ドラグメイル戦記 (郭尭)
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ラ・コート・マル・タイユ編
第一話


 

 

 

 それは翼を広げ、空を舞う。

 

 太陽の光を背に、風を従え、大地を睥睨する。

 

 蛇に似ているが、同時に決定的に違う姿。後頭部から伸びる黒曜色の角、全身を覆う赤錆色の鱗、そして胴から生えた皮膜の翼。

 

 究極の生物とも呼ばれるドラゴンの、下位亜種、ワーム。

 

 ドラゴン、ワイバーンに次ぐ空の怪物。

 

十五メーターは優に超える有翼の大蛇は、眼下の草原に注意を向けている。そこには小さな村があった。

 

 質素な、石の壁と木の柱の家々が並ぶ小さな村。少し外れれば周囲には畑が広がっている。本来なら長閑な風景が続くであろうそこは、建物は崩れ、人の一人もいない。

 

 この村に住んでいた人間の群れは、既に一人残らず逃げてしまっている。ワームが村に襲撃した時、十人以上が命を落とし、その遺体は数日かけて貪り尽くされた。

 

最早この村に、ワームが食すものはない。にも拘らずワームがこの場に留まっているのは、郊外の畑に収穫されぬままに残された穀物目当てに現れる動物が存在するからである。それらを狩り、ワームは腹を満たし続けてきた。

 

 だが、ワームは村を離れることにした。人間のいる別の村を探しに。人の味を覚えてしまったワームは、他の動物の味に飽いてしまったために。

 

 故に、再び人間を探す。ワームは既に人間の巣の在り方を理解した。高く舞い上がれば、鷹に優る両目で人間の巣を探し出すのは容易だろう。

 

 そんなワームの視界を、一つの影が過ぎった。

 

 それはワームと似た姿をしていた。違いは四肢があること、深緑の体色である。

 

 ドラゴン、大きさから幼体だとワームは考えた。

 

 その背に美味たる人間らしい物を乗せている。巣に持って帰って喰らう心算か。

 

 食欲が疼いたが、ワームはドラゴンから横取りしようとは考えなかった。

 

 ワームより上位の怪物、食うために手を出すには余りにも危険な存在。幼体であろうと、空を飛べる段階まで成長していれば、体長も力も成体のワームと同等となる。ぶつかりあえばただでは済まない。だからワームはドラゴンを避けるようにルートを変えた。

 

 深緑のドラゴンは高度を上げる。だが、ワームはそれを気にしなかった。

 

 

 

 

 深緑のドラゴンには、鱗がなかった。代わりに金属の鎧に覆われている。翼の皮膜さえも同様である。そして手足の鉤爪は刃そのもの。更には腰に鞘に収まった巨大な剣が二本、鉄鎖で括り付けられている。

 

 生き物ですらない、鋼のドラゴン。その背に立ち、口元から伸びた鎖の手綱でもって操っているのは、十代半ばの少女だった。

 

 金糸の様な髪を短く切り揃え、右の耳元で小さな三つ編みという髪型が特徴的だった。ゴーグルで顔の上半分を隠し、そして明らかにサイズの大きい黒いコートをマントのように纏い、その襟が顔の下半分を隠す形になっている。そしてコートの下には胸当てや籠手、脛当てと言った軽装の革鎧。更には腰に、ドラゴンに括り付けられているのと同様の短剣、スティレットを二本とクロスボウ、矢堤が装備されている。

 

 少女は手綱で巧みに鋼のドラゴンを操り、ワームの前に出たり横から近づいたりを繰り返していく。その度にドラゴンとの接触を嫌うワームが飛ぶ方向を変えていく。少しずつ、ワームは、彼女が意図した位置に誘導されていく。

 

 やがて鋼のドラゴンを煩わしく思ったのだろうワームは、時折威嚇を飛ばすようになってくる。そろそろ穏便に誘導するのは限界か、少女はそう考えた。

 

 少女は地表に目を向ける。映るのは打ち捨てられた村の姿。それまでワームが根城にしていた村である。だがワームがいた時と違い、村には二つの人影が佇んでいる。鎧を纏い、武具を手にした兵士に見えるが、それは明らかに人間ではなかった。

 

 周囲にある建物と比べれば分かる。如何に質素な村の、一階建ての建物とは言え、その倍以上の高さを持つ人間が、存在するものか。当然、有り得ない。佇んでいる物の名はジャイグメイルと呼ばれる、人が乗り込んで操る機甲兵器である。

 

 二機のジャイグメイル、ゴライアスという機種のそれはそれぞれの武具を持って鋼のドラゴンがワームを自分たちの目の前に突き落としてくるのを待っていた。

 

 もう少し、少女は呟く。それとほぼ同時だった。苛立ち、痺れを切らしたワームが、自分から鋼のドラゴンに牙を剥いて飛びかかった。もう少し村に近い位置に移動したかった少女は、舌打ちしながら手綱を打ち鳴らす。

 

「掛かれ!マディ!」

 

 マディと、少女はマラディザンドという銘を与えられたドラゴンを呼んだ。それに呼応するように鋼のドラゴンは咆哮し、ワームに向けて加速する。

 

 そしてドラゴンとワームが正面から衝突する。全長で十メーターを超える巨体同士のぶつかり合いである、鋼竜の背に乗る少女は歯を食いしばってそれに耐える。振り落とされる心配はない。彼女の両足は足首の位置まで、まるで泥に沈んでいるかのように埋まっている。これが彼女の体をマラディザンドに固定させているのだ。

 

 だが落下の危険がないとしても、体勢を崩せばマラディザンドの制御に支障が出る。油断はできない。

 

 マラディザンドはぶつかったワームの首に食らいつこうとする。それをワームは蛇のような体躯を撓らせて避け、鋼竜の首に巻き付く。首を絞め、窒息させようという意図だが、あいにくマラディザンドは生き物ではない。動くのに呼吸は必要としていないのだ。寧ろ不用意に少女の前に顔を晒しただけである。

 

 少女は腰のクロスボウを手に取り、ワームの顔に向け撃ちこんだ。理想は眼球に突き刺すことだが、揺れるドラゴンの背でそこまで精密な射撃は難しく、頬の鱗に弾かれる。ワームには傷一つ付かなかったが、目に近い位置を攻撃されて怯み、咄嗟に拘束を緩めてしまった。その隙にマラディザンドの前足で突き放す。そして少女はちらりと廃墟の村との距離を確認し、ワームより高度を上げるために手綱を操作する。マラディザンドは大きく羽ばたき風を叩く。急激に高度を上げた鋼竜の背で、少女は叫ぶ。

 

「マディ!トランス!」

 

 同時に少女の足元の装甲が水面の様に波打ち、少女を呑み込んでいく。そして完全に少女を呑み込むと、やがて波紋は全身の装甲に広がっていく。そしてドラゴンの姿が急速に変わっていく。

 

 長い首と尾が体に収まっていき、両手両足も関節を中心にその形状を変えていく。更に背中の、翼と少女を乗せていた台の部分が腰に向けてスライド、翼は下半身を覆うように形を変え、スカートアーマーとなる。

 

 それは竜頭を持った騎士だった。有翼四足獣の面影は、その竜頭くらいしか残さぬ豹変ぶり。

 

 竜の姿と巨人騎士の姿を持つ機甲巨兵、ドラグメイルである。

 

 そして竜頭の騎士は、両腰のスティレットを逆手に抜く。そして揚力の源だった翼を畳んだことによって、当然の如く大地に向かって落ちていく。だが、マラディザンドと大地の間には、突き飛ばされ体勢を立て直している最中のワームがいる。そして落下の勢いと機体の重量を乗せて、両手のスティレットをその背に突き立てた。

 

 元は鎧の隙間を貫くために生み出された短剣は、並みならぬ硬さを誇る鱗の防御を突破し、深々とワームの肉を抉り、紫の血が吹き出る。苦痛の叫びを上げるワームに、竜頭の騎士は突き刺した短剣を頼りにしがみつく。同時に更にグリグリと短剣を抉りこませていく。

 

 ワームは激しい痛みに見舞われ、更にはマラディザンドの重さに耐えながら、辛うじて滑空状態を維持する。だがその方向は痛みで操作され、マラディザンドを操作する少女の思惑通りだった。理想通りにはやや届かないが、それでも十分。彼女らの村の方向に向かっていた。

 

 やがて地面まで数メーターの高度になり村に待機していた二機の、ジャイグメイルと分類される機甲巨兵が動き出す。同時に、無人の廃墟であった筈の家屋から、合わせて二十人近い武装した集団が躍り出る。

 

 一団は、ワームの命、より正確にはその肉体を狙った傭兵団だった。

 

 ワームは混乱した。鋼の巨人共にも、であるが、何より逃げ惑うだけの存在である筈の餌共が群れて挑みかかってくるのだ。危機的状況であるにも拘らず、眼前に迫った美味にいらぬ欲が湧き、逃げるという選択を忘れさせた。

 

『チーフ(傭兵頭)、ニア、頭は避けろよ!』

 

 竜頭の騎士から発せられる、機体に増幅された声がジャイグメイルの操縦者、メイルライダー達に届けられる。

 

『分ぁってるよ!』

 

『言われんとも!』

 

 同様にジャイグメイルからも、男女の声がマラディザンドのメイルライダーに声が返される。

 

 高度を落として滑空していたワームはついに地面と接触し、それにしがみ付いていたマラディザンドは勢いのまま地面を転がり、ワームから離れてしまう。同時にワーム自身も勢いのまま地表を削り取っていく。

 

 そして憔悴しながらも、這って逃げようとするワームの翼に、ゴライアスの短槍が突き下ろされる。そのままゴライアスは短槍に体重を掛けてワームの翼を地面に縫い付けた。そして復帰してきた騎士竜がワームに跳びかかり、無理矢理押さえつけようと組み付き、鉤爪のような指で直接肉を掴む。

 

 二機の巨人によりワームの動きが鈍ると、今度は周りに集まってきた歩兵たちが距離を取って投槍を投じる。投げ槍の穂先には銛のような返しがあり、反対側は縄が括られている。その縄の先は更に木の杭に繋がっていた。

 

 投槍はワームの翼に向けて投げられ、その薄い皮膜に突き刺さる。堅い鱗を持つ竜種に、歩兵が持ち得る武器で傷付けられる部位は、ここと眼球くらいしかないのだ。

 

 投槍が突き刺さると、ハンマーを持った兵士たちが反対側の杭を地面に打ち付けていく。無論一本二本で、ワームの動きを封じることはできない。だが次々投げつけられる槍に、遂にその翼は地に繋がれる。

 

 窮したワームは首を歩兵たちに向ける。そして大きく口を開くと、そこから青白い光の球体が生まれる。竜種の切り札、ブレスの兆候である。これが歩兵たちに向けて放たれれば、生身の人間など塵さえ残らない。

 

 それを、もう一機のゴライアスが掴みかかり、無理矢理首を空に向けさせる。光球から放たれた光の奔流は数百メーターほどで拡散したが、その衝撃は彼らの真上の雲を散らすほどのものだった。

 

『ナイス、チーフ!』

 

『急げニア!叩き斬れ!』

 

組み付いているゴライアスからの声に応え、槍でワームを縫い付けていた機体が槍を手放す。そして腰から短柄両刃の戦斧を取り出す。そしてそれを両手で振りかぶり、力の限りワームの首に振り下ろした。

 

 

 

 

 首を刎ねられたワームの体に、無数の兵士たちが群がり、死体の解体を始めている。まずにジャイグメイル二機でワームを仰向けにし、腹を晒す。そして腹を割き、慎重に内蔵を切り分けていく。特に心臓は僅かな傷も付けぬように慎重に行われ、腸と共に、他の内臓と別に専用の馬車に収めていく。

 

 一方マラディザンドを操る少女は、ワームの生首を馬車に運ぶ。これらは専用に用意された巨大な水桶に収め、心臓と腸と共に別格の慎重さでしまわれていく。

 

 ここまでを終えるとメイルライダーたちの仕事はほぼ終わりである。後は兵士たちが鱗と皮膚を剥ぎ取り、それを馬車と共にやってきた女たちが水できれいにしていく。

 

 一連の作業を終え、序でに無人になった村で金になりそうな遺留品を物色し、拠点の砦に戻れば、やることは酒盛りである。

 

 竜種由来の素材は、ルートさえあれば大金が転がり込んでくることが確定している。

 

 大金が入ってくる(予定)こともあり、兵士たちには戦争に参加した場合と同等の手当が支払われた。命懸けの戦いに生き残った興奮も合わせれば、パーッと散財したくなるのが人間である。多くの兵士は街に似繰り出し酒や料理に舌鼓をうちにいくか、馴染みの女の元にいくかなどである。

 

 そんな中、コートの少女は拠点の砦にて、機体の面倒を見ていた。騎士の姿で佇んでいるマラディザンドに、追加の装甲を括り付けていた。と言っても本人が作業しているのではなく、周囲のスタッフが作業し易いように、機体内から姿勢を変えているだけであるが。尚、追加装甲は人間の鎧と同じように、革のベルトで固定されている。

 

作業を終え、コートの少女は片膝を着いた姿勢のマラディザンドの背から出て、鎧の凹凸を使って器用に降りていく。

 

丁度そこに、タイミング良くこの団の者たちにチーフと呼ばれる男がやってきた。

 

がっしりした大柄な体格に、立派な口髭の初老の男だった。目元の皺と、黒い髪や髭に混じった白が、落ち着いた頼もしさを醸し出している。荒くれ者が多い傭兵たちを束ねているより、正規軍で兵を指揮していた方が似合っていそうな男だった。

 

 フーゴ・チャンドス。二機のジャイグメイルと一機のドラグメイル、そして六十を超える人員を擁する傭兵団、『楔の団』の頭領である。

 

 フーゴはコートの少女を見つけると、彼女に声を掛けて皮袋を放る。中は大量の銀貨、今回のワーム討伐に於ける、彼女の手当である。彼女の給金は団の中で最も高い。ドラグメイルのメイルライダーの価値が高いということである。

 

 少女はゴーグルを首に提げると、エメラルド色の眼で中身を軽く確認し、にんまりと笑顔を浮かべた。入っていた金額に満足のようである。彼女は自身の騎士竜の前まで来て、大声で告げる。

 

「工匠の皆さ~ん!美女とかちっさい爺さんっぽい皆さ~ん!街に出るぞ!奢るぜー!」

 

 整備専門の、直接戦闘に出ない団員たちに声を掛ける。後方要員には戦闘手当は出ない。そういう理由もあり、更には少女自身の散財癖が加わり、良く整備班に奢ったり差し入れをしたりしていた。

 

「爺さんっぽいとはなんだ。お前ら人間が童顔過ぎるだけだ。だが酒には付き合うぞ!」

 

「さっすが気前が良いね。歩兵の男たちとは違うよ」

 

 結果、生来の明るさもあり、団の中では愛される立場だった。すぐさま少女は人に囲まれ、二十人を超える一団は移動を始める。

 

 その様子を、同じドワーフたちを飲みに誘おうとやってきた小柄な少女がいた。ドワーフらしい小柄な体は、彼女の容貌の幼さもあって、人間には子供にしか見えない。薄く日に焼けた肌と、頭の両端に結んだ長い赤髪がよりその印象を強くする。だが、もし彼女の服の下の肉体を見ればそんな印象は薄れるだろう。ドワーフらしい密度の高い筋肉を纏った体は紛うことなきドワーフのそれである。

 

「ニアか、何かあったか?」

 

 ニア・ラングラン。団では新参のメイルライダーのドワーフの少女である。

 

「いえ、同族連中誘おうと思ってたんですけど」

 

「タイミングが悪かった、か?何なら声を掛ければいい。あいつは拒まんぞ」

 

 そう言ってフーゴはコートの少女に視線を向け、ニアもそれに倣う。が、それもすぐにドラグメイルに向けられる。

 

「今回はやめときます。ところでチーフ、このドラグメイル、どうやって手に入れたんです?」

 

 折角だから、ニアは団に入ってからの疑問を訊いてみることにした。

 

 ドラグメイルはドラゴンを肇とした竜種の臓器を素材として必要とするため、製造は高価で安易に手に入るものではない。単純に金銭があれば手に入る類の物でもない。

 

 更に言えば、ドラグメイルは製造の際、使用者の血液が必要になる。結果、ドラグメイルは一部の例外を除き、その血縁者にしか操れなくなる。

 

 ジャイグメイルと比べ、ドラグメイルは制約が多いのだ。故に多くの場合、ドラグメイルは貴族が家中で代々受け継いでいく。これに乗り手の整った容貌も加わり、少女にはどこぞの貴種の落し胤という噂もあるほどだ。

 

 更にマラディザンドの追加装甲装着は団が帰路に就いた段階で、仮止で取り敢えずの装着はされていたのだ。少なくとも動かねばそうそうとれはしないだろう。これは機体の姿を隠すためではないのか。少なくともニアはこの団に入ってから、他所の人間がいる場所で、マラディザンドの追加装甲が外されたのを見たことがない。

 

 ニアの疑問は純粋な好奇心ではない。給金が良いからこの団に雇われているが、もしこの機体が厄介事の種になるようなら、それを見極めて逃げるのも傭兵の能力なのだ。

 

 ニアの問いに、フーゴは暫し考える様子を見せ、答えた。

 

「造った工匠の腕が未熟だったのだろう、装甲に欠陥があるのだ」

 

 つまりは、欠陥を補うための装甲であると。隠す心算さえ感じられない、あからさまな嘘。

 

