ラブライブ!~オタク女子と九人の女神の奮闘記~【完結】 (鍵のすけ)
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第一部~僕らは今のなかで~
プロローグ


 片桐思穂(かたぎりしほ)はこれでもかと言う程、微睡(まどろ)んでいた。窓際の席、そして微かに開いた窓から流れ込むそよ風、ぽかぽか陽気……一体どこに眠らない要素があるというのだろうか。

 昨日は深夜コースだった。たまたまレンタルビデオ屋から借りてきたアニメが思穂の琴線に触れ、衝動的に全巻レンタルしての独り鑑賞会。正直、もっとやることがあったんじゃないかと後悔することもあるが、それはそれでこれはこれ。

 今は与えられた“睡眠時間”を享受することに――。

 

「片桐!! 立て!」

「ほわっちゃ!?」

 

 反射的に席を立ちあがると周囲のクラスメートからの視線視線視線。思穂が立ち上がった拍子に、ハーフアップに纏めた茶髪の房が後頭部で揺れた。普通の生徒ならばここで頬を赤らめたり、焦るなり、色んなリアクションがあったことだろう。だが、思穂のリアクションはそんな可愛らしいカテゴリーから大いに外れていた。

 

「お前……寝てたろ?」

「いやいやいや~。今ので寝てたら誰もが寝てますって、いや、ほんと」

 

 女性教師から半目で睨まれるなんてもはや生活の一部と化していた思穂の反論は実にふてぶてしい。一部のクラスメイトからはこのやり取りがないと授業を受けた気にならないと言われる程。

 

「……お前、私が皆にこの計算の説明をしている時、寝言で相槌打ってたぞ?」

「……マジですか?」

「マジだ」

 

 クラスメイトを見渡すと、誇張も捏造もされていないようで、苦笑しながら頷いていた。つまり、それはクラスメイト全員が証人ということで。

 

「……ま、まあ。間違いは誰にでもありますよ。さ、授業やりましょうか!」

「廊下に立ってろぉーー!」

 

 授業終了まで、廊下での棒立ちが決まった瞬間である。こうなった教師はもう止められない。

 

「あぁ……これでまた呼び出される……」

 

 授業が始まった教室内の声を聞きながら、思穂は肩を落とす。廊下に立たされるという恥辱は最早慣れたものだ。どちらかというと、昼休みに起こるであろう“お話”のお誘いが怖かった。

 教室から出る時に見た時計によると、授業終了まであと二十分。やることも無く立っているのは暇だったので、昨日見たアニメの一話を頭の中で再生する思穂であった……。

 

「あぁ……やっぱりあのアニメの一話は掴み最高よね~……」

「思穂! またですか!?」

「ほわっちゃ!?」

 

 過ぎるのが早い二十分。出て来た教師にありがたい小言を頂きながら教室に入ると、席の近くで長髪大和撫子が仁王立ちで自分を待っていた。

 思穂は完全に失念していた。昼休みの前にも恐ろしいイベントがあったことを。

 

「う、海未ちゃん? 次、体育だよ~……? 早く行った方が……」

「次は地理の授業です」

 

 園田海未(そのだうみ)にそうぴしゃりと断じられてはぐうの音も出なかった。下手な言い訳は許さない、そう言いたげな海未を前に、思穂はなるべく軽傷で済むように心の中で祈りながら、勢いよく頭を下げた。

 

「す……すいませんでしたー!!」

「すいませんでした、じゃありません! いつも言っているでしょう、夜更かしをせずに早く寝るようにと!」

「ま、まだ私何にも言ってないんだけど!? エスパー!?」

「日頃の行いを見ていれば一目瞭然です! 全く貴方と来たら――」

 

 すると、思穂の後ろから脳が溶けるような甘い声が聞こえてきた。振り向いた思穂は相変わらずのタイミングの良さについ、彼女を抱きしめそうになってしまった。

 

「海未ちゃん、もう良いんじゃないかなぁ? 思穂ちゃんも謝っていることだし……ね?」

「こ、ことりちゃ~ん! やはり貴方は私の女神なんだね!」

 

 (みなみ)ことりがそう言って困ったような笑顔を浮かべる。少し首を傾げたせいか、彼女のチャームポイントであるトサカが少しだけ揺れた。

 

「そうだよ海未ちゃん! 朝は眠くなるもんなんだよ?」

「よっしゃ穂乃果ちゃん、良く言った!!」

 

 ことりに続くように、高坂穂乃果(こうさかほのか)が持ち前の明るい声で思穂を援護射撃してくれた。……思穂が目立ちすぎて先生は気づいていなかったが、彼女もまた、居眠りという名の生徒特有の権利を行使していたのである。

 ことりとは違い、やや大振りな身振り手振りを交えて話すものだからサイドテールがぷらぷらと揺れに揺れていた。

 普段ならばここで海未が諦め、説教が終わるはずだった。……思穂が余計な事を言わなければ。

 

「穂乃果。気付いていないと思っているのでしょうが、私は貴方も思穂と同じように居眠りをしているのを見ていましたからね?」

「……な、何の事か分からないよ~海未ちゃん……」

 

 高坂穂乃果、そして園田海未、南ことりとは小学校の頃からの付き合いであった。思穂と穂乃果がやらかし、海未に怒られ、そしてことりに仲裁されるというサイクルだ。このことりのポジションがとても重要で、ここが欠けると永遠に怒られてしまうというループが確立してしまう。

 

「海未ちゃん! 穂乃果ちゃんを困らせちゃ駄目だと思うなー!」

「元はと言えば貴方のせいでしょう思穂!」

「二人とも、落ち着いてよ~。ほら、もう休み時間終わっちゃうよ?」

 

 ことりが指す時計を見ると、既にあと二分を切ったところだった。あとで覚えていてくださいね、ととてもいい笑顔で締めくくったこのやり取り。

 

(昼はどこに隠れよう……?)

 

 海未のお説教が終わったことにとりあえず胸を撫で下ろしつつ、思穂はこの次についての対策を考え始めた。何故なら、海未よりも怖い怖い人が昼に自分を呼び出すだろうから。

 ここは国立音ノ木坂学院。古くからある伝統校で、その穏やかな校風は昔も今も変わらない――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 思穂はとても不思議そうに首を傾げていた。それもそのはず。いつもなら昼休み開始直後に呼び出されるはずだったのだが、今日はそんなことはなく、ゆっくり好物のチョコレートを齧り、尚且つ“隠れ家”へ向かう時間があった。

 そんな“隠れ家”へ歩を進める途中、見覚えのあるツインテールの女生徒がこちらに近づいてくるのが見えた。その表情は実に不機嫌そうで、普通ならば声を掛けるのが躊躇われるのだが、そんなことを微塵も気にしない思穂はそのツインテールへ向かって言葉を掛ける。

 

「あ、にこ先輩。挨拶はどうしたんですか?」

「こんにちは……って違うでしょ!?」

 

 ツインテールの女生徒――矢澤(やざわ)にこが怒りの表情で思穂を睨み付けるが、むしろそのリアクションが思穂には嬉しかった。

 ……思穂はこのやり取りが好きだった。にこのノリの良さもあるが、ここまで気安く接することが出来る先輩なんてそうはいないからだ。にこには悪いが、勝手に親しみを感じさせてもらっていた。

 

「まあまあまあ。そんな声荒げるとにっこにっこにーしますよ?」

「ぶっ飛ばすわよあんた! ていうか他人(ひと)の持ちネタ取るな!」

「怒らないでくださいよーもー。にこ先輩は可愛いなぁもう」

 

 思穂がそう言うと、気を良くしたのか、にこが誇らしげにふんぞり返った。

 

「……当然でしょ。にこはいつだって宇宙一可愛いわよ」

「わー可愛いーにこ先輩可愛いー。ところで、まだ一人で活動してるんですか?」

「ええ、何たってにこはアイドルが好きだもの。好きじゃなかったらとっくに辞めてるわよ」

 

 矢澤にこは『アイドル研究部』という部の部長である。しかし、もう部員はにこだけとなっていた。だが、先程のにこの発言通り、彼女はたった一人で活動していたのだ。アイドルへの情熱、ただそれだけで。

 

「にこ先輩って意外と情熱的ですよね」

「あんた……喧嘩なら買うわよ?」

「ええ!? そんな!? 私何も悪いこと言ってないじゃないですか! 褒めてますよ私!?」

「言ってなさい。……そういうあんたは今日どうしたのよ? いつもならもう校内放送で絵里に呼び出されているはずでしょ?」

 

 三年生の間でも、昼休みの呼び出しは知れ渡っていた。一度や二度ならまだしも、もはや数えるのも億劫になるほど呼び出されるその名前を聞いていれば、誰でも思穂の名前を憶えていく。

 ある意味、思穂はこの音ノ木坂学院の有名人であった。もちろん悪い意味での。

 

「それが私にも分からないんですよね。にこ先輩、何か分かりませんか?」

「知らないわよ。ていうか、もっとちゃんとしなさいよね。そんなんじゃ部活動強制停止にさせられるわよ」

「そ、それは嫌だー!」

「まあ、文化研究部なんて怪しい部活、さっさと廃部になってくれた方が良いからそのままで良いわよ。にこのアイドル研究部への予算が少しは増えるだろうし」

 

 シレッとそう言うにこの表情は実にあくどいものとなっており、花の女子高生とはとても思えないものと化していた。しかし、と思穂はその発言もまんざら冗談ではないことが分かっていた。今までは“何とか”していたが部活動強制停止という切り札をちらつかされるようになれば、本格的に終わりだ。

 もっとちゃんとしよう、そう思った思穂であった。

 

「いざとなればボイコットすれば良いですもんね! 頑張りましょうねにこ先輩!」

「やらないわよ!? ……ったく、あんたは本当に頭空っぽよね」

「まあ、それぐらいじゃなきゃ部を守れませんし」

 

 思穂は『文化研究部』という部の部長であった。名目上は日本の文化面と産業面を支えてきたサブカルチャーを研究し、多角的な視点を持つ、グローバルな発想の人間を育成するというものだが、実際はただのオタク同好会である。しかも部員は思穂ただ一人というオマケつきだ。

 

「部って言っても、ただのマニアの集まりじゃない」

 

 このにこの一言によって、不毛な言い争いのゴングが鳴らされた。

 

「なぁっ!? にこ先輩こそ似たような部活のくせに!」

「はぁ!? にこのアイドル好きと、あんたのマニアを一緒にしないでくれる!?」

「一緒でしょうがー! 一つの物に情熱を注ぐという点では同じですよー!」

「あんたのは何かドロッとしてるのよ! 何か不健全な匂いしかしないのよ!」

「土日は常にアイドル専門ショップに入り浸っているどっかの先輩と比べて、どっちが不健全なんでしょうねー!?」

「言ったわね! なら今日の放課後、部室に来なさい! にこのコレクションを観て、あんたがどれだけドロッとしているのか思い知ると良いわ!」

「望むところですよー! 良いですよ! じゃあ今日の放課後にドル研に行きますね!」

 

 いつもこうして何故か、放課後はにこと過ごす時間が出来てしまうのだ。今日はアイドル研究部への遠征だったが、二日前はにこが思穂の文化研究部へ遠征にやって来ていた。その時の売り言葉は『アイドルだってゲームやりますよ! そんなのも知らないんですかー!』であり、買い言葉は『じゃあアイドルやりそうなゲームを教えてみなさいよ!』である。

 過ごす時間についてはいつも二人が疑問に抱いているところだが、これがまた何とも居心地が良かった。同じ三年生以外では、唯一思穂だけがこうしてにこと対等に喋られる珍しい人間だった。そしてそれと同じくらい、思穂にはこの学校で唯一恐れている相手がいた。

 

「――片桐さん、ここに居たのね」

「え、絵里先輩……!?」

 

 その相手こそ今思穂の前に現れた金髪の美人女生徒であった。名は絢瀬絵里(あやせえり)、この音ノ木坂学院の生徒会長である。

 絵里は目を細めており、あからさまに“生徒会長”オーラが充満していた。

 

「先ほど数学の先生から聞いたわ。……何度言えば分かるのかしら? 貴方の行動がこのオトノキの風紀を乱してしまうのよ。オトノキの生徒ならもっと理性ある行動を心掛けなさい」

「は、はい……。ところで絵里先輩?」

「……何かしら? 通りかかっただけだから、いつまでもここに居る訳にはいかないのだけど?」

 

 本当に急いでいるようだったので、思穂は手短に聞くことにした。

 

「いつもと違ってお叱りに心が籠もってない感じがしたんですけど……何かありましたか?」

 

 瞬間、絵里はまるで氷のような冷たい視線を思穂へと送った。流石の思穂もこんな冷たい視線をもらったことがなかったので、一瞬身体が強張ってしまった。そんなことを知ってか知らずか、絵里はすぐに思穂から目を逸らし、そのまま歩き去って行った。

 

「……貴方は知らなくて良いことよ」

 

 去り際にそう言い残して。

 

「大丈夫、思穂?」

「ええ……。それよりも、本当にどうしたんでしょうか絵里先輩……?」

「今日はいつもより機嫌悪そうね。ま、関わらないのが吉って奴よ」

「……そうですかね?」

 

 ――その翌日、全校生徒が講堂に集められた。そして、理事長の口から国立音ノ木坂学院の『廃校』が発表された瞬間、思穂は絵里の冷たい視線を思い出すこととなる。




片桐思穂(それ僕バージョン)

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第一話 オタクライフがピンチだ!

 思穂は今日も今日とて眠かった。それもそのはず、中古のゲームショップに寄ったら何と名作中の名作である『トカゲンクエスト』の初代が置いてあったのだ。プレミア価格、残り一本、自分の手持ちには丁度同じ金額。……これはもう決まりであった。

 はやる気持ちを抑え、日が沈むころからゲームプレイ。一昔前のゲームだけあり、ハード自体も古く、中々電源を入れるのに苦労したが、それさえ乗り切れば後は桃源郷。最近のゲームしか知らない者は内容がチープ、音楽が安っぽいなどと馬鹿にするだろう。だが、それが良い。当時の同志達は皆、嬉々としてプレイしていた事実に何ら変わりはないのだから。

 今と昔の演出の違いを考察しつつプレイしていたら、いつの間にか起床時間まであと四時間と少し。また怒られよう。思穂にとって怒られるのはもはや前提だった。

 

「おっはよ~……今日も眠いね……ん?」

「学校が無くなる学校が無くなる学校がぁ……」

 

 思穂が朝一番に目にしたのは、机に突っ伏し、まるで呪詛のように何度も同じ単語を呟いている穂乃果の姿だった。そんな穂乃果を心配そうに見る海未とことりへ思穂は歩き寄る。

 

「おはよ~。穂乃果ちゃん、どうしたの?」

「あ、おはよう思穂ちゃん。それがね……」

 

 ことりの言葉を引き継ぐように海未が言った。

 

「昨日の廃校宣言をようやく受け入れ始めたみたいですよ」

「……あ、ああああ!! そうだったぁ!!」

 

 その言葉で、ようやく思穂もその事を思いだし、頭を抱えた。余りにも眠すぎて、頭が全く回っていなかった思穂はとりあえずチョコレートを一齧りし、脳に糖分を与える。

 

「……思穂もですか」

「あ、あはは……」

 

 ことりが困ったように笑う。どうやら穂乃果以外に“こういう”人がいるとは思っていなかったようだ。

 

「そ、そんな……どうしよう……!? 私の……私の……!!」

「……思穂ちゃんと穂乃果ちゃん、すごい落ち込んでる……。二人とも、そんなにこの学校が好きだったなんて……」

 

 今にも泣きそうなことりの言葉を、海未はきっぱりと否定した。

 

「違います。恐らく二人とも全く違うことを考えているはずです」

「違うこと?」

 

 海未の予想はそのままズバリ、的中していた。長年の幼馴染としての経験が穂乃果の決定的な勘違い、そして思穂の嘆きの真意をほぼ正確に感じ取っていたのだ。

 瞬間、穂乃果がことりと海未の元へ泣きついた。

 

「どーしよう!? ぜんっぜん勉強してないよー!!」

「……え?」

 

 首を傾げ、頭にハテナマークがいくつも飛び出していたことりへ、穂乃果は更にまくし立てる。

 

「この学校無くなったら別の学校入らなくちゃいけないんでしょ!? 今から試験の勉強なんて間に合わないよぉー!!」

「え、えぇ~……?」

 

 なら思穂は何を考えているのだろう、とことりがそちらへ向くと、すぐに海未が言いたいことを理解した。

 

「大変だぁ! 私のオタクライフがピンチだよぉ!!」

 

 それこそ穂乃果のように机に突っ伏し、思穂はおいおいと泣いていた。それはもう、先生や生徒会長に呼び出された後でも見せたことのない泣き姿である。

 何もコメントすることが出来ないことりへ、海未が呆れたように締め括る。

 

「やはり同じようで全く違うことを考えていましたか」

「海未ちゃんやことりちゃんや思穂ちゃんは良いよー! そこそこ成績良いし、ちょっと勉強するだけでいいんだから!! それに比べて私はー!!」

「いや、私達と思穂を比べるのは……」

 

 海未が何とも言えない顔でまだ泣いている思穂の方を見た。ことりも思穂と一緒にされることには少し思う所があるようで、小さく首を捻っていた。

 

「ええい、もう! いい加減二人とも落ち着きなさい! 私達が卒業するまで学校は無くなりません!」

「……え?」

「嘘……?」

 

 穂乃果と思穂が縋るような目で海未を見る。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 思穂達は中庭の真ん中辺りにある木の側に座っていた。時間は過ぎるのが早く、もう昼休み。特に思穂は授業中のほとんどを寝て過ごしていたので、余計そう感じてしまう。ゲームのやり過ぎって怖い、ついそんなことを考えてしまうが今の所特に支障はないのでそれは良しとすることにした。

 ぐっすり寝たおかげと、海未からの懇切丁寧な説明でようやく今の音ノ木坂学院の状況を正確に理解した思穂はひとまず安堵していた。要は『現在いる生徒達が卒業してから正式に廃校となる』である。ならば廃校まで、最短でも後三年。

 

「なーんだ、それならそうと早く言ってよ海未ちゃん」

「そうだよー、穂乃果びっくりしちゃった! いやぁー! 今日もパンがウマいっ! 安心したら余計お腹空いちゃったよ~!」

 

 思穂と穂乃果のあまりにも現金なその言いぶりに、海未はもはや怒る気も失せてしまっていた。

 

「……でも、正式に決まったら、一年生は入ってこなくなって、来年からは二年生と三年生だけ……」

「今の一年生は卒業まで後輩無し……ってことになるよね」

 

 “その先”を言い辛そうにしていることりに代わって、思穂ははっきりとそれを口にする。二年生である自分達はまだ良いが徐々に、だが確実に人がいなくなっていく音ノ木坂学院を見ることになる一年生の心境は計り知れない。

 

「――ねえ? ちょっと良い?」

「あ……」

 

 自然と思穂達は立ち上がっていた。何故なら自分達に話し掛けてきた二人組の内の一人は、生徒会長である絢瀬絵里だったのだから。もう一人の女生徒は絵里に見えないよう、思穂に小さく手を振っていた。

 

「片桐さん、また授業中寝ていたわね。放課後、生徒会室に来て頂戴」

「いきなり!?」

 

 早速の死刑宣告に肩を落とす思穂。だが、用件はまだあるようで、絵里は次にことりへ視線をやった。

 

「南さん」

「はいっ!」

「貴方、確か理事長の娘よね? ……理事長、廃校の件について、何か言ってなかった?」

「……いえ、私も初めて知りました……」

 

 質問した時からずっとことりの目を見つめていた絵里はその返事で用が足りたようで、すぐに視線を外した。

 

「ありがとう。では失礼するわ。……片桐さんは放課後、逃げないように」

「あ、あの! 絵里先輩!」

 

 気付けば思穂は絵里を呼び止めていた。立ち止まり、首だけを動かし、思穂を見る絵里の瞳は冷たかった。だが、それでも思穂は聞かなければならないと妙な義務感に駆られていた。

 

「……何かしら片桐さん?」

「本当に学校、無くなってしまうんですか?」

 

 数瞬の間。その間に絵里が何を考えているのかは思穂には分からなかった。分かるはずが無かった。なぜなら当の絵里から発せられた言葉は――。

 

「貴方達が気にすることじゃないわ」

 

 ――明確な拒絶の言葉であったのだから。

 

「っ……!」

 

 歩き去っていく絵里ともう一人の女生徒の後姿をただ見送ることしか出来なかった思穂は、無意識に握り拳を作っていた。

 

「思穂ちゃん、大丈夫?」

「……うん、ありがと。ことりちゃん」

 

 ちょうど昼休みが終わるタイミングだったので、思穂たちは教室に戻り、午後の授業に備えることにした。

 

(絵里先輩……どうしてあんな……)

 

 授業中、思穂はずっと絵里の顔を思い浮かべていた。とある事情で、人の顔色ばかり伺ってきた思穂だからこそ断言出来た。絢瀬絵里と言う人間は間違いなく――。

 

「し~ほちゃん! 授業終わったよ?」

 

 穂乃果の優しい声で、思穂は目を覚ます。まさか同じ居眠り常習犯の穂乃果に起こされるとは夢にも思わなかった。心なしか、穂乃果が得意そうな顔をしている。

 

「ほ~れほれほれほれ」

「ちょっ! あははははは! 止めてよ~思穂ちゃ~ん!! ひどいよ~! おこ、して! あげたのに~!」

 

 少しだけ腹が立ったので思い切り脇腹をくすぐることにした。身体を()じらせひたすら笑っている穂乃果をいつまでも見ていたかったが、生憎と思穂には外せない用事があった。……もう三十秒ほどくすぐってやり、穂乃果を解放した思穂は教室を後にする。

 穂乃果達はこれから生徒を呼び込むための“何か”を探しに校内を歩き回るそうだ。すごく付いて行きたかったが、怖い生徒会長を放置しておくほど思穂は命知らずではない。頬を軽く叩き、思穂は生徒会室を目指す――。

 

「失礼します」

 

 ノックもそこそこに、生徒会室へ入った思穂は相変わらずの緊張感に思わずふざけたくなってしまったが、そこは我慢。火に油を注ぐアホはいない。

 

「……来たわね片桐さん」

「昼休みぶりですね。希先輩も先ほどぶりです!」

「お、今日も余裕やん? まあ、それはそうと、お茶飲む?」

「はい、頂きます!」

 

 すると既に用意していたのか、会計の女生徒が小さなお盆に湯呑を乗せて持ってきてくれた。湯呑には湯気がゆらゆらと立ち上っており、明らかにタイミングを読まれた感じがすごい。

 思穂はそのタイミングを読んだであろう、おさげの女生徒――東條希(とうじょうのぞみ)へと視線をやった。顔ではない、その下のとてもとても夢が詰まってそうな胸部へだ。

 

「いや~……相変わらず犯罪的ですよね。一体何食べればそんなどこかの星のピンク玉みたいなお胸になるんですか?」

「ずばり! 日々の規則正しい生活や!」

「くっ……! 何て難易度の高さ……!!」

 

 そろそろ絵里が本格的に睨みを利かせて来たのでここで希との雑談はおしまいとなった。いよいよ本題とばかりに、絵里は一つ咳払いをしたあと、話し始める。

 

「……もう何度も言っていると思うけど、学校は勉学に励む場所です。……貴方の行動は既に先生方の目に余っている……というのはこの前言ったわよね?」

「正確には先週の月曜日のお叱りで、先生方もとうとう注意する気が失せてきた、ですよね?」

「……ええ、そうよ。いくら私でも、そろそろ庇い切れなくなっているの。だから、くれぐれも自重するように」

「何だかんだ言って、私の事見捨てないでいてくれる絵里先輩ってすごく面倒見良いですよね」

「なっ……! そんな訳無いでしょ!? 私はこのオトノキの評判を悪くしないために仕方なくやっているのよ……!」

 

 少しだけ顔を紅くしながらそう反論する絵里にもはや怖い所は見つからない。むしろ親しみが持てるほどだ。思穂の勝ちを見たのか、ここで希が助け舟を寄越してくれた。

 

「まあまあエリち、そこまでにしとき? 思穂ちゃん、やってもらうことはいつもと同じでええよね?」

「あ、はーい。書類整理頑張りまーす!」

「……仕事が終わるまで帰ったら駄目よ」

「もちろんですよ絵里先輩。さっさとやって、さっさと帰らせて頂きます! 何たって、今日は気になってた漫画の発売日なんですから!」

 

 そう言い、思穂は絵里の横に置かれている机に座り、溜まっていた書類を広げた。思穂は生徒会役員よりも座り慣れた備品の机の引き出しから、自分用の指サックを取り出して指に嵌め、素早く書類をめくり始める。

 こうして書類整理を手伝うのは何もこれが初めてではない。初めて生徒会の仕事を手伝わされたのは、二年生になる直前である。何でも、生徒会の仕事を手伝うことによって先生方に“誠意”を示しているという話だ。

 何だかんだで面倒見が良い先輩のため、思穂は今日も今日とて指を動かした。

 

(……あ、穂乃果ちゃんだ。頑張ってるなー)

 

 遠くから穂乃果達三人組が歩いて、どこかに行こうとしているのが見えた。歩く方向から推測するに、恐らく弓道場へ向かおうとしているのだろう。

 相変わらず穂乃果の行動力はすごい、と思穂はそう思った。思い立ったが吉日をあそこまで地で行くことは中々に難しい。だからこそ、思穂は穂乃果に期待していた。もちろん自分でも何とか廃校を阻止するために色々やってみるつもりだが、それでも穂乃果の“ドでかい”ことが楽しみでしょうがない。

 

(きっと私が思いつかないような事をしでかすんだろうなー)

 

 その翌日、穂乃果がスクールアイドルをやると言い出したのは、本当に思穂でも予想が付かなかった――。



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第二話 一人で! 密室で!

「思穂ちゃん! スクールアイドルだよスクールアイドル!」

 

 教室に入った直後、穂乃果に手を引っ張られ、自分の席まで連れて行かれた思穂はその単語で連想出来るものを適当に口に出した。

 

「アイドル? 女の子をプロデュースして遊ぶあのゲーム?」

「そっちじゃなくて! スクールアイドル! ね、これ見て!? もう海未ちゃんとことりちゃんには見てもらったんだ!」

 

 机の上に広げられたのは、可愛い女の子が表紙の雑誌の山。そのどれもが『スクールアイドル専門誌』というカテゴリーに分類される雑誌であった。

 ペラペラとめくると、これまた可愛い女の子が盛りだくさん。まるで美少女のバーゲンセールだ。だが、いまいち穂乃果の言わんとしていることが分からなかった思穂は、当の海未とことりの方へ顔を向けた。……分からなかったのではなく、分かりたくなかったという方が実は正しいのかもしれない。

 

「実は……」

「ね、思穂ちゃんもスクールアイドル、やらない!?」

 

 何だか歯切れが悪い海未の言葉を遮り、穂乃果がそう言って、思穂の手を握ってきた。やっぱり予想通りの言葉に、思穂は何だか海未の気持ちが分かったような分からないような。

 

(……あ、思い出した。そういえばにこ先輩に観せてもらった伝説の伝説の……何ちゃらってDVDもそういう奴だったっけ?)

 

 何度もスクールアイドルと言う単語を聞いている内に、思穂は心の深い所に根付いていた記憶を呼び戻す。スクールアイドルと言うのは、要は学校生活を送りながら活動するアマチュアアイドルの総称だ。全国各地に存在しており、今若い人達を中心に人気を集めている一大コンテンツである。

 アニメ専門店よろしくスクールアイドル専門ショップなるものも存在するというのだから恐れ入る。

 

「……先ほど私とことりもスクールアイドルをやろう、キラキラしている、等と散々調子の良いことを言われました」

「そうなんだよ思穂ちゃん! それでね、海未ちゃんったらさ、『アイドルは無しです!』なんて言って怒るんだよ!? ひどいよね!」

「……まあ、いきなりアイドルやろうぜ! って言われて、おうやろうぜ! なんて答えられる人は漫画かアニメぐらいしかいないよね……」

 

 思穂の言葉に勢いづいたのか、海未が更にまくし立てる。

 

「大体! 穂乃果は何も分かっていないんです! さっきも言いましたが、彼女達は然るべき努力を積み、皆の前に立っているんです! それを好奇心だけで始めても、上手くいくはずないでしょう!」

「う、海未ちゃん落ち着いて! 穂乃果ちゃんも考えなしに言っているんじゃないって、私は思うなぁ……」

 

 見かねたのか、ことりが助け舟を出してくれた。まるで父親に怒られた子供を庇う母親のようないつもの構図に、思穂は小さく笑った。しかし、と思穂は少し現実的な視点で思考してみる。

 

「でも、まあ……確かに海未ちゃんの言うことにも一理あるよねー。一朝一夕でやれるものじゃないってのは間違いないし」

「し、思穂ちゃんまで!?」

「というか、何で穂乃果ちゃんはスクールアイドルをやりたくなったの?」

「だってアイドルってすっごいんだよ! キラキラしてるし、歌だってダンスだってすごいんだよ!?」

「はっはーん。それでスクールアイドルになって、新入生ゲットだぜ! って寸法?」

 

 相変わらず穂乃果の考える事は思穂の一段上を行っていた。しかし、穂乃果の提案を全て否定するつもりはない。確かにスクールアイドルというコンテンツの人気は凄まじいようだ。この雑誌達がそれを証明している。

 だが、海未の言うことも最もだ。有名所も無名所も等しく血の滲むような努力をしているのは間違いない。

 

「うん! 私ね、今朝UTX学院に行ってA-RISEってスクールアイドルのグループがパフォーマンスしているの見て来たんだ! それを見てこれだーっ! って思ったんだ! 穂乃果達もスクールアイドルになって、オトノキを盛り上げていこうよ!」

「話になりません!」

「あっ、海未ちゃん!」

 

 穂乃果のお気楽さに、ついに海未が我慢の限界を超えてしまったようだ。

 

「もう一度ハッキリ言います。アイドルは無しです!」

 

 ぴしゃりと、そう言い残し海未は教室を出て行った。

 

「ありゃりゃ。海未ちゃん完全に怒っちゃった」

「海未ちゃんの分からず屋ー!」

「穂乃果ちゃん、海未ちゃんも別に意地悪したくて言っている訳じゃ……」

 

 ことりがなだめるが、穂乃果は穂乃果で拗ねてしまったようだ。ぷくーっと膨らませた頬はとても柔らかそうで、触ったら、穂乃果に怒られてしまった。

 それはそれとして。こういう時、本当にことりは苦労するなと思穂は思う。二人のように自分の意志をしっかりと伝える方では無いことりは常に、二人から一歩離れた立場で物事を眺めているのだ。そして毎度のごとく板挟みときた。

 

「ことりちゃんはどうなの? スクールアイドル」

「私は良いと思うなぁ。可愛い服着られるし!」

 

 にっこり笑顔でそう言うことりが思穂には凄く眩しかった。純情可憐とはまさにことりのこと。そんなことりが可愛い服を着てダンスを踊る。そんな妄想をすること数秒間。

 

「いつも……ありがとうございますことりさん!」

 

 思わずことりの手を握りしめていた。

 

「え、えぇっ!? どうしたの思穂ちゃん!?」

「……いえ、少々あっしのマトモな思考活動がくっだらないことにしか使えないことに後ろめたさを感じてしまいまして……ヘイ」

 

 ハテナマークがいよいよ飽和しそうになることり。海未という場を〆る人間がいないといつもこうなのだ。ボケしかいないこの空間はことりのキャパシティを常に振り切る。

 そんなことりを助けるように、始業のチャイムが鳴りだした。そこで一旦この話を終わりとなった。

 そこから思穂の記憶は全くない。最近は目を開けたまま寝る練習をしており、今日もその練習に精を出していたからだ。これを極めればもう寝たい放題。絵里に呼び出されることもなくなるはず。そんな事を思いながら、今日も思穂は覚醒と非覚醒の狭間をたゆたう――。

 

「にこ先輩、昼休みですよ昼休み!」

「それが分かってるなら、にこの所へ来るなぁー!」

 

 昼休みのチャイムが鳴ると同時に、思穂は走り出していた。朝に話していた話題に詳しい人物から話を聞くためだ。普通ならば探し回るのだが、思穂は確実な心当たりがあった。

 案の定、思穂の予想は当たり、その人物がアイドル研究部の扉を開ける直前に出会えた。

 

「それはさておいて、こんにちはにこ先輩! 今日も右手を上下左右に動かして恍惚に浸る遊びをするんですかぁ!? 一人で! 密室で!」

「普通にネットサーフィンよ! 何いかがわしい言い方してるのよあんたはぁー!!」

「わっ。にこ先輩、皆の視線釘づけですね!」

「むしろにこが釘づけにされてしまっているわよ! ったく、用があるならさっさと入りなさい!」

 

 廊下の生徒達が皆、にこの事を眺め、ひそひそと話し始めてしまった。もちろん冗談だということを理解した上でのことだ。

 にこに手を引っ張られ、部室へ強引に引きずり込まれてしまった。勢いよく扉を閉められ、鍵を掛けられる始末。完全に変な事を言いふらさないようにするためのにこの安全策であった。

 

「で? にこに何の用よ?」

「いやぁ、実はにこ先輩にスクールアイドルの事を教えてもらえないかな~って」

「スクールアイドル!? あんたが!? どういう風の吹き回しよ!?」

「そんな疑問三段活用を使われましても! いや、ちょっとだけ興味が湧きまして……」

 

 するとにこは立ち上がって、戸棚の方に歩いて行った。そんなちまっこい後姿を眺めながら、もしかして怒らせてしまったかなどと考えながら待っていると、やがてにこは戻ってきた。

 

「――まずはこれを観なさい。どんなに素晴らしい建造物を建てたくても、下地がしっかりしていなきゃ話にならないわ」

「つまり、このDVDボックス三箱合わせてウン万円の塊がその下地作りの材料……ってことですか?」

「そうよ。貸してあげるからこれを観なさい。まずはそれからよ」

 

 思穂の前にコレクションを置くなり、そう語るにこの表情はとても楽しそうで。矢澤にこという人間は片桐思穂にとって、鏡のような存在だと思うことが多々ある。一人しかいない部の部長という共通点や、一つのジャンルに力を入れられる情熱の持ち主等など挙げようと思えばいくらでも挙げられるが、一番似ていることは『好きな事を話す時の顔はとても活き活きとしている』だ。

