどないが、スマホも同様だと思っていた方がいいだろう。

 コスプレの件はタキシードサムがお化けの仮装をしたハロウィン限定アクリルチャームを涼子が持っていることを思い出したため、なんだかんだお化けが一番と回答し、耳かき終了後は涼子のお腹を堪能させてもらった。

 その数日後。

 まさかハロウィン仮装デートなどという俺と一生無縁と思っていた体験をする羽目となり、誰にも迷惑こそかけなかったもののハタから見たらあの日テレビで見た痛々しい連中と同類になったのだとダウナーな気持ちにもなりつつも、帰宅後はしっかりやることをやったので良しとする。

 

 

 







目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue43



(直観読了後は)初投稿です。





 

 

 文化祭開催を週末に控えた水曜日の放課後、俺たち文芸部はいつになく慌ただしかった。

 それもそのはず。

 部としての出し物であるオススメ図書百選展示のため部室を掃除しているわけなのだが。

 

 

「もう! どうすんのこれ!」

 

 涼子が子供のやらかしを咎める母親のような剣幕で部室の一角を指差す。

 その先には文芸部に似つかわしくない多種多様なコスプレ衣装がかかったハンガーラックが鎮座している状況。

 毎日嫌でも視界に入ってくるので感覚が麻痺していたが、冷静に考えてこれを客人に見られるのはマズいだろう。文芸部がイメクラの類だと勘違い――まあ、俺は個人的に涼子に着てもらったりしてるけど――される。

 涼子は今日いきなりコスプレ衣装の処遇について言い出しているわけでもなく、前々から涼宮に持って帰るよう依頼していたにも拘わらず今日に至るまで放置されてきた。それゆえ涼子はプンスカなのである。

 

 

「いい加減捨てるわよ!」

 

「嫌よ。集めるの大変だったんだから」

 

「だったら持って帰りなさい」

 

「こんな量ウチまで運べないでしょ」

 

 こんな量を部室に持ち込んだ張本人は自らが被害者であるかのような物言いだ。

 涼子としてもどうにかしたいようだがトンチキ状態の涼宮相手じゃ話が進まない、暖簾に腕押しとはこのことか。

 せめて他の場所に避難させたい。

 といっても文化祭直前。どこもかしこも教室は使われてるし、都合よく物置として使えそうな空き部屋なんてあるわけない。

 

 

「いや、待て」

 

「はい?」

 

 俺の呟きに対し何だと顔を向けてくる涼子。

 聞き入れてくれるかは別として、そのコスプレ衣装を置ける空き部屋の存在を思い出した俺は提案してみることに。

 

 

「確かお隣のコンピュータ研究部は文化祭中、コンピュータ室で制作発表を行うはずだ。他が間借りするって話も聞いてないし、部室に置かせてもらったらいいんじゃあないか」

 

「……これを?」

 

「お願いしてみるだけタダだろ」

 

 涼子の顔はとてつもなく不満そのものだったが、黙っていても事態が好転するはずないため渋々といった形で提案に乗った。

 そして先ほどまで涼子に詰められていた涼宮はというと。

 

 

「んじゃ早速預けに行くわよ」

 

 とっ捕まえたメタモンを預かり屋へ連れていくかのようなノリでハンガーラックを引きずり部室を出ようとする。

 が、そんな涼宮を止めるように。

 

 

「待て。お前が行くと話がややこしくなる」

 

 キョンが彼女の肩にポンと手を乗せてそう言った。

 俺の知る限り涼宮は交渉というアクションの適性が最も無いような女だからな。"お願い"が断られた途端"脅迫"に変わるのが目に見えている。ブチャラティかよ。

 ここは涼子に一任するべきだ。

 なんて俺が呑気してたらいつの間にか背後に回り込んでいた涼子に首根っこを捕まれ。

 

 

「あなたも来なさい」

 

「なんでオレが」

 

「言い出しっぺでしょ」

 

「小学生かよ」

 

 助けを求めようと視線を泳がせるも部室の全員に眼を逸らされてしまった。あんまりだ。

 拒否するとヘッドロックに移行されかねないので大人しく涼子と廊下に出る。

 

 

「うん、よろしい」

 

 得意気な表情で頷く涼子。

 家だと大して俺への当たりがキツくないのに何故学校ではこうなのか。これが正統派ツンデレというやつなのか。

 しかし、思い起こしてみると昔の涼子はツンツンしまくりだった気がする。

 他のクラスメイトに対しては今と変わらず明るく優しい絵に描いたような"いい子"だったにも関わらず、俺に対しては辛辣な言葉も使うし。

 

 

「やっぱ君ツンデレだよな」

 

「……はあぁ? 気でも狂ったの?」

 

 何かおかしなキノコでも拾い食いしたのかといったような表情で俺を見る涼子。

 弁明のため今しがた思ったことをありのまま伝えると彼女は腑に落ちない様子で。

 

 

「あなたから悪い影響を受けてるだけ」

 

 ともすれば行動心理学におけるミラーリングなのかもしれないが、ツンデレだろうがそうじゃなかろうが俺は涼子が大好きなのでOKだぞ。

 気を取り直してコンピュータ研究部へ突入する前に一言。

 

 

「話は君が進めてくれよな」

 

「言われなくてもそのつもりよ」

 

 ますます俺の存在意義が問われるが、海外クラブの黒服よろしく用心棒役とでも思っておくさ。

 おほん、と咳ばらいをしてコンピュータ研究部の扉をノックする涼子。涼宮だったらそれすらせずに押し入っていると思われる。

 すぐに扉は開かれ、部員であろう四角い眼鏡の男子生徒が俺と涼子を交互に見て。

 

 

「どちら様……?」

 

「私たち文芸部なんですけど、折り入ってお願いがありまして」

 

「はあ。どうぞ」

 

 眼鏡部員に通されたコンピ研の部室内は俺たち文芸部と同じハコながらコールセンターのように部員全員の固定席が設けられており、レイアウトに無駄がない。

 その座ってる部員全員の視線が来客である俺と涼子へ一斉に向けられた。

 完全アウェー、甲子園に来たジャイアンツさながらだな。

 

 

「おや、君たち文芸部かい? 何か用?」

 

 コンピ研部長はこちらの顔に覚えがあるようで、椅子から立ち上がり用件を伺う。

 長門さんだと萎縮しそうなこの状況も我らが委員長朝倉涼子にとっては休日の河川敷と大差ない。リラックスできるということだ。

 涼子はどこか襟を正すよう表情を作ってから単刀直入に切り出した。

 

 

「文化祭の間、うちの私物を預かって頂けませんか?」

 

「うん。いいよ」

 

 文芸部私物の預け入れというお願いは二つ返事であっさりと快諾。

 涼子はすんなり行くと思っていなかったようで、目を丸くしてこちらを見てきた。

 日頃の行い、というほど奉仕的な活動を行ってきた俺たちではないが、良識のある相手に適切なコミュニケーションをとればこれくらいのお願いは聞き入れてもらえるのだ。

 いきなりパソコンくれとか言い出すような暴虐女(すずみや)とウチの相方とでは誠意の伝わり方に大きな開きがあると言えよう。

 そういうわけでオススメ図書百選展示に関する問題はクリアされた。

 ありがたいことにハンガーラック以外にも雑貨類、ボードゲームを詰め込んだ段ボールなんかも預かってもらえたが、やはりコスプレ衣装に関しては「君たち普段何やってるの?」と怪訝な顔をされた。是非も無し。

 何はともあれ、私物預けと整理整頓の甲斐あって俺の入部当初ほどでないものの文芸部の部室は落ち着いた感じに。

 

 

「大分見違えたな」

 

「文化祭終わったら元通りだけどね……」

 

 百選展示の配置も終わり、しみじみ呟くキョンとそれに反応する涼子。

 一方、涼宮はどこまでもマイペース。

 

 

「はー。これじゃ何にも出来ないわ」

 

 本で埋まった長テーブルを前に悪態をつく。

 涼宮が何かするといっても精々ネットサーフィンかボードゲーム程度である。

 なのにさも日常業務に支障をきたしている風な物言いなのだから、呆れを通り越して尊敬の念すら覚えてしまう。

 そして涼宮が最も嫌悪することが退屈の二文字と承知している古泉は、

 

 

「これを機に模様替えを検討するというのはどうでしょう。元が悪かったとは言いませんが、私物の管理が少々おざなりだったのは反省すべき点かと」

 

「それいいわね。文芸部たるもの、より機能的な空間で活動した方が生産性も上がるでしょうし」

 

例によって涼宮に余計な入れ知恵をしていた。

 はたして俺たちが向上させるべき生産性とは何なのか、少なくともXファイルだとかスーパーナチュラルだとかに出てくるような超常現象を発見することではないはずだが。

 涼子の方を見ると嫌そうに眉をひそめており、事と次第によっては"教育"不可避であろう。

 とにかく文化祭に向けた準備自体はこれで終わったため解散しても良いのだが、やることが無いのは明日も同じなのでせめて明日の部活について話そうかと思ったところで不意に部室の扉が開けられた。

 

 

「お、本屋みたいに立派な展示ね」

 

 ガチャリとドアノブを捻り部室に入ってきたのは文芸部の名ばかり顧問、森先生だ。

 面倒な奴が来たなと思いつつ、俺は最低限失礼の無いように苦虫を嚙み潰したような貌で訊ねる。

 

 

「何しに来たんスか」

 

「……あなたに用はありません。用があるのは部長の長門さんです」

 

「わたしに?」

 

 突然の来訪者からの指名にきょとんとする長門さん。

 森先生の用とやらは何てことなかった。

 

 

「領収書を受け取りに来ました」

 

 オススメ図書百選を展示するにあたり北高の図書室や市の図書館から本を借りてきたのは言うまでもないが、その他古本屋などから仕入れたものもあり、それらの購入費用は文化祭活動費から捻出されている。

 つまり最終的に金額が決算に載るため正確な数値が記載された領収書が必要なのだが、そんなの文化祭が終わってから取りに来ればいい話である。

 

 

