魔術師譚 (榧師)
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旅立つ

「おぬし、教会の子かね?」

 老人は心底不思議そうに俺を見つめてくる。はてしかし、ここの下働き、孤児の顔は覚えておる。それにおぬし、おぬしの服は職人のものじゃ――俺の木綿のシャツとズボン、皮のチョッキを見てそういう。分かっていて尋ねているんじゃないか、この爺さんは。

「家具職人の息子だ」

 教祖は、ひどく自分の父に心酔していたらしい。父から多くを受け継ぎ子は成長する、と断言し、名を名乗る際には必ず父の名も言っていたと。だが俺はその間逆だ、絶対にファルドーの息子、なんていうものか。

 幸い爺さんはそこには触れられなかった。「名は」と聞かれアウレリウス。

「神官はおるかね」

「今は書庫にいると思う」

「ほうほう。ではしばらく待たせてもらっても良いかね」

 といいながらいすに座る。どうものんきすぎて調子が狂う。親父もせかせかしているわけではないが、この老人は窮屈そうな印象でもない。もっと自由な――あまりに奔放すぎる。

もういいや。相手をするにも疲れる。いや、しなくてもいい。そう思ってさっさと雑巾かけに戻った。

遠巻きに眺める老人の視線を感じる。

「おぬしは教会の子ではない。孤児でもない。下働きでもない」

「正式に雇われているわけじゃない。たまにお駄賃をもらっているけど」

 それは親父に見つからないように、大事に大事にためてある。

「職人の――ふうむ、近くに職人街があったな。そこの子供か」

「うん」

「毎日通っておるのか」

「することがないから」

「遊びはせぬのか、友人と」

「そりが合わない」

「ほお」

 床から目を離さず、そっけなく答えても爺さんの口調は変わらない。顔を上げてみても、相変わらずのんびりした表情だった。目が合って、不思議そうに首を傾げてくる。老獪な大人のような雰囲気がまるでない。そう、なんにでも興味を示す赤ん坊みたいだった。

「珍しいの、おぬしは」

「何が?」

「おぬし、いくつじゃ。十二か?」

「十三」

「その年の子供は、暇を見つければ遊ぶであろう。近所の者とな。おぬしには家がある。それなりの生活に恵まれている。将来は親の跡を継げばよい。ここで働く必要は無いのじゃ」

「・・・・・・」

 この爺さん、なれなれしすぎやしないか?

 胡散臭い気持ちで顔をあげると、爺さんと目が合った。

 ――昔は遊んでいたやつらと遊ばなくなったのは、感情的な差が生まれたからだ。親父は子供が遊びにかまけるのも我慢ならないらしく、しきりに手伝いをさせたがった。教会という逃げ道を見つける前は雑用をしていたし、妹も機織を一日中やっている。遊んで親父に怒られるのも嫌だったし、何より醒めてしまったのだろう。陽気に笑っているやつらをみて。

 じいさんの小さな目は異様に光っているように見えた。夜の森で、野生動物はこんな風に目を光らせるのだろうか? なんとなく気まずくなって、俺はまた床に集中した。でも、ふと興味を持って聞いてみた。

「あんたも、俺をつまらないやつだと思う?」

 遊んでいたやつらと久しぶりにあうと、変わったな、といわれたのだ。まじまじと見つめられ、そうして「つまらなくなった」といわれる。腹は不思議と立たなかった。怒りさえ、どこかに忘れられてしまったのか。

「おぬしとわしは初対面じゃ」と爺さんはいたずらっぽく笑った。「分かるわけが無かろう」

 すこしがっかりした。なんとなく、爺さんからは面白い答えが聞けそうな気がしたのに。

「おぬしがあれこれ話してくれるなら判断できるぞ」

「いや、いいよ」

 どうして初対面の奇妙な爺さんに話さなければならないのだか。

 ため息をついたところで、扉からレウリス神官が姿を現す。初老の彼が、この教会を管理し、住み込んでいた。穏やかで子供から良く慕われているらしい。長い付き合いだけれど、それくらいしか知らなかった。