 去っていくチーフの後姿を眺め、不格好な装甲を纏わされた深緑の騎士を見る。火矢除けの革が縫い付けられた装甲を纏った様は、さながらスカートの上から不格好なコートを着ているようで。

 

 ふと、ニアは思い出した。コートの少女とこの機体が、同じ二つ名で呼ばれていることを。

 

 『ラ・コート・マル・タイユ(不格好なコート)』と。

 

 




 花粉で目が痛くて仕方がない今日この頃、皆様如何お過ごしでしょうか?どうも、郭尭です。
 今回は初めて完全なオリジナルを投稿することになりました。二次創作でない物にはまだ慣れていないですが、頑張っていく心算です。
 話の方は章ごとに主人公が変わっていく水滸伝形式で行くつもりです。
 それでは今回はこの辺で、また次回お会いしましょう

 ps、設定や内容に自身で納得できない部分、ダメだと思う部分が結構あったので改変します。
 最初の方は設定の変更に伴う単語の変更程度ですが、その内描写が増えたり減っていったりすると思います。


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第二話

 

 

 

 赤き竜の国、ブリテン王国。

 

 エウロペ大陸の北西に位置するブリテン島に本拠を置き、大陸の一部にも領地を持つ国である。

 

 その大陸側の領地が、白百合の国、フランク帝国と国境を接したのは僅か数年ほど前の事である。

 

 今のエウロペ大陸に於いて、フランク帝国は最大の版図を持った比類なき大国である。女帝ジャンヌ・フランクの号令の元、拡張主義を掲げ、四方に領土を広げ続けてきた。

 

 そして多くの戦場で女帝は自らドラグメイルを駆り、時には自ら敵将を討ち、時には策謀にて敵を追り、勝利をもぎ取ってきた。それに加わり有能な臣下と、十二聖機と呼ばれるドラグメイルを力の象徴として有している。

 

  だがどれほど強大な国であろうと、永遠に戦を続けることは不可能である。急速な領土の拡大は戦線の拡大とイコールであり、必要とされる兵力や糧秣、物資が加速度的に増加していく。

 

 また、新たに手に入れた領土を安定させるにも時間は必要である。

 

 女帝ジャンヌの即位から僅か四年で国土を倍近く膨らませたフランク帝国は、暫しの休息を必要としていた。

 

 だが、その事実が周辺国に安寧を齎すことはない。時を経て、帝国が充分な物資の貯蓄を完了すれば、その侵攻は再開されることは明らかだった。

 

 特に帝国と国境を接する地の領主は、定期的に続く小競り合いに悩まされていた。

 

 

 

 

 ブリテン島の南西部に領土を持つスウィンドン家。ブリテン王国建国の戦い、ブリテン島統一戦争の頃より、現王家であるペンドラゴン家に仕え続けた、歴史ある貴族である。

 

 そのスヴェンドン家の居城、シュリーベラム城は慌ただしく動いていた。エウロペ大陸側に領土を持つブリテン領主、ヘント辺境伯の救援要請に応えるために軍を編成している所だった。

 

 忙しなく駆け回る官僚たちを余所目に、一人の少女が廊下を歩いていた。楚々とした立ち振る舞いで、貴族の娘に相応しい洗練された所作を見せている。

 

 そしてその容姿も優れている。

 

 腰まで伸ばされた、金糸の如き長髪。エメラルドのような色合いの、怜悧な瞳。それを清楚な青いドレスで身を包み、誰の目から見ても恥じない貴族の令嬢そのものの姿である。

 

 だが、彼女の纏う空気は、そんなものではなかった。私不機嫌です、を全身で表していた。仮にこの場が舞踏会の場でも、これだけの怒気で身を包んでいれば、声を掛けられるのは相当に剛毅な者か底抜けの馬鹿くらいだろう。

 

 少女の名はクリスティーン・スウィンドン。この地の領主の娘である。

 

 クリスティーンは父親がいるだろう、執務室までいくと、ドアをノックする。ドアの向こうから、落ち着いた男の声で入る許可が出る。

 

「失礼します、お父様」

 

 努めて穏やかにしようとしているのが、声色で怒りが聞き取れる、そんな声色だった。

 

 クリスティーンが父と呼んだのは、彼女とはあまり似ていない初老の男だった。ふくよかな体付きと柔和な顔つきは、人を安心させる雰囲気があった。

 

 スウィンドンの領主、ヘンリー・スウィンドン、シュリーベラム伯爵その人である。

 

「予想はつくけど、一応聞こう。何かね」

 

 執務机で羊皮紙に何かを書き込み続ける作業を止めずに、ヘンリーは問いかける。

 

「此度の戦、何故私を編成に入れて頂けないのですか?」

 

 ああ、やはりか。予想通りの言葉に、ヘンリーは困った顔になる。

 

 クリスティーンは、優秀なメイルライダーであり、スウィンドン家の有するドラグメイル、ディナダンの乗り手である。ドラグメイルやジャイグメイルは貴重であり、例え一機だけでもそれは戦の勝敗を左右する。

 

 そしてドラグメイルは原則、血筋に従う。入婿のヘンリーは当然として、スヴィントンの正統を引く母親は既に亡く、同じ両親から生まれた弟はまだ十歳にも満たないため、ディナダンを動かすことはできない。

 

 つまり、ディナダンを操れるのはクリスティーンしかいない。そして彼女は彼女なりに家のために尽くしたいという想いが逸っていた。

 

 スウィンドン家は現国王の覚えが悪い。クリスティーンの生まれて間もない頃に国王の勘気を被り、他の円卓の連なる家系が侯爵である中に於いて唯一伯爵への降格を受けている。

 

 スウィンドンに限らず、円卓の家系は何れも王家の剣であり、盾であることを求められる。だが現当主のヘンリーに戦の才覚は乏しく、降格の際に領地の一部を召し上げられ、常備できる兵力も減った。

 

 ならば自分にできることとは何か。戦場にてディナダンを駆り、武功にて名誉を挽回すべきではないか。

 

 実力はある。機体の性能もあるのだろうが、領内の騎士たちとのジャイグメイル相手ならば負けなしだった。それが余計に焦燥感を煽る。能がなければ諦めもついたのだが。

 

 クリスティーンの気持ちはそうとして、ヘンリーは娘とディナダンを戦場に連れて行く心算はなかった。それは娘の安全を願う父親としての情だけではなく、領主として事のメリット、デメリットを考えた上の判断でもある。

 

 フランク帝国に十二聖機と呼ばれるドラグメイルがある。対してブリテン王国にも円卓の機兵と呼ばれるドラグメイルが存在する。三百年余以前にあった、ブリテン統一戦争にて活躍した機体群を指す名称である。

 

 そしてディナダンはこの十三機の一機である。

 

 乗り手のクリスティーンの実力以上に、この格の高さが戦場では有力な威圧となるだろう。例え性能は十三機の中ではダントツに低くとも。

 

 だが、その格の高さが仇ともなり得るのだ。

 

 最悪、相手も十二聖機を投入してきてしまうこともあり得るのだ。領主と領主の争いレベルで落ち着いている現状が、国家同士の戦争に発展することだけは、ヘンリーは避けたかった。

 

 結論として、クリスティーンの参加は見送ることに決められたのである。だが、血気に逸って、勝手に出撃することも考えられた。若い騎士には間々あるのだ。

 

 だから、任務という建前で彼女の到着を遅れさせ、その合間に戦いを終わらせるのが最良だろうと考えた。なにせ、国境を挟む者同士の定例会のような、程度の低い戦である。ヘンリーとて援軍の理由は貴族としての体面と、万が一があった場合を考慮したくらいしか戦う理由がないのだから。そんなことで損害を出すなど馬鹿らしい。

 

「話がいっていなかったかね?お前には別行動で任務を任せることになっている筈だけど」

 

「私に任務……」

 

 父の言葉にクリスティーンの表情が少しだけ明るくなる。

 

「お任せください、どのような任務でも必ず達成し、王国の勝利に貢献いたしましょう」

 

 少女は胸を張り、領主としてのヘンリーに宣誓した。

 

 

 

 

 そして数日後、クリスティーンはスウィンドン領を越え、南のエイムズベリーに向かっていた。

 

 乗機である淡緑のドラゴンの背に乗り、尾を振りながら地を歩み進んでいた。飛んでいないのは、その後ろに続く数人の騎兵が理由だった。鎧兜に身を包み、盾とランスで武装した、スウィンドンの正規の騎士である。任務の供である彼らを置いて飛んで目的地に向かう訳にもいかなかった。

 

 彼女が向かうのはエイムズベリーの傭兵砦。より厳密にはその近くにある街に、である。

 

 傭兵砦は元々大昔の放棄された砦を、複数の傭兵団が拠点として共有し、人数が膨れ上がるに任せて色々と増築が繰り返され小さな町のようになり、周囲からそう呼ばれるようになったのである。

 

 そこに何をしに行くのかといえば、当然傭兵を雇いにいくのだ。スウィンドンの領地では人口、財政双方の理由で多くの常備兵を持てない。兵の嵩を増やすために傭兵を雇うのは珍しいことではない。

 

 真っ当な軍務、ではあるだろう。だがクリスティーンは不満を隠せなかった。これなら別に自分である必要はないだろう、と。

 

 だが如何に不満があろうと、正式に下された軍令である。正当な理由なしに、逆らわない程度には分別はある。

 

「お父様はいつまでも私の事を子供扱いします」

 

 クリスティーンは鎖の手綱でディナダンを操りながら溜息を吐いた。

 

 淡緑のドラゴン、ディナダン。全体的に曲線的なシルエットと、比較的重厚な装甲を持った機体である。その右肩には、中央にサイの角のような衝角がついた、菱形の吊盾がつけられている。そして左腰に剣、右腰にメイスが。

 

 乗り手たるクリスティーンは、メイルライダー特有の軽装、布鎧の上に美しい装飾のあるプレートメイルとゴーグル。背に盾を背負い、ディナダンと同様の武器を装備している。

 

 一方供の騎兵たちは鎖帷子の上にプレートアーマーという、典型的な騎士の姿である。

 

 尋常な身分でないこと、持ち得る戦力が分かり易いこともあり、野盗が襲ってくることもなく、順調に街に到着した。

 

 通常、傭兵の徴募は街の大通りや市場などで担当者が募集の条件を読み上げ、それを聞いた傭兵たちが自分たちで現地に赴く。そこで査閲を受け、合格と判断された者が正式に雇われ、戦列に加わる。

 

 だが今回はその方法は使えない。条件に合った傭兵を、確実に連れていくというもの、通常の不確実な方法では意味がないのである。

 

 有力な傭兵団はわざわざ徴募に参加せづとも、雇う方から指名を受ける事がある。拠点の近くの街に、窓口のようなものを設けていることもある。彼女の今回の役割がそれに近い。雇う傭兵は指定されていない。だが、最低でも二機以上の機甲巨兵を所持している、というのが条件だった。

 

 今や傭兵の街と呼ばれるその街は、周囲は低い壁で覆われている。堅牢な城塞とはお世辞にも言えないが、横にある砦の存在で手を出すバカはいない。傭兵連中からすれば、この街を潰されては日常生活が大分不便になる。経験豊富な傭兵の群れを好き好んで敵に回す人間はいない。

 

 街に到着したクリスティーンたちはドラグメイルと馬を街の役場に預け、街に入った。

 

 街では食料品を積んだ馬車が大量に行き来している。収穫の季節を終え、じきに冬がくる。冬での活動を考慮している傭兵団は、略奪や狩りでの食糧自給が難しくなるのを見越して、大量に買い貯めを始めていた。

 

 事前に役員に聞いておいた傭兵団の窓口や、顔役が集まる酒場などに手分けして向かうクリスティ-ンたち。

 

 機甲巨兵という騎馬以上に金の掛かる兵科を雇うため、給金は高くなるだろう、クリスティーンはそう考えていた。だが、実際には門前払いに近い形で断られたのである。話をどこからか盗み聞いて言い寄ってくる連中もいたが、そのどれもが機甲巨兵など持ちようもない小規模な傭兵団ばかりだった。

 

 結局その日は騎士たちと合流後、街の官舎に部屋を用意してもらい、次の日は酒場を中心に回ろうと決まった。

 

 

 

 

 人の数は即ち希望の数である。下手な弓も数を撃てば当たることもある。探す相手の内容にもよるが、人が多い場所で探そうというのはあながち間違いではない。

 

 問題があるとすれば、クリスティーンが傭兵の立ち振る舞いというものを十分理解していないことだった。

 

 酒場で絡み酒の酔っ払いに絡まれてしまったのだが、その対応がよくなかった。いや、貴族が平民に対してとる態度としては決して間違っていない。クリスティーンを、誰か知人と間違えている様子の男を無礼者と叱責しただけなのだから。

 

 だが酔っ払いにそんな理屈は通らない。そも本気で人違いをしているのだから余計に面倒な事態となっている。

 

「てめえ、何処で拾った戦利品だが知らねえが、態度までお貴族様か。冗談にしても笑えねえぞ」

 

「だから貴方は誰と勘違いしているのか。私はスウィンドン家の娘、この街に来るのだって初めてだ。」

 

「アホか、冗談で他所の領主の名前を名乗るな!この街でラ・コート・マル・タイユの顔を覚えてねえ奴がいるか!」

 

 酔っ払いの男の言葉に、酒場にいる傭兵稼業の連中は、全員首を縦に振る。本人も機体も、独特の外見からラ・コート・マル・タイユと呼ばれる少女は街では名が知れている。

 

 更にその浪費癖は商いをする者には乗客であるし、大儲けすれば店に居合わせた全員に酒を振る舞ったり。

 

「そうそう、何時も奢ってくれる相手の顔を忘れるかよ、ラ・コート・マル・タイユ」

 

「何時ものコートを着てないの見たのは初めてだけど、流石にそれだけで分からなくなったりはな?」

 

 他の客まで野次馬に加わり、何故か聞き分けのない子供(クリスティーン)諭しているかのような空気が出来上がっていた。

 

 だんだんといたたまれない気持ちになってくるクリスティーン。そんな彼女に救いの手が現れる。

 

「やあ、店の外まで私を呼ぶ声が聞こえたんだけど、私の武勇伝か何かで盛り上が……って……おや?」

 

 現れたのは質のいい素材を使った男物の服の上に、ブカブカのコートを羽織った金髪緑眼の少女。少女はクリスティーンの顔を視界に収めると、目を見開いて驚きの表情になる。それは少女を目にしたクリスティーンも同じであり、周囲の野次馬たちもそうだった。

 

 同じ顔の少女が二人。不意打ちのような驚きに、全員の時間が止まった。そりゃ、驚きもするだろう。街で名の知れた傭兵と、近隣の領主の娘を自称する少女が同じ顔なのだから。

 

 最初に我に戻ったのはコートの少女であった。

 

「困ったな、この街一番の美少女が二人になってしまった」

 

 まるで本気で言っているかのような真顔で、冗談を飛ばした。彼女も冷静さを取り戻せたわけではないようである。

 

 

 

 

「先ずは自己紹介ね。エイムズベリーの傭兵砦の一画を使ってる、楔の団のメイルライダーだ。人にはラ・コート・マル・タイユって呼ばれてる。言い難けりゃ砦一の美少女傭兵ロッサちゃんでもいい」

 

 両社にとって驚きであった出会い、ロッサと名乗ったコートの少女は面白く思い、クリスティーンを一席に誘った。

 

 対してクリスティーンも打算あってこれを受けた。

 

 彼女が名の知れた人物というのはさっきまでの騒動で理解できた。両腰の剣も、着ている服も、上質な素材を使った良い物だ。貴族の会合などに来ていくには些か質素だが、少なくとも恥はかかないくらいには。中々に羽振りがよさそうに見えた。何故上にサイズの合わないコートを羽織っているかは知らないが。

 

 加えて、ラ・コート・マル・タイユと呼ばれるこの少女がこの街で、良い意味で名の知れた存在であるのは先の様子から見てとれる。

 

 一定以上の金銭と立場を併せ持った人物だ。人脈も相応にあると、クリスティーンは期待したのだ。

 

 予期していたわけではないが、彼女自身傭兵と自己紹介し、希望は更に大きくなった。

 

「ご丁寧に。私はクリスティーン・スウィンドン。この地より北に領を持つヘンリー・スウィンドンの娘です」

 

 互いに自己紹介を終え、タイミング良く飲み物が運ばれてくる。ザクロの果汁を使ったエード。誘ったロッサが注文した物だ。

 

 ロッサは給仕の女性に銀貨一枚をチップとして渡すと、女性は慣れた様子でロッサの頬にキスをした。ロッサはだらしなく表情を緩める。クリスティーンは自分と同じ顔がそんな表情を浮かべていることに少し苛立ちを覚えた。

 

 それぞれエードで喉を潤し、ロッサはクリスティーンがこの街に来た理由を尋ねた。傭兵の募集に騎士が来るのは珍しくない。だが、領主の娘が来るなど聞いたことがない。

 

 クリスティーンはただそういう任務を授かったとだけ答えた。単純に他人に教える必要があるとは思わなかったからだ。ただ、理解できないのは募集に応じる傭兵団がいないことだ。ジャイグメイルを保有している、という条件は些か厳しいものかもしれないが、噂に聞く傭兵砦に条件を満たす傭兵団がいないとは思えない。応じる傭兵団がいない理由を、今度はクリスティーンが尋ねる。

 

 それまでの経緯を聴き、ロッサは納得し、クリスティーンの疑問に答える。

 