「後回しにしてもいいことありませんし、万が一にでも領収書の提出を忘れたらわたしが横領したと疑われるんですよ」

 

「さいですか。てっきり暇潰しに来たのかと」

 

「暇な訳ないでしょう。最近はわたしもあの人も帰りが遅いんだから」

 

 表情こそ変えてないがどこかストレスを感じるトーンで言う森先生。

 あまりにも平然とそう言ってのけたので俺としては苦言を呈さざるを得ない。

 

 

「仕事熱心なのはいいけど結婚してそろそろ三年だろ? マジで早く母さんに孫の顔を見せてやってくれ」

 

「何度も言ってるけど、教師はそう簡単に産休取れないのよ」

 

 退職する気は無いらしい。

 この歳で母親から初孫を期待されつつある俺の身にもなってくれ、と森先生のスタンスに気を揉んでいると。

 

 

「……なあ。やけに馴れ馴れしい感じだが、お前と先生どういう関係なんだ」

 

 キョンが会話に突っ込みを入れてくる。

 どうもこうもあるかよ、と煩わしさを感じた俺より先に彼の質問に答えたのは涼子だった。

 

 

「キョンくん聞いてないの? 園生さんは彼のお姉さんよ」

 

 もしゲーテ先生が未だご存命であられれば、今この瞬間に『時よ止まれ』と言うたに違いない。

 全員だんまりになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「冗談も大概にしなさいよ涼子、これのどこが姉弟なの」

 

 奇妙な間を嫌ったのか、静寂を破ったのは涼宮だ。

 こういう反応になると想定済の俺は特別主張をせず、視線で()()() ()の方に説明をパスする。

 姉さんは俺の態度に眉をひそめたが、教師らしく大人の対応を見せてくれた。

 

 

「いいえ涼宮さん。涼子ちゃんの言う通りこの愚図はわたしの愚弟です」

 

 愚図だの愚弟だの身内に対する物言いとはとても思えないんだけど。

 しかし伊達や酔狂という文字が辞書から欠落したような冷血女である姉さんの発言は受け入れるほかなく、涼宮は首をかしげながらも疑いの声をあげるのをやめた。

 古泉は俯瞰するように俺と姉さんの顔を見て。

 

 

「そう言われますと目元は確かに似ています。森先生が同年代でしたらすぐに姉弟と分かったでしょうね」

 

 なんか気持ち悪い分析をしてくれた。

 俺にとっちゃ怠いだけの空間が続きそうなので姉さんを追い払うような声を上げることに。

 

 

「暇じゃあないってんなら貰うもん貰ってさっさと帰っておくんなまし」

 

「……ほんと可愛げない弟だこと」

 

 言ってろ。

 そして領収書が入ったクリアファイルを長門さんから受け取ると姉さんは足早に部室を出ていった。

 波風を立てに来た張本人が消えたというのに部室は変な空気のまま、というか俺に視線が集まっている気がする。さもありなん。

 

 

「園生さんのこと、なんで黙ってたの?」

 

「そりゃあ教える必要なかったからな」

 

 涼子は俺の答えになんとも言えない面持ちになる。

 だが考えてみてほしい。家族が教職員やってると知られたらクラスメートからのウザい絡みが1000%増えるのだ。

 俺は心得ている。こういう精神衛生上のリスク管理を怠った奴から先に死んでいく。

 故に俺から誰かに姉さんが北高で教師やってるなどと言うことはなかった。まあ、こいつらに知られる分には構わん。

 

 

「それはいいとして、模様替えの内容を考えるんだろ」

 

 これ以上姉の話をしてもしょうがないので、話題を変えるべく涼宮に話を振る俺。

 その涼宮はというと退屈に悪態ついてた先程までと打って変わり、不敵な笑みを浮かべている。

 頼まれてもいないのにつかつかと黒板の前に躍り出た涼宮は俺の振りに対し。

 

 

「模様替えはいつでもできるから今度にしましょう。それよりあたし、いいこと思いついたのよ」

 

 ダンセルにヴェーラーを投げつけるくらいお約束と化した展開だな。

 "いいこと"とは何を指すのか、という突っ込みが入るよりも早く涼宮は言葉を続ける。

 

 

「さて涼子。文化祭で一番重要なことってなんだと思う?」

 

 この女が考える重要事項を当てるのは猿が【ハムレット】の原稿を書き上げるのと同程度の難易度だろう。

 涼子の答えは常識的な物差しで割り出されたものだった。

 

 

「楽しむこと」

 

「違うわ。そんなのは小学生レベルの発想ね」

 

「……じゃあいったい何が高校生レベルなんですか」

 

 案の定答えが的中せず、謎理論で切り捨てられたためにむすっとした顔で涼子が涼宮に問う。

 対する涼宮はキメ顔でこう言った。

 

 

「ズバリ、伝説になることよ!」

 

 小学生レベルの発想じゃねえか。

 涼宮のことを理解できているんだかよくわからない古泉を除く全員の頭上にクエスチョンマークが浮かんでいることだろう。少なくとも俺は文化祭で伝説になれという教育を受けた覚えがない。

 そんな俺たちの状態を把握しようともしないままレジェンダリ―涼宮は説明を開始する。

 

 

「いい? 楽しむことは文化祭で大前提。自分の思い出に残るのは当たり前のことなの。でもね、そんなのは誰だってできるわ。あたしたちが目指すのは他人の思い出に残るような文化祭にすること」

 

 なんか勝手に涼宮のビジョンに俺たちが組み込まれているぞ。

 まあ、伝説というワードはアレだがこの女の言わんとすることは分らんでもない。

 要するに記録よりも記憶に残る的な、完全燃焼しようとでも言いたいのだろう。

 

 

「具体的にどうするんだ。オススメ図書百選を熱烈にアピールする方法でも考えようってか」

 

「残念だけど文芸部としての活動じゃ伝説になるのは難しいわね。と、いうわけであたしが考えたのは……」

 

 キョンの指摘を受け流しつつ、チョークを手に取って黒板に書き込んでいく涼宮。

 そこに書かれた文字はこれまた涼宮の思いつきらしい素っ頓狂なものだった。

 

 

「あたしたち文芸部で"ゲリラライブ"をやるわよ!!」

 

 助けてくれ、ラブライブ。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue44

 

 

 

 部やクラスのメンバで結成したバンドによるライブ演奏というのは文化祭発表の定番であり、もちろん合同文化祭においてもプログラムに含まれている。

 【涼宮ハルヒの憂鬱】劇中の涼宮もイレギュラーな形ではあるものの文化祭でライブやってたし、この涼宮もそういうステージに興味があってもおかしくない。

 ところが今回の合同文化祭は閉会まで体育館ステージが埋まりっぱなし。発表の尺がパンパンという内情も実行委員ゆえ承知している。

 例年であればどこかしら隙を見計らってステージジャックというのも可能であろうが、今年は割って入ろうなんて土台無理だ。すぐさま生徒会につまみ出されるだろう。

 伝説だのと意気込むはいいが、その辺どう考えているのかと涼宮に尋ねたところ、彼女もまるっきりバカではないらしく。

 

 

「あたしだって今回ステージジャックが難しいってことぐらいわかってるわよ。それにわざわざ文化祭に向けて練習してきた人の出番を奪うのは可哀想だしね」

 

 などと見ず知らずの第三者に対するなけなしの配慮を見せていた。

 "この女の思いつきに付き合わされる俺たちに対する配慮は無いのか"や、"今日まで何も練習してこなかった俺たちがわざわざライブする必要あんのか"と突っ込みたいところだが、どうせ適当にいなされるだけだとわかっているので話を進める。

 

 

「じゃあどこでやるつもりなんだ?」

 

 既に使われてる教室を乗っ取ろうとしたらその時点でゲリラ行為に当たると思うし、当然ライブなど行えず終いだろう。

 それら懸念点も織り込み済みという涼宮の作戦はこうだ。

 文化祭一日目にあたる金曜日は出店が無いため、中庭は垂れ幕と展示物のみが配置されているだけの比較的フリーな状況だという。

 時間帯は最も手薄そうな昼休み後の五時限目。ここを狙ってやる。

 確かに教職員にしょっぴかれるリスクは低そうだが、文化祭まで後一日という状況でライブができるほど俺たちに音楽の素養は無い。

 

 

「問題ないわ。内容はちゃんと考えてあるから」

 

 言いながら置きっぱなしてた学生鞄を拾い上げる涼宮。

 そうして古泉に声をかけ、詳細は追って連絡するとだけ言い残すとライブの内容を説明することなく光陽園の二人は部室から去っていってしまった。

 部室には正規の文芸部員のみが残される形に。

 

 

「また面倒なことになったじゃねえか」

 

「わたし鍵盤ハーモニカとリコーダーしか演奏できない……」

 

 顔をしかめるキョンと、レパートリーの少なさに困った様子の長門さん。

 そして涼子は呆れ果てており。

 

 

「ったく、消してから帰りなさいよ」

 

 現実逃避するかのように涼宮が書いた黒板の文字――ゲリラライブ――を黒板消しで拭いていく。

 まあ、エンタメに振ってくれているだけ涼宮にしてはマシな提案だとポジティブに考えることもできる。

 俺個人としても文化祭という非日常ならではの試みに少し興味があるのも事実だ。

 が、それにつけても時間が足りないと思う。

 ぐだぐだで終わってしまっては伝説どころか黒歴史不可避であろう。

 なんとも重苦しさの残る雰囲気のままこの日の部活は終わりを迎えた。

 それはそれとして。

 

 

「やっぱ一日の疲れはこれで癒すに限りますなあ」

 

 帰宅して晩ご飯を食べた後、いつも通り涼子にソファの上で膝枕をしてもらう。

 嫌なこと全部忘れられる至福のひと時。

 夢見心地の俺に対し涼子は棒読みで言葉を投げる。

 

 

「なんだか道具扱いされてる気がするんですけど」

 

「滅相もない。オレは膝枕という行為じゃあなく、大好きな涼子そのものに癒されているんだよ。本質的には」

 