「アウレリウス君、いつもご苦労様」

 磨かれたベンチ、床、ステンドガラスを見て目を細める。俺は頭をさげ、じいさんが来ていると言おうとした。

しかしそれは「レウリス!」という大音声の声にかき消された。じいさんは立ち上がるやいなやレウリス神官へと抱きついた。

「やあ、レウリス! 十年来か? いや二年前か? 昨日のようにも遠い昔にも感じられるぞ!」

「最後に酒を飲み交わしたのは五年前でしょう、バグダーツ」

 苦笑気味に神官が答えている。ぱた、ぱたと手がじいさんの背中を叩いている。抱擁を解くよう促しているのにじいさんは気づかない。

「いやあ、懐かしい。ここへ来る前に酒場に寄ったがね、店主は替わったのかね? ともあれ、後で飲み交わそうじゃないか。五年間について語ろうじゃないか」

 しゃべるのに夢中だ。そろそろ神官が気の毒になってきたから、じいさんの尻を蹴飛ばして解放してやった。

カエルの潰れるような声を上げたじいさんは、ぎろりと睨んできた。

「おい小童! 人をどうおもっとるんじゃ!」

「あんたこそ神官を見ろよ」

 哀れレウリス神官、ぜいぜいと息を吐き、胸に手をあけ呼吸を整えようと頑張っている。よほどじいさんがきつく絞めたのか。

「ああ、ありがとうございます・・・・・・」息も絶え絶え、それでも背中をさすった俺に律儀に礼を言う。窒息死させられそうだったのに、怒った様子はちっともない。

「相変わらずの怪力ですね、バグダーツは」

 じいさんは反省しているのか口をへの字にし、しどろもどろに言い訳をした。いやあすまない、ついつい力んでしまってね、なにせここへ来てから昔のことが多く思い出される。懐かしき日々に若い血潮がわき上がってしまってね・・・・・・。

「神官、このじいさんと知り合いなんですか」

 ようやく訊ねたけれども、正直半信半疑だった。常識人で穏やかなレウリス神官が、怪力で精神年齢が低くて得体の知れないじいさんと知り合いだって?

「彼は神学校時代の友人ですよ」

「神学校? 聖都にある?」

 このじいさんが? いまだ言い訳を続ける爺さんを胡散臭く見やった。

 神学校といえば、入れるのは貴族か聖職者の家系か裕福な市民だけ。あとは奨学生になったか貴族や商家に推薦を受けた平民だけ。もっともそんな確率はほとんど低いのだとか。もし入れたらそいつは神官になる資格を持ち、将来は安泰だろう。この国唯一の学舎。

 そこにこんな爺さん――ぼろい外套に枯れ枝を拾ってきたような杖の老人がいたというのか。貴族やら商人の奴らとずいぶんとかけ離れている姿だ。

「・・・・・・ずいぶん落ちぶれていやしませんか」

「極楽とんぼですからね、彼は。全く変わっていやしない」

「へえ」

 立ち上がった俺をレウリス神官が訝しげに見た。

「アウレリウス?」

「他のガキのところ手伝ってきますよ、ここはもう充分みたいだから」

 知人ならばつもる話もあるだろう。部外者は部外者らしく席を外すか。はてさて、どこへ行けばいいだろう? 手伝うといっても手伝うところがあるだろうか。

 廊下の奴からはすげなく断られ、部屋に行けば皆黙々とひたすら作業に没頭、とても声などかけられない。

ふらふらと浮浪者さながらさまよっていると、鼻がいい匂いを吸い込んだ。それに誘われて厨房をそっと伺う。もうもうと、湯気が立ち上り、パンやジャガイモのにおいに満ちていた。その中を行き交うのは神官や下働きの娘達――その中の一人が不意に俺の前に立って顔を突き出してきた。

「アウレリウス? どうしてこんなところいるのよ」

 まるで縄張りを害されたと言わんばかりのとげとげしい顔。地味な茶髪をだぼったく括ったメリィを見た途端、一気に疲れたような気になった。

「神官が来たから出てきた」

「さぼり? それとも追い出された?」

「ちゃんとやったよ。どうしてそう嫌な方に結びつけるんだ。俺が今まで手を抜いたことがあったか?」

 今まで清掃で文句を言われたり呼び出しをくらったりしたことはない。それはメリィも分かっているはずで、反論は返ってこず、鼻を鳴らしただけ。「知ってるわよ」とあっさり引き下がった。

「お客様でしょ。神官様の古い知り合いの」

「なんだ、知ってたのか」

「昨日直接ね。数ヶ月前に手紙が届いたみたいで」

「・・・・・・あのじいさん、そんな細かいことやってたのか」

 てっきりアポ無し訪問だと思っていた。

 訝しげな顔をメリィはしたが、そのまま話を続けた。今日は泊まるらしいから、夕食会をささやかながら開くとか。なんていったって、神官様の知り合いだもの――それで得心がいく。厨房の匂いはいつにもまして美味しそうだったからだ。

「鶏を丸焼きにするのですって。昨日から詰め物を準備していたから、あたし達は夜まで引っ張り出されたわ」

 厨房の奥にある竈、そこからちょうど焼きたての焼き菓子が出されようとしている。きっと胡桃を練り込んだものだ、香ばしく焦げた胡桃ケーキは、毎日はお目にかかれない。――ああそれと、あいつが作っているのはプディングか。

