G・E・C 2  時不知 (GREATWHITE)
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1話

・・ザァー

 

 

「・・・あ。すいません!」

 

すれ違い様に肩がぶつかる。

エノハもこう見えてゴッドイーター。常人より遥かに優れた筋力を持っている。今の様にぶつかられたのが例え自分より大きな相手だとしても下手すると簡単に怪我を負わせてしまう。

しかし―

「・・いや。こちらこそすまない」

ぶつかった相手―声からしてまだ若い青年らしい。フードをかぶって表情をはっきりと見せない男は全く揺らぐこと無くエノハに振り返り、軽く会釈する。風貌に比べると随分語気の物腰は柔らかい。常識と良識のある青年の様だ。

「・・・」

エノハは何故かその自分より高い背の青年の顔を覗き込むようにしてじっと見つめた。

「・・?何か?」

「・・あ!いえ・・失礼しました!」

ぶつかった相手をいきなりまじまじと眺める不敬に我を取り戻し、エノハは頭を下げる。

 

 

「エノハ~?何やってるの~?行くよ~?」

 

 

エノハを呼ぶ声がエノハの背後からこだまし、エノハも振り返って「忘れてた」的に僅かに視線を背後に向ける。そしてもう少しちゃんと目の前の青年に謝るのが先か、まず仲間に一声かけるべきかほんの少しの思案する。

が。

「ふ・・」

少し笑った目の前の青年はいかにも「お仲間が待ってるよ」とでも言いたげにエノハを肩で促し、助け船を出してくれた。

「全く気にしてないよ」とでも言いたげに。

 

「エノハ~?」

痺れを切らした様な声でエノハをせかす声が再び響く。

 

「あ―解った解った!今いくよ!!・・それじゃあその・・・本当に失礼しました!それでは!」

 

「・・」

 

青年はもう一度頭を下げ、すぐに踵を返して仲間の元へ走り出したエノハの背中を無言で見送っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・ザァー

 

 

 

 

「誰!?」

 

リッカは声を荒げた。

無人であるはずの照明の点いていない神機整備室―そこに佇む一つの影を確認して。

 

 

「・・・・!!!??」

その瞬間猛烈なデジャヴがリッカを襲う。

 

この光景は。

この状況は。

確かこれは・・・

 

―・・君と初めて出逢った日と・・・おんなじ。

 

 

「・・エノハ・・!?ひょっとしてエノハなの!!!???」

 

 

思わずこう叫んでしまった。反射的に。衝動的に。

自分の指先の神機整備室の照明のスイッチを押す前にせっかちなリッカの衝動、情動が早く答えを出して欲しいと前に出る。そしてすぐに答えは出た。照明が点く前に。

 

影が答える。

 

「・・は、はい。そうですけど・・」

 

「・・・!!!」

 

―・・やっぱり!やっぱり!!・・エノハだ!!!

 

同時にリッカは照明のスイッチを押す。照らしだされようとしている光景を待ちわびる。

 

 

―ああ!なんて。なんてもどかしい時間!!

 

 

そんなリッカを前に尚も影は言葉を紡いだ。

 

「あの・・」

 

何とも他人行儀で遠慮がちに。

 

「・・・ん?」

 

こう言った。

 

 

「あの・・その・・どこかでお会いしたことありましたっけ・・?」

 

 

「・・・え?」

 

 

神機整備室の照明に光が灯るのとは対照的に、待ちわびた光景を目の前にしたリッカの瞳には影が暗闇の中で言い放った最後の言葉が残した困惑の色が宿っていた。

 

 

 

 

 

 

ザザッ・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西暦2074年。

 

 

 

―中東。

 

 

 

 

 

フェンリル中東支部―通称「ニュードバイ」より約200㎞地点―

 

一面に広がる熱砂の砂漠地帯を砂煙の帯を引いて先頭を走り抜ける大形のトレーラーとそれに随行する六台の旧式の軍の装甲車やジープが砂塵を巻き上げ、三角形の隊列を敷いて目的地―ニュードバイへと移動していた。

 

21世紀初頭に置いて「砂漠」という言葉は意外に意味合いが広い。普通「砂漠」と言われたら典型的に思い浮かべやすいのが完全なる「砂の海」の光景を連想しやすい。が、実は「砂漠」というのは「荒涼とした岩や岩壁等に囲まれた乾燥地帯」がほとんどであり、一面「砂の海」の様な砂漠はほんの一部地域に限られる。

 

しかしあくまでそれは21世紀初頭においての話である。

 

現在―2074年。

オラクル細胞の発見からアラガミ出現によって引き起こされた巨大な地球全体の気象変化はこの「砂の海」という砂漠を完全に一般化させた。

中東から寒冷地域であるロシアにまで広がった砂漠化はとどまる事を知らず、広大な地域が砂の海に覆われ、人間を締め出して乾燥地域に向いたアラガミの住処となっている。

主にヴァジュラ、ボルグカムラン、オウガテイル等のアラガミが出没するが餌に乏しい地理的条件によって数は少なく、おまけにあまりにも広大な砂漠地域なうえ遭遇確率は意外に低い。

 

 

その為中東、そして世界的にも経済の中心地点であったかつてのドバイをアラガミ装甲壁によって新生したドバイ―ニュードバイを起点に今でも頻繁な交易が行われている。

 

富と財が元々集まった地域であり、アラガミ出現後も発生するアラガミの種が極端な気候故に限られた地域であった為対策、対応も早く、また神機というアラガミ掃討の手段が確立された人類が選んだのがまずは中東地域に残された石油や天然ガスなどの資源エネルギーの奪還でもあった為、この地域はアラガミから領土と資源を奪還する拠点としての役割を成すために世界最先端の技術が集結した地域である。

 

砂漠に浮かぶ「エイジス」皮肉を込めて「アーク」と呼ぶ者もいる。

多様性と強力な個体が頻繁に現出する極東に比べれば「アラガミにおいては」比較的安全性の高い地域とも言えた。

 

 

 

「ふああぁあ・・は~ケツが痛い。ずっとアクセル踏みっぱなしって詰まんない仕事っすよね~」

 

先頭のトレーラーの運転席でまだ20代であろう男が申し訳程度に整えたリーゼントの様な髪型をサイドミラーでチェックしながら後続の車両を忌々しそうな目で見る。

六台の物々しい装甲車、軍用ジープにたむろしている連中の姿を見ると男はまた苛々した。

男は最近仕事にも慣れ、だんだんと自分の仕事の理不尽な所、納得いかない所、フェアじゃない所が見え始めてくる頃合いだ。運転席で生意気そうに頬杖ついて愚痴と悪態を吐く事も増えてきた。

 

「だいたい荷物一個に護衛六台ってなんなんスカ?第一あいつらの持ってる銃やらミサイルなんてあの化け物どもに効きやしないでしょう?着いてきてるだけでしょ!?アイツラ。そのくせきっちりと俺らの儲け分ピンはねしていきやがる・・」

 

彼らは所謂「運び屋」である。

何でも運ぶ。合法、非合法、武器、食い物、死体。本当に何でも運ぶ。グレーゾーン、ブラックゾーンに足を踏み入れている物品をこっそり運ぶ事も多い。

ただし「今回」のようにフェンリル正式の依頼であれば護衛をつけるのが慣例となっている。しかし当然万年人手不足のGEを雇って護衛に付けるなど出来る筈が無い。よって役に立つのかどうかも解らない傭兵を雇うしかないのだ。

しかしこの連中が結構にがめつい。不要だと言うのに直前になって余計にもう三台護衛として派遣してきた。料金はきっちり上乗せして。運転手の男の愚痴も解らないでもなかった。おまけに

 

「あ・・。あいつら酒飲んでやがる・・仕事中に」

 

サイドミラーに映ったジープの上でドンチャン騒ぎの連中の光景を見てさらに男は苛々した。宗教上酒をやらない男は宗教的観念も相まってさらに不機嫌になる。

 

「・・・」

 

若い男の愚痴を無言で聞いていた助手席に座る男も同様に信心深い男だった。戒律は宗教上の違い故に仕方が無い所もあるが流石に仕事に対する向かい合い方、節度も同様に持ち合わせて無い連中に対する怒りはある。が、立場上助手席に座る男はこの若造を諫めなければならない。

 

「いつまで愚痴愚痴いってんじゃあねぇマハ。一応今回の仕事の儲けは結構ある方だ・・さっさと終わらせて帰るぞ。あのアリンコどもはいつもの事だ。今更連中の事でイライラしても始まらねぇ」

 

「おやっさん・・」

 

つるりと禿げた額、白髪の顎髭、しかし妙に清潔感のある歯並びと愛想の良さそうな表情は「やり手」を伺わせる。

運び屋の頭領である助手席の男はこの道30年のベテランであった。それなりの修羅場や理不尽をくぐっている。アラガミに襲われて同業者が何人も犠牲になる中生きのびてきた「運」とアラガミの出現しやすい地点、地域の知識を長年の経験で持ち合わせた男である。

 

運び屋の頭領が有能であればその「アリンコ」どもは多く群がる。安全で尚且つ儲けのいい仕事が回される信用のある男に群がれば甘い汁も当然多く出るからだ。

有能な頭領―おやっさんを尊敬してるが故に運転席の男―マハは何も言えずに拗ねたように唇を尖らせてアクセルを強く踏み込んだ。

 

「踏み過ぎだ。燃料は大事に扱え」

「へいへい」

 

と、言いつつも不平は拭いきれずマハのアクセルを踏む右足は中々緩まない。

 

―あ~本当にもう~アイツ等に神の裁きでもくだらねぇかな~?この前俺らの同業者と積み荷見捨てて一目散に逃げ帰ってきた様な奴らになんで金払わなけりゃいけねぇんだ!

 

「あ~くそぉっ!!!神様よぉっ!!!!」

マハが天を仰いでまた悔しそうに声を張り上げた。

 

 

―時だった。

 

シュンッ

 

空を裂く音が聞こえた。のろまの砂嵐の類では無い。それよりももっと軽快で強く、早い。

 

「・・・?」

 

「なんだ?」

 

二人は異変に気付き、お互いの座席側左右双方のサイドミラーを見ると異変に気付いた。

後続の六台の護衛車両の姿が無い。

 

―・・?アイツラどこ行って―

 

マハのその疑問の答えはすぐに出た。

 

「空」からやってきた。

 

 

 

ゴッシャアァアアアアアアア!!!

 

 

「うおっ!!!!」

「・・・!!????」

 

目の前に一トンを超す装甲車がありえない真っ逆さまの角度で何故か頭領とマハの運送用トレーラーの眼前に「墜落」してきた。

慌てて本当に久しぶりに切ったマハのハンドルの巧みな捌きによってかろうじて衝突は避けれたものの動揺は計り知れない。

「な、なんだぁ!?」

ワケが解らない。後続していた車両がすべて消え、目の前に降ってくる。当然現実の光景とは思えないが・・

 

ゴスン!

 

ドシャアッ!!

 

幻想では無い。次から次に護衛車両が先頭の自分達のトレーラーを追い越し、次々に「墜落」していく。

 

「マハ!!とりあえずいったん減速しろ!俺が後ろを見る。振り落とすなよ俺を!」

「は、はい!!」

頭領はマハの動揺を一言で収め、自分は周りの状況の確認の為、助手席のドアを開け、背後を見る。

 

「・・・!??」

振り返って目に映った光景に頭領は言葉を失う。

 

そこには巨大な砂の「F4クラス」の竜巻があった。

巻きあがった砂漠の砂塵によって茶色く変色した竜巻により、後方はほぼ視界がゼロである。「墜落」した三台以外の残った三台の護衛車両の姿は見えない。

 

―・・何だってんだぁ?こりゃあ・・?

 

30年この仕事をやっているがまるでどうすればいいのか解らない。

アラガミの仕業と考えるのが妥当だがそれでも全くの想定外の光景に言葉も考えも浮かばない。

こんなことができる連中はこの辺にはいない・・はずだ。

 

頭領が算出した今回のルート。まれにボルグカムランに遭遇するが足の遅い連中の上、縄張りが狭く、待ち伏せしている場所に近づかなければ脅威は少ない。むしろそのボルグカムランを警戒して機動力のあるヴァジュラ、オウガ等のトレーラーを追いかける走力がある連中はあまり寄りつかない傾向にある為、このルートを選んだ。総合的にいえば的確な判断であると言えた。

しかし、何故か嫌な予感はしていた。今回ボルグカムランのよく待ち伏せしている要警戒地点が全くのフリーパス状態であったからだ。

幸運を喜ぶ半面、何かイレギュラーな匂いを長年の勘で頭領は感じ取っていた。しかし「ここまで」は聞いていない。

 

竜巻がさらに暴風を巻き上げ、頭領の薄くなった髪、髭を撫でる。

 

「・・・?」

 

その風に頭領は違和感を覚えた。体を包むその感覚に。昼間の最高気温が摂氏50度にも達するこの地域の人間がまず感じる事の無い感覚。

 

―さ む い ?

 

未知の事象に対する恐怖がこの感覚を引き起こしたのだろうか?

 

いや違う。

 

頭領はマハを見た。

今の二人には共通点がある。

 

「・・・!」

「え・・?」

 

2人ともが白く凍っているお互いの呼気に驚愕の目を開いたと同時、まるで太陽が覆い隠された様に二人が座る運転席が影に覆われた。二人同時に見上げる。

 

―・・・!!!!!

 

 

 

「助けてくれ」

 

 

まるでそう言っているかのようにこちらに向かって落ちてくる四台目の護衛車両のフロントガラスに映った傭兵の男と二人は目があった。

当然二人に何も出来る事は無い。受け止めてやる事はおろか声をかけてやる時間すらない。

頭領が声を出す間もなく、マハは左にハンドルを切った。

 

墜落地点から間一髪で逸れた頭領の背後で四台目が破片と轟音を巻き上げ、ほか三台と同じ末路を辿った。

 

同時に

 

グ・・・ォガアガアアアアアアアア!!!!

 

咆哮が辺りに木霊する。

同時、背後の巨大な竜巻は四つに分かれ、文字通り四散していった。

 

「・・!!くそったれ!!」

 

頭領は傭兵の哀れな最期の感傷に浸る間もなく仕事に入らなければいけなかった。再び助手席から身を乗り出し、後方を見据える。

 

巨大な竜巻が四散し、残されたのは捲きあがった僅かな砂、そして明らかに人口のいくつかの物体。

銃、砲塔、ガトリングガン、RPG、座席、シート、紙類、酒瓶、タイヤ・・そして・・人。

恐らく五台目は暴風の中心に晒され粉々に分解されたのだろう。

はらはらとまるで木の葉が舞う様に回転しながらそれらが堕ちていく中心に―「それ」はいた。

 

「・・・!」

 

声が出ないのは当然だった。見た事も聞いた事も無い。悪夢のような光景ながらも息を呑むほど優雅で美しい姿であった。

 

 

さしずめ深紅の甲冑を纏った騎士。

その背には蒼白く美しい羽が生えたような炎が光り輝き、その全長は20メートル以上あろうかという物体を苦も無く宙に浮遊させている。

体長を上回る長い尾を浮いた肢体に絡ませ、「それ」は静かに佇んでいた。

 

灼熱の如き深紅の肢体。美しい完全なる個体。

 

・・しかし、一点だけ左右非対称の部分がある。その赤い騎士の右肩には何か楔の様な、まるで墓石の様に何かが一つ立てかけてある。

それが唯一、ただただ完ぺきな存在のハズの「それ」を貶しめる様な物に感じた。

そしてそれがその騎士をこれ以上なく怒りに震えさせ、荒ぶらせる根源であるようにも思える。

 

明らかにその赤い騎士―竜騎士は荒ぶっていた。目の前の物をすべて喰らい、破壊する衝動のままに。

 

最後の護衛車両・・六台目が落ちてくる。騎士の目の前に。

騎士はそれにはまるで興味が無い様に見えたが

 

カキン・・

赤い騎士の右手は「収納」してあった片刃のナイフを開くと同時、太陽に照らされた眩い一閃が何の抵抗も無く堅い装甲車を真っ二つに切り裂いた。

いざという時の弾避け程度に考えていた傭兵部隊がほんの数十秒で全滅した瞬間であった。

 

 

「・・・」

 

畏怖すら覚えるほど。自分が生きた、培った経験、修羅場を鼻で笑い飛ばすほどの強烈で圧倒的な存在が今目の前に居る。頭領はトレーラーの天井へ身を乗り出してその光景をただ眺め、

 

―くそ。

舌打ちした。

 

何だと言うのだ。

今までまじめにやってきた。辛い事もキツイ事もやばい事もそれなりに頑張って乗り越えてきた。家族も出来た。同僚も、自分の子供ぐらいの部下も何人もいる。例えどれだけ絶望的な状況でも或る程度の対応は出来る―それほどの経験をした自負もある。

 

しかし。

流石にこれは。

 

―・・これも神の思し召しか。

 

「受け入れろ」と言うのか。これが神の御意思なら抗うことは無意味だ。

 

自分が積み重ねた物をすべて否定され、何の抵抗も出来ず、まだ先のある部下も守る事も出来ずあんな規格外の化け物に殺される事。これが俺の与えられたさだめなのか。

 

 

 

 

紅い騎士と頭領は目が合う。

いや「狙いを定めた」というのが適切な表現だろう。その証拠に騎士は再び機械音の様な音を立て、その右手を凶刃に変えた。触れるもの全てを切り裂く凶刃に。

 

 

・・ズオッ!!

 

騎士の背の蒼い羽根が一層増した強い光を纏い、それをブースターに一気に巨大な騎士の体はトレーラーに迫る。小回りの利かないトレーラーなど到底かわしきれる様な速度では無い。

 

 

―・・・神は偉大なり。

 

 

頭領は覚悟し、祈り、目を閉じた。

 

猛烈な振動と轟音が頭領の男を振り落としかねないほどに車両を揺らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・?」

 

―・・・生きてる?

 

 

トレーラーは何事も異常が無かったかのように未だ走り続けている。もう二度と見る事も無いと思っていた灼熱の太陽の光が目に眩しい。

 

「おやっさぁん!!???何があったんだぁ!!!???何だよ今の振動はよぉ!?答えてくれよぉ!?」

運転席からマハのうるさい声が聞こえ、徐々に頭領の意識を死への覚悟から現実の生に引き戻していく。

 

 

―うるさい。俺だってわかんねぇんだ!

 

内心そう愚痴りながら頭領は辺りを見回す。奴は・・いた。まるで突っ込んできた事が無かった事の様に未だ空中で佇んでいる。しかし、その所作はどことなく先程までに無かった「警戒」を含んでいる様に見えた。

しかし未だこちらを狙っている、標的にしている事は間違いない。

 

―・・・俺が目を閉じている間に一体何があったんだ?

 

混乱しながら大事な商売道具のトレーラーの様子を見る。軽快に走っており、運転手のマハがうっとしうしい位元気な所を見ると車両に特段大きなダメージは・・・

 

「・・げ」

 

・・・あった。

 

トレーラーの積み荷のハッチ周辺にまるで内部から破裂したように大穴が空き、煙が上がっていた。

 

―おいおい。これ補填してくれるんだろうな?俺の可愛いトレーラーが・・。

 

と愚痴りたくなった。

 

なんて一日だ。災難な一日だ。この道30年の経験で大抵の事には驚かないと思っていたが勘違いだ。まるで今日が初出勤日みたいに愚痴りたい事、解らない事が多すぎる。何から手をつけたらいいのか解らない。

それでもすっかり後退した頭を頭領は働かせる。

 

とりあえずまず今知りたい事はあの大穴の原因は何かと、命が風前の灯の状態の今でも仕事人の悲しいサガなのか「積み荷が無事であるか」を確認する事に決定。

走行中のトレーラーの積み荷の上で四つん這いになり、振り落とされない様にそろりそろりと近付く彼の仕事人魂を流石に見かねたのか神は答えを出してくれた。

 

 

ガン!ガン!

 

内部から強引に何かを蹴りとばす音が聞こえたかと思うと次の瞬間

 

バガン!!!

 

両開きのコンテナのドアが両方強引に壊され吹き飛んでいく。

 

 

 

「よっ」

 

 

こじ開けられたドアの上部を掴む手が見えた。

 

 

「ほっ」

 

同時、身軽かつ軽快に躍りあがり、ガコンと音を立て頭領の立つコンテナの上にふわりと着地する。その軽快な動きに常人ではありえない程の運動能力が垣間見える。

 

人間であった。

 

当然頭領はこんな人間をコンテナに入れた記憶は無い。積み荷に手を出すバカもいるので雇った傭兵は絶対にコンテナの中に入れない。

 

要するにこの人間は

 

・・・今回の「積み荷」だ。

 

 

 

 

今回の仕事―

いつも通り頭領はクライアントから何も聞かず、これを所定の場所に運べばいい、それだけの仕事と判断。余計な詮索はいつもの様にしなかった。

しかし内心法外と言えるほど妙に金払いのいい依頼者に内心訝しげだったものだ。

 

本能的に察する。これはヤバイ品だと。

 

縦2メートル横1メートル位の長方形の物体。

 

一応フェンリル傘下の人間の依頼人であり、渡された書類等のサインも正式なもので信用はそれなりにあったが絶対に中身は知ってはならない類のもんだと直感。新型の神機か部品、その類の物かと考えていた。

手付金と成功報酬の過分さが意味するものは口止め料だ。

触らぬ神に祟りなし。淡々と運んで後はさいなら。それが今回の対応で最良だと頭領は長年の勘で直感した。

 

しかし同時に妙な違和感のある積み荷だと思った。

 

妙に軽い。

 

どこかでこんな物体を運んだ経験が何度かある様な気がしたがその時は答えが出なかった。

しかし頭領は今合点がいった。思いだした。

 

 

人だ。

 

死体だ。

 

棺桶だ。

 

しかし今回入っていたのは生きている人間だった。

 

「積み荷」は今解き放たれ、今頭領の目の前に居る状態だ。

 

 

ああ。

 

見てしまった。

 

ヤバイものを。

 

 

 

 

「・・あ、あんたは?」

頭領はおそるおそるそう尋ねた。即処分される可能性も無きにしも非ずだ。自然声も裏返る。

 

でも

 

よくよく考えてみると大して今の状況と変わらないので頭領は悩むのをやめた。どうせ死んで元々だった。

それを恐らくはこの積み荷のお陰でその危機を一度は脱したことはまず間違いない。

 

頭領は開き直った。さらに「積み荷」に近づく。

 

すると「積荷」は答えた。

 

 

「・・。このままのスピードを維持して欲しいと運転手に伝えてください。アイツの相手は俺がします」

 

 

流暢とは言えないアラビア語だが努力が伺える綺麗な発音である。そして何よりもその柔らかな口調、声色は一瞬で頭領にこう確信させる。

 

 

―味方だ。

 

と。

 

 

 

「・・?俺の言葉ちゃんと解ります?」

 

 

返事をしない頭領に心配そうに「積み荷」は少し視線を向ける。

積み荷の性別は男。そしてまだ若い。白く長い外套を羽織って頭にはターバンを巻いており、外見こそこの地域のものだ。しかしサンドホワイトの外套から覗く亜麻色の肌、少し水気が強い漆黒の髪、茶色の目。輪郭沿いの無精髭はまだ柔らかそうで清潔感を損なわない。

 

オリエンタルな雰囲気を醸し出す魅力的な横顔をした青年であった。

 

この国、この地域の人間ではない。

 

「いや大丈夫だ。・・・積み荷の兄ちゃん。良かったら・・」

 

「・・?」

 

「・・俺は英語は話せる。他にもある程度話せる。話しやすい言語で話してくれ。正し運転手はアラビア語以外話せない。指示があれば俺に伝えろ。それでいいか積み荷の兄ちゃん?」

 

「・・・I’m counting on you.」

 

 

 

 

 

そう言って横目で軽く会釈した後、「積み荷」の青年はしっかりと前を向く。

 

 

 

 

2074年中東。

 

 

2072年―極東から姿を消した少年―榎葉 山女。

 

それから二年の歳月が経ち、彼は少年から青年となってやや精悍になった物腰、眼差しを中東の空に向ける。

 

 

 

 

対するは紅い竜騎士。灼熱の如き真紅の体に絶対零度の冷気を纏った竜帝。

 

熾帝―ルフス・カリギュラ。

 

 

 

 

 

「・・・スモルト」

 

エノハは呟く。

 

外套に覆い隠されていた「それ」の高揚を解放するように。

 

中東の風に晒され、靡いた外套から刀身、銃身、盾に至るまで全てが白銀の神機が躍り出た。

 

 

 

 



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第2話 おはよう はじめよう

風が舞い上がる。

 

「・・・」

 

熱砂の砂漠に不似合いな、身をナイフで刺すような冷風。翻された外套と飛ばされそうなターバンを片手で押えながらエノハは見据えた。

乾いた蒼空と水気の無い白い雲。蒼い海を泳ぐように浮かぶまさしく「紅」一点を。

 

・・・。

 

「紅い鮫」もまた目標―エノハを無言で見据え、ゆらゆらと空海を彷徨う。

捕食者が獲物を襲う時のやや落ちつかない不規則な牽制の動きが緊張感を煽る。押しつぶされそうな威圧感に頭領が音を上げた様な形で口を開いた。

 

「なぁ・・一体アイツは何なんだ?・・長年仕事上あの化け物どもを相手にしてきたがあんな奴は見た事もねぇ・・」

 

頭領はじとりと汗が滲む額を抑え、目標から目を逸らさないエノハに話しかける。返事は無くても良かったが青年からは答えがあった。

 

「・・カリギュラ」

 

「・・カリギュラ?」

 

氷を操る蒼帝―「カリギュラ」は確かに極東在籍時にエノハは交戦している。しかし・・

 

「・・に似ています。でも身体的特徴が若干違う・・。本来は濃い青色の体色のはずなんですがコイツは見ての通りです」

 

「・・新種か」

 

「恐らくは。とりあえず俺も見た事はありません。・・・!」

 

 

ズオッ!

 

 

「つかまってっ!」

 

「うおっ!」

 

 

ザザザザザザザザッ!!

 

 

空を泳ぐ熾帝―ルフス・カリギュラは急降下。腹部を擦るぐらいの低空飛行で砂塵を巻き上げ、トレーラーに迫る。

砂の海の水上を走るトレーラーを「沈没」させるために。その姿は紅い背びれを砂の海から出して舟を襲うまさしく紅い鮫の如き姿であった。

狙いは船上のエノハただ一人。熾帝の興味は最早その一点である。

 

―・・!速っ・・!

 

エノハが極東で遭遇、交戦した原種カリギュラとの徹底的な違い―それは圧倒的な機動力の差である。

 

 

紅い鮫は強靭な顎と歯の替わりに右手の片刃を展開、低空飛行の姿勢から一気に躍りあがる様に

 

ズオッ!!

 

ライズした。エノハの上半身が一気に吹き飛ぶ軌道の剣閃である。

 

「ぐっ!」

 

「受け太刀は無い」と即判断し、飛び退いたエノハの鼻先を紅い剣閃が掠めていく。先程までエノハが立っていたコンテナの角が豆腐の様にあっさりと切断され宙を舞っていた。同時剣閃による風圧で吹き飛ばされたエノハの頭上を熾帝の巨体が掠めていく。

 

しかし強烈な先制攻撃であったがエノハは目を逸らしてはいなかった。反撃を諦めていない。「頭上を掠めている」という事は詰まる所腹部を晒してくれているのだ。ここは反撃―

 

―そう思うと思ったろ?

 

ガキン!!

 

「堅っ!!!」

 

熾帝の頑強な尾とエノハの剣閃が火花を散らし、お互い共に弾かれる。熾帝の渾身の切り上げの「フォロー」の為の尾の攻撃はエノハの神機―スモルトの白銀の剣形態が捌いた。

お互いノーダメージのまま次の攻防が始まる。

 

ブゥン!

熾帝の背中のブースターが眩い光を放ち、空へ一時離脱を図ろうとするが・・

 

「・・待てや」

 

ガコン・・

エノハとて自分のターンは欲しい。同時白銀の剣形態を銃身に切り替えた。

大口径のマグナムをそのまま巨大化させたような武骨な銃形態が躍り出る。全ての物を爆砕させそうなブラスト銃身―その銃口から

 

ドンドンドンっ!

 

三発のオラクル弾を熾帝の腹部目がけて発射。まるでイージス艦のトマホークミサイルの様に打ち出され、ホーミング軌道で空に逃れる昇り竜を追尾する。

 

 

自分の飛行速度を超える三発の弾頭に気付き、初めて完全に逃げの姿勢に回った熾帝を執拗にエノハの放った弾頭は追尾した。何度か空中で不規則に軌道を変えて飛行する熾帝を執拗に弾頭は追跡し、徐々に距離を縮める。直撃は時間の問題かと思われた。

 

が。

 

ズオッ!!

 

「・・・!?」

エノハの目が驚愕で見開かれる。熾帝の背部のブースターの蒼い光が突然一層増したと同時に最高速度が一気に跳ね上がり、瞬く間にエノハの放った三発のホーミング弾頭を置いてけぼりにしていく。そして徐々に弾頭はチャフ(アルミ箔)によって追跡を妨害されたミサイルのように頭を垂れる様にして放たれた順に追尾性を失って落ちていった。弾頭の追跡を振り切った熾帝は再びエノハを睨みつつ飛行。トレーラーに接近。

 

―さっきのがMAXじゃなかったのか・・・!?

 

同時エノハは思い知る。

 

「・・・。くそ。射程を測られた」

 

悔しそうに熾帝を見据えながらエノハはそう呟いた。エノハの言いつけどおり伏せ、必死にコンテナにしがみつていた頭領はエノハのその言葉に顔を上げる。エノハの言葉に困惑が隠せない。

 

「『射程を図られた』だ・・?おいおい相手は畜生だぞ・・?そんな知識があんのかよ!?」

 

「・・・。残念ながら。現に今奴はこっちの射程外ぎりぎりの所でこっちの様子を伺ってます。まるで確認するみたいに」

 

走行するトレーラーの速度に合わせ、一定距離を保ちながら飛行するその姿に頭領も思い知る。この新種に関しては今までのアラガミの常識が全く通用しない相手だと言う事に。

その時だった。

 

「・・・!?」

 

「あ・・!?」

 

大幅な揺れと振動の増加でコンテナの上で立っている二人の目線がブレ、エノハ、頭領お互いに違和感に顔を見合わせる。明らかにトレーラーの速度が上がっており、揺れや振動から随分と乱雑で荒っぽい運転になっている事が解る。

 

「・・マハ!!」

頭領は慌てて運転席へ滑り込むように走っていき、部下の男の様子を見る。そこにはいつもの生意気そうな面には似つかわしくない顔面蒼白で歯の根を鳴らした若造の顔があった。

歯の根が噛み合わないまま、マハはようやくこう言った。

 

「何だよぅ・・・何なんだようおやっさん・・・・。アレ・・」

どうやら「アレ」を見てしまったらしい。あんな想定外の厄ネタ相手だ。この反応は自然と言える。そしてそんな脅威から少しでも離れよう、逃れよう、逃げだそうとする反応もまた自然である。

 

「落ちつけ!!マハ!スピードを下げろ!!」

 

頭領は必死で声をかける。所詮スピードを上げた所であの化け物には簡単に追いつかれるに決まっている。それならばエノハが交戦しやすいスピードを維持する事がせめてもの貢献なのだが今のマハにそんな気持ちの余裕があるはずも無い。

 

「死に・・死にたくねぇよ俺・・・」

 

「俺だっておんなじだ!!いいからスピード落とせって・・・!」

 

「おじさん!!!」

突如背後のエノハからも声がかかる。頭領はうっとおしそうに振り返りつつ

「『頭領』って呼べ!!で。なんでぃ!?こっちも取り込み中だ!・・って・・うぁ・・・!」

絶句した。

 

 

 

空中で人間くさく直立のまま佇む熾帝の両掌が光を帯びる。紅い体、蒼いブースターと多彩な「色」を持つ彼に新しい「色」が混ざる。

「注意」「不穏」を表す黄信号。

熾帝―ルフス・カリギュラは「痺れ」を切らした。思いがけず現れた極上の闘争相手を抱えてチマチマ、チンタラ逃げようとするトレーラーは最早不要と考えたのだろう。

マハの些細な抵抗は皮肉にも熾帝の極端な行動、攻撃を煽る結果となった。

 

バチチチチチチチッ!!!

 

巨大な球状の放電現象が熾帝の両掌でチリチリとけたたましく鳴り響いていた。まるで両手でバスケットボールを掴んだ長身の人間の様な姿勢で電球体を構え・・

 

ぐぐっ・・

 

そこから円盤投げの様な体勢で器用に体をねじる。明らかな投擲姿勢。あんな電圧の物がトレーラーに直撃すればエンジン、バッテリー、電子機器は当然即オシャカでトレーラーは走行不能。エノハを除く二人は一瞬にして真っ黒焦げである。

 

「・・・!」

エノハの手段は一つであった。

コンテナの上を一気に駆け抜ける。

 

「ま、待て!!!!!に、兄ちゃ~ん!!!!!!!」

エノハは「助走」を終え、外套を中東の風にたなびかせながら宙に舞った。大事な「積み荷」が自らの手を離れていくのを頭領は見送る他なかった。

 

ガコン!!

跳躍によってぎりぎりの熾帝に銃撃可能の範囲に入り込んだエノハは銃形態の銃口を熾帝に向けた。それを目端で捉えた熾帝の狙いを直前で・・

 

ババババババッ!!!

 

トレーラーからエノハ自らに変える事に成功。同時「フェイク」であった銃形態を盾形態に変換し、完全な防御姿勢でエノハは構える。

目の前には熾帝の手より離れ、放電した複数の電撃玉がエノハを取り囲み、吸い込まれるようにエノハの周囲に

 

ドッドドドッドド!!!!

 

「ぎっ・・・っぐっぐぐぐうう・・・・・!!」

 

着弾していく。砂しぶきが巻きあがり、その中心でエノハは盾を通して伝わる強烈な電圧に歯を食いしばり、まるで両腕を強引に引かれ、引きちぎられる様な感覚を味わいながら必死で耐えていた。

そしてその中で確実に聞いた。巻きあがる砂ぼこりの向こう側で・・・

 

ガキっ

 

機械音の様な「どこかで聞いた様な音」を。

 

―・・・勘弁しろ。

 

次の瞬間砂塵を裂いてトップスピードで躍り出たルフスの渾身の斬撃がエノハの盾を直撃し、エノハは砂漠の海の「水上」を跳ねるようにバウンドしながら80メートルほどふっ飛ばされた。

エノハの頭部を覆っていたターバンが脱げ、宙に舞う。熾帝―ルフス・カリギュラは本懐を達成し、完全にトレーラーへの興味を失ってはじき飛ばした獲物に走り寄る。

 

「・・・ぐっ・・!」

急激に遠ざかっていく「積荷」の方向を成すすべなく頭領は無念の表情で見送る他なかった。

今、運び屋として自分の仕事は完全に失敗した。積荷を所定の場所に無事に運ぶ事も出来ずに尻尾巻いておめおめとこの場を去ることしかできない。

 

無念だった。

 

その視線の先で砂の中でむくりと起き上がり、トレーラーを見送る青年の姿が見える。

 

軽く青年が強烈な電圧によって痺れて震える右手を上げた。

 

「・・・くすっ」

 

その眼にはその場を去る自分達への非難、軽蔑の感情の色が無い。ただただ自分達が無事でよかったという安堵の表情を浮かべる幼い少年の様な無垢な笑顔であった。

 

「・・・・」

頭領は自分の眉が痛々しく内側に曲がるのを止められなかった。仕事の為に稼いだ金で綺麗に矯正した歯を歯並びが変わりそうなほど力一杯噛みしめながら離れていく青年の姿を見送り・・

 

―神よ・・。

 

「祈り」の姿勢で両手をコンテナの上につき神に祈る。しかし、次から次へと湧き出る自分の無力さへ憤り、拳をわなわなと震わせた。

 

 

 

 

 

 

「ふぅ・・っ」

 

パタパタと外套をはたき、体に纏わりついた土を払ったのち、外套で額をエノハは拭う。

 

「・・・」

汗の替わりにべったりとついた紅い血液を無感動に眺めた後、その血の色によく似た色をした目の前の怪物を見据える。

怪物の纏った冷気のお陰で熱砂はマシになっているがそれでも頭部から流れ出る出血が貧血を引き起こし、徐々にエノハの意識を肉体からの乖離に近づけている。

 

例えこの怪物―熾帝を撤退、もしくは倒した所で自分が生きてこの砂漠を抜ける事はほぼ不可能に近い。状況は中々に絶望的である。

 

「まぁ考えても仕方ないか・・」

まずは目の前のこの存在をどうにかしない事には何も始まらない。砂漠を抜ける事より、遥かに困難な懸念事項がゆっくりと歩いてきているのだから。

 

 

グルル・・

 

短く鋭い牙が生えそろった口内から蒼い冷気を発しつつ、

 

 

考える時間は済んだか?なら

 

 

 

 

はじめよう。

 

 

 

 

とでも言いたげに巨大な紅い竜騎士は両手の刃を展開。

全開状態の体勢を整えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第3話 取り戻さなければならないもの












すぅ・・

 

虚空を深く吸い込む。

熱砂の渇いた外気は「それ」の内部で一瞬のうちに冷却され、水滴化、凝固、氷結。全く真逆の性質となって再び日の目を浴びる。

慈悲なき太陽に照らされ蒼い光帯を伴い―

 

ガアツ!!!

 

熾帝―ルフス・カリギュラの口内から通過した地点の空気を氷結させ、蒼い帯を引きながら高速で氷球が通過していく。

 

「っ!!」

 

空中でのけぞりつつ掠めた巨大な氷球の冷気は回避したエノハから滴り落ちた汗、血液を一瞬にして凝固させる。直撃即凍傷、あるいは凍死の氷球が立て続けに熾帝の口から放たれる。

掻い潜りつつ何とか斬撃を繰り出したとしても熾帝が両腕に展開した硬質の両刃で捌かれ、決定打に至らず、纏わりつかれるのを嫌がった熾帝の・・

 

ズズッ

 

―!ブースターが発光・・!

 

ズオッ!!!

 

円周状一帯を冷気のオーラで薙ぎ払う絶対領域を敷かれ、接近が捗らず距離を離した瞬間に氷球が立て続けに飛んでくる。

牽制のその攻撃で距離を離されたかと思えば突然反応するのがやっとな両刃を構えての強烈な斬撃、突進、滑空攻撃を繰り出してくる。頭部のダメージ、砂漠の熱気にあてられたエノハの意識では捕食タイミングの選定すらままならない。

 

しかし、それを差し引いてもこの怪物は。この個体は。

 

―・・間違いなく単体では俺が戦ったアラガミの中でも三本の指に入る。

 

エノハにそう確信させるほどの強敵であった。それもエノハ一人で戦った相手としては間違いなく最強の個体だ。

複数のアラガミ相手に取り囲まれても切りぬける、もしくは殲滅する手腕、経験を併せ持つ百戦錬磨のエノハも「個」としての極致に達したこのアラガミ相手には防戦一方であった。

 

「逃げる」事は常に考え、その機会を伺っているが何せここは見渡す限りの砂漠である。遮蔽物や障害物、隠れ蓑になる様なものは存在しないうえ、この機動力が異常の熾帝相手ではただ「逃げる」だけでは一瞬で追いつかれる。

おまけに最初の怪我の分と熱砂の砂漠による消耗がエノハの体を少しずつ蝕んでいく。

有体に言うとジリ貧。元気いっぱいの熾帝の攻撃がいずれエノハを捉える事になるであろう。

しかしその中でも

 

「・・・」

エノハには一発逆転の秘策があった。

 

・・・

 

熾帝もまたその意図に本能的に勘付いている。類稀なる戦闘センス、本能を併せ持つ怪物は敵対する相手の目をじっと見ていた。

交戦しながらも恐ろしく冷ややかな、しかしその奥に氷をも溶かす激情の炎を宿すエノハの目を。

消耗しながらも苛烈な己の攻撃に徐々に反応し、対応してくるこの相手に熾帝は思う。

 

・・コイツは同族だ。

 

「戦闘の中に身を置き、闘い、喰らうことで自分のアイデンティティーを確立する者」

 

 

熾帝は

 

 

 

間違って「は」いない。

 

 

しかし

 

 

 

「ズレ」はある。

 

 

その「ズレ」が

 

 

 

ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ・・

 

 

やって来た。熾帝の背後から。

 

 

 

「・・・・!!」

 

 

・・・・!?

 

 

ブオオオオッ!!!

 

 

「・・・・!!!!積荷の兄ちゃ~~~ん!!!!!!!!!!!!!」

 

 

 

トレーラーのハンドルを今は助手席で必死につかまりながら泣きべそ顔の若造から奪い、ハンドルを握った禿げ頭、しかしナイスミドルは突進してきた。

 

 

「おじさ・・・頭領!!!!」

 

 

 

 

 

五分前・・

 

 

「敗走中」のトレーラー内にて

 

 

 

「おいマハ!!車を戻せ!!積荷を!兄ちゃんを回収しに行くぞ!!!!」

 

「いいい嫌っすよ!!!!あんな・・あんなバケモノ相手がいるとこに戻るなんて俺は!!」

 

運転席で前のめりになり、震える手でハンドルを握るマハの姿には車両を、自分を必死に今は一ミリでも前に進めたい一心であることが伺える。

 

「だ、第一あいつらと闘えるってことは・・そいつ・・『そういうこと』でしょ!?だ、だったらそいつがあのバケモンどもと戦うのなんて当り前じゃないですか!!」

 

そう。それ故にゴッドイーターである彼らにはいくつもの特権が与えられている。実際にそれを笠に着てふんぞり返る連中も少なくない。マハの言い分は決して間違ってはいない。

 

間違って「は」。

 

「・・ああ。そうだ。あの兄ちゃんは確かに・・。・・ゴッドイーターだ。神機も持っていたからな」

 

「なら!!・・・っ!?」

 

頭領は一気に弱気な部下―マハに詰め寄り、その襟袖を掴み真っ正面から怒りの形相で若造を睨みつける。

 

「だがな!その前にあの兄ちゃんは俺らに託された『積荷』だ!!運び屋が『積荷』見捨ててどうすんだよ!?あの兄ちゃんはお前の言う『当り前』の事をやって俺らを守ってくれたんだ!!なのに俺ら運び屋が『当り前』の事を出来ずに仕事を放り出して逃げてみろ!!俺らは最早『運び屋』じゃ無くなるんだよ!!」

 

「・・・」

 

「お前もプロならプロなりにあの兄ちゃんの行為に対して自分の仕事できっちり返せ。それが嫌なら運び屋やめて車から今すぐ降りろ。俺は兄ちゃんを迎えに行く。帰りにお前を拾ってやる。『積荷』としてな。お前に支払われる今回の報酬が運び賃だ。安心しろ。『釣り』はちゃんと返してやる。それ持って失せろ」

 

襟袖を乱雑に振り払って頭領はそう言い捨てた。

 

シュンとしたマハは尚もハンドルを握りつつ弱々しく前を見据えながら

 

「・・勘弁して下さいよ・・俺が死んだらおふくろと妹はどうなるんすか・・俺の稼ぎアテにしてるんすよ・・?」

 

「・・それも『同じ』だ」

 

「・・・?」

 

「積荷とはいえ人だ・・あの兄ちゃんにだって待ってる人がいる。『運ばれる』ってことはそれを待ってる人間がいるってことだ」

 

「・・・」

 

「ええい!!どけ!!!俺が運転する!!お前を下ろす時間すら惜しい!!!てめぇはこっちで座ってろ!!!!」

 

とうとう頭領は痺れを切らした。プロは無駄な時間を過ごす事を殊更に嫌う。

 

「え!?うわっ!!?危ないですって!!ちょちょっ!!」

 

砂しぶきを巻き上げて左右にトレーラーはぶれながらグネグネと蛇行を繰り返し、

 

プシューッ

 

ある一定の距離を走行した後止まった。

砂漠が静寂に包まれたその数秒後。

 

 

ズズズズズ

 

「・・・・・」

 

「・・。もがもが・・おやっさん・・・」

 

助手席に部下―マハを押しつけながらいつもはガソリンの消費を抑えるため安全運転を心掛ける頭領がアクセルをベタ踏みの状態で阿修羅のごとく佇んでいた。

トレーラーの重みと停止したことでずっぷり砂に埋まった車輪はもどかしい空回りを十数回転続けた後に軽快に脱出。

同時目的地ニュードバイから全く真逆の方向に向かってトレーラーは方向転換。

 

目指すは「積荷」の回収。

 

そして

 

己の誇りの回収。

 

 

 

 

そして五分後―現在。

頭領は己の誇りを見据えた。捉えた。後は義理を成すだけ。己の仕事を果たすのみ。

 

「うおおおおおおおお!!!」

 

 

 

ガァッ!!!

 

思いがけず戻ってきた全く以て興味を無くした、己にとって価値を無くした物体―トレーラーを熾帝もまた見据え、当然の行動に出る。

人間が纏わりついた羽虫を掃う様なもの。未練も無いのに戻ってきたかつて落とした一円玉を眺める様なもの。

しかし同時に悦楽の時間を邪魔する無粋な輩だ。僅かでも怒りの焔は上がり、それを熾帝は絶対零度の凶刃に変換する。

 

すぅっ

 

「・・・ぐっ!」

 

「ひぃいいいいいい!!!」

 

トレーラーの運転席二人の顔が蒼白く照らし出される。まばゆい光を携えた紅い竜の口内が蒼白く染まり、照らし出された運び屋二人の顔を何とも病的な顔色に染める。

不吉で不気味な蒼―まさしく死の色。

しかし、それでも前を見据えて歯を喰いしばる者の姿を目の当たりにして、己の為に駆け付けてくれた雄姿を前にしてこの男が黙っているはずが無かった。

 

ガコン・・

 

エノハは確かにいなされてはいた。しかし切りつける中で最低限の「回収」は済んでいた。

それはオラクル。弾頭には不十分でもインパルスエッジを放つぐらいのそれは補充出来ていた。

 

・・・!

 

腰だめの姿勢で構えたエノハが突きつける銃身の奥が光っているのを横目で見届けながらも自分の落ち度をフォローする時間は熾帝には無かった。

 

ドゴン!

紅い竜の顎がエノハの砲身からでたエネルギー波によって跳ね上がると同時に遅ればせながら氷球が熾帝の口内から射出される。

ヒュン!

それは瞬く間にトレーラーまでの距離を埋め・・

「・・・っ!!!」

助手席の窓に押しつけられたマハの真横二メートルを通過していった。その冷気に一気に助手席の窓が凍る。同時にマハの顔も恐怖で凍りついた。

そんな部下の恐怖もどこ吹く風、最大のピンチを乗り切ったハンドルを握った頭領はおもむろに・・

 

―今だ!

 

ガコンっ!

強引にサイドブレーキを引いた。

 

ズザザザザザザザアザザッ

猛スピードから急激なストップをかけられた巨大な車体は反動を殺しきれず横滑りする。巨大な車体は今熱砂を円状に巻き上げながらスピンターンし、向きを百八十度変えて後部のコンテナを半円状に振りかざす。

エノハのインパルスエッジによって怯んだ熾帝が前を見据えるとそこには遠心力一杯の横殴りのコンテナが砂を巻き上げながら今まさに自分を捉えようとしている光景であった。

 

・・・!!

 

ゴッ!!

脇腹を強引にコンテナで殴られ、流石の巨体も体勢を維持できず吹っ飛ばされる。熾帝は生まれて初めて横に倒されざるを得なかった。

 

・・・!・・・!?

 

肉体的なダメージはゼロでもショックと驚きがでかく、流石の凶暴な熾帝もすぐに体勢を立て直すに至らない。

しかし一方、一矢を報いた人間側もまた窮地に陥っていた。勢いのつき過ぎた車体は片側の車輪を浮かせながら転倒寸前であったからだ。

 

「うおおおおおおお!!!」

 

「ひぃいいいいい!!」

 

ここでの転倒ですべては元の木阿弥になる。いや、むしろトレーラーを失って完全なお荷物の二人が出来上がることによってより状況が悪化する。それだけは避けたい所だが車体は既に横転コースであった。

 

「くっそおおおおおぉおおお!!」

 

「ひ~っ」

 

二人の叫び空しくコンテナの重みに引かれ、今正にトレーラーが転倒しようとする刹那。

 

 

「ぐっ・・・!!」

ガンっ!!

 

未だ遠心力が残っており、決して軽い衝撃では無いコンテナにエノハは体当たり。同時に―

 

ドゴン!!

 

傾いている方向の地面へインパルスエッジを噴射。巻きあがる砂を浴びながらももう一発放ち、車体の傾きを強引に矯正する。

荒療治は・・

 

ドスン!!

 

吉と出た。浮いていた片側の車輪が正規の位置へ「着地」する。再び砂を巻き上げる光景が素晴らしい。

「・・・・ほっ・・・!」

思わず安堵で頭領は一息つきそうになる。が、

 

 

「GO――――――!!!!!!!」

 

「・・・!!!!」

 

 

後部コンテナの方向から声が響く。その声に再び頭領は我を取り戻し、引いたサイドブレーキを落としてアクセルを目一杯踏み込む。

 

ブォオオオオオオオ!!

 

「っと・・!!」

コンテナの角を左手で掴んだエノハの体が真横に浮くほどの急発車であった。

 

―っ・・・・しゃああああああぁあぁああ!!!!!!

 

頭領は今積み荷を・・・今己の誇りを取り戻した事を確信する。

 

「飛ばすぞ兄ちゃん!!!!」

 

「はい!!!」

 

右サイドのミラーに映るぶらさがっていた積荷の青年が無事にコンテナの上に軽快に上がっていったのを見届け、安堵と共に「これからだ」と頭領は気を引き締める。

 

「・・・。で」

 

「・・・」

 

「お前はいつまでビビってんだマハ!!!」

 

「いや・・その・・」

 

「あ!?」

 

「なんか・・顔が張り付いて離れないんすよね・・・窓から・・・」

 

「・・・は!?」

 

熾帝の氷球が掠め、急速に冷やされた窓は氷結し、その窓に押しつけられたマハの顔はべったりと引っ付いていた。

 

「~~~~~っ!!!お前一体何しに来たんだよ!?」

 

「おやっさ~ん・・そんな事言われたって・・・」

 

・・・その背後にて―

 

・・・!!・・・!!

 

熾帝は巨体を立て直していたが直ぐにトレーラーを追おうとしなかった。まるで何かを噛みしめるように四つんばいになって頭を伏せ、拳を握りしめている。

初めて地面に横倒しにされるという屈辱を受け、極上の獲物を掠め取られ、おまけに倒れた拍子に右肩に突き刺さった楔―神機が少し喰い込んだ事による激痛によって熾帝の怒りは振りきれんばかりになっていた。

 

・・・!!グ・・・オアアアアアァアアアアア・・!!

 

今熾帝―怒りを引き金に活性化。強靭な足腰で砂を巻き上げ、走り出す。

 

 

ドドドドドっ・・スッ・・

 

けたたましいほどの地響きと荒々しい砂塵は熾帝が六歩目を踏み出した後にパタリと消える。それは両足踏切で巨体がまるで羽毛の様にふわりと空中に跳ね上がったからだ。頑強さと柔軟性を兼ね備えた肢体がふわりと浮き、同時に

 

ズオッ!!!

 

再び蒼白い光を背部のブースターに纏い、高速で紅い竜は天翔ける。

この竜もまた取り戻さなければならないものを追う。

 

熱砂の逃走劇。未だ幕を閉じず。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




「で。兄ちゃん・・・」

「・・・?」

コンテナの上で神機の先端を突き立てて門番の様に座り、少しでも体力の回復を図っているエノハに運転を再びマハに譲った頭領が話しかける。

遠くより空を裂く音が聞こえた。解ってはいたが奴は自分達の追跡を諦めてはいない。むしろ己の誇りを傷つけられた奴がこのまま黙っているはずが無い。

「勝ち目はあるのか・・?」
単刀直入の質問にエノハも簡潔に応える。

「正直勝ち目は薄いです。・・・戦闘力がケタ違いです。『今』の俺・・そして俺達だけじゃ厳しいですね・・」

「おいおい・・俺『ら』を入れるんじゃねぇよ。第一俺らは足手纏い以外何でもねーだろ」

「・・。その『足手纏い』がいなきゃ俺は今でも右も左も解らない砂漠の真ん中でアイツとジリ貧バトルです」

「・・・」

「・・。俺は基本自分一人で勝った事はありません。いつも誰か仲間と一緒でしたから。今も一緒です」

「・・へ」

「・・・でも」

「・・?」

「仲間が多いに越した事は無いです。『もう一人』・・ちょっと協力を仰いでみようと思います」

「・・もう一人?おいおいマハの事か?アイツは運転ぐらいしか能がねぇぞ。ま。俺も大差ねぇがな?ははは」

「いえ・・。・・・っ!」

「・・もう来たのかい」


ズオオオオオ・・・

軽快な飛行音と共に紅い竜が再びエノハの視界に映る。
こちらを再び捕捉し、一定の距離を保つ熾帝をエノハはじっと見つめていた。
しかしその眼は今はあの圧倒的な存在感を放つ熾帝を映していない。

「・・・・」

今その眼に移しているのはその肩に突き刺さった楔―白い刀身に赤みを帯びた神機であった。

あの熾帝―攻撃力、機動力、頭脳、正に完璧と言える個の極致に達したあの新種個体を唯一貶しめる物体。
持ち主がいない状態でも未だ刺さり続け、確実に熾帝を蝕み続けているあろうあの神機。

明らかに。

何らかの意識、意志が備わっている事に疑いの余地は無い。
スッとエノハはそれを指差し、ニッと笑ってこう呟いた。


「・・・敵の敵は・・味方かもしれないでしょ?」











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第4話 遺された神機

望んでいなかった。いや望んでいたのかも。

時々曖昧になる。自分が食べたかったのか、それとも食べたくなかったのか。

 

ただ一つ確かな事がある。

離れたくなかった。一緒に色んな場所に行って一緒に戦って笑って、怒って、悲しんで、泣いて、また笑う。

そんな君と離れたくなかっただけ。

でも自分と君は違う。自分はあくまで道具で君はそんな自分を扱う主人で。

 

君と一緒に戦う中で君の記憶、気持、思いを共有していく先で思い知る。自分がどういう存在かを。

理解はするけど。でも納得はいかない。

 

行かないで。

 

行かないで。

 

行かないで。

 

 

ケイト。

 

 

君が行ってしまうぐらいなら。

君が居なくなってしまうぐらいなら。

自分を一人にするつもりなら。

 

それならいっそのこと・・・君を・・・食べてやる。

 

 

っ・・・!!ダメだダメだ!!!食べちゃうなんていけない!!大好きだからこそ食べちゃいけないんだ!!

でも食べないと君は行ってしまう。自分の下から去ってしまう・・居なくなってしまう。

 

 

そんな葛藤を抱えた自分が最後に見た彼女の光景は―右手の腕輪の破壊による浸食の激痛に腕を抑え、苦しそうに蹲るケイトが急速に離れていく光景だった。

今、自分の「一部」がまず間違いなく彼女を苦しめている。浸食している。そんな光景を見てようやく解った。

 

やっぱりケイトの笑っている顔が好きだ。

怒っている顔が好きだ。

呆れている顔が好きだ。

 

彼女が幸せな事こそが何よりも自分の幸せだと遅ればせながら気付いた。

声を出せない自分。それでも必死で彼女の名前を呼ぶ。

 

 

ケイト!ケイト!ケイトぉ!!!!

 

 

どんなに願っても、喚いてもケイトに駆け寄る事は出来ない。その痛みを癒してやる事も出来ない。元気づけてやる事も出来ない。

所詮自分は道具だ。それを思い知る。

 

急速に離れていく大好きな人の光景。

 

そしてそれが間違いなく自分が見る大好きな人の最期の光景であり、もう二度と会う事は出来ない事を確信させる光景。

 

「遺された者」が見たそんな大事で大好きな主の最後の光景はあまりにも悲し過ぎた。

 

 

 

「遺された者」はその悲しみの果てに徐々に意識を失い、主を傷つけ、腕輪を破壊、元々浸食の進んでいた主から完全にオラクル細胞に対しての免疫機能を奪って完全な「止め」を刺したこの怪物に只管噛みつく憎しみだけが残った。

時間の感覚は薄れ、かつての主と共に歩んだ結果生まれた自我が消えていく。しかし残滓の様に残る、フラッシュバックする優しいかつての主の顔、

サラサラの長い髪、赤フレームの眼鏡の奥で少し悪戯に光る優しい瞳、時に荒々しく自分を扱い、しかし時にくすぐる様に労る心地のいい掌をもつ皆の中心の人間の女性

 

―ケイト。

 

「お疲れ様」

 

「今日も私を守ってくれてありがとね」

 

「こら!暴れるな!」

 

「・・おやすみ。また明日ね」

 

その優しい声、ほっとする声を思い出すたびに「遺された者」は自我を取り戻す。

しかしに同時にそれは悲しみも呼び起こした。

確かに主にトドメを刺したのは今自分が突き刺さっているこの紅い怪物であろう。でも・・一方で確実に主を苦しめたのは「自分」で或るのは紛れも無い事実である事も思いだす結果となるからだ。

 

離れるのが嫌で、引き離されるのが嫌で無意識のうちに、本能的に彼女を「取り込もう」とした自分。

 

・・食べようとした自分。

 

この怪物への憎しみと他でもない自分への憎しみ。

双方に挟まれたこの「遺された者」―「遺された神機」の意識は悲しみと憎しみに埋もれ、徐々に大好きな主の顔を思いだす周期も短くなっていく。

心を閉ざした神機に残ったのはただ只管憎しみを糧にこの怪物に突き刺さり続けることだけであった。

 

そんな二年の歳月を過ごしたある日―つまり今日この日のことだった。

 

 

「・・お邪魔するよ」

 

ヘンな奴が現れた。

見た事も無い、会った事も無い男が一人、ひょっこりと「彼女」の中に現れた。

 

・・フーッ

 

「彼女」は毛を逆立て、尾を天辺まで上げて低い姿勢で唸る。ピンクがかった美しい毛並みの一本一本を膨れ上がらせて自分の体を少しでも大きく見せる。

しかし男は少し困った顔をして少し癖のある黒髪をカリカリ掻いた。

 

「・・・。この『タイプ』か・・・珍しい」

勝手を知っている口振りでそう呟き、威嚇を繰り返す「彼女」を少しでも和らげようと少しイラつく柔らかな苦笑いを浮かべていた。

 

・・・

 

どことなくケイトに似た雰囲気を持つその青年にさらに「彼女」のイラつきが増す。

 

そんな「彼女」にゆっくりと青年は近付いていく。そしてゆっくりと腰をおろし、握手を求めるように下から左手を差し出した。その手にまずは挨拶代りとばかりに

 

シャッ!!

 

四本筋の爪痕を指先に遺してやった。

 

 

 

 

 

「「・・・・!!!!!」」

 

 

一瞬の事であった。

 

活性化した熾帝―ルフス・カリギュラの機動力はエノハの想像を遥かに超えていた。遥かな点に見えていた熾帝が瞬時に巨大化したかのように眼前に達し、左の裏拳であっさりとエノハをコンテナから吹き飛ばしたのはエノハが最後に発した言葉から僅か1秒足らずの時間であった。片刃の展開という予備動作を伴わない最速の意外な攻撃にエノハは回避出来ず吹き飛ばされる。一撃で仕留める為の攻撃では無く、明らかに一時的にエノハに手出しをさせない様にする為の攻撃であった。

 

そして残った右腕でしっかりと熾帝はトレーラーの側面を掴んでいた。彼は現在エノハでは無く、完全にトレーラーを標的にしている。

 

「・・あ?」

 

頭領は未だ放心状態だ。直前にエノハが発した世迷言と言える言葉に意識はまだ反応している。眼前に瞬時に現れた熾帝の姿にはまだ頭の回転が間に合わない。

 

紅い竜は先程の屈辱を忘れていなかった。無様に転がされた雪辱を即晴らしに来たのである。

エノハを吹き飛ばした左腕の裏拳―そこから同時に

 

ガキン・・

 

片刃を展開。

 

 

「・・・うぁ」

 

そのわずかな予備動作はようやく、その光景を目の当たりにした頭領に自分の絶望的な状況に呻き声を上げさせるほどの暇ぐらいは与える。

左腕を手刀で水平で振り抜く為、腰を捻って振りかぶる。振り抜かれれば、トレーラーは綺麗に上下に分かれて二枚に「下ろされる」ことになるだろう。

今正にインパクトの瞬間、刃を振り下ろす直前の力を込めた凶刃の先を・・・

 

 

ガッ!!

 

 

・・・・グル!?

 

突如横槍の如く現れた黒い顎がその片刃に噛みついていた。エノハの神機の目一杯延ばした捕食形態であった。

熾帝もさすがに驚きの色が隠せず、一瞬だけ「お構いなしに振り下ろす」という判断が遅れた。

その刹那にエノハは割り込む。捕食形態の状態から銃身だけロケットの様に逆方向に捻じ曲げた。

 

 

―・・りっかすぺしゃる。

 

 

ドン!!!

 

・・・・・!!???

 

その弾頭の強烈な反動は熾帝の上半身を左側に大きく捩じ回し、片刃は目標であったトレーラーとは逆方向に弾かれる。同時に

 

 

―く~~~~~っ!!!あいっかわらずキくな~この弾頭~~~!

 

エノハも神機を持つ右腕が抜けんばかりに引かれる。「何とも怖ろしい弾頭を作ったものだ。あの子は」と愚痴る間もなくエノハは行動を再会する。怪我の功名とはいえ、ようやく捕食を成功させたのは事実である。

 

 

―・・・解放!!!

 

 

ズオッ!!!

 

まばゆい光を放ち、エノハは金色のオーラに包まれると同時、捕食形態の顎を熾帝の左腕片刃から外し、残った弾頭の反動で丁度熾帝の背部を取った。今目の前にあるブースターはこの怪物の機動力の源である。

 

―とった!!・・けど・・・う~くそ!!オラクルが足りん!!

 

リッカスペシャルは高威力の半面、高反動の上、オラクル効率が非常に悪いとこが玉にキズだ。エノハは刀身に切り替える他なかった。が、その切り替えの僅かな時間を今度は熾帝に割り込まれる。

完成した剣形態をエノハが突きつけようとした時、背部のブースターが目も眩むほどの蒼い光を放つ。

 

―・・や・・っべ・・!

 

ズオッ!!

 

「・・・・!!!!」

ブースターの蒼い炎を浴び、結局千載一遇のチャンスを盾形態でしのぐ他ない状況に陥った。盾を展開しながら弾頭の残った反動を利用し、空中で右に横滑りしながらブースターの熱を凌ぎつつ熾帝の右半身に回る。

一方でブースターを暴走させた熾帝の推進力は新たな危機的状況を生む。

 

ヴヴヴ!!!!

 

明らかな不協和音を示すトレーラーの悲鳴があがる。

トレーラーの前輪が出す前方への推進力があっさりとトレーラーのケツにカマ掘った熾帝の推進力に上回られ、最後尾が持ち上がり、後輪は浮きはじめる。

こちらも怪我の功名とはいえこのままいけば雪辱を果たせそうだ。熾帝がブースターを沈める理由は無かった。

 

「おいおいおいおいいおい!!!!」

やや斜めになったコンテナに頭領は必死でつかまっていた。しかしこのままいけばトレーラーが垂直に逆立ちし、終いには前転するのも時間の問題である。

そんな最早一刻の猶予も無い状況で空中でブースターの熱を凌ぎ切ったエノハは

 

「・・・!」

 

丁度熾帝の右肩周辺―突き刺さった「遺された神機」の目の前に達していた。

 

 

一体いつ頃から刺さっていたのかも解らない。そして明らかに狂食状態だ。「触れる」にははっきり言って一番危険な状態の神機である。おまけに定期的に神機使いに触れ、ある意味飼いならされている神機とは違い、これは最早「野生化」しているといっていい。

神機というよりアラガミだ。

 

しかしそんな物体に。

 

「・・・」

 

エノハは微笑みながら臆面も無く―手を付けた。

 

「・・・・・う、がああああぁああああああああああ~~~~~~~~っ!!!!!」

 

右腕を噛み砕かれる様な激痛と痺れ、頭の中を駆け巡るのはこの物体から伝わるひたすらの拒絶、断絶の奔流。その中をエノハは必死に駆け抜ける。音、光さえも超えた速度で駆け抜け、空気との摩擦熱で体全体を削られ、燃え尽きてしまう様な感覚だ。ショックで意識を失えば恐らく目は冷めない。結果的にもイメージのそれと大差ない結果になるだろう。

 

ミンチになるか。

はたまた跡形も残らないか。

 

しかしこの先へ行かねば「対話」に辿り着く事はない。この中に居る者と出逢い、この者の力を借りなければ今のこの局面を打開する道は開けない。

 

「・・・つああああぁああ!!」

エノハは消え入りかけた意識を目を見開いて叱咤した。

 

 

「!」

 

 

同時―侵入を拒み、体を切り裂いていた奔流は消え、真っ暗な部屋に出た。同時に息を吐いた。

辿り着く事が出来た。ここは最奥。神機の精神世界である。

 

・・・・。

 

その中心にちょこんと一匹の美しい桃色がかった毛の長い猫が行儀よく座っており、じっと客人―エノハを見つめていた。

 

「・・お邪魔するよ」

 

一歩踏み出す。

 

―成程・・ソーマやブレンダンさんのと同じ特殊精神体だな・・。

 

「このタイプか・・珍しい」

 

同時に厄介だ。このタイプは「対話」が非常に難しい。時間の流れが「この中」は比較的緩やかとはいえ「あっち」は一刻の猶予も無い状況だ。長居は出来ない。

 

 

フーーーーッ!

 

「・・・」

 

エノハは頭を掻く。近付けば近付くほど明らかな警戒を隠さないこの猫の姿を見て。

とりあえずセオリーとして敵対心と危害を加える意志が無い事を示す為、ゆっくりと差し出したエノハの左手の指先にはあっさりと

 

シャッ!!

 

紅い四本筋の爪痕が残った。

 

―こいつは手強い。

 

エノハは苦笑いした。

 

エノハは切り口を変える。ここはこの神機の精神体の深奥であり、言わば「心の中」で或る。よってその「空気中」にはこの神機の精神体の記憶や想いがある程度「充満」している。

それにほんの少し「触れる」のだ。すると僅かでも記憶や想いの残滓を感じ取ることができる。

 

「・・・・」

 

この心を閉ざした神機と心を通わす、対話を始めるにはまずこの神機に心を開いてもらうしかない。その為にはこの神機の今まで歩んだ道、記憶、想いを曖昧に伝わってくる断片的な情報を感じ取り、心を開くキーを見つけるのだ。

しかもこのタイプは「言葉」が通じない。感情を伝達する方法が非常に限られている。

故に「対話が難しい」のだ。

 

そこでエノハのできる事とは。

 

「・・・・・!」

 

今感じ取ったこの神機の記憶、想いの残滓、断片を読み取った後、感情を素直に表すことだ。深奥に入った以上エノハ側も当然精神体である。ある程度の記憶、想い、感情は読み取られる。

偽証、詐称は不可能である。

つまり感じ取った物によってこちら側に浮かんだ感情はほぼ偽りなく伝える事になる・・否、伝わる他ないのだ。それをあちらがどう判断するかだ。

極論出来る事は何もない。小細工のしようが無いからだ。

 

これで向こう側が受け入れ、「対話」の段階にいれてくれるか。

それとも拒絶され、死ぬ、もしくは大ダメージを負って弾き出されるか。

 

二つに一つである。

 

そしてエノハは答えを出した。ほんの一瞬俯き、そして再び顔を上げ、目の前の「遺された神機」の精神体を見据える。

 

・・・!!

 

すると「彼女」は目に映った光景、そして感じ取ったこの侵入者の感情、そしてその侵入者の「言葉」に揺さぶられた。

 

 

「・・・ケイト・・さんって言うのか。お前のご主人様は」

 

 

そう呟いた侵入者―青年の左目から頬をつうと伝う涙に「彼女」は目を見開き、

 

バアッ

 

「彼女」が閉ざしていた心が一気に広がったと同時、周りを覆っていた真っ暗な暗闇は光景を変えた。

 

 

僅かに目を塞いだ時間の後、ゆっくりとエノハは目を開ける。

 

「・・・」

 

かつてリンドウの精神の中に入った時と同じである。宿主にとって一番縁の近い場所が映し出される。リンドウの時は極東支部アナグラであった。

 

今エノハが居る場所は欧州支部―グラスゴーのとても明るい、ここに住む人間の人と形が解る清潔で心地よい一室であった。

日当たりのいい窓には花瓶が置かれ、中央にはテーブルとソファ、品のいいグラスやコーヒーカップが棚に綺麗に整頓されて並んでいる。

間違いなく人の集まる部屋だったことがそれだけでわかった。

 

「・・・ん」

 

立ったままエノハはその部屋を見回すと正面のソファにちょこんと座る猫が変わらずじっとエノハを見つめている。

それにエノハは再び歩み寄ろうとした時であった。

 

ガチャリ

 

背後のドアが開く。

これもまたリンドウの時と同じであった。宿主と縁の深い者もまたその精神世界に現れる。彼の時は現在彼の妻である橘サクヤの姿であった。

 

「・・・」

 

無言のままこの場所に現れたのはこの部屋の主に相応しい、健康的な美しさと色気を兼ね備え、快活さ、優しさ、意志の強さ、そしてちょっとした悪戯心に溢れた笑みを携えた紅い眼鏡をかけた女性であった。

 

トトトッ!!

 

「!」

 

その彼女の足元に一目散に精神体―猫は寄り添い、ぐるぐると喉を鳴らして擦りよる。そのあまりにも微笑ましい、そして自分とは真逆とも言える態度の差にエノハはまた苦笑いしてこう言った。

 

「・・この人がケイトさんか。・・美人だな」

 

本当に温かい雰囲気を持った女性。多くの人の中心になり、支え、照らす太陽の様な人だったことがすぐに解る。

 

しかし―

 

エノハは既に気付いている。感じ取っている。この女性のあまりに悲し過ぎる末路を。

 

あまりに悲し過ぎる彼女達の別れを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第5話 遺された神機 2

二年前。

エイジスでのハンニバル侵食種―真帝との戦いにおいて瀕死の重傷を負ったエノハを救ったリンドウの神機の精神体―レンによって施された治癒行為―「リンクエイド」はエノハに変化を与えていた。

・・・と、いってもそれほど致命的なものではない。レンが必要以上にエノハの体を改変する事を頑なに拒んだ結果、その影響は瑣末なものと言えた。

変った所といえばこの二年でエノハの癖のなかった黒髪がレンの癖っ毛の性質を受け継いだようでややウェーブを描くようになったことぐらいか。

そしてさらに副次効果、「レンからの贈り物」ともとれる特殊な能力を授かった。

 

今彼が行っている神機の精神体との「対話」である。

流石に同じ神機同士のレンほどではないが、ある程度の意志疎通、神機の記憶や感情を推し量れる。

 

ただし今回は特殊な精神体のタイプである。見た目の通り相手は「猫」。「感情」は推し測れても「思考」を読み取るのは至難の業だ。

よって「彼女」の記憶で最も近しい存在である彼女のかつての主―ケイト・ロウリーとの記憶を読み解く。

 

 

 

 

 

「くっそ~整備班のアイドル、ケイトが結婚とはね~それも相手があのプレイボーイのハルオミなんて・・」

 

「あはっ?趣味悪いでしょ?」

 

「違いない」

 

神機の視点―目の前にはケイト、そしてどうやらグラスゴー支部の整備士らしき黒人の女性が愛想が良さそうな表情を残念そうにうんざりさせてケイトを見ている。

どうやらグラスゴーの整備室らしい。極東に比べれば、規模、キャパ共に大分控えめだが中々腕の良さそうな女性整備士だ。隣に居るケイトの表情からこの整備士を心から信頼し、また気の置けない友人同士である事がはっきりと解る。

 

―ハルオミ・・?婚約者がいたのか。

 

「・・。正直私はアンタはハルオミなんかには勿体ない女だと今でも思ってるからね。・・今からでも私に乗り換えない・・?」

冗談とも本気ともとれない曖昧な口調であったが、覗き込むようにケイトを見据えるその眼にはややじっとりとした情動が漂っている。レズビアンかどうかはエノハには判断が付かないが心の底から惜しいと思っている事だけは理解できる。

そんな友人の言葉に女性―ケイトは対照的に裏表のないからっとした笑顔でそっと女性整備士の頬に触れ、

 

「気持ちは嬉しいよ?ありがとね」

 

その微笑みに整備士の女性は困った顔して笑い、

「・・そんなカオしてギル君も振ったの?罪作りな女ね?アンタは・・」

女は大げさに肩をすくめてふぅっと息を吐き、諦めた表情で微笑みながら

 

「嫁入り前の大事な体だ。くれぐれも無茶しないで。アタシやギル君を含めた幾人もの良い男、良い女を何人も泣かせる以上、アンタには幸せになってもらわねば困る」

 

「・・うん。今度のミッションが一段落したら正式に引退勧告を受理して腕輪の封印処理する。今まで有難う。貴方も・・この子も。本当に」

 

そう言って紅い縁の眼鏡の奥の目が優しい光を帯びて此方側―神機の方を見つめる。

 

同時にエノハの中にその時の神機の感情が流れ込んでくる。

単純な言葉に言い換えると「寂しい」「辛い」。

母親においてけぼりにされる子供の様な悲しみとその理不尽な別れに対するほんの少しの慟哭を含んだ感情。

 

ケイト・ロウリーは長年の偏食因子の摂取、戦闘による捕食、新型第二世代への換装などによってオラクル細胞の浸食が進み、既にドクターストップがかかるほどの状態であるがこの支部の人員不足を埋める為に未だ第一線で働いていた。

そんな彼女がようやく正式に引退を決意した時点―つまり完全にこの神機との決別が決定された日の記憶である。

 

場面は再びグラスゴーのとある一室―ケイトの部屋に戻る。

 

「!」

 

気付けば無言のケイトと足元の神機の精神体の猫の左隣に長身痩躯の長い髪をした青年、そして右隣りにはケイトの肩にぐるりと腕をまわして寄り添う垂れ目のやや軽薄そうな男が立っていた。

 

どうやら・・

 

「これがハルオミ・・さん?もう一人はギルくんって所かな」

エノハは猫にそう尋ねる。猫はやや不機嫌そうに目を逸らし、目を伏せる。ケイトにとっては間違いなく大事な存在の二人だろうが神機の精神体の彼女にとってこの二人は微妙な立場らしい。

 

片方はケイトに引退を決意させた青年。片方はケイトと共に新しく未来を紡いでいく男。

双方ともにケイトを自分から引き離してしまう存在。そしてこれからも彼女と共に歩んでいける存在。置いていかれる自分とは違って。

 

正直だいっきらいな二人だ。

 

でも同時に解ってもいた。この二人は自分になり変って普通の人間―女性になったケイトを守り、支え、幸福にしてくれる。喰らい、壊すだけの自分では決して与えられない物をケイトに与える事のできる二人だ。

長年この主と道を共にした。詰まる所その主人と親しい間柄であるこの二人の人柄―それぐらいの事は解る。ケイトに女性としての幸福、人間としての幸福を与えることのできる二人だ。

 

憎らしい。

なんて憎らしい。

 

でもケイトの幸せは確実にそこにある。紛れもない事実。

それを諦観して受け入れる自分と反発する自分がせめぎ合う。

「奪われるぐらいなら自分が奪ってやる」という感情が「彼女」を構成する細胞―オラクル細胞の浸食を無意識に促進させる。

 

奪ってしまえ。

 

食べてしまえ。

手に入らないのであれば、殺してしまって永久に自分の物にすればケイトはもうどこにも行かない―そんな考えさえ浮かぶようになった。

 

 

そんな時に。

 

アイツは突然現れた。

 

紅いアイツ。

 

ケイトを襲い、傷つけた。

 

許さない。

 

でも・・ふと思う。

 

自分はアイツとどこが違うんだろう?

ケイトを襲い、殺そうとしたアイツとケイトを食べて自分のものにしようとする自分。双方が合わさってケイトはもう助からない状況に陥った。間違いなくその片棒を担いだのは自分。どこかで望んでいたのも自分。

 

結論。

 

ケイトを殺したのは紛れも無く自分だ。事実だ。

 

それをすべてこの紅い怪物のせいにし、二年間ずっと噛み続けた。自分が最早何なのか解らなくなるぐらいに。耳を一杯に下げ、脅えながら、泣きながら噛みつき続けた。

 

よくも。よくもケイトを。

 

それは果たして誰に言った恨みごとなのか。

この怪物か。

ケイトを普通の人間にし、幸せにしてくれるあの二人の男か。

他でもない己自身か。

 

ただ消え入りたかった。

最愛の存在を喪った、失わせた自責の念。引き裂くような悲しみ、憎しみ、怒り全てを忘れたただの下等な存在になりたかった。

 

なのになぜ思い出させるんだ。思い起こさせるんだ。

自分に。

 

この新たに現れたこの無粋な客人は。

 

 

「・・・力を貸してくれないか?」

 

 

この期に及んでそんな手前勝手な事を言うのか。こんな悲しみを思い起こさせておいて。

 

「・・・!」

エノハの目が見開かれる。

この神機の精神体のエノハへの非難の感情は猫の目からぼろぼろと大粒の涙を流させた。涙は感情の発露。過大なストレスを洗い流す機能だ。

洗い流すのはここに現れた異物―エノハ。既にこの「部屋」はいつの間にか水中と化し、涙の激流がエノハを洗い流そうとする。

 

 

でていけ。もうでていけ。

 

 

しかし

 

「・・・」

 

それでも頑なに青年は去ろうとしない。激流を物ともせずその場に留まり、しっかりと猫を見つめる。そして逆流の水圧にブレながらも左手を猫に延ばす。

 

僅かに指先が触れる。そこから伝わってきた。エノハの感情が。

 

―忘れさせないよ。

 

・・・!?

 

―忘れていいものじゃない。確かに忘れたくなる、心を閉じたくなる悲しい思い出だ。だとしても忘れちゃいけない。

 

・・・。

 

―「仇をとれ」なんて言わない。「悪いのは全部アイツのせい」だからなんて言わない。

・・君の自責は間違っていない。だからってその自責を抱えてただ閉じこもるのはダメだ。自責に押し潰されて自分が壊れるのを待つなんて・・君だけ楽になるなんて許さない。

 

 

・・・!勝手な事を!!

 

 

さらに激流が強くなり青年の体を押し流そうとするが尚もその左手は精神体の頬から離れない。

 

 

自分はもう!出来る事はすべてやった!!今までだってケイトがいたからこそ戦ってやっていたんだ!!ケイトがいない世界にもう興味無い!!

 

ケイトは死んだんだ!!

 

自分が・・私が殺したんだ!!

 

 

―違う。

 

違わない!!

 

―ケイトさんは死んだかもしれない。・・でも彼女が生きた証は残る。彼女が残した想い、記憶、想い出。それは絶対に死なない。

 

・・・。

 

―そしてその証の一つである君はここに居る。そして戦ってきた。今も戦ってる。

ケイトさんの遺志その物である君は死んでない。

 

 

周りの人間を照らす太陽の様な存在。

全て抱え込んで辛い想いをしても周りの人間の為に自ら前に立つ。戦う。そして微笑む。

 

そんな彼女が遺したもの―遺された神機はまだここに在る。

 

 

そしてその神機の中に在る記憶の中でひたすら輝き続ける彼女がいつも口癖にしていた言葉が響き渡る。まるで今も目の前に居るようにはっきりと思い出せる。

 

 

 

諦めなければその内成功するでしょ!

 

 

だから

 

 

前向いて歩いてこう?

 

 

 

・・・彼女は今も。

 

「ここ」に在る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・!?

 

なんだ?

 

なんだ!?

 

疼く右肩。

 

かつて交戦した神機使いに突きつけられたこの神機は既に熾帝の体に癒着し、彼に取りついた寄生虫と宿主の様な奇妙な共同生活を続けるうえで彼もまたその神機の或る程度の感情を推し量れるようになっていた。

突き刺さって以来心を閉ざした神機が与えてくるのは不快な鈍痛、憤怒と憎悪。そして恐怖。常日頃より闘争に明け暮れている熾帝にとっては鈍痛以外はそよ風の様なものであった。

 

しかし今回は何かが違う。

 

まずい。何かがまずい。

熾帝の本能が告げている。恐る恐る右肩をちらりとのぞくとそこには青年が空中に吹き飛んだ体勢のまま今の熾帝の泣き所に完全に触れている。

 

・・・!!

 

熾帝にとっては最もされたくない行為。一瞬で怒りの沸点が頂上に達する。かつてあの女を振りほどいた時同様に一気に左腕を延ばしてエノハを掴み、引きはがしにかかった。

 

が。

 

 

!?

 

 

突如右肩の重荷が奇妙な音と共にすっと消えた違和感に振り返った熾帝が見た物は彼に突き刺さった神機の銃身から放たれた弾頭がエノハを直撃、それによって吹き飛ばされている姿であった。

合点がいく。

 

「拒絶」されたのだ。と。

 

思いがけず消えた懸念事項に心底安堵し、熾帝は吹き飛んでいくエノハから一旦目を切る。まずは目の前の雪辱を果たすことが先決だった。

背部のブースターの出力をさらに上げ、車体はさらに角度を上げていく。

 

「ぬぐぐううう・・!!」

「うわわわわわ!!!!!!」

運転席のマハにもはっきりとした異常の感覚がハンドル越しに伝わってくる。コンテナにしがみついている頭領は半分クライミング状態だ。この状況を打開できる可能性を秘めた存在―エノハは外套を巻き上げながら吹き飛ばされている。

 

 

正に万事休す。そんな光景であった。

 

トレーラーの二人の眼には「ここまでか」という諦めと恐怖で既に塗り固められている。

しかし―

 

もう一人。

 

 

吹き飛ばされ、空中で逆さまの状態になり、後方から吹き付ける熱砂の風に癖の強くなった前髪の下に隠れたエノハの眼は―

 

 

「・・ありがとう!!」

 

 

爛々と輝いていた。

 

 

・・・ズオッ!!!

 

 

熾帝の背後。体から溢れ出る黄金のエネルギーを天地を逆にしたままの体勢で発散する様にエノハは両手を広げて躍動した。

 

「はあっ!!!」

 

エノハ―神機第三段階解放。台風の様な烈風の奔流が放射状に発せられると同時エノハは「空」を蹴った。

 

パン!!

 

物体が音速前後の速度に達した時発生する空圧のリング―通称「ベイパーコーン」と呼ばれる烈風を纏い、一瞬のうちにエノハは今まさにトレーラーに止めを刺そうとしている熾帝に肉薄。

 

!!

 

同時熾帝も天才的闘争本能にて異常事態を即察する。既に熾帝の頭の中には屈辱に対するトレーラーへの報復など一瞬にして掻き消えた。

戦闘時の研ぎ澄まされた異常感覚で既に横一線に並んだエノハを目線で捉えていた。

 

 

―・・・・。

 

・・・

 

 

互いに異常なコンセントレーションの結果、周りの景色がスローモーションに映るゾーンに達する。巻きあがる砂の一粒一粒を感知できるほど研ぎ澄まされた感覚の中でただ両雄はお互いの眼を見ていた。

 

熾帝は確信する。

 

「獲物」では無く「敵」―エノハが絶対強者の己の領域にまで達した事を。

 

同時熾帝はバックステップと同時に背部のブースターの方向を変えて噴射

 

―完璧な判断であった。

 

熾帝のトレーラーに絡めていた両腕を難なく切り落とす剣閃がトレーラーと回避した熾帝の間に僅かに生まれた空間を縫う様に刺し込まれる。

バックステップ後方への飛翔からコンマ数秒後

 

ガアツ!!

 

発射による反動によって距離を取ると同時、エノハをトレーラーごと吹き飛ばす極大の氷球を熾帝は放つ。半径数十メートルが眩いほどの蒼白い光に包まれるほどの一発だ。

 

「・・・」

 

チャキ・・

 

その巨大な「蒼」から目を逸らすことなくエノハは半身を向けたまま銃身を展開、銃口を突きつけ―

 

ドン!

 

その砲筒からドリル状に回転した貫通力に優れた氷の槍のアラガミバレットを氷球に向け発射、瞬時にまるで巨大な惑星に突き刺さる彗星の如く氷槍は突き刺さり―

 

・・・ズボッ!!

 

難なく蒼い惑星を貫通した。巨大な蒼い彗星は高速で熾帝に迫る。

 

・・・!!!

 

即ブースターを使って離脱は出来ないと熾帝は決断した。極限まで研ぎ澄まされた感覚を最大限生かし、その巨体を

 

ぐりん!!

 

その強固そうな外見に似つかわしくない柔軟さで機敏に翻す。

 

・・ぞりり・・

 

頬を削っていく氷槍が生みだす痛みを研ぎすまれた感覚の中、熾帝はゆっくりと味わっていた。ほんの一瞬のはずの時間がこれ以上なく濃密にじっくり、ゆっくりと過ぎ去っていく。

 

かつて無い高揚、そして喜びを熾帝は覚え、歓喜する。

 

 

フォン!!

 

熾帝を頭から尾の先まで串刺しにするはずの軌道だった氷槍は研ぎ澄まされた超感覚と柔軟で無駄のない最小の熾帝の動きによって逸らされた。

 

「おお!?」

 

完璧に捉えたと思ったエノハも思わず声を上げる。しかしその声はどことなく感嘆も含まれている楽しそうな驚きの声であった。

 

時をこの両雄以外の時間に戻すと呆気ないほど「ただ通過した」だけの時間にしか見えないが実際は怖ろしく繊細で高等で緻密、且つ綱渡りの濃密な攻防の時間が過ぎ去っていた。

 

 

・・ドスン!

 

それに一歩遅れてトレーラーの後部が再び砂の上に着地し、エノハも同時に音も無くコンテナの上へ再び着地した。

 

「・・・わっつ!!」

 

コンテナの前方では舌を咬みそうな衝撃と振り落とされそうな揺れをどうにか堪え、頭領はまたも命拾いした自分の悪運の強さに呆れたようにペロリと左手で額を撫でる。トレーラーが未だ走行している事を踏まえると運転手のマハもどうやら無事の様だ。

 

―なんでまだ生きてるのか解らねぇ・・。

 

今日はもう何度死んだか解らない程の頭領達は頭領達の方でかなり濃密な時間を送っていた。二度と味わいたくも無い体験であるが。

 

それを引き起こした当事者たちを見る。

しかし今の一瞬の攻防で戦況は一変している事がすぐに解った。

 

「積荷の兄ちゃん・・」

 

自分に背を向け、未だ空中に浮いている熾帝に目を向ける青年に声をかける。

見た目は大きく変わらない。しかし頭領には「変わり果てた」と形容しても差し支えない程その背中は先程までと違って見えた。

 

その感覚はある意味では間違っていない。

頭領が畏怖を覚えても仕方が無いほどの存在にエノハは今達しているのだ。

 

しかし―

 

「怪我はありませんか?」

 

ホッとする。振り返つつそう言った青年の表情は烈風を放つ金色のオーラの中でも、柔和であった。しかし同時にうぬぼれの無い自信を感じさせる力強い口調でもあった。

 

言うなれば「覚悟」に溢れた声色。

―自分達を含めた幾人の「何者」かからの想いを受け取って困難の前に立つ者の何とも凛々しい声、姿であった。自分の半分も生きてないであろう青年にこれ程感心する日がこようとは人生とは不思議なものだ。

 

「・・・」

頭領は上手く言葉が浮かばず、綺麗な白い歯を見せて恥ずかしそうに苦笑いするしかなかった。そんな頭領を見て、少しエノハも困ったような少し悲しい笑顔をして同時に振り返り、射程外の空中で佇む熾帝をしっかりと見据え、こう呟いた。

 

 

 

「・・待たせたな。少しはマシになって帰ってきたぞ」

 

 

熾帝の右肩口に光る遺された神機の刃が太陽の光を浴びてきらりと眩い逆光を放つ。それが納まった時、熾帝の原始的な風貌がこれ以上なく冷静な表情にエノハには映った。

 

慢心、狂気、怒りなどあらゆる雑念を捨て、ただ勝ちに来る。勝負を決めに来る事が明白。

 

ならば

 

エノハはおもむろに金色のオーラで光る白銀の神機の銃身形態、リボルバー拳銃の様な回転機構のある側面を

 

ガコン

 

展開。

 

そこに今までの弾頭とは全く異なる形状をした弾頭をたった一発のみ装填した。

 

―・・こちらも最大戦力でお相手しよう。

 

 

 

今。

 

遺された神機の協力、遺志を受け取り「条件」は整った。

 

逆転の秘策。とっておき。

 

 

 

 

―見せてやる。・・Lv4を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第6話 ff フォルティッシモ

「・・・」

 

その光景は壮観であった。

 

ズン・・ズズン・・

 

ほんのわずかな時間とはいえ見とれるほどの美しさである。その凶暴さ、好戦的な性質を忘れさせるほどの優雅な低空飛行姿。

 

さながら砂漠の海の上を白波の様な白い砂塵を巻き上げ、泳ぐ巨大な紅いクジラ。

もし、この生物の気性がかつてのかの生物同様温和であればさぞかし見物な光景であろう。かつてのホエールウォッチングの様に世界中から人々が集まってこの光景に酔いしれるはずだ。

 

それほどトレーラーから一定の距離を開け、蒼いブースターを纏って砂漠の上を泳ぐような体勢で飛行する熾帝の横顔は美しかった。

 

エノハが第3段階神機解放後、熾帝―ルフス・カリギュラは攻撃を止め、距離を離しつつトレーラーにぴったり並走し、しばらくの間の膠着状態が続いている。

 

「・・。おい!!マハ!!!見とれてんじゃねぇぞ!!速度落ちてんぞ!!」

 

「へ?は、はい!!」

 

トレーラーから伝わってくる微妙な速度、振動から部下の心情を感じ取り、目ざとく見抜いた頭領の声の後、また車体は一定の速度に達し、安定と呼吸を取り戻す。

 

「で・・兄ちゃん」

 

「はい?」

 

「あいつは何しようとしてるんだ?」

 

「・・解りません。俺も何をしてくるかまでは」

 

「・・そうかい」

 

「ただ」

 

「ただ・・?」

 

「ケリをつけに来ます。その『間』を図ってる」

 

「・・。兄ちゃん・・その『状態』は長く続くのかい」

金色のオーラに包まれたエノハを指差し、頭領は気になって仕方が無かった質問をとうとう口に出した。

相手が「間を図っている」という事はつまり・・その「状態」が解除されるまでの時間を待たれているのではないかという懸念を口に出さずに居られなかった。

 

「・・・。限界はあります。正直切れたら勝ち目はありませんね」

あっさりとエノハはそう答える。純然たる事実ではあるとは薄々勘付いていたがこれほどまであっさりと言い切られると

 

「・・他人事みてぇに」

 

流石に頭領は呆れて頭を掻く。が、青年は表情を崩さなかった。ちらりと確信めいた目で熾帝に目線を向け、

 

「・・でも少なくとも」

 

「?」

 

「コイツそんなタマじゃないです。自分が有利になるまでじっくり待って確実に楽して勝つよりも相手の最大戦力を真っ向から叩きつぶす―そう思っていると思います。そうでなければこんな悠長にしていませんよ」

 

「・・・」

 

まるで旧知の間柄のように青年はあの化け物を語る。

その落ち着きと確信に満ちた表情に頭領は唸る。この若さで一体どれほどの修羅場、場数を踏んできたのかが見当がつかない。

 

そしてそのエノハの言葉を裏付けるように状況は動き出す。未だエノハが第三段階解放効果時間の中で。

 

 

・・・

 

トレーラーに並走し滑空していた熾帝が突如

 

ググ・・

 

半身をこちらに向けたまま蛇が鎌首をもたげるように上半身を飛行体勢時の前傾姿勢から直立姿勢に上体を持ち上げ、頭部―視線をトレーラー側に向けた。

 

・・・。

 

威嚇、牽制、恫喝の咆哮等はない。ただ意思表示の様なものだった。向かい合った両者の最終決戦の開幕を告げるあまりにも何気ない、静かで自然な序章。

 

「・・・」

 

・・・。

 

両者のその沈黙はさしたる行為や行動を伴っていない。しかしその沈黙こそ最大の意思表示であった。

 

 

そんな嵐の前の静けさは一瞬の後―

 

ビュオオオオオオオオ!!!!!

 

嵐に変わった。

 

 

「!」

 

「うお!?」

 

熾帝が最初に一団を襲った時、発生した最初の竜巻が突然再現VTRの様に熾帝の紅蓮の肢体を覆ったかと思うとさらにその一瞬の後、これまた再現VTRの様に四つに分かれ、「卍」状に四方に散っていく。

立て続けのリフレインの光景に頭領の頭の中で次の予想される目の前の光景が自然浮かぶ。四散していった竜巻の中心で佇む神々しい姿―あまりに鮮烈で凄惨、しかし目に灼きついたあの光景が。

考え、企て、抵抗する―人間のある意味「美点」ともとれる習性その全てが無意味に感じるほどの圧倒的な光景。まさしく神の御業と呼ぶに相応しい力を目の当たりにした。

己の別格さを知らしめ、目にする者に自らの矮小さを思い知らせる改めての示威行為にように感じて嫌になる。が、

 

「・・・!」

頭領は心を奮い立たせて見据える。しかしそれはすぐに

 

「・・。・・!?」

戸惑いに形を変え、頭領に目を見開かせた。

 

熾帝の巨大な姿がない。あんな巨体を隠せる場所などこの砂漠地帯には存在しない。

―――!????

先程一瞬にして不意に接近された経験があるので頭領はきょろきょろと周囲を見回す。

 

だがいない。

真後ろも見る。・・・居ない。霞の如く紅い巨体は消え去った。まるで最初から存在していなかったかの様に。

 

―・・逃げた?

 

そう考えても差し支えあるまい。実際どこにも居ないのだ。前にも後ろにも。

あまりにも意外な結末に頭領はやや安どの気持ちも混ざり始めた表情をし、青年を見やる。生き残った喜びと安どを感謝の気持ちを表情に込めてこの青年と今すぐにでも共有したかった。

 

―が。

 

 

「・・・・」

 

頭領は気付かされる。

無言のまままだ柔らかい無精髭の生えたあどけなさの残る顎の線を晒し、天を見上げている青年を見て。

頭領もゆっくりと見上げた。「そこ」に何があるのかを確信して。

まずはいつも通りあの存在がある。・・太陽だ。この地域に住む人間にとって最も喧嘩してはいけない相手、ここより遥か遠くに在りながらこの地に居る人間を最も死に近づける身近な存在である。

 

しかし今。

 

・・・

 

灼熱の太陽を背に絶対零度の冷気を纏いて佇むあまりにもこの地に似つかわしくない存在が在る―

 

名を

 

ルフス・カリギュラ。

 

 

・・ガキャン!

 

立ちふさがる様に両刃を開いたと同時、背中のブースターも展開したかのように一気に蒼い光を帯びた。今までとは比べ物にならない程の巨大なものだ。さながら蒼い翼が生えたような姿である。

同時にこの地域の乾いた空気と熾帝の絶対零度の極低温が触れ合い、気圧変化が起きる。膨大な冷気によって急激に冷やされた大気はとうとう「ぐずつき」始めた。

紅い熾帝の周囲に巨大な暗雲が立ち込める。この地域ではお目にかかる事はない光景。尚も熾帝の体から溢れ出る膨大な冷気によってさらに広範囲にその現象は拡がっていき、渦を巻き始める。

 

ズズズズ・・・

 

数秒後には宇宙空間からも肉眼で確認できるほどの巨大などす黒い雲の渦巻きが赤道直下の空に存在し、拡がっていく。

 

 

「・・・・!!」

 

最早一個の生命体が生みだす光景としては異常すぎる。天災の域だ。ただただ人は為すすべなく蹂躙されるだけ。過ぎ去るのを待つほかない脅威。

 

そんな力の手綱を握っているのがたった一個の生命体なのだ。その意志なのだ。

 

ぞおっ・・・!

 

急激に冷やされた大気と共に、その事実が引き起こすこれ以上ない恐怖と寒気が頭領の体を包んだ―

 

と同時だった。

 

 

・・・ズオッ!!!!!

 

 

まさしく「真っ逆さま」。

大気の壁を切り裂き、何層もの白いリングを体に纏い、巨大な体とその質量を重力、そして全開のブースターの推進力に身を任せた―ビッグ・フォール。

巨大な絶対零度の隕石が堕ちてくる。トレーラーどころかこの周辺一帯を吹き飛ばして巨大なクレーターを作れる程の大質量の高速落下であった。

 

 

駄  目  だ

 

 

頭領は瞬時に確信する。これはもう人間がどうこう出来るレベルのものじゃない。僅かに抱いていた人の可能性、自分達の切り札であるこの青年の可能性に賭けようとした自分の判断を即過ちと判断し、頭領は

 

―逃げろぉ!!!

 

青年に内心そう語りかける。これ程の厄災相手には自分達はおろか、この積荷の青年すらも助かる可能性はほぼゼロと判断しながらも例え僅かな可能性でも生き残ってくれる可能性がある人間がいるならそっちを優先すべきだし、少なくとも「運び屋」としての体面は守れる。と、逃げる事を諦めた頭領の眼は自然エノハを見ていた。

 

―兄ちゃんだけでも逃げろ。

 

しかしそんな頭領の思惑とは裏腹に

 

―・・・行ってきます。

 

青年―エノハは横目で僅かに微笑み

 

・・ヒュオッ

 

 

あまりに静か。全くの重みを感じさせない黄金の羽毛をはためかせ、飛んだ。

 

間近に迫る氷の厄災に向かってあろうことか最短距離を一直線に。

爆心地から一センチ、一ミリでも離れようという行為ではないことが一目瞭然の滑稽な光景だ。堕ちてくる熾帝とは対照的に重力の抵抗を受け、第三段階解放状態の異常な跳躍力だけを頼りにした無謀、無体にしか思えない跳躍。

コンマ数秒の後の結果が誰の目にも明らかな光景。隕石を核ミサイルで迎え撃つようなものだ。

 

しかしそれでも巨大な熾帝の心情に一切の弛緩は無い。

 

ぎりぎりぎり・・

 

真っ逆さまの姿勢のまま右掌をエノハに向け、左刃を大きく振り上げる。大質量で「押しつぶす」のではなく、あくまでエノハを「切る」つもりだ。

ガードされようが刀身で受け太刀されようがそれごと両断する為に。

 

 

キィイイイイイイイン・・・!!!!!

 

熾帝は一層落下の速度を上げ、瞬時にエノハを攻撃の間合い内に捉える。同時落下の力を目一杯に乗せたシンプル、しかし自らの最高で最強の斬撃をエノハに振り下ろした。

 

 

・・・・!!!!!ガァッ!

 

 

低く力の籠った唸り声を上げ、最速、最強、この世の物体全てを両断する究極の斬撃がエノハを捉えた。

 

 

―・・終わった。

 

 

頭領は真上を見上げつつ、抱え込むようにして熾帝の左腕片刃が直撃したエノハの後ろ姿を眺めながら脱力したように光の宿らない目で虚空を見上げていた。

そして後コンマ何秒の後、粉々に吹き飛ばされるであろうトレーラーと自分の避けられない現実を妙に現実感のない心象で受け止めていた。

 

 

 

 

 

 

 

・・・・

 

 

・・・・

 

 

・・・・!?

 

 

 

 

捉えた。

 

確かに捉えた。

 

だが何だこの違和感は。

 

 

まるで包み込まれたように手応えが無い。柳に触れたように熾帝の感覚は奇妙な浮遊感に包まれていた。

 

再びの極限状態の「ゾーン」にて研ぎ澄まされた感覚の中で熾帝の視覚が違和感の正体を捉える。

 

 

 

・・・がりりりっ

 

 

・・・!!???

 

 

巨大な黒い顎が上顎と下顎を器用に使って真剣白刃取りの様に熾帝の渾身の刃をもごもごと銜えこんでいた。

そして刃越しに熾帝に伝導する。

左腕の刃に喰い込んだ黒い顎の圧力、咬筋力が加速度的に異常増加している事に。

 

2倍

 

4倍

 

 

 

・・16倍。

 

 

みしみし・・ぴきっ・・

 

くもの巣、稲妻状に一気に熾帝の刃に亀裂が走る。最高の切れ味と硬度を併せ持つ業物―熾帝最強の武器が今

 

バキン!!

 

 

絶対の自信を持っていた己の力の象徴の刃が目の前で破片を巻きあがて砕け散る光景を異常感覚の状態で唖然と見据えながら、熾帝の脳はフル回転する。

熾帝の究極の武器をあっさり破壊したこの化け物、そして受け止めた姿勢でのけぞり、俯いた姿勢のままの青年を見据えて在る一つの疑問が浮かぶ。

純粋な、そして何とも今更な疑問。

 

 

コイツら・・

 

一体・・?

 

 

 

キッ・・・・シャアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!

 

 

 

熾帝の疑問を無視し、粉々に砕いた刃の破片をまきちらしながら巨大な黒い顎は歓喜と狂喜に満ちた咆哮を上げた。

 

・・・!!!!!!!?

 

その音圧は熾帝を以てしても思わず気後れしてしまうほどの強烈な烈風と威圧感を伴っていた。

未知への困惑と不安―恐怖にすらすり替わる。

 

 

呆気にとられた状態の熾帝を尻目に巨大な顎が変質を始めた。まるで狭い所から這い出たがっている獣のように体を左右に揺らし、側面をまるで鱗の様に無数の銀色の棘が逆立ち、同時黒い捕食形態の顎の全体が美しい銀色に変わっていく。

最早神「機」では無くより生物、獣に近い剣呑且つ獰猛な銀毛の捕食者―スモルトは今

 

「条件」をすべて満たした。

 

その条件は。

Lv3最大解放状態時、特殊なカートリッジを神機に装填後の捕食である。

 

 

・・カァッ!!

 

銀毛の巨大な捕食形態の喉元から吐き出すように、神機の刀身が躍り出、熾帝の目の前に突きつけられる。同時に膨張した顎がすぼすぼと収縮していき、熾帝の視界が開ける。

巨大な捕食形態に覆い隠されていたこの神機の持ち主が姿を現す。

 

神機程の急激な変化は無い。だがその体もまた神機同様黄金のオーラから白銀のオーラに変質していた。

 

「・・・・・・Lv4」

 

そう青年が呟いたと同時であった。

 

ブォッ!!

 

熾帝の無意識な行動であった。反射的な反撃。砕かれた左刃に変わって振り抜いた右腕の刃が

 

 

パァン・・

 

 

・・あっさりと一瞬にして砕かれた。いつ振り抜かれたすら知覚できない。どうやら「振り抜かれたらしい」銀の刀身に何の抵抗も無く破壊された。

 

 

・・・・・!!

 

驚愕で熾帝の目が見開かれる。さらに同時

 

 

チャキ・・・

 

静かな。そして流麗な動作であった。

 

 

剣の軌道が残影を伴って熾帝の右目に白銀の切っ先が突きつけられる。

この点は集中力が極限に達した熾帝の感覚が徐々に付いていっている証拠である。先程まで全く知覚できなかった動きをたった一回見たのみで適応、対応を始める天才的闘争センスの賜物だ。

 

しかしそれでも突如唐突に開いた歴然とした力の差を埋めるには至らない。

 

 

この神機。そしてこの神機を扱う神機使いの二つのLv「f」our。

 

 

ff―フォルティッシモを前にして。

 

 

ぐぐっ・・

 

突きつけた剣の切っ先を熾帝から隠すようにエノハは構える。同時一層の銀の光を放った神機の光がエノハの体を後光が差すように照らし出した。

先程神機の膨張が止まり、普段の形態のサイズにまで収縮したのはエネルギーを発散した結果によるものではない。Lv4の真価を発揮する為、「収束」「増幅」していたのだ。御しきれない力を完全放出する為に。

 

・・・!!!

 

熾帝も天才的闘争本能にて察する。「受ける」選択肢はない。全集中力を回避にのみ意識を集中させ身構える―

 

が。

 

 

ザスッ

 

 

人間でいえば至近距離で放たれた弾丸を発砲を確認してから躱せるほどの研ぎ澄まされた反射速度を持つ熾帝が易々とその「切っ先」の侵入を許した。

 

 

・・・・・!!

 

右目に突き刺さった違和感。右目の視界が濁り、右半身を明らかな「異物」が通り抜けていく感覚に熾帝は気付く。回避行動すら許してもらえなかった事を。

 

右顔面を貫通し、右肩に突き刺さった神機の刀身を掠め、その「異物」は背部のブースターを砕いて尚も熾帝の背を削り、まだ延びていく。

 

熾帝によってつくられた寒波の渦を切り裂き、天に向かって真っ直ぐと伸びていく―

 

氷柱。

 

 

 

 

氷の塔。

 

 

その長さは0.8kmにも達した。

 

 

混濁する意識の中、紅い身体から血飛沫と砕かれた自らの体の破片を巻き上げ、紅い竜は糸の切れた人形の様な力の抜けた姿勢のまま堕ちていく。

 

その紅い血を纏った氷の塔は紅く染まり、次の瞬間

 

パァアアアアアアアアン!!!!

 

轟音と寒波を周囲に巻き上げ―砕け散った。

 

氷によってやや薄められた熾帝の血がピンク色に染まった氷の破片となってはらはらと堕ちていく中、

 

 

エノハは再び「対話」していた。

 

 

自らの刀身が未だ熾帝の背に突き刺さったままの遺された神機―ケイトの神機の刀身に触れた事により感応現象が起きていた。

 

 

 

 

 

再びエノハの意識は「彼女」の中に入る。

 

・・・

 

そこにはあのピンク色の毛の長い猫がいる。名前はまだ知らない。

 

 

―・・有難う。手を貸してくれて。君がいなかったら俺は誰も助けられなかった。

 

 

・・・。

 

エノハの礼に相変わらず猫は何も答えない。見た目は可愛いのに無愛想な猫だ。そこがまたイイが。

 

 

―・・良かったら俺と一緒に来ないか?

 

 

次にエノハはそう尋ねる。

確かに「神機の回収」は神機使いの仕事の一環で義務でもある。しかしそんなものを抜きにしてエノハはこの遺された神機を勧誘していた。

 

―しかし

 

・・・。

 

猫は無言を貫くと同時、その背後に三人の人間を映しだした。

 

言うまでも無くあの三人。背の高い長身長髪の青年と垂れ目のちょっと軽薄そうな男、その中心には当然―ケイトの姿があった。

三人とも笑っている。

例えどれだけ悲しい別れであっても、時に疎ましさを覚えた時もあってもやはりこの三人は彼女にとってかけがえのない存在なのだろう。

 

つまり彼女の帰る場所はまた別にあると言うことだ。今エノハと一緒に行くわけにはいかない。

 

猫はエノハから背を向けトタトタと歩いていく。そして立ち止まり、ほんの少しだけ横目で最後にエノハを見て

 

 

 

「ありがとう」

 

 

 

そう言った様な気がした。

 

 

 

 

ズオッ!!

 

「っ・・・!」

 

 

意識を取り戻した熾帝が先程までに比べると弱々しいブースターの蒼い光を巻き上げ、明らかに深いダメージの残る戦意を失った後ろ姿をエノハに向け、よろよろと飛んで逃げていく。

 

エノハはその背中を、その右肩に光る神機を眺めながらゆっくりと降りていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




数秒後―

高度5mぐらい。



パッパ~!!!

たそがれていたエノハの背後でその音が響く。


エノハ「・・・え!?」

車内「おわわわわあわわああああ!!!だだだだ誰だ!?コイツ??」

エノハ「ちょっ!!ちょっとまっ・・」


ドゴン!!!


エノハ「のわ~~~~っ!?」


頭領「つ、積荷の兄ちゃ~~~~ん!!!???」







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第7話 名前

「いつも通り点検させてもらうぞ」

 

「へぇいつもお疲れさんです」

 

頭領はいつものようにニコニコと愛想の良さそうな笑顔と綺麗に整えられた歯を綻ばせ、これまたいつものように尊大なアラビア支部―ニュードバイアラガミ装甲壁門前で検閲を行う監査官にコンテナの中身を検査させる。

 

ニュードバイ支部は物資に関しての検閲は非常に甘いが生物、こと人間の密入国に関してとりわけ厳しい。

サテライト支部、また他支部を追い出された難民等が過剰に密入国して増える事によって治安の悪化、食料を始めとする物資の逼迫を懸念し、アーコロジーの人口数、キャパシティの管理には非常に神経質だ。

 

かつては経済の中心地であり、自国民よりも多数の他国の労働者を多く招き入れる間口の広い国家であったが現在では限られた富を分散する事を拒んだ少数の上流階級が席巻する封鎖的な一面を持っている。

 

それが砂漠の「アーク」と呼ばれる一因ともなっていた。

 

監査官は物資コンテナに生体反応を感じ取る装置をかざし、フェンリル権限で開封する事を許可されていないコンテナの中身を確認する。

 

「・・・よし。生体反応なし。お次は・・・」

 

「あ。そういや旦那うっかり忘れてましたぜ・・これを・・」

頭領は試験管らしきものを監査官に手渡した。監査官は興味なさげな視線をその試験管に向けた。あきらかに賄賂、またその類の物には到底見えない物質に。

しかし実際はそんな物より遥かに価値のあるものであった。

 

「・・・何だ?これは」

 

「今回俺らを襲った化け物の細胞です。間違いなく新種でした。・・襲われた時にトレーラーに付着したやつを採取しといたんです」

 

「・・・!そう言えば護衛連中をアラガミに全員殺されたのであったな」

 

監査官は今回の仕事で前もって打診されていた無駄に多い護衛を務める傭兵達全員の身元確認をかけねばならない事を心底面倒くさがっていた。

しかし蓋を開けてみれば辿りつけたのはたった一台のトレーラーで或る。護衛が全滅した―多くの命が失われたことよりも自分の仕事量が大幅に削減された事の方に関心があるのである。

アラガミ隆盛のこのご時世、物資搬入が予定されていたのにその一行が到着しない事などありふれているというのもある。

 

到着すれば仕事が増える。

到着しなければただ淡々と上に報告する。いちいち気にも留めない。

それだけの話である。

 

が。

 

新種アラガミ、そしてその細胞となれば話は別だ。密接に自分達の安全にかかわってくる代物である。装甲壁の因子更新に欠かせない物体だ。報告すればおえらい方々から褒賞が出るレベルで或る。

 

「・・預かっておこう」

監査官はそそくさとその試験管を懐に入れる。

 

解りやすいことこの上ない。

 

「お願いしやす。では俺たちはこれで・・」

 

「うむ」

 

 

見た目は平静を装っているが内心ウハウハだろう。お陰で連中は仕事を怠った。

トレーラーの隅々を調べて密入国を企てている連中が隠れていないかを調べる仕事を。

密入国を見逃した場合、彼らは上からかなりのペナルティを課されるが、この新たに手に入れた新種の細胞サンプルを提出すればその責を相殺し、尚余りあるお手柄だ。

 

 

検閲を通り抜けてニュードバイ外部居住区に入り、路地裏でトレーラーは停車し、頭領は助手席のウィンドウを開け、

 

「・・よし。いいぜ出て来て」

 

頭領がそう呟くと同時、車底からごそごそと音が響き、少し排気と砂で薄汚れた外套を翻して青年が這い出てきた。

 

「有難うございます。頭領」

 

エノハは外套をパタパタとはたき、少し薄汚れた顔も一緒にごしごしと拭い、サイドミラーで顔を確認する。

汚れた外套で拭った結果、黒いシミがいまだ頬に残る自分を見て

 

「・・・」

 

少し「思い出して」エノハはしばし無言になった。

 

「・・兄ちゃん?」

 

「・・あ。いえ。何でもないです」

 

「・・・乗れや。市内に入れば道はしっかり舗装されてるし、スピードと揺れは抑えるようにさせる。・・・解ったな?マハ」

 

「・・へい」

 

頭領は既にエノハが乗り物に弱い事を知っている。

 

 

エノハは市街地に張り巡らされたハイウェイを走るトレーラーの上から土ぼこりにまみれながらも近代的な街並みを見下ろす。

 

本来であれば人間の入国に厳しい検閲を通る前に途中でエノハはトレーラーから抜け出し、神機とエノハが入っていたコンテナだけが所定の場所まで運ばれる手筈となっていた。監査官、またはこの頭領もこのコンテナにまさか生身の人間が乗っていた事実など知らないまま終わるはずだった。

 

―これも何かの縁だろ。

 

そう言って笑い、ニュードバイが見えた地点で酔った青い顔を晒しながらふらふらと車を降りようとするエノハを呼び止め、頭領はアラビア支部―ニュードバイの町を案内してくれた。

 

巨大なビルが立ち並び、清潔感に溢れて行きとどいたインフラ整備。前時代と変わらない光景を持つこの街―しかし少し視点を変えると綺麗に舗装された幅の広い道路を国境の様にまたいで、極東同様貧民街の様な外部居住区が存在している。

 

「おやっさん。そろそろ時間っすよ」

 

「ん・・。もうそんな時間か。ここからだと・・三番街の公園がいいな。噴水がある。丁度いい。ここで降りろ」

 

「了解」

そう言って丁度差し掛かったハイウェイ出口にマハはハンドルを向けた。

 

「兄ちゃん!」

 

「・・はい?」

 

「わりぃな。ちょっと車止めるぜ。『礼拝』の時間だ」

 

「礼拝?」

 

 

 

 

ハイウェイを降りて三分後。

 

「・・綺麗な所ですね」

 

豊かさの象徴ともいえる綺麗な噴水を中心に据えた見晴らしのいい公園に一行は到着。

この支部はアラビア海の海水をろ過する為のフェンリルの技術を結集した世界最高峰の蒸留装置を採用している。乾季には最高気温50度以上に達する赤道直下のこの地域でも水をふんだんに使う余裕があるのだ。

 

「だろ?神様に祈るにゃあ清潔かつ、さらに己を清潔にできる水があるとこを選ばにゃあならないんだ」

 

頭領は水で湿らせたタオルを汚れたエノハに投げ、自らも水で身を清めた後、二人は跪き「礼拝」は始まった。

エノハは人目を憚る立場ゆえに離れた車内でその光景を見守る。

 

 

 

頭領、マハの二人がアラガミを「アラガミ」と呼ばず、「化け物」と呼ぶのは理由がある。

彼らは宗教上、そして信仰上ただ一つの「神」を持ち崇めている。彼らにとって「神」はただ一つだ。

よって極東地域の文化―「八百万の神」をもじって名称づけられたこの「アラガミ」―荒「神」と呼ぶこと自体に抵抗がある人間も少なくない。

例え他信教の「神」、他信教の言語とはいえ、「神」という言葉を気安く口に出来ない。あくまで彼らにとってアラガミは「化け物」なのである。

 

そしてその「神」を狩る者―「ゴッドイーター」という通称もまた抵抗、反感のある者もまた少なからず存在している。

 

確かに直訳すれば「神を狩る者、喰う者」だ。これ程「罰あたり」ともとれるあからさまな名称も中々に無い。

 

 

実際、頭領はどうかは解らないが少なくとも彼の助手―マハは少々エノハに対して距離を開けている。彼の場合はある意味特権階級とも言え、中には尊大で鼻持ちならない奴がいるGEに対するやっかみも相まっての態度とも言えるだろう。

 

頭領がエノハにニュードバイを案内する事を申し出た時、露骨にいやな顔をしたマハの顔を思い出してエノハは苦笑いした。

 

生まれ育った文化、宗教、観念、考え方など違うのは仕方が無い。

信心深い敬虔な者程どうしてもその感情は消しきれるものでないし、それは決して悪い事ではないし、間違ってもいない。

でもそれで距離を開けられてしまうのも、否定されてしまうのもやはり少し悲しい事だとも思う。

 

まぁ何とも・・・答えの無い非常にデリケートな問題だが。

 

 

「待たせたな。兄ちゃん」

そんなエノハの心情を察してか、マハよりやや早めに礼拝を切り上げた頭領が戻ってきた。

 

「いえ」

 

「・・」

 

「・・頭領」

 

「なんでぃ兄ちゃん・・?」

 

「・・お世話になりました。俺はここで。残りの積み荷と神機は予定通り所定の場所へ運んで頂けたらOKです」

 

周りに人の気配が無い事を確認し、エノハはトレーラーの座席から降りながら事務的にそう言った。

 

「・・もう行っちまうのかい」

 

「・・これ以上お二人と居ると迷惑をかけるかもしれないし」

 

「おいおい。世話になったのはこっちの方だってのに・・・。まぁそっちもいろいろ事情はあるんだろうけどな・・あんな運ばれ方してるぐらいだし?ははは」

 

「・・・はは」

 

「・・悪かったな。余計だったか?」

 

「いえそんな。・・お察しだと思いますが俺はお忍びでこの国に来ています。本当に今回の事は他言無用にお願いします」

 

「わーってらい。俺もアイツもプロだ。客の情報の守秘義務ぐらいは守るさ。信用してくれ。・・でもな?やっぱり世話になった奴への義理や恩は返してぇのよ。人情としてな」

 

「それだけで十分です。俺がお二人の身の安全は保証します。心配しないでください。本当にありがとうございました」

 

「逆に礼を言われちまうか・・」

妙によそよそしくなったエノハに対して少しバツが悪そうに頭領は顔をしかめる。そして年長の人間らしく目の前の青年の複雑な心境を見抜いて優しく声をかけた。

それ程この青年は恩がある相手だ。何とかしてやりたいという気持ちがある。

 

「・・・気にしてんのか?確かに俺達の宗教上・・あんたらに抵抗を持ってる奴は多いし、実際アンタと違って偉そうにふんぞり返ってる兄ちゃんの身内も中にはいるから反感を覚えて仕方のない連中もいる。特にここらへんの支部じゃそれが顕著だからな。民間人の護衛なんぞにGE(ひとで)は使わん。出してもらいたきゃ見合ったfc出しなって話になる」

 

「・・・」

 

「そもそも『神』の名を安く扱いやがってと怒る奴も多いさ。あんな理不尽で最悪な化け物共をあろうことか『神』って呼ぶなんて極東人はイカレてるってな?かと思えば逆にあの化け物どもを本当に「神」と扱って無抵抗で殺される奴もいる。それが神の手配―『神の思し召し』だっつってな。なんとも極端な話さ」

 

 

「・・情けない話だが実際俺もあの紅い化け物に襲われた時そう思った。長年培った経験も知識も抵抗も全く無駄なあんな規格外のバケモノを前にしたらこう思っちまう。『ああこれは俺の運命だ。アイツは神の使いだ。なら受け入れるしかねぇんだ』ってな」

 

「・・・」

 

 

「でも違った」

 

「・・・?」

 

「あいつは神の使いとして現れて俺達を襲ったんじゃねぇ。アイツに襲われてあそこで終わるはずだった俺達の命を神様が兄ちゃん・・あんたを遣わしてくれて守ってくれたんだってな。俺はそう確信してる」

 

「・・・!」

 

「ありがとうな。ゴッドイーターの兄ちゃん。・・よかったら聞かせてくれよ?俺たちを救ってくれた神様の使い―勇者の名をよ。それぐらい知っておきたいんだわ俺は」

 

そう言って豪快に笑う頭領を見てエノハは思う。

彼に出会って以来エノハは何故かずっと懐かしい気分を感じていた。原因は解らなかった。しかし今解った。理解した。

 

頭領は・・彼は雰囲気がよく似ていた。極東に残してきたエノハの父親―イワナに。

 

「兄ちゃんがおいそれと名前を言えない立場のお人だってことは重々承知してるさ。だから偽名でも一行にかまわねぇ。俺達の為に神様が使わしてくれた奴のせめて呼び名だけでも知っておきたいのは当然だろ?」

 

「・・・」

エノハは思案する。彼は公式には死んだ人間、もはや存在しない人間である。

当然実名を言うわけにはいかない。

彼ら二人が余計なトラブルを被る事を避けるために。

 

「あ~~~っあ。べ、別に言いたくなければいいんだぜ?無理なら無理ってはっきり言ってくれて!あ~~~やっぱもうナシナシ!今の忘れてくれ!悪かったな!」

 

頭領は打ち消すように頭をぐしぐし掻き、困ったような笑顔を向ける青年の顔を見て、やりきれなさを覚えたようだ。

 

「ちょっと待ってろ兄ちゃん」

 

がさがさごそごそ。

 

頭領は唐突に運転席の座席の下に頭を突っ込んで何やら探っている。

 

「あった!ほれ」

頭領は怪訝そうなエノハの頭にぼすんと何かを乗っけた。

「ぶっ!・・これは?」

少しサイズが大きいが手入れの行きとどいた真新しい白いターバンであった。

 

「この国の人間はな?お天道様とは喧嘩しねぇんだ。ムキになって挑んでもこっちがバテるだけ。だからこれが必要だ。持って行け。あ。安心しろ?俺の女房は綺麗好きでな。ちゃんと洗ってあるからよ。ビジネスマンは第一印象が大事。見た目は心を表すってな」

 

頭領は乱雑に乗っけられたターバンをエノハが片手で押えながら整え、受け取る事を承諾してくれた事を示す感謝の笑顔を満足そうに眺めながらまた豪快に笑い、未だ礼拝を続けているマハを見て。

 

「あいつだって解ってる。兄ちゃんがそれだけ頑張って俺たちを守ってくれたか、どれだけ感謝しているか。ただそれをはっきり表現できない意地っ張りで恥ずかしがり屋なだけさ」

 

 

 

 

 

「改めて言うぜ。俺は兄ちゃんを遣わしてくれた神様、そしてその勇者に感謝する。

 

 

―神は偉大なり」

 

 

「・・・ラ・・」

 

 

「あん?」

 

 

囁くように呟いた背後のエノハの不明瞭な言葉に頭領が振りむいた時、青年の姿は既にそこに無かった。

 

風の様に姿を消していた。

 

「・・・・そうかい」

 

頭領は名残惜しそうな笑顔を残し、青年が去りぽっかりと空いたその空間を見つめた。

 

 

「アイツ・・行ったのか。おやっさん」

礼拝を終え、戻ってきたマハが頭領の背に声をかける。

 

「ああ。行ったよ」

 

「・・・何だよ。礼を言うつもりだったのによ・・・」

 

口をとがらせたマハが素直になれない悪態をついた時であった。

 

 

「ん・・?」

 

ひんやりとした冷たい風が吹き、同時に二人の体に一粒、また一粒と何かが落ちてくる。

 

「なんだ・・こりゃ?・・うわっ!冷て・・!!!」

 

その正体はニュードバイ観測史上初の「降雪」であった。

ただの雪ではない。薄い桃色がかった美しい雪である。

 

 

熾帝―ルフス・カリギュラ。

 

そしてそれと対峙したエノハの一撃が残した膨大な冷気がこの地域の気圧、天候に多大な影響を与え、初めての降雪を記録させたのだ。

しかし、この地域の人間は基本「雪」という物を知らない。

困惑が消えなくもただ息を呑む程美しいその光景にアラビア支部の人間はしばし空を見上げた。

 

はらはらと花弁が舞い落ちる様な桃色の雪が中東の空に舞い落ちる光景を。

 

 

 

「マハ」

 

 

「はい?」

 

 

「神の遣い―勇者の御名前が解ったぞ」

 

「は?」

 

 

 

「・・『サクラ』って言うんだとさ」

 

 

振り返り、白く綺麗な歯をさらして頭領は微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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プロローグのエピローグ

七話までの読了お疲れさまでした。
とりあえずカスタマ第二シリーズ「G・E・C2」の方針はこんな感じです。

主人公が極東を離れている事から本筋も原作を離れ、かなりオリジナル要素の強い話となっていきます。前作「カスタマ」の「教団編」系列と考えてくださればOKです。
オリジナル主人公がオリジナルGE世界を旅し、その各地での「一期一会」を書いていきたいと思っています。

ただし

時系列が原作「GE2」に近づくにつれて徐々に・・・と、言った感じです。

こんな感じで書いていきますがまたよろしければお付き合いくださいませ。

今回は「あとがき」そして新要素のちょっとした説明の様なものになります。




対戦アラガミ

 

ルフス・カリギュラ

 

「熾帝」

 

「G・E・C2」最初の敵としていきなり現れ、輸送団一行を襲った最強クラスのアラガミ。

原作の「GE2」序盤、ハルオミの回想にて欧州グラスゴーでケイト、そしてGE2のメインキャラクターの一人であるギルバート・マクレインを襲ったアラガミと同一個体であり、おまけに中東出現時のこの時点では弱体化しておらず、完全全開状態でエノハと交戦状態に入る。通常状態のエノハを圧倒するスピード、攻撃力、知能と戦闘センスを兼ね備えた個の極致に達したアラガミ。

 

 

・・ひょっとしたら原作ゲームをプレイされずにこの小説を見て下さっている方もおられるかもしれないのでネタばれ込みで捕捉をしておきます。

ルフス・カリギュラは原作ゲーム「GE2、GE2RB」の裏ボスクラスの敵です。

ラスボスより遥かに強いです。強い、速い、カッコいい、闘って楽しいと中々の良モンスター。筆者大好きです。ある特定ミッションでしか戦えないのが惜しい限り。

 

+難易度99のルフスをイメージしてこの小説に登場。

気象変化、天変地異さえ引き起こす厄災クラスのアラガミとして大暴れさせました。

 

最後に繰り出した超高度からの高速落下技「ビッグ・フォール」はオリジナル技。

ただゲーム原作の機動力からしてこれぐらいマジに出来そう。

 

興味があれば是非とも+99で銃撃禁止、BR無し、アホみたいな設定してる強過ぎるBAを捨ててガチンコで挑んでみてください。GE2をやっててかなり面白い部類に入ると思われる高速バトルを堪能させてくれます。

 

 

Lv4 ff フォルティッシモ

 

主人公エノハが極東を離れている、つまり2主人公とは接触できない―故に「ブラッドアーツ」の習得が不可能なことから考えていたエノハの+機能です。着想は最新作GE2RBの「ブラッドレイジ」ではなく、基本的にゲームの「GE」の「必殺技」を考えた時、弾数制限あり、使える条件が限られ、仲間の協力が無いと出来ない濃縮アラガミバレットこそ必殺技だと筆者は考えている為、それを前作からエノハがとっておきとして随所で使用してきたアラバレのMAX強化版として登場させたオリジナル技。

 

エノハの新神機「スモルト」の特殊機能であり、専用カートリッジ装填後、Lv3状態での捕食で発動、レベル3状態の神機内のアラバレ、そして専用カートリッジに装填させた捕食後のアラバレ三発分を一緒に増幅して一気に撃ちだす大技。全開状態のルフスすら一気に戦闘不能に追い込む威力を誇る。

 

 

着想は「幽々白書」の主人公、浦飯 幽助、そしてその師匠、幻海の流派―「霊光波動拳」です。

弾数制限のある霊気を一点放出して撃ち出すのか(霊丸)、散弾の様にばら撒くのか(ショットガン)、拳撃に乗せて撃ち出す(霊光弾)のか、はたまた身体全体から放射状に放つのか・・等々バリエーションごとに使い分けるシンプルながら王道で主役らしいカッコいい能力を三種のアラバレの特性を利用して使い分けていたエノハの戦闘スタイルに合わせてアレンジ。

 

この技今回はルフスの氷結アラバレを刀身に纏って撃ち出し(先述の霊光弾系)ました。(長さが800Mなのにはちょっとした由来が)

 

が、普通に銃身から撃ち出す事も可能です。当然インパルスエッジも可能。

また暴走状態で基礎能力が異常増加した神機をある程度の時間操ることも可能です。

術者のエノハも異常な機動力と膂力を短時間ながら解放できます。

 

各々のアラガミの特殊な能力、属性をアレンジ、増幅して撃ち返すカウンター的な一面も持った能力です。

 

 

 

 

 

 

・・・気付いた方も多いと思いますが。

 

この能力は前提条件がレベル3になる事が必須条件になります。つまりアラバレを受け渡してくれる「仲間」がいなければ当然撃てません。

 

 

即ち

 

 

極東に帰れず、所在不明、フェンリル内部で公式には死んでいるエノハに

 

 

ゴッドイーターの仲間がいるという事になります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第八話 プロローグのエピローグ

 

 

 

 

エノハは今空に最も近い所に居る。

 

強風に煽られながら外套を揺らし、容赦ない熱気を晒していた日が徐々に落ち始め、砂漠地域特有の冷えが辺りを包み始める時間であった。

 

少し気の早い蒼い月が太陽が沈み切るのを待ち切れなかったようにエノハの前に現れた。この街で一番高い場所に居るエノハを見つけた「あそこに居る」少女がじゃれついてきたみたいに。

 

その月に少し無言で笑顔を送ると再びエノハは眼下に広がるアラビア支部―ニュードバイの街並みを眺めた。

 

高度830m。

 

朽ち果てたタワーの登頂にエノハは飛ばされそうな新品のターバンを手で抑えつけながら腰掛けていた。

 

アラガミ出現以前建造された当時、世界で最も高い建築物であったその建物は2074年の今現在でもこのニュードバイの中心にアラガミから領土を奪い返したシンボルとしてそびえたっている。

正しアラガミに喰われた箇所の修繕、風化などを防ぐ処理は行われているものの、原則的に立ち入り禁止であり、電力も通っていない為当然エレベーターも動いていない。

 

フリークライミングの名手が数時間かけて昇るこの建物に誰にも知られる事無く一人の青年が踏破していた事をこのアラビア支部に居る誰も知る由はない。

 

知っているのは。

 

青年と「同じ異人」だけだ。

 

 

 

「・・みっけ」

 

 

青年の背後から声が聞こえた。高所特有の強風にも動揺や気負いが感じられない何とも場違いで澄んだ良く通る声。

持ち主の顔の端正さを根拠無く確信してしまうような凛とした声で或る。

 

「・・・意外だね。高い所好きだったんだ?あ・・案外見下ろすのが趣味とか?」

 

「そう言うわけじゃないんだけどな。むしろGEになる前は高い所は苦手なぐらいだった」

 

落ちたら潰れたトマトになる生身の人間と無傷で着地できるGEでは高所の感覚は違って当然と言えた。

 

「の、割に集合場所を『この街で一番高い所』って・・」

 

「おかげで解りやすかったろ?おまけにここじゃ人目につかないし一石二鳥だ」

 

「ま。そうだけどね」

 

こつこつこつ

 

普通なら身のすくむような高所で何の躊躇いも無い足音がエノハの腰掛ける「地と空の境界」にまで達する。

 

こつ・・

足音が止む。そこには足元のおぼつかなさそうなヒールの高い黒いブーツが「境界」を彷徨う何とも頽廃的な光景がある。

が、その足に震えはおろか、些細な迷いや戸惑い、そして投げやりも一切感じられないない確固たる自信を携えている事が解る。もしこのままもう一歩足を踏み出してもそのまま空中を歩いていってしまうのでは無いかと思われるほど軽快かつ無警戒であった。

 

「・・・ここから何が見えるの?」

 

エノハの隣に立つ人物は遥か真下にある眼下の街並みをエノハと共に見下ろす。

 

「・・別に何かを探してるワケじゃあない。・・ただ覚えておきたいんだ」

 

「・・何の為に?」

 

 

 

―・・・気付いている癖に。

 

 

 

エノハの隣に立つ人物―少女はそう自問自答した。

 

 

 

 

「・・・ん!」

 

「・・・っ」

 

 

その質問の青年の答えを。少女の中でもはっきりと答えが出ている答えを聞く前に二人の意識は別の物に向けられた。

 

 

ズズズズズズ・・・

 

遠くから地鳴りのような音が響き、その方向に二人は目を向ける。

 

 

 

「・・・」

 

「・・来たみたいだね」

 

アラビア支部の外。黒い装甲壁の向こう側は見渡す限りの砂の海。

その遥か彼方から巨大な砂煙が巻きあがって徐々に近付いてくる。遠く離れたこの場所にも届くほどの轟音を立てていることからその物体の巨大さが否が応にも解る。

 

「あれが・・」

 

「・・・そっか。見るの初めてだっけ」

 

「おいおい・・・なんだあれ・・予想していたよりも遥かにでかいな・・・」

 

「近付けばもっとびっくりすると思うよ。何もかも規模がケタ違いだからね。『アレ』は」

 

 

「・・行こう」

 

 

「・・。うん」

 

 

砂塵を切り裂いて躍り出た漆黒の軍艦の如き巨大な鋼鉄の船が巻き上げた無数の砂塵が風と共に中東支部復興のシンボルであるこのタワーに差しかかり、すっぽりと覆い隠す。

 

その砂塵が晴れた時、二つの人影は跡形も無くタワーの頭頂部から姿を消していた。

 

 

 

 

2074年

 

アラビア支部―通称ニュードバイ。日没前 PM5時23分

 

 

フェンリル極致化技術開発局独立機動支部―フライア

 

予定より13分遅れてフェンリル中東支部に接岸、燃料、物資補給作業に入る。

 

再出発時刻は二日後のAM8時を予定。

 

最終目的地は。

 

 

 

フェンリル極東支部―通称「アナグラ」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




2072年。

最愛の少女を極東に残し、少年は旅に出た。荒廃し、退廃した世界を巡る。

そして気付く。確かに世界は、そして人は存亡の危機にさらされている。
しかし未だ人は、世界は生きている。

心のまま、思うまま、歩き、闘い、同時に少年から青年へと成長しながら彼は想う。

―まだ世界は生きている。まだ世界はこんなにも―美しい。


「G・E・C2  時不知(ときしらず)」開幕。




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第9話 理由

う~ん・・どうしてもオリジナルの導入部分故に展開が遅くなります。

よろしければ今回もお付き合いくださいませ。


2072年

 

エノハが欧州クラウディウス家邸宅にてレア・クラウディスと邂逅を果たした一週間後―

 

英国―ロンドン跡地の廃墟にて

 

市街戦の後の如き廃墟と化しながらも前時代のファッション、流行、音楽の最先端の発信地であった英国―ロンドンの街並みの面影を残した通りを今や人類は真ん中を行けない。

車の替わりに往来を闊歩するアラガミによって人々は道の隅っこでそそくさと慎ましく歩く他ないのだ。

腕輪と神機を失い、現在正確にはゴッドイーターでは無いエノハも例外では無く、市街地を歩く際はいついかなる不測の事態、急襲があっても即対応できるように気を張り巡らせていた。お陰で異国の雰囲気を楽しむ事も出来ない。

 

そんなエノハに先行する紅髪の女性―レア・クラウディウスは少し困った顔をして

 

「大丈夫よ?『あの子達』には貴方が来るって聞かせてこの地域一帯を念入りに『掃除』をさせておいたから。それに・・もう着いたわ。エノハ君。こっちよ」

エノハはレアに促されるまま高架下のトンネルのサイドに在る赤い扉のノブに触れる。

 

ガチャ

 

「?」

空かない。

 

「少しの間触れておいて。貴方の生体認証してるから」

 

「こらまたハイテクなことで・・」

一見モダンかつレトロなデザインの扉であるが相当な技術が採用されている事が間も無く響いた「ガコン」という妙に重々しい解錠音が示している。

 

開いた扉の先で下へ向かう地下室への階段が進行方向を示すように順々にやや薄暗めの電灯がつき、エノハを向かい入れる。

 

ここはかつて旧時代の地下に設営されたライブハウスであった。

現在は外部から見ると朽ち果て、うち捨てられた施設であるが内部は電気、水道、ノルン等の情報インフラ、簡易のオラクル防壁にコーティングされ、最先端の技術が使われた贅沢な「隠れ家」である。超小型規模のサテライト支部と言っても過言ではない。

金はある所にはある物である。

 

「ふぅ・・無事登録手続きがされていてよかった。さぁ行きましょ?」

 

「あえて聞くけど登録されていない人間が触れたらどうなるんだ?」

 

「そうねぇ・・電気ショックで気絶→ウチの職員が保護を名目とした拉致監禁→ここに関する一切の記憶を消した後、最寄りの支部の外部居住区に放置の流れかしら?」

 

「なんて嫌な流れだ」

 

「くすくす・・冗談よ。さぁどうぞ・・」

いつもはじとりとした妖艶な笑顔を少女の様にからからとした笑顔に変え、レアはペロッと綺麗な舌を出して微笑んだ。昔は結構お転婆だったのかもしれない。

 

やはり今のレアは「あの時」とは大違いだ。

 

 

この日より一週間前

欧州―クラウディウス家邸宅内にて

 

「・・感応種?」

手渡された情報端末に羅列された聞き慣れない言葉を口に出すと目の前に居る女性―ラケル・クラウディウスはコクリと頷き、

 

「・・ええ。つい最近確認された特異な能力を持ったアラガミの新種です」

 

 

白衣の下に露出の少ない制服の上からでも解るはちきれんばかりの豊満な肢体を持ち、長い手足、綺麗に整えられたまつ毛の下に妖しく光る蒼い目。ルージュのかかった厚めの艶やかな唇。「妖艶」と呼んで差し支えない程魅惑的な女性である。

もしその表情に誘うような妖しい笑みが携えられていれば、大抵の男は惹き付けられてしまう危険なほどの魅力を持った女性だ。が、現在その表情は彼女の本職である「研究者」としての表情を崩さなかった。

積み重なる問題を前にして熟考、打開策を冷静に見極め、己の次の行動をロジカルに探究する「科学者」「研究者」の視線だ。

 

レア・クラウディウス博士

 

26歳にしてオラクル細胞、それに付随する技術分野に置いての世界的第一人者であり、故人である父親―ジェフサ・クラウディウス博士の残した研究と膨大な資産を引き継いだ大物である。

エノハをここまで案内した紺の軍服を纏った軍人の女性―ナルフが言っていた通り成程、早々お目にかかれる立場の人間ではない。

権限だけで言えば彼女は極東を統べる一支部長―エノハの元上司であるペイラー榊にすら匹敵する。

 

そんな人間から提示されたこの資料に載せられたこの「感応種」という新たなアラガミのデータは冗談にしても質が悪い程、最悪な内容であった。

 

―強い感応能力、干渉能力を持つ感応波―偏食場パルスを発生させ、範囲内に居る通常アラガミを扇動、誘導する能力を持ち、おまけに

 

「その強い感応波の影響を受けるのは同じオラクル細胞で構成されている神機も例外ではない・・・?」

 

「その通り。その影響下では通常の神機は正常に作動しなくなります。つまりゴッドイーターであっても抵抗は不可能。何の抵抗も無駄だったアラガミ発生当初と同じ状況に陥るって事・・エノハ ヤマメ君?例え貴方が、そして貴方の仲間達がどれほど優れたゴッドイーターであっても神機が作動しなければ彼らには対抗できないでしょ?」

 

「・・空恐ろしい話ですね」

 

エノハは神機が無い、扱えない時の無力感を知っている。極東支部教団テロ事件の時の事を思い出すと今でも胆が冷える。

おまけにそんなアラガミの存在が公になればパニックは避けられない。フェンリル・・否。人類の矛と盾であるGEが対応できないとなればフェンリルの庇護に対する不信、不安はすぐに恐怖になって最後に恐慌につながる。前時代、出現したアラガミに為すすべなく蹂躙された時代に逆戻りしたも同然。

 

 

 

「・・。『通常の神機は』か・・」

 

「・・そう。あくまで『通常』の神機、正確に言うと通常の『因子』―現在主流の『P53偏食因子』ではね」

 

「それに変わる新たな因子がここに書いてある・・『P66偏食因子』ってことですか」

端末を閉じる。大体の内容、意図は把握した。エノハはレアを見据える。溜息を深くついて。

「そして俺をここに呼んだ、そしてかつての腕輪と神機を捨てさせた理由は博士。つまり俺はその因子に適合した・・そういう事ですね?」

 

神機の換装の技術は日々進歩している。

エノハが配属された当時、存在自体が希少だった第二世代神機使いも第二世代神機自体の開発、運用、データがそろい始めた結果、柔軟性が飛躍的に向上している。

適合者の増加、適合試験の安全性の増加、そして第一世代神機の第二世代神機への移行もその一つだ。

 

神機技術の大幅な革新。人類がまた一歩絶滅からの崖っぷちから一歩前に進んだのを遮る様に天敵であるアラガミもまた形を変えた。感応種という答えを出して。

 

そしてまた人類は答えを出す他なくなった。生き残る為にはアップデートを行う他ない。

アラガミが出現した、神機が発明された、アラガミが進化した、そのアラガミに対抗する新たな対抗策が必要になった。

この堂々巡りの最先端―それがこのP66偏食因子。通称「ブラッド因子」と呼ばれているらしい代物の様だ。

 

「私達はP66偏食因子を運用した神機―第三世代神機に適合した人間を急ピッチかつ秘密裏に集める他なかった。そしてエノハ君?貴方は第三世代因子に適合した人間であると同時にゴッドイーターとして文句無しの実績と経験を併せ持っている希少な人間。私が探し求めていた人なの」

 

「・・・」

こんな美人にこんなセリフを言われても嬉しくないのは何故だろう。

 

何しろかつてより存在は確認されていた因子らしいが、適合確率が現在のゴッドイーターに投与されている主流のP53偏食因子より格段に低く、未だブラックボックスの多い未知の偏食因子、とされている。

適合試験の際のリスクも格段に高いと考えるのが自然であり、おまけにエノハの場合第二世代神機からの換装の為、彼の体内に残るP53偏食因子に適応した彼の体に新しい因子を埋め込む場合の副作用、拒絶反応も懸念される。

「リスクしかない」と言っても過言ではない。

おまけに連れてこられた今の所の経緯も経緯だ。

 

しかし。

 

受け入れる他ないのだ。

 

大事な少女の顔が頭の中でちらつく。

 

「解りました」

エノハはそう即答した。

 

「・・全ての疑問、不満、憤りを呑みこんであっさり受け入れてくれるのね・・」

 

「GEとして求められた、必要とされた場所に行く、任務に赴く事に関しては色々覚悟してきたつもりです。状況に伴って何か新しい問題や課題を克服する為に受け入れなければならない事も。第一『交渉』などさせる気もするつもりも無いでしょう?少なくとも俺がこの『前提』を受け入れない限りは」

 

「・・耳が痛いわ」

 

「それに」

 

「それに・・?」

 

「GEとしてではなく一人の人間としてこの状況を看過できません」

 

「・・ありがとう」

 

レアは微笑んだ。申し訳なさそうな顔をようやく緩ませて素直な笑顔を見せた後、すぐさまその表情を引き締める。

 

 

「貴方には私が秘密裏に結成した対特殊変異アラガミ討伐部隊のリーダーを務めてもらいます。その名も―

 

 

 

 

再び一週間後―英国。

 

 

「ようこそ。『ハイド』へ」

 

両開きのドアを開け、レアが歓迎の言葉と共にエノハを招き入れる。ライブハウス跡の埃を被った椅子が乱雑に積み上げられた観客席を隔てた向こう側の舞台上―そこには四人の人影があった。

そのシルエットは例外なく

 

 

幼い。

 

ゴッドイーターの適性年齢は十代始めから20代後半ぐらいまで。その区分で言っても確実に最年少クラスと思われるシルエットがエノハの眼に映る。極東支部で現在16歳のコウタよりも恐らく年下だ。

そのシルエットを無言でエノハを見つめていた。

 

クラウディウス家が出資している養護施設―マグノリア・コンパスからレアによって選び抜かれた少年少女四人―ハイド・チルドレン。

 

 

「ママ・・その人が?」

 

薄暗いライブハウスの照明の中で照らされた艶のある腰ほどまで在りそうな銀髪を後頭部で「すすき」のように結え、しなやかな細身の少女が一際光る大きな薄めのオリーブ色の瞳を爛々と輝かせ、暗闇の中で獲物を見据える俊敏な小型のネコ科動物の様にエノハを捉えていた。

やや吊り気味の目、細身でスレンダーな肢体に視覚的にも収縮効果の高い黒一色のパンキッシュなワンピース、ヒールの高いロングブーツという統一性のあるスタイルもそのイメージに拍車をかける。黒猫というには少し大人じみ、かといって黒豹というには少し幼い。少女と女性の中間地を彷徨うような不思議な少女が一人。

 

「・・・」

チャコールグレイのワークキャップの下にやや灰色がかった癖のない長めの黒髪、深めに被った帽子の唾の奥で光る蒼く鋭い横目でエノハを睨む少年が一人。

客人を前にしてのその「尖っている」事を隠さないその態度にエノハは少し極東に残した彼の「親友」を思い出す。

 

「ふむふむ・・」

 

赤茶色の耳の下くらいで切りそろえた髪、愉快そうに細めた緑がかった丸い眼の下にそばかすを散らしてやや大きめの口を左右に大きく引っ張ったアヒル口の悪戯そうな微笑みでじろじろと品定めするように頷きながらエノハを見る少女が一人。

 

「・・は、はじめまして」

 

ちょっと頼りなく、親しみやすそうな表情をした目じりの下がった細い目、癖の強い茶色のぼさぼさの髪、そこに惰円形のフレームの無い眼鏡を乗っけ、顎の下には戦闘機のパイロットが着用するようなごついゴーグル、薄汚れた白い繋ぎの作業着を着た少年が四人の中で唯一初対面で緊張している素振りを見せながらエノハに苦笑いを向けていた。

 

 

「・・初めまして」

 

その後に続く最早言い慣れていた言葉、肩書―「極東支部第一部隊長」。

その肩書きを先日失ったエノハは現時点ただ一人の個人。

在るのは親に与えられた名前―

 

「・・・エノハ、榎葉山女だ。『エノハ』で構わない」

 

そして

 

もはや存在しない人間だからこそ必要になる新しく与えられた「偽名」である。

 

 

「偽名は『サクラ』だ。覚えておいてくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




読了お疲れさまでした。

この四人、P66偏食因子に適合した子供達―ハイド・チルドレンによって秘密裏に結成された「裏のブラッド部隊」―対特殊変異アラガミ討伐部隊―通称「ハイド」がエノハの所属する新部隊になります。
新キャラ四人おまけに新部隊まで出してどうすんだって感じですが。

名前の由来は英語で「隠す」の意味である「hide」と「ジキルとハイド」の「ハイド」よりとってます。

前作執筆時点から結構頭の中でイメージを膨らませ、性格やら外見も漠然と固めていた連中なのですが、はっきり文章化するとなると別次元ですね・・。難しい。

よろしければまたお付き合いくださいませ。





おまけ



当然のことながら。
エノハは自分がここに連れてこられた理由、そして自分の存在を抹消されるほどの理由としてレアに現時点で説明された事が全てとは考えていない。

理由として弱過ぎる。

新たに現れた危険な新神属。
確かにこれ以上ない脅威であるがそれでもこの内容であれば極東支部に極秘に協力を打診し、新たな対応策であるP66偏食因子に適合したエノハを貸してもらいたい、もっと言えば強引に本部権限を使って引き抜けば済む話ではある。

大層な事にわざわざ彼を世間的に亡き者とし、大芝居を打つ。おまけに本人に事前に通知も無しに一方的な脅しで、だ。
この方法では確実にエノハ本人に顰蹙を買う事を理解できないはずはないだろう。
そこまでして秘密裏にエノハをこの女が招き入れたのには恐らく他の理由がある。
そして恐らくそれは酷く個人的な理由であるとエノハは直感していた。レアの部下であるナルフ―ナルが極東でエノハに言い放った言葉―

―・・・非礼は私の命を以て償います。だから・・どうか私の主の力になってさしあげてください。

「主の力」
ナルのこの言葉がひっかかる。全人類の存亡がかかっているこの厄ネタ、問題―感応種に対抗する事を差す言葉では無い。
エノハの目の前で必死に軍人として事務的に、高圧的な演技を直前までしていた彼女が自分の死を覚悟した直後にぽろりと本音を晒したあの言葉。
酷く個人的な懇願。その正体がまだ判明していない。

「博士」

「・・何かしら?」

「ナルがこう言ってました。『全て主から直接貴方にお答えしたい』『対等の立場でありたい』と貴方が言っていたと」

「・・・」

「俺は『前提』条件は確かに受け入れた。だからそちらも全て話してほしい。それがフェア、対等という物でしょう」

「ええ。解っているわ。でも・・・」

「・・でも」

「『私』の口からは言えない・・申し訳ないけど『彼女』に変わってもらうわね?」

「・・ナルにですか?」

「いいえ」

「?」


怪訝な表情を浮かべるエノハから視線をうつ向かせてそらし、そうレアは呟いた後、

れろり・・

危険なほど美しさ、妖しさを持つ艶めかしい上唇、下唇を大きく開いて舌を出す。
そこにはフェンリルの紋章を象った舌ピアスが施されていた。

ゆらり

整った顔をやや傾かせ、どこを見ているのか解らない色を失ったレアの視線が怖気を伴うほど官能的、背徳的で危うい。表情もどこか病的だ。

「・・!」
エノハですら言葉を失い、後ずさるほどの異様な雰囲気。間違いない。今彼女は

「空っぽ」だ。

すっと空っぽの彼女が機械的に先端まで整えられた細長い右手の指先を舌へ運ぶ。その指先に施された異常に長い赤い付け爪の鋭い先端が舌をなぞり、ようやく指先が舌の上に在るピアスを掴んだ時には真っ白な指先に赤い一筋の血が伝っていた。

自傷行為の如きその光景にエノハが珍しく目を痛々しく歪ませた後、ことりと執務室の荘厳なデスクの上に赤い粘り気のある血糊のついたフェンリルの紋章を施した舌ピアスが置かれた。

「ふぅ・・・っ」

気だるげな声、首の据わらないだらりとした振舞い。口の端についたルージュより更に濃い紅い血をペロリと今は何もついていない舌の先端でなぞって「彼女」は視線をエノハに向けた。


「・・初めましてっ。エノハ ヤマメさん?」







あとがき追記

失礼。

オリジナルキャラ五人目です。






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第10話 半端者 上

今回もよろしくお付き合いお願いします。


気分が悪い。

どうやら「彼」の感応波の影響を受けたエノハの中のオラクル細胞が活性化し、アラガミ化を引き起こしているらしい。

その為にレアが用意してくれた追加のP-66偏食因子を投与するエノハの命綱の注射器―

 

「・・♪」

 

それを口に銜え、挑発的に灰色の前髪と帽子で半分覆い隠された蒼い目を愉快そうに細めていた。

 

 

事の発端は五分前。

 

英国―ロンドン

 

旧ライブハウス内にて。

 

「・・・」

「・・・」

「・・・」

 

「いや。皆挨拶しようよ・・これから僕たちのリーダーになってくれる人なんだし」

 

くせ毛で細目の少年が諭すように他の三人の少年少女に声をかける。が、

 

銀髪猫少女は思案するような表情でその提案をスルー。赤髪そばかす少女は相変わらずニヤニヤと笑ってスルー。「尖った」灰髪の帽子少年に至っては完全無視ととり付くシマが無く、気苦労の大きそうな溜息をついて細目の少年はエノハを見、

 

「すいません・・」

 

一言謝った。

 

「いや・・」

エノハは苦笑してその少年の労と気遣いに感謝する表情をした後、他の三人を見据え、

「とりあえず名前を―」と言おうとした時であった。

 

「――――っ!!!???」

エノハに突如全身の痛みが襲い、思わず膝をついた。まるで身体全体の皮膚の薄皮一枚下を無数の針で貫かれた何とも言えない痺れ、痛痒さが襲う。

「え!?大丈夫ですか!?」

細目の少年が駆け寄る前にエノハの隣にレアが腰掛け、エノハの手首の脈をとる。

 

「・・・。新しく投与した「慣らし」のP-66因子がこの子たちの中の因子と共鳴したと同時にオラクル細胞も活性化してる・・思っていたよりも拒絶反応が早い・・!とりあえず応急処置しないと・・ノエル!?これを彼にとりあえず注射して!」

レアは白衣の裾から注射器を出し、細目の少年―ノエルに渡した後、

 

「『レア』に変わる。これを注射したら小康状態になるから後は『レア』に診てもらうから。・・・少しの間エノハさんをお願いノエル」

 

そう言ってレア「らしき」女性は胸のポッケから取り出したフェンリルの紋章が施された舌ピアスを呑みこんだ。そしてその上体がまるで強力な睡眠剤を服用したかのようにぐらりと揺れ、後ろ向きに倒れそうな所に

 

「・・よっと」

 

いつの間にかレアの背後に回り込んでいた銀髪の少女がもたれ込んできた彼女の体をしっかりと支えた後、しゃがみこんだエノハを見据えた。

 

「ぐっ・・・あ・・」

俯いたまままともに立つ事も出来ないエノハを見下ろしつつ銀髪の少女は

 

「・・まだP-66に完全に適合していないってことか・・まぁP-55因子がまだ体内に残留してる分、拒絶反応は当然出るよね・・。ノエル・・?その人お願い」

 

「う、うん!りょうか・・―――!!???」

 

「・・!?」

 

細目の少年―ノエルが何もない自分の掌の中を疑う様にして目を見開いた後、その背後にある影を銀髪の少女はレアの体を支えたまま見上げた。影の正体は解っていた。

 

「・・・リグ」

 

「影」を銀髪の少女はそう呼んだ。

 

「っ!!何すんだよ!」

 

ノエルが憤りながら振り返るとそこには現在のエノハの命綱である注射器を危うい手つきで転がしすワークキャップをかぶった蒼い瞳の少年がいた。ノエルの手から注射器を掠め取っていたのだ。

 

「はっ・・初対面早々なっさけねぇ奴・・こんな奴が俺らのリーダーになるだぁ・・?笑えるぜ」

 

嫌悪感を一切隠さず、鼻で笑って少年―リグは注射器を持て余しながら脆くエノハを見下ろした。侮蔑の表情をまだその幼い表情全面に広げて。

 

「か、返せよ!!この人死んじゃうだろ!!リグ!!??」

ノエルは両手で追いすがるが、リグは注射器を持った右手をひょいひょいと上に掲げてノエルの追跡を躱し、残った左手でノエルの顔を抑える。どうやら典型的ないじめっ子タイプらしい。

 

「うっせ・・・第一お前がしっかりしてりゃあこんな奴に頼らず済んだんだろうが・・このグズ。誰のお陰でママが苦労してわざわざこんな奴を呼び寄せる羽目になっちまったんだろうなぁ・・?お前がドジでのろまでビビりでヘマさえしてなきゃ・・」

 

「・・ぐっ!!!」

リグの左手の指と指の間から悔しそうなノエルの顔が覗く。悔しくて言い返したいがどうやら反論の余地が無いらしい。ノエルの抵抗が心なし緩んだ事にさらにリグは整った顔を不機嫌そうな顔にして今度は銀髪の少女をきっと鋭い目で見下ろしつつ睨む。

 

「・・・」

 

射殺すようなリグの非難の眼であるがノエルとは違い、少女は全くひるむ様子を見せない。ちっと舌打ちをした後、リグは少女の名を呼んだ。

 

「だからお前がリーダーをやれば良かったんだよ・・『レイス』」

 

 

銀髪の少女―『レイス』と呼ばれた少女は最近声変わりした低いリグの恫喝の声を受け流し、涼しげで、しかしどっしりと心根の据わった真っ直ぐとしたオリーブ色の瞳でリグを見据え淡々とこう答える。

 

 

「・・・言ったはずだよリグ。私は。そして私らの力は所詮『半端者』。遅かれ早かれ導いてくれる人が必要になる。で。それが出来るのは私じゃない。かといってこの人がそうかも解らない・・けどママが選んでくれた人である以上、私は信じる。・・信じるしかない」

 

「で、その当の救世主サマがこのザマか?俺はこんな奴に命令された揚句、足引っ張られて死ぬのなんざまっぴらゴメンだ」

 

「・・・」

 

少女―『レイス』は反論せず無言のままただリグの瞳をしっかりと見据えていた。その真っ直ぐさに気圧されたようにさらに少年―リグの顔が不機嫌になった時

 

 

「リ~~グ~~~ママが起きたら怒られるよ~~?」

 

 

間延びした様な声で一人我関せずであった赤髪のそばかす少女がステージの壇上で足をぶらつかせ、緑色の瞳を泳がせながらやる気なさげに頬杖をついていた。口調ではリグを止めているが、実際はどっちでもいいらしい。

 

「アナン・・君もリグをちゃんと止めてくれよ・・」

 

ノエルが赤髪の少女をそう呼んだ。

 

「やだ~~~めんどくさい。・・第一子供っぽいリグ見んのも困ってるノエル見んのも嫌いじゃないし見てる~~~」

 

「なんだそりゃ・・」

 

アナン―やる気なさげな態度に奇妙な好意をさらっと混ぜる掴み所のない少女の様だ。

 

 

「・・とりあえずそれを返したげてリグ。最初っからP-66に適応した私らとこの人は違うんだ」

 

「やなこった。いっそのことこのままアラガミ化させて即『処分』しちまえば面倒も無くネェ?ママも寝てるこったし起きた時に『投与したけど間に合わなかった』って言やぁ済む話だろ?」

 

せせら笑いながらリグは「とり返したければとり返してみろや」と言わんばかりにポイポイと注射器を手荒に扱った。挑発的な態度にノエルはぎりりとほぞを噛む。

 

しかし『レイス』は

 

「・・相手してらんない」

 

一蹴し、『レイス』は抱きかかえたレアをゆっくりと運び、母を労る孝行娘のように壁に寝かせた。

 

 

「アハハ。リグ。振られたね」

 

「うっせぇ!!アナン!!」

 

「おーこわ。でもそのちっささがいいわぁ・・身長と一緒で。か~わいっ」

 

 

話は終わったが状況は一切変わらず、ノエルは焦っていた。

引っ込みがつかなくなったリグが即注射器を返す事はないだろう。早くしないとこの人が死んでしまう。しかし自分ではどうしようもない。でも何とかして助けないと。

何故ならこの人はある意味・・―僕のせいでここに居るんだ。

 

ノエルはエノハを支えながら、心はくず折れそうだった。無力感に苛まれる。

その時だった。

 

「・・・ありがと。もう大丈夫」

 

「・・え?」

 

くぐもった声だが力強い口調であった。俯いた顔を上げ、支えになっていたノエルが手を離すとその肩を借り、エノハは立ち上がる。

 

「・・・ちっ」

 

「おー」

 

その姿を見てリグが忌々しそうに舌打ちし、アナンは興味深そうに口をすぼめる。

 

「だ、大丈夫ですか?」

 

「うん。・・・確か君はノエルって言ってたよね・・ありがとうノエル」

 

「あ。すいません・・。こんな自己紹介になっちゃって」

 

「で、君はリグと」

 

「・・・」

 

「君はアナン」

 

「は~い。はじめまして~」

 

アナンはぴょこりと手を上げる。

 

「で、君がレイス・・だね」

 

寝かせたレアの隣で『レイス』はこくりと頷く。軽い会釈にも見えた。

その態度を見てエノハは気付く。

この子もリグの様にはっきりと表には出さないがエノハに対して懐疑的な所が消しきれていないのだと。エノハのGEとしてのキャリアはある程度レアから聞かされていたとしても所詮は他者を通じての情報―本当にその人が自分の命を預けるに値する人間かどうかなんて解らない。

 

だから知りたいのだろう。

彼女も。そしてこの目の前のはっきりと敵対心を隠さない解りやすい少年―リグも。

 

「おい・・提案があるぜ。アンタ・・この話断って帰ってくんねぇか?だったらコレはくれてやるよ」

譲歩のセリフであるがリグは相も変わらず乱雑にエノハの命綱の注射器を乱雑に扱って挑発的な態度を崩さない。

煽って相手の焦る様を眺めたいようだが・・

「・・悪いがそれは出来ない相談だ。こっちにも事情があってね」

 

エノハにはのれんに腕押しだった。一気にリグは気分を害したかのようにあっさりとつっけんどんになる。幼い。

「シラネぇよ。失せろって言ってんだ」

 

「・・・建設的に行こう。それ以外の方法でどうすればそれを返してくれる?」

 

「返さねぇよ。返してほしくばテメェで取りに来い。そうだな・・・ハンデとしてあんたの掌が俺に触れる事が出来さえすれば返してやるぜ。鬼ごっこだ。やったことあるだろう?あんたが俺に触れる事さえ出来たらこれも返すし、あんたの言う事は聞いてやるよ」

 

そう言ってリグは手を広げて辺りを見回した。

ここは元ライブハウスで在り、大別すれば狭いとは言えない空間だが流石に「鬼ごっこ」をするには少々狭い。隠れる場所も限られている。そこまで難解な課題では無い様にすら思える。

 

「・・・それだけで俺の言う事を聞いてくれるのか?」

 

「はっ・・『それだけ』?」

 

くっくと少年は整った顔を歪ませて笑い、続けてこう言った。

 

 

「アンタは俺に死ぬまで触れねぇよ」

 

 

ぱちん

 

 

リグがそう言って右手の指を弾いたと同時であった。

 

 

 

ズオッ!!

 

 

「・・・・!!」

 

リグの身体が黄金色に輝き、その小さなまだ伸び切っていない身体がオーラを纏って何倍にも大きく見えた。彼の周りに積み重なった埃が円周状に舞う。

 

「こほっ!!ちょっとちょっとぉ!!いきなり『それ』やる!?リグぅ!!?」

咳き込みながら背後に居る少女―アナンはその在りえない現象に対して全くの逡巡なく、迷惑そうに言い放った。他二人も無言でその光景を見据えている。つまり彼らにとってさして驚く現象ではないという事。

 

「ほぉら・・意味が解ったろ?あんたの言う『それだけ』がどれほど不可能なことか」

 

リグのその姿は明らかに神機「解放」状態であった。神機も持たず、また当然捕食するアラガミもここには居ない。しかし目の前の現実は圧倒的な存在感を伴ってエノハの目の前に鎮座する。

ワークキャップの合間から覗く蒼い目を光らせ、金色のオーラに包まれた少年―リグは不敵にほほ笑んで

 

「あ。そうそう。言い忘れてた。・・あくまでルールは「あんたの掌が俺に触れたら」あんたの勝ちってことだ。つまり―」

 

 

「!」

 

 

「・・・俺はアンタに触れる事が出来るってことだ」

 

瞬時にエノハの目の前に金色のオーラを纏った少年が懐に入り込み、構えていた。

 

 

何とも手前勝手な俺様ルール。

圧倒的有利、自分の優遇を保持したまま相手を一方的に蹂躙する為のルール。

 

要するに彼は

 

「ガキ」

 

だ。

 

 

しかしその「ガキ」は備えていた。

あまりに未熟、幼い精神をもった器に宿った力は分不相応なほど強力な力であった。

P-66偏食因子によって選ばれ、生きのび、GEとなった褒美として与えられる特性、能力。後にそれは「血の力」と呼ばれる事となる。

 

 

 

そして彼の「血の力」は後にこう名付けられた。

 

 

「孤高」

 

 

自分一人を能動的に解放状態にし、己一人を高みに登らせる能力。

 

己を含め、同じ志を共にする者全てを同じ高みに登らせる血の力―「統制」

ブラッド因子―P-66偏食因子の第一の覚醒者であるジュリウス・ヴィスコンティの血の力の完全なる下位の能力。

 

 

彼は。そして彼達「ハイド」は『レイス』が言った通り―「半端者」。

 

ジュリウス・ヴィスコンティが所属するフェンリル極致化技術開発局に属するGE特殊部隊―通称「ブラッド」に選ばれなかった「半端者」である。

 

 

しかし、その「半端者」に与えられた力は他者を踏みにじるには、そして己を歪ませるには十分な過分過ぎる力であった。

 

 

 

―・・・・・!!!!!?

 

軽く胸の中心を押されただけ、触れる様な掌底であったがそれを受けたエノハの体はまるでボーリングの玉の様にはじき飛ばされ、朽ちたライブハウスに積み上げられた座イスをピンの様に弾き飛ばしてエノハの体はそれに埋もれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




・・何気に対人戦を書くのは初めてだな。


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第11話 半端者 中

今回もよろしくお付き合いお願いします。


舞い上がった煙たい粉塵を満足そうに眺め、ちらりと少年―リグは

―お前達も来たけりゃ何時でもどうぞ。

と、でも言いたげな視線を後方に居る『レイス』、ノエルに向ける。アナンは来るわけが無いので省略。リグはかりりと口にエノハの命綱―P-66偏食因子の注射器を銜え、「早くしないと噛み砕いちまうぞ」と更に煽る。

「・・・リグっ・・・!」

ノエルは悔しそうに眉を歪めるが一方で『レイス』はどこ吹く風だ。

 

「・・余所見しない方がいいんじゃない?」

そう言っただけで彼女は眠っているレアの様子だけを気にかけている。先程の「付き合ってらんない」は心底そう思った台詞であったらしい。相も変わらず相手にならない『レイス』に悪態つき、リグが歩み寄ろうとした時、

 

『レイス』の指摘通り動きがあった。

 

「・・おっ」

様子をただ傍観しているアナンが頬杖ついたまま声を上げる。翠色の瞳を興味深げに大きく膨らませて。

 

「!」

 

リグが振り返るとそこには無数の打ち捨てられ、ただ隅っこで積み重なり固まっていたもはや無用の座イス、テーブルが何脚も宙に舞い、迫ってきている光景が映る。

 

ガン、ガガン!ガガガガン!!!

 

「・・・?」

しかしリグは動かなかった。怪訝な顔をしてその場に立ちつくす。コントロールが微妙に定まっていない。目標であるはずの彼を捉えることなく彼の周りに落ち、積み重なっていく。それが無軌道ではなく、コントロールされたものだとリグと眺めていた連中が気付くのは間もなくの事。

 

「・・あ」

 

「・・・ふぅん」

 

「・・・なるほどなるほど」

 

最後にアナンがそう呟いた時、リグは座イスの林の中に四方を取り囲まれていた。リグの解放状態の機動力を垣間見たエノハがまずそこの優位性を排しにかかったのだ。

神機解放できず体調も万全ではないエノハが解放状態のリグとまともに競争した所で所詮、三輪車がロードレーサーと張り合う様なものである。

この座イスとテーブルの林の中に身を隠し、尚且つ障害物によってリグの移動範囲、機動力を制限する。座イスなどGEの膂力を前にしてはバリケードにもならないが押しのける手間を相手に与え、こちらは隠れ蓑にして接近する目隠しの役目を成す。

倒すのは無理でも「触る」だけならエノハにも目はある。

 

―ってことか・・。舐められたもんだな。

 

リグは首を傾げて嘲笑した。仕掛けてくる事の大体の予想は付く。正攻法の通じない相手への所詮苦肉の策であると。

そしてその「仕掛け」はすぐに現れた。リグの予想と寸分違わない光景で。

 

ガラっ!

 

背後の異音にリグが振り返るとそこには五脚の椅子とテーブル混合軍が今度は確実にリグを捉える軌道で宙を舞っていた。

解放状態の研ぎ澄まされた感覚の中でリグはその「配置」を見極める。

 

―・・成程。回避方向を制限させてる。そこの方向へ逃げろってことか。そこに待ち伏せ。タッチで終了ってか?

 

つまりこれは陽動。回避して逃げた方向に先回りして距離を詰め、座イスの林の隙間からリグに触れて終了―

 

―とでも思うと思ったか!??

 

リグは利き手の右手で座イスの一つを掴み、彼に投げつけられた五脚の座イス、テーブル混合軍の一つ―円形のテーブルに向かって投げつけた。

「それ」だけ何故か空中で不自然に重心が固まっている不自然さにリグは気付いていた。円形の表面をこちら側に向けたまま突っ込んでくるテーブルがリグの投げた座椅子によって砕け散るとそこには―

 

「・・ぐっ!」

 

弾かれ、飛び散ったテーブルの破片と投げつけられた座イスから目を守るエノハの姿が曝け出された。しかし、リグの動きも投擲姿勢で一瞬であるが止まっている。ここは押し通すしかない。宙に舞ったエノハの近く―そしてリグの真上には「シーリングファン」(空調の循環効率を上げる為にプロペラ状のファンが取り付けられている照明の事)が取り付けられていた。

 

―お~だからそこにリグ誘導してたのか~~~。

 

アナンが内心感嘆したように感想を述べる。エノハは捲きあがった座イスの破片をその照明に投げつけた。バキンと音がして吊り金を破壊されたシーリングファンはリグ目がけて落ちていく。―しかし

 

―誰がもらうか。

 

シーリングファンの形状上、自由落下速度はあまりにも遅い。ほんの小さなバックステップでリグは落下地点の外に出る。

 

―しかし

 

「!?」

いつの間にかリグの目の前にエノハが達し、リグに回避され、まだ床に達していないシーリングファンのファンを先回りして掴んでいた。空中に浮いていたはずのエノハがこの地点に達するには少々時間がかかるはずだ。現在ほぼ人間の身体能力と変わらないエノハでは尚更である。

そのトリックの正体を離れた場所に居るリグを除く三人は確認していた。

空中で砕け散ったテーブルを足場にして天井に跳び、そこから三角飛びの要領で天井を蹴って一気に加速。結果落ちていくファンに追いついてキャッチしたのである。

 

ビシュッ!

 

そのファンをすぐさまエノハはブーメラン状にしてリグに投げつけた。自由落下に比べたら速度は段違いだ。おまけにまだバックステップで宙に浮いているリグは即自由な回避行動が出来ない。

 

「ぐっ!!」

 

上半身をフルに後方に捻ってリグは伏臥上体反らし。眼前を通過していくファンを見送る。投げつけられたファンは

 

ズドッ!

 

丁度『レイス』とレアがもたれかかった壁、二人の真上を通過して突き刺さる。

 

「・・・」

一瞬目を軽く見開いたものの、『レイス』は表情を変えず無言で瞬きもしない。

 

 

一方空中で上体を反らし、ほぼ寝転がったような姿勢であるリグを先に着地したエノハが追いすがる。狙いは足。空中で身動きの取れないリグの姿勢に勝負は決まったかに見えた。

しかし。

 

リグには余裕があった。

 

―忘れたか?

 

俺。

 

「解放状態」なんだぜ?

 

パン!!

 

「ぐっ!!」

 

目の前で空気のはじける音がしてエノハは思わず目を塞ぐ。空を「蹴った」リグの空圧がエノハの顔を直撃し、怯んで速度が緩んだエノハからリグは距離を離し背中むきに着地。

姿勢は万全ではない。両手をついたてに上体を起こす直前の段階だ。エノハは行くしかないが・・

 

―・・・う~~ん。

アナンは内心唸る。

 

―・・・。

『レイス』は軽く溜息。

 

 

―・・・!

ノエルも悟ったのか申し訳なさそうな悔しそうな何とも言えない表情をしていた。

 

 

―まぁまぁだったけど・・リグの勝ちかな。

アナンはそう結論付けた。そしてそれは間違っていなかった。追いすがるが空圧を喰らって視力のままならない手探りのエノハにリグを捉える事など出来るはずも無い。それ程現時点、身体能力、体調においてリグに分があり過ぎる。

 

―よっ。

 

万策尽きたエノハを片手間に向かい入れ、無作為に延ばしたエノハの掌を難なくかわし、リグは着地した右足を使い、柔道の巴投げの要領でエノハを後方に受け流した。

 

「うわっ!!ぐっ・・・!!」

 

投げ飛ばされ、背中から叩きつけられたエノハは更に三メートル転がってようやく受け身をとって着地。同時リグを睨むとそこには既に体勢を万全にしたリグが「残念でした」と言いたげに銜えた注射器を左右に首を捻りながら見せつけた。

 

「くっそ・・!!」

エノハはガンと悔しそうに床を叩く。息が上がる。消耗した体力のスキを突くように―

 

「・・・っ!うぁっ・・・たっ」

 

立ち上がる同時の立ち眩み。ふらふらとエノハは後方に後ずさる。

 

「エノハさん!!」

ノエルが駆け寄り、声をかける。その所作にリグは銜えた注射器を一旦出し、

 

「あ~こりゃそろそろヤバイな。アラガミ化待ったなしだ。さっさと話断ってここから出ていってくんねぇかな?極東支部第一部隊長さんよぉ?あ。わりぃ。『元』か」

そう言って笑った。

 

「もういいだろ!?リグ!!お前の勝ちだ!それを返してあげてくれ!!」

 

「べっつに俺はどっちでもいいんだけどよ。ただ一言正直『断る』って言ってくれりゃ

返すんだぜ?俺は?なのにこの兄さん意固地になっちゃってまぁ・・」

 

自分を棚に上げてリグはそう言った。ノエルが再び何か言い返そうとしたその時であった。

 

トン

 

「えっ・・?」

俯いたエノハがノエルの胸を軽く突き飛ばした。意外すぎるエノハの所作にノエルの背筋に冷たい物が走り、絶句してしまう。それを見てリグは更に嬉しそうな顔をした。

 

「・・おいおい。みっともねぇな?唯一の味方に八つ当たりしてそんな態度とっちゃって?そんなんでよく天下の極東支部の第一部隊長さんが務まったもんだ。案外極東ってのは言われてるだけで案外大したアラガミなんて居ないんじゃねぇか?」

 

上機嫌のリグはさらに口が滑らかになる。

 

「悔しかったら言い返してみろよ。それが出来なきゃ今すぐお家帰ろ?な?」

 

 

 

 

 

 

「・・・!!!!んぐう・・・・うあああああっ!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

エノハが突然今までにないほどヒステリックに。

 

吠えた。

 

ノエルは絶句し、アナンはウザそうに耳を塞ぎ、リグは更に笑う。相も変わらず『レイス』は無言のまま興味なさげにレアの顔色を伺っていた。

 

「・・・おいおい。男のヒステリーはみっともないぜ?」

 

「なんっっっで・・・!!!!なんでこの俺がこんなガキにいい様に言われなきゃなんねぇんだっ!!!!俺は嫌々でここに来てやってんだぞ!?好きでここに来た訳じゃあねぇ!!ましてやこんなクソ餓鬼どもの御守なんぞ聞いてねぇ!!!聞いてねぇぞ!!!」

 

「エ、エノハさん・・」

ノエルはもう泣きそうだ。

 

「誰の・・誰のせいだ・・!?・・・ああ・・そうだ!お前のせいだ。このクソ女!!!」

視線が挙動不審に彷徨いながらエノハは憎しみを込めて振り返る。視線の先には・・壁にもたれかかったまま眠る無防備なレアの姿があった。

 

「あんたさえ・・あんたさえいなきゃ・・俺は王様でいれたんだ。極東で皆にちやほやされて・・もてはやされて・・美味いもん食って・・女抱いて・・」

 

「は?イカれた?」

 

リグは嘲りをこめた声を一つ。しかし今のエノハには届かない。

 

「・・ぶっ殺す・・殺してやる・・!」

 

絞り出すような憎しみの声と同時にエノハは飛び出した。同時に粉々になった足元の座イスの破片を握る。人間を「刺し殺す」には充分なものだ。

 

「ああっ!!!??てめっ!!??」

 

しまった、とリグは内心思ったと同時一歩遅れて駆けだした。しかし同時に悟る。

 

―やっべ・・間に合わねぇ。

 

同時に気付く。

直前の攻防でエノハが投擲した照明のファン・・実はあれはリグを狙ったのではなく、そもそもレアを狙っていたものだとしたら・・?

そして立ち眩みの後ずさり。あれがレアまでの距離を縮める為の物だったとしたなら?

 

―コイツ!!狙いは俺じゃなかったんだ!!!

 

 

レアを介抱している為、レイスは今突進してくる背後のエノハを見ていない。完全に無防備だ。

 

 

―まずいまずいまずい!ママが!!『レイス』が!

 

 

ママママママママママママ!!

 

『レイス』『レイス』『レイス』『レイス』!!!

 

 

眉と瞳を歪め、心根を曝け出した素の「ガキ」の表情に戻ったリグが必死でエノハの背中を追う。

 

 

行かないで!!

 

行かないで!!

 

連れて行かないで!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・え?」

 

 

 

 

 

 

 

ぱさりと灰色がかった髪を揺らしてリグは怪訝そうな顔をする。彼の時が止まった。

 

 

 

 

「・・・・うん。中々いい材質。何製?この帽子?」

 

 

 

何とも間の抜けたような軽い声が響く。

エノハはレアと『レイス』を「刺し殺す」はずだった座イスの材木の替わりにくるくると指先でワークキャップを回しながら思いの外、品質のいいそれに感嘆の声を出し、ポスりとそれを被る。

 

「どう?似合う?・・ん?・・・あっ!!ひょっとして「帽子だと身体に触れたわけじゃないからアウト」とか!?しまった!!どうしよう!?」

 

「・・・」

リグは呆気にとられたまま声が出ない。判定も出来ない。変わりに

 

 

「は~い。私が判定しま~~~っす!鬼ごっこ開始前によると特にそのような規定をリグは設けていません!タッチする場所の指定も特にナシ!!リグはあくまで「体」と言っていました!しかし、もし衣服を除いた所にタッチとなると・・リグの場合、顔。首。手位しか露出している所がありません!!でも~そこにエノハさんが触れるとなると・・流石に絵的にちょ~~~っとヤバイです!!・・ま、まぁ個人的にはそういうのも嫌いではありませんがそこは審判として涙を呑んで裁定しましょう!ぐすっ!!よって衣服、帽子も体の一部とみなします!!エノハさん!!セーーーーーーーーフ!!!」

 

アナンが手を上げ、楽しそうに独断と偏見、そして趣味、嗜好を込めたジャッジを下す。

 

「はぁああああ~よかったぁ~」

 

「・・・」

ノエルも呆気にとられたまま声が出ない。

 

「・・くすっ」

やれやれと『レイス』は初めて鼻で笑い、エノハを見る。

 

―・・いい判断だね。リグの性格上例え触られてもしらばっくれる可能性あるし、それなら身につけてる物取った方が勝敗をリグにも周りに居る人間にも理解させやすい。

 

次にリグを見てこう続けた。

 

 

「・・リグ」

 

 

「・・あ?」

 

 

「アンタの負け」

 

「・・・!」

 

『敗因』に言われたその言葉に絶句したリグを尻目に先に我を取り戻したノエルはてくてくと歩いていき、おもむろに拾った「何か」を少し汚れている繋ぎの衣服でごしごし拭った後、エノハの元へ歩いてきた。

 

「エノハさん。腕・・・出して下さい」

ノエルはリグが動揺のあまりとり落としていた注射器を手にしてそう言った。

 

「・・・ありがとう。ノエル」

 

「・・・!」

 

ぶすっ!

 

「・・・てっ!?」

 

意外な手荒かつ乱暴な注射にエノハは目を丸め、同じく「ぶすっ」としたしかめっ面の気がいいが気の弱い少年を見る。

 

「悪かったよ・・でも相手を騙すならまず味方からって言うじゃないか?」

 

「・・・。くすっ」

エノハの困り顔の謝罪にノエルは無言のしかめっ面を少し緩ませた。

 

 

・・・プシュッ

 

 

小気味の良い音が薄暗くなった旧ライブハウス内で響く。

 

 




読了お疲れさまでした。

う~ん。さっさと導入部分終わらせねぇと日常パートも書けないな・・。



おまけ


「どうですか・・?」

「・・気分は良くなった。助かったよノエル。いろいろ有難う」

ライブハウスのバーカウンターに腰掛けていたエノハがノエルに礼を言うと同時、目の前にコトリと一脚のティーカップ、そしてそこに綺麗な紅色をした温かい紅茶が注がれる。

「・・!」
意外な人物にエノハは少し驚いた。『レイス』だ。

「・・どうぞ。血行が良くなればもう少し状態も安定するし、もうそろそろレアママも起きると思う。その時にちゃんと診てもらってね。良かったらそれまであそこに在るソファで横になっててもいいよ。・・大丈夫。リグには何もさせないし、当然私らも何もしない」

表情はあまり動かないが、ちゃんとした気遣いが感じられる口調。基本素っ気ない少女だが面倒見はいい様だ。

「『レイス』の淹れた紅茶は美味しいよ~。あ~安心して~~?毒は入ってないよ。た~ぶ~ん?」
アナンがそう言って割り込んできた。

「・・・」

「・・・本気にしないで。貴方は絶対的不利な状況を打開して実力、経験、知識を見せてくれた。何よりも貴方はママが選んだ人。なら私は貴方がここでちゃんと戦えるようにサポートするだけ」

「・・ありがとう。レイス。頂きます」




五分後

「ご馳走様」

「・・お粗末さま。どう?少し横になる?」

「いや・・眠るのは今は遠慮しとくよ。もう一つやり残した事がある」

「・・やり残した事?」

「美味しい紅茶有難う。おかげで温まった」

半分近く残った紅茶を置いて立ち上がり


「リグ!」


「・・あ?」

一行とは離れた所で拗ねたように座っているリグがエノハを睨む。

「俺は君との勝負に勝った。だから君は俺の言う事を聞いてもらうよ?」

「・・ちっ。わーったよ。あんたの命令を聞けばいいんだな」

「いや少し違う」

「?」

「俺は君に勝った。だから俺の頼みを一つ聞いてもらう。これは命令じゃない。リグ・・コレは君が安易な賭け、勝負を挑んだことによって負う『リスク』だ」

「・・?何が言いたいんだアンタ・・?」





「リグ。君みたいな部下は俺には要らない。ここを今すぐ出ていくか、ここで今すぐ死ね。それが嫌なら・・リグ。君のママ―レアを今すぐ殺せ」



エノハの残した紅茶が未だ温かい蒸気と香りを残しながら、エノハが「やり残した事」―言い放った言葉はライブハウス内を一気に凍らせた。


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第12話 半端者 下

今回もよろしくお願いいたします。


凍りついたライブハウス内でエノハの言葉の意味を頭の中で吟味し、咀嚼し、噛み砕くと同時にリグの心音は跳ね上がっていく。

 

ハイドを出ていくのか。

 

死ぬのか。

 

レアを、ママを殺すのか。

 

―何言ってんだコイツ・・?バカじゃないのか?・・・イカれてる。

 

「リグ」

 

びくっ!

 

正気を疑う相手が放つ割にはうすら寒い程、氷の様な冷静さと冷徹さを兼ね備えた口調のエノハの言葉に混乱するリグに言葉は無い。

 

「・・君は俺の命を軽んじた。君が全くの何の覚悟も持っていなかった一方的なさっきの『遊び』はその実俺の命がかかっていた。一方で君は完全な安全圏に居つつ、その上で俺を『別に死んでも構わない』程度の気楽さで行った戯れで安易な取引までして君は負けた。その『意味』を吟味しないでな。・・見合った代償は支払ってもらう」

 

こつこつとエノハは絶句のリグに歩み寄る。

 

「さっき言った様に俺は君を『部下』としてはいらない。自分の優位を確立した土俵で大した覚悟も無く安易に他人の命を踏みにじったりする様な奴―そういう奴は決まって面倒を引き起こす。それは同時周りに居る人間も危険に晒す。何と言っても覚悟の無い奴はいざという時・・リグ?今の君みたいな状態になる」

 

 

 

―いざ過酷で究極の選択を迫られるとどうしていいか解らない。

 

 

 

「君を追い込んだのはリグ・・君自身だ。結果君は今迫られている。自分の居場所を無くすか。自分が死ぬか。自分にとって大事な人間を犠牲にするかのな。さぁ選べ」

 

「ぐっ!!てめっ・・・!」

リグは少し反抗的な目をエノハに向けるが

 

「・・・・」

 

「・・・!」

 

場数が違った。

P-66偏食因子を追加し、状態が小康状態に落ち着いたエノハの無言の圧力にリグは怯む。確実に先程の両者の様に圧倒的な力の差は無い。ただでさえ先程は圧倒的に有利な状況でエノハに出し抜かれたのだ。その事実が現在、今も尚地力に関してでは上であろうリグに完全なる敗北感を植え付けた。リグは閉口するしかない。

 

 

「・・遅かれ早かれ今のままの君ではいずれこうなっただろうな?覚悟も無く、ただ己の力に溺れてそれを横暴に振り回して暴走し、仲間を危険にさらし、傷つけ、挙句死なせ、そして最後に君も死ぬ。それが少し早くなっただけだ。君のせいで被る他者の犠牲と迷惑が最小限で済んでよかったと思って安心して失せろリグ。出来るならレアはまだ殺して欲しくない。明確に今の所『いらない』のは君だけなんでね」

 

エノハの容赦ない言葉であった。リグはうなだれ、涙目になりながら歯を喰いしばってわなわなと震えていた。

 

「返事を聞いてないぞ?リグ・・答えろ。ダンマリは許さない。君は無意識のうちに選んでいたんだ。取り返しのつかない取引を何の自覚も無しにな。それを今はっきりと自覚しろ」

 

「うっ・・・」

 

「早く選べ!!!リグ!!」

 

「んぐっ・・!」

 

 

 

 

 

―・・・ふぅっ。これぐらいでいいか・・・。

 

 

 

 

 

「・・・!」

エノハは先程リグから奪った帽子をぼすりと俯いたままの少年の頭に乗せる。

 

 

 

「『命を軽く扱う』のと・・『命を賭ける』のとは全く違うぞ。自分を安く扱うなリグ。自暴自棄になるな。そして敵対する相手を軽んじるな。こっちが攻撃すると言う事は攻撃される、殺されるリスクを常に孕んでいるということ。その覚悟を常に忘れないでくれ。・・生き残る為にな」

 

 

「生き残る」そこを強調しつつ振り返り、リグを除く他の3人にも声をかける。

 

 

 

「とりあえず・・俺の基本方針はそれで、ということで。『甘い』と感じるかもしれないが俺のGEの師匠筋の人がその方針でね。そのおかげで俺も生き残れてる。これから先も常に通用するかは解らないけど・・その為の最大限の努力は惜しまないつもりだ。

まぁ・・実際話まだ新しい神機に適合もしていない半端者でそんな奴にリーダーをいきなり任せるって言われたら当然不安、不満、心配もあるだろう。その意味で考えればリグの行動や態度も解らないわけじゃない・・」

 

項垂れるリグをちらりと見る。先程の様に咎めるような視線はせず、少し疲れた様な苦い笑顔を向けてエノハはもう一度他の三人に視線を戻し、

 

「まぁ・・とりあえずは俺に付いてきてくれないか?」

 

最後にこう言った。

 

「ふむん・・・まぁエノハさん怒らすと怖そうなのでとりあえず付いていきます・・とりあえずよろしく!エノハさん?」

 

アナンはリグへのエノハの容赦ない言動に少々ひきつっている。

「や、やべぇ次は自分もこうなるかも」という表情をしていた。自身も結構「覚悟」とは程遠い快楽主義、趣味を持った嗜好を持つが同時に日和見主義でもあるアナンは素直に従った。

 

「解りました」

 

ノエルは彼らしく素直に短く端的に返す。

 

「・・・」

 

『レイス』は黙ったままだった。

 

 

その数秒後

 

「・・ううん」

 

ようやくレアが目を覚ました。起きぬけの頭を重そうに左手で抱えて薄く目を開く。

 

「レアママ・・大丈夫?」

 

「ええ・・大丈夫よ。有難う『レイス』。・・・」

 

レアは目の前の光景を泣き黒子のついた右目で無言で覗く。散乱した壊れた座イス、照明を一つ失ってやや薄暗く、真新しい床の穴が空いたなど何ともひどい有様になったライブハウス内で項垂れるリグとエノハと他三人の立ち位置から状況と空気を把握し、少し悲しそうな顔をしてエノハを見る。

 

「・・色々あったみたいね。迷惑をかけて本当にごめんなさい!」

 

レアは自責の念で頭を抱えながら痛々しく細く整えられた眉をひそめた。「こうなる」可能性は念頭に入れていた。

 

―恐らく「こうなる」ことを解ってて私の中に居る「あの子」は眠ったのね・・。

全く・・・「あの子」は「我」ながら悪戯っ子だ。

 

 

いざそう言う状況に陥った時、エノハを庇う役目が自分の何よりも役目だったのだが・・情けない話だ。日々の業務、研究と目が回る多忙さで疲れ果て、「あの子」に役目を譲った自分の軽率さをレアは恥じる。しかし遅まきながらも「自分の役目は果たさないと」と、レアは大きく息を吐いてつかつかと歩き出す。

途中空の注射器を持ったノエルに「有難う」と一言声をかけながら微笑んで軽く肩を叩いて通過し、レアは尚も歩みを止めない。歩く先はエノハと・・リグの所だ。

 

 

「・・コラ!リグ!!言ったでしょ!?エノハさんにちょっかい出したら私が許しませんって!」

 

「ご、御免。・・レアママ・・」

 

最早「悪ガキ」というより子供になったリグは少々脅えた眼をして素直に謝る。外で無駄に威勢のいい少年は意外に母親に弱い場合が多い。

 

「許しません!今日は夕御飯抜きです!反省しなさい!」

 

レアはこう見えて家庭的だ。母親を早くに亡くしたクラウディウス一家で多忙な父親のジェフサ・クラウディウスに替わって家事全般を切り盛りしていた。

貴族である以上クラウディウス家には使用人、執事も当然何人か居たが任せきりにする事は無く、少女時代のレアは率先してその知識、技術を吸収し、少しでも多忙な父の役に立ちたいと背伸びする母性に溢れた少女であった。

お転婆で負けず嫌い、そして何よりも父親が大好きだった所もその一助となったであろう。故にこの「ハイド」でもレアと彼ら四人の関係は「上司と部下」ではなく、「母親と子供」の様な感じである。

 

元々クラウディウス家が出資している児童養護施設―マグノリア・コンパスはこの時代有り触れた「アラガミによって親を亡くした孤児」、または「何らかの理由で親元を離れた子供達」で構成されている。親への執着が人一倍強い年頃に様々な理由で親から引き離された少年少女達にとって自分達に安心できる寝床と暖かい食事を与えてくれるクラウディウス一家の人間は慕われている。

 

ここに居る「ハイド」の四人もまたその施設から選ばれた子供たちなのだ。おまけに彼らはその一家の主であるレアから秘密裏に直接教育、世話をされているのだから当然レアに対する執着心は強い。「ママ」と呼ばれているのがその証拠だ。

 

まぁ言わば今回連れてこられたエノハは「バツイチの子持ちの母親」が後から連れて来た母親の交際相手のような微妙な立場である。複雑な心境になるのは自然と言える。

 

リグはその微妙な感情を押し隠さず、言葉と行動で示してきた。が、他の三人にも少なからずそのような感情はあったのであろう。ノエル以外の二人がリグの行為をある意味許容していたのがその証拠だ。

母親離れするかしないかの曖昧でぐらついた瀬戸際の難しい年頃の少年少女たちの中にいきなり取り落とされたエノハは気の毒としか言いようがない。

 

―年齢的には兄弟ぐらいの差なのに・・。

 

―俺だって好きな子居るのに・・。

 

とエノハは愚痴りたくなるが。

 

 

「・・・!!・・・!?・・!・・・・!!!

 

「・・・」

 

しばらくのレアのお説教に完全に叩きつぶされたリグが更に項垂れているのを尻目にレアは踵を返してエノハに振り返り・・

 

「まぁ・・いろいろと・・本当に迷惑をかけるかもしれないけど・・よろしくお願いします。エノハ君・・」

また更に申し訳なさそうにレアはエノハに深々と頭を下げた。その後―

 

「エノハ君。とりあえず診察するからこっちに来て頂戴。上着を脱いで横になって」

 

博士、研究者としての表情に一瞬で切り替えたレアの姿があった。

 

 

しかしアナンはぼそぼそと

 

「ほぉほぉ・・中々色々と妄想が捗るセリフですなぁ・・白衣の美人と上半身裸の青年―何か間違いあってもおかしくないんとちゃいます?」

 

「・・やめようよ。そういうの」

 

「・・やれやれ」

 

「・・ぐすっ」(←リグ)

 

 

一時間後―

エノハの状態が完全に安定化した事が判明したと同時にレアはほっと溜息をつき、

 

「とりあえず夕食にしましょう。数々の非礼の御詫びに私が腕を振るうわ・・。『レイス』・・手伝って?」

 

「はい」

 

「それにしても本当に危ない状況だったわ・・もう少しP-66偏食因子の摂取が遅かったらと考えると・・。・・。リグは明日の朝食も抜きにしましょう・・・!」

 

「レア博士・・もういいですよ。流石に可哀そうです」

 

上着を羽織りながらエノハはそう言った。

 

「初対面の人にまともに自己紹介もできない子なんてこんな扱いで十分です!」

 

結構容赦ない性格らしい。まぁ「厳しいが慕われている」という点では彼女は中々優秀な母親だ。

 

「ははは」

 

エノハは苦笑いした。その苦笑いを見てレアはまた申し訳なさそうな顔を一瞬した後、しっかりとした蒼い目でエノハを見据え、

 

「・・・『レイス』」

 

「はい」

 

「アナン」

 

「は~いっ」

 

「ノエル」

 

「はい?」

 

「・・リグ」

 

「・・」

 

「いらっしゃい・・四人とも。私の可愛い子供達」

 

 

レアの両隣に左に『レイス』、右にアナン、その二人の隣にノエル・・視線を逸らしたリグが順にエノハの前に並ぶ。レアは両隣りの少女二人の背中に手を添え、

 

 

「改めて・・エノハさんに自己紹介なさい。四人とも」

 

 

まず

 

「アナンです。年は花の15歳。対応神機は~~~まだヒミツ❤です。衛生兵で主な役目は回復と・・・ちょっとした特技を持ってます。んふふ♪」

 

次に

 

「ノエルです。アナンと同じく15歳です。僕は・・」

 

「・・?」

 

「・・僕は『ハイド』専任の整備士をしています。どうぞよろ―

 

「『今』は・・だろ」

リグが自分の紹介をおざなりにして割り込んできた。

 

「・・っ!!リグっ!!」

またこれだ。リグがこういう風に割り込んだ時、この少年は時折この表情をする。素直で真面目そうな顔を酷く歪めて。その表情の正体はまだエノハには解らない。

 

 

「リグ・・いい加減になさい。・・ノエル?続けなさい」

 

「・・はい。よろしくお願いします!!エノハさん!」

 

「・・」

レアに諫められ、不満そうにまた唇を尖らせてリグはそっぽ向く。

 

「ホラ・・リグも」

 

「・・リグ。14。ガンナーだ。対応神機は・・・今度見せて驚かせてやるよ」

 

最後に初めて会った時の様な不敵な笑みを浮かべてそう言った。

何をするにも「尖らないといけない」という病気にでもかかっているのだろうか?この少年は。

 

そして最後に

 

「私は『レイス』。16歳。対応神機は新型特殊神機―ヴァリアントサイズ。主な役目は遊撃、陽動、特攻。この部隊では副隊長として貴方をサポートします。・・よろしく。エノハさん」

 

 

満足そうに「子供達」の自己紹介を見届けた後、レアは母親の様な慈愛あふれる微笑みで首をかしげるような会釈をしてエノハを見、

 

 

 

「改めて・・『ハイド』にようこそ。エノハ君。歓迎するわ」

 

 

 

 

「・・エノハ ヤマメだ。まだ神機にも対応していない未熟者、半端者だが付いてきて来てくれると嬉しい。どうかよろしく頼むよ」

 

 

フェンリル極致化技術開発局所属隠密部隊―対特殊変異アラガミ討伐部隊「ハイド」。

 

部隊長―榎葉山女着任。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ところで・・一つ聞いてもいいかな?エノハさん」

 

『レイス』が口を開く。

「・・何?」

 

「一応偽名が『サクラ』って話なんだけど・・それって極東の名前でファミリーネームでしょ?・・女性名ならある程度ファーストネームでも普通と言えるけど、エノハさんみたいに男性なら基本ファミリーネームが自然の様に感じるけど」

 

「・・よく知ってるな・・その通りだ」

 

「だから一応聞くけど・・ファーストネームは決めてるの?」

 

ぎく

 

「・・あ、ああ」

 

「教えといてくれるかな」

 

「・・マジ?」

 

「ということは決めてるんだ?本名名乗れないんでしょ?」

 

「その・・」

 

「?」

 

 

 

「マ、マスオ」

 

 

 

「「「「「!?」」」」」

 

 

「マスオだ!『サクラ マスオ』!!」

 

 

―・・えぇ~~~~っ

 

 

恥ずかしそうに言い切ったエノハを除く五人全員が目が点になる。その名前の意外性と響きに。しかし何だその・・日曜日の夕方に誰しもを憂鬱そうにさせそうな6時、6時半に並びそうな名前のラインナップは。

 

「・・マスオ」

 

「マスオ」

 

「マッスオ?」

 

「マスオさん・・・」

 

 

「もう少しマシなネーミングはネェのかよ・・・マスオサンよぉ・・」

 

 

大不評。

 

 

「うるせぇ!!ここに来るまでに色々ゴタゴタがあってその時に急造で思い付いた名前なんだよ!!!ほっとけ!!許してくれ!!見逃してくれ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




読了お疲れさまでした。

エノハの偽名の「サクラ」ですが読み方、発音としては苗字―「佐倉」とか「咲良」などに近い物になります。

いやぁなんとどうでもいい話だ!


OIL OIL OIL.






おまけ


エノハが『ハイド』の少年少女達と邂逅を果たしたその日の深夜。

エノハはライブハウスより更に奥にある地下施設に来ていた。

周りには物々しい圧迫感のある武骨で味気のない黄土色の壁、強力なアラガミ装甲壁に囲まれた部屋。
そこには別室でモニターする為の監視カメラ、そして・・今から行う行為が万が一上首尾に終わらなければ即処分を行う為の毒ガスの通気口が無数に黒く丸い口を広げている。

「・・・」

思い出す。極東で初めてあの部屋に入った時の記憶を。実際はそれ程昔の事ではないが遥か遠い昔の事の様に感じる。

『落ち着いて』

スピーカーより声が響く。レアの声であった。

『緊張する事は無いわ。・・貴方は既に選ばれ、仲間に認められてこの場に居るんだもの。悪い結果が出るはずが・・ないわ』

正直。

確率はかなり微妙なのだろう。レアのスピーカーから響く声はエノハを安心させようとして居ながらも同時に自分に大丈夫だ、自信を持てと言い聞かせている様な感情を隠しきれていない。

エノハの目の前で鎮座する台の上で無数の天井からのコードが取り付けられた巨大なケースが機器の作動音と共に天井に上がっていく。
同時その中に在る・・否、「居る」存在は照明の光を吸って眩いほどの光を放つ。

白銀の光。

その光が止むと同時刀身があらわになった。

ショートとロングのちょうど中間ほどの長さの剣形態、巨大なマグナムの様な大口径のブラスト銃形態、機械的にデザインされたシールド。

全てにおいて銀色一色に染まった溜息が出るほど美しい神機で在った。

『その子が貴方の新しい神機―スモルトよ』

「・・スモルト」

『きっと貴方を気に入ってくれるわ。・・心の準備ができたら手をかざして。効果があるか解らないけど・・祈らせてもらうわ』


―・・貴方に祝福があらん事を。




モニター室


監視カメラの集音マイクから響く形容しがたい機械音が肉を引き裂く音と絶叫が共鳴し、祈る様に目を背けるレアの後ろで瞬きもせず、「有事の際」の介錯役として同席していた『レイス』がただ無言でその音、その光景を聞いていた。

―大丈夫だよ。ママ。

この人はこんなとこで終わるような人じゃない。私の勘がそう言ってる。




同時刻

エノハは激痛の奔流の中で確かに聞いた。

言葉では無い。

感情として曖昧なエノハにしか伝わらない





「ようこそ」


「お前を待っていた」




さぁ―――の始まりだ。









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短編集1 俺の全て







「・・出来た?エノハさん?」

 

「・・やっぱり見せなきゃダメ?」

 

「そりゃ私だって気が進まないんだけど仕方がないでしょ?なんならアナンにチェックしてもらいたい?」

 

「そ、それはヤダな~~」

 

「ふぅ・・。・・貴方が『ハイド』に連れてこられた今までの経緯、事情は察する。元々それを仕向けた側である私らがそれを言うのもお門違いだと思うけど・・エノハさん?今の自分の立場を理解して。そして『その人』の立場も」

 

「・・・」

 

「一応『その人』はその・・・人質なんだから。貴方の行動如何によっては『その人』に迷惑がかかる。だから納得して。さ!それ見せる」

 

「・・よろしく頼む」

 

「・・確かに。では拝見させていただきます」

 

「・・・。・・う、あぁあああ~~~待って!!やっぱりちょっと待って!!ハードル高すぎるってこれ!?初めて書いた好きな子への手紙が年下の・・それも女の子に見られるなんて!!!どんな拷問だよ!!これ!!」

 

「うるさいなぁ・・読めないでしょ。大丈夫だって。大事な所はさらっと流し見して出来る限り記憶から消すようにするから」

 

「絶対だね!?頼むよ!?ホント頼むよ!??」

 

「・・・」

―・・。徹夜で寝不足のテンションにしてもこの壊れっぷり・・ウザイなぁ。この人案外こういうタイプ・・?

 

少女―『レイス』はうんざり顔でエノハから手渡された書面―エノハの手紙を読み進め始める。

 

最初の一行。

相手の名前は・・

 

―「リッカ」さん・・か。

 

 

 

先日

 

あのライブハウス鬼ごっこ勝負でのリグの完全敗北は新たな面倒事を呼んでいた。

 

リグが安易に賭けの対象にした負け分は平ったく言うと「エノハの言う事を聞く事」である。しかし当然エノハから最初に出された「あの条件」をリグが履行できるはずもない上、エノハ自身もリグの軽率な行為を諫め、自覚させて反省させる為の出任せであった。よってリグの負け分は清算されることなく宙ぶらりんのまま存在していた。

 

自分が眠っている間に起きた事の経緯、発端を詳しく聞いたレアは

 

「・・。そう。そんな事が・・。じゃあ約束を違えるわけにはいかないわね。エノハ君?」

 

「・・何ですか?」

 

「何か要求、要望があれば可能な限り私がリグの替わりに一つ応えましょう。・・どうかそれで・・この度のリグの非礼を許してあげてはくれないかしら?」

 

「・・・!・・・」

そのレアの提案に対しほんの少しエノハは思案の時間に入る。

その間、当然リグはレアがそんな事をする必要はないとレアに歩み寄るがレアは首を振って

 

「いいえ。貴方のした行為、不始末は詰まる所私の責任、監督不行き届きです」

 

その有無を言わせない語気にリグはしゅんとし、そんなリグを『レイス』は制止して耳元でこう言った。

 

「・・よく見ておいて。アンタの軽率な行動がどういう結果になるか。どれほどママに負担と迷惑をかけるのかをね」

 

 

 

一方で

 

(・・おっほおぉおお。なんと意外な展開・・リグの替わりにママがエノハさんの言いなりに!?はぁ~~~っやばい!やばいってこれ!!年頃の男があんなグラマーでセクシーな美女に「何でもしていい」なんて言われたらヤルこたぁ一つでしょっ!?)

 

・・アナンはぶれない。

 

しかし次のエノハの答えは彼女のご期待には添えなかった。

 

 

「じゃあ・・極東支部に手紙を一つ送りたい」

 

 

―えぇ~~~~っ?「THE!ふつう」・・。ちぇ~~つまんない~。ち〇ぽついてんのかぁ~~?

