艦これ小話 (雨守学)
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初期艦、叢雲

あの人が司令官として着任して、初めての艦娘が私だった。

ずーっと、見てきた。

隣で、ずっと、一緒に、この鎮守府で。

 

 

 

「叢雲ちゃん」

 

「夕張さん」

 

「ねえ、叢雲ちゃんって、提督にとって初めての艦娘なんでしょ?」

 

「えぇ」

 

「最初の提督ってどんな感じだった?」

 

「どうもこうも…戦略も資材管理もダメダメだったわ…。本当…手間のかかる奴だったわ」

 

「へぇ、じゃあ、それからこれだけ大きくなったのは、叢雲ちゃんのおかげなの?」

 

「…まあ」

 

「提督は叢雲ちゃんの事、なんて言ってるの?」

 

「…別にどうも言わないけど」

 

「そうなんだ」

 

「…夕張さん、そんなにアイツの事聞いてどうするの?」

 

「ん、いや…なんというか…提督は叢雲ちゃんの事、どう思ってるのかと思って…」

 

「本人に聞いた方が早いと思うわ」

 

「あ、いや、その…逆に、叢雲ちゃんはどう思ってるの?」

 

「私?別に…ただの司令官よ。私は秘書艦として当然の事をしているだけだし」

 

「そっか。じゃあ…言っちゃおうかな…」

 

「?」

 

「実はね?私、提督の事が…その…好きになっちゃってね…?」

 

「…え?」

 

「ほら、叢雲ちゃんって初期艦だし、未だに秘書艦だから…提督にとって特別な艦娘じゃない?だから…その…もしかして…どうなのかな…って…」

 

「…そう。そうなのね。別に私は、アイツの特別なんかじゃないわ。秘書艦だって、そろそろ変えなきゃって思ってるだろうし、夕張さんを推薦しておくわ」

 

「本当?ありがとう叢雲ちゃん!」

 

「応援してるわ」

 

 

 

自室に戻ると、窓から零れる光の中を舞う埃が見えた。

そういえば、しばらく自室を掃除していなかった。

ずっと、執務室にいた。

ソファーで寝て、アイツの仕事を手伝って…。

 

『私、提督の事が…その…好きになっちゃってね…?』

 

「ふふふ、意外とモテるのね、アイツ」

 

ベッドに座ると、より一層埃が舞った。

 

「掃除…しないとな…」

 

 

 

執務室には、ペンの走る音と、時計の針の音が聞こえるだけだった。

いつもの音。

もうずっと、聞いている音。

 

「そろそろ休憩にしたら?」

 

「ん、そうだな。丁度、手が痛くなってきた所だし」

 

「アンタ、気がついてる?いつも決まった時間に手が疲れてるの」

 

「そうか?どれくらいだ?」

 

「50分」

 

「50分か…」

 

「着任したての頃から、ずっと変わってないわ」

 

「まるで成長してないな」

 

「本当よ。未だに羅針盤に嫌われてるし」

 

「運がないのも変わらんな」

 

「本当よ。私だって未だに秘書艦だし」

 

「すまないな。ずっとやらせてしまって。休みたいか?」

 

「…そうね。そろそろ秘書艦を変えたらどう?夕張さんなんか、私はいいと思うけれど」

 

「お前が言うんなら、そうなんだろうな」

 

「それに、彼女言ってたわよ?アンタの近くで働きたいって」

 

「俺に気があるのかもしれんな」

 

「…そうね」

 

「…どうした?」

 

「なにが?」

 

「そこは、「馬鹿じゃないの」じゃないのか?」

 

「それはいつもの事じゃない。アンタって、案外モテるのよ?」

 

「ほう、心当たりがあるのか?」

 

「さあね、どうかしら?」

 

「そう言うという事は、心当たりがあるんだな?誰だ?」

 

「馬鹿な事言ってると、仕事手伝ってやんないわよ?」

 

「分かった分かった」

 

「ほら、仕事仕事」

 

 

 

「もうこんな時間ね。私、自室に戻るから」

 

「珍しいな」

 

「いつまでもこんな生活したくないのよ。秘書艦の件、考えといてよ。引継ぎの資料はあるし、いつ変えたっていいんだからね」

 

「分かった。お休み」

 

「ん」

 

 

 

掃除したての自室。

これからは、マメに掃除できるのね。

 

「星、この部屋から見えたんだ」

 

じっと空を見つめていると、流れ星のようなものが見えた。

 

「本当に一瞬なのね」

 

しばらく、じっと、星空を見ていた。

これからは、毎日、見れる。

 

「…でも、もう、なんだか、飽きちゃったな」

 

その時、すぐ下の堤防に夕張さんが見えた。

夕張さんも私に気が付いたのか、手を振っている。

 

 

 

「ごめんね、呼ぶつもりはなかったんだけど…」

 

「手を振ってるから、来いって意味なのかと思ったわ」

 

「ごめんね」

 

「それより、こんな時間に何してたの?」

 

「ん、実はさ、見て」

 

夕張さんの指す方向に、執務室が見えた。

 

「ここからだとね、提督の姿が見えるんだよ」

 

「へぇ」

 

「私ね、いつもここから提督を見てたんだ」

 

「いつも?」

 

「うん。今日も頑張ってるなって」

 

「いつもって…今日みたいな寒い日とかも?」

 

「うん」

 

「…本当に好きなのね」

 

「…うん」

 

そう言うと、夕張さんは、冷えて紅くなった頬を、より一層紅くした。

 

「…そう言えば、秘書艦の件だけど、アイツに言っておいたわ」

 

「ありがとう。でも、叢雲ちゃんはいいの?」

 

「いいのよ。私だって、部屋の掃除が出来ないくらい忙しい仕事は嫌だと思ってたし。この星空だって、私、知らなかったのよ?こんなに見えるの」

 

「それだけ提督と一緒にいれるんだ。やっぱり秘書艦っていいね」

 

「…あ」

 

ずっと、一緒。

そっか。

部屋を掃除する時間も、星を見る時間も、全部、全部、アイツと一緒にいた時間と同じだ。

ずっと、ずっと、そうやってきたのに、一度だって、星空のように、飽きたりしたことはない。

案外、好きだったのかな。

いや、好き。

好きだ。

秘書艦の仕事。

アイツといる時間。

部屋の掃除より、星空より、なによりも、大切な時間。

ずっと、ずっと、一分一秒を、大切に、大切に、大事に、大事に、想ってきたんだ。

夕張さんだって、欲しい時間。

そんな、宝物のような、時間。

 

「ありがとう、叢雲ちゃん。提督の秘書艦になれたら、何しようかな。甘いものとか食べるかな?」

 

「アイツは…あまり甘いもの食べないわ」

 

そう。

どっちかって言うと、しょっぱいものが好きなのよね。

いつだったか、手作りお菓子に文句をつけてきたから、わざと砂糖を塩に変えてお菓子を出してやったっけ。

あの時の慌てる顔、面白かったわ。

 

「そっか。じゃあ、何が好きかな?」

 

「手作り料理なら、子供みたいな奴だから、ハンバーグとか好きよ?しかも、ケチャップのかかったやつ」

 

そうそう。

アイツ、ハンバーグ好きなくせに、作り方も知らなかったのよね。

空気を抜くのを忘れて、焼いたときに崩れて…。

でも、味は良かったな。

 

「ハンバーグか。じゃあ、カレーとかも好きかな?カレーは得意なの」

 

「カレーに関してはうるさいわよ。少しでも辛さが合わないと、食べないんだから」

 

カレーは大変だったな。

何回も何回も、試行錯誤したっけ。

やっとアイツの好みに合ったカレーが作れたのよね。

レシピ、夕張さんに渡さないと。

引継ぎ資料にいれておかなきゃ。

 

「…叢雲ちゃん」

 

「なに?」

 

「やっぱり…提督の事、好きなんでしょ?」

 

「はぁ?なんで私が…」

 

「じゃあ、何で泣いてるの?」

 

「え?」

 

夕張さんの方を向くと、夕張さんの姿がゆがんで見えた。

瞬きをした時、頬を伝う涙に、気がついた。

 

「私ね、本当は知ってたんだ。叢雲ちゃんも、提督も、絶対に、崩れる関係じゃないって。ごめんね、試すようなことして。でもね、提督が好きなのは本当なの」

 

「…」

 

「だからと言って、叢雲ちゃんから奪おうとかそういう気持ちはなかったんだよ?ただね…確かめておきたかったんだ…叢雲ちゃんの気持ち…」

 

「私は…別に…」

 

否定しようとすればするほど、胸が締め付けられる。

そして、それが段々と、顔に昇ってきて、涙と、抑えられない声となって、溢れた。

 

「叢雲ちゃんの気持ちは本物なんだね。ありがとう。これで、すっぱり諦められるわ」

 

「夕張…さ…ん…」

 

「…提督、まだ仕事しているようよ。行ってあげたら?」

 

「…うん」

 

 

 

顔を洗った後、執務室の扉を叩いた。

 

「おう、どうした?」

 

「眠れないから、仕事、手伝ってあげるわ」

 

「お、助かる。しかし、どう言う風の吹き回しだ?」

 

「別に…」

 

「そうか」

 

執務室は、やはり、ペンの走る音と、時計の針の音が聞こえるだけだった。

いつもの音。

もうずっと、聞いている音。

 

「そうだ。叢雲、秘書艦の件だが」

 

「考えといてくれた?」

 

「やっぱり、俺にはお前がいないと駄目そうだ。夕張も優秀だが、空気が変わるから集中できないし、続けて欲しいんだが…」

 

今度は、胸の締め付けより先に、溢れてしまった。

 

「叢雲!?どうした!?そ、そんなに嫌か…?」

 

「違うわよばかぁ…」

 

まさか、アンタの前で泣く日が来るなんてね。

ずっと一緒にいるのだもの、こう言う事があっても、おかしくないか。

司令官は、私の気持ちに気がついたのか、少し微笑んだ。

 

「俺の好みのカレー知ってるの、お前だけだしな」

 

「そうよ…。だから…ずっと…一緒にいなさいよ…!」

 

「こっちの台詞だよ。秘書艦は変えない。だから、もう二度と、あんなこと言うんじゃねえぞ」

 

「あんたこそ…!夕張さんにすれば良かったとか、弱音吐く事になるわ…!私は夕張さんみたいに甘くないから…!」

 

「ご存知の通り、俺は甘いものよりしょっぱいものが好きなんだよ」

 

そう言うと、私の涙を拭いた。

 

 

 

執務室には、ペンの走る音と、時計の針の音が聞こえるだけだった。

いつもの音。

もうずっと、聞いている音。

 

「そろそろ休憩にしたら?」

 

「まだ50分経ってないんだが?」

 

「わざと手を酷使したでしょ?50分より早く疲れるように」

 

「クソ、ばれてたか」

 

「それに、落書きしてたでしょ?ペンの音で分かるわ。全く…サボってないで仕事しなさいよね」

 

「あーあ、やっぱりあの時、夕張を秘書艦にしてた方が良かったかな」

 

「ほーら言った」

 

「最近はしょっぱいものばかりで甘い物が欲しいんだよ」

 

「…じゃあ、これで我慢すれば?」

 

「なんだこれ?」

 

「チョコよ。ほら、今日ってバレンタインらしいじゃない?誰かが貰いすぎて落としたのを貰ったのよ。あげる」

 

「いや、いらないわ。誰かが落としたやつとか…」

 

「よく言うわ。食べ物落としても、3秒ルールとか言って食べるくせに」

 

「自分で落としたのならともかく、誰かってのはなぁ」

 

「…」

 

「でもまぁ、なんかしょっぱそうだし、貰っておくよ。ありがとう」

 

「…ばか」

 

執務室に、笑い声が響く。

いつもと違う音。

だけど、これからもずっと、聞くであろう音。



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早霜と冷たい手

一度だけ…一度だけれど、司令官の手に、振れたことがある。

お酒を渡すときに、一度だけ。

でも、私は、あの温もりを、何度も、何度も、思い出していた。

 

 

 

「もうこんな時間か」

 

「司令官、そろそろ、お休みになったほうが…よろしいのでは…?」

 

「いや、少し夜風に当たってから眠るとしよう。どうも、最近眠れ無くてな」

 

「駆逐艦たちとお昼寝…しているからですよ」

 

「平和な証拠だ」

 

「お仕事だって…サボっているわ…」

 

「代わりに、こうして夜にやっているだろう」

 

「そんなんじゃ…体を壊すわ…」

 

「心配してくれているのか」

 

「秘書艦…ですから」

 

「私より自分の心配をしたらどうだ。秘書艦とはいえ、私にずっと付き合っている必要もなかろう。今日くらい休め」

 

「お陰様で…私も、最近は眠れないのです」

 

「そうか。では、一緒に来るか?」

 

「はい」

 

そう言って、私達は、すっかり暗くなった鎮守府を、二人して歩いた。

季節は冬。

息が凍り、時々現れる外灯の光が、それを白く輝かせた。

 

「寒くないのか?そんな格好で」

 

「海の方が寒いわ…」

 

司令官は、そんな私に、自分の上着を羽織らせた。

 

「海ではこういう事も出来ないからな。せめて、こういう時くらい、格好付けさせてくれ」

 

上着には、司令官の匂いと、温もりが、残っていた。

 

「嬉しいけれど、これだと、司令官が冷えてしまうわ…」

 

「なに、私は丈夫だ。医者にだって、もう何年もかかっていない」

 

強がる司令官は、やはり、寒そうだった。

私は、温めてあげたかったけれど、自分の手が冷たいのと、司令官の手に触れることが、許されない事な気がして、何も出来なかった。

波の音が、寂しく、私の心を揺らした。

 

「もう少し歩くか?」

 

「いえ、戻りませんか…?帰って、一杯…どうですか?熱燗でも…作りますよ…」

 

「それもいいな。よし、戻ろうか」

 

 

 

「お待たせしました」

 

「すまないな」

 

「お注ぎいたします…」

 

「お、では」

 

司令官が御猪口を構えた時、ふと、自分の手が、熱燗で温められている事に気がついた。

そして、気がつくと、司令官の手を、両手で、握っていた。

 

「早霜?」

 

「あ…」

 

自分でも驚いて、すぐにその手を放した。

 

「ごめんなさい…」

 

やってしまった。

何度も、何度も、想っていた、その手に、触れてしまった。

想うだけで、よかったのに。

 

「早霜、手を出せ」

 

「え?」

 

「いいから」

 

司令官は、私の手を、無理やり引き、握った。

 

「小さくて、綺麗な手をしているのだな」

 

そう言って、何度も、何度も、私の手を揉んだ。

司令官の手は、最初は冷たかったけれど、段々と、私と同じくらい、温かくなった。

それほどに、何度も、何度も、揉んでいた。

 

「司令官…熱燗…ぬるくなってしまうわ…」

 

照れ隠しだった。

でも、そうだとバレるように、小さく、そう、呟いた。

そんなものだから、司令官も、何も言わず、ずっと、私の手を揉んでいた。

手から伝わる、司令官の心。

私のそれも、司令官に伝わっているのかしら、なんて、一人、赤面した。

 

「ありがとう」

 

そう言って、司令官は、私の手を放した。

ジンジンと、まだ、手を揉まれている感覚が、残っている。

 

「熱燗が冷えてしまったな」

 

「お作りなおし…しましょうか…?」

 

「いや、今日はやめておこう。十分、温まったしな」

 

そう言った司令官の目は、どこか官能的で、私はまた、赤面した。

 

「今日は良く眠れそうだ。ありがとう。早霜」

 

「…はい」

 

声が霞む。

それほどに、私の体は火照り、喉を嗄らしていた。

 

「司令官…」

 

そんな声で、去る司令官を呼びとめた。

 

「なんだ?」

 

「明日も…夜風に…当たりに行きましょう…」

 

「ああ、その時は、また温めてくれ」

 

 

 

「あれ~?早霜、手袋買ったの?」

 

「はい。巻雲姉さんは…袖が長くていらなそうですね」

 

「懐炉もあるからね~」

 

「懐炉?」

 

「ほら、こうやって揉むと…はわわわわ!破れて中身が…中身が…!」

 

「懐炉…それがあれば…いつでも手を…」

 

「早霜~…見てないで助けてよ~…」

 

「塵取りを持ってきますね」

 

 

 

「そろそろ夜風に当たりに行くか」

 

「はい」

 

「お、今日は手袋をしているのだな」

 

「懐炉もあります」

 

「懐炉か。一つ貸してはくれないか?」

 

「駄目です」

 

「え?」

 

「司令官の手は…私の手で…温めます…フッ…フフフフ…」

 

「そうか、じゃあ頼むよ」

 

からかったのに、司令官は、ちっとも赤面せず、逆に、その返しに、私がやられてしまった。

私は、その抵抗として、司令官の手を握った。

でも、すぐに。

 

「今日も良く眠れそうだな」

 

そう言って笑った司令官に、抵抗虚しく、赤面した。

 

「それじゃあ行くか」

 

「…はい」

 

今日も、冬の空気が、私達の息を凍らせた。

空は澄んでいて、オリオン座が綺麗に見えた。

外灯に照らされた影が二つ、寄り添ったまま、私達の前に現れ、伸びたかと思うと、薄くなって、やがて消えた。

それが、何度も、何度も、続き、やがて、終わった頃、ふと、後ろを見ると、遠くに、鎮守府が見えた。

 

「こんなところまで…」

 

そう零したとき、ふと、気がついた。

 

「普段なら、寒くて引き返してしまうが、こうも温かいから、こんなところまで来てしまったのだな」

 

私の気がついた事を、司令官は、こうもペラペラと喋る。

 

「気障な男…」

 

「ん?」

 

「いえ、何でも無いわ。もう少し…ここで…星を見ましょう…?」

 

「ああ」

 

そう言って、ちょっとだけ、強く、手を握った。



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時雨と雨

そいつは、いつも雨の日になると、傘も持たずに外に出る。

 

 

 

「時雨~!風邪引くぞ。早く戻って来い!」

 

「うん。分かった」

 

雨でほとんど聞こえない。

だが、口はそう言っているように見えた。

 

 

 

「全く、お前はいつもいつも」

 

濡れた髪を拭くのは、いつも俺の役目だ。

雨の降った日は、必ずといっていいほど、こうしている。

 

「お前は本当に雨が好きだな」

 

「うん、好き。提督は嫌い?」

 

「服が濡れるから嫌いだ。子供の頃、服が濡れて泣いた事もある」

 

「あはは。変なの。どうして海軍にいるんだろうね」

 

「全くだ」

 

ドライヤーで乾かして、髪を整えてやる。

 

「ほら、終わりだ。もうやらんぞ」

 

「…それは残念だ」

 

「馬鹿な事言ってないで、部屋に戻れ」

 

「うん。ありがとう、提督」

 

これが雨の日の日常。

あいつ、俺を困らせようと、わざとやってるんじゃないだろうか。

 

 

 

しばらく晴れの日が続いた。

こうも気持ちのいい日は、お気に入りの場所で、のんびりしている。

俺だけしか知らない穴場だ。

 

「提督」

 

振り向くと、時雨がいた。

 

「いつもいないと思ったら、こんな場所にいたんだね」

 

「見つかっちゃったか」

 

「穴場だね。ここ」

 

「だったんだがな」

 

「ごめんね」

 

「いいさ」

 

「いつもこうしているの?」

 

「天気のいい日は、こうしている。ここは静かだ」

 

「鎮守府は賑やかだもんね」

 

「もう少しすれば、ここの賑やかになる」

 

「蝉?」

 

「あぁ。だけど、あいつらよりは静かだ」

 

「だろうね」

 

遠くの入道雲が、ゆっくりと動いた。

それと同時に、涼しい風が吹いた。

潮の香りのおまけつき。

 

「…僕もここに来ていいかな?」

 

「誰にも言わないならいいぞ。夕立なんかに知られた日にゃ、俺の安らげる場所がなくなる」

 

「もちろん、そのつもりさ。僕と提督だけの秘密」

 

そう言って、時雨は笑った。

何がおかしいんだか。

 

 

 

それから、俺が行くたび、時雨は穴場に現われた。

最近では、水筒や日傘を持参したりしている。

 

「暑いね」

 

「図書室のクーラーは涼しいぞ。わざわざこんなところに来なくても」

 

「クーラーは冷えすぎるんだ。ここの風が、丁度いい」

 

「奇遇だな。俺もだ」

 

何もしない。

ただ、こうやって、他愛のない会話をして、時間になったら帰る。

それだけ。

それだけの事なのに、こいつはいつだって、つまらなそうな顔を一度も見せた事が無い。

 

「そろそろ帰るか」

 

「うん」

 

 

 

その日は、雷鳴轟く、嵐だった。

 

「雨、止まないね」

 

「しばらくは雨だそうだ」

 

「あの場所にも、しばらくはいけないんだね」

 

「ああ。だが、お前は雨が好きなんだろう?良かったじゃないか」

 

「最近は雨が嫌いかな」

 

「そんなにあの場所がお気に入りか?」

 

「そんなところかな。それに、髪が濡れたら、もうやってくれないんだよね?」

 

「やらん」

 

「なら、ますますかな」

 

やはり俺への嫌がらせか。

 

「ふん。嫌なやつだ」

 

「え?何か気に障るようなことを言ったかな?」

 

「…なんでも」

 

新聞の天気予報に、晴れのマークは一つもなかった。

 

 

 

愚図ついた天気。

今にも雨が降りそうな、そんな天気。

 

「提督、あの場所にいかない?」

 

「こんな天気なのにか?今にも雨が降りそうだ」

 

「傘もあるよ」

 

「俺はパスだ」

 

「折角、雨が上がったのに」

 

「あの場所は晴れてるからいいんだよ」

 

「…そう。じゃあ、髪やってよ」

 

「もう整ってるだろう」

 

そう言ってやると、時雨は、自分の髪をぐしゃぐしゃにし始めた。

 

「おいおい」

 

「これでいいかな?」

 

「嫌がらせか?自分で直せ」

 

「じゃあ、髪はいいから、一緒にあの場所に行こう?」

 

「どっちもパスだ」

 

「じゃあ…提督はいつ…僕と二人になってくれるんだい…?」

 

「え?」

 

髪のぐしゃぐしゃになった時雨は、捨てられた子犬のようだった。

今にも泣きそうな、子犬。

 

「僕は…雨が好きなんじゃない…。あの場所が好きなんじゃない…。僕は…提督と二人になれるのが、嬉しかっただけなんだ…」

 

雨の日。

傘も持たずに外に出る時雨。

そうだ。

誰が呼んでも、時雨は振り向きもしなかった。

なのに、俺の声の時だけは、振り向いて返事をした。

嫌がらせだと思っていたけれど、なるほど、そうだったのか。

それに、あの場所を知ってから、雨が降っても、こいつは、一歩も外に出なかった。

 

「どっちもパスなら…僕と二人っきりの時間を…作ってくれないかな…?雨が降った日でも…二人になれる時間を…」

 

 

 

執務室の窓を、大粒の雨が叩く。

時折吹く風も、また、窓を叩く。

 

「今日も雨だね」

 

「ああ」

 

「やっぱり、雨は嫌い?」

 

「ああ」

 

「…ごめんね」

 

「だが…」

 

「?」

 

「最近は、少しだけ、好きになりつつある」

 

「…そっか」

 

「晴れたら、またあの場所に二人で行こう」

 

「うん」

 

もうそろそろ蝉も鳴く頃だろう。

そうしたら、もう少し近づいて話をしよう。

お互いの声が、良く聞こえるように。



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鳳翔と背中

私は、提督の顔をよく見た事がない。

見るのは、いつも背中。

こうもずっと、一緒にいるのに。

 

 

 

「提督ゥ~…こっち見るデース」

 

「見るならこっちを見てよ」

 

「陸奥なんかより私の方が可愛いネ!」

 

「はあ?私に決まってるわよ。そうよね?提督!?」

 

「提督ゥ!」

 

「ハハハ…はぁ…」

 

時々、思う。

私も、この人を、困らせてみたいなって。

そうしたら、どんな顔をするんだろうって。

 

「次の演習でMVP取った方が、提督に構ってもらえる…それでいい!?」

 

「望むところネ!提督、待っててネ!」

 

「分かった分かった…早く演習に行け」

 

「「はーい」」

 

「全く…」

 

こう言う時の提督の顔は、困ったというよりも、どこか嬉しそうだった。

私も、あんな表情を引き出したい。

提督の目の前に、向きたい。

提督の顔を、私の瞳に焼き付けたい。

提督の瞳にも、私の姿を、焼き付けたい。

 

 

 

「鳳翔さん!」

 

「雷ちゃん。どうしたの?」

 

「あのね、鳳翔さんに聞きたいんだけど、どうしたら、秘書艦になれるかしら?」

 

「そうね…」

 

「やっぱり鳳翔さんみたいに、司令官のお手伝いをすればいいのかしら?私も司令官の為に何かしたいの!」

 

「その気持ちがあれば、いつか秘書艦になれますよ」

 

「本当!?よ~し、じゃあ早速お手伝いしてくるわ!司令官~!」

 

「…」

 

秘書艦か。

確かに、提督の事が好きだという艦娘にとっては、憧れなのかもしれない。

でも、秘書艦になってしまったら、あの人の背中を、ずっと見る事になるのよ。

あの人の手伝いをするだけの、都合のいい艦娘になるのよ。

 

「…何を思っているのかしら…私…」

 

それが艦娘。

当然だ。

なのに、いつからだろう、この着物も、秘書艦という仕事も、窮屈に、感じ始めたのは…。

 

 

 

「はぁ…」

 

「珍しいですね。鳳翔さんがため息ついているなんて」

 

「赤城さん」

 

「そんな時はご飯を食べるといいですよ!元気の源は、ご飯にありますから」

 

「…そうですね。私も、お昼に…あ、提督の分も作らないと…」

 

「…鳳翔さん、働きすぎじゃないですか?」

 

「え?」

 

「提督はそれに甘えすぎです!鳳翔さんがこんなに頑張っているのに、提督が鳳翔さんに何かしてあげているの、見た事ありませんよ」

 

「それが秘書艦の仕事ですから」

 

「にしても…そうだ、提督の事、困らせてみませんか?」

 

「え?で、でも…」

 

「鳳翔さんだって、ちょっとはそういうこと、して見たいと思ってるんじゃありませんか?」

 

「そ、そんな事は…」

 

「顔に書いてありますよ」

 

「え!?」

 

私は咄嗟に顔をさすった。

書いてあるわけないのに。

 

「ほら」

 

「あ、赤城さん!」

 

「ま、どちらにせよ、提督には鳳翔さんの大切さを理解させないといけません」

 

「は、はぁ…」

 

「私が考えた作戦があります。フフフ…」

 

赤城さん…なんだか面白がってる…。

でも、なんだか、ドキドキしてきた。

提督を困らせる。

私に、振り向かせる。

本当に、そんな事…。

まだ何もしていないのに、背徳感が私を襲った。

 

 

 

「て、提督…お昼を…お、お持ちしました…」

 

「ん…」

 

提督は書類から目を外さずに、簡単に返事をした。

いつもの事だけど、他の艦娘にとっては、酷い事なのかな。

現に、執務室の扉の隙間から、赤城さんの殺気を放つ視線を感じるし…。

 

「こここ、ここに…置いて…おきますから…」

 

「ああ…」

 

提督はやはり、視線を外さなかった。

そうして、私はそそくさと執務室を後にした。

 

「き、緊張しました…」

 

「もう!なんなんですか!提督は一回も顔を上げなかったじゃないですか!」

 

「そ、そうですね…」

 

「せっかく鳳翔さんがお昼を持ってきてくれたというのに…あああ!なんだか腹が立ってきました…」

 

「お、落ち着いてください…」

 

「でもまぁ…フフフ…鳳翔さん、提督がアレを見てどういう顔をするのか…ここからこっそり見ていましょう…」

 

「は、はい…」

 

赤城さんと私は、執務室の扉の隙間から、提督の様子を見ていた。

なんだか、この状況も、イケナイ事をしている気がして、ドキドキする。

やがて、仕事が終わったようで、提督は顔を上げた。

 

「さて、お昼に…」

 

そこで、提督の顔が固まった。

そして、無言で、机の上に置かれた、お湯の入ったカップめんを手に取った。

 

「フフフ…早く食べないからですよ…。伸びきり、冷めたカップめんを見て、後悔するといいわ…!」

 

提督は、しばらく固まっていたが、カップめんを食べようとしだした。

しかし、箸がない事に気がつき、また、固まった。

 

「さあ…箸を取りに行かないといけませんねぇ…。台所に先回りしますよ!」

 

「あ、はい」

 

提督の固まった時の顔。

私が、つくらせた顔。

それだけで、私は、子供のように、はしゃぎたくなった。

罪悪感とか、そういうのは、もはやなくて、ただただ、顔や態度には出なかったけれど、赤城さんのように、楽しんでいた。

 

 

 

台所。

提督がこんなところにいるのも、なんだか不思議だ。

普段は、絶対、来ないのに。

 

「フフフ…探してる探してる…。箸はそこじゃないですよ~…フフフ…」

 

本当、いい笑顔するなぁ…赤城さん…。

私も、こんな風に笑ってしまおうか。

 

「ん~…箸…箸…」

 

困った顔をしながら、箸を探す提督。

こうしている間にも、カップめんは伸びてゆく。

それが面白くて面白くて。

でも、笑うのはいけない気がして、何度も何度も、笑いを堪えていた。

 

「司令官?どうしたの?」

 

台所に入ってきたのは、雷ちゃんだった。

 