 純然たる本心からくる言葉だが、彼女相手ではバッサリ切り捨てられるのがオチである。

 だが今回の反応は想定と異なった。

 

 

「……ズルいわ」

 

 拗ねたような声。

 なんの話かさっぱりわからないのでくるりと体勢を変えて涼子の顔を見上げてみる。ふくれっ面だ。

 正確に言うと風船みたいにほっぺを膨らましているのではなく、への字口を作りむっとして頬を張っているご様子。

 

 

「いったいどうしたのさ」

 

「どうもこうも、納得がいかないのよ」

 

 何か特別ヘンなことを言った覚えはないのだが。

 すると涼子はじっとりした視線を俺に落としてから。

 

 

「最初に好きになったのは私の方なの。それなのに隙あらば"大好き"だの"愛してる"だの……勝手に言われる身にもなってちょうだい」

 

 愛の言葉を安売りしてほしくないのか、はたまた言われっぱなしの敗北感なのか。

 涼子の胸中を完全に推し量ることは不可能であるがそういった感じなのだろう。

 しかしだな、昨日の夜を思い返せば君だって俺に好き好きと連呼してたじゃ――

 と口にした瞬間こめかみに鋭い痛みが走る。

 

 

「いてっ!」

 

 俺はデコピンされた。

 攻撃の主は少し興奮した様子で俺を咎めようとする。

 

 

「もう!! そういう話じゃなくて、普段のことを言ってるの!」

 

「だったらオレとしては君が普段から愛の言葉を使ってくれると嬉しい」

 

「くっ、うううぅぅぅ……」

 

 唸り声を上げて逡巡する涼子。

 彼女が行動で示そうとするタイプなのはよく知っているが、それはそれとして好意を言葉で表してほしい気持ちは俺にもあるぞ。

 やがて涼子は絞り出したような声で。

 

 

「…………努力はするわ」

 

 この日を境に涼子のデレ係数が増加した。

 否、増加などという生易しいものではなく激的な変貌を遂げた。

 次の日の朝である。

 ところで俺は自らの寝相を良い方だと思っているが、寝ている最中に全く動かないということはないようで手の位置とかはあっち行ったりこっち行ったりと変わっていたりする。

 そんな俺がいつもよりやや早めの時間で起きたのはベッドから転げ落ちたから、でなく息苦しさにも似た奇妙な重量感のせいだ。

 薄ぼんやりした意識の中、これが噂に聞く金縛りなのかと思いながら覚醒していく。

 ――マジで身動きがとれないんだが。

 混乱し始めた寝起きの思考回路は現状を理解することで更にバグることに。

 

 

「おはよ」

 

「んぁ……?」

 

 朝のあいさつをくれたのは同衾している涼子であるが、その彼女がなんと俺に抱きついているではないか。

 しかも抱き枕のそれじゃない。

 完全に上から抱きつかれているのだ。俺オン涼子オン毛布。

 

 

「え……なんだ。何してんの」

 

「"おはようのハグ"」

 

 ハグどころか人間布団じゃないか。

 いったい何故。

 

 

「なんでって、私もよくわからないけど黎くんの寝顔見てたら……嫌?」

 

「……嫌じゃあない」

 

 ちょっと、いやかなり驚いたけど。

 お返しに俺の方からも涼子に抱きつく。

 あったかくて、やわらかい。

 涼子と一緒に過ごしているうちに彼女から漂ういわゆる"女の子の匂い"はあまり感じなくなったが、この距離で嗅げば流石に認識できる。すごくいい匂いがする。

 特に寝起きの彼女から発せられる匂いは平素の三割増しで濃く、身体の感覚が麻痺しそうになる危険なほどの芳香だ。

 

 

「お楽しみのところ悪いけど、おはようの返事を貰えないかしら」

 

 そう言いながら顔を俺の眼前に動かす涼子。

 吐息どころか鼻息すらぶつかるような超至近距離に恋人の顔がある――しかも寝起きで――というのはどこぞの恋愛ノベルゲーCGでしか見たことないような光景だな。

 返事。返事ね。

 半ば無意識的な所作で右手を涼子の後頭部に回した俺はそのまま彼女の顔を引き寄せ。

 

 

「ちょ……んんっ」

 

 唇を奪い、舌で口内を侵蝕する。

 突然の出来事に涼子は眼を大きく見開くが次第に瞼の力が抜けていき、彼女の方から舌を絡ませてきた。

 互いを貪り合うディープキス。

 もちろん初めてのことじゃないがその殆どは情事の最中なので俺も彼女も自然と熱が入っていく。

 徐々にのぼせ上がるような頭の高揚感、舌に伝わる生暖かさ、涼子の唾液。それらを味わいながら束の間が過ぎ、やがて顔と顔が離れ終わりを迎える。

 さて、言い訳の時間だ。

 

 

「"おはようのキス"ってことで、どすか」

 

 こう呼ぶにはいささか刺激的か。

 涼子は口を手の甲で拭うと。

 

 

「っ、寝起きのお口はばい菌だらけなんだからね」

 

 恍惚とした表情を見せながらも抗議の声を上げる。

 君の口にあるばい菌なら喜んで食べるよ、なんて言ったら秒でグーが飛んでくるだろうな。

 俺は変態発言を自重する代わりに再びおはようのハグをする。これからますます寒くなる冬に向け涼子暖房の導入は必須なのである。

 と、冗談めいたことでも考えていないとすぐに思考が下劣な方向へと向かってしまう。

 このままでも大変満足かつ多幸感に満ちた状態なのだが、"もっと"というプラスの欲求を抑えられないのが人間の性質であり、それは俺も例外ではない。

 

 

「なあ」

 

「なに」

 

「ほっぺすりすりさせてほしいんだけど」

 

「……はい?」

 

 少しばかりの問答の末にさせてもらった。

 比較対象を知らないのでなんとも言えないが、多分つるすべ美肌ってやつなんだろう。非常に良き感触であったと記す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 涼子とのスキンシップはともかく、大筋ではいつも通りの朝を過ごしていた。

 彼女との距離が更に縮んだ――物理的に――ことを除けば。

 家事以外の全てにおいてそうなってしまった。一番顕著なのが朝食の時間である。

 朝食に限らず食事はテーブルに向かい合う形で着席することになっていたが、ここにきて涼子が俺の隣に座り出した。

 しかも俺の左隣に陣取るものだから左利きの俺と右利きの彼女とでは間隔をとっていてもしばしばお互いの腕が邪魔になる。俺と涼子の間隔は二人掛けの椅子かってぐらい無いので腕どうしの接触は避けられない。

 そんな状況におけるソリューションとは何か。聡明な諸兄ならもちろん、お分かりですね。

 

 

「はい、あーん」

 

 自家製のだし巻き卵ひと切れを箸で俺の方へ差し出す涼子。

 何かの冗談だと思いたい。

 こんな日が来るとは。

 朝倉さん(宇宙人)との練習をしっかりしておくべきだったか?

 なんて心にもないことを考えてしまうくらいにはどうかしていた。

 

 

「あ、あーん……」

 

 じゃなかったらこうして彼女の悪ノリに便乗していない。

 口に運ばれるだし巻き卵の味に集中できなかったのは言うまでもない。もちろん味の感想には美味しいと答えたが。

 自分のペースで食べれないストレスは多少あるのかもしれないが、涼子とベタベタすることによるリラクゼーション効果の方が圧倒的に前者を上回っているため何も問題はなかった。

 リラクゼーションという点では日課の野良猫たちとの戯れもそうである。

 登校前にマンションの裏庭であぐらをかいていると一匹、二匹と野良猫が近づいてくるので腕を伸ばし撫でまわす。

 

 

「今日も元気か?」

 

 定位置である股にいつの間にかすっぽり収まっていた茶トラくんに声をかけるとお返事とばかりにゴロゴロと喉を鳴らしてくる。愛い奴め。

 脚にくっついてくるハチワレくんはお尻をぽんぽんされるのが大好きでウニャンと声を上げる。めんこい子だ。

 制服についた猫毛はちゃんと処理しろと小うるさく涼子に言われるが、猫との時間は必要不可欠だ。

 そんな癒しの時間に水を差すようにポケットのスマホが振動する。

 グレー猫を撫でていた右手を動かしスマホを取り出し、通知アイコンが表示されている通話アプリを起動。

 で、思わず呟いたね。

 

 

「笑えるぜ……」

 

 文芸部のグループチャットで今しがた涼宮が書きこんだ内容を見てのことである。

 また面倒なことになりそうだという予感を抱きながら無心で野良猫たちをもふもふしていると、涼子が長門さんを連れて現れた。

 涼子は怪訝そうな顔で。

 

 

「見た? なんなのあれ」

 

「オレに聞かれても困る」

 

 涼宮からのメッセージはこうだ。

 『放課後、体操服を持ってここに来るように』という一文、その下に市内にある体育施設公式サイトのリンクが貼り付けられている。

 あの女の脳内で文化祭が体育祭に変換されてしまったとしか思えないぞ。

 

 

「それにつけても説明不足なんだから」

 

 体操服が入ったナイロン袋を俺に突き付けながら言う涼子。

 参加したくないから取りに戻らなかったのだが、わざわざ俺のを取ってきてくれたらしい。彼女の良妻賢母ぶりに泣きたくなるね。

 

 

 

 そんな一幕があった今日の放課後。

 文化祭の前日というものは授業が皆無なのもあってだいたいが暇な時間であるし、放課後ともなれば制作物が完成しきってないような場合を除きクラスで多少打ち合わせしてハイ解散というのがよくあるパターンだ。

 などという一般論から外れる形で北口駅からそれなり離れた場所にある体育施設へ参上すると、既に光陽園ペアが到着していた。

 施設入口の前で仁王立ちの涼宮はこちらを見るなり。

 

 

「なにチンタラ歩いてんの! ダッシュで来なさい!」

 

 家の前を通る度に吠えてくるような飼い犬が如くうるさい声をあげる。

 ちゃんと躾けてほしいものだが、従属関係としては古泉が飼う側ではなさそうだから困る。

 受付は既に済ませてるから、と言い施設の中へ入ろうとする涼宮。その背を止めるようにキョンが言う。

 