 

「がっかり・・」と、はっきりと顔に書いてある隣の悪趣味、お下品少女が何考えているか長い付き合いの上で解るノエルは

 

「・・・っ!」

 

ぽかっ

 

「あたっ!?」

 

無言で殴る。

 

 

 

 

「・・もちろん伝える情報はそちらさんの都合に差し支えない様に制限する。ただ俺が無事で生きている事を伝えておきたい。正式に言うと『極東支部』じゃなくてとある『個人』にだ。・・たった一人でいい。『その子』にさえ知ってもらえれば・・文句は無い」

 

「・・・」

レアは理解している。エノハという人間をここに来る前に調べは尽くしている。「その子」が誰かをレアはすぐに理解した。

フェンリル極東支部長―ペイラー榊で無く、彼の上司―雨宮ツバキ、そして彼の数多いGEの仲間達、親友たちでもない。

たった一人の普通の人間の少女―エノハの言う「その子」こそエノハがここに甘んじて来た最大の原因、弱みであり、レアにとって最大の「付けこみどころ」であったのだから。

 

「・・申し訳ないけれどこちらの条件として手紙の内容はこちらで確認、修正をさせてもらうかもしれないけど・・それでもいいかしら?」

 

「構わない。当然の条件だと思う」

 

「・・了解しました。手配しましょう」

 

そんなやり取りがあった。

 

 

 

当初レアがその内容を確認する手はずであった。しかし日夜研究、開発、会議、会合に出席する非常に多忙な日々を送るレア。おまけに当のエノハ自身が手紙の内容に関して試行錯誤を繰り返し、知恵熱、キャラ崩壊を引き起こす惨状でもたもたした為、多忙のレアに変わって『レイス』がその手紙のチェック、修正作業を行うハメになった。

・・なんとも世話のかかる新しい上司だ。

 

「どう・・?」

 

「途中だけど・・よくわかんない。まぁ特にこっちにとって都合の悪い、削除しなければならない所は無いよ。このまま出しても問題は無いかな」

 

『レイス』はトントンと手紙を机の上で纏め、丁寧に折りたたんでエノハに返す。

 

「・・第一この『リッカさん』って人が信用できる人物だからこそレアママは手紙出すのを了承したと思うし、だから私が調べるような事は元々ほぼ無いでしょ」

 

「・・そこは同感かな。そこに関してはあまり心配してないんだ。頭と察しのいい子だし。でも・・」

 

「・・でも?」

 

「いや・・その・・やっぱり女の子に出す手紙として本当に適当な内容かなと思うわけですよ・・こっちとしては」

 

「・・それ私に聞くの?」

 

―ホント案外面倒くさいヒトだな。この人。

 

『レイス』は更にうんざり顔で頭を掻く。―ナル姉がここに居てくれればなぁと思う。

 

ナルフ―ナル24歳は『ハイド』の四人にとってちょっと年の離れた姉の様な立場である。多忙のレアに変わって時折、まだまだ幼い四人の勉強や訓練を見てくれる。軍人であるが故に訓練時は厳しい面はあるが普段はレアと比較しても彼らにかなり甘めで優しい世話役でもある。だがその彼女も今は赴任中のレアに帯同して出張っている。人生ままならんものだ。

 

 

「まぁでも言わせてもらえば・・」

 

「・・言わせてもらえば?」

 

「ここの・・『落ち着いた?』がちょっとイラつくね。これこっち側が盛り上がってるだけだとしたら相当寒いよ。向こうが『いや別に動揺してないし』って感じだったらカッコ悪いね。コレ」

 

「うぐっ」

 

「はい。書き直そうとしない。これ以上の紙の無駄遣い良くないです」

周りに散った失敗作の紙が散乱している周りを見渡しつつ『レイス』は新しく書きなおそうとするエノハを制止する。

 

「それに・・」

 

「え。まだあるの・・?」

 

「・・別に聞きたくなけりゃいいんですケド」

 

「・・次のダメだしは何でしょうか」

敬語。エノハの上司としての威厳は最早地に落ちている。

 

 

 

「・・本当に待ってもらうつもりなの?この・・リッカさんって人に」

 

 

『レイス』のこの一言に一気に空気は凍りつく。エノハも底冷えするような空気の急な移り変わり様に少し驚いて目を見開き、視線を逸らす。

 

「・・!・・」

 

「・・怒らないで聞いてね。これも私らが言えた義理じゃないんだけど」

 

そう『レイス』は前置いた。

 

「・・やっぱりどう見てもこの手紙はその人に『待っていてほしい』って内容だよね。それとなく『君の自由』的なニュアンスはつけてるけど結局の所はその人を縛る、動けなくするような感じは否めない。いっその事完全にお別れの内容にした方がその人もエノハさんを諦めてすっきりと違う人生を歩んでいけるような気がする。この手紙の通り・・エノハさんが何時帰れるかも本当に帰れるかどうかすらも解らないんだから。全てが不透明、見通しが見えない・・そんな時代だしね」

 

 

「個人的意見を言わせてもらえば貴方が生きている事さえも知らせない方が余計な火の粉がかからない可能性も高い。さっきも言ったけど貴方の行動如何、貴方の些細なミスで私らがその人を傷つけなければいけない可能性も出てくる。当然同時に真実を知った以上そのリッカさんにも背負う必要のない負担は生まれる。どんなに口が堅かろうと察しがよかろうとうっかり口を滑らしてしまう事も無いとは言えない」

 

「・・・」

 

「ならせめてリッカさんって人にエノハさんの事全て無かった事にして新しい人生を心おきなく歩んでもらえた方がいいんじゃないのかなって言うのが私の意見。確か・・神機整備士なんだよね?その人。元々負担や心労が少なくないGEに負けず劣らずの激務だと思うし」

 

無言のエノハに『レイス』はしっかりと視線を向けた。結わえた銀髪が揺れる。それとは対照的に迷い、揺れのないオリーブの瞳がエノハを射抜く。

 

「・・エノハさん?この手紙が本当に貴方の都合、エゴを押し付けてその人を苦しめないと言い切れる?」

 

エノハの反応を待たずにそう言いきった『レイス』は最後に少しバツが悪そうに無言で目を逸らし―

 

「・・部外者が。事情をよく知らない者が色々言ってしまって御免なさい」

 

深々と申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「いや。有難うレイス。君の言うとおりだ」

 

エノハは首を振りながら笑ってそう言った。痛い所を突かれたなという苦笑いを隠さない。

そしてこう言った。

 

 

「俺ね?親父に褒めてもらった事が無かったんだ」

 

「・・?」

 

意外なエノハの言葉に『レイス』は目を丸める。

 

「そもそもウチの親父は自分の子供を元々褒めないタイプでね。その代わりなのか自分の仕事の部下とか他人の偉業、いい所は凄く褒める。褒めて延ばす。でも不思議な事に自分の子供は全くと言っていいほど褒めない。小さい頃は躍起になって褒められようとした事もあったな」

 

「・・・」

『レイス』はエノハの急な話題の転換の真意を掴めない。が、何故か遮る気にもならず、ただ静かに聞いていた。

 

「ここに来て会えなくなるまで終ぞ褒めてくれたのは本当に一度きりだ。それもごく最近の事。ついこの前。おまけにその褒めた内容も正式に言えば俺に関する事じゃ無かった」

 

「・・」

 

「親父が俺を初めて褒めてくれたのは・・俺が『リッカを選んだ事』を報告した時だった」

 

「・・」

 

「本当に今の今まで褒められなかった分を帳消しにするぐらい褒めてくれた、喜んでくれた。『リッカ・・?ひょっとしてあの整備士の女の子か!?よくやった!でかしたぞ!さすが俺の息子!あの子なら大歓迎だ!!』ってね」

 

「・・」

 

「俺は正直喜ぶよりもまず怒った。『俺はオマケなのかよ』ってね。親父は笑ってこう言った『その通りだ』と」

 

 

「呆れて俺が物も言えなくなったと同時親父がさらにこう言った。『何かを成した、何かを手に入れた事よりも何かを成す、手に入れるまでの道程、過程で支えてくれた誰か、縁、関わりこそ誇るべきなんだ。気付いたらいつの間にかそれこそが自分の生きる糧、全てになってるんだからな』ってね」

 

 

そして最後にイワナは息子にこう言った。満足そうに頷きながら。

 

 

―そうか・・。そうか!お前もようやく見つけたか!『全て』をな。うんっ!良くやったぞ!!

 

俺は嬉しい。・・いい娘を選んだな。

 

 

エノハは悔しい事に納得してしまって逆に言葉が出なかった。そして呆れと怒りを通り越して嬉しさがこみ上げてきた。

その時エノハの心に浮かぶのは自分を助け、支え、受け入れてくれた人。

何よりも誰よりも大事な少女の笑顔。それが彼の―

 

 

 

「・・俺の『全て』なんだ。リッカは。だから失いたくないんだよ。彼女の中から居なくなりたくない。君の察しの通りこれは俺のエゴ。でもリッカなら・・あの子ならひょっとしたら俺のエゴを背負ってくれるかもしれないって」

 

 

―いつもの困った笑顔で・・・『仕方無いなぁ君は』って言いながら。

 

 

 

「・・・」

 

 

「レイスには無いか?」

 

 

「・・?」

 

 

「相手の都合、重荷も承知の上でも伝えたい、理解しておいてもらいたい、その上で共に歩んでほしい、同じ気持ちで在ってほしいって思う気持ち・・無い?」

 

 

「・・・無いね」

 

「・・そうか」

 

「私には記憶がないから」

 

「え・・?」

 

「だから・・無いね」

 

「・・そう。見つかるといいな」

 

「・・・そうだね」

 

ぽつりとつぶやいた少女の言葉。

畳みかける様にもう一度「無い」と否定しきった『レイス』に何ら質問する事は無かった。

「語りかけても返事は来ない」―そんな確信がある。少なくとも「今」は。

 

エノハは真新しい封筒に『レイス』が綺麗に揃えてくれた手紙を入れ、丁寧に封を閉じる。

そして最後に

 

 

―リッカへ

 

 

「自分の全て」である少女の名前を封筒の上に書き記した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




読了お疲れさまでした

お・・今度のアップデートでケイトのエピソードが追加されるんですね。楽しみ。


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第13話 化物 上







美しい母だった。

 

そして

 

最低の母親だった。

 

フェンリルの統治、庇護のヒエラルキーの中では最低クラスの配給、公共サービスが後回しなのが犯罪者だ。

元犯罪者、元囚人である母の下に彼―リグは生まれた。第二子として。

リグには兄弟がいた。七つ「ほど」年上ぐらいの姉が。

「ほど」というのは厳密な年齢差を教えられていないからだ。そういう物に全くリグの母親は頓着が無かった。そして姉と弟二人の身体的特徴の差から明らかにリグとその姉は「種違い」の姉弟であった。

 

リグの母は娼婦だった。

フェンリルの管轄内で以前犯罪行為を犯して服役し、出戻ってきた元囚人が就ける職業など所詮限られている。その中で最も安易かつ一定の需要が在り、継続的に稼げる職業がそれであった。(元々犯罪者として逮捕され、服役したのもその客とトラブルを起こし、傷害事件を起こしたのがきっかけで或る。)

 

その母親が数知れない程相手にしてきた男の「どれか」がリグと姉の父親である。自分が腹を痛めて生んだ子の「ルーツ」は母の興味の範疇にない。興味が在るのは自分の「スペア」が生まれたことぐらいであろう。

 

リグの姉は美しい少女であった。この母親から唯一と言っていい「取り柄」を余すことなく受け取った子供。年齢を重ねるごとに母は内心歓喜していただろう。自分に日に日に似てくるその少女に。

 

―コイツで稼げる。

 

日に日に衰え、劣化してくる自分の替わりに飯の種を運んでくる逸材―母の興味、感心は遅く生まれ、「物になる」まで姉と比べればまだまだ時間のかかる男子―リグには向きにくい。

明確な「扱い」の差は幼いリグの心を容赦なく抉り、歪ませる。

 

そして「最後」の時もそれは一切ぶれなかった。

リグ達が住む最下層居住区にいつにも増して多くのアラガミが侵入し、住民の9割方が彼らの胃袋に収まったあの日も。

 

フェンリルの庇護の最下層ともなれば当然、一番命が軽んじられる場所に住居が割り当てられる。常日頃よりアラガミの襲撃に晒され、命を落とす最前線でやんごとなき方々がお逃げになるまでアラガミ様のお相手が仕事だ。

今考えてみると母には適役の仕事のように思えてリグは笑える。

 

―しかし

 

姉は違う。断じて違う。

 

姉は無口で在った。素っ気なかった。しかし美しく、そして唯一リグに優しかった。

といっても姉の生来の性格は無愛想で素っ気ない。しかし姉はその態度のままにリグの世話を淡々とこっそりとしてくれた。その淡泊さがリグには心地よかった。

露骨な母の自分と弟であるリグの扱いの差を憐れんで内心嘲笑しながら施しをするような姉であればリグは決して姉には懐かなかっただろう。ニコニコ姉に接する母親の偽りの愛情より遥かにその無愛想さ、在る意味無機質とも言える姉の性格、態度が心地よかった。

 

姉も気付いていたのだろう。リグを卑下し、自分を特別扱いするこの母親の内心の下卑た皮算用に。

 

その母のどす黒い打算が遺憾なく発揮された「あの日」もまた姉は無愛想だった。しかし最後に・・「最期」にその無表情をほんの少し緩ませてリグに微笑んだ姉の表情をリグは忘れる事が出来ない。

 

「あの日」―

 

リグ達親子は外部居住区にて老朽化した装甲壁を破って侵入したアラガミに追われていた。いつも通り大事な姉の手だけを母親は引き、幼いリグの先を走っていた。

しかし追いつかれるのは時間の問題。

そのような状況で母親が選んだのは至極単純明快な回答であった。ここまでのリグの母親の思考回路を鑑みれば誰にでも容易に想像はつくであろう行為を期待を裏切ることなく母は実行した。

 

トン

 

突き飛ばして尻もちをついたリグをちょっと惜しそうに一瞥する。

成長すればそれなりの労働力。若しくは一部に「需要」が発生して思いの外早めに「物になる」可能性もある幼いが整った顔立ちの息子を捨てるほんの少しの躊躇いをあっさり振り切り、次の瞬間に母親は前を向いていた。立ち止まろうとする姉を引きずりながら。

 

リグにとって予想のついた行動であったがショックは当然大きく、立ち上がる気力すら湧かない。まだ物心もついていない年頃の幼子は既に自分の人生を、世界を諦めていたのだ。

 

そんなリグの姿を引きずられながらも姉はじっと見つめていた。いつものように無表情で。

 

 

 

―リグ。

 

―悲しまないで。

 

―落ち着いて。

 

―動かないでそのままにしてるのよ?

 

 

姉の眼はそう語っていた。

 

一見慕っていた姉すらもリグを捨て駒にしたような文面に見えるかもしれない。しかしこれは真逆の意味で在った。

 

 

 

 

リグの母親がリグを愛せなかった理由は姉に比べて目先の利用価値が低かった事だけでは無い。

 

 

母親は気味が悪かったのだ。このリグという息子が。何故かは解らないがとてつもなく薄気味悪かった。

 

リグの出産後、リグの母親はいつも獣に四六時中狙われている様な感覚に陥り、直ぐその原因に気付いた。そこにはいつもリグが居たのだ。

まだ言葉も話せない、それどころか目も開いていない時分から奇妙な存在感を放つ自分の息子をすぐに母は嫌悪した。

 

かと思うとリグが成長し、幼子ゆえの粗相をした時に怒り狂ってリグを折檻する際、無抵抗のリグが目の前に居るのに消え入る様に気配が薄れ、同時に自らの憤りが潮のようにさーっとひいていくようなうすら寒い感覚を何度も覚えた。

リグの母親が家庭内暴力を理由に再び服役する事が無かったのはこのおかげでもある。

 

この原因不明の奇妙な感覚はさらに母親を前後不覚にさせ、リグからへの逃避、忌避に繋がった。

 

リグの父親が誰かも解らない、興味も頓着も無かったこの母親に無意識のその感情の意味が解る筈もなかった。

 

かつて母親を買った人間。つまりリグの遺伝子上の父親である男は―

ゴッドイーターであった。

 

と言っても現在の完全かつ安全に制御された偏食因子を使用された純粋なGEなわけではない。まだまだ試作段階の、人体実験を経ている段階の因子を注入された「被験者」程度の男である。その被験者になってフェンリルから得た金を使い、男はリグの母を買った結果―母親はリグを孕んだのである。

 

当時成人の生体投与では失敗の連続であった因子注入も胎児段階では一定の成果を見せていた。P73偏食因子を胎児段階で投与されたソーマ・シックザールがその成功例だ。

 

ここでは思索段階の因子の注入によって変容した男の遺伝子が息子のリグに反映された形である。

 

リグは言わば不完全なゴッドイーターの親を持つ子供―プロトタイプの「ゴッドイーターチルドレン」と言える。

 

それもその試作段階の因子の正体が極めて運用が難しいとされていた「P-66偏食因子」で在った。そんな因子を投与した人間を厳重な監視下に置かず、性行為にまで至らせてしまう所に杜撰な管理体制が垣間見えるがこれはこの話の主旨ではない。

 

リグは公式では「初のP66偏食因子に適合した人間」であるブラッド隊隊長―ジュリウス・ヴィスコンティよりも先に適合した人間であった。

しかしその異常性が明らかになるのは当分先のこと、当時のリグの母親にとっては自分の子供が生まれながらに「化物」であるという浅い認識しかない。

 

そしてその「化け物」の本領が「あの日」如何なく発揮されようとは夢にも思わなかっただろう。

 

突き飛ばし、見捨てた息子の断末魔が背後で未だに響かない事に業を煮やした鬼女が振りかえると同時、この世の中でもっとも醜い物の類の表情が彼女の顔に張り付いた。

その眼前の信じられない光景に。

彼女達を追っていたアラガミが突き飛ばした息子、見捨てた息子を貪ることなく未だ自分達をまっすぐに追い、迫ってきている光景であった。

未知、不理解、恐怖、絶望、そして理不尽とも言えるリグへの怒りの感情も含まれた見るに堪えない表情をして母親はこう思う。

 

―アンタなんか・・アンタなんか・・生まなければ良かった!!!!

 

この、この・・!

 

 

 

「化物・・!」

 

 

 

 

しかしそんな母とは対照的に。

 

―そう。そうよ。リグ。いい子ね。そのままでじっとしているのよ。

 

それで。

 

貴方だけは助かる。

 

 

鈍く頭の悪い母親に比べ、聡明で在った姉が弟のリグの異常性に気付かないわけがなかった。しかし、彼女はリグを怖れたり忌避もせず、ただ淡々と傍に居続け、支え続けたのだ。

 

「・・リグ」

 

リグの姉が初めて微笑んだ。慈愛に満ちた美しい姉のその笑顔―大好きな姉の最後の光景はリグの網膜に永遠に焼きつく。だからこそその姉の笑顔を覆い隠すように目の前を通過していく「異物」共に心底憤りが募った。

異物共―彼ら親子を追っていたアラガミ達はまるで取り残されたリグだけが存在していないかの様に彼を無視し、側面を通過していく。いや、「無視」というのは語弊がある。完全にアラガミ達はリグを知覚していなかった。

彼らの狙い、見えているのは二人だけ。リグの母と姉二人だけであった。

 

リグを否定し続けた存在である母親とこの世界で唯一彼を在らしめてくれる存在である姉がアラガミ達の背中に覆い隠され、見えなくなる。

 

泣きだしたい叫び出したい。

しかし幼いリグは必死で最後の姉の言いつけを守った。ただひたすら心の中を掻き毟る様な凄惨な光景を見据えながらこう祈った。

 

 

 

―行かないで。

 

行かないで。

 

連れて行かないで。

 

 

 

・・・・・・・置いて行かないで。

 

 

 

しかしそんな無垢なる願いが届くほどこの世界はリグに優しくなかった。

 

リグは「あの日」自らの異常性によって救われ―同時に全てを喪い、ただ一人この世界に取り残された。

 

 

 

 

十年後―

 

 

旧ロンドン市内

 

旧市街地跡にあるかつて市役所であった建物の屋上にて―

 

「・・!」

 

エノハは目の前の光景にただただ目を丸くしていた。

 

「ふん。驚いたかよ。エノハさんよ」

 

「・・。『あの鬼ごっこ』の時それ使ってたら勝ってたんじゃないのかリグ・・?」

 

「うっせ!!思い出させんな!!・・ここまではさすがに俺の神機と連結しないと出来ないんだよ。アンタみたいにGEやら感知能力の高いアラガミに知覚されねぇレベルに『落とす』のはな」

 

「へぇ・・・!」

 

リグが先日自己紹介の際言い放った「驚かせてやるよ」の強気なセリフに偽りは無かった。リグの体を隔てた向こうの空間が透けて見える様な錯覚を覚えるほど希薄になったリグの気配にエノハは心底感心する。

 

そして彼の手に現在握られている神機をエノハは見やる―

リグの対応神機はやや緑がかった黒色のスナイパーライフルであった。盾、刀身は無い。

 

―完全な遠距離狙撃タイプか。確かにこの「能力」にはうってつけだな。

 

「・・これを『ステルスフィールド』ってママは呼んでる」

 

「・・ステルスフィールド」

 

「まぁ・・原理的には結構単純らしくてな?程度や精度、銃身によって制限はあるがいずれ一般の神機使いにも広く使えるようにはなるらしいぜ」

意外にも殊勝にリグは自分の能力を尊大に自慢しようとしなかった。

 

「しかし・・君には更にあの能力がある。神機解放を自ら起こせるあの能力とその力、そして適合神機は第一世代型神機スナイパー銃身・・」

 

この新能力「ステルスフィールド」で敵に察知されることなく索敵し、距離を詰め、彼の固有能力の血の力―自ら神機解放可能なその能力でその距離を詰める為の機動力、瞬発力、オラクル自動生成能力の底上げし、適正な距離から速やかに対象を射抜く事が出来るスナイパーライフルという対応神機―

 

「・・成程斥候、奇襲、索敵に最適だなリグ?君の能力は」

 

「・・」

そのエノハの感嘆の表情にもまたリグは露骨に自慢げな顔をすることなく無表情でエノハを見る意外な反応をした。

 

「・・?」

 

「それだけって思われちゃあ困るな・・エノハさん?俺達はあくまで第三世代神機使いだぜ?・・・『レイス』とアナンの神機をさっき見たろ?あの奇天烈さ、異常性を。俺達を今までアンタが会った神機使い達と一緒にしないでもらいたいね」

 

「・・何が言いたい?」

 

「まぁ見ていてくれれば解るさ・・もう少し驚いてもらわなきゃ割にあわねぇってこと」

 

リグは獰猛そうな視線をして含み笑いをしたと同時エノハに無線が入った。

 

『エノハさん?聞こえますか?予想通りオウガテイル7匹がそろそろ作戦エリアに侵入します。欧州第二支部が取り逃したアラガミの残党です。この地点に居る内に確実に始末しておきたいところですね』

 

「ハイド」は公には存在していない部隊である。基本的に正式なGE部隊との接触は好ましくない。

 

「了解ノエル。引き続き警戒を―・・?って・・・おいっ!!」

 

『・・エノハさん?・・あ』

 

モニター室―

 

ノエルは即合点が行った。

今回オペレーターを務めるノエルの手元のモニターに先程までエノハの近くに在った反応がものすごい速度で距離を離している。

リグが動いたのだ。制止しようとノエルが声を張り上げるがリグに充てられた無線から反応が無い。

 

「リグ?!おい!?」

 

『・・無駄だな。リグの奴・・無線をここに置きっぱなしだ』

エノハはやれやれと言った溜息を洩らしながらそう言った。

 

「すいません・・」

 

『・・君が謝る事じゃない。・・さてリグを追いますか。ちゃんとリグのお手並みを拝見しないと』

 

この初陣はそもそもその為の任務だ。「ハイド」のGE達一人一人の神機や特性を見る為の。しかしスタート早々部下が単独行動とは流石に頭が痛い。

 

『じゃあ・・ノエル?案内よろしく』

 

「は、はい!よろしくお願いします!」

 

ノエルは気を取り直し、モニター室で二人のバイタルをチェックする。

 

「・・ん!」

ノエルはリグのバイタルの各数字が顕著に異常変化した事を確認する。同時にリグの反応を示すモニターの輝点の速度がさらに跳ね上がった。

 

「・・解放したなリグの奴。エノハさん!?リグが解放!更に移動速度を速めてます!恐らく目標アラガミを視認したかと思われます」

 

『了解』

 

エノハもフリーラン速度を速め、廃墟と化したロンドン市街を駆け抜ける。

やはり異国情緒を楽しむ暇は無い様だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




長くなった為一旦切ります。

今回も読了お疲れさまでした。


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第14話 化物 下

「・・ずいぶんとゆっくりなお着きで。エノハ隊長」

 

「・・お前が速過ぎるんだよ」

背後から現れたエノハの苦言をにやりと笑って満足そうに受け流し、解放状態を切ってステルスフィールドに切り替えたリグは愛機である暗緑色のスナイパー神機を構えたまま、顔と目線を傾かせ、エノハもまたその方向を見下ろす。

 

その蒼い瞳は既にその100m程の距離で群れをなすアラガミ―オウガテイルの一団を捉え、高台に陣取り、射程範囲内に侵入しながらも全く警戒を許していないという狙撃にはベストの状況を作り上げていた。

 

「よし・・。リグ?まず一番警戒をしていない最後尾の奴を仕留めろ。そして味方が仕留められた後一番気付くのが早かった奴があの群れのリーダー格、もしくは警戒役だ。そいつを次に仕留めればあの群れは混乱で壊乱する。その隙に残りを俺が仕留める」

 

「いや。アンタは黙って見てろよ。そういう任務なんじゃねぇの?今回は」

 

「・・狙撃だけじゃ一気にあそこに居る五頭すべて即仕留めるのは無理だ。確かに無警戒状態なら一発必中かも知れんが、警戒状態になったらそうもいかない。在る程度直撃の『芯をずらす』適応力、反応速度は在る連中だ。それに間隙無くオウガレベルのアラガミを一発必中で仕留める弾頭ならそれなりのオラクル消費があるだろ?連続で撃てても三発といったところか?」

 

「・・フーン。さすが。確かに的確な読みだわな。正確に言うと二発撃った後、次弾発射まで補充に三秒ほどかかる」

 

年相応な無鉄砲な幼さがあるリグだが任務中はある程度冷静な観点から分析する一面を持ち合わせている。

 

「・・二秒後に俺が出る。その更に二秒後に初弾を撃ってその後はさっき言った手筈通りにしてくれ。いいな?」

 

「・・やだね。もう一度言うぜ。黙って今は見ててくれよ。隊長さん」

 

「リグ・・聞き分けてくれ」

 

 

「・・言ったろ?俺達を今までの神機使いと一緒にすんなって―

 

 

 

 

さ?」

 

タァン!!

 

ビシュッ

 

 

その一言とほぼ同時に重厚な発砲音と真っ赤な風穴が一匹の100M先の最後尾のオウガの脳天に真っ赤な風穴を作っていた。痛みも何が起こったかも知覚する前に。

行動、選択肢を完全にリグの一撃はオウガから奪った。

 

「・・!リ・・」

 

タァン!!

 

リグの抗命をエノハが咎める暇も無くもう一発が発射され、初弾の発砲音で異常の欠片を僅かに知覚した一匹―現在群れの中での警戒役を務めていたオウガもリグの姿を目で捉える事も無く射抜かれる。傍目には同時に仕留められた様な光景。射抜かれた一匹目が最後にコアから伝達された「歩け」という電気信号を未だ忠実に実行している最中に起きた二つ目の惨劇であった。

 

さらにリグ側は追加攻撃の時間を得るが先程言った通り、ライフル弾は一旦打ち止めだ。もう一発撃つには数秒必要。オウガが混乱から立ち直り、こちらを視認して反撃体勢を整える事は可能な時間だ。

 

同時二発目の銃声と共にリグは狙撃地点から跳躍、宙を舞って

 

 

パチン

 

 

・・ズオッ!!

 

 

右手の指を弾き、解放。

 

高台からの跳躍、着地と同時、黄金に輝く物体が線を引いて高速で迫る光景に徐々に異常を察し、混乱、警戒態勢に入りつつあるオウガ達に再びの?を与える。

神機解放時の強い発光が丁度目くらましになった形だ。

 

未だ混乱するオウガの内一匹が収束した光の先で見た物は―

 

・・・・ッカアっ!!

 

喉元から痰を吐きだすような音を出して大口を開けた黒い巨大な顎であった。

 

 

―――・・・・!?捕食形態!?

 

 

流石のエノハも驚いた。当然だ。本来第一世代神機銃形態には捕食機能は付随されていない。しかし目の前の光景は認めざるを得ない。確かにリグの神機は捕食形態を成し、今―

 

パグン!!

 

・・・!!

 

オウガの上半身を呑みこんだ。オウガは悲鳴を上げる余裕すらない。

 

「・・そらっ!!!!!」

銜えたオウガの一匹を軽々と振りまわし、突然の強襲に呆気にとられていた更にもう一匹のオウガに投げつける。

 

・・・!!?

 

頭部の大半を喰いちぎられ血飛沫を巻き上げながら飛来する同胞の体が直撃し、四匹目のオウガは腹の中の空気が押しだされるような「グギャアっ」というか細い悲鳴を上げ、押しつぶされた。それに向かってリグは即銃口を向ける。

 

―・・充填完了。

 

タァンっ!!

 

数秒遅れの「久々」の重厚な発射音と同時、押し潰されたオウガは既に屍と化していた同胞と一緒に貫かれ、絶命する。ここで―

 

グ・・・オァアアアアアア!!!

 

同胞が一瞬にして四体屠られた惨劇を目の当たりにし、残った一頭がリグに襲いかかる。反撃どころか敵襲の自覚、知覚すら遅れていた彼らにようやくの反攻の光が差し込んだ瞬間であったが既に大半の仲間を喪い、半パニック状態の彼では旗色が悪すぎた。

リグの中でそれは「練り」終わっている。先程の一発でオラクルは使いきった。

しかし「代替」としては十分な物が装填されている。

 

パスっ!

 

リグは構えた銃口から先程より乾いた銃声と共に鋭い針の先端―オウガテイルの尾部から射出される針攻撃を象ったアラガミバレットを射出。それがオウガの胸部に勢いよく突き刺さり、衝撃でオウガは吹き飛ばされ―

 

ズドォっ!

 

背後の家屋に串刺し、張り付けにされ、悲痛な悲鳴を辺りに響かせた。しかし

 

グッ・・グルァっ!!!

 

胸部を貫かれ、ごぼごぼと口内から血が混じった泡を噴き出しながらもオウガはまだ生きていた。その光景を見ながらリグは薄ら笑いを浮かべつつ

 

「はっ。悪いな?早く楽にしてやりたいんだけどよ。弾切れでよ?」

 

そううそぶいた。

その態度は言葉は通じなくとも嘲笑や見下しである事をオウガは本能的に勘付き、「早く殺せ」と言わんばかりに壁に縫い付けられたまま喚き始める。

確かにアラガミバレットは後二発残されている。それを頭部に打ち込めばそれでオウガは確実に絶命する。しかし―リグは撃たない。

 

「あ!・・そうそう。『これ』があったな。丁度いい。隊長サマにお披露目しなきゃな」

そう言って銃口を気を取り直したようにリグはオウガに銃口を向ける。オウガは再び怒声をあげリグを威嚇する。

 

 

「お望み通り今送ってやる。ただし―・・・早くは死ねるが楽には死ねねぇぞ?」

 

 

途端、リグの神機が音を立て始める。先程の捕食形態時の様なみちみちと肉が捩れる様な生物的な音では無く―

 

ガコン・・

 

そんな機械的な音であった。

エノハには聞き慣れた音だ。なぜなら第二世代神機が行う変形である銃→剣、剣→銃への形態変化の際に伴う音はそれは酷似していた。

 

―しかし

 

結果は似て非なるものだった。

スナイパーの銃身の先端がぐるりと折れ曲がり、替わりに円柱状で、まるでチーズのように無数の穴が施された奇妙な物体がせり上がってきた。これは―

 

「・・ルール無用だな?」

 

エノハはその二つ目の信じられない光景に呆れて乾き、歪んだ笑いがでる。

今「変形」が完了。先程まで暗緑色のスナイパーライフルであったリグの神機は確実に今、

 

「・・お待たせ」

 

アサルト銃身に姿を変えていた。

 

 

・・・!!!

 

オウガは目を見開いた。

僅かながらも自分の生に対する執着を思い出す。それは詰まる所恐怖だ。

体をゆすり、突き刺さった針に抉られ体液が飛び散ろうとも必死でもがいた。

あがいた。

しかし・・

 

 

無意味だ。

 

 

 

ガガガガガガガガガガッ!!!!

 

 

 

「あっはっ!あっはははははははははっ!!!!!!!!!!」

 

 

 

リグの高笑いと共にオウガを縫い付けた壁に無数の穴が出来、同時に悲鳴と赤黒い体液を撒き散らしながら徐々に、ゆっくりとオウガの体は原形を無くしながら崩壊していく。

悲鳴が掻き消えた頃には家屋は倒壊、埃を巻き上げた見るも無残に穴だらけにされた壁の破片の周りには赤黒い体液とどこの部位なのか最早解らない程損壊した肉片が四散している。

 

 

「・・・。成程」

 

 

高台でその光景を見守っていたエノハがそう呟いたのを聞いたかのように得意げな顔でリグは遠目のエノハを見据える。顔についた血を拭いながらの獰猛な獣の表情であった。彼の神機は一見第一世代神機に見えて実は銃形態でありながら捕食が可能。そして二つの銃形態―スナイパー銃身、アサルト銃身の2タイプに変形可能な神機であった。

 

―・・確かに『違う』な。

 

神機も。

 

そして持ち主も。

 

節制、加減、抑制の利かない獣だ。

 

 

「どうよ?」

 

「!」

いつの間にかリグはエノハの目の前、狙撃地点の高台まで瞬時に舞い戻ってきていた。未だに健在な黄金のオーラを纏い、エノハを品定めするかのように横目で見据えながら歩き、エノハの背後に立つ。

 

「・・・いや本当に驚いた。まさか捕食形態だけでなく銃身タイプの変更すら可能とはね。怖れいった」

 

素直にそう言った。悉く予想の上を行った褒美としてエノハは心から賛辞を贈る他ない。そう言いながら微笑み、背後に立ったリグに振り返った時であった。

 

「・・まだ納得いかねぇな」

リグが不満そうに呟く。

 

「・・?」

 

「もう少し驚いてもらわないとな?」

 

「・・!」

 

 

ガコン・・

 

銃身がエノハの目の前に突きつけられる。

エノハは目の前の暗緑色の砲身が目の前で丸く、巨大に変形していく光景を間近で見た。

 

「・・六時の方向」

 

リグのその言葉と同時に背後を振り返ると跳躍し、エノハを狙う明らかに先程までの個体より巨大なオウガテイルの姿が

 

 

ボンっ!!

 

 

まるで空中で破裂したかのように爆散した。

血の雨の降りしきる中、エノハは開いた盾形態で己に降りかかる血の雨を防ぎながら自分の左頬にある発砲後の高熱化した砲身の熱をチリチリと感じつつ、耳元で響いた轟音によって一時的にバカになった耳を調節しながら慎重に言葉を発した。

 

「これは・・?見た事無い銃身だ」

 

「・・・神機ってのは日に日に進化してんだ。『レイス』の神機―ヴァリアントサイズを見たろ?今まで主流だったブレードタイプだけでなく各個人の適性、次々に進化、もしくは新種を発生させるアラガミに合わせて神機も種類、選択肢を増やしていく必要があった。それは当然刀身だけに限らない」

 

リグはそう言いながらゆっくりとエノハの肩口から銃身を下ろすとエノハの眼からも全体像がはっきりした。先程リグが換装したスナイパー銃身、アサルト銃身に比べると武骨でがっしりとした直方体の砲身。今まで主流の三銃身、やや細身のスナイプ、アサルトと大砲身のブラストの丁度中間点に入りそうな精悍な肉付きをした銃身であった。

 

「コイツは新しい銃身タイプ―『ショットガン』だ。以上。俺の神機はスナイパー銃身、アサルト銃身、そしてこの新銃身である『ショットガン』の三種類に加え、捕食形態にも換装できる特殊第三世代神機ってわけさ」

 

 

「だからリグ・・君の神機の名前は・・」

 

 

―『ケルベロス』なのか。

 

 

許可なく侵入しようとする者を襲い、焼き尽くす三つ首の地獄の番犬。その名を冠するに相応しい遠・中・そして近を兼ね備えた超攻撃的銃形態神機である。

 

「・・・」

 

エノハは無言で見据える。それを持つに相応し過ぎる攻撃性、才を持ち合わせた危う過ぎる目の前の少年の姿は一般の人間の基準で鑑みれば間違いなく

 

「化物」だ。

 

 

ただ無軌道に。刹那的に。己以外の者を拒絶し、破壊するだけの者。

そしてそれがいずれ自分をも壊し、滅ぼしてしまう両刃の剣である事を理解し切れていない。圧倒的な力を見せつけたリグに対してエノハに浮かんだ感情は「化物」などではなく、一人の少年の危うさを危惧し、フォローをしなければならないという「庇護」の感情であった。

 

そして。

 

即それを実行に移した。

 

 

「リグ。まず一つだけ言っておく」

 

「・・あ?」

 

「無線は常に携帯しておけ」

 

ザリッ!!

 

エノハが身を屈め、地に根を張る様な姿勢に臨戦態勢に入った事をリグに確信させる。

直前の無線でノエルから報告されていた敵影は「七体」。無線を聞いていないリグに解ろうはずも無い。

 

隊長エノハが部下リグを離れて監視していたのと同様、オウガもまた見ていた。じっと見ていた。「敵」の技量を。側近を含む部下六体のオウガを「費やし」て。

そしてようやく見つけたのだ。

自分の勝利に酔い、完全に慢心、油断していた「敵」の隙を。

 

チリッ

 

―・・・!?

 

リグの足元に予兆の「放電」が走る。この期に及んで慎重だ。姿を現すことなくリグを仕留めにかかる。奇襲、暗殺はリグ―つまり人間の専売特許ではない。

狙う者は同時狙われる者。狩る者は狩られる者。常に表裏一体である。

 

急に胸倉を掴まれたかと思うと一瞬にしてリグの視点はひっくり返って行った。ようやく目端で捉えたのは地から発せられる蒼い稲妻の様な閃光とエノハの後ろ姿であった。

 

 

クッ。クッ。クッ。クッ。

 

リグを爆心地から払いのけたエノハの眼球が忙しなく眼窩を縦横無尽に駆け巡る。目の前の地面から発せられた高圧電流の衝撃波、破片が舞い散る中で何の逡巡も無く。

そこには驕りも油断も慢心も無い。

 

同時無線が入る。ノエルだ。

 

『・・ようやく動体感知、熱源感知に引っかかりました。目標は高台の真下です!』

 

 

グオァアアアアアア!!!!

 

自分の居場所を特定された事を瞬時に確信した最後のオウガが跳躍し、姿を現す。先程の六体を遥かに凌ぐ巨体を持ったヴァジュラを定期的に捕食した結果進化したオウガテイル―ヴァジュラテイル。このオウガテイルの群れの主であった。

 

この個体をここまで巨大にさせたのはこの個体の純粋な力もさることながら味方を囮にして不意を突き、敵を仕留めるまで発達した悪知恵であろう。

 

しかし今日に関しては相手が悪すぎた。万策尽きた末の強硬手段は完全に裏目に出る。

 

 

ぐばっ!!!

 

・・・!!!

 

大口を開けた己を遥かに上回る巨大な黒い顎が目の前に展開し、戦慄を覚えた瞬間にヴァジュラテイルの視界は真っ黒に染まる。同時猛烈な遠心力が体にかかるのを体に感じたかと思うと気付けば遥か上空に巻き上げられている事を理解する。真っ逆さまの視線の先に黄金のオーラに包まれた人間が見えた。

そしてその人間の持つ己に喰い付いた顎が収縮していき、銀色に輝く巨大な砲身が明らかに自分に向けられている―それが最後に彼の眼に映った光景だった。

 

矢継ぎ早に三発の針が的確にヴァジュラテイルの急所を抉り、最後に巨大なホーミング弾頭が彼を空中で爆散させたのはその二秒後である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




読了お疲れさまでした。
前作バロンドールのオウガテイルさん・・・今作もお世話になります。


おまけ


「・・新手?」

『はい。『レイス』から先程報告があり、こっちもモニターで捕捉した所です。中型種二匹。種別は・・コンゴウ通常種と堕天種の各一匹だそうです』

「・・報告に無いな」

『ええ。欧州第二支部の報告では「討伐済み」と報告されている二匹ですからデータに無いのは当然です』

「でも実際は未だ我が物顔でこのへんをうろついていたと」

『・・そういう事です』

「・・やれやれ。戦果の過大、誇張報告か。意地を張る所と張らない所の分別はつけてほしいもんだね」

『僕達「ハイド」の特性、都合上必要以上の戦闘は避けたいところなんですが・・どうやらそうも言ってられません』

「聞こうか」

『今のエノハさんの位置から10キロ、この二匹の現在地から約7キロの地点にサテライト拠点建設予定地があり、現在着工中で幾人かの技師、土木関係者、地質調査学者、研究者が査察に訪れているらしいです。・・GEの護衛も無しに』

「・・ま。『存在しない』アラガミの為にGE(ひとで)は割かんわな」

『この二頭の速度、現在の進行速度、方向を考えると・・』

「了解。向かう。レイスとアナンに目標の進行方向を建設予定地から遠ざけるように誘導するように伝えてくれ。・・そうだな。このポイントまで誘導するように伝えてくれ。そこで落ち合おう」

『了解。・・確かに「ここ」なら第二支部の連中と鉢合わせの可能性は低いでしょう』

「頼む」

『了解です。エノハさん』

通信を切る。

「・・誘導なんか面倒なことせずさっさと潰せばいいだろーが。あの二人がコンゴウ二匹如きに後れを取らねぇよ」

リグが無線を終えたエノハに面倒くさそうに話しかける。

「出来るだけ人目につきにくい所で始末した方がいい。サテライト建設予定地点周辺は元々工場跡だから秘密裏に資源漁りに来る連中が多くてね。その連中に『居ないはずのアラガミ』を始末するヘンな部隊が目撃されたらちょっとした騒ぎになる。欧州第二支部のメンツもあるしな」

「・・メンドくせぇ」

「そう。面倒くさい。なんなら変わってくれるかい?」

「エンリョしときます」

そう言ってんべっと舌を出してリグは視線を逸らす。その仕草にエノハは微笑みこう言った。

「そう。それでいい。リグ」

「・・?」

「君はその力・・レア・・ママとレイスの為に存分に振るえ。今はそれで構わない。無軌道、無謀になりさえしなければ君の力は十二分に己の為だけでなく数多い他者の力になり、救い、守れる力だ」

そう言ってリグの元へエノハは歩いていき、「スモルト」の銃形態であるブラスト銃身をカチンとリグの手元の彼の神機―「ケルベロス」に当て、

「・・期待してるぜ」
そう言って背を向け歩き出す。

―・・やっぱ俺はアンタを好きになれねぇよ。

その後ろ姿に向け、リグは内心そう言い捨てた。その背中は無言で「それでも構わない」と言っていた。アラガミ相手の時とは違って全く以てスキだらけの背中だ。

生まれながらにGEであった自分とは異なり、この男は自分の意志でGEになったらしい。通常断れない召集を断る事さえ出来る権利を持った恵まれた家庭、環境に生まれながら、だ。リグに言わせれば正直正気の沙汰とは思えない。

彼の母親が最後に彼に言い捨てた言葉―「化物」は紛れもない真実だ。
所詮GEは「化物」。「人類の守護者」と銘打ってはいるが常人には理解不能の異能をもった連中だ。そんな存在に望んでなる様な奴は繰り返して言うがやはり正気の沙汰とは思えない。

この男もまた「化物」だ。ただしリグの思う「化物」とはまた違う「化物」だ。
生物的には同じでありながら対照的。理知的で冷静で人間的で穏やか。
同時に明らかに自分以上のGEの力―「化物」の力を持ち合わせた男の後ろ姿を飽きずにリグは眺めつづけた。



―いいぜ?

従ってやる。アンタに俺みたいな化物が扱えるならな。

どうぞ。

よろしく。

俺以上の―



「・・化物」



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第16話 クレイジーガール 上

最近どうにもシリアス路線なのでちょっと息抜きかつ早く出来上がったので投稿します。
短いですがよろしくお付き合いください。

7月4日20時ごろ追記修正

すみません。追記、加筆した文が投稿した際に何故か反映されておらずオマケ含めて一千文字ほど抜けていました。愚痴って申し訳ないですが…うわ~腹立つな~これ…。


エノハとリグは『レイス』とアナンとの合流ポイントである指定場所―旧産業廃棄物処理場に向かって市街外れの朽ち果てた道を走っていた。

 

前時代、アラガミ出現後の混乱、法治体制の崩壊による無法状態も相まってその場所は産業廃棄物はもちろん核廃棄物、医療廃棄物から家庭ごみなどなどバリエーション豊かなラインナップが所狭しと遺棄、投棄されていた。が…

 

正に「捨てる神あれば拾う神あり」。

 

自然現象では決して発生しないヤバメの代物の数々はアラガミ様にとって物珍しい珍味であったようだ。この「レストラン」に多くのアラガミが押し寄せ、それらはほぼ綺麗に撤去―捕食されている。皮肉な話だ。

 

しかしかつての危険廃棄物処理場+それを喰いに来るアラガミの溜まり場だ。好き好んで近づく連中などいるわけがない。秘密裏にアラガミを始末するにはうってつけの場所だ。

 

「…ノエル」

 

『はい』

 

「問題はなさそうか?」

 

『ええ特に。放射性物質の濃度、その他取り立てて害になる様な汚染物質等は検出されていません。先に現地に着いた『レイス』、アナン両名のバイタルも異常なし』

 

「了解!でも二人にはあんまり無理をさせない様にしてくれ。俺達が着くまで」

 

『…』

 

「…ノエル?」

 

『…大丈夫ですよ。多分』

 

「…そんなに強いのか?彼女達は」

 

『まぁ…「あれ」を「強い」と言っていいのかは僕には解りませんが…とりあえず見て頂ければわかると思います』

 

何とも言いづらそうにノエルはそう言った。急造のオペレーター役をはきはきと思いの外そつなくこなしてきたノエルにしては何とも要領を得ない歯切れの悪さであった。

 

「言ったろ。アイツラはそん所そこらのアラガミに後れを取る様な奴らじゃない」

 

エノハと並走しているリグが割り込むように会話に入る。エノハの言いつけ通り無線を取り付けたリグはインカムにこう語りかけた。

 

「ノエル!使ったなアイツ?「あれ」」

 

『…うん。やっぱり慣れないね「あれ」は』

 

「中型二体、コンゴウ種・・「アイツ」の能力にはうってつけだわな」

 

「…お兄さんを話に混ぜなさいキミタチ。年上をいぢめて楽しいかい?」

 

「…割と?」

 

「…」

 

リグが在る程度打ち解けた軽口を叩くようになってくれて嬉しい半面、早速「イヂリ」の対象になった複雑な感情がエノハを包む。

 

 

「…ん!」

 

リグが急に怪訝な声を出して立ち止まる。同時にエノハもリグからやや先行した地点でピタッと足を止め、振り返る。

 

「…リグ?」

 

「丁度いいや。『説明役』が来た。面倒くさいのであとはアイツからよろしく。隊長さん」

 

リグは前方のやや上を指差し、エノハがその方向を見ると軽快、俊敏な黒い影が街路樹と朽ち果てながらもデザイン性を残した街灯を交互に蹴って足を止めたエノハ、リグの前にふわりと舞い降りた。

 

「…お久しぶり。二人とも無事で何より」

 

目の前に現れたのは現在アナンと行動を共にしているはずの『レイス』であった。パタパタと身だしなみを整え、形式的な敬礼をする。カチャリと少女の華奢な背中に細身ながらも長大かつ禍々しい鎌形新神機―ヴァリアントサイズを楽々と掲げた少女は可憐な死神の様であった。

 

「レイス…?なんでここに」

口をパクパクさせながらエノハは呆気にとられてこう言った。

 

「こっちは状況が終了したから二人を迎えに来ただけだけど」

 

「もう仕留めたのか…!?」

 

「ううん。恐らくまだ。欧州第二支部の連中の追跡を振り切るだけあって中々二匹ともタフな個体だし。まだかかるかな」

 

「…どういうことだ。レイス。解る様に説明しろ」

エノハの口調が一気に冷えた。先程までのリグの戯れ程度なら受け流せるが流石にコレは洒落にならない。

 

エノハはリグを連れて彼女達と二手に分かれる前にアナンの神機の「異常性」を垣間見た。その「異常性」を踏まえるとこの場に『レイス』が居ること自体おかしいのだ。

 

普通に考えれば「ここに居てはならない」のだ。『レイス』は。

 

「…?え?」

『レイス』はほんの少しだけ気圧されるように表情を強張らせたが平静を保ち、冷静に考えを巡らせる。ちらりとリグを見る。リグは居心地悪そうにキャップ越しにカリカリ頭を掻く。

 

「…ひょっとしてリグ、ノエル・・あんた達まだエノハさんに説明してないの?」

 

「いや…まぁあれを説明しろって言われてもさぁ…」

 

『ゴメン・・『レイス』。それに…アナンの事だからさ?絶対「私の力私自らエノハさんに見せるまで黙っておいてね!先にネタばれしたらぶっ殺すからね!」とか言うに決まってるしさ…』

 

「はぁ…。納得できるだけに何も言えない。…とりあえずエノハさん落ち着いて。現地でちゃんと説明するからさ。私がここに来られた理由」

 

「…まぁレイスがそう言うんなら納得できる理由なんだろうな」

 

 

 

 

 

 

時間は遡る。

 

エノハがこの部隊―「ハイド」の部下である少年少女三人の神機を初披露目してもらった時の時間だ。その時やはりまず目に入ったのは『レイス』が持つ巨大な異形の神機であった。

 

「それが『ヴァリアントサイズ』か」

 

「そ。名前は『カリス』」

 

諸説あるが「鎌」というのは本来そもそも武器では無く、あくまで農作業用具である。それを殺しの道具として使うこと自体、用途としては錯誤もいい所なのだ。

しかしレイスの華奢な肩にかけた赤黒い刀身は禍々しい半月状の曲線を描き、その刃は触れるだけで命を「収穫」できそうな鈍い光を放っていた。まさしく伝記、宗教、創作物、ホラー映画の如くの「死神の鎌」だ。

 

「ホラ。カリス?エノハさんにご挨拶して」

 

「は~い」とでも言いたげに『レイス』の握った鎌型神機―カリス」は

 

「え?うわっ!?」

 

ぎゅるりと生物的な湿った音を立てて、エノハの眼前まで「延びてきた」。

 

ヴァリアントサイズの「ヴァリアント」―Variantは「変化、変容、変異」を表し、その名に恥じぬポテンシャルをこの神機は持つ。

通常状態が既に長めのリーチに加え、伸縮自在のこの新型神機は今までの神機に比べると圧倒的な攻撃範囲を持つ「咬刃形態」を展開でき、一定の距離から一方的に敵にスクラッチダメージを蓄積させる事が出来る。ただ展開時は長大故に遠心力が大きく、扱うGEの機動力は必然著しく落ち、懐に入られると長物特有の小回りの利かなさがネックという解りやすい弱点を持つ。取り回しの癖は中々に強い。