「雷」

 

「何か探しもの?」

 

「ああ、箸なんだが…」

 

「う~ん…ちょっと分からないわ…。雷も探してあげるわ!」

 

「すまない」

 

そう言うと、二人して箸を探し始めた。

 

「これは誤算ですね…。しかし…自分ひとりで探せばいいのに…雷ちゃんにも甘えるなんて…全く…」

 

赤城さんは、さっきのニヤニヤも忘れて、今度は眉をひそめ、提督を睨みつけていた。

面白がったり、怒ったり、大変な人だなぁ。

でも、こういう人が一番、秘書艦には向いているのかもしれない。

 

「あったわ!」

 

「本当か?」

 

「はい、司令官」

 

「ありがとう」

 

そう言うと、提督は雷ちゃんを撫でた。

 

「えへへ、もっと私に頼っていいのよ!いつか、秘書艦になるんだから!」

 

「それは頼もしいな。期待しているぞ」

 

「うん!」

 

そうして、二人は台所を後にした。

 

「なんなんですか!雷ちゃんにはちゃんとお礼言って…。ああもう!」

 

「…」

 

「鳳翔さん?」

 

「あ、いえ…」

 

「?」

 

雷ちゃんにお礼を言った時の提督の顔。

あんな顔、私にだって、見せてくれた事はなかった。

それに、撫でる事だって…。

箸を見つける事くらいで、あんな顔を見せてくれるのなら、撫でてくれるのならば、今まで私のやってきた事は、一体なんだったのだろうか。

そう考えてしまい、心に、傷が出来たように、チクチクと、痛み出した。

そして、悲しくなった。

 

 

 

別に褒められたいから頑張っているわけではない。

子供じゃあるまいし。

でも、なんだろう、最近の私は、子供になりつつある。

いっその事、子供になってしまおうか。

 

 

 

「え?」

 

「…」

 

「もう一度言ってくれ…鳳翔…」

 

「ですから、もうご飯は作りませんと言ったのです」

 

「あ、あぁ…分かった…。しかし…どうしたんだ?この前のカップめんといい…」

 

「…別に」

 

「そ、そうか…」

 

「では…」

 

執務室を出て、とうとうやってしまったと、少しだけ、後悔した。

でも、赤城さんの言った通り、こうすれば、きっと、私に向いてくれる。

そう思っていた。

子供のように。

 

 

 

あれから数日。

提督は相変わらずだけど、少し変わった事がある。

 

「はい、提督。玉子焼きだよ」

 

「ありがとう。いつもすまないな、瑞鳳」

 

「えへへ」

 

瑞鳳がご飯を作るようになった。

あの子が誰かの為に何か作るなんて、想像もしなかった。

提督と瑞鳳。

二人して笑う姿が、なんだか、お似合いのカップルみたいで、眩しかった。

 

「瑞鳳と提督、いい感じよね」

 

「本当ね。瑞鳳も提督の為に料理頑張ってるみたいよ。戦力もあるみたいだしね」

 

「そう言えば、ケッコンカッコカリって知ってる?戦力をあげるアイテムらしいんだけど、本部からの配布が一個だけなんだって」

 

「そうなの?じゃあ、提督が誰かを選ぶってこと?」

 

「今の所、瑞鳳かね」

 

「その為にも頑張ってるしね、瑞鳳は」

 

ケッコンカッコカリ…。

そんなのがあるのね…。

それにしても、瑞鳳と提督って、噂にもなるほど、いい感じなのね。

…そうなのね。

 

 

 

夜中。

執務室に入ると、ソファーで眠る瑞鳳と、膝枕をしている提督がいた。

 

「鳳翔か」

 

「…瑞鳳、眠ってしまったのですか?」

 

「ああ、無理をして、こんな時間まで起きているからだ。全く」

 

やっぱり、提督は嬉しそうだった。

私は、もう、限界だった。

 

「…なんですか。瑞鳳ばっかり…」

 

「え?」

 

「提督は…どうして…私を見てくれないんですか…!雷ちゃんには…箸を見つけただけで褒めて…どうして…私には何もないんですか…!」

 

「ほ、鳳翔?」

 

「どうして私だけ背中を見なければいけないんですか…!?瑞鳳にはそんなにデレデレな顔を見せて…!私は…私は…何年も…貴方の傍にいるのに…!」

 

感情が高ぶって、つい、泣いてしまった。

止めようとしたけれど、涙は止まらず、流れる一方だった。

そうして、我に返り、自分がとんでもない事をしている事に気がついて、執務室を飛び出した。

 

 

 

「う…う…」

 

子供のように、嗚咽をしながら、星空の下で泣いた。

泣くなんて、もう、何年ぶりだろう。

最後に泣いたのは、いつだろう。

忘れたはずの泣き方。

どうせなら、こんな泣き方をするなら、どこかで泣いておけばよかった。

 

「う…うぅぅ…」

 

恥ずかしい。

声を抑えても、漏れるものなのね。

 

「風邪をひくぞ」

 

背中で声がした。

そうして、温かい匂いが、私を包んだ。

 

「それを着ろ…。まだ…泣くのならな…」

 

私は、提督の上着を被りながら、また、子供のように泣いた。

提督は、後ろから、声もかけずに、じっと、私の背中を、見つめていた。

 

 

 

「ひっ…ひっ…」

 

涙は止まれど、しゃっくりは止まらなかった。

そう言えば、子供の時もそうだった。

泣いた後は、しゃっくりが止まらなくなる。

 

「鳳翔…」

 

「ご…ごめん…ひっ…なさ…い…」

 

「…いや、私こそ…悪かったな…お前が…そんな風に思っているなんて…」

 

私も驚きだ。

あんな子供みたいなことを。

 

「鳳翔…お前は、一番最初の秘書艦だったな」

 

覚えている。

初々しい提督の姿。

…そうだ。

あの頃は、よく感謝されてたっけ。

 

「あれから数年…艦隊も大きくなり、沢山の艦娘が、我が鎮守府に配属されてきた」

 

「ひっ…そう…です…ね…」

 

ああ、恥ずかしい。

こんな話をしているときに、どうしてしゃっくりが止まらないんだろう。

 

「いつの間にか、お前の事を気にかける時間が少なくなった…。すまない…」

 

「…」

 

少しずつ、しゃっくりが止まってきた。

 

「当たり前のようになっていたんだ。お前が…傍にいることが…」

 

「…私も…そう…思ってるはず…でした…」

 

「…だがな、これだけは言わせて欲しい」

 

「はい…」

 

「鳳翔、私には、お前がいなくてはいけないのだ」

 

「え?」

 

「お前がいなければ、私は私ではない。お前がいて、初めて私なのだ。もう、それだけの存在なんだ」

 

提督が私の顔を見つめる。

その瞳に映る私は、とても小さかった。

 

「鳳翔…これからは…お前の望むように、私も感謝の意を表そう…。だから…」

 

そう言って、提督は私の手を取った。

その手は、とても温かくて、安心できるものだった。

 

「これからも…私の傍に…いてくれないか…?」

 

その瞬間、全てが報われた気がした。

私がしてきたこと。

感謝されなくても、全ては、この時の為にあったかのように感じた。

 

「は…はいぃぃ…うぅぅぅ~…」

 

そして、また、子供のように泣いた。

今度は、提督の胸の中で。

 

 

 

 

 

 

「提督、ご飯ですよ」

 

「ああ、ありがとう」

 

あれから提督は、私のする事に感謝してくれるようになった。

 

「…提督、あのぉ…」

 

「ん、またか」

 

「お願いします…」

 

「ん、ありがとう、鳳翔」

 

「えへへ」

 

そして、提督の言った「お前の望むように、私も感謝の意を表そう…」という約束も、守ってくれている。

 

「しかし、雷のように、頭を撫でで欲しいとは、お前も案外子供なのだな」

 

「…駄目ですか?」

 

「いや、案外可愛いところがあるのだなと思ってな」

 

そう言って、笑う提督。

ずっと、この笑顔が見たかった。

私に向けられる、この笑顔が。

 

「もう…提督ったら…」

 

「…鳳翔」

 

「はい」

 

急に真剣な顔になる提督。

引き出しを開けて、小箱のようなものを取り出した。

 

「お前の錬度も達した所だろうと思ってな」

 

「これは?」

 

「開けてみろ」

 

開けると、そこには指輪が光っていた。

 

「ケッコンカッコカリは知っているか?」

 

「え、あ、はい」

 

「その指輪が、それだ」

 

「指輪…あ、だから、ケッコンカッコカリ…なんですね…」

 

「受け取ってくれるか?」

 

「え?」

 

「ケッコンしてくれ」

 

そう言って、手を出す提督。

私は、そのまま左手を出した。

指輪が、薬指を通る。

 

「ぴったりだ」

 

そう言った提督の顔は、誰にも向けた事のない、飛び切りの笑顔だった。

その笑顔が私に向けられている。

それだけで、私の胸は熱くなり、それが徐々に顔まで上がってきた。

 

「て、提督ぅぅ…うぅぅぅ…」

 

私も、誰にも見せた事が無いくらい、大泣きした。

鼻水が垂れようが、提督の制服を汚そうが、構わないくらいに。

 

「ありがとう。鳳翔」

 

 

 

もう、背中を見る事は無いだろう。

私達は、向きあって生きてゆく。

この海で。

この戦場で。

そして、いつか、二人で、もう一度…。



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望月とサボり

いつもそうだ。

欲しいおもちゃを買ってもらった時と、同じ。

興味がないって、そんな態度を取ってしまう。

本当は、嬉しいのに。

感情をモロに表へ出す事は、恥ずべき事だと思うし、大人と呼ばれる者は皆、感情をコントロールし、振舞っていた。

艦娘。

普通の女の子とは、訳が違う。

戦場に出て、戦い、命を守る。

普通の女の子ではいけないのだ。

だからこそ、感情をコントロールして、大人の振る舞いが必要なのだ。

 

 

 

「また演習か…。だるいなぁ…」

 

「望月ちゃん、しゃきっとしないと!ほら、あそこで司令官が見てるよ」

 

「んぁ~…」

 

「もう…」

 

司令官が見ている。

こういう時、私は、やっぱり、あくびが出てしまうのだ。

 

「司令官!ボクの活躍、見ててね!」

 

皐月に手を振る司令官。

私には、あんなこと、出来ないな。

やっぱり司令官は、こういう素直な子が好きなのだろうか。

だとしたら、正反対な私の事は、きっと…。

 

 

 

「へっへーん!ボクのこと、見なおしてくれた?」

 

「ああ、良くやったな皐月」

 

「へへへ~」

 

強いな、皐月。

いつもMVPを持って行って、司令官に褒められてる。

私がMVP取ったら、司令官は褒めてくれるのかな。

 

「…だる」

 

無理だと分かると、こうして強がる癖も、昔からだ。

逃げ。

大人だとかなんだとか言って、本当は逃げているんだ。

現実から。

分かっちゃいる。

分かっちゃいるけど、私には、どうしようも出来ない。

 

「今度も期待してるぞ、皐月」

 

「まっかせてよ!司令官!」

 

私はもう一度、あんな風に話せるだろうか。

昔のように。

 

 

 

司令官がこの鎮守に来たばかりの頃。

出撃や演習も、艦娘がすくなかったせいか、比較的、暇な日々が続いた。

 

「ま~たこんな所でサボってるの?」

 

鎮守府の見える丘の上。

ここで司令官は、サボっている。

 

「今日やることは、もう終わった。望月、お前もそうだろう」

 

「ま、そんなところ」

 

「これから艦隊も、もっと大きくなってゆく。そうしたら、こうして休むことも出来ないだろう。だから、今のうちから休んでおくのだ」

 

「またそれ?サボるいい訳じゃん」

 

「そういう事を言えるうちは、平和な証拠だ」

 

あの時から、もう随分経った。

司令官の言うように、艦隊は大きくなり、サボる暇もないくらいに忙しくなった。

昔のようにフレンドリーに、っていう風にはいかなくなって、戦場で活躍する艦娘しか、司令官と関わる事がなくなった。

私はあの日から、一個も成長しなくて、こうして演習ばかりをこなしている。

その演習でも、後から配属された皐月に負けている。

 

「だるい」

 

そんな現実に強がりを重ね、こうしてきた。

何も、何も変わっていないのは、私だけ。

そんな私が、皐月のように、話していい訳がない。

頑張らなきゃ。

頑張らなきゃ。

でも、そう思うたび、私の足は止まる。

私なんかが、頑張ったところで、何も変わらない。

そんな思いが、足を引っ張る。

大人になろうと、謙遜し、必死になる事を恥じ、抑えてきた。

その行動が、私自身を苦しめている。

どうしようもなくなって、強がりを重ねる。

そうしてまた、苦しむ。

 

「…しんどいなぁ」

 

こんな事、誰にも相談出来ない。

それもこれも、自分が蒔いた種。

自業自得。

そんな思いもまた、私を苦しめた。

 

 

 

風の強い日だった。

空は雲一つないくせに、風が冷たくて、暖かいんだか寒いんだか、よく分からない天気だった。

こうして丘に来るのも、最近は、馴れたものだ。

 

「おー…大変そうだなぁ…」

 

鎮守府は相変わらず、忙しそうに見えた。

コンテナを積むクレーン。

砲撃訓練をする艦娘。

私は、ここでサボり。

 

「…駄目だな。私」

 

せめて、同じように訓練したりすればいいのに。

何をすればいいのか、分かっている。

でも…。

 

「望月」

 

振り向くと、司令官が立っていた。

自分の創り出した幻影かと思った。

 

「お前は変わらないな。まだここでサボっていたのか」

 

私の隣に座る司令官。

どうして、こんなところに。

 

「…鎮守府の改修工事でもするの?」

 

「改修工事?」

 

「その為にここに来たんじゃないの?ここなら、鎮守府を一望出来るじゃん」

 

そうだ。

サボりに来た訳がない。

きっと、何か意味があってここに来たんだろう。

…って、なに考えてるんだろう。

どうしても、自分に都合のいい現実から、逃げてしまいがちだ。

 

「違う違う。サボりにきたんだよ」

 

「え?」

 

「ずーっと、忙しかったからな。ここにも、ずっと来ていなかったし」

 

「で、でも…鎮守府…忙しそうじゃん。サボってていいのかよ…」

 

「いいんだ」

 

「でも…」

 

「…艦隊が大きくなれば、俺の指揮がなくても、勝手に進むと思っていた。だから、サボらず頑張ってきたけど、ちっともそんな事はない。未だに、演習すら、俺が立ち会わなきゃならない」

 

「…サボる為に頑張ってきたって言うのかよ」

 

「それ以外に何がある?」

 

「…ばっかみたい」

 

私は、何も分かってなかった。

ずっと、司令官は、変わってしまったのだと、思っていた。

だけれど、司令官も、変わっていなかった。

私は、ずっと、勝手に悩んでいたんだ。

無駄に、頑張ろうとしていたんだ。

何もせずとも、司令官が目指す先に、この場所があったんだ。

 

「何も変わってないんだね。司令官」

 

「お前もだろう。望月」

 

「…そうだね」

 

遠くで大きな爆発が起きた。

高い水しぶきが、煙のように漂うのが見える。

 

「魚雷の訓練かな」

 

私の問いかけに、司令官は答えなかった。

 

「ねえ」

 

司令官は寝ていた。

無理もないか。

 

「サボる為に頑張る…か…」

 

もし、そんな事が出来たのなら、司令官は、ここに来るのかな。

そうだとしたら…。

 

「…私も…ばかなんだろうなぁ…」

 

 

 

「最近、望月ちゃん頑張ってるよね」

 

「ぶー…」

 

「およ?どうしたの皐月ちゃん」

 

「望月にMVP取られた…。司令官に褒められたかったのに…」

 

「強くなったもんね。望月ちゃん」

 

「ボクも負けられないよ!司令官に褒めてもらうんだ!」

 

「睦月も頑張らなきゃ!」

 

勝つとか負けるとかはどうでもいいんだ。

今はただ、強くなる。

私が強くなって、司令官を楽にさせてやる。

もう逃げない。

司令官は、ずっと、変わらずそこにいてくれる。

だったら、私も、そこに向かうだけだ。

 

 

 

あれから数年。

やっぱり戦艦とかには敵わないけど、駆逐艦の中じゃ、まあまあ強くなった。

 

「久しぶりに、あの丘に行ってみようかな…」

 

 

 

「よう」

 

丘に着くと、既に司令官が座っていた。

 

「サボりか?」

 

「うん」

 

「最近のお前は頑張りすぎてたからな」

 

「…戦艦、凄いね。長門なんて、司令官がいなくても、指揮を取ってる」

 

「俺、もういらねえかもな」

 

「かもね」

 

「否定しろよ」

 

結局、私は、司令官に楽をさせてあげる事は出来なかった。

力には限界がある。

けれど、それを証明できたことは、とても大きい。

 

「やっぱ、サボってるほうが、私には合うのかも」

 

「何を今更」

 

「司令官だってそうだったじゃん。頑張って、結局ここに落ち着いた」

 

「俺は最初から分かってたさ」

 

「本当かよ…。じゃあ何で頑張ったのさ?」

 

「…まあ、なんと言うか、お前の為でもあったんだよ」

 

そう言うと、司令官は恥ずかしそうに頭をかいた。

 

「私の為?」

 

「進まないと、ずっと駆逐艦が頑張る事になる。そうなったら、お前がサボることもできないだろう?」

 

え?

 

「だから、楽させるように頑張ったんだ。でも、どういう訳か、ここ数年、お前が急に頑張りだして…」

 

「…なにそれ。私なんかの為って…ばかじゃん…」

 

「馬鹿とはなんだ」

 

「私だって…司令官の為に頑張ってたんだ…。司令官が楽できるようにって…」

 

自分でも驚いた。

こんなにも、簡単に、本音が言えるようになっている。

 

「そうだったのか…。だけど、結局は戦艦に持ってかれたって?」

 

「うるさいなぁ…。司令官だってそうじゃん」

 

「…戦艦ってすげーな」

 

「だね…」

 

そう言い、二人で笑いあった。

 

「そんな戦艦が頑張ってくれてるんだ。俺達はここでサボってよう」

 

「そうだね」

 

今日も風が強い日だった。

けれど、風は温かい。

 

「今だから言うけど、俺はお前とこうするのが好きで、頑張ってたところがあるんだ」

 

遠くで、また、爆発が起きた。

水しぶきが上がらないところをみると、戦艦の砲撃だろう。

 

「…お礼だけ言っとくわ…サンキュー…な」

 

「私も」なんて、積極的な言葉は、まだ言えない。

でも、伝わったのだろうか、司令官は、私の言葉に、笑った。



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千代田と嫉妬

「相変わらず、お強いのですね」

 

「そうでもないよ。これでも、仲間内では弱いほうさ」

 

「では、私が強くしてさし上げますよ。今夜はとことん、飲んでくださいね」

 

「参ったな。言うんじゃなかった」

 

二人が笑う。

私は、ドア越しに、それを、聞いているしかなかった。

いつからだろう。

こんなにも、臆病になったのは。

 

 

 

「提督、今日の作戦ですが…」

 

「ふむ…」

 

遠くから、二人を眺めていた。

いつもなら、割って入る事をするのに。

 

「千代田、どうしたん?」

 

「龍驤…」

 

「元気ないなぁ。うちで良かったら相談にのるで?」

 

「うん…ありがとう…大丈夫…」

 

「大丈夫なわけあらへんやろ…。どう見てもおかしいで?」

 

「本当…大丈夫だから…」

 

「あ、行ってもうた…」

 

こんなの、誰にも話せない。

自分でも、よく分からないのに。

 

 

 

「千代田、千代田ってば」

 

「え?」

 

「大丈夫?ぼーっとしてたけど」

 

「千歳お姉…」

 

「龍驤から聞いたわ。最近、元気がなさそうだって…」

 

「なんでもないよ。ちょっと、考え事してただけだから…」

 

「考え事なんて、貴女らしくないわ。何か悩んでいるの?」

 

「なんでもないってば…」

 

「でも…」

 

「もう!何でもないって!千歳お姉、しつこいよ!」

 

「!」

 

「あ…」

 

「…そう。ごめんね…。でも、何かあったら、相談して欲しいな。…じゃあね」

 

自分が嫌になる。

千歳お姉は悪くないのに。

…いや、違う。

悪い、悪くない、では、無い。

嫉妬したのだ。

千歳お姉に。

当たってしまったのだ。

提督と、楽しそうに話す、千歳お姉に…。

 

 

 

「話って何?」

 

「呼び出してすまないな。千歳が、お前の事を大変気にかけていてな。強く当たったそうじゃないか。千歳が「何かしたかな」って、落ち込んでいたぞ」

 

「…その事なら、千歳お姉にも言ったけど…何もないって…。千歳お姉に強く当たったのも…悪いと思ってるし…」

 

「お前らしくないじゃないか。千歳LOVEのお前が、そんなに強く当たるなんて」

 

「別に…そういう日もあるし…」

 

「私の知る限りだと、そんな日は一度も無かったがな」

 

「…もう!だからなんなの!?何でも無いって言ってるじゃない!」

 

「なんでもないのなら、千歳が心配するわけが無いだろう!」

 

「!」

 

「私も同じだ。お前に何もないのなら、しつこく聞いたりはしない。何かある。絶対にだ」

 

私の何を知ってるのよ。

と、喉まで出たが、提督が、私を、そこまで見ている事に驚き、声には出さなかった。

 

「決めた」

 

「え?」

 

「千代田、お前を今日から秘書艦に任命する」

 

「は、はぁ?」

 

「お前が何を悩んでいるのか、それを話すまで、秘書艦をやめさせはしない」

 

「い、嫌よ!何でそんな事…」

 

「なら話せ」

 

黙っていると、提督は、何かを掴んだような、目をした。

 

「やはりな。黙っているところを見ると、何か隠している」

 

「!」

 

「とにかく、これは命令だ。秘書艦の仕事は、千歳から引き継げ」

 

「…はい」

 

 

 

「千代田…」

 

「千歳お姉…この前はごめん…」

 

「ううん。いいのよ。私こそ、しつこくしてごめんね?提督から秘書艦に任命されたんだってね。仕事、教えるわ」

 

「うん…」

 

お互い、少し気まずい空気の中、仕事の引継ぎを続けた。

 

「いつまで秘書艦をやるの?」

 

「分からない…。提督次第だと思う…」

 

「そっか…」

 

その時、千歳お姉の表情が、少し、悲しそうに見えた。

それを見た時、私は、もしかして、なんて、思った。

 

「千歳お姉…秘書艦…続けたかったの…?」

 

「え?」

 

千歳お姉は、明らかに、焦りの表情を見せた。

それと同時に、赤面した。

 

「な、何でそんな事聞くの?」

 

その返しを見たとき、私は、心が痛くなって、泣きそうになった。

 

「千歳お姉は…提督の事が…好きなんでしょ…?」

 

遠くで、プロペラの回る音が聞こえる。

それと同時に、強い風が、窓を叩いた。

それでも、その間、ずっと、声一つあげる事はなかった。

 

「やっぱり、そうなんだ」

 

そう、強がって、微笑んだ。

 

 

 

秘書艦の仕事は、何一つ、何をすれば良いのか、分からなかった。

千歳お姉の話を、聞いていなかった。

聞き取ろうと頑張っても、何一つ、理解できない。

理解しようと、考えている内に、次の話が来る。

頭がどうにかなってしまったようで、ただ、適当に頷く事しか出来なかった。

 

 

 

「千代田、秘書艦の仕事内容を千歳から聞いていないのか?」

 

「え?」

 

「え?じゃない。駆逐艦たちの遠征はどうなっている?何故、駆逐艦がまだ鎮守府内で待機中なんだ?」

 

「あ…そうだった…。今…やるね…」

 

「しっかりしてくれよ…」

 

仕事なんて出来るわけが無かった。

それに、これは、些細な抵抗だった。

使えない事をして、さっさと秘書艦から外れる為の抵抗。

千歳お姉を…提督と一緒にする為の…抵抗…。

それでも、提督は、私を外そうとはしなかった。

 

 

 

「またか千代田…」

 

「…」

 

「もう何回同じミスを繰り返せば気が済むのだ」

 

「…さぁ」

 

「はぁ…」

 

もういいだろう。

もう…私を外すだろう。

 

「明日は上手くやれよ」

 

え?

 

「ちょ、ちょっと待ってよ!」

 

「ん?」

 

「どうしてよ…どうして…外さないの…?」

 

「外す?」

 

「秘書艦…こんなにミスしてるのに…どうして…」

 

「言ったはずだ。お前が何を悩んでいるのか、それを話すまで、秘書艦をやめさせはしない…と」

 

「でも…」

 

「それに、私は知っている。お前がわざとミスをしている事を」

 

「!」

 

「お前は優秀だ。同じミスを繰り返す事は絶対しない。何回、お前の戦闘を見ていると思っているのだ」

 

「じゃあ…どうして…?わざとミスしていると知っているなら…」

 

「そこまでして…お前が隠したい何かを…私は知りたい…」

 

「そんな事知って…どうしようっての…?」

 

「ただ知りたい。それだけだ」

 

「ばっかみたい…」

 

そう言って、執務室を飛び出した。

扉を開けると、そこには千歳お姉が、驚いた表情で、突っ立っていた。

 

「千代田?」

 

「…ごめん…急いでるから…」

 

「千代田!」

 

千歳お姉の声が遠くなる。

また、強く当たってしまったなと、後悔した。

 

 

 

その夜、千歳お姉が、私を呼んだ。

 

「千代田…」

 

「千歳お姉…なに…?」

 

「話しておきたい事があるの」

 

「?」

 

「もしかして貴女…提督の事が…好きなの…?」

 

意外な質問だった。

どこで?

どこで知った?

いや、誰にも言っていないし、そんな素振りは見せてない。

 

「どう…して…?」

 

「もしそうなら…貴女に…謝らなければいけないから…」

 

「謝る…?」

 

「私ね…提督の事が好きなの…」

 

「…うん」

 

「でも…提督は…貴女の事が…好きなのかもしれない…」

 

「え?」

 

「ずっと…貴女の事を話しているの…。私といるとき…お酒を飲んでいるとき…」

 

そんな馬鹿な。

だって、提督は千歳お姉と…あんなにも…。

 

「だから…私…嫉妬しちゃったの…。それで…貴女に見せびらかすように…提督の傍に…ずっと…いたの…」

 

「え…」

 

千歳お姉が嫉妬…?

 

「秘書艦に選ばれた時だってそう…。仕事の内容を…まともに説明しなかった…」

 

「それは…私が聞いていなかっただけで…」

 

「ううん…。本当は…書類とかで渡せばいいのに…わざと…口頭だけで伝えたの…」

 

「そんな…」

 

「ずるい女でしょ…?馬鹿な女でしょ…?もう一度…秘書艦に戻ろうと…こんな真似をして…」

 

「千歳お姉…」

 

「貴女が提督を好きになるのが怖かった…。でも、そうよね…。おかしいと思ったわ…。提督と一緒にいるのに…貴女は…いつもみたいに割り入ってこなかった。その頃から…好きだったんでしょ…?」

 

私は何も言えなかった。

ただただ、これが夢のような気がして、口の中を噛んだ。

あの千歳お姉が、そこまでして、私に嫉妬していたなんて。

 

「あんなに…提督が貴女を想っているなんて知らなかった…。私に振り向いてくれると思ってた。だけど…それは間違っていて…私は…ただの最低な女だった…」

 

そう言って、千歳お姉は泣いた。

 

「ごめんなさい…ごめんなさい…」

 

その零れる涙の行方を、私は、ただ、見つめることしか出来なかった。

慰めの言葉さえ、出なかった。

 

 

 

泣き終わった千歳お姉は、全てを提督に話した。

提督は、怒る事をしなかったけれど、少し、悲しい顔をしていた。

 

 

 

執務室は、とても静かだった。

ペンを走らせる音と、時計の針が動く音だけが、あるのみだった。

 

「…悪かったな」

 

提督が、静寂を破るように、静かに、そう、零した。

 

「え?」

 

「仕事だ。秘書艦の引継ぎが出来ていないのを知らないで…お前を責めた…」

 

「…ううん。私も…千歳お姉の話…聞いてなかったし…」

 

「全ては私の責任だ…。あいつの気持ち…分かってやれなかった…」

 

「提督…」

 

「あいつと話しをして…私の気持ちをハッキリと伝えた…。すると、あいつは笑ったんだ…」

 

笑った。

つまり、提督は、千歳お姉の事を受け入れたんだ…。

 

「そっか…。じゃあ、私が秘書艦だと…不味いんじゃない?」

 

「何故だ?」

 

「え?だって…」

 

「私はお前を外す気はない。お前が話すまで…」

 

「…分かったわよ。話す」

 

もういいだろう。

提督も、千歳お姉と結ばれるんだし、言っても。

 

「千歳お姉に強く当たったのは、嫉妬したから」

 

「え?」

 

「私、提督の事が好きだったの。だから、千歳お姉に嫉妬して、強く当たったってわけ」

 

提督は、驚いたというような顔をしていた。

まあ、そうだろう。

 

「これでいいでしょ?秘書艦は千歳お姉に返してあげて。後はお幸せにやって。千歳お姉泣かせたら許さないから!」

 

「ちょっと待て、お前…今の…本当か…?」

 

「嘘ついてどうするのよ?千歳お姉呼んで来るわね」

 

執務室を去ろうとしたとき、強く、提督に引っ張られた。

 

「ちょ…何す…」

 

提督は、泣いていた。

初めて、男が泣くのを見た。

 

「て、提督…?」

 

「悪い…嬉しくて…」

 

嬉しい…?