「結論から言うと、時期が悪かったね」

 

 多くのブリテン人傭兵は冬の戦争を嫌う。これは経験を積んだベテランほどこの傾向が強い。「冬の戦争はうまくいかない」と。

 

 ブリテン王国の領土はエウロペ大陸の北西、寒冷な気候であり、雪の降らない冬はないと言っていい。凍え、手足が悴んでは実力など発揮しようがない。厚着にも限度がある。寒さへの耐性は体質で、鍛えて克服できるものでもない。結果、実力に劣るひよっこに実力者が敗れることも珍しくない。

 

 ベテランの喪失は傭兵団全体にとっても、単純な兵隊一人に留まらない意味がある。そのリスクは目先の給金で果たして割に合うか、と。

 

 故に言うのだ。「冬の戦争はうまくいかない」、と。

 

「それにもう一つ、冬は性悪な氷雪の精霊以外ほとんどの精霊どもが隠れちまう。そんな時期はアレが出る」

 

「アレ、とは」

 

 思い出すのも嫌だと言わんばかりにロッサは表情を歪める。それは却ってクリスティーンの好奇心を刺激した。

 

「『黒騎士ベイラン』、聞いたことくらいあんだろ?」

 

 ロッサの言う通り、聞いたことのある名だった。同時に少し苛立った。

 

「下らない噂を。まさかそんな与太話が怖くて歴戦の傭兵たちが尻すぼみしていると?」

 

 ドラグメイルを肇とした機甲兵器が投入された戦場に乱入し、誰彼構わず破壊していく黒いドラグメイル。破壊した機体の臓物を喰らい、死人を乗り手とし、数百年もの間彷徨い続ける呪われた機体。荒唐無稽な与太話。

 

「ああ、そんな与太話が怖いのさ。黒騎士は実在する、それが私ら傭兵砦に属する傭兵団の共通の見解さ」

 

 苦々しい表情で、ロッサはエードを口にする。クリスティーンも苛立ちを隠せない。ロッサの言葉を信じた訳ではないが、本当なら冬が終わるまで、この地での募兵は不可能に近いことになる。

 

「仮にあなたの言う通りだとして、どうにかならないか?」

 

「……金に困ってる連中なら背に腹変えられないだろうから、そういうのいないか声掛けてみるくらいならしてもいいぜ?期待されると困るけど」

 

 同じ顔の誼だ、とロッサは席を立った。残されたクリスティーンは頭を抱える他なかった。

 

 

 

 

 傭兵砦は元々大きな砦ではなかった。それを傭兵たちが拠点として住みつき、人数が増えるに連れ、自分たちで拡張していった。無計画に拡大した砦は奇怪な形状となり、本来の面影は余り残ってはいない。

 

 砦の施設の多くは、砦に属する傭兵団の共有財産だが、幾つかの規模の大きい傭兵団は独自のスペースが割り当てられている。

 

 但し、同じ砦を共有しているとはいえ所詮傭兵。向かった先の戦場で敵味方、ということも珍しくない。そのために奥の手を隠しておくか、相手を牽制るためのブラフを拡散したり。他の傭兵団は最も近い僚友であり、最も近い敵でもあるという複雑な関係を築いている。

 

 

 砦に戻ったロッサは、道中砦の娼婦たちに声を掛けたりしながら、団の宿舎に向かう。

 

「爺ちゃん、ちょっといいかな?」

 

 訪れたのは団のチーフ、フーゴの部屋。だがチーフとではなく、彼女はそう呼んだ。

 

「なんだ」

 

 フーゴは自室の机で羊皮紙に手紙か何かを書いていた。古い友人宛だとロッサは聞いたことがあるが、どんな相手かは知らない。

 

 傭兵の部屋というより、書斎といった方が納得するような部屋だった。余計な装飾はなく、複数ある本棚に、大量の書物が収まっている。ブリテン島とエウロペ大陸全体の地図なども飾られていた。

 

「私の両親ってさ、両方とも傭兵やってたんだよな」

 

 ロッサは両親の顔を知らない。両親は早くに他界したと聞いており、物心ついた頃にはフーゴに育てられてきたからである。

 

 文字に算術、武器の握り方も何もかも、フーゴから学んだものだ。

 

「そうだ。それがどうかしたか?」

 

 筆を止めて、フーゴはロッサに目を向けた。

 

「ん~にゃ、別に。会ったことない両親だからさ、ちょっとね」

 

 それだけ答え、ロッサはフーゴの部屋を後にした。

 

「流石に考え過ぎだよな」

 

 物心ついた頃には自分の側にあったドラグメイル。顔も知らない両親。同じ顔の少女。

 

「っとに何だかな」

 

 ロッサは漠然とした不安を募らせていた。

 

 そしてフーゴは、ただ黙ってロッサの出ていった扉を見つめていた。

 

 

 




 桜が咲き誇る今日この頃、皆様如何お過ごしでしょうか?どうも、郭尭です。

 今回はラ・コート・マル・タイユ編のメイン二人の出会いです。後ちょっと伏線を。

 この世界のブリテンのモデルは当然イギリスです。地名もほぼそのまま持って来てますので、地理関係は実際のヨーロッパの地図で大凡把握できるかと。

 それでは今回はこの辺で、また次回お会いしましょう。


 PS、今回も主に単語レベルの変更で若干描写の変更があります。


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第三話

 

 

 

 

 フランク帝国の帝都は華やかにして端麗な都として知られている。

 

 洗練された街並み、整頓された街道。住まう住民も上質な衣を身に纏い、美食を楽しむ。

 

 王宮もまた絢爛豪華の一言に尽きた。

 

 庭園は様々な花々に彩られ、無数の噴水がきらめきを放つ。純白の城壁に施された黄金の装飾は上品に纏められ、場内には多くの美術品が飾られている。

 

 美しき都パリ。可憐なる女帝の住まう場所。なれど主たるジャンヌは帝都にいない。

 

 では何処にいるのか。

 

 フランク帝国の北、ゲルマニア帝国から奪った城塞、シュトゥットカルト城にいた。

 

 パリの宮殿のような装飾を一切排除した、軍事拠点としての機能を追求した城塞である。内装も装飾はほとんどなく、まさに必要な物だけを集めたという体だった。

 

 シュトゥットカルト城の城主の間には、既に女帝に仕える将官たちが集っている。各々序列に従って部屋の左右に整列している。

 

「フランク帝国皇帝、ジャンヌ・ド・フランク陛下のおなりであーる!」

 

 女帝の到着を知らせる号令が発せられると、場にいる臣下は一斉にその場に跪く。片膝を地に着け、右の掌を左胸に当て、頭を垂れる。その列の中央を、粛然とした様子で女帝は玉座に向かう。

 

 頭上に被るは、白金の王冠。ロイヤルブルーの帽子部と、八本とハーフアーチと正面に十字架があしらわれ、無用な華美を廃した純粋な輝きは彼女の気高さの如く。

 

 身に纏うは純白のドレス。銀糸を用いた装飾と、両肩をうっすら隠す極薄の絹のベール、小川のような淡い青のマントを纏い、絢爛でありながら奢侈に至らぬ美麗さは彼女の清廉さのように。

 

 そして戦時の城塞にあるが故の白銀色の軽装鎧。光輝いて見えるほどに磨かれた装甲の、されど間近で見ねば気付かぬ無数の傷、腰帯には銀のゴーグルが巻き付かれ、優美な竜騎士鎧は彼女の勇敢さを示す。

 

 その全てが彼の可憐な乙女の身を飾る。黄昏時の波間の様に金色に輝く長髪、理知に溢れた眼差しを浮かべる、細く開かれた碧眼。女性としても華奢で小柄な体躯。

 

 優秀なる群臣を従え、大陸で最大の版図を奪い、今尚周囲を呑み込み続ける英傑。フランク帝国の支配者にして不敗のメイルライダー、ジャンヌ・カロリング。弱冠十四歳の帝王である。

 

 本来なら幼いと評してもいい支配者に、しかし異を唱える者はいない。皆が彼女の力をその目で見て、理解しているからである。

 

「本日の朝議に入る。報告を」

 

 玉座に座った女帝から発せられた、幼さが滲み出る声。だがその声は不思議と威厳を伴うものだった。

 

 彼女の言葉に、群臣たちは順に伝えるべき情報を伝えていく。

 

 ゲルマニア帝国との意図的な膠着状態の構築、この年の税として納められた糧秣、戦時増税の必要性の有無など、その多くは目下の戦争に関してだった。

 

 内政に関して、ジャンヌは多くを臣下たちに任せ、彼女は承認を下すだけの場合がほとんどだった。それは彼女が政治に明るくないのではなく、優秀な人材が彼女の周りに溢れ、それらを良い意味で頼っているからに他ならない。

 

「ふむ、最早略奪だけでは糧秣がもたぬか」

 

 一通りの報告を聞き終え、ジャンヌは溜息を吐いた。戦争は順調、最も梃子摺っている東の難敵ヘルウェティア王国ですら、フランクが優位に戦況を展開している。だが、食うに困れば戦い所ではない。

 

「戦時増税を行い食糧を供出させれば、糧秣の問題は緩和いたします。多少の不自由は強いましょうが」

 

「ならぬ。納税の義務を果たした民から、それ以上を求めることを余は望まぬ」

 

 フランクという国は帝政である。その支配者たる皇帝は最も多くの特権を有する。なればこそ、最も多くの義務を背負うのだ。

 

 そして彼女には支配者としての能力を生まれ持った。比類なき才覚を。

 

「余が即位してよりの一連の戦の目的を忘れてはならぬ。全ては我が臣民と帝国により多くの富を、である。それを民から略取しては元も子もない」

 

 フランク帝国は永らく優れた支配者に恵まれ、良き治世が続いてきた。やせた大地では秋の実りは限られ、国を富ませるに歴代の皇帝たちは商いを推奨し、様々な職人たちを援助し富を築き上げてきた。民が増え、流民が多く流れ込み、周辺国の警戒心を煽り貿易を渋るほどに。

 

 結果、増え過ぎた人口に国の食糧生産量が追い付かず、慢性的な食糧不足に陥りつつあった。故の国土の拡張。

 

 帝国は新たな穀倉地帯と、それを運営するための奴隷を求めているのだ。

 

「今年刈り入れた糧秣が届いたとしても、大きく動くには不安が残る量である。この一年は次の収穫まで拠点の維持と兵糧の節制に努めよ。必要あらば戦線の後退もやむを得まい」

 

 如何な屈強な軍勢も、食わねば戦えはしない。奪った領土も、穀倉地として機能するように環境を整えていく必要がある。

 

 領土の拡張は一時止めざるを得ない。無理をして足元を危うくする愚を犯すわけにはいくまいと。

 

「次、サワタリ」

 

 一通り、臣下からの報告を聞き終わったジャンヌは、ある名前を呼ぶ。フランク帝国でも、というよりエウロペで聞かない姓だ。

 

 群臣より進み出たのは黒髪の男だった。歳のほどは二十代に見えなくもないが、細く開かれた目尻には僅かに皺が見られる。実際はもっと上だろう。

 

「以前ノ報告通り、試作機の性能は概ね予定通りデス。実戦テストも、今頃予定の場所に到着している頃の筈です」

 

「ドラグメイル以上の性能持ち、血筋に縛られない機甲巨兵。そなたの研究には少なくない資金が投入されている。相応の成果は見せてもらわねばならぬ」

 

 幼き女帝の言葉に含まれた意味に、サワタリは理解した上でにっこりと微笑んで見せた。

 

 

 

 

「ムーリーでーすー」

 

「そこを承知で頼む。報酬に関しては可能な限り多く支払うことを約束する」

 

「だから金じゃねーんだって」

 

 エイムズベリーに着いて三日、未だクリスティーンは条件に合う傭兵と契約を結ぶに至らずにいた。一応ロッサの方も傭兵砦や面識のある街の傭兵たちに声を掛けてみたが、当然良い返答はなかった。

 

 そしてこの日、クリスティーンは恥を忍んで、傭兵砦まで赴いた。自分と同じ顔という縁の少女を頼るために。

 

「貴女の団は三機のジャイグメイルを所持していると聞いている。貴女方を雇えれば……」

 

 正確には一機はドラグメイルだが、表向きはマラディザンドもジャイグメイルなので噂はそうなっている。

 

 兎も角、クリスティーンを砦の広場まで連れてきたロッサは、それでも断り続けた。

 

 傭兵は金のために戦う、それは真理である。だが、だからこそ仕事を選ぶ。実力の範疇の外の仕事は選ばない。

 

 理由は二つ。仕事の失敗は雇い主の信用を失う。信用のない者を雇うことなどあるか、戦争となれば雇い主側も命が懸かっているのだ。

 

 そしてもう一つ、死人は金を使えない。幾ら稼ごうと、死んでしまえば意味がない。

 

「悪いことは言わないから、時期を改めろ。雪融けの後なら、幾らでも集まるさ」

 

 ロッサは自身の所属する傭兵団にこの話を持っていく気はなかった。クリスティーンのことは嫌いではない。面白い縁もあって、今も世話を焼いている。それでも自分や他人の命を賭けてやるほどではない。

 

「それでは意味がないのです。ただの小競り合いがその頃まで続いているとは思えません」

 

 尤もだとは、ロッサも考える。寧ろ、領主がこのやる気と正義感に満ちたコウルサイ娘を戦場から遠ざけるためにでっち上げた任務なのではないか、とも。そもそも、領主が必ずしも傭兵の風習やらを知っているかは別として、軍務に携わる人間がこれを知っているのが一人もいないということはないだろう。少なくとも大量の常備兵を維持できるほどの大領主でもなければ。

 

「悪いけどさ、そろそろ話を終わりにしてくれ。晩飯の配給がそろそろでさ」

 

 そう言ってロッサは立ち上がる。いい加減この場を離れたかった。砦でも名の知れたメイルライダーと、同じ顔がもう一人。いい加減悪目立ちし過ぎて、周囲の視線が鬱陶しくもあった。

 

 ついでに言えばクリスティーンの努力が、ロッサにとっていい加減鬱陶しく思えてきたというのもある。

 

「うっ、そんな時間ですか。すみません」

 

 流石にこれ以上は長居しても無意味だと感じたクリスティーンは、この日は退散することにした。

 

 そしていらないトラブルを避ける意味も含めて、ロッサはクリスティーンを砦の門まで送ることにした。そこにロッサにとって見慣れた人物が見えた。外から戻ってきたところだろうか、団の寮の方向に向かうフーゴだった。

 

 ロッサたちに気付いたフーゴは目を見開く。正確には、クリスティーンに。

 

 ロッサは挨拶序でに、クリスティーンを紹介した。彼女がこの場に来た理由も。

 

「傭兵の風習で冬を嫌うの聞き及びました。その上で願いします。我らに力添えを」

 

 貴族が平民にするには丁寧な態度。だがそれを横で見ていたロッサは、クリスティーンが断られると考えていた。だがフーゴは暫し考えるような仕草を見せた。

 

「申し訳ないが、ミス・スウィンドン、これは軽々しく決められることではない。正式な返答は後日しよう」

 

 即答で断らなかったのが意外だった。孫娘と同じ顔の相手に、無碍に扱うのに抵抗があったのか、とロッサは考えた。

 

「配慮に感謝します」

 

 クリスティーンはそう返して、帰路に就いた。

 

「爺ちゃん、よかったの?あんな期待が残る言いかたしちゃってさ」

 

 どうせこの仕事を受けはしないのだ、きっぱり断るのも優しさだろう、と。

 

「考えてからな」

 

 フーゴはただ、一言だけ返した。去っていくその後ろ姿にロッサは眉を顰めるが、夕食の配給を受けるため、すぐにその場を後にした。

 

 

 

 

 傭兵に供される食事は、兎に角量が大事である。楔の団を例にとっても、一気に百人以上の分の食事を作らなければならない。そのため献立は、味の良し悪しより、一気に大量に作れることと、腹持ちの良さである。結果シチューやスープが多くなり、外から買ってきた黒パンと果物が付いてくる。

 

 これが何かしらの立場が付けば、別個で焼いた肉や白パンが出る。

 

 ロッサのようなメイルライダーも当然特別待遇される。皿いっぱいのシチューに白パン、香辛料塗れの牛のステーキという少女らしからぬ、ボリュームあるメニューである。それでも彼女は余裕を持って平らげる。

 

 傭兵は体が資本の仕事である。日々の鍛錬もあって、女性であっても食わねばやっていけないのだ。というより、食える体が出来上がっているのだ。

 

 さて、多くの場合傭兵の炊事班はこの後食器や調理道具を片付けて終わる。だが、機甲巨兵を有する組織は、この後がある。

 

 傭兵団の場合、団の女たちが一度調理道具を洗浄し、改めて湯を沸かして大量の肉を煮込む。肉の種類は様々。痛みかけた古いものや残り物のくず肉など、とにかくあるものをぶち込んでいく。これに味など考慮しない。よって調味料で味を調えるなんてこともしない。必要もない。何故ならこれらは食べるものではないからだ。

 

 とことん煮込み続け、やがて肉が溶け、油と共にどろどろの液体となる。これを今度は温くなるまで、固形化しないようにかき回し続ける。

 

 出来上がったドロついたものは機甲兵器の元まで運ばれ、8メーター前後の巨体の後ろ腰の装甲に隠れている、鉄の栓に塞がれていた穴に流し込まれていく。

 