 メリィの、盛大に溜息を吐く音がした。

「そんな飢えた目をするもんじゃないわ! 獣じゃないんだから」

 さっとスカートを翻し奥へと引っ込んでいく。間もなく、ケーキやら果物やらが入った小さな籠を差し出された。それが二つ三つ。

「量が多くないか?」

「あんたのもんじゃないわよ、ついでにみんなに持って行って。――それをもってさっさと戻って! 忙しいんだから」

 ちゃっかり自分のケーキをぱくついているメリィに追い立てられ、また聖堂へと逆戻る。その最中に廊下やら部屋やら書庫を覗き、全員に配った。

 聖堂に入ると、神官と爺さんは談笑している最中だった。扉へと視線をむけ、もうこんな時間かと爺さんがつぶやく。おい、飢えた目を向けないでくれ。爺さんの手が風のようにパン一切れをかっさらった。

 しばらくはパンに胡桃のケーキ、林檎、オレンジ等々を爺さんと二人でむしゃむしゃ食べるのに没頭した。仕上げは葡萄酒、酸っぱいそれに顔を窄めながら飲んでいると、爺さんが街へ出ようと言ってきた。俺に。

「お主は街の者じゃろう? 案内にちょうど良い」

「前も来たことがあるんだろ? なら大丈夫じゃないか」

「わしは老いぼれじゃ。ここからは常に記憶やら知識が抜けていってしまうのだ」

 白髪の頭をつつき笑うが、誤魔化されるものか。睨み続ければやがて観念したように溜息をつく。

「お主も遊び心がない。一人で廻るのは寂しいとは思わぬか」

「全然」

「ここは老いぼれの顔を立てるべきだろう? それに、お主は街の者として旅人をもてなす義務があるだろう」

 普通ならここまで頑固になる必要もないのだろう。だけど俺は街へはできるだけ行きたくない。裏道を通っていくのはいいけれども、堂々と歩くことはしたくない。

 けれども、レウリス神官が爺さんに助け船を出してしまった。

「私からも頼みます、アウレリウス君。このトンボの頭がぼけているのも事実」

「ほれ見てみぃ、神官から許可が出ておるのだ」

 一度加勢をされて一気に火は燃え上がる。とんとん拍子に進んだ成り行きに、俺は爺さんと街を連れ立って歩くことになってしまった。まあどうせ教会の仕事は午前だけだから暇だったのだけども。

 爺さんがまず行きたがったのは職人の通りだった。何を買うかと思いきやインクに羊皮紙。文字が読めたのか、と聞けば、職業柄、とにやりと笑った。どんな仕事かは教えてくれなかったけれど。

 その後はだいたい予測通りだった。どうせこの極楽爺さんなら遊びほうけにいくに決まっている。俺が把握した性格はほぼ合っているはずだ――期待通り、爺さんは何か食いに行こうという。露店から串差し肉を数本買い、むしゃぶりつく。

「さっき食ってたのに。あんた、本当にじいさんか?」

「お主もどうじゃい。羊だ」

「いらない」

「若い者はたくさん食うに限るぞ。わしも若い頃は今の倍は食っておった。酒場で仲間と飲み比べをして、最後には酔いつぶれ・・・・・・そのときは代金が大変で、真っ青になったものよ。そうだ、夕方に酒場に連れて行ってやろうか」

 良い提案、とばかりに黒目を輝かせている。まったく、人の都合など考えもしていないに違いない!

「できるわけがない。夕方の鐘がなったら、家に帰らなくちゃいけない。いつでも、どんなときでも」

「祭りの時は?」

「仕事はやらないけど。でも、夕方には必ず帰る。そうじゃないと親父が嫌がる」

 爺さんが不可解げに眉をひそめた。

「ずいぶん厳格な父親のようだな。おぬしはそれでいいのか? ずいぶんと窮屈に聞こえる」

 なんとなく、むかついた。たぶん、爺さんがあまりにも無邪気な様子だったから。

「あんたは自由なんだろ? あちこち旅して、好きなときに寝て、食って、仕事して・・・・・・だけど普通は違う。俺だけじゃない、他の奴もそうだ。仕事とか、きちんとやんなければいけない」 

 そうだ。本当はこんなことをしている場合じゃないというのに。だから街に出るのはいやだったんだ、これが知り合いに見つかって、親父の耳に入ったら・・・・・・

「お主、楽しくなさそうじゃな」

「・・・・・・はあ?」

「教会で見たときから思っておったが。わしの見るところ、お主は一度も笑っておらぬな。今日、何回笑ったか? 昨日、一昨日――最後に笑ったのはいつだ?」

 単純な問いだ。そしてばかばかしい問いだ。なのに、そんなことを聞く爺さんの顔はえらく鬼気迫っているように見えた。ここが街中、雑踏の中だとは思えないほど静かだ、爺さんの発する威圧感が、まるで別のところへと移動したような錯覚を起こさせる。

「関係ないだろ」

「――醒めた目じゃ」

 爺さんの顔が近づいた。黒い目が大きく見える。その中にある黒曜石のように黒い闇。浮かぶ光りは、決して友好的な感情じゃない――軽蔑、失望、落胆?