 

「私も…お前が好きだ…」

 

「え?」

 

世界が止まった。

提督の発した言葉が、私へのものじゃない気がして、周りを見渡した。

一瞬の静寂が、凄く長く感じた。

 

「千代田」

 

提督は、私を抱き寄せた。

 

「え?」

 

何が起きているのか、分からない。

ただ、提督の匂いと、温もりが、私に触れている。

それだけは、分かる。

 

「提督…こんな事したら…千歳お姉に怒られちゃうよ…?」

 

その言葉を発するので、精一杯だった。

 

「怒るもんか…。むしろ…祝福してくれるさ…」

 

「どういうこと…?千歳お姉と結ばれたんでしょう?」

 

「え?」

 

「え?」

 

お互い、間抜けな顔をしていたと思う。

 

「何を言っているんだ…?」

 

「だって、さっき…千歳お姉に気持ちを伝えて…千歳お姉が笑ったって…」

 

「千歳には…私が千代田を好きだと言う事を伝えたんだ。そしたら、やっぱり…って、笑ったんだ」

 

そんな馬鹿な。

千歳お姉だって、提督が好きなはずなのに、どうして笑って…。

 

「きっと…お前の幸せを思って笑ったのだろう…。あいつは…あんな事をしてしまったけれど、本当は優しい艦娘だからな…。それは、お前が一番、知っていることだろう」

 

そうか…。

千歳お姉が、何故謝ってきたのか、今、分かった気がする。

千歳お姉は、本当に、提督が好きだったんだ。

私の幸せを願って笑ったんじゃない。

提督の幸せを願って、笑ったんだ。

 

「千歳お姉…」

 

大声で泣いた。

提督の胸の中で。

色んな感情が混ざり合い、自分でも、何が悲しくて、何が嬉しくて泣いているのか、分からないほどに。

そんな私を、提督は、いつまでも、いつまでも、優しく、抱きしめた。

 

 

 

「今日の遠征は、第六駆逐隊と天龍、龍田の構成よ」

 

「そうか。では、時間になったら出撃させろ」

 

「了解」

 

秘書艦は、今でも私だ。

今は、ケッコンカッコカリに向けて、錬度を上げている。

 

「もう少しじゃない?」

 

「千歳お姉」

 

「ケッコンカッコカリか…」

 

「ただの装備品よ」

 

「あら、だったら、私が貰ってもいいかしら?」

 

「え?」

 

「いいじゃない。カッコカリなんだし。ね?」

 

「う…それは…」

 

「なんてね。冗談よ」

 

「もう…千歳お姉ったら…」

 

「幸せにやってる?」

 

「…うん」

 

「うふふ。そのようね。キスの後がついてるわよ」

 

「え!?」

 

「あ、と言う事は、提督からキスされたのね」

 

「な…!嵌めたわね!千歳お姉のばか!」

 

「うふふ」

 

「お、どうした?なんの話だ?」

 

「あら提督。今ね、千代田が提督との…」

 

「わー!何でもない!」

 

「なんだなんだ?気になるな。私の何を話していたんだ?千代田は」

 

「なんでもないってば!あっちいってよ!」

 

「な、なんだ?」

 

「うふふ」

 

色んな事があったけど、今では夢だったんじゃないかって、時々思う。

嫌な事も、何もかも。

それほどに、今が幸せだった。

 

「提督の事、好き?」

 

千歳お姉のその質問に、提督は、私の答えに期待するように、目を輝かせていた。

 

「…ばっかみたい」

 

「あらあら」

 

「千代田…」

 

露骨にショックを受ける提督。

あれから、提督は、なんだか情けなく見える。

デレデレというか、なんと言うか。

でも、そんな姿を引き出したのは自分なんだと、時々、誇らしく思い、そして、赤面した。

 

「本当…ばっかみたい…」

 

それは、自分に対しての言葉だった。

千歳お姉に嫉妬していた事も、抵抗も、何もかも。

 

「…後でね」

 

提督の耳元で、そう呟いた。

 

「あぁ!」

 

本当、ばっかみたい。

こんな事で喜んじゃって。

 

それも、自分に対しての、言葉だった。



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曙と光

眩しかった。

艦娘と、楽しく話す、提督の姿。

私は、あの輝きの中に、いる事が出来なかった。

 

 

「こっち見んな!クソ提督!」

 

「ああ、悪かったな。もう下がっていいぞ」

 

「フン…」

 

どうして、こんな事を言ってしまうんだろう。

あの輝きを前にしては、私がいてはいけない気がして、強がってしまう。

 

「困った子ですね」

 

執務室を出たところで、そう、秘書艦の鳳翔が言った。。

提督は、それに返事はしなかったが、呆れているのだろうと思った。

 

 

窓の外を眺めていると、綾波型の駆逐艦達が、提督たちとワイワイ戯れていた。

潮ですら、あの輪の中にいるのに、私は、こんな所で、眺めていることしか出来ない。

眩しすぎて、私は、カーテンを閉めた。

せめて、あの輝きの中にいる事が出来ないのなら、ただ、戦って、戦果をあげるだけだ。

それが、自分の存在意義。

それ以外、忘れよう。

 

 

慢心だった。

戦闘の最中で、私は被弾し、動けなくなっていた。

 

「他の艦は無傷ですが、曙が大破です。どうされますか?」

 

戦闘でも駄目。

もう、私なんか、沈んでしまえばいい。

あの輝きの中にいれない私には、暗い海の底がお似合いなのかもしれない。

そう思い、空を遠く望んだとき、雲に隠れた太陽が、私を照らした。

 

「ああ、最後くらい、太陽が…」

 

しかし、それは、太陽ではなく、何かの信号弾だった。

確か、あの色は、撤退を知らせるもの。

私は、沈むことも出来ないし、太陽にすら見放された艦なんだと思った。

 

 

入渠が終わり、私は、執務室の扉を叩いた。

 

「曙か。もういいのか」

 

返事ができなかった。

それを見た提督は、鳳翔を下げた。

 

「どうした。深刻そうな顔をして」

 

「私を解体して」

 

もう、艦娘をやめようと思った。

何も出来ない私に、この艦隊にいる意味はない。

ただの、子供だ。

 

「何故かね」

 

「…ウザイのよ。こんな戦いも、こんな艦隊も…何もかも…」

 

「…そうか」

 

提督は、呆れたように返事をした。

本当は…本当は、止めて欲しかった。

まだ必要だと、言ってほしかった。

それが、私に残された、ただ一つの希望だった。

「しょうがないわね」

なんて、言いたかった。

でも、やっぱり、私なんかいらなかった。

弱くて、生意気で、クソ提督なんて、態度も悪かった。

 

「だが、お前、本当はやめたくないんじゃないのか」

 

「え?」

 

提督は、近づき、ハンカチを取り出した。

それが何を意味するのか、分からなかったけど、窓から吹く風が、頬に冷たく当たるのに、気がついた。

 

「泣くくらいなら、やめなければいいだろう」

 

そう言って、ハンカチで私の頬を拭いた。

その言葉を聞いて、私は声を出して泣いた。

自分でも驚くほど、大きな声で。

 

 

涙が枯れるころ、私は、提督の胸の中にいた。

提督はずっと、私を慰めてくれていたようだった。

それにも気がつかないほど、泣くのに夢中だったのだろう。

 

「曙、私は知っているぞ。お前が、素直になれない事、それ故に悩んでることも」

 

知っていた?

そんな馬鹿な。

だって、提督は、私の事なんか。

 

「ずっとお前を見ていた。他の艦と違って、お前は一人でなんでも解決しようとしていた。力になりたいと思っていたが、行動に移せなかった。すまない」

 

そんな。

 

「なんで、謝るの…?悪いのは、私なのに」

 

面と向かって、提督と話したのは、これが初めてなんじゃないかって思った。

それほどに、私は、いつもと違って、まっすぐに、提督を見ていた。

 

「そう思わせる、私が悪いんだ」

 

心が痛くなった。

今まで感じていた痛みとは違う。

あの輝きの中に入れなかったとか、戦闘で負った痛みなんか、比較にならないくらいの痛み。

 

「クソ提督…なんでよ…なんで…」

 

「曙」

 

「なんで…私なんか…」

 

「自分を卑下するな。お前は頑張っている。お前が自分を認めなくとも、私は認めよう」

 

その言葉で、私はまた、涙を流した。

 

「お前は弱虫だな」

 

提督が笑った。

でも、不思議と嫌ではなかった。

むしろ、私も、この輝きの中に、いる事が出来ている気がして、嬉しかった。

 

「…ありがとう。…提督」

 

 

綾波型の駆逐艦達が、提督を囲んでいる。

私は、あの場所からグッと、提督に近づいているけど、一歩、下がった場所にいた。

朧が提督の周りを、元気良く、グルグル回る。

漣が提督をからかう。

潮が提督の傍に、勇気を出して寄り添う。

まだ、眩しい。

私には、あんな事、出来ない。

 

「曙」

 

提督が、私に手を伸ばした。

その手を、私は掴んでいいのだろうか。

 

「ほら」

 

漣が、私の手を、提督に握らせた。

 

「曙、提督と手をつなげるなんて、いいなぁ」

 

朧が言う。

提督の顔を見ると、その目は、私を見ていた。

 

「私の見えるところにいてくれ。私から離れるな」

 

「ちょ、ご主人様、それってプロポーズですか!?」

 

漣が茶化す。

潮が、オロオロと困りだした。

 

「分かったか?曙」

 

いつもなら、この手を、弾き返すんだろうけど、私は、しっかりと、提督の手を、握った。

 

「フン、命令すんな!このクソ提督!」

 

提督が笑う。

それにつられて、私も、笑った。

 

 

私は、ここにいてもいいのだろう。

笑いあってもいい。

好きなこの人と、そして、仲間達と。

あの日見た、あの輝きの中に。

この、暖かな、光の中に。



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龍田と嘘

自分に嘘をつくことが、こんなにも辛いものだとは、考えてもいなかった。

 

 

「お前は美人だな」

 

酔った勢いだったと思う。

酒の席で、提督に、そう言われた。

その時は、平生を保っていたけれど、どこか、心の奥底で、抑えるので精一杯の何かが、熱くなって、私の体を火照らせた。

 

 

「よう、龍田」

 

「天龍ちゃん」

 

「どうした?考え事か?」

 

「そうね~。天龍ちゃんがちゃんとやってるのか心配で~」

 

「心配すんなって!世界水準を軽く超えてるんだぜ?それより、お前の心配をしたらどうだ?」

 

「え?」

 

「最近、ぼーっとしてる事が多いんじゃないか?そんなんだと、秘書艦も外されちゃうぜ?」

 

天龍ちゃんにも分かるほどだったのね。

自分でも気がついていた。

最近、ずっと、ぼーっとしている。

それも、その思想の中にいるのは、いつだってあの人だ。

 

「おっと、遠征に行かないとな。じゃあな、龍田」

 

「行ってらっしゃい」

 

天龍ちゃんの心配なんて、最初からしていない。

私より実力があるし、へまをしたこともない。

とっさについた嘘。

いつからだろう。

自分の気持ちを隠そうと、嘘をつくようになったのは。

 

 

「天龍ちゃんと駆逐艦達は遠征に向かったわ」

 

「そうか」

 

「それじゃあ、私はこれで…」

 

「龍田」

 

「なぁに?」

 

「天龍から言われたんだが、お前、最近ぼーっとしていることが多いようじゃないか」

 

「…そうね。天龍ちゃんが心配で~」

 

「嘘をつくな」

 

「え?」

 

「お前はいつもそうだ。いつだって、自分を隠そうと嘘をつく。お前が天龍の心配なんてするわけがない。今回の遠征だって、難しいものではないだろう」

 

やめてよ。

 

「何か悩んでいる事があるのか?私で良ければ聞こうじゃないか」

 

「大丈夫よ」

 

「いや、指令を出す立場としては見逃すわけにはいかない。業務に支障が出る」

 

やめてよ。

 

「しつこいわよ~提督。そういうのって、何かのハラスメントに引っかかるんじゃなくて~?」

 

「そうやって、逃げるのか?龍田」

 

「やめてよ!」

 

「!」

 

「…何もないっていってるでしょ~?しつこい男は嫌われるわよ~?」

 

「…そうか。すまなかったな」

 

「分かればいいのよ~。じゃあ」

 

執務室を出た後、とても後悔した。

提督は何も悪くないのに、私を心配してくれているのに。

今まで、嘘は自分を守るものだと思っていた。

それなのに、今は、自分、そして、提督を傷つけるものに、なってしまった。

 

 

「秘書艦を辞めたい?」

 

「えぇ」

 

「一応、理由を聞こう」

 

「ずっと私が秘書艦をやってきたでしょう~?他の子たちも秘書艦をやりたいって聞いたし、譲ってもいいのかな~って」

 

嘘だ。

 

「私は替える気はないぞ」

 

なんでよ。

 

「でも~私も疲れちゃったし~」

 

「駄目だ」

 

どうして。

 

「業務の引継ぎは問題ないわ~。資料だって作ったし~」

 

「龍田」

 

「…なぁに?」

 

「逃げる事は許さない。秘書艦だけの話じゃない。お前自身からだ」

 

なによ。

 

「なによ…。知った風な口をきいて…」

 

「何年、お前を秘書艦として傍に置いていると思ってるんだ。知った風な口だって、きいて悪いはずがない」

 

提督の目は、いつの日か、無茶をして大破した天龍ちゃんを叱った、あの時と同じ目を、していた。

 

「龍田。嘘は、自分を守るものでも、人を傷つけるものでもない。誰かを思って、つくものだ」

 

本当に、嫌になる。

この人は、私の嘘を見抜き、それでいて、私が苦しんでいる事を知っている。

私以上に、私を思ってくれている。

 

「何を悩んでいるのかは分からん。ただ、お前が苦しんでいるのは分かる。私に何ができるか分からないが、お前がこれ以上、苦しむ姿を、見たくはない」

 

もう、逃げる事は出来ないだろう。

この人に、そして、自分の気持ちに。

今まで守ってきた自分。

誰にも見せた事がない、みっともない自分。

それを、この人は、受け入れてくれるのだろうか。

それがばかりが気になって、怖くて、逃げて、傷つけて、泣いてきた。

 

「提督は…私を…どんな私も…受け入れて…くれるかしら…?」

 

「あぁ、受け入れるさ」

 

それは、嘘かもしれない。

でも、この人が言った様に、嘘が誰かを思うためにあるのなら、今は、それを信じてもいい気が、してきた。

 

「提督、私ね…」

 

 

 

執務室に入ると、提督はいなかった。

空けっぱなしの窓からは、風に乗ってきた桜の花びらが、ひらひらと舞いながら、床に落ちた。

 

「もう…掃除するのは私なのに」

 

窓の外を見ると、駆逐艦と戯れる提督の姿があった。

雲に隠れた太陽が顔を出した時、左手から反射した光に、目をくらませた。

それが恥ずかしくて、一人、赤面した。

 

「お~い、龍田、お前もこいよ」

 

手を振る提督の手もまた、同じように光を反射させた。

 

「仕事があるでしょう~?さっさと執務室に戻って来ないと、本棚の裏に隠している本、捨てるわよ~?」

 

「な…!お前、知ってたのか!?」

 

「趣味がいいわね~。私に隠し事は出来ないわよ~?」

 

提督は、桜の花びらに滑りながら、急いで施設へと入っていった。

私は、桜の花びらを一枚、手に取ると、ふと、思い出した。

 

「そう言えば、今日は4月1日だったわね」

 

どんな嘘をついてやろうか。

そんな事を考えながら、桜の花びらを、そっと、風に乗せた。

 

どんな嘘でも、貴方を想うものに、かわりはない。

自分に正直な嘘を、貴方に。



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陸奥と化粧

自分が、美人で可愛い事は、誰もが認めている事。

私も、自覚している。

綺麗な顔立ち。

プルプルな唇。

パッチリした目。

スレンダーな体。

「全女性の憧れです」

なんて、駆逐艦たちにも言われたっけ。

なのに、どうして?

 

 

 

「陸奥、そろそろ演習だぞ」

 

「待ってよ。まだお化粧が…」

 

「戦闘に化粧が必要か?」

 

「長門も少しは気を遣ったら?」

 

お化粧に妥協は出来ない。

少しでも、綺麗でいたいから。

鏡の中の自分が微笑む。

よし、今日も可愛い。

 

 

 

「しかし、お前の所の陸奥は美人だよな」

 

演習が終わった後、提督が、相手の提督と話す声が聞こえた。

 

「俺の所にも、あんな綺麗な戦艦が配属されないかな」

 

「戦艦の資材運用は大変だぞ」

 

「傍にいてくれるだけでいいんだ。それだけでも癒される」

 

「ははは」

 

傍にいてくれるだけでいい…か…。

私も、提督に、そんな事、言われてみたいな。

 

 

 

駆逐艦達と戯れているのは、別に気にならないけれど、同じ戦艦と楽しそうに話す提督を見るのは、辛い。

金剛型や大和型と楽しそうに食事したり、最近では、Bismarckとドイツ語でコミュニケーションを取ったりもしている提督。

長門ですら、お酒を組み交わしたりしているらしいのに、私だけは、何故か、他人行儀な気がする。

 

「提督、今日のお化粧、どうかしら?」

 

「ああ、完璧だな」

 

「うふふ。提督の為に頑張ったんだから、もっとよく見てよね」

 

「ははは、ありがとう」

 

そう言うと、また、仕事に戻ってしまう。

それ以上、進まない。

どうして、どうして貴方だけ、私を、褒めてくれないの?

認めてくれないの?

もっと、私を見てよ。

 

 

 

「どうした陸奥。鏡なんか見つめて」

 

「長門、私って、綺麗…?」

 

「ああ、綺麗だ。皆、噂してるぞ。鎮守府の中で一番の美人は、陸奥だって」

 

「提督は?」

 

「ん?」

 

「提督は、なんか言ってた?」

 

「提督か?いや、特に聞いたことないな…。あの男、大人しい女性が好みっぽいからな」

 

「え?」

 

「秘書艦の鳳翔。主力の大和。最近だと、榛名とよく話しているのを見かける」

 

「皆、大人しいというか…お淑やかね…」

 

「羽黒なんかも、最近改二になって、提督は一目置いているそうだ。鳳翔がお店をやりたいそうでな、次期秘書艦は羽黒なんじゃないかって噂だ」

 

お淑やか。

地味だけど、色んな魅力を持っている。

大人。

私とは違う意味での、大人。

 

「陸奥?」

 

「…そうなの。確かに、そう言われればそうよね」

 

「私達も、せめて、主力になれるよう頑張らないとな」

 

「…うん」

 

どんなに頑張っても、結局は、主力にしかなれないの…?

私は、提督の、特別に、なりたいのに…。

 

「お淑やかに…か…」

 

 

 

台所に着いたのはいいけど、お茶の入れ方が分からなかった。

湯のみも、何処にしまってあるのか分からない。

 

「陸奥さん?」

 

そこに、鳳翔が、お盆を持って現れた。

 

「お茶ですか?湯のみはこちらですよ」

 

「あ、ありがとう…」

 

「丁度、提督にお茶を出すところだったんです。陸奥さんの分も用意しますね」

 

そう言うと、戸棚から提督専用と見られる湯のみを出した。

そんなもの、あったんだ。

私、本当に、何も知らないのね。

提督に、お茶を出そうだなんて、考えるんじゃなかった。

鳳翔に、対抗しようなんて、考えるんじゃなかった。

 

「…やっぱりいいわ。ありがとう」

 

そう言って、逃げるようにして台所を出た。

 

 

 

どうして、あの人を好きになってしまったんだろう。

他の誰かなら、きっと、すぐに、私を見てくれるのに。

どうして、よりによって、あの人なんだろう。

 

「提督のばか…」

 

諦めなきゃいけないのに、諦めきれない。

苦しい。

化粧ばかりしていた自分。

提督に尽くした鳳翔達。

もっと、提督に尽くしていれば。

でも、もう、遅かった。

 

 

 

「どうした、陸奥」

 

「ごめんなさい…」

 

「最近、調子が悪いじゃないか。小破はいいとしても、中破・大破が多すぎるぞ」

 

怒られる事はあっても、褒められたことなんて、あまりない。

お化粧も、戦いも、全て。

「戦艦の資材運用は大変だぞ」

提督の言葉を思い出していた。

今の私は、ただのお荷物だった。

傍にいる事も、意味を持たない。

 

「お前にはもっと演習をしてもらって…」

 

「やめるわ…」

 

「え?」

 

「もう…やめるわ…。どうでもよくなっちゃった…」

 

「陸奥、何を言って…」

 

黙って部屋を出ようとした。

私の手を、提督が掴む。

 

「待て!どういう意味だ!」

 

「放してよ!」

 

「!」

 

「なに…?なんで止めるの…?私がいなくて困る事なんてある…!?ないでしょ!?それとも…演技?呼び止めなかったら、長門に文句を言われるから!?」

 

「…」

 

「私なんか…何をやっても駄目なの…。戦いも…」

 

その先を言ってしまいそうになり、私は、堅く、口を閉ざした。

 

「…陸奥」

 

提督は、手を放さなかった。

初めて触れた、提督の手。

想像したより大きくて、温かかった。

 

「戦いが全てではない。そう自分を卑下するな」

 

「だったら、私になにがあるっていうの…?ねぇ…提督…どうしたら…貴方は…私を…褒めてくれるの…?」

 

とうとう、言ってしまった。

そして、堪える事の出来なかった涙が、抵抗を失って、ボロボロと、零れた。

 

「お化粧も頑張った…。提督が褒めてくれるって…見てくれるって思って…」

 

「…」

 

「貴方の特別になりたかった…。戦闘が強いわけでもないけれど…お化粧だけは自信があった…。でも…お化粧も駄目で…戦闘でもお荷物なら…ここにいる意味は…もはや…無いに等しいのよ…」

 

「陸奥…」

 

止めようとしても、涙が止まる事はなかった。

むしろ、そうすればするほど、溢れた。

 

「ふふふ」

 

提督が笑った。

 

「何が可笑しいのよ…」

 

「いや、すまない。その…涙でアイラインが…」

 

「あ、いやだ…」

 

咄嗟に顔を隠した。

 

「お前は化粧なんかしなくても、十分美人だよ」

 

「…慰めなんかいらないわよ」

 

「そんなんじゃないさ。ずっと思っていたことだ」

 

ずっと思っていた…?

 

「…化粧…私の為にしてくれたっていうのは…本当か…?」

 

「え…?…うん」

 

「…そうだったのか」

 

提督は、意味ありげに、息を吐いた。

 

「いや…ずっと…お前が私をからかっているのだと思っていたのだ」

 

「からかう…?」

 

「私の周りは、大人しい艦娘が多い。滅多に心を開いてはくれない。そんな中で、お前のようにストレートに心を開いて来る艦娘は、きっと私をからかっているのだと思ってしまったのだ」

 

「そんな…私は…本当の気持ちを…」

 

「…そのようだな」

 

そう言うと、提督は、帽子で顔を隠した。

 

「…もしかして、提督…照れてる…?」

 

「…いや?」

 

顔が赤かった。

 

「…提督」

 

「なんだ?」

 

「私の事…どう思う…?」

 

「どう…とは…?」

 

「提督が私に対して思っている事…全部聞きたい…!からかってないって分かった今なら…本当の事…言ってほしい…!」

 

提督は、少し詰まった後、少しずつ、語りだした。

私を美人だと思っている事。

高嶺の花だと思っている事。

化粧が綺麗だった事。

色んな事。

 

「…それを聞いていれば…もっと…頑張れたし…悩まなかったのに…」

 

「すまなかったな…」

 

「でも…嬉しい…。私の努力は…無駄じゃなかったのね…」

 

提督は、相変わらず、帽子で顔を隠している。

 

「提督…」

 

帽子を取り、提督の目をじっと、見つめた。

 

「もっと…私を見て…。私はずっと…貴方を見ていたんだから…」

 

「…あぁ」

 

言葉と裏腹に、提督は目を背けた。

 

「提督!」

 

「すまない…。その…ふふふ」

 

「あ…」

 

「とりあえず、化粧…直して来い」

 

「…うん」

 

 

 

 

 

「おはよう提督」

 

「おはよう。今日もばっちし決まってるな」

 

「ありがとう。提督も素敵よ」

 

「ありがとう」

 

あれから、私は鳳翔から引き継いで、秘書艦をやっている。

やることは沢山あるけれど、一番近くで提督を見れるし、提督も、私を見てくれる。

それだけで、私は幸せだった。

 

「新しい海域には、戦艦が必要だわ」

 

「陸奥、いけるか?」

 

「提督の為に頑張っちゃうわ」

 

貴方の為なら何でも出来る。

 

「あ…」

 

「どうした?」

 

「…ううん。なんでもないわ。もうそろそろお昼ね。ねぇ、なに食べる?」

 

「う~ん…そうだな…」

 

お化粧も、何もかも、全て、提督の為に尽くしている今の私は、お淑やかになれているのかな。

 

「提督」

 

「ん?」

 

「好きよ」

 

「…あぁ」

 

相変わらず、帽子で顔を隠す。

もう、からかいだなんて思っていない証拠だ。

 

いつか、「私もだ」って、言わせるんだから。

 

そんな決意と共に、私達は鳳翔のお店へと向かった。



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電と特別

「ケッコンカッコカリかぁ。いいわね~」

 

「電が先にレディーになっちゃうなんて、思ってもみなかったわ」

 

「Хорошо」

 

「照れるのです……」

 

「それで? 司令官とどうなの?」

 

「どうって……?」

 

「ケッコンカッコカリしたんだから、大人がするようなことをするんでしょ?」

 

「お、大人がすること!? それって……ちゅ……ちゅーとか……?」

 

「暁……」

 

「そ、そんなことはしてないのです! ハレンチなのです!」

 

「えー? せっかくケッコンカッコカリしたのに?」

 

「ケッコンカッコカリしたからって……そんなこと……」

 

「私だったらするわ! ね? 暁?」

 

「そそそ、そうね……(で、でも……ちゅーしたら赤ちゃんが出来ちゃうし……)」

 

「ちゅーはしなくても、もっと特別なことがあってもいいはずだ。何かないのかい?」

 

「え……特に……いつも通りなのです……」

 

「ん~、そんなんじゃ駄目よ! 私だったら~」

 

 

 

皆はああ言ってたけれど、ケッコンカッコカリしたからって、そんなことしてもいいのかな……。

 

「電?」

 

「はわわわわ!? し、司令官さん……」

 

「どうした? 何か悩み事か?」

 

「い、いえ……何でもないのです」

 

「そうか? これから昼食を取るのだが、一緒にどうだ?」

 

「あ、はい! お供するのです」

 

 

 

「そうか、今日はカレーだったな」

 

司令官さんと特別なこと……。

こうして一緒にお昼を食べることも、特別と言えば特別なのです。

 

「しれいかぁ~ん、一緒に食べるぴょん!」

 

「あ……弥生も……いい……ですか?」

 

あ……。

 

「おう、いいぞ」

 

「やったぴょん! うーちゃんは~司令官の隣!」

 

「じゃ、じゃあ……弥生も……」

 

……別に特別なことじゃなかったんだ。

 

「しれいかぁ~ん、あーん♪ どう? うーちゃんのカレーは?」

 

「ああ、美味しいよ(作ったのは鳳翔だけどな……)」

 

「や、弥生のも……どうぞ……。あ、甘いです……」

 

「おう」

 

「……司令官さん、人気者なのです♪」

 

「ははは、そうだな」

 

特別なこと……か……。

 

 

 

「ケッコンカッコカリ……」

 

月明かりで指輪が光る。

この指輪は、練度をもっと上げる為だけの物。

ケッコンカッコカリだなんて、変な名前、つかなければ……。

 

「司令官さん……」

 

 

 

「電、ちょっといいか?」

 

「はい、なんですか?」

 

「これを」

 

「これは……?」

 

「ケッコンカッコカリの指輪だ」

 

「ケッコン……えぇ!? は、はわわ……」

 

「なに、本当に結婚するわけじゃないさ。練度を上げる為だけの物だ。指輪だからか、ケッコンカッコカリという変な名前がついているだけで」

 

「そ、そうなのですか……。でも……どうして電なのですか? 長門さんとか、戦艦の方が……」

 

「それはお前が……」

 

「提督よ。ちょっといいか?」

 

「長門、どうした?」

 

「実は、第三水雷戦隊より電報があって……」

 

「そうか。すまない電、詳しいことは後で話そう。今は、その書類にサインをしてくれ。そして、指輪をはめるんだ」

 

「は、はい」

 

「それで、ケッコンカッコカリだ」

 

 

 

「ん……夢……」

 

そういえば、まだ聞いてなかった。

どうして私を選んだのか。

 

 

 

執務室に入ろうとした時、中からワイワイと騒ぐ声。

 

「司令官さん……?」

 

扉を開けると、雷と暁、そして響がいた。

 

「み、みんなどうしたの?」

 

「電、ちょうどいいところに来たわ」

 

「え?」

 

「今ね、司令官に問い詰めてたところなの」

 

「な、何をです?」

 

「電とケッコンカッコカリした件についてだよ。どうして特別なことをしないのかってね」

 

「な……!」

 

司令官さんは明らかに困った表情をしている。

 

「司令官! さぁ! 答えなさい!」

 

「お、おう……」

 