 

「待ってくれ。いったいここで何をしようってんだ」

 

「明日の特訓に決まってるじゃない」

 

 振り返りながら目的を簡潔に述べる涼宮。これで十割伝わったと彼女が思っているのなら小学校の授業に"対話"という科目を追加すべきだ。

 更衣室でジャージに着替えてから向かったのは体育館、ではなく施設内にある軽スポーツ室である。バスケやドッジボールをするわけではないらしい。

 それにしても流石私立校と言うべきか、同じブルーでも北高の芋ジャージと違って光陽園のはデザインが段違いに良い。

 スポーツブランドと提携している――胸にロゴが入っている――らしく、上がハーフジップのプルオーバータイプでラインの入りも装飾性が高くスタイリッシュな印象だ。

 

 

「一体何をジロジロ見てるのかしら」

 

「うぐっ、し、資本主義の在り様をね」

 

 俺の視線が涼宮に止まっていたせいか涼子が肘で横っ腹をぐりぐりしてくるので弁明。

 決してやましい気持ちは無い、たとえ涼宮の胸部の主張が普段より強かろうとも。

 俺と涼子のやり取りを気にしていない長門さんは涼宮に。

 

 

「楽器とかは無いみたいだけど、演奏しないの?」

 

「ええ。バンドじゃ練習時間足りないからダンスライブをするわ」

 

 あたしはギターもベースも弾けるんだけどね、と無駄なイキリをかましてから涼宮は「じゃあお願い」と言い、頷いた古泉はキビキビした動きで何やら準備を始めた。

 鞄からノートパソコンを取り出し、プロジェクターとケーブル接続。カーテンを閉め、電気を消して壁にパソコン画面を投影。プロジェクターのレンズを調整。

 

 

「準備できました」

 

「ありがと古泉くん……はい注目!」

 

 言われんでもこの"今から上映するぞ"と言わんばかりの状況なら注目する他ない。

 学校の授業ならいかようにして寝るかを考えてるところなのだが。

 

 

「これからゲリラライブで踊るダンスの模範映像を流すから、しっかり観るように」

 

 一回で覚えろと言わないだけ慈悲深いと言うべきか。

 模範映像とやらはどこぞの動画投稿サイトにアップロードされている某ダンスグループの類かと思いきや、古泉が操作するパソコンのフォルダ内にある映像ファイルらしく、それが光陽園二人(こいつら)の手で撮影されたものだというのはすぐに分かった。再生と同時に涼宮の姿が映ったからだ。

 映像の中の涼宮は屋上らしき場所――おそらく光陽園の校舎――に制服姿で立ち尽くしており、やがて曲のイントロが流れ出しダンスが開始。

 

 

「……マジかよ」

 

 洋画なら間違いなくオーマイゴッド、もしくはジーザスとでも言いたくなるような展開に頭を抱えたくなる。

 これが何の曲かすぐに分かったね。

 歌は涼宮のそれじゃなくボーカロイドで、メロディは打ち込み。

 涼子や長門さんは『なんてヘンテコな電波じみた曲なんだ』と思ったことだろう。

 だが、この歌い出しは間違いなく、

 

 

『ナゾナゾ、みたいに、地球儀を解き明かしたら~』

 

SOS団のダンスでお馴染み【ハレ晴レユカイ】だ。

 

 

 

 







朝倉さんTips:主人公が起きるまでの間、彼の顔をイタズラしていたぞ。
       (指で鼻をいじり回す等)





目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue45

(新年度)初投稿です。






 

 

 その日、文化祭当日。

 どういう訳か同学区内の私立校と合同で行われることとなった今年のそれは、まさしくお祭りと呼ぶに相応しい非日常の空気を校内に充満させていた。

 大幅に変更された文化祭プログラムは例年と比べ自由時間が割合多く占めており、初日は外部の人間こそ入れないものの実質的に明日の一般公開日と同じような構成である。

 そんな年に一度の一大イベントな中、実行委員として入念な前準備を手掛けていた俺と涼子がどうしているかというと。

 

 

「暇ね」

 

 部室のテーブルに頬杖をついている涼子が時折"暇"と口にするように時間を持て余していた。

 文芸部の展示はオススメ図書百選ということでこうして学芸員的役割として交代制で部員を置いているわけなのだが、現状は閑古鳥が鳴くといった有様だ。

 それもそのはず、文化祭なんだからステージでの発表や各教室での出し物の方にまず行くだろ。誰だってそうする。俺もそうする。

 虚空を見つめる猫のように視線を開けっ放しの扉に飛ばしている彼女に対し俺は言う。

 

 

「こんなとこ見るもんなくなった奴が終了時間ギリギリに来る場所だぜ。暇で当然じゃあないか」

 

「あなた私より長く文芸部にいるのに、部員としての誇りはないの?」

 

「我ながら非生産的な活動しかしてなかったしな……」

 

 思い返すのは涼子が加入するまでの一年生の日々。

 寝て、寝て、たまに読書して、また寝る。アクティブとはかけ離れた半年間であった。

 部長の長門さんだってしばしばゲームしてたし、真面目に文芸部員をやってきたという自覚なんて皆無であろう。

 

 

「全くやる気が感じられないわね」

 

「じゃあなかったら生徒会だってお取り潰しに来ないよ」

 

「昔じゃなくて今のあなたがよ」

 

「そりゃあ、な」

 

 涼子はパイプ椅子にふんぞり返りながら舟漕ぎかましている俺に言葉のエッジを突き立ててくるが、彼女だってぐだぐだ感出しまくりだ。

 お互い原因は明白である。

 客が来ないのみならず、せっかく二人きりという状況なのにストロベられず――部室で乳繰り合ってたら死刑と涼宮に脅されている――カンヅメ状態だからだ。

 涼宮と古泉のせいで某SOS団アジトの如く私物まみれと化していた文芸部部室だが、流石にあの惨状を他所の人に見せるわけにいかないので小物以外は殆どお隣コンピュータ研究部の部室――彼らはコンピュータ室で制作物の発表を行っているため今日明日は空き部屋となっている――に預けさせてもらっている。

 コンピ研部長は俺たちに力を貸す義理など一切無いのに完全な善意から部室の物置利用を快く許可してくれた。

 まあ、コスプレ衣装のかかったハンガーラックを見た時は「君たち普段何やってるの?」と怪訝な顔になっていたっけ。是非も無し。

 それにつけても、この状況だ。

 たまに"吸引"させてもらってはいるが、基本的には離れて座っているだけなのでたちまち涼子成分が欠乏していく。

 

 

「うわぁーん涼子ぉー。好き合うふたりがこんなに離れなきゃいけないなんて……まるで織姫と彦星だ」

 

「言ってて背筋が寒くならないかしら」

 

「うんうん、オレは理解(ワカ)ってるよ。自分はTPOを弁えてますってすまし顔してるけど心の奥ではオレとラブラブちゅっちゅしたいってことを」

 

「あなた真性のアホね…………まあ……否定はしないけど」

 

 そう言うや頬杖を崩して机に突っ伏す涼子。

 なんか最近"あざとさ"を会得してませんかこの娘。腹立つぐらいかわいい。

 俺は直ちに涼子の傍まで行くと彼女の肩を揺すりながら。

 

 

「もしかして照れてるん? 涼子ちゃんかわいい~大好き~」

 

「うっざ」

 

「おうふっ」

 

 うつ伏せのまま水平に薙ぎ払われた涼子のチョップを喰らい声を上げてしまう。

 脇腹をさする俺に涼子は顔を向けて言う。

 

 

「そういうのは文芸部としてのお仕事が終わってから」

 

「……ハイ」

 

 交代まであと二時間近くはこの状況で、午後になれば涼宮の悪ふざけに付き合わされる羽目となる。つまり涼子との文化祭デートはまだまだ後ということ。

 で、あれば。

 

 

「なんか遊んで時間潰そう」

 

 今や涼子とお喋りする時間は一日の中にいくらでもあるわけだし、遊びであれば合法的なスキンシップと言えよう。"吸引"は違法寄りである。

 涼子は俺の言葉に眉をひそませ。

 

 

「それじゃサボってるのと変わらないじゃない」

 

「そうだけど、君が暇だって言ったのさっきで四回目だぜ。仏の顔も三度までってことわざがあるだろ」

 

「あなたが仏様とは思えないわね」

 

 涼子の突っ込みをスルーし、椅子から立ち上がり部室の扉を閉め、隅に置かれた段ボール箱を開ける俺。

 こういうこともあろうかと古泉が持ち込んだボドゲの一部をコンピ研に預けず文芸部部室に残しておいたのだ。

 その中の一つを取り出し涼子に見せる。

 

 

「なにそれ?」

 

「簡単に言うと海外版テーブルホッケー」

 

「頭脳戦じゃないのね。……しょうがないから1ゲームだけ相手してあげる」

 

「グッド。この間のリベンジをさせてもらおうか」

 

 "この間"というのは先週末映画デートをした折にショッピングモール内のゲームセンターでエアホッケーをした話だ。

 途中まではいい勝負だったが涼子のラーニング能力と才能には敵わず、俺は敗北。

 温泉合宿の時に使ったような"ささやき戦術"も今となっては通用しない。

 そのくせ終わってからニヤニヤしながら「さっきのアレもう一度言ってよ」とせがんできた。対戦中は涼しい顔するくせにな。

 涼子は俺が口にしたリベンジというワードが愉快だったようで、唇の端をつり上げ。

 

 

「あなたの悔しがる顔が楽しみだわ」

 

「オレは君の悔し顔の方が見たい」

 

 エアホッケーは中学時代にも何度か対戦している。

 あの頃は俺が完全に圧倒していたが、今の彼女は色々と成長しているため過去のデータは参考にもならない。フットワークが段違いだ。

 その点、ボードゲームであればいくらでも付け入る隙がある。

 これから対戦するゲームで以前キョンと古泉をボコボコにしたからな、経験の差を見せてやろうではないか。

 ゲームの流れはエアホッケー同様にピン状のコマでボールを弾いてゴルフみたいな穴になっている相手ゴールに入れれば得点というものだが、他にも自分のコマが操作不能になると相手に得点が入る。6点先取で勝利。