 

~~~♪~~~❤

 

「うん。エノハさんの事気に入ったみたい。良かったね」

 

「痛い痛い痛い。ちょっと先っぽ刺さってますって!!」

 

新型神機ヴァリアントサイズの「カリス」―ちょっと男好き。

カリスの過激なスキンシップの最中もリグの手元にある神機を見ながらエノハは

 

「リグ。君の神機は…スナイパー銃身か」

 

「ああ。名前は『ケルベロス』」

 

「…→(ぷいっ)」

 

―…それだけかよ!!こんちくしょ~~~後で見てろよコノヤロー…。

 

この時点、見た目だけではリグの神機はシンプルな「旧型世代銃神機」。特異性は解らない為、エノハの興味が見慣れない方に言ってしまうのは無理も無かった。

 

 

それほど。

 

新型神機ヴァリアントサイズを携えた『レイス』。

 

そして

 

アナンが持つ神機の見た目だけで解る特異性、異常性、奇天烈さのインパクトが強すぎた。

 

「で。・・アナン」

 

「は~い♪」

待ってましたと言いたげにアナンは手を上げた。まるで遠足に行く直前の児童がテンションを上げて教師の取る出席確認に対してとってもいいお返事をしているみたいに。

 

しかし。

 

目に見えて解る「忘れ物」はよくない。

 

しおりも持った。おやつも持った。水筒もった。ハンカチも持った。おべんと持った。遠足を心から楽しむ心も持った。完全無欠だ。

 

しかし時は2072年!彼女には足りない!!何か色んな物が!!

そしてそれは「いけませんね。こんな日に忘れ物をしちゃあ。仕方ない…先生の分を少し分けましょう…」というわけにもいかない!!

 

「アナン?」

 

「はい?」

 

「刀身は?」

 

「ありません」

 

「…銃身は?」

 

「ありません」

 

「…」

 

「エノハさん紹介します!私の神機。名前は『エロス』。世界で唯一の盾形態だけの神機だよ!!どう!?凄くない!!??凄い?凄いでしょ!?」

 

少し淡い乙女チックな白みがかったピンク色。丸みを帯びた野球のホームベースのような形状―

 

つまり…

 

その…

 

…ハート型だ。

 

 

そして何よりもその中心のデザインが何とも言えない。向かい合った男女が手を取り合い見つめ合っているという少女漫画的デザインだ。

 

コレはきつい!コレは相当きついぞ!!コレを向けられるアラガミも相当気の毒だ!!

 

「どう!?何か一言!エノハさん!?」

 

「…」

 

アナンの無茶ぶりに言葉が無い。浮かばない。リグ、『レイス』を見るが目を逸らされた。畜生。薄情な部下どもだ。

 

『エノハさん…お取り込み中のとこスイマセン…』

 

地獄で仏。無線からのノエルの声が突如響く。いいタイミングの助け船だ。

 

「はい。こちらエノハ…。どうしたぁノエル?」

しかし声に力がでない。やる気の減衰度が半端ない。

 

『オウガテイルの群れが分散しました。北北東と南南西に。どうしますか?』

 

「そうか…じゃあ仕方ないな。二手に分かれよう…では今聞かせて頂いた皆さんの神機の特性で割り振ると…」

 

「お~!いきなり私と行こっか!!エノハさん!!!」

 

「…レイス。アナンと一緒に行ってくれるか?」

 

「…了解」

 

「え~」

 

「リグ…俺と一緒に来い。まずはお前の力見せてくれ。『驚かせてやる』って言ってたろ?」

 

エノハは口では出来る限り尤もな事を言っているように見えるが、その表情は懇願していた。訴えていた。

 

―頼む。リグ。俺と一緒に来てくれよぉ…。友達だろぉ俺達ぃ。

 

と。

 

「…ああ。解ったよ」

 

―完全な消去法で選ばれた感が抜けねぇ…。

 

まぁ順当な割り当てではあった。

オールラウンダーのエノハ、銃形態のみのリグ。

 

近接型神機の『レイス』。そして盾形態のみのアナン。

 

…あくまで第2候補ではあるが。

 

理想は

 

オールラウンダーのエノハ、盾形態のみのアナン。

 

近接の『レイス』、銃形態のみのリグ。

 

この振り分けの方が両チーム近接、銃撃、防御のバランスがいい。しかしエノハのモチベーションはどうしても今はコレを避けたかった。

 

「んじゃあ私ら行くわ。ちょっ!アナン!いつまでも渋ってないで来る!」

 

「ぶ~っ」

 

アヒル口を尖らせながら渋るアナンを引きずる様に連れて行くレイスをエノハ、リグは見送り、一行は二手に分かれた。

 

これが今朝の出来事であった。

 

 

 

 

 

 




お疲れさまでした。

突貫工事です。+修正です…。一回目書いたものとは別物になっている気がするなぁ…。また見なおします。読了有難うございました!



おまけ

つまり。

アナンの神機は世界で唯一攻撃形態を持たない神機。攻撃し、傷つけ、相手の命をただ只管狩り続ける宿命を与えられた神機の中では異質と言える。
決して相手を傷つけることなく防御にだけ徹することのできる無抵抗主義を貫いた神機。平和的な神機だ。

ピンク色、ハート形、見つめあう男女のデザイン。そして愛の女神「エロス」の名。

まさしくラヴ&ピースを体現した様な神機。








…一見は。


しかしその実態は全く真逆の性質であった。
アナンの神機、そして彼女の「力」は。

争い、諍い、不和をすべて収縮した様な悪意の塊から生まれる産物。


「ふっ…くくっ…くふふっ…うふふふふふ……」




エノハ一行が到着。同時

「……!」

エノハは絶句した。リグ、『レイス』他二人は特段何も言わない。エノハが「こうなる」事を解っていたのだろう



「うふっ……あはっ!あははあはははははははっ!!!!」




何とも無邪気で心から愉快そうな声を上げ、ぱたぱたと足をばたつかせながら断崖絶壁に腰掛け、眼下に広がる光景をアナンは見下ろしていた。
赤毛の少女のその美しいエメラルドグリーンに映る眼下に広がる光景は


愛と平和には程遠い…地獄であった。



一面血の海に覆われ、小型のアラガミが最早原形を留めないくらい叩きつぶされた姿で横たわり、その屍を踏み荒らし、砕きながら中心で二つの存在が対峙していた。

それは欧州第二支部の追跡を振り切った件のコンゴウ二匹であった。

その二匹がまるで悪夢のようにお互いの体を噛み、殴り、へし折り、自分達が撒き散らした足元の血糊で滑り、血まみれ泥まみれになろうともお互いの体を破壊し合っているあまりに凄惨な光景であった。
その光景をまるで小さな子供がまるで初めての人形劇に目を輝かして喰い入るように見入っている姿のように曇りのない眼でアナンが見つめ、そして歓喜しているのだ。

「あはぁっ…あはあははははははははは!!」

全身を投げ出し両手を広げ、アナンは虚空を仰ぐ。視界には映らなくても彼女の耳、そして鼻を通して「視えて」くる。血が噴き出し、巻きあがる香りが。肉が裂け、骨が砕ける音が。堪え切れず腹を抱え、そして次に再び両手を拡げてバタバタ地を叩く。

彼女の右手元には彼女の神機―愛の女神の名を冠した「エロス」が転がっている。

神機の盾形態は装甲展開時以外


…「中心から真っ二つに割れて格納されている」。



つまり展開時は向かい合って手を握り合っていたエロスの男女の意匠は現在、中心から真っ二つに分かれ、向かい合う事も交わる事も無い。


これがアナンの血の力。その名も


「断絶」


オラクル細胞の同種同士、近縁同士の互いの攻撃識別信号を阻害し、破壊する力。


つまり協力し合い、共に歩んでいたはずの者同士を引き裂き、反目させ、最終的に衝突を扇動、扇情させる力だ。

生物は同種同士、近縁の者同士が反目、衝突、接触しあうのを出来るだけ避けるように遺伝子上インプットされている。
同族、同種殺し、家族殺し、共食いそして遺伝子的に欠損の生まれやすい近親相姦など種の保存に好ましくない物を無意識に出来るだけ避けるようにする傾向がある。

アラガミも同様だ。

しかしアナンの血の力はその壁を取り払う。

強固な岩の真ん中に僅かに出来たひび割れ、スキマ。そこにじっくりと水を流し込むように。ゆっくりと、しかし確実にひび割れを広げる。

気付けば結びあっていたものは表裏になり二度と交わらない。

現在の「エロス」のように。


愛憎は表裏一体。




「くふふっ・・あはっ!!!あはあはははははははははは!!!!!!」



アナンのその無邪気な笑い声は対峙し合ったコンゴウ二匹が自らの血の海に沈むまで続いた。



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第16話 クレイジーガール 下

今回もよろしくお願いいたします。

※前話の初投稿時「おまけ」に追記、投稿ミスが在り、加筆修正しています!よろしければ確認お願いします!申し訳ありません!


クラウディウス家が出資している児童養護施設―「マグノリア・コンパス」

 

そこに入所している子供達はアラガミ、またはそれに類する戦乱、混乱によって両親、保護者を失った孤児たちによって大部分が構成されている。

しかし、ごく一部にそれ以外の「何らかの事情」で親元を離れ、この施設で育った子供も中にはいる。

 

アナンは後者に入る。

 

彼女の実の両親は現在も健在であり、またその両親の社会的立場も比較的高く、何不自由なく育てられたこの時代には珍しい「持って生まれた」少女である。その点だけで言えば最もエノハの立場に近しいタイプである。自分の将来、生き方、方向性を自分で決める事の出来る選択肢が与えられていた少女だ。GEなんてものは速攻人生プランから外していい候補であろう。

 

しかし事実アナンは親元を離れ、今エノハと共に「ここ」に居る。GE部隊―それも公には存在しない部隊「ハイド」に籍を置き、この血なまぐさい戦場に立っている。この点もエノハとの類似点が強い。

が…現在最も近しい生い立ちを持っているはずのエノハには到底理解不能の光景、そして狂気を彼女は展開させている。…無邪気に笑い転げながら。

 

彼女のこの力、そしてこの狂気は彼女の生い立ちに由来する。

 

 

先述したとおりアナンの実家は欧州きっての名家で在り、その当主である父親の第一子としてアナンは生まれ、何不自由ない生活を送り、成長していた。

父親は厳格で有能なフェンリル傘下の製薬企業の役員であり、母親もまた美しい赤毛を持った生まれも育ちも確かな有力貴族の御令嬢であった。

さらにこの二人は貴族同士で在りがちな「提携」「打算」の類の為の政略結婚では無く、完全な恋愛によって結ばれた仲だ。

広大な海に二つに分かたれた元は一つであった対の貝殻が紆余曲折の果てに、再び引き寄せられてめぐり合ったかのように二人は出会って即意気投合、幸いにもお互いの立場も分相応の為、周りの反対も特に無し、交際から一年とたたず祝福の中、二人は結ばれた。

結婚後も変わらず非常に仲の良い誰もが羨むおしどり夫婦だった。それはアナンが生まれた後も続く。

 

アナンはそれが気に入らなかった。

 

別に父親、母親が目に見えて自分に対して愛情が無いわけではない。おまけに御家柄故に執事も付き人も自分に良くしてくれる。「愛」は確かに在った。それだけは確実。

それでも執事達のそれは「仕事」で在り、当然彼らにも家族が在る。恋人がいる。例えどれほど自分に忠実であろうとも所詮「一番」は自分自身では無い。そして当の父も母もお互いが「一番」だ。

自分はあくまで「二番」。まだ五歳にもなっていない時分にアナンはそれに気付いた。

 

何不自由のない生活、「二番目」の愛を注いでくれる親、執事達周りの人間。

 

…退屈だ。そして中途半端な「愛」だ。

 

そこで少女は感覚を鋭敏にしていく。彼女は探す。「自分と同じ境遇の人間」を。目を凝らしてじっと見ると…これがいるいる。

 

最初はアナン専属で祖父の代からアナンの家に奉公を続ける執事の娘―メイドの一人であった。幼少のころより父の身の周りの世話をして信頼を築いており、父親がアナンの母親と結婚した後も関係は変わることなく良好な主従関係であった。

その信頼からアナンが生まれてからは彼女の専属メイドに抜擢される。仕事の出来る有能なメイドであり、幼少のころより兄妹のように共に育ったアナンの父親に古くから主従以上の感情を持っていてもそれを押し殺し、アナンに愛情を注ぐことのできる強さを持った女だった。

 

次に時折家に遊びに来る父の友人だと言う若い青年実業家。

最初の頃は父のチェスの対戦相手として家に招かれ、その後もたびたび遊びに来ていたが、その目的が徐々に変わっていっているのをアナンはすぐ気付く。

 

―私は誤魔化されない。ふんふん成程。…母に会う為に来ているのか。この男は。

 

仕事のできる父と美しい母。

 

その二人の「一番」になれずとも構わない。例え振り向いてもらえなくともこっそりと傍に、傍らで眺めるだけで満たされているのか。このふたりは。

 

―…面白い。

 

その秘めた心をこの私が解放させてあげよう。鍵を閉じかけていた心を放ってあげよう。なに。簡単だ。子供ながらの無邪気な嘘、軽口をほんの少し囁けばいい。

「おしゃべりな女の子アナン」の話の中にほんの少し混ぜればいい。…こんな感じに。

 

パパは〇〇のこと昔大好きだって言ってたな~。…私も〇〇がお母さんだったらよかったな。

 

ママが言ってたよ。〇〇さんはとっても素敵だって。また遊びに来ないかな~だって。

 

例え嘘八百でノイズだらけの言葉であろうとも人はその中で自分にとって都合のいい音、言葉を選りわける力が在る。そしてそこに例えわずかであっても可能性を見出そうとする消しきれない自我、欲が在る。

 

 

―いや…だめだろう。

 

―…いやひょっとして。

 

 

…あの強固でうざったい両親の愛の牙城を突き崩すにはどうしたらいいのかなぁ?

 

幼いアナンはそんなことばかりを考えて、いつしか両親の愛情がこちらに向く事よりもそちらに興味の範疇をおいた。そしてそんな彼女が撒き続けた小さな種は徐々に芽吹いていった。

流石に長年父を見てきたメイドだけはある。一方で有能な父が一目置いた青年だけある。父にとっての自分、そして母によっての自分。メイドと青年は自分の魅力を自負している。

 

―私こそが。

 

―自分こそが。

 

「あの方に相応しい」

 

メイドは父に長年仕えた経験がある。

 

青年は父の持たない若さ。青さを持つ。

 

徐々に二人の行動はアナンの「こっそりチア」を受けてエスカレート。その二人がかけたモーションが両親の互いに知る所になるのは必然であった。

 

思いがけない両者の異常接近、モーションにアナンの両親もまたこう思う。

 

最初は―何かの気のせいだろう。程度の物。ほんの少しの小さなスキマ。しかしそれは徐々に変わっていく。

 

―…いやひょっとして。いやまさかアイツ(あの人)に限って。

 

先述したとおり人間には自分にとって都合のいい解釈で可能性を見出そうとするのとは逆に、自分にとって不都合なネガティブな解釈、可能性を己の中で消しきれない事がある。言葉で表すなら―「懸念、疑念」と言えるだろうか。

それは今まで完璧に噛み合っていた両親二人の中に溝を作り、相手に対する不信を生む。結果それは両親のお互いに見ない様にしていた、内心押し隠していたお互いに対する欠点、不満点を顕在化させる。元々これが存在しない完璧なペア、カップルなどまず存在しない。が、元よりお互いに「疑念や懸念」など浮かぶ間も無く、惹かれあうままに一緒になった二人に差し込んだ僅かなズレを修正する手筈を二人は知らない。ここまで来てしまえば後はなし崩しだ。坂道を転げ落ちるように互いの不満、疑念が噴出し、二人の間で見えないひずみが開いていくのに歯止めが利かなくなる。

 

アナンがもう手を下す必要はない。

 

―…後はお任せ。あの「四人」に。私はみてるだけ。「五人目」の私の存在を勘ぐられてはいけない。

子供らしく、女の子らしく小さな人形を抱いて脅え、おろおろしていればいい。

 

「喧嘩を止めて」と言えばいい。

 

泣き叫べばいい。

 

…ああ。なんて楽しいのだろう!

惹かれあい、繋がっていたものがゆっくり解けていくのは。そして最後には最早衝突、争いの火種しか残っておらずそれを思いのままぶつけあう光景は。

 

順風満帆で何不自由ない家庭に生まれたアナンは何のためらいも無く―

 

それを壊した。

 

目的は無い。

 

ただ過程を楽しむだけ。壊れていくものを眺め、楽しむだけ―

 

 

 

アナンの思い通り両親は程なく離婚。一家は瓦解。

 

そして当のアナンは両親のどちらにも引き取られることなく、マグノリア・コンパスへの入所を提案された。

元々有力貴族が自分の子供を厳しい環境に置きたいとか、人生経験とか貴族として生まれた子供が自分がどれほど恵まれ、逆に自分以外の大半の人間がこの時代どれほど悲惨な目に在っているかを理解させる為に自分の子供をマグノリア・コンパスに入所させることはままあった。

 

しかしアナン―彼女の場合は違う。

 

彼女は自他共に認める非の打ちどころのない両親から生まれた恵まれた子供―両親である二人の愛の結晶。…言い替えるとアクセサリーだった。両親二人の「完璧な人生の象徴」であった。

 

しかしその完璧な人生の象徴―アナンは自分達二人が離婚した結果―打って変わって二人の人生の「失敗、汚点の象徴」になったのである。

 

同時にアナンは幼かった。そしてまだまだ拙(つたな)かった。自分達の離婚、不和の引き金になったのが薄々自分の他でもない娘であった事を両親は勘付いていたのだ。

他でもない自分達の娘が常人には到底理解できない快楽癖を持ち合わせた「欠陥品」だと断じたのである。その点に関しては確かにこの二人はアナンの両親だ。似たものがある。

結果アナンの両親は色んな意味で不要に、邪魔になったアナンを捨てた。

 

アナンがマグノリア・コンパスに入所して以降も、二人は多忙を理由にアナンにどちらも顔を見せた事は一切ない。アナンもまた面会を望まなかった。

アナンにとっても両親は自分の幼さゆえの失敗を象徴する汚点であったのだ。少女は失敗から学ぶ。

 

―もっと上手くやらなきゃ。

 

その為には力が欲しい。それを存分に振るう場も。自分にとって最高の快楽を得るための立場、手段、力を手に入れ、またそれが許される「居場所」が必要になった。

 

そんな彼女の狂気が。

 

適合する事が発覚し、彼女の二つ返事の同意の下、投与された偏食因子―P-66偏食因子が彼女の意志、目的に従って変容、結果…この血の力は生まれた。

 

「断絶」

 

アナンは場を得た。そして水を得た。

 

選んだ居場所はこの時代で最も苛烈な衝突、軋轢、戦乱のまっただ中。人間とアラガミとの血で血を洗う決して交わることのない「断絶」の渦中。

 

彼女にとって悦楽の場であった。

 

 

そして時は2072年

 

欧州

 

旧産業廃棄物処理場跡―

 

「あはぁ……」

 

恍惚の表情で立ち上がりつつ、紅い髪を揺らして振り返る。血飛沫を間欠泉のように吹きあげ、背後で同時に事切れる二つの中型種に一瞥もくれず、途端不満そうにアヒル口を尖らせてこう言った。

 

 

「あ~あ。…壊れちゃった」

 

失望したような口調、爛々と輝いていたエメラルドの瞳の光が少し曇り、気だるげにじとりとその場に駆け付けた仲間三人の姿を見る。

「おかわり」をねだる少女のようにやや不満げな視線、焦点。

 

背後に広がる紅蓮の地獄のような光景とは対照的に彼女の右手に握られた盾のみの神機には血も一切付いていない。彼女自身も返り血を浴びていない。駆け付けた無言の三人に比べたら綺麗なまま。

 

自ら直接手を下さず、全く手を汚さずにこの場を、三人の眼下に拡がる光景を地獄に変えた少女―

 

二つに「割れた」ハート形の神機を携え、

そして「壊れた」常人には理解不能の狂気を持った生まれながらのクレイジーガール―

 

アナン。凱旋。

 

 

「……あはっ。みんなお疲れ様~~」

 

 

 

 

 

 

 

 




読了お疲れさまでした。



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第17話 生殺与奪 上

「~~~♪」

 

耳の下位までの髪を揺らしながら「赤毛のアナン」はとことこ駆け付けた三人の元へ鼻歌と共にリズムよく歩いてくる。先程までの凶暴なほどの無邪気さは形を潜めていた。

彼女はかつて仕出かした「失敗」の教訓上切り替えが早い。普段は掴み所のない天真爛漫さの中に押し隠した本性―無邪気かつ凶暴な嗜虐心を押しとどめる自制心を持つ。そこがアナンの恐ろしい所でもあるが。

 

「…。お疲れ様。アナン。成程。君の力はそんな感じか」

 

「そゆことです。びっくりした?驚いた?褒めて褒めて」

 

「うん。アナンちゃんすごいぞ~。えら~い」

 

「わは。力の籠もらない適当なお褒めの言葉サンクス!サー!!」

 

「…で。効果範囲はどれくらい?」

 

「そしてこの急速冷凍!!…そうだね~アラガミの種類とか個体によってまちまちだけど必須前提条件としては『私からも目標のアラガミからもお互いが視界に入っている距離』って感じかな」

 

「…」

―…。アナンの「干渉」をアラガミが認識できる距離、といったところか。

 

詰まる所「交戦状態時」限定ということだ。リグの敵に知覚される前の暗殺、奇襲向きの能力とは対照的である。

 

「近付けば近付くほど成功率は上がるよ~。まぁ一部の基本的に単独行動、群れずに一匹で行動するアラガミには使えないけど協力して狩りをする連中、乱戦の際は任しといて♪あ。縄張り争いしている最中のアラガミとかにも容赦なく私を放り込んでね?煽って煽って煽りまくって両者撤退なしの消耗戦、見事な殲滅戦にしてみせるよ~」

 

「…まぁ無理はしないでくれ。充分に驚かせてもらったから今度からはその力の発動の際は俺の許可をとること。君の力の特性上アラガミが複数いる事が前提だから危険な事は変わりない」

 

「は~い❤エノハさん私の事心配してくれてるんだ~やっさし~」

 

複数のアラガミは個別に分散させ、各個撃破が基本のGE戦闘に置いて嬉々として乱戦中に突っ込んでいくスタイルの彼女は相当に危なっかしい。

 

「ただでさえ君の神機は盾形態しかない。単独行動は絶対とらない事」

 

「了解しました~」

 

そのエノハの言葉の言外に「常にアナンから目を離すな」というメッセージを『レイス』、リグは受け取り、『レイス』はしっかりとエノハを見据え無言で「了解」。リグは面倒くさそうに「…了解」と頭を掻きながら言葉無く態度でそう意思表示する。

 

そう。

 

アナンに単独行動はさせてはいけない。エノハの予測は正しい。彼女は結果よりも過程を楽しむタイプだ。茶目っけや悪戯っけを失わない。それ故抜けた所が出来る。

 

…こんな風に。

 

 

『…エノハさん!!』

 

ノエルの緊急性に疑いの余地ない無線からの声にエノハは振り返る。崖下に広がるアラガミ達の血だまりの中、霧散していこうとしている彼らの亡骸の中の一つが明らかに消えていた。

 

―ぬかった…!!!

 

戦闘警戒を解いていたエノハは自分の不手際に唇をかむ。エノハは平静を装っていたがやはり目の当たりにしたアナンの能力と隠し持った狂気に対する動揺が少なからずあったようだ。

体液を滴り落としながら怒りの形相で自ら同胞を殺した直後のアラガミ―コンゴウ堕天種が四人の前に躍り出、空中で全身から真空のカマイタチを全方位に発散した。

 

ピィン!!

 

切り裂くような鋭く、高い風の音が辺りに響き渡り、その真空刃は周囲数十メートル範囲内の岩壁、木をズタズタに切り裂いていく。

 

 

「…!無事か!!…っ!?」

 

開いた盾形態で真空刃を防ぎ、その風圧を受けて射程外に逃れて着地したと同時、エノハはすぐに周囲を確認、同時に眉を歪めた。この状況に置いてコンゴウの奇襲の真空刃を咄嗟に防げない人間はただ一人。このメンツの中で唯一盾形態を持たない―

 

「ぐっ…」

 

リグだ。

 

「リグ!!」

 

「…大丈夫だよ」

 

真空刃によって切り刻まれた右足をだらりと垂らしながらリグは強がった。持ち前の瞬発力で真空刃の範囲外に逃れ、深刻なダメージは避けたものの、その際蹴り出したリグの瞬発力の要の右足が唯一範囲内にとどまっていたのだ。

 

「…アナン!」

 

真空刃の爆心地から何時の間にか一番遠い距離に居るノーダメージの『レイス』の咎める様な口調がアナンを射抜く。

 

「あっははゴメン。片方が堕天種ってこと忘れてた…。そりゃあ原種より強いよね…」

 

「相討ち」は実は「勝たせる事」、「負けさせる事」よりも難しい。基本は対峙した両者で勝ち残ったどちらかが直前の戦闘によって消耗した所を元気いっぱいの第三者が突くと言うのが常である。そこを「調節」して双方とも最悪でも戦闘不能の状態にするのがアナンの役目でも在るのだが…堕天種は現在瀕死の状態だが活動は可能―一番危険な手負いの獣状態。

 

「…アンタ後でお仕置きね」

 

「うぇ。で、でも『レイス』の能力まだエノハさんに見てもらって無かったじゃん!!だから丁度いいじゃん!!」

 

困った笑顔を無表情で冷静に怒る『レイス』に向けてそう言ったアナンに

 

ドゴン!!

 

「うひゃあっ!!」

 

怒り狂ったコンゴウの右拳がアナンの眼前の地面に突き刺さる。彼のターゲットは当然今までのヘイト値が積み重なったアナンだ。

 

「うぇ~ん助けてぇ!『レイス』ぅ!!」

 

「アンタが責任持って暫く相手なさい」

同僚。冷血。鎌を持った死神っぽい姿をした『レイス』の姿が今のアナンには限りなく本物に見えた。

 

「うう…わかったよう」

 

「アナン!!」

 

重傷を負ったリグを抱えながらエノハがアナンに声をかける。

 

「は、はい!?エノハさん!?」

 

―ひょっとして助けてくれるの!?さっすがたいちょ!

 

「そのお仕置き俺も後で参加で!」

 

「うぅ~~っこの世には神も仏もいねぇのかぁ~~~」

上司にも見捨てられる。

 

「アナン!!テメェ覚えてろよ。後でギッシギッシに泣かすからな!!」

 

手負いのリグも割り込む。中指を「〇U〇K!!」にしながら。

 

「ギッシギッシに泣かすなんてイヤ~ン❤リグのH❤」

 

なんだかんだ言いながらも相当アナンが楽しそうでリグはさらにイラつく。

 

「…ぎぬぬぬにぬい!!」

 

「…ドンマイ。リグ。これ以上言ってもあの子喜ぶだけだわ」

 

『レイス』が諦め顔でコンゴウを引き離したアナンを見送りつつ、リグに歩み寄る。

 

「はぁ…ま。仕方ない。…エノハさん?アナンの言うとおり丁度いい機会だから私の力今見せるね。リグ?傷見せて。今治したげるから」

 

「・・『治す』?君の『能力』はひょっとして治療系か!?助かった!!」

エノハも喜ぶ。癖とアクの強い能力の前二人と違ってようやくまともそうな能力が来て内心エノハは嬉しい。

 

―くぅ…普通の部下がこれほど嬉しいなんて。

 

しかし

 

「よかったな!リグ!?……!?」

 

「……」

 

リグが無言で小刻みに震えている。僅かだがカチカチと歯の奥が鳴っているのも傍に居るエノハには聞き取れた。

 

「どうした!?寒いのか!?しっかりしろ!リグ!!」

しかし、そんなエノハの励ましの声は今のリグには届いていなかった。

 

「レ、『レイス』…ほ、ホントにやるの?い、いいよ。ボ、ボキ(僕)には回復錠あるし、さ?」

 

リグがキャラ崩壊を起こすほど確実に脅えている。壊れている。そんなリグにいつもの冷静な口調で『レイス』は

 

「…大丈夫。痛くはしない…とは言い難いけどさ」

 

と、微妙な言い回しで返した途端

 

「うわぁあああ!!止めてくれ!!帰る!僕お家帰る!!」

 

「お、落ちつけ!リグ!!」

 

まるで予防接種直前の幼子のようにリグはジタバタともがく。

 

「う、動くなって!!足怪我してんだから!!お前!」

 

「離してくれよ!!」

 

「往生際が悪いよリグ…私の能力の紹介の為に犠牲になりなさい。…エノハさん?リグをしっかり抑えといて」

 

「…わ、わかった」

 

―ぎ、犠牲…!?

 

「離せぇ!くそ!力強い!!コイツ!!」

 

もがくリグをエノハが抑え、『レイス』がおもむろに患部であるリグの右足を見据えながら姿勢を落とす。彼女はじっとリグの患部を見る。真空刃による深い裂傷が無数に入り、赤黒い血液の下には一部うっすらと白い骨が見えるほどのズタズタの重傷だ。裂傷同士の間隔も狭く、密集している為縫合も難しい。「足」という機能としては最早死んでいる。食料品店の鮮肉コーナーに並んだ鳥モモ肉と大差ない。

 

そのリグの足を白い指先で抑えつつ『レイス』は

 

「・・『ここいら』が適当かな」

そう呟き―

 

 

 

…カプッ

 

 

 

 

噛みついた。

 

「―――!!????」

 

 

「――――!!!!!」

 

リグの声にならない叫び声が辺りに響く。

 

 

「エノハさ~ん!これが『レイス』の能力だよ!」

 

リグの足に噛みつき、口を塞がれて説明が出来ない『レイス』と説明どころではないリグ、リグの惨状を前にして耳を塞いでいるであろうインカム先のノエルの替わりにコンゴウと交戦中のアナンが片手間に説明をする。

 

「アナン!?レイスは今一体何をやってんだ!!??」

 

「見た目の通りだよ~?噛みつい…(ぎゃああああああああっいてぇええええ!!!←リグ)」

 

「ほ。とっ!(キンッ!ガイン!!ゴアアアアアっ!!←アナンがコンゴウの攻撃を防ぎ、コンゴウが怒り狂っている音)『レイス』はね?怪我をした所の部分の肉を食べる事によってその部分の体組織を『レイス』の体の中で再組成して患部に戻し、その部分を組み直…(うぎゃああ!!死ぬぅうううう!!!←リグ)」

 

「ととっ。ほい!ていっ!(キシャアッ!ガルルル!!←盾でコンゴウのオラクル刃を受け流し、反射させたのがコンゴウを直撃、コンゴウ更に怒り狂う)」

 

「おお…アナン…君の盾そんな使い方が在るのか」

 

「へへ~ん。凄いっしょ?私の能力はあくまで内包していた負の感情を少しずつ煽る程度の物だからさ?まず『切欠』が必要なんだ。『エロス』を使って相手の攻撃をはじいたり、受け流したりした攻撃を別のアラガミに視覚外からぶつけたりしていかにも『君を攻撃したのはあいつだよ!』っていう状況を作るの。そして少しずつ少しずつ注意を私自身から味方のアラガミに向けていくわけ」

 

「・・成程。疑心暗鬼を生むわけだ。(いてぇえええ。治った!治ったからもう!!『レイス』!!もうやめてくれ!!死ぬ!死ぬって!!)」

 

ガガッ

『…エノハさん…『レイス』の治療終わりまし…(うぎゃああ)…まだみたいですね…終わったら言ってください』

ブチっ

 

「…」

 

―ノエル…ひどい。

 

「ほい、ほいっ!!あ。話戻すね?『レイス』のその治療のいい所は回復錠と違って患者の負担が凄く少ない所!回復錠、解放状態による再生は体の自然治癒、自己再生能力をフル回転、爆発的な回復速度増加をさせて傷口をむりくり塞ぐわけだから当然体の負担は大きい。ただでさえ傷つき、消耗した体にその負担を強いるわけだからね。でも『レイス』の能力は患者自身の替わりに『レイス』が再組成の負担をする形になる。患者は再生のための体の負担無しに恩恵だけ受け取ることができるってわけ♪」

 

―成程…だが…

 

「『負担が少ない』?『恩恵だけ受け取る』?これが…!?」

 

「うぎゃああああああ!!うわ~ん!!痛い!痛いよ!!」

 

「あ~もううっさいなリグ!?男の子でしょ!?女の子が喋っている時は男の子は静かにするものよ!!」

 

ガガッ

『終わりました!?もう終わりましたよね!?(うわぁあああ)…』

ブチッ

 

キシャアっ!!グオアアアアアアアアッ!!!

 

「たぁっ!!とおっ!!」

 

キンっ!ガイン!!

 

「イタいよぉおおおおお!!!!!」

 

「カプッ…もぐもぐ…もくもく」

 

 

 

「…」

 

―なんてカオスかつシュールな光景だよ…。

 

先程までとまた違ったこの地獄絵図は『レイス』の治療が終了する一分間の間エノハの目の前で展開された。

 

 

 

 

一分後

 

「ぷっ…!よっし完了…」

 

口の中のリグの血液を吐きだし『レイス』はべっとりと付いた口の周りの血を拭う。先程まで『レイス』の銀髪に覆い隠されていたリグの患部がエノハの視界に映り、同時にエノハは驚愕で目を見開く。裂傷が所狭しと斑状に浮かんでいたリグの右足の傷が逆再生しているみたいに小さくなり、二秒後には跡形も無く消えた。

 

「すげぇ…」

エノハは心からの感嘆を隠す事が出来ない。

 

「回復錠を連続で服用したり、解放状態の回復力に任せてると時間が経つ毎にどんどん体に重しを足されていってる様な感覚…覚えあるでしょ?エノハさん?」

 

「…ああ。特に解放状態が切れた時の倦怠感はヤバイ。解放時に受けたダメージも夢から覚めたみたいに直撃してくる」

 

「私のこの血の力ならそれを最低限にする手助けができるよ。…どうやら物凄く痛いらしい所を我慢さえしてもらえばホラ…リグももう完治…」

 

「…完治はいいんですがどうやら気絶しているみたいなんですがね。レイスさん」

 

「…」

 

「…」

 

「ま。こういう事もあるよ」

 

「…(がび~ん)」

 

―意外と天然系か……!?

 

エノハはとりあえず彼女の世話になる様なケガは出来る限り負わない様にしようと決心した。

 

 

 

 

 




読了お疲れさまでした。

おまけ

「さて、と」

『レイス』はリグの治療を終え、「力」を使った事によってやや消耗した事を隠さない所作でゆっくりと立ち上がる。彼女が目を向けた視線の先にはアナンとコンゴウ堕天の攻防が続いていた。そこへ一歩踏み出すと同時

「…レイス。リグを頼む。後は俺が引き受けるから君も休んでろ」

エノハが『レイス』を制止しつつ肩をとる。

しかし

「そうしたいのは山々なんだけど…正直さっきアナンが言ったとおりホント『丁度いい』んだよね。だから私が行くよ。今日はそういう任務なんだから」

「…?君達の力を見せてもらう任務ってこと?それはもう達したからもういいと思うんだけど…」

「まだ…だよ?…ふふん」

そう言って初めて『レイス』がエノハにほほ笑みかけたと同時


「アナン!」

『レイス』がそう叫びながらエノハの制止を振り切って跳躍。向かう先は当然アナン、そして討伐対象のコンゴウ堕天だ。

「お。終わった?待ってましたぁ~!と、いうワケであとはシクヨロ~」

アナンも『レイス』に向かって飛び出す。背後には未だ健在のコンゴウ堕天が尚も追いすがり、視界の先ですれ違う少女二人を捉えつつ、近付いてくる側の少女―『レイス』に
目標を切り替え、襲いかかってきた。

「レイス!?くっ!」

追いすがろうとするエノハに

「ちょっと待ったぁ~~~~~」
と言いながらアナンが飛び込み、エノハの肩に両腕を回してぐるりと一回転しエノハの背後に立って楽しそうにエノハの重心を彼の背中側に傾かせ、走り寄るのを制止する。

「うわっと!!コラ!アナン!!」

「まーまーエノハさん?大人しく見てるの。私と一緒にね❤」
ゴロゴロと子猫のようにアナンはエノハの首周りに纏わりつく。

「見るって…何を!?」

「簡単だよ。『レイス』の力を見るの」

愉快そうに緩めたエメラルドの瞳でじとりと悪戯にエノハを横見し、次にエノハの肩に顎を乗せ、彼と同じ高さの目線にしてアナンは指差した。迫るコンゴウに一直線で接近していくレイスの後ろ姿を。

「能力を…?」

「そそそ。だって『レイス』は私達の中で唯一―




「…カリス。いくよ?」






―二つの血の力を持ったコだから」


完全な回復、治癒、命を繋ぎ、分け与える力。
そしてこれからエノハに見せるもう一つの力は―

完全なる『トドメ』専門。相手を「絶殺」する血の力。

傷ついたものを癒し生を与えながらも、一方で無慈悲に命を奪う真逆の性質の力を持つのがあの『レイス』という少女だ。

その力の名は現存、そして後々に現れる全ての血の力の中で唯一の四文字。「2×2」。



「生殺与奪」。











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第18話 生殺与奪 下

肉迫したコンゴウ堕天の何の捻りも無い近接攻撃が逆に『レイス』の装備したヴァリアントサイズの優位性を殺す。繰り出される拳撃は雑なドアスイングだが威力はGEすらもまともに喰らえば体構造を破壊され、戦闘続行困難な痛手を負う。

おまけに手負いでなりふり構わず攻撃する窮鼠―窮猿は目の前の黒一色に染まった黒猫っぽい少女に反撃の機会を与えない。

 

しかし少女は眼前を通過していく拳の切っ先と巨大ゆえに生じる風切り音と突風を受けて表情も変えず、オリーブ色の瞳を宿す眼球は的確な方向へ迷いなく動き、瞬きすらしない。同時獰猛で俊敏、剣呑なかつてのヤマネコのように痩身でしなやかな肢体を駆使、柔軟に翻してコンゴウに的を絞らせない。

 

…!!

 

ヒュウっ!

 

「…!」

 

痺れを切らし、コンゴウはもう一度背部器官を暴走させ、真空刃を周囲に発生させる予備動作、姿勢をとる。はっきり言って手負いの体に酷が過ぎる。自分の繰り出す技の反動で破裂しそうな上体を何とか維持し、コンゴウはとっておきを解放。

 

パァン!!

 

弾ける様な空気の音が再び発生し、真空刃がコンゴウの円周を薙ぎ払う。

 

「…」

 

そのコンゴウの渾身の一撃を無感動かつ無表情に眺め、『レイス』はバックステップ。しかし先程のリグと同様である。この攻撃はワンステップで範囲外に逃れられるほどその攻撃範囲は狭くない。コンゴウの捨て身の攻撃は功を奏すかと思われた。が。

 

周囲一帯を再び薙ぎ払い、土煙と周囲に在った木がズタズタにされた状態で舞い落ちる中、なんとか反動に耐えきった上体を起こしてコンゴウは見回す。

 

先日彼を急襲してきた欧州第二支部のGE二人をこの技で迎え撃った際は血の雨が彼に降り注いだが今回はその様子は無い。

しかし流石に即死はしていないだろうが目標は攻撃範囲内に確実に居たはずだ。浅からぬダメージは負ったはず―

 

――!?

 

コンゴウは驚愕に目を見開いた。

 

「……」

 

相も変わらず澄まし顔。纏わりつく砂塵を掃いながらコンゴウを見据え、地に突き刺さっていたサイズの先端を引き抜いて再び肩に負う。

全くの無傷、着衣にも破損は無い。当然だ。今彼女は完全にコンゴウの先程の攻撃範囲外で佇んでいるのだから。

 

 

「…さっきもレイスが無傷だったのはこういうことか」

 

「そゆことです」

 

困惑するコンゴウを尻目に一部始終を見ていたエノハ、アナンの二人がそう呟いた。

 

先程『レイス』はバックステップと同時、サイズの特殊咬刃形態を展開、コンゴウの方向から真逆の方向へ目一杯延ばした先で先端を地面に突き刺し、同時に咬刃形態を解除。自らの体を牽引、一気に範囲外に逃れたのである。

ここでエノハに疑問が生じた。

 

何故彼女は盾形態を使わないのか。その疑問に聡いアナンはすぐ気付き、彼が尋ねる前に口を開く。

 

「元々『レイス』の神機の『カリス』には盾も銃も無かったの。私らの神機と一緒で少々……いや、か~なりひねくれた機構の神機でさ」

 

「そうなのか?」

 

盾だけの神機が在るぐらいだ。エノハはもう何が来ても驚かない。人は馴れる物である。

 

「エノハさんがここに来る前にまぁ『ちょっとした事』があってね~?戦略上仕方なく『レイス』の神機に急遽急造の盾、バックラーと銃、アサルト銃身をママがつけることになったの」

 

「…。『ちょっとした事』って?」

 

「…ま。それは追々で」

 

「?」

 

「でも俗に言う「付け焼き刃」ってやつでね?性能はそっち方面に特化した私の盾『エロス』、リグの銃の『ケルベロス』に比べたら性能がま~るでオモチャ。モデルガンとマジチャカ位の差がある。だから『レイス』も実戦では盾形態、銃形態共にほぼ使わない。盾なし、銃なしの頃の戦い方があのコの性にもあってるんでしょ。だから―」

 

 

 

「…まだ…『もう少し』かな…」

 

『レイス』はそう呟いて神機を掲げ、腰だめの姿勢、細く長い脚をしっかりと地面に根を下ろす様に踏みしめ、柔軟な体をネジを巻くようにぎりぎりと限界までしならせる。

 

「―『削るよ』。カリス」

 

ぎゅるん。

 

同時再び『レイス』は咬刃形態を展開、円周一帯を薙ぐ。先程はコレを使って敵の攻撃の範囲外に逃れたということは即ち―現在の『レイス』の立ち位置はヴァリアントサイズの攻撃範囲内ということだ。

 

その長大な攻撃範囲はコンゴウの周囲攻撃を遥か凌ぐ。

 

…!!!!

 

赤黒く変色した巨大な鎌の切っ先が瞬時にコンゴウの目の前に達し、彼の脇腹を掠める。しかしその痛みに悶絶する暇も無い。直ぐに鋭い風切り音と共に鎌の返し手が襲ってくる。嫌になるほど執拗かつ陰湿な攻撃だ。

 

ぐ、グガッ!!

 

両腕で顔を覆い防御するが、元々満身創痍の体に更にじりじりとダメージが蓄積されていく。反撃の糸口がつかめない。彼にはこの新しい未知の神機に対抗する経験が圧倒的に足りず、攻撃手段がほぼ無い。故に今は亀のように耐え、彼を構成するオラクル細胞と共にそのダメージを記憶、学習する他ないが…『レイス』もそれは面白くない。当然勝負を決めに来た。

 

ザスっ

 

…!!!

 

弱点の頭部を覆っていたコンゴウの右腕に咬刃形態の鎌の先端が突き刺さっている。再三の攻撃によって外殻を削られた右腕は既に結合崩壊を起こし、剣戟の侵入を許すほどオラクル結合が劣化していた。それを楔に『レイス』は咬刃形態を解除。

解除と同時に元の大きさに戻ろうとするサイズに引かれ、『レイス』の体は一気に完全な防御姿勢のコンゴウに接近。

 

 

 

「…!」

 

「―ああいう風にヴァリアントサイズの特性を使って攻撃、接近、離脱、回避をほぼ一形態のみで賄う…アレが『レイス』の戦い方だよ」

 

 

 

 

 

「はっ!!」

 

ぐしゃあ!!

 

『レイス』は接近の勢いそのままにコンゴウの右腕に突き刺さったサイズの先端を長い脚で踏みつけ、更に刃を喰い込ませる。その形容しがたい激痛にコンゴウが泣き叫ぶ様な悲鳴を上げるがそれだけでは終わらない。

『レイス』は突き刺さった通常形態でも優に自分の身長以上の長さのある鎌に細いその肢体を絡みつかせ全体重をかけ―

 

ぐりん!

 

回転。コンゴウの右腕を軸に鎌の刃で自分の体ごと「周回」。コンゴウの右腕はぼとりと断裂。傷口から勢いよく噴き出したコンゴウの体液を浴びながら少女は尚も瞬きもしない。

 

どろり

 

深紅の体液を頭に浴び、銀髪が紅く染まり、顔の上部まで伝って来たそれによって視界が紅く染まろうとその美しいオリーブの瞳は閉じることなく獲物を、そして次の処断の為の自らの行動を見据えている。リグとは全く異質の容赦、加減の無さである。どちらかと言えばエノハに近い。

相手を殺すことへの疑問、戸惑い。あるいは嗜虐、快楽を差し挟むことなくただ敵を屠る為の行動を行える怜悧、冷徹、冷酷さだ。

 

 

その全てを切り裂くような彼女の渦に巻き込まれ、切り刻まれた満身創痍のコンゴウは最早自分の状態を気遣う必要など無くなった。ただ反射的に

 

ヒュウウウウウウッ!!!

 

再び空気を背部器官に今度は限界まで収束、圧縮、凝縮。己の今出来る最大の攻撃、最早「自爆」と言って差し支えない程の攻撃の予備動作をコンゴウは始める。

 

 

―……!!!

 

その凶兆は安全圏にいたエノハが念のため、気絶したリグを連れて更に距離を離そうと思えるほどのものであった。

 

が、後ろの〇〇〇爺の様にエノハにしがみつく赤毛少女は相も変わらず「だ~いじょうぶだって」とでも言いたげにずしりと居座っている。

同様にその二人に比べれば遥かに超危険地帯に居座る銀髪の少女―『レイス』もまた動かない。

 

ただそこで初めて少女は少し表情を崩した。少し憐れむような表情で在る。

 

 

―悪いね。

 

アンタの体は。

 

もう限界。

 

 

 

 

ぶしゃあっ!!!!

 

 

 

 

その現象は「ファンブル」と呼ばれている。

 

度重なる神機による攻撃を受け、オラクル細胞結合が弱まった瀕死かそれに近い状態のアラガミが現状の許容を超えた強力な攻撃をする際に自分の体に生じる反動で弾けるようにして破裂、体液を噴き出しながら崩れ落ちる現象だ。

 

GEにとって勝利を意識する瞬間とも言える現象だが逆に言えば自分の許容を超えた無茶な攻撃をしてくるほど我を失ったアラガミということだ。保身を考えていない手負いの獣―当然危険性は高い。実際この現象を目の当たりにして気が緩んで死亡するGEは多い。帰投間際に殉職、再起不能の大怪我を負うケースの発生の原因の一つとなっている。扱い方、受け取り方を間違えると非常に危険な現象だ。ここで緩むか、逆に引き締めるのかで生死をわける。

 

 

しかし、この部隊「ハイド」にとって、否『レイス』が居る「ハイド」にとってこの現象の捉え方は少々異なる。対峙したアラガミがこの現象を起こした「瞬間」―勝利が確定する。

 

それが『レイス』の血の力―「生殺与奪」のもう一つの力が「トドメ専門」と呼ばれる所以。

 

 

―…発動。

 

 

目の前でトマトが握りつぶされたように体のあちこちから体液をぶちまけるコンゴウの体から力が抜け、力無く頭を垂れる。直前に放った最後の渾身の攻撃が失敗した反動のせいだろう。しかし。それだけではない。

 

無駄になったエネルギー以上の物が自分の体から尚も過剰に失われていく感覚がコンゴウを包み、その違和感を探る為にコンゴウは顔を上げ、同時にその光景に息を呑んだ。

 

―…!!???

 

 

ズズズッ…

 

結合が緩み、霧散した自らのオラクル細胞が吸い取られていく。目の前の少女が掲げた神機―カリスによって。

そしてその赤黒い刀身が更に禍々しく色づき、光り、巨大になっていく光景であった。

 

 

 

 

『レイス』の神機―カリスには大好物が在る。

後天的に生まれた「男好き」を遥かに上回る根源的欲求が。アラガミが死に瀕した直前に漏れだす限界まで結合の弱まったオラクル細胞群。即ちそれは叩いて、捻って、潰した新鮮なミンチ肉だ。それは時に手を加えないそのままの素材よりも味わい深いことがある。それを食す事が「カリス」にとって最高の高次欲求である。

そしてそもそも食事と言う行為は食事によって手に入れたエネルギーを何らかの形で己の生存行動に反映させる為の前戯、儀式の様なもの。

 

それを同時に成立させるのがこの「カリス」という神機だ。「食事」という行為。そしてその行為によって得たものを即「行動」に反映させる。

 

その「行動」とは言うまでも無く「絶殺」。最高の食事をさせてくれた「食材」に感謝の意を込めて―

 

 

皆殺しにするのだ。

 

 

 

『レイス』の「生殺与奪」のもう一つの力は神機と主一体の刑の執行。死期の近い存在を「迎え」に来たまさに死神の如くの能力である。

 

 

断頭台に立っている満身創痍のコンゴウに最早抵抗の術は無い。

咬刃形態を遥か凌ぐ巨大さ、太さ、そして禍々しさを持った神機「カリス」の一閃には。

 

音が無い。

 

何の抵抗も無く、物質を透過―両断するからだ。オラクル細胞とて例外ではない。

 

振り抜かれた一閃はコンゴウの頭部。そして前方五十メートル、前方45度の扇形の範囲を鮮やかに真一文字に切り取った。

 

 

 

 

「…」

 

刀身に纏った赤黒いオーラを霧散化させ、通常形態に戻った神機―カリスを片手で軽々と円を描いて回し、肩に負う。

 

細く、長い手足と華奢な肩幅を持つまだ十代半ばすぎの少女らしい後ろ姿だ。

 

しかしその圧倒的な自分の力の。…暴力の象徴である眼前のまるで風景画を鋏で何の感慨もなく四角四面に切り取ったような光景に彼女は何を思っているのだろうか。

 

切り取られたキャンバスの前で唯一残った黒の少女は無言のままゆっくりと振り返り、美しい銀髪に纏わりついた紅い血液を目を閉じながら軽く頭を振って払う。

ぱさりと乱れた前髪が薄く開いたオリーブ色の目に覆いかぶさる。そこにわずかな憂いと陰りを感じさせる。が、次の瞬間いつも通りしっかりとエノハ達を見据えると同時の美しくアクの無い端正な顔立ちの少女は―

 

 

 

相も変わらず。

 

 

 

表情に乏しい。

 

 

 

 

 

 

 




読了お疲れさまでした。

最近ネタ探しにGEの関連サイトを色々見ていた所、GE2のメインキャラで在る「ナナ」の代名詞「おでんパン」を何故か「お〇ん〇ン」と伏字にしているのを見つけ、「なんでわざわざ…?」と訝しげに思ったが意味に気付いた時、考えた奴の才能に嫉妬した。
これだとGE2公式サイトのナナのキャラクター紹介ページのセリフが偉い事になる。

「緊急事態!私のおでんパンがどっかいった!!」

「緊急事態!私のお〇ん〇ンがどっかいった!!」
になる。

…そりゃ緊急事態だわ。





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第19話 メッセンジャー 上

今回もよろしくお願いします。

意外な原作サブキャラが登場します。需要がゼロに近いキャラだがそこがイイ。

よろしければお付き合いを。


見惚れた。

 

そのあまりにも鮮やか過ぎる手付きに。

とても半月以上神機にまともに触れる事のなかった、出来なかった整備士の手腕とは思えない。その光景を見守っていた人達、そして周りに居る整備士も声が出ない。

 

熟練の整備士。その中でも「彼女」がさらに抜きん出て秀でた整備士である事に疑いの余地は無かった。

まるでピアノでも奏でるみたいに手元に在る神機を解体、調律し、「その」神機を穏やかな眠りにつかせた。最後に彼女が心から愛おしそうな顔で

 

「…おかえり」

 

と呟いた顔を僕は忘れる事が出来ない。

あまりに鮮やかな手際の余韻だけをその光景を見ていた全員に残し、手渡された紅い腕輪を持って友人らしき女性の肩を借りながら彼女はその場を後にした。

そうでもしないと真っ直ぐも歩けない程視界が、そして心が、世界が歪んでいたんだろう。

 

その背中を見送りながら僕の心はかきむしられる。自責の念に苛まれる。

 

―ごめんなさい。

 

そう彼女に告げたくなる。

 

今彼女をここまで追い込んだのは。

 

そして彼女から「あの人」を引き離してしまったのは他でもない。

…僕のせいなのだから。

 

―楠 リッカさん。

 

本当にごめんなさい。

 

 

 

 

 

 

「…オン君…レオン君?」

 

「…?」

 

「大丈夫かい?」

 

「…レオ…ン…?…はっ!?」

 

「おかしな子だなぁ。君は『レオン』君だろう?」

 

そう言ってレオン―僕ノエルの現在の偽名で在る名を呼び、人懐っこそうな垂れ目を緩ませ、微笑みかける男の人に背筋を伸ばして挨拶する。

 

「す、すすすいません。ちょっとぼ~っとしてて!」

 

―いけない!今僕は「ノエル」じゃ無く「レオン」なんだ…集中、集中。

 

僕の内心のそんな焦りを目の前の男の人は和らげるように微笑む。面倒見のいい人なのだろう。休憩ブースのベンチで座り込み、視線を床に落として暗い表情をしていた僕を心から気遣ってくれて明るい声をかけてくれたのだ。

 

「くすくす…まぁ目の前であれだけの物を見させてもらえたらそりゃあぼ~っとしたくなる気持ち解ります。はぁ~自分の未熟さを思い知らされる。精進せねば!って感じでしたよねぇ」

 

「真壁さんも…ですか」

 

「『テルオミ』でいいですよ。レオン君?良ければちょっとご一緒にお話しませんか?同じ研修仲間の整備士として」

 

柔和な笑みと年下であろう僕にも敬意を込めた口調に緊張が和らぎ、僕は素直に頷いた。

 

「よかった。ここじゃなんですからカフェテラスにでも移動しましょう」

 

「解りました。テルオミさん」

 

 

 

『ハイド』専属整備士ノエル。

 

フェンリル極東支部―通称アナグラに整備士としての研修。同時

 

…極秘任務中。

 

 

極東支部―カフェテラス

 

 

「整備士としてのインターン、座学と色々こなして整備士として自分なりに実力をつけた自負は在ったのですが…思いあがりでしたね。あれほどの技術を見せられては。流石は激戦地の極東を最前線で支えられている方なだけあります」

 

「…全くだ」

カフェテラスの座椅子が窮屈に思えるほど大きく、浅黒い肌に屈強な体格をした男の人が太い腕を組みながらうんうんと頷き、テルオミさんの意見に同調する。

この人はダミアン・ロドリゴさん。

この人も僕と一緒にこの極東支部に整備士としての研修という形でこの極東を訪れている。歳は38歳と一回り以上年上の人だけど気さくで陽気、同時に落ち着いた大人の方非常に話しやすい雰囲気を作ってくれた。

 

「正直言うと俺も女が主任整備士をしているという点、おまけに現在休職中って話を聞いてどこか懐疑的な所があったのだが…」

 

「はい。僕も今回の研修では恐らく直接ご指導を頂けない事を残念に思う反面、ダミアンさんと同じような考えをどこかに持っていたと思います。でも今では二人してコテンパン…お互い未熟者ですねぇ…あははは」

 

「ははは。いや全くだ」

 

人懐っこそうな笑顔を限界まで歪めて自省するテルオミさんに向かってダミアンさんも同調するように頷きながら笑った。二人とも自分の技術、知識、積み重ねた今までの研鑽に自信、自負もある故に同時にそれでも足りぬ己の未熟さに苦笑いしている。

 

「この年齢になっても学ぶことはまだまだあると学んだ。それだけでもこの支部に研修に来た甲斐が在る!滞在中出来る限りの知識、技術を吸収!勉強させてもらうぜ!!…暑苦しいオッサンですまないがよろしく頼むな?テルオミ!レオン!!」

 

がっしりと屈強な右腕の拳を一回り以上年下である二人に向け、ダミアンさんは豪快に笑う。

 

「はい!よろしくお願いします」

 

その浅黒く、頑丈そうな拳にテルオミさんも拳をつけ、

 

「こちらこそお願いします」

 

僕もそれに続く。

歳も育った国も環境もキャリアも全く違う僕達だけど神機整備士として、そして今日垣間見た世界最高峰の技術に対する心からの賛辞、憧れ、そして己の未熟さを痛感した事を共有した時点で僕らにはどこか通じ合うものがあった。

 

そして僕は。

 

ダミアンさんの右手首についている「在る物」をじっと見る。

 

「…」

 

「…ん?どうしたレオン?」

 

ダミアンさんも気付く。

 

「あ。いえ。何でも」

 

「…これか?」

 

ダミアンさんは大人の態度で自分の右腕に着いたそれを僕に見せる。自慢げでは無い。しかし―誇らしげだ。

 

「…」

 

「…俺の勲章だ」

 

ダミアンさんは元ゴッドイーターだ。

 

彼の黒く太い右手首には封印処理を施された腕輪が今でもつけられている。この人は現在は整備士見習い、元ゴッドイーターという経歴を持っている。

退役した今も若手GE育成に励むと同時、年々変化、多様化する神機に合わせ複雑化する戦略に自らの指導に錯誤が出ない様に最近整備部に配属を希望した熱心な勉強家なのだ。GEという過酷な仕事を務めあげ、今も尚後進の為に出来る事を模索し考え続けている。

 

「ここに居る支部の連中に比べれば大した戦績も上げていないがそれでもコレは俺の誇りだ」

 

「…そうですか」

 

―…。

 

「…?」

 

黙り込んだ僕をダミアンさんはほんの少し怪訝そうに見る。

 

「…ダミアンさん?」

 

「!何だテルオミ?」

 

「お聞きしたい事があります。とても大事な話です」

 

「…なんだろうか」

 

「あ。僕席外しましょうか…?」

 

「いいやレオン君…君も無関係じゃない話だ。君にもお聞きしたい事なんです」

 

いきなりテルオミさんがいつもの飄々とした態度から一変し、真剣極まりない顔だ。

ヤバイ。僕何か勘付かれただろうか。

 

「確かダミアンさんのGEとしての着任期間は2059年から2067年でしたよね…?しかし実は適性が判明し、適合神機が見つかるまで約五年の間神機の輸送班、部品調達、資材回収班に配属されていた為、正式なフェンリル入隊は2054年ですね?」

 

「…よく知っているな。相違ないぜ」

 

「これからご一緒に仕事をする方の経歴ぐらい知っておくのは当然です。一応研修生の中では及ばずながら代表の立場ですから」

 

どくん。

 

まずい。僕の偽の経歴に何か不備が在ったのかも。もしそれをここで言及されたら…僕はヤバイ。誤魔化しきれる自信が無いぞ。

 

「…では本題に入ります」

 

「…」

 

「…ごくっ」

 

動揺と緊張を抑えきれない。ダミアンさんも真剣な表情だ。

ああ。僕は「また」何か失敗したのかな?

 

 

ドンっ!!

 

テーブルの上に重々しい音が響き、僕は体が思わずびくつき、目を閉じる。

しばしの沈黙が訪れた。

 

「…?」

ゆっくりと目を開ける。すると視界が開ける前に声が響いた。ダミアンさんの声であった。

 

「何だこれは?」

 

 

「真壁テルオミ監修!「2050年代の愛しきレトロタイプの神機カタログ」です!!!さぁ穴が出来、血が出るまで語って頂きますよ!!ダミアンさん!!未成熟でまだまだ発展途上の青い果実達をナマかつリアルタイムで関わった方のお話!!あぁ~~~っ!極東に配属されてよかったぁ~~❤」

 

 

「…」

 

「…」

 

パララパ~~

 

…女の人に不自由しない男の人ってこうなるのだろうか。

 

 

―しかし

 

 

便乗せざるを得ない!!

 

 

「いいだろう!!語ってやるぞ!!さぁ何が聞きたいんだ!?」

 

「そうこなくては!!ダミアンさん!!ではまずは2050年代後期の現在廃番のこのシリーズの神機について聞かせてください!!」

 

「おお。目の付けどころがいいな!初めてシユウ種のコアを採用して当時数を増やしていたヴァジュラ種討伐に戦果をあげた神機だな!?」

 

「はい!このシリーズを先駆に神機のフォルムは劇的に進化を遂げた…。コレを雛型に今の神機の洗練された数々の魅惑の『ナぁイスばでぃ~』が生まれたのです。…その中で『彼女達』は歴史の陰にひっそり埋もれた悲しくも美しい傑作シリーズなんです!!ああ~この事を共に語り合える人がいるなんて、なんて僕は幸せなんだ!!」

 

「テルオミさん!!2060年代カタログはありますか!?」

 

どんっ!

 

「きゃ~っ!!厚さが2050年代の倍はあるわ~~」

 

「…当然だよレオン君?この頃からハンマー、チャージスピアの開発が始まり、既製の神機達もより一層のマイナーチェンジを余儀なくされた過渡期の神機達だ!!数も爆発的に増えた上に「とあるつて」でお蔵入りになった神機の設計図まで極秘に入手してあるんだから当然こうなりますよ!!」

 

「うわぁあああ!?各支部最重要機密事項である新型神機のプロトタイプの設計図なんて!?テルオミさん!?よく今生きてますね!?」

 

「ふふふ…何度怖そうな黒服のオジサン達に尾行されたか知れないですよ。部屋に帰宅したら家具の配置が変わってるなんて日常茶飯事でした…。でもね!?僕はやった!やりましたよ!!愛する神機達の為ならば…」

 

「その咎僕達も共に背負います!!」

 

「有難うございます!!僕はいい同僚を持てて幸せです!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…」

 

そんな三人の光景をじっと一人遠目で無言で見つめている少女がいた。

 

「はいヒバリちゃん。二人分のおべんと」

 

「…。あ。有難うございます。おばさん」

 

少女―ヒバリはラウンジの給仕係がテイクアウトの為に包んでくれた弁当袋を礼を言いながら受け取る。受け取ったヒバリの掌には温かい感触。ビニールの袋の隙間から僅かに香る匂いもいい。

食材が量も種類も限られているこのご時世の中で最大限の工夫をし、出来る限り美味しい食事をアナグラ職員達に提供してくれるのがこの女性だ。「おふくろ」の味には定評がある。

 

彼女自身に子供はいないが七歳になる姪がいるらしい。最近その子に料理を教えてくれと散々せがまれ、基本に立ち返って教えた結果、彼女はさらに料理の腕を上げた。

 

「で。何だいあの子達は?騒がしいね。それに見ない顔だ」

 

給仕係の女性はカウンターで頬杖をつきながら呆れたように三人を眺める。ヒバリは苦笑しながら

 

「先日アナグラに派遣された整備士の候補生の方々ですよ。あの様子を見ると早速意気投合しているみたいですね。同じ職業を志す者同士通じ合う物が在ったのでしょうか」

 

「ふ~~ん。年齢、国籍、肌の色もバッラバラ…だけど中々いい光景だね。少々うるさくてかなんけど」

 

「ええそうですね」

 

「…あの三人見ていると思いだすね」

 

「…」

 

「…どうだいリッカちゃんの様子は」

 

「…一時期より随分と落ち着いてきました。今は戻ってきたエノハさんの腕輪を抱いて眠っています。起きたら食事を摂ってくれるといいのですが。さっきの神機の整備で相当疲れたでしょうし…」

 

「いたたまれないねぇ」

 

「…ええ。自分の不甲斐なさ、無力さを思い知るばかりです」

 

「アンタも根詰め過ぎるんじゃないよ。リッカちゃんと同様におばちゃんアンタも心配なんだから」

 

「…はい」

 

その三人の姿はヒバリと給仕係の女性に思い出させる。

向かい合い、夢中で語り合うリッカとエノハ。かつての二人の姿を。

このラウンジは後日―大幅な改装と拡張工事が決定されている。この場所で当り前だったあの二人の光景を見る事はもう

 

―ない。

 

 




読了お疲れさまでした。

先日今更ですが時間がかちあったのでGEのアニメを見ました。第三話でした。

…おお。思ったより「戦い」してる。ただ主人公の神機のデザインはどうにかならんものか。あの配色とオモチャみたいな見た目は一体…?

ウロヴォロスが飛んでて、それをおびき寄せる為にヘリを自動操縦に変えてデコイにする、とか中々面白い。全然原作より面白い様な気がします。
んでウロヴォロスさ~ん。飛べるんですか貴方~?早く言って下さいよ。羽アリとかの昆虫の習性絡めたネタとか凄い出来そうなのに…。


おまけ


熱い神機話を気が済むまで語り合い、僕ら三人はその日を終えました。
自分に託された極秘任務を忘れてしまうぐらい楽しく、そして世界最高峰の整備技術を魅せつけられた初日を終え、僕はダミアンさんに送られながら自分にあてがわれた部屋に戻りました。

「じゃあ。また明日な。レオン?今日は楽しかったぜ」

「こちらこそですダミアンさん。明日からまたよろしくお願いします!」

おう、と陽気な声と笑顔で踵を返し、のっしのっしと大きな背中を揺らしてダミアンさんが帰っていく姿を僕は見守っていました。するとダミアンさんはその視線に気づいたらしく、振り返り

「……?レオン」

「は、はい?」

「お前何か他に俺に聞きたい事でもあるんじゃないのか?」

「え、いえ、その…」

「…こいつのことだろう?」

ダミアンさんは太い右腕に巻かれた紅い腕輪を掲げ、優しい目をして僕に語りかける。

「俺ははっきり言ってGEとしては大したことは無かった。だからお前の質問や聞きたい事にはっきりと応えてやれるかどうかは解らん。しかし伊達に年季はくってない自負はあるぜ」

「じゃあ一つ…非礼を承知でお聞きしていいですか?」

「おう何でも聞け」

「なんでGEとして働けなくなってもGEと関わろうとするんですか…?」

「…」

「元GEで在籍期間満了となればフェンリルの年金、公共サービス、あらゆる面で優遇措置は強いはず。ただでさえダミアンさんは僕達の時代と比べてずっと犠牲の多い時代を生き抜いてきた方です。余程の苦労、苦悩があったはずなのに…なのにそれから解放され、比較的安全な場所でゆっくりと次の人生を考える事が出来るのになぜ…また一からわざわざ戦いの最前線へ出ようと思ったんですか?」


「…ああ。そんなことか」

「いや、そんなことって」

「シンプルだぞ。そんなにふけ込むほど俺は歳くってねぇ。まだまだ知りたい事やりたい事はあるんだよ。それに」

「…それに?」

「お前らみたいないい若い奴がいるからな。整備士にもGEにも当然、他にもいろんな奴がいる。人生は人との出会いこそ最大の宝。全てを賭けて会いに行くに値する奴等がまだまだこの世にはたくさんいる確信が俺にはある。そんな奴等が俺の知らない所で苦しんでたり、もしくは死にかけてたりしたら嫌だろう?そんな奴等と出逢う為、助けになる為にこのデカイ体と空っぽの頭、重ねた年季と経験があると俺は思って俺はひたすら動くのさ。守りに入るにゃまだまだ早いぜ」

ダミアンさんは一切淀むことなく豪快にそう言いきり、

「答えになったかは解らねぇがまた聞きたい事があったら遠慮なく言え。…レオン。どうやらお前結構な秘密主義みたいだしな」

「…」
―バレてら。流石年の功。

「伊達に歳は食ってねぇぜ。それじゃお休み。レオン」

いきなり最初に全部聞こうとせず、しかし「いずれは全て吐いてもらうぜ」的なニュアンスを残してダミアンさんは去って行きました。

すいません。ダミアンさん。その願いはかなえてあげられそうにありません。

僕は。

この「レオン」という少年は。

この「研修」を終え、欧州イタリア支部に正式に配属、移送中にアラガミに襲われ、死亡する―そういう筋書きになっています。

だから僕の秘密を貴方に打ち明ける事は決してないでしょう。


僕が元々。

貴方と同じ。



…ゴッドイーターであった事を。




















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第20話 メッセンジャー 中

今回もよろしくお願いします。



ノエル

 

座学成績 2・61(5点満点中)

 

運動能力 2・43

 

性格は平和主義。控えめで大人しく、学業、運動、芸術分野全てにおいて特に目につく点はなし。

 

僕を忌憚なく三行で纏めるとこんな感じだ。生い立ちも普通。

「赤ん坊のころに両親がアラガミに襲われ死亡」

他の時代であれば中々のディープな生い立ちと言えるだろうけど事この時代、そしてそのような事情を抱える孤児たちが世界中からより集められた僕の出身擁護施設―マグノリアコンパスに於いて特異な所は無い。

あえて特異な所を抜きだすとすれば物心がつく前に家族を喪ったことで「喪失」の実感がない事―だろうか。しかし僕以外にもそんな子が全く居ないわけでもない。「特異」と言っても「多数には入らない」程度。

 

要するに特筆する所がない。我ながら「自分に言わせても他人に言わせても評価をしにくいタイプ」というしょうもない自負がある。

 

けどそんな僕を選んでくれた存在がいた。

 

家族を知らない僕にとって初めて出来た「家族」―「ハイド」だ。

まさかこんな凡百な僕が施設の最大出資者、創設者一族のひとり、レア・クラウディウスの目に留まるなんて。家族になれるなんて。

 

そしてこんな僕を…選んでくれた神機があるなんて。

 

「…おめでとうノエル。貴方はその神機に選ばれました」

 

平凡で何の取り柄も無い僕に与えられた神機が何の抵抗も無く僕を受け入れてくれた時、そしてそれを掲げた僕を満足そうに見て微笑んだ後、少し憂いを含めたママの顔が忘れられない。その時の言葉が忘れられない。既に適性が認められ、「ハイド」に所属していた他の三人を後ろに従えてママは僕にこう言った。

 

「ノエル?これから貴方にはきっと色んな試練が降りかかるでしょう。しかし貴方は一人では無い。これから貴方と共に戦ってくれる仲間がここに居る。当然私もいる。だから貴方の力を私達に貸してはくれないかしら…?」

 

「っ…!!はい!!」

 

僕は愚直なほどまっすぐ素直に頷いた。断る選択肢など生まれようがなかった。

 

凡百な僕を必要としてくれた人、そして神機。同時家族も出来たあの日。

間違いなく僕の人生最良の日だった。見た事も無い両親が与えてくれた適性に心から感謝した。

 

僕は初めて「生きがい」を得た。予想だにしない急展開で人々を守る正義の味方になった。

 

あの日僕はゴッドイーターになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ノエルに適合した神機は純粋なバランス型。

第三世代型ショート、アサルト、シールドであった。血の特性は現時点では判明していない。結構に偏った彼以外の『ハイド』の三人の神機の特性を発揮させると同時、各々の欠点を補完して尚、癖の強い性格の三人をフォローするという大役だ。

生まれ持った運動能力、地頭双方お世辞にもいいとは言えないノエルは寝る間も惜しんで鍛練、知識を吸収した。彼の唯一の得意分野―というか趣味は機械工学であった為、神機の整備、機構に関する講義は特に彼にとって楽しく、慣れない鍛練の疲れも忘れさせていい相乗効果を生んでいた。

 

そして厳しくも充実した毎日の終わりは自分を選んでくれた神機と一緒に整備室で眠ることであった。訓練、指導してくれた上官、果ては上官に泣きつかれたレアや『レイス』に何度咎められたか解らないが彼はそれを止める事は出来なかった。

 

適合した神機、そして初めて出来た家族に報いる為、ノエルは必死だった。一日も早く神機使いとして一人前になりたかった。

 

 

―しかし

 

 

悲しいことであるが何事もやはり「適性」という物は存在するのだ。

 

確かにノエルは神機に適合した。神機に適合した事によって尊敬していたマグノリア・コンパス創設者一族の長女―レア・クラウディウスに見初められ、彼女を長とした「ハイド」に配属、結果生まれて初めての「家族」を得た。自分が生まれて初めて「特別」とされ、求められた事―それをモチベーションに厳しい鍛練に耐え、学習、研究を向上心を持って真っ直ぐ取組み、臨む事も出来た。

 

充実、好循環の連鎖だ。特に問題は無い様に思える。

 

否。実際に問題は無い。むしろ「ノエルは神機に適合した者」として必要な物は全て持ち合わせていたと言える。確かに遺伝的適性、興味、知的好奇心、貢献意欲、向上心をノエルは持っていた。

 

しかしそれによって得たもの、培った物を行使しなければならない「場」はあそこだ。弱肉強食の単純明快な戦場。アラガミが闊歩し、人を、町を、世界をも喰らおうとしてる地獄だ。

神機使いとしての適性、必要な知識、技術、鍛練全てをこなし一定のレベルに達したノエルに足りない物があった。

 

それは生まれ持った、または成長の過程で手に入れた「殺意、戦意、闘争心」である。「競争心」と言ってもいい。

 

目の前のさっきまで息をしていたもの、動いていたものを何の感慨も無く踏みにじれ、何の感動も無くただ己の利を得る為に葬れるある種の「諦観」だ。

確かにノエルは理解していた。神機使いの仕事を。己の研鑽、鍛練の意味を。それは間違いない。後はそれを何のためらいも無く実戦で公使出来るかだ。ただ指一本を動かす―トリガーを引くようなほんの小さな行動であるがそれを的確に引ける引けないかで喰う喰われるが全くのあべこべになるこの世界を渡るには彼は少々ずれた所を歩いていた。

 

生来リグのように攻撃的でも無く、アナンのように嗜虐的でもない。結局この時代のGEという職業柄何よりも先立つものが形は違えど純粋な戦闘本能である。

幸か不幸かこの時代は弱肉強食が明快で原始的だ。自分の身の回りに振りかかる理不尽なほどの暴力が常に日常茶飯事である為の緊張は一部例外はあるにしろやはり攻撃的な人間を生みやすい。

アラガミという単純明快な絶対悪に対抗する為の人類全体の「怨念」と言っても過言ではない感情の「適性」がノエルには足りなかった。

 

家族が殺された事実がありながら幼すぎた故に記憶と実感が無く、比較的平凡な能力ゆえにマグノリア・コンパス内で繰り広げられる「競争」にも巻き込まれることは無かった平和主義の彼には。

 

 

結果彼は初陣―

 

初めて遭遇したアラガミに何ら抵抗できなかった。明確な敵意、殺意を目の前に固まった。戦術、体術、技術一通り収めたはずの彼の体と頭は頑なに動こうとしなかった。

 

明確に。

 

彼は「闘争」に向いていなかった。

 

 

少し話を脱線をするがスポーツで例えると解りやすい。

経験や覚えはないだろうか?ある特定のスポーツを始めたばかりの練習、研究を熱心に行い、向上心もある人間がなぜか実戦では思う様に動けない、勝てないというありふれた光景。真摯に取り組んでいるはずの人間が勝利という結果を必ずしも得るとは限らないという光景だ。

 

結局スポーツというのは技術、研鑽もさることながら最終的には「気持ち、意思、思い」が結果に影響する。前時代的だなと思うかもしれないが結局はここだ。

精神と体は引き離せない。「結果を出す」という意志が肉体を操作するのだ。つまり研鑽で積み重ねた最適で最善の行動を肉体が選び取るのには結局その「気持ち」が必要になってくる。

 

「研鑽」はつまるところ勝つ為の「体力、技術、知識」を培う行為だ。最終目標の勝利に辿り着く為のあくまで「歩き方」であり、勝利を決定づける物ではない。

「歩き方」を学んでも、最終目的地が解らない人間は迷走する。そして負けて初めて気付くのだ。研鑽の本当の意味を。

 

一応フォローをしておくと決して勝敗を抜きにしてただ純粋に物事に夢中になり、没頭する人間を悪いと言っているわけではない。実際に研鑽を怠らないのだから体力、技術、知識は身に付くし、何よりも研鑽を怠らなかったのに実戦で発揮できなかった、若しくは負けた悔しさは何も努力しなかった者の比では無い。結果より勝利を明確に意識しだすようになり、欠けていた戦意、闘争心、競争心―勝利への意思が生まれる。「失敗」を糧に己の目標を再認識し、更に研鑽し、物事に取り組み、そういう人間は在る時を境に一気に化ける可能性を秘めている。

 

 

話を戻すとノエルはそういう意味で大器晩成型だった。

 

平凡であり、平凡を自覚する故に研鑽を怠らない精神に後は明確な戦意、勝利への意思が芽生えるのを待つだけの有望な苗であった。

 

 

…ノエルは生まれる時代を間違えたのかもしれない。

 

 

この時代にGEが行っているのは明確で単純な「実戦」だ。スポーツ―「試合」とは違う。当然負けて次があるとは限らない。根本にある勝利への意思、相手への殺意、攻撃意欲を持っておらず、己の認識の「ずれ」を理解した時には「墓の中」もざらだ。

そういう意味で今現在生きているノエルは幸運であるとも言える。

しかしその代償は大きかった。

 

 

彼は自分を選んでくれた、そして生まれて初めての「家族」と引き合わせてくれたかけがえのない適合神機を―…大破させてしまった。

 

神機も生き物である。大抵のパーツは換装する事によって生体部分は再生し、継続的運用は出来るが人間で言う心臓で在り、脳の部分であるコアCNSを破壊された場合、神機はその生涯を終える。

 

 

ノエルは実戦初日に「元」ゴッドイーターになった。

 

 

その任務を終えた夜、重傷の体を引きずって医務室を抜け出し、駆けこんだ神機整備室で最早遺体(ボディ)のみとなった神機を前に後悔、自責の念、憤り、そしてようやく出来た「家族」を繋いでくれた神機を喪った落胆で崩れ落ちそうな心と体をようやく支え、立ちつくすことしかできなかった。

 

レアはそんな彼を責めずこう言ってくれた。

 

「貴方が無事でよかった」

 

と。

 

しかし彼女自身も落胆の色は隠せない。ようやく見つかった貴重なバランサータイプの第三世代型神機使い。そしてその神機使い―ノエルが何事も真面目で真摯に取り組む少年であっただけに期待が大きく、それが早々に喪われた落差に陰るレア―「母親」の姿に親の期待に応えられなかった子供がどれほど惨めであるかをノエルは思い知る。まさか両親が居なかった自分がこんな想いをする事になろうとは夢にも思わなかった。

 

 

結果『ハイド』は急遽バランサーのノエルなしの部隊編成を余儀なくされ、『レイス』の神機に急造のバックラー、アサルト銃身が装着された。アナンが後日「付け焼き刃」と言い切るほどの性能であるが背に腹は代えられない。更にノエルの自責の念は募る。

しかし、『レイス』も性格上ノエルを決して責めない。いっそリグのようにはっきりと罵倒してもらえた方が楽かもしれないと何度も思った。ノエルが使えなくなった事で一番被害をこうむった彼女にそうしてもらえれば自分が『ハイド』を心置きなく抜けられるのに、と自分勝手なことを考えた時もあった。

しかしレアも『レイス』も彼を責めず、変わらず『ハイド』にノエルを置いてくれた。そんな彼女達に感謝しながらも心を立て直す事が出来ず、初めて出来た家族の中で早々に役目を失ったノエルは失意の日々を送った。

 

そんな日々の折り、まるで謀ったようなタイミングであった。レアが新たな第三世代適合者を見つけたのは。

現段階で既に第三世代型神機に適合し、実戦も経験しているゴッドイーター。おまけにあの激戦地区―極東支部を生き抜いている男

 

―榎葉 山女である。

 

しかし彼は現極東支部第一部隊隊長で在る人間だ。そんなキャリアの人間を存在しない部隊に極秘裏に招き入れるなど流石のレアにも難しい。真っ当な方法では到底無理だ。あくまで「真っ当な方法」では、だ。

 

レアに後日、ノエル達は彼をこの『ハイド』に強引に招き入れる方法を聞かされた。共に闘う仲間になる以上、彼がここに来る経緯を知っておいてもらいたいとの判断から開示したということだが少々ノエルには酷な内容である。

当然ノエルは更に自責の念に押し潰されそうになった。エノハの最愛の人を人質にして連れ去る様な方法で強引にここに招き入れる事に。そしてこんな方法をレアにとらせてしまう事も歯痒くて仕方なかった。

 

―僕のせいだ。リグの言うとおりだ。のろまでグズな僕のせいでママも、『レイス』も、まだ顔も見たことが無いその人も巻き込み、迷惑をかけてしまった。だからせめて―

 

同時ノエルは悲壮な決意をする。自分のできる事をしようと。確かに大切な神機は喪ったが神機の技術関連の知識は趣味を兼ねて必要以上に彼は積んでいた。よって彼の出した答えはシンプル。

 

神機整備士になることであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




読了お疲れさまでした。

ノエルは実はこの「ハイド」の4人の中で一番初めに出来たキャラクターであり、元々原案では「ハイド」自体レア、ノエルの二人だけでした。そのノエルを役目を分散させたのがリグ、アナン、『レイス』の様な感じです。その為か急造で作った他の3人の設定に比べ、書くことが多くて結局上・中・下の3部になってしまいました。

よろしければまたお付き合いください。それでは。





おまけ

ノエルは気付いている。自分のこれからする行為が完全に「自分の為」である事を。

神機を大破させた自責、自分がここ「ハイド」にまだ居てもいいはっきりとした理由、そして自分がなせなかった役目を埋める為に『レイス』、そしてこれからここに訪れるエノハにせめてもの罪滅ぼしをする為に。

ようやく出来た「家族」の中で居場所を喪わない為、自分が成せなかった役目を替わりに負う者への罪の意識を少しでも和らげるためだ。

どれだけ綺麗な理由を並べた所で詰まる所は誰よりも己を守りたかったのだ。

そうでもそうしないとノエルは自分を立て直せない。自己の均整を保つことが出来ない。生まれつき平和主義―一方で事無かれ主義で大きな壁にぶつかった事の無かった少年の挫折は彼を至極単純な行為に走らせた。

ノエルはそうやって小さな体と傷つき、自責と自己嫌悪で落胆した心を奮い立たせ、前に進んだ。いや、少しでも前に進んでいると思いたかった。

彼の手痛い失敗、挫折は彼の中に「殺意、戦意、闘争心」より前にあるさらに根本的な万人不変、万物不変の理(ことわり)をはっきりと自覚させ、優先させた。

自己存在意義の確立―「自己保存」である。


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第21話 メッセンジャー 中 2

今回もよろしくお願いします。


 

「…オン君。レオン君?起きていらっしゃいますか?」

 

「んっ…。ん、あ。テルオミさん?」

 

個室のドアの向こうから軽いノックとテルオミの礼儀正しく柔和な声が響く。

 

「朝早くに申し訳ありません。いきなりですが今から直ぐ出られますか?詳しい事情は道すがら説明しますから」

 

「は、はい。解りました!」

 

ノエルはいつものつなぎの作業着を羽織り、ゴーグルを首に巻いて部屋を後にした。

 

「第八装甲壁が破損、ですか」

 

「ええ。幸い今の所大きな被害は無いそうですが、念のためGEを派遣するそうです」

 

小走りのテルオミとノエルは並走し、神機整備室に向かいながら会話する。

 

「…の、割にはイマージェンシーコールも無かったですよね。非番で尚且つ研修中の僕らを呼びだすほど『猫の手も借りたい』ってほどの事態じゃなさそうですが…」

 

アナグラの緊急事態宣言にも台風の警報やら注意報のように段階レベルがあり、そのレベルに応じて呼び出されたり駆り出される人員が調整されている。

非番+研修中のひよっこ整備士まで駆り出されるほど重篤な緊急事態が発生した様子は無く、アナグラ内の雰囲気は比較的落ち着いている。現在担当中の人間で十二分にさばける程度の事案であることは間違いない。しかし何故テルオミはここまで焦っているのか、そして嬉しそうに溌剌としてわざわざノエルを部屋まで呼びに来たのかが解らない。

 

「い~え。レオン君。僕ら出来そこないの神機整備士にとって十二分にイマージェンシーな事態ですよ!急がないと!!」

 

「…?」

 

訝しげなノエルを急かすようにテルオミはさらに走る速度を上げた。

 

 

 

 

「おい押すな!」

 

「みえないだろ!そこしゃがめ!」

 

「足踏むな!」

 

 

事案の緊急性とは反比例にノエルが神機整備室近辺に辿り着いた時には研修中の整備士、または神機研究者、開発関係者、背広を着た企業役員らしき人間まで押し合い圧し合いの満員電車状態であった。

 

「え。え~~!?なんでこんな状態なんですか!?」

 

「うわわ。これは凄いですね~~」

 

理解不能の光景に困惑するノエルとは対照的にテルオミは「やっぱりこうなっちゃいましたか…」的な苦い顔をし頭を掻く。細身の少年と小柄の少年ではこの殺気だった修羅場を突破できるわけがない。

 

「おう!テルオミ!レオン!こっちこっちだ!おい!そいつら二人は研修生だ!道を開けてやってくれ!!」

 

浅黒く太い腕を広げてダミアンがその屈強な体で群衆を軽々と押しのけ、二人を招き入れる。

 

「ダミアンさん!!」

 

「席はとっといた!早く来い!いくら体のでかい俺でも三席確保すんのは厳しい!視線が痛くてな!」

 

「席!?視線!!???」

 

「すみません!恩に来ますダミアンさん!!レオン君!行きますよ!さぁ!!」

 

「ええ!?整備室はあっちですよ!?」

 

「何言ってるんですか。僕らが言っても邪魔になるだけですよ!!さぁ早く!」

 

「???」

 

ノエルは促されるまま二人についていく他無かった。

 

神機整備室のとある一室は大学病院のオペ室のように上から関係者がガラス越しにその様子を見る事が出来る。普段はほぼ無用の部屋で存在意義が問われるほどの部屋だがこの日に限って満員御礼、立ち見の人間までいる。

まるで有名教授の執刀の如く、その場に居る人間はその眼にはいる物を「全て見逃すまい」という気迫に溢れており、殺気すら感じさせる。まだ状況が掴めないノエルは居心地の悪さを感じながらダミアンが取っておいてくれた席に元から小さな体を更に小さく丸めて恐る恐る眼下の整備室を覗き込んだ。そしてすぐに

 

「あっ」と思わず声が出た。

 

 

 

…「あの人」だ。

 

 

 

「おっけぃ。完了。装甲壁のデータ更新は現地に行った先で私が無線で指示するから手動で操作して。周波数は223に。あそこ電波が狂いやすいから」

 

「了解です」

 

「神機は八割方出来上がってる。最終調整に入るよ。ヒバリ!?」

 

『観測班によると付近のアラガミの数は小型3、中型1です。隔壁の損壊地点まで約8分の地点。住民の避難は完了しています』

 

「…5分以内に調整終えないとね。替わって!私がやるよ」

 

「は、はい。お願いします!」

 

 

おおっ、とノエル達の居る部屋が色めき立つ。整備室で明らかに中心になって作業をしている少女が中央の神機に手を付けた瞬間、緊張感が更に高まった。

そう。彼らはこの瞬間を待っていたのだ。部屋は奇妙なほど静まり返っているが、その場に居る全員の心臓の音が聞こえてくるようであった。

 

グラブ越しに刀身の上で鮮やかに手を滑らせ、一つ一つのセーフティーを解除、神機が覚醒し、まるで機関車が発車する前の様な蒸気が溢れ出る。

同時に少女は端末を操作。同時神機は剣、銃、盾と形態をころころ変える。見た目には非常に滑らかに変形が行われているように見えるが少女は少し眉をひそめた。

 

「…機構部分に異物が混入してる。嫌がってるね。前回この子を洗浄した際の培養液は?」

 

「L社のM-65ですが…」

 

「ダメだよ。あれは洗浄力は高いけど乾いたら凝固して…ほらこんな風に機構を詰まらせてスムーズな変形を妨げてしまう。洗浄後は入念に取り除いてあげないと…」

 

「す、すみません」

 

「今からちょっと『開いて』凝固した培養液を取り除くよ」

 

「え!?そんな、時間無いですよ!!」

 

「こんな状態でこの子を戦場に出すわけにはいかない」

 

 

神機変形機構部分は生物で言う「神経節」にあたる。当然かなりデリケートな部分であり、うっかり破損させたり、傷付けたりすると変形の不具合どころか変形すら不可能な状態に陥る可能性すらある。その周りにこびりつき、凝固した培養液を取り除くのだ。当然時間がかかる。

 

 

「見てて」

 

一言そう言い残し、タイムリミットを目前にして少女は神機の解体を開始、機構部分にこびりついた不純物を綺麗に、しかし素早く取り除いていく。

呆気にとられるほど鮮やかな手つきで瞬時にその作業を終えた少女は再び解体した神機を組み直し、最後に優しい手つきで神機をすらりと撫で

 

「どう?調子は?」

 

と呟いた。

 

神機は返事はしないがすいすいと変形の速度が目に見えて格段に早く、そして滑らかになっていた。その滑らかさは最早機械では無く、まるで小さな子供が自分の手を色んな形にして遊んでいるかのようなしなやかで柔軟な動きであった。

 

「イイ子ね」

 

少女はそう言って表情を崩す。優しい笑顔だった。

同時に整備室に駆けこんできた今回の任務に派遣されるらしき神機使いに接続をさせた。「繋がっている」為により神機の異常が察知できる神機使いが何の質問、疑問も無くリッカに礼を言って発っていくのを見送り、最後に装甲壁の現場整備士に2、3の確認事項を伝え、少女が神機整備室を後にした時、上からその作業を見守っていた連中から大きな溜息がでた。

 

「すげぇわ…」

 

「おいおい。覚醒状態の神機解体して作業してたぞ…あんなの麻酔なしで猛獣を手術してるようなもんじゃねぇか…」

 

「うう…ウチの開発班に是非とも彼女が欲しい!!しかし一体いくらかかるだろう…。せめてウチの開発部に講習にでも来てもらえないだろうか…ああ!ダメだ!どうせここの支部長にぼったくられるに決まってる!!くそぅ…あの狸め。いい技術者を持ってるなぁ…いいなぁ。いいなぁ」

 

興奮と脱力が入り混じりながらぞろぞろと部屋を後にする連中に混ざることなくノエルを含む3人は今も尚席を立てずにいた。

 

「…」

 

「…」

 

「…」

 

「言葉がありませんねぇ」

 

「ああ」

 

「…はい」

 

はふぅ……。

 

3人は2分後、誰が言い出すでも無く無言で同時に席を立ち、大、中、小と対照的な体を妙にシンクロの取れたふらふらとした歩き方で綺麗に並んでその場を後にした。

傍目にもシュールな光景だっただろうとノエルは思う。

 

 

「はぁっ…!はぁっ!はぁっ!」

 

そんな3人の隣を特徴的な左右に髪を巻き上げた少女が駆け抜けていく。その進行方向は明らかに神機整備室であった。しかし神機整備室の前は現在圧巻の整備を見せた少女を出待ちしている者たちで溢れかえっている。

 

「すいません!スイマセン!!その!どいてくださぁ~~~い」

 

少女は捲き上げた髪をぴょんこぴょんこと揺らし、たむろしている連中の後ろで跳ね回っているが連中は聞く耳を持たない。

 

「もぉ~~どいてぇ~~く・だ・さぁ~~~い」

 

少し涙声も混じっている。

 

「…ダミアンさん」

 

「ですねぇ…」

 

ノエル、テルオミは既にお互いの意図を察し、ダミアンをちらりと見る。

 

「…おう。任せとけ」

 

ダミアンはのっしのっしと最後尾の少女に

 

「ちょっとどいてろ」

 

「あ…」

 

 

 

「「「うわぁっ!?」」」

 

 

 

「…興奮するのはいいが周りを見ろ」

 

たむろする研究者、開発者を元GEのその鍛え上げられた両腕で再びダミアンはあっさり押しのけ、少女の道を切り開く。

「あ、ありがとうございます!」

 

「ああ。気にするな。…何かあったのか?」

 

「んっと……あの、その…良ければ」

 

「うん?」

 

「すいません!!どうかお手伝いして頂けないでしょうか!」

 

少女―ヒバリは顔の前で手を合わせ、ダミアンに懇願した。

 

 

 

 

30分後

 

 

「有難うございました!!!」

 

ヒバリは重ね重ねダミアン、そして「コイツらに言われたからやったんだ」と言うダミアンの傍に居るノエル、テルオミにもぺこぺこと頭を下げた。

 

「いえいえ。当然の事をしたまでですよ」

 

テルオミはにっこりと笑う。

 

「僕何もしていないですし。それより…大丈夫なんですか。その…」

 

「はい…」

 

 

圧巻の整備技術を見せつけたあの整備士の少女―楠 リッカは整備、装甲壁換装の指示を終えた後、糸が切れたように整備室で意識を失っていたのであった。ヒバリはその報告を聞いて駆け付け、先程の出来事があったのである。

 

ヒバリはノエル達三名の護衛、協力の下医務室に辿り着き、ようやく状況が落ち着いた所であった。

 

「あの~竹田 ヒバリさん。一つよろしいでしょうか?」

 

「あ。ヒバリでいいですよ。何か…?」

 

「楠 リッカさんは先日まで休職中と伺っておりましたが、やはり体調を崩されているとか何かでしょうか」

 

「あ。その…」

ヒバリは話しにくそうに眠るリッカの表情を見ながらテルオミから目を逸らす。

 

「…あ。申し訳ありません。よく事情を知らない部外者がこんなことを」

 

「いえ。いいんです。まぁその、いろいろ事情がありまして…その、すいません!ご勘弁ください」

 

「いえ。そんな。こちらこそ軽率でした!!」

 

「…事情がある事は解った。聞くべきことではないんだろうな。…ただ何か協力できることがあったら何でも言ってくれ。遠慮なくな。ああ。恩になんか感じる必要はないぜ?むしろ俺達が恩を返したいんだ」

 

「恩…ですか?」

 

「そうですね。僕たちはリッカさんに感謝してるんです。あれほどの技術を見せて頂いたお礼が少しでも出来るなら大歓迎です!」

 

「…有難うございます。ダミアンさん。テルオミさん。…レオン君も」

 

「…」

 

「レオン君…?」

 

「…あ。いえ何でも」

 

「…?」

 

ノエルの表情に差し込んだ影にヒバリが首をかしげた時であった。

 

 

 

 

「ヒバリ…?」

 

先程の仕事の時と違って消え入りそうな声を出し、ゆっくりと上体を医務室のベッドから起こして少女―リッカは親友のヒバリとその周りに居る見事な三者三様の姿をした三人を眺める。

 

「…?ヒバリ?この人達は…」

 

「よかった!気がついたんですね。リッカさんこの人たちは―」

 

「アナグラに研修に来てる整備士見習いの真壁テルオミ君、ダミアン・ロドリゴさん、そして―」

 

「「「「え?」」」」

 

一同狐につままれたように目を丸くしてリッカを見る。

その反応に少女は少しクスリと笑って

 

 

「君は『レオン』君…だよね?」

 

 

 

―テルオミさんが「名前を覚えてくれているなんて感激です」と喜び、ダミアンさんも表情が綻ぶのを止められず、ヒバリさんもそれを見ながらくすくすと笑っていた。

僕も当然嬉しかった。「レオン」は本名ではない偽名とはいえ彼女―リッカさんが僕の事を知っていてくれた事に。

 

でも嬉しさと感謝と同時に申し訳なさが募る。

 

テルオミさん、ダミアンさんが知らない「事情」を僕は知っている。ヒバリさんが話せない事実。そしてその裏側まで全てをこの場で唯一知っている自分がただただ疎ましかった。リッカさんをこの状態に追い込んだ他でもない張本人の自分。笑う資格など喜ぶ資格など無い。

 

でも笑った。無理やりに。

 

果たして笑った様に見えただろうか。本当に。

 

…自信、ないなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




読了お疲れさまでした

あっれ…!!??

駄目だ!終わらねぇ!!!??
どうなってんだ!!!??













サブタイトルが「外人の転校生」みたいな事になってるぅ!?
ランディ~~!助けてくれ~~!!

あ。今日先発だったか。


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第22話 メッセンジャー 下







「疲れた…」

 

「疲れました…」

 

「GEの戦場でもここまで『死ぬ』と思った事は無い…」

 

 

ぷしゅ~っ

 

 

見習い整備士として派遣されたノエル、テルオミ、ダミアンの三人はカフェテラスにて死屍累々とテーブルに突っ伏してオーバーヒートの煙を上げていた。ここ連日出撃が相次いだ上に復帰したリッカの研修生への指導が予想外にスパルタだった事もある。

そもそも極東支部と他支部の戦力、出現アラガミの数、質、性質の差によって生じるカルチャーギャップが整備士にまで及んでいるらしい。彼女の様な病み上がりの人間にさえ仕事量、作業量が全く追いつかない有様で彼らはついていくのがやっとであった。

リッカが涼しいカオで結構無茶な課題を課してくる様は彼らにとって中々にホラーな光景であった。

 

「…で、でもまぁ。おかげ様で自分の成長の実感をひしひしと感じますよ」

 

「そうだな。特にテルオミ。お前体調の整わないリッカの替わりに臨時の代理主任整備士になるようにこっそり打診されたらしいな…流石だぜ」

 

「あ。聞かれてましたかぁ?お恥ずかしい」

 

器用かつ要領がよく、おまけに人当たりがいい反面、少々腹黒い所もあるテルオミはいかにも出世しそうなタイプだ。

 

「なんだかんだ言いつつもテルオミ。お前狙っていたろそのポジション…。俺には解るぜ」

 

「ばれちゃってましたか…何せ主任整備士にさえなれれば今は限定されている「ノルン」のアクセス権限がうんと増えますからね!躍起にもなるってものです。どれほど非公開のお宝神機の資料、映像があることやら…」

 

ぐへへへとテルオミは嗤う。疲れ果てて少々壊れたノリの下品さな笑いだが、ある意味なんて清々しい。

 

「なんて奴だ。悪い意味でお前はブレないな。テルオミ…」

 

「うふふ…なんとでも言って下さい。技術、知識を磨き、同時に数々の未だ見ぬベールに包まれた神機達を大っぴらに!!開けっぴろげに!!赤裸々に!!堂々と!!胸を張って!!舐め回すように愛でる!!これこそこのテルオミが極東支部に来た最大の目的なんです!!」

 

 

 

 

 

 

 

テルオミはノエル達に笑いながら自分の「目的」をそう語っていた。そして同時に

 

―騙っていた。

 

 

 

 

 

それをノエルが知ったのは後日テルオミの部屋にその日の研修のおさらいの為にノエルが一人彼の部屋を訪れた時であった。

 

「~♪」

 

鼻歌交じりに招き入れたノエルの為にコーヒーを淹れるテルオミの傍に一枚の写真があった。基本的にノエル達の様な研修生はある程度の技術が付いたと判断されれば即他の支部に派遣という形がほとんどであり、現在あてがわれた仮の住まいである部屋で自分の私物を出す人間は少ない。部屋を引き払う際に当然手間になるからだ。すると自然研修生の部屋は殺風景になる。テルオミの部屋も最低限の日常品以外ほぼその手の物の封を開いていない。だからこそその写真が殊更ノエルの目に留まった。

 

―…。

 

写真には今より少し幼いテルオミ、長身痩躯の髪の長い男性、テルオミに似た男性、そしてその傍らに赤い眼鏡をかけた綺麗な女性が笑っている写真であった。

同時ノエルは気付く。テルオミ以外の他の三人の共通点を。

彼らには例外なく右腕に赤い腕輪が装着されていた。神機使いの証だ。

 

「…私の兄とその知人達ですよ。お察しの通り全員ゴッドイーターとして働いています」

 

「御兄さんが神機使い…ですか」

 

「ええ。僕が神機にのめり込むあまり数々の危険行為を犯しても何とかことなきを得たのは兄とその同僚の方々のおかげなんですよ」

 

コトリと温かいコーヒーカップをノエルの手元に置きながらテルオミは誇らしそうに微笑んでノエルと共にその写真を見、淹れたばかりのコーヒーを口に運びつつ手で「召し上がれ」とノエルに促した。

 

「…頂きます」

 

ノエルの言葉ににっこりと微笑んだテルオミが手元にコーヒーカップを置いて再び写真を眺めた時であった。

 

―…テルオミさん?

 

「…」

 

今まで見たことのないテルオミの真剣な表情がノエルの目に映った。いつもは常に緩めている口角を強くひき結んでいた。

 

「…その写真の中心に居るのは僕。その左隣が兄さん。ちなみにハルオミという名前です。右隣が兄さんの後輩であるギルバートさん、そして兄さんの右隣りに居る女の人がケイトさん…兄の恋人です。とても綺麗で明るく、そして優しい方ではっきり言って実の兄より私を庇ってくれましたね。全く以て兄には勿体ない女の人でした」

 

「へぇ…。…ん?」

 

―…『でした』?

 

テルオミの表情が自分の親しい間柄の人達を語るには余りにも真剣、且つある意味凄惨に見えたのが気にかかった。同時「三人ともGE」。「でした」の言葉とテルオミの現在の表情―そこから導き出せるこの時代特有の「答え」がノエルの中にすぐに浮かんだが言葉に出せない。少し苦いが美味しいコーヒーをノエルは口を紡ぐ丁度いい理由として口に含む。

 

「…つい数ヶ月前です。ケイトさん―義姉さんがグラスゴー支部でKIA(作戦行動中死亡)と認定されたのが」

 

テルオミは結論としてはっきりと言葉に出した。

 

「…」

 

「私も近しい人達が神機使いである以上覚悟はしていたつもりですが…それでも納得いかない事があったんです」

 

「納得いかない事…?」

 

「義姉さんが亡くなった時の状況、情報が遺族で或る僕らにすら開示されなかったんですよ。フェンリルの作戦行動の機密保持―という理由で」

 

「…」

 

「義姉さんが死んだ時その場に居合わせた兄さんもその部下のギルさんもフェンリルの機密保持上僕に何も言えなかったんです。その後ギルさんは直ぐに別支部に転属、兄さんもふらふら各支部を転々としています。…僕達はバラバラになりました」

 

テルオミは口惜しそうに唇を噛みしめ、ノエルをちらりと見て恥ずかしそうに笑ってこう続ける。

 

「悔しかったですよぉ。僕だって最早義姉さんは家族同然、それなのに僕だけ『蚊帳の外』なんですから。何がどうしてこうなったのかも何も解らない。落胆してる兄さんもギルさんに何も声をかけてあげる事も出来ないんですからねぇ」

 

―悔しかったですよ…ホントに。

 

最後にそう付け加えてテルオミは視線を落とす。

 

 

「その為にテルオミさん…。貴方はフェンリルが情報開示、共有するに値する人間になる必要があった…」

 

「…」

 

「だからここに、神機整備士になろうとここへ…?」

 

「そういうことです。確かに義姉さんはもうどんなに望んでも戻らない。それは解っています。ならせめて残された兄さん達に少しでも寄り添えるようになりたい。同じ悲しみを理解し、共有し、支える事が出来るようになりたいんです。その為には今の…何も知らない蚊帳の外の僕じゃ駄目なんです。兄さん達と同じ立場に立たないと…!」

 

強い視線でテルオミは前を見据える。強い決意に満ちた眼差しであった。

 

いつもの物腰の柔らかさ、軽薄さ、神機を語る時の幼さの中に隠していたテルオミの強い意志、「目的」を垣間見てノエルはテルオミの部屋を後にした。そして自分の整備士の教材の中にいつも忍ばせている「ある物体」を出す。

 

それがノエルがここに来た「目的」だ。

それは「手紙」。エノハから託されたリッカへの「あの」手紙である。

 

リッカ以外の誰にもその手紙の存在、内容を知られず、彼女だけが見るように仕向ける事、届ける事―それがノエルの今回、極東を訪れ、整備士としての技術を磨く傍らで課された極秘任務である。

 

そのタイミング、場所をノエルはこの半月近く探っていた。

しかしリッカが一人になるタイミングは中々訪れない。心身共に万全ではない彼女の周りには彼女を支える友人達が居たし、整備士の研修としてリッカの師事を受ける時も常に周りには同じ研修仲間が居た。

 

周りの人間に悟られず確実にリッカだけに手紙を届け、内容を見せると同時「届け人がノエル」ということもリッカに知られてはいけない。リッカがノエルを足がかりにエノハの足跡を辿ろうとするのでは、という懸念、疑念が例え本人にその気が無かろうと生まれてしまう。結果お互いに好ましくない状況が生まれる。

 

そう考えると中々微妙な任務である。何故自分はこんな役目を引き受けた―いや、自ら立候補したのだろうとノエルは自虐的に笑う。

 

任務の傍ら最前線、世界最高峰の神機技術、整備技術を見られるから?

 

いや違う。

せめてもの罪滅ぼしをしたいのだろう。自分の失態がきっかけで引き離してしまった二人に。テルオミ、ダミアン達と違って何と情けなく、手前勝手な「目的」だ。誰よりも何よりも自分が楽になる為の己の、己による、己の為の「目的」だ。

 

それでもノエルはこの役目を誰にも譲る気にはなれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして後日

 

リッカに手紙を渡すのに好都合な彼女が自室以上に定期的、かつ一人で訪れる可能性が大いに高い場所が判明する。

 

深夜の神機保管庫だ。

 

先日エノハを脅迫する際に使用し、まだ生きている監視カメラのここ数日の映像を通してノエルは知る事になる。

 

リッカがエノハの腕輪を連れ、定期的に深夜の神機整備室を訪れ、そしていつも遺された神機―エノハの神機を前にして一人涙していた事を。

 

自分に課された任務を遂行する絶好のポイントを見つけたにも関わらずノエルの気持ちはさらに重くなるがそれでも鈍間な足を引きずるようにしてノエルは歩き始めた。

 

一路神機保管庫へ―

 

 

 

 

 

 

―今夜はヒバリさんを始めとした幾人かのGEの女性の方が非番ということで付きっきりでリッカさんの傍に居られるらしく、リッカさんが今夜ここを訪れる事は無い。

 

「変わりと言っちゃなんですがお邪魔します…」

 

僕はそう言って休眠状態の神機が立ち並ぶ保管庫でエノハさんの神機の前に立つ。

 

一言素晴らしい神機だ。

 

一流の使い手、一流の整備士によって扱われ、現在は本来の役目である「闘争」から解き放たれたアンティークであるが一目で解るその洗練された機能美を備えたその神機は存在だけでその分野に精通した者達の心を巨匠の名画の如く奪う。

 

そんな神機を前にして何故か僕は本来の役目を一旦忘れ―

 

「…そう言えばエノハさんが生きている事を知っているのはこの極東支部では君と僕だけなんですよね」

 

話しかけた。

 

―どう思いましたか?自分の主が目の前で連れて行かれたのを見て?置いていかれて。

 

そして君と主を引き離したのが他でもない僕のせいだとしたら君はどう思いますか?

 

僕は……僕はどうしたらいい?

 

エノハさんとリッカさん、そして君にどう償えばいい?

 

解らないし、何も見えないんだ。

 

ただ今は償っている「つもり」で必死に自分を守っているだけ。免罪符を得る為に自分の出来る事を必死に模索しているだけ。

でも相変わらず僕は未熟で何もできない出来そこない。人間としても。神機使いとしても…神機整備士としても。

 

僕がもっとしっかりしていれば、もっと優秀であれば、賢ければ。

 

いっその事リッカさんに面と向かって全てを、エノハさんの無事を伝え、同時に「自分が貴方に変わってこれからも戦い続けるエノハさんを守る」と胸を張って言えたら―

 

…言えるわけがない。力不足もいいとこだ。

 

それに何が「エノハさんを守る」、だ。二人を引き離した張本人が言っても滑稽な事この上ない。

 

僕には彼女と面と向かって向き合い、全てを打ち明ける資格も技術も何もない。

同時全てを打ち明けて生じる問題、課題にも向き合って全ての責を負う度量も度胸も無い。

 

本当に何もかも。何もかもが足りない。だから僕は今は託すことしかできない。

 

神機である君にこの手紙を。この極東支部で唯一エノハさんが生きている事を知っている君に。

 

 

「許して下さい。許して…」

 

ぺたりと座りこむ。エノハさんのリッカさんへの手紙を握りながら。

 

 

―どうか許して。このどこまでも未熟でのろまでヘタレの―

 

メッセンジャーを。

 

 

 

 

 

「っ…!!」

 

 

僕の想いを読み取ってくれたのか。

それとも「手紙」からかつての主の匂いを嗅ぎ取ったのかそれは解らない。

エノハさんの神機は「応えて」くれた。捕食形態を開き、無数の触手が僕の手に触れ、大事そうに白い手紙を取り上げる。

 

休眠状態である事を知らせるコンピュータの神機の数値。腕輪も適合者も無しに動く神機。理解不能の異常な光景であることは間違いない。が、どうでもいい話だ。

元々僕には解らないものだらけなのだ。それが目の前で一つ増えた所で大した影響は無い。

 

ただ一つ僕にも解るのはこの神機もまたかつての主と同様に「伝えたい」と思っていたということだけだ。己が知る真実をたった一人の人間に。

しかし歯痒くも自らは物言えぬ神機。伝えたい相手は神機整備士としては限りなく優秀だが所詮常人であるリッカさんだ。神機接続も出来なければ、感応現象も出来ない。伝える術は無し。だからそこに都合よく現れた僕を今から利用するのだろう。

 

…それでいい。

 

これ以上望む物など在るものか。僕の様な人間には充分過ぎる厚意だ。

 

有難う。

 

ありがとう。

 

 

「…ありがとう」

 

 

 

そう最後に呟いてへたり込んだノエルの前でエノハの神機は何事も無かったかのように元の形態に戻る。その光景を周りに居る神機達もまた無言で見守っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数日後―神機整備室にて

 

 

「あ。おはよ!レオン君」

 

だいぶ延びた長い髪を後頭部で乱雑にくくりつけたリッカの姿があった。

その表情は今までになく溌剌としている。

 

「…リッカさん!?え。確か…」

 

「あ。はは…レオン君も聞いてた?私がヘマしてソーマ君から謹慎処分喰らった話…」

 

「はい…」

 

「次の日ね。謹慎処分といてもらえるようにソーマ君に直談判しに行ったの。ざっと一時間くらい謝り倒してね?ソーマ君がうんざりするまで拝み倒したなぁ。その甲斐あってめでたく謹慎処分取り消し!あはははは!!」

 

「そ、それはすごいですね…可哀そうにソーマさん…」

 

「可哀そうなのはこっちだって…ソーマ君ったらどんだけ頼んでも神機に私が何か『直接施術する事は後十日は禁止』ってとこだけは譲らなかったの」

 

「うえっ!!っていうことは…」

 

「そ。口で指示しか出せないってことぉ」

 

「ひぃ~~~っそ、それが一番つらいです!!本当に可哀そうなのは僕達です!!」

 

リッカは結構素の顔で「極東基準」の無理難題を言ってくる。本人はどうやらスパルタであるという自覚が無いらしい。そしてノエル達見習い整備士のおぼつかない手つきを見て隣で、そわそわ、やきもきする所を隠せない所がある。

 

「ああ~~っまどろこっしい!!なんであんなミスしちゃったかなぁ私!!」

 

神機に触れない禁断症状が極限に達し、そう叫びながらぐしぐしとリッカは頭を掻く。

これでは見習い神機整備士に対して「このぶきっちょ共め!!」と、言っているに等しい。根っからの現場主義で仕事を人に任せる事を良しとしていなかった彼女は案外指導には向かないタイプと言えた。

しかしそれでも彼女は後進を育てていく人間になるべきだ。

自分の仕事を現在の整備士としての任務だけでな、くより広い技術、分野に視野を拡げ、そして彼女自身が「独自」に行っている研究開発の時間をこれから割く為にもいずれ自分のやってきた仕事をどうしても誰かに任せる事は必要になってくる。

だからこそここにノエル、テルオミ、ダミアン達のような人間が居るのだ。それをリッカも百も承知している。

 

 

「ふぅっ!!…でも仕方ない。自分のやっちゃった失敗のせい、自業自得だもんね。だから今出来る事をやらないと」

 

「……!」

 

そのリッカの言葉にノエルは目を見開いた。そして眩し過ぎる物を見てしまったかのようにして笑う。

 

「ん?レオン君…?」

 

「そう…ですね。やらなきゃ…ですね」

 

 

 

 

 

―そうだ。

 

例えどのような理由が、どのような経緯があろうと、そしてそれがどんなに後ろめたかろうと。罪滅ぼしだろうとなんだろうと僕は自分の出来る事、やれることをやるしかない。それが結局は自分の為、自分を守る為の行為―偽善だとしても何もやらずに居るより遥かにマシだ。

 

僕は進むしかない。

 

その先にひょっとすれば僕は自分を許せる瞬間が来るのだろうか。それも解らない。

 

解らないことだらけ。例えそれでも―僕は進む。

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の終わり―

 

一日の整備業務を終え、続々と整備室を後にする整備士達に声をかけながら一人残る人が居た。リッカさんだった。

 

「……」

 

彼女はエノハさんの神機の前に立ち、神機の固定機ごしに額と両手を預けて暫く祈る様に目を閉じた後、目を開けて上目遣いで少し悲しそうにくすりと笑う。

 

その光景に僕は確信する。最早自分がここに留まる理由は無い事を。

 

その日僕は神機整備室に仕掛けられていた監視カメラを外した。指示されたことではない。エノハさんの生存を知った彼女が何か手を打つ可能性も無きにしも非ずの上に「人質」としても有用な彼女を監視する必要もある以上、ここに残しておいて損は無い物だ。が、僕には確信がある。「もうこんな物はいらない」という確信が。

 

リッカさんは全てを理解し、受け入れ、その上で誰にも何も言わずきっとエノハさんの帰りを待っている。

 

恋人と別れる間際の様な名残惜しそうな困った笑顔を神機に向け、左手でポンポンと神機を優しく叩きながらリッカさんは去っていく。後頭部に結わえた後ろ髪を揺らしながら。足取りは軽い。

 

もう彼女は振り向かないのだろう。

 

その背中に向かって僕は深く一礼した後、僕もまた彼女から背を向け歩き出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






「おかえり…ノエル。お疲れ様」

極東支部から帰ってきた僕を最初にヘリ内で迎え入れたのは意外にも

「エノハさん…?」

「レアも来たがっていたんだけどちょっと帰り道の空路周辺にシユウが増えているみたいでさ。代わりに俺がナルと一緒に護衛として迎えに来た」

ヘリのコクピットでいつもの軍帽の代わりに、分厚いヘルメットを被って操縦桿を握る女性―ナルが

「お疲れ様でした。ノエル」

綺麗に切りそろえられた黒髪の合間に光る細い目をノエルに向かって優しく緩ませる。

「…有難うございます」

「任務ご苦労さまでした。…と言っても今からまた少し長旅になるんですがもう少し我慢して下さいね?」

僕を回収した後、再び飛行を始めたヘリ内で暫し沈黙状態が僕らの間に続く。エノハさんは僕に何も聞こうとしない。ただ無言で極東支部がある方向を見つめている。
例えここからは見えないとしても消せない懐郷の念が彼にもあるのだろう。
所詮僕が何を言っても何の慰めにもならない事は解っていた。

それでも

僕は口を開く。僕から言わなければならない。

これは…これからの僕の決意表明だ。言葉にしてはっきり残す。逃げ道など作らない。


「エノハさん」

「…ん?」

「リッカさんは素晴らしい人でした。整備士、技術者、人間としても」

「…!…そうか」

「僕はとてもあの人の様にはなれません。技術も知識も経験も何もかもがあの人に及ばない役立ただずだけど…でも…でも守りますから…!エノハさんを、ママを、『ハイド』の皆を。整備士として」


「…そっか。ありがとうノエル。頼りにしているよ」

僕の言葉に心底安心したようにエノハさんは微笑んだ。リッカさんがへたれで役立たずな僕にここまで言わせたことにどこかエノハさんは感じ取った、確信したのかもしれない。手紙を受け取ったリッカさんがはっきり、しっかりと振り返らずに自分の道を歩み始めている事に。

それが嬉しく、少し悲しくもあったのだろう。
その背中を支え、押してあげられない自分に。傍に居てあげられない自分に。
それでもエノハさんの目には僕に対する非難は無い。

「ありがとう」

彼はさらにもう一言僕にそう付け加えた。思わず目を背けたくなるぐらいの後ろめたさが僕を襲う。だがもう目は逸らさない。

僕のせいで自らの道を歩めなかった人、愛する人と共に歩む道を絶たれ、別の道をこれから歩んでいくこの人の「想い」を最後まで送り届ける。

この「道」の先でもう一度この二人を繋ぐ。この人を神機整備士として守り、支えて無事に「送り届ける」んだ。


今度こそ僕自らの両手で。







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第23話 「ハイド」いちの問題児 1

「海の色…違うんだな」

 

そう呟いたエノハの目の前には極東とは異なる「蒼」さをもった海原が拡がる。

海は大別するとほとんどの場合「青色」と表現、形容されるがその「青さ」には多くの種類がある。海底の砂地、環礁、透明度、水質、汚染、深度、気候、天候など様々な要因が絡み合い、異なる「青さ」を見せる。

 

ここ地中海―シチリア島は形がまるで女性物のハイヒールのブーツの様なイタリア半島の丁度つま先あたりに浮かぶ島であり、そのとある港町にエノハ達は現在訪れていた。

長い年月の間改修される事無く放置され、浸食の進んだ堤防の先端に立ち、エノハはかつて多くの人々を魅了したであろうその景色を無言で眺めつづける。

海底の白い砂が太陽光を反射して鮮やかなエメラルドグリーンを放つ浅瀬、その沖の急に水深が増す境目―「瀬」から一転紺碧に色を変えるコントラストが非常に美しい。透明度も非常に高く、透明の海水の上に並んで浮かぶ朽ち果てた小型ボートの影が水底に映り、船というより小型の飛行機が列をなして雲海の上を飛んでいるかのような錯覚を覚えるほどだ。

 

ここはかつて漁業、そしてその海産資源を利用した観光を主要産業としていた港町だが、アラガミ出現後の混乱によって放棄され、今では遺跡の様な欧風建築の街並みと観光資源として重宝された海が絶妙に調和した絶景が残念ながら2070年代を生きる現代人の大半には御目にかかる事は無く遺されている。数は決して多くは無いが結局はここもアラガミの生息地域だ。特別な事情、立場でもない限り、内陸側に建設されたフェンリルイタリア支部から遠く離れ、有用な回収資源も特にない時代に取り残された遺跡と化した孤島を訪れるリスクを冒す者は居ない。

 

「♪」

 

しかしエノハは今確実に楽しんでいた。この時代のGEのみに許された特権を謳歌していた。

 

「…景色を楽しむのもいいけどそろそろ時間だよエノハさん。アナン達が指定ポイントに標的追い込んだって」

 

レイスが無線を外し、暫し美しい景色と風と波音に見入っていたエノハの替わりにインカムに手を当てながら別行動をしているアナン達からの報告を受け取り、エノハに伝える。

 

「了解。…悪いなレイス。行こう」

 

耳から外したイヤホンマイクを再び装着し、走り出す。海面にいくつも並ぶボート、漁船を足場にしてエノハ、レイスの二人はまるで水を切る様に走り出す。

二人が足場にしたボートはぎしりと音を立て、穏やかな海面に僅かな波紋を残していく。空を舞うような光景であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二分後

 

「…せっかくの異国情緒をブチ壊す見慣れた顔だな。おい…」

 

「…ま。私らここに観光しに来た訳じゃないしね。さ。お仕事お仕事」

 

エノハはうんざりしながら指定地点のビーチの光景を眺める。遮蔽物が無く、視界の開けた丘から白い砂浜と美しい海岸線が臨める絶景ポイントだ。じっくりと眺めたい所だがそうは問屋がおろさない。

 

「お。おかえりぃ~~二人とも~準備できてるよ~~」

 

「遅ぇぞ」

その日常の渦中に居るアナン、リグが二人を迎え入れる。

 

「…やってるね~」

 

前時代、犬とその飼い主が波打ち際で水を掛け合ったり、追いかけ合ったりして戯れている光景は世界中のビーチで見られたありふれた光景だったが、数十年後の現在の光景は残念ながらこうだ。

 

ッズズン!!ドドドッ!!

 

巨大すぎる足跡が白い砂浜を不躾にえぐり、地響き、耳障りな破壊音、重い咆哮が轟く彼らGEの2072年の日常の光景が目の前に展開している。風情も何もありゃしない。

 

グルルル…ガァアアアアアア!!!!

 

快晴。眼前に広がるは地中海の風光明媚な海岸線。絶好の行楽日和に似つかわしくない雷鳴と咆哮が辺りに轟き、空気が帯電する。のどかで美しい風景画の中に悪戯な子供が落書きしたみたいに場違いで冗談の様な生物が中央に陣取っている。

 

巨大なヴァジュラが新たに現れた二人のGEの内の一人―目の前に歩み寄るエノハを睨んで威嚇するように唸り、吠える。しかしその音圧、風圧をまるで意にも留めず受け流して歩きながらエノハは神機の側面の機構をリボルバー拳銃のシリンダーのように開いてそこに奇妙なカートリッジを挿入し、同時閉じる。

 

「じゃあ予定通り今から俺の神機―スモルトの特殊機能の神機解放Lv4の運用実験を始めようと思う。…リグ!」

 

「…おう」

 

「予定通り『3つ』くれ」

 

エノハが到着したと同時アナンと共に場を譲って少し離れた所に立っていたリグが掲げた神機からこの地点までヴァジュラを誘導する段階で既に幾度か捕食し、調達していた三つの受け渡し弾が白い帯を引いて輝きながら次々にエノハに着弾する。

 

…!???

 

ヴァジュラは驚愕の表情を浮かべ、一歩後ずさる。一発一発の受け渡し弾がエノハに着弾するごとに加速度的にエノハの周囲を竜巻の様に迸る烈風と金色のオーラの輝きが増すごとにヴァジュラはさらに気圧され、更に海側へ後退、後ろ足を波と砂がさらっていく。それと同時に血の気も一緒に海に吸い取られていくような怖気を覚えた。その不快な感覚、感触に思わずヴァジュラが自分の足場を確かめるために視線を動かした時である。

 

!!!?

 

「すまないな。少し付き合ってくれ」

 

言葉と同時ずぶずぶとエノハは神機を捕食形態に切り替え、既に間合いに入ったエノハの姿に固まっていたヴァジュラの頬を捕食形態で僅かに削り取る。まるでアリをつまむみたいに加減された一撃で或る。

 

 

…!!ガぐるッ!!

 

その微かな痛みと明らかに加減された屈辱に我を取り戻し、反射的にヴァジュラは最速の右フックの爪を眼前のエノハに向かって薙ぐ。が、LV3解放状態のエノハの「感覚」では顔のほんの数センチを掠めていく爪の切っ先を目で追えるほどの余裕がある。距離的にはほんの数センチ、紙一重だが、「直撃」という結果への道のりは果てしなく遠い。

 

弾かれた様にバックステップをしながら捕食を終えたエノハが解放状態の勢いそのままに足場の砂を巻き上げ、神機を衝立に体に急ブレーキをかける。捕食は成功。

スモルトの特殊機能―神機解放LV4の発動条件はLV3神機解放時に神機にレア特注のカートリッジを装填したうえでの捕食行動だ。その条件をヴァジュラに会敵してから数秒足らずであっさりと達し、エノハは神機内で捕食によって新たに得たヴァジュラの細胞を変換、濃縮、「練り」直す。

 

「…」

 

レベル3の時点で既に大抵のアラガミを単体、複数問わずに殲滅できる実力を持つエノハが更にそれの上をゆくレベルに達する瞬間である。

エノハ以外の三人、そして眼前の敵対するヴァジュラすらも固唾を呑んでその光景を見ていた。が、

 

 

……?

 

 

数秒経っても特にエノハに変化は無い。剣を衝立にし、着地した時の姿勢のまま俯いたまま動かない。

 

「エノハさん…?」

 

『レイス』がエノハに駆け寄る。流石にこれ以上の時間硬直していると気を取り直したヴァジュラが攻勢に移る可能性がある。危ない。

それでもエノハは『レイス』の問いかけに反応しない。『レイス』がもう一声少しトーンを上げてもう一度エノハの名前を呼ぼうとした時、ようやくエノハに動きがあった。

 

 

「……!」

 

エノハの両肩がカタカタと震えている。異常を感じ取った『レイス』がエノハの顔を覗き込む。

 

―……!

 

同時戦慄した。

 

「ぐっ…ぎぎぎぎぎっぐっ」

 

歯を折れんばかりに食いしばり、脂汗を掻きながら鬼の形相でちらりと目線だけ動かし『レイス』を睨む。

 

「…レ イ ス 」

 

「……っ!!!?」

 

「 は、 な、 れろ、おれ、か、らっ!!!! 」

 

絞り出すようなエノハの声を聞いた『レイス』の目が見開かれたと同時であった。

 

パキィンッ!!

 

甲高い金属の破壊音と共にエノハの神機の側面部のパーツが弾け飛び、『レイス』の右頬に赤い線を作ったと同時、

 

―えっ…「うっ!?」

 

『レイス』は一瞬呼吸が止まりかけるぐらいに首と胸の中心辺りを強く押された。エノハが『レイス』を左手で突然突き飛ばしたのだ。『レイス』への突然の手荒いエノハのその行動は『レイス』に逆に理解させた。それ程エノハが切羽詰まっているという事、抜き差しならない状況に陥っている事を確信させる。

エノハへの非難の感情より先に『レイス』は冷静にそれを見極めた。『レイス』は自らを強引に弾き飛ばしたエノハの左手を掴み、叫んだ。

 

「エノハさん!!!」

 

「…っ!!!!」

 

しかしその手もパシンとエノハは無言で払いのける。

その一秒後

 

『レイス』は悟る。その拒絶によって『レイス』は難を逃れた事を。

 

「……~~~っ!!!???」

 

エノハの左手の手首辺りまで一気にどす黒いまるで液体、スライムの様に流動的に形態を変える異物が彼を一気に覆い隠したのである。

黒い異物の正体ははっきりしていた。これは神機の生体部分―捕食形態時に主に顕在化する神機の「肉体」だ。

常に冷静な『レイス』もさすがに目を疑う。それがエノハの神機スモルトの側面から這い出し、異常な膨張率を発して神機の持ち主、エノハを覆い尽したのである。もはやエノハの体で見える部分は左手首から先と左足のブーツのみ、その内左手もすぐに覆い隠され、エノハの部位で見えるのは最早足だけとなった。

 

その光景を表現する言葉としてしっくりくるのは

 

「…エノハさんが、」

 

「喰われた…!?」

 

アナン、リグが順に発したこの二言に尽きる。

突き飛ばされた『レイス』に駆け寄った二人も唖然とその光景を見送る他ない。アラガミのヴァジュラすらもその光景に固まっている中、さらにエノハを喰らった神機の膨張、変容は続く。

黒い液体の様に蠢き、膨張を繰り返しつつ、その物体は徐々に「形成」しつつあった。原始的でただ一つの目的の為に特化した形態を取ろうとしているのだ。その目的とは言うまでも無く

 

「食べる事」だ。

 

ッカァッッ!!!!!!

 

スモルトの刀身形態を呑みこむ剣呑な上顎、下あごが形成される。見慣れた捕食形態―しかし普段に比べると二倍以上に巨大化した顎が形成、同時に両側面に鱗の様な棘が無数に一気に逆立つ。

頭部だけであるがそれだけで軽く三メートル以上の大きさ。かつての地上最大の肉食生物で最大の頭蓋骨を持つティラノサウルスでさえその大きさは1、5Mである。半分以下だ。

そこまの大きさに達して膨張はようやく収束、側面の逆立った鱗の様な棘を隙間なく綺麗に配列し、最後にその黒い体色をまるで蛇が脱皮するかのように顎の先端から太陽に照らされて輝く美しい銀毛に変化、主を呑みこみ、鮮やかな変態を終えた神機―否。最早コレは完全なる

 

 

キッ……シャアアアアアアア!!!!!!

 

 

―アラガミだ。

 

 

「きゃっ!!!」

 

「ぐっ!!」

 

重厚感のあるヴァジュラとは異なり鋭く甲高い奇声を虚空に響かせる。鼓膜を突き刺すような音圧に思わずリグ、『レイス』が耳を塞ぐ中―ただ一人彼女の判断は早かった。

 

「…」

 

―…殺しあえ。

 

 

緊急時を除きエノハの許可なしに「血」の力を行使することを禁じられている少女―アナンが最速の判断で既に動き、自らの判断で自らの枷を外していた。アナンの緑色の目が既に目標を捉え、「アクセス」している。

 

「アクセス」先はヴァジュラ。

 

既に「切欠」は発生している。ヴァジュラの中にある目の前で起きた理解不能の事象、突如現れた敵に対する恐怖、危機感、防衛本能。後はそれらをほんの少し煽るだけだ。

既にアナンは変貌したエノハの神機を前にして確信していたのだ。間違いなく自分達を脅かす存在であることを。危機感を嗅ぎわける嗅覚はアナンは殊更高い。

 

ヴァジュラはアナンの血の能力「断絶」によって煽られ、「逃走」という防衛本能だけを指向的にカットされたまま目の前に新たに現れた敵を見据え、強靭な後ろ両足で踏切り、砂を巻き上げて飛びかかった。

 

が―――

 

ぐばぁ!!

 

 

「……!!!!!」

 

一同絶句。

 

変貌を終えた白銀の神機は飛びかかったヴァジュラの頭をすっぽりと収めるほどの大きさにまでその巨大な顎を約140度もの角度に開き、飛びかかってきたヴァジュラをそのまま迎え入れ、

 

……!!!!

 

ヴァジュラの下顎、そして上顎からやや上の眼球の上―猫で言う額辺りにまですっぽりと喰らい付いた。

 

頭にがっぷりと喰い付かれ、口を塞がれたような恰好のまま巨大なヴァジュラは砂しぶきを巻き上げながら着地。同時に首を左右に大きく振るって喰らい付いた神機を振りほどこうとめちゃめちゃに暴れ出す。

 

 

…!!!グッ……!フガッ…!

 

 

上顎と下あごに喰いつかれている為、最早満足に吠える事も叶わないヴァジュラはなりふり構わず暴れ回る。大型トラック以上の質量と巨大さを持つ生物が自分の頭に喰らい付いた物体を引きはがす為に暴れ回り、叩きつけたりするのだ。地響きが響き、巻き上げた砂が間欠泉のように噴き上がる。しかし、神機の顎は執拗に喰らい付いた獲物からまるで離れようとしない。

 

「ここに居たら巻き込まれるよ!!一旦離れよ!!!」

 

「賛成…!!!コイツはやばすぎる!!」

 

「くっ…!!了解っ!!」

 

『レイス』は未だブーツの部分だけ見えている神機に取り込まれたエノハの足を見て、もどかしそうに唸ったがすぐに気を取り直し、アナンに賛同する。

三人は一時この場を撤退することを決め、駆けだしたが―

なりふり構わず暴れ回るヴァジュラの強靭な足腰を使ったジャンプの着地先が三人の下であった。巨大な上から覆いかぶさろうとしている黒い影にすっぽりと覆い隠された三人は

 

「…あぶね!!!」

 

「え。うわっ!!」

 

「きゃっ!!」

 

ズドォッ!!

 

砂塵と轟音を巻き上げ、着地と同時、転げ回るヴァジュラにはじき飛ばされる。

 

「うぅ~~~っ!いった~~~い」

 

「って~~~!!おい!アナン!!『しつけ』がなってねーぞ!!?もう少し大人しくさせろや!!?」

 

「無茶言わないでよぉ~~リグぅ~~~」

 

「痛っ…二人とも無事!?」

 

「帰りた~い!!」

 

「なら立つ!!」

 

お互いに励まし合いながら三人が再び上体を起こした時であった。

 

ゴキン…パキっ…みちっ

 

 

―――うっ…!!!

 

―うぇっ…!

 

まるで何か湿った建材や木材が弾ける様な音が三人の耳に届き、その音の方向に三人は目を向けた。

先程まで散々に暴れ回っていたヴァジュラの動きが止まっている。相変わらず頭に喰らい付いたままの神機をぶら下げながらもその行動がどんどん鈍くなっている。

その原因こそこの音の正体であると三人は理解している。三人にとってそれはこの時代のアラガミとの闘争に於いて聞き慣れた「戦場音楽」であったからだ。

 

それは…噛み砕かれる音。生物が咀嚼され、生きたまま噛み砕かれ、貪られるときに発される声なき悲鳴だ。人もアラガミも喰らわれる際に奏でる耳障り過ぎる音だ。

 

 

ギュっ…キューーーン、キュンギュルル…!!

 

 

ヴァジュラが口を塞がれたまま発した甲高いこの声は命乞いであったのだろう。巨大な獅子を象った巨獣がまるで脅える子猫の様な声を上げ、自分の口元に喰い付いた神機のアギトを最早力の入らない両腕で必死に引きはがそうとする姿はアラガミでありながら哀れみすら覚えるがしかし、喰らい付いた神機―「機神」と化したスモルトにそんな感情は―

 

無い。

 

 

…ゴキン!!ぱきッブチゅん・・

 

 

ピギュイイイイイイっ!!

 

それが口を防がれたままヴァジュラが発した最期の断末魔であった。

 

 

 

…ぐしゃあっ!!!!

 

 

機神の顎はヴァジュラの下顎、上顎、額、眼球に至るまで頭部骨格、構造物全てを噛みつぶした。ぽっかりと削り取られた頭部から赤黒い体液を撒き散らしながら巨獣は横たえた巨体を僅かに痙攣させていた。

 

沈黙したヴァジュラから間欠泉のように噴きでる体液を浴びながら機神は振り返る。

最早機神の興味はヴァジュラには無い。

にゅとりとした噛み砕いたヴァジュラの頭部の粘り気ある体液を口元から涎のように垂らしながら残された三人を見据える。

 

「……!!!」

 

三人はその視線だけで射抜かれた様に体が竦んだ。アナンが直感したとおりである。コイツはアラガミだろうが神機だろうが人だろうがGEだろうが見境は無い。

 

遍く「餌」だ。

 

「……来るね」

 

尋常じゃ無い殺意を飛ばされた残された三人は身構える。

 

「殺る気満々って感じだな…このクソ神機が」

 

「…エノハさんどうなってんだろう…あんな事になってるけど」

 

「恐らくダメじゃねぇか?…あれじゃ」

 

三人の目線の先にはエノハの左足だけが最早不要な部位として今にも飲み込まれそうになっている。もがいている様子も無い。

 

「…かもね」

 

「でも私ら多分他人の心配してる場合じゃないよね~」

 

「…」

 

「…」

 

 

 

三人はこう見えてGEとしての能力は全世界、全支部的に見ても非常に高い水準に入る。実戦経験はまだまだ少ないものの、素養、能力、性格も及第点以上、そして固有の「血の力」を一人一人持ち合わせているのだから当然だ。中型はおろか、大型種でも十二分に互角以上に闘い、殲滅できる手腕がある。

 

しかしその三人が覚悟した。それ程の相手だ。間違いなく彼女達が今まで相対したアラガミ…いや「敵」の中で最強の存在が今目の前に居る。

因果な物だ。よりにもよってその相手が完全なアラガミでなく元神機だと言うのだから。

 

 

「ぶっちゃけ…多分殺されるよ?私達」

 

 

アナンのその言葉に他の二人は何も答えない。

返事の必要が無い程言われなくても同感であった上に、既に機神が未だヴァジュラの体液の滴る鋭い歯の並んだ顎を目一杯笑う様に裂けさせたまま歓喜に満ちたような奇声を発し、彼ら目がけて跳躍していたからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




読了お疲れさまでした



「ハイド」いちの問題児―通称「ハイジ」がエノハ一行を襲う。

ヨーロレリヒー♪



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「ハイド」いちの問題児 2 

手足のない体を強引に弾ませ跳躍し、頭上から三人に襲いかかった機神―スモルトは口から大量の砂を噴出させながら辺りを見回した。機神はこの「暴走」状態になったばかりでまだまだ勝手が解っていない。手探りの暴力をふるいながら徐々に己の可能性を見出している最中である。しかしその拙い原始的な暴力で既にヴァジュラを楽々と葬っている。

 

 

その力を目の当たりにし、おまけに自分達の部隊の最強個人を喪っている「ハイド」三人は即その本領を発揮する。

 

!?

 

砂塵を裂いて無数のオラクル弾が機神に炸裂した。

その弾に横っ腹をつつかれた様にのけぞりながら機神はその方向に目を向ける。弾着によって吹き飛んだ砂塵の中から

 

「…調子のんなよ?」

 

既に黄金のオーラを身に包み、不機嫌そうな眼をワークキャップの下から覗かせながらリグが躍り出る。同時、掲げられた彼の神機―ケルベロスのアサルト形態の銃口から牽制用のオラクル弾頭が立て続けに射出される。

普通の人間なら足を取られ、俊敏性が著しく落ちるはずの砂丘の上を全く問題無く、高速で投げられた石が水面を滑る様に切っていく様に駆け抜け、リグは弾幕をばら撒く。

 

一発の弾着ごとに僅かに体を揺らしながらも意に介することなくそのリグを捕捉したまま機神は獰猛そうに口を歪め、視線をリグの動きに合わせ、再び跳躍の溜めを作る。

 

「っ!!」

 

その機神の所作を確認するとリグは足を止め、重心をやや後ろに屈め、両足を踏ん張る様にして足場を固めた。これは移動を兼ねたアサルトライフルの軽連射では無く、重機関銃の為の構えである。

 

ガチャっ

 

リグはケルベロスの側面を開き、高熱化した軽弾幕用の弾頭を息を軽く吐くように排出、同時右手のそれぞれの指の間に既に挟んだ弾頭をほぼ時間差なく装填する。排出した弾頭がまだ煙を放ち、リグの視界周辺に浮いている間に既に装填は終了していた。

同時叫ぶ。

 

「飛べるもんなら飛んでみろや!!!オラァアアアアアア!!!!」

 

ガンガンガンガンガンガンガン!!!!

 

その言葉と同時、先程までの弾頭より遥か太い光弾が線を引き、空をひゅんひゅんと切り裂いて次々に機神に着弾。

 

…!!!!

 

一発一発の重み、そして撤甲製も増したリグの弾頭に機神は堪えるようにして体を丸める。着弾のぶれも確実に大きくなり、足元に筋を引いてじりじり後退、リグも同時に増した反動によって両足の二つの筋を砂浜に作りながら後退。

 

強烈な反動に歯を食いしばりながらもリグは更に

 

「まだまだァ!!!」

 

より連射の速度を上げた。しかし、連射の間隔が短ければ短いほど銃口のブレは大きくなり、照準は定まりにくくなる。強烈な弾幕の収束率は自然悪くなり、ロスが増える。

自らにかかる弾幕の負荷の減退を感じ、強引に機神は前に出ようとした、

 

が。

 

 

―――!!!???

 

 

前方の弾幕に意識を集中させ、強引に突っ込もうとした機神がそれを挫かれる強烈な衝撃を立て続けに感じた。それは全くの無意識、無警戒だった背後であった。

 

「ほらほらほら!!アナンちゃんの華麗なトスバッティング見ておくんなまし!!!」

 

振り返った機神の目に映ったのはリグの散乱した弾頭を盾形態によって反射させ、精確に機神に着弾させてくる少女―アナンの姿であった。

 

……!!

 

前からリグ、後方からアナンの反射攻撃の挟撃を喰らい、弾幕の中心で集中砲火を浴びながら機神は「固められる」。強靭な外殻によってダメージは限定的だが身動きが取れない。

しかしこれは長く続かない。

 

一見挟撃ではあるが所詮攻撃手を繰り出しているのはリグの、それも弾数の限られた比較的オラクル消費の激しい弾頭なだけなのだ。リグが解放中とはいえ限度がある。

機神は自分が「神機であった者」故それを当然知っている。今は耐え忍ぶ時なのだ。

反撃の機会は遅からずやってくる―

 

 

「…させないよ」

 

!?

 

ぞりりっ!!!

 

挟撃より全くの別方向から機神の半身ほぼ全体を削る一撃を受け、集中砲火の総火力が更に高まり、拘束は一層強まった。

 

「……ちっ…カッタイね…!!」

 

―おまけに…コイツ…!!

 

唯一自分の神機を通して機神の外殻の堅牢さを直接手で感じ取れる少女―『レイス』は同時、それ以外にも機神から神機を通して伝わる「何か」によって不機嫌そうに顔を歪めながらもそれを振り払う様に尚も長い銀髪を振り乱して咬刃形態を振りまわし、一定の距離から機神の側面を削る。咬刃形態の威力を最大限に上げ、反撃を受けにくい最適距離だ。

元神機であり、オラクル細胞の塊である機神の体からオラクル細胞を略奪しつつ、

 

「リグ!!」

 

「くれ!!」

 

彼女の神機「カリス」に便宜上つけられたアサルト銃身に回収、補充されたオラクル細胞のカートリッジをリグに投げつける。

オラクル細胞の充填が済み、度重なる弾幕とアナンの反射による援護、「レイス」の鎌の咬刃形態で削られた機神がよろけたのを見届けたリグは再び神機の側面を展開、また新しい弾頭を装填し、同時神機形態をアサルト銃身からスナイパー銃身に転換。

 

「アナン!『レイス』!」

 

「いいよ!!」

 

「バッチこ~い!」

 

同時に銃声。新しい攻撃の予兆を感じ取った機神がようやく上体を起こした際目の前に広がった光景に

 

!?

 

機神は驚きを隠せない。光の筋が無数に自分の周りを取り囲み、走り続けているのだから。同時光の筋は読み切るのが困難な軌道を描いて一斉に機神に降り注ぐ。

着弾した箇所が焼き切られている。レーザー弾頭だ。

それが機神の周囲を取り囲むように複雑かつ予測不能な動きで張り巡らされている。その現象の正体は同時に機神の体を切り刻む鎌と周囲を飛び回る一人の少女によって展開されていた。

 

『レイス』の鎌の刃、そしてアナンの盾「エロス」。それら二つがリグの放ったレーザー弾頭を乱反射させ、結界の様な空間を作り上げる支援ユニットと化しているのだ。

機神が動こうとするとそれに反応した『レイス』、若しくはアナンがレーザーの軌道を制御、レーザー弾頭を視覚外から機神は浴びせられ、反撃の糸口を見つけられず怯み続ける。

 

…ずるり

 

間断なく度重なる弾幕、攻撃を受け、再び機神が上体を崩した。解放状態のリグの目がこの好機を捉え、一気に彼の瞳孔がこの好機を逃さない為に目的一点に収縮、集中する。リグは眼前で崩れ落ちた機神に向かってスナイパー銃身を解放展開。これは銃形態のアラガミバレットを放つ直前の予備動作だ。LV4の運用実験の為にエノハに受け渡す用に事前に用意していた分以外の「予備」を彼はストックしていた。

 

ヴァジュラのアラガミバレットを貫通能力に特化させた一発を機神に正面からぶつける為照準を合わせ、同時トリガーを引いた。

その直前に機神は本能的勘で自分の危機を察知し、既に崩れた体勢ながらも回避行動に

入っていた。スナイプ銃身のアラガミバレット―弾着は発砲とほぼ同時だがアラガミバレット特有の銃身解放のタイムラグの際にその隙を利用すれば、照準から逃れる事も不可能ではない。

重厚な発射音とともに強烈な一筋の青い閃光を放つアラガミバレットが切りもみ状に電圧の帯を引いて放たれ、既に照準から逃れていた機神の側面を掠めていく。

機神の判断、行動は正しかった。

 

が、あくまでその解答は「三問中一問の答えを正解しただけ」にすぎなかった。

機神が逃れたリグのアラガミバレットの照準の先―そこには既にアナンが盾を待ち構えていた。

 

―いらっしゃ~「ぐぇっ!!」

 

着弾と同時に彼女は少々情けない声を上げ、盾と共にはじき飛ばされながらもアラガミバレットの弾頭を反射させた。弾頭は回避した機神の死角、丁度真上へ。

 

「…」

 

そこには既に「レイス」の神機カリスの刃がアラガミバレットの着弾を待ち受けていた。まるで断頭台の様に。

 

 

「「「……堕ちろ!!!!」」」

 

チュイン!!

 

既にこの三人の中でこの「絵」は完成し、その完成図と寸分違いの無い光景が映し出される。放電現象を纏った一筋の雷光が脳天から機神を射抜き、轟く雷鳴を一瞬遅れて響かせた。

 

 

ズドォン!!!

 

…!???

 

完全な知覚外からの一撃に一瞬何が起こったのか解らず、混乱の中機神は真上から射抜かれた衝撃と自分の体を迸る強烈な電圧を同時に受け、満足に着地の衝撃を和らげる事も出来ずに地に叩きつけられ、同時に水中で強力な電圧を喰らって気絶し、白い腹を見せて浮かんでくる魚の様に力無くその銀色の体を横たえた。まるで「のされた」獣のように口を開き、その中にある神機の刀身を舌の様にだらしなく出して見せている。

 

 

「はぁ~~はぁ~~どうだ!…こんにゃろ…」

 

役目上一番機神に接近し、動き回る仕事をしたアナンが肩で息しながらそう呟く。

 

強烈な先制、連携攻撃で瞬時に目標を沈黙させた三人であるが脇目も振らず火力を解放した為に消耗は激しく、おまけに到底この程度で仕留められたとは思えない相手ゆえに警戒は怠らない。同時に「喰われた」エノハがどうなっているのかもこの状態では判断がつかず、迂闊に手を出せないのも影響し、三人は近付いて調べる事も追い打ちをすることにも若干の迷いがあった。

 

 

これは神機解放Lv4の再生能力の前には痛すぎる躊躇であった。

 

「!?」

 

機神の側面の銀色の鱗の様な棘が規則正しく、まるでドミノ倒しの逆再生のように逆立った光景に自分達の躊躇を後悔した三人が追い打ちを仕掛ける前に機神は再び活動を再開。

 

リグと「レイス」の同時の追撃を跳躍でかわして宙に舞い―

 

「え」

 

「?」

 

「い~っ?」

 

 

呆気にとられる三人に背を向け、機神は海にダイブ。その姿を水中に没し去った。

 

「あの野郎…逃げた…?」

 

「は~~よかったねぇ~~?きっと母なる海に帰っていったんだよ~~うんうん。めでたしめでたし。ほら~~昔の極東の特撮映画よろしく『終』のテロップだして~~」

 

「……アナン?」

 

「じょ、冗談ですよぉ~~~」

 

「でも…どっちにしろお手上げには違いねぇぞ『レイス』…流石に海に逃げられたらどうする事も出来ないのは一緒だぜ…」

 

「…アンタ達は神機通して直接『アイツ』」に触ってないから解んないだろうね…」

 

「…?」

 

「神機通して直接攻撃した私だからこそ解んの。アイツから伝わったのは際限ない食欲、闘争の喜び。面白そうなオモチャとご馳走いっぺんに見つけた子供みたいなもんだった」

 

「…」

 

「ひぃ」

 

「逃げる気なんてさらさらないし、私達を逃がす気もさらさらない。…死にたくなけりゃ気ぃ抜かないで二人とも。一人でも誰か欠ければあっという間に喰い破られて全滅すると思―!!!」

 

「レイス」の言葉はすぐさま裏付けられた。

 

 

ザアアアアアアアアッ!!!!

 

 

いきなり三人の眼前の海が隆起し、巨大な波が三人の足元を浚っていく。三人は最大限の警戒を引っ提げたまま機神の姿を探して目線だけ動かす。いついかなる奇襲があってもいい様に。

 

しかし機神は姿を現さない。恐らく機神の差し金であろう大波の海水もすぐに引いていき、海浜は奇妙な沈黙に包まれる。大波によって流されたヴァジュラの死体が波打ち際で揺れる。

 

「…にゃろう…一体何がしたいんだ?」

 

「う~ん」

 

「…」

 

「ん?…あ」

 

「?」

 

「アナン?」

 

「私解っちゃった~~二人とも※ASAPでこっちへ~~」

 

※as soon as possibleの略。「出来る限り早く」という意味。

 

アナンにほんの少し遅れ、二人も気付く。

 

「波打ち際で揺れる事切れたヴァジュラ」

 

「海水で水浸しの足元」

 

それが意味する物に。

 

強靭な耐久力、肉体を持つGEすら気絶、戦闘不能、若しくは最悪即死させる強力な電圧が海水で濡れた地面を伝ったのはそのほんの一秒後であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ハイドいちの問題児 3

高電圧を流され、水温の上昇した海水が霧のように辺りに立ち込める。それが浜風に流されて視界が徐々に開けていく。

先程即死クラスの高電圧が伝い、未だ蒸気を上げている浜辺の上から「ハイド」の三人は忽然と姿を消していた。

 

その遥か内陸側で

 

ザスっ…

 

地に突き刺さっていた鋭利な鎌の先端を抜いて肩に担ぎあげる美しいが表情が幾分乏しい銀髪の少女がいた。

 

「あっはは~~こりゃまるで…『ブレーメンの音楽隊』みたいだね?」

 

銀髪の少女の何故か足下から陽気そうな少女の声がした。

風が吹き、辺りを包んでいた蒸気を洗い流す。銀髪の美少女の足元が露わになり、ようやく現在の状況が判明する。

 

「レイス」は細く長い足を下に居る少女―アナンの肩に絡ませて乗っていた。そしてそのアナンをリグが背負い、そのリグの下にはアナンの神機「エロス」がまるで雪上を滑るソリのように敷かれており、海側から砂の上を引きずられたかのような轍が伸びている。

 

事の顛末はこうだ。

 

先程三人が立っていた足場全体に海水を伝って広がった高電圧の海の上でアナンは咄嗟に自分の神機エロスを展開、同時足元に敷き、それにリグと「レイス」と共に飛び乗ったのだ。接地面に盾を引くことで絶縁体とし、三人の体を流れようとする高圧電流を最小限に抑え、同時一番上に乗った「レイス」は鎌の咬刃形態を安全圏へ延ばして同時に解除。まるで船を牽引するように砂上を移動して真下に広がる電撃の海を航海し、現在彼等の居る安全圏まで逃れたのである。しかし―

 

ぶすっ…

 

命が助かったことは確かだが幾分リグ、そして「レイス」の表情が冴えない。この絵面、そして先程アナンが漏らしたこの状態の「感想」に不満気なのだ。

 

「ブレーメンの音楽隊」

 

誰もが知っている有名なグリム童話であり、大まかに言うと「四匹の動物達が協力し、合体して悪い奴等を脅かし、怖がらせて追っ払う」という痛快ストーリーだが…

 

 

「…私ニワトリ?」

 

一番上の普段は基本無表情の「レイス」が珍しく眉を物凄く嫌そうに歪ませてそう呟く。髪型が「ニワトリのトサカに見えなくもない」とでも言われたら更に不機嫌になって帰ってしまいそうなレベルだ。

 

「わ~い♪私ネコ~❤うにゃあ~~ん❤」

 

替わって上から二番目のアナンがご機嫌そうにそう言って笑う。「配役」に彼女は心から満足しているようだ。

 

「俺は犬か…」

 

リグは一切の不機嫌さを隠さない表情で舌打ちしながらそう言った。今すぐにでも背負ったアナンを振り落としたい気分である。

 

 

…。私ロバかよ…。

 

 

「配役」にご満悦な主―アナンとは対照的に敷かれ、上に乗られ、おまけに電撃の海の上を引き摺られた今回の回避に於いて最大の功労者―神機エロスは損な役回り+与えられた何とも微妙な配役に人知れず涙した。

 

まぁ何にしろ絶体絶命のピンチを全員無傷で凌いだのは間違えの無いことである。

 

―しかし

 

そんな彼等が現在対峙している当の相手は先程の童話「ブレーメンの音楽隊」に登場していた小物の盗人共とは比較にならない相手である。

 

「!」

 

「…もうイヤ」

 

「…ちっ」

 

ずるり…

 

バチバチと放電の青い光を放つ物体が蒸気を裂いて海側よりゆっくりと三人に近づいてくる。

 

フルルルル…

 

自分の体の周囲に迸る雷光によって銀色の体を青く輝かせ、機神は再び三人の前に凶暴そうな風体を現す。同時―

 

「…嘘だろ?」

リグは目を見開く。

 

ズブ……ガコン

 

機神が開いた口の中にあるスモルトの刀身が飲み込まれるように引っ込んでいき、代わりに現在機神の喉もとで光るのはエノハの神機―スモルトの銃形態の巨大なブラスト砲身であった。その先端の砲筒が間もなく光を帯び―

 

ドン!!

 

エノハが何度かトドメにアラガミを爆殺する際に使用していた高威力ブラスト専用弾―ホーミングミサイルの様な弾頭が固まっている三人の元へ容赦なく放たれた。

オラクルの消費量はとりわけ大きいがそれに見合った威力、攻撃範囲を持つ文句なしの危険な弾頭だ。

 

―…!!!!!!

 

瞬時に回避行動以外に選択肢は無いと判断した三人が散り散りに別れた中央でその弾頭は炸裂し、再び轟音と共に大爆発が起きる。その爆風は容赦なく三人を襲う。

 

「っ!」

 

「きゃぁっ!!」

 

「…!!アナン!?」

 

 

鎌を高速移動手段に使える「レイス」、解放中で瞬発力が高いリグと比べ回避能力が格段に低いアナンは出遅れる。結果盾を展開して凌ぐ他ないのだ。当然三者の中で一番容赦ない爆風の被害を被り、体勢が大きく崩れる。

更に悪い事に―機神の狙いは最初からアナンであった。ここまでの戦闘で攻撃はともかく回避、防御、咄嗟の機転と少なからず相手集団の危機を救ってきた彼女を優先的に機神は仕留めにかかる。

 

ガァッ!!

 

巨大な口を開き、アナンを噛み砕こうと機神は跳躍。吹き飛ばされて満足に体勢を立て直せていないアナンに迫る。

 

―…!!にゃっろ~~やっぱり私が狙いか!!

 

「……!!く~~っ!」

 

アナンは衝撃で霞みそうな意識を奮い立たせ、何とか盾を構え、機神の攻撃の直撃の「芯」をずらしたものの

 

ガガガガガガガッ

 

まるでやすりで削られるみたいに機神の側面に生えた鋭い鱗でぞりぞりと盾を削られる。

 

「いやぁっ!!!」

 

弾き飛ばされ、きりもみ状に回転しながら上空へ弾き飛ばされた。

上も下も解らないまま高速回転し満足に受け身を取る事も出来ず、砂浜に叩きつけられた。

 

「…ぐぇっ…?はらららはなニャ…?」

 

形容しがたい奇声を上げて目をぐるぐる回し、酩酊したのちにパタンと大の字で寝転がった。既に再び跳躍し、アナンに覆いかぶさるように大口を広げている機神の真上からの追撃をアナンは回避もガードも出来そうにない。彼女の運命は尽きたかに思えたその時、

 

がッ!!

 

突如アナンに覆いかぶさる様に喰らい付こうとしている空中の機神の左半身に何かが喰らいつく。それは見た目こそ機神とそっくりであるがその色は通常の捕食形態の黒色で在り、また大きさも遥かに小さかった。

 

ドズン!!

 

それでも浮遊中の機神の落下先、軌道を逸らすことぐらいは出来る。

間一髪。アナンに喰らい付こうとした機神の大口は左側頭部に喰らい付いた黒い顎によって逸らされ、投げ飛ばされるみたいに叩きつけられ、喰い付かれたまま砂上に抑えつけられる。

 

「~~~~っ!ぐっ!!」

 

アナンを救ったのはリグとリグの神機―ケルベロスの捕食形態であった。リグは歯を食いしばりながら必死の形相で捕食形態に力を込め、もごもごと黒い顎を動かしながら機神を抑えつける。

 

「おい!アナン!!しっかりしろ!」

 

「…うっ…ごほっ!!えほっ!」

 

アナンは痛々しそうに眉を歪め、落下してしこたま背中を強打した事もあり、呼吸困難を起こしていた。復帰に恐らくまだ数秒かかるだろう。リグはもうしばらく時間を稼ぐために更に捕食形態を喰い込ませる。

 

が。

 

必死で神機ケルベロスの捕食形態で機神を「抑えつけていた」つもりであったリグであったが

 

ぐぐっ…

 

まるで「それで抑えつけているつもりか」と言わんばかりに機神が喰らい付いているリグの神機の黒い顎を物ともせず立ちあがり、まるで水で濡れた犬が体をふるって水滴を振り払うような仕草でリグの神機の捕食形態を強引に振り払おうとする。

リグは神機ごと振り回される前に抑えつけるのを諦め、即座に神機形態を転換。

 

ガコン…

 

近距離銃形態神機―ショットガンにリグは切り替え、機神の生物で言うなら「目」周辺、即頭部に銃身を押し付けた、近距離で最大の威力を発揮するショットガンにとって最大火力を出せるであろう状況、消費するオラクルに見合うだけの十二分な威力を持つ弾頭を惜しげも無く撃つべき理想的な状況だ。

 

「これでも食ってろ!!」

 

ガぁン!!!

 

ショットガンのゼロ距離散弾の猛烈な反動でリグの片腕が弾かれ、同時に機神の体も大きくのけぞった。この弾頭は近接威力だけなら先程機神が脳天に受けたアラガミバレットをも上回る。それがものの見事にクリティカルヒットしたのだ。大抵の敵はこれで勝負は決まる。

 

しかし―

 

「…っ!!」

 

リグは眼前の光景と手応えの無さに眉を歪めた。

 

ぐりん!

 

ゼロ距離散弾で大きくのけぞった機神のアギトが達磨みたいに直ぐ戻ってくる。

 

―…!!やっろ…!!!

 

その側面にはまるで騎士の顔を覆う兜のように銀色の盾が展開され、散弾が直撃した部分から黒い煙を上げているものの、大きな損傷は無い。機神は神機の銃形態だけでなく、盾形態すら行使してリグのとっておきの一撃をとっさに弾いたのだ。機神の異常な反射、反応力、適応力を垣間見せられたうえ、射撃後の強烈な反動と動揺で固まったリグに向け

 

ぐぱぁっ!!

 

機神は大きく口を開き、再び喉元の銃身を展開する。ゼロ距離射撃の「お返し」を見舞うつもりだ。「お返し」と言ってもブラスト銃身に合わせてその弾頭はご丁寧に

 

ボウッ!

 

「放射」であった。ブラスト銃身近接御用達のポピュラーな弾頭だ。

 

「っ!!」

 

上半身を丸ごと消し飛ばされそうなその攻撃を上体を背部に反らせて間一髪リグは躱す。彼のワークキャップのつば先を放射が掠めた事によって煙の焦げ臭い匂いがリグの鼻につく。

 

「ぐっ!!」

 

元々射撃の反動で崩れた体勢から行った咄嗟の回避であった為、解放状態のリグですら体幹を立て直す事が出来ずどすんと尻もちをつく。その彼に容赦なく機神は再び砲身を向ける。先程はリグの上半身を狙って斜め上に打ち上げるような放射であったが今度は撃ちおろすようにに砲身を尻もちをついたリグに向け、狙う。

リグの全身を捉えた照準だ。リグは体勢最悪で回避は不可能、放射を防げる盾を持つアナンは未だ隣で意識が混濁。成す術がない。

 

「……!!」

 

機神の口内の砲筒から漏れる光で顔を照らされ、リグは覚悟し目を逸らした。

 

―くっそ…!!

 

「…諦めが早いって~~~―」

 

―!?

 

「の!!!」

 

ガスン!!!

 

 

その聞き慣れた声にリグは強く閉じていた両目を片目だけ開く。彼の顔を赤く照らし出していた光が消えて視界はクリアだった。

 

「…!!『レイス』!!」

 

リグの目の前に空から降り立った『レイス』が大鎌を振り下ろし、機神の上顎、下顎を貫いて口を強引に閉じさせ、地に縫い付けていた。

 

「悪い子はお口チャック…っ!!!」

 

機神の上顎に突き刺さった鎌に全体重をかけ、「レイス」は

 

「アナン、リグ!!今!!エノハさん引きずり出して!!早く!!!」

 

目線でエノハの足を見据えながら叫ぶ。

 

「…!アナン!!」

 

リグは隣で倒れているアナンに素早く駆け寄り、容赦なく

 

「アナァァァン!!!起きろぉおおおお!!」

 

パパパパパン!!

 

往復ビンタ。

 

「いひゃひゃひゃっ!いひゃいいひゃいいひゃい!!(いたたたっ!いたいいたい

いたい!)!!ちょっ!!痛いっての!」

 

「手伝えっ!!」

 

「へっ…!?お?お?お~~『レイス』!!ナイスですね~~?」

 

アナンは往復びんたを喰らってぱんぱんに腫れた両頬を抑えながら周りを見回して状況を把握し、機神を取り押さえている「レイス」にぐっと親指を立てる。

 

「いいから早くエノハさん助けなさいっ!!」

 

「おっけ!!」

 

既にエノハの足を掴んでいるリグにアナンは駆け寄り、二人がかりでエノハの足を引っぱる。同時に

 

グルィイイイイ!!!

 

口を塞がれた機神は今までになく苦しそうに唸り、上体を蛇のようにくねらせる。機神にとって内部に取り込もうとしているエノハを引っ張られると言う事は内臓を引きずり出される様なものだ。当然激痛に呻く羽目になる。

 

しかし―

 

「…あれっ!?」

 

「ぐっ!?」

 

順調にエノハの足を引っ張り、膝の辺りまで見えた所で突如ぴくりとも動かなくなった。それどころかようやく引きずり出したエノハの足が再び機神の体内へずぶずぶと沈んでいく。機神の生体部分が体内で蠕動(ぜんどう)を起こし、エノハの体を強引に完全に体内に取り込もうとしているのだ。

 

「…!!ちょっ!!何やってんの!!早く引きずり出して!!」

 

いつもは沈着冷静な『レイス』も思わず声を荒げた。

 

「うるせぇ!!こっちだって必死なんだよ!!」

 

「うぇ~~ん!!『うんとこせ!どっこいせ!それでもエノハは抜けません』!!」

 

「アナン!!この期に及んでアンタってコは!!」

 

「私もこれでも必死なんだよぉ~~~」

 

アナンはどういう状況であれ、在る程度お茶らけないと心を保てないタイプである。

これは自分も加勢するべきかと「レイス」は思い始めた。

鎌を咬刃形態にすれば、抑えつけながらでも加勢は可能かもしれないと考えた―

 

矢先であった。

 

 

―……!!?

 

その考えを直ぐに却下するのに一切の躊躇いが生まれない光景が「レイス」のオリーブ色の瞳に映し出されている。

 

ググググッグ…

 

圧力を弱めたつもりはない。むしろ「レイス」は徐々に強めているつもりだがそれでも機神の開口が止まらない。

 

 

大抵の生物の口の構造という物は非常に「噛む」という力が強く出来ている。他の生物を捕食する肉食生物は元より、雑食の人間ですら自分の体重の約五倍ほどの圧力をkg/平方センチメートルあたりにかける事が可能である。前時代の自然界で最高の咬筋力を持つワニに至ってはその圧力は5トン以上と言われている。

 

が。

 

逆に「口を開ける」という力に関してはどの生物でもそこまで高い物ではない。前述のワニですら人間に覆いかぶされられ、上顎と下顎を抑えられれば口を開ける事すら困難になる。「噛む」力と比べて口を「開く」力というのは非常に弱いのだ。

 

 

しかしそんな常識の範疇外の異常な「開口力」を以て機神は細身ながらもGEである少女の強靭な筋力に逆らい、その口を強引にこじ開けようとしていた。

 

「ぐ~~~~っ!!!!!」

 

唇から血が出るほど噛みしめ、機神の開口を阻止しようとする「レイス」であったが…

 

グバッ!!

 

努力むなしく、機神の両顎は拘束から解き放たれ、同時に頭の上に載っている「レイス」を

 

ブン!!!

 

「きゃっ!!!」

 

上顎をふるって空中に放り投げる。

 

「うおっ!」

 

「うわぃ!」

 

その反動によってエノハの足を掴んでいたリグ、アナンの二人も振りほどかれる。二人は敢え無く機神の体内に取り込まれていくエノハの足を見送る他無かった。

 

 

「…くっ!!」

 

空中では「レイス」は四回転ほどした後、姿勢を正して直ぐに着地先に居る機神に目を向け、追撃に対しての備えを整えた。が、

 

「…!!??」

 

既に機神の「追撃」は行われていた。異様な光景に「レイス」は愕然とする。もともと巨大な機神の両顎がまるでアリゲーターガーの口の様に伸び、上下から空中の「レイス」に向けて閉じようとしている直前であった。これでは咬刃形態を延ばして回避する時間すらない。慌てて延ばしたカリスの切っ先が地に達する前に「レイス」は機神に咬みつぶされてしまう。

 

それでもこの状況を打開できる可能性があるのは彼女の神機のカリスだけである。

 

ガィイイイイイン!!

 

容赦なく閉じられた機神の上下からの両顎―最早口内と言っても差し支えない場所で「レイス」はカリスの咬刃形態を展開、上顎にカリスの刃の部分、下顎に柄の部分を突き立て、機神の噛み潰しを間一髪で止めた。しかし、尚も強まる機神の上下からかかる圧力に徐々にカリスは咬刃形態を縮められていく。口内の「レイス」も必死で堪え、咬刃形態を保とうとするが相手はヴァジュラの頭部を噛み潰した化物の咬筋力だ。

 

ぴしっ

 

「……ぐっ…くっ!!」

 

神機を手放して脱出を試みようにも手放した瞬間力の均衡が崩れ、逃れる間もなく神機と一緒に「レイス」は噛み潰されるだろう。よって最終的な結果が変わる事が無くてもこの状態で耐える他ないのだ。死ぬのが恐らく十数秒、下手をすれば数秒の差であろうとも。

 

しかしその僅かな時間差もせっかちな機神は許さなかった。

 

ずるるるるる

 

「え……!!?」

 

口内で必死に堪えながら「レイス」は自分が引き寄せられている事に気付く。嘴のように延ばした形態を機神は元の大きさに戻そうとしているのだ。その行動の本当の意図に「レイス」が気付くのは間もなくである。

 

ずずずず

 

神機を衝立にしながら必死で堪え、身動きの取れない「レイス」の胴を目がけ、機神の喉の奥で神機の剣形態を展開―スモルトの銀色の刀身が輝く。このまま「レイス」を引き寄せ、口内で串刺しにするつもりなのである。

 

「っ……そこ、まで…する…?」

 

「レイス」は呆れ顔でその迫る切っ先を前に考えを巡らすが動く術がない以上、流石に手詰まりであった。

 

「性格最悪だな!!オメ―は!」

 

金色のオーラに身を包んだ少年が自ら口内に入り込み、「レイス」の前へ出る。

 

リグだ。既にその銃身はアサルトに転換されている。

 

「馳走してやるよ!!!!」

 

機神の暗い口内が光で照らされると同時に機神のむき出しの喉に矢継ぎ早に無数のアサルト弾頭が突き刺さる。人間がまるで気管に入ってしまった液体に咳き込むように機神は上体を崩し、「レイス」へのがちがちの拘束が弱まった。

解放された「レイス」を抱え、リグは跳躍、彼等の背後で一瞬遅れて機神の顎は固く閉じられる。苦虫を噛み潰すように悔しそうにぎりぎりと歯噛みし、機神は忌々しそうに逃れた二人を見た。

 

 

「…ありがと」

 

「…おう」

 

「レイス」の珍しい素直な礼に少しはにかんだ様子でリグは目を逸らす。そんな二人が着地すると同時に機神は口を開き、刀身を銃形態に変えて爆破弾頭を撃ち出す、が―

 

「私を忘れちゃいけません」

 

がきんっ……

 

機神が存在を忘れていたアナンが眼前に現れ、射出されたばかりの機神の弾頭を盾で受け止め、盾の上で器用に滑らせて真上に方向を変えさせた。

 

「んべっ!!」

 

アナンは目一杯舌を出してバックステップ。すると瞬時に機神の視界から消えた。「レイス」の咬刃形態が機神の眼前を通過し、それにアナンを乗せて回収したのである。方向を逸らされた弾頭は―

 

…タンッ

 

リグの放った一発の弾頭の銃撃音とほぼ同時に轟音を巻き上げ爆裂。猛烈な爆風を至近距離で機神は浴びる。

 

同時視界を完全に爆煙によって覆われ、機神が動きをしばらく取れなかったと同時、背後から

 

ガスン…

 

音がした。何かが居る。

 

反射的に振り返り、その音に向けて機神は放射弾頭を半円を描いて薙ぎ払う様に放つ。これならば外しようが無い。

 

しかし―

 

ズザザザザ…

 

尚も前方から音が響く。

 

―!?

 

ズボっ!

 

その「音」の正体が爆煙を裂いて機神の眼前に現れた。その正体は赤黒く刀身を光らせた大鎌の切っ先であった。

 

「クリーブファング」

 

「レイス」の神機「ヴァリアントサイズ」の攻撃であり、垂直に切り下ろした咬刃形態の大鎌を一気に手前に引きよせて敵を切り裂く技である。

 

 

ガガガガガッ!!

 

巨大な刃によって機神は頭部をがりがりと削られる。

自分を削っていった刀身を再び振り返りながら敢え無く見送った先には

 

 

「ちっ…貫通出来た顎の先端に比べると本体はやっぱり堅いね」

 

「ま。かといって真っ二つにしちゃったらエノハさんも真っ二つだけどね~~」

 

「物騒な会話だなオイ…」

 

軽口を叩きながら機神から警戒を解かない三人の少年少女の姿があった。

 

 

 

 

 

…正直機神は感心する。思ったより「大した奴ら」だと。

 

取り込んでいる「元主」に比べればまだまだ絶対的な力は持たないものの、創意工夫を凝らし、欠点のあるお互いを補完しあって挑んでくる。

 

 

だから。

 

 

 

もう本気で殺す。

 

 

「遊び」は。

 

 

終わり。

 

 

 

機神は跳躍する。そして再び口を開いた。

 

 

「またあの弾頭!?芸が無いね!?」

 

アナンは待ち構える。再び弾き返す為に。

 

が。

 

 

「…え?うえええええええええええ!!????」

 

 

一発、二発、三発。

 

次々にホーミング軌道を描いて弾頭が迫る。

 

「こっれはさっすがにむ~~りぃ~~リグ!!」

 

リグが弾頭を撃ち返す為に前へ出ようとするが…

 

「…!?」

 

リグが撃ち落とす前に弾頭が三発揃って墜落していき、砂浜に着弾する。

 

「「「…!!」」」

 

同時爆風に備えて三人は身構える。が、

 

 

……

 

弾頭が爆発しない。三人はよく考えるべきだった。あれほどオラクル消費の激しい弾頭をオラクル細胞の補充も無しに三発同時に撃ち出すなど不可能だと言う事を。

その事に三人が気付いた時には既に機神は三人の間合い内に侵入していた。

 

「…!!」

 

反射的にアナンは盾を展開するが間に合わない。強烈なショルダーチャージの様な隙のない突進を機神は仕掛ける。さっきまでの獣くさい強引な暴力とは異なり、妙に洗練された一撃であった。

 

「ぷあっ!!」

 

派手さは無いが無駄のない凝縮された攻撃は威力の分散が生じない。地味だが確実に相手の命を削る攻撃だ。アナンの体は吹き飛ばされ、地上に叩き付けられた体は尚も勢いが止まらず砂上を跳ね回る。

 

「…!!!!アナン!!」

 

反射的に咬刃形態を開いた「レイス」の刃が機神に到達した途端

 

がきぃん!!

 

 

「…!??」

 

止められた。しっかりと両顎でヴァリアントサイズの刃を銜え、機神は「レイス」を睨む。そして「レイス」の神機を銜えたまま

 

「…え?うわっ!!!」

 

神機ごと「レイス」を振り回す…その先にはリグが居た。

 

 

「リグ!!」

 

「!?」

 

ドン

 

眼前に迫っていた「レイス」を避ける事が出来ず、二人は衝突。更に機神は「レイス」をもう一度振り回し、同時に口から神機を離した。「レイス」はリグとの空中衝突の衝撃で悶絶したままはじき飛ばされ、土煙を巻き上げて砂上に叩き付けられた。

 

 

「レ、『レイス』!!」

 

リグは瞬時に「レイス」に駆け寄り、抱き起こす。

 

「しっかりしろ!『レイス』!!」

 

「うっ…バカリグ!敵から目を逸らしてんじゃない、の…!!」

 

「う~~~イタタタタタ…」

 

その二人のやや前から間の抜けた少女の声が響く。

 

 

―え?

 

―?

 

―へ?

 

その状況に三人はお互いを見合い、目を丸くした。バラバラにされたはずのお互いが今何故か固まっている。そして三人中二人はほぼ満足に身動きが取れない。リグも「レイス」を抱きかかえている。

 

そんな三人が一か所に固まっている。こんな偶然―あるわけない。

 

固まったのではなく明らかに「固められた」。一か所に。

 

三人の後方にて放電音。拡がる大海原より更に蒼白い光が三人を照らし出す。

 

大口を開いた機神の喉元のブラスト砲身の先端での巨大な青白い球体を形成、放電させている。波打つ機神の側面の鱗を一杯に開き、最早銀色のハリネズミの様な禍々しい姿の機神は体中を放電させながらその砲筒を三人に向けていた。

 

間違いない。これはアラガミバレット。

 

それもケタ違い過ぎる威力の、だ。

 

Lv4アラガミバレット。

 

機神の体中から迸る放電現象が一気に機神の喉元に収束、凝縮し、暫くすると何か高速に物体が回転するような音が辺りに響き渡る。収束完了の合図。

 

後は撃ち出すだけ。

 

実は非常に扱いの難しい電気エネルギーを全く無駄なく、余すことなく凝縮させた攻撃。

 

 

…レールガンだ。

 

 

 

ジェット機が発進する直前の様な耳をつんざくキィーンという音が止んだと同時であった。

 

 

 

…ピィッ!!!

 

 

今までこの場所で響いていた数々の弾頭、攻撃の爆音、破壊音等と比べると明らかに控えめで、迫力に欠ける音であるがその威力はそれらと比較にならない。

 

その災厄が放たれる直前に三人は既に無言で考えを同じにしていた。

 

アナンは先頭で盾を構え、その体を今はまだ体が言う事を聞かない「レイス」が支える。リグは一番後方で背中を向け、両足を堪えるように踏ん張り、少女二人の体勢が崩れ、アナンの盾の方向がぶれない様に固める。

 

その三位一体の防御を前にして機神は容赦なくとっておきのアラガミバレット―レールガンを放ち、発砲から時間差なくアナンのハート形の盾―「エロス」を射抜く。

 

 

「「「~~~~~~~~~~~~~っ!!!!!!!!」」」

 

直撃したレールガンをこらえながら、三人の体は20メートルも押され、足元に綺麗に3対の筋をまっすぐ残す。この筋が少しでもぶれていたらこの3人は即蒸発している。

 

レールガンが照射されたのはたった3秒間。しかし彼等の人生で最も長い3秒間が終わりを告げた時―

 

 

 

 

ド…

 

アナンが盾越しの電圧、衝撃によって震える手を見据えながらペタンと膝をつき、後ろに倒れ込みそうになるその体を「レイス」が両手で支えた。

 

「あっはは。私ら生きてるぅ~~?」

 

「…みたいだね」

 

そんな彼女達の凌ぎ切った達成感を台無しにする憂鬱な存在は尚も目の前で健在であった。既に

 

キィィィィン…

 

機神は第二弾の充填、収束を始めていた。本当にコイツ質が悪い。悪夢の様だ。

 

「あ~…くっそ~~こんにゃろ~~」

 

「流石に…これは…キツイね…」

 

満身創痍の彼女達が眼前の光景に辟易する中

 

「っ…!!」

 

三人の中で最もダメージの少ないリグが振り向き様に銃身形態をスナイパーライフルに転換、

 

タァン!!

 

リグの放った狙撃弾は機神の砲筒で収束中の雷球を寸分のズレなく射抜いた。

 

 

……!!

 

 

ドォン!!!!

 

 

収束中に射抜かれた雷球は機神の口元で大爆発、その爆風はブラストの破砕弾頭を遥かに凌ぎ、離れていた「レイス」達三人にも容易に届いて吹き飛ばす。

 

 

ズズズズズ…

 

前方からこの日最大の爆煙が上空高くもくもくと立ち上る中、

 

「うっ…」

 

爆風をまともに受けた満身創痍の体をようやく起こした少女「レイス」は

 

「…リグ!!」

 

アナン、そして自分を守る様に覆いかぶさるうつ伏せの少年の姿を見て意識を取り戻す。

 

「ちょっと!しっかりなさいよ!リグっ!!リグ!!!!」

 

「…うっせぇな。まだ生きてるよ」

 

リグは「レイス」の膝元で僅かに顔を上げ、生意気そうな眼を僅かに開く。

 

「…。ふぅ…」

 

「レイス」はほっと息を吐き、うつ伏せのリグの顔を優しく撫でる。いつもは「恥ずかしいから止めろ」とかいうリグも成すがままだった。なんだかんだ言って彼は「犬」の

才能がある。

 

「私も心配してぇ…『レイス』」

 

アナンもようやく上半身だけ起こして気だるそうに「レイス」の肩に背中を預けてもたれかかった。三人ともどうにか無事なようだ。

 

 

 

当然。

 

 

「奴」も。

 

 

 

キッ……シャアアアアアアアアアア!!!!!

 

 

 

「……!!!」

 

 

 

一筋の爆雷が地上から一気に天に延び、その衝撃で爆煙が一気に切り裂かれる。その中心で体中のあちこちから黒煙を上げながらもバチバチと蒼白い電気を纏いながら姿を現す。

 

グルル…ドルルルルルル!!

 

健在だ。そして怒りを基にした戦意、敵意、殺意に満ち満ちている。白銀の体を更に放電させながら、左右の側面の鱗を更に攻撃的に逆立て、その体積をまるで威嚇するカマキリのように膨れ上がらせている。

 

そして怒りながらも笑う様に耳元まで裂けたような口を開いて再び砲身に雷光を収束させる。

 

 

そんな殺る気満々の機神を前にして

 

「ダメ、だァ。…私もう…腕上がんない…神機持てないよぅ…」

 

愛機を取り落とし、息も絶え絶えにアナンは「レイス」にそう言って更に深くもたれかかる。そんな彼女をしっかりと右手で強く抱き、しっかりと「レイス」は視線だけは前に向けた。

 

「…リグ?アンタは?」

 

「見た目の通り、もう体力もオラクルも底付いてる」

 

「…お疲れ様。少し休んで」

 

「…『しっかりしろ、弱気になるな』とか言わねーのかよ」

 

「アンタは…よっと…充分頑張った」

 

「レイス」その言葉と同時に生意気な弟の様なこの少年を上体だけ起こさせ、左腕を肩に回してしっかりと守る様に抱く。

 

彼女の表情は相も変わらず無愛想だが決意に満ちた眼差しであった。眩く光り輝き、そしてけたたましい収束音を放つ眼前の圧倒的な機神の光景からも目を離さない。

 

「二人とも・・そのままでいいからしっかりと目だけは前に向けて。敵を前にして目を逸らしたまま殺されるなんて癪じゃない?」

 

「…へっ」

 

「『レイス』は意外に暑苦しいよね~~…嫌いじゃないけど」

 

収束音が止まる。

 

照射まであと僅か、不思議な静寂が辺りを包む。耳を澄ますと今までは聞こえてこなかった、耳を傾ける事も無かったこのシチリア島の打ち寄せる波の音、風の音が聞こえる。

 

 

―残念だな。

 

これが聞き納めなんて。

 

 

まぁ最期に聞く「音」にしては悪くなかったかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――「……オイタが過ぎるぞ…このクソ神機……!」

 

 

―…!?

 

 

 

 

ぐしゃあ!!!

 

 

目を逸らさなかった三人の目に映ったのは意外すぎる光景、そして耳に残る音はこのシチリアの趣のある音とは異なり、妙に実際的な彼等の日常の音であった。

 

 

…!!????

 

機神が今正に鉄槌を振りおろそうと言う時、彼の頭が強引に上から踏みつぶされ、口内の雷球を噛み潰したと同時…再び響いた猛烈な爆音と閃光が辺りを包む。

 

再び爆煙に包まれる前方を三人は目を見開いて唖然としていた。

 

 

カ…ハッ…ガっ……!

 

機神は熱と閃光によってやや溶解した口から煙を噴き出しながら苦しそうにのたうつ。そこに追い打ちをかけるように

 

ぐしゃあ!!

 

まるで遠慮も無く不作法にその頭を再び踏みつける何者かの姿があった。踏みつけられた機神はべったりと押し潰されるように頭を垂れる。

 

 

 

 

 

同時竜巻のように大気が渦巻き、噴煙が切り裂かれる。

 

その中心に居るのはぺちゃんこに叩き伏せられた機神と

 

 

 

「鬼神」であった。

 

 

 

 

いつもの穏やかな表情では無く、射殺すような瞳で片足だけで叩き伏せた白銀の機神を睨む。

 

軽快な烈風を迸らせながら白銀のオーラに包まれた青年―

 

榎葉山女。

 

 

 

「…お前がアラガミだろうが、俺の神機だろうがそんなの一切関係ない…」

 

 

ぐりっ

 

更に踏み出した足に力を込め、完全に機神を屈服させる。機神は口を開く事も出来ない。

 

 

「今度俺の仲間を殺そうとしてみろ?…解体(バラ)してアラガミの餌にしてやる」

 

 

ずぼっ

 

キシャアっ!

 

その一言と同時まるで生物から生きたまま背骨を抜きだすみたいに神機の柄を機神の背から抜き取り、同時に神機の刀身に手を添え、機神の生体部分を神機に吸収、回収していく。瞬く間に機神の白銀の体は消え去り、後には再び砂浜を踏みしめたエノハと手元にはいつもの彼の神機―スモルトが残された。

 

 

「ふうっ…こりゃあ問題児だ…」

 

 

白銀のオーラを収束させて一息吐き、エノハはいつもの彼に戻る。いつの間にか夕暮れに差しかかったシチリアの陽の光を浴び、問題児―スモルトの刀身は何事も無かったかのように輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




お疲れさまでした。

話を進ませるため、一話あたりの文字数を結構増やそうと思います。よろしければまたお付き合いください。


おまけ

「…!無事か!?」

エノハが神機をようやく鎮め、呆気にとられていた三人に振り返った時であった。


「ぶっ!!」

彼の顔面にハート型の物体が飛来、直撃する。

「お…?おお……!?」

ぼたぼたと鼻血を垂らし、口元を覆い隠しながら驚愕で目を見開いたままエノハは物体が飛んできた方向を見る。そこには息も絶え絶えに投球モーションを終えた段階の満身創痍のアナンが立っていた。

「なっにが…『無事か!?』ですか……!!エノハさん!?私ら殺す気ですか!!?うわ~~ん!死ぬかと思ったんですよ!!!ホントマジでやばかったんですよ!!」

「う…ご、ご…ごべん。アナン…でもじがたながったっでいうが……ぶがごうりょぐでいうが…」

訳「う…ご、ご…ごめん。アナン…でも仕方が無かったっていうか……不可抗力って言うか…」

指の間からも更にとめどなく溢れ出る血を抑えながらエノハはようやくそう言うことしかできない。

「ぐすっぐすっ!!許しません!!覚悟して下さい!!」

アナンは泣き喚きながら神機の暴走に巻き込まれ、命からがら帰ってきた現隊長に惜しげも無くびしっと指を差す。

―標的はアイツだ。殺せ―

「…安心しろよエノハさん。俺は一応識別弾頭使ってやるから。物ぉ~~凄く痛い程度ですむから」

リグは徐にアサルト銃身に弾頭を装填する。

「ま、待てリグ。神機は『人に向けてはいけません』タイプの物だ…。レ、レイス!?頼む!二人を止めてくれ!!」

ガスン!!

懇願したエノハの目の前を大鎌の切っ先が突き刺さる。

「おわっ!」

「…カリス?今日はエノハさんと好きなだけ遊んでいいよ…よかったね~~」

「え。いいの!?」とでも言いたげに彼女の神機―カリスはヒュンヒュンと空を切り裂いて鞭のようにしなる。持ち主は満身創痍でもまだまだ神機は元気いっぱいであった。




この日ほどエノハは人間相手から本気で逃げた日を知らない。












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Good Morning Ms Rouge.

今回もよろしくお願いします。

…結局見に行けなかった今夏のMI最新作。しゃあねぇDVDで見るか…。


2072年欧州

 

―クラウディウス家邸宅

 

「どうぞ。こちらへエノハ様。もう少しで『お目覚め』になられると思いますから」

 

「…ナル」

 

少し咎める様な口調でエノハは隣に居る女性―ナルに軽く悪態をついた。

 

「…あ。これは申し訳ありません。エノハ『さん』」

 

くすりと笑って、彼女は唇に軽く指を添えて笑う。服装、姿勢、振舞い全てに於いて隙のない軍人らしい彼女だが、微笑むと24歳という年相応に可愛らしい女性らしさが顔を出す。

 

「…コレは最早性分ですね。慣れるまでもう少し時間がかかりそうです。どうか平にご容赦くださいエノハ様……。あ」

 

「…」

 

再びの失態に少し気まずそうにナルは視線を泳がせ、恥ずかしそうに軍帽を深くかぶりなおして目を隠す。

 

「ナル?…もういっそのこと俺の事呼び捨てにしてくれたらいい。レイス達にはそうしてるだろ?」

 

「…申し訳ありません。不覚です…」

 

目を隠したままナルはその部屋にエノハを招き入れる。

先日ここを初めて訪れた際と違う所は今回は「彼女」との対面にナルが付き添ってくれているということだ。

 

 

「…すぅ…」

 

ナルに招き入れられたエノハの目に執務室の中央のソファに赤髪の美しい女性が寝息をたてて眠っている姿が映る。その深い深い眠りは彼女から普段の大人の女性として、貴族として、そして研究者としての威厳を保つための緊張感を奪っている。まるで少女の様な穏やかな寝顔だ。

 

「…。最近忙しいのか」

 

「…えぇ。お父上であるジェフサ様からお受け継ぎになった長年の研究成果が佳境に入っていますから」

 

それ故に最近

 

「彼女」が「出てくる」回数が増えているらしい。

 

眠る赤髪の女性―レアの傍らにあるテーブルには既にフェンリルの紋章を象った舌ピアスが置かれていた。それを無言で眺めているエノハに

 

「…どうぞ」

 

ナルは衣擦れの音も無く既にレアの向かいの席のソファの前で彼を手で招き入れ、ゆっくりと席に着いたと時同じくして

 

「……んっ…はぁ……」

 

眠っていたレアの美しい赤い口紅で染まった艶めかしい唇から吐息を漏らしながら美しい顔を俯かせて数秒後―

 

「目覚めた」彼女はゆっくりと顔を上げた。

 

レア・クラウディウスという女性はこの若さにして研究者として世界的権威であり、同時に富める者として様々な社交場を行き交っていた。

そんな清も濁も入り混じった大人の世界を渡り歩く為に必要な調和、調度された適切な表情、振舞い方を自然と身につけている。

 

しかし、今その全てをかなぐり捨てて彼女の中から「彼女」は現れる。

いつもの優雅さ、上品さは形を潜め、好奇心、悪戯心、そして凶暴性を宿した周りの人間の心をざわつかせる表情。

蒼い瞳が目の前に居るエノハを映し、にたりと嬉しそうに歪む。燃え盛る様な美しい赤い髪の隙間から覗くその蒼い瞳に図り知れぬ激情を宿していることに疑いの余地のない光を携え、彼女は微笑む。

 

 

「…おはよう。エノハさん?」

 

 

 

 

「…おはよう。ルージュ」

 

 

 

―俺は「彼女」と出会ったあの日、直感的に「彼女」をそう名付けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エノハがこの場所でレア・クラウディウスと初めて出会った日、そして「彼女」に邂逅したあの日あの時まで時間は遡る。

 

 

「…初めましてっ。エノハヤマメさん?」

 

 

真っ赤な口紅を差した艶やかな唇を血で濡れた舌先でなぞった結果、「彼女」の口の端に口紅と血が混じった赤い線が走る。元々妖しい微笑みを携えた唇がその赤い線によって左右非対称の奇妙な笑顔を作りだしている。

 

それに気付いたのか「彼女」は直ぐに口元を細い指先で拭い、「…とれた?」とでも言いたげにゆらりと顔を傾けながらエノハに微笑んだ。

 

 

「…」

 

「反応は頂戴エノハさん。まぁ気持ちは解らないでもないけど」

 

無反応のエノハに「彼女」は機嫌を損ねたのか口を少し尖らせながら、腕を組む。

 

「…ふざけているとかそう言うのでは…ないんだろうな」

 

「これまた順当な反応とは言えるけどもう少し優しい言葉が欲しかったかな」

 

「他を当たってくれ」

 

「…ふふ。そう気を悪くしないで?」

 

先程まで一定の距離、そして節度を保ってエノハに接してきたレアと違い、「彼女」はつかつかと土足で人の心の中を踏み入る様な軽い足取りでエノハの元へ赤い髪と豊満な肢体を揺らして歩み寄る。

思わず相手が受け入れてしまいかねない魅力を元々自分が兼ね備えているという自覚、自負があるのであろう。

 

横に並んだエノハを見定めるようにちらりと横目で見、くるりと向き直る。全体的な仕草が先程までのレアに比べると格段に幼い。十代半ばから後半程の印象を受ける。

だからエノハも合わせて少し口調を変えた。

 

「…見ての通り私はこう言う存在よ。今さっきまで貴方と話していたレア・クラウディウスは眠ってるの。私の中で…んふふっ」

 

そう言って豊満な胸元に両手を添え、乳房の形が変わるぐらいに強く握り込む。

その所作は「自分の体を扱う」動作に見えない。危うい手つきだ。官能的、魅惑的を通り越して正直気味が悪い。挑発的な眼差しをエノハに向けて彼の目の前のレア・クラウディウス「らしき」女性は微笑む。

 

 

「…とりあえず君がさっきまでのレア博士と違う人間という仮定で話を進めよう」

 

「疑り深いのね」

 

「…。レア博士は俺をここに連れてきた本当の理由を『君』なら話せると残した。早速だけど本題に入ってくれ」

 

「…不感症なの?エノハさんって」

 

自分の問いかけを無視して本題に入ろうとしたエノハの問いかけを「彼女」もまた無視し、エノハの表情を下から覗き込むような姿勢でニィッと悪戯な微笑みを向ける。

その問いかけも無視しようとしたエノハが言葉を発しようとした直前

 

「やっぱり決めた女の子しか目に入らないの?まぁ確かに美人よね。リッカさん…だっけ?」

 

「…!!」

 

ぐわっと周囲の空気が歪む。エノハの発した怒気に「彼女」の顔に少し不機嫌そうな色が差し込んだ。エノハの反応があまりにも予想の範疇を超えなかったためだろう。

 

「少しからかいが過ぎたわ。ごめんなさい。でも…貴方も知っての通り彼女は私達の手の中。それを十分に留意しといて。私に対する態度には気をつけなさい」

 

「彼女」はエノハから背を向けて歩き出してちらりと横目だけ向け、こう付け加えた。

 

「…私は『この子』ほど甘くない。貴方を強引に連れてきたことにも、リッカさんを『人質』にとることにも全く負い目は感じてないから」

 

圧倒的な武力を持ち合わせた個人に対して全く物怖じしない鋭い視線を向ける。

ここから「彼女」が自分の目的のためには全く手段を選ばない性格である事に疑いの余地は無い。この女はエノハの行動で自分に何か不具合、不利益が生ずれば間違いなくリッカに危害を及ぼす―そんな確信がエノハの怒気を納める。

 

自分の行動に迷い、負い目を感じていないシンプルな思考回路。

「彼女」が今「眠っている」と言うレアであればブレーキをかけるところを躊躇い無くアクセルを踏み込む真逆の性質を「彼女」は持っていた。

 

「君がここまでする『理由』を今すぐここで偽りなく答えてくれると嬉しい。それとあまり過度な挑発とか『探り』を今の俺にしないでくれ。こっちも全くの冷静ってわけじゃない」

 

「…。座って。ナルにお茶を用意させるわ」

 

ここまで「彼女」を頑なに、脇目も振らず、手段を選ばなくさせる根源は一体何なのか。それを知る為にエノハは今は私憤を抑えて席に着く。

 

 

この女は扱いが非常に難しい。

 

 

 

 

 

 

 

「私の父親であるジェフサ・クラウディウスの事をどこまでエノハさんは知ってる?」

 

意外な切り口から二人の会話は再開する。

 

「…俺は直接の面識はない。親父から話を聞かされ続けてた程度だ」

 

「それでいいわ。答えてくれる?」

 

 

故 ジェフサ・クラウディウス博士

 

享年53

 

専門分野はオラクルアクチュエータ。

由緒正しき貴族の生まれでありながら実直な性格で「ノブレス・オブ・リージュ」つまり「富める者として世界、人々への奉仕、貢献」を行動理念にした人格者。

 

実の娘であるレア・クラウディウスも彼が残したその技術、知識を継承する技術者である。

 

「親父は『暑苦しくて真面目すぎるけどまごうこと無く本物の善人』って言ってたな。で、同時に間違いなく世界最高峰の科学者、技術者だって」

 

「…うふふ」

 

父親を褒められた事に嬉しそうに初めてとても素直に「彼女」は笑った。

 

「…」

 

「…!んんっ!続けて?」

 

「専門分野は確か…オラクルアクチュエータ。平たく言うとロボット工学の専門家で、その道の世界的第一人者…つまり…オラクル細胞とロボット工学を組み合わせた対アラガミ兵器―『神機兵』開発プロジェクトの最高開発責任者…だったか?」

 

「流石ね。商売敵になるかもしれない相手の事はチェックしているってこと?」

 

「まさか。そんなつもりはないよ」

 

「本当かしら?」

 

「…疑り深いな」

 

「お互いにね♪」

 

頬杖をついて楽しそうにそう言った「彼女」を前に大げさにエノハは溜息をつく。そしてこう続けた。

 

「…形は違えど同じアラガミ討伐を目的としてる以上、味方になっても敵になる事は無い。事はそう単純じゃないのかもしれないけど、少なくとも現場で命賭けてる俺らの様な人間にとっては人手が増え、負担も犠牲も減るのであればこれ以上の事はない。それに…」

 

「それに…?」

 

「その開発総責任者が『まごうこと無く本物の善人』って他でもない親父に聞かされ続けてきたんだ。十分俺にとっては信じるに値する。君と同様…まぁちょっと悔しいけど俺も自分の親父を尊敬、信頼してる」

 

「…」

 

「…父親を尊敬しているのは君だけじゃない。俺の周りには何故か父親を尊敬している奴が不思議と多くてね。そんな奴等に囲まれてると自然と俺も認めざるを得なかった。だからこれに関しては本当に嘘偽りない、俺の本音さ」

 

ここに来て初めてエノハは心根を正直に晒し、いつものように微笑んだ。目の前の印象がころころ変わる掴み所のない女性からわずかに感じた自分との共通点、接点を手繰り寄せる。すると思いの外素直な笑顔をした彼女に少しざわついていた心根が和らいだのだ。

 

「本当に惜しい人が亡くなったってことは例え会ったことのない俺でも解る」

 

心からの同情をこめてエノハがそう漏らした時であった。

そんなエノハの嘘偽りない自然な心からの一言が―

 

完全に引き金になった。

 

ぶつっ

 

そんな音が目の前の少女から響く。

 

紅い髪が内から湧き出るものによって逆立つように膨れ上がり、蒼い双眸は様々な感情が入り混じった涙によって揺れ、歪み、内から湧き出る物を必死でこらえようと噛みしめた唇から血が噴き出してとうとう両目から零れおちた大粒の涙に混ざり、美しい「彼女」の顎の線を伝っていく。

 

とめどなく溢れ出る涙が顎の線の頂で紅い雫になり、次々と床に滴り落ちていく。その雫の何粒かを俯きながら見届けた後、「彼女」はきっと目の前のエノハを三角にした瞳で見上げ、睨んだ。幼い少女が年長の人間の自分に対する納得のいかない叱責に目線だけで反抗するみたいに。

 

そして不明瞭に震える喉からこう絞り出した。

 

「…がうの」

 

「……ん?」

 

「ちがうの…」

 

「…違う?」

 

「父は……パパは亡くなったんじゃない!!」

 

更に「彼女」の言葉が幼くなる。

 

 

 

「殺されたの!!!私の目の前で!!許さない!!絶対許さないから!!!!」

 

 

 

最早貴族としての振舞い、節度、恥も外聞も無く、一層幼くなった心根を惜しげも無く晒し、泣き喚きながら立ちあがり、彼女は続ける。

 

許さない。許さない。絶対許さないと。

 

絶句のエノハの目の前全てが真っ赤に染まっている。

 

怒りによって膨れ上がった深紅の髪。血で赤く染まった涙を撒き散らしながら。

 

視覚的には紅とは正反対の「彼女」の美しいコーンフラワーブルーの瞳でさえ全てを燃やしつくすような激しい情動によって紅く見えてしまいそうだった。

 

 

情熱

 

憤怒

 

そして

 

復讐の「紅」

 

 

その時映った彼女の姿を見、エノハは直感的に「彼女」の呼び名を決めた。

 

 

「ルージュ」

 

と。

 

 

そして彼女―ルージュは最後にこう言った。

 

 

「絶対!!絶対許さないんだから!!!貴方だけは!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――ラケル!!!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




同時刻―

欧州支部
旧英軍の大型空母、イージス艦、潜水艦の造船ドッグ内にて。
金属を切断、溶接する作業員に混じり、高級そうな背広を脱ぎ、白シャツ一枚になって汗だくになりながら設計図を開いた設計士らしき人間が大きな声を上げて作業員に的確な指示を出している。

「…」

その光景をこの施設の上階である貴賓室であり、けたたましい建造音を遮る防音設備の行きとどいた部屋の中で荘厳な音楽を聞きながらガラス越しに無言で見守っている一人の人間の姿がある。

全身を真っ黒な衣装に身を包み、その体は矮小で繊細、少し扱いを間違えただけで簡単に壊れてしまいそうな人形の様な金髪の美しい女性であった。
まさかこの女性が目の前で建造されているこの巨大な建造物が完成後の運用を一手に任されているなど誰が想像するだろうか。

「…進捗状況は?」

その可憐な容姿から寸分のズレも無い、美しく繊細な声が荘厳なオペラ曲が流れる室内に控えめに響いていく。しかしその掻き消えそうな繊細な声を余すことなく受け取って言葉を発する者が彼女の背後に居た。そこから彼女「達」の付き合いの長さが垣間見えた。

「73パーセント。先日のグレム局長の希望で少々内装の意匠に関して修正を余儀なくされ、予定より3.8パーセントの遅れが出ているが…まぁ大きな問題は無いだろう」

礼儀正しさと品行方正さがにじみ出た青年の声であった。

「ふふふっ…あの方も相変わらずですこと」

くすくすとまるで鼻の中で鈴を転がすみたいに女性は笑った。

「いよいよ私達の長年の夢が叶うのですね。そして今から生まれるこの子はまさしく世界に変革と安寧をもたらす文字通りの『黒船』と言ったところでしょうか?」

「ふっ…『黒船来航』か。狭い自分達の世界と考え、価値観を全て覆す概念の『来航』を差す極東―かつて日本であった国の言葉…。確かに相応しいかもしれないな」

「この子の完成の暁に極東は是非とも訪れたい場所です」

「ああ。…そして同時『我々』の真価が試される時だ」

「ええ。期待していますよ?……叶うなればどうかその時の為に…『彼』には是非とも貴方…いいえ。これから生まれる私達の『家族』の一員になって頂きたかったものですね」

「…俺も『彼』とは是非とも一度お会いしたかった。そして共に戦いたかった」

「ええ…本当に」


そう言って女性は手元に置いていたノートパソコンの電源を灯し、その画面に映し出されたデータベースを隣に居る青年と共に覗き込む。

榎葉 山女

そのデータベースの写真欄に赤い印が押されている。「KIA」と描かれた赤い印。つまり正式な死亡確認の印である。

「…これも何かの縁。今は私達の『家族』になるはずだった彼の冥福を祈りましょう。



…ジュリウス」





「…はい。







―ラケル博士」


























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Good Morning Ms Rouge.2

2071年 欧州

 

クラウディウス家邸宅内で轟々と燃え盛る原形を最早留めない黒塗りの車、そしてそれと同様に父もまた元が人であったことが疑わしいほど形を成さず、ただ赤黒い地面のシミとなって燃え盛る姿。

 

それが私―レアが思いだせる父ジェフサ・クラウディウスの最期の姿だ。

 

「…」

 

その光景を真っ赤な炎に照らされながら薄い笑みをこぼしている妹―ラケル・クラウディウスの表情。目の前で変わり果てた肉親を見る表情では無かった。薄い笑みに少し残念そうな感情が混ざっていたように私は思う。

 

―残念ですわ。お父様。私達理解し合う事が出来なくて…。

 

「痛恨の極み」「悔恨」とは程遠い、些細なノイズの様なもの。ただ「人間らしく」振舞うフェイクの表情にも私には感じた。それほど今目の前に起こっている事に頓着が無い。

 

この子はこの直前、父に指摘された自らの蛮行を「来るべき晩餐の下ごしらえ」と「生前」の父に言った。

 

「大事の前の小事」。この子にとって眼前の光景は

 

ただただ唖然とする私にもうじきラケルが振り返るだろう。きっとその時にはこの子はもうその事を忘れているだろう。私なんかが伺い知れない、1mmも歩み寄れないような確固たる狂気を携えたまま何事も無かったように穏やかな笑顔で私を見るのだろう。

 

その恐怖に私は顔を覆う。もう何も見たくなかった。そしてただただ許しを請う。

私の時はそこで止まる。

 

その日から…いえ、もうずっと前からだったのかもしれない。

この子―ラケルにとって私も父も、人間らしい営み、幸福そのものが操り人形、フェイク、状況を構成する要素にすぎなかった事を私は自覚、理解した。

 

私は全てを諦めた。ただ屈服した。目を閉じ、顔を塞いで心も記憶も断った。

 

そんな時に私の中から「あの子」は現れた。「現れた」と表現したのは他でもない私自身が既に「彼女」の存在をどこかで感じ取っていたからだろう。

「あの子」はずっと居たのだ。ただそれを表現する言葉も記号も無く、そして何よりも私自身が認めていなかった、否定していただけだ。

 

 

先日エノハ君が名付けてくれた名前をあの子は気に入ったらしい。だから私も彼女をこう呼ぼうと思う。

 

 

…おはよう。私(ルージュ)?

 

 

不甲斐ない、全てから目を逸らした私の責、憎しみを全て背負ってしまった私の可愛い―私。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

妹ラケルの姉レアの幼少時代に話は遡る。

 

彼女達の母親であり、ジェフサ・クラウディウスの妻であった女性はラケルを産んで早くに他界している。

 

父親似のレア、母親似のラケルと対照的な見た目通り二人の性格もまた対照的。

内向的な妹ラケル、お転婆で直情的なレア。全く正反対の素養を持った姉妹はそれ故衝突することが多かった。

傍目には一方的にレアがラケルに突っかかっているように見えて実は妹ラケルは妙に姉レアの神経を逆なでする行動をよく取った。それが幼く、極端に内向的で無口な彼女なりの「存在」のアピールなのか、それともこの頃から既に「支配」を行う為の仕込みを初めていたのかは明確ではない。

 

どちらにしろそれが引き鉄となり彼女達の人生を左右する決定的な事件が起きる。

 

いつものように無断でレアの大事にしていた人形をラケルが持ち出した事、そしてそれに関して問いただしたレアになんら謝罪も釈明もせず、ただ笑う妹ラケルを激昂したレアが階段から突き落とし、脳挫傷、脳死、植物状態にさせてしまった。

 

 

眠り続けるラケル、犯した罪の意識に苛まれるレア。世を去った愛する妻が遺した娘二人のすれ違いが起こした悲劇に打ちひしがれた父ジェフサ・クラウディウスは娘たちへの深い愛情ゆえに手段を選ばなかった。

 

 

P73偏食因子。

 

被験者に異常なほどの回復力、自然治癒力をもたらす因子。GEの雛型であるソーマ・シックザールに胎児段階で投与された試験的な偏食因子である。彼の戦闘能力、回復力、治癒力、異常な感覚器官の発達はこれによってもたらされており、普通の人間なら全治数カ月の重傷も立ちどころに治してしまう。しかし、これはあくまで手足、胴体においてだ。

 

コレを植物状態のラケルの脳に投与しようと言うのだ。

 

こと頭部、そして人を人たらしめる根源である「脳」に直接投与した場合どうなるのかは解らない。自然治癒力というのは脳がインプットした自分の形をトレースし、経験やくわえられた負荷を基に体構成を必要に合わせて変化させ、その上で再組成する行為であり、その大元の脳の部分自体がラケルの場合治癒の必要な箇所なのだから当然生まれる結果も未知数だ。ジェフサは大いに悩んだが結局は強行する。

 

結果から言えば―彼の人生で最悪の失敗とも言えるだろう。

 

怪物は生まれた。

 

可憐で繊細で儚げで美しい「人」として十二分過ぎるほどの魅力、人間らしさを携えた容姿。聖母のような慈愛に富んだ微笑み。典雅な声。そして行動力を兼ね備えたどこに出しても恥ずかしくない娘。

 

しかし一方で常人には理解不能な確固たる狂気と悪意、知性を兼ね備えたブレインモンスター―ラケル・クラウディウスを誕生させてしまい、ジェフサ自身もその毒牙にかかった。

 

この狂気を彼女が元々備えていたものだったのか、それとも偏食因子を投与された事によって後発的に生まれた狂気であったのかすら定かでは無い。

しかしどちらであっても変わらないのは怪物が世に放たれた事、それだけは代えられない事実だ。

 

そして間接的にそれを世に放つ手助けをしてしまい、その結果愛する父を奪われたレアは自責とラケルへの純粋な恐怖から完全に逃避し、心を閉ざした。

 

後は妹の思うがまま成すがまま

 

ラケルの言う

 

―もっと色んな人形が欲しいの。お姉さま。

 

その中の一つが他でもない自分であることが百も承知でも彼女の手足はただ動く。機械的にただ妹の為に。

妹の本当の目的も目標も考えも全てが未知のままであっても、ただ彼女の体は動く。蜘蛛の巣のように絡まった糸が自分を縛りつけている光景を見て見ぬふりをして

 

 

 

 

しかしレアの中で蠢く「彼女」はそれを許容できずとうとう表に出た。

 

 

ラケルと違い、レアには母の記憶がある。そして母の喪失を目の当たりにした悲しみ、そして父の悲しみを目にした記憶がある。

それ故に自分がこれからは母に替わって父に奉仕しようという気概が非常に強かった。母の喪失の自らの心の空洞を埋め、尚且つ大好きな父を支える為に彼女はまだ小さな体を目一杯ふるって出来る事をした。

 

仕事熱心が過ぎて結構他がおざなりな父の世話を決して専属メイドに任せきりにはしない。炊事、洗濯、掃除。幼さゆえに失敗を重ねながらも生来気丈、負けず嫌いな彼女の継続力が身を結び、物心つくころには立派な孝行娘になっていた。(そんな性格ゆえにあまり自分から行動、感情を表に出さない妹ラケルに対する苛立ちに繋がるのは皮肉な話だが)

 

父であるジェフサ・クラウディウスもそんな娘をおざなりにすることなく心から褒めてくれた。休日には彼女を膝の上に乗せ、たくさんのプレゼントを渡し、「これぐらいしか出来ないパパを許してくれ」と娘達との時間を増やしたい一念をこらえながら彼女に謝り続けた物だ。

 

でもレアはそれだけで十分だった。科学者として働く父が大好きだったし格好良かった。妹との些細な確執はあるにせよレア・クラウディウスと言う少女は確実に幸福であった。

 

「ノブレス・オブ・リージュ」

 

ジェフサの口癖、「高貴なる者の奉仕」をまずは最も近い存在―父への惜しみない奉仕によって娘が培っていたこともジェフサを喜ばせた。母、そして妻は居ない。しかしそれによって築かれたと言っても過言ではない父と娘の良好な関係が二人にはあった。

 

 

しかし

 

レアがラケルを突き落とし、そしてラケルがP73偏食因子を投与されて意識が回復し、戻ってきた時より少々状況は変わる。

 

ラケルが手術後はっきりと自分の感情を表に出せるようになり、父への愛情表現、おねだりが目に見えて増えた。今までは父の膝にのったレアを羨ましそうに見、手招きしている父に対してまごまごとしていた彼女が車椅子に乗りながらもはっきりと「お姉さまだけズルイ。次は私」と自分の感情をはっきりと伝えるようになっていた。

そしてこの頃からレアは自責の念、負い目からラケルに無意識のうちに従うようになっていた。

 

周りの人間は一見、ますます家族が仲良くなり、良好になったとしか感じなかっただろう。本人たちも含めて。

 

しかしそんな光の裏に僅かに影が差していたのは間違いない。ここにレアから「彼女」が生まれる根源がある。

 

 

大好きな父の半分の愛情を受け取る妹。

 

自分を支配している妹。

 

 

「全てをあげる。これからの人生全てをラケルに差し出す」レアは確かにラケルが退院した日、そう約束した。

 

レアは確かに約束は守った。しかし、心から。本心から全くの淀みも無くラケルとの約束を長年履行していたかと言われたらそうでは無い。それは不可能な話だ。

 

―自分の人生は私の物。そして愛する父も私のもの。

 

レアの中には消しきれない妹に対する嫉妬。父からの愛情の独占欲、そしてラケルが自分を支配している事への消しきれない負の感情がある。それは根を深く張り、見えにくいながらも確実に存在していた。

そんなラケルへの些細な反抗心―それを生来の奉仕の心、成長の過程で培った貴族としての振舞い、嗜み、父の研究を受け継ぐための勉学で覆い隠し、彼女は成長していく。

 

長い時間が経った。

 

 

そして訪れたその日。運命の日。

 

…弾けた。

 

長年眠りつづけたその日「彼女」は目を覚ます。激しい怒りの炎と共に。

変わり果てた父の姿。崩れ去った日常を象徴するには充分過ぎる悪夢のような光景。

その光景に目を背け、完全に心を閉ざしたレアに代わり、「彼女」はとうとう表に現れる。

 

 

 

 

―よくも。よくもだましたわね?

 

 

父への愛情。私との楽しい日々。幸福で円満な日々。

 

 

それが全て偽物だった。少なくとも貴方にとっては価値の無いものだったワケだ?ラケル?

 

貴方の目の前にあったのはただの人形。父も。私も。幸福な日常もただのギニョール。

貴方の「現実」はどこか別の所にある。そこには父も私も存在していない。

 

人形が壊れたのなら、飽きたのなら…価値は無い。そんな貴方が奪った物は私の人生と父の半分の愛情。その双方貴方にとって大した価値は無い。

 

私が必死で堪えながら貴方に与えた物全てが実は貴方にとって価値の無いものだったと言うの?

 

 

こんなの…こんなの

 

 

許せるわけがない……!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

愛する妹ラケル。

 

 

私は貴方を許さない。

 

 

「レア」は貴方のいいなり。でも私はそうはいかない。

 

貴方の欲しがっている物今から全て奪ってやる。

貴方が何を目的としているか解らないけどそれも貴方の思うようには絶対させない。

 

 

まずは…この人ね?

 

貴方が今最も欲しがっている人…

 

 

 

 

…エノハ ヤマメさん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




彼の約束された人生と未来、そして共に歩む人を全て奪って私はその人を招き入れた。

ラケルと一緒。…血は争えないってとこかしら?

でもその人は全てを奪った私に思いがけず名前をくれた。
私は気に入った。我ながらぴったりだと思ったからだ。


おはよう私。


おはよう。ルージュ。



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Good night sweet dreams Ms Rouge.

「これが私の父親―ジェフサ・クラウディウス博士の死の真相よ。父は他でもないこの世界で最も愛する娘の手にかかって死んだ―暗殺されたの。その時にこの子―レアの中から生まれたのが今ここに居る…私」

 

「彼女」は軽く胸元に手を添え、憂いの籠った蒼い目を伏せた。

 

 

解離性同一性障害―所謂「多重人格性障害」である。

 

よく娯楽小説、ドラマなどで題材とされる割とポピュラーな単語である。過大なストレスや堪え切れない事象等を人間が受けた際、その時の記憶や体験を自ら切り離して本人格とは異なる人格を作り上げて己自身を「客観視」し、自我崩壊を防ぐ一種の人体の自己保存、防御機能によって生じる精神疾患だ。

レアの場合は幼少時引き起こした妹―ラケル・クラウディウスへの傷害事件によって出来た拭いがたい負い目、後悔、恐怖、そして事件以降、半身不随になった妹への罪の意識、呵責。そして内心では妹に服従同然の自分の現状に対する疑問、不満、父親の愛情の半分を奪われたことで鬱積していた嫉妬心。と、様々なストレス要素を素に「彼女」の基礎が固まっていったのである。少女の精神の乖離は成功の過程でゆっくりとしかし確実に進んでいたのだ。

 

そして父ジェフサが暗殺された夜、主人格であるレアがショックで完全に心を閉ざした際、とうとう「彼女」は顕現―それがルージュだ。

 

 

愛した父親が他でもない自分の娘のラケルに無惨に惨殺されるという光景を前にしてレアは「レア・クラウディウス」という人間の自我崩壊を防ぐためにその事象の体験、記憶を切り離したのである。(レアがこの件に関してエノハに説明が出来ず、ルージュに「替わった」のはこの為だ。レアの人格はこの事実、体験、記憶を「無かった事」にしないと自我が保てなくなる為、エノハに対して何ら説明が出来ないのである)

 

 

謂わばこのルージュと言うレアの別人格はレアという女性の負の部分、封じたい、否定したい体験、記憶を素に生まれた別人格だ。

幼少の頃辛い、理不尽な体験をした子供が心を歪め、攻撃的な性格になりやすいのと同様に「レア・クラウディウス」と言う一個の人間が成長の過程で被る「負」の外部刺激を「受け皿」して一身に受けた人格は主人格と異なる攻撃性、幼稚さを持っても不思議ではない。

 

よってルージュの目的は非常にシンプルであった。彼女の「発生」の大きな一因となった父の愛情を半分奪い、そしてそれに大した価値を置いておらず、最期にはあろうことか自らの手で父を惨殺した妹―ルージュを「生んだ」と言っても過言ではない者―ラケル・クラウディウスへの復讐である。

 

 

「…本来であればエノハさん…貴方は私の妹―ラケルの下に行くはずだった人間。ラケルが出資し、発足した組織である『フェンリル極致化技術開発局』にね」

 

「『極致化技術開発局』…」

 

「その目的は『人類を生命の頂点へ回帰させる』こと」

 

「…」

 

その言葉を聞いた瞬間にエノハが寒々しそうな表情をした事に愉快そうにクックと笑いながらルージュは

 

「自分の目的の為に実の親も容赦なく、笑って殺した人間が掲げる大義名分がこれですものね…そんなカオをしたくなるのも解るわ。でもまぁ今はそれは置いといて…まずはその大義名分の達成の為にこの組織が何をしようとしているのか?から始めましょ」

 

「…」

 

「大雑把に分けると二つ。まず一つ目は…私…というかレアね?この子が主導になって動いているプロジェクト―父の代から受け継いだ長年の夢、究極の対アラガミ兵器『神機兵』の運用。そしてもう一つは…あの子―ラケルが推し進める計画―先程貴方に適合したと言った偏食因子―p66偏食因子に適合した世界中から選りすぐりのGEを集めて結成する特殊部隊―通称『ブラッド』の運用が主軸になっているわ。…ここまで言えばわかるわよね?」

 

「…俺がその部隊に入るはずだったわけか」

 

「その通り。先程レアが言った通り貴方はP66偏食因子に適合し、おまけにGEとしてのキャリア、実績文句なしの人間。当然私はそれを止める。手元に置いておきたいと考える」

 

「…妹に対する当てつけってわけか?」

 

「ご明察」

 

「…」

 

「くすくす…冗談よ。…半分は」

 

「…」

 

「あはははははっ!」

 

「…。探り、挑発は程々にしてほしいってさっき言ったと思うんだけどな?」

 

「うふっ。ごめんなさいっエノハさん♪今から真面目に説明するから許して?」

 

やれやれと大きく溜息を吐きながらエノハが頭を抱えると同時、ふっと執務室の電気が消えた。緑輝く庭園が見下ろせる日当たりのいい窓もカーテンが閉じられ、室内は真っ暗闇になった。しかし、常人より遥かに夜目の利くGEのエノハは特に狼狽はせず、暗闇の中でもすぐに目の前に居るルージュの表情がすぐにはっきりと認識できるくらいに焦点が合う。しかし先程エノハをからかった際の悪戯な少女の様な表情は形を潜めていた。

 

「…?」

 

訝しげなエノハを尻目に

 

「ありがと…」

 

ルージュがそう呟いた。その感謝の言葉の意味がエノハには解らない

 

「エノハさんのしかめっ面見たらおかしくて…。少し落ち着いたわ。耐えられそうな気がする」

 

彼女のその言葉と同時真っ暗闇だった執務室から一筋の光が走り、白い壁に反射する。どうやらプロジェクターの様だ。

 

「…!」

 

そこに映し出された一枚の写真に映った物体の何とも言えない醜悪な姿を目の当たりにしてエノハは押し黙る。「虚ろ」と呼ぶにふさわしい感情の宿らぬ金色の瞳、左右非対称でまるで経年劣化でボロボロに崩れ落ちる寸前のひび割れた人形のような表情をした何かが映し出されていた。

一切の好感も入る余地の無い悪夢でも早々お目にかかれなさそうな怪物の顔であった。

 

「…アラガミ…?」

 

お世辞にも友好そうな存在には見えない為、自然とその単語がエノハの口から出るが、ルージュは首を振る。

 

「…いいえ。これが神機兵。と、言ってもこれは神機兵の試作機―『零號神機兵』と言ってね?現在開発中の神機兵の主流の2種、長刀型、大剣型よりも以前に建造されたプロトタイプ。兵装の小型化が進んでいない段階の一体よ」

 

ルージュはそう言って今度はその神機兵の全体像を模写した図面らしき画像に切り替える。右サイドにこの物体の大きさを表すらしき走り書きの数字が書かれている。この数字が確かならば相当の巨大さだ。巨大アラガミであるウロヴォロスにすら匹敵する体躯を持っている事になる。

 

「…とても実戦に使える物では無かった。現在体の大部分が人工筋肉が主流の神機兵に対し、こちらは体構造の大半がオラクル細胞で構成されているから制御面において大きな課題を残してね?正直失敗作よ」

 

「君のその口振りからして」

 

「ええ…。作ったのは『私』。正確にはこの『子』だけどね」

 

ルージュは赤いつけ爪の切っ先をトントンと胸の中心に当てる。

 

「この失敗を基にこの『子』は神機兵を自律制御型から有人型にシフトさせた…自律制御は『オラクル細胞』というまだまだブラックボックスの多い細胞を制御し、指向性を持たせることの難しさ、危険性を鑑みるとまだまだ課題が多くてね」

 

 

 

一言に神機兵と言ってもその開発の方向性は現在おおよそ二つの「型」に分けられている。

 

一つは神機兵に直接人が乗り込み、「ロボット」と言うよりも神機の適性の無い普通の人間をアラガミと闘えるようにする謂わば「パワードスーツ」として運用する「有人制御型」だ。

搭乗員に専門の技術、訓練、適性(流石に神機適合程ではないが)を必要とし、おまけに内部に人間を乗せる以上、人体への負担を考えると機動性、運動性が制限されるデメリットはあるが人間特有の柔軟性、作戦運用など細かい精密な作戦行動が可能なうえ、定期的なパイロットのメンタルケア、性格審査を怠らなければ暴走のリスクも可能な限り抑えられる利点がある。

 

もう一方は「自律制御型」。

神機兵に予めある程度の行動の指向性をプログラミング、インプットし、自動で神機兵自体が状況判断、作戦行動を行う。

 

パイロットを擁さない為、搭乗員の負担への配慮の必要が無い。その為かなり無茶な機動が可能であり、理論上基本性能は前述を上回る。パイロットの育成、人材コストが発生せず、時間的、金銭的なコストパフォーマンスにも優れる。搭乗員の負傷、または死亡による「乗り手不足」も無用の心配であり、大元のシステムさえ完成させれば継続的運用性も高い。ただし作戦行動における柔軟性、行動の緻密さ、暴走のリスクと言う点では前述の有人型に現時点ではまだまだ劣っている段階にある。

 

 

神機兵開発責任者であるレア・クラウディウスは現在、有人型神機兵の開発に携わっているが元々は彼女自身、無人型、自律制御型の開発を推し進めていた。

しかし今現在エノハの目の前でスクリーンに映し出されている自律型神機兵「零號神機兵」の開発、失敗を契機に彼女は180度方針転換をしている。その理由には単純な「開発の失敗」「運用の難しさ」云々を素にした方針転換だけでなく決定的な理由があった。

そしてそれがレアがエノハを招き入れた事の一因ともなっている。

現在フェンリルデータベース通称「ノルン」に掲載されているレアの父親ジェフサ・クラウディウスを襲い、命を奪ったと言われる「識別不明のアラガミ」こそ紛れも無くこの零號神機兵であった。

 

しかも。

 

レアを更に苦しめたのがこれが懸念されていた「神機兵の自律タイプの暴走」では無く「完璧に制御された上」という点だ。当時レアはこの零號神機兵の自律制御の開発に四苦八苦していた。神機兵より遥かに小型な神機でさえ時に制御できずに人間を喰い殺す事もある。それより遥かに巨大なオラクル細胞の塊―零號神機兵の制御が困難を極める事は容易に想像がついたがそれでもその困難さは彼女の予想をはるかに越えており、彼女の研究は完全に行き詰っていた。

しかしその問題をあっさりと解消し、ものの見事に零號神機兵を制御し、「目標」を破壊させたのが妹―ラケル・クラウディウスであった。

 

本当に素晴らしい。天才だ。

 

妹のラケルに比べ遥かに神機兵の開発、研究に携わった時間が長いはずの自分が行き詰っていた問題をあっさり看破して見せた妹の手腕に研究者、開発者、科学者として舌を巻いた。嫉妬した。脱帽した。そして恐れ、絶望した。

 

その手腕が如何なく発揮された。実の父親を肉塊に変えるという圧倒的な所業を以て。

人類の天敵アラガミと闘う力を持ち、人の矛になり、盾になる父ジェフサ・クラウディウスの夢―神機兵が最初に手にかけたのがアラガミでは無く、よりにもよってジェフサ自身なのだから皮肉な話である。

 

レアは父親を喪った痛手、手を下したのが妹という事実、そして科学者、技術者、研究者としての圧倒的な敗北感に完全に叩きつぶされた。

 

 

 

 

 

 

 

「オラクル細胞で出来た対アラガミ兵器神機兵―それが持つもう一つの側面、可能性ってなんだと思う?エノハさん…?」

 

唐突にルージュはエノハにそう尋ねた。

 

 

 

「…究極の対人兵器…」

 

「…ご明察。零號神機兵、そして現在の初期型神機兵双方に共通する点はオラクル技術によって製造されているってこと。裏を返せばそれは人工アラガミを作っている事に他ならない。…妹のような怪物がそんな力を手に入れ、またアラガミ討伐に於いても有用な新世代のゴッドイーターを世界中から選りすぐっている現状…」

 

「…」

 

「妹は動いてる。社会的信用、貢献、研究者、科学者としての申し分ない実績を隠れ蓑に確実に何かを企んでる。人もアラガミもあの子に敵わなくなった先にあの子は一体何を見てるのかしらね」

 

 

―名誉?

 

地位?

 

金?

 

支配?

 

ううん違う。

 

あの子にそんな物を欲しがる感情は無い。

 

なら愉快犯?

 

目的も思想も無くただただ人形遊びを楽しんでいるだけ?

 

…違う。

 

あの子の今までの行動から鑑みればそれが一番近い様な気がするけど何故かそれも違うような気がする。

 

 

正直ラケルの狙いはレア、ルージュには解らない。しかし今確実に解るのはこれ以上妹を増長させてはいけないということだ。着々と権力、発言力、科学者としての地位を積み上げ、尚も多くの物、力を貪欲に手に入れようとする妹に対抗するために同時表に出たばかりのルージュにも力が必要だった。その上で必要不可欠のピースの一つが極東支部第一部隊隊長エノハであった。彼をラケルに渡すか自分の所に招き入れるかで雲泥の差がある。招き入れられれば一石二鳥どころの話ではない。ラケルの増長を抑え、同時ルージュに欠けているピースを大きく埋める事の出来る逸材だ。しかし公に彼を召集する事は当然出来ない。レアのもう一つの人格ルージュの存在をラケルはまだ知らないとはいえ、普段従順な姉がGE最強クラスの個人を自分を差し於いて招き入れたとなれば当然訝しげに思うだろう。

 

そこで

 

「ならエノハに死んでもらおう」

と言うのがルージュの出した結論であった。自分の下に招き入れる上でも、ラケルに渡す事を防ぐ上でもそれが一番都合が良かった。

表向き死んでもらって秘密裏に自分の下に来てもらうか。味方にならないのであれば廃人、死人同然にしてラケルの下ではとても使い物にならなくするか―と言う双方の意味において。

どちらにしてもルージュにとって益はある。主人格レアでは決して出来ない選択を惜しげも無くルージュは決行した。

「結果」は幸いにも「形式的」にエノハは死に、その行使力、有用性は一切失われていないままに自らの手元に置けている状態。最高の結果だ。思いの外あの「人質」は覿面に作用したようである。

そこはエノハに対して行った数々の挑発まがいの振舞いから引きずり出した彼の態度から容易に測りしれた。同時これからも十二分にその「効果」を発揮してくれる事も確信した。

 

彼女―ルージュは彼女の復讐を完遂する上で最高のピースを手に入れた。

 

彼女の目の前に立ちはだかる障害を全て払いのけ、愛し、そして憎し妹ラケルへの道を。彼女の喉元へと復讐の切っ先を突き立てるまでの道を切り開くことのできる人間を。

 

「うふふっ…」

 

ルージュは美しく整えられた両手の指先をエノハの指先に軽く触れさせ、美しいコーンフラワー色の蒼い目を輝かせ、慈しむような視線をエノハに向けてこう言った。

 

「どうかしら?私の手をとってくれないかしら?エノハさん…お願い」

 

「…」

 

その指先から無言でエノハは自らの手をスッと遠ざける。少し面白くなさそうにルージュはふんと視線を泳がせるが予想の範疇だったのだろう。直ぐに表情を取り戻し怪しく微笑んだ。

 

 

「…解っていると思うがあくまで『あの子』が『無事であるからこそ』意味があることは百も承知だろうが敢えて言っとく。くれぐれも『あの子』は丁重に扱え」

 

「…ええ。勿論よ。ただ…」

 

「ただ…?」

 

「私にとって貴方が『価値がある人だからこそ』リッカさんに意味がある、無事である必要がある。と、いうことはくれぐれも忘れないでね?」

 

「…」

 

 

 

「エノハさん…?『貴方は』私を裏切らないでね?失望させないでね…?」

 

 

そう言ってルージュは傍らに置いていたフェンリルの紋章が施された舌ピアスを掴み、呑み込んだ。

 

 

 

「…今日はたくさんお話が出来て楽しかったわ…エノハさん。今後の事は外に控えているナルと起きた『この子』に聞いてね」

 

 

だらりと気だるそうに頭を後ろに傾かせ、ルージュは舌を出す。舌の先でフェンリルの紋章が象られた舌ピアスを転がしながら流し目でエノハを見る。

 

唇と舌、炎のように渦巻いた癖のある髪―全ての「紅」を妖しく輝かせ、彼女は微笑む。

 

 

 

「じゃあ…おやすみなさい。エノハさん」

 

 

「…おやすみ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―ルージュ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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短編集 きゃっち みー いふ ゆーきゃん 1

先日

 

リグが常に着用、愛用していた彼のワークキャップが度重なる負荷に耐えかね、昇天した。

 

先日アナンがソファに置かれているそれに気付かず、小一時間尻に敷いていた結果大幅に型崩れし、最早別の何かと化したワークキャップを泣く泣くリグは処分した。

「…だからさぁ…謝ってんじゃん」等のアナンの軽い謝罪は彼の心を深く抉り、ふてくされたリグは口を利かなくなり現在に至る。

 

 

「と、まぁエノハさん…こう言う事がありまして…」

 

「で。今リグはああいう状況。と…」

 

事の顛末を『レイス』から聞いたエノハは最近、ふてくされたまま誰とも口を利かないリグが黙々と神機の射撃練習場で神機の調整を行っている後ろ姿をガラス越しに見ながら腕を組む。その場には他にアナン、ノエルの姿もあった。

 

「まぁ最期はアナンちゃんのお尻の下で果てられたんだから帽子(カレ)も本望だったと思――うっ!!!??」

 

 

どすっ…

 

 

「…」

 

「うぇっ…すんません調子に乗りました二度と言いません許して下さい」

 

腹を抱え、蹲りながらアナンは息も絶え絶えに深々と彼女のみぞおちにめり込ませた直後の拳を握りしめながら脆く、そして冷たく自分を見下ろす『レイス』に頭を垂れる。

 

 

「まぁ四六時中被ってるから相当お気に入りだった事は解るけどそこまでか…。確かに少し可哀そうではあるな。…俺のせいでもあるし」

 

先のエノハの神機―スモルトの暴走時の戦闘はリグのワークキャップの「鍔」の部分を蒸発させていた。完全なトドメはアナンのケツ圧とはいえ、エノハの神機の暴走がリグの帽子の消耗に一役買ったのは確かだ。よってエノハは決断する。

 

「よっし仕方ない。俺が同じのを買ってくるとしますか…。ノエル?レイス?アイツがアレをどこで手に入れたのか知らないかな?」

 

「…」

 

「…」

 

そのエノハの言葉を聞いてノエル、『レイス』の二人は無言で互いに顔を見合わせる。その質問が来る事を予期していた節があった。しかしいざその質問の際の答えに窮していたことがその態度から伺える。

 

「どうした?何か問題でも?」

 

「…う~~んそれがさエノハさん?…事はそんな単純じゃないんだよね」

 

「…?」

 

「僕が説明するよ。『レイス』」

 

「…お願いノエル」

 

 

 

 

「有体に言うとワンオフなんですよ。リグのワークキャップは。…完全なオーダーメイドでリグの頭の大きさ、形、骨格に合わせて調度、設計した世界で一つの『リグの為の帽子』だったんです。デザイン料だけで軽く数十万FCはいってると思いますよ」

 

「…」

 

―まだ成長期の子供になんてもん買い与えてやがるんだレアは…。これだから金持ちは…。

 

実家は一応資産家だが過剰な浪費家の父を持つ故に思考は結構貧乏人のエノハである。

 

 

「ですからもう一つ作るとなると帽子をデザインしてくれたデザイナーさんに連絡を取ってとりあえず図面を受け取らないことには…」

 

「成程…ん?ノエル…?君の言い方だとひょっとして…」

 