「み、みんな! やめるのです! 司令官さんが困ってるのです!」

 

「電、貴女レディーとして扱われてないのよ? 悔しくないの?」

 

「別に……電は……」

 

「司令官!」

 

「司令官」

 

「えーっとだな……」

 

「し、司令官さん……いいのです。気を……遣わなくても……」

 

どうしてこんなことになっちゃったんだろう……。

そんなことを思っていると、司令官さんは席を立ち、私の目の前に片膝をついた。

 

「電……」

 

「ご、ごめんなさいなのです……。迷惑かけちゃったのです……」

 

「いや……私の方こそすまない。お前の気持ちを考えてなかった」

 

「そんな……私は別に……特別扱いしてほしいだなんて……」

 

「違う。ケッコンカッコカリの事だ」

 

「え?」

 

「お前の返事を聞かないで、指輪を渡してしまった」

 

「返事……?」

 

「練度を上げるだけとはいえ、こんな形をしている。艦娘も女だ。嫌なら断ってもいいんだ。書類に拒否の欄もあっただろう?」

 

確かに拒否に丸を付ける欄もあった。

 

「だが、あの時はほとんど強制みたいな感じになってしまった。すまない」

 

そんなこと……。

 

「だから、浮かれてられなかったんだ。練度をあげるだけと、割り切ってるだろうと思ったから……」

 

「つまり、司令官は電にケッコンカッコカリを強制してしまったと思って、特別に接しなかったということかい?」

 

「すまない……」

 

「司令官さん……」

 

執務室が一気に静かになった。

みんな、なんと言っていいのか分からないようだった。

 

「……司令官さん、司令官さんは……どうして電を選んだのですか?」

 

「え?」

 

「あの時……言いそびれましたよね……? それはお前が……って……」

 

「そういえば……そうだったな」

 

「聞かせて……ほしいのです」

 

「……」

 

「司令官……」

 

黙る司令官さんを雷が心配そうにのぞき込む。

 

「司令官さん……」

 

「お前が……私にとって特別な艦娘だからだ」

 

「え?」

 

司令官さんはちょっと恥ずかしそうに下を向いた。

 

「練度なんて、正直どうでもよかった。私の特別な艦娘に、特別な物を与えたかった。特別なのだと、知ってほしかった」

 

胸の奥が、何かにきゅっと締め付けられる。

嬉しいと時と似てはいるけれど、別の何か。

 

「一度装備したら、外すことは出来ないんだ。すまない……」

 

「違うのです……」

 

「え?」

 

「電は……嬉しかったのです。司令官さんの特別になれたって……。だから……謝らないでほしいのです……!」

 

「電……」

 

「今も……とてもとても……嬉しいのです。司令官さんが……特別だって言ってくれる度に、心が……締め付けられるみたいなのです」

 

「え? それってどういうことなの?」

 

「暁」

 

「え? なによ響?」

 

「行くわよ」

 

「雷まで。急にどうし……」

 

「いいから」

 

暁を引きずり、三人が執務室を出て行った。

 

「気を遣わせちゃったな……」

 

秒針の音がやけにうるさく感じる。

 

「司令官さん……」

 

「ああ……」

 

「電を選んでくれて……あ……ありがとう……」

 

「電……」

 

「これからも、よろしくなのです……♪」

 

「ああ、よろしくな」

 

司令官さんの手は、とてもとても、大きかった。

そして、とても温かかった。

 

 

 

「今日も司令官の隣だぴょん!」

 

「や、弥生も……!」

 

「お、おう……」

 

司令官さんがこっちを見た。

 

「……電はこっちでいいのです」

 

「そ、そうか……」

 

「しれいかぁ~ん」

 

 

 

「美味かったな、電」

 

「……」

 

「電?」

 

「電は……特別なのです……」

 

「……怒ってるのか?」

 

「怒ってるのです!」

 

「だ、だったら言えばよかっただろう」

 

「司令官さんだって断らなかったのです……」

 

「う……すまない……。許してくれ……」

 

「……アレ……やって欲しいのです」

 

「え?」

 

「アレやってくれなきゃ許さないのです」

 

「アレって……わ、分かった。じゃあ……失礼して……」

 

私の小さな体を、司令官さんが後ろから抱きしめる。

 

「お前は特別だよ……電……」

 

「はわわ……」

 

耳がぞわぞわする。

胸の奥がきゅってする。

 

「こ、これ……恥ずかしいんだよなぁ……」

 

「なら、電を特別扱いするのです!」

 

「お前、ちょっと我が儘になったなぁ」

 

「え?」

 

「失望しちゃうな」

 

「は、はわわ……ごめんなさいなのです……。調子に乗ってしまったのです……」

 

しょんぼりしていると、司令官が私を抱き上げた。

 

「なんてな。失望するわけないだろ。特別なんだから」

 

「司令官さん……」

 

「あー! 電、お姫様抱っこしてもらってる!」

 

「本当だわ! 暁にもやって!」

 

「Хорошо」

 

「分かった分かった。順番な?」

 

「だ、だめなのです! これは電だけの特別なのです!」

 

特別だとか特別じゃないとか、本当は形にしなくても分かっていたことなのかもしれない。

少なくとも……。

 

「司令官さん」

 

「ん?」

 

「大好きなのです」

 

「私もだよ」

 

この気持ちだけは、なによりも特別なものだ。



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From:鈴谷 To:提督

提督が初めて携帯電話を買ったというから、操作を教えるついでにアドレスを教えてもらった。

 

「お前が初めての「メル友」というやつだな」

 

そう笑った提督の顔が、今でも忘れられない。

 

 

 

入渠から帰ってくると、提督からメールが入っていた。

珍しい。

提督からメールしてくることなんて、今までなかったのに。

 

『今日はご苦労だったな。ゆっくりと休んでくれ。』

 

今回の作戦に参加した艦娘全員に送っているらしく、他の艦娘のアドレスも並んでいた。

 

「……このアドレスって、あの子のかな」

 

自分の知らないアドレス。

提督は、このアドレスの子ともメールしたりしてるのかな。

 

『おつかれ~。ご褒美は間宮のパフェね~(笑)』

 

返信はなかった。

きっと、私以外の誰かとのメールで忙しくて、返信なんて忘れているのか、それとも、面倒くさがられているのか。

 

「寝よ……」

 

もしかしたら返信が来るかもしれない。

そんな淡い期待をしながら、マナーモードを解除して眠りについた。

 

 

 

朝になってもメールはなかった。

ちょっちショック。

 

「……間宮のパフェ……本気にされちゃったかな……」

 

いや、それか、冗談と分かっていて返信に困ったのかな。

提督のメール、質素だし。

そんなことを考えていると、携帯が鳴った。

提督からのメールだ。

 

『すまん、寝てしまった。間宮のパフェだな。分かった。後で食堂に来い。』

 

死ぬほど嬉しかった。

 

「鈴谷が馬鹿みたいじゃん……」

 

そして、いろんなことを考えてた自分が馬鹿らしくて、そう零した。

 

 

 

食堂には、昨日作戦を遂行した艦娘たちがいた。

まあ、そうだよね。

鈴谷だけとか、ありえないしね。

 

「おう、来たか」

 

「チーッス」

 

「ほら、好きなの頼めよ」

 

「うん」

 

提督、相変わらず人気だな。

提督の隣には、いつも艦娘がいる。

本当に、いつも。

鈴谷が隣に行く隙なんて、一度だってない。

皆、どうやってるんだろう。

 

「提督? あの~……もう一個……」

 

「赤城、お前はもう駄目だ」

 

「そ、そんな~……提督~……。昨日のメールではいっぱい食べていいって言ったじゃないですか」

 

え?

 

「いや、もう十分食べただろうに……」

 

「あら、私にもメールで言ってたわよね?」

 

「う~ん、陸奥は……まあ、あと一つなら……」

 

「やった」

 

「ずるいです!」

 

「赤城、お前は陸奥の二倍はもう食ってるんだよ」

 

赤城さん、陸奥さんにメールね。

それも昨日。

あー……そっか……。

鈴谷のメールは、後回しだったわけか。

そっか……。

 

「ごちそうさま!」

 

「鈴谷、もういいのか」

 

「うん、ダイエット中なの」

 

「ならパフェなんか頼むなよな」

 

「いいじゃん別に! じゃあね!」

 

そっか……。

 

 

 

馬鹿みたいに喜んでた自分は、本当に馬鹿だった。

たかだかメールじゃんって言われたらそうかもしれないけど、鈴谷にとっては、提督に近づける唯一のツール。

それも、提督最初のメル友。

 

「だからなんだっての……」

 

最近、こんな独り言が多くなってきた気がする。

熊野にこんなこと、相談できないし。

自分でも、よく分からないし。

多分、好きなんだろうな、提督の事。

でも、どうしていいのかもわからないし、どうしたいのかもわからない。

気丈に振る舞ってはいるけれど、本当は訳も分からず、日常を演じることしか出来ないだけ。

 

「めんどくさい女……」

 

こんなに悩むなら、どうしようもないのなら、逃げてしまおう。

ずっと、そうしてきたじゃん。

見たくないものは見ないように、聞きたくないことは聞かないようにしてきた。

ずっと、ずっと。

だから……。

 

「……えい」

 

アドレス帳から提督を消した。

 

 

 

それから数日。

最初は色々考えて、自分のやったことにちょっとだけ後悔したりもしたけど、今は吹っ切れた。

 

「鈴谷」

 

「熊野、お帰りー。入渠帰りっしょ?」

 

「えぇ」

 

「じゃあさ、間宮行こう?」

 

「え、でも、ダイエット中なんじゃなかったでしたっけ?」

 

「え?」

 

「提督がそう言ってましたわ」

 

ああ、そう言えば、そんな事言っちゃったな。

 

「ああ、もうやめたんだー。鈴谷にはマジ無理。だから、行こう?」

 

「はあ、貴女らしいと言えばらしいですわね」

 

 

 

「やっぱ間宮のパフェはちょー美味いわ」

 

「そうですわね……」

 

「ん? どうしたの熊野? なんか元気ないじゃん」

 

「こっちのセリフですわ。鈴谷、貴女なにかあったのではなくて?」

 

「え?」

 

「なんだか無理をしているように見えますわ」

 

「は、はあ? 誰がどう見ても元気じゃん?」

 

「そうは言っても、お肌は嘘をつきませんわ」

 

そういうと、熊野は私の肌を撫でた。

 

「ほら、お肌に元気がないわ。何か悩んでいるのではなくて?」

 

「……ダイエットしてストレス溜まってたから、それが肌に出てるだけっしょ!」

 

「本当はダイエットなんかしてなかったのに?」

 

え?

 

「提督が言ってましたわ。鈴谷は嘘をついていると……」

 

提督が……?

 

「貴女はダイエットなんてしないし、する必要がないでしょう?」

 

「……別に、鈴谷だってするときはするし……」

 

「貴女って、嘘が下手。ずっと、そうして来たのでしょうけれど、バレバレですわ」

 

「……」

 

「ダイエット、嘘ですわよね?」

 

「……うん」

 

「フフフ、やっぱり」

 

「どうして提督は分かったんだろ……」

 

「嘘ですわ」

 

「へ?」

 

「提督がそう言ったのは。鎌をかけたのよ?」

 

「な……!」

 

「貴女は本当に分かりやすいですわ。どうせ、提督の事で悩んでいるとは思ってたけれど……。そうなんでしょう?」

 

「……やるじゃん」

 

「私に相談してくれればよかったのに」

 

「……だって、鈴谷にも分からないんだもん」

 

「聞くまでもないのでしょうけど、一応聞いておきますわ。鈴谷、貴女は提督が好きなんですの?」

 

「……多分」

 

「多分?」

 

「恋とか……本当は分からないし……。好きっていうのが、何なのかも分からない。どうしようもなくて、提督から逃げちゃったし……。そうまでしちゃったってことは、そんなに大切じゃなかったのかもしれないし……」

 

「それでも、貴女をそこまで追い詰めた存在なんでしょう?」

 

「!」

 

「私は、それだけでも十分だと思いますわ。正直、貴女が羨ましい。私も、自分をそこまで追い込んでくれるような人が欲しい。そういうのが恋だと思ってますし」

 

「……」

 

「……なんて、そこまで悩んだことのない私が言うのもなんですけど」

 

「熊野」

 

「?」

 

「あのね……」

 

今まで悩んできたことをすべて熊野にぶちまけた。

溜め込んできたものを吐き出すたびに、楽になってゆく心と体。

そして、辛かったことを、辛かったことだと受け止めてくれる熊野。

否定もせず、ただ受け止めてくれる。

それが嬉しくて、辛かったことを思い出して、少しだけ泣いた。

 

「ごめん……」

 

「いえ、よく分かりましたわ。貴女の気持ち」

 

「どうすりゃいいのかな……」

 

「貴女はどうしたいの?」

 

「……」

 

「提督とメールしたい?」

 

「したい……」

 

「隣にいたい?」

 

「いたい……」

 

「……答え、出てるじゃないの」

 

「だとして……」

 

「なら、そうしたいと言えばいいのですわ」

 

「え?」

 

「言えないで駄目なら、言ってしまえばいい。どうせ悩むのならば、進んで見てはどうかしら?」

 

「進む……」

 

「貴女の好きな提督は、それを受け止めてくれない人ですの?」

 

「!」

 

「ね?」

 

「うん……そうだよね。うん! 熊野、サンキュー! 鈴谷、頑張ってみる!」

 

「はい、これ」

 

そう言うと、熊野は紙切れを渡した。

 

「提督のアドレス。消しちゃったんでしょう?」

 

「熊野……」

 

「成功したら、間宮のパフェ、奢ってくださらない?」

 

「提督に頼んでみる」

 

「フフフ、頑張って」

 

「うん!」

 

 

 

『ちょっち話があるんだけど、外出れる?』

 

『分かった。堤防にて待つ。』

 

すっかり夜になってしまったけれど、提督は承諾してくれた。

こういう時の返信だけは早いんだから。

 

 

 

堤防へ行くと、すでに提督が星空を見ていた。

 

「お待たせー。ごめんね、急に呼び出しちゃって」

 

「構わんよ」

 

「うわ、星、凄いじゃん」

 

「今日は月も出てないし、綺麗に見えるな」

 

雲一つない星空。

風は比較的穏やかで、波の音も静かだった。

その中で、私たちは二人っきり。

こんな時間じゃないと、二人っきりになんてなれないんだなぁ。

 

「それで、話とは?」

 

「……うん、あ……ちょっと待ってて……」

 

心臓の鼓動が速くなる。

急に緊張してきた。

落ち着かなきゃ。

そんな私を、提督はいつまでも待った。

 

「ふふふ、まるで告白するみたいだな」

 

「へ?」

 

「なんてな」

 

メールではあんなに質素なのに、そんな冗談言うんだ。

っていうか、ますます言いにくくなったじゃん。

 

「こ、告白だったら……どうすんの……?」

 

「そんな勇気ないだろ、お前」

 

よく知ってんじゃん。

でも、今は違うんだよ。

 

「鈴谷ね、提督といっぱいメールしたい」

 

「おう」

 

「あと、二人っきりでいたい。ずっと隣にいたい」

 

「おう。……ん?」

 

「提督が好き。マジで好き。提督の初めてのメル友になれたのもちょー嬉しかったし、提督からメールを貰えるのも、死ぬほど嬉しかった」

 

それからは、もう自分の気持ちをなにも隠さず話し続けた。

自分でもびっくりするほど、ペラペラと。

提督は少し驚いた表情だったけど、鈴谷が辛かった事とか話すと、徐々に真剣な顔になっていった。

 

「だから、鈴谷は提督が好きで好きで、どうしても、伝えなきゃいけないって思ったんだ」

 

「……そう……だったのか」

 

ここまで来ると、もうどうにでもなれと思った。

でも、清々しい。

いつもいつも逃げてきた。

それは間違ってたんだ。

今になって分かるなんて、誰かに言われないと分からないなんて、鈴谷って本当に馬鹿だよね。

 

「お前の気持ちはよく分かった」

 

「うん……」

 

「その……俺にも時間をくれないか? まさか、本当に告白されるとは思ってなくてな……」

 

「あ、うん……」

 

「すまない……」

 

そう言って提督は部屋に戻っていった。

終わった。

でも、これでいい。

すっきりした。

振られても、すぐに立ち直れそうだ。

 

 

 

部屋に戻ると、メールが入った。

提督からだった。

 

 

『さっきはすまない。

 実のところを言うと、凄く嬉しかったのだ。

 だが、俺はお前と違って、勇気があるわけでもないし、面と向かって返事が出来なかった。

 だから、こんなメールですまないが、返事させてもらう。

 鈴谷、俺もお前が好きだ。

 これからは、お前の望むとおりにメールもするし、隣にもいてくれ。

 俺もお前のように、面と向かって好きだといるように努力する。

 その時は、笑わずに聞いてくれ。』

 

 

 

メールの着信音で目が覚めた。

 

『おはよう。食堂で待つ。』

 

「……まだ6時じゃん」

 

 

 

「やっと来たか」

 

食堂には、まだ提督しかいなかった。

 

「チッス……」

 

ちょっと照れくさかった。

昨日の昨日だし。

 

「隣……いいよね?」

 

「……おう」

 

提督も恥ずかしいのか、いつもより帽子を深く被っていた。

 

「……朝、早くない?」

 

「やっぱりそうだったか? いや……他の艦娘に見られるの恥ずかしいと思ってな……」

 

「なに? 鈴谷が隣だと恥ずかしいってわけ?」

 

「そうは言ってないだろう」

 

お互いにギクシャクしていた。

目を合わせることも出来ない。

 

「……昨日のメール、見たよな?」

 

「うん……」

 

「返信待ったんだぞ」

 

「あ、ごめん……」

 

「お陰で一睡も出来ずに、今だ」

 

「……プッ」

 

「何がおかしい?」

 

「鈴谷に勇気ないって言ったくせに、提督も意外と小心だよね」

 

「……」

 

「あ、怒った?」

 

「鈴谷」

 

「ん?」

 

「俺もお前が好きだ」

 

世界が静寂に包まれた気がした。

それと同時に、全身が熱くなり、手に汗を握った。

 

「うん……」

 

それから他の艦娘が来るまで、私たちはお互いを見つめることが出来ないまま、喋る事が出来ないままでいた。

告白できた時のあの勇気は何だったんだろう。

これがメールだったら、もっとペラペラ喋れるだろう。

 

「……お互いに頑張らないとね」

 

「ああ……」

 

小さくそう言って、他の艦娘に見えないように、手を握った。




気が向いたら続編でも作ろうかと思います。


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背徳と純情

R-15かもしれません。

夕雲の話です。


「駆逐艦のくせに」

「子供のくせに」

どこかで、私を罵倒する声が聞こえる。

私は大人になりたいの。

貴方と同じような、大人に。

 

 

 

堤防へ行くと、提督が艦娘の演習を見ていた。

 

「提督」

 

「夕雲か」

 

「またいやらしい目で艦娘たちを見ていたのでしょう?」

 

「失敬な。提督として演習を見ているだけだ」

 

「そう。そういえば、陸奥さん、また胸が大きくなったって言ってたわ」

 

「やはりそうか。今見ていたんだが、いつもより胸の弾みが大きいと思ってな」

 

「やっぱり見てたのね」

 

提督はちょっとスケベ。

大人な女性が好きなのか、戦艦の演習にしょっちゅう現れる。

 

「潮さんの胸も大きくなったと思うのだけど」

 

「そうか」

 

胸が大きいからいいという訳でもなさそうね。

 

「本当に戦艦が好きなのね」

 

「見ていて飽きないだろう。よく、美人は三日で飽きると言うが、そんなことはない」

 

「そう。駆逐艦にも美人はいるわよ?」

 

「例えば?」

 

「あら、隣にいるじゃない」

 

「美人ってのは自分では語らないもんだ。故に、お前は美人じゃない」

 

「酷いわ」

 

「それに、俺は子供は好かん。特に、お前のような見透かしたような子供はな」

 

「……そう」

 

提督。

貴方は私が他の駆逐艦と違って、メンタルが強いと思ったからそう言ったのでしょうけれど、今のは結構傷ついたわ。

 

「私の体が大人になったら後悔するわよ?」

 

「心が大人なお前が、いつか大人になっても、心が婆になってるだろうから、何にも感じないだろうよ」

 

「本当、酷い話だわ」

 

もっと遅く生まれていれば、貴方は私を見てくれたのかしら?

ね、提督。

 

 

 

「提督?」

 

執務室で提督は寝ていた。

まったく。

ソファーなんかで寝たら、体を悪くしちゃうのに。

 

「ちゃんとベッドで寝なきゃだめよ。提督」

 

優しく提督を揺らす。

寝息をたてる提督。

私の中で、悪の思想が燻る。

それがやがて、大きな大きな炎となるのを想像し、とてつもない背徳感に包まれた。

 

「提督」

 

鼻からの寝息が生暖かい。

柔らかいとは言えぬ、感触。

自分の心臓の音。

とてもとても大きな、心臓の音。

時間が止まったかのような、緊張感。

 

「……は……ぁ……」

 

唇を離すまで、息が出来なかった。

苦しい。

でも、大きく息が出来ない。

出来るだけ静かに、静かに。

しかし、それに反して、息はどんどん苦しくなる。

 

「……っ!」

 

そのまま、執務室を静かに、だけれど急いで、飛び出した。

 

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

背徳感。

スリル。

高揚。

どれにも当てはまる。

こんな感情、他には感じたことがない。

 

「やっちゃった……」

 

その言葉とは裏腹に、私の顔は笑っていた。

手に入らないものに、手が届いたような気がした。

 

 

 

もし、私の体が大人だったら、こんな欲望は生まれなかったのかもしれない。

子供の体だからこその欲望。

子供であるのに、大人の心を持っている。

同じ子供の中でも、しっかりとしていて、頼られるような存在。

大人も一目置くような、そんな存在。

私は自覚する。

自分はそういう存在だと。

そして、それを否定した提督の言葉が、私を欲望の中へ突き落したことも。

 

「私はイケナイ女になってしまったのかしら」

 

皆が言う私を、私は、提督の為に、汚してしまいたくなったのだ。

 

 

 

「提督、お茶はいかが?」

 

「熱ければいらん」

 

「ちゃんと氷も入ってますよ」

 

こんな何気ない会話でも、私の心臓は破裂しそうだった。

このスカートがめくれてしまいでもした時、それを見た提督はなんというのだろうか。

 

「今日はストッキングを穿いていないのだな」

 

「え、えぇ……最近、暑いじゃない? 蒸れるのよ」

 

ストッキングだけじゃないけれどね。

なんて。

 

「さて、そろそろ戦艦の演習かな」

 

「あら、掃除がまだよ?」

 

「やっておいてくれ」

 

「はいはい」

 

提督が執務室を出て、遠くで足音が消えたのを確認し、私は、ゆっくりとスカートをたくし上げた。

提督の机の前に立つ。

私の目が、ぼんやりと、提督を映し出す。

 

「……っ……はぁ……っ……」

 

息を抑えなくてもいいのに、自然と抑えてしまう。

窓からの風が、優しく、私の股を撫でる。

そのまま、窓の外を眺める。

遠くに戦艦たちが演習を行っているのが見えた。

その近くの堤防。

そこに提督が見えた。

欲望の火種が、燃えやすい藁の中で燻るのを感じた。

シャツのボタンにかけた手が震えている。

何の震え?

スリル?

それとも、こんなことをしてしまっている自分に対する恐怖?

 

「はっ……はっ……」

 

苦しい。

抑えきれない呼吸。

抑えなきゃいけない呼吸。

そんな二つの葛藤が、私に犬のような息遣いをさせた。

鏡に映る、全裸の私。

お風呂場で見る時の全裸とは、また違って見えた。

 

「提……督……」

 

小さい声。

聞こえるはずもなく、提督は戦艦に夢中だ。

もし、何かの拍子でこっちを見たら。

もし、こんなことをしていることを知られたら。

 

「提督……私は……貴方の嫌いな私じゃないのよ……? ほら、こんなことして……だから……」

 

その時、誰かが廊下を走る音がした。

知っている。

この足音は……。

 

「提督ゥー! ティータイムの時間ネ!」

 

「……って、誰もいないデース」

 

金剛さん。

そうか、演習じゃなかったのね。

 

「あ、もしかして……かくれんぼ? なら、見つけてやるデース! フヒヒ……」

 

かくれんぼな訳ないでしょう。

でも、マズイ。

今見つかったら……。

 

「ここかな~……? あれ、じゃあ、ここ!?」

 

段々と近づく足音。

着替える暇なんてない。

 

「じゃあ……ここ……?」

 

金剛さんの足。

ちょうど、こちらをのぞき込もうとしている。

 

「金剛お姉さま!」

 

「霧島」

 

「こんなところに……先ほど提督が演習を見ているという目撃情報が入りました!」

 

「Oh! そっちでしたカ……。今すぐ行くヨー! 霧島!」

 

「はい!」

 

遠くなる足音。

 

「はっ……ぁ……はっ……」

 

心臓の音が執務室中に響いているような気がした。

 

「馬鹿……馬鹿……」

 

自分を責めた。

こんなことがあることは分かっていた。

なのに、それを承知してまでこんなことをやってしまった。

一時の興奮状態。

それに身を任せていた。

危険になって初めて後悔するなんて。

何が大人よ。

何が提督の為よ。

 

「ああ……」

 

自分が嫌になる。

どうしてこんなになってしまったのだろう。

こんなことをしても、提督は振り向いてくれないって、心の底では分かっていたはず。

とてつもない高揚感、背徳感から、一気にどん底に落とされた。

 

 

 

後悔してしばらく、はっとした。

 

「着替えなきゃ……」

 

気が付くと、もう戦艦の砲撃は聞こえなかった。

提督が帰ってくる。

その前に着替えなきゃ。

そう思って立ち上がった時、提督がそこに立っていた。

 

「お前……」

 

ああ、そういえば、金剛さんが出て言った時、扉が閉まる音を聞いてなかった。

 

「……何をしている? 何故裸なんだ?」

 

そこからの記憶はない。

気が付くと、自室で裸のまま、ベッドに潜っていた。

 

 

 

夏も近いというのに、体は冷え切っていた。

それが裸のせいなのか、はたまた心のせいなのかは分からない。

終わった。

全てが。

どうしてあんなことをしてしまったのか、幾度となく正当化した意見が私の中でグルグルと渦巻く。

だけれども、そんなことをしたところで、何が戻る訳でもない。

これからどうなるんだろう。

 

「夕雲」

 

提督の声。

部屋に入ってきてたのも分からなかった。

 

「夕雲。服、ここに置いておくぞ」

 

服……。

そっか、全部置いてきたのね。

っていうことは、全裸で廊下を走ったってわけ?

本当、馬鹿みたい。

どうして覚えてないのか、逆に不思議だわ。

 

「……服を着たら言え。それまで部屋の外で待っている」

 

そういうと、提督は部屋を出た。

今更何を話すというのだろうか。

……いや、話さなきゃいけないのは私か。

どうしてあんなことをしたのか、正直に話さなきゃいけない。

今考えてた正当化した意見を言う?

それとも、正直に……。

 

 

 

服を着て、少し考えた後、解体される覚悟でいようと、決意した。

 

「……いいわよ」

 

「入るぞ」

 

提督の顔は、どこか真剣だった。

 

「……」

 

「……」

 

お互い、黙ったままだった。

提督は私の目をじっと見つめた。

待っているんだ。

私が、語るのを。

 

「……正直に話します」

 

 

 

事細かに、すべて話した。

キスをしたことも、行為に及んだこと、提督が好きだということも……。

そんな私を、提督は、じっと見つめるだけだった。

なんて官能的な瞳なのだろう。

……ああ、また。

私は最低な艦娘だ。

 

「……そうだったのか」

 

「……ごめんなさい。覚悟は出来ているわ。私を解体して……」

 

「駄目だ」

 

「え?」

 

「逃げるな」

 

「……」

 

貴方って本当に酷い人よ。

どこまでも私を苦しませるのね。

逃げるな……か……。

 

「分かった……罪は償うわ……。何でもするつもりよ……」

 

「そうじゃない」

 

「え?」

 

「お前自身から逃げるな」

 

「私……自身……?」

 

「俺の好みじゃないからと言って、今まで積み上げていた自分を否定するな」

 

「そんなこと言ったって……。提督には分からないのよ……私の気持ちなんて……」

 

「……分かる。俺も、自分の気持ちから逃げてきたからな……」

 

「……」

 

「俺は……お前が好きだった」

 

え?