 以上のルールを涼子に説明し、箱からゲーム盤と付属品を取り出しテーブルにセッティング。

 ゲーム盤を挟む形で俺と涼子が相対する。

 

 

「ちょ、狭いわね……」

 

 文字通り目と鼻の先の距離にいる涼子が呟く。

 テーブルの大部分に百選の本が並べられているのでスペースの余裕は無い、ヒートアップしたら頭と頭がごっつんこだろう。

 

 

「しゃあない。せっかく並べた本をどかしたくないし、これ床でやるのはキツい」

 

「それはわかってるけど、狭いものは狭いのよ」

 

「おかげでりょこたんの顔が拝めるぜ」

 

「拝みたくても拝める距離じゃないでしょ」

 

 腕が無くても祈ったネテロ会長だっているんだぞ、と言ったところでハンタネタが通じる相手でもないためここいらでお喋りを中断する。

 一呼吸置いて、盤上に視線を落とす。

 ではこちらの先攻だ。

 

 

「行くぜ」

 

 手に力を込め、シュートを放つ。

 テニスのサーブ同様に初球は自コート角から対角に打つのがこのゲームのルールである。

 もちろん涼子は子供じゃないので簡単に俺のシュートブをロックした。

 ここで彼女にとって想定外だったのは、使用するボールがエアホッケーの円盤と比べて指先で全体をつまめるほど小さく、相当に軽いということ。

 つまりボールが持つ運動エネルギーはシュートブロックの前後で大幅に減衰しており、弾かれたボールはへろへろとした挙動を描く。

 そして返球に横着、うまくシュートできないうちに涼子はガチャプレイでオウンゴールしてしまう。

 

 

「んなっ!?」

 

 涼子は間の抜けた声を上げ、自らがゴール内に放った球を呆然と見つめている。

 やがて唇をわなわなと歪ませ、

 

 

「くぅぅぅぅ……ぶちのめす!!」

 

俺相手にしか言わないであろう強い言葉をぶつけてきた。

 これこれ、このかわいい顔が見たかったんだよ。

 涼子は思わずニヤついてしまった俺に鋭い睨みをきかせ、反撃開始のシュートを放とうと手に力を込める。

 まではギリギリ知覚できた。

 

 

――コッ

 

 プラスチックの乾いた衝突音が耳に届いた頃には涼子の攻撃が完了しており、ボールが俺のゴールに収まっていた。

 は?

 なんだそれ。

 意味が分からないし笑えない。

 

 

「インチキか?」

 

「ふふっ、この間と同じこと言ってるわね」

 

 百式観音かって言いたいぐらいの速攻だぜ、そら宇宙的存在の介入を邪推したくもなるだろ。

 一転してドヤ顔の涼子にムカっときたので左の人差し指でほっぺをつついたらパシッと振り払われる。塩対応。

 

 

「ゲームしながら絡みに来ないで」

 

「ひどい。仮にも彼氏だぞ」

 

「仮じゃなくて本命だけど容赦はしないわ」

 

 俺は涼子のことをナメていた。いや、すごくナメていた。

 なまじ普段抱き合ったり柔らかい部分を堪能しているせいで忘れがちだが彼女はマフマフを持つか弱きウサギではないのだ。

 宣言通り容赦されなかった結果、俺は追加点1つも奪えないまま敗北した。信じられん。

 

 

「さあて、どんな罰を与えようかしら」

 

 現実逃避するかの如く黙々とコンポーネントを箱にしまっている俺に涼子が背後から声をかける。

 負けたら罰なんて話もちろん事前にしちゃいないがこれは慣例なので何も言うまい。ひと思いにやってくれ。

 

 

「あっ、じゃあ黎くんには"お姫様抱っこ"をしてもらいましょうか」

 

「……君にか?」

 

「他に誰がいるのよ」

 

 俺の発言にずいっと寄ってくる涼子。

 そんな顔されてもな、一応訊いただけなのだが。

 あとこれも訊いておかないと。

 

 

「体重何キロ?」

 

 つむじにグーを入れられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボドゲをしまい終え緩慢と立ち上がる俺に涼子が「早く」と急かしてくる。

 彼女の体重は――結局教えてくれなかった――軽く見積もって50キロ台か。もうちょっとあると思うけど、誤差ということにしておこう。

 俺の腕力は普通にある方だと思う。しかしお姫様抱っこをしろと言われて力任せにやったところで上手くいくはずがない。

 全盛期のロニー・コールマンだったら女子高生一人くらい軽い重さだぜベイビーとか言いながらひょいと持ち上げそうだが。

 幸いにも現代社会で生きる俺たちにはポケットの中の板(スマートフォン)で安全かつ確実なやり方を調べることができる。文明の利器を使わずして何が現代人か。

 人生で初めて"お姫様抱っこ やり方"と検索フォームに打ち込み、手順が記載されたページを開いた。のだが。

 

 

「ッスゥー……」

 

「どうしたの?」

 

「いや」

 

 お姫様抱っこについて画像付きで懇切丁寧な説明がされているそのページの見出しには堂々と『結婚式の披露宴に向けて』と書かれている。

 きっと涼子は何の気なしに"お姫様抱っこ"などと言ったのであろうが、確かに披露宴みたいな盛大な場でしかやらんわな。

 お姫様抱っこは象徴的な所作でこそあれスキンシップとして実践されることは殆どないはずなのだから。

 

 

「け、結婚式……」

 

 一人納得していると勝手にスマホ画面を覗き込んできた涼子が案の定"結婚式"というワードに思考をショートさせられていた。

 披露宴でお姫様抱っこなんてやりたくないが、そんな何年も後のこと考えてもしょうがない。

 だが涼子は違うようで。

 

 

「うちの両親は和式だったみたいだけど、私はやっぱり洋式の方がいいって思うのよね」

 

 いつ行われるかも定かでない結婚式の様式について語っている。

 これがトイレの話だったら俺も適当に返事できるけどな。

 ううむ。俺としてはSSRウェディングドレス涼子を見たい気持ちは強いが白無垢も捨てがたい。

 いや、嫁の衣装で決めんのかって話だが案外そいうものではなかろうか。

 

 

「ウェディングドレスは女子の憧れってやつか?」

 

「もちろんそうよ。男子はタキシードに憧れないの?」

 

「ないんじゃあないかなぁ、オレに限らず」

 

 明らかに他で眼にする機会がないウェディングドレスと違ってタキシードは別に結婚式専用というわけじゃないし、遠目だとスーツとの違いも分かりにくいからな。

 涼子としては紋付の袴とどちらを俺に着てほしいのだろう。

 

 

「どちらも想像つかないわね……いつも私が着させられてる側だからかしら」

 

「人をコスプレ押し付け野郎みたいに言わないでくれ」

 

「違うの?」

 

 違わないかも。

 閑話休題。

 学生のうちから結婚式について語るという妙な状況が長引くと精神衛生上良くない気がするため本題に戻ることとする。お姫様抱っこの時間だ。

 調べた手順を涼子にも確認してもらい、一呼吸入れてから実践。

 右足を前にする形で俺が片膝立ちをして、涼子は俺の太ももに腰を下ろし両手で俺の首に抱きつく。

 持ち上げるため彼女の背中に右手、膝裏に左手を回す俺。力の入れどころだ。

 

 

「ファイトォ!」

 

「いっぱぁーつ」

 

 某CMのノリで乗ってくれる涼子。

 そんな彼女を落とさないよう左方向に回りながら立ち上がる俺。

 今、この瞬間、完全にお姫様抱っこが成立した。

 視線を涼子に向けると彼女は遊園地に連れてこられたかのようなテンションで。

 

 

「わあ、凄い!」

 

 ニッコニコだ。

 罰ゲームで喜んでくれて嬉しいけど重量感はあるのであまり長く続けたくないのだが。

 

 

「流石私の王子様」

 

 こんなこと言われたんじゃな。

 まあ、ギリギリまで頑張るとするさ。

 

 

「これで白雪姫の主演はバッチリね」

 

「次回は披露宴まで待ってくれるとありがたい」

 

「劇でやったら盛り上がると思うんだけど」

 

「羞恥プレイにも程があるぞ」

 

「いいじゃない。たった一度の高校生活よ?」

 

「オレは二度目なんだが……」

 

「もう、屁理屈言わないの」

 

 事実だって。

 にしてもお姫様抱っこしながらのお喋りというのは映画で言うところのエンドロール前みたいな何か成し遂げた気持ちになってしまう。

 至近距離に涼子の顔があるという点においては慣れたものだが、その彼女が制服姿なのだから新鮮な感覚である。

 思い返してみると学校内だと行事以外で涼子と絡む機会は雑務しかないわけで、交流時間が増えたという意味では文芸部様様といったところか。

 それはさておき。そろそろキツくなってきたので罰ゲームの終了を懇願する。

 

 

「これ終わりにしたいんだけど」

 

「じゃあ最後にキスしましょう」

 

 キスも罰に含まれるのだろうか。いや、俺にとってご褒美なのは間違いないが。

 お嬢様の要望を叶えるべく最後にもうひと踏ん張りだ。

 彼女から顔を近づけてもらい、"おはよう"と"行ってきます"以来本日三度目のキスをする。

 唇を合わせているだけだが接触時間は長い。少女漫画なら大コマでロマンチックに描写されてそうだ。

 最早涼宮の警告など頭から完全に抜け落ちている。

 だからこそ不慮の事故というのは起こるわけで。

 次の瞬間。

 ――ガチャリ

 

 

「差し入れ持ってきたよーっ! ……あー……」

 

「失礼しま……ふぇっ……?」

 

 軽快な足取りで部室に入ってきた鶴屋さんと、彼女に続いて入室した朝比奈さんの先輩二名に見られてしまった。

 ここまでが罰ゲーム、なんてな。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue46

 

 