 ドラグメイルは竜種の、ジャイグメイルは他の巨大生物の一部臓器を使用している。生きた脳を演算装置とし、生きた心臓を動力としている。そして生きた臓器には当然相応の栄養を与えねばならない。

 

 機甲兵器は生きたパーツを持った兵器なのだ。食わねば生きていけない。生きるには食わねばならない。故に、わざわざ馬鹿みたいに長い腸をスペースをとって内蔵しなけらばならないのだ。

 

 作業の様子は、直接参加しないものの、それぞれメイルライダーの監督の元に行われる。自分の命を預ける物なのだ、当然と言えるだろう。

 

 さて、この作業若干時間が掛かる割には、内容は単調である。なので監督する非常に暇である。そしてどれだけ暇でも、メイルライダーたちがこの作業に参加することはない。してはならない。彼女たちの仕事を奪うのは、例え親切心であろうと団に於ける存在意義を奪うことに他ならない。

 

 故にメイルライダーは各々で暇潰しの用意も必要となる。ロッサの場合、同じく監督に来たニアを、ものすごく自然に抱きかかえ自分の膝の上に乗せてベンチに座る。

 

「いい加減やめろ、ラ・コート・マル・タイユ」

 

 子供かぬいぐるみでも抱きかかえる要領で、同年代の少女に膝に乗せられるのは、ニアにとって喜ばしいものではない。羞恥心的に。

 

「いいじゃない。減るもんじゃなし」

 

「減ってるからな、私の理性の箍が」

 

「情欲にか。ならばそれに身を任せてもいいよ。私は歓迎する」

 

「怒りにだよ!」

 

 極々自然体で女性にセクハラを働くロッサ。ニアに頬づりしようと顔を近づけると、抵抗されると大人しく抱きかかえているだけにした。

 

 普段は団の兵士の女たちにまで手を出さないロッサであるが、今のように非戦闘員の女たちに暇がない時は周囲に被害がいくことがあった。それでも根本的の部分で嫌われないのは彼女の仁徳か。それでもニアのように苦手意識を隠さない者もいるが。

 

「第一手を出すなら男にしろよ。女同士なんて非生産的な」

 

「ん~、爺ちゃんには昔っか結婚までは貞操は守れって言われててさ」

 

 貞操守るのが何故そう繋がるのか、ニアは頭が痛くなった。

 

「男相手だと雰囲気で流されるかもだし?女同士なら安心でしょ。だから私乙女」

 

 聞いてもいないことを、楽しそうに語るロッサ。ニアは、同じく自分の機体の作業を監督していたフーゴに目を向ける。彼女らの方に目を向けてはいないが、目元を指で押さえている。聞えてはいたようだ。

 

 ロッサを育ててきたのはフーゴだ。今は自活できるくらいには成長したロッサだが、その人格形成に最も強く関わってきた筈の人物である、厳格かつ寡黙なこの老戦士からどうすればこんなのが育つのか。

 

 暫くして作業が終わり、それぞれが自身の機体を軽くチェックする。漸く解放されたニアが機体のチェックを終えると、ロッサが早速団の女たちに声を掛け始めたのが見えた。あの不真面目な性格で、やることは手際が良いのが、ニアに何とも言えない気分を抱かせる。

 

 だが、そんな陽気なロッサでさえも笑えない事態が、翌日起きた。

 

「我ら楔の団はスウィンドン伯爵家の依頼を受け、海を越えヘントに向かう」

 

 傭兵が嫌う冬の戦争、それを受けるとフーゴが決めたのだ。

 

 




 中々外出できない今日この頃、皆さま如何お過ごしでしょうか?どうも、郭尭です。

 今回は単語の修正、改変に加えて少しだけ描写の追加を行いました。当時は問題ないと思っても後年読むと粗が目立つ。色々と足りないものが多いなあと。

 それでは今回はこの辺で、また次回お会いしましょう。


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第四話

 

 

 

 

 傭兵など、何時死ぬか分からない職業である。故に己を過信したりでもしなければ、生き残るためには可能な限りの努力をする。

 

 出来るだけ良い武具を揃え、経験ある先達に学ぶ。それをしなけらば早死にするだけであり、したからといってやはり死ぬときは死ぬ。

 

 なすべき努力、なし得る努力。思いつくだけやって、最後に残されるのは験担ぎである。

 

 何かしらの加護に関わる文様を盾に描いたり、神霊の類に捧げ物をしたり。

 

 戦場で最後に生死を分けるのは運、というのは決して言い過ぎとは言えない。

 

 それはそれとして、縁起の良いジンクスがあれば当然その逆の、やらない方が良いタブーが存在する。

 

 冬の戦争は正にその類のものであり、望んでこれを破る傭兵は多くない。

 

 フーゴ・チャンドスがチーフを務める楔の団に於いてもそれは例外ではなく、だからこそフーゴの決定は団員たちを動揺させた。

 

 フーゴは慎重な男である。団の士気が上がりようのない仕事を受けるなど、団員たちにとって思いのよらないことであった。

 

 だがこの決定が彼らを動揺させたと同時に、それでもフーゴの決定ならば、という信頼もあって、結局は団の殆どに受け入れられた。決してベストとは言えないが、団員たちの心持は大凡ベターと言える所で維持されていた。

 

 だが、一人全くモチベーションが上がらない者がいた。ラ・コート・マル・タイユ、ロッサである。

 

 フーゴに最も近しいと言えるのが他ならぬ彼女だ。傭兵団の頭領としてのフーゴだけでなく、育ての親としてその庇護の下に在り続けた時期もある。傭兵として一人前と言えるようになった今でも、彼女にとっては敬愛する祖父なのだ。

 

 そのフーゴの下した判断。正体の分からない違和感と、それに付随しているかのような苛立ち。その何れも最も長く、最も近くにいた彼女にしか感じられないものだった。

 

 それでも黙って今回の仕事を受け入れたのは団の結束を乱さないためであった。全体の雰囲気が受ける方向で流れていなければ、彼女も異を唱える機会があったのだが。

 

 そして出発の準備も含め、何時かを掛けて南下、ポーツマスの街から港で船旅になる。そこからブリテン島西部の港町フォークストーンを経由し大陸側ヘント領の港ゼーブルッヘに到着することになる。

 

「潮風は髪に悪いって聞くんだけど、私は外に出るべきだと思う?」

 

「好きにすればいいじゃないか。何で私に聞くんだよ」

 

 楔の団は、徴募担当者であるクリスティーン達と共に軍用艦で大陸に向けて航海していた。八メーターを超える全高を誇る四機の機甲兵器と、傭兵団含め二百人近い船客を積載するため、船はかなり大型の軍艦が用意された。そんな中、ニアは単に食堂に飲み物を取りに来ただけだったのだが、結果ロッサに捕まってしまった。

 

「風は気持ちいいんだけどね、枝毛とか増えたら砦の損失だと思うのよ、私の美少女っぷりは」

 

 冗談を言いながら、ロッサは蜂蜜のクッキーを摘まむ。割と高価な趣向品だが、ロッサはこの手のものに金を惜しまない。そしてそれを独り占めせずに、周りの人間にも自由に摘まませている。そのため、彼女がおやつを食べるときは多くの女性陣が釣られるのだ。現に何処から嗅ぎつけてきたのか、団の女たちがちらほらよって来ては、クッキーを摘まんでいく。特に幼いと言えるような歳の子供には寧ろお土産に少し持たせることさえある。

 

 こういう所が彼女の女たちからの人気に繋がっているのか。それとも会っている時のセクハラの密度の問題か。嫌悪という程のものは湧かないが、ニアはロッサが苦手に感じていた。

 

「ドワーフは海どうなのよ?洞窟や石の家が好きって印象だけど」

 

 ロッサの質問は、エウロペに於けるステレオタイプのドワーフのイメージである。

 

「洞窟とかが好きっていうより、そこで生まれたのがドワーフだし、馴染むのは確かだ。木陰すらない海は好かないな」

 

 人間は土くれから生まれたが故に地上で生きることを好むとされている。対してドワーフは石から模られたとされ、良き鉱夫であるコボルトなどと同様地下や洞窟に住まうことを好む者が多い。

 

 周囲の全ての方向が見渡せてしまう水平線の上は、多くのドワーフたちにとって慣れない環境と言える。

 

「ところでニアってコボルトの友達っている?一度会ってみたいな」

 

 ドワーフと違い、コボルトは人間社会との直接的な接触は少ない。これはコボルトに限らず、人間との外見的な差異が大きい亜人種はトラブルを避けるために、間に人間に近い種族に入ってもらい交流を間接的なものに留める者が多いのである。

 

 人に近い形を持ちながら、人と違い過ぎる容貌に恐怖を覚えてしまう人間が多数なのだ。そういう意味ではオークも余り人里には出てこない種族である。その分彼らの強靭な肉体を見込んで団員として組み込む傭兵団もそれなりに存在する。

 

「見世物じゃないんだぞ」

 

「そういう心算じゃないんだけどな、そういう意味だったらエルフを見たいし」

 

 逆に見目麗しい姿ながら、エルフは閉鎖的な思考のものが多く、他種族との交流が乏しい。そして目の栄養だけでなく、弓術に秀でて呪術にも造詣が深い者が多い。軍事力としても、価値ある存在だ。

 

「やめとけやめとけ、ドワーフの工匠がどっさり離れるぞ」

 

「あ、それは困るね」

 

 基本的にドワーフとエルフは仲が悪い。歴史的に何かしらの種族間の遺恨があるわけでなく、ただ『生理的に嫌い』としか言いようが見つからない嫌い方である。

 

 優れた工匠であるドワーフが団内にいるか否か、機甲巨兵や武器防具の保持に大きな差が出る。ドワーフたちがいなくては機甲巨兵が運用できないわけではないが、腕が良い工匠は多いに越したことはないのだ。

 

 エルフ自身の閉鎖性も含め、集団での雇用は困難か、とロッサは残念に思った。所詮皮算用であるのだが。

 

 クッキーを摘まみ終え、自室に戻ろうとニアは廊下に出る。それを見届けて、ロッサは思考を変える。

 

 何故、チーフはこの仕事を受けることにしたのか。

 

 今回の仕事は比較的安全な部類に入る。

 

 ブリテン貴族とフランク貴族の小競り合い。ブリテンに単独でフランクと戦う地力はなく、フランクは兵糧不足に悩まされている。双方とも国家レベルの戦争に発展することを望まず、落とし所を探っている筈。少なくとも国境を任される人間が、自国の状況を鑑みることができない愚か者に任されていない限り。

 

 つまり今回傭兵に求められる仕事は、適当に小競り合いを演出して貴族の面目を保つことと、和睦交渉を相手も妥協可能な範囲で有利な条件で終わらせるために数で威嚇することである。

 

 基本突っ立ってるだけで、時々申し訳程度にぶつかり合って、運が良ければ小さな村を一つ二つ略奪して。領主同士の話し合いがつくまで日当を受け取り続けるのだ。

 

 大稼ぎは難しいが、堅実な稼ぎが出る。

 

 だが、やはり冬の戦場に参加する理由が分からない。『黒騎士ベイラン』は精霊の力が強い場所を嫌う、と言われている。そして冬という季節は多くの精霊がどこかに消えてしまう季節である。

 

 黒騎士と戦場で出会うか否か、可能性は万に一つ、である。それでも出会ってしまえば生き残るのは難しい。機体性能なのか、乗り手の技量なのか、その戦闘能力は平均的なドラグメイルを大きく上回ると聞く。四、五機の機甲巨兵が同時に犠牲になったという話は多く、その生存者もほとんどが歩兵や騎兵。即ちメイルライダー以外という話である。

 

 多くの騎士たちが、敗北の言い訳と嗤う黒騎士の噂を、傭兵砦の傭兵たちは信じる。傭兵とて信頼の商売だ。清廉でもなければ正直でもないが、だから嘘の吐き所というものがある。只でさえ犯罪者と紙一重の生業、狂言吐きなど雇う側のブラックノートに乗るに決まっている。

 

 何より傭兵砦にも襲われたと言う傭兵が複数いる。信用の「出来てしまう」情報なのだ。

 

 噂通りと仮定だとせれば、出会えば複数の機甲巨兵が失われる。どんなに報酬を貰っても元が取れない。特に竜種の臓器は金が有っても買えるとは限らない代物。

 

 黒騎士との遭遇など、文字通り万が一の可能性である。だが、本当にその万が一に出くわした場合、それは団の存続に関わることになる。

 

「……考えてもしかたないか」

 

 結局答えは出ない。ロッサも席を立つ。そして部屋に戻ってチーズをほんの一欠けら用意する。それを小皿に乗せて、部屋の扉の横に供え置いた。願掛けの一種、部屋住まいの妖精が分けてくれるという幸運が、少しでも黒騎士の出現を押さえてくれることを願って。

 

 部屋を離れ、甲板まで上がったロッサは、海風を受けながら手摺りに背を預ける。強い海風に晒され、頬に刺すような感覚を覚える。

 

 

「冷えるな……」

 

 

 素肌の右手を見つめながら呟いた。コートと布鎧のおかげで凍えはしないが、手袋越しの武器の扱いに慣れていなければ、かじかんだ手でミスもするだろう。

 

 ふと海鳥の鳴き声が上の方向から聞こえた。船の両舷、喫水線の少し上あたりから伸びた四対の柱。複数の節を持ったその柱はマストより少し低いくらいの高さで二つ折りになっている。その内一本の天辺で海鳥が羽を休めていた。

 

 水平線から、僅かに陸地が姿を見せ始めていた。

 

 

 

 

 ブリテン王国ヘント領は、大陸側にある領地の中で特に治め難い土地である。元々フランクだけでなく、その藩国であるブルゴーニュとバタヴィアと領を接し、火種の尽きない場所だった。小競り合いは毎年のようにおこり、その維持には多額の軍資金が投入され続けている。

 

 そんな土地を堅持し続けているのは、土地そのものの価値以上に、ブリテンとエウロペを繋ぐ大規模な港町、ゼーブルッヘを有していることにある。

 

 本拠地が大陸と海で隔てられているブリテンは貿易のために、自分たちの管理下に大陸側の港がどうしても欠かせなかった。

 

 同時に大陸側の領土を守るための軍港としての機能も優秀であり、海を隔て飛び地にも等しい土地に迅速に大軍を受け入れられるようになっているのである。結果、貿易による資金と港によって、やろうと思えば多くの兵を雇う能力がある。

 

 だが今回はやはりタイミングが悪かった。ヘント領に需要と資金があるにも拘らず、供給側が乗ってこなかったのである。理由はやはりエイムズベリーと同様、冬だからである。そのためにわざわざ他の貴族に頭を下げて援軍を願ったのである。

 

 ただ、傭兵砦の黒騎士への忌避ではなく、ある理由から冬初めから年明けにかけてブリテン島と大陸間の海峡の行き来が難しくなるためであるが。

 

 ヘントの傭兵事情はさて置き、元々ヘント領は二つの藩王国を相手に定期的に小競り合いをしながら一応の安定を見せていたが、フランク帝国の国土拡張によりそれは崩れた。

 

 フランクの攻勢に押されていたゲルマニアがブルゴーニュを唆し、攻勢にあったフランクを裏切らせ、その軍勢の背後を突かせた。ゲルマニア軍と挟まれた形となったフランク軍は皇帝自ら自身の乗機、シャルルマーニュを駆りこれを撃退した。

 

 同時にブルゴーニュに対する懲罰戦争となり、今やブルゴーニュ藩王国は過去のものとなり、フランク帝国の天領となっている。

 

 この時、ブリテンは初めてフランク帝国と国境を接してしまったのである。更にはバタヴィアの民がフランクの行動に過剰反応し、三ヶ国の国境線を不安定なものにしている。結果起きた細々な問題が積み重なり、ブリテンとフランク双方にとって面倒なだけの戦いが起こってしまったのだ。

 

 そんな理由もあり、領主のヘント辺境伯もフランク側も余りことを大きくしたくないのが本音だった。

 

 ために大きな戦闘は起きておらず、散発的に小規模な戦闘を行うだけである。その裏で双方の使者が行き来し、互いに納得できる落とし所を探っていた。

 

 そんな中、ヘント領側の村を襲っていた傭兵の一団があった。

 

 傭兵の分の兵糧は基本的に、雇い主から支給されるか、自分たちで商人に渡りをつけて購入するかである。比較的安定した食糧供給はこの二つの方法がある。

 

 ただ他にも一定のリスクを伴うが、非常にメリットの大きい方法がある。

 

 それが略奪である。

 

 戦争相手の領地に対する略奪は罪に問われることはない。敵兵站に対する攻撃にとなるからだ。そして襲う側は傭兵、正規兵問わず金品を戦利品として持ち帰ることが許されている。兵士たち自身の儲けにするため、略奪の許しは兵士の士気を上げる。

 

 この日、ヘント領のある農村に攻め入った傭兵たちもそうだった。

 

 三機のジャイグメイルを有する彼らに、武力を持たない農民たちは碌な抵抗もできずに殺されていき、女たちは蹂躙される。冬越しの食糧は村の広場に集められ、隊の馬車に乗せられていく。村人の分は麦の一粒とて残されず、例え運良く逃げ出せても十中八九飢え死にすることになるだろう。

 

 だが彼らの略奪の最中、村近くの森からそれは躍りでた。村を襲った傭兵団と敵対する者たち、ヘント領に雇われた、二機のジャイグメイルを含んだ傭兵たちだった。

 