 

「だが、それはよくないことだ。お前は大人な性格をしているとはいえ、子供だ。子供に惚れるなど……駄目だ……」

 

……ああ、そうか。

 

「俺は……お前と一緒だ。そんな自分を否定し、戦艦を好きになろうと努力し、伝えてきた」

 

提督も同じだったんだ。

 

「だが、俺はもう逃げない。だから、お前も逃げるな」

 

「……本当なの?」

 

「?」

 

「本当に……夕雲の事が好き……?」

 

「……あ……あぁ……。情けないだろう……?」

 

「……本当ね」

 

提督は分の悪い顔をした。

 

「でも……提督が逃げないなら……私も逃げないわ……」

 

「夕雲……」

 

「提督……」

 

あの時、提督としたキスとは、また違った味がした。

 

 

 

「今日は戦艦の演習を見に行かなくてもいいの?」

 

「ああ」

 

「今度は駆逐艦の演習を見に行ったら? ロリコン提督さん?」

 

「……子供は嫌いだ」

 

「あら、この前と言ってることが違うわ」

 

「子供だから好きという訳ではないんだよ」

 

「……」

 

「少しは照れた顔を見せたらどうだ」

 

「大人なのよ……」

 

「そうか」

 

遠くで戦艦の砲撃が聞こえる。

 

「ねえ、提督……」

 

「なんだ?」

 

「私が本当の大人なったら……本当に結婚してくれる?」

 

「俺がロリコンじゃないというのを信じてくれればな」

 

「難しそうね」

 

「おい」

 

そう笑っても、提督は嫌な顔をしなかった。

 

「待ってるからな。夕雲」

 

「……はい」

 

さすがに赤面した。



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幸福論-山城編-

私自身、かなり不幸だと思うけれど、それ以上に不幸なのが提督だと思う。

 

「うわ!? いてて……またこんなところにバナナが……」

 

「またですか……? 今週だけで10回はバナナで転んでますよね……?」

 

こんな調子で、何かと不幸している。

だけれど、提督はいつだって不幸だと嘆いたことはない。

 

「僕は、世界一バナナで転んだ男かもしれませんね」

 

そう笑う提督。

どうして?

どうして笑えるの?

私の目から見ても不幸なのに。

 

「あ……今ので携帯電話が壊れちゃいましたよ……」

 

「……」

 

 

 

「山城」

 

「姉さま!」

 

「秘書艦の仕事……頑張っている?」

 

「はい! でも、どうして今も私なんかが秘書艦なんかに……。姉さまが来たんだから、姉さまの方が……」

 

「仕方がないわ。戦艦、私たちしかいないし、山城から私が来るまで、強い艦娘がこなかったし……」

 

「提督は本当に不幸です。羅針盤もボスに辿り着かないし、艦娘のドロップなんて、一か月に一回あればいい方なんですよ?」

 

「提督らしいわ」

 

「はあ……こんな艦隊に来てしまって……不幸だわ……」

 

「そうかしら?」

 

「?」

 

「なんだか山城、イキイキしている感じだわ」

 

「へ?」

 

そう笑った姉さまが何を言わんとしているのか分からなかったけれど、なんとなく、提督関係なんだろうなと思った。

なんでかは分からないけれど。

 

 

 

「あ! 茶柱……が……沈んでゆく……」

 

「……提督って、不幸ですよね」

 

「そうですか?」

 

「えぇ……ずっと秘書艦をやらされているから分かります。提督は不幸です」

 

「うーん……」

 

「というか、まだ不幸なことに気が付けないんですか?」

 

「僕は不幸だと思ったこと、一度もありませんよ」

 

ああそうか。

生粋の馬鹿なんだわ。

 

「逆に、山城さんは不幸だ不幸だと言ってますけど」

 

「それでも、提督よりは幸福です」

 

「僕は幸福ですよ」

 

「頑固ですね……。まあ、どうでもいいですけど……。ちょっと姉さまのところに行ってきますね」

 

「山城さん」

 

「……なんですか?」

 

「不幸だと言うから不幸なんですよ。故に、幸福だと言っている僕は、誰が何と言おうと幸福なんです」

 

なんだこの人……。

 

「そうですか……」

 

そう言って、執務室の扉を閉じた。

幸福だと言っているから幸福ですって?

意味が分からない。

そんなことで幸福になれるのならば、この世に不幸なんてないわ。

……まあ、どうでもいいけど。

 

 

 

「……って、提督が言うんですよ。不幸になりすぎて頭がおかしくなったんだわ。きっと」

 

「でも、提督は幸福だって言っているんでしょう?」

 

「そうですけど……」

 

「なら、それは幸福なんだわ。不幸を認識できない以上、それは幸福だというべきよ」

 

「結局、生粋の馬鹿にしか幸福は訪れないのですね……」

 

「山城は不幸だと思うこと、たくさんある?」

 

「あります」

 

「でも、提督よりは幸福でしょう?」

 

「まあ……」

 

「提督がいなかったら?」

 

「私が一番不幸でしょうね」

 

「不幸なんてその程度なのよ。誰かと比較しなければ、その大きさも見えてこない」

 

「!」

 

「提督はそれを知っている。だからこそ、不幸を認識していない」

 

「まさか……」

 

「比較しなければ出てこないものならば、幸福も不幸も存在しないものと言ってもいい。他人の心は読めないものだわ。なのに、どうして不幸の比較が出来るのか」

 

「……」

 

「幸福を欲するものは、幸福がなんなのかを考える。そして、必ず比較という壁にぶつかるわ。自分はどうなのか、他人と比べてどうなのかってね」

 

「……姉さまは大人ですね。私なんて、そこから脱却できないでいるのですから……」

 

「今のは全て、提督から聞いた事よ」

 

「え!?」

 

「貴女の馬鹿にしている、提督のね」

 

その時の姉さまの目は、なんというか、私を批判しているような目をしていた。

私よりも、提督の味方であるかのような、そんな目。

その目を見たとき、私は、提督の隣に姉さまがいるのを想像した。

何故だかは分からない。

寄り添う二人の姿。

仕事に取り掛かる二人の姿。

笑いあっている、二人の姿。

何故だかは分からない。

何故だかは分からないけれど、それが、私の心を締め付けた。

 

 

 

「うーん、今月は艦娘をドロップできそうにありませんね……。建造も那珂ちゃんばかりだし……」

 

「……」

 

「山城さん?」

 

「提督……姉さまから聞きました。提督の幸福論」

 

「幸福論……? ああ、なるほど、幸福論ですね。山城さんはどう思いましたか? それでも私が不幸だと言えますか?」

 

「言えます」

 

「おや……」

 

「提督は逃げているだけです。本当は不幸だって分かっているはずです。分かっていて、逃げているだけです」

 

「……」

 

「比較することでしか幸不幸を認識できないのであれば……幸福を認識している提督は、何かと比較しているはずです。私には、その比較で提督が「自分は幸福だ」と思えるとは考えられません」

 

「では、僕が虚勢を張っていると」

 

「はい」

 

提督の顔は、段々と微笑みを失っていった。

 

「山城さんは考えてますね。なるほど……」

 

「いくら幸福を唱えていても、不幸だという現実からは逃れられません。だから、それを見ないようにしているんです。提督は、幸福も不幸も、見ないようにしているんです。幸福であるというのは虚勢……そして、中身のない、ただの箱のような言葉です」

 

提督は観念したかのように、一つ、息を漏らした。

 

「扶桑さんを騙せても、山城さんは騙せませんか」

 

「いいえ。私も騙されました」

 

「では、なぜ?」

 

それは自分でもわからない。

ただ、認めたくなかった。

姉さまと提督が、寄り添っている姿。

同じような考えを持っていることが、なんとなく、許せなかった。

その思想が、私を行動させた。

 

「……ずっと、秘書艦をやってきましたから。なんとなく分かったんです」

 

「……そうですか」

 

こんな事して、どうなるんだろう。

行動してから考えるなんて、私もどうしちゃったんだろう。

ただ……。

 

「あぁ、そうなのね……」

 

「?」

 

分かった……。

分かったわ……

認めたくはないけれど、そうか。

ずっと、姉さまが好きだったから、提督が許せないのだと思っていた。

けれど、違う。

 

「提督、私は……貴方が不幸であることが許せなかった」

 

そう。

私は提督に幸福になってほしかっただけ。

もしあの時……お姉さまの言うように、提督の幸福論を信じてしまっていたら、提督は不幸のままだった。

それが許せなかったんだ。

だから私は……。

 

「山城さん……」

 

「逃げないで……。私も逃げないから。不幸である自分に目を背けないで……」

 

ずっと一緒にいるからかしら。

私にこんな感情、生まれるなんて思ってもなかった。

それほどに、私にとってこの人は、特別なんだろう。

どんな形であれ。

 

「……あぁ、逃げない。もう逃げない。不幸からも……そして、幸福からも……」

 

「一緒に……本当の幸福を見つけましょう。きっとあるはずです……」

 

「山城さん……」

 

私は見つけることが出来るだろうか。

この人の幸福を。

そして、私の幸福を。

いつか、その二つが、一つであればいいだなんて、ちょっと、思ったりもした。

 

 

 

「そう……」

 

形の歪なクッキー。

姉さまの手作りらしい。

それを口に運びながら、姉さまは溜息をついた。

 

「提督は姉さまを騙そうとしたわけじゃないのです……。ただ……」

 

「分かってるわ。提督に悪意はないわ」

 

「姉さま」

 

「ただね……」

 

「?」

 

姉さまの目が私を見つめる。

その瞳に映っているのは、私でない気がした。

私の奥にある、何かを、姉さまは見ていた。

 

「貴女が……羨ましいわ……」

 

「え?」

 

「……なんてね。それで、見つけたの? 幸福」

 

「いえ……。それはまだ……。ただ、ゆっくり探そうと思います。きっと、提督なら見つけられると思うんです。そしたら、きっと私も見つけられる。そんな気がするんです」

 

「そう。応援しているわ」

 

「ありがとうございます。姉さま」

 

「えぇ」

 

私は提督を幸せにしたい。

提督の幸せを見たい。

そしたら、きっと、私も幸せになれる。

提督が幸せだということが、私にとっての幸せになるのだから。



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幸福論-扶桑編-

幸福論-山城編-と繋がっています。


「不幸というのは、比較しなければ見えてこない程度のものなのです。他人の心が読めない以上、比較も出来ない。故に、不幸なんてないんですよ」

 

気分の沈んでいた私に、そう教えてくれた提督。

私はどれほど救われたか。

そんな提督に、私はどんどん魅かれていった。

 

 

 

提督に好かれたかった。

近くに居たかった。

秘書艦になりたい。

そうすれば、私は提督の傍に、ずっといられる。

だけれど……。

 

「山城」

 

「姉さま!」

 

「秘書艦の仕事……頑張っている?」

 

「はい! でも、どうして今も私なんかが秘書艦なんかに……。姉さまが来たんだから、姉さまの方が……」

 

私だってそう思う。

一番艦だし、何より、提督にお慕いする気持ちは、山城より遥かに強いはず。

 

「仕方がないわ。戦艦、私たちしかいないし、山城から私が来るまで、強い艦娘がこなかったし……」

 

「提督は本当に不幸です。羅針盤もボスに辿り着かないし、艦娘のドロップなんて、一か月に一回あればいい方なんですよ?」

 

「提督らしいわ」

 

「はあ……こんな艦隊に来てしまって……不幸だわ……」

 

「そうかしら?」

 

そんなこと言っても、貴女は秘書艦をやめたいなどとは一言も提督に言わない。

それに、提督といる時の貴女は、私と話している時より、輝いて見えるわ。

もしかして、貴女も……。

 

「?」

 

「なんだか山城、イキイキしている感じだわ」

 

「へ?」

 

無自覚なのね。

でも、やっぱり貴女も……。

 

 

 

とにかく山城の事が気がかりだった。

日に日に、提督の話が多くなる。

本人に自覚はないのだろうけれど。

もし、もし山城が気が付いてしまったら。

もし、提督がそれを知ってしまったら。

私は苛立っていた。

 

 

 

「……って、提督が言うんですよ。不幸になりすぎて頭がおかしくなったんだわ。きっと」

 

「でも、提督は幸福だって言っているんでしょう?」

 

「そうですけど……」

 

「なら、それは幸福なんだわ。不幸を認識できない以上、それは幸福だというべきよ」

 

提督の幸福論は間違っていない。

それを否定する山城に、私は強く当たってしまった。

 

「貴女の馬鹿にしている、提督のね」

 

そう吐き捨て、山城を見た。

きっと、怖い目をしていたんだと思う。

けど、これでいい。

提督は間違っていない。

誰にも理解されなかったとしても、私は信じる。

私を不幸から救ってくれた、提督の幸福論を。

 

 

 

「よし」

 

形は歪になってしまったけれど、焼き加減はばっちりなクッキーが焼けた。

提督に少しでも私を知ってほしい。

そんなことを思えるのも、提督のおかげ。

 

「提督、喜んでくれるかしら……」

 

クッキーの入った包みを持って、執務室の扉を叩こうとした時、中から山城と提督の声が聞こえた。

 

「提督は逃げているだけです。本当は不幸だって分かっているはずです。分かっていて、逃げているだけです」

 

どこか、怒りを含んでいるかのような山城の声。

只ならぬ雰囲気が、扉越しに伝わる。

 

「比較することでしか幸不幸を認識できないのであれば……幸福を認識している提督は、何かと比較しているはずです。私には、その比較で提督が「自分は幸福だ」と思えるとは考えられません」

 

「では、僕が虚勢を張っていると」

 

「はい」

 

それから、ただただ、二人の会話を扉越しに聞いていた。

 

「一緒に……本当の幸福を見つけましょう。きっとあるはずです……」

 

「山城さん……」

 

私は、音をたてないように、静かにその場を去った。

 

 

 

山城は気づいてしまった。

提督への気持ちを。

そして、信じていた提督の幸福論は、ただの虚勢だった。

 

「だったら、私は何を信じればいいの……?」

 

提督が虚勢だと認めたならば、私も認めなければならないだろう。

でも、そうなったら、私には何も残らないだろう。

提督だけが、私の信じるただ一つの幸福だった。

 

 

 

「そう……」

 

「提督は姉さまを騙そうとしたわけじゃないのです……。ただ……」

 

「分かってるわ。提督に悪意はないわ」

 

「姉さま」

 

ただ……。

 

「ただね……」

 

思わず口に出た言葉。

そして、山城の目の奥にいる提督を見た。

私の信じる提督とは、また違って見える。

けれども、とても、幸せそうに見えた。

 

「貴女が……羨ましいわ……」

 

「え?」

 

「……なんてね。それで、見つけたの? 幸福」

 

「いえ……。それはまだ……。ただ、ゆっくり探そうと思います。きっと、提督なら見つけられると思うんです。そしたら、きっと私も見つけられる。そんな気がするんです」

 

気が付いたのね。

 

「そう。応援しているわ」

 

「ありがとうございます。姉さま」

 

「えぇ」

 

きっと、それが恋だと、その幸福を共につかめると、また、知ることになるんでしょうね。

本当に、羨ましいわ……。

 

 

 

「扶桑さん」

 

「提督……」

 

「最近、雨が続きますね。僕の運が悪いからかな。ごめんなさいね」

 

僕の運が悪い……か……。

 

「……提督、山城から聞きました。提督の幸福論……虚勢だったんですね……」

 

「……えぇ」

 

「なら、私は何を信じればいいんですか……?」

 

「え?」

 

「私……嬉しかった……。提督の幸福論は、本当に私を幸せにしてくれた……なのに……」

 

思わず涙が零れる。

色んな感情が混ざり合って、なんで泣いているのかと尋ねられても、上手く説明できない。

 

「扶桑さん……」

 

こんなこと言われても、困っちゃうわよね。

何やっているんだろう私。

私が勝手に信じて、勝手に泣いて……。

 

「扶桑さん……信じてもらえなくてもいい……聞いてくれますか……?」

 

「……はい」

 

「僕は……虚勢だと思って貴女に教えたわけじゃない……。貴女に幸福になってほしかったんです……」

 

「……分かってます。悪気がないことくらい……」

 

「ただ……結果としてそれが虚勢だと気づきました……。山城さんのおかげで……」

 

「……」

 

「だから、僕は山城さんと本当の幸福を見つけることにしました。山城さんとなら、本当の幸福を見つけられると思うんです」

 

それが私じゃないのが、悲しかった。

提督の言葉が、チクチクと、心を突く。

 

「そして、見つけたら……扶桑さん……貴女にも……教えたいんです」

 

え?

 

「本当の幸福の見つけ方を……虚勢などではない、本当の幸福論を……!」

 

提督は、今にも泣きだしそうな、そんな顔をしていた。

ああ……そうか……。

 

「提督……」

 

「だから……待ってもらえませんか……?」

 

やっと分かった。

山城の気持ち。

そして、何故、提督が山城を信じたのかを。

 

「……はい!」

 

きっと、提督と山城は見つけるだろう。

本当の幸福を。

二人の幸福を。

私は、それを見たい。

それを応援したい。

それが叶った時、私にも訪れるだろう。

本当の幸福が。

 

「本当の幸福論は……誰かの幸福の中にあるのかもしれません……」

 

「えぇ……そして、誰かの幸福を願う、自分の中にも……」

 

 

 

あれから随分経った。

提督の不運は相変わらずだけれど、随分と艦隊も大きくなった。

 

「ちょっと提督に呼ばれたので行ってきますね」

 

「えぇ、行ってらっしゃい」

 

私たちも改二になって、今も主力として活躍している。

山城なんか、練度がケッコンカッコカリに達している。

なのに、提督はいつになったら山城に指輪を渡すのかしら。

そんなことを考えていると、執務室から山城が飛び出してきた。

 

「姉さまぁぁぁぁ……!」

 

「どどど、どうしたの山城?」

 

「これぇ……!」

 

差し出した手には、綺麗な指輪が光っていた。

 

「これって……!」

 

「姉さまぁぁぁぁぁ……!」

 

相当嬉しかったのか、声も抑えず、山城は泣き続けた。

 

「おめでとう山城」

 

そんなセリフを言おうと思っていたのに。

 

「おめでとぉぉぉぉ……山城ぉぉぉぉ……!」

 

二人して号泣してしまった。

幸せなはずなのに、涙が出るのね。

でも、不幸の時とは違う。

なんというか、気持ちがいい。

泣けばなくほど、気持ちがいい。

これが幸福なのね。

 

「山城、今……幸せ?」

 

「はい……! 姉さま……!」

 

「私もよ」

 

虚勢ではない。

心の底から言える。

私は幸福だと。

 

「山城さん」

 

「提督……ありがとうございます。私、幸せです……」

 

「僕もですよ……」

 

「提督」

 

「扶桑さん」

 

「私も、幸せそうな二人を見れて、幸せです」

 

「それを聞いて、僕も幸せです」

 

「皆、幸せになっちゃいましたね」

 

それが可笑しくて、三人で笑いあった。



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秘書艦になれますように

うちの鎮守府には、変な風習がある。

それは、艦種ごとに交代で秘書艦をやること。

例えば、先月に戦艦の誰かが秘書艦をやったら、次は重巡の誰かが一か月間秘書艦をやる。

その次の月は軽巡の誰かが~みたいなね。

誰が秘書艦をやるかは艦種ごとで取決め方法を決めるんだけど、駆逐艦は司令官が選ぶことになっている。

だから、秘書艦に選ばれたい駆逐艦は必死だ。

ま、あたしはどうでもいいと思ってるんだけどね。

本当だよ?

 

 

 

「敷波、最近頑張ってるよね~」

 

「綾波。別に、普通だよ」

 

「もしかして、秘書艦狙ってるの?」

 

「え……そ、そんな訳ないじゃん! あんなの何がいいんだか……」

 

「綾波は狙ってるよ。だって、司令官と一か月間だけれど、ずっと一緒にいれるんだから」

 

「ふーん……」

 

「でも良かった。敷波が興味ないんだったら、ライバルが減るもん」

 

「……そりゃ良かったね」

 

「今、一番の候補は朝潮ちゃんだもんね。綾波も頑張らなきゃ!」

 

「……」

 

綾波が秘書艦かぁ。

司令官、喜ぶだろうなぁ。

朝潮も司令官に忠実だし。

そういえば、雷や電も候補にあがってたっけ。

練度で言えば、不知火とか響も……。

 

「……って、別にどうでもいいし」

 

どうでもいい。

別に、どうでも。

 

「……本当は良くないのかな」

 

 

 

「司令官、おはようございます!」

 

「おはよう朝潮。今日も気合入ってるな」

 

「司令官ほどではありません! それよりも、朝潮に何かできることはありませんでしょうか!?」

 

「あ~! ちょっと朝潮! 司令官、頼るならこの雷にして!」

 

「ちょっと雷! 先に司令官に声をかけたのは私よ! 司令官、是非朝潮にやらせてください!」

 

「司令官!」

 

「い、今は何もないよ。何かあったら声をかけるから」

 

「本当!? じゃあ、その時は雷にお願いね!」

 

「この朝潮に!」

 

あー、司令官大変そうだなぁ。

 

「司令官、ちょっとご相談が……」

 

あ……綾波。

 

「お、おう。どうした?」

 

「ここじゃ何なので、あちらで」

 

「分かった」

 

綾波、わざと向こうに連れて行ったな。

朝潮と雷から救うために。

こりゃ、秘書艦は綾波かな。

あたしはあんな気は使えないし。

 

「……」

 

いや、あたしはそんな気ないし、別に気を使えなくてもいいじゃん。

いいじゃん……。

 

 

 

秘書艦をやった艦娘は、みんな口をそろえてこう言う。

 

「次もやりたい」

 

って。

秘書艦には特別にケーキとか出るのかなって思って聞いたことあるけれど、みんな笑って誤魔化すだけ。

それほどに、内緒にしておきたい事があるんだろう。

ちょっとだけ知りたい。

本当、ちょっとだけね。

 

「綾波が秘書艦になったら?」

 

「そっ。どんな事があるのか教えてよね」

 

「そんなに知りたいなら、自分がなればいいのに」

 

「あたしは……別に……。それに、あたしなんかが秘書艦になっても……司令官、がっかりするでしょ」

 

「そうだね」

 

「……」

 

「怒った?」

 

「別に……」

 

「まあでも、もし綾波が秘書艦になっても、敷波には教えてあげない」

 

「え? どうして?」

 

「だって、それを秘密にできるのも、秘書艦の特権だもの」

 

そう笑うと、綾波は司令官を見つけて、小走りで近づいて行った。

秘書艦の特権。

ま、確かにそうか。

知るには、秘書艦を狙うしかない。

 

「……あたしには一生、分からない事なのかな」

 

薄っすらと、綾波の姿に、私の姿が重なる。

楽しそうなあたしと、楽しそうな司令官。

あんなに笑えるあたしがいるんだ。

いや、ああやって笑いたいって、思ってるんだろうなぁ。

綾波と話す司令官の横顔は、キラキラして見えた。

 

 

 

「秘書艦」

 

「秘書艦」

 

「秘書艦」

 

どこにいても、そのキーワードが飛び交っている気がする。

どんだけ意識しちゃってるんだあたし。

それに、なんだか気が付くと司令官をずっと見ている。

 

「ん、敷波、調子はどうだ?」

 

「し、司令官……。別に……普通だけど……。じゃ、じゃあね!」

 

「あ、おい」

 

けれど、司令官を避けてしまう。

秘書艦を意識していると思われたくないし、なんだか恥ずかしい。

本当はいつもみたいに気軽に話したいけれど……。

 

「もう……。早く終わってよ……秘書艦戦争……」

 

でも、もし秘書艦戦争が終わって、綾波が秘書艦になったら、あたしは司令官とまっすぐ向き合って話せるのかと言われたら……。

 

「司令官」

 

「綾波」

 

無理だ。

割って入る事なんてできないよ。

二人の時間を邪魔しちゃいけないし、あたしは邪魔者になるだろうし……。

 

「……」

 

秘書艦。

秘書艦。

秘書艦。

 

「ああ、もうっ!」

 

あたしのばか!

ばかばかばか!

 

「なりたいんじゃん……結局さ!」

 

 

 

「はぁ……はぁ……。もー……なんでこんなに高いところにあるんだよぉ……」

 

何段もある石階段を登りきると、木々の隙間から、鎮守府が見えた。

 

「小さいなあ、うちの鎮守府って……」

 

管理者がいるのかも怪しい神社。

昨日の雨のせいか、辺りは土の湿った匂いで満ちている。

カブトムシの匂いに似てるよね。

 

「……」

 

中身の少ない財布から、十円を出す。

本当は五円がいいらしいけれど、まあ、ご縁二倍ってね。

投げるのはよくなさそうだから、さい銭箱にそっと落とした。

 

「えーっと……二拍手二礼……ん? あれ? どっちだっけ?」

 

ええい、適当にやっちゃえ。

 

「秘書艦になれますように……」

 

あたしには、こんな事しか出来ない。

司令官にアピールすることなんて出来ない。

影で頑張るタイプなんだ。

そう、評価されなくても、一人で頑張れるタイプなんだ。

だから、だから……。

 

「……」

 

こうやって逃げることしか、出来ないんだ。

 

 

 

帰ろうとした時、風で絵馬が揺れている音が聞こえた。

絵馬かぁ。

念には念を入れてみようかな。

もしかしたら……ってこともあるかもしれないし。

無いだろうけれど。

 

「絵馬……」

 

周りを見渡すと、木の箱の隣に、絵馬が積んであった。

おみくじみたいに、勝手にお金を入れて買う感じか。

本当、田舎だなぁ。

お金を入れて、筆をとる。

 

「秘……書……艦……に……な、れ、ま、す、よ、う……に! よし」

 

絵馬をかけようとした時、鳥居の前に人影があるのを見た。

 

「敷波?」

 

司令官だ。

 

「し、司令官……」

 

「どうした? こんな所でなにしてるんだ?」

 

こっちのセリフだ。

どうして司令官が……。

 

「えと……その……」

 

「お、絵馬か? 敷波も案外、ロマンチックなところがあるんだな」

 

「わ、悪い?」

 

「別に」

 

「司令官こそ……どうして……」

 

「出撃前にはここに来てるんだ。安全祈願ってやつさ」

 

「安全祈願?」

 

「皆、無事に帰って来れますようにってな。作戦指示でどうにも出来ない事もある。だから、最後は神頼みになってしまうんだ」

 

「ふーん……」

 

「ちょっと待ってろ」

 

そう言うと、司令官はお賽銭を入れて、安全を祈願した。

その間に、あたしは絵馬を奥の見えないところに結んだ。

 

「よし。敷波、用事は済んだのか?」

 

「え、う、うん……」

 

「なら、一緒に帰るか」

 

司令官が手を差し伸べる。

しれっとしたものだ。

あたしの心臓はバクバクなのに。

 

「い、今は汗ばんでるから……」

 

「そうか」

 

あたしのばか。

いくじなし。

 

 

 

司令官と長い長い階段を下る。

この時ばかりは、長い階段で良かったと思った。

 

「ここからだと鎮守府が小さく見えるな」

 

「ここからじゃなくても小さいよ」

 

「ははは、そうだったな」

 

どうしてあたしはこうもキツイことしか言えないんだろう。

もっと、綾波みたいに気のきいたことでも言えればいいのにさ。

 

「そういえばさ、秘書艦……決めたの?」

 

「ああ、一応候補は」

 

「誰?」

 

「なんだ、敷波も秘書艦に興味があるのか?」

 

「べ、別に……。ただ、綾波が知りたがってただけで……」

 

「そうか。なら、なおさら言う訳にはいけないな」

 

え?

思わず足を止める。

 

「どうした? 疲れたか?」

 

「司令官、それって……」

 

「ああ、綾波だよ。綾波を秘書艦にしようと思ってる。まだ候補だけどな」

 

そっか。

やっぱり、そっか。

うん、分かってた。

分かってたし。

そりゃそうだよね。

何ショック受けてるんだろ、あたし。

分かってたじゃん。

分かってた、じゃん。

 

「……そっか。じゃあ……言えないわけだね」

 

「聞いたんだから、内緒にしておいてくれよ。サプライズで伝えたいんだ。どういう訳か、駆逐艦にとって、秘書艦になることは特別らしいからな」

 

「……だろうね」

 

唇が震える。

ヤバ、泣きそう。

なに泣きそうになってるんだよあたし。

ばかみたい。

 

「……あたし、急ぎの用事があったんだった。じゃあね」

 

「あ、おう。気をつけてな」

 

 

 

なんとか涙は堪えた。

分かってたことだけれど、実際に言われるとショックなんだなぁ。

 

「……」

 

諦めよう……とは思えなかった。

何故だか分からない。

分からないけれど、感じたことのない、この胸の高鳴りが言う。

 

「秘書艦になりたい」

 

いや、なる。

ならなきゃ。

いつの間にか悲しい気持ちは消えていて、あたしの中で何かが燃えていた。

 

 

 

それからあたしは、長門さんにお願いして、毎日演習を積んだ。

 

「はぁ……はぁ……。もう一回お願いします!」

 

「敷波、それくらいにしておけ!」

 

長門さんが叫ぶ。

空を見ると、もうすっかり夜だった。

 

「はぁ……はぁ……」

 

「敷波、やる気があるのはいいことだ。だが、力み過ぎだぞ。お前にはまだ時間がたっぷりある。ゆっくり強くなればいいさ」

 

時間なんてない。

あたしには、急がなきゃいけない理由がある。

 

「まだ……! まだ出来る!」

 

「いい加減にしろ。これ以上やって、疲労が残ったら、いざという時の作戦に支障が出る」

 

「でも……!」

 

「……これは言いたくなかったのだが、仕方あるまい」

 

「?」

 

「提督は次の作戦で、綾波とお前を起用するつもりだ」

 

「え?」

 

「秘書艦に選ぶ艦娘を絞ると言っていた。敷波、お前も候補にあがっているんだ」

 

「あたしが……本当……!?」

 

うそ……。

でも、どうして……。

 

「ああ、提督はお前の日々の鍛練に注目していた。私も報告していたしな」

 

「長門さん……」

 

「だから、こんなところで疲れては駄目だろう。その作戦が遂行されるまで、力を温存しておけ」

 

「……はい!」

 

 

 

司令官があたしを候補に入れてくれた……!

