甘粕正彦による英雄譚 (温野菜)
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1話

いま日本の関東のとある地方、上空で神話の再現が行われていた。並び立つ両者は二人の軍服の男、一人は凶相の笑みを浮かべ、もう一人は決死の覚悟を身体中から漂わせ、男と対峙する。そして、この二人が争った後の災痕も凄まじい。周りの建物のほとんどが倒壊し、数十キロ先の横浜の市街地にいたっては軍刀の一振りによって壊滅にされた。そのほとんどが凶相の笑みを浮かべていた、甘粕正彦によるものだが――。

 

甘粕に対峙する柊四四八とて全てを防げるわけではないのだ。その甘粕に興されていく災禍を悲痛の思いを味わい、なおそれでも立ち向かおうとする不屈の意志が存在する。

 

それからも闘いは激化してゆき、争いは人知の及ばないところまで届いていく。まさしくそれは神々と英雄の争い、甘粕正彦は恐怖の象徴たる神々を顕現し、柊四四八は自身にとっての英雄の象徴、仁義八行の象徴たる八犬士を顕現する。

ここから自身の武技よりも意志の強さこそが肝心になる。甘粕正彦は自身でも魅せられる勇気を、柊四四八は甘粕正彦でも魅せられる勇気を見せなければならない。――神話の闘いの終了はそろそろ目前だ。

 

 

 

 

 

 

「おまえの愛を俺に見せろォ――――神々の黄昏(ラグナロォォク)ッッ!」

 

それは北欧神話に伝わる最終戦争。甘粕の発現したラグナロクは世界中の神を混ぜ合わせたものではあるが、間違いなく、それは世界の終焉である。甘粕正彦はこんなことをしておきながら世界の終焉なんてものは望んでいない。ただあるのは天井知らずの人類愛。人が好きだ。お前たちは素晴らしい。だからこそお前たちが腐ってゆく様など見たくはない。愛すべき者たちが誇りがなく、信念もなく、自身が吐く言葉すら責任感がなく、重みもない。それを見て黙っていられるか?

――否、断じて否だッ!

 

真に愛するなら殴らなければならない。言葉で諭すにはもう遅すぎる。痛みをもって教えなければならない。そしてその痛みを以て、お前たち自身が勇気を取り戻してほしい。

 

あるのはそう在って欲しいという我欲。はっきり言えば我が儘だ。だがこれ全てを否定出来るだろうか?そう在って欲しいという他者に対する期待は間違いなのか?余計なお世話なのだろうか?

 

そう全てが全て間違いではないのだ。そういった他者に対する念がなければ、行き着く先は無関心だ。結局のところは甘粕正彦はやり過ぎるところが問題であり、もしそれが無ければ柊四四八は良い友誼を結べただろう。

 

だがそのIFはない。いまですら甘粕は全てを無に帰そうとしている。そしてこの困難ですら柊四四八(お前)ならば、はね除けてくれると甘粕正彦(俺)は信じている。ふざけた道理だ、やられた方は堪ったものではないだろう。だからこそ、柊四四は声を大にする。そんな方法でしか人の想いを確かめることしか出来ない、お前は臆病者だ!魅せてやるッ!俺の勇気をッ!

 

 

 

「――――――」

 

――だからこそ、だからこそ、思わず甘粕は言葉を失ってしまった。甘粕が発動したラグナロクの目前で、目の前の男、柊四四八がしたことに。今、この男はアラヤとのリンクを切っていることに気付いたのだ。それ、すなわち生身であること。超常の力もない、真に唯の一人の人間だということに。そんな男が一歩また一歩と甘粕へと近付いていく。ラグナロクの余波で身体をボロボロにしながら近付いていく。

――そして

 

「実際やらかせば、お前でもびびるだろ甘粕ゥゥッ!」

 

そんな男が全身に血飛沫をあげながら全力で甘粕へと駆けていく。

 

「盧生は夢を体験し、かつその果てに悟る者――」

 

柊四四八は続けて声を上げていく。

 

「彼が得たものは人生の無常、真理、そしてそれに立ち向かう勇気――」

 

甘粕正彦へと心の芯に届けと――

 

「すなわち無形の輝きであり、その誇りこそが強さッ!」

 

更に声を大きくして――

 

 

「理解しろ甘粕――現実にない宝(ユメ)を持ち帰らなければ大義を成せないと思っていた時点でお前は弱い!」満身の想いを握りこぶしに込めて――

 

「世の行く末を憂うなら、自分の力でどうにかしてみろォォッ!」

 

茫然としていた甘粕正彦へと拳と共に叩き付けた。

 

 

 

 

 

 

「ああ―――」

 

茫然自失としていた甘粕に叩き付けられた拳。それはいままで柊四四八が自身に与えてきた攻撃のなかで最弱といっていい威力。だがそれでも甘粕には真に響いたのだ。本来ならばありえない。アラヤとのリンクを切って、ラグナロクを前に血飛沫程度ですむわけがない。だがそれはアラヤと繋がっていた盧生(柊四四八)がユメはユメと断じたからこそ出来ることである。甘粕はそれを前にして感動のあまりに言葉を失ってしまったのだ。同時にこうも思った。俺にも出来ただろうか?この漢のように……。――否、出来なかったからこそ、俺は盧生の力を嬉々として奮っていたのではないか。そして楽園を諦めてラグナロクを発動した。柊四四八がユメをユメと断ずることが出来るのか問うために……

――そして見事、やってのけた。

 

甘粕正彦は救いを得たような声色で柊四四八へと言葉を向ける。

 

「おまえの存在こそが俺の楽園(ぱらいぞ)。そう確信した瞬間に、もはや決着はついていたのだ。おまえならば、たとえどのような黄昏だろうと踏破する。何よりそう信じたがっているのは俺なのだからな」

 

おのれの心の内の言葉を声に出しながら確かめるように言葉にする。何故なら、これが生涯で最も大切な答えを再確認するために。だからこそ続ける。

 

「夢ではない。そうなのだろう。柊四四八。大義を成すのは現実の意志……夢から持ち帰るのが許されるのは、そのための誇りだけ。俺の理解に、間違いはないのだな……?」

 

 

甘粕(おれ)のやり方が、間違いだということに再確認するために。人は超常(ユメ)に頼らずとも立てることを信じるために。

 

「ああ……ようやく理解したか劣等生。おまえほど理解の悪い奴が、今後は現れないことを祈ってるよ」

 

 

得心した。これほど心が晴れやかになったのは生涯で初めてだろう。ならば敗北者は去るとしよう。

 

「ならばよし。悔いもなし!認めよう、俺の負けだ!」

 

そうして甘粕は自分は生み出したラグナロクに呑まれながら消えてゆく。

 

「俺の宝と、未来をどうか守ってくれ。おまえにならすべてを託せる。万歳、万歳、おおおぉぉォッ、万歳ァィ!」

 

最後に聞こえた、その雄叫びと言っていい声には自身が死にゆく悲壮は無く、歓喜の意だけである。そして甘粕正彦はラグナロクはユメはユメと断じたからだろう。アラヤが言ったとおりに発動したラグナロクを止める術はない。しかし、この甘粕が負けを認めた時点で託すべき男の世界を消し去るかもしれないものをそのままにするだろうか。もちろん、否だろう。道理が合わない、なんてことは知ったことではないだろうし何とかするものだ。そういう男だ。

 

後に残るのは彼らが争った災痕と波の音。そして柊四四(イェホーシュア)だけである。

 

 

一先ず、彼等の物語は終わりへと向かう。しかし柊四四八の物語はこれからも続いていくだろう。そして甘粕正彦の物語はここで途絶えた。彼はこれより先の物語を紡げない……はずだった。

 

 

 

 

 

 

ここは別の物語の舞台で本来、交わることがないストーリーである。しかしその舞台劇、諏訪原市内の孤児院に少年らしからぬ少年がいた。幼い相貌に似合わない熟年した大人ですら宿さない意志の強さ。まだ幼さによる小柄の体躯から隠しようのない覇気。その少年の名はこういった。

 

甘粕正彦と。

 

本来なら居ないはずのキャストを含めながら物語は始動する。

 




甘粕正彦が好きなので書いてみました。私が一番好きな男キャラです。


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2話

諏訪原市内の私立月乃澤学園、そこの一生徒である藤井蓮。彼はいま猛烈な睡魔と闘っていた。教卓の前で歴史の解説をしている先生が子守唄を歌っているのではと疑いたくなるほどに。少し視線を移せば幼なじみの一人である遊佐司狼は机に突っ伏している。おそらく授業に飽きたのだろう。まあ、この男に関しては別段と珍しいことではない。よく見られる光景だ。授業態度は褒められたものではないが定期テストでは常に上位にいる。教師は苦々しくは思うものの問題にはしていない。

 

もう一人の幼なじみ綾瀬香純に視線を移すといつもどおり真剣な態度で授業に取り組んでいる。相も変わらずの幼なじみたちの姿。そして何となく蓮は自分の前の席の男に目をむける。男にしては長めの長髪、着ている制服はシワ一つ見当たらず常にアイロンを掛けているのだろう。背筋はピンと伸びており、中に鉄骨でも入れているのではないか、そう思わせるほどにブレがない。学生とは、こうあるべしと体現する男。――この男の名は甘粕正彦。

藤井蓮はあまり社交的ではない。事実、友好関係は綾瀬香純、遊佐司狼の幼なじみ組、加えて先輩の氷室玲愛ぐらいなものだ。だがそんな彼でも甘粕正彦は印象深い。それは彼だけではない。クラスメイト、それに限らず他クラス、先生にいたって皆がこの男を知っているだろう。

 

蓮は過去のことを回想する。初めて彼に会ったときの印象は誰よりも模範となる学生らしいのに誰よりも学生らしくない。二律背反。違和感。言葉に出来ない矛盾。その時の蓮たち、ほかクラスメイトは皆が思い思いに喋っており、喧騒していた。そんな中で甘粕は一人、教卓の前へと移動し堂々と自己紹介を始めた。

「――諸君」

 

その言葉は喧騒染みていた部屋でスッと通った。同時に思わず口を噤む。たった一言……その一言に圧力を感じたのだ。蓮に限らない、司狼も香純も他の人間も。「俺の名は甘粕正彦。これから、この学舎でおまえたちと共に学ぶ生徒だ。ならば自己紹介から始めなければなるまい。人としての礼儀として」

 

「好きなものは愛、勇気、友情。好きな言葉は人間賛歌。趣味は……そうだな、自己鍛練といったところか」

 

場の空気いまだ静謐としている。虚を突かれたことでもあるが、そうしなければならない。そんな思いに駆られるからだ。

 

「だがこの程度の言葉では俺という人物を推し量ることはできまい。俺自身が弁が立つという訳ではないからな」

 

「だからこそ、これを期におまえたちに伝えておきたいことがある。それを以て俺、甘粕正彦を知ってもらいたいのだ」

「……そうだな、おまえたちは今の世を、いや、人間をどう思う?素晴らしいと胸を張って言えるか?俺は身近からよく聞かされる言葉がある。それが何か解るか?」

 

相手に答えを聞いているのかは分からない。だが甘粕は続ける。

 

「退屈、面倒だ。やる気がしない。往々にして、そんな言葉だ。俺はそれを聞かされる度に悲しくなる。学ぶ場所があり、餓えることもなく、金を稼げる機会がたくさんある。法や権利で数多のもので守られている俺たちは一昔前の人間にとっては楽園の住人だろう」

 

「――だが、そんな現世にすら不満を覚えるやからがいる。肥えるばかりで口から糞を垂れ流す愚図がいる。俺はおまえたちにそうなって欲しくはない。今のおまえたちはたくさんの可能性を秘めている。夢を、目標を、信念を――持ってほしい。そういったものを持つことは人として生きるには大切なことだ」

 

甘粕が紡ぐ言葉は相手に対する真摯さがあった。蓮はこの男は本当に自身たちを心配し憂いている。まさしく父性の愛。初対面の人間にすら向ける人類愛に、蓮は恐怖の感情と既知感、そして黄金の影がよぎった。蓮は頭を振る。何故そんなものが頭をよぎったのか分からない。それも一瞬のことだった。いまは影の痕すらない。

 

「俺の基本、言いたいことはこれだけだ。これ以上、長々と続けるわけにいくまい。いま先ほど、述べたことは聞き流すもよし、胸の片隅に留めるもよし。……ああ、だが一つ覚えていて欲しいことがある。それでこの場を締めるとしよう」

 

甘粕は一呼吸おく。

 

「――我も人、彼も人。ゆえ対等、基本ではあるが存外にこの心構えを忘れている人間が今の世に多い。おまえたちにはこれだけは覚えていて欲しいのだ。それではこれから一年よろしく頼む」

 

甘粕は一礼して自分の席へと戻った。蓮は変わった奴がクラスメイトになったなと思った。……だけど嫌いなやつじゃない。

 

 

 

 

 

蓮は目を開ける。どうやら昔のことを回想していたら、いつの間にか眠っていたらしい。初めて会ったときのことを夢に見て苦笑する。この男は今も変わっていない。自分の想いを言葉で伝えて身を持って体現する。以前、香純から聞いた話しによれば甘粕は中学時代に剣道部に所属しており、全国区で優勝するほどの腕前らしい。今も剣道部のエースとして活躍している。香純は女子剣道部に所属している縁から甘粕とは男友達のなかではかなり仲が良い。実際、友人として小気味が良い相手なのだろう。

それに剣道に限らず、勉学に関しても常に学年トップ。本人は恐らく努力している、なんて思ってすらいないだろう。当たり前のことを当たり前にやる。言葉にすれば簡単だが実際に出来るかは別だ。

 

だが、あの司狼ですら友人関係を築けているのが驚きだ。同時に納得もある。甘粕なら仕方ないと。

 

藤井蓮にとって目の前の男、甘粕正彦は嫌いじゃ……ない。

 




皆さん、どうでしょうか?甘粕が甘粕していましたか?蓮のちょいツンデレ気味が再現出来ていましたか?


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3話

昼休みの学園、屋上に二人の男女が共にベンチに座っている。一人は質実剛健、文武両道と名高い甘粕正彦。もう一人は陽光で煌めく銀髪、肌は透き通る新雪のよう、彼女の談によればドイツ系のクォーター。学園の裏アイドルと密かに呼ばれている、氷室玲愛。補足すれば表アイドルは綾瀬香純である。

 

「……キミは行かないで良かったの、甘粕君?今日、藤井君の退院日でしょ?」

彼女は答えはわかっていたが、何となく彼に聞いてみたのだ。

 

「ああ。問題はなかろう。そもそも、アレはそれを望まない。俺が病院に来ても顔をしかめるだろう」

 

甘粕はたった二年に過ぎないが友好を結んできた相手だ。それくらいのことはわかっていた。彼の物言いに微笑が玲愛の表情に浮かぶ。彼は相変わらずだと。

「……キミは相変わらず、先輩に対する口の聞き方がなっていないね」

 

そう、初めて会った時からこうだった。いきなり

 

「おまえの顔には諦めが視られるな。人間、表情というものには色々な感情がでやすい。何に対して諦めているのかは解らんが、立ち向かうという気概を持つことは肝心だぞ。やれば出来る。為せばなる。人間に不可能はない」

 

玲愛は呆気にとられた。それはそうだろう。玲愛とて彼のことを知らないわけではなかった。学園の中の有名人。どうしても噂話のなかで耳に入る。だからといって初対面に対して言うことではないだろう。不躾すぎる。だからこそ、その物言いに怒りの念とかが湧く前に疑問に思った。何故と?「そうだな。確かに礼儀がなっていない。親密な間柄ではなく、ましてや初対面だ。おまえの疑問は尤もであり、俺を殴る権利、罵詈雑言を浴びせる権利もあり、俺自身も甘んじて受け入れよう。だがそれでも俺は言わずにはいられない。いま俺の目の前で顔を俯かせている人間がいる。その者は困難な出来事に膝を屈している。しかし、俺の言葉で己の内に火を付けることが出来るかもしれない。前を向かせることが出来るかもしれない。本来、俺は言葉で相手に行動を促すのは苦手だ。むしろ相手のケツを蹴り上げて立たせる。それが俺のやり方だ。だがしかし、言葉で相手を奮い立たせることが出来るのであれば、それが最善なやり方だろう」

 

藤井蓮はそんな、いつもどおり甘粕に苦笑し、遊佐司狼はゲラゲラと笑っている。玲愛はゲラゲラと笑っている司狼に軽くイラッときて肘鉄を喰らわせようとする。――避けられた。またイラッとした。司狼は飄々としている。そんな三人を見渡しながら甘粕は微笑する。そして甘粕は続ける。

 

「まあ、つまるところ俺は我が儘なのだよ。俺がそうしたいからそうする。おまえの都合を考えていない。だからこそ、氷室玲愛。おまえが必要とすれば、おまえの手助けをしよう。俺の願いは一つ。どうかその勇気を胸に留めて眠らせたままにしないでほしい」

 

 

 

甘粕正彦が抱く願いは、ただそれだけ。その為だけに全人類に喧嘩を売る勇者(バカ)である。甘粕の見立てでは氷室玲愛という少女は諦感しきっている。これで更なる試練を与えれば、恐らく何も抵抗せずに終わるだろう。……それはもったいない。磨けば光る原石。将来、煌めく宝石。その素晴らしさ。それを讃えさせて欲しい。甘粕正彦の心境は世界を違えても変わらない。

 

 

 

屋上に吹き抜ける寒風。その寒さにハッと我に帰る玲愛。どうやら、思いの外に物思いに耽っていたらしい。彼はあのときから変わっていない。威風堂々として誰よりも強い意思を持っていて、……勇気を分けてくれている気がした。……何故、初めて会ったときのことを思い出したのだろう?……わかっていた。もうすぐ、この諏訪原市で始まる恐怖劇(グランギニョル)。それを考えるだけで身体が震える。このまま何もしなければ恐ろしい事態が待ち受けていることも。氷室玲愛は友好関係が希薄だ。それは何故なら彼女自身が誰より恐れているからだ。……親しい人間を作れば、どうしようもないほどの痛みを背負うことを。それが嫌で……怖くて……目を閉じていたい……。

怖いものが過ぎ去るのを願う。……でも、でも……リザ、神父様、藤井君、綾瀬さん、遊佐君……甘粕君。

 

もう、たくさん、たくさん、大切なものが出来て、無くしたくないものが、失いたくないものが……。

 

出来るかな?氷室玲愛(わたし)に……。自分に自信が湧かない……。

――だから

 

「……甘粕君。初めて会ったときのこと、覚えてる?キミが私に手助けをしてくれるって言ってくれたこと。……だから、だからッ」

 

甘粕は答えない。それは先を促すように。

 

玲愛は恐ろしかった。これより先は言ってならないのに。彼を酷い目に合わせるのかもしれないのに。……でもね、傍に立っていてほしいの……。それだけで私、頑張れるから。――自分のありったけの勇気を込めて、その一言を叫んだ。

 

「――助けてッッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その一言を聞いた瞬間、得も知れない感動が身体を走った。

 

「――ああ……」

 

少女の小さな勇気に心がどうしようもないほどに逸る。これぞッ、これぞッ!嗚呼ッ、素晴らしきかな!この勇気ッッ!