 ヘント側の傭兵たちの奇襲は入念に準備されたものだった。襲撃されていた村はヘント側の陣地から遠く、救援など望めない位置にある。フランク側からも近くはないのですぐには襲われることはないだろうが、時間の問題だろうと、この傭兵団の頭領は考えた。そして領内の巡回という名目で本隊を離れる許可を取った。

 

 名目上の任務を果たすため、僅かな歩兵たちに巡回に向かわせ、彼らは村近くの森に隠れ住むためのキャンプを張った。八メーターを超えるジャイグメイルを隠すために村から距離を置いて。

 

 そして敵が村に攻め入ってきても、すぐには攻撃に移らない。待つのだ、敵が最も気を緩める瞬間を。最も望ましいのは敵のメイルライダーが自分の機体から降りてくれること。機甲巨兵に乗ったままでは金品の略奪に参加できないから。

 

 暫くして村の近くから監視させていた斥候から、二人のメイルライダーが乗機から降りたと報告される。乗り手が慎重なのか、臆病なのか一人残ってしまっているが、それでも味方は二機いる、数の優位ができた。

 

 頭領が部下たちに突撃を号令した。

 

 二機のジャイグメイルが森の木々を蹴散らしながら駆ける。バケツ型ヘルムを模した頭部と、ずんぐりした体格が特徴的な機体、ゴライアスである。その後ろを生身の兵士たちが追う。

 

 完璧な奇襲に敵は浮足立った。眼前の財に目を奪われていた彼らは完全に意識の外からの攻撃となった。

 

 一機のゴライアスが乗り手のいる敵機に打ち掛かり足を止め、もう一機が乗り手のいない二機の頭部に戦鎚で叩き壊していく。無防備に殴られた頭部は無残に変形していき、装甲の裂け目から潰れた脳漿が漏れだす。

 

 メイルライダーはの操縦スペースは胴にあるが、意図してそこを狙う者は少ない。ジャイグメイルならば臓物を交換すれば使えるので出来るだけ良い状態で鹵獲を望み、ドラグメイルだった場合乗り手は相応の身分である場合が多い。ドラグメイルも修理可能な状態ならば、合わせて莫大な身代金が手に入る。可能なら、という枕詞が付くが、むやみに殺さないという暗黙の了解が存在している。

 

 二機のジャイグメイルを失った敵は早々に崩れだす。生身の人間が機甲巨兵を相手取ろうとするなら、入念な計画と準備が必要である。今動いているジャイグメイルがヘント側の二機に制圧されれば、歩兵しか残らない敵には有効な攻撃を行う手段はない。

 

 二対一の戦いでフランク側の機体が押し込まれていく。戦いの趨勢は明らかである。やがて片方のゴライアスの剣が敵機の脇を貫き、片腕の機能を喪失させる。敵機の乗り手は降伏を申し出し、彼らはそれを受け入れた。

 

 損傷しているが三機のジャイグメイルを手に入れたこの傭兵団は、ついでに逃げた敵の物資を接収していく。この村から略奪して集られた食糧や金品を、である。

 

 もし雇い主の領内で略奪を働いたりすれば、その領主を敵に回し、場合によっては国に指名手配されてしまう。だが、彼らは村を襲ってはいない。

 

 村を襲った敵を返り討ちにし、敵の物資を奪っただけなのだから。『敵の襲撃時に、偶然近くに居合わせた彼らが村に急行し、遺憾ながら村人たちを救うに間に合わなかった』ただそれだけのことである。

 

 合わせて三機のジャイグメイル、村一つが冬越しするだけの食糧、若干の戦利品。人質は同じ傭兵だから大した額にならないだろうが、それでも合わせて金貨数枚にはなるだろう。

 

 加えて報奨金も期待できる。鹵獲したジャイグメイルは戦利品であると同時に戦果の証明でもあるのだ。

 

 物資を集め終わった頃には日も傾き、彼らはこの村で一晩明かすことにした。彼らは村に散らばる死体を家屋の一つに集めて燃やし、各々が眠る部屋を確保していく。テントではなく、粗末ではあるが屋根と壁のある環境は人間に安心感を与えてくれる。

 

 そんな中でも彼らは歩哨を立て、ジャイグメイルを一機は待機状態を維持し、安全の確保に努めることを忘れなかった。それを怠るとどうなるか、目で見てきたばかりなのだから。

 

 

 

 

 その日は月が雲に隠れ、天よりの明かりがほぼない夜、咆哮と共にそれは現れた。

 

 暗く詳細に見えるわけではないが、目の輝きの位置からして相当背が高い。おそらく十メーターほどか。彼らが見たことのある、どの機体にも当てはまらない敵であるのは確かだった。

 

 敵機の右手には騎兵が扱うようなランスが握られ、無警戒に、無造作に前進を続けている。歩哨がラッパで敵襲を伝え、すぐさまもう一機のゴライアスも起動状態に入る。

 

 雲の合間から時折零れる明かりに照らされる姿には、殆どのジャイグメイルが採用している兜型頭部ではなく、双眼が晒された前後に長いデザインになっている。ドラグメイルの竜頭か、それとも別の獣を模した頭部か。

 

 兎も角明確な脅威が夜の闇の中から近づいてきている。二機のゴライアスはそれぞれの武器を握りしめ敵を迎え討つ為に移動。歩兵たちは急ぎ村の周辺に松明を点し、ゴライアスの戦いの環境を整える。

 

 策が嵌ったからこそではあるとは言え、ジャイグメイルを有する敵に勝利したばかりであり、彼らは士気旺盛であった。例えどのような敵であろうと返り討ちにして新たな武功にするという意欲に満ちていた。

 

 二機は左右に展開し、敵を挟み撃ちにしようとする。だが、敵は片方の機体をまるで存在しないかのように無視し、もう一機に向けてランスを構える。ゴライアスの乗り手たちにもその意図は理解できる。片方を仕留め、一騎打ちの形に持ち込みたいのだろう、と。だがそれならばと狙われているゴライアスは盾を構える。

 

 所謂カイトシールドと呼ばれるタイプの物で、比較的広い範囲をカバーし、素材も良い。勢いのついたランスの突撃を完全に防ぐことは難しいだろうが、左腕一本で済むだろうと判断した。相手の突撃を受け止め、もう一機が無防備になった背を討てばいい。

 

 今回の戦利品を考えれば、機体を半壊させても充分儲けが出る。多少の出費を惜しんで、結果負けた方が割に合わないのだ。ゴライアスは腰を据えて、どっしりと構える。

 

 対して敵の影も僅かに低くなる。相手も腰を落とし、突撃の準備態勢に入ったのだろう。

 

 相対しているゴライアスの乗り手は固唾を飲みこむ。先の戦いで勝利を収めたばかり故の自信の前に、命懸けの戦いに付随する緊張感も楽しむべきもののように感じていた。

 

 自分は強い、運が乗っている、負けるはずがないと。そんな自信も、次の瞬間には吹き飛んでいた。

 

 暴風を一瞬に圧縮したかのような轟音とともに、ソレは盾ごとゴライアスを貫いていた。両の足で地を駆ける足音もなく、暴音を纏い低空を飛ぶように直進し、盾、左腕、胴を貫通していた。

 

 乗り手の自信など木の葉のように吹き飛んでいた。乗り手の命ごと。

 

 残された方の乗り手にも、周辺の兵士たちも起きたことが理解できなかった。ゴライアスを貫いた敵は、刺さったままのランスをまるでなんでもないかのように持ち上げ、勢いよく振って放り捨てた。

 

 もう一機のゴライアスの乗り手は完全に委縮してしまった。先の一撃だけではない。背後に回っていた彼だけが見えたものがあった。

 

 敵が突撃するその瞬間、その背の盛り上がりから青白い輝きの火が噴出し、敵は弾かれるように突撃を行った。その際の火の明かりで微かに見えた敵の姿。

 

 光に照らされた、黒い装甲……

 

「く、黒騎士……!?」

 

 戦場に於ける、恐怖の象徴。メイルライダーにとっての死の伝説。

 

 黒騎士ベイラン。その名が彼の脳裏に過ぎった。

 

 存在すらあやふやな存在が、確たる存在として目の前に現れたのだ。

 

 恐怖に駆られた彼は背を向けて走りだした。味方の歩兵を置き去りにして。黒騎士が噂通りの存在なら、今最も危険に晒されているのはゴライアスに搭乗している自分であり、歩兵たちは寧ろ危険が少ないはずだから。

 

 彼はこの恐ろしい敵から離れることだけしか考えられなかった。黒騎士の噂を思い出しながらも、『それに沿った』生き残るための最良の方法に思い至ることができなかった。

 

 噂に於いて黒騎士は機甲巨兵の生体部品である臓物を喰らうのだ。もし彼が機体を捨てて徒歩で逃げていれば、或いは生きて帰ることはでるかもしれないと。

 

 後日生き残った傭兵たちの報告を受け、ヘント伯から派遣された兵士たちが見たのは、臓物を引きずれ出され食い散らかされたと思われる五機のジャイグメイルの残骸だった。

 

 

 




 どうにも晴間が少ない気がする今日この頃、皆さま如何お過ごしでしょうか?どうも、郭尭です。

 今回は一応の戦闘シーンを入れられましたが、どうでしょうか。できる限り泥臭く、カッコ良さそうな感じにならないように心掛けました。個人的にはロボット兵器の存在する世界における攻城戦が早く書いてみたいな、と。

 それでは今回はこの辺で、また次回お会いしましょう。



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第五話

 

 

 

 

 ブリテン王国ヘント領、フランク帝国との境界線付近にある軍事拠点、レデ砦。ヘントの東南に位置するこの砦は、此度の戦争のヘント側の本拠として機能している。

 

 森の多いレデの地に、わざわざ他領から運ばせた石材で城壁を建てている辺り、それだけ王国がヘント領を重要視しているという証左であり、同時にフランク側の勢力を警戒しているということでもある。

 

 もっとも金銭的な理由で石造りなのは城壁だけとなったのだが、他は領内に開墾の邪魔になっているほど生えまくっている木材で建てられているため、機甲巨兵に対する防御力と引き換えに、完全な石造りの城塞よりはるかに居住性が良かったりもする。

 

 そのレデ砦の会議の間で、砦の主であるガニンダン・ドルニストン=ヘント辺境伯は頭を悩ませていた。

 

 猛将として名を知られるガニンダンはドワーフの男であり、周囲に侍る人間の騎士たちと比べると大分背が低い。だが屈強なドワーフの例に漏れず、肩幅や腕の太さは頑強なる戦士と呼ぶにふさわしいものである。ドワーフ特有の豊かな髭もあり、実に頼りがいのある風体であった。

 

 齢百十を超え、人間の倍近い寿命を持つドワーフであっても、戦士として衰えを感じつつある頃合いではある。だが今尚自らハンマーを両手に敵と渡り合うこともあるほどの猛者であり、経験に裏打ちされた力は兵たちにとって畏怖と尊敬の対象である続けている。

 

 これまで彼の悩みは如何にこの無意味な戦を小規模なまま、且つ早急に終わらせることにあった。旧ブルゴーニュ藩王国であるフランク側は弱卒揃いで統制も不十分であり、警戒すべき敵は数人名の知れた騎士がいるくらいであるとガニンダンは数度の小競り合いの結果判断した。藩王国を武力併合した混乱が収まっておらず、それが軍の弱さにも表れているのだろう、とも。

 

 もしただ勝てば良いだけの戦ならば、ガニンダンはとうの昔に勝っていた。だがその場合、フランク帝国と本格的な戦争となるだろう。逆に負けても、今度は国内の纏まりを維持するために、ブリテン王国側から打って出なくてはいけなくなる可能性がある。

 

 双方が自国の領民に、勝ったのは自分たちであると喧伝できるような、実際には引き分けに近い終わり方を模索せねばならなかった。幸い、敵側もそれを心得ており、交渉は継続している。

 

 そこに今朝届けられた問題。傭兵のものとは言え二機のジャイグメイルの喪失と、それに付随した噂。

 

 黒騎士の襲撃。逃げ帰ってきた傭兵たちがそうふれ回ったのだ。

 

 ガニンダンとしてはそんなもの微塵も信じていない。大方失点逃れの言い訳だろう。機甲巨兵の臓物を喰らうドラグメイルというのがそもそも現実的ではない。ドラグメイルは噛みつくことはできても、物を食うという機能はないのだ。それが臓物を喰らうなど、道理が合わないだろうに。

 

 仮に嘘でなかったとしても、敵が交渉の圧力の種に有力なドラグメイルを密かに投入し、それを察知させるために敢えて歩兵たちを見逃した。そう考えた方が、些か軽率ではあるが辻褄が合う。

 

 だが下らない噂でも信じる者は出てきてしまう。正規兵も傭兵も。落とし所を探っている現状、上がり過ぎるのも困るが、士気の過度の低下は憂慮すべきである。

 

 取り敢えず配下の騎士たちに、兵たちの噂の拡散を抑えるように命令を下す。そこへ伝令の兵士がある人物の到来を告げる。入室の許可を与えると、難しい表情をしたふくよかな体格の男が顔を出してきた。

 

「何かありましたかな?シュリーベラム伯」

 

 ガニンダンは彼が訪れた理由を、黒騎士の噂にあると推測した。ヘンリーとはそこそこ交流のあるガニンダンは、彼という人物を正しく理解している。誠実で領地の経営に於いて優れた手腕を持つこの男は、戦の機微に限っては凡庸そのものであり、本人もそれを自覚している。故に彼は軍議に於いても余り積極的に発言をしたりはしてこなかった。

 

 で、実際彼が告げたのは新たな増援の到来に関してであった。

 

 ヘンリーが、メイルライダーである娘を戦場から遠ざけるために弄した策に関しては、万が一成功してしまった場合を考慮しガニンダンに伝えてあった。そしてその万が一が起きてしまったという報告である。

 

 尤も到着したのは早馬で報告にきた騎士であり、彼が出発した頃、本隊はゼーブルッヘの港で荷の積み下ろし作業中だったという。ならば実際の到着には三、四日ほどかかるだろう。

 

 ガニンダンは武人である。将才あるならば肉親でも用いるべきであり、才覚なしなら初めから戦場に関わり得る立場を与えはしない。そういう意味ではメイルライダーという立場を掴み取った娘を、感情の問題で戦場から遠ざけようとするヘンリーの行いは苛立ちを覚えるものだった。だがそれも他家の問題であり、ガニンダンが口出しすべきものではないと、彼も弁えていた。

 

 それにジャイグメイル三機とドラグメイル一機の増援はありがたい。

 

「使える者は使わせて頂く。宜しいな?」

 

 家中のことは関わらないが、到着した兵に関しては指示に従ってもらわなければならない。特にドラグメイルはジョーカーである。メイルライダーが他家の娘であろうと、管理できないポジションに置くことはしたくなかった。それでもスウィンドン家の娘と家伝のドラグメイル、ディナダン。要請という形に留め置いた。

 

 ヘンリーもそれは理解している。故に異を唱えたくはなかった。ブリテン統一戦争時の活躍によって円卓の十二機に名を連ねているディナダンである。この戦場に於いては劇薬に他ならない。

 

 うまく使えればこの戦を早く収める役に立つかもしれない。だが扱いを間違えれば戦火の拡大に繋がりかねない。ヘンリーは自身が軍事の才覚がないことを自覚している。ガニンダンに預けた方がいいと判断はつく。

 

 だが合理性だけで物事を決めるわけにはいかない厄介な部分というのが、貴族の政治にはある。

 

「申し訳ありませんが、ディナダンを他家に預けることはできません」

 

 ブリテン王国の建国史にも関わる代物である。例え王家ですら軽々しく扱えない。そういった意味では道理を外れた言葉ではない。

 

「過保護は子の成長を妨げるだけだ」

 

 尤もその奥にある本心を、ガニンダンは親心だと思った。

 

「……親とはそういうものでしょう」

 

 ヘンリーの心中にあるものはそんなに純なものだけではなかったが、それを口にするほど誠実にも厚顔にもなれなかった。

 

「手綱をしっかり握っておくぐらいはしてみせろよ」

 

 ガニンダンは不機嫌さを隠しもしなかった。何せ厄介事はこれだけではないのだから。

 

 

 

 時間を遡って。

 

 当代の軍港として使用する前提で整備された港町は、嘗て機甲巨兵が存在せず戦場が人と馬が主役だった頃にはなかった特徴がある。それは港から町の外まで貫通する三十メーターを超える、不経済なまでに広い大通りの存在である。

 

 道には目的と実情に応じた、理想的な広さというのがある。これが通常の港町なら土地を無駄にあそばせることになり、目聡い商人や行政官からは嘲笑の的となるだろう。

 

 軍港に現れた、両舷に四対の硬質の柱を備えた軍艦が現れたことはすぐさま町中の知るところとなる。

 

 常の船とは明らかに様相の異なるこの軍艦の入港許可が出されると同時に別の命令が下される。軍艦が向かっている船着き場の目の前に港の衛兵たちが周囲の民間人たちを誘導して広いスペースを空けさせる。

 

 そして衛兵たちからスペース確保完了が完了すると、担当の作業員が手旗で軍艦に合図を送る。それを受けて軍艦の伝令兵がメガホンで、それを艦後方の露天艦橋にいる艦長に伝える。そして艦長の号令の下、甲板要員たちが速やかに帆を畳んでいく。

 

 甲板側の準備が整ったのを見て船長からの指示、伝令兵が甲板から手旗で港側に信号を送り始める。

 

 同時に艦長自らから伝声管に館内放送が送られる。

 