やっと、やっとここまで来れたんだ。

でも、相手は綾波。

本来のあたしなら、ここまで来れただけで、満足していた。

けれど、今は違う。

その夜、あたしは綾波を堤防へ呼び出した。

 

 

 

「敷波、どうしたの? こんなところに呼び出して」

 

「綾波……」

 

あたしは長門さんに言われたことを話した。

そして、あたしの気持ちも。

 

「じゃあ、司令官は私と敷波を……」

 

「……」

 

「敷波も……本当は秘書艦になりたかったんだね……。だからかぁ、あんなに頑張ってたのは……」

 

「あたしは……絶対に秘書艦になる……。だから、綾波……あたしは全力で戦うから……!」

 

「敷波……。分かったわ。なら、私も全力で貴女を突き放すわ」

 

「作戦で会おう」

 

「えぇ」

 

それから、あたしも綾波も、全力で演習に挑んだ。

そして、その時が来た。

 

 

 

「本作戦は「キス島撤退作戦」だ。駆逐艦のみの高速艦隊で攻める!」

 

いよいよだ。

綾波以外にも、秘書艦になりえよう艦娘がいる。

本当に決めるつもりだ。

 

「敷波」

 

「綾波」

 

「手は抜かないわ」

 

「あたしだって」

 

とはいえ、これも立派な作戦。

陣形はしっかりとしなくては。

 

「では、駆逐隊、出撃せよ!」

 

 

 

「はぁ!」

 

「撃ちます!」

 

今のところは順調だ。

演習でやったとおり、上手く動けている。

 

「前方に敵!」

 

「あれが……最後だね」

 

「あれを叩けば作戦終了よ! 皆、行くわよ!」

 

皆も陰ながら努力して来たのだろう、次々と敵を沈めてゆく。

あたしだって……!

 

「砲雷撃戦、はじめるよっ!」

 

空が段々と暗くなってゆく。

こりゃ、夜戦になるかもしれない。

その前に終わらせなければ。

 

「よし、旗艦は……」

 

その敵の旗艦は綾波の方を向いていた。

綾波は駆逐ニ級と交戦中だ。

 

「綾波!」

 

敵の砲が綾波に向けられる。

このままでは間に合わない。

庇うしかない。

でも、そうしたらあたしが……。

その時、脳裏に浮かんだあの光景。

綾波と司令官が笑いあっている、あの光景。

秘書艦の綾波。

ああ、やっぱり、綾波の方が似合うなぁ。

だって、あたしはやっぱり、そんな風に笑えないもん。

想像の中だけでしか、笑えないもん。

 

「あああああああああああ!」

 

気が付くと、綾波を突き飛ばしていた。

そして、あたしは敵の砲撃をもろに受けた。

 

「敷波……!」

 

綾波の声が聞こえる。

 

「絶対に許さない!」

 

その声と同時に、綾波の魚雷が発射された。

そして、大きな爆発が起きるのが見えた。

きっと、旗艦を倒したんだ。

やったじゃん、綾波。

ああ、目の前が、なんだか暗くなってゆく。

海水がとても冷たい。

ああ、あたし、沈むんだ。

そっか。

でもまぁ、仕方ないか。

あんなに頑張ったし、悔いはない。

……。

嘘。

本気で悔しいよ。

泣きたいよ。

あんなに頑張ったのに。

こうなるんなら、司令官に大好きって、言えばよかったなぁ。

あたしっていつもそうだよ。

絶対後悔するんだ。

後悔した時には、もう取り返しのつかないことになってる。

結局、最後もそうかぁ。

綾波、MVPだよ。

秘書艦……よかったね……。

 

 

 

「ん……」

 

目を開けると、真っ白な天井が見えた。

ここが天国ってやつ?

もっと楽園みたいなところだと思ってたけど、あんがい普通なんだね。

 

「敷波……?」

 

隣を見ると、綾波がいた。

 

「敷波……! 良かった……」

 

「え……綾波も死んじゃったの?」

 

「死んでないよぉ……敷波……」

 

あたしを強く抱きしめて泣く綾波。

ああ、そういうことか。

助かっちゃったわけね。

 

「敷波……!」

 

もう一人の声。

声の先を見ると、そこには司令官が立っていた。

 

「司令官……」

 

「敷波……良かった……」

 

「……ごめんね……敷波……ごめんね……」

 

ずっと泣く綾波。

とりあえず、いつまでも泣かれているわけにはいかないので、長門さんに綾波を預けた。

 

「綾波……大丈夫かな……。トラウマにならなければいいけど……」

 

「ああ、そこはなんとかフォローしていくつもりだ……」

 

「……ごめん」

 

「いや……綾波をかばったんだろう? 私の作戦ミスだ……」

 

「そんなことない! あれはあたしが勝手に……」

 

「秘書艦になるために……無茶をさせてしまった……。そうだろう?」

 

「え?」

 

「長門から聞いた。秘書艦の件を言ってしまったと。それで無茶をさせてしまったんだとな……」

 

「……」

 

「すまない……」

 

「そんな……」

 

「敷波……」

 

司令官があたしを抱きしめる。

 

「ごめんな……。怖かったよな……。ごめんな……」

 

司令官は泣いていた。

泣くもんかと思っていたけれど、もう限界だった。

 

「怖かった……怖かったよぉ……。もう……司令官に会えないのかと思ったよぉ……。大好きって……言えないかもってぇぇぇ……」

 

わんわん泣いた。

いつもなら恥ずかしくて隠している自分が、ここに来て爆発してしまった。

それでも、いつまでもあたしを抱きしめてくれた司令官。

あたしが泣き疲れて眠るまで、ずっと。

 

 

 

しばらくして、綾波が秘書艦に任命された。

まあ、そうだよね。

MVPとったらしいし。

あたしも頑張ったんだけどなぁ。

でも、生きてただけで御の字かな。

これも、司令官が神社で願ってくれたからかもね。

あたしの願い事は叶わなかったけど。

 

 

 

怪我のリハビリも兼ねて、あたしはあの神社を訪れた。

 

「えーっと、」

 

今度は作法を調べてから来たからね。

ちゃーんと、神様にお礼を言いに来たんだから。

 

「司令官の願いを叶えてくれて、あたしを助けてくれて、ありがとうございました」

 

次は神様に頼らないでいいようにしないとね。

そんなことを思っていると、後ろから人の気配がした。

 

「敷波」

 

「司令官」

 

「大丈夫なのか? こんなところに来て」

 

「うん。今、神様にお礼を言ってたんだ。助けてくれてありがとうございますって」

 

「助ける?」

 

「司令官がお願いしてくれてたんでしょ? あたしたちが無事ですようにって。だから、神様があたしを助けてくれたんだよ」

 

「そっか。なら、俺もお礼をしなきゃな。敷波を助けてくれてありがとうございます」

 

「次は神様に頼らないようにしなきゃね」

 

「ああ」

 

そう言って、二人で笑いあった。

秘書艦戦争が終わって、やっと二人で笑いあえた。

いや、いつも以上に笑いあえてるかもしれない。

 

「そういえば、敷波は前に何をお願いしたんだ?」

 

「ん……。秘書艦になれますようにってさ。叶わなかったけどね」

 

「やっぱりそうだったのか」

 

「あの時は恥ずかしくて、見せられなかったけどね」

 

「なら、もう一度神様に感謝しなくちゃな」

 

「え?」

 

「綾波が、秘書艦を敷波に譲ってくれと聞かないんだ。他の皆も聞かなくてな」

 

「それって……」

 

「敷波さえよければ、俺の秘書艦をやってくれないか?」

 

「嬉しいけど……駄目だよ。あたしなんか……。それに……司令官だって……」

 

「敷波」

 

あたしの手を掴み、司令官はあたしを見つめた。

大きな手だなぁ、なんて、呑気なことを考えてたから、次の言葉にびっくりした。

 

「俺はお前に秘書艦になってほしい。これからもずっとだ」

 

「これからも……ずっと……?」

 

「ああ」

 

「い……いいの……? あたしなんかで……あたし……なんにもないよ?」

 

「なら、一緒に見つけていけばいい」

 

「でも……でも……」

 

「嫌か?」

 

「い、嫌じゃない! むしろ凄く嬉しくて……あっ……」

 

「なら、決まりだな。だってさ、みんな!」

 

「え?」

 

司令官の掛け声と共に、隠れていた艦娘たちがどっと出てきた。

 

「敷波ー! やったね!」

 

「え、ちょ……! 司令官! どういうこと!?」

 

「いやぁ、敷波に伝えてくるって言ったら、みんな行く行くって聞かなくてな……」

 

「断ってよね!」

 

「敷波」

 

「綾波……どうして……」

 

「やっぱり、納得出来なかったの。私が秘書艦になるってことが……」

 

「綾波……」

 

「でも、秘書艦は譲っても、ケッコンカッコカリは譲らないわ!」

 

「ケッコンカッコカリ!?」

 

「覚悟してよね! えへへ」

 

綾波が笑う。

それを見て、あたしも安心して笑った。

 

「こりゃ、敷波も大変だねー!」

 

「あ、あたしは別に……!」

 

周りが茶化す。

笑うごとじゃないよ。

そっか、ケッコンカッコカリかぁ。

 

「はいはい、帰るぞお前ら」

 

司令官とケッコンカッコカリ。

そんなの、考えたこともなかった。

秘書艦になる事しか考えたことなかったし。

 

「ほら、敷波も帰るぞ」

 

そう言って、あの時のように手をのばす司令官。

 

「うん」

 

今度は、ちゃんと握った。

 

「司令官」

 

「ん?」

 

「あのね……あたしは……ケッコンカッコカリも……譲らないからね……。司令官の事……大好き……なんだから……。な、なんてね!」

 

恥ずかしいけど、本心だった。

綾波には悪いけど、あたしはそれを譲る気もないから。

司令官はただ、笑うだけだった。

それが何を意味してるかは分からないけれど、いつか、分かる時が来たのなら、その時は……。

 

「みんなー! 聞いてくれ! 敷波が俺の事、大好きだってさ! ケッコンカッコカリは譲らないだってさ!」

 

「ちょ……!」

 

「ヒューヒュー! あついね駆逐艦!」

 

「な、なんで言うのさー! ばかぁ!」

 

いつもは静かなはずの神社に、笑い声が響く。

きっと、神様も笑ってくれてるのかな。

それくらい、大きく、遠くまで、笑い声が響いた。



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妙高と真面目提督

提督は真面目だ。

私も人の事は言えないけれど、とにかく真面目だ。

だけれど、私にはその性格が、何者も近づけない、壁のように感じていた。

 

 

 

「提督、もうこんな時間ですよ。お休みになられては……」

 

「いや、もうちょっとやってから休む。先に休んでてくれ」

 

「しかし……。ならば、私も手伝います」

 

「大丈夫だ。一人で終わらせられる。だから、お休み、妙高」

 

「……はい」

 

優しさ。

はたから見れば、そう思うかもしれない。

私もそう感じるし、提督もきっと、そう思っているだろう。

けれど、裏を返せば、私なんかに頼れないと言っている。

自分でやる方が早い、と。

 

「……最低だわ。私ったら……」

 

そう思っているのは自分。

分かっている。

分かっているけれど、もうちょっと、私を頼ってほしいし、私は……提督の為に何かしてあげたい……。

 

 

 

「提督って優しいわよね」

 

足柄は、窓の外で駆逐艦たちと戯れる提督を眺めながら、そう零した。

 

「そうね……」

 

「妙高姉さんは提督のいいところ、たくさん知ってるんじゃないの~? もしかして、夜戦済みとか?」

 

「ばか言わないの。確かに……提督は優しいけれど……」

 

「何? 何か不満なの?」

 

「ううん……。別に……」

 

「?」

 

どうしてだろう。

提督の事を考える度に、私の胸は苦しくなる。

優しい提督。

駆逐艦たちと戯れる、あの笑顔。

私は、その笑顔が、嫌いになりそうだった。

 

 

 

「そろそろ夕食の時間ですね」

 

「ああ、先に食べてきていいぞ」

 

「提督はいつ食べるんですか?」

 

「これが終わったら行くよ」

 

「なら、私も待ちます」

 

「いや、先に行っててくれ。もうちょっとかかりそうだし、待たせるのも悪いしな」

 

「なら、私もそれ、手伝います」

 

「いや、大丈夫だ。気持ちだけもらっておくよ、ありがとう」

 

なんで?

 

「……そんなに私が信用できませんか?」

 

「え?」

 

「提督はどうして……いつも一人でやろうとするのですか?」

 

「いや……悪いと思って……」

 

「私に任せられないからですか? 私に任せるより……自分でやった方が早いとでも……?」

 

「ち、違う。妙高はちゃんとやってくれているし、頼りにしているよ」

 

「なら……」

 

「妙高?」

 

「……もういいです」

 

そのまま執務室を出た。

怒りと悲しみが一気に押しせて、自分でも訳が分からなくなって、頭を冷やすために浜辺に出た。

 

 

 

水平線に、夕日が沈みそうになっていた。

空はオレンジ色と紺色の二色になっていて、段々とオレンジ色を、紺色が呑み込んでいった。

 

「提督……訳が分からなかっただろうなぁ……」

 

提督は優しさが正しいと思っている。

けれど、私はそれが、私の実力を馬鹿にされていると思っていると、提督は考えているだろう。

プライドを傷つけたと、思われているんだろう。

 

「どうして……私は正直に言えないんだろう……」

 

提督のお役に立ちたい。

私の実力とか、そういうのはどうでもいい。

貴方に頼られたい。

貴方の力になりたい。

貴方の、傍に居続けたい。

それが言えない、私も悪かったと、冷えた頭で反省した。

けれど、それが言えるとは、とても思えなかった。

 

 

 

「先ほどは申し訳ございませんでした……」

 

「いや、俺も悪かった。妙高のプライドを傷つけた……すまない……」

 

やっぱりそう思っていたのね。

でも、反論する勇気は、私にはない。

貴方は優しすぎる。

だから、私のわがままを貴方に押し付けるのは、心苦しかった。

 

 

 

このままズルズル続いてゆくのかな。

貴方は優しいままで、私は気づかれない想いを引きずって。

このまま、ずっと……。

 

 

 

「妙高姉さん、最近溜息多くなったんじゃない?」

 

「え?」

 

「溜息の分だけ、幸福が逃げるって言うわよ」

 

「そうよね……」

 

「……仕方ない。この足柄が元気にさせてあげるわ! ほら、行きましょう?」

 

「あ、ちょっと!」

 

 

 

「ぷはぁ! やっぱり元気がないときはお酒に限るわ! 妙高姉さんも、ほら」

 

「え、えぇ……。あまり飲み過ぎないようにね?」

 

「何言ってるのよ! 沈んだ分だけ飲むのがお酒よ! お酒を飲んだときくらい、普段の自分を捨てて素直になるのよ!」

 

お酒か。

嫌いではないんだけれど、あまり強くないというか……。

でも、足柄なりの気遣いなのかもしれない。

普段の自分を捨てて、素直になる……か。

 

「分かったわ。今日はとことん飲むんだから、付き合ってよね」

 

「勿論よ!」

 

「じゃあ」

 

「「乾杯!」」

 

 

 

「ううん……」

 

目を覚ますと、居酒屋の煩さが無くなっていた。

代わりに、執務室の時計の音と、ペンの走る音が聞こえる。

……執務室?

 

「ここは……」

 

波に揺られているように、視界がゆらゆらと揺れて見えた。

体が熱い。

痛くはないけれど、心臓の音が頭に響いて聞こえる。

 

「起きたか」

 

声の方を向くと、提督がいた。

 

「覚えているか?」

 

「……いえ、すみません」

 

「さっき、足柄が連れて来てくれたんだ。酔っぱらって動けなくなったんで、連れてきた……って」

 

そうだったのか。

覚えてないほど飲んじゃったのね、私。

 

「ご迷惑をおかけしました……」

 

「構わないよ」

 

自分が情けない。

ますます、提督は私を遠ざけるようになるだろう。

そう考えて、酔っぱらっているせいもあってか、自然と涙が零れてきた。

 

「ごめんなさい……」

 

「お、おいおい。大丈夫だって……な?」

 

「うぅぅ……」

 

提督が背中をさすってくれた。

その優しさが、やっぱり辛かった。

情けない。

 

「足柄が言ってたよ。妙高、なにか辛いことでもあったのか?」

 

「ふぇ……?」

 

「こんなになるまで酒を飲むなんて、よっぽど忘れたいことがあったのかもってさ。俺で良ければ、聞かせてくれ」

 

本当、優しいのですね。

いいのかな、言ってしまって。

そう考える余裕も、酔いのせいでなくなっていて、私は本音を零した。

 

「私は……提督のお役に立ちたくて……提督に頼られたくて……提督を……お慕いしてるんです……」

 

「え?」

 

「もっと……妙高を頼ってください……。プライドが傷ついたんじゃない……好きな貴方から……貴方から頼られなかったから……。それが悲しくて……情けなくて……」

 

自分でも情けないほど涙を流した。

お酒の力って怖いわ。

私って、ここまで飲むと泣き上戸になるのね。

 

「……そうだったのか」

 

「提督……お慕いしています……。妙高を……もっと……」

 

そこからの記憶はない。

おそらく、眠ってしまったんだと思う。

 

 

 

「ごめんなさい! ごめんなさい!」

 

翌日の朝。

起きてすぐ、提督に謝った。

あんなに飲んだのに、もうすっかり酔いは醒めていた。

 

「大丈夫だ。妙高にはいつも苦労かけていたからな。あんなに飲ませてしまったのも、俺のせいだろうし」

 

「そんな……あれは私が勝手に……」

 

「いや、これからはちゃんと、想いに応えたいと思う」

 

「え?」

 

「あれ……? 昨日の事、覚えてないのか?」

 

「えと……あの……お慕いしていると……伝えた件でしょうか……?」

 

「そうだ」

 

「あ、あれは……その……」

 

「冗談なのか?」

 

また逃げてしまうの?

また、ズルズルと、引きずってゆくの?

また、足柄に慰められてしまうの?

 

「……いえ、本当です!」

 

いや、もう逃げない。

あんな惨めな思いは、もうしたくない。

 

「提督、貴方をお慕いしております」

 

 

 

「妙高姉さん」

 

「足柄、どうしたの?」

 

「ちょっと今夜、愚痴聞いてくれない? 提督も一緒に誘って、ね?」

 

そういうと、足柄はお猪口をグイッと上げる動作をした。

 

「分かったわ。仕事が終わったら連絡するわね」

 

「待ってるわ」

 

 

 

「……と、いう事らしいですよ」

 

「いいな。なら、早く仕事を終わらせないとな。妙高、一緒にやってくれるか?」

 

「はい、喜んで!」

 

あれから提督は、ちゃんと私を頼ってくれるようになった。

仕事を任せてくださる時が、私の中で一番幸せな時かもしれない。

 

「妙高」

 

「なんですか?」

 

「仕事をしながらでいいから聞いてくれ」

 

「はい」

 

「いつもありがとう。これからもずっと、俺を支えてくれるか?」

 

思わず手が止まった。

まるで、いつか見た映画のプロポーズのシーンを見ているようだった。

 

「私で……よろしければ。ずっとお傍に……いさせてください」

 

「妙高……」

 

「提督……」

 

その時、勢いよく扉が開いた。

 

「ちょっと妙高姉さん、提督、いつまで待たせるのよ!」

 

「足柄……も、もうちょっと待ってくれ!」

 

「もう! 外で待ってるからね!」

 

そう言うと、ズカズカと大きな足音を立てながら執務室を出ていった。

 

「ごめんなさいね、提督。足柄には後で……」

 

「妙高」

 

「はい?」

 

「好きだぞ」

 

分かっていた。

そういう意味だって。

でも、今言うのは、狡い。

 

「……私もですよ」

 

その時の提督の笑顔は、あの日見た笑顔よりはるかに輝いて見えた。



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40ノットの心風

速いことはいい事だ。

耳を切るような音。

水しぶきを置き去りにし、まさに風の如し。

誰も私について来れない。

それはいい事だ。

でも、私がいくら速いからって、心まで置き去りにした事はない。

無いはずなのに、後ろを振り向くと、そこにはもう、誰もいなかった。

 

 

 

「ごちそうさまー」

 

お昼を一番に食べ終わり、一番に出て行く。

 

「島風ちゃんっていつも一人でいるよね」

 

「友達いないのかな」

 

そんな声が聞こえたって、関係ない。

私は風。

風はいつだって、誰かの隣に居続けたりしない。

いつだって、通り抜けていってしまう。

風っていうのは、速いってことは、そういう事なんだ。

 

 

 

鎮守府の隣にある小さな崖。

そこは風が強くて、危ないからって、誰も近づかない。

けれど、私はそこが好きだった。

ここは風の音しか聞こえない。

波の音も、草木の揺れる音も、聞こえない。

 

「友達がいないんじゃないもん。皆が遅いだけだもん」

 

そんな独り言を言えるのも、ここだけ。

風が全てを消し去ってくれるから。

愚痴も、悩みも、何もかも。

誰にも言えない、言う相手がいない。

お人形に話しかける女の子のように、私は風に、それらを乗っける。

 

「……寂しくはないよ。ただね、羨ましいだけ。私は風だから、誰も捕まえられないし、誰も捕まえようとしない。雲を掴むようなっていうけれど、風も同じ。風を捕まえようとする人はいない。だから、私は一人。ずっとずっと、一人なの……」

 

遠くの海面がキラキラと光っていた。

目を閉じると、蛍光色の残光が、ゆらゆらと、海の水面のように、揺れていた。

 

「寂しくは……ないよ……」

 

 

 

「島風」

 

鎮守府に戻ると、提督に声をかけられた。

 

「なんですかー?」

 

「お前、いつも食事終わるの速いだろ。ちゃんと噛んで食べてるのか?」

 

「噛むのも速いから大丈夫」

 

「何でも速いのがいいってわけじゃないぞ。食事はゆっくりとるもんだ。それに、ゆっくり食べれば、他のみんなとも話せるしな」

 

「……私は友達いないから。いらないし……」

 

「んー……みんなで食べると飯が美味くなるんだけどな」

 

「食事なんて、何処で誰と食べようが変わんないし……」

 

「……」

 

「もう行っていいですか?」

 

「ああ……」

 

私って嫌な奴。

提督は心配してくれてるのに。

でも、私には、その心配が逆に痛かった。

憐みの目線。

愚か者を見るような、そんな目線。

 

「……」

 

 

 

提督に心配されるのが嫌で、しばらくはみんなより早めに食事をとることにした。

誰もいない食堂。

返って良かったのかもしれない。

こっちの方が、孤独を感じない。

一人でいる時の方が孤独じゃないなんて、変なの。

 

 

 

そんな日が続いたある日。

 

「よう、やっと会えたな」

 

誰もいない食堂……の筈だったのに、何故か提督がいた。

 

「最近見ないと思ったら、こういう事だったのか」

 

提督の目が私を見つめる。

あの目、憐みの目だ。

 

「……だから何?」

 

「そこまでしてみんなとの食事を避ける理由って何だ?」

 

「提督には関係ないし……」

 

そこにいるのが辛くて、食堂を出ようとした時だった。

大きくて温かい手が、私の細い腕を掴んだ。

 

「待てよ。飯、食いに来たんだろ?」

 

「……」

 

「俺と食おうぜ」

 

「提督と……?」

 

「早食い対決だ」

 

「はあ?」

 

「負けた方が何でもいう事を聞く。どうだ?」

 

「……よく噛めって言ってたのは誰でしたっけ?」

 

「それはそれだ。どうだ?」

 

何言ってるんだろう提督は……。

こんなの受けるわけないし……。

 

「それとも、俺に負けるのが怖いのか? 俺より遅いから、勝てないからって逃げるんだ」

 

「……」

 

 

 

「本当はこういうの……駄目なんですからね?」

 

「今回は見逃してくれ、鳳翔」

 

「もう……」

 

私たちの前に、カレーが置かれた。

 

「美味そうだな」

 

「負けた方が何でも言うこと聞く……。私が勝ったら、もう構わないでくださいね……」

 

「ああ、約束するよ。だが、俺が勝ったら、俺の言うことに付き合ってもらうからな」

 

大食いだったらまだしも、こんなカレーだったら、負けるわけないじゃん。

提督、いつも食べるの遅いし、本当になに考えてるんだろう……。

 

「鳳翔、合図頼む」

 

「はいはい。それじゃあ……よーい……」

 

こんな勝負……さっさと終わらせよう……。

 

「どん!」

 

「いただきます」

 

「ふん、暢気にいただきますだなんて、私を舐めてるの?」

 

提督が手を合わせている間に、私は二口を一気に口へ運んだ。

すぐに三口目を口に入れようとした時、口の中に激痛が走った。

 

「お、どうした島風? 手が止まったが」

 

提督はヒョイヒョイカレーを口に運んでゆく。

私の手は止まったままだ。

 

「……凄く……辛いんだけど」

 

「そうか? 今日は5辛だぞ」

 

メニュー表には「今日の辛さ」という欄に「5」と書かれていた。

すっかり忘れていた。

5辛は、本当の辛党しか頼まない。

提督もその一人だった。

 

「もう半分も食べてしまった。ん? どうした島風、全然じゃないか」

 

「……っ!」

 

してやられた。

提督は分かってたんだ。

こうなることを。

 

「さて、今から何をしてもらうかでも考えながら食べるかな。島風が勝てる事はないんだしな」

 

ムカつく。

ムカつくムカつくムカつく……!

こんなに辛くなかったら、私が余裕で勝つはずなのに。

こんなの……!

 

 

 

結局、勝負には負けた。

 

「俺の勝ちだな」

 

「……こんなの無効だし! こんなに辛くなかったら、絶対勝てるもん!」

 

「負け惜しみか?」

 

「違うし!」

 

「だが、負けは負けだ。大人しく俺のいう事を聞け」

 

「ぐぬぬ……!」

 

「お前はしばらく俺と一緒に食事をすること。食事をしている間、俺のいう事をちゃんと聞いて、しっかりと噛んで食べるんだぞ」

 

なんだ、そんなことか。

めんどくさいけど、食事の間だけなら。

 

「……分かった」

 

 

 

艦娘全員の視線が私たちに向けられている。

私と提督、二人向かい合って、二人席に座っているのがそんなにおかしいのか、それとも……。

 

「なんか見られてんな」

 

「私が提督と食事をしているのがおかしいんでしょ……。私、いつも一人だし……。提督はいつも、艦娘に囲まれてるし……」

 

「なんだ、そんな事だったのか。てっきりお前と俺が恋仲に見えたのかと思った」

 

「はあ? そんな訳ないでしょう……」

 

「ならいいんだけどさ」

 

いつもこんな事言ってるのかな。

だとしたら、よくもまあ幻滅されないでいると思う。

いや、この鎮守府の艦娘が異常なのかな。

 

 

 

「お、来た来た。美味そうだな」

 

さっさと食べちゃおう。

そう思って箸をつけようとした時、また大きな手で腕を掴まれた。

 

「いただきますしてないぞ」

 

「はあ?」

 

「いただきますしろよ」

 

「子供じゃないんだから……」

 

「俺のいう事を聞く、そうだろ?」

 

「……」

 

大勢の艦娘が見てる前で恥をかかせるのが目的?

見かけによらずいい趣味してるね……。

 

「……いただきます」

 

 

 

「ごちそうさま」

 

「……」

 

「島風」

 

「ごちそうさま……」

 

食事中、提督は色々注意してきて、結局遅くなってしまった。

こんなに遅くまで食事をしたのは初めてだ。

 

「どうだ? ゆっくり食事をした感想は」

 

「遅い……。最悪……」

 

「だろうな。デザートでも奢ってやろうかと思ったが、もう時間だ」

 

「あーっそうだ! デザート食べてないし! もう……! 遅いって最悪……。子ども扱いされて恥かくし……」

 

「だったら、俺に注意されないようにしろ。そしたら、デザートに間に合うだろ」

 

「そうかもしれないけど……」

 

「次は気をつけろよ。じゃあ、また明日な」

 

「ちょっと待ってよ! これ、いつまでやんなきゃいけないの?」

 

「しばらくって言っただろ」

 

「しばらくっていつまで!?」

 

「んー……そうだな。お前が俺に注意されず、昼の時間内にデザートまで食べ終われば、終わりにしてやる」

 

「な……!」

 

「じゃあ、俺は仕事に戻るから。お前も演習頑張れよ」

 

そういうと、提督は去っていった。

 

 

 

それからずっと提督との食事が続いた。

箸の持ち方とか、肘を突くなとか、本当に細かい。

注意を受けるたびに、恥をかく。

このままじゃ、いつまでたっても終わらない。

どうにかしなきゃ……。

でも、食事の作法だとかなんだとか……分からないし……。

聞ける相手もいないし……。

 

 

 

「あの……島風ちゃん!」

 

声の主は電だった。

他の艦娘に話しかけられるなんて思ってなかったから、ちょっと驚いた。

電の後ろには、第六駆逐隊もいる。

 

「なに?」

 

「あの……あの……」

 

「ああもう、電は駄目ね。ねえ島風、どうやったら司令官と二人っきりになれるの?」

 

「へ?」

 

「食事だよ。私たちは司令官と二人っきりで食事なんてしたことなかったから。どんな魔法を使ったんだい?」

 

「暁も、レディーとして司令官と二人で食事をしたいの。お願いします! 教えてください!」

 

「そんなこと言われても……。私は何も……」

 

提督と二人で食事するって、そんなにいいことなのかな。

私にとっては煩わしいことなんだけど……。

 

「とにかく……私は提督と食事なんてしたくないの」

 

「じゃあ、どうして一緒に食事してるんだい?」

 

「それは……その……」

 

話せるわけない。

それに、こんな事話したところで笑われるだけだ。

 

「い、電は、島風ちゃんが話してくれるまで、ここを離れないのです!」

 

「え?」

 

「じゃあ、私も!」

 

「やむを得ないね」

 

「こういうやり方はレディーらしくないけど……」

 

「ちょ、ちょっと……」

 

この子達、本気?