 

彼女の優しさを知っている。身近でより良く知っているからこそ感慨もひとしおだった。今の一言に死地に赴かせるかもしれない、そういう覚悟があった。だがしかしッ!その程度が何だというのだ?今ほどおまえを抱き締めてやりたいと思ったことはないぞ。氷室玲愛。そうか、おまえは俺のことを友だと思ってくれていたのか。女としての情も感じたが、それは仕方あるまい。俺はもてるからな。 ならばこう返そう。

「――ああ、もちろんだとも、氷室玲愛。全身全霊でこの甘粕正彦が力になろう」

 

甘粕正彦は魔王である。だが忘れてはならない。同時にこの男は勇者であることを。信頼を持って差し伸べられた手をこの男は払い除けるだろうか?否である。信頼には信頼を。

 

それにこの世界には魔王役はもういる。

 




なんか書いてたら先輩がヒロインっぽく、なってしまった。そんなつもりなかったのに。どうしてだろう?


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4話

冒頭の部分をすこし書き換えました。


氷室玲愛は甘粕から受けた言葉に安堵と申し訳無さを覚える。同時にある問題もある。彼女は甘粕に助けを求めたが具体的にどう助けて欲しいのかと決められていない。だがそれも仕方ないだろう。彼女の望みはこの日溜まりのような日常を大切な人たちと過ごしたい。ただそれだけなのだから。

 

 

 

「……ありがとう。それとごめんね……。だから、お願い。信じてほしい。これから話すことは夢物語ではないことを。」

 

「ああ、話してくれ。おまえが魅せてくれた勇気だ。どのようなことであれ、信じよう」

 

甘粕の返答に少し表情を綻ばせて玲愛は頷く。人に信じられるとは気持ちの良いものだ。だから話す。その信頼に答えて。

聖槍十三騎士団、それは過去のドイツで産まれた怪物たち。とは言っても玲愛自身が詳しくは知らない。わかるのは騎士団に所属する黒円卓の面々は聖遺物を操り、エイヴィヒカイトという魔術の奇跡を宿しており、殺せば殺すほどに強くなる。大量殺戮者たち。玲愛も其処に所属し、生け贄という文字通りの役割だということを。そして、ここ諏訪原市も生け贄だということを。

 

 

 

甘粕はそれを黙って聞いていた。彼女の生まれながらの宿業。それに抗う勇気を手にいれたこと。それらがすんなりと頭のなかに入っていった。邯鄲の夢を経験した身。この世界でも似たような力があってもおかしくはないだろう。元より信じているのだ。

「なるほど、生け贄か。そして諏訪原市もそれに入ってると?許せんことだ。俺は血も戦争も好かん。だがしかし、友のために、そして諏訪原市に住む、一市民として立ちあがらなければなるまい。俺たちに課せられた、この試練。見事打ち破ってみせようではないか」

 

甘粕は生け贄、言い方を変えれば虐げられる弱者、そういう存在がいることを悲しく思う。これから、諏訪原市でおきるであろう悲劇。様々な人々が悲しみの渦に飲み込まれるやもしれない。だがそれに屈さずにいてほしい。しかしそれも機会がなければ意味がない。つまるところ力が必要だ。はたして彼らは諏訪原市の住民は、黒円卓という怪物たちに対抗できるだろうか?出来ないとは言わないが難しいと言わざるえないだろう。先ほどの説明によれば黒円卓のものたちは霊的装甲なるものを纏っており、現存する武器ではまともに痛打を与えられないという話だ。甘粕とて前の世界では全世界中の人間を邯鄲へと叩き込んで、機会または力を与えようとしたのだから。虐殺を見過ごすことは出来ん。それが甘粕の心境だった。まあ、しかしこの男、一度、横浜を壊滅させているのだがな。しかも邯鄲の夢の力も持ち合わせていない、ただの市民がいる市街地を。(興が乗れば別)といったところだろうか。はた迷惑な男である。

 

 

「私……うん、信じてくれるだろう、とは思ったけど、ここまですんなり信じてくれるとは、思わなかった。改めて、――ありがとう」

 

「なに、一度、手助けをすると約束したのだ。どのような口約束であれ、守るのが礼儀だろう」

 

「うん、キミならそういうと思った」

 

屋上の日の下で照らせるその笑顔はきっと誰もが眩しいと思わせるものだった。

 

 

 

 

 

だがすぐに日常が変化するわけではない。数日しか猶予がないがまだ日常としての形は保っている。あの屋上での話し合いから次の日、事実まだ変化はない。藤井蓮は綾瀬香純と共に学校へと登校してきた。遊佐司狼と殺し合い染みた喧嘩を二ヶ月前にしたせいか、どうにも周りから避けられてはいるが、彼はそれを気にはしないだろう。昼休み。甘粕は蓮に声をかけた。

 

「蓮。息災でなによりだ。もう問題はないようだな」

 

蓮はいつもの甘粕に少し笑みが浮かぶ。中休みにこの男がクラスで話し掛けることはない。中休みとは授業の準備もしくは予習するための時間だからだ。と言う姿が思い浮かぶからだ。

 

「ああ、もう大丈夫だよ。身体に違和感はないし、な。そっちはどうなんだよ?香純のこととか、任せっきりきりだったろ?」

 

「なに、ヤツは人気者だ。俺の手は必要ない。まあ、おまえたちが入院した直後の数日あたりは気に掛けていたよ。……大事にしてやるといい。綾瀬香純は真におまえたちのことを想っている」

甘粕の言葉に蓮は罰が悪そうな顔をしながら頭を掻く。

 

「……わかっているよ」

 

ぶっきらぼうに、しかし、その言葉には想いがこもっていた。その様子に甘粕は満足そうにしながら藤井蓮と共に屋上へと向かい、氷室玲愛と三人で昼食を共にした。

 

 

 

 

 

放課後、剣道部道場にて胴着を着込んだ二人の男女がいる。しかしほかの部員は見当たらない。もうどうやら部活は終了し居残り練習をしていたようだ。

 

「でも、ごめんね、正彦。居残り練習に付き合ってもらちゃってさ」

 

香純は申し訳無さそうな顔をしている。彼女は本当に感情が表に出る。だからこそ、その豊かな想いが周りを笑顔とする。人気者たる所以だろう。

 

「いや、おまえに付き合うのは俺が言い出したことだ。この近くでは通り魔殺人がおきたらしいからな。ここでおまえ一人で帰らせたら男として問題外だろう」

 

香純の表情が通り魔という部分で一瞬、曇った。だがそれを振り払うかのようにはつらつとした声をあげる。

 

「流石は正彦ッ!男のなかの男ッ!なんたって、あたしはレディだからね。まったく蓮もあたしをこういうふうに扱えってーの。たまには「香純、おまえはなんて可愛い女なんだ。抱き締めたくなるぜ」とか、そんなことがあってもいいんじゃないかな?あいつが入院していたとき、何度も病院に通いつめる幼馴染みなんていまどきいますか!?いや、別に見返りがほしくてやっていたわけじゃないけど」

などなど香純はまだ続けるようだ。甘粕は苦笑を浮かべながら道場入口に目をむける。どうやら彼女の愚痴を聞くべき相手がきたようだ。

 

「香純、いま俺に向けている、その言葉はヤツに向けるといい」

 

甘粕は道場入口を示すと、そこには間が悪かった、そんな表情を浮かべた藤井蓮が立っていた。おそらく道場から自分に対する愚痴が聞こえてきたのだろう。香純は立っている蓮に気付いて小走りで彼に「れーんッ!」と声を上げて近付いた。あのあとサボったことに対する言及があるらしい。どうやら居残り練習はもう終わりのようだ。

 

そうこのときはまだ日常としての形は保っていた。まだこのときは。

 




ふうやっと書けた。始まりがなかなか書けなくて困りました。聖槍十三騎士団についてもっと説明があったほうが良かったですかね。というより先輩って、どの程度まで知っていましたっけ?そこらがどうにも思い出せない。pspのほうはまだ香純ルートすら入ってないし。


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5話

彼らの日常はもうすでにひび割れている。今朝のニュースもまた、その一端にすぎない。十二月一日から十二月四日の現在に起きている出来事、諏訪原市連続首切り殺人事件、犠牲者は七人にのぼる、戦後日本における類を見ない犯罪。当然ながら今の日本で最もホットな話題だろう。犯人は未だに見つからず。これだけでも充分に話題性はあるものだ。諏訪原市内でもその影響は受けている。例を挙げれば犠牲者の一人である大学生の学校では休校をしているようなのだから。街並みは夕方から夜にかけて人通りが少なくなり、寂しい街中になっている。

 

 

この月乃澤学園も例外ではない。クラスの出席率は70%を割っており、授業のほとんどが自習だ。しかし、この学園近くで犯罪現場があるからして、休校になっていないのは危機感が薄いといわざるえない。そんな中でも、この男は相変わらず。黙々と自習をしている。学ぶべきことは山程ある。人生は一生が勉強とはよくいったものだと。このクラスは甘粕がいることで浮き足だった雰囲気はないが他クラスは別である。だれもが犯人は誰なのか?自分たちの近くにいるかも?と皆が思い思いに喋り合っている。それは自分たちのなかにある少しの不安とそれを遥かに上回る高揚感があるからだ。変化のない日常、退屈さ、学生たちにはある種のサプライズに位置するのだろう。そして一種の連帯感もある。その連帯感が働く動きは自分たちは襲われないだろうという無根拠さ。それを共有すること。危機感がなくなる。一人であれば、また別ではあっただろうが、連帯感が悪い方向に働いている。

 

 

甘粕正彦は嘆き哀しむ。何故お前らはと忸怩たる思いがある。おまえたちの結束はそのためのものではないだろうが。甘粕の思いは正しい。柊四四八もまた甘粕の思いを認めていた。甘粕の性悪説。人は差し迫った危機がなければ動こうとしない。柊四四八は否と唱えたが、今この学園で起きていることは甘粕正彦が最も恐れた縮図だろう。

 

――ああ、柊四四八。俺が真に真(マコト)と認めた漢よ。おまえはこれをみても、人を信じるというのだな。俺たちが何もしなくても立ち上がると。……信じるとは勇気がいるものだ。おまえはまさしく俺が思い描いていた勇者だよ。

ああ、しかしッ、しかしッ、俺はこれを目の前にして黙っていられる男ではないのだよ。今、目の前で起きている光景が何故、余所で起きないと言える?ここで何もしないのは無責任ではないか?真に愛しているのであれば誰かが叱りつけなければならないだろう。

……ああ、だがしかし……。甘粕の脳裏に浮かぶのは銀髪の少女の姿。

――美しかった。あの少女が魅せた勇気。思わず抱き締め、泣きたいほどに。

 

 

――これが人間なのだと。

 

その彼女の舞台を壊す?俺の試練によって?……それは、あまりに、無粋だろう。

 

ならばこそ、氷室玲愛という少女が自身の勇気を以て、成し遂げたものを見届けたら、

 

――俺は魔王として君臨しよう。

 

世界は違った。俺が生まれた世界は柊四四八に任せた。ならば、いま、俺が生きている世界は甘粕正彦(おれ)がやろう。そして人々に問い掛けようではないか。おまえたちはそれでよいのか?と。そして俺が築くであろう楽園(ぱらいぞ)に不服があり、立ち向かうのは誰であろうか?氷室玲愛か、藤井蓮か、綾瀬香純か、もしくは遊佐司狼か、はたまた別の人間か……。それを思い浮かべただけで愛しくて、愛しくて、愛しくてッ、どうにかなりそうだ。本当に胸が張り裂けるのではないかと疑うほどに。

――ああ、俺はおまえたちを愛している。

 

 

 

 

 

 

甘粕正彦という男がいままで抑えられていたの柊四四八という男に対する義理立てだったのかもしれない。本来ならば、この男はもっと早くに行動を興していてもおかしくはなかった。本当にそれが義理立てだったのかは誰にもわからない。

勇者であり、魔王でもある一人の男の想いは加速する。そこが断崖絶壁であろうが関係ない。それすらも飛び越えて大地へ渡ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

授業というより、自習の時間は終わり、昼休み。香純は小走りで屋上へと向かう。幼馴染みの行動だ、それくらい把握している。途中で合流した、玲愛と共に屋上の扉を開き、寝そべっている藤井蓮へと香純は声をかける。

 

「……はぁ、やっぱりここにいたよ」

 

「あのさ、あたし前々から思ってたんだけど、あんた学校嫌いでしょ」

 

「藤井君が嫌いなのは、面倒なこと。小言とか、そういうの全般」

 

香純に続いて玲愛も、そこで屋上の扉がまた開き、男の声が冬空で響く。

 

「しかし、嫌いだろうが、何だろうが、授業をサボることは感心しない。例え、自習であろうともな」

 

綺麗に揃えられた、男にしては長めの長髪。シワ一つ見つけられない。甘粕正彦である。蓮はその男の姿にマズイと感じたのか、身体をピクッと震わせる。言い訳、その他、諸々を考えたが全て棄却した。この男の前では無駄だろうと。だから一言。頭を少し掻き、

「悪かったよ……」

 

「ああ、それでいい。本来なら、先生方に言うべきことではあるが、ほぼ全てが自習だ。自罰に留めておくといい」

 

「おう」

 

香純と玲愛は少し眼をまるくする。蓮の、その姿が珍しく映ったのだろう。

 

「うわっー、うちの蓮がスゴく素直だよ」

 

「うん、藤井君、素直」

 

気恥ずかしくなったのか、蓮は身体を起こす。

 

「これは、今度から蓮に小言を言うときは正彦に任せようかなー」

 

香純はイタズラっぽく笑う。自分が甘粕に注意を受けている姿が想像出来たのだろう。蓮は苦々しい表情で一言。

「……勘弁してくれ」

 

「あははっ、蓮、本当に嫌そうな顔してるよ」

 

「藤井君、……可愛い」

 

 

諏訪原市は騒がしくなっている。しかし、いま、この屋上にある光景は間違いなく日常の一幕である。

 




それにしてもdies iraeは本当に良い作品です。久しぶりにやっていますがとても楽しいです。私はdies iraeの前にやっていた作品があやかしびとっていうゲームをプレイしていたんですが皆さん知っていますか?ハーメルンじゃ、見掛けないんですよね。それが残念です。後一言。魔王役はもういるが、魔王役をやらないとは言っていない。


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6話

月乃澤学園、放課後。もうほとんどの生徒の姿が見られない。正常時ならば、まだ、この時間帯は生徒の姿が見えているはずだ。しかし、いま諏訪原市は連続首切り殺人事件が市内を騒がしくしている。部活動は全面的に禁止とは言われてはいないが先生方も、当然ながら生徒たちに早く帰宅することを推奨している。生徒たちも夕方から夜にかけては不安が沸き上がるのだろう。早々に帰宅している。まれに学園に残っている者もいるが、この三人は、その稀に入るのだろう。

 

甘粕、蓮、香純は学園の敷地から出ていく。しかし夕方の時間の為か冷え込みが激しくなっている。香純は普段ならば冬の冷風に身を縮ませるものだが、道場で汗だくになるほど素振りをしたためか、時折に吹き抜ける風に気持ち良さそうにしている。甘粕は普段通りだ。いや、普段通りと言うのも語弊があるか。道場で稽古を終了した直後は人並みに汗をかいてはいたが、それも着替えを済ましたあたりからはそれもなくなっている。何も手を抜いて稽古に励んだわけではない。そもそも、この男に怠けるなどと言う言葉は存在しない。ただ身体能力の基準値が高い。これはそれだけの話だ。

 

「香純、甘粕。ほらよ」

 

蓮は彼らが着替えていたときに買っておいたのか、缶コーヒーを二人に手渡す。

「ん、ありがと」

 

「ああ、礼を言う」

 

二人は手渡された缶コーヒーのプルタブを歩きながら空ける。

 

「よくやるよな、お前らも。甘粕は……愚問かな。お前はどうなんだよ、香純」

 

非常時だろうが、何だろうが、やることは変わらない甘粕。少なくとも学園から禁止されない限りは。しかし、香純は違う。平時と今では状況が違うことをよくわかっている。自分の身に危険が迫るかもしれないのに、それを推してやることではない。香純は蓮の意を言葉足らずからでも察した。

「……ん、ちょっとね。ほらっ、身体とか動かしているときはさ、嫌なことかんがえなくてすむっていうか」

 

蓮は香純の言を聞いて黙る。いろいろと気が滅入る状況が続くなか、それも仕方なしと受け取ったのか。

 

甘粕は黙している。この男がこんなときに黙っているのは珍しい。香純の言葉を聞いて、それを逃避と取らず、武の稽古を通しての精神面の修行と捉えたか、はたまた自分の出番ではないと考えたのか……。ならばこの男が自分の出る幕ではないと考えたのなら、誰が舞台の役者なのか……。ただ言えることは一つ。彼女、綾瀬香純には、この先に苦難が待ち受けていること。そして彼女と縁が深い藤井蓮も同じこと。何故なら彼女が苦しいと感じているときに藤井蓮という男は何もしないだろうか?