「艦内全乗員、及び船客の皆々方に告ぐ。我が艦ははこれより上陸を開始する。総員最寄りの手すりなどに掴まり体を固定せよ。繰り返す、我が艦はこれより……」

 

 艦内への警告を三度繰り返し、艦長は後方露天艦橋から前方左右へ簡易的な防壁を配置した後方艦橋側の伝令兵に指示。前方艦橋内の四人の陸上操艦手が動き始める。

 

 縦一列に並んだ船員たちがそれぞれの横から突き立っているレバーのロックを外す。同時に両舷の二つ折りになっていた柱が、頂点部から展開。さらに他の節の部分も可動を開始。それぞれの違う長さの節が集まった、歪な形の節足動物の足。船底前面には金属製の衝角。

 

 エウロペ大陸の東南部、トラキー半島の更に東南から広がり、遥か東方の大陸まで至る、砂海という特殊な自然環境が存在する。

 

 一般的な砂とは違い、人間程度の重さが加われば、底なし沼のようにそれを飲み込んでしまう環境を渡るため、砂海の上を這いまわる巨大な蜘蛛のような生き物。砂蜘蛛と呼ばれるその生物を素材にエルフの錬金術師たちが生み出したと言われる輸送用巨大機甲。それを機甲巨兵が作り出されて以降、陸上輸送艦としての需要が生まれ、輸入が始まり、やがてこの艦のように航海機能を持たせた揚陸艦とも呼ぶべき船が誕生するに至ったのである。

 

 移動要塞ともいうべき巨体を支えるに相応しい、四対の節足が船体を海上から持ち上げていく。海面から持ち上がった節足が水飛沫を巻き散らす。もし天気が曇天でなければ、小さな虹が掛かっていたかもしれない。

 

 その光景に街の住民たちは小さく歓声を上げる。地元の人間なら間々見る光景ではあるが、すれでも船体だけで二十メーターを超える高さを誇る巨体がせり上がる様は、やはり体を震わせるものがあるのだろう。

 

 やがてゆっくりと上陸を果たした揚陸艦を四対の足で伏せるように船底を地に着ける。

 

 姿勢を固定した揚陸艦は喫水線の少し上の辺りからの装甲が降ろされる跳ね橋のような様子で解放される。その巨大な臨時の甲板に攻城櫓に滑車昇降機を組み合わせたものが近付き、短い橋を渡す。そして港の作業員たちが艦に乗り込み、物資の入ったずだ袋や樽を船に運び込んでいく。

 

 揚陸艦の移動再開は、数時間後のことである。

 

 

 

 

 

「高さは充分、でも薄いかね?」

 

 揚陸艦が砦に到着したのは翌日の日が傾いた頃。マラディザンドを動かし、砦の手前で停まった揚陸艦から下船しながらロッサは砦の様子を観察していた。

 

 三方向にある砦の門は分厚そうな鉄板で造られているが、城壁はそれほど分厚くはない。機甲巨兵ならば城門を狙わずとも、城壁を破壊することも充分可能な厚さだろう。それを補うためか、周囲を深く広い堀で囲まれている。

 

 各門の前には定石通り二機のジャイグメイルが守りに着いており、砦の中にも何機か待機していることは容易に想像できる。城壁の一部からドロドロに燃える金属を流すための防城兵器の姿が、僅かに見える。流石に溶けた金属を浴びては、機甲兵器の装甲越しでも乗り手が焼け死んでしまう。

 

 守備の機甲巨兵を躱せれば突破は容易、だが時間稼ぎの工夫はされているので如何にそういう状況を作れるかが勝負所である、とロッサは結論付けた。

 

 これから雇い主となるであろう相手の砦を前に、ロッサは如何に攻めるかを考えた。一応雇い主に裏切られるということは起こり得るので無意味とは言い切れないが、それ以上に彼女の場合一種の職業病に近い。

 

 砦が目の前に在ったら、取り敢えず落とし方を考えてみるよね?と。

 

 暫くして雇い主から派遣されてきた役人の元に閲兵を受け、人数などを確認される。その後、正式な契約書が書けるようになる。そして作成された書類に雇い主と傭兵団の代表がそれぞれ署名し、垂らした蝋に印を押し、漸く正式に雇用関係が成立するのである。

 これら一通りの手続きを終えてから、やっと彼らはレデ砦に入ることができた。

 

 内側から見れば、尚の事傭兵砦との差がよく分かる。元々大きな砦でなかったエイムズベリーの砦は三百人前後が籠ることを想定して建てられている。それを倍以上の傭兵たちが住み着くために城壁の外にも雑多に色々と建てられ、最早軍事拠点と言えない有様となっている。

 

 対してレデ砦は広く、ロッサの見立てでは少なくとも五千余りが籠れるだろう上に、設備の位置も見える範囲では実用を考えた堅実なものになっている。

 

 まあ、所詮打ち捨てられた、一揆鎮圧用の砦と、藩王国二つと帝国、三勢力の連合軍を相手取る可能性を考慮されて建てられた城塞を比較の対象にすること自体が烏滸がましいということだ。

 

 さておき、楔の団は割り当てられた区画に案内され、まずはそこに楔の団の旗を立てる。楔を表す縦に細長い逆三角形が横に三つ並ぶ、彼らの紋章の印された旗を。

 

  その旗の周辺にテントを張っていく。馬車に積まれて運ばれてきた資材はそれなりの重量である。それらを機甲巨兵で掴み、適当な場所に下していく。それを人間の男たちが骨組みを組み立て、ドワーフたちがロープと杭で固定していく。そしてテントの布を機甲巨兵で上から被せていくのだ。

 

 人の形をし、強大な馬力と巨体を持つ機甲兵器は、土木作業にも優れた性能を示すのだ。

 

 そんな作業に従事しながら、マラディザンドの目から届けられる視覚情報から一機のジャイグメイルがロッサの目に留まった。

 

 機体自体はそれほど珍しいものではない。多くのブリテン傭兵がその購入、運用コストの低さと頑強さから好んで使うゴライアスではなく、高級機種であるゴグマゴグであった。

 

 ややずんぐりとした重戦士を思わせるゴライアスと比べ、ゴグマゴグは若干細身に造られ、多くの場合はバイザーを閉じたアーメットという兜をモチーフとした頭部を標準装備とする。

 

 その機体だけならロッサの注意を引くことはなかった。収入が不安定な傭兵が扱うには高価に機体だが、例えば領地を継げない貴族の次男、三男などで武芸に秀でた者を、実家が金銭的に援助して傭兵稼業で独立を、などといったパターンは偶に聞く。他にも実入りの少ない領地の領主が生活費稼ぎのために自らの騎士団を率いて傭兵稼業するというものある。

 

 それはさて置き、ロッサの目を引いたのはそのゴグマゴグが背負った武器だった。背中の出入り口を遮らないように、右背中に増設された担架に収まった、揺らめく炎のような剣身をもつフランベルジュと呼ばれるタイプの両手剣である。

 

「……良いもん持ってるな」

 

 戦場でも中々見ない、一目で業物と分かる代物だ。

 

 鋭さが伝わる、煌めく剣身。柄に巻かれた、質の良い革を使ったすべり止め。質素ながらも頑強且つ広く作られた鍔。そうそうお目に掛かれる物ではない。腰の剣は鞘に収まって見えないが、柄の様子からこれも悪い物ではないはずである。だが鞘の横に取っ手のような物が着いている以上は分からなかったが。

 

 乗り手が相当やるのか、バックが金と人脈を持っているのか。フランベルジュなどという珍しい剣の使い手など聞かないので、名の知れたメイルライダーという可能性は低い。恐らくは後者だろうと当たりを付ける。

 

「会ってみて損はないかな?」

 

 人脈は武器となり得るものであり、縁は力たり得るものである。何がどうプラスに働くか分からない。ダメそうなら関わらないようにすればいい。その見極めの意味も込めて。

 

 ついでにゴグマゴグの横に、手を加えて更に重装甲化した大型のミトンガンドレッドのゴライアスも立っている。恐らくフランベルジュの機体と同じ所属の機体なのだろう。せめてどちらかのメイルライダーが美女、美少女なら素晴らしいのだが、と破顔させながら。

 

 一連の作業が終わる頃に、丁度夕食の配給が始まった。

 

 今度の契約では食糧はヘント伯から供給されるため、給金がその分高くなる代わりに自分たちで酒保商人に渡りをつけるなどして確保する労力が必要がなくなる。

 

 だが団の経営側からは良し悪しあるが、メイルライダーからすればマイナスに他ならない。なにしろ傭兵に振る舞われるのは下っ端の兵士が食べるのと同じ物。つまりメイルライダーの立場からすれば食事のグレードが下がるだけなのだ。

 

 それでも腹には貯まる。腹持ちだけは悪くないのだ。

 

 蒸かした芋と、歯応えがなくなるまで野菜を煮込んだ塩味のスープ。地面の上に置かれた長テーブルの椅子に腰かる。

 

 質素に過ぎる献立にロッサは不満を隠さなかった。事前に酒保商人から買っておいたバターと胡椒で芋とスープを味付けして漸く食えたものになったと、それでも彼女は表情を顰めながら配給の食事を呑み込んでいく。

 

 ストレス溜まりそうだ、とロッサは溜息を吐いた。

 

「やっぱ冬の戦争はロクでもないわ」

 

 無論、それとこれとは関係ない。

 

 

 

 

 ロッサがまずい食事を無理矢理腹に収める作業に勤しむ中、同じメニュー相手に悪戦苦闘している者がいた。ロッサが目を付けたゴグマゴグのメイルライダーである。

 

 太陽の如く映える黄金色の髪を三つ編みに腰まで垂らし、瑞々しい薄紅の唇は愛らしくある。顔の上半分を隠す仮面によって容貌の全ては見えないが、小柄で華奢に見える体躯も相まって、幼い印象を人に与える。見てくれの通りの歳ならば、恐らく十代前半だろう。子供と言って過言ではない年齢であり、戦場に出るには若いという印象はあるが、されど珍しいという程度のことに過ぎない。

 

 衣服の上に纏っている鎧はジャイグメイルのメイルライダーでは珍しく、鎧の面積の少ない物であり、むしろドラグメイルの乗り手が好む物に近い。

 

 と言うのもドラグメイルの場合、ドラゴン形態による空中戦を考慮し、出来る限り身軽にしたがる者が多い。対してジャイグメイルは完全な巨人型の兵器であるため、万が一機体を放棄した場合、生身で戦いながら撤退する場合を考慮し、彼らが買える範囲で重装備な鎧を使いたがる。つまり普通の騎士や重装歩兵と同じような装備になることが多いのだ。

 

 彼女の鎧にドラグメイルの乗り手の基本から外れる部分を見出すなら、左半身に偏った装甲の配置だろうか。大型の肩当と脛当て。食事に不便であるため今は外されているが、右腕のガントレットと違い、左手は大型の三本指ミトンになっている。

 

 そしてその銀色に輝く鎧には美しい意匠が施され、見た目にも美しい物だった。生まれが非凡であるが故に手に入れたのか、はたまたこれほどの逸品を特注できるほどの財を稼ぎ出したのか。何れにせよ、周囲の注目を買うには充分だった。

 

 そんな人物の目下の敵は、蒸かしただけで味付されていないジャガイモだった。

 

「それほど不味いのなら無理に食べることはないと思いますが」

 

 食事の手の進まないその様子を、長テーブルの横に座る青年は苦笑いを浮かべて見ていた。

 

 歳のほどは二十代に届くか否か、と言ったところだろうか。端正と言えなくはないが、然程他人の印象に残るような顔立ちではない。あまり特徴的なものがないのだ。或いは短く切り揃えた、濃い色の茶髪だけは辛うじて人の印象に残るだろうか。

 

 彼も上等な布鎧の上に甲冑を纏っている。装飾の施されていない、飾りっ気のない物で、一目で実用向けだと分かる。

 

「何れ兵を動かす立場になる身、兵士のことを理解するために来たのです。このくらいで音を上げては……」

 

 スープはまだ飲める。汗をかき、疲労を感じれば人は自然に塩を求めるからだ。だが、それでも他に味付けされていないスープをおいしく感じられるほどではない。

 

「お母君はテントで別の物をお食べのようですが?」

 

「母さまはいいのです。兵を指揮するお立場ではないのですし」

 

 意地を張るように蒸かしイモを頬張る仮面の子供の様子に苦笑いしながら、茶髪の青年は自前の調味料で味を誤魔化して食べる。仮面の子供は最後にスープで口の中のイモを流し込むようにして何とか平らげた。

 

「まあ、目的を見誤らないでくだされば、僕が言うことはないですけどね」

 

「当然です。これが初陣となる身、ジャンの指示に従いますよ」

 

 仮面の子供は、茶髪の青年をジャンと呼んだ。

 

「そうあってほしいものですね、姫さま」

 

 青年、ジャン・テューダーはスープの最後の一口を飲み干した。

 

 食事を終えた二人は自分たちの天幕に戻る。そこにいる、二人の上に立つ貴婦人の元に。

 

 

 




 外になかなか出られず、ストレスの溜まる今日この頃、皆さま如何お過ごしでしょうか?どうも、郭尭です。

 今回から多分二、三話くらい本格的な戦闘はありません。ドラマや世界観の説明回になるかと。アクションが好きな方には物足りないかもですが、面白くできるよう頑張ります。

 それでは今回はこの辺で、また次回お会いしましょう。


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第六話

 

 

 レデ砦内に設置された無数のテント。常備兵たちはちゃんとした宿舎があるとして、臨時徴用された地元民による正規兵や、外から雇い入れられた傭兵たちの臨時の住まいとして設置した物である。

 

 その多くは、その組織を表す旗を掲げたテントを中心に放射線状に広がっていく。

 

 そんな中、自身の旗を持たない集団もある。例えば規模の小さい集団。力ない組織がこれ見よがしに旗を掲げても嘲笑の的となる。もしくは、故あって所属を隠している場合。この場合、相手の出自を知ることは厄介事を呼び込むことになる。

 

 故に命の遣り取りが行われる立場の人間は、互いの過去を無暗に詮索しない。己を守る処世の一種だ。

 

 だが、それでも敢えてその厄介事に首を突っ込まねばならない立場というものもある。砦の一切を取り仕切る立場にある、ガニンダンが正にそれである。

 

 更に言えばその集団のトップとは一応知らない仲ではない。出来れば関わり合いを持ちたい類の相手ではないが、だからこそ好き勝手させるのが怖い相手でもある。

 

「一体何用ですかな、エリザベート殿下」

 

 ボリュームのある淡い栗毛を、少々雑な三つ編みにして腰まで伸ばしている。

 

 女性にしては長身で、それに見合った豊満な体付きをしている。戦場のテントに似つかわしくない、胸元を露出した豪奢なドレスの上に医者が身に着けるような白いコートを羽織っている。

 

 だがその容貌も表情も見えない。まるで鳥の頭のような、ペストマスクで顔を隠しているからだ。錬金術師や医者が好んで身に着けるマスクは一種独特な存在感があり、表情が見えないこともあり威圧的にも見えた。

 

 エリザベート・フェイ。ブリテン北部に広大な領地を持つ、ブリテン最大の領土を持つ大貴族、フェイ公爵であり、現ブリテン国王リチャード・ペンドラゴン=ブリテンの妃の一人である。

 

 国内でも有数の魔導師にして錬金術師、機甲巨兵の技師でもある、その分野では知らぬ者がいない正に天才と表現すべき人物である。

 

 そんな人物が、身分を名乗らずに自身の戦場に罷りこして来たのだ。妙な政争に巻き込まれるのは、ガニンダンは御免だった。

 

 テントに入って、エリザベートに軍礼で挨拶を済ませたガニンダンは、貴族らしい遠回しな物言いなどはせず、単刀直入に彼女に問い質した。その実直な態度にエリザベートは言葉を探すように、何事かを考えているような仕草を見せる。

 

 その間、立ったままであるガニンダンに、エリザベートの横に侍っていたゴブリンの召使が背の低い椅子を運んでくる。人が座るには不向きな低さは、明らかにゴブリンやドワーフなどの小柄な種族たちのために用意された物だった。

 

 ガニンダンが座ったのを見計らったかのように、エリザベートは呟くように一言。

 

「フェイの将来を見据えた布石の一つ、とでも取ってくれていいわ」

 

「政治のゴタゴタを戦場に持って来てほしくないのですがな」

 

 ガニンダンは不満を隠さない。剛毅なる老ドワーフは政治の視線で戦に口出しされることを嫌う。

 

「ブリテンに属する限り、ブリテンの政治に振り回されるのは必然よ」

 

 軍事とて政の一環である。そして政を動かすのがエリザベートたちを肇とした貴族たちである。

 

「それに、腕の良い機甲巨兵技師が四十人、魔術師二十人。兵士は護衛くらいしか連れてこなかったけど、充分役に立つ」

 

 エリザベートの言葉はガニンダンの癇に障った。人の上に立つ、ある意味貴族らしい上からの言葉。

 

「腕の良い、ですか。フェイにドワーフは少ないと聞いておりましたが」

 

「別にドワーフだけが良い工匠というわけではあるまい?それにドワーフだけでは機甲巨兵を造れない」

 

 ドワーフの多くは優れた工匠である。効率よく機甲巨兵を運用したいのならドワーフを一定数確保することが好ましい。だが、機甲巨兵の製造に関しては、ドワーフだけでは絶対に造れない。故に他の種族の技師も必要となるのである。結果、割合こそドワーフに劣るものの、技能では彼らに迫る工匠などは一定数存在するのである。