「おお、醒めきっておる。諦めきった目だ。何を諦めとる? 何もできない不自由さか、厳格な父に逆らえぬことにか。そうやって過ごしてみい、お主はつまらない男になり、老人になり、最後は死ぬだろうよ」

 つまらない男・・・・・・ああ、つきさっきそう言えば聞いたんだ。俺をつまらないと思うか、と。なんだ、この爺さんでも俺をそう思うのか。面白い答えは聞けなかったか。

「それすらもお主が諦めとるなら・・・・・・受け入れるなら、仕方なかろうよ」

 その言葉はどんな気持ちで言ったのだろう。俺に変わってほしいと持っているのか、もどうでもいいのか。単なる感情の残滓?

 手が冷たかった。だけど、胸と頭だけはかっかしていた。そうさきほどから、ずっと。俺を無言で睨み、万力の力で身体を持ち上げ、殴る親父を目にしたときに浮かぶようないらだちに似ていた。

 だけどそれだけ。いらだちがあると分かっても、俺は何をすればいいんだ? 何をしろというんだ?

 黙り込んでしまった俺に助け船を出してくれたのが爺さんだった。先ほどの威圧感が嘘のようになくなり、陽気に突然声を張り上げた。

「時の流れに身を任せよ。――時とは、無情に過ぎゆく者。あらゆる者を変え、ある者は変わらぬまま。だが、人の人生という者は最も変容を遂げるものよ。たった一日のことなど、すぐに人生にかき消されちまうだろうよ」

 と笑いかけるその顔は、どこかしんみりとした雰囲気も醸し出していた。これは、年長者の経験というものなのだろうか。その言葉は爺さんが若い頃、得た経験の結晶なのかもしれない。

 爺さんは酒場へと行かなかったけれど、露店から安いエールを買った。ジョッキ二つ。恐る恐る飲んだそれは、とても苦い味がした。それが初めてのエールの味。爺さんと二人、ジョッキを手に、串焼き肉をまた買って、街の郊外へと出た。

 城壁の一歩手前、草木が地面を覆う場所が盛り上がり、ちょっとした丘になっていた。そこに腰を下ろし、夕日を見ながらエールと肉をお相伴した。たった一日などすぐに忘れる。そう爺さんはいったが、ずっと後まで、この日のことは記憶の網に引っかかり続けた。 

 夕日が沈み始めている。「帰らないのか」と聞かれたけれど首を横に振った。

「なあ、爺さんは明日出て行くのか?」

「ふむ。元々長居はせぬつもりだった。レウリスに迷惑はかけられぬしな」

 神学校からの同級生であるというのに? 昼の様子をみても、互いにわだかまりなど微塵もなさそうであったのに。ちらちら疑問が頭の中で舞ったけれど、それは形にはならなかった。

「どこへいこうかのぉ」

「・・・・・・決めてないのか?」

「また聖都へと戻ろうか。そこの図書館は、一年はこもっていられるぞ。それか北へ行って湖のそばにでも暮らそうか。あるいは、東のオーシュタイン・・・・・・そこもまた知識の宝庫。黄人をお目にかかれるぞ」

「本当に、自由なんだな」

 この爺さんに明日という概念はないのではないだろうか。あまりにも無計画、将来のことに――こんなに不安を覚えることを、この爺さんは考えない。頓着しない。なぜそうしないでいられるんだろう。なぜこんなにも、身を制限されないのか・・・・・・。

「また来ることがあるのか? ここに」

「先のことは分からぬよ」

 爺さんがジョッキを掲げた。俺もそうする。中のエールは残り少ない。

「再会を祈って――」

 ジョッキとジョッキがかち合い、コトン、と音を立てる。そうして最後の苦みを飲み干した。

 

 

 

 爺さんとは街中で別れた。教会へ向かうその足取りは頑健、宵闇もものとせず、酔いすら廻っていないんじゃないだろうか。俺の方は、頭がくらくらし始めているのに。

 気づけば家の前に立っていた。職人通りはしんとなり、灯りを点す家も見あたらない――自分の家以外は。

 親父が起きているのか。いいや、あり得ない。親父はいつもきっちり定刻には就寝する。狂うことがない完璧な時計塔のように、同じ時に起き、寝る。もう1時間前には夢の中のはずだ。

 そろそろと家の扉を開ける。窓から見えた蝋燭の灯りが微かに漏れてきた。居間の気配が、びくりと震えたと思った。それは錯覚のはずがない。

「誰・・・・・・?」

 怯えた声が聞こえる。当然だ、こんな時間に、突然扉が開くのだから。何も知らない妹は泥棒か、と身構えるだろう。

「イザベラ、俺だ」だからできるだけ穏やかな声を心がける。「アウレリウスだよ」

「兄さん?」

 立ち上がる音、足音。蝋燭を掲げたイザベラが扉からそっと顔を出し、居間へと入れてくれた。無表情の中に、抑えきれない驚きがあった。

「どうしたの、兄さん。こんな時間まで帰ってこないなんて・・・・・・父さんも、怒ってたわ」

「俺を心配してのことじゃないだろ、あの親父は。心配したのなら、こんな時にのんきに寝てなどいないだろう」

 反射的に吐き捨て、はたと我に返った。隣で、目の下に隈を作っているだろう妹――彼女を見て少し気まずい気持ちになった。どうしてイザベラが今も起きている?