「はい。ちょっと時間はかかると思いますが同じ物を作る事は出来ると思います。図面と素材さえあれば。問い合わせれば図面に関してはすぐに送ってもらえるでしょう。ママが懇意にしているデザイナーさんなので」

 

ノエルはあっさりそう言いきった。

 

「くすっ。ほら…ママって物凄くスタイルがいいでしょ?貴族お抱えの高名なデザイナーさんから新作の試着を頼まれることがあるの。だからその方面の人達にすっごい顔がきくんだ。かくいう私の服もその中の一人にデザインしてもらったしね」

 

「…。ふ~ん」

 

『レイス』にしては珍しく明るい口調で話にのってきた事にエノハは戸惑いながらも目を丸くして微笑んだ。彼女も年相応にその分野に関しての興味はあるらしい。

 

「そうそう!この前なんかウェディングドレスの試着を頼まれて行ったらそのデザイナーにプロポーズされたりしてさ~~?『私には四人子供がいまして』ってママが言った時のデザイナーの髭のおっさんのカオったら!!エノハさんに見せたかったなぁ!!」

 

「へ、へぇ…そうなんだ」

 

アナンは相変わらずブレが無い。

 

「ああ~あったね~…。あの場にリグが居なくてホントよかったよ。下手したらあのママに言い寄ったデザイナーブチ殺してたんじゃない?」

 

「あはは~私もちょっと『新しいパパ』としては無理だな~あのおじさんじゃ。何か噂によると表では同性愛者を公言しながら実は『ノーマル』で裏で油断したモデルの女の人何人か襲ってたみたいでさ~。全くやり方がウンコだよね」

 

「…信じらんない。あん時はママが股間キックで悶絶させちゃって『ちょっと気の毒』とか思ってたんだけど…。…今から私がシメに行こうかな」

 

「だよね~同性愛者騙る位ならせめてまずそのきたねぇ『イチモツ』切り落としてから出直してこいっつ~の」

 

「…。それやっちゃうと本末転倒だけど…それぐらいの覚悟はしてほしいね。『私達』のママに手を出すくらいなら」

 

 

 

 

「…」

 

ほのぼのと中々凄いエピソードを語る彼女等にエノハ絶句。そんな彼の肩にノエルはポンと手を置き

 

「…慣れる事ですよ」

 

一言そう言った。

 

 

 

 

 

 

「ま、まぁ作れるなら話は早い。ノエル!早速図面を取り寄せてくれるか?」

 

エノハは気を取り直して努めて明るくそう言ったが途端

 

「「「…」」」

 

三人の表情の雲行きが一気に怪しくなる。一回り年下の子供らに「若いな…」的な顔をエノハはされた。

 

「…?三人とも心配すんなって。代金は俺が持つからさ」

 

「そういう意味じゃないんだよ…エノハさん」

 

「?」

 

「…。とりあえず図面を送ってもらいます。それと一緒に必要な素材をリストアップしますから…まずはそれを見て頂けますか?エノハさん」

 

「あ。そうか。製造費用とは別に素材が居るんだったな。そういや」

 

ノエルは徐に手元の携帯情報端末にアクセス。十分とかからない内に…

 

「はい。出ました。これです」

 

「どれどれ…」

 

手渡された携帯端末をエノハは覗きこむ。そこにはリグのワークキャップの製造の為の必要素材が箇条書きで羅列されていた。

 

 

 

 

 

リグのワークキャップ必要素材レシピ

 

・カシミア×1

(メリノウールは邪道!問題外よ!!)

 

下の一文はどうやらデザイナーの一言メモらしい。

 

―…カシミアか。素材倉庫に何個かストックがある。何とかなりそうだな。

 

・兎毛×1

 

(可愛い可愛いウサちゃんの毛よ。今や絶滅危惧種のウサちゃんの皮だけど容赦なくバリバリ剥いじゃって!私の作品の素材になれるならきっと本望の筈だわ)

 

―…。人でなしだな。このデザイナー。

 

・人工皮革

・牛革

・アリアドネの糸

・高品質ゴム

・ガラス繊維

 

すべて各2

 

 

―…!?オイオイこんなに混ぜて大丈夫なのか!?爆発しないだろうな!?

 

・絹

・上絹糸

 

―…。どれだけ搾り取る気だ。クソ高い素材ばかり要求しやがって。

 

(む!?さては「高級素材ばっかり要求しやがって」とか思ってるんでしょう!?でもお生憎様。一流のファッション、おしゃれの為にはお金、手間暇を惜しんじゃ駄目なのよ!)

 

―うるせぇ!

 

端末に向かってエノハは内心そんな禅問答を繰り返しながらようやく最後の項に行きつく。

 

―はぁようやく最後か。なになに…?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・アバドンの天麟

 

(生後四カ月 メスがべスト)

 

 

 

―ん?

 

 

エノハは目をしぱしぱしながらもう一度リストを見返す。

 

 

 

・アバドンの天麟

 

 

 

―…?なんだ?この世界観を丸ごと無視したかのような素材名は…?

 

 

 

 

 

 

 

 

アバドン

 

最近存在が確認された新種の小型アラガミである。

 

アラガミではあるものの全く人間に対しての敵意、害意は無く、人間と遭遇しても一目散に逃げていく。その逃げ足は非常に速い。

前述の通り危険性は著しく低い為、討伐する必要は無いように思えるが体内に非常に希少かつ有用な汎用性の高いコアを有しており、神機のカスタマイズに一役買ってくれるためもし遭遇した場合、余裕があれば討伐を推奨する。

非常に希少な種、有用なコアを持ち合わせる上に妙にファンシーな見た目を持つ事から一部神機使い(特に女性神機使い)の間では「レアアラガミ」「幸運のアラガミ」などと呼ばれる。

 

またその体から採取できる体皮は質感、肌触りが良く(長嶋ライクに言うと「きゅっとして、もふっとしてムフフ❤って感じなんですね。ハイ」)、さらに染色が容易と文句なしの非常に素晴らしい材質をしており、前時代の利用されていた様々な動物の高級な皮革を凌ぐ新しい服飾素材として影で注目されている。

ただし本当に希少かつまだまだ生態も掴めていない「ツチノコ級」の幻のアラガミなのでミッションの際、過度の期待を持って本アラガミを探すことは任務に支障をきたす危険性があるのでお勧めはしない。

 

 

 

 

 

「…っ!なんじゃこりゃあ!!??そんなUMAクラスのアラガミの素材が必要だってのか!?第一なんだよこの『生後四カ月 メスがベスト』って!?アラガミに性別があんのかよ!?っていうかなんでそんなヘンな所妙に具体的なんだよ!?」

 

突っ込み所が多すぎて流石のエノハもテンパッていた。

 

「…知らないよ。私らだって最初聞かされた時は胡散臭い話だって気にも留めなかったもん」

 

「…。ダメだコレは。リグには悪いけど流石にこの件は保留。…とりあえず普段の任務をいつも通りこなしつつ、いざ現れた際には冷静に対処できるように努めよう。任務中気を取られ過ぎて怪我したりしたら目も当てられない。三人共!そのつもりで頼む」

 

「…了解。と、言いたい所なんだけどね…エノハさん」

 

「?何か?レイス?」

 

「そんな余裕はないかもしんな―」

 

 

チュイン!!

 

 

突如甲高い音が響いて四人の居る射撃練習所を臨む控室のガラスが貫かれ、

 

「え…?」

 

一発の銃弾がエノハの頬を掠めていった。掠めた銃弾はエノハの背後の壁を貫き、煙を上げる。唖然と目を見開き、口をパクパクとさせながらエノハはようやく目線だけ動かして貫かれたガラスの向こう側を見る。

そこには顔面蒼白で今までに無く本気の謝罪の顔をしたリグの唇が「わ、わりぃ…」という動きを作っていた。

 

 

「まぁこう言うわけでして。…リグはね?カッコつけていつもあの帽子を被ってたわけじゃない。あの帽子を被らないと全く銃の制動、照準合わせが出来ないのよ。不思議な事にね」

 

 

「ど、ど、ど、ド死活問題じゃねぇか!!!」

 

 

 

 

その日よりエノハと未だ姿を見せぬ幻のアラガミ―アバドンとの戦いは始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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神隠し

GEリザレクション一段落。うん。中々面白かった。
カーネイジが面白い。これ発射予備動作中に射角と目標変えられたら化けるぞ…。


さて…新章スタート。よろしければお付き合いを。



欧州第二支部外部居住区より約三百キロ程離れた地に建設されたサテライト支部―「通称サテライトB」と呼ばれる支部がある。

 

一般のフェンリル管理下の住人には公開されていないサテライト支部であり、フェンリル支部の中でもその存在を知る者は非常に限られる。

その「知る者」は主に「持つ者」。貴族、フェンリル上層部の高官クラスが殆どだ。それには理由がある。

 

サンクチュアリ―

 

言い換えると「聖域」と呼ばれる特殊な地域―そこに建設された特殊な貴族、高官の一族、親族の為に建設されたサテライト支部だからだ。

 

世界の各地で存在が確認されているそのサンクチュアリ―「聖域」と呼ぶに相応しい理由はとてもシンプルである。

 

人類の天敵であるアラガミが異常なほどに出現しにくい地域―それが「サンクチュアリ」なのだ。

 

それが何故なのかは実は明確には解ってない。地理的条件、天候や気象、アラガミの餌などの科学的要因なのか、はたまた「霊的」な地、不浄な物達が入れない「神」に選ばれた地である等の民間伝承、オカルトクラスの科学的根拠に乏しい説などが入り乱れているが未だに結論は出ていない。ただ実際にそういう地域が存在しているのは紛れもない事実である。確実に世界各地にスポット的に実在が確認され、極秘裡に研究、調査もすすんでいる。

 

何にしろ発生から半世紀以上人類の存在を脅かし続けているアラガミが極端に発生しにくい土地となればこの上ない魅力的な地である。それ故この情報はほとんど公開されていない。

その地「サンクチュアリ」―この時代に於いて超最高の優良物件に住む者は限られた、選ばれた者のみにする為だ。ほんの一部の特権階級が住む事を許された地ー「聖域」に建てられたサテライト支部

 

前述したサテライトBもその一つであった。

 

 

 

 

そのサテライトBが先日

 

 

 

 

 

完全に音信不通となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フェンリル高官、貴族連中のその親族、家族達が住まう住居だ。当然のこと調査隊は出される。アラガミ研究者、科学者、そしてそれを護衛する軍部、そして当然の如くGEも帯同した豪華絢爛な調査隊が派遣される。

 

―しかし、

 

「……?」

 

現地に訪れた彼等は残されたその地の奇妙な光景に目を点にするしかなかった。

 

サテライト支部が「音信不通」となれば当然フェンリル関係者はアラガミによって襲撃されて支部が壊滅したとまずは考える。

所詮「サンクチュアリ」と呼ばれていてもアラガミが全く出現しないと保証された地では無い。前述したように未だそのような地域が何故存在しているのか明確な根拠が確立されていない状態だ。あくまで「安全性が比較的高い可能性のある地域」程度のものである。実際の所、世界各地に幾つか点在するサンクチュアリの中でも「等級」は存在しており、人が移り住んでからそれを追う様にアラガミが頻繁に出現するようになったと報告される「エセ」聖域も数知れない。その点で考えるならばこのサテライトBもまたその類の物と当初は判断された。

 

しかし懸念点はある。件のサテライトBの「等級」はサンクチュアリの中でも中の上、実際にその周囲に現れるアラガミの数は非常に少なく、そしていざという時の保険として当然アラガミ装甲壁も兼備されている。装甲壁のアップデートも頻繁に行われていたし、護衛役、治安維持を目的とした軍人、GEも駐在していた。突然のアラガミの襲撃にもある程度の対応、最悪でも救難信号を出せるくらいの備えがあり、安全性は下手な外部居住区より遥かに高かった。

 

そんな支部が「SOS」も出さずに突然音信不通になる事を訝しげに思いながら現地を訪れた調査隊一行は目の前の光景に更に首を傾げた。

 

貴族社会の中でも中堅以上の階級を持つ人間が住まう洒脱な街並みは一切損なわれておらず、装甲壁も故障や損壊の様子も無く完全に機能し支部を保護していた。古きよきレンガ造りの欧風の通りを談笑しながら歩く人々や騒ぐ子供達の姿が今にも目に浮かびそうな光景だ。

 

全く以て平和そのものの街並み。ただそこからぽっかりと住人の姿だけが消えている。

点在する真新しい施設や家屋に入ると更に訪れた調査隊達の混乱は加速する。

 

鍵も掛けられていない家屋、荒らされた形跡のない室内には飲みかけのコーヒー、調理中の食べ物、出しっぱなしのシャワー、干されたままの洗濯物―

 

ありとあらゆる人間の生活の痕跡が克明に残されているのだ。ただそれを営むサテライト住人の姿だけが無い。

 

訪れた調査隊はこう判断する。

 

これはアラガミの襲撃では無いと考えられる。人為的なものの疑いが強い。住民自体が作為的に行った集団失踪か第三者の営利目的の大量誘拐の可能性があると判断し、本部に報告された。

 

住民たちの大半が高所得世帯であったことからその判断はある程度妥当とされ、何らかの犯行声明や身代金要求等の「動き」があるまで待機という結論に至り、その日の内に調査隊の捜索は打ち切られた。戻った調査隊が現地より持ち帰った捜査資料、写真を基にアラガミ対策では無く、住民、その家族、公私含めた交友関係、人間関係の洗い出しからフェンリル統治に敵対する人為的組織のテロ行為を視野にいれた捜査本部を設立する事が閣議で決定した次の日のことであった―

 

 

 

現地で駐留していた調査隊24名全員もまた音信不通になった。

 

 

 

 

 

 

 

「おおう…なんかぶるっと来る話だねぇ…」

 

縮こまる様に身をわざとらしく強張らせながら赤髪の少女―アナンはそう呟いた。

 

「そんな薄着で来るからだよ。だから散々支給されたあの防寒ジャケット持ってこいって言ったのに…」

 

呆れ顔で腰に手を添えた銀髪の美少女―「レイス」はこの寒空の中在りえないぐらい軽装のアナンに悪態と白い吐息を伴った溜息をつく。

 

「やーよ。オシャレはガマンってゆーでしょ!!そもそもあのジャケットダサすぎんのよ。せめてカラバリぐらい用意しろって~の」

 

全く悪びれる様子も無く赤毛の少女は縮こまらせた体をふんぞり返る様にえへんとのけぞらせたが、すぐに「へっくしょ~い!」という色気のない間抜けな声を出して再びぶるぶる縮こまる。

 

「うわ~ん。エノハざ~~んわだぢをあっためでぇ~~~?」

 

「…そこは自己発電で頼む」

 

ばっと全くの背後の死角から飛びかかるアナンをひらりとかわした青年―エノハは前だけを見据えていた。その真横に銀髪の少女「レイス」が並び、エノハと同じ方向を見据え、相変わらず口数少なめに最低限の言葉の数で隣に並んだエノハにこう呟いた。

 

「…静かだね」

 

「…光景だけで見たら幻想的で趣があると言えるんだが…経緯が経緯だけに不気味が過ぎるな」

 

早朝。霧が立ち込める「その地」に三人は訪れていた。

かつて聖域―「サンクチュアリ」と呼ばれ、件の事件以降完全に捜査は保留、現存のまま放置されているサテライト支部―通称サテライトB。

 

「ぐずっ…なんか…」

 

シリアスモードのエノハ、「レイス」に遅れて鼻をぐずりながらアナンが前に出る。

 

朝もやに包まれ、静かな。人が居なくなって日が浅い集落はまだ「廃墟」と呼ぶには時期尚早な感がある。人の営みの気配を未だ奇妙に残した誰もいない小綺麗な街並みを眺め、アナンは続けてこう呟く。

 

「幽霊船…いや船じゃないし…幽霊屋敷?…ん~~違うね。名付けて『幽霊サテライト支部』ってか?う~ん。この時代ならでは~~。いや~~時代は変わるねぇ?ミステリー、怪談の類の話すらも」

 

「…」

 

「…」

 

相も変わらず彼女らしいおふざけ、砕けた口調だが今度はエノハと「レイス」二人はアナンを窘めない。二人とも同じ心象をこの場所に抱いたからだ。

 

まさにここは幽霊サテライト支部ー現代の神隠しの街。

 

からりと近くの一軒家に設置された風見鶏が回る。と、その音を契機にエノハが足を踏み出し無言のまま歩き出す。「レイス」も隙のない足取りでそれに続き、アナンは体をゆらゆら揺らしながらキョロキョロ周りを見回しながら殿を務めた。

 

 

住民総数三十ニ世帯百二十九名。およびその調査隊二十四名。その全員が痕跡すら残さず忽然と消えたサンクチュアリ―通称サテライトBを今回、極秘、秘密裏に派遣されたエノハ、アナン、そして「レイス」のGE特殊部隊「ハイド」の三名が現地入り。これより調査を開始する。

 

 

 

 

 

 

 

 

「へ、へ、へ、へっくしょ~~~い」

 

「…」

 

「…」

 

「…ずびばべん」

 

 

 

エノハ、「レイス」の咎める様な視線がアナンに突き刺さった時であった。

 

 

「!」

 

三人の背後でガタリと物音をたち、反射的に三人が振り向く。そこには住居に面した側道に置かれた集荷物を配送する為のものであろう軽トラック。その後部から僅かに顔を半分だけで覗きこむように、しかし刺すような視線が三人を突き刺す。

無言のまま警戒と猜疑心を惜しみなくつぎ込んだ蒼白い左瞳―しかしその形は鋭角では無く、まん丸形よく整っており、半分だけ覗く顎まで延ばされたおかっぱ頭の美しい金髪を持ち、身なりもととのった本来であれば「愛らしい」と言って差し支え無いような少女であった。

 

「...」

 

現れたエノハ達三人の姿を一人一人、覗かせた小さな左目で映し取る様に確認すると直ぐに半身を隠れ蓑にしていた軽トラックの方向へその小さな体を隠し、姿が見えなくなった。

 

「あっ!待って!」

 

「…!」

 

「女の子ぉ!?」

 

三人もすぐにその後を追い、車の背後に達したが車の背後には家屋と家屋の間、大人が半身になってようやく一人通れる様な通路とすら呼べない狭い隙間があり、どうやら少女はここを通って一目散に逃げたらしい。

 

「おお~~~生き残りが居たぞ!殺…」

 

キッ

 

「レイス」の突き刺すような瞳が再びアナンを射抜く。

 

「ころっ…転がる様に逃げていったぞ~~!!さ、探して保護しないとね~~」

 

苦しい取り繕いをしたアナンの言葉に「レイス」が反応する前に

 

「レイス」

 

通路を覗き込みながらエノハが低い口調で言葉を差しこむ。

 

「はい」

 

「あの子。確か住民のデータに在ったと思う。詳細覚えてるか」

 

「はい。名前はルーティ・パリストン。年齢は8歳。フェンリル第二欧州支部第六製薬開発室の室長ガリウス・パリストンの御息女です」

 

「レイス」は淀みなくそう言いきった。

「レイス」は現地を訪れる前にこの案件に関する資料を彼女自身常備している携帯端末に頼ることなくすべて頭の中にインプットしている。

 

「この通路の先がどこに繋がっているか解るか?」

 

「…うん。問題無く追跡は可能」

 

「任せていいか?あの子のこと。どうやら相当警戒してるみたいだったしあまり人数かけて追っかけても良くないだろう」

 

「…了解」

 

その「レイス」の言葉には了解しながらも言外に「…私?」というニュアンスがあった。エノハもその感情をくみ取る。

 

「…アナンは駄目だ。『殺せ』とかアホ言うから更に怯えさせる」

 

―おお!?さらっと流したようでちゃんと聞いてるぅ~~!?ひぃ~~っエノハさん恐ろしや!

 

「先ずは優しく声をかけて落ち着かせてなんとか無事に保護してくれ。ここで一体何があったかを知っている大事な証人の前に一人の女の子として丁寧にな。…何があったかわからないがあの一目散に逃げてく様子だと相当怖い思いをしたんだろうし」

 

「…」

 

「レイス」はちらりと少女が通ったであろう通路を見る。エノハは確かに大柄とは言えないが男だ。小柄な少女が逃げ惑う場所を縫って追いかけていくのであれば確かに自分が適任であろうと自覚する。

 

「OK…やってみる。エノハさん達二人は引き続き他の場所の捜索をお願い」

 

言い切らない内に「レイス」は細くしなやかな体で細い通路を縫う様に走り、少女の追跡を開始。それを見届けたエノハは当初の予定通りのルートの先での合流を「レイス」の背中に告げ、アナンを引き連れ歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…別れたな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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神隠し 2

 

 

「…霧の影響か」

 

手元のインカムががりがりと掻き毟る様な雑音を発し、役目を果たさない事を確認するとエノハは忌々しげに一層濃くなった周囲の霧を見回す。

「レイス」と散開してから五分ほど経過し、その間エノハ、アナンの二人は生存者やその痕跡、手掛かりなどを探りながらも一向に変化は無い。消息を絶った調査隊の報告書と寸分違うことのない光景が繰り返されているだけだ。

先程住民の一人―ルーティ・パリストンと言う少女に遭遇して以降は状況は生存者らしき姿、痕跡、手掛かりさえも見つからない。状況は膠着している。

 

「アナン…離れるなよ?」

先行するエノハが警戒を隠さない口調で背後のアナンに声をかける。…が。

 

「言われなくても~♪出来る限りエノハさんに引っ付いてやるでやんすよ。ふひひ」

 

ひしっ…

 

「レイス」が居なくなったことを良いことにアナンはエノハの背中にぺたりとカエルの様に張りついている。時々歩くことすら放棄して足まで浮かせやがるもんだから質が悪い。

 

ずしっ…

 

「重い…。せめて距離感は大事にしようアナン」

 

「照れない照れない♪こんな赤毛の美少女に密着されるという役得を存分に堪能したまえ少年♪」

 

「隊長と呼べ」

 

そう言いながらエノハはまだあどけないそばかすの散らばったアナンの鼻先を人差し指でパチンと弾く。と、「イヤン♪」と、嬉しそうな声を上げてアナンは鼻を押さえながら一旦はエノハのもとを離れる。

 

「ぶ~。折角二人っきりになったんだからさ~~少々甘えてもいいんですぜ兄さん」

 

「…俺に張りついて暖を取りたいだけだろ。自分の落ち度を棚に上げて他人にその尻拭いをさせるのは感心しないねぇ」

 

「ぎ、ぎく。な、何のことですかね~。ちっ。ええい!ほら!男ならつべこべ言わず『ドン』とこいやエノハさん!!年下の女の子の良さを教えてやるぜ!!」

 

「さぁかかって来い」と両手でエノハを仰ぐ。最近妙なファイティングスピリッツに燃えているアナンであるが…その時であった。

 

 

ドン!!!

 

アナンの希望通りの音が辺りに響きわたる。

 

 

「きゃあエノハさんったら過激ぃ~~ってっ…うわぷっ!!?」

 

まるで叩きつける様な一陣の風が突然舞い上がり、霧がエノハ、アナンの二人を覆い隠す。周囲の視界が一瞬とはいえまるで煙幕の如くほぼゼロになるほどの突然の強風、突風であった。

 

「えっほっ!!ごほっ!!ちょっちょっ!エ、エノハさん!?」

 

アナンは強風によって舞い上がった塵、砂煙に咳き込みながらエノハの名前を呼ぶが…

 

―……

 

エノハからの応答なし。

 

しばらくして彼女の視界が開けたと同時、「ぽつん……」というような擬音がこれ以上なくあてはまる状態にアナンは陥っていた。彼女の周囲には最早誰もいない。

 

「え。うそ。マジ?」

 

―ヤバイ。

 

これ。

 

完全に。

 

はぐれた。

 

 

「あ、あはは~~これ知ってるよ~?ホラー映画でよくある『はぐれたヤツから順に襲われて退場していく典型的な展開、王道パターン』……じゃん!!ひぇ~~~!?エノ、エノハさんどこぉ~~~!!??」

 

 

創作物でよくあるこのありがちな展開という物は如実に現実を物語っていると言える。頼る瀬を失ったモノ、はぐれたモノ―大別すれば「弱み」「突け入るスキ」を見せた者から順に狙われるのはこの世界のセオリーである。

 

よって当然アナンは「狙われた」。

 

「奴」はこの瞬間を待ち望んでいた。アナンは今堅牢で安全な群れからはぐれ、パニック状態の生きの良い生餌(ベイト)。当然見逃す理由は無い。

そしてこれもまたセオリー。そんな哀れな獲物を襲うからには静かに。背後から。

 

「え…」

 

僅かに感じた背後の気配。反射的に振り返った背後から覆いかぶさるような黒い影の姿を目の当たりにしたアナンは悲鳴を上げる暇すらもなかった。

 

 

 

 

 

 

一方―

 

少女―ルーティを追って細い通路を抜け、このサテライト支部の中央、行政と管理を司っていた役所らしき建物の前で「レイス」は立ち止まる。

 

「ん…」

 

アナンとエノハを分断させた元凶の轟音と僅かな大気の震えを敏感に彼女は感じ取り、先程遭遇した少女の追跡の足をひたりと止める。無言のまま彼女はオリーブの瞳を轟音が発せられた方向にちらりと向け一瞥し、そしてこう呟いた。

 

 

「さて…」

 

 

 

 

「『何』が『餌』に『掛かった』のやら?」

 

 

 

 

 

 

「きゃ~~~~~。……なんちて」

 

未だに全身を黒い影で覆われた中でアナンはわざとらしい悲鳴を止め、余裕の表情で赤い舌をぺろりと出す。

 

……!?

 

彼女を覆い尽くさんとしているその「影」のシルエットは「餌」のアナンを目の前にしながらも現在小刻みに震えるのが精いっぱいで微動だに出来ない。先程勝利を確信した完全有利の状況のまま「影」の時は止まっている。

確かに前述したセオリーはセオリーだ。現実ではそのセオリーが跋扈している。ただし、そのセオリーを履き違えた、見誤った時、どっちが「餌」になるかはまったくのあべこべになる。

 

「影」は今履き違えた。

 

「上出来上出来♪」

 

アナンが「影」の背後―全く何も無い、誰もいないはずの空間へそう語りかける。

 

「ふん…」

 

「空間」がそう答える。

 

確かにアナンは「餌」だった。正しこれ以上なく苛烈な毒入りの。「餌」には備え付けられていたのだ。セオリーを読み違えた哀れな者を釣り上げる仕掛け(RIG)。その名は―

 

 

「ごっくろーさん❤リ~グ♪」

 

 

相変わらず微動だに出来ず、かろうじて振り返る事の出来る程度の「影」の眼には自分の体にがっぷりと喰らい付いた真っ黒なアギトが先端から徐々に構成されていく光景が映る。

 

……!!

 

最後には「影にとっては」透明のはずだった空間に一つのシルエットが浮かび上がった。

人間。それもまだ幼い少年。

その姿を見、影はようやく理解する。このサテライト支部に新たに訪れた侵入者を追跡しているつもりでその実泳がされ、おびき出され、誘い出された事を。

尾行をしているつもりが実は尾行されていた、狩るつもりであったが実は狩られようとしていた事を。

 

「ステルスフィールド…解除」

 

何もない空間から現れた少年―リグはそう呟くと同時、「影」に神機の捕食形態を喰らい付かせたまま地に叩き付け、

 

「ほいっ」

 

すぐさま正面の餌役のアナンがトラップを仕掛け、「影」の身動きを一切止める。

 

「捕獲完了~~♪」

 

「ちょっ!おい!!アナン!!いきなりホールドトラップ仕掛けてんじゃねぇ!!俺の神機まで痺れるだろが!!」

 

「何ィ!?うっさ~い!!第一アンタこそさっきの発破の際の火薬の量多すぎィ!アナンちゃんの可愛~~いお口に一体何粒のゴミ、塵が入っていったと思ってんの!!ぺっ、ぺっ!んもうっ!口ン中さっきからジャリジャリして仕方ないじゃない!!」

 

阿吽の呼吸、連携を見せた直後顔突き合わせて小競り合いを始める所がこの二人らしい。そんな二人に

 

「…二人ともそこまで。よくやった」

 

…!

 

「影」が最も餌―アナンから引き離したかった存在が二人を窘める。このサテライトBに訪れた「影」が捕捉、「知覚」していた三人の中で間違いなく最も厄介な存在であろうエノハが霧を切り裂いて現れる。

 

「ちょっと聞いてエノハさん!!リグったらさ~」

 

「あんだよ!!俺は悪くねぇぞ!!そもそも―」

 

未だ小競り合いを続ける二人の口論が更にエスカレートする前に

 

「アナン」

 

「はい?」

 

「いい演技だった。あれじゃ誘い出される」

 

「…!えへへ~」

 

「リグ」

 

「あん…?」

 

「やはりそのお前の能力は凄い。そして『コイツ』が全く周囲に無警戒の瞬間を逃さず確実に捉えた集中力も見事だ。お前がいなきゃこの作戦は成立しなかった」

 

「…ふん」

 

そもそも今はまともに射撃が出来ないからな…これぐらいはして役にたたねぇと…。

 

「はっ!?違う違う!!俺はんなこと言ってねぇ!思ってねぇぞ!!」

 

リグは頭の中で思い浮かび、自然声になる直前のそんなセリフを頭の中からかき消すように頭の上でぶんぶん手を振った。そんなリグを怪訝そうな目で見るエノハと対照的にアナンは「相変わらず素直じゃねぇな」と肩をすくめる。

 

「…?まぁいいそれより…問題は『コイツ』、だ」

 

エノハは未だ地面に縫い付けられたままの「影」を見下ろす。その口調は静かで穏やかだが「影」にとって得体の、そして底の知れない存在だ。

 

…ヤバイ。自分を捕えたこの二人もヤバイが輪をかけてコイツはヤバイ。コイツら正直前に「ここに来た」連中とは比較にならない。

 

よりにもよってこんなおっかない奴に自分の「正体」を知られたのは「影」にとって痛手であった。よって「影」は即時判断する。一刻も早くこの場を逃れる事が最優先だと。

 

 

…!!

 

そしてその為に反射的に「影」が取った無意識に行った行動が

 

 

「……!!!なっ……!!」

 

 

エノハを震撼させた。エノハだけでは無い。

 

「何…?コイツ」

 

「…!!」

 

「影」が反射的に、無意識にとった行動、目の前のただの逃避の行動はエノハ達にとってあまりにも…異質が過ぎた。

 

実際の所、アナンが仕掛けたホールドトラップによって完全に拘束されている「影」の逃避行動は決して実を結ぶことは無い。現状一インチすら動けていない状況である。が、「逃避が無為である」という純然たる結果その物より「影」のとった逃避の為の「手段」が三人を戦慄させていた。

 

「リグ。アナン。お前ら二人はここで警戒態勢を保ったまま待機。一瞬たりとも警戒を緩めるな。いいな?」

 

その言葉と同時エノハは脇目も振らず駆けだしていた。

 

「あ!エノ―」

 

―そうは行くか。

 

リグはエノハの制止を構わず振り切ってエノハを追走しようとする。そのリグを

 

「リグ!!」

 

いつもとは異なる鋭い口調でアナンが呼び止めた。びくりとリグは足を止め、不機嫌そうに眉を歪めながら引きとめたアナンに悪態をつく。

 

「…おい!!何だよ!!なんで止めるんだよ!!」

 

アナンはリグの激しい恫喝にもいつものようにムキになって応対しようとしない。完全に彼女の中で何かスイッチを「切り替えた」冷静さであった。

 

「バカね。今のアンタが行ってど~なんの?まともに射撃もできないアンタじゃエノハさんの足手まといになるだけ」

 

「ぐぬっ…」

 

「それに」

 

「あ?」

 

「…お願い。今はここに居て。アンタが行ったら今度は私が丸腰になる。正直私も…」

 

「…お前も?」

 

「怖い」

 

「…ちっ」

 

珍しいアナンの素直な言葉にリグは舌打ちし、忌々しそうな仕草で愛機ケルベロスの冷たいスナイプ銃身に目を閉じながら額を押しあてる。頭を冷やし、平静を保つ為だ。

同時に再びステルスフィールドを展開、白いオーラを体に纏って気配を絶つ。その気配はすぐに極限まで薄められ、傍に居るアナンですら視覚、感覚双方に於いてリグの知覚が困難になる。

 

「ちょっ、リグ!?」

 

「……。安心しろよ。俺はどこにも行かない。安心してそこでじっとしてろ。いざという時は…俺がお前を守るから」

 

「…ありがと」

 

一抹の不安を表情に残しながらもアナンは頼もしいリグの言葉に幾分表情を緩ませ、冷静に未だホールドトラップの上でもがく「影」の姿をいつもとは違う冷ややかな光を放つエメラルドの瞳で冷静に観察する。

エノハが居ない以上、現状を今自分の頭で判断する他ない。普段は基本的に人任せな少女であるがいざという時、元々彼女の「血の力」の特性上も相まって分析力、解析力に関してアナンは侮れないセンスを持つ。

直前のリグの頼もしい言葉が無ければ流石にここまで冷静ではいられなかっただろうが。

 

アナンは周囲の警戒を怠らないまま、膝を下ろし「影」を再び見据える。

 

 

―成程。…大体見えてきた。このサテライトBで何があったか。そして「コイツ」が一体何なのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻―

 

サテライトBの丁度中央に位置する市役所のメインエントランスに「レイス」は達していた。先程遭遇した住人の少女―ルーティ・パリストンはどうやらこの建物内に入ったらしい。

 

…成程。身を隠すにはうってつけだ。あくまでこの支部全体の景観を損なわない周りの街並みに合わせた貴族的な洋風建築だが民家と比べると役所、裁判所の様な荘厳な雰囲気を醸し出し、堅牢で頑丈な作りをしている。一部アラガミ対策として偏食装甲も採用している。この支部の有事の際の最後の砦として建造されたのであろう。同時治安維持のための警察組織、支部を守るGE達の待機場所、果ては住民登録等の手続きなどこの支部の維持の為の行政を一手に担っていた心臓部と言える場所の様だ。

 

―おまけに屋上には他支部との長距離情報通信を可能にする巨大なパラボラアンテナ…。壊れた様子も無く問題無く稼働してるみたいだし…解らないね。

 

サテライト支部として十分すぎるほど体を為している。ここを放棄して外に出るなんて自殺志願者と言っても過言ではないだろう。

 

しかし事実、この施設ですら現状ほぼ人はいない。唯一見つけた少女もケツまくって逃走中。釈然としない思いを抱えたまま「レイス」は

 

「…二階、か…」

 

メインエントランス中央部分から二階に繋がっている階段の先、僅かな足音を感知。

足音、歩幅の間隔から推定年齢十歳前後。体重は恐らく三十キロ以下。

 

「まず間違いなくさっきの娘だね…」

 

―さて。…「怖がらせずに軽く声をかけ最終的に無事に保護」…か。

 

今からその「用意」をしなければ。「レイス」は少し階段を昇る足を緩め、再びの少女との遭遇に備えて腕を組み考え込む。

 

―むー…とりあえずまずは、笑顔…?かな。

 

「レイス」はむい~ん、むにむにと両手の人差し指で両頬に手を添え、吊り上げたり、引っ張ったりして口角を上げる。が、鏡を覗かなくとも確実に不気味な笑みになっているだろうことが自分でも解る。

 

「…」

 

―やはり人選ミスってるよ。エノハさん。

と、内心悪態ついた所で状況は変わらない。任された以上はやるしかないのだ。表情はとりあえず保留。次は…最初にどんな言葉をかけるか、だ。

 

「え~~っと『ほらもう大丈夫。貴方を助けに来たんだよルーティ?だから安心して出て来て』」

 

少なくとも言葉の内容としては十二分に及第点ではある。しかしその言葉を発する「レイス」の肝心の表情は相も変わらずだ。コレは怖い。「レイス」も大いにそれを自覚しているだけに頭を抱える。

 

「…アナンの能天気さが羨ましい。…第一こんなことを私にやらす自体どだい無理な話だってエノハさん…」

 

「…」

 

「そりゃアナンは暴言吐くけど一応頭いいし、計算だけど笑顔作れるし」

 

「…」

 

「……はっ!?」

 

 

「…」

 

 

階段を昇り切り、その先に続く廊下の曲がり角の先で

 

「…」

 

少女―ルーティ・パリストンが初めて会った時と同じように半身だけ覗かせながら相も変わらず警戒感MAXの状態でじっと「レイス」を見つめていた。

二回目の不意の遭遇に「レイス」のホウキ頭は即時ぐるぐる回る。「レイス」の頭を駆け巡った言葉の選択肢四択。内容は以下のとおりである。

 

 

→1 貴方はルーティだね?大丈夫安心して?君を助けに来たんだよ。

 2 もう逃げなくてもいいよ。それより他の皆はどこに居るの?

 3 生き残りが居たぞ!殺せ!!

 4 いい天気だね。

 

 

―アナンのせいで余計な選択肢が混ざってる!覚えてなさいよ…アナン。ええいとりあえず1か2を選んどけば問題無い!!って言うよりもう1でいい!

 

 

 1 貴方はルーティだね?大丈夫。安心して君を助けに来たんだよ。

→2 もう逃げなくてもいいよ。それより他の皆はどこに居るの?

 3 生き残りが居たぞ!殺せ!!

 4 いい天気だね。

 

 

―あ、あれ?

 

 1 貴方はルーティだね?大丈夫。安心して君を助けに来たんだよ。

 2 もう逃げなくてもいいよ。それより他の皆はどこに居るの?

→3 生き残りが居たぞ!殺せ!!

 4 いい天気だね。

 

―こ、これだけはダメ!アナンと同類になってしまう!!

 

 

 

 

「い、いい天気だね」

 

 

―…。

 

 

少女の背後、「レイス」の向かい合わせの廊下の突き当たりはこの施設の反対側でこの施設の裏庭に面しており、窓から外が一望できる構造になっている。本日そこは一面―

 

「霧」だ。

 

どう好意的に見ても今日は「曇り」。

 

「曇天」。

 

「CLOUDY」だ。

 

 

 

「……。→ぷいっ」

 

少女は行ってしまった。

 

「…」

 

「レイス」は頭を抱える。

 

 

ほんの束の間自分の失態に「レイス」は頭を抱えた後、

 

「ふぅっ」

 

自嘲気味に深く息をついて気持ちを切り替える。そもそも冷静に考えれば追跡してくる人間を恐る恐るながらも立ち止まり、観察しているあの少女の様子を見るにこちらに全くの敵意と脅威だけを抱いているとは考え難い。自分の身に降りかかった「何らか」の脅威によって疑心暗鬼に陥りつつも振り返り、立ち止まって「レイス」を観察していた少女には追跡者への純粋な興味、関心が少なからず在るはずだ。

 

それに対して初対面時の自分、そしてつい数秒前の自分が全く的外れな対応をしてしまった―ただそれだけだ。

 

恐らく少女は多分、いやきっともう一度チャンスをくれる。今度こそもう少し上手くやれるようにしよう―そう「レイス」は気持ちを切り替え、やや軽い足取りで再び歩を進める。

廊下の突き当たり、少女が消えた角に差しかかり、少女の進行方向へ目を向ける直前であった。

 

「ん…?」

 

中庭に面している廊下には鮮やかな紅いカーペットが敷かれている。その上に少女が逃げていった方向とは逆方向にむけて黒い数本の筋が走っていた。それは紋様などでは無く、何か重い物でも台車も無しに強引に引きずった結果生じてしまった様な擦れ傷であった。

 

折角の豪奢な廊下が台無しね、などと「レイス」がその黒い筋の先を目線で追っていると背後―少女が逃げていった方向から物音がした。「レイス」はすぐさま振り返る。

 

「……!!…!…!」

 

そこには先程の少女がどうやら通気口らしい四角い穴の中で中々思う様に閉じてくれない通気口の四角い蓋を必死で閉じようとしている光景であった。

どうやら少女一人がようやく入っていける程度の狭いダクトを利用して隠れ、今まで難を逃れてきたようだ。

 

たった一人の為の隠れ家。秘密基地。誰にも存在を知られてはいけない。だからこそ彼女は必死で隠そうとする。蓋を閉じ、中に自分が入っているという痕跡を消そうとする。しかし―

 

「……!」

 

 

「…あー」

 

その少女の光景を思いっきり見て面目なさそうに頭を掻き、目を逸らす「レイス」の姿を確認し、少女はまん丸な蒼白い目を見開きながら手を止める。

 

見られた。とうとう。見つかってしまった。

 

「…!!……!?………」

 

動揺の隠しきれない所作を狭いダクト内で忙しなく少女はする。ダクト内部に逃げ込むべきか。それとも見つかってしまった隠れ家のここを放棄して飛び出し、再び逃避行に走るべきか。

 

そんな少女の意図をすぐに「レイス」は感じ取り、

 

「あ、待って!!」

 

出来る限り鋭さを抑えた口調で少女を制止する言葉と同時、一歩前に出る。すると

 

「!」

 

近付いてきた飼い主以外の人間の歩数に合わせ、自分も同じ歩数で下がる猫みたいに少女もまたダクト内へ一歩後退。「レイス」の反応を見てとりあえず少女はダクト内への避難を行動方針にしたようだ。流石にそれをされると「レイス」はまずい。この通気口―「レイス」の細身であれば悠々入って行けるだろうが流石に巨大な鎌神機―彼女の愛機は入って行けそうもない。

 

―……ん?…神機?

 

「レイス」はつと歩みを止める。同時にカチャリと彼女の愛機―ヴァリアントサイズの「カリス」が機械的な音を立てた。

 

―……成程。そりゃ怖いわな。

 

「レイス」の持つ神機は最新の刀身であるヴァリアントサイズだ。現状扱える人間は全世界で相当に限られる。即ちまだまだ一般の知名度は低い。

ただでさえ神機という物は仰々しくいかめしい見た目だ。おまけにその形が今までとは違う見慣れない禍々しい形状であれば小さな少女が警戒してしまうのはごく自然なことではないか。

 

それは次の

 

カチャリ…

 

「…!!」

 

ススッ…

 

「レイス」が愛機を握り、軽く掲げた程度の動作に更に二歩ダクト内へ後退した少女の反応から容易に裏付けられた。「レイス」は自分の推察が正しい事を確認した後、軽く首を振りつつ微笑みながらこう言った

 

「…大丈夫。この子は何もしない。このコは……ルーティ?君の味方だよ」

 

「…」

 

そんな「レイス」の言葉にも少女は相変わらず無反応。しかし後退はとりあえず保留。譲歩はしてくれたらしい。

 

―…仕方ない。それではこちらも譲歩するか。

 

コト…

 

「レイス」は愛機カリスを出来るだけ音が出ないようにゆっくりと霧で曇る窓に立てかけ、手を離し、接続を解く。

 

「よ~~しルーティ?私は今からこのコをここに置いていくから。…だからもう少しそっちに行っていいかな?少し一緒にお話ししたいんだ。ルーティ?君と」

 

その言葉と同時、一歩踏み出し、更に二歩、三歩。少女―ルーティは動かない。

 

「あ。忘れてた」

 

「…?」

 

「まだ私自分の名前も言って無かったね。散々ルーティのコト馴れ馴れしく『ルーティ、ルーティ』って言ってたクセに…全く失礼しちゃうよね」

 

「レイス」は自分の失態に眉を曲げながら苦笑する。作り笑顔では無い。本音から出た自然な「レイス」の笑顔に

 

「…」

 

ルーティは無言のまま、より自分への接近を許す。心なしか上目遣いの彼女の蒼白い瞳から警戒の色が消えた。更に「レイス」は接近。同時話しかけ続ける。

 

「私の名前は『レイス』だよ。よろしく。ルーティ」

 

「…」

 

もうルーティに動く気配は無い。己の中の壁を完全に取り払った様だ。もう少しである。

 

―頑張れ私。

 

「レイス」は自分にそう言い聞かせる。

 

―ではもう一つ行こう。もう一声かけよう。さて何がいいかな?もっと信用してもらう為には。心を開いてもらうには。

 

…そうだ。「秘密の共有」なんてどうだろう?

 

私には。

 

…「記憶」は無いけど。

 

一応「秘密」位はある。

 

…よし。「これ」で行こう。

 

教えたげるよルーティ。私のヒミツ。

 

 

 

「…といっても」

 

「…?」

 

 

「実はね。この『レイス』って名前本当の私の名前じゃあないんだ」

 

 

「レイス」と「呼ばれる」少女はしゃがみこみ、膝の上で頬杖を付きながら顔を傾かせて笑い、最早目の前の少女―ルーティの蒼白く、吸い込まれそうな瞳を憂いを含んだ目で見つめる。

 

「…」

 

「そんなのズルイよね。だからルーティにだけこっそり教えるよ。

 

 

 

 

 

私の本当の名前は―

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――――』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

って言うんだ。…内緒だよ?だ~~れにも言っちゃダメだかんね。よし。指切しようルーティ?はい」

 

 

「レイス」は左手の小指を立てながら少女の目の前に差し出し、「我ながらキャラに合わないね」と思いながらも軽くウィンクする。その時初めてルーティが

 

 

…二コ

 

笑った。

 

 

正直至宝のような可愛い笑顔だ。このサテライトBがこんな事にならなければ普段はこんな顔で笑う女の子だったのであろう。

 

 

こんな女の子だったのだろう。

 

 

 

 

女の子だったであろう。

 

 

 

 

女の子だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

女の子。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だった」。

 

 

 

 

 

 

「………!!!!!!!!???」

 

 

「レイス」は目を見開く。差し出された少女の小指を。

 

繋ぎ、紡ぎ、誓う為の小さな愛らしい指先を。

 

 

その小指の指先、そして僅かに覗く他の四本の指先すべて例外なく

 

 

 

 

爪が根元から剥げていた。

 

 

 

「痛々しい」

 

 

愛らしい小さな少女の手が目を背けたくなるほどの惨状で浮かぶそんな当然の感情が。

「何故か」今の「レイス」には浮かばない。

 

そして「何故か」

 

 

「レイス」は少女から目を背け、背後を振り返る。

 

彼女の瞳の焦点は廊下の先へ。

 

カーペットに走った数本の黒い筋。擦れ傷。

 

先刻は特に気を留めなかったその黒い筋の行き先―「最終地点」に焦点を充て、オリーブ色の瞳を一気に収縮する。

 

その先には。

 

 

最終的に丁度「十本」になる黒い筋の最終地点には。

 

 

 

 

「……!!!!!!」

 

 

 

赤黒く変色し、

 

 

 

乾いた。

 

 

 

小さな小さな。

 

 

 

 

 

 

 

 

生爪。

 

 

 

 

 

 

 

 

ぞっ

 

 

 

 

 

「レイス」の背筋に一気に冷たい芯棒を刺し込まれたような悪寒が走り、反射的に彼女は駆け出していた。背後に居る少女に一瞥もくれずに。背を向けて。

 

 

否。

 

 

 

 

 

背後に居るのは最早。

 

 

少女では。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人間では。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

「うぐっ!!!!!!!!!!」

 

 

 

 

 

駆けだした「レイス」の逃走距離はたったの二メートルであった。

その距離を走った時点で「レイス」の体はうつ伏せのまま紅いカーペットに叩きつけられる。

 

そして尚も彼女の体は。

 

背後の少女の「居た」方向に引き寄せられている。

 

 

 

 

必死で堪え、這いずりながら「レイス」は自分の両手の指先を見る。

 

 

「……!!」

 

 

そこには遥か前方の廊下の先で形作られた黒い擦れ傷と寸分違いのない光景が今正に形成されている所であった。

 

 

 

他ならぬ「レイス」の指先によって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





―成程。大体見えてきた。ここで一体何があったのか。そして…「こいつ」が一体何なのか。


違う箇所に居る「ハイド」四人全員が各々大体そんな結論を出していた。
とりわけアナンは「対象」が目の前に居ることによってその理解は他の三人に比べてより深い。

未だその異様な光景を目の前で直視しているからだ。


彼女とリグが捕らえ、現在拘束しているその「対象」。その「影」の正体は







オウガテイル。










ザイゴード。
最近発見された新種小型アラガミ―ドレッドパイク。
コクーンメイデン。



そして。









人。





その全てであった。その全てに。









「影」は「成った」。



アナン、リグ、そしてこの場を去ったエノハの目の前で。


そして今また他の姿に変貌しようかとまるでスライムの様な半透明の薄水色の物体がホールドトラップ上で蠢いている。
この場を逃れられる己の「形」を求めて。





「…アメーバ。プラナリア」

「あ?」

アナンを守るために姿を消しているリグはそう呟いたアナンに向かって怪訝な声を上げる。


「元々『アラガミ』は一つのオラクル細胞が無数に合わさり、多くの生物、植物、機械、建造物、果ては人間が信奉する神々の意匠すら象り、己の姿を形成する群体生物。「食べる」というただ一つの欲求を満たすための理想的な形態を模索し、考え、取りあえず在る程度一つの形態に落ち着かせた後は立ちふさがる外的要因に抗するため、必要に従って徐々に進化する。それがアラガミ」


「…?アナン?お前何が言いたい」


「でもコイツは違う。その進化の方向性、己の形をあえて一つに絞らない。真似る。ただひたすら真似る。一時的に姿だけ。劣化のコピー。例え真似た相手、オリジナルが持つ固有の力や能力が得られなくてもその『姿を変えられる』こと自体の有用性を利用する。つまりは…擬態。食べた物、取り込んだ物の持っていた力や能力を得るんじゃなく、ただその姿を真似る事に特化させて新たな栄養源、そして新たな模倣の「形」を得るための糧にする。よって固定の姿を持たず、アメーバのように流動的に変化する形態を選んだオラクル細胞群―それがコイツ。いやコイツ『ら』ね」


「…」


「一体の筈が無い。コイツ『ら』は恐らく分裂したの。ここの住民一人一人の数に合わせてきっちりマンツーマン。この流動的な体をうまく使って隠れ、じっと一人一人観察しながら辛抱強く機会を伺ってね?一人残らず住民全員を捕捉したうえで襲われた人達が助けも呼べない、同時に自分の正体を誰にも知られない為にタイミングをあわせて一斉に『食事』をしたの。これがこのサテライトBの住民の集団失踪の真実、神隠しの正体」



そんなアナンの話を一気に聞いたリグは胸糞悪さとその事実の不気味さに怒りの形相で思わず未だホールドトラップの上でもがいている「影」を撃ち殺そうとする。が。


「抑えてり~ぐ♪殺しちゃダメ」

折角のステルスフィールドを掻き消しかねない程のリグの殺気に感付いたアナンがリグを制止する。


「……ちっ!!」


「…少なくとも今はね」

本性は非常に残虐なアナンが「影」に向かって僅かに囁き、歪んだ笑みを向ける。ただし今回に関してはその笑みには苛烈な怒りが珍しく多分に含まれていた。


「すぐに絶滅させてあげるよ。遭えて光栄だわ。間違いない。こいつこそママが言ってた―






「レイス」を探し、支部内を高速で奔走中のエノハ―

彼も既にアナンの推察とほぼ同じ、エノハは自分が相対している相手の正体を結論付けた。



―…間違いない。コイツがルージュの言ってた特殊変異アラガミ














…「固有種」だ。


























「擬神悪鬼」。



暗躍。












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神隠し 3

「…固有種?」

 

「ええ。その名の通り世界にたった一個体だけ存在するアラガミ種よ」

 

赤髪の女性―レア・クラウディウスのもう一つの人格である女性―ルージュが豊満なバストを押し上げるように腕を組み、長い脚を絡ませ、ソファに背を持たれかけながらそう言った。

 

欧州

 

クラウディウス家邸宅―執務室

 

「この前説明したアラガミの新種―「感応種」のことは覚えてるかしら?エノハさん」

 

「当然。人類を滅ぼしかねない厄ネタを笑って聞き流せるほど平和ボケできるご時世じゃない」

 

「よかった。まぁ何せ私達が初めて出逢った時のお話を忘れてもらってわね?初対面の印象、記憶はその二人のこれからの人間関係を左右するたった一度きりの瞬間ですもの。増してそれが若い男女であったなら尚更―」

 

「…ルージュ」

 

「…相変わらずつれないわねぇ」

 

「ふん。いいもん」とでも言いたげに幼く口を尖らせたルージュにエノハがやれやれと大げさに溜息をつくとルージュの傍らで佇んでいた軍服の女性―ナルが

 

―いつものお戯れです。ご了承を。

 

一見隙のない、きちりと被られた軍帽の下から覗く目が優しく緩み、少し困った笑顔でエノハに謝罪し、拗ねたルージュの替わりにエノハへ説明を始める。

 

「…もともと最初に確認されたいくつかの『感応種』自体もこの『固有種』にカテゴライズされていました。でもどうやらアラガミの種全体が進化の方向性をこの『感応種』の方向に舵を切ったみたいですね。あっという間に種類、個体数を増やして『固有種』から脱却し、『感応種』という独自のカテゴリーを作り上げるに至りました。この期間僅かに半年足らず。…相も変わらずデタラメな進化の速度です」

 

「…まぁ確かにアラガミ内での生存競争、天敵である俺達人間、GEに対抗するために種類、頭数を増やすことは方向性としては妥当だな」

 

エノハのその言葉にナルもやや神妙な面持ちで微かに頷く。ルージュもそのやり取りを見て気を取り直し、少し気だるげに頬杖をつきながらも補足していく。

 

「けどコイツら『固有種』は違う。謂わばその逆の方向を行っているわね。敢えて増えず、己の種の保存すら望まず、世界で唯一の単一個体として存在することを選んだアラガミなの。…エノハさん?貴方程のGEであればこの存在がどれほど厄介な存在か解るでしょう?」

 

 

そう。

 

一個体しか存在しないということはその因子を手に入れること自体困難だ。絶対数が極限に少ない、そもそも「1」なのだから当然である。

そして例えその因子を手に入れ、偏食装甲の更新をした所で意味は無い。その一匹しかいないアラガミを討伐し、コアを手に入れた時点でそのアラガミは絶滅しているのだから。

しかしそれは逆を言えば理論上世界の全ての支部の装甲壁がそのアラガミが生きている限り、その攻撃、浸食に対して耐性、対策を持てない事になる。実質上フリーパスだ。エノハがかつて討伐した巨神―ウロヴォロスもその個体数の少なさから十分な装甲壁更新のための偏食因子が採取出来ず、甚大な被害がいくつも発生したケースだ。

 

しかし当のこの種はたった一匹である。

討伐によるリターンは小さく、かといって討伐しないとリスクは大きいという厄介な性質をもったアラガミ種だ。

 

そして更に厄介な事実がある。

 

 

どうやらこの固有種はその自分のアドバンテージを「理解している」節があると言うことだ。

 

簡単に言えば自分の情報が外部に漏れる事を極端に嫌う性質を持ち、その為の特異な能力を持っている。

 

前述の感応種は周囲に居るアラガミを操り、同時同じオラクル細胞で構成されている神機ですら干渉、その行動を阻害してしまう特殊な感応波を出すことが確認されている。

「固有種」もまた似たような波形のパルスを出すことができるが感応種とは少々その目的の趣旨が異なる。

 

EMP。

 

即ち電磁パルス。固有種はこれに「似た」波形の特殊な感応波を周囲に展開し、範囲内の機械、電子機器、情報通信機器を完全に機能停止させる。それだけでなく、どうやら同種同士の一部のアラガミが備えている特殊な交信能力等ですら阻害してしまう。

こうして彼等の情報が外部に漏れるルートを徹底的に、完全に遮断するのだ。相手が人間だろうが同じ細胞を持つアラガミであろうが、だ。

 

この種は基本己の存在のみが全てである。

 

己が単一の個であることを理解し、その優位性を失わない為には自分の情報、存在すら隠匿し、暗躍し続ける事が最善であるとこの「固有種」は「理解」している。

純粋な戦闘能力は極東などの蟲毒の如き生存競争の激しい地帯で特化されたアラガミに比べると確かに低い。

 

しかし、一筋縄ではいかない特性、狡猾さを持ち、ナンバーワンよりオンリーワンになる事を選んだ危険なアラガミ種―

 

それが

 

 

固有種。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う……ぐっ…!んあ……!!!」

 

時は移り

 

欧州サテライトB市役所回廊―

 

銀髪の少女―「レイス」は歯を砕けんばかりに喰いしばり、自分の体を何とか前に進めようとするが自分の指先、爪先から延びた黒い線の長さが刻一刻とその長さを延ばしていることから自分の体が思いとは裏腹に徐々に後退している事を痛感させられる。

 

「…!」

 

恐る恐る振り返ると彼女の細く長い右足、その右足首にまるで枷の様に蒼白いスライム状の物体がしっかりと絡みつき、拘束を強める為に尚も少女の足を登り、舐め回すように伝っていく光景が映る。

 

ぞぞぞ

 

膝下まである彼女の厚い革のロングブーツの上からでも感じるその形容しがたい不快な感触と同時のおぞましい光景が絶妙にシンクロし、彼女の背筋は凍る。そしてそれがもう間もなく膝裏の地肌に達する事を考えると更に体と心が冷える。

 

 

「……う…あ、あああああああああああ!!!!」

 

 

「その瞬間」が訪れ、いつもは冷静沈着で物静かな大人びた少女が悲痛な叫び声を上げる。

 

それは不快感が理由だけでは無い。同時猛烈な激痛が彼女の膝裏を襲ったからでもある。

どうやらこいつは捕獲と捕食を同時に行う習性を持っているらしい。いやもっと厳密に言えばこれは消化行為だ。

 

人間が食物を口に入れた瞬間、それを噛み、唾液で消化や咀嚼を補助するのと同様である。食べ始めているのだ。「レイス」を。

 

不快感、激痛、そして自分が今正に喰われようとしている事実への恐怖が「レイス」に

 

「う……ぐぅっ……うううううっ!!!」

 

恥辱に満ち、悔しさを滲ませた最早涙声に近い呻き声を上げさせる。

 

うつ伏せのまま最早前進しようとする抵抗を止め、顔を伏せた。

傍目に見れば最早心が折れ、どうにもならない現状にただ自分が出来る限り安楽のまま事切れる事を悔しさを滲ませながらもどこかで祈る様な所作に見える。

 

 

 

 

 

―しかし

 

 

銀髪の少女を現在支配しているのは恐怖、激痛、不快だけではなかった。

 

 

 

それが「レイス」を捉えた背後の悪鬼―

 

「擬神」の誤算であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「レイス」というGEの少女は非常に感応能力が強い。

 

先日、エノハの神機スモルトの暴走時、戦闘中に神機を介して暴走したスモルトの精神状態、高揚を気取ったように在る程度の感情、状態すら読み取れる。

これは彼女の血の能力「絶殺」の発動条件の目安を図るのにも重宝されている。アラガミの精神状態とオラクル結合は密接に結びあっているケースは多い。

 

しかしこれはあくまで「神機を介して」の話だ。

 

触れた瞬間に捕食される危険性があることから周りも彼女自身も禁じているが、直接純粋なオラクル細胞に触れることでより強い感応現象を起こすことも可能だ。

簡単に言えば感応現象によって生じる情報の交換、交信の量―情報量が大幅に増えるのである。

 

最早感情だけでなくより情報を細分化、言語化出来るクラス、時には「思考」レベルまで感じ取る事が可能になる上、更にそのアラガミの「記憶」すらも読み取れる。

 

正し。

 

「彼女の意志に関係なく」だ。

 

周りの人間、そして「レイス」自身がこれを禁じているもう一つの理由がこれである。彼女自身では現時点、神機と言う「緩衝材」を通さずに直接触れる場合の感応現象では得られる情報量を制限、制御できない。

 

よって現在、擬神によって直接捕食されている「レイス」には許容量を超える感応現象が迸り、同時擬神の記憶が否応なくなだれ込んできている状態だ。

 

アラガミという生物は「捕食」と言う行為だけでなく、身を以て味わった経験や得た知識を素に己の体構成を変える事も出来る群体生物だ。

「記憶」の扱いは少々人間の感覚とは異なるものの、人間同様に軽視はしない。

「記憶」と言うよりかは「記録」に近い物であるだろうが、それでも「この先何が。どんな経験や記憶が活かされるか解らない」という柔軟な観点で人間と同様、物事をアラガミもまた記憶し、保存する。

リンドウがアラガミ化した黒いハンニバル―真帝がいい例だ。「捕食」だけでなく素であった人間―つまりリンドウの記憶や知識、経験を蔑にせず己の進化に反映させた結果、あそこまで強大なアラガミになったのである。

 

話がそれた。

 

要するにこのアラガミ固有種―擬神もまた自分の進化の為の「記憶」を保持しており、それを今「レイス」は感応現象で「見て」いる。

まるで自分の目で見ているみたいに擬神の記憶―見て来たものの光景が視覚情報として映るのだ。

その光景こそが喰われる恐怖、激痛、体を舐め回されるような不快感以上に「レイス」を叫喚させた原因であった。

 

その光景とは。

 

 

先程までこの擬神が擬態していた少女―ルーティ・パリストンの光景であった。

 

 

 

 

 

う、ひっく……ぐすっ…ママぁ、パパぁ…。

 

 

このサテライトBで行われた擬神の「一斉捕食」を何らかの理由で逃れる事の出来た少女―ルーティ・パリストンは無人になった支部内を彷徨い、最終的にこの役所に逃げ込んだ。有事の際にはここに逃げ込み、助けを求めるように言い聞かされていたのだろう。

 

彼女はその言いつけをきっちり守った。ここにはこの支部を司る機能が在り、保安官がおり、そしてGEがいる。

 

しかしここも安全では無かった。既に彼女の頼る最後のつてであった連中も既に喰われ、彼女がここに来た時には最早誰もいない状態。彼女はここでもひとりぼっちあるという恐怖、絶望を堪え、彷徨い、震えながら自分しか入れなさそうな狭い通気口を見つけてそこに隠れ、膝を抱えながら助けを待っていた。

 

 

え?あ。あぁ……あはっ!!

 

 

在る時、彼女は自ら外に飛び出してくる。おぼつかない動作で少女の小さく、か細い腕にはまだまだ重い通気口の蓋を懸命に開けながら。その表情はまるで花開いたように眩しい笑顔であった。

 

そして駆け寄ってくる。

 

…「レイス」の元へ。

 

天使の様な笑顔。「レイス」は思わず腰を落とし、両手を広げた。

 

そのまま胸に向かい入れて抱きしめてあげたい。

 

頭を撫で、綺麗な金髪に頬を寄せ、「もう大丈夫」と囁いてあげたい。

 

 

 

 

 

 

―でも違う。

 

この「記憶」は…この「記憶」は……!!

 

 

「私の物」じゃない!!

 

 

だから。

 

だから来ないで。

 

ダメ。

 

こっちに来ちゃダメ。

 

ルーティ…ルーティ?……ルーティ!!!

 

お願い…

 

 

 

 

 

逃げて。

 

 

 

 

 

 

 

そう。

 

少女の目の前に「居た」のは「レイス」ではないのだ。

 

この「記憶」の本当の持ち主―

 

 

 

 

 

擬神悪鬼。

 

 

 

結末は

 

 

 

既に決まっている。

 

 

 

 

 

 

 

「う……ぐぅっ……うううううっ!!!あぁあああぁぁああああ!!!!!」

 

 

 

 

泣き叫ぶ少女。必死で抵抗しながらも為すすべなく引き摺られていく。

まるで美しくさえずっていた小鳥が毒蛇にゆっくり呑みこまれていくような光景。

「レイス」自身が現実世界で今味わっている激痛、恐怖、不快感とこの時の少女―ルーティが味わったそれがシンクロし、相乗的な感情の奔流が「レイス」の中を迸る。

 

 

怖い。

 

痛い。

 

嫌だ。

 

助けて。

 

 

そしてそんな負の感情の奔流の中で一際粘つき、絡みつくような感情が「レイス」に流れ込んでくる。また全く違う第三者からのものだ。

 

 

 

―これは。

 

 

…「愉悦」だ。

 

 

人がハンティング等で獲物を追い込んだ際の高揚と似ている。己が絶対有利の状況で相手の命運を支配し、手の平の上で転がしている事を実感する時のもの。生きる為に最低限の糧を得るだけの者には決して生まれない感情。一定以上の知能を持つ者にしか顕現しない高等な感情。

それを擬神は既に手に入れていた。

 

 

 

 

―コイツ…!!

 

 

喜んでる!!!

 

 

 

擬神は決してこの「記憶」を消し去らないだろう。取り払わないだろう。

この記憶を消し去ると言う事はこの甘美な感情を捨て去る事に他ならない。

人間は有史以来この感情を決して手放した事が無い。そしてこの感情を手に入れる為なら時に何でもする。

 

己の存在だけに固執し、他の全てを呑みこみ、喰らう者にこの甘美な感情を捨てられるはずが無い。

 

 

事実それはすぐに裏付けられる。

 

今「レイス」を蝕んでいる現状の擬神の中にある物は寸分違いも無く「それ」であった。喜び、打ち震えていた。

もう一度あの悦楽の時間を味わえることを確信して。記憶を反芻している。

それは哀れな獲物が今わの際に見せた生への希望と絶望の境目の姿。

 

 

 

 

 

 

…あの獲物はいつごろから動かなくなった?抵抗しなくなった?

 

ほぼ半身を喰らい尽してまともに呼吸ができなくなったあたりだっただろうか?

 

口をはくはくとさせながらヘンな鳴き声を発していたあたりだろうか?

 

 

 

 

パ……パ…っ……マ、マ?

 

 

 

 

…た、すっ……け、

 

 

 

 

 

 

て。

 

 

 

 

 

小さな手はもう動かない。

 

美しい蒼い目はもう何も映さない。輝かない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―…いいよ?

 

 

 

「持って」て?

 

 

 

 

その感情ごと……

 

 

 

 

記憶ごと……

 

 

 

アンタらを滅ぼしてやる。喰らい尽してやる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その瞬間擬神の中に流れ込んでくる。

 

感応現象の逆流。今まで「出ていくだけ」だったものが一気に擬神の中へ入り込んでくる。まるでさっきまで「大津波が来る直前の海が一気に引いていた状態」であったかのような全く真逆の変容。

 

擬神の中に流れ込んできた物はこれまた「感情」。ただし今まで擬神が見知っていたもの―恐怖。悲哀。絶望とは全く違う異質な物。

 

それに気付いた時に擬神は行動していた。生物として全く当たり前の反応、行動―反射行動であった。生物があまりに許容を超えた高熱の物に触れた際に無意識にひっこめたりする際にとるような行動―感情よりもより早く生物を行動に至らせる原始的な防御反応であった。それは擬神の中で最近生まれた新たな高位の感情―「愉悦」をあっさり優先順位から捨て去る強制力を一気に発揮。

 

…!!

 

擬神はこの圧倒的有利な状況でありながら、怯む。

 

が、

 

 

ズボォッ!!

 

 

さらに予想だにしない光景が擬神の目に映る。

 

「……ぐっ…!!」

 

獲物―「レイス」の右拳が深々と擬神の体内に突き刺さったのだ。

しかし、形態、性質は大きく従来の物とは異なるものの、あくまで擬神は「アラガミ」である。生身での攻撃―「レイス」の行為は無意味に他ならない。実際に擬神はノーダメージの上、

 

「くっ……ぅ…っああああああ!」

 

わざわざ擬神の体内に突っ込んだ「レイス」の右腕は右足と同様捕食、浸食が始まり、さらなる激痛に彼女は呻いた。実質この行為にリターンは無い。

 

しかし、

 

―これでいい。

 

確かに身体的ダメージでは両者の間で完全な大差が開いている。ダメージの無い擬神と右足、そして右手まで浸食されている「レイス」では。

しかし、こと「内部」においては戦局は全く異なる状態であった。

 

「そこ」では完全に「レイス」は擬神を制圧、圧倒的に「場」を制していた。

 

彼女の一見無為に思えた拳撃は実はより擬神に大量の感応現象を流し込む為の一撃であった。右足のみでも擬神を怯ませるほどの感情の奔流を与えた彼女がより感応能力の伝達力の強い右手を擬神の体内に刺し込んだことで、情報量を急激に増加させたのだ。

 

擬神の情報処理を司る部分に過負荷を与え、同時に新たな意識、感情を擬神に植え付けるために。

 

「レイス」は自分の目的のために新たな感情を擬神に与えた。

 

その感情の名は苛烈過ぎる「憤怒」

 

「レイス」はそれを素にした強烈な害意、殺意を擬神に一気に流し込んだのだ。現状のたった一つのシンプルな目的を達する為に。

 

「…!!!」

 

「レイス」は激痛に歯を食いしばりながらも顔を上げ、擬神を睨みつけた見開いたオリーブ色の瞳は涙で潤みながらも爛々と輝き、擬神の中に迸った強烈な感情と相まって擬神を戦慄させる。

 

……!!

 

今、「レイス」は完全に擬神を掌握した。

 

 

ずるっ!!

 

 

擬神は後ずさり、「レイス」を解放。目の前に転がっていた圧倒的有利な状況を捨てて逃げたのだ。つまり行く末は「勝利」しか無かった状況を捨てた。

 

 

「うっ!……はっ…はっ…」

 

ペタンと解放された体を力なく脱力させたまま座り、再び顔を伏せ、「レイス」は肩で息をしながら浅い呼吸をする。

 

…。

 

そんな彼女を少し距離を離して擬神はじっと観察しつつ、感応現象でひっかきまわされ、混乱させられた内部―情報処理を司る部分を落ち着かせる。

目の前の少女の姿はその回復速度に拍車をかけた。

 

…なんだ。

もうボロボロじゃないか。

 

右足の浸食は彼女の足を浅黒く変色させ、歩行不能のレベルに至らせており、擬神を殴った右手も右足ほどではないにしろ重傷、おまけに強烈な感応現象の発露した彼女自身の精神への反動も浅くない。間違いなく心身共に満身創痍である。

 

何故こんな状態の相手をみすみす一旦見逃したのかと自分の行為の疑問視すら擬神には浮かぶ。攻撃再開という行動方針が擬神の中で決定されるのは自然だった。

いや、むしろ「食事再開」と言った方が適当だろうか?

 

しかし

 

擬神は気付いていなかった。もはや自分は千載一遇のチャンスを逃していた事を。

 

そして忘れていた。直前に「レイス」から感じ取った新たな感情―「憤怒」から生まれる害意、殺意が決してただの虚構や虚勢では無かった事を。

 

「はっ…はっ…」

 

…。

 

 

「はっ…。…」

 

 

少女の呼吸が落ち着いたと同時、顔を上げてきっと擬神を見据えたその視線は擬神を戦慄させた時と寸分違い無く、戦意に満ち溢れていた。同時かぱりと少女は口を開く。

 

 

ガブッ!!

 

 

!!???

 

 

少女は突然、使い物にならなくなったはずの自分の浅黒く変色した右足の太ももに勢いよく噛みついた。当然擬神には当初その行為の意図、意味が解らない。しかし、間もなく理解した。

 

まるで少女の右足が沸騰したかのように膨れあがり、先程まで浅黒く変色し、血を吸い取られたかのようにやや萎んでいた右足が体積を取り戻し、同時美しい脚線と血色を取り戻していく。その予想だにしない光景を唖然と擬神は見送る。

 

「…」

 

少女―「レイス」が唇からやや粘つきのある血液の糸を垂らしながら顔を上げた時、擬神は反射的に飛び付いた―

 

が、既に時遅しであった。

 

覆いかぶさった自分の体が何の感触も無く地面に叩き付けられた時、擬神は次の瞬間に自分にとって最適な行動を直ぐに選択する。

 

「逃げる事」だ。

 

擬神は背を向ける。さっきの「レイス」と同じように振り返りもせず。

 

ずるりっ!

 

目の前の通気口に滑る込むようにして侵入、内部をその流動的な体を駆使し、蛇みたいに一気に駆け抜ける。ここであればあの人間はともかく「アレ」は侵入できない。

自分にとって最も驚異的な道具―神機だ。

 

少なくともこの場は逃れられる―擬神はそう考えた。

 

が。

 

 

 

ババババババっ!!

 

 

背後で連鎖的に砕け散るガラスの音が響き渡ったとほぼ同時のことであった。

 

 

ドスッ!!

 

 

……!!!!!??

 

 

擬神は横っ腹に猛烈な衝撃と痛みを感じ、猛烈な力で背後に引き出される。訳も解らぬ内に通気口内から引きずり出された直後、市役所2Fの回廊の高い天井に設置された照明が眼前に迫るほどの勢いで空中に巻き上げられた。

 

……!?

 

上も下も解らない。パニック状態の擬神が次に感じたのは

 

ガッ!!

 

自分の体に無数に突き刺さる刃の感触、そして生温かい息遣いが感じられる口内の中。

 

そこは「レイス」の神機―カリスの捕食形態の口内であった。

 

 

 

「レイス」は右足の完治後、即バックステップ。擬神の飛び付きをかわして背後の愛機―カリスを回収。接続。

直後逃げの一手に回り通気口内に逃れようとする擬神を目で捉え、鎌型神機ヴァリアントサイズの特殊形態―咬刃形態を展開、右方向から横薙ぎを仕掛け、裏庭に面した窓のガラスを突き破り、建物ごと切り裂いて通気口内を走り、逃げる擬神に鎌の刃の先端を突き刺し、形態解除をして擬神を引きずり出したのである。

 

そして現在、神機に銜えさせた擬神の姿を眺め、

 

ずずずずずっ

 

徐々に口内の圧力を強めていた。

 

「……」

 

擬神の目にはいつもの彼女と同じように無言で。しかし怒りの激情の光を携えたままの少女の姿が映る。状況はわずか三十秒足らずで一気に反転した。

 

……!…!?……!!!

 

今まで感じたことのない痛み、圧力に今にも潰えそうな己の命運を悟り、擬神はパニック状態のまま、今までの経験、知識を辿る。

最早この状況を力尽くでは突破できない事を理解した。それ程に今自分を拘束している人間は今までの相手とは別格である。基本能力自体は己単体の身では大したことのない擬神にとって今頼るべきは培った経験と知識だ。

 

そこで次に擬神が選んだ、採った「手」は中々に面白い「手」であったと言える。

 

「……っ!!」

 

揺るがない強い意志と激情を秘めた少女―「レイス」の表情がぐらつく。眉が内側に痛々しく歪み、唇を噛みしめるようにひき結ぶ。同時に擬神は自らに喰らい付いている神機の顎の圧力が少し緩んだことに自分の企み、謀りごとの成功を意識する。

 

その擬神の採った手とはやはり擬神にとって最大の強み―擬態だ。

状況に合わせて最も効果を発揮する形態を選び、変化することだ。

 

今の状況で目の前に居る人間―「レイス」にとって最も効果を発揮する可能性の在る姿であろう形態―それは

 

 

 

た。

 

す。

 

け。

 

て。

 

 

 

喰らった少女―ルーティ・パリストンの姿であった。

彼女が死の直前象った姿を記憶し、擬神は行動に反映させる。神機のアギトに銜えられた小さな少女―その口が象る。

 

「助けて」と。

 

人間の内臓―声帯まで擬神は模写していないため、声自体は出る事は無い。しかし少女が事切れる直前の擬神の記憶を感応現象でトレースしている「レイス」にとって、ほぼ最期の瞬間、声を出す事も出来なかった状態の少女の姿と今の擬神の擬態の姿と仕草は完全に同調している。

 

 

さあ。

 

人間。

 

この無力で哀れな最期を遂げたこの子をまた殺すのか?殺せるのか?

 

今度は自分の手で?

 

 

「レイス」は沈痛な表情のまま目を逸らす。

 

更に神機の捕食形態の拘束が弱まっていく。あともう少し弱まれば擬神の柔軟な体を駆使してこの顎から逃れる事も可能だ。

そして逃れる事さえできれば現状「レイス」は目と鼻の先、即今度は全身を拘束して一気に捕食すれば事足りる―

 

擬神が絶体絶命の状況で採ったこの作戦は現状最善の手で在った。

 

 

 

 

 

 

しかし

 

 

 

 

 

「妙手」では無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぎりぎりぎりぎりっ!!!!

 

 

 

……!!!!!!!!!

 

 

 

少女の姿になって以降、下がり続けた口内の圧力が最低ラインから一気に最高時の圧力の三倍以上の圧力となって擬神の体を喰いしばり始めた。今まで感じたことのない激痛と危機感に擬神はのたうち始める。

「擬態」を保っていられない。象った少女の姿がぶれる。思いの表情が、仕草が作れず、笑ったり、泣いたり、喜んだり、状況とはあべこべの表情になる。何とも形容しがたい不気味な光景である。

 

その光景を見据え、「レイス」は呟く。

 

 

 

「…アンタ…命を縮めたね」

 

 

 

―アンタの事を調べるために少しの間生かしておこうと思ったけど…

 

 

 

「…もういいや」

 

 

 

 

 

 

―死ね。

 

 

 

 

 

 

ぐしゃあっ!!

 

 

 

擬神は粉々に砕け散り、食い散らかされた。得た記憶も知識も全て一緒くたにして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




「…!!レイス!!」

「レイス」の神機の攻撃による轟音、一部不自然に傾いた市役所の二階の姿を見てエノハは階段を駆け上がり、回廊に達する。


「…エノハさん」

そこには神機を携えたまま立ち尽くす「レイス」が後背中を向けたままエノハに振り返る。その周りは見るも無残な状況である。
砕けたガラスが散乱し、埃が立ち込め、床の紅いカーペットもズタズタ。そして周りには砕け散った擬神の破片が所狭しと飛び散っていた。その状況でエノハは何が起きたのかを大体理解し直ぐに「レイス」に歩み寄る。

エノハの姿を見て少し申し訳なさそうに目線を逸らし、視線を落とす。同時

「あっ…」

彼女の膝が落ちる。擬神の攻撃、感応現象、そして自分への血の力の行使。「レイス」の消耗は激し過ぎた。

「…!」

エノハはすぐに駆けより。背中から手を回して彼女の体を支える。
エノハに抱きかかえられたままやや焦点の定まらない瞳を「レイス」はエノハに向け、

「ゴメン…殺しちゃった。色々調べる事あったのに」

「…安心しろ。リグとアナンが一匹捕えてる。それよりこっちこそ悪かった。…一人にさせて」

「…我慢できなかった」

「…そうか」

「レイス」はそう呟いた後右手で目を覆い隠し、また不明瞭に呟き続ける。「ごめんなさい」と。

その言葉は何を意味していたのか。

調べなければいけない獲物を殺してしまった事に対してか。

それとも。

救うことができなかった記憶の中の少女へ向けてか。





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神隠し 4

「……」

 

「無茶したね。『レイス』…」

 

先程「ハイド」一行はサテライトB中央、市役所内にて一旦合流。

 

周りはガラスの散乱した回廊、その壁に背を預け、エノハの上着をかけられた「レイス」は浅い呼吸を繰り返す。

負傷、血の力の行使、過大な感応現象の応酬により短時間で一気に心身を摩耗し、現在昏睡している「レイス」の頬を赤毛の少女―アナンは優しく労る様に

 

「奇麗なカオが台無しだよぉ~『レイス』ぅ?ほら。しっかりしなって」

 

少し濡らしたハンカチで戦闘で汚れたうえに、感応現象と「力」の反動で脂汗をかいている少女の顔を拭いてやる。

 

先程「ハイド」一行は市役所内にて一旦合流。

 

「どうだアナン?レイスの様子」

上着を「レイス」に預けたエノハが心配そうに少女たちのやり取りを見守りつつ、周囲の警戒に目を光らす。

 

「う~ん。何とも言えないねぇ…。血の力を自分に行使するなんてバカなこと「レイス」がするなんて思いもしなかったしおまけに単独戦闘中に『アレ』使ったとなると思いっきり回復時間を短縮したんじゃない?そりゃ負担が過ぎるにも程がありますって」

 

前回エノハに初めて自分の血の力を「レイス」が見せた時、右足に重傷を負ったリグを彼女が完治させた所要時間は約一分程度である。

「レイス」が擬神によって負わされた怪我はその時のリグ程ではないとはいえ、絶対安静、歩行不能の重傷クラス。それを数秒で無理やり治すほどの急激な回復の反動を自らの体で負担したのだ。

 

「元々他人を治すための力で在って自分を治すには悉く向かんのよコレ。不便な能力だよね~」

 

アナンはしみじみとそう言いながら「レイス」の顔を拭き、

 

「…よ~し綺麗になったゾ~。あ~ら『レイス』ちゃんたらべっぴんさん♪」

 

と嬉しそうににぱっと笑う。

 

「意外に優しいんだな。アナン」

 

「…まぁ『意外に』っつ~~所は置いとくとして……ん~?なんかさ~『レイス』って年上でしっかりしてるけど案外ほっとけない所あんだよね~。自分で抜けてることに実は気付いて無かったりするし。いつもはお姉さんだけど時に妹?みたいな?」

 

「…そんな感じだな」

 

「だからさ」

 

「…?」

 

「『レイス』をこんな目に合わせたヤツあたし絶対許さない」

 

ぞりりと削る様な殺気を先程リグとの連携で捕獲し、現在新しい拘束トラップ上でいまだ生き、蠢いている擬神に向ける。

 

「殺気漏れてんぞ…」

 

突如三人の背後、何もない空間から声がする。

 

「…リグか」

 

振り返ったエノハ、アナンの目に何もない空間から「ふぅ」と深く息を吐きながら一人の少年が具現化し、三人の下に歩み寄る。先程合流した時と綺麗に拭かれた顔以外は体勢、状態共に変りなさそうな少女―『レイス』を見、不安そうな幼く無防備な表情を一瞬垣間見せ、それを押し隠すようにエノハ、アナンの二人を見据える。

 

 

 

 

「俺に散々落ち着けって言ったのお前じゃねぇかアナン」

 

「アンタは怒ると頭に血が上る。あたしは怒ってもあくまで頭は冷静。この差は大きいよ」

 

ちちちと顔の前で人差し指を振り、アナンは現れたリグに悪戯そうな緑の瞳を緩ませながら微笑んだ。

 

「リグ?どうだった」

 

「…エノハさん。アンタの言うとおりだった。囲まれてる」

 

 

 

数分前。

 

 

意識朦朧、満身創痍の「レイス」を案じながらもエノハ、アナンに諭され、リグはステルスフィールドを展開し、周囲の探索を任された。

 

「敵はもう自分の正体が知られた事を知っている。よってもうなりふり構わず来る。奴等にとって生き証人である俺達は絶対消さねばならない存在だ」

 

つまり。

 

「数で来る」

 

そのエノハの言葉は直ぐにリグの目の前で裏付けられる。

 

この施設内の住民全員、そして捜索隊合わせて150名以上をほぼ同時刻に襲い喰らった人海―

 

否「神海」戦術を開始した奴等の姿を目の当たりにする

 

 

「…ぅあ……!!」

 

リグは遭遇した。

 

ズズ…

 

最早姿を隠す必要も無くなった「奴等」は町中の通気口、下水、ありとあらゆる隙間からずぶずぶと這い出し、その進行方向を今エノハ達が居る役所に向けて音も無く侵攻を開始。

 

その光景をステルスフィールドに包まれたまま唖然とリグは眺める他ない。今もしもステルス状態を解けば間違いなく瞬く間にリグは襲われる。

このステルスフィールドであっても過信は出来ない。明らかに先程アナンを襲った時よりも強い警戒状態、索敵状態の相手にいつ見破られるともしれない。

 

―くそっ。

 

足早にリグはその場を去る。「レイス」をあんな目に合わせた連中に対する先程までのリグの怒りも底冷えするぐらいその光景は異質であった。

 

リグの緊張感と焦燥感が拭いきれない報告を淡々とエノハは受け取り、

 

「…まぁ当然だろう。俺達を逃すこと―即ち自分の正体、習性全ての情報が外部に漏れる事だ。奴等の習性上それは到底許容できる事じゃない。全力、総力を結集してくるぞ。奴等は最低でも百体以上に分裂できる。そしてここに駐留、捜査隊として派遣されたGEを襲って喰らい、そして『レイス』をここまで追い込んだ。十二分に俺らを拘束し、喰らう力がある」

 

「それに」

 

アナンが付け加える。

 

「それはここを襲う…『食事』の前の話。連中はここの住民と調査隊を喰らって新しい『養分』を得てる」

 

「その通りだアナン。細菌、ウィルス同様にオラクル細胞分裂の数は栄養摂取で膨大に変化する。現状奴等が今どれほどの数に分裂できるかは想像がつかない」

 

「…逃げるべきだね」

 

エノハの言葉に対し即アナンがそう言いきった。先程まで「レイス」を傷つけた擬神に対しての激情の炎をまるで簡単に吹き消して冷静に言い放つ。しかし当然リグは納得しない。直ぐにアナンに反論しようと―

 

「―聞きなって。リグ」

 

アナンがそれを見越し、リグを手で制しつつ視線を向ける。そのエメラルドの瞳は激情と同時に冷静を持ち合わせていた。

 

「あたし達はとりあえずコイツらの情報は手に入れた。そしてその内の一匹を捕獲してる。当面の目的は達していると言っていい。でもここで無理して私達がやられたら結局は元の木阿弥」

 

アナンの言葉をエノハは頷きながら同調する。

 

「…アナンの言うとおりだ。奴等は別の場所へ行き、同じ手順を踏んで人を襲う。…また多くの犠牲が出る。このペースで養分を取り続けて肥大化されたらいずれサテライト支部…いや。ひょっとしたら主要支部さえ壊滅させられる程の規模のアラガミになりかねない。そして現状支部の外で待機してるノエル、ナルへの連絡はアイツらが発するジャミングで不可能。だから俺達の誰かが生き残ってこれを伝えるしかない」

 

「解った?現状在る程度の習性を掴んだだけで相手の最大数、規模―つまり全体像を把握できないままこのアラガミを討伐する事は危険かつ無謀。だからせめて情報と捕獲したこいつの細胞組織、サンプルを持ち帰る必要がある。そこでリグ。アンタの出番」

 

「…!?」

 

「アンタがステルスフィールドを展開してこの支部を抜け出し、ノエルやナル達にこの事を伝えるの。このアラガミの存在を明かし、より大きな規模でこのアラガミへの対策を練るために、ね」

 

「じゃあお前らは?「レイス」は!?」

 

「…私達でアイツらを引きつける。安心して。「レイス」は絶対守るから」

 

「ふざけんな……!怪我人一人かばって乱戦じゃいくらエノハさんとお前でも」

 

「射撃のまともに出来ないアンタが居てもって感じだからね~だから早く行って。これは『今の』アンタの仕事だよリグ。…安心しなって私らもほとぼり冷めたら逃げるからさ」

 

ぽんとリグの頭に手を置き、アナンは微笑む。

 

「何だよそれ…第一逃げるって何だよ…!!ムカつかねぇのかよ!!『レイス』をこんなにした奴等をよ!」

 

リグのその言葉に努めて冷静を保っていたアナンが一転、表情を一気に幼くして頬を膨らませた。

 

「腹立つに決まってんでしょうが~~!!でも生き残らなきゃ仕返し出来ないの!!ぶっ殺せないのよ!!ここは一旦逃げて体勢整えない事にはどうにもなんないの!!解れ!!」

 

「…!!」

 

リグは尚も納得いかない表情で歯噛みし、アナンを睨みつける。アナンはその子供っぽさにうんざりしながらもリグなりに自分を心配してくれていることに対してそれ以上強く言えず

 

(エノハさ~~ん。何とか言ったげてぇ?)

 

と、すっぱそうな目をエノハに向けて訴えかけた。が、

 

「……へ?」

 

アナンはきょとんとエノハを見た瞳を見開く。さぞかし神妙な顔、若しくは自分達の言い争いにいつもの様な困った笑顔を向けているのだろうと思っていたが違った。

 

 

「くっ……ふふっ…」

 

 

曇りなく、心の底からおかしそうに口に手を添え、肩を僅かに揺らしながらエノハは笑いをこらえていた。

 

「…エノハさぁん?」

 

アナンは思いっきり眉とへそを曲げて腰に手を当てた。

全く。こんなときに何を笑っているのだと。

 

「…いや悪いアナン。でも、やっぱり、くくっ……」

 

「…ぶ~。一体な~~にがそんなにおかしいのさ~~?」

 

「いや、少し…」

 

「?」

 

「懐かしくてね。君等のやり取りが」

 

少し思い出を反芻するようにエノハは目を閉じ、考え込むような仕草をした後、アナンに笑いかける。

 

アリサ、コウタ、ソーマにシオ。極東の日常は何せ小競り合いが多かった。

それを自分、サクヤ、…そしてリッカの三人でなだめ、すかし、諭しながら共に歩んだ日々。

 

―…懐かしい。そんなに前の事でもないはずなのに。

 

「…ひょっとして前居た極東の部隊でもこんな事が!?へ~へ~そうだとしたらエノハさんの隊長としての力量と適性が問われますなぁ!前のとこでもここでも部下同士でこんな事させてたとしたら!!」

 

アナンは痛い所を突いてくる所がアリサによく似ているなとエノハは苦い顔をする。そしてリグはコウタとソーマを混ぜた様な少年だ。エノハは暫し懐郷の念に駆られつつもすぐに気を取り直して二人を真っ直ぐ見据える。その瞳にアナンは「む」っとバツの悪そうな顔をする。

 

「…違いない。まぁまぁアナン?そんなにへそを曲げないでくれ。もう笑わないから」

 

「ふん!」

 

アナンはふくれっ面をエノハから逸らし、腕を組んで「あたし暫く口利きません」とシャッターを下ろす。

 

―今日は閉店!また明日!!プンプン!!!

 

「…リグ?」

 

「ん…?」

 

「お前の気持ちはよく解る」

 

「…そうかよ」

 

―だから、「今は逃げる」って言いたいんだろ?「直情的に行動するな」。「先を見据えろ」。「冷静になれ」って。

 

解ってんだよ。

 

そんなこと。

 

 

 

 

 

 

「だから今回に限って俺はリグ…お前に賛成」

 

「…。ん…あ!?」

 

「…。…!?エノハさん……」

 

リグは伏せかけた目を見開き、エノハを見る。アナンも自分の耳を疑って聞き直すように閉店した心のシャッターを開け、こっそりとエノハの顔を覗き込む。

 

微笑んでいた。しかし

 

「実は俺も相当腹立ってる。自分の不甲斐なさとレイスをこんな目に合わせ、ここの住人を喰い散らかしたコイツらにな…!」

 

怒っていた。同時エノハが握っていた神機―スモルトが

 

 

がばっ

 

 

きしゃあっ!!!

 

 

捕食形態の大口を開き、ニタリと微笑むように裂けた口を歪ませる。

 

 

「!」

 

「っ!」

 

その姿にリグ、アナンの二人は反射的に身構える。一応エノハの神機―スモルトは「味方」ではあるが「前回」の事もあり、二人は最近スモルトが捕食形態になる度に警戒している。

アラガミ討伐後、コアを回収する際にエノハが神機の捕食形態を開くたび、アラガミと交戦中よりも背後の三人の緊張が高まっているのがエノハも感じ取り、申し訳なく感じていた。

 

「…大丈夫だって」

 

エノハは困った笑顔を向けるが

 

「…無理」

 

「体が反応しちまうんだよぉ…」

 

アナン、リグの二人は中々猫が毛を逆立てるような警戒姿勢を崩す事が出来ない。

しかしこれでは一行に話は進まない。アナンは警戒姿勢のままエノハとの会話を再開する。

 

「Lv4…使う気?」

 

アナンは恐る恐る尋ねる。

確かに「あの力」ならこの擬神の群れだろうが難なく蹂躙し、活路を見出すことができるだろう。怪我人の「レイス」、リグ、アナンを漏れなく無事に引き連れて敵陣を正面突破。圧倒的な力でねじ伏せ、待機しているノエル、ナルの元へ辿り着き、離脱、脱出することもさほど難しいことではない。

 

しかし

 

アナンはそれが最善、確実だとしてもやはりその作戦はとりたくなかった。

エノハの神機が最悪また暴走し、襲われる可能性だってある。そうなれば外からは擬神、内からはスモルト―機神と最悪の「前門の虎、後門の狼」である。

おまけに「レイス」は負傷、リグは射撃不能の「デク」という現状に加えてエノハが取り込まれて戦闘不能となれば間違いなく、百二十パーセント全滅必至である。

 

それに強い警戒心、用心深さを持ち、実質の戦闘能力はさほど大したことのない擬神相手に「あれほどの力」を見せてしまっては…

アナンの懸念点はやはり擬神の全体像、規模がはっきりしないことだ。

立ちふさがる相手を全て圧倒的な力で斬り伏せたところで奴等がそれで全滅する保証はない。手に負えないことが解った時点で恐らく奴等は方針を切り替える。自分の正体がばれる事は確かに痛手でも全滅、絶滅よりは遥かにマシであるからだ。

Lv4の圧倒的な力を目にし、相手に対する恐怖、脅威を認識した奴等は恐らく逃げ、潜伏する。ほとぼり冷めるまで。元々それに特化した力、習性をもつ種だ。

 

だからこそ固有種。

 

だからこそ今まで正体が判明することが無かったのだ。

 

あまりに限度を超えた力、強敵の存在はこのアラガミに新たな経験、知識を与えてより厄介な段階にまで成長、昇華させる火種を与える可能性を秘めているのである。

 

「アナン」

 

「…!はい?」

 

「君の考えている事は解る」

 

「うん…でもそれがこの状況で皆が生きのびる手段としては決して分の悪い賭けでは無い事も解ってるよぅ」

 

―結局アタシらじゃ今はエノハさんに頼る他無いんだよ。命運をエノハさんに託すしかないんだよ…

 

…!!う~~~!ぶ~~~!!悔しいけどそんなことは解ってますぅ~~。

 

アナンは内心、口を目一杯とんがらせた。

傷つけられた仲間の仇を取るどころか一矢報いる事も出来ず、誰かに命を託して敗走する他ない悔しさに。

 

「そう言うこと」

 

「…」

 

「だからアナン?俺はそれも選ばない」

 

「…え?」

 

―へ?

 

 

「奴等は逃さない。絶対に。例え一匹たりともな。そしてこれ以上奴等に何も与えてやる気は無い。人間の強さ、怖ろしさを知った時、その時が奴等が滅びる瞬間だ」

 

 

 

「そして誰も死なせない。全員で生きのびる。その為に今必要なのは俺の力じゃない。アナン。リグ。君達の力こそ必要なんだ」

 

 

「…」

 

「…」

 

 

「手を貸してくれ…君達に『しか』出来ないことだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

五分後

 

 

擬神は完全にエノハ達が立てこもる市役所周囲を包囲した。ゆっくり、じっくりと隙間なくその体を這わせ、アリ一匹通さない包囲網を敷いたままその範囲を徐々に狭め続けたのだ。何物にも擬態せず、シンプルな通常の形態の流動的な体を利用とした「神」海戦術、ローラー作戦であった。これではステルスフィールドを持つリグすらも突破は困難であっただろう。

ステルスフィールドは所詮姿は見えなくとも当然実際にリグはそこに存在しているのだ。僅かでも接触してしまえばその偽装はすぐさま見破られる程度のものである。

おまけに先述したように極度の警戒、索敵状態の擬神相手では看破してしまう可能性もある。

 

アナンの当初考えた作戦は最善に近かったが結果的に勝算はこれ以上なく低かったと言えるだろう。

 

それを選ばなかった彼等の「手」が今

 

擬神に披露されようとしていた。

 

 

 

……!?

 

 

擬神は見上げる。市役所の登頂を。そこには

 

長距離通信用のパラボラアンテナ。

 

そして

 

「おーおーおー。くそったれのアラガミの皆さん…よくぞ集まってくれました♪」

 

赤毛の少女がいつもの様に悪戯な輝きのエメラルドの瞳を歪ませ、仰々しく挨拶する。

その隣には

 

「うわぁ気持ちワリぃ…アナンの作戦に従ってたら俺はこんな中を突破しなきゃならなかったのか……くわばらくわばら」

 

リグが眼下を埋め尽くす無数のスライム状の擬神相手に心底気分が悪そうに顔を歪めている。

 

「何ぃ!?リグ!?あんたアタシの立てた完璧なプランにケチつけようってのか!?」

 

「はっ!?な~~にがが完璧だ。だいたい―」

 

「……!!……!?……!!!!!!」

 

「?……!!!……!?」

 

…。

 

無数の擬神が呆気にとられる中で尚も屋上で一人の少年と一人の少女のいがみ合い、コントの様な物が続く。意図が掴めない上に用心深い擬神達は暫くその光景を眺めていたが徐々に

 

…もういい?

 

とでも言いたげに侵攻を再開し始める。ゆっくりとしかし確実に陣地を拡げるように。

 

「…」

 

「…」

 

同時に少年少女はぴたりとネジが切れた人形のようにいがみ合いを止める。

 

 

 

「さて…」

 

 

 

「いくか」

 

 

 

 

―――パチン!!

 

いつもより小気味よく、高い音を発してリグの指が弾かれる。同時に―

 

 

ズオッ!!

 

 

金色のオーラが勢いよく少年の体から天を突かんほどの烈風を巻き上げ、噴き出す。一部の擬神がそのオーラと気迫に気圧されたように侵攻を止めるが自分達を取り囲む状況、数的優位を思い出し、奮い立たせる様に侵攻を再開し始める。

 

しかし―

 

「まだまだ…」

 

リグは絞り出すような声を出して同時、

 

ヒュン!

 

空気を裂くような音が少年の背後から「二回」響いたと思うと今でも十二分に擬神を気圧していたリグを包む黄金のオーラが

 

 

ズオオオオオオッ!!!

 

 

一気に跳ね上がる。これには大半の擬神が足を止める。しかし逆にリグの存在の急激な昇華は擬神に焦燥を与える。結果侵攻速度を僅かながら速める個体も存在した。

 

リグの行為は結果的に一見逆効果にも思える。確かにそうだ。

 

しかし。リグは一人では無い。隣には居るのだ。

 

無邪気さ、天真爛漫さの中に押し隠した冷静さ、知性

 

そして確固たる悪意、害意、狂気を兼ね備えた

 

 

「さぁ皆さん。ご注目♪」

 

―一瞬だよ?さぁ皆さんとくとご覧あれ?何せこれを見た後には…

 

 

 

 

 

アンタら全員、おっ死(ち)ぬんだからサ?

 

 

クレイジーガール―アナンが狂気と冷静さを同居させた矛盾だらけのエメラルドの横目で擬神達を見下ろしながらゆっくりとリグの背後に回る、同時リグは腰を下ろし、彼の愛機―ケルベロスを

 

ガコン

 

変形。三つある彼の銃身形態の中で今回選ばれたのは―アサルト形態。

その砲身をしゃがみこみながら眼下にたむろする擬神達に向けることなく、天に掲げる。全く理解不能の光景。しかし、

 

「…」

 

構えるリグの目には一切の迷い、混乱は無い。ただ確信がある。そしてこう言い聞かせる。

 

―出来る。

 

絶対出来る。

 

そんなリグの背中に

 

アナンはそっと手を添える。そして力強くこう呟いた。

 

 

「いくよ…!!!リグ!!!!」

 

強くエメラルドの目を見開いて。

 

「しくじんなよ……!!」

 

「アンタがね!!」

 

「お前がだ!!」

 

 

そんないつものいがみ合い。彼らの日常の会話が発せられた直後であった。

 

カっ!!!!!

 

リグの銃身―アサルト形態砲筒が眩いばかりに輝き、同時に

 

キュイィィィィィン……!!!!!!!!!

 

ガトリング状の砲筒が勢いよく回転。何とも小気味よくその回転速度を上げ―

 

 

 

ドッドドドドドドドドドドド!!!!!!!

 

 

 

 

無数の蒼白い光弾がリグの銃形態神機の砲筒一つ一つから順に勢いよく発射されていく。まるで夜空に舞う無数のハープーンミサイルが帯を引いているように。

その光景に今全ての擬神が例外なく空を見上げた。

 

天空に延びていく無数の蒼白い筋。

 

しかし。

 

トマホークミサイルの場合、射出された直後延びていく噴出口からの煙の筋は徐々に途切れ、最後には純粋にミサイルだけが飛翔し、敵艦を貫くがコレは違った。

 

先端から伸びた筋は一行に途切れることなく上空へ延びている。

 

 

 

 

……ッ

 

 

一瞬天空を駆けのぼっていた筋の先端が空を裂く音が止む。それ程上空高く舞い上がったのだ。地上に居る者には音が拾いきれないのである。

 

しかしほんの数秒後

 

 

ッ………

 

 

 

 

シャアアアアアアアアアア!!!!!

 

 

鋭く空を裂く音が近づいてくる。空から。真っ直ぐと。

これはホーミングミサイルでは無い。

 

 

どちらかと言えば

 

 

有線誘導ミサイル。

 

 

否、違う。

 

 

 

これは最早「触手」に近い。

触手は当然動く。「本体」の思い通りに。自由自在に。

 

 

その「本体」とは言うまでもなく。

 

 

―降り注げ。

 

 

アナン。リグ。この二人だ。

 

 

 

上空―宇宙空間から見ればまるでイソギンチャクの様に枝分かれした「触手」の先端が一斉にこの地―

 

サテライトBに舞い戻り、降り注ぐ。

 

 

 

 

 

…………!!!!!

 

 

見上げた空から一斉に降り注ぐ無数の触手の先端が

 

 

 

ドドドッドドッドドドッドッド!!!

 

 

無数の擬神達を貫いていく。致死には充分過ぎる威力の一撃で。

 

加速度的に。鼠算式に仲間の数が急速に減っていく事を察知した一部個体は即形状変化。

オウガテイルに擬態し、より高速で動ける形態に変化する。飛行するザイゴートは喰ってはいるが体構造まで模写していない擬神は彼等の様に宙は舞えない。よってオウガテイルのような鳥や爬虫類に近い形態をとることで原始的、単純な機動力、敏捷性を高め、降り注ぐ触手の先端を回避し始める。走行速度もナメクジの様に這うよりは早い。

 

結果それは功を奏し、触手の先端の直撃を逃れ、逃走に回ることが出来た擬神も数個体居る。

 

否、「居た」。

 

 

ドスッ

 

 

……!???

 

その内の一頭が貫かれた。それも真上からでは無く真後ろ―つまり真横からだ。オウガテイルに擬態した擬神の尾から突き刺さり、口まで貫いている。今わの際で振り返る。擬神に浮かんだ「なぜ」という疑問を埋めるために。

その答えは至極シンプルであった。擬神が回避したはずの触手の先端がL字に曲がり、彼を貫いていたのだ。

 

しかしそこでまた新たな疑問が生まれる。何故ここまで正確に動きを察知して自分達を射抜けるのかという疑問だ。

しかし、それを考え、答えを見つけられるほど貫かれた擬神の時間は残されていなかった。貫かれた擬神は飛散し、同じ形態を取った仲間も例外なくきっちりと仕留められていく。

 

ある個体は元のスライム形態を保ったまま通気口や溝、水道管、下水管に侵入し、難を逃れようとしたがそれすらも

 

ドスッ

 

 

執拗、正確に追われ、一匹残らず貫かれていく。

 

 

何故だ。

 

 

何故。

 

 

これではまるで。

 

 

自分達と同じ―

 

 

…同じ?

 

 

自分達の体に深々と突き刺さったこの触手―その中にある「モノ」がひどく自分に似通っている事に気付いた個体も例外なく貫かれ、消滅、霧散していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

五分前

 

市役所内回廊

 

 

「コイツのアラガミバレット…?」

 

「ああ。アラガミバレットがその喰ったアラガミの属性や特性をもってるってのは結構有名な事実だと思う。喰ったアラガミのオラクル細胞を凝縮、増幅して撃ち返す行為だからな」

 

「つまり…?」

 

「アラガミバレットは喰ったアラガミの一部でもあるってこと。それを俺らが反属性のアラガミにぶつけて大ダメージを与えたり、喰らった本元のアラガミにあててアポトーシスを促進させたりできる。アラガミ化した神機使いを殺す際、その神機使いが使用していた神機を以て始末する事と一緒の理論でな」

 

「いや、それは解ってるけど」

 

「アナン、リグ」

 

「ん?」

 

「…?」

 

「見ろ」

 

エノハは自分の足元を指差す。別段特に何もある様に見えない。

 

「…?」

 

「これだよ。コイツらの破片さ」

 

それは「レイス」が先程噛み砕き、霧散させた擬神の肉片であった。

 

「…それが何だっての?」

 

「見てろ?」

 

エノハはそれを神機で箒の様に掃う。掃われた先には今拘束しているリグ達が捕らえた擬神が蠢いている。その肉片が―

 

ずぶり

 

「…!!!」

 

生きている擬神の体に取り込まれ、瞬時に同化した。まるで垂らした水銀の雫同士がくっつくみたいに。

 

「コイツらはまるで磁石みたいにお互いが引かれ、結びあう性質がある。まぁ元は恐らく一つであったのが分裂したんだろうから不思議はない」

 

「え!?じゃあコイツって粉々、バラバラにしてもいずれは引かれあって元の姿に戻るってこと!!??対処しようが無いじゃん!」

 

「まぁそもそもオラクル細胞自体がそういう性質のシロモンだから今更って感じだがな…でもコイツはそれをミクロの世界では無く、やや大きめの世界でそれを行っている」

 

「どっちにしろどうしようもないじゃん……」

 

「…だがアナン。そうでもないんだよ。確かにコイツの細胞同士は引きあうようにできてる。でもレイスによってバラバラにされたコイツの肉片を暫く俺は放っておいた。アナンが今考えている事を懸念してね。でも一行に再集合する様子を見せなかった」

 

「ん~~~~?」

 

「ここからは俺の推測だがコイツらの分裂には限界がある。このレイスが砕いたこの固有種の破片―これは謂わば俺達の手足に近いものではないかって」

 

「エノハさん解る様に説明してくれ…」

 

「つまり人間が心臓、脳などの主要臓器を基点にし、その先から手や足が延びているのと一緒。手や足だけで『人間』と言う生物は成り立たない。手、足だけでは人間は生存できないからな。でも血液型や腐敗度によって制限はあるにしても他人の臓器や手足、角膜等を生きている他人に移植することは可能。つまりレイスによって砕かれた個体は確実に死んでいるがその破片は別の分裂した生きている個体と融合が可能と言うことだ。何せ元は同じ体の一部を持つ連中だからな」

 

「うん…解ったよ~~な解んないよ~な。そもそもこれが今の状況を打開するための「手」とやらと何の関係があるのさ~~?」

 

「解らないか?」

 

「うう~~ん?」

 

「コイツらの細胞は呼びあう、磁石の様に結合しあう習性がある。つまりそのオラクル細胞を喰らい撃ち出されるアラガミバレットには?」

 

「……!?コイツの細胞と同じ引きあう性質があるってこと!?」

 

「その通りだ。君達が捕まえてくれた生きているコイツを俺が今捕食し、リグに濃縮弾を受け渡す。それをリグ―君がぶっ放すんだ」

 

「え。おいおいおい!!でもそれじゃ『今の俺』じゃダメじゃねぇのか…?」

 

「…バカね。リグ」

 

「ああ!?」

 

「だからアタシが居るんじゃない」

 

アナンは気付いた。その聡明さに嬉しそうにエノハはニッと笑う。

 

「よーするに私がリグの放つアラガミ濃縮弾―このアラガミのバレットを私の血の力―「断絶」を使って敵の全個体を感知、誘導させて攻撃ってことね?同じ細胞同士が拒絶、つまり殺しあう様に仕向けて接触、衝突させるってこと?」

 

「そういうこと。それにアナン?君は言っていたな?「闘争」って言うのはただ単に戦う、殺しあうって事だけじゃない。逃げる事―戦略的撤退もまた闘争と言う感情の一部だと。その感情を煽れば奴等の帰巣本能―つまり元の形に戻ろうとする習性を煽ることも可能なんじゃないか?」

 

そう。アナンはお互いの嫌悪感を煽り、殺しあう様に仕向ける事も出来れば逆に嫌悪感ゆえの忌避、つまりお互いを避ける、「逃走する」と言う感情を煽ることもできる。彼女の血の力「断絶」とはそういう使い方もできるのだ。

 

「成程…私とリグで即席の有線誘導アラガミ弾を作れってことね。それで一匹残らずあいつらを仕留めろって事か」

 

「…出来るか?アナン」

 

「う~~~ん相当難しい。正直言葉遊びのレベルだしね~~」

 

「うん。それに関して俺も自信が無い。確証のない仮説も考えに入れた行き当たりばったりもいいとこの作戦だ」

 

「でも」

 

「ん?」

 

「やれる・出来る・私なら。命令して?エノハさん」

 

「ふっ…ホントに頼もしいよアナン!リグ…?」

 

「ん」

 

「君はどうだ…?出来るか?」

 

「…要するに俺は狙いをつける必要はない。アナンの誘導に任せて最大威力のアラガミバレットを無駄なく、大量にぶちかませばいいんだろ」

 

「ご明察。しかし今回は敵の数は恐らく数百レベル。それを全部消滅させる無数のアラガミ弾を撃てってことだぜ。楽ではないと思うが…どうだ?」

 

「…楽勝過ぎる」

 

「よし…」

 

エノハは二人の決心に満ちた眼差しと心強い返事に満足そうに頷くと同時振り返る。

 

「…時間はない。とっとと奴等全員ぶっ潰してここの住人達の弔いをしないとな」

 

「うん!!」

 

「フン」

 

三人が意を決し、同調したまま一歩を踏み出した―その時であった。

 

 

「……ハさん……っ、ナン…リ、…グ……?」

 

 

「!」

 

「お!」

 

「…『レイス』!?」

 

 

三人は未だ壁にもたれかかったまま浅い息を吐く「レイス」の唇が僅かに震えながら動いているのを認め、駆けよる。

 

 

「気がついたかレイス……良かった」

 

「もぉ~~アナンちゃん心配しちゃったぞ~~~?」

 

「無茶しやがって…このバカ…」

 

「おろ?リグ泣いてる?」

 

「泣いてねー!」

 

「二人とも煩い…。…レイス?今はここでゆっくり、じっとしてろ。直ぐに俺達は帰ってくる。それまでここで―」

 

「……………るから……」

 

エノハの言葉を遮るようにして「レイス」が不明瞭な言葉で呟いた。

 

「…え…?」

 

「『レイス』ぅ~~~~」

 

「全く…」

 

 

「………るから……」

 

 

「…解ったよ。レイス」

 

エノハは「レイス」の言葉に頷き、くしゃりとその美しい銀髪を撫でる。

 

三人だった同調は今四人に、そして一つになり五分後―

 

 

 

 

 

今その想いが結合、結集した鉄槌が天より降り注ぎ、擬神達を鮮やかに駆逐していく。

 

一匹、また一匹。

 

―一匹も逃さない。殺せ。追え。そして逃げろ仲間の元へ!!

 

歯を喰いしばりオーバーヒートしそうな頭と精神をアナンは奮い立たせながら血の力によって光弾を操り、逃げる擬神を誘導、追尾し、的確に射抜いていく。

 

その彼女が触れている背中―

放熱し、煙を上げる銃身によって腕を焼かれながらも注がれたエノハからの受け渡し弾を余すことなく展開した砲身から解放、光弾の数、集束度、密度を更に高めて撃ち出し続けるリグの姿が在る。

 

 

三桁以上存在していた擬神の分裂体が。

 

二桁。

 

そしてとうとう

 

 

一桁に。

 

そして

 

 

……!

 

 

市役所を包囲していた数多の擬神は遂に残すは一匹となっていた。最後の個体は必死で逃げ続ける。その彼にもアナンによって誘導された光弾は容赦なく感知し、近付いてくる。

 

もうダメだ。

 

擬神はそう思った。

 

が、

 

 

バシュン!!

 

 

最後の擬神の鼻先、直前にて光弾は弾け飛び、射出されたアラガミ弾によって明るく照らし出されていたサテライトB内が元の静寂の世界に包まれる。

見渡す限り穴だらけにされた支部内で無数の同胞の破片が辺りに散らばる中、最後の擬神は生き残っていた。生き残ったのだ。

 

助かった。助かった…

 

安堵する。

いつの間にか差し込んだ陽の光が生き残った彼を祝福する様に照らし出している。闇に姿を隠す習性を持つ擬神にとって非常に邪魔な存在のはずである陽の光が今は美しい。

 

陽の光が。

 

陽の光…が?

 

違う!

 

辺りはまだ霧に包まれている。陽の光が差し込む余地は無い。なら

 

この光は一体?―

 

 

 

市役所屋上

 

 

「あんさ~今のアンタにそのスコープって意味あんの?」

 

「…雰囲気って大事だろ」

 

「ヘンなこだわり持ってんのね。ま。いいけどサ」

 

アナンは再び手を添える。愛機ケルベロスを形態変化、チラリとスコープの輝くスナイパーライフルに切り替えて構えているリグの背中へ。

 

 

 

 

「あ。決め言葉とかある?」

 

 

 

「…今度考えとくよ」

 

 

 

いつもの軽口をお互いに叩くと同時二人は意と力を込め、その結実がリグの指先に集約したと同時辺りに響きわたる。とても軽快で、しかしどこか重みもある不思議なこの音が。

 

 

 

 

タァァァァァン――

 

 

 

 

びしゃあっ!

 

擬神は民家の壁のシミになった。

 

 

 

 

 

一方

 

市役所屋上にて

 

どしゃあっ

 

横並びに大の字に寝転がった二人は。

 

 

 

「…」

 

「…」

 

 

無言のままこつんとお互いの拳を合わせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




…恐ろしい連中だ。


「彼」はそう思った。


サテライトBを覆う装甲壁から約500メートルほどの地点にて


ズズズ

…生き残ったのはコイツだけか…。

「彼」は先程あの爆音と光に包まれたサテライトBからリグとアナンの混合思念誘導弾を逃れ、命からがら這い出ることが出来た己の分身体の最後の一体を回収し、同化する。

同時百五十人以上の人間の「養分」を得て肥大化した同胞達が今自分に同化した物を除いて悉く殲滅された事実を冷静に「彼」は分析する。
あの人間達は今まで喰らってきた者達とは遥か別格。アラガミ、人間、GEすらも含めて全く異なる次元の者達。特異な能力、戦闘力、発想を持った難敵。それに今回遭遇してしまったのは間違いなく「彼」にとって不運と言えた。

しかし「彼」にとって悪いことばかりではない。

今回の件で多くの同胞を喪ったこと、自分の存在、正体が在る程度把握されたことは確かに痛手ではある。が、逆に連中の様な格別の存在が居る事を自らも把握できたことは幸いである。「情報収集」という観点からみれば実りの多い遭遇であった事は間違いない。


そして自らが「固有種」としての習性を持つゆえに理解する。「今は逃げる時だ」と。

…。

「彼」は遠く離れたサテライトBを一瞥し、踵を返す。

これからより慎重な行動、潜伏が必要だ。敵を超える力、根拠、知識を身につけ、更にタイミングを見計らう事が出来れば「奴等」を狩ることは十分に可能―「彼」はそう結論付ける。

…自分はお前達を忘れない。決してお前達の前に姿を現す事は無い。

…お前達を「殺すことが出来る」と確信するまでは。

それまでさらばだ。たった四人ながら危険で恐ろしい人間を超えた人間をさらに超えた人間ども。
自分はお前達を知った。そしてお前達への脅威、恐怖を知った。無力で無能な人間を何百、何千と喰らうよりも遥かに有意義で貴重な知識、記憶を得る事が出来た。

感謝しよう。


「彼」はゆっくりとその場を離れる。確固たる悪意、食欲、さらなる知識欲を携えたまま擬神悪鬼「本体」―

後に「ヒドラ」と名付けられるアラガミ固有種は闇から闇へその姿を没し去ろうとしていた。


より強大に。


より狡猾に。


より凶悪になる為に。





























…?









「四人」?



何故だ?何故自分は同胞を殲滅した人間が「四人」だと知っている?そしてまるで体感したかのように奴等の脅威、恐怖を骨身にまで味わった様な感覚に陥っているのだ?

なぜ…

何故これ程にあの人間達「四人」の

顔。

種別。

区別がついているのだ?

この今自分の中にある「知識」「記憶」は一体…「どこから」来たものなのだ……?

奴等に触れた、接触した同胞達は悉くつい先ほど死散したはず。敵全員の姿、正体を満足に見る事すら叶わずに。
なのにこれ程の情報量を己が現在収集出来ているのは一体―――?



………!!!!


擬神は歩みを止めた。そしてつい先ほど自らと同化していった分身体が接触した己の部位を見る。どこを見ても面白みのない擬神の体に


ブゥ……ンッ


出来物のような淡い色をした球体が形成されている。それも擬神から何かを「吸い上げて」徐々に肥大化しながら。

その球体の正体は。

「制御・充填」

敵に着弾後、その体に付着し、敵体内のオラクル細胞を吸い上げて肥大化した後、ある臨界点、もしくは一定の時間の経過後に




――――!!!!!!!!!!!



爆発する。









十分前―

市役所回廊にて

「レイス」が擬神を倒した直後、リグ、アナンと合流するまでのほんの合間の「レイス」とエノハの会話―



「はぁ……ハァ…エ、ノハさん……聞いて」

「喋るなレイス。今は回復に努めろ」

「いや、聞、いて。とても、すぅ……大事なことだから」

息も絶え絶え、途切れ途切れ。深く深呼吸した後、やっとまともな口調に戻るが相変わらず呼吸は苦しそうだ。しかししっかりとエノハを見据えるオリーブの瞳は焦点を取り戻している。話の重要性に疑う余地は無い。

「…何だ?」

「私が殺したコイツね…?体内に『コア』持って無かった。つまり…居るよ?コア持ってる親玉…本体がね」

「……!」

「んでこっからは私の推測なんだけど…」

ちらりと砕け散った擬神の破片に「レイス」は目を向け、話を続ける。

「多分…コイツら分裂体はCD-R、USBメモリ、SDカードみたいなもの…外部から記録、情報、映像等を取り込んで一時的に保存しておく小型情報端末…分身体が各々在る程度の感情、複雑な行動が取れるようにしてあることから考えても内蔵しておける容量はさして多くないと考えるのが普通じゃないかな…?」

「つまりは…分身体が吸い上げた情報を纏めて回収、統括、精査、整理する大容量のコアCPUを持つ…アラガミ本体が居るってことか」

そしてその本体は回収した情報、記録を素に新たに更新された分体を作りだす。より高度な行動、擬態のバリエーション、情報収集能力、容量の増加、そして純粋な暴力、行使力も恐らく強化された分身体が作り出される寸法だ。

「うん…だから分身体をいくら倒しても無駄って事…コアが無いから霧散させれば復活はしないし、回収させなければ手に入れた情報を本体にアップデートされる事も阻止は出来るけど根本的な解決にはならない」

「本体を倒さない事にはな…」

「…かと言って分身体で人に擬態して人間を騙し、一斉にタイミングを合わせて同時捕食を行えるほどの知能を持つ連中の本体―ブレインがのこのこ呑気に危険な場所に出てくるとは思えないよ…」

満身創痍の体を抱え、与えられた情報を素に整理すると何とも芳しくない状況であることに「レイス」は歯痒そうに再び右腕で両目を覆う。有効な打開策を見つけられず、おまけに思う様にならない今の自分の体に口惜しさで口を引き結ぶ。


「レイス」

「…はい…?」

「よく頑張ったな」

エノハは「レイス」の頭を撫でる。いい子いい子。

「…」

「ここからは俺―いや俺達の仕事だ。今は休んでろ。レイス」

「よっと」とおどけた様に言いながら腰を上げ、「レイス」に背中を見せ軽く振り返りつつ、

「君から得た情報…絶対に無駄にしない」

―そして君が苛まれている悔しさ、歯痒さもまた絶対に無駄にしない。


確かに。

確かに受け取った。




カッ!




地響きと強烈な閃光、爆風が瞬時に範囲数百メートルに放射状に広がるほどの大爆発が起きる。

爆心地は巨大なクレーターが形成され、その中心では


ずるぅうううううびちゃあぁああ……


……!!!


体組織を70パーセント以上蒸発させられ、溶けたアイスクリームの様にドロドロになった擬神が這いずり、のたうち回っていた。深刻すぎるダメージの中で擬神は本能から必死でかき集めようとする。

…!!……!!??…!

今正に自分の中から指の隙間から敢え無く零れおちようとしている擬神によって最も大事なもの―記憶、記録を。消失、消滅、損壊した物の復旧を必死で試みる。

その最中であった。

「…十分すぎる狼煙だろう?」

声が聞こえた。擬神はその声の主を記憶、記録より直ぐに抽出し、同時結論が出る。
擬神が生まれ出て以来、間違いなく掛け値なしの厄ネタが今目の前に居る。

擬神を襲った「制御・充填爆発」のオラクル消費量はその充填時間、そして吸い上げられるオラクルの上限量によって飛躍的に増大する。
「寄生」したアラガミからオラクルを吸い上げ、球体に内包する爆発的なオラクルのエネルギーに限界まで堪えられる頑丈なオラクル球体の皮膜を構成するためには膨大なオラクルが必要になる。
それ程のオラクル量を貯蔵できる神機形態はリザーブ機能を備えた銃形態―

ブラスト機構だけだ。

ザリッ

発せられた声と同じ方向―前方からの足音に擬神は顔を上げる。
今、擬神の目の前には白銀に光る銃形態と黄金のオーラに包まれた紛れもなく彼にとって最強、最悪の敵―

「…『贈り物』。喜んでもらえたかい?」

エノハの姿が在った。


「俺とアナンがお前に贈った贈り物―お仲間から得た『記憶』の中の俺が言った通りだ。まぁお前らが人語を解しているかどうかは知らないが…敢えてもう一度言う」


「『これ以上お前らに何も与えてやる気は無い。人間の強さ、怖ろしさを知った時、その時こそ…』」



―お前らが滅びる瞬間だ。


……!!!!!


擬神はただ反射的に行動した。相手の脅威、恐怖を眼前でまざまざと思い知らされた擬神が取った行動は理知も理性も知性もかけらもない。
ただ「動いた」だけ。目の前の圧倒的な存在を前に無我夢中で。満身創痍の体を動かしただけ。「逃げる」?「戦う」?そんな高尚な物など最早微塵もない。ただただ本能的に「動いた」。

それだけ。

そんな物が「結果」を成すわけもない。
そんな擬神を最早エノハの瞳は映していなかった。エノハの瞳は擬神の半透明の体の「向こう側」を映し、そしてこう呟いた。


「後は思う存分やれ








…レイス」




「……うん」







ズギュルルルルルルル!!


……!!!!!!


吸い取られる。先程エノハの放った銃弾「制御・充填」の控えめでじっくりとしたオラクル搾取を鼻で笑い飛ばすほどの急激な勢いで擬神の体から失われていく。
力、記憶、数多の命を糧にした「養分」によって培われた肉体が根こそぎ「背後」から吸い取られていく。


……!?


ずるり


擬神が振り返るとそこには


「…」


今の擬神と同じく体は満身創痍でありながら心の奥底に秘めた激情は微塵も失われていない。強い決意の眼差しを帯びた黒い少女の姿があった。
その少女がここに来る前、仲間達に不明瞭ながらも強い決意のもと言い放った言葉を一字一句曇りなく行動に反映させようとしている。



―…アイツは私が


殺るから。



『レイス』

血の力―「生殺与奪」発動。


「レイス」が掲げた彼女の愛機ヴァリアントサイズの「カリス」には宿っていく。それは「奪う」と言うより「取り戻す」に近かった。

その時擬神の目に映った光景は夢か幻か。

ぎちぎち…みち…

今まで擬神が喰らった数多の生物の姿が今、赤黒く「カリス」に集約されていき、「怨」を込めた正に「鎌首」をもたげて振り下ろされようとしている光景を唖然と擬神は見上げた。


その光景は正に「絶滅」の光景に相応しかった。地獄と言っても過言ではない。


「そこ」に次の瞬間、何の抵抗も無く「レイス」の振りおろした死神の鎌は擬神を誘った。









数ヶ月前―


クラウディウス家邸宅

「で」

「…」

「ルージュ?この大して狩る意味が一見薄そうなアラガミを倒すことによって君が得るメリットは何だ?」

「う~~~ん。……世界平和?」

「……」

「ヒドイ!!エノハさんたら私を体のみが目的で見てただけじゃ無く、そんな風に私を見てたのね!!ヒドイわ!!あんまりよ!!」

「そ、それは酷いですよ…エノハさん」

「同調しないのナル。君も。悪いけどルージュにはその手の高尚なモンは毛ほども感じられないからね。裏があるに決まってる」

「…うわ~~女性に対して酷いわそれは……。ま。あながち間違ってないけど」

ケロリとルージュはそう言い切った。

「やっぱりか…あっさり認めやがって」

「何せ世界で唯一、たった一つのコアを持つアラガミよ。そして他にはない特異な能力を備えている種でもある。そんな珍味が貴方達の神機、または技術にどれほど影響を与えるか解らない貴方では無いでしょう?」

「それもこれも…復讐のためか?」

「当然でしょう?表立って動けるあの子―ラケルと違ってあくまで私達は公に存在していない部隊だもの。限られた時間と制限された行動の中で得られる力の中身を特異かつ希少な物に厳選し、独自の力を得てあの子に対抗する。奇しくも固有種と同じ観点ね」

「…」

「被害も防げる。私の復讐の糧にもなる。一石二鳥でしょう?」

「…」

「不満…?なら…『仕方ない』わね?」

ルージュの口調、雰囲気が変わる。



「…ルージュ?」

「何よナル…」

「貴方はやっぱり素直じゃありませんね。エノハ様もどうか勘弁してあげて下さい。――あ!また……あはは。すみません」

ナルのそのいつもの生真面目さゆえのちょっとしたドジが二人の場を少し和ませた。

「でも言わせていただきます。エノハ…さん。ルージュは決して復讐のためだけに固有種を狩ろうとしているのではありません。そこには色々な理由があるのです。その一つが他でもない…『ハイド』のあの子達の為です」

「ナル…」

「エノハさんも見たでしょう?あの子達の力を。そして危うさを。確かにGEと言うのはそういう職業です。あの子達の性格、執着が生き残る為の一助になる事もあれば、命を落としかねない危うい二面性をあの子達は持っています」

「あの子達の抱えた過去、それゆえの今のあの子達の姿を真っ直ぐ見て…受け入れてあげて下さい。…あの子達は言わば崖に向かって真っ直ぐに突き進む暴れ馬です。鞭で叩かれ、心を歪ませた結果、手綱を捨てた子供達、GEでは無い私やルージュでは人としての心は確かに支える事は出来ます。でもGEとしては…」

ナルはそう言葉を紡いだ一瞬、凄惨なほど悲しい表情をしたようにエノハには見えた。
が、次の瞬間には元の彼女の凛とした視線に戻っており、尚も言葉を紡ぐ。
彼女らしい真摯な視線、口調で。

「私達にはあの子達の手綱を握ってやることはできません。振り回され、突き落とされてしまうでしょう。だからこそエノハさん?私達はあの子達と同じである貴方に頼る他無いのです」


ナルのその言葉に気を取り直したルージュが手でナルを制する。すこし恥ずかしそうにはにかんでいた。


「比較的良好な家族、環境、そして仲間達と共に育ち、この時代に在りがちなただ憎しみや復讐心のみで物事を判断しない貴方に頼みたいの…どうかエノハさん。あの子達を導いてあげて。これは本当に、私の心からの望みよ。私の下らない復讐のために巻きこんでしまったあの子達を守り、私が復讐を終えた後も人としての生を真っ直ぐ歩んでいけるように。それがせめてものあの子達に私がしてあげられる事。その為にあの子達のGEとしての戦う力と同時、私達と一緒に人としての生の喜びを教えてあげて」


―貴方はそれが両方できる数少ない人。だから…お願いします。エノハさん。

そう締めくくったルージュの言葉に普段の一切の茶目っ気は無かった。
ナル、そして間違いなく自分のもう一つの本人格―レアと共有した純粋な本音をさらけ出した姿。







数ヵ月後―サテライトB郊外



風が舞い上がる。


「エノハさん」


「ん」


「じょ、う況……終了。任務完了…です」


「ん。ありがとう。そして本当にお疲れ様。レイス―」


エノハは立ち尽くした「レイス」の背後にゆっくりと回り込む。左腕を彼女に触れることなく抱き込むようにして彼女の両目を隠す。


「……泣くな」


最後の一撃、霧散する直前の擬神から彼女の神機を通して伝わった感応現象には今まで擬神によって命を落とした人達の記憶、想いが僅かに流れ込んでいた。

それが目の前の擬神の消滅と同時、霧散するオラクル細胞の様に蒸発し、共に空に帰っていく。


―彼等は報われたのだろうか。私が救えなかったあの子は……?

…ルーティ?少しは貴方の役に立てたのかな?私は。
所詮殺すことしか出来ない私だけど。



解らない。それは永遠に。


「泣いてない……」


目隠しをされたまましわがれた声で最後に「レイス」はそう呟く。



数秒後、辺りを包みこんでいたジャミングの磁場が解け、無線の復帰と同時のナルやノエル、そしてレア、そしてサテライトB市役所に居るアナン、リグの声が二人の名をひっきりなしに呼ぶ声が聞こえる。




神隠しの町―サテライトB周辺を覆っていた深い霧はいつしか晴れていた。









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短編集 きゃっち みー いふ ゆーきゃん 2

アナンのケツ圧によるリグの帽子圧殺事件から数週間が経過した。

 

その間もエノハ達属する「ハイド」には多くのアラガミ極秘討伐任務が課され、それを彼等は粛々とこなしていく。先日の「固有種」のような特殊案件を除けば彼等の様な特異、かつ個人の戦闘能力の高いGE達にとって極東地域と比べ、出現するアラガミの量、質共に劣るここ欧州地域で課される任務はとりわけ難易度が高い物ではない。

 

しかし―

 

彼等がどれだけ優れたGEであろうと、どれほどの出撃回数をこなそうと「時に」どうにもならないことがある。

 

 

それは何か?

 

It’s「素材集め」だ。

 

存在が「幻」とされているアラガミ―アバドン。

 

その幻の素材を追い求め、エノハは数々の戦場を渡り歩き、彷徨い、血眼になって探し求めた。

 

―しかし

 

どうやら彼にはその手の「運」が無いらしい。

 

 

幸運か不運かは選べずとも「極端かつ稀な結果に直面する運」というものをエノハという一個の人間は全く持ち合わせていないらしいのだ。彼は良くも悪くも「運」という一点に置いて悲しくも平凡なのである。

ただ淡々と彼の目の前では「普通」の事象が過ぎていくのだ。見慣れた戦場、見慣れたアラガミ、そして見慣れた素材達だ。

そんな彼に「幻と呼ばれたツチノコ級アラガミ」との遭遇という豪運を手繰り寄せるなどどだい無理な話である。当初こそは「気長に行こう」と皆の前で苦笑いをしていたエノハであったが日を追う毎に状況が逼迫していく。

 

何故なら愛用の帽子を失ってまともに射撃の出来ないリグは完全に「デク」なのだ。表向きには任務には参加しているものの、スプレーの様に拡がる安定しない今の彼の射撃精度では危なっかしくて満足にアラガミ戦闘に参加させられない状態である。隠密性、哨戒任務はどうにか果たせるものの、リグの高い機動力、愛機ケルベロスの銃形態神機の柔軟性、汎用性、攻撃力は正直宝の持ち腐れである。

 

そんな彼に「あははは!リグ!?あんたやっぱ『デク』に改名しようか」と言い放ったのはアナンである。

この少女、先日のサテライトBでの酷使が祟り、休養を余儀なくされている「レイス」が居ない事を良いことに言いたい放題である。

ハートブレイクの少年リグの心に深々と突き刺さす彼女の言葉にリグはさらに落ち込む。

そんな現状を憂慮した「ハイド」隊長であるエノハはさらに「アバドン捜索範囲網」を広げるものの彼の目の前に「ヤツ」は一向に現れなかった。

 

彼のGEとしての実力は世界トップクラスであってもこればっかりはどうにもならない。「出ない物は出ない」のだ。とうとう危険な撒き餌、誘因フェロモンまで彼は使用した。が、現れるのは相も変わらず見慣れたアラガミの顔ばかり。

 

ぶしゅ。ずぶしゅっ!

 

その現れた「外道アラガミ」達を片端から切り捨てるエノハの姿が

 

 

「『…探し物は何ですか♪見つけにくいものですか♪』」

 

 

うふっふ~

 

 

徐々に狂気を帯び始めている。

 

「…」

 

サテライトBでの戦闘から二週間、内最初の三日間眠り続け、目覚めた後も完全な隊長の回復に十日を擁してようやく戦線復帰した「レイス」の瞳にいきなりそんな変わり果てた隊長の姿が映る。病み上がり早々「ハイド」副隊長「レイス」は早速そのケアに追われることになる。

 

―アナンめ…私が不在の間エノハさんのケアもせずほっときながらリグをいびって楽しんでたな…?

 

同僚の赤毛外道少女が自分が療養中の間、もがき苦しむ隊長―エノハ、そして落ち込むリグ二人のその現状を楽しんでいたであろう事を的確に見抜いていた。しかし残念ながら一方で赤毛ゲス乙女はその証拠を一切残していない。

 

―あー面白かった♪

 

とでも言いたげに他二人の隊員の現状をよそに妙にアナンはてかてかと肌つやがいい。先日のサテライトBでの戦闘で相当に彼女自身も「力」を酷使したにも拘らずタフな少女である。「レイス」が居ない期間相当の「お楽しみでしたね」状態だったようだ。趣味と「血の力」が直結している彼女ゆえの「別腹」と言えようか。

 

先日の戦闘で消耗がほぼゼロであったエノハはその分相当この期間頑張ったのであろう。アナンは甘え上手だ。「私も先日の戦闘以来体が重くてさ~~。あ。イタタタタタタ」的な事を言って相当量の仕事を押し付けたはずである。それによってエノハは以下のとおりだ。

 

 

「はあ…俺はいつになったらアバドンを見つけられるのか…そもそも俺は…『一体何を探しているのか♪まだまだ探す気ですか♪それより僕と―』」

 

 

つまり病み上がりの「レイス」の目の前に拡がった特殊部隊「ハイド」の現状は

 

無能←リグ。現状満喫中←アナン。「夢の中へ」←エノハである。

これは『レイス』は相当逃げ出したい状況だ。皮肉なものである。リグの帽子の損壊→廃棄に関して全く非の無い、関わりもない病み上がりの彼女が一番の災難を被っているのだから。

 

 

「…」

 

―ヤバイ。ちょっとこれって私が一番まずくない?一体私がなにしたってのよぅ…。

 

 

「はぁ…陽す…い、いや羊水に帰りたい…。ああリッカ……俺はもう疲れたよ…」

 

 

「…」

 

―…エノハさんのステータス異常耐性がゼロに近い…。

 

 

 

そんな『ハイド』の戦闘員達を見ながら整備士のノエルはこう呟いたと言う。

 

 

「は、『ハイド』はもう駄目かもしれない……」

 

 

そんな日常が数日続いたある日の事であった。

 

欧州市街地痕―

 

「―じゃあ私とエノハさんはさっき捕捉したアラガミをA地区に誘導して仕留めてくるからリグとアナンは予定通りB地区南側を哨戒―いいね?」

インカムのイヤホンを装着し、『レイス』は二人にそう言いながら

 

「ほいほ~い」

 

「…ああ」

 

相も変わらず脳天気そうなアナンの返事とは対照的に最近の自らの役立たずぶりにすっかり意気消沈したリグが素直に返事を返す所を見て『レイス』は溜息を吐きながら肩をすくめる。普段は生意気な弟の様なリグが別人のように素直になったのは喜ぶべきことなのかもしれないが、流石に少々肩透かしがすぎる。彼の普段の生意気さもまた彼「らしさ」であったのだから。

 

「リ~グ…だいじょぶ。私らがちゃんとアンタがまた戦えるようにしてあげるからさ。だからもう少し辛抱して」

 

そう言って『レイス』は自分よりまだ背の低いリグの頬に軽く触れ、優しく撫でる。少々長めの療養期間から復帰後、彼女は物腰が少し柔らかくなった。

 

「…ん」

 

幼少時、目の前で亡くした世界で最も大事な存在であった姉の面影を『レイス』に重ねているリグは彼女のその所作を邪見に扱うことなく素直に受け入れて頷く。そんな少し和やかな雰囲気を―

 

「レイス~~最近さ~~俺自分の神機の捕食形態がアバドンに見えて来てるんだよね~~あはは~~~」

 

最近「ポンコツ」と化しているエノハの間の抜けた声がブチ壊す。

 

「はいはい…行きますよエノハさん。じゃね?また後で。リグを頼んだよアナン」

 

「らじゃ~」

 

 

そう言って一行は二手に分かれる。

 

「…」

 

「♪」

 

 

無言のリグがとぼとぼと歩いているのとは対照的にアナンは軽い脚取りで鼻歌交じりに先行する。

 

リグが戦闘行為に参加できない状態になった日以来、彼は完全に哨戒、探査任務にまわっている。唯一GEの力として失われていない彼の機動力、ステルス性を活かして、敵の数、種類、居場所、地形、地理などの情報を収集し報告。殲滅、掃討行動はリグを除く三人に委ねると言う形をとっている。先日のサテライトBでの活躍から解るようにその貢献は決して軽視出来る程低い物ではない。が、元々攻撃的な性格、攻撃に特化した神機を持った血気盛んなお年頃のリグ的にはやはり戦闘行動に参加したい面はあるようだ。しかし一方で射撃訓練場でまるで壊れたスプレーのようにあちこちへ散らばっていく自らの弾頭を前にしては流石のリグとて無茶を言う事は出来なかった。

 

少年は少し大人になっていた。

 

「拒絶」「攻撃」という彼の代名詞で在り、存在意義でもあった暴力、牙を制限された彼は作戦行動に於ける役割分担、己の適性、集団の中での役目をより強く意識するようになった。彼なりに自分の存在意義であり、居場所である「ハイド」での存在価値を見出す為に。

だから今更になって適合した神機を失い、それでも尚「ハイド」の為に出来る事を探し、整備士という道を選んだ内心バカにしていたノエルを見直した。

 

しかし―

 

 

―流石に……つまんなくなってきたな。

 

アナンはそろそろ現状に不満の様だ。鬼(レイス)の居ぬ間に確かに言いたい事は言いまくって趣味と「生」癖を満たした彼女であったが自省が過ぎ、少々己らしさを見失ったリグに一抹の寂しさと物足りなさを感じていた。

やはりリグは子供で少々生意気な方が彼らしいしアナン好みだ。

「幼さ、性格ゆえに周りとぶつかることの多い少年」―其の方が自分の「生」癖を満たしやすい事も一因として…いや彼女の大半を占めている…。が、今の様に現状を粛々として受け入れるリグは「まだ若い男の子」としては少々魅力に欠ける。

「伝え方」を間違えば問題はあるものの現状の不満や解らない事、理不尽なことにちゃんと反発できる、はっきりと態度に出す事そのものは決して悪いことではない。その度に周り、世間からは弾かれるがそれから逃げ出さず向かい合えばその分耐性もつき、人としてのさらなる成長の糧になってくれる。

 

アナンはリグのとんがった所を失わないでほしいと思っている。美点だと思っている。快楽を満たす一方で弟を見守る様に彼の成長にも期待しているのだ。

 

 

……ほんの二割くらい。

 

 

八割はこのままいがみ合いが無くなっては「つまんない」という何とも目先の快楽、目の前にぶら下がった人参を失う事に大変アナンは不満のご様子である。

 

 

「~~~~!リグ!!そこに直りなさい!!」

 

「…?おお」

 

「違うでしょ!!そこは『俺に命令すんじゃねぇ』とか『いきなりワケの解んねぇこと言うんじゃねぇ』とかでしょうが!!」

 

「え?作戦行動中の指示じゃねぇの?」

 

「なんでそんなに大人になっちゃったの!?お姉さん悲しいワ!!」

 

「…?ワリィ」

 

リグは目を点にする。????が頭の上からひっきりなしに出続けたまま。

 

―あ~~ん!!もう!!こんなの私が知ってるリグじゃないよ!!

 

もう!

 

アバドンでも何でもとっとと出ちゃってよ!!んでいつものリグ返して!!!っとにもう!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ズボッ!

 

 

 

 

 

 

キュ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……!?」

 

 

 

「……え!?」

 

 

 

 

 

キュ?キュ?

 

 

 

 

 

彼女達の背後約10メートル。ぷかぷかと宙に舞い、訝しげな小動物の様な高い声を発しながらキョロキョロ周りを見回すファンシーな生き物の姿があった。

 

 

 

 

 

―で、

 

 

 

 

 

 

出た。

 

 

幻のアラガミ。

 

 

 

 

あばどん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「にやり……」

 

 

さぁ煮て喰おうか、焼いて喰おうか。

 

 

じりり…

 

アナンは近付く。「血の力」を確実にこのアラガミに浸透させるために。

 

 

しかし―

 

彼女はこのアラガミの習性を忘れている。

このアラガミには人間に対して一切の敵意、害意、そもそも闘争心というものを持っていない。このアラガミは自らが天敵に遭遇した際の感情、行動理念はとある一つの方向性に限られる。この場、この状況に「必要」な彼女の血の力に発動な「きっかけ」など発生しようがない。

 

その感情、行動理念とはただ一つ

 

 

 

 

「逃げる」事だ。

 

 

 

 

 

キュ―――っッッッッ!!!!!!!

 

 

 

「あ~~~~~~~~っ!!!???」

 

 

 

まさしく猛スピード。噂にたがわぬ逃げ脚を発揮し、ツチノコ級、UMA級ファンシーアラガミは天駆ける。

このアラガミを捕えるためにはアナンの血の力は全くの役立たずと言う事が判明する。口をあんぐりと開き、アナンはその可愛くフリフリ揺れるアバドンのお尻を見送る他無かった。

 

一方―同時

 

 

パチン!

 

 

反射的にリグは自らの血の力を解放。一応彼の戦線復帰を約束する獲物だ。当然逃すわけにはいかない。しかし…

 

 

ずん

 

 

「ぬ!!??」

 

 

アバドンを追い、駆けだす直前の彼の背部にどすんとした重みが。そして

 

 

「いっけぇえええええリグ!!!!そして追え~~~殺せ~~~」

 

アナンがリグの背中におぶさっていた。アナン―体重―

 

「はいストップ!!乙女の秘密をばらさない!!」

 

…+彼女の愛機―エロス約―

 

「はい❤企業秘密❤」

 

…の全体重がリグに覆いかぶさる。当然リグは

 

 

「おい!!おめ~~んだよ!!どけアナン!!逃げられるだろうが!!」

 

しかしアナンはにっこりとってもいい笑顔で笑い、

 

「リグ?一度あの子に向かって銃撃って御覧なさい?」

 

「…」

 

大型種ですら現在まともに当てられない射撃能力のリグにあんなすばしっこく、小さな的を捉える事など出来るはずもない。百年ほど前の某国のカートゥーンアニメの如く決して銃弾が当たらないシュールな光景が展開されることになる。

 

「わかった?解ったならほら。エロスと私に任せなさい♪」

 

リグは従う他ない。今は馬になる他ないのだ。目の前にぶら下がったとびきり上手そうな人参を食う為にどんなに騎手が不本意な相手だとしても。

 

「~~~っ!しっかりつかまってろよ!!!」

 

「お~♪」

 

ボッ!!!

 

烈風を巻き上げ、アナンを背中に乗せたままリグは猛スピードで逃げるアバドンの追跡を開始。

 

「その体勢、速度のまま銃身動かさずアサルトのバレット撃って。照準は私とエロスが合わせる!!」

 

「了解!」

 

チャッ

 

リグは強引に神機ケルベロスのアサルト銃身を背部のアナンの構えた盾に向ける。

 

 

「……てっ!!」

 

チュイン!!

 

アナンの掛け声と同時にリグは発砲。同時にアナンの盾によって反射されたリグの弾頭がアバドン目がけて精確に向かっている。

 

―捉えた!!アバドンゲットだぜ!!

 

アナンは勝利を確信する。が―

 

 

……キュっ!!

 

 

このアラガミ。「逃げ」に特化しているだけはあった。

 

クン!!

 

まるで最盛期のYキースの〇ベラの如き鋭いまっスラ軌道で飛行の軌道修正。

 

チュイン!

 

弾頭を躱す。

 

 

「おお!?すっげぇ反応速度!!やぁるねぇ~~~♪」

 

「そうでなくては」とでも言いたげにアバドンの華麗な回避に感嘆の声をアナンは上げる。にゃろう。なんて奴。

 

 

「おい!大丈夫かよ。こっちはお前は重い上に銃の反動のせいで足は劣るぞ!!」

 

「さりげなくセクハラ発言混ぜんな!!おっけ!取りあえずアンタはこのままアバドンを追って!射撃の合図は私がまたする!弾数は最初にこっちで指定するからOP無駄にしないで!」

 

「了解!」

 

 

「…よし。弾数2!!…って!!!」

 

 

チュインチュイン!!

 

アナンの掛け声、発砲音、同時の反射音、そしてリグの

 

「下手くそ~~!」

 

「うるさ~~い」

 

的な応酬が欧州市街地痕に響き渡る。

 

 



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短編集 きゃっち みー いふ ゆーきゃん 3

迷路のように入り組んだ市街地痕居住区の街道を縫う様に幻のアラガミ―アバドンが駆け抜けていく。

 

そのふわふわと浮く体は高低差、坂道などそっちのけ、その飛行速度を落とすことなく安定したペースを保っている。そのことから考えれば先程まで彼を追っていた追跡者―

「ハイド」の少年少女の二人―リグとアナンは捲かれても全くおかしくはない。元々足はアバドンが上、おまけにリグは解放中とはいえアナンを背負っている。

 

そう考えれば両者の差など時間が経つ毎に開くと考えるのが自然。あっという間に軍配はアバドンに上がるだけの勝負のように思える。

 

―それでも

 

 

「……」

 

 

「中々掴まんないね。流石は逃げに特化してるだけあるよ」

 

二人は未だアバドンを見失うことなく捕捉。その距離を詰める事はかなわずとも一定の距離から離される事は無い。これには

 

「リグ。3!!」

 

チュインチュインチュイン!!

 

 

 

 

ガガガガガガガガッ!!

 

 

アナンの盾に放たれた銃弾が的確にアバドンの最短ルートを塞ぐと同時、進行方向にある障害物を形成させてアバドンの最高速度を度々緩めさせる事に成功しているからである。

一方リグは現時点射撃に関しては「デク」でも神機解放中の瞬発力、スタミナ、研ぎ澄まされた感覚の中での空間把握能力を生かし、的確に市内をフリーラン。

自らの銃弾が砕き、巻き上げた障害物の破片、埃等で視界を占拠されながらも瞬き一つせず獲物を捕捉している。

 

それに

 

最近リグはの自分の「状況」に甘んじながらもどこか腐らず向かい合い、培ってきた経験が新たに彼に強いアドバンテージを与えていた。

それが顕在化する。

 

アナンがリグの背で爛々と輝くエメラルドの瞳を収縮させ、この瞬間のアバドン周辺の地形、障害物を把握し…

 

―よし、お次は……あれだ!!!

 

リグに発砲の指示を出そうと彼女が口を開―

 

 

チュイン!!

 

 

―え!?

 

指示の前に彼女の愛機―エロスにリグの愛機―ケルベロスより放たれた銃弾が突き刺さり、弾かれ、前方に向かっていく。奇妙な光景だった。

全くもってそれがアナン自身が内心意図していた軌道―理想の軌道であったからだ。

 

フォン!カンッカンッ!カン!!

 

鋭く空を裂く音と甲高く短い炸裂音が連続に響く。乱反射しているのだ。細い路地周辺の設置された金具やマンホール、窓枠、ポスト等を利用して。

 

―……リグも解ってきたじゃん♪

 

アナンは内心満足そうに頷いて

 

「リグ……三秒後に―――」

 

そうリグの耳元で囁く。

 

 

 

……!?

 

 

直前の一発の銃声の後、まるで自分を取り囲むように反射し、跳ね回る銃弾の軌道を追い切れずアバドンは目を回す。一体どの角度からこの銃弾は自分を襲ってくるのかが解らない限り、例え超反応の彼でも無闇に回避行動に移れない。

 

「宙を浮くアラガミ」は何種かいる。

 

シユウの様に羽が生えている如何にもな奴が居ればブースターを背負ってジェット噴射し、突進、離脱、浮遊を自由自在に操る中々無茶なカリギュラの様なアラガミもいる。

しかしこのアバドンはこれらとは異なるタイプ。ザイゴート、サリエル種と同様に体内に浮遊性のあるガスを溜めており、それによって浮遊、そして前進、後退の際は一定方向にそのガスを噴射する。そして水中を泳ぐ魚と同様にファンシーなヒレを使って方向の微調整をする謂わば「飛行船」に近いコンセプトである。先程〇ベラなみのブレーキの利いた急激な軌道変化はコレによるものだ。

破れた風船から勢いよく空気が飛びだし高速で宙を駆け巡るように逃げる方向とは逆へガスを強く噴出して軌道を逸らし回避するのである。

 

しかしあくまで一定方向の上、一旦動いてしまえば暫くは他の方向に切り返すのに若干のタイムラグが発生する。あくまで単発。確実に回避するためのとっておきの手段で連発させて撹乱したりするには向かない。

つまり迂闊にジェット噴射を使えば一時的に回避方向が制限される上、回避も軌道転換も出来ない瞬間が生まれ、そこを射抜かれる心配があるのだ。

 

よってギリギリ引き付ける他ない。この跳ね回る弾頭が最終的に自分を射抜こうとする角度を見抜いて的確な回避タイミングを把握し、回避する。それに全てを注力するのだ。

 

この小さなアラガミは「逃げ」に関しては百戦錬磨であった。

 

彼には実は「とっておき」がある。ジェット噴射以外の強力なとっておきが。しかしそれはなるべく見せたくはない。奥の手はとっておくものだ。本当に抜き差しならない状況に陥りでもしない限り。

そのとっておきの存在がこのアラガミの覚悟、度胸を支えている。この小さなアラガミの冷静な現状把握は隠し持った最終兵器への絶対の自信から来ている。カワイイ顔してやる時はやるのである。

 

チュイン!

 

 

…来た!

 

 

弾頭の最終反射を見極めた。これは―真下。

アバドンの真下には下水に繋がる朽ち果てたマンホールが設置されていた。そこを反射したリグの弾頭がアバドンの腹部を確実に目がけて飛来する。

 

ここだ!

 

アバドンはここぞとジェット噴射。ギリギリまでおっつけた弾頭を

 

 

ヒュン!

 

 

見事回避。空を裂く弾丸の音が彼の側面を通過していく。危機は脱した―

 

そう思った。

 

 

…!?

 

 

回避後の体勢を立て直そうとするアバドンが宙に浮く故に路面に映る自分の影を目端で捉えた時、違和感を覚えた。

 

デカ過ぎる。影が。そして「流石に自分はここまで度を超えたファンシーな形では無いぞ」と内心突っ込みを入れた。そのアバドンの真下に映る黒い影は現在―

 

ハート型になっていた。

 

 

―ごめんねぇいっつもぉ。『エロス』❤

 

…慣れてます。

 

 

アナンにブン投げられ、アバドンの真上に達していた彼女の愛機―装甲展開したエロスが直前アバドンが回避したリグの弾頭を捉え

 

 

チュイン!!

 

 

再びアバドン目がけ反射。

 

 

…!!

 

 

ドゴォン!!!!

 

 

キュイィ!!

 

 

強引な反射ゆえに狙いは流石に精確性に欠けた。アバドンは直撃は逸れる。しかしほぼ真下で炸裂した弾頭の爆風は超軽量級のアラガミ―アバドンを吹き飛ばすには十分だった。

 

キュッ!?キュイッっ!?キュッ!?

 

まるでゴムまりのようにポテポテと地面をバウンドするアバドン。軽量、おまけにオラクル細胞故に全く外傷は生じないが、混乱の混ざった奇妙な鳴き声を上げながらアバドンは転がる。

 

プシュッ!ザザザザザッ!!!

 

ようやく転がる体を再発射可能になった逆噴射で止めたアバドンは即現状の再確認を開始。周囲の警戒を再開し―

 

 

キュッ!!??

 

 

即異変に気付く。先程までとは比べ物にならないぐらい自分の影が巨大化している。正し先程までと違い、全く以て左右非対称の黒い影だ。彼の真上に居た物は―

 

 

「……よっ!」

 

 

パシッ!

 

 

宙に舞った愛機エロスを背負われたまま体を目一杯延ばし、回収したアナンと

 

 

ジャコッ!

 

 

神機銃形態をアサルトからショットガンに切り替え、アバドンに照準を合わせて脆く見下ろしている無言のリグの姿であった。

 

 

……!!!!

 

 

 

ガァン!!!

 

 

先程のアサルト弾頭を遥か上回る爆音、爆風を巻き上げ、地に突き刺さったショットガン弾頭は爆発の如き、砂塵と破片を巻き上げる。

 

 

 

 

 

数秒後―

 

 

辺りを覆っていた砂塵が晴れる。そこには未だ煙と砂塵を微かに吐く大穴の隣で少女を背負った少年が立っていた。

 

その先で

 

 

キュイイイィィィィィ……

 

一目散に離れていく「幻」と言われているが二人にとって最早聞き慣れた「あの」声が響き、遠ざかっていく。

 

 

ヒュゥウウウウ…

 

 

風が吹く。周辺のからからと朽ち果て、うち捨てられた店の看板が揺れ、ガンと音を立て落ちる。

 

 

「…」

 

「…」

 

「リグ……?」

 

「…」

 

 

 

 

 

「なんっっっっであんな近距離射撃で外すかなぁ!!!!??? アンタの今の射撃精度ど~~なってんのよホント!! 目!? 若しくは脳がいかれてんじゃないの!!??」

 

「はぁ…もうなんて言ったら…ホント何故なんでしょうねぇ…?」

 

「ちゃんと撃て! 狙って撃て!! そしてキャラを戻せぇ!!!」

 

背負われながらぽかぽかとアナンはリグの頭を叩く。それを甘んじてリグは受け入れている。自分の現在の射撃精度の予想以上のポンコツさに流石の彼も最早乾いた笑いしか出ない。

 

 

「いやまぁ…ショットガン弾頭がまともに当たってアバドンが粉々になったら肝心の素材回収が出来ないかも知んねぇだろ?だからワザと…」

 

「あ。なるほどぉ~~って…誤魔化されるか!!!」

 

ぽか!

 

「ってぇ!!」

 

「…えぇい!仕方ない。当初の予定通りの場所に追い込むとしますか…出来るなら『あそこ』に行くまでにケリつけたかったけど相棒が『これ』じゃ仕方あるまい…ホラ行くよ!!リグ!!」

 

 

「…へいへい」

 

 

二人は追跡を再開。しかしその足取りは不思議とゆっくりであった。一目散に全速力で逃げていったアバドンを追う割に奇妙なほど。

 

その二人の余裕には根拠があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

キュイイイイイイイイイ!!!???

 

 

困惑と混乱の入り混じった声をアバドンはあげ、足を止める。一刻も早く追跡者から逃れたい一心のこのアラガミの前に無情にも拡がった光景は分厚い壁に囲まれた行き止まり、袋小路であった。

 

アバドンという種は浮遊は出来るが基本上昇が出来ない。浮遊時は人間の腰から上程度の一定の高度を維持し、ジェット噴射のブーストを使って誤差程度の上昇、下降、軌道転換、方向転換しか出来ない。この壁を上から越える事は不可能だ。

 

追跡者は意図していたのだ。銃攻撃でこちらを牽制しつつ、進行方向を制限し知らぬ間にここに誘導させられていたのだとアバドンは理解する。

 

引き返すか。

 

それともここの地面を掘って逃げるか―

 

 

「はい。どっちもさせないよん?」

 

「追い詰めたぜ…」

 

 

!!

 

 

アバドンの背後には既に二人の追跡者が陣取り、引き返すことのできない状況が出来上がっていた。

なら「潜って逃げる」か?

否。そもそもこの方法がとれるならアバドンは既にそうしていた。しかし「潜る、掘り進む」という行為は空中を自由自在に飛びまわる事に比べれば著しく速度、機動力、回避範囲が落ちるのは当然である。

地中と言うのはそれ程快適で便利な空間では無いのだ。現存するアラガミが殆ど生息地を陸上に充てているのが良い証拠である。

 

 

「よぉし…チャッチャッと済ませますか…リグ」

 

リグの背から降りたアナンは愛機エロスを装甲展開、構える。

 

「どうする?私が反射させる?それとも今度こそショットガンで仕留める?」

 

「そうだな…」

 

リグがほんの少し思案しながらアバドンをちらりと一瞥した時であった。

 

 

 

 

 

その時

 

 

追い詰められ、進退極まったアバドンはとうとう―奥の手を解放させた。

 

 

「……!」

 

 

リグが絶句する。「これ」によってアバドンは「幻のアラガミ」となり、今まで数多の神機使いから彼等は逃れ、生き残ってきたのだ。それは全く以て今までのアラガミの常識を覆す予想だにしない方法であった。

 

 

 

 

キュッ……キュィィィィィ?キュイイ……?

 

 

じっとアバドンはリグを見つめていた。

 

 

 

……いぢめる?

 

 

ぷるぷる

 

 

ぶるぶる

 

 

 

小刻みに揺れる宙に舞うその姿、潤んだようなそのつぶらな瞳はリグにそう訴えかけていた。

 

 

「……っ!!うあっ…!」

 

 

アバドンの最終兵器、とっておき、今リグに炸裂。カタカタとリグの銃身の先端が震えだす。

 

「……?リグ…?」

 

アナンは怪訝そうに固まったリグの顔を覗き込む。そして驚愕に顔をしかめた。

 

―いかん!!これは――!?

 

 

「…アナン」

 

「へ!?」

 

「コイツ逃がしてやろう」

 

「はぁ!!??」

 

「俺にコイツは……撃てない」

 

「はぁああ!!??」

 

アナンは今思い知る。何故アバドンはこれ程に「幻」と言われているのか。なぜこれほどまでに討伐数が極端に少ないのか。そしてアバドンに関する根も葉もない噂、ジンクスが生まれたのか。

 

アナンはきっとアバドンを見る。アナンには解る。このアラガミの魂胆が。今アナンの中にあるのは明らかな―

 

―コイツ!!私と一緒だ!!

 

同族嫌悪であった。

 

正直言ってアナンにはこの手は通用しない。「同族」の狙い等、手に取る様に解る。「相手が悪かったわね」と鼻で笑ってトドメを刺したい所だ。が、しかし―

 

―肝心の私に現状攻撃力が一切無いじゃん!!!

 

そう。

状況によって全く以てアナンの場合、殲滅力が変わってくる。彼女の血の力は条件さえ整えば複数のアラガミを同士打ちさせ、一気に殲滅する事が可能な潜在能力を持っている。が、今回の様なケースではアナン単体での殺傷能力はゼロと言って相違ない。よってリグや他の隊員との連携が必要不可欠なのだが…

 

「さぁ行け…大きくなるんだぞ…」

 

当のリグは聖人のような顔つきで自らの背後を手で指し示し、アバドンを招く。「もう行け。元気でな」オーラに包まれている。

 

―リグぅ!!!???アンタそんなキャラだった!?

 

「ちょちょちょ!!リグ!?アンタ冷静になりなさい!!ここでコイツ逃してみなさいな!!アンタずっと『デク』のままよ!?それでもいいの!?」

 

「うっ!!」

 

反応あり。

 

―やたっ!まだリグは戻ってこれるぅ!!

 

 

キュッ…キュイイイイィィイィ……。

 

負けずに「同族」アバドン反撃。庇護欲のそそる仕草を繰り返す。かつてイエネコは厳しい自然界を生き残るための競争力を捨て、人間に寄り添い生活することで己の身を守り、他種交配による品種改良の結果、より人間の庇護欲をそそる姿、仕草を手に入れ世界中に分布、繁栄した。これと同様だ。

進化、繁栄するためにはこういう方法もあるのである。

 

 

―くぅううう!や、やるわね!!

 

 

最早違う意味での熾烈な戦いが繰り広げられていた。ぐらぐらとぶれるリグの天秤のアナン、そしてアバドンの奪い合いは続く。

 

その軍配が下ったのは二分後であった。

 

 

勝者は―

 

 

「アナン。わりぃ…俺…やっぱコイツ殺せねぇよ……」

 

 

 

アバドン。

 

 

 

 

「ガーン!!」

 

―アラガミに(違う意味で)負けたーーー!

 

アナンはがっくりとくず折れる。

 

残念ながら両者の勝敗の差を分けたのは「普段の行い」であった。「レイス」の居ない事を良い事にこれ幸いとリグをいじりまくり楽しんだ最近の彼女の暴挙、そして溜まりに溜まった彼女へのヘイトが積み重なったリグが無意識にアバドンを選ぶのは仕方ない事であった。

何せアバドン自体は他のアラガミ達とは異なり、実際にリグやアナン達に何ら危害や損害を与えていない。それを一方的に追いたて、追い詰め、狩ろうとしているのだ。

 

ぼ、ボク君達に何にも悪いことしてないよ?なのになんでボクをいぢめるの?

 

と、言う感じである。実際の所そうなのだから仕方ない。しかし、「同族」に完全敗北した事実にアナンは打ちひしがれる。

 

―すいません。私が悪ぅございました…。

 

アナン少し今までの自分の行いを反省する。そして

 

 

―もう…好きにすればいいんじゃないかな?

 

投げやりになる。リグを抑えられたら正直現状アナンはどうしようもない、お手上げなのである。

 

「もう…アンタの好きにしたら?」

 

「ありがとうアナン…なんか俺…命の大事さに気付いた気がするよ」

 

 

―げぇえええっ吐きそう!

 

聖人の如き輝く洗脳されたリグの姿を見、アナンはもだえ苦しむ。また違う方向にキャラ崩壊していく少年に哀悼の念を禁じえない。同時に

 

―なんて事しやがんだ。このクソアラガミ。

 

二人の横をアナンにとっては演技という事が丸解りの

 

いいの?ホントに逃げていいの?

 

的なゆっくりした所作のアバドンを歯痒そうにアナンは見送る。某大手携帯電話会社CMの新マスコット腹黒キャラ―〇ガちゃん並にうっとおしい。

 

そしてそんなアバドンの後ろ姿を正式に改名「デク」になる事が決定したリグが微笑ましく見送っているのも腹立たしい。

 

 

 

 

キュイイイイイ……

 

アバドンは自由になった。袋小路に至る直前の曲がり角に達し、自由を謳歌しようと躍り出る。

 

 

 

 

 

 

その瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

ガスン!!!!

 

 

 

 

ピュギィっ!!??

 

 

アバドンの真上から突如赤黒い物体が躍りかかり、アバドンを背中から貫いた。

 

 

 

「…んなあっ!?」

 

 

「へ!?」

 

 

呆気にとられたリグとアナン二人がそんな声を上げた後、

 

 

 

ピュギイイイイイィィィィ……

 

 

ズザザザザザザッ!

 

アバドンは背中を貫かれた物体によって地面を引き摺られていく。悲鳴が徐々に遠ざっていく。

 

それを追いたてるように反射的にリグ、アナンの二人が走り出し曲がり角に達し、アバドンが引き摺られていった方向を凝視した。そこには―

 

 

 

 

「…アバドン。ゲットだぜ…なんちて」

 

 

 

ズブリ…

 

 

銀髪の死神の美少女―「レイス」が愛機ヴァリアントサイズの「カリス」の鎌の先端から既に事切れたアバドンの背中から抜き取っている光景があった。その背後から

 

 

「でかしたぁあああああ!!!レイスぅうううう!!!」

 

 

「最近ポンコツ」の二人目の声が響く。言うまでもなくエノハの声だ。

 

 

「ああ、ああ!!こ、これでアバドン探し、素材集めから解放される!!ありがとう!!本当にありがとうレイス!!おおこれぞ間違いなくアバドン!!そして『メス生後四カ月』に間違いない!!根拠は無い!だが言い切れる!!間違いなく『メス生後四カ月』!!」

 

「はいそうだねエノハさん。はいそうだねエノハさん」

 

言い聞かせるように「レイス」は適当な生返事をエノハに返す。「ツレが鬱になりまして」の際の対策の一つだ。鬱の人間をケアする際、気分が沈んだ相手の言葉をあんまり本気で受け取らないようにすること。

 

「よし!早速『天麟』を剥がないとな!!」

 

エノハ。徐にこの場でアバドンの解体を開始。実家が家畜を兼業しているエノハ。その作業に淀みは無い。

 

 

ばりばり。べりべり。

 

 

「あ。あ。あ…」

 

 

リグに「命の大事さ」とやらを教えてくれたアラガミが今、唖然としているリグの目の前で原形を留めず解体されていく。

 

 

「あ。確かアバドンのコアは貴重なんだよね?とりあえず私が回収しとくよエノハさん」

 

「頼む」

 

 

がぶしゅっ!

 

 

ぴぴっ

 

 

「レイス」のシミ一つない頬にアバドンの体液が付着する。しかし彼女は顔色一つ変えない。なんと淡々としたコア回収、解体作業。改めて見るとGEの日常とはなんと恐ろしい光景だ。

 

 

 

「……よし!終了だ!!任務完了!そして待望のアバドンの素材採取完了!!!ああよかった……本当に良かった…!」

 

「はいはい良かったねエノハさん。お願いだからこれで気を取り直してね。さぁ帰ろう…」

 

エノハの肩をポンポンと叩きながら「レイス」は「足元気をつけてね。転ぶからね」と、まるで足の悪い親を介護する孝行娘のようにエノハを誘導しながら

 

「……ん?あ。なんだアンタ達いたんだ?…そこで何してんの?帰るよ?」

 

「レイス」は振り返りつつリグ、アナンの二人に不思議そうにそう言った。

しかし尚もリグは放心状態で唖然と立ち尽くし、ぱくぱくと機械的に口を開いた。

 

「『レイス』…」

 

「ああリグ…良かったね。これでアンタもまた一緒に戦えるよ」

 

「レイス」は珍しく優しく微笑んでリグを見やる。そしてもう一度小声で優しく

 

―本当に良かった…。

 

と呟く。

 

しかし当のリグは今それどころではない。

 

「れ、『レイス』」

 

「…?」

 

「お前な、なんて事を…」

 

「…は?」

 

 

 

帰り道。リグは一切口を利かなかった。

 

 

一方アナン

 

 

 

「ひ~~~っ、ひ~~~っ!ひ~くるちぃ…くるちぃ!お腹、くるちぃ!」

 

 

 

抱腹、絶倒、悶絶していた。

 

 

 

 

 

 






三日後―


「よっし完成です!!」


久しぶりの登場のノエルが満足げにその物体を掲げる。エノハ達が回収した素材達をかけ合わせ、この日とうとう一か月ぶりにリグのワークキャップが新調されたのである。その出来ははっきり言って完璧であった。


「うおおおすごいぞ~~ノエル。見なおしちゃった~~!」

「…ホント凄いね。ノエル。こんなスキルあるんなら私も何か小物か服か作ってもらおうかな…」

ハイドの女性陣二人の感嘆の声にノエルは照れながらも

「えへへ……。エノハさん。これをリグに。一番素材とお金と苦労したのはエノハさんなんですから」

「え。いいの?ノエル。…解った。本当にありがとうな。整備で忙しいはずなのに。こんなことまで引き受けてもらって…」

「いえ。いい気分転換になりましたよ」

ノエルはちょっと寝不足気味の目をこすりながらも満足そうにそう言った。

「…」

その姿はかつてシオのドレスを完成させた翌日のリッカの満足そうな顔によく似ていた。


「……よっし!!リグ!!」

「…ん」

「これでお前は晴れて『ハイド』の攻撃部隊に正式に復帰だ。かと言ってこの射撃禁止の期間に学んだ事は決して無駄にはならないはず。お前自身も自分の可能性を知ったと思うし、拡がったと思う。これからもどんどんそれを拡げていってほしい。そしてこれからも俺達を助けてくれ。…『ハイド』の一員として」

そう言葉を添えて、エノハはリグの頭に新品のワークキャップをかぶせる。

「…」

驚いた。全く何の違和感もない。まるで体の一部の如きフィット感。ぼやけていた焦点が一斉に噛みあった感覚を覚える。つい数日前にはこの世界に存在していなかったとは思えないくらい遥か昔からずっと傍らにあったかの様だ。

まさしくリグに被られる為にこの世に生れて来た世界でただ一つの帽子。

「どうだ?」

「…悪くねぇ」


その言葉は素直じゃないリグにとって最大の賛辞の部類に入る言葉であった。
その反応に「ハイド」全員が呆れたような、そしてほっとしたような笑顔を向ける。

リグは一度帽子を脱ぎ、目の前の帽子に向かって小さくこう呟いた。


―お帰り。















「…」

「…リグ?」

「…畜生…こんな姿になっちまいやがって…折角助けたのによぅ……」

ふるふる

「え。リグ。泣いて、る?なんで!?」

「うっせぇ!!!泣いてねぇ!!被りゃあいいんだろうが被りゃああああ!!!」





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地獄で何が悪い

その日。

 

私は死んだ。

 

仄暗い地の底。光の見えない暗闇の中で最早痛みも感じない。私は心と体を切り離したままただその光景を他人事のように見つめていた。

自分の体がアラガミによって貪られている光景を。妙に意識だけはクリアだった。

 

誰よりも大事な家族を―

 

そして誰よりも大事なあの子の背を見送る事が出来た奇妙な安堵感、そして同時にほんの少しの悔恨が私の意識を現実から遠ざけてくれていた。

 

よかった。

 

そして

 

残念だな。

 

でも。

 

貴方は振り返らないで。

 

さぁ走って。

 

駆け抜けて。

 

生きのびて。

 

そしていつか―

 

この世界を覆して。貴方にはその力があるのだから。

 

 

 

 

…レンカ。愛してる。

 

 

 

 

深い暗闇の中で光り続ける貴方の最後の後ろ姿が目に焼き付いたまま私の意識は深い深い闇の中に飲まれていく。

 

もう二度と目覚める事は無いであろう漆黒の闇へ―

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―…?

 

 

 

 

 

ピッ… ピッ…

 

 

覆いかぶさるように重い瞼を鈍重に開けると同時に一定のリズムで響く電子音が私の中の「何か」に同調していく。

 

とくん…とくん…

 

―まぶ、……し、い。

 

ようやく僅かに開いた瞳が文字通り刺し込むように突き刺さってきたのは眩いほどの光。明る過ぎて逆に殆ど何も見えない程の。そんな苛烈過ぎる光の前に私は重い瞼を再びやや強めに閉じる。眉をしかめながら。

 

「うっっ……つぅっ…」

 

自然と喉元からそんな声が漏れる。不躾なほどのその光の強さにさっきまで光の届かない静かなまっ暗闇に居た私には流石に酷過ぎるよと悪態をつきたくなる。

 

 

 

一体どこなのだろうここは。

 

「見る事」を放棄したまま私はとりあえずそう考える。

自分が「最期」に居た場所とは異なる空間であると言う事ぐらいは解る。そもそもあの「場所」には最早「私」は存在していないだろう。跡形も残っていないはずだ。

 

ならここは…

 

 

「……天、国かな?」

 

 

私は目を閉じても尚瞼に突き刺さる光を右腕でさえぎる様に塞いで苦笑しながらそう呟いた。生前の母さんに散々言われたはずなのに。

 

「神様なんか居ない世界で祈らないで」って。

 

なのにこの期に及んで神様が居る世界に来てるんじゃないかって期待するなんて乙女チックにも程がある。

 

でも一応私も女の子なんだもん。少しぐらいは勘弁してねお母さん。

 

…解ってるよ。

 

私の役目は終わったんだから。あの日あの場所で。

汚泥のなかで生まれながらも空へ、そして未来へ向かって苗を伸ばしいつかは花を咲かせる為に旅立っていったあの子を見送ったあの時に―

 

 

 

 

「はずれ」

 

 

―……え?

 

 

「少なくとも『天国』では無いな。現実……いや、むしろ地獄よりか」

 

 

―…。

 

 

響く声の言葉の内容は理解できる。だけど今の私の朦朧とした意識の中じゃ中々染み込んでいってくれない。そんな私の状況を察したのか響く声の主は言葉を更に紡いだ。

解り易く諭すように。

 

 

「君は『生きてる』。…良かった。気がついて」

 

 

 

 

―私…「生きて…る」?

 

 

 

 

 

 

「……。……。…!!!はっ!!?」

 

 

ガバッ!

 

 

私は響いた声の言葉の意味をようやくちゃんと吟味し、噛み砕き、改めて自分の心の中で言葉にはっきりと出して初めてそれを実感し、反射的に上半身を起こした。

 

 

「……!?…!」

 

上体を起こした事によって拡がった視野から写る光景を必死で目線で紡いでいく。自分が今どういう状況に置かれているかを必死で理解しようと高速で私の脳と眼球はぐるぐる回る。

 

右腕には施された点滴、そこから延びた管、胸には心電図を映すためのチューブが装着されていることが感覚で解る。真っ白なシーツの敷かれたベッドに足元には薄い掛け布団、体はいつの間にか清潔で心地よい肌触りの真っ白な寝具に着せかえられていた。

 

「……!!!(ひゃああああ)」

 

そんな声にならない声が私の喉の奥で木霊する。

 

―ヤバイ。わ、私前何着てたっけ。っていうか着替えさせてくれた人誰!?そもそも私いつからパンツ履き替えてなかったっけ!?

 

いやあ~~~!恥ずかしい!

 

ぼんっ!

 

私の頭の中は沸騰。やや暴走気味な方向へ。正直言って今の私の体には過酷すぎる激務だったようだった。

 

ぐるん

 

―あ、あれ?

 

直ぐに私の目と頭は過負荷に耐えきれずひっくり返り、急激に起こした上体を支える事が困難になる。頭が重い。気分が悪いレベルの強烈な目眩がする。うう。気持ち悪い。

 

「わっと……!」

 

ぼすん

 

「わぷっ」

 

前のめりに突っ伏しそうになったそんな私の体をたくましい腕と、細身ながら締まった胸板が受け止めてくれた。

 

―な、なんか私前にもこんな経験をしたような?って...違う違う違う!離れないと!!

 

「そ、そそその……す、すすいませ…」

 

そう言って離れようとした私の耳元で

 

「落ち着いて」

 

「へ」

 

「とりあえずこのままで。そのまま目を閉じて。急激に動いちゃダメだ。体がびっくりする」

 

「え…その」

 

声の主は間違いなく私の目がまだ機能していない時に私に語りかけてくれた人と間違いなく同一人物の声だ。「あの子」よりかなり年上、私より少し上くらいの印象のホッとする優しい男の人の声だ。

 

「まずは目眩が納まるまでじっとしてて。そしてゆっくり目を光に慣らすこと。随分長く眠っていたんだから君は」

 

「は、はい」

 

む、難しそうだけどやってみます。と、取りあえず私の動悸。お願い。納まって。

 

私は頑張った。とりあえず数分後に目眩と頭痛は治まり、目の焦点も徐々に落ち着きだす。私を抱きとめてくれた人もそれに気付いたのかゆっくりと私の体を肩を持って支えつつ

 

「大丈夫?」

 

「ごめんね」

 

等気遣いの言葉を呟きながら段階をもって離れていく。

 

「!」

 

ドキリンコ。

 

ようやく私の目の焦点が合い、初めて声の主の表情が見えた時、動悸は再び高鳴る。

 

「...よし目の焦点がしっかりしてきたね。もう大丈夫だ」

 

私の目の前で掌を上下させ、私の瞳の焦点を確認したのちにっこりとその人は微笑んだ。

 

きゃ。

 

なんて優しそうな人だろう。

「あの子」はどちらかと言うとキリッとした男らしい顔つきだけどこの人の表情は柔和でどこかホッとするタイプの顔だ。ああ顔にじりじりと血が昇っていく。

 

「ん…?血色もよくなったね。よかった」

 

…違います。これ別の意味で紅くなってるんです。

 

今思いだした。数年前私が住んでいた集落にゴッドイーターの人―雨宮リンドウさんが来た時も私こうなってたな…。それで「あの子」膨れちゃったんだよね確か。

 

ううゴメン。節操なしの姉さんを許して。

 

ず~~ん。

 

「えっと…大丈夫?」

 

ふらついたり、紅くなったり、沈んだりと忙しい私の変容に男の人は戸惑い気味であった。

 

「あ。すいません」

 

「そう?ならいいけど...」

 

優しそうな男の人は私の返事に頷いたのち少し歯切れが悪そうに目を少しそらす。どうしたのだろう?

 

「...?」

 

 

 

 

「早速だけど…君は自分に起こった事をどこまで覚えてる?」

 

 

 

 

「!」

 

その人のその言葉に私の意識は現実に引き戻される。

 

「急かすような形になって悪いね。でも…目覚めた以上君にはその……君の「現状」を否が応にも知ってもらう事になるからさ」

 

「……。つっ!」

 

意識の覚醒と昏睡の狭間の混乱、そして目の前の男の人の雰囲気に対する安心感に覆い隠されていたとある異質な「感覚」が私の体の中を駆け巡る。

明らかな違和感。そしてその「感覚」をどこかで否定したい、認めたくない、目を逸らしたい自分が居る。

 

嫌だ。なにこれ怖い。怖い。怖い。イヤ。

 

やはりここは天国ではない。まごうことなき現実であるのだとその「感覚」は私に知らしめ続ける。お母さん、お父さん、そして多くの仲間達を喰らい、飲み込んだ不条理、理不尽過ぎる世界なのだ。今居る「ここ」も決して変わることなく。

 

どうやら私は生きて「は」いるらしい。しかし相も変わらずこの世界は私から何かを常に奪っていくみたいだ。

 

恐る恐る私は足元の掛け布団をめくる。そここそ今私が苛まれている違和感のまさしく出所。そして同時

 

「あ、あ、ああああああ…」

 

 

 

私には夢が在った。

 

現代はほぼ失われたかつて生息していた木々や花を取り戻し、そしてアラガミの居ない花や木で囲まれた世界を大好きな家族と一緒に笑いながら歩くこと。

 

でももう…

 

お母さんも。

 

お父さんも。

 

そして私には

 

唯一残された大事な家族―レンカの隣に立って歩む為の―

 

「嘘。そんな。イヤ」

 

私の夢はもう決して叶わない。こうして生き残った所で。

 

 

「あ、ああああああ!!うあああぁあぁあああああん!!!!」

 

 

 

 

 

 

少女の両足は付け根から下ほぼ全部位があの時、アラガミに喰い尽されていた。

 

 

 

 

 

時間は遡る。

 

少女が少年に自分を見捨てさせ、一人あの暗い廃墟の中で一人取り残され、彼女の腐った左足の腐臭を嗅ぎつけたアラガミ達が少女を取り囲んだあの時間より―

 

約五分後のあの日あの場所へ。

 

 

 

「ふーーーっ!!!!ふーーーっ!!ふーーーっ!!」

 

 

「リグ…落ち着け」

 

まるで獣のように怒り狂い、荒い息を吐く少年―リグを青年―エノハは背後より組みついて取り押さえ、なだめていた。

彼等の周りには既にズタズタに引き裂かれ、喰い裂かれ、銃殺、爆殺された原形を留めていないオウガテイルが転がり、その体液が四方八方に四散している地獄の如き光景であった。

 

直前―

 

最早動くことも出来ず、意識と瞳の光、痛覚さえも失ってアラガミの成すがままに生きたまま下半身を喰いちぎられていた少女の光景はかつて幼いリグの目の前で敢え無くアラガミに喰い散らかされたリグの最愛の姉の光景と完全にシンクロしていた。

 

猛烈なトラウマのフラッシュバックに激昂し、完全にタガの外れたリグは瞬く間にオウガテイルの群れを塵殺。全個体が事切れた後も執拗にその死体を攻撃、ぐちゃぐちゃに損壊させるほどの興奮状態に陥っていた。それをどうにかエノハが取り押さえたのが今の現状である。

 

「レイス!アナン!」

 

「うん!」

 

「はいよ!」

 

動けないエノハに替わり、「レイス」、アナンの二人が壁にもたれかかり、座った姿勢のままオウガに喰われていた少女に駆けよる。

 

「…ひどい」

 

「うう…こりゃひどいね」

 

あてもなく虚空をさ迷う視線、光の宿らない瞳、血の気の失せた蒼白い顔、ほぼ大半が喰われた足、首元から滴り落ちる赤黒い血が少女のむき出しの綺麗な線をした肩をどす黒く変色させている。同じ女の子として痛々しくてしょうがない。

 

「...」

 

『レイス』は少女の胸の中心に耳をあて目を閉じる。そしてすぐに確信めいた輝きの瞳を強く見開いた。

 

「...生きてる!でも出血性ショックがひどい…。とりあえず止血しないと。アナン、アンタは首のキズの止血をお願い」

 

「了解。でもこれはさすがにねーーー」

 

アナンは携行した止血剤を直接患部、そしてガーゼに含ませ首元に押し当てる。すると―

 

「ん?」

 

―見た目より出血量が少ない…それにこの傷……。

 

「これ…アラガミによってつけられた傷じゃないね。何か鋭利な刃物で切ったみたいな痕だよこれ……」

 

「…どうやらこれだな」

 

リグを落ち着かせ、座らせたエノハが少女の右手の周辺にあるナイフを拾い上げ、先端にこびりついた血を確認する。色、粘り気と全くオウガの体液とは異なる。人間の血液であることは疑いようがない。そもそもこんなナイフではアラガミ相手に傷一つつける事すら叶わないが。

 

「……アラガミに囲まれて逃げきれないと観念して自殺を図ったってとこかな~~?」

 

「そう考えるのが自然だな…だが動脈を切り損ねた。どこかにためらいもあったんだろう」

 

「…可哀そうに」

 

「レイス」は唇を噛みしめて尚も手際良く応急処置を行う。相手がGEであれば彼女の血の力を使えただろうが一般人は流石にダメだ。激痛と負荷でショック状態になって一気にあの世行きだろう。

 

「リグ!!」

 

少し落ち着き、一行から少し離れた所に座るリグにエノハは応急処置を手伝いながら指示を出す。

 

「…なんだよ」

 

「ノエルとナルのとこまで今すぐ戻って車回してもらえ。君はその護衛。一刻も早く連れてこい。予め輸血パックと強心剤用意。対象は民間人一名、年齢約十代後半くらいの女の子。それとこの子の血液のサンプルを持っていってくれ」

 

「…」

 

「死なせたくねぇだろ?ならさっさとやれ!!」

 

「解ったよ!!」

 

リグは少女から採取した血液のサンプルをしゃくる様にエノハから受け取り、直ぐに走り出す。

 

自ら解放し、リグが走り出した直後、

 

―ん?

 

足元に少女の血によって形作られた靴の足跡が点々とこの施設の外部に向けて続いている。靴底の形状、大きさがここに居る「ハイド」全員、そして保護した少女を含め明らかに違う事を訝しげに感じながらも振り切る様にリグは加速し、ノエルとナルの元へ急ぐ。

 

 

 

 

 

七分後

 

 

 

「エノハさん。とりあえず血はある程度止まった!でも私らがいまここで出来る事はこれで限界くさいよ~~!!」

 

「おっし…速攻でこの子運ぶぞ!!『レイス』!!」

 

「はい!!」

 

先の戦闘でオウガ達を喰らっていた「レイス」の受け渡し弾がエノハに着弾、異常な機動力を手に入れたエノハが少女を抱え、こちらに向かっているナルとノエルを乗せたGE運搬用の装甲車に向かう。

 

 

 

これより後、少女は三日三晩生死の境を彷徨い、

 

どうにか一命を取り留めた。

 

しかしアラガミに大部分既に喰い散らかされていた彼女の両足は切断するより他になかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

両足を無くしたショックのあまり、しばらく泣き喚いていた少女が

 

「す、すいません。ずびっ!!」

 

気丈に泣き止もうとしていた。

律儀な子なのだろう。御礼を言いたいのだ。

 

「ぞのっ……折角命を助けて頂いたのにこんなに泣き喚いて、こんな良くして頂いてるのにっ……!!ホント…っその、う、うえぇえええん!うぁああああん!!」

 

「いいんだ。…こっちこそごめん?気の利いた事を言えなくてさ」

 

震える少女の肩に手を延ばす。ポンポンと優しく叩きながら

 

「生きていてくれてありがとう。皆にも知らせてくるよ。きっと君が目を覚ました事を聞いたら皆喜ぶ」

 

「う、あああぁん!!ご、ごめんなさい……いえ本当に、有難う、ございます....」

 

「…うん。今はゆっくり休んで」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




「おっとそう言えば…」

少女の病室を一旦後にする直前エノハは立ち止まった。

「はい……?」

少女は怪訝そうな顔をして首をかしげる。泣き腫らした眼はどうしようもないが一旦は泣き止んでくれてとりあえずエノハはホッとした。

「俺ら自己紹介してなかったね」

「あ、ああ!!本当に何から何まで気が回らなくて!!!」

「はいはい。そんなに興奮しない。またぶっ倒れるよ」

「あ、あははは…」

「じゃあ改めて...君のお名前は?」




「…空木…空木 イロハです」





「イロハか。いい名前だ。じゃあ今度は俺の番。俺の名は…」

―…おっと
この機会に「偽名」を使う練習をしておいた方がいいだろうか?イロハには少し悪いが…「ハイド」に所属する人間以外に公式で死んでいる男の名前を明かすのはまずいか。そもそもこっちの「都合」は元より下手をすれば彼女にも迷惑をかけかねないし。

「どうか…しましたか?」

「悪い」

「え」

「訳あって本名名乗れないんだよね俺。だから、その、すまない」

エノハは正直に打ち明けた。「本名を名乗れない」と言う事だけは。

「そう、なんで、すか…」

すこし残念そうにイロハは声を落とす。

「だから」

「はい?」

「とりあえず俺の事はこう呼んで欲しい。『サクラ』って」

「サクラさん…ですね…解りました!」

泣き腫らした瞳を目一杯緩ませて少女ーイロハはもう一度深く頭を下げる。そしてすぐに意識を失って深い眠りについた。何処かでやはり気を張っていたのだろう。

ー逆に気を遣わせたかな。

少女の掛け布団を肩までかけてやり、呼吸が安定していることを確かめて病室を後にする。















エノハ―



「サクラ」は病室を後にする。その病室のドアの傍らに佇む影に「サクラ」は声をかけた。

「名前は『空木 イロハ』だ、そうだ」

「…」

無言のまま、病室の外でエノハを待っていた女性―ナルが手元の端末を操作する。そして三十秒と経たないうちに少し憂いの含んだ目でエノハを見やると同時、ふるふると首を振った。

空木 イロハ。

採取した血液型。その他全てのデータにおいてフェンリル公式の住民データ内に該当者なし。

つまり彼女はこの時代、世界各地に存在している数多の難民の内の一人。
フェンリルによって「存在しない」と認定され、常日頃よりアラガミに命を脅かされ続け、愛する者を喪い、そして現在自分の両足で立ち、歩く事すらも奪われてしまった少女。


「...ぐすん。レンカぁ...」

地獄の底で尽きかけた命の灯火を。
今にも掻き消えそうな灯を僅かに、ようやく灯している危うい少女が一人「ハイド」に迷いこんできた。



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地獄で何が悪い 2

「こういう事はやっぱり女同士でしか出来ないよね~~~」

 

「そ、そうだね」

 

ほ。

 

私が眠っている間、身の回りを主に世話してくれたのが今私の目の前にいるこの二人の女の子ということが解って取り敢えず私は安心する。

 

何時もは頭頂で結わえている綺麗な銀髪を下ろした同姓の私から見ても綺麗でカッコいい、とても年下とは思えない大人びた女の子ー「レイス」もといレイちゃん。

「レイちゃんは止めて」と言われたけど三回ほど私が間違えて言ってしまったあたりで「...もうそれでいいよ」って言ってくれた出来たコ。

 

ダメかな?かわいいと思うんだけどな...「レイちゃん」。

 

「リグ!ノエル!あんたら覗いたらぶっ殺すからね!エ...っと『サクラ』さんに言いつけるからね!?」

 

「うっせ!誰が覗くか!」

 

「覗かないよ~~~!だけど早くして!ここなんかスッゴく寒いんだよ!!」

 

この物騒な声をあげて廊下に待機している男の子二人を牽制しているのが赤毛とイタズラな緑色の瞳がとってもチャーミングなアナンもといアナちゃん。

 

「え~~ほんとにいいの~~?ほぉらイロハちゃんのお肌すべすべ~男として覗かなくていいの~~?この甲斐性なしどもぉ~」

 

つつつ…

 

「ひゃっ!アナちゃん!?」

 

「君は僕らに覗かせたいの!?防ぎたいの!?」

 

廊下に立たされた男の子二人のうちの一人―ノエル君の突っ込みを

 

「どっちも大歓迎。どちらに転がろうと私は楽しい!一向に構わん!!」

 

...アナちゃんはいい子だけど外道でセクハラ好きだ。

 

「はい。これで顔を拭いて」

 

他の三人のやり取りはどこ吹く風。COOLなレイちゃんは淡々と私の世話を焼いてくれる。

 

「ありがと...何から何まで。正直な話…私が眠っている間お世話してくれたのがレイちゃんとアナちゃんって聞いて安心したよ」

 

「ん?いんや?時々『サクラ』さんもお手伝いしてくれたよ。眠っているイロハちゃんの汗を拭いたり、下着の御着替えとかも」

 

「ええ!?」

 

「ふひひ~~冗談ですぅ~」

 

へにゃ…

 

私。脱力。

 

 

 

 

三分後

 

「リグ、ノエル。終わった。入っていいよ」

 

ようやく入室を許可された男子両名が寒そうに身をこわばらせながら入ってくる。女子三名がベッドの上で一列に並び『レイス』を先頭にしてイロハが彼女の髪を、アナンがイロハの髪を櫛で梳かしていた。

 

「う~ん栗色の髪の毛綺麗だね~イロハちゃん」

 

「ありがとアナちゃん。御礼に次は私がアナちゃんの髪梳くね」

 

「わ~い♪」

 

「...イロハさん髪とくの上手だね。アナンはがさつでちょっと乱暴だからさ。私いつも遠慮してるの」

 

「ガサツ!?わ~ん。イロハちゃ~~んレイちゃんがいじめるよ~」

 

「アンタは『レイちゃん』言うな」

 

「差別だ~」

 

「あははは」

 

銀髪、栗毛、赤毛。異なる瞳の色。性格。全く以て三者三様の佇まいながらまるで三姉妹の様であった。

 

 

「「...」」

 

野郎二人は極寒の廊下からようやく部屋に入ったはいいものの、病室内の物凄いアウェー感に閉口する。

 

「む。なんだアンタらいたんだ?さては廊下に立つと同時にどっか『他の部分』もたたせちゃってたんじゃないの~?は~やだやだ」

 

 

「...こいつ本当に殺してやろうかな」

 

「リグ。どうどう」

 

―エノハさんが居ないんだ。僕が頑張らなきゃ。

 

「くすくす…あはは」

 

こんな賑やかな時を過ごすのは何年振りだろうとイロハは思う。もともと彼女がアラガミから隠れ住んでいた難民キャンプ―通称アジールにも彼女の家族―レンカ以外にも何人かの子供達、同世代の友人がいた。しかし―

残念ながらこの時代は免疫力、抵抗力、体力に劣る女子供、老人から順に死んでいく。栄養失調、疫病、そしてアラガミによってイロハの同世代、生きていれば今の「レイス」達位の年齢の子供達は一定の年齢に達する前に大半が命を落とす。

 

悲しくも優先的に生かさなければいけない次の世代を見捨て、働けるもの、動けるもの優先のジリ貧の現状維持をする他無かった彼女の難民キャンプが滅ぶのは時間の問題と言えた。

何人もの共に遊び、髪を梳かしあい、協力して生きていこうとした同じ難民のまだ幼い同姓の友人達が志半ばで命を散らしていくこの地獄はイロハにより誰よりも大切な家族―最愛の弟レンカを守ってあげなくちゃと言う気持ちを一層強くさせた。

 

 

 

「ん」

 

「…レイちゃん?」

 

「レイス」が綺麗に整えられた銀髪をイロハに髪を結わえてもらいながらも顔を上げ、病室のドアを見る。

 

「…帰ってきた」

 

病室に近付く足音、歩幅、微妙な歩行リズムで彼女は個人を特定できる。それを裏付けるように病室のドアが開く。『サクラ』、そして彼に付き添ったナルの二人であった。

 

「只今…あ…二人が世話になってるねイロハ」

 

入室した瞬間、室内の主に女性陣の和やかな空気を感じたのか入室時のほんの暫時、やや険しい顔をしていた「サクラ」が表情を綻ばせてイロハに礼を言う。

 

「え。いえ!!そんな!むしろ二人にはお世話になりっ放しで!」

 

「そう?ならいいんだけど」

 

病室に用意された椅子をノエルより手渡され、「ありがとう」と呟きながら『サクラ』はベッドの「三姉妹」の前に腰を下ろす。ナルはノエルの差し出した椅子を「大丈夫です。ノエル座って下さい」と断り、エノハの傍らに立つ。

同時空気を感じ取り、「レイス」が

 

「...。うん。有難うイロハさん」

 

イロハに綺麗に整え、結わえてもらった髪を満足そうに靡かせ「レイス」は背後のイロハに少しだけ振り返り、凛とした横目を向けて微笑んでお礼を言いつつベッドから降りる。同時彼女に同調し、その場にいた「ハイド」の全員が姿勢を正す。

 

―あ。「替わる」。

 

先程まで少し年下の可愛い兄弟たちの様だった彼女等が途端、雰囲気を切り変えた姿にイロハは「サクラ」達が普段どんな世界で生き抜いているかをひしひし感じ取る。

 

そもそもイロハが廃工場内でアラガミに取り囲まれ、レンカだけを逃がしたあの時、状況は一般人では全く以て対処不能、絶望的な状況であったはず。そこに現れ、喰われている最中の自分を救助、同時救命し、彼等が何事もなく生き残っている事、おまけにリーダー格の青年が本名を名乗れない事から鑑みても自然、イロハにも彼等の特殊性が垣間見える。

 

「…」

 

改めて彼等は違う世界の住人達なのだとイロハは痛感し、疎外感を覚える。おまけに両足を失い、満足に歩く事も出来ない自分の現在の姿がそれに拍車をかける。

でも。

 

―今はしっかりと気を持ちなさい。イロハ。

 

父と母が生きていればきっとそう言う。

 

「聞かせてくれますか…レンカ…私の弟がどうなったのか」

 

 

「ん。了解」

 

「サクラ」は背後に立ったナルから端末を受け取り、しっかりとイロハの目を優しく見据える。

 

 

 

 

「…結論から言うと空木 レンカ君…君の弟さんは君と別れた地点周辺数十キロ圏内に点在するフェンリル管轄の支部、サテライト支部を含めて今のところ保護、収容された形跡、報告はない」

 

「サクラ」は淀みなくそう言い切った。

 

「…」

 

イロハは何も言わず、「サクラ」から眼を逸らすことなく見開いたままじっと彼を見る。

 

瞬きは必要ない。溢れ出る涙が徐々に彼女の薄茶色の瞳の全体を滲ませていたからだ。

しかし情動を抑えている、初対面時の様に泣き喚いたりはしない。その姿に「サクラ」は満足そうにふっと笑い、こう続けた。

 

「…ただし、だ」

 

「え…?」

 

「その弟さん……レンカ君が君の言うとおりGEのパッチテストに受かっていたとすると情報が他の支部に開示されない場合があっても不思議じゃない」

 

「どういう、こと、ですか?」

 

「GEは万年人手不足でね。支部間で適合者の貸し借りなんて日常茶飯事だ。とりわけ適合率が高い候補者なんて喉から手が出るほど各支部は欲しがる。奪い合いになることだって珍しい事じゃない。こと小さい支部に於いては権限の強い支部に即貴重な適合者を引き抜かれることを殊更嫌う。だから適合者が見つかっても即GE登録や住民データ登録をしない場合がままあるのさ」

 

「それって…つまり」

 

「レンカ君は既にどこかの支部に秘密裏に保護されている可能性はある」

 

「…!」

 

つぅとイロハの頬に涙が伝う。少し「意味」が変った涙が。

 

「…ただ…フェンリル管轄外の元々フェンリル統治に対して反感を持ってる一部サテライト支部に彼が身を寄せたとなると少々厄介だな…。小さい支部以上に情報開示は期待できないし、適合者のレンカ君を食料や資材の交換などの交渉材料に使う可能性はある」

 

「!もしそうなら…レンカはどうなるんですか!!」

 

「交渉材料としては当然無事で『生きている』事が必須だから手厚く保護される事が殆どだ。それに君等は元々フェンリルの庇護のない『難民』出身者だから俺らみたいなフェンリルの保護下に居た人間に比べたらよっぽど間口は広く迎え入れてくれるだろう」

 

俺ら基本毛虫のように嫌われてるからな、と、「サクラ」は苦い顔をして笑い、

 

「交渉材料にもなる適合者な上、15歳の働き手としても将来有望な少年だ。キャパに余裕が無くても無碍にはしない、と俺は考えている。少々楽観的が過ぎるかもしれないが」

 

「…!!っ……!!」

 

「…確証が出来ない事に関しては申し訳ない。こればっかりはもう少し調べてみない事にはな…」

 

「いえっ…十分です……うううっ!」

 

気持ちの堰が外れたイロハは最早涙を止めることを出来ず、唇を引き結んで声が出ることをようやく押さえることしかできない。そんな彼女に

 

「まだ『良かったね』って言っていいのか解らないけど…大丈夫だよイロハさん。そもそも―」

 

「…レイちゃん?」

 

「イロハさんの覚悟、守ろうとしたあれ程の…まぁあんまり誉められた行為ではないんだけどさ」

 

「うっ…」

 

イロハがレンカに自分を見捨てさせるため行った彼女の自刃行為はためらい傷で終了―実のところ失敗だったりする。

 

うう。情けない姉さんを許して。

 

ず~~ん。

 

「あ。イロハちゃん凹んだ。『レイス』ぅ~~」

 

「あ、そのなんて言ったらいいか…その、要するに!」

 

「は、はい!?」

 

「そんな大事な人―家族の強い気持ちを目の前で見て、思い知って根性見せられない弟は見込みない。それぐらいにドンと構えてたらいいんじゃないかなって...思います」

 

はい!私の言いたい事はもう終わり!もう私ナマ言いません!批判は受け付けます!!

とでも言いたげに「レイス」は黙りこむ。

 

「レイちゃん…」

 

 

「…生きているさ。きっと」

 

 

「…はい!」

 

イロハは両目を指先で交互に拭い、微笑んでぺこりと頭を下げた。

 

 

 

 

彼等のそんな希望的観測は―

 

その実身を成していた。

 

空木 イロハの最愛の弟―空木 レンカは「サクラ」達の予想通りこの日より八日後、とあるフェンリル支部アーコロジーに現れ、同時その適合率の異常な高さによるGEとしてのその才能、そして母、父、最愛の姉によって培われたサバイバル力、強い意志と愛情、向上心を持ち合わせた彼はその存在、情報をGEとして一定の段階までに花開くまでかなり長い期間隠匿されることとなる。

 

 

「さて...イロハ。君の今後の身の振り方だけど」

 

「はい」

 

「こっちで弟さんの居場所がわかり次第連絡を取ろう。そして弟さんが保護されている支部でまた一緒に暮らせばいい」

 

GEの家族、親戚となれば当然優遇措置は強い。住居、配給、住居区画のランクも中堅クラスに達する。両足を失っている彼女であっても養うことは可能だろう。まぁその代わりGEとしての激務は生じるがそれでも装甲壁の外で生き延びてきた彼女達にとって比較的安息は保証される生活になることは間違いない。

 

『サクラ』達は当然その様に考えていた。しかし―

 

「いいえ。それは無理ですね」

 

彼女は明確に否定する。苦笑いを交えて。その表情は明らかにその事実を受け入れ、覚悟していたものであった。

意外さに言葉を失う「ハイド」一行に彼女はまた微笑み、こう続けた。

 

「私達は...血が繋がっていないんです。あの子は...レンカは捨て子だったんです。こんなにちっちゃな赤ん坊の頃にですよ?」

 

手振りを交え、イロハはその事実を眉をひそめながらも微笑みながら語る。その仕草には血縁のない弟に対する本当の姉弟、家族以上といって差し支えないほどの慈愛に満ち溢れていた。

 

明日をも知れぬ地獄のなかで成長していく弟の記憶を反芻する。初めてレンカに触れた時、レンカが笑った時、歩いた時、話した時、泣いた時、守ろうとしてくれた時...。

イロハ、彼女の父、母そしてレンカ―空木家は「家族」としての全てを兼ね備えていた。愛と慈しみ、労り、優しさそして厳しさを。

 

ただそこに「血縁」だけがポッカリない。

 

しかしこの時代においてはそれがすべてだ。他の全てを差し引いても血縁さえ存在していれば受け入れられる。「余計なもの」はいらない。

 

「本当の家族でなければ...血縁がなければフェンリルの支部には入れないんですよね?いえ...レンカとは一緒に居られないんですよね?だから私達は幼少の頃既にパッチテストに合格していたレンカを...手放せなかった」

 

彼ら姉弟、そして空木家は数年前既にGEであり、各支部、難民キャンプなどを点々と渡り歩いていた現極東支部所属隊員―雨宮リンドウと邂逅している。その際、彼から手渡された神機適正のパッチテストシートに幼少時のレンカから陽性反応が出たのである。

陽性反応が出たとはいえ神機使いとして即機能するわけではない。元々GE自体十代後半から二十代後半が適正期間と言われる仕事だ。かつて「適性があったもの」―つまり30、40代であっても陽性反応は出るときは出る。それを手当たり次第フェンリルは家族ごと招き入れる。その反応が出た人間の血縁者、兄弟若しくはその人間がこれから生む子孫に適性が遺伝する可能性があるからだ。兄エリック、そしてこれから適性が見出だされ、兄に続いてGEとなる妹エリナのフォーゲルヴァイデ兄妹がいい例である。GEの適性は遺伝性が強い。

しかし、当然レンカの義理の姉イロハは血縁がない。彼女自身も三歳の頃受けたパッチテストで陰性反応だ。「家族」だと言い張ってもDNA検査―試験管の中で否定される。ここでは生まれ持ったものがすべて。彼女達は引き離される。装甲壁の中と外へ。本質的にはこれ以上なく繋がった「家族」でありながら。

 

「私達はレンカと離れたくなかった...大事な家族だったから...」

 

そこに打算は無かった。前述のようにGEの資質を傘にあわよくば交渉材料にしようだとか、利用しようとも考えなかった。そもそも空木家がレンカを保護し、家族として迎え入れたのは彼のGEとしての適性が判明するずっと前だ。打算など発生しようもない。そしてそれは適性が判明した後も同様であった。

 

いや―

 

「打算」は無くとも「変化」はあったか。

この非情な世界を生き残る力、そして同時に他者を守れる力、この世界を変えていく、覆す可能性を秘めた血縁のない、しかし大事な家族であるレンカを優先的に生かそうとするレンカを除く空木家、母、父、そして娘イロハの中で暗黙の了解が生まれた。

 

そして事実、全員がそれに殉じた。この時代に滑稽、愚直とも言えるほどの真っ直ぐすぎる行動である。

 

その結果生き残ったのは両足を失った失意のイロハだけ。そして彼女にはもう

 

 

帰る場所もない。

 

 

 

「バッカじゃねぇの...」

 

思わずリグはそう言い捨てた。しかし、「馬鹿だ」とは思うがバカにはしていない―そんな口調。空木家と違ってリグの母はクソだったが、彼が喪った最愛の姉が最期にリグを生かそうとした行為がイロハ達親子の行動と重なっていた。リグは誰よりも今、どこにいるか解らないイロハの弟―レンカの気持ちが解る故にこう言い捨てる。残された、そして生かされた人間の思いが誰よりも解る故に。

 

「そうだね。そうかもしれないね?うん、きっとそう。君の言う通り。リグ君。...リッ君でいい?」

 

イロハもまた同調し、眉をひそめながら笑う。

 

「…ヘンな名前で呼ぶな」

 

リグはようやくそう言うことしか出来なかった。

 

 

一方―

 

歴として血の繋がりがあった家族を自ら壊し、捨てたアナンがいつもと違った能面のような無表情でこう思った。

 

―...何かヘン。何かヤダな。私みたいな人間にはやっぱりこういうのよく...わかんないや。

 

 

 




これからの自分の事はこれから自分で考えます。

あ~私安心したらちょっと眠くなっちゃいました…。

そのイロハの言葉でその場は散会となった。

安心して眠るイロハの姿を眺め、「サクラ」は「レイス」、アナンを残る様に命じ、部屋を後にしようと立ち上がる。しかし暫くリグはイロハの寝顔を眺めた後、

「…」

じっと「サクラ」を見た。

「…」

「サクラ」もまた押し黙ってリグを眺めた後、結局女子二人を残したまま病室を一行は後にする。

その後イロハの様子に特に変わりは無かった。前向きにこれから自分がどうするべきか何をすべきかを共に「レイス」達に語り合いながら笑っていた。体調も上向き、食欲もある。

「あははははは!」

年頃の女の子らしい笑顔が眩しい。彼女の今までの人生は大半喪うだけの人生だった。それを取り戻すように彼女は笑う。




そうやって彼女は「潮時」を待っていた。

「レイス」、アナンの二人が彼女の下を離れ、「一人」になる瞬間を。それは二日後に訪れた。

「…」

無言のままイロハは外を眺める。「高さ」は十分。

ずり、ずり

―重い。なんて思い通りにならない体だろう。こんな時代にこんな足手まといになっちゃった。ハハ。

支えが無ければ這いずるのも一苦労。所詮女の細腕、おまけに長い期間眠っていた体は鈍りに鈍って自分の体じゃないみたい。

―こんなんじゃレンカにはもう会いに行けない。探しに行く為の歩く両足もない。適性もない。

所詮本当の家族じゃない私。

例え出会った所で何が出来るの?これから未来のために戦うあの子に余計な負担をかけて足をひっぱるだけ。

ようやくあの子は足手纏いの私を見捨て、本当に花を咲かせるために、自分自身の本懐を達する為に歩き出したんだ。

―少年強さってのは何のためにあると思う?

「そりゃあ皆を守るためさ!!」

そう。
リンドウさんの質問にあの子は真っ直ぐこう答えた。

その「守る者」の中にもう私は居る必要はない。私はあの子の中ではもう死んだ存在。
負担は少ない方がいい。このままでいいんだ。

お母さん、お父さん?

待ってて?

今はもどかしいぐらい言う事を利かない体だけど何とかして今からそっちに行くから。

「うっ…はぁ……はぁ……」

窓枠に両手をかけるだけで息が切れる。芋虫みたいだ。滑稽極まりないけど我慢我慢。
もう少しの辛抱じゃない。

うん。

晴れてよかった。

病院の前に早速ある黒い装甲壁で壁の向こう側は見えないけど、私が今から堕ちる先はどうにか日が差してるし、味気ないけど草や木が生えてる。少しは綺麗なまま終われるかな。
少なくともアラガミに喰い尽されるよりはよっぽどいい。

「サクラ」さん、レイちゃん、アナちゃん、ノエル君、リッ君、ナルフさん。
本当にありがとうございました。もうこれ以上迷惑をかけたくありません。
私にだって解ります。貴方達が何か大事な目的の為に歩いている人たちだと言うことも。そしていつまでも私なんかに構ってはいられない人達だと言う事も。

最初から最後まで、何から何まで迷惑をかけて本当にごめんなさい。

最期に会えた人達が貴方達の様な人で本当に良かった。


イロハは眼下を見る。六階ほどの建物、頭から落ちれば今度こそ死に損う事は無いだろう。茶色い髪を垂らし、少し笑い、そして祈る。

救命の余地なく、見た瞬間諦められるように終わる事を。

「救い」を求める者にはこの世は例外なく厳しいが「諦める」「捨てる」「逃げる」者に関してはこの世界は寛容だ。常にその落とし穴がぽっかり甘美なほどに口を開けている。今はそれに身を任せ堕ちてしまえばいい。

「んっ……!はぁ…ハァ…」

ようやく辿りついた。つっかえた胸をようやく窓枠から上に追いやり、上半身の半分が外に出る。もう足の無い自分にはこの姿勢から病室内に戻る事はほぼ不可能。だったら進もう。

目を閉じる。

少女の瞼の裏には映る。

大好きだった両親、出会った人たち、最期に希望をくれた人達である「ハイド」のメンバー

そして当然最後に

「あの子」の姿が映る。

―皆、レンカ有難う。

本当に。ほんとうにあり―


ぶちん


彼女の体をようやく窓枠に繋ぎとめていた胸から二つ程下のパジャマのボタンが外れ、彼女の体は彼女の意思より少し早く堕ち始める。死神とはとかくせっかちなものだ。

―あはは。

最後まで思い通りにならないこの世界に諦めの笑みを浮かべ、少女は堕ちていく。












「逃げるの?」









が、




くん!!!




―え…?


急速に落下の速度を上げ、真っ逆さまに堕ちていくはずの彼女の体がまるで引っかかったように大きく揺れながら止まる。


―なんで?なんで!?


空を飛んでいる。翼はおろか、両の足も無い自分が空に浮いている。何の支えもなく。

しかし重力は、死神は相も変わらず彼女を確かに連れて行こうとしている。地の底へ。
栗色の結わえた髪は真っ逆さまに地に引っ張られている。彼女の中を流れる血もどんどん吸い上げられるように頭の方向へ。
しかしそんな者より遥かに強い力が、強い「想い」が今彼女の体を支えている。微塵の逡巡もなく。


「……?」

その「力」の強さにイロハは恨めしそうに振り返る。もういい。もういいんだと言いたげに。光を喪った茶色の瞳に涙を浮かべて。

しかし―


「あれ?」

少し瞳の奥に光が戻ると同時にイロハは目を丸めた。

―…だぁれもいない?

え?

え?





怖い。




死を覚悟し、心を恐怖から引き離したはずの彼女に生まれた純粋なその感情が一気に彼女の感覚を「生」「現実」に呼びもどす。同時、

―こ、ここ、高い!怖い!

心霊現象の如き背後の光景と眼下に広がる絶死の光景、その逃げ場のない板挟みで

じたばたじたばた!

彼女の感情が目を覚ます。





「きゃあああああああ~~~~」





「動くなって」

背後からぶっきらぼうな声がする。

「へ!?」

イロハは振り返る。

しかしそこには更に恐ろしい光景が。

ぐぐぐっ

うっすらと透明な手だけがしっかりとイロハの病室着の背中部分を掴んでいた。

「いっ…」





「嫌ぁああああああああ!!!」

―見た。

見ちゃった。

何よう!何なのよう!

なんで今から死ぬって時にこんな怖い心霊体験させんのよう!趣味が悪いにも程があるよ!神様!!そんなに私が嫌いですか!?祈らない私がそんなに恨めしいですか!?



「お、落ち着けって!今『見える』ようにすっから!!」


―いやぁ!!止めて!見たくないですぅ!!離してぇ!!




「離してぇ!!もう死なせてぇっ!!」




「ちっ…いい加減にしろよ!?イロハさん!!イロハねぇちゃん!!」





姉さん!!!





「えっ…」





イロハの動きが止まる。背後の声に少女は重ねた。誰よりも愛しい弟の声と似た声に。

イロハは涙目のまま、振り返る。冷静さを取り戻した目で。背後の光景はまだ相も変わらず心霊現象の如き光景、透明な空間に彼女を掴む手が僅かにうっすら浮かぶだけ。
しかしイロハの動きが止まったことでその手が心なしほっとしたように軽く上下した感覚がある。


「ゆっくり、そのままこっちを見てて…イロハねえちゃん」


「その声…ひょっとして」


まだ声変わりをして間もない。大人になり切れていない年齢の男の子の声。弟と同じで少し生意気盛りのせいか口数は少ないけど実は彼が喋るたび、イロハは少し弟を感じ、重ねていた。年齢は近くとも性格は二人とも随分違うのに。


「リッ……君?」


そのイロハの言葉と同時、彼女を掴んでいた右手から一気に色がついていく。人の形に。室内でも帽子を被ったスカした生意気そうな少年の不機嫌そうな顔に。


二日前

一行が病室を後にする直前―

リグはじっと見ていた。「サクラ」の顔を。「サクラ」もまたリグを見る。そしてチラリと一瞬イロハからの視線が離れた二人の女性陣「レイス」、アナンに目配せする。
一瞬のアイコンタクト―

「サクラ」は了承する。そして軽くイロハを指差し、リグを見て強くうなずいた。


―任せた。彼女から目を離すな。


この二日間、リグは気配を消して「レイス」、アナンと共にずっとイロハの傍に居た。
年頃の男の子にはきついシチュエーションである。うっかり「粗相」でもすれば今後アナンに何言われるか解らない。

「ストーカー」。「覗き魔」。「変態」。「むっつリグ」あたりか。




それでも。

もう一度あんな「思い」をするぐらいなら甘んじて受け入れてやる。

俺はただ。

生きてほしいんだ。

この人に。




「『リッ君』言うなっつってんだろ…」


ぎりりと奥歯を噛みしめながらリグはそう呟く。
危ない所だった。この二日まともに寝られなかったせいか反応が遅れた。




「リッ君…」

「無視かい!」

「幽霊だったんだね…」

「落とすぞ」

「落と…?落とす!?ちょっ!ちょっと待って!邪魔されたせいで心の準備が!!」

再びイロハ暴れ出す。意外に結構パニック症候群な所がある少女。そのせいで。


ぶちん。


「あ」


「私がもう一度覚悟完了出来るまでそのままで!リッ君!!お願い!!」

ズレた要望を始めたイロハがリグに懇願する中、

「……?」

イロハは怪訝な顔をする。リグがしっかりとイロハを掴みながらも目を逸らしているのだ。その横顔は


―…やっぱりおんなじ位の年頃の男の子だね。

今のリグはレンカの照れた時、妬いている時の態度、仕草によく似ていた。照れた時耳まで赤く染まる所までそっくり。

可愛い。

でもその原因は?なんで今―

「イロハねぇちゃん……」

「ん?」

「その……はだけてる」

「え…?」


イロハの病室着、すでにボタン内二つはドロップアウトしている。それなりに発育の良い少女―イロハの上半身は


「いやあああああああぁあああ!!」


…この叫び声で察してあげてほしい。





「嫌ぁ!!もう最悪!!もう下ろしてぇ!!落としてぇ!!」

違う意味で死にたい。

「ん!…解った。もう下ろすよ…」

「え」

「『準備』できたみたいだし」


ぱっ


リグは何の躊躇いもなくあっさり少女の体から手を離した。はだけた上半身を覆い隠し、「見ちゃったの!?見たの!?レンカにもまだ見せた事無いのに!」とリグを非難の目で見ていたイロハは直後驚愕の表情で急速に離れていくリグの顔を唖然と見ていた。


「えええええええ!?」


あまりの展開のジェットコースターさに最早少女の理解は追い付かない。
急速に迫る背後の地上でイロハはこんな声を聞いた。

「…リグって美味しい立場してんな~女の私らじゃあそこまでの恥じらい、イロハちゃんしてくんなかったし」

「アンタも大概変態だね」

「褒め言葉ですな」


ぼすん!!


「ハッ……!ハッ…!」

仰向けのまま過呼吸に陥りそうな細かい呼吸を紡ぎ、涙目を目一杯見開きながらイロハはまだ自分が生きている事をありありと実感出来るこの現実の世界の抜けるほどの青空を見上げる。

暫く呆けるように眺めていると―

視界に可憐で可愛い銀髪の死神がイロハの目の前にひょっこり現れた。そのオリーブの瞳がこう語る。


―「私は」連れてなんかいかないよ。ただ私は傍に居るだけ。


「イロハさん。おはよ」



「っ……くっ……」

口元がふるふると歪む。悲しくて、辛くて、苦しくて、情けなくて。
でも優しくて、嬉しくて、温かくて。

イロハはその細い少女の身体に組みつき、もう一度力強くわんわんと泣いた。











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地獄で何が悪い 3

「…」

 

「さて…甘いカオは御終い。そこに直りなさいイロハさん」

 

私は今、「レイス」―レイちゃんに飛び降りた際、私を受け止めたクッションの上で正座をさせられている。

…厳密に言うと「正座」は出来ないんだけど。

 

何せ足がコレなもんで。あはは。

 

…泣いちゃっていいですか?

 

「暫く泣かない方がいいよ。私の堪忍袋の緒が切れるから」

 

―泣いて済むことはこの世には少ないよ。

 

そうレイちゃんの瞳が語っている。さっきまで泣き喚く私を抱きしめ、優しく微笑んでいてくれていた女の子が凄い変り様だ。

 

ひぃ。

 

予想できた事とはいえ私の自殺の決行はレイちゃんをか~なり怒らせているらしい。

足元のクッションにはアナン―アナちゃんが書いたと思われる

 

「少女が空から降ってきた」

 

という文字が躍っている。同時、

 

「間抜けは見つかったようだな→(矢印私の方向)」

 

「ビッチ→略」

 

「ブラコン→略」

 

と、様々な罵詈雑言が書き連ねられている。そんな上に私は座らされている状態だ。

 

要するに。

それほど私は彼女達の想いや行為に反する最低の背信行為をしたと言うこと。これは紛れもない事実。

 

よって私は正直に語る。嘘偽りなく。助かった命を再び自ら終わらせようと言う考えに至った経緯を。

 

自分の存在がこれからも間違いなく弟の足手まといになる事。

「サクラ」さん達にもこれからも多大な迷惑をかける事。

健康、五体満足でも生き残ることが困難なこんな時代に難民出身、家族無し、宿無し、適性なし…両足無しの私を受け入れてくれる場所など無い事。

 

これもまた否定できない事実なのだ。そんな事レイちゃん達も百も承知だろう。

 

だから私はこう言う。愚かであろうと言うしかない。

 

かつてお母さんが自分と同じ流行り病に罹ったレンカを前にし、一本しかない治療薬をレンカに打つ様に私に指示した時の様に。

これから多くの事を成す可能性のある方―者を優先的に生かし、片方を見捨てる。それが例え自分自身が見捨てられる側だとしても。

 

 

 

「お願いレイちゃん。私を…見捨てて」

 

 

泣いてないよ。笑って言ったよ。怒らないでね?レイちゃん。

 

 

 

「わかった…」

 

 

そう。レイちゃん。きっと貴方は私なんかよりずっと頭がいい。解らないはずが無いもんね。

 

 

 

 

 

 

 

「そのかわり」

 

 

「…?」

 

 

「アナン?」

パチン―

 

「レイス」が唐突に指を弾く。

 

「はいな」

 

すると「待ってました」と言いたげにアナンが彼女用の携帯端末を徐に取り出し構える。何かを「めくっている」。訝しげなイロハを尻目にどこか楽しそうに笑みを浮かべて。

 

―…アレは悪い事を考えている時のアナンの顔だな。

 

ずざっ!!

 

実に地上六階、イロハの入院していた病室から何の躊躇いもなく飛び降りたリグが難なくイロハの後ろに着地しながらそう思う。

 

「わ!リッ君…」

 

「もう決定なのねそれ…」

 

「ふふっ…諦めて?」

 

「ヘンなとこ譲らないよね。イロハねぇ……!んんっ!!イロハさんて」

 

「君に言われたくありません♪」

 

気持ちは沈んでいるものの、どこか女の子らしい強かな笑みを浮かべてイロハは微笑む。

 

「…俺はともかく」

 

「うんっ?」

 

「この二人は手強えぇぞ。俺よりよっぽどえげつないからな」

 

―覚悟しとけよ?

 

 

そう言ってリグは一歩下がる。腕を組み、病院の外壁に背中をもたれかける。イロハの頭の上から「?」が消えないまま怪訝な顔をしてリグを見ていると

 

 

「こほん。では…空木 イロハさん」

 

「はい…?」

 

やけに他人行儀なまま「レイス」はこう続けた。

 

 

「この二十日間、貴方の救出、救命救助、医療薬、食事、衣類、入院に擁した全費用を今から算出しますのでしばしお待ちを」

 

 

 

「…へ?」

 

 

イロハは一つ忘れている。自分が家族無し、宿無し、適性なし、両足無しだけでなく―

 

「文無し」である事を。

 

「レイス」、アナンの二人―「ハイド」の自殺阻止交渉は脅迫、金の無心から始まる。

 

 

 

「まず私達の『出動費用』に関しては完全な偶然の遭遇だったので多めにみましょう。え~っとまずイロハさんの止血の為に擁した止血剤、包帯、ガーゼの費用から」

 

「はいはい♪」

 

ぽちぽち

 

アナンの手が動き出す。…意外に桁数が多い。お疑いの方もいるかもしれないが一応ぼったくりではない。アナンは正当な医療報酬を割り出している。

しかしこの時代当~然保険など利かない。100パーセント患者が自己負担である。

 

「次にイロハさんを車両に運んでからの応急処置に(?)型の輸血パック、強心剤を使用。あと患部の消毒の為の消毒液、傷口に残留したアラガミのオラクル細胞の除去…」

 

「おお♪ついつい忘れがちな所をちゃんと覚えてるね。金に汚い子は嫌いじゃないよ」

 

ぽちぽち

 

「搬送後、救命チーム五人による施術費用、あ、ここでイロハさんの心臓が一旦止まりかけたからまた強心剤、その他薬剤追加投与、結局イロハさんの容態が安定状態になるまで計―(略)」

 

「おお~危険な状態だったんですね~救命チームの苦労が垣間見えますよ」

 

ぽちぽち

 

「施術後、集中治療室に三日、容態が安定した後このまだ開業してないフェンリル付属病院に移送して十三日間の特別個室入院、食事、意識が回復するまでの一日二回の点滴の費用、私達二人の看護サービス代は……まぁおまけしとこう」

 

「『ナースなお仕事』の傍らイロハちゃんで色々楽しんだしね~そこはサービス、サービスぅ♪」

 

ぽちぽち

 

「…」

 

―…アリガトウゴザイマス。

 

 

「…大体こんなとこかな?」

 

「ちょっとお待ちなさい!『レイス』さん」

 

アナンがびしっと手で「レイス」を制す。おまいさん…何か大切なモンをお忘れではねぇですかい?

 

「ん?あれ…私何か忘れてた?」

 

「ちっちっちっ忘れてるよ~?『イロハちゃんの入院期間中、リグとノエルがイロハちゃんに夢中でアナンちゃんに構ってくれなかった事によるアナンちゃんの心的外傷に対する慰謝料』!!」

 

「あ。それはタダで」

 

「がっくし~!!」

 

―+ゼロ…くすん…。

 

ポチ…

 

「ぶっ!!?アナン!おめー適当な事言ってんじゃねぇ!!」

 

「よく言うよ。眠っているイロハちゃんが心配で用も無いのにひょこひょこひよこみたいに病室に顔出してきた癖に!このむっつリグ!!」

 

 

お約束を始めるリグとアナンを無視し、「レイス」はいつも通り淡々と職務をこなす。

 

…計算終了。

 

 

「…占めて218万とんで92fcを請求いたします。火急的速やかに納めてください」

 

 

チャキーン!

 

 

「…」

 

イロハは気付く。眠っている間に自分がいつの間にか多重債務者になっていることを。

 

「払えないよね…」

 

「…(こくん)」

 

放心状態のままイロハは機械的に頷く。

 

 

「だからせめて死ぬにしてもこの承諾書にサインしてほしいの。イロハさんが死んだ後残った角膜、骨髄、血液、内臓すべての処遇を私らに一任する事。それで出来るだけ死ぬならそれらを傷つけずに逝ってもらわないと困るの。私ら債務回収が出来ないから」

 

「レイス」の携帯端末の画面に「同意書」らしき事務的な文面が羅列している。事務的だが内容は中々にエグイ。「レイス」がモノホンの死神にイロハには見えて来た。

 

「でもね~それでもね~…残念ながらマイナスなんだよイロハちゃん」

 

アナンが腕を組んで困った顔をし目を閉じる。そして容赦なくイロハに追い討ちをかける。

 

「何せ今こんなご時世じゃん?人の『命』ってやっすいんだよね。血液、内臓や角膜のドナー提供ビジネスのニーズ自体減ってるんよ。摘出費用や保管費用やらもタダじゃないし、適合したとしても手術費用、移植費用が払える人間なんて今の時代ほんの一部の特権階級、貴族くらいだし。そのマイナス分の補填をどうするかなんだけど…」

 

アナンが目を開く。そして悪戯なエメラルドの瞳でイロハの体を舐め回すように見て妖しくにやりと笑う。

 

ぞく。

 

イロハに悪寒走る。そして次のアナンの一言に

 

 

「イロハちゃんって処女?」

 

 

「……えっぇっえええええ!?」

 

イロハ震撼。

 

「その反応は処女だね!!おお!希望が見えて来た!イロハちゃん美人だしその上『初物』と来れば好き者の貴族がこぞって喰い付くよ!債務を吹き飛ばして下手すりゃお釣がくるレベル!!おまけに『身体欠損フェチ』とかの変態が居ればさらにお値段が吊り上がるかも!」

 

 

―なぁに「痛い」のはほんの一瞬!!ひょっとしたらその道に目覚める可能性だってあるさ!

 

と、アナンが続けようとするがそこに

 

 

 

 

「アナちゃん」

 

イロハ割り込む。

 

「はい?」

 

 

「私死にます。殺して下さい。今すぐに」

 

 

イロハの瞳が彼女が虫の息だった救助時並に光を喪っている。

 

 

ずずず~ん

 

 

―バッカ!!逆効果じゃない!

 

―ご、ごっめ~~ん。

 

―こんな席にまで「生」癖出すんじゃねぇ!!

 

交渉を余計で下品な裏ビジネスの紹介によって話をややこしくしたアナンをげしげしと「レイス」、リグの二人が蹴る。

 

そう。一応「レイス」、アナン、リグの三人は自殺を止めようとしているのだ。

そもそもイロハ自身が迷惑をかけた相手に対して少しでも恩義を返そうとする律儀な子である事は短い付き合いだが「ハイド」の全員が理解している。

その上でのイロハの結論が「いち早く自分という存在を無くす事、面倒事、迷惑だけを残すであろう自分が居なくなる事」であった。しかし両足を喪っている自分には彼等に行方を知られずに去る事など不可能に近い。だから彼女は一番手っ取り早い自殺と言う方法を選んだ。

 

この金の無心による自殺阻止交渉は空木 イロハと言う娘が優しく、義理堅い性格でないと成立しない。その点ではこの交渉は成功している。イロハは自分の責務を改めて知って自殺という極端な道に走る事を一時的には思い止まるであろう。

ただそれが主にアナンのせいで少々ややこしくなったが。

 

 

「お前ら…なんて説得の仕方してんだ…」

 

 

おいおい、と言いたげな呆れたような声が困り果てた一行の背後で響く。

 

「…!」

 

その声に反応し、どん底に沈んでいたイロハの瞳にやや光が戻る。そして同時に後ろめたい、恥ずかしい、何とも言えない感情がイロハの感情を動かす。

 

その声の主―「サクラ」が後ろにノエルを引き連れ、頭を掻きながら歩いてくる。