面倒なことになったなぁ……。

 

「島風ちゃん!」

 

「島風!」

 

「……」

 

……ま、いっか。

言っても。

どうせこの子たちに笑われたって、気にしなければいいし。

そう、いつものように……。

 

「実はね……」

 

 

 

「じゃあ……勝負に負けて……」

 

「そういう事……だから、私は別に好きで提督と食事してるわけじゃないから……」

 

どうせ、くだらないって思ってるんだろうなぁ。

私だってそう思う。

なんであんな勝負を受けちゃったんだろうって。

しかも、食事の作法がしっかりしなくて脱せられないって……。

凄くかっこ悪いし、これが他人だったら、私だって笑っちゃうよ。

 

「なら、食事の作法をしっかり学びましょう」

 

「え?」

 

「鳳翔さんのところに行こう。私も鳳翔さんに教わった」

 

「ちょ……別に私は……」

 

「島風ちゃんが困っているなら、見過ごすわけにはいかないのです!」

 

「それに、私たちだって司令官と食事したいんだもん。利害は一致してるでしょう?」

 

確かに……。

恥ずかしいけど、これを利用する他ない。

それに、私にはこれ以外に方法がないし。

 

「……分かった」

 

 

 

それから鳳翔に作法を教えてもらった。

それを見てた他の艦娘も、混じって教えてもらっていた。

最初はそれが嫌だったけど、みんな私と一緒で、作法の事、あまり分かってなかったようで、一緒にああでもないこうでもないって言いあった。

私は、あまり悪くないなって思った。

みんなといる事。

案外、みんな純粋で、私の事を気にかけているようだった。

だけれど、私がこんなんだから、近づけないし、ちょっと怖いって思ってたんだって。

 

「睦月ね、島風ちゃんって、もっと怖いと思ってたけど、話してみたら仲良くなれそうだって思った。これからも仲良くしてくれるかにゃあ?」

 

素直に「うん」って言えない自分が居た。

ちょっと恥ずかしかったんだもん。

でも、嬉しかった。

そして、気が付いた。

私は風。

誰にも掴めない風。

だからこそ……。

 

 

 

他の艦娘がチラチラとこちらを見ている。

でも、この前みたいに、提督との食事が珍しいんじゃない。

私がちゃんと出来るか、見てくれている。

遠くに座る第六駆逐隊もガッツポーズで応援してくれている。

鳳翔も台所から優しい目線を送ってくれている。

他の艦娘も、みんなそう。

みんなみんな、私を応援してくれている。

 

「どうした? なんだか嬉しそうじゃないか」

 

「別に」

 

「おまたせしました」

 

「美味そうだな」

 

「そうですね。いただきます」

 

「!」

 

「なに?」

 

「いや、なんでも」

 

提督はそんな私をじっと見ていた。

作法の事、何か言いたいんだろうけれど、鳳翔に教えてもらったから完璧だもんね。

 

「提督、早く食べないとデザート食べれないよ」

 

「ん、おう、そうだな」

 

提督、悔しいだろうなぁ。

そう思ってたけど、それとは裏腹に、提督は笑っていた。

なに笑ってるんだろう。

気持ち悪いなぁ。

 

 

 

「ごちそうさま」

 

「ごちそうさま」

 

デザートのアイスは、いつもより美味しく感じた。

いや、食事だってそうだ。

 

「提督、約束覚えてますよね?」

 

「ああ、今日限りで終わりだ。お前の食事の作法、綺麗だったぞ」

 

そう言うと、提督は去っていった。

それと同時に、艦娘たちが一斉に私の元へと駆け寄ってきた。

 

「島風ちゃん、やったね!」

 

「う、うん……」

 

「頑張ったもんね。私も見てたけど、今までで一番きれいだったわ」

 

「鳳翔……あ、あの……」

 

「ん?」

 

「あ……ありがとう……」

 

「島風ちゃん……」

 

「よーし、みんなで島風を胴上げよ!」

 

「え……ちょ……!」

 

こんなことで大げさだなぁ。

でも、嫌じゃない。

みんなが私を見てくれてる。

だから、私もみんなを見なきゃいけなかったんだ。

私は風。

誰にも掴めない風。

だからこそ、私が寄り添っていかなければいけないんだ。

私が、みんなに向き合わなきゃいけなかったんだ。

みんなが遅いんじゃない。

私が速すぎたんだ。

 

 

 

それからはみんなと食事をするようになった。

笑いあったり、ああでもないこうでもないって、くだらない話に花を咲かせながらする食事は、一人で速く食べていたあの食事とは、味が全然違うように感じた。

 

 

 

食事が終わり、ふと中庭を見ると、満開の桜の木の下で、おにぎりを頬張っている提督がいた。

 

 

 

「見ないと思ったら、こんなところにいたんですね」

 

「島風」

 

「隣、いい?」

 

「ああ」

 

芝生に小さなビニールシートが敷かれていて、私はそこに座った。

提督は、お花見でもしているようだった。

 

「最近、みんなと食事するようになったらしいじゃないか」

 

「うん」

 

「どうだ? 飯は美味く感じたか?」

 

「鳳翔のご飯はいつどこで誰と食べたって美味しいし」

 

「ははは、確かに」

 

そういうと、提督は寝転がって桜を眺めた。

 

「食べた後に寝転がっちゃいけないんですよ。食事の作法だけはあんなに厳しかったくせに……」

 

「食後の事は知りませーん」

 

「なにそれ……」

 

遠くから潮風が中庭に吹いたようで、桜の木を小さく揺らした。

桜の花びらが、その風に乗って、どこかに飛んでいった。

 

「提督」

 

「ん?」

 

「ありがとう」

 

「なにが?」

 

「提督のお蔭で、私にも友達が出来た。みんなと食べる事がいいことだって気が付けた。私はもう、一人じゃないんだって」

 

「俺がどうにかしなくても、お前ならいずれ気が付くと思ってたよ。お前は速いからな」

 

「どういうこと?」

 

「速いってことは、遅くも出来るってことだ。大は小を兼ねるじゃないけれど、一番速いお前は、誰にでも合わせることが出来るってことだ」

 

「……分かりにくいんだけど」

 

「あれ? かっこいいこと言ったつもりなんだけどな……」

 

「でもさ……ならどうして私にあんなことさせたの?」

 

「俺が島風と仲良くしたかったから」

 

「え?」

 

「それじゃ駄目か?」

 

「……なにそれ」

 

「でも、結局……俺は悪者だもんな。駆逐艦の中じゃ、島風をイジメた司令官だって、変なレッテル貼られちゃったよ」

 

「……」

 

だからこんなところで……。

 

「まあでも、お前の幸せそうな顔見れて良かった。じゃ、俺は行くわ」

 

「提督」

 

「ん?」

 

「提督は悪者なんかじゃないよ!」

 

「!」

 

「私も……提督と仲良くしたいって思ったもん……。だから……」

 

「なら、俺と友達になってくれよ」

 

「え?」

 

「駄目か?」

 

差し出された提督の手。

ああ、そうなのか。

 

「……いいよ」

 

そう言って、手を握った。

この手は、風さえも掴んでしまう手なんだ。

食事をしようと掴まれた時も、いただきますの時も……。

提督は本当に、私と仲良くしたかったんだ。

風を掴もうとしてくれてたんだ。

そして、本当に掴んでしまったんだ。

 

「ありがとう、島風」

 

「うん……」

 

なんだか恥ずかしくて、提督の目を見ることが出来なかった。

 

「また……一緒に食事……してくれる?」

 

「喜んで」

 

そう笑った提督に、私も、この桜に負けないくらい、満面の笑顔を見せた。



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菊月と桜

「戦いを終わらせたら……司令官とは、もう会えなくなるのか……? そんなこと、ないよな……?」

 

そういった私に、司令官は一言だけ。

 

「お前が求めるなら、俺はその先に居よう」

 

クサいセリフだったが、かっこいいと思った。

でも、そのセリフ通り、司令官は終戦後、誰も分からぬまま消えた。

 

 

 

「ここか……」

 

バスを降りると、そこはドの付く田舎だった。

やけにトンボが飛んでいる。

 

「もう秋、なんだな……」

 

曼珠沙華が静かに、風に揺られていた。

 

 

 

司令官の情報を集めるのは苦労した。

なんせ、司令官は誰にも、自分の事をあまり話さなかったようだったのだ。

分かったのは、出身地と通っていた学校の名のみ。

何があるわけでもないと思っていたけれど、私の足は自然と、その学校を目指していたのだった。

 

 

 

「……」

 

唖然とした。

学校は廃校になっているらしく、立ち入り禁止の札が貼られていた。

 

「……結局、何もない、か。何をしているんだろう……私は……」

 

私が求める先にいるのではないのか?

なら、これはどういうことなのだ。

急に寂しさが込み上げてきて、泣きそうになった。

 

「あの……」

 

涙を堪えて、声の方を見ると、そこには綺麗な女性が立っていた。

 

「もしかして……菊月ちゃん……?」

 

「そ、そうだが……」

 

「やっぱり」

 

女性が優しく微笑む。

 

「初めまして。私、貴女の司令官の同級生で、愛って言います」

 

「はぁ……え!?」

 

「んふふ、本当に来たんだね。彼を追って」

 

「ど、どういうことだ……?」

 

「家に来て。詳しい話はそっちでしてあげる」

 

 

 

女性の家は、学校のすぐ横にある駄菓子屋だった。

 

「最近はお客さんも減っちゃってね。好きなお菓子取ってって。お代は貴方の司令官からもらってるから」

 

「あ、あの……! し、司令官は……」

 

「……結論から言うと、ここに貴女の司令官はいないよ」

 

「今、どこに……?」

 

「ごめんね。私も知らないんだ」

 

「そ、そうか……」

 

司令官の同級生。

何か知っていると思ったが、駄目だったか……。

……ん?

 

「どうして私が探しに来ると……? それに、お代を貰ったって……?」

 

「……戦争が終わってすぐにね、貴女の司令官が私を訪ねてきたの。菊月って女の子が、あの学校を訪ねてくるだろうから、話をしてやってくれって」

 

そういうと、愛さんは外の学校を指した。

 

「白髪の女の子って聞いてたから、貴女だってすぐに分かった。きっと、私の家からすぐに学校が見えるから、私に頼んだんでしょうね」

 

「そ、それで、司令官はなんて……?」

 

「これを貴女にって」

 

そういうと、愛さんは封の開けられていない茶封筒を出した。

 

「手紙かしら?」

 

開けてみると、そこには一枚の写真が入っているのみだった。

 

「桜の木の写真……?」

 

「何処の桜だろうね? 知ってるところ?」

 

「いや……何も知らな……」

 

その時、司令官とした話を思い出した。

 

 

 

「桜の咲く丘?」

 

「ああ、綺麗に咲くんだ。俺はその場所が好きでな。この戦いが終わったら、そこでのんびりと過ごしたい」

 

 

 

なんてことない会話だと思っていた。

そうじゃなかったんだ。

この場所。

この桜の木が見える場所に、司令官がいる。

 

「何か思い出した?」

 

「ああ……この桜が見える場所に司令官がいる」

 

「何処の桜だろう……」

 

「……」

 

 

 

「ごめんね、こんな事しか出来なくて……」

 

「いや、感謝する。愛さん、ありがとう」

 

「会えるといいね」

 

「ああ」

 

そう言って愛さんと別れた。

 

 

 

それから、桜の名所と呼ばれるところに足を運び続けた。

でも、司令官の手掛かりは掴めないまま、時間だけが過ぎていった。

 

 

 

このまま会えないのだろうか。

諦めかけたその時、同じ艦隊だった艦娘から、同窓会の知らせが届いた。

もしかしたら、司令官もそこに……!

 

 

 

「菊月ちゃん、久しぶり」

 

「ああ……。司令官は?」

 

「誘おうと思ったんだけど、行方が分からなくて……」

 

「……そうか」

 

やはり駄目か。

この様子だと、誰も司令官について知らないのだろう。

 

「菊月ちゃん、司令官と会ってないの?」

 

「いや……」

 

「そっか。ケッコンカッコカリまでしたのにね。戦争が終わったら、もう終わりなんて悲しいね」

 

胸が痛くなった。

私と司令官は、艦娘と人間。

それだけの関係。

ケッコンカッコカリだって、本当の結婚ではないし、愛を育むものでもない。

司令官にとって私はただの兵器だったのか……?

私は……司令官の事が……。

 

「何か司令官の手掛かりになるものもないの?」

 

「……実は」

 

無駄だとは思ったが、念のために写真を見せてみた。

 

「じゃあ、この桜の近くに司令官が?」

 

「ああ、きっとそうだ……」

 

「菊月ちゃん、この桜の木が分からないの?」

 

「え?」

 

「だって、この桜の木って……」

 

 

 

元鎮守府は、今や漁港になっていて、その近くには戦争関連の資料館が新しく作られていた。

ふわりと吹いた風に桜の花びらが舞う。

 

「すっかり春になってしまった、か」

 

その桜の花びらを辿るように、私は鎮守府近くの丘に登った。

そういえば、艦娘たちが花見をしてたな。

私はくだらないと参加しなかったが。

あの時、参加していれば、もっと早くこの場所が分かったのかもな。

 

 

 

「おお」

 

丘を登り切ると、一本の立派な桜の木が立っていた。

桜の木の近くに寄ると、そこから鎮守府のあった場所が見える。

そして、丸く見える水平線が広がっていた。

 

「綺麗だな……」

 

しばらく眺めていた。

花見、参加すればよかったな。

司令官と眺めていたかった。

艦娘と人間。

そんな関係であった頃に。

一番、近くにいれた頃に。

 

「綺麗な場所だろ」

 

聞き覚えのある声。

幾度となく、想った声。

 

「久しぶりだな」

 

気が付くと、司令官の胸に飛び込んでいた。

そして、堪え続けた涙があふれた。

 

「やっと……見つけた……」

 

 

 

しばらく泣いた後、私たちは桜の木の下で二人、水平線を眺めていた。

 

「お前なら俺を見つけてくれると思っていたよ」

 

「……どうして、あんな事を」

 

「俺たちは艦娘と人間だ。戦争が終わったら、その関係は終わる。お前と築いてきたものは、その中でしかなかった」

 

また胸が締め付けられた。

 

「だから、お前が戦後も俺に会いたくなるか不安だった」

 

「……だからあんな事を?」

 

「試すようなことして悪かったな……」

 

「分かりずらかったぞ……」

 

「まさかこの場所が分からないとは思ってなかったんだ」

 

司令官は申し訳なさそうに頭をかいた。

 

「……司令官はどうなんだ?」

 

「ん?」

 

「私は……司令官に会いたくて、ずっと司令官を探していた。艦娘と人間の関係が終わっても、司令官が好きだ。でも、司令官はどうなんだ……? もし、司令官も同じ気持ちなら……どうして……」

 

「俺も同じ気持ちだよ。でも、お前と同じで、俺もお前の気持ちが分からなかった」

 

「え?」

 

「さっきも言っただろ。お前が戦後も俺に会いたくなるか不安だって。あれは、お前の気持ちを確かめるつもりだったんだ。お前が、俺を司令官ではなく、一人の男として求めてくれるのかってな」

 

かっこいいこと言っていたわりに、小さな男だ。

たかが一人の女の気持ちを知る為だけに、こんな事をするなんて。

 

「こんな事しなくても、司令官を……いや、貴方を好きという気持ちは戦時中からずっと変わらない……」

 

「そのようだな」

 

その時、小さく風が吹いた。

桜の木が揺れる。

その陰にあった司令官の顔が、一瞬、日に照らされた。

その頬に、光るものが見えた。

 

「俺を探してくれて……ありがとう……。俺を好きでいてくれて……ありがとう……」

 

それを見て、私もまた涙を流した。

 

 

 

赤い空に桜の花びらが舞う中で、私たちは寄り添っていた。

 

「綺麗な夕日だな」

 

「ずっと一人で、この景色を見ながら、待っていたんだ。お前が来ることを」

 

「そうだったのか……」

 

「菊月……」

 

「なんだ?」

 

「これからは、俺と一緒にこの景色を見てくれないか?」

 

「それって……」

 

「一緒に暮らさないか? 俺の第二の人生……隣にお前がいてほしい」

 

司令官の顔は、夕日に照らされて赤く見えた。

私の顔も赤かったと思う。

 

「私で、よければ」

 

「ありがとう、菊月」

 

私たちはもう、艦娘と人間じゃない。

それを確かめるように、私たちは、優しく、だけどしっかりと、手を握り合った。



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響と名

改装し、Верныйと名づけられた。

誰もが私を「響」ではなく「Верный」と呼ぶ。

でも、なんだか、あまり良い気持ちではなかった。

特に、貴方に呼ばれる時は…。

 

 

 

「Верный。作戦の方はどうだ」

 

「順調だよ、司令官。資材を運んだら、すぐに戻る」

 

「気をつけて帰って来い、Верный」

 

「了解」

 

いつもの会話。

ずっと、長い事してきた筈なのに、心に引っかかる。

「Верный」

なんだか、その名前が、自分の事ではない気がして、寂しかった。

 

 

 

「ご苦労だったな」

 

「他の艦娘は、入渠中だよ。でも、皆、小破で済んだ良かった」

 

「お前が旗艦だからだ。感謝するぞ、Верный」

 

Верный…。

 

「今日はゆっくり休め。ほしい物は何でも言え。出来る限り用意するつもりだ」

 

「…うん…Спасибо…」

 

 

 

ベッドの上で目を瞑っても、眠る事が出来なかった。

ずっと、考えてしまう。

昔の事…私が、「響」と呼ばれていた頃の事を。

 

「良くやった。響」

 

「響、お前を旗艦にしようと思う。経験を積んで、もっと強くなれ」

 

「もう駆逐艦と呼ぶには惜しい強さになったな。その内、改装の話も出るかもしれないぞ」

 

「Верныйか…。強そうでいい名前じゃないか。もう響とは呼べぬな」

 

「Верный」という名が悪いわけではない。

ただ、積み重ねてきた思い出と、今の自分が違う気がして、思い出すたび、辛くなる。

自分は偽者で、楽しそうに司令官と話している「響」は、私では無い誰か。

私は「Верный」として、ただ、戦果をあげるだけの兵器でしかない…。

そんな気がして、寂しいのだ。

 

「司令官…」

 

 

 

「Верный、Верный」

 

「あ…」

 

「どうした?ボーッとして…」

 

「…すまない。ちょっと、考え事をしていて…」

 

「お前らしくないな。疲れが取れていないのではないか?」

 

「…そうかもしれない」

 

「無理して出なくてもいいぞ。お前が秘書艦を外れても、代わりはいる。響、入れ」

 

「え…?」

 

扉が開くと、そこには「響」がいた。

 

「なんだい、司令官」

 

「Верныйが不調なのだ。回復するまで、お前に秘書艦を頼みたい」

 

「了解」

 

「ちょ、ちょっと待って…。司令官…これは一体…」

 

「ん?どうしたВерный」

 

「どうして…ここに昔の私が…」

 

「昔の私?お前は昔からВерныйだろう」

 

「ち、違う…私は…私の本当の名は…」

 

「さぁ、疲れているのなら部屋に戻れ。響、早速だが、この仕事を任せたい」

 

「任せて司令官」

 

二人の姿が、遠く離れて行く。

 

「待って…!」

 

いくら走っても、追いつけない。

仕舞いには、足が言う事をきかなくなり、踏み込むたびに、何かに足をとられた。

そうして、二人の姿は見えなくなり、暗闇に一人、取り残された。

 

 

 

「!」

 

目を覚ますと、暗い部屋にいた。

 

「夢…」

 

いつの間に寝ていたようで、窓の外は、もう真っ暗だった。

クレーンの赤い光だけが、ゆっくりと、点滅を繰り返していた。

全身、汗をかいている。

それほどの悪夢だったのだろう。

 

「シャワーでも浴びよう…」

 

 

 

シャワーから帰る途中、執務室から光が零れているのが見えた。

司令官は、まだ仕事をしているのか。

私はノックをしたのち、返事を貰ってから、扉を開けた。

 

「Верный、まだ起きていたのか」

 

「こっちの台詞だよ。私は休憩を貰ったから、今起きたところさ」

 

「そうか」

 

「手伝おうか?」

 

「いや、もう時期終わる」

 

「じゃあ、待ってもいいかな?少し、話をしたいんだ」

 

「分かった。すぐに終わらせる」

 

 

 

仕事が終わった司令官は、屋上に行こうと言った。

屋上には、一つだけベンチが置いてあった。

私と司令官はそこに座り、他愛の無い会話を、しばらくしていた。

 

「今日は空気が澄んでいるお陰か、星が綺麗に見えるな」

 

「そうだね。とても綺麗だ」

 

「いつだったか、お前とこうして一緒に星を見たっけか。覚えているか?お前が初めてMVPを取ったときだ」

 

「覚えているよ。大破して入渠したときだよね。あの時も同じで、入渠して戻ったら、夜だった」

 

「ああ、懐かしいな。お前がまだ「響」の時の話か」

 

まだ「響」だった頃…。

それじゃあ、今の私は?

「司令官…」

 

「ん?」

 

「私…響だよ…」

 

「え?」

 

「Верныйじゃない…。私の本当の名は…響…。あの時…一緒に星を見た響だよ…」

 

そんな事は分かっているだろう。

でも、確かめられずにはいられなかった。

司令官の言う「響」は、私だと、どうしても、伝えたかった。

 

「今も昔も…私は響…。Верныйだなんて…呼ばないで欲しい…。私が「響」だと…忘れないで欲しい…」

 

自分でも馬鹿げていると思ったけど、涙を堪える事が出来なかった。

今まで、ずっと我慢して来た代償なんだと思う。

司令官は、何も言わず、ただ、私の涙を拭いた。

 

「分かっているさ…。私だって…辛かった…」

 

「え…?」

 

「お前がВерныйと名を付けられたとき、お前がお前でなくなってしまうのではないかと恐れた…。「響」という存在では…なくなってしまうのではないかとな…」

 

そうだったのか。

司令官も、同じだったんだ。

 

「悪かったな…響…。お前はやはりお前だ…。どんなに名前が変わっても…私の知っている「響」にかわりはない…。ただ一人の存在なんだ…」

 

そう言って、司令官は私を優しく抱いた。

その温もりは、あの日と全く変わってはいなかった。

 

「司令官…」

 

司令官の背中は、大きくて、手が周らなかった。

遠くに見える星空は、何度も何度もその形を変えて、キラキラと光っていた。

その光は、そのまま、私の頬を伝って、司令官の胸を濡らした。

 

「Спасибо…司令官…」

 

 

 

「響、報告をしろ」

 

「了解」

 

あれから司令官は「Верный」と呼ばなくなった。

時々、その事で上層部から怒られるけど、司令官は「クソくらえだ」と、影で笑っていた。

 

「よし、作戦も終わったことだし、飯でも食うか。今日は間宮にロシア料理を頼んであるぞ」

 

「Ура!」

 

名前なんて、本当はどうでも良かったのかもしれないと、今では思う。

左手に光る指輪を見るたびに、そう思った。

 

「司令官」

 

「?」

 

「Люблю тебя」

 

「ん?それはどういう意味だ?」

 

「内緒」

 

そう、笑って見せた。



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暁と大人

大人になるという事は、何でも出来るし、素敵な事なんだと、思っていた。

 

 

「出来れば、子供の頃に、戻ってみたいんだ」

 

司令官のアルバムには、無邪気な子供の写真が貼ってあった。

 

「どうして?大人の方がいいに決まっているわ」

 

「暁は、今に不満を持っているのか?」

 

「そうね。まだ小さいし、暁も司令官みたいに大人になって、沢山の甘味を食べたいわ」

 

「そうか」

 

そう言うと、私の頭を撫でた。

 

「なでなでしないでよね!レディーなんだから!」

 

「ははは、ごめんごめん」

 

「もう…」

 

「でも、私はお前が羨ましいよ。大人になると、何もかもが小さく見えるんだ」

 

「身長が高くなれば、そりゃそうよ」

 

「いや、そうじゃないんだ。今まで憧れていたものとか、そういうのも小さくなるんだよ」

 

「司令官が憧れていたものって?」

 

「暁と同じ、大人さ」

 

「もうなってるじゃない」

 

「自分の思い描いていた大人さ。体も心も、まるで別の大人になってしまったよ」

 

「司令官は、どんな大人になりかたかったの?」

 

「そりゃ、女性にモテモテで、お金もあって…少なくとも、今とは逆の大人だ」

 

「確かに、資材は少ないわよね。モテるかどうかは別として」

 

「自分はこうなる…そう夢見ていた頃が、一番楽しかった…」

 

そう言うと、司令官は、何もない天井を、じっと、見つめた。

その顔が、少し、寂しそうに見えた。

そして、冷え切ったコーヒーを、一口啜った。

 

「まるでこのコーヒーのようだ。苦くて、どこか甘い…そんなのが大人なんだ」

 

正直、私はコーヒーが苦手だった。

 

「大人になるには、コーヒーを飲まなければいけないの?」

 

「まあ、そんなところだな」

 

そう言うと、司令官は笑った。

 

「大人になってみるか?」

 

手渡されたコーヒーは、いつか砂遊びをした時に出来た、泥水の色にそっくりだった。

勇気を出して舐めてみたが、やはり無理だった。

 

「大人って大変ね…」

 

「ああ、大変さ」

 

その時の司令官の顔を見たとき、「ああ、これが大人なんだ」と思った。

それと同時に、自分の幼さを知った。

 

「どうだ?大人になりたくなくなったか?」

 

「ううん。暁、やっぱり大人になりたくなったわ」

 

「ほう」

 

「司令官を見ていると、やっぱり大人っていいもんだと思うの。だって、司令官は、こんなに大変でも、笑顔でいられるんだもん。コーヒーだって、平気で飲めるし」

 

「…そうか。やっぱり…大人になって良かったと、今思ったよ」

 

また、私の頭を撫でた。

でも、今度のそれは、私を子供扱いしているとかではなく、どこか、感謝に近い何かのように、感じた。

 

「暁、司令官みたいな大人になりたいな」

 

「お、だったら、ピーマンとか食べれるようにならないとだな」

 

「…やっぱり今は子供でいいわ」

 

 

10年後、20年後の私は、一体どんな大人になっているのだろう。

 

どんな大人になっていようとも、司令官のように、いつも笑っていられるような、大人にはなっていたい。

 

誰かが「暁のような大人になりたい」と、思うような大人に。



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青葉と情報

何にしても、情報と言うのは必要なもので、それを多く持った者こそ、優れていると思っていた。

でも、情報が多すぎると言うのも、時には苦なのだなと、知った。

 

 

 

「ねえ、知ってる?提督って、お酒が入ると、甘えてくるんだって」

 

「提督の膝の上って、寝心地がいいのよ」

 

「司令官の手は…温かいですよ…」

 

日々、飛び交う司令官の情報。

その情報を集める事が楽しくて、司令官の事を、少しずつだけど、知れた気がした。

でも、その情報は、しかたのないことだけれど、艦娘との事ばかりだった。

情報の中で踊る、司令官と艦娘。

私は、その踊りを、ただ、聞き、想像することしか出来なかった。

 

 

 

「あんたの新聞って、なんだかインチキ臭いのよね」

 

「え?」

 

衣笠は、私の情報新聞をひらひらと舞わせた。

 

「ど、どこがインチキ臭いっていうの?」

 

「なんというか…これって、どっかから拾ってきた情報を集めただけにすぎないでしょ?」

 

「新聞って、そういうものでしょ」

 

「それに、提督の事ばかり書いてるくせに、体験した事なんて一度もないし」

 

「そ、それは…」

 

「あんた以外は提督の色んな事、体験して知ってるから、誰かの情報を繋ぎ合わせたあんたの新聞なんて、誰も読まないわよ。臨場感もないし」

 

その通りだ。

でも、私には出来なかった。

司令官にだけは、どうしても、取材を申し込む事が出来ない。

取材してしまったら、私が本当に知りたい事、私の気持ちが、バレてしまうから。

 

「どうすれば…」

 

 

 

開き直りだった。

インチキ臭いのなら、インチキしてしまえと、つい、手を出してしまったのだ。

 

 

 

「青葉の新聞、凄い反響だね」

 

「うん…」

 

「あれ?どうしたのさ。嬉しくなさそうじゃん」

 

「ううん。なんでもないよ」

 

「しかし、あんたもやれば出来るのね。提督の意外な一面を取材するなんて。しかも、プライベートな部分まで」

 

私の新聞は、艦娘しか見ていない。

だから、どんなに好き勝手書こうと、バレはしなかった。

虚しい事だとは分かっている。

それでも、私はそれに執着していった。

新聞の反響が大きくなるに連れて、私が一番、司令官を知っている気分になれて、気持ちが良かった。

「青葉が司令官と付き合っている」と誤解する者までも現れた。

嘘の情報に包まれて、私は幸せだった。

 

 

 

「これはどう言う事だ?」

 

司令官は、私の新聞を広げた。

 

「青葉」

 

「どうして…司令官がそれを…」

 

「金剛が私に尋ねてきたのだ。青葉と付き合っているのか?とな。話を聞くと、こんな新聞が出てきたという訳だ」

 

司令官の目が、私を見つめた。

呼吸が荒くなる。

波に体を取られたときの様に、ユラユラと、体が揺れる。

心臓の鼓動が、速く、熱くなった耳に、響いた。

 

「青葉」

 

「ごめんなさい…私…私…」

 

何かいい訳を探した。

しかし、頭はパニック状態。

泣き出しそうで、これが夢であれと、願うので精一杯だった。

 

「どうして、こんな嘘を書いた」

 

「だって…それは…あの…」

 

とても話せる状態ではなかった。

司令官もそれを察し、「もういい」といって、私を下げた。

逃げるようにして、執務室を去った後、トイレで嘔吐した。

 

 

 

それからは最悪だった。

部屋から出る事が出来ず、一日中、布団の中で、眠ることなく、包まっていた。

今、この部屋を出れば、艦娘達は、私を非難するだろう。

もしくは、軽蔑の眼差しで、私を睨むだろう。

それが恐ろしくて、一人、震えていた。

 

「青葉~」

 

衣笠の声だ。

 

「あんた、ずっと部屋に引きこもってなにしてんのよ?」

 

返事はしなかった。

 

「皆心配してるよ?ご飯、ここに置いておくからね」

 

遠ざかる足音。

私は、布団から身を起こした。

私を心配している?