「心配、かけたか」

「大丈夫だったならいいよ。今までこんなことなかったから、驚いたけれど。兄さん、パンがあるわ。父さんはやめろって言っていたけれど、こっそり取っておいたの」

 前掛けにそっと触れて、イザベラは笑った。それが痛々しく見えて、罪悪感が増した。彼女の顔をもう一度見て、そこでようやく気づいた。頬が赤く腫れていることに。中が暗がりだったから気づかなかった。

「おい、イザベラ。それ。いったい、何が――」

 最後まで言葉にできなかった。何があったかなんて、決まってるじゃないか。こんな、頬にできた殴った傷など、誰がやるかなんてわかりきっている。あいつしかいない。

 ばれちゃったか、とイザベラは苦笑いを浮かべる。引きつり気味のそれ。おい、どうして笑っていられるんだよ、顔を傷つけられたのに。どうして取り繕う?

「少し失敗してしまって。うっかり花瓶を・・・・・・母さんのものを割ってしまったから」

 イザベラが持ってきたのは陶器の破片を包んだ布だった。掌ほどの大きさのものがいくつも、鋭い刃のように先端を尖らせている。所々、青い上薬が掛かっている。それは、母さんの花瓶だ。青い花模様が絵付けされた。

 母さんが大事にしていたものだった。親父に買ってもらっただとか、笑っていたような気がする。あの頃は――母さんが流行病で死ぬまでは、あいつも正常だったのだ。

 無惨に破片となった花瓶・・・・・・その上に、昔の両親の姿が重なって見えた。

「あれは・・・・・・母さんの大事な遺品だったのに」

 イザベラの声は微かに濡れていた。俺たち兄妹にとって、父は無言で見守り、母は温かく包んでくれる、そんな印象だった。母さんはいつも温かい料理を作り、手製の手袋や帽子を仕立ててくれて、そして、家に笑顔を振りまいてくれた。彼女がいて、あの幸せだった家庭は循環していたんだ。

その遺品を、割ってしまった、その気持ちが痛いほど分かる。戻らない母さん、その遺品も一度壊れたら戻らないのだから。もし俺が割っても、同じように罪悪感にかられたはずだから。

「大丈夫だ、お前のせいじゃないよ」

 ああ、自分でもとんだ欺瞞を言っている。イザベラが花瓶を割ってしまったのは事実なのだろうから――だが、彼女は故意に割ってしまった訳じゃないんだ。それに責められるわけないじゃないか。

「で、でも」

「わざとじゃないんだろ? なら母さんも許してくれるはずだ。母さんは、いつまでも根に持つような人じゃない」

 イザベラが反省しているのだ、最後には矛先を収めるはずだった。

 背中をたたいてやれば、耐えかねたように泣き出した。炎に浮かぶ頬の腫れた様子が痛々しい。そして手も。白くて細い手はがさがさとし、真新しい切り傷の跡。陶器できったものに違いない。

不意に扉が開いて、妹の肩がびくりと震える。俺も同じだった。心がひやりとなる。あいつだ――あいつが来た。イザベラの泣き声に目を覚ましてしまったのだろうか。

「何をしている」

 低い声だけがこだまする。蝋燭は親父の顔まで照らしてはくれない。きっとあの無表情で俺たちを睨んでいるに違いない。

 その目と視線があった気がした。痛いほどの沈黙、その中でイザベラはすすり泣いている。

「さっさと寝ろ、イザベラ」親父がとげとげしい声で言う。自分が何をしたかなど分かっておらずに。「何をしていたんだ」

「イザベラは悪くない」

「――お前」

 そこでようやく親父は俺に気づいたようだった。ずかずかと寄って来るやいなや拳が飛んでくる――痛みと同時に身体が浮き上がる、目がちかちかする、イザベラの悲鳴。尻餅をついたとき、背骨が柱とぶつかり、鋭く打ち付けられた。

 頬が熱い。親父の拳骨は大きく、硬く、今まで何度も青あざになっていた。

「どこをほっつき歩いていた? 鐘の時刻に帰らないなど」

「・・・・・・教会にいた」

「そんな時間までいるはずがない。どこにいたんだ! 街にいたんだろう!」

 眠りを妨げられ怒っているんだ。今の親父は、いつも以上に不機嫌だ。そんなところに、ありのまま話したらもっと悪くなる。

「俺のことより、イザベラのことを気にかけろよ。イザベラを殴ったのか? 今俺にやったように?」

「親に口答えなどするな! こいつは――」そこでイザベラを振り返り、かがみこんだ。花瓶の欠片を包んだ布。

「勝手に手に持つんじゃない! これはアリーザのものだ! お前のものじゃない、アリーザのものを、形見をお前は割ったんだ!」

 拳を振りかぶる、また殴ろうとしている!