 

「魔法に嫌われたドワーフでは建造も、鋳造もできるけど、泥銀の化合だけはできない」

 

 泥銀とは、機甲巨兵の人工筋肉やドラグメイルの可変部装甲に使われる液化特性を持つ金属の素材であり、他の金属と化合させることでその硬度や弾性、重量が大きく変わる特殊な金属である。

 

 その泥銀の化合過程で魔法による加工が必要になるのである。ドワーフは体質として魔法が扱えない。そのため、この部分では必ず他種族の魔術師や錬金術師の助力が必要となる。

 

「まあ、優れた戦士も兼ねる者が多いドワーフが、いざという時、より便利なのは認めるけど」

 

 技師と戦士を両立できる人間はそうはいない。また、通常の整備で泥銀を弄る機会はほとんどない。そのため傭兵団などや、財源に乏しい領地の騎士団などは、雇用に伴う金銭的な理由で専業の技師よりドワーフの工匠を好むのだ。

 

「……兵を無為に死なせることだけは、勘弁願いたいものですな」

 

「弁えろ、ガニンダン・ドルニストン=ヘント辺境伯。仮に此度の我らフェイの介入で犠牲が増えたとて、無為であるものか。貴様に下らなく見えたとて、それは国家の未来に必要なことである」

 

 決して激さず、されどその言葉には人を縛る重さがあった。人の上に立つことを当然の責務として来た者だけが持てる重みが。

 

 更には、エウロペの貴族に於いて、正式な式典など以外では余り呼ばれることのない家名まで使って。儀礼的なことだが、この意味は軽くない。

 

「権力闘争が切っ掛けで滅んだ国は一つや二つではありますまい」

 

 だが、ガニンダンも部下たちの命にかかわることであり、安易に退くわけにはいかない。

 

「見識が浅いぞ、辺境伯。権力闘争の起きていない組織など存在しない。国家であろうが、小さな組合だろうが、それが複数の人が集まる場所なら必ず起きる。そして権力闘争で滅んだと言われる国は、実際のところ、既にどうしようもなく終わったからそれが表面に見えるようになったに過ぎん」

 

 建国以来、王国に於ける最大の版図と権限を有する貴族という地位を維持し続けてきたフェイ家。妬みと野望の矛先でもあるその地位を三百年も守り続けてきた者たちである。権力というものに対する理解は、一介の辺境伯とは深さが違う。

 

「権力闘争が国を滅ぼすきっかけになることはあろう。だが事の本質はそこではない。国の政から無能な者を排除し、国家を前に進ませるために不可欠なものでもあると心得よ」

 

 然るべき能力を持っている者がいないから、誰も権力を掌握できず、政治が止まる。相応の能力を持っている者がいれば、権力を掌握するなり、適当な妥協点を見つけ他者と協調するなりするものなのだ。それができる程度の人物がいないのなら、どちらにしろその組織はすでに終わっているのだ。

 

 寧ろ権力闘争の存在は、互いの足を引っ張るために相互監視し、結果的に自浄作用となる場合さえある。

 

「それは、私に殿下に与しろと仰っておいでか?」

 

「馬鹿な。リチャード陛下が貴方を重用しているのは貴方が政治に関心がないことも一因だ。自分たちの利益を考えて、国益を蔑ろにしないとな。それを私が捻じ曲げてしまえば、陛下の覚えが悪くなってしまう」

 

 一定の軍事力を常備した歴戦の勇士は、確かに魅力的な駒である。だが、王との関係の悪化は割に合わない。

 

「引き続き貴方は政治に無色でいればいい。ただ、参加しないのなら、我々の邪魔をするな。目の前の条件の中で、ブリテンとペンドラゴンの王権を守るために最善を尽くせ」

 

 それはガニンダンには思いもよらない考え方だった。或いは、それも一理あるのかもしれない。だが、それは権力闘争に参加している者の理屈である。それでも上位の者の言葉を、無視することはできない。

 

「優先順位は変えられません。その上で、やってみましょう」

 

 戦を穏便に終わらせ、可能な限り兵を生かして帰す。その目的に沿う範囲で、ガニンダンは彼女の行動を黙認するほかなかった。

 

「それでいい。励みなさい」

 

 鷹揚に、マスクの王妃は頷く。エリザベートに対し、ドワーフの老将軍はそれ以上何かを言うことはなかったが、同時に不快感を隠すこともなかった。黙って軍礼を執り、テントを後にした。

 

 テントがひしめく広場を離れ、砦にある自身の執務室に向かう。フェイの連れてきた魔導師をどの部隊に配置するか、検討する必要がある。だが、その前に砦の廊下で、見覚えのある顔に出会った。

 

「貴様は……楔の団の頭目だったな。ここで何をしている」

 

 重厚な鎧に身を包んだ人間の戦士、フーゴ・チャンドス。砦に着いたばかりの傭兵団の頭領。広場で宿営しているはずの傭兵が何故砦の建造物の中にいるのか。

 

「呼ばれまして。辺境伯殿にわざわざ報告するような事柄ではありません」

 

 そう言って、フーゴは早急に立ち去った。だが、フーゴがある部屋から出てくる様子を、ガニンダンには見えていた。それはヘンリー・スウィンドンに宛がわれている部屋だった。

 

「どいつもこいつも、戦場に余計なものを持ち込みたがる」

 

 問い詰めるべきことが増えた。ガニンダンは頭が痛くなった。

 

 

 

 夜襲朝駆けなどの例外を除き、戦争に於いて戦う時間には暗黙の了解が存在する。エウロパの場合、まずは日の出の鶏の鳴き声を目覚ましに、身支度と朝食を済ませる。そして諸々の用事を済ませ、それぞれが配置に着くまでにおおよそ二時間前後使う。

 

 相対する二つの陣営は、例えどちらかが先に配置を終えても、相手の陣が整うまでは攻撃をすることはない。これは戦争を指揮する立場にある、『お貴族様』の名誉の問題であり、延いては保身のためである。

 

 こっちは奇襲をしないからそっちもするなよ、と。

 

 雇われの傭兵や徴用された兵士たちでそんなものに価値を見出す者は少ないが、貴族にとっては疎かにできることでもない。

 

 そして双方の準備が整ってから漸く攻撃許可のラッパが吹かれ、戦端が開かれる。と言っても双方突撃入り乱れ、ということはそうそう起きない。若干の弓矢の応酬と、指揮官同士の挑発合戦に終始し、時折散発的に小規模なぶつかり合いが起きるくらいである。

 

 そして日が傾いてきた頃に撤収の鐘が鳴らされる。日暮れの鐘による撤退は、原則的に追撃を行われない。そして砦などの拠点に戻った兵士たちは食事の支給を受け、武器防具の手入れなり、他の楽しみを見つけて疲れを癒すなりするのだ。

 

 このように、戦場は無秩序な命の狩場ではない。効率な兵力運用と貴族の体面、加えて戦後の生産力の回復などの諸々の事情を鑑みた、暗黙の了解によって一応の秩序が存在しているのだ。

 

 無論、必ずも守られるわけではないから奇襲というものが存在しているわけなのだが。

 

 そんなわけで兵士が剣や槍を振う機会はイメージほど多くない。むしろ距離を置いて攻撃できる弓矢などの方が出番が多い。

 

 ロッサたち楔の団の担当することになった陣地もその辺りは変わらない。ハピスと呼ばれる大盾と簡易的なバリケードで前面を防御している陣地に於いて、彼女たちの操る機甲巨兵はそのサイズに見合った大盾を構え、時折降り注ぐ矢から味方の歩兵を守っていた。

 

 ただ、持っている盾はちゃんとした物ではなく、木の板をつなぎ合わせた物に鞣した獣の革を張りつけたもので、あくまで歩兵を守るための物に過ぎない。ちゃんとした盾は高価なのもあるが、乗り手三人とも盾を片手に構えて、というスタイルの乗り手がいないのだ。

 

 尚、機甲巨兵の背後には長柄の武器がそれぞれ突き立てられている。これは携行性に劣るが一撃の重さに秀でた長柄が集団戦闘に適しているため、必要あらばすぐに持ち替えられるようにという措置であり、同時に寄り掛かって休めるようにというものである。

 

『ったく、ビシュビシュ撃ちやがって、矢だってタダじゃないだろうによ』

 

 予想より元気よく矢を射続けてくる敵に、ロッサは苛立った。人間の射る矢など、機甲兵器には脅威足り得ない。だがそれでも生身である歩兵たちにとっては充分に危険である。如何に機甲巨兵やハピスがあっても、彼らに当たる可能性は0ではないのだ。

 

 敵味方が対峙しているのは、レデ砦の森を出た草原のすぐの場所である。幸いブリテン側の陣地の付近はそれなりに木々が密度を保って生えている部分が多少ある。多少は起伏もあるため身を屈めれば、接近するまで見つかり辛いルートもあるだろう。

 

『ドラグメイルも、惜しげもなくよ』

 

 だが上空には敵過多のドラゴン形態のドラグメイル。断崖や大樹の森があるならともかく、この地形では完全に動きを把握されているだろう。

 

 無論ブリテン側とて敵に自由にやらせる心算はない。牽制のドラグメイルを飛ばし、敵の近づける距離を制限している。そのため陣形や配置が丸裸ということはないが、それでも最前線にいる楔の団などの部隊は監視下にあると言っても過言ではない。

 

 楔の団はこの戦場に参加してまだ初日、積極的な攻勢に出ることはない。理由は冬が近いからだけではない。斥候を放ち、独自に周囲の地形を調べなければいけないのだ。

 

 通常、その地域の精密な地図は軍事機密であり、市場に出回る地図はかなり大雑把に作られている。少なくとも地形を利用して戦うには、とても使えた物ではない。

 

 辺境伯の元には当然精密な地図はあるだろう。なにしろ自分たちの管理下にある砦の周辺なのだ。だが、それが傭兵団に提供されることなどありはしない。

 

 万が一外部に流出すれば事であるし、情報を得た傭兵団が先走り、雇い主の意向を無視して暴走する可能性を少しでも下げたい。対して傭兵側は自分たちの受ける被害を抑え、手柄を立てて報酬を吊り上げようとする。

 

 故に人員に余裕のある傭兵団は団員を使って周囲の地理を調べ、そうでない者たちは金で他の傭兵団や酒保商人たちの描いた地図を買ったりする。

 

 楔の団は比較的人員に余裕があり、人を出して周辺の物見に出していた。取り敢えずは近場の地形を把握し、奇襲に備えるために。少なくともその間は大人しくしているのがセオリーである。

 

 彼らが大人しく陣内で矢を射ち合っているのは、何も辺境伯からの命令だけではないのだ。

 

 だが、そうと分かっていても、ロッサは苛立ちを募らせている。敵の攻撃が妙に積極的なのだ。いくら機甲巨兵と盾で防いでも、矢の数が多ければ負傷の可能性は上がる。こちらが射返しても、矢の数が多くないのと敵も機甲巨兵が盾となっていることもあって、あまり効果を見せていない。

 

『羽振りいいの見せつけてくれちゃって』

 

 苛立ちを紛らわせるための言葉。だがそれもすぐに引き攣った笑い声に変えられた。敵の機甲巨兵の一機が、盾を手放し携行型バリスタを手に取ったのである。

 

『金掛けすぎだろ!採算取れんのかよ!』

 

 本来攻城兵器であるバリスタを機甲巨兵用に転用した遠距離攻撃兵器。機甲巨兵とは比べられないが、これも維持コストの高い兵器である。そんな物まで、しかもこんな城攻めでも決戦でもないタイミングで持ち出すなど。

 

 攻城兵器相手には流石に役に立たない木の盾を捨て、マラディザンドは突き立てられている長柄を手に取る。

 

 四メーターを超える柄に、それと同等の長さを持つ片刃のブレード。若干湾曲した刀身の、内側に刃があるロンパイアと呼ばれる大刀である。

 

『下がれ!』

 

 彼女の乗機、マラディザンドを盾にしていた付近の味方に対し叫ぶ。ほぼ同時に敵の機甲巨兵が構えたカタパルトから矢が放たれる。矢は正確にマラディザンドに向かい、

 

『のりゃ!』

 

 その矢を叩き落とした。それでも本来城壁に向けられるべき攻撃は強烈な衝撃となり、マラディザンドのパワーと自重だけでは受け切れず、振り下ろしの勢いと矢の衝撃で腰の引けたような姿勢になってしまう。そして体勢を立て直す前に、敵陣の機体が構えていたバリスタを持ち替えたのが見えた。当然、矢の準備が終わっている物だ。再び放たれる矢を、今度は叩き落とすことはできないと判断し、柄で受けて逸らす。だが不完全な体勢だったため、完全に上体が泳いでしまう。

 

 実際のところ、バリスタの直撃を受けたとて余程近距離でなければ、機甲巨兵の装甲を貫通することはない。それでもその衝撃は機甲巨兵を転倒させるだけの威力はある。その隙は戦場に於いて致命的なものである。

 

「上から来るぞ!」

 

 叫んだのは誰か。恐らくマラディザンドの周囲の歩兵の誰かだろう。その声に反応し頭上を見上げたロッサの視界に映ったのは、味方側のドラグメイルを振り切り、急降下してくる敵側のドラグメイルだった。

 

 急速に高度を下げてくるドラグメイルは空中で機兵形態に変形し、腕を振り上げる。その手に握られているのは取っ手状の握りを持ったハンマーだった。

 

 急降下からの変形、質量兵器の投擲。ドラグメイルの対地攻撃としてはポピュラーな手段である。広範囲に対しての攻撃ならば、また違った攻撃方法があるが、とにかく良く使われるほどに有用な攻撃方法である。

 

 避けるのは不可能。崩れた体制ではそれほどの動きは出来ない。咄嗟に左腕で薙ぐ。腕の追加装甲が抉れて変形してしまったが、なんとか直撃を避けることはできた。

 

『んにゃろっ!』

 

 投下された攻撃を捌き、この時初めてロッサはちゃんとドラグメイルの姿を確認できた。

 

 鈍色の装甲、角のないトカゲ染みた竜頭。そして特に印象に残ったのが右側の背に吸着させた、片手剣のような長い穂先を持った短槍だった。

 

 投擲を行ったドラグメイルは空中で再度ドラゴン形態に戻り、旋回して自陣に戻っていく。そして楔の団が相対している陣地に機兵形態で降り立つと、マラディザンドに向けて槍を突き出す。数打ちのジャイグメイルとは明らかに違うマラディザンドとそのメイルライダーに対するあからさまな挑発。

 

 ロッサはフーゴの駆るゴライアスに目を向ける。場合によっては追って反撃に出ることも考えて。

 

 だがフーゴはそれを手振りで制した。楔の団は戦場に出てまだ初日。地形の把握も、相手の戦力も把握できていない。無暗にぶつかるのはリスキーではあるとの判断である。

 

 それに、ドラグメイルの存在で、相手の大凡の正体も掴めた。どこぞの、恐らくフランク帝国支配下の地を領する小領主などが率いる傭兵騎士団。通常の傭兵にはない、安定した財源により、平均的な傭兵団と比べ充実した装備と練度を有する兵士たち。

 

 厄介な敵の前に立たされた。これだから冬の戦は碌なことにならない。心中で八つ当たりじみたことを吐き捨てながら、ロッサは舌打ちした。

 

 




 妙な軌道を描くらしい台風が近づく今日この頃、皆様如何お過ごしでしょうか?どうも、郭尭です。

 今回はファンタジー物でよくでる亜人系異種族に関する内容を少し掘り下げることができました。他にも色々ありますが、今後も描写できればと思います。

 後は政治に関して、正直上手く描写できているかという不安があります。色々見ながら一応勉強してはいるのですが、文字だけの知識でどこまでやれるか、多少の拙さはご容赦いただければと。

 尚、本作のドワーフは描写の通り自力で魔法が使えません。理由?昔ドラゴンエイジが面白かったので。

 それでは今回はこの辺で、また次回お会いしましょう。


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第七話

 現フランク帝国領、ブルゴーニュ。ブリテンのレデ砦と対峙するこの地は、帝国本領から派遣された代官によって治められている。

 

 そして今ヘント辺境伯の軍と対峙するブルゴーニュ軍の指揮も、帝国側の武官が中心となっている。だが正規軍の殆どを占める兵士は地元から徴用した百姓であり、下級指揮官の多くは元々ブルゴーニュ藩王国の騎士だった者たちである。

 

 ブルゴーニュは帝国の支配下に組み込まれ、まだ日が浅い。ために帝国側の人間と旧藩王国の人間とで拭いきれない不信感が、互いにはあった。信頼できない人間と肩を並べ、背を任せる。これで士気が上がろう筈もなく。

 

 兵力に於いて、ブルゴーニュ側はヘント軍に優位に立ってはいるが、こうしたブルゴーニュ側の問題に加えて本格的な戦争に発展することを避けたい双方の上層部の思惑もあり、戦線は膠着状態にあった。

 

 こうした状況は傭兵側からすれば中々に悪くない。大きなぶつかり合いがないと言うことは、報奨金が手に入るような功は遠ざかるが、危険が少ない分手堅く稼げるのだから。駆け出しの傭兵でもなければ、わざわざ名を挙げようと暴走することも少ない。

 

 だが武名と報酬、双方とも欲する者はやはり存在する。

 