「いや~はは~」と、一緒に頭をかくアナンと無言のまま居心地悪そうに腕を組み、溜息をつくリグ、そして「…取りあえず見ての通り」と言いたげに目線のみで「サクラ」とノエルの二人に現状を説明した後、「お帰り」と「レイス」は呟いた。

 

あまり予想通りにはなって欲しくないことではあった。が、「やはりこうなったか」と「サクラ」は複雑な感情に包まれながら歩み寄る。

 

俯いたまま顔を上げない少女―イロハの前へ。

 

「……イロハ」

 

「…『サクラ』さん。そしてレイちゃん、アナちゃん、リッ君、ノエル君。皆本当にごめんなさい。でもどうか…どうか…最後の私の頼みを聞いて下さいませんか…?」

 

イロハは他人みたいに頭を下げ、冷静な口調を保ったまま淡々と言葉を紡ぐ。言い淀みは無い。その場に居る「ハイド」全員が聞き取れるほどの声量。

しかし何故か掻き消えてしまいそうなほどの消え入りそうな声に彼らには聞こえた。

 

「…それは?」

 

「私を見捨ててくださいっ…死なせて下さい!!その後は…その後はどうして頂いても構いません。私にあるのはもうこの体くらいです…他に何もっ!何もありませんからっ…!!」

 

自分の存在自体へのあまりの忌々しさがイロハを包み込み、最早怒りにも似た表情でイロハは目の前の「サクラ」を見据えた。

 

「それでも『足りない』と言うのならアナちゃんが言った通り、少しでも生きてる内にお金を返せる、貴方達に何かを返せる方法があるのなら何でもやりますっ!!どうぞお好きなようにして下さい!」

 

 

 

「お願いです……っもう…ほっといて…」

 

―貴方達の優しさが…辛いんです。苦しいんです。

 

 

 

 

 

「言ったな…?」

 

―…?

 

「言ったなイロハ?『生きている内にお金を返す、貴方達に何かを返せる方法が在るのなら何でもやる』……君はそう言ったな?」

 

 

「…『サクラ』さん…?」

 

「払ってもらうぞ。耳をそろえて。代金は治療費、そして足りない分は君の人生を少し貰う」

 

「…え?」

 

「『君が生き残り、自分の力で生きのびて弟さんを探し、再会する事』、それを君に俺は要求する。代金としてね。それが出来たらその後は好きにしたらいい」

 

 

―何を…「サクラ」さんは一体何を言っているんだろう?

 

イロハは茫然と目を見開いたまま「サクラ」を見る。今のイロハにとって世迷言としか取れない言葉を語り続ける彼の目は澄んでいた。本気だった。

 

「イロハ?撤回は認めないよ。契約成立だ」

 

強引に商談を成立させた「サクラ」は「レイス」の端末に映っていた内臓取引に関しての同意書を消去する。

 

「契約に大事なのは書面は当然。だけど同時にお互い顔突き合わせて契約相手と握手を交わす事も大事だ。さぁ手を出せイロハ!!」

 

「サクラ」は右手を出す。イロハはもうワケが解らないまま言われるがままに手を差し出す他無かった。「契約」という行為の際は絶対陥ってはいけない危険な精神状態と言える。しかしイロハは―

 

―この人なら…この人達なら。

 

ぎゅ

 

「サクラ」の手を握る。温かい。温かい気持ちが流れ込んでくる―

 

 

―…あ、あれ?

 

 

おかしい冷たい。まるで死人のように冷たい。冷え性にしても程がある。

「手ぇ冷たい~。足ぱんぱん…」と、世の女性が悩まされる症状を遥か凌駕する冷たさ―

 

 

すぽっ

 

 

「…え?」

 

 

「え」

 

 

「サクラ」の腕が

 

 

「抜けた」。

 

 

 

「うっ…」

 

 

「え。サクラ、さん……?」

 

 

「サクラ」の腕を「ひきちぎった」イロハはぷら~んと垂れ下がる「サクラ」の腕を片手に目を点にする。脳の処理が追い付かない。

 

 

 

 

「うっ……ぎゃああああああああ!!」

 

 

「え?え!?えええぇぇぇっっ!?」

 

 

―ひと~つ。ふた~つ。

 

 

 

「いてぇえええええええええ!!!!」

 

 

「あ、あ、あ、あ、さ、さささサクラさん、そ、そ、その」

 

 

―み~っつ。よ~っつ。

 

 

「お、俺の腕ぇ!!!イ、イロハ!!てめえええええぇえぇ!!!」

 

 

「う、う、う、あ、ああああああ!!!ご、ご、めんなさ…い、い、い

 

 

 

 

嫌あぁぁぁあああああああああっ!!!!」←(〇図 〇ずお風タッチ)

 

 

―いつ~つ。む~っつ

 

 

「ぐああああああ!!いてぇよおおおおおお」

 

 

「……きゅう」

 

 

―…にゃにゃ~~~つ。

 

 

「……。ハイ落ちた~」

 

 

コテンと横倒れになり、意識を喪ったイロハを見て、ケロリと痛がる素振りを止めた「サクラ」は

 

「よいしょっと…とりあえず全員で一旦病室に戻ろう」

 

違う意味で「落とした」イロハを抱きかかえる。その仕打ちに「ハイド」の少年少女たちは全員絶句していた。

 

「さ、サク、いや。その。エノハさん?」

 

ようやく口を開いた「レイス」が呼び名を切り替えてエノハを呼びとめる。

 

「うん?」

 

「エノハさんも相っっっ当えげつないね」

 

「ふん。何も言わずにただ居なくなろうとするなんて水臭い子にはこんな扱いで十分です!」

 

ぷんすか!ぷんすか!

 

レアがリグやアナンを叱る際の口調の真似をしながらエノハはそう言った。どうやらそれなりに怒っているらしい。

 

「あと」

 

「?」

 

「最近こういうことすると妙に体調が良くなったりするんだよね。はぁ~~なんかちょっとスッキリした」

 

肩をコキコキしながら憑き物が落ちたような清々しい顔をエノハは浮かべる。

 

「「「「…」」」」」

 

―…恐ろしい!

 

ハイド・チルドレン一同戦慄。

 

「~~♪…っと」

 

鼻歌交じりにエノハは歩き出すか否かの段階で思い出したように振り返り、イロハが先程まで持っており、今は地面に落ちている「冷たい右腕」を拾い直す。

 

…彼の「右腕」で。

 

 

 

「まぁ―

 

 

 

 

『コイツ』がイロハの『希望』になってくれるかもしれんないんだ。これぐらいの仕打ち、お仕置きぐらいは勘弁してもらおう」

 

 

ニッ!

 

 

エノハは強気に笑う。?マークが未だ抜けない「レイス」達自殺阻止班が顔を見合わせる中、

 

「…病室に戻ったら僕が説明するよ」

 

今日エノハと「何処か」へ同行していたノエルが彼の専用携帯端末を手に訝しげな他三人を病室へと促す。

 

ノエルにもいかにも「何か収穫があった」と言う顔色が残っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




「成程ね…だいたい話は解ったわ」

紅い髪、そして美しいコーンフラワーブルーの瞳に少し憂いを含ませ、エノハから事の顛末全てを聞いた美女―レア・クラウディウスは腕を組み直して豊満なバストを押し上げながら呟いた。

「結論は?」

「正直今の所どうとも言えないわ。何せ『貴方の時』とは事情も状況も違うわ。彼女―その…空木 イロハさん?だったかしら?まず彼女の場合、既に現状両足が全く無い状態、つまり彼女が健常だった時の両足のデータが全くない。それと貴方の場合の―」


言葉と同時、レアは指差す。その矛先は―エノハの右腕であった。



「貴方の…極東支部所属榎葉 山女の『死の偽装』の為に貴方の細胞を素体に右腕の構造、骨密度、神経組織、爪の形から黒子の位置に至るまで全てをデータ化してトレースする事が出来、限りなく本物に近い状態に出来たあの―



『レプリカ』とは違うもの」






極東支部外秘ノルンの特秘ページに掲載されている榎葉 山女の「死亡の根拠」とされたエノハの遺された右腕―その正体こそレアの言う

彼の細胞、血液サンプル、そして極秘裏に入手、収集していたエノハの右腕の緻密なデータを素に培養、製造された人体の一部―「レプリカ」であった。

これによって彼女はこのノルンの特秘ページを纏めた雨宮ツバキを。

そして世界的科学者である極東支部支部長―ペイラー榊すらも

欺いた。








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地獄で何が悪い 4

「レプリカ」

 

要するに「再生医療」の一つの行きつく先である。

かつて地球上に生息していた爬虫類―トカゲが切れた尻尾を一定期間の内に再生させる様に人体の本来は「再生しえないもの」、臓器や手足など人体の修復機能では限界のある部位を体外で培養、製造し、欠損した場所に新たに移植、機能回復を図るという元々アラガミ出現以前から世界中の科学者、医療関係者が研究に従事し、実現を目指していた注目度の高い一分野ではあった。

 

そもそもアラガミ出現以降―世界が混乱の坩堝に包まれた渦中で多くの多岐にわたっていた化学事業、開発事業等が見捨てられた中、ニーズを確立し、最も予算、時間をかけて促進された科学分野とは言うまでもなくバイオテクノロジー、遺伝子工学、細胞科学技術等の分野である。

 

世界を混沌の渦に巻き込んだ何よりの張本人―オラクル細胞の研究、そしてそれを利用した技術開発を急ピッチで進める中、それに類似性の高いこの再生医学、再生医療分野もまた完全に見捨てられることなく在る程度平行して研究開発が進められていた。

 

それが数十年に渡って続いた現在2060~70年代、二十一世紀当初、実現を嘱望されていた夢の技術は実用段階まであと一歩の所にまで達していた。

 

―しかし

 

 

「…その道の第一人者が研究を凍結…?」

 

「ええ。私はその方の研究資料、技術と知識を借りて秘密裏に貴方の右腕のレプリカ、そして貴方の血液を作った。貴方の死を偽装する為にね。だけど再生医療としてこの分野は今完全に研究、そして実用に向けてのアプローチ、プロジェクトは完全に凍結されているの」

 

「…?」

 

エノハの合点がいかない表情を見る事は無く、赤髪の美女―レア・クラウディウスははやや蒼い瞳を伏せ目がちに逸らしていた。どうやら彼女も納得がいかないらしい。

 

 

「…何故だ?このアラガミ隆盛のご時世でも決して軽視されるものじゃ…、いや、むしろ歓迎される技術の筈だろう?アラガミによって手足を喪う人なんてごまんといる。イロハだってそうだ。なのに…よりにもよって人を騙す為の『贋作』を作るぐらいにしか使われないのか…?こんな技術が」

 

そう言ってエノハは自分の右腕を見る。ここにある右腕。喪われていない右腕。ただ「要らない」もう「一個」を作られたオリジナルが。

アラガミによって家族を奪われ、命を脅かされ、生き残っても足や腕を喪った数多の人々にこの医療技術の庇護は届かず、ただエノハの健康な本来は必要のない腕が人を欺く為だけに生まれた。

 

「もっと他に使い道があるだろうが…」

 

「ええ。そうね。確かにバカらしい。でもこの世には…バカな話もまたごまんとあるのよ。……十年前の話よ。私がまだ十四歳のころね」

 

 

十年前―

 

とあるフェンリルの企業役員の一人息子がアラガミに襲撃され、かろうじて一命は取り留めたものの、両腕を喪う大けがを負った。彼は天才的なピアノの才能を有しており、将来は世界的なピアニストになる事を約束された「神童」と呼ばれる少年であった。が、当然両腕を喪った事でその道は断たれる事になる。

失意の息子を見かねたその企業役員である父親は何とかして彼に生きる希望、そしてまたピアノが弾けるように両腕を彼に与えてやりたかった。

 

「もう言わなくても解ると思うけど…そこでその父親が目をつけたのがこの実験段階で在った『レプリカ』プロジェクトだったワケ…彼の喪った腕を彼から頂いた細胞組織を素に培養し、彼の両腕を製造、それを移植手術したの」

 

「結果は失敗か…?」

 

話の流れからしてエノハはそう予想した。しかし意外にも―

 

「いいえ成功よ。完璧だった。彼の製造された両腕は施術後、拒絶反応もなく経過も順調、総合的に見てこの医療技術、プロジェクトが完璧に確立された瞬間だったわ」

 

―こんなひどい時代でも…その中で絶えず進み、受け継がれた技術、知識によって人類の夢がまた一つ叶った―そんな素晴らしい瞬間だったわ。

 

続けてレアはそう呟いた。

 

当時まだ幼い科学者、技術者を志したばかりの駆けだしの14歳の少女だったレアがその瞬間に立ち会えた時の感動を彼女は今でも覚えている。しかしそれ故にその後、その夢の技術に降りかかった理不尽な運命には感傷を禁じえない。

 

 

「一体何が問題だったんだ?」

 

「さっき言ったわよね?貴方のケースとその子―イロハさんのケースは『事情が違う』って。この役員の息子は謂わば『イロハさん側』。既に両腕を損失―オリジナルが喪われている状態だと言う事。つまるところ神によって作られた『人体』と言う奇跡の産物をオリジナルを素に完全『複製』できた貴方の場合と我々人間が行う神の真似事―『製造』というものの差よ。…残念ながら贋作は贋作だった」

 

レアはつかつかと歩き出す。苛立たしそうに。

 

「確かにその企業役員の息子の為に作られた両腕は『両腕』と言う機能は十分に果たしたわ。でも…神から与えられた彼のピアニストとしての才能は新しい両腕には宿らなかった。彼の新しい両腕は生物学的、遺伝子学的には確かに彼の両腕。でもオリジナルじゃない。神からの才能を元にデザインされた両腕では無く、人間のロジカルの中で生まれた彼の腕の様な『何か』でしかなかった」

 

「その末路は…?」

 

「彼の才能ゆえの生来の完璧主義は思い通りにならない新しい両腕に我慢ならなかった。周囲の制止を振り切ってがむしゃらにピアノを弾き続けた。結果無理がたたり、彼の新しい腕は過負荷に耐えられず壊死を始め腐っていった。彼のいら立ち、焦り、絶望を繁栄するようにね」

 

彼の腐った新しい両腕は再び切り落とす他無かった。そして

 

「間もなく彼は自殺した」

 

「…!!」

 

「絶望から一旦は希望へ、そしてもう一度絶望の奈落に突き落とされた彼は完全に生きる望みを喪ったんでしょうね…」

 

 

ただ

 

納得がいかないのは彼の父親。

彼は怒り狂った。

愛する息子を一旦は絶望から救い上げ、希望を与えながらも同時にさらなる絶望の底へ突き落し、失意の中死なせた―否、殺したのだと。

彼の失意と絶望の矛先は全てこの再生医療―「レプリカ」に集束、予算凍結、開発部署の閉鎖、全研究員の解雇、主任研究員の全権益剥奪。

 

全プロジェクトを完全凍結させた。

 

「解る?エノハ君。人間はね?絶望から一度希望を見出した先で再び絶望に突き落とされると更に苦しむ事になるの。そして全てを諦める。そして怒りと憎しみに変えてしまう時がある」

 

その結果、どれだけ自分が理不尽で不公平な行為をしてもそれが許される、許されるべきと考えてしまう。

 

―俺は苦しんだ。死ぬほどに。それなのにお前らはお咎めなしなど許されるはずもない。

 

苦しめ。

 

俺と一緒に。

 

それでイーブンだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




「『レプリカ』の研究は完全凍結された。つまり十年前のピアニストの少年の新しい両腕の壊死の本当の原因も実はまだ判明に至ってない。移植事案はこれ以降無いし全くの手付かずの状態よ。『レプリカ』自体に何らかの本当の欠陥が存在していた可能性も否定しきれない。不確定要素だらけよ。もう一度言うけど彼女の両足の件と貴方の右腕の件とは全く状況が異なるの」

「つまり…」

「彼女―空木 イロハさんが十年前の彼の様にならない保証は全くない。下手をすれば私達も彼女に見せかけの希望を与え、さらなる絶望に彼女を突き落としてしまう可能性がある。もう二度と立ち上がれないような―」


―「地獄」へ、ね。

















―現在


病室



「ん。こ、これは!?」

アナンが素っ頓狂な声を上げる。病室の窓の近くにあった一枚の封筒を天高く掲げながら。


「あ。あ。あ~~~~!!?アナちゃん!それダメ~~~いやぁ~~!」


現在イロハはさらなる「お仕置き」と「自殺防止の為」としてベッドにぐるぐるに縛り付けられて動けない。

「おお~~イロハちゃんのその拒む仕草!う~んそそるの~」

アナン平常運転。

「これは…俗に言う『遺書』ってやつか」

「…やっぱ律儀だね。イロハさんって」

リグ、「レイス」がアナンの手に光るその封筒にイロハの「らしさ」を感じ取って微笑ましく笑う。


「おっし…アナン。それ皆の前で大声で朗読してくれ。イロハにもしっっっかり聞こえるようにな」

「いえっさー!『サクラ』たいちょー!!」

「ええええ!?サクラさん!?」


書いた本人。死にぞこなった本人の前で遺書朗読。

―うぅ…どんな拷問ですか。








「え~~っと『リッ君へ。部屋の中でぐらい帽子は脱いだ方がいいと思うよ。そうした方がかっこいいし、行儀も悪くないですし。…あ。もしかしてリッ君て…ひょっとして禿げてるの!?そうだとしたらごめんなさい!』」

「うっせぇ余計な御世話だ!!!」

ぽかっ!

「痛!!リッ君!!騙されないで!うう…アナちゃんひどい…後半捏造しないで…」

「え。ご、ごめん!イロハねぇちゃん!…ってアナンてめぇ!!」

「ふへへ~このシスコンめ」





「え~っと次は『ノエルんへ』」

「アナン…また改竄して…」

「ん?いんや?これ改竄してないよノエル?」

「え」

「その…『ノエルん』って呼んでいいかな?ノエルん」

「おおおお願いします!!『ノエル君』って呼んで下さい!!」






そんな感じで進んでいく。

イロハの「遺書」が。本人を前に。


感謝と。

後悔と。

優しさと。

切なさを含ませた文面が。

最初はワイワイがやがや笑っていた「ハイド」の連中も徐々に押し黙り始めた。



「『アナちゃんへ。アナちゃんには一杯意地悪されましたね。でも同時に一杯笑わせてもらいました。同じ年くらいの女の子とこんなに一杯話して笑いあう経験って私あんまり無かったから…本当に楽しかったよ』」




「…『レイちゃんへ。お姉さんからたった一つの為にならないアドバイスを捧げます!もっと笑って!!可愛い笑顔を見せて!!』」




遺書は最後にこう締めくくる。


―もしこの先、私の弟に会えたならよろしくお願いします。仲良くしてあげて下さいね。
少し無愛想でやきもち妬きな所があるけど根は優しくて強い子です。

そして叶うことならば彼にこう伝えて下さい。


「この先もずっと貴方の事を愛してる」と。


それでは。

皆さん本当に。

本当にありがとうございました。


                                空木 イロハ。










「「「「「…」」」」」

本人がいる、傍で生きていると言うのに皆黙りこんでしまった。

「~~~~っ」

当の本人のイロハは恥辱で唸りながら顔と耳を真っ赤にして目を力一杯閉じ、顔を全員から逸らしていた。拘束されているので顔を覆い隠す事も出来ない。「穴があったら入りたい」状態である。






「さて…イロハ」

「サクラ」が歩み寄ってイロハの拘束を解き、目の前に座る。

「…?サクラさん?」

「生きてもらうぞ。んでいつか…紹介してもらうぜ。君の弟を君自身にね?で、俺らと君の隣に居る弟―レンカ君の前でちゃんと言え。彼に『愛してる』って」

「…」

「逢いたい、再会したい奴がいるんだろう?伝えたい気持ちがあるんだろう?なら…生きのびて見せろ」

「…サクラさん?」




―その時の私にはまるでサクラさん自身が自分自身にそう言い聞かせているように見えました。でも私に対する気遣い、激励の気持ちは微塵も損われていない事はバカな私でも解ります。


「もう一度君の足で立ってみろ。歩いていってみろ。立ち上がれないなら手を取ってやる。進めないなら背中を何度でも押してやる。だが前に進むのはあくまでイロハ―君自身だ」

そう言ってサクラさんは再び私の前に右手を差し出しました。「今度は偽物じゃないぞ」って一言添えて。思わず私はクスリと笑って少し泣き、その手を取りました。

今度こそ本当に温かで優しい気持ちが私の中に流れ込んできます。同時にレイちゃん、アナちゃんがしっかりと私に抱きついてくれました。


状況は変わらない。

私は未だ

家族無し。宿無し。適性無し。両足無し。文無しだ。

でも。

もう。

絶対に死にたくなかった。

生きたい。


生きたい。


例えここが地獄でも。






















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地獄で何が悪い 5

「…そんなに緊張しなくてもいいのよ?別にとって食おうなんて思ってないんだから…フフフ…」

 

「あ。そ、そのすいません」

 

ひええ。

 

「緊張するな」と言う方が無理があります。凄い。在りえない程綺麗な女の人だ。

 

この人が「サクラ」さん達の上司であり、同時レイちゃん達の「ママ」でもある―レア・クラウディウスさん。

 

足なっがい。

 

胸おっきい。

 

綺麗な赤髪。

 

…そしてすっごくいい匂いがする。

 

整った顎の線、艶やかな唇に紅いルージュ、艶めかしく揺れる綺麗な蒼い瞳、アナちゃんとはまた違う少し悪戯な妖しい微笑みが似合う。そんな大人の女性に目の前で私は喪った両足の付け根を触れられているのだ。ヘンな方向に目覚めてしまいそうにもなる。

 

うう。私って八方美人だな。性別なんてどうでもいいのかな。

 

ううう。節操のない姉さんを許して(PART2)。

 

ず~~ん

 

 

「イロハさん?」

 

「は、はい!!」

 

「どうかした?ひょっとして痛かったかしら…御免なさいね?」

 

「い、いいえ!!そ、その…くすぐったくて…まさかこんなに綺麗な人に診てもらう事になるなんて思ってもなかったから…その、心配しないでください」

 

思いの外自分でも驚くくらい素直で拙いセリフが口をついて出る。同時「こんな言葉聞き慣れているんだろうな」と即時私は反省する。しかし意外にも―

 

「あら。ありがとう♪」

 

「!」

 

―あ。

 

そのセリフに対してレアさんが正直に屈託なく笑って返しくれた表情を見て私は少し驚く。身形、言葉遣い、仕草全てに於いて高貴さが滲み出ている女の人だけど、それが鼻につく印象じゃない。なんて言えばいいのか…「フツーにいい感じの人」だ。

 

…ああ。自分の教養の無さが恨めしい。散々考えて結局出てくる言葉がコレですか。

 

「くすくす…」

 

レアさんが私のそんな心情を悟ってか愉快そうに目を細めて口に手を添えてくっくと笑う。この人は笑い方まで上品だ。先端まで整えられた長い睫毛がとても綺麗。

お金持ちの上、才女でスタイル抜群の美人。はぁ~~っ…人生って不公平…。

 

「あの子達が言っていた通り…素直に感情が顔にころころ出る子ねイロハさん?貴方は…」

 

「うう…自覚してます。…もう少し奥ゆかしさとか余裕が欲しいなとか自分でも思っているんですけど」

 

「そんなことないわ。女の子として素直さは美点よ。貴方の素直で正直な姿を見てるとあの子達が貴方をどうにかしてあげたいって気持ちがよく解るわ…」

 

「…え?」

 

「本当にほっとけないタイプね。貴方は…羨ましいわ」

 

「…」

 

そんな綺麗な顔で優しく微笑まれて「羨ましい」なんて言われても……嫌味にしか聞こえません。

 

「いいえ。本心よ?」

 

「え」

 

「くすくす…」

 

見透かされた。私の苦笑いの表情にもう一度顔を軽く傾かせ、微笑むとレアさんは私の両足の患部を触診を再開。すると不思議なものだ。さっきまでの私の緊張がすっかり和らいでいる事に気付く。懐の入り方が上手だなぁと私は感心する。

 

しかし―

 

私の緊張がある程度解れた事を確認するとレアさんは一気に「切り替えた」。美しいだけじゃ無く、品性と知性を両方兼ね備えた大人の女性へ。

 

働く女性へ。

 

 

 

 

「右足の大腿骨の組織は左足に比べると損傷が少ないわね。その代わり神経組織に関しては壊死している部分も多い…ノエル?右足の断面図のCTスキャンを取っておいて?」

 

「はい」

 

―…やっぱりまだ神経が死んでいない地点までもう少し患部を「削って」そこからの「レプリカ」を作るべき…?

 

 

 

 

「利き足の右足の方が断面の直径がやや大きい…ノエル、1mmも狂わないように正確な数字を割り出しておいて」

 

「任せて」

 

「イロハさん?貴方の両足があった頃の身長の正確な記録は無いのかしら?」

 

「はい…私達が住んでいた隠れ家―アジールで最後に正確に測定したのが五年前で、私が13歳になる前ぐらいですから参考にはならないかと…」

 

「そう…」

 

―女の子の18歳―成長がほぼ止まる段階の年齢だけど…イロハさん―極東人の平均身長と現在の足の無いイロハさんの座高から割り出せば問題無いかしら?

 

 

 

「…」

 

…凄い人だ。さっきまでとまるで顔つきが違う。本当にカッコいいビジネスウーマンだ。レイちゃん達の自慢のママなんだろう。

 

…羨ましいな。

 

例え血の繋がりは無くてもこのレアさんとレイちゃん達との間には強い繋がりがある。彼女達は「私達」―私のお母さんとお父さんそして私の三人とレンカの関係と「一緒」だからこそそれが解る。

 

「ママ。CTとれた。どうかな?」

 

「…うん…よく撮れてるわね。これを『先方』に見てもらいましょう」

 

「了解!ママ」

 

「あ。ノエルダメよ。オンラインで送ってしまっては…もしも発覚した際、『先方』に迷惑がかかるわ」

 

「あ。そっか…」

 

「古典的だけど私が直接赴きます。ナル?明朝私に同行して頂戴?」

 

「了解しました。お供します」

 

「…大丈夫?最近働きづめじゃない?」

 

「大丈夫よノエル。そもそも私自身が久しぶりにお会いしたいと思っていたから…」

 

「ママ…」

 

 

 

ママ―

 

「お母さん」か。…逢いたいなぁ。

 

「レイちゃん達にとってのレアさん」に負けないくらい娘の私やレンカにとって最高のお母さんだった。とっても優しくて温かくてそして強い人。私の憧れの人でもある。

碌に恩返しもできないまま死んでしまった。レンカを自分を犠牲にしてまで守ってくれた人なのに。

 

いいなぁ。レイちゃん、アナちゃん、リッ君、ノエルん…。

 

レアさんとノエルん、そしてナルさん三人のやり取りを前にそんな風に私が思い耽っていた時―

 

 

「―あ」

 

「…え?」

 

レアさんが突然小さな呻き声を上げて私の膝元に倒れこむ。揺れる紅い髪からふんわりとした甘い香りが私の鼻をくすぐる。でも今の私はそんな余韻に浸る暇は無かった。元々レアさんは綺麗な色白の女性―だけどその時は、初対面の私でも解るぐらい蒼白な顔色をして苦しそうに浅い息を吐く。

 

 

「レ、レアさん…?レアさん!?嫌ぁ…しっかりして!」

 

 

 

 

 

 

 

意識が朦朧としているレアを受け止めたイロハが必死で声をかけていると直ぐにその場に居たノエル、ナルが素早く駆けこんでくる。レアにかつての自分の母親の姿を重ねた直後に起きたこともあってイロハは取り乱していたがノエル、そして駆け付けたナルの二人は冷静であった。ナルが取り乱したイロハの肩を取り、「大丈夫です。心配しないで」と声をかけて彼女を落ち着かせる。そして一方イロハに倒れこんだレアを彼女から引き継いだノエルが

 

 

「――よ」

 

「え。」

 

―の、ノエルん!?

 

自分より背の高い174センチという女性の平均を上回るレアの体を軽々と抱え上げた。意外過ぎるノエルのパワフルさに閉口して目を丸くするイロハに

 

「イロハさん。少し待ってて下さいね」

 

ナルはノエルの行為に全く驚く様子もなく、淡々とレアが一旦静かに休める簡易の寝床をソファに誂え、

 

「出来ました。どうぞこちらへ。ノエル」

 

「うん」

 

ノエルは繊細かつ丁寧な所作でレアの体を横たえさせ、彼女の額にかかった少し乱れた紅い髪を優しく手の甲で撫でる。横になって少し気分が良くなったのかレアが薄くぼやけた蒼い目を開き、

 

「ごめんなさいノエル…」

 

「いいよ。やっぱり無理してたんだね?」

 

「エノ…いいえ。『サクラ』君達には言わないでね?…余計な心配をさせるから」

 

「一応言わないようにはするけど…バレると思うよリグ以外には。リグにも解ったらなんて言われるか」

 

「ふふ案外意地悪よね。ノエルは」

 

「ならちゃんと何時も休まないといけませんねレア?ねぇ?ノエル」

 

「…んもう。ナルまで…。返す言葉が無いのが悲しい所だけれど」

 

「ナルさんの言うとーり!…ママは今日はこれぐらいにして休んで。後の大体の事は僕とナルさんで出来るから」

 

「ええ任せたわノエル、ナル……イロハさん?ちょっと…御免なさいね」

 

ノエルとナルの気遣いに感謝の笑みを。そしてイロハに謝罪の言葉を残してレアは深い眠りに落ちる。

その様子にノエルは安心したように一息吐くとすまなさそうにイロハに振り返る。

 

「すいませんイロハさん。後は僕が引き受けます。…まぁその…嫌だとは思うけど一応ナルさんも居るんで…あ。本当に!本っ当に嫌ならまた後日に…」

 

「ノエルん」

 

「…それ決定なんですね。で、何ですか?」

 

「…素敵」

 

イロハはノエルを真っ直ぐ見据え、真顔でポツリとそう呟いた。

 

「…え!!?」

 

空木 イロハにはどうやら天然の男殺しな所があるらしい。その後ノエルはしどろもどろになりながらゆっくり、のそのそ、もたもたしながら当初予定の倍程の時間をかけてイロハの両足の検診を終える。

 

怪我や思い通りにならない体、主にアナンに翻弄された日常の中でほんの少し鬱憤を溜めていたイロハにとって足元に跪きながら照れ照れに自分を検診するノエルの姿に、イジワルながらもちょっとした征服感を覚えたイロハは終始ご満悦。ナルは気を利かせ、イロハの行為を全面的にサポートしてくれていた。どうやら彼女自身「もう少しノエルは女の子に対しての免疫をつけてほしい」との親心に似た判断かららしい。心行くまでイロハは楽しむ事が出来た。

 

両足を喪った少女の前で一人の少年が跪き奉仕する―少し背徳的な光景。しかしどこか微笑ましかった。

 

―可愛いなぁ貴方も。ノエルん?

 

 

 

 

数時間後―

 

「―ん…」

 

時計を見ると真夜中の2時過ぎ。イロハは目をこすりながら体を起こす。

 

「ん~~~~~っ」

 

大きく伸びをして体を起こす。寝ているだけというのも疲れるがやはり体を動かしていない分、エネルギーは有り余っているようだ。こんな時間にも関わらず妙に眼が冴えている。

 

―…。あれ?

 

イロハはソファに寝そべっている人間が現在、軽い貧血になったレアから「なんか物凄く疲れました」と言ってグロッキーになっていたノエルに代わっている。彼の傍にはナルがパイプ椅子に座りながら背を壁に預け、彼女もまた軽い寝息を立てている。しかし肝心のレアが居ない。

 

―…ん?

 

イロハが首を傾げていると背後から僅かな物音。イロハは耳を澄ます。

かたかたという一定のリズムで刻まれるタイピングの音と資料をめくっている際の僅かな紙の擦れる音である事が解る。そして―

 

「~~♪」

 

小さな鼻唄も聞こえて来た。レアのものである。お仕事中らしい。「邪魔しちゃいけないな」とイロハは察し、物音を殺しながらソファ、そしてパイプ椅子に座る着の身着のまま眠りについているナル、ノエルの二人に

 

―せめて毛布だけでも。

 

よっせよっせと腕で進みながらイロハは手を延ばし、なるべく音をたてないようにベッドから腕を使って降りる。両足を無くして数週間、大分勝手が解って来た。

 

「よ。ほっと」

 

ソファで眠っているノエルにイロハは上布団をかける。眠る少年の寝顔はまだあどけない。さっきは意外な一面を見せられて驚いたが眠る姿はまだまだ年下の男の子だ。

 

―寝顔も可愛いな。

 

癖のあるノエルの髪をなでるとイロハは弟レンカの事を少しだけ思い出す。

そして今度は彼の隣で座りながら眠っているナルを見て「せめて膝元だけ」と毛布をかける。露出の無いタイトな軍服を纏ったナルもその実レアに劣らず背の高い、足の長い女性である事が解る。女性としても、軍人としても見事なプロポーションを持つ綺麗な人だ。

 

脚―

 

―…こんな長い脚になれたらいいな。レンカ喜ぶかな?ちょっとルール違反だけど。

 

なんて考えたりもしてイロハは微笑む。

 

 

「ありがとう」

 

「!」

 

 

唐突に背後から声がした。イロハが振り返るとそこには寝床を抜けだした悪戯な子供を見る母親の様な優しい笑顔をしたレアが立っていた。

 

「起こしちゃったかしら?」

 

「いいえ」

 

イロハは全く逡巡せず首を振りながら笑ってそう言った。

 

 

 

 

 

「私ももう少ししたら眠るつもりだったからコーヒーは無しね。夜更かしするとまたノエルやナルに怒られちゃうから」

 

「有難うございます」

 

温かいミルクをレアからイロハは受け取る。そして軽く雑談。どうやらレアは明朝に「先方」に手渡すらしき資料の最終纏めをしていたらしい。それがノエルやナル達の手伝いのお陰で思ったより早く終わりそうな事をイロハに語った。

 

そこまで語ると思ったより話す事が無い。

 

だからイロハは聞こうと思った。最大の疑問を。

 

「レアさん。失礼を承知でひとつお聞きしていいですか?」

 

「何かしら。答えられる範囲でならいくらでも」

 

 

「なんでレアさんは…私なんかにここまで良くして下さるんですか?」

 

何もない自分に無償と言っても過言ではない奉仕をしてくれる彼等に対し、有り難さと申し訳なさの中でほんの少し生まれた「疑い」と言うには余りにも小さな「しこり」の様なものがイロハにはある。やはりどう好意的に考えても実質彼等に利点は全くのゼロ、自分の生い立ちや立場、現状を鑑みればむしろマイナスしかない。そんな自分をここまで支えてくれる彼等に対する非礼は承知の上のイロハの質問であった。

 

「…年頃の女の子が『私なんか』は良くないわね…」

 

ほんの少し、ほんの僅かだけ気分を害したようなレアの悪戯な顔がイロハに迫ってくる。しかし今のイロハは目を逸らさない。

 

「いえ。知りたいんです。正直言って私には本当にレアさん達にあげられるもの、してあげられる事は何もありません。それならせめて…私を何かに『利用』出来る事、裏があるのであれば知りたいんです。私に皆さんの恩義に報いる『何か』があるのなら私は知りたい。もしあればこれ程嬉しい事は無いんです」

 

「実用に至ってない医療技術の試験、人体実験のモルモットとでも言えば納得するのかしら?」

 

「あ。解りやすくていいですね」

 

「ふふふ…コラ」

 

「すいません」

 

例え今までの彼等の自分に対する行為―これが人を誘導、洗脳―マインドコントロールをする為の偽善の奉仕、その代償が人体実験のようなものだとしてもそれが唯一の方法であればイロハは「構わない、受け入れたい、ほんの少しでも自分が役立てるのであれば」―そう思っている。

イロハは彼等を疑ってはいない。信じている。例え本当に自分がモルモットだとしてもとても返せないぐらいの恩義を彼等に与えてもらったと本気で思っている。

 

だから少しでも「何か」が在るのであれば知りたい。彼等に対して残せる物があるのであれば。自分の「何処」が。「何が」。

 

―これは私の身の程知らずの我儘。自分の、自分による、自分の為の最低最悪の質問、非礼。

 

私は二度死んだ。二度も死を覚悟―否。二度も「諦めた」のだ。そんな最低最悪の人間失格の私に相応しい質問だ。

 

そんなイロハの質問にレアは目を閉じて黙りこむ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―貴方があの子達にくれた物は決して小さなものではない。

 

イロハさん?貴方は勘違いしている。

私は貴方に寧ろ返す側、返さなくてはならない側。感謝しなくてはいけない立場。そして同時に―

 

謝らなければいけない立場。

 

 

ノエルは貴方に自分を重ねた。貴方とノエルは実はとても似ている。自分の歩む道、目標を失って途方に暮れたかつての自分とイロハさんが重なったのでしょう。その気持ちを誰よりも解る、知るが故に。

元々他の三人と違って手のかからない素直なあの子が「難しくて危険な手術」と懸念する私を説得するのに一番喰いかかってきたんだから不思議なものよね。

 

 

リグは亡くした実のお姉さんの姿を貴方に重ねた。貴方の弟さんに対する「想い」の片鱗を貴方から受け取り、同時に改めて亡くしたお姉さんの自分に対する「想い」を知ったのね。「家族」意外に心を開かないあの子が必死で貴方を救おうとした、救おうと思っていた。その為に自分で考え、要望し、行動にも移した。

貴方があの子に与えた物は間違いなく大きい。親として本当に感謝したい。

 

 

アナンは貴方の「家族のカタチ」に対して重ねるものが何もなかった。

イロハさんの血の繋がらない家族に対しての行動、偽りも虚勢も何もない真っ直ぐな愛の形。

アナンの血の繋がりが在りながらも唾棄し、嫌悪し、彼女自ら壊すほどの前者とはあまりに対照的過ぎる打算、虚勢、顕示欲にまみれた歪な家族の愛の形。

共通するものが「何もない」からこそ貴方に惹かれたのね。あの子は。

愛の形は一つではない。この世には本当に何の曇りもない愛もまた存在しうる事を貴方達の「家族のカタチ」は彼女に教えてくれた。そしてそこに血縁は関係が無い事も。

 

 

「レイス」は…先日の任務で救えなかったという少女に貴方を重ねたのでしょう。普段は無愛想だけど実は人一倍優しいあの子にとってとてもつらい出来事だったあの事件、貴方の事がとても他人事だとは思えなかったのでしょうね。

「初めてヘンな呼び名をつけられた」と口を尖らせながら言っていたけどあの子は実はとても嬉しそうだったわ。記憶の無いあの子が初めて出来た歳の近いお姉さんのような貴方に懐く姿を見てナルが「私がもう少し若ければ」と嫉妬していたわ。

もちろん私もよ。

 

 

そしてエノハ君。

 

彼は今の貴方と貴方の弟さん―レンカ君の状況と自分と極東に残してきた恋人―リッカさんの事を重ねたのでしょう。貴方が自殺未遂を起こした時の話を私に話す際、珍しく怒っていたわ。自分から道を絶とうとした貴方を許せなかったのね。同時に貴方の姿を見てきっとあの人はリッカさんへの思いが募ったはず。だから今は彼女に逢えない自分に替わって貴方をレンカ君に再会させてあげたいと強く思ったのでしょう。

 

 

 

 

そして最後に……私。そしてルージュ。

 

 

 

 

私は今の両足を喪った貴方の姿に妹―ラケル・クラウディウスを重ねた。

 

 

 

 

 

私がこの「再生医療」に若いころから興味を持っていたのには理由がある。

他でもない妹ラケルを再び自分の足で歩くように出来る可能性をもつ分野であるからだ。P-73偏食因子でも再生しなかった彼女の脊髄損傷をこの新しい医療技術で代替え出来ないか―私はそう考えた。

 

それをラケルに直接話した事もある。

 

 

「―どう?素晴らしい事だと思わないかしら!?ラケル?貴方また歩けるようになるのよ!?歩いたり走ったり出来るのよ!?」

 

そうすればお散歩に出かけたり、私やお父様と一緒にピクニックに行ったり、果ては…ボーイフレンドと手を繋いで歩いたりできる様になるのよ?

 

 

素晴らしい事だと思わない!?

 

まだ幼かった14歳の私は十代になったばかりのラケルに向かってそう繰り返した。

 

 

しかしあの子は―ふるふると首を振って天使の様に微笑んだ。そして言葉を紡ぐ。

美しい唇からまるで「糸」を垂らすように静かな吐息と繊細な澄んだ声でこう言った。

 

 

「いいのよお姉さま。この動かない両足は…コレは私の『罰』なの。私が幼いころお姉さまやお父さまに犯してしまった『罪』を償う為の『罰』―いいえ違うわ。これは『聖痕』なのだから―」

 

動かない自らの両足―『聖痕』を細く、繊細な指先でつつとなぞり、顔を傾かせながら病的なほど整った顔立ちで目を細め、ラケルはさらにこう呟く。愛おしそうに。

 

 

「この動かない私の両足こそ私とお姉さまの『絆』そのものなのよ。切っても切れない永遠の絆―だからいいのよお姉さま」

 

 

天使の様な顔、天使の様な声で

 

「悪魔」はそう言った。

 

 

この絆は『鎖』。

 

見透かされていた。せめてラケルが歩けるようになれば、小さい頃から自分の中にある重い罪悪感、呪縛から少しでも解放されるのではないか―私がそう思っていた事に。

 

しかし甘かった。

 

 

今ならば解る。

あの子にはそもそも頓着が無い。大袈裟に「聖痕」と語った動かない自分の両足に何ら興味、未練など無いのだ。自分の体、自分自身に対する執着、興味が存在していないのだ。ただ人の中で安寧に過ごす為に異常なほどに整えられた人形の形をしていた―謂わば「擬態」に近いものだったのだ。

あの子にとって家族が人形であると同時、自分自身もまた人形だった。それもアンティーク、インテリアの為に飾られるような箱入りの美しい西洋人形のようなもの―そもそも歩く必要はない。むしろ歩けるようになったことで思い通りに動く操り人形の糸が「数本」切れ、「制御」に若干の支障をきたす事の方が問題だったのだ。

 

その操り人形とは言うまでもなく私だ。

 

ラケルは完全に私―操り人形の「偽善」を見抜いていた。許されようとした、解放されようと、「糸」を絶とうとした私の「意図」を完全に。

私の些細な抵抗をあっさり看破し、残酷な天使の笑みを持って応える。まだ十代になりたての幼い妹ラケルの微笑みはその実、どんな拷問、脅迫、強迫よりもレアにとって恐ろしかった。機械的にこう答えるしかなかった。

 

―ええラケル。解っているわ。私が間違っていた。

 

そう言って車椅子に座りながら私を見上げるラケルの足元に縋り寄り、私は動かない「絆の証」である彼女の脚に頬を寄せて心と目を閉ざす。

 

―解ってくれればいいのよ。お姉さま。

 

そんな私の髪をラケルはさらさらと優しく撫でた。

 

 

 

 

私はその「偽善」を繰り返そうとしている。丁度いいラケルの「替わり」を見つけて。

―それがイロハさん。貴方なのだ。

 

貴方をラケルと重ね、ラケルに対して出来ない贖罪、許されない贖罪、そして呪縛の如きラケルの「糸」から解放されない自分を慰める為の自慰行為だ。私の子供達に比べて何と矮小で俗物的な事だろう。私は彼女を利用しているも同じだ。

そして下手をすれば彼女に見せかけの「希望」を与え、彼女を更なる絶望に叩き落とす可能性すらある。

 

怖い。震えが出る。もし失敗した時貴方はどうなってしまうのだろう。そして私の真意を知った時どう思うかしら。一見貴方を救う為に動いている私がその実、抱えていたものはこんな不純なものなのだ。そんな相手に自分の未来を託してしまった事に後悔してしまうでしょう。

 

その時私はまた逃げてしまうかもしれない。そのやりきれなさの矛先を他に向けてしまうかもしれない。十年前この医療技術の研究を完全凍結させたあの役員の男と同じ。

自分の怒り、悲しみ、絶望の矛先を外に、自分以外の人間に向けてしまうかもしれない。

 

そう。ここではまごうこと無く私の子供達にだ。

 

「貴方達が望んだから私はやることはやった。でもダメだった。でも私のせいじゃない。望んだ、求めた貴方達のせい―」

 

何せ私には「前科」がある。自分に降りかかった罪の意識、後悔、記憶を切り離し、もう一人の自分―ルージュに押し付け、逃げてしまった「前科」が。

それをまた繰り返すのか。こんな目の前の純真無垢な少女を絶望に叩き落として尚、自分を保つために罪の矛先を、そして責任を誰かに擦り付けて。

 

それが私と言う存在。レア・クラウディウスという人間の本性。

自分の、自分による、自分の為の最低最悪の「偽善」を繰り返す唾棄すべき人間だ。

 

 

 

 

 

向かい合う全く異なる人生を歩んできた少女と女性は奇妙な事に、お互いの自己評価が良く似ていた。

 

 

 

 

しかし同時に。

 

 

それでも生きていたい。誰かと繋がっていたい。泥に埋もれ、血に塗れた先でほんの少しでも「前に進めた」、「誰かと向き合えた」、「誰かの役に立てた」と思えるのなら。

 

愛し、愛される事が出来る道があるのなら―

 

―例え人間失格でも。

 

―例え偽善でも。

 

 

「「私は進みたい」」

 

そこもまた彼女達は共通していた。

 

 

 

 

沈黙の後。レアは答える。

 

 

「単純よ。私の大事な『あの子達に頼まれたから』」

 

レアは笑顔を交えず真っ直ぐイロハの瞳を見てそう言い放った。そしてこう続ける。深く噛みしめるように胸に手を当てて。

 

「私は母親だもの。子供の我儘の一つや二つ聞かなきゃ。あの子達が『貴方を救いたい』と言うのならそれは即ち私の『意思』そのもの。なら私は出来る事をするだけ」

 

 

「良い事をすれば褒める。悪い事をすれば叱る。それと同じように彼等が何か欲しいもの、何かを与えてもらいたいと言う気持ち―『おねだり』を母親として出来るだけかなえてあげたい。増してそれが『貴方の様な人を救う事』だと言うのであればこれ程母親として嬉しい事は無い。例え私『なんか』が出来る事がほんの少しの事だけだとしても断る理由にはならない。充分過ぎる理由だわ」

 

 

―私、クラウディウス家の理念『ノブレス・オブ・リージュ』の冥利に尽きると言う物。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ふふふレアさん?」

 

「はい?」

 

「レアさんみたいな人が『私なんか』は良くないですね」

 

「クスっ…そうね」

 

「あはははは」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




「イロハさん?」

「何ですか?」

「貴方はもし脚が治ったら…歩けるようになったらまず何がしたい?」

「…そうですね。まずは…リハビリですかね」

「ぷっ…あはは。現実的ね。『足元』をよく見ているわ」

「『目先の事にこだわるな』ってよく言いますけど、目先の事に懸命にならないと生き残れない世界ですから」

「違いないわね」

「それから…弟を探しに行きます。そしてもし再会出来たならまずは…思いっきり抱きしめてあげたいです」

「素敵ね」

「…いいえ。まずは…思いっきり抱きしめてもらいたいですね。私が」

「へぇ…?」

「『良く頑張った』って言ってもらいたいです。頭を撫でてもらいたいです。だから私は弟と出会うまでの間―少しでも『自分は頑張ったんだ』『褒めてもらっていいんだ』って自分で思えるような私になりたいです」

「…貴方が弟さんにしてきた事を考えると充分それに値すると思うけれど」

「有難うございます。でも…レイちゃんやリっ君に怒られちゃいましたから。バカだ、気持ちや覚悟は買うけど褒められた事じゃないって」

「…あのコ達らしい。うん。とってもいい目標ね」

「そしてその後の事は―う~んまだ何も解りませんね。第一レンカに再会する事だって今の私には夢物語みたいな話ですから」

「『夢物語』か…ねぇイロハさん?」

「何ですか?」


「貴方に何か夢は無いの?」


「…!!」


「…?」

「あ、いえ、その在るには在るんですが輪をかけて荒唐無稽と言うか何と言うか…」

「あらいいわね。聞かせて頂戴。話す分にはタダよ。夢は」

「…笑いません?」

「う~~ん。内容によっては」

「意地悪ですね。レアさん」

「ウチの子達の行動から察して?カエルの子はカエルよ」

「私…幼いころからずっとアラガミが現れる前にこの世界に在ったて言う植物、木や花が大好きだったんです。古い図鑑の中でしか見た事が無いけど…それが高じて弟の名前に『蓮の花』―レンカって名付けたぐらいですから」

「あら素敵」

「…だから私の夢は『いつかアラガミの居ない世界―木や花に溢れた世界で大切な人達と一緒に歩く事』…です…」

「…」

「その、やっぱり笑っちゃいます…よね?私なんかよりずっと頭も良くて現実を知ってるレアさんがこんな子供っぽい夢なんか聞かされたら」

「イロハさん?顔を上げて」

「…?」






「叶うといいわね?貴方の夢…」









私は思わず。

レアさんに抱き付いた。


「…?イロハさん?」


「ごめんなさい…レアさん。しばらく…このままで」


レアさんは私のその言葉に小さく頷いて優しく抱きしめてくれました。優しく柔らかな感触と香りを感じながら。








「やっぱり…」

「…?」

優しく私を抱きしめてくれていたレアさんが私の肩に両手を添えたまましっかりと私を見る。優しく、そしてどこか…悲しく儚げな蒼い瞳で。

「隠しておくつもりだったけど…イロハさん?貴方にはやはり告げておかなければならないわね…」

「なん…ですか?」







「貴方の手術が成功した後…貴方の記憶から約一ヵ月間の私達の記憶を全て消させてもらうわ。これは…貴方の為なの」




私はその夜。


お母さんを見捨てた日と同じくらい泣きました。































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地獄で何が悪い 6

私は今までの人生でいくつのものを喪ってきただろう。

 

お父さん、お母さん、アジールの皆、住む場所、果ては自分の両足、そして…夢。連綿と続く理不尽の先で私は彼等と出会った。泥と血に塗れたこの時代―「地獄」で予定通り朽ち、尽きかけた私に息を吹き返す力を与えてくれた人達。

 

「サクラ」さん、レイちゃん、アナちゃん、リッ君、ノエルん、ナルさん、そしてレアさん。

 

しかし彼らもまた私の「中」から今―喪われていこうとしている。

短い、ほんの少しの彼らとの時間。けど掛け替えの無い時間。

私がお母さん、お父さんの娘として生まれ、曇りない愛情に包まれ育ててもらった事。

リンドウさんに命を救われたこと。

…レンカに出会い、彼を愛した事…。

こんな私の数少ない、けど誇るべき私の人生の最高の幸運の内の間違いなく一つである彼らとの出会い、触れ合った記憶が指の合間から砂のように零れおちようとしている。

 

嫌だ。嫌だよ。

 

…また私から奪うの?

 

元々「神様なんていない」と教えられてきた私だけど、ここまで行くと逆に「神様はいるんじゃないか」って思えてくる。悉く縫う様にピンポイントで私の大切なものが喪われていく様は最早誰かの「意志」や「悪意」を感じずには居られない程だ。

 

神様。

 

私は貴方には祈らない。ただ徹底的に呪ってやる。

 

そして今からそんな大事なもの―大切な人達を忘れてしまわなければ先に進めない何の力もない私自身もまた―

 

悉く恨む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「気分はどうだ…イロハ」

 

「手術前の基礎麻酔が効いてきたみたいで…少し頭がぼ~っっとしますけど大丈夫です」

 

 

イロハが極秘裏に入院していた建設中のフェンリル付属病院オペ室前の控室にて―

 

本来であれば世界的に注目度の高い各国、各支部の名のある医療関係者が行く末を固唾を呑んで見守るであろうこの大手術が今ひっそりと最低限の医療関係者のみで行われようとしている。

レアによって極秘裏に世界各国より彼等は集められた。口が堅く、そして信頼できる腕をもつと同時、この再生医療技術「レプリカ」がいずれまた世間に再認識され、多くの患者にこの庇護が行き渡る事を望む志を持った優秀な者達である。

 

十年前にあまりに理不尽で身勝手な運命に翻弄されながらもひっそりとこの医療技術の進歩、研究は進んでいたのだ。志のある者たちによって。そして当然設備も医療機器も年々進化している。十年という年月は医療の常識を覆すには時に充分過ぎる時間なのだ。

 

しかし十年前だろうが百年前だろうが手術というものには医師の手腕、充実した設備、医療機器よりも大事なものがある。

 

それは患者自身の「生きる意志」と身近な人間の支えだ。

「身近」と言っても彼等は実際の所、僅か一ヶ月、いや厳密に言えば半月に満たない付き合いではある。しかし、手術を直前に控え、基礎麻酔でややぼやけ始めた瞳を本当に嬉しそうに、そして名残惜しそうに緩ませる患者―イロハと彼女の目の前の「サクラ」を初めとする「レイス」、リグ、アナン、そしてノエル達の間には彼等が共に居た時間の短さなど瑣末なことのように思える。

 

しかし―

 

この一人の少女がこの手術を乗り切った時、彼女の記憶から今目の前に居る彼等の姿は消え失せる。

少女の記憶はもう一度あの廃屋で最愛の弟を見送った日―約一か月前にまで戻されるのだ。

 

 

「…」

 

「…レイちゃん」

 

今彼女の手を握り、向かい合いながらお互いの額を預け、クスリと笑いあった銀髪の少女―「レイス」の記憶も。

 

「うぅ…イロハちゃん」

 

「アナちゃん…ありがとね」

 

今彼女に抱き付き、胸に耳を預け、潤んだエメラルドの瞳を向け、何時に無く憂いを含んだ表情でイロハを見る悪戯な少女―アナンの記憶も。

 

「…。…っ!」

 

「背中向けないで?リッ君…」

 

今愛用の帽子をいつもより深く被り、表情を見せずに背を向ける照れ屋な少年―リグを優しく背中から抱きしめたこの腕の感触の記憶も。

 

「僕が言うのもなんですけど…」

 

「…ノエルん?」

 

「人間案外なる様になるもんですよ。頑張って下さい!イロハさん!」

 

今自分の生きる意味を見失った者同士、実は誰よりもイロハを理解しており、救う為に奔走した少年―ノエルの温かい励ましの言葉と握手した記憶も。

 

 

こんなかけがえのない「今」が全て消え失せる。

 

 

 

 

―そして最後に。

 

すすり泣く可愛い妹弟のような子達を宥めつつ、あの日―目覚めた私の目の前に最初に現れ、私の運命を変えてくれた人の顔が映る。

 

優しく、温かく、でもちょっと意地悪でそして―ウソツキな人。

 

―「サクラ」さんのウソツキ。

 

「いつでも手を取ってやる、背中を何度でも押してやる」って言っていたじゃないですか。

私をあんな言葉で口説いた癖に後は「全て忘れてくれ」「サヨナラ」ですか?ほんとヒドイ男(ヒト)ですね。女の敵ですね。しくしく。

 

そんな風に私がおどけて膨れると面目なさそうに「サクラ」さんは頭を掻いて苦笑いしてました。

 

 

でも解っています。貴方達全員が私なんかに構ってられないぐらい大事な何かの為に闘い、歩んでいる事ぐらい。

そんな貴方達をいつまでも私が独占しておくわけにはいきません。私は私の道を、貴方達は貴方達の道を歩まなければならないんですね。

 

しかしそれでも。

 

…辛いよ。悲しいよ。

 

 

「…!イロハ…?」

 

「…」

 

私は「サクラ」さんに抱き付いた。

両腕を首の後ろに回し、彼の肩に顔を埋めて深く息を吸う。両足を喪って極端に低くなった私の身長ではベッドの上からでも体が浮いてしまっていた。でもそんな宙ぶらりんの私を邪見に振りほどく事はなく、「サクラ」さんは優しく抱きしめてくれました。

 

…酷い人。

 

あくまで「私を強く抱きしめるべき人は他に居る」と言いたげなとても優しい抱擁。そして同時「自分が強く抱きしめたい人は他に居る」とも言いたげな優しさでした。

 

でもそんな「サクラ」さんとの距離感が心地よかった。私はだからこそ迷わず歩いていける。心地いい貴方達が与えてくれた仮宿、止まり木を離れ、本来帰る場所に向かって。

 

最愛の人の元へ。

 

送り出す五人の姿が手術室と廊下を隔てる両開きのドアに覆い隠されていく。

 

「あ…」

 

思わず反射的に私はふらふら手を延ばす。あの日レンカの背中を見送った時と同じように。

 

「サクラ」さん達の姿を見失うと一気に私の意識の乖離が進んだ。仰向けのままぼんやりと手術台の照明を見上げていると私の口元にゴム臭いフェイスマスクが取り付けられる。麻酔吸入用のものだ。いよいよ意識を喪う時が近づいているのだ。

 

つまり私から彼等の記憶が消えるか、手術が失敗し何も変わらない私が居るか、もしくは目覚める事すらなく―死ぬのか。その境界線の時だ。

 

…怖い。

 

「!」

 

―あ。

 

私が覚悟を決め、目を閉じかけた時、フェイスマスクを取りつけてくれた人間の姿に私は驚いて重たい瞼を持ち上げ、僅かに瞳を見開いた。

 

「大丈夫」

 

にこり…

 

レアさんだった。綺麗な彼女の紅い髪は手術用の帽子で、口元はマスクで覆い隠されているものの、間から覗く右目の下の泣き黒子、長い睫毛、蒼い瞳を緩ませて優しく私に微笑みかけながら安心させる様に肩に手を置いてくれた。

 

ほっとする。「サクラ」さんと分かれて急激に孤独と不安が押し寄せて来た私の気持ちを汲んでくれたのだ。

 

そして。

 

それだけでは無かった。

 

「ほらあそこ」とでも言いたげにレアさんは無言のまま目線とゴム手袋に覆われた細い指先を使ってとある方向を見るように私に促す。仰向けの私の後方、やや斜め上くらい。

 

―…?

 

私は仰向けの姿勢のまま、少し見上げるように頭を上げ、ぼやけつつある瞳を奮い立たせて焦点を絞る。レアさんの指先が示す方向へ。

 

 

「……。…!?」

 

 

ああ。

 

 

ああ…。

 

 

私の視界が一気にさらにぼやけ始める。

レアさんの指す方向―その瞳に映った「逆さまの光景」に私は溢れ出る物を止める事が出来なかった。

 

私の視界が世界が歪む。滲む。絶対忘れないように目にしっかりと焼き付けておきたいその逆さまの光景なのになんてもどかしい。

 

手術室の上、本来はこの世紀の大手術を見守る各国の大物の医療関係者が席巻するはずの閲覧室―

そこには私にとって掛け替えのない人達がいた。

 

 

―レイ…ちゃん。アナちゃん…リッ君、ノエルん…ナルさん!

 

 

「サクラ」さん…!

 

 

 

 

ああ。

 

あああ。

 

 

 

―イロハさん...元気でね。

 

―イロハちゃん!愛してるよ~~。またね!またね!

 

―…。

 

―リグ…声が出ないんならせめて手ぇ振ろうよ。

 

―うっせぇ…。ノエル。…イロハねぇちゃん!!もう戻ってくんなよ!

 

―イロハさん。ありがとうございました。

 

仰向けのまま彼等が手を振り、閲覧室のガラスに触れながら泣き、笑っている姿を見て仰向けの私の目尻を止め処なく涙が伝っていく。止まらない。

 

 

 

 

本当に。

 

本当に私はこの人達の事を忘れたくありません。

 

本当に。

 

本当にありがとう。

 

きっと、きっと!いつか、いつかまた。

 

 

私の夢は「大切な人達」とアラガミの居ない木と花で溢れた世界を一緒に歩く事。

 

ありがとう。私の「大切な人達」。

 

私は自分の足で立ち、歩いて、最愛の人―レンカを見つけた後、彼と一緒にまた歩き出します。

 

今度は―

 

貴方達を見つける為に。貴方達とその世界を共に歩くために。

 

また貴方達と巡り会えたならその時こそ―「約束」を果たします。

 

私の世界で一番大事な弟を皆さんに紹介します。

 

 

 

 

そして彼にこう伝えます。皆さんの目の前で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ザアッ

 

 

 

風が吹き付ける。

 

小高い緑の丘。私は空を仰いでまどろんでいた。

 

風によって草の波が泡立つ音に呼び覚まされ、目を開ける。つがいの鳥が円を描くように空を舞い、抜ける様な青空が拡がる。舞い上げられた草や花弁の香り、そして大気の息遣いが私に告げる。

 

時間だよ、と。

 

私が胸に抱いた小さい頃から宝物だった植物の図鑑。最早そこに書いてある事柄は全て暗記するほど読み漁った。その知識によって私は現在、「とある花」がいつ、どこでどのようなタイミングで咲くかも手に取る様に解っている。

 

今がその時だ。歩き出そう。

 

汚泥に根を張り、空に向かって苗を延ばしてほんの僅かな時間花を咲かせる―

 

蓮花(レンカ)を求めて。

 

心地好い風で靡く帽子をしっかりおさえながら私は歩く。見渡す限りの緑の大地を。

その先で目的地にたどり着く。空の色を映し取った蒼い湖が目の前に拡がった。そこで私を待っていたかのようなタイミングでその湖面の上で空に向かい桜色の花弁を一斉に開かせた無数の花―蓮の花が出迎えてくれた。

 

そしてその湖を隔てた向こう岸で。

 

「...!」

 

探し求めた人がいる。狂おしいほど会いたかった愛しい人の姿がある。私を出迎えてくれた蓮の花―その名前を私によって与えられ、その花の通りに未来を歩んでいるであろう大切な人。

 

汚泥の中で芽吹き、根を張り、空に向かって苗を伸ばして最後には花を咲かせる―

 

待たせちゃったね。

 

レンカ。

 

帽子を飛ばしてしまっても構わずに私は走り出す。湖の岸を沿って思いっきり遠回り。翼でもあれば湖を越えて一気に貴方のもとに辿り着けるのかもしれないけど私にはそんなものはいらない。貴方のもとへ歩き出す。走り出すこの両足があれば充分。

 

私が貴方のもとにたどり着けた時はお願いレンカ。腕を広げて。受け止めて。

 

強く抱き締めて。

 

貴方の胸の中で一足先に貴方に伝えるから。臆病者の私には一度はちゃんと言葉にしておかないととても―

 

…「あの人たち」の前で堂々と言えそうにないから。この約束の言葉を。

 

 

―レンカ。愛してる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

グォアアアアアアアアアアアッ!!!

 

 

 

ブシュッ!グチャッ!ガッ、ガフッ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は戻ってきた。

 

 

記憶の中の深く暗い地の底へ。圧倒的な現実を放つ私の世界へ。

 

「…」

 

自分の中から止め処なく溢れ出ていく鉄臭い血の臭い、狂喜乱舞の獣の息遣い、そして彼等の咀嚼の度に無抵抗の私の体は小刻みに揺れる。腐っていた私の左足の腐臭が彼等―アラガミを興奮させ、そこに近い部位からまず食べ始める事を決めたようだ。

 

 

お陰で私はまだ死ねない。自分の体が喰われ、喪われていく様を他人事のように見送るだけだ。

 

 

 

…長い夢を見ていたような気がする。とても甘く、温かくて優しい、そして悲しい幻、蜃気楼の様な夢。

 

 

幻、蜃気楼の如く今は記憶からすっかり消えてしまった。どんな夢だったか覚えてすらいない。

一つ言えるのは精神と肉体を切り離した今の私、有体に言うと現実逃避をした私が作りだした都合のいい、良過ぎる夢だったのであろうと言う事だけだ。

 

 

そこから目覚めてしまった私には。逃げ込んでそのまま楽になってしまえばよかったのにそこからわざわざここに戻ってきたバカな私には。現実の世界がぽっかりと穴を開け、拡がっていた。

 

 

一人ぼっちの世界。一人ぼっちでここで果てる世界。誰も何も助けに来ない。

 

 

この先は無い。予定通り仄暗いこの地獄の底で私は潰える。

 

 

 

 

この世界は紛う事無き

 

 

 

 

 

「地獄」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―「地獄」?

 

 

 

 

確かにそうだ。世界は間違いなく「地獄」。そんなの解りきっている事。

 

 

でも。

 

 

それが何?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「地獄で何が悪い?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここには。この世界―地獄には居たんだ。

 

私を愛し、慈しみ、育ててくれた大好きな家族が。お父さん、お母さんが。

 

そして居るんだ。

 

共に育ち、命を賭けて守ろうとした、そして同時に守ろうとしてくれた愛する人が居るんだ。

今も一点の曇りなく愛し、求めて止まない大事な人が居るんだ。

 

そして。

 

 

 

居るんだ。居た「はず」なんだ。

 

 

 

 

 

―はずれ。

 

 

 

 

そう。

私はまたはずした。はずしかけた。

 

 

 

もうごまかされない。今居るここは―「地獄」なんかじゃない。ここは―「牢獄」だ。私の心の中の。

全てを忘れ、痛みから逃げて楽になる為の「心の牢獄」だ。

 

 

 

そこをどいて。私の弱さ。

 

 

 

私は進むんだ。歩き出すんだ。お母さんの、そしてお父さんの教えを、意思を、心を、優しさと強さを心に秘めたまま。

 

 

 

―逢いたい、再会したい奴がいるんだろう?

 

 

 

はい。愛する人を探しに行きたい。見つけたい。抱きしめてもらいたいんだ。強く。とても強く。

 

 

 

 

―伝えたい気持ちがあるんだろう?

 

 

 

 

…はい!

 

 

 

 

―なら…生きのびて見せろ。

 

 

 

 

 

 

忘れてない。

 

忘れられるわけがない。この「地獄」で出会った大切な人達の事を。

 

 

…「サクラ」さん?

 

 

 

ごめんなさい。やっぱり貴方はウソツキなんかじゃない。貴方の言葉は、そして私を支えてくれたレイちゃん、アナちゃん、リッ君、ノエルん、ナルさん、そしてレアさん―皆の姿、言葉、行動、私にしてくれた事は全て私の中に在り、深く刻まれている。今も、そしてこの先もきっと私の手を取り、背中を押す。

 

 

例え記憶の中から喪われてしまっても私の心が覚えてる。大好きで、大切な貴方達の温かさを。

 

 

そしてもう一度。取り戻す。絶対に。

 

 

探しに行く。逢いに行く。「ここ」から抜け出して。

 

 

同じ「地獄」に居る、「地獄」で待つ貴方達に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…ピッ…ピッ

 

 

 

 

「……」

 

 

 

 

 

ピッ…ピッ…

 

 

 

―ここは―

 

 

「天…国?じゃない、よね」

 

 

 

 

 

 

―あたり。

 

 

 

 

 

 

「っ!」

 

 

 

 

ガバッ

 

 

 

 

 

私は体を起こす。そして「何故か」反射的に目の前に在る「何か」に向けて焦点を絞る。まるで以前もこんな事を体験した事があるみたいに。

 

 

しかし―

 

 

私が体を起こした場所は白い病室。傍らには心電図、その規則正しい味気ない電子音、私の微かな息遣い、衣擦れの音以外何もない病室のベッドの上に今私は居る。その目の前に佇む味気ないイスには…誰も座ってなどいなかった。

 

いや―

 

確かに誰か居たような、一瞬私に何かを呟き、笑いかけてくれていた気がしたのに幻のように掠れて見えなくなっていった。

 

 

ポツンとその病室にただ一人私はそこに「在った」。

 

 

「…」

 

病室の窓の外は既に夕暮れ。「落日」「寂寥」と言う言葉に相応しい空虚な感覚が私を包む。

何か大切なものを失った気がするのに私はそれを思い出せない。

何が悲しいのか、何が辛いのか、何が寂しいのかが一向に解らないまま。

 

私はただただ上半身を起こしたままベッドの上でぼ~っと佇む。何も考えられない。考えても雲を掴むみたいに消えていく。

 

 

でもそこに

 

 

「っ…!つぅ…!?」

 

 

まるでそんな腑抜けな私を「しょうがないなぁ」とでも言いたげにある「感覚」「違和感」が体を突き抜ける。

私の「下」から背筋を通り、一気に脳へ迸る―「激痛」と言っても過言じゃない在る違和感。

 

 

それは私の…「足元」から来ていた。

 

 

私は私の腰の辺りまで覆っていた毛布を掴む。すると何故か妙に落ち着かない気分になった。

私の周りには今は誰もいないと言うのに「誰か」が「驚くかな?驚くかな?」と私の反応を心待ちにしている様な

 

―なんで私はこんな気分になっているんだろう?

 

 

「ふふ…」

 

何故か笑ってしまう。だって、だって驚かないよ?

 

だってここに在るのはただの私の―

 

 

 

 

パサッ…

 

 

 

 

 

 

「足」―なんだ、か、ら……?

 

 

 

 

 

 

 

「足」。

 

 

そう。何の変哲もない。大して長くもなければ、細くもない足。かといって特別肉付きがいいわけじゃない。私の見慣れた―

 

…見慣れた?

 

見、慣、れた…?

 

 

―違う。

 

確かにコレは私の足。私から延びている足。でも何か違う。

爪の形、指の長さ、そして色まで。全く以て文字通り「違和感の塊」。自分が全く違う人間に乗り移ってしまった場合こんな感覚を覚えるのではないか?と思える程、不気味に感じてしまうぐらい異物感がある足なのにその時何故か私は―

 

 

「うっ…っく……っ、ううぅ……」

 

 

精一杯声を殺して泣いた。

 

 

さっきまで空虚だった心が一気に一杯になり、満たされた気がして涙が止まらなかった。

 

 

「あり、が、とう……」

 

 

 

その言葉と同時にぽたぽたと私の涙が私の両足の太股、付け根部分に滴り落ちる。

そこにはまるで国境を隔てるように継ぎ接ぎの線が私自身が「見慣れた体」と「違和感のある足」を繋いでいたのだ。

 

夢なんかじゃない。幻なんかじゃない。確かに私は感じ取る事が出来る。

例え覚えていなくても、記憶から喪われていようとも私を救ってくれた、心も体も掬い上げてくれた「誰か」の存在を。

 

彼等の顔も、一緒に何をしたかも、何を話したかも最早覚えていないけど「貴方達」は居たんだ。私のすぐ傍に居て私を支えてくれた。

 

 

この繋がれた両足こそ私と貴方達の日々、そして絆の証。私と貴方達を繋ぐ道。

 

 

待ってて。この繋がりを、そして貴方達へと繋がる道を決して私は途絶えさせない。

 

 

 

 

「あはっ……」

 

 

繋いでいくよ。託された命を。

 

そして今度は。

 

歩いていくよ。私の道を。

 

 

その道の先で。

 

 

いつかまた貴方達にめぐり逢えたら―

 

 

 

 

 

 

優しく抱きしめて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



































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小休止






筆者の愚痴ハイオク満タンで。


勘弁して下さい。


対戦アラガミ

 

 

I―スモルト

 

 

「機神」

 

 

元々神機解放レベルを上昇させる方法としての「リンクバースト」は外部からの受け渡し弾をGEが受け取る事によって神機より先にGEのバーストレベルが上昇するが、エノハの神機スモルトの特殊機能―レベル4は発動条件が「レベル3到達後の捕食」である為、先に神機側がレベル4に達する事により生まれた神機と主―エノハの力関係の大幅な逆転現象の結果、支配権を奪って暴走したスモルトの姿。

大型アラガミ種ヴァジュラを一瞬で喰い殺し、その後対峙した「レイス」、アナン、リグの三人を戦闘不能にまで追い込むほどの圧倒的な戦闘能力を有する。

 

見た目は通常時の三倍ほどの体積に膨れ上がった白銀色の捕食形態であるが、「GEリザレクション」の捕食形態変化の如く、ある程度変容させる事も可能。

獣の如く「咬む」「体当たりする」等の原始的な暴力に加えて神機の三形態、剣、銃、盾を顕現させて攻撃、銃撃、防御を使い分ける知性、狡猾さも持ち合わせる上、喰らったアラガミの最大威力のアラバレも発射可能と攻守に隙が無い。純粋なアラガミではないが戦闘力だけならトップクラスであろう怪物。

予想外の「レイス」達の奮闘に消耗し、怒りで我を失ったところに主であるエノハの介入を許し、力の半分以上を奪われ、最後に屈服する。

 

バトルシーンは実は生首みたいな神機捕食形態がぴょんぴょん跳ね回りつつ攻撃してくるという意外にシュールな光景であったりします。発想のモチーフは「もののけ姫」のモロの君。ただし「黙れ小僧」ではなく「小僧(エノハ)に黙らされた」という不遇な一面もあります。

 

 

 

 

 

ヒドラ

 

 

「擬神」 「擬神悪鬼」

 

 

 

この話のオリジナルの敵である特殊変異アラガミ―「固有種」の一体目。GEという一応ジャンルが「ハンティングゲーム」である以上絶対出来ない敵である「まったくの唯一、単一の個体」と言う風変りなアラガミの一種。

 

分裂、結合のできる流動的な体を持つスライムの様なアラガミであり、固定形態をもたない。分体は自律行動が可能だがコアを持たず、神機である程度の衝撃を与えられれば霧散し、分体単体では二度と結合、復活はしない。シユウ感応種アラガミである「イェン・ツィー」の生成する「チョウワン」と類似点が強い。

 

単体では戦闘力はさほど大したことはないがそれを補って余りある狡猾さと慎重さを持つ危険なアラガミ。喰らった獲物の姿形をコピーする能力を持ち、人間やアラガミに擬態して獲物の隙を突いて襲い、喰らう。

司令塔として情報統括を行うコアを持つ巨大な本体以外の分体は謂わば「子機」の様なものであり、捕食によるエネルギー確保と同時、外部情報を収集する役目をになう。ただし分体も各々が収集したデータの差異によってある程度の「個性」を持ち、それを本体と融合することで情報共有を行い、情報を精査、必要か不要の取捨選択を行う。

人間と言う比較的進化の先端に居る生物を多く喰らったせいか一部の高等生物しか持たないとされる嗜虐、愉悦の感情を既に手に入れており、獲物を嬲り、弄ぶ行為が確認されている。栄養、外部情報を吸収しアップグレードする毎に徐々に分体の行動の精密さ、知能、拘束力、擬態のバリエーション、分裂数の増加など危険度は指数関数的に増大する可能性があったある意味アラガミの究極形態と言える生態を持ったアラガミであるが「レイス」によって本体の存在を勘付かれ、リグ、アナンのコンビ攻撃によって分体全てを失い、アナンの血の力によって操られ、簡易の追跡、逆探知の装置と化した一体の分体に取り付けられたエノハの制御・充填爆破によって大ダメージを負った後、「レイス」の血の力「絶殺」によって収集していた全ての情報、体組織を奪われた後に切り裂かれ、消滅する。

 

「弱いが一筋縄ではいかないオンリーワンの敵」としてこれから登場していく固有種の最初の一体です。

原作ゲーム「GE」の「極東に生息するアラガミが世界でもとりわけ強い」という厄介な設定、恐らくは手抜きの為の設定を筆者の「使い回しの為に手ぇ抜くんじゃね~よ。世界観もっと広げろや勿体ない」と言う原作に向けて怒りを込めて作ったアラガミだったりします。

 

 

 

 

登場キャラクター

 

 

 

空木 イロハ

 

 

注 GEアニメのネタばれ込みです↓

 

 

 

 

 

 

「GE」のアニメの10話目に出て来たキャラクターであり、この作品の「地獄で何が悪い」編のメインヒロイン。アニメ原作では死亡。10話を見た後に一瞬でこのヒロインを主役にした話の構想が出来上がり、ネタを漁る為に「飛行機の上でドンパチ戦う話」以外見ていなかった筆者がGEのアニメを見直す切欠となったキャラクターなん、です、が…

 

んが。

 

実はこのイロハ、10話以外全く出てこないキャラと言う事が解り、筆者絶望。畜生。金返せ。

の、割にはアリサ、シオ以降迷走が著しいGEのヒロインキャラ達よりよっぽどGEらしいヒロインであるという不思議。登場時間は三十分、いや厳密に言うと二十分にも満たないのに。20時間以上ストーリー見てきて未だに筆者には存在意義が解らない「2」以降のヒロイン達よ。…どうなってるんだ。

 

「一般人、両親を尊敬、家族想い、抱えている物は重いが基本は明るく、健気」とこの作品のメインキャラのレアやリッカとの共通点も多く、自然に溶け込んでいけそうな素直なキャラであり好感が持てる上、イロハや彼女の家族、そして弟であるアニメ主人公―レンカの抱える背景が「ハイド」の連中と不思議と似通った部分があったので構想段階の説話を総ボツにする事に全くの躊躇いは生まれず。

 

(アニメ放映時、イロハの最期のシーンで恐らく大抵のGEファンが画面の前で「……」となっているであろう中で筆者は―コレだ!!オウガさん…やっぱ貴方はいい仕事するなぁ…。と思い、意気揚々とペンを走らせたのは内緒だ。)

 

アニメ最期のシーンでオウガによって「実は両足のみ喰われていた」と言う追加の設定を加え、ある意味死ぬ以上の絶望の中で「ハイド」やレアに支えられ、「一度死を覚悟し、諦めたアニメ最期の場所で今度は絶望を断ち切って立ちあがる空木 イロハという一人の少女の最終シーンを描く」というモチベを素に―

 

筆者はGEアニメを一話から見た。ネタ探しの為に。

 

が、裏切られた…!これ以外の話にイロハが全く出てこない!おかげで十話だけ何度も何度も…見る羽目に。結果「どうやって包帯の上からハエはイロハに卵を植え付けたんだろう?」などとどうでもいい事を考えてしまう程の危険な精神状態に…。

 

 

以上…アニメを見ていない人には全く解らない困った筆者の愚痴でした。

 

もしこれで少しでも興味が湧いたのであれば良ければ「GE アニメ 10話」だけでも見てつかぁさい…。

 

 

 

 

 

 

 

さて。

 

ここから先は「おまけ」になります。

 

前話のオマケ欄に書こうとしたのですが読後感から「蛇足」と判断し、ボツにしたものです。補足とアフターフォローだけのつもりが無駄に余計な物が付いて長くなってます。

 

 

よろしければお付き合いを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

色の葉の庭

 

 

 

 

 

数週間後―

 

 

少女―空木 イロハが目覚めたこの病院にとある来客がある事をイロハは教えられた。

 

イロハが目覚めた病院―ここはフェンリル出資の公式な病院では無く、「とある」個人が出資し、医者、看護士、事務職員に至るまで、身分、経歴、学歴に拘らず完全な実力主義で採用し経営している個人病院らしい。

設立当初、「採算など取れるはずが無い」「すぐにつぶれるだろう」と散々バカにされたようだが周囲の予想を大きく裏切り、この病院を訪れる患者は増加の一途を辿っている。

 

患者のターゲット層を人工増加の傾向にある下流から中流層に絞り、私立病院で在りながら比較的安価で、尚且つ良質な医療を提供する事から最近は評判を聞きつけた上流層、貴族層の患者までこの病院を訪れるようになっている。基本競争相手の居なかったフェンリル直属の公立病院では内部の派閥、権力争いの激化による医療の質、サービスの低下が著しく、おまけに医療費も高額と全く世間のニーズに逆行していた為、完全にこの地域周辺ではこの病院に大きく水をあけられた。

 

 

そんなこの病院を纏め上げている最大の出資者、筆頭株主、最高経営責任者、理事長を兼任している人間が本日来訪するらしい。

 

 

「まぁ…はっきり言ってカネに汚い嫌な奴だけど、悪い奴じゃ無い、…とも言い切れないけど一応一番のお偉いさんだからそれなりにしてやって?」

 

「は、はぁ…」

 

現在イロハの治療、そしてリハビリの担当をしている女医が自分の働いている病院で一番のお偉いさんに会う割には何とも非礼かつぞんざいな口調、かつめんどくさそうにイロハにそう言った。

 

ぼさぼさの黒髪を乱雑に後頭部で縛り上げ、着崩しすぎの乱れた白衣と適当さ満開、おまけに目元には深々とクマが刻まれており、一見「大丈夫かこの女医…」と突っ込みたくなる風貌だが眼鏡の中に光るやや上目遣いの鋭い吊り目がやり手を伺わせていた。

実際、非常に評判の良い腕のたつ医者らしく、その風貌で在りながら患者からの人気が高い。

 

だが

 

リハビリが「超」がつくほどスパルタなのが最近イロハの悩みのタネだ。

午前中のリハビリを終えたイロハはその女医が引く車椅子の上でぐったりしながら乱暴に「運搬」されていた。口から魂がぽわわんと出ている状態である。

 

「ちっ。こんのクソ忙しい時に来やがって…あいっかわらず空気読めない奴」

 

そんなイロハの背後で容赦なく口汚くCEOを罵る女医。

 

しかし一方でどこか不思議と親しみを覚える口調でもある。罵ってはいるものの相手を信頼しているのがイロハには解る。車椅子を押す速度もいつもより更に早い。どうやら相手を待たせる気はない様だ。

 

 

キキキキキッ!

 

 

「わわわわっ!」

 

 

イロハを乗せたまま華麗な車椅子ドリフトで廊下をコーナリング。途中で若い看護婦に「コラ!廊下は走らないで!って…アダチさん!?」と、窘められるものの「ごめんよ!」と軽く言い放って女医―アダチは走り続けた。

 

そして

 

 

「おっと…いたいた!お~~~い」

 

キキキキキッ!

 

とある病棟2Fに達するとアダチはAK〇RAばりの急ブレーキをかける。乱暴な「運転」によって酔い、横倒れになりそうな体を何とかイロハは支える。

 

 

―うう。吐きそう。

 

 

そんなイロハの事など露知らずマイペースな女医アダチは相変わらず能天気な口調で適当に手を振りながら声を上げる。

 

「こっちこっち~~」

 

 

「…ん?」

 

その声にこの病棟のとある一室から出て来たばかりらしい一人の男性が反応する。長身で細身。そして長い金髪の前髪から見下ろす、見下すような細く、猜疑心に溢れた細い瞳が隙間からぎろりと覗く。

恰好もパンキッシュな白のシャツにダメージ加工のされたデニムとかなりラフな出で立ちである。第一印象は大概の人間は「おっかなそうな、怖そうな人」になるだろう。

しかしアダチは相も変わらず能天気に

 

 

「お~~~い。カレルぅ~~~~」

 

 

そう言いながらその青年に手を振る。すると青年は腰に手を当て、大げさに溜息をついてこう言った。

 

 

「アダチ…いつも言っているだろうが。俺の事を名前で呼ぶな。そして敬語を使え。部下に示しがつかん。そしてこれもいつも言っている事だ。『時間は守れ』。時間を無駄にする事は金をドブに捨てるのと同じだと」

 

 

「はいはい。シュナイダー理事。こんなクソ忙しい時に空気を読まずよく来てくれやがりました」

 

 

 

カレル・シュナイダー

 

 

この若さにしてこの病院のCEOであり、最大株主の男がアダチ、そしてイロハの下に歩み寄る。そして三メートルほど手前で腕を組みながら顎を上げ、ギロリと車椅子に座るイロハを鋭い目で睨む。長身の上に鋭い目つき、そして癖なのか少し顎を上げて他人を見下すように見るので

 

―う。

 

イロハは思わず委縮したように身を縮こまらせ、反射的にぺこりと頭を下げてしまう。

 

―な、なんか目を合わすと噛みつかれそう。そんな事しないだろうけどなんか怖そうな男の人だな…。

 

フンと鼻で笑う声がイロハの頭上で響いたかと思うと

 

 

「アダチ…『この女』が例の?」

 

 

「そ。さ。イロハ。一応挨拶して。一応ここでは一番偉い人で、一応一番ここに金払ってて、一応こう見えてそれなりの常識はあるからさ。多分」

 

「『一応』。『多分』。『それなり』俺が最も嫌いな部類の言葉を連呼するんじゃない」

 

「だからこそ連呼してるんですのよ。嫌になってアナタが早く帰られるようにしてやってあげてやるんでありますよ」

 

「…アダチもういい。お前が敬語使うな。余計に腹が立つ」

 

 

「…」

 

―仲いいな。この二人。

 

その二人のやり取りを見て少しイロハは安心する。

 

 

「は、初めまして。空木 イロハと言います。その、大変お世話になっております」

 

 

「フン…」

 

 

イロハの形式ばった挨拶に何ら反応せず、金髪で細身の男―カレル・シュナイダーは膝を下ろし、今度はイロハを見上げる格好になった。そして

 

 

スッ

 

 

男はイロハに右手を延ばしてきた。握手を求めているらしい。な、なんだ。いい人じゃないか。イロハはそう思いほっとして彼女もまた手を延ばすが…

 

 

バッ!

 

 

「え。うひっ!!」

 

ずりっ!

 

 

自分自身でも驚く位の気色悪い声がイロハの喉から出る。それもそのはずであった。

カレルの差し出した右手はイロハが差し出した右手をスルーし、リハビリで火照った彼女の足が冷えないように敷いていたブランケットをめくり上げ、徐に彼女が履いていた膝上くらいのショーツを脱がしにかかっているのだから。

 

 

「え。えぇええええ!??い、いきなりなにするんですか!??」

 

「うるさい黙れ」

 

一喝。ひぃ。

 

「あ、アダチさん」

 

アダチに助け船を求める。が、

 

「イロハ大丈夫。コイツにそう言う趣味ないから」

 

 

―そういう問題ですかぁ!?

 

 

 

 

 

 

「……」

 

―成程な。確かにコイツは凄い―いや、色んな意味でヤバすぎる技術だ。アダチがあんなに取り乱しながら俺に報告してきた訳が解る。

 

車椅子に座った少女のショーツを脱がし、下着姿にしてマジマジとその股ぐら周辺をガン見する男の姿―はっきり言って光景だけなら変態以外何者でもないがカレルは至って平静だった。

 

彼の頭の中では急速に渦巻いている。少女の足の付け根に走る接合痕、その圧倒的な技術力、この時代に於いてもオーバーテクノロジーとも言える医療技術の結晶が今こんな小さな少女の足下で息づいている。

 

―元々貴族でも、そもそもフェンリルの庇護化にもいなかった金も何もない難民の女にこれ程の処置を施す奴か。はっ、相当のバカで相当の天才だな?

 

 

そしてその「馬鹿」は先日

 

直接「交渉まがいのこと」までカレルにしてきた。

 

 

 

 

 

 

俺は先日

 

「病院の庭で一人の人間が捨てられていた」との報告をアダチから受けた。それは別段このご時世珍しい事ではない。俺にとって「またか」程度のことではあった。

 

―全く…俺の病院は養護施設じゃないんだぞ。

 

いつも通り「保護施設に預けるだけの話。いらん報告はするな」と、アダチを突っぱねたのだがアダチは喰い下がってきた。

 

「この患者おかしいんだよ。上手く言えないけどなんか色んな意味で」

 

それがこの女だった。最早成人に近い女が俺の病院に捨てられていて、おまけにフェンリルには登録されていない難民だった―これだけなら「厄介な奴が転がり込んできたな。適当な所で追い出せ、働けるようなら働かせろ。それがダメならお前の好きなようにしろ」

 

で、済む話なのだがそうもいかなかった。

 

こう言うのもなんだがアダチは俺が認めた優秀な医者だ。そのアダチがこの女の足に施された治療痕を前に目が離せなかったというのだ。技術がある医者であるからこそ、この女の足に施された処置の異常さが解ったらしい。

 

全く以て未知の治癒行為。技術が施された事は間違いない。それしか言えないと電話で語るアダチの声は俺の興味を引くには充分な話だった。

 

そしてそれだけに終わらなかった。

 

その電話をアダチから受けたその日、俺は封筒を受け取った。差出人不明の封筒だ。

いつもなら考慮にも値せず即ゴミ箱行きにするが何故か俺は即処分する気が起きず、その封を開けた。中に入っていたのはたった一つのデータディスクであった。

 

その内容はかいつまんで言うとこうだ。

 

俺の病院で捨てられていた女の名前は「空木 イロハ」と言う名前である事。

 

その女を保護し、歩けるようになるまでリハビリを施してほしい事。

 

その女が歩けるようになったら暫く働き口を与えて欲しい事。

 

そして出来る事ならば女の「人探し」を手伝ってやってほしい事。

 

このデータディスクの情報を外部、そして彼女には絶対開示しない事。

 

正直ここまでなら「俺が何故そんな慈善団体みたいな真似を」で終わる話なのだが…この送り主は「おまけ」に厄介な土産をつけて来た。

 

 

「これら条件を受け入れてくれるのであれば段階を持って―

 

この医療技術を貴方がただけに開示していく」

 

 

実際にそのデータディスクにはこの医療技術に関する一部データが確かに掲載されており、当然俺だけでは判断がつかない為アダチにも見せた所―

 

「…」

 

あのいつもやかましいアダチが絶句していた。それだけで俺には充分だった。

 

 

 

 

 

「うぅ…カレルさん?ズボン履いていいですか?」

 

「…」

 

―金も血筋も品性も何も持っていない女だがこの女には価値がある。莫大な金を生み出す可能性のある金の卵だ。

 

「うう。なんで無言なんですか。そして何故か凄く失礼な悪口を言われている様な気がします」

 

「…」

 

―そして同時に幾人かの俺の病院の患者を救える希望の―んっんんっっ!!…より多くの患者を引き連れ、俺の病院を儲けさせ、発展させることのできる幸運の招き猫かもしれない。

 

おまけに先行投資はバカみたいに安いときている。このデータディスク内に在った第二の情報開示の条件が何と「218万92fcをキャッシュでとある場所に置いていけ」という格安条件だ。

 

恐らくは長年国家レベルの予算を開発、研究費用につぎ込んだであろうこんなオーバーテクノロジーの一部情報をこんな安値で売り捌くとは。

 

ああ。もう既に払ったさ。妙に中途半端な額で少し訝しげだったが1fcたりとも削らず払った。そして事実ちゃんと追加情報は来た。どうやら「本物」らしい。

 

相手は本物のバカのようだ。

 

基本甘い情報やバカな根拠のない話に絶対乗らない俺であるが、同時に「世界にはバカな話などごまんとある」のも知っている。世界にはとんでもなく悪い意味でバカな奴もいれば、違う方向性でこんなバカなお人好しが世界にも居るというのも事実と言うことだ。

 

 

 

「…で。おい。女」

 

「は、はい?」

 

「リハビリは順調なのか」

 

カレルはある程度の情報をイロハの足から読み取ると全く興味を無くしたように、払いのけたブランケットをイロハの膝の上に乗せる。ここまでされたのに女性としては傷つく反応だ。

カレルの興味は既に次の段階に移っている。この少女のリハビリの成功が次の情報開示の条件であるだけに。

 

 

「…っどう、なんで、しょう…?」

 

「頼りない反応だな。…アダチ」

 

「う~ん。まぁ順調は順調だね。一応この子はそれなりにガッツはある。何よりもこの子自身『歩けるようになりたい』って思いが強いみたいだし。その点は自信持ちな。イロハ」

 

アダチはようやくイロハに助け船を出す。珍しく笑って。

 

「…そうでないと困る。女、お前の入院費、治療費はきちんと払ってもらわんといかんからな」

 

カレルはきちんと「分けて」いた。情報を得る事で生まれる利益と逆にイロハを預かる事によって生まれる諸経費を全く別物にして。流石に金に汚い彼だけはある。

 

しかし

 

それも「相手側」は織り込み済みだった。カレルの性格を知っている「彼」はカレル自身が決してイロハを甘やかさない事、そして同時に治療を終え、イロハの価値が実質無くなっても完全に見捨てて放り出すような人間ではない事を知っている。

 

故に「彼」はカレルに彼女を預けたのだ。

 

「足が治った後、その分を埋める為にお前の体で支払ってもらうぞ」

 

「カ、カラダ!?……っ?」

 

―あれ。なんでだろう?私どこかでこんな経験をしたような……?

 

「…ん?勘違いするな。ここで暫くの間タダ働きをしてもらうだけだ」

 

「…ほっ。そ、そう言う事ですか…」

 

「まぁ女?お前が『そちらの方』をお望みであれば俺にも幾つかアテがある。お前がリハビリをさぼったり、役立たずであれば容赦なくそっちに放り出していいんだぞ?」

 

「が、頑張りますからそれだけは!!」

 

「ふふん。それでいい。曲がりなりにもその齢まで『外で』生きのびて来たんだ。最低限の医療知識ぐらいあるんだろう?」

 

「あ。…まぁほんの少しぐらいですが。…お役にたてるかどうかは」

 

「お前にはアダチをつける。せいぜい勉強するんだな」

 

事実である。

 

カレルは彼自身GEである以上知っている。装甲壁内で住み、フェンリルに対して雇用の拡大を要求しているような無職の人間達より厳しい外の世界で生きのびている難民の方が時に生き残る為の術、知識を吸収している事が多い。そもそも限られた物資、食料、薬剤で出来る限りの最高の効果を出す為の知識を最低限持っていないと外ではそもそも生きのびる事すら難しいのだ。

 

それをこの歳まで女性の身でありながらイロハは生き残ってきたのだ。治療後もしばらく飼っていて「損はない」とカレルは踏んだ。「使える」人間は正直大歓迎だ。病院という物はとかく金がかかる。その上人手がいる。こんなご時世なら尚更だ。

 

 

 

「…女。お前探している人間がいるそうだな?」

 

「は、はい!」

 

「働き次第ではその『人探し』とやら手伝ってやってもいい。せいぜい励め」

 

にやりと笑ってカレルはそう言った。最高の餌を最後ににぶら下げて。

 

「…はい!」

 

―色々失礼なことされたけど…いい人だな。この人。

 

 

でも―

 

 

「あの…その…カレ…いえシュナイダー理事長?一つよろしいですか?」

 

「長いな。もう『カレル』でいい」

 

「ん。ちょっとイロハには甘くない?アンタ」

 

「うるさい。で、なんだ?女?」

 

 

「…私の名前は『女』じゃないですよ。『空木 イロハ』です。ちゃんと名前で呼んで下さい…カレルさん」

 

 

イロハは少し反撃の意図を込めて上目遣いで強気に笑ってみせた。すると

 

 

「…フン。上等だ」

 

 

カレルも笑った。

 

 

 

 

その時だった。

 

 

 

「カレルお兄ちゃん!!」

 

「カレルさんっ!!」

 

「りじちょ~~~っ」

 

「カレル様!」

 

 

ずしっ!

 

 

「ぐおっ!」

 

 

いきなり背後からカレルに飛びつく影があった。その時イロハは気付く。アダチに連れられた先、現在自分達が居るその病棟が小児病棟だと言う事を。

 

「お前ら…」

 

カレルは重みで前のめりになりながら恨めしそうに背後に絡みつく小児病棟の患者である5歳前後くらいの少年二人、少女二人の四人組をぎろりと睨む。普通なら委縮しそうな位おっかない彼の視線だが子供達はどこ吹く風だった。

 

 

「カレルお兄ちゃん!!お土産有難う!!」

 

「あの…その…お母さんが御礼を『言っておいで』って」

 

「ちっ余計な事を…」

 

「りじちょ~~つぎいつこれる~?今度はいっぱいいっぱい遊んでね!」

 

「カレル様。結婚して。ダメなら第二夫人にして、それもダメなら妾にして、最悪養子で」

 

口々にカレルに纏わりついた子供達は矢継ぎ早に彼に語りかける。

 

 

「…」

 

イロハは呆気にとられる。そして同時に

 

 

 

「くすっ…あはぁ…あはははははは!」

 

 

 

後ろに立っているアダチと一瞬顔を見合わせた後、大声で笑った。そんなイロハを忌々しそうな目でカレルは見てこう呟いた。

 

 

「ほぉ…決めた。…お前の当分の仕事はコイツらのお守りだ…。はっきり言ってコイツらはアラガミより質が悪いからな。せいぜい殺されない程度に頑張るがいい。リハビリと勉強と並行してやれ。つい今しがたあれ程の啖呵を切ったんだからな。…弱音など一切許さん」

 

 

イロハは調子に乗り過ぎたと後悔したが既に遅かった。

 

小児病棟の子供達の眼はカレルに組みつきながらも既にイロハをターゲットに捉え、車椅子に座った彼女を興味深そうに見ていた。イロハはその瞳に気圧されるようにたじろぐ。が、やがて覚悟を決め、苦笑いしてこう言った。

 

「初めまして。私はイロハって言います。よろしくね。皆」

 

 

 

 

「…イロハさん」

 

「イロハちゃんか…」

 

「ふ~ん。イロハさんね」

 

「イロハ…おねえちゃんだね」

 

 

 

 

 

―あ。

 

イロハはしっかりと自分を見るその四人の子供達を見て何故かこみ上げてくる物を感じた。とても懐かしいような温かい感覚を。

 

 

 

―イロハさん。

 

―イ~ロ~ハちゃん!

 

―イロハさん?

 

―…イロハねえちゃん。

 

 

 

イロハの様子がおかしい事に気が付いたアダチがイロハの顔を覗き込む。そして同時驚きの声を上げた。

 

「…!イロハ?貴方…」

 

 

「……?え。…あれ?あれ?あれ…?」

 

 

イロハはぽろぽろと流れる涙を抑える事が出来ないまま笑っていた。何故今自分が泣いているのか解らない驚きの表情のまま。

 

―なんでだろうね?なんでだろうね?バカみたい。

 

でも。

 

無理だよ。止まらないよ。

 

 

心の中でそう呟きながら。

そんなイロハを心配そうに既に四人の子供たちが取り囲み、「泣かないで」と訴えかけるように一人一人イロハの手を小さな、しかし温かい手で握ってくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一時間後―

 

 

「ここだよ。イロハ。アンタが捨てられていた場所…」

 

「ここが…」

 

「味気ないけどここには草が生えてるし、おまけにコイツ一本だけだけど一応木も生えてるからね。オーバーナイトの仕事がようやく終わっていつものここで寛ごうと思ってたら思いがけない先客がいたってわけだよ。それがイロハ…アンタだったワケ」

 

私は私があの病室で目覚める三日前、唐突にこの場所―この病院の中庭に生えたこの一本の木の根で眠っていたらしい。そんな私を見つけたのがアダチさんだった。

 

「どう?何か思い出さない?」

 

「いえ。すいません…」

 

「そっか…ま。アンタにこれだけの処置施した上にまぁマシな所に放置するあたり少しはマトモなのかもしんないけどね。アンタを捨てた連中は」

 

「アダチさん…」

 

「ん?」

 

「少し…一人にさせてもらっていいですか?」

 

 

 

 

「よいしょっと…ふぅ…」

 

私は車椅子から這いずる様に降り、私が放置されていたその日と同じような姿勢―木の幹に背中を預けつつ見上げ、目を閉じる。木漏れ日が風に吹かれてさらさらとそよぐ。

成程。アダチさんの言った通り昼寝には最適の場所だ。

 

 

―私はここで捨てられていたのか。…ふふっ。レンカ?奇しくも貴方と私…一緒になっちゃったね?

 

貴方は汚泥の中で。

 

そして私は…この木の根元か。

 

 

私は自虐的にそんな風に思いながら目を開ける。すると小さい頃膝枕をしてもらった時のお母さんの様な安心感を与えてくれる大きな木が風に吹かれながらもどっしりと佇んでいた。

 

私はこの木の正式名称を知っている。伊達に長年植物図鑑を読み漁ってはいない。

この木の品種はソメイヨシノ。つまり「サクラ」の木だ。

 

 

 

元々私は正直、この「サクラ」というものがあまり好きでは無かった。

 

 

2070年代の現代―

アラガミ出現後、世界中の気候が大きく変動した影響なのか、21世紀初頭まで三月後半から四月初旬にかけて桃色の花を一年に一回限られた期間のみに満開に咲かせたというこの品種は現在その周期を喪っており、ほぼ年中緑色の葉をつけるのみの木となっている。

 

 

かつては限られた短い期間ながらもとても美しい花を咲かせ、そして一瞬にして散る。そんな儚いサイクルが多くの人々を魅了してきた神秘的な自然の象徴ともいえる植物―と小さい頃、穴が空くほど読み返した図鑑には書いてあった。

 

その儚さが幼い私にとってどこか悲しげで寂しげに映ったのだろう。自分達の境遇、そしてこんな時代故に少しでも。せめて図鑑を見ている間くらいは夢に浸っていたかったのかも知れない。

 

 

でも私は眠りから覚めた後、何故かこの「サクラ」という物の印象を変えていた。

 

 

確かに短い期間であってもそれが掛け替えのない物であるからこそ人はそれに惹かれるのだろう。そして「サクラ」というものは散ってそれで終わりではない。その刹那的なサイクルは「終わり」を表す物では無く、新しい季節の始まりの象徴でもある。そして次の季節には異なる色の葉をつけ、それは一年の大半を芽吹き、生き続ける。木そのものはそれよりもさらに長く生き続ける。そして季節を繰り返し、また短く儚い、しかし素敵な時間を人々に与える。

 

 

これはまさに私が忘れてしまった「貴方達」そのものではないか。

 

 

貴方達は私の前に現れ、あまりにも鮮やかに短く、早く居なくなってしまった。記憶からも居なくなってしまうほどに。

でも例え覚えていなくても私にとって貴方達との出会いがどれほど素敵で素晴らしいものであったかは覚えている。

 

 

「サクラ」

 

 

この一つの言葉が私と貴方達とのキーワードで在る様な気がしてならない。貴方達と私を繋ぐ何かであるという根拠の無い確信が強くなっていく。

 

だから私は前に進もうと思う。貴方達がくれたこの両の足で立って歩く。次の季節に芽吹く―

 

 

異なる「色の葉」となるために。

 

 

 

その先でまずは蓮花と再会して。色んな事を一緒に乗り越えて。

 

そしてもう一度季節がめぐるその時に―

 

 

きっと

 

きっと―

 

 

 

 

 

 

 

「ぐっ……」

 

 

イロハは膝に力を込める。ぴりぴりと神経が放電するように両足から発せられる激痛が彼女の頭の上まで一気に貫く。その度に頭のどこかで何かが囁く。「無茶するな。無理だ」と。

でも今のイロハは止めない。止められない。

 

「う、うう…!!うっつぅううう!!!」

 

心もとなくがくがくぶれる両足、木を掴んだ両腕の支えなしではそのままくず折れてしまいそうだ。それでもイロハは唇を噛みしめ、徐々に上へ上へ。汗と激痛によって思わず生じた涙が頬を伝うがそれをぐいと拭い、呼吸を整えてまた上へ少しずつ体を押し上げる。

激痛は異常なほどの時間感覚の延長を生む。もう既に何度も何度も季節を巡ったような永遠にも感じそうな時間。

苦痛の時間。

 

しかしそれが唐突に。

 

彼女の中で終わりを告げた。

 

 

「…あ」

 

 

体が飛んでいきそうな程ふわりと浮いた様な感覚がした。両手をゆっくりと名残惜しそうにイロハは木の幹から離す。未だに覚束ない、体の軸はふらふら。まだまだとても一歩踏み出せそうなバランスではないが…

 

 

彼女は立っていた。彼女の両足で。緑の草の大地を踏みしめて。

 

 

ザアッ

 

 

栗色の髪が揺れる。風が優しく彼女の足を浚っていく。

 

 

「……あはは♪」

 

 

少女は一人立っていた。

 

 

新しく芽吹いた色の葉の庭で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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失われた記憶の小路を抜けて

「サンクチュアリ候補地の現地調査…?」

 

「う~ん。ママぁ?それって私ら『ハイド』が出張ってまでやること~?」

 

「そう言わないでアナン。全世界、全支部において緩やかな人工増加傾向にある人類の生息圏を少しでも広げる為に『少しでも今まで放置されていた地域にフェンリルの拠点を増やしていく』…それが最近のフェンリル本部の基本方針でもあるから。これは大事な任務よ」

 

欧州ロンドン―「ハイド」拠点にて

 

今回「ハイド」に課せられた任務―「サンクチュアリの候補地の開拓、そして候補地に生息するアラガミの調査と同時の排除」に関してやや訝しげ、同時不満気そうなハイドの隊員にレアはやや困った顔をしながらも「受け入れてほしい」と言いたげに眉をひそめて笑っていた。

 

「俺達がそこを開拓した所でどうせそこに住めるのは貴族、役員クラスの親族とかのほんの一部人間なんだろ…」

 

「う~ん。残念ながら正解よリグ。その候補地はサンクチュアリの等級で最上級の『ランクS』を予定されている。既に高い倍率の中選ばれた居住者はフェンリルの中でも名だたる貴族、高官の親族達の出資を受けて着々と準備は進んでる」

 

「『アーク計画』と何ら変わらないじゃねぇか…。…ママが行けって言うなら行くけどさ」

 

「え~~尚更私らが行く必要無くない?そんなカネ持ってる連中ならアラガミ研究者、それなりの高ランクのGEを派遣するなんて朝飯前じゃん……って…あ」

 

そこまで言ってアナンは気付く。自分の言葉のどことない「既視感」に。

 

「…前回のサテライトBの一件以来、どうやら本部も慎重になってるみたいね。何せ比較的等級の高かった『サンクチュアリ』のサテライトBで貴族、高官の親族、そして派遣された有能な科学者、GEまでもが大勢亡くなった―結果本部が設定するそもそものサンクチュアリの等級基準に対しての信用はガタ落ちっていう現状だから」

 

「ア。ワタシラ、レンチュウノ『ギャンブル』ニツキアワサレテルダケナンダネ」

 

アナンが皮肉をたっぷり込めて口を人形のようにパクパクさせながら棒読みでそう言った。

 

そもそも「サンクチュアリ」の等級基準に未だ明確な基準はない。「アラガミが寄り付きにくい地域」の科学的根拠に乏しい中で人間が無理やりつけるこの等級はあくまで「現状アラガミの数が極端に少ないと思われる」地域、そして現地の気候や水、資源などの環境条件の良し悪し等を主に参考に付けられたまだまだ曖昧な基準なのである。

 

よってアナンが言う「ギャンブル」というのはあながち間違ってはいない。

 

「…。ま。状況はよく解った。引き受けてしまった物はしょうがない。アナン?リグ?取りあえず不満はあるだろうが…今回もしまっていこう。拠点や支部のキャパが空けば自然装甲壁外の難民の受け入れられる可能性も増える。…イロハの様な人達を少しは救えるかもしれない」

 

「…了解」

 

「りょ~かい」

 

エノハは取りあえず「まとめ」に入る。愚痴を言っても始まらない。少し汚いが使わせてもらおう。

 

「イロハ」―この言葉で渋々了承する彼等の傍らで。

 

「…」

 

ただ一人この会話の最中一言も発しなかった少女がいる。

 

―…?レイス?

 

銀髪の美少女はこの会話の間ずっと黙ったままだった。元々口数自体そう多い少女ではないがそれでも不平不満の多いリグ、アナンらをエノハ達と一緒に諭す側である「レイス」の沈黙の意味を知る者は現状この場では

 

「…『レイス』」

 

そんな彼女を憂いを帯びた瞳で見、そう呟いたレアだけであった。

 

「…。ん…?あ。ママ。ゴメン。私は大丈夫だから」

 

「…」

 

「いいよ。気ぃ使わなくて。…あ。気遣わせたのは私か。その…とりあえず話続けよ?このままじゃほら…エノハさん達ワケわかんないまんまだし」

 

話を打ち切る様に両手をパンと叩き、「レイス」が珍しく明るく振舞っていた。彼女には悪いが不自然さ満開である。そんな「レイス」のキャラに合わない不自然な行動の素になったものが数十秒後、判明する。

 

と、言ってもその「時点」では「レイス」の事をまだまだ何も知らない新参者―エノハには解らなかった。

 

レアが話を再開し、今回の「ハイド」の派遣先の情報、そして映像が映しだされた瞬間、エノハを除く全員が合点が言ったと同時驚きの声をアナンが上げた。

 

 

今回の任務地―某欧州「S」共和国跡地。

 

 

 

 

「ここって…

 

 

 

 

 

 

 

 

『レイス』の故郷があるとこじゃん……」

 

 

 

 

 

「…」

 

長い銀髪の前髪を細い指先で「レイス」はくるくるとこねる。表情は相変わらず無表情だがどうやら彼女なりの少し居心地の悪さを気にする事を示した所作の様だ。

 

 

 

銀髪の死神の少女―「レイス」―帰郷。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブリーフィングの後、エノハはレアと共にその場に残っていた。

 

いや、厳密に現在エノハの前に居るのは―

 

「…♪」

 

カチ、カチ、カチ…

 

掌と指先を使い、机上でフェンリルの紋章を象った舌ピアスを鼻歌交じりに転がし、弄んでいるレアのもう一つの人格―ルージュであった。ブリーフィングを終えた後、彼女達は「交代」したのである。

 

「…レイスは自分には『記憶が無い』といつも言っていた。詳細についてあんまり話したがらなさそうだったから今まで保留にしてきたけど…詳しい事は聞いていいのか?」

 

「本人から直接聞け、と、言いたいトコだけど?エノハさん」

 

「いや、その…逃げられてさ…」

 

「レイス」は時折自由時間はどこか誰もいない、知られない所で一人でじっとしている事がある。猫っぽい彼女らしいことだ。そして猫と同様、探そうとしたり、追っかけると不思議と逆に見つからなくなる習性を持っている。

 

「あはははっ。ダメよエノハさん?女の子はちゃんと捕まえておかないと。それが例え恋人であろうと部下であろうとね」

 

「それを言われるとな…でも君に言われたか無いぞ。ルージュ」

 

「ふふっまぁあのコらしいケド。……いいわ。私が説明してあげる。『レイス』には確かに記憶が無い。ただ『記録』は残ってる。あの子がかつて今度の任務地であるあの地で生まれ育ったという記録がね。…まずはあの子の話をする前にあの子の住んでいた場所、国の事を説明する必要があるわね」

 

「お願いするよ」

 

 

 

欧州「S」共和国跡地

 

かつて国土の半分以上を豊かで多様性に溢れた緑樹林に覆われ、アルプスの山々から贈られる美しい水源に恵まれた土地であり、そこにおとぎ話や童話の中から飛び出したかのような欧風建築の街並み、中世の城が点在する非常に美しい風光明媚な国―観光都市であった。

 

そしてそれは世界中でアラガミが出現した以降も変わらなかった。この地には何故か世界各国を荒らしまわり、猛威を振るったアラガミという病原体を寄せ付けない「無菌の地」のまま、二十年以上栄えた。

 

 

「…『レイス』が生まれ、そして育った「あの地」は世界で初めて聖域―「サンクチュアリ」と呼ばれた地なの」

 

かつて「サンクチュアリと呼ばれていた」という事は。そして今回「ハイド」がその地を訪れ、改に「サンクチュアリ」と認定される為の現地調査を行うと言う事は詰まる所―

 

結局ご多分に漏れず、「かつてアラガミに滅ぼされた」と「=」となる。

 

何がきっかけかは解らない。理由など無かったのかもしれない。アラガミ―オラクル細胞が出現して以来何故かこの地に十年以上寄りつかなかったこの土地―「神に選ばれた土地」とも呼ばれたこの地は「レイス」が七歳の時、突如現れた何の変哲もない数匹のアラガミによっていともあっさり容易く滅ぼされた。

 

そして何故かアラガミはこの地の「人間、そして人間の文明だけ」を縫う様に喰らい、追い立て、破壊しつくした後にこの地を放置した。ここを襲ったアラガミ達の大部分はこの地に留まる事無く、他の地に餌を求め、移っていった。そのおかげでこの地は―

 

「…絶景だな…」

 

エノハは思わずこう漏らす。眼下に広がったその光景に。

成程。「神に選ばれた土地」と呼ばれていただけはある。残念ながらその土地に人類はとどまり続ける事を拒否されたわけだが。

が、例え一度程度拒絶された所で人間はめげない。今再びこの地を神から取り上げようとしている。「神に選ばれた土地」を再び人の手に取り戻す為に神を殺すと言うのだから皮肉な話だ。しかしそれだけの価値はある土地でもある。

 

この地は前時代と変わりなく現在も美しい森林、湖、丘、そしてやや損壊はしているが未だ人間が息づいていた頃の中世の街並みを残している。今現在、「ハイド」の四人が立つ小高い丘の上からはターコイズブルーに光る湖、その中心にひっそりと浮く小島にかつて建てられた朽ちた教会、その背後に広大な山々がそびえる美しい景色―前時代の「遺産」は今現在も喪われていない。

 

同時に豊富な水源を持ち、農業に向いた気候、そして今彼等の居るこの丘を流れる強い風力もここに建設される「プライベートサテライト支部」のエネルギー事情を支えてくれる一助となるだろう。「サンクチュアリ」等級Sランクに相応しい様々な面でのポテンシャルを持つ魅力的な土地だ。

 

ひとしきりその光景を無言のまま愛でた後、エノハは隣に立つ「レイス」に

 

「どうだ…。…『レイス』?」

 

先日。

 

ルージュによって彼女の「レイス」という名前が初めてコードネームである事を知ったエノハが彼女に声をかける。小高い丘に吹く風に長く結わえた美しい銀髪を靡かせながら

 

「…イロハさんが見たらとっても喜びそうだね。木とか花が大好きだったし。…連れて来てあげたかったなぁ」

 

自分の生まれ故郷に久方ぶりに帰ってきたという割になんとも他人事みたいにそう呟いた。照れ隠しなどでは無く本当にそう思っている口調だった。

 

「さ。いこ。皆」

 

さくさくと草を踏みしめ、一足先に少女は駆け下りていく。その態度に感慨や懐郷の念は微塵も感じられない。しかしどこか「戸惑っている」という印象を「ハイド」の他三人は持った。率先して「レイス」自身が一行を手引きするあたりがいい証拠である。

 

彼女は足早に調査を終え、この地をいち早く離れたがっている―今の「レイス」の後ろ姿は三人の眼にそう映った。

 

何せ彼女には。

 

ここに関する記憶が全て一切合財喪われている。否、彼女自身で「閉じてしまった」と言うべきか。

 

 

「レイス」の両親は早くに他界し、その両親に替わって祖父が彼女と彼女の兄弟を引き取って育てていた。

「レイス」の祖父は古くからこの地域を治める謂わば「領主」を代々引き継いだ大地主であった。アラガミ発生以降の混乱する情勢の中、この地の平和と秩序を保ち、同時なぜここまでこの地にアラガミが発生しないのかを早急に調べ上げようとフェンリルに相談を持ちかけ、世界中にこのようなスポットが他にもあるのでは無いかとの仮説を立てた。

この地は安全とはいえ所詮は小国。隣国、そして世界中でアラガミによって住処を追われ、増え続ける難民の受け入れキャパシティには限界がある。それにここが「アラガミが発生しない地域」という珠玉の情報は伏せられ、結局一部の特権階級にしか開示されない。金と権力、地位のある者が有益な情報を手に入れ、安全な手段を以てここを訪れる。ここでも前時代と変わらず貧富の差が生じている。

 

―だが…今は仕方ない。

 

しかしいずれは「貧富の差に関係なく人々を受け入れられる安全な地、聖域―『サンクチュアリ』を提供できるようになる事」を目標に動く人格者であった。

 

彼が作り上げたそんなサンクチュアリの目標、基本理念は十年の時の経過でずいぶんとネジ曲がってしまった。が、根本にあったものは飽くまで理想を追い求める、少しでも近付いていけるように徐々に歩もうとする純粋な「人の心」が通っていた物であった。

 

しかし―

 

そんな彼等も夢から覚めたように突如この地に現れたアラガミの襲撃を受け、この地と運命を共にした。

彼自身、「レイス」祖母―つまり彼の妻、そして彼の子供六人を運命は飲み込んだ。

 

その中で唯一生き残ったのが六人兄妹の末娘の彼女―「レイス」である。

 

しかし ただ一人生き残った彼女はフェンリルに保護された時、既に家族に関する一切の記憶、そして自分の名前すら覚えていなかった。彼女を庇うようにして果てていた他の家族全員の屍の中から彼女は空っぽの状態で生まれでた。

読み書き、計算、食事のマナー、七歳の少女にしては出来すぎな程の物を持っている少女から家族の記憶、彼女の起源(ルーツ)そのものが一切失われていた。本名ですら判明したのは生前の彼女の両親と親交の深かったフェンリル役員の証言によるものだ。

彼女が記憶を喪う前の彼女の情報は非常に顔の広かった両親の友人達から伝え聞かされた断片的なものである。彼らは記憶を喪って変わり果てた「レイス」を見、口々に「気の毒に」「可哀想」と呟いたが家族の記憶と共に彼等の記憶も閉じていた彼女にとって彼等との再会は滅入るものがあった。何せ「知らない」人間に「知らない」かつての自分の事で哀れまれるなど中々溜まったものではない。

 

 

「貴方は〇〇で」

 

「貴方はこんな子で」

 

「貴方は―」

 

「あなたは―」

 

「アナタは―」

 

 

当初「レイス」の担当医師は彼女の記憶の回復を期待し、積極的に記憶を喪う前の彼女の知人達に声をかけさせていたが、一行に閉じた記憶を開く気配の無い彼女に業を煮やし、一部の祖父の友人が「あんな立派な人を孫の君が忘れるとは何事か。――――!頼むから思い出してくれ!」

などと悲痛ではあるが同時感情的が過ぎる彼女への声を荒げる者が出始める。

 

それでも彼女の記憶は閉じたまま。そして「レイス」は同時どんどん心を閉ざすようになる。

 

残念ながら今の彼女には自分が何故責められなければならないのか解らないからだ。でも同時彼女の元を訪れた祖父の知人たちの態度で解る。彼等は決して大袈裟に言っているのではない。嘘も言っていない。祖父は間違いなく善人で、自分をまさしく目に入れても痛くない孫として可愛がっていたのだろう。

そう考えると記憶を喪っている自分に本当に非があるのでは、などと考え始めたからだ。

 

徐々に彼女のストレスを懸念した担当医師は記憶の回復を一旦諦め、クラウディウス家の経営する自動養護施設―マグノリア・コンパスに彼女を預け、彼女の事を全く知らない周囲の中で新たな人間関係を構築、心身を安定させた後に経過観察を行うことに決定した。

 

そして現在―

 

GEとしての適性が見いだされた彼女は「ハイド」でエノハ達と共にある。

 

「この点に関してはレアと私の関係に似ているかもね。あの子は」

 

ルージュはそう呟く。

 

「レアは私という『受け皿』を作って自分の記憶を制限し、自我崩壊を防いだ。片やあの子は自分に関する一切の記憶を遮断、忘れたと思う一種の自己催眠をかけて自分を保ったと言えるかな。記憶喪失とは少し違う。彼女の脳波は正常だし、外部からの衝撃を受けた形跡もないから」

 

 

 

「ホントに全く...ニンゲンのカラダってものは上手く、都合のよく出来ているものよねぇ...?」

 

その人間の「都合のいいカラダ」とやらによって生まれたルージュらしい皮肉のこもった口調であった。

 

 

 

 

「…」

 

結わえた銀髪を揺らしながら丘を下っていく少女の後ろ姿をエノハはじっと眺めていた。

 

「エノハさん」

 

「…とりあえず…『レイス』を一人にしちゃまずいだろ」

 

「そうだな…」

 

リグ、アナンの二人に促され、エノハは気を取り直し、無線に手をやる。

 

「ノエル!これより現地調査を開始する。今日もオペレートよろしく頼むよ」

 

『了解です。ただ…本当に静かな所です。確かに少ないながらもアラガミ反応はあるので奴等が居るのは確かなんですが…』

 

「ですが…なんだ?ノエル?」

 

『動きがまるで違います。ひどく緩慢というか何と言うか…アラガミじゃない…ただの動物みたいだ』

 

インカム先から響くノエルの報告はこれ以上なく良い情報である事は間違いない。恐らく「ハイド」に課される昨今の任務の中では相当に楽な部類に入るだろう。

 

 

事実。現地調査開始二時間後の事であった。

 

「…!?」

 

「ハイド」が遭遇したアラガミを数頭討伐した後、早々とアラガミ達は交戦意志を喪い、直ぐに姿を消し、ノエルの拍子抜けした様な声のアラガミ反応の消失報告を淡々とエノハ達は無線から受け取った。

 

あっさりとエノハ達はこの地を神から取り戻した。そのあまりの手応えの無さに思わずリグがこう吐き捨てる。

 

「なんでアイツらは自分達にとってこんな執着の無い土地をわざわざ奪おうとしたんだ…?」

 

大して抵抗もせず、ここまであっさりと放棄するほど大して未練も執着もないこの地に元々住んでいた大多数の人間を殺してまで手に入れた意味は?

 

「レイス」の家族を殺した意味は?

 

「ワケ解んねぇ…!」

 

リグはあまりにも理不尽かつ不可解なアラガミ達の行動故にやるせなさそうに胡坐をかいて愛機を片手に立てかけ、どっかと座り込む。

 

「…実感するな」

 

「…エノハさん?」

 

「俺達が未だ一体何と闘っているのか今になってもロクに解っていない事がさ…」

 

「…」

 

かちゃりと携えた神機を手持無沙汰に眺めるエノハの姿をアナンもまた無言で見つめていた。

 

 

 

いずれにせよ今回の「ハイド」の任務は終了。

 

大した苦労もなく、人類はアラガミの極端に発生しにくい一等地を自らの手に再び取り戻した事になる。

 

状況は終了。

 

 

 

 

しかし―

 

一人の少女が姿を消していた。

 

いつものように。

 

猫の様に。

 

しかし彼女はいつも時と場合を選ぶ。状況は終了したとはいえ任務地で、おまけに何も言わずひとり居なくなるなど到底彼女らしくない。

 

 

 

 

「『レイス』……?」

 

 

 

 

 



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失われた記憶の小路を抜けて 2

抜ける様な蒼い空を見上げる。今のこの時代において世界中が退廃し、朽ちようとしている「砂漠」とするならばまさしくこの地は「オアシス」と呼ぶにふさわしいと言えるだろう。

 

世界を主導する者達は都合の悪い事をひた隠す事もあれば、逆に隠された恩恵を限られた者同士のみで享受する事もある。

「世界が退廃している、末期である」とイメージ付け、広大な外の世界への想像力、探究心を奪い、小さな「鳥かご」を最良の安全地帯であると思いこませる。

事実この時代、「それ」自体は決して間違いではない。世界の大半が人間の力を遥か凌ぐ天敵達が蔓延る超危険地帯であることには。

 

でも世界は生きている。隠された前時代の遺産は世界各地で今も息吹き続けている。

そしてこの地もまた生きていたのだ。つい十年ほど前まで。そして確かにいたはずなのだ。

 

―何も知らない子供の私が。

 

しかし今の私には無い「全てを持ち、全てを知っていた」私自身がここに―

 

 

 

「…ただいま」

 

 

 

 

「レイス」は帰ってきた。故郷の町へ。無人と化した街へ。

 

 

美しいおとぎ話に出てくるような欧風の石造り、レンガ造りの建築物もまた極東の都市と同じようにここを襲撃したアラガミによって所々綺麗にチーズの様にくりぬかれ、奇妙なアートの如き異質な街並みを作り出している。同時年月の経過による風化、浸食が進み、植生した深緑のツタやコケによって家屋は覆われ、手入れも除去もされていない結果、小路にまでびっしりと張り出している。

 

「…」

 

その小路をただ「レイス」は一人歩く。アラガミに襲撃され、人間に放棄されて以降人の手が入って無いにも関わらず、どこか趣を残したその町を。本来故郷に戻ってきた人間なら「懐かしい」やら「この道でよく遊んだ」とかの懐郷心が生まれるはずなのだろうがやはり…

 

―思い出せない。

 

この風景を眺める今の「レイス」の中にある物はあくまで「GE」としての任務地の地形や地理、家屋、建物の配置など予め頭の中に叩き込んでおく習慣に基づいたこの街の「情報」だ。「記憶」とは程遠い。

 

「ふふっ…」

 

一応「立場」上、無意識に呟いた最初の「ただいま」という言葉がやたら空しく虚空に響き渡ったことに「レイス」は思わず苦笑する。

 

「『実家』にも挨拶しておかないとね…」

 

「レイス」は見上げた。

 

記憶では無く「GE」として仕入れた「情報」上では彼女の実家―「領主屋敷」はこの街の中心地に位置している。代々の領主が常に町を眺め、様子を確認できるようにやや小高い山に建設され、周りを木々に囲まれながらも現在の「レイス」の位置からでも僅かに物見櫓の如き塔が覗く。アラガミが現れるずっと以前から地続きの隣国の侵攻を監視する為の物の名残だ。異常を察した際に鳴らされる警鐘も残されている。この街のシンボルだったのであろう。

 

「…迷子にならなくて便利だね」

 

過去の自分に語りかけるように「レイス」はそう言った。同時―

 

タタタタタっ

 

「…!」

 

―…え?

 

小さな少女が「レイス」の前を駆け抜けていく。小さな白のワンピースが蒼い空の光を浴びて映える。光を全て呑み込む全身が真っ黒の「レイス」とは対照的な色だ。しかし深く被った麦藁の帽子の合間から覗くサラサラの髪は―

 

「レイス」と同じ綺麗な銀髪をしていた。

 

 

「…案内してくれるの?」

 

そう尋ねた「レイス」に少女は振り返り、深く被った帽子で瞳を隠したまま僅かに覗く口を見せながらにんまりと笑って頷き、そして背を向けて走り出す。屋敷に続く少し登りが続く傾斜を物ともせず、小さな背中は駆けていく。

 

 

 

 

この「案内役」の少女、どうやら中々お転婆らしい。

 

小路に続く焦点、露店の店主にちょっかいを出したり、果物をちょろまかして何の躊躇い無く口に運んでいる。少女の行動に大人達はころころと無邪気に愛らしく跳ね回る少女の姿を見て苦笑いをし、悪戯な少女の被害を最小限に抑える為に自ら果物を投げる者もいる。

それを受け取った少女は軽やかなステップで韻を踏むように舞った後、仰々しく長い白いワンピースのスカートの両端を小さな指でつまみ、愛らしいお辞儀をする。どうやら彼女なりの御礼、お代金のようだ。

 

そしてぶんぶんと店主、次々に彼女に声をかけたり、手を振る知り合い達一人一人に手を振ってまた小路を軽やかに駆けだす。

 

そんな少女に連れられて数分歩くと徐々に人通りがまばらになり、少女の実家の敷地内に入ると辺りは草原、そして更に行くと鬱蒼とした森林の中、まるで天まで続くかのような傾斜の急な坂道が続いている。

迷子にはならないかもしれない。が、毎日町と家を往復するのにこれでは骨が折れるなと「レイス」は思う。

でも目の前をひた走る少女はそんな事露ほども気にしていないのであろう。

 

少女にとって毎日が冒険だ。毎日が出会いだ。その過程で生まれる家路と旅路を繋ぐこの急な坂道の上り下りなど彼女にとって、行きは今日の出会いに胸膨らませ、帰り路には今日の出会いを反芻し、同時明日の冒険に思いを馳せる道程でしかないのであろう。

そして今少女は今日の「冒険」、「出会い」を話し、共有することのできる者達の居る場所へ一旦帰ろうとしている。つまり彼女の家族の元へ。

 

今日の出会い―未来の自分でもある「レイス」を連れて。

 

 

「…」

 

少女と「レイス」が坂を登り切ると、領主屋敷邸内への入り口―黒い門があった。ただし荘厳ではあるが威圧的ではない。一見「黒い門」と書くと重々しい、「保守的、排他的、閉鎖的」な印象を覚えかねないが、その門には手入れの行きとどいた若緑色の植物のツタが絡まり、所々に色とりどりの花が咲いている。ここを訪れる者の身分、権威など関係なく、誰しもを温かく迎え入れてくれそうな柔らかい雰囲気を保っている。ここの住人の人柄を表す解りやすい指標と思える。

 

その証拠に先行していた少女は何の警戒もなく門を開け、これまた仰々しい手招きをして「レイス」を招き入れる。その所作は気取った様な所がまだまだ抜けきらないが、逆にそこが「精一杯背伸びをしている幼い少女」という印象を与える。彼女に招かれ、ここを訪れた客人はその微笑ましさにご満悦であっただろう。

 

―しかし

 

一度邸内に入ってしまえばここは少女の家。背伸びした「領主の孫娘」からまだまだ「甘えたい盛り」、「お転婆」な少女に戻る。

 

―!

 

タタタタタタッ!

 

少女は「レイス」を邸内に招き入れたとほぼ同時、後ろ姿でも解るほどいかにも「良い物を見つけた」ような躍りあがる所作をしたかと思うと一目散に駆けだしていった。

緑、花に溢れた邸内―そこに座り込みながら庭の草木を世話している大きな背中を目指して。

 

 

少女には彼女以外全員男の五人の兄がいた。その年の差は一番下の兄では二歳、一番上に至っては十二歳とかなり幅が広い。その中の一人、一番年の離れた19歳の兄―今邸内の草木を世話している彼に少女はべったりであった。両親を早くに喪い、祖父母に引き取られた彼女にとって一番年の離れた兄は「兄」というよりも「父」に近い。

 

いずれこの地の領主になる立場の兄は幼いころから聡明で在り、そしてとても優しい少年であった。末っ子でおまけに兄妹の中でただ一人女の子である少女の立場上、どうしてもとっくみあいの喧嘩では近い歳の兄には勝てない為、少女は普段から祖父母かこの一番上の兄に引っ付き、中々強かに生きていた。

 

かと言ってこの兄、いずれこの地の領主を預かる立場だ。努めて公平に、平等にものを考える。よって可愛い妹とは言え万事全てに於いて少女を庇ってくれるわけでは無い。少女に非があると判断すればちゃんと彼女を叱る器量を持っていた。幼さゆえの失敗で少女は時に叱られ、ふくれっ面を浮かべた。

が、女の子という物は男の子に比べると比較的精神的に早熟で或る。いずれこの地を背負って立つ彼の立場を何となく幼心ながら徐々に少女は理解し、その上で少女は兄を好み、懐いていた。

 

草木の世話をしながら背後に纏わりついた妹の頭を少年は優しく撫でる。完全に構ってモードの少女に少年は草木の世話を諦め、妹と同じ色の長い銀髪を揺らして立ち上がり、纏わりつく妹を優しく抱き上げ、頬ずりする。

確かに兄弟というより親娘の様だ。このスキンシップに少女が満足したと判断した少年は次に客人の「レイス」を優しく愛おしそうに彼女のつま先から結わえた髪の登頂まで見、

 

―大きくなったね。

 

とでも言いたげな目でにこりと微笑んだ。

 

 

「……!」

 

思わず「レイス」は目を逸らし、居心地悪そうにカリカリと頬を掻く。

 

 

 

―なんか…「誰かさん」に似てる。

 

 

 

……!!―!―!!

 

 

そんな兄の姿に少しむくれて少女はむぃ~んと兄に抱かれたまま彼の頬を引っ張る。困った顔をしながら優しい微笑みを携えた少年はぐずる少女を下ろし、尚も纏わりつこうとする彼女の頭を帽子越しに右手で撫でたまま「レイス」に向き直る。

 

 

―!―!

 

 

「私を見て!もっと見て!」とでも言いたげに少女は兄の足元で尚もぐずる。

 

「…安心して。盗ったりなんかしないよ私は」

 

「レイス」はそろそろこの優しい兄が立場上、妹の駄々を諫めなければいけない段階にある事を察し、早めにそう言って手を打った。

 

―!……。

 

すると兄の足元の少女は嫉妬のあまり自分を見失っていた自分の幼い所業に気付き、バツが悪そうに視線を逸らした。でもしっかりと左手だけは兄の添えられた右手をしっかりと握っている。「これだけは譲れない」とでも言いたげに。「レイス」はあまりの少女の健気さ、そして意固地さ、歳の離れた兄への執着の強さを微笑ましそうに見る。

 

 

「ホントに…大好きなんだね」

 

 

―ホントに大好き「だった」んだね…。

 

 

 

 

 

「……さよなら」

 

 

 

 

 

そう言って「レイス」は苦笑いを浮かべながら後ずさった。目の前の少年は少し驚いた様な表情で「レイス」を制止する。

 

―! もう行くのかい?待って。まだ会わせたい人がたくさんいるのに。

 

たくさん話したいことがあるのに。

 

「...ううん。これ以上いても『ムダ』だよ。でも…会えて嬉しかったよ…さよなら」

 

 

「レイス」はふるふると被りを振ってこう言った。

会えて嬉しいのに。楽しいのに。自分がこんな良い家族や周りの人達に囲まれていた事を示す純然たる証拠が目の前にあっても…

 

 

―結局これは…

 

「私の記録」であって「私の記憶」では無いんだね。

 

 

 

記憶は閉じたままの彼女は―「手」を離した。同時「レイス」の周りの光景が一気に「覆る」。2072年の現代へ。

 

かつてと変わらず原風景は美しいこの地。だが、十年後の現在―「レイス」の今居るこの地は最早誰一人として残っていない。目の前の領主屋敷も朽果て、放置された植物や花がびっしりと屋敷を覆い尽している。これも風情があって中々美しいと言えるが主を喪ったこの屋敷はやはり少々物悲しい。

 

「…」

 

そこにただ一人「レイス」は無言で佇んでいた。「ある物達」に触れていた右手の手首を左手で抑え、抱き込むようにして顎に添えながら拳を握り、軽く口づけする。

 

彼女が触れていた物―それは今は廃墟と化しているこの街の各地、そしてかつて彼女の兄が大事に育てていた領主屋敷に植えられた木や花、そして「ツタ」「コケ」などの植物であった。

 

この時代、見た目は前時代と変わらずともこの世界の生物、または植物はオラクル細胞によって何らかの干渉、影響を多分に受けている場合が殆どだ。だが植物に置いては例えオラクル細胞に浸食されても生態をほぼ変えない場合が多い。かつて地球上に存在していたオリジナルの植物群がオラクル細胞によって大半が喰われ、喪われていても地球の大気が人間や現在辛うじて生き残っている前時代の生物の生命活動を維持できるほどのレベルを維持できているのは半アラガミ化した植物の光合成によるものだ。オラクル細胞は自らの捕食行為によって地球の大気組成が大きく変化させる事を良しとしなかったのである。

 

「レイス」は今回、それら半アラガミ化した植物に触れて感応現象を起こし、彼等の記憶からかつてのこの地の光景、自分の情報、そして家族の町の人々の情報を「再生」させ、視覚情報として体験していたのである。

 

彼女が今回の任務の参加を断らなかった、そしてレアがこの任務を敢えて引き受けたのはここに理由がある。

実質「ラストチャンス」であったからだ。

「レイス」が自分の記憶、過去、ルーツをかつての知り合い達による情報から呼び覚まそうとする「人伝」では無く、感応現象を通して自らの「眼」で確認できる最後のタイミングでったからだ。

 

というのも聖域、「サンクチュアリ」候補地などといってもオラクル細胞に浸食されている以上、人の住める環境整備を行う必要がある。つまり―アラガミから取り戻したこの地を再び人間の物にし、新たなプライベート支部を建造するには一旦はこの地を更地にする必要がある。「除染作業」に近い物と言って差し支えない。

要するに十年間放置されたこの地に群生している半アラガミ化した草木、花は処分され、彼等の持っている記憶を彼女の感応能力をもって調べる事が二度と不可能になる。先程までの様に彼女の家族、この地の記憶―つまりは彼女自身の記憶の回復の手がかりは永遠に失われてしまうのだ。

 

もっとも植物自体が十年以上も前の記憶、記録を今も尚有しているのかの懸念はあったし、植物はアラガミ化の作用、影響が比較的生物に比べると緩やかとはいえ直接触れる以上リスクは皆無でも無かった。しかし―思っていた以上に彼等は強く、そして健気にこの地で共生していた人々の事を覚えていたのだ。そして唯一この地で生き残った一人の少女のことも拒絶することなく優しく向かい入れてくれた。まるで今まで献身的に自分達の面倒を見てくれた彼女の兄への恩に対する返礼のように。

 

そんな彼等に感謝すると同時「レイス」に更なる虚無感と自責の念が襲う。

 

―私がかつていた世界は今もこんなに私を受け入れてくれているというのに。

 

私はまだ今もこの期に及んで―

 

「…」

 

「レイス」は無言のまま踵を返す。

かつての自分の「ルーツ」そのものに背を向けて。風が舞い上がり土、若草、樹木、そしていくつも咲き誇る花の香りが「レイス」を呼び止めようとするように彼女の鼻をくすぐる。

振り返ればかつての屋敷の光景が。そして兄が、祖父が、そしてかつての自分が笑いかけてくれそうだ。

 

 

―…でも。

 

 

 

結局私は貴方達に会わすカオが無い。

 

 

 

「レイス」は振り返らなかった。

振り返った先、見晴らしのいい小高い丘に建設された領主屋敷からは故郷が一望できる。何時しか「レイス」の眼下に広がる故郷は夕暮れに染まっていた。

町も。若草も。木々も。湖も。全てが茜色に染まっている。

 

ザアっ

 

尚も名残惜しそうに「レイス」をこの地に留まらせようとする優しく心地よい風に少女は美しい茜色に染まった銀髪を靡かせ、くすぐったそうに髪を掻きわけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




「……」


湖面に映る自分の姿を「レイス」はじっと眺める。
澄んだターコイズブルーの湖面は今小舟に乗った少女の美しい顔、そして空の色、湖の中央に浮かぶ小島とそこにかつて建設された朽ちかけの教会を鏡の様に映し出している。

しかし後数分もすれば日没だ。辺りは静かな暗闇に包まれ、湖面に浮かぶ少女の顔はやがては見えなくなるだろう。

―でも。例え見えた所で何になるんだろう?

私は一体誰なんだろう?この湖面に映る女の子は一体―


誰?



チャプン…

「レイス」は水面に顔をつけ、水中を覗きこむ。水面に映った少女の中に潜り込めばその中に何か見えるかもしれない―そんなバカな事を考えて。
でも当然見えるのは蒼く深い澄んだ水の中。日没を控えて陽の光は徐々に弱くなり、更に水中を深い蒼にしていく。

トプン…

「レイス」は引き摺りこまれるように。吸い込まれるようにして全身を預けた。限りなく黒に近い紺碧に向かって。

―…。

少女は水中で仰向けになり、今度は水面を見上げる。そこには美しい銀髪を天の衣の如く舞わせた少女の姿が映る。しかし彼女もまた「レイス」に何も語ってはくれない。
心許なく不安げにたゆたうだけ。水面の自分の姿に右腕を延ばし、触れてみる。しかし当然何の温かみもない。記憶を探る感応現象も当然起こらない。

―ならば。

この何も見えない背後の暗闇の中にこそ何かがあるのだろうか。暗く冷たい水の底―そこに本当の私に繋がる何かがあるのだろうか。

なら…沈んでいこう。このまま深く。とても深くまで。

何も語らない水面に映った自分の姿が遠ざかっていく。陽の光が徐々に届かない暗く深い水の底に向かってゆっくりと少女は仰向けのまま沈んでいく。













実際の所―

確かに人間―特殊部隊「ハイド」は神からこの地「は」取り戻していた。しかし―「ここ」はまだ取り戻してはいなかった。

「ハイド」の設置したオラクル反応探知装置の包囲網を潜り抜け、深い深い湖の底で気配を断ち、息を殺していた神は今ゆっくりと堕ちて来た少女の姿を確認し、


ゴボボ!!


一気に垂直、急浮上を開始した。暗闇の中で光る目、巨大な口、鋭い牙。

太古の昔から人は深い暗闇や人の手の届かない深海を恐れる。
「そこに何かいるのではないか」という恐怖、イマジネーションが生む醜い悪夢の様な怪物の姿を有史以来人は何度も書き記している。

シーサーペント。クラーケン。レヴィアタン…

そんな人間の潜在的恐怖が生んだ空想上の怪物たちの姿、恐怖、強大かつ凶悪、凶暴さを余すことなく現実に反映させた怪物が今水底より躍り出る。

「それ」は本来熟練した神機使いであればどうってことはない相手ではある。が、それはあくまで地上という人間のフィールドで彼等と相対した時の話である。水中での彼は間違いなくこの湖の「主」といっても過言ではない強大な力を誇る。

その巨体が水を裂き、掻き分けると膨大な水流が生まれ、澄んだ蒼い水中が渦を巻いて撹拌される。狙いはただひとつ。群れからはぐれ、自己を喪失した哀れでか弱い獲物。

ぐぱっ

鋭い牙が所狭しと並んだ醜悪で巨大な口を開き―

ぱぐん!


―....アンタらはいつもそうだよね。こっちの都合はお構い無し。でも―

何かホッとする。

今の「私らしさ」を存分に出せるもの。少なくともこの瞬間は私はここに自分がいていい意味を見いだせる。


―!

「気付いていたのか」と言わんばかりに体の大半を頭部が占める湖の主が空振りに終わった口をギリギリと歯軋りさせ、地上では方向転換すら難儀する鈍重な体を対照的に鮮やかに翻す。

主の魚眼には先程までとは打って変わり、戦意と自信に満ち溢れた―銀髪の死神の少女がある。

―悪いけど。

例え忘れていてもここは私にとって、そして私の大切だった人達が大切にしていた場所だったんだ。

...返してもらうよ?


先程の主との交差、少女は左手から神機を持ち替える際に軽い手傷を左手の指先に負っていた。出血は無い。が、何か焼けただれた様な傷口である。


―...回避したハズだけどね?

その疑問はすぐに解消される。
湖の主の巨大な上顎に設置された砲筒からじわりと病的な緑色をした液体が辺りを覆っていく。湖の主の体を覆い隠すように。
強酸性の液体だ。地上では範囲は限られ、空気より重いのか長く散布することはできない御しやすい技だが水中では一定範囲を漂い、不可侵の領域をじわじわと拡げていく質の悪い技と化している。

おまけに「レイス」は現在水上を取られている。空気の補給路も閉ざされた状況だ。
地上では考えられないほど強大な相手と化した主―グボロ·グボロに完全に優位に立たれた。

しかし―少女に動揺の色はない。真っ直ぐと酸の液体の結界を見据え、傷付いた左手の指先に年不相応と言えるほどの色香、妖艶さを伴わせながら

カプッ...

噛みつく。患部はじゅっという音とともに僅かに光を放って瞬時に回復した。

「....」

少女はいつも通り冷静に、思慮深く考え込むかのように左手の指をくわえたまま、酸の結界のなかでキラリと光る湖の主の2つの目を見据えていた。






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失われた記憶の小路を抜けて 3

グボロ・グボロ

 

海洋型の中型アラガミであり、巨大なヒレと巨大な口、鱗など魚類の特徴を多く持つ水陸両用の種である。戦闘力は単体であればお世辞にも強力とは言えない。ある程度の経験を積んだGEならその鈍重な動きを易々と見切り、討伐が可能である。元々水中に適した形態を持つ彼等が御し易いのは当然である。

しかし一方で純然たる事実がある。彼等が海洋では生態系のトップクラスの地位を確立した上で地上進出を図っており、ある意味そこでも成功しているという事も。

数億年前、魚類が地上へ進出、両生類となってその後の爬虫類、哺乳類、そして人間とその進化の礎を築いたと同様に彼らもまた進化の可能性を地上に求めた。

残念ながら数億年前の昆虫やクモ、サソリなどの甲殻類しかいなかった地上の競争相手とは異なり、現代の地上は海千山千の猛者ぞろい。

ヴァジュラ、コンゴウ、シユウ種に始まり、ボルグ種、ハンニバル種、そして人間―GEと、彼等の地上進出はより強大な天敵達との縄張り争いの始まりであった。

 

そんな群雄割拠の地上でこのグボロ・グボロという水棲アラガミ種は健闘している。

火属性、氷属性にそれぞれ特化した堕天種という亜種を作り上げ、マグマから寒冷地まで生息域を拡大、黄金種というレア種まで作り上げるに至った。

この黄金種―耐久力が低く、攻撃力も低いと何故存在しているのかが一見解らない種である。が、彼らもまた実はこのグボロ種の適応能力というものを如実に表した亜種である。

 

このグボロ・グボロ黄金種―「同種に喰われる為」に存在している。

 

体内に希少な鉱石、素材を溜めこみ、保存して主要三種と行動を共にし、ある一定の段階にまで素材を調達すると自らを仲間に「喰わせる」のである。つまり「グボロ・グボロ」という全体の種の底上げを図る為に生れた贄なのだ。まるで自分の子供に自らを喰わせる蜘蛛の一種の様に。

アラガミが進化の段階で徐々にハンニバル、カリギュラ、ピターの様に強固な「個」を形成するに至ったのとは逆に彼等は「種全体」を重んじる。「個」としての能力をじりじりと上げつつ、安定した個体数を保っている多種多様なアラガミの中でも屈指の成功を誇っている勝ち組なのである。

 

そんな種の末裔―この湖の「主(ヌシ)」が水中という彼等の土俵、ホームに少女―「レイス」を引き摺りこみ、酸の結界を徐々に浸透させ、タダでさえ身動きの限られた水中の少女の行動範囲をさらに狭めていく。この時点で大勢は既に決している様にさえ見える。

 

しかし、この相対した銀髪の少女は現状の主のデータ、知識には無い得物、そして潜在能力を持っている。まずその1、ヴァリアントサイズだ。

 

―行くよ。カリス。

 

ぎゅるん

 

水中で水流を巻き上げるようにし、遠心力がどれほどこの長大な鎌を振り回す際に発しているか肉眼で見て取れるほどに少女の周囲が泡立ち、渦巻く。

 

ぐぐぐぐぐ

 

空気中を振り回すのと比べ、ここでは水の抵抗を受ける「レイス」のサイズの咬刃形態の斬撃速度はスローモーションに見えるほどだが現在、酸の結界の中で居座る結果、目標をはっきりと目視出来ない主に容赦なく横薙ぎの斬撃が切り裂いていく。

 

……!!

 

新神機ヴァリアントサイズの長大な攻撃範囲は完全に主の知覚外、計算外であった。尚も執拗な斬撃が左右から主のヒレ、顔を刎ねるようにして切り裂いていく。

その攻撃による主の困惑と混乱は例え姿が見えなくとも「レイス」には感応現象を通して完全にお見通しの状態である。

 

完全なアウェー、完全な相手の土俵に立たされながら痛烈な先制攻撃を浴びせたのは意外にも「レイス」の方であった。

 

―しかし

 

―……っ!

 

水中で酸の結界を切り裂いている「レイス」の顔が痛々しく歪む。それは主の困惑と共に彼女に伝わってくる神機の悲鳴であった。

 

―…くっ…神機が…カリスが痛がってる。

 

酸の結界を切り裂きながらも「レイス」の神機は徐々に浸食され、ダメージを負っていった。ただでさえ薄気味悪い緑色に強酸性を帯びた液体の中に突っ込まされているのだ。神機でなくとも嫌になる。

そして更に悪い事に地の利、否、「水中の利」が更に主に有利に働く。

 

水中とは即ち液体を通して対象と対象が繋がっているということである。水中で「物質が動く」と言う事は空気中以上にその余波が伝わりやすい。音に至っては空気中より実に10倍以上の速度で伝播する。

そしてそれを敏感に感じ取る装置がグボロ・グボロという魚という素体を素に進化したアラガミには当然常備されていた。

 

「側線」である。

 

魚が暗闇でも獲物を正確に捕捉出来たり、夥しい数の群れをなしても殆ど互いに接触せず、一定の間隔を保っていられるのはこの器官のお陰である。

身体の側面についたこの線で水流を感知、水流が発せられた方向、角度を割り出して対象の動きを把握し、獲物を捕えたり逆に天敵からの攻撃を回避する際に利用する。

 

つまり「レイス」の斬撃が自分に達する前に発せられた水流を感知し、芯をずらすことが可能なのである。

痛みにぐずる神機を奮い立たせて斬撃を繰り出していた「レイス」の手元からスカされた様な手応えの無さ、同時徐々に冷静さを取り戻している主の心理状態を感じ取る。

神機のダメージが積み重なる上に効果は徐々に薄くなると言う悪循環、「レイス」は一旦攻撃を止め、次の手を考える必要がある。すぐさま咬刃形態を解いた―それが引き金となる。

 

―!

 

巨大な水泡弾が水流を巻き上げながら渦を巻き、空気中よりもやや遅いがそれ以上に機動力の押さえられた現状の「レイス」には十分すぎる速度で放たれた。咄嗟に彼女は装甲を開くほかない。が―

 

「...ぐっぐっ...ごぼっ!」

 

装甲を直撃した水泡弾のダメージは元より貴重な空気が彼女の体から失われ、水泡弾に押され後退。より水深の深い所へ押しやられる。直後「キーン」と言う音が彼女の耳を切り裂くように鳴り響く。

 

―...った!!!

 

水深が増すほど水圧は当然上昇する。度を越えた急激な潜航は鼓膜を圧迫し、頭を締め付けられるような圧迫感と意識混濁を引き起こす。同時肺内部の空気も圧迫されて負担が増す。潜水病と呼ばれるスキューバダイビングの際、人間が陥る可能性のある症状が顔を出すのだ。主の何気ない攻撃は彼女へのダメージ、そして水中という人間にとって究極のアウェーと言える空間で生じる絶対不変の時間制限の大幅な短縮に繋がる。強靭なGEの体とは言え長く持たない。おまけに側線によって彼女の位置を把握できる主は自らの酸の結界による視界不良も関係ない。

 

―こりゃモタモタしてるとヤバイね...。

 

元より「レイス」は短期決戦を挑むつもりであったが残念ながら主の利害とは全く逆である。主は長期戦に持ち込めば安全かつ確実に彼女を仕留めることが可能。勝負を焦る必要はない。つまりー

 

ドッドッ!!!

 

酸の結界の中からの水泡弾の連弾で十二分に事は足りる。「レイス」も主の意図を見抜いて回避するが完全に移動先を見越されている現状では連弾の全てを回避するには至らない。おまけに水中での移動はより体力と空気の消費が増し、より動きは鈍くなり、連弾に捉えられて更に湖の深いところまで後退させられてしまう。

酸素の欠乏、急激な水圧増加によって彼女の意識の混濁、乖離は更に進行。最早回避すらできずに主の水泡弾によってサンドバッグにされる。元より貧弱な彼女のバックラーシールドでは衝撃の吸収も限られ、衝撃で押し潰された彼女の上半身は耐えきれず

 

「ごばっ...」

 

空気を吐き出す。肺内部の空気は彼女の体を浮かせられないレベルにまで減少、神機の重みのみで彼女の体は沈んでいく。そして―

 

ずるっ...

 

彼女の体は遂に湖の水底に達した。体からは力が抜け、水底に背中をつけてわずかにバウンドする。最早死に体。眠るような無防備なボヤけた表情で力なく瞳を開ける。

 

―…。

 

こんな絶体絶命な状況にあって意外にも少女の意識はクリアーであった。それはこの湖の底に達し、少女の中でとある「結論」が出たからだ。

 

 

この極限まで深いところへ意識、そして体まで全て追いやっても何ら少女の中に浮かんでくるものはない。

 

ここは真っ暗闇だ。見えてくるものなど何もない。かつての自分は、記憶はここにはない。有るのは、理解したものはただ一つ。

 

ここには「何もない」ことだ。

 

―終わりだ。

 

もう堕ちるところまで堕ちた、これ以上の底はない。

 

結論。

 

ここに「私の答えはない」。

 

なら丁度いい。底の底に着いたことで私は「足場」ができた。後は蹴り上がる。前に進むだけの足場。

水の底で「背水の陣」というのもオツなものだ。洒落がきいている。

 

「…フフッ」

 

湖の底で少女は静かに口の端を緩ませて笑い、体勢を整える。撒き上がった水底の土砂が舞い、水中で美しい銀髪を天の衣の様に纏った少女の瞳が今―

 

―っ!

 

戦意を取り戻した。

 

そんな少女の状況、心理の変化など知った事では無く―

 

ドッドドドッドッ!!

 

主の放った水泡弾が水底に居る彼女の周囲に無数に突き刺さっていく。

 

 

 

 

…!?

 

 

 

主は違和感を覚えた。水底に達し、獲物の「レイス」が発する水流の波動が乱反射し、動きが捕捉しづらくなった事もあるのだがそれ以上に合点がいかない事がある。その水流の波動がこう示しているのだ。「レイス」の敏捷性が「水中で在りながら急激な上昇を示している」事を。

 

今主の側線に伝わるこの波動は獲物が「泳ぐ」時に生じる物ではない。なんとも奇妙な、体験した事の無い水流だ。視界を犠牲に酸の結界で自らを守る絶対防御を敷いている主は今水底で彼女が何をしているのかは解らない。

替わりに主の耳が捉えていた。規則正しく、ざすっ、ざすっ、と何かを突き刺す様な音が断続的に水底から響いている事を。

 

―たまには堕ちるとこまで堕ちてみるもんだね。人間って。

 

「レイス」はヴァリアントサイズを展開、水底でそれを楔にして自らの体を牽引。水中を高速移動して水泡弾の雨を回避し、同時水底の起伏を利用するなどしてやり過ごしていた。自ら放った水泡弾の着弾によって攪拌する水底は更に主に「レイス」の捕捉を困難にする。

 

……!!!

 

自分の住処という完全に己の本拠地に在りながら決定打を生み出せず、翻弄されている事に主は苛立たしさを隠さない。水泡弾を更に乱射する。一見やけっぱちだがこの選択は決して間違いではない。

「レイス」の目先の死活問題―「空気の補充」は彼女の最優先事項。水底でやり過ごすだけでは当然ジリ貧である。主にとって今は彼女を水底に釘づけにしておいて酸素を消費させるのが得策である。いずれは耐えきれなくなって彼女は浮上するか、それともこのまま水底で息絶えるかの単純な二卓になる。

しかし主はこうも確信している。「恐らくこの獲物の現在の運動量、機動量からして後述は選ばない」

側線に伝わる水流から彼女の動き、そして断続的に水底から響く音に彼女の戦意がありありと見てとれる。

 

死ぬ気はない。よって浮上してくる。

 

しかしその浮上、若しくは水面に獲物が達した時こそ水中の捕食者にとって最も容易で有利な攻撃態勢をとれる瞬間なのだ。それが酸素を求めて死に物狂いに浮上しようとする獲物なら尚更である。その無我夢中の無防備な背後を捉え、もう一度水の底へ引き摺りこんでやればいい。

 

気まぐれな地の利は一旦少女に微笑みかけた。が、やはりこの水中という空間はあくまで彼等の領域なのだ。

 

水底に留まる事を余儀なくされ、酸の結界によって神機の咬刃形態によるラウンドファングも出来ない。今「レイス」に出来る事といえば―

 

ドンっ

 

ビスッ!ビスッ!ビスッ!

 

 

……。

 

 

らせん状に水流と空気を巻き上げ、のろのろと水を裂きながら申し訳程度に主の巨大な鼻に何かが突き刺さる。「レイス」の神機に宛がわれた付け焼きのアサルト銃身による銃撃だ。

しかしながら元々受け渡しによる味方戦力の底上げの為に便宜的に付けられた彼女の銃身の攻撃力はリグの特化した銃型神機「ケルベロス」のアサルト銃身等と比べると威力は雀の涙。事実その着弾をその身に確認しながらも主は全く意に介さなかった。

 

成程。狙いはある程度正確だ。放った水泡弾の角度から酸の結界に覆い隠されたこちらの位置を計算し、射抜いているのだろうが…無駄な努力だ。この威力で自分を殺すには後数十万発はかかる―

主はそう判断した。むしろ弾丸が放たれた位置から逆に主も大まかな「レイス」の位置を把握できる。

 

ドドドドドッ!!

 

弾頭の出所周辺に容赦なく主は水泡弾を雨霰と送り込む。すると暫くして数発の「レイス」からの銃撃、そしてそこにまた主の十数発もの水泡弾―そんな応酬が続く。

 

「レイス」側のオラクルを消費して撃たれる弾頭とは異なり、主の放つ水泡弾は無制限で或る。何せその弾は彼の周りに腐るほどある水だ。言い過ぎでも何でもなく本当に数十万発だろうと撃てる。

主は全てに於いて今対峙している少女を上回っていた。力、機動力、防御力、感知能力、地の利、そして制限時間、更には物量まで。獲物の些細な抵抗を甘んじて受けるほどの余裕がある。

 

「ここ」で対峙する限り勝ちは揺らがない。そしてこの状況に痺れを切らして相手が不用意かつ無防備に浮上した時に勝負は決まる。それまでは現状維持―そんな主の状況判断に大きな齟齬は見受けられない様に一見思える。

 

―しかし

 

この獲物。この絶対的不利な状況にありながらこのままこの水底で、完全なる敵地でこの圧倒的な力の差がある湖の主を殺す算段を既に纏めていた。

 

 

その算段の最初の一手が今顕在化する。

 

 

 

 

……。……!?

 

 

 

「痛い」

 

先程までの相手のささやかな反撃もまるで主に効果を為さなかった。しかし現在、主の全身に気だるいほどの鈍痛が包み込んでいる。

 

何だ?これは?一体?「何か」が自分を攻撃している。その正体は―

 

 

…!?…!!…!????

 

 

ジュウウウ…

 

紛れもなく主が放ち、今彼の周囲を包み込んでいる緑色の酸の結界であった。それがあろうことか主自身の体を溶解させている。ヒレ、背びれ、鱗、歯、そして眼球まで溶解し、鈍痛を超えた激痛が主の全身を包み込む。そして次の瞬間―

 

ぶちゃあ!!

 

まるで破裂するかのように主自慢の長っ鼻が結合崩壊する。間違いない。何故かは解らないが今確実に彼が体内で自ら精製する酸の液が彼に牙を剥いている。それの貯蔵庫で在った鼻、砲塔が酸の液によって今崩壊したのだ。

一体何が起こったのか。何故自分を敵から守るはずの酸の液がいきなり反旗を翻したのか―?主はその理由が解らないまま自らの酸の結界の中でもがき苦しんでいた。そんな主を―

 

―効いてきたみたいだね。

 

 

ノエル?

 

 

アンタはやっぱすごいよ。

 

 

 

 

一か月前―

 

 

「『結合阻害弾』……?」

 

「うん。その名の通りアラガミの体内に打ち込んでオラクル細胞の結合配列を変え、極端に防御力を下げたり、部位の破壊を補助できる新型特殊弾頭だよ」

 

「へぇ…」

 

何の変哲もなく見える「無属性」を示す透明のカラーのラべリングが施された親指くらいの小さな新型弾頭を「レイス」は掌で転がしながら興味深そうに眺める。

 

「まだまだ実験段階だけど…研究が進めばアラガミの弱体化だけじゃなくて彼等が行う特殊攻撃自体を防ぐ事が出来る可能性を持ってるんだ。例えば火属性の攻撃を仕掛けてくるアラガミから極端に火属性に対する耐性を奪うとする。するとその攻撃の際の反動にアラガミの体自体が耐えられなくなって燃焼してしまうんだ。丁度人間が体の中に入り込んだウイルスや病原菌を殺す為に高熱を出して逆に参っちゃうのに似てる。その状況を作り出すのがこれってワケ」

 

「…大人しい顔して結構えげつない物作るね。ノエルは」

 

「いや僕が発案したんじゃないし…」

 

「…でもさ?なんで私に渡すの?それこそガンナーのリグに持たせた方がいいんじゃない?」

 

「う~ん。なんかさ。リグに渡しても『面倒くせぇ』とか『そんな回りくどい事しているヒマあったらとっととブッつぶしゃいいんだろが』とか言って素直に受け取ってくんない気がするし…」

 

「…。同感」

 

「それに―」

 

「?」

 

「これははっきり言って君にぴったりな弾頭だと思うよ。『レイス』」

 

 

 

現在―

 

 

最早酸の結界は主を守る絶対防御などでは無く、逆に彼を蝕む毒の沼と化した。当然主はその影響範囲内から抜けだした。体中にへばりつく様に纏わりついた酸を振りほどく為にまるで釣り針にかかった魚の様にもがく。溶解した彼の体組織がその行為によってちぎれ、水中に飛散し漂う。

「脱皮後」にしては何ともボロ雑巾のようなみすぼらしい姿になった主は自分をこんな姿にさせた下手人の姿を探す。

 

 

 

―こっちだよ。

 

間もなく主の魚眼に今も尚水底で佇み、こちらを見上げる少女の姿が映る。もう小細工なしに一気に喰い殺してやると言いたげに主は大口を開けて吠え、活性化。しかし―

 

 

―――!?

 

次に目に映った光景に主は再び呆気にとられる。溶解し、ズタボロになって水中を漂う彼の肉片、そして今も尚結合がぶれたままの彼の体から―

 

 

ズオオオオオ!!

 

 

まるで渦巻きのように奔流を巻いて吸い込まれていく。少女の掲げた禍々しい色の鎌に向けて。そして巻き上げられた体組織はまるで少女の鎌を赤黒く肉付けしていくように張り付き、元々の禍々しさに更に拍車をかける。

 

 

 

―…まぁ謂わば「養殖品」だけど…今は我慢して?カリス。

 

 

 

 

 

 

 

再び一か月前―

 

 

「君の血の力の二つの内一つである『絶殺』。君の神機カリスは結合の緩んだオラクル細胞、つまり瀕死のアラガミの体組織を没収して刃に変える事が出来る能力を持つ―つまりこの結合阻害弾を使ってアラガミの体を擬似的な瀕死状態、結合不良の段階に押しやれば『絶殺』の力をその時点で行使できるってことさ。トドメだけじゃ無く、その過程に至るまでの間に君の血の力の行使が可能かもしれないってわけ」

 

 

 

 

 

 

確かに天然物に比べれば「味が落ちる」のか正真正銘のトドメの「絶殺」程の力は無い様だ。しかし―

 

―今はそれで十分。

 

「レイス」は水底に根を張る様に足を踏み込み、目一杯細くしなやかな体を限界まで捻る。するとまるで「レイス」を中心に水底で波紋が波打つように水底の泥や砂が舞い上がる。

取り戻した、否、取り戻す他無かった視界に映る光景と同時のその現在の「レイス」の発する水流、波動は今主にとって最大級の凶兆を纏っていた。

 

ガスンッ!!

 

巨大化した仮の「絶殺」状態になった彼女の愛機―カリスが一瞬で展開。切っ先を主の脇腹に突き刺す。

 

―う、あああああああああ!!!!!

 

そしてまるでハンマー投げの様に主を突き刺したまま「レイス」は神機を咬刃形態のままブン回す。酸の結界に主の体を再び突っ込ませ、主に更なるダメージを与えると同時に酸の結界をかき混ぜ、散らしていく。

 

!!!!

 

猛烈な遠心力と酸の結界に立て続けに「漬けられる」主は回転数毎に更に体組織の崩壊が進む。

 

ブン!!

 

数秒後、最早何回転させられたか解らない、上も下も解らないほど方向感覚を狂わされた主は独楽の様に廻りながら水上へ巻き上げられた。しかしそのさらに水上で―

 

 

―…。

 

酸の結界が掻き消され、透明度を取り戻しつつある澄んだ水上に一人の美しい銀髪の少女が相変わらず無表情で主を見下ろしていた。あまりの苛烈な攻撃とダメージに抵抗、反撃の意思すら掻き消された主には今、水中の捕食者にとって絶好の位置に居る獲物に対する攻撃本能すら奪われていた。

 

 

―正真正銘の「絶殺」…行くよ。

 

 

次に主の眼に映ったのは先程とは比べ物にならない程の巨大に膨れ上がった漆黒の羽根の如き禍々しく鋭い鎌を背負い、振りかぶっている死神の少女の姿。

 

これがこの地に最後まで居座った神、主の最期に見た光景であった。

 

 

 

 

 

 

 

ボッ!!!!!

 

 

 

 

 

 

湖面が盛り上がり、次に巨大な水柱が静かで絵画の様な風景の中の美しい湖の中心にて上空数十メートルにまで噴水の様に拭き上がる。まるで火山が噴火し、巻き上げた溶岩の様にその水は赤黒く染まっていた。

 

 

 

 

ゴボゴボゴボッ…

 

 

 

 

「…」

 

息絶えた「かつて」のこの湖の主が紅黒い体液を煙の様に上げながらゆっくりと沈んでいく光景を背に少女は浮上していく。ようやく待ちに待った浮上、求め続けた水面が目の前に在るのに少女の表情は憂いとやや悲しげな瞳を隠さなかった。

 

―浮上した所で。

 

あの場所―故郷に戻った所で。

 

どうなる?

 

結局私は―

 

 

「……っ!!」

 

 

 

ゴボッ!!

 

 

突如少女の口から大きな気泡が意志に反して漏れる。先程までは戦闘の緊張によるアドレナリンが誤魔化していたが彼女の体は酸欠状態での苛烈な戦闘行動によって既に限界であった。

 

 

―…う。や、ばい。

 

 

再び少女は水底を背に沈んでいく。足が動かない。体も浮かない。戦闘による喧騒から解放され、ようやくいつもの静かで澄んだこの湖の水面に鏡の様に映った自分の姿が遠ざかっていく。出来る事はその姿勢のまま僅かに手を水面に向かって延ばすことぐらいだ。水面に映る自分も彼女に向かって手を延ばすが届かない。

 

 

 

もどかしいぐらいに。

 

「自分」との距離が遠い。

 

 

 

―私らしい間抜けな

 

 

最期かもしんないな。

 

 

少女は自嘲気味に笑った―

つもりだった。しかし水面に映る自分の姿は悔恨と未練が隠しきれない、消しきれない表情に見える。

 

今「レイス」には自分が見えた。過去の自分ではなく、正真正銘の今の自分が。

 

ゴボボ…

 

それも主の身体から漏れた赤い体液によって覆い隠された。もともと酸欠でぼやけていた目はもう完全に意味を為さない。

 

瞳を閉じる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ピィン!!

 

 

 

沈む少女の背後―更に深い暗闇の中で。

 

「何の間違い」か、二つの光が灯る。

 

かつての湖の主が息を吹き返していた。その瞳は最早何も映していない。僅かな光源を吸い取ってただ光るだけのガラス玉だ。

 

間違いなく主が「最期に見た光景」は少女が兇刃を薙ぎ払う直前の姿であった。

しかし眼では無く側線、そして彼に備わった全ての感覚器が獲物の最後に発した微弱な「生へのあがき」―水流に反応した。

ただただ捕食者としての本能に従った反射的な蘇生、否、「生きている」と書くのもおごがましい程の電気反応、反射行動だがそれでも十二分に無抵抗の少女を喰らう事は造作もない。「喰う」事に特化させた巨大な口はその為に在る。

どちらにせよ「個」として息絶えるのは決定している。なら「個」として最低限であり、同時最大の欲求を満たして事切れる事が出来るのであれば本望だ。

 

人間はこの行為が「往生際が悪い」というだろう。

しかし彼等にとってはそれが全てである。そして例え「個」が絶えようともその「個」が喰らった遺産を次の世代に反映させる事が出来るのが彼等―アラガミと言う生物だ。

 

主の足掻きは決して無駄な行為ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―…確かに俺達はお前達の事を未だ良く解らないまま狩っている。

 

でも―何となく「その行為」の意味は解る気がする。お前達のそう言う所は人間ももっと見習うべきかもしれない。

 

でもな?

 

 

 

それだけは承服できない。看過できない。

 

 

 

 

 

 

ゴボッ!!

 

 

ガシッ!

 

少女の力の抜けた手を力強く、一回り大きいもう一つの手が掴む。水面に映った少女が踏み出せなかった、手を取れなかった一歩を軽々と踏み破って。

 

 

そして正真正銘最後の主の攻撃―巨大な口が閉まる直前の空間から少女を引きずり出す。

 

 

…。

 

口が閉じた瞬間―主は再び事切れた。その口からむき出しの牙の先端を無言のまま青年―エノハはそっと押す。

 

 

今度こそ静かに主はゆっくりと霧散しながら沈み、自らの住処―水底に還っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二時間後―

 

 

「…」

 

空を眺めていた。ゆらゆらと揺れる小舟の上で。視界に目一杯拡がる満開の星空と蒼い月に照らされながら。

 

「…気が付いたか」

 

「んっ…」

その声に反応して少女はゆっくりと体を起こす。小舟の向かいには頬杖をついて座っている青年の姿があった。ずぶぬれだった少女の上半身には彼の上着がかけられている。

 

「…。…。」

 

GEとしての習慣か目覚めた少女はすぐに無言のまま自分のコンディションを確かめる。呼吸は安定、怪我も大したことはない。圧迫された鼓膜もエノハの言葉を聞きわけている事から特に問題はなさそうだ。血の力を行使した事による気だるさはどうしようもないが特に支障はない。

 

「問題無いかい?」

 

平時と変わらずルーティンを怠らない少女に苦笑しながらエノハはそう尋ねる。

 

「うん」

 

微かに頷く。そして同時にちょっとした疑問を含んだ瞳でエノハを上目遣いで見る。

 

 

―まさかさ。「アレ」…やってないよね?

 

 

「……?…あ!やってないやってない!呼吸は安定してたし」

 

エノハは手と首をやや大げさに振って明確に否定する。

 

「そ。残念」

 

全然残念そうじゃない口調で少女―「レイス」はそう言った。同時、即時自分の発言に興味を無くしたかのように辺りを見回す。完全に神々から取り戻した故郷の姿を。

 

月明かりの蒼い光、輝く満天の星。美しい澄んだ湖、朽果てた教会や街並み。幻想的な光景である。昼間と違って無風でさざ波一つ立たないべた凪の水面が空を鏡の様に映しとり、小舟による波紋だけでややブレながら蒼い月や星の光を反射させて少女の顔を照らす。

 

「綺麗な所だな。君の故郷は」

 

「だね」

 

「レイス」はエノハの問いかけに相変わらず他人事の様にそう答え、再び仰向けになって星空を見上げる。「レイス」が動いた事によって水面がトプンと音を立て、小舟を中心に波紋が広がっていく。

 

「…私さ」

 

「ん?」

 

「記憶を失う前はとてもお転婆な子だったって」

 

「そうか」

 

「甘えたがりな半面、喧嘩っ早いとこもあって…いつも年の近い兄と喧嘩して、泣かされてその度いっつも祖父や一番上の兄にひっついてたんだって」

 

「中々強かな女の子だな」

 

「そして何よりもこの街、この国、家族が大好きな子だったんだって」

 

「…」

 

「全部『だって』『だった』。…昔の私は全部誰か、何かの記憶の中―父や母、祖父母の知り合い、かつて兄や私の友達『だった』子達、そして今日知ったここに在る植物達の記憶が全て。…全部誰か、何かの記憶から知ったもの…全部貰い物みたいなもの。私の中の私は今も閉じてしまいたいみたい…」

 

「…」

 

「冷たいよね。私」

 

「…冷たい?」

 

「だってそうでしょ?もし思い出してしまったら間違いなく辛い思いをする。それほど温かい、優しい記憶だったって事ぐらいは解る。辛い…悲しいに決まってるじゃん。それを避けるために、謂わば私は自分を守る為だけに大切な記憶を閉じてるんだからさ」

 

 

―悲しまないように、傷つかないように。

 

 

「だから…私は冷たい人間だよ」

 

ぼんやりと空を見つめながら繰り返し「レイス」はそう言った。

 

「やっぱり優しいな君は。『レイス』」

 

「え?」

 

「優しいよ『レイス』」

 

「やめてよ」

 

「レイス」は思わず上体を起こし、珍しく感情的に首を振って否定する。しかしエノハはしっかりと眼を逸らさず続ける。

 

「その記憶にない故郷の為に君は全身全霊を賭けて闘い、実際取り戻した。そんな事を出来る子が『冷たいコ』なはずがない」

 

ずぶ濡れで満身創痍の少女をしっかりと指差し、見据えてはっきりとエノハは断言する。

 

「そしてちゃんと自分の過去から逃げずに向き合ってきた。そして今は思い出せなくともちゃんと自分の記憶の欠片を自らの手でそうやって回収してきたじゃないか。大切で大事な人達の記憶を。思い出したら辛い、悲しい想いをするのは間違いないのに逃げることなく、ね」

 

「…」

 

「今回手に入れたそれを頼りに昔の事を思い出そうとしてもいい、所詮過去の事、思い出せないならこのままで、と切り捨てるのもいい―少なくとも君は今回この地に逃げずに向かい合った事でそれを選ぶ事が出来る」

 

過去を知り、過去への向きあい方、そしてこれからをどうするのかを決めるのは自由―完全に逃げてその選択肢すら得る事もせず、放棄するよりは余程勇気のある行為だとエノハは想う。

 

 

「『レイス』?君は冷たくなんかない。むしろもっと小狡くなるべきだ。結論は今すぐに出さなくていい。まだ君はついさっき自分の記憶の欠片を取り戻したばかりだ。それをどう扱うかをこれから決めていけばいい。焦る事はない」

 

「…問題の先送り?」

 

「そうとも言う。ただ俺は明確に否定しておきたいだけさ。君が『冷たい』なんて事はない、断じて無い。君は優しい女の子で大事な俺の仲間だ。その間違った自己評価だけは仲間として、上司としてきっちり否定しておかないとな」

 

「…くすっ」

 

「ん?」

 

「大事な仲間、部下の危機にいつも遅れてやってくるエノハさんに言われてもねぇ」

 

「うぇ。それ言われると面目ない」

 

「でも―確かに何も知らずに忘れたままでいるよりも知って、尚それで思い出せない事で自分を責める方が私は良い様な気がするよ。正直気が楽。…後悔と自己嫌悪、罪悪感が人を楽にする事もあると思うから」

 

「…本当に生真面目だな。『レイス』。君は」

 

「少なくとも私は思い出せずとも自分がはっきりとこの地に存在し、この地に居た人達、家族の事を愛し、愛されて育った事だけははっきり解った、感じ取ることだけは出来たから…それだけで結構…そのなんて言うか…嬉しかったから」

 

「『レイス』」

 

「うん?」

 

「俺だって君の事愛してるぞ」

 

「え?は?え?」

 

「俺だけじゃない。レアもナルもアナンもノエルもリグだってな」

 

「……アナンの悪影響をだいぶ受けてるね。エノハさんも」

 

「そうか?まぁそんな悪影響なら大歓迎だけど」

 

 

 

 

くすくすくす…

 

本当に。飾ることなく心から愉快そうに「レイス」が笑った。イロハが言っていた。「レイス」に「もっと笑って。可愛い笑顔をもっと見せて」、と。

 

―悪いねイロハ。お先に頂きました。

 

とエノハは心の中で手を合わせる。「ごちそうさまでした」と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




「!」

「…お。始めたかな」

湖面の上で浮かぶ小舟の上で銀髪の少女「レイス」が思わずその光景を前に立ちあがった。エノハは訳知り顔で満足そうに金色に照らし出された今の「レイス」の驚いた表情を眺める。

蝋燭を灯された掌程の大きさの舟が無数に浮かび、元々幻想的なこの地の光景を更に感慨深いものに昇華させている。
まるで湖面に映った星空の川がそのまま実体化、具現化したかのようにゆっくりと流れていく。

「……!」

その美しく幻想的な光景に言葉を喪い、瞳を見開く少女を前にエノハはその無数に浮かぶ蝋燭の小舟の一つを掬い上げ、掌の上で「レイス」に見せる。

「…昔は卵の殻を使ってやっていたらしいんだけどさ…このご時世卵は貴重だろ?だから少し味気ないけど自然に帰る天然ゴムの器を使ってるらしい。まぁそれでも中々のコストだろうが」

白い卵の殻を半分に割ったような形の器に乗る蝋燭の火を消さないようにエノハはひとしきり愛でた後、再び水面にそれを返す。

「この地にアラガミ出現よりずっと以前から長年伝わる風習、祭りの目玉行事だったらしくてね。今度ここに住む事になってる貴族連中が『ここにかつて住んでいた人達のせめてもの鎮魂になれば』って、ここを俺達が取り戻した暁に企画してたみたいなんだよ」

―中々粋な計らいだろ?

そう続けてエノハは「レイス」に向かってにっこりとほほ笑んだ。

「うん…贅沢は素敵だね」

チャプ…

そう言って「レイス」も足元に来た小舟の一つに軽く触れ、細い指先で転がす。蝋燭の灯に照らし出された自分の顔が澄んだ湖面に映る。まぁ…我ながらさっきよりは悪くない表情だ。

「…。…!ん、んんっ!」

いつもより更に柔らかい表情をした「レイス」をニコニコ微笑ましく見ているエノハの視線を感じ、「レイス」はいつもの調子を取り戻すように軽く咳払い、掌の小舟を無数の仲間達の元へ返してやる。

「レイス」が愛でていた小舟はやや勢いよく水面を滑り、その小舟を待っていたように佇んでいた無数の小舟の内一つとやや勢いよくぶつかる。蝋燭に灯された火が消えないかと一瞬あっと「レイス」は息を呑んだが幸いにも双方直ぐに体勢を取り直し、仲良く無数の仲間達の下に戻り、流れていく。ホッとした表情で「レイス」は「彼等」を見送った。

まるでその姿は記憶の中のあの仲睦まじい幼い少女と彼の兄の姿の様だ。
手を繋ぎ、家族の元へ帰っていくかつて毎日のようにこの地で繰り返されていたであろう光景―


―…さよなら。


その背を今はただ「レイス」は見送る。戻れないかつての場所を想う時間は一旦終わりだ。かつての少女がそうだったように今の「レイス」にも居場所がある。







それでも

ほんの少しでも過去の記憶の欠片達を今の自分に中に留めておきたい。その上で前に進みたい。だから少女は決心する。



「エノハさん」

「ん?」

「私の本当の名前を教えるよ」

「…!聞いていいのか?」

「でも条件があるの。その名前で私を呼ばないで。今まで通り私の事は『レイス』と呼んで。でもお願い…決して忘れないで。そして私の記憶がもし戻った時…」


―最初に私の名前を呼んで?


少女はそう続けた。



「どう、守れる?」

「…正直」

「…正直?」

「これ以上約束事や秘め事は増やしたくないんだけどな…」

エノハは頭を掻きながら情けない態度でそう言った。

「先約が多いもんね」

ノエル、そしてかつての自分の愛機を仲介人にリッカに贈った「エノハの手紙」の内容を知っている彼女はエノハのその情けない逡巡に一定の理解を示して微笑みながら頷いた。




「で、どうする。止めとく?」


「…いいや。可愛い部下の頼みごとを聞けずしてなにが隊長か。…こちらからお願いするよ。聞かせてくれ。約束は…絶対に守る」


「…ありがとう。


私の名前はね―


『――――』」




―いつか、私が胸を張って他の誰かにその本当の名前で呼んで貰える時が来るまで。
私は「レイス」として貴方の、そして皆の傍で闘う。

でももう一つ。

実は我儘を許してほしいんだ。エノハさん?

過去の幸福な日々を、優しい温もりの凄く悪い言葉で言えば「替わり」をエノハさん。
貴方に求めて…いいかな?





「…お兄」


「…え?」


「私ね?昔一番懐いていた一番上の兄の事を…『お兄ぃ』って呼んでいたらしいんだ…


エノハさんの事…『お兄ぃ』って呼んだらダメ…?」


精一杯の勇気を振り絞っているらしい。言った直後にくちゃくちゃに頭を抱えて「レイス」は丸まった。相当にレアな光景である。


「…いいよ」

「…ありがと」

「ただし俺も条件がある」

「…何?」





「もっかい言って?」




「バカお兄ぃ!!!」



























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47話

「誰!?」

 

リッカは声を荒げた。

無人であるはずの照明の点いていない神機整備室―そこに佇む一つの影を確認して。

 

 

「…!!!??」

その瞬間猛烈なデジャヴがリッカを襲う。

 

この光景は。

この状況は。

確かこれは―

 

―…「君」と初めて出逢った日と…おんなじ。

 

 

「…エノハ…!?ひょっとしてエノハなの!!!???」

 

 

思わずこう叫んでしまった。反射的に。衝動的に。

自分の指先の神機整備室の照明のスイッチを押す前にせっかちなリッカの衝動、情動が早く答えを出して欲しいと前に出る。そしてすぐに答えは出た。照明が点く前に。

 

影が答える。

 

「…は、はい。そうですけど…」

 

「…!!!」

 

―…やっぱり!やっぱり!!…エノハだ!!!

 

同時にリッカは照明のスイッチを押す。照らしだされようとしている光景を待ちわびる。

 

 

―ああ!なんて。なんてもどかしい時間!!

 

 

そんなリッカを前に尚も影は言葉を紡いだ。

 

「あの…」

 

何とも他人行儀で遠慮がちに―

 

「ん?」

 

こう言った。

 

 

「あの、その…どこかでお会いしたことありましたっけ…?」

 

 

「…え?」

 

 

神機整備室の照明に光が灯るのとは対照的に、待ちわびた光景を目の前にしたリッカの瞳には影が暗闇の中で言い放った最後の言葉が残した困惑の色が宿っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数分前―

 

 

 

2074年

 

フェンリル極東支部―通称アナグラ。エントランスにて。

 

 

「なぁ~~今夜ぐらい一杯どうかな~?今度出来たいい店の予約取ってるんだけどさ~~」

 

 

長身にタイトな黒いライダースジャケット、深紅のボトムス、豹柄の差し色をブーツ、トップスのインナーに覗かせ、細部に金色の小物をちゃらちゃらと光らせる一見いかにも軽薄そうな男がその風体に偽りなく、軽いノリでつかつかと「とある」女性の後ろをついていく。

しかし、先行する女性は澄まし顔、どこ吹く風でつれない態度を保ちながらも、きちんと振り返る。頭頂部で結えたポニーテールを揺らして。

 

「ようやく振り返ってくれたか!よっしゃ射止めるぜ!」と彼流の百戦錬磨の決め顔をした長身の男を上目遣いで見上げながらにっこりとほほ笑む。

 

 

「うん!いいですね。お仕事のお話、神機に関する相談事ならいくらでも歓迎しますよ?ハルさん?あ。それとも例のカノンちゃんの件で何かご相談が?ならカノンちゃんも一緒に行きましょうか!」

 

 

「あ、あ、あ~そう来る?いや~カノンちゃんは、その~~」

 

目の前の女性と彼―現在極東支部第四部隊の隊長を務める真壁ハルオミにとって唯一の部下―台場カノンという見た目は麗しいが少々扱いに困る部下をご指名され、ハルオミは少し途方に暮れる。普通に考えれば「女性二人と男性一での飲み」と言う「両手に花」の男にとってこれ以上ない美味しい状況であるはずなのに彼の表情は冴えない。

 

一応二人とも成人しているので「色んな意味」で問題は無い。

実際にカノンが彼の部隊に配属された当時、可愛い部下が出来たと内心ほくそ笑んで飲みに誘ったが度を過ぎる彼女の天然っぷりに全く話が噛み合わず、酔いだけが回ると言う苦い経験をしている。おまけに飲み食い代が割に遭わない。彼女の意外な大食ぶりに彼も彼の財布も眼を回した。食った栄養全て胸に行ってるんじゃないかと思えるほどの勢いであった。

下心アリの上司の男のタダメシを容赦なく男の財布にクリティカルダメージを与えるほど食らって「本当のエサ」を与えず、定時に帰る。出来そうで中々出来ないことである。

あれを天然でなく、もし計算でやっているんだとしたら彼女は自分の手に負えないとハルオミは判断し、今に至る。

 

そんな彼女を交えれば折角の飲みの席で恐らく確実に主にカノンを題材とした仕事の話になる。下手をすれば

 

「カノンちゃん。そろそろ君の神機のオラクルリザーブの解禁を検討しようか。ねぇハルさん?良いと思いませんか?」

 

という最終兵器を持ちだす可能性がある。つまり結論はこうだ。

今現在ハルオミが誘っている女性はそもそもこの誘いに乗る気など毛頭ない。

 

―こうなったら、少し強引だが…。

 

「…わっかんないかなぁ…?俺はね?君と二人きりで飲み明かしたいと思ってるんだよ?」

 

ハルオミは「ギア」をもう一段階上げる。遠まわしでは無くストレートに。しかし口調は低く、ソフトに。女性のラフなむき出しの肩に手を回して軽くタッチ。

 

 

「どうかな?楽しくなかったら帰ってもらっていいからさ…だから行こうよ?ね?

 

 

リッカちゃ…いててててててててっ!!!!」

 

 

「…気安く触んないのっ♪」

 

 

肩に回されたハルオミの手の甲を思いっきりつね上げた女性―楠 リッカは悪戯に笑ってハルオミの右手をゆっくりと振りほどく。

 

 

 

 

 

 

 

「いってぇ…リッカちゃ~~ん酷いなぁ?俺は本気だってのにさ~~」

 

「およ。『本気』なんですね。昨日はヒバリ、一昨日はサテライト支部のヘルプで初対面のジーナさんに速攻モーションかけて、その前は輸送班の新人の女の子でしたっけ?」

 

「げ。そんな情報が何時の間に…」

 

「ハルさん各支部でブラックリスト化してますからね。情報回って来てるんですよ。査問会の女性職員に特に評判悪いんで」

 

「査問会の女性職員って…ひょっとして上海支部のランの件か?いや、あの子か…いやひょっとしたらアイツ?」

 

心当たりが多過ぎる。固有名詞が殆ど出てこないレベルだ。そんなハルオミにリッカは苦笑して溜息を吐き、こう告げる。

 

「…ハルさん?」

 

「はい?」

 

「女の子を相手に『本気』の安売りしちゃだめですよ。じゃ」

 

リッカはそう言い残してエレベーターのシャッターを閉め、軽く手を振る。ハルオミもそれに応える。

 

―…「本気」…か。

 

さっきまでの軽薄さと打って変わってやや真剣な表情をしたハルオミが苦笑いでリッカを見送った。

 

 

「さて…今日もムツミちゃんところで一人寂しく呑むとしますかぁ」

 

―かつて「本気」で愛した女性(おんな)を想いながらって所か…。

 

 

ハルオミはエレベーターの逆方向―新設されたアナグラのラウンジに向けて歩き出す。

 

 

 

 

 

 

「…。この際小学生でもいいか…。かの高名な光源氏はそのぐらいの年齢から既に将来の美人の目星をつけてたって言うしな♪よおっし~~お兄ちゃん頑張っちゃうぞ~~もうすぐオッサンだけど~~♪」

 

 

「…」

 

新たな火種を階下に居るアナグラの主任オペレーター―竹田ヒバリに聞きとられた事も知らずハルオミは意気揚々と歩きだしていた。

 

 

 

 

ハルオミからの熱烈なアプローチを歯牙にかけずあしらった後、リッカは神機整備室に戻る。

 

 

そして―

 

 

 

冒頭―現在に至る。

 

 

 

 

遅ればせながら照明が灯る。

追い求めた。探し求めた待望の瞬間の光景をリッカの目に映しだす為に。

 

「エノハ」が目の前に居る。その事実だけで一秒が何分にも、何時間にも感じた。

 

だって影はこう答えた。確かにこう答えた。自分が「エノハである」と。

待ち焦がれた瞬間が今目の前に在るのだ。リッカの体内時間が時間を進めるのをサボるのも無理はない。

 

しかし―

 

どこかでリッカはおかしいとは思っていた。

 

―彼はいつも急だった。突然だった。急に私の目の前に現れ、私の心の大半を持って行ったまま突然に私の前から姿を消してしまった。だから急に、突然にもう一度彼に再会できてもおかしくはない―そう思っていた。

 

こっちの都合はお構いなし。突然現れ、突然去っていく―

 

 

 

 

 

いつも彼は―

 

 

 

「時不知(ときしらず)」

 

 

 

 

何時になるかも解らない。帰ってくるのかも解らない。

 

 

 

 

 

 

彼はいつも急だったから。いつも突然だった。

だからこそ私はこの激しいデジャブの様な突然の出来事に完全に我を失ってしまっていた。

 

 

暗闇から響いた声―私の事を「知らない」。「どこかで会っただろうか」と答えたその声が―

 

 

 

 

 

決して「エノハ」の声では無かった事を。

 

 

 

 

「……」

 

 

 

我に帰った私の眼に。

 

 

 

「あ…」

 

 

 

怪訝な顔をした美しい女の子が眼をぱちくりさせて私を見ている光景が映った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

透き通るような白い肌、蒼白い大きな瞳。味気ない神機整備室の照明でも十二分にその輝きを照らしだす艶のある美しいショートの金髪を纏ったまるで天使の様な綺麗な女の子がそこに居た。端正な顔立ちだけでなく、黒を基調としたタイトな軍服を身に纏ったシルエット、スリムながらも女性らしい丸みと膨らみが嫌みなく協調されているその姿は同性のリッカであっても思わず見惚れるほどの少女である。

 

リッカが短い時間の間に度重なって銜えられた衝撃に我と言葉を失って何も言えなくなる中、同様に目の前の美少女もまた言葉を紡ぐ事に難儀していた。

 

 

「あ、そのダミアン…さん?が、ここに行けばその…ここの神機を整備してくれる方に会えるって伺ったんで…その、」

 

「…っ…あ、ああ…だ、ダミアンが…?」

 

ダミアン・ロドリゴ。現在極東支部で新人神機使いの指導を行う傍ら、整備班でとある新興プロジェクトの立ち上げに参加、協力している職員である。

 

「あと『口説いとけば色んなことで融通利かせてくれるぜ。気にいられときな』って」

 

神機整備室で会えて口説くと融通聞かせてくれる人間―つまり恐らくは自分の事だとリッカは理解する。この少女はリッカに会いに来たのだ。

 

「ご、ごめんなさい!会いに来たのはいいけどよく考えたら『帰り道解らんな』思て誰か来るまで待たせて貰ってたんです!かと言って電気のスイッチどこに在るか解らんわ、勝手に何か押したら怒られるかもしれへんわでもうパニックやったんですよ~」

 

「あ。ああ!そうなんだね。ま、まぁ迷うよねココ」

 

「よかった!よかった!生きて帰れそうや!ホンマ良かった~~」

 

天使の様に美しい顔をした少女にひたすら謝られてリッカ困惑。

そして同時リッカは理解する。このタイミング、そして見慣れない初対面で或るこの少女の正体が―

 

 

 

「そっか!君がひょっとして噂の―」

 

 

―えと、なんだっけ…そうだ!思い出した!

 

 

 

「…君が『ブラッド』の人?」

 

 

 

「そうです!ひょっとして貴方がダミアンさんの仰ってた楠 リッカさんですか!?」

 

「う、うん。そうだよ」

 

「わぁ。よろしくお願いします!それにしても感激やなぁ…新しく来た所で早速名前を知ってもらえとるなんて…」

 

 

 

「…え?」

 

「…?」

 

「ん…?んん…っ!?」

 

「リッカ…さん?」

 

何だ。何かおかしい。やっぱり何かどこか「通じてない」。いきなり目の前に現れたハッとするほど美しい少女のインパクトに掻き消されて何か自分は大事なものを忘れている―否「抜け落ちている」感覚があり、リッカはその根拠を未だ混乱している頭の中で整理する。順序立てて。

 

するとすぐに答えは出た。あの暗闇の中で先程まで正体不明の「影」であった今目の前にいる少女が言い放った言葉―アレがおかしいのだ。

 

 

 

「は、はい。そうですけど」―

 

 

 

 

「…ゴメンね。ちょっと順序立てて整理する。私の名前は楠 リッカ。ここの整備主任をしてる人間だよ。よろしくね」

 

「はい!よろしくお願いします」

 

「で、その…」

 

「はい?」

 

 

 

 

 

「君の…お名前は?」

 

 

 

 

 

「はい!では改めて!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私の名前はエノハです。フェンリル極致化技術開発局特殊部隊―通称『ブラッド』所属!伊藤 エノハ!よろしくお願いしますね!リッカさん!」

 

敬礼し、えへへと無邪気に美少女は笑う。

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女の西洋的な特徴を多く持つ可憐な姿、そしてそれとはあまりにもギャップのある独特の訛りとイントネーション、そして紛れもない世界最高峰のGE集団のれっきとした一人としての立場を持つ少女に対して―

 

 

 

―…。

 

 

 

リッカは今全く頭が働かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 












「…あ。すいません!」

すれ違い様に肩がぶつかる。
エノハもこう見えてゴッドイーター。常人より遥かに優れた筋力を持っている。今の様にぶつかられたのが例え自分より大きな相手だとしても下手すると簡単に怪我を負わせてしまう。
しかし―

「…いや。こちらこそすまない」

ぶつかった相手―声からしてまだ若い青年らしい。フードをかぶって表情をはっきりと見せない男は全く揺らぐこと無くエノハに振り返り、軽く会釈する。風貌に比べると随分語気の物腰は柔らかい。常識と良識のある青年の様だ。

「…」

エノハは何故かその自分より高い背の青年の顔を覗き込むようにしてじっと見つめた。
「…?何か?」

「…あ!いえ…失礼しました!」

ぶつかった相手をいきなりまじまじと眺める不敬に我を取り戻し、エノハは頭を下げる。


「エノハ~?何やってるの~?行くよ~?」


エノハを呼ぶ声がエノハの背後からこだまし、エノハも振り返って「忘れてた」的に僅かに視線を背後に向ける。そしてもう少しちゃんと目の前の青年に謝るのが先か、まず仲間に一声かけるべきかほんの少しの思案する。
が。

「ふ…」

少し笑った目の前の青年はいかにも「お仲間が待ってるよ」とでも言いたげにエノハを肩で促し、助け船を出してくれた。
「全く気にしてないよ」とでも言いたげに。

「エノハ~?」

痺れを切らした様な声でエノハをせかす声が再び響く。

「あ―解った解った!今いくよ!!…それじゃあその…本当に失礼しました!それでは!」

「…」

青年はもう一度頭を下げ、すぐに踵を返して仲間の元へ走り出したエノハの背中を無言で見送っていた。












「エノハ遅いよ~」

「ごめんナナ。ちょっとあの人とぶつかっちゃって謝ってたんよ。でも全然怒って無かったみたい。ジェントルマンなエエ人やったわ。顔はよう見えへんかったけど」

「へぇ~そうなんだ。全く…副隊長はいつも危なっかしいですな!よし!私がお詫びを兼ねてさっきの人にナナ特製のおでんパンを…!」

「ナナさん。恐らくこの国の人におでんという食べ物はお勧めできませんよ。それにこの支部―ニュードバイに到着した二日前、ナナさんが部屋で保存していたおでんパンに過剰な発酵が見受けられたので大半を処分しました。よってナナさんの現在のおでんパンのストックはゼロなはずです」

「うわぁああああ!!!!シエルちゃんの鬼ぃいいいいい!!」

「ナナさん。先日の身体測定で貴方の体重が適性体重からプラス『ピー』キロ増加していますよ。これとナナさんが普段正規の食事以外で摂取している大量のおでんパンとの因果関係はやはり無視できないと考えられ―」

「ああああああ。もーやめてぇええええ!!」


そんないつもの微笑ましいブラッドの賑やかな仲間達のやりとりを見守りつつエノハは振り返ると―

「…あ」

先程エノハとぶつかった青年は風の様に姿を消していた。


「…多分やけど…



めっちゃイイ男やったな。また会いたいわ…名前なんて言う方やったんやろ…?」



ぽっと頬を赤らめ、ぽつりとそう呟いた。

「また始まったよ!エノハ副隊長の八方美人が!!どっかの支部に滞在する度にその都度犠牲者を増やさないでくれますかね!?副隊長!?」















「…あれが『ブラッド』か」

「うん。正確に言うとその六人の内の女性隊員三名だね。ジュリウス・ヴィスコンティ、ロミオ・レオーニ、ギルバート・マクレインの所属男性隊員三名は別行動中。で、あそこにいるのが―




黒髪の子はブラッド第二期候補生の一人―香月 ナナ。銀髪の子は第一期候補生で私らと同じマグノリア・コンパス出身のシエル・アランソン。そして…」

「…」

「…凄い偶然だね。本当にただの偶然?実はお兄の親戚とかじゃないの?」

「いや?俺の知る限り金髪碧眼のあんな美人の親戚は流石に居ないよ。ウチの親父が隠し子でも作っていたら話は別だけど…多分そんな度胸あの親父には無い。母さんにベタぼれだったしな」

「…美人、ね」

「ん?」

「いんや何も」










「初めまして。…伊藤 エノハ」


青年はフードを取る。癖のある髪を中東の風に靡かせ、青年―榎葉 山女は山の様にそびえたつ黒い鋼鉄の船―フライヤの中へ消えていく「ブラッド」三人の少女を見送った。





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Good Morning & Lady Go 

2074年

 

極東支部―アナグラに独立機動要塞支部―フライアが着艦。

同時フェンリル極致化技術開発局所属のGE部隊―「ブラッド」が着任する。その「何かといわくつきのフェンリル本部から派遣されてきたGEのエリート集団」をある意味で当初警戒していたアナグラのGE、職員は少なからずいた。

しかし、ブラッド隊が極東支部に来る前に予め彼らと接触した何人かの極東支部在籍のGE、職員が口を揃えてブラッド隊の事を「思っていた程とっつきにくい連中という印象はない」というニュアンスの感想を言っており、それもその内の一人が極東支部に在籍するGEの中でも模範的存在―アリサ・イリニーチナ・アミエーラであった事からその懸念は「杞憂」であろうという結論に達した。

 

しかし―アリサがブラッド隊に関する印象、心象で一つだけリッカの中に引っかかる言葉があった。最近極東の各地で責任のある立場に立ち、より一層大人びたアリサらしくない曖昧な表現だったので良く覚えている。

 

 

―その、上手く言えないんですけど…一人

 

 

…不思議な女の子がいました。

 

 

それが誰なのかリッカにはすぐ解った。それがエノハだった。

エノハは少し―いや、かなり変わった女の子だった。

 

 

 

 

 

 

伊藤 エノハ (17)

 

p66偏食因子―通称「ブラッド因子」に適合した世界でも有数の適合者、才を持つ者で構成されたエリート集団、ブラッドに所属し、在任期間は僅かながらも既に副隊長に任命されている才女である。

 

しかし当初の警戒を遥か下回るブラッド隊のある意味「肩透かし」なほどの親しみやすさの極致とも言えるほど彼女は極東支部を席巻。骨抜きにした。

 

リッカ曰く

 

「女の子として勝てる所が何もない」

 

と言えるほどの可憐な容姿、スタイルを持ち、そして度を超えた程馴れ馴れしいほどの明るさ、人懐っこさ、そしてそのルックスとあまりに隔たりのある独特の訛り、語り口調のギャップにアナグラはあっさりと陥落。

 

唯一期待を裏切らなかった所があるとすれば、その「世界最高峰のGE集団の一員」に名前負けする事の無い個々の戦闘力、潜在能力だろうか。

 

―成程ね。早々に副隊長に任命されるだけある。

伊藤 エノハの適合神機は第三世代神機通称クロガネ・ロングブレード。

それに任務後についた傷がリッカに如実に教える。彼女の非凡な才、敵に対してまるで情け容赦の無い、ひたすら相手の急所を断つ的確な一撃一撃を加えている事に疑いの余地が無い。

 

そしてその傷はこうも示す。その一撃一撃がまるで今までのGEの行ってきた攻撃とは比べ物にならない程鋭く、強烈な一撃で或る事を。彼女はブラッド隊隊長―ジュリウス・ヴィスコンティを除き、隊員の中でいち早く自らで「血の力」による神機の新たな解放段階によって発現した攻撃行動―

 

ブラッドアーツを開眼した少女である。

 

 

 

 

 

 

 

 

数ヶ月前―

 

欧州―亡都

 

広大な緑の庭園に澄んだ湖が蒼い空を映す。湖の向こう岸には廃墟となった灰色の都市が拡がり、支柱をアラガミにやられて倒壊したビルが二つ折りになって先端が湖に浸かっている。近代的なビルの隣には中世的な建築を施された図書館にドーム状の植物園が隣接する。今日の様な天候の良い日はまさしく行楽日和。老若男女問わず人が訪れ、散歩したり、ジョギングをしたり、噴水で軽く水浴びしたり、ベンチやテラスでで本を読んだり、木陰で昼寝をする人々の前時代の光景がありありと浮かび上がる―そんな場所だ。

 

「…とりあえず気絶したっぽいエミールさんから相当の距離は引き離した。…エミールさんはあれで結構タフやし、あの人特有のギャグ補正も働くやろから特に問題はないやろ…」

 

軍帽を深く被り直す。唾の下から大きな蒼白い瞳を鋭く覗かせ、少女―伊藤 エノハはそんな軽口を交えながら前方を見据えていた。そうでもしないと自分が今晒されている超ド級の緊張感、圧迫感に押し潰されてしまいそうだった。

眼を逸らしてしまったら、少しでも後退りしたら今自分をぽっかり包み込んでいる黒い影にそのまま、文字通り

 

「押し潰される」。

 

「…」

 

乾いた唇を軽く上唇でぬらす。この黒い影に先程まるで弾かれたピンボールの様に吹っ飛ばされて転がされた際、しこたま打ったお尻が痛み、思わず左手でさする。

 

―う~いったた~~。ポケットの中のインカムが砕けておケツにダイレクトやんけ。お尻は女の子のチャームポイントやっちゅうのに。

 

ぽいっと使い物にならなくなったインカムをエノハはポケットから投げ捨て、同時にピンと彼女の形の良い耳からイヤホンが抜ける。

耳障りなノイズ音から解放され、ようやくエノハは前方の「影」へ五感すべてを注力する事が出来た。

 

味覚―その乾いた空気を吸い取ってひりひりと喉が渇き、自分の焦りを嫌が応無く思い知らせる塩っ辛い汗の味を感じ取る。

聴覚―目の前の「影」の荒く浅い呼吸音が如実に徐々に影の高ぶる戦意を感じ取る。

触覚―その影が醸し出す圧力、重力を感じ取り、鳥肌を逆立てる。

嗅覚―滴り落ちる汗が乾いた臭い、吹っ飛ばされた際に負った傷からほのかに香る鉄の臭いを感じ取る。

 

そして最後に蒼く澄んだ彼女の瞳―視覚が影の姿を捉える。神々しいとも思えるほどの姿を。

 

グルルル…

 

その姿はまさしく文字通りの大神(オオカミ)。

 

巨大な大型バスを優に超える体長、四つん這いの状態でキリンに近い体高、全身を真っ白な毛で覆い、その細部から赤黒い触覚の様な器官を生やし、巨大な前肢には巌の如き頑丈そうな甲殻を纏っている。この神がこの形態を模した「元」である狼、コヨーテなどのかつてのイヌ科の野生動物が持っていた「引き出し」以上の何かを持つ事に疑いはない。ただその引き出しを出すまでもあるのだろうか?正直―

 

―アカン。このアラガミ今の私一人でどうこうできる相手やない。

 

エノハの推測は正しい。

 

この大神―後にマルドゥークと呼ばれる新種はこれから現れる「感応種」の筆頭として長きにわたって神機遣いを苦しめる事になる。その真価は周囲に複数のアラガミがいる場合に発揮される「他のアラガミを統率」、「活性化させ強壮状態にさせる」というものだ。その統率力はかつての狼が群れをつくり、一頭のリーダーの指示の下、複数で獲物を追い込んで狩る習性を忠実に受け継ぎながらも全く構造、習性も異なる別種までその影響を及ぼすまでに強化されている。

 

しかし現状それを行使する必要すらない。むしろここで感応波を発することで周囲のアラガミを呼び寄せるということは現在隊を分散させ、今回の任務地での本当の討伐対象―複数のコンゴウ種アラガミを各個撃破している目の前の獲物の仲間―ブラッド隊を呼び寄せる事に他ならない。

今は静かに確実にこの目の前の孤立した少女を仕留めることが最優先で或る。

感応種である自分を前にしてオラクル細胞で構成された神機が機能していることからしてこの目の前の獲物の特別性を大神は本能にて確信。

 

―コイツは此処で仕留めておいた方がいい。

 

強烈な先制攻撃で先手を取った大神は容赦なくトドメを差しにかかる。巨大な前腕をぐわっと振り上げた。

 

ズンッ…!

 

「ぐっ…うわっぷ!!」

 

地響きを伴い、僅かに身を捩じらせて前肢の直撃を躱したエノハに予想だにしない熱風が突き刺さる。その余波はエノハに通常の間合いの三倍以上の距離を大神から取らせる。とりあえず現状反撃は無い。冷静に敵の習性、行動、特性を見極める他ないが…

 

―~~~っ!怖い!

 

当然の感情であった。未知の相手プラス、おそらくアラガミの中でもかなりの上位種であろう大神の姿、そしてさっきまで自分が立っていた場所に直撃即即死の鉄槌が突き刺さり、その上―

 

「……!!」

 

バカッ!シュオオオオオオオッ!

 

その振り下ろされた鉄槌がエノハの目の前で「展開」。合間には赤黒い熱気、そして白い蒸気を放つ。触れられた地面は見る見るうちに溶解し、液状化していく。

 

―火属性!!それも筋金入りや!

 

ゴバッッ!!

 

液状化した地面から岩石をまるで燃え盛る火山弾の如く払い、撃ち放つ。

 

「うわっと!!」

 

先程間合いを普段の三倍離したのは英断だった。さもなければ躱す間もなく直撃。エノハの体に大穴が空いていただろう。それでも掠めた火山弾の熱気と空気を鋭く引き裂く飛行音にエノハの体は竦む。

彼女の頭は即結論を出す。「とりあえず躱せ。闘おうと思うな」。

 

―逃げな。援護が来るまで!!

 

ぐる…!?

 

そう決心した彼女が全速力であろうことか何と真っ直ぐ大神の間合いに入っていく。傍目には決死覚悟のバンザイ突進に見えるが意外にも「嫌な手をしてくる」と内心大神は苛立っていた。

 

両腕を交差させ、突っ込んできたエノハを蚊みたいに潰そうと大神はバアッと手を広げる。その光景を見たのであれば大概の人間は足が竦んで前進を躊躇しかねないほどの圧倒的な威圧感を放つ光景だが

 

―~~~っ!!…突っ切れ!!

 

エノハは恐怖を振り切り、突っ込む。躊躇すれば逆に潜り込むのが遅れ、叩きつぶされるか閉じた大神の掌から放たれる熱波の余波を喰らって大ダメージを受ける。どちらにしろ勝負の決まる一撃をエノハは勇気を奮い立たせて突っ込み―凌いだ。

 

エノハは巨大な大神の丁度股ぐらに入る。四足生物の泣き所と言って過言ではない。基本的に前面が高火力、重装甲なのが四足生物である。それ故に死角と言えるその位置に在る獲物にはどうしても対応が遅れやすい。

 

エノハは強固な装甲に包まれた前肢に比べるとやや貧弱な大神の後足に切りかかる。少しでも機動力の要であるここにダメージを残す。「逃げる」為に攻撃的な姿勢をエノハは崩さない。逃げる為に少女は今精一杯闘っている。

 

しかし―

 

ふわっ。

 

 

―え!?

 

 

大神の後ろ足が両足踏切で宙に浮き、エノハの斬撃を空振りさせる。まるで逆立ちをする様な姿勢。大神の視線は―自分の股下にいるエノハを捉えている。その背中に向かって地についたままの両腕を再び展開、熱で地面を溶解させ―

 

ズボッ!!

 

まるで犬が大事なものを隠す時の為に穴を掘る様に地面を抉り、股下のエノハの背目がけ、逆立ちの様な体勢ながら火山弾をアクロバティックに飛ばす。

 

―くっ!器用やな!

 

「ホイッ!」

 

トカゲの様に四つん這いの姿勢で地面に張り付き、頭上を通過していく火山弾に愛用の軍帽が飛ばされないように押さえながら、火山弾を見送る。

 

―…あっぶな!

 

しかしまだである。エノハの斬撃を躱し、逆立ち状態になった両後ろ足を今度は

 

ズドォッ!

 

 

「わっと!!」

 

 

エノハ目がけて突き落とす。前肢に比べて貧弱とは言えこの巨大な体の機動力の源になっている後足だ。力は決して前肢に劣らない。事実エノハの背後で突き刺さった大神の後ろ足の強烈な衝撃で土ぼこりが舞いあがり、エノハの体は衝撃波で宙を舞った。

 

前のめりで着地し、両手をついたままの体勢のエノハに容赦なく背後から左右のコンビネーションフックを見舞う。右腕の一撃は両手を使って前に踏み出し、難を逃れたが返しの左腕の爪先が

 

チッ!

 

「うっ!」

 

エノハの背中を掠める。その衝撃だけで少女の体の軸がぶれるほどの一撃。もう一撃打てば直撃すると大神が判断するのは至極当然であった。右手の籠手を展開。蒸気を伴った速度よりも「重さ」を重視した一撃を振り抜かんとする。熱風を加味したこの一撃は先程の様に掠ろうものなら大火傷。即ち戦闘不能、死を意味する。

 

終わりだ。人間。

 

―...。

 

しかし、現在大神から見えない少女の青い瞳はこの危機に冷ややかな視線を向けている事に大神は気付いていなかった。

 

ブォッ!!!

 

炎のついた物体を振り回した時に生じる独特の風切り音が響く。つまりは大神の渾身の一撃は何も捉えていないということだ

 

!?

 

手応えのない右掌とは対照的に大神の双眸が捉えたのは

 

「…」

 

 

目の前でまるで背面跳びでハードルを越える様にしなやかな体を弓のようにしならせ、ふわりと宙を舞う少女の姿があった。ようやく大神の双眸に映った少女の瞳に恐怖は無い。先程までと違うまるで氷の様な蒼白い冷静な光を宿した瞳は掻い潜った背後の大神の右拳をじっと目で追っていた。

 

―ここや。

 

狙うは蒸気を放つ展開した甲殻の隙間。

少女は宙を舞ったまま、まるで自分の胴に刃を突き刺すような姿勢で神機の刀身の先端を一気に甲殻の隙間に―

突き刺した。

 

ドッ!

 

―――!!!!!

 

この戦闘が始まって以来、初めての激痛に大神は呻く。しかし―

 

―え!?

 

ようやく一矢報いた少女に歓喜の表情は無い。彼女の両腕が異なる違和感を覚えたからだ。

 

―…!!抜けへん!?

 

大神もまた転んでもただでは起きなかった。甲殻の隙間に突き刺された刀身をそのままに甲殻を閉じたのだ。がっちりと神機を銜えこみ少女と神機をその場に拘束。今度は左腕を振り上げる。神機ごと少女を薙ぎ払う為に。

 

―……!!

 

神機を放棄すれば取りあえず少女は回避は出来る。が、神機は壊され、その時少女が健在であっても継続戦闘不能に変わりはない。かと言ってこのままここに居れば神機ごと切り裂かれて絶命。それもほんのコンマ数秒先だ。

選択肢は限られ、時間制限の猶予もゼロに等しい。そんな究極に追い詰められた状況で少女は結論を出す。

 

再びしなやかな体を突き刺さった神機を芯棒にぐるりと回転。グリップエンドに着地、

 

「はっ!!」

 

全体重を乗せて踏み切り、跳び上がる。

 

再びの右拳の激痛に大神の振り上げた左腕のスタートが一歩遅れ、上体もやや崩れる。神機は踏みつけられてやや下方に、少女の体は上方へ。その結果生まれた隙間を―

 

ぶぉん!

 

大神の左腕が何も捉えることなく、縫う様に通過していく。再び激痛に呻く大神を尻目に絶対的危機を乗り越えた少女は尚も空中で体を翻し、今度は真っ逆さまの姿勢のまま

 

ガシッ!

 

神機の柄を握り、接続。同時に刀身形態の下部より銃身を展開させる。狙いは再び甲殻の隙間。そこにこの二年間の神機技術進歩の結果、大幅な威力上昇と同時に強烈な反動を手に入れた―

 

ドゴッ!!

 

インパルスエッジを放ち、傷口に塩を塗る様に大神の右腕甲殻の隙間に「練り込んだ」。甲殻の隙間から差し込まれた熱波は膨張、がっちりと閉まった大神の右腕装甲を僅かに緩ませる。

今回の場合、強化されたインパルスエッジの威力、その一方で生まれた強烈な反動が双方、エノハに微笑む。

 

少女の愛機は強烈な反動で弾き出され、主である少女と共に空中に舞い、解放された。

 

―おっかえり~~♪

 

思わず「久しぶり」に見た愛機の刀身に少女は空中で頬ずりするが…

 

すりすり.......ジュウ

 

―って…あっついんじゃボケェ!!!

 

一人ノリ突っ込みを内心呈する。

 

 

 

 

 

 

30秒後―

 

...掴めん相手だ。

 

 

大神は貫かれた右腕の甲を舐めながらそう思う。神機を取り戻し、大神に手傷を負わせて反撃の糸口を掴みつつあった少女は先程―

 

「おっしゃ逃げるで!!」

 

惜しげもなく一目散に逃げ、この庭園に拡がる湖にダイブ、現在姿を消している。

成る程。水中に逃げ込めば姿を隠せる上に臭いまで断てる。おまけに―

 

シュオオオオ

 

 

大神が少女の追跡の為に湖に侵入した瞬間、彼の高温を放つ手甲が水に触れ、水蒸気が舞い上がる。視界が0近くになるほどの霧状の煙幕に覆い隠され、さらに大神の少女の追跡を困難にさせる。

 

視覚、嗅覚という捕食者が獲物を追跡する為には欠かせない生命線を断たれた上、大神自身が生まれ持った突出した属性の欠点を突いた逃避行としては満点と言える解答である。

 

これでは少女を仕留めるどころか捕捉すら難しい。対照的に―

 

―…。

 

蒼白い瞳を水中で爛々と光らせ、追跡してきた大神の両腕が水中でボコボコと水蒸気を巻き上げているのを冷静に少女は水底で観察しつつ、空気の消費を抑え、尚且つ水流を感じ取られないように「泳ぐ」事はせず、ゆっくりと水底を両手で交互に掴み、這う様にして進んで距離を離していた。

 

 

―…探しとる探しとる。でも悪いけどもう絶対見つかってあげへんよ。

 

 

大神は運動量を落とし、視覚、聴覚、嗅覚、そして水中の僅かな振動を逃すまいと触覚まで研ぎ澄まし、庭園一帯は奇妙な静けさに包まれる。

 

―…闇雲に暴れたりせん辺り冷静やね。ま。こっちにとっては好都合やけど。

 

今は例えはちゃめちゃでも無作為でも動き回られ、偶然そのラッキーパンチに捉えられてジエンドになるのが一番怖いと少女は想う。確率は低いとはいえそんなものでようやく身を隠せた苦労を台無しにされたら溜まった物では無いと内心戦々恐々であった。

 

しかしその懸念は杞憂だったようだ。大神は拍子抜けするほど静かに湖の上で佇んでいる。澄んだ湖面にその狂暴そうな捕食者の顔を映すが不思議とその横顔は美しい。理性的とも言えるほどの冷静なその佇まいはまさしく―

 

 

「大神」であった。

 

 

そう。

 

彼は冷静だった。だからこそ解っていた。現状あの湖に消えた獲物の少女を捕捉する有効な方法、手札は己には無い事を。それこそあの少女が何らかのミス、手違いでも起こさない限り。

しかしそれも期待できない事を大神はこの湖の静けさ、沈黙の中悟る。僅かな交戦時間であったがあの少女の侮れない戦闘力、俊敏性、何よりも知性と度胸を大神は既に先程目にし、把握している。そして何ら大神にとって好転する事の無い、ただ続くこの沈黙の時間―それが答えだ。この獲物は勝負所を間違えない。

 

認めなければなるまい。そして―

 

出し惜しみなく本気で殺しに行かなければならない。

 

 

小細工、戦略を踏み越えた圧倒的な暴力を以て。

 

 

 

 

 

―え。

 

 

熱い。

 

 

最早熱湯だ。少女の全身を包んでいる湖の水がまるで蜃気楼のように揺らめいている。加速度的に水温が上昇しているのだ。さっきまで心地よい冷たさで大神の熱波に晒された少女を癒し、隠れ蓑にまでなってくれった水が少女に牙を剥いている。

 

 

 

―何…や!!?これ……!!?

 

 

足元からじりじりと襲ってくる、「追ってくる」熱水に思わず振り返る。

 

 

―――!!?

 

 

そこにはまるで海底火山の如く蒸気、熱泉を巻き上げる大神の両腕が映る。水中だと言うのに大神の両腕のついた水底が赤黒く光っている。

 

ズズズズズズズ……!!!

 

一方水上ではまるで間欠泉のように高温に達した水柱が空を衝き、最早視界不良というレベルではない程辺り一面まるで温泉地の様に白い水蒸気が包み込んでいる。

今にも「新しい島」がこの湖の中心で生まれそうなほどの莫大なエネルギーが充満している。

 

 

大神は確かに少女を捕捉する事に関してコレと言った手段は現状ない。よって単純明快な結論に達した。

 

「力任せ」

 

しかしこれは闇雲では無い。間違いなく大神の現状採れる「最善手」。知恵、工夫、戦略、小細工を超越し、握りつぶす圧倒的な力、暴力の行使。

 

 

 

次の瞬間―

 

 

ザァアアアアアアアアアッ!!

 

 

大神は両腕を天高々と振り上げ、全身に生えた突起状の赤い器官から猛烈な炎をオーラの如き纏わせる。一瞬で巻き上げた湖の水を蒸発させるほどの熱が大気を切り裂き、赤い竜巻状に拡がる。その全てが今―大神の両腕に集中、集約。その最早厄災とも言えるほどの高熱エネルギーを纏った両腕を―

 

 

オオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!!

 

 

辺りを劈く雄たけびの後、力一杯振り下ろした。

 

 

 

 

……ボッ!!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

―…アカン。

 

 

 

 

 

 

 

死ぬ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ズオッ!!!!!!!!

 

 

 

 

 

上空百数十メートルまで熱湯と化した湖の水が吹き上がると同時火山の噴火の如き熱波と溶解した水底の岩石が大神を中心にマグマとなって隆起し、吹き上がる。

まさしく「ヴォルケイノ」。

 

 

 

これが大神―アラガミ感応種マルドゥークの力。

 

 

その一撃は湖の全水量の約三分の一を瞬時に蒸発させ、大神の周囲半径百メートルを完全に薙ぎ払い、吹き飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




「うっ…」

ずぶ濡れのまま岸を這い上がり、右肩を抑えたまま少女―エノハは

どさり…

うつ伏せに力無く倒れる。足元はまだ湖の水に浸かって居る状態だがそれを気にするほど今の彼女は余裕が無い。

ズキッ!

「ぐ!痛ぅううううう……」

熱波を水中という緩衝材があったとは言えまともに喰らい、熱傷を負った右肩を抱え、悶絶しながらもエノハは顔を上げた。

「…火傷を一瞬で治す魔法の書とか…無いんやろか」

エノハが流れ着いた先は湖に隣接した古い図書館であった。円形の部屋には見上げるほど高い本棚には恐らく現在では貴重であろう無数の蔵書が所狭しと敷き詰められている。本当に一冊ぐらいはいわくつきの魔法書でも有りそうなほど荘厳な雰囲気を持っているが今のエノハにとって

―一つ頂いて枕にしたい気分やわ。

と風情ブチ壊しの心境である。

しかし思い通りにならない体を今は少しでも休める事が先決とエノハは大きく息を吐いた。

が―


「…すぅっ……はぁ……。……っ!?がっ……かはっ!」

急に息が苦しくなって吸う事も吐く事も出来なくなった。それもそのはずであった。


「う…あ。あ。あ…!」


ズシっ…


僅かに振り向く事ができた少女がその目の前の光景に目を見開く。巨大な前肢が少女の背中を抑えつけ、ゆっくりとその圧力を強めていたからだ。


グルルルル…


全身を先程のとっておきの技で巻き上げた湖の水で濡れた全身を滴らせ、顎からぽたぽたと垂らしたずぶ濡れの巨大な大神―マルドゥークがいつの間にか少女―エノハの背後に居た。

その圧力に悶絶し、大きな蒼白い瞳を見開いたままか細い息を吐くことしか出来ない虫の息の少女を―


ブン!


大神は空中に巻き上げ


ずしゃあ!!


鋭い前肢の爪牙で深々と切り裂いた。無数の蔵書の背表紙にびちゃあと少女の血液が張り付き、血の螺旋を巻き上げながら宙を舞った少女の体は本棚に勢いよく叩きつけられ、ずるりと血の帯を引き摺りながらずり落ちる。

少女の体が衝突した際、その衝撃で蔵書のいくつかが本棚から飛び出し、風化の影響もあったのか脆くなっていた蔵書のページが無数に宙を舞い、血だまりにうつぶせで沈んだ少女の頭上にぱらぱらと降り注いでいく。まるで毟られた天使の羽根のように。


その白い羽根もうつ伏せの少女の血を吸い、赤く染まっていく。


赤く。


とても赤く。


紅く―





……グルッ!?





大勢は決まった。と、いうより勝負はついた。完全に断ち切ったはずだ。意識も身体も心も。しかし―


なんだコレは。


なんだ?


コイツは?



うつぶせのままの既に事切れたようにしか見えない少女の体が紅く光っている。同時に彼女の握っている漆黒の神機もまた赤黒く光り輝いている。少女から止め処なく溢れ出ている血液を吸い取ってでもいるかのように。


ピィィィイィン!!


更に今度は赤黒い稲妻の様な奔流が血まみれの少女と赤黒い神機に迸り、その余波が少女の血で紅く染まった蔵書のページを巻き上げる。

白い天使の羽は一転、悪魔の如き紅蓮の翼となり、再び少女の頭上を舞う。
理解不能の光景を前に大神は確信する。


―終わりなどでは無い。コレは始まりだ。


大神の目の前に映る光景、その場の空気が全てを指し示している。
そしてこう「言って」いる。



おはよう。



はじめよう。



と。



ガスン!



まるで墓標のように突き立てた赤黒い神機を杖にして少女―伊藤 エノハは立ち上がる。


「…なかなかええオトコやねぇワンちゃん?さっきまでのお猿さん達に比べたらキミ…すっごくいいわ❤」


赤黒く光るロングブレード―クロガネを突きつけ、不敵に少女は美しい蒼白い目を輝かせて微笑んだ。


紅く血に染まる漆黒の少女―彼女の属する部隊名「ブラッド」の名に偽りなし。

















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Good Morning & Lady Go 2

このコ結構ムチャします。







「左脇腹から右肩後背部まで」

 

これが先程大神―マルドゥークによって切り裂かれた少女―伊藤 エノハの負傷箇所である。袈裟がけ状に切り裂かれた背部からは遠慮無く血液が溢れ出、失血レベルで言えば意識を即失う、若しくは出血性ショックを引き起こしかねない程の重症である。

しかし―

 

美しい線を描く少女の右肩を伝い、彼女の手の甲にまで達した血液によって彼女の愛機―クロガネは紅く染まり、光り輝くと同時に少女の体から発せられる赤黒い放電現象も止むことなく迸る。

 

透き通るような白い肌のキャンパスの上に深く光る蒼白い瞳、やや白みがかった美しい金髪と完璧に調和された端正な少女の表情には似つかわしくない程好戦的な…「歪み」と表現するのが一番近いだろうか?そのような笑顔が張り付いている。

 

怒気でも殺気でもなく、歓喜に近い気色に見えるその表情が大神の行動を現時点封じている一因であった。

 

しかし―

 

「げくっ…!!」

 

 

びちゃびちゃびちゃびちゃ!!

 

 

不敵に神機を突きつけ、仁王立ちしていた少女の上体がその美しい姿にはあまりに似つかわしくない奇声を契機に糸が切れたみたいに崩れ、同時少女の足元に傷口から溢れた血と少女の口から溢れ出た血が混ざり、血だまりが拡がっていく。

 

「ぐぶっ…げっ…げっ!!」

 

…!!!ガァッ!

 

咳き込むと言うより嘔吐に近い吐血でがくがくぶれるその少女の姿に自身の逡巡を後悔した大神は反射的に攻撃を再開した。ぐわっと右腕を振り上げる。

 

「……いひっ♪」

 

その大神の姿に未だ血を顎から滴らせながらも嬉しそうな声を上げ、顔を上げてカッと蒼白い瞳を見開く。その不用意な大神の反射的攻撃を少女は「待っていた」。

わざわざ切り裂かれた自分の横腹の患部を自ら指先で「抉って」まで作った最早正真正銘演技無し、マジモノの痙攣で誘い込んだ大神の不用意な一撃の右腕に

 

トン…

 

少女は乗った。

 

軽い。まるで羽毛みたいな軽さだ。それもそのはず。同じ年代の女子と比べれば比較的長身とはいえ少女は細く、華奢だ。おまけに出血で明らかに体重は減っているはず。しかしそれを差っ引いても異常なほどの重みの無さに大神は奥歯を噛み締める。

 

 

この。

 

このチビ…!

 

 

完全に乗せられた事に大神が気付き、怒りの咆哮を上げた時には既に少女は全速力で大神の右腕を駆けあがってくる。大神が怒りの咆哮と同時の咬みつき攻撃を眼前に迫る少女に仕掛ける。

 

しかし―

 

びちゃあ!

 

 

―――!!?

 

大神の視界が真っ赤に染まる。少女が自ら抉った脇腹からの鮮血を大神の両目目がけて振り払ったのである。視覚を一時的に奪われた大神の咬撃は敢え無く躱され、

 

少女は今度は大神の頭の上に飛び乗り―

 

―…ワンちゃん?こんな『美刃』に背筋を沿わせられるなんてそうないよ?

 

 

「…堪能しぃ?」

 

 

ぞりぞりぞりぞりぞりっ!

 

……!!

 

大神の後頭部から神機の先端を突き刺し、背骨に沿って少女は地面に線でも引くみたいに駆け上がる。背筋を沿っていく怖気を覚える様な激痛に大神はまるで騎手を振り落とそうとする暴れ馬みたいに四足をバタバタとばたつかせて辺り構わず無茶苦茶に暴れ―

 

「キャッ!」

 

エノハをやや後方の空中に打ちあげて振りほどく。しかしこの程度で大神の中に宿った怒りの焔が納まる事はない。空中に浮いたエノハ目がけ自由になった左後肢を蹴り飛ばすみたいにエノハ目がけて思いっきり突き刺す。

 

ドゴッ!!

 

直前盾を構えて衝撃をずらされ、左後肢はエノハを捉える事は無かったものの、後肢は本棚を直撃、最早爆発したかのような衝撃波、クレーターを残し、粉々にされた蔵書のページが更に一面ばらばらと舞い、散乱する。

その爆風に蔵書と共に吹き飛ばされたエノハは大神の真上へ体勢の整わないまま放り出される。そんなエノハを目がけ、

 

ズズズズズ!

 

右腕装甲解放。地を抉って火炎弾を真上に向けて撃ち出す。

 

 

「!うわっ!!!」

 

開いたままの装甲を火炎弾に向けていなすが再びエノハは吹き飛ばされる。火炎弾はそのまま―

 

ドゴっ!!

 

図書館の天井を直撃し爆発。大量の瓦礫が大神の下にがらがらと降り注ぐ。しかし破片の直撃など全く大神は意に介さない。が、その破片の直撃が僅かながらも大神の視界、行動を遮り執拗な追撃をほんの一瞬とはいえ緩和したのも事実であった。結果―

 

「かっはっ!」

 

火山弾によって再び吹き飛ばされ、図書棚に再び背中を強打していたエノハの意識が一瞬飛んだスキを突かれる事は無かった。

 

「ツキはまだ自分を見放していない」。それを糧にエノハはどうにか意識を保つ。

 

「んっ…!ぐっ!」

 

ドスッ!

 

エノハは歯を喰いしばりながら体勢を立て直し、本棚に神機を突き刺してぶら下がる。そのエノハを再び大神は横目でちらりと視認。振り向きざまの遠心力を目一杯利用した大ぶりの左フックを見舞う。

 

 

ズザザザザッ!!

 

 

その容赦ない一撃は突き刺した神機の柄を支点に躍りあがって垂直の壁に着地し、壁走りを始めたエノハの真下にくっきりと大神の前肢四本指の爪痕を五メートル以上に渡って残す。ズタズタに引き裂かれた本棚は最早体を成さず、大量の蔵書がバラバラになりながら宙を舞うか、崩れて雪崩のように大神の足元に転がり、乱雑に積み重なっていく。

 

 

―…。

 

ダン!

 

無数の蔵書のページが更に白い羽根の様に宙を舞う中で蒼白い瞳を爛々と輝かせながら対峙する大神を見、垂直の壁を走る少女―エノハは垂直の体勢のまま壁を蹴り、左腕を振り切った直後の大神目がけて滑空していく。

そんな彼女に今度は振り切った直後の左腕を裏拳にして大神は振り払おうとする。今度こそ急な方向転換の出来ない滑空中の少女は逃げ場が無い。

 

しかし―

 

「…ここや!!」

 

ぐばっ!

 

 

少女は神機の捕食形態を空中にて開く。そして同時、その開口部を今正に振り抜かれようとする大神の左腕に向け―受け止めた。

 

「ぐぬにっ…!にににににっ……!」

 

横っ腹を巨大な物で殴られた様に少女の華奢な肢体は半月上に曲がる。合間に入った緩衝材である神機の捕食形態もその衝撃を完全には緩和出来ず大半の衝突エネルギーを彼女の体は負担する。