 急いで駆け寄り親父の太く毛深い腕をつかみ引っ張る。親父が体勢を崩す。我に返ったイザベラがあわてて後ずさり間を取った。

「誰が親だよ。イザベラはあんたの娘だろう! こんな俺よりもできた娘じゃないか、その顔を、嫁入り前の顔を、親であるあんたが傷つけたんだ!」

 さらにまた傷つけようとするなど――そうだ、こいつは親じゃない、親じゃない!

 親父の顔は鉄面皮のままだった。眉がぎりぎりとつり上がったものの、それだけ。気まずい顔も、痛いところを突かれ狼狽する様子すらない。

「あんたはイザベラを娘だと――自分の子だと見ていないのか? 自分の子供じゃあないのかっ!」

 ああそうだ、どうして今まで気づかなかった。こいつにとって――親父には子供がいないようなものなんだ。俺もイザベラも、こいつにとってはただの他人、あるいは体の良い使用人、奴隷、ゴミとすら思っているのかもしれない。

 ふっと浮かんだそれはすぐに確信に変わる。親であるなら、こんなことなどしない。イザベラを殴ることも、一日中働かせることもするわけがない。

親じゃない、と思った瞬間、踏ん切りがついた。どうしてこんな家でくすぶっている? その必要はあるか? ない。全くないんだ。爺さんが、諦めるのか、受け入れるのか、そう聞いている――そんなのまっぴらだ!

 こんな家、出て行ってやる。

 俺は包みをつかんだ。イザベラの手を無理矢理引く。俺の部屋の革袋、その中に今まで稼いだ銀貨が入っている。

「どこへいく気だ」

「あんたは一人で母さんのことを考えながら死ねばいいんだ。俺たちを巻き込むな、俺たちはもう、あんたの子供じゃない」

 挑戦的に言い切ってやる。親父の顔は憤怒で赤黒くなった。

「勝手なことを!」

 胸ぐらをぐいとつかまれて殴られる。右頬、今度は左頬。何度も、何度も――その一つ一つに親父の怒りが詰まっているのだ。ばかばかしい怒りが。

「あんたにとって俺は邪魔者なんだ! ゴミ同然なんだろうッ」

 そのゴミが、自分から出ていくと言っているんだ、いいじゃないかよ、親父は一人家具を作ってジジイになって母さんに会えるようにと願いながら生きればいい。むしろ感謝しろよ。

 そして俺は出て行く――どこでもいい、この家から。都市を飛びだしちまおうか。どうなってもいい、ここすら出られるなら。ようやく、ようやく吹っ切れたんだ。自由で、奔放になろうと決意したんだ!

「都市の外へ行くんだ! 好きなところに、好きなように――!」

 叫んだ瞬間に拳が当たる。それは頬をずれて右目に当たった。眼球が圧迫され、激痛が走った。痛さに駆られて喉から叫びそうになった、けれど声が出ない。いつの間にか胸ぐらをつかんでいた手が首を絞めていた。

「か・・・・・・あっ」

 目が、耳が、感覚が消えていく。視界が暗い。圧迫感に息ができない。目の奥がまたちかちかと瞬き始めた。ぐるぐると、暗闇が巡っている。迷いそうな、引きずり込まれそうな模様を描いている。急に視界が赤くぱっと光った。爆ぜる火のように、星が爆発したかのように。

「――ガァッ!」

 幻想じゃなかったのか? 親父の目が見開かれ、ひるんだ顔になった。その拍子に手がゆるまり、解放された。

 解放されてもただあえぐことしかできなかった。空気を求めて口が自然に息を吸う。時折咳き込んでしまって苦しい。ようやく息を整えたときになって、人影が増えていることに気づいた。

「爺さん・・・・・・?」

 まさか。しかしその顔は、教会で会い、先ほどまでエールを一緒に飲んだ老人だ。だけど、どうやって? 自分の家は教えていないのに。教会に戻ったんじゃなかったのか? 

 いや、そもそも、なぜ部屋がこんなにも明るい? 部屋中が、夕方のときのように柔らかい明るさを持っていた。

 イザベラが駆け寄ってきた。大丈夫かと心配する彼女に、何があったのか聞くと、分からない、と首を振られた。

「火花が散ったすぐあと、急に現れて・・・・・・」

 妹の瞳が無言で訊いていた。あれは兄さんがやったのか、と。

 不意に叩きつけられるような音がし、俺たちははっとした。

 見れば親父の後ろの壁がくぼみ、木くずがばらばらと落ちている。親父の前にはあのじいさんが仁王立ちになっている。まさか・・・・・・あんな枯れ枝の腕で、屈強な親父を殴ったというのか?