――否である。手を貸すに決まっている。

 

甘粕は何も知らない。何も知らないが人には直観と呼ぶべき感覚がある。つまり甘粕はここで何もしないということが甘粕にとって素晴らしい結果になると選択したのだ。この男の相手にとって最悪なことは愛せば愛するほど、更なる試練へと叩き込む。表面上の甘粕正彦を見れば実に好青年だろう。勉学に励み、運動にも長け、人を率いる力がある。前の世界でも、若くして憲兵大尉という階級にいた。少なくとも常に周りを威圧する覇気を醸し出していたわけではないだろう。誰であろうと甘粕の威圧を受けて階級をあげさせるだろうか?ありふれた言葉ではあるが、異端は忌嫌されるのだ。それは甘粕とて同じことである。

「……なんだ、あれ?」

 

 

蓮は、ふと脚を止める。それは二人も同様である。

それは奇怪にも映るだろう。外国人、男。僧衣を着込んだ……背丈はだいたい190㎝だろうか?そんな男が右往左往しながら、道を通る人間に話し掛け、邪険にされる。その繰り返し。中には酷い対応もあり、一種の奇怪なパフォーマンスと思われても致し方ない。いま諏訪原市は非常時でもある。怪しい人間には近づかない。自分の身の安全を図るためでもある。

 

その神父を状況をアフレコしていた蓮と香純であるが、香純は見るに見かねたのだろう。

 

「ハロー、ヘイミスター」

 

拙い英語ではあるが、そう声を掛けたのだ。彼女はそのまま続けるつもりだ。

 

「何やってんだよ。あいつは」

 

呆れ半分である蓮、それに対して甘粕は

 

「何を疑問に思う?素晴らしいことではないか。赤の他人であろうが関係ない。困っているなら手を差し伸べるべき。情けは人の為ならず。綾瀬香純は自身の心の向くままにそれが出来る。流石は俺の見込んだ女だ」

 

とべた褒めである。現代の世において、あれほどの芯が通っている女はいない。そう断言したのだ。

 

「いや……そりゃ、そんなんだけど、さ」

 

蓮は何かを隠すように頭を掻く。つまるところ、蓮は心配半分があったわけだ。甘粕もわかっているのか、少し口元を吊り上げている。彼らが話していると向こうではあまり距離が離れていないせいもあるか、神父のほうから、ありがとうございます、と二人の耳に届いた。……どうやら英語力は必要なかったようだ。

 

 

 

 

 

「いえ、本当にありがとうございます。優しいお嬢さん、そちらの男性のお二方も。どうにも私の配慮が足りずに警戒されてしまいまして、なかなかに話を聞いてくれる方がいなかったのですよ。」

 

神父は困り顔ではあったが感謝の念を伝えているのが三人にもわかる。

 

「えへ、いえ、そんな……あっ、そうだ!神父様は何か聞きたいことがあったから、周りの人に尋ねていたんですよね?」

 

香純は少々、照れが混じっているがそう聞いたのだ。

 

「ええ、ええ、そうなんです。私は見ての通りではありますが、神父を務めさせてもらっています。しかし、どうにも以前とは街並みに違いがありまして」

蓮は先の答えがわかったのか

 

「道が分からなくて、まよったと?じゃあ、えーと、神父さん、なんだよな。なら氷室先輩のお客さんか?」

 

「おお、テレジアをご存知なのですか。ああ、いや、彼女に会うのはこちらに来た際の楽しみでしてね。さぞかし美しい女性へとなったでしょう。今か今かと期待が胸を踊りますよ」

 

それはまさしく父性の愛だった。よほどに目に入れても痛くないほど、可愛がっていたのだろう。呆気にとられた蓮であるが疑問に思ったことがあった。

 

「……ん?テレジア?」

 

その疑問に答えるつもりなのか神父は続ける。

 

「ええ、テレジアというのは彼女の洗礼名です。神の贈り物と意味合いがありましてね、私も含めた大勢の者たちが彼女の誕生を祝いました。と、このようなことを語っておきながら、いまだあなた方に自己紹介をしていませんでした。申し訳ありません。どうにも私は抜けている。」

 

 

「トリファ――ヴァレリア・トリファといいます」

 

 

これが、氷室玲愛の名付け親であるヴァレリア・トリファ神父との出会いだった。

 




甘粕は好青年ですよ。(白目)

あと私生活が少しごたごたしてしまいまして、更新が遅れるかもしれません。なるべく私の休日には更新していきたいと思います。


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7話

気に入らない部分があったので書き換えました。


空が夕焼けで照らされ、日が落ちていく中で遅蒔きながらの自己紹介をヴァレリア・トリファは始めた。甘粕も蓮も香純も、それは同様。お互い様というわけだ。

 

「ああ、こちらも礼に反した。謝罪を受けよう。俺の名は甘粕正彦だ」

 

「俺は藤井蓮」

 

「綾瀬香純ですっ」

 

三人模様、互いの個性が少し表れている自己紹介にヴァレリア神父は人畜無害そうな笑みで静かにコクりと頷く。そこで香純は何を思い立ったのか唐突に大きく声を上げる。

 

「あっ、そうだ!神父様は教会に行きたいですよね?でしたら、あたしたちが案内しますよ!」

 

そこで香純は二人に同意を得ようと素早く身をひるがえして振り返り、蓮と甘粕に向けて。

 

「ねっ!」

 

有無をいわせない、そんな強い気が込められた一言を発したのだった。短い間の会話とはいえ、人良さそうな神父に対して情が湧いたのだろう。蓮自身も、また、この神父にはその程度の親切ぐらいなら問題なく手を貸したいとも思っている。しかし、甘粕は胸中、二人とは意見が異なっていた。裁定者という甘粕の特性から人を読み取るということを得意としてしている。しかし、ヴァレリア・トリファという男は読みにくい。人が良さそう、それはあながち間違いではない。しかし、それだけではない。外装の取り繕いが固すぎる。ゆえに過去の振る舞いを模している。人は変わる。時間がたてば立つほどに。その振る舞いをしなければならないほどに内面においては歪み変わり果てた、それが甘粕正彦によるヴァレリア・トリファの考察だった。だから、どうだという話だが。どのような人間であろうとも縁は重要、それは甘粕の想いである。それからは神父に携わっているトリファの話上手ゆえか彼らは道中で会話が途切れることもなく、諏訪原市に淀んだ空気などは忘れるぐらいの、そんな和やかさがあるのだった。

 

 

時間の流れが早く感じるほどに時は瞬く間に過ぎた。もう目の前には教会前である。そうここが氷室玲愛と、もうひとりの住人が居住する教会だ。

 

「ありがとうございます。ここが私の目的地の教会です。……街並みは変わってしまいましたが、ここは変わっていませんね」

 

そのトリファの呟きはどんな想いがあるのか、誰にも読み取ることが出来なかった。それは神父自身ですら想いを込めたつもりがないからである。

 

「そうですね。皆さん、案内していただいたお礼といいますか……教会でお茶をご馳走したいのですよ。どうでしょうか?」

 

「あー……俺たちは」

 

もう夕暮れときではなく、夜の帳が落ち始めている。蓮は少し悩む素振りを見せるが……

 

「もちろんっ、ご馳走になります!」

 

蓮が何かを喋る前に香純が答えてしまった。気が滅入るようなことが続くばかり、香純も和やかな気分を皆で味わいたいのだ。蓮は甘粕に視線を向ける。蓮と香純は教会から、そんなに遠くはないアパートに住んでいる。しかし甘粕は違う。この男は孤児院住まいであり、そこから十キロ以上離れている。しかもバスや電車も使わずに徒歩で。本人いわく歩けば着くのだから問題ない、らしい。つまり視線の意味は、おまえは大丈夫なのか?という問いだ。甘粕には大した問題もなく、それに了承する。

「ああ、かまわん」

 

「じゃあ、ご馳走になります」

 

トリファも反応が早い彼らに柔和な笑みを浮かべている。

 

 

 

「ええ、では行きましょうか。ふふ、ああ……愛しのテレジア……私は帰ってきましたよ。寂しかったでしょう。私が居なくて、心で涙する貴女を想うと私は常日頃が居てもたってもいられませんでした……。しかし、しかしっ!私は帰ってきたんです。約束しましょう!貴女を寂しがらせたりしないと!ならばこそ、リザ、もう貴女の好き勝手にさせたりはしませんっ!今後から私、ヴァレリア・トリファがテレジアと一緒にお風呂に入るのですから!」

ヴァレリア・トリファは、今の玲愛の年齢からすると色々と問題発言が多々に見られるが、それに憚れることもなく、その自分の思いの丈を彼いわく父性の愛情を声高々に恥ずかしげもなく宣言したのだ。

「だから、私はあなたを叩き出したんですよ?ヴァレリア・トリファ神父」

 

 

 

「……え?」

 

その声にトリファは先程の高揚とした気分から最底辺、まるで冷水を浴びせられた気分を味わう。

 

「お帰りなさい、神父ヴァレリア。帰ってきて早々にそのようなことを胸を張って、声を上げられるなんて。メキシコの辺境では物足りなかったかしら?」

 

眼鏡を掛け、さらりと伸びた髪の毛。雑誌やテレビでも見ないほどに思わず溜め息が洩れそうな容姿が整った美女。服の上からでも男なら思わず、眼がいってしまう整えられたスタイル。彼女はシスター・リザ。この教会に住む、もうひとりの住人である。

「私、そもそも寂しがってない」

 

シスター・リザの後ろから小柄な体躯がてくてくと後から歩いてくる。彼女は氷室玲愛。声がいつもより冷やかである。どうやら先程の神父の発言が聞こえていたようだ。

 

 

「リ、リザ……テレジア……」

 

リザそしてテレジアもとい氷室玲愛の登場に分かりやすいほどにトリファは慌てている。彼なり自分の発言が些か問題があったことは自覚していたようだ。

 

「まったく、もう玲愛も一人の女なんですから。いつまでも子供扱いしては駄目ですよ。神父ヴァレリア」

 

「し、しかしですね」

 

「しかし、ではありません」

シスター・リザはトリファに対して言いたいことが語り聞かせられない位にはあるようだ。そんな大人二人から離れて、玲愛は甘粕らに近づいていく。

 

「いらっしゃい。甘粕君に藤井君、それに綾瀬さんも。ここで立ち話もなんだから良かったら教会に来なさい。リザがきっと夕食をご馳走してくれるよ」

 

 

玲愛はさっきまでのトリファへの冷やかさ、まるで感じない。友人たちが親代わりの神父を連れてきてくれたことに感謝の念を示している。

 

「ええ、もちろんよ。わざわざ、この人を案内してくれたのだから。それくらいはお礼をさせてね」

 

リザは小さく微笑みながら、甘粕たちへと言葉を綴る。彼女もまた母もしくは姉代わりの立場として、玲愛の友人たちに感謝の想いが言葉に乗っていた。

「断る理由もなかろう。先ほどもヴァレリア・トリファ神父にも誘いを受け、俺たちはそれを了承した。ならばそれでよし。一度した約束を反故にするなど、言葉が軽くなる」

 

甘粕は不遜で堂の入った返答、この年代らによくきかされる言葉の軽さが彼には見られない。堅すぎるというわけでは有らず、しかし、気取っているわけでもない。自然体。彼にとって、これがそうなのだろう。そして、リザは会うのは初めてではあるが彼が誰なのかよくわかった。よく玲愛から話を聞かされるのだから。そして最も氷室玲愛という少女に影響を与えた一人の男。リザの胸中を複雑にさせた者。

 

「……そう、あなたが甘粕正彦君ね。よく玲愛から話しは聞いてるわ。私の名前はリザ・ブレンナー。ここのシスターをやっているわ」

 

諦感していた玲愛に光を与え、彼女を生という希望で輝かせた。喜ぶべきなのだろう。普通であれば。彼の話をするときの玲愛は真実、幸せそうなのだから……しかし、それを絶望へと叩き込むかもしれないのに。いや、かもではない。間違いなく絶望へと叩き込む。

 

何故なら氷室玲愛は私たちがハイドリヒ卿に捧げる供物。

 

自分達の願い、己の願いを叶えるための生け贄。元より自分が畜生の類いであることを理解している。十数年も共に暮らしておきながら、それでも自分自身の願いを叶える為に玲愛を供物として捧げるなんて。……本当に、私、母親役は失格ね。しかし今更かとリザは自嘲気味である。子代わりの幸せすら素直に祈ってあげることが出来ないのだから。それでも真実、玲愛が幸せであってほしいという己の愚かさ。偽善者だ……などと友人にも言われたことではあるが、それでも、それは捨てきれない。リザ・ブレンナーが怪物として生まれ変わっても、一人の人間としてのちっぽけな矜持なのだから。ふと視線を感じた。甘粕正彦はジッと、リザ・ブレンナーを見極めるかのように視ていた。何を見定めてようとしているのかはリザには解らない。少なくとも彼には悪意がまるで感じられないのだから。しかし、その視線は途切れる。この時、甘粕が何を思ったかは甘粕しか知らない。

 

「玲愛から話を聞いてはいたようだが甘粕正彦だ」

 

 

 

 

 

こうして彼らは夕食を共にした。トリファは自分の愛情を伝えようとしたが望み叶わず、やけっぱちになりながら飲んだくれて前後不覚になり、つぶれた。それに対する女性陣の面々は冷ややかであり、蓮は人徳ある神父だと思っていたトリファが、今のような姿に成り果ててしまい、自分の目の悪さに呆れていた。そこで甘粕が最も力があるからトリファを運ぶことなった。トリファもつぶれてはいたが意識はあり、部屋の前まで運ばれながら案内をした。

「すいません、わざわざ運んでくださって」

 

もうそこには酔いつぶれた神父の姿はなかった。酒気が抜けきっているのだろう。

 

「大した手間ではない。その様子だと問題はないようだな」

 

「はい、ありがとうございます。私は酔いが速く抜ける体質でしてね。……少々、お時間をよろしいでしょうか?」

 

トリファは思うところがあるのか、そう切り出した。夕食時の恥態は見られない。廊下は静謐としており、彼ら以外の物音さえしていない。そのトリファの様子に甘粕は促す。

 

「かまわん、何だ?」

 

「はい、貴方はテレジアと仲が良い。あの子の親代わりとしては、とても嬉しくもあり寂しくも思います。これが親心とでも呼べばよいのでしょうか。しかし、ここ最近はこの街は物騒だと聞き及んでいる。もしあなたに何かあったら、あの子は、さぞや悲しむでしょう。ですので」