 今のにこは正にそれであり、スクールアイドルと言うものの存在が彼女の中で大きいことが伺える。

 

「ありがとうございますにこ先輩! ……ところでこのボックスのアイドル、どっかで見たような……」

「はぁ!? あんたUTX学院のA-RISEぐらい知っておきなさいよ! スクールアイドルを語るうえで、A-RISEは避けて通れない話題なのよ!」

「に、にこ先輩が怖い~!!」

「ったく! 今朝もあんたみたいな奴が居て腹が立ったの思い出してきたわ!」

「……今朝?」

 

 何だかその“あんたみたいな奴”に物凄く心当たりがあるのは何故だろう。どこぞのサイドテールがスクールアイドルについて盛り上がり始めたのも今朝。ついでに例に出していたグループ名とも合致する。

 

「頭の右側を結んだ奴よ。制服のリボン的にあんたと同級生だと思うんだけど……何、知り合い?」

 

 ジトーッと細目で睨まれてしまった思穂。下手に答えれば穂乃果はともかく自分も巻き添えを喰らう気がしたので、ひたすら笑って誤魔化すことにした。

 

「ところでにこ先輩ってもうスクールアイドルやらないんですか?」

「……あんたには関係ないでしょ」

 

 にこが目を逸らし、明らかにその話題を拒絶していた。思穂はどうしてにこがそういう態度に出るのか理由を知っていたし、こういう空気になるのは分かっていた。だが、思穂はあえてこの話題を持ち出した。

 

「あんまり深く言うつもりはありませんが、いつかにこ先輩を頼ってくるかもしれない子達がいます」

「……いきなり何の話?」

「聞いてください。それで、もしその子達がにこ先輩の所へやってきたら……力を貸して欲しいんです」

「……そんなことは約束できないわね」

「と、言うと?」

「あんたが頼んでも、その子達に情熱の一欠片も見られなかったら追い払うわよ……必ずね」

 

 にこはきっぱりとそう言った。思穂はむしろそういう返しを期待していたのだ。

 

「それで良いです! じゃあこれ、借りていきますね!」

「返す時はしっかり感想言ってもらうわよ」

「もちろんです! にこ先輩の耳元で叫んであげますよ!」

「囁きなさいよ! にこの鼓膜を何だと思ってんのよ!?」

「え? 囁いて欲しいんですか?」

「揚げ足を取るな! 良いからもう、あんたさっさと巣に返りなさーい!!」

 

 丸めたガムテープを大量に投げられては 流石の思穂も撤退せざるを得なかった。にこから借りたDVDボックスが入った袋を抱えながら、思穂はアイドル研究部の部室を飛び出した――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「おお……目を開けたまま寝るって素晴らしい……! 流石は何某が生み出した文化の極み……!」

 

 今日の思穂はルンルン気分だった。何故なら今日は誰からも因縁を付けられていないのだから。居眠りはバレていないし、忙しいのか絵里からの呼び出しも無い。

 一応姿を隠す意味を込めて屋上にやって来ていたのだが、校内放送が鳴る気配は全くない。さっさと帰ってにこからもらったDVDを見るため、屋上を出ようとすると――“ソレ”は聴こえた。

 

「……何だろう、この音? ……ピアノ?」

 

 音につられ、思穂がやってきた先は音楽室であった。扉はしっかり閉められているが、防音の扉ではない為、音は漏れに漏れていた。

 

「あ、誰かいる。どこの美少女だろうなーっと」

 

 そう言って思穂は扉の窓から音楽室の中を覗き見た。

 

「あ……」

 

 瞬間、思穂はまるで時が止まったかのような感覚を覚えた。それだけ、“中”の光景は幻想的だったから。

 

「綺麗……」

 

 奏者は赤毛の女生徒だった。夕日に照らされ、鍵盤上で指を踊らせるその姿はまるで一つの絵画のような美しさを演出していた。引き語っている曲全体のイメージを一言で言い表すならば、迷いながらも進む少女。切なく、だが時には燃え上がる炎のような情熱を秘めたその曲を歌い上げる頃を見計らい、思穂は突入した。

 

「私は刻の涙を視たァ!!」

「うえぇぇぇ!?」

 

 もはや通報されてもおかしくない勢いで突入した思穂はそう言って、赤毛の女生徒の手を握った。この最悪な第一印象が、赤毛の女生徒――西木野真姫(にしきのまき)との出会いだった。



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第三話 この白くて細い指を

「ちょっ……! いきなり何よ!?」

「あ、これは失礼しました! だから叫ばないでください、お願いします!」

 

 土下座でもする勢いでそう謝る思穂に、赤毛の女生徒――西木野真姫(にしきのまき)はこう思った。“あ、この人アブナイ系”だと。

 

「ていうか、謝っておきながらなんでまた手握ってんのよ!」

「バレたか……。もうちょっとこの白くて細い指を触っておかなければと思ったのに……!」

「何に使命感感じてんのよ! もう、意味分かんない!」

 

 いよいよ真姫に手を振り払われてしまった思穂は彼女を逃がさない為、強引に話題を変えた。

 

「ところで! さっき引き語りしてたよね! すごかったよ!」

「べ、別に……」

「これはもう歌手とかになるっきゃないね!」

 

 思穂のその一言で、真姫は眉間にしわを寄せ、あからさまに不快そうな表情へと変わっていく。

 

「何……? さっきの人と同じで勧誘の人?」

「……同じ? 勧誘?」

 

 その物言いで思穂はピンと来てしまった。そんなことをしでかす人物なんてたったの一人しか思いつかない。それにしても、と思穂は真姫の胸元のリボンタイへ視線をやる。実はこの音ノ木坂学院、学年でリボンタイの色が違うのだ。一年生は青系統、思穂の学年である二年生は赤系統、そして三年生は緑系統。

 そして真姫のリボンタイは青系統。つまりこれが意味する所は一つ。

 

「そう。さっきの人も二年生だったみたいだし、先輩と同じ学年の人だと思いますよ」

「うわ~心当たりしかないな~。まあ、それは置いておこう。自己紹介が遅れたね。私は片桐思穂って言うんだ。貴方は?」

「西木野真姫よ。……ん? 片桐っていつも校内放送で呼び出されている先輩ですか?」

「……え? 知ってる感じ?」

「この学校で片桐先輩の事を知らない人なんていませんよ」

 

 そこからの真姫の言葉は思穂への棘に溢れていた。噂程度には全校生徒から悪い意味で知られているということは聞いていたが、まさか本当だったとは思いもよらなかった。思穂は今すぐ逃げ出したい気持ちで一杯だったが、ここで逃げては妙なレッテルが張られるかもしれないと思い、ひたすら顔を引き攣らせていた。

 

「ところで真姫ちゃんや真姫ちゃん」

「何ですか? 勧誘ならお断――」

「さっきの曲、もう一回弾いて欲しいなーって思ったんだけど、駄目?」

「な、何で私が……!」

「あれだけの曲を中途半端に聴く方が失礼だよ! ね? お願いします! 貴方が弾いてくれるまで私は貴方に付き纏うのを止めないよ!!」

 

 西木野真姫とは案外押しに弱い。元々音楽が好きでこの音楽室には良く来ていた。誰に聴かせる訳でもなく、ただ一人の時間を満喫するために。

 だが今日、そんな“平和”が崩壊した。二人もの来客は真姫を完全に乱していた。しかし真姫はそれでも音楽室を出て行こうとはせず、むしろピアノ用の椅子に腰を下ろした。

 ほんの気まぐれだった。もちろん付き纏われるのを防ぐ、というのが九割近い本音だったが、残り一割はそんな気まぐれ。純粋に自分の曲が求められている、というのが真姫には珍しかったのだ。

 

「……じゃあ、一回だけよ。それが終わったら私はもう帰るから」

「ありがとうございます!」

 

 そして観客が一人の演奏会が始まった。思穂は自然と目を閉じていた。もちろん眠い、とかそういう無粋なものではない。五感を聴覚だけに絞り、思穂は真姫の奏でる音を全身で感じたかったのだ。

 今、思穂は完全に真姫の演奏に一目惚れをした。

 

「――ふう」

「いやーやっぱりすごいよ! 髪の長い某誇りある男性が聴いてたらブラボーって叫ぶこと間違いなしだね!」

「意味分かんない! けど、まあ……素直に受け取っておいてあげるわ」

 

 時間が過ぎるのは早く、あっという間に演奏会は終わりを告げた。満足したのか、真姫が席を立ち、近くに置いてあった鞄を掴んだ。

 

「さ、約束よ。演奏はもう終わり。私、帰るから」

「あ、真姫ちゃん!」

 

 思穂はもう扉に手を掛けた真姫を呼び止めた。顔だけ振り返る真姫へ、思穂はありったけの笑顔を浮かべる。

 

「我が儘聞いてくれてありがとう! さいっこうの演奏だったよ!」

「……ばっかみたい」

 

 小さく呟き、真姫はそそくさと出て行った。その後ろ姿を見送った思穂はにんまりと、先ほどとは違う、にこ曰く“何かドロッとした笑顔”を浮かべた。その表情は、もし誰かに見られていたらまた何か変な噂が立つだろうという程だったが、幸い今は音楽室。誰にも見られる心配はない。

 

「いやぁ! 何ですかあれ!? ちょっと顔を紅くしながら“ばっかみたい”なんてギャルゲーなら完全に照れ隠しの台詞じゃないですかー! やだーもー!」

 

 真姫の声真似を交えつつ、思穂は一人盛り上がっていた。なんだかんだ“いかにも”なツンツンに、ほんのちょっとデレっとする女子なんて見たことがなかった思穂は、三次元にも奇跡はあるんだとひたすら感動する。

 

「あ、にこ先輩もそんな感じだったような……ま、いっか!」

「そんなとこで何やってるん思穂ちゃん?」

 

 音楽室の扉から希が顔を出していた。まさかさっきのを見られていないだろうか、内心そんな事を考えながら、思穂は極めて平静を保つ。

 

「あ、希先輩。やだなー何にもしてないですよ、あっはっ――」

「さっきから大声あげたり、身体クネクネさせてたのに?」

 

 途端、ニヤニヤとしだした希を見て、思穂は最初から見ていたことを確信する。そうと分かった思穂の行動はたった一つだった。

 

「あああああ! やっぱり見られてたぁ!! ていうか希先輩ならこの場にいなくても何か知ってそうだったことに気づけよ私ー!!」

 

 ひたすらのたうつことだった。それはもうビクンビクンと。中学二年生の時に書いた黒歴史ノートが先生に見られた時のように思穂はただ頭を抱える。

 そんな思穂をしばらく楽しんだ後、希が本題を切り出した。

 

「ねえねえ思穂ちゃん。ちょっとウチの頼まれごと聞いてくれへん?」

「希先輩の? 何ですか?」

「ウチって言っても個人的な用じゃなくて生徒会の用事なんやけどね」

 

 そして希が詳細を語りだした。一通り聞いた思穂はすぐに二つ返事で頷く。

 

「良いですよー。それぐらいならお安いご用です」

「ほんまか! おおきに思穂ちゃん! ……実はポスター担当の子が風邪でダウンしてしまって、来週には間に合いそうになかったんよ」

 

 要はこういうことである。来週から一か月間の校内読書月間が始まるのだが、廃校騒ぎと担当の病欠でまだポスターが印刷されていないとのこと。希の頼みとは、そのポスターの印刷と、可能なら各階の掲示板に貼って回ってくれないかというものであった。

 

「それなら益々、やらせてくださいよ!」

「お、なんや思穂ちゃん、えらいやる気満々やね」

「もちろんですよ! ここで絵里先輩にゴマ()っておかなきゃですから!」

「後ろ向きなやる気結構結構! じゃあ付いて来て思穂ちゃん、生徒会室にそのポスターのデータあるから」

「はーい!」

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「……片桐さん? 今日は呼んだ覚えはないのだけれど?」

 

 生徒会室へ入るや否や、絵里から冷たい視線で歓迎されてしまった。普通の生徒ならここでもう回れ右をして帰るところだろうが、思穂は何回もこの視線を受けてきた稀有な人間である。むしろ、その睨み方で今日の調子が何となく分かってきたレベルだ。

 

「こんにちは絵里先輩、今日は何だか睨みに力が籠もってませんけど、何かありました?」

「……何でも無いわ。それに、貴方には関係の無いことよ」

「実は今日、理事長の所に行ってきたんよ」

「希!」

 

 絵里の制止を無視し、希は続ける。

 

「それで廃校を阻止するために、生徒会独自で活動するための許可を貰いに行ったら、バッサリ却下されてしまったんや」

「……なるほど、そういうことでしたか。なら、力が籠もってないのも納得ですね」

 

 流石は天下無敵の生徒会長である。昨日今日で廃校が決まってすぐに行動へ移れる辺り、どこかの誰かさんとそっくりだ。だが、それを言ったら、即刻生徒会からつまみ出されるだろう。

 喉元まで出かかった言葉を呑み込み、思穂はここへ来た本当の目的を話す。

 

「実は今日は絵里先輩に怒られに来たんじゃなくて、生徒会の手伝いに来たんですよ」

「生徒会の……? 私は頼んでないわよ」

「ウチが頼んだや、エリち」

「希が?」

 

 希が先ほど思穂に話したポスターの件を話し出す。思穂にした話はそのままズバリだったようで、絵里は渋々手伝いを認めることとなった。流石は副会長、と諸手を挙げて賞賛したかったが、良く考えれば最初から絵里にその話をしていれば良かったじゃないかとも思ったので、思穂は少し得意げに胸を反らすだけにしておいた。

 

「まぁ、大船に乗った気でいてくださいよ、絵里先輩。この片桐思穂、絵里先輩の為ならえ~んやこら、ですから」

「あれぇ? ウチの為じゃあらへんの~?」

「もっちろん希先輩の為でもありますよー! 大好きです希先輩ー!」

「……やるなら早くやって頂戴、片桐さん」

 

 絵里の声が一段と低くなったので、思穂はそろそろ本腰入れて仕事に取り組もうと頭を切り替える。そして、絵里の横のパソコンまで歩いたところで、“彼女達”はやってきた。

 

「失礼します!」

「……穂乃果ちゃん!?」

 

 生徒会室に現れたのは、穂乃果と海未、そしてことりであった。思穂と目が合った海未はようやく存在に気づいたらしく、声を上げた。

 

「って思穂じゃありませんか! また何かやったんですか!?」

「ち、違いますー! まだバレてませんー!」

「……まだバレていない?」

 

 絵里が追及する前に、穂乃果が彼女へとある用紙を手渡した。絵里側に居たため、思穂にもその内容が見えた。見えて、思穂はやっぱりかと口角を吊り上げる。

 

「……これは?」

「アイドル部設立の申請書です!」

 

 絵里が違うとばかりに首を横に振った。

 

「それは見れば分かります」

「では、認めて頂けますね?」

「――いいえ」

 

 きっぱりと絵里はそれを否定した。思穂が口を出そうとすると、希と目が合う。そして絵里に気づかれないように口パクで彼女はこう言った。――もう少し様子を見よう、と。思穂は小さく頷き、再び絵里と穂乃果の会話に意識を集中させる。

 

「部活は同好会でも、最低五人は必要なの」

「ですが、校内には部員が五人以下の所も沢山――」

 

 海未はそこまで言ったところで言葉を止め、思穂の方へと視線を向けた。変なタイミングで生徒会室に来てしまったなと後悔しながら、思穂は海未の言葉を引き継いだ。

 

「沢山あるけど、設立時は五人以上だったはずだよ。だから――」

 

 一体誰の味方か分かったものではない。まさか自分が海未の発言を強くしたり、弱くしたりするなんて夢にも思わなかった。

 

「あと一人やね」

「ん? 誰の事を入れているんですか?」

「え、書いてあるやん?」

 

 絵里が持っていた申請書を覗き込んだ思穂は絶句した。何故なら、その申請書のメンバーには自分の名前も入っていたのだから。

 

「ほわっちゃ!? 私の名前!?」

「もちろん思穂ちゃんもアイドル部のメンバーだよ!」

 

 穂乃果が握り拳を作って思穂へ笑顔を向けた。そんな穂乃果の笑顔は本当に元気がもらえるし、どんなことでも出来そうな気がするのだから素晴らしい。しかし、こういう不意打ちは本当に止めて欲しかった。どこぞの四天王である土のスカル野郎からバックアタックをもらったトラウマを思い出してしまう。

 

「……片桐さんは文化研究部です」

「あれれ~おかしいぞ~? この、今私が手に持っている部の設立規則に『部の掛け持ちは認められていない』、なんて書いてないぞ~?」

「……それでも片桐さんを入れて四人です。部としては認められません」

 

 これが最大限の手助け。実は思穂が手に持っている書類はただの雑件で、部の設立規則は記憶の中から引っ張り出したことである。もちろん本当に掛け持ち禁止の一文は明記されていない。

 

「あと一人……分かりました! じゃあ、また後でね思穂ちゃん」

「うん。お話、“じっくり”聞かせてね~!」

「――待ちなさい!」

 

 そう言って絵里が立ち上がった。

 

「何故今の時期にアイドル部を始めるの? 貴方達は二年生でしょう?」

 

 言外に、この廃校の危機に何を言い出すのだと言った絵里に対し、穂乃果は真正面からぶつかった。

 

「廃校を何とか阻止したいんです! スクールアイドルって、今すごく人気があるんですよ? だから私――」

「だったら五人以上集めて来ても、認める訳にはいかないわね」

「何故ですか!?」

「部活は生徒を集めるためにやるものじゃないからよ。思いつきで行動したって、この状況はそう簡単に変えられることは出来ないわ」

 

 希の言葉通りなら、それは見事なブーメランであることに気づいているのかいないのか。思穂はあえてそれを口にはしなかった。穂乃果の言うことも分かるが、絵里の言うことも“間違っては”いないからだ。

 絵里が穂乃果へ申請書を突き返し、言い放つ。

 

「変な事を考えている暇があるのなら、残り二年、自分のために何をするべきか、よく考える事ね」

 

 それを最後に、絵里はもう何も言わなくなった。穂乃果達ももう話をしても取り合ってくれないと感じたのか、黙って出て行ってしまった。

 そんな重い空気の中、思穂はUSBメモリへポスターのデータがコピーされるのを眺めながら、呟いた。

 

「投げたブーメランが当たったら痛いですよねー」

「さっきの、どっかの誰かさんに聞かせたい台詞やったな」

 

 希も加わると、反応し切れなくなったのか、絵里は小さくため息を漏らしてしまった。どうやら相当気が滅入ってしまっているようだ。

 

「……希はともかく、片桐さんは私に喧嘩を売っているのかしら?」

「いえいえ~。今は臨時とは言え、生徒会の関係者だから生徒会室で独り言を言っただけですよ~」

「……片桐さん、貴方はどう思っているの? 彼女達がアイドル部をやることに対して」

「私ですか? そうですねぇ……今はまだ分かりません」

「あらら随分適当やな思穂ちゃん」

 

 あはは、と苦笑を交え、思穂はふと窓の外を見ると、そこには落ち込んだ様子で学校を出る三人の姿があった。その姿と、通学路の両脇に咲き誇る桜の木を見ながら、思穂は言葉を続ける。

 

「そりゃあ、宝箱は開けてみないと中身が分かりませんもん。人を食べるモンスターが出てくるか、それとも……金銀財宝か。それは穂乃果ちゃん達次第ですよ」

 

 USBメモリを抜いた思穂はそう言い、席を立つ。これは冗談では無く、本音。一体彼女達がどこまでやれるのか、自分がどこまで関わって行けるのか。それだけは少し気掛かりだった――。

 

「え? 思穂ちゃんも一応アイドル部じゃあらへんの?」

「ああああ! そうだったぁ!!」

 

 気掛かりだった――。



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第四話 火消しのオタク

「私の名はカタギリ・ナル・シホ・アスカ。オトノキは狙われている……!!」

「誰にですか」

 

 海未にバッサリと切られ、思穂は倒れるように机へ伏せった。今日の思穂は幼馴染三人組よりも早く学校に来ていた。もちろん勉強したい、とか早寝早起きは基本だね、なんて奇特な理由では無く、そもそもほとんど寝ずに夜を明かしてしまったからだ。

 

「いやー昨日寝ずに観たロボットアニメがもう最高でさー! グイングイン動く迫力はやっぱりCGに勝るね!」

「また夜更かしをしたのですか。あれほど止めなさいと言っているのに……」

「……それはそうとさ、穂乃果ちゃん」

「うん、何ー? 思穂ちゃん?」

 

 いつもなら遅刻ギリギリだが、早く登校した理由はただ一つ。昨日の件を詳しく聞くためである。

 

「昨日の事、説明しよう。ね?」

「し、思穂ちゃん、笑顔が怖いよ~!」

「何で私の名前がアイドル部に入っていたのかな~?」

「思穂ちゃんなら後で言えばオッケーかなって!」

 

 その評価に喜ぶべきか叱るべきか悩むところであったが、思穂はとりあえずそれで納得する。納得しなくては先へ進めない。むしろ、思穂以上に喰い付いてくるのが一人いた。

 

「穂乃果、貴方……思穂には何も言っていなかったのですか!?」

「う、うん……」

「私……てっきり思穂ちゃんにはちゃんと了解をもらってると思ってたよ~……」

 

 流石のことりも苦笑を隠しきれていなかった。思穂はこの時点でどれだけ穂乃果が後先を考えないノーガード戦法で突っ走っているのかを理解する。それと同時に、やっぱり穂乃果らしいと思った。こういうことは常に穂乃果が先頭に立って走っているのだ。

 そして穂乃果は立ち上がり、思穂の方へと向いた。

 

「――思穂ちゃん、スクールアイドルやりませんか?」

 

 ニッコリ笑顔でそう言う穂乃果を見て、思穂は少々困ってしまった。穂乃果の頼みならいくらでも聞いてあげたいのは紛れもない本音である。

 

「う~ん、ごめんね。そのお願いはちょっと聞けないかな……?」

 

 しかし、思穂にはそれが出来ない理由があった。まさか断られるとは思っていなかった穂乃果の表情が段々曇っていく。その表情を見れば、申し訳なさで一杯になっていくが、これだけは譲れなかった。

 

「ど、どうして!? 思穂ちゃんなら絶対スクールアイドルになれるよ!」

「いやぁ誰かは言えないけど、前にも似たようなお願い断っちゃってるからね~あはは。それに文化研究部もあるし」

「思穂ちゃん、前にもスクールアイドルに誘われたことあるの?」

 

 ことりからの質問に頷くことで答える思穂。厳密に言えば違うのだが、深く言うことでもないため、そこで思穂は話題を終わらせにかかる。

 

「ま、まあそれはそれとして。スクールアイドルは出来ないけど、アイドル部なら入っても良いよ。人数が足りないようだし、名前ぐらいなら貸してあげる」

「良いの!?」

「うんうん。他でもない穂乃果ちゃんの頼みだしね!」

「ありがと思穂ちゃん!」

 

 そう言うなり、机の中から穂乃果は紙を取り出した。『講堂使用許可申請書』、そう書かれた紙を机の上に置き、穂乃果はペンを動かし始める。使用予定日と時間を見た思穂は何となくだが、穂乃果達が何をやろうとしているのか予想出来てしまった。

 

「新入生歓迎会の放課後ってことは……もしかしてアイドルらしくライブ!?」

「うん! 昨日海未ちゃんとことりちゃんと話して決めたんだ!」

「勘違いしないでください穂乃果。あくまで、ただの案ということで終わったじゃありませんか。……まだ出来るかどうか分かったものではありませんよ」

 

 この行動力はぜひ見習いたいものだと思穂は思った。そうすると、越えなければならない壁が一つある。

 

「そういうのを悩むために、まずは会長様へ申請書を提出しなくちゃならないね。この時間帯なら生徒会室で仕事してるんじゃないかな?」

「じゃあ善は急げ! ってことで、海未ちゃん、ことりちゃん、思穂ちゃん、行こう!」

「今から!? だ、大丈夫かなぁ……」

 

 不安になっていることりの手は既に穂乃果にがっしりと掴まれており、付いて行くしか選択肢が無かった。海未に至っては腕に絡みつかれてしまっている始末。

 始業まではまだ時間があるので、今から行って戻ってくれば丁度いい時間だろう。穂乃果と引っ張られていく二人の後に続き、思穂は教室を出た――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「失礼します!」

 

 生徒会室へ入った穂乃果は先手必勝とばかりに絵里へ申請書を差し出した。受け取り、紙面を一瞥した絵里はあからさまに不機嫌そうな表情を浮かべる。

 

「……朝から何? もうそろそろ授業よ」

「講堂の使用許可を頂きたいと思いまして! 申請書を提出しに来ました!」

「講堂は部活動関係なく皆のモノ! って生徒手帳にかいてありましたよー」

「使用は新入生歓迎会の放課後……何をするつもり?」

 

 絵里の眉間にシワが寄り始めた。早朝から生徒会の仕事をしていた絵里にとって、この時間は一番スムーズに仕事が出来る至福の時間なのだ。そんな時間に穂乃果達(やっかいごと)がやってきては堪ったものではない。

 しかし、それを承知で思穂はこの情報を穂乃果達へ持ち出した。それが必ず吉になると信じて。

 

「スクールアイドルを結成したので、その初ライブです!」

「まだ出来るかどうか分からないよ、穂乃果ちゃん……」

「えーやるよー! やるもーん!」

「先ほども言いましたが、まだただの案でしょう! やると言った訳では……!」

 

 本格的に言い争いに発展しそうになったところで、絵里が四人へ疑問の視線を送る。絵里にしてみたら朝いきなりやってきて、あまつさえこんな茶番を見せられては良い気分になるはずがない。

 

「……今の状態で出来るの? 新入生歓迎会は遊びではないのよ?」

「三人はただ講堂の使用許可を取りに来たんやろ? 部活でもないのに、生徒会がとやかく言う権利はないはずや」

 

 希の言葉にすかさず思穂は差し込んだ。

 

「そうですよそうですよー。それは流石に生徒会の権限を越えていると思うんですがねぇ」

 

 思穂を見た絵里はますます不機嫌顔になってしまう。片桐思穂という人物は、絵里の中のブラックリストに入っている最上級の問題児なのだ。

 

「片桐さん、貴方……アイドル部に入ったのね」

「名前だけですけどね。ですが私にもコードネームを頂きたいと思っていたところです。……さしずめ、火消しのオタク、アイドル部のマネージャーとでも名乗らせて頂きましょうか」

「文化研究部と掛け持ちするんやね」

「はい。影ながら穂乃果ちゃん達のサポートをします」

 

 思穂の見間違いだろうか。それを聞いた希がフッと緩んだ顔を見せたような気がした。本来なら絵里の味方をするべきであろう副会長の考えが、思穂には全く読めなかった。

 それ以前に、どうも希はこのアイドル部への助言が多く思えた。公平な立場で物事を見ている、と言えばそれまでだが、どうもそれだけじゃないと思穂は睨んでいた。

 だが、今はそれは重要では無く、求めているのは結論である。

 

「それで? 絵里先輩、申請書は受理してくれるんですか? それとも、べらぼーめぇ出直して来い! ですか?」

 

 却下理由はどこにもない。あるはずがないのだ。よほど常識を逸した理由でない限り、何でもやらせるのがこの音ノ木坂学院である。

 絵里が渋々頷いたことにより、穂乃果達は無事、講堂の使用許可を勝ち取ることに成功した。生徒会室を出た辺りで丁度予鈴が鳴ったので、四人は教室へと急いだ。そこからの思穂はいつも通りである。特に今日は早起きどころか寝ていないので、眠りの世界に入るのは恐ろしく早かった。ちなみに今日の夢は飛行機になって空を飛びまわるものだった。

 

「……ところでさ、穂乃果ちゃん」

「ふぁに?」

「またパンですか? 太りますよ」

「家、和菓子屋だからさーパンが珍しいのは知ってるでしょ? ん~今日もパンがウマいっ!」

 

 そう言って好物のランチパックを一齧りする穂乃果。穂乃果の実家は『穂むら』という和菓子屋である。看板商品は穂むら饅頭略して『ほむまん』。思穂も良くゲームショップ帰りに買っていくことが多い由緒ある店だ。チョコレートが好物の思穂だったが、穂むらの饅頭だけは同じくらい大好きだ。

 

「ライブやるってことは集客をしなくちゃならないってことだけど、ポスターか何かはもう作ったの?」

「うん! もう校内の掲示板に貼って回ったよ!」

「な、何ですって!?」

 

 その瞬間、海未が走り出したので、穂乃果と思穂はそれを追い掛ける羽目になってしまった。恐らくことりが手を貸したのだろう。そうでなくてはこんなに早く完成も出来ないし、貼っても回れない。

 

「穂乃果は色々甘すぎます!」

 

 廊下をやや早歩きしながら、海未は小言を言い始める。そんな海未の後を追いながら、穂乃果が子犬のようにシュンとしだす。

 

「だ、だってぇ~……」

「ライブまで後一か月しかないんですよ!? まだ何も決まっていないのに……見通しが甘すぎます! 勝手すぎます!」

「おぉ~……海未ちゃんのコンボが凄いや。良く舌噛まないね」

 

 その一言が余計だった。海未が立ち止まり、ギロリと思穂を睨み付けた。最近睨まれてばっかりだな、と思ったが、良く考えれば自業自得だったと気づき、何も言えなくなった思穂である。

 そこまで考えたところで、思穂はとあることを思い出す。

 

(そういえば授業中、ことりちゃんが何かスケッチブックに描いてたみたいだけど、もしかしなくてもスクールアイドル関係だよね。あとで聞いてみよーと)

 

 だが、それは思穂が聞かなくてもことり自身から発表された。教室でずっと何かを描いていたことりだったが、丁度それが終わったようで、思穂達にスケッチブックを見せてくれた。

 

「おーすごい! 可愛いなぁ!」

 

 それはピンクのワンピースのような衣裳を着た女の子のイラストであった。……どことなく穂乃果に似ているような気がするのは恐らく気のせいだろう。

 

「本当!? 初ライブの衣装を考えてみたんだ。ちょっとだけ難しい所があるけど、頑張って作ってみようかなって」

「ことりちゃんすごい! 何だか本当にアイドルみたいだね!」

「穂乃果ちゃんもありがとう! 海未ちゃんはどう?」

 

 絵を見た海未は固まってしまった。何を思っているのか思穂には手に取るように分かった。大和撫子を地で行く海未にとって、これは明らかに露出度が高いのだろう。それはドンピシャだったようで、海未が震えながら、絵の下半身辺りを指さす。そこは何も履いていない部分、要は生脚である。

 

「……これは、このスゥッと伸びている二本のこれは何ですか?」

「脚よ?」

 

 当然の如く即答だった。これが脚でなかったら何なのだろうというレベルだ。ようやく海未もそれを理解したようで、何故か自分の足へと視線を落とす。

 

「……いやぁ海未ちゃんの脚は滑らかですっべすべですねぇ……これは犯罪的ですわぁ」

 

 瞬間、思穂は海未の細くてすらっとした両脚を撫でまわし始めた。むしろことりの絵を見た時から海未の行動が予想出来ていたので、いつ脚に目をやるか待っていたのだ。だが、海未の生脚を堪能できたのは一分にも満たない時間。二撫でした辺りで、海未からチョップをもらってしまった。それはそれはとても良い一撃で、一瞬意識が飛びそうになった。

 

「いったぁい!」

「当然です!! いきなり人の脚を撫でまわす人がいますか!」

「大丈夫だよ海未ちゃん! 海未ちゃん、そんなに脚太くないよ!」

「他人の事を言えるのですか穂乃果!?」

 

 途端、穂乃果は自分の下半身をペタペタと触りだす。何度か確認し、やがて一度頷くと、ガッツポーズを作った。

 

「よぅし! ダイエットだ!」

「二人とも、大丈夫だと思うけど……」

「ことりちゃんの言うとおりだよ! 海未ちゃんに至っては私が保証するよ!」

「そんな保証、必要ありません!」

「あっはは。……そういえばさ、このグループって名前あるの?」

 

 途端、固まる三人。あろうことか穂乃果すら固まってしまうという事態だ。それを見た思穂は皆に聞こえないようにそっと呟いた。

 

(あれ? 海未ちゃんがいるのにこのグループ、心配になって来たぞ……?)