 文化祭初日の午前が終わり、お昼休み。

 どこで食べようが自由な時間だが今日明日に関しては光陽園学院生が来ている手前、北高生は基本的に教室で食べるよう指示があった。光陽園のみなさんは学食やら中庭やら普段は飲食厳禁な図書室やらを利用しての昼飯だ。

 俺はというと教室で普段通りに弁当をつついている。

 が、教室内はいつになく騒がしく落ち着けない。オススメ図書百選の展示でテーブルが埋まってなければ去年同様部室で食べていたことだろう。

 

 

「で、お客さんは何人来たんだ」

 

 そう質問してきたのはキョンである。

 嘘をつく理由もないため正直に答えよう。

 左手をパーで突き出し、親指と小指を折り曲げる。

 

 

「三人か」

 

「ゼロじゃあなかっただけありがたい」

 

 うち一人は先日文化祭準備の折に仕事をした女子生徒。

 その彼女がまたしても馴れ馴れしい感じで俺に接してくるもんだから涼子の圧がヤバかったね。首元に鋭利な刃物を突き付けられているような感覚だったよ。

 やがて抜水の話題になると涼子も察して圧を引っ込めてたので俺は無事五体満足だ。剣呑剣呑。

 ほか二人も光陽園の生徒であり、そちらは仲良さそうな男女ペアだった。

 俺としてはさっさと帰って頂いた方がお互いのためになると思ったのだが、女子の方が涼子の選出したおでんレシピ本に興味を示したのがまずかった。

 途端に眼の色を変えおでんの良さを力説し始める涼子。

 アレンジレシピの説明はもちろんのこと、おでん具材をモチーフとしたキャラクターが登場する謎のライトノベルを推奨したりとやりたい放題。

 おでんの何が彼女を熱くさせるのか?

 俺でもわからん。 

 

 

「ところでさぁ、昨日の放課後って結局何してたの?」

 

 不参加だった国木田が訊ねてくる。

 ちなみに谷口は教室にいない。恐らく周防九曜のところにでもいるのだろう。

 俺とキョンは一昨日からの経緯をざっくり国木田に説明した。

 

 

「へぇ、また凄いことを思い付くね涼宮さんは」

 

「むしろ思い付きでしか生きてないと思うぞ」

 

 褒めてるのか貶しているのかわからない国木田の一言に突っ込みを入れるキョン。

 昨日涼宮から最も厳しく振り付けを指導されていただけあって彼の表情は平素より陰鬱としている。

 俺はというと、ハレ晴レダンスがオタクの必修科目だった時代を生きていただけあってそつなくこなせた。

 持ち前の要領の良さで対応していった涼子は俺にダンスの才能があったのかと驚いていたので事情を説明してやったら軽く引かれたのには今でも納得できてない。

 このままだらだらとスローライフしていきたいのに時間経過は無常であり、お昼休み終了十分前には部室に集合させられていた。

 もちろん昨日練習した部員のみなので国木田や部員ですらない朝比奈さんと鶴屋さんらはいない。

 先ほどあんな場面を見られたパイセンと一緒に踊るなんてことになってたらどんな顔すればいいか分からんよ俺は。

 

 

「――はい。じゃ好きなの選んで」

 

 唐突に涼宮が切り出すと、古泉が鞄から何やらぐにゃぐにゃしたものを取り出し始める。

 一瞬ぎょっと思うようなそれらは仮装用の覆面(マスク)であり、俺がいつぞや被ったようなリアルテイストの動物シリーズだ。

 まさかこれを被れと言うのか。

 

 

「そうよ。顔バレしたら面倒なことになるかもしれないし、それに変な恰好の方が話題になるでしょ」

 

 目立ちたいのか目立ちたくないのかよくわからないことをぬかす涼宮ハルヒa.k.aとんちき女。

 涼子はウサギのマスクを手に取りながら眉をひそませ。

 

 

「これじゃアメリカの銀行強盗と同じね」

 

 同感だ。アメリカの銀行強盗なんて映画かドライバーズハイのMVでしか見たことないけど。

 死んだ眼でウサギマスクを被る涼子を見て心に決めた。今夜はバニーガール。

 さて俺はどうしようかと考えていると動物マスクに紛れて変なのがあることに気付く。

 思わずそれを掴んでしまった。

 

 

「なんだそれ」

 

「チューイに決まってるじゃない」

 

 キョンの疑問に答える涼宮。

 【スター・ウォーズ】の名脇役チューイことチューバッカのマスクというそれは、言われれば彼と分るが本人とは似ても似つかぬ不細工モンスターな見た目であり、端的に言えば相当にひどい出来だ。

 こんなピグモンもどきな偽チューバッカになるくらいなら違う動物になった方がよっぽどマシなのだが時すでに遅し、他のマスクは全て取られてしまっていた。あんまりだ。

 暗に交換してくれの意を込めながら涼宮に聞いてみる。

 

 

「他にマスクはないのか」

 

「人数分だけよ」

 

「だよな」

 

 諦めてチューバッカになるさ。トナカイとどっちがマシだろうな。

 ウサ倉の涼子はウーキー族の仲間入りを果たした俺を見るなり。

 

 

「ぷっ、くくくっ……と、とても似合ってるわよ」

 

「……ムァー」

 

 俺は似てないチューバッカの鳴き声で抗議した。

 どうでもいいが他のみんなが被ったものも一応紹介しておこう。

 長門さんがパンダ、キョンがカエル、涼宮はオオカミで古泉がコアラとなっている。

 

 

「本当に大丈夫?」

 

「う、うん。輪郭は分かるから大丈夫」

 

 涼子が眼鏡の着脱を余儀なくされた長門さんに声をかけ、あまり安心できない返答をする長門さん。

 ただでさえ視力が悪いのにこのマスクだ、視界は最悪と言っていいだろう。

 俺は無気力感が割合増して見えるカエル頭の脇腹を肘で突く。

 すると「何だよ」と気の抜けた声を返してきたので念押しする。

 

 

「お前さんがちゃんと保護してやれ」

 

「人を小動物みたいに言うな」

 

「中国じゃあパンダは立派な保護対象だぞ」

 

「それはジャイアントパンダの話だろ」

 

 確かに。

 パンダ界だと長門さんはレッサーパンダが妥当かもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お昼休み終了のチャイムが鳴り、俺たちは小一時間を待たずして部室から出た。

 先頭を征くは我らが涼宮、その斜め後ろに涼宮の私物というラジカセを抱えた古泉。

 涼子は長門さんの手を引きながら光陽園二人の後を追い、殿(しんがり)を俺とキョンが務める形。

 なるほど俺たちのことは立派に伝説として語り継がれるだろうよ。ブレーメンの音楽隊としてな。

 動物マスク被った連中がぞろぞろと廊下を練り歩く光景は異様の一言に尽きるが、文化祭は学校内での仮装が正当化される日であるからして、誰に呼び止められたりすることもなくすんなり中庭入口のガラスドアまで移動できた。

 ここで誤算だった――涼宮がどう感じたか知らんが、少なくとも俺はそう感じた――のは普段物好きしかたむろしないような中庭にそこそこ人がいることだ。

 もちろん普段と異なり校舎の壁に北高の各クラスが制作した垂れ幕がかかっていたり、トーテムポールみたいな代物に代表される光陽園学院から持ち込まれた制作物の数々があったりと、見るもの自体はあるが狭くも広くもない空間に十人以上生徒がいる説明として腑に落ちるものではない。

 彼または彼女らは心なしかぐだぐだした雰囲気を醸し出している。

 

 

「文化祭も初日というのに怠惰な連中だ」

 

「それあなたが言う?」

 

 俺の呟きにすかさず反応する涼子。

 相変わらず刺してくる女だ。こっちの身体が穴ぼこだらけになっていないのが不思議だね。

 そんなことを口にするとウサギさんは首をかしげながら。

 

 

「あなた私にもっと感謝してもいいと思うけど」

 

「君の全てに感謝してる自信はあるがそれはそれとして正論は耳が痛くなる」

 

「耳が痛いって思うのは自分に心当たりがあるからでしょ」

 

 その通りだとも。

 すると不意にオオカミが俺と涼子の間に割って入るよう顔を突き出してきて。

 

 

「お喋りは後にしなさい」

 

 だってよ。

 オオカミは今にも噛みついてきそうな形相をしているので黙って従おう。

 古泉が両開きのドアを押し開け中庭に立ち入っていく北高文芸部もといアニマルズ。真ん中目掛けてずかずか進む。

 この時点では多少視線を感じる程度で、注目されているということはなかった。

 しかし俺たちが中庭中央に生えている木の前に整列し、古泉の手によってラジカセが再生されると状況は一変する。

 聞き馴染みのあるイントロが中庭に鳴り響く。

 ボリュームマックスに設定されたラジカセのそれは爆音と形容する程ではないがここら一帯を騒がせるに足る音量だ。

 何の前触れもなくそんな音楽が聞こえたら誰だってそちらへ顔を向けるだろう。しかも視線の先には動物マスクの集団ときた。いったい何が始まるんだって思うわな。

 それとほぼ同時にポーズした状態から俺たちは動き出す、横にスライド移動して手を動かす馴染みのムーブである。

 

 

『ナゾナゾ、みたいに、地球儀を~』

 

 文字通り目の前しか見えない今の状態では他のみんなの踊りっぷりなど知る由もないが、昨日の練習風景と変わっていないのであれば統率もヘチマもないぐだぐだっぷりであろう。

 奇異の目に晒されるとはこのことだ。

 

 

『時間の果てまでBoooon~』

 

 唯一の救いは【ハレ晴れユカイ】がフルバージョンじゃないという点か。

 といっても踊りはスタミナを急激に消耗する。こんなことなら涼子を見習って食後の運動を習慣化しておけばよかったかな。

 そんなしょうもないことを思考の片隅で展開しているうちに曲はサビへ突入していく。

 

 

『アル晴レタ日ノ事~』

 