「この街から離れろ、と」

先に続く言が解った甘粕はヴァレリアの言葉を取り次ぐ。

 

「……はい」

 

お互いに無言。緊迫しているわけではない。ただ静まりかえっている。

 

 

「――なるほど。困難な現状を前にして逃げる。それも一つの道かもしれない。……しかし、それだけはありえん。この俺、甘粕正彦がとるべき道では断じてないッ!」

 

ヴァレリアの言葉に甘粕正彦という男の芯に触れるものが合ったのか、拒絶の返答と共に返された言葉には熱がこもっていた。それともに甘粕が発する気は廊下に満ちていた静謐さをあっさりと破った。膨れ上がるのは圧力。重く、重く、天井知らずに上がり続ける圧力。――このときヴァレリア・トリファが受けた衝撃は筆舌にしがたいものであった。ただの少年……とは思ってはいなかったが、しかし、心の何処かでは所詮は人間。そんな驕りは確かにあった。

――――言葉を無くす。その意味をトリファは再認識するはめになった。全身が粟立ち、言葉を発することさえ困難になる。強いだの、弱いだの、そういう次元ではない。圧倒的。剥き出しの波動は黄金聖餐杯である、この身にすら響く。それがどれだけの意味を持つかはヴァレリア・トリファが最もよく知っている。そんな自分自身を人間が怯えさせたのだ。人間?否、これは魔人。初めから外れている。そんなトリファの胸中は量ることはなく、ただただ、甘粕は自分の想いを言葉に連ねる。

 

「――人間は腐る。どうしようもないほどに。恐ろしい速さで。俺はそれが悲しい。人の美しさを知れば知るほどに。先程の問い、逃げてどうになる?また似たような困難がくれば再度、逃げるのか?それでどうすのだ。そんな自分を誇れるのか。後悔せずにいられるのか。恥も矜持もなく、生きていくのか。それで、真実、人間は生きているのか?俺はそう問わずにはいられない。ならばまずは己こそが先頭に立つことが大事ではないか。困難?受けて立とうではないか。あらゆる試練は意思さえあれば打ち克つことが出来る、人間に不可能なぞ無い、が俺の信条でな。……ああ、すまない。どうにも俺は昔から熱くなりやすい。……この街から離れることはない。そういうことだ、神父よ」

 

身を翻し、甘粕が廊下の奥へと立ち去った。……ヴァレリア・トリファは驚き、ただ呆然としていた。それはあり得ないものをみるような。否、既知感を感じたのだ。まだ自分が人間だったころに、一度、同じ思いをしたのだから。何故ならば甘粕(アレ)と同じようなもの身近でよく知っているのだから。

 

「……まさか、彼こそが副首領閣下の代替でしょうか?いや聖遺物の気配はなかった。……しかし」

 

そう、見過ごせるものではない。アレは怪物だ。初めからそうなっている。あるのは王道。ゆえに誰もが歩むことが出来ない。王道を最後まで歩み続けるものを何と呼ぶか。人、それを勇者と呼ぶのだ。ゆえにトリファは試すことにしたのだ。真実、彼が本物の勇者であることか。それは小さな期待と浮かぶの少女の顔。

「……ベイかマレウス、彼らを差し向けるのも一興でしょうか。単純ではありますが、ゆえに分かりやすい」

 

トリファは試す。テレジアの想い人。ツァラトゥストラかどうかもあるがそれ以上に、自身が差し向ける試しに生き残り、抗うことが出来るのであれば、死ねばそこまで。……もしかしたら訪れるやもしれない少女の幸福。それに一人の神父の笑いが廊下を木霊する。




万仙陣、発売しましたね。しかし、残念ながら私の手元にはPCがない。あとは祝、Dies iraeのアニメ化でしょうか?私は感想で知りました。今から楽しみです。でもゲームからって転けやすいんですよね。


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8話

闇は深くなる。深く、深く、どこまでも。ここはもう人の住む世界ではない。月は爛々と光、眩いている。穏やかな気分が味わえそうな光であるのに何故か忌嫌してしまう。空は風が吹き寒々した中には血を煮詰めて腐らせたヘドがでそうな匂いが混じっている。そんな中で二人の男女が走っている。男は白髪にサングラスを掛けた美麗な相貌。そして野性味溢れるどころか身体の芯の其処から染み付いた血臭は、もはや猛獣そのものである。女は……否、少女と言った方が正しいか。美しい赤毛、幼さがある、その面貌は愛くるしさと妖艶さが混じり合い、眼を惹き付けるものがある。

 

しかし、この男女、走っているという言葉は正しいのだろうか?人間が理論値ではあるが走って出せる瞬間最高速度は約60キロである。たが彼ら、二人を見ると片手間な表情で時速150キロはだしているだろう。そんなことは人間に可能だろうか?……不可能だ。ならば、彼らは人外。正しく人ではないのだ。

「糞がっ!ナンでわざわざ俺たちが極東の糞猿を観に行かなきゃいけねーんだよ」

 

白貌の男、ヴィルヘルム・エーレンブルクが苛立ちのままに悪態をつく。ヴィルヘルムにとって、その悪感情は当然のものだった。シャンバラ、つまるところ諏訪原市で長年待ち続けた聖戦がやってくる。そのはずが、使い走りなのだ。しかし、いまのクリストフは首領代行。命令違反は自分の本当の主の背信行為。それだけは許されない。ゆえに例え、どのような気に食わない命令でもヴィルヘルムは聞き届けた。

 

「そう?わたしは別にいいわよ。この子、結構かっこいいし」

 

隣を並走していたルサルカ・マリーア・シュヴェーゲリンは写真を見ながら下唇を舌で撫でた。その写真に写っているのは一人の男、甘粕正彦である。

「はっ!テメーはまたそれか、マレウス。生憎とこちとら、男に欲情する趣味は持ち合わせていねーんだよ」

 

ヴィルヘルムはそう吐き捨てた。先ほど、彼はマレウスと読んだがこれは愛称またはアダ名のようなものだ。

今、彼らは黒円卓首領代行ヴァレリア・トリファ=クリストフ・ローエングリーンからの命令によって諏訪原市内にある住居へと向かっていた。そこは孤児院。甘粕正彦の住居でもある。

 

「それに孤児院って小さな子供たちとかもいるのよね。そんな子たちと遊んだら、この子はどんな顔をするのかなぁ……てね」

 

暴力的であり嗜虐な笑み、少なくとも遊びと言ったがマトモな遊びではないだろう。少女の姿ではあるが滲み出る気配は魔女と言っても差し支えはない。「なら、勝手にヤってろよ。俺はメンドクセぇ」

 

ヴィルヘルムはやる気のない姿である。しかしこの両者に共通している事項がある。それは人の命というものにまるで頓着していないことだ。彼らは人間という生物を格下の存在と見なしており、つまりは虫と似たようなモノとしか認識していない。彼らが向かう孤児院で残虐の限りを尽くし相手が泣こうが喚こうが気にしない。

 

ヴィルヘルムのやる気のなさは他にもある。自分たちの敵役である副首領の代行またはツァラトゥストラ……らしい人物を発見したこともそれに拍車を掛けている。いくら命令とはいえ、ただの人間に興味などないのだ。そんな常人なら二人の正気を疑うような会話を繰り広げていた両者ではあるが、…………突如とその走行を急停止したのだ。目的地まであと数百メートル、人外である彼らなら、モノの十数秒で到着してしまう。だが彼らは止まる。ほぼ同時に。コンマも違わずに両者は止まる。まるでその先が断崖絶壁であるかのように。

「……ウソよ……あり得ない、あり得ない」

 

ルサルカに先ほどの余裕は無い。何かとても恐ろしい恐怖体験を味合わせられたように。嫌々と受け入れられない事実を前に茫然自失している。

 

「ッッッッ!」

 

それはヴィルヘルムとて同じである。二万以上の魂を宿している自分自身の身体が全神経が生存本能のままに任せて退けといっている。己れの身体はまるで聞き分けの無い子供のように泣きわめいている。

 

彼ら、二人の前に在るのは、ただの圧力。カタチもない重さも無い圧力。だが彼らには視えるのだ。それが徐々にカタチ造り、魔王の貌(かお)をしていのが。ここより先は死地。誰一人と生かさぬ。そう言わんばかり。

「ッッッッ!!!!」

 

ヴィルヘルムは声無き絶叫を上げた。それは自分自身の不甲斐なさに度を超えた怒りを覚えた。……怯えた、怯えたのだ。俺が。黄金の獣の爪牙である自分が。なんて無様。どうしようも無いほどに腑抜けていたらしい。それを理解した瞬間に思わず雄叫びを上げたのだ。そしてヴィルヘルムは疾走する。速く、速く、速く。先の自分を払拭するには眼前にいる俺の敵を殺さなければならない。しかし、しかし、しかしッッ!

 

「く、くはっ……はははははははは」

 

置き去りにしたルサルカのことをまるで気にしておらずに口元からはくぐもった笑い声から狂笑に変わる。それは歓喜。迸るほどの歓喜。いる、いるじゃねぇか。ここに。最高の敵が。ああ、駄目だ、笑いがとまらねぇ。さっきのガキはまるで駄目だった。たしかにメルクリウスの糞野郎と被って見えていたが、それだけだ。つまらねぇ、つまらねぇ、つまらねぇッッ!! くるぞ、くるぞ、くるぞ、くるぞッッ!!俺の望んだ闘いが……俺の望んだ殺し合いがッ!

そして、ついに鬼の疾走は終わりを告げた。そこは少し開けた場所であり目的地の孤児院ではない。だが、ヴィルヘルムの目的は、地ではなく、人である。彼の眼前には……いた。写真に写っていた学生服ではないが軍服を着こなしており、腰には軍刀一振りを携えている。その姿は正に彼の為の晴れ衣裳にさえ見える。

 

「ーーああ、しかし、久しぶりに着たが実にしっくり来るな。よく形から入るという言葉があるが、アレは的を射てると俺は得心したぞ。今の気分は存外に悪くない」

 

眼前の男、甘粕正彦はそう宣った。

 

「てめえがそうか……」

 

自分に降りかかる、ヴィルヘルムにして想像を絶するほどの圧、圧、圧。思わず膝を屈しかねないほどの。目の前に来てこそ、ヴィルヘルムには直観、感覚的なものでわかったことがある。この男は戦猛者といった類いでは無く、裁定者といったほうが正しいのだろう。何処までも澄んだ性質を帯びており虚飾というものが感じられない。凶念に濡れきっているヴィルヘルムと甘粕正彦の両者の性質を見比べれば、それは罪人と裁判官の構図が思い浮かぶだろう。

「おまえの要望に応えられているか、どうかは解らんが俺が甘粕正彦だ」

 

甘粕は泰然としている。彼は自分に向けられている悪意を感じとり、彼にとっての戦化粧をめかしてから、この場に来たのだ。

 

「ククッ、あぁ……そうか、そうか、てめえがそうなのか……甘粕正彦、よぉく、その名は覚えておくぜ。戦の作法だ。名乗り返してやるよ。ーーヴィルヘルム・エーレンブルク=カズィクル・ベイだ」

 

ヴィルヘルムがした、この口上を黒円卓のメンバーが聞けば驚きを隠せないだろう。何故ならヴィルヘルムは自他共に認める差別主義者だ。事実、彼はよく日本人を黄色い猿など揶揄している。つまり、認めたのだ。ヴィルヘルムが。目の前にいる人間が敵手として相応しいと。

 

甘粕は腰に帯びていた軍刀をスラリと抜く。何も語らず。解っているのだ。この手の相手のことを。語ったところで意味を為さない。そういったものを戦場で持ち込むのは白けるからであり、そして甘粕も単純明快な、その倫理は嫌いではなく、好ましいものでもある。…………互いに無言。初動で動いたのは戦闘意欲が旺盛なヴィルヘルムではなく甘粕だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

甘粕は一歩を踏み込み、足を地面に向かって蹴りあげる。ーー速い。甘粕のそれは人智の限界に達しきっている速さである。あっという間にヴィルヘルムへと詰める。甘粕は軍刀を振り抜く。一閃、二閃、三閃と。その全てが同時に振り抜いたのかと疑いたくなるものだ。だがしかし、ヴィルヘルムはそれを容易に防ぐ。避けるという行為さえしない。もとより彼に霊的装甲がある。物理的に彼にダメージを与えたければ核弾頭ぐらいは持ってこなくてはならない。……甘粕が盧生の力があれば核弾頭など簡単に造り出せるだろう。柊四四八との闘いでは事実、使用していたのだから。今の甘粕にそれはない。世界の理が違うのだから、それも当然である。しかし、もし甘粕がソレを使えたとして奮いはしない。――邯鄲から持ち出していいのは邯鄲を制覇したという誇りだけ。今でも変わらず甘粕はソレを守っている。

ヴィルヘルムは人外の力を思いのままに奮う。武術の型なんてものはない。むしろ獣のごとく闘いである。本能のままに奮う、それは児戯めいたものを感じるだろう。しかしそうではない。彼はそれでいいのだ。よく嵌まる。最も自分にあったスタイルなのだから。ヴィルヘルムの拳打、甘粕はソレが見えない。その人外の力にあくまで人間として最高峰の甘粕の力では眼で捉えきれないのだ。だが、甘粕は避ける。見えなくても視えるのだ。殺気、直感、そして経験。甘粕には積み重ねてきた歴史がある。邯鄲の一万年の自己研鑽はそれに応じて凄まじい。

ヴィルヘルムも甘粕のそれに眼を剥く。彼をして驚きを禁じ得ないのだ。人間の身でありながら、ここまで到達し得ていた甘粕正彦という男に。……武技に関してはマキナより上じゃねぇのかと。

「くははははッッ!何なんだよっ。てめえはよ!最高だッッ最高だッッ最高だッッ、ははははははッ」

 

ヴィルヘルムの言葉になっていない言葉。だが伝わってくる思いはよくわかるだろう。満たされているのだ。相手の攻撃が意味を無くしていなくてもヴィルヘルムは満たされているのだ。……ヴィルヘルムは甘粕正彦を侮ってはいなかった。しかし、間違いがあるのだ。この男を人間として判断しているのだ。確かに人間ではあるがそれだけではないのだ。物語の勇者はいつだって強敵を前に苦戦をすれば強化するのだから。せめてヴィルヘルムは位階を一つ上げて形成にしておくべきだったのだ。

 

甘粕は変わらず軍刀を振り抜く。確かに今まで通りで変わらずに振っていたら何もないだろう。……変わる、変わるのだ。甘粕正彦はいつだって成長している。そして信じているのだ。誰にも理解されない域で人間の可能性を信じている。それは自分自身も含めて。ゆえにこの結果は必然。甘粕にとっては当然のものだった。避ける意図さえしなかったヴィルヘルムは魔人が振った一太刀に血飛沫をあげた。一瞬、ヴィルヘルムの思考に空白が生まれる。だが動物的本能によって直ぐ様、回避に移ろうとする。しかし、甘粕はそれを見過ごす男ではない。追撃する。一太刀、二太刀、と。ヴィルヘルムの思考に言葉が一つ。死の危険が浮かび上がる。何故という疑問にはヴィルヘルムの思考に一つも浮かばない。唯あるのは己の敵に対する感嘆のみ。傷ついた身体を雑多な魂を燃料として癒す。そんな隙を魔人は見逃さない。

 

 

ヴィルヘルムは思う。間違いなく自身がこのまま闘い続ければ形成に移行する前に殺される可能性が高いと。ならばどうするか?それでも闘うか?それもいいだろう。闘いが己の本分。可能性なんて知ったことではない。それでも俺は勝つのだ。……しかし、ここにスワスチカはない。敗北なんて更々考えるつもりはないが……黄金の忠臣としてそれは不味い。闘いの舞台を間違えているのだ。ならば取るべき選択肢は一つ。

――――撤退だ。ヴィルヘルムは全力で退いた。それは死を恐れてのものではない。単に死に場所ではないのだ。あぁ、あぁ、屈辱だ。屈辱過ぎる。ただの人間に逃げ帰るしかないなんて無様だ。だが、しかし、

 

「ああ、今はスゲェ気分が良い」

 

元より偵察ではあったが、しかし、ヴィルヘルムにとっては素晴らしい対価だったのだ。いずれまたぶつかり合う。確信しているのだ。アレが何もしないままの筈がないと。

 

 

途中でヴィルヘルムはルサルカを拾った。酷く怯えてはいたが……黄金の尖兵としてあるまじき情けない姿ではあるが、もし普段のヴィルヘルムであれば、この目の前の魔女を殺してやりたいと思ったりもするが、本当に気分が良い。

 




存外に速く書き上げてしまいました。ちょっと予想外です。あとこの甘粕は神座世界風に言うなら求道型の覇道です。人々に試練を課す魔王でありたい。で求道。人々の勇気、奮起する姿が見たいで覇道です。私のイメージですけどね。追記で甘粕が何故ヴィルヘルムに傷をつけられたかは次の話か、もしくはもう少し先の話で書きたいと思います。ベイも能力を使っていませんからね。前哨戦ですよ、きっと。