 ブルゴーニュ陣営に立つ傭兵騎士、タパニ・セローは正にそういった人物だった。とは言え、別に彼が強欲であったりするわけではない。小さいとはいえ領地を持ったれっきとした貴族である彼は、貴族として当然の名誉欲を持っている。また領地が小さい上に領民も少ないため、新たに開墾することも難しく、家中の財政は余り芳しくない。

 

 幸い、彼は幼いころから武技の才に秀でて、家には一機のドラグメイルが受け継がれてきた。彼の父祖や父がそうしてきたように、領民から取り立てる税で貴族の面目を保つ生活を送るのに足りない分を、己の血と鉄で勝ち取ってきた。

 

 そんな彼は、温く削り合うような面白味のない戦で稼ぐことが些か不満であった。

 

 この場では傭兵として陣に在るが、フランク皇帝からの勅命あらば是非もなく戦列に加わる義務を持った、れっきとした貴族なのだ。漫然に日当を稼ぐでなく、誰の目にも明らかな武功を持って褒賞を受けてこそ、と考えている。

 

 そんな彼は一機のジャイグメイルに目を付けた。深緑の装甲の上に追加装甲を纏わせた、コートを纏ったような機体。頭部の追加装甲はまるでフルフェイスの兜を被ったコボルトに見えないこともない。

 

「深い緑のコボルト頭、心当たりのある者はいるか?」

 

 少なくともブルゴーニュでは噂に聞いたことのない機体である。タパニの部下たちも首を振るばかりである。

 

「となると、少なくとも帝国の勢力圏での実績はなさそうか」

 

 あの様な特異な意匠の機体は否が応にも目立つものだ。空中からの投擲に対応したあの動き、乗り手が初陣とも思えなかった。であれば、やはり彼らの関わったことのない戦地、恐らくはブリテン島などで活動してきた集団なのだろう。

 

「仕方ない。何れ戦場で見極める機会もあろう」

 

 機体の性能か、乗り手の腕か。見極めるには足りなかったが、空襲の際には良い動きをして見せた。誇るに足る武功となるかも知れない。

 

 

 

 

 クリスティーンは苛立っていた。

 

 彼女はヘントの軍勢に於いて、最強の戦力の一つと言っても差し支えない。メイルライダーの技量はそれなりとして、機体は曲りなりにもドラグメイルである。実戦経験にこそ乏しいが、憂いはそれだけとも言える。

 

 兎も角、クリスティーンと、彼女の駆るディナダンは有用な戦力である。だがそれを発揮する機会を与えられていない。

 

 スヴィンドンの軍は楔の団の後方に、距離を置いて布陣していた。敵のドラグメイルが楔の団を強襲した時は、許可さえ出ていれば振り切られた味方のドラグメイルの穴を埋め、味方への攻撃を阻止できたかもしれない。いや、上手くやれれば振り切られていた味方と連携して敵を地上に追いやることも不可能ではなかったのではないか。

 

 結局何をするでもなく、この日の対陣は終わってしまった。

 

 全くもって希望的観測にて構築された予想図だが、彼女は戦争と呼べる規模の戦いを経験したことのない若い騎士である。賊徒や巨人相手に幾つか武功を重ねた経験はあるのだ。思い上がりのある時期は大凡の騎士たちが通る道である。

 

 だが、彼女がどう思おうと、戦場に於いて彼女の身分は一介の騎士である。例え領主の娘だとしても。少なくともクリスティーンは、戦地に於いて領主の娘としての振る舞いを慎み、騎士であろうと努めている。故に、騎士としての主であるヘンリーの命令には、その内容を不満に思うことはあっても逆らうことはなかった。

 

 だが、だからこそ攻撃を受けた楔の団に対して後ろめたい感情ができてしまう。どこも渋る中、彼の傭兵団だけが彼女の依頼を受けてくれたからこそ、自分の任務を全うできたのだ。

 

 もっともそれを本人たちに告げようものなら、雇用主が雇用される側にそんなものを感じてどうするんだと反ってくるのだろうが。

 

 ともかく、砦に戻り、自軍の宿営地に愛機を預けたクリスティーンは楔の団の宿営地に足を向けていた。

 

 ヘントの正規軍や各地から援軍が砦に戻り終わり、漸く傭兵たちの番になる。

 

 クリスティーンは、丁度ロッサの機甲巨兵が団の宿営地に跪いた所に立ち会う形になる。

 

「左腕の追加装甲やられた!後でチェック厳に!」

 

「分かった!」

 

 ロッサが降りてくると同時に、ドワーフを肇とした工匠たちが機体に群がっていく。怒鳴り声のような遣り取りが始まり、喧騒が広がっていく。

 

 続いて、順次跪いていく楔の団の機体にも、同様に担当の工匠たちが群がっていく。

 

 メイルライダーは機体の気になる部分があればそれを伝えれば、後は少しの間手が空く。他にも武器を下ろし、鎧を脱ごうとする兵士たちの周りに団の女たちが手伝いに来る。当然、ロッサの周りにも。

 

 温かく湿らせたタオルを渡されたロッサは顔を拭くと、持って来てくれた十代になるかどうかの少女の頭を優しく撫でる。少女は目を細め、はにかみの表情を見せる。その様子にロッサも戦士らしからぬやわらかい表情を浮かべた。

 

 汗を拭き終わったタオルを少女に返し、工匠たちと機体の情報交換を終えたロッサは休むために一旦自分のテントに戻ろうとする。そこにクリスティーンは声を掛けた。

 

「ロッサ、無事なようで」

 

 取り敢えずは怪我をした様子のないロッサの姿に、クリスティーンは安心した。ロッサも挨拶を返し、自分で持ち込んだ飲み物を取りにテントに戻る彼女に、クリスティーンも着いていく。

 

「どうでした?貴女たちを攻撃したドラグメイル、対峙していた部隊と連携が取れていたようですが」

 

「ああ、多分一緒の。使った金を見せびらかすような戦いしやがってた」

 

 楔の団が、相手と同じペースで矢を射っていれば、恐らく五日ともたないだろう。規模が大きい方とは言え、所詮雇われの集団と、ちゃんとした地盤を持った勢力との地力の差を見せつけられた気分だった。

 

「あれ土地持ちだな、絶対」

 

 傭兵など、戦いがなければ匪賊と大差ない。生産に関わらない職は自らを生かすことができない。世の中から戦が減れば奪う以外に食う方法がなくなる。ロッサとしては、その時々で陣営を選べる自由な立場は嫌いではないが、やはり所帯が大きければそれらを養うことも考えてしまう。今はまだ祖父の傭兵団だが、何れ受け継ぐのは当然自分だと彼女は考えている。故に将来に関しては色々と考えてもいた。

 

 その一つとして、自分の荘園を手に入れられないか、と。

 

「こちらからも手を貸せればいいのですが」

 

「いや、それ流石に本末転倒じゃない?」

 

 金を払って雇った兵力である。正規兵の盾に使うのは当然だろう。使い潰す心算で使われるのは流石にロッサたちに限らず御免だろうが。

 

 二人の話の途中、ガコンガコンと、金属の板が倒れるような音が響く。メイルライダーの二人には馴染みのある音、工匠たちが群がった機甲巨兵の、鎧のような形状の装甲が展開され、金属繊維製の人工筋肉に覆われた内部構造が露出されたのだ。

 

 日も傾き、気温も下がっていることもあり、装甲の内側にこもっていた熱気はむしろ暖かささえ感じられる。そして人工筋肉の温度がある程度下がってからでないと、本格的な作業は始められない。そのためまずは武器や、化合された泥銀の影響で温度変化をしにくい装甲の点検から行われていく。

 

 工匠たちは使い込まれた金槌で武器や装甲を叩き、音や反動で金属の状態を把握していく。響き合う金属音の中と、それに埋もれないように張られる怒声。この場は最早会話に適した場ではなくなった。ロッサはこの場を離れようと手振りでクリスティーンに伝えた。

 

 二人は楔の団のエリアに入り、ロッサのテントに着く。中で汗を拭き、清潔な服に着替え、何時もの装備とコートを纏い直したロッサは、すでにそれらを済ませているクリスティーンと今度は配膳されている場所に向かう。

 

 ヘンリー・スヴィンドンの愛娘、つまりは令嬢の身分であるクリスティーンは、望めば自陣内でちゃんとした食事が用意される。だが、彼女はそれを拒み、兵士たちと同じ配給場に向かった。

 

 今後また傭兵を集める必要ができた時のために、ロッサを通じて何かしらの縁を結べないかと言う打算という名目と、今まで殆どいなかった同じくらいの歳の社交抜きの少女との会話という本音。そこに父親に対するささやかな反抗という側面も、彼女の行動にはあった。例え彼女にその自覚がなかったとしても。

 

 さて置き、二人並んで保存のきく硬いパンと老いて卵を産めなくなった雌鶏の肉が申し訳程度に入ったシチューというメニューの配給を受け取り、人ごみから少し外れた場所の地べたに座る。本来食事用に置かれている長机はすでに先に来た兵士たちで溢れかえっており、その中に楔の団のメンバーの姿も見つけられない。他所の集まりに相席して無用のトラブルの原因になっても意味がない。

 

 薄く塩味の乗った硬いパンはそのままでは食べ辛く、手で千切って何かに浸して食べる。この場の兵士たちも多くはシチューか飲み水代わりのワインに浸して食べている。保存の良さを考えられて作られた陣中食としてのパンは、庶民とは言え食費を惜しまないロッサにとっては味以上に、特有のパサパサ感が我慢ならなかった。

 

 さて、少女二人と言え、共に戦場を掛ける戦士であり、更にメイルライダーともなれば兵卒と違い戦場の命運を左右し得る存在である。それを一応は自覚している二人の話題が眼前の戦に向くのは自然な流れであった。

 

「結局さ、お偉いさんはこの戦どうしたいのさ?」

 

 もしロッサが正規軍の兵卒ならば聞く必要も意味もない質問だった。だが彼女は傭兵である。ただ命令のままに戦うのではなく、より安全に、より多く稼ぐために戦い方を工夫する必要があるのだ。

 

 だから雇い主の思惑を知ることは重要である。それによって比較的危険の少ない位置や、褒賞の多い標的はどれかを推察することも可能になってくる。

 

 今回のように、当てにできるレベルの戦力を自前で持っている雇い主ならば、任務の調整で、ある程度意図的に褒賞の配分を決められる。ならば当然危険は傭兵に、武功は自分の兵に回そうとするのが当然である。その方が軍の士気と練度の維持に良いのだ。

 

 で、傭兵としてはそれは面白くない。上手く雇い主を出し抜いて、褒賞にありつきたい。

 

 そういう意味では雇い主と傭兵は味方同士であるが、同時に騙し合いの相手でもある。

 

 無論、どちらにも限度がある。雇い主側の押さえつけが過ぎれば次から傭兵が集まらなくなる。逆に傭兵側の暴走が過ぎれば雇い主からの信頼が失われる。どちらも加減を考えながら駆け引きを行うのである。

 

「それに関しては私も。軍では一騎士に過ぎませんので」

 

 所詮は一騎士に過ぎないクリスティーンでは作戦会議に出席する機会はない。立場は上でも、持っている情報の量は兵士たちのそれと大差はないと、首を振る。

 

 二人は適当に灯りの近くの地面に座り込む。地面に直接座るのは行儀がいいとは言えないが、流石に戦地でそれを気にする者はいない。

 

「ですが、やはり辺境伯は事を大きくするお心算はないようです」

 

 となると、リスクもリターンも知れたもの、の筈である。予想外の事態さへ起こらなければ、だが。

 

「戦働きは控えた方がいいか」

 

 貴族同士の規模の小さい戦いで、且つ冬でなければ戦場をグダグダにして日当を絞り続けるよう試みるという選択肢もあった。が、国家規模の戦争に繋がりかねない状況でそれをやれば、別の意味で自分たちの命が危うくなる。

 

 当初の方針通り、この戦いで欲をかくのはやめておこうと考えた。

 

 二人が、肥えた舌にはいささか酷な食事を胃に流し込む作業をこなしている頃、砦の隅に設置された教会へと、エリザベート・フェイは足を運んでいた。

 

 御子の甲羅を模した楯を飾り立てた教会。その横の小屋では法衣を纏った聖職者が日雇いの人夫たちに運び込ませてきた遺体に、七日に一度の共同葬のための保存処理を施していた。

 

 御子の昇天の際に遺す神聖なる甲羅。それを器に、干した春夏の香草を漬けた魔除け香油。それをローリエで掬い、遺体の上に滴らせていく。春夏の精霊の祝福を受けているとされる香草の香りは冬の精霊を遠ざけ、死体を弄びアンデットに変えてしまうのを防ぐことが期待できる。

 

 ただ、残念ながら精霊の行いは人知の埒外のものも多く、それでも万が一があるため外側から閉じ込めるられるように閂が配置され、いざという時はすぐに施設ごと全て燃やしてしまえるように藁を敷き詰めるなどの工夫が施させられている。

 

 エリザベートはゴブリンの召使に運ばせてきた椅子に腰かけ、手に持った水晶球越しに小屋を見る。

 

 水晶のうちに映る小屋には紫の靄のようなものが湧きたって見える。その靄には人の苦悶や悲嘆の表情が浮かんでは消え、消えては浮かんでを繰り返していた。

 

 豪奢なドレスの上に何らかの学者を思わせる白衣、更に鳥の嘴のようなマスクという奇怪な組み合わせを身に纏う怪人物。豊満な胸も縊れた腰も、大いに男共の劣情を煽るものではあるが、それに勝る怪しさが周囲の傭兵たちに声掛けを躊躇わせていた。

 

 そんな中、怪しさを慣れていると言わんばかりに、彼女に近づく男の姿があった。

 

「大分冷えてきました、そろそろ戻られては?」

 

 茶色の短髪の青年、ジャン・テューダーだった。彼は今回エリザベートが率いてきた私兵を事実上統率する立場にある。

 

「……今回も有用な情報はなしか」

 

 エリザベートは水晶球を布に包むとそれをゴブリンの召使に渡し立ち上がる。

 

「わざわざ様子を見に来る必要はあったのでしょうか?」

 

 フェイの一団がわざわざ海を越えてレデの地に陣を借りに来たのは、物探し、というよりあるモノについての確認作業のためだった。

 

「ブリテンからアレの反応が消えたのは事実。海を越えてこの地にいるのも本当なら、先祖の想定から外れた成長をしていることになる。ならば仕込みが正常に機能しているかだけは確認しなければならない」

 

 エリザベートの、より厳密にはフェイの目的は、ジャンも聞いている。そこにはブリテンの国益もなければ、フェイの権益強化すら存在しない。只々、学術の大家たるフェイの業だけがあった。

 

 建国よりも古き時代からの一族の研鑽。その一端が間もなく完成に至る。そして自分は幸運にもその時期に生まれ、今尚錬金術師としての盛りである。

 

「場合によっては、姉の方の目覚めを待たずに『黒』の回収をしなければならないかもしれない。その場合は今の戦力では確実に足りないのよね。とは言え辺境伯の兵力を動かすと陛下に要らぬ隙を与えることになりかねないし……」

 

 すでに回りなど意識のうちにないと言わんばかりの様子に、ジャンはため息を吐いた。

 

 ブリテン建国王エドワード一世の後援として大いに貢献し、今や天領を凌ぐほどの広大な領土を有するフェイ侯爵家。歴代国王が必ずその血筋を室に入れ、結び続けざるを得ない王国の半独立勢力。そしてその侯爵家から王家に輿入れし、王妃となって尚フェイの事実上の支配者たり続けているのがエリザベートである。

 

 王国に於いて、事実上国王にも劣らない大権を有するこの怪女とは如何なる権謀の怪物かと、人々は口にするが、その実情を知る者ならばこう評するだろう。

 

『実にフェイの血筋である』

 

 権謀も、財貨も、武力もフェイは尊ぶ。だがその何れもただ一つの目的のためでしかない。フェイの根本は顕学であり探求である。

 

 魔術、錬金術、数学、医学、動植物の知識。ブリテンの学問に於いてフェイが貢献していないのは文学だけと言われるような家である。そんな中彼女は特に錬金術と死霊術に於いて他者の追随を許さない白眉である。

 

 王家に嫁いだ責務として王との間に子を成し、控えめながら国事にも参加しその責務を果たしているが、それ以外の時間はほぼ研究である。

 

 そんな研究の虫が、多くはないとは言え鉄火場に訪れるとは如何なる奇特かとジャンは思ったが、今の様子を見るに結局は『フェイである』ということなのだろう。それも単純な戦力でしかないジャンには直接知らされてはいないが、どうにも戦場の伝説として知られる黒騎士に関わる話らしい。

 

「奥様、もう冷えます。今日の所は……」

 

 王妃とも、格式高い奥方とも呼ぶ訳にはいかないので、この場では普段とは違う呼び方をした。その為かエリザベートは数瞬反応が遅れたが、すぐに我に戻り椅子から立ち上がる。そしてジャンと従者を一顧だにせず、自身のテントに向かい、男二人はその後ろから着いていくのだった。

 

 

 





  梅雨に入りそうで入らない今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか?どうも、郭尭です。

  今回は大変遅くなり、申し訳ありません。若干リアルで仕事に余裕ができたと思ったらすぐにプライベートで面倒ごとができ、書き物に集中する時間の余裕がありませんでした。

  まあ、そこにお馬さんとかがあったりの部分はあれですが。

  さて置き、今回は解説回でした。世界観とロボ設定を混ぜての状況説明となりましたが。うまく書けていたでしょうか。テンポが悪くなっていないかが不安です。

  それでは今回はこの辺で、また次回お会いしましょう。



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