 ありえない。

「我らが偉大なる教祖は仰せられた」

 爺さんの雰囲気が昼と違う。つまらぬ、と吐き捨てたとき以上に険しく、暗い怒りに満ちていた。磨き上げた黒曜石の鏃のように。親父が気圧されているのが分かった。

「我が子は宝。信徒のつとめは、子を為し、慈しみ、育てることであると。その信徒たるお主が子供をないがしろにしておる――さぞかし、教祖は、神は嘆いておられることだろうな」

 親父の拳が飛ぶ。だめだ、とても爺さんが避けきれるものじゃない。そう思ったが、当たることはなかった。杖が降られた瞬間、拳はおかしな方向へ曲がる。親父が低い悲鳴を上げた。

「貴様、魔術師かっ」

「ただの老いぼれよ。さて、見知らぬ老人にまで暴力をふるうとは、ずいぶんと失礼な輩じゃ」

 親父の腕は突き出されたまま静止している。手首がおかしくねじれたまま。ぎりぎりときしむ音に、聞いている俺の方が吐き気がする。

「お主に子を育てる資格などないわい」

 杖を廻しながら爺さんが言う。

「後ろの子らはわしが引き取る。お主は教会に真面目に通うんじゃな。喜捨をし、貧しい子らに恵みを。それを積み重ねることで地獄に堕ちるのを免れるだろう。よいか?」

 親父は頷いたのか――俺からは見えなかった――すっと杖を下げる。反動をつけてたくましい腕があるべき位置へ戻った。勢い余って拳は脇腹を叩き、親父が体勢を崩す。無様な様子に爺さんがくつくつと笑いながら振り向いた。

「・・・・・・鬼だな、あんた」

「助けてやったものに言う言葉かの?」

「まるで神官のような言葉をいいやがって・・・・・・いくらレウリス神官の知人だからって、とんだペテンだろ」

 爺さんがにやりと笑った。

「わしは神学校の出身だぞ、忘れたかね? ともあれ、退散するとするかの。そこのお嬢さんもだ」

 

 

 

 3人で教会に向かったとき、まだ空は暗く、当然皆眠っていた。じいさんに無理矢理起こされた神官達はいつもより早い朝を迎え、酷く眠たそうだった。それでも3人分の寝床を確保し、俺とイザベラの手当もしてくれた。

「これは酷いな。アザになるでしょうね」

 とレウリス神官が顔をしかめながら湿布をあててくる。冷たい感触に一瞬からだが強張るが、すぐに心地よさに変わった。

「俺はいいよ。それより、イザベラの方は」

「彼女はもう終わりましたよ、女性神官が部屋を案内しています。彼女のことは心配ないでしょう。しばらく教会で預かります」

「それは、よかった」

 あんな親父のところに帰すなんてまっぴらだった。もしまた殴られたらと思うと肝が冷える。イザベラは器量よしなんだから、あと五年も経てばいい相手が見つかるはずだ。

「それでは私はこれで」

 礼拝に向かうと言い、神官は部屋から出て行った。残っているのは爺さんと俺だけだった。

「おぬし、目をやられたんだろう。お嬢さんがしきりに言っておったぞ」

 爺さんがどこからか軟膏を取り出した。小瓶に入っている怪しげな色のそれ。いったい何をどうやって煎じればそんな色になるんだ。毒に見えると言っても平気だと返され、軟膏を漬けた湿布をあてられた。染みる。目が痛い。

「一時の魔力封じだ」

「・・・・・・なんだよ、それ? 殴られたからやっているんじゃ」

「それもあるがの。おぬしあのとき、どうやって父親の手から逃れた? 自分の腕、足を動かしたか?」

 俺は首を横に振った。もがいてはいたかも知れないが、親父には当たっていないと思う。

「火花が散ってた。イザベラもそう言ってた」

「魔力に目覚めたんだろう」

 マリョク・・・・・・。

「魔力が目覚めるきっかけは人それぞれ。痛みによって、ある夢によって、あるいは生まれたときから目覚めることもある。むろん目覚めぬ奴もいる。目覚める奴の方が珍しい。そやつらはたいていが魔術師となる」

「良く分からねえや」

 右目に手を当ててみても、何も変化はない。湿布をしてるからかなと思い、外してもう一度触れてみた――途端飛び上がりそうになった。とんでもなく熱い! おまけに目の奥でびりびりと何かがうごめいている感じがして、気持ち悪かった。