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9話

七話を少し書き換えました。気が向いたら読んでみてください。


遥かな高見、誰もが知覚し得ない場所にソレはいた。輪郭の曖昧さ、枯れ木のような男、密度にすれば凄まじいが存在感が薄弱なソレはまるで影絵だが、ある男を知覚した。彼の者に眼に映っているのは二人の男。一人は我が友の下僕であり、配下であり、黄金の尖兵である、ヴィルヘルム・エーレンブルク=カズィクル・ベイ。

もう一人は……

 

「……ほう。これは、これは」

 

思わず、ソレは笑い声を上げる。面白いものを見付けた、そう言わんばかり。

両者の攻防、戦闘時間は短いものではあるが、たしかにそれは闘っていた。怪物と人間。そう確かに人間だったのだ。だが影絵のような男は視ていた。それの人間の魂が爆発的な勢いで密度が膨れ上がったのを知覚し視ていたのだ。

……黒円卓の人間のほとんどが元は人間である。しかし、副首領の秘術、エイヴィヒカイトによって人間から魔人もしくは超人へと変わり果てた。いわば養殖もの。人工的に造り上げられた怪物たち。だが……中には天然物がある。誰が何も手を入れずとも始めから完成されている。我が恋慕の相手にして超上の美を持つマルグリットがまさにそれだった。――そして軍服姿をした、この男もそれである。揺るぎがなく、魂はこの場から視ていても眼を焼き付くされような錯覚さえ覚える、生誕の光。人の救世主。ソレを視た瞬間、影絵の男は忘我したのだ。眼を奪われた。感激の極み。美しい。陳腐な表現しか浮かばないが言葉をなくしたのだ。……未知、既知がなかった。正しく未知……だった。この牢獄(ゲットー)の中でコレと会ったの初めて、ということになるのだ。

影絵の男に磨耗しきっている芯に熱を灯すことができる存在がいったいどれだけいようか?少なくとも一般的な常識からマトモな類いではないが。

 

「――あぁ、マルグリット。君に良い土産話が出来そうだ」

 

彼女を主役としたオペラはどうやら思いもよらないエキストラが参戦とするらしい。本来ならば、認めはしないが、観てみたい。そう思ってしまった。彼の者も加えた恐怖劇を。影絵の男、黒円卓副首領、カール・クラフト=メルクリウスは始めからその場にいなかったかのように霧散した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どのようなことが起ころうとも朝はくる。藤井蓮はこの上ないほどに気分は最低最悪だった。昨夜は細切れになった女性の死体に、夢遊病であるかのように、その場で立ち尽くしていた自分。……その後の殺し合い。――間違いだ。一方的に嬲られた。抵抗なぞ、殆ど出来ずに。夢で合ってほしい。そう願いはしたが朝は来た。昨夜のことは夢では無かった。非日常であったからこそ、病人の顔色のように真っ青だった蓮を香純は休むようにいったがそれに首を振った。こんな事態になっても蓮は学校へと通った。きっと彼なりに日常の痕跡にすがりたかったのかも知れない。身体に任せたまま、足だけは動かす。学園の門を潜る直前、玲愛に会うが散り散りの思考では頭が朧気で会話の内容が入らない。玲愛は去り際に蓮に耳打ちするが、それを彼が聞き遂げたかは不明だ。そして中へと入る。――瞬間、圧迫感がした。襲われたと表現したほうがいいのか?まるで巨人を前にして己の矮小さをしるような、そんな錯覚。……そして昨夜にも経験したことでもある。絶望的な気分。日常がひび割れていく。足が止まりそうになる。しかし、何故だろうか?二つ、それを感じるのだ。一つは清涼な王気、どこまでも真っ直ぐで人が持つ嫌らしさが感じられない。この圧迫感を持つものは覚悟を抱かない虚飾を嫌い、真実をさらけ出すのが好きなのだ。もう一つは昨夜にも感じたもの。血生臭くて、それが傍にいるだけで気分が最低になる。齟齬が感じられるのだ。あってはならない在り方。例えるなら……そう、蟲瓶をイメージしてほしい。その中に蟻が一匹しかいなければ、そこまで不愉快な思いはしないだろう。しかし、それが百、千、万となれば話しは違う。その小さな蟲瓶にそれだけの数がおり、その中で蠢いている。人がそれを直視すれば肌に鳥肌が立ち、忌嫌するだろう。……蓮は足を進める。おそおそとしたものだが、それでも足を進める。階段を一歩また一歩と。――階段を登りきるとそこにいた。艶のある長髪、眼は冷悧さを携えているが表情は何処と無く苦しそうだ。月乃澤学園の制服を着込んでいるが藤井蓮は知っていた。何故ならば、彼女とは昨夜にも会っているからである。「……櫻井……螢」

 

蓮の口から洩れた。自分自身の名を名乗ったときに、そうこの女から名を聞いたのだから。

 

「ええ、また会ったわね。藤井君。あなたにとっては私と会うのは気分はよくないかしら?……まあ、私も今はあまり気分は良くないけど。……はぁ、マレウスがどうして、この学園に来たがらないのか、よくわかったわ」

 

思わずと、言った感じの螢の言葉に蓮は反応しない。聞いてさえいないのだ。困惑している蓮の頭の中には疑問符が飛び交う。何故おまえが、俺が狙いなのか、どうしてこの学園に、他にもいるのか等々と、挙げたら切りがない。

 

「とりあえず、教室に行ってみたらどうかしら?私も聞きたいことがあるわ」

「――ッッ」

 

蓮は螢を無視しながら横を通り過ぎて早足で教室へと向かう。……もう一つの圧迫感の正体を早急に知りたいからだ。しかも、それは自分のクラスにいるのだ。蓮の焦燥は計り知れないだろう。クラスメイトもそうだが、そこには……綾瀬香純がいる。彼女に何かあればと考えると、その先を想像したくないのだろう。いつの間にか早足から駆け足へと変わる。

――そして、扉を開く。そこには………………何も変わっていなかった。出席率が少ない、クラスメイトに友達と談笑している香純。普段通りの甘粕。もう昼食は終えているのだろう。次の授業の準備に取り掛かっている。何も、何も変わっていない。眼に映るものはいつもどおりの光景だ。櫻井(あいつら)の仲間も見当たらない。…………本当にそうか?藤井蓮。誤魔化すな、誤魔化すな、誤魔化すなッッ!もう、わかっているだろう。その眼ではなく、切り換えて視てみろ。……ほら、変わっているだろう?

――――ああ……変わっている。藤井蓮にとって数少ない友人が変わっている。身に迫る、膝を屈しかねないの圧迫感。人から外れた魂の密度。そう、密度、密度、密度。藤井蓮の眼に映る、甘粕正彦の凄まじさはソレだ。一人の人間に対する魂の密度ではない。平常時でこの圧迫感、戦闘に移ればどうなるか、ぶるりと蓮の身体が一瞬、震える。……でも、蓮は足を前へ前へと進める。香純が心配そうな眼をこちらへと向けているが蓮はそれに気付かない。甘粕正彦へと向かう。

 

「――――」

 

甘粕はこちらへと視線を向ける。……こうやって対面するとよくわかる。この男は変わったが変わっていない。蓮の考えではあるが、見えていなかった部分が表面に現れてしまった。それだけのことではないのかと?しかし、言いたいことはたくさんある。あいつらの仲間なのか?お前は何者なのかと?だが何よりも聞きたいことがあった。

 

「……お前は、お前は俺の……敵か?」

 

その問いに、その思いはどれだけの感情が詰め込まれているのか。藤井蓮の日常を宝石を壊そうとする敵なのか、嘘を許さないといった視線が甘粕を射抜く。本来、このような場で聞くことではない。それでも、今すぐに聞かざるえないほどに。

 

「お前の日常を壊すことが敵となるなら、俺は肯定しよう。俺はお前の敵だ、藤井蓮。」

 

その言葉には悪意を感じない。敵と言いながら態度を変えようとしない。今を変わらず、藤井蓮を友と甘粕正彦は真に想っている。

 

「ッッッッ」

 

蓮は甘粕を殴りたい気持ちに駆られる。司狼もッお前もッ、どうしてッ、そんな憤りが蓮の胸中に渦巻く。だが甘粕は続ける。

 

「お前の憤りは尤もなものだ、藤井蓮。俺はお前がどれほどに、日常を大切に思っているかを知っている。そんなお前や、それに連なるものたちを俺は好きなのだ。だからこそ、腐らせたくないと思うのも、また必然であろう?」

蓮は甘粕が何を腐らせたくないのか全てを察しきれない。だがさっきまで有った怒りが霧散した。無くなったというわけではないが蓮のそれは遥かに上回る呆れを感じたのだ。わかったことが、否、元よりわかっていたことだった。蓮は一言、呟く。

 

「――甘粕、お前は馬鹿だろ?」

 

蓮がわかっていることは一つ。甘粕正彦という男がどうしようもないほどの大馬鹿者であることだけ。そういった馬鹿は司狼だけで十分だと思っていたが、コイツ司狼とも友人関係を築いていたな。それで得心した。

 

「ああ、だから俺が、お前が馬鹿やるときは殴って止めることにするよ。それで病院送りにしてやる。喧嘩で負けたほうが勝った方の言うことを聞くのは当然だろ?」

 

藤井蓮は甘粕正彦と闘うことなろうとも負けることはない。蓮はそう言いきったのだ。それに対し甘粕は

「――――あぁ、分かりやすいな。小気味が良い。友人同士でそういったことをやるのは経験が無くてな、今からでも楽しみだよ」

 

一瞬、呆然とした甘粕ではあるが直ぐに気を取り直して喜色を含ませた言でそれを締め括った。

 




書けない、書けないとおもいながらdies iraeをやっていたら何となく書けて良かったです。私は二次小説で原作がRPGで書けている人を尊敬します。アレ、難しすぎます。やり直しする際にアドベンチャーより融通が効かないです。


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10話

諏訪原市で恐怖劇が開催し始めている。しかし甘粕正彦は変わらない。例え昨夜に自身に迫る悪意を感じて戦化粧を決め込んで殺し合いを興じていても、そのようなことがあったな、程度な印象しかない。そして変わらずに朝方、登校の準備をし学園へと登校する。彼は普段通り。まるで昨日、起きた出来事など些細なことだと態度で示しているように。甘粕はぶれない。

自分の教室へと着いたら、それぞれのクラスメイトに挨拶し、席へと着席する。甘粕は慣習化された手つきの様で授業の準備を始める。

 

諏訪原市で蠢く闇などクラスメイトは知らず、自身に迫る身の危険も自覚しえない。

 

日常は廻る、廻る。クラスはいまだ穏やかな影がある。そして……

綾瀬香純も遅れながらも学園へと登校し、教室へと入ってくる。だが、彼女特有の快活さがあまり見られず、何処か気落ちしている、そんな雰囲気が見られた。隣にはいつも一緒にいる藤井蓮の姿が無い。その事が原因なのか……。はたまた別の事柄か。彼女は話そうとはしないだろう。

 

時間は過ぎる。午前の授業も、ほとんどが自習であり、教師による授業が行われない。これならばいっそのこと、休校にすればよいものを、大多数の人間がそう思わずにはいられないだろう。事実、いまクラスではそれが話題となっている。

朝のホームルーム。担任が扉を開けて入ってくる。いつもなら朝の挨拶、出席の確認、連絡事項で終わりなのだが、今日はそうでは無かった。

――転校生。言葉にすれば単純。不幸なヤツもいたものだ。そういった感想を持ったものも少なくない。今の諏訪原市は騒がしい。連続殺人が起きている街などわざわざ来たくは無いだろうにと。親の都合かどうかは知らないが。そして彼女は入ってきた。月乃澤学園の女性服を纏ってきた、その少女の名は櫻井螢。黒円卓が一人、櫻井螢=レオンハルト・アウグスト、その人であった。彼女の容姿に男子生徒たちは沸き立つ。それぐらい彼女は美人であった。喧喧諤諤のなか、彼女は驚愕、言葉を失っていた。その様子は周りの騒がしさなど、まるで耳にはいっておらず、ただ一人の男を注視していた。

 

――人間とは存外に鈍感だ。いや、鈍く成ったといったほうが正しいのか?例えば、ニュースでなにがしかの事故または殺人で人が死んだ。抱く感想は、そうなんだ、ぐらいのものだろう。自分に降りかかってくるものではない。そんな無根拠な保障。今の甘粕正彦が其処に居て、クラスメイトたちは平然としている。それがどれだけの異常かわからないのだ。豪胆ととるべきか、いいや、違う。鈍いのだ。どうしようも無いほどに。甘粕正彦が嘆くほどに。安全がもたらす腐敗。それが現れているのだ。しかし、櫻井螢は違う。曲がりなりにも戦場を渡り歩き、黒円卓という化け物たちと共に時を過ごしたのだ。ゆえに彼女には視えるのだ。甘粕正彦が。魂が。格の差と呼ぶべきものが。櫻井螢の魂の総量が大体、千から二千の間。黒円卓では下から数えて少ないほうだろう。だが、だからこそだろう。櫻井は驚愕せざるえないのだ。質が量を超越する。そんなふざけた道理が目の前の男にあった。たしかに学園にナニかがいるのを櫻井は知覚していた。圧倒的、そう表現するしかないナニかが。これを前にして、闘いになるなど櫻井螢は自信家ではない。それでも戦おうとする輩がいるのであれば、余程の酔狂か戦闘狂のどちらかであろう。百聞は一見にしかず、その言葉を本当の意味で櫻井螢は経験したのだ。甘粕正彦の眩い魂。あらゆる総てを焼き尽くす光刃。櫻井思い浮かべたのは一つの思い。コレは駄目だ。怖い、恐い。指先は震えそうになる。みっともなく泣き出したい。しかし堪える。堪える。忘我しそうになる己を堪え、耳に入る雑音を無視しながら席へと着く。何故いまほど、周りの者たちのように鈍くない己を呪いながら。櫻井螢の学園登校、初日は最悪の気分であった。

昼休み、思い思いのグループで談笑している中で教室の扉が開かれる。そこに現れた者は……藤井蓮だった。体調でも悪かったのだろうか?遅れて学園へ登校してきたのだ。彼の表情も具合が悪そうに感じられる。しかし、違う。彼は焦燥と不安に駆られていたのだ。その姿はまるで追い詰められた獣のような印象が。いつ爆発するか解らない爆弾のように。それだけ彼は精神的に参っていたのだ。蓮はクラスを見渡す。……顔は徐々に苦悶の表情へと変わり、しかしそれも決死の覚悟を抱くような顔つきへと変化する。そして、先の問答。蓮は甘粕の余りにも普段通りさに呆れ返っていた。変わらない。変わらない。不変である。昨夜の闘い……とは言えないものだが、しかし、命を狙われたのだ。しかも、もしかしたら、諏訪原市で起きている連続殺人の犯人が自分かも知れない……その恐怖。学園へと向かえば、藤井蓮を殺しにかかってきた連中の一味の一人が学園にいる。しかも甘粕がこちらを圧倒するモノを持ち合わせている。これで無関係だと言えるほどに蓮は察しが悪くない。これだけのことが短い間に立て続けに起きたことで追い詰められるのも、また然り。それ故に蓮は甘粕正彦を視て緊張の糸が緩んだのだ。ああ、こいつ普段通りだと、いうのに自分の体たらくは何だと。藤井蓮の矜持が甘粕を前に無様な姿を晒したくない、男の意地、ただそれだけのことである。

甘粕もまた胸が高鳴るほどに喜んでいた。藤井蓮の宣誓布告と取ってもいい、言。これを受けて奮い立たない輩なぞは断じて漢ではない!その日が待ち遠しくて仕方がない。いっそのこと、いまここで殴り合いたいものだと甘粕の心は逸る。その際に出る被害は甘粕の意識には外れている。……しかしフェアでは、ない。今の藤井蓮では甘粕は完封勝利が出来るという確信がある。それは真に真実であり、甘粕の望むところではない。ならばこそ、試練が必要だ。藤井蓮という宝石を磨くために。それをもって更に強くなってほしい。俺はその手助けをしようではないか。まずは……

 

「お前の言いたいことはそれだけか?違うだろう。聞きたいことがある。そういう目をしている。俺とお前の仲だ。答えるべきことは答えよう、藤井蓮」

甘粕は手を広げて、仰々しく蓮へと言葉を差し向ける。

 

「……屋上へ行こう。話しはそれからだ」

 

教室でする会話しては不穏当すぎる。それを嫌って屋上へと向かいたいのだ。甘粕は笑みを浮かべながら、それを了承する。

 

 

 

 

場所は屋上。秋は過ぎて冬真っ只中、そんな寒い思いまでしてわざわざ来たがるものなどはいない。例外を覗いて。風は吹く。吹き荒ぶ風はまさしく寒風。躊躇わずに蓮は口を開く。