 かつての俺は自分がSOS団に入ったら…なんてことを妄想したものだが、SOS団でもない連中と踊るシチュエーションを迎えるとは思ってもみなかった。

 今でもSOS団所属のIFを考えたりすることがある。時々。

 まあ、色々と苦労してそうだが楽しい毎日になっているんだと思う。

 けれどもそこに涼子はいないのだろうし、だとすれば俺が"そっち"に憧れることはもうない。スヌーピーじゃないが配られたカードで勝負するしかないのだから。

 もう一度中学生からやり直しってカードがあること自体想像の範疇を超えていると言えるけども、なんであれ手札は手札だ。

 

 

『スキでしょう?』

 

 歌詞が終わり、ビートの終了に合わせて最後のポーズをキメる俺たち。

 ポーズは各々が適当に決めたものであり、統一感は無い。ギニュー特戦隊より無い。

 恐らくメンバーの中でただひとり俺だけが妙におセンチな気持ちになりながら踊っていたが、余韻に浸るような間も置かず撤収を開始する。うちの姉のようなめんどくさい教職員に絡まれたくはない。

 俺たちが終始無言かつあっという間に引き上げていくものだから中庭の生徒諸君は当然呆気に取られる。

 かくして拍手も喝采も何一つ浴びることなく校舎内へと舞い戻った。

 生徒玄関から遠い、比較的人気(ひとけ)のない方の階段で脚を止めると。

 

 

「お疲れ様。ここまで来れば一安心ね」

 

 そう言うのはオオカミマスクを脱いだ涼宮。

 指示されるまでもなく他のみんなもマスクを脱いでいく。ダンスはともかくマスクに関してはうっとおしいことこの上ないね。

 涼宮は変にやりきったオーラを出しており、彼女へ小言をぶつけるため俺の辞書から嫌味を引こうとしていた刹那、視界の端で動きがあった。

 動きの主は壁にもたれかかるようにしてしゃがみ込んだ長門さんである。

 間髪入れず涼子が駆け寄り顔色を窺う。

 

 

「どうしたの?」

 

「ちょっと気分が……」

 

 めまいか立ちくらみか、いずれにせよ体調不良なのは明白だ。

 もしかしなくてもゲリラライブが原因だろうが涼宮を詰めたところで長門さんが良くなるでもなし。こういう時は大人しく保健室である。

 涼子もその結論に達したようで、

 

 

「私が保健室に連れていくから、キョンくんは長門さんの眼鏡を持ってきてくれる?」

 

 黙って頷くキョン。冗談でもノーと言えないだろう。

 そうして涼子に肩を借りる形で保健室へと連れられていった長門さん。

 残された俺たちは何とも言えない空気で、とりあえず部室に戻ることに。

 まず授業時間中に部室棟まで歩くってこと自体イレギュラーだが、文化祭という日が非日常というのは廊下を歩いていても感じられた。すれ違う生徒のツラが平素の何倍も明るい。

 去年までの俺がああいう連中を嘲笑うスタンスであったことは今更語るまでもない。

 今年の俺も基本線はそうだが、それを表に出しているとうちの姫様に脇腹をえぐられてしまうので少なくとも彼女と文化祭を回る間はお利口さんになる必要がある。処世術というやつだ。

 で、部室に着くと長門さんの眼鏡ケースを持ってキョンは足早に出て行った。

 現在居るのは俺と他校生二人だ。

 鞄にマスクをしまう古泉を尻目にパイプ椅子でふんぞり返ってる涼宮が口を開く。

 

 

「あんたは行かなくてよかったの?」

 

 こっちの顔さえまともに見ちゃいないが、"あんた"というのは俺のことらしい。

 便宜上文芸部で二番目に偉い立場の俺としても当然長門さんを心配しているが、その辺はキョンに一任する。

 

 

「涼子のことだからキョンと入れ替わりで戻ってくるはずだ。期せずして二人が近くにいる状況が出来上がるわけだし、オレがしゃしゃり出るこたないね」

 

「はっ。恋愛漫画じゃないんだから」

 

「文句は甲斐性無しのキョンに言ってくれ」

 

 俺自身が人に言えるほどの甲斐性ではないけど。

 涼宮はいまいち飲み込めない表情をしていたが。

 

 

「ふうん。まあ勝手にすればって感じね」

 

 無理やり感情の着地点を見つけたような言葉を吐いた。

 ひょっとしたら罪悪感じみた感情を抱いていたのかもしれない。それを俺が知覚することは出来ないが。

 この頃の涼宮は俺がよく知っている"涼宮ハルヒ"よりも他人の機微に聡い印象だが、恋愛感情というものについてはやはりまだイマイチ認識しきれていなかった。

 

 

「なあ、ゲリラライブは成功か?」

 

 何の気なしに聞いてみる。

 古泉も評価が気になるのか黙って涼宮の発言を待っている。

 涼宮はそうね、と前置きして。

 

 

「完璧とは言えないけれど、充分成功だったと思うわ。校舎の窓から見てくれてた人もいたしね」

 

 よくそんな周りを見る余裕があったな。

 いや、自分で考えただけあった振り付けから何までマスターしてるのだから余裕で当然か。

 とまれかくまれ、文化祭において涼宮に振り回されるような出来事はこれきりであった。

 果たして俺たちは伝説を作ることができたのか。

 分からないが、涼宮の言うようにゲリラライブはそれなり目撃されていたらしくあれは何の催しだったのかとちょっとした噂になったり、それを聞きつけた森先生が俺に何か知らないかと訊いてきたりと少なからず波風を立てることになる。

 個人的にはそういった伝聞なんかよりも、後日並べられた文化祭の写真――カメラマンが撮影した学校行事中の写真購入会――の中にゲリラライブ中の俺たちが写っていたことの方が問題である。

 俺と涼子は間違っても購入対象にその写真の番号を書くことはなかったと付け加えておく。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Epilogue47

 

 

 

 北高文化祭の晴れた中庭で愉快なダンスを踊り終え、ようやく完全フリーな時間を迎えた。

 それが意味するところは一つ。俺にとっての文化祭がようやく始まるということだ。

 今や俺の気分は煌びやかな春の日差しに彩られた山中湖の逆さ富士が如き心境である。

 

 

「何をそんなニヤニヤしてるのかしら……?」

 

 キョンと入れ替わる形で保健室から戻ってきた涼子が俺を不審がる一言。

 長門さんは軽い酸欠状態だったらしく少ししたら回復したそうな。

 俺はというとこれから彼女と文化祭を回るところで、現在地は部室棟の廊下。要するに部室を出た直後だ。

 で、彼女の疑問に答えると。

 

 

「公立のフツーの文化祭に思い入れなんかないけどりょこたんと一緒ならスマイル多めにもなる」

 

「あなたのは純粋なスマイルに見えないのよ」

 

「そうか?」

 

「ええ。不審者みたいだからよして」

 

 またしても手厳しい。

 今日はいつもより言葉で刺す回数が多い気がする。ひょっとして照れ隠しだったり。

 俺の色ボケた発想を涼子は鼻で笑う。

 

 

「バカなこと言ってないでどこ行くか考えなさい」

 

「うん、そこらへんは一応考えてある」

 

 というわけで行動開始。

 最初に向かうのはコンピュータ室。コンピ研には文芸部の私物を預かってもらっているので彼らの発表を見ないのは失礼に値するというものだ。

 北高のコンピュータ室は部室棟から離れた本館に位置する。

 当然廊下をとぼとぼ歩いていくことになるわけだが、歩き出してから何か言う間もなく俺の左手は涼子に奪われていた。つまり手を繋いで歩いてる状況。

 似たようなのが前にもあった気がする。流石にその時は校内じゃなかったと思うが。

 これに限らず涼子は口撃がきつくともなんやかんや俺にべったりであり、そういうところもかわいらしい。

 

 

「……にぎにぎしてこないで」

 

 無意識のうちに彼女の手をにぎにぎしていたようだ。

 不快に思ったのなら申し訳ない、と左手を大人しくさせる。

 するとどうだろう、涼子は俺の左手を離すとお次は左腕を拘束してきた。腕組みである。

 いったい何故か。

 

 

「これなら余計な真似できないでしょう」

 

 わざとやっているんだよな?

 

 

「なあ」

 

「何かしら」

 

「絵面的にこっちの方がキツいんじゃあないか」

 

 黙っていてもよかったがここまで色々言われているので少しばかりやり返す権利があろう。

 が、彼女は動じることなく涼しい顔で。

 

 

「全然。恋人同士なら普通よ」

 

 俺の言葉による精神的動揺は決してないご様子。

 諸兄らもお分かりであろう。

 涼子は俺と同じかそれ以上、文化祭デートにノリノリだったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コンピュータ室までの道すがら、北高もしくは光陽園生徒と度々すれ違う。

 中には交際中と思わしき距離感の男女ペアも含まれているが、これ見よがしに腕を組んでるのは俺と涼子ぐらいなもので否が応にも視線が来る。

 こういった注目にストレスを感じないかと言われればもちろん感じる。それと同時に、そういう眼で見られる立場に自分がいることに感慨無量のような心持ちでもあるのだが。

 どうやら人間という知的生命体は簡単に割り切れないやつらしい。

 と、話に落ちが付いたところで本題であるコンピ研の出し物の話をしよう。

 普段全く足を運ばないコンピュータ室の中にはコンピ研部員三名と客の生徒数名が端末席にまばらに座っており、大盛況とは呼べないまでも文芸部と比べると明らかに賑わっている。

 他所に出払っているのか部長は部材だったものの対応してくれた部員は俺たちのことを認識しているようでわざわざ来てくれてありがとうと感謝の言葉を述べた。

 その彼がコンピュータ室に入った俺と涼子を見て一瞬困惑の表情を見せたのは文芸部にまた何か頼み事をされる――と思ったからではなく、やってきたのが腕を組んで密着した男女だったからだろう。