皆が?

どうして?

そんな事を考えていると、また、近づく足音が聞こえた。

そして、私の部屋の前で、止まった。

 

「青葉」

 

司令官の声だ。

 

「青葉、入るぞ」

 

そう言って、司令官はガチャガチャとノブを回した。

しかし、鍵がかかっている為、開きはしなかった。

 

「青葉」

 

私は、また、布団に潜った。

 

「…入るぞ」

 

二回目、今度は何故か、扉が開いた。

 

「スペアの鍵を使わせてもらった。すまない。だが、どうしても話したかったのだ」

 

そう言うと、司令官は、布団の横に座った。

 

「青葉」

 

「…解体してください」

 

やっと搾り出した言葉だった。

 

「それは許さない。お前はかなりの戦力だからな。艦娘としても、情報屋としてもだ」

 

「情報屋は失格です…」

 

「…どうして、あんな適当な事を書いたんだ?」

 

私は黙っていた。

このまま、理由を言わないまま、解体されたい。

 

「新聞の評判の為か?」

 

違う。

 

「私の記事なんか書いても、評判なんて良くならんぞ?」

 

そんな事はない。

 

「むしろ悪くなるばかりだろうに」

 

「そんな事ありません…」

 

つい、返事をしてしまった。

 

「司令官の記事は…人気です…。皆…司令官の話ばかりしてます…」

 

「…では、やはり、新聞の評判を上げる為に」

 

「違います…!」

 

もう、こうなったら、さっさと言って、解体されてしまおう。

 

「私は…司令官に取材が出来ないんです…」

 

「何故だ?私は構わんぞ」

 

「…恥ずかしいからです」

 

「恥ずかしい…?」

 

「はい…」

 

「活発なお前が恥ずかしい…か」

 

「だから…司令官の事をよく知っている皆が羨ましかった…。私も…知りたかった…。だけれど…出来なくて…それで…」

 

「だからと言って、新聞に嘘を書くのか…?」

 

「皆が私を羨ましがった…。私も…司令官を知れた気になれた。それに…執着した…」

 

「…なるほどな」

 

「自分でも馬鹿な事をやったと思ってます…。他の艦娘達にも…顔向けできません…。きっと…私の事を…」

 

「他の艦娘には、この件は言っていない」

 

「え…?」

 

「何かちゃんとした理由があるのだと思っていたからな。実際、そうだった」

 

司令官の優しさが痛かった。

 

「ごめんなさい…」

 

そう言った時、司令官は私の被っていた布団を、勢いよくはがした。

 

「理由は分かった。来い」

 

そう言って、私の手を引いた。

 

 

 

執務室には、私と司令官以外、誰もいなかった。

司令官は、表の扉に、入室禁止の立て札を貼った。

 

「司令官…あの…」

 

「一時間だ」

 

「え?」

 

「一時間、お前の為に時間を作った。取材、受けるぞ」

 

「取材…?」

 

「嘘を書いてしまったのはいけない事だ。だが、他の艦娘にはバレていない。ならば、これから本当の事を書けば良かろう」

 

「そんな…私に…そんな権利は…」

 

「私が与えているのだ。さっさとしないと、一時間経ってしまうぞ」

 

司令官に促されるまま、私は、ぎこちない取材を始めた。

好きな食べ物。

趣味。

他の艦娘に聞けば分かる事から始まった。

 

「そんな事はお前も知っているだろう」

 

どうも、私には、まだ、勇気がなかった。

 

「何でも答えてやろうというのだ。誰も知らない、お前だけが知る事が出来る、貴重な質問を投げかけて来い。嘘偽りなく答えてやる」

 

その言葉を聞いて、私は、どうしても聞きたい事を、我慢せずに、自然と、質問した。

 

「司令官の好きな艦娘は?」

 

質問した後、後悔した。

ずっと、聞きたい事だった。

けれど、答えが怖くて、聞く事が出来なかった質問だった。

 

「気になっている艦娘ならいる」

 

これ以上、聞いていいものなのか。

これで終わってもいい。

これ以上、傷つきたくはない。

 

「その気になっている艦娘は…」

 

司令官は、続けた。

不意をつかれ、耳を塞げず、私は、その名前を、聞いてしまった。

 

 

 

「ちょっとちょっと青葉!」

 

「ん?どうしたの衣笠」

 

「どうしたのじゃないわよ。これ!ここの提督が気になっている艦娘っていう記事、嘘じゃないの!?」

 

「嘘じゃないよ」

 

色んな艦娘にそう言われた。

あんなに信用していた私の情報を、今回だけは、誰も信じなかった。

 

「で、でも…」

 

「司令官に聞いてみたら?」

 

「聞いたわよ。でも、内緒だって…」

 

「内緒…」

 

「とにかく、皆信用してないよ?」

 

 

 

「新聞…誰も信用してくれません」

 

「ははは、そうだろうな」

 

「どうして内緒なんですか…」

 

「だって、お前だけの情報が欲しかったのだろう?だったら内緒ではないか」

 

「むぅ…そうですけど…」

 

「なのに、お前と来たら、こんなにデカデカと」

 

司令官は新聞を見て、呆れと、微笑みを混ぜた顔をした。

 

「いっその事、訂正文でも出すか?」

 

「出しません」

 

「新聞の評価が下がるぞ」

 

「それでもいいです。司令官が私を…気にしてくれるのなら…。私は…私の知っている真実を伝えるだけですし…」

 

そこまで言って、赤面した。

我ながら、恥ずかしい台詞を吐いた。

 

「ま、何れ、お前の情報が正しかったと、誰もが信じてくれる日が来るだろうな」

 

「え?」

 

 

 

その言葉は本当だった。

 

今では、誰もが私の情報を見てくれている。

 

司令官に一番近い艦娘…指輪を貰った私の、司令官に関する記事だから。



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しっかり天津風と情けない提督

執務室からピアノの音。

また音楽を聴いてるのね。

 

「入るわよ」

 

返事を待たずに執務室に入る。

 

「ねぇ、廊下まで聞こえてるわよ」

 

私の声が聞こえないのか、提督は書類から目を離さない。

 

「ねぇ!」

 

「ん? おや、天津風さん。いつの間に」

 

「いつの間に……じゃないわよ! 外まで音楽が聞こえてるの! 止めて!」

 

「それはすみません。いつもより音を小さくしたのですが」

 

「変わってないわよ……もう……」

 

アンプの電源を切ると、一気に静かになった。

 

「何回も何回も言ってるわよね?」

 

「すみません」

 

私たちの提督は、なんだか情けない。

艦娘たちには「さん」付けだし、敬語だし……。

 

「まったく……クラシックを聴かないと死んじゃうの?」

 

「クラシックじゃなくて、ジャズですよ」

 

「どっちでもいいでしょ!」

 

「いえいえ、コーヒーと紅茶くらい違いますよ」

 

変なところで頑固だ。

 

「あ! それ……またコーヒー飲んでる!」

 

「あ……」

 

「あなた……眠れなくなるからやめなさいって言ったでしょう!?」

 

「いやぁ……一杯くらいですし……」

 

「……一杯?」

 

「はい」

 

「ふーん……」

 

戸棚にあるコーヒービンの中身が、昨日よりも大分減っている。

 

「一杯……ねぇ……?」

 

「……すみません。沢山の方のいっぱいです……」

 

「もう! あなた!」

 

「ごめんなさい!」

 

こんな提督だから、放っておけない。

私がしっかりしなきゃね。

 

 

 

「ふぅ……やっと一息つけるわ」

 

「お、天津風、お疲れー」

 

「島風」

 

「秘書艦、大変そうだねー」

 

「秘書艦の仕事だけだったらいいんだけどね……」

 

「提督、ちょっと抜けてるもんねー」

 

「言うこと聞かないし……。はぁ……」

 

「でも、天津風、楽しそうだよね」

 

「え?」

 

「にひひ」

 

そう笑うと、島風はどこかへ行ってしまった。

 

「なんなのよ……」

 

楽しそう?

顔に出てた?

「……なんなのよ。本当に……」

 

一人、赤面した。

 

 

 

「じゃあね、司令官。また私を頼ってね!」

 

執務室から雷が飛び出してきた。

部屋に入ると、ピカピカな床が窓の光を反射していた。

洗濯物も畳まれている。

 

「これは……?」

 

「ああ、雷さんがやってくれたんですよ。助かりました」

 

「……そう」

 

カーテンレールの上も、綺麗に掃除されている。

本も綺麗に整頓されている。

 

「どうしました?」

 

「え?」

 

「探し物ですか? キョロキョロしているので……」

 

無意識にやることを探していた。

何か、ないか。

雷が見逃しているところがないか。

 

「……別に」

 

最近、雷をよく見かける。

執務室にもよく来ているみたいだし、食事の時だって、提督の隣に座って、食事を運んであげたりしているみたいだし。

 

「ん……? あなた……またコーヒーを……」

 

「ああ、違いますよ。これはココアです」

 

「ココア?」

 

「雷さんが差し入れてくれたんです。ホットココアは、寝る前に飲むとよく眠れるらしいですよ」

 

棚を見ると、コーヒーのビン自体がなくなっていた。

かわりに、ココアが置かれていた。

 

「これでよく眠れますよ」

 

「……そうね」

 

 

 

「もーっと私に頼っていいのよ」

 

「ありがとうございます。雷さん。頼りにしてますよ」

 

「えへへ」

 

なんだか、二人、いい感じ。

楽しそう。

 

「……私といる時とは、大違いじゃない……」

 

そりゃそうか。

私、いっつも怒ってるし。

雷みたいに、何でもやってあげるわけじゃないし。

 

「頼りにしてますよ……か……」

 

もしかして私は……間違ってたのかな……。

 

 

 

「天津風さん」

 

「え? なに?」

 

「どうしたんですか? 今日はぼうっとされて」

 

「……別に」

 

「体調でも悪いんですか?」

 

「何でもないわ」

 

「でも……僕、今日、怒られてませんが……」

 

「……それはいいことじゃない」

 

「そうですが……」

 

「洗濯……私がやっておくわ。マグカップもそのままでいい。私が洗う。貴方は……ジャズでも聴いていればいいわ」

 

「天津風さん……?」

 

「たまには……ゆっくりしてなさいよ。ね?」

 

そう言って、部屋を出た。

これで良かったのかな。

雷みたいな甘い感じには出来ないけど、私なりに精一杯やったわ。

 

 

 

翌日から、提督は何でも自分でこなすようになった。

朝の部屋の掃除。

洗濯。

食器も自分で洗った。

 

「司令官……どうしちゃったのかしら……。急に私を頼らなくなっちゃったの……」

 

「……」

 

どういう風の吹き回しだろう。

あれから、ジャズも聞こえない。

 

 

 

「そろそろ食事の時間ですね」

 

「そうね。じゃあ、私が……」

 

「いや、僕が作りましょう」

 

「え?」

 

「天津風さんはソファーに座っててください」

 

「でも……」

 

「大丈夫です。頑張って勉強したんです。鳳翔さんにも教えてもらってますから」

 

料理なんて一度もしたことないくせに。

本当にどうしてしまったのだろう。

 

 

 

「美味しいですか? 僕特製のカレーは」

 

「うん……」

 

「おや……美味しくなかったですか?」

 

「ううん。ねぇ……どうしちゃったのよ……」

 

「なにがですか?」

 

「急にこんな……掃除洗濯だって……あなた……」

 

提督はスプーンを置くと、真剣な顔をした。

今まで見たことない表情に、少し驚いた。

 

「天津風さんに……怒られなくなってしまったから……」

 

「え?」

 

「僕は……幼くして両親を亡くしました。そんな僕を引き取ってくれたのは、お金持ちの伯父でした。伯父は、僕が自分の子ではないこともあってか、一度たりとも叱ってくれたことはないんです。甘やかされて……育ってきたのです」

 

提督の両親が亡くなっていたのは初耳だ。

 

「だから……嬉しかったんです。天津風さんが、僕を叱ってくれることが。でも、とうとう愛想をつかされて、天津風さんにも叱られなくなって……」

 

違う、そうじゃない。

 

「僕は……しっかりしなきゃって……思ったんです。そうしたら、天津風さんがまた、僕に……その……振り向いて……くれるかなって……」

 

そういうと、提督はうつむいた。

 

「……違う」

 

「え……?」

 

「違うの……。私は……あなたに愛想尽きたわけじゃない。いつもいつもあなたに強く当たってて……申し訳なくなって……」

 

「……そうでしたか。でも、裏を返せば、それだけ僕の事を想っててくれたってことですよね?」

 

「!」

 

提督が私の手を掴む。

 

「天津風さん。僕、もっともっとしっかりします。だから、僕がだらしなかったら叱ってください。間違ったことがあったら、ひっぱたいてもいい。だから……」

 

「……ぷふっ」

 

「!」

 

「何それ。ひっぱたいてもいいって」

 

悪いと思ったけど、つい笑ってしまった。

肩の荷が降りた気がして、急に気持ちが楽になった。

 

「そ、そんなにおかしかったですか?」

 

「おかしいわ。でも、分かった。これからもあなたを支えるわ。私は手を緩めないからね?」

 

「はい。お願いします」

 

そう言って、笑いあった。

 

 

 

「もう! あなた!」

 

「すみません!」

 

あれから少しはましになったけど、やっぱり提督は提督で、どこか抜けている

 

「ふふ……」

 

「な、なに笑ってるのよ!」

 

「いや、やっといつもの天津風さんが見れたなって」

 

「あなたは変わりなさいよね……」

 

「あはは……」

 

「もっと男らしくしたら?」

 

「例えば……」

 

「そうね……。……た、例えば……その……敬語をやめてみたり……さん付けをやめてみたり……?」

 

「分かりました。やってみます」

 

「うん……」

 

「天津風」

 

「う……は、はい……」

 

「いつもありがとう。感謝してるよ」

 

「な……! ななな、なによ急に!」

 

「あ、あれ? 何かおかしかったですか?」

 

「おかしくないけど……。もう……もう……!」

 

「?」

 

このどこにもぶつけようのない気持ち。

いつか、私があなたを頼る日が来るのなら、あなたはこの気持ちを受け止めてくれますか?

「もっと男らしくなれるように努力します」

 

「……待ってるからね?」

 

「はい」

 

いつか……ね?



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鈴谷の気持ち、貴方の気持ち

「From:鈴谷 To:提督」の続編です。


提督と付き合ってしばらく経った。

未だに手を繋ぐくらいしか出来てないけれど、提督が私を好きで、私も提督が好きだという事に変わりはない。

けど、最近は――。

 

「提督さん、お忙しそうなので、お昼を持ってきましたよ」

 

「ああ、いつもすまないな、鹿島」

 

「いえ、好きでやってるんで。うふふ」

 

 

 

「最近入ってきた鹿島さん、いつも提督にお昼持ってきてさー。なんか提督も満更じゃなさそうなんだよねー。ねぇ、どう思う?」

 

「どう思うって……何がですの?」

 

「だからさ……その……なんというか、鹿島さんと提督がお似合いっていう艦娘もいてさ……その……」

 

「お似合いだと思いますわ」

 

「なっ!? 熊野まで……」

 

「料理も出来て、優しくて、皆から好かれていて、落ち着いていて、スタイルもいいし、提督も気に入っている様子ですし」

 

「う……」

 

「で? 鈴谷は何が出来るんですの?」

 

「す、鈴谷は……か、かわ……いい……とか……?」

 

「それだけ?」

 

「提督最初のメル友だし……」

 

「……」

 

「ど、どうしよう……熊野ぉ……」

 

「貴女ねぇ……。貴女は提督の恋人なんでしょう? それだけでも胸を張った方がいいですわ」

 

「!」

 

「あと、提督との距離ももうちょっと詰めないといけませんわ。 キスも出来てないなんて」

 

「だ、だってさ……恥ずかしいじゃん……」

 

「そんなの、一気に行けばよろしいのよ」

 

「それにさ……鈴谷は……したいというより……されたい……し……」

 

「はあ?」

 

「どうやったら提督からキスしてくれるかな……」

 

「はぁ……呆れましたわ……」

 

「そんなこと言わないでよぉ……」

 

「そんなんじゃ、鹿島さんに提督を取られてしまっても、おかしくないわ」

 

「……っ!」

 

熊野の目は嘘を言ってなかった。

そう受け取る私の心も、また――。

 

 

 

廊下を歩いていると、向かいから書類を抱えた鹿島さんが歩いてきた。

小さく会釈をして、通り過ぎる。

 

「鈴谷さん」

 

振り返ると、あの微笑みで私を見つめていた。

 

「鈴谷さんは提督さんとお付き合いしていると聞きました」

 

「う、うん……そうだけど……」

 

鹿島さんの微笑んだ顔。

悪意のないはずなのに、どこか、鈴谷には恐ろしく見えた。

そして、それは鹿島さんの言葉で、はっきりと心に感じた。

 

「私、提督さんが好きなんです」

 

背中で多量の小さな虫が這うような感覚。

窓からの光で体が焼けてしまうのではないかと感じるほど、私の体は冷えていた。

 

「ずっと見てました。提督さんと鈴谷さんの事。お二人は付き合っているのに、あまり会わないし、手を繋ぐくらいしかしませんよね?」

 

「だ、だったら……」

 

「もし、それ以上進む気がないなら、提督さんから手を引いてください」

 

「え……」

 

鹿島さんの顔から微笑みが消えた。

今にも零れそうな涙。

それを堪えようとする口と眉に力が入っている。

手に持った書類が震えている。

そうか。

鹿島さん、真剣なんだ。

本当に提督が好きで、そして、意を決して鈴谷に挑んできたんだ。

純粋だ。

悪意なんて、何一つない。

鈴谷が持った鹿島さんへの恐怖は、鈴谷自身が作り出した恐怖だったんだ。

 

「悪いけど……鈴谷は提督が好きだし、提督も鈴谷が好きだから……」

 

「な、なら……提督さんが私を好きになればいいだけ……ですよね……」

 

いつものお淑やかさから想像できないほど、挑戦的な言葉。

それほどに、鹿島さんの心を動かしたんだ。

提督を想う気持ちは。

 

「……失礼します」

 

涙が零れたところで、鹿島さんは行ってしまった。

きっと、耐えきれなかったのだろう。

自分のしている事に。

それでも、鹿島さんはやりきった。

鈴谷は、何もできないで、ただ、その背中を見ているだけだった。

 

 

 

部屋に戻って、ベッドの上で天井を眺めていた。

零れ日が反射して、埃が浮いているのが見える。

 

「これ以上……進めないのなら……」

 

いつもいつも、手を繋ぎたがるのは鈴谷だけで、提督から握ってくれたことなんてなかった。

鈴谷は求められたい。

キスは、提督からしてほしい。

でも――。

 

「提督は鈴谷が……好きじゃないの……?」

 

遠くで砲撃の音が聞こえる。

提督と付き合う前と、何も変わらない。

この部屋で聞く砲撃の音も、鈴谷自身も。

そして、提督との関係も――。

 

 

 

食堂に行くと、提督が一人で食事をしていた。

 

「提――」

 

「提督さん、お隣、いいですか?」

 

「ん、ああ。どうぞ」

 

「提督さんと二人でお食事できるの、嬉しいです。えへへっ」

 

「そうか? 悪い気はしないな」

 

提督が笑う。

 

「あら、鈴谷じゃありませんの。こんなところでぼーっと何を見て――」

 

気が付くと、食堂を飛び出していた。

熊野の呼ぶ声がする。

でも、提督の声は聞こえなかった。

 

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

港は静かだった。

波の音も、風の音も聞こえない。

 

「――ばか」

 

提督へ。

鹿島さんへ。

鈴谷自身へ。

誰に向けて良いのか分からない言葉。

零したその言葉は、風の吹かないこの場所に、ずっと、浮いているように感じられた。

まるで、煙草の煙のよう。

 

「もっと大きな声で言ったら? すっきりするわよ」

 

テトラポットを跳びながら、陸奥さんがこちらへ向かってきた。

 

「陸奥さん……」

 

「誰に向けていいのか分からない言葉――この大きな海なら、きっと受け止めてくれるわ」

 

陸奥さんは、まるですべてを知っているかのような、そんな雰囲気を出していた。

きっと、これが大人なのだろう。

大人の女なのだろう。

 

「ほら、海に向かって叫んだら? 大丈夫、こんな所、私くらいしか来ないわ」

 

「――うん」

 

大きく息を吸う。

冬の乾燥した空気に、うっすらと潮の香りが残っているのを感じた。

 

「ばかやろー!」

 

海はやはり静かだった。

鈴谷の声が、遠く、どこまでもどこまでも、遠く、届くような気がするほどに。

 

「はぁ……」

 

「スッキリした?」

 

「うん。ありがとう、陸奥さん。でも……」

 

「お姉さんで良ければ、聞くよ? どうせ、提督の事なんでしょう?」

 

「……凄いね。やっぱり、大人の女性って感じだよ。陸奥さんは」

 

「大人の女性なのよ」

 

 

 

鈴谷が話をしている時、陸奥さんはただただ聞いてくれた。

肯定も否定もしなかった。

 

「鈴谷は……どうすればいいんだろうって……。あはは……面倒くさい女だよね……」

 

「そうね」

 

「……」

 

「でも、それでも、提督は貴女を選んだ。面倒くさい事も、何もかも、全てを愛した」

 

その時、海から強い風が吹いた。

陸奥さんの方を見ると、どこか、悲しい顔をしていた。

 

「私は、愛されなかった。選ばれなかった。この大きな海に、幾度となく叫んだわ。どうしてって」

 

「陸奥さん、もしかして……」

 

「貴女が憎かった。提督が憎かった。私が憎かった。今の貴女と同じよ」

 

「……」

 

「海は決して答えてくれない。でもね、一つだけ、一つだけ分かったことがあるの」

 

空はすっかり夕暮れになっていた。

水平線の向こうで、太陽が沈もうとしている。

 

「提督も、提督が愛する貴女も、私自身も、どれも、私の大切なモノには変わりないって」

 

「大切なモノ……」

 

「だから、私はそれを大切にしようと思った。憎むんじゃなくて、愛さなければって。そうしたら、きっと――」

 

陸奥さんの頬で、何かがキラリと光った。

 

「私は幸せになれるって。提督に愛されなくても、私は私を愛し、提督を愛し、貴女を愛す。私が大切だと思うモノの為に、私の為に」

 

鈴谷は何も言えなかった。

陸奥さんがそれで救われたとは、思えなかったから。

その涙は?

陸奥さんは、それでいいの?

本当に?

私だったら――。

言えなかった。

 

「陸奥さん……」

 

「なんて。今、私の事、惨めだと思ったでしょう?」

 

「そ、そんなことは……」

 

「それが、貴女の行く末なのよ? 貴女は、それでいいの?」

 

「……!」

 

「そうならない為にも……今、貴女が思ったことをしなさい。私がどうすればいいのか考えたでしょう?」

 

「陸奥さん……」

 

「今までの話は全部嘘よ。提督が好きなのもね。でも、貴女は貴女の答えを見つけた。自分を他人として見ることが出来ないと、見えないモノがあるものよ」

 

「……やっぱり陸奥さんは凄いよ」

 

「さ、答えが見つかったのなら、行きなさい。さっさとしないと、鹿島ちゃんに取られちゃうわよ」

 

「はい! ありがとうございました!」

 

陸奥さんを背に、鎮守府へ向かった。

しばらくして振り向くと、陸奥さんは海を眺めていた。

その瞳は、とても優しいものに見えた。

嘘なんかじゃない。

陸奥さんもまた、私と同じように――きっと――。

 

 

 

執務室に向かう廊下で、窓の外を眺める鹿島さんに会った。

 

「鹿島さん……」

 

「こんばんは」

 

鹿島さんが微笑む。

でも、いつもと違う。

何かを隠すような、そんな微笑みだった。

 

「――少し、お話しませんか?」

 

「……うん」

 

 

 

外はすっかり夜になっていて、少し欠けた月が浮かんでいた。

 

「鈴谷さんは、提督さんのどこが好きになったんですか?」

 

「どこって……うーん、全部?」

 

「じゃあ、好きになるきっかけとか」

 

「なんだろう。気が付いたら好きになってたかも」

 

「――そうですか」

 

鹿島さんが微笑む。

それが何を意味しているのか、鈴谷には分からなかった。

でも、悪意は無いように見えた。

 

「うふふっ。提督さんと同じ事言ってますよ」

 

「え?」

 

「提督さんも、鈴谷さんと同じ。全部が好きで、気が付いたら好きで――って」

 

「提督が言ったの?」

 

「えぇ。食堂で。提督さん、鈴谷さんとどうしたらもっと仲良くなれるかって、私に聞いてきたんです」

 

「……」

 

「話をしている時の提督さんの真剣な顔を見たら、なんだか切なくなっちゃって……鈴谷さん、本当に愛されてるんだぁって」

 

「鹿島さん……」

 

「手を引かなきゃいけないのは私の方だったみたいですね」

 

上がる口角とは裏腹に、眉毛だけは鹿島さんの感情が篭っているように見えた。

 

「お話はこれで終わりです。すみません、呼び止めてしまって。では……」

 

「鹿島さん」

 

「はい」

 

「鈴谷が……憎い? 提督が……憎い?」

 

「いいえ。だって、私の愛している提督が愛した貴女です。どちらも、愛しています」

 

即答だった。

強い女性だと思った。

もし、鈴谷が同じ立場だったら――。

 

「鈴谷も、鹿島さんを愛しているよ」

 

「――ありがとうございます」

 

最後の微笑みは、いつもの優しいものだった。

 

 

 

執務室は少し蒸していた。

ストーブの上のやかんが、ひっきりなしに蒸気を出しているせいだ。

 

「もう少しで仕事が終わる。そうしたら、食堂へ行くか」

 

「うん」

 

窓の曇りに指をなぞると、その間からクレーンの赤い光が、点滅しているのが見えた。

 

「ねえ、提督」

 

「ん?」

 

「鈴谷ね、色んな事があったけど、提督が鈴谷を好きでいてくれてるって、分かってるからね?」

 

「どうした急に?」

 

「だから、鈴谷が提督を好きだって思ってる事も、分かってほしいの」

 

「鈴谷?」

 

「鈴谷は……提督が好き……。提督も同じ……。だったら、提督がしたいことも、鈴谷がしたい事だし、鈴谷がしたいことは、提督もしたい事なんだよ?」

 

提督の手が止まる。

 

「鈴谷の気持ち……分かる……? 鈴谷は分かるよ……提督の気持ち……」

 

今まで、他人の気持ちを決めつけてはいけないと思っていた。

だから、私は私が憎かったし、進めなかった。

でも、そうじゃない。

他人の気持ちを理解できないから、自分は他人の気持ちを創らなきゃいけない。

こう考えているだろう、こうしてほしいんだろうって。

それが想うこと。

愛すること。

 

「鈴谷……」

 

「提督……」

 

今まで触れたどれよりも、提督の気持ちが分かる気がした。

そっか。

ここは、一番、誰かを想う『言葉』が出てくる場所だもんね。

 

 

 

「今日は寒いね」

 

「そうだな。もっとこっちに寄り添え。温かいぞ」

 

「うん」

 

あれから、提督との距離が近くなった。

二人で見る景色は、いつもと違って、何もかもがキラキラして見えた。

 

「なんか、やっと恋人になったって感じだね」

 

「そうだな」

 

お互いの気持ちが、本当の意味で繋がった。

単なる言葉遊びじゃない。

想うって、愛するって、こういう事なんだ。

 

「ねえ、提督」

 

「ああ、分かってるよ」

 

「えー? 本当? じゃあ、なんて言おうとした?」

 

「甘いものが食べたい、だろ?」

 

「違うよ!」

 

「じゃあ、いらないか? 間宮さんのところでお汁粉食べようかと思ったんだが」

 

「う……いるけど……そうじゃなくて!」

 

「分かってるよ。俺もずっと、この景色をお前と見ていたいと思った。これからも、お互いを好きでいよう。愛している、鈴谷」

 

「……ばかじゃないの」

 

「間違ってないだろ?」

 

「……早く間宮さんの所いこう?」

 

「おう」

 

海から強い風が吹いた。

海水のしぶきが日に照らされて、キラキラと光って見えた。



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