 

「まずは俺からの話だな。……昨日の夜、軍服姿の男に……殺されかけた。荒唐無稽のような話だけど、事実だ。二人、女もいたが今はそれは別にいい。……なあ、甘粕……お前も似たような気配を感じるんだよ。ナニか外れている。そう思わせる雰囲気が今のお前にある。聞かせてくれ、おまえは何者だ?」無駄な話を一切、挟まずに蓮は直球で甘粕に聞く。冗談、笑い事で済む話ではないからである。蓮の唐突な切り口に甘粕は……

 

「俺が何者か?些か困る問いだな、それは。俺は甘粕正彦、そう言ったことを聞きたいわけではあるまい。なに、化物の類いではないだろう。再度、言うが俺は俺、そうとしか答えられない。蓮、俺はこの場で何度だって伝えよう。人間に不可能は無いと」

 

甘粕の答えはつまるところ、化け物、怪物、悪鬼羅刹であろうと人は戦える。意思の問題だと。俺は出来、お前に出来ない道理はない。我も人なり、彼も人なり、言外にそう答えたのだ。

 

「――そういうことじゃッ」

 

蓮はそれでも甘粕に詰め寄ろうとしたが、それは挫かれる。今は昼、その筈なのに夕方へと景色は変わっていた。そして夜へと変わる。頭上を見上げれば巨大と呼んでいい満月が空に見える。その大きさは今にも地上へと落ちてくるのではないかと錯覚を覚えるほどに。しかし、それよりも嗅覚が異常を告げる。血臭、血生臭いというレベルではない。何年、何十年も煮詰めて腐らせた臭いが辺りに充満している。

 

――化け物、その中でも夜を舞台としたキャラクターは何をイメージする?有名どころではやはりドラキュラ。吸血鬼だろう。

 

――そう夜は吸血鬼の棲みかだ。

 




万仙陣、動画と画像を見ていたのですが、何やら話題になっていましたね、甘粕がまた。天神野とやら出して。


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11話

夜へと切り替わっていく様をみていた二人の男。理屈や道理をねじ曲げる、それは暴力的でもある。

異界創造、これを創ったものの気性が世界へ散り撒かせる。激烈な熱情、悪意、殺意、闘気、あらゆるものを混沌と混ぜ合わせた、それは一人の男、甘粕正彦へと突き刺さる。これを造り上げた者は甘粕以外は全てどうでもよいのだ。

 

蓮は怖じ気つきそうな己の意識を無理矢理と結びつける。あまりの異常事態、荒唐無稽さ、現実離れ、しかし危機意識だけは手離さない。不味い、不味い、不味いッッ。それを自覚した藤井蓮の行動は速かった。直ぐ様に屋上の扉を開けるという手間さえ惜しいのか体当たりで打ち破る。その衝撃で扉は跳ね回りながら壁へと打ち付けられる。人間では出来そうもない、それに蓮は頓着しない。今あるのは自分のクラスへと向かわなければならないという強迫観念。何故、どういった現象でこのようなことが起きているか蓮にはわからない。だが、このまま学園の敷地内にいれば、今の自分は間違いなく殺される。それは確信だった。常人離れした蓮の疾走。廊下には倒れ伏す生徒たち。節操がないほどに自分のナニかを吸いとられるそれに耐えられなかったのだろう。今の蓮ですら息苦しいのだ。普通の人間に耐えられるものではない。……数分もしないうちに彼らは死ぬだろう。それを見捨てることに後悔は無いかと蓮は問われれば否と唱える。後悔もある。躊躇いもある。何も出来ない不甲斐なさもある。 ――しかし、それよりも大事な人がいる。蓮は自身の疾走を停め、到着した自分の教室を開く。……そこには倒れた友達を介抱しようとしていた綾瀬香純の姿があった。

 

 

甘粕は泰然と立っている。いま屋上から出ていった藤井蓮の姿を少し視線を移すがそれだけだ。その立ち姿は何かを待ち構えているようにも見受けられる。

そこに――

 

「――オラァッッ!!」

 

一つの黒い影が屋上へと躍り出て拳を甘粕の眼前へと叩きつける。それを予期していたかのように甘粕はそれを難なくと避ける。避けられたソレを気にした風もなく、あっさりと間合いを開けた黒い影、ヴィルヘルム・エーレンブルク。挨拶代わりのつもりだったのか、わかりはしないが白貌には狂笑が張り付いている。待ち望んでいたものがやっと到来した。願いは叶った。歓喜の意が甘粕にも伝わる。

「たった十数時間だが長く感じたぜ。俺ァはいつも本当に欲しいものだけは手に入らねぇんだよ……アァ、だから今は最高の気分だ」

 

相手の返答を求めているのか、いないのか、定かではないが、ヴィルヘルムは陶酔した表情で口ずさむ。

 

「ならば歓迎しよう、ヴィルヘルム・エーレンブルク。俺なりの流儀で。好きなのだろう?拳を交えるのが。邪魔させんよ、たとえ神であろうが」

 

甘粕は構えをとる。その身に武具を一つとして身に付けておらず、文字通りの空手。しかし、洗練された甘粕の闘気には一切の怯えは見当たらず。我が身可愛さに逃げの一手などありえない。不退転の意思を込めて。

 

「――クハッ」

 

 

それでヴィルヘルムには充分だった。洩れた吐息から弾けた叫笑。

その返礼に腕から飛び出すは十メートル以上の血杭。それを散弾銃かのように打ち出す。

 

そうこれがヴィルヘルムの聖遺物。血こそがカズィクル・ベイたる由縁。これに貫かれた相手の魂ごと吸いとり自分の糧とする。そして、いまの光景はベイの創造。活動、形成、創造、流出の四つの位階。形成は自分自身の聖遺物の現出。創造は己の渇望、求道か覇道かによって個々の現れ方が違う。世界に働きかけるかが覇道ならば、ベイもまた覇道。甘粕の全身を襲う疲労感と虚脱感、世界全体が吸血を行っている。そのような感覚。これでは中にいる学園生はどうだろうか?死者は確実に出ているだろう。

それ対して甘粕は手助けはしない。これを以て立ち上がってほしいとすら考えている。死に直結したとき、人は本気に成らざる得ない。

 

ヴィルヘルムの血杭、当たれば肉を削がれるどころが骨ごとにもっていきかねない、それに甘粕は刹那の見切りで回避する。しかし連撃で途絶えることなくまだまだ続く。

――しかし、意味を為さない。面白い、面白い、甘粕はそんな笑みを浮かべながら。

 

そんな姿を見受けたヴィルヘルムは笑う、笑う、笑う。

 

「ならよォ、これはどうだァッ!!」

 

夜は深まる。更に漆黒へと。底が見えない奈落のように。突如として何もない空間から数十に渡る杭が射出される。

「――ぐッ」

 

これは流石に予期出来なかったのか、腹部に一撃を食らう甘粕。しかし、流石と言うべきか。それ以降のものは躱すか、拳で打ち砕く。

「くははははは、アレも防ぐかよ。いいぞ、最高だ。殺し合いはこうでなくちゃ、いけねえよなぁっ!」

まるで絶頂期かの如く、ヴィルヘルムは高揚としていく。不死に近い存在であろうと生を謳歌する。甘粕もまた奮起する。もっとこの男の輝きを引き出さなければと。おまえたちは素晴らしいのだと謳わせてくれと。腹部にある血杭が一瞬に膨張し、弾け飛ぶ。腹に空いた穴は初めから無かったかのように消失する。同時に甘粕の魂の密度もまた跳ね上がる。更に更に更に力強く。雄々しくあれと。 ヴィルヘルムもまた薔薇の夜を深め、高められた甘粕の力を吸いとり強化していく。次に攻勢に出るは甘粕。ただの踏み込みでいまにも崩壊しそうな屋上。地面に亀裂を走らせ、ヴィルヘルムへと詰め寄る。刹那、放たれる拳打。……ヴィルヘルムは防がない。前へ前へとこちらは攻勢にしか出ない。甘粕の拳打を受けたヴィルヘルムは一瞬と身体が硬直した。

「――グォッッ」

 

――重てェ、芯すらも揺らがす一撃、驚きを禁じ得ない。しかし、ヴィルヘルムはそれが愉しくて仕方がない。与えられる痛みが愉快だ。子供が初めて与えられた玩具に夢中になるように。ヴィルヘルムもまた、今の一時を楽しんでいる。

 

お返しといわんばかりに膂力に任せた一撃、そして甘粕の周りに包囲する数百、数千の杭。それが間断なく生える。当然の如く逃げ場所は……無い。甘粕に身に迫るそれら。人外の域に達している甘粕とて、防ぎ続けるのは難しい。今のヴィルヘルムに遊びはなく、容赦もない。

防ぐ、防ぐ、防ぐ、しかし、手傷もまた多くなる。いたるところ血を吹き、学生服はぼろきれになっている。それでも甘粕は歓喜し笑う。強い、強いなと。間近で伝わる意思の発露。それが善性、悪性、どのような想いが込められたものであれ、貫き通された一念は素晴らしい。この世界は想いが形になる。渇望、願い。言い方はそれぞれあるが、大体そのようなものだ。ならば甘粕の願いは何だ?人の輝きを勇気を無くしたくない。同時にそれを見続けいたい。ゆえ魔王となり人に試練を課す。それが甘粕正彦の願い。ヴィルヘルムに更なる試練を苦境を課したい。それに相応しいものを彼に与えなければと。己の力を高める。それだけで十分か?相手をもっと美しく輝かせることが出来るのではないか?意識を魂の奥底から己のルールを引き出す。イメージするのは悪魔の兵器。日本にとって消えない傷を残した核兵器。アラヤに繋がっていない、俺はそれを使えない。なるほど、確かにそのとおりだ。元より使うつもりはない。しかし、この世界には、この世界のルールがあることを甘粕は知っている。黒円卓という者たちと対峙して、より一層に。ならば出来るだろう。相手に相応しい試練を与えるために。人間に不可能はない。諦めなければ夢は必ず叶うと信じている。そしてこれこそが甘粕の形成にあたるもの。聖遺物は甘粕正彦の精神。――手を頭上へ掲げる。さあ、魅せてくれ、ヴィルヘルム・エーレンブルク。これにどう抗い、どのような強さを俺に示してくれる?声を爆発させるかの勢いで甘粕正彦は叫ぶ。広島を炎で包んだ、その名を。

「リトルボォォォイ!」

 

 

甘粕正彦の上空に出現した、それは過去の広島、1945年8月6日、焼失面積13200000㎡、死者118661人、負傷者82807人、全焼全壊61820棟の被害を悪夢を産み出した核兵器である。




あれ?可笑しいな。書いているうちに甘粕が核兵器を出したぞ?盧生の力じゃないから大丈夫ですよね?それにほらっ!まだ、け、形成ですし(白目)


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12話

甘粕とヴィルヘルム、二人が屋上で熾烈な闘いを繰り広げているなかで時刻は遡る。藤井蓮が綾瀬香純を見つけた、その時まで。

 

「香純っ!」

 

香純を見つけた蓮にいまだ安堵はない。気配を感じるのだ。苛烈な破壊音、ぶつかり合う戦意、ここに居てはいけない焦燥感。事態は切迫している。

 

「――蓮ッ、皆が!急に倒れちゃって……」

 

いまにも泣き出しそうな香純の表情、しかし、それでも気丈であろうとする、その姿は真に美しい。それに対して蓮の返答は……

 

「――逃げるぞッ、香純、ここに居ちゃいけない!」

 

それは言外に周りの者たちは見捨てるという宣言。藤井蓮の手は広くはない。何もかも取り零さずにいろなんて、どだい、無理な話だ。だから人には優先順位が存在する。藤井蓮にとって綾瀬香純はなによりも優先するべきものにすぎない。だからこそ、香純を無理矢理と腕に抱える。彼女が見捨てる訳ではないと。俺が無理矢理にお前を連れ出したのだと、そう語るように。

……しかし、それはやせ我慢。普段、交流が少ないクラスメイトであったが、顔見知りだ。そんな彼らを見捨てることしか出来ない、己の不甲斐なさが情けなくて仕方がない。……表情には出さないようにしているが、心で涙する。弱い俺ですまない。

 

――綾瀬香純は何もわからない。窓から見える夜の景色、全身を苛む疲労感、血を何十年も腐らせた、臭気。突然、倒れていくクラスメイト。その中でも何故か無事な私。当然、綾瀬香純が無事なのも理由がある。彼女はその自覚もないし、ひいては只の操り人形のようなものだが、今の彼女には本来ならば藤井蓮が有している力を彼女も持ち合わせている。それが幸運として働いた。香純もそれを有していなければ今頃は倒れているクラスメイトの中の一人に混じっていただろう。

香純は自分を腕に抱き抱えた蓮を見上げる。毅然としようとしているが、香純には解っていた。藤井蓮という男が傷付き、今なお、自分を守ろうとしていることを。……そんなあんただから、わたしは助けになりたいの……蚊帳の外は嫌だから。だからいま出来ることは彼を抱き締めること。わたしはここにいるよと知らせてあげるのだ。それが彼の安らぎになるのを綾瀬香純はよく知っていた。

 

遠くから聞こえてくる爆発音、校舎が軋みをあげている。別世界へ迷い込んだような気分。

 

常人離れした蓮の疾走。窓枠から飛び越えて香純を抱えたまま外に出る。常人なら墜落死もしくは骨折、それに類する怪我を負うものだが、蓮にその様子は視られない。前へ前へと校門へ疾駆する。

――そして、聞こえたのだ。その声が。甘粕正彦の声が。蓮は思わず、屋上へと目をやる。

 

「……何だあれは?」

 

理解が及ばない。蓮の強化された視覚に映ったのは某かの弾頭。よくテレビで爆撃機に搭載されているソレだ。上空に浮かんでいたのだ。ならば次に起こることは?自明の理だ。

 

「――ヤバいッッ!」

 

蓮は直ぐ様にここから離れようとする。それが無駄な行為であることは蓮自身がよくわかっている。しかしそれでも離れる。離脱する。……だが

 

「ッッ」

 

――出られない。何か見えない壁があるかのように激突したのだ。

――そして、もう遅い。

閃光が夜魔の世界を照らす。それは彼の世界を終焉させる浄化の光。産まれるは人工の太陽。全てを滅却する業火である。

 

もうどうにもならない。この身は灼熱の業火によって焼き付くされる。…………腕の中の香純と共に。

こいつを死なせる?目の前で?俺の手が届いているのに?

 

 

――ふざけるなッ!そんなことは絶対に認めない!

諦めたくないし、死にたくもない。俺は日常へと帰るんだ!

 

時間が止まればいい。そんなことを常に考えてきたのだ。ほら、爆発もまだ、ここまで届いていない。停止したと過言ではない、時の世界で蓮だけが動く。そしてある確信もあった。校門さえ抜けれれば自分たちは生還出来ると。あのこちら側まで届く、熱波を発する太陽が出来た瞬間、蓮は世界の軋みを感じたのだ。いまならば出られる。届け、届けと願う。一歩、また一歩と。

 

校門を潜り抜ける。大音響と一緒に背中に衝撃波を受ける。腕の中の香純だけは傷を受けないよう、しっかりと抱きすくめながら、数十メートルの長さまで弾き飛ばされる。意識が眩み、前後左右が判別できない。まともに意識を保てずに藤井蓮は目の前が暗転した。

 

 

 

「リトルボォォォイ!」

 

甘粕が形成させた、それは核兵器。対人戦闘に使用するものでは決してない。魔王(おれ)がもたらす試練をお前は突破してみせろ。自らの魂を燃焼させて光り輝くのだ!ヴィルヘルムに対して、そう問いかけているのだ。

 

「――な……んだとォ……」

 

 

相対していたヴィルヘルムも虚空へと浮かぶ、それを目視する。数多の戦場を渡り歩き、しかし、これを目にする機会はそうそうとないだろう。ヴィルヘルムに双眼に驚きの感情を映したのだ。

ザミエルのやつと同じ類の聖遺物かッ!