 かくいう俺もまさかこの状態のまま入室するとは思わず、端末席の椅子に腰かけるまで腕を離さなかった涼子はいつになくパワープレイが目立つ。俺は別に構わないけど。

 さて、コンピュータ研究部の制作物といえば原作アニメでお馴染みの宇宙戦闘シミュレーションゲームか。

 この世界においてもそれは作られ、去年の文化祭で発表されたのだが如何せんウケが悪かった。

 高校生が手掛けたにしては素晴らしい出来だと思うが、見栄えは天翔記時代の信長の野望にすら負けているので良さが伝わりにくい。

 何より【THE DAY OF SAGITTARIUSⅢ】一作のみの発表だったので集客としても弱く、FLASH全盛期に量産されたようなレベルの横スクロールアクションゲームの方がまだ人気が出ただろう。戦闘シミュレーションゲームは硬派すぎる。

 といった経緯からか今年のコンピ研は部員各々が作成した形となっており、去年と打って変わり数で勝負するスタイル。今現在客が一人来ているかさえ怪しい文芸部からすればようやるわという話だ。

 そういうわけでコンピュータ室の端末には制作物のゲームがいくつか入った状態となっている。

 

 

「せっかくだから君がやりなよ」

 

「え゛、私?」

 

 露骨に嫌そうな顔をする涼子。

 俺の知る中で一番完璧超人に近い彼女の数少ない弱点が和製ホラーとデジものである。

 後者に関しては中三の時、涼子が携帯をスマホに移行したら使い方が分からんと泣きつかれたことがあった。

 弄っていたらなんとなく理解できるだろと言ってやると何が起きるか予測できないと怖くて弄れないと言う始末。

 ちんちくりんから立派なレディに成長しつつあった彼女に密着されながら――肩を寄せるとかじゃなく、しっかり縋り付かれていたのでこちらは気が気じゃなかった――スマホの機能と内臓アプリについて一から十までレクチャーしてあげたのは記憶に新しい。

 パソコンに関しては自前のものを持っておらず、俺のパソコンでインターネットすることもない。定期的にASAKURAフォルダの監視はしているようだが。

 そんな彼女にマウスを渡しこちらは観戦させてもらうことに。

 

 

「はいはい……何もしないで帰ったら失礼だものね」

 

 重いマウス捌きで涼子がダブルクリックしたデスクトップのショートカットは【ねこマンの大冒険】という名前であり、アイコンが猫のキャラクターと思わしきドット絵。

 軽やかにゲーム起動画面がポップアップ。

 白背景のスタートメニューは選択肢がゲーム開始と操作方法の二つだけとえらく簡素な仕様となっている。

 

 

「オーディオメニューは無いのかしら」

 

 BGMとして再生されているG線上のアリアが気になるのかこんなことを言い出す涼子。

 普段ゲームやらないくせに生意気な発言だ。

 

 

「気になるならミュートすればいい」

 

「ミュ、ミュータント?」

 

「忍者タートルズかよ」

 

 勘違いに突っ込みを入れる俺。

 あまりにも彼女がかわいいので指で頬をつつく。

 

 

「やめなさい」

 

「はい」

 

 睨まれたのでやめます。

 画面右下のスピーカーアイコンの存在を教えてあげたが涼子は結局消音せずそのままの状態とすることに。

 操作方法は左右矢印キーでの移動(シフトキーと同時でダッシュ)とスペースキーでのジャンプのみ。あまりのシンプルさに涼子もきょとんとしている。

 気を取り直しスタートメニューに戻りゲーム開始を押す涼子。

 ゲーム画面まで白背景ということはなく、森の中と思わしき3DCGに画面が切り替わる。

 画面中央に立っているスーパーマンみたいな恰好をした猫耳の二本足で立つやつこそがプレイヤーキャラクター"ねこマン"なのだろう。

 うっすら予想していたがこのゲームはゴールを目指して進む横スクロール系、某配管工と全く同じである。

 右矢印キーを押してねこマンを進ませていく涼子。その行く手を阻もうと向かってくるのはキノコ王国から謀反した椎茸ではなく、普通の犬。

 ねこマンと異なり二足歩行せずに四つ足で歩いており、犬種はセントバーナードと見受けられる。

 猫の好敵手として犬を持ってきたということなんだろうけど世界観が謎だ。

 仮に犬の種類がシベリアンハスキーやドーベルマンであれパクリ元のポジションはザコ敵であり、ねこマンの踏みつけで即KO。とはならなかった。

 

 

「えっ」

 

 戸惑いの声を上げる涼子。

 画面上にはねこマンの残機が3から2に減ったことが示され、再びスタート地点に戻っている。

 俺が見た光景をそのまま説明すると、ねこマンはセントバーナード犬を踏みつけることもなくそのまま交錯していき返り討ちにあう。敵と正面衝突した結果、残機が減ったのだ。

 

 

「涼子」

 

「何」

 

「マリオやったことあるか?」

 

「……ないけど、マリオくらい私でも知ってるわよ」

 

 知っててどうしてそうなる。

 少しむっとした顔で俺を見てくる涼子。ご不満の様子。

 思えば彼女が自分から進んでゲームをやることなどなく、やるとしても俺とパーティゲームの類を楽しむ程度。

 敵を踏んで倒すという常識中の常識をこの歳になって知らないのは当然だった。

 ゲームに関してはうちの母さん以下かもしれない彼女にとりあえずゴールまで遊んでほしいのでルールを説明しよう。

 

 

「あの犬は敵で、ジャンプして踏めば倒せる」

 

「あのワンちゃんを踏めって言うの!? そんなの無理だわ」

 

 ワンちゃんて。

 どうやら犬派の涼子はたとえゲームの敵キャラであろうと攻撃なんてできないらしい。

 犬ひいきめ。勝手に踏まれる歌が作られている猫の立場も鑑みてほしいものだ。

 

 

「別に倒す必要ないから。嫌だったらジャンプで飛び越すといい……とにかく正面衝突したらさっきみたいにこっちが一方的にやられるだけだ」

 

「そういうことは最初に教えてちょうだい」

 

「俺じゃあなく制作者に言ってくれ」

 

 ゲームに戻った涼子は俺のアドバイス通りエネミー犬をジャンプスルーして進んでいく。

 宙に浮くブロックが今のところ見られず、地面から生える土管の変わりが木の幹で背景が森なこと以外ほぼ元ネタと同じ仕様。

 もちろん道の途中に穴があるというところも同じ。ひょっとしたら"孔明の罠"が仕組まれているのかもしれないが、そんなものがあろうとなかろうと関係なくねこマンは奈落の底へ吸い込まれていってしまった。

 残機1。

 

 

「……」

 

 またしてもむっとした表情で俺の方を向く涼子。

 説明を求めます、と顔に書いてあるのでその要求に応える。

 

 

「穴に落ちたら死ぬ。ジャンプして向こうの地面に行かないと」

 

「どこにもそんなこと書いてなかったじゃない」

 

「……常識だからな」

 

「知ったこっちゃないわよ」

 

 吐き捨てるかのようにそう言うと涼子はゲームウィンドウを閉じてしまう。

 コンピ研の制作者もこのネタゲーで気分を害す奴が現れるとは想定していないと思うが、相手が悪かったようだ。

 端末席から立ち上がりコンピュータ室を出ていく涼子の背を追いながら"お嬢様"の機嫌をどうやって取るか考えないと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 直接何かしたわけじゃないのに気を使わなければならないという理不尽極まりない所謂もらい事故的状況から脱したい。

 そう思った俺が次の行き先に提案したのは科学研究部の展示である。オリジナルゲームよりわかりやすいだろう。

 ちなみに本来の予定だと写真部の文化祭名物フォトモザイクアートを見に多目的室へと向かうつもりだった。

 写真なるものは落ち着いて鑑賞するべきであるからして、予定変更した。

 といっても涼子氏は少し不機嫌であるがその態度は冷静沈着。俺の腕も再び彼女に取られて、もとい組まれている。

 

 

「科学研究部の人たちって普段どんな活動してるのかしら?」

 

 本館の隣、中館2階にある化学教室を目指し廊下を練り歩く道中の会話だ。

 一見すると何の変哲もない問いかけのように思えるがここで「知らん」などと素っ気なく返事しようものならたちまち涼子の機嫌は悪化の一途をたどる。

 学校内の出来事について俺より遥かに詳しい彼女が知らないのなら俺が知るはずもないだろうに、何故訊いてくるのかね。

 まあいい。大事なのはいかにコミュニケーションを成立させるかということだ。いつも通りやらせてもらうさ。

 

 

「数ある部活動の中で唯一授業と同じようなことを好き好んでやろうってのが科学部だぜ。そりゃあたいそう素敵な活動だろうよ」

 

「そうね。去年の文芸部よりは素敵でしょうね」

 

「部活動として認められてすらいなかった存在を比較対象に挙げるんじゃあない」

 

「寝てるだけの部員ならいないのと同じだものね」

 

「俺だってたまには起きて読書してたさ」

 

「へぇ。一年で何冊読んだの?」

 

「最後まで読んだのは六冊…………確か……多分」

 

「立派な文芸部員じゃない」

 

 わざと驚いたような表情を作りやがって。

 皮肉めいたことを言えばトゲのある言葉で返してくる。これが俺と涼子のいつも通りなコミュニケーションであり、これをやっておくことで湿度高めな絡みと緩急がつく。

 わざわざ"去年"と付け加えたのは俺への意趣返しに他ならず、その心は「私と関わるのを避けるために入った部活動で何もしてこなかった挙句、潰れそうになった途端泣きついてくるなんて」というものだ。正論だよな。

 正論で殴るのも立派な暴力だという主張は暴論だろうか。ガンジー先生ならなんと答えるか、是非ご教授願いたい。

 

 

「時々思うんだけどさ、結局オレのこと許す気ないよな」

 

「あなたと違って根に持つタイプじゃないし、昔のことはもう許したわ。ただそれと別に――」

 

 嘘つけ。

 心当たるようなエピソードしか思いつかないぞ、と俺が脊髄反射でトークするよりも先に涼子は言葉を続けた。

 

 

「あなたには一生文句を言ってやるって決めてるから」

 

 そう言う彼女の横顔は意地の悪い笑みを浮かべており、切り取って額縁に飾りたいくらい、それはそれは良い顔だったさ。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。