彼女の傷口、そして彼女の体の各所からクレームの如き「過負荷」の報告が脳がパンク状態になるほどに届く。その混回線は「発狂」にも繋がりかねない程の情報量だ。傷口からは再び血が噴き出し、軋んだ少女の華奢な肢体は大神の背後へ力無く吹き飛ばされる―

 

が、

 

 

ズザザザザザ!!

 

 

!?

 

 

大神の目にはその華奢な体は地上に叩きつけられる事無く直前で反転、両手、両足で踏ん張りながら猫の様な姿勢で少女が着地する姿が映る。

 

対峙した両者は奇しくも共に四つん這いの姿勢となった。しかし両者の姿はあまりにも対照的でもある。

「巨大な狼と小さな小さな子猫」といったところだ。だが一方で両者の圧倒的な力の差は今少しずつ、しかし確実に埋まっていこうとしていた。

 

 

―…ようやくや…。

 

 

「…捕食完了」

 

ズオッ!!

 

四つん這いで大神に頭を垂れたまま少女の体が金色に輝くと共に大神が自分の左腕が僅かではあるが喰いちぎられ、体液を垂らしているのに気付いたのはほぼ同時であった。

 

ガスン!!

 

ほんの少しの手傷と少女の存在の更なる「昇華」にほんの一瞬だけ我を忘れかけた大神をその音が現実に引き戻す。先程まで四つん這いだった少女がいつの間にか立ち上がって神機を地に突き刺し、両手を自由にしていた。

絶対的な力を持つ敵対者である己と相対しているのにもかかわらず、である。

 

 

しかし何故か今、大神は攻撃するつもりにはなれなかった。大神は僅かに喰いちぎられた左腕を大きな舌で舐めだす。

 

 

目の前の奇妙で大胆不敵な少女の姿に敵対心だけでなくどこか好奇心の様な物が大神の中で生まれつつあったからだ。それほどまでに今の少女の姿は圧倒的な力、優美なほどの理想的な捕食者としての機能美、威厳を兼ね備えた姿を持つ大神を以てしても…

 

 

美しかった。

 

「♪」

 

愛用の軍帽を両手で取り、パサリと美しい薄い金色に輝く髪を首を振って靡かせ、細くて長い指先を器用に使った手櫛で丁寧に整える。そして口もとの血を拭い、パタパタと体を叩いて制服についた埃をとり、身だしなみも整える。最後に大事そうに、愛おしそうに右手でもった軍帽を優しい蒼白い瞳で眺め、丁寧に左手でパタパタと軽く払った後、ゆっくりと噛みしめるように丁寧に頭に乗せる。

 

「…うっしゃ!」

 

少女の瞳、表情からは拍子抜けするほど毒っ気が抜け、年相応の明るい表情をしていた。

しかし同時に戦士として強い自信、そして自覚に満ちた眼差しをその蒼白い瞳が宿している事に疑いの余地はない。

 

 

「…ゴメンな?おまたせ❤」

 

 

少女はまるで旧知の間柄の相手に接する様に目の前の巨大な大神に向かい、言葉が通じない事などお構いなしにそう言った。彼女の周囲に砕かれた蔵書のページが彼女の発する金色のオーラによって天使の羽根の様に少女の周りに舞いあがる。その中心でまるで本当の天使の様に少女は微笑んでいた。

 

 

 

 

大神は犬の様にぶるぶると首を振り、こちらも修羅場の中で唐突に生まれたこの妙にリラックスした奇妙な時間を満喫していた。

 

全てはこれから生まれる「時間」に全てを賭ける為。

 

少女が神機を無言のまま掴む。その僅かな音を契機に大神もまた少女を睨み―

 

ピィイイイイイイン!!

 

 

天に吠えながら竜巻状の炎のオーラを纏う。周囲に舞い上がった蔵書のページが大神の頭上のあちこちで瞬時に燃え尽きる音が断続的に周囲に響く。

 

「…わお」

 

その熱風の暴威にその反応とは裏腹に全く怯むことなく爛々と蒼白い瞳を輝かせ、ただ少女―伊藤 エノハは対峙する大神の圧倒的な姿を見ていた。

 

フルルルル…

 

現時点己が出せる力の解放を果たした大神もまた少女を見据える。彼の利き腕は右腕。そこの装甲部を解放。全火力を集中している事に疑いの余地ない蒸気が吹きだしている。

 

「……。ん!」

 

対する少女は腰だめの姿勢、両手で神機を持ち、即頭部に掲げて刀身の先端を突き刺すように目標に据える。神機ロング刀身の始点となる基本姿勢であった。同時に彼女の赤黒い刀身に再び禍々しい深紅の放電現象が迸る。

 

金色のオーラを纏った状態でのあの不可思議な赤い放電現象―まさしくこの小さな獲物が現時点放てる最大火力を己にぶつけようとしている事を大神は確信。ならばそれを真正面から叩き伏せ、叩きつぶす―そんな大神の精神の高揚を反映するかのように一層、増した水蒸気と熱量が彼の右拳に集中する。

 

こんな膨大な熱エネルギーを前に正面から打開を図ろうとする等正気の沙汰ではない。人間が火山の大噴火を前にただ指を銜えて一刻も早い鎮静化を願う他無いのと同じ状況だ。

 

しかし少女は前に出る。

 

 

―「なんか」

 

なんか「ある」。

 

…いや、ちゃうね。

 

なんか「生まれようとしてる」。

 

私の中で。

 

 

そんな何の確証も後ろ盾もない「なんか」とやらがこの圧倒的な暴威を前にした少女がここに居座る根拠であり―

 

トン…

 

最早後には引けない一歩目を何の惜しげもなく少女が踏みだす起点となる。同時その少女の一歩を起点に大神の時も動き出す。

 

「迎え撃つ」と言うには余りにも酷過ぎるほどムダも、そして慈悲もないただ身の程知らずの愚か者を一撃の下に瞬時に叩き伏せるだけの冷酷無比な神々の鉄槌(スタンプ)が振りおろされ、早々と少女の頭上、間合い内に侵入、少女の剣閃(リーチ)が大神の主要部位、頭部や胴体に達することのできる遥か範囲外から一方的ともいえる暴力が迫る。

 

実際的な両者の距離の差は確かにほんの数メートル程である。が、その差は神々が雲の上から地上を這いまわる人間を雷で射抜くのと大差ない。

 

 

頭が高い。弁えろ。頭を垂れろ。

 

 

少女の頭上で灼熱の業火を纏った大神の掌がそう語る様に少女の頭を叩きつぶす直前に―

 

少女の愛機の先端が大神の掌に達し、「まった」をかける。

 

何の変哲もない袈裟切り。お手本の様な斬撃。

 

神々の無慈悲の鉄槌に対する対処、返答としてはあまりにも凡庸で退屈な回答。こと斬撃に悉く強い手甲を纏う大神に対して愚直の極みとさえ言える少女の解答に対して当然の結果が迫る。何の変哲もない回答に対する何の変哲もない結果のみが残される当然の帰結へまっしぐら。

 

しかし―

 

その愚直な回答を行った少女の蒼白い瞳は

 

「…」

 

真っ直ぐだった。どこまでも真っ直ぐに澄み渡っていた。確信がある。だからこそ自分の回答を「振り切る」。

 

……!!

 

迷いなく「振り切られた」少女の剣閃は不変のはずの結果に介入。僅かに逸らされた神々の鉄槌は少女の頭を捉えることなく地に達する。この間、全く以て音が差し入る隙が無い。それ程圧縮された時間の中での攻防はあまりにも意外な結果を「序章」に。

 

そしてあまりにも平凡で呆気ない「幕切れ」を果たそうとしていた。

 

確かに少女は神々の鉄槌を逸らした。それは「奇跡」と言ってもいい。しかし「奇跡」の先に勝利が保障されていないのも事実だ。「奇跡」とは結果が伴ってこその物であり、結果に至らなかった物はその過程で起きた些細なノイズ―「偶然」として扱われる。

 

振り抜かれた神々の鉄槌が逸らされた程度で終わりの筈が無い。何故ならその鉄槌に宿った膨大な行使力は微塵も喪われてはいないからだ。

 

地を突き刺した大神の鉄槌は瞬く間に地を浸食、地に宿り、地を震わせ―業火を解き放つ。

 

 

先程に比べれば範囲は限定的。だがその分凝縮された「ヴォルケイノ」が噴出。その赤黒い噴火が一気に少女を覆い隠す。

 

 

地震、雷、火事―

 

大神。

 

 

大地をマグマ化し液状化させる為に必要な温度は約1000度。それが強烈な爆風と熱波と共に突き刺さるわけである。

 

人体が持つわけがない。

 

 

 

 

ボッ!!!

 

 

 

遅ればせながら辺りに音が響き渡る。少女が起こしたほんの僅かな奇跡の立役者―鮮烈、痛快なほどの真っ直ぐな剣閃が残すはずの快音を握りつぶすかの如くの湿り気のある轟音。

 

少女の蒸発した音など差し入る隙も無いほどの轟音。

 

 

 

 

しかし―

 

その轟音を。

 

 

更なる快音が切り裂くのはゼロコンマ一秒後。

それより先に大神がその目の前の光景を今から「喪われる」左目で映し取り、脳裡に灼き付けた。

 

 

 

 

 

蒼い。

 

 

まるで少女の瞳を映し取ったかのような蒼白い一筋の閃が走る。それが自らの左目に走っていた事を大神が自覚するのは随分後の事だ。

 

痛みも、「何が起きたか」という認識、自覚もすべて後。今はただただその光景を大神は無心で眺める。

 

 

 

 

神々の鉄槌を逃れた人間は。

 

雲の上の神に手を届かせる為に―翼を手に入れた。

 

そして。

 

 

 

 

翔んだ。

 

 

 

蒼い瞳を宿した金髪の少女―天使は翔ぶ。その蒼い剣閃の先に在る全て、神すら切り裂きながら。

 

無数に舞う蔵書の白いページが少女の剣閃の筋道を教えるように舞う。剣閃自体があたかも天使の羽根になったかの様に帯を引いて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





ズドォン!!


「痛い!!」

先程天翔けた美しい少女は轟音と共に間抜けな叫び声を上げた。神速の勢い余って本棚に体を直撃させたのである。ずるずると再び本棚を伝ってずり落ちる。

―ううっ…あっか~~ん。後の事考えてへんかった~~私のあほ~~。

ずり落ちた先―山々と積み重なった蔵書の上でエビ剃りで仰向けに大の字になった少女―エノハは

―上手くコントロールできひんかった…正直…


「…浅い、わ」


新しく自分の中に生れた「力」の感触の余韻に浸りながらも口惜しそうにそう言った。
その証拠にエビ剃りに反りかえって逆さまの視界の中、ゆっくりと身を起こし、少女の顔を覗きこむ大神の姿があった。その左顔面は吹き飛ばされたように抉られ、鮮血が滴り落ちている。


「…ご飯の時間か~?ワンちゃん」

満身創痍、勢い余っての本棚への激突による呼吸困難、バースト状態解除直後の反動、倦怠感、そして未知の力―ブラッドアーツの初使用に伴う心身両方の酷使、全ての要素が少女の体を一時的な完全行動不能状態に陥らせていた。

さっきまでと打って変わってぼやけた表情をし、戦意の抜けた少女の顔を大神は眺めながら…

パンっ

少女の神機を軽く払い除ける。

「あ。バレてました?いやん怒らんといて?こ~~いうコやねん私」

…油断ならないガキだ。体が動かない状態でもきっちりと今の全身全霊を右手の神機に静かに込めていた。あのぼやけた諦めたような表情でさえフェイクか。


「なんでやろね?」


…?


「もうどうしようもないのに、やれることも無いのに何でやろ。怖さが無い。でも死にたないって思てる。…私」

当然大神に少女の言葉は解らない。
しかしその蒼白い真っ直ぐな眼差しが大神を見据える。彼の残された片目である右目がその光景を映し取る。

大神は今「喰う」という本能に従うよりもその不思議な少女の姿を暫く眺める事を優先させた。あまりにも捕食者として非生産的な行動である。しかし同時これこそ今己が出来る最も優先順位の高い行動であると確信もしている。


そんな大神に向かってにっこり少女は微笑んだ。


「ありがとな。迷うてくれて―



『また』会おな?




ワンちゃん?」





!!



大神は反射的に飛びのいた。そこに―

チュインチュイン!!!

頭上から無数の銃弾が降り注ぐ。



「エノハ!」

「エノハ~~」

「ちょっエノハ!?大丈夫か!?おい!」

三者三様の姿をした個性的な面々が天井の開けた図書棚から少女の元へ飛び下りてくる。


長身痩躯、そして長い髪をなびかせる神機―スピアを構えた青年。

ぴこぴこと耳の様な特徴的な髪型を揺らしながらエノハに心配そうに駆け寄るブーストハンマーを抱えた少女。

巨大な眼前の大神に少し気圧されながらもエノハを介抱する少女の前に立つ金髪の小柄な少年。その手にはその体格には似つかわしくないオレンジの装飾を施されたバスターソードが握られている。

そして最後に


「……よく耐えた。待たせて悪かったな…エノハ」


茶色い髪を揺らし、他の三人の更に前に降り立った青年が鋭く、しかし均整のとれた女性的な吊り目を光らせ、大神を牽制する。



流石に分の悪さを感じ取りながらも大神は残された片目で新たに現れた人間達を視線で一人一人を抉っていく。

それに対する反応は様々だ。

「ひっ…」

「ちっ…」

「うっ…!」

気圧される者。身構える者。倒れた仲間を庇おうとする者。そして

「…」

微動だにしない者。


大神はその反応で「大体の事」を知った。


これから己と敵対する事となる強力な力を持った集団―特殊部隊ブラッドのことを。


ズンっ

壁を伝い、その巨体に似つかわしくない程の跳躍力で大神は先程自らがぶち破った天井を抜けて外へ躍り出、そこに立ちつくし、再び彼等を静かに暫く見下ろすと―

ズン…


ゆっくりと踵を返し、去っていった。

その後ろ姿を全く油断も緩みも無く、暫く見ていた一番前に出ていた青年―ブラッド隊長ジュリウス・ヴィスコンティがようやく鋭い警戒の目を解き、ふうと一息ついた。

それを契機に大神と相対していた背後の各隊員達からもようやく安堵の息が漏れる。

「な、なんだよアイツ~~威圧感半端ねぇ~~」

金髪の少年―ロミオ・レオーニがどっかと腰を下ろし、やれやれと言いたげに大袈裟に息を吐く。

「…威圧感だけじゃねぇ。あの冷静な戦況の読み方…自分が不利だと瞬時に判断して撤退しやがった。ただのアラガミじゃねぇ」

痩身痩躯、そして長髪の青年―ギルバート・マクレインが「油断すんな。立て」とも言いたげにロミオに起立を促しながら歩み寄る。それを面白く無さそうに邪見に手でしっしとあしらいながらロミオは渋々ボトムスをはたきながら立ち上がる。



「…ナナ」


「は、はい!」


暫く思慮に耽っていたジュリウスから背中越しに唐突に声をかけられ、エノハを介抱していた少女―香月 ナナはぴょこんと猫の耳の様に不思議なセットをされた髪を揺らして
返事をする。


「エノハの様子は」

ジュリウスは警戒状態を解いた嫌味なほどに整った女性的な目尻を緩ませて振り返り、ナナにそう尋ねる。

「あ、はい!その、それが…」

「どうした?」





「…寝てます、です…」





「…フッ」


ジュリウスは軽く鼻で笑い、他の二人も呆れた様な顔をして無垢な寝顔をした少女―

伊藤 エノハの顔を眺める。


「す~っ……」









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短編 ブルーローズ

いつも通りであった。

 

スリーマンセルで一匹の獲物を追い込み、連携して攻撃。これで今まで数々の獲物―アラガミを仕留めて来た。今日も今まで通りその作業を淡々と終える作業。自信はある。経験もある。数々のアラガミを喰らい進化した各々の武器に対してもまた非凡な物であるという自負がある。

 

しかし…一体何だ?この獲物は。

 

いつもであればもう既に三度四度は仕留めているだろう。しかしすんでの所で躱されている。のらりくらりと。

三方向からの絶え間ない自分達の銃撃に晒され、何度か逃げ惑いながら体勢を崩してもいる。その瞬間を見逃さず的確に射抜き、仕留めた事を彼等は何度か確信したがその度―

 

…。…!!

 

この獲物は銃撃が突き刺さった先の噴煙からのろのろ命からがら這い出るようにしてまた逃げ惑う。

当初は獲物をいたぶる感覚を覚えて妙な高揚感があった三者だが、獲物がここまでしぶといと流石に

 

萎えるな…。コイツ。

 

よって三者は勝負を決めにかかった。ゲームというものはあまり長引かない方がいい。自分が圧倒的に有利な状況であれば尚更だ。楽しんだ後は手早く終わらすに限る。

 

…いけ。

 

リーダー格が部下に指示を出す。するとリーダー格を除く二者―部下が大胆にも獲物の正面と後方に回り込み、一気に接近。

 

…!…!

 

獲物に明らかな動揺が見える。前方後方共に逃げ場無しであることをキョロキョロ確認しながらどうしようもなく、その場に立ち往生する他ない。そんな獲物の逡巡を見逃さず、両者は獲物の直前に達し急ブレーキ。同時両者後方へ軽く飛びのきながら獲物に銃口を突きつける。

 

今度「何かの間違い」であわよくばこの部下の斉射から生き残ったとしてもそのみっともなく這い出た瞬間を射抜いてやる―

 

部下の斉射体勢を遠目にリーダー格は目を凝らす。彼は一人距離を離した視界の開けたビルの屋上に陣取り、精密なスナイプ姿勢を構えて部下の撃ち漏らしを即フォローする体勢に入る。

 

一秒後。

 

部下の放った一斉射撃の噴煙が三位一体の一斉攻撃の合図がわりに舞い上がる―

 

はずだった。

 

 

…!?

 

おかしい。「合図」がない。後方に飛びのきながら射撃体勢を構えた部下が結局何もすること無くただ着地していた。

 

一体何をやっている?アイツら?

 

狙撃姿勢を崩し、みすみす一斉攻撃の機会を見送った部下の理解不能の光景にリーダー格は目を凝らす。そして同時目を疑った。

 

…!?

 

 

部下二「体」の

 

 

腕が無い。

 

 

 

がりり…プッ…!!

 

 

「不味い」

 

 

と、でも言いたげに巨大な黒い顎が二対の液体混じりの銃口を吐きだす。

 

 

 

部下二体―

 

二匹の中型アラガミ―ヤクシャの右腕と一体になった銃機構をいきなり現れた巨大な黒い顎がほぼ同時に一瞬で削り取ったのである。

 

…!……!?

 

未だに何が起こったか解らず着地姿勢のまま最大の武器を突然失って混乱状態の陽動役のヤクシャ二体に次の瞬間金色の烈風が突き刺さる。

 

目の前の眩いばかりの金色の閃光に視界を一瞬遮られたヤクシャ二体が次に見た光景は、自身が放つはずだった青紫色の球体が眼前に迫る光景であった。

 

 

…!?

 

 

パンとまるで風船でも割れたかのようにヤクシャ二体の頭部は破砕。指令部位を喪った彼等の体が糸の切れた操り人形の様に崩れ落ちるまでの僅かな時間、そんな彼等を置いてけぼりにして既に濃密な攻防が展開され、同時に勝負は決していた。

 

部下二体が完全に行動選択肢を無くした肉のカタマリと化した事を確認したリーダー格―狙撃ポイントに陣取っていたヤクシャ・ラージャは追い込んでいたと思い込んでいた獲物に実は完全に掌握されていた事を理解したと同時、狙撃姿勢を再び整えた。

 

その狙いは獲物―否。最早両者の立場は完全に逆転。自らがむしろ狩られる立場―獲物であると即理解したラージャは牽制の一撃を放ち、ここからいち早く離脱を図る事を決定。幸いにも自分と相手の距離はかなりある。牽制の一撃が起こす余波、噴煙が僅かながらでも自分の撤退の一助になる事を見越してラージャは銃口に力を込め、青紫色のオーラを集束させる。

 

今まで数多くの獲物、若しくは強力な敵、追手を隷属したヤクシャとのコンビネーションで葬ってきた彼にとって現状での即時撤退の判断は当然かつ妥当。

 

しかし残念ながら少々遅い。

 

ひ弱な野兎を追いたてている狩人がその際背後を気にする事など無い。つい数秒前のラージャ達も全く以てそれと同様である。獲物と自分との力関係を見誤った時点で彼等は既に詰んでいた。今まで連携を使って数々の獲物を仕留め、純粋な個体としての力、知能共に進化した彼等の自信と経験が仇になる。

 

彼等は「連携されて狩られる側」になった経験が無かった。

 

 

 

 

『ガガッ…。…。位置についてるね?』

 

 

「はい」

 

 

 

 

ラージャに限らずヤクシャ種は非常に聴力が高い。狩人として非常に強みであるその聴力は「背後」で響いたその会話音を余すことなく聴き取っていた。

 

 

……!?いつだ。何時からそこに居た!?

 

 

狙撃姿勢を構えたラージャの背後に丁度彼と同じぐらいの大きさの奇妙な人型の物体―全身をメタリックブルーの装甲でコーティングされた武骨な巨人が陣取っていた。そしてその手にはその身長を上回るぐらいの大きさの大剣が握られている。

 

この時代でこの大きさの物体であれば大抵が同種、「アラガミ」と判断して問題無い。事実「それ」にも少なからず「同種」の気配は混じっていた。

しかし、あくまで「混じっている」だけである。その蒼の巨人の姿にラージャは全くの友好性を見いだせなかった。即時彼は背後の巨人を「敵」と判断し、振り返りざまに牽制射撃の為に用意していた光弾を放つ。

 

が―

 

巨体はその鈍重そうな姿とは裏腹に機敏に身を翻して半身になり、軽々とラージャの光弾を回避。その姿勢のまま強烈なショルダーチャージをラージャに見舞う。その一撃でラージャの巨体は宙を舞い、ビルの屋上、狙撃ポイントからはじき飛ばされる。

 

…!!

 

そして驚愕したまま敢え無く吹き飛ばされるラージャの双眸に巨人の持つ大剣が突進の勢いをとぐろの様に巻き、肢体と連動させながらムダ無く振り下ろされる光景が映る。その斬撃は次の瞬間、空中のラージャをほぼ真っ二つに切り裂き、ラージャは屋上から地に叩きつけられる遥か前に空中にて完全に機能停止する。

 

 

 

 

 

 

 

数分後―

 

 

「…よっしコア剥離成功。しっかしすっげぇ威力だな…コアの破損がでけぇや」

 

ズタズタに引き裂かれ、墜落して地に沈み最早ピクリとも動かないヤクシャ・ラージャを捕食形態で喰らいながら青年は苦笑してそう言う。その会話の相手は傍らで腰を落とし、巌のように佇む先程の蒼い巨人であった。到底まともな返事がありそうな見た目では無い。それ程武骨で生命感が感じられない巨人であるが…

 

『す、すいません。つい勢い余りました。エノハ様』

 

「…ナル」

 

『あ。不覚です…』

 

武骨でいかめしく無機質な表情をした巨人から似つかわしくない大人っぽく落ち着いた、しかしちょっと抜けた所がありそうな可愛らしい女性の声がする。

 

「よっと…。…ナル姉張り切り過ぎ。加減覚えないと」

 

銀髪の美少女―「レイス」が巨人の肩にぴょんと身軽に飛び乗り、頬杖しながら腰掛ける。

有名な某童話のおしゃべりな妖精が人間の肩にのって戯れている様な光景だが、残念ながらこの妖精、例の妖精に比べると少々表情パターンは少ないし、大袈裟な感情表現もしない。でもどこか嬉しそうだった。

 

「今日はお祝いだね~私ナルが作ったミソ・スープが食べたいな~~」

 

「…元々貴族出身のくせに意外な異国の庶民的料理チョイスしやがるな…お前。大体それお祝いで食うもんなのかよ」

 

『いや、そもそもナルさんのお祝いなのにナルさんに料理作らせようとしている辺り問題あるでしょ…キミタチ…』

 

アナン、リグの雑談にオペレータを務めていたノエルがツッコミを入れる。

 

『ふふ。解りました。今日は私が何でも作りましょう』

 

相変わらず武骨な巨人からは不似合いな母性に溢れた声がする。ここまで来ると案外この巨人―神機兵にエプロンでも着けたら案外様になるのではないかとすら思えてくる。

 

「お前ら。そしてナル。その前にまだまだ色々やる事があるからな?」

 

青年―エノハが場を引き締めて納める。「へ~い」とハイド・チルドレンの面々―特にアナンとリグ辺りが少しめんどくさそうな態度を隠さない。「こんな目出たい時に少しぐらいいいじゃん」と言いたげに。そんな彼等をコクピット内でナルは優しく見守りながら

 

『解っていますよ。今日の神機兵の運用データ決して無駄にしません。完璧な報告書を仕上げてレアに報告しないと。だからそれまで少し我慢して下さいね?』

 

「そうだな…でもナル」

 

『はい?』

 

「やっぱり…その前にほんの少しだけ前祝いと行こうか。…ナル。出といで」

 

エノハは神機兵に向かってそう言って手をかざした。

 

『…はい!』

 

 

 

 

数分後―

 

 

神機兵の胸部コクピットから出て来たナルは汗だくの額を払い、いつもの軍帽を被る。

そんな彼女をハイドの面々が並んで向かい入れる。

 

「お疲れ様。ナル。そしておめでとう」

 

先頭のエノハが右手を差し出し、微笑む。その表情を見て少し恥ずかしそうにナルは軍帽を深く被って目を隠す。

 

「…」

 

色んな「記憶」そして「想い」が彼女の中を駆け巡っていく。その抑えきれない情動がいつもは気丈で凛とした女性―ナルの口をふるふると歪ませる。そして―

 

 

バッ!

 

 

「「「「「え」」」」」

 

 

ナルは突然飛びこんでいった。そして両手いっぱいに呆気にとられたエノハ、そして続々ハイドの少年少女達をしっかりと抱きしめて笑いながら泣いた。いつもの落ち着いたナルからは考えられないまるで少女の様な姿であった。

 

 

 

ナルフ。

 

 

彼女の「夢」が叶った瞬間であった。

 

その光景を

 

 

「おめでとう…ナル」

 

 

モニター越しに赤髪の女性―レア・クラウディウスは見守りながらそう呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブルーローズ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ナルフ・クラウディウス

 

 

そう。現在の彼女の家名はクラウディウス―つまりれっきとしたクラウディウス家の養子で在り、レア・クラウディウスの義理の妹、ラケル・クラウディウスの義理の姉に当たる。

しかし、家督や遺産の相続等全てに於いて放棄しており、家族というより一歩下がった立場を貫いている。義理の姉であるレアの世話係、秘書、緊急時の護衛など公私に於いて彼女を支える傍ら、忙しいレアに替わって子供達―「ハイド」の家庭教師という役目で勉学、護衛術、基礎軍事教練などを説いたのは彼女だ。

 

非常に優秀な人物であり、六カ国以上の言語を習得、エノハの語学教師を務め、軍人としては優に士官クラスの知識、戦闘技術を有し、また軍用ヘリから戦闘機、輸送機や戦車、装甲車に至るまでほぼすべての軍用車両の操縦に精通している。さらに情報処理やハッキング知識も備えており、機密上人員を多くは確保できない影の部隊である「ハイド」をさらにその影から支える功労者である。

 

しかし、教練の時は厳しいが普段は物腰の柔らかい「ハイド」の子供達をレア以上に甘やかす女性としての優しさ、母性に溢れた一面がある。解りやすく言えばハイドの「チーママ」といったところだ。

 

 

元々ナルもまた高名な貴族の出身であり、軍人であるにも拘らずどこか高貴な雰囲気も漂わせた大人の女性である。

確かな出自、血筋、才能、技能、能力、頭脳明晰、容姿端麗と一見非の打ちどころが無い女性であるがそんな彼女もただ一つ持ち合わせなかった物がある。

 

そのただ一つの欠乏が。

 

彼女の運命、人生を全て狂わせた。

 

 

 

 

 

 

一見人が羨む物全てを持ち合わせたこの女性が唯一持てなかった物。それは―

 

 

 

 

 

 

…神機適性。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女は高名な軍人の家系に生まれた。アラガミ出現のずっと以前より世界各地で起きる紛争、大戦を先陣を切って駆け抜けた優秀な軍人、英雄を幾人も輩出した名家である。

戦場で生き、戦果を上げ、仕える国の為に死ぬ事も名誉とした生粋の軍人家系の末娘。それがナルであった。

時に「戦いの中で死ぬ」事を前提とした一族の為、当主は正妻、妾、愛人等複数の女性と交わり、多くの子供を設ける。

 

ナルフにはなんと総勢18人もの兄弟がいた。(異母兄弟を含む)

代々の歴代当主は正妻を除き、愛人や妾に本家とは違う「分家」として各々の住まいを与えていたがナルフの代の当主―つまりナルフの父は少々違った。

 

功名心が強いと言うのか、また好き者とでも言えばいいのかナルフの父は正妻、愛人、妾、そして彼女達に産ませた子供18人全てと本家で共同生活をする事を選んだ。

 

それ故にナルフの幼いころから妻同士の嫉妬、確執などトラブルには事欠かなかった。そしてそんな大人たちの様子を見て育つものだから当然その子供達もその煽りを受ける。表向きは由緒正しい軍人としての節度を保ちながらも裏では次代の当主争いによる駆け引き、子供内でも派閥やらいじめなどが絶えなかった。

 

ある意味で賑やかな一家と言えたかもしれない。朝夕の食事の際、広いダイニングで一族全員が一同に会した時の緊張感と言ったら無い。表向きは丁寧な言葉遣いに歯に衣着せぬ「舞踏会」ならず「罵倒会」である。

嫌なら食事の時間をずらすなり、適当な理由をつけて顔を合わさなければいい話なのだが肝心の当主―つまりナルフの父はそれを絶対に許さなかった。

 

「朝夕の食事の際は誰一人遅れず、辞退せず絶対に席に着く事」

 

それがナルフの一家の掟であった。

 

軍人の一家として普段の日常に置いても常にどこか何かに対する闘争心や敵愾心、緊張感を常に持った上で、それを時に自制し、時に必要に応じて解き放ち、競い、相手を屈服させる―そんなドロドロの家族間の衝突、競争の中で一族全体の軍人としての底上げを図る―そんな父なりの狙いがあったらしい。教育方針としてはどうかと思うが世の中全ての事は大抵真っ当には行かない。強かな人間を育て上げる方策と言えるのかもしれない。

 

ナルは一番遅く生まれた末娘ゆえに、彼女が生まれるまでにある程度当主争いや正妻、愛人、妾の派閥など「一族の方向性」がある程度固まった上で生まれた為、比較的に平和な時代を過ごせた方の子供である。

それ故に何故かナルは不思議と一家のそんな奇妙で歪な形に流石に好感は抱いては無いにしろ同時、嫌悪感もまた持たなかった。

 

子供心なりにダイニングルームでのずらっと並んだ一家団欒の光景は決して嫌いでは無かった。形はどうあれ賑やかである事は確かだったからだ。自分のそう言う所は父親に似たんだろうなと彼女は思っている。

 

変人なのだろう。自分は。

 

 

しかし―

 

 

時代が悪かった。

 

 

この時代は軍人にとってはっきり言って最悪と言える屈辱の時代であるからだ。

 

 

 

解釈は人によって様々にせよ軍隊、軍人という物は「人間の社会生活の中で図抜けた圧倒的な武力を持つ事により、世界の秩序を保つ」事が基本の本質である。(それが様々な外的要因、利害関係等によって物凄く複雑にねじ曲がるが)

 

しかしその圧倒的、絶対的だった力とやらが完全に否定されたのが今の時代である。

 

 

アラガミ―

 

彼等は歴史が証明する軍隊が持っていた「力」「価値観」が全く通用しなかった謂わば形の無い幽霊の様な物。しかし現実の「暴力」という行使力だけは一方的に持ち合わせた全く異次元の存在であった。

 

人類はその今までの常識がまるで通用しない相手に築き上げた文明、価値観をすべて否定された上で彼等に抗する術を模索する他無かった。その結果生まれた物の突端が現在の神機、そしてGEである。

 

しかしこの唯一の対抗手段に設けられたレギュレーション―「完全に生まれ持った適性による選別」は軍人、特に由緒正しい軍人の家系に生まれた者達にとってまた最悪とも言えた。

 

例え軍人として誉高い名家に生まれ、才能、そして志があろうと、どれだけ祖先が大きな武功を立てていようと、どれだけ高貴で誇り高い軍人であろうと生来適性を持たなければ全くの無意味。人間が作り上げた世界の秩序を踏みにじる突如現れた無法者、軍人という人種にとって最も対抗しなければならない相手―天敵アラガミと同じ土俵に立つことすら叶わないのである。

 

アラガミにとっては神機適性を持たなければ軍人であろうが一般人であろうが同じ。遍くタダの餌である。つまり何百年と続いた歴史ある軍人の家系に生れ、努力し、そして才能に満ち溢れながらも適性を持たない人間よりも、血筋も努力も知性も持たないがたまたま適性だけは持っている人間の方が遥かにこの時代に於いて有用なのが現実である。

 

こう考えると後に特殊GE部隊―ブラッドに所属する軍人家系の出身である少女―シエル・アランソンがどれほど恵まれた存在か解る。確かな出自と世界中の軍人家系の人間が喉から手が出るほど欲しい神機適性と双方生まれ持っていたのだから。

 

GEになれる物は一握り。この神機適性というレギュレーションに多くの名も、そして誇り、そして少し傲慢に近いとも言える「貴族意識」の様なものがあった軍人家系の人間が生まれた時点で振り落とされ、アラガミという天敵に抗するという点に於いて「不要」の烙印を押されるのである。

 

当然世界に「軍」というもの自体の不要論がでる。

 

正直世間にとって自分達をいざという時に守れない軍人に何の価値があると考えてしまっても不思議ではない。ただ「自分達を時代遅れの武力によって脅し、縛るだけのいけ好かない連中」という事だ。

 

事実極東にある座礁した通称「愚者の空母」と呼ばれている原子力空母はアラガミ出現後による軍の指揮系統の壊乱、混乱によって一部の軍人が暴走、暴徒化し略奪行為に走った末路である。軍人、そして軍隊という概念そのものの信用と信頼は既に地に落ちていた。そこに加えて前述のレギュレーションだ。

 

「軍属」の血筋、家系自体が完全に時代に取り残された過去の遺物と化していたのである。

 

 

 

そして―

 

当のナルフの一家全員もまた

 

 

 

残念ながら「不要」とされた。

 

 

 

 

 

彼女を含め彼女の兄弟18人全員が神機適性のパッチテストを行い、一人残らず陰性反応との診断、否、非情な審判が下された。

 

 

しかし―

 

 

彼女の本当の悲劇はここからである。

 

 

 

 

 

ブルーローズ計画。

 

この計画が彼女の命運を決めた。

 

 

 

「ブルーローズ」

 

 

青いバラ。つまりは「存在しない」、そもそも「存在できるのかも解らない」物を指す際によく使われる比喩表現だ。

 

その名を冠したこの「ブルーローズ計画」は人体に放射線照射、薬物投与等ありとあらゆる刺激を与え、遺伝子をランダムに変容、人体に「偶発的に」神機の適性が出来るのを期待するというものである。この神に見捨てられた時代に於いて運を天に任せ、ただ偶発的に適性が生み出される事に賭ける「計画」というには余りにも杜撰な―

 

 

…狂行と言う以外何物でも無かった計画であった。

 

 

 




「…パパ」



「ん?」


ナルフが12歳になったある日の朝、いつものダイニングでの朝食の時。ナルフはそう呟いた。

元々ナルフは父親に話しかける方の子では無かった。何しろ18人も兄弟がおり、そして生まれの早い兄弟達は将来の当主候補としての自分を父親にアピールする為、積極的に自分の研鑽や今日の抱負、自慢話などを発言、それを母親が同調して褒め称え、そして他の兄弟やその母親がそのアピールに小言でケチをつける―そんな中で末娘のナルフが割り込んで発言をするスキなど到底なかった。

しかし少女はそれでも良かった。ある意味ではっきりすっきり、正直な解りやすい自分の一家の賑やかな朝夕の日常の光景が嫌いでは無かった。


でも。

それがある日を境に。

徐々に。少しずつ。変わっていった。そしていつしか誰も一言も発しなくなった。
ナルフにようやくと言って良い発言の機会が生まれたのがこの日であった。

でもそれが何になると言うのだろう?

―私の話を聞いて賞賛してくれる人も、ケチをつけて罵倒してくれる人も最早居ないと言うのに。


賑やかだったダイニングはいつしかナルと父親だけの空間になっていた。


先日ナルの一つ上の兄の「不採用通知」が届いた。しかし―この通知を受け取る肝心の兄はいない。


「試験当日」、不適合の判定が下されて即―「処分」「廃棄」されたからだ。


この通知報告をきっちり「17通」受け取り、その一通一通を積み重ねる毎に徐々に変遷していくこのダイニングでの一家の光景を兄弟の中でナルはただ一人、最後まで見届けた。









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外章 クリムゾン・タイド

生まれながらにして王だった。

 

戴冠した兜で敵対する者の攻撃を悉く弾き、漆黒の悪魔の如き赤黒い翼の先端に揃えられた硬質の刃を以て獲物を突き刺し、切り裂き、それでも尚反旗を翻す者には無慈悲の雷の鉄槌で断罪し、跡形もなく消滅させる。そうやってひたすら下々の者どもを蹂躙する―それが彼の「日常」であった。

 

ディアウス・ピター。

 

「アラガミの王」と恐れられ、アラガミの生態系地位の中でも間違いなくトップクラスの怪物として生まれ、その上「彼」は更に特殊だった。

確かに彼は「ディアウス・ピター」だった。しかし彼はその中でもまた突然変異の結果全く別種とも言える進化を遂げた亜種で在った。

 

天なる父祖―

 

元々がアラガミの王と呼ばれる原種―ディアウス・ピターの進化の先端に彼はイレギュラーに生まれた近縁種で在り、変異種で在り、そして固有種であった。

 

鉄壁の甲殻を纏い、全く以て無慈悲な圧倒的な攻撃力、機動力、遠中近、広範囲を正確に射抜く神の鉄槌の如き雷撃。そして獲物を容赦なくバラバラに四散させる刃翼のマントを羽織った完全なる王の中の王―それが彼であり、彼自身もその事に対して全く疑いを持たなかった。

彼の行く先々、出会う者たちは全て道を開け、彼の気紛れ如何であっさりその身を贄として差し出す他ない搾取されるだけの者達―彼にとって己以外のこの世界を構成する要素などその程度の認識であった。

そして今日も相も変わらず荒廃したこの世の果ての中心を我が物顔で彼は闊歩していた。己の身に危機を与えるもの等この世に存在しないと疑いもせず。

 

彼の根城は前時代「摩天楼」と呼ばれたかつて世界最大の都市として栄えた地―マンハッタン島。朽果てた高層ビル群が立ち並ぶ現在全く以て無人のこの地は絶対的な王である彼に相応しい王国と言えた。

 

その地が本日妙に騒がしい。どうやら世間知らずな「闖入者」「余所者」がもめ事を起こしているようだ。

 

父祖は自分が「王」である事を確認する意味としてこの摩天楼―自分の縄張りに在る程度他のアラガミが居座る事を許容している。入り組んだ地下鉄構内やアベニュー、中型種程の大きさであっても在る程度隠れ蓑として機能するかつて世界一の巨大都市はアラガミの住処としては最適である。

世界の各支部で内部居住区と外部居住区、貴族や為政者達特権階級が安全な中心地に居を構え、貧民や下層階級が外部に居を構える―これはアラガミ界でも当てはまるのである。

父祖は自らの縄張りに移り住んだ下層アラガミをただ排斥するのではなく、自分の根城の「堀」として住まわせ、このマンハッタン島を難攻不落の要塞としたのだ。

 

そして己はその中心に立つ絶対の王として君臨し、他のアラガミはおろかGEですらも寄せ付けない不可侵、絶海の孤島にマンハッタン島を変え、現在に至る。

 

かつてエイジス島を根城にしていたディアウス・ピターもリンドウがアラガミ化したハンニバル―真帝によって倒されるまでエイジスを要塞化させていたし、更にそれ以前リンドウと第一部隊を襲った因縁の個体も同時に何頭かのヴァジュラ亜種―プリティヴィ・マータを囲い、旧市街を根城に「ハーレム」を構築していた。

ディアウス種は「アラガミの王」の名に恥じず、絶対的な力と同時に己以外の他者を自分の管理下に置くことによって自己存在意義を確立する謂わば「支配欲」のようなものを持っている。よって―

 

ドッドッッドドドド!!

 

巨大な漆黒の巨体で大地を踏みしめ、砕きながらかつての大通りの中心を我が物顔で彼は高速で駆け抜ける。その行く手を阻む者などいない。凶悪な人面をした黒い獅子は目的地―世間知らずの侵入者が騒ぎを起こしている地点にまで一直線に駆け抜ける。

自分の管理下の縄張りに侵入し、無礼を働く無法者に対して彼は容赦しない。他の居住アラガミへの見せつけの意味を込めて嬲り殺し、喰い殺す。その示威行為によって己がこのマンハッタン島を現在制している事を自他共に再認識させるのだ。

 

迷路のように入り組んだ通りを瓦礫、前時代の朽果てた車両をおもちゃの様に巻き上げ、赤黒いオーラを纏った凶相の人面獣はその双眸に今無法者を捉えた。

 

 

…見つけた。

 

 

無法者は正確には無法者「達」であった。二つの巨体―内一体は四足歩行のアラガミ。ディアウスピターに背を向け、もう一体―二足歩行のアラガミと対峙し、一定の距離を取りながらお互いの間合いを図っている最中―そこに今この地の絶対的王―ディアウス・ピター変異種―父祖は全く躊躇なく乱入。同時―

 

 

ぎちり

 

 

そんな湿った音を立て、父祖は自らの後背部を解放、動物の肋(あばら)もしくは鳥類の翼の骨組みの様に配列された赤黒く禍々しい硬翼刃を展開しつつ、対峙していた二つの巨体のうち一つ―四足歩行のアラガミの背後をついた。その巨大な硬翼刃を開いた圧巻のその姿は空を真っ黒く覆い尽くし、元々巨大な父祖を更に巨大に、同時強大に見せる光景であった。並大抵のアラガミがその光景を目の当たりにすれば唖然と立ちつくす他ないであろう。

この無法者の内一頭を一撃の下切り裂き、喰い殺し、その光景を無法者のもう一方が唖然と見送る他ないと言うほどの圧倒的な搾取の光景を見せつけ、あっという間にこの場を支配する―それが父祖のプランで在った。

 

彼の彼による彼のための秩序を無法者に知らしめるプラン。まずはその第一手、万物を切り裂く硬翼刃を以て目の前の獲物をバラバラに引き裂く―

 

 

 

ザス

 

 

 

…?

 

 

 

手応えが無い。それどころか。

 

 

ブッシュウウウウウ!!

 

 

父祖の肩口から何か赤黒い液体が間欠泉のように噴き上がっている。そこは丁度父祖が絶対の自信を持つ超硬質の刃を持つ翼の付け根部分であった。

 

 

……?

 

 

未だに父祖は自分の身に起こった事を理解できない。そんな彼を置いてけぼりにしてヒュンヒュン空を裂く何かが回転する様な音が彼の真上から響き、それは間もなく

 

ザスッ!

 

ドスッ!

 

父祖の両脇で突き刺さる音に変化した。放心状態の父祖は紅い眼をじろりと目線のみ向ける。先ずは右、そして次に左へ。

 

...?

 

そこには己の絶対武器―硬翼刃が二対突き刺さっていた。そこで父祖はようやく理解する。硬翼刃が一瞬にして根元から刎ね飛ばされた事を。それも両方同時にだ。

 

……!……?

 

父祖の攻撃の八割方はこの硬翼刃を起点としている。斬撃はもちろん、多彩な雷撃もこの部分から放電した電気を収束させ行っている。その始点を一瞬にして刎ね飛ばされたのである。父祖が混乱し、自分の処遇をどうしていいか解らず、まるで子猫の様に居心地悪そうに体を揺する程度の事しか出来ない。父祖は今自分が王であった事すら忘れた。

 

しかし、その状況を恐らく引き起こしたであろう目の前の張本人―四足歩行のアラガミが次に起こした意外な行動に父祖は目を疑った。

 

…。

 

侵入者はゆっくりくるりと父祖から背を向けたのだ。まるで「背後を振り返ったが特段何もいなかった」かのように再び自分が先程まで対峙していた者の方向を向いたのだ。父祖は唖然と立ちつくす。

 

……!!!!

 

そして徐々に「理解不能」から困惑、そして屈辱の感情を覚えた父祖は己を取り戻す。確かに硬翼は失った。プライドも砕かれた。しかし武器は残されていないわけではない。牙、巨体に前腕の爪、一矢を報いるには充分過ぎるほどの物

を己が備えている事をようやく思いだした父祖が背を向けた侵入者に対し攻勢に移る。

 

しかし―

 

 

先程父祖から背を向けた侵入者は相も変わらず振り返ろうともしない。

 

彼の中には最早父祖「など」眼中に無かったのだ。このマンハッタン島を制していたたった一体のアラガミなど彼にとって―

 

 

「その他大勢」「井の中の蛙」にすぎなかったのだ。

 

 

そしてそれは彼と対峙したもう一体のアラガミにとっても全く同じ心象であった。

先程まで対峙していた者同士はほんの一瞬であるが現在彼らはひとつの目的の為に足並みを揃えていた。その目的とは「無粋」で「身の程知らず」な乱入者に早々の退場を願う事に他ならない。

 

スッ

 

ほんの少しだけ未だ父祖から背を向けたままの侵入者がしゃがむ。その真上を軽快な空を裂く音とともに一閃の鋭い閃光が走ると同時―

 

――!!??

 

ずるり...

 

父祖の視界がズレていく。視界の上下が一つの線を境に全くあべこべの方向へずれているのだ。

 

今まで彼の歩んできた道は全ての物が見えていた。明らかだった。至極単純だった。絶対的な己の力、それに恐れ慄く他者。誰もが彼を怖れ、その道を開けた。そんな視界良好の中を彼は生きた。

 

しかしどうだ。

 

今の彼には最早何も見えない。何も解らない。ただワケも解らぬまま己の体が直に何の自由も利かなくなるほど瞬時に壊れていくのを自覚する暇すらなかった。

 

彼はある意味幸せだったかもしれない。己を遥か超える絶対的な力をはっきりと頭で自覚することなく今事切れる事が出来るのだから。

 

「井の中の蛙」に相応しい最期であると言える。

 

 

父祖の体は今、耳まで大きく裂けた口を切り口に彼の尾部まで一直線に真一文字に切り裂かれていた。

「絶命」という言葉すら生ぬるいほどの「絶死」である。

 

一瞬で黒い肉のカタマリと化した父祖の巨体が地に伏そうとしている。

しかしそんな最早「瑣末」と言える物体も今対峙している両者にとって目障りな物体であるらしい。

両者の対峙に水を差した乱入者に背を向けていた四本足のアラガミは突然大地を踏みしめ、まるで「とぐろ」を巻くように上体を柔軟に捻らせ、次の瞬間竜巻の如く天に向かって機敏に身を翻した。

 

その回転は軽快に空気を竜巻の如く巻き上げ、父祖の残された巨体をも難なく空中に打ち上げる。そして同時に

 

 

ザシュッザッザザザザ!!!

 

 

まるでカマイタチの様な空圧の刃が竜巻内で父祖の体を四分割、八分割、十六分割、三十二分割…更に加えて切り裂く。その竜巻の暴威が止んだ時には

 

 

ぼちゃぼちゃぼちゃぼちゃ!

 

 

無数の赤黒い細切れの肉が雨の様に両者に降り注ぐ。二十メートル近くの巨体が瞬時に一切れバレーボールほどの大きさのサイコロステーキにされて上空を舞っていた。

 

 

 

 

 

場と己を弁えぬ無粋な脇役を排し、「舞台」はようやく本題に入る。

 

カキン!

 

空を舞い、父祖を上下に「捌いた」二足歩行の一体はもう一体に背を向けたまま軽快に己の得物を格納し、そんな彼の背後で

 

ドスン!

 

四つん這いの姿勢でもう一体が着地する。

 

 

今回の「舞台」の真の主役である対峙した二体のアラガミ―その姿は偶然か、それとも運命か。

 

両者ともに深紅の体色を纏ったアラガミであった。

 

一方は乱入者を上下二つに「捌いた」紅い竜騎士。欧州支部グラスゴーの現役神機使い二名を襲い、一人を殉職に追い込み、再三に渡り派遣された各支部の追手を楽々振り切って欧州近辺から忽然と姿を消した怪物―

 

深紅の体に全く対照的な絶対零度の冷気を纏った熾帝―

 

ルフス・カリギュラ。

 

 

対するは

 

 

完全なる「UNKNOWN」。未確認アラガミ。

 

まるで燃え盛る様な紅蓮の体毛に覆われ、側面には袈裟がけ状にその獰猛さ、凶暴さ、強大さを体現する様な禍々しい黒い斑模様が走っている。

 

その呼称はその後遭遇した人間達にによってこう呼ばれることとなる。

 

 

「赤斑」(アカマダラ)

 

と。

 

 

形態は犬、猫などと同様四足歩行でありながらまるで昆虫であるかのようにもう二対の、歩行に使用しない腕が肩口より角の様に生えている。なり形は獣に近いが一部昆虫とも共通する特徴を持った異形である。しかしそれだけでは無い。

 

フルルル…

 

キシャアァァ..

 

その双腕は紛れもなく「生きていた」。まるで神話の中で多数登場する三つ首の怪物、キマイラ、ケルベロス等の様におぞましいほどの狂暴そうな面構えをした蛇のような怪物の顔が腕の先端に象られている。「腕」と言うより最早「首」と言って差し支えない。

そしてその首の口からは先程乱入者の硬翼刃をあっさり根元から切り落とし、最後に乱入者を粉々に切り裂いた刃が喉元から生えていた。加えてその体には対峙した熾帝とは真逆、その燃え盛る様な姿に相応しい極東で発生したいくつもの火属性アラガミを遥か凌駕する金色の炎を纏っている。

 

 

 

絶対零度の熾帝―ルフス・カリギュラ。

 

灼熱の業火を纏うUNKNOWN―赤斑。

 

全く以て対照的な両者だが奇しくもその纏った体色は「紅」。そんな紅「二点」がかつて世界最大の都市であり、幾多の世界一の概念が集合し、鎬を削ったここマンハッタン島で今対峙しようとしている。曾てこの星の支配者であった人間を完全に排して。

 

この世の何者もこの二体のアラガミの深紅の潮流に割り込む事など出来ない。

 

 

 

――――!!!

 

――――!!!

 

 

 

 

両者の咆哮が空位になったマンハッタン島のアラガミの玉座に響き渡る。

 

 

 

 

 

 

マンハッタン島は今。

 

 

 

地図から消滅しようとしていた。

 

 



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クリムゾン・タイド 2

機械的な音を上げ、左腕の刃を展開する。そしてふわりと片足踏切で熾帝―ルフス・カリギュラはゆっくりと舞い上がる。その高度に合わせ、未確認アラガミ―赤斑(アカマダラ)は前腕二つの先端についた頭部で熾帝を見上げる。

 

空想上の絵巻、竜虎が相見える構図の如き光景が今、不釣り合いとも言える朽果てたかつて世界最大の都市にて展開される。

 

 

一定の高度に達した熾帝の上昇が止まる。同時に赤斑の視線の上昇も止まり、辺りは奇妙な静けさに包まれる。熾帝の背に負われたブースターが発する放出音、その真下で周囲に円形に広がる烈風が瓦礫やチリを巻き上げる。

 

この静寂に終止符をもたらす引き金は

 

 

ズオッ!!

 

 

熾帝のハナっから容赦なし、全開の蒼いブースターが放つ爆発音の如き放出音であった。時同じくして赤斑もまるでその轟音に怯む事なく、地面を巨大な後ろ脚で深々と抉り巨体を高速で射ち出す。互いの距離は一瞬で肉迫。呼吸を感じ取れるぐらいのゼロ距離にまで両者、間合い内への侵入を許す。

 

紅い体色を持つと言う共通点とは他にこの二体、奇しくも主要な武器、攻撃手段に似通った所がある。

 

 

二刀流だ。

 

 

 

ガィン!!

 

熾帝の先程ディアウス・ピターをあっさりと両断した渾身の左腕斬撃を完璧なタイミングで展開した両刃で受け流し、尚も

 

ガッ!!ガィン!!

 

右の返し手、再び左腕の斬りおろしを二つの頭部の喉元から吐き出した様な炎刃でクロスブロックしながら赤斑は熾帝の強烈な先制攻撃に応戦、徐々に後退しつつも

 

ブオッ!!

 

熾帝の斬撃の合間を突いて最短距離を走る精密な突きを割り込ませる。しかしこれ程の巨体が二体ゼロ距離で、おまけに互いの斬撃、刺突のリーチ、速度、手数共に異常であるにも拘らず

 

ガッガガガガガッ!!

 

今のところ辺りに響くのは軽快な鍔迫り合いの音だけである。湿った耳障りな肉が切れ、裂ける音は未だに発されていない―つまりオープニングヒットが未だ生まれていないのだ。

対峙した両者互いにこれ程巨大でありながら、その動きは高等技術の応酬、緻密で針を通す様な精密作業の繰り返しである。

 

両者の斬撃、刺突の踏み込みの度に地面が割れ、周囲に構成された信号機や、看板、木々等在りとあらゆる物が余計な破壊音を立てることなく、鋭利に切断されていく。

対峙した当の両者は未だ互いに無傷で在りながら巻き添えを喰らう彼等周囲数十メートルの空間は全くの侵入不可領域である。侵した際は即問答無用で細切れにされる程の密度の応酬は―長くは続かなかった。

 

 

キィン!!

 

 

その一つの衝突音を皮切りに一旦辺りが静寂に包まれる。小休止にも思われるその沈黙はその実、重厚な新しい駆け引きが生まれて居た瞬間であった。

 

 

ぎりぎりぎりぎり…

 

 

互いの渾身の斬撃の接触は奇跡的な拮抗を生み、両者を一旦静止させる。熾帝の左腕刃と赤斑の左腕炎刃が接触し、互いの刃先が火花を伴いつつ擦れ合い、微動だにしない。それらの接触範囲等ほんの僅かな物であるがそこに内包される衝突エネルギー、この奇跡的な拮抗の為に費やされる両者の持続消費エネルギーは馬鹿にならない。

しかし、

 

「競り負けた方が致命的なスキを作る」。

 

それを両者理解しているゆえに譲らない。そんな両者の意地の張り合いが生んだ停滞状況を―

 

 

ピシッ

 

 

ぐしゃあ

 

 

 

 

 

両者が再三踏み砕いたメインストリートの地面の崩落が割り込む形で打破する。対峙する者同士の力が拮抗すれば拮抗するほど周囲の環境や状況の変化、それに即時対応できるか否かが争点となる。ことこのように建物や障害物が乱立する市街地ではイレギュラーが起きた際にどう対応するかがカギだ。

 

今回の地面の崩落による状況変化を両者共に「仕切り直し」がベストと判断したようだ。

 

ぐりん!ゴッ!!

 

ばっ!

 

 

両者機敏かつ器用に身を滑らせ、赤斑は後方宙返り、熾帝は身を翻してブースターを解放、バックステップする。

 

ただし

 

「仕切り直し」と言ってもあくまで地上でのゼロ距離肉弾戦を一旦回避しただけの事である。互いの距離を離す際も既に展開は動いている。

 

 

すぅっ…

 

 

 

ガァツ!!

 

 

 

カリギュラはバックステップと同時虚空を吸い上げ、瞬時に氷結。巨大な氷球を宙を舞う赤斑目がけ、撃ち放つ。

 

 

 

…嫌な奴だ。

 

 

 

赤斑は内心苦々しくそう呈した。何故なら「ここ」でも考える事が一緒で在ったからだ。絶対的な強者同士が相対する上で互いの戦略や判断が被る事などザラにある。

赤斑に今生まれたのは自分に匹敵する強者への最大級の賛辞と同時の同族嫌悪に似た複雑な心境であった。

 

 

 

すぅっ…

 

 

ゴアッ!!

 

 

赤斑もまた巨大な金色に輝く灼熱の火球を左腕の頭部から発射、瞬く間に熾帝の放った氷球と接触、大爆発が起きる。両者の丁度中間距離の空中で爆裂したその衝撃破で周囲のビルのガラスが一斉に砕け散る。

 

その猛烈な爆風、光、周囲に砕け散ったガラスによる乱反射、余波が高速で後退する両者にも易々と追いつき、視界を眩ませる。

 

二刀流、そして氷球と火球。

 

...またか

 

―そう言いたくなるほどの互いの共通点に熾帝もまた内心辟易していた。彼自身絶対の自信を持つ接近戦を互角で済まされ、離脱の際の追い打ちも今防がれた。氷球も赤斑が迎え撃った火球によってあっさりと相殺された事もまたカンに触る。

 

ザザザザッ!!

 

ブースターを止め、右手をついたてに後方へ滑りながら熾帝が苛立たしげに人間臭い動作で着地する。空中前方のもうもうとする噴煙に包まれる氷球、火球の衝突、相殺地点を見据え、次の一手を思案する。

しかし、次に己の目に映った光景に熾帝のその思案は中断する他無かった。

 

 

…!?

 

 

ブォッ!!

 

 

噴煙を切り裂き、予想だにしない二つ目の金色の火球が熾帝の目前に迫っていたからだ。

 

 

相殺できなかった?撃ち負けた?

 

...いや違う。

 

 

 

切り裂かれた噴煙の先で未だ宙を舞う赤斑の双腕、つまり双頭は火球放出後に口から漏れる煙を「共に」噛み砕いていた。してやったりで微笑んでいるように。熾帝の氷球を相殺させた後、残った右腕の頭からもう一つの火球を時間差で放っていたのである。

 

…成程。確かに両者は似た者同士だ。体色、戦法、武器に至るまで。

でも決して同じではない。戦力が嫌になるほど拮抗していようが、戦法が似通っていようが飽くまで彼らは別種である。

 

 

…面白い!!

 

 

カキン...

 

虚をつかれた形となった熾帝であるが迫る火球に怯まず真っ向から向かい合い、左腕片刃を展開。

 

...フィン!

 

達人の居合いのごとく振り抜き、火球を真っ二つに切り裂いた。中央から二つに切り裂かれた火球はそれぞれ、熾帝の背後にて着弾。赤黒い爆炎、爆塵を放つ大爆発が再び起こる。

 

ブォッ!!

 

火球に直接接触した結果、自らの左腕片刃に燃え移った金色の炎を振り払い、赤い魔人の如く熾帝は背後で燃え盛る金色の業火を全く意に介する事なく前方にて着地しようとする赤斑だけを見ていた。赤斑も自らの「変則」、「変化」に苦もなく対応した熾帝から眼を離さない。

 

スッ…

 

赤斑はその巨体に似つかわしくない柔らかい優雅な着地姿勢で再び熾帝と対峙。本当の「仕切り直し」がようやく今訪れる。

 

 

 

…グルル

 

 

 

シャぁ…

 

 

 

 

 

両者の現在の距離は彼らの体長から鑑みれば中間距離に値する。かといってどちらかが踏み込めばコンマ単位秒後には超近接戦になるほどの機動力を両者は持ち備えている。しかし両者は

 

....バチチチチチチ!!!

 

熾帝は両掌に巨大な高電圧の電球体を形成。対する赤斑は双頭にオーラの如く業火を纏う。一定距離を保っての撃ち合いを選んだのである。

 

しかし―次の瞬間の光景に熾帝は防戦を判断せざるを得なかった。

赤斑の双頭から放たれたのは予想通り火球であった。おまけに先程と比較すると遥かに小さいもの。威力も相当に劣るであろう。

 

但し

 

 

ゴゴゴゴゴゴッ!!!

 

 

それが目の前で瞬間に赤斑の双頭より十数発放たれたとすれば全く話は別である。

 

……!!

 

 

ズオッ!!

 

熾帝は雷球を両掌に携えたまま、背部ブースターを全開にして後退、背中が地面に擦れそうな程の超低空飛行を開始。そんな彼に容赦なく数十発に既に数を増やし、尚も立て続けに赤斑の双頭から放たれ続ける小型の火球が追い縋り―

 

ガガガガガガガガっ!!!!!

 

まるでクラスター爆弾の様に断続的、無数の小爆発、そしてナパーム弾の如く業火が両者が対峙していた通りを席巻。炎の津波となって低空飛行の熾帝を飲み込まんと迫る。熾帝は全開のブースターで天駆け、上昇して爆炎が届かない安全地帯までの飛翔を試みるが上昇のタイミングと上昇角度を誤れば爆炎と爆風に追い付かれ直撃を受ける。よって今はトップスピードで高度を徐々にあげていく他ない。赤黒い爆炎の中、鮮やかで軽快な蒼白い光を放つ一点が追い縋る炎を今―

 

ブォッ!!

 

寸での所で振り切り、上空高く舞い上がる。そして安心する暇もなく背後の完全なる破壊の光景を眼下に見下ろした。

 

 

……!!

 

 

空中で佇みながら熾帝は真っ赤な溶岩の様な業火に包まれた通りを見下ろす。アレに巻き込まれていたらさしもの彼でも大ダメージは免れなかっただろう。彼の危機回避能力、咄嗟の判断力、戦闘のカンはまさしく天才的であった。

 

―しかし

 

 

相手もまた怪物。

 

 

 

ブォッ!!

 

 

 

眼下で燃え盛る業火を切り裂き、両腕を広げ、突きぬけて来た業火を不死鳥の如く纏って飛翔した赤斑がホバリング中の熾帝の眼前に接近、

 

 

ギュルン!!

 

 

双刃を前方に突きつけ、水中のクロコダイルの様に回転しながら炎のドリルと化して熾帝を捉える。

 

 

…!!

 

 

さしもの熾帝も驚愕の眼前の光景に眼を見開き、逡巡。

 

 

ドゴッ!!

 

 

回避する事も出来ず、直撃を受けた。熾帝は赤斑に押されるまま空中で後退。両者衝突の勢いのまま数百メートルほど空中を飛翔する。それを受け止めたのがかつての摩天楼のシンボル。高さ400メートルの巨大建造物―エンパイア・ステート・ビル。その側面に深紅の二大両雄が火の玉の如く突っ込む。

 

 

強烈な赤斑のチャージを喰らった側の熾帝の体はこの巨大建造物に激突しながらも尚も勢いを止める事が出来ず、衝突地点から逆側にまで貫通する。一方赤斑は衝突した地点に上半身を突っ込んでいた。

 

赤斑のフルチャージはまさしく先手―オープニングヒットを取ったとその光景を見れば誰もが疑わないだろう。

 

―しかし

 

 

ふらぁ…

 

 

あまりに意外な光景が摩天楼の上空、高度400m近い地点で展開される。強烈な先制の一撃を見舞った側に見えた赤斑の体がまるで支えを失った様に後ろ向きに堕ちていっているのだ。

 

一方―

 

ズオッ!

 

 

ビルを貫通するほどの一撃を見舞われながらも熾帝は空中ですぐさまブースターを解放し、再び飛翔。この巨大建造物の頭頂部に達し、先端の電波塔を勝者が振りかざす旗の如く掴み、その紅く細長い身体をまるで蛇の様にぎゅるりと巻きつかせ、堕ちていく赤斑の姿を見据えながら―

 

 

 

グッ…

 

 

オオオオオァアアアアアアアアアアア!!!!!

 

 

摩天楼の王の如き咆哮を上げた。

 

 

この戦い、意外にもオープニングヒットを果たしたのは傍から見れば終始圧されていた熾帝の方であった。

 

 

先程の衝突の際、熾帝は眼前に迫る赤斑の双刃に両掌をかざした。つまり高電圧の電球体を纏ったままである。それに双刃ごと接触した赤斑に否応なくその全身に超電圧が迸る事になる。接触後、赤斑の体は放電によってほぼマヒした状態であった。赤斑のフルチャージの衝突エネルギーをまともに受け止めた熾帝側の衝撃も決して低い物ではないがビルを勢いのまま貫通するほどの後退に割り振った背部ブースト噴射で波紋のように体を突き抜ける衝撃エネルギーを最大限に緩和。結果、現在摩天楼最大の高みに立つ熾帝と地に堕ちていく赤斑という全く以て対照的な両者の光景が展開されているのである。

 

 

…!

 

 

 

クルン

 

 

ドスン!!

 

 

 

地に衝突直前でようやく体のマヒ状態から解放された赤斑が猫のように身を翻し着地する。身体の自由が未だ利かない状態での今回の着地は少々優雅さに欠けた地響きと、砂塵を巻き上げる。

コンディションはまだ万全とは言えないが今はそんな事を言っていられない。なぜなら―

 

ふらぁ…

 

摩天楼最大の高みからまるでスキューバーダイビングのバックロールエントリーの様に、背面からふわりと飛び降りた熾帝が

 

ズオッ!!

 

背部ブースターを最大にして直下降してきたからだ。同時必殺の左腕刃を展開して真っ逆さまに向かってくる。対する赤斑は―

 

ドスン!!

 

 

跳躍。そしてあろうことか赤斑はビル側面、垂直の壁に「着地」。そして

 

 

ドドドドドッ!!

 

そのまま走り出す。

 

二十メートル近い巨体が垂直の壁を走るという異様な光景が展開される。距離は四百メートル。しかしこの向かい合い接近する巨大な両雄にとっては一瞬の距離である。

 

再び両者は肉迫。互いの必殺の一撃の交差―

 

 

とはならない。

 

 

 

ビシュっ!!!

 

 

熾帝の渾身の斬撃が空を切る。直前眼前の赤斑が垂直の足場を蹴り、跳び上がっていたからだ。赤斑は解っていた。現在万全でないまだ麻痺の残るこの体では近接戦では分が悪いと。よって受け太刀を避けた形だ。

 

 

現在、接近してムダの無い攻撃の差し合いでは分が悪い。ならばスキはでかくとも渾身の一撃を喰らわせればいい―

 

 

グググッ…

 

 

 

赤斑は空中で上体をネジの様に目一杯捻り、今度は右腕の炎刃を展開する。対する渾身の一撃を振り抜いた直後の熾帝故、カウンターは流石にとれそうにないが

 

 

…振りがでかい。誰がもらうか。

 

 

とでも言いたげに現在の赤斑の攻撃の予備動作に然したる脅威を熾帝は感じていなかった。実際に―

 

 

ビシュッ!!!

 

 

放たれた赤斑の渾身の大振りの斬撃は鎌鼬のような空圧に灼熱の炎を纏った一閃であった。確かに恐ろしい一撃で在るが当たらなければ大したことは無い。

 

…ぐりん!

 

熾帝は強固でありながら同時蛇の様に柔軟な肢体を最低限の動きを以て翻し、易々とその空斬刃を回避する。

残るのは大振り故にスキだらけになった目の前の赤斑に手痛いペナルティを与えてやるのみだ。熾帝は両手刃を展開し背部ブースターを放出方向を転換、反撃の体勢は整った。後は実行するのみ―そう考えていた。

 

 

キィンッ…

 

 

その背後で響く軽快な切断音を耳にするまでは。

 

 

…そう言えば。

 

今背後に何があった?

 

確か…

 

 

 

 

 

……!!!!

 

 

 

 

ズズズズズッ…

 

 

 

 

 

摩天楼最大であった熾帝の背後の巨大建造物は2073年の現在―「半世紀以上ぶり」にその座から転落する事ととなる。

 

 

ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!!!!

 

 

…!!!

 

 

 

ドゴッ!

 

 

 

赤斑の一閃はビルを綺麗に水平に切断し、それによってずり落ちた上階部分に背中から熾帝は押しつぶされ、破片と砂塵を巻き上げ共に墜落、轟音と共に辺り一面を灰色の砂塵がもうもうと立ちこめる中を赤斑は今度は悠々と落下し、眼下の灰色の砂塵の雲海に消える。

 

 

 

 

 



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クリムゾン・タイド 3

ボフッ

 

粉塵が舞い上がる灰色の雲海へ「着水」した未確認アラガミ―赤斑はかつて摩天楼のシンボルであった巨大建造物の残骸の上へ「着底」。

 

 

双頭各々の眼を金色にサーチライトのように光らせて未だ粉塵によって包まれ、薄暗い周囲を見回す。視覚は元より、嗅覚、聴覚、そして勘。絶対的強者である己の探索能力をフル動員した最大級警戒状態である。

 

確かに先程の赤斑一連の攻撃は意外性を含め、強烈な攻撃ではあった。しかし到底―

 

 

ビシュン!!

 

 

「己に比類する怪物があの程度でくたばる訳がない」

 

そんな赤斑の確信を裏付けるように彼の足元から発された快音により、原形はどうにか留めていた墜落した巨大建造物上階部分は豆腐の様に容易く細切れになる。

 

 

その直前に攻撃の気配を超反射で反応していた赤斑は既に地を蹴っており、空中から先程まで自分が立っていた場所―巨大建造物の残骸の上に幾重にも走るその鮮やかな切り口の剣閃を見送っていた。

 

 

ズオッ!

 

切り刻まれた残骸を空中に吹き飛ばし、鮮やかな蒼白い巨大な翼の様に象られた発光現象と共に猛烈な烈風が周囲数百メートルに舞っていた粉塵を瞬時に吹き飛ばし、その光景を引き起こした存在の姿を露わにする。

 

 

……

 

 

紅蓮の甲冑を纏った騎士、熾帝―ルフス・カリギュラ健在。

否。健在どころか全くのノーダメージである。重さ数万トンの巨大建造物の崩壊に巻き込まれながらも彼の鋼体はかすり傷一つ負っていない。しかし―

 

……ギリッ!!

 

熾帝は確かに今苛立っていた。歯軋りする様に唸りながら己を墜落させ、埋もれさせ、在ろうことかその上に着地―つまり踏みつけた下手人を探す。そして―

 

 

頭上の巨大建造物の残骸の上で無言のまま佇む赤斑を確認と同時の―

 

 

グッ……

 

 

オオオオオオオオアアアアアアアァアアア!!!!!

 

 

 

活性化。

 

 

 

ドォン!!!

 

 

ブースターの放出の際の衝撃破だけで背後にある鋼鉄の残骸を粉々に吹き飛ばすほどの烈風、同時の爆音を巻き上げ、熾帝は再び飛翔。瞬時に綺麗に切り取られた巨大建造物の中腹地点―現在のこのビルの頂上にて佇む赤斑に肉迫。

 

 

キィン!キィンッ!!!

 

 

二つの軽快な音が辺りに響いたと同時

 

 

ゴゴゴゴゴッ!!

 

 

まるで達磨落としの様にこの摩天楼で一番高かったはずの建物が中腹辺りから更に切り落とされ、更にその順位を落としていく。

 

ズゴゴゴゴゴゴッ!!

 

そんな熾帝のコンビネーション斬撃を回避した赤斑は落下し、その四本足をビルの側面で引き摺りながら減速しつつ着地。しかし頭上では熾帝によって切り裂かれたこのビルの中腹の「階層」が二つずつ降り注ぐ。が―

 

 

ゴアッ!!

 

 

起き上がる際の亀の首の様に上空に向けて双頭各々から火球を同時二発発射。

 

 

 

ズアッ!!!

 

 

 

堕ちて来た巨大ビルの階層二つは彼の頭上で爆発。その熱波と破片が渾身の二発の斬撃を躱され、空中で背後を振り返った熾帝に突き刺さる。

 

 

…!!

 

 

人間臭く眼を庇うような動作をし、爆風と熱波を受け流した熾帝が次に見た光景は自分に背を向け、四本足で摩天楼の市街を駆けていく赤斑の後ろ姿であった。当然熾帝は―

 

ズオッ!!

 

ブースターを解放。追跡を開始する。

 

 

 

 

 

まるで迷路の様に入り組んだマンハッタン市街地を密林の障害物を物ともせず高速で駆け抜けるジャガー、豹等のネコ科動物の様に赤斑は駆け抜けていく。その巨体からは想像もつかない程繊細で柔らかい動きだ。自分の力を誇示する為に辺りを踏みならしていたかつてのこの地の王―ディアウス・ピターの様に余計な足音や破壊音も立てない。

派手さは無い。が、その速度はかつての王の優に二倍に達し、尚もその速度を上げている。

 

対峙する敵から背を向ける姿で在りながらもそれは美し過ぎる逃走の姿であった。

 

 

軽快な烈風を伴いながら紅い風はマンハッタン市街を駆け抜ける。

 

 

その背後から―

 

 

これまた空中をまるでイルカや魚の様に滑らかに建物、看板等無数に乱立するこの地の障害物の合間を縫いながらも高速で泳ぐように飛翔し、赤斑を低空飛行で追跡する熾帝の姿が在った。

 

 

すぅっ…

 

 

ゴッ!!ガァツ!!

 

 

高速で市街地を四本足で駆け抜ける赤斑の背中目がけ、氷球を口内より一定の合間で立てつづけに何発も発射する。

そのホーミング軌道を描いて的確に追跡してくる氷球を跳躍、急激なブレーキ、逆に加速による緩急、時に急激な方向転換、時に乱立する建物、障害物を器用に使って赤斑は立て続けに氷球を回避し、熾帝に的を絞らせない。「四足歩行」、そして「生物」だからこそできる柔軟で型に囚われない鮮やかな回避行動である。

 

かと言ってこのままでは逃げるだけで反撃が出来ない。赤斑は逃走しながらも「待っていた」。熾帝の強烈な攻撃をいなしながら反撃の出来そうな「地形」が目の前に現れるのを。

 

そして

 

 

 

…見つけた。

 

 

 

そこはかつての「世界の交差点」―タイムズ・スクエア。

 

 

成功か失敗か。

 

栄光か破滅か。

 

 

奇しくもこの二大両雄が足を踏み入れた地はそのいわくつきの世界の中心。世界の分岐点。

 

この通りは前時代、年越しのカウントダウンの際等に利用された中心にそびえ立つビルボードを中心にしてY字の進行方向分岐がされている。

 

その二つの分岐点の手前に赤斑は差し掛かる。赤斑がどちらの道を選ぶのか熾帝が背後にて注視していたその時であった。

 

 

カキン!

 

 

まるで翼を広げる様に赤斑は双頭の両刃を展開、

 

 

ビシュッ!

 

 

 

それを左右同時真横に向け、振り放った。先程エンパイア・ステート・ビルを中腹より真っ二つにした空斬刃が左右双方向に放たれ、両サイドの建物をほぼ根の部分から両断する。エンパイア・ステート・ビルに比べれば両サイドの建物は遥かに高さの低い建築物。

とは言えかつては世界の名だたる企業が自社アピールの為に広告看板や掲示板を所狭しと掲載した建物が立ち並んでいるのである。前のめりに倒れ、崩壊すれば優に通りを席巻、遮断するほどの大きさは在る。

 

それが赤斑を追跡していた熾帝の前方、左右双方向から降ってくるのだ。

 

やってくれる…!

 

先程押し潰された苦い経験を持つゆえに当然熾帝は進行を止めざるをえず、ブースターを逆噴射、左右の建造物の崩壊によって再び粉塵と散乱する瓦礫によって視界不良に陥るのを眼前で敢え無く見送った。同時思考を熾帝はフル回転させる。

 

 

「果たして逃走した赤斑はどちらの道、分岐を選んだのか?」

 

 

 

 

否。

 

 

 

赤斑はどちらも選んではいなかった。

 

 

敢えて言うならば。

 

 

 

 

 

その「真ん中」を行った。

 

 

 

 

 

…!!!

 

 

 

熾帝の視界が拓け、彼の双眸に映った物は通りを二つに分断する中央のビルボードに無数の黒い穴が左右方向に規則正しく上空に向かって配列されている光景であった。

 

赤斑は分岐されたどちらの道も選ばず、第三の分岐を自ら作って歩んだのだ。

 

分岐点中央にそびえ立つビルボードを足場に垂直に駆けあがり、後転。今―

 

 

フィイイイイッ…

 

 

軽快な風切り音を発し、背後に居た熾帝の丁度真上に達し、反応の遅れていた熾帝がようやく上を見上げた時には眼前に二つの炎刃で彼を串刺し、地上に突きたてんと真っ逆さまの体勢のままの赤斑が迫っていた。

 

 

…!!

 

 

ザスッ!!!

 

 

ガァアアアアアア!!

 

 

熾帝の悲痛とも言える叫び声が辺りに木霊する。

 

 

 

 

 

 

……!?

 

 

なんて反応速度だ。

 

 

赤斑は苦虫を噛んでいた。これ程完璧なタイミングで上空から不意を突いたと言うのに真っ逆さまの姿勢で突き立てた彼の双刃の手応えは浅い。右炎刃に至っては完全に器用に身を翻され、回避されている。左炎刃も直前までは確実に熾帝の中心部分、ブースター乃至、熾帝の背部を貫く直撃軌道であったはずだが刃先がようやく掠める程度にまで回避された。

 

…コレはマズイ。

 

現在の自分の姿勢では次の回避行動が大幅に遅れる。手痛い反撃を覚悟していた赤斑であったが―

 

 

 

ガァアアアア!!!!

 

 

 

意外にも熾帝からは悲痛なほどの叫び声が響き、一行に反撃が来なかった。

この好機を見逃すはず無く赤斑は身を翻して跳躍。熾帝から一旦距離を離す。

 

この儲けものの意外な幸運に赤斑は安堵しながらも、何故か拭いきれない不安感と凶兆も感じとりながらじりりと熾帝を警戒しつつ、周回行動を開始する。

 

確かに手応えは浅かったはず、しかし何故ここまで大袈裟と言えるほどの反応を熾帝が示すのかを知る必要はあると赤斑は観察を始めた。そして

 

 

…成程。

 

 

 

赤斑は合点がいった。

 

 

彼の僅かに手応えがあった左炎刃―それが掠めた先がこの熾帝の右肩に突き刺さった奇妙な物体である事を今理解した。確かに掠めた程度ではあったが彼の右肩口に深々と突き刺さったその奇妙な物体は熾帝の内部を抉り、激痛と共にかつて「何者か」に不覚を取ったと言う深手をありありと彼の中で心身共に目覚めさせたのだ。

 

激痛とトラウマの如き屈辱の記憶のフラッシュバック―それが熾帝に身体ダメージ以上の深手を与えたのである。

 

 

そしてそれは。

 

 

赤斑にとって不幸なアクシデントだった。

 

 

 

右肩を抑えつつ、無言で佇んでいた熾帝が

 

 

ピィン!!!

 

 

紅い軌跡を伴った眼光を上げ、赤斑を睨んだと思った次の瞬間―

 

 

ドガガガガガガガッガガガ!!!!

 

 

赤斑ほどのアラガミが全く反応できない速度で接近してきた熾帝によって赤斑は数百メートルも吹き飛ばされ、ビル群を十棟以上なぎ倒しながらかつて「マンハッタンのオアシス」と呼ばれた広大な公園―セントラルパークまで吹き飛ばされた。

 

これは最早「オラクル細胞の活性化」という「現象」だけでは説明のつかない圧倒的な力の上昇だ。

 

 

進化の突端、頂点に立った生物が強い自我、意志を持った故に達した感情の爆発と同時の爆発的な戦闘力の増幅である。

 

ピィン…

 

吹き飛んだ赤斑の体が巻き上げた粉塵の中で再び紅い軌跡が走り、次の瞬間粉塵を切り裂き、軽く音速を超えた速度で市街地を轟音と衝撃波でなぎ倒しながら飛翔する熾帝の姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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クリムゾン・タイド 4

 

 

超音速が巻き上げる苛烈な衝撃波がまるで雲海の如く立ち並ぶビルを掻きわけさせ、その軌跡を譲らせる。

 

その中心に居る紅い弾丸―熾帝ルフス・カリギュラは深紅の眼光の軌跡の帯を伴わせながら「目標物」に向かって小細工無し、最短距離を一直線に天駆ける。

 

 

ズザッ…ザザザザザザッ!!!!!!

 

一方「目標物」―未確認アラガミ「赤斑」は数百メートル吹き飛ばされた肢体をようやく翻し、強靭な四肢で地面を抉りながら、かつてのマンハッタンの「オアシス」と呼ばれたセントラル・パーク―マンハッタン島の中心、南北約四キロメートルに渡って拡がる広大な公園跡地に留める。

 

 

……!!!?

 

 

自分の足元から延びた数十メートルに渡るスリップ痕とまるでワープしたかのような周囲の光景の急激すぎる変容にさしもの赤斑も困惑を隠せない。先程まで自分は確かに密林の如く巨大な建造物が密集する地帯であの「バケモノ」と交戦をしていたはず。

しかしそれがどうだ。今は視界の拓けたサバンナの如き緑褐色の小高い丘、そして平野が拡がっている。遮蔽物はほぼ無く、地形に関してのアドバンテージはほぼゼロ。

おまけについほんの数秒前自分の身に起こった事に関しての記憶が曖昧なまま、赤斑は目の前の厄災に相対する他無かった。

 

この赤斑を以てして「バケモノ」と断ずる他ない絶対的強者の急接近を前にして赤斑もまた「化物」を遥か超越した怪物としての対応力の片鱗を見せる。

突如開いた圧倒的な実力差を瞬時に埋める為に赤斑がフル稼働させた超感覚、集中力が生んだ次の光景はまさしく圧巻であった。

 

 

超音速の熾帝の超速突進。この世の何者であろうと彼を止める事など出来ようもない―誰もがそう判断するであろうその攻撃を―

 

 

赤斑は向かい入れる様に双腕を拡げ、一切小細工もなしに―

 

 

ゴッ!!!!!

 

 

突っ込んできた熾帝の両腕部に双頭で噛みつき、真正面から受け止めた。

 

 

 

ズズッズズズズ!!!

 

 

赤斑のしなやかな四肢が根を張る様に柔軟にしなり、前方からの熾帝の猛烈な突進の衝突エネルギーを吸収、拡散。数秒前には数百メートルも吹き飛ばされたはずの熾帝の攻撃を今度は僅か数メートルの後退に押し留めるほどの強靭かつ精密で繊細な作業を行ったのだ。驚くべき対応能力、修正能力である。

 

しかし―

 

これ程の赤斑の能力を以てしても熾帝の猛烈なチャージの完全な衝撃分散は困難であった。彼の後肢辺りの地形は地殻変動の如く鋭く隆起、更に超音速の物体が突如静止した事による余波、生身の人間が直撃されれば瞬時にミンチになる程の猛烈な衝撃波が赤斑の背後を直線数十メートルに渡って薙ぎ払い、地を抉り、巻き上げる。

 

 

 

その暴威が放つ烈風や轟音が一段落した後、がっぷりと組み合ったまま双頭の瞳と紅い軌跡を放つ熾帝の双眸がゼロ距離で睨みあう。今両者の心理の中では「舞って」いるのだ。

 

ピィン…

 

この硬直の時間が終わりを告げる際の合図―弾かれたコインが裏表に綺麗に回転しながら地に落ちる瞬間を固唾を呑んで両者待っているのだ。そして―

 

 

キィィィィィィン…

 

 

コインは地に落ち、時は動き出す。

 

 

 

バッ!!

 

 

両者弾かれた様に同時に後方へバックステップ。攻防は一瞬。瞬き厳禁。先手は―

 

すぅっ…

 

 

赤斑。

 

 

先程を遥か凌ぐ金色の炎のオーラを全身に纏い、一気に双頭に集約。

 

 

ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!!!!!

 

 

灼熱の火球連弾。実に秒間数十発の小型の火球が双頭から高速で放たれる。それは瞬時にまるで勢いよくシャボン玉を噴き出したかのように広範囲を席巻。おまけに熾帝を取り囲むように若干の誘導性能まで持ち合わせている。

質、量共に先程通りを焼き掃った物とは比べ物にならない。加えて放たれた距離は近距離。熾帝の回避は到底間に合わない。なら全て両腕の刃で弾く?ダメだ。熾帝が千手にでもならない限り不可能な物量である。進退は極まった。

 

 

ならば―

 

 

薙ぎ払うのみだ。

 

 

ギュるん!!

 

 

天翔ける熾帝は身を翻し、真っ正面から迫り来る無数の小隕石の如き火球の群れに向き直り、

 

 

すうううううううぅぅぅぅう!!!!!

 

 

胸部が破裂しかねんほどの虚空を吸い上げる。その吸引力は空中を席巻した前方の小火球群によって生じた水蒸気を全回収。熾帝の絶対零度の体温によって空気中で既に一気に氷結し、蒼白い煙となって熾帝の口内へ。

 

 

っ……!

 

 

熾帝の冷厳なる「徴収」は終了。今―

 

厄災は解き放たれる。

 

 

 

 

 

ゴォオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!!!

 

 

 

熾帝。極限、究極、極大の氷のブレスを口内から放出。実に前方四十五度を一気に薙ぎ払う。その直径は実に数百メートルに達し、セントラルパーク東西800メートルの中央から放たれたブレスは公園の東西の直径の半分以上の巨大さに達し、その範囲内すべての物体が運動を止め、時の流れすら凍りつかせたかのような絶対零度の世界を形成。当然前方の空間を支配していた赤斑の火球群をも一発残らず呑みこみ―

 

シュボッ!!

 

最早「吹き消す」では生ぬるい。「掻き消す」「切り裂く」と表現した方が相応しいほど無数の灼熱の小火球が一発残らず儚いシャボン玉の当然の末路、予定調和の如く「壊れて消える」。

 

そしてその猛威は―

 

 

……!!!

 

 

赤斑さえ喰らい尽くそうとしていた。最後の火球が消滅したとほぼ同時、逃げ場なし、蒼白の異空間が真っ赤な赤斑を包み込み、文字通り無地、無色のキャンバスの中の紅一点に変える。

 

数秒後、赤斑は巨大な氷のオブジェクトの中に閉じ込められ、時を止めていた。セントラルパークほぼ全域がその氷のオブジェクトの発する冷気の煙に覆われ、元々乾季と冬期でかなりの寒暖差のあるこの地域でも例を見ない程の温度差を作り上げていた。

 

 

 

 

しかし―

 

 

冷気にはあくまで「下限」が存在する。「絶対零度」、つまり摂氏マイナス273。しかし対する熱には上限値が無い。このアドバンテージの上では理論上、灼熱の業火を纏った赤斑の方が遥かに延びしろがある事が解る。

 

赤斑の中に宿るこの地球上の遺伝子データの最先端情報を集約したオラクル細胞の更なる突端の集合情報組織―赤斑のコアがこう促す。

 

―この極寒の世界を跳ね退け、再び世界を闊歩せよ―

 

怪物の覚醒を。

 

 

 

氷の中で赤斑の金色の眼が光る。それと同時に

 

 

ぐしゃあ!!

 

 

瞬時に溶解された水気を伴う氷に流されながら、赤斑は水浸しの足元に着水する。

 

 

ぶはっぶはっぶはっ…

 

 

流石の赤斑もコアまで凍りつかされかねなかった冷気により、冬眠状態に陥った体組織を起こすのに若干の時間を要する。赤斑は白い息を吐きながら呼吸を整えつつ酸素を体内に招き入れ、コア内で燃焼、運動能力の変換に全てを費やす。今はそれで手一杯だ。足元をナイフで突き刺すようなうざったい冷水を蒸発させる熱量は後回…

 

 

 

 

後回…

 

 

 

 

後回…し?

 

 

 

 

 

 

 

バチチチチチチチチチッッッッ!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

そう。

 

熾帝は「それだけ」ではない。

 

 

確かに彼の持つ冷気は絶対的、ただし冷気である以上限界値はある。しかし彼の引き出しはそこで終わらない。

彼は冷気の権化では無く、あくまで―

 

「冷撃」、「斬撃」、「雷撃」。そして類稀な戦闘本能、戦闘センス。

 

つまりは圧倒的「暴力」の権化だ。集合体だ。それこそが彼をここまでの高みに押し上げている。生まれ持った圧倒的な力を持ち合わせた「同族」を空中から脆く見下ろせるほどの絶対強者である熾帝―

 

 

それがルフス・カリギュラ。

 

 

右手の極大の電撃球を熾帝は噛みしめる様に眼前で掲げた後―

 

 

ズオッ!!!

 

 

一気に急降下。熾帝の右掌内の電撃球が水浸しの地面に突き刺さると同時、まるで地割れの様に雷撃が地面を迸り、瞬時に行動機能の全復帰に全精力を注いでいる現在行動不能の赤斑の全身を捉え、駆け巡る。

 

 

……!!!!!

 

 

赤斑悶絶。電撃の熱エネルギーは赤斑の体機能の復帰を手助けした形にはなったがあまりに負荷が過ぎる。そのお釣りは余りにも痛い硬直時間の激増であった。そしてそんな時間を―

 

 

「あの」熾帝が見逃すワケもない。

 

 

 

 

 

 

 

ドスッ……

 

 

 

 

 

 

カッ……!!!

 

 

赤斑の双頭の口が双方掻き消える様なか細い息を吐き出す。崩れそうな上体をようやく震える四肢で支えながら自らの腹部を恐る恐る覗きこんだ赤斑は全部で「四つの眼」を同時大きく見開いた。

 

 

…!!!

 

 

そこには赤く細い物体が自らの腹を貫き、地に深々と先端を突き刺している光景であった。

熾帝は動きのとれない赤斑を前にしても全く情け容赦なく接近。空中でホバリングしながら自分の身長より遥か長い巨大な尾の鋭い先端を赤斑の背部より突き刺し、貫通させて地面に縫い付けたのである。是正に全身凶器。

 

それにこうすると赤斑を拘束できる上に両手が自由になる。つまり熾帝必殺、最高硬度の絶対武器を思う存分振るえる―というワケだ。

 

ずずず...

 

熾帝は尾に赤斑を蠍の如く突き刺したまま、悶絶している赤斑の巨体を空中へ難なく持ち上げる。己の絶対の優位性を知らしめるように獲物を見下ろし―

 

 

カキン…

 

 

熾帝は徐に両腕の刃を同時展開。そして

 

 

 

ズバッ!!!!!

 

 

 

X字に両刃を交互に振るい赤斑の胸部を切り裂く。その強烈な必殺の斬撃は強固な赤斑の鋼体すら深々と切り裂き、間欠泉の様に胸部から赤黒い体液を噴出させながら赤斑を再び吹き飛ばした。

 

 

ずるり…パァンっ!!!

 

 

熾帝は赤斑の胴を貫いた尻尾の先端にべっとりと付着した彼の体液を己が纏う冷気によって瞬時に凍らせ、同時砕いて掃う。そして充分過ぎる手応えに満足するように熾帝は両刃を格納した。

 

びしゃびしゃびしゃびしゃ!

 

赤斑の胸部から噴き出した赤黒い体液が周囲に撒き散らされ、赤い雨の様に広範囲に降り注いでいく。上空から見れば赤い巨大な大輪の花が開花している様な光景であった。その大きさは赤斑の胸部から噴出し続ける体液を吸い上げ、ゆっくりと、しかし確実にその範囲を広げていく。

 

セントラル・パーク一帯を覆う氷の世界の白地のキャンバスの上に鮮やかに紅に輝く大輪の花はまさしく紅一点であった。

 

 

その光景を作り上げた二体のうち一体は今斃れ、正真正銘のただ一点となった勝者―熾帝ルフス・カリギュラが今―

 

 

 

グッ……

 

 

オオオオァアアアァアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!

 

 

勝鬨の雄たけびを摩天楼に轟かせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どくん

 

 

 

 

 

 

 

 

未だなお溢れ続ける胸部からの赤黒い体液の噴出により、生命維持の限界に達した赤斑は横たえた体をピクリとも動かす事が出来ない。しかしはっきりと彼の意識は現状を認識していた。己の絶望的状況を。

 

熾帝に深々と切り裂かれた胸部、丁度生物で言う心臓の周辺に彼のコアは強固な外殻に守られながら存在していた。それを脅かされることはおろか、そこに達するまでの外皮にすらかすり傷一つ負ったことも無い。そんな彼の不可侵箇所であり、何層もの強靭な装甲を敢え無く一撃で切り裂かれ、コアを両断された―そんな想定外過ぎる敵の強大さを前に己自身もここを曾て支配していた三下、先程何の感慨もなく細切れに切り裂いたアラガミと大差が無かった事を思い知る。

 

そして末路もまた同じ。コアを切り裂かれた以上、アラガミとして避けられぬ消滅の結末を後は待つのみ。

 

しかし―

 

先程自分に何が起こったのかさえも認識できず事切れた嘗ての王―父祖とは異なり、赤斑は脳裡に、そしてその身に刻みつけている。想定外の強敵、熾帝ルフス・カリギュラ―の圧倒的暴力、暴威を。

 

 

既知と不知。自覚と無自覚。そう言う点では赤斑と父祖では遥か対極、大差がある。

 

 

 

 

その一つの事実が予想だにしない光景、展開を生む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

確かに赤斑は斃れた。

 

 

 

しかし、

 

 

 

…!?

 

 

 

今熾帝は目の前の信じられない光景に双眸を見開く。確かに手応えは在った。コアは確かに両断したはず。彼の鋭敏な感覚は現在、この目の前の相手から全くのコア反応を察知、検知できない。

 

それでも。

 

先程事切れたはずの赤斑の体が胸部より未だ大量の出血をだらだらと垂らしながら足元を濡らしつつ、ひたひたと歩いているのだ。熾帝の「アラガミの常識」の範疇を擬人的に置き換えて説明するとなれば「首無しの人間の死体が歩いている」様な物である。しかし当の双「頭」も双方だらりと力無く垂れ下がり、先程まで爛々と金色に光っていたそれぞれの眼からも光が全く失われている。意志、遺志すらも見受けられない完全な沈黙状態である。

 

 

ならば一体「何」の意志がこの朽ちたはずの体を動かすのか?

 

……

 

 

ジリッ…

 

 

熾帝はこの戦い初めて一歩後ずさる。恐怖があることは否定しない。しかし同時に消しきれない好奇心が生まれていた。その好奇心が元々彼の鋭い感覚器官を更に鋭敏にさせる。すると―

 

 

…そこか。

 

 

完全に潰え、朽ちた様に見えた赤斑の体のある一部分にほんの僅かではあるが「灯」の様な物が宿っている事を感じ取る。「有」と「無」の境界が殆ど誤差レベルといって差し支えないほどの僅かな「灯」がこの朽ちた怪物―赤斑のX字に切り裂かれた胸部、かつてコアがあった部位の周辺に心許なく鎮座していた。

このまま掻き消えてしまっても何ら不思議はない。それ程曖昧で不確かで微かな残滓。強大な熾帝にとって余りにも矮小で些細なもの。

 

「そんなもの」が

 

 

 

 

……!!!!!!!!!

 

 

 

 

直後、まるで地球の四十五億年の歴史を瞬時に早回ししたかのように膨張し、破裂するように膨らんだ感覚を覚えた瞬間、熾帝は

 

 

 

ブオッ!!!!

 

 

 

全速力で後方の空を舞っていた。その目的はただ一つ。「逃げ」の一手。

 

先程までの闘争中に於いて例え回避に注力しても決して攻めッ気を失わない、防戦時であっても常に反撃の機会を伺っていた熾帝が一瞬ではあるものの完全に逃げに回った。それ程の凶兆であった。

 

その危機察知能力の優秀さを直ぐ様裏付ける余りにも凄惨な光景が空中で佇む熾帝の眼に映る。

 

 

 

 

ブッシュウウウウウ!!!!

 

 

 

 

最早体液など残っていないだろうと思えるほどの出血量をしていた赤斑の胸から更なる体液が噴火の様に上がり、周囲を真っ赤に染め上げる。その胸部の出血の反動にのたうちまわりながら生気を失った双頭が大量出血している胸を掻き毟る様に苦しそうに虚空を引き裂く。

 

それは一見「断末」の光景にしか見えない。深紅に染めあがったこの世の終わりの如くの凄惨過ぎる光景だ。

 

 

しかし―

 

 

それが本当に意味するものは全くの真逆であった。

 

 

ピィン!!!!

 

 

双頭に宿るそれぞれ二つの眼に再び剣呑で狂暴なまでの金色の光が爛々と灯る。力が抜け、心許なくふらふらとたゆたっていた赤斑の体に再び生気と力強さが戻り、氷の大地を踏みしめる。

 

 

「復活」?「蘇生」?いや、そんな生温い物では無い。

 

 

これは最早「転生」だ。命運の尽きたはずのかつての己に別れを告げ、新たな個として再び生まれ、舞い戻るのだ。

 

「前世」の記憶、経験、つまり己以外の絶対的強者との邂逅、そして敗北を糧に。

 

 

 

ビシィッ……!!!

 

 

赤斑の四肢全てで凍りついた地面が地割れを起こす。これは赤斑の体に生気と力が戻った事による物では無い。これは単純に質量が飛躍的に増大している事を指し示す。つまり―

 

 

巨大化しているのだ。

 

 

双頭が体液の帯を撒き散らし、肉が裂け、引き千切られる様な湿った音を立てながら先程までの位置より「後退」していく。本来の四足動物の前肢の上部―丁度肩の位置に収まろうとしているのだ。同時に双頭は更に巨大になり、それを支える双腕の部位も肥大化、体高も盛り上がる。全身の体毛が棘の様に逆立ち、元々禍々しい赤黒い体色が更なる禍々しさを帯びる。上半身から始まった巨大化、肥大化に伴って、それを支えるバネの様な柔軟な後肢、下半身もまた二回り以上に瞬時に巨大化。

 

 

全ては―新たな己を「向かい入れる」為。その「土台」は今完全に整った。

 

 

 

 

上空に浮かぶ熾帝はその驚異の光景を目の当たりにし、理解した。曲がりなりにも絶対強者である己に食い下がれるほどの実力を持ち備えた怪物が在ろうことか―

 

 

 

「未成熟」「未完成」だった事を。

 

 

 

 

「完成」の瞬間は思いの外早く訪れた。

 

 

 

 

新たな「己」を今準備の整った彼の深紅の身体は向かい入れる。

 

 

初めて出会えた己を遥か凌ぐ強者によってX字に切り裂かれた胸部―そのぱっくりと割れた隙間がまるでニタリと微笑んだかのように開いたかと思うと同時であった。

 

 

 

ギッシャアアアアアアアアアア!!!!!!!!

 

 

 

赤黒い体液を巻き上げ、破裂した胸部から巨大な第三の頭部が発生。

「転生の炎」の火柱を上空高く巻き上げながら摩天楼をつんざく咆哮を響かせる。

 

 

 

赤斑―成体。

 

 

 

転生。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

紅蓮の潮流―最終局面へ。

 

 

 



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クリムゾン・タイド 5

世界を覆い、焼き尽くす炎。

時をも凍てつかせ、凍らせる氷。

この二つは世界の成り立ちより存在し、何度も鎬を削ってきた。
世界はこの繰り返しで在った。原始、太古の時代より現在もそれが変わる事は無い。

遥かなる昔―「創世」の時。世界はマグマとガスによって覆われた灼熱の大地であった。

それが何億年と続いた所で在る変化が現れる。それによって生じた大量の水蒸気が水を作り、急激に冷やされ、固められたマグマが創世の炎を地に奥深く、コアに押し込めて大地を形作る。

「地」球の誕生である。

誕生以降も生まれたてのこの惑星は幾度となくそのサイクルを繰り返す。

時に地殻変動による火山の噴火。結果大量の水蒸気放出による急激な気温低下―氷河期を引き起こし、時に巨大隕石衝突による巨大な業火によって再び焼き払われ、それによって生じた塵や埃が厚い雲となって太陽光を覆い隠し、再び冷気、氷によって閉ざされた世界に変え、多くの生物を死滅させた。


二つは決して切り離せない。片方が台頭すれば必ずもう片方がそれになり替わる様に台頭する。両者は対存在であり、世界が存在する限り存在し続け、繰り返し続けられる。

高々200万年程度の人間の時代であってもこの摂理が変わる事は無い。
ただそのサイクルが地球上の時間軸で考えれば非常に狭い間隔で引き起こされているというぐらいだ。

戦乱の大火、生み出した核の大火に包まれ、それによって自ら生じさせた歪み、捻れによるお互いの疑心暗鬼の中で冷たい、しかし、凍傷を起こしかねない程の氷の世界のサイクルをヒトは僅か千年にも満たない程度の期間に繰り返している。
そんな灼熱の乾季、厳冬の時代の中でもひっそりと僅かな栄華、繁栄の時代を謳歌し、徐々に衰退し、恐らく最後には滅びる。

この星の歴史からみれば何ら変わりは無い。

時に焼き尽くされ、時に凍りつきながら世界はそれでも回っている。






 

 

 

そして2073年現代。

 

アラガミの跋扈による大火に包まれた世界は人間を押しやり、原始のよりシンプル―弱肉強食、適者生存、盛者必滅の志向の下ぶつかりあう大火の世界を形成していた。

 

いずれこの大火―互いを喰いあう相互捕食の先に極寒の時代が訪れる事は明白である。

元々アラガミは一度全てをゼロに戻すと言う基本コンセプトの素生まれた。この世をもう一度リセットする為に存在するはずのアラガミ達―

 

しかしその中で余りにも抜きん出た者達が居る。

 

 

進化の先で世の摂理も、サイクルも全く度外視するほどに強固な「個」を形成した両者はこの日出会った。

 

奇しくも互いに紅蓮の体色を纏った両者。

 

彼等の対峙に生産性は無い。

 

己自身がある意味究極の「生産的行為」とも言える世界のリセット機能、循環機能を持ち備えた細胞―オラクル細胞で構成された身でありながら、進化の突端で彼等は「生産性」という言葉には程遠い行為に及んでいる。

 

 

彼等の戦いに目的は無い。意味は無い。自然が創生した破壊、創世、循環、安寧のサイクル、理等度外視。ただ個と個をぶつけ合う行為。

 

 

そして彼等の戦いの先には不毛の大地が残るのみだ。非生産的も甚だしい。

 

 

しかし―

 

これこそが今の彼等の存在意義。

 

全てを賭けるに値する時。

 

 

 

 

ピィン...

 

 

眼光が「六つ」。転生の炎の中で金色に光る。

 

新たな司令塔―胸部より発生した巨大な頭部に光る眼光が二つ追加され、より攻撃的な形態へと変貌したUNKNOWNアラガミ―赤斑が上空に居る対峙者―熾帝ルフス・カリギュラを見上げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

両者威嚇、牽制の咆哮もない。ただ静かに睨みあう。赤斑転生後の「初対面」とはいえ最早無駄に語りあう事もないのだろう。

 

それ故に勝負は即。

 

佳境に入る。

 

 

 

 

 

 

 

 

マンハッタン島の消滅が確定した瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

赤斑がまるで黙りこむように地に向けて三つ首を下げ、熾帝から一旦目を切る。三対の眼が在りながらそのどれ一つも対峙者―熾帝を現在捉えていない。致命的な隙、おまけに睥睨する転生前の自分を絶命させた強者―熾帝に対する最悪の侮辱と言っても過言ではない程の行為である。が、

 

 

 

 

熾帝はその状況を拍子抜けするほどあっさりと受け入れ、未だに空中をホバリングしながら赤斑の様子を伺っている。

 

「何をしてくるのか」。

 

熾帝の興味はその一点。そんな彼の好奇心を数秒後に赤斑が見せつけたその「光景」は全く以て裏切らなかった。

 

 

 

 

かぱぁっ…

 

 

 

新たに生まれた中央の首―第三の頭が徐にゆっくりとその巨大な口を開口。その開口角度は優に百度を超える。同時―

 

 

ズズズズズズズ…

 

 

放電現象の如く赤斑全身に金色の炎が周囲に迸り、地響きのような音を立てながら急速に周囲の酸素を燃焼、その範囲を加速度的に拡げていく。しかし一見纏った御し切れないほどの高エネルギーを外部に放出、発散する行為に見えたその光景はその実際の所は全く逆の意味あいであった。

 

 

これは「徴収」であった。

 

 

つい先程熾帝が行った行為と全く同じである。周囲の火気物質、可燃物質をありったけかき集め、体内に徴収、凝縮。その体内に生まれつき持ち合わせた無尽蔵とも思える圧倒的火力とその生産機能をフル活動して結びつけ、極限の増幅、増強を図る。

 

その徴収範囲は熾帝との激闘によって生じた破壊の爪痕―崩壊したビル群に燻ぶる炎、火の気を吹き消すように吸い込み、更に貪欲に広範囲を席巻、マンハッタン島全域に渡る。

 

その徴収を終えた時―

 

シンッ…

 

かつて前時代、この街で一秒たりとも音が途切れた事等無かったであろう。それはアラガミによって滅ぼされた後も同様だ。ここに移り住んだアラガミ達の跋扈による忙しない喧騒はこの時代に於いても健在であった。

 

…つい先ほどまでは。

 

確かに今この地域から音が消えた。同時にまるで時が止まった様な静寂の時間。これは「集束終了」の合図である。

 

 

同時に。

 

 

「無音」の警鐘でもあった。

 

 

 

残念ながらこの警鐘を聞いた者を。

 

 

赤斑は生かして帰す気などない。

 

 

 

 

 

 

ゴボボボオボボボボボッ!!!!!

 

 

 

 

 

赤斑、中央の頭部の口内よりまるで吐瀉物の如き紅蓮の獄炎を放出。それは一瞬にしてまるで湧き出た泉の様に円形に拡がっていく。

あっという間にセントラルパークを覆い尽くし、尚もその範囲を摩天楼の巨大ビル群の隙間を縫って拡がっていく。

 

 

 

ゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!!!!!

 

 

 

ビルの合間を縫った巨大な炎は町を通過する津波と同様に押し上げられ、その猛火を押し上げる。セントラル・パークから円形に拡がる炎の津波は全く衰えることなくマンハッタン全域を包み込み、尚も放出され続ける。

 

その中心に在るこの街の規模から考えるならばポツンと小さい紅一点―たった一匹の怪物によって。

 

 

…!!!

 

 

その光景をたった一匹、上空より見下ろす熾帝はその驚愕の光景に絶句する。そして同時に周囲の異変に気付く。

 

 

 

……!?

 

 

両者の激闘によっていくつかは崩壊、倒壊したとはいえ、この摩天楼には巨大なビル等まだまだ所狭しと乱立している。その全てが例外なくその高さを「徐々」に下げていることを空中に居る熾帝は気付いた。

 

 

ゆっくりと、まるでフライパンの上で四角いバターが溶けていくかのように。

 

 

赤斑が口内より放出した灼熱の津波はビルの合間を伝いながら、ビルの芯棒、そして地面をその苛烈なほどの温度で徐々に溶解、浸食。マグマ状に液状化させ、そのマグマの海にビル群が今沈んでいるのである。

 

マンハッタン島は巨大な岩盤で形成され、それ故に巨大ビル群の建設には向いた土地柄であった。その岩盤が今赤斑によって溶解させられ、マグマの海と化している。その上に建っていたビル群は当然運命を共にする事になる。

 

 

 

 

つまり―

 

 

「沈んでいる」のだ。

 

 

 

かつての世界最大都市のマンハッタン島が「沈没」しているのである。

 

 

 

地上に居たここの先住者のアラガミ達などひとたまりもなく蒸発、地下鉄構内で息を潜めていたアラガミ達も蒸し焼き状態にされる。シユウなどの飛行アラガミもビル群を走る炎の津波のあまりの高熱さにやられ、ぼとぼとと墜落。マグマに呑みこまれていく。

 

 

オラクル細胞どころかバクテリアすら生き残れない。

 

 

 

今やこのマンハッタンで生き残った生物はこれを引き起こした張本人―赤斑とその圧巻の光景を空中で見下ろす熾帝だけである。その熾帝ですらまるで創生時の地球の如き灼熱の光景と現在の自分の高度にまで届く熱波を前に佇む他に出来る事が無い。

 

 

赤斑はここに居住していた先住者などに興味は無い。そもそも存在すら認識していないだろう。彼等の巻き添えなど興味の範疇に無い。彼の興味はただ一つ。ただ一つ生き残ったいけ好かない。が、同時に己に唯一比肩する素晴らしい実力を持った「同族」のみ。

 

炎と氷の対存在である赤い「アイツ」だ。

 

 

…「余興」は終わり。本題に入ろう。「紅」の激突。紅蓮の潮流の続きを始めよう。

 

 

せめて願い、そして請う。

 

 

 

 

 

…簡単には死んでくれるな?

 

 

 

 

 

キシャアっ!!

 

 

グルァっ!!!

 

 

 

 

赤斑―双腕、双頭口内より転生前より長大、そして禍々しい形となった炎刃を吐き出す。その双方の切っ先を―

 

 

ジジジジジ…

 

 

まるで手持ち花火に火を灯すように「主砲」である中央の頭の口内から発される爆炎に接触させる。

すると極太の灼熱の業火は炎刃の切っ先という数センチに満たない狭い範囲に集中、凝縮していく。同時に―

 

 

キィィィィイイイイイイイイイイイン……!!!!!!

 

 

まるで巨大旅客機、戦闘機が離陸する直前の様な高い音が周囲を劈く。その音は点火、「転火」が終了した事を表す。

 

赤斑の何よりの本題、命題―空中に居る熾帝を地上に叩き落とす為の準備が整った。

 

 

フィイイイイイイイイイイイイン!!!

 

 

二対の炎刃の切っ先から極限まで圧縮、凝縮された火炎が放出され、マグマの海をモーセの十戒の如く切り裂きながら双頭の持ちあがりと共にゆっくりと上がっていく。

否。ここまで行くと「火炎」と言うよりも最早黄金のレーザー、プラズマカッタ―と呼ぶにふさわしい。

 

鉄材等を熱伝導で切り裂くプラズマカッターは「刃渡り」所詮数センチ程度の長さである。しかし赤斑の双刃の先端から放たれるこれの長さは現時点測定不能で在り、尚もどんどん長くなっていく。

 

そんな凶刃を赤斑の双頭が―

 

 

 

 

ぐるん

 

 

 

 

周囲360度を同時にまるで指揮者の様に薙ぐ。

 

 

その射程は実にマンハッタン島全域を遥かに凌駕する数十キロ単位に及ぶ。

 

 

マンハッタン島ハドソン川流域先の港にひっそりと浮かぶ島―リバティー島でマンハッタンを、そして激変する世界の動向を長年静かに見守っていた女神が

 

 

 

スパッ…

 

 

 

上半身と下半身に綺麗に両断されたのがその証拠である。

 

 

 

 

バババババババババババッ!!!!!

 

 

 

周囲を薙ぎ払った二対の黄金のレーザーが「沈没」しようとしていた摩天楼の巨大ビル群に一足先に引導を渡す。

レーザーの通過した先は何一つ例外なく切断され、溶解、爆発。

この世の万物を断つ圧倒的な二対の兇刃は全ての障害物を斬り払い、最終目的である獲物を今ようやく捉えようとしていた。

 

サーチライトの様に上空に巻き上げられた二対のレーザーは遥か頭上に在る雲すらも断ちながら

 

 

 

 

……!!!!

 

 

 

 

背部ブースターを放射。最大速力を発揮した赤い弾丸―熾帝の追跡を開始。

 

 

 

 

 

キィイイイイイイン!!!

 

 

ブオッ!!!

 

 

 

音速の壁を優に突破しながら熾帝は上空へ急上昇。一気に雲を突きぬけ、超える。そして振り返りながらぴったりと追走してくるレーザーを視認。これからして射程外に逃れる事はとてもではないが不可能な事を悟る。これの射程外に逃れる事は即ち敵前逃亡と同義だ。それだけは許容できない。

 

市街地で転生前の赤斑を追い立てた時とは全く真逆の立場になった。今度は彼が追い立てられる番である。

 

 

シュン!!

 

 

 

ぐりん!!

 

 

ブオッ!!

 

 

キィイイイイン!!

 

 

地上で指揮者の様に双腕を振るう赤斑に合わせて二対のレーザーが執拗に空中を超音速で縦横無尽に飛び回る熾帝を追い立てる。それを急停止、減速、急加速、落下、上昇、そして旋回、回転などありとあらゆる手を尽くして熾帝は華麗に回避していく。

 

 

その合間を縫って

 

 

 

 

ガァガァガァッ!!!!

 

 

 

反撃も怠らない。氷球を何発も隕石の様に降らせ、超高度から赤斑目がけて撃ち放つ。その氷球を前に赤斑もまた応戦、二対のレーザーを器用に空中に滑らせて氷球を真っ二つに切り裂き、着弾位置をずらす。

 

しゅぼっしゅぼっしゅぼっ!!

 

何重にも切り裂かれた無数の氷球は軌道を逸らされ、目標の赤斑を捉える事はなく、周囲に着弾。マグマの海にほんの僅かの抵抗を試みたかのごとく溶岩を固まらせるが、直に圧倒的物量差に負け、跡形なく呑みこまれていく。それでも苛烈なレーザーの追跡をほんの僅かでも鈍らせる、もしくは逸らせることは熾帝にとって反撃の起点となる光明でもあった。

 

 

超反応に加え、適切な対応、最適解の回避の繰り返しの先で僅かにぼんやりとうっすらと光る光明を頼りに熾帝は空中を舞い続ける。そして―

 

 

赤斑の一見一分の隙もない攻撃を前にほんの僅かな隙、揺らぎを見つけた瞬間、

 

 

ガァッガァツガァツ!!!

 

 

無数の氷球の発射と同時。

 

 

ズオッ!!!!!

 

 

 

 

ブースターを極限解放。質量と加速力に任せた超高速のフリーフォールを敢行。一気に赤斑に接近する。赤斑の二対のサーチライトの如き高速のレーザーすら追い付けない程の超速度である。

 

 

ガキン!!

 

 

両腕の双刃を展開。彼の戦闘本能、勘、センスが光る完璧なタイミングでの急突進、急加速で在った。先刻放った無数の氷球とは全く別角度からの急接近。氷球に赤斑が対応している間に肉迫し、赤斑を切り裂くのに十二分の余裕がある。

 

ババババババババッ!!!

 

マグマの海に腹を擦りかねない程の低空飛行で熾帝は赤斑に接近、赤斑の頭上には無数の氷球がホーミング性能を備えながら赤斑を取り囲む様な軌道を描いて迫る。氷球の飛行速度を遥か上回る飛行速度を出せる熾帝だからこそ出来る挟撃であった。

 

 

一方的な攻勢から一転、追い込まれたのは赤斑であった。

 

 

 

 

 

しかし―

 

 

 

 

赤斑の「狙い」はここで顕在化した。

 

 

 

 

ぐらり…

 

 

 

 

……!????

 

 

 

トップスピードの熾帝に異変が起こる。突然急激な目眩と同時に体の自由が全く以て利かなくなった。飛行姿勢を保てない。ブースターの急激なマックス放射の勢いを制御できないまま、熾帝の体は敢え無く崩れ落ち―

 

 

ザザザッザザザザぁッ!!

 

灼熱のマグマの海の上で紅い巨体が水切りの様に跳ね回る。灼熱の床を舐める様に這いずる屈辱の中、熾帝の脳裏に「一体何が起きたのか」という当然の疑問が駆け巡った。「体の自由が利かない」という今まで経験した事が無い熾帝をこの状態を引き起こしたもの―それは転生前の赤斑が転生後の赤斑に遺した「遺産」の様なものであった。

 

 

転生前の赤斑がセントラル・パークで熾帝の突進を双頭で受け止めた際―赤斑は熾帝の腕部に噛みついていた。

そしてその時、強力な神経毒を熾帝体内に流し込んでいたのである。

 

 

強力な耐久力と抵抗力を持つ熾帝相手なだけにその効力はすぐに顕在化しなかった。しかし、転生後の赤斑の猛攻によって潜在能力のさらに奥底を引き出したオーバーワークの熾帝の体にひずみが生じ、毒の効力が発揮されるまでの時間が大幅に短縮、結果この攻防のまさしく佳境のこの時においてとうとう顕在化したのだ。

 

前世の自分と現世の自分、輪廻の先の完璧なコンビネーションである。

 

体内を駆け巡る毒によって動きを封じられた熾帝は。

 

 

……ぎりっ!!!!

 

 

溶岩の海の上で歯軋りする。「してやられた」と言いたげに。その頭上で―

 

...

 

無数の氷球をレーザーで瞬時に、しかし致命的な隙を晒す筈だった切り裂く作業を粛々と終え、赤斑が脆く熾帝を見下ろしていた。そして徐に上空に掲げた双刃から走る二対のレーザーを交差させる。

 

 

 

キシャアアアアアっ!!!!!!

 

 

 

歓喜の声を上げ―X字に双刃を振り下ろす。地に伏せる熾帝の頭部目がけて。

 

 

 

……!!!!!

 

 

 

 

ピィイイイイインッ!!!!!!!

 

 

 

 

ズアッ!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

宇宙空間からも確認できるほどの巨大な黄金の「X」がマンハッタン島中心から全域に走る。

 

 

 

 

ゴゴゴゴゴ…

 

 

 

フっ……

 

双腕から発せられていたレーザーを赤斑は収束させ、見渡す限り360度拡がる原始の地球の如くマグマで煮え立ち、変わり果てた世界最大の都市の光景を金色の六つの眼で睥睨する。

 

熾帝の姿は最早ない。数十キロに渡って赤斑が二対のレーザーによって切り裂いたX字の丁度交差した地点―熾帝が這いつくばっていた地点周辺は今はマグマの海が吹き上がっているだけである。

 

 

 

その光景を無感動に赤斑は眺め、踵を返した―

 

 

 

ヒュオオオオオオッ…

 

 

 

…そうでなくては。

 

 

と言いたげに赤斑は背後で感じた軽快な「冷気」に振り返る。

 

 

 

そこには―

 

 

ズズズズズズズ…!

 

 

深紅の体を持ちながら対照的とも言える鮮やかな蒼白い翼の如き冷気を纏い、熾帝がゆっくりとマグマを裂いて上昇する姿があった。

あれ程の赤斑の苛烈な攻撃を受けてもなお熾帝は健在。そして今や完全に灼熱の大地、完全にアウェーと化したマンハッタンを見回す。

 

...最早ここを「マンハッタン」と呼んでいいのかすらも解らないが。

 

人間であれば余りにも変わり果てたかつて栄華を極めた大都市のその光景に感傷を禁じ得ないほどの惨状も、対峙するこの絶対強者達にとっては状況を構成する要素でしかない。一言言えるのは熾帝にとって完全に不利な敵地に他ならない苛立たしい光景であるということだけた。

 

 

よって―

 

 

熾帝は至極当然のごとく、しかし第三者にとって完全に世迷い言、血迷ったかとしか思えない判断を下す。それは

 

 

 

 

「この地を0に戻す」ことだ。

 

 

 

 

「自分が不利だから」。

 

ただそれだけの理由で熾帝はこの原始の地球の如く、この星がかつて数億年かけてようやく鎮静化させたこの灼熱の大地を―

 

 

ぐぐぐっ…

 

 

 

鎮めようとしていた。

 

 

 

両腕を震えて縮こまり、抱える様にして自らの中心―コアから今はち切れんばかりに溢れださん絶対零度、絶対冷気を―

 

 

 

グ…オアアアアアァアアアアアアア!!!!

 

 

 

ブースターを通して完全開放した。

 

 

 

 

瞬間―

 

 

辺り一面を眩いばかりの真っ白なまさしく「ゼロ」と呼ぶにふさわしい光が覆い尽くす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




……


赤斑は右腕で覆い隠していた眼をゆっくりと開き、辺りを見回す。すると予想だにしない光景が辺りを包んでいた。


…!


辺り一面地獄の様にマグマの海だったはずの大地が冷えて固まり、マグマの吹きあげる水蒸気によって発した厚い黒雲によって先程まで真っ黒に覆われていた空が晴れ渡る様な蒼さで赤斑を照らし出している。

ザァアアアアアアアッ…

赤斑の巨大な「X斬り」で深々と切り裂かれた地点はまるで渓谷の様に深く、ぱっくりと割れており、そこに外海から海水が流れ込み、滝の様に中心地に勢いよく流れ込んでいる。



ここには炎も、そして氷もない。
互いにぶつかりあい、全て対消滅した結果生まれた完全なる―




「ゼロ・グラウンド」だ。



かつて世界一栄えた大都市も、氷河期の如き氷の世界も、原始の灼熱の大地もない。


全てが中立(アンバランス)な世界。


その地の交差地で。


紅蓮の潮流は再び混ざり合う。



チャキ…



いつの間にか熾帝が赤斑の間合い内に侵入。必殺の刃を赤斑の第三の頭部の顎部分に突きつけていた。

しかし―

熾帝はその切っ先をそこからピクリとも動かす事もなく、赤斑もまた大して反応する事もなく佇んでいた。両者の原始的な風貌から今全く以て狂暴さが失せている。

奇妙な光景であった。全てがリセットされた無の大地、流れ込んだ海水のしぶきが上げる轟音だけが響く世界の中心、紅い両者はまるで神話の世界の神々が対峙した姿を象ったオブジェの様に動きを止めていた。


そんな状態が暫く続いた後、動きがあった。先に動いたのは赤斑であった。


クァアアアアアッ……


剣呑で狂暴そうな赤斑の三つの頭部が全てまるでネコ科の生物の様に天を仰いで大あくびをする。まるで好天の下、日向ぼっこでもする様に。そして中心の頭の顎の下に双頭を忍ばせ、

……

本当に寝入ってしまった。

そんな赤斑を見て熾帝は後ずさりし、暫くそんな赤斑を眺めた後―彼もまた猫のように巨大な体を尻尾で巻くようにして丸まり、寝入る。








それから十九時間後―



グググッ…



赤斑―活動を再開。同時に熾帝もまた覚醒、その身をゆっくりと起こす。そして―



スッ…



両者は戦闘を再開することなく、最早お互いに眼もくれずにすれ違う。赤斑はアメリカ大陸内陸側へ、熾帝は大西洋側に向かって真っ直ぐ歩きだした。




今居るここが「ゼロ」。



つまり「X」。交差点だ。





両者はこの地での戦いを通じて知った事がある。

それは世界の広さだ。

互いに生まれた時点で己が進化の頂点であると自負していた中で彼等はめぐり合った。その対峙を通して彼等の中に生まれた物―


それは純粋な世界への興味だ。


自らの絶対性を脅かす絶対的な存在への興味、好奇心。


ひょっとすれば。


今日、自分が対峙した以上の者が自分の道の先に立ちはだかるかもしれない。これから進むお互い全く真逆の道の先に。




そして地球は丸い。


この道の先を何事もなく進んでいけるとするのであれば両者の道はまたいずれ交わる事になる。


この地、「ゼロ・グラウンド」に。


紅蓮の潮流は再び混じり合う。ただ今と決定的に違うのはその時は既にお互いが世界の頂点に在ると確信した状態であるということだ。







その時は。






もう迷う必要は無い。






最期まで―










「殺しあおう」




















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短編 ブルーローズ 2

私が最後に父を見た光景は黒塗りのスーツを着たフェンリルの役員数人に囲まれ、連行されていく小さな背中だった。

 

他ならぬ自分の子供達を計画―ブルーローズ計画に捧げ、その失敗の度に元々軍人らしく美丈夫でがっしりとした父の体格は日に日に衰えていた。まるで「失敗」の度に彼の体の一部が少しずつ削られていったようであった。

いや、その表現もあながち間違ってはいないだろう。自分の血を分けた実の子息を差し出しているのだ。謂わば彼等は自分の身体の一部と言って過言ではない。

 

それでも父は自分の行為を止めようとしなかった。自分の子息全てを上から順に「撃ち続けた」。

全部で「十八発」のロシアンルーレット。恐らく空の弾倉は無い。天文学的確率を超えた奇跡の果ての「不発」を期待し、彼は血を分けた子息のこめかみに銃口を押し当て、引き金を引き続けた。

 

そしていよいよ最後の「弾」―これを撃ち尽くしたら「看板」という時に父は連れていかれ、最後の「弾」である私はただ一人残された。

 

 

 

 

まだ十代であったナルフは変わり果てた父の後ろ姿を淡々と、しかし背筋を伸ばして泣きも喚きもせず見送った。現実とは思いたくないあまりの惨めな父の光景を前にいつも軍人として心の均衡を保つ、もしくは動揺を相手に悟られてはならない軍人として弱みを晒す事を拒んだ彼女の習性がそうさせたのかもしれない。

 

ただ彼女は無言のまま愚直なほど背筋を正し、毅然と父の後ろ姿を見送った。

 

そのナルの光景を質の悪い「マインドコントロール」だと吐き捨てる連中は多く、実際のところナルはそれに関して客観的にみれば決して間違いではないと理解もしている。

紛れもなく父の行為は「狂人」と断罪されて何ら不思議はない。他でもない血を分けた自分の子供達をあまりに無謀、杜撰極まりない計画に差し出し、案の定その結果は目を覆いたくなるほどの惨状で在るのだから。

 

それでもナルは父を恨んだ事はない。父と多くの言葉を介した事は数えるほどしかないが時代ゆえの父の苦悩は誰よりも解っているつもりだ。父は軍人として最悪の時代の最悪の渦中に生き、それでも模索した。長く続いた由緒正しき軍属の一族の末裔として生まれた故の果たすべき社会への奉仕、貢献の為に。

 

「軍人として人々を守る事」

 

その根本に関してはあくまでナルの父は愚直だった。純粋だった。

 

しかし彼は先程言った通り最悪の時代を生きた。

 

 

 

彼は何の前触れ無く突如発生した全く以て対処不可能な圧倒的な天敵―アラガミによって多くの部下、上官、そして民が目の前で敢え無く散っていく様を見、またそれの何千、何万倍の犠牲の報告を耳にする。

その惨状を前に彼に出来る事は抵抗等では最早無く、ただ逃げるだけであった。怪我をして動けない同胞、そして民を見捨てて敗走、背走を繰り返す―その屈辱と無力感に苛まれながらも少しでも、一人でも多くの人々を逃がし、生きのびさせる事を目的に軍人として行動した。

しかしながら自分達を根本の意味では守ることのできない軍人に対しての不平、不満は世界中で浸透していき、そして「軍」というものもあくまでロボットでは無い「人の集団」である以上、混乱、暴走は生まれてしまう。

 

確かに彼等の持っている既存の武器、兵器はアラガミには全く通じなくとも、人間相手では未だ十二分に機能するからだ。アラガミに背を向け、敗走する彼等の銃口は自然その背後に居る民間人に向いた。

 

侵略、略奪、強姦、殺人。

 

軍人―否、もはや無秩序の暴徒と化した連中が世界中にアラガミと共に跋扈した。

 

そしてその情報は真偽問わず、異常発達したネットワークによって瞬時に拡散されていく。「信頼」の伝播は非常に時間がかかるが、「不信」の伝播の速度はまっこと異常に早いのが世の常である。「信頼する事」より「相手を疑う事」の方が遥かに簡単であるからだ。その疑心暗鬼は容易く人の心を夜叉に変え、無為な衝突が世界各地で発生する。

 

結果ナルの父は軍人として本当に倒すべき敵―「アラガミを倒す」という点では一切の武功を得られぬまま、世界中で何十人、何百人もの人間を治安維持の為殺した。

多くの人間を殺した人間は時に「殺人者」では無く「英雄」になると言われる。が、ナルの父が出来た事はその実圧倒的な敵を前にして正気を失った人間同士の内輪もめを鎮圧するためのただの無意味な殺戮であった。

 

そんな軍人としての「力」「誇り」「義務」全てを完全否定された時代、土台の上で彼は生き残る。失意もあった。絶望もした。それでも生き残った者として彼はその土台の上で新たに築こうともしていた。地に堕ち、血に塗れた手で彼は作り上げる。新たな種を捲き、芽を育てる。

 

新たな芽―自分の意志を受け継いだ子供達に自ら味わった苦難、屈辱、辛酸を糧にこの時代に合わせた必要な「力」「知識」そして何よりも「素養」を得て今度こそ本当の敵―アラガミと対峙し、民を救い、同時子供達も胸を張って新しい時代を生きていけるように―そう願った。

 

しかし結果それは報われない。自分の子供達全てにその資格が無い事を知った彼の失意、そして運命は皮肉な事に彼の手を生涯最後まで血に塗れさせる。それは憎き本当の敵―アラガミのものではなく、皮肉にも悉く彼が軍人として守るべきだった人々、そして血を分けた実の子供達の血によるものだった。

 

 

そんなあまりに過酷な時代、運命を生きた父をナルは否定し切れない。

 

やはり。

 

―変人なのだろう自分は。

 

ナルは自分をそう自己評価し、同時父の、そして死んでいった兄弟たちの雪辱を果たす事の出来ないままただ一人生き残った自分を恥じた。

 

そして同時に実は心のどこかで兄弟の中で自分一人が生き残れた事に安堵する自分が居る事を―

 

恥じた。

 

 

 

 

瓦解した家族も姓も捨て、数ヵ月後、保護観察、精神ケアを終えたナルは養子に出される。そんな彼女を引き取ったのが―クラウディウス家で在った。

 

「ようこそナルフ。今日からここは君の家、私達の家族の一員だ。どうか娘たちと仲良くしてやって欲しい。さぁ…お前達も挨拶をしなさい」

 

美しい紅い髪をした身形の整った紳士が全く嫌味の無い笑顔と声色で優しく荘厳な玄関の前で彼女を向かい入れる。彼の両隣りには二人のタイプは全く異なるが双方美しい人形の様な少女がナルを興味深そうに見ながら微笑んでいる。

 

「解ってるわよパパ!よろしくね。ナルフ!…『ナル』でいいかしら?」

 

お転婆だが利発そうな赤髪の美少女がいち早くナルに歩み寄り、彼女の両手を握る。

 

「私はレア。『レア』でいいわ。そしてこの子が妹のラケル!」

 

「お姉さま。ズルイわ…自己紹介位は自分でさせて下さいな…。はじめまして。ナルフお姉さま?ご紹介に与りましたラケルと申します。お会いできて光栄ですわ」

 

電動の車椅子をゆっくりと走らせ、はち切れんばかりに元気そうな赤髪の姉とは対照的に儚げな金髪の美少女がナルに握手を求めつつ、美しい顔を傾かせながら微笑む。

 

「……よろしくお願いいたします。ジェフサ様。レア様。ラケル様…」

 

 

これがナルとクラウディウス家の出会い。

 

 

 

元々容姿端麗、文武共に長け、さらに少々特殊な一家、生い立ちゆえか万事控えめで礼儀正しいナルはクラウディウス家に早々に溶け込んだ…と言うのもやや語弊があるか。

彼女はクラウディウスの姓を貰いながらもジェフサ達親娘から一歩距離を置く。常に敬語、敬称を彼等に遣い、同年齢のレア、ラケルにつき従って一歩引いた場所から彼女達を立てる様は義理の姉妹と言うよりも使用人や下女に近いものだったと言える。

 

さらに歳も近く、対照的な性格のレアとは「姉妹」としてよりむしろ「主従」の関係として見れば周りの眼からは余程しっくり来た。お転婆で行動的なレアに対して一歩下がって彼女のフォローをする役目を与えられたナルは幸いにも自分が後から来た余所者、世間的には「狂った罪人」の娘であることの負い目を緩和させる。

 

しかしその互いの状況に異を唱えたのは意外にも…当のレアの方であった。何事に於いても自分を立てるナルの行動は当時のレアにとっては少々屈辱であったらしい。

元々彼女自身も容姿に優れ、勉学に於いて優秀かつ負けず嫌いな血気を持った少女は自分と同等かそれ以上の器量を併せ持ちながらも必要以上にそれを出さないナルにいら立ちを覚え、何度も彼女に言い寄った。その度にナルは苦笑しながら誤魔化す―そんな日々が続いたある日の事であった。

 

「~~っ!!ナル!!」

 

レアは腕を組み、苛立たしく、そして忌々しそうに苦虫を噛んでいた。

 

「は、はい?」

 

「もう私怒ったわ!!ついて居らっしゃい!!」

 

「えっ?ええっ!?」

 

クラウディウス家邸内、レアの自室にて、いつものようにチェスの勝ちをレアに譲ったナルは笑って「やっぱりレア様には敵いませんね」…なんて言いやがるもんだからとうとう痺れを切らしたレアは彼女の手を取り、走り出した。

 

「ど、どこにいくんですかレア様!?」

 

「『様』じゃ、ない!『レア』でいいといつも言ってるでしょう!?」

 

噛み合わない会話を交わしながら二人の少女は広いクラウディウス邸内を駆ける。そしてとある一室のドアの前で漸く怒れる赤髪の少女は足を止めた。その一室を前にしてナルは流石に慌てた。

 

 

「え。ここは…ジェフサ様のお部屋!ダメです!!レアさ…レア!!お叱りを受けてしまいます!!」

 

「知らない!一緒に怒られましょ!」

 

「…え~!?」

 

返す言葉も見つからないまま言われるがまま、ナルはジェフサの部屋に招き入れられる。

 

入室後―

 

「う~~んっと~~…」

 

あわあわきょろきょろしている背後のナルに一瞥もくれず、レアは徐に何百と所狭しと本が敷き詰められた壁一面の書斎をう~んと背伸びしながらまだ小さくも女性的に綺麗に整えられた指先の先端でなぞり

 

「...ここ!」

 

確信めいた声を上げながら一つの本をレアが奥に押し込む。すると巨大な書斎が音を立てて横滑りする。何とも古典的な仕掛け。要するに「隠し部屋」で在る。

 

ここは開閉された回数がコンピューターに常にカウントされ、ジェフサの携帯している端末にリアルタイムで送信されている。レアが開けた時点でお叱りはすでに決定である。普段は優しく、娘たちにとことん甘いジェフサもこの時ばかりは烈火のごとく怒る。

 

それでもレアはナルにここを見せてあげたかった。厳密に言い換えると「この先」を。

 

「いらっしゃい。....ナル」

 

レアは真剣な表情でナルに手を伸ばす。有無を言わせない真っ直ぐな視線。吸い込まれるような紺碧の深い海の様な深い蒼。

 

「...はい」

 

ナルはその手をとり、深く頷く。

 

 

 

 

 

ジェフサの私室は基本使用人も入室を禁じられたクラウディウス邸内でも特殊な部屋である。意外にも研究、仕事以外では無精な所があるジェフサが直ぐに散らかすので怒ったレアが何度も無断に入室。わざわざ可愛らしい使用人姿に化けてまで掃除をし、度々ジェフサにとがめられた。しかし、生来の負けず嫌い、お転婆であったレアは「散らかすお父様の方が悪い」と頑として譲らず、根負けしたジェフサが入室を許可したという背景がある。

 

しかし―

 

ジェフサが自室に使用人はおろか愛する実の娘にまで入室を禁じていたのは訳がある。

確かにジェフサはレアに掃除の際のみ入室を許可したが、その先の一室―隠し部屋に入ることを厳禁していた。愛する妻を早くに喪い、喪失の悲しみからねじ曲がった性癖に目覚めた―とか在りがちなそんなやましい何かが有るわけではない。

 

只危険であったからだ。

 

レアだけが知るジェフサの私室の秘密―それは地下の神機兵研究室へ繋がるエレベーターが私室の書斎の裏に設置されている。

 

 

「…っ」

 

ナルは押し黙る。自分を取り巻くエレベーター内の重々しい空気に。

 

意図的にジェフサ・クラウディウスはクラウディウス家の奉公人、そして愛する自分の娘達が何かの間違いで「これ」を見つけた際、入室を躊躇うように設計したのだろう。至る所で陽の光が差すようにそこに居る人間がだれしも心地よく感じる様に設計された邸内と異なり、そのエレベーターは漆黒の物々しい「戒め」を感じさせる格子状の装飾が施されている。

 

軍閥家系出身ゆえに歳の割に肝が据わっているとはいえ、まだ十代の少女には酷な物がある。おまけに立ち入り禁止の開かずの間に足を踏み入れようとしているのだ。生まれて初めて禁を破っている恐怖。生まれて初めてのお仕置きもすでに決定事項。

 

自然、レアと繋いだ右腕がじっとりと汗ばむ。

 

 

 

その手を―

 

 

「…!」

 

 

レアは無言のままぎゅっと強く握り直す。恐怖に戸惑い、おずおずとレアを見るナルに視線を送ることなく、真っ直ぐとした視線は前だけを見ていた。

 

彼女自身も禁を破って大好きな父親に叱られる事が既に決定しているのだ。快く思っているはずが無い。しかし、その真っ直ぐな蒼い瞳に迷いは無かった。

 

 

―…あれ?

 

 

どくん…どくん

 

 

いつしかナルの心から恐怖は消え去り、初めていつもの安全な道を外れ、行ったことのない、はっきりとした行き先も解らないあての無い小さな冒険に出かける前の少年に宿るような胸の高鳴りを感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 





それでも


―流石にいきなり「あれ」を見せられて恐怖を覚えない女の子はいませんよ。レア。


後々その時の事を思い出すたび、常々ナルはそう思って笑う。


何気ない日常の中で突然レアに連れ出された非日常―その先で最初に少女時代のナルの心を支配したのは「怒られる」「叱られる」こととは全く別物の恐怖であった。



「……レ、レレレレレア!!!?こ、これははわわわわ!?」


歯の根がかちかひかちかひ噛み合わない。ナルの細い脚も既にがくがく。
そんなナルの姿を少し呆れた顔で見ながらもレアは一旦ナルの手を離し、先行しつつナルを手招きする。まるで初めての高所を怖がっている子供をゆっくりと先導しつつ、その先に拡がる絶景を見せたがっている母親の様に。




「…大丈夫よナル。怖がらなくていいわ。



この『コ』は敵じゃない。それどころかこの『コ』は―



私達人類の希望なんだから」





レアは円柱状のガラスコーティングをされた水槽の中で青白い培養液に浸された更に紺碧の深海の如きメタリックブルーのカラーリングをされた生気の宿らない眼をした巨人の頭部を愛おしそうに眺める。






「この子がパパ…ううん。ジェフサ・クラウディウスお父様の夢、それは私の夢そのものでもある」








神機兵―




神機適性を持たない人間がアラガミに抗する術を手に入れる現状唯一の手段。



与えられなかった「持たざる者」に本来存在しえない福音、祝福を与える物。





「ブルーローズ」



























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短編 ブルーローズ 3

「ごめんなさい。ナル。…私お父様が貴方のお家で起きた事についてフェンリルの職員とお話しているのを聞いちゃったの」

 

蒼い眼と整った顔立ちを曇らせ、レアは隣に立ち、ようやく目の前の培養液に浸された武骨な巨人の頭部に慣れ、やや落ち着いた表情になったナルフに本題を切り出した。

 

「…!…そうでしたか」

 

散々己の身内の恥を罵倒、侮蔑、ときに憐憫と様々な表情をすでにクラウディウス家に来るまでに周りの人間にされてきたナルは慣れてしまっていた。淡々とそれだけ呟いた。

 

「とても…ナルにとって悲しくて辛い出来事だったと思う…」

 

それをレア自身も解っているのだろう。自分がどんな言葉を取り繕うとも今までナルが晒されてきたものと大差なく、当事者の気持ちに立つ事など不可能だと言う事を。それ故に言葉は尻切れにすぼんでいってしまう。

 

「そうですね…悲しいことなのかもしれません。自分の親が自分の子供達全てを犠牲にしてまで殺す為の力を手に入れようとしていたなんて…」

 

 

「でもね…レア?私達にはそれが全てなんです。ずっと繰り返してきた。遥か昔から。アラガミが現れるずっと前から私達は常に自分が殺す相手を、そして効率的に殺す為の力、術を探し、磨き、求めてきたんです。それが私達一族の誇り、存在意義」

 

時に隣の集落や村落、時に隣国、時に海を越えた先の先住民、独裁国家、資源保有国、テロ組織…ヒトの歴史とは闘争の歴史。その渦中をナルの一族は駆け抜け、しかし、その道の先で完全な袋小路に在った。

 

「それを振るう場も資格も失った時点で私達は不必要な存在。…だからああするしかなかったんです。何が何でも闘う力を、術を手に入れなければならなかった―父は全て覚悟の上で私達もそれを理解したうえで身を差し出したんです」

 

「…」

 

「でも嘘です…」

 

「ナル…?」

 

「私本当は怖かった!!死にたくなかった!覚悟してたつもりだったのに、兄弟達が一人一人居なくなってようやく私が父と二人でお話しできた朝、本当に…本当に死にたくなくなってしまった!!『これだけ?これで終わり?そんなの嫌だ!』って思ってしまったんです!」

 

「生きたい。心底生きたい、…って思ってしまったんです。『闘えなくてもいい、殺す為の力なんていらない!』―私は一族の誇りも存在意義も捨てた…要らない子。父が望んだ適性も持たずただ生まれ、軍人一族としての誇りも勇気も何もない…空っぽ。そんな私が生きてた所で何の意味も成さない、でもだからって死ぬ勇気もない。ただ生きているだけの存在…弱くて卑怯で…」

 

「ナル!いいの!!弱くていいの!!」

 

「え…」

 

「人間が弱いなんて当り前のこと!!ずっと変わって無いの!!ただ何十年、何百年も生きのびて、栄えて…それで人間は自分達が強いと…この世界の頂点に居る存在だって思いこんでしまっただけ。でも今はね皆が解ってる。認めてる。自分達が弱くてちっぽけな存在だって!だからこそ考えるの!!闘う為に。生きのびる為にね。貴方のお父様だってそう!そして私もお父様達だってそう!!弱さを知った、同時に己を知った。だからこそ強くなれるの。だからこそもう一度這いあがれるの」

 

レアはしっかりとナルを見据えながら彼女の両手を取り、そして背後の神機兵の頭部を見上げて尚も力強く言葉を紡ぐ。

 

「この子がその答えになるって私達は信じてる。確かにナル?貴方は生まれた時点でアラガミと闘う資格は無かったかもしれない。でも志や思いだけではどうしようもない事なんてアラガミが現れる前からずっとあったの。それをどうにかする為に貴方のお父様は足掻いたの。…結果は悲し過ぎる結末だけど…でもだからって貴方が自分を無価値に思う必要なんてない。生き残った事をムダなんて思う必要なんてない。私貴方に会えてよかった。貴方はとても強くて賢くて綺麗で優しくて…私の憧れなの」

 

 

「お願い…そんな貴方が自分の事を『要らない子』、『空っぽ』なんて言わないで…」

 

 

「レア…」

 

 

 

 

「改めて聞くわナル?…貴方はどうしたい?」

 

「え…?」

 

「言って。あなたの願い…絶対に私と私のお父様が叶えるから…」

 

「私は…」

 

「うん?」

 

「私は…弱くてもいい。卑怯者でもいい。ただ…レア様…いえレア?貴方をそしてジェフサ様、そしてラケル様を守りたい…その資格とほんの僅かでもいい…お父様が…私の家族が望んだ力があれば…それだけで…」

 

「…うん!!交渉…ううん約束成立ね!!貴方の願い、私とパパが叶えて見せるから」

 

「…」

 

「…嬉しい…ナルに守ってもらえるなんて…。あぁナルが男の子だったらな…。多分恋に落ちてたかも。…ザンネン」

 

「くすっ…」

 

「うふっ…あはっ…ははははは!」

 

 

 

 

レア―

 

私は貴方を守ります。私の様な人にこれからも力と知恵と勇気を与え続ける誰にも、何者にも代えられない存在。

 

 

 

 

貴方にとって私は「蒼いバラ」そのもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…そう決めた筈なのに。

 

私は本当に肝心な時に貴方の傍に居る事が出来なかった。

 

 

 

あの夜―ジェフサ様がお亡くなりになられたあの夜。貴方が人生で最も怖くて、悲しくて、心細かった夜に私はあなたのお傍に居る事が出来なかった。

 

 

 

そして―

 

 

貴方の心の中にずっと「居た」彼女―貴方自身がずっと抑えつけ、否定してきた貴方の狂気その物とも言える彼女を救うことも。

 

 

 

 

 

 

 

 

ジェフサの葬儀―

 

 

式を終えた後、レアの実妹であり、ジェフサの第二息女であるラケル・クラウディウスはまるで興味を失ったかのように直ぐに取り巻きを連れてその場を立ち去った。ジェフサの死後、彼が遺した彼の研究成果や莫大な遺産、株式、土地等の資産運用等の変更手続きを行う為に。彼女は突如最愛の父を失った遺族として一見、自然な振舞いをしながらも見方を変えれば何処までも事務的で滞りの無い淡々とした作業で手続きをこなしていた。当然だ。実際、ジェフサを殺したのは彼女である。

彼女自身全く躊躇無し、「親殺し」と言う行為に何ら疑問を持つこともなく及んだ行為に動揺など生ずるはずもない。

 

余りにも対照的であった。

 

「うっ…ううっ…あぁああっ…!お父…様ぁあああ…ん…!!」

 

式を終えても変わり果てたジェフサの亡骸が納められた棺に縋り、泣き続ける姉―レア・クラウディウスとは。

 

「…」

 

ナルは沈痛な面持ちのまま立ちつくす他無かった。自分をまるで本当の娘の様に向かい入れ、育て、またあの日レアと一緒に初めて自分を叱ってくれた優しい義理の父の死にナル自身も悲しみが無い筈はない。しかし今悲しみのどん底に居るレアの前で泣く事は許されないと気丈にナルはレアの傍に立ちつづけた。

 

この時点ではジェフサ死亡における事のあらましをナル自身は知らない。以降公式発表とされる「正体不明のアラガミの襲撃」という報告を受け取っただけだ。

 

おかし過ぎる。奇妙過ぎる。

 

正直とても納得がいくような説明では無い。貴族、そして世界的にも重要人物であり、アラガミの世界と人間の世界を隔てた装甲壁から程遠い安全地帯に居た人間が何故アラガミに殺されると言うのか。しかし事態はその奇妙過ぎる結論で既に収束しつつある。事実、事の詳細を知るであろうレアは泣き崩れるのみでとても話が出来る状態では無い。そもそもあの夜の出来事、記憶をレア自身が話せる様になるのは随分先の話である。

 

しかし現状ナルフはれっきとしてクラウディウス家で起こった凄惨過ぎる真実を知り、理解した上でレアに協力し、「ハイド」に所属しながらレアを身体的、精神的にサポートしつつ任務に励んでいる。

 

 

その真実を語れるのはレアの記憶を持ち、尚且つあの日起きた事実をラケル以外で唯一語れる存在、レアから生まれたもう一人のレア―

 

「ルージュ」

 

彼女に初めて接触したのはナルである。

 

 

 

 

「ふふっ……くふふふふ…」

 

「…?レア…?」

 

「あはっ…あはははははははは!!」

 

神の御前で血迷った、気でも触れたかのように突然レアは心底おかしそうに笑い始めた。駆け寄ろうとしたナルを手で制し、ぐらりとよろめきながら立ち上がる。

 

 

「はぁっ……あ~~あ…」

 

「レア…?いえ…『貴方』は一体…?」

 

既にナルは彼女を「レアとはちがうもの」と認識していた。その「ちがうもの」はそれを裏付ける様にこう呟いた。

 

 

「やぁね…ナル…?そんなに他人行儀にしないで?貴方は気付いていたはずでショ?『このコ』の中に私が居た事…」

 

 

見透かしたような蒼い瞳がナルを射抜く。ジェフサの隠し部屋にナルを招いたあの澄んだ蒼い瞳とは全く異なる揺らぎを感じる。瞳の周りは涙で濡れ、落ち窪んでいると言うのにまるでその瞳だけは別の生物の部位を無理やり捻じ込んだような不自然な輝きを纏う。

 

蒼い、しかし赤い炎を更に凌ぐ高熱を持つ激情の炎が今の彼女の瞳には宿っていた。

 

 

「『このコ』と同じようにナル?貴方もまた私を否定していたのよね。でも…いい加減レア―『このコ』を美化するのはやめなさい?…『このコ』はずっと脅えていたの。ずっと前…貴方が家に来る前…自らの手で妹を突き落とした時―ううん、ひょっとしたらその前から脅えていたのかも。他でもない愛する妹…ラケルにね」

 

コツコツと歩き出した「ちがうもの」は脅えながらも目を逸らさないナルの眼の前に立ち、にっこりと妖しく微笑んで尚も続ける。

 

「やっぱり♪貴方は『このコ』なんかよりよっぽど勇気がある。全てから目を逸らした哀れで可愛い『私のレア』なんかよりよっぽど―

 

 

使えそうね」

 

 

「使う」―その言葉にナルは言い知れない悲しさとやりきれなさを覚えた。事実自分が「使えなかった」からこそ誰よりも大事な義理の姉妹、同時親友であるレアを守り切れなかったと言うのに。

 

そしてレアが押し隠していた「狂気」とも言える彼女が今顕現していると言うのに。

 

 

「改めて聞くわ」

 

「…」

 

 

 

「ナル…貴方はどうしたい?」

 

 

 

 

幼い頃の澄んだ蒼い眼でナルに言い放った大事な大事なレアからの言葉。あの日、その言葉からナルは自分の決心、これからの生きる道は決めたと言って過言ではない。その言葉がこんな形でレアでありながら同時「レアとはちがうもの」の口からまた聞く事になろうとは―

 

それも

 

 

チャキ…

 

 

古びた。しかし手入れの行き届いたレアの護身用の回転式銃。その冷たい銃口を突きつけられた状態で。

 

「…」

 

私の解答如何で容赦なく…彼女はその引き金を引くだろう。

 

 

でも

 

 

なんて楽なんだろう。気が楽なんだろう。自分が銃口を突きつけられていると言うのにナルはどこかほっとした。

世界で誰よりも大事な人に狂気の矛先を突きつけられている気分―最悪な気分なはずなのに何故かナルは気が楽で在った。何故なら―

 

世界で最愛の存在に裏切られ、最愛の存在を喪った直後のレアの悲しみにほんの少し、一億分の一でも寄り添えた気がしたからだ。

 

 

―気の迷いでもいい。勘違いでもいい。それだけで―

 

 

私は何でもできる。

 

 

「…!」

 

 

「レアらしきもの」が瞳を見開く。ナルが徐に両腕を延ばしゆっくりと拳銃を握る彼女の腕に手を絡ませたからだ。

 

 

「もし私が少しでも疑わしいのなら…容赦なく引き金を引いて下さい」

 

 

そのナルの狂気が「レアの狂気そのもの」である目の前の女性の時間を止めていた。ナルは彼女の手から拳銃を受け取り、

 

 

カランカランカラン…

 

 

その六発の弾倉から弾丸を抜いた。…たった一発のみ残して。それが床で甲高い音を発して転がる。そしてナルは流麗な手慣れた動作でからりと弾倉を回し、容赦なく自らのこめかみに突きつける。

 

 

 

…全く以て気が楽だ。

 

父の愚行に比べれば生き残る確率が遥かに高い。例えここから五回―

 

否。

 

 

例え「六回」引き金を引こうとも彼女の父がかつて縋った偽りの希望よりも余程今のナルには希望に満ち溢れているように感じる。

 

 

 

 

…っカチン!!

 

 

カチン!

 

カチン!

 

カチン!

 

 

カチン!

 

 

 

カッ…

 

 

 

 

「最後」の音が響き渡る前にその音が止む。

 

 

 

「…」

 

 

 

「レアらしきもの」が最後の銃創の回転を両手で覚束ない動作ながらもしっかりと止めていた。未だに焼き尽くす様な蒼の激情の炎が燃え上がったままの蒼い瞳、しかしその瞳に映ったナルの顔はまっすぐと…そして曇りない微笑みで「レアらしきもの」を見つめていた。

 

 

「…安心して下さい。私の命はレア、そして『貴方』の物。決して…裏切りません。私の思いは今も、昔も変わらない。私は…貴方を守りたい」

 

 

 

 

 

「……ナル?」

 

 

 

「はい?何でしょうか?」

 

 

 

 

「ナル…『貴方』は…私を裏切らないでね?失望させないでね…?」

 

 

 

さっきまでの挑発的な口調とは打って変わったまるで少女の様な…必死で感情を絞り出した様な声であった。

 

 

 

「…はい。だからせめて…今だけは…レアも。そして『貴方』も。…私と一緒に大切な方を亡くした事を悲しんでは下さいませんか…?」

 

 

いつの間にかナルも絞り出すような口調を抑えきれないまま目の前の彼女の額に自分の額を合わせる。

からりと二人の手から取り落とされた拳銃が床に落ちる。

 

 

 

―…確かに私は「貴方」に気付いていた。ずっと見ていたのだから。

 

 

過去の事件によるラケル様への負い目、恐怖、傍目には見えぬ支配によって徐々に生れていく貴方と言う存在に。

 

 

しかし貴方と言う存在は同時に。

 

 

お父様であるジェフサ様への強く、純粋で曇りない愛情ゆえに生まれてしまった存在でもある。

 

 

 

 

ジェフサ様亡き後、私がそれを全て受け止め、受け入れます。

 

 

私は貴方によって今を生きて来たのだから。貴方によって生んでもらえたのだから。

 

 

だから貴方がこれから生む存在、育んだ存在、そして愛する者を全てを守り、受け入れましょう。

 

 

 

 

 

「う…っ…あ、あ。…ああああああああん…」

 

 

 

 

ナルは泣き崩れた「彼女達」を強く抱きしめる。例え今この世界が滅ぼうとも最後の刻まで我が子を抱く聖母の様に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現在―

 

 

 

彼女は発つ。

 

 

 

在るはずの無かった、手に入るはずもなかった物を手に入れて。

 

 

 

レア、そして彼女の父―ジェフサ・クラウディウスの夢、希望の結晶。人類の新たな矛―神機兵。

 

その先駆け―生まれたてのその機体に相応しい名が付けられた。

 

 

 

 

 

「ブルーローズ」

 

 

 











2074年


極東支部アナグラ




新設のカフェテラスにて




「あの~~エノハせんぱ~~い?」


「おおエリナ!!う~~ん今日もめっちゃ可愛いな~~君は~~」


金髪碧眼の美少女が可愛らしいがいつも不機嫌そうな所が玉にキズな後輩の少女に走り寄り、抱きつき、頬ずりを始める。…どうやらこれ日課らしい。

「うう~~っ!一緒にお茶を呑む度にこれやるんですか~~?」

「前戯、前戯ぃ~~!もうこれが無いと始まらんっちゅ~~ねん。はぁ~~気持ちええわ~~♪」

「これじゃ文字通り『お話にならない』ですぅ~~せんぱ~い」


金髪の少女ブラッド隊所属伊藤 エノハ。極東支部第一部隊所属エリナ・フォーゲルヴァイデとカフェテラスでプライベートタイム。


加えて英気補給中。


エノハとエリナ、お互いに帽子を被っている為、密着して夢中で頬ずりをすると互いの唾が擦れ合い、よくエノハ側の帽子―軍帽が脱げる。

「あ。あ。おっちょちょっちょっ!」

エリナから英気補給中でも相当大事な物なのかエノハはいつも帽子が脱げるたびに愛撫を中断。綺麗な金髪を透き通るような白い手で整えつつ、軍帽を被りなおして束の間解放され、ちょっとへとへとのエリナに天使の様な笑顔でにかりとほほ笑むのだ。

「よし!終わり!エリナ座ろか・・いつもありがとね♪」

「ふぅ・・はい・・」


なんだかんだで恒例の行事が終わってしまうと最近少し寂しい気分がする自分に「毒されてるな」とエリナは少し落ち込む。
軍帽が落ちる瞬間、いつもエノハは切り替わる様にしてエリナへのスキンシップを止めてしまう為、少し軍帽に嫉妬してしまう気分すら覚えつつある。

だから今日は―


「ん!先輩!?今日はちょっとそれ貸して下さい!!」


「あ」


エリナはエノハが被っている恋敵のようなもの―軍帽をひょいと取り上げた。


―コレ没収です!


「ふ~~む」


そしてまじまじと見つめる。が―


―う。なんで…?なんでこんないい匂いがすんねん…。おかしいやろ…これ。


思わずエノハの口調で頭の中でぼやいてしまうほどエリナは軍帽から香るエノハの匂いに腰砕けになった。



「じゃあ私はこれも~らおっ。よっ!!」

「あ」

「交換交換♪…似合う?似合えへん?」

エリナからひょいと取り上げた彼女愛用の帽子をエノハはぽすっと頭に乗せる。その姿に

―くっそ~~似合ってるとは言い難いけど…可愛いなぁこの人…。

エリナは苦虫を噛んだ。

「エリナも私のかぶってみぃ?ちょっと大きいかもしれへんけどな?エリナめっちゃ頭ちっちゃいから」

「…はい」


何の躊躇いも無くエリナ愛用の帽子を自分の頭に載せたエノハと対照的におずおずとエリナはエノハ愛用の軍帽を被る。が、やはり少しサイズが大きいのかすぐにエリナの頭の上でやや不格好に斜めになってしまう。

「あっはは~~ホンま可愛いな~~エリナは。ホンマに」

「…アリガトウゴザマス、…です」

エリナはエノハの少し大きな軍帽で両目を覆い隠す。






「あの~~先輩?」

「ん?」

「前から思ってたんですけど~この先輩の軍帽って…正式なブラッドに支給されてる物とひょっとして違います…?この前ナナさんやシエルさんに見せてもらったのとちょっと違う…よな?」

「ほう!よう見てるね!エリナ!そやで?私のだけちょっと特別品やねん。頂き物やからな」

「やっぱり」

「すっごい素敵な恩人さんに貰った奴やからいつも肌身離さず持っときたくてな」

「へぇ…」






「エリナ…私な?孤児院に居たねん。『伊藤園』っちゅうところ」




「みなしごやねん。私」




「私の『伊藤』って苗字もそこから貰ったんやで」









「そこがな?『もうアカン!資金難でもう閉鎖される~~!』っちゅ~時助けてくれたのが今のマグノリア・コンパスのラケル先生とレア博士のクラウディウス家やったねん」


「…ええ!!そ、そうだったんですか!?」


「…あのお二人のお陰で私らの孤児院の皆は離れ離れにならんで済んだ。おまけに私らの新しい施設が出来るまで暫くお世話までしてくれたんやで?誰かに任せるだけやのうて忙しい合間縫って私らの様子もちょくちょく見に来てくれた。…嬉しかったな」






「で、そこでな?私ら孤児院の子らにすっっっ、ごい良くしてくれたたすっっっ、ごい美人でカッコいい軍人のお姉さんがおってん。その人に貰ったんやで?その軍帽。それから私の宝物やねん」

「…」

「私の憧れの人や。…あんな人になりたい思た。優しくて強くて綺麗な大人の女の人に。だから自分にGEの適性があるって解った時、…怖かったけどホンマ嬉しかったんやで」


「センパイ…」


「まぁ…










形見になってもうたけどね?」








「え?」






「去年な…亡くなったらしいわ…」







―…ナルさん。もう一度―




逢いたかったわ。















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剣姫

ロシア支部

 

 

アラガミ出現後の異常気象による温暖化によって大半の土地が砂漠化の一途で在ったこの国であるが針葉樹林体の群生地―より日本列島に近い「極東ロシア」と呼ばれる地域はかつての厳寒の地、雪国のままである。

その地に現れた特殊アラガミの情報を素に訪れた「ハイド」―否、単独にて哨戒任務中の一人の青年は奇妙な出会いをはたした。

 

時刻は20時過ぎ。

 

一面雪に覆われ、今尚降りしきる雪の光景が幻想的な針葉樹林の森の中、ベットリ赤いアラガミの体液のついた白銀の刀身を払うと赤い血の帯が点々と真っ白い雪の上に斑に広がっていく。

 

「…ふぅ」

 

 

状況は終了。数体の小型アラガミの討伐をいつも通り淡々と終えた青年は周囲を軽く見回して安全を確認。辺りは既に暗闇で在るがGEの視力では充分状況の肉眼による視認が可能のレベルである。

 

在る程度の周囲の観察を終え、青年は程無く警戒をといた。そんな彼の背中に―

 

 

 

「いや~~助かったぞ。褒めて遣わす!」

 

 

 

 

何とも時代錯誤な語り口調の声が響く。まだ少女と呼んで差し支えない幼さを隠しきれていない声だ。声色から判断しても恐らく年齢的には「ハイド」のメンバーと同じくらいであろう。

まぁ今更ちょっと個性的な口調程度で驚いても居られまい。気を取り直し、振り返った青年に

 

「そなた強いのであるな…驚いたぞ!まさしく『鬼神のごとく』であったわ」

 

うんうんとこれまた古風な口調とそれに見合う動作で頷く。

 

だがそれだけではない。

 

―…何とも面妖なコだこと...。

 

そう青年が首を傾げるほど少女は口調、そして見た目すら生まれてくる時代を間違えてしまったかのようなこれまた時代錯誤な衣装に身を包んでいた。

 

「む…?如何いたした?」

 

ややピンクがかった白い肌、極東人独特の漆黒の長い髪は「ヒガンバナ」を思わせる複雑な意匠を象った紅いリボンを左右に誂えており、時代錯誤とはいえどうにか「女性」を思わせる出で立ちである。が、その華奢な体を包み込むのは明らかに極東―日本と呼ばれた国の更に前時代の男性―侍や武士がその身に纏う袴、裃であった。配色も薄い藍色と男性的精悍さ、凛々しさを感じさせ、女性的な花、華やかさは控えめな出で立ちである。

ただ「男装の麗人」と称するにはまだ少々幼く、あどけない。「元服したばかりの少年」にも見える不思議な少女であった。

 

―…別の時代にでも繋がったのかね?

 

思わずそんな少女と対面した青年―榎葉 山女は自分の携帯端末を覗きこみ、現在の時間、そして年代を調べる。

 

大丈夫だ。

 

確かに彼自身はちゃんと今この時代に居る。2070年代の現代に。第一さっきまで少女を取り囲み、亡き者にせんと襲いかかってきた連中は少女のこの時代にはあまりに乖離している姿に合わせた時代劇によくある様な黒装束の忍やら人相の悪い浮浪の武士でもない、れっきとしたアラガミ達であった。

流石に十五、六世紀には未だアラガミは出現していなかっただろう。もしそうだったとしたらまず人類は生き残ってはいまい。

 

GEであるエノハ自身もはっきり言ってこの時代を生きる大半の人間とはやや異なる出で立ちをしているとはいえ、それはGEという仕事に従事する人間の特権ゆえに許されたものであり、同時アラガミと言う敵に対処するための防護の意味も兼ねた意匠だ。それと比較してもこの少女の纏う衣装と浮世離れした雰囲気にエノハも閉口せざるを得ない。

 

「ふふ…そんな狐につままれたようなカオするでない。まぁその気持ちも解らないではないが…いつまでも呆けていても始まらぬであろう?見ての通り妾はこういう人間なのだ。理解してくれると助かる」

 

意外にも少女は戸惑い気味のエノハの心情を察して自分から助け船を出す。自分の出で立ちのこの時代における特殊さ、奇天烈さに関してちゃんと自覚はあるようだ。つまり彼女はちゃんとこの時代の存在である事は解る。

 

 

「では改めて礼を言わせてくれ。危ない所を助けて頂いてかたじけない。妾(わらわ)はジュートと申す。お初にお目にかかる」

 

 

少女―ジュートと名乗った少女は両手をきちんと前で組み、美しい規律正しい姿勢を崩さぬまま綺麗なお辞儀をする。流麗な動作だ。余韻が残る様にゆっくりと美しい顔をあげると左右に誂えた紅いリボンが揺れる。

 

 

「して…そなたの名はなんと呼べば?流石に恩義を受けた者の名を知らぬのは…。…何。そなたの雰囲気、そして今アラガミ相手に見せて頂いたお手前からしておいそれと簡単に名を聞ける人物では無かろうことぐらい妾にも解る。だから仮の名でも一向に構わぬ。教えては頂けぬだろうか?」

 

少女は礼節を弁えていると同時、気遣いも出来る器量、そして観察眼を持っていた。

 

「気遣い痛み入るよ。...察しの通り俺は簡単には本名を名乗れない身なんだ。非礼を許してくれ。取りあえず…俺の事は『サクラ』。そう呼んでくれ」

 

彼はいつも通り偽名を名乗る。

 

「ほぉ『サクラ』殿というのか…。うむ…。うむ!良い名だ。妾の先祖の故郷にかつて咲き誇っていたと言う桃色の花の名…こんな所で先祖の同郷の者に出会う事が出来ようとは妾は嬉しいぞ♪」

 

にっこりと嬉しそうに微笑んだ少女は更にこう続けた。

 

 

 

「それに―

 

 

『同業者』と会うのは久しぶりであるな」

 

 

少女は自分の右手首をすっと惜しげもなく「サクラ」にさらす。

 

暗闇の中でも鈍く光る紅い腕輪―つまり神機使いの証。

 

そしてその右手には時代錯誤な彼女の出で立ちに相応しい細く、長大、そして万物を断ちそうな鋭利で毒々しい配色を施された日本刀の如き片刃の神機が握られていた。タイプはロングブレード。少女の実直さを表す様な美しい直線、妖しい魅力と狂暴さを併せ持った美しい刀で在る。

 

さらに―

 

彼女の右腕全体は大火傷の如く痛々しいほど赤黒く変色し、それを申し訳程度に覆う白い包帯すらも既に腐食臭を漂わしそうなほどに濁り、所々破れ、ほつれながら寒風のなか宙を舞っている。それだけではない。包帯の合間の間隔にはまるで鋭い岩山が隆起したごとき突起物が垣間見え、時代錯誤ながらも雪景色を背景に相応しい美しく、凛とした少女の佇まいを台無しを通り越して嫌悪感を煽るほどこのジュートという少女の存在を左右非対称に貶めている。

 

少女の面妖な出で立ち、独特な口調は元より何よりもこのアンバランスな異形さこそが「サクラ」を先程まで戸惑わせていた源泉であった。

 

この彼女の状態を指す適切な言葉はただ一つ。

 

 

 

アラガミ化だ。

 

 

 

正直最早手の施しようが無い程の。

 

 

 

「…妾のアラガミ化は既にもう引き返せぬレベルに達しておってな..。遅かれ早かれいずれ妾は意志を持たぬ化物に形果てるだろう」

 

自分の末路をまるで他人事のように笑みを交えつつからからと少女は微笑む。そして「サクラ」を見据えてこう言った。今度は微笑みを携えたままながらやや強い口調で。

 

「『サクラ』殿?そなたはフェンリルに頼まれ、妾を殺しに来たのであろう?だが済まぬな…。妾はまだ死ぬわけにはいかぬのだ。妾にはやるべき事がある。それが終わるまで死ぬまで死に切れぬ」

 

そう言って少女―ジュートは禍々しい神機の刀身の先端を「恩人」と呼んだ「サクラ」にかちゃりと突きつける。

 

「...」

 

その所作にある程度「サクラ」は反応するものの、義務的で反射的な構えである。殺気は薄い。

 

正直、先刻取り囲まれた複数体のアラガミを一瞬で駆逐した目の前の青年のGEとしての実力を垣間見た限り、ジュートは現状の自分の状態を差し引いても分が悪い相手であることを理解している。それでも尚も問答無用で自分を始末することなく、未だジュートの話を淡々と聞いてくれる青年の中途半端な対応に彼の人間性を大体ジュートは既に理解していた。「話せる人間だ」、と。

 

だから彼女は訴える。

 

「頼む。…今は退いてくれぬか?目的さえ達すれば妾はもう逃げも隠れもせぬ。その時はフェンリルにつきだすもその場で処分するも好きにするがいい。…だが今はダメなのだ。往かねばならぬのだ。妾は」

 

―こういう相手には偽らぬことだ。取り繕わない事だ。

 

自分には目的がある。命に変えてでも果たさねばならぬことが。

 

それまで死ぬわけにはいかぬ。

 

 

 

 

 

 

 

...在るアラガミを殺すまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

剣姫

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…ヴィーナス変異種か?君の標的は」

 

 

「…っ!?」

 

事も無げに「サクラ」はそう言い放つ。その言葉に少女―ジュートの瞳が驚きで強く見開かれた事から自分の指摘が的確であることを同時悟る。

 

「...そなた知っておったのか。全く人が悪いぞ…まぁならば話が早い。奴がどういう存在であるかも既に知っておろう?」

 

 

 

「奴は...

 

 

元神機使いの成れの果て。つまりアラガミ化した元ゴッドイーターだ」

 

 

 

「…左様。つまり非常に通常の神機の効きが悪い厄介な性質を持っているアラガミということ。つまり対抗するには―」

 

「奴が人間―ゴッドイーターであったときに使用していた神機を使い、葬るのが安全かつ確実な方法」

 

エノハは「その事」に関しては誰よりも既に精通している。何せ経験があるのだから。

 

「…しかし、これも知っているであろうがそれ自体大きな矛盾をはらんでおる。神機は基本適合した者にしか扱えぬ。しかし適合した当の本人は既にアラガミ化し、最早人の意志を忘れて野に放たれておるのだからな。当然その神機を扱うにはまた別の新たな適合者を探す他無い」

 

「...」

 

「その間にも奴は人を食らい続け、嘗ての仲間すら襲って喰い殺す。―それが神機使いが不幸にもアラガミ化した際に世界中で起こっている悲劇であり現実。同時期に二人の適合者が都合よく現れる幸運を易々許してくれるほど現代の神は人間に優しくはあるまいて」

 

「...」

 

 

「しかし、だ」

 

少女は自分の半アラガミ化した右手人差し指を立て微笑んでこう続けた。

 

 

「この世には例外と言うものが常に存在しておる。同じ神機をほぼ同時期、同じ時間に扱える人間が複数存在する事は決してあり得ない話では無い。―その複数の人間の体構造、血液組成に至るまで完全に同一、またはそれに限りなく近いのであれば―『分身』とも言える存在が居る場合比較的高い確率で一つの神機の適性が複数の人間に与えられている事がある。端的に言うなれば―

 

 

 

 

『双子』だ」

 

 

 

 

 

血の繋がった兄弟が双方神機適性を持っている事はままある。雨宮姉弟、フォーゲルヴァイデ兄妹。極東だけでも二組の兄弟の神機使いが既に存在している。しかし、そんな彼らでも適合した神機は全く別の物だ。かつて雨宮 ツバキが用いていた第一世代神機に彼女の引退後―後発のGEで「サクラ」の同期でもある極東支部の神機使い―藤木 コウタが適合したケースもあるがかなり稀な事例である。(神機適合試験のレギュレーションがペイラー榊、ソーマの父親の元支部長ヨハネスの努力によって大幅に緩和されたのも背景に在る。)

 

しかし、双子であれば生まれた年代、体組成の同じ複数の人間が同時期に存在し、尚且つ家族である故に共に行動している可能性も高いことから「一つの神機に複数の適合者が同時に見つかる」と言うレアケースも在る程度現実味を帯びる。

 

 

 

そして同時に。

 

 

「アラガミ化」が複数の人間に同時に起こりかねないと言う事でもある。

 

 

 

 

 

「ヴィーナス変異体...あれは妾の双子の兄が変わり果てた姿。アラガミ化した物。そして...今妾が握っているこの神機こそ嘗てあれが人間、ゴッドイーターであった頃に扱っていた物…。ここまで言えばわかるであろう?」

 

 

さくさくと雪を踏みしめながら美しい異形の剣士―否、「剣姫」はしっかりと「サクラ」に向き直りこう告げる。

 

 

「妾のみがこの世で唯一あれを、…兄上を完全かつ確実に殺すことのできる存在と言うわけなのだ。だから『サクラ』殿。…後生じゃ。妾を止めてくれるな」

 

 

 

 

「ではこれにて。御免…」

 

 

最早大半が異形と化した右半身を持ちながらも強い人間性を保ち、そして揺るがぬ決意の表情のまま少女は降りしきる吹雪の中、右腕に覆われた包帯を靡かせながら暗闇に消えた。

 

 

「…」

 

 

それを無言で見送りながら「サクラ」は徐に通信端末に手を延ばしてこう呟いた。

 

 

「…こちら『サクラ』。目標アラガミは現時点で発見には至らず。引き続き哨戒任務を続行する。…もう時間も遅い。皆無理をせず2100を以て今日の所は一旦終了としよう。寒いからカゼひかないようにな?」

 

 

エノハのインカムから次々と「は~い♪」、「子供扱いすんな」等とそれぞれ「らしい」反応が次々と帰ってくる。

 

最後に一拍置いて「レイス」の「…了解」という言葉を契機に再び吹き荒ぶ極東ロシアの吹雪が木々をざぁざぁと薙ぐ音だけが辺りに響き渡る。

 

 

「…」

 

その音、光景を無言のままひとしきり眺めた後、青年は音も残さず風の様にその場から消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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剣姫 2

いつも一緒だった。生まれた時から。

 

何処に行くのも。何をするのも。

 

 

―兄上。

 

 

ジュート達兄妹は常に身を寄せ合い生きて来た。物心ついたころには両親はおらず、自分が一応装甲壁内というフェンリルの保護下に居ることから僅かながら神機適性を持つ可能性がある程度の存在であるということぐらいは理解できる。

当然両親もいない、記憶も無いやせっぱちの薄汚れた兄妹のすむ世界などまともな物では無かった。彼等はとある支部で最下層、貧民街で幼少期を過ごす。いつもお互いの手を握りながら体を寄せ合っていた記憶が鮮明に残っている。

 

しかし、ある日兄妹共々脈絡もなくフェンリルの役員に半ば連行に近い召集をされ、いきなり個室、着る服を与えられたと思えばいきなり「これを使ってあの化け物どもを殺せ」とヘンな武器―神機を与えられ、今までは逃げ回る他無かったアラガミ相手に今度は足を止めて向かい合うこととなった。

 

しかし。

 

彼等はあくまで双子である。そして対する対応神機は一つである。

 

適合した神機との初対面の印象はお世辞にもいい物では無かった。結構に禍々しく、佇むだけで殺気を放つ様な「妖刀」と呼ぶにふさわしい意匠の代物をいきなり扱っておっかない連中を殺せと言われるのだから当然とも言えた。

 

最初の議題はまず「どちらが神機を握るか」というものであった。

 

当初、兄は「自分だけが握る。妹には闘わせたくない」と言ってくれた。それは純粋に妹であるジュートは嬉しかったが、彼女は譲らなかった。

 

ずっとずっと共に支え合って生きて来たのだ。これからも二人で責と負担を分け合う事に戸惑いは無かった。

 

結果異例にもその神機を適合した二人―兄妹が「一本の神機を共有して交互、若しくは同時出撃する」と言う変則的な仕様を採る事をフェンリル側に要請。彼等もそれを許可した。

 

そもそものGE適合者自体が希少な上、いざという時の「替え」にもなり、おまけに適合してはいるものの二人とも神機適合率の数値がお世辞にも良いとは言えず、アラガミ化の進行がやや早めになるであろう特性を持った神機でも在った為、その負担が「半分」になるとするなればGEとしての「運用期間」も単純に長くなるとの判断から容認された背景が在ったらしい。

 

しかし、そんな連中の奸計など二人は知る由もなく、訓練期間を終え、GEとして正式に配備される。

 

彼等の戦闘スタイルは一本の神機をどちらかが持って同時出撃。そして状況、敵種、数に合わせて兄妹は神機を投げて交換。一方が時に攻撃、時に囮になり敵を撃破、時に誘導するというもの。

 

一方が無力を装い、敵を引き付けながらもう一方が背後より敵を狩る。若しくはいきなり神機を相方に手渡してもらって油断している無防備な相手に致命的な一撃を銜えて仕留める―そんな手法で兄妹は変則的でありながら普通のGE以上の戦果を上げるほどとなった。このペアの絶妙なコンビネーションは共に生まれ育った二人の絶対的な信頼関係から成り立っている。攻撃力、耐久力全てに勝るアラガミ相手に複数の同僚と共に連携で狩る事を必須とされるGEにとって神機適合率以上の必須適性がこの二人には備わっていたのだ。

 

この時を単純に二人の人生で最も幸せな時間だったとジュートは確信している。

明日をも知れぬ身などGEであろうと貧民街で在ろうと大して差は無かった。しかしGEは「自分達が努力すればするほどそれに対するリターンに関してはきっちりと返ってくる」というこの時代に於いては珍しい仕事でもある。平均生活水準を上回る兄との共同生活。「一本の神機を二人で扱う」という特性上、常に帯同しなければならない故に―

 

 

一切邪魔は入らない。

 

 

この兄妹は血の繋がった家族と言う垣根すら越え―

 

純粋に愛し合っていた。

 

 

双子でありながらも異性であった二人。しかし稀有な一卵性の異なる性の二人はまるで映し鏡の様な存在であった。ジュートの兄は女性的な美青年であった。周りの区別の為に髪型を変えてはいたものの、顔立ちは本当にお互い良く似ていた。

 

 

いつも二人で居る時は手を繋ぎ、向かい合い、語りあい、笑いあい、そして愛し合った。

 

 

 

 

周りもそれを黙認していた。元々今は短命の時代。前文明社会では遺伝子的欠陥、遺伝性の病、不妊と短命を招く故にタブー視されていた近親相姦を支部、お国柄によっては半ば黙認する地域も存在していた。何よりGE同士、その上兄妹同士の濃い血は「適性の遺伝した次世代のGE候補の誕生にも一役買うのでは」との迷信もあり、彼等に歯止めをかける者はいなかった。(いざ指摘でもすればこの二人は「それ」を容認してくれる別支部への異動をかけあうだけであっただろうが)

 

言い換えるならばGEになることで彼等はお互い、そして周りに気兼ねする必要が無くなったのである。初対面の時はいい印象をあまり受けなかった彼等の適合神機に対する印象もそれ故に変わっていった。愛着もわいてくる。

 

 

この神機はある意味自分達を結び付けてくれた存在なのだ、と。

 

 

 

 

 

 

 

しかし。

 

 

運命がそれに「待った」をかける。

 

 

 

変則的な神機使用に伴う副作用か二人のアラガミ化の進行速度は他のGEの比では無かった。それに彼女達が優秀なGEであるが故に出撃回数が多い事も拍車をかける。おまけにこの兄妹、皮肉にも適合した神機は一緒でも適合率に関してはやや差が在ったらしい。アラガミ化の速度に明確な差が在った。

 

妹―ジュートのアラガミ化の進行速度が兄より早かったのである。

 

結果、妹のこれ以上のアラガミ化を防ぐため、ジュートの兄は単騎での出撃を要請する事が当然増えた。

 

ジュートはそんな兄にいつも追い縋った。生れてからずっと苦楽を共にしてきた最愛の兄の常に傍らに在る自分を奪われることなど許容できるはずもない。だがそんな彼女をいつも諫め、兄は出撃していった。

 

 

そしてあの日も。

 

 

新種アラガミ―ヴィーナスが彼等の居住支部周辺に現出。その特殊な配合比率のオラクル細胞はそれを攻撃したジュートの兄の体に異変をきたし、急激なアラガミ化の促進をもたらしたのである。

 

結果―

 

同行した数人の同僚GEを殺傷するほど理性を失って暴走し、兄は何処かに姿を消した。

 

生き残った兄の部下によればまるで討ち倒したアラガミ―ヴィーナスに内部から喰い破られた様に彼の体は今倒したばかりのヴィーナスの姿に変貌した。ヴィーナスの司令塔―つまり女神像の部分だけが兄と言う悪夢の様な姿で。

 

その姿のまま部下に「逃げろ」と最後に人間性を残した一言を言い残した後、完全に理性をアラガミ側に支配されたのであろう。容赦ない攻撃で副官を雷撃の一撃で蒸発させ、指揮系統を完全に喪い、混乱状態に陥った他のGEも蹂躙したとのことであった。

 

 

その報告に我を失い、唖然としたままの彼女の元に戻ってきたのは彼女、そして兄を繋いでいた適合神機のみであった。神機は兄の体に呑みこまれる事無く

 

それが意味することは解っていた。「お前の手であの裏切り者を殺せ」という他でもない兄への処刑通告。まるで自分自身が処刑宣告を受けたかのようにただジュートは涙を流すことしか出来なかった。

 

―最愛の人を殺せるのは自分だけ。

 

何故自分なのだ。

 

なんで、こんな…!?

 

繋いでくれたはずなのだ。この神機は。

 

越えられないはずだった兄と自分を。

 

なのに…。

 

お前は今更「殺せ」と言うのか。

 

兄を…。この手で。

 

 

 

 

 

 

彼女は神機と共に兄と同様、居住していた支部から姿を消した。

 

 

 

 

 

そして現在―

 

 

 

「…っ?」

 

 

―眠っていたのか。

 

 

少女―ジュートは神機を衝立にし、木の幹に背中を預けて眠っていた体をもぞもぞと揺り動かし、顔を上げる。漆黒の闇の中を彼女の「はぁっ」と吐く白い息が虚空に舞い、暫く消える事が無いほど辺りは極寒である。しかし、体のアラガミ化が進んだ影響か最近は寒暖の感覚が麻痺している。痛覚も鈍くなっているようだ。自分の体が徐々に化物になっていく感覚を覚えながらも彼女は不安に脅えたり、喚き散らす事は無かった。

 

兄を喪った時から彼女は自分を捨てていた。自分の半身、否、それ以上の存在を喪った上にそれを殺さなければならない自分をまともに見る事など正気なら出来る事ではない。その諦観がより彼女の感覚を鈍らせているのだろう。アラガミ化の進行による激痛すらも諦観、物事への頓着の無さは緩和させてしまっているのだ。これが幸なのか不幸なのかも解らない。それすらも今の彼女には興味が無かった。

 

 

「…ふぅっ…ふふっ…」

 

 

再び少女は神機に額を預け、思い出―彼女の人生を反芻した様であった夢をまた懲りずに見てしまった自分に苦笑する。

 

 

光と闇。余りにもコントラストが強過ぎる半生である。一際輝きを放つ自分の映し鏡の様な存在―最愛の双子の兄の姿だけを瞼の裏に浮かべてもう少しの眠りにつこうと再び額を神機に預けた―

 

 

 

が。

 

 

 

 

「……っ!?」

 

 

 

 

 

音も無かった。気配も。

 

 

殺気すらも。

 

 

気付けばそこに「居た」。「在った」。

 

 

 

「彼」は。

 

 

 

ジュートはさすがに驚いた。

一応それなりに修羅場を超えて来た自信、自負は在る。感覚も鈍くなっているとはいえそんじょそこらのアラガミ連中に不意をつかれるほど耄碌したつもりはない。追手なのか自分を保護しに来たのか解らない元同支部に所属した同僚連中、追跡隊を簡単に煙に巻く位の鋭敏な感覚、そして瞬発力は持っている。

それでも全く知覚出来なかった。僅かな違和感に「動く」という反射的行動も起こせなかった。

 

 

「…サクラ殿か」

 

 

自分の額周辺に突きつけられた巨大な砲筒を見る事も無く、ジュートは目を閉じながら薄く微笑む。「参ったな」とでも言いたげに。そして澄んだ瞳を開いて上目遣いに「彼」を見上げた

 

 

「…お休みの所すまないね。ジュート。だけどあんまりこっちもモタモタしてられないんだ」

 

 

その言葉、その瞳に殺気も怒気もない。ただ淡々と作業をする様にジュートの目の前に居る青年―「サクラ」が白銀の神機―スモルトの銃身を一切の逡巡も無く彼女に突きつけていた。

 

「…左様か」

 

 

「何せここは…」

 

「ここは…?何だと言うのだ?」

 

「余りにも寒過ぎるんでね。あまり部下を長くここに居させたくない。風邪をひかせたくないんでね」

 

 

「…ははっ」

 

 

 

 

 

 

ターン…

 

 

 

 

軽快なのか重厚なのか曖昧なほど痛烈な、澄み、乾いた空気を引き裂く一発の銃声が辺りに響き渡る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う…ぐっ…痛っ!?」

 

 

久しぶりに感じるほどの妙な激痛が少女―ジュートの右腕を迸る。まるで神経が繋がった瞬間の如き痺れを伴った激痛に顔をしかめながらアラガミ化した右腕を左手で抑える。左の掌にやや生温かい液体の流れを感じることから彼女は右腕を撃たれたという事だけはどうにか解る。

 

ただし予想以上に痛覚の復活に彼女は面を喰らっていた。

 

 

「さ、サクラ殿っ!?そ、そなたっ…!一体妾に何をしたのだ!?」

 

 

質問と非難を込めたジュートの言葉に「サクラ」は満足そうに頷いて

 

 

「…う~~ん。どうやら効果は在ったようだな。…ノエル。相変わらず君はいい仕事をする」

 

 

「何をしたかっと聞いておるのだっ…!あっ!…痛っうううう!!うぅ…痛いん…」

 

ジュートの疑問の答えになっていない「サクラ」の反応に更に語気を強めて反論したがその反動でより彼女の痛覚が鋭敏に反応する。思わずジュートは彼女らしくない可愛い口調で蹲るように右腕を抱える。

 

 

「…俺の部下が作ってくれた神属性の特製弾丸だ。君のアラガミ化の一時的な抗がん剤の役目を果たしてくれるだろう。ちょっと手荒な緊急措置だけど勘弁してくれ。ジュート」

 

「え…?あ…」

 

右腕が軽い。撃たれた故に当然痛いが不安を感じさせる痛みでは無い。自分の体が僅かながら正常側に傾いた事を知らせる独特の痛みである。

 

「痛みを感じる」と言うのは本当に大事なものなのである。

 

「サクラ殿…一つ聞いていいだろうか?」

 

「ん?」

 

「…何故…妾を殺さない?」

 

「…。利害の一致している相手をわざわざ殺す必要もないだろう?俺は君と同じ目標を追っている。そして君はその目標に対して有効な攻撃手段を持ち、同時に―確固たる意志を持ってる。『自分がアレを止めなきゃいけない』という、ね」

 

「…!!」

 

ジュートは痛々しく眉を内側に曲げた。ついさっきまで夢の中で揺らいでいたと言うのに。本当は殺したくない、と。誰が好き好んで最愛の人を殺せるものか、と。頭では理解していたのだ。でも殺さなければならない。

 

それを「サクラ」は解っている。かつて自分もそのような経験をしたのだから。

 

 

「…誰にも本音、建前は在るさ。どれだけ強く決心したつもりでも、揺らがないと思っていてもふとした拍子にあっさり本音と建前が入れ替わることなんてしょっちゅうだ。でも結局はそこからどうするか、だ。…決めろ。ジュート」

 

「サクラ」はかつて「あの子」に背を押された。最愛の「あの子」に。だから今度は自分が押す。そして決めさせる。かつての自分と同じ境遇に立たされた者の背後に立って。

 

 

 

「先程ヤツを捕捉した。ここからすぐだ。…だから俺は行く。君はどうする?」

 

 

 

「…『利害の一致している相手を殺す必要もない』か…同感だ。そして今や完全に兄上と妾の利害は衝突している。…そうだ。その通りだ。妾の『思い』は変わらない」

 

 

 

そう。『思い』は変わらない。かつて愛した者への『思い』は。

 

それ故に。

 

殺さねばならない。

 

 

 

「妾はそなたと共に往く。いや…付いて参れ」

 

 

 

風に靡く血に塗れた右腕の包帯を口で銜えながらしっかりと巻き直し―

 

 

 

「剣姫」は踏み出した。結わえた紅いリボンを揺らしながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




「…ジュート」

「うん?何か?サクラ殿」

「…覚悟はいいか?」

「何だ…案外そなたの方が臆病風にでも吹かれているのか?…心配するな。妾はもう迷わん。妾が兄上を止めるさ」



ジュートは気付いていない。そう問いかけた「サクラ」の言葉の本当の意味を。


「…ジュート…き―」


尚も何かを紡ぎかけた「サクラ」の言葉を―



――――!!!!!!


ヒステリックな女が甲高い声で叫び、喚くようなヴィーナス原種の物とは対照的な低く、重々しい声が辺りに響き渡ったかと思うと―


ずん


地響きと共に象のような巨大な前足でばきばきと樹林を引き裂き、白銀の世界に蒼白く輝く雷光と雷鳴を轟かせ、アラガミの中でも有数の巨大さを誇るであろう醜悪な体を晒す。歩くたびに多数のアラガミを融合させた結果、各々のアラガミの部位を利用した攻撃形態への流動的な形態変化を起こしやすくする為、常に液状化している体組織がさながら失禁でもしたかのように足元にずぶずぶと拡がっていく。その姿は「ヴィーナス」という美の極致とも言える名が冠せられながらも実際は正常な人間であれば生理的嫌悪しか浮かばない醜悪で悪夢の様な姿の怪物である。
そんな化物を前にしながらも―

「……ああ兄上。お久しゅうございます」

少女―ジュートは頬を染め、今までにない程美しい微笑みを湛えてそう言った。遠く離れ、ただ只管に会いたかった愛しい人と再会した少女の顔であった。


――――!!!!


例えその怪物の頭部―中心に人身御供のように据えられた人間の頃のままの姿の兄が何も答えず、ただ己の前に立つ只の獲物に歓喜した様な奇声だけを上げる事が解っていても。


















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剣姫 3

雷光を遥か凌駕する。

 

「閃光」であった。

 

 

「…っ!!」

 

ジュートは目を思わず見開いた。交戦状態に移ったかつての兄―ヴィーナス変異体の眼の前に立った彼がかつて愛した最愛の妹―ジュートへの容赦ない先制攻撃の予備動作の間に既に青年―「サクラ」はその左後足に位置取り、その踵に巨大な神機の捕食形態を喰らい付かせていた。

 

…!!!

 

ジュートに狙いを定め、巨大な剛腕を横薙ぎに振るおうとしていた変異体は体勢を崩され、目標を目の前のジュートから一瞬で狙いを「サクラ」に切り替える。

二人は元兄妹、双子である。己と僅かながら「同種」に近い感覚を感じ取った故にかつての妹を最初に狙いを定めた変異体であったが彼の中であっさりと優先順位が切り替わる。

 

コイツはヤバイ。

 

と、彼の本能が警鐘を鳴らしていたのだ。

 

実際に

 

 

 

…!!!???

 

 

巨大な変異体の足に喰らい付いた小さな人間が神機と共に黄金の光を放ったと同時、更に自らの体が左足の方向へ引っ張られる。

ヴィーナス種は体こそ異形であるが中心に据える司令塔の部位、御柱のように佇む中心の女神は妙に敵に対峙した際、人間臭く笑ったり、戸惑ったり、怒ったりと感情表現が豊かだ。

 

 

オァオオオオオぉぉっ!???

 

 

この変異体の指令部位も人間が元になった以上、その御多分に漏れず、戸惑いと驚きの表情と声を上げたまま前足で駆けずり回り、抵抗するが―

 

ダメだ。

 

 

引き摺られる体を止められない。よってまた切り替える。この姿勢のまま攻勢に移る。

齧り付かれた左足の付け根に在るオレンジの結晶体から

 

 

ずるっ!

 

ボルグ・カムランの尾部を発生させ、目標目がけて突く。

 

ガガガガッ!!

 

何度も。何度も。

 

 

…!?

 

 

しかし当たらない。立てつづけにカムランの尾の先端は空しく雪を突きあげるだけである。苛立たしげに自分の攻撃で巻きあげた雪により視界が悪くなるのを嫌った変異体は

攻撃を中断。敵の捕捉に切り替えるが―

 

 

…!?

 

「…サクラ殿!?」

 

 

姿がない。その代わりに降り積もった雪の中でまるで土竜でも這っている様に不自然な山がもこもこと盛り上がっている。もぐっているのだ。雪の下を。

その盛り上がりに合わせ、今度は変異体は左足の同じ結晶体から先端が目玉の様になった奇妙な突起物を出す。一見何のための物かは解らないがジュートはこれが何か分かっていた。

 

「これは…!」

 

サリエルの眼玉。貫通力と追尾力に優れたレーザーを放つ部位だ。それが本家より更に極太になって「サクラ」が潜ったと思われる雪の山の轍を目がけて射抜く。

 

ドドッドドド!!

 

射抜かれた場所は轟音と閃光と雪を巻き上げる。最早視界等変異体は気にしなかった。圧倒的物量でこの周囲を薙ぎ払う事を決意。今度は背中の結晶体を発光させる。そこから現れた物は今度はクアドリガの砲台であった。そこから無数のミサイルを上空に射出。周囲一帯を薙ぎ払う。

 

 

「きゃっ!!」

 

 

大爆発と閃光の戦場音楽に包まれた中心でまるで指揮者の様にジュートの兄の姿をした変異体指令部位は己の猛威を誇る様に躍りあがる。それに相応しい多彩で凶悪な火力は雪に覆われた静かな樹林帯を一瞬で火の海と閃光が溢れる戦場に替える。

 

狂った様な笑い声を上げ、自分の戦火に満足するように変異体は夜空を仰いだ後、睥睨するように吹き飛ばされ、蹲ったかつての妹ジュートを見下ろす。

 

「ぐっ…」

 

ジュートはGEがアラガミ化した際の脅威は解っているつもりだった。こちらの攻撃が悉く通りにくくなる事は。しかしコイツはそれだけでは無い。なればこそ今までコイツは再三の各支部から派遣された追撃隊を振りきり、殲滅し、永らえて来たのだ。

基本欧州周辺を活動拠点にする「ハイド」隊の派遣が秘密裏に要請されるほどの相手である。純粋な戦闘能力に関してもケタ違いだ。

 

その証拠に協力者である「サクラ」が一瞬にしてやられた。その事実にジュートは悔しそうに奥歯を噛みしめる。

 

そんな彼女を嘲笑うかのように変異体は更に歓喜の笑い声を上げ、ようやく本来のターゲットのジュートに向かって睨む。巨大なカエルの様な体躯のくせにその視線はまるで獰猛な毒蛇だ。

 

―くっ…!

 

その殺気にジュートの体が固まる。アラガミ化と言う物はかつての愛しい人の笑顔をここまで醜悪に出来るのかと憤りを覚える半面、その姿のみは紛れもない兄の姿。その薄気味悪さが恐怖に切り替わり、背筋に電極を植え付けられた様な怖気が走る。愛機を衝立にしないとまともに立ち上がれないほどに。

 

こうなるともう無駄な暴力、火力は必要ない。蟻を象が踏みつぶす様に歩くだけで事は足りる。変異体は何の変哲もなくただ歩きだした。ジュートに向かって真っ直ぐと。

このまま行けば彼が通過した先には最早何であったか解らない程原形を留めないジュートが残るだけであろう。

 

ただ歩くだけで済むのだ。省エネもいいとこである。

 

 

歩けば。

 

歩けば。

 

歩け、ば…?

 

 

「…!?」

 

 

一向にジュートに向かって変異体が歩いてこない。いや、歩いてはいるのだ。正面から見てもはっきりと解るぐらいに両手、両足をバタつかせている。それでも一向に彼の巨体が前に進まないのである。

 

その異変に指令部位が振り返ると驚愕の光景が展開されていた。

 

 

……!!!

 

 

「もう少し丁寧にな。お前の弾幕穴だらけだぞ?」

 

 

ヴィーナスの巨体の割に妙に短い尾。「サクラ」はそれに喰い付いている真っ黒な捕食形態の神機を片手で握り、変異体の巨体の前進を力尽くで止め、空回りさせていたのである。

 

 

「はっ……!!本当に鬼神かっ…!?そなたは…!」

 

 

ジュートは驚嘆と呆れの入り混じった顔で笑い、同時に「サクラ」の無事に心底安堵した。対照的に変異体は驚嘆と同時に焦り、恐怖の感情すら浮かびだした。振り払う様に喰らい付かれた尾を強引に真上に上げ、引き千切る。その真下には―

 

 

「…」

 

「あっ!!」

 

 

オレンジの結晶体が臀部の中心にも存在していた。ここにも何らかのアラガミの素体を取りこんでいたのだ。その正体は―

 

ずぼぉっ!!

 

寒冷地に生息するグボログボロの亜種―堕天種の頭部であった。

その鋭い牙の生えそろった口内から蒼白い光が発せられる。氷弾だ。これだけの近接であれば外す事は無いだろう。直撃を避けられても氷弾の爆発による効果範囲に充分巻きこめる。

 

 

しかし―

 

相手が悪かった。

 

「サクラ」はその危機的状況にも全く動じていなかった。

 

 

 

「…レベル3―

 

 

 

 

 

 

カーネイジ」

 

 

 

 

 

ぐばあっ!!!!

 

 

まるで対峙するように巨大な黒い捕食形態がグボロ堕天種の頭部の眼前に仁王立ちする。まるで眼前の身の程知らずに力量の差を思い知らせるが如く、巨大な口を開く。その口内からスモルトのブラスト銃身の白銀色の砲筒より軽快な蒼白い光が発せられていた。

 

カーネイジ―直前の捕食行為により入手したアラガミバレットを複数に変換せず、直接全弾撃ち出す荒技である。

 

 

凝縮、練る事は出来ない為、通常のアラガミバレット、レベル4のように「サクラ」が弾種をアレンジする事はできないが単純な威力は―

 

 

 

ピィッ!!!!!!!

 

 

 

 

グボロ堕天の頭部が放った氷弾を一瞬で掻き消し、さらに臀部のグボロ堕天の部位ごと蒸発させるほどのヴィーナスの属性である雷属性を纏った強烈な一撃、一閃―レールガンと化した。シチリア島でスモルトが暴走し、ハイドの他三人のメンバーを襲った際のものと同様であるがその時のヴァジュラより遥かに高い電圧、電圧量を持つより高次のアラガミ―ヴィーナスを喰らった際の一撃で在るが故にその威力は比較にならない。

 

 

 

――――!!!!!

 

 

悲鳴にも似た変異体の咆哮と共に彼の臀部を貫いたレールガンは尚も勢い衰えることなく指令部位の真下まで貫通。指令部位の下部から勢いよく青白い閃光が発せられ

 

 

「…!」

 

 

それがほぼ真正面に立っていたジュートの側面を通過していく。驚愕の表情でその一閃を見送る他ない。それは針葉樹林の森を真っ直ぐに切り裂き、まるで舗装された道の様に綺麗に地形を抉っていく。

 

 

ずずっ…ずんっ…!

 

その許容を遥か越えた一撃に体勢を保つ事が出来ず、地響きを立てて変異体は崩れ落ちる。

 

 

圧巻かつ一瞬だった攻防に目を見開いたままジュートはその光景を作り出した張本人―「サクラ」を見る。

 

 

 

「そなた…」

 

「ん?」

 

「本名を名乗れぬワケだ…圧倒的ではないか…」

 

「…。他にも色々と深い事情がありましてね…」

 

 

「ふっ…一瞬で殺してしまいおって…妾の出る幕など無いではないか…」

 

切なさ、悲しさ、落胆が混じった悲しい口調をし、変わり果てたかつての兄の姿をジュートは眺める。自分の生きて来た意味は何だったのかと流石に気丈な彼女もストンと足が落ちそうになる。しかし―

 

 

「……いや」

 

 

「…え?」

 

 

早計だ。

 

 

未だ顕在の背部の巨大なオレンジの結晶体から再びクアドリガのミサイルが無数に射出され、周囲を薙ぎ払ったのはほぼ同時であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐっ!」

 

「…!?す、すまぬ!!」

 

 

文字通り「剣姫」をお姫様だっこして「サクラ」は爆心地から遠く離れた地点―針葉樹の幹へ着地する。濛々と上がる噴煙と業火の中で巨大なシルエットが蠢いているのが解る。同時に怒りに大地が震える様な咆哮が上がった。余力の充分差を感じさせる。

 

 

「…ちっ…アポトシス―自己破壊因子を最大にして撃ち放ったレベル3のアラガミバレットだぞ…?それでもうあんなに動けるのか」

 

予想以上の攻撃の効きの悪さに流石の「サクラ」も辟易していた。

 

「兄上…っと『サクラ』!すまぬ!下ろしてくれていいぞ!!」

 

「っと失敬」

 

 

 

 

 

 

 

 

「やはり兄上を倒すには妾の神機の力が必要か…しかし、今の妾ではそなたの足を引っ張るばかりだな…本当にかたじけない…己の無力をはじるばかりだ」

 

「どうした?『ついて参れ』って息巻いてた以上根性見せてくれ」

 

「…そなたは結構意地悪だな」

 

「あぁよく言われる」

 

「ふっ…そうか…。…来るぞ」

 

 

噴煙を引き裂いて現れた変異体の司令部位の瞳が二人を捉え、二人が立っていた木ごと周囲を薙ぎ払う。間一髪で避けた二人の姿を尚も捕捉し、巨体を駆使してなぎ倒しつつ二人を追う。

 

「ジュート!」

 

「ん!?」

 

「どうだ!?」

 

「…ようやく落ちつけて来た。闘える。心配するな!!」

 

「よし…」

 

木々を伝い、軽快に走るジュートの姿に「サクラ」は安堵し、敵を見据える。

 

「サクラ殿」

 

「ん」

 

「…ケリをつける。妾が兄上をこの神機で斬って…それで終わりにする」

 

 

「了解。…何か策はあるのか?」

 

「妾はな?兄上とアラガミを仕留める際はおとり役になる事が多かった。逃げて有利な場所に連れ込んで…」

 

「…今回は俺が囮役になればいいのか。その隙に君がアレを仕留める。そう言う事か?」

 

 

「否」

 

「え?」

 

「いつも通り妾が囮になる」

 

「…それじゃあ俺が攻撃する他無いぞ。それじゃあ意味が無い。俺の攻撃じゃあヤツを完全には殺せない」

 

「言ったであろう?兄上は妾が斬る、仕留めると」

 

「…」

 

世迷言に聞こえるジュートの言葉は澄んでいた。瞳にも迷いは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

変異体は追跡を続けていた。そして相手の力量を大体理解していた。正直あの男の神機使いはとても敵う相手ではない。が、幸いにもあの男には自分を確実に殺せる決定打は無い。それもまた事実だ。

つまりジュートを仕留めればあの男は唯一の攻撃手段を喪い、撤退する他ない。つまりジュートさえ殺せれば勝ちなのである。

 

圧倒的に次元の違うあの男をはっきり言えば無視し、ジュートの動きさえ注視していればいい。「一対二」ではなく「一対一」と考えればいいのだ。

 

変異体は完全にジュートのみに狙いを定めた。「サクラ」の牽制射撃を意に介さず、執拗にジュートのみを追跡。背部よりミサイル、カムランの尾を駆使し、ジュートが直撃=必死確定の一撃を繰り出し続ける。

 

「はぁっ…!ハァっ…は、はぁっ…ぐっ…!」

 

それを息も絶え絶え、寸でのところで躱すものの体の各部位を尾の先端で切り裂かれ、徐々にジュートは消耗、目に見えて機動力は落ちる。包帯を切り裂かれ、醜悪になった右腕、悩ましいほど美しい白い肌が露出するがそれも彼女から出た紅い血で覆い隠されていく。

 

最早満身創痍。だが変異体は気に入らなかった。イラついていた。

 

「…」

 

無言で、もはや死に体といっても過言でない彼女の瞳が全く死なず、爛々と輝いている事に。

 

 

ずぼっ!!

 

 

 

ドドッドドドッド!!

 

その怒りが引き金となり、変異体から今まで以上の夥しい数のミサイルが背部より放たれ、ジュートを取り囲むように周囲を席巻、旋回しながら迫っていた。

 

「……!!!!」

 

ぐわっと火柱が上がり、二人が足場にしていた針葉樹林が根こそぎ上部だけ吹き飛ばされる。

 

「きゃあっ!!!」

 

 

「…ジュート!!!」

 

 

弾頭の直撃は避けられたものの、猛烈な爆風がジュートを襲い、吹き飛ばされる。

 

「ぐ~~~~~っ!!!」

 

空中でどうにか体勢を立て直し、白い降り積もった雪の上へ着地するがその反動で体中のキズが一斉に開き、彼女の周囲の地面の雪が真っ赤に染まるほどに夥しい出血をする。思わずジュートは膝をついた。

 

 

終わりだ。

 

 

と、言いたげに変異体はジュートに一直線に迫る。例えもう一人のGEに妨害されようと接近攻撃、同時中、長距離攻撃手段を備えている自分を完全に封殺は出来ない。最早満足に動けない虫の息の一人を殺すぐらい造作もない事だ。

現状出せる全武装攻撃準備は完了している。変異体の用意は万全だ

 

 

「ちっ!」

 

 

タン!タン!

 

両足付け根の二つの結晶体から生えたカムランの尾の先端を「サクラ」の銃撃によって妨害されたが、意に介する事は無い。今度こそただ突っ込めば全て終わる。変異体は歩みを止めることなく、ジュートに突進―

 

 

 

カッ!!!

 

 

 

…!!???

 

 

突然変異体の視界が真っ白に染め上がった。スタングレネードである。これはマズイ。

予想外の手だ。視界を防がれては満身創痍とはいえジュートの攻撃―致命的な神機からの直接攻撃を防ぐのは困難だ。なら視界が戻るまでせめて―

 

 

ぐりん!!

 

 

 

変異体は巨体に急ブレーキをかけ、雪の上という地形のアドバンテージを利用し、ぐるぐると転げ回る。樹木を引き倒し、周囲を薙ぎ払う。これなら的を絞らせないし、無理をして範囲内に入ろうものなら轢き殺せる。

視界が戻るまで僅かな時間を不作法に暴れ回る事によって変異体は凌いだ。後はいち早くジュートを見つけるのみだ。

 

 

どこだ?

 

どこだ!?

 

 

 

ピチョン…

 

 

 

 

…不覚だったな?

 

 

 

 

変異体の上空、真上―そこから紅い血液が滴り落ちている。大量に出血した体を押して上空に跳び上がったのはいいのだが更なるジュートの出血は雨の様に変異体に降り注いでいる。そのせいで自分の位置を悟られる事になろうとは―

 

見上げた変異体の双眸は紅く染めあがった「剣姫」が捉える。今度こそ終わりだ。鞭のようにしなる両足の付け根の結晶体より生えたカムランの二対の尾が剣姫を捕捉、左右双方から貫く軌道に視覚によって修正する。

 

捕捉終了。

 

機械の如く正確に、慎重に軌道修正を終えた。

 

 

その時―変異体の奥底でとある記憶が蘇る。まだ人間であった頃―ジュートの兄がジュートと共に連携してアラガミを狩っていた頃の人間の記憶だ。

 

ジュートの囮役はいつも完璧だった。二人は阿吽の呼吸だった。しかし―それは兄と言う攻撃役がいてこその物。肝心の攻撃手である彼―つまり現在アラガミである自分自身がいなければ全くのムダ。囮でありながら唯一の攻撃の手札を彼女自身しか持てない時点で現状は一対一なのだ。つまり囮と言う行為に何の意味も無い。

 

 

そんなかつての妹の失敗、判断ミスを嘲笑うかのように変異体は剣姫を見上げた。己の勝利を確信して。

 

 

―しかし

 

 

その「事実」に変異体は驚愕し、目を見開く他無かった。

 

 

 

……!!!?????

 

 

血まみれで虚空に浮かぶ少女の瞳はこの絶望的状況に於いて尚も澄んでいた。

 

そう。

 

「少女」だった。

 

ただ只管に己の実の兄を愛した無垢な少女の少し寂しげな微笑みで在った。

 

 

今彼女は「剣姫」では無かった。

 

 

何故なら彼女は兄を、変異体を殺すことのできる唯一の剣―神機をあろうことか握っていなかったからだ。

 

 

予想外の現状に変異体は一瞬の逡巡を覚える。唯一己を殺せる武器の正確な場所が解らないのだ。混乱するのも頷ける。

が、取りあえずジュートだけでも殺しておけば現状当面の危機は回避される事に気付いた変異体は今の自分の行動の優先順位をすぐさま戻す。

 

時間で言えばほんの一瞬。「あれコイツ…あれをどこにやったんだろう。…まぁいいか」程度のほんの僅かな時間だ。

 

しかし―

 

千載一遇の時間を逃した事を変異体が理解するのに余り時間はかからなかった。

 

対峙したそんな両者の前方でその時は既に動き始めていた。

 

 

 

…タン

 

 

 

一発の短い銃声と共に。

 

 

ひゅん!

 

 

どッッッ!

 

 

 

 

…!???

 

 

 

空を鋭く切り裂く音と同時の鈍い突然の胸部への衝撃。変異体は自分の胸部を見る。そこには先程一瞬だけであったが血眼で捜したジュートの神機の姿が在った。それが完全に彼の急所に突き刺さっている。

唖然としながら神機が飛んできた方向へ変異体が視線をやると、神機ブラスト形態の砲筒から煙を放ちながらこちらを無言で見据える青年―「サクラ」の姿が映る。

 

「…」

 

己の胸に突き刺さった神機の柄の部分が少しへこみ、そこから遥か前方に居る「サクラ」の神機の砲筒より延びている煙と同じ煙が僅かにくすぶっているを確認する。

 

 

……!!!

 

 

今ようやく変異体はジュート達の意図に気付く。彼は勘違いしていた。「一対一」では無かった。確実に状況は「一対二」だったのだ。

 

 

―かたじけない…サクラ殿。後は妾の仕事だ。

 

 

ジュート等の描いたシナリオの完成は今―少女が今彼の胸に突き刺さった神機を握り接続した瞬間に達成される。

今は血まみれで心許なく虚空をたった一人で彷徨う「少女」が最愛の兄の手を離れ、別離し、一人の「剣姫」に戻った瞬間に。

 

 

 

 

 

……させるものか!!お前は俺の物だ!!

 

 

 

 

 

変異体は構えたカムランの尾の二対で少女を貫こうとする。

 

 

が―

 

 

 

 

ボン!

 

 

ボン!

 

 

 

 

………!!??????

 

 

 

 

カムランの尾が二対ほぼ同時に爆発、吹き飛ばされた。

 

 

 

―…ふ~~…ちょっとヒヤヒヤした。

 

 

「サクラ」はほっと胸をなでおろす。

 

 

直前にカムランの尾に放った二発の弾丸―それが時間通りに接続した充填爆破によって破裂し、二対の尾を双方吹き飛ばした光景を見て。

 

 

 

 

 

 

 

これで―

 

 

 

「二人」を阻む物は無くなった。昔と同じ。いつも一緒だったあの時と。

 

 

 

でも今は―

 

 

 

 

 

 

―…さらばです。

 

 

 

…兄上。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今―

 

 

少女は「剣姫」に戻り、突き刺さった愛機で兄の胸―コアを深々と切り裂いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




「…」


コアを切り裂かれ、空を仰いだまま動かなくなった変わり果てた兄―変異体の遺骸を前にジュートは無言のままへたりと座り込んでいた。

その背後よりゆっくりと「サクラ」が歩み寄る。

「かたじけない。サクラ殿…お陰で妾は本懐を達成できた。心より礼を言う。後はそなたのしたい様に…いや違うな。どうか…そなたに私の介錯を頼めないであろうか…?最初から最後まで迷惑をかけて申し訳ないが…そなたであれば」

全てを覚悟した瞳で縋るようにジュートは深々と頭を下げこう言った。


「…すまない」

ただ一言「サクラ」はそう言った。

「左様か…残念だ。何、そなたが気にする事ではない。厚かましい願いをした。忘れてくれ」


「サクラ」のその「すまない」という言葉の本当の意味をジュートは気付いていなかった。


「…ジュート」


「うん?」

「俺は…君にちゃんと話していない事がある。だがその前に心して聞いて、そしてしっかりと受け入れてくれ…」


「…?一体どうしたと言うのだ…?サクラ…ど、の…?」


ずるり…


何か不穏な物が動く際の特有の湿り気ある音がジュートの前方より響いた。


―…え?


朽ちた筈のヴィーナス変異体の体が僅かながら動き、まるでジュートにもたれかかるように変異体の頭部―かつての兄の顔がジュートの目の前に至り、こくんと頷くように頭を垂れる。


終わったはずだった。全て。しかし―


剣姫の悲しい運命はまだ全ての秘められた事実を出しきっていはいなかった。


頭を下げる様に、「すまない」とでも言いたげに項垂れたかつての愛しい兄のその後頭部にある光景に―


ジュートは絶句した。


「あ、あ。あ。あ。あああ」


彼女の眼に映ったのは―







まるで映し鏡の様に自分と同じ顔をした少女が逆さまになっている光景であった








「あ…




ああああああぁあぁああぁぁあ!!!」




アアアアアアァアァアアァァア!!!



悲痛過ぎるほどの汽笛のような悲鳴が「二つ」。静かな夜を切り裂く。








「すまない…」


いつの間にかジュートは「サクラ」に背後より抱きかかえられ、再び動き始めた変異体から距離を開けていた。

「な、な、な、な…?」

ジュートはパニック状態だ。腰が思う様に上がらない。声も上手く出せない。瞳には涙が溜まって頭の中にはただ只管一つの単語が馬鹿みたいに木霊する。

「何故」、と。

その間に事切れた筈の変異体の体が正視に堪えない挙動をしながらパキパキと体の組織をパズルみたいに組み直している。逆さまだった少女の顔はそのままにだ。先程までも十二分に悪夢の存在の様な姿をしていた変異体であったが、ジュートにとって、今のその姿は悪夢を超えた更なる光景、酷過ぎる「現実」であった。


「言いだせなくて済まない…ジュート。でもこれは…君が君自身で気付かなければならない事だったんだ…」

「さ、さ、さ…サクラ殿…?」


優しく諭すように「サクラ」の声がジュートの胸の中を駆け巡る。胸の中。心。そして―









……「コア」の中を。









「おもい、だした…」




―妾は。妾は。



ゴッドイーターではない。


そして―












人間では無い。


















―最愛の人を殺せるのは自分だけ。

何故自分なのだ。

なんで、こんな…!?

繋いでくれたはずなのだ。この神機は。

越えられないはずだった「兄」と自分を。

なのに…。

お前は今更殺せと言うのか。

「兄」を…。この手で。




彼女はその日、名前の無かった彼女の神機に名をつけた。

怒り、憎しみ自分の運命全てに対する怨嗟の思いを込め―





「呪刀」と。















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剣姫 4






兄を殺したのは貴方も同然。そんな貴方を、私が使役して私の手で兄を殺せと?

誰のものでもない。私の兄を。私「だけ」の兄を。

貴方は私に巣食う「呪い」そのもの。…汚らわしい。


「呪刀」


…貴方に相応しい名前でしょう?







―そう。妾は「呪い」そのものだった。


…その通りだ。主(あるじ)よ。違いない。


妾は人間では無い。ただの兵器。喰らい殺す為だけに生まれた。それでも―


妾を捨てて置いていくそなた―主の後ろ姿に。

妾の眼の前で化物に変貌してしまったもう一人の主の光景に。

妾の眼の前で変わり果てた姿になった兄に自ら喰われ、取り込まれた姿を眼にして―

…何の感慨も覚えないとでも?


妾は確かに兵器だ。そなたらが作った。


確かに妾は人では無い。




…神機だ。




でも妾は生きている。そなたら二人と触れ合い、共に戦ってそなたらの記憶、想いに触れ―


「心」を貰った。



それ故に辛いのだ。悲しいのだ。苦しいのだ。


それでも妾は…「人」になりたかった。例え本当の己を見失っても、自らの役目を履き違えても。


もう心を持たないただの兵器に戻りたくはなかった。



誰かを愛し、愛され、その誰かの為に生きていく―そんなそなたらの様な存在に妾は―


なりたかったのだ。



 

ジュートをかつて「神機」として使役していた双子の兄妹の兄がアラガミ化し、ヴィーナス変異体になった直後、回収された彼等双子の適用神機―「呪刀」を持って双子の妹が支部より姿を消した―

 

この時、彼女が犯した違反事項は

 

・許可なく支部外に出ようとする彼女を制止したフェンリル職員、整備士の殺傷。

・支部内部にて神機の私的使用とそれに伴う破壊行為。

・腕輪、そして神機に搭載された位置情報送信端末―GPSを許可なく機能停止。

 

その他多岐にわたる。間違いなく極刑は免れ得ない大罪である。

 

 

そこまでの凶行を犯してまで姿を消した彼女の目的は当初―アラガミ化した兄を自分の命に変えてでも自らの手でいち早く葬る為と思われていたが、事実は異なる。

 

彼女はアラガミ化した兄を自らの手で殺す気など毛頭なかった。そして同時に自分も死ぬ気はなかった。

 

最早「人」として兄と共に生きる道は絶たれた。ならば兄と共にアラガミと化して永遠に、共に一体化して生きる事を望んだ。

彼女は望んでアラガミ化したヴィーナス変異体―兄の元へ赴き、そして自らを喰らわせる。正真正銘身も心も愛する双子の兄と一体化したのである。

 

しかし―

 

その前に彼女にはする事があった。アラガミになる以上己が適合した神機はどうしても邪魔になるのだ。次の適合者、若しくは「全ての神機に適合できるアラガミ化したGE殺し専門の神機使い」でも現れればそれはそのままアラガミとして生きる彼女達の脅威になりかねない。

 

極論破壊してしまうのが一番である。

 

だが自らの神機に「呪刀」と名づけるほど己のあまりの過酷な運命のやり場の矛先を全て神機に向けてしまうほど捻じ曲がってしまった彼女はそれでは気が済まなかった。

 

―壊してなどやらない。楽になどさせてやらない。この神機は間違いなく私達を引き離す一因となったもの。許せるものか。これから先、誰にも扱われる事無く、だれにも見つからない場所で貴方は孤独に暮れながらゆっくりと朽ちていけ―

 

そんな彼女の獄炎の如き凄まじい怨嗟はまさしく「現在」の彼女の姿の変貌に相応しいものであった。

 

 

 

ずずずずずず…

 

 

 

ヴィーナス変異体―「反転」。

 

生きた生物の皮をそのまま全て裏返しにでもすればこれぐらいの醜い姿になるであろうか。

 

普段のヴィーナス種の青黒い体皮とは全く異なる赤黒い体組織を体中どろどろと漂わせ、まるで人間の首を力尽くで無理やりに捻る様な思わず耳を塞ぎたくなるような湿ったぱきぱきという異音を発しながら司令塔である中央部位を反転。事切れた兄の替わりに自らが居座る。しかし、兄の体を不要組織とすることなく、両手でまるでマリア像の様に抱きかかえながら忌々しい「敵」の姿を感情こもらぬ瞳で睥睨する。

 

「お前らに私達を引き離させてなどやるものか」、とでも言いたげに。

 

 

 

「敵」―「サクラ」、そしてかつての己のパートナーであり、己が身を焼き尽くすほどの怨嗟の想いを込め、自ら「呪い」の名を与え、捨てた神機―「呪刀」の精神体であるジュートの姿を。

 

「…」

 

「サクラ」に背後より抱きかかえられたまま無言のジュートの今の姿―かつての自分の映し鏡のような姿にこれ以上なくヴィーナス変異「反転」体―

 

「堕姫」は気分を害したようであった。

 

 

キャアアアアアアアッッッッ!!!!!!!

 

 

赤黒い体液を唾の様に撒き散らし、喚き散らしながら心からの侮蔑の感情を一切隠すことなくヒステリックにがなりたてる。

 

 

何故貴様が「その姿」をしている?

 

「人」にでもなったつもりか。ただの道具、ただの兵器が。

 

恥を知れ。汚らわしい。

 

もう死ね。

 

死ね。

 

死ね!!

 

 

 

そんな稚拙で品位の欠片もない罵倒が、例え言葉が話せなくとも伝わってくる狂った堕姫の声がジュートの心―「コア」に突き刺さる。

神機の精神体でありながら自分が「人間である」と誤認識するほど最早人間と変わらない感情を持っている彼女はその罵声によって打ちひしがれる。

 

自らの正体―記憶、そして己と言う存在を無意識のうちに改竄をしていた自分を再認識した彼女に追い討ちをかけるように堕姫は尚もがなりたてる。しかし―

 

「そうだな…そうであった…」

 

心からの自嘲の想いを込めて絞り出すようにジュートは目の前の堕姫に同意し、そう言った。

 

「妾はただの兵器だ…。記憶も兄上への想いも…妹として兄をこの手で楽にさせようとした事も全て…『人』であるそなたの真似ごと…この姿も…この思いも…すべてがっっっ!!」

 

 

ぐっと赤黒く変色した右腕、そして掌で神機「呪刀」―つまり己自身を握りしめる。仮初めの姿―かつての主がアラガミ化する直前の姿をただ具象化しただけの偽りの姿。

しかし、自身を握りしめるその力、そしてその言葉には強い意志が宿っていた。

確かに小さく、か細い。目の前で元人間の主が現在アラガミとしてその何千倍の力、何千倍の喧しい声量を有していると言うのにそれより遥かにジュートの小さな、今も昔も決して人間では無いはずの者の力、言葉の方が余程「人間」の意志、心が通っている。

 

 

「何故であろうな…?悲しいのに、苦しいのに、不思議と心穏やかだ…それが何故なのか…今の妾なら解る。」

 

 

「…例え真実を知っても、己が何者であろうとも何であろうとも変えられぬのだ…!!誰も…妾と言う物を。例え姿形、記憶が全て偽りであろうとも...!」

 

ジュートは美しい顔を上げる。その表情には恐れ、戸惑いなく尚も言葉を気丈に紡ぐ。

 

「主『達』よ。妾の役目はそなた達を屠る事―否。楽にしてやる事だ。それは決して変わらぬ…!!それが妾の責任―そなた達とかつて共に戦った妾の役目だ」

 

 

その為に―

 

 

「サクラ殿…」

 

 

 

ふわりとジュートの背後で「サクラ」は自らの神機を手放し、地に立てかけ、両腕で彼女を包み込む。ジュートは堕姫より眼を離さず、しっかり、真っ直ぐと見据えている。

 

 

……!?

 

 

思わずがなりたてていた堕姫が言葉を失うほどだ。

 

 

「ふつつか者だが…よろしく頼む」

 

 

ふっと微笑んで「サクラ」の右手に触れられた頭をくすぐったそうにしてジュートは瞳を細めてそう言った。

 

「…温かいな。そなたは」

 

己の正体、真実を知った落胆はある。それでも彼女には自分の果たすべき役目を見失うことなく見据えている。人間であることを諦めた目の前の嘗ての主より余程人間臭い。

 

 

―どうか兄上を…否。かつての我が「主達」を―

 

頼む。

 

…楽にしてやってくれ。そなたの「手」で。…サクラ殿。

 

 

 

―解った。…ジュート。

 

 

 

 

ただし、だ。

 

 

 

 

 

「…共に往こう」

 

 

 

 

 

 

(…承知した)

 

 

 

 

 

 

 

ザぁッ!

 

 

 

 

 

一陣の風と共に周囲を舞い散る雪を払い、地を強く踏みしめた青年は立ち上がる。赤黒い包帯が宙に舞う。まるで自分を閉じ込めていた檻鎖から解放され、空に旅立つ鳥の様に。

 

「…」

 

この地に佇むは最早青年ただ一人だ。剣姫の姿は最早どこにもない。

 

しかし彼女は居る。確かに在る。「サクラ」―彼の腕に。掌に。

 

呪われた運命、呪われた宿命、そして呪われた名を与えられようとも彼女の生き様は、心は、想いは、意志は曇りなく今―「サクラ」が携えた神機に余すことなく凝縮されている。

 

 

文字通りの剣姫―呪刀。何と美しい名か。

 

 

 

 

 

(…往くぞ…ついて参れ。サクラ殿!!)

 

 

 

 

 

「ふっ…」

 

 

「懐かしい」感覚に「サクラ」もまた眼を細める。

 

 

右手にはジュート―呪刀、左手には適合神機―スモルト。

神機二刀は久しぶりだ。リンドウがアラガミ化した時、エイジスで交戦した日以来である。

 

正し。

 

「あの時」とは違う。携えた神機も。そして―

 

 

対峙する「相手」の状態も。

 

 

リンドウは自らの意志でアラガミ化に抵抗した。そして新たに生まれたハンニバル侵食種の別人格―真帝が結果的に人間性を保つ楔になり、最後にリンドウの神機の精神体―レンがリンドウがシオによって預けられた右手の抑制コアと同化し、なり替わることであの奇跡が起きた。

 

しかし―

 

目の前の堕姫は違う。彼女は望んでアラガミになった。孤独で寂しい、自らを想う者達を全て捨て、この化物になる事を望んだ。そんな存在が人に戻る事など望むはずもない。己の中に遺る人間の意志の残滓に未練すらないだろう。

 

よって望みはない。既に彼女はアラガミとして生きる事を選んだ存在だ。

 

GEの敵であり人類の敵。…殺す他ない。

 

 

 

 

キャアアアアアアアアっっ!!!

 

 

 

敵意を剥き出しに襲いかかる悪夢の如き現実の存在。しかし、それを断ち切り、切り裂く刃を手に入れた「サクラ」を前にその巨大な体、醜悪な姿、強大な力すらも風前の灯に見えた。気圧され、足がすくむほどの生理的嫌悪感を煽りそうな怪物にゆっくりと、しかし確固たる自信と意志を込め、青年は一歩また一歩と歩み寄る。。

 

…!!!

 

堕姫もまた本能で「感じ取った」のか初めてその巨体が後ずさりする。

 

 

…キャアアアアアアア!!!!

 

 

堕姫は恐怖に慄く自らを奮い立たせるように虚空にけたたましいヒステリックな雄叫びを轟かせる。同時に冷たく乾いた空気、周囲一帯が眩く蒼く放電する。白銀の世界がその光を反射し、一帯が蒼のエネルギーフィールドに包まれる。そのエネルギーを自らの右掌中に堕姫は集中。それを人間臭い動作で雄叫びとともに地に突き刺す。

 

ブ.......ン!

 

すると同時地から空に延びる紫電の雷―否、竜巻ともとれるほど巨大な雷の柱が四つ、彼女を取り囲むように展開される。攻防一体。正真正銘アラガミ―ヴィーナスの最強の技である。

 

 

ハァッ!!!!

 

 

それを堕姫は扇動するように「サクラ」に向けて掌を拡げると巨大な電撃の竜巻はどれ一つ目標の「サクラ」を見失うことなく、意思を持っているかのように四方を取り囲むように展開、目標の「サクラ」目掛け、その距離をじりじりと詰め始める。

 

今の堕姫にとって彼女のかつての神機―呪刀を手にした「サクラ」こそ悪夢のような存在。その姿を見る事ですら恐怖そのもの。醒めない悪夢を打ち消すように、消し去るようにただ人を捨て、手に入れた圧倒的暴力を見境なしに振るう。

 

 

「…ジュート」

 

 

「サクラ」はそう呟き、重心を下げ、懐に呪刀をしまいこむように低姿勢で構えた。

居合の体勢である。

 

地面の雪をざりりと強く踏みしめる。美しい轍と共に更に「サクラ」の体の重心が地に下がると同時に―

 

 

―ジュート…「くれ」。

 

 

ズオっ!!!

 

 

「サクラ」―LV3解放。裂帛の金色のオーラが周囲に放射状に拡がっていく。

 

 

 

「段階」を上げた「サクラ」はそのままの姿勢で飛び上がる。四方を取り囲む蒼白い雷撃の暴威に全く逡巡することなく。

 

彼の中でジュートが叫ぶ。

 

 

(斬り裂け!振り抜け!―断ち切れ!!)

 

 

 

ジュートの力強い鼓舞の言葉と共に居合一閃―鋭い閃光が真一文字に迸る。

 

 

 

 

……!!!!!

 

 

 

 

「サクラ」を取り囲んでいた四つの雷撃の竜巻は一瞬で中ほどより真っ二つに切り裂かれ、掻き消された。それを目の当たりにした堕姫は人間性を喪った眼を見開く他無かった。彼女にとっての悪夢は消え去らない。確固たる現実として尚健在である。

 

悪夢のような存在を消し去る為に、もう一つの悪夢は生まれた。悪夢を終わらせる為に。

 

 

(サクラ殿…)

 

 

―ああ。もう終わらせる。

 

 

「サクラ」は切り裂いた雷撃の蒼い帯を、刀身に纏ったままジュート―呪刀を投擲。それは自分の最大最強の技をあっさりと砕かれ、自失状態で完全無防備の堕姫の胸に深々と突き刺さる。

 

 

……!!!

 

 

堕姫の体の力が抜ける。がくがくと震える両腕に力が入らず、必死に抱いていた既に動かない兄の体を取り落とす。

 

…!…!

 

その時初めて、堕姫の人間性を喪っていた表情に初めて感情の灯が灯る。

堕ちていく愛する兄の体に縋るように右手を延ばした、が…

 

 

ばくん!!

 

 

その兄の体を真下から白銀の神機の捕食形態がまるで深海から獲物の群れを呑み込む鯨の如く喰い上げる。

 

神機捕食形態―昇瀑。

 

最愛の兄を目前で掠め取られ、自らの右腕が空しく虚空を掴んだ感触に茫然自失のままに堕姫は力なく空を見上げた。そんな彼女を脆く見下ろす「サクラ」の視線に―

 

ウ…アァアアアアアアアッッッッ!!!!

 

再び堕姫は怒りで我を失い、怪物に立ち戻る。 

 

 

 

―そう。

 

怪物は怪物らしくしててくれ。そうじゃないと。

 

…鈍りそうになるから。

 

 

 

 

堕姫―狂乱状態で両手掌内に巨大な電球玉をこね回しながら形成。直径が瞬時に四メートルほどに膨れ上がった高電圧の雷球を上空に居る「サクラ」に向け撃ち放つ。

 

返せ返せ返せ!!!!!!

 

―...もういいだろ?いい加減兄さんを解放してやれ。そして―

 

自分自身もな。

 

 

っくん…!

 

神機スモルトは変異体の一部―兄の亡骸を奪って喰らい咀嚼。

 

今。「サクラ」は条件を満たした。

 

 

LV3後の捕食―「Lv4 ff フォルティッシモ」解放。

 

 

白銀のオーラが放つ閃光が暫時一帯を昼の様に眩く照らし出す。

さらに圧倒的に開いた彼我戦力差。「サクラ」は白銀となったスモルトの捕食形態をLv4の研ぎ澄まされた感覚の中でスローモーションの如く鈍い雷球に向け開口。突っ込んできた雷球に―

 

ガッ!

 

喰らいつかせた。まるで犬の口内で変形するゴムボールみたいに圧倒的なスモルトの咬筋力が堕姫の雷球を彼女の淡い希望とともに―

 

バチュン!!

 

難なく噛み砕く。

 

 

....! ~~~...!

 

すべての詰め手をかつての神機、そして想定外の敵の戦力上昇とその神機の圧倒的、理不尽とも呼べる暴威の前に封殺された堕姫の両手がガクンと落ちる。

 

 

…何故だ。

 

何故。

 

お前らが私達を引き離す権利などないのに。

 

何故お前らは邪魔をする?

 

 

忌々しそうに唇を噛みしめながら堕姫は対峙した「サクラ」、そして次に自らの胸に突き刺さっているかつて己が扱っていた神機を睨む。

 

 

ジュートは応えた。ほぼ大半が喪われた元主の人の心に「直接」語りかける様に。

 

 

 

(…主達が。

 

どれ程愛し合っていたか、どれ程お互いを必要としていたか。そなた達と共に闘い、そして、そなたに「成っていた」妾には痛い程解ります。

 

でも人としての道を違えたそなたに...最早人の道理を語る資格等在りはしませぬ。)

 

 

 

―今度こそ―

 

 

さらばです。

 

 

我が主達。

 

 

 

 

 

 

 

元々人ではない自分が人の道理を語る等おかしな事だと内心ジュートは笑う。理不尽かつ蒙昧も良いところだと。

 

でも。

 

そんな不都合もいいだろう。

 

そもそも我が名は「呪刀」だ。「呪い」と言うもの自体が何時の世も理不尽、不都合なことに変わりはない。しかしそれは常に共に在り続ける。時代、人と共に形を変えて。

 

 

呪い、恨み、憎しみもまた―人の証。

 

 

 

 

(良き名を与えてくれた事を心より―

 

 

「御怨み」申し上げます。

 

 

主よ…)

 

 

 

堕姫の胸に突き刺さった神機を再び「サクラ」が握り、接続する。しかし堕姫の眼に映ったのは「サクラ」では無く、一人の少女が神機に手を取る姿であった。

いや、最早己よりより遥かに人間としての心を持った人間では無い者の姿だ。

 

神になろうとした人間と人間になろうとしたた神。

 

全く対照的な道を選んだ両者の姿は完全に道が分かたれた今でも奇しくも映し鏡であった。

 

 

 

 

剣姫と堕姫。二「人」は向かい合う。

 

 

 

 

 