ヴィルヘルムの心胆に浮かぶ、それは間違いではあるが、しかし彼がそう解釈してしまうのも致し方あるまい。誰が想像できる?精神が聖遺物と化しているのだと。

だがしかし、ヴィルヘルムのそこからの対処もまた速かった。あれはもう形成された。ならば爆発する前に吸い殺せばよい。単純明快であるが効果あるだろう。

 

――それではつまらんだろう。

甘粕がそれを許さない。ヴィルヘルムの行動は確かに速かった。だが、それだけだ。

 

閃光が視界を潰す。続いて身を焼く灼熱。吸血鬼の弱点に十字架、白木の杭、銀の弾丸、そして太陽。発現した人工太陽はヴィルヘルムに捧げられた地獄の業火であろう。

「ぎ、……ガァァッッ!!」

 

ヴィルヘルムの恥も外聞もない咆哮。のたうち回りたくなるほどの激痛。肉体が一瞬にして炭化していき、生来持つ、生き汚さで刹那の時間、薔薇の夜に存在する爆炎に呑まれていない学園生徒たちを知覚し吸い殺して復元させる。これを以て試練と呼ぶのならば、この上なくヴィルヘルムにとって容易ではないだろう。

 

リトルボーイが生み出した破壊痕もまた凄まじい。学園は全壊どころか消滅し、中にいた学園生徒は皆すべからく死んでいるだろう。爆心地は地面がめくれあがり、目にしたものは間違いなく息を呑むだろう。大気は致死の放射能が撒き散らされ死の大地と変貌している。

このような災禍を生み出した甘粕正彦は満身創痍であった。それも当然だろう。リトルボーイの直下にいたのだ、これを受けて傷を負わないなどありえない。まったく呆れた話ではあるが、それでもなお、微塵の揺らぎも後悔もなく喜悦している。姿は満身創痍であろうとも何の痛痒も感じない。

勝負は決定的であった。ヴィルヘルムの全身は回復しきれず炭化しており、魂は今にも解れそうで散花しようとしている。このままでは時機にヴィルヘルムの持つ魂はスワスチカへと捧げられる。彼の弱点である火と太陽という猛毒を湯水の如くに浴びながら僅かでも生き延びたのだ。健闘したほうであろう。

 

(――負けるのか?おれが?……許せねぇ、こんなとこで負ける俺もッ……)

 

ヴィルヘルムは視線を甘粕へと移す。笑っている。嗤っているのだ。その程度かと?期待外れだといわんばかりに。

(許せねぇ、許せねぇよな、俺を嗤うだと、期待外れだといいたいのか、テメェは、この俺を!何よりもッッ!)

 

「俺があの人以外に負けるかァァ!」

 

ヴィルヘルムの憎悪と赫怒が混ぜ合わさった魂の絶叫が虚空へと轟く。俺は不死身だ。夜の俺は最強だ。敗北なんてあり得ねェ。

 

今にも崩れそうであったヴィルヘルムの異界、薔薇の夜。爆裂した想いがヴィルヘルムの創界を鋼の如く、補強ないし強化させる。

「日の光はいらねえ」

 

己が渇望をたぎらせる。高回転する内の熱量。器を破いてしまうぐらいに。

 

「ならば夜こそ我が世界」

ヴィルヘルムの全身からは鬼気が発せられ、血吸いの鬼の本性が表れる。

 

「俺の血が汚えなら」

 

甘粕は何も手出しはしない。お前はまだ何か手があるのか?立ち向かうと言うのか。

――素晴らしい。逆境において不屈の闘志でなお立ち上がるのはお約束だ。

 

「無限に入れ換えて新生しつづけるものになりたい」

 

さあ、詠えよ。おまえの願いを天へと轟かせてみるがいい。

 

「この、薔薇の夜に無敵であるため」

 

唯一無二の存在でありたい。黄金の尖兵、獣の爪牙に相応しい確たる存在として。

 

「恋人よ、枯れ落ちろ、死骸を晒せ」

 

ヴィルヘルムの身体は新生する。炭化した身体は徐々に炭が剥がれ落ち、そこには真新しい身体が産まれ落ちる。

 

「死森の薔薇騎士(Der Rosenkavalier Schwarzwald)」

 

漆黒の空は更に暗色を深めていく。闇一色の空間は圧を強めて甘粕を縛り収めていこうとする。

 

「ふ、ふははははははッ」

堪えきれない笑い声が甘粕の口から弾けた。ああ、良くやった!よくぞ、よくぞ、そこから持ち直した。何度でも言おうではないかッ。お前は素晴らしいと。

 

「――ああ、それでこそ、俺の愛する人間だ」

 

「人間?カハッ、おれは夜だッッッ!!」

それがヴィルヘルムの自負。人間のような弱小の生き物じゃ断じてない。我は吸血鬼、夜を住処とする王者である。

 

ヴィルヘルムの創造は最初期の戦闘とは段違いで力が跳ね上がっている。今ならば展開した創造によって常人をものの数秒で粉塵と化すだろう。

ヴィルヘルムの疾走、重力からの縛りから解放されたのかと眼を疑いかけないほどのもの、音速を軽く視ても超越している。戦い方は以前と変わりはないが威力の桁が違う。大気を引き裂き膂力にまかせたソレは黒円卓の団員であろうとも一撃の元でほふりかねない。

それを前に甘粕が移した行動にも眼を疑う。ヴィルヘルムの突き出された拳、それと同時に自分の拳をかち合わせたのだ。ぶつかり合う両者の拳。お互いに腕全般を血飛沫をあげる。何故と問われれば、そうしたかったからである。楽しくて仕方がない。沸き上がる無限の熱量。魂を烈火の如くに燃え上がらされてくれるのだ。方向性が違う両者の激情。しかし、介在の余地がないほどに二人は激突しあう。

虚空から四方八方、血杭が生える。もう数千どころの話ではない。万、否、それ以上か、際限しらずに生えるくる血杭林。

相対する甘粕もまた、負けていない。超高速で形成される、それは馴染み深い軍刀。刹那、神速の抜刀が薔薇の夜を切り払う。甘粕のもたらす一閃は数百の杭を同時に赤子の手を捻るが如くに斬滅させる。

 

不条理、常軌を逸した戦闘。たとえ戦巧者といえども、不可能がここに顕現されている。

 

ヴィルヘルムには理性がとっくに振り切っている。恐らく、生涯で最高の創造位階、聖遺物との同調。暴力装置のようなものとはなっているが、どこまでも研ぎすまされていく殺意。まさしく彼こそが夜の支配者に君臨するものである。

甘粕もヴィルヘルムの戦慄を覚えかねない在り方、歓喜し高揚する。沸騰する熱情が甘粕の総身を灼熱で焼いているようだ。ゆえにお前という漢ならば、これすらも耐えうるだろう、そう期待を籠めて、手を頭上に天へと届けと真っ直ぐにのばす。

 

「受けてみるがいいッ!ヴィルヘルム・エーレンブルクよ!。神なる雷ッ、ロッズ・フロム・ゴォォォッド!」

 

宇宙空間からヴィルヘルムに照準をあわせるそれは大気圏外に存在する巨大な銃口。大気を震わせ天空を切り裂く神の杖。狙い違わずヴィルヘルムへと真っ直ぐに突き進む。それはまるで物語の神々は人に裁きを下しているかのように。神なる雷の鉄槌を降り下ろしたのだ。

ヴィルヘルムは極限の域で気炎を噴火させ、甘粕に対峙していた。会話すら成りたたせることすらは今のヴィルヘルムには出来はしない。しかしながら、それでも、ソレを知覚していた。我が身に降り下ろされた神の鉄槌を。超音速に迫る弾丸は甘粕との戦闘をこなしながらでは避けることも叶わず。

 

 

「―――――ッッッ」

 

ヴィルヘルムの声無き絶叫。彼の抵抗は一切合切、無駄に終わる。均衡は崩れたのだ。何か掴み取るかのように天空へと差し伸べられたヴィルヘルムの手は、音ごと全てを甘粕がもたらした神の杖によって暴力的に塗り潰され昇華されてゆく。極光の中でヴィルヘルムの姿を僅かなながら視認は出来ていたが彼は呑まれ消えゆく。残るのは爆炎を幻視する黒煙の粉塵が舞い上がり、辺り一帯を埋め尽くしていた。

粉塵は徐徐に晴れてゆく。しかし、そこに残るのは…………何もない。何もないのだ。甘粕の敵手は塵一つも見付からず消滅させた。

 

 

「……ふむ、やりすぎたか。ああ、実に惜しい男を亡くしたものだ」

 

甘粕もまたそれを受け入れていた。加減をしては相手に失礼だと持ち出した、それが死なせる結果になってしまうとは人生、往々にして上手くいかぬものだ。ゆえにそれがまた楽しみの一つでもあるが。

「お前のことは記憶に刻み付けよう。ヴィルヘルム・エーレンブルク。誇り高き漢よ。甘粕正彦は真にお前のことを尊敬する」

 

甘粕なりの礼儀をヴィルヘルムが消滅したであろう場所へと向けた。そこにはヴィルヘルムが所持していた魂が散花し、ただただ浮遊していたのであった。ここに第二のスワスチカが開放された。

 




ああ、楽しかったです。この回は一番書いてて楽しかったです。ベイ中尉、頑張りましたよね。これ以上頑張れと試練を化せと皆さんは言いますか?


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13話

学園廊下、焦れるかのように櫻井螢は佇んでいた。今の彼女からは余裕の余地が感じられない。それぐらいにこの学園で邂逅した人物は螢にとって衝撃的であった。

 

甘粕正彦。その名前を螢は脳裏で反芻する。刻み付けられた、それは彼女に永劫、消えない傷として残るのではないのかと思わせるほどのものだった。個我が量を圧倒する。言葉にすれば単純なものではあるが、そう簡単な話ではない。少なくとも螢の短くも濃密な人生経験において、そのような人間は記憶にない。黒円卓には多種多様な人物はいた。何れもが常識はずれで鬼畜外道でもあることを。人の道という、無くしてはならない尊いものを塵屑であるかのように捨て去った者たち。中には例外はいたが、それも少数だ。今や、覚悟は有るとはいえ、その中にも自分も入っていることを皮肉げな感情が螢に浮かぶ。

しかし、それも霧散する。現状は別のことが気にかかる。どうでもいいわけではないが、脳を埋め尽くすは一人の男性。ロマンチック、もしくは乙女を想像させるものだが、現実は違う。有るのは、正体不明、未知に対する恐怖。だからこそ、拭いがたいそれを払拭するには彼のことを知らなければならない。故に、先ほど、学園へと登校してきた藤井蓮を知覚し、廊下の階段で待ち構えていたのだ。残念ながら、蓮には櫻井螢と問答する余裕など無いに等しかったが。だからこそ、目的の男と鉢合わせれば少しはましになるだろう。そこに自分も立ち会えばよいのだが、正直なところ、甘粕正彦と眼を合わせたくない、それが螢の胸中である。少し前に足早に去った蓮の足跡を視ながら、一人、溜め息をつく。こんなはずではなかった、心中に浮かび上がる泣き言めいた、それを切り捨てることが出来ない。

……味わいたかったのだ。学園生活というものを。自分はどうしようもないところに堕ちてしまった。暗中、闇一色の場所に。自ら望んだこととはいえ、光ある場所へ赴きたくなる。手が届かないのは仕方ない。切り捨てたものだから。しかしながら、そんな暖かい日溜まりのような、麗らかな日々があることを感じたかった。……この世は地獄ではないこと、確認するために。悲しいことがあろうとも本人の努力しだいではそれに勝る喜びがあることを。

 

「……兄さん、……ベアトリス」

 

螢の最愛の人たちの名前が口元から溢れる。貴方たちを喪った絶望を今でも夢見るほどに覚えている。

取り戻したい。愛しい人たちを。もう一度、一緒に笑い合いたい。望んだのはそれだけ。世間一般的には大層な願いではないだろう。何処にでもありふれた願いだ。されど、それが死者ともう一度、共に過ごしたいと言うのであれば話が違う。……本気で行動を起こせば、その人間は狂人だ。真っ当な人間ではない。

「あと、もう少しだよ」

 

螢の決意、狂人と呼ばれようが捨てきれない望み。例え、願う相手が悪魔の類いであろうが足を止めることは彼女には出来なかった。

螢のセンチメンタル、それを炎へと変える。螢の内部で燃料を注ぐか如くに燃え上がる。

だが、突如として螢の思慮に耽る行動を打ち切らねばなくなった。総身全てで感じたのだ。世界が切り替わる感覚を。螢は窓側へと駆け寄る。そこに写る光景は昼間の様相ではなかった。――夕焼け、夕焼けである。余りにも常軌を逸した光景。恐らく時計を視れば、未だ昼の時間帯を指しているだろう

 

その夕焼けすらも変わる。日は沈み、闇へと堕ちてゆく。昇るのは見上げる必要すら感じられない、巨大な満月。同時に身体中に掛かる倦怠感、否、そんなものではない。虚脱感と唱えたほうがいい。自分の身体中へと回ってる精気を悉く吸い尽くされる感覚。臭い、臭気もまた凄まじい。空間全体にこびりついた血臭が鼻の奥底まで届いていき、脳を直接、強打されているような錯覚を覚える。

「……創造」

 

螢は知っていた。常人なら理解が及ばない光景が炸裂しているが、彼女は違う。彼女もまた黒円卓の一員にして、創造位階へと達している身。なればこそ、この異常に直ぐ様、冷静になれた。ならば、だれがこれをやった?いや、深く考える必要性はない。昼から夜へと落とす。つまるところ、この創造を使用した人物は夜こそが自分のテリトリーと自負している。ならば簡単だ。黒円卓でそのような人物は一人しかいない。本人のキャラクター性がよく現れている。螢の脳裏には軍装を身に纏ったアルビノの鬼が浮かび上がる。

 

「……ベイか」

 

ヴィルヘルム・エーレンブルク。だが何故の疑問符が浮かぶ。いったい誰と戦うつもりだ?藤井蓮?いや、恐らく違うだろう。今の彼は弱すぎる。ベイ風にいえば、そそらねぇの一言である。……ならば「――甘粕、正彦」

 

それしかいない。それこそがヴィルヘルムの標的。しかも聞いた話では何やら昨夜に因縁すらも出来上がっているとのことだ。螢は納得と共に思考が研ぎ澄まされる。今のあれに何もするなと行動を縛るほうが難儀する。加えて、ここはスワスチカ。ヴィルヘルムが自重する理由が何処にも無い。猊下の命であれば、あるいは縛ることも可能ではあろうが、しかしながら行動が速すぎる。まさか、邂逅した次の日に即座に学園へ特攻するなど思いもしなかった。まして、初っぱなからアクセル全開。本能のままに生きている者たちは読みやすいが何から何まで突拍子もない。

 

状況が進むいま、螢のいる上の方からは爆裂音が炸裂している中で校舎全体がグラグラと揺れすらも感じる。そんな阿鼻叫喚とした現状の中心で、可笑しなことに生徒たちのざわめき声がいっさいとしない。これも予想は出来る。螢は手近なクラスの教室に扉へ手を掛ける。開け放たれた、そこに写し出された光景は半ば思い至るものであった。

精気を奪われ、手足から萎んでいき、死体同然と成り果てている人型の物体たち。まだ息はある。しかし、まだだ。少しも経たないうちに死体同然から死体へと変わるだけ。

 

螢は高速思考で頭を回す。どうするかは決まっている。先ずは屋外に出るために入った教室から窓辺に足を掛け跳び去る。一瞬の滞空、同時に着地。高速の疾走で校舎から離れる。そして屋上へと視線を伸ばす。離れた、ここからでも響く破壊の轟哮。対峙する二人の男。激烈な熱情はたとえどのような距離からでも伝わせることを可能としていた。学生服を纏う男、甘粕は無手であろうが関係なく果敢と攻めへと転ずる。及び腰なぞ、この男に存在しない。ほとんど、初対面である螢ですら、それを察することが出来た。そして、それはあの男、ヴィルヘルムもまた同じである。戦場こそが己の故郷を体現しているこれも喜悦し、血濡れた熱情で端整な顔を狂貌へと変貌させている。状況は拮抗していた。どちらに天秤が傾いても可笑しくない両者の実力。アレに割っては入る愚か者は螢含めて、この場にはいない。

だがしかし、均衡が取れた両者の実力だと、疑う余地が存在しないと螢は思っていたが、それは違った。遠視する螢の視界に映った甘粕の気配が変わっていく。螢の総身が一瞬、身震いしたのだ。この後に訪れる不吉を予期していたかのように。甘粕が天高々に掲げられた掌を見届けた瞬間

 

「リトルボォォォイ!」

 

甘粕の魔哮によって発現、形成されたソレを視界に入れたや否や、螢は自分の遅すぎる判断を罵った。即座に形成させた剣を一振り、地面に向かって振り下ろす。人外の膂力により地に大きな陥没が出来る。そこに身をスルリと忍ばせる。

 

刹那、空間の全てを圧死させる閃光が瞬く。薔薇の夜を崩壊させかねない人口太陽。

「く、ァァ―――ッ」

 

身を焦がす、熱量に悲鳴と絶叫が洩れそうになる。しかし鋼の意思にでそれを組み伏せる。炎の属性を宿している自分が圧倒的熱量によって滅ぼされそうになるなんて、心底どんな冗談だ。即席で造った塹壕が意味を為したかは螢にはわからない。それでも刹那の時間で某かの防御体制を取らなければと螢は行動に移したのだ。

 

再生と復元を繰り返す身体。数少ない魂を燃料とし、何とかこの場を切り抜けようとする。だが、それも終わる。人工太陽は沈み、また夜へと変わる。しかし、その薔薇の夜も今にも崩壊しそうな気配を螢は感じた。そして螢自身も致死に至りかねない高熱に身を焼かれながらも瀕死ではあるが、生きてはいる。呼吸は乱雑としており、外も中身も焼け爛れている。しかし、生きている。戦闘の余波でこちらまで損害を与えてくる馬鹿げた力に戦慄を覚えるが、更なる苦境が螢に課せられる。先程まで、今にも崩壊しそうであったヴィルヘルムの薔薇の薔薇が密度を増したのだ。道理が外れた界の支配力。ただでさえ、満身創痍な螢を苦しめたのだ。

「―――――ッッ」

 

もう悲鳴をあげる余力すらなく膝立ちから地面に倒れていく。朦朧とする意識の中で時間が曖昧となっていく。

 

(私、ここで死んじゃうのかな…………い……や、いや…だ、嫌だ!!)