「勝手にとるでない!」じいさんに怒られながらまた湿布を貼り直された。すぐに熱も違和感も消えた。

「まだ慣れておらなんだ、じっと慣らしていくしかなかろう」

 目には眼帯をつけて、顔半分が湿布に覆われてしまった。

「どう見ても怪しい人じゃないか」

 少なくとも一目には引くだろうな、とげんなりしているというのに、爺さんは呵々大笑した。

「まあ、数ヶ月で戻るじゃろ。それに旅に出るのならば、見知らぬ者ばかりじゃ、そう目立たんよ」

 じいさんが咳払いをした。きっとわざと間を取ったのだ。

「・・・・・・魔力はいずれ大きくなるだろう。湿布の封印は一時的なものだ。すぐに暴れ始める」

「暴れたらどうなるんだ?」

「たとえばお主のことにたとえれば、最悪家一つを爆発させるだろう。己の身もろとも。そうならないように制御する必要があるのだ。わしが教える」

 つまり、じいさんについて行けということか。

「それとも、街に残りたいかね?」

 じいさんの目がなんとなく申し訳なさそうに見える。

 俺はにやりと笑ってやった。

「全然。未練なんてこれっぽっちもねぇ。――もう、とどまる理由なんてないから」

 親父のことなんてもう考えずともいいんだ。母さんが死んだとき、俺の中で親父は死んだのだ。まったく、数年間もあんな野郎に縛られていたなんて! 俺の数年間を返してくれ。

「お主ならそう言うと思っとったぞ」

 それがにやりとした憎い笑みで言われていれば普通にしていたはずだ。初めて訊く柔らかい声音で言われ、なんだか急に気恥ずかしくなった。

「・・・・・・ようやく、吹っ切れたみたいなんだ」

 言葉が出てこない。どういえば良いのか、またどんなことを言えばいいというのか。親父に叫んだことは耳の底にこびりついているけれど、それをそのまま伝えるのは恥ずかしかった。

 爺さんがにやりとした。黙りこくった俺の頭に手を置いた。

「それはいい。それはよいことよ」

 

 

 

 手当を終えた頃には朝日が昇り始めていた。寝る暇もあらず、爺さんに言われるまま荷仕度をした。といっても、俺個人には荷物はない。家からはあの革袋しか持ってこなかったし、また戻るつもりなどさらさら起きなかった。

 レウリス神官が大きな背嚢と衣服、外套を分けてくれた。

「餞別ですよ。あなたはここ数年、教会を手伝ってくれましたからね」

 本当に、この神官には世話になった。親父からの逃げ道を得て以降、ずっとこの教会が一つの家だったのだ、俺にとっては。

 もうそろそろ神官以外の子供も起き出す頃だった。メリィとかと顔を合わせるのは避けたかったから、爺さんと二人教会を出ようとしたときだった。

「兄さん」

 いつの間にかイザベラが走り寄って来ていた。その目が、俺を責めているようにも感じ、思わず目を逸らした。

「・・・・・・行くの?」

 無言で頷いた。

「職人になんてなりたくなかったんだ。あの家にいたくなかった――母さんが死んだときから。だけど、親父が恐くて、できなかった。でも今なら、できる。だから、もっと他のことを探してみたいんだ」

「・・・・・・」

「これは俺の希望なんだ。イザベラはでも、違うだろう? 普通に幸せになって、良い旦那でも見つけて、綺麗な花嫁になりたいだろう? レウリス神官は親切だ。教会に甘えろよ」

 旅人はどこへ行ってもよそ者なのだ。職人が吟遊詩人や旅商人にどんな目を向けるか、嫌というほど知っている。俺についていったら、イザベラの将来が潰れてしまう。

 それは正しいことのはずだ。

「ずるいわ、兄さん。私を置いていくなんて」

「それは」

 ――だけど、それはイザベラを置き去りにすると言うこともである。彼女の意志も聞かず。

 言葉に詰まった俺を眺めていたイザベラは不意に険しい顔を崩した。

「私に何も言わずに行くなんて、それは臆病だと言っているの」

「イザベラ?」

「知ってるわ。兄さん、街が窮屈に感じてるって、昔から。父さんと合わないってずっと思っていたもの。だから、驚いてないの。ああそうかって、そんな感じ。でも、私は違うの。私はこの街で結婚して子供を産んで、幸せな家庭を作って――そうやって、街の中で生涯を終えたいわ。だから兄さんを止めないし、付いても行かない。でも、忘れないで」

 イザベラが何かを取り出し俺に押しつけた。掌に収まる革袋。中を見れば青い陶器の破片が一つ、入っていた。

「どんな人になっても、アウレリウス兄さんは私の兄、同じ母さんから生まれた人よ。ここで育ったことも変わらない――ここがあなたの故郷なのよ。だから、いつでも帰ってきてね」

 イザベラが抱きついてきて、俺の胸に顔をうずめた。亜麻色の髪、母さんと同じ色。撫でてやると、恥ずかしそうにしながらも笑んだ顔で身体を離した。

「兄さん、それからおじいさんも。旅のご無事を!」

 イザベラと神官に見送られて、俺と爺さんは教会を出た。

「良い娘ではないか」

 からかうように爺さんに言われ、なんだか恥ずかしかった。ああだけど、良い娘であることは強く同意できる。

「妹を娶る奴は幸せ者だよ」

「かっか。嫉妬するか? ただ一人の兄として」

「まさか」

「かっか!」

 城壁を出る。爺さんが杖で一点を指し示す。

「北へ。湖の地へ。――仲間の集う広場へ!」

 辺り一面の草原は、白い朝日で照らされていた。

 

 



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