―共に。

 

 

 

往きましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今度こそ本当に事切れ、夜空に向かって霧散化するヴィーナス変異体の中でぽつりとった一つの神機が浮かび上がる。

 

その姿はすぐにピンと背筋を正した一人の少女の後ろ姿に「サクラ」の眼の中で切り替わる。微笑みながらその少女は振り返る。

 

 

 

 

―終わったか?

 

(ええ。今度こそ。そして―…妾の役目も)

 

少し困ったように眉を潜めて少女―ジュートは笑った。呪刀の中心―オレンジのコアが鈍く力なさげに光るのと同調するように。

 

 

(元々…妾の限界は近かったのだ。その上少々放置された期間が長過ぎたようだ…最早喰らったオラクル細胞を己の生命維持に変換する事も出来ぬ程…)

 

 

剣姫の腕は既に向こう側が見えるほど透いてしまっていた。そこに神妙な面持ちの「サクラ」が映る。

 

―…。

 

(主と共に妾はここで朽ちようと思う。…これ以上そなたの手を煩わす事が無い事が唯一の救いと言えようぞ。サクラ殿)

 

―…ジュート。

 

(そなたには頼み事ばかりで悪いがこのまま…妾をここで眠らせてくれ。所詮このままそなたに回収され、フェンリルで新たな神機として生まれ変わっても今の妾ではない別の存在になってしまっているのだろう。…また全てを忘れ、ただ何かを殺し、そして妾を手に取った者をまたアラガミにして不幸にしてしまいとうない…)

 

ジュートは歩き出す。

 

(人も時代も変わっていく。その中で神機は徐々に人に適合していった。そなたとそなたの神機を見れば解るぞ。人と神機の垣根は着実に狭まっておる。もっと神機は人と寄り添い、適合した主をアラガミ化させる不幸を減らしていくであろう。その時に妾の様な出来そこないの時代遅れの存在はもう…不要なのだ。)

 

 

 

…。

 

 

ジュートの言葉を聞いている際、「サクラ」だけでなく妙にスモルトが静かであった。戦闘後、そしてLv4後の異常な興奮状態に陥るはずの自分を抑え、「同族」の言葉に静かに耳を傾けているようだ。

 

 

 

そんな彼女の一言一句を噛みしめるように眼を閉じていた「サクラ」が頷いて、戦闘時とは異なるやや幼い瞳で微笑み、消えかかる剣姫―ジュートを見てこう言った。

 

 

 

 

 

 

―ジュート。

 

 

 

(…うむ?)

 

 

 

―人は人として生まれたから人になるんじゃない。

 

 

 

 

(サクラ殿…?)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―例え人とは違う者として生まれようとも人になろうとした、そして人と関わり、労り、想いあった人の「心」を持った存在は「人」であると俺は今までの経験から思っている。俺はそんな奴に逢ってきた。

 

 

 

 

君も間違いなくその一人だ。ジュート。

 

 

 

 

…胸を張れ。前を向いてくれ。俺は君と共に戦えた事を誇りに思う。神機として、人として君を尊敬する。

 

 

 

 

―心から。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(…かたじけない。

 

 

 

いや。

 

 

 

ありがとう…)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




「…おかえり」

「…!まだ起きていたのか?『レイス』…」


ロシア支部郊外―「ハイド」の仮設居住区にて音もなく戻ってきたつもりの「サクラ」―否、エノハを「レイス」が腕組みしながら迎え入れる。確実に何か物言いがありそうな視線がエノハに突き刺さる。


「で、何してたの? お兄」

「…いや…いつもの通りちょっと高い所から支部を眺めてたんだ。昔のままの原風景のロシアの街って凄い綺麗なんだな。極東支部にいた頃にアリサにもっと話を聞いとくんだったよ」

「ふ~~~ん」

「…」

「私らもうここに用はないね?は~~良かった。相変わらずアナンが『ここ寒過ぎ。外出たくな~~い』ってグダグダいい加減うざかったから丁度良かったけど」

「レイス」は「ここ」での自分達の任務が終わった事を既に理解していた。確かに「ハイド」の目標―ヴィーナス変異体をエノハが仕留めたことでこの僻地にもう用はない。エノハの口から直接聞かずとも「レイス」は既に理解していたのだ。

「…気付いてたのか」

「…お兄さ。普段インカムで自分の事『サクラ』って言わないでしょ。傍に誰か身分を隠さなきゃいけない人が『居る』、若しくは『居た』時以外は」


エノハは驚いて眼を見開き、そんな断片的情報のみで看破した聡明な「レイス」を誇らしげに見る。

「…成程ね。初っ端から俺はミスっていたわけだ」


「おみそれしました」とでも言いたげにエノハは両手を掲げ降参のポーズをしつつ、室内に入り、仮宿に設置されたソファにぼすっと顔を埋めた。

「…」

「レイス」はもうそれ以上彼を問い詰めなかった。彼の真意を知っているからだ。

エノハはきっとアラガミ化した「元人間」とは言え自分達ハイド・チルドレン四人に「人を殺す」手伝いをさせたくなかったのだろう。


曲がりなりにも彼は既に経験している。元人間、しかし化物に形果てながらも「人の心」が通った存在を。
ソーマ―親友の父―ヨハネスを殺した経験を。
それも彼が最も人間臭く、自分の本音、自分達子供らの未来を心より想う言葉を聞かされた直後にだ。
確かにあの時生物学的には彼は最早人間では無かった。しかし、ジュートと同じように自分以外の誰かを心より想う存在―それは即ち紛れもなく「人」であると認識していた存在を生きる為に自らの手で葬ったこと。これを「人を殺した」と言わず何と言おう―と彼は考えている。

この経験を彼等に背負わせたくはなかった。そして今回の特殊なケース、該当アラガミを葬る為の唯一の手段の神機、そしてその精神体が悲しき運命故に背負ってしまった業を自らの特殊能力で垣間見たエノハは自分一人だけで出撃することを決めたのである。

そんな彼にかける言葉を失った優しい死神の少女はうつ伏せになったエノハの背中に耳を添え―



「…一人で抱え込まないで。お兄」




そんな健気な言葉を紡いだ少女の銀髪を優しくエノハは撫でる。











翌朝―


ロシア支部は快晴だった。「ハイド」は支部より少し離れた小高い丘にてナルの迎えのヘリが快晴の青空の下、ゆっくりと降下し、着陸する。アナンは嬉しそうにこの極寒の地から逃れられる事を喜びながらいち早くヘリに飛び乗り、迎えに来たコクピットに座るナルの首元に縋り寄って猫の様にゴロゴロと喉を鳴らして暖を取る。それを見てリグがうんざりと、そして苦笑いの表情のノエルがそれに続く。


「お兄」


「レイス」が未だヘリに背を向け、快晴の空に映える眼下の真っ白に雪化粧した樹林帯を見下ろすエノハに声をかける。


「行こう」


「…ああ」


「レイス」の言葉に頷きながらエノハは左手を背後に居る「何か」に向けて手を振る様に軽く掲げた。






―じゃあ。…ジュート。






…おやすみ。












…ありがとう。



サクラ殿。いや―





エノハ殿。





そなたの事は決して忘れぬ。








…然らばだ。











剣姫の髪に誂えられていた桜色のリボンが風に乗って空高く舞う。









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まとめ +ちょっとした裏設定

対戦アラガミ

 

 

グボログボロ

 

 

「主」

 

 

「レイス」の故郷―S共和国の跡地に拡がる風光明媚な湖を根城にしていた個体。

自分のテリトリー内に「レイス」を引きずり込んだ上、そのアドバンテージを生かす知性と戦法を駆使したかなり強力な原種個体でもある。

 

今作初の純粋な水中戦の相手であり、機動と攻撃を兼ねている「レイス」の鎌の独特の戦法と相性がいいのではないか、と当初は「レイス」の過去エピソードだけで終わらそうと思っていた話に突如「レイス」が故郷を取り戻すためのタイマンの相手に抜擢。

原作よりかなり強めに設定したお魚くん。

 

 

 

 

マルドゥーク

 

 

「大神」

 

 

原作ゲームの「GE2」のメインアラガミであり、本作が原作のGEと連動している事を示す2主人公―伊藤 エノハの登場と共に現れた初対戦アラガミ、もとい「ワンちゃん」。このアラガミもまた原作では乱戦上等の特殊能力持ち故か単体ではホント悲しいほど弱いのが不憫なコの為、この作品では単体でもかなり強めの設定にしてあり、2主人公であるヒロインを初遭遇時、戦闘不能に貶しめる。

 

原作ゲームの彼の最強の技―「右腕のスタンプ」が某漫画の抜刀術の超強化版―天〇龍〇(いや、むしろカ〇ヅ〇か?)並に昇華。最強の「お手」として2主人公を襲うも彼女が覚醒したブラッドアーツ―「ラインドライブ」によって左目を切り裂かれ、不覚を取る。が、同時に彼女に興味を抱き、これから欧州から極東まではるばる彼女をトコトコ追いかける事を考えると、なんかどこか可愛い忠犬。

 

 

 

 

外章 クリムゾン・タイド

 

 

 

元々「アラガミ同士のガチンコバトル」を書いてみたい、と思っていたので結構前々から計画していた話。元々のタイトルは「紅二点」。

 

対戦アラガミに選んだ二頭は相反属性、戦法、特徴や体色など謀ったように「対」になっている為、あっさりと決定しました。この作品にしては珍しく登場キャラクターが全員原作キャラと言う珍しい話となりました。最強アラガミ二頭の完全な頂上決戦であり、その戦闘規模、破壊規模は作品内では現状断トツ。

 

 

 

クリムゾン・タイド 裏設定

 

この作品では「敵が強ければ強いほどそれに合わせて戦闘力を増大させていく」という力をこの二頭は持ち、主に進化し過ぎたアラガミを含む全生物を「粛正する」立場として存在。

 

この話では摩天楼マンハッタンを支配していた父祖―固有種版ディアウス・ピターを進化し過ぎた個体として粛正する為に二頭同時に現れた形となります。粛正者が単体であれば粛正後に結局、粛正役の異常な個体が頂点を席巻してしまうので本末転倒。故に対の存在が常に必要となります。それがこの話の主役の二頭と言う設定です。

 

潰しあいの結果「対消滅」を行う様に「設定」された地球意志が生んだ二つの究極生命体。要するにアラガミでありながらアラガミすら超越した個体であり、最終的な両者の最大戦力は正直人間、GE、ハイドやブラッド「如き」では相手になりません。

 

 

 

「スカイ・クロラ」のティーチャ―をイメージしています。

 

 

 

 

ルフス・カリギュラ

 

 

「熾帝」

 

 

「対」のアラガミの内一体。

「G・E・C2」の序盤に登場した個体と同一個体。つまり原作ゲーム「GE2」のケイトとギルを襲った個体である。ニュードバイ近辺の砂漠地帯でエノハと邂逅する前のルフスであり、戦闘力は相も変わらず絶大。おまけに相対した相手が「奴」である為、性質上その戦闘力は端からほぼ全開状態と手に負えない。

 

一時はその圧倒的な戦闘力で対存在のはずである「奴」を完全に沈黙させるなど、地球意志の「理」の外を行く圧倒的な力を見せるが結果、その強さが対存在の更なる昇華を招き、ほぼ互角となった後、結果分ける。

 

しかし―対消滅することなく、お互いの意志を以て戦闘を止めたことから彼の存在、そして自我は既に地球意志の理の外に在るのかもしれない。

 

 

「GEC」の登場アラガミの中で唯一、同一個体として二回目の登場、二回目のバトルに参加させる程筆者お気に入りのアラガミ。

 

 

 

UNKNOWN

 

 

「赤斑」

 

 

摩天楼に現れた「対」のアラガミの内もう一体。「転生」後は言うまでもなく「アレ」。獄炎の金色の炎を操る紅い体色を持った最強のアラガミ。

 

演出上詳しい描写は避けたのですが転生前は中国の想像上の生物―「麒麟」に近い形状をしており、頭も上腕に二対と双頭のアラガミ。転生前のルフスとの接触時、彼の体に喰らい付いた事によってルフスの祖であるハンニバル因子を摂取。結果急速な代替コア再生速度を手に入れて絶命後に転生。司令塔となる三つ目の頭部を手に入れてより強大なアラガミと化す。

 

転生前は両腕部に頭部が付いており、その部位で「咬む、殴る、突き刺す、炎を吐く」と全ての攻撃行動を司っていた為、構造上どうしても視界のブレや方向感覚のズレを生む。その為ルフスに後れを取ったが転生後は中央の首が司令塔の役目―脳を司っており、より強力で精密、精確な攻撃行動が出来る様になったと考えられる。接近戦の指し合いではルフスを上回る可能性すらある。おまけに牙には強力な神経毒が仕込まれており、時間さえかければルフスすら一時行動不能に陥らせるほどの猛毒である。

 

マンハッタン全域を壊滅させるほどの金色のブレスを放ち、それを収束させて長距離射程の強力なレーザーを放つなどまさしく規格外。

 

彼も地球意志の「理」によって生まれたアラガミ以上の存在であるが同時強固な「我」を持っており、マンハッタンが力のぶつかり合いによって「ゼロ・グラウンド」になった後は対存在であるルフスを攻撃することなく、背を向ける。

 

 

…転生「祝い」に羽目外し過ぎて嘔吐。結果マンハッタン全域を焼き払う迷惑な酔っ払い。ある意味彼の後につけられる名称―「〇〇〇」に相応しいか。

 

 

 

原作ゲームでは色んなBA、武器種で戦える非常に面白い出来のアラガミの為、このアラガミも筆者大好きです。次回作があるなら厄介な固有技を引っ提げて帰ってきて欲しい。

 

 

 

この二頭、「GEC」の作中ではシオとソーマ(第一部隊)、エノハとリッカ、「ハイド」とイロハ、レンカとイロハなど再会を望む連中が多い中、「再び殺しあう為に再会を望む奴等」という異色な連中。

 

 

 

 

 

外章 剣姫

 

 

久しぶりに「エノハが中心の話を書こう」とエノハの固有の神機とその精神体との特殊感応能力を前面に押し出した説話。同時にかなり切ない話を書いてみようとも画策。

 

そこでGEの中でも結構重た目の設定である「GEのアラガミ化」。それと双子のGEってそういや居ないな?その場合二人とも同じ神機に適合する事ってありえるのか?と、言う前からの筆者の疑問を素に出来た説話です。

 

 

 

 

ジュート

 

 

 

「剣姫」 「呪刀」

 

 

「妾」や「かたじけない」など古風な語り口調と江戸時代の侍のような着物に身を包んだ時代錯誤ながらも美しい剣姫。その風体に違わず、誇り高く、気高い凛とした少女。同時に優しさ、強さ、聡明さも持ち合わせた優秀なGEでもあるが、時折少女としての脆さや弱さを垣間見せる。第一世代神機―「呪刀」を操り、アラガミ化した最愛の双子の兄を殺す為に極東ロシア支部周辺、針葉樹林帯―タイガの中を彼女もまた半身をアラガミ化に侵されながら彷徨い歩いていた。

 

その正体は神機「呪刀」の精神体。

謂わばリンドウの神機に宿った精神体―レンの同属の存在であるが、エノハと初遭遇時には完全に自分を人間であると思いこんでおり、神機(の精神体)で或る事を忘れていた。後述の兄のアラガミ化した姿―ヴィーナス変異体を沈黙させた後に己の存在の真実と同時、末路を悟るがそれでも心は折れなかった。

 

自分の正体に気付いた後は神機としてエノハと適合。「反転」したヴィーナス変異体であり、かつての主であったアラガミ化した双子を自らの手で斬り裂いて終止符を打った後、万感の思いの中で事切れ、機能停止、消滅する。

 

 

 

見た目やモチーフは小説家 池波 正太郎原作の時代小説「剣客商売」に登場する麗人剣士―佐々木 美冬です。

 

 

 

ジュートはオリジナルキャラですが「呪刀」はゲーム原作にも実際に登場する刀身です。切断が高く、見た目も如何にもな「THE KATANA」風であり、更にスキルも優秀、IEも特殊仕様、おまけに色替えの種類も豊富…と、なんか妙に優遇されている刀身。

 

読みが「ジュトウ」なのか「ノロイガタナ」なのかは実は筆者知らなかったりする。

ちなみに更に改造すると2RBでは名前が「怨刀」になる。しかしこれまた「エントウ」なのか「オントウ」なのか、はたまた「ウラミガタナ」なのかは知らない。

 

 

 

 

オント&エント

 

 

 

作中では名前は明かされないですが「呪刀」に適合した双子の兄妹の名前で在り、兄「オント」、妹「エント」と名前だけは設定していました。

 

 

そもそもこの話の構想段階ではジュートは神機の精神体では無く、実際に妹のエントがエノハだけではなく、「ハイド」に出会って同行し、変異ヴィーナスと闘う予定でした。

 

さらに構想段階のその先では双子の妹のエントは当初は決定稿のジュートと同じように気高く振舞い、ジュートと同じ兄を殺す目的で「ハイド」に協力を要請しながらもアラガミ化した兄と相対した瞬間に豹変、狂った本性を現してエノハ達の眼の前で自ら兄に喰われ、アラガミ化するという結構イカレポンチなキャラでした。

(おまけに妹と言う新たな素体を吸収した直後の体組織の再組成の段階で一時的にアラガミ化した神機使い特有の防御能力が極端に弱くなり、「ハイド」に付け入るスキを与えて倒されると言う間抜けっぷり)

 

しかし、「久しぶりにエノハを物語の前面に出す」という方針と、わざわざ「ハイド」を連れていってまで「目の前で自分が喰われる姿を見せる」のは不自然かと考え、ジュートを「かつての主のエントの姿を象り、結果、自分を人間と誤認識してしまった神機の精神体」とし、エノハにだけ知覚できるキャラにして「ハイド」の他のメンツを物語から完全に排除する形に落ち着きました。

 

 

ちなみに何故ジュートが古風な語り口調プラス着物姿なのかと言うと兄妹が人間の時、自分達の神機の他の神機とは一味異なる独特の「和」の形状に魅いられ、日本文化―旧時代の時代劇の映画、ドラマ等の映像資料等を見た結果、侍や着物、時代劇の独特の口調などを意識していた結果のイメージの具象によるもの。

 

双子の兄がアラガミ化するまでは「神機使いと神機」として比較的、良好な関係であったことが伺える。

 

 

 

対戦アラガミ

 

 

 

ヴィーナス変異体 

 

 

 

「変異体」→「堕姫」

 

 

 

兄オントがアラガミ化し、後に妹のエントが自らそのアラガミに喰われ、同化した姿。

まさしく「同化してるぜ!」なアラガミ。

兄が中央の指令部位前面に出ている時は主にゲーム原作のアラガミ―ヴィーナスの体の各部位にちりばめられたアラガミを顕現化して攻撃する戦法を取り、反転後の妹が前面に出ている時は雷撃を主とした攻撃を行う。原作同様攻撃は多彩で範囲も広く、おまけにGEのアラガミ化後の姿である為、通常の神機の攻撃が非常に通りにくいという厄介な性質を持ったアラガミ。

 

素体となったGEである二人が人間の時に望んでいた「兄妹で永遠に共に在る」ことをある意味叶えた形態である為、リンドウがアラガミ化した際の様に奇跡的に人間に戻る事に関しては全く期待できない状態であり、よって殺すしか方法は無かった。

 

アラガミ化しているとはいえ厳密に言えばソーマの父親であるシックザール元極東支部支部長以来、エノハが直接的に殺した2人目、3人目の人間でもある。

 

 

 

 

 

 

 



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インビジブル
















 

 

 

 

 

 

 

 

薄暗い、地の底のような地下室の一室。

 

「ぶっ!うぶっ…!」

 

鉄臭い、口内を覆う不快感を男は現在口をゆすぐことも、拭うことも出来ない。なぜなら彼の両腕は彼の口内よりさらに鉄臭い鎖によって縛られ、彼の上体はさながら「磔」にされたような姿勢になっているからだ。おまけに膝こそはつけさせてもらっているものの、彼の両足首にもまた枷がつけられ、全く以て加減、容赦の感じられない黒く丸い重しが枷に繋がれた鎖の先に施されている。あたかも「別に動いてもいいが枷が足首の肉に食い込んで壊死するだけだぞ?」と言わんばかりだ。

 

そして何よりもこの薄暗い空間を覆うこの臭い。敢えてここに来た人間を最大限に苦しませるために「前回の獲物」を凌辱した時の状態のままにしてあるのだろう。鎖も足枷も人の血、脂、そして恐らく糞尿の類で常人には耐え難い腐臭を放ち、不衛生なことこの上ない。こんな空間に両腕、両足を繋がれ、おまけに顔の輪郭が変わるほどの暴力を体中に施されたとしたら傷口から質の悪い感染症にかかって一発であの世逝きだろう。

 

つまり―男にここまで理不尽な仕打ちをする以上、「連中」にとってこの男の末路はすでに決まっているようなものなのである。ただひと思いには殺さずここまで回りくどい拷問をする以上、連中にとってこの男はほんの僅かながらではあるが生かしておく理由があるという事である。その証拠に鎖に繋がられた男は―

 

 

「だ、大姐(ダージェ)…。お願いですから…俺、と協力してくだ、さい。貴方、たちの力が必、要なんで、す」

 

 

俯き口から糸のような粘つく血を吐き出しながら息も絶え絶え男はそう言った。その言葉に―

 

 

「…。その状態で話せるとは中々骨のある男のようだな?このような形で出会うことが無ければ部下に欲しいぐらいだ。だが…残念ながらお前は大きな勘違いをしているようだ」

 

 

がりりと地面を削るような音がする。その正体はこの声の主が鎖につながれた男に椅子に座った状態のまま詰め寄った音であった。男の息も絶え絶え、漸く吐き出した言葉に何の感慨も覚えない口調でなおもこう続ける。

 

「お前に我らと交渉する資格などないのだ。それを理解し、ただすべての事を話せ。さすれば今すぐにでも楽にしてやる」

 

男を取り囲む空間とは全く不釣り合いな程、均整の取れた艶やかな女の声。しかし、その口調、内容と共に全くの譲歩も感じられない。この二人の間で現在敷かれているものは「対話」、「交渉」の類ではなく、一方的な「拷問」、「詰問」であることに疑いようはない。

 

 

「姐さん…もういいでしょう。コイツから聞くことなんてもうないです。さっさと殺して海に捨ててきますよ。…ここは臭くてたまらねぇ。あんま長くいると姐さんのお体にも障りますぜ?」

 

その女の傍らで低く、重い声も響く。

 

「…おだまり。あんまり短気起こすんじゃないよ。まずは聞き出すこと聞き出してからだ。この男がなんで『ヤツ』の事を知ってんのか聞き出してからだよ」

 

その女は傍らに居る男に鋭い口調、そして吊り上がった視線を男に向けて一喝する。しかし縛られた男には聞こえるか聞こえないかぐらいの囁くような口調でこうも語りかける。

 

「…『次』にいくよ。…思ったよりこの男骨があるみたいだね。単純な体への暴力だけではダメなようだ。…塩漬けか、針山か…はたまた…?」

 

「…姐さんも好きですね」

 

男は呆れたように笑う。しかし女に向けた目にやや好奇に満ちた気色が混ざり、歪む。「まんざらでもない」という態度だ。すでにこの男自身もこの目の前の男をただ殴る、蹴るだけの拷問に飽きていたようだ。少々「趣向」を変える必要アリと感じたらしい。

 

 

「どうだ…?今の内に話した方が楽になれるぞ?ここまで耐えたお前にこれ以上の仕打ちは私も忍びない…」

 

一転優しく語り掛けるように女はさらに詰め寄り、俯いていた男の顎をくいと指先であげる。変形し、腫れあがった瞼の下の薄く開いた男の瞳に美しい女の姿が映る。

 

「せめてもの情けだ。最期に美しいものを見て逝け」

 

東洋系の顔立ちに、漆黒の艶やかな髪。整えられた細い眉に吊り上がった瞳、端正でどこか高貴さも伺える顔立ち。だが、さながら「遊郭」「遊女」のような毛風も混ざる。

 

何故なら顔を上げさせられ、目をひらいた男の目の前の女は現在全裸であったからだ。その白い肌、艶めかしく同時比率、均整の取れた豊沃な肢体を現在、申し訳程度に覆い隠しているのは、おそらく彼女の為に誂えられたであろう東洋的な装飾を施された椅子の背板のみだ。一切何も衣服を着用していない。その背板が彼女の胸、肩甲骨、…そして秘部を悩ましいほどに覆い隠している。

 

彼女は拷問の際、常に「獲物」の前でこの姿になる。拷問を受けながらも目を奪われるほど美しいその姿に、死を目前にしながらも人間、いや生物の本能というべき「部分」が劣情を催す姿を見るのが彼女の楽しみなのだ。

人の命が、希望が燃え尽きる直前、自分の美貌に絶対の自信を持つ自分の姿を「獲物」に見せつけ、ほんの僅かにの「獲物」の命の火が盛り、人間のより本能的な部分、少し爛れた生への希望―とでも言えばいいだろうか、そのようなものが僅かに息を吹き返す瞬間を見る事―これが溜まらない。そして其のわずかに灯らせた「獲物」の命の灯を自分の手で再び吹き消すのもまた最高に溜まらない。彼女の悦楽の時だ。

 

「最後に聞こう…お前が少しでも正気の内に。恐らく次の拷問にはお前の精神が耐え切れないだろうからな?さぁ?全てを話せ。大丈夫だ…話せばお前はすべて楽になるのだから…」

 

「お…」

 

「む。何だ…?」

 

 

 

「お、願いです、大姐(ダージェ)…力を、貸し、てください」

 

 

 

顔を上げた男の相変わらずの愚直が過ぎるその言葉ににんまりと彼女は微笑み―

 

「ふふ…残念だ?こんな形で出会わなければ…。…アンタはさぞかし私のお気に入りの子になったでしょうに。…。…ラウ!!」

 

優しく語り掛けるような口調が再び一転、突き刺す様な語気に戻る。不機嫌さを一切隠さない女の「素」の声色だ。

 

「はい」

 

女の傍らに立っていた男―ラウと呼ばれた男が「待っていました」と言わんばかりに応え、「如何様になさいますかと」頭を下げつつ、愛用の椅子に座ったままの女の上半身に自分が着ていたジャケットを羽織らせる。彼女の要求を身の程知らずにも無碍にした相手にこれ以上この美しい彼女の体を見せることを男は許せないようだ。

 

「お前に任せる。好きにするがいい。念入りに攻めて…殺せ」

 

「はい。では用意します。…花琳(ファリン)姐」

 

「花琳」と呼ばれた女はすっくと立ちあがり、縛られた男に背を向けた。その背に―

 

 

「大姐…」

 

繋がれた男がまた声を放つ。彼女は足を止めたのみで最早目もくれず、唾を吐くような口調でこう言い捨てる。

 

「…。もう喋るな。お前と話すことなどもう何もない。精々、苦しんで死ね」

 

 

「お、願いです。力を…、貸してください。でないと…―

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…少々こちらも手荒になるしかない。平にご容赦を。…大姐?」

 

 

 

「…!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

バキン

 

 

ドっ!!!

 

男の口調がまるで別人に切り替わったように生気を取り戻したと思った瞬間、異変に振り返った彼女―花琳の足元に先ほどまで男を拘束していた両腕の鎖の先端が無造作に叩きつけられ、砕かれた床が破片を巻き上げた。

 

「…!」

 

しかし―繋がれていた男は解放された両手を床に置き、俯いたままだった。鎖を強引にひきちぎった割には攻撃意志、害意が最低限であることを示す。あくまで男は先程から彼女の耳がタコになるほど聞かされた「力を貸せ」という方針を変えるつもりはないらしい。手心を加えられているようでそれが何とも彼女の気に障る。

 

「ラウ。…構わん。殺せ」

 

努めて冷静な口調を保ったまま花琳はそう命令した。彼女の部下―ラウは44口径の拳銃を持っている。ただ相手を殺すためだけの時のみ使用するため、使用頻度は案外にも少ないが、花琳の護衛を務める以上、ラウの銃の技術は高く、抜き速度も早い。しかし、彼の所持する拳銃の一向に乾いた銃声が今は響かない。花琳の命令は彼にとって絶対。その花琳が「殺せ」と言った瞬間、銃の引き金は引かれたも同然のはずなのに。

 

「何をしている。ラウ。…!?」

 

既に長身の大男―ラウはその巨体を横向けていた。ピクリとも動かない。鎖を引きちぎった轟音に振り返った花琳が彼に背を向けている僅かな時間―その間にあのタフな彼女の部下がすでに完全に意識を失い、落ちている状態なのだ。

 

「…ラウ。どうした?」

 

「大丈夫。彼…ラウは死んではいないよ。ただ眠ってもらっているだけだ。ここからの話は限られた人間のみにしてもらいたい。こっちの事情を押し付けるようで申し訳ないが…」

 

「…!」

 

自分の状況、そして男を見据えたまま花琳は後ずさる。彼女の華奢な両肩にかけられたラウの上着をきゅっと握って。怯えたように。しかし彼女の心根は確かに僅かに恐怖は覚えていても、ある程度その恐怖心をまだコントロールできている状態だった。

なぜなら彼女が後ずさった背後の台の下に誂えられた緊急ブザーがあり、それを押すための後退だったのだ。

 

―…。

 

横目で僅かにその位置を確認し、手探りでボタンを探り当てそれを押す。この部屋―拷問室には響くことはないが、この部屋の外―彼女のアジト内では異常を告げるサイレンが鳴り響き、彼女の「仲間」がすぐに異常を察してこの場に殺到する。

 

・・はずなのだが。

 

「…」

 

おかしい。十数秒はまた経過したがその気配がない。動揺を悟られないよう努めて平静を保つ彼女に対し目の前の男は申し訳なさそうにこう呟いた。

 

「残念だけど…この建物のお仲間には全員眠ってもらった。さっきも言った通り…あんまり俺の存在を知る人間がこれ以上増えてほしくないんだよ」

 

「…なんだと?っ…!?」

 

花琳は目を見開く。彼女が一向に現れない増援に内心苛立ち、再び緊急ブザーを押すために僅かに男から目を離した瞬間―また「異変」が起きていたからだ。いつの間にか縛られていたさっきまで彼女の目で捉えていた筈の男の姿がその場からぽっかり消えていたのだ。代わりに―

 

ドン!ドゴォン!!

 

男の両足首の足枷につけられていた一つ当たり軽く50キロ前後はある黒い鉄球二つがまるでピンポン玉のように彼女の真上―宙に舞い、轟音を立ててこの彼女の拷問室―獲物の悲鳴、奇声、そして逃走を完全にシャットアウトする頑丈な鉄の扉に双方直撃、結果扉は変形。女の細腕では到底開けられないほどに損壊。彼女の退路は完全に断たれた。

 

男の声が突然別人のように生気を取り戻してから僅か数十秒のことだった―圧倒的優位、ただ相手を一方的に蹂躙するだけだった彼女たちの立場があっさりと崩れ、そして同時悟る。あの拷問の時間が今、自分が相対しているこの男が彼女らに施したせめてもの「譲歩」の時間であったことを。

 

「…」

 

冷静に、且つ状況を正確に把握し、花琳は努めて平静を保ちつつ声がした方向に振り返り―こう言った。

 

 

「貴様『ら』…一体何者だ?」

 

 

そう。

 

彼女がラウからほんの一瞬目を離した隙にラウが気絶させられたあの時、まだ縛られた男はその場から動いていなかった。つまり…ラウを気絶させた人間はこの男ではない。

 

他に居「た」のだ。

 

その「姿」をようやく彼女は今確認する。一体いつから「ここ」に居たのか―彼女には見当もつかない。

 

 

 

「……」

 

 

 

すでにまるで我が物顔の様に、先ほどまで花琳が座っていた彼女愛用の椅子に躊躇なく腰掛けている男―その首にぐるりと細い両腕を絡ませ、自分の「主」を傷つけた相手にこれ以上ない敵意の眼差しを向ける巨大な鎌を携えた黒い死神のような着衣を纏った痩身の美しい少女の姿があった。

 

その剣呑な獣の如き光を放つオリーブの瞳が花琳を射抜く。視線だけで自分たちの生態的地位を彼女に理解させるような輝きであった。つまり「喰うものと喰われる側」の関係だ。

 

「…」

 

表情こそ大して変わらないものの、花琳の額に今ようやくうっすらと汗がにじむ。ここからは自分が相手の意図を把握しきれないと…自分が「喰われる」。そう理解した故の沈黙であった。

 

 

「…確かに」

 

可憐な死神に憑かれた男が再び口を開く。最早彼女の拷問を受けていた時の、終始命の灯が掻き消えそうな弱弱しい口調ではなかった。

 

 

「あなた方は荒事に於いてはこの時代の先端を行く人間だ。暴力、脅し、時には殺しによって相手を征服、屈服させて貴方たちなりのルール、秩序のもと行動し、事を成す。これが貴方たち―マフィアの生き方だ。しかし残念ながら暴力、荒事においてこの時代の最先端を行く俺たちに貴方たちの力は…無意味だ。暴力も、拷問もまるで意味を持たない」

 

 

そう言った男―青年の顔をまるでキスでもするように首に絡みついていた死神のような少女の顔が覆い隠す。そして数秒後、少女が口からやや血の混じった唾液を口から糸を引きながら垂らしつつ、離れていくと―

 

「…!」

 

花琳は内心呻くような思いで整った顔を歪める。大概のこの世の醜悪なものを見てきた彼女でさえその光景に不快感を禁じえない。その光景が「醜い」というよりもあまりに鮮やかで何とも奇妙な美しさがあったからだ。

 

死神のような少女が青年から顔を離したあと、つい数秒前までパンパンに腫れあがっていた彼の瞼、そして殴られて変形していた輪郭が嘘のように回復していた。

 

 

 

この回復力、常人ではありえない膂力、そしてが数々の人間離れした彼らの所業を前に花琳は理解し、確信する。

 

 

 

 

「貴様ら…ゴッドイーターか。フェンリルの犬が我々の組織に―

 

 

 

そしてこの香港に…一体何の用だ?」

 

 

 

 

「先ほども言ったとおりです。あくまで力を貸してほしい。それだけです。俺たちの目的は共通している、なら協力できる。…そう、思いませんか?」

 

 

 

「…残念ながら『ヤツ』はあなた方の手に負える相手じゃない。奴は『俺たち』にしか相手にできない。でもあなたも知っての通りこの香港―フェンリル香港支部は一筋縄ではいかない場所だ。だから…手を貨してほしいんです。この香港支部を陰ながら支えているあなた方にね。…大姐?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




「…何とも派手にやられたねぇ?お兄」

死神の少女―「レイス」はくすくすと鼻で笑いながら青年―榎葉 山女に腕を絡ませつつ、彼の変形した顔を眺め、耳元でささやく。

「…俺としても穏便に済ましたかったんだけど…結局武力行使かぁ…。あ、イテテ」

「男前が台無しだね。…どうする?『治した』げるよ?今すぐに」

「う~~ん個人的には遠慮したいけど…ま。『演出』にはなるかな。悪いけど頼むよ。『レイス』」

「ん。任せて。なるべく…痛くしないよ」



かぷ…



―おイチチチチ…。




―ほら。お兄。がまん。がまん。演出。演出。
















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インビジブル 2







 

 

 

 

 

 

 

フェンリル香港支部―

 

かつての各国主要都市の中でも異例と言えるほどの発展を遂げた世界有数の巨大アーコロジー支部であり、その人口キャパ数は極東支部の十倍以上と言われている。

また周辺地域に出現するアラガミは近年不思議と数、種類共に減少傾向にあり、さらに世界的に緩やかな人口増加傾向に伴う各支部のキャパの圧迫、逆にアラガミの襲撃によって機能を成さなくなった支部、サテライト支部住民、また世界各地に非公式に存在する一説によれば数百万単位とも言われている難民の受け入れにも比較的寛容な支部と言われ、行き場を失った人々が世界各地より訪れ、「最後の砦」という人間もおり、アーコロジーの人口の増加数は近年右肩上がりである。

 

全世界支部規模で慢性的な問題となっている難民や、人口増加、新種のアラガミ襲撃に伴いあぶれてしまったフェンリル市民の受け皿となってくれている点もあり、その功績を称えられ各支部からの支援物資、義援金など大量のモノとカネが常に集まる傾向にある。その為他支部に比べて治安はやや悪化傾向、貴族、フェンリル役員連中の集まる上流、中流階層が住む中心街、貧民層の集まる外部居住区、そして最下層スラム街と貧富の差は前時代同様、いや前時代以上にあからさまな程くっきりしている支部である。が、人口の分母数が他支部に比べ桁違い、圧倒的に多いゆえに金回りは比較的良い。

 

前時代「百万ドルの夜景」と呼ばれた街をご多分に漏れず、巨大な黒い装甲壁で覆っては居るものの、煌びやかで近代的であるが同時オリエンタルな香港の街並みは現在も健在。

 

そこにカジノ、競馬などのギャンブル施設、外部居住区、最貧民スラムと貴族層の丁度真ん中に位置する中層スラム地区に巨大な繁華街、歓楽街を形成、非合法の闘技場やスポーツスタジアム、さらに前時代の中国での旧正月―国慶節など節目に行われていた祭典等も健在、またここに旧極東地域にて全世界的に発信され、そして認められた所謂「オタク文化」―サブカルチャーなども加わり、前時代同様かそれ以上にヒトの物欲、食欲、そして暴力欲や性欲までも満たす娯楽、エンターテイメント産業は世界でも類を見ないレベルで盛況な支部である。

 

混沌であり、退廃的でもあるがその分妙な魅力を備えた支部と言える。この奇妙な魅力に憧れ、憑りつかれ、他支部から足を運ぶ、もしくは移り住むフェンリルの貴族連中、役員クラスも多く、よりヒトとモノとカネが集まる傾向にある。

 

世界中の文化、芸術、経済、産業、そして娯楽。おおよそ人間的な活動すべてが集結した無法と法治がない交ぜになった混沌の支部。それが2070年代の現在、香港島を含む九龍半島周辺一帯を統治している―フェンリル香港支部だ。

 

 

 

そして―

 

それに憧れ、憑りつかれた人間がここにも居る。

 

 

欧州支部

 

 

ハイド本部にて―

 

 

 

 

 

「シツコイ」

 

 

どこへでも どこまでも ついていくわ私は

 

例え草の中 火の中 水の中 

 

どこまでもついてくる私に貴方は顔を青くするけれど

 

私の顔は貴方に会うたびに赤く染まるの

 

ハツコイ イロコイ ニシキゴイ

 

「コイ」がつく言葉は数多いけれど

 

この「シツコイ」は貴方と私だけのもの

 

ついていく 付いていく 憑いていく

 

でもどうか私に貴方を「突」かせないでね

 

ああ もうせいせいするぐらいに愛してる

 

 

 

 

シプレ 3rdシングル カップリング曲「シツコイ」より

 

 

 

 

 

「ど~よ!!」

 

 

灰色のワークキャップを被った生意気そうな少年が腕を組み、鼻息を荒くして胸を張って得意そうにそう言った。 

 

「いや、その・・『どう』って言われましても」

 

―なんだ…?この聞いている方はまったくせいせいしない歌は…?

 

青年はこの時代では超高級品と化したCD。そのジャケットに添付された何とも言えない歌詞を見つつ、目を白黒させた。この得意げな少年に何か言わなければならないのだろうが…うまく言葉が出てこない。

 

「その…過激な歌詞だね?リグ」

 

「それだけかぁ!?エノハさん!?もっと、何かこう…ソウルに響くもんがあったろうが

!?このシプレの新曲に!」

 

「…」

 

元々この少年―リグには幼少期の過酷な「あの」出来事のせいか妙に女性に対するコンプレックス、憧れのようなものが強い。義理の母親であるレア・クラウディウス、彼女の義理の妹であり、付き人のナルフ、ハイド同僚の「レイス」、そして難民の少女―空木 イロハなど表向きは彼女らには個人差はあれど基本つっけんどんで、素直ではない態度をとるが、実際は彼女らに心底懐き、甘えている。

 

そんな彼の性格が影響したのか…しかし、それでもまさかこの「方向」に彼が転身するとはエノハは思いもよらなかった。今からでも彼にすぐに極東に残してきた仲間―藤木 コウタを紹介したい。そして…何よりも今の自分を助けてほしかった。

 

「…」

 

助け舟を求めるようにエノハは周囲を見回すが彼の周りにもはや誰も居ない。レア、そして彼女の付き人であるナルは出張中。休憩時間中は相変わらずどこにいるか分かりにくい「レイス」はもとより、最近神機整備室にこもりきりのノエル、そして普段リグをからかうことを趣味にしている赤毛の少女―アナンすらいない。

 

…いや、正確に言うと彼女だけは律義にエノハに書置きを残していた。

 

 

「私がからかいたいのはいつもツンツン、素直じゃない『ムッツリグ』の方です。やや違う方向に『オープン・ザ・リグ』になってしまったリグは最早私の専門外です。後はエノハさんよろしくお願いします。悪しからず。チュッ(レアの口紅を借りたらしいキスマーク)   

                                    アナン」

 

「…」

 

―…見捨てやがったな。

 

「エノハさん!?聞いてんのかよ。見ろ!この神々しいシプレのチャイナドレス姿を!香港支部限定の特製ジャケットだけに書き下ろされたファン垂涎の品だぞ?神棚に飾って祈るレベルだろうが!?」

 

「あ。え~~?」

 

ひたすら困惑、戸惑い続けるエノハの下にようやく助け船が現れた。

 

 

「あ…エノハさん?ちょっとお話が…神機整備室にまで来られますか?」

 

 

朝食後、ずっと神機整備室にこもりきりだったくせ毛の少年―ハイド担当の神機整備士のノエルがリグの剣幕に気圧されているエノハの姿に「取り込み中ですか?時間…改めましょうか?」と言いたげにぼさぼさの頭を掻きながら控えめに入ってくる。

 

「なんだよノエル…いいとこなのによ」

 

リグはあからさまに不機嫌そうな顔をしてノエルをにらむが―

 

「の、ノエル!?ど、どうした?今行く、すぐ行く!!どんと行く!!」

 

「いや!そんな気遣いいらんから!!」と言いたげに一気にノエルに走り寄り、エノハは神機整備室に逃げるように直行する。

 

そんな彼を見送ったのち、「やべぇ。チャイナドレス姿のシプレ美し過ぎるぜ…このスリット部分が…」とリグが独りごちる。

 

 

 

 

神機整備室にて―

 

うんうんとうなりを上げ、重苦しく稼働する機器の音が響く薄暗い部屋でエノハとノエルの二人は「彼」を眺めていた。

 

「俺の神機が…『スモルト』が暫く使えない?」

 

「はい」

 

ノエルが緑がかった培養液に浸され、「彼」―休眠状態のエノハの神機スモルトのデータを手元の端末に入力しながらエノハの質問に頷く。

 

「元々『レベル4』というまだまだブラックボックスの多い新機構を採用しているだけに他の神機に比べて再生、回復が遅いんです。神機自体の性格もリミットが外れると暴走傾向になる暴れ馬…負担が大きいんでしょう」

 

ノエルは端末を入力し終わるとエノハの方向を振り返り、やや心配そうに細い目を歪ませた。

 

「ロシア支部で…使いましたね?『レベル4』」

 

「…ばれたか」

 

先日の極東ロシアでの「彼女」との遭遇、また例の固有種―敵性アラガミの討伐をエノハは報告していない。彼女を「あの地」で眠らせてやるために。だがリグ以外のハイドの全員がどうやら何となく気付いているようであった。

 

「…何があったか知りませんし、深くも聞きません。エノハさんの事だから『レイス』達を気遣ったんでしょうけど…あんまり無理しないでくださいね。いろんな意味で」

 

「…痛み入るよ。ノエル」

 

 

 

 

「だから今回はエノハさんはお休みで。『レイス』、アナン、そしてリグや僕たちに任せてください」

 

ノエルはにこりと笑って手元の端末を閉じ、ふわわ、と大きな欠伸をする。しかし―その力の抜けるような彼の大欠伸を眺めるエノハの顔が対照的に曇る。

 

「『今回』…ということはノエル…俺たちの次の任務地が決まったのか」

 

「…ええ。神機達の輸送手配の件で先日一足早く連絡が僕に入りました。かなりの長旅になる上に少々特殊な場所柄でして…現地に入る前に一足早く整備士は入念なチェックが必要ですから。…ふふっ。持ち主と一緒でとかく気候変動にうるさい神機もありますしね?」

 

苦笑いしながら恐らくアナンと彼女の神機の事であろう愚痴をこぼすノエル。しかし―

 

「それに今回…そのフェンリルの支局に協力を頼むことが『非常に難しい』とのことなんで」

 

再び表情を引き締め、ノエルはそう呟く。

 

「任務地はフェンリル管轄外ってトコか。…サテライト支部関連か?」

 

「いえ…れっきとしたフェンリル管轄の支部です。それも大御所です。しかし今回に限ってフェンリルの協力は恐らく期待できない、とのことです。ママによると」

 

彼らの属する部隊―ハイドは公式には存在していないアラガミ討伐部隊とはいえ、世界各地域を訪れた際にはハイドを統括するレア・クラウディウスにとって信頼のおけるフェンリル役員達からの協力が少なからずあった。(まぁ極秘かつ個人的な支援要請や討伐依頼もしてくるのだから当然だが)

 

「どこの支部だ…そこは?」

 

 

「…フェンリル香港支部です。っていうかママとナルさんの話によると…正式な手順を踏んだら『僕らの入国手続きすら難儀するかもしれない』らしいです」

 

 

ノエルは顔を曇らせてこう続けた。

 

 

「どうやら香港支部上層部自体が…その今回のハイドの討伐目標の『アラガミ』を排除すること自体に難色を示しているらしいですね。詳細を聞いてみない事にはそれ以上何とも言えませんが―」

 

 

…一体どんな裏が―?

 

ノエルとエノハの共通のその疑問が解消されるのに大した時間はかからなかった。その日のうちにレアからのハイド全員の招集がかかり、事の経緯を彼女から聞いた彼らは思わず閉口することになる。

 

 

そのアラガミの狡猾さを。

 

そして

 

「本当に怖いのはやはり人間である」、という使い古された言葉を再認識して。

 

 

「…ノエル。さっき気遣ってもらえたところ早々悪いけど…やっぱり出来る限り俺が早く戦線復帰できるように最善を尽くしてくれ」

 

「…解りました。現地でも引き続きサルベージを継続します。少々設備が整わなくてもやって見せますよ」

 

「頼もしい」

 

 

 

 

 

 

 

「エノハさん!!ノエルとの与太話は終わったか!?なら見ろ!この香港限定のシプレのサードシングルに添付された特製ホログラフィセットを!!なんとここのボタンを押すと…見ろ!チャイナドレス姿のシプレが3D化して実体化だ!!一緒に歌って踊れるバーチャルアイドル!!ああ!この時代に生まれてよかったぁ!!」

 

「…」

 

「…」

 

「あ?」

 

「まさかリグ…君に癒されるとは思ってもみなかったよ。成長したな…」

 

 

 

 

 

その夜―

 

「…」

 

「…」

 

リグは浮かび上がったホログラフィのシプレに禁断の口づけをかまそうとしていた姿をアナンに目撃される。しかし、当のアナンはその姿を見ていつもの様に「見ちゃった!見ちゃった!弱みを掴んだ~~!」と、嬉々として喜ぶかと思いきや。

 

「…」

 

―ちょっ、ゴメン。…マジ無理。ホント無理。

 

無言でリグの部屋のドアをゆっくりと閉めた。

 

 

 

 

 

 













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インビジブル 3














 

 

 

 

前時代で栄華を極めた世界の各都市が軒並み突然現れた人類の天敵―アラガミの出現によって崩壊、衰退の一途をたどる中でも前時代の伝統、格式を保ちつつ激動の時代に合わせて発展を遂げたまさしくこの時代に於いての「成功例」の筆頭ともいえるフェンリル支部―

それがこの香港支部である。

 

が、物事には何事も裏表があるようにこの支部にも当然そういうものはある。

 

 

まずその一つがこの香港支部内の地下に走った現在では完全に放置、封鎖され、まるで遺跡の如く残った地下空洞、地下水脈、地下通路である。

 

 

元々アラガミも生物である以上、当然「エサ」の多い場所に集まる習性がある。当然、人間やその他生物、そしてアラガミにとって人工物、機械等の自然界には存在しない物珍しい「嗜好品」の多くが集まる人口密集地帯なぞ格好の餌場だ。真っ先に狙われる。

 

しかし、21世紀初頭に経済的に大きな発展を遂げた中国という国家の中でも香港という土地は1997年に返還されるまで英国の植民地であったため、一足早く近代化が進んだ土地柄であり、本格的に中国が資本主義経済を導入する前にすでに投資家、資本家によって多額の海外企業への出資が行われていた。その一つに欧州の製薬企業であったフェンリルの前身企業―そこにも巨額出資を行っていた為に彼らが生み出したアラガミ装甲壁の採用も早く、人的、文化的被害も最小限に抑えられた背景がある。

 

しかし、桁外れで出鱈目な程急速な進化を遂げるアラガミ達に対する保険―いざ装甲壁が破られた際、貴族、企業役員、政府要人などを私財と共に秘密裏に、迅速に避難させるために支部の地下に脱出用の幾重に葉脈の如く張り巡らされた地下通路が建設されていた。

 

現在でこそある程度「アラガミ」という生物の理解が進み、成層圏より上を飛行、または生息できるようなアラガミがごくわずかであるという試算もなされ、空路の方が海路、陸路より遥かにリスクが少ないことが判明し、お払い箱となった「血脈」だがその後も香港支部の地下でひっそりと放置されている。

 

そこにエノハたちが香港支部を訪れる一か月前―GE「上海」支部の隊員たちが集結していた。

 

 

彼らの目的は香港支部が地下水脈、地下通路と共に秘密裏に放置している「とあるアラガミの討伐」―詰まるところ現在の「ハイド」と目的を同じとしていた。

 

前回記載したように香港支部からの支援や手助けは全くない状態である。地下水脈内部の地理的情報も全く開示されていない状態、そして持ち込めた物資、人材ともに最低限。凡そリスクしかない状態であるが彼らはここに来た。迷うことなく。彼らには強い熱意と意志、

 

 

…そして「打算」があったからだ。

 

 

 

上海支部は中国主要三支部の中でもとかく貴族階級の支部長派と市民派―たたき上げの副支部長派に分かれた内部抗争が激化の一途をたどっていた。

 

数か月前、上海支部でアラガミが装甲壁を突破し、外部居住区を蹂躙した際、駆り出された主にフェンリル下層市民の中から輩出されたGE第二部隊からの追加支援、救援要請をフェンリル貴族派の要人の親族が配属されているGE第一部隊が拒否した結果、市民、第二部隊GE共に多数の死傷者を出した。

 

この事件で端を発したこの遺恨はここ香港支部にまで飛び火することとなる。

 

発言権、政治的影響力、資金など全てにおいて貴族派と差がある副支部長派にとって出来ることはシンプルに「成果を出すこと」のみである。アラガミの討伐数、有用なコアの確保、それがフェンリルのより上部組織、北京支部または欧州本部の目に止まることしかこの状況を打開する方法はない、と考え、多くの犠牲の中で団結した副支部長派は奮闘、実際に結果と成果をだしつつあった。

 

支部長派の奸計や謀略によって手柄を横取りされたりと相変わらず苦渋を舐めることはあったものの、残念ながら碌に出撃もせず、「後方待機、バックアップ」の名目で安全圏で待機していたお飾りの第一部隊に比べればよほど組織的に纏まっていた為、上海支部のフェンリル市民、外部支部、そしてとある「新興団体」からの支持もあり、副支部長派が支部長派に代わって上海支部の全権を握るというあまりに痛快な改革、革命まであと一歩のところまで来ていた。

 

 

しかし―彼らはここで功を焦った。

 

 

そんな渦中で飛び込んできた隣の香港支部に現れた「とあるアラガミ」の情報―

 

その「事の顛末」は上海支部で煮え湯を散々飲まされてきた境遇の彼らにとって許しがたいものであった。このアラガミを討伐し、コアを手に入れられれば今度こそ支部長派、貴族派を締め出せる、追い出せる―そして今も世界の各支部で不平等、不当な待遇に晒されている者たちに希望を与えることが出来る―

 

 

彼らの心がけ、境遇は確かに理解できる。正直素晴らしい。

 

 

しかし繰り返す。「彼らは功を焦った」。

 

 

彼らは情報収集、状況把握を怠り、そして何よりも「謀ったように」都合のいいタイミングで飛び込んできた「とあるアラガミ」の情報に喰いついてしまった。

 

 

 

結果―

 

 

 

 

派遣した上海支部の部隊は全滅。彼らは「とあるアラガミ」の討伐どころか、そのアラガミの正体、姿さえ拝めずに全員殺される。

 

 

 

 

 

何故ならそのアラガミは―不可視(インビジブル)だったからだ。

 

 

 

 

 

 

場所と時変わって一か月後―

 

 

フェンリル欧州支部「ハイド」本部にて

 

 

「…」

 

エノハはレアとナルフが持参した映写機の映像を「ハイド」の隊員達、「レイス」、アナン、そしてリグとノエルと共に見ていた。

それに映し出されているのは上海支部の隊員達の作戦前の決起の姿である。場所は言うまでもなく香港支部―地下水脈、地下通路である。

 

 

『…!!…!?…!!!』

 

 

上海支部第二部隊の恐らく隊長格であろうがっしりとした190センチはありそうな大男が軍人の様に規律正しい立ち姿勢で数人のGEを前にし、綺麗な北京語(マンダリン)で隊員たちを鼓舞している姿であった。

 

その鼓舞の声に隊員達、そしてこの映像を撮った撮影者までも巻き込んだ気持ちの高揚、士気の高ぶりがひしひしと伝わってくる映像である。

 

 

だがこの映像を見ているエノハにとってその光景は些か…滑稽に映る他なかった。顔を鎮痛に歪め、内心「やめろ…」と呟いていた。彼自身「結果」は解っているというのにそう願わずに居られなかった。

 

彼らは映像の中で大した前情報もなく、頼りない資材と物資、人員で敵地に乗り込み、侵入し、そこで今、堂々と大声を張り上げ、決起集会を行っている。強い意志、目標、団結力はうかがえる。

 

しかし、間もなく彼らはここで一歩も動けず全滅することになるのだから。

 

「…」

 

その映像を見ていたその場の全員が各々性格に沿った反応をする。「レイス」は相かわらずポーカーフェイスだが呆れと憤りの隠せない顔で目を逸らし、アナンは「あ~あ」と言いたげに首を振る、ノエルは既に顔を逸らし、リグは苛立たし気に奥歯を噛みしめて頭を掻く。

基本アラガミ戦闘はGE側が身を隠し、奇襲、先制攻撃が基本。彼らが行うのはスポーツではない、あくまで実戦なのだ。時に「美学」というものは使いどころを間違えれば生き残るうえで最も邪魔なものになりかねない。

 

 

 

最初にまず部下を鼓舞していた190センチの男―恐らく隊長格の男の上半身が―

 

 

消えた。まるで空気に喰われたみたいに。

 

 

その直後、悲鳴と怒号が響き、隊長格の男の下半身が吹き上げる血の噴水が撮影しているカメラに点々と付着する中、撮影者の動揺が目に見えて分かるように酔いそうなほど上下、左右に不規則にぶれる。その中の端々で他の隊員もまた隊長格の男と同じ様に体の一部分、乃至、全身がまるで異次元空間に吸い込まれたみたいに欠損していき、悲鳴、もしくは悲鳴すら上げられず敢え無く事切れていく姿が映る。

 

 

この映像でわかる。このアラガミは敢えて―この撮影者を「生かしている」。

 

自分の能力、力を誇示するように。そして―

 

 

『はぁっ……!!はぁっ…!!』

 

悲鳴も怒号も最早響かず、ただ撮影者の過呼吸レベルの吐息が聞こえる。時折祈るような、命乞いをする様なか細い声も集音マイクが拾っていた。目の前一面に広がる血だまりに点々と横たわる変わり果てた仲間たちの姿を前にしているのだ。その動揺は当然と言えた。

 

そして暫くすると映像は途切れ、画面がフェードアウトした。

 

 

ここで映像は終わる。暫くその映像を見終わった「ハイド」全員が無言であった。あまりに凄惨であり、同時あまりに不用意、杜撰で滑稽ですらあった光景に上手く言葉が出ないのだ。そんな中ようやく口を開いたのはエノハであった。

 

「この撮影者…カメラがフェードアウトしていた時、まだ生きていたな…『カメラだけが作動しなくなった』って感じだった」

 

その言葉に―

 

「…ええ。このカメラを回収、調査したフェンリル職員によるとカメラだけは全くの無傷、稼働も映像解析も全く問題なかったそうよ。このカメラの撮影者も周りに居た隊員達すべてが完全に絶死の中で不自然な程綺麗に残されていたらしいわ」

 

レアが手元の端末に記載されている詳細事項を確認しつつ、エノハの言葉にこくりとうなずく。

 

「つまり…カメラは一時的に完全に起動不能、起動障害に陥って撮影が不可能になったってことだね~~?…つ・ま・り」

 

意外にも四人のハイド・チルドレンの中でも分析力の高いアナンは頬杖突きながら事を察し、結論を述べた。

 

「このアラガミは特殊パルス―EMPパルスを持っている。つまりコイツは『固有種』ってワケだ」

 

「…それもそれだけじゃない。現れた当初、それを行使せずに現れた。つまり…この『カメラ』という物体が人間にとってどういうものなのかを知っていた。そして敢えてそれを持っている人間を最後まで生かしてその光景を映させたのち最後にEMPパルスを発生させ、カメラの機能を停止させた…ってことだよね」

 

「レイス」も冷静にこの怪物が短い映像の間に見せた「意図」を把握していた。

 

「へええ~~っ♪…自分の姿…いんや、自分の姿を見せないまんまその光景を見せつけたってワケだ。悪知恵働くじゃん?コイツ」

 

アナンは感嘆したように、しかし笑顔を交えずに頷きながらこう言った。それにエノハも同調し、現在解っているこのアラガミの情報からこのアラガミの能力、特殊性を最後にこうまとめた。

 

 

 

「…例え姿を見せなくても人間には姿の見えない相手を捕捉する道具がいくつかある。でもこのアラガミには無理だ。位置を把握するための動体感知器も、温度感知器も、そしてオペレーションによって遠隔で位置を知らせたり、情報交換をするための交信機器も全てEMPパルスによって停止させられるからな。そして…『見て』の通り『目視』も不可能ときてる」

 

 

目視はできず、文明の利器による捕捉も不可能。

 

 

まさしく「不可視」のアラガミである。

 

 

現在の所、このアラガミ固有種の厳密な種別は不明。現場に上海支部の隊員がこのアラガミを傷つけることも出来なかったため、体液等の残留物もなく、近似種すらも不明。

 

姿形(なりかたち)というものは人やその他の生物に限らず、アラガミという異形の生物すらも彼らの動き、習性、攻撃傾向をある程度表している面があるものだ。しかしそもそも姿すら見えないコイツに限っては現在、全くのすべてにおいて目隠し、情報不足である。

 

 

解るのは以前「ハイド」が遭遇した固有種―「ヒドラ」、そして「ヴィーナス変異種」、そして彼らは遭遇していないがマンハッタンに巣食っていたディアウス・ピターの変異種―「父祖」と同様にこのアラガミが「自分」というものの能力、生態的地位を「経験」の中で理解し、そして現在の香港支部においての自分の「立場」すらも理解している節があるということだ。

 

 

そしてこのアラガミの唯一の資料映像から導き出せる結論を「ハイド」の全員は既に理解していた。

 

 

香港支部にかつて建造された地下水脈、地下通路で起きたこの悲劇―詰まるところこのアラガミは既に香港支部内に潜伏し、そして―それを「半ば黙認されている」ということだ。

 

 

香港支部に巣食う邪悪な隣人の正体、そして目的は今もって不明。

 

彼の現在の仮称された名は文字通りの―

 

 

 

 

 

…「インビジブル」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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「いやぁ。グレムん。久しぶりだネ」

 

 

「あっはっはっは!止してくださいよ『グレムん』は!…しかしそれにしてもいつ来てもこの場所から眺める景色は壮観ですなぁ…張(チャン)さん?」

 

「グレムん」と呼ばれた豪奢な装飾を細部に誂えたオリーブグリーンの軍服を羽織り、さながら「成金趣味のトノサマガエル」のようなシルエットの中年男性が「この場所」―香港フェンリル支部の中心に建設されたこの建物、そしてその最上階に設置されているこの部屋にて眼下に広がった煌びやかな街並みを見下ろし、満足そうに頷く。彼にとってさぞかしこの眼下に広がる街の光一つ一つが宝石―つまりビジネスチャンス=カネの匂いに感じて仕方ないのだろう。その為ならば―

 

「…」

 

銃弾はおろか、砲弾すら弾くであろうこの部屋に施された堅牢な強化ガラス―そこにやや不摂生な生活を長年続けたせいか血色の悪い黄土色の肌をした自分の表情を映し、彼の背後に居る、彼の事を「グレムん」と呼んだ相手に精いっぱいの愛想を振りまくために自分の表情をしばし確認したのち、くるりと満面の笑みを浮かべつつ男は振り返る。

 

男の名はグレゴリー・ド・グレムスロワ。

 

フェンリル欧州支部にて彼の親の代から続く重化学企業の代表取締役を務める傍ら、レア、そしてラケル・クラウディウス姉妹が推し進める「極致化計画」に多額の援助、出資を行い、近日正式に発足される前述の計画の実行組織である「フェンリル極致化技術開発局」の実質上最高責任者の肩書―「フェンリル本部特別顧問」に任命されることが決定している男だ。

要するにかなりの大物であり、その肩書にある意味相応しい大抵の人間に対して見下したような、傲慢な態度をとる男である。が、自分と同等、もしくは自分のビジネスにおいて重要な役目を担う相手、彼基準の「良きビジネスパートナーになりうる相手」に対しては比較的愛想よく、気遣いも出来る要領の良さを持ち合わせている男だ。

 

つまりそんな彼が今にこやかに相対している相手―「張(チャン)さん」と親し気に呼んだこの相手が地位の高い、重要なポストについている人間である、ということを示すことに他ならない。

 

 

「エエ。かつては『百万ドルの夜景』と呼ばれたこの光景も今では『それでも安い』と自負してマスよ。ま。前時代の通貨の『ドル』など今の時代じゃ何の意味も持ちませんがネ?だかラ差し詰め『10億fcの夜景』といったところでショウか?ただ…fc(フェンリル・クレジット)では些か語呂が悪いですナぁ…」

 

 

語尾に独特の訛り、癖のある英語を話す40代ほどの陽気そうな声が響く。

 

 

「あっはっはっは!なら今度私の知人のイベンターを紹介いたしますよ?彼ならばこの香港支部の夜景に相応しい魅力的なキャッチフレーズを提供してくれること間違いなしです。そのキャッチフレーズに惹かれ、また世界中の支部からやんごとなき方々がこの支部をひっきりなしに訪れ、さらにこの香港支部は発展する…まったく羨ましい限りですなぁ…」

 

「その時」は…是非とも私にもそのおこぼれにあやからせてくださいね?と、言いたげに顔の周りのたるんだ肉によって圧縮されたグレムの細い目がきらりと光を帯びる。

 

「フフフ…有難い申出ですケド…紹介料は負けてくださいネ?最近はウチの支部も財政状況が日に日にひっ迫していましテ…将来が心配で折角のおいしい食事も喉を通らない日々が続いているンですヨ…」

 

 

「これまたご謙遜を!今や世界でも有数の人口キャパを誇るこのフェンリル香港支部を統べる支部長であらせられる貴方―

 

 

張 劉朱(チャン・リューズ)支部長が何をおっしゃいますやら!!」

 

 

両手を組んだまま「この場所」―フェンリル香港支部最上階に充てられた豪奢な支部長室の席に鎮座していた男―張 劉朱はグレムの言葉にどこか眠たげで重そうな瞼をゆっくりと上げる。

 

口元を常に笑っているように口角を上げ、どこか眠たそうな瞼が印象的な中年男性。身なりも高級感はあるものの、純白のシャツに少し凝った東洋的な文様の走る薄茶色のチョッキベストのみとそこまで華美ではない。脂っ気のないやや色素の薄目な肌、白髪の混じった黒髪を清潔感のみ重視してオールバックにしている。身長も160前後程度の小男で、やせ型。一見「冴えないくたびれた中年男性」にも見えなくもない。彼の目の前に居る細部にゴテゴテと宝石やら金で装飾の施された軍服を羽織り、ごつごつとあたかも木の根っこののような太く短い指に通常のフェンリル市民一人の一生の所得fcをひとつで賄えるほどの宝石が乗った指輪をしている謂わば「とことん成金趣味」なグレムと比べればあまりに対照的。

 

グレムが「太ったトノサマガエル」なら、さながら彼は「手は生えているが何故か足の生えていない貧相なオタマジャクシ」と言ったところだろうか。

 

こんな小男がまさかこの世界でも有数の規模、そして人口キャパを誇るフェンリルの大支部の一つ―この香港支部を一手に預かる人間だとはだれも思うまい。しかし事実、この小男は現在この香港支部の支部長であり、世界中からグレムのような資産家、実業家が彼と提携、協力、または利用しようと訪れる。今のグレムの様に卑屈な程下手に出て。

 

 

「いや~~先日そちらのエンターテインメント部門の責任者の下に伺った所、最近あのバーチャルアイドル―確か『シプレ』…でしたかな?世界中の支部で物凄い人気だとか!?」

 

「オヤ。流石グレムん。目の付け所が素晴らしいネ~♪」

 

「いやぁ…実は今度是非ともあのバーチャルアイドルの『シプレ』と当方がこれから世界各支部へ売り出そうとしている現実の歌姫―あの『葦原 ユノ』との夢のコラボコンサートをここ香港で開催したいと思っておりましてな」

 

「オオ。あのネモス・ディアナの歌姫―葦原 ユノ嬢を貸していただけるのですカ?それは願っても無い事デすね」

 

「…ええ~~是非とも。現実と虚構の融合…さぞかし素晴らしいコンサートになるでしょうなぁ…」

 

「グレムんは相変わらず商売がお上手ですネ。そのコンサートが成功した暁には…差し詰めアナタの推す一大プロジェクト―例の『極致化計画』の目玉である『神機兵』のキャンペーンガールとして『シプレ』ヲ貸してほしい、と…言ったところですかナ?」

 

「いやぁ~~っ参った参った!流石ですなぁそこまで見抜かれているとは!…神機兵有人型のプロトタイプは完成と同時に一般搭乗者も募集する手筈となっておりまして…。で、搭乗する人員の年齢や適性、性別を考慮すると『シプレ』は非常にキャンペーンガールとして魅力的、優れた広告媒体になる、と私は考えているんですよ~。そこで…是非とも張支部長にお力添えをしていただけないかと考えておりまして」

 

「ははは!~まったくズルいね!こういう時だけ『張支部長』と呼ぶなんテ!」

 

「ふふふ。張さんが『グレムん』と私を呼び続けることに対して私なりの些細な返礼、と、言ったところですかな?これぐらいはしても罰は当たらないかと」

 

「ハッハッハッハ!」

 

「あっはっはっは!」

 

 

グレムは終始にこやかにその男とそんな風な会話をつづけていた。

 

 

 

グレムはこの目の前にいる資産も、地位も、コネも、影響力もすべてにおいて自分のビジネスパートナーとして最適かつ最高のこの男のことが―

 

 

 

 

 

 

 

心底大嫌いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

十分後―

 

 

「お疲れさまでした。グレム局長…」

 

紅い髪をした美しい、そしてケチの付け所の無い見事なプロポーションの体を持つ女性が支部長室を出た直後のグレムに頭を下げる。彼女には解っていた。「一仕事」を終えた直後の今のグレムがとんでもなく不機嫌であることが。

 

「あぁっ!ん~~んぁあああああ!!!」

 

グレムはそんな絶世の美女―レア・クラウディウスの出迎えに反応せず、未だ体に纏わりつくような不快感に上半身を捩ったり、手で払うような動作をしながら苛立っていた。

 

「あらあら…くすくす…」

 

厚く赤い唇に手を添え上品に笑うレアにグレムは気を悪くしたように、しかし同時に恥ずかしそうに彼女を睨み

 

「笑ってくれるな。…レア君」

 

「ふふ…失礼いたしました」

 

二人は並行して歩きだす。身長はほぼ同じ、しかしグレムより遥かにレアの方が足が長いため歩幅は彼女が合わす。彼女の隣では未だに不機嫌そうに大きな上半身を揺すり、先程まで満面の愛想笑い、そしてひたすら下手に出た結果、バリバリに凝ってしまった肩を気怠そうにグレムは回していた。

 

「…相変わらずグレム局長はお嫌いなのですね。…張支部長のことが。これまで何度もビジネスパートナーとしてお互いにWINWINの関係を築いてきた間柄なのでしょう?」

 

「ふんっ。逆を言えばそれさえ無ければ一ミリたりとも近づきたくない男であるがな」

 

未だに鼻息荒く、そしてその鼻息に合わせるようにどすどすと不機嫌な歩調のグレムを相変わらず鼻でくすくすと笑ったのち、レアは振り返る。背後の支部長室のドア―そしてその扉の向こうに居るであろう男を見据えて。

 

―まぁ…お気持ちは解らなくもありませんわ…グレム局長。

 

 

 

彼女は数年前―欧州支部で開かれた各支部のフェンリルの有識者会議に出席した際、初めて張と対面した。当時の時点で既に彼を激しく嫌っていたグレムに間に入ってもらった状態で。

 

当たり障りのないお互いの自己紹介を終え、粛々と散会になった後、耳打ちするようにグレムに彼女はこう言われた。

 

 

「…レア君。君のような美人はあの男にはくれぐれも一人で近づかないように。また何かで挨拶をするようなことがあった際も絶対私を呼べ、最悪でもナル君や護衛を誰かつけるように。さもないと―」

 

「…さもないと?」

 

「…レディに対して言いにくい言葉であるのだがね…」

 

「…なんでしょうか?」

 

「気を悪くしないでくれたまえ?」

 

「…?」

 

 

「…妊娠させられるぞ。これは比喩でも言葉遊びでも何でもない。あの男には本妻、愛人含めて10人は常に下らない女性、そして二十を超える子供がいる。…それで居て尚も常に『次』を求めている、という噂だ」

 

あの男は生来の性豪であるらしい。

 

 

対してグレムはこう見えて愛妻家。女性関係は見た目に反して意外なほど真面目だ。

 

…というのも意外にも彼は恐妻家である。家では妻に全く頭が上がらないのだ。同時その妻に見た目も性格も似た娘にもとことん頭が上がらない。今回の香港の訪問、滞在も娘に「シプレ」やその他香港限定のサブカルチャーのグッズなどをねだられた経緯もあってのことらしい。

 

レアに手を出したことは実は一度もない。どちらかというとレアがサービス精神を発揮して少し戯れを兼ねて彼を誘うような仕草、態度をしても案外恥ずかしそうに目を逸らしたり、咳ばらいをするなどして誤魔化す、といったウブな反応をする。男の本能として「それなり」の反応をするのだがそこで彼の場合立ち止まる。金には強いが案外女に弱い小心者なところがある。

 

いつもの傲慢極まりない態度の反面、時に物事に対して深慮し、疑い、慎重に行動を起こす小心な面―経営者として必須の才覚を持つ。一見趣味の悪い程豪奢に飾られたあの出で立ちはそれを彼なりに覆い隠す手段なのかもしれない。

 

「んああ~~レア君!!塩!塩を持ってきてくれ!!体を清めたい!!それか酒だ!!」

 

「…お酒とお煙草をお控えになさるようにお医者様に止められているのでしょう?ご自愛なさってください。奥様に叱られるのは私なのですから」

 

そういう点で言えばレアはビジネスに関してこのグレムという男を信用している。神機兵開発の資財、資材、人材おおよそ必須の「材」を確保できる財力、コネクション、政治力も持ち合わせた男だ。

 

 

 

 

しかし、あの張という男は違う。ハッキリ言って彼は―

 

 

 

芯の底から、腸の腐ったゲスだ。

 

 

 

 

 

 

 

グレム、そして付き人のレア・クラウディウスが去ったのちの香港支部支部長室にて―

 

「ん~~」

 

張は唸っていた。

 

「どうかなさいましたか」

 

彼の秘書兼護衛を務める紅いフェンリルの制服を羽織った狐目の軍人が彼にそう尋ねる。

 

「彼は相変わらず僕のことが嫌いみたいだネ。残念だな?僕は結構彼の事好きなんだけどナ。お金に関して信頼できる人は身近に居て損はナイし」

 

グレムと対面していた時の人当たりのいい口調とは異なり、母国語に戻った口調はやや低い。残念そうな口調は崩さないが彼の重い瞼の下の瞳は冷ややかな色を帯びていた。本心ではさして気にしていない証拠である。

 

「…張様の『御事情』をお知りになったうえで仲良くして頂ける方は少ないかと」

 

「アんララ~~きっついネぇ。ライは。で、話変わるンだケド」

 

「は」

 

「外で彼を待っていたあの赤い髪の美人…ど~~~っかで見たこと有るんだよネ」

 

「あの方はレア・クラウディウス嬢。かの有名な神機兵開発プロジェクト初代責任者のジェフサ・クラウディウス様の第一ご息女です。彼女が今は亡き御父上の現在の神機兵開発主任研究員、同時、開発総責任者を引き継いだお方でもあります」

 

「あ~そうそう。思い出したヨ。ありがと。あれってさ~~彼の愛人なのかナ?すんごい美人だよね~」

 

「詳しくは存じませんがそれは無いでしょう。あのお方の性格からして彼女に手を出す度胸はないかと。あくまで双方大事なビジネスパートナーとしての立場をお崩しにはならないかと思われます。彼女自身もあれで学級の徒で思いの外そういう噂は聞きませんね。だからこそグレム局長は彼女をお選びになったんでしょう」

 

 

「へぇ勿体ないなぁ。なら今度是非とも…彼女に僕の子供を産んでほしいな」

 

 

「…」

 

 

「また」始まったと護衛の男は沈黙する。張の扉の先を見る目がまるで女性の体の線を品定めするような気色が混ざる。

 

 

「…ああいう見た目に反して真面目なタイプはベッドでは案外男慣れしてなくてスレてなかったりするんだよね。だからとってもい~い声で鳴くんだよ。まるで生娘みたいな声出してさ。……ま、その反動というのか真面目過ぎるつまんない子供が生まれちゃうんだよナ~。母親に似て」

 

「…」

 

「僕好みじゃない子供をまた一々『間引く』のも面倒だから一回抱いて終わりにした方がいいかな。でも…

 

散々犯して壊す分には相当面白そうなタイプだと思わない?彼女」

 

 

 

この男が淡々と発した「間引く」という言葉―この言葉は如実にこの男を顕す言葉として相応しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この男の指示の下、現在香港支部内地下水脈に巣食った不可視の固有種アラガミ―インビジブルは放置されていた。

 

このアラガミが「既にこの支部内に潜伏している」と判明した二年ほど前、彼は秘密裏に選抜したGEを数度地下水脈に派遣→しかし悉く返り討ちというサイクルを何度か繰り返したのち、彼は討伐を一旦諦め、このアラガミの存在を完全に支部外秘として隠ぺいした。そして討伐ではなくそのアラガミの生態、習性を極秘に、丹念に、そして徹底的に調査することを優先する。

 

このアラガミの特異さはアラガミ固有種だけの特殊能力の「電磁パルス」だけでなく、基本「専守防衛」という特殊な習性が上げられる。こちらから攻撃しない限り大規模な破壊活動は行わない。定期的に住処から出て一定量の「食物」を摂取したのちに再び香港の地下水脈に籠り、消息を絶つ。まさしく神出鬼没だ。

 

元々「アラガミ固有種」自体に自分の情報や特性を敵に知られることを非常に嫌う習性がある。その習性の結果得た最たる能力の一つが電磁パルスによるジャマー効果だ。そこにさらに不可視、透明という独自の能力を持つこのインビジブルというアラガミは自分の痕跡を残すことを尚更嫌う習性を身に着けたのであろう。他のアラガミの様に目の前にある物を見境なく喰らったり、追跡者のGE相手に大立ち回りをしたりしない。隠密に、静かに。弁えた生態サイクル、行動パターンを持つ。

 

「自制ができる」こと。これはかなり高度、狡猾な知性を持っているという裏付けでもある。

 

この香港支部の支部長である張がこのアラガミ討伐の手を止め、完全に情報収集のみに絞ったことと同じ様に彼も人間の居住地に巣食う以上、彼もまた人間という隣人を静かに知ろうとしたのだ。

そして隣人の「反応」に合わせ、自らの行動指針を選定し、習性を微調整出来る器用さをこのアラガミは持っている。

 

その最たるものが以下の習性だろう。

 

自分を殺傷出来る可能性を持つこの支部内の「同族」、つまり己と同じオラクル細胞の塊―神機の気配がGEの駐屯している香港支部の中心に集中している事を察知しているのか、「内部居住区には決して現れない」という習性だ。

 

主に外部居住区に定期的に出没し、「食物」を一定量摂取したのちに姿を眩ます。

 

 

 

この特異な生態に張は目をつけた。

 

外部居住区に「蔓延る」彼にとって定期的に「間引き」をしなければならないもの―それは他でもない居住者、住民だ。それすなわち固有種アラガミーインビジブルの「食物」でもある。

 

香港支部が世界中から難民、そして他支部からあぶれたフェンリル市民を過剰ともいえるほど受け入れている背景はコレである。富める者は内部居住区にて面白おかしい混沌の支部を堪能し、fcを落とし経済を回す。貧しい者はやっとの思いで安住の地を手に入れたと思った矢先、この地で知らぬ間に一人、また一人と消されていく。まるで通り魔にでもあったかのように定期的に人がこの支部では消え、行方不明になる。

 

残されるのは...他支部より香港支部に送られる大量の義援金、支援、援助物資。それを消費するはずの難民、住民は秘密裏に消され、それらの処遇は完全にこの香港支部支部長ー張 劉朱の手にゆだねられる。

 

これが難民、フェンリル住民にとって最後の行き先、「最後の砦」と言われている香港支部の裏の顔だ。

 

 

「ねぇライ?」

 

「は」

 

「ボクの子供って今何人居たっケ?」

 

「27人ですが」

 

「あれ~?もう少し居なかっタ?」

 

「お忘れですか?先日7人『間引き』されたではありませんか。『数字の6はどうも不吉だからついでにこのヤンって子供も切っといて。耳の形がどうも気に食わないンダヨ』とか言って」

 

「そだっけ?『断捨離』は性交と一緒で大事で快感な行為だケド、あまりに慣れてくると棄てたものを忘れちゃうのがネックだよネ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



















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元々香港マフィアとフェンリルが統治するこの混沌の支部―フェンリル香港支部、両者の関係性は意外にも決して悪いものではなかった。(そもそも時の最大権力と反社会的組織、暴力組織という一見相成れない存在同士が裏で繋がっていたなど珍しい話ではないが。)

 

アラガミ出現後の全世界規模の混乱のさ中、いち早いアラガミ防護壁の設営によって取り敢えずのアラガミからの被害を最小限に抑えながらも香港支部内では情報ネットワークに氾濫する真偽不明の情報から伝わる外の世界の混乱、アラガミという魑魅魍魎が跋扈する外の世界に対する怯え、不安に端を発した恐慌がなくなるはずがなかった。それらによって暴徒と化した市民の反乱、秩序の崩壊を防ぐために、彼らは「アメとムチ」の関係を以て市民感情の平静を保つことに終始した。

 

「フェンリル」という現代においての表向きの「絶対正義」と「香港マフィア」の「必要悪」。

 

両者のそのバランスによってアラガミという外部の「絶対悪」、「天敵」である存在によって生じる混乱を最小限に抑えたのである。

ややすれば「強引」ともとれるフェンリル統治に反する組織を秘密裏にマフィアが「暴力団抗争」の名の下に処理、粛清し、それを表向き「絶対正義」のフェンリルが取り締まり、民間の支持を得る。「アラガミからも反政府組織からも自分たちを庇護してくれる存在としてのフェンリル」を演出し、市民感情を鎮静化させる。完全な出来レースだが時代故に必要な行為であった。結果、香港支部が前時代の姿を今も尚色濃く残せている要因でもあるであろう。

 

元々マフィア、もしくは日本の「極道」というものは村、町などの人間のコミュニティで自分たちの身を守ったり、秩序を守るための互助団体、もしくは自警団のようなものが彼らの言う「シマ」―謂わば「縄張り」を巡る争い、利害関係により変化していったものである。言うなれば「警察組織」や「軍」というものもそれの発展形ともいえる。

暴力、恐怖、武力によって人間の「無秩序への憧れ、逃避」を制限するという点では両者にはさほど差などないのかもしれない。

 

しかし―彼らはあくまで「必要悪」である以上、時に、時の権力による排除や粛清、衰退を余儀なくされる存在でもある。

 

まして現在の表向きの「絶対正義」であるはずのフェンリル香港支部上層部が完全に腐っている状態ではかつてのアラガミ発生時に生まれた両者の奇跡の様な均衡、団結力を期待するのは無理な話だ。前述したように人の集団、組織の関係性というものは変化していくものだからだ。

 

 

 

 

「…貴方方は現在完全な『弱者の立場』といえる。フェンリルの庇護もなく、自前の武力、暴力、脅しの類も通用しない、行使できない『相手』が近くに巣食っている状態だ。…ダージェ」

 

「…」

 

「繰り返すが残念ながら貴方方では奴に対抗できない。あの『インビジブル』というアラガミにはね。…そしてこの支部で唯一奴に対抗できるはずのフェンリルは在ろう事かその存在を許容し、放置。それだけでは飽き足らずそのアラガミに『エサ』を与えている。…ここに住む何も知らない住民たち、そして何も知らずにこれからもやってくる世界各地で居場所を無くした人たちだ」

 

「…」

 

上半身を申し訳程度に部下の大男が来ていたオーバーサイズのジャケットで覆い、半裸状態のまま俯く目の前の女性―花琳(ファリン)の表情を覗き込むように見上げながら青年―エノハは語り掛け、そして―

 

「…!お兄!」

 

エノハの隣に佇んでいた死神の少女―「レイス」が驚きで軽く目を見開くぐらいに花琳に深くエノハは頭を下げる。

 

「…俺たちの『身内』の恥をどうか俺たちで注がせていただきたい。でも、どうかその為に貴方方の組織に助力をお願いしたいのです。ダージェ」

 

しかし、そんなエノハに向けられた返礼は―

 

「ふっ…くくくっ…ふふっ」

 

「嘲笑」。まさにそう呼ぶにふさわしい心からの侮蔑を隠さないきぃきぃ声が俯いたままのファリンの喉元から漏れている。

 

「……?」

 

「寝ぼけるな。さっきも言ったとおりだ。お前らと話すことなど何もない。フェンリルの犬が今更我々に『力を貸せ』、だと?ここの住民を、そして私の部下を何人見殺しにしてきたか解っているのか?」

 

「…」

 

確かに現状、エノハたち「ハイド」はこの香港支部に居着いたアラガミ、「インビジブル」によってでたこの支部の人的被害の正確な数について把握はしていない。

 

そのタイプの情報統制、管理に関して香港支部上層組織、つまり香港支部支部長―張 劉朱(チャン・リューズ)は徹底している。この支部に招き入れる人間の個人情報、一人一人のデータを精査、収集、統合、管理している。例えばもしこの支部に来た人間が他の支部に家族、近親者を残していた場合―その人間が忽然と「消えた」結果、残された家族から「連絡が取れなくなった」などの訴えが当然発生する可能性がある。フェンリルの他支部からあぶれた人間を受け入れることに関してはこと張は慎重である。

 

反面―

 

とかく「喰われても問題のない」人間―「難民」は非常に受け入れが容易だ。神機適性をもたないフェンリルにとって「無価値」の人間でも「飼っている」アラガミの腹を満たして大人しくさせるぐらいはできる―そう考えている。

 

そもそも「難民の受け入れ」というものは国際社会にとって人道的に大切な仕事ではある。受け入れを拒否した国家には国際的非難が集中することも多い。しかし、反面難民を受け入れるという行為は受け入れ側の国家にとって相当の負担、覚悟、用意、準備、代償を強いる過酷な行為であるのもまた事実である。

何せ言葉、肌の色、価値観、文化、宗教、食べ物までも異なる様な不特定多数の人間を受け入れ、住む場所、食料、仕事の場を与えなければならないのだから当然である。それをシェアする立場の「先住者」との軋轢は当然起こるし、逆に受け入れた難民を不当に扱って私腹を肥やす手口なども横行するため、明確な国際基準の法整備が必要になったり、難民に紛れてテロリストや危険思想の人間が国内に入ってしまうリスクなどデメリットは枚挙に暇がない。

 

しかし、2070年代の現在―この香港支部においてはその心配がない。難民は異人であろうが善人であろうが悪人であろうが一緒にアラガミの腹の中である。

排泄物をしない都合のいいアラガミの生態ゆえに死体の処理すら必要ない。おまけに自分のいた痕跡を残すことをことさら嫌う習性、特性をもつ特殊なアラガミのため、残留物、目撃者すら残していない。

さらにさらにこの非人道的行為を香港支部が行っていることを黙認している他支部の人間も口を割ることはない、ときている。何せ自分の支部の所で慢性的な問題となっている難民やあぶれたフェンリル市民を秘密裏に香港支部に受け入れさせたのは当の彼らである。彼らが受け入れさせたその人たちがどうなるかを承知の上でだ。

 

当然両者には暗黙の了解―「秘密は墓場までも持っていく」密約が交わされている。

 

「難民」はフェンリルに公には存在していない、登録されていない人間である。しかし支部内に入った以上は指紋、血液型、神機適性の有無など厳密な管理の為に個人情報登録が通常なされる。しかし香港支部では支部内に入った難民をフェンリル市民に登録する必要はない。

 

なぜなら彼らにとって「エサ」を登録する必要などないからだ。

 

よって「ハイド」があのアラガミによってどれだけの人的被害が出ているのかを正確に把握する情報、術は無かった。

 

…ファリンに話を聞くこの日までは。

 

「聞かせてやろう」

 

ファリンはそう言って俯いていた顔を上げる。美しい顔を憎悪と憤怒に歪ませて。

 

 

 

「…解っているだけで9000名以上だ。我々の組織『黒泉(ヘイセン)』の構成員を含めてな」

 

 

 

「…!!」

 

「9、000……!?」

 

余りに予想以上の数字にエノハ、「レイス」の二人も言葉を失う他なかった。その表情に満足そうに、しかし尚も表情を歪ませたままファリンはこう続ける。

 

「この事実を知っている我らを奴らがこの先放っておくわけがない。いずれこの数に我々が加わるのも時間の問題だろうな?そんな奴らの身内に手を貸すなど…できるわけがなかろう。まぁ…むしろ貴様らが我々を今殺すつもりでここに来たのであれば合点がいく状況ではあるがな?」

 

ファリンは手を広げ、室内をぐるりと見まわす。懐には意識を失い倒れた部下。自分は文字通りの裸一貫。最早抵抗のすべなどない己の状況を晒すように、「さぁ殺せ」とでも言いたげであった。そんな彼女にエノハは沈痛な表情を浮かべつつ、首を振ってこう言った。先ほどまで拷問をされていた時と同じ、苦し気な口調で。

 

「…ち、違う。ダージェ。俺たちはそんなつもりでここに来たわけじゃない」

 

「ほう?信ずる証拠は?」

 

全く逡巡なく、ファリンはエノハを睥睨しながらさらりと囁く。

 

「…特に無い」

 

「であろう?よって私の答えは変わらない。一言一句違いなく繰り返そう。…『お前らと話すことなど何もない』。もし我らが手を貸し、協力してあわよくばあのアラガミを仕留めたとしよう。しかしその後、お前らフェンリルにとって都合の悪い情報を知りすぎている邪魔な私たちを消さない理由がどこにある?」

 

「…」

 

エノハはしばし黙り込むほかなかった。そんなエノハの表情に満足したようにファリンは最早用をなさない警報ブザーの設置された机に座り、悩まし気なほど白く、優雅な脚線を晒して足を組み、頬杖をけだるげに突いた。

 

「してお前達?」

 

「…?」

 

「お前たちは先程こう言ったな?『貴方方では奴に対抗できない』、と。まぁ得意げに」

 

「それが…何か?」

 

「ふっ…お前たちは私たちの事を本当に何も知らないのだな?…我らとて黙って殺される気はない。我らにも…

 

ベッドを賭けるに値する『切り札』がある。

 

お前たちだけでなくあの化け物の喉元にすら届く可能性のあるたった一つの我らの刃であり、盾…

 

 

そして『矛』がな」

 

 

「…?」

 

 

 

「…『J』。後は…頼むよ」

 

 

ファリンが小声で小さくそう呟いた。まだ二十代後半、この若さでこの香港の黒社会の一組織を取り仕切っていた女性が初めて年相応な表情を見せたその時―

 

 

 

 

この部屋の防音設備をいともたやすく切り裂くような轟音が外から響いたのはほぼ同時であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




数分前―


香港マフィア―「黒泉」のアジト前の玄関にて

「ん~~っおっそいなぁ?エノハさんと『レイス』ったら何やってんのかなぁ~~?」

最近少し薄くなったそばかすをまだあどけない鼻先に散らした赤毛の少女―アナンが何とも暇そうに頬を右手の指先で突きつつ、空を見上げていた。
何とも力の抜ける口調でぼそぼそ呟いている少女だが足元には彼女が完全に意識を断ち切った「黒泉(ヘイセン)」の見張り役を務めていた構成員が一人転がっている。腕も足も既に拘束済み。何かの間違いで意識を取り戻しても最早彼には何もできない。
スキンヘッドで眉毛無し、絵に描いたような極道、チンピラ風の強面な男、おまけにアナンより遥かに体格が大柄な男であるがGEの彼女にとって彼を気絶させることなど朝飯前であった。
彼だけではなく、この玄関から入った先に居た約十数人のマフィアの構成員たちも同様で制圧、拘束を済ませている状態であり、先程アジト内に空しく響き渡った警報音も今は鳴りやんでいる。

現在「ヘイセン」の構成員たちは襲撃してきたハイドの「二人」に一矢報いるどころか自分たちが「襲撃された」という自覚も無いまま「おねんね」、という状態だ。

「ふわぁ~~あ。こんなにたくさん気持ちよさそうに眠ってる人周りに居たらつられて私も眠くなってきちゃったよ。後シクヨロね~~?…リグ?」

「お前ももう少し働けや…」

「何もない」はずのアナンの背後の空間から一人の少年が異空間から滑り出るように現れ、気だるげに玄関先でねそべり始めた赤毛の少女の顔を覗き込み、苦言を呈す。
「ステルスモード」を解いた少年―リグ。アジト内の「ヘイセン」の構成員に誰一人として存在を知られず制圧、拘束した彼も何とも退屈そうに首をならす。

「相変わらずアンタの能力は便利だよね~~?ホントこういう仕事に向いてる。私もそんな能力が良かったな~♪」

「…よく言うぜ。はっきり言ってお前ほど自分の能力に悪い意味で噛み合い過ぎてる奴は居ねぇよ」

「ふふん♪誉め言葉に与かり光栄ですヨ」





「…なんでこんなまどろっこしいマネすんのかね?エノハさんも。こんな奴ら殴って言うこと聞かせたらいい話なんじゃねぇのか?」

「焦んないの。目的忘れんな少年?私らヤーさん鎮圧しに来たわけじゃないの。私らの仕事はあくまでアラガミの討伐」

一応の年長者としてアナンはリグを窘めはじめる。

「…この香港支部に関してはフェンリルの協力、情報開示が期待できないかんね~。土地勘も無ければ、奴の住処である地下水脈に関しての情報もない。つまり闇雲に突っ込めば下手すりゃ私らも上海支部の連中の二の舞になる」

この少女は性格、そして自分の神機、特殊能力の特性上、敵を決して過小評価しない。彼女の趣味である「目の前の修羅場、地獄を楽しみ、愉悦に浸る」―そのためには手順と下調べが必要なことをよく解っている。

「おまけにこの支部内に持ち込める物品、資材も厳重に連中に管理されてるときてる。戦える戦力、装備が整わなくちゃいくら私らでも今回は危ないっしょ?今回のアラガミハッキリ言ってかなり厄介な能力、習性持ってるかんね」

「ちっ…」

「加えて…今回私らはエノハさん抜きでそいつを殺らなくちゃいけない。それで準備も装備も整わないんじゃ…どうなるか分かるよね?アンタもエノハさんが居なけりゃ自分が今までの旅で何回か死んだかもっていう自覚ぐらいあるでしょ?」

「…」

「…リグ。よく聞きな?今回は色んな意味で正攻法にはいかない。でも物事には何事にも抜け道がある。それを知っているのがこの香港支部の『裏社会』に通じた人間、つまりこの人等ってことよ」

合法、非合法、もしくはその基準が曖昧な物品を裏のルートから国内に仕入れたり、世間一般には出回らない裏の世界の情報収集を行うことに関して「裏社会」に生きる人間は時代問わずエキスパートだ。

表からが駄目なら裏から入る。至極当然の発想である。

「今回の任務にこの人らの情報、協力は必須。『蛇の道は蛇』っていうでしょう?でも…肝心な所でこの人等に裏切られたり、偽の情報でも伝えられたら私らがヤバイ。だからエノハさんは単純に力でねじ伏せて言うことを聞かせるのではなく、まず対話、交渉から開始しようってことで一人で行ったんでしょ。自分の目で見て口の堅そうで、信頼できそうな人を確認しに、ね?そこは理解したげて」

「解ってら」

「うん♪リグが少し成長してくれてお姉さんは嬉しいぞい」

そんな会話を二人がしていた時であった。

GEとして異常な程、研ぎ澄まされた感覚を持っているこの二人を以てしてもその「存在」の接近に直ぐには気が付かなかった。

――…!!!!

―迂闊…!!

内心両者自分の失態を攻める。恐らくその「存在」が初めから自分たちへの攻撃意志を持っていたのであれば奇襲され、仕留められていた可能性が高い。


「…り、リーさん…?」


今リグとアナンの目の前に現れた存在―一人の少年は彼らに一瞥もくれず見張り役の気絶した男に音もなく駆け寄ってきた。

―何だ…コイツ…!?

―…。

リグ、アナンは彼の接近に気付けなかった自分の失態に対するショックからは早々に立ち直り、身構えてはいるものの、現在いきなり現れた少年はその所作に特に反応せず、ただ愚直に倒れた仲間に声をかける。

「お、おい!リーさん!?しっかりしろって!?おい!?」

接近まで気配が感じ取れなかった割には妙に大きな声で倒れた男の名前を少年は呼び続ける。普段は周りを気にせず大声を張り上げるタイプなのだろう。そこから彼の性格が推し量れる。

感情的で気が短く、多弁で大雑把。つまり―


「お前らぁ…リーさんに何した…!?」


こうなる。

横たわった男―リーが全く反応しないことを確認したのち、その男の傍らで特に彼を介抱することもなく先程までくっちゃべっていた二人に対し、即刻敵意を隠さず詰問を開始する。今回の件に関しては誤解でも何でもなく、実際に二人がこのアジトを襲撃したことは確かなので彼の怒りは決して間違ってはいないが。

「…答えろ」

すっくと立ちあがり、少年は二人をにらんだ。年齢は恐らくリグやアナンと同年代か少し上ぐらいの印象。背もすらりと高い。くたびれたオリーブ色のカーゴパンツに黒のブルゾン、インナーには白シャツとラフな出で立ちだが細部から覗く手首、腕、胸板、肩甲骨から痩身ながらも非常に引き締まった体格をしていることが解る。
おまけに十中八九、彼のお仲間であろう「リーさん」を気絶させたのがリグ達であることが解っているため、彼の体は怒りと共に徐々に隆起していることが解る。

同時ふわりと一メートル以上の長さの結わえた黒髪も宙に舞っていた。これは中国の伝統的な髪型である「辨髪」と呼ばれる髪型である。それがまるで攻撃態勢の蠍の尾の如くリグ達を威嚇するように揺れる。リグ達に敵意を向ける眼差しは引き絞られた弓の様に細く尖った吊り目をしており、その瞼の上にはこれまたまるで蠍の鋏の様に二股の特徴的な眉毛がこれまた鋭角に引き絞られている。

そして何よりも。

彼が肩にかけている黒い物体の「気配」に二人は気圧されていた。まるで「戒め」の如く無数のベルトによってコーティング、固定された長身なこの少年の背丈を遥かに超える長細い物体―例え覆い隠されていようとそれが「何」なのかリグ、アナンの二人には解っていた。感じ取っていた。しかし、分かっていてもすぐには頭の中で理解できなかった。

―何故「それ」を…!?

それは間違いなくある意味彼らの同族―

「神機」の気配であった。


「は~~~ん。答えねぇか…じゃあそれでもいいや」


「バツん」と大きな音を立て一つのベルトの固定具を少年がたくましい指ではじくと同時、断続的に同じ音が響いてその物体を包んでいるベルト―拘束具がゆるゆると宙を舞い解かれていく。その隙間から鈍い灰色の物体が僅かに覗いたと思った瞬間―


ドォンっ!!!


地下のエノハたちが居る拷問室にまで届く程の轟音が響き、彼らのアジトの壁にまるで爆発物が直撃したかのようにな大穴が開いた。


無数の破片と埃が周囲に舞い散る中でリグは確信する。


―間違いねぇ。コイツ…



ゴッドイーターだ…!!!



「へぇ…今の躱すか…やっぱりお前ら敵決定」

周囲に巻き上がった無数の破片と煙を引き裂き、現れた痩身の少年は右手に持った長い得物を軽々と振り払い、今の攻撃に瞬きすらしなかったリグを警戒の目で見据えつつせまる。

装備神機―チャージスピア


…アロンダイト。


主に大型アラガミ―ボルグカムラン素材を抽出、摂取することによって顕現する攻守ともに強力な神機である。素材元であるボルグカムラン自体がそもそも強力かつ強大な大型アラガミ種であるため、自然これを扱える、装備できるGE自体の実力もかなり高いことが容易に伺える。


彼こそがファリンの言っていたこの「黒泉(ヘイセン)」最後の切り札であり、最高の牙、武力、そして唯一の「矛」。


名は―


「J」。
















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同族






 

 

 

 

 

「ノエル!!」

 

「おわ!!リグ!?ちょっ、ここで何してんの!?潜入中じゃなかったの!?」

 

香港支部郊外―中層スラム地区と中流階級居住区の丁度真ん中に位置する黒泉(ヘイセン)のアジトよりやや外部区域にて―

 

ノエルは簡易の神機倉庫を兼ねた装甲車内のドアを乱雑に開けたリグを前に彼の予定より遥かに早い帰還にノエルは最近手に入った最新神機カタログを手にビクッと慄いた。どうやら健全な「お楽しみ中」だったらしい。

 

「いい気なもんだなおめぇは…こっちの苦労も知らねぇで…」

 

「最近の君がそれ言うかな…」

 

「…まぁいい。こうしちゃいられねぇ。ノエル!俺の神機出せるか!?今すぐ!」

 

「え!?神機?いきなりでる気なの!?ダメだって!!出撃はちゃんと手順踏んでからでないとって散々皆に言われたろ?それに神機だってこんな簡易の倉庫じゃ碌にエネルギー補給も素材合成も出来てない状態だし直ぐにエネルギー切れを起こすよ!」

 

「ツベコベぬかすな!緊急事態なんだよ!!」

 

リグはノエルの制止を無視し、コールドスリープ状態の愛機―ケルベロスの端末に触れ接続。見る見るうちに先ほどまでただの物、機械に過ぎなかった神機に「生気」が灯っていく。しかし―

 

「…ちっ!!~~~~っ!!」

 

そんな急激な神機の覚醒の姿にもリグは「遅い」と言いたげな不機嫌そうな顔をし、周囲を鋭い目で交互に睨む。

 

「何があったの!?そんなに慌てて…っていうかアナンは!?君と一緒に居たんでしょ!?」

 

「…」

 

そのノエルの質問にリグは応えない。その代わりに一瞬だけちらりとノエルを睨んで再び視線を逸らす。その所作には形容しがたい不快といら立ちが混ざっている。

 

―まさか…アナンが!?

 

「ひょっとしてアナンに何かあったの!?答えてよ!リグ!!」

 

「…聞くな」

 

 

 

数分前―

 

「ヘイセン」アジト前にて

 

 

「ふん、ふん、ふん…その落ち着きっぷり…タダもんじゃねぇな?お前…」

 

 

香港マフィア「ヘイセン」の構成員にして同時GEでもある辨髪の少年―「J」の急襲、詰問を前に先ほど彼の猛烈な初撃を交わしたリグが四つん這いで向かい合いつつ、臨戦態勢を整えていた。

 

―…。

 

リグは無言のまま思考を巡らしつつ、「一瞬の隙も見せまい」と言いたげに目の前の戦闘態勢である「J」から目を逸らさない。そしてその姿勢のまま自分の次の行動指針を図っていた。対峙した少年―「J」もまたそれを解っているのだろう。勢いのまま放った初撃を易々と躱された事実を前に最早「獲物」というよりも「天敵」と出くわした際の蠍の如く、彼の愛機であるチャージスピア―通称「アロンダイト」の鋭い槍の先端をゆらゆらと動かしながらリグを牽制する。慎重だが同時、少なからず自分が相対した相手の非凡さを感じ取るゆえに「今が好機である」ということも往々に理解している。彼がGEとしてそれなりの場数を踏んでいる証拠だ。

 

実際、例えリグとはいえ神機を持った相手に現状、丸腰の状態では状況は「不利」以外何物でもない。一時この場を撤退、もしくはヘイセンのアジト内に居る神機を携行している「レイス」に助力を求める選択肢を考えていた。

 

―…いや。

 

しかし、後述の「レイス」に助力を求める案もすぐにリグの選択肢から消える。アジト内に居るエノハたちの現状が解らないだけにここはアナンと協力し、自分たちの力だけでこの場を凌ぐ指針に決定。即その判断をアナンと確認、共有するため、彼女にちらりと鋭くリグはアナンに目配せをする。

 

しかし―

 

 

「きゃ~~~っ!!助けて!!殺されるアルよ~~タスケテ~~かこいいゴッドイーターのお兄さ~~~ん」

 

 

「…あ?」

 

場にふさわしくない、何ともワザとらしい声が周囲に舞う粉塵を切り裂いて響き渡る。声のした方向にはエメラルドの瞳をウルウル、しぱしぱ瞬かせ、上目遣いの赤毛の少女が両手を合わせて懇願するように現れた少年GE―「J」を見、涙声でこう呟いた。

 

「ひっく、ひっく、ワタシ…家族に売られてこの目つきの悪い『むっつり変態外道チビ男』に連れてこられたアルね。私はコイツの言われるがまま、されるがままにここに連れてこられただけのキュートでカワイソウナ女の子アルよ!!タタタ助けて~~っ」

 

「…」

 

「…」

 

ほんの暫時、突っ込みどころが多すぎてリグは閉口。一方で対峙したGEの少年―「J」もまた無言で、チャージスピアの基本姿勢を保ったまま視線のみジロリとアナンに向けていた。体の向き、間合いは保ったままのため、リグがどのような行動に移ろうと対処できる体勢でアルある。しかし、リグは例えそれで「J」に僅かながらも隙が発生したとしてもそこを突く精神状態に無かった。

 

「アナン…?おめぇ…ふざけてる場合か?ん?」

 

リグにしてはアナンに冷静に、そして尤もな問いかけを返す。口の端は怒りでひくひくしているが。しかしそれに対するアナンの返答は…コレだった。

 

 

「…『アナン』?誰ねソレ。ワタシそんな名前じゃないアルね。私『メイリン』言うヨ。オマエにあんなことやこんなこと好き放題サレて辱められたアト、今まさに香港に売り飛ばされようとしてるカワイソなカワイソなか弱い女の子アル」

 

「…」

 

ふつふつと湧き上がる怒りと混乱を堪えたまま取り敢えずリグは早々もうあきらめる。そして今度は対峙している辨髪の少年―「J」に向き直った。

 

「ま、まぁ落ち着こう。な?何かヘンな奴が意味わからん事目の前でほざいてるけど気にせずに。…落ち着こう。…俺もお前も。うん」―とでも言いたげな視線でリグは「J」を見る。

 

まさか今時こんな見え見えの演技に引っかかるバカなんて居ないだろ―そう彼は自分に言い聞かせていた。

 

 

 

「…てんめぇ…こんなカワイ子ちゃんになんてことを…!!許せねぇ…!!あんなこと?こんなこと?好き放題だ、と…?」

 

 

 

「……!!」

 

―馬鹿だったーーー!!正・真・正銘の!!!

 

完全に今「J」の標的はリグただ一人になった。目の前の馬鹿―「J」がコンクリートの地面に足跡を残せそうなほど怒りに震えた歩みを開始。その姿にリグが思わず珍しく突っ込み役に回る。

 

「お。おい!!お前っ馬鹿なのかっ!?今時こんな語尾が『アルアル』してる奴なんてあっきらかにそっちの方がパチモンだろーがよ!??」

 

「あ!?『パチモン』!?『チャイナクオリティー』だと!?昨今のメイドインチャイナ舐めんじゃねぇぞ!!?このチビ!?」

 

「言ってねぇ!うわっ!?」

 

横薙ぎの槍の一閃がリグの頭頂付近を通過。間髪入れず鋭い数発の突きがリグの両頬の側面を次々に掠めていく。押されるがままに交戦は再開。しかし当然、丸腰のリグは圧倒され、後退するほかない。

 

「死ね!!…羨ましいことしやがって!」

 

どうやら少々ずれたところで「J」は苛立っているらしい。

 

「~~~っ!!お前!曲がりなりにもゴッドイーターなら神機を人サマに向けてんじゃねぇ!!あっぶねぇだろが!!」

 

「はっ!!『人』ぉ!?女の子香港に売り飛ばす奴なんて人なもんかよ!!ゴミ掃除してやらぁ!!って~かちょこまか逃げんな!!避けんな!!」

 

「~~~っ!!おっまえ!!覚えてろよ!?アナン!?」

 

「きゃっ!!こわいアル~~殺して~~お兄さ~~ん」

 

身をすくめて縮こまるアナンの猫なで声に更に煽られ、標的のリグを追い、「J」もまたその場からいなくなってしまった。

 

 

 

 

 

「…ほぉお~~」

 

嵐の様に現れ、嵐の様に去っていた少年―「J」と彼の標的になったリグを見送り、アナンは一人うんうんと頷きながらこう言った。

 

―あ~すごいわ。マジもんのバカだわ。あっつかいやすぅ。…さてバカはバカ同士行っといで。私は…私の仕事をしないと。

 

まさか一反フェンリル組織(あくまで表向き)がゴッドイーターを飼っているなんて予想外の事だ。いろいろと疑問はあるにせよまずは早急にアジト内に居る「ハイド」のリーダーであるエノハ、「レイス」達と合流し、情報交換を行い今後を考えていかないといけない。先程までのふざけたやりとりに反してアナンの心根は氷の様に冷静であった。

 

「あろうことかフェンリルの反政府組織であるマフィアに神機、そしてゴッドイーター、か…。なるほど。この支部に未来(さき)無いかもね」

 

「うっ…」

 

「…。悪いけどアンタらはもう少し寝てて」

 

「げっ!」

 

「J」の一撃によって舞い上がった壁の破片が直撃し、意識を取り戻しかけた「ヘイセン」アジト前で門番をしていた男―「J」が「リーさん」と呼んでいた男がうめき声をあげた姿をアナンは無感動に見下ろし、無造作に顔を蹴り飛ばして再び彼の意識を断つ。

 

 

 

 

数分後―

 

再び簡易神機倉庫―装甲車内にて

 

 

「…」

 

ノエルはリグから聞かされたアナンのおふざけの裏にある冷静な判断に半ば気付いていた。だが少々今回に関しては全て面倒を押し付けられたリグを不憫に思う。

 

「…で。話を戻すけどリグ…本当にGEが居たの?表向きとはいえフェンリル以外の一組織がGEを囲っているなんて…とても信じられない」

 

「…直に解る」

 

「え?」

 

「…来たぜ」

 

ガスン!!!!

 

リグがそう呟いた瞬間、鈍い光を放つ銀色の矛の先端が易々と砲弾すら弾く装甲車の堅い壁を突き破り、そしてそこからまるで包丁で魚の腹でも裂くみたいにぞりぞりと横薙ぎに削っていく。腹のなかの内臓―つまり中に居るリグ、そしてノエルを引きずり出すために。

 

「うわ…うわわ…」

 

余りに強引で雑な行為。ノエルは違う意味でおののく他ない。一方ー

 

「好き放題にやっちゃってくれてまぁ…目にもの見せてやるぜ。蠍野郎」

 

 

ガコン…

 

 

アナンの仕打ち、そして売られた喧嘩を前に完全にブチ切れたリグの殺気が―

 

「…あ?…ん!?ちっ…!?」

 

ーなんだ!?

 

装甲車の切り裂かれた隙間から冷気の如く漏れ出すのを装甲車の外に居る「J」は感じ取り、反射的にバックステップ。同時盾形態を構える。彼の装備する盾形態は細く長大な刀身形態のチャージスピアとは対照的に大型アラガミ―ボルグカムランの両腕に施された般若の如き顔を纏った堅牢な盾をそのまま象られた巨大な銀色のタワーシールドである。非常に重く、展開速度もやや遅いが見た目通り純粋な防御力に関しては世界に存在する数多の神機の盾の中でも上位クラスである。ひと度展開すれば生半可なアラガミでは傷ひとつ付ける事すらできない。

鋭く、長大なリーチを持つ「槍」と難攻不落の堅牢な盾形態を装備した装備者ー「J」の典型的なアジア人、大陸系、東洋人の顔立ち、風体、見た目に反したさながら中世ー西洋の「重騎士」の如く堅実な「堅守速攻」の実用性の高い戦闘スタイル―それが「J」の持ち味である。

 

ドォン!!!

 

しかしそんな彼の堅牢な盾を以てしても、漏れ出したリグの強烈な殺気と共に装甲車内から放たれた爆発音らしき轟音の後の―

 

ドッドドドドドドッ!!!

 

装甲車を内部からチーズの様に穴だらけにしながら降り注ぐ無数の弾丸の盾への直撃を前に衝撃を緩和しきれず吹き飛ばされる。

 

「っ……!?ぐ~~~~~っ!!!」

 

一発一発の着弾間隔が極端に短い割に、まるで重いボーリングの玉を高速で何発もぶつけられるかのような重い何発もの銃撃を盾で防いだ結果、両腕に痺れが伴い、思わず「J」の顔が苦悶に歪む。

 

―な、にぃ……!?

 

気付くと8Mも両足を引きずりながら後退させられた自分の現状に驚き、細い瞳を見開く。

 

「ちっ!」

 

彼が横一文字に切り裂いた装甲車の隙間、そしていつの間にか無数に空いた直径十センチほどの弾痕を前に気を取直して身構える。先ほどまで彼の中で攻撃:防御の配分、割合は約9:1程であった。が、この銃撃を前にしては彼の中で防御の割合を4程に上方修正せざるを得ない。それ程警戒すべき看過しづらい衝撃であった。

同時先程隙間から漏れた別格な程「昇華された」相手の気配を前に「J」は慎重に再びじりじりと装甲車に近づいていく。

 

―…む!

 

同時装甲車の後方の両開きのドアが片側だけ申し訳程度に「キィ…」と開く。「J」はそれを見つつもそれが相手の「ドアから外へ出る」ように見せかけて再び装甲車の中から射撃を放つための陽動―ブラフの可能性を疑いつつ、盾を構えながらゆっくりと近づく。

しかし―

 

「あーー失礼。その、攻撃、しないでくれますか!?」

 

「…?」

 

明らかにリグとは異なる平和主義そうな控えめな少年の声が響き、同時にょっきりと片側のドアから敵意の無い事を必死で示す様に両手を広げて細目の小さな少年―ノエルが「J」の前に現れる。ひきつった顔で苦笑いしながらできる限り無能っぽく振舞いつつ。すると「J」はほんの少しだけ警戒を解き、リグの不意打ちを気にしながらも問答無用にノエルを攻撃しようとはせずにこう尋ねてきた。

 

「…お前は?さっきの奴と違うみてぇだが…まぁいい。答えろ。アイツはどこに行った。正直に答えたら…まぁお前は半殺しで済ましてやる。お仲間なんだろ?あのチビと」

 

攻撃意志は幾分抑え、弱まらせたとはいえまだまだ強い敵意、そしてかなり強い「J」の言動と語気にノエルはひるむ。

 

「は、半殺しですか…」

 

―ええ…アナンとは随分対応が違うな…。ひー。

 

これではアナンみたいにすっとぼけたり、被害者面しても望み薄。すぐに殺されるのは流石に無いにしてもある程度痛めつけられて行動不能にぐらいはさせられる。「何て損な役回りだろう」とノエルは内心半泣きになる。

 

「…そうです。僕は彼の仲間です。でも…彼はともかく僕は抵抗する気はありません」

 

正直に、偽らずノエルはこう答える。

 

「抵抗する、しないは関係ねぇ。残念だけどお前をボコることは決定してる。アイツがどこに行ったかだけとっとと答えろ」

 

「逃げました。多分もうここには戻ってきませんよ」

 

「…」

 

「…」

 

「嘘じゃあねぇみてぇだな。じゃ、とりあえず覚悟はいいか?お前がアイツのお仲間である以上ほっとくわけにはいかないんだワ?」

 

一頻りノエルを睨んだのち、彼の言葉に嘘偽りはないと「J」は判断。先程アナンにはアッサリ騙されたにもかかわらず、今回は冷静で的確な判断と言える。

 

「はいどうぞ。慣れてますんで」

 

「…?調子狂うやつだな」

 

粛々と受け入れるノエルに流石に「J」も首をかしげる。先程のリグと比較すると全く以て性格が正反対なノエルは奇異に映る様だ。

 

「そうですか?あ、でもよかったらその前に…一つお願いしていいですか?」

 

「あ?お前自分の立場解ってる?時間稼ぎのつもりなら四分の三ぶっ殺すぞ」

 

「別にそれでもいいです。でもその代わりに……あなたの神機!!僕に見させてください!!」

 

「…は?」

 

「アロンダイト…!!うわ~~初めて見た!!ボルグ・カムランの素材から作り出した超攻撃的神機の逸品!チャージスピアとして必要な機能が全て詰まった傑作神機ですよね~コレ!」

 

ノエルは開き直って完全に趣味に走る。どうせボコられることが決定しているのなら楽しんだ方がいい―そういう点でノエルは案外図太いところがある。

ただ只管神機以外眼中無く、奸計も懐柔してくるような雰囲気もなく駆け寄ってきたノエルを唖然と「J」は見送る。

 

「…あ、てめ!べたべた触んな!捕食されっ…!!..!?」

 

「大丈夫です!!ちゃんと専用のグローブはつけてますよ♪~~ほら~大丈夫でしょ~~♪」

 

「…」

 

「J」は目を丸くしながらその奇妙な悦に浸る少年を見る他なかった。リグ達が「J」に対して「一体何者なのだこいつ」と思っていたように彼もまた今こう感じ始めている。

 

―コイツ「等」…一体…?

 

と。

 

彼―「J」は本来GEが所属するはずの組織―フェンリルに属していないGE―謂わば「はぐれGE」「野良GE」である。おまけに「ヘイセン」という反フェンリル組織にとって自前でアラガミに唯一対抗できる切り札的存在であるため、存在を隠匿されている人間だ。よって現状ヘイセンの構成員という「仲間」は存在しても彼の「同族」―GEと触れ合う機会が無い。

今はまだ彼はその事実知らないがリグ、アナン、そして目の前に居るノエルも「元」とはいえGE―彼の「同族」だ。それをどこかで知らず彼自身感じ取っているのであろう。

 

ー...。

 

何故か際限なく湧き上がってくるリグに対する敵意、競争心―「同族嫌悪」に近い感情。一方で現在の目の前のノエルに対する同族をどこか心の中で求めている―謂わば「同族愛」に近い複雑な感情が彼の中でせめぎ合っているようだ。それが今のノエルに相対する彼の何とも中途半端な対応に現れていた。

 

 

「ふ~~っ♪すごい!やっぱりいい神機ですね!!アロンダイトは!!一見原始的な風貌ながらその実洗練され、無駄を極限まで削ったストイックなデザイン…。惚れ惚れします!」

 

「...」

 

ー...。

 

「あ。その、申し訳ない、です。馴れ馴れしくって…。さぁ!ボコってくれて結構ですよ!!」

 

「…興が削がれた。後にしといてやる。んでお前は四分の一殺しに勘弁してやるよ…」

 

自分の神機の事でここまで騒げるうえ、理解の深い人間はそう居ない。何となく「J」はこのノエルという少年を攻撃する気には最早なれなかった。

 

「え…いいんですか?ありがとうございます」

 

「…勘違いすんな。お前には聞かなければならないことがあっからな。お前のお仲間のチビは全殺し決定だからお前に聞くしかないだろが。覚悟しとけ」

 

「…そうですか。お気をつけて。あ。神機の事ならいくらでも相談に乗りますよ?」

 

「調子に...乗んな」

 

ー変な奴。

 

「J」はそう思い、振り払うようにノエルに背を向け、彼が言うには既にこの場から居なくなったというリグの逃げた方向―装甲車の反対側側面に歩を進めた時―

 

「…っ!!!」

 

思わず息を呑んだ。

ここで彼は先程弾丸の弾幕を構えた盾に浴びる直前、発せられた「轟音」の正体に気付く。そして同時、再びこの疑問を内心「J」は呈した。

 

―コイツ等…本当にナニモンだ…?

 

ちらりと横目で振り返り、まるで「お帰りお待ちしています。お気をつけて」と言いたげな無害そうながらもどこか「J」にとって落ち着かない笑顔で見送るノエルの表情を確認する。自分の事を「脅威」と認識しながらもそれでも「自分の仲間は彼に対抗できる」という自信―詰まるところ「信頼」がその表情から伺えた。

「野良GE、はぐれGE」―組織でたった一人のGE故に「J」では今まで決して持つことの出来なかったものだ。

 

そのノエルの「信頼」の表情の圧倒的裏付けである「その光景」を凝視し、じとりとチャージスピアを握る「J」の手が汗ばむ。

 

―…面白れぇ。

 

その光景ー装甲車の反対側の側面の片側の一つ当たり10センチ程度の「小さな」弾痕を遥か凌ぐ直径2m以上の巨大な円形の大穴がぽっかりと口を開けていた。そのエネルギー、破壊力は恐らく先程「J」の受けた弾幕の軽く十倍以上。

 

その「口」がまるで呑み込もうとしている様に口を開けている先は外部居住区、貧民街―

あの「J」にとって不愉快でクソうっとおしいアラガミが潜んでいる場所だ。

そこに今日突然現れた、割り込んできた「よそ者」、「異物」、「闖入者」を前に今までにない不思議な興奮、高揚を覚えつつ、「J」は愛機を肩にかけ、雑踏に消える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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同族 2








 

 

 

 

 

 

 

―ここに来るたびいつも気分が滅入る。

 

 

「J」はいつもそう思う。

 

香港支部外部居住区最貧民街―通称「幽霊」(ユリン)。

 

「外部居住区」と言うものは通常、ある程度住民たちの活気や喧噪などの騒がしさが感じられる場所だ。例えば極東支部外部居住区―エノハの親友であるGEの藤木 コウタが住んでいた区域などは常に装甲壁を突破してきたアラガミによって真っ先に危機に晒されていた。

木っ端の様な安全の中で「アラガミに襲われる→破壊→再建」―スクラップアンドビルドを繰り返し、そこで生き残り、耐え抜いた住民達は良くも悪くも心身ともにタフになる。

確かに治安、衛生状態は良いとは言えないがそれを改善しようとする「意欲」、お互いに協力して生き抜こうという「意志」を感じさせる活気、反発力、賑やかさを持っている。

かつて極東支部で元第一部隊隊長であり、エノハの師匠筋の人間でもあるGE―雨宮リンドウも外部居住区で育ったコウタに関してこんなニュアンスの事をエノハに言っていた。「このご時世、生まれでありながら何とも真っすぐ育ったヤツだ。最高の友達だぞ。…大事にしろ」と。

たとえ貧しくとも、生まれた環境が過酷であろうとも真っすぐに伸びる苗はある。

 

しかし―

 

この場所―香港の外部居住区「ユリン」においてそれはない。

 

奇妙な程静かなのだ。ここ「ユリン」は。

 

なぜならここに居住しているのは主につい先日まで外の世界をさ迷い歩いていた難民、そして他の支部を追い出された人間達である。

 

それだけではない。彼らはある意味「選ばれて」この地に居る。

 

彼らの身元は総じて「家族」、「親戚」、「地域」、「共同体」など人間のコミュニティなどに一切属してこなかった―謂わば殆んどが天涯孤独の人間たちなのである。これが前述のコウタの例と全く異なる点だ。他者との関わり、人間関係などが一切希薄になった人間。

 

それ即ち…「後腐れがない」ということだ。

 

彼らが人知れず消えても誰も気づかない。解らない。気にしない。そういう連中を「敢えて選んで」向かい入れているのだ。この香港支部を司る連中―つまり張 劉朱は。

 

彼らは「奴」のエサとしては相応しい。

 

「自分がなぜここに来ることになったのか―?」など彼らは知る由もない。ただ「アラガミ蔓延る外の世界に比べたら一応装甲壁内で住めるし最低限の配給もある」という事実。この事実だけで彼らにとって十分なのだ。疑問を差し挟む必要はない。

ただ「生きていける」という安堵。喋らず、騒がず、耳をふさぎ、疑問も疑念も持たずただこの地に住み、そして―いつの間にか「ヤツ」に喰われて消える。自分がただ他人を肥え、太らせる為の肥やしであることに気付けないまま。

 

この町の「真実」を知る人間にとっては「在って無い様な町」。

それがこの町の名―幽霊(ユリン)の由来だ。

 

「ぎりっ…」

 

「J」は忌々しそうに奥歯を噛みしめ、生気の宿らない目をしたここの住民を一瞥して通過していく。

 

「捨て置けばいい存在。無視すればいい存在じゃないか」と彼は内心言い聞かせる。しかしそれをすれば―

 

―俺は「あいつら」と…ここを仕切っている連中、そして…

 

 

…俺の「家族」と一緒じゃないか。…なぁ!?

 

 

「…!!」

 

湧き上がる怒りと共にカッと少年「J」は細い瞳を見開き、両拳を強く握る。同時―

 

ぎゅるっ!!

 

彼の右手に握られた愛機「アロンダイト」が生物的な湿った音を立てて変形―より捕食機能、殺傷能力を増大化させたチャージスピアの特殊形態―「チャージ」の名の由来でもある「展開状態」に移行し背後の上空を振り返る。そこには―

 

 

―…ああ。何かホッとする。

 

敵とは言えお前みたいな「生きた目」をしたヤツが向かってくると俺は自分がどうにか生きてるんだって感じられるから。

 

俺たちは同族(なかま)だな。くそチビ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―な!?

 

 

背後より「J」を奇襲しようとた少年―リグは驚きでその「J」の言う「生きた目」を目一杯見開いた。

完全に虚を突いたはずだった。一旦姿をくらまし、ステルスフィールドを展開。愛機ケルベロスのスナイパー形態のスコープにて遠距離より「J」の姿を確認、気配を消したまま遮蔽物を利用し徐々に接近。念のために一定距離を明けて観察してみると―何とも気が抜けた。

 

―何だ…?アイツ隙だらけじゃね?…舐めやがって。

 

何故かは知らないが通りを歩く獲物―「J」がどこか思い悩むような苦悶の表情をしつつ、明らかに集中力を欠いたような隙だらけの状態。その上念には念を入れて彼の死角、背後の上空から襲い不意を突く形も取った。ここまで手順を踏んだ。

 

にもかかわらず今、確実に捕捉された。

 

背後より奇襲→頭部への打撃→昏倒させ捕縛の作戦は敢え無く失敗。これなら大人しく遠距離よりスナイプした方が得策であったかと内心リグは後悔するがもう遅い。

 

―…やっべっ…!!躱せねぇぞこれ…!!

 

アラガミではなく、GEとは言え人間を撃つことに内心どこか躊躇いがあった自分の甘さをリグは呪う。事実その甘さを文字通り「突いた」目の前の打ち上げてくる強烈な「J」のチャージスピアの突き―それは完全にリグを捉え、彼の胴体を貫く軌道であった。

 

が―

 

確かにリグは甘かった。しかし逆を言えば彼には最悪接近戦になっても「J」を出し抜ける自信があったからこそ敢えて回りくどい手法をとったとも言える。

 

パチン…

 

何せ彼には…「あの」奥の手がある。

 

―…解放。

 

リグ―血の力「孤高」発動。捕食行動を伴うことなく自らの体を任意のタイミングで解放状態にできる能力である。

 

結果ほんの直前まで確実に躱せないスピード、距離に在った渾身の「J」のチャージスピアの突きの高速の先端が今のリグにはまるでスローモーションかの様に映る。

その超感覚に追随する彼の肉体もまた出遅れることなく、易々とスピアの先端に素手で触れることが可能なほど研ぎ澄まされていた。

 

―…。

 

触れた左掌がじゅっと焼けるような感覚を味わう。じきに掌全体が捕食され、深手を負うのにほんのゼロコンマ数秒のタイムラグしかない愚かな行為である。が、今のリグにとってゼロコンマ数秒は少々長すぎる。

 

―な…ぐっ!?

 

ほんの一瞬僅かながらすかされた様な手ごたえの無さを感じたかと思うと次の瞬間に「J」の体は右頬への猛烈な衝撃と共に宙を舞っていた。

 

左手掌底で槍の先端を逸らし、その姿勢のまま体を軸に一回転。遠心力を目いっぱい込めた裏拳で「J」をリグは空中に撥ね上げたのである。きりもみ状に長身の「J」の体はまるで人形の如くはじけ飛ぶ。

 

―…!???

 

視界がグルグルと回り、上も下も解らない状態が数秒続いたのち、固いものが「J」の体全体にぶつかってきた。それが地面であることに気付くのに数秒要するほどのダメージの中、「J」はぼやけた視界に映る脆く自分を見下ろす金色のオーラを纏う少年を見上げた。

 

「…」

 

先程までと全く雰囲気、そして「生物」としてのランクが違う。

 

―間違いねぇ…。コイツ…一体どんな原理かは知らねぇがっ…バースト化してやがる…!!!捕食もなしに!?

 

「ぐがっ!!」

 

目の前の理解不能の光景に脳が揺らされたことによって神経伝達系の混乱、混線状態によって中々言う事を聞いてくれない下半身。それを捨て、上半身だけの雑な突きを「J」は苦し紛れに繰り出す。

 

「…フン」

 

が、当然現在解放状態のリグにそんな苦し紛れの攻撃が当たるはずがない。直前「J」の放った渾身の刺突さえいなされたのだ。体勢も整わず、パニック状態での攻撃では捉えられるはずもない。

 

「う…げっ」

 

逆にその雑な突きによる反動か、先程顎に喰らったリグの裏拳のダメージがぶり返す様に「J」の脳髄を揺らし、まるで磁石みたいに地面と「J」の体が引き合う。要するに今の彼はまともに立っている事さえ出来ないほどダメージは深い、ということだ。

 

「ぐ…くっそ…」

 

「…おまえを倒すのにもう神機もいらねぇな」

 

地面に突っ伏しながらも尚も交戦意欲を失わずに立ち上がろうとする「J」に引導を渡すためリグは敢えて神機を足元に置き、パキパキ拳と首を鳴らしながらつかつかと「J」に向かって余裕の所作をしつつ歩いてくる。完全に「J」の心を折りにかかっていた。

 

「なめ、ん…ぐっ!」

 

解放状態によって身体能力まで跳ね上がったリグは瞬時に「J」に肉迫、まるでサッカーボールを蹴り上げるがごとく「J」の頭を右足で跳ね上げ、強引に彼を立たせる。

 

「……!?ぎっ!!!」

 

血走った目で悔しそうに歯ぎしりしながら「J」はそれでも連動しない下半身を捨てた雑な刺突を繰り出す。しかし―

 

パシッ

 

「…!???」

 

リグは「片手間」と言いたげに全く表情を変えぬまま「J」の刺突を今度は両手で軽く受け止めた。

 

ジジジッ…

 

当然リグの両掌は捕食、浸食され煙が上がる。しかし彼は全く意に介さない。解放状態のリグの再生能力が完全に「J」の神機による捕食速度を上回っているのだ。

 

「……!!ぐっ!!」

 

その事実を前に「J」が驚愕の表情を浮かべる前に彼のこめかみに強烈な衝撃が走る。

「J」の愛機、アロンダイトの「柄」があろうことか彼の右側頭部を捉える。リグが「J」の神機を掴み、強引に自らの打撃武器にしたのである。スピード、超感覚、回復力だけでなくパワーでさえ圧倒的に上回っていることを理解させるためだ。

 

―…つあっ…。

 

側頭部に打撃を受けた「J」の頭の中で「ピシリ」と何かが砕けるような音がし、意識が遠のく。完全に無防備になった「J」を前に最後にリグは彼の愛機の柄を―

 

ドッ!

 

「ぶっ!!」

 

彼のみぞおちに突き刺し、10メートルも吹っ飛ばして無人の家屋の壁に突っ込ませた。壁に背中から叩きつけられた「J」はうめき声をあげながら壁沿いに力なくずるずるとずり落ち、座ったような姿勢のまま動かなくなった。

 

「おいちち…」

 

最後に浸食、捕食された両掌を倒れた「J」に見せつけるようにリグは晒す。それはある意味唯一「J」がリグに負わせた手傷ともいえた。が、残念ながらそれすらも―

 

「残念…これも元通りだ」

 

瞬時にリグの掌は回復、再生。「J」の抵抗が全くの無駄であったことを誇示し彼の戦意を完全に根本から断つことを目的としたパフォーマンスであった。

 

「…解ったか?力の差ってやつを。蠍野郎」

 

「…へっ」

 

べっと口から血だまりを吐いて「J」は座ったまま視線を上げ、リグを細い目で睨んだ。最早誰もが「まともに交戦は出来ない」と断じるダメージ、消耗は感じられるが妙に目だけは輝いていた。そこから未だ完全に戦意を失ったわけではないらしいことが解る。

 

「…まだやる気かよ。わざわざ意識を刈り取らず懇切丁寧に力の差見せつけてやってんのによ…お前本当に本当の馬鹿か?」

 

「…チビ。お前のその能力一体何なんだ…?そんなの聞いた事も見たこともねぇ」

 

リグの問いかけを無視し、妙に楽しそうに「J」は口内に溢れた血によってびゃあびゃあと湿った笑いを浮かべてリグを見る。

 

「…知るか。ってか…そもそもそんなことどうでもいい。肝心なのはこの現状だ。俺は解放状態。お前は非解放状態。…お前も曲りなりにGEなら解放状態と非解放状態時のGEの力の差ぐらいわかってんだろ?」

 

「…」

 

「解ったんならそのままでじっとしてろ。…別に俺はお前殺す気ねぇし」

 

「…甘いんだな」

 

「ああ。自分より弱い奴にはな」

 

そう言ってリグは踵を返した。しかし―

 

カリッ…

 

背後から妙な異音が響いたのをリグの研ぎ澄まされた解放状態の聴力が察知した。

 

「……!?」

 

―…!?

 

リグは反射的に振り返る。「J」は先程の満身創痍の時の体勢のまま俯いていた。

 

「…お前こそわかってねぇな?俺が『甘い』って言った意味を…!!」

 

「おっ前……!!」

 

「…やっぱ…まじぃわ『コレ』。誰か味でも付けてくんねぇかな…?」

 

 

ズオッ!!

 

 

座ったままの「J」の体から金色のオーラがほとばしる。今確実に「あの音」を起点にして「J」は神機解放状態になっている。

 

「……!!『強制解放剤』…!!??」

 

強制解放剤―GEをアラガミの捕食、受け渡し、もしくはジュリウス・ヴィスコンティの血の力「統制」、リグの「孤高」以外の方法で唯一解放状態にさせる方法である。回復剤などと同じく経口による服用によって効果を発揮する。が、非常に扱いが難しく、調合する素材、生成費用も非常に高価ときている。さらに過剰服用による副作用の危険もあり、一回の任務の際携行できる量、適性服用量、携行できるGEさらにの素養と厳正な審査、厳密なレギュレーションが敷かれている。おいそれとお目にかかれるものではない。

 

そんなヤバイ物がフェンリルに属していない組織に居る人間の手に在る事実にリグは驚きを隠せない。

 

 

「てっめぇ…なんてヤバイ薬剤(もん)持ってやがるんだ…!?」

 

「言う必要はねぇな。ここで死ぬお前には尚更、だろ」

 

「J」は解放状態の再生力、治癒力によって活気、活力を取り戻していく自分の体、そして愛機の感触を感じながらニヤリと歪んだ笑顔をリグに向ける。

 

「…!!」

 

アドバンテージは無くなったと言っていい。いや、それどころか解放状態とは言え一時的に神機を手放しているリグの方が現状不利か。それを瞬時にリグは理解し、後方に置いてきた愛機ケルベロスにちらりと視線を向けた瞬間―

 

「……ぐっ!?」

 

今度はリグの右頬に強烈な衝撃が加わり、吹っ飛ばされる。衝撃によってたわみ、歪んだ顔で必死に視線だけ衝撃が加えられた方向だけ見据えた。そこにはまるで「よそ見すんなコラ」と言いたげに微笑む「J」が左拳を振りぬいている姿があった。

 

―……やっ…ろぉ……!!!

 

リグの頭が噴き上がるほどの怒りに包まれる。なぜなら確実に神機で攻撃できるほどのリグの隙を見逃して敢えて神機を持たない左拳でリグを殴ったこと―それ自体がリグの甘さに対する皮肉を込めた「J」の「返礼」であることに気付いたからだ。さらにその彼を吹っ飛ばした先―それにも「おまけ」とでもいうべき皮肉が込められていた。

 

ズッザザザザッザッザ!!!

 

「…!?……!!!」

 

四つん這いの姿勢で地面を削り、リグが体勢を立て直した地点―そこには謀ったように彼が先程手放した彼の神機―ケルベロスがすっぽり手元に納まる位置に在った。

 

初遭遇時は「神機ありと神機無し」。そこから「神機あり同士」→「解放状態ありとなし」→「解放状態ただし神機無しと解放状態神機あり」と、有利不利が目まぐるしく変遷していった彼らの戦闘を初めて完全な公平(イーブン)にするための「J」の「返礼」「皮肉」。

 

「ちぃっ…!!」

 

「…♪」

 

この厚意を受取るのははっきり言ってリグにとって屈辱。だが受取らなければ確実に負ける。…死ぬ。

 

―上等だよ…!!

 

リグは血の滴る口で歯ぎしりしながら神機を拾い、接続する。同時好戦的な歪みのある笑顔を浮かべた。久しぶりに殺し甲斐のある相手を見つけて嬉しそうに。

 

―…来るな。

 

リグの纏うオーラが神機を握り、一層禍々しくなったのを確認したのち対峙する「J」もまたチャージスピアを「展開」。元々禍々しい神機アロンダイトの形状が解放状態のオーラを纏うことによってより一層攻撃性を増していることに疑いの余地はない程の形状変化を引き起こしている。

 

 

 

アナンはさっき彼らの事をこう言った―「バカはバカ同士行っといで」、と。

 

 

全く以て「言い得て妙」である。

 

 

「生きながらにして死んでいる者」たちが住んでいるこの外部居住区、幽霊(ユリン)にて―

 

 

似た者同士、同族二人の決戦の火蓋が今切られる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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同族 3

…!?

これは…失礼しました。同時連載なんてするもんじゃないな…。

アマガミの方見てくれている方本当に申し訳ありません…。


 

 

 

 

「…」

 

パァン…

 

高温を放つ空薬莢がリグの視界に数発、蒸気の様な湿った白い煙の帯を巻き上げながら宙を舞った。現在解放状態により、鋭く研ぎ澄まされた彼の時間感覚ではその光景はさながらスローモーションに映る。しかし、彼の眼前には巨大な般若の面の如き盾が高速で迫っていた。その速度は今の彼の時間感覚を以てしても即時の対策、対応を求めてくる。

 

―流石にかてぇな。

 

直前―リグがアサルト銃身によって放った弾丸数発をあっさりと強固な外壁で受け流し、着弾箇所に僅かに燻る煙を放ちながらお構いなしに般若の面の如き盾を携えたGE―「J」はリグに向かって強引に突っ込んでいく。

 

アラガミが相手なら通常、GEは神機の剣形態、銃形態に適宜切り替えて攻撃する必要がある。が、生身の人間相手であれば必要ない。これほどの重量の物質をGEの膂力で力任せに振り回せば人間相手であれば十二分な殺傷力を持つ鈍器に早変わり。GEの強化された体であっても直撃させれば簡単に粉砕できる。

「J」は気づいている。彼の基本攻撃形態―槍刀身形態でリグの連射可能のアサルト銃身相手に回避主体で立ち回るよりも高い防御力、制圧範囲の広い盾形態に物を言わせ、攻防一体を兼ねたまま強引に叩き潰す方が合理的だと。

 

―ケンカ慣れしてやがるな…。

 

リグは目の前に叩きつけられた「J」の盾の一撃により砕かれた地面を目前にバックステップしながら躱しつつ、新しい弾頭を装填。巻き上がる粉塵を前に瞬きすることもなく冷静に対応する。が―

 

ブオッ!!

 

「ぐっ?がっ…!」

 

一瞬リグの視界を覆った粉塵を切り裂き、今度は刀身―槍形態のアロンダイトの先端がリグを目掛けて最短距離で突っ切ってくる。反射的にリグは神機の柄を差し込み先端を逸らすが、肩口を槍の先端で軽く抉られ、苦悶の表情を浮かべた。

 

「…惜しい!」

 

ニヤリと「J」は苦々しそうなリグの表情を見据えて口の端を歪める。確かに盾形態で立ちまわるのが安全だ。が、何も槍形態の利点、長大なリーチを全て捨てる必要はない。

 

「…ちいっ!!」

 

「鬱陶しいドヤ顔しやがって」と言いたげにリグはさらに間合いを離そうとバックステップをするが当然「J」はそれを許さない。近距離、超近距離に関しては圧倒的に自分が有利と知っているからだ。攻防のバランスに関しては近距離主体の「J」の方が銃形態のみのリグに比べると圧倒的有利。

複数戦闘前提のアラガミ戦闘において一定距離を保ちつつ攻撃することで本領を発揮する銃形態。そもそも対人戦を想定されていない神機において人間相手に小競り合いになってしまった以上、リグは姿を消して遠距離からの狙撃で何もさせずに仕留めるのが「最善だった」のだが―

 

―得意げに俺に姿を晒して現れた時点でお前の負けは決まってたんだよ。チビ。そら。どした?

 

「J」を振り切れず、苛立たし気なリグに肉迫しながら「J」は間合い内に入ったリグを目掛け槍を連続で突き出す。「J」は自分の有利を疑っていなかった。しかし―

 

「…。ふん」

 

「…!?」

 

自分の繰り出した槍の先端が目標のリグに近づくにつれ、つい先ほどまで何とも苛立たしげだったリグの表情が見る見るうちに無表情、そして僅かに笑みをこぼした瞬間にようやく自分の優位に僅かに疑念を「J」が持った。しかしその時にはすでに遅かった。

ずぶずぶと生物的な湿った音を側面から響かせ、リグの愛機―ケルベロスの本領が発揮される。

 

キシャアぁあッ!!

 

―この俺をただの…第一世代銃型神機使いだと思うなよ?

 

カッと瞳を見開き、本来第一世代銃型神機使いには在り得ない捕食形態を解放したリグの姿に「J」は―

 

「……はぁっ!?」

 

「そんなのアリか」と言いたげに不満そうに二又の眉を歪めた。

 

―ほんっとっ……!!何なんだよおめぇらは!?…ちっくしょ!~~止まらねぇ!

 

内心そう毒づくが既に迷いなく渾身の刺突で振り切り、伸び切った槍の先端を引くことが「J」には出来そうにない。その先端にずるりと絡みつくようにリグの神機の捕食形態の顎が喰いつき、がっちりと固定。

 

―神機はくれてやる。だがお前の神機もよこせ。

 

リグはそう思いつつ、してやったりの表情で笑い、思いっきり神機を横に薙ぐ。先ほどのリグの新しい弾頭のリロード動作はその実完全に「ブラフ」。あくまで「中間距離を保って銃形態で攻撃してくる」と「J」に思わせる布石であった。「J」は思いもしなかったろう。接近戦がまさかリグにとって望むところであったことなど。

 

「っらっ…!!」

 

ガキン!!

 

突き出し、伸びきった片手で神機を握っていた「J」は易々と神機を手放してしまう。

 

カラカラと機械的な音を立てて両者の神機はまるでブーメランの如く絡み合い、地面の上で火花を上げて回転しながら明後日の方向へ飛んで行く。

 

「…!!」

 

「…」

 

しかし、二つの神機を敢え無く見送る他ない「J」と元々神機を手放すつもりだったリグ。両者の意図の差が次の局面に大きな違いを与える。

 

―やべっ!反応…

 

「がっ!!」

 

「J」が心根を「ストリートファイト」に「切り替える」前にリグの右掌底が「J」の顔面を捉える。近接徒手空拳はリグの得意分野だ。軍人であるナルフにより伝授された接近戦、白兵戦技術は四人のハイド・チルドレンで一番である。

 

「ふっ!!」

 

顎の跳ね上がった「J」にすかさずリグは中段、鳩尾にボディブローを見舞い、悶絶して腹を両手で抱えた結果、再び眼前に落ちてきた「J」の顔面を左手で鷲掴みにし―

 

「はぁっ!!」

 

地面に後頭部を叩きつけた。「J」の後頭部で地面が割れ、クレーターが出来るほどの衝撃だ。解放状態のGEですら脳震盪を引き起こす程の衝撃に混濁、歪みっぱなしの「J」の視界に尚もリグの打ち下ろしの拳が間髪入れず二度、三度突き刺さる。

 

リグの拳は体格の割には重い。油断と弛緩さえなければ白兵戦で大抵の相手に後れを取らない。

 

そう。「大抵」は。

 

―…!?

 

ぞっ

 

完全に攻勢に回った中でもリグの中で怖気に似た不安感が走り、手を止める。彼の勘が告げている。「ヤバい」「離れろ」、と。

その勘は正しかった。「J」の上半身が立て続けにリグに打たれ、完全に機能不全、死に体でありながらまるで彼の下半身だけが別の生き物の様に機械的に動作し、リグの脇腹を目掛け蹴りを繰り出してきたからだ。その一撃を辛うじて腕を合間に入れてガードするも―

 

―…重っ!!

 

ダメージは最小限にしたものの軽量級のリグは衝撃で吹き飛ぶ。ここは両者の歴然な体格差のアドバンテージが出る。まぁ元よりリグはこの一撃が在ろうと無かろうと「J」から距離を離すつもりではあった。それほどの凶兆が今の「J」から感じ取れたからだ。

 

―コイツ…雰囲気が変わりやがった!!

 

喧嘩またはスポーツ等で攻勢に回ると強いが一転、思わぬ反撃を喰らって一度守勢に回るとそのままズルズルと相手にペースを握られ、そのまま反撃できずに心を折られる奴がいる。心身共に打たれ弱く、勝負事には意外にも平和主義な奴より向かないタイプだ。

 

が、逆に敵に殴られ、打たれ、追い詰められることによって真価、本領を発揮するスロースターターも居る。殴られて秘められた凶暴性や戦闘本能が発揮されるタイプだ。こういうタイプは怖い。ダメージを受けた後に本領を発揮するので軒並み打たれ強く、勝負時にピークを持っていける。「J」は完全にそのタイプ。とことん喧嘩に向いた性格なのである。

 

ぐりん…

 

彼の頭はリグに地面に叩きつけられた状態からほぼ動いていないにも関わらず、リグをじろりと睨む眼球は完全に意志が宿り、生きていた。その彼の意志に呼応するように下半身―両足だけまるで糸で吊り上げられたみたいに挙動不審に躍り上がり、引き絞られたゴムの様に捩られる。まるでブレイクダンスでも踊るかのような奇妙な上体から―

 

びよん

 

長身の彼の体が宙に舞い上がる。吹っ飛ばされて着地した直後のリグの頭上へと。

 

「な…はぁっ!?」

 

そんな「J」の機動を前にリグは今度こそ演技ではなく、本当に苛立たしそうに顔を歪めた。

 

とりわけ武術、体術に関しては指導者のナルフが几帳面で熱心な指導を彼に施してくれたと同時、リグ自身も自らの体格のハンデを自覚しているせいか意外にも基本に忠実な面がある。だからこそリグはその「J」の生まれ持った体格、身体能力に任せた何とも出鱈目な機動を目の前に不快感を隠せなかった。

 

―…とこっとんムカつく野郎だ!!

 

そんな彼にお構いなく「J」はそのまま強烈な浴びせ蹴りをリグに見舞う。

 

ゴッ!!

 

威力は確かに強烈だが、少々大技が過ぎる。易々とリグはその攻撃を躱し、地面にめり込んだ「J」の浴びせ蹴りの猛烈な威力を無感動に見送る。

 

―…誰がもらうか蠍野郎。脳味噌まで蠍に「先祖返り」してんじゃあねぇの…かっ!?

 

大技を出し切った直後―隙だらけで着地し、硬直状態の「J」の側面から打ち上げの右拳をリグは見舞う。再び「J」の顎を跳ね上げるために。だが―

 

バチンっ!!

 

「ッ…??」

 

顎が跳ね上がったのはリグの方であった。右頬に突き刺さった鋭い衝撃。その上明確な反撃チャンスに完全に攻撃に意識を割り振り、勢いのついていたリグの体は上乗せのダメージを受けた。完全な死角からのカウンター。しかしおかしい。当の「J」の体勢は未だ大技をはなった後の硬直から抜け出せていないはずなのに。

 

「…!!」

 

―な、に、が…。…っ!?

 

彼の跳ね上がった視界の先に編み込まれた長い髪の先端が映った。

 

それは「J」の後ろ髪。長さ一メートル以上に延ばされた辨髪の先端であった。それがムチ、いや、まさに「蠍の尾」の如くしなやかに動いてリグの顔面を張り飛ばしたのである。

威力は徒手空拳に比べたら遥かに劣るのではあるが、全くの死角からのカウンター攻撃の上、「蠍野郎」と「J」を内心リグが馬鹿にした直後に見舞われたまさしく蠍の如き不意の攻撃という複合要素が混ざり、リグに思いの外重い身体、精神ダメージを与えている。

 

「ぐっ……ごっ!?」

 

よろよろと無防備にふらつくリグの下腹部を今度こそ完全に体勢を立て直した「J」の強烈な左足の蹴りが捉え、小柄なリグの体は空中に巻きあげられた。

 

「あっはぁ!!」

 

「とうとう貰っちまったな~~?」と「J」は何ともご機嫌そうに血まみれの顔で破願し、リグを見上げた。が―

 

カンカン…カラン

 

そんな彼の足元でそんな金属音が響く。打ち上げたリグに血みどろの顔のまま歪んだ好戦的な笑みを浮かべつつ、更なる追い打ちをかけようとした「J」は一瞬にして真顔に戻り、音のした方向に視線を向けた。

 

―あ…にぃっ!?

 

そこには小さな円柱形の物体―栓を既に抜かれている閃光弾―スタングレネードがまるで止まりかけの独楽の様に力なく地面の上で回転する動きを止め、炸裂の時を待っていた。先程不意の一撃にふらつきながらもリグは今できる最善の手を打っていたのだ。

 

「ちっ!!」

 

カァン!!

 

吹っ飛ばしたリグよりも「J」はそちらを優先。力の限りスタングレネードをヒールキックで背後に向けて蹴飛ばす。「J」にとって「とある」方向の視界を奪われる訳にはいかなかったからだ。

 

その「とある」方向とは吹き飛ばされた二人の神機の方向である。

 

彼の背後でスタングレネードが炸裂。背を向けていた為、視力を完全に奪われることはなかったが眩い閃光による視界不良の上、一度リグから目を切ってしまったせいで「J」はリグを見失ってしまう。

 

―ちっ。…。チビは!?神機は!?

 

スタングレネードの強烈な光が収束した後、脅威の優先度順に「J」は周囲を伺う。リグが仕掛けてくる気配はない。そして―

 

―…。「あれ」も変わりなしか。

 

彼にとって次点の懸案事項だった双方の神機はどちらも回収されることなく仲良く転がったままであった。双方主から引き離されたため、リグの神機の捕食形態、「J」の神機の展開状態は解除されており、現在双方ただの「モノ」として地面に鎮座している。

 

「…へっ。やってくれるぜあのチビ」

 

「J」は目線のみで周囲を警戒しつつ、次のリグの一手を待つのかそれともこちらから仕掛けるのか冷静に思案し始める。度重なる打撃を喰らい、彼の身体的ダメージはハッキリ言って浅くはない。が、それを遥か上回る興奮、緊張によって分泌された脳内麻薬、アドレナリンによって彼はトランス状態。ベストパフォーマンスを問題なく出せる状態だ。恐らく対峙するリグも大差ないだろう。この戦闘が長期化するのは必至と言えた。

 

「ふぅっ」

 

しかし―「J」は一瞬気の抜けたような溜め息を虚空に漏らした後、内心こう呟いた。

 

 

―そろそろ。

 

 

飽いたなぁ…。

 

 

「…おい、チビよぉ?」

 

「J」はまるで旧知の間柄の人間に話しかけるように楽しそうに彼の背後を見据えた。

しかし、そこには無人のみすぼらしい廃墟の様な家屋、そして戦闘によって砕けた外壁、地面などの残骸、ゴミが転がっているだけだ。何もない。

 

「おい。聞いてんだろ?」

 

しかし「J」は確信めいた表情で尚も何も無いはずの空間に語りかける。「そこに居るんだろ?」とでも言いたげに。

 

「……ちっ」

 

そう。確かにリグはそこにいた。何もないはずの空間からずるりとリグは無言のままはい出る。

 

これで「二度目」だ。

 

完全に気配を消し、死角に居たにも拘らず簡単に捕捉される経験は。自分の気配を断つ技術に自信を持っている彼にとっては屈辱的な経験が立て続けに続いている。

 

―やっぱりな…コイツ。

 

そんな中でも思いの外リグは徐々に冷静にこの「J」というGE、そして彼の「近況」を鑑みてみる。するとすぐに合点がいった。「J」のあの「超感覚」と呼ぶべき探知力、察知力。その源泉を。

「姿の見えない相手」に対し、異常な程に感知能力が優れているこの「J」というGE―彼は恐らく「ハイド」の今回の討伐目標アラガミ―「インビジブル」と接触した経験があるのだろう。その過程でこの異常な察知力、感知能力を養ったと考えるのが自然。

 

―そして…少なくとも確実に何度か交戦していると考えるのが自然…だな。

 

討伐目標アラガミとの交戦経験があり、尚且つ生き残っているという事実。これを知れば「ハイド」の隊長―エノハは確実に彼を仲間に引き入れたいと思うだろう。だが―

 

―ふん。

 

在 り 得 ね ぇ。

 

どだい無理な話だ。少なくとも今のリグにとって「J」の存在は許容しがたい。あまりに彼らはお互いが似すぎている。故に最悪の相性なのだ。

 

「あの、さ」

 

「あん?」

 

「お前…死んでくんね?マジ目障りだから」

 

「奇遇だな。俺もそう思ってた。なら…そろそろケリつけっか…こっち来いよ」

 

「…」

 

「心配すんな。おめぇごときに汚い手使って勝っても意味ねぇ。自慢にならねぇよ。ホラ来いよ?チビ」

 

お互い俗に言う「お安い挑発」の応酬であるが逆に言えば「お高い挑発」などこの世にはない。安ければ安い程「挑発」というものは意味と効果を持つものである。

ほんの十数秒前、コンマ一秒を争う攻防を繰り広げていた両者がその挑発をきっかけにスローダウン。内心では激しい火花を散らしつつも両者は互いにゆっくりと歩み寄る。そして一定の距離を空けつつ横並びになった後、「J」は前方の双方の神機を指差してこう言った。

 

「…殴り合いじゃあお互い今一つ決め手がねぇのは散々解ったろ。ケリは神機でつけようや。この位置から二人同時にスタート。神機回収後は近距離でお互い出し惜しみなし…ってのはどうだ?」

 

「…」

 

「ん?ああ。これじゃ俺が有利すぎるかぁ?なら…ハンデでもやろうか?」

 

「…ふざけろ」

 

「じゃあ決まりだ。合図は…この石が落ちた瞬間な」

 

足のつま先で器用に掬い上げ、右手に取った掌大程の地面の破片を「J」は乱雑に真上へバスケットボールのジャンプボールの如く放り投げる。リグがまだ「合図」に関してハッキリと納得、同意していないにも関わらずだ。

しかし「J」には解っていた。合計ほんの数分足らずの彼らのこの闘争の中でお互いに抱いた印象、異常な程の同族嫌悪感の先に在る奇妙な「連帯感」―矛盾を百も承知で言い換えるなら「信頼」のようなものが二人の中で生まれていた。

 

だからこそ真っ当に、正面から同じ条件で叩き潰さないと最早お互い気が済まない。お互いの異常な程の対立心、対抗心が余計な策略を二人から排除している。両者の集中力は謀略、奸計よりもただ一点―宙を舞う石が落ちる瞬間に全精力を費やす。

 

 

長い。長い。

 

今の彼らの研ぎ澄まされた感覚では苛立たしい程長すぎる石の滞空時間であった。その中で両者の思惑、葛藤が走馬灯の如く迸る。

 

踏み出したい。

 

蹴りだしたい。

 

一歩でも早く。

 

この気に入らない相手を出し抜いて一気に愛機の下へ。

 

…良いんじゃないか?少々フライングしても。

 

…どうせ死ねば皆黙る。

 

なら…少々こすい手を使おうが勝てばいいのでは?死んだ後に文句を言う奴は居ないのだから。

 

踏み出せ。

 

行けよ。

 

「合図」など構うか。

 

石が落ちるまでなど待っていられるか。今すぐにでもぶち殺したい相手が目の前に居るんだぞ。

 

…。…。…。

 

駄目だ。

 

それだけは出来ない。それで例え勝ったとしてもそれは永久に負け犬になるも等しい行為。確かに誰も見ていないし、相手が死んで黙ればすべては闇の中。ズルかろうが卑怯だろうが誰も見ないし気にしない。「勝てばいい」―それも真理。

 

だが駄目だ。何故なら相手が見ている。例え死んで黙ろうともこの相手は自分の恥ずべき、唾棄すべき行為を死の直前に見届ける。

 

そして誰よりも―自分自身が納得、許容できない。確かに誰も見てない、誰も語らない。が、己の中に確実に残る「しこり」がこれから一生付きまとい、自分自身を苛むことになる。

 

だからこそコイツは、コイツだけは真正面から完全に負かさないと気が済まない。

 

 

 

コンッ…

 

 

ブォッ!!

 

直前に両者の心理に浮かんだ清濁混ざる葛藤など粉微塵に吹き飛ばすほどの軽快な風を纏い、両者全く同時に愛機に向かって駆け出す。解放状態によって異常な瞬発力、機動力を備えた二人は見る見るうちに各々の神機に肉迫。まるで浜辺で一つの旗を巡って争うビーチフラッグの様に両者は各々の愛機の柄に手を伸ばして飛び込み―

 

ほぼ同時に両者愛機を回収。接続。

 

 

ズザザザザザザザッ!!

 

左手を地面に付け、片足を軸にコンパスの様に地面に扇を描きながら横滑り、右手に愛機を携えて四足歩行の獣が対峙する様な姿勢で両者真っ向から向かい合う。

 

―……。

 

―……。

 

殺気に満ちた両者の瞳が交差した瞬間―両者出し惜しみなしの「奥の手」を顕現させる。

 

リグの「奥の手」とは至近距離でこそ最高の火力を発揮する。このゼロ距離接近戦の局面においてまさしく最適な彼の三つの銃身の内の一つ―

 

ガコン…

 

ショットガン銃身に変形。四つん這いの姿勢のまま砲身を「J」に向けた。堅牢な盾で防ごうがこれなら関係ない。至近距離でさえあれば盾機構ごとGEを粉砕できる強力な「徹甲散弾」を撃つことがこの銃身は可能だ。濃縮アラガミ弾を除けば間違いなくリグの出せる最高の手札である。

 

「……!!」

 

―んなっ…!!

 

リグと対峙した「J」はリグの神機の先程見せられた捕食機構に続き、今回もあまりに予想外過ぎる形態変化に面を喰らい、目を見開いていた。まさかリグの銃型第一世代神機が捕食形態を除いてもアサルトからスナイパーライフル、そして今回のショットガンと三形態に変遷する事が可能である、など考えもつかないのでこの「J」の反応は当然と言える。

 

しかし―

 

「J」のその驚いた反応の理由はそれだけではなく、もう一つ理由があった。

 

彼の右腕に接続された神機―アロンダイトが主の混乱、困惑の中でも直前に主より命令、伝達された「変形指示」を愚直な程に履行し、その姿を現していた。正真正銘の彼の「奥の手」―それは槍か。それとも盾か。

 

 

 

…否。どちらも否。

 

 

 

 

「J」の「奥の手」は―

 

 

 

「銃形態」。

 

 

それも―

 

 

―ホントに…ホントにムカつく野郎だ!!!

 

リグ、そして「J」はお互い一言一句違いなく内心そう言い捨てる。

 

まさか。

 

まさか。

 

 

―…「奥の手」まで被っていやがったとは…!!

 

 

まるで自らの映し鏡の如く目の前の「J」からリグに突き付けられたものは奇しくも―

鈍い灰色に光る機械的ながらもどこか生物的な形状も混じる武骨な銃形態―

 

ショットガンであった。

 

双方同じ「奥の手」を持っているからこそ瞬時にお互い理解する。この銃身の近距離でのあまりに容赦のない圧倒的な火力を誰よりも二人は知っていた。大型アラガミにでさえ深手、小型アラガミなら一発で粉々に粉砕できるほどのシロモノである。

既に両者のトリガーに指はかかっている。照準もすでに合わされているうえにこの近距離ではお互い外しようがない。

 

状況は絶望的。

 

この二人はここでお互いを射抜き、敢え無く相討ち、共倒れ―その当然の帰結を双方理解しながらもお互いの激しい嫌悪感、対抗心によって芽生えた脳から届く単純な一つの神経伝達の電流が愚直に指先にこう命令する。

 

―撃て。

 

と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




リグと「J」。似た者同士のこの二人。

両者こう見えて歴戦のGEだ。純粋な適合率、身体能力、潜在能力はフェンリル全支部の中でも指折り。トップクラスにすら入れるポテンシャルを持つ。その上に両者神機解放状態。この状態の両者を片方でも止められる存在ですら世界には有数。増して同時に止められる存在など全世界の支部でも両手の数にも満たないだろう。が―


その十指にも満たない存在の内「一人」がこの香港支部には居た。





―…そこまで。




―…!?


―…!!




解放状態の研ぎ澄まされた感覚。「音速」ですら最早鈍い時間の中でリグ、そして「J」は確かにそう「聞いた」。

いや「聞いた」と言うのは語弊があるか。

両者の銃身の先端から逆流してきた電流の如き脳に迸る一つの「伝達情報」と言った方がいいかもしれない。その割り込んできた伝達情報がリグ、そして「J」の指先まで来ていた「撃て」という命令を強引に遮断。両者にとって「核ボタン」に等しい絶望的、破滅的な結果を引き起こす引き金を寸でのところで寸断した。

酷く冷静で淡白で単純な「伝達情報」。しかし同時強い「厳命」の体も併せ持つ、静かなノイズ。

この「発信元」にリグが「従う」のは当然と言える。だがそれに何ら従う必要の無い「J」でさえ今完全に動きを止めていた。

「…」

自らの銃身の先端から伝わる僅かな重み。同時にチリチリと目の前に生き物の肉が焦げるような嫌な臭いを放つ煙が彼の鼻を突く。その「火元」に恐る恐る視線だけ向けた時、「J」は戦慄する。

―……!!

目の前のチビの物ではない、やや大きな見慣れない手が惜しげもなく彼の愛機アロンダイトの銃身を掴み、拒絶反応によって浸食―つまり喰われて煙をあげていたからだ。

しかし、その光景は何故か今の「J」にとってまるで自分が喰われているような錯覚を覚える。自分の神機は確かにその手を喰らっている。それは間違いない。事実だ。
だが逆にその代わりに「他の大切な物」をこの手によって吸い上げられ、最後には自分自身さえもそのままこの神機を掴む手に吸い上げられ、のみこまれるような強い不安、怖気を覚えた「J」はこの戦いの中で初めて―

「……うぁっ!!」

「敵」から距離を空けた。過剰な程に間合いを広げて。さらに過剰な間合いにこれまた相応しく無い隙の無い迎撃姿勢を保ったまま、前方を注視する。

―…本当に。本当に何なんだよ?一体今日は…。

と、「J」は思う。この一時間にも満たない短い時間の間に立て続けに目の前で起きた数々の奇妙な体験、出会い―その集大成ともいえる存在が今目の前に佇んでいた。


「…」


右掌から未だ煙を燻らせ、無言のまま「J」を見据える青年―榎葉 山女が部下―リグの右腕を掴んでいた左手を離す。そしてほんの少しリグを咎めるような視線を向ける。

「...」

「ちっ...」

するとリグが何ともバツが悪そうに表情をしかめたのち、解放状態と臨戦態勢を解き、苛立たしそうに佇んだ。その二人のやり取りに「J」は理解する。

―…コイツが親玉だ。

コイツは…

ヤバイ。


彼の長年の喧嘩、戦闘経験の勘がこう告げている。曲がりなりにも自分と互角に立ち会った相手をあっさりと諫める器量、度量。解放状態、交戦状態のGE二人の間に乱入し同時に両者を止める「今は」只の人間である筈の乱入者ーエノハと自分の立ち位置を知る。その上で―

―どうする。やるか?でも二対一…。でもコイツ解放状態じゃねぇし…ひょっとしたら?それにチビの方も解いたし。…やれるか?

いや…在り得ねぇ。ここは退くしか…?

馬鹿野郎!!お前が退いたら黒泉の皆は!?


そんな「J」の思考、次の自分の行動選択の葛藤の最中―


「君が…『J』君でいいのかな?」


乱入者が口を開いた。常人では介入不能の修羅場を一瞬で鎮圧した手際のわりに何とも場違いな落ち着いた優男の声に「J」は「…あ?」と目を丸める。

「…コイツ…『ジェイ』って言うの?見た目の通り変な名前だな」

「リグ…君も余計なこと言わない」

「あてっ☆」

茶々入れたリグを軽く小突いて申し訳なさそうに「J」に微笑んだのち青年はこう続けた。


「君の上役…ダー…いや花琳姐。そして…

林老師(リン・ラオシ)と話はついた。つまり俺たちが戦う理由はもうない。だからどうか『矛』を収めてはくれないかな?『J』君」


「…!!林先生と…、会った、のか?お前…」


「林」―その名を聞いた瞬間一気に「J」の顔が年相応に毒気が抜け、同時解放状態が解かれる。その姿に苦笑しつつ青年はまた微笑んだ。

「J」の神機―アロンダイトに触れたエノハにはすでに解っていた。彼がどういう人間かを既に「神機から」聞いている。「吸い上げた」ばかり。右掌は拒絶反応で浸食されて在り得ないほど痛いのが玉に瑕だが、それなりに収穫はあった。


―…真っすぐな男なんだな。


これが解っただけでも十分であった。



「では…改めて先に自己紹介しておこうか。『J』君。彼はリグ。そして俺は…


『サクラ』だ。覚えておいてくれ」


その修羅場の直後には似つかわしくない、何とも柔和な笑みを浮かべた青年―「サクラ」を前にして「J」は苦虫を噛み潰したような微妙なカオをして眉をしかめる。奇しくも「J」が「サクラ」に感じた印象は初対面時のリグがかつて「サクラ」に抱いた感情とよく似ていた。


―あんまり…好きになれそうにねぇな。


それはいきなり現れた規格外の相手がどうやら「敵ではない」ことに対する消し切れない安堵を覚えている自分―それが妙に「J」には悔しかったからだ。






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もう一人の蛙








「J」と「サクラ」が邂逅する二十分ほど前に時間はさかのぼる。

 

 

 

 

 

 

香港支部マフィア―「黒泉(ヘイセン)」アジト内の地下拷問室にて―

 

「J」がアジトを占拠した「ハイド」の二人―リグとアナンを前にして激昂し、愛機アロンダイトで急襲、強烈な先制攻撃を見舞った際の破壊音が轟き、同時まるで直上で爆撃でも受けたかのようにその余波がこの地下拷問室まで届いていた。拷問室であると同時に有事の際のシェルターにもなりうる程堅牢な作りの地下室の天井が軋み、パラパラと埃が舞い落ちるほどの衝撃破だ。

 

しかし―

 

「…!…」

 

その衝撃に流石に一瞬の逡巡、思案するような表情を浮かべたものの、動揺、焦燥の類の感情を瞬時に掻き消した侵入者の青年を前にして半裸の女性―花琳(ファリン)は内心不快感を抱く。しかし努めてそれを表情に出さぬように青年を無言のまま見据えていた。その視線に気づいたのか轟いた轟音と衝撃が響いた地上の方向に顔を向けたままちらりと青年の視線がファリンに向く。その体勢のまま青年は彼女にこう尋ねた。相変わらず強い抑揚は感じられない声色で。

 

「…これが」

 

「…」

 

「貴方の言う『切り札』の仕業なのですか?」

 

「さて…どうであろうな?」

 

ファリンはとぼける様に不敵に頬杖をつき、にたりと艶めかしく笑って目を逸らす。その優美、かつ優雅な態度には構成員を全て失神させられ、己も全くの裸一貫の危機的状況であるにも関わらず余裕すら感じられた。が―

 

―…何なのだ。この男は…気に入らん。

 

内心は一向に感情の揺らぎ、動揺の類が見えない目の前の青年を相手に苛立ちを覚えていた。そんな彼女に対して次に青年が発した言葉に―

 

「…別に動揺が無いわけではないですよ。大姐(ダージェ)。いえ…ファリン嬢」

 

「…!!」

 

はっきりとファリンは不快の表情を露わにし、奥歯を噛みしめる。

この一連の会話の中で初めて青年がファリンの事を名前で呼び、尚且つファリンの心象を見透かしたように微笑んだからだ。つまり、これは同時に彼女の「立場の本質」を彼が悟ったことに他ならない。

 

―彼女じゃ…「無かった」か。

 

青年―榎葉 山女は気づいていた。先程ほんのわずかな時間とは言え、ファリンが漏らした年相応のやや弱気な言葉と表情―その裏にある物を。彼女が随分と高級で凝ったメッキの中に隠していたもの―地金をほんの少し晒していた瞬間をエノハは見逃してはいなかった。

 

「…ファリン嬢。失礼だが俺が話すべきなのはどうやら…『貴女じゃない』ようだ。さっきほんの少しだけ見せた貴方の素の表情には…とてもこの一組織をここまで率いていた冷酷さも、非情さも感じられなかった」

 

「な、に…!?」

 

「感じられたのは…貴方がその『J』と呼ぶ恐らくは部下…いえ、貴方の言葉から察するにGEの事を信頼しているということ。フェンリルの事を相当に恨んでいるにもかかわらず…ね」

 

「…」

 

―だま、れ。

 

「俺も同じです。ぶっちゃけると地上にはもう二人…ここに居るこの…あ。紹介していませんでしたね?失礼…この子は『レイス』といって…俺の大事な部下の一人です」

 

「…お兄!」

 

咎めるように口を挟む死神の少女―「レイス」は目線だけ彼女に向けてふっと笑ったエノハに誤魔化され、少々すねた様に口をとがらせて「もう好きにしたら」と言いたげに押し黙ってしまった。

 

「くすっ…彼女以外にも信頼できる部下がいるんです。だからこそ今ここで俺は落ち着いて貴女と話していられるんです。確かにあれほどの衝撃音、そして貴方の言葉や態度からにじみ出るものに焦燥は覚えてはいますが…同時、俺の部下は簡単にやられる様なタマじゃないということも知っています」

 

「…」

 

元々ファリン達組織の人間に拷問されていた際も「協力してほしい」という主張、要求だけは一貫していたものの終始、気弱というか控えめであった青年―エノハの雰囲気が彼の仲間を語る際はさらに柔和、軟化する。しかし彼の発した次の言葉は一転、表情を引き締め、ファリンという女性の「真実」を鋭く針で突くような語気を込めていた。

 

「…貴女はあくまでこの組織『ヘイセン』の構成員の一人。謂わば『表の顔役』。植物で言うなれば葉、もしくは文字通りの『花』…例え枯れようと、摘まれようと…『根』さえ生きていればいい、『根』さえ生きていれば枝も葉も花も咲く―…そんな覚悟のうえで貴方達は今俺達の前に居る。つまり貴方達を司る本当の頭脳が他に居る。違いますか?」

 

無言で口をつぐみ目を逸らすファリンを尚も真っすぐ見据えてエノハはこう続けた。

 

「会わせて…いただけませんか?」

 

 

 

 

 

『ファリン…。もういい。彼とは私が話そう』

 

 

 

 

 

 

「林(リン)…先生(シェンシャン)…」

 

ファリンは再び先程「J」の事を呟いた際に浮かべた表情をして切なげにそのくぐもったスピーカーの音声に小声で応える。申し訳なさそうに眉を歪めて。

 

「彼」はどうやらファリン達のやり取りをすべて見ていたらしい。その上でエノハ達を見極めていた。この地下拷問室の隣室、隠し部屋にてすべての動向を見守っていた。例え構成員が目の前で全員殺されようとも。息を潜めたまま自分は生き残り、「次」の機会、そして意志を残すための組織の頭脳―その男が今現れる。その姿は―

 

カラカラカラ…

 

「…!」

 

―…。

 

「…え?」

 

余りにもエノハ、「レイス」の二人にとって意外な姿であった。この組織を率いる人間が先程までファリンというまだ若い女性と思っていた時もそれはそれで意外な事実であったが、それをはるかに上回る…言うなれば「拍子抜けさ」にエノハ、そして「レイス」の二人は目を見開く。

 

「ご、ごほっ…ごほっ」

 

水気の強い咳ばらいをしながら現れたその男の姿を見た瞬間、誰もが「え。こいつ…?」とでも思ってしまいそうな姿であったからだ。そんな彼らの心象を見透かしたように―

 

 

「んんっ…この様な形(なり)で済まないがご容赦願おう。何…もう、これ以上君らを試すつもりはない、よ」

 

 

今にも消え入りそうなほどしわがれた声でこう語る男自身の「形」は彼の言う通り、単純な一言で言い換えれば何とも「みすぼらしい」。とても一組織を担う存在とは思えない姿であった。

 

「…」

 

まるでガマガエルの様な横に広いがま口、しわがれた声に似つかわしい口周りに深く刻まれた皺、やけに小さく、そして垂れた目の下には深く、黒い隈が刻まれている。そして明らかに内臓に何か疾患を抱えているであろうことが一目でわかる浅黒く、病的な顔色が更なる対面者に嫌悪感を煽る姿だ。

 

「先生!!」

 

しかしそんな「凶相」という言葉程度ではもはや生ぬるい、醜悪と言って過言ではない男の足元に何の躊躇いもなく美しいアジア人女性―ファリンは駆け寄り、其の足元に跪いて手を取る。そして部下にかけてもらった大きなジャケットのみでほぼ全裸という「みっともない」自分の今の姿を彼に晒すことをとても恥ずかしそうな表情を浮かべて瞳を逸らした。

男の背たけはそんなファリンよりも小柄、くわえて男は自分の足ですら立つことすら出来ず、電機自動の車椅子に身をゆだねていた為、より一層小さく見える。

 

カラカラカラ…

 

機械音を放つ電機自動車椅子にまるで蛙がげこげこと鳴く際に膨らませる、何も中には詰まっていない下あごの如き、だらしない腹を持った体を深く沈みこませ、その腹の下に「一応生えてはいる」程度の二対の短い足は完全に足としての用をなさない貧弱さである。

 

ハッキリ言って造作もなく、いや、捨て置いても今にも事切れそうな姿の男であった。

 

 

しかし、彼こそ紛れもなくこの香港支部の黒社会に身を潜めていたこの支部の…まさしく生き字引。

 

 

 

もう一人の「蛙」である。

 

 

 

「私の名は…林。この黒泉を預からせてもらっている者だ。お会いできて光栄だよ。奇妙なゴッドイーター諸君…」

 

林はがま口を引き攣らせたかのように口の端を歪ませてひぃひぃと奇妙な引き笑いを浮かべる、が、その程度の反動に体が耐えきれないのか途端ごぼごぼと喉を詰まらせ、咳き込み始めた。

 

「先生!」

 

慌てて傍らに控えていたファリンが彼の背中をさすり、労わりつつ二、三声をかける。

 

 

―この人…もう長くないな。

 

 

エノハの背後で死神の少女―「レイス」は林、そして彼とファリンとのやり取りを見つつそう印象を持った。この男は何らかの…恐らく複数の致命的な病魔に侵され、其のすべてが膏肓に入っているであろうことを「レイス」は根拠もなく確信する。。

こと職業柄、そして彼女の「血の力」の特性ゆえか死期の近い、死の臭いを纏う存在に対して非常に彼女は敏感である。しかし、それを差し引いても初対面の誰もがこの男に似たような印象を持つであろう。「棺桶に片足を突っ込んだ状態」という言葉がこれほど似合う御仁も珍しい。しかし―

 

「ああ――もう大丈夫だ…見苦しいところをお見せしたな」

 

そう言ってエノハ達を見据えた小さな眼球の中に誂えられたぎょろりとした瞳だけは未だに脂の乗り切った壮年の男性らしい生への力に満ち溢れた輝きを放ち、息づいている。その鋭い眼光にこそこの体でありながらこの男が組織の長として今日まで生き永らえることが出来た根拠を垣間見る。そんな彼に最大限の敬意を払い、エノハはすっくと立ちあがり、仰々しく頭を下げた。

 

「…こちらこそ。老師。色々とお騒がせして申し訳ありません。しかし早速本題に入らせていただきます。我々の大体の話、大筋を聞いていたご様子とお見受けします。このまま話を進めてよろしいでしょうか?何しろ少々立て込んでおりまして―」

 

「…青年」

 

エノハの言葉を遮るように林が割り込んできた。にやにやと覗き込むような視線を向けつつ。

 

「は…何でしょうか?」

 

「…中々綺麗な発音で努力の程がうかがえる広東語だが…少々癖が強いな。君の話し易い言語で話したまえ。ここからの話…ニュアンスの違いでお互いの解釈に齟齬があっても詰まらないであろう?」

 

年長者らしい気遣いと敢えて言語を指定しない様に容量の深さを垣間見せる。

 

「申し訳ありません…お気遣い痛み入ります老師。それでは…」

 

 

 

 

「…日本語で」

 

 

 

 

「ふぅっふぅっふぅっふ!…やはり極東人だったか…しかしネイティブの日本語を聞くのは久しぶりだよ…あの国の言葉は良い。語彙の豊富さ、難解さ、言葉遊びとユニークさとユーモアに溢れた美しい言語だ。他の文化に無い独特の深みがあって私は好きだよ」

 

林は上機嫌そうに笑ってやや挑発的にエノハを見つつ、見事な訛りの無い日本語で返す。食えない人物であると同時、茶目っ気も交え、色んな意味での人としての「容量の深さ」を持ち合わせる雰囲気を纏った男だ―ということをエノハは理解し、同時この人物が間違いなくこのヘイセンという組織を本当の意味で長年治め、そしてこの香港支部の黒社会、裏社会を渡り歩いてきた男であることを確信する。

 

「……お初にお目にかかります。俺のことは…『サクラ』と呼んでください。老師」

 

「『さくら』…ほぉ櫻(イン)の事か…良い名だな。ただ…」

 

「…?」

 

「本当の名前を聞かせてくれないのは少々残念だ…まぁ仕方なかろう」

 

「俺の事は」―そう日本語で表現した「サクラ」の言葉の真意、微妙なニュアンスをちゃんと林は感じ取り、理解していた。

 

「…。ご容赦を」

 

「いや?君によく似合った高潔な良き呼び名だと思うよ?『名は体を顕す』…君のお国の言葉であったかな?サクラ君?」

 

また愉快そうにひぃひぃと声を引き攣らせながらも林は笑う。そしてこう続けた。

 

 

「それに―」

 

「…?」

 

 

 

 

「私もまだ『林』としか名乗っていなかったな?…失礼した。私のフルネームは―」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




「報告は以上―エの…っとととと。失敬…『サクラ』さん」

「ありがとう。アナン。キミは…取り敢えず『レイス』と一緒にここで待機。リグとその…『J』というスピア使いのGE…彼等の所には俺が直接行く。林老師の話によると『私の名さえ出せば「J」はそれを休戦、君らとの交戦停止の意味と判断する』とのことらしい」

「りょう~かいです。ねぇ…」

「ん…?」

「ゴメン。あんま時間無いの知ってるけど少し聞かせて。あの人が…ここの一番のお偉いさん?」

リグと「J」を焚きつけた後、「サクラ」達の下に現状報告の為に現れたアナンが今形式通りの報告を終えた後、彼の背後で自分たちのやり取りを見守っている林の姿を確認。やや警戒の入り混じった小声で「サクラ」にそう囁く。見てくれは例え悪くても佇む林の醸し出す雰囲気、姿に自分とリグが難なく制圧した見た目いかにもその道っぽいチンピラ風の構成員達との明らかな違いを目聡く感じ取っていた。

元々貴族階級出身のアナンは幼いころに両親に連れられ何度も出る羽目になった退屈な貴族の社交の場にて彼らのお相手をしつつ、値踏みも暇つぶしに行っていた。その為、人を見分ける眼力は高い。


「あの人は見たカンジ…うん。『話」は通じそうだね。…往々にして『違う意味』で気をつけなきゃなんないタイプでもありそうだけど」

「…違いないな。でも結局は信じてみないと始まらない。今回の任務に彼らの協力は必須だ。そして君の報告にあった『J』という子にも話を聞いてみたいしね」

「…ふぅ。ま。そうなんだけどね~~。…でもさ…」

「ん?」

「あんまり怪我しないで?『サクラ』さん。…『レイス』がほら…今思いの外怒っててちょっとハラハラしてんのワタシ」

「レイス」の血の力によって見た目は完全に無傷とはいえ「サクラ」からツンと香る血の臭い、そして薄汚れた顔にやや心配そうに眉をアナンは歪める。「レイス」がそれに関して一見ポーカーフェイスを保ちつつも内心激怒している事に聡いアナンは気づいていた。

「貴方は私ら『ハイド』の隊長なんだから!貴方の恥は私らの恥でもあるんだよ?」

「耳が…痛いな」

「…まぁ、それは建前として?私も…あんま『サクラ』さんに怪我してほしくないってところは『レイス』と一緒よ?ただでさえ、ね…」

アラガミ相手の怪我はある程度仕方ない。GEというのはそう言う仕事だ。しかしそんな彼らが当の守っている、守ろうとしている人間相手に攻撃されたり、罵られたり、傷つけられるというのは理不尽だ。

―あ~私何言ってんだろ。こんな急がなきゃなんない時に。

そんな複雑でせめぎ合う感情を持て余したようなどっちつかずの態度で珍しくアナンが気遣うように最後に上目遣いで「サクラ」を見上げる。

「…心配させて悪いな。アナン」

「ん」



「で。アナン?最後にもう一つ」

「?」

「君の見たそのGE―『J』君の見立てはどうだ?」


「強いよ。それもかなりね。リグでもヤバいかもしんない」

アナンは全く躊躇うことなくそう言い切った。


「そうか♪急がないとな」

「…嬉しそうだね。反面結構バカっぽいよ~~?リグと同類項かそれ以上に」

「それでも貴重な協力者だ。死なすわけにはいかない。勿論二人とも。…行ってくる」

「うん」












リグと「J」の交戦地点に向かい「サクラ」が一旦アジトを出る直前―彼は林に声を掛けられた。

「して『サクラ』君…?少しいいか?」

「…何か?老師」

「君は……アレを…ファリンの事をずっと『大姐(ダージェ)』と呼んでいたのかね?」

「…はい?そうですが?」

「そうかっ…ふふふっ…」

「それが何か…?」

「ぶ、…わっはははははははは!!!」

「!!??」

「それはっ…!!それは殴られても、拷問されても仕方ないぞ?『サクラ』君!?ぐっ…!ごほっげっほ!んっくっ、は、はははは!!」

「え…」

「…アレはまだ25だ。そんな年頃の娘が君の様なイイ男相手に『大姐』、『大姐』と連呼されたら殺したくなっても仕方あるまいよ。君はアレの事をずっと『オバサン』『オバサン』と連呼していたようなものだ!!」































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「…」

 

―似た者同士仲良くしなさいよアンタたち…。

 

可憐な死神の少女―「レイス」は内心そう思いつつ二人のやり取りを腕を組みつつ見守っていた。

 

リグと「J」―「水と油」というよりもお互い性格、性質共に似通い過ぎているせいで徹底的にウマが合わない両者は一応「ハイド」が香港マフィアの「黒泉」と停戦協定を結んだ後の現在も―

 

「…!…!!」

 

「…!?…!」

 

無言でにらみ合い、いがみ合い、反目しあっている。しかし一方で―

 

「…」

 

「J」のイラつきは時々まるでリグの存在すら忘れてしまったかのように別の所に向けられる瞬間がある。いや。イラつきというよりもやや切ない表情をして「彼女達」をちらちらと盗み見ていた。

 

―…くそ。…何でこのくそチビの仲間にはこんな……メチャクチャ可愛い子が多いんだ!!許せねぇ!!メイリンちゃ…いや、アナンちゃんだっけか…。

 

「J」は今、心底リグが羨ましかった。

 

「…ん?あは~~~♪」

 

アナンは「J」からの視線に気づき、「あはは。騙して御免アルね~♡」と言いたげな彼女らしい何とも反省の無い表情を浮かべつつ、小さくひらひらと手を振る。

 

そして―

 

「…ん?」

 

銀髪の死神の少女―「レイス」が「J」からの視線に気づき、少し首を傾げる様に目を丸めると…

 

―う、うひゃ~!カ、カワイイな~~~!!「レイス」ちゃんって!!

 

リグとのいがみ合い、そして現実問題先程確実にアナンには騙され、カモにされたにも拘らずそれをすっかり忘れて「J」は内心ハイテンションになっている。そんなコロコロと忙しい「J」の反応を楽しんでいるアナンとは対照的に「レイス」は―

 

―…?変なヒト。

 

…余りにもあんまりな心象を「J」に持っていた。

 

「『J』…。フラフラするな。…先生の前だよ」

 

「…は、はい!…すんません。琳姐(リンジェ)」

 

いがみあったり、一転はしゃいだりと忙しい「J」を現在、ターコイズブルーの下地に艶やかな花柄の紋様の走るチャイナドレスに身を包み、スリットから悩ましい程の美しい脚線美をのぞかせた端正な東洋系の顔立ちを併せ持つ美女―花琳が浮ついている「J」を厳しい口調で窘める。

しかし―

 

―まぁ…気持ちもわからなくないがな。「J」。

 

ふっ、と年長者らしい理解ある笑みを浮かべて今の「J」をファリンは眺めていた。

 

彼女達が所属するヘイセンという組織は基本、女性幹部の花琳を除けば完全な男所帯である。ファリンも相当の美人ではあるがまだ齢17歳の「J」にとって25歳の彼女は年の離れた姉、もしくは「女上司」といった様な印象が強い。お互いに信頼関係は強いものの一定の距離がある。

さらに彼は立場上存在を隠匿されなければならない「野良GE」であるため、あまり表に出るわけもいかない立場である。

 

…まぁ要するに…可哀そうなことだが17歳という年頃なのに彼の人生現在、あまりに女っ気がないのだ。

 

元々異性に対してはシャイで真面目な性格(やや女性恐怖症よりの女性崇拝といったところ)というのもあって現在、「レイス」、アナンという同年代の、そしてかなり美少女の部類に入る二人を前に彼はこの状況だ。

 

―…。うん。やっぱアンタら似てるわ…。

 

「レイス」と違って彼のおおよその事情を大体理解しているアナンは内心うんうん頷きながら不思議な程似通い過ぎているリグ、「J」両名の姿を交互に眺める。これは更なる火種でも投下して掻き回し、この状況を満喫したいところではあるが...

 

―おっと…ダメダメ…今は「仕事」に集中しないとね~。

 

軽く首を振ったアナンのエメラルドの双眸に再び冷静な光が灯る。

 

 

 

「同じテーブルの上で同じものを食し、飲む。…さぁここから始めようかね。『サクラ』君?」

 

「…頂きます」

 

 

現在―この香港支部内の各地に点在しているヘイセンの隠れアジトの一室、彼らがかなり重要な来賓を秘密裏に向かい入れる際に用意された豪奢な迎賓室の中央テーブル―文字通りの「交渉のテーブル」についた「サクラ」、傍らには「レイス」。その二人の向かいにはヘイセンの代表である車椅子の男―林、そしてそれの付き人として傍らにファリンが立った。

 

―…。

 

その光景を前にアナンは表情を引き締める。

 

同じテーブルの上でファリンの淹れてくれたお茶を何の躊躇いもなく「サクラ」は口に運ぶ。それを嬉しそうに眺めていた林もまた口内を僅かに湿らす程度に口に含み、こう呟いた。

 

「さて...君らの目的は『あのアラガミの討伐』とのことだが…まずそれで君らが得るものは具体的にはなにかね…?」

 

元々フェンリルに表向きには属していないマフィア組織、それと非公式とはいえフェンリルに属する部隊の「ハイド」という完全に相容れない立場同士が協力しあう以上、当然お互いの利害を確認し合う必要があった。

 

「…シンプルです。大別すれば二つ。先程ファリン嬢に申し上げた様に我々の身内が行っている恥を我々自身で注がせて欲しいこと。これは間違いなく我々の本音であることを信じていただきたい」

 

「ふむ…」

 

「そして…我々がフェンリルに属するGEである以上、これは譲れないところなんですが…」

 

「…ヤツのコアの確保か。まぁ君がGEである以上当然の事だな」

 

「はい」

 

恐らくはそこが最も利害の衝突が避けられない所であろう。この組織が「J」というGEを抱えている―それすなわち、彼がアラガミに唯一対抗出来る用心棒であると同時、彼ら自身でアラガミ素材を調達しつつ彼の神機の運用に必要な最低限のアラガミ素材の確保が不可欠である。

 

それだけではない。そもそもアラガミ素材自体が限られた「専門分野の人間」でしか収集、回収できない有用性を持つ代物なだけに裏ルートで流せば組織の資金源、若しくは取引材料としても運用できるということでもある。

 

この時代、アラガミ素材というものは時にどんな貴重品、芸術品、宝石よりも勝るお宝でもあるのだ。おまけに―

 

「奴は…インビジブルは『固有種』。奴のコアの回収はアラガミ防護壁の更新の必要性をもたないとは言え世界でたった一つの希少なサンプルだからな。病的な程のアラガミ素材の収集癖を持つフェンリルにとってはここは譲れないところであろうて!」

 

ぜいぜいと喉を鳴らし、ご機嫌そうに林は目を細める。対照的に「サクラ」は目を見開く他なかった。彼の発した言葉に驚きを隠せなかったからだ。

 

「…!驚きました。まさか老師…『固有種』の事までお知りとは」

 

現時点ではこの「固有種」、または「感応種」等の新種アラガミの情報はフェンリル内部にて非常に厳しい情報制限、情報統制がなされている。情報漏洩などすれば間違いなく一支部レベルで致命的な恐慌が引き起こされかねないレベルの厄ネタであるからだ。

 

「情報収集、確保は私達のような稼業では時代問わず基本であり、最優先事項だよ」

 

林は事も無げに瞳を伏せながらもう一口茶に口をつける。

 

彼らマフィア組織と言えど支部を仕切るフェンリルと比べたら人材、資金、資材等所詮限られたものだ。ことアラガミに至っては対抗手段が限られ過ぎている。しかし情報は別だ。武力を持たずとも弱者が強者と渡り合う、若しくはそもそもの交戦を避けるうえでも重要なファクターである。

 

「…巷では『感応種』と呼ばれるこれまたキナ臭い新種も出ているそうじゃないか?『通常の神機が働かなくなる』とかなんとか…」

 

「…」

 

今まで組織でたった一人のアラガミの対抗手段であるGE―「J」を送り出すために相当慎重な組織運用を行っていたことが垣間見える。確かに感応種相手では通常のGEは現状丸腰も同然。そんな相手に無策で突っ込み、替えの効かない唯一の切り札を失うようなことは在ってはならない。闘争において「情報」は確かに重要であると同時、無意味な闘争を避ける意味でもまた重要なのである。

 

「…話が逸れたな。取り敢えず我らの共通の目的はあのアラガミの排除…そしてコアの回収だ―そこに関しては文句はない。ただ肝心の奴のコアはたった一つ。さて困ったな…」

 

「…コアさえこちらにお譲りいただけるのであればこちらから報酬としてそれ相応の資材、フェンリルクレジットを工面いたします。コアを我々が買い取る物と考えていただければ。…勿論貴方がたの協力に対する報酬は別でお支払いします。作戦費用も当然すべてこちら持ちで構いません。他にも要求があればある程度融通が。例えば…」

 

「例えば…?」

 

「…貴方方組織の構成員全員分の別支部への居住権などいかかでしょうか。希望支部があればご遠慮なく。何なら等級の高いサンクチュアリ支部もご紹介できますよ?」

 

「サクラ」は飴玉を晒す。その数々の破格の好条件は裏を返せばハイド側が「コアだけは絶対に譲れない」という強い意思表示でもあった。

 

「ほぉ。それは魅力的な申し出だ。…思った以上に君のバックには大物の人物が絡んでいるようだな。しかし…そんな人間が一支部を仕切る人間と真っ向から利害対立するとなると…さぞかし面倒ごとがあるのではないのかね?」

 

この林の言葉の裏には「ハイド」が事と状況次第ではあっさりヘイセンを裏切るのではないのか?という牽制を兼ねている。当然のヘイセン側の懸念事項だ。香港支部上層部のやり方に憤りを覚えているとはいえ「ハイド」は彼らを仕切るレア・クラウディウスの私設部隊。つまりれっきとしたフェンリル側の存在である。「上が倣えば下も倣う」。軍人の宿命だ。

 

「…確かに。それに関しては…信じていただく他ありませんね」

 

「ふふ…意地悪い質問だったかね…?」

 

「…」

 

「安心したまえ…私はフェンリルというよりも『君たち』をこの目で見て判断した上で君らの目の前に居る…。協力関係を結んだ以上、一方的にそれを破棄するような輩ではない事も大体解る」

 

「老師…」

 

「そもそも我々の組織を最初から潰すつもりであればこんな回りくどい事などしまい?アラガミではなく我々の様なただの人間の集団を潰すのにその道の専門家ではなく、君らの様な貴重なGEを派遣し、おまけに交渉等してくる時点で君らを仕切るお偉いさんの意図がある程度透けて見える。中々の変わり者のご様子だな。ふふ…」

 

「…お人が悪い」

 

 

 

 

「だが…コアに関してはやはり飲めぬ条件だな」

 

二人のやり取りに林の傍らで沈黙を守っていたファリンがずいと割り込み、卓上に美しくも鋭く誂えられた爪先をのせる。彼女は主の林とは違い、敵意と不信を隠さない鋭い視線で「サクラ」を睥睨した。しかし、その視線を受け流しつつ「サクラ」はこう返す。

 

「では…貴方がたがあのアラガミのコアを手に入れたとしてどうします?ここのフェンリル支部の支部長であるあの男―張 劉朱に渡すおつもりですか?」

 

「…」

 

ファリンは表情を変えなかった。しかし僅かに奥歯を噛みしめる様に黙り込む。図星だった。

察した「サクラ」はこう続けた。

 

「…新しいアラガミのコアというのはある意味井戸の水脈を探し当てるようなものです。それがこの先本当に有用か有用でないかはそもそも運次第、もしくはそれ以降のオラクル細胞、神機開発部門の科学者、技術者たちの努力にかかってきます。時間とコスト、先進の設備を用意して尚それに見合った対価が出るかどうかもまた未知です。特に固有種のコアの場合、『アラガミ防壁の更新』という最優先事項がそもそも発生しない…失礼な言い方かもしれませんが貴方方にとって無用の長物である可能性は高いはずです。奴のコアをフェンリル香港支部との交渉材料にするにも果たして連中にとってどれ程の価値があるか…」

 

「サクラ」はファリンの意図を見抜いていた。差し詰め引き換え条件は…「コアを差し出す代わりに自分たちの組織、構成員の身の安全の保証、香港支部内の様々な営利、権益に関する優遇措置」と言ったところか。しかし―

 

「多分さ~それ『ネコババ』されるだけだよ~~?オバサン?」

 

「…!!」

 

「誰がオバサンだ」と言いたげにファリンは声の主、茶々を入れたアナンをキッと睨む。アナンは「うひ~こわい、こわい」と肩をすくめて目を逸らす。「コラ」と言いたげな「サクラ」の視線も一緒くたにして受け流して。

 

「その…俺が言えた義理ではありませんが…失礼」

 

「サクラ」はそう前置いてアナンの非礼を詫びつつこう続ける。

 

「だが彼女の言う通り確かに恐らく無駄です。現状役に立つかどうか解らないコアがそれ程彼らにとって魅力のあるものとは思えません。コアを取引材料に密約を交わした所で貴方方が彼らにとって知りすぎた邪魔な存在であることは変わりない。喉元過ぎれば約束を反故にすることに何の躊躇いもないでしょう。それは俺達より遥かにこの支部に長年居る貴方がたの方が彼らのやり方についてよく解っておられるのでは?」

 

「サクラ」は確信してそう言い切った。押し黙るファリンに代わって―

 

「…それに関しては私も同感だ『サクラ』君。それどころか自分たちが匿っていたあのアラガミを我々の様な『反フェンリル組織が匿っていた』ものとして公に粛清する口実を作る―と言った筋書きにするのが容易に想像がつくな」

 

林も頷きつつ同調する。

 

「成程…貴方達が『アラガミの存在をフェンリル本部に隠匿して潜伏したアラガミを放置。住民を襲わせ、彼等へ支給される配給品、資材をすべて横領、懐に入れていた』と…。自分たちがやっていたことを全部棚に上げて…」

 

「ほぉ…その通りだ。聡明な死神のお嬢さん?」

 

「…む。…」

 

基本的に口数の少なそうな「レイス」が囁くように、しかし強い不機嫌さを隠さない口調で思わず会話に割り込んできたことに気を良くしたように林は笑った。この少女が「見た目よりも冷めた性格ではない」ということを察して嬉しかったらしい。不機嫌そうに口をつぐんで目を逸らした「レイス」の表情を楽しそうに見届けた後、林はさらにこう続ける。

 

「コアも手に入れられ、面倒な連中の口封じも出来、一応の脅威ではあったあのアラガミも排除できる―まさに良いことづくめだ。まぁ…受け入れた難民を秘密裏に排除してくれる孝行ものの家畜は居なくなるが所詮『金蔓が一つ消えた』程度の認識だろう」

 

連中にとって妙に聞き分け良く、そして都合のいい生態を持つあのアラガミは捨て置いても良く、まかり間違って討伐されようとも実は特に問題は無かったりする。ただ自分達の手で討伐することでかかるリスク、コストを負うよりも捨て置いた方が都合がいい―というのが現状だ。

 

「討伐されたらされたでスケープゴートをでっち上げ、粛清した後―『我々フェンリル香港支部は今回のような一部の悪辣、非道な者達によって起こった悲劇を教訓とし、難民の受け入れに関してこれからはもっと慎重になる必要がある』っ!…とか、なんとか言っておけば180度の方針転換も楽デショ。元々食い扶持やら権益の関係で難民の受け入れに消極的だったココの住民も居るだろし。此にて『世界で最も難民を受け入れてくれるお優しい支部』―香港支部は誠に心苦しくも御閉店ってか~~?」

 

アナンもまた面白くなさそうに後頭部に両手を添えてぶらぶらと天井を見上げていた。まだ年端の行かない少女二人の言葉に暫し場は沈黙する。

 

「先生…それではあのアラガミを始末しようがしなかろうがどちらにせよ我々に先は…」

 

「ファリン。そして『J』。お前達も覚悟していた筈だ。時に我々のような人間は排除されなければならない。秩序と均衡を保つためにはな」

 

「…」

 

「ただ…お上に散々利用され、挙げ句罪を擦り付けられて死ぬのは気に入らぬな。到底許容出来ん」

 

 

林は飄々とした態度に僅かながらも初めて不快感と憤りを込めた口調でそう呟く。そして深い隈で縁取りされながらもぎらついた視線を「サクラ」に向ける。

 

 

 

「『サクラ』君…」

 

「は…」

 

「君たちの要求は呑もう。奴のコアに関しては好きにするがいい。当面の敵はあのアラガミだ。今は属する組織、利権、支部どうこう言っている場合ではないからな」

 

「老師…」

 

「ことあのアラガミの討伐という一点に関しては完全に我々の利害は一致している。我々とてただ殺されてやる気など毛頭ない。今までの同胞の犠牲、そしてここで何も知らず死んでいった住民の為にもな」

 

時代変わればマフィア、極道の持つ意味も変わる。しかしどうやらこの組織の長はそれらのような組織がかつて生まれた意味、根本的な本質を完全には見失ってはいないらしい。

 

彼らの言う「義」を。

 

「謝謝…老師」

 

 

 

 

「ファリン。そして『J』」

 

「は…」

 

「はい。先生!」

 

「彼らと協力し、あのアラガミの討伐に全力を尽くせ。ただし彼らの事を知るウチの構成員は予定通り最小限に。人選は任せる。そしてあのアラガミに関して開示できる情報は出来る限り共有しろ」

 

「はい」

 

「…はい」

 

迷いなく頷いたファリンに遅れて「J」はやや不満げに呟く。

 

「…ん。不服か?『J』」

 

「いえ…先生の命令だし従いますよ?でも…コイツと協力ってのが…」

 

彼にとって「カワイイ」―「レイス」、アナン、妙に憎めないキャラクターをした神機整備士ノエル、そして…どうやら交戦経験、戦闘能力において規格違いであろう「サクラ」に対しては「J」は特に不満はない。

 

だが…リグだけは。

 

「…俺も同感だね。こんなヤツと一緒に戦えるわけがねぇ。アラガミは始末してやるからこの趣味のわりぃ二又眉の蠍野郎は締め出してくんねぇかナ。オジサン」

 

主の命令の手前、強く言い切れない「J」の言葉を代弁するようにリグはそう言った。

 

「…それは出来ぬ相談だなリグ君。『J』は我らの中で唯一アラガミと前線で戦える人間だ。君等の戦いぶりを見届ける…いや、正直に言うと君らを身近で監視し、報告してくれるパイプ役の人間がこちらも欲しい。よって『J』が君らと同行することに関しては必須。譲れんよ」

 

少々礼儀の足りてないリグにも林は至極真っ当な返答をする。直後リグは後頭部にほぼ同時に「レイス」、そして「サクラ」の二人に小突かれ、「って~~っ」と言いながら頭を押さえた。それを小気味よさそうに眺めていた「J」もまた直後、ファリンに脛を思いっきり蹴られて悶絶する。…とことんよく似た二人である。そんな二人を前に―

 

「これは困ったな…命を預け合う間柄だというのに早々これでは…先が思いやられる」

 

「…申し訳ありません老師。リグにはきつく言い聞かせておきますので。『J』君もすまない」

 

「…。よかろう。こうなっては手段は一つだな。『J』…」

 

「~~っ!!は、はい!?」

 

ファリンに蹴られた脛を両手で抑えながら林の呼び掛けに彼は顔を上げる。そんな彼に投げかけられた言葉は―

 

 

「『J』。アラガミ討伐の準備が整うまでお前の部屋に彼らを住まわせ、香港支部、主に作戦区域内の『幽霊(ユリン)』は勿論のこと外部居住区、中層スラム地区、歓楽街を中心に彼らをご案内して差し上げろ。観光を装ってな」

 

「りょうか…ってえええええええええ!?せ、先生ええぇぇ!?マジですかぁ~!?」

 

「はぁあぁぁああ!?」

 

似た者同士の「J」とリグの二人は当然こうなった。しかし一方で―

 

「やたーっ!!香港支部観光なんてイカす特典付きとは林のオジサマ太っ腹ぁ♪」

 

アナンが諸手をあげて喜ぶ姿に―

 

「そ、そうかい?アナンちゃん…?」

 

一転嬉しそうに「J」は鼻の下を伸ばす。解りやすい。

 

「…あんまり騒がないでよ。あくまで任地の視察、地形把握も兼ねてるんだから…。…えっと『J』君…?気が乗らないとは思うんだけど…よろしくね」

 

「と、とんでもない!!ヨロシクっ!!レイスちゃんっ」

 

こういうとき人間の鼻の下は本当に。マジで。大袈裟な表現ではなく目視可能レベルにまで芸術的に伸びる。気付いていないのは本人だけなのが尚滑稽である。

 

「……?よろしく」

 

「よろしくされました!」と言いたげにニコニコご機嫌そうに笑う「J」を前に「レイス」は首を傾げる他ない。

 

「くふふ…」

 

―「レイス」の天然魔性っぷりはこの手のタイプに効果覿面だねぇ~。

 

 

そんなやり取りをしているいつの間にかご機嫌の「J」に向け、ファリンが冷水を浴びせる様な冷たい口調でこう言い放つ。

 

「『J』…敢えて言うけどこのコ達二人は私の所で預かるからね」

 

「え、え~~っ!?淋姐~そ、そりゃ無いっすよ」

 

「わお~オバサン案外優しいね!!」

 

「…次オバサンっていったら殺すよ小娘」

 

この一言に人知れず「サクラ」はビクつき、そして反省の表情を浮かべていた。しかしアナンは相も変わらずマイペース。

 

「了解です♪媽媽(マーマ)♪」

 

「…すいません。お世話になります」

 

そんなアナンにかわって済まなそうに「レイス」は頭を下げる。

 

「ふん…」

 

さっきまで彼女の主である「サクラ」を拷問し、暴行をくわえたファリンに対して強い不快感と怒気を隠さなかった少女―「レイス」が毒気が抜けたように年相応な表情、そして育ちの良さそうな弁えた態度の彼女にファリンは面白くなさそうに視線を逸らす。

 

しかし目をそらした先の彼女の目に映ったものは再びにらみ合い、いがみ合う二人のガキの姿であった。

 

「『サクラ』さん...俺こんな野郎の部屋で寝るくらいなら装甲車のなかで寝るわ」

 

「おう。好きにしろや。お前なんかが俺の部屋に入るなんて虫酸が走らぁ」

 

「...二人して装甲車大破させといて何言ってんだ。お蔭であれ廃車だぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




「言っとくけど…」

「あん?」

「俺の部屋の中にあるもん一つとして触れてみろ…壊してみろ…。…殺すぞ」

マフィア組織―ヘイセンがGEである「J」の為に秘密裏に用意している神機整備庫に必要資材を送るため徹夜となったノエルを除き、「ハイド」の男衆二人―リグと「サクラ」の二人は「J」が組織に宛がわれた私室の前に案内される。しかし、その扉を前にして尚も両者は互いにチリチリと殺気を向け合い、いがみ合っていた。

口喧嘩→即殺し合いに発展しそうな二人を前にし、曲がりなりにも拷問、そして交渉と気疲れしている「サクラ」も辟易していた。

「大丈夫だよ。リグには何もさせないから。…頼むから二人ともいい加減に矛を収めてくれないか?」

「「…」」

黙りはしたがお互い不満が残っている事が丸解りの両者を前に「サクラ」、腰に手を当てて少し説教モードに入る。

「…戦闘で命を預け合う以前にまず俺たちは普通に生活してコンディションを調えなくちゃならない。それを詰まらない意地の張り合いで損なうことはGEとしてプロッフェショナルに反することだろ?そこは先ず解るな?二人とも」

「「…」」

「リグ」

「?」

「あんまりこれ以上我儘が続くようならお前を作戦から外すことも考えなくちゃならない。お前は貴重な戦力だが今みたいな個人的な感情で輪を乱し、『レイス』とアナンの足を引っ張るようなら仕方ないな」

「…!」

ことリグという少年は一見排他的に見えるが根っこの所で集団への帰属意識は非常に強い。

「自分が貴重な戦力であるということを常に忘れないでくれリグ。お前の離脱はハッキリ言って彼女達にとってマイナスでしかない。彼女達も表向きああ言うが実際はお前を頼りにしてるんだ」

「…あいよ」

「ん…。で、『J』君?」

「…『J』でいいぜ。『サクラ』さん」

「そか。じゃあ…『J』?君が味方になってくれたことは純粋に嬉しい。なぜなら今日リグと戦ってみて分かったと思うけど…俺達『ハイド』は少々特殊な神機使いでね。一人一人得手不得手のハッキリしたかなり尖った性能の神機、能力を持ってる」

「…」

「J」は今日のリグとの交戦の記憶を辿る。数々の今まで彼が見てきたGEの常識を覆す異質な能力を目にした彼は「サクラ」の言葉にすぐ納得し「まぁな…」と言いたげに冷静に僅かに頷いた。

「本来なら俺がバランサーとして戦闘に参加するんだが俺の神機の不調の関係で戦線復帰が出来るかどうか微妙な段階でね。すぐにはとても前線に出られる状態じゃない。…君には俺達の監視役と同時に俺の代わりに攻守に於いて主力として戦ってもらうという難しい役目を引き受けてもらうことになる」

「…」

「『J』…。君はリグのさっきの『あのアラガミを倒すだけなら俺達だけで十分』という言葉にムキになって逆に『俺だけでも十分』とは反論しなかった…君は冷静な判断ができる人間だ。『自分が考えなしに突っ込んで意味なく殺されたら誰が困るのか』を解っているんだ。…違うかい?」

そう。だからこそ「J」は生き残っている。あのアラガミに遭遇して尚。同時自分一人での限界を知っている。…無理は出来ない。結果彼にとってくそ忌々しいあのアラガミは仕留めきれず、のさばらせている。この香港支部の地下、自分たちの足元で。

「はぁ…相わかった。チビ。とりあえず休戦だ」

「コイツと話すと疲れるわ。…正論過ぎて」と言いたげな表情で大きなため息をつき、「J」は根負けしたように自室の鍵を開ける。既に神機との「会話」で「J」という少年の根っこの真面目さ、真っすぐさを知っている「サクラ」は申し訳なさそうに笑ってその背を見る。

しかし―


「…」

扉を開けたと同時「J」はまた固まってしまい、「ハイド」の二人に背を向けたまま俯き加減で考え込むように無言になってしまった。

―…なんだよ。結局こうなんのかよ。そんなに俺達を部屋に入れたくね~のかコイツ。

と頭が冷えていたリグもややあきれ顔で「J」の背中を見やる。

「『J』…?」

「いや…その…これはもう嫌がらせとかそんなんじゃね~~んだけどさ?一応確認しとくぜ?ホントに…マジで部屋のもんにはあんま触らないでくれよ」

そんな「J」の言葉の通り、嫌味とかそういった類の感情は一切感じられない口調で前置くように彼は苦笑いで振り返りながら二人にこう言った。

「…?」

「…?」

怪訝な背後の二人が顔を見合わせる中、「J」は尚も微妙な苦笑いを二人に向けつつこう思う。

―…。冷静によくよく考えてみるととてもあの二人…「レイス」ちゃんとアナンちゃんを俺の部屋に入れることなんて出来ねぇわ…琳姐はきっと俺に気を遣ってくれてたんだな…。

「その…何も触らねぇと同時に色々とスルーしてくれるとありがたいっす…」

そう言って「J」は…自室の玄関の電灯のスイッチを押す。

同時―





『「J」…おかえりなさい!!』

『きょ、今日は遅かったじゃない…!ちょっちょっとゴハン待ってよっ!?全く…遅くなるなら連絡ぐらい…ブツブツ…』

『今日もお疲れ様…『J』。洗濯物出しといてね?あ。ちゃんと私のとは分けてよ?な~んて冗談!一緒でいいよ!あ。傷ついた?ねぇ傷ついた?』






「「………!!???」」

玄関の電灯をつけた瞬間、あたりに響き渡るその声は明らかにいかにもな「コテコテ」の台詞、そして独特のイントネーションを持った口調の…



…合成音声であった。




そして少し遅れて明るく照らし出された「J」の私室内を前に…「ハイド」の二人は愕然。


「「…!!」」


左右の白を基調とした壁を背にした白い棚一面にほぼ数センチ間隔に行儀よく配列され、定期的に配置も変えられているであろうことが解る新品同様に手入れされた数々の何とも肉感的、性的なスタイル、コスチュームに身を包んだ少女の人形。人形。…また人形。

間接照明による「ライティング」も完璧で異常な程全員顔映りが良く、その視線が一斉にこの部屋の主―「J」と共にここに来た二人の来訪者の二人に向けられた。
「彼女達」一体一体の角度、視線の方向は完全に帰ってきた主の居る玄関先に集中するように明らかに計算されている。(ただし一部は「演出」なのか気恥ずかしそうに目を逸らす様に配置されていた。この部屋の主の凝り性さをうかがわせる)


「うおお~~~っ!!Ξ(;゚Д゚)/」

「ハイド」の二人が玄関先で呆気にとられて立ち尽くす中、「J」は奇声を放ちつつ彼の辨髪が真横に浮く程のスピードで滑り込むように室内に入り、先程玄関の照明をつけたと同時連動して点いたと思われる巨大なスピーカー二つををサイドに誂えた端末に滑り込み、即電源を落とす。

…あのまま放っておけば次にどんな「出し物」がお披露目されることになったか気になる所だ。

「…さ。ま。入れよ…」

「J」は必死で気取って二人を招き入れる様に手で促す。「はっ!」と意識が戻ったように「サクラ」は我に返り、


→ 個性的な部屋だね。

 い、意外に男の部屋にしては片付いてるなぁ!

 …。

必死で気の利いた言葉を探す。が、声にならない。そんな彼の傍らで―


「…く、そ、畜生…!!なんてこった!!」


リグはがっくりと四つん這いになって敗北感に晒されたように俯いていた。その姿に「J」もまたがっくりと視線を落とし、「笑えよ。いくらでも笑えよ」と言いたげに全ての反応を受け入れる覚悟、準備をプルプルと震えながら整えていた。


しかし―リグは違う。
 



「ま、まさかこ、こんな、こんな奴を…こんな奴をぉっ!!―


〇気玉をフルパワーで受け止めて踏ん張っている某宇宙人の如く、喉から絞り出すような声色で…こう言った。






「『兄貴』と呼ばなければならないなんてっ!!!!!!」















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―なぁリグよぉ。

―なんだ。「J」。

―俺には夢があるんだ…聞いてくれるか?

―なんだよ水くせぇな。前置かなくていいよ。俺たちの仲だろ?

―…。わりぃな。でもその夢を語るためにはまず「彼女」の事について話さなくちゃならねぇ…。

―…「彼女」?

―ほら…お前も見えるだろ?あそこに居るあのコのことサ。

―…!あ、あれはっ…!!

―…そうだ。この糞みたいな時代においてご多分に漏れずとても悲しい過去を持った子なんだが…そんなものを微塵も感じさせないぐらいキラキラ輝いて…咲き誇っているだろ?

―ああ…。








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『シプレ~20世紀伝説の名女優I・B風衣装に身を包んで~シリアルナンバー17』…それが彼女の製造名だ。俺は彼女を『アイビー』と呼んでいる…。世界で限定20個しか製造されていない彼女達…いや彼女の姉妹達にはそれぞれ一から二十の固有のナンバーが刻まれてんだ」

 

「…知ってるぜ。ナンバーが刻まれている場所が腿であったり、脛であったり、うなじであったりと一人一人違うんだよな。限定20体であり、そして同時に一つ一つがオンリーワン…ディープなコレクターゴコロをくすぐる何ともイカした仕様だぜ…」

 

「ん!!流石だ!!その通りだリグ。アイビーは見ての通り左頬に『17』と刻まれている。二十人姉妹でもかなり末の方の妹だが姉想い、妹想いの優しい子だ…例え彼女が何も言わなくても俺には見ればわかる…」

 

「そうだな…」

 

「…どうだ?昨今のシプレシリーズと違って露出の少ないまさに『古き良き時代』の衣装だが…一味違う憂いの籠った笑顔と大人びたポージングに魅了されるだろう?」

 

「ああ。でもな…」

 

「…解るかリグ。彼女の表情―一味違ったオトナの笑顔にな」

 

「ああ…これは悲しい、ツライ何かを背負ったままそれでも気丈に生きているオンナのカオだぜ…」

 

「…。合格だ。お前にならすべてを話せる。彼女の辛い過去をな…」

 

「…」

 

「実は…彼女の姉であるシリアルナンバー♯1~♯10。…彼女達全員が現在永久欠番なんだ。彼女達がどこにいるかも誰にも解らない」

 

「…!!なんだとっ?なぜだ!?俺達『シプラー』の…いや世界の損失だろそれは!?」

 

「彼女の姉である♯1から♯10は…製造されたその年にフェンリル欧州支部に輸送中、彼女らを乗せた輸送車がアラガミに襲われてな。輸送車ごと全員がアラガミに捕食されちまった…だからこの世界には今♯11~♯20までの十体しか存在していない。そのうちの一体が今ここに居るアイビーなんだ…」

 

「…なんてこった。彼女の過去にそんなことが」

 

「だがな…リグ?俺は諦めちゃいない」

 

「…どういうことだ?」

 

「よく考えてみろよ。彼女ほどの子の姉妹が黙って糞アラガミなんかに喰われると思うか?ただ消化されると思うか?」

 

「…」

 

「そしてお前もGEなら知っている筈だ…アラガミは『喰ったものの性質、形態を取り込み、その姿に反映させる』…と」

 

「…!まさか!」

 

「…そうだ!居るはずなんだ。この世界のどこかにっ!!彼女達を喰らい、彼女の姿に成り代わったアラガミが!!そしてそいつの腹の中には…彼女の十人の姉達が今もきっと戦っている!!助けを待っている!!!だから俺の夢はな?リグ…そいつを見つけ出して彼女達を救い出し、アイビーに本当に笑ってもらう事なんだ!!」

 

「『J』…お前…」

 

「へっ。馬鹿な夢だろう?笑ってくれ…」

 

「天才か…」

 

 

 

 

翌朝―

 

ヘイセン仮設居住施設

 

早朝食堂にて―

 

「…」

 

「サクラ」は目下に深い隈を刻みつつ、寝ぐせでぼさぼさの頭でうつらうつらと船を漕ぎながら手元の朝食のシリアルをもくもく、もしゃもしゃと口に機械的に運んでいた。もともと遺伝子組み換えのジャイアントトウモロコシのシリアルとあって味気なく質素な朝食だがそれにも増して食っている本人の表情が死んでいるため、更にマズそうに見える。

 

―俺って…「視線恐怖症」だったんだな。「どこでも眠れること」…我ながら結構誇れる特技だと思ってたんだけど…。

 

「サクラ」は昨晩、「J」の部屋で就寝中、左右から降り注ぐ無数の「彼女達」の視線、そしてお互いを認め合った「彼ら」のディープ過ぎる談議を前にほぼ一睡も出来なかった。

 

「林のオジ様…おはよーございまっす!!と、思いきや~~!?お~~っとこれは失礼!!我らが『サクラ』隊長ではないですか~~!?」

 

「お、お兄…?どしたの?」

 

相も変わらず平常運転で朝っぱらからわざとらしく、そして笑えない絡みをしてくるアナンと唯一彼を心配してくれる「レイス」に「サクラ」はのろのろと顔を起こす。

 

「おはよう。…二人ともよく眠れた?」

 

「いや、それをお前が聞くのか」という突っ込みを噛み殺しながら少女たちは各々「らしい」返事を返す。

 

「いや~快調、快『腸』!やはりナオンの事はナオンが一番よくわかってる!!ローフーもレートイもシャレオツでとってもレイキー♪ファリン媽媽って口は悪いけどミメンドウいいナオンだね!!」

 

「ギロッポンでシースー行くか」的口調で親指を立てながら要らん報告を挟むアナンとは対照的に「レイス」は落ち着いた口調で頷きながらこう言った。

 

「うん…良くしてくれてるよ。…。…(取り敢えず今の所私らを油断させて始末しようとかいう気はないみたい…こっちは大丈夫。アナンもそう言ってた)」

 

「…。(了解。それはよかった。)」

 

敬愛する林の命に逆らってまでファリンが一応共戦協定を結んだ相手に危害を加える可能性はゼロに近い。とはいえほんの昨日、殺し合いに近い緊張状態であったことも踏まえて念を押し、警戒させたがどうやら今の所大丈夫なようだ。

 

「それよりさ…お兄。お兄の今の惨状と…『アレ』何?何があったの?」

 

「…私もソレ聞きたい。折角昨日めっちゃ楽しかったのにアレはないすよぉ。アナンちゃん朝からルーブーになっちゃうよ…」

 

「解り合った」彼らが朝食の席でも立ち入れぬ固有結界を張っている昨日とは打って変わって融和ムードの光景に複雑すぎる表情を浮かべる女性陣に―

 

「…実はだな―」

 

昨晩の事の経緯をかいつまんで彼女達に「サクラ」は語った。すると―

 

「うん…そっちはもう絶対・カンペキ・パー100・余裕で大丈夫そうだね♪任せた!!」

 

「…頑張ってねお兄」

 

さささ~と潮が引くように距離を空けられた。

 

しかし、彼女らは忘れている。本日香港支部作戦地区周辺地域内の視察を兼ね、一行は「J」に連れられ仮宿を後にすることになるのだ。そして彼女達は気づき、思い知るのだ。「所詮逃げ場などなかった…」のだと。

 

アナンは内心こう叫ぶことになる。

 

 

―んあああ~~なんで香港まで来て…「ガキのお守」しなくちゃなんないのよ~~?!!それも一人増えてるってどういうことぉ!?

 

 

現在の香港は多種多様の前時代の娯楽産業が世界より集結した混沌の支部である。それだけならば一向に構わない、むしろ十代の彼女達にとって興味深いモノが目白押しではあるのだがいかんせん今回は「添乗員」の嗜好が偏り過ぎていた。

 

作戦区域、貧民街、そして中間層の前時代から続く香港のオリエンタルな街並み、人種の坩堝で活気にあふれた歓楽街の案内もそこそこに彼らは「J」の先導に従ってそこからひとつ通りを外れた怪しいショップに次々と連れていかれる羽目になった。当然そこでハイテンションなのは当の「J」とリグだけである。

 

 

「リグ見ろ!まだ未発売の新型のシプレのホログラフィセットだ。この前の香港限定の『シツコイ』に同梱してたホログラフィ端末からさらに進化してるんだぜ!…見てろ。これはな、なんと…」

 

「…!?す、すげぇ!!ホログラフィの中に俺の姿が!?」

 

「スゲェだろ!!この携帯端末でさっき撮ったお前の姿を3D化して落とし込むんだ。それに…ただ単に一緒に映るだけじゃねぇぞ?お前の姿がこうすっと…!」

 

「ふおおおおっ!?お、踊りだした!?それになんてキレッキレな動きなんだ!!」

 

「当たり前だ。シプレの専属の振付師の動きを落とし込んでるんだからな。キレが違うぜ」

 

「息ぴったりでシプレの隣で踊り狂う俺…これぞまさに俺の理想像の俺だ!!」

 

 

―…嫌な理想像だな!!

 

二人から離れてその光景を見守りつつアナンは内心そう言い捨てた。

 

「逃げ出したい…」

 

珍しく「レイス」も疲れ果てて泣きそうな声を上げつつ隣の「サクラ」を見やる。さぞかし彼も憔悴しきっているだろうと考え、気遣うように自分を奮い立たせながら。しかし―

 

「……すげぇ技術だ」

 

思いの外隣の「サクラ」は楽しそうに、そして感心したように真顔でふんふんと頷きながらその二人の光景を見ていた。そうだ。忘れていた。彼はこういう気があったんだ。

 

―……!!戻ってきてぇ!!お兄!!

 

「う…」

 

「…?」

 

「うぇ~~ん。お兄が壊れたぁ~」

 

「え…?いや『レイス』!?ただ単純に感心してただけだって!?」

 

「うわ~~ん『サクラ』さんが『レイス』泣かしたぁ~~う…『レイス』が泣いちゃうと私もな、んか悲しくぅ…うぅ~~うわ~~ん」

 

アナンももらい泣き。…彼女のはウソ泣きだが。

昨日はこれ以上なくいがみ合いを見るのが楽しかった二人が一転、一夜を共にして完全にアナンにとって良くない方向へ傾いてしまった。この虚しさ、期待外れ感、憤りをアナン自身も埋める必要があり、その標的となったのは「レイス」を泣かせた「サクラ」であった。

 

あわあわと本泣き気味の「レイス」と完全ウソ泣きのアナンをなだめる中、更に趣味の事でヒートアップする「ガキ二人」―そんな地獄絵図の中、彼らの現地視察は続くかと思われた。

 

が―意外にも予想外の助け舟が一行の下に現れる。

 

完全に「J」の独断と偏見、趣味で塗り固められた行き先を三か所ほど回った(内一か所はグッズ企画、製作を一手に手掛ける現場)時、ハイテンション二人と疲れ切った三人の隣に場違いな程巨大なロールスロイスが横付けされ、徐に後部座席のウィンドウが開く。そこから美しくもはっきりと不快感を隠そうともしないひくひくと口の端を歪ませる女性の顔が覗く。

 

ファリンであった。

 

「やはりか…『J』…」

 

「り、琳姐!?なんでここに!?」

 

「お前の事だ。今朝の様子からして大事な役目ほっぽり出して余計なとこにばかり彼らを案内するだろうなと思ったら…案の定だ」

 

「よ、余計なとこじゃないですって!?ほら…れっきとした今の香港支部を一部であるサブカルチャー文化の紹介っすよ!?立派な現地案内でしょうが!?」

 

「黙れ」

 

一喝。「J」が押し黙ったと同時、アナンが最高のタイミングで現れてくれたファリンに駆け寄り、珍しく真顔でこう言い切った。

 

「…一生ついていきます。媽媽」

 

「ほう。今『一生』といったな?小娘」

 

「…やっぱビクトリア湾に浮かびたくないので勘弁してください」

 

意外な程アナンの扱いが上手いファリンの姿に心底感心し、「レイス」はおお~~っと感嘆の表情を浮かべる。

 

「…なんだ。もう一人の小娘。その顔は」

 

「いえ、その…私ファリンさんの事誤解してたみたいで…その、ごめんなさい」

 

「…フン。とっとと乗れ。本当の香港支部を見せてやる。…っ!!…『見せてやれ』…と、いうのが先生のお達しだからな」

 

「…」

 

―…素直じゃないんだなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

「極東支部を始め、いろんな支部を見てきましたが…ここは何というか…スケールが違いますね。世界の各地域から文化、宗教、人種を取り込み発展し続け、その分自由と混沌の線引きが曖昧といえばいいのか…。そこが危ういところでもあり、また魅力的な面でもあるんでしょう。この支部は」

 

車窓から映る香港市街の光景を眺めながら向かいに座ったファリンに「サクラ」はそう話しかける。「話しかけるな」と言いたげに頬杖を突き、長い足を組んで口をつぐんでいた美しくも鋭い横顔を見せていたファリンがじろりと切れ長の目を「サクラ」に向けた。

 

そして再び目を逸らし、「これは独り言だ」と言いたげな口調でファリンは言葉を紡ぎ始める。彼女もまた車窓の外を流れる香港の街並みを眺めながら。

 

「…『大きい』『数が多い』というのは何事も良い面だけではない。規模が大きければ大きい程、すべてを見渡すことが困難になるし、数が多ければ多い程その分考え方、捉え方も多種多様に異なり枝分かれしていく。それらを全て無理やり囲み、無理やり維持していくためには必要なものも多くなる。…同時不必要なものを捨てていく必要が生まれてくる」

 

「…ファリン嬢」

 

「世界中で人も物も…価値感すらも全て奪われる様な時代の中で幸か不幸か比較的に早く順応し、秩序を得たこの支部はその先も秩序を守り、出来る限り多くの者が生き抜くために更なる秩序…いや、厳密に言えば強い束縛を手に入れる他なかった。端的に言えば『暴力』だな」

 

「…」

 

「多くの思い、考え方、理念、プライド…それらを時に踏みつぶし、時に呑み込んででも我らは進む他なかった。その土台の上に今の私たちは立っている。その時代の流れの中…我らは直に今まで踏みつぶされ、呑み込まれてきた者達と同じ様な道を辿ることになろうとしている。…皮肉な話だ」

 

「…」

 

「『サクラ』。貴様は昨日の先生との交渉の際、違う支部への異動をかけあう交渉条件を出したな」

 

「はい」

 

「確かに我らの中にも外の世界、新しい場所でもちゃんと生きていける者も居よう。しかしこの香港支部しか知らない、ここでしか生きていけない者達もいる」

 

「…」

 

「新天地を求め旅立つ―聞こえはいいがそれは今まで生きてきた場所、そして共に歩み、生きてきた者たちを捨てる旅立ちだ。そこに何の意味がある?軽々しく『他に移ればいい』などと言えるのはそれこそ傍観者の発想だ。この香港支部はフェンリル支部だけではない、我々の様な日陰の人間、…先生と先生の同胞たちが築き上げた場所だ。私たちはそこで生まれ、そして育った。…そんな場所を次代を担う我々のような存在が逃げ出してどうする」

 

「…」

 

「…喋り過ぎた。もう話しかけるな」

 

再び不機嫌そうながらも美しい横顔、そして生き様のほんの僅かな一端を見せた香港の気難しい「花」は黙ってしまった。そんな彼女に少しクスリと笑って要求通り「サクラ」は一言も発しないままファリンと同じ方向―車窓の外を眺める。

 

 

 

「…」

 

―ファリン嬢…貴方は少し…

 

リッカに似てる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

九龍半島と香港本島を結ぶ巨大なベイブリッジの眼下に広がるヴィクトリア湾、貧富の差を一区切りの壁を隔てて露骨かつ顕著に表す街並みを見下ろしつつ、「サクラ」の目は「それ」を捉える。

 

 

ビクトリア湾中心に浮かぶ巨大な要塞の如く、我が物顔で鎮座する建造物―フェンリル香港支部を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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集結




「…」

口の中が粘つく。この地が慣れない気候というのもあるだろうが何よりもこの異質な状況が少年―ノエルの不安と緊張を煽る。

香港マフィア組織―黒泉(ヘイセン)大陸側輸送ドッグにて―

周囲数百メートル物々しい真っ黒な壁で覆い、資材搬入作業を迅速にこなすためだけの味気ない照明、巨大な換気装置がごうごうと唸る薄暗いドッグ内の空気は重い。そんな場所に一際小柄な少年がたった一人ポツンと筋肉隆々の男たちが横行する中に居るのだ。不安にもなりたくなる。

「心配するナ。少年」

そんな彼に自己紹介以降全く口を利いてくれなかったヘイセンの輸送ドッグを取り仕切る現場主任、同時ノエルの通訳役を買って出ていた隣の男が口を開く。

「…は」

ノエルは緊張のあまりまだ自分の声が上ずっていることを大いに自覚しながらそう呟く。そんな彼に然したる反応を示さずただ男は淡々とこう応える。

「老師がキメたコトだ。ならワレワレは君らに協力するノミ」

元々事務的な男なのだろう。さっきまで数人の組織の構成員とノエルの護衛兼、資材管理の「ハイド」の幾人かのメンバーに対して作業に対しての必要最低限の言葉しか発していなかった彼が初めてノエルに雑談と呼べる言葉を発した。口調はあくまでビジネスライクだが僅かに感情をこめて。

「…ホンネを言えばココもフェンリルの関係者に立ち入らせたくなかったのダガ…『少しでもお前たちの働きを彼らに見てもらえ』との老師のお達しダ」

「…『ほかの搬入ドッグでも滞りなく資材搬入はスムーズに、厳格に行われるから心配するな』、という事ですか?」

「ソウダ。老師を通して契約、盟約がきっちり発生している以上、ワレワレはそれを一方的に破棄することはしない。そして―」

男はツカツカと歩き出す。同時、まるで敵の襲撃、もしくは災害が発生した時にでも流される警報音の如きけたたましいサイレンが周囲に鳴り響き、男、そしてノエルの顔を「注意喚起」を表す黄色いランプがまだらに彼らの顔を照らし出す。

この「黄色」は両者の関係を如実に顕している。「青」では決してない。しかし「赤」でもない。あくまでフィフティフィフティである。そう。利害が一致している限りは―

「―…キミらがここに何を持ち込もうとワレワレは関知、干渉しナイ」

そう言って振り返った男の背後で水しぶきを上げながらまるで十字架の如く張り出した潜水艦の船橋が顔を出す。














「ハイド」の三人は戦慄していた。

 

「こ、これは…!」

 

「…!!」

 

「…」

 

「生臭い・泥臭い・塩臭い・磯臭い!おおよそすべての『臭い』を網羅しているのはずなのに何でこんな『味』があんの!?この上海ガニ!!おかしいって!!!」

 

赤毛の少女―アナンがエメラルドの瞳を爛々と輝かせ、何とも濃いコメントを残しながら両手で持った異質な物体にバクついていた。

 

「…美味しい」

 

美食家、偏食家の彼女の適合神機とは違い、料理は上手いのに本人は特に「食べる」ということに特別な興味を持っていない死神の少女―「レイス」ですら驚きを隠せずそう呟き、黙々と食を進める。

 

「…モグモグ」

 

リグに至っては上手く言葉が浮かばないのかひたすら無心でカニを解体していた。

 

 

 

フェンリル香港支部夕刻、貧民街と上流層を隔てる中層繁華街地区―

 

ここは香港支部で最も人口の多い区画。である。貴族やフェンリル役員等のいる最上層区画に入るには許可が必要であるが、この中層区画は全階層区民に広く解放されており、人口の大半を占める中流、下流層の人間が集う場所であるからだ。おまけに時刻は夕飯刻であり、屋台、露店などが無数に立ち並ぶ中をひっきりなしに多様な人種が行き交うため、まさに「人種の坩堝」と呼ぶにふさわしい多数の文化、食文化、言語が入り混じる騒がしい喧噪に包まれる。

 

…??!……!!!…!??

 

お国変われば言語はもちろん感情表現、声量、語気も変わる。訪れた来訪者、他民族にとってはまるで怒っているかの如く、矢継ぎ早にやかましく捲し立てているように聞こえる大声で話す彼らであるが彼等にとってそれが日常。むしろこの国では訪れた自分達こそが異物、異質なのだと思い知る。

 

これこそが「旅」と言うものだ。

 

まぁ例えそれがわかっていても「慣れる慣れない」、「受け入れる、受けいられない」には個人的差異がどうしても生じる。

 