 

私はまだ何も成していない。願いも叶えず、無為に無様に死に果てるのだけは櫻井螢の矜持が許しはしない。度重なる不運も自分の熱量へと変えて生存の欲求を高める。短い時間の間に愚直に生きることだけを考える。それが効を為したのか、幸運が運び彼女に手を伸ばしたのかは不明だ。

 

月が堕ちる。夜魔に爛々と輝いていた満月は跡形もなく消滅していく。螢の身体も身にまとわりついていた虚脱感から解放される。彼女もまた、それらに解放された安堵ゆえか気丈なまでに意識を保っていた糸がプツリと切れ、暗闇に沈む。並びに彼女は再度、心身共に甘粕正彦の名が刻み付けられた。

 




被害者、櫻井螢、加害者、甘粕正彦、ヴィルヘルム


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14話

波のせせらぎが聞こえる。押して、引いて、押して、引いてと波特有の音が蓮の耳を打つ。閉じた瞼の上からは赤い色が見える。開けるのも億劫な疲労感、肉体的ではなく精神的なものから来る疲労。しかし、未だ呆けた思考ではあるが、徐々に蓮は目を開いた。そこに写し出された光景は、見覚えのあるものだった。

夕暮れ時の、黄昏の浜辺。まるでそれは陳腐であるが、何処と無く人の眼を惹き付ける魔性、魅力があるのだ。絵画の一片を切り出したかのような光景、時が止まった世界。現実味の欠けた異常事態、しかし、蓮の素振りに焦りはない。

 

「ここは……」

 

寝起き特有の頭の重さに蓮の眉は顰めるが頭を振り、それらを吹き飛ばす。腕の中にいた香純はいない。それは当然だ。ここに彼女はこれない。蓮にもここがどういった場所かはわからない。夢の世界と言うには些か質量、重みがある。そこいらにある砂を手で握り締めれば、手の中の砂を実感出来るだろう。

もしくは彼女の為に誂えられた聖域なのかもしれない。知らず知らず蓮はその彼女を探しだそうと頚を動かす。たが、それは徒労に終わる。

 

――――血、血、血、血が欲しい。ギロチンに注ごう、飲み物を。ギロチンの渇きを癒すため。欲しいのは、血、血、血。

 

蓮の耳から入ってくるは異国の歌。異国の歌のはず、しかし、蓮には解るのだ。彼女が歌い上げる歌詞が、呪いの言葉が解るのだ。金砂の髪を浜辺から来る風で棚引かせ染みすら見当たらない陶磁の肌、夕焼けの日で煌めかせる。身形は白地のドレスを一枚、装飾品の一つも着けていない。しかし、彼女には必要のないものだろう。本当に美しいものはありのままこそが映えるのだ。だが、何処と無く様子がおかしい。時折と覗かせる憂いた表情、もしくは気落ちしている。澄んだ天使のような歌声を徐々に徐々に萎んでいき、歌を止めてしまう。ただ、浜辺のから押し寄せてくる波をジッと見詰めて立ち竦んでいる。蓮は彼女に声を掛けなければいけないという使命感、情動に動かされ赴くままに声を掛けようとした。

「――……」

 

声を掛けようとした藤井蓮の声帯は止まった。彼は気づいたのだ。今更ながら彼女の名前を知らないのだと。知っていることは断頭台の元で産まれた他者の頚を断つ呪いを帯びし忌み子ぐらいだ。それゆえか、生来持つものなのか、彼女には神秘性、他者に対する不可侵さがある。

 

罰が悪そうな表情に一瞬、顔を歪めるが気を取り直したのか再度、今度は声を掛けた。

 

「キミ、…………大丈夫か?」

 

咄嗟に出た言葉がそれだった。正直な話、蓮は女を慰めると言ったものは不得手である。それでも、彼女を気遣わなければいけないという己らしからぬ感情ゆえか、それを面に出さずに出来ているようだが。彼女は振り返る。眼を瞬かせる。しかしながら表情には陰りが見える。首筋には斬首痕と呼んでいい生々しい傷口があり、蓮は無意識に自分の首筋を触る。そこには彼女と同じの斬首痕、二人一組。

「…………」

 

「…………」

 

お互いに無言。こういうときは男から話題を切り出すのが役目と香純は言っていたな、そんなことが蓮の頭に思い浮かぶ。

 

「……そういえばお互いに名前、名乗ってなかったな。俺の名は藤井蓮。キミは?」

 

「……マリィ」

 

「マリィか……いきなり、こんなことを言うのも何だけど、悩みがあるなら聞くぞ。まあ、俺が力になれるかは分からないが」

まるで意中の相手をナンパしようとしているのかと疑いたくなる物言いだが、蓮にその意図はない。

 

驚き呆けたかのような翠の瞳、口を少し開け、すぐに閉じる。彼女はそれを繰り返す。自分で言いたい言葉が頭の中で纏まらないのか時間を要した。蓮も焦らせることはさせずにマリィの答えを待ち構えた。

 

マリィはナニかを思いだし震える身体を抑えることが出来ない。あるのは疑問、そして――

 

「……レン、わたし、わからないの。アレは何だったの?分からない、分からないよ……。レン、教えて?この気持ちは何?」

 

要領が得ない答え、そんな彼女の返答でもすんなりと蓮には得心したのだ。彼女の聞きたいことが。彼女のアレとは何か?彼女の気持ちとは?イメージが伝わる。生のままに己の思いに従い、誰に憚れようとも行動する人間。人間としての極大。彼女、マリィが指すアレとは……

「――俺の友人だよ。あの馬鹿は。それとマリィ、あいつのことを恐いと思うのも間違いじゃない。……俺も多分、初対面で今のあいつと会ったらびびるだろうし」

蓮の脳内には閃光で包まれる学園、そして背後から押し寄せてくる爆炎と天まで轟かす轟音。同時に最悪の予想、否、事実が現実で起きているだろう。蓮の胸中で渦巻く、憤怒、悲哀、嘆き、自分でも処理しきれない複雑怪奇の思いが巡る。

 

(……あの馬鹿が、何やってるんだよッ)

 

もうどうしようもないことを一人の友人が仕出かした事態にやるせなさを蓮は覚える。時間は戻らない。やり直しなんて出来ないしやってはいけない。それは今、生きている人間を侮辱している行いだから。それこそが藤井蓮の信条。

 

「恐い?恐い……恐い、恐い、あの人は怖いよ……」

 

それは亀裂とはまだ呼べない代物ではあるが、傷としてマリィの魂に刻み付けられたのだ。マリィの恐怖、そして蓮の危機感が同調または共振し、あの窮地を奇跡的に脱出することが出来た。

 

あの時、蓮は無意識ではあるが、彼女を感じたのだ。そして、何よりも、いまここで確信した。彼女こそが奴等と渡り合う為の武器であることを。しかし、葛藤も蓮にはあった。男として、それ以上に彼女をマリィをそんなことに使うべきではないと魂から告げられるのだ。直に対面してより一層に……

――しかし

 

「率直に言えばキミには関わらせたくないのが、俺の思いだ。何よりも怖がっている女を前線に立たせるなんてヘドが出る。……だけど、俺は弱い、無力だ……。今の俺が男の意地で大言壮語を吐こうが、最悪の事態を引き起こし兼ねない。――だから、どうかマリィ……、俺に力を貸してくれッ!そして約束する!何があろうとキミを守るとッ!」

自分自身の無力さを藤井蓮はよく解っていた。彼女を武器として使いたくない。その思いは当然ながらある。しかし、意地をはって守りたい奴等を守ることを叶わず、失って嘆くばかり。後悔後先立たずなんて、ふざけた道理にしたくはない。その蓮の想いを受け止めたマリィは

 

「――愛しい人(モン・シェリ)……」

 

マリィの返事を聞き遂げた刹那、同時に蓮の意識が本当の意味で覚めてゆく。浮上していく意識の中で蓮は最後に言葉を紡ぐ。

 

「ありがとう、マリィ」

 

 

 

 

耳障りな音、クラブミュージックが大音量で近くから流れているのがドアを隔てて蓮の耳に届いてくる。本来ならば、それほどに気にならないものではあるが、人並み外れた今の蓮の聴力ではただただ不愉快であった。そんなしかめっ面に蓮に対して気軽に飄々とした様子で一人の男が声を掛けた。「よお、お目覚めかよ、大将。気分はどうだ?って言うまでないか」

蓮がその男を視界に納めたときの感想が変わっていない。久しぶりの再会の心情がそれであった。服装がパンクもしくはステージ衣装を思わせるようなもの、口元に煙草をくわえ、煙を吹かしている。どこぞの不良息子かと、しかしながらどうにも様になっているその姿。その蓮の今、目の前にいる男の名が呟かれた。

 

「……司狼」

 

遊佐司狼。それがこの男の名前。藤井蓮と2ヶ月前、殺し合い染みた大喧嘩をやらかし合い、そのまま行方を眩ました友人だった。唐突の再会。当然ながら疑問はあり、知りたいこともある。だがそれよりも

 

「香純は?」

 

まずはそれだった。蓮は香純の安否の確認こそが最優先事項である。あのまっただ中で守りきった自信はあるが、それでも、もしかしたら怪我をさせたかも知れない。そして何よりも蓮の懸念は香純の記憶に殺人を犯したことが残っていないかが心配であった。何故、そんなことを知っているかは、あのとき、学園を脱出しようとした場面で本来あるべきところに力が香純から蓮へと移動したときに、記憶とともに戻ったのだ。連続首斬り事件の犯人が綾瀬香純である事実と共に。蓮は心の底から沸き上がる激情は居もしない神へと罵詈雑言を浴びせたい。何よりも自分自身が許せない。最も自分の近くにいた女を苦しませた現実に。真摯な女の思いを、無意識であろうとも利用したことに。これは罰だ。みっともなく日常にすがり付いた結果がこれだ。非日常に入ってしまったと自覚したなら清算するべきだったのだ。

「ああ?まだ寝ぼけてるのか。向かいのソファーを視てみろよ」

 

そこには先の激動を感じさせない平和呆けた安らかな綾瀬香純の寝顔が晒されていた。それに対して蓮は安堵を覚える。どうやら怪我ないし、恐らくではあるが、力の譲渡と一緒に記憶もないだろう。

 

「安心したかよ?まあ、様式美に倣って久しぶりだな、蓮。元気にしてたか?どうやら面白いことに巻き込まれているらしいな?」

 

 

司狼は薄笑いを浮かべながら蓮へと聞いてくる。何処と無く喜の感情を乗せた声色、勿論ながら蓮は楽しいも糞もなかった。あるのは軽い苛立ちと疲れである。されど、そんな彼には一時の休息も今のところは許されていない。

 

「まあ、まずはこれを視ろよ、お前の知りたいことが粗方、流れているだろうさ」司狼はリモコンを手にしてスイッチを入れる。同時にテレビの電源が付き、画面が写し出される。そこにはニュース速報、お馴染みのキャスターが登場してくるが注目すべきところは其処ではない。番組に出てくるテロップにはこうあった。諏訪原市、自衛隊による市民の緊急避難と。月之澤学園にて放射能汚染、過激派のテロ行為!?北の核弾頭か!?そこに属していた生徒の多数の死亡もしくは行方不明。

 

蓮の視界には何時ものニュースの字幕には現実味が欠けたものが流れていた。馬鹿馬鹿しさなどはなくキャスターもまたは真剣さを感じさせる。

 

蓮の不安は当たっていた。退屈な学園生活、しかし、無くしてはならないものの一つ。それが断末魔の軋みを上げて砕ける音が聞こえた気がした。そして司狼はテレビの電源を落とす。

「と、言うわけさ。これがオレ達の学園で起きたこと。だけどよ、オレも内部で何が起きたかはわかってねえ。で、いまオレの目の前に当事者がいる。蓮、何があった?いや、何がいた?」

 

最初は肩を竦めながらおどけて言っていたが、最後は薄笑いを消して司狼は蓮に聞いてきた。蓮は無言、答えようとしない。理性では話すべきことではない。元より喧嘩の末に縁が切れた。蓮はそう考え、現在も継続中。あちらも似たような考えであるだろう。だけど、例え、縁が切れたと思っていても、わざわざあんな人外魔境の中に司狼(コイツ)を入れるのは死にに行かせるものだ。

 

「おいおい、蓮。何を躊躇ってるかは長い付き合いだ、察しはするが生憎とおまえの事情を弁えて行動するなんてオレはしねぇぞ」

 

司狼は蓮の躊躇いをその言葉で切りかかった。そう、蓮もまた遊佐司狼という男がこういう人間であることを知っていた。物語の主人公は常にオレ。解りやすいし、どんだけ自信過剰なんだよと思いたくもなるだろうが、それは蓮とて同じ。譲れないし、譲らない。蓮は右手の掌を見詰める。ズシリと重みを感じる。いまこの腕には彼女がいる。蓮はそれがわかっていた。そして、異能と呼ぶべき力を行使できることを直感、本能で悟っていた。ここでその能力を使用すれば司狼は引くだろうかと一瞬、頭をよぎったが直ぐ様にそれを棄却した。むしろ反対だろう。嬉々として更なる深みに入るはずだ。断崖の絶壁から猛スピードで突っ込むような男だ。ならばどうすべきか?蓮は短い時間の間にそれを判断し、迷いを切り捨てた。元より己の力不足は痛感している。一人でやるには手が足りなさすぎる。

「……わかったよ。その代わりどんなに荒唐無稽であろうとも疑問を挟むな。全部、事実だ」

 

蓮のその答えに司狼はOKと返事をした。

蓮の語りは始まる。夜に出会った軍服の男女。そこからの襲撃。行使される人間離れした身体能力。一方的に嬲られたこと。翌日の学園にその仲間の一人が転入。そして甘粕正彦との対話。その後の再度の襲撃。突如と昼間から夜へと空間が切り替わる。炸裂する破壊音に、虚空に浮かぶ弾頭。身に迫る危機を感じ学園を脱出。少々略されてはいるが、大体の概要を蓮は語った。

「つまりは、だ。軍服の男と甘粕がかち合ったわけだ。つーか、何だ、アイツも人間やめてるわけかよ?その弾頭はあれだろ?核弾頭なんだよな。テレビ視る限りは」

 

司狼は蓮の話を聞き取り、顎でテレビの方を指す。

「多分、そうだと思う。だけど、甘粕はあいつらのような、いろんなものをごった煮したような腐臭は感じなかった。一人で飛び抜けているとでも言えばいいのか?」

 

蓮も首を捻りながら上手い言葉が見付からずに頭を悩ます。

 

「ふーん、まあ、取り敢えずは聞きたい話は聞けた。――エリー!聞いてたか?」

 

司狼は聞きたいことを聞けて満足したようだ。そして天井端に取り付けられているスピーカーに向けて、一声大きく人物名を叫んだ。

 

「聞いた、聞いた。何て言うのかな……アンタの友達、変わったやつしか居ないわけ?」

 

スピーカー特有のノイズが混じり女の声が部屋に響く。

 

「あれだろ?物語の主人公っていうのはいろんな人間を惹き付けるだろ?あれと同じだよ」

 

「自信過剰……。アンタらしいけどさ。藤井蓮くんも初めまして。あたしは本城恵梨依。エリーって呼んでくれればいいよ」

 

司狼に向けられる呆れ。どうやら二人とも気心が知れたなかのようだ。そして再度、司狼は蓮に向き直る。

 

「で、だ。蓮、おまえも気にはならないか。おまえを襲ったやつらの正体を」

 

「当然だ、あんなふざけた連中を見過ごすことは出来ない」

 

蓮のそれは正義感というよりも気持ちが悪いものを排除したいという嫌悪感から来ている言質であった。

 

「いま、エリーが連中のことを調べてた。一つだけ、明確にするなら連中が所属している団体名だ」

 

そこで二人の男女の声が重なり、その名が告げられた。

 

「聖槍十三騎士団」

 

それがこれから蓮たちが敵対する者たちの集団名であった。藤井蓮もまだまだ長い夜が続く予感を覚えるのであった。




マリィ怯えるの回でお送りします。


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