 

 能天気を自負する思穂でさえ、少しばかりヒヤッとしてしまったのは内緒である。そこから緊急会議が開かれるのは早かった。議題は当然、グループ名のことだ――。



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第五話 マネージャーっぽい

「う~ん、ここも駄目か……」

 

 グラウンドには陸上部が昨日の自分に打ち勝つために今日も練習に励んでいた。今は風も涼しく、日差しもそれほど強くはないので身体を動かすには最適といって良い。後、短パンから覗く程よい筋肉がついた脚を眺めるのに絶好の日とも言えよう。

 しかし、これは思穂の望む状況では無い。現在、思穂はアイドル部の練習場所を探しに校内を歩き回っていた。グループ名もそうだが、練習場所すら無いとはこれいかに。

 

「あれ? 何か私、マネージャーっぽいね!」

 

 名前を考えるのは穂乃果達に任せることにした。何だかんだで一番重要な部分となるだろうから、そこは主要メンバーで決めるのが筋だろう。その代わり、思穂は雑務をこなすことにした。幸い、生徒会の仕事を良く手伝っていることから他の生徒や先生からは顔を覚えられている。

 その内、穂乃果達の名前の方が広く知られることになると信じ、今は自分が馬車馬のように働く。練習場所のキープはその手始めだ。

 しかし現実はそう甘くはないようだ。とりあえず外で出来そうな場所を一通り歩き回ってみたが、結果は芳しくない。学校裏、中庭、体育館、そして最後にグラウンドまで来たが、全部使われてしまっている始末。

 

「そうなる、と……」

 

 思穂は踵を返し、校舎へと向かった。押して駄目なら引いてみろ、外が駄目なら中を見ろ。とりあえず思穂は空き教室へと歩を進める。

 

(きっと穂乃果ちゃんは達は素晴らしい名前を考えているんだろうなぁ。私なんてキャラの名前決める時、ああああ一択だしなー……)

 

 今日の夜に見るアニメへ思いを馳せていたらいつの間にか目的の空き教室へ辿りついていた。早速中を確認するべく、扉に手を掛けると、妙な手応えに気づく。

 そこで思穂は思い出した。

 

「あ、そうだ。先生に開けてもらわなきゃ駄目じゃん。くそう! くそう! 呪文があれば……!」

 

 早速、思穂は職員室へ足を運んだ。空き教室を管理している先生がまだ帰ってなければ開けてもらえるはず。幸い職員室も近いので、思穂はやや小走りで向かった――。

 

「かくかくしかじか。ということで鍵貸してください」

「かくかくしかじかで分かると思うなよ。で? 空き教室を何に使うんだ?」

 

 流石に漫画のようにはいかない。とりあえず思穂は端的に、そして的確に事情を説明する。思穂が話し終わるのを見計らい、ずっと黙って聞いていた女先生が口を開く。しかし、その表情は、思穂の説明に心打たれたという様子には、とてもじゃないが見えなかった。

 

「……え? スクールアイドルやるのか? お前らが……? ふ~ん……」

 

 むしろ鼻で笑われてしまった。完全に小馬鹿にしている顔である。そうして思穂の話を聞き終わった先生が、鍵の代わりに差し出した物とは五枚程の問題用紙だった。

 

「あ、これ今日の授業寝てたペナルティな。その内、ペナルティテストやるから覚悟しとけよ?」

「あーマズイ! 何か職員室にハリセン持った女子生徒と鉄砲持った男子生徒入ってくる気がするから私逃げますね! じゃ!」

 

 思穂は全力で逃げ出した。それはもう脇目も振らず。そんなことをしていたらアニメを視聴する時間もゲームをやる時間も漫画をやる時間も無くなってしまう。あと、アイドル部の練習場所も見つけられなくなる。

 ……走りながら思穂は最終手段を取ることに決めた。というより、もうあそこしか無い。

 

「……ん?」

 

 ピタリ、と思穂は動きを止めた。廊下の向こうに、気になる生徒を見つけたからだ。

 

「アイ、ドル……」

 

 眼鏡を掛けた女子生徒が穂乃果達が作ったポスターを食い入るように眺めていた。むしろ目が輝き、うっとりしているという表現の方が正しいのかもしれない。その眼差しは冷やかしの類ではなく、明らかに興味がある者のソレである。

 戦争慣れした蛇のように、思穂はその女子生徒の後ろへ近づき、そのポスターを眺めた。ポスターの下に置かれていた箱が気になったからである。

 

「……あ、やっぱり考え付かなかったんだ」 

 

 ポスター自体はファーストライブ開催のお知らせだったのだが、その下に小さく『グループ名募集中!』と書かれ、その下には名前を書けるようにメモ帳とペンが置かれていた。そこまで切羽詰まっていたんだろうと涙が出そうになったが、思穂は思考を切り替える。

 とりあえず名前についてはどうにかなりそうだったが、まだ決まってない問題は山積みである。

 

「え、えええ!? いつの間に……!?」

「ほわっちゃ!? あ、ごめん! 忍んでた!」

 

 そして眼鏡の女生徒の後ろにピッタリくっ付いていたのを忘れていた。女生徒からしてみれば、いきなり後ろから、しかも割と近い距離から声が聞こえてくれば驚くのも無理はなかった。叫ばれないだけ奇跡である。

 

「し、忍んでた……んですか?」

 

 一瞬、女生徒の声を聞き逃すところだった。どうにもか細く、一発で聞き取るには難しい声量だ。しかし思穂はホラーゲームで幽霊の声を聞きとるために訓練を重ねているので、全く問題なかった。

 

「驚かすつもりはなかったんだけどね。それよりも、アイドル興味あるの?」

 

 すると女生徒が少し頬を紅く染めて、目を逸らしてしまった。この仕草に思穂の心は完全に射抜かれてしまっていた。しかも、と思穂の視線は彼女の胸部へ。リボンタイで一年生だということは分かったし、その中に詰まっている夢の大きさを一瞬で見抜くことができた。

 とりあえず触っておきたかったが、ここで触ると本当に叫ばれるので、とりあえず当たり障りのない会話で牽制を試みる。

 

「私はアイドル好きだよ。まあ、グッズとかはないけどね。強いて言うなら、アイドルクイーンっていうゲームしか持ってないけど」

「あ、アイドルクイーン!? も、もしかしてDVDが付いていたりしませんか!?」

 

 くわっと目を見開き、思穂に詰め寄る女生徒の姿は先ほどのもじもじとしていた時の小動物的な可愛さは伺えず、何かこう野獣的な獰猛さを宿していた。しかし、と思穂は彼女に気づかれないように口角を吊りあげた。

 一目見た時から、何故か思穂は彼女へシンパシーを感じていたのだ。そして、今のこの喰い付き具合から見て、完全に“こっち側”だと確信した。アイドルクイーンなんて、にこぐらいしか知っている者のいない超マイナーゲームを知っている人間なんて明らかに玄人だ。

 

「もち! 持ってるよ。って言っても、もう人にあげちゃったけど」

「あ、あああ……そんなぁ……!」

「ね、私、片桐思穂って言うんだ。もし良かったら名前教えてくれる?」

「は、はい。小泉花陽(こいずみはなよ)と言います。……あれ? 片桐ってもしかして……」

 

 それを言う前に、思穂は花陽の口を塞いだ。真姫はともかく、花陽に言われてしまったら本当に立ち直れなくなると身体では無く心が理解したのだ。

 

「むー! むー!」

 

 口を塞ぎすぎてしまったようで、花陽から抗議の呻きが漏れた。それを聞いた思穂は慌てて手を離した。

 

「あ、ごめんね! それでさ、花陽ちゃんはアイドルが好きなの?」

「はい。大好きです」

「だったらさ、このグループに入らない!?」

 

 ポスターを指しながらそういう思穂に対し、花陽は顔と腕をぶんぶんと振り、明確な拒否の意を示した。

 

「む、無理です……! 私なんか……!」

「え~大丈夫大丈夫! ね? ちょっとだけ……ちょっとだけだから!」

 

 ジリジリと花陽へにじり寄る思穂の姿は完全に不審者だった。涙目で後ずさり、やがて壁にその背を付けた花陽が叫ぶ。

 

「だ、誰か助けて~!」

 

 瞬間、短髪の女生徒が思穂と花陽の間に入ってきた。このタイミングでの乱入に、思穂は己が今、悪役になってしまったことを理解する。

 

「かよちんをいじめるなー!」

 

 花陽を守るように両手を広げる女生徒の何と勇ましいことか。辺りを見回すと、明らかに思穂へ向け、ヒソヒソ話をしている生徒達がいた。完全にこれは、悪い先輩が気弱な後輩をいじめていると思われてしまっているのだ。

 

(――視えた! 神の一手!)

 

 女生徒の矛を収めつつ、この場を鎮静化するための一手を、既に思穂は導き出していた。瞬間、思穂は両手と額を廊下に擦り付けていた。

 

「すいっませんでしたぁ!!」

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「いや、何かほんともう……すいませんでした」

「こ、こちらこそすいませんでした……。かよち……その、親友が虐められていると思って……」

 

 中庭で頭を下げ合っている思穂と短髪の女生徒の何と奇妙な事だろうか。一度場所を変えようという花陽の提案で中庭へ向かう道中、事のあらましを全て説明するや否や、今度は逆に短髪の女生徒が顔を青くする始末。先輩だったということにすら気づいていなかったようだ。

 

「あの、本当に失礼しました……。先輩だって、気づかなくて凛……いや私、先輩に……」

「ううん。むしろ殴ってくれても構わなかったよ……」

「えっと凛ちゃん。こちらは片桐思穂先輩で……先輩、こちらは星空凛(ほしぞらりん)ちゃんです。私の親友なんです」

 

 ペコリ、と凛が頭を下げた。人見知りなのかどうかは知らないが、恐ろしく礼儀正しい子だなというのが思穂の印象である。

 

「凛ちゃんって言うんだね! 改めて仲直りの握手をしよう!」

「はい! 星空凛って言います。よろしくお願いしますにゃー」

 

 握手をするために伸ばした思穂の手が止まった。その瞬間、思穂はまるで雷に打たれたような衝撃が走る。

 

「に……“にゃ”を付けて喋ってくれる人が現実にいたなんて……! 私の人生で叶えたい目標ベストスリーである『語尾に何か付けて喋る女の子に出会う』が叶ったよー!」

「え、ええ!? 凛、何か失礼な事言いました……?」

「ううん! ぜんっぜん大丈夫だよ! ……それにしても、それが凛ちゃんの素なんだね」

 

 思穂の予想は当たり、ちょっとした人見知りが入っているだけだったようだ。先ほどまで抱いていた思穂の印象は大きく変わり、今では元気で素直なとても良い子だというものに変わっていた。

 凛も思穂に慣れたのか、笑顔が増えてきた。

 

「何だか片桐先輩って先輩って感じがしないにゃ」

「そう? 良く言われるんだよねー!」

 

 良く言われたことなんてないが、とりあえず合わせていくスタイルの思穂は笑顔で答えた。

 

「そういえば片桐先輩ってどうしていつも校内放送で呼ばれているんですか? 凛もたまに先生に怒られちゃうことがあるけど、そこまで頻繁には呼ばれないですよ?」

「凛ちゃんはどうしていつも先生に怒られちゃうの?」

「え、え~と……居眠り?」

「凛ちゃん駄目だよ? 居眠りしてちゃ。ちゃんと先生の授業聞かないと」

 

 何だか花陽が姉で、凛が妹のように見えてしまう。昔からこういう関係だったのだろう。それはさておき、思穂は凛の質問に答えることにした。

 

「その居眠りをね、毎日毎時間していたらいつの間にか呼び出されるようになってたんだ……」

「すっごーい! 先輩、カッコいいにゃー!」

「凛ちゃん! 片桐先輩、いつも家では何を……?」

「う~ん……アニメにゲームに漫画を読む?」

 

 趣味を思いっきり満喫していた。授業時間は睡眠時間、これは昔から決められていたことである。と、思穂は思いたかった。凛は尊敬の眼差しを送り、花陽は困ったように笑顔を見せていた。

 

「アニメって何見てるんですかー?」

「最近はとある事情でアイドルものを見るようになったからな~。うーん……今面白いなーと思っているのはアイドル・ラプソディーかな?」

「アイドル・ラプソディーですか!?」

 

 一応花陽に合わせて、アイドル系統をチョイスしたが、見事にドンピシャだったようで花陽は立ち上がらん勢いで喰い付いた。

 

「あ、やっぱりアイラプ知ってるんだ! どの子好きー?」

「シライシ・カナです! 最初は踊りも歌も駄目駄目でしたが、それでも諦めないでだんだん上手になっていく姿に心打たれました!」

「おおっ! 分かってるね! 私も好きだなぁ! 第十話で挫折から立ち上がる姿は感動モノだよね!」

 

 どうやら思穂の想像以上に、花陽はアイドルアニメを網羅しているらしい。この話が出来るのはにこぐらいだけだと思っていたが、とんだ伏兵がいたものだ。

 

「いやぁ花陽ちゃん分かっているね! アイドル系になるとまるで人が違うや!」

「凛はそんなかよちんも好きだよ!」

「あ、そういえば花陽ちゃんって伝伝……」

 

 瞬間、思穂のスマートフォンが鳴った。着信画面に映し出されたのは穂乃果の名前であった。

 

「あ、ごめんね二人共。もしもーし! 私だよ! ……えっ、今から? うん、分かった! 今行くね!」

 

 名残惜しいがどうやらこの楽しい時間はここまでのようだ。穂乃果達が状況を報告したいらしく、穂むら集合とのこと。立ち上がった思穂は二人に向き直る。

 

「ずっと話していたかったけど、ごめんね。どうやら時間切れみたい。私はこれからK4869星雲に帰らなきゃいけないんだ!」

「け、K……? わ、分かりました……」

「二人とも、私はアイドル部と文化研究部辺りにいつも居るから、またお話ししようねー!!」

 

 そして思穂は二人に手を振り、走り出した。自分も練習場所の報告をしなくてはならない。それに気になっていたことも相談しなくてはならない。

 やることの多さに、思穂は少しばかり胸が高鳴っていた――。



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第六話 何事もまずは基礎体力

 そろそろ空が赤くなり始めたころに、思穂は穂むらへと辿りついた。既に穂乃果達は集合している頃だろう。そう思った思穂は早速、穂むらの扉を開いた。

 

「こんばんはー」

「あら思穂ちゃん。久しぶりね~」

 

 お団子を飲み込み、穂乃果の母は少し気まずそうにしながらも、笑顔で思穂を迎えてくれた。やはり母だからだろうか、うっかり気を抜くと穂乃果と話しているような錯覚に陥ってしまう。

 

「お久しぶりです~。穂乃果ちゃん達は?」

「上よ。海未ちゃんやことりちゃんも来ているわね」

「あ、やっぱりもう来てたんだ……。すいません、お邪魔しますねー!」

「ついでに穂乃果に勉強教えてあげて頂戴ね~」

 

 さらっと突き付けられた無理難題を背中越しに受け、思穂は階段を登った。上がれば上がるほど何故か甘い匂いがするのは気のせいだろうか。家が和菓子屋だからというのもあるのだろうが、これは何だか違う気がする。

 気づけばもう、穂乃果の部屋の前に来ていた。中から話し声が聞こえる。

 

「やっほ~」

「あ、思穂ちゃん来たね! お団子食べる?」

「食べる!」

 

 即答してしまった。というより思穂が入ってきた瞬間、ことりがお茶を入れ、穂乃果がお団子を差し出してきたのだ。それを見ていた海未が思穂をジトーッと半目で見つめていた。

 

「思穂、貴方はマネージャーなんですから、むしろ穂乃果達を注意しなくてはならないのですよ」

「ほわっちゃ……!? ご、ごめんなさい。ところでさ、練習場所確保出来たよ」

「本当!? 思穂ちゃん流石!」

 

 穂むらへ向かう前に、思穂は生徒会室へ立ち寄っていた。屋上を練習に使っていいかの確認である。ある程度広い場所と言ったらもうそこしかなかったのだ。しかし勝手に使ってあとで生徒会長に目を付けられるのも好ましくない為、先手を打っておいた。もちろん結果はオーケーである。むしろすんなり行き過ぎて怖いぐらいである。

 それはそれとして、思穂はもう一つ気になっていたことを聞いた。

 

「そういえばさ、歌う曲ってもうあるんだよね?」

 

 すると、三人が一斉に思穂から目を逸らした。この呼吸の一致は美徳であるが、今はそれが思穂を恐ろしく不安にさせる。

 だが、穂乃果はどうやらアテを見つけたようだ。

 

「で、でもね! 一年生にすっごく歌のうまい子を見つけたんだ! それにピアノも上手で、きっと作曲も出来ると思うよ!」

 

 その一言で思穂は察した。穂乃果の言う特徴に該当する人物は、思穂の知っている限り、たった一人しかいない。

 

「明日、その子に作曲をお願いしてみようと思うんだ!」

「もし作曲してもらえるなら、作詞は大丈夫だよね、って穂乃果ちゃんと話してたんだ」

 

 穂乃果とことりの話を聞いて、流れを読み取った思穂はその視線を海未の方へとやった。当の海未は何の話をしているか分からず、首を傾げるだけ。

 

「大丈夫? ……ですか?」

 

 そんな海未へ穂乃果とことりは顔を近づける。一瞬で何を言いたいかを察した思穂は逃げ道を塞ぐように扉側へ陣取る。

 

「海未ちゃんさ、中学校の時、ポエムとか書いてたよね……?」

「えっ……!?」

 

 思穂は後ずさる海未の背後へ回り込み、逃がさないように肩をしっかりと掴んだ。穂乃果とことりのニヤニヤとした嫌らしい笑みは止まらない。

 

「私達に読ませてくれたことも、あるよね?」

 

 そう言い、ニッコリと笑顔を浮かべることり。穂乃果とことりが何を言いたいのか理解した海未の全身に力が入り、勢いよく立ち上がる。その力はがっしりと肩を掴んでいた思穂が振り解かれるほどだ。

 

「うわっ! 海未ちゃんが逃げたぞー!」

「ことりちゃん! 思穂ちゃん! 捕まえてー!」

「海未ちゃ~ん!」

「止めてください! 止めてください! それだけは……! それだけはぁ……!!」

 

 それから数分程、三人がかりで逃げようとする海未を引き留めた。嫌だ、それだけは、と呪文のように繰り返し続けた海未はやがて諦め、もう一度交渉のテーブルに着くこととなった。

 

「お断りします!」

「な、何で!?」

「当たり前です。中学の時なんて……思い出しただけで恥ずかしい……!」

「……うわ、すっごく分かる! 身体を焼かれるような恥ずかしさと来たら!!」

「それが分かっているなら思穂も助けてください!」

 

 そんな海未の懇願を思穂は聞く訳にはいかなかった。名前もそうだが、現状最も急がれるのが曲である。曲が決まらなきゃ振り付けも練習も何もない。

 

「だけど……私、衣装作りで精一杯だし……」

「そーだよ海未ちゃん、海未ちゃんしかいないんだよ?」

「なら穂乃果がやればいいじゃないですか! 私は絶対嫌です!」

「え~……でも、私……」

 

 珍しく、穂乃果が言い淀む。

 そんな穂乃果を見て、思穂が思い出したのは小学校時代。まだ小さかった、というのを考慮しても穂乃果が作った作文はあまりにも簡潔明瞭すぎた。もはや単語の羅列である。海未もそれを思い出したのか、顔を引き攣らせる。

 

「海未ちゃん、無理だと……思わない?」

「そ、それは……」

 

 ことりの一言がトドメだった。ならば、と海未は思穂へ視線を向けた。

 

「な、なら思穂が……!」

「私? 海未ちゃんの中学時代のポエムを完全再現しても良いのなら――」

「駄目です!!」

 

 割と印象に残っているフレーズだったので、今でも思穂は記憶に残っていた。時間を掛ければ昔、海未に読ませてもらったポエムは完全に再現出来る自信があった。

 ……当然、即却下となってしまった。諦めの悪い海未へ、穂乃果が再度頼み込む。

 

「ねえ、海未ちゃんお願い!」

 

 更にことりが援護する。

 

「海未ちゃんしか居ないの!」

「そうだよそうだよ、私達も全力でサポートするからさ!」

「何か、基になるものだけでも良いの!」

 

 穂乃果の言葉に、徐々に揺らいできた海未。ふと海未がことりを見ると、彼女は自分の胸元に手を置いた。

 次の瞬間、思穂の視界に天使が舞い降りる。

 

「海未ちゃん……おねがぁい!!」

 

 一度しか言っていないはずなのに、何度も思穂の頭にリフレインすることりの“おねがい”。ことりの潤んだ瞳、表情、そして仕草。その全てが海未の心を射抜き、ほんのり頬を赤らめながら固まってしまった。

 

(う、海未ちゃんだけを殺すマシーンかよ! いや……これは耐性無視の固定カンスト全体ダメージでございます!!)

 

 ことりの“おねがい”によって、海未はとうとう折れた。むしろ折れない奴を見てみたいというレベルだ。

 

「ずるいです、ことりは……」

「やったぁ! 思穂ちゃん、やったよ!」

「良かったね穂乃果ちゃん! ことりちゃん良い仕事したよ!」

 

 次の瞬間、表情を引き締め、海未が立ち上がった。

 

「ただし! これからライブまでの練習メニューは全て私が考えます!」

「あーやっぱりそうだよねー」

 

 思穂はこういう展開になると予想出来ていたので、うんうんと頷くだけ。だが、穂乃果とことりはいまいちピンとこないようだ。すると海未がパソコンを開くように指示を出す。

 

「彼女達は楽しく歌っていますが、その間ずっと動きっぱなしです。息を切らさず、ずっと笑顔を保ち続けている体力が必要です」

 

 パソコンの画面にはA-RISEのライブPVが流されていた。その中の彼女達は終始笑顔で、だが少しも止まることなく歌と踊りを行っていた。簡単な話では無い。それを成し遂げるだけの体力が、彼女達にはあったのだ。

 

「穂乃果、ちょっと腕立て伏せをしてみてください」

「腕立て伏せ? こう?」

 

 両手を地面に着け、足も揃えて地面に着けたのを見計らい、海未が更に指示を出す。

 

「そのまま笑顔を作って腕立て伏せ、出来ますか?」

 

 笑顔のまま両腕を曲げた瞬間、笑顔を維持しきれなくなった穂乃果がそのまま崩れ落ちた。それを見た海未は。穂乃果の結果が分かっていたように頷く。

 

「弓道部で鍛えている私はともかく……穂乃果とことりと思穂は楽しく歌えるだけの体力をつけなければなりません」

「アイドルって大変なんだねぇ……」

 

 穂乃果が鼻を押さえ、のたうちまわり、ことりが改めて自分が始めようとしていることの大変さを噛み締めている中、思穂だけが今の状況を理解できずにいた。

 

「えっ!? 私も!?」

「当然です! マネージャーとは言え、思穂もアイドル部の一員なのですから! これから」

「つ、つまり……笑顔で腕立て伏せ出来れば特訓しなくても良い……よね?」

「出来るのですか? 昔からマラソンなんかは常に下から数えた方が早いではありませんか」

 

 あからさまに不審げな表情を浮かべる海未に、思穂は肩を落とした。同時に、しょうがないとも諦めた。

 

「……はぁ、しょうがないか。練習しなくて済むようにしなくちゃならないもんね……」

「……思穂ちゃん?」

 

 ことりが首を傾げるのを横目に、思穂は先ほど穂乃果がしたように腕立て伏せの体勢をとった。

 

「ねえ。私が笑顔で腕立て伏せ出来たら練習要らないよね?」

「もしやれるならまあ……良いでしょう。思穂はマネージャーですし……」

「よぅし。契約成立だね」

 

 そして思穂は笑顔を作り、腕を曲げた。顎を付け、腕を伸ばす行為を二十回ほど繰り返した所で思穂は腕立て伏せを止め、海未を見上げる。それこそ満面の笑みを浮かべて。

 

「どう? オッケー?」

「し、思穂……貴方、いつから……!?」

「すっごい思穂ちゃん! 私なんて一回も出来なかったのに!」

「いやあ、補習なんかで私の趣味の時間削られるのだけは絶対嫌だからさー。実技テストとかで引っかからないように合間見ていっつも運動してるんだよね」

 

 海未が言っていたマラソンの件は特に力を出さずとも、補習という話にはならなかったからである。だが、逆に水泳のような技術の習得を目的とする授業などは少しだけ本気を出す。全ては自分の時間を確保するために。

 

「まさか思穂にこんな体力が眠っていたとは……」

「ということで練習は無し! だね!」

「……仕方ありませんね」

「よっし! やったあ!!」

 

 思穂は確認が甘かった。海未は確かに練習は無しと言った。しかし、練習に“顔を出さなくて良い”とは一言も言っていなかった――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「海未ちゃんの鬼!! 悪魔!! 呪ってやるー!!」

 

 次の日の早朝、思穂は神田明神男坂門前に立っていた。朝早く、海未から叩き起こされ、ジャージに着替えさせられた挙句、引っ張ってこられたのは何かの悪夢だと信じたかった。片手にはストップウォッチ、そしてもう片方には記録用紙とペン。

 思穂の隣に立ち、腕を組んで穂乃果とことりを見守っていた海未がにこりと薄い笑みを浮かべる。

 

「私は思穂との約束を守りましたよ? 練習には参加させていませんからね。ただ……“私の手伝いをしない”というのは約束には入っていなかったので」

「それ詐欺師が使うタイプの言葉だよー!!」

 

 下を見ると、穂乃果とことりが懸命に階段を駆け上がっているところであった。今日からファーストライブまでの朝と晩、この神田明神の階段で基礎体力の向上を図るようだ。ということは、と思穂に戦慄が走る。

 それはつまり、これから毎日早起きをしなくてはならないということを明確に意味していたのだから。

 

「はぁ……はぁ……! ひー! キツイよー!」

「足、もう……動かないよぉ……!」

 

 ようやく階段を登り切った二人は酸素を求め、喘いでいた。普段積極的に運動していない者がいきなり四百段近い急階段を駆けあがってピンピンしている方が難しいので、割とこの結果は納得のものだった。

 

「お疲れー二人ともー。はい、これ」

「ありがとう思穂ちゃ~ん!」

「疲れたよぉ~……」

 

 二人にスポーツドリンクを手渡し、団扇で仰いでやる思穂。元から世話を焼くのが嫌いでは無い思穂にしてみれば、あまりに自然な行動すぎて、自分がその性分すら計算した海未の思惑通りに動いていることに全く気づいていなかった。

 

「もう一度言いますが、今日からライブまでの朝と晩、ここでダンスと歌とは別に、基礎体力を付けてもらいます」

「一日二回もなんて~……!」

「やるからにはちゃんとしたライブを作り上げます! そうじゃなければ生徒を集められません」

「は~い……」

 

 穂乃果の文句を受け止めきった上に、やる気にさせる海未の手腕はやはり流石の一言に尽きた。気づけばことりもやる気を漲らせたようで、穂乃果と共に立ち上がった。

 

「君達」

 

 もうワンセットの空気になった時、声を掛けてくる者がいた。その姿を見て、思穂は驚きの声を上げた。

 

「あ、希先輩!」

「副会長……さん?」

 

 思穂はすぐさまその全身を舐めるように見回す。普段おさげにしているからか、一つに纏めた姿は思穂の目にはすごく新鮮に映った。元々ミステリアスな雰囲気を纏っているからか、神秘性の象徴とも言える巫女服と物凄くマッチしている。

 

「希先輩、もしかしなくてもここでアルバイトしているんですか!?」

「そうや。ここでお手伝いしてるんや。神社は色んな気が集まるスピリチュアルな場所やからね。それはそうと……」

 

 希が片目を瞑り、ピッと人差し指を立てた。

 

「四人とも、階段を使わせてもらってるんやから、お参りの一つでもしてき?」

 

 希の言葉に従い、四人は早速お参りをしに拝殿へ歩いて行った。穂乃果達、そして思穂の願いはたった一つ。――初ライブ、成功しますように。今、この瞬間、アイドル部の心は完全に一つとなった。

 

「――あの四人、本気みたいやな」

 

 希がそう呟き、四人がお参りを終えるまでの間、ずっとその後ろ姿を見守っていた――。



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第七話 その名は『μ's』

「あ~疲れたよぉ……寝ても寝ても寝足りないよぉ……」

 

 今朝でドッと増した眠気をいつも通り処理していたらいつの間にか放課後となっていた。今日の思穂は、穂乃果達とは別行動を取っていた。作曲をしてくれる子――恐らく確実に真姫だろうが――の元へ行き、話を付けてくるとのこと。

 アイドル部の名前は現在募集中だからとりあえずそれを待つとして、曲の方は練習を考えるならそろそろどうにかならないと本格的にマズイ。上々の成果を期待するとして、思穂は目的の場所へと歩を進める。

 

「にこ先輩! 放課後ですよ放課後!」

 

 ガラッと扉を開け放ち、奥でパソコンに向き合っていたにこへと声を掛けた。驚いたのか、大きく身体を強張らせ、何故か万歳をする奇妙な行動を取った。

 

「ノックぐらいしなさいよ! ビックリしたじゃない!」

 

 にこは今でも心臓がバクバクしていた。無理もない。無心でパソコンに向かい、アイドルの情報や動画をチェックしていた最中に突然扉が開け放たれ、元気一杯叫ばれたら誰だって驚く。扉に背を向ける位置なので余計そうだ。

 思穂は思穂で驚かせてしまったという自覚があるようで、両手を合わせ、謝罪の意を示す。

 

「す、すいませんにこ先輩! 今度はにこ先輩が扉側向くのを見計らって突入しますね!」

「……あんた、実は反省してないでしょ?」

「してますよ! してますって! 今の私は“見ざる”“聞かざる”“言わざる”の仲間で“反省せざる”ですって!」

「してないじゃない!」

 

 互いが切れた息を整えるまで少しだけ時間が掛かった。やがて先に落ち着いた思穂は備品の椅子に腰を下ろし、同じく備品である長机へ身体を預ける。今日は割とぽかぽか陽気だからか、ひんやりとした机の感触は何とも言えなかった。

 

「あぁ~……気持ちいい~……これで部室がもうちょっと整理されていたら言うこと無いんだけどなぁ……」

「叩き出すわよ」

「うわぁ……とっても部室綺麗じゃないですかぁ……生徒会室もこれぐらい綺麗じゃなきゃ駄目ですよねぇ……」

 

 実際の所、部室の中は恐ろしいほど綺麗に整理されていた。アイドルのCDやアルバム、サインに雑誌その他諸々が備品の棚に月ごと、そして名前順で入れられているのは圧巻である。実は棚の隅々までしっかりと清掃されているので、こと綺麗さという点では本当に隙が無い。

 ただの綺麗好きではここまでやれない。恐らく根っこのレベルでそういう意識が無ければ、ここまで細かな仕事は無理だろう。

 

「全然自分の意志ないのね」

「いやいや、綺麗だって思う気持ちの方が本物ですよー。この部室を汚いなんて言う奴の顔を拝んでみたいレベルですよ」

「……前にあんたが窓枠なぞって、『あらあら、これがにこさんのいうお掃除なのね?』って言った時は思わず椅子でぶん殴ってやろうかと思ったわよ」

「……あぁ~そういうのもありましたねぇ」

 

 その時の思穂は完全に昼ドラに影響されていた。意地悪な姑が健気な嫁を虐めるあの感じに何かを感じたのだろう。しかし、気軽にそれをやれる相手がいなかったので、にこに試したという経緯があった。結果、椅子で叩かれこそしなかったものの、即刻部室から叩き出されたのは今でも記憶に新しい。

 

「ていうか、ほんとあんた何しに来たのよ? 文研部へ行ってなさいよ」

「そんなこと言わないでくださいよ~。にこ先輩に借りてたDVD観終わったんで、返しに来たんです」

「で? どうだったのよ?」

 

 DVDが入ったバッグをにこの前に差し出すと、にこは中身を確認するよりも先に、感想を促してきた。その流れを読んでいた思穂はとりあえず、思ったことを全部言ってみた。

 

「そうですね……一言で言えば、皆活き活きしていましたね。未だに私はアイドルの何たるかを理解してはいませんが、それだけは分かりました。見ているだけで笑顔になってましたよ」

「そうよ! アイドルは人を笑顔にさせる仕事なの。にこはね、そんな人を笑顔にさせるようなアイドルを目指しているのよ」

「だったら――」

 

 喉元まで出掛かった言葉を、思穂は飲み込んだ。思い浮かぶは穂乃果達の顔。しかし、今のにこにそんな事を言える立場なのか、思穂は悩んでしまった。

 

「何よ? 何か言いたげね」

「……いいえ、何でもありませんよ。ところで見ました? 新たに誕生したスクールアイドルの初ライブのお知らせ」

 

 その話題を出した瞬間、にこはあからさまに不機嫌な表情を浮かべた。

 

「にこは認めていないわよ。あんな奴ら」

「うわーお。バッサリですね」

「当然でしょ。絶対解散させてやるわ……!」

 

 思穂はその瞬間、名前だけとはいえ、アイドル部に入っている事だけはバレないようにしなくてはと決心した。しかし、思穂はにこの憤りが全く理解できないわけでは無かった。

 むしろ、思穂はどちらかというとにこ側の人間である。

 

「私も似たような立場ならそうしますねー。まあ今となってそれすら遅いですけど」

「……あんたは真面目すぎんのよ。だから部員がいなくなったんじゃない」

「おおう、言いますねーにこ先輩。それ、ブーメランですよー」

 

 会話が止まったのとほぼ同時、部室の扉からノックの音がした。このアイドル研究部に用がある人間が少なすぎて、一体誰なのか全く予想が付かない。

 

「ほら見なさい。“常識ある”人間ならああやってノックするのよ」

「そんなぁにこ先輩、私の事“常識に囚われない女”……だなんて、照れてしまいますよぉ~」

「言ってないわよ!」

 

 そうしているうちに扉が開けられた。その人物を前に、思穂は目を丸くする。

 

「……ちょっと、良いかしら?」

 

 有無を言わさぬ絢瀬絵里が、そこにはいた――。

 

 

 ◆ ◆ ◆ 

 

 

 連れ出されたのは屋上であった。今日も今日とて風が心地よい。晴天の下には絵里と思穂のたった二人だけ。先に切り出したのは思穂だった。

 

「えっと……もしかして私、これから他の三年生に虐められるって流れにいるんですかね?」

「そんなことしないわよ。ただ、一言言っておこうと思ってね。もう、貴方の友達には言ったのだけれど」

 

 そう前置きし、絵里は話し出した。

 

「ハッキリ言うわ。今、貴方達がやろうとしていることは逆効果になる可能性があるわ」

 

 その出掛かりで、思穂は絵里の言いたいことを理解した。一を聞いて十を知る、ではないが今の音ノ木坂学院の現状を考慮すると自然とその話に辿りつける。

 

「スクールアイドルをやってみたけど駄目だった、現実は厳しいぜ! って話になったらそれこそアウトですもんね」

「……それが分かっているのなら、どうして貴方は彼女達を止めないの?」

 

 少し興奮気味に、絵里は言葉を続ける。

 

「私だってこの学校は無くなってほしくはないわ。本当にそう思っているからこそ、貴方達には簡単に物事を考えて欲しくはないの」

「確かに、穂乃果ちゃん達は……じゃないか、穂乃果ちゃんは単純に物事を考えてしまう節がある。それは私も思う所ですよ」

「だから、私は怖いのよ。善意で動いた結果が悲惨なものだったら、皆傷つくわ。学校だけでは無い、一番傷つくのは彼女達なのよ?」

 

 絵里の言うことはいちいち正論だった。おまけに、単純に穂乃果達が気に喰わないだけではないのも思穂の癪に障った。普通ならばここで何も言い返せず、気持ちが沈んでしまうことだろう。

 だが、思穂はそんなことで自分のバランスを崩すような女では無かった。

 

「だから成功させるために、皆で力を合わせているんだと思います」

「え……?」

「知っていますか? 廃校事件で少しだけ沈んでいた私達のクラスは今、徐々に穂乃果ちゃん達を応援しようという空気に変わりつつあります。なら、出来そうじゃありませんか?」

 

 小耳に挟んだ情報だが、穂乃果達スクールアイドルグループをクラスぐるみで応援してあげようという話が頻繁に出ているらしい。それがスクールアイドルと言うコンテンツへの期待なのか、純粋な穂乃果の人徳かは分からない。

 しかし、思穂は灯った種火を燻らせるつもりだけは毛頭なかった。そんな思穂へ、絵里は聞かずにはいられなかった。

 

「何故? どうして貴方はそこまであの子達に肩入れするの?」

「廃校確定になったら残り二年間、私は心の底からオタクライフを満喫できないと思うからです」

「……は?」

「徐々に生徒達がいなくなるような、そんな毎日お通夜のような静けさの学校の中でなんて、私は持ち込んだ漫画を読めません!! 読みたくありません!!」

 

 言って、ようやく思穂は穂乃果達へ協力した心の底からの理由を理解した。そうなのだ、要は自分の為だったのだ。廃校が決まれば、心のどこかでその事を気にしてしまう。一度そうなってしまえば、どんな名作を読んでも、決して感動なんて出来ないだろう。

 流石の絵里も、そんな思穂の理由に呆れ果ててしまったようだ。あからさまに表情をしかめてしまう。

 

「貴方……そんな事の為に……!」

「そんな事なんかじゃありませんよ! 私はやりたい事があるから動いています! なら絵里先輩は一体、何をしたくて学校を守ろうとしているんですか!?」

「っ! それは……貴方には関係の無い事よ……!」

「……そう、ですか。……言いたいことが終わったのなら、これで失礼します」

 

 一礼し、思穂は絵里を横切った。その瞬間、思穂は背中越しに言い切る。

 

「……穂乃果ちゃん達は絶対に何かドデカいことをしてくれます。私はそれを……信じたい」

 

 そうして思穂は屋上を後にする。階段を一つ降りたところで、“彼女”は壁に背中を預けて明らかに思穂を待っていた。

 

「や、やほーです希先輩」

「やっぱり屋上におったんやね思穂ちゃん」

 

 ピッと希が思穂へタロットカードを見せてきた。絵柄は車輪の絵つまり『運命の輪』であった。一時期カッコいいかと思ってタロットカードを噛んでいたことがあるので、思穂にはその意味が理解出来ていた。

 正位置の『運命の輪』、これは変化や転換点を意味する。何が言いたいのか、何となく理解した思穂は全てお見通しの希が恐ろしくてたまらなかった。

 

「ちょっとだけ、自分に正直になれたんと違う?」

「希先輩ってホントどこまで知っているか分かりませんよね~」

「タロットがウチに教えてくれるだけや。エリちはまだ上?」

「はい、そうです。さっき釘刺されてしまいましたよ……釘って言うかあれはもう五寸釘とかそういうレベルですね」

「あはは! 思穂ちゃんはやっぱり面白いなぁ。それで? 思穂ちゃんはどう思ったんや?」

 

 目を細め、どこか妖艶な笑みを浮かべる希へ思穂はしっかりと言ってやった。自分のスタンスをしっかりと明確にするために。

 

「こいつはぁ負けられねぇ。そう思いましたよ。こうなったら絵里先輩に廃校の危機を救ってくれてありがとうございましたぁ! って言わせてやりますよ」

「おお、言うやん」

「……それはそうと、希先輩。絵里先輩って本当は何がしたいんでしょうね?」

 

 思穂は希へ話した。今まで何となく思っていたことをだ。顔を合わせ、言葉を交わす度に強まる思穂の疑問。

 

「そりゃあ、生徒会の仕事や廃校とかの関係で忙しいのは分かりますよ? でも、それだけなんですかねぇ? 私の目が死んでないのなら、絵里先輩はどうも……」

「そこまでや。そっから先は胸の内に秘めとき?」

 

 そう言いながら、希が近づいてきた。突然の行動に、思穂は思わず身構えてしまった。

 

(こ、これはマズイのでは!? 私、何かされちゃう!?  希先輩ならもしかして手を触れず、私に呪いをかけることだって……!!)

 

 だが、そんなことは当然されず、希の手が思穂の頭に置かれるだけだった。

 

「何や、思穂ちゃんがなーんか、ウチと馬が合うなぁ思ったら、そういうことなんやね」

「……へ?」

 

 それだけ言って、希が階段を上がり始めた。これ以上言うつもりはないようだ。思穂は希の背中をただ見守ることしか出来なかった。

 だが、そんな思考はやがて、遠くからやってきた穂乃果の声によって掻き消されてしまった。

 

「しーほちゃーん!! 来たよ! ついに来たよー!!」

 

 廊下を猛ダッシュしてくれる穂乃果を受け止めつつ、思穂は彼女の呼吸を落ち着かせた。

 呼吸を整え終えた穂乃果が、ピンク色のメモ用紙を思穂の目の前に広げる。

 

「グループ名! グループ名を書いてくれた人が来たんだよー!!」

「『μ's』。これはミューズって読むのかな?」

「そうだよ思穂ちゃん! 今日から私達は……μ'sだよ!」

 

 『μ's』、それはギリシャ神話に出てくる九柱の女神たち。そして、これからこの音ノ木坂学院を盛り上げるために活動していく者達の名となる。

 ちなみに薬用石鹸の単語を出したら、穂乃果に怒られてしまったのは、今でも納得いかなかった――。



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第八話 始まった一歩

「ええっ!? 断られたのぉ!?」

「そうなんだ……海未ちゃんみたいに、お断りしますって」

 

 穂乃果に現状を聞いてみたら、まさかの事態となっていたことに思穂は驚きを隠せなかった。だが、穂乃果の表情にまだ諦めの色は見えない。

 

「だけどね! これからまた頼みに行くつもり!」

「そっか! 諦めたら駄目だよ穂乃果ちゃん! 最悪、三回くらい頼みに行けば、大体は折れてくれるよ! あの有名な軍師だって三回目で折れてくれたんだからさ!」

「うん! ありがと思穂ちゃん! じゃあまた行ってくるねー!」

 

 そう言って、穂乃果は走り去って行った。相変わらず嵐のような人間だと思いつつ、思穂は自分の教室を目指す。とりあえずことりと海未に現状を確認しておきたかった。

 

「あれ? 片桐先輩?」

「ん? その声は……」

 

 振り返ると、そこには花陽と凛が立っていた。一礼した凛が思穂の元へ駆け寄ってくる。

 

「おおう、凛ちゃんに花陽ちゃんでは無いか! ……あれ? でも一年生の階って下だよね?」

「かよちんと寄り道してたんです。片桐先輩は何してたんですか?」

「私? 生徒会長と決闘してた」

「決闘してたんですかぁ!?」

 

 花陽が声を上擦らせる。……前から思っていたが、花陽のリアクションはどうにも思穂の琴線にビンビンと触れていた。小動物的な可愛さと、思わず声を張り上げてしまうその唐突さ、どれもが可愛らしい。

 その衝動を発散するべく、思穂はとりあえず、凛の顎を撫でることにした。

 

「へっ!? ちょ、ちょっと片桐先輩~くすぐったいにゃ~!」

「ほ~れほれほれ、ほ~れほれほれ。凛ちゃんはね~こうやってやると、喜ぶんですよぉ~」

 

 どこぞの動物博士並みの遠慮の無さと手つきで思穂は、ひたすら形の良い凛の顎を堪能していた。ゆで卵を掌で転がしているような感覚だった。月並みな表現だが、つるつるしていて、いつまでも触っていられたのだ。

 一分ほど触ったあたりでついに凛が壊れたのか、叫びながら思穂の手を振り解いた。その姿は毛を逆立て、警戒している猫のようだった。

 

「いや~! すっごい肌触りだったよ! これお金取れるよ凛ちゃん! ね、もう一回、良いでしょ!? いくら欲しい!?」

「嫌です! 凛の顎はおもちゃじゃありません!」

 

 断固拒否の姿勢を見せる凛と思穂の姿はもはや先輩と後輩では無く、性犯罪者とその被害者と見立てて何ら不都合はなかった。もし性別が性別だったのなら、即刻その日の夕刊の一面を飾ることとなっただろう。

 

「そ、そんな……! だったら今日はゆで卵作らなきゃいけないね! それはそうと凛ちゃんってさ……」

「な、何ですか……?」

「随分いい脚してるよね。もしかしなくても運動やっているでしょ」

 

 さっきからずっと凛の引き締まった脚を見ていた思穂は、涎が出そうになるのを我慢していた。バランスの良い筋肉の付き方は、様々な角度から見ていられる。お尻も程よく引き締まっており、この下半身ならば三日はご飯を食べられる。

 本当なら既に撫でまわしているところであったが、顎の件もあるので、迂闊に触れない。もし運よく触れたとしても、恐らく卒業するまでずっと距離を置かれること間違いなし。

 そんな思穂のドロッとした思考に気づいていない凛は、少し恥ずかしそうに喋ってくれた。

 

「運動は得意な方なんです。部活も陸上部に入ろうかなって」

「おお! 良いね! 毎日凛ちゃんの脚を眺めに行くから頑張ってね!」

「そ、それだけは勘弁にゃ~!」

 

 部活の話題になり、花陽が思穂へ聞いてきた。

 

「あ、あの……片桐先輩は前、文化研究部とアイドル部に入っているって言ってましたよね?」

「あ、うん。アイドル部は名前だけだけどね」

「……どういう、所なんですか?」

 

 すると思穂は二つの部活について、簡単に説明をすることにした。文化研究部のことや今、自分が関わっているアイドル部の事。文化研究部はいつも持ち込んだ漫画やゲーム、それにアニメを見ているだけだったので深くは話さなかったが、アイドル部になった時の思穂はいつも以上に饒舌だった。

 自分でも全く意識していなかった。まるで、好きなものを話している時の自分と同じだったということには。

 

「――とまあ、そんな感じ? どうどう? 私のプレゼン力」

「片桐先輩がどっちも好きなんだなぁって良く分かりました。ありがとうございます」

「あっはは。そっかそっか。……ん? げっ! もうこんな時間だ! マズイ! 練習に遅れたら絶対海未ちゃんに怒られる!」

 

 少し時間にゆとりを持ちすぎてしまった。もう神田明神に向かわないと間に合わない時間となっていた。鞄を取りに行くべく、思穂は階段へ顔を向ける。

 

「ごめんね二人とも、また今度じっくりお話ししようね! それじゃあ!」

「片桐先輩!」

「花陽ちゃん?」

「あの……その……」

 

 やがて覚悟を決めたのか、花陽はガッツポーズで言った。

 

「頑張ってください! 応援しています!」

「おうよ! ありがとう!」

 

 そうして思穂は走り出した。今日は何だか良いことと悪いことがバランス良く起きた日である。ならば、この日の最後は“良いこと”で終わろう。

 モチベーションが高まった思穂は、三人の元へと向かう――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「それで、思穂。何か言うことはありませんか?」

「正直、どう謝れば良いのか分からないです」

 

 結論から言うと、思穂は三十分程遅れてしまった。それが交通機関の遅延を始めとする何らかのやむを得ない理由ならば、もちろん海未だって責める気は微塵も無かった。そういうアクシデントを考慮し、海未は思穂へ何度も電話を掛けたぐらいだ。

 だが、蓋を開けてみるとそれは大きな間違いで。思穂は近くのゲーセンに寄り道をしてしまったのだ。ずっと前からチェックしていた最終幻想の筐体が新しく入っていたとなれば、やらざるを得ない。もはや義務と言っても過言では無い。一回だけ、のつもりがヒートアップしてしまい、今のこの惨劇を招いた。

 その話を聞いた海未は最早怒りを通り越し、“笑顔”だった。これ以上に無いくらい素敵な笑顔、怒りも呆れも全く伺えないような、そんな素晴らしい笑顔。その内心を想像しただけで思穂は身体の震えが止まらなかった。

 穂乃果とことりは怯え、完全に距離を取っている。四人いるように見えて、実は海未と思穂の一対一なのだから、これまた恐ろしい。

 

「う、海未ちゃ――」

「何ですか?」

 

 すごく爽やかな声だった。いつも通り、いやそれ以上に優しい海未の声。たったの一言で、思穂の精神はガリガリ削られていた。むしろ、今削り切られた。

 

「すいっませんでしたぁー!! ごめんなさい! ほんと生きていてすいません!!」

「貴方という人は! 本当にもう! 何度電話を掛けても繋がらなかったから、本気で心配したんですよ!?」

 

 うっすらと涙を浮かべ、海未は思穂を叱りつける。ただ純粋に自分の事を考えていてくれただけに、思穂は何も言い返せず、ただ謝ることしか出来なかった。

 見かねたことりと穂乃果が助け舟を出してくれた。

 

「まあまあ海未ちゃん、その辺で……」

「そうだよ~海未ちゃん、思穂ちゃんも反省していることだし……ね?」

「穂乃果とことりは甘過ぎます!」

 

 だが、これ以上叱ることもしなかった海未が浮かべた涙を拭い、思穂をビシリと指さす。

 

「良いですか? もう二度とこんなことが無いようにしてくださいね。遅れるなら遅れると、ちゃんと連絡すること! 良いですね!?」

「は、は~い……」

「返事が小さい!」

「イエス!! マム!!!」

 

 思穂はこの時思った。

 

(もう絶対寄り道はしないようにしよう……じゃなきゃ、二度目は殺される……!!)

 

 話題を変える意味でも、思穂は穂乃果へ例の交渉の件を聞いてみた。すると、また駄目だったが、一応海未が書いた歌詞を渡したとのことだった。これで駄目ならば、もう既存の曲のコピーをするつもりらしい。それは思穂も考えていた選択肢なだけに、絶対にその手は使いたくなかった。

 むしろ、そうなってしまったらこの計画の成功率がガクンと下がるのはまず間違いなかった。

 

「何故ですか?」

 

 穂乃果とことりが練習を再開したので、二人を見守りながらその話を海未にすると、彼女は首を傾げてきた。個人的な見解なので、押し付けるつもりはなかったが、余りにも海未が純粋に疑問をぶつけて来たので、思穂は一応前置きをし、自分の考えを話した。

 

「何でも新しいものが良いってことだよ。既存曲をコピーしてその元より上手くやれても、本当の意味でその元を超えることは出来ないと思うんだよね。一度その曲で味わった新鮮な感動は、もう二度と味わえないんだから」

「……なるほど、ならますます穂乃果のしたことの結果が、良いものとなるように祈らなくてはなりませんね」

「うん。まあ、でも何とかなると思うよ」

「随分と自信がありますね」

「だって、穂乃果ちゃんが頑張っているんだよ? 何だかんだで最後は上手く行っているんだもん、心配なんかしてないよ」

 

 何の根拠もない、そんな思穂の言葉を海未は笑って受け入れた。

 海未も同じことを思っていた。高坂穂乃果と言う人間は、いつも自分達を知らないところに連れて行ってくれる。どんなに無理と思っていたことも、いつの間にか掛け替えのない美しい景色として、自分達のものとなっていたのだ。そんな穂乃果だからこそ、海未も思穂の言葉を全面肯定出来た。

 

「……ん?」

 

 巫女装束の希が階段を上がってきた。それは良いのだが、その下の物陰から一瞬だけ見えた赤毛。その髪の持ち主を本能的に察した思穂は、海未に断りを入れ、少しだけ練習を抜け出させてもらった。

 

「希先輩!」

「あ、ようやく練習に来たんやね思穂ちゃん」

「……ええ、まあやんごとなき事情がありまして」

「さっきの子、追いかけるつもり?」

 

 頷こうとしたが、希の表情を見て、思穂はもう自分の出番が終わったことを悟る。そして、恐らく自分が言おうとしたことと、希が言ったであろうことが同じだろうというのも予想出来た。

 

「――いいえ。同じこと言わないで! って怒られそうなんで良いです」

「……やっぱりウチと思穂ちゃんは似ているとこあるなー」

「はい! 多分私、希先輩の見据えている物が分かっている気がします。それにあの字――」

 

 思穂がそれを口にする前に、希が人差し指を口元に当てた。

 

「悪いけど、あの子達にはもうちょっと内緒にしといてくれる?」

「……勿論ですよ。元々、希先輩が言うまで黙っているつもりでしたし」

「おおきに。思穂ちゃん」

 

 すると、そろそろ許容範囲を超えたのか、海未が思穂の名を呼んだ。希の方を一度見て、思穂は海未の元へ走り出した。

 

「……九つの星に隠れた小さな一つの光。目を凝らさなければ見えんぐらい小さくて儚い輝き。……せやけど、それは無くてはならん存在なんやで、思穂ちゃん」

 

 燃えるような夕空を見上げ、希は確かにそう呟いた。思穂が海未の元まで辿りついたのを見届けると、希は境内の掃除をするべく事務所へと戻って行った――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「ふあああ~……」

「思穂、はしたないですよ」

「昨日遅くまでミニットモンスターやっててさ……。厳選してたら夜更かししちゃった」

 

 朝早くから、思穂は穂乃果によって屋上に引っ張られて来てしまった。本来ならばまだ寝ている時間であったが、内容が内容だけに、思穂も渋々早く登校してきた。

 

「皆、行くよ……!」

 

 ことりが持ってきたノートパソコンへ、穂乃果がその手に持っていたCDを手早く挿入する。そして再生ボタンを押すと、僅かな間の後、ピアノの旋律が流れ出す。

 

「この歌声……!」

「おおう、これぞ文化……!!」

 

 聞き覚えのある歌声であった。その声はどこまでも前向きな、そして始まりを予感させる詩を紡ぎ、ピアノは小さな波がやがて大きな波となっていくように徐々に盛り上がりを見せていく。

 

「私達の……」

「ええ、これが私達の……」

「歌だよ!」

 

 歌を聞いている最中、小ウィンドウが現れた。それはスクールアイドルのグループならほとんど登録しているランキングで、当然このμ'sもそのランキングにエントリーしていた。だが今まで一票も入っていなかったので、当然『圏外』だったが、それが今――変わった。

 

「票が……入った!」

 

 『圏外』から『999位』。ようやく大きな一歩を踏み出せたことに思穂は顔の緩みを隠しきれなかった。それは穂乃果達も同じだったが、穂乃果はすぐに立ち上がる。

 もう、彼女達を止めるモノは何もない。

 

「さあ……練習しよう!」

 

 穂乃果の言葉に頷き、立ち上がる海未とことり。

 思穂も立ち上がり、どこかで同じ空を見上げているであろう“不器用な彼女”へ、小さくお礼を言った。

 

「――ありがとう、信じてくれて。さいっこうの曲だよ!」

 

 今日も今日とて、μ'sの練習が始まろうとしている――。



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第九話 ファーストライブに向けて!

 真姫によって曲を作ってもらった翌日から、練習の質がまるで見違えた。曲が出来たことにより、明確な目標が定まり、それに向かって練習する。当たり前のことのようだが、今まで曲が無かったことを考えれば、そのやる気も出るのは明白。そして、その日から基礎体力アップの他に、ついに振り付け練習も追加された。

 今日も神田明神で練習が行われている――。

 

「ワンツースリーフォーファイ、穂乃果ちゃん遅れたよ!」

「うん!」

「シックスセブ、ことりちゃんちょっと早すぎるよ!」

「わかった!」

 

 思穂にはマネージャーらしく、海未の補佐を任せられた。手拍子でリズムを取り、ダンスが遅れたり早すぎたりしないか、それでちゃんと振り付けが出来ているかどうかを見るだけだが、それがかなり難しい。自分でしっかりとテンポを作らなければならないし、ちゃんと三人を見なければならない。これがダイレクトに全体の完成度に関わってくるのだから、更に思穂は緊張した。

 

(う~……早朝にやることじゃないなぁ……これは)

 

 とは言いつつ、思穂は相当に気合いを入れて取り組んでいた。リズムもメトロノームのごとく正確なのに加え、ダンスも振り付け表をもらったその日の内に頭に叩き込んだ。本来ならば格闘ゲームの複雑なコンボルートや一昔前のゲームのパスワード、更に漫画のページを全て記憶するためにしか使われていない思穂の記憶力をフルに活かした結果だ。

 朝最後の通し練習が終わると、穂乃果とことりは一目散に日陰の方へと飛び込んだ。

 

「終わったぁ~!」

「お疲れ穂乃果ちゃん達! 良い感じだったよ!」

 

 三人へスポーツドリンクを手渡した思穂は自分用の栄養ドリンクを一気に飲み干した。最近、μ'sの練習で早く起きる習慣が付いたものの、遅く寝ていることには変わりないため全く疲れが取れない。この栄養ドリンクは、いわば麻酔のようなものだった。

 思穂は昨日、アイドルをプロデュースして頂点に上り詰めるというアニメを視聴していた。十数人もの女の子が動いて笑う姿に、思穂は何度も涎がこぼれそうなのを我慢した。これが桃源郷か――そう悟るのもそう遅くはなかった。特にゴスロリ服を着た女の子と猫耳を付けた女の子は思穂の琴線にビンビンと触れてしまった。

 

「私達、随分出来るようになったよね?」

「ええ。二人がここまで真面目にやるとは思いませんでした。穂乃果と思穂は寝坊してくるものとばかり思ってましたし」

「大丈夫! その代わり授業中、沢山寝てるし!」

 

 そう言い、穂乃果は地面に寝転がった。思穂も寝転がりたかったが、練習着の皆とは違い、制服だったのでそれをグッと我慢する。

 

「穂乃果ちゃんに同じく! 最近段々眼も開けて寝られるようになってきたよ!」

「すっごーい! 思穂ちゃん、やり方教えて~!」

 

 その後、海未に物凄く怒られたのは言うまでもない。反省はしていた、しかし後悔はしていない思穂である。

 

「あ!」

 

 何かを見つけた穂乃果が立ち上がり、階段下へ駆け出した。

 

「お~い! 西木野さ~ん! 真姫ちゃ~ん!!」

 

 その言葉に真っ先に反応したのは真姫ではなく、思穂だった。

 

「真姫ちゃん!? その存在は穂乃果ちゃんの言葉でなく、心で理解出来たよ!!」

 

 言うが同時に思穂は階段を駆け下り、真姫を抱き締めた。逃げられまいとしたが、割と抵抗が無かったのに拍子抜けだった。

 

「うえぇぇ!?」

「いやぁ! この匂い、シャンプーの香りか! てっきり香水かと思ってたのに、この素朴な感じはイエスだね!!」

 

 ずるずると穂乃果達の前まで真姫を連れて行きながら、思穂は思いっきり彼女の香りを堪能していた。

 

「は、離れなさいよー! あと、大声で呼ばないで!」

「何で?」

「恥ずかしいからよ!」

 

 穂乃果と真姫による小気味いいやり取りが終わるのを見計らい、思穂はポケットから音楽プレーヤーを取り出した。それを穂乃果に渡すと、彼女は真姫にそれを勧めた。

 

「あの曲、三人で歌ってみたから聴いて?」

「はぁ? 何で?」

「自分が作った曲なんだから聴いてみなよ」

 

 思穂の指摘に、真姫は顔を背け、ついに腕を組みだした。

 

「だからぁ、私じゃないって何回言えば……!!」

「ちょいな!」

 

 そんな真姫へ、思穂は再び絡みつく。その時点で思穂の目論見に気づいた穂乃果が途端、悪い顔になる

 

「ちょっ……離しなさ……い、よ!」

「ああ~これは抱き枕にしたいっすわぁ~。これだったら捕まっても後悔しないですわぁ~。片桐思穂、もう夕刊の一面に載っても後悔しませんわぁ~」

 

 真姫が声を上げる寸前、穂乃果が手早くイヤホンの片側を彼女の右耳に入れた。どうやら即席の作戦は成功したようだった。それにしても、と思穂は真姫の諦めの悪さに苦笑する。あの歌声はどう聞き間違えても真姫のものだというのに、本人は頑なにそれを認めようとしない。むしろそういう芸なのかとすら疑ってしまうレベルだ。

 

「よ~し! 思穂ちゃん、作戦成功だね!」

「うん! さーやっちゃってください穂乃果ちゃん!」

「分かった! それじゃあ海未ちゃん、ことりちゃん!」

 

 穂乃果の呼びかけで海未とことりが駆け寄ってきた。

 

「μ's!」

 

 海未の言葉に続き、ことりが言った。

 

「ミュージック!」

 

 そして、思穂と穂乃果も加わり、全員の掛け声で音楽プレーヤーが再生される――。

 

「スタート!!」

 

 三人の現時点での“精一杯”が作曲者の耳にどう聞こえたかは、誰も知る由はなかった。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「あぁ……やっぱり屋上で読む漫画は良いもんだね!」

 

 神田明神からそのまま登校してきた思穂は誰も居ない屋上で漫画を読んでいた。借金が物凄い執事と、超お金持ちのお嬢様との日常を描いた物語だ。執事のスペックが凄まじく、思穂はいつもこんな執事がいたらな、と思っていた。もちろん現実と二次元はしっかり分けているので、そこまで夢見がちな事は言わないが、それでもやはりどこかで憧れている節があった。

 

「なんかこう……いきなりバタンってあそこの扉が開いて、現れないもんかなぁ執事さん」

 

 屋上の扉を少しだけ眺め、また漫画の方へ視線を落とした瞬間――扉が開け放たれた。

 

「無理です!!」

「ほわっちゃ!?」

 

 一瞬だけ、思穂の心臓は大きく高鳴った。こんな都合良く扉が開け放たれるなんて夢にも思わなかった思穂は思わず漫画を閉じていた。

 

(も、もしかして本当に執事さんが!?)

 

 だが、やはり現実は非情である。見上げた先には、良く知る大和撫子が青ざめた顔で両膝に手をついていた。

 

「……はぁ」

「っ! 思穂! 今、貴方ため息吐きましたね!?」

 

 ばっちり見られていた。顔が引き攣っていないか心配になりつつ、思穂は海未へ笑顔を返した。

 

「ううん! ぜんっぜん! ……ところで、穂乃果ちゃん達は?」

「そ、それは……」

 

 などと聞いている内に、穂乃果とことりが屋上までやってきた。二人から事情を聴くと、どうやら今朝登校中に、三年生からファーストライブでやる曲をちょっと見せてくれないかと言うお願いを引き受けようとしたら、いつの間にか海未が居なくなってしまったらしい。

 ここに来て、思穂は海未の欠点をようやく思い出した。園田海未という人間は一言で言うのなら、恥ずかしがり屋である。良く見知った人間の前ならば絵に描いたような大和撫子なのだが、それ以外の人間しかも大勢の前での海未は、まるで蛇に睨まれた蛙の如く。

 

「歌もダンスもたくさん練習してきました。……でも、人前で歌うのを想像すると……」

「緊張しちゃう?」

 

 ことりの質問に、海未は静かに頷いた。しかし、ある意味正常な反応なのかもしれない。そう思穂は感じた。和菓子屋でいつもお客さんの前で声を出している穂乃果や、妙に肝が据わってそうなことりはともかく、“人前で声を出す”という経験が少ない者がいきなり歌って踊れと言われたら、こうなるのも無理はなかった。

 

「そういう時はね! お客さんを野菜と思えってお母さんが言ってた!」

 

 穂乃果の言葉に、海未は目を閉じた。閉じること数十秒、海未が何を思ったのか、いきなり立ち上がり、壁にしがみついた。

 

「私に一人で歌えと!?」

「海未ちゃんの想像力ってたまに小説家に向いているなーって思う時が多々あるよ」

 

 しかしこれはいよいよ本格的に何か手を打たなければならないと思穂は両腕を組んだ。海未には悪いが、今の状態でファーストライブを乗り切れるとはとてもじゃないが思えなかった。それは穂乃果とことりも感じたようだ。穂乃果とことりと思穂の意見が一致したところで、海未がポツリと呟いた。

 

「人前じゃ無ければ……人前じゃ無ければ大丈夫だと思うんです……!」

 

 とうとう頭を抱え、丸くなってしまった海未を見た穂乃果の表情が引き締まった。そして、海未を立たせた穂乃果は言う。

 

「色々考えるより、慣れちゃったほうが早いよ!」

「レベルを上げて、物理で殴った方が早いって奴だね! さっすが穂乃果ちゃん!」

 

 そうして穂乃果は海未の手を引っ張り、走り出した。

 

「よーし、じゃあ私も!」

 

 思穂も穂乃果達に続こうとした瞬間、校内放送が鳴り響いた。

 

『二年生片桐思穂さん、理事長室まで来てください。繰り返します二年生片桐思穂さん、理事長室まで来てください』

「……へ?」

「お母さん?」

 

 思穂を呼び出したのは、他でもない南ことりの母親である、この音ノ木坂学院の理事長であった――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「失礼しま~す」

「はいどうぞ。色々ごめんなさいね、片桐さん」

 

 思穂が理事長室へ訪れたのは結局放課後となっていた。呼び出しに応じ、すぐ理事長室へと向かったが、ちょうど理事長に電話が入ってしまったようで、そのままウヤムヤとなってしまったのだ。

 そうして、この放課後に改めて思穂が呼び出された。正直、もうちょっと早く呼び出してくれれば、穂乃果達と一緒にチラシ配りが出来たのにと少しばかり思穂は唇を尖らせた。

 穂乃果の考えた海未の“慣らし”とは沢山人がいる所でチラシを配ると言うものだった。単純だが、一度人がいる前で声を出してしまえば、後は勝手に慣れるという非常に良い案であった。しかし、思穂はその結果をまだ知らない。昼休みにチラシを配りに行ったようだが、いつ呼び出されるか分からなかった思穂は参加できず、放課後も校門前でチラシ配りをやるみたいだが、とうとう呼び出されてしまったので、それはとうとう叶わずと言った結果。

 これがただの教師なら、当然の如くバックれるのだが、呼び出し相手は他でもないことりの母親。逃げるなんて選択肢はなかった。

 

「いえいえ。理事長も忙しいのは分かってますよ」

「あら。今は二人きりなんだから、いつも通り“おばさん”で良いわよ、思穂ちゃん?」

「あ、そうですか! そしたらそうしますね!」

 

 穂乃果と海未と共にことりの家に遊びに行くことも珍しくはない思穂は、割と理事長と顔を合わせていた。一度学校の外に出た理事長は“理事長”という雰囲気はまるで無く、ただの優しいことりのお母さんだった。その雰囲気とも合わさり、昔から思穂は理事長の事をおばさんと呼んでいたのだ。

 

「それで、今日って何で私呼ばれたんですか?」

「……単刀直入に言うわね。実は思穂ちゃん、今先生たちの間で噂になっているのよね」

「前からそういう気がしますが……。もちろん良い噂じゃないですよね?」

「ええ。実は今年の四月から赴任してきた先生が思穂ちゃんの授業態度を問題視しているみたいなのよ」

 

 理事長はその次の言葉をとても言いにくそうにしていたが、それでもハッキリと言ってくれた。

 

「しかも、入学試験の時の思穂ちゃんの成績に疑問を持っているようなの。オブラートに包まずに言えば――カンニングをしたんじゃないかって」

 

 流石の思穂も、日ごろの授業態度とテストへの考え方を振り返らざるを得なかった。まさかそこまで重大な問題へと発展しているとは夢にも思わなかった。だが、動揺してはいない。もちろん予想出来ていたことをなあなあで対策を打たなかった思穂が全面的に悪い。

 

「それはまあ……あの時は気合い入れましたからね」

「ことりの親の立場で言えば、そんなものは無視しなさい。と言いたいところなのだけれど、理事長の立場もあるからむしろその対応を考えなければならないのよね。本当、ごめんなさい」

「謝らないでくださいよおばさん。トップに立つ者として、それ以外の対応をしちゃ駄目です。……それで、私ってどうなるんですか?」

「――その先生から提案があったわ」

 

 理事長が説明してくれた内容を要約すると、こういうことだ。テストをし、その結果次第で思穂への指導を検討する。成績が良ければ処分を見送り、悪ければ部活動その他全てを強制停止し、成績の向上が見込めるまで補習をするということらしい。

 

「……また、随分と熱心な先生がいたもんですね」

「ええ。本当に真面目な先生だからこそ、先生たちも何も言えなかったみたいよ?」

「そのテストの日って、いつですか?」

 

 理事長が卓上カレンダーを思穂の方に向け、テスト予定日を指さした。

 

「……え?」

「あとでその先生から正式に日程を伝えられるはずだけど、どうやらその日で確定みたいよ」

 

 思穂は全身から力が抜けそうになった。当然だ、その日は何を隠そう――。

 

「新入生歓迎会の放課後……!?」

 

 ――穂乃果達μ'sのファーストライブの日だったのだから。



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第十話 ~START:DASH!!~

 新入生歓迎会当日の朝、思穂は三人に頭を下げていた。本当はもっと早く言えば良かったのだが、万が一にも練習に影響が出たらそれこそ思穂は後悔してもしきれない。不意打ちは重々承知。だが、思穂はこの日にしか言うつもりはなかった。

 

「わ、私、お母さんに思穂ちゃんの試験延期してもらうように言って――」

 

 思穂はすぐにことりの提案を却下した。

 

「駄目だよ、ことりちゃん。それだけは許されない。大体、私が振りまいた種だもん。それを捻じ曲げるのは筋が通らない」

「……思穂、勉強の方は?」

 

 海未の質問に、思穂はにっこりと笑って返した。その笑みの意味に気づいた海未は一気にボルテージが最高潮に達してしまった。

 

「なっ!? 思穂、貴方良いのですか!? それでもしテストの成績が悪ければ……!」

「テストは普段の実力を知るものでしょ? だから、私はそのままで行く。大体、歓迎会とかの事を考えたらもう勉強する時間ないし~あっはっはっ」

 

 実際、新入生歓迎会が始まるのは昼からだ。それまでの休み時間なら勉強する余裕はあるが、今更過ぎる。トドメを刺されたかのように、テストまで部活動はしてはいけないことにもなっているので、ファーストライブの手伝いすら出来ない。

 極めて平然としているが、思穂の心中は非常に穏やかでは無かった。“軽薄”という仮面で自分を隠すので精いっぱいだ。だが、それでも隠しきれないものは隠しきれない。

 

「……ごめんね、私、何にも出来てないや。……μ'sのマネージャーなのに……何もやれていない。それどころか、大事なライブにも遅れるかもしれないよ……」

 

 μ'sのファーストライブが始まるのが午後四時。そして、思穂のテストが始まるのは『午後三時半』。たったの三十分しかなかったのだ。

 色々とやらかしたツケが回ってきたのだと考えたら、同じ時間にテストをやらないだけ神に感謝するレベルだ。流石の思穂も、突き付けられた事実に揺らぎそうになっていた。

 

「そんなことない!」

 

 だが、それを否定したのは他でもない穂乃果だった。思穂の手を握りながら、穂乃果は続ける。

 

「思穂ちゃん、ファーストライブまでずっと私達の為に頑張ってくれたよ!? 私が勝手に思穂ちゃんをμ'sに入れたのに、それでも思穂ちゃんは一生懸命に頑張ってくれた!」

「穂乃果ちゃん……」

「だから今度は、自分の為に頑張って! 私達も最高のライブにしてみせるから!!」

 

 立ち込めていた雲が吹き飛んだような気がした。ここまで迷惑を掛けているのにも関わらず、それを許すどころか、こんな自分にエールを送ってくれる穂乃果が……眩しかった。

 

「はぁ……まあ確かに思穂には色々と頑張って頂きましたね」 

「海未ちゃん……」

「良いですか? そこまで余裕ぶるのなら、絶対間に合わせなさい。私達は必ず、貴方が来るのを信じて待っています」

 

 ことりの方を見ると、彼女も思穂へ笑顔を向けてくれた。

 

「うん、私達、思穂ちゃんが絶対来るって信じてるからね。だから……頑張って!」

 

 海未が、ことりが。誰も思穂を責める者は居なかった。二人とも思うことは穂乃果と一緒のようだ。三人が思うことはたったの一つ。

 ――思穂は絶対にファーストライブに間に合う。たったそれだけだ。

 

「……あっはっはっ。三人にそんなこと言われたら……やらない訳にはいかないね」

 

 その時、思穂は一つ、方向性を変えることを決めた。こんなことでもなければ恐らくずっとこの在学中は変わることの無かった不変のポリシー。

 それを、たった今崩すことに決めた。

 

「よぅし。約束するよ。ファーストライブ、必ず間に合わせて見せる」

「やれるのですか?」

 

 意地悪そうに微笑む海未へ、思穂はピースサインを作って返してやった。そして思穂は満面の笑みと共に、声高々に宣言した。

 

「大丈夫! 要は先生にぐうの音も出させない成績を出せばいいんでしょ? ――やって見せるよ」

 

 そして思穂は穂乃果達を最後の調整に集中させた。何せ泣いても笑っても、今日がμ'sのファーストライブ。一秒足りとて無駄な時間は、彼女達にはないのだから。

 しばらくの間、思穂と穂乃果達の道は分かれることとなる。だがしかし、必ずその道は再び一緒になる、してみせる。

 

(久しぶりに本気出す……!!)

 

 思穂の目には既に“遊び”の色はなかった――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「それじゃあ、穂乃果ちゃん達、頑張ってね!」

 

 時間が経つのは早く、気付けばもう新入生歓迎会が終わっていた。ここからは別行動。これから穂乃果達は衣装に着替えたり、最後のリハーサル等など、やることは山のようにある。

 幸い、穂乃果の友達が音響や照明、呼び込み等などをやってくれるそうなのでその辺は心配ないのが、思穂のせめてもの救いだ。本来なら音響や照明は思穂がやろうと思っていただけに、酷く気掛かりだったのだ。

 思穂は海未の顔をチラリと見た。

 

「海未ちゃん、もう大丈夫? イケそう?」

「はい。チラシ配りで大分緊張しなくなりました。これなら……大丈夫だと思います」

 

 その言葉に嘘はなさそうだった。聞くところによれば、チラシ配りをしていた後半の海未は吹っ切れたのか、“いつも通り”の海未で声を出していたらしい。あとは、ステージを一度経験すればもう大丈夫だろう。

 

「思穂ちゃん、これ受け取って?」

 

 ことりが思穂に差し出した物は、デフォルメされた思穂のマスコットだった。

 

「これ、昨日作ったんだ。お守りとして持ってて?」

「おお……これは随分とまた、プライスレスなものを……」

 

 手に取ってじっくり見てみると、マスコットは恐ろしいくらい完成度が高かった。縫い目はまるで既製品、大きさもポケットに入れておくのにちょうどいい。こういう商品だと言われても全然信じられる。

 しかしそれ以上に、このマスコットにはことりの想いが込められていた。それが思穂には嬉しくて。

 

「ありがとうことりちゃん。これがあれば何でもやれる気がするよ!」

「思穂ちゃん!」

「穂乃果ちゃん……」

「ファイトだよ! 思穂ちゃんなら出来る!」

 

 ……穂乃果の応援は随分とシンプルだった。ガッツポーズに満面の笑み付きだ。もうこれで、負ける要素は何もない。思穂はあえて三人から背を向け、校舎内へと歩を進める。

 

「よーし、私の底力を見せるよー!」

 

 後ろはもう振り向かなかった。穂乃果達は講堂へ向かって行っただろう。あとは必勝を祈願するのみ。

 思穂はスマートフォンで時間を確認する。

 

「……三時か。半に始まって、穂乃果ちゃん達のライブは四時。講堂へダッシュする時間を十分と見込むなら……どんな問題量でも二十分で終わらせなければならない、か」

 

 その問題量が間に合うか間に合わないかを左右する重要なファクターだった。少ないのならそれだけ早く行ける。だが、もし、想定を超えた量ならば……。

 そこまで考えて、思穂は頭を横に振った。そんなことを考える時間があるのなら集中したほうが百倍有意義だ。

 テストの場所である自分の教室へ続く階段まで差し掛かると、“彼女”は待ち構えていたかのようにそこに立っていた。

 

「片桐さん。理事長から話は聞いたわ。……自業自得ね」

「たはー絵里先輩から言われるとやっぱりグッサリ来ますね!」

 

 絵里の冷たい視線を受け止めつつ、思穂は彼女を横切り、階段へ足を掛ける。

 

「でも、今日でそれは終わりにしようと思います」

「……何故?」

「私の軽薄さが、穂乃果ちゃん達に迷惑を掛けてしまいました。だけど、穂乃果ちゃん達は許してくれるどころか、応援までしてくれたんですよ」

 

 思穂と絵里は互いの顔を見ていなかった。ただ背中越しに言葉を交わすだけだ。

 

「……嬉しかった。こんな私でも、あの三人に必要とされているんだって、考えただけでニヤケが止まりませんでしたよ」

「なら、どうするの? もしこのテストで失敗すれば貴方にとってそれは事実上、文研部とμ's、その両方の終わりを意味するのよ?」

「失敗なんかしませんよ。私はキッチリ間に合わせます。穂乃果ちゃん達が待っているんだ……この程度で立ち止まってなんかいられませんよ」

 

 それ以上、絵里は何も言うことはなかった。彼女が自分の言葉にどう考え、どんな感情を表しているかは後ろを向いていた思穂には分からなかった。

 そしてこれ以上思穂も何も言うことはなかった。否、言う権利はなかった。あとは全て結果を出した後にしか言えないこと。

 

「失礼しまーす」

「来ましたね、片桐さん」

 

 教室には眼鏡の女性教師がいた。眼鏡を掛け、キッチリとスーツを着た、話に聞いた通り真面目な印象が感じられる。そんな先生の手にはテストの用紙が“三枚”も握られていた。

 

「話した通りです。これからテストを行います。その結果次第では、貴方がやっている部活動を全て停止し、成績の向上が見込めるまで毎日放課後、補習を受けてもらいますのでそのつもりで」

「異議なしです。始めさせてください」

 

 テスト用紙を伏せられた机に座り、思穂はシャーペンを片手に、目を閉じる。現在、三時二十九分。先生の合図が出た瞬間から、思穂の戦いが始まる。一秒の迷いも許されないそんなギリギリの戦い。

 思穂はポケットの中のマスコットに意識を集中させる。そうすれば、何だか三人が見守ってくれているようだったから。

 

(私の小さな宇宙は今、燃えている!)

 

 三十分になった瞬間、先生から開始の合図が出された。そして思穂はテスト用紙を捲り、全神経を問題文に集中させる。そして、問題内容全てに目を通した思穂は、思いのままにシャーペンを走らせる。

 

 

「――良し」

 

 

 十分が経過した辺りで、思穂は立ち上がった。それを見た先生が思わず引き留める。

 

「待ちなさい片桐さん。まだ十分しか経っていませんよ?」

 

 制止を無視し、思穂はどんどん教壇の前まで歩き、先生の前へテスト用紙を差し出した。そして、思穂は一目散に教室の扉まで走り出す。

 

「採点も終わってないのに、どこへ行くつもりですか!?」

「満点です! そうじゃなかったらもう補習でも何でも受けますので即刻呼び出してください! 私は行かなくちゃならないんです!」

 

 先生の怒声に被せるよう、思穂は言葉を遮ると、扉の近くに置いておいた鞄を掴んで扉を開けた。だが、思穂はすぐには行かず、先生を……正確にはテスト用紙を指さした。

 

「――先生も中々意地悪ですよね。序盤はともかく、中盤は応用の応用問題、終盤なんて三年生で習う範囲じゃないですか」

「あっ! こら!」

 

 思穂が出ていくのを、先生はただ見送ることしか出来なかった。……すぐに先生はテスト用紙に目を通す。

 

「あんな短時間でやれる問題じゃ……えっ!?」

 

 解答用紙とざっと照らし合わせた先生は、目を丸くし、驚きを隠しきれなかった。何せその結果は――。

 

「全問、正解……!? しかも、消しゴムかけの跡が一切見当たらない……片桐さんは何の迷いも無く、回答したって言うの……!?」

 

 思穂の指摘通り、先生はあえて意地悪をした。もちろん三年生の問題が解けなくても補習判断の材料にするつもりはなかった。これは思穂が日頃の勉強不足を実感させるためにあえて“解けない”問題を入れたのだ。

 そのつもりだったが、先生の思惑は想定外の方向で裏切られてしまった。片桐思穂は三年生の問題含め、全てを回答して見せた。

 そこで先生は、彼女の入学試験時のテストの成績を思い出した。思い出し、今のこのテストを見比べ、先生はようやくソレを認めることとなった。いや――認めさせられた。

 

「全教科満点で、首席入学をしたというのは……本当だったのね」

 

 入学試験時の思穂の成績は『全教科満点』。そう、何を隠そう、片桐思穂はこの音ノ木坂学院へ文句なしの首席入学を果たしていたのだ。

 基本的に思穂は、テストの点は常に八十点台だっただけに、先生はこの結果を未だに信じられなかった。まるで夢でも見ているような。

 

「いえ……もしかして、今までわざと……?」

 

 だが、もしそれが八十点台しか“取れなかった”、ではなく“取らなかった”だったとしたら。……最早、先生は思穂に対して何か言うつもりはなかった。結果は当然、“補習なしの現状維持”。

 誰も居なくなった教室で、先生は呆れたようにため息を吐き、テスト用紙を片付けだした――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「うわ~ん!! 最悪だよぉ!!」

 

 最速でテストを終わらせたまでは良い。だが、緊張しすぎたせいか、物凄くトイレに行きたくなってしまったのだ。トイレに籠もっていたらもうファーストライブ開始まで一分を切っていた。

 講堂の扉に希が寄り掛かっていた。そして、思穂へ微笑みかける。

 

「やっと来たね、思穂ちゃん」

「希先輩! ライブは!?」

 

 汗を拭うこともせず、思穂は希に聞くと、彼女は親指で講堂内を指した。自分の眼で確かめろ――そう言いたげな希の所作に倣い、思穂は講堂の扉をそっと開けた。

 そして、思穂は絶句した。目の前に広がっている光景に――。

 

「……嘘」

 

 誰も、いなかった。人っ子一人、誰も。思穂は後頭部が殴られたような感覚を覚える。そして、思穂は幕が上がっていたステージへと視線を落とす。

 ステージの上では、穂乃果達が衣装を着て、立っていた。……立っていたのだ。

 

「ほの、かちゃん……」

 

 あの元気が取り柄の穂乃果が泣きそうになっていた、それだけで思穂は胸が締め付けられるような、まるで極寒の大地に身一つで立ち尽くしているような、そんな絶望を感じた。

 思穂は思わず叫びそうになっていた。あれだけ階段を駆け上がった、あれだけ歌った、踊った。あの恥ずかしがり屋の海未が勇気を振り絞ってチラシ配りまでして、そして“今日”への意気込みを見せていた結果がコレとは、とてもじゃないが認めたくはなかった。

 ここまで来たのだ、ここまで頑張ってきたのだ。そのリターンにしては、随分とお粗末。スクールアイドルの厳しい現実を突き付けられた思穂は、穂乃果達にこれ以上辛い思いをしてほしくはないと思った。そう判断した思穂の判断は、ライブの中止。

 

「穂乃果ちゃ――」

 

 思穂が明確に発声する刹那、講堂の扉が開け放たれた。入ってきた人物を見て、思穂は思わず拳を握りしめていた。

 

「花陽ちゃん……」

 

 穂乃果も面識があったようで、その名を呼んだ。花陽は花陽で、今の状況が飲み込めていないようで、まだライブが始まっていないことに戸惑っていた。

 それを見ていた穂乃果の表情が“変わった”のを、思穂は見逃さなかった。

 

「やろう! 歌おう、全力で!」

 

 先ほどまで泣きそうだったのがまるで嘘のように、穂乃果は毅然としていた。そして、ことりと海未に呼び掛ける。

 

「だって……そのために今日まで頑張ってきたんだから!」

 

 穂乃果の言葉に頷いた二人も段々表情に生気が戻っていくのを感じていた。そして、三人が配置に着いたところで、照明が落ちていく。

 

「頑張れ穂乃果ちゃん、海未ちゃん、ことりちゃん!」

 

 そして音楽が流れ、三人のファーストライブが始まった――。

 

「わぁ……!」

 

 圧倒されていた。ただひたすら、圧倒されていた。もちろん他の有名アイドルに比べると、歌もダンスもまだまだお粗末だというのは思穂にも分かった。

 だが、彼女達から迸る“命の輝き”はどのスクールアイドルグループにも負けていない。純粋に目の前のファンへ向けて、自分の命すら燃やし尽くす彼女達は今まさに、間違いようも無く――“アイドル”だった。

 

「……ん?」

 

 チラリと講堂の扉から見えた赤毛。気になって来たところを希にでも捕まったのだろうか。良く見れば、花陽の隣には凛もいた。花陽ほどではないが、凛も穂乃果達に釘づけと言った様子である。

 

「あ……」

 

 逆側の扉が一瞬開いたと思えば、見覚えのある長いツインテールが音も立てず、かつ姿勢を低くし侵入してきていた。やはり惹かれあうモノがあるのだろうか、彼女は半目で睨み付けるように、そして見定めるように穂乃果達を観客席の陰からジッと見ていた。声を掛けることはしない。穂乃果達を見つめる彼女の眼があまりにも真剣だったから。

 そうしている内に、大サビへと突入した。呼吸をすることも、瞬きをすることすら忘れ、思穂は最後の最後までジッと穂乃果達を見つめる。

 

(良くやったね、穂乃果ちゃん達……!!)

 

 約三分に渡るライブはついに終わりを迎えた。小規模ながら、花陽が、凛が、真姫が、穂乃果の友達達が、皆暖かな拍手を送った。もちろん思穂も泣きそうになりながら、拍手をしていた。拍手しすぎてもう手の平が真っ赤だ。

 

「絵里先輩……」

 

 段差を降り、絵里が穂乃果達の元へと歩を進める。それに合わせるように、自然と拍手が消えていく。

 

「……どうするつもり?」

 

 何が、とは今更聞く穂乃果では無い。そして、答えも当然決まっていた。

 

「続けます!」

 

 その言葉を受け、絵里は講堂内を見回した。

 

「これ以上続けても、意味があるようには思えないけど」

「やりたいからです!」

 

 絵里が続きを促すと、穂乃果は続ける。

 

「私、今もっと踊りたいって、歌いたいって思っています。こんな気持ち……初めてなんです! やってよかったって本気で思えたんです!! 今はこの気持ちを信じたい。このまま見向きもされずに終わるかもしれない……応援も、何ももらえずに終わるかもしれない……」

 

 その言葉に何を思っているのか、思穂は隠れているにこへ聞きたかった。穂乃果の言葉は、彼女の行き着いた果てだったのだから。

 

「でも一生懸命に届けたい。今私達がここに居る……この想いを!!」

 

 そして穂乃果は一瞬溜めた後、宣言した。

 

「いつか、いつか私達必ず……ここを満員にして見せます!!!」

 

 気づけば思穂はガッツポーズをしていた。一瞬でもここで“終わる”と思ってしまった自分が恥ずかしい。

 客観的に見れば、このライブは悔しいが“完敗”と言って間違いなかった。だが、彼女がその程度で立ち止まる訳が無かった。どこまでも前向きに、ズタボロに打ちのめされても進む彼女だからこそ、思穂は協力したのだ。

 

「それでこそ高坂穂乃果だよ――!」

 

 今日この日を以て、μ'sは真の意味での“スタート”を迎えたのだ――。



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第十一話 新たな課題

「思穂……貴方は本当に思穂なのですか?」

「ど、どうしたの? 藪から棒に」

 

 ファーストライブが終わった翌日の一時限目から四時限目までの思穂を見ていた海未は酷く混乱していた。いつもならば朝から昼まで誰が起こしても起きる事の無かった思穂が、ずっと“起きて”授業を受けていたのだ。その間、一度も目を閉じることはなく、その視線はずっと黒板へ。

 以前、目を開けて寝ているという話を聞いていたので、その類かと疑ってみれば、しっかり目は動いている。間違いなく起きていたのだ。突然の豹変に、海未は逆に自分が夢を見ているのかとすら思ってしまった程だ。

 

「思穂ちゃんがずっと起きていたから、私もびっくりしちゃった。むしろ先生なんて心配そうにしていたよ?」

「そうそう。逆に私が先生にマークされちゃってたんだよ?」

 

 ことりと穂乃果も全く同じ意見だった。あからさまに不思議な表情を浮かべている。

 

「う~ん……何でだろうね! アレだよ、オリンピックの年にしか目覚めない警官もいるぐらいだし、そういうのじゃない?」

「たまに私、思穂ちゃんの言っていることが分からない時があるよ……」

 

 穂乃果の苦笑を見つつ、思穂はすぐに話題を変えようと考えた。というより、ようやく周りの自分の評価が分かった気がする。

 ファーストライブのテストを機に、思穂は方針を転換することにした。今まではやることさえやれば後は全部睡眠の方に回すことに何ら躊躇いはなかった。しかし、昨日の一件で、思穂はそうすることによるデメリットに気づいた。具体的には、穂乃果達に迷惑が掛かってしまう“かも”しれないということだ。

 それを防止するために、思穂は以前より先生たちに“突っつかせない”ように振る舞うことに決めた。今までが許容されていたことを鑑みれば、少しだけ真面目にするだけで大分印象が違うはずだ。実際今日の先生たちは皆、思穂の事を不思議そうに見ていた。

 

(まあ、絶対穂乃果ちゃん達には内緒だけどね)

 

 正直、真面目にしようと思った理由を語ることはないだろうというのが思穂の本音である。何せ恥ずかしい。

 

「と、とにかく! ファーストライブが終わったからと言って、気を抜いてはいられないよ三人とも!」

 

 そうなのだ。昨日のライブがゴールでは無く、むしろスタート。いや、そもそもまだスタートラインにすら立てていない。

 ファーストライブが終わったことで最重要課題が更新された。その課題とは手が届きそうで届かないもの、それは――。

 

「部が認められるにはあと一人。何が何でも探さなければ部費ももらえないし、学校のバックアップもないから一刻も早く見つけたいところだね」

 

 メンバーである。部の設立規則ではあと一人いなければ正式に部としては認められない。意外にも、穂乃果はそのことに対し、冷静なリアクションを見せた。

 

「ふっふ~ん。そう思って、もう学校中にメンバー募集のお知らせをしたんだよ!」

「おお、仕事が早いね穂乃果ちゃん。ファーストライブからそんなに時間が無いのに、良くやったね!」

「うん! 今日の朝、海未ちゃんとことりちゃんとで書き換えたんだよ」

「書き換え……? それなら私も手伝ったのにー」

 

 思穂の言葉に、ことりは首を横に振って答えた。

 

「ううん! 思穂ちゃんも昨日は大変だったし、それにただ書き換えただけだから平気だよ?」

 

 さっきから書き換えたというのがどういうことなのか引っかかる思穂であったが、とりあえず話題を変えられたことに安堵する。

 

「まあ、あとは地道な勧誘だよね。千里の道も何とやらって言うし」

「うん、私達も頑張って、やってくれそうな人探してみるよ! 早速、一緒にやってくれそうな子を見つけたし!」

 

 それは気になる情報だった。思穂は穂乃果にその子の話を聞きたくなってしまった。

 

「どういう子なの? なんかティンと来たの?」

「えっとね、小泉花陽ちゃんっていう子なの。眼鏡を掛けて、ちょっとだけ声が小さいけど、とっても綺麗な声なんだ!」

 

 すっごく聞き覚えがある名前に、思穂はつい知らない風に頷いてしまった。同姓同名の別人、というオチでなければ確かに彼女はμ'sに欲しい人材であった。

 声量はともかく、声質は上の上だ。穂乃果の元気な声、ことりの甘い声、海未の凛々しい声に見事に調和するであろうあの声はぜひともμ'sに欲しいと思っていた。

 そして、もう二人。あえて名前には出さなかったが、もう二人、目ぼしい人材がいた。

 

(……それプラス、凛ちゃんや真姫ちゃんが入ってくれたらすっごく良い感じなんだけどなぁ)

 

 しかしない物ねだりほど惨めなものはない。ふと時計を見ると、思穂はとある場所へ向かうため、席を立つ。

 

「あ、ごめんね。これから理事長室に行かなきゃだ」

「何の用事なんですか?」

「う~ん……分からないや。とりあえず行ってみてのお楽しみってやつだね」

 

 そう海未に答えるしかなかった。実際、思穂も何で呼び出されるのか分かっていない。そんなモヤモヤを吹き飛ばすため、思穂は理事長室へ歩を進める――。

 

「失礼しまーす」

「はい、どうぞ」

 

 理事長は相変わらずにこやかに思穂を迎えてくれた。早速本題に移りたかった思穂は、あえておどけてみた。

 

「えっと、もしかして昨日のテスト結果がとても残念なものになったからそのお知らせですか……?」

「いいえ。あれで駄目なら、この学校の生徒は全員補習を受けなければならないわ」

「まったまたーおばさん持ち上げ上手ですね! 時間を掛ければ誰でも出来ますよ!」

 

 冗談でもおべっかの類でもなかっただけに、理事長は苦笑を隠しきれなかった。昔から片桐思穂は自分の実力を必要以上に発揮しない。

 

(時間を掛ければ……ね。貴方のその時間の掛け方は異常なのよ、思穂ちゃん?)

 

 何故思穂がこの音ノ木坂学院を選んだのかが、理事長には前から疑問であった。正直、思穂の圧倒的な学力はこの音ノ木坂学院では持て余す。そんな理事長の疑問を見透かしたかのように、思穂は言葉を続けた。

 

「……でもまあ、安心してください。多分、もうああいうことありませんから」

「あら、とうとう思穂ちゃんも反省したのかしら?」

「ええ、反省しました。だから穂乃果ちゃん達に迷惑が掛からないように、ついでに先生たちからケチ付けられないように振る舞うことに決めました」

「あらあら。もう校内放送で思穂ちゃんの名前を聞くことがなくなっちゃうのね」

「あ、多分たまには呼び出されますよ?」

 

 しかしこれだけ言っておいて、思穂は百八十度態度を変えるつもりはなかった。月火水木金とずっと起きているつもりなど毛頭ない。一週間に一日、二日は……と言った具合だ。

 

「それぐらいなら許されますよね? いや、許されるべきです!」

「あんまり先生方に迷惑を掛けないようにね?」

「はい! なるべく努力します」

 

 区切りがついたところで、ノック音が聞こえた。一拍置いて、扉が開かれると、良く知る二人が入室してきた。

 

「お、思穂ちゃん」

「希先輩、それに絵里先輩。こんにちはです!」

 

 絵里は思穂の挨拶に応えることはなく、その視線を理事長へ向け続けていた。その空気を察した思穂は足早に理事長室を後にしようとすると、希に手で遮られた。

 

「思穂ちゃんも関係ある話だから居てくれる?」

「希……!」

「ええやん。ここで追い出したら何だか陰口みたいになってまうし」

 

 希の言葉に思う所があるのか、絵里も渋々承知したようだ。間を置き、絵里が本題を切り出した。

 

「スクールアイドルグループが行ったライブの件ですが、生徒は全く集まりませんでした。スクールアイドル活動は、この音ノ木坂学院にとって、マイナスだと思います」

「学校の事情を盾に、活動停止させるとは絵里先輩もあくどいですね~」

 

 絵里は思穂を横目で睨み付けた。その瞳は今日も冷たく思穂を射抜く。

 

「片桐さん、貴方は口を挟まないで頂戴」

「でも、片桐さんの言う通りよ。学校の事情で生徒の活動を制限するのは……」

「でしたら! 学院存続の為に、生徒会も独自に活動させてください!!」

 

 次の瞬間、絵里の懇願を理事長は切り捨てた。

 

「それは駄目よ」

 

 この時、思穂は理事長の返答に疑問を抱いた。今の言葉を整理するのなら、絵里も学院を存続させるために生徒会を活動させるという話だ。それも、口ぶりからしてずっと前から提案していたように受け取れる。

 穂乃果達が学院をどうにかしたいという気持ち、絵里が学院をどうにかしたいという気持ち。一体何が違うのか……。

 

(……ん?)

 

 希の複雑そうな表情が目に入った。その視線は絵里の背中に注がれている。その希の仕草を見た思穂は、一つの“もしかして”を弾きだした。

 

(……もしかして理事長が絵里先輩の意見を却下しているのって……)

 

 その結論はすぐに思穂の胸の奥に仕舞われることとなった。理事長が自分のノートパソコンを絵里の前に向けたからだ。

 

「それに、全然人気がない訳じゃないみたいですよ?」

「あ……穂乃果ちゃん達!?」

 

 画面には動画サイトが映し出されていた。そして今流れている動画は何を隠そう、μ'sのファーストライブの様子だった。もうコメントが三つも付いている。

 

(でもあの時、穂乃果ちゃん達へカメラを向けている人は一人もいなかった。なら……あの時のお客さん以外にμ'sに関心を持っている人が動画を撮影したってことだよね)

 

 嬉しさは当然あったが、それよりも気になるのはその動画自体だった。

 

「この前のライブ……誰かが撮ってたんやなぁ」

「そうみたいですねぇ……ものすごーくμ'sに関心がある人が撮ってくれてたんですね。誰かは分からないけど、感謝感激です」

 

 すると、絵里が理事長から背を向けた。

 

「あら、もう良いのですか?」

「……はい。また、後日……」

 

 苦虫を噛み潰したような、そんな表情を浮かべ、絵里は歩き出した。それに希が続く。

 

「おば……理事長、私もそろそろ昼休み終わるんで行きますね」

「ええ。午後も頑張ってください」

 

 絵里の行動が益々読めなくなったところで、昼休みは終わりを迎える――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 居眠りすることなく今日の授業を終えた思穂は、アイドル研究部の前まで来ていた。少しだけ開けるのを躊躇ったが、今更怖じるつもりもなかった思穂は、勢いよく扉を開け放つ。

 

「にっこにっこにー!」

「うわあ!!」

 

 瞬間、にこが椅子から崩れ落ちた。一瞬だけ悪いことをしてしまったという罪悪感が湧いたが、部室内を見てすぐにソレは霧散した。

 逆ギレに近いが、むしろ思穂が驚きたかった。何せ部屋が真っ暗。付いている明かりはパソコンの画面のみときたものだ。これで血まみれの人形や魔法陣なんかあったら思わず警察を呼んでしまう。

 

「ちょ、あんたノックしろってあれほど……!」

「まあ、その辺は置いておきましょうよ。何見てるんですか? またアイドル系ですか?」

 

 思穂が画面を覗き込もうとしたらにこが急に慌てだす。

 

「あ、あんた勝手に人のパソコン……!」

「今更すぎますよ! 何ですか? 人には言えないような画像でも――」

 

 パソコン一杯に映し出されていたのは、ファーストライブの穂乃果達であった。なら、タスクバーに最小化表示されている動画サイトで見ていたであろう動画は恐らくμ'sのライブであろう。

 流石の思穂も、これには素早く反応を返せなかった。何だかとてつもなく見てはいけないものを見てしまったような気分だった。

 

(よーし落ち着け私。きっとアレだよね。ネットゲームか何かの画面だよね。最近のキャラクリエイトってすごいなー。顔も衣装もまるで穂乃果ちゃん達そっくりだもん。これはもうプレイ的なステーションの第四バージョンも真っ青の超技術だね)

 

 思考をフル回転させ、それなりの理由を導き出した思穂は、一度頷き、ゆっくりと回れ右をする。

 

「じゃ、失礼します!」

「待ちなさい」

 

 自然に立ち去ろうとした刹那、にこにがっしりと腕を掴まれてしまった。振り解こうにも、明らかに逃げたらどうにかされるレベルのヤバい“何か”がにこの周囲を覆っていた。

 

「……あれ? にこ先輩、何だか腕がすごく痛いんですけど気のせいですかねぇ……?」

「あんた、見たわね?」

 

 何を、とはとてもではないが聞けなかった。これが火曜日に入るドラマならば、この時点で思穂の人生は終了だ。こんな若さでデッドエンドを迎えるのだけは何としても避けなければならない。思穂は慎重に言葉を紡ぐ。

 

「み、見てないですね~……何か盗撮紛いの写真がたっくさんあっただなんて口が裂けても――」

「やっぱり見てんじゃなーい!」

 

 今日は生きて帰れるのだろうか。それだけが思穂の気がかりであった――。



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第十二話 まきりんぱな

「あ、おばさん。こんばんはー」

「あらいらっしゃい思穂ちゃん。穂乃果達なら上よ」

「お邪魔しま~す!」

 

 いつもの穂むらの階段を上がりながら、思穂は今日の放課後の事を考えていた。

 

(にこ先輩はやっぱりにこ先輩だったなぁ……)

 

 放課後、当然と言えば当然だが、思穂は無事に解放された。その去り際に言われた一言が思穂の心にチクリと刺さったのだ。

 ――あいつらはアイドルを汚しているわ。

 にこは確かにそう言った。前にも言っていたが、穂乃果達のファーストライブを見て、その気持ちが変わったかと思っていた思穂は自分の浅はかさに苦笑する。

 

(この調子じゃ、絵里先輩たちに“あの事”を突っ込まれた時、厳しいかもなぁ……)

 

 未だ部員が定数に達していない為、その事には触れられていないが、五人以上に達した直後、絵里はその切り札を切る確信が思穂にはあった。本来ならマネージャーとして、思穂はその対策に乗り出さなければならないが、にこの事も気になる為、今は様子見。

 

「まっ! そんなことは部員が集まったら考えれば良いよね! 穂乃果ちゃーん! お邪魔しまーす!」

 

 穂乃果の部屋にはいつものメンバーの他に、珍しい人物がいた。思穂はすぐさまその人物の元へ駆け寄る。

 

「ほわっちゃ!? え、何何何? ついに花陽ちゃん、我らがμ'sに参加表明!?」

「ひぇっ……!? か、片桐先輩!?」

「思穂! 小泉さんが怖がっているじゃないですか!」

 

 思穂は即刻海未に引きはがされ、正座させられてしまった。しかし、これもしょうがない。と思穂は自分に言い聞かせる。何せ、花陽に久しぶりに会えたのだ、これでテンションが上がらない方が珍しい。

 

「思穂ちゃん、待ってたんだよ。今、ちょうどあの動画見つけたところだったし」

「あの動画?」

 

 思穂はことりのノートパソコンの方へ近づき、その画面を覗き込んだ。そこには理事長室で見せられた例の動画があった。昼に見た時より、再生数が遥かに増えている。

 

「これ……」

「一体、誰が撮ってくれたんだろうね?」

 

 穂乃果の言葉に、思穂は一人の人物の顔が浮かんだが、確信を持てなかったため、それを口にすることはなかった。色んな条件を冷静にクリアしていけば、たった一人に辿りつくが、本人は絶対に否定するだろう。

 

「あ、ここ! 綺麗に出来たよね!」

「何度も練習してたところだったから、決まった瞬間ガッツポーズしそうになっちゃってたよ!」

「あ、今のところは穂乃果が一番苦戦していた所ですね」

 

 穂乃果やことり、海未がそれぞれファーストライブの時を思い出し、あれやこれやとプチ反省会をしているのを横目に、思穂は花陽の顔を覗き込む。

 花陽の瞳は一言で言うのなら、とてもキラキラとしていた。憧れや感動、そして自分との投影。色んな感情が含まれている。思穂の視線にも気づかず、花陽は動画を食い入るように見つめていた。

 

「はーなーよーちゃん! この思穂ちゃんとお話ししよーよー!」

「っ! す、すいません。集中していて気づきませんでした……」

「だってさ、穂乃果ちゃん!」

 

 思穂の言いたいことに気づいたのか、穂乃果が一度頷き、花陽の方へ顔を向ける。

 

「スクールアイドル、本気でやってみない?」

「そうそう。花陽ちゃんにティンと来たんだよ!」

 

 思穂と穂乃果がそう言うと、花陽は徐々に顔を紅くしていき、目を逸らした。

 

「でも私……向いてないですから」

「それ言うなら、この園田海未っていう娘っこは人前に出るの無理なんだよ! この前も――」

 

 それを言う前に、思穂は海未に口を塞がれてしまった。素振りすら見せず、一瞬で思穂の口へ手をやる海未の動作は流石というべきか。これが刃物だったら既に思穂の目の前は真っ暗になっていただろう。

 

「ですがまあ、私も人前に出るのは苦手です。向いているとはとてもではないが思えません」

「私もたまに歌詞忘れちゃったりするし、運動も苦手なんだ~」

「で、でも……」

 

 海未とことりの言葉を受け、すこしだけ揺らいだ花陽。そんな花陽へ、思穂は更に後押しをしてみる。

 

「プロのアイドルだったら、ちょっと厳しいかもしれないけど、これはスクールアイドル。友情、努力、勝利があれば既に私達はスクールアイドルだよ!」

「思穂ちゃんの言うとおりだよ! やりたいって思ったらやってみよーよ!」

「もっとも。練習は厳しいですが」

 

 その後、珍しく穂乃果から叱責される海未の姿が。確かに言って良いことと悪いことがある。これで逃げられたら堪ったものでは無い。

 

「ゆっくり考えて、答え聞かせて?」

 

 穂乃果の言葉に、ことりが続く。

 

「私達はいつでも待っているから!」

 

 その言葉に花陽が何を思ったのか。少しでも考えるキッカケになってくれれば良いな、と思穂は思い、再び動画へと目を落とす――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「よーし! 今日も寝なかったよ!」

 

 今日も何とか居眠りすることなく昼休みまで辿りつけた思穂は気分転換に中庭まで歩いていた。今日は練習が無かったのもあり、見事に手持無沙汰となってしまったからだ。というのも、穂乃果が五時限目の宿題を見事に忘れてしまったようで、今海未とことりがそのサポートに全力を注いでいる最中。

 穂乃果に全力で助けを求められてしまったが、海未とことりによってそれは却下され、海未メインことりサブで穂乃果の宿題を見ていた。どうも思穂は穂乃果にヒントを出し過ぎてしまうきらいがあるようだ。

 

「お、あれは……」

 

 中庭の樹の下で、花陽が座っていた。俯いて、何か考え事をしているように見える。

 

「花陽ちゃん、やほー」

「片桐先輩……」

 

 さりげなく隣に座った思穂は花陽の方へと顔を向ける。あえて思穂は風下へと位置取った理由としては、花陽の微かな良い匂いを全力で堪能するためだ。

 

(あぁ~……花陽ちゃんの良い匂いでご飯が食べられるぅ~……)

 

 この香りを閉じ込める袋は無いかと周りを見渡すが、生憎手持ちにはコンビニ袋しかない。しょうがないので、思穂はそのコンビニ袋を動かし、すぐさま口を縛った。

 

「な、何を……?」

「あ、気にしないで。ちょっとアロマに凝っててさ。その材料をゲットしただけだから!」

 

 顔は笑っているが、その目は全く笑っていない思穂を見て、花陽はこれ以上何も聞くことは出来なかった。花陽は本能で分かっていた。これ以上突っ込むと、何か余計なものを掘り起こすという確信があったのだ。

 

「それよりもさ。どう? あれから?」

 

 その質問の意味を理解していた花陽は、即答せず青空を見上げた。

 

「正直……私、まだ……」

「……そっかそっか」

「片桐先輩は、どうしてスクールアイドルに?」

「あ、私スクールアイドルじゃないよ?」

「へっ……!?」

 

 穂乃果達と一緒にいることが多いから、勘違いされていたようだ。思穂は一度も自分をスクールアイドルだと思ったことはなかった。いわば自分は黒子だ、輝かしいスクールアイドルの影に潜む。

 

「正確に言えば、私マネージャーもどきなんだ。メインは文化研究部で、いわゆる副業ってやつ?」

 

 花陽が目を丸くしている中、思穂は言葉を続ける。

 

「それに、さ。私じゃ駄目なんだよ。穂乃果ちゃん達のような高い情熱は持てなかった」

「どういう……ことなんですか?」

「要は穂乃果ちゃん達みたいに死ぬ気で廃校を阻止するために動けなかったんだよね。だから私はそんな穂乃果ちゃん達を全力でサポートしたいんだ」

 

 穂乃果達の前で絶対に言えないことであった。思穂には穂乃果達はあまりにも眩しかった。そんな穂乃果達と“対等”になるため、思穂はマネージャーと言う黒子に徹したかった。

 

「まあ、私の事はどうでも良いんだよ! 花陽ちゃんだよ花陽ちゃん!」

「私ですかっ!?」

 

 花陽の肩に両手を乗せ、思穂は珍しく真面目な表情で言った。

 

「良い? 人生は一回きりだよ! ちょっとした迷いで残りの人生後悔するより、思いっきり突っ走って恥ずかしくなって死にたくなった方が全っ然良いよ!」

 

 そして思穂は立ち上がった。とある赤毛が遠目に見えたからだ。明らかに花陽へ話し掛けたそうなオーラが出ているのに、それを邪魔するほど思穂は無粋では無い。

 

「じゃ、私そろそろ行くね! 花陽ちゃん、清水の舞台から飛び降りてね!」

「死ぬ覚悟!?」

 

 合っているようで微妙にあっていない言葉を言い残し、思穂は走り出す。チラリとみると、とある赤毛が花陽の元へ歩いていくのが見えた。

 

(これは何だか風が吹いて来たかも!)

 

 もちろん思穂には二人がどんな話をするのかは見当も付かない。だが、きっと花陽にとって、実りのある話になると信じて、思穂は穂乃果達の元へ戻っていく――。

 この後、思穂は六時限目の宿題もやっていなかったという穂乃果に泣きつかれ、手伝ってあげたのはまた違う話である。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「よぅし! 三人とも、この前よりいい感じになっているね!」

 

 今日の放課後はファーストライブで披露した曲『START:DASH!!』の復習だった。昨日の夜に行われたプチ反省会を元に、悪かった部分や良かった部分を重点的に直していった。その中には思穂が個人的に直した方が良いな、と感じた部分も含まれている。

 そうして今日も今日とてみっちり練習したμ'sの前に、“彼女達”は現れた。

 

「皆さん、ちょっと良いですか?」

 

 第一声は真姫だった。しかし、思穂の視線は真姫と凛の間にいる花陽の存在である。二人にがっちりと腕を組まれた花陽は何だか某二人の黒服と宇宙人を思い出させた。

 

「あのっ! かよちんは歌も上手だし、可愛いし、スクールアイドルに向いていると思うんです!」

「いきなりすぎ。あの、小泉さんはμ'sに興味があるみたいなんです」

 

 凛の言葉を真姫が切り捨て、花陽を穂乃果達の前に差し出す。そのやり取りを見ていたことりが凛と真姫の言いたいことを理解したのか、少しだけ期待に満ち溢れた表情へと変わった。

 

「もしかして……メンバーになるってこと?」

「おおう! ついにメンバー大量加入の風が吹いた!」

 

 ことりの質問に頷いた凛が再び花陽をプッシュしだす。

 

「かよちんはずっとずっと前から、アイドルやりたいって思ってたんです!」

「そんなことはどうでも良くて! この子、結構歌唱力あるんです。皆にも負けないぐらいに」

「そんなことってどう言うこと!?」

「言葉通りの意味よ」

 

 真姫と凛の言い合いがヒートアップしていく中、真ん中の花陽が遠慮がちに言葉を発する。

 

「あ、あの……私、まだ……」

 

 ここまで来てまだ消極的な事を言う花陽に、とうとう凛が痺れを切らした。

 

「もう! いつまで迷ってるの!? 絶対やった方が良いのー!」

「それには私も賛成。やってみたい気持ちが少しでもあるんならやった方が良いわ」

 

 花陽を解放した真姫が、彼女の両肩へ手をやり、顔を近づける。言い含めるように、言い聞かせるように。

 

「さっきも言ったでしょ? 声を出すなんて簡単よ。貴方だったら……絶対出来るわ!」

 

 直後、花陽を奪い取るように自分の方に向かせた凛がありったけの気持ちを彼女にぶつけた。

 

「凛、知ってるよ? かよちんがずっとずーっとアイドルになりたいって思ってたこと!」

「凛ちゃん……西木野さん……」

 

 それから花陽は“その言葉”を言おうとした。だが、まだ声が小さく、意志の証明にはならない。

 だが、思穂はあえてそのことに対して背中を押すようなことはしなかった。理由は単純だ。

 

「凛たちが」

「応援するから」

 

 何せ凛と真姫が花陽の背中を押すから。ふわりとそして優しく背中を押された花陽が一歩前へと踏み出した。その瞳と表情にはもはや“迷い”という雲は微塵もない。

 感情が高ぶり、うっすらと涙を浮かべながら、花陽はついに――“その言葉”を口にした。

 

「私、小泉花陽と言います! 一年生で、背も小さくて、声も小さくて、人見知りで得意なものは何も無いです。……でも、アイドルへの想いは誰にも負けないつもりです! だから――μ'sのメンバーにしてください!!」

 

 思穂は思わずガッツポーズをしていた。ついにメンバーが増えたことではない。あの小泉花陽が自分の殻を破り、新たなステージへと上がったことに対する高揚だった。

 穂乃果達の、そんな花陽に対する返事はもう聞かなくても分かっていた。

 

「こちらこそ……よろしく!」

 

 穂乃果と花陽の固く交わされた握手が、それを証明していた。思穂も何だか泣きそうになったが、我慢し、花陽の後ろで泣いている凛と真姫の元へと駆け寄った。

 二人は二人で感極まったようで、互いが互いのことを茶化しながらも、涙を浮かべていた。思穂はそんな二人の後ろに回り込み、二人をがっちりとホールドした。

 

「で? まだ二人の入部宣言を聞いてないんだけど?」

「……入部?」

「……宣言? って言うか、いつの間に私の後ろに!?」

 

 思穂は威厳たっぷりに答えた。

 

「知らなかったの? 片桐思穂からは逃げられないんだよ! ていうか私、大量加入って言ったじゃん!」

 

 そんな二人の前に、ことりと海未が歩いてきた。そして、にこやかに手を差しだした。

 

「メンバーはまだまだ募集中ですよ?」

「うん!」

 

 最重要課題が消化された瞬間を確かに視た思穂は、ひとまず内心安堵していた。そしてまたまた降りかかってくるであろう難問を前に、思穂は穂乃果をただ見つめるだけ。

 

(穂乃果ちゃん。多分、次が正念場だよ?)

 

 だが、今は喜ぼう。気持ちを共に、更なる高みへと登ろうしていく仲間が“六人”になったことに――。



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第十三話 出会ったのは“頂点”

「来たぜ、我が心の故郷ぉ!!」

 

 μ'sのメンバーが増えた翌日。その日は土曜日であり、μ'sの練習も午前中で終わったので、午後からの思穂は久しぶりの完全フリータイムであった。

 そうしてやってきたのは聖地秋葉原。今日はお財布に軍資金をたんまり入れてきた。となれば、やることは一つである。

 

「え~と……今日の買い物は~と」

 

 びっしりと書き込まれた買い物リストに目を通しつつ、購入ルートを頭の中で構築していく思穂。こと自分の趣味に関しては思考速度が普段の倍以上になる思穂は素早くルート構築を完了し、歩き出す。

 右を見ても、左を見ても、この秋葉原は常に人に満ち溢れている。そのどれもに生気を感じ、命の輝きを感じる。そんな秋葉原が、思穂は大好きだった。

 思穂が最後に秋葉原に来たのはμ's結成前にもなる。練習等で中々自由な時間が取れなかった思穂にとって、今日という日は待ちに待ち焦がれていた日である。

 

「お。このラノベ、前から気になってたんだよなぁ」

 

 左手で触れた異能を消す力を持つ不幸体質の少年が、ある日ベランダで干されていた巫女と出会う、という実にボーイ・ミーツ・ガールなストーリーである。バトルあり友情ありお色気ありの直球ど真ん中な作品なので、思穂は前々から買おうかどうか悩んでいた。

 しかし、今日書店でその作品と出会えたというのは何かの運命だろう。そう感じた思穂の行動は早かった。

 

「買ってしまった……衝動的に、全巻……」

 

 見事に予定外の出費だった。肩を落とすのも少しだけで、思穂はすぐに購入リストにペンを走らせる。

 

「これは欲しい、これはまた次、これも欲しい、あ、これは考えてみればそんなに欲しくないかも」

 

 歩きながら、思穂は購入予定の取捨選択を行っていた。当然予算より多めの金額をお守りとして持ってきてはいたので、それを使えば問題なく買い物は出来るが、それは思穂から言わせれば二流の行為だった。

 今が良くても、それは後々響いてくるのは火を見るより明らか。未来を見据え、思穂は心を鬼にし、自分にひたすら要不要を問いかけていた。

 

「よぅし。こんなもんかなー」

 

 所要時間五分。前はもっと未練があったりして悩んでいたが、既に心は鋼の如く。度重なる“修練”の果て、切り捨てる覚悟を身につけた思穂の作業はもはや機械的と言って差支えなかった。

 

「……ん?」

 

 少し開けた場所に何やら人が集まっていた。イベントか、そう考えた思穂の行動は早かった。バンドのゲリラライブか、それともチェックしていなかった声優のイベントか、色んな可能性を頭の中で浮かんでは消えを繰り返していると、いつの間にか思穂はその集まりの端へ辿りついていた。

 

「さぁさぁ! 彼女の記録を越えられる者はもう居ないかな!?」

 

 司会のお姉さんがマイク片手に元気いっぱいイベント進行していた。その司会の話を聞くと、どうやらこれは歌自慢のイベントらしい。単純な歌の上手さの他に、振り付けも得点になるようだ。

 ステージの横では三人の審査員が席に着いていた。ステージの上に立っているポニーテールの元気そうな女の子が現時点での優勝候補なのだろう。

 

「このままだったら優勝も賞品も彼女のモノになっちゃうぞ~!」

「まあ、どうせ何かのゲームソフトの詰め合わせでしょー?」

 

 そう思い、思穂は優勝賞品が置いてある机へと目をやった。そこに並べられていた物を見て、思穂は息を呑む。商工会でも絡んでいたのか、賞品はこの秋葉原で使える三千円分の商品券であった。

 

「はいっ!! 挑戦者ここにアリ!!」

 

 脊髄反射で思穂はステージの前に駆け出し、手を挙げていた。仕方が無かった。この商品券があれば、買えるものがあと五個くらい復活するのだから。

 ここまで来て、事前申し込みが必要だったかと一瞬不安になるが、主催者側にしてみれば、それは特上のスパイスとなったようだ。喜んで、思穂の飛び入り参加を歓迎した。

 ステージ上に上げられ、司会のお姉さんからマイクを受け取った思穂は観客へ身体を向けた。

 

(おおう……これが穂乃果ちゃん達が見た景色)

 

 誰かの前で何かを披露する、人の多少はあれど、それは間違いなく穂乃果達が経験したことで。……動揺したのは一瞬。それからの思穂は完全に賞品を狙う獣と化していた。

 司会に歌う曲を告げ、音源が入った音楽プレーヤーを手渡した思穂は格好つけにマイクを空中で一回転させる。

 

「片桐思穂です!」

 

 観客の皆は掛かった曲に皆ざわついた。

 本当ならば、ここでμ'sの曲でも掛け、噂を集めなければならないのだろう。だが、思穂はその気は一切なかった。自分が、μ'sの曲を披露するなどおこがましい。

 なので、思穂は前からにこに見せられ続けていた曲を披露することにした。

 

「山よ! 銀河よ! 観客たちよっ! 私の歌を聴けぇっ! 『Private wars』!!」

 

 何を隠そう、それは超有名スクールアイドル『A-RISE』の曲だった。μ's以外で思穂が即席でやれる曲はこの曲ぐらいしか無かった。それもそのはず。何度も見せられれば覚えるのは世の理である――。

 

「――イェイ! ありがとうございます!」

 

 踊り切った思穂に対し、客はシンとしていた。司会までもが声を失っていた。その事が、思穂を酷く不安にさせた。

 

(……あれ? 何かルール違反!?)

 

 確かに何食わぬ顔で、堂々とルール違反をしていたらこうなるのも必然だろう。そう思っていた思穂は、次の瞬間、それが勘違いだったということに気づかされた。

 

「ほわっちゃ!?」

 

 爆発でもしたかのように送られる拍手の数。優勝候補の女の子ですら惜しみない拍手を送っていた。人数の関係でセンターである『綺羅ツバサ』のパートしか出来なかったので、厳しい評価になると覚悟していただけに、この反応は純粋に嬉しかった。

 思穂は改めて、観客へ手を振った。

 

「皆、ありがとうございましたぁ!!」

 

 早々と結果が出された後、司会が更なる挑戦者を募った。だが、思穂の結果を見て、手を挙げる者は誰一人としていない。主催者側も既に片桐思穂の名前で賞品に名前を書き始めている。観客も主催者側の結論は既に決まっていたのだ。彼女の結果を上回れるのは、それこそ本家しか存在しないのだから――。

 

「思わぬ収入! これはもう、私に物を買えっていう神様からのプレゼントだよね!?」

 

 そんな観客と主催者側の気持ちを察していなかった思穂は実にほくほく顔であった。開催時間がもう終わりに近づいたから決まったのだろう、思穂はそうとしか思っていなかったのである。

 思穂の次の目的地はお気に入りの音楽ショップであった。ずっと前からチェックしていた声優グループの新曲の入荷日が今日なのだ。

 

「いや~早々に切り捨てておいて言うのも何だけど、あって良かったぁ~……」

 

 手に取り、早速貰った商品券を使った思穂はリュックにCDと他の目当てのCD達を仕舞った。買い物に来るときの思穂は常に登山用の大きなリュックを背負っていた。雨が降ろうが風が吹こうが中身を守れ、大量の物を入れられるその信頼性は右に出るモノはない。実際、何度も悪天候の中、思穂はこうして秋葉原に遠征をしに来たことがある。中身は無事だが、本体が風邪を引くということは最早様式美。

 しかし今日は天気予報で晴れだというのは確認済みである。思いっきり買い物を楽しめる。

 

「ん?」

 

 店のモニターに先ほど思穂が歌ったA-RISEのPVが流されていた。画面の中の三人はいつ見ても、ダンスと歌が高水準で見るもの全てを圧倒する。だが、思穂は手放しでそれに見惚れてはいなかった。

 

「やっぱりμ'sの方が、何かこう……魂を感じられたなぁ……」

 

 どうしてもμ'sのファーストライブと比べてしまう思穂は、A-RISEからそれほど何も感じられないことに気づいてしまった。上手だ、μ'sの遥か上を行く。それは揺るぎようのない事実。それ故に、思穂はμ'sが唯一勝りうるであろう要素も感じ取っていた。

 

「――あら、それは聞き捨てならないわね?」

「ん?」

 

 突然の声に慌てず、思穂はゆっくりと声のする方へ顔を向けた。向けて、もう一度店のモニターへと視線をやった。交互にモニターと“彼女”を見比べた思穂は頬を軽くつねった。痛い。だが、これで思穂が幻を見ているわけでは無いことの証明にもなった。

 

「……あ、ども」

「初めまして、片桐思穂さん」

 

 目の前に立っていたのは、そっくりさんでもなんでもない、“本物”の綺羅(きら)ツバサであった――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 思穂は今、人生最大の緊張を迎えていた。と言うより、女子高生なら誰もが緊張すること間違いないだろう。何故なら――。

 

「どうぞ、くつろいで。ここはUTXのカフェスペースになっているの」

「本当ですか!? UTXすごいですね! あ、このミルクティー美味しいー! ドリンクバーだからって嘗めてたけど、これはしてやられましたよー!」

 

 グイッとミルクティーを飲み干し、空のコップを置いた思穂はまるでどこかのオヤジである。海未が見たら“はしたない”と言われること間違いないが、今の思穂にはそんな余裕はなかった。

 何故なら今、思穂はUTX学院、あろうことに個室であの有名スクールアイドルA-RISEの三人と向かい合っているからだ。その姿たるやまるで面接に応じる新入社員候補。

 

「ふふ、君は面白いな」

 

 そう言って、ツバサの左に座っていた統堂英玲奈(とうどうえれな)がクールな笑みを浮かべた。大人っぽい雰囲気を持つ彼女に正面から微笑まれたらきっと同性だろうが恋に落ちる。ストロベリーなパニックに思いを馳せつつ、思穂はツバサの右に座っていたお嬢様風の少女の方へ視線を移した。

 

「面白いですかねぇ~……? あっ。あんじゅさんも私と同じミルクティーですか? 美味しいですよね!」

 

 思穂がそう言うと、優木(ゆうき)あんじゅが小悪魔オーラ全開の笑みを浮かべた。

 

「そうねぇ、私もここのミルクティー好きよ」

 

 甘いっ――! あんじゅの生声を聴いた思穂はその甘さ全開な声に蕩けそうになっていた。ことりや花陽とはまた違うベクトルの甘さに思穂はクラクラする。

 

「かぁーっ! 良いですねぇ! この声で毎朝起きたいですよ! ……ところで、ツバサさんやツバサさん」

「何かしら?」

「何で私の名前知ってたんですか?」

 

 するとツバサが自分のスマートフォンを差し出し、何かの動画を再生しだす。流された動画を見て、思穂は思わず声を上げてしまった。

 

「ほわっちゃ!? さっきのイベント!?」

 

 それは紛れもなく先ほど行われていたイベントで、思穂が思いっきり歌っている最中のものであった。その刹那、何故個室に連れ込まれたのか理解した思穂は三人へ土下座気味に頭をテーブルに付けていた。

 

「すいっませんでしたぁ!! どうか命だけはぁ!!」

「へっ? ……顔を上げて、片桐さん」

「そうだ。我々は別に、君をどうにかしようという気は全くない」

 

 恐る恐る顔を上げた思穂は三人の顔を見て、とりあえず嘘では無いことに安堵した。こんな所で行方不明の人物にだけは、絶対なりたくない。

 

「な、なら何で私連れ込まれたんですか? A-RISEの皆さんとは顔を合わせたことも無い、ただの音ノ木坂学院の生徒ですよ?」

 

 すると動画を一時停止したツバサが言った。

 

「いいえ、私は貴方の事を知っていたわよ?」

「ツバサさんが? 何で?」

「貴方、前に新聞に載っていたでしょ? それで名前を憶えてたのよ」

「新聞……?」

「天才少女現る! って見出しの記事だったかしら? ほら、中一、二、三と全国模試満点だったっていう」

「あ、ああっ! 思い出した!」

 

 完全に忘れていた思穂である。それもそのはずで、思穂にとって、その時はただのアニメ禁止令を回避するための手段だったのだから。そもそも全国模試なんて、母親に『趣味に没頭するのは良いけど、ちゃんと勉強しなさいよ?』と言われた思穂が、母親へ目に見える結果を示すため、とりあえず受けたものに過ぎなかったのである。

 中学三年生の時、結果が返ってきたのとほぼ同時、新聞記者がやってきたのは本当に驚いた。新聞記者に話した内容と言えば当然サブカルチャーの深さを熱弁したのだが、結果は『これからも勉強頑張って行きます』という物凄く差し障りの無い文章であった。

 ……もちろん、それ以外は超最低限の点数を取り続けていた。

 

「というか、良く覚えてますね。確か一社しか来なかった超マイナー記事じゃないですか」

「ええ、本当に偶然だったわ。それで、今日通りかかったら、丁度イベントがあって、貴方が私達の曲を歌っていたんだからほんと、運命の悪戯よね?」

「そうですねぇ……。あれ? 益々何で呼ばれたか分からない」

「ねえ。さっき貴方、CDショップでμ'sって言っていたわよね? どういう関係?」

 

 それで思穂はピンと来た。ツバサの聞きたい事が分かったところで、思穂はとりあえず嘘を吐く必要も無いので、正直に答えた。

 

「マネージャーです。正確に言えばもどきですが」

「あら? てっきり私はμ'sのメンバーだと思っていたのに」

「いやあ、ご期待に添えず申し訳ありません。ていうか何で私がメンバーだと思ったんですか?」

「貴方のダンスがすごかったからよ」

 

 思穂は今、思いきり頭にハテナマークを浮かべていた。正直、褒められるポイントが思いつかなかった。

 すると英玲奈が口を開いた。

 

「歌唱力、ダンスのキレ、そしてステージ度胸。その全てが並み居るスクールアイドルを凌駕していた」

「私達並、いや然るべき練習をすればそれ以上ってところかしらぁ?」

 

 更に続くあんじゅの言葉に、思穂はぶんぶんと手を振っていた。

 

「いやいや! あれ商品券をゲットするためにやっただけですから!」

 

 賞品をゲットするためのみに、思穂は全力で事を成しただけである。そこまで高尚な評価を貰えるほど、思穂は潔癖な理由でステージを披露したわけでは無い。

 

「と言うより、結構スルーしていましたが、皆さんμ'sのこと知っているんですか!?」

「ええ。動画でファーストライブ、見させてもらったわ」

 

 妙にμ'sの単語が飛び出ると思っていたが、ようやく納得出来た思穂である。やはりA-RISEが声を掛けてきた理由はμ'sにあったようだ。

 

「……率直な感想をお聞きしたいですね」

「有望だと、とんでもないのが出て来たと、素直にそう思ったわ」

 

 ファーストライブの手応えは確かにあったようだ。そして思穂は確信できた。やはりμ'sはA-RISEへと届きうる存在になるだろうということを。

 

「そして貴方。今日のイベントを見て、また脅威を感じてしまったわ。……ねえ聞かせて? 何故裏方に徹しているのかしら?」

 

 ツバサのその質問には即答出来た。

 

「穂乃果ちゃん達――μ'sメンバーは“輝き”を持っている。それ以外の理由はありません。そして、私ごときに入る余地は一ミリたりとも有り得ません」

「“輝き”……それは、私達に並び立つモノなのかしら?」

 

 その質問にも、即答出来た。

 

「――当然ですよ。μ'sは絶対にA-RISEを越えられる。いえ、越えますよ」

 

 思穂の物言いにツバサを始め、流石のA-RISEメンバーも驚きを隠しきれなかった。途端、会話を盗み聞きしていたUTX生がざわつくのを耳にするが、そんなモノ、知ったことでは無い。

 

「綺羅ツバサさん、優木あんじゅさん、統堂英玲奈さん」

 

 そして、思穂は三人を指さし、高々に宣言した。

 

「私“達”μ'sは必ず貴方達と同じステージまで上り詰めます。その時はよろしくお願いします。あ、ミルクティーご馳走様でした」

 

 そう言い残し、思穂はカフェスペースを後にする。内心、心臓が飛び出しそうなほど緊張していた。しかし、言うことはしっかり言ったつもりだ。

 だが、やはり周りの視線は強烈で。実際、UTXを出るまで、いつ生徒に背中を刺されるかという恐怖に陥っていたのはまた別の話である――。



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第十四話 避けられない事

「それでは! 新生スクールアイドルμ'sの練習を始めたいと思います!」

「いえーい! ぱふぱふー!」

 

 穂乃果と思穂の盛り上がりに水を差したのはやはりといって良いのか、海未だった。

 

「いつまで言っているんですか? それはもう二週間も前の事ですよ?」

「だって嬉しいんだもん!!」

 

 そう言い、居住まいを改める穂乃果は、珍しくキリッとした表情で残りメンバーを見回した。

 

「なので、いつも恒例の……一!」

 

 するとことり、次に海未、真姫、凛、そして最後に花陽の順番で点呼をしていった。流石に毎日のようにやっていたらもはや慣れたもの。おぼつかなかった最初が懐かしい。となればこれもやはり、ということで。

 穂乃果が思穂の方を向き、少しだけ口を尖らせる。

 

「もう! そろそろ思穂ちゃんもやってよ~!」

「いやいやいや。私、正確に言えばμ'sじゃないしさ~。あっはっは」

「だから私達は、そんなこと気にしてなんかいませんよ?」

 

 海未の言うことが全てであり、気にしているのは思穂のみだった。だが、それだけは譲れない思穂でもある。μ'sは六人でμ's足りえるのだ。その中に、思穂の入る余地は微塵もない。

 

「とにかく! これで六人だよ、穂乃果ちゃん!」

「そうだね! このメンバーが後には神シックスだとか、仏シックスだとか言われるかもだよ!」

「あるある! その他にシックス英雄だとかシックス神将とかって言われるかもしれないよ!?」

 

 そんな穂乃果と思穂を見ていた凛は物凄く感心したように頷いた。

 

「毎日同じことで感動できるなんて羨ましいにゃ~」

「仏シックスだと死んじゃってるみたいだね……」

 

 花陽は花陽で違う着眼点を見出したようで、困ったように笑っていた。そんな皆を差し置いて、穂乃果は嬉々として指折り数えはじめた。

 

「私、賑やかなの大好きでしょ? それに、沢山いれば歌が下手でも目立たないし、ダンスだって――」

「穂乃果?」

「冗談冗談!」

 

 海未に睨まれてしまったのは当然予想出来た結果である。そんな穂乃果へ、ことりは珍しく真剣な表情で(たしな)めた。

 

「そうだよ? ちゃんとやらないと、今朝言われたみたいに怒られちゃうよ?」

「ん? 今朝? 何かあったの?」

「あ、思穂ちゃんに言ってなかったっけ? 今日朝練習してたらね、サングラス掛けたツインテールの子に『解散しなさい!』って言われちゃったんだ」

 

 穂乃果の言葉を聞いた瞬間から、思穂の背中から冷や汗が吹き出し始めた。そんな事を面と言ってのける性格、それにそんな分かりやすい特徴を持った人物なんて思穂の知る限り、たったの一人しかいなかった。

 

「でも、それだけ有名になったってことだよね?」

「凛ちゃんの言うとおりだと思うよ~……? ほら、手のかかる程可愛いって言うか、メンドクサイ子程可愛いって言うか~……」

「それより、練習。どんどん時間なくなるわよ?」

 

 凛と思穂の言葉をバッサリ切って、そう言う真姫。何だかんだで現状、一番やる気があるであろう彼女へ、凛が抱き着いた。

 

「おお~! 真姫ちゃん、やる気満々!」

「べ、別に! 私は早くやってさっさと帰りたいだけなの!」

「まったまた~! 凛、知ってるよ~? お昼休み、一人でこっそり練習してたの~」

「あ、あれはただ! この前のステップが恰好悪かったから、変えようとしてたのよ! あまりにも酷過ぎるから!」

 

 二週間前から変わったことがある。真姫を始めとする一年生組が互いに名前で呼び合うようになったことだ。凛と花陽は昔からの友達だったようなのでそれは当然だが、真姫が二人と名前で呼び合うくらい親しくなった。

 少しだけ棘々していたあの頃の雰囲気はもう無く、物凄く仲が良さそうだ。その経緯は思穂には良く分からなかったが、それはとても良いことだ。そう締め括れたらどんなに良かったことだろう。

 ……真姫の近くで物凄い顔をしている人を見なかったら、それが叶った物を。

 

「……そうです、か。あのステップ、私が考えたのですが……」

 

 髪を弄りながら、視線を宙に彷徨わせ、まるでゾンビか何かのようなすごい顔をしながら海未はいじけていた。そうなのだ。真姫が言っていたその酷いステップは何を隠そう海未が考えたものだったのだ。

 すると、凛が唐突に階段を駆け上がりだした。

 

「気にすること無いにゃ~。真姫ちゃんは照れくさいだけなんだよね~」

 

 そんな凛の声を遮るように、“それ”は鳴り響いた。外は曇天、鳴り響くは雨音。季節を考えるのならば、もう梅雨入りの真っ只中であった。

 凛に続くように、μ'sメンバーが屋上の扉まで上がっていくのを見届けながら、思穂は物陰の方へ顔を向ける。

 

「希せんぱーい。穂乃果ちゃんら行ったから、もう隠れないで良いですよ~?」

「思穂ちゃんエスパーか何か? すごいやん」

「一瞬だけ希先輩の美しいおさげが見えたもので……。これがパンツか何かだったら私は確実に飛び込んでいたでしょうね」

 

 くすくす笑いながら出てきたのは、希だった。μ'sあるところに希アリというのが、最近の思穂の考えだ。

 

「部員数はクリアしました。ってことは次に切られる札はアレですよね?」

「……あの子らには言うたの?」

「いいえ。ていうか何か言うタイミング無くて、しかも何か微妙な後ろめたさを……」

 

 思穂の言葉にピンと来たのか、希は突然タロットカードを見せてきた。それは天秤と剣を持った女王の絵だった。それはつまりタロットで言う『正義』を意味し、その正義が逆さまになっているということは……。その意味を理解した思穂は肩を落とした。

 

「あぁ~……やっぱり正直に言わないと駄目ってことなんですね……“どっちにも”」

「カードのお告げ通りならね。でも思穂ちゃんなら問題ないと思うけどなぁ?」

「買い被り過ぎですよ。私はどっちつかずの馬鹿野郎ですし。いや馬鹿女郎(めろう)?」

 

 逆位置の『正義』、その意味とは不正や不均衡。オブラートに包まず単純かつ明瞭に言えば、『そのうち全部バレて、板挟みに遭っちゃう! 大変だ!』と言うことだ。

 しかも厄介なことに、希によるタロット占いは大体当たる。ちなみにそのことに対する思穂の対策は抗うことでは無い、流れに巻き込まれない程度に“歩き続ける”こと。

 

「……思穂、希」

「……どうやらあの子達、止めるつもりはないようやで、にこっち?」

「ふん」

「にこ先輩、今日も相変わらず小さくて可愛いですね!」

「喧嘩売ってんなら買うわよ?」

 

 それは勘弁、と思穂は両手で降参の意を示す。

 

「今日もアイドル研究部で活動ですか?」

「……あんたには関係ないでしょ?」

「なら、にこっちはこれからどこ行くん?」

「あんたにも関係ないわよ、希」

 

 そうしてにこは歩き去って行った。その小さな背中を見ながら、思穂は希に言う。

 

「にこ先輩も中々不器用ですよね~……どこかの生徒会長と違って」

「そうやね~どこかの生徒会長と違って」

 

 思穂と希の間で不思議な“和み”が生まれたが、それにいつまでも浸っているほど思穂は優しくはない。むしろ――思穂は希の方をチラリと見る。

 

「どこかの副会長も他人事じゃないですよね~……」

「おお、言うやん。どっかのマネージャーも他人の事言えんと思うけどな~」

 

 すると、階段の上から思穂を呼ぶ声が聞こえた。返事を待たずに駆け下りて来たのは穂乃果であった。

 

「思穂ちゃん! 雨すごいよ~!!」

「うおっ!? 何でびしょ濡れなの!? ていうか凛ちゃんもびしょ濡れだ!!」

 

 穂乃果に続いてびしょ濡れの凛が下りて来た。その他が濡れていなかったのは流石の思穂も胸を撫で下ろした。そんな思穂へ、まるで堪えていない穂乃果が名案を思い付いたかのように指を立てた。

 

「ねえ! 今日は練習中止にしたからハンバーガー食べに行かない? 作戦会議しよう!」

「あ、ごめんね。なら今日はちょっと別件片づけちゃたいんだけど、良い?」

「別件? 私達に手伝えることなら手伝いますよ?」

 

 海未の提案は魅力的だったが、思穂は両手を振り、やんわりとそれを断った。

 

「ううん。大丈夫大丈夫! ほらほら花陽ちゃんのお腹の音が聞こえてくるよ?」

「ええっ!?」

 

 バッとお腹を押さえ顔を真っ赤にする花陽の姿たるや、まさに歯車的萌えの小宇宙。とりあえずにこやかにポンポンと花陽のお腹を触り、さらに撫でまわした思穂は海未にどつかれる前に、μ'sの元から走り出す。

 

「花陽ちゃん! 良い触り心地だったよ! じゃ!」

「っ! 待ちなさい思穂ー!」

 

 海未にとっ捕まったらそれこそ再起不能コースだ。脇目も振らず、思穂はその場を離れた――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 翌朝。穂乃果達二年生組に連れられ、思穂は生徒会室前まで来ていた。昨日、ハンバーガーを食べている時に、ようやく部員が五人以上集まったことに気づいたようで、部活の申請をしに行くらしい。

 大方、部員が集まったから安心してそこで試合終了、とでもなっていたに違いないというのが思穂の見解である。

 

「失礼します!」

「貴方達、また来たの?」

 

 絵里が相も変わらず不機嫌そうに出迎えてくれた。だが、今日の穂乃果は動じず、ただ絵里にこの前突き返された部の申請書を差し出した。

 

「……部員は揃えてきたみたいね。でも」

 

 そこで思穂は目を細める。ついに絵里があの切り札を切るのだと、直感したから。

 

「この学校には既にアイドル研究部と言うものが存在します」

「アイドル研究部……?」

「アイドルに関する部だよ。すごく広く言えば、穂乃果ちゃん達が設立しようとしているアイドル部とそっくりそのまま被っちゃっている部」

「……思穂?」

 

 穂乃果の問いに懇切丁寧に答えた思穂は、少しだけ居心地が悪くなり、天井へと視線をやっていた。そんな思穂へ、海未とことりは首を傾げるだけ。あとで追及があるか、そんなことにビクビクしていると、希が口を開いた。

 

「まあ、今は一人だけの部やけどね」

「でも、この前部活には五人以上って……」

「……実は設立するには五人以上必要だけど、一回設立してしまえば、後は何人になっても良いっていう最初良ければ全て良し! な規則なんですよね、絵里先輩?」

 

 思穂の言葉に間違っているところはないようで、絵里は静かに頷いた。

 

「生徒の数が限られている中、いたずらに部を増やすことはしたくないんです。……アイドル研究部がある以上、貴方達の申請を受け付ける訳にはいきません」

 

 その言葉で穂乃果達はたちまち表情を曇らせていく。それもそうだろう。

 

(折角部員集めたのに、どこぞの円卓騎士の嘲笑う者みたいに“徒労”だと言われちゃえばそうなるよね~……)

 

 言いたいことはそれだけだ、とばかりに絵里は目を閉じて、結論を言う。

 

「以上です。この話はこれで終わり――」

「――になりたくなければ、アイドル研究部とちゃんと話を付けてくることやな」

「希……!」

 

 やはりここで希が助け舟を出してきた。それは思穂にも分かっていたし、このタイミングでそれを切り出してくる理由も分かっていた。思穂は、あえておどけたようにそれを言った。

 

「二つの部が一つになることぐらいどうってことないですよね~? ましてや、それがほぼ同じ内容なら尚更ですよね?」

「片桐さん、貴方も……!」

「ということで思穂ちゃん。“頑張ってね”」

 

 笑顔でそう言う希の言葉の裏を理解した思穂は、とうとう観念する時が来たのか、と雨降りの外を見やる。逆位置の『正義』の意味。それはあろうことに、その担い手によってもたらされた……押し付けられたという方が正しいのかもしれない。

 希と思穂のやり取りを理解していない穂乃果達は疑問符を浮かべるのみ。そんな三人の元へ、思穂は振り返り、あくまで笑顔を貫き通した。

 

「それじゃあ。行こっか。アイドル研究部へ!」

 

 ――突撃の時間は、放課後となった。

 その方が話しやすいし、逃げられ辛い。そう判断した思穂を先頭に、μ'sメンバーは今、アイドル研究部へと向かっていた。

 そんな思穂へ、海未が問いかけた。

 

「思穂、貴方アイドル研究部の事を知っていたんですか?」

「……うん、ごめんね。言いそびれちゃった」

「何か理由があるん……だよね?」

「それはまあ……きっと先方が教えてくれるよ」

 

 そうやってことりの問いを濁すことしか、思穂にはできなかった。そして、ことりへの返しになんら嘘は無い。きっと、嫌でも皆察するだろう。

 

「……やっぱりこの時間に来るよね」

 

 ちょうど部室の扉を開けようとしているにこが見えたので、思穂は声を出して、彼女を呼び止める。

 

「おーい! にこせんぱーい!」

「……ん? なっ……!?」

 

 にこはあからさまに驚いていた。μ'sが来たこともあるが、それ以上に“思穂がそのμ'sと一緒にいた”ことにだ。

 そしてにこが口を開こうとした刹那、穂乃果が前に出てきた。

 

「あーっ!! じゃ、じゃあ……もしかして貴方が、アイドル研究部の部長!?」

「あんた達……。それに――」

 

 思穂は思わずにこから目を逸らしてしまっていた。思穂へと視線を送るにこの瞳には困惑や動揺、そして“孤独”の色があったのだから――。



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第十五話 矢澤にこという人間が

「思穂、あんた――」

「まあまあまあ! 積もる話もあるでしょう! 今後の話もあるでしょう! だからまあちょっと部室に入ってお喋りしましょうか? ねっ!? ねっ!?」

「ちょっ、にこを抱きかかえるなぁ! 離しなさい!」

「ハロー」

「そっちの“はなせ”じゃなーい!!」

 

 まるで誘拐でもするかのようににこを抱え、部室の扉を開けた思穂は皆を誘導する。目を白黒させながら、しかし与えられたチャンスを逃がさないよう、穂乃果達はさっさと部室内へと足を踏み入れる。

 全員入ったのを確認した思穂もすぐ部室に入り、鍵を掛ける。

 

「さ、にこ先輩まずはお茶でも出してもらいましょうか!」

「パンチならいくらでも出せるわよ?」

 

 思穂とにこのやり取りを見ていた皆の代表として、海未が恐る恐る手を挙げた。

 

「あ、あの……思穂とアイドル研究部さんとはどういう関係なんでしょうか?」

「にこよ。このアホとは何の関係も無いわ。今日初めて会ったんだもの」

「へ、へぇ~……にこ先輩、そういう手に出るんですねぇ……」

 

 ざっと見積もっても、にこのはらわたは煮えくり返っていたことに気づいた思穂は、それでもそういう他人行儀な態度に出てくるとは思ってもおらず、動揺していた。

 そうなれば、こちらもそれ相応な態度に出ることにした。そうと決まれば話は早く、思穂は花陽の方へと視線をやる。

 

「花陽ちゃんや花陽ちゃん」

「は、はい。何ですか?」

「貴方、こういうモノに興味はないかね?」

 

 そう言って思穂が棚に手を突っ込み、引っ張り出した物を見せた。その瞬間、花陽の目の色が変わった。

 

「こ……これは……!? 『伝説のアイドル伝説』全巻BOX!?」

「あ、こら! 勝手に……!」

「そんなにすごいの?」

「すごいなんてもんじゃないですよ!!」

 

 穂乃果の言葉を半ば怒るように返し、花陽はすぐに手近なパソコンを立ち上げ、そのBOXの説明を始めた。いつもの大人しそうな印象とは打って変わり、細かくそして情熱的にいかにそのBOXがすごいかを語る花陽の姿たるや、まるで別人だ。

 ちなみに思穂はにこから散々似たような説明を聞かされ続けたので、同じくらいの情報量をμ's全員に提供できる自信があった。

 

「……あれ、ことりちゃん? どうしたの?」

 

 思穂の視線の先には、棚の上を見上げ複雑そうな表情を浮かべていることりの姿が映っていた。思穂が声を掛けると、すぐにことりは首を横に振る。

 

「ううん。何でもないよ!」

「ああ、気づいた? 秋葉のカリスマメイド『ミナリンスキー』さんのサインよ」

「ことり、知っているのですか?」

 

 海未の質問に、ことりは先ほどと同じように首を振った。

 

「う、ううん……全然」

「まあ、それはネットで手に入れたものだから、本人の姿は見たこと無いんだけどね」

 

 何故かホッとすることりを見て、思穂はどうしたものかと疑問符を浮かべるが、今はそれよりも大事なことがあった。

 

「にこ先輩、お話があります!」

 

 流石と言うべきか、切り出したのは穂乃果であった。皆が席に座ったのを見計らい、穂乃果は説得を開始する。

 

「私達、スクールアイドルをやっておりまして!」

「知ってる。どうせ希に、部にしたいなら話つけて来いとか言われたんでしょ?」

「おお! 話が早い!」

「ま、いずれそうなるんじゃないかと思ってたからね。……そこのアホが一枚噛んでたんなら尚更よ」

 

 ジロリ、とにこが睨みを利かせたのは真正面に座っている思穂であった。そこで、ことりが小さく手を挙げた。

 

「あ、あの本当ににこ先輩と思穂ちゃんって無関係……?」

 

 ここまで来て、もう何も隠すことはない。思穂にしては珍しく、真剣な面持ちで答えた。

 

「……一年生の頃、にこ先輩にアイドル部に誘われて断ったことがあるんだ。それもキッパリと、ね」

「そ、それじゃあ前に似たようなお願い断ったってにこ先輩のことだったの!?」

 

 穂乃果の言葉に頷く思穂は、更に話し続ける。

 

「当時の私はアイドルっていうモノにあんまり興味なくてさ。まあ、それはそれで終わったんだけどね。……むしろそれからにこ先輩が私にアイドルに興味持たせようとしたり、逆に私がにこ先輩に漫画ゲームアニメラノベに興味持たせようとしたりのバトルが始まったんだ」

「そう。そこのアホにいくらアイドルの何たるかを叩き込んでもまるで興味持たず、だけどつい最近、ようやくちょっとは理解を示したかと思ったら……こういうことだったんだから馬鹿よね、にこは」

 

 そう言ってため息を吐くにこは本当に残念そうだった。その姿を見ただけで思穂は胸が締め付けられるが、それでも今はその恥を被ってでも、やらなければならないことがあった。

 

「にこ先輩、私は……!」

「お断りよ」

 

 そのにこの拒否に、海未がすぐに差し込んだ。

 

「私達はμ'sとして活動できる場が必要なだけです。ここを廃部にしてほしいという訳ではなく……」

「お断りって言っているのよ! 言ったでしょ!? あんたたちはアイドルを汚しているの!」

「でも! ずっと歌もダンスも練習してきて――」

「そういうことじゃない……!」

 

 にこの言葉に、思穂以外のメンバーは黙ってしまった。恐らくにこが何を言いたいのかが分からないのだろう。だが、思穂は知っていた。それはいつもにこが口酸っぱく言っていた言葉なのだから。

 

「あんた達……ちゃんと“キャラ作り”してるの?」

「……キャラ?」

 

 いまいち分かっていない穂乃果の曖昧な返事に業を煮やしたにこがとうとう立ち上がった。

 

「そう! お客さんがアイドルに求めるモノは楽しい、夢のような時間なのよ! だったら! それにふさわしいキャラってモンがあるの。――しょうがないわね」

 

 そう言って、にこはくるりと皆から背を向けた。その瞬間、思穂は察してしまった。あ、これいつものヤツだ。そう悟るや否や、思穂は半ば死んだような眼でその瞬間を待つ。

 

「良い? 例えば……」

 

 次の瞬間。皆へ振り向いた彼女は既に“矢澤にこ”ではなく、“アイドルのにこ”となっていた。

 

「にっこにっこにー!」

 

 そこから始まる数秒間の口上。見るたびにポーズが変わっているのは最早尊敬に値する。よくもまあ、基本を変えず、ガワを変えられるものだと思穂は思う。

 今日は手でハートの形を作ってみたり、敬礼を思わせるようなポーズを取ってみたり、最後にはいつも両手の人差し指と小指を立たせるお馴染みのポーズでフィニッシュ。

 ……正直、かなり気合が入っていたと思穂は思った。

 そこからの皆の反応は、様々であった。穂乃果を始めとする二年生組は一様に圧倒されていたが、一年生組は三者三様である。

 真姫はあからさまにドン引き、凛はあろうことに『寒くないかにゃ?』などとのたまい、花陽に至っては感心したようでメモを取っていた。

 中でもにこは、凛の言葉を聞き逃してはいなかったらしい。凛の方へと鋭い眼光を向ける。

 

「そこのあんた……今、寒いって言わなかった?」

「ぜ、全然! すっごい可愛かったです! さいっこうです!」

 

 そこからはμ's全員でにこを持ち上げる作戦に出た。花陽は声色から察するに、恐らく心の底からの賛辞だったはずだ。だが、とうとう我慢の限界を超えたにこは退去の言葉を告げた。

 

「出てって」

 

 そう言うが早いか手が出るが早いか、あっという間に皆追い出され、鍵まで掛けられてしまった。説得は失敗に終わったのだ。

 

「やっぱり追い出されたみたいやね。ちょっと付いて来てくれる? あ、思穂ちゃんはやることを優先した方がええね?」

「……はい。ということで穂乃果ちゃん達、悪いけど希先輩と行ってて?」

 

 言い残し、思穂は走り出した。目的は自分の机。そこにあるモノで、思穂は再びにこと会話をすることを試みる――。

 

「入りますねー」

「あんた! どうやって!?」

 

 手に持っていた鍵をプラプラさせることで、思穂はにこへの回答とした。それは何を隠そう、にこからもらった合鍵だった。

 

「にこ先輩が、私にくれたやつじゃないですか」

「……そうね」

 

 にこの近くの椅子に座った思穂は、彼女の方へと顔を向け、深々と頭を下げた。

 

「……何の真似よ?」

「すいませんでした。今まで、にこ先輩を騙すようなことをして。謝っても許されないことは分かっています。ですが、私にはこうやってにこ先輩に頭を下げる事しか出来ません」

「……あんたは今までにこのこと、陰で笑ってたの? 片や六人、片や一人で活動しているにこのことを」

「っ! 笑いません! 笑える訳、無いじゃないですか……!」

 

 にこも本心で言った訳では無いようで、すぐにまた不機嫌そうな表情を浮かべた。

 

「あんたはどうしたいの? にこの事」

「穂乃果ちゃん達に……μ'sに力を貸してください」

「それはにこに、あいつらの要求を呑めと言っているの?」

 

 そうなると、にこがμ'sに吸収されるという形で終わる。にこの積み上げてきたモノが崩れ去るということを意味する。それを分かっていて、思穂はそれでも言った。

 

「いいえ。にこ先輩も共に歩きましょうと、私は言っています」

 

 次の瞬間、二人だけの部室に鈍い音が鳴り響く。にこが机を叩いたのだ。手が真っ赤になるのも気にせず、にこは立ち上がり、そして思穂を睨み付ける。その表情は明確な怒りに染まっていた。

 

「勝手すぎるのよあんたは! にこが誘ってもやってくれなかったスクールアイドルを内緒で始めて! その上、一緒にやりましょう? ふざけんじゃないわよ!」

 

 何も言わない思穂へ、にこは更にまくし立てる。

 

「どうせあんたも中途半端な理由でスクールアイドルを始めたんでしょ!?」

「違います!」

 

 その言葉に、思穂もついに立ち上がった。

 

「私は穂乃果ちゃん達とは違います! 私は私の為に、にこ先輩を……矢澤にこが欲しいんです!!」

 

 流石のにこもその言葉は予想出来ていなかったのか、思穂のストレートな物言いに顔を紅くしてしまった。

 

「ちょっ!? あんた、言ってること分かってんの……!?」

「分かってますよ! 私は自分のオタクライフを守るために、穂乃果ちゃん達をサポートしています! 自分の為なんです! ……けど、穂乃果ちゃん達は廃校を何とかしようと本気で頑張っています……!! そんな穂乃果ちゃん達と、私を一緒にしないでください!!」

 

 思穂はにこの両肩を掴み、彼女としっかり目を合わせた上で……言った。

 

「穂乃果ちゃん達はしつこいですよ! 何度追い払っても、何十何百何千と追い払っても、何度も来ます! そんな彼女達の“本気”を、あの矢澤にこが分からない訳がない!! 同じくらい“本気”の矢澤にこの眼力が、ソレを見抜けないはずがない!!」

「思穂……あんた……」

 

 気づけば涙目で喋っていた。その事が気恥ずかしくなり、思穂はすぐさまにこから両手を離し、出入り口まで歩いていく。

 

「私は……にこ先輩なら、μ'sを次のステップに連れて行ってくれると言う確信があります。それだけは、覚えておいてください」

 

 にこの返事も聞かず、思穂はアイドル研究部を後にした。窓を見ると、穂乃果達はまだ希と話しているようだ。今日はそのまま顔を合わせず、帰ろうと思った。

 ……自分が泣いている姿なんて、恥ずかしくて見せられない。いつも笑顔で、いつもふざけていて、それが片桐思穂なのだから――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「皆……もう帰ったかな?」

 

 涙が乾ききったところで、思穂はようやく帰ろうと思った。いつの間にか時計は思穂のゲームプレイ時間に差し掛かっていたが、今日はそんな気分にはとてもではないが、なれない。

 

「はぁ~……にこ先輩に嫌われちゃったかもなぁ……」

 

 片桐思穂と言う人間は、本当に矢澤にこという人間が大好きで、そして尊敬していた。同じような境遇にありながら、決して折れることのないその不屈の心は、思穂にとってある意味で指針となり、ある意味で自分のスタンスを決定づけたといっても過言では無い。

 そんなにこに啖呵を切ったあげく、呼び捨て。これはもう、疎遠ルート一直線だろう。そんな完璧に沈んでいた思穂はまるで気づいていなかった。後ろから迫る影に――。

 

「わしわしー!」

「ほわっちゃ~!?」

 

 自分の胸がいきなり形を変えていくのをただ見ていることしか出来なかった思穂は、ここでようやく後ろの存在に気づいた。

 

「の、希先輩!?」

「むむっ! 意外に着やせするタイプやったんやね思穂ちゃん」

 

 何とか抜け出せたところで、息を整えつつ、思穂は改めて希へと視線をやった。

 

「な、何で希先輩いるんですか!?」

「何でって、そりゃあまだエリち、生徒会業務の真っ最中やし」

 

 だったらそっちの方へ行けば良いじゃないか。そう思いながらも思穂は、希もまた自分と似たような人間だということで納得し、同時に諦めた。

 

「にこっちと話したんやね?」

「はい。まあ、言いたいことは言ったつもりです」

 

 しかし思穂は後悔だけはしていなかった。あれが自分の本心で、全てだ。それを否定するのだけは、絶対に有り得ない。

 

「私……やっぱり自分勝手ですよねぇ……。いつも肝心なところは人任せ。こんなんじゃ、やっぱりにこ先輩どころか、穂乃果ちゃん達と“対等”になることだってさえ……」

「ウチはそうは思わないけどなぁ」

 

 ピッと、希が見せたタロットカードにはラッパを吹いた天使の絵が描かれていた。正位置のそれは『審判』と呼ばれ、その意味は復活や発展を意味する。

 

「あ……」

「見てみぃ? 思穂ちゃんの行動が、今のこのカードを引き寄せたんよ?」

 

 さっさとそのカードを仕舞った希が、ふいに空を指さした。

 

「明けない夜はない。止まない雨はない。晴れない雲も、ないんや」

 

 何もかも見透かしたような希の物言いに、思わず思穂は笑ってしまった。これではまるでエスパーか、それこそスピリチュアルな存在だろう。

 

「思穂ちゃんの行動の結果は今は分からん。……やけど、先にどれだけ悪い結果が来ても、後からは絶対いい結果がやってくるはずや」

「それは経験則……ですか?」

「……せやね。思穂ちゃんだから言うけど、ウチもそんな感じやったよ? 前例がここに居るんやから、思穂ちゃんも大丈夫!」

 

 そんな前例を出されても、こちとらただの学生である。そんな超設定、それこそ希だけにしか許されない。だが、それでも思穂はその“第二”になりたい気持ちもあった。

 

「……私は今のこのスタンスを崩すことはありません。私はあくまで黒子、裏方です。なるべく穂乃果ちゃん達の邪魔をしたくないし、でしゃばりたくありません」

 

 逃げ腰の思穂へ希が問いかける。

 

「でも思穂ちゃんの力が必要だったら?」

「やります。全力で、何もかも」

 

 それには即答出来た。当然だ、それが思穂の全てだ。

 

「今はどうしたいん?」

「にこ先輩と、仲直りがしたいです。笑って、馬鹿話して、時にはどつかれるような、そんな関係に!」

 

 それにも即答出来た。それこそが今の思穂の願い。

 

「それは誰の為? μ'sの為?」

 

 その希の問いにも――すぐに即答できる思穂が居た。

 

「――自分の為です! この片桐思穂、自分の為になることなら全力で取り組む所存です!!」

 

 その答えに、希は満足げに笑顔を浮かべた。

 

「思穂ちゃん、復活! やね?」

「ええ。長いプロローグでした。ですが、これから私の物語が始まるんです!」

 

 思穂の目を視た希が彼女から背を向けた。去り際に希は『審判』のカードを思穂へと投げ渡す。

 

「頑張りや、思穂ちゃん」

「はいっ!!」

 

 そうして思穂は走り出した。とにかく走り出した。既にアイドル研究部には誰も居なかったので、自分の家へ走って帰った。何かしていないと、もう落ち着かない。早く明日になれと、心の底から願った。

 その日はあろうことに、アニメもゲームも、漫画もラノベすら読まなかった。それが思穂の本気であり、“明日”への欲求だったから。

 そんな思穂に、穂乃果から電話が掛かってきた。一世一代の大ギャンブルの話と共に――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「……本気、なんだよね?」

「うん! 思穂ちゃんが合鍵持ってて良かったよ! わざわざ職員室まで借りに行かなくて楽になったよ!」

 

 真っ暗な空間で声だけが響き渡る。穂乃果の声は実に楽しげだった。

 昨日の夜、穂乃果から電話が掛かってきて“この作戦”の詳細を聞いた時は、思わず大笑いしてしまった。まさかこんな単純明快なやり方があったとは夢にも思わなかったのだ。これだから高坂穂乃果からは目が離せない。思穂は本気でそう思い、乾坤一擲の覚悟でその作戦に乗ることに決めた。

 失敗すれば、もう恐らく二度とにこは聞く耳を持たないだろう。だからこそ、思穂はこの作戦に懸ける。穂乃果なら、全部上手くいきそうな気がしたからだ。

 

「それで思穂。本当にそろそろ来るんですよね?」

「うん。絶対に」

 

 コツコツ、と足音が近づいてきた。聞き慣れたこの歩くリズム。次の瞬間、部室の扉が開かれた――。

 

「なっ……!」

 

 一斉に広がる“お疲れ様です”の声。ことりが手早く部室に電気をつけると、次に動いたのは穂乃果であった。

 

「お茶です! “部長”!」

「今年の予算表です。“部長”!」

 

 続けざまにことりがにこへ予算表を差し出す。何が何やら理解していないにこへ追撃するように、椅子に座っていた凛が、テーブルの上をポンポンと叩く。

 

「“部長”~。ここにあったグッズ、邪魔だったんで棚に移動しておきました~!」

「ちょっ! あんた勝手に!!」

「さ、参考にちょっと貸して? “部長”のオススメの曲」

「な、なら迷わずこれを……!」

 

 真姫の隣では花陽が目を輝かせながら、例のDVDBOXを掲げていた。

 

「あー! だからそれはぁ!!」

「ところで次の曲の相談をしたいのですが“部長”!」

 

 やんややんやとまるで豪雨のように降り注ぐ、“部長”への“相談”。完璧ににこは、唖然としていた。だが、呑まれないように一度頭を横に振ってから、口を開く。

 

「……こんなことで押し切れるとでも思ってるの?」

「それは被害妄想ってやつですよ、にこ先輩。ね、穂乃果ちゃん?」

「そうです! 私はただ相談しているだけです。音ノ木坂アイドル研究部所属のμ'sの“七人”が歌う、次の曲の!」

「七……人?」

 

 そう言ってにこが視線をやったのは満面の笑みを浮かべている思穂だった。

 

「……あんたの差し金?」

「まさか。私はそれほど器用に立ち回れませんよ? あ、ちなみに私はマネージャーもどきなので、そのつもりで!」

「……これでにこを説得できたつもり?」

「“仲間”に説得も何もありませんよ。で、“部長”。指示は無いんですか?」

 

 笑みを崩さない思穂を見て、ついににこは大きなため息を吐いた。それも、今までのモヤモヤしたもの全部を吹き飛ばさんばかりの大きな……とても大きなため息を。

 

「――厳しいわよ?」

「分かってます! アイドルへの道が厳しいってことぐらい!!」

 

 その言葉に、皆が頷いた。だが、にこは皆を順番に指さしていく。

 

「分かってない! あんたも! あんたも! あんた達も!! 皆甘々なのよ! アイドルって言うのは笑顔を見せる仕事じゃない、笑顔にさせる仕事なのよ! それを自覚しなさい!!」

 

 その表情はいつの間にか、アイドル研究部部長であり、“μ'sのメンバー”である矢澤にこのソレとなっていた。

 

「思穂! あんたもよ! マネージャーもどきだからって仕事に手ぇ抜くんじゃないわよ!」

「はい……、はいっ! にこ先輩!!」

 

 すぐに練習が始まる。にこの指示でμ's全員はこのまま屋上に直行するようだ。穂乃果達が出ていく中、思穂も出て行こうとした刹那、にこは思穂を呼び止めた。

 

「あんたこの前、共に歩きましょうって言ったわよね?」

「……はい。間違いなく」

「にこはね。あんたも甘々だと思っているんだから。大体――」

 

 一拍置き、にこは実に挑戦的な笑みを浮かべ、言い放つ。

 

「――共に歩きましょうなんて生温いわ。突っ走っていくわよ、思穂!」

「……はい! どこまでも……付いて行きます! にこ先輩!!」

 

 もうにこの背中がちゃんと見えていなかった。思穂の目から溢れ出す涙が、彼女の小さな背中を大きく錯覚させているのだ。だが思穂には分かっていた。

 

(これからも、よろしくお願いしますね!)

 

 それこそが、矢澤にこが持っている“デカさ”なのだと――。




感想で思穂ちゃんのプロフィール知りたいって意見有ったので載せておきます。参考にしてみてください。

片桐思穂
年齢:16歳
誕生日:2月5日(みずがめ座)
血液型:A型
身長:158cm
3サイズ:B80W58H81
好きな食べ物:チョコレート、チョコレート系
嫌いな食べ物:チーズ
趣味:サブカルチャー全般
特技:頭の中でCM含め、アニメ一話分を完全に再生出来る。
チャームポイント:ハーフアップにした一本の房。尻尾みたい。
得意科目:全て
子供の頃の夢:正義の味方
得意料理:豚の角煮
イメージカラー:空色


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第十六話 放課後の二人旅

「起立礼さよなら!」

「待て片桐ィー!」

 

 先生の制止を振り切り、一息でHRを終わらせた思穂はすぐに教室を飛び出した。一秒足りとてこの時間は無駄には出来ない。タイムイズマネー、時は金なり。海未が思穂を呼び止めようとするが、思穂は止まらない。

 何故なら今日はμ'sの練習が無い日。つまりリベンジの日だったのだ。

 

「待ちに待った時が来たのだ。多くの放課後練習に耐えたのが無駄で無かったことの証の為に、再びオタクライフを充実させる為に、買い物リストフルコンプの為に! 秋葉原よ、私は今から帰る!!」

 

 ぶつぶつ喋りながら走る思穂の姿は普通に不審者そのものだったが、本人は全く気にしない。

 先日は結局目当ての物を買うことが出来なかった。A-RISEにさえ捕まらなければフルコンプが出来たのだが、過ぎたことを今更悩む思穂では無かった。

 ……スクールアイドル達の頂点に君臨するA-RISEと個室で会話なんて、にこや花陽が聞いたら卒倒すること間違いなしだろう。しかし、そのことに思穂は全く気付かない。そもそもただの世間話程度としか認識していなかった。それがどれほど貴重な経験か、知らない幸運、知る不幸といったところ。

 

「結構買えなかったものあったからな~……。まあ、今日は半分くらい買えれば上出来か」

 

 授業中に買い物リストの精査と購入ルートの選定は完了している。あとは、如何に早く目的地へ辿りつけるかの勝負だった。今日に限ってだけ言えば、思穂は超が付く優等生だった。宿題はおろか授業態度もパーフェクトと言っても良い。変ないちゃもんをつけられて呼び出されるなんてとてもではないが耐えられない。

 六時限目開始前に、靴箱の前にセッティングしていた登山用のリュックを掴み、思穂はオトノキを飛び出した。

 

「良しっ! 脱出完了! ここからは私のターンだよ!」

 

 ――何度来ても秋葉原は命が輝いている。人が行きかう光景に、思穂はつい涙ぐんでしまった。流石ににこがμ'sに加入した時よりは泣かなかったが、それでも近いぐらいには泣いてしまっていた。

 気を取り直し、思穂は戦場へと赴かんと顔を上げる――。

 

「……の前に」

 

 思穂は進行方向とは真逆の方向へ歩いていく。正確にはその物陰。顔を覗かせると、やはりと言って良いのか、“彼女”がいた。

 

「……何してるんでしょうか、希先輩?」

「あはは……バレた?」

 

 あろうことに、東條希がそこにいた。思穂は流れ出る汗が止まらなかった。気づいたのは完璧に偶然だった。たまたま一瞬、見覚えのあるおさげが影となって伸びているのが見えたから分かったのだ。そうでなければ、全く気付くことはなかっただろう。

 

「すごいなぁ思穂ちゃん。隠れるの自信あったんやけどな、ウチ」

「いやいや、偶然でした。多分気付けませんでしたよ、いやほんと」

「今度はバレないように頑張ることにするわ」

「お手柔らかにお願いしますね。……という感じで流される前に聞きたかったんですけど、何で私の後ろに希先輩がいたんですか?」

 

 あえて触れなかったが、“バレない”ようにということは自意識過剰でもなんでもなく、自分を尾行していたということに直結する。ここまで来て生徒会の業務か何かだろうか、そんな思穂の不安は次の希の言葉で、また別の不安へと昇華された。

 

「今日は生徒会お休みだし、バイトも無いしで暇やったから、思穂ちゃんの跡を付けて見ようかなぁ思うて」

「うわぁすっごい良い趣味してますね希先輩」

 

 見事に希らしい回答で、むしろそうじゃなかったらどうしようかと思った思穂であった。――ここで、思穂には選択肢が与えられた。

 一つ目、今日は帰る。何事も無かったように帰ってしまえば変な所を突っつかれずに済む。二つ目、全力で逃げる。常日頃誰かに追われた時の為に逃走経路は頭の中で組み上げている。

 どちらにしようか頭の中で選択していると、ふと希と目が合ってしまった。その目を見て、思穂は今しがた選択肢を全て投げ捨てた。

 

(ま、三つ目だよね!)

 

 そう考えるや否や、思穂は希の隣に歩き、がっしりと腕を掴む。

 

「だったら跡を付けるより、一緒に行きましょうよ。今度は私の“良い趣味”をじっくりたっぷりねっとりと教えて差し上げますから」

「へっ……? 良いん?」

 

 目を丸くし、希はあからさまに驚いていた。まるで、自分が予想していなかった言葉でも言われたかのように。だが、思穂にしてみれば、むしろこれ以外が分からなかった。

 

「え、そこで驚くんですか?」

「だって思穂ちゃんは一人で……」

 

 珍しく弱気な希の言葉に、思穂は何だか面白くなってしまった。そこからは先手必勝である。攻撃は最大の防御。そうと決まれば話は早い。

 

「何言っているんですか。折角時間を割いて、私なんかの跡を付けて来て頂いたのに、ただで帰せませんよ~」

「……ちなみにどこ行くんや?」

「本屋、ゲームセンター、そして夕食を食べての帰宅となります!」

 

 今日は夜コースである。閉店時間の事を考えると、相当にキツキツなタイムスケジュールとなっている。現に、もう十分押してしまっていた。

 

「あ、今日って夜は何か予定ありますか?」

「ウチ、一人暮らしやから特にこれといって……」

「偶然ですね! 私も今、両親出稼ぎに行っているから、誰も居ないんですよね!」

 

 その言葉に、希の表情が少しばかり曇ったのを思穂は見逃さなかった。

 

「思穂ちゃん、寂しくないん?」

 

 本屋に向かう途中、希がポツリとそんな事を思穂に聞いてきた。そうですね、と思穂は今にも落ちそうな夕日を見上げる。今まで考えたこともなかったことだけに、思穂は少しばかり黙考してしまっていた。

 やがて、考えが纏まった思穂は、あえて希の方は向かずに喋った。

 

「寂しくないと言ったら嘘になりますね。だから家に帰っても誰かがいる皆が羨ましいですよ」

「……いつからご両親出稼ぎに行ってるんや?」

「高校入学してからずっとですね。おかげで趣味に没頭できるのが唯一の救いですが」

 

 片桐思穂の両親は現在、家にはいなかった。父親が遠くに出稼ぎに行っており、母親がそれに付いて行ってる形だ。思穂はもう高校生だから自分のことは出来るだろう、ということで実家の管理を任されている。実際、何も問題はなかった。家計簿も付け、食材の管理も出来、支払いも滞りない。

 両親から絶対の信頼を置かれているだけに、そして心配を掛けないように、思穂は必要に迫られた時しか電話をすることもなかった。……一人だった。

 希が何か言う前に、思穂は悪い流れを断ち切るように腕を振り上げた。

 

「って! 駄目です駄目です! 何か湿っぽい! 希先輩!」

「ど、どうしたんや思穂ちゃん? 急におっきな声出して……?」

 

 手早く買い物かごへ目当ての本三十冊程叩き込み、即刻会計を済ませた思穂は希を連れて、本屋の外へと出る。

 そして登山用のリュックに本を詰め込んだ思穂は、希の手をガッチリと掴み、次の目的地へと歩を進める。希を引っ張りながら、思穂は言う。

 

「希先輩、私今楽しいですよ! 皆が居る空間が、私はすっごく好きです!」

「思穂ちゃん……」

「そして今日この瞬間も楽しいです! 希先輩とこうして買い物巡り出来るなんて夢のようですよ!」

 

 見方を変えれば、生徒会副会長とこうして買い物できるなんてまず無いシチュエーションだった。いつもは学校や神田明神でしか話していない希と、こうして秋葉原で買い物していることの何と奇妙な事か。

 

「ということで希先輩! どうせなら今日は希先輩も将来有望なマニア系女子にクラスチェンジさせてあげますので覚悟していてください!」

「あ、やっぱり今日はそういう感じの買い物やったんやね」

 

 今更何を言っているんだろう、と言いたげに思穂は首を傾げた。しかし希の言うことも最もであった。これがお洒落な服を買いに行ったり、甘いデザートを食べに行く、などの“それっぽい”ことをしていたら少しは思穂も見直されていたのだろう。

 だが、そんなもの思穂の眼中にはまるでなかった。

 

「……ていうか、思穂ちゃん何でそんなゴツいリュック背負ってるん?」

 

 希が指さしたのは思穂愛用の登山リュックであった。女子高生が持つような華やかな手提げバッグとは真逆の、一目で実用性一点特化と分かる灰色と黒色の地味過ぎる逸品である。

 

「これですか? グッズ入れるためですよ? 何か、いつもこれにグッズを沢山いれて走り回ってたら体力も付いちゃいましたよ! あっはっはっ!」

 

 思穂愛用のリュックは登山用の中でも『大型』と呼ばれる類の大容量リュックであった。本格的にマニア活動を始めた中学生のころから、ほぼ毎日このリュックへモノをパンパンに詰め込んで行動していたお蔭かどうかは分からないが、思穂の体力はみるみる向上していた。

 リュックを背負うだけの体力、歩くための脚力、グッズを入れては背負い直すための腕力。色んな箇所が鍛えられ、今では化け物じみた体力が思穂には身に付いている。現在、その体力は凛すら軽く凌駕するだろう。

 

「……前から思ってたけど、思穂ちゃんってホント不思議な子やね」

「えぇ~……それ、希先輩が一番言っちゃいけない言葉ですよ……?」

 

 本屋から近いゲームセンターに辿りついた思穂は、手近な貸しロッカーにバッグを放りこみ、財布を握りしめる。……本来ならばアニメグッズ専門店で二時間ほど滞在する予定であったが、それは後日に持ち越すことに決めていた。

 それをやると、希を置いて自分が楽しむことになるし、それではつまらない。みんなが幸せで、自分が幸せ。それこそ思穂のポリシーである。

 

「あ、希先輩何やります!? ガンシューティング!? それとも太鼓の鉄人!? この店、規模は小さいですが、割と揃っているんですよ!」

「ウチこういうとこあんま来たこと無いからなぁ。何かオススメある?」

「オススメですか? そうですねぇ……サクッと出来そうなのは……これだ!」

 

 黙考し、そして思穂が希を連れて行ったのは、キノコを食べることで何故か身体が大きくなる配管工とその仲間たちによるレースゲームだった。

 操作性に妙な癖も無く、ハンドル・アクセル・ブレーキのみと言う実にシンプルな配置。これこそゲーセン初心者に相応しいゲームと言っても過言では無い。

 

「マルオカート……? 何や随分鼻がでっかいおじさまやね」

「夢と希望が詰まっているんですよその鼻には。ささっ、やりましょうやりましょう!」

 

 さりげなく思穂は希の分のプレイ料金も突っ込んだ。わざわざ自分の買い物に付き合ってくれた人に、お金など出させる訳にはいかない。

 画面の指示に従うことで、希は特にまごつくことなくキャラクターを選び、レース開始まで持ち込めた。実は少し、あたふたする希が見たかっただけに、内心がっかりしたのは思穂だけの秘密だ。

 思穂が選んだのは七色の恐竜ヤッシー、希が選んだのは看板キャラのマルオだ。そして、レースが始まる――。

 

「ちょっ!? 希先輩、いきなりロケットスタート!?」

「何や偶然アクセル踏み込んだら思穂ちゃんより早くスタート出来ちゃったわ」

「何という強運……! 私ですらあんまり安定しないというのに……!」

 

 だがこのゲームの醍醐味はアイテムによる妨害にある。思穂は悪い笑みを浮かべる。ここで徹底的にボコボコにして、片桐思穂という株を上げるというのが思穂の魂胆だ。

 

(さぁ! 希先輩、ボッコボコにしてあげますよー!!)

 

 早速思穂はアイテムボックスを割り、中のアイテムを取得する――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「ひっく……えっぐ……!」

「ほら思穂ちゃん、もういい加減泣くの止めーや。何かウチが虐めてるみたいやん……」

「うわぁぁぁん! 希先輩にボッコボコに……希先輩にボッコボコにぃぃ!!」

「ちょっ!? 思穂ちゃん!? ここファミレス! ファミレスの中やから!」

 

 レースゲームの結果は惨敗であった。希は何故か毎回ロケットスタート、そして希によるアイテムの妨害が思穂を襲い続け、逆に思穂はアイテムに恵まれず。挙句の果てにはNPCに追い越されての最下位続き。

 これで終われない、と思穂が次に挑んだのがエアホッケー。だがこれも惨敗。妙に角度が甘いショットが続き、希に得点されっぱなしといった体たらく。

 それ以降、どのゲームをやっても希の強運で思穂の惨敗続き。――もう、泣いた。泣きに泣いた。文字通り、ボッコボコにされてしまったのだ。

 ゲームセンターを出た思穂と希が向かったのは昔からあるファミレスであった。着いてからもずっと泣いていた思穂だったが、更に五分程泣いた辺りで、ようやく思穂は回復の兆しを見せた。

 

「……何か、もう……すいません。泣きました。もうヒクくらい泣いてしまいましたね」

「こ、こんだけガチやったなんて……。むしろウチが申し訳ないわ」

 

 そうしていると、二人分のオレンジジュースがやってきた。ジュースに少しだけ口を付けた希が、改めて思穂の方を見る。

 

「ずっと聞きたかったんやけど、思穂ちゃん、エリちのことどう思ってる?」

「大好きですよ? どうしました?」

 

 思穂の即答に、思わず希はオレンジジュースを落としてしまいそうになっていた。だが、ギリギリ持ち堪える。

 

「……ウチが言える立場やないけど、思穂ちゃん結構エリちに言われること多いやろ? 不満とかないん?」

「まあ大体私が悪いからそんなことは思ったこと無いですね。むしろ見捨てずに接してくれている事の方が驚きですよ、私としては」

 

 普通ならとっくに無視されていてもおかしくない。それが今でも呼び出しては注意してくれるのだ。感謝こそすれ、不満を持つ理由が無い。

 

「あ、もしかして今日跡を付けて来たのって私の事を心配してくれてたからですか!?」

「……それもあるけど、知りたかったんや。思穂ちゃんがどんなにエリちに打ちのめされても自分を崩さず突き進めるその理由を」

「アニメゲームラノベに漫画があるからですかねぇ……」

「……へ?」

 

 思穂の行動理由の第一がそれである。それが待っていると考えれば、思穂は何でも出来る。それが出来なくなるという状況になれば、思穂は何でもやる。そういう人間であった。

 だが、例外というのがしっかり存在するのも確かである。

 

「でも、この前希先輩に言われたように、好きな人達が泣く所だけは見たくないのも本音です」

「そういえばにこっちとは上手く仲直り出来たん?」

「今日の昼練習でふざけすぎて言葉の暴力を貰えるぐらいには」

 

 あれ以降、にことの関係はすっかり元に戻っていた。戻り過ぎて、素っ気なさに更に磨きが掛かったのだけは残念だったが。そして、それに関係して、思穂はずっと希に言いたいことがあった。

 

「……ありがとうございました。希先輩に言われなかったら、私はきっと今よりもっと悩んでいたでしょう。だから……ありがとうございました」

「ウチはなーんもしとらんよ? ただ考えを整理させただけや」

「それでも、助かったのは事実です……ということでこれどうぞ」

 

 リュックの中から、思穂が取り出した物は小型のクマのぬいぐるみであった。希の目を盗み、思穂はこっそりクレーンゲームで取っていたのだ。すると、そのぬいぐるみを見た希の表情がみるみる柔らかくなっていく。

 

「これ……ウチが見てた……」

「そーですそーです。けっこうチラチラ見てたからこういうの好きなんだなぁと思って。受け取ってください!」

「で、でも……これ思穂ちゃんが……」

「何を言っているんですか! 今日楽しかったんで、そのお礼ですよ! むしろこれだけで申し訳ありません!」

「いやそれ、ウチが勝手に思穂ちゃんの跡を付いてきたからで……」

 

 妙にしおらしくなっている希がおかしくて、こういう一面もあるんだと、とても新鮮で。だからこそ思穂は、無言で希へそのぬいぐるみを押し付けた。

 

「もしいらなかったら捨てちゃってください! 今日の私の一日を楽しくしてくれた希先輩への気持ちです!」

 

 すると、希がようやくそれを受け取り、優しく抱きしめた。

 

「捨てられる訳……ないやん。ありがと、思穂ちゃん」

 

 ぬいぐるみを抱きしめながら、希は思穂へと聞いた。

 

「もし……ウチも困ってたら助けてくれる?」

 

 思穂にはその希の質問の裏が良く分からなかった。その時の希が、自分にどんな答えを期待していたのかは分からない。だが、たとえ希の考えが読み取れたとしても、思穂の答えは恐らく微塵も変わらなかっただろう。

 

「当然ですよ! 言ったじゃないですか。好きな人達の泣く所だけは見たくないって!」

 

 今日は思穂にとって良い一日だったと、間違いなくそう言えた。東條希という人間の事が、少しだけ分かったような気がしたのだ。ミステリアスな雰囲気に隠されているが、彼女もまた一人の――。そこまで思ったところで、思穂は運ばれたハンバーグへナイフを入れた――。



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第十七話 光と影

 土曜日。今日のμ'sの練習は午後からだった。午前中はメンバーの半分が外せない用事があり、午後からならば全員集まれるということでの時間だ。

 そういうことならば仕方ない、と思穂はそれまでの時間ひたすら眠ることに決めていた。現在朝七時半。あと四時間半も眠れるこの奇跡。思穂の家は二階建てであり、チャイムが鳴っても居留守がバレにくい。心置きなく、思穂は深い眠りの中へ――。

 

「しーほちゃーん! おーい! しーほちゃーん!」

 

 ――入ることが出来なさそうで、酷く不安になってしまったのは秘密だ。

 今でも家の外から彼女の元気な声が続く。

 

「私だよー! 穂乃果だよー! 寝てるんでしょー!? 起きてー思穂ちゃーん!」

 

 窓を閉めていても、穂乃果の元気いっぱいな声が外から響いてくる。朝七時半の目覚ましとしては特上と言って差支えないが、生憎と今の思穂はそれを欲してはいなかった。

 

「むー……。あ、そうだ!」

 

 何かを閃いたようで、彼女の声が止んだ。さっきまで声がガンガン響いていただけに、思穂は少し心配になったが、それでもベッドから出る事は無かった。少し覚醒してしまったが、それでもまだ眠りにつくことは可能だ。

 そう思っていた時期が、思穂にもあった。

 

「……ガチャリ?」

 

 一階から鳴り響いた不吉な音。そして“階段を駆け上がってくる音”が近づいて来る。正直、今すぐ窓ガラスを割って外に飛び出したかった。何も、二階から飛び降りるなんてこれが初めてでは無い。そんな事を思っていたら、とうとう扉が開け放たれてしまった。

 

「お邪魔しま~す!」

「あ、お帰りはあちらになりますので」

「酷い!」

 

 現れた穂乃果に対し、速やかに玄関の扉へ行くように指示した思穂であった。しかし穂乃果は当然の如くそれを拒否し、ニコニコ顔で思穂に近づいてくる始末。そして、言い放はたれた言葉で思穂は安眠の終わりを悟る。

 

「ね、練習って午後からでしょ? だから……遊ばない!?」

「……あ~私、今日は午後までたっぷり寝るっていう大事な使命があったんだよね~あ~残念だなぁ……。お休み」

 

 すぐに布団をかぶり、周りの情報のシャットアウトを試みる思穂。だが、穂乃果はすぐに布団を掴み、揺さぶりを仕掛ける。

 

「お願いだよー思穂ちゃん! 海未ちゃんもことりちゃんも午前中は用事あるって断られたんだよ~!」

「私も眠るという用事があるから無理~。ていうか、どうやって入って来たのさ? 鍵ガッチリ掛けてたはずだけど?」

 

 すると、穂乃果が自慢げにタネを明かした。

 

「ポストの下」

「……はぁ。案外バレないと思ってたんだけどなぁ」

 

 穂乃果が言った場所とは、合鍵の場所である。ポストの下は案外誰も気にすることのない箇所だけに、隠し場所にするには最適だったのだ。

 突き止めたご褒美として、布団から顔だけは出してあげることにした思穂。本音を言えば、少し暑かったのもある。だが、穂乃果のドヤーっとした顔を見て、すぐにそれは大きな間違いだったと後悔してしまった。

 

「ふっふ~ん。どう? ちょっとは私の事、見直した?」

「すっごい悪い方向に見直せたのは間違いないね! ……え、本当に遊ぶつもり?」

「うん! ……駄目?」

「お供しますであります! ……あっ」

 

 穂乃果の潤んだ瞳は恐らく何かの破壊兵器と比喩して間違いないだろう。『本当に断られたらどうしよう、だけど思穂ちゃんならきっと……』などと言う不安と希望が入り混じった表情は恐らく面と向かって言われた者にしか分からない“何か”があった。

 そんな表情を向けられ、脊髄反射的に答えてしまった思穂の、完全敗北である。

 

「やったぁ! ありがとう思穂ちゃん!」

「あぁ……私の素敵な睡眠が……。けど、まあ仕方ないよね!」

 

 しかし既に言質は取られている。これ以上の引き伸ばしは穂乃果を傷つけてしまう。ため息とともに、思穂は勢いよくベッドから飛び出した。

 

「四十秒で支度するよ! 外で待ってて穂乃果ちゃん!」

 

 空色のパジャマを脱ぎ、手近な服に着替える。霧吹きで長い茶髪に水を掛け、手櫛で整えた後、髪の一部を後頭部辺りで纏め、一本の房を作る。今日は別に買い物では無いので、愛用のリュックは背負わず。片桐思穂の支度は、本当に四十秒で終わってしまった。これが十六歳のうら若き乙女の身嗜みかと問われれば、非常に首を傾げてしまうタイムである――。

 

「あぁ……溶ける……」

「何が溶けるの?」

「なんかこう、身体中がドロッとね」

 

 今日の新聞の天気予報では午後までずっと晴れのようだ。梅雨が明けた途端、良い天気続きで喜ぶ者は多いだろう。しかし、思穂としては引きこもる理由が無くなってしまうので、非常に残念な展開であったのは事実。

 現在、思穂と穂乃果はどこへ行くでもなく、ただ歩いていた。良く考えてみれば、この時間帯で開いている店は殆どなく、せいぜいスーパー程度だった。

 

「そういえばこうやって思穂ちゃんと二人で遊ぶのってあんまり無かったよね?」

「あ、そうだね。基本海未ちゃんやことりちゃん達とセットだもんね。二人で遊んだのって片手で数えるぐらい?」

 

 思穂が引きこもっているのも原因だが、こうして穂乃果と二人きりと言うのは実はかなり珍しい。どこへ行くにもことりや海未と一緒。そう考えると、思穂は何だか緊張してきてしまった。

 

「ほ……本日はお日柄も良く……」

「いきなりどうしたの思穂ちゃん!?」

「ううん。気にしない方向でいてくれると助かるなぁ。……あ、ここ潰れたんだ」

 

 それは思穂が小学生の頃、良く来ていた駄菓子屋であった。いつも行くとおばあちゃんが思穂達に良く飴玉をくれたのだ。だが、成長していくにつれ段々足を運ばなくなった所為もあり、今の今まで忘れてしまっていた。

 

「うん。先月……だったかな? 張り紙が貼ってあったの見て、ショック受けちゃったの覚えてる」

「……そっか。時の流れって奴なのかな」

 

 そんな潰れた駄菓子屋を見て、ポツリと、ついうっかり思穂が漏らしてしまった。

 

「……音ノ木坂学院もこうなるのかなぁ」

「っ! そんなことない! そんなこと、絶対させない!」

 

 立ち止まり、穂乃果が言った。穂乃果もあの駄菓子屋を見て、思穂と同じことを思っていたのか、その言葉には力が込められていた。

 思穂が何も言えずにいると、突然穂乃果が自分の頬を叩いた。

 

「ほわっちゃ!? 穂乃果ちゃん何してんの!?」

「よーし! 何だかやる気出てきた! 思穂ちゃん!!」

「はい!」

「走ろう!!」

「……へっ!? ちょ、穂乃果ちゃんいきなり~!」

 

 気合いでも注入したのか、穂乃果が思穂の手を掴み、走り出した。何をしでかすのが分からないのが、高坂穂乃果。そんな穂乃果に目を離せないと同時に、少しだけ――。

 

「はぁ……はぁ……。って、思穂ちゃん何で私より息切れてないの~!?」

「日々の買い物の成果かな」

「あ、あぁ……あのすっごく大きなリュックだよね」

 

 いつも大型の登山リュックを背負って走り回っていることを知っている穂乃果はそれについてのリアクションが思いつかなかったのか、苦笑のみを浮かべた。

 海未による特訓の成果か、穂乃果と思穂は無心で割と長い距離を走っていた。気付けば商店街の入り口あたりまで来ていた。

 

「それよりも穂乃果ちゃんや穂乃果ちゃん」

「なぁに?」

「クレープ食べない? 確か新商品が発売されたという風の噂が……! しかも穂乃果ちゃんが大好きなあの味……!」

「ほんと!? 行こう行こう!」

 

 ちょうど開店時間だったクレープ屋に一番乗りしたのは気分が良かった。そして思穂と穂乃果が選んだのは当然新作クレープ。そして出てきたクレープを見て、穂乃果が固まってしまった――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「思穂ちゃんのいじわる」

「ごめんなさいほんとごめんなさい」

 

 公園のベンチで、穂乃果がむくれ、思穂が頭を下げている光景の何と奇妙な事か。思穂は新作クレープの詳細を知っていたうえで、あえて穂乃果に勧めたのだ。

 新作の名前は『白餡団子クレープ』。あろうことにそれは、穂乃果が常日頃飽きたと言っている和菓子の詰め合わせであった。

 謝りながら思穂は、しっかり食べている穂乃果に突っ込みそうになったが、頬を膨らませている穂乃果もまた可愛いため、特にいうことはなかった。しかし思穂はそんな穂乃果のご機嫌を回復する秘策があった。

 思穂は密かに買って、ポケットに入れていたモノを穂乃果へ差し出した。

 

「だからこれ、あげるね!」

「わぁ! パンだぁー!」

 

 それは穂乃果が大好きなパンであった。これこそ思穂の二段構え。ただの悪戯だけでは終わらない。フォロー策まで用意してこそ、思穂の悪戯である。

 

「う~ん、今日もパンがウマいっ!」

「いや~良い食べっぷりだねぇ」

 

 本当に美味しそうにパンを食べる穂乃果の姿が好きだった。ニコニコとした笑顔は周りを癒し、彼女の為ならば何でもしてあげたくなる魅力が詰まっていた。そんな穂乃果に、聞いてみたいことがあった。

 

「ね、穂乃果ちゃん? 食べてからで良いんだけど、ちょっと聞いてみたいことがあるんだよね?」

「ふぁ~に~?」

 

 思穂の雰囲気を感じ取ったのか、穂乃果がさっさとパンを食べていく。

 

「どうしてμ'sを……スクールアイドルをやろうと思ったの?」

「どうしてって……」

 

 もちろんA-RISEを見て、影響されたというのは聞いている。だが、思穂にはそれ以外の“何か”が知りたかったのだ。

 ただがむしゃらにやっていても人は集まってこない。それは自分が“体験済み”である。だからにこは最初、穂乃果に反発した。そして心の中では思穂も――。

 

「う~ん……私、馬鹿だから上手く言えないんだけど。最初は“これだっ!”としか思わなかったんだよね。楽しくて、キラキラで、それで人を引きつけられるスクールアイドルがすごいなって」

「だから海未ちゃん達や私を誘ったんだよね? それで、穂乃果ちゃんはどうやって他のメンバーを誘えたの? 何か秘訣でもあったの?」

 

 多分、思穂が聞きたかったのはココだったのかもしれない。自分が到達出来なかった場所へ難なく辿りつけた穂乃果を参考にすれば、いつか自分も。思穂の表情が少しばかり真剣なモノになっていた。

 

「え? そんなの無いよ! 真姫ちゃんには作曲をお願いし続けただけだし、花陽ちゃんや凛ちゃんやにこ先輩は、皆の力で入ってくれたじゃん!」

「自分の力じゃ……無いって?」

「うん! 穂乃果だけじゃ何も出来ないしね。出来ないところは皆にお願いして、私が頑張れるところは全力で頑張って、そうして皆で歩いていけたら良いなーって」

 

 その言葉がどれだけ難しいことか、理解していない穂乃果に、思穂は戦慄を覚えた。それが出来ていればそもそもにこのアイドル研究部や、思穂の文化研究部は部員で一杯だろう。

 ようやく思穂は理解した。そして穂乃果のようには出来ないと確信もした。

 

「……ああ、そっか。なら、私はやっぱり無理だね~……」

「何で? 思穂ちゃん、私より何でも出来るし、出来るよ!」

「その代わりに失ったものがあるのかもねぇ……」

 

 確かに思穂は穂乃果より何でも出来る自信があった。勉強も運動も彼女を越えられると思う。――しかし、たった一つだけ、絶対的に高坂穂乃果に負けているところがあるのも、また事実。

 

「失ったもの?」

「悔しいから教えませ~ん」

「ええっ!? ズルいよ思穂ちゃん! 私、質問に答えたのにぃ!」

 

 オブラートに包まず、そして心の底からの本音を語るのならば、片桐思穂は高坂穂乃果に嫉妬をしていた。正直、勉強や運動等が出来てもどうしようも無い。そんなモノが出来ても、人生に何の役にも立ちはしない。思穂のオタクライフにも、何ら影響は及ぼさない。

 勉強も運動も単なる反復作業の末の結果だ。しかし、穂乃果が持っている“モノ”だけは思穂がどうあがいても手に入れることは絶対に出来ないだろう代物である。

 故に、思穂は穂乃果をずっと羨んでいた。

 

「ま、私が何を言いたいかって言うとね。これからもよろしくって所かな?」

 

 思穂がこうして穂乃果と一緒に行動をしているのも、その持っている“モノ”に惹かれた故。嫉妬した上で、協力する。そんな考えを持っている時点で穂乃果を越えられることは永遠にないことを理解していた思穂だからこそ、“影”であり続けることを決めていた。

 永遠の壁であり、絶対の信頼を置ける友のために。思穂は馬車馬のように働こうと決心を新たにする。

 そんなことには全く気付かない穂乃果は、思穂の言葉を文字通り受け取り、満面の笑みを浮かべた。

 

「うんっ! これからもよろしくね思穂ちゃん!」

「よろしくされよう!」

 

 ――過ごした時間が短いように見えて、実は既にμ'sの練習開始まであと十分前。

 それだけ濃厚な時間を過ごせたことに少し感動しつつ、思穂は穂乃果にその事を告げた。その後、二人が全力で神田明神まで走り、海未に怒られたのはまた別の話である――。



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第十八話 PV撮影!

 中庭で思穂は思っていた。これはお金を払わなければならないことなのではないかと。それもそのはず。思穂は今、女の子の動画撮影をしていたのだから――。

 

「あぁ……良いっすねぇ……良い笑顔ですわぁ……」

 

 ビデオカメラの向こうでは今、緊張した面持ちの高坂穂乃果がいた。その隣では東條希がマイクを持って説明を吹き込んでいる。思穂は思穂で、穂乃果を見ながら恍惚としていた。非常に如何わしい雰囲気が思穂から溢れているが、それに触れる者は誰も居らず、下手に突っつけば酷い目に遭うのが目に見えていたからだ。海未やことり、凛が生暖かい視線を思穂へ送っていた。

 

「穂乃果ちゃん、はいポーズ!」

「え、え~と……こう?」

「これが、音ノ木坂学院に誕生したμ'sのリーダー、高坂穂乃果その人である」

「はいオッケーです、希先輩!」

 

 一旦ビデオを止めた思穂は、希の方へ向き、オーケーサインを出す。そんな二人に、ことりは恐る恐る口を開いた。

 

「思穂ちゃん、これは……?」

 

 思穂はことりの質問に、すぐに簡潔明瞭な答えを返した。今行っていることとはズバリ、生徒会で部活動を紹介するビデオ制作である。その材料を集めるべく、こうして取材をしていたのだ。

 

「思穂ちゃんにはウチの手伝いしてもらってるんよ」

「片桐思穂、撮影ならば一家言持つ女ですからね!」

 

 そして思穂は希の手伝いで、共に各部を回っていた。既にバスケ部や、陸上部などは撮影済みであり、μ'sを撮影するとようやく一区切りがつく。

 小休止もそこそこに、思穂はグインと凛の方へカメラを向けた。

 

「あ、次凛ですかー?」

「そうそう。だから、さ。ちょっとこう……スカートをチラッと上げてくれないかなぁ?」

「……へ?」

 

 思穂のカメラはずっと凛の脚へと集中していた。思穂は希から協力を持ちかけられた時からずっと、この瞬間を待っていた。普通に舐め回すように見ていては、凛を始め周りからドン引かれること間違い無しだが、このビデオ撮影ならば堂々と凛の脚を楽しめる。

 凛が未だにスカートをチラッと上げてくれないことに対し、思穂は更に後押しをする。

 

「ね? こう……健康的な感じで……ね? ええやん? ええやん?」

「な、なんか思穂先輩が怖いにゃあ~!!」

 

 にこが加入して変わったことが一つある。それは一年生組の思穂への呼び方が変わったことだ。“片桐先輩”から“思穂先輩”へ。親密さが上がった呼び方に、始めて呼ばれた時の思穂はテンションがすこぶる高く、つい皆へ抱き着きまわってしまったのは記憶に新しい。

 

「あぁっ! 逃げられてしまった! ならば……」

 

 思いっきり凛に距離を取られてもめげない思穂は次のターゲットへとカメラを向ける。皆から少し離れたところで、『え? 私そういうの興味ないんで』と言いたげな海未へ、思穂はカメラをズームする。

 

「……えっ? ちょ、ちょっと思穂! 何なんですかいきなり!? 失礼ですよ!」

 

 元々恥ずかしがりやな性格の海未が、カメラの前で顔を紅くしながら懸命に取材拒否する姿は鼻血もので。背徳感と嗜虐心が織り交ざった思穂は涎が止まらず、思わず叫んでいた。

 

「おおう! 良いねぇ海未ちゃん! 恥ずかしがっている姿が最っ高だよぉ! 私の精神テンションは今! 高一時代に戻っているよッ!!」

 

 いつまでもカメラを外さず、姿を収め続けている思穂にとうとう海未が堪らず――ゴチンと。

 

「ったぁ!! 酷いよ海未ちゃん! 取材! これは取材なの! だからあられもない姿を撮らせてよぉ!」

「いつの間にか目的がすり替わってるよ思穂ちゃん……」

 

 あえてことりの呟きを聞こえないフリしつつ、思穂は一旦海未からカメラを外しまた穂乃果へ向けながら、言った。

 

「まあまあでも、取材って響き、何かいいよね穂乃果ちゃん?」

「うん! 取材……何てアイドルな響き!」

 

 穂乃果は非常に今、ウキウキしているようだった。確かに取材なんて有名人やテレビ取材くらいしか聞かないので、その気持ちは良く分かる。

 だが、海未はその気持ちが良く分からないようであった。

 

「見てくれた人達はμ'sの事を覚えてくれるし……断る理由、無いかも!」

 

 ことりの援護射撃を受け、とうとう海未は反撃する力を失ってしまったようだ。肩をがっくりと落とした。

 

「取材させてくれたら、お礼にカメラ貸してくれるって!」

「凛ちゃんの言うとおり! これでμ'sのPV撮影もできるって考えたら、安いもんだよ!」

 

 凛と思穂の言葉にいまいちピンと来ない穂乃果が首を傾げた。あろうことにことりと海未も疑問符を浮かべているという事態。

 そんな三人へ、思穂は補足説明をした。

 

「ほらμ'sの動画ってまだ三人でライブやった奴しか無いよね? 七人になった新生μ'sのおニューな動画を撮らなきゃ、ファンもつまらないよ!」

「あの動画……結局誰が撮ってくれたのか分からないままだったな」

「そうだよねぇ……一体どこの誰様が撮ってくれたのか分からないよね!」

 

 そう言って思穂は希の方を見るが、皆にバレないようにこっそりとウィンクされてしまった。これが黙っていろ、という無言のメッセージだと分かっていた思穂は、とりあえず話題を逸らすことにした。

 

「あ、それにそろそろ新しい曲もやらなきゃだし!」

「海未ちゃんも同じこと……言ってたよね?」

「おー確かに!」

 

 思穂、ことり、穂乃果の順で畳み掛けられた海未の顔が徐々に引き攣り始めてきた。そうだ、新曲と言うことは当然新しい歌詞と曲が必要だ。色々思うことがあったのか、それともただのヤケクソなのか、しばらくして、とうとう海未も部活紹介に対し、前向きな姿勢を見せ始める。

 

「じゃあ私、他の人に言ってくる!」

「あ、穂乃果ちゃん待って~!」

「凛も行っくにゃ~!」

 

 四人が走って行くのを見送りながら、思穂は隣の希へと視線を向ける。

 

「あぁ……やっぱりうら若き乙女の走っている姿ってなんかこう……そそるものがありますよね」

「思穂ちゃんおっさんやな……」

 

 同意してくれると思っていただけに、希のヒイた感じは少し思穂にグサリと突き刺さった。だが、むしろそれが良いとも思穂は思っていたので、特に後引くことなく、思穂は話題を切り替えられた。

 

「ですが良く絵里先輩、許可出しましたね。そんなもの認める訳には行きません、なんて言いそうなのに」

「あ、今回ウチが全権持ってるんよ。だからオッケーオッケー」

「流石希先輩、そこに痺れる何とやら!」

 

 思穂は相変わらず希のアシストに感謝感激をしていた。思穂もそろそろ新生μ'sのPV撮影を提案しようと思っていた矢先に振り掛かってきたチャンスを無駄にするつもりは毛頭ない。

 外で待っているのも時間を持て余すので、とりあえず思穂は希と一緒にアイドル研究部の部室へと行くことにした――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「――まだ若干十六歳、高坂穂乃果のありのままの姿である」

「ありのまま過ぎるよ!!」

 

 アイドル研究部に集まった穂乃果と海未、ことりに凛を加え、一旦ビデオチェックをすることとなった。他のメンバーは後から来るそうだ。

 そして今しがた穂乃果が叫んだ理由としては、ことりがあらかじめ撮影していた動画のせいである。そこには思いっきり居眠りをしている穂乃果の姿があり、たった今先生に怒られた瞬間であった。

 

「ことりちゃん、上手く撮れてたね!」

「ことり先輩、上手でした!」

「ありがとう~。こっそり撮るの、ドキドキしちゃった」

 

 頬に手を当て、顔を赤らめることりは同性の思穂でも胸が高鳴るぐらい色っぽかった。……やっていたことはさておけば。

 ブーブー文句を言う穂乃果を、隣に座っていた海未が思い切り斬り捨てた。

 

「普段だらけているから、こういうことになるんです。思穂、貴方も他人事ではありませんからね」

「あ、あはは。あっ! 次私が撮ったやつねー!」

 

 そうして思穂が皆に見せたのは、弓道場で練習をしている海未の姿である。これだけ見れば、凛々しく練習をしているカッコいい園田海未であったが、後の展開を知っている思穂は笑いを堪えるので精一杯だった。

 静かに矢を放った海未は、姿見へと視線を向ける。自分のフォームを確認するためのものであるが、その姿見へ向け、海未は“ニコリと笑顔を浮かべた”。誰がどう見ても、笑顔の練習をしているのだとはっきり分かる。

 その瞬間、その動画が海未によって隠されてしまった。

 

「プ、プライバシーの侵害です!!」

「いやスクールアイドルとしてはむしろ正しい気が……」

 

 常に可愛く見られるような努力をし続けるのはむしろアイドルの鑑とでもいうべき行動だ。だが、思穂の言葉は海未には届かなかったようだ。急に穂乃果が立ち上がり、バレリーナもどきの回転を見せながら、ことりの鞄へと近づいて行った。

 

「こうなったら~ことりちゃんのプライバシーも!」

 

 鞄を開け、中を覗いた穂乃果が“何か”に気づいた瞬間、ことりがそれをひったくった。いつもおっとりしていることりのイメージとは掛け離れた早業に思穂は思わず目を丸くする。

 

(何て早い……私じゃなきゃ見逃しちゃうね!)

 

 ことりが鞄を後ろに隠し、穂乃果から後ずさる。

 

「ことりちゃん、どうしたの?」

「ナンデモナイノヨ」

 

 早口かつ滑らかな滑舌に、一瞬ロボットが喋ったのかと思う程であった。だが当然それでは納得できない穂乃果が更に追撃する。

 

「で、でも――」

「ナンデモナイノヨナンデモ」

 

 あからさま過ぎる拒否の姿勢に、思わず穂乃果も言葉を失ってしまった。海未ですら、見たことのないことりの姿に、言葉が出ないようだ。

 

「完成したら、各部にちゃんとチェックしてもらうから、何か問題があったらその時に……」

「で、でも! その前に生徒会長が見たら……!」

 

 その状況を少し思穂も思い浮かべてみた。だが、どういうパターンを考えてみても、結局は『困ります』から始まる説教のコンボに繋がる未来しか見えなかった。

 穂乃果も全く同じことを想定していたようで、涙目になっていた。そんな穂乃果に、思わず希も困り顔を浮かべていた。

 

「ま……まあ、その辺はμ'sの皆で頑張ってもらうとして……」

「ええっ! 希先輩、何とかしてくれないんですかぁ!?」

「そうしたいんやけど、ウチが出来るのは誰かを支えてあげる事だけ」

「縁の下の何とやらって奴ですね!」

 

 希のその言葉の意味を、理解しているのは恐らく思穂だけであった。希と目が合うと、口パクで『思穂ちゃんもやけどな』と言われてしまった。自分はまだその域まで達していないため、小さく首を横に振って否定した。

 

「そういえば思穂ちゃんとこの文化研究部ってまだ取材行ってなかったなぁ。準備とかってしてる?」

「私ですか? 私はいつでも準備オッケーです!」

「そういえば思穂先輩の文化研究部って、いつも何してるんですか?」

 

 凛の質問に、思わず思穂は固まってしまった。まさかそんな事