正直「ハイド」の面子は当初、見た目も人種も習慣も異なるこの場所である意味自分達が悪目立ちしてしまうのでは無いか、という懸念を持っていた。しかし其れが幸か不幸か完全に杞憂であったと彼らは思い知る。

 

善くも悪くもこの国の人間の許容力は高い。前時代から他の地域を追われた、また逆に夢を追い求めた者達が進んで各々の文化、知識、野心を持ってこの地に集い発展させた結果、世界でも類を見ないレベルの近代化を遂げたこの香港という地の2070年代の姿―この香港支部の中心で「ハイド」の面子は前時代と同等、もしくはそれ以上のこの地の勢いと熱気に包まれるこの支部に少々気圧され、食傷気味であった。

 

そんな彼らを先導し「J」が案内したのは無数に並ぶ露店の一つであった。夕食は居住施設ではなく外でとろうという話になったらしい。しかし当のその場所が―

 

…!!!!!…!?…!???……!!!

 

…「ここ」では。何とも落ち着かない。

 

購入した料理を簡易に設けられた粗末な卓上にところ狭しと並べ、次々とガチャガチャと忙しなく口に運ぶこの支部の先住者、居住者達に周囲を囲まれ、落ち着かない様子で「…こんなところでメシ食うの?」と言いたげな「ハイド」のメンバーをまぁまぁと説き伏せて「J」は彼らをここに案内した。いや、案内したかった。

 

「受け入れられないものがある」のは仕方ない。でも、同時「受け入れてほしいもの」が彼にはある。紛れもなくここは彼の国、彼の支部、そして彼の居場所なのだから。

 

そして現在―

 

「ん~~~♪ウマ~~い!」

 

ご馳走にご満悦な「ハイド」三人の表情を前に内心ほっとしつつ、「J」ははにかむようにして微笑み、口を開いた。

 

「…ウマいだろ?…この香港支部はさ?知っての通り陸地のみをアラガミ装甲壁で囲むんじゃなく九龍半島と香港本島を挟んだ海峡―ビクトリア湾を中心として外海にアラガミ装甲壁を構築してる。それで出来た『内海』に巨大な生け簀を作って海産物を繁殖、養殖してるんだ。この蟹もその一つさ」

 

「…」

 

―…へぇ。

 

嬉しそうに語る「J」を頬杖を突きつつ眺めながら「レイス」はどこか今までと違って知的に見えた彼に少し意外そうに目を丸めつつこう思う。

 

―失礼かもだけどひょっとして案外育ちいいのかな?『J』君って…。

 

そんな「レイス」の心象のままに「J」は落ち着いた語り口調で話を続ける。

 

「まぁ…近親交雑による繁殖不全を防ぐために流石に遺伝子組み換えは行っているけど…それでもフェンリルの配給品の人工肉やたんぱく質と違って独特の『味』があるだろ?」

 

卓上に積まれた小振りながらも鋏の先までパンパンに身が詰まっているであろう赤黒い上海ガニを一匹手に取り、「J」は得意げに微笑んだ。そんな彼に「レイス」もこくんと頷く。

 

「うん、そうだね…なんていうのか…『雑味』って言えばいいのかな?ある意味無駄な好みの分かれる癖のある味、風味なんだけど…そこが逆にクセになる」

 

「ん~♪解ってるね。『レイス』ちゃん!」

 

「…。もう一匹貰うね?」

 

一転して「J」の少し幼い笑顔に彼女も応えて僅かに「レイス」も微笑み、四人は食事を再開する。

 

 

数十分後―

 

日が落ち、辺りが完全に暗くなった後も独特のオリエンタルな街灯、いかめしい漢字で表記された七色の無数の看板に照らされ、周囲がカラフルに色付く頃には四人の目の前の卓上に置かれた上海ガニは殻だけを残すのみになった。

 

「食った~♪もう入んない」

 

「御馳走様」

 

「うん…マジで旨かったよ『J』」

 

「…そっか。よかった」

 

満足そうに四人は簡素な椅子の背もたれに背を預け、香港支部の夜空を見上げた。

周囲が明るすぎて見えない星に代わり、そこには低い轟音をたて、巨大なフェンリルの軍用輸送機が両翼に誂えられた赤いランプを左右交互に光らせつつ着陸態勢に入っている姿があった。

 

あれに乗っているのはこの支部の混沌に魅せられた富裕層であろうか。それとも…新しい下層地区居住者であろうか。

 

この地は今も世界中より移り住むものを迎い入れ続けている。

 

「『J』君…?」

 

「うん?」

 

「いい支部…だね。ここは」

 

空を見上げながら「レイス」はポツリとそう呟いた。その言葉を聞いた「J」の表情が苦々しい曇った笑顔になっていることを百も承知で。

 

 

闇が濃すぎて。

 

静か過ぎて。

 

何も見えない、何も聞こえない場所もあれば、逆に明るすぎ、騒がしすぎて何も見えない、聞こえない場所もある。

 

 

光と闇、清も濁も飲み込んでこの支部は繁栄を謳歌する。

 

 

 

 

 

 

 

「…」

 

そんな彼らと離れ、青年―「サクラ」は一人人混みでごった返す通りを一つ離れた小路を歩いていた。凡そこの地に慣れていない人間が足を踏み入れてはいけないような暗い路地裏。が、その青年の恐れ、警戒も感じられない確固たる足取りはその闇に潜む連中に「不介入」「不可侵」の相手である―という暗黙の圧力を与えるに十分な佇まいであった。

 

そんな彼に―

 

 

「『サクラ』さん」

 

 

突如「闇」が声をかける。これまた凡そこの地に似つかわしくない節度ある可憐な声が青年を真っ暗な路地裏から呼び止める。

 

「…ナル、か?」

 

「はい」

 

「…首尾のほうは?」

 

「はい。問題ありません。ノエルの仲介のもと林老師が遣わしてくれた黒泉(ヘイセン)の構成員の方々と接触。交渉と並行して作業を進めています。彼らは非常に協力的であると同時優秀です。我々の思った以上に彼らは神機、そしてアラガミ資材に関しての扱い、知識に精通していますね。…正直驚きました」

 

「調達したアラガミ資材を闇ルートで捌いて資金源にしてきただろうし『情報こそが生命線』と林老師自身言っていたからな…」

 

「それでも末端構成員にも行き届いた情報共有、そしてそれを規律を基に厳格に管理統制されているのは驚きです。…我々の当初の予想以上にこの支部に深く根差しているようですね。彼らの組織は。これなら―

 

『あの子』の香港入りに関しても問題ないでしょう。」

 

「…」

 

「彼らの香港支部の各地、総数17の独自の資材搬入ルートから『あの子』の各部位パーツを小分けに支部内部に持ち込み、物資管理倉庫の一部を間借りして誂えた簡易の格納庫で再構成させます。今のところの進捗具合からして…三日程時間をいただくことにはなりますが」

 

「三日か…解った。引き続き進めてくれ。くれぐれも慎重に」

 

「かしこまりました」

 

 

 

基本的に「輸送」という行為に空路は向かない。航空機による輸送時間の高速化は大きな魅力にしても航空機が「空を飛ぶ」というシロモノである以上、一度に運べる物資の積載量に関して厳密なレギュレーションがある。おまけに燃料コストも高く、また「空港」という着陸、上陸地点が限られる輸送方法だけに第三者の目―前時代で言えば「税関」を通さざるをえず、国外に持ち出す、また持ち込む物品の管理審査もかなり厳しいときている。折角高い金をかけて持ち込んだ物品が没収、もしくは送還となってしまっては目も当てられない。

 

それは2070年代の現代、陸路、空路、海路の全輸送ルートにおいて非常にリスクの高い障害物―アラガミが跋扈しているこの時代でも変わらない。秘密裏にグレーゾーンの物品を国内に確実に、大量に持ち込みたいのであればやはり方法は陸路、海路の二つに限られる。

 

まして現在―「ハイド」が持ち込もうとしている「物品」があまりにも巨大、かつ秘密裏に、そして迅速に持ち込まなければならないいわくつきのシロモノであるのであれば尚更である。

 

 

彼らが持ち込む「物品」とは神機兵の部品。

 

つまりナルの愛機―『ブルーローズ』のパーツだ。今回から「彼女」が本格的に実戦投入される。

 

 

 

 

歴戦のGE達と言えど、生身のまま今回の討伐目標固有種アラガミ―インビジブルに安易に接近してしまった場合、不意を突かれ一方的に蹂躙された上海支部の連中と同じ結果になりかねない。何の情報、成果を得られないまま犠牲だけが出るサイクルをこれ以上繰り返す訳にも行かず、せめて撤退するにしても敵の詳しい攻撃力、生態、奴の体液等の生体サンプル、情報を生きて持ち帰る為に壁、囮になって正面から威力偵察を行い、GEのアラガミ討伐を補佐するタフな壁役が要る。

 

今回の作戦の目玉は本格的な神機兵とGEの共同運用だ。

 

巨大で頑丈な偏食因子で構成された神機兵の装甲ならば、生身の人間なら一発で致命的な損傷を負うアラガミの攻撃にも複数回耐えられる可能性は高い。おまけに貴重な適性持ちGEと異なり、神機兵が部位を壊されたり欠損してもパーツを換装する事で継続運用が可能、加えて乗員適性も間口が広いという神機兵の想定されている有用点、利点を確認、証明する上でまさしくうってつけの試金石というワケだ。

 

…かと言って現在は無人での神機兵の運用は実用段階に至っておらず、有人での運用である以上乗員―つまり人間の命が危険であることには変わりない。間違いなく神機兵のパイロット―つまりブルーローズの乗員であるナルフ・クラウディウスはこれ以上ない危険にさらされる。交戦記録に乏しい未知のアラガミ相手にまだまだ試用段階の兵器を実戦投入するのだから尚更だ。

 

「…」

 

「…。ナル?」

 

「サクラ」に一通りの報告を終えたにもかかわらず、彼女の気配が消えない事を訝しげに思い、彼は闇に向かってもう一度語りかける。すると―

 

「…あの子達がとても楽しそうで良かった」

 

暗闇からあまりに似つかわしくない思いやりに満ちた優しい声が響く。彼女は「ハイド」の三人と「J」とのやり取りを見ていたのだ。

 

「本来で有ればあの年代の子達は仲間とあんな風な時間を過ごす事こそが…自然、…なんでしょうね?『サクラ』さん」

 

「そうかもね」

 

「…守りますよ。無力だった私達大人が漸く力を手に入れた以上は」

 

最後に強い決心と覚悟を秘めた言葉を残して闇から彼女の気配が消える。

 

「…」

 

今回に関して前線に出ることが許されない「サクラ」はぐっと拳を握りしめ、未だ耳に残る慈愛に溢れた彼女の覚悟と決意を秘めた言葉を胸に香港中層地区の繁華街の中へ消えていった。

 

 

―俺は俺に出来ることをやるしかない。ただアイツらの無事を祈る前にやることがいくらでもあるはず。

 

 

 

 

彼がヘイセンの仮説居住区に戻ったとき、彼を門の前で迎い入れた「ハイド」の三人、そして「J」の同世代のGE達は既に観光ムードを切り替え、完全にGEとしてプロッフェッショナルな表情をしていた。

 

「さて皆…そろそろ仕事の時間だ。でもその前に…」

 

「…?」

 

「飲茶でもして少しほぐそうか。話し合いにある程度緊張感は大事だが…堅くなりすぎるよりもリラックスしている方が冷静で柔軟な意見が出やすい」

 

発破をかけなくとも既に頼もしい位の臨戦態勢に入っている彼らの横を満足そうに頷きつつ「サクラ」は通り過ぎる。

 

そんな彼の背中に無言のまま「ハイド」・チルドレンの三人、そして「J」が続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




おまけ

「あのさ...ナル」

「はい。何でしょうか『サクラ』さん」

「…いや、その、さ。今更なんだけど」

「…?遠慮なく仰ってください」

「その…『大姐』って言葉使ったらヘイセンの女幹部さんに…殺されかけたんだけど…」

「へ?」

「なんか…日本語で言う『オバサン』的ニュアンスらしくて、さ…」

「…申し訳ありません。罰としてしばらく私のことは『大姐』と呼んでください…」

「…」




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最後の蛙












 

 

 

 

「さて…『J』?」

 

「ん」

 

「この中で奴と接触し、交戦したことのある相手は君だけだ。まずは奴との交戦を通して君が体験したことをどんな些細な事でもいい。俺たちに話してくれ」

 

「…失望させるようで悪いけどさ。『交戦』って言えるほどまともに戦えてねぇ。一太刀浴びせるどころか毎回逃げるのが精いっぱいだった」

 

「…でも君は奴と何度も接触しながら生き残り、その経験を通してその鋭敏な『感覚』を手に入れるまでに至った。誇りこそすれ恥じることはないと思うけどね?」

 

「…止めてくれ。そんないいもんじゃない」

 

「…」

 

「俺は…立場上死ぬわけにはいかなかった。だからまだここに居る。それだけの話さ」

 

「…『J』君?」

 

沈痛そうな表情の彼を気遣うように「レイス」は声をかける。すると「大丈夫だよ」と言いたげに僅かに「J」は手で彼女を制し、話をこうつづけた。

 

「自分がこの組織で唯一アイツに手傷、もしくは致命傷を与えられる人間なのは重々承知だよ。…でもそのおかげでうちの組織のメンバーを俺は何十人も見殺しにした。その代わりにようやく手に入れられたのが今から俺が提供する情報とアンタらが言うこの『感覚』さ。『奴の放つ僅かな殺気、方向、距離感を感覚的に把握して致命傷だけは避けて回避し逃げ延びる』…言語化も上手くできない曖昧なもんだよ。過度の期待はしないでくれ」

 

 

 

奴の生態を語る前にまずは奴の巣食う地下水脈に言及しなければならない。

 

以前に述べたとおり、香港支部の地下に走る地下水脈は有事の際、この支部の要人、または要人の資産を支部外に運び出すために作られた血脈である。人間だけでなく大小さまざまな資産、食料などの物資を運び出すために車両、場所によっては鉄道が設置され、電車が通れるほどのスペースが確保されている。また核シェルターの如くある程度の時間そこで人間が滞在、生活を行えるように簡易の工業施設や集会の為の広場、宿泊施設、発電機器、飲み水の確保のための海水ろ過機、直接外海へ出るための水路も用意されている。有事の際、本当に使えたかどうかは別として蜘蛛の巣の如き張り巡らされた通路に様々な設備、施設が建設され、放置されている。

 

 

「俺のこの『感覚』、…そして奴の機動力、水脈の通路の平均スペースからして奴の大きさは小型から中型アラガミ程度の大きさ、かな…、ただ攻撃力の高さと食欲からして小型ではないと俺は予想してる」

 

「確かに。厳密な近縁種は解らないが恐らく大きさは中型種程度で間違いない」

 

「ただ…外に居るアラガミとは全く習性が違う」

 

「とは?」

 

「…用心深い。足音も吐息も、…臭いすらもしない。GEに追跡されているアラガミの気持ちがよく解るぜ。そして…何といっても執念深い。用心深いが逆にやる時は徹底的にやる。自分の情報を入手した奴を執拗に狙う傾向がある。かと思えば逆に『顔見知り』の俺には慎重だ。あちら側もこちら側も無理できないのを知ってるんだろうな」

 

 

そう言い切った後、はぁ、と遣る瀬無さそうにため息をつき「J」はこう続けた。

 

「なんて~のか…『示威行為の為の伝達役』にされてるみたいでムカツクよ」

 

「現状の自分」を皮肉るように薄く「J」は笑い、腕を組む。そんな彼を見て「レイス」がぽつりとこう呟いた。

 

「なんかホント…」

 

「?」

 

「人間臭いね。っていうかGEくさい」

 

「…な」

 

上海支部の連中が一人残らず喰われたところを見るに「J」の推測はおおよそ間違ってはいないだろう。「ハイド」、そして「サクラ」は頷きつつ手元の端末の資料をスワイプし卓上大型端末で立体化させる。それは奴が主に潜伏しているであろう地下水脈の立体映像であった。

 

「これが…君たち『黒泉』が多大な犠牲を払って収集したデータで構成した地下水脈の見取り図か」

 

「…」

 

その立体映像の下部周辺区域はまるでスプーンでくり抜いた様にぽっかりと円形の空白が出来ている。ここがつまり―

 

「…ここがデッドゾーン。完全な空白地域。どんな地理、地形。どんな設備、施設があるのかも全く以て不明。つまりこの空白地域こそが奴のテリトリー。言い換えるなら…」

 

「…特殊偏食場パルス―EMPパルスの影響範囲内…同時奴にとって防衛ライン。侵せば容赦なく殺しに来る」

 

「サクラ」が指先で示した地点の意味を代弁した「レイス」に向き直りこくんと「サクラ」は頷く。

 

インビジブルは固有種、つまり特殊偏食場―「EMPパルス」を持っている。無人誘導探査ロボ、ドローン機器などの探索機械はこの能力によって用を成さなくなる。奴のテリトリー内に入った瞬間それなのだから本元の奴の住処の地理、地形、監視カメラ、暗視スコープ、熱関知機などによる行動パターンの把握などが出来ない。

つまりEMPパルスが発生した範囲内で動き、地理、構造、敵情報を収集して持ち帰るには直接生身の人間が行くしかないのだ。それもGEでもない普通の人間が、である。奴のパルス内に入ってしまえば電子機器、端末が一切働かない。無線連絡による情報交換も不可能。よってできるのは紙とペンによる原始的な筆記。それを以て少しずつ探索範囲を広げる他ないのである。人命という犠牲を払いながら徐々に、徐々に。

 

ヘイセンの切り札の「J」が直接赴き、奴に殺されてしまえば全く意味がない。実際に水脈内に降りた組織の構成員に犠牲者が次々と発生する中で我慢の限界に達した「J」が特攻して奴と接触、生死にかかわる深手を負って殺されかけたこともある。そんな彼を林と花琳が諫め、叱責し自分の立場を改めて理解させ、彼は自重し現在に至る。

 

 

そもそもこの地下水脈を建造した際の設計資料が存在している筈だが元々要人が自分たちの都合の為に秘密裏に建造したものである。そんなものをおいそれと外部に漏らす訳もないし、例えそれが流出したとしても当初の計画を逸脱した違法工事が行われている可能性もある。逆に立案、計画は書面上に存在しても着手していない、または頓挫している、工事が遅れているなどの理由で資料に在っても現実には存在していない場所がある可能性もある。ただでさえアラガミ出現期の混乱した世情の中で計画通りに厳格に物事が進行するとは思えない。

 

要するに例え出てきたとしても情報として信憑性が悉く低いのである。加えてこの支部を仕切る人間が「あの男」だ。一応は同胞であるはずのフェンリル上海支部の行動をあそこまで限定させ、確実に全滅する原因の一端を担った男が香港支部の根幹ともいえる極秘事項を表向きとはいえ反フェンリル組織であるマフィアに差し出すわけがない。

 

先端技術機器を封じられ、そして中央支部に見捨てられたこの組織が行ったのは紙とペン、そして人柱前提の何とも原始的な人海戦術であった。

 

貴様らと話すことなど何もない―

 

ここの住民を、そして私の部下を何人見殺しにしてきたか解っているのか?―

 

事ここにきて「サクラ」と初めて出会ったときのファリンの発した言葉―その怒りの根源を垣間見るような気がした。

 

 

この香港支部の様々な特殊性があのアラガミの特殊性と絡み合い、結果この種をここまでのさばらせてしまった原因である。

 

 

 

「…『井の中の蛙大海を知らず』…」

 

「…え?」

 

「俺の故郷の古いことわざでね。『世間知らずが外の世界に出て広い世界を知り、初めて自分の小ささを思い知る』っていう意味の諺さ」

 

「…」

 

「でもこのアラガミは…インビジブルは違う。大海を知る『蛙』は敢えて井戸の中に籠ることで自分の完全なる安全と安住を確保した。際限なく水脈が湧き出る安全なこの井戸の中にな」

 

そう言って「サクラ」は手元の大型端末をスワイプし、立体映像を「地下水脈の見取り図」から、「フェンリル香港支部全景」に切り替え、映し出す。

 

 

さながらここは奴にとって…巨大で広大な「井戸」。

 

 

 

「サクラ」は徐に香港支部の周囲をぐるりと囲むアラガミ装甲壁を指先でなぞる。

 

 

「『アラガミ装甲壁』…アラガミという天敵に抗するために人間が作り出した自分たちを守る壁。はっきり言って今世紀最大の発明。人類の遺産だ。でも逆に言えばアラガミにとってその壁とは、その中とはいったい何なのか、いや、『何になり得る』のか考えたこともなかったな…このアラガミに人間臭さを覚えるまでは」

 

「…お兄?」

 

「考えてみろ。外のアラガミ同士の相互捕食、過酷な生存競争の渦中から逃れられ、ヒトという比較的安全で無力な餌をこの中では確保し続けられる―それが『アラガミにとってのアラガミ装甲壁』にもなりうるんだ。外海に蔓延る海千山千の猛者どもから人間と壁は自分を守ってくれる。装甲壁は定期的に更新され、人間にとっての敵だけではなく奴にとっての敵も拒否し続ける。そんな場所に居ることを、居座ることを半ば黙認されたとしたならばこれほどアラガミにとって都合のいい、住みよい場所はない」

 

 

究極の「寄生」―いや、ある意味「共生」関係でもある。

 

 

 

安全な井戸の中、無限に湧く水脈の中。

 

 

 

 

 

…其処で何を考える?

 

 

 

 

 

「最後の蛙」は何を考える?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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本音









 

 

 

 

 

 

 

フェンリル香港支部

 

AM 0時43分

 

 

「君は寝ないのかね?『サクラ』君」

 

「林老師…?こんな夜更けに。お体に障りますよ?」

 

「ふふ…別に私は君を追ってここに来たわけじゃない。『ここ』はそもそも私の特等席でな。そこにたまたま君が来ていた。それだけの事だ」

 

「そうでしたか…じゃあ『お邪魔しています』とでも言えばいいのかな」

 

「ふふ。『ここ』を選ぶとはお目が高い。どうかね…?この香港支部の全景は。中々に壮観だろう?」

 

「サクラ」、そして林の二人は今―空から最も近い場所に居た。

 

黒泉(ヘイセン)所有の雑居ビル屋上―

 

蒼い月が淡く夜空に輝くその真下には煌びやかな琥珀色、もしくは七色に輝く香港支部の全景―オーシャンビューが広がっていた。直前のブリーフィングで見た暗闇の中で淡く緑色に光る事務的な立体映像の香港支部の全景の映像とは全く違う。真っ向から肉眼で見据える「実物」には人の息遣い、営みが視覚だけでなく、肌に触れる風、空気、吹き付ける潮の香りを通して全身に伝わってくる。そんな光景をただ「サクラ」は眺めていた。

 

「くくっ…ファリンの奴が零しておったよ」

 

「サクラ」には目を向けず、香港支部の街並みを眺めたまま林は少し愉快そうに吹き出しつつこう呟いた。

 

「え…?」

 

「『一見他の誰よりも社交的に見えて実は誰よりも隙が無い。掴みどころがない。あの男本当は誰も信じてないんじゃないでしょうか』と、な…」

 

「…」

 

その林の問いに敢えて「俺の事ですか?」と「サクラ」は聞かなかった。実際の所そう感じる人間が居てもおかしくないと彼自身どこか自覚があったからだ。 彼の沈黙の意味を林は肯定、もしくは「当たらずとも遠からず」ととらえる。

 

「まぁ自覚はあるようだ。同時…理由もあるといった所か」

 

「少し…『本音』を語ってもよろしいですか?老師」

 

「いいとも。だが…」

 

「はい?」

 

「君が本当に『本音』を吐露しているか否かの判断はこちらでさせてもらうがね?相手が『腹を割って真実、本音を話す』という瞬間こそ最も警戒せねばならない瞬間でもあるのだよ。当の本人は真実を話しているつもりでも所詮人間だ。知らず知らず自己を美化して内容を改竄してしまったり、逆に意図的に虚実を巧みに混ぜたり…それを色眼鏡なく客観的に判断するためには必要な事だ」

 

「…確かに。それで構いませんよ」

 

「すまないな。君の様なある意味気難しい若者は好きなのだが…これも性分かね?」

 

くっくと笑いながら林は「サクラ」に向き直る。夜風に晒され、香港支部の町の光に照らされた文字通りこの支部の「影」を生きてきた男の微笑みは何とも無邪気であった。 

 

 

「俺の部下達と『J』君とのやり取りを見ていてもらっても解る通り、俺の部下は思いの外純粋です。最初はあれ程反目しあっていたはずなのにほんの些細な一つのとっかかりをきっかけに一気にわだかまりを無くす程距離を縮めました。それはそれで素晴らしい事ですし、あの子たちと接する『J』君を疑っているわけでもない。でも…危うくも感じるんです」

 

「ほう」

 

「俺達だって…GEとは言え人間です。普通の人間よりややアラガミ寄りにしても、本物のアラガミと違ってやろうと思えば普通の人間にだって簡単に殺せますし、騙せます。毒物も効きますし、銃も当たり所が悪ければ致命傷になります。そして何よりも人間だから情もある。機械じゃない。それは交流ができると同時往々にして騙されるということでもありますから」

 

「成程。単純に言えば君は…怖いのだな」

 

「…ええ。GEの本来の仕事―アラガミの討伐という行為はある意味ハッキリしていますから。『規格外の化け物と戦う、殺し合う』という行為は確かに恐ろしい。でも逆に言えば完全に利害の衝突している相手、敵をただ殺し、黙らせさえすればいいというシンプルさは迷いを断ち切ります。でも―」

 

相手が人なら。一方的に問答無用で殺すことが出来ない相手なら。

 

「人を『信じる』という行為は確かに恐ろしい。人類史上最も困難な戦いと言っていい。そしてそれは間違いなく人類がこの世界に存在する限り永遠に続く戦いであろうな」

 

「…俺の部下達はそれぞれ結構複雑な事情を抱えて生きている子達でしてね?生まれ、そして育つ中で結構人の汚い部分を見、晒されて生きてきた子達なんですよ」

 

「…?ほう。その言い分だとどうやら君は『彼らとは少し違う』ということのようだな」

 

「ええまぁ。お察しの通り恥ずかしながらそういった世界とほぼ無縁の中で生きてきた、いえ生きさせてもらったという自負があります。だからこそあいつ等には自分が生き、育ってきた世界、それが世界の全部じゃないって思ってほしいんです。疑う、嫌う、傷つけるだけじゃない世界もあるんだって知ってほしいんです」

 

「そしてその彼らの代わりに今度は君が全てを疑う―というわけか」

 

「ただの世間知らずの若造ですからね。俺は。でも同時疑うだけじゃなくて知りたい、理解したいと思っている。…ここに嘘偽りは在りません。…ま。これに関しても信じるか否かは老師にお任せいたしますがね?」

 

「はっはは!!意外にも中々根に持つ男なのだな君は」

 

頬杖を突きつつ、愉快そうに林は瞳を細めた。

 

 

 

「しかし…ふ~~~む。『争いと無縁の世界』か。それも激戦地区である極東地域の出身でありながら…か」

 

「…あ。これ下手すりゃ俺の出自バレちゃいそうですね。しまった。喋り過ぎた…」

 

「ふふ…調べたくなってしまうな。君という存在は。一体どういう世界で生まれ育ってきたのか」

 

「…ご容赦を」

 

「何。私とて分別はある。これ以上君を困らせるのは得策ではないようだな。自重しよう。…しかし、やはり残念だ」

 

「老師ぃ…」

 

思いっきり眉を顰めて「サクラ」は苦言を呈す。

 

「ふっふっふ!その困った顔…間違いなく『本音』のようだな。それが解っただけでも良しとしよう」

 

「本当にお人が悪い。…御自分も『本音』を語っておられないくせに」

 

「…」

 

「一方的に俺ばっかり喋らせて…明らかにこれはフェアじゃないので少々反撃させてもらいますよ?林老師?いえ…

 

 

『※1林 即徐(リン ソクジョ)』…さん」

 

 

初めて「サクラ」は林のフルネームを呼んだ。傍から見ればただそれだけの行為である。が、「サクラ」の今回の行為には他に少し特異な意味を持っていた。その証拠に―

 

「…」

 

林は少し驚いたような顔をして珍しく言葉を失った。

 

「偶然か、はたまた貴方の名付け親が意図してつけたものなのかは知りませんが…俺は貴方と同じ名のこの国のかつての英雄を知っています。この方が歴史の表舞台に立ち続けていたとしたら…歴史上の香港の繁栄もこの香港支部自体も存在していなかったかもと考えると少々複雑ですが」

 

「…ほう。知っていたのか。中々博識なのだな君は」

 

「その反応からするとやはりこの名前は老師―あなたの本当のお名前ではないと判断していい、という事ですか?」

 

「うむ。そうだ。君の察しの通り私は『林 則徐』という男ではない」

 

「やはりそうでしたか」

 

林はあっさりと認めた。ほんの少しの反撃の成功を前に「サクラ」は少し頬を緩める。散々本名、素性を語ることの出来ない「サクラ」の事を「残念」と連呼してからかっていた当の本人が実は本名を語っていない事実が判明したのだから。

一矢報いたことに「サクラ」は満足し、もうこれ以上は自分も詮索しまいと再び香港の夜景に視線だけ向けた時―

 

 

「そもそも…私には名前などないからな」

 

 

あまりに意外な言葉が「サクラ」の耳に入ってきた。反射的に「サクラ」は視線を再び「林と呼ばれている」男に目を向ける。先ほどまでここから見える香港支部の風景に体を向けていた車椅子の男は今や完全に全身を「サクラ」の方向に向き直り、彼と向かい合っていた状態であった。

 

「…え?それはどういう意味で?」

 

「そのままの意味だ。私は元々この世界に存在などしていない。生まれても居ない。だから名などないのは当然であろう?存在しない者に名など必要ないのだから」

 

「…?」

 

淡々とそう語る男に対して疑問と戸惑いが「サクラ」の頭を駆け巡る。そして―とある結論に達した。

 

 

「…。…!!老師…?間違っていたのならば申し訳ないがその…貴方はもしかして…

 

 

 

 

『※2黒孩子(ヘイハイズ)』。なのですか…?」

 

 

 

 

「…本当に博識だな。君は」

 

 

 

 

 

 




※1林 則徐 (リン ソクジョ)

中国が清王朝時代、イギリスが清との国交貿易で生まれた多額の貿易赤字を補填するために当時麻薬の主流であった阿片(アヘン)を清国に大量輸出し、貿易赤字の逆転現象、清の国内に麻薬中毒者の増加による深刻な社会問題が発生したことに端を発したイギリスとの対立を前に清国の先頭に立って頭角を現した人物。
優秀な人格者であると同時、厳格で強硬な姿勢で英国の阿片輸入を取り締まった人物とされ、現在の中国でも英雄と扱われている。
しかし強い強硬姿勢で臨んだ彼の阿片取り締まりによる英国の反発、後に「阿片戦争」と呼ばれる英国の武力行使の結果、清王朝に志半ばで任を解かれる。その後清は英国との懐柔を試みながらも結果、不平等条約を結ばされて国土を割譲(香港もこの時英国に割譲)を余儀なくされた。さらにこの事件以降、中国各地の他国の植民地支配の足掛かりとなってしまった事もあり、この事件の際「林 則徐が解任されていなければ」という声は今でも根強い。


※2 黒孩子 (ヘイハイズ)

1980年代、中国国内の人口の爆発的増加に歯止めをかけるため、打ち出された人口融和政策―通称「注※一人っ子政策」によって生まれた社会問題の一つである。この政策によって二人以上の子供を出生する際にかなり手痛いペナルティが発生するため、例え第二子以降が生まれても出生届、登録を出さず、戸籍上存在しない子供、つまり「社会的には存在しない人間」が発生するケースが多発。これを「黒孩子(ヘイハイズ)」と呼んでいる。
戸籍上存在しないため当然各種行政サービスが受けられない。つまり学校にも医療施設にも行けず、社会保障も一切ないという事である。これを発端とした様々な社会問題、懸念が現在においても発生している。

注※現実では2015年にこの政策は廃止。ただしこの「G・E・C2」の作中世界ではアラガミ出現まで続いた政策として設定されています。予めご了承ください。








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本音 2






確かに生物学上では男は生きていた。存在していた。しかしあくまでも生物学上。人間社会の上では存在していない。

確かに男は望まれて生まれてきた。そこに齟齬はない。ただしただの働き手として。その点は家畜と変わりはない。

「先に生まれてきた」という理由だけで愚鈍な兄は両親、祖父母に溺愛された。彼らにとって兄は「社会的に存在する」以上、この先の未来の自分達を支え、養い、そして自分たちの血脈、子孫を残すための唯一無二の生命線。

一方―

「後に生まれてきた」という理由だけで男には最低限の教育も、体調を崩した時や怪我をした時に受けられる医療加護も無かった。両者、祖父母にとって公には存在すらしてはいけないから外の世界との交流も最低限。

―お前がお腹に居る段階で「男」じゃ無いと解っていたらお前はそもそも存在すらしていなかったかもしれないんだ。それだけでも感謝しろ。

男が事あるごとに両親に言われた言葉だ。純粋な力仕事の働き手として身体的に劣る女児が生まれることはこの両親にとって不都合だった。どうやら後から聞いた話では兄が生まれる前にも本来「姉」として存在したはずの子供も居たようだ。それも複数いたらしい。そんな生まれることすら許されなかった存在達に比べれば自分はまだマシ、生きていること自体に感謝。そんな風にいつしか男は―


…思えるわけがなかった。

男は家族を、この国を、法を、そして世界を呪った。そしていつしかこう思うようになった。

―こんな生きづらい、糞の掃き溜めみたいな世界などいっそ壊れてしまえばいい。

と。

そしてそんな男の思い通りに確かに世界は壊れた。



アラガミ出現―



幼少の頃から散々に甘やかし、望むものを全て与えた結果、まるまると肥え太った愚鈍な兄に頼りなく先導され、手を引かれた老いた両親、祖父母は男にとって痛快なぐらい醜い悲鳴と奇声を発しながら兄と一緒にアラガミに貪り喰われた。
その声を背にしながらも全く振り返る事無く男は駆けた。背後で響く便宜上小さい頃から呼ばれていた自分の名前を喧しく下品な声で連呼する彼らに全く何の感慨も湧かなかった。

―そんなお前らに付けられた手垢のついた名前など俺はもう要らない。むしろ俺は存在してなどいないのだから名前など不要。

…いや―

ようやく俺は今日生まれたんだ。名前はこれから付ければいい。俺が俺自身の為に。



これは荒ぶる神によって世界が壊れたこの日、初めて人としての「生」が開け、そして拓いた男の物語。













 

現在―香港支部

 

 

「…」

 

かける言葉など有るわけがない。「サクラ」はただ無言のまま淡々と自分の生い立ちを語った現在「林」と名乗る男の話を聞いていた。

 

「知識も教養も、そして存在すらもしていなかった人間を厳粛に判別、選別を行えるほど全世界的に余裕が無かったのも幸いでね、キャパの許す限り難民を受け入れていたこの香港支部に幸いにも私は潜り込むことが出来た」

 

男には元々「知識欲」があった。社会的に「存在」する人間である以上、発生する教育の義務を生来与えられるのが当たり前だった兄は学習という行為を毛嫌いしていた。逆に人としてそんな当たり前の権利すら与えられていなかった男にとって学習という行為そのものが純粋に魅力的であった。何故あの兄はこれを自ら放棄するのか不思議に思ったまま男は両親に隠れ、兄が逃げた後、ポツンと置き去りにされた学習教材、学習端末等を拝借。密かに様々な知識を蓄積する。純粋な興味と同時、これには目的があった。

 

いつかこの家族の下から逃げ出し、外の世界に出られた時にこの学習、そして経験を活かそうとしていたのだ。

 

 

そして「あの日」、とうとう念願は叶う。男は外の世界へ飛び出すことができた。

 

しかし、男にとって情報の錯綜する外の世界は予想以上の未知との遭遇だらけであった。巷にあふれる教科書には収まりきらない桁違いの情報量、また情報の真偽、または質の良し悪しを自分なりに整理、精査する技術が圧倒的に足りなかった。

 

まさしく「井の中の蛙、大海を知らず」。今でも男はこの時をよく生き延びられたなと思っている。彼の人生、これは生涯最高の幸運と言ってもいい。

いや、彼の生来の情報収集欲、知識欲があまりにも細い天空からの蜘蛛の糸を手繰り寄せたと言えるのかもしれない。

 

生まれてこのかた何も持っていない、そして文字通りの完全な手ぶら状態で外の世界に飛び出た男にとって出来ることはまず何よりも「奪う」ことであった。

 

 

「…香港支部に辿り着くまではアラガミを避けてアジア大陸各地を転々としていた…。どこの誰のものかもしれない朽ち果てた死体から携帯端末を盗む日々だ。戸籍の存在しない私が携帯電話を持つなど不可能であったからな」

 

「…」

 

「『ここが安全だ』逆に『ここは危険だ』という真偽不明な情報をその都度手に入れては走り、逃げ回る日々…時には『この該当地域は政府によっていずれ核熱処理される予定。付近の住民は自己責任で回避せよ』…などあってな…ふふっ!あっわてふためいて逃げたものだ。退屈しなかったよ!」

 

林は楽しそうにそう語ったが到底聞いている「サクラ」にとって同調して笑えるような内容ではなかった。

 

核熱処理―詰まるところ核兵器による無差別規模のアラガミ掃討作戦である。国土と国民が焦土と化そうとも背に腹は代えられない状況にまで世界は追い込まれていた。

 

「世界規模の混乱の最中で国際世論や国際非難など最早形骸化した無法状態であったからな。…この国も御多分に漏れず色々試した。通常兵器、核兵器は勿論のこと、劣化ウラン弾、そしてVXガスなどの国際法規上使用が禁止されていた毒ガス兵器、はたまた細菌、ウィルス兵器まで用いた。…だがそれの悉くを無効化したアラガミに状況は全く好転することなく、逆にそれらの兵器の使用は自分達の首を絞めるだけに他ならなかった」

 

「…」

 

「君も知っての通り『アラガミによって全世界の人口の約九割が消失した』と現在では語られている。が…一説によればその三分の一、もしくは半分近くは人間の内輪揉めや特殊兵器使用、またはそれに伴う二次被害によって生じた犠牲である可能性が高いと言われている。直接の被害を免れた者たちも後々残る残存放射能やアラガミとの接触によって変質したウィルス、細菌感染に罹ったり、焦土と化した大地に作物が芽吹かなくなった結果、起きた大規模な飢饉の発生などによって栄養状態、衛生状態も悪化…人は弱い順に次々と命を落としていった」

 

その有様のほんの一端が「これだ」と言わんばかりに林は自分の体を両手を広げて「サクラ」に見せた。その病的な顔色、用を成さない短くなった両足、そして「レイス」が「正直生きてるのが不思議なくらい」と語っていた複数の病魔に侵された体である。

 

「どう控えめに言っても地獄だった…」

 

林はそう呟きながら再び香港支部の街並みに目を向ける。まるで今見ている様にかつての地獄の如き炎に晒された世界を見据えるように。そして一転、今まで「サクラ」、いや黒泉の構成員にすら見せたことのない苦悶の表情を浮かべて林は目を伏せてこう呟いた。

 

「違う…」

 

「え…?」

 

 

 

 

「違う。私が…。…『俺』が望んだことはそう言う意味じゃ、こんな意味じゃない…」

 

 

「老、師…?」

 

「違う…」

 

 

「サクラ」の戸惑いの声も耳に入らず、林は尚も呪詛の様にそう呟き続けた。

 

 

 

確かに彼はかつて世界が壊れることを望んだ。

 

実際それが訪れた時、内心歓喜に満ちたものだ。全てを呪い生きていた彼の世界を根底からひっくり返して崩壊させてくれたのだから。

その時を「自分の新たな誕生の時である」と認識したぐらいに。

 

だが―  

 

それがただの世間知らずの、これまた「井の中の蛙」の何とも見識の浅い短慮で一時的な感情であったことを男は地獄の如き世界を歩き回って思い知る。

 

 

 

 

死体から携帯、タブレット情報端末などを漁っては取り出し、情報を収集しつつ生と死の綱渡りを続ける生活。端末の充電が切れるたびに何の躊躇いもなく放り捨てて次々と他の端末に取り換えた。そんな日々の中で時折、その朽ちかけの端末から数々の反応があった。

 

SNS、メール、災害伝言板、そして電話着信。

 

男は最初は目もくれなかった。気にも留めなかった。ただただ自分が生き残るための情報、知識だけをそれから収集し、電源が尽きれば捨てて次の端末を探す。幸い死人、死体に事欠かない時代だ。果たして何十人、何百人の死体から情報端末を男は奪っては捨てるを繰り返した。

 

しかしある日、次第に男は情報を手に入れるだけでなく、今持っている携帯端末のかつての持ち主の感情や思いを知りたくなった。

 

何せその一つ一つはほぼ四六時中その持ち主の人間と共にあったもの。当然それ相応に個々の人間の個性を反映する。

 

うるさいぐらいひっきりなしに知人や友人、両親や親戚からメールや着信の類が来る端末もある。かと思えば逆に何の音沙汰もなく黙り続ける端末もある。後者の方が当然電源の持ちがいいので男にとっては都合が良かった。が、果たしていつからだろうか。…何故かそんな端末に触れ続けると妙に心がざわついたのは。

 

他人の端末を次々と渡り歩くことによって生まれた感情は男にとって何時しか「孤独感」に形を変えていく。色んな事を考えてしまうようになった。

 

この持ち主は元々自分と同じ孤独な人間だったのか。

 

それとも知人、友人、家族達も既にこの世界規模の混乱のさ中全員が死に絶えてしまい、連絡を取る相手、必要が無くなってしまったものなのか。

 

若しくはもう自分以外の人間は死に絶え、この世界に自分だけ取り残されてしまったのではないか―?

 

日に日に物言わなくなる数々の携帯端末を前に男はそう考えるようになった。

 

 

そんな日々が続いたとある日の事―

 

 

いつもの様に死体漁り。今日は自分の子供を抱きかかえながら死んでいた母親らしき女性が握っていた携帯端末を男は手に取る。死後硬直かもしくは死の直前のよほどの恐怖、もしくは無念さのせいか妙に固く閉じられた掌から引っぺがし、画面を確認してみる。すると最早残りの電池は僅かで直ぐに「用済み」になることが解った。が、男は不思議とさっさと手放す気になれず、しばらく眺めていた。開いた待受け画像が死んでいた母親とその子供の仲睦まじい光景を映しとったものであったからだ。

 

本来の「家族」とはこういうモノであるということを男は知りつつあった。

 

―……!!

 

そんな時、突然男の端末の画面が「電話着信画面」に切り替わる。

 

いつもなら絶対に取ることはない。しかし男は其の日―初めて誰とも知れない携帯の通話ボタンを押した。通話相手はあの子供と共に死んでいた女性の…夫からであった。

ようやく連絡がついたことに相当安堵したのか、逆に興奮したのか次々とこちら側の近況、状況を聞いてくる電話下の相手に少々男は気圧される。

 

恐らく―

 

残り少ない電池残量を必死で気にしながら電源を維持しつつ、あの女性はこの連絡を待っていたのだろう。この通話相手―夫からの電話を。

 

…「毒ガスによって自分たちが今いるこの地域がいずれ汚染される」という情報を手にし、いち早くこの場を離れることよりも。

 

女性は夫との連絡を取ることを優先し、最低限電池の消費を抑えていた―つまりこの端末による近況、周辺状況、情報の聞き漏らし、見逃しが発生しかねないということだ。

その結果、彼女は運悪く避難が遅れ、子供と共にここで死ぬほかなかった―男の中で容易にそんな仮説が成り立った。

 

電話下に出た夫がまくしたてる声を前にして暫し無言になる他なかった。なにせ「結果が結果」であるし、気が引けた。このまま電源を落としてしまおうかとも思った。

 

しかし意を決した。初めて男は盗んだ携帯端末で会話し、その夫に妻らしき女性とその子供が既に死んでいたことを伝えた。下手をすれば「盗んだのではないか、もしくは彼女達を殺したのはお前ではないか」などと罵倒されてもおかしくない状況ではあった。が、切れかけの電源で最後に電話の向こうで女性の夫が男に呟いた言葉はあまりに意外なものだった。

 

 

それは涙交じりの

 

「…謝謝」

 

という言葉であった。

 

 

その言葉を聞いた途端、役目を果たした様に女性の携帯端末の電源は切れ、男が電源を何度押してももう二度とつくことはなかった。朽ちた端末を握りしめながら男は言い知れない感情に包まれ、汚れた両の拳を地面に叩きつけ、叫ぶほかなかった。

 

 

世界に向けて。そして他ならぬ自分に向けて。

 

 

―確かに。

 

俺は世界を呪ったっ…!!「壊れてしまえ」と望んだ!願った!!でも違う!!

 

 

これは違う!!こんなっ……意味じゃない!!!!!

 

 

 

もうどうでも良くなった。言い知れない罪の意識に苛まれた男はその場から動かなくなった。「このままもうここで朽ちてもいい」と思った。

 

人知れず車輪に潰され、道の上でひしゃげた蛙の様に男は這いつくばって目を閉じる。

 

 

 

しかし―

 

次に彼が目覚めた場所はまた「井戸の中」であった。

 

 

男は生き残っていた。

 

女性の夫との通話によって男が持っていた携帯端末の位置―詰まるところ「男の位置情報」を割り出していた女性の夫は妻の携帯端末を持って倒れていた名も知らぬ男を保護し、この「井戸の中」へ運んでいた。

 

後に「フェンリル香港支部」と名を変え、数々の歴史の気紛れによって何とも数奇な運命を辿ったこの因縁の地―

 

 

…香港へと。

 

 

男を救ったこの女性の夫こそ香港の裏社会、黒社会を牛耳る―現在の黒泉(ヘイセン)の前身となるマフィア組織の長。アラガミによる世界的混乱の最中、香港の「必要悪」として手腕を発揮し、後のフェンリル香港支部発足の為に尽力した裏社会の顔役である。

 

彼はアラガミ出現の混乱の最中、脇目も振らず自らの仕事に奔走して全うし、フェンリル香港支部の礎となる功績を間違いなく残した。まさしく「影」の英雄である。

 

しかし―

 

結果、自分の血生臭い仕事に巻き込ませたくないがゆえに離れて暮らしていた妻と子供を救えず、失った。

 

 

引き換えに。

 

奇妙な縁にて出会った「存在しない」男をこの香港に招き入れ、自分の後釜として育て上げることとなる。

 

そしてその名も無き、存在すらもなかった男にかつてこの地を、そしてこの国を守ろうとした英雄の名を与えた。

 

 

その名も―

 

 

 

「林 則徐」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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本音 3

男が目覚めた場所は知らない病室であった。

其処に居た見知らぬ身なりの整った壮年の男性は、対照的に栄養失調によりみすぼらしく頬のこけた病床の男にこう尋ねる。何の変哲もない、初対面の人間に対してはありふれた質問だ。

「名前は?」

しかし病床の男はこう言った。

「…ありません」

余りに意外過ぎる言葉に一瞬目を見開いたのち、壮年の男性は口を手でつぐんで暫し一考した後、男にこう切り出した。

「そうか。なら仕方ねぇ。…しかし名前がねぇのはやっぱ不便だ。俺が名前を付けてやるよ。そうだなぁ―」

調えられた身なりに似つかわしくない、案外ぞんざいな口調の壮年の男性はにかりとそう言って名前のない男に笑った。



それから数十年後―

現在―フェンリル香港支部


「…老師。貴方をこの支部に受け入れたというその方は…今どこに?」

「死んだ」

「…そうですか」

青年―「サクラ」はその回答に特に驚きはしなかった。人は死ぬものである。このご時世ならそれはなおさら身近な存在だ。特段気にも留めず言葉を其処で留めた「サクラ」であったが、その彼の耳にあまりにも意外な林の次の言葉が入ってきた。

「私が殺した」

「…!?」






 

「…そう驚くことかね?我々は元々こういう商売だ。互いに利害が衝突すれば時に身内、家族、血を分けた兄弟同士ですら離反、反目し、時に殺し合うこともする。だからこそ私は今『ここに居る』ワケだが」

 

事も無げにそう言い切って男は自分の足元を右手の人差し指で示しながら己の立ち位置を改めて知らしめるように不敵に笑って佇んでいた。

 

この香港支部を統べる「影」の顔役としてここに居る男―「林 則徐」として。

 

それでも自分の実の親より遥かに恩義のある存在を反社会組織の「伝統」、「慣例」とは言え、躊躇なく葬ったかのように語る林に「サクラ」は閉口する。

 

「そんな顔をしなくていい。…君らGEでも『こういう事』が全く無いというワケではあるまいて?」

 

恐らくアラガミ化したGEの事を指して言っているのだろう。これだけ裏事情に精通した男だ。知っていても不思議ではない。

 

実は「GEが偏食因子の過剰摂取によって時にアラガミ化する」ことに関してはフェンリルの一般市民クラスには開示されていない秘匿情報である。一応は「世界の希望」、「守護者」、「救世主」の象徴でもあるGEが時に辿る過酷な運命を知られてしまうことは非常にフェンリル市民の住民感情に動揺や不安を煽る可能性があるため、部外秘として伏せられているのだ。

 

その「事情」とやらに「サクラ」自身は少なからず関わってきた方のGEである。時に同胞と言える存在を葬り、そして親友の父を手に掛けたことのある彼にとって林の言葉を到底否定することは出来なかった。

 

「…」

 

意外な事実を淡々と語った林、そしてその言葉に自分の辿った道、経験を反芻して言葉を失った「サクラ」を前に愉快そうに笑って林は再び言葉を紡ぐ。今度はやや年長の人間として若者を気遣う大人の口調で。

 

「別に私とてただこの座が欲しくて恩人を切り捨てたわけではない。まぁ野心はあったのは確かであろうが…それだけで恩義のある人間を殺すようなことはしない。少なくとも私は、な」

 

ちゃんと理由がある―そう言葉を紡いで林は遠くを見るような目でこう呟いた。

 

「彼にとって最愛の妻子を喪った事は周りの人間が思っている以上に痛手であったようでな…香港が『フェンリル香港支部』として世界でも有数のゆるぎない立場を確立した後…すべてを手に入れたと同時、人として何かを失ったかのように血を求めた彼の晩年の振舞いには目に余るものがあった。例え意に沿わぬものに対しては容赦なく暴力、脅し、時に殺すことが基本の我らの様な組織においてもな…」

 

この香港を陰で牛耳ることの出来る程の権力、財力、地位、功績―凡そ「男」という存在として全てを併せ持ちながらも、たった一つの大切な存在を守り切れなかったことを彼は悔やみ、引きずり続けたのである。

 

「差し詰め晩年の彼は『気が触れた狂人』、君ら若者的に解りやすく言えば『老害』といった所かな?ふっふふ…。過剰な粛清、弾圧の数々を繰り返した彼を私は組織から追放し、間もなく彼は死んだ。直接手は下してはいないにしろ私が殺したも同然だ。そしてその彼の地位にそのまま後釜として就いた…」

 

「…」

 

「何とも滞りなく。スムーズに。な…。他でもない彼のおかげだ」

 

「え?」

 

「…考えてもみたまえ。大層な偉人の名を与えられたとはいえ私は元々余所者、そして存在すらもしなかった人間だ。そんな人間が組織の長に納まるなど納得しない者が居ないわけがなかろう?この世界は元々世襲的な風潮も強い。彼がここ香港に残すことになる膨大な権益を巡って必ず組織内で諍いが起きる。しかし、時代は間違いなく最悪の時代。我々の組織だけの話ではない。この香港という巨大な船を維持し、保つためには支部規模で鉄の結束と出来る限り波風を立てないスムーズな世代交代が必要だった。その為に彼はまた『必要悪』になった」

 

からからと音を立て、林の電動車椅子が雑居ビル屋上から乗り出さんばかりに前進。

 

「…老師!?」

 

「…」

 

「…!…」

 

思わず駆け寄ろうとする「サクラ」を手で制して林はこう続けた。表情を「サクラ」に見せないようにして。彼の視線の先には広大に拡がり、輝く香港支部の姿―

 

 

「…見たまえよ。この地は今も昔も、名も無き者達の血と汗によって築かれた我々にとって珠玉の楼閣だ。美しいだろう?」

 

 

林はそう言って両手を拡げた。

 

最早死にぞこない、この雑居ビルの屋上から突き落とす様に、今そっと背中を押す程度の僅かな力をくわえればあっさり事切れてしまいそうな程の男の声は力強く、澄み切り、そして誇らしげであった。

 

彼の広げた両手、両掌の中にありながら同時誰のものでもない、敢えて言うなればこの地の歴史を紡いだ、そしてこの地で今も尚生き抜かんとしている者達の物―謂わば「誇り」そのものである香港支部を見据えて。

 

「…彼は狂人を演じてその実、何よりもこの地を想っていた。本人は何も語ってはくれなかったが私は知っている。彼こそが本当の英雄だ。私はその座を受け継いだに過ぎない」

 

穏やかな口調だった。しかし直後、荒々しく口調が変わる。違い無き心底の憤り―「本音」を晒した男の言葉であった。

 

 

「そんなこの地を今統べる男はあろうことか敵を住まわせ、売り渡そうとしている……!!この地はあんな男のモノではない!かつて他国に奪われ、尊厳すら見失いながらもその後この地に逃れた、同時夢と理想を求めて訪れた我々の祖先、難民達が築きあげ、そしてアラガミの出現後も彼や彼の仲間達が守り、今に残した珠玉の地だ。あんな男に、そしてアラガミなどに奪われてなるものか…!!」

 

「…」

 

「…『サクラ』君。この私の『本音』を君がどう判断するか最初に言った通り君次第だ。

どう判断してくれても構わない。信じる必要もない。ただ私は今の自分が出来る範囲の事をし、この腐った動かない体の代わりに動いてくれる、働いてくれる者達を信じるのみ。以上だ」

 

「…」

 

最早これ以上の押し問答は必要なかった。「サクラ」、そして林、両者の沈黙そのものが無言の盟約となって成立し、締結された瞬間である。その時―

 

 

ピリリッ

 

 

「…!失礼。老師」

 

「サクラ」の携帯端末から呼び出し音が鳴る。「取っても?」という「サクラ」の意思表示に何の躊躇いもなく、いつもの掴めない表情、雰囲気に戻っていた林が「かまわんよ」と言いたげに頷いた。

 

「はい…ん。ああ…ノエルか。どうだ?首尾は。ん、ん、ん。…早いな。了解分かった。その方向で引き続き進めて…。…いやノエル。やっぱりキミには休息を命じる。昨日から働き詰めだろ?…君は命令しないと休まないからな。ん?…ダメだって。休め。命令だ」

 

尚も数秒のやり取りの後、ようやく電話の向こうでノエルが折れたのか、「サクラ」が端末の通話終了ボタンを押しながらふぅとため息を吐く。

 

「…中々よく働く部下をお持ちのようだな。『サクラ』君」

 

「お互い様ですよ。…事とは重なるものですね。…作戦決行日が決定しました」

 

「ほぉ」

 

 

 

「…今日から一週間後の七月一日―香港返還記念祭に乗じて作戦を決行します」

 

 

 

その「サクラ」の言葉を契機に俄かに林の顔が真剣な面持ちに変わる。ややもすれば「何故よりによってそんな記念の日に」と聞きたくなるような日程だ。しかし、すぐにその作戦日時の「意図」を察したのかふっと表情を緩め、頷く。

 

「…良き日柄だ。成程な…其の日であればこの香港支部は特例として最下層貧民街である『幽霊(ユリン)』の住民ですらもこの支部の中層地区までの自由な出入りを許される。煩雑な手続きもなく彼らを別の場所に移せるというワケだ」

 

「そういう事です。戦闘の飛び火による住民の被害が最小限に防げます。何しろ彼らの直下で戦闘が起きるわけですから地上に影響が出ないと限りませんからね」

 

「さらに君らの地下での派手な戦争音楽は地上での返還祭典の熱狂、歓声、爆竹、花火に覆い隠されるわけだ」

 

「出来るだけ静かに粛々とやるつもりですがね。でも住民のパニックによって起こる負傷者、犠牲がでることはやはり懸念でしたから。ただし…住民の避難誘導、情報統制に関しては組織の力をお借りすることになります」

 

「問題ない。ほんの一日、住民を『疎開』させればよい話だろう?連中には自分らが『避難している』という感覚すら与えんさ。豪勢な『遠足』にでも連れて行こう。…良い機会だ。これを機に彼らにもっと外の世界、この香港支部に触れてもらおうか」

 

「…いいのでは。難民とは言え内需を動かす潜在能力はあるはずです」

 

「それに彼等とて好き好んで他者との関りを断ったワケではあるまい。彼等にもどこかにあるはずなのだ。『人のコミュニティの中で生きたい』という根源的欲求がな」

 

「…」

 

林の出生、そして半生を知った「サクラ」にとってその言葉は重みがあった。無言のまま頷く。

 

 

「その日は香港返還の記念日と同時、もう一度この地を奪還する天王山となるわけか。これは中々に痛快ではないか?えぇ?『サクラ』君」

 

嬉しそうに林はそう呟いた。

 

 

 

 

 




林の電動車椅子を押しながら「サクラ」は背後の暗闇に向かってこう呟いた。


「聞いたな?…『レイス』?」

「何…?」



「…」

その「サクラ」の声掛けを契機に背後の暗闇からわずかに気配が漏れるのをようやく林は察知。常に自分が「彼女」の監視下にあった事を理解する。

―…!

流石の林も驚きを隠せず目を見開いて背後の暗闇に刮目する。彼も曲がりなりにこの世界を生き抜いてきた男だ。尾行やヒットマンの襲撃で背後を盗られることのリスクは重々承知で常に注意を払っている。しかし全く捕捉できなかった。

自分自身の「失態」、「失念」というよりも完全に力不足、いや「別次元」というべきか。常人には達することの出来ない境地に脱帽する他ない。

―成程…我々が常人の常識、世界、理解とは異なる人間であるように、彼等もまた違った世界の人間という事か…。

そんな彼の複雑な心境を余所に「サクラ」は背後の闇に溶け込んだ死神の少女に続いてこう語りかける。

「作戦決行日は一週間後だ。各自準備とコンディションを整えておくように」

林にとっては僅かに気配は察知できる程度で未だ彼女の姿は見えない。そもそも本当に居るのかどうかすらも曖昧なほどであった。が―


「…了解」


その事務的な、しかしほんの少し恥ずかしそうな返事にようやく感情の動きが読み取れたと同時、林にも大体の彼女の居場所、そして同時彼女の謂わば「心の居場所」が解る。

どうやら彼女は…「サクラ」にも無断でこっそりついてきたようだ。恐らくは彼を心配して。

「…『サクラ』君。君は時々部下の躾がなっているのかなっていないのかが解らんな…」

「あ、はは…。…すいません」

自分の身の上話を知らぬ間に彼女にも聞かれていたであろうことに対し、「不快」というよりも少し居心地の悪さを感じた林は少々嫌味を込め、小声でそう「サクラ」に苦言を呈する。そんな彼に「サクラ」は面目なさそうに苦笑いを浮かべ軽く頭を下げた後、再び暗闇に語りかける。

「…『レイス』?」

「…はい?」

「思ったより夜風が冷たい。心配せず先に帰っていてくれ。風邪、ひかないようにな?」

「…子ども扱いしないで」

そう言い残して暗闇から気配が消える。「サクラ」の少し意地悪い気遣いの言葉を振り切るようにようやくそう言いきった返答にまたほんの少し恥ずかしそうな残り香を残して。


―…。


自分の身の上話を盗み聞きしていた人間が彼女のような人間で在ることに林は悪い気分はしなかった。おおよそ自分とは全く関わりのなかった世界、この地の為に命を懸けて闘おうという余所者達の源泉―「本音」を純粋に知りたい、と林は思うが彼らはそれを望まないだろう。

残念だ、と言いたげに苦笑して林は前に進む。






一週間後の七月一日。奇しくもこの香港が1997年に返還された記念日。

この地を古くより「清と濁」とで分けれるのであれば「濁」の観点から携わってきた「影」の守り人は今、究極の余所者、協力者達を交え始動する。

誰のものでもない。しかしここに現在も住み、そしてここにかつて住んでいた者達が築き上げた珠玉の地―香港支部を再び奪還、いや独立する記念日とするために。











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開戦









 

 

 

 

 

 

……侵入者―

 

「影」はそう断定した。

 

「影」は自分の持てる限りの感知、感覚器をフル動員し、研ぎ澄ませる。己の謂わば「結界」ともいえる特殊偏食場パルス―EMPパルス圏内に侵入した相手の情報を収集し始める。

 

…動いている―物体が。それも「自分の発するパルスの影響範囲内で」、だ。

 

これ即ちこの物体が車両や自動操作された機械の類ではないことが解る。詰まるところこの物体は「生物」だ。

別にそれに関しては何のことはない。今まで身の程知らずの人間が何人もこの中に侵入してきた。少しでもこの香港支部の地下に迷宮の如く張り巡らされた地下水脈の探索範囲を広げ、地理を把握し、ひいては自分を討伐するために。そのことごとくを「影」は払い、喰らい、退けて現在に至る。

 

だが今日は―

 

 

……!?

 

 

「何か」がおかしい。

 

 

そもそもこの地下水脈の探索に関して機械が駄目であれば犬やネズミなどの2070年代の現在にでも生き残っているある程度の学習、または習性を利用できる生物を探索に出せばいいのではないか、と思うかもしれない。が、彼等では当然、自分でメモなどの正確な記録の記帳などが出来る知能はない。例え彼らにカメラ、GPS端末などの観測、探索機器を積んでもそれも固有種特有の偏食場パルスによって阻害され、作動しなくてしまっては意味がない。

つまり、これはどういうことかというと意外にも「影」は「人間以外の生物のことをほとんど知らない」ということでもある。もっともアラガミ蔓延る外の世界ではなく、この香港支部の内部のみでの話であるが。

 

彼がこの地下水脈で出会う存在というのはほぼ常に餌である人間だけ。「侵入者が生物」=「人間」。これが彼の日常であった。しかし今日に関しては明らかに「影」は違和感を禁じえない。己の結界の中に入り込んだこの「何か」の異質さ、異常さに。

 

 

……!?

 

 

侵入者の推定体長は…約四メートル、歩幅、踏み鳴らす振動からして体重は実に10トン前後に達する。彼のよく知る人間の大きさではない。

少なくとも現在、この世界でアラガミ以外の存在でこれほどの大きさの生物は最早存在しないはずである。では…外部居住区に侵入してきたアラガミがたまたまこの地下水脈まで侵入してきた、ということか…?

 

いやそれも違う。

 

アラガミとは移動速度や行動パターンがこの侵入者は明らかに異なる。あてもなくただ本能に従い「エサを探す」という不躾な連中の動きではない。どちらかといえば今までここに侵入してきた人間の行動パターンにこの侵入者の動きは酷似している。

 

自分のパルスの影響範囲内に入り込む大胆さの反面、どこか慎重で臆病な、でも明らかにアラガミの原始的な本能―「食欲」に支配されていない意志と理性がこもった歩みをこの侵入者からは感じられる。「影」がこの地に巣食って長年注視し、観測し、警戒し続けた人間の「意図」「意志」をもった特有の動きそのものだ。

 

しかし、それではこの侵入者から感じられる「異形」の説明がつかない。そもそも体長四メートル前後で、体重が10トンに近い生物…?在り得ない。

通常の生物の体長と体重の比率から換算して在り得ない数値だ。重金属で構成された重機であればまだ納得のいく数値ではある。が、しかし、それではなぜこの機械、電子機器をジャミングし、行動を阻害する固有種自慢のEMPパルス圏内でありながら動けることの説明がつかなくなる。

 

「影」の中で様々な疑問、混乱が駆け巡る。「何だ。一体何なのだ。コイツは」と。

 

機械のようであり機械ではない。生物のようであり、生物ではない。人間のようであり、人間では在り得ない。幾重にも重なるこの侵入者の矛盾の数々を前に「影」は一つの結論をつける。それはとてもシンプルな結論であった。

 

侵入者が現状の「影」の理解を超えたイレギュラー―「完全なる未知の存在である」というものだ。

 

その結論は解答として満点レベルだろう。想定外の事象を前に今までの経験則に頼り切ることの危険を排除し、新たな価値観、観点で事象を捉える点は非常に素晴らしい。高等な生物だからこそできる「開き直り」である。

 

そしてその事実、そしてこの謎の侵入者の行動はこうも「影」に示唆し、同時警告する。

 

「この侵入者の行動から察するに自分への友好性は微塵も感じられない。最大限の警戒を払う必要がある。捨て置くも、殺すもまずは少なくともこの侵入者の正体だけは知っておかなくてはならない」―

 

 

…ずるり

 

「影」は動き出す。

 

 

 

この「影」はこの香港支部の地下に巣食うため、今まで必要な情報を常に収集してきた。「隣人」の自分に対する様々な対応を経験し、時に退け、時に退く。それを繰り返す。そんな自分の行動、習性を知った「隣人」がどのような反応を示すのかを。

 

その反応の「程度」に従って自分の習性や行動範囲、生息場所を微調整、変化、そしてなんと適宜「自粛」させることも出来るのがこの「影」の特筆すべき点だ。結果、この支部を司る人間と利害を一致させるまでに至り、自らもアラガミでありながらアラガミを防ぐための防壁内で安全に生き長らえることを実質許容された。

 

アラガミはある意味「個の死」によって自分の収集した情報、つまりは「失敗」を基にした修正を次世代につなげることが出来、より強大になっていく生物である。が、この「影」の場合、その前の段階―己自身たった一世代で類稀な修正能力を発揮して生き延びる術を手に入れた。

 

「不可視」のアラガミ―そして固有種である自らの特有の能力、特異性に頼るだけでなく自らのその習性をも適宜変化させるこの「修正能力」こそがこのアラガミの最大の強みと言える。

 

それ故に「影」はその修正能力を発揮するためにまず何をすべきかを何よりも理解していた。それは奇しくもこの香港支部の表と影の為政者―「蛙」達と同様の…「知ること」であった。捨て置くも、殺すも、まずはそこから。

 

「影」は迫る。なぞ多き侵入者の下へ。全く音も発さずに。程なく―

 

 

……いた。

 

 

迷路の如く薄暗い入り組んだ地下水脈の中、大体広さは地下鉄の一車線よりやや広い程度のトンネルの様な空間―そこで「影」はついに視界に捉える。此度彼を悩ませる奇妙な侵入者の姿を。

 

…大きい。

 

やはり大きい。そして二足歩行。なり形こそ人間に近いが人間ではない。「巨人」の様な体躯。しかし機械でもない。アラガミ…?この巨体から「発せられる」気配は確かに同じオラクル細胞で構成される同胞に近い。でも違う。…何かが違う。

 

機械ではないが生物でもなく、アラガミに近いがアラガミでもなく、人間ではないが人間の行動パターンを持つ巨人…この侵入者を目の当たりにし、知れば知るほど尚「影」はこんがらがる。本当に奇妙な存在だ。

 

ただ驚いてばかりもいられない。肝心なのは「ここからどうするか?」だ。こちらは相手を完全に捕捉した。しかし、あちらの動きに大した変化はない。未だこちらを認識していないことは容易に計り知れる。

当然だ。見えない、観測できない相手が迫っていることなど知る方法などない。それに関しては「影」はよほどに自信がある。

 

はっきり言って隙だらけだ。奇襲は容易く決まるだろう。「今まで」と変わらず同じ様に。

 

しかしいっそここは正体を知っただけ良しとするべきかもしれないとも「影」は考える。それほどに「影」にとってその侵入者の存在は不気味過ぎた。「今まで」とは明らかに異なる厳然たる眼前の光景―偏食場パルスを通してではなく、はっきりと視覚に捉えたからこそ今初めて分かる事がある。

 

その無骨な巨人が肩に担いでいる「得物」―侵入者の体長に匹敵、いや超えるほどの長さを持つ長大な剣だ。

 

 

…成程。「あれ」がこの侵入者の大きさからくる予想された質量を遥かに上回った原因か。…アレはどうみてもヤバイ。

 

ここに稀に幾人か現れた「連中」が持っていたものと同じだ。人間の中でも特にヤバイ奴ら―つまりはGE。彼らを「影」はたった「一人」の例外を残し、今まで全員食い殺すことに成功はしてきたものの、それでもこの連中、そして彼ら一人一人が携えていた「それ」―神機に対する警戒、脅威は「影」の中に根深く残っている。

 

もしあれに突かれたら、刺されでもしたらただでは済まない―と、最悪の想定を常に考え続けてきたのだ。寄りによって自分を殺せる唯一の道具を携えた未知の相手なのだ。不気味さを覚えないはずがない。

 

千載一遇のチャンスと未知のリスクへの警戒との両天秤が「影」の中でぐらぐら揺れる。

 

攻撃か、それとも一時撤退か。

 

…。

 

その「影」の内心の葛藤、せめぎ合いを制したものはこれまた彼の原始的、初歩的な行動原理―「知ること」であった。即ちこの未知の脅威に対する上で最優先で知っておくべき事―それはこの未知の脅威の「殺し方を知っておく」ことだ。

 

「影」―不可視のアラガミは今選んだ。選択した行動は「攻撃開始」。

 

「透神」―インビジブルは迫る。

 

音もなく。その姿すら見せずに。

 

 

 

 

 

 

 

「…生きた心地がしませんね」

 

はぁっと深いため息を吐き、窮屈な神機兵―「ブルーローズ」のコクピット内であまりに静か過ぎる周囲の状況、そして恐らくすでに奴に確実に「一方的に」捕捉されているであろうことに気付いている女性―ナルフ・クラウディウスは一人ごち、緊張で攣ってしまいそうな両掌を握ったり開いたりしながらほぐす。じとりと汗ばんだ掌を拭うこともせず。

 

彼女のコクピット内は通常、周囲のナビゲート地図、神機兵のコンディション等が反映されている3Dスクリーン、そしてオペレーターとの情報交換のための通信機器が搭載されている。

…が、つい37秒前、其のすべてが突然動作不良を起こし沈黙している状態だ。神機兵が当初の予想通り問題なく動いていることがせめてもの救いだがバックアップ機器は総じて機能不全。薄暗い地下水脈に響くのは水滴の音と神機兵の歩行音のみ。正直目隠し状態、丸腰状態である。

 

―42、43、44…。

 

ナルにとって想定外だったのは彼女の左腕に付けられている強い磁気耐性を持ち、宇宙空間での使用すら耐えうる名器―父の形見でもある腕時計すら動作を止めたことだ。これでは作戦所用時間すら測ることができない。だから彼女は現在、計器関連が一切動作を止めた時間より自らで秒数を刻んでいる。想定されるEMPパルスの影響圏範囲、そして奴の水脈内でのおおよその移動速度から換算される「目標」への到達時間―つまり奴が彼女の愛機―「神機兵ブルーローズ」を攻撃範囲内に捉えるまでのおおよその時間を計っていた。

 

しかし―

 

―想定される27秒をとうに過ぎました…。どうやら既に私達を捕捉しながらも忍び、潜んで今は機会を窺っていると考えるのが自然…。攻撃するのかはたまた捨て置くのかの判断中…と、言ったところでしょうか。

 

「すぅっ…」

 

時間の計測が最早無意味だと悟り、ナルは一息吐いてカウントを止める。体内時計である程度の時刻は把握できる。例え激しい交戦状態になって時間感覚がマヒしたとしても誤差数分以内で現状時刻を把握できる自信がナルにはある。

ただしコンマ一秒を争う近接戦闘に於いてその差は致命的。絶望的に長すぎる誤差だ。だから今は余計なことに集中を割くのは愚の骨頂と判断。全神経を尖らせて見えない「ヤツ」の捕捉に全力を注ぐ。

 

 

―神機兵の銃形態の射程はGE達の物と遜色はない。威力もアラガミに致命傷を与えるには十分。…でも大きさゆえに小回りが利かず接近戦には向かない。ここは剣形態でまず何よりも一太刀を浴びせるのが最優先事項。傷の浅い深いは問わずに。

 

ブルーローズは「長剣型」と呼ばれる神機兵タイプだ。その名の通り、GEのロングブレードを基調とした長い刀身を持つ神機を装備としており、安定した攻撃範囲、攻撃力、攻撃速度を持ち合わせたバランスタイプである。しかしこの装備もお世辞にもこの狭い通路内に向いている得物とは言えない。が、かといって闇雲に銃形態でオラクル弾丸を無差別に斉射するのもぞっとしない話だ。神機兵とは言えオラクル残量にも限りがあるしこの先の戦闘で補給できる保証もない。

 

―それにここはあくまで居住区の地下。地上への影響は避けるに越したことはない。ならば―

 

がちゃり…

 

ナルは肩に担いでいた長剣を構えるべく手前に引き下ろそうとする。この狭い空間に合わせ、主に「突き」を主体とした攻撃態勢を整えるために。

 

が―

 

―…!?EMPパルスの影響でしょうか?

 

 

神機兵、そして神機兵の担ぐ神機自体もGEの携帯する神機同様、生体部品と同時に一部は機械部品で構成されている。その部分はどうしてもこの特殊なパルスの影響を受けてしまうため、通常時と比べると若干ながらの動作影響が避けられない。

 

しかしそれは既に想定内であった。唯一奴と対峙し、生き残っている「J」にであるよって「神機の動作にも僅かながらの影響が発生する」という情報はすでにハイドの全員が共有済みがである。

 

実際ナルも先程初めて奴の特殊偏食場パルス影響範囲内に入った直後、まず確認したのは神機の動作だ。確かに僅かながら神機兵の動作、そして神機共に重しを乗せられたようなぎこちなさを感じたものの、運用、戦闘に関して問題ないレベルであることを確認している。

大体通常時の神機兵の総合ポテンシャルを100とするなれば現在60から70ほどの数値内には収まっており交戦は十分可能と判断。だからこそ彼女は撤退せず、今ここに居るのだ。しかし今は何故かその値が30。いや20程度か?それ程に動作が緩慢だ。

ナルに懸念が走る。想定外の事象だ。

 

―まさか…。目標との距離によって影響に変動が生じる!?

 

それが本当ならまずい。想定を超えるこちらの戦力ダウンが発生するとなればそれを念頭に入れて作戦を変える必要がある。

 

―この情報を持って撤退、撤退、を……

 

 

っ!!!!????

 

 

 

しかし―それは杞憂であった。

 

ナルは瞬時悟る。なぜ神機兵、そして神機の動作が緩慢なのか。それはとても単純な事であった。至極単純な事である。物を動かなくするためには―

 

 

「固定」すればいいだけの話だ。

 

 

直接。直に。その場に赴いて。

 

 

―……!?????

 

 

ナルは目を見開き、恐る恐る見上げた。厚い神機兵の装甲の一枚外。「そこ」にまさかもう…「来ていた」とは。「捕捉不能」のアラガミ―その本当の恐怖をまだ完全にナルは理解していなかった。

 

 

ずるり…

 

見えない「何か」が地下水脈の天井に陣取り、彼女のブルーローズの機体、主に両腕部分を既に拘束、「何か」にとっての脅威―神機の刃を向けることすらもさせない状態であった。

 

 

七月一日、現在時刻1812。日没まで17分。

 

神機兵ブルーローズ。討伐目標固有種アラガミ―通称「インビジブル」と遭遇と同時、両腕を拘束され、危機的状況。

 

 

 

 

 

 

 

…接近して気づいた。この未知の存在―巨人も所詮「連中」と同様だ。確かに自分を殺せる能力、潜在能力を持っている恐ろしい連中だ。が…あくまで怖いのは連中の持っている得物だ。「神機」だ。

 

それを持った連中の対処の仕方など今まで腐るほどやってきた。単純に持ち主を一撃のまま殺せばいいだけのこと。または得物を持った腕を食い潰して戦闘不能にしてやってもいい。

 

頭を喰らえばいい。胴体を喰いちぎればいい。

 

見慣れた人間とは違い、桁違いな体躯を持つ異形とは言えこの巨人、どう見ても体構造は大差ない。歩行の為の足と道具を扱うための両腕。胴体に頭部…どこを「壊せば」いいのかは容易に察しが付く。

この見えない、感知させない体を駆使すれば所詮あの連中もこの巨人も大差ないのだ。

 

 

透神は勝利を確信する。

 

 

…捉えた。

 

さぁ奇妙な侵入者よ。「見えない者」、「知覚できない者」の恐怖。その身に存分に味わうがいい―

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 









「…とでも言いたげですね?…ストレンジャー(余所者)?」

あくなく整った顔に驚愕の表情を浮かべ、突然の奇襲に完全に面を喰らっていた女性―ナルフ・クラウディウスは次の瞬間、いつもの沈着冷静な表情に戻し、不敵にふっと微笑んだ。

―「見えない敵」…確かに貴方は恐ろしい。でも―


…「自分が相手に見えない」からと言って「自分が全てのことを見えている、捉えている」とは思わない事ですね?







「…リグ。今です」




「…応よ」




……!?????―



ガコン…

両腕を拘束され文字通りの「お手上げ状態」の無骨な巨人の顔面左側面からにゅっ、と先ほどまで何もなかった空間から緑褐色の砲筒が先端から徐々に形成される光景に透神は目を見開き、そして同時悟る。


は か ら れ た


余りにも彼にとって屈辱的な仕掛け、罠である。


「見えない者」が「見えない者」に出し抜かれるなど。



「…弾けろや」


ドゴン!!!!


……ぶしゃあ!!


ビチャビチャビチャビチャ!!!


開戦の狼煙―しかし下手をすれば即終戦、「勝鬨の雄たけび」にすらも聞こえかねないほどの重厚な銃声―ショットガンの炸裂音が水脈内の静寂を切り裂き、同時、何もないはずの空間から夥しい緑色の液体が噴き上がり、周囲に飛散する。


開戦と同時、強烈な先制攻撃が目標アラガミ―透神に炸裂。


奇しくもそれは地上では盛大に香港返還記念祭を祝うパレード、そして祝砲の如き無数の花火が薄暗くなった香港支部の夕闇の空を轟音と共に照らし出した頃であった。















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「…ナル姉」

 

「はい?何ですか?リグ?」

 

「…ごめん」

 

「…仔細ありません」

 

ナルはその言葉の通り全く彼を責める気配のない表情で愛おしそうに彼に向って微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

時間は少しさかのぼり、作戦決行日前日のヘイセンのアジトにて最終ブリーフィングを行っていた時間に戻る。

 

 

「リグ」

 

「ん」

 

「サクラ」の問いかけにリグは大きくうなずき、すべてを了承したと言いたげにパンと拳を合わせる。

 

「叶うなれば…奴を『初手』で仕留めてくれ。君の能力―ステルスモードの存在を奴は知らない。まさか自分が見えない相手に狙われているなんて夢にも思わないはず。奴が狡猾、そして自分の能力に絶対の自信を持つからこそ出来る死角に付けこめ。恐らくそれが最も効率的で確率が高い」

 

「…逆を言えば一回こっきりのラストチャンスでもあるわけだな?『J』から聞いた奴の情報からして俺の能力がバレてしまえばより奴は慎重になる。…だろ?『サクラ』さん」

 

ニヤリと不敵にリグは笑ってそう返す。

 

「ほぉほぉ。解ってんじゃんリグ」

 

赤毛の少女―アナンが茶化す様にうんうん頷きながらリグの見解に同意する。いつも直情的で少々考えたらずな弟分の珍しい冷静な見解に心から驚き、感心したようだ。

 

「…」

 

銀髪の少女―「レイス」もまた今回に関しては特に言うことなしのリグの意見に無言で頷き応える。だがその場にいるただ一人―唯一今回の作戦において「ゲスト」と言える辨髪の少年―「J」が心配そうに二又眉毛を歪めていた。

 

「…不満か?『J』君」

 

「『J』でいいですって『サクラ』さん。…やっぱ俺もリグ達と同行した方が良くないすか?せめて奴の接近に気付けるくらいのサポート役が必要じゃないすかね。だって奴がこちらの狙い通りにナルさん…神機兵の下に向かってくれるとは限らねぇし。それに…もし打ち漏らしたら…」

 

「おい。『J』。それは俺を信用してないってことか~?」

 

「J」の肩を軽くリグは小突く。それに特に反応せずに真顔のまま「J」は首を振ってこう返す。

 

「いや。まさか。お前の腕は疑っちゃいねぇよリグ。あ…勿論

 

…ナルさんも」

 

 

「…ふふ。ありがとう『J』君」

 

 

「J」の気遣いの言葉に今回、神機兵の搭乗パイロットとして作戦の根幹を担う故、当然ブリーフィングには参加しているナルは顔を傾けてにっこり微笑んだ。自分の生死にダイレクトに関わる作戦内容だと言うのに終始彼女は何時ものように冷静、いや、寧ろ何時もより柔らかい雰囲気でGE達の会話を見守っていた。

 

今までずっと裏方として一歩引いた立場であった彼女が本心では「この場の完全な当事者」として関わりたいという衝動を抑えていたのが垣間見える。

 

「あっ、その、いえ…」

 

―ああ…ナルさん…。軍人的な凛とした所と普段の「優しいお姉さん」感のギャップがいいな~。うんうん。…むっ!?

 

―…。

 

「…んっんっんっ!!」

 

鼻の下を伸ばした「J」のにやけ顔に一斉に「ハイド」の全員から冷たい視線が刺さり、「J」は慌てて咳払い、改めてリグの問いかけに捕捉を兼ねてこう応える。

 

「…でもな?俺はヤツをこの中に居る誰よりも知っては居るんだ。見えなくてもある程度の奴の攻撃タイミングを図ることも出来る。万が一不意打ちが成功しなかった場合のナルさんとお前の保険として…俺も連れて行っちゃくれねぇかな?」

 

「『J』…」

 

ついこの前―初めて出会った当時であれば真っ先に反目、小競り合いになったであろう二人だが既にお互いの気持ちを気遣うぐらいになっている。それが解って居るのかリグもそれ以上何も言わなかった。

 

替わりに「サクラ」が「J」の問いに応える。

 

「…確かに奇襲が成功せず、交戦状態に陥れば君の協力は心強いよ『J』。だが逆を言えば奴にとっても君はこの中で唯一情報を知られている相手でもあるんだ。君がナルの護衛に付けば奴も当然対応を考える。より慎重になって攻撃圏内に入ることを躊躇うだろう。キミもリグと交戦した以上知ってるはずだ。リグの奥の手はアラガミバレットを除けば君と同様ショットガン銃身のゼロ距離散弾だ。それが最も効果を上げる瞬間は…言わずともわかるだろ?」

 

「…」

 

―相手が最も警戒していない瞬間。こちらの隙を突いたと思って意気揚々と射程内に踏み込んできたとき、だな。

 

「…そういう事だ。可能な限りリグの放つゼロ距離散弾の減衰を防ぎ、確実に奴に致命傷乃至、それに近い痛手を与えるためには今回の作戦―奴にとって初めての遭遇、『完全なる未知の相手』になるはずのナルのブルーローズ、神機兵を『知りたい』、叶うなれば『仕留めておきたい』という欲求―そこを利用しない手はない」

 

奴にとって未知の相手―神機兵を囮に奴を可能な限り接近させ、未知の能力を持ったGEリグによって確実に一撃で仕留める。奴の習性を突いた二段構えの作戦だ。そこには―

 

「…確かに俺は邪魔だな。俺が奴なら訳の分からん相手の傍に自分の事を良く知っている相手が同行していたらまず迂闊には近づかねぇ…」

 

「J」は口を手でつぐみ、完全に納得はしていない表情はしつつも冷静に理解を示す。

 

「悪いね…俺達の任務の直接監視をするという君の立場は解っているつもりだ。でも…叶うなればこの敵はなるべく手早く、確実な方法で仕留めたい」

 

「いや、気にしないでくれよ。奇襲がアラガミ討伐の大前提だっつぅ事は俺も曲がりなりにGEなんだから理解してるって」

 

「J」はそう言って明るく振る舞う。しかし誰にも複雑な感情が渦巻いている事は丸わかりの

空元気に見えた。

 

「J」とてナルの駆る神機兵ブルーローズの異質さは知っている。実際に作戦にあたって一部の機密、秘匿情報を除けばある程度の神機兵の情報の共有が既に彼にも成された。そして神機兵のポテンシャルを知った彼にこれからのアラガミ戦闘における世界各支部の構図の変化を神機兵が変えていくことを予感させるには充分だった。

 

数日前、香港支部の各地、そしてヘイセンのつてを利用して集められた神機兵の部位を支部内で再構成し、完成した神機兵をナルの演習を兼ねた起動実験、シミュレーションに「J」も立ち会った際、彼の目の前で叩き出された神機兵の能力は熟練のGEすら凌駕する可能性も秘めていると確信する。

 

しかし頼もしいと同時にどことなく複雑な、言い知れない不安も覚えた。運用に関する不安、疑問は勿論、もしいざこのシステムが確立してしまえばGE(俺達)は―?…等という複雑な気分が相舞った。

 

それがブリーフィング時の「J」の複雑な態度に直接反映された形だ。

 

 

要するに一応は人類側、つまりはGE側の完全な味方であるはずのこのシロモノに対して「J」が覚えた感情がこうなのだ。増してや奴にとっては完全に十中八九友好性なし、脅威以外何物でもない未知の不気味な存在を囮にする以上、悪戯に奴の警戒要素、ノイズを増やすことは好ましくない。

 

警戒心が強い反面、「機会があれば、殺るときは徹底的にやる」―この奴の習性を彼らに伝えたのは他でもない「J」なのだから。

 

「分かった…リグ。ナルさん。頼んだぜ?この際拍子抜けするぐらいあっさり仕留めてくれや」

 

これまた複雑そうに「J」は苦笑いして承諾する。

 

加えて彼自身、今まで自分の組織の仲間を何十人も殺され歯痒い思いをしてきたのだ。思うところがあるのだろう。

 

「あ~~あ。下手すりゃ俺やることね~じゃん?ま。ラクに越したことね~けどな」

 

「J」がまた空元気気味に強がりつつ両手を後頭部に当てて天井を見上げた。多数の犠牲、苦労して手に入れた見えない奴を捕捉できるほど研ぎ澄まされた鋭敏な感覚を活かすことなく、終わってしまうかもしれないことに手持無沙汰感を覚えているようだ。そんな彼に―

 

 

「いや…『J』」

 

「…ん?」

 

「そんな簡単にはいかないと俺は考えている。…『色んな』意味でね」

 

 

 

その「サクラ」の「色んな」懸念は…作戦当日現実のものと化す。

 

 

 

このアラガミは。

 

それほど甘い相手ではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―現在

 

 

香港支部地下水脈にて

 

 

 

ビチャビチャビチャっ!!!!

 

この上方から神機兵ブルーローズ、そしてその下で砲筒から煙を放つ神機ケルベロスのショットガン銃身を構えた少年―リグに降り注ぐ夥しい出血の光景は一見全ての決着があっさりついてしまったと見まごう程の凄惨な光景であった。かといって―

 

―…!もう一丁!

 

―…拘束が緩んだ。私も動ける!追い打ちを!

 

リグ、そして神機兵内のナルに全くの弛緩はない。

 

一撃でダメならすぐ二の手、三の手を繰り出せ。一切出し惜しみなしで―

 

ブリーフィングの際、例え「サクラ」にこう言われなくても彼らは実行したであろう。リグはすぐさま次弾装填、ナルは明らかに緩んだ拘束を引きはがし、神機兵の巨大さと質量に任せた無慈悲な斬撃を上方から降り注ぐ緑の血液に向けて振り回せばどこかには当たると目星をつけて攻撃姿勢に移る。

 

しかし、だ。

 

―……え?

 

突如完全に攻勢に回ろうとしていたナルに一つの違和感。と、いうより「異音」が彼女の耳元ほんの数十センチ、神機兵の外殻で言えば肩の部位の周辺で響いていた。その瞬間―

 

 

―……ダメ!!

 

 

「リグ!!!伏せてっ!!!」

 

神機兵の厚い装甲を劈く、逼迫した鋭いナルの声が神機兵の丁度股ぐらに居るリグの耳に届くと同時、

 

「え……?うわっ!!??」

 

 

既に射撃姿勢を整えていたリグは思いっきり神機兵の上半身に覆いかぶさられた。

 

ドゴッ!!!

 

折角装填と同時に発射されたリグのとっておき―SG散弾は神機兵に覆いかぶさられた事によってリグの体勢が崩れ、仰向けに倒れこんだことにより、天井方向に向けていた砲身が真横にそれる。結果放たれた散弾は覆いかぶさった神機兵の肩口を一部分、そして―

 

―あっ!!?

 

リグが倒れこんだ拍子に床に転がった腰に携行していた回復剤、オラクルアンプル等の携行品を積んだポーチごと粉々に吹き飛ばして空しく轟音を放ち、水路内の壁に直径2M程のクレーターを残す。当然渾身の一撃を思いがけない相手に邪魔されたリグは困惑する。

 

―ナル姉!!?何トチ狂ってん……―――……!!!???

 

そんな彼の困惑はすぐに解消されると同時、悟る。ナルがいち早く感じ取った「異音」の正体に。

 

 

―くっそ…あぶね……危うく死んでた。

 

 

 

 

ジュウウウウウウウウッ!!!

 

降り注いだ深緑の液体―討伐目標固有種アラガミ、インビジブル(透神)の血液は―

 

 

 

強烈な「酸」の血液であった。

 

 

 

その全てをナルの愛機ブルーローズはその背部によって受け止め、直撃すればまず命はなかったであろうリグを間一髪で救ったのである。

 

しかし、その酸は設計上アラガミの複数回の攻撃にも耐えうる神機兵の装甲を―

 

「う……」

 

「……!?ナル姉?」

 

「あぁああああああああああああああああああああ!!!」

 

易々と溶解させ、数滴を直接コクピットのナルの左肩に付着させるほどの威力を持っていた。

 

「……!!くっそっ!!!!」

 

ナルの悲鳴が神機兵内で響く中、ようやく降り注いでいた酸の雨が一段落したことを確認し、三発目を再装填したリグが神機兵の側面から脱出。腕を伸ばし、天井に向けて砲筒を伸ばす。

 

が…

 

「……ぐっ!!」

 

当然リグは躊躇う。何故ならもう一発放ってもう一度「幸いにも」獲物に直撃した場合―更なる酸の雨が真下に居る神機兵―つまりナルに降り注ぐことになる。既に装甲をある程度はぎ取られている神機兵にだ。

 

「う…ぐ、うぅうううう…撃って!!リグっ!!」

 

「構わず撃て」と急かす声がうつ伏せの神機兵内で響く。が、一向にリグの人差し指はトリガーを引こうとしない。ナルの苦悶の声、そして背部に酸を浴びて蹲る神機兵の姿は逆効果となり、リグの発砲への判断をほんの数秒遅らせる。

 

「…撃つんですっ!!リグっ!!」

 

「くっそ…っ!!!」

 

リグの凍り付いていた人差し指はナルの次の声を契機にようやく解凍。トリガーは引かれ、三度目の轟音が水路内に共鳴する

 

が―

 

ガゴォンっ!!!

 

「……!!」

 

「……あ……」

 

か細い声が負傷したナルの喉から漏れる。結果は最悪の結末―いや幸か不幸か。

 

酸の雨ではなく、替わりに水路の天井にリグのはなった散弾が作り上げた巨大なクレーターから無数の残骸が降り注ぎ、二人は茫然とその光景を見上げる他なかった。

 

 

―居ねぇ…!!!

 

―くっ…!!

 

 

透神―インビジブル。生涯初の手傷を追い逃走。

 

しかし一方でその代償に透神が得た情報はあまりにも多く、貴重だ。

 

神機兵を知り、リグを知り、彼の持つ危険で特異な能力を知り、新たな見識を知り、そして初めて傷つけられた「こんな時の為」に用意していた自らの酸の血液の威力、己がかけていた「保険」の力を知った。もし自分を傷付ける程の相手が現れたとき、その相手ごと情報漏洩を防ぎ、葬るためのこの「傷害保険」が今回功を奏し、そしてそれが十二分に今回の敵に通用、作用する事も知った。

 

そして―

 

この情報を外部に決して漏らすことなくこの侵入者を始末できる絶好の機会であると同時、この先の己の存続に関わる重大な情報漏洩に繋がりかねない危機的状況であることも理解している。

 

好機と危機はいつの世も背中合わせ。よって透神は当然自らの行動指針をこう選定―

 

 

 

…この侵入者。

 

 

逃すわけにはいかない。

 

 

 

 

 

 

…ここで殺す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




「…ナル姉」
 
「はい?何ですか?リグ?」
 
「…ごめん」
 
「…仔細ありません」
 
ナルはその言葉の通り全く彼を責める気配のない表情で愛おしそうに彼に向って微笑んだ。そしてこう付け加える。


「貴方を守れてよかった。お役に立ててよかった。私はこの瞬間の為に生きてきた―そう思います」


「…ぷい」

「あらら。…」

―…貴方は優しい子ですね。…リグ。


負傷した肩を抱えながらナルは彼女の言葉に恥ずかしそうに背を向けた少年―リグが前を見据えつつ指を弾く光景を頼もしそうに見ていた。


携行品を失い、オラクルも三発の散弾によって尽きた。捕捉された上にネタが割れたステルスフィールドももう使えない。なら―


「…サービスだ。俺の能力のもう一つ見せてやるよ…糞アラガミ」


リグ―血の力である「孤高」発動。

解放。



…。


透神はその光景を前にこう思う。世界はまだまだ自分の知らない事ばかりだと。


大海を知っても尚足らぬこの世界。

「知の底」は果たして。

どこにあるのか。







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81話

 

 

透神は自身の血痕を追われないように「二体」の追跡者から一旦相当の距離を引き離す。自身の血は酸の液。近接攻撃を浴びた際の返り血はカウンター攻撃としては非常に強力。相手は十二分に脅威と認識したはず。だが、裏を返せば滴り落ちた自らの血液が溶解させた地面は相手にとって格好の追跡、または現在位置を把握される目安となりうる。

 

加えて。

 

自分が初めて手傷を負い、流れ出た血液はたっぷりあの巨大で奇妙な侵入者に現在付着している状態。自らの体液の予想外の威力は確かに僥倖であったが、それを霧散化する前に採取されるとなれば話は別。コア程ではないとはいえ残留した体液の組成を調べられた場合、「アラガミ」としてのある程度の自分の情報は洩れるだろう。

自分のルーツの近似種をはじめ、偏食傾向等―それを基にして人間が行う「対策」はいずれ自分を窮地に追い込む、若しくは支部内での更なる行動の自粛を強いられる可能性は高い。

 

先程の戦闘を通して確かに今回の侵入者の大量の情報を得た。教訓も得た。しかし逆にアラガミである自らもまたある程度の情報源を「暫定的」ではあるが人類側に奪われているのもまた事実。それを研究、精査、情報共有でもされたら下手をすれば致命傷になりかねない情報量の流出の危機に瀕している。

 

よって透神の行動指針は変わらない。攻撃続行だ。…丁度結合崩壊部位からの出血も止まった。いざ攻撃を再開―

 

……!?

 

 

再び攻撃姿勢を構え、活動を再開しようとした直後の彼の視界に飛び込んできたのは暗い水脈内を眩い閃光で照らすと同時、軽快な風切り音を伴って飛来した数発のオラクル弾頭であった。

 

ビスッ!

 

それが透神の体に再び着弾。

 

…!

 

その狙いはお世辞にも正確とは言えず、被害は限定的。ほんのかすり傷程度だ。しかし、浅いとはいえ再び負った着弾箇所の部位からの出血は当然避けられない。

 

ぼたたっ

 

それが再び透神の足元の地面に付着し―

 

シュウウウウ…

 

湿気の伴った煙を巻き上げつつ地面を溶解させる。

 

…!!

 

彼は改めて悟る。己が自己防衛のために適宜進化し、手に入れたこの強力な酸の血液の想定外の威力を知ると同時、今後の「付き合い方」も考えては行かなければならない事を。

強力な武器ではあり、敵にとっては確実に脅威であることには違いない。が、逆に扱い方を間違えれば、不可視である自分の位置を特定される「マーカー」にもなりかねない諸刃の剣であるのだと。

 

 

一方―

 

「…手ごたえあり!!」

 

煙を噴き上げる愛機の砲筒を軽く振り払った小柄な少年―リグは軽快にそう言い放つ。

 

「…こちらもです。浅いですが…十分でしょう。少なくとも『現状』では」

 

リグの傍らにて佇む巨大で無骨、感情の感じられない表情をした蒼の巨人―神機兵ブルーローズの内部から対照的な程澄み切り、慈愛のこもった女性の声―ナルの声も響く。

その巨人の両腕には先ほどまで長剣形態であったはずの神機が銃形態に変形されており、その砲筒からも硝煙が立ち上っている。神機兵の神機は可変型。遠距離攻撃も可能なのだ。

 

「じゃあ…ナル姉?」

 

「ですね。リグ…。逃げましょう!!」

 

一人と一体はお互いに顔を見合せたと同時頷き、地下水脈通路内を全速力で透神の居るであろう方向から背を向け、駆け出す。

 

 

…!!!

 

透神に戦慄走る。己の偏食場範囲内に捕捉しているこの二体の侵入者の気配が急速に離れていることを察知したからだ。これは彼にとって正直言ってまずい。最悪の展開である。この侵入者にまともに戦う気はないのだとはっきりと感じ取れる迷いの無い振動、逃走速度を前に―

 

…!!

 

 

ずるり!!

 

透神は初めて己が後手に回ったことを悟りながら出遅れた自分の体を前に進める他ない。

 

この獲物の行動の意味は一つ。EMPパルスの影響範囲外にいち早く逃れる腹だ。つまり通信機器の復活圏内まで逃れようとしているということ。これは詰まるところ透神にとって最悪のシナリオ、今日流出した己の情報が完全に敵―人類側に共有されてしまうということに他ならない。よって今は追跡し、影響範囲内に相手を留めなければならない。

 

しかし―

 

ビスビスビスッ!

 

……!!

 

それ即ちこの鬱陶しいオラクル弾幕の間合いに入らざるを得ないという事でもある。確かにこの暗闇の中の上、おまけに不可視の目標に向けて放っているのだから狙いは無いも同然の牽制射撃、当たれば儲けという照準だ。嫌がらせ程度のもの。おまけに神機の全射撃の中で最もオラクル消費の少ない連射の利くアサルト弾頭なので威力も低い。与えるダメージも当然限定的。しかし、この一本道の狭い地下水脈内では透神の巨体で全弾躱し切るのは至難。ある程度の着弾は避けられない。結果、透神の体には避けようもないスクラッチダメージが蓄積されていく。それがまるで足跡の如く点々と足元に透神の血液が付着→溶解という位置、行動痕跡となっていくのだから溜まらない。これではせっかくの不可視の体のアドバンテージをフイにしかねない。

 

こう考えると先程初遭遇の際に身を呈して同行者―リグを守り、同時命がけで情報を奪取した神機兵―いや、ナルの行為がどれだけファインプレイなのかが解る。

 

……!!

 

透神はもうなりふり構っていられない。自分の血液で現在位置を捕捉されようが構わず肉迫し接近戦でケリをつける他ないと判断。追跡速度を上げようとした―

 

が。

 

 

タァンっ!!!

 

 

チュイン!

 

 

……!???

 

―直後、その透神の下した己の行動指針をあっさり慎重に再検討せざるを得ないほどの快音が響き渡る。重厚な反響音を数秒程にわたって水脈内に残したその弾頭―リグのスナイパー銃身の狙撃弾が透神の側面、数センチを掠めていった。直撃すれば深手を負いかねないその弾速、貫通力に戦慄する他無い。

 

 

その十数秒前―

 

逃走中のリグ、ナルのやり取り。

 

「リグ」

 

「?」

 

「スナイパー銃身に切り替えて狙撃弾を」

 

「…良いけどさ。あれ。消費でかいぜ?暫く俺の方はアサルト銃身でもまともなタマ撃てなくなる」

 

ショットガン散弾程ではなくともスナイパー銃身の狙撃弾一発のオラクル消費量はブラスト砲身を除く他三銃身―つまりリグの愛機ケルベロスの使用可能の弾頭の中ではかなり高い部類に入る。その代わり威力、射程共に文句なしであるが、本来相手を完全に捕捉、目視した状態で敵の弱点部位を遠距離から射抜くコンセプトの弾頭だ。少なくとも見えない相手、おまけに周囲は暗闇とまともに照準も定めることの出来ないこの現状においそれと放っていいシロモノではない。ただでさえ今はオラクル回復をリグは解放時の僅かな自然回復に頼っている状態だ。オラクル補給のためのアンプルをはじめとした全ての携行品を無くした現状でその悪手としか考えられないナルの提案に当然リグは訝しげである。が―

 

「良いんです。当たらなくて」

 

あっさりとナルはそう言い切った。そのあっけらかんとした言い草に一瞬リグは苦々しそうな顔をする。しかし―

 

「…ま。狙いは大体わかるけどサ」

 

「んふふっ」

 

「…ナル姉ってさ。意外に戦闘を楽しむタイプだったんだね」

 

「失望させちゃいました?」

 

すこしバツが悪そうにナルは呟いた。軍人としての経歴は長くともアラガミとの戦闘においては駆け出しである彼女自身も今回、自分の意外な一面に気付き、戸惑っているのかもしれない。念願のアラガミ戦闘の最前線に漸く立つことの出来る力―いや、資格と立場を手にした自分の高揚を抑えきれないのだろう。

 

「いや。…いいね」

 

そんな彼女の複雑な感情を察し、リグは嬉しそうに笑って首をふる。自分もそういう経験が無かったわけではない。かつて自分にとって最も大事な存在を奪った理不尽な連中を葬れる力を手に入れた時の自分も今の彼女に似た感情を抱いていただろうから。

 

一秒を争う攻防の中でこのあまりに無駄なやり取りはその実、両者の色んな思いの交錯する濃密な時間であった。この戦闘、そして両者の人生双方においても。

 

 

そして現在―

 

「…撃ったぜ。手ごたえはナシ。そんなアマカねぇわな」

 

「いえ充分です。此方の新たな手札を前に十二分に『脅威』として認識したはず。追跡の手…弱めますよ」

 

「…ならいいけど。くそ…カラだ。オラクル充填するよ、暫くそっちだけで牽制お願い」

 

「いえ。弾切れだからこそ出来ることがあります」

 

「?」

 

「リグ、そのまま空弾頭で構いません。撃ってください。ただし…」

 

「…?…!!ああ~なるほど」

 

リグはナルの意図を瞬時に察した。正式な実戦、共闘はほぼ初のはずの両者だが元々師弟関係とも言っていい間柄故に呼吸は合っている。

 

「気づきましたね?では…いきますよ」

 

阿吽の呼吸は意図の詳しい言語化をせずとも二人の行動に直接反映される。

 

 

ダンッ!

 

ザリッ!

 

 

……!!

 

お構いなしに突き進むにはあまりに看過できないほどの強烈な一撃が側面を通過していった直後、ナルの推測通り追跡の速度を緩める他なかった透神の苛立たしい心境を嘲笑うかのように前方から更なる発砲音が断続的に響く。透神は思わず身構え、着弾に備えて防御姿勢を調える。が―

 

…?

 

前方からオラクル弾頭が来ない。「発砲音」だけなら先程まで弾丸が雨霰と降り注いだ時分より数は上だ。なのに一向に一発も透神の下に弾頭が来なくなった。しかし替わりに前方から今度は―

 

ギャリッ…!!ガリりっ…!!

 

何か重いものを引きずる様な音が発砲音の合間を縫って響くようになった。先ほどまでの牽制射撃に加え、始まった新しい「音」―即ち逃亡者の謎の行動。追跡を続けるとその音の正体が地下水脈の壁、床、地面に何か尖ったものを引きずらせた事によって生じたものであることが解った。恐らくあの巨人が携えた巨大な剣の仕業であろう。

しかしその目的は―?地面や天井を崩壊させて追手の追跡を阻む障害物にしようとした―?いや、しかしそれにしては破壊の度合いが妙に中途半端だ。水脈の構造物を破壊、崩落させて瓦礫を敷くと言うほどの物ではない。そもそも基本、偏食因子でコーティングしたアラガミ防壁でも無ければただの壁、石材などアラガミ、とりわけ中型、大型に属する連中にはバリケードどころか、陸上のハードル程度にもならない。捕食しながら突き進むまで。つまり無意味だ。しかし―

 

ダンッダンッ

 

ギャリーーっ

 

ダダダン

 

ギャリっ!

 

無駄な、無意味な行動を連中が尚も続けていることを示す音が尚も前方より響いてくる。

 

 

…「無意味」?よく考えろ。それは在り得ない。

 

 

透神はそう自問自答した。そうだ在り得ない。「意味のない行動」などするわけがない。此度の侵入者が。何故なら自分がそうだからだ。この侵入者はある意味で酷く己と似通ったところがある。

 

ギャリッ!!ギャリリリ~~~ッ!

 

尚も断続的に前方から響くこの「音」が透神の更なる苛立ちを煽る。既に透神は理解していた。この「音」には明確な何らかの「意志」「意図」がある―しかし分かってはいても現状透神にはどうしようもない。迂闊に近付けないうえにこの相手の行動を止めさせることもできない。

 

その打つ手の無さが―

 

 

…。

 

 

ぴた...。

 

今逆に透神を冷静にさせた。追跡の足を完全に止め、被弾によって生じた自らの傷口から滴り落ちる血液、それによって溶解していく地面を眺める。

 

シュッ…ジュウウゥ…。

 

先程まではこの光景が疎ましくて仕方がなかった。しかし今は透神は努めて冷静にその光景を受け入れていた。

 

…。

 

 

 

 

 

「…っ?…!?」

 

「ナル姉?」

 

突如奔走していた神機兵が大きな手を広げ、リグの目の前でスムーズな動作で制止。非常に柔軟で自然な動作。恐らく一般兵レベルでは例え相当の修練を積んだとしても達せない境地であろう。「センス」と一言で片づけてしまっても問題ないレベルの鮮やかな駆動である。それ故に―

 

「……」

 

そのあまりに乗り手の優秀さを体現してしまうその柔軟な駆動は否が応にもその乗り手の心理状態すらも如実に反映してしまう。まるで神機兵そのものがナルになってしまったかのような錯覚を覚えるほどの人間臭い精密な動作に感心すると同時、その挙動にリグにも緊張が走る。

 

「…リグ。注意を。様子がおかしいです」

 

「…だな」

 

一人と一体は構え、後方の暗闇を見据える。

 

つい数秒前、正直勝負の天秤はリグ、ナル側に傾いたと言って過言ではなかった。しかし現在後方から発せられる歴戦を潜り抜けた者にのみ察知できる実体無き物―言うなれば「不穏」を感じ取った一人と一体はその正体、即ち追跡者の意図を推し量る時と判断し、足を止めた。

状況を考えれば足を止めるなど愚策、逃げ続けるのが得策だ。しかしその「得策」が逆に「愚策」になりかねないと今彼らの本能が告げている。そしてそれは決して間違いではなかったことが数秒後証明される。

 

 

ズッ……

 

 

「…!?」

 

「あ…!?」

 

 

足を止め、ノイズを排した結果、いち早くこの「異音」の正体に二人は気付けたからだ。

 

ザザザザザッ……ドッドドドッド…!!

 

これは。

 

水の音だ。それも大量の。

 

 

そうここは地下水脈。有事の際の砦であり、同時要人の脱出ルートだった。そこがどこに繋がっている?

 

そう。それは外。香港支部の内外に広大に拡がるもの―

 

 

…海だ。

 

 

 

透神は滴り落ちる自らの大量の血液とオラクル細胞の侵食、捕食行動により、人類にとっては堅牢であってもアラガミにとっては所詮薄布同然の地下水脈の厚い多重構造の外壁を易々と掘り進み、決壊させて大量の海水を地下水脈に浸入させたのである。

 

「……!!」

 

「やっろぉ……!」

 

大量の海水を迎え入れるにはここの地下水脈の通路はあまりに細く狭い。水流の勢い、速度は瞬時に通常の人間が走る速力など超え、浴びるだけで転倒、当たり所が悪ければ内臓破裂を引き起こすほどの質量をともなった濁流、津波と化している。それ程に高速に流れる水、重さというものは強大である。

 

ただし、それはあくまで「通常の人間」相手であればの話であるが。

 

「リグこちらへ!」

 

「おうよ!」

 

ナルは即時リグを神機兵の肩に乗せ、自らをバリケード代わりにしてに水流を堪える。水脈内は既に完全に足元が水浸し、更に秒刻みで水位が上がっていく。だが水脈内の空気はまだ完全に押し出されてはおらず、神機兵の肩の高さまで登ったリグは十二分に呼吸が確保できる状態だ。

 

 

「ナル姉!そっちは!?」

 

「…。大丈夫!少し破損個所から浸水していますがこちらも呼吸は問題ありません。ですが念のため…リグ!?しっかり掴まっててくださいよ!?」

 

ドスッ!

 

天井に神機刀身を突き刺して水脈天井付近に機体を固定、さらなる視界とリグの為の呼吸を確保する。

 

「無茶しやがる!!」

 

神機兵の肩にて眼下を流れていく濁流を忌々し気に見つめながら毒を吐くリグに冷静にナルはこう応える。

 

「ええそうですね。でも…これはある意味チャンスです」

 

「やっぱやんの…?」

 

「ええ。折角あちら自らわざわざ『助け舟』を用意してくれたんです。利用しない手はないでしょう?」

 

「…泥船どころか泥水なんだケド」

 

「クスクス…行きますよ。…大きく息を吸って」

 

「…はいはい」

 

「1、2、3!!」

 

一人を乗せた一体は何の躊躇いもなく眼下の濁流に飛び込んだ。

 

 

「……」

 

最初の透神の血液の直撃により破損していた神機兵のコクピット内はほぼ瞬時に水で満たされる。しかしナルの表情に焦燥の色はない。

 

―つうっ…!

 

肩の負傷箇所に海水は少々沁みるが許容範囲。痛みを噛み殺す様に愛用の軍帽を流されないように口で銜えつつ、巧みに水流内で神機兵を操作し、また同時無理に逆らわず流されていた。

 

―思った以上に水流が早い…。でも流してくれるのであればこちらにとっては願ったりかなったりです。これで私たちを溺死、最悪追い出せるだけでもいいと考えた―という所でしょうか。

 

酸素の供給源を断たれながらもナルは冷静に相手の狙いを推し量る。彼女の冷静な体内時計は空気切れのタイムリミットまでの時間をただ冷静に刻むだけだ。

 

酸素欠乏により行動に阻害が出る段階。

 

判断能力が鈍りだす段階。

 

意識が混濁する段階。

 

意識を失う段階。

 

―死。

 

 

年々、日々積み重ねたギリギリの鍛錬の中で培った自分の限界点を段階的に冷静に頭の中で反芻しつつ、彼女は尚も思考を巡らす。タイムリミットに決して余裕があるわけではない。でも余裕が無いわけでもない。それほどに彼女は日々の自分の研鑽が柔な物ではないと自負している。今はそれよりも―

 

 

―私の事よりも。「そんなこと」よりも。

 

…リグ。

 

 

彼女の意識は既に守るべき対象に全精力を傾けていた。それを「彼」も解って居た。

 

―問題ねって。俺だってGEだぜ?

 

直接水流の中に晒されながらも機体に掴まり余裕の表情でリグはナルに応える。強がりよりも自信の割合が強いその表情にナルもほっと胸を撫で下ろす。そうだ。リグだって師として柔な鍛え方をさせたつもりはないのだ。

 

頼もしい弟子の姿に安心したナルは駆動に集中。激流内でも器用に神機兵の巨体を滑らせて逃走を継続。パルス範囲外までもう間もないだろうと判断。通信機器の復活と同時即、手短、簡潔、そして正確な情報発信に備えて思考を巡らし始めた。

 

…「弛緩」「気の緩み」というには余りにも酷な…ほんの僅かな「空白」であった。

 

 

 

ゴォッ!!

 

 

「…グブッ!?…!…!?」

 

―…!?

 

異変は起きる。神機兵に掴まっているリグの体が真横に反れるほど、そして神機兵内のナルにもハッキリと感じ取れるほどに―

 

―な、にがっ…!?

 

水流の速さ、重さ、圧力が激増した。神機兵の巨体ですら上体を保っては居られない程の激流がナル達を襲う。同時水嵩も瞬時に増し、完全に水脈内は水に満たされた。尚それでも水流が緩む気配がない。超大型の洗濯機の如く渦を巻く中でまるで木の葉のように神機兵の巨体が水脈内を舞う。そのなかで必死に神機兵を駆り、緊張と突然の状況の逼迫に比例し、増した己の酸素消費量を全く意に介することなくひたすらナルは―

 

―リグ!リグ!!リグ!!

 

この水流に直接晒されているであろう可愛い弟子の身を案じる。なぜなら既に―

 

 

 

ゴボボボボボッ!!

 

「ぐっ…」

 

―…。

 

リグは水流によって神機兵から弾き飛ばされ、掻き回されて水脈内の天井、壁、床に数度激突。意識を失っていたからだ。この水流はもはや人間の水中に適さない体構造でどうこうできるものではない。GEの強靭な肉体も例外ではなかった。

 

 

 

―嫌っ!!リグ!?何処なの!?

 

 

血眼になってナルは彼を探す。水脈内の泥や沈殿物は既にほとんど洗い流され、周囲の海水の透明度は比較的高いがこの暗がり、そして竜巻の如き奔流に晒され、ナルは思うように流されたリグの姿を捕捉出来ない。

 

「グブッ!ヴうううううううっっっ…!!」

 

しかし彼女は諦めない。

 

ナルは水流の水圧によってなかなか思うようにならない機体を強引に転換。水圧に震える神機兵の腕を強引に可動。文字通り指一本を動かすことすら困難な水流の中、その指を強引に神機銃形態のトリガーに潜り込ませ、引き金を引いた。

 

バグっバグっ!!

 

空気中よりくぐもった二つの銃声とともに二つの弾頭がまるでホタルのように赤い蛍光色を放ちながらプカプカ水中を漂う。照明弾だ。淡く照らし出されて視界が拡がった水脈内を神機兵は再び駆動する。

 

「ぐっ…ゴボぶっ」

 

―…!!!!

 

無茶な機動を繰り返したナルの体内酸素量は既に限界に近い。チアノーゼを引き起こしながらも必死の形相で口に咥えた愛用の軍帽を噛みしめ、悪い予感を噛み潰す様にナルはリグを探す。

 

―…!!リグ!

 

そんな彼女の執念が実る。思わず頬が緩むほど愛しい愛弟子の姿を確認。上体は力なく流され、あちこちをぶつけた結果負った裂傷によって若干出血しているようだが…

 

―流石です。無意識に受け身をとっていましたね!?

 

傷は彼の体から漂う血液の量からして浅い。後は呼吸だ。いち早く外に連れ出して酸素を吸わせたい。

 

―...邪魔!!

 

神機を惜しげもなく捨て、正確には最早「神機兵」でなくなった事も意に介することなくナルは水流の中で目一杯機体の両手をリグに向かって力強く伸ばす。反面彼の体を握り潰さない繊細な手付きでリグの体を神機兵の指で絡めとり、同時彼女は悟る。

 

―…生きてる!…ああ…よかった!

 

掴んだ彼の体から感じ取れる体温、鼓動。機体を通しているはずなのに彼女はそれを余すことなく感じ取れた。そしてまるで初めて我が子を抱いた母親の様に両手で世界の全ての理不尽から守るかのごとく包み込む。

 

 

…彼女は気付いていた。

 

確かに気付いていた。しかし敢えてその行為を優先させた。自分が彼を助けるためにした「行為」全ての「意味」を。

 

そして理解していた。

 

世の理不尽そのものとも言える存在がその「愚行」を見逃さないことも。

 

ズッ...

 

突如水脈内の水流が弱まる。代わりに―

 

 

ズズズズズッ…!!

 

 

巨大な物が水中を進む際に生じる全くもって異質な水流が二人に迫っていた。

 

 

 

 

…そこか。

 

 

 

 

直前水脈内を赤く照らし出したナルの放った照明弾―それは他でもなく神機兵、つまりナル達の現在位置を指し示す標となり果てる。

 

透神は既に…リグを抱き抱えたナル―丸腰の神機兵の背後に肉迫していた。

 

「…」

 

ナルはリグを両手に抱いたまま無言のままちらりと振り返る。見えない相手が既に自分の背後を取っていることは百も承知で。そして冷静に自分の考えを頭の中で分析する。ここまでの戦闘、経緯そして…「現状」を踏まえて。

 

「酸の血液」

 

「水流、水圧の急激な上昇」

 

そして―

 

 

 

 

「現在確認、肉眼で『視認』できる目標の『形状』」

 

 

 

 

地下水脈内を満たした水流、流れは本来見えないはずの透神の形を朧気ながら現在写し出していた。

 

 

…。

 

それを透神は自覚している。しかし今は特に何の感情も浮かばない。焦燥もない。何故ならこれから即「口封じ」を行う相手に情報を出し惜しみする必要もないからだ。それをナルも知っている。しかし冷静な彼女の脳は考えることを止めない。愚直に得た情報を分析する。

 

 

「酸の血液」―これを得た時点である程度の推測は出来た。似たような武器を扱うアラガミ近似種が存在している。

 

グボログボロ。

 

扱う酸の威力は桁違いに高く、グボログボロの様に鼻腔部分のみに貯蔵され、血液としてではなくただ攻撃のみの手段として扱われているわけでないがその色、用途共に類似点は多い。

 

 

そして先程の「水圧、水流の急激な上昇の原因」。これは現在「視認」できる透神の形状よりわかる。

 

近似種がグボログボロであるという仮説から予想されるこのアラガミの分類は「水棲型」か「水陸両用型」。よって魚類、両生類、もしくは爬虫類を模した形状であることは想像に難くなかった。つまり「尾」を持つ可能性が非常に高い。その予測が眼前で裏付けが取れる。

 

―…体長の大半を占める巨大なこん棒の様な尾…それも「陸上で上体のバランスをとるための尾」というよりも水中で水を掻き、推進力を生むための形状…。ワニ…いえ魚類と爬虫類の中間生物、より原始的な両生類に近いアラガミ…それが光学迷彩を纏った種に進化した、といったところでしょうか…。

 

そしてこの尾をまるで扇風機の様に回してトルネイドの様なあの激流を生み出し、侵入者二人の自由を奪い、それに乗じて元々水中に適した流線型の体を細い地下水脈内でも優雅に滑らせて泳ぎ、流された二人に今楽々と追い付いてきたのだ。

 

両生類の形状を持ったアラガミと陸上を二足歩行で歩く人間の体構造をもった神機兵では水中ではどちらに分があったのかは火を見るより明らかである。

 

しかしリスクもあった。水中内では動き、水流を伴うことである程度自らの接近、そして何よりも形状が相手に把握されてしまいかねない事だ。「透明」というアドバンテージを失うリスクは出来る限り避けたかった。しかしそれは今回に限り無理だった。それ程に今回の侵入者は今までの連中と格が違うと透神は認識したのである。

 

よって彼は今初めて姿を「晒した」。

 

透明、見えないという己の最大の「誇り」を捨て、「初めての脅威」を前に鎌首をもたげる。

 

巨大な水流を巻き上げつつその体を水中で大きくくねらせる。

 

初めて自分にこれ程の手傷を負わせた強大な敵に対する敬意等微塵もなく、ただ己の恪の違いを見せつけるように。

 

 

 

…その、

 

巨大なオオサンショウウオの如き体躯を。

 

 

 

判明したその大きさは優に中型種を超え、大型種に分類されかねない大きさに達していた。

 

 

そして透神は見据える。初めて自分の姿を見てしまった者に代償として「永遠の沈黙」という代価を支払わせるために。その為の目標はすでに決まっていた。見定めていた。

 

 

コポコポ…

 

この奇妙な巨人の破損した背部より僅かに漏れ出すこの空気。

 

 

透神は既に悟っていた。理解していた。この意味不明、理解不能の出会った事のない存在、神機兵が何故今まで穴が開く程観察してきた人間の行動原理と似通うのかを。

それは至極単純な事だった。

 

 

そこに「人が居る」からだ。

 

其処に「人の心とやらが宿っている」からだ。

 

そんな存在が今までの人間の行動パターンと似通うのは至極当然のこと。

 

 

だから。

 

不測の事態に慌て、動揺するのは当然の事。

 

そして。

 

仲間を想う、かばうのは当然の事。

 

 

時に利を捨て感情に走る。それが全ての間違い、破滅に繋がることを知っていてもそれを止められない、止めることが出来ない生物。それがヒト。

 

所詮―

 

 

 

自分に比べればはるか未成熟な生命体だ。

 

何も知らず、何も知らせることも出来ずに今までと同様―…朽ちていけ。

 

 

 

 

 

 

 

ずぶっ!!!

 

 

 

 

巨大な尾で背部を突き刺された神機兵の破損した背部の穴より―

 

 

空気を伴いつつ紅い液体が漏れ出し、水中を染めていく。

 

 

 

 

 

 




…。

こん棒の様な尾で叩き潰し、上半身がひしゃげた神機兵が力なく水中を漂うのを無感動に睥睨しつつ透神はこの「巨大なゴミの始末」をどうするべきかを考え始める。完全に戦闘不能にしたとは言えこれを人間に回収されては困るからだ。付いた体液、破壊の度合い、透神にとってはゴミでも人間にとっては情報の宝庫だ。

最早原型を留めてはいないだろう「中身」は喰うとしてこの「ガワ」は一旦は巣に持ち帰る必要がある。透神は短い両腕で神機兵を掴み、そして―


戦慄した。


……!!??



驚くのも無理はない。まるで「がらん」とでも音が鳴りそうなほどに神機兵の正面、腹部から胸部にかけての大部分がぽっかりと空洞状態になっている光景を目にしたのだから。

神機兵はオラクル細胞で構成された人工筋肉を柔軟に動かすために体液を流動させて伸縮、駆動をしている。よって生物と同様、破損個所からは赤い血液が噴き出す。

つまり今この水中を染めている血液は神機兵の上半身ごと叩き潰された「中身」から生じたものではなかったのだ。では肝心の「中身」はどこに―?

…!!!

そんな透神の疑問は即解消される。彼の正面、深紅の神機兵の体液で満たされた水中が眩く黄金に光輝いたからだ。


―……。また、俺は…。


助けられたのか。


そこには今にも泣きだしそうな悔恨の表情を浮かべたリグが…解放状態になった姿であった。

先程も述べた様に神機兵の体はオラクル細胞で構成されている。つまりGEがその体組織を捕食すれば―


…疑似的なバーストを引き起こすことが可能。


神機兵を透神が尾で叩きつぶす直前、神機兵の腕、いや、ナルのも同然の両腕の中で息を吹き返したリグは神機兵のコクピット内で既に意識を失っていたナルと一緒に腹部ごと捕食形態で喰いちぎった。

それだけではない。

普通の人間の体など易々と食い潰してしまう圧倒的な咬筋力を持つ神機の捕食形態を神業とも呼べる加減で神機兵の腹部だけ荒々しく食い破り、反面コクピット内のナルを全く傷つけることなく、まるでか弱い雛鳥を包み込むような繊細さで彼女を外へ引きずり出したのだ。

そして今も。そのあまりに剣呑、凶暴な風貌をもった捕食者の咢の中にあまりに矛盾した慈愛に満ちた力で一人の女性を銜え―…否、抱きかかえていた。


……!!


生まれ落ちて今まで他者を餌、利用価値、謂わば状況を構成する「要素」のみとして見なさなかった透神にとってあまりに意味不明、理解不能の光景。さしもの透神も気圧され逡巡。
それをリグは見逃さなかった。

もう一度繰り返すが神機兵は「捕食可能」。即ち―


ガコン…


…アラガミバレットの補充が可能だ。


……!!


その不吉な異音を前に自分が現在あまりにも軽率かつ無防備な状態であることを透神は悟ったがもう遅い。

しかし―


「……」

かつての彼(リグ)ならばこの千載一遇の好機を容赦なく他者への攻撃、害意に変換し引き金を引いていただろう。しかし今は―

―…。

彼の過酷で非情な半生によって培われた闘争本能、凶暴さを差し置き、理性的、理知的な表情を浮かべ、感情を見事にコントロールした一人の少年、いや青年は左手に抱いた女性を横目で一瞥。いつもと変わらぬ優しいその体温、僅かにその口から漏れる気泡を目にしてフッと笑った。

憤怒、憎悪を抑え、今最も優先すべきことを完全に冷静に見据えた表情であった。

そして。

その銃口の矛先を「敵」ではなく外に向けた。その先はこの薄暗く狭いこの場所より広い世界に向けていた。

そこへ彼は向かう。これは逃げるのではない。進むのだ。

ポウッ!!

リグの愛機―ケルベロススナイパー銃身から放たれた神機兵から得たアラガミバレットは極太のレーザーとなって易々と水脈内の壁を切り裂き、地上にまで現出。返還祭に興奮の坩堝となった香港支部の夜空を彩る無数の花火の側面を切り裂いて夜空に消えた。

―じゃあな。

そしてまるで風呂の栓を抜いたかのように二人の体はアラガミバレットでブチ空けた穴に吸い込まれ、予想外のリグの行動に唖然としたままの透神を残して消えた。








…感アリ。

リグ、ナルの両名、目標アラガミ―インビジブルのEMPパルス影響範囲内から脱出した模様。

現在位置捕捉。

通信に応答なし。

リグ―バイタルに異常無し。

ナルフ―

バイタル微弱。





いや…停止。











ドンッ!!



「…ごっほっ!!かっ…ほっ…ごぼっ!っ…はぁ…はぁ…」



「…」


「…随分…乱…暴な起こし方ですね?私…以、外の女の子にしちゃ…ダメですよ?」


自分の胸の中心に握りしめた左手の拳をうち据えたまま俯いているずぶ濡れの少年の頬を優しく女性―ナルは撫でる。



ビクトリア湾上空にて満開に咲く祝砲の音が響く下。

掻き消えそうなほどの小さな少年の嗚咽がビクトリア湾海上に響いていた事を祭典に浮かされた人々は知るよしもない。




少年の濡れた頬のなかで。

つい先程まで止まっていたナルフの父の形見である腕時計が再び―

時を刻みだす。







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何を求めた考えた

形良く盛り上がった胸が浅い呼吸にあわせて上下する。彼女が生きている証。その事実に少年―リグは安堵すると同時に無力感に苛まれ下唇を苦々しげに噛みしめる。

 

「よし…一安心といったところカ…」

 

老船医はそう呟いた。

 

数分前、ビクトリア湾洋上にてヘイセンの所有するクルーザーにナルフと共に回収され、デッキにナルフを担ぎ上げたのちは乗り合わせた老船医にリグは彼女を任せることしか出来なかった。心身共に激しい消耗によって再び意識を無くし、力なく横たわるナルを放心のまま見守るのみだ。老船医の酸素吸入ほか適切な応急処置によってみるみる彼女の容態が安定しているのは理解できているのだが感情が付いていかない。構成員から手渡された毛布、温かい茶にも興味を示さずただナルを両膝に手を付けたまま見下ろす。

 

その拳は変色するほど固く握られていた。

 

「…」

 

―畜生。

 

リグはまた下唇を強く噛み締めた。一命を取り留めたとは言えナルは全身擦過傷、肩に大火傷、低酸素症に加えて低体温症。酸素マスクを口元に施され、当分の間意識を取り戻さないであろう痛々しいナルの姿を前に閉口するリグの背に―

 

「…君たち二人は十二分に任務を果たした。君も少し休みたまえリグ君」

 

声をかけたのは電動車椅子に乗った凶相の男―ヘイセンの長、林である。しかしその言葉に対するリグの反応は意外なものであった。

 

「…俺とナル姉の『メッセージ』はちゃんと伝わった?…『あいつら』に」

 

思わず林が軽く目を見開くほど肉体的、精神的にも均整がとれていることに疑いの余地のない口調。

 

「…!」

 

ー…ほぉ。あのGE連中の中で最も幼く、危うい面が目立つように見えたがこの少年…なかなかどうして。

 

正に「男子三日会わざれば」なんとやら、だ。同時それは示唆する。このほんの連絡、交信不能の数十分がどれ程彼等にとって濃密な修羅場であったことを。それはリグ、そして満身創痍で辛くも生還したナルの姿から容易に推察できた。

 

せめてその「成果」を確認したい―当然の感情だ。

 

「伝わっとるよ。…中々に厄介な特性を持っとるな奴は。君らの努力は無駄にせん」

 

「だから」―と林は続けかけた。君らはハッキリと十分すぎる戦果と功績を上げたのだ―だからあとは、と。

 

しかしー

 

「状況は?」

 

リグが遮る。

 

「…行くつもりかね?」

 

「状況は?」

 

「…『見ての通り』だ。…ファリン」

 

「は…」

 

林の反応を全く意に介さず情報の開示のみを端的に要求するリグの有無を言わせぬ態度に林は背後の部下であり、付き人の女性―ファリンに目配せし、ノートpcを開かせる。直前ほんの一瞬「…本当によろしいのですか」と言いたげにファリンは横目で林に視線を向け確認する。

 

―構わん。

 

―…分かりました。

 

二人は目でそう会話し、ファリンは端末操作後、液晶画面をリグ側に反転させる。

 

映し出された液晶画面にはここにいないハイドの構成員―「レイス」、アナン、そしてヘイセンお抱えのGE―「J」の顔写真、そのとなりには彼らのバイタル、脳波を表すデータが表示されている―はずなのだが…

 

―…確かに「見ての通り」だ、な。

 

現在そのデータ表示は一律「No signal」と表示されている。本来なら横線状の心電図が表示されるはずのこの画面。にも関わらずこの状態が意味するのは該当者、機器が完全に圏外に居る場合、そもそも機器が電源オフまたは故障等によって作動していない場合、…若しくは彼らが何らかの強烈なジャミング地帯にいる場合、そして…既に取り付けられた機器ごと完全に「破壊」されている可能性等が考えられる。

 

「最後の通信は三分前。彼らは今奴のオラクル偏食場―empパルス圏内。つい先程までの君ら同様捕捉不能。…消息不明だ」

 

希望的観測等は一切交えず事務的に林は言い切る。隣のファリンは言葉を発さず表情を殺していた。「J」を案じているのだろう。そして恐らく「レイス」、アナンの事も。その証拠に俯きつつも、鋭く整えられた彼女の目が薄く開き、瞳が泳いでいるのがリグにもわかる。

 

「…そうか。聞きたい事がもうひとつ」

 

「…」

 

林は恐らくリグが尋ねてくるであろう次の質問が容易に想像できる。そして同時返答に困る事が予想できた。何があったのかはまだ詳しく聞かされてはいないとは言え、今目の前に居る少年は危うさと幼さを感じさせたつい一時間ほど前の少年―リグとは最早別人だという印象を林は既に受けていた。下手な取り繕い等簡単に見透かされてしまうだろう。其ほどに成長が見えた。

 

同時

 

ー…えてしてこういう時が一番危ういものだ。若者というものはな。

 

今までとはまた種類の違う危うさが生まれていることも容易に林には感じ取れる。職業柄今まで幾人ものそういう人間を見てきたのだから。

 

―はてさて…どうしたものか。

 

「これ」を伝えれば確実にリグは戦場に舞い戻る。肉体的、精神的に細部において隠しきれない消耗をかかえたままだ。しかし自分やファリンを含め、この場にいる彼の組織の構成員には所詮、リグがいざ本気になれば止めるすべなどないのだとも理解している。力ずくで止めることも話術で引き留めることももはや不可能となればもう答えはひとつ。彼を行かせることだ。彼らだけの戦場へ。

 

そもそも何せー

 

...状況は最早抜き差しならない程の逼迫した、ここにいる彼らだけでなくこの香港支部全体の危機に瀕するほどの事態に直面していたからだ。動ける人間、人手は限られているこの状況で間違いなく未だリグは強力な戦力。最前線に出、体を張れる人間が一人でも多くほしい―そんな状況にこのわずか数十分の間に変化してしまっていたのだ。

 

林が重々しく口を開く。

 

「…最悪の。『サクラ』君が最も懸念していた事が現実になった。『レイス』君、アナン君。そして『J』が確かに確認した。通信だけではない…この映像も交えてな」

 

林が歩み寄ろうとするファリンを制し、自ら端末を操作するとpc画面がフルスクリーンの動画に切り替わる。

 

「…。………!!」

 

「彼らが通信不能になる前に送ってきた映像だ。…おぞましいものよ」

 

そこに写った映像に俄にリグの目が見開かれ、表情が曇る。同時デッキに立て掛けた彼の愛機の方を見やった。既に彼と共に改修された彼の愛機ーケルベロスは神機技術者の構成員によって調整段階。技術者は目線だけリグに向け、指を三本立てた。

 

「三分。それまでに老師の話を聞け」という合図である。リグは無言でうなずき、再び林に視線を向けた。

 

「更に詳細、情報を彼らと共有し、こちらもできうる限りの備えをしたかったところだが其れも叶わなかった。この映像を彼らから受信して程なく通信を始め彼らとの一切の情報交換が不可能になった。…奴に気付かれたのだよ」

 

「…」

 

「リグ君、そしてナル君。君ら二人の行動が決死の『陽動』であったことにな」

 

 

時間は少し遡る。

 

 

「…不可解な事がある」

 

黒泉アジト内での作戦決行前のブリーフィングを一通り終えた際、「サクラ」がこう呟いた。

 

この透神―固有種アラガミ、インビジブルがこの香港支部に根城を築いてから相当の期間が経過している。間違いなく各国に点在するフェンリル支部ーつまりアラガミ装甲壁「内」で生存した単一のアラガミとしては最長期間の種になるであろう。この嬉しくない最長「飼育」期間はこのアラガミの特異な生態故にハッキリとした期間、詳細は判然とはしていない。(研究目的、もしくは人間型アラガミ―シオとの謂わば「交流」を目的として長期間支部内部に留まった特殊ケースを除く。)

 

が。

 

一方でハッキリとされている事がある。

 

このアラガミがこの支部内部においてもほぼアラガミの生態を失わず、アラガミの根源的欲求ー「食べること」に沿って多くの物を捕食しているという事実だ。それも尋常ではない物量、そして人的被害が発生。犠牲者は実に確認されているだけで一万人近くが餌食となっている。

 

ではそもそも彼らは「どこに」行ったのか―?

 

と言ってもこれは「人間が死ねばどこへいくのか、何になるのか」等の哲学、又はオカルトの類の物ではない。もっとシンプルで根元的なものだ。

 

奴に捕食された多くの民間人、そしてGE。これ等を無理矢理にひとくくりにするのであれば「有機物」である。無機物すら喰らうアラガミであるが透神が主にこの支部内部で喰らった、摂取したものは大半が有機物である。

 

しかしここで疑問が生じる。

 

支部内「滞在」期間に加え、単一のアラガミが喰らった被害者の数でもまた歴代トップクラスであろうこのアラガミが何故「この程度の規模」で存在できるのか?である。

 

当初は薄暗く狭い地下水脈でひっそりと潜伏出来る「想定小型、中型クラスのアラガミ」と想定されていた本種。リグとナルとの遭遇によってすでに「大型」に近い体躯であることは先程判明したがそれでもおかしい。

これ程までに異常な量の有機物を単一のアラガミが摂取したにも関わらず、何故そのある意味「慎ましい」生態を維持できるのか?ーと言うことだ。アラガミは喰らった物の情報をもとに進化、変容、そして巨大化する。摂取した食物によって得た情報と栄養素によって得られる膨大な「容量」を何らかの形で反映させる。例えば姿形、大きさ。それだけでなく自己防衛のための武器、特殊能力を取捨選択するのだ。

 

より多くのものを喰らえるように、己と言う個を防衛するために創意工夫を重ねる。外界に蔓延る数多のライバル達を出し抜く為に。

 

ではこの安全を保証された香港支部内、「アラガミ装甲壁」の中ではどうなる―?

 

ここでは餌は向こうからやって来る。何も知らない無力で非力な隣人―ヒトだ。減れば補充もされる。

 

ヒトは矮小で基本脆弱だが曲がりなりにも前時代の進化の突端にあった生物。かつては自分達を万物の「霊長」とまで驕った種だ。その塩基配列に含まれたそこそこの情報量は侮れない。加えてその手で創られる物は自然界では決して発生しないアラガミにとっても不思議で頓珍漢な珍味だらけときている。

おまけに彼らが建造したこの場所を覆う巨大な黒い壁―装甲壁はおっかない他の強大な敵アラガミすら退けるときている。

 

まさに至れり尽くせり。

 

膨大な栄養源をフル活用して汗水垂らすまでもなく、安全で快適を保証された棲み家。

 

彼にとって安全で同時、無限の水脈湧きでる広大な井戸―香港支部。

 

しかし、それは裏を返せばそのままでは居られなくなる事でもある。食べることで得た栄養素、言い替えるならアラガミを成長、進化させる「容量」は消えてなくならない。進化―アラガミにとって最大最高の目的である。謂わば「容量の使い道」を模索する必要があるのだ。

 

ではウロヴォロスのような大きな体躯を得ようか?

 

いや必要ない。

 

この狭い地下水脈では大きく鈍重な体躯など不必要。エネルギー効率も落ちる。

 

ならばより頑丈な体、爪、牙?

 

全てを破壊し、喰らうことの出来るアラガミとしての圧倒的な力を得ようか?

 

それも不要だ。というよりはそもそも得た容量は膨大とは言え、いざ外の世界では高が知れた物だ。アラガミ同士の相互捕食を繰り返しそのなかで生き残った掛け値なしのバケモノ連中蔓延る外界でそこそこにはやれてもいずれ出会う理不尽レベルの絶対強者を前にしては屈服、服従する他ない。

 

アラガミの世界では服従、屈服=死だ。

 

個の死をサイクルの一部として割り切ったアラガミであればともかく、本種のような強固な「我」をもつ者にとってそれは看過出来ない。だからこそわざわざそれらから逃れる為にこの支部内、装甲壁内に籠ったのだ。

 

 

要するにこのアラガミは今、そもそも何がしたいのか―?何を求めるのか―?という疑問を「サクラ」はかかえていた。

 

 

 

 

そして今日。

 

それは判明した。

 

 

 

このアラガミが地下水脈内で、自身の特殊偏食場パルスを駆使し、頑なに他者の侵入を拒んだ棲みか―デッドゾーンにその答えはあった。

 

リグとナルフの必死の陽動によって引き付けた透神の背後を「レイス」、アナン、そして「J」は突き進み、そして達した。

 

 

 

最悪の事実に。

 

 

 

 

十分前―

 

高速で地下水脈内を駆け抜けながらも全く息を切らす事もなく、迷いのない足取りで走る三人の姿があった。

 

「……」

 

仄暗く僅かに海水の滴る水脈内を水飛沫をあげながら先頭を駆ける少年―「J」は無言のままほんのすこし後方に目配せし、すぐ後ろを走る少女二人―「レイス」、そして殿のアナンの表情を確認、

 

「…」

 

「〜〜♪」

 

無表情とニコニコ鼻歌混じりと対照的だが共通しているのは息を切らすどころか余裕の表情だということ。彼女達が彼のペースについて全く問題ない事を察するとさらに彼は走行速度を上げる。

 

―急がねぇと…!!

 

「J」は焦っていた。

 

リグ、そしてナルフとの交信はすでに不可能。間違いなく奴と接触、若しくは交戦状態であることに疑いの余地はない。そして未だ戦勝報告無し、特殊偏食場パルスが健在の現状を鑑みると二人の奇襲は失敗したと考えてもいい。既に二人とも殺されている可能性すらある。

 

―…考えんな今は!

 

今は彼等の身を案じることよりもプライオリティの高い使命が「J」そして彼に続く彼女達に課されている。この三人の目的地はこの地下水脈内にかつて建造され、有事の際は心臓部となりうる施設―変電所だ。

 

 

元々この地下水脈はこの支部の支配階級、要人の逃走、同時有事の際のシェルターとして建造された施設である。一定期間内の人間の生活基盤を支える為に当然最低限のインフラが整っていなくてはならない。そのうちの最優先事項、核の一つとも言えるのがまず電気供給だ。

変電所が当初から存在しているであろうことは明白であり、おまけにここに至るまでの黒泉の構成員の潜入調査でらしき施設の目撃報告、同時マフィアと支部自体がまだ共生関係であったころの香港支部地下の大規模な改修、建設計画のデーター地下水脈内の建造資料、設計図にもそれらしき施設のデータがあり、地理的要素等で大まかな建造場所も検討がついていた。

 

しかしーそれ以上は様々な意味、理由、事情が重なり踏み込めずにいた。

 

それ以上の情報収集は香港支部の機密情報管制に阻まれ頓挫、なら地下に直接構成員を送り込んで調べようにもそこは透神のテリトリーの真っ只中。侵入後即襲われ構成員は悉く全滅。情報を得られず犠牲だけが増えると言うサイクルを早々に打ち切る他無かった。

 

それを初めて今日打開したのだ。それを成したのがリグとナルフである。彼等の奮戦、そして逃走はそれを追撃する他無かった透神の移動によってパルスの影響範囲をも大きく変えさせ、かつてデッドゾーンであった水脈内深層をパルス影響範囲外にし、ほかGE三人を到達させたのである。それだけではない。パルスの範囲外になったということは当然計器、観測機器が正常に作動する。通信、通話あらゆる情報共有が瞬時に可能だ。

 

しかしそれは同時に。

 

辿り着いた三人。そして彼等に取り付けられた観測機器を通して送られた膨大なデータを通して黒泉、ハイドの構成員全てを戦慄させることとなる。それは「その事態」をある程度予測していた「サクラ」ですら例外ではなかった。

 

 

「うっ…」

 

 

 

その「地点」に足を踏み入れた瞬間にまず「レイス」が呻き、口を抑えて立ち竦むほどの強烈な凶兆が周囲一帯を覆っていた。彼女だけではない。

 

「うっわ~~…この先行きたくねぇ~~」

 

アナンすら顔を青くしてそう漏らすほどだ。楽天的な軽い口調は崩さないものの心底生理的嫌悪を隠しきれない口調で。

 

彼女らを先導していたはずの「J」は一旦彼女らと離れ、直前に発見した変電施設内に侵入、本電源を起こして周囲一帯の光源を確保するために二人と別行動を取っていた。

 

もっとも。

 

周囲を照らさずとも元々鋭敏な感知能力を持つ彼自身も今彼女達の感じている凶兆を薄々感じ取っていただろう。その証拠が次の彼の通信の口調によく顕れていた。

 

『…OK。予備電源確保したよ。周囲一帯を照らすよ。皆…覚悟はいいか?』

 

「覚悟」―

 

彼女達にだけではない。通信を聞いている全員―作戦に従事しているハイド、そして林、ファリンを初めとする黒泉の構成員、そして現状戦況を見守る他ないオペレーターを勤める「サクラ」に宛てた通信である。

 

『…OK。「J」。やってくれ…』

 

無言の彼女らの代わりにそう呟いた「サクラ」の返答を契機に「J」はぎりりと本電源レバー思いっきり引く。

 

重厚なバチンという音と同時にごうごうと巨大なモーターが次々に作動したことをしめす物々しい音が重く響き渡る。水脈内の天井に設置され、一見長い放置期間の末、朽ち果てた様にしか見えなかった無数の電灯がパチンパチンと音をたて火花を散らしながら点灯していく。行き先を示していくかのように順々に。

 

そして―

 

バッ

 

バッ

 

バッ

 

「レイス」、アナンが辿り着いたその「地点」にも次々と電灯が灯る。

 

 

 

 

その場所は地下施設内では特別拓けた場所であった。有事の際、ここに移り住む人間の生存の為の物資を保管する倉庫兼、最低限の生活資材等も製造可能にするプラント―巨大な工業施設であった。

 

一片500m以上の長方形の空間に無数の多目的工業機器が整然と敷き詰められ、各々が稼働可能を示す青緑色のランプが灯りだす。有事の際の生命線とも言える設備だけにやや形式は古いとはいえ高価かつ高等な機器が用意されているようだ。こまめに整備すれば十二分に現在でも利用可能なその手の技術者にとっては宝の山と言っても過言ではない。こんな有用な施設が利用されることなく打ち捨てられていた事をさぞかし残念がるはずの光景である。

 

だが「サクラ」ですら今はその余韻に浸ることができない。

 

いや。

 

例え誰が見ても「このおぞましい光景」を見れば眉を歪め、閉口するだろう。

 

『…「レイス」』

 

「……。はいお兄」

 

『…カメラをもう少し引いてくれ。音声も拡張モードに。…そいつらが…

 

 

「生きてる」なら音も拾えるはず』

 

 

「了解。…見える?コレ…」

 

明らかに堪えきれない生理的嫌悪を催していることが伝わる彼女の口調に「サクラ」は頷いた。

 

『ああ…後はそれに…その、な』

 

「解ってるよ。『触れて』みるよ。私の手で…直接ね」

 

『…すまない』

 

「いいよ…私の仕事だし。『コイツら』がアイツにとって何なのか知らなきゃなんないしね」

 

そんな二人のやり取りに

 

「待った。『レイス』」

 

アナンが割り込んだ。

 

「ん?」

 

「交代。コレ私が撮影しとくからアンタは嫌かもしんないけどいち早く触れてみて。いつ通信が出来なくなるか解んないし分担した方が早い…よっ!」

 

人差し指と親指を立て、くりくりと手首を軸に振りつつ、お役目の「チェンジ」を申し出、「レイス」の返答を待たずアナンは跳躍する。何時もはサボりぐせのあるアナンの行動が早い。それほどに事態は逼迫していた。だからといって騒いでも必要以上にたじろいでも生まれる物は無い。その点はアナンは非常にリアリストなところがある。

 

「ん。こっからならよく見えると思う。まぁ…叶うなれば直視したくねぇ〜けど…仕方無いねこりゃ」

 

工場上部側面に取り付けられた連絡通路にて広い視野を確保しつつ、アナンは首に取り付けられたカメラでゆっくりと周囲を撮影する。

 

「…どおぉ?『サクラ』さん。そっち全景でちゃんと見えてる?…想像以上にデカイよこれ。…うぇ〜ん最悪」

 

『ああ…イヤになるほどよく見える。もう少し近づいて音も拾ってくれるか?』

 

「うぅ~~っ酷な要求ですなぁ。行くけどぉ~~……はいっ!はい!どうすか!聞こえてまスカ~~!?」

 

『すまないアナン…でもちょっとうるさい』

 

「へい…。…」

 

『……。聞こえる…』

 

ー当然だけど……

 

「生きて」やがる。すべて。

 

 

ドっ…

 

どっ…

 

 

ドクンー

 

 

 

 

そこには―

 

工場の天井に設置された幾つもの巨大な照明機器の光に照らされ、殻の無いゲル状の粘膜におおわれた無数の黒い球体が帯状に何層も重なっている光景が映し出されていた。

 

「こんだけ趣味の悪いパーティーの飾りつけ…初めて見たよ」

 

何時ものアナンの軽口もこの圧倒的な光景を前にしては生理的嫌悪感が勝るようだ。「サクラ」も全くの同感のようで暫く言葉がでない。

 

 

言うまでもなくこの物体は―

 

 

「卵」だ。

 

 

奇しくもカエル、イモリなどの両生類が水中に生む帯状の粘膜に包まれた殻に覆われていないゲル状の卵の姿にそれは酷似していた。分裂、もしくは霧散したオラクル細胞の再結集、再構成によって増殖するはずのアラガミの初めて観測された増殖、否、これはまさに「繁殖」方法である。

世界的に類を見ない大発見であるが、その当事者の彼らは感激など到底できる代物ではない。同時呆けてばかりもいられないと「サクラ」が通信を再開しようと通信ボタンに手を置こうとした瞬間、

 

「はんっ…!パーティーの飾りつけか…確、かにぴったっ…りかも知んない、ね…」

 

息苦しそうな少女の声が割り込んできた。「レイス」である。

 

『「レイス」!?大丈夫か!?』

 

「…!!ぃええええぇぇ~~。ウソぉ。もうさわったの…『レイス』ぅ…」

 

「『いち早く触れ』っ…つったのあんたでしょうがぁ~…」

 

カエルに惜しげもなく触れる友人を前にした女の子のような感心とヒキがない交ぜになった口調のアナンの一言に、右手を押さえつつ涙目の「レイス」が苦言を呈する。それでも尚アナンは「よく触れんね~」と言いたげにポカンと口を開けた。同時ちょっと「私たちしばらく距離置きましょう」と言いたげにアナンは後ずさる。

 

「…。そんなこと言ってらんないよお兄、アナン…コレ…ヤバイ。マズイって」

 

『…具体的には?』

 

「『生きてる』とかそういう問題じゃない……!!!明らかに孵化寸前だよ…コレっ…!」

 

そう「レイス」が叫んだ瞬間、周囲に一際大きく重い

 

 

 

ドクンっ……!!!!!!

 

 

 

という実際には音を伴わない胎動、鼓動、鳴動が周囲に拡がったのを感覚的にその場にいた「レイス」、アナン、そして変電所から二人のもとに既に戻り、照らし出された悪夢の様な光景を前に閉口していた「J」が関知し―

 

ぞっ……!!

 

「……!」

 

「ひっ…!」

 

「…ぐおっっつ……!!」

 

誰一人例外なく総毛立った。通信先で彼らの動揺の声と同時に彼らに取り付けられたオラクル反応の観測計器が跳ね上がったことにより、その場に居ない「サクラ」にも事態のさらなる逼迫が感じ取れる。

 

 

「皆…お兄、しっかり聞いて。教えるよ。触れてみて解った。コイツらの考え、目的、で、本体の奴の本当の目的も…」

 

「『レイス』ちゃん…」

 

「…ん。聞かせて『レイス』」

 

恐怖と嫌悪感を振り払うような口調で気丈に「レイス」は言葉を紡ぎ出す。その姿に他二人は浮き足立った心根を立て直し、彼女の傍らに集結。一言一句聞き漏らすまいと同時、この数十秒、否、数秒先に状況が激変する可能性を踏まえた上で臨戦体制で構えつつ頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

インビジブルー透神は当然自らのアラガミとして抗えないサガに頭を悩ませていた。葛藤していた。そして理解もしていた。

 

彼が属するアラガミという生物の生態上、この安住の地で恒久的に現状を維持することは不可能であることを。

 

食らえば食らう程に巨大化する己の体、代謝の活発化、巨大化。それに伴い落ちていくエネルギー効率、そしてより高次のエネルギー源を求めざるを得ないアラガミという生物のサガー言うなればアラガミの個として高次欲求を「持たざるを得ない」段階に差し掛かっていたのである。しかし同時にそれを完全に否定したいわけでも無かった。

 

元来狡猾で無機質とは程遠い、アラガミ固有種特有の粘着質な性質を持ち合わせた彼は自分の有り余る「容量」を消費する方法を模索していた。そして今回彼が選んだその行為は本来アラガミが持ち得ないはずの「未成熟の個体を卵生、または胎生によって誕生させる」という原始的な「繁殖」という手段であった。

 

ただし通常の生物における「交配」によってではなく、単一の個体による繁殖行為ー所謂、「単為生殖」で透神は産卵している。

これは近親相姦による繁殖以上に問題点の多い危険な繁殖方法であり、普通の交配が2を2で割って1を作る行為ならこれは1を2で割って0.5を作る行為に等しい。親世代より劣る子世代の個体が生まれるのは想像に難くない。元より個体数の激減や生息域の拡散等によって交配相手の確保が困難な場合に生物が苦肉の策として採用する最終手段と言える繁殖方法である。

 

しかし、この欠点だらけの行為によって生じるリスクーこれこそが何よりもこの透神というアラガミにとって都合が良かったのである。

 

通常のアラガミの「増殖」では後から生まれる個体程、前回の失敗、教訓を活かしてアップデートされた個体が生まれる。その個体が古い個体を喰らうことでより高次の存在へと昇華し、種としての底上げを図るのがごく一部の種を除いたアラガミの基本的な生態である。しかし前述したように単為生殖では親を超える個体は非常に産まれにくい。遺伝子が複数種との「交配」によって得られる情報量が雲泥の差であるからだ。個として親を上回れないどころか親の欠点、欠陥を受け継いだままの上、さらに短命化、不妊などの負の遺産を残すのである。

 

繰り返すがこれが非常にこのアラガミにとって都合が良いのだ。何故ならあくまでこのアラガミは固有種。

 

そもそも種の存続ではなく己の存命、個の維持こそが至上命題。つまりー自らの「劣化コピー」に余計な物は必要ないのだ。遺産を与える必要などないのだ。受け継がせるものなどないのだ。ただひたすら己の存続のためだけに利用してやればいい。「子」ではない。いわば「道具」である。

 

ここにある全ての卵に生物が子世代ー自分の遺伝子を受け継ぐ物に対して通常抱く感情をこのアラガミは微塵も持ち合わせてはいない。奴がこの自分の劣化コピーに対して要求する物は単純明快だ。

 

アラガミの本能のままに喰らえ。お前達は余計なことを考える必要はない。

 

この安全な井戸の中で地上に溢れる未成熟な生命体を誰にも邪魔されずに喰らい尽くし、思いのままに分裂し数を増やせ。その愚鈍な性質のままで。

 

 

その中でただ一匹特別な自分が存在すればいい。ただ唯一の個体として。

 

木を隠すのなら森の中。特別な、たった一匹の大事な大事な己を隠すための隠れ蓑。

 

これでもう誰にも見つからない。見つけられない。近づけない。脅かされない。

 

 

 

本当の意味での「インビジブル」。不可視と化す。

 

 

 

そして透神は知っていた。解っていた。理解していた。

 

数年の月日をこの場所で過ごした。その間に隣人ーヒトを観察し、彼らの営み、習性、生態、そして「周期」を把握していた。そしてその周期の中で最も利用できそうな習慣、タイミングを理解していた。

 

それは何の周期か?…決まっている。

 

 

「今」だ。「祭り」だ。年に一度の。

 

 

今日はこの香港という都市の数奇な歴史によって生まれた最高の記念日ー返還祭の行われる日。この日は言い換えるならばこの地で最も生命体が溢れ返る日なのだ。世界中の各支部より熱に浮かされたヒト、モノ全てが集結、溢れかえる日なのだ。

 

このタイミングでひた隠しにし続けた自分の勢力を一斉に解放。手当たり次第に溢れかえるヒト、モノを襲わせ、喰らわせて短時間で高みに、この井戸の中の頂点に辿り着くには絶好、そして最高の年に一度の機会(チャンス)なのである。

 

 

 

 

安全な井戸の中、無限に湧く水脈の中。

 

 

 

 

 

…其処で何を考え「た」?

 

 

 

 

 

「最後の蛙」は何を考え「た」?

 

 

 

 

それはー人間からの独立。

 

 

 

 

あろう事かこの地がかつて植民地支配から解放されたとされるこの記念日に、だ。

 

最悪の発想、そして皮肉以外何物でもない。

 

 

 

 

それはー

 

 

 

 

 

「革命」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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接近

……!!

 

一同絶句。「レイス」の「血の力」による特殊な感応現象を通じて聞かされた目標アラガミーインビジブルの真意、最終目的に閉口するほかない。香港支部という一支部の一部地域に局所的に発生した事案から一気に香港支部全体の存亡に関わる厄ネタに変貌した事態を前にしては当然と言える。

 

 

だが現場に居合わせたGE三人の中で一人だけ冷静にーいや動揺は確実にあったものの瞬時に心根を立て直した人間が居た。

 

「へぇへぇ…暗いところが好きな陰気なヒッキーのくせになかなか大それた野望持ってんじゃん?見直したわ」

 

腕を組んでふんふんと頷きつつ赤毛の少女はいつもの軽口を叩く。アナンだ。その普段と変わりない軽口が負担の大きい「血の力」の特殊な感応現象を使用と同時、透神の異様な精神状態、まさしく野望、野心と言って差し支えない目的などを立て続けに感応現象を通じて垣間見、疲弊した「レイス」の心根を立て直させる。

 

「…この支部だけの話じゃない」

 

「だよね⭐︎」

 

「バァン」とでも言いたげにアナンは人差し指で「レイス」を射抜く動作をし、いつもの冷静さを取り戻した頼れる相棒を歓迎するようにわずかにクスリと笑う。

 

「もしこの香港支部全体が一アラガミに乗っ取られたりでもしたら流石に隠しきれない。世界中の全支部にこの情報はすぐ行き渡る」

 

「したらフェンリル型なしだよね〜。大失態どころの話じゃない。メンツ丸潰れ。世界の各支部規模で恐慌、暴動が起きかねんよコレ。…はぁ、…実態がどうであれ、曲がりなりにも居場所を無くしたフェンリル市民が最後の希望として頼れる場所とこの香港支部は認識されてるし…。人口キャパ一位の世界一の優良支部という肩書きを持った支部の崩壊がどんな影響をあたえるか…」

 

目の前にした圧倒的現実を前に想定される最悪の事態を軽く確認し合い、すぐに「レイス」、アナン二人の行動指針は決まる。とてもシンプルな結論に達した。

 

ー(ぶっ)潰す。

 

「死人に口なし」だ。増してや革命など到底不可能。このアラガミの反逆も、反乱もその事実を一切表に出さないまま闇に葬るのだ。殲滅するのだ。一匹残らず。今ここで。

 

「…!」

 

その彼女らのあまりにも早い切り替えの一方でただ一人、混乱した頭を未だ立て直すことのできていない「J」が彼女らに「なんでそんな冷静なんだよ、切り替え早すぎだろ」と場違いな苦言を呈そうとした時、そんな彼の焦燥に追い討ちをかけるような事態が発生する。

 

「っ…!?」

 

一帯に響き渡る重厚な「バツン」という破壊音、破裂音のような音が響き渡り、彼らの現在地、工場施設内天井に設置されたいくつもの巨大な照明が不安定に暗転入滅を繰り返す。その入滅に合わせ、ゲル状の卵内の「奴ら」が刺激されたのかうぞうぞと蠢く姿が確認できる。

 

「……あ!?んだコレ!」

 

その異変を前にして「J」は駆け出し、音の発生方向ー先程三人で駆け抜けたばかりの元来た水脈内連絡通路前に達した瞬間、その異変の原因を察知する。先程変電所の起動によって電力を確保され、点灯した連絡通路天井に十メートルほどの間隔で設置された照明。それがー

 

バツン…バツン…!バツン…!!

 

バツン…!!!

 

遠方から徐々に、こちらに向けて順々に消えていっているのがこの音の正体であった。

 

彼ら三人に近づけば近づくほど当然、その音は大きくなっていく。まるで「J」の心拍数の増加、鼓動の高まりを暗示するように。

 

暗闇が迫っている。ゆっくりとしかし確実に。歩いてくるように。

 

その迫る暗闇の正体は言うまでも無く固有種アラガミのみが有するEMPパルス、その影響範囲内だ。それが影響下に入った照明から順に機能阻害を発生させられ強制的に消灯、最終的にこの影響範囲内が「J」が光源確保の為に先程立ち入った変電所区域まで達すれば電力発生の本元のモーターを止められてここら辺一帯は再び光を失い、暗闇に包まれるのだろう。

 

三人にとってもはや言葉に出すまでもない。これは「奴が戻ってきた」ーそう結論づけるに十二分に値する事態である。

 

ー……!!!

 

この事態が「J」のさらなる混乱を煽る。彼の中で様々な憶測、悲観がぐるぐると渦巻き、パンク状態に陥る。神機を握る手に更なる力が加わり汗ばむ。それが同時に全身にも広がっていく。混乱、焦燥時に体を包み込む特有の粘り気の強い不快な類の汗だ。

 

ーリグ…!!ナル、さん…!?

 

「敵が未だ健在」、「仕留め損ねたのか」という感情よりも先に彼は二人の身を案じた。透神が生きている=即ち間違いなく二人は無事では済んでいないことは想像に難くない。あの二人が自分の任務を放棄して無傷で逃げ延び、この忌々しいアラガミがここに戻ることを易々と許すとはとても考えづらいからだ。

 

奇襲が失敗し、退けられたか最悪二人とも殺されたかと考えるのが普通である。

 

実際のところは神機兵大破、操縦者のナルが重傷、意識不明とはいえ一命を取り留める。リグが軽症、尚も戦闘継続可能といったところだがこの時点で二人の安否確認は済んでいないので「J」のこの思考渋滞はごく自然と言える。

 

ー…やられた!?死ん…、だ!?二人とも!?

 

ーいや落ち着け、逃げたかもしれない、きっとそうだ、大丈夫だ、そう簡単にあの二人が…。

 

ーいや、でも、もしかして…。

 

ー…。

 

自分の唯一の居場所ー香港支部が根本からの存亡の危機に立たされたことがついさっき判明した上に、立て続けに見知った仲間をまた喪ってしまった可能性があることを示唆する現状。加えてそれを案じよう、確かめようにもまずは前方、自分の身に迫る忌々しい仇敵、天敵に対処しなければならない上に、トドメに背後にはそれが産んだ新しい脅威が今にも目覚めようとしているーと、きた。コレでは「冷静でいろ」と言われる方が無理があるのかもしれない。

 

それなのにー

 

ーなんで!?この子達なんでこんな冷静でいられんだ!?仲間が死んだかもしれないんだぞ!?

 

彼を襲った立て続けに山積されたあまりに過酷な事実、現実を前にしてもそれに対する課題、問題に向かいあわなければならない。そうしないと死ぬ。自分も仲間もこの支部さえも。それは解っている。大いに解っている。が、なかなか体と心が追従してこないのだ。

 

ーどうせこの支部はこの二人にとって居場所でも何でもないと言うことなのか。自分の仲間のことでさえ所詮は他人事なのか。

 

そんな風に袋小路の心のやりどころを彼は他の二人に求めた。半ば理不尽とも言える二人への非難すら混じる感情だ。良くも悪くもこの支部とこの国、そして組織に思い入れが強く、仲間想いで熱くなりやすい彼らしい感情でもある。

 

それでも度を超えて、彼女ら二人は氷のように冷静に彼には見えた。いっそ酷薄なぐらいに。

 

そんな彼の感情の動きをー少女ら二人は気づいてもいた。

 

「『J』君?」

 

「…!!何?」

 

「レイス」が「J」に語りかける。彼が自分たちに向けている感情を全て理解した上であったことを「J」に確信させる柔らかな口調、表情だった。整えられた眉を少し内側に曲げ、基本普段は無表情で凛とした彼女が珍しく少し弱気な微笑みを讃えていた。

 

ーん〜〜…任した。「レイス」。

 

アナンは口に拳を添えて小さく唸りつつ、内心そう決めて黙った。こういう役はアナンは「レイス」に譲るべきだと考える。アナンの計算で作られた「適切」な表情よりも自然に自分の抱えた感情を吐露できるーいや、表現出来るようになった「レイス」の方が「J」の心根を立て直す力がより強く、また早いと考えた。

 

ーごめんね。私たちは「こう」なの。でもあなたと一緒だよ。二人のことが心配だし、不安だし、怖いし、心細い。…でもね?

 

「…あの二人は大丈夫。だから落ち着いて。力を貸して。あなたが必要」

 

端的に、同時しっかりと「J」を見据えて「レイス」はこう告げた。本当に普段から言葉少なめな彼女らしいセリフだがそれに多くの情報、感情、そして隠し様のない強い信頼を込めたものーそしてそれはリグ、ナルフに対してのみではない。間違いなく眼前にいる「J」に対しても向けたものである。

 

ーやはりこの手のタイプには「レイス」は効果覿面だねぇ〜〜♪

 

アナンは「こういうトコ敵わねぇな〜」と言いたげにニンマリと笑う。

 

「…ごめん。落ち着いたよ……ふぅ…」

 

「J」は一息つき、申しわけなさそうに、恥ずかしそうに二股眉毛を内側に曲げつつ笑った。

 

心身ともに強いはず、少なくともそう思って来た女の子が唐突に、無意識、無自覚に向けてくる弱く、儚い表情に男として奮い立たないわけにはいかないー根っからの昔気質の「J」のような少年には確かに効果覿面である。

 

そして彼女らの話を裏付けるように、後押しするようにー

 

 

『…三人とも、いい報告とは言えないが…リグ、ナル達から「連絡」が来たよ』

 

「っ…!…ぉ兄」

 

その声がインカムから三人の端末に同時に届いた途端、目の前の「レイス」の表情、そして声色が年相応に縋るような幼さを見せたことに「J」は一抹の寂しさを覚えた、が、今の自分の表情も対して変わりはないだろうとその声に彼も聞き入る。

 

解析、分析のためほんの一、二分外していただけだがやけに久しぶりに感じられる「サクラ」の報告は「二人が無事かどうかはまだ正式に確認されていない」と前置いた上のリグ、ナルの二人から「知らされた」情報である。

 

それは、間違いなく新たな脅威、懸念点ともなり得る情報であった。

 

が、三人はそれ以上何も聞かず、不平も不満も口から出なかった。そもそも時間がなかったのは確かだ。が、それ以上にその情報はリグとナルが陽動だけでなくこれ以上なく奮戦して奪取したー容易にそのことが鑑みれた報告である。そして同時きっと二人は生きていると言う共有認識が既に三人の中で出来上がっていた。

 

しっかりとバトンは受け取った。なら迷うことなどない。後は自分の目の前、背後を見据えるのみだ。

 

状況は最悪。まさに前門の虎、後門の狼といったところ。おまけに時間制限までもある。しかしその状況を整わない、ぐらついた精神状態で晒されるのとしっかり地に足ついた、磐石の精神状態で迎え撃つのとではまさに天と地の差、雲泥の差である。

 

『…もうすぐパルス影響範囲内に入る。通信はここまでだ。三人とも…頼んだぞ』

 

 

 

「…うん、じゃあ…『またね』。お兄」

 

 

その「レイス」の通信が切れるほんの直前、一際大きい「バツン」という轟音とともに地下水脈、変電、工業施設周囲一帯は再び漆黒の闇に包まれ、一方で地上待機中の「サクラ」の手元のモニターに映る「レイス」、アナン、そして「J」の三人のバイタルを始めとする表示データが一律「No signal」に切り替わる。

 

「……」

 

無言のまま、用を成さなくなった手元の端末、映像機器、加えてノイズを発するだけとなった通信用イヤホンを外し、カタリと机におく。

 

 



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「J」

「もう」ここしかない。「もう」俺にはここしかない。

 

俺の生きる場所は。俺の生きる世界は。俺の生きる国は。

 

今更元の場所になんてもう戻れない。いや、戻るつもりなんかない。…「あんな」場所には。

 

開戦を前に彼の脳内で駆け巡る血流は今までの彼ー「J」の人生を、記憶を呼び起こした。まるで走馬灯のように。

 

 

「J」はー

 

彼は中華民国国内に建造された北京、上海、そして香港の主要三支部のうち一つであり、その中でも中国の筆頭支部でもあるフェンリル北京支部内部居住区にて生を受けた。内部居住区ーそれはアラガミの脅威からはある程度隔離された中央区、詰まるところそこそこの特権階級が住まう地区出身者ー通常のフェンリル市民の生活水準と比べて高い衣、食、住環境、そして学校教育すらも補償される上流華族の一家に生まれる。

 

しかし、彼はその一族の中で明らかに浮いていた。親戚、そして実の両親にすらその存在を疎んじられていたはみ出し者だった。

 

生来その真っ直ぐ、ある意味愚直すぎる喧嘩っ早い性格に加え、幼さゆえの未熟さ、無鉄砲さも相まって幼少期より彼は周りとの軋轢、衝突が絶えない生活を送る。

一言で上流階級といってもその中でも様々な派閥、思想、ピンキリの格付けが存在する。こと人口の多い多民族国家、共同体であれば尚更のことだ。様々な文化、風習、家庭環境で育った子供が一堂に介して同じ教育を受けるという前時代では当たり前だったシステムー「学校」、そして「学生」というこの時代では珍しい共同体の中で「J」は育った。

 

このような共同体では「J」のような特異な存在は皮肉にも悪い意味で目立つ。見た目、性格ともに一見粗暴で粗雑な彼故に事あるごとに揉め事、暴力行為、教師に対する反抗を繰り返す。彼はすぐにはみ出し者の烙印を押された。しかし同時に彼は単に意味もなく、そして悪意を持って反抗をただ繰り返した訳ではない。

 

ーおかしいだろ。これ。

 

これが彼の行動理念であった。

 

前述したように一言で貴族といってもその内情は様々だ。新進気鋭の叩き上げ貴族もいれば、格式高い古くからの華族、反面名ばかりの没落貴族や時流に乗って一世代で巨万の富を築いた俗に言う成金貴族も存在する。

そんな各々の家庭で育った子供が一堂に会すのだ。当然のこと思想の違い、意識、価値観、親の教育理念、差別意識等々も様々でそれを全て平等に扱う事など不可能と言っても差し支えない。むしろ教師や講師はそれを念頭に入れた上で学生に対して露骨な差をつける。子供本人というよりもその背後にあるものを基準にして扱いの「優先順位」を設けるのだ。

これに異を唱えたのが「J」であった。彼のいわば「後ろ盾」の一族はこの基準でいう「中流」に属する位であったがそれ故に多くのものが見える。明らかに自分側に非があったとしてもその相手が自分より下級に位置する位であれば自分の方の意見が通り、逆に相手側に完全な非があったとしても相手が自分より上級の位に位置する相手であればこちらの正当性を主張しても一切通らなかった。

 

生まれつきの家系、血筋、コネ、財力、権力をもとにしたヒエラルキーの下の縦社会。

 

こんな事を幼少期に繰り返せば普通自然下には尊大、上には媚びへつらう立派な中間管理職が出来上がる。しかし彼の生来の生真面目さ、愚直さがこれを拒否した。理不尽な上には食ってかかり、下の意見の方が正当性が高いと彼なりに判断した場合、それを受け入れる度量も持っていた。

確かにこんな彼の生来の生真面目さ、真っ直ぐさは人として美点である。しかし、彼の場合、訴える手段が真っ直ぐな反抗、暴力とまた直情すぎたのだ。その性格に加え、彼は生来体も丈夫で大きく、無理のきく体質。おまけに頑固で折れない精神力と来ている。謂わば上の連中ー生まれながらの基準、階級、立場的優位を盾にするタイプの連中にとって彼はとにかくしぶとく、うざったい目障りな存在であったのである。結果さらに彼は疎んじられる。教師だけでなく、上流階層の生徒、その保護者、自分の家族、親戚全てから疎んじられていた。

 

そんな四面楚歌の中で唯一彼の味方となる人物がいた。

 

 

彼とは三つ歳の離れた実の兄だ。

 

 

ー…また喧嘩したの?懲りないね?ダメだよもっと上手くやらなきゃ。

 

ー…うっせ〜よ。兄貴。俺は兄貴と違ってそんな要領よく出来ねぇんだよ。

 

ーははは。う〜ん。…「J○○○」?もし君と僕が混ざって一人の人間として生まれてきていたら最強、完璧だったかもね?

 

そんなふうに言って柔らかく自分に笑いかける病床の兄の姿を思い出す。とりわけ実家では日当たりの良い部屋をあてがわれていたものの、その部屋を満足に出る機会も与えられない病弱な兄の側が唯一当時の「J」にとって安らげる場所であった。

 

良くも悪くもこの兄弟は全くもって正反対の性格、資質、性質を持っていた。身体的に恵まれているものの直情的で考えるより先に手が出る弟「J」に対し、生来体が弱く、幼少期から車椅子がないと生活すらままならない様な虚弱な体質だが思慮深く、いつも冷静で頭の良い兄という対照的な二人。そんな彼らに対する両親の態度もまた対照的だった。体は弱いものの「J」が読めば3分で頭が沸騰して投げ出すような分厚い参考書、文献、電子書籍を病床でジャンル問わず片っぱしから読み漁っていた兄は病床の中でもネットを駆使し、得た知識、知恵を通してその道の研究者や知識人、業界人との情報端末によるリモートでのやりとりを通して独自のコミュニティを築き、新興事業を立ち上げる。その手腕は両親にも期待され、将来を嘱望されていた。

 

純粋に「J」はそんな兄を尊敬していた。自慢の兄だった。同時、羨ましいし妬ましくもあった。理路整然と器用に自分の伝えたいことを周りとの軋轢や衝突を最低限にした上で、しかし最終的には自分の意見、意思はきっちりと伝え、反映させ、周囲に伝播させる。「J」には絶対に出来ないことを小さな、弱い体で平然と兄はやってのけた。「小柄な青年の部屋」としては広いが、「世界」としては余りにも狭いこの部屋で彼は遥かに「J」より広い世界を生きていた。

 

兄と違い、自分はこの足でどこにでも、誰のもとにでも直接行ける、歩いていける。なのにいざ人と向かい合えば口下手で不器用で粗暴な自分が顔を出す。周りの反応、評価は「ただでかいだけ」「力が強いだけ」「うるさいだけ」。コレでは本当に兄と自分が一人の人間として生まれてきたならば自分にはこの丈夫な体以外に残せるものは、差し出せるものなんてあるんだろうか、なんて時々考えてしまった。

 

出来うるならば兄と替わってやりたい。取り替えてやりたい。

 

そんな劣等感を抱えた日々だった。

 

 

しかしある時、「J」の実家にとある二つの通知が届く。

 

 

そのうち一つは「J」の神機適合検査の結果、彼にゴッドイーター第二世代の適性が判明したという通知。

 

…そしてもう一つは。

 

彼の兄の抱えた脳病が再発、重篤な段階に入ったことを示す検査結果。

 

この時、この兄弟の人生は完全に反転する。この時程「J」は自分と兄が本当に一つになって生まれてきた方が良かったと本気で思った。同時に本当に自分なんか生まれてこなければよかったとすら思った。どんなにさげずまれても、否定されても、傷つけられても泣くことが無かった彼が声を上げて泣いたのは後にも先にもこの時だけだった。

 

兄の脳病は彼が長年必死で培った知識、知恵、記憶、そして育まれたコミュニティすら風化させていく。

そんな彼を両親はあっさり見限り、今度は猫撫で声でGEの適性を見出された「J」に擦り寄るようになった。一族の恥、厄介者に生来宿っていた思いがけない適性の判明と、それが生みだす自分達の優遇措置の強化、一家、一族の地位向上の契機、好機を前にした両親の反応は何とも分かりやすかった。

 

一方で積み重ねた知識、記憶、知恵、コミュニティを脳病によって全てを奪われ、挙句命すらも奪われようとしている兄の中に残されていた「もの」はさらに「J」を絶望させることになった。

 

生来病弱で全く言うことを聞かない、思い通りにならない兄の体に唯一残された優秀な頭脳。それが他でもない唯一のアイデンティティであった彼はそこに縋るしかなかったのだ。懸命にそこに必死で詰め込んだ知識、記憶、知恵とそれによって培った精一杯のコミュニティー…それさえも綺麗さっぱり脳病はあっさり奪い去って行き、結果それは自らの弟「J」に対して隠し続けた、しかし根深く兄の中にあったものを顕在化させてしまう。それは奇しくも「J」が兄に対して抱いていたものと同じ「羨望と嫉妬」ーつまり劣等感であった。ただし「J」が兄に抱いていたものより遥かにねじ曲がった、もはや怨嗟と言っても過言ではないレベルの強い嫌悪感さえともなう唾棄すべき感情であった。

 

それはあまりにも「J」にとって過酷すぎる真実であった。

 

実はこの世で唯一「J」を認め、尊重してくれていると思っていた兄は実は心底自分のことを嫌い、妬んでいたことを知る。そして周りから疎まれ、弾かれている「J」の姿を見て彼を表向き唯一の味方、理解者として支え、慰めることで自己を保っていたことも知る。

 

 

…本当はな?昔から思ってたんだよ。

 

お前なんて生まれなければ良かったんだって。

 

なんで?

 

なんでオツムの足りないお前なんかが僕の欲しがっているものを全て持ってるんだ?

 

健康で大きくて丈夫な体。歩いて、走って、どこにも行けて、何にだってなれる。

 

なのに疎まれ、さげずまれ、殴られて疎外される…。

 

僕なら、ボクならもっと上手くやれるのに。

 

…替われよ。

 

替われよ!ボクの代わりにお前が死んでくれよ!

 

 

もはや満足に食事もできず、管に繋がれて日に日に痩せ細っていく兄にどこにこんな力が残っていたのかと思うぐらいの面罵の数々を面と向かって「J」に向かって兄は口走るようになった。そんな兄を罵り、両親は「J」を庇った。今まで一度も「J」の味方などしたことなどなかった癖に。

 

今までの人生で周りの人間からこんな風には何度も言われてきた。見下げられ、さげずまれ、罵られてきた。「お前はすぐ手がでる」、「お前は頭が悪い」、「だから痛い目にあうんだ」、と。

 

いつしか慣れていた。ただし、ただ受け入れはぜず無視もせず、そのでかい図体と感情に任せて相手を殴りつけ、黙らせていた。そして報復として陰湿な反撃を心身共に受けてボロボロにされる。でも体は一時折れようと終始心は折れない頑固で丈夫な「J」はまたそれを繰り返す。ただ愚直に。だから聞き慣れたはずなのに、もう飽き飽きするぐらいに。

 

でもその時だけは。他でもない兄に言われた時だけ彼は何もできなかった。何も言えなかった。

 

だってそう思っていたのだから。その通りだと思ったからだ。もし自分の体を兄が持って生まれていたのならきっと本当に完璧だったのだ。全てが丸く収まっていたのだ。こんな狭い部屋じゃなくもっと兄は広い世界に出て、いろんな人に直接出会ってその人達とうまくやったに違い無い。うまくやれたに違い無い。

 

自分の心も、記憶も、性格も、意思も全て不要分子なのだ。必要なのはこの強く大きな体と頭のいい兄の人格、意思だけでいい。

 

ーなのに。

 

なんで俺は存在している?ただこの体に俺という人間の意識が宿っただけで全てが無茶苦茶だ。台無しだ。

 

なんでこんなクソみたいな親に俺みたいなクソみたいな奴が庇われなければならないんだ?

 

正しいんだよ!俺みたいなクソみたいな奴にクソみたいな言葉を投げかける兄…何も違わねぇだろが!正しいだろうがよ!?合ってるだろうがよ!?間違ってねんだよ!

 

…クソ。

 

 

 

 

「クソ…」

 

彼の兄は。

 

最期の時まで報われないそんな怨嗟の言葉を残して死んだ。「J」、家族、己の境遇、自分の体、病魔、自分に降りかかったこの世の不条理そのもの全てを余す事なく憎みながら苦しんで果てた。

 

苦痛と無念の表情を浮かべたまま果てた兄を見送った時、思い出した。まだ彼に優しかった頃の兄の姿。兄の部屋の窓際で車椅子に揺られ、外の世界を眺めていた兄がこちらに振り返り、いつもの様にまた同じ言葉を彼に語りかける姿を。

 

ーもし君と僕が混ざって一人の人間として生まれてきていたら最強、完璧だったかもね?

 

 

ー…ダメだよ。兄貴。

 

クソが2つ混ざっても。

 

…クソはクソのままだよ。

 

 

 

 

 

 

 

兄が死んだのち、彼は正式にGEとして北京支部に配属、実家にGEとして与えられた契約金を遺産として残し、一家を捨てた。

 

 

 

そしてGEになった後でも彼の性格は変わらなかった。いや、より悪化したと言えるか。

確かに彼の生来の気性は戦闘行為、GEとして生き残る上で必要な攻撃性を備えていたし、身体的にも優れていた彼の体は他にやる事もなかった彼の異常なほどの研鑽の日々に応えるようにより強固に、丈夫に発達した。しかし、その粗暴で直情的、そして無鉄砲さはGEになるまでに起きた経緯により悪化しており、もはや自殺志願者では無いかと疑われるほどの無茶、いや無謀とすら感じられる戦いぶりは相変わらず直属の上司や同僚の悩みの種となった。

 

間違いなく「J」は自暴自棄になっていた。

 

そもそも適性を見い出され、所属したGEの社会も彼の今まで生きてきた社会と大差なかった。生まれや所属によってGEの中でも不公平な上下社会、扱いの差は日常茶飯事。皮肉にもここでも捨てたはずの一族、一家の階級が彼を苦しめる。ここでもそこそこの中流として扱われる彼の立場はGEという職業の上でより浮き彫りになる不都合、理不尽の姿を垣間見せる。

 

例えGEの適性を見出されたとしてもその人間の生まれが下層居住区出身、貧民というだけで優先的により過酷な戦地に送られ、出撃回数も増え、逆に高い階級、貴族の生まれによってそのコネを利用し、一部の危険な任務、出撃を拒否。もしくは出撃したとしても安全圏に退避、待機し続けて任務成功という軍功だけ攫う等、下手をすれば敵前逃亡、任務放棄として裁判沙汰になりうる行為も問題にならない、または揉み消せる人間もいる。

 

かつて「J」の所属した学校というコミュニティの中では流石に死ぬことはそう無いが、GEの世界は混じりっけなしの戦場である。死が身近にあるのだ。そういう意味ではさらに過酷である。ここもまた「J」の中にある「正しいもの」が虐げられ、時に死ぬ。そして「おかしいもの」が優遇され生き残る、また生き残りやすい理不尽の塊のような世界だった。

 

違いがあるとすれば「生来の適性」という特異なレギュレーションのあるGE、そして学校教育というシステムがほんの一部の特権階級のみに与えられる時代ゆえに「J」が今まで出会えなかったより下流に位置する人間がいるということか。謂わばワンウェイピープル。彼らはより不都合な立場に置かれ、有事の際は優先的、理不尽に死んでいく。GEだけでない。出撃先の外部居住区でもそんな姿を見続けた。それでも彼らの中には己の現状、生まれつきの社会的地位を覆すため、家族のため、他さまざまな理由で進んで前線(まえ)に出る連中もいる。

 

ー…おかしいだろ。

 

コレ。

 

「J」は無意識の中、自暴自棄になりながらも彼らのさらに前に立った。最早自分の命すらも興味の対象にならず、刹那的な人生を送っていても彼の生まれながらの「芯」はブレることなく息づき、彼の行動理念の根幹にあり続けた。(それゆえに実は案外、下の人間には慕われていたのだがここに至るまでの経緯で完全に人間不信に陥っていた彼にそれに気づく余地がなかった)

 

彼は戦い続けた。ただ愚直に。

 

ただそんな無茶が長く続くわけがない。例えどんな実力を持とうと、そして奸計、策略、コネを駆使し、要領よく立ち回っても時に死ぬのがこの仕事でもある。時には手強い化け物もいる。人間の世界の理不尽を鼻で笑い飛ばすような圧倒的理不尽の産物ーアラガミ。その中でもとりわけ厄介な奴らが。

 

この地方に滅多に姿を現すことがなかった大型アラガミーボルグ・カムラン数体の奇襲を受け、名ばかりの貴族階級の連中で固めた後方支援部隊が背後を突かれ全滅。いつもの様に前線を担当していた「J」の部隊が挟撃の的となる最悪の事態が発生。前方の脅威は排除したものの、疲弊した「J」の部隊を背後から追撃するアラガミ達に対して囮と殿を双方一人買って出た「J」は激しい単独交戦の中で腕輪が破損。結果通信とGPS機能を失って生死、現在位置すらも本部側から把握されない事態となり、これ以上の損耗を恐れた支部によって捜索隊、救助隊、そして神機回収部隊の派遣さえも見送られる。

 

端的にいうと生死不明のまま戦死扱い。彼は完全に見捨てられた。

 

しかし、当の本人は悲観していなかった。予測できたことであったし、そもそも自分の命に彼は最早興味はなかったからだ。ボルグ・カムランの群れを統率していたらしい亜種の金色のボルグ・カムラン堕天種の再三の猛攻を振り切り、落ち延びた旧市街廃墟の中で残骸に背を預け動けなくなった「J」は死を覚悟し、ボロボロの体を薄汚れた外套で包みながら瞳を閉じた。

 

ー…最後まで。

 

クソ見てぇな人生だったな…。

 

 

そう内心呟いてからどれぐらいの時間が経ったであろうか。

 

 

 

「…まさか所属支部の方向に戻らず、ひたすら何もない廃墟市街の方向へ逃げていたとはな…まぁそのおかげであの堕天種の待ち構えているあろう支部の方向へ戻らなかったことで生き残ることができたと言えよう…悪運だけは強いようだ」

 

「…呼吸、脈拍共に正常です。…今のところは。それよりも厄介なのは最後の偏食因子の投与、摂取から時間が経過しすぎていることです。あわよくば命は助かっても果たして『人間』で居られるかどうか…」

 

 

1組の男女の声。一人は年配であろうしわがれた男の声、もう一つはまだ若い女の声だった。

 

「勝手に殺すなよ…誰だテメェら……」

 

まだ事切れない、いっそ忌々しいほど丈夫でしぶとい自分の体に対する悪態も込めた口調で「J」はそう呟く。「助かった」等という安堵の感情など全く浮かばない。心底うざったかった。だが…

 

「ぁん…!?え?あ、あ…?……!?」

 

目を開いた「J」の口調が変わる。彼は眼前の「光景」に言葉が浮かばなかった。

 

「…?」

 

研ぎ澄まされた刃の如く整えられた顔を持つ見たこともない程美しい女が彼の顔を怪訝そうに覗き込むその光景に。

 

「あ、あああの貴女は?そ。その…(カクン)」

 

「…。気を、失いましたね…その…情報を疑うわけではないのですがこの男…少々プロファイリングにある人物像と異なりませんか…?」

 

明らかに人間性を保った口調を残しつつもまるで二重人格みたいにコロコロ態度が変容し、最後にはいきなり気を失うという奇妙すぎる「J」の姿の変遷に普段から氷のように冷静な女も流石に戸惑い気味であった。がー

 

「いや…まさしくこの男だな。花琳…まずは輸血をしておけ。絶対に死なせてはならんぞ」

 

対する男の反応、口調は従者の女とは異なり確信に満ちていた。この男だ。この男なのだとひたすら繰り返す様な。

 

「…は。仰せのままに。…林先生」

 

女ーファリンは長く整えられた睫毛を晒しながら目を伏せる。今度は「この方の言う事に間違いは無い」と言いたげな確信にこもった口調であった。

 

 

 

それから二週間後ー

 

 

「…?」

 

ー…?…ンだ?ココ…。

 

奇しくも「J」が目覚めた場所は最早なんの未練も懐郷の念も湧かなくなった実家ーそこでかつて入り浸っていた兄の部屋に似た日あたりのいい病室だった。違うのはそこでいつも病床の兄のそばに居た自分が今回は逆に病床に伏せているということ。そしてもう一つはー

 

「目が覚めたかね…?」

 

兄と同じように車椅子に乗った奇妙な凶相の男が同じ様にかつてとは逆位置で彼を見ていたということぐらいだ。

かつて一番自分が安らげる時間、場所に似たその光景を前に懐かしさを覚え、あの日々と同じような心持ちで端的に「…腹減った」と「J』は軽口で返す。すると愉快そうに凶相の男はクックと笑いー

 

「名前は?」

 

そう聞いてきた。しかしー

 

「ねぇ」

 

「J」はそう答えた。「お前らと話すことなんかねぇ」の意味と「俺の名前なんか聞いても意味ねぇ」の意味の両方をかけた今度は当時の彼らしい投げやりな言葉だ。間違いなく初対面の相手に発すると雰囲気を悪くする最低点レベルの返答のはず。だがー

 

「…!ほぉ……そうかそうか!名前はないか!こりゃ良い!!はっはっは!!傑作だ」

 

何がおかしいのか異常なほど目を丸めつつ凶相の男は豪快に笑った。廊下で待機していた付き人ーファリンが何事かと血相を変えて病室に駆け込む程だ。そんな彼女にもまるで子供が母親に今日あった愉快な事を夕食の場で話すような無邪気な口調で男は声をかける。

 

「聞け!ファリンよ。この男名前が無いらしい。名前が無いらしいぞ!?ふふ!くっふふふふふ!!」

 

そう言って尚も笑い続けるこの男の真意をこの時は「J」が推し量る術はない。ただ付き人の「ファリン」と呼ばれた美しい女はいち早く主ー林の言葉、表情に含まれた真意を悟ったらしく「左様ですか…」と薄く笑って呟き、少し複雑な表情をして子供のように今だ笑いこける男を少し憂いを含んだ表情で眺めたのち、横目で少し「J」を見た。

 

「…」

 

「…?」

 

女性が苦手で特に美人に弱い「J」ですらその憂いの表情を前にして何もできず、彼女が瞳を逸らし、その場を後にするまで特に掛ける言葉が見当たらなかった。が、去り際の彼女の横顔に明らかに自分に対する羨望、嫉妬の様な感情が混ざっているのを感じ取れた。

これが主である男の思いがけない表情、今まで見た事もない子供のような姿をほぼ初対面であっさり引き出した「J」に対する彼女なりのヤキモチであった事を「J」が知るのは随分後のことである。今回の一連のやり取りが自分が容易に立ち入れない程の共感を男が「J」に対して覚えていた事が悔しかったのだということを。

 

そんな彼女が去った後、男は「J」に向き直り、少し思案ー否、「何か」を思い出すように口をつぐんだ。

「さて…『あの時』はどうだったかな?」とでも言いたげな、懐かしそうな表情を浮かべた後こう呟いた。

 

 

 

「そうか。なら仕方ねぇ。でも名前が無いと不便だな。俺がつけてやるよ。そうだなぁ…」

 

 

 

「…こんなぞんざいな口調だったか?」と、「J」が怪訝に思う程の口調の変化だった。まるで他の誰かがこの男に乗り移ったみたいな奇妙な感覚。そんな「J」の戸惑いを気付きつつも意に介する事なく男ー林は続ける。

 

後から考えてみるとこの男ー林が「J」の本名をこの時、知らないはずがなかった。何事も事前に入念な情報収集と処理を行い、それを元に用意周到に事を運ぶこの男が「J」のことを調べていないはずがない。それはGEという特殊な役職につき、偏食因子定期摂取等の常人とは異なる特異なレギュレーションや生態サイクルをもつ彼を曲がりなりにも10日以上、保護、治療、そもそも「人間として維持した」という時点で容易に窺い知れる。それでも彼は当時の「J」に無駄とも思えるそんな質問を投げかけ、それに対する「J」の反応を心から楽しんでいた。

 

そして彼をこう名付ける。

 

「…そうだな。お前は今日から『J』、だ…。『J』と名乗れ」

 

「…『J』」

 

「どうだ?不服か?」

 

「…。好きに呼べよオッサン」

 

自暴自棄になり、周りの人間全てを拒絶してきた彼はなぜがその初対面の凶相の男ー林の提案、そして今後の身の振り方をもあっさり淡々と、粛々と受け入れる。何故なのかは彼の中でも判然としない。本当に不思議な感覚だった。ただ一つだけ解ることはその車椅子の男の姿、そしてこれから見る事になるこの男の生き様にかつて懸命に生き急いだ兄の姿に重ねたのかもしれないと言うことだけだった。

 

 

「では改めて…。この香港支部へようこそ『J』。私は林。林 則徐だ。この香港支部で君らフェンリルに『マフィア』と呼ばれている組織…『裏の世界』を『表向き』一応預からせてもらっている者だ」

 

まるで演出でもするように林は病室のオープンウィンドウを開き、「J」を案内するように背を向けつつ横目で手をかざす。そこにはツンと香る潮風が流れ込んでくると同時、彼の新しい故郷となる香港支部の全景が広がっていた。

 

この日、「J」は家族と共に故郷も、そして自分の名前すらも捨て、このマフィア組織ー黒泉に属する事ととなった。

 

 

 

そして「J」がマフィア組織「黒泉」に所属し、ある程度の期間が経過したある日のことー

 

「あの…先生?ひとつ聞いていいですか?」

 

学生時代は皮肉や嫌味の時以外、一度も教師に敬語で話す事などなかった「J」であるが、林に対してはいつしか敬語でしか話せなくなっていた。

 

「何だ。改まって」

 

「いや、その…何で俺に『J』って名付けたんです、か…?」

 

「J」は初対面のあの時ーなぜ林が自分の事を「J」と名付けたのかを改めて聞いてみたくなった。確かに彼の捨てた本名、ファーストネームの頭文字は「J」であったのでその頭文字を取ったのは自然と言える。そもそも理由はそれだけの可能性も高いがなぜかその事を聞かずにはいられなかった。林は意外な質問に愉快そうに笑ってこう話しだした。

 

「…簡単な話だ『J』よ。お前の様な体がデカイだけの子供、半人前、落ちこぼれには『Jr(ジュニア)』がお似合いだろう?あの時の病床のみっともない、ただデカいだけの生まれたての赤ん坊のようなお前の姿にはお似合いだと思っただけだ」

 

「…ンん〜〜まぁ否定はしませんけど…ひでぇすよ。先生」

 

「そんなこったろうと思ったけど…やっぱ聞くんじゃなかったかな…」と言いたげに「J」は肩をすくめて渋い顔をする。

 

「まぁそうむくれるな…当然それだけではない。時に『J』よ…お前玩紙牌(トランプ)は知っているか?」

 

「…俺を馬鹿にしすぎてません?先生」

 

「ほっほ。それは失礼した。話を続けよう。なら『J』は玩紙牌(トランプ)では『ジャック』、『11』を示す札だと言うのは知っているな?」

 

「…はぁ」

 

「失礼したな」という割にはまだ馬鹿にし続けるんすね、とでも言いたげな皮肉のこもった口調で「J」は曖昧な返事を返す。自分で聞いておきながら聞く気がストップ安レベルで減退している「J」の態度ーしかしそれに大して反応せず林は薄い笑いを携えたままこう付け加える。ただ少し口調に先ほどまでの戯れやおふざけの類の感情が薄まった口調で。

 

「『J』は決して弱くは無いが強くもない…。より相手に強い手札を『誘わせる』…謂わば捨て駒とも言える手札。己より強い『Qクイーン』、そして『Kキング』という、より強い手札を生かすための布石という役目が強い手札だ」

 

「確かに…それで言うならこの組織じゃ『Q』は花琳姐、『K』は先生ですもんね。俺はその二つの盾になって死ぬ捨て駒…解っちゃいますよ」

 

「うむ。そして、最後に、だ」

 

「…?」

 

そこから続く林の言葉には一切の戯れは無かった。

 

「『J』…お前は『J』OKER。文字通りの『切り札』だ。それは時に『Q』、『K』すら切り捨ててでも優先されるものになり得る手札。役目が盤面によって無限に変わる可能性を秘めた無二の手札。それがお前だ『J』。最強の手札にもなり、逆に持ち過ぎれば、また使い方を誤れば時に自身を滅ぼす毒にもなりかねない。だからこそ…お前はお前自身を諦めてはならない。自棄になることなく見極めろ。己の役目を。例え望んでいなかろうと貴様が得た、授かったものに対する役目、責任を果たせ」

 

 

「…」

 

「お前は常に自分の境遇を呪っていたな。生まれ、環境、家族、そして自分すらも。しかしそんなものは関係無い。なぜならお前は自らの境遇を自らの意思、行動を以て流動的に変えることが出来る。その才覚と力を与えられた。その上、曲りなりにもそれを磨いてきたはずだ。それは決して変わらぬ事実。だからこそ誰もお前のかわりなどなれないし、なってはくれない」

 

 

 

ーだからこそ。

 

生き残れ。

 

例えお前が半人前だろうと、捨て駒であろうと、替えのきかない切り札であろうともそれはそもそも「生」あってこそのもの。

 

これは生物的な生死だけの話ではない。お前はお前自身を殺すな。お前という器にお前という意志が宿っているからこそお前は「J」なのだ。それを決して忘れるな。

 

よいな?

 

…「「「J」」」よ。

 

 

 

 

 

 

ー現在。

 

 

 

 

「『そう来る』と思ってたぜ…。クソ野郎が」

 

青年ー「J」は少女二人を小脇に抱え、高速で駆け抜けた故に停止した際、摩擦熱で煙を上げるほどに踏みしめた地面を軸に臨戦姿勢に移る。

その視線の先にはまるで小規模の隕石が地上に落下したように円状にくり抜かれた地面が拡がっていた。

 

「ヤッベ…」

 

「…ありがと。『J』君。貴方がいなきゃもう死んでたわ。私達…」

 

少女二人は脂汗をかきながら「J」の両手から離れ、戸惑いが消えない所作を抱えたまま構える。散々今回の敵がブリーフィング等で見えない相手であることを意識づけてきたがここまで、なんの匂いも気配も音もなく襲って来ることを改めて実感すると流石に動揺は隠せない。

 

地下水脈、旧工場跡区域、周囲が再び暗闇に包まれた瞬間ー侵入者に接近するや否や固有種アラガミーインビジブルは脇目も振らず一直線に一行を奇襲。天井に張り付き、真っ逆さまに大口を開いて襲いかかった。その攻撃の目標は「J」以外。透神にとって全くもって未知の存在である今回の侵入者二人。「レイス」、アナンの二人であった。

見知った相手ー「J」と共に行動する全く未知数の相手。それも二人だ。透神にとって可能であれば自分の事を「本当の意味で」知られる前、行動の選択肢さえ与えずに真っ先に排除することが理想と考えた故の速攻の意図を「J」は見抜いていた。

 

僅かに感じられる言語化不可能の「気配」が彼の頭上を通り抜け、彼の背後ー真っ直ぐ彼女ら二人のみを目標に動いていることを察知した「J」は跳躍。戸惑う彼女ら二人を抱え、元の位置に戻った瞬間、前方の地面が空間ごと抉り取られたようにぽっかり穴を開けた。

 

 

彼は今、この場に自分が居る役目を果たした。まさしくその働きは切り札にふさわしいものだった。だが、局面は変わる。それによって彼は自身の役目を早々に切り替えた。次の局面において自分は勝負を決定づける切り札にはなり得ない事を悟る。

 

むしろその可能性を秘めているのは今救ったこの二人。「レイス」とアナンの二人だ。今彼らが最も優先すべきことは何かを考えた時、答えは出る。

 

下手をすればこの見えないアラガミ以上に厄介になりうる存在を早急に始末することーつまりこの香港支部の存亡に直結する厄ネターインビジブルの産んだ卵達の排除が最優先事項だ。これを処理できれば最悪彼等三人が全滅しても香港支部の乗っ取られ、崩壊、それに端を発した世界各支部の混乱と恐慌というドミノ倒しに一時的とは言えストップを掛けられる。

 

その為には現状、限られた戦力を惜しいが分担するしか無い。卵を破壊する役目とその間、透神を惹きつける役目が必要である。その役割分担はすでに三人の中で出来ていた。

 

「『レイス』〜」

 

「…うん」

 

「私らがコイツ引き受ける。その間にこの悪趣味なパーティの装飾焼きはらっちゃって」

 

「レイス」はアナンのその言葉に頷く。すでにアナンが奇襲によってヒヤリとした際、額に浮かべた脂汗とは異なる汗が彼女の額に浮いた血管の近くを伝っていく姿を垣間見たからだ。

 

アナンの血の力「断絶」発動。目標は当然目標アラガミーインビジブル。

 

幸いにも直前の奇襲を「J」によって回避された事により、自分の行動をある程度察知、知覚できる彼の自分にとっての脅威を再認識している透神の行動指針、攻撃目標の天秤は「J」側に傾いていた。おまけに直前の「レイス」の血の力によって聞かされたこのアラガミの精神構造、目的意識からして「卵の防衛」という行動傾向、指針は無きに等しいことが解っている。そこを血の力「断絶」の介入により「J」への攻撃衝動のみを増幅、ひたすら「J」だけを狙うように誘導する事も不可能ではない。

アナンと「J」2人がかりで透神を惹きつけ、その間に「レイス」がヴァリアントサイズで卵を殲滅するという役目を担う寸法だ。しかし、元々行動指針や精神構造、目的等が複雑多岐に分かれた謂わば「ノイズ」の激しいアラガミでもある為、アナンの負担、消耗は大きく、影響範囲に対しても相手が不可視故にとりわけ神経を使う。当然限界も早く来る。

 

ータフな血の力使用になるなぁ今回。はぁ…もう帰りたい。

 

と、アナンは内心愚痴っていた。それ程に能力発動によってフル回転している脳の鈍痛が今回殊更ひどい。

 

さらに。

 

「『奴の血液は強力な酸。近寄るな。距離を取れ』だっけ?リグもナルさんも無茶言ってくれるぜ…」

 

三人がUMPパルスの影響範囲内に入り、無線が使用不能になる直前に「サクラ」より聞かされた「リグとナルフからの情報」はこれである。ここで無線の利かないパルスの影響範囲内で交戦、現状連絡不能、安否すら不明の2人が何故この情報を「サクラ」に伝えることができたのかという疑問が生まれる。

その答えは彼ら2人が透神からの逃走を試みている際、透神にとって一見無意味に思えた水脈内のリグの神機の空撃ちによる銃声音と地下通路の壁面へのナルフ操る神機兵の神機刀身による剣戟の破壊音の組み合わせによるー

 

銃撃音をトン、剣戟の音をツーとして行う原始的な暗号、意思疎通、伝達手段の一つ…モールス信号であった。

 

いかにUMPパルスであろうと「音」ーつまり空気、または水を伝う「振動」までは阻害できない。パルスの影響範囲内から空気、そして海水という液体を通じて伝播し、影響範囲外に逃れたそれを地上の返還祭に浮かれる様々な爆音とノイズが入り混じる香港支部の中、正確に聴き分け解読したのは林が用意した腕利きのヘイセン物資輸送班の潜水艦乗員(サブマリナー)達である。

 

敵と直接対峙したリグ、ナルの二人がその時点で奪取していたこの厄介なアラガミのいくつかの新情報、その中で最も優先順位が高く、今後仲間が対峙する上での必須情報として限られた時間の中で二人はこれを選んだ。「奴の血液の酸が致命的な威力を持ち、接近攻撃の際浴びれば生身では即死、もしくは即戦闘不能レベル」であるという事を。

 

つまり「攻撃はできる限り遠距離攻撃で」。「接近攻撃は以ての外」と言っているも同然の情報の下、「ただし奴の注意は引き続けろ」ということ。おまけにそれをただでさえ見えない相手、目を塞がれた状態でやれ、というものだ。この矛盾だらけのオーダーに応えなければならない。

 

それを現状可能にするのはアナンの能力による間接的介入、そして何よりも「J」が培った特異な「感覚」を駆使した直接的戦闘行為だけである。いや戦闘というより完全な囮役だ。この役を担えるのは現状、見えないはずのモノを感じ取れる、文字通りの「矛盾」を携えた彼だけなのだ。

 

基本的に攻撃は出来ず、回避一択。近距離主体のショットガン銃身である「J」の反撃の目はほぼ無い。出来るのは時間稼ぎ。遅滞行為。まさしく捨て身、捨て駒。だがー

 

「さて…お姫様二人を守るとしますか」

 

そう呟いた「J」の表情に一切の悲嘆、落胆、不満の色はない。仲間達が一丸となって繋いだお膳たて。それに応えて現状において今自分がなすべき役割をこなすだけである。

 

そう。今はハートとダイヤのクイーン二つを守る「J」ージャックとして。

 

「…♪」

 

「J」は舞うように愛機ーアロンダイトを自らの体を支点に棒術の如く、しなやかに纏わりつかせ、右手にしっかりと握り直す。そして左手の甲側の指先でコインのように弄んだ白い薬剤を口に含む。

 

「へっ、相変わらずまっじぃな……!!」

 

そんな軽口の直後、「J」を包む金色のオーラが迸り、一気に周囲を照らし出す。強制解放剤服用による神機解放だ。

 

 

……!!

 

 

それによる「J」のさらなる存在の昇華に伴い、対峙する透神の「J」に対する攻撃衝動の増加、しかし同時、脅威に対する拭いがたい恐怖、それに伴う警戒、逃避本能すらもやや増加する。これが「J」と透神の今までの謂わば冷戦ーお互い睨み合い、真っ向から交戦をできるだけ避けるという結果に繋がっていた要因だ。

 

がー今回はそれを阻害するものがいる。

 

 

ーさぁ行きなよ。殺したいでしょ?

 

お 互 い に さ。

 

 

他でもない。アナンだ。

 

国交上極限まで緊張の高まった国同士を取り持つ仲裁役には絶対に就いて欲しく無いタイプだ。

 

 

状況、行動指針は固まった。ハッキリ言って現状は未だ最悪の状態からさして動いていない。ただ心理的、精神的な進捗、前進は数分前と雲泥の差だ。

 

 

ー…2人とも。

 

じゃあ。

 

「後で」、ね?

 

 

正直。

 

「無事」は祈ってやれない。それでも仲間に背中を向けなければならない時がある。ただし見捨てるのではない。預けるのだ。

 

そう言い聞かせて「レイス」は二人、そして見えない敵から背を向け、交戦気配を察知して蠢くこの香港支部を転覆、そして世界秩序の根幹を揺るがしかねない革命の卵、火種を消し伏せ、刈り取る為の死神の大鎌を振り上げる。

 

 

「行くよ…カリス」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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積み木崩し

ねぇ…ママ?

 

うん?なぁに?リュー。

 

何で僕のパパはいつもお家に居ないの?僕らに会いにきてくれないの?

 

う〜ん。リューのパパはね?それはそれは今と〜〜っても大事でと〜〜っても大変なお仕事を毎日、まぁ〜いにちっしてるの。だから、とっても忙しくて私たちになかなか会いに来られないのよ。

 

そうなんだ。でもそれってそんなに大事なお仕事なの?僕のこと…ううん…。ママのことよりも?

 

…。

 

ママはさ…それでいい、…の?

 

え…?

 

いつも寂しそうに電話、見てるから。電話かかってこないから。

 

…。むむむ〜〜。…んふふっ。ふふっ、あっはは〜よく見てるなぁ〜〜賢いなぁ〜〜リューは。ママはうれしいぞ〜?

 

…。

 

そ、そんな目で見ないで…。ママ居た堪れないよぉ。…うん。ママもホントはリューと一緒だよ。おんなじ気持ちになった事はあるよ。でも、ね?聞いてリュー。

 

…うん。

 

ママはパパの事が大好きだから。そしてそんな大好きなパパが今大事に思っている事、大事に思っている場所、大事に思っている人達のために一生懸命頑張っていることを解ってるからママは我慢出来るんだ。で、きっとパパも我慢して居るんだと思う。きっとパパもリューに逢いたいしママにも逢いたいと思ってくれてる。

 

…。

 

それが解るから今は逢えないの。ごめんねリュー。

 

わかった。でも、ママ。一つ…聞いていい?

 

どうぞどうぞ♪

 

僕のパパってさ…そもそもどんなお仕事をしているの?

 

わお。…我が子の成長に伴い、直面する避けては通れない質問の一つですね〜。いい質問です♪うんうん♪

そうね〜う〜〜ん。なんて言えばいいのかな…。ん〜〜〜。ん…!そだ!パパはね。今のリューと一緒なの。

 

今の僕と…一緒?

 

そ!ほら。今リューが建てようとしている立派な積み木のお城があるでしょ?いよいよ完成間近のそれね?そこの今ちょうど天辺のところにリューはこの三角形の積み木を置こうとしてるよね?

 

…うん。

 

リューがここまで大事に大事に一個一個積み木を積んで出来た立派なこのお城も、いざこの最後の積み木を乗っけるのを失敗しちゃえばガラガラガラ〜〜って一気に崩れちゃうよね?だから慎重に、怖いけど、と〜ってもおっかないけどゆ〜っくり乗っけなきゃいけないよね?そんなお仕事を今はパパはしてるって言ったら分かり易いかな。

 

パパも…お城を作ってるの?じゃあ大工さんなの?

 

…んん〜〜っ、まぁちょ〜っと微妙に違うんだけど…。…。ううん…案外そんなトコなのかもね。ママもよく分かんないや。はははっ♪

 

ママはさ。本当はパパのお仕事何してるのかってハッキリ知らないんじゃないの?

 

がが〜〜ん!リューにそうはっきり言われるとママ悲しいなぁ…。シクシク…。

 

…涙出てない。嘘泣きだぁ。

 

か・わ・い・くない子ね〜〜。ふん。ママグレちゃうぞ?…でもね。パパのお仕事がとっても大事でたくさんの人の支えになって、たくさんの人の役に立ってるってことは解るんだ。こんなママにもそれだけは分かるんだ。…痛いぐらいに。

 

パパは…凄い人なの?

 

うん!!だってこんなに賢くて強くて、おまけに優しいママ自慢のリューのお父さんなんだもん。凄い人に決まってるよ!!

 

…。

 

だから〜パパと離れてても、会えなくてもママは我慢出来るの。だってそもそもママにはリューが居るし?寂しくないっ。

 

…。

 

ふふふ〜〜照れない照れない♪あ〜もう可愛いなぁ〜リューったら。いい子いい子❤️

 

…。

 

んふふ…ねぇリュー?

 

…うん?

 

ママも手伝うよ。一番てっぺんに置く最後の積み木さ…一緒に、乗っけよっか?

 

…いいよ。僕の足引っ張らないでね。ママ。

 

善処させていただきます♪

 

 

 

 

 

四十年後ー

 

 

207x年

 

香港支部。7月1日夕刻。

 

「…。ん〜〜…夢か…懐かしいネ。あの時の夢なんて二度と見ることなんテないと思っていたケド」

 

目覚めた男ーチャン・リューズは脂気のない髪をさらりと拭い、こめかみをくりくりと指先でいじりつつ意識を整える。そして徐に支部長権限を持つ人間に与えられる派手さは無いが上質な皮革素材で誂えられた黒塗りのチェアから立ち上がり、窓際ーフェンリル香港支部屋上の支部長室から眼下に広がる返還祭に浮かされた支部を見下ろす。

 

「マザー…ライトを消して」

 

『了解しました。リュー。消灯いたします』

 

彼のその言葉に反応した中央コンピューター「マザー」が集音マイクを通して下された主の意に従い、室内を消灯する。が、それがより現在返還祭に浮かれた香港支部の輪郭、いつもより一層煌びやかな街並みの光、そして夜空を彩る無数の花火が照明の代わりにチャンの顔を斑に照らし出す。

 

「ありがとう」

 

『いいえどういたしまして。リュー。また何でも申し付けくださいませ』

 

中央コンピューターに対して形式通りの言葉を交わしたのち支部長室は再び沈黙に包まれ、辺りに響き渡る花火の炸裂音だけが遠雷の如く控えめに室内に連続に響き渡っていた。

 

「……」

 

ここに居るチャンが自らが統治し、この時代においては世界で屈指の繁栄を遂げた支部ー煌びやかで豪奢なまさしく、彼自らの卓越した手腕を象徴するかのような圧倒的な光景だ。それを遥か眼下に見下ろす瞬間ーこれこそ統治者冥利に尽きるという瞬間…のはずである。

 

しかしー

 

今チャン・リューズが浮かべている表情はいつもの様ににやにや、ニコニコと掴みどころのない満足げな笑顔ではないー

 

ー…。

 

全くの無表情。その彼の表情を第三者が見たのであれば全くの「無感情である」と断ずるほどの「白紙」の表情だった。彼が従える幾人ものフェンリル役員、部下はおろか形式的には「家族」である数十人の妻、愛人、そして彼女らに産ませた血を分けた自分の子供らにすら見せたことのない表情を彼は今浮かべている。

 

「巨大なコロニーである一支部を統べる支部長」というこの時代において一種の頂点と言えるほどの肩書き、それに追随する財力、権力を兼ね備えた世界でも有数の成功者の一人であるにも関わらず、今この時、彼はまるでそこに「存在していない」、「生きてもいない」かのような佇まいをしていた。

 

いや、そういう意味で言うなら彼は。

 

…もはや「あの時」に死んでいたのかもしれない。

 

 

 

 

時は遡る。

 

「あの時」、「あの場所」へ。

 

 

荒ぶる神によって世界が食い荒らされている最中の世界の片隅で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

積み木崩し

 

 

 

 

 

 

 

…ゴホッ…ガホッ…あ、ハハハ…。ご、めん、ね?リュー。ママ…いっつも、い、っつもドジで…馬、鹿でさ。は、はは…。

 

…。

 

ーもういい。もういいよ。ママ。

 

ボクは幸せだった。ママの子供に生まれて。他にもう何もいらなかった。

 

新しいおもちゃも、美味しい食べ物も、大きなお家も、友達も何もいらない。ただママが傍にいる事がボクにとって最高の幸せだった。最後の最期のこの時まで一緒に居られるんだから、今もママが強く抱き留めてくれているんだから、ボクはもうこれ以上何も望まないし何も怖くないし悲しくもない。

 

…だからさ。

 

そんな悲しい顔しないでよ。

 

だってこの「ボク」がいるんだよ?ママの自慢で賢くて強いボクが。

 

なのにそんな「誰か助けて」って顔しないで。「私はいいから誰かこの子を助けて」って顔しないで。

 

「ボク以外の誰か」を求めないで。最後の最期のこの時にボク以外のことを考えないでよ。

 

わかってる。わかってるよ。ボクを見るママのその目、その先に写っている「もの」が。

 

わかっちゃうんだよ。ボクは。だってボクは賢いんだもん。強いんだもん。優しくて柔らかい最高のママの子供だもん。

 

ボクを強く抱きしめながらそんな悲しい声をあげないで。泣かないで。ボクと一緒に死ねるんだから幸せだって言って。

 

今はただ「ボク以外の誰か」を求めないで。

 

 

 

 

「…助、けて。私達のリューを守っ、て…貴方」

 

 

…。

 

そんなこと―

 

言わないで。

 

 

 

 

ー数分後。

 

 

「…んん…」

 

頑なに閉じられた母の両腕の中で少年は息を吹き返した。母親の体によって包まれたことにより彼女の着衣が周囲に散布された毒ガス兵器の毒性をある程度濾過、フィルター替わりとなった上、おまけに風向きが変わって比較的早くこの母子の居た地点は人間が生命維持が可能になるレベルにまで大気成分を元に戻していた。

 

少年はまさしく奇跡的に九死に一生を得たのだ。

 

だがそれが何だというのだ。奇跡がなんだと言うのだ。

 

現状吸引した毒ガスによって満足に呼吸もままならず、肺は悲鳴をあげ幼少の子供にとってあまりにも辛い鈍痛を与える。まともに声も上げられない状態だ。

 

しかし、一方でその痛みこそ生きている証とも言えた。痛みは己の生存を証明する何よりの吉報でもある。少年は自分の生存をはっきりと自覚した。

 

だが繰り返す。それがなんだと言うのだ。それの何が吉報なものか。

 

もう何も聞こえない。感じないのだから。

 

意識の覚醒に追随して機能し始めた彼の五感のうち、二つが完全に「否定」している。その事実が自己の生存という何よりの吉報を鼻で笑い飛ばすほどの不吉ー凶報を示唆していた。

 

 

耳に届くはずの愛しい母の鼓動の音が。

 

皮膚から伝わる体温が。

 

…無い。

 

いつも傍にあり、少年にとって何よりも大切だった居場所、その音が、温もりが喪われている。こんなに傍にいるはずなのにまるで寒い。体を包む悪寒が消えない。まるで生まれ育った暖かい見知った故郷がほんの一瞬きの後に極北の知らない真っ白な虚無の氷の世界に変わり果ててしまったかのような感覚だ。

 

それが意味することを少年は頭で必死に否定する。頑なに。受け入れない。

 

…受け入れたくない。でも今生きている五感のうち、「聴覚」、「触覚」が尚も告げてくるのだ。

 

受け入れろ、と。

 

これは紛れもない事実だ、と。

 

そう言いたげに。

 

「嫌だ」と少年はまだ否定する。その冷たくなった体を小さな身体で必死で抱き止める。たとえ小さな自分の体でも体温を与えれえばその体は再び熱を帯びるはずだと信じて。

 

五感の内、「嗅覚」は確かに未だ証明している。味方でいてくれる。「この場所は間違いなくお前の居場所だ」と。いつもと変わらない優しく、柔らかな香りは尚喪われてはいない。

 

「味覚」は…あとでいい。美味しい料理をまた作ってもらえればいい話だ。…正直あんまり母は料理が上手でなかった。よく失敗もした。それでも今の自分には母の作った料理は何であろうと最高のご馳走になるはずだ。

 

「視覚」も…我慢だ。あの少し頼りない、でも天使のような微笑みで自分に笑いかける姿を楽しみにして今はただ閉じていよう。でもなんだ?この両の目からあふれでるしょっぱい水は。邪魔な事この上ない。

 

「聴覚」は…少し厄介だ。五感の中でも最も防ぐ、ふさぐ、謂わば機能を停止させることが困難な部位の一つだ。耳を塞いでも距離が近ければ聞こえてしまうし、いろんな情報が一人でに入ってきてしまう。その証拠に母が珍しく自分を怒る時や小言を言う時、その声はどんなに頑張って耳を塞いでも、わずかにでも聞き届いていたからだ。「聞こえる」という事は何とも不便なことだと幼心ながら少年はいつも感じていたものだ。

 

でも今は聞こえない。何も聞こえない。

 

母が自分を包み込む際に聞こえた鼓動ー

 

それが今はただただ「聞こえないこと」がものすごく怖い。少年は「聞こえなくなれ」、「聞こえない事が聞こえなくなれ」ーそう心の中で繰り返す。しかしー

 

 

 

ごそ

 

ごそ…

 

 

聞こえてきたあまりに不意のそんな「異音」に少年は硬く瞑ることによって行使を放棄していた「視覚」ー目を反射的に僅かに開けた。そして直後、その光景に直ぐに愕然と目を見開くことになった。

 

 

 

 

ーえ。え?え…?

 

…誰?

 

 

ごそ

 

ごそ

 

見知らぬ浮浪者のような小汚い男があろうことか血の気が失せた白く細い母の指先を弄っていた。一体何をしているのか?

 

そんなの決まっている。見ただけでわかる。彼女の頑なに開こうとしない掌を不躾にもこじ開けてその手に握られた「物体」を取り出そうとしているのだ。

 

その「物体」を少年は母が自分の目を盗み、覗きこむ光景をいつも見ていたものだった。

 

 

ーぬ〜うぬぬ〜〜うにゅにゅ〜〜!!

 

 

そんな奇声を発しつつ悩み、頭を抱え、思案し、コロコロと表情を変え、時にイライラ、時にモヤモヤ、時にニヤニヤ気持ち悪い母の姿を見てきた。

 

時に椅子に座りながら、時に立ちすくみながら、時にベッドに横たわりながら、ぐしぐしと頭を掻きながら、不機嫌そうな猫が尻尾をパタパタ叩くみたいに足をバタつかせたりしながら、ひとりごちながら。

 

 

ー…連絡こないかな。あの人の声、聞きたいな〜〜。でも…迷惑かな。いやいや!そんなことないでショ!私って一応!!本命!!!…の、はず、だし…?ええい!!ふんぎれ!!こっちからかけちゃおう!!…。ううううう、でも…「忙しいからかけてくんな」とか言われたら私多分当分立ち直れないぞ〜〜?うぇ〜〜ん…。

 

 

その時のカッコ悪くてイタい母の姿は毎度毎度少年にとって嫉妬と不機嫌を生む種だったが、いつしかそんなツッコミどころ満載の母の姿を見るのも好きになった。バリエーション豊かな母の奇行もまた少年にとって微笑ましかった。

 

いつかアレをどこか隠しでもして母をびっくりさせてやろう、困らせてやろうと最初は思っていたその「物体」ースマートフォン。

 

それを今見知らぬ男が必死に母の手から奪い取ろうとしているのだ。みすぼらしい汚い手で。

 

 

ー触るな……!!!

 

小さな少年の頭がかつてない程の怒りに沸騰する。そして次に心のなかで何度もこう繰り返す。やめろ、やめろと。

 

ーそれはママの大事なものだ。ずっと、ずっと待ってたんだ。確かに僕はそれが疎ましかったし妬ましかった。でも本当に、本当に大切なものなんだ。

 

厳密にいうとその「物」自体に大した意味はない。ただの道具に過ぎない。しかし、それを介して届くもの、伝える、伝わることこそ大いに、本当に意味がある。

だから母から奪ってほしくない。おいそれと触れてほしくさえないのだ。見知らぬ男どころか息子である自分にすら安易に触れて良いものでは無かったそれを。

 

ー…やめてよ。

 

お願いだからそれ持っていかないで。待っているんだって。ママは待ってるんだ。ずっとずっと待ってるんだ。

 

悔しいけど。腹が立つけど

 

僕じゃない。僕じゃできないもの、できないことをできる、与えられるママにとってたった一人のー

 

パパを待ってるんだ。

 

パパの声を、言葉を、助けに来てくれるのを待ってるんだ。

 

大好きなんだ。

 

きっとママは僕よりパパのことがずっと。…ずぅ〜っと!!

 

 

 

そんな悲痛な、声にならない訴えをただただ少年は見知らぬ男に向かって心の底で叫び続けた。だが…

 

 

ごそ…。

 

 

その願い虚しく、母の手元から引き剥がしたスマホを手にした小汚い男はチラリと母を一瞥したのち、わずかに一礼するような動作をしたのち踵を返し、それを持ち去っていく。

 

 

ー待って…待ってよ!!行かないで!!

 

 

ひどい。

 

 

…なんで?

 

なんで来てくれないの?

 

こんな時に。ママがこんな時に。ママもボクもこんな目に遭っているのに。

 

なぜ来てくれないの!?

 

 

パパ。

 

 

パパは…

 

 

…僕とママを捨てたの?

 

 

 

自らの小さな手をみすぼらしい男の背中にわずかに伸ばしたその光景がその時、少年の目に映った最後の光景であった。失意と絶望の中、再び少年の意識は閉ざされた。

 

 

 

数時間後ー

 

母の手から奪われた携帯端末によって行われた通話でスマホを奪った男の現在地を特定されたことをきっかけに少年は男と共に保護される。そこから意識を回復した男にさらに遅れて10日後、再び少年は息を吹き返した。

 

母は死に、少年は生き残ったのだ。

 

…否。

 

確かに少年は生きてはいたが。

 

最早心は死んでいた。

 

 

 

 

 

彼を保護した実の父親であり、同時香港の影の顔役でもあった男は自分が本当に心から愛した女とその女が産んだ子供に「関らせたくない」、「自分と同じ血塗られた裏家業の道は歩んでほしくない」と言う思いから距離を置いていた。代わりに母子が生きていくには困らない程度の金を定期的には送り続けた。が、それに一切手をつける事なく突っ返してくる強気で、しかし可愛い女に対しての愛情は日に日に増していた。

 

間違いなく男は女を愛していた。

 

そしてそんな女が自分のために産んでくれた可愛い我が子にいつか会える日を夢見て、糧にして過酷な裏稼業の日々を過ごしていた。

 

しかしー

 

男の背負っていたものは重かった。重過ぎた。この巨大な香港という何十万もの人とコミュニティを内包する巨大な船。それを突然の荒ぶる神の跋扈という未曾有の危機から脱する船出を優先した。

結果、世界中の誰よりも愛する女を守れず死なせてしまった。そしてようやく邂逅を果たせた息子もそのショックで心が壊れてしまっていた。

 

他人には察するに余りある想像を絶する残酷な結末の自責の念に男は駆られた。その上、自分の稼業においてこの心に大きな傷を負った息子がこれまで以上に危険に晒される最悪の可能性を懸念し、男は自分が父親として名乗り出ることなく息子をとある有力貴族の元に養子に出す。

 

そこが表向きは対立関係でありながらも、裏では「盟友」と呼ぶに相応しい協力関係にあった有力貴族の一つー張(チャン)家であった。

男が香港の「裏」の世界の有力者であるならば、張家はまさしく「表」の世界の有力者。心身ともに傷を負った息子を真っ当に育て、心のケアも怠らない信用に足る人間、一族であろうとの判断のもと彼をその家に託す。

 

世界中の人間が未曾有の危機に晒されている世の中、そこで「完全に安泰」とは行かなくとも、この世界をある程度平等に、俯瞰で見る程度の余裕と知識を授かることの出来る環境は与えてやりたい。

 

ー理不尽と暴力に塗れた自分の道を歩む必要はない。

 

それが愛する妻の命を、そして息子の心を守りきれなかった自分が出来るただ一つの贖罪…と言うのもおごがましいがただ一つ出来うることだと男は決断し、息子を手放した。父親と名乗りでることも、直接顔を合わせることすらもしなかった。

 

 

そして「張家」に息子を正式に預ける前日ー男は最後に息子の顔をと己の分刻みの予定の合間を縫い、一時的に息子を預けている保護施設を訪れた。

 

ー…。

 

と言ってもマジックミラーを隔てた壁一枚越し。施設職員に心のカウンセリングを受けながら積み木遊びをする表情を失った我が子の横顔を見るだけだ。それを暫時目に焼き付け、そして振り切る様にして無言のまま視線を逸らし、背を向けて男は自らの世界に戻っていった。時間にしてほんの数分の事である。

 

ここでこの父子の道は完全に分たれたー

 

 

はずだった。

 

 

「……」

 

壁一枚越しではあるもののおそらく今までの人生でこの父子が最も接近した瞬間であろう。対面ではなく一方的なものではあったが。

 

しかしー

 

少年に確信はない。根拠もない。だが…彼は気付いていた。

 

壁一枚越しのマジックミラーを通して父が自分を見ていたことを。そして背を向けたことも感じ取っていた。

 

謂わば父が自分を「捨てた」瞬間を感じ取っていた。

 

 

ガラガラガラ…

 

 

今の少年の身長を僅かに超えるまで、高く高く積み上げられた積み木の城が頂上、最後の積み木を置く寸前に音を立てて崩れ落ちる。崩れたそれに何の興味を抱く事なく、少年は自分に背を向けた父の背中を見送るようにその方向をじっと見つめていた。

 

 

 

 

それから二十数年後ー

 

父子は再会した。

 

場所は朽ち果てたスラムの一画。後に他の地区の人間には「幽霊(ユリン)」と揶揄される当時から「姥捨て」に近い扱いをされていた区画。そこにはもはや後は死を待つ他無い連中ーもはやこの世界に見捨てられたと言って過言では無い人間が一括りに集められた集合施設があり、そこに男は先日自ら身を寄せた。

世話人も満足に居ない上、ろくに修繕もされず朽ち果て、おまけに入居者が死んでからも気づかれないまましばらく放置されることも多い結果、死臭すら漂う不衛生極まりないその場にかつてこの香港を牛耳っていた男がいるなど誰が想像しようか。

 

晩年、気が触れたように繰り返した蛮行の数々があったとは言え、男は間違いなくこの香港支部を支えた功労者であり、マフィア内では未だ恩人として彼を慕う人間は多い。失脚し、全てを失った彼であるが、せめて晩年くらいは穏やかに過ごさせてやりたいと方々手を尽くし、姿を消した彼を探していたかつての部下達の目を掻い潜り、男はここを自分に相応しい終の住処として選んだ。

 

そこに他の誰よりも先に男の目の前に現れたのは現在、正真正銘この香港支部を表から牛耳り、新たな支部長として就任していたかつての少年ー

 

 

「…初めましテ。爸々(パーパ)」

 

 

男の実の息子であるリュー…いやチャン・リューズであった。死の床にふせる男の前で深々と彼は頭を下げたのち、こう呟いた。

 

「影からボクへの数々のサポートありがとうございましタ。お陰様で晴れてこの支部の頂上に立つことが出来ましタ♪御礼申し上げますヨ」

 

全てが淀み、濁ったような掃き溜めの施設の狭い一室で横たわり、ただ死を待っているみすぼらしい老人に対してあまりに似つかわしくない無邪気な笑顔を浮かべる。その顔をチラリと横目で見据え、男は内心「妻によく似ている」と思い、本当に久しぶりに表情を僅かに緩ませる。

 

例えその息子の笑顔があくまで表面のみを象ったものだとも分かっていても。

 

その時、男は悟る。結局自分は愛する妻だけでなく、息子を救う事もできていなかったのを。

 

この「事実」を誰よりもこの息子ーチャンは男に伝えたかったのだ。男の命の灯火が尽きる前に誰よりも先に彼を見つけ、直視させてやりたかったのだ。

 

 

 

ーお陰様で。ボクはこんなに立派になりましたよ。何せー

 

貴方が捨てた。

 

ボクのことよりも。

 

ママのことよりも貴方が愛し、優先したこの場所、この香港をー

 

 

「捨てられる」ぐらいには、…ネ。

 

 

 

と。

 

 

 

チャン・リューズの。

 

彼の本当の目的は。

 

父が自分の妻、息子を捨ててでも優先し、生涯の全てをかけて愛し、守ろうとしたこの香港支部を己自身の手で父以上にさらに発展させ、繁栄、栄華を極めさせ、とことん積み上げた上でー

 

 

 

崩すこと。

 

 

 

 

この鬱陶しく光り輝く海上の楼閣を、己の手腕を以て極限まで発展させた上で…「断捨離」する事。

 

 

 

表向きの賞賛も、栄華も、繁栄も、…彼自身が頻繁に行なっている「繁殖」にも興味はない。彼にとっては暇潰しのようなもの。

 

 

 

彼にとって最大の関心ごとは天辺の場所から積み上げたものの崩壊、積み木崩しの最期の瞬間を見届けることだ。

 

 

 

 

 

 

チャンは最後に男を車椅子に乗せ、収容施設の屋上に連れ出す。何もかもが最悪の環境、掃き溜めの割にこの収容施設は妙に立地だけは良かったため、屋上からは見事な香港支部全景を見渡せる。

 

だからこそ男はこの収容施設を終の住処として選んだのだ。それを息子のチャンは知っていた様子だった。

 

 

ーやはり。血は争えませんネェ?…爸々。私も好きなんですヨ。この支部の全景を見下ろすのがたまらなく。

 

…ま。

 

貴方がその時浮かべる感情と私の浮かべる感情は似て非なるものだったと思いますが、ネ。

 

 

そう思いません?爸々…?

 

 

 

 

 

カラカラと車椅子の車輪が空回りする音が響く。

 

この掃き溜めの最低辺の場所、そのさらに地べたの上。

 

そこには車輪に轢かれ、潰れた蛙の様なかつてこの地を支配していた男の死体があった。直前の異音を聞きつけ、駆けつけたこの施設の世話人の女の下卑た悲鳴が辺りに響き渡る。

 

 

 

その光景を無感動にチャンは見下ろしていた。

 

 

 

 

 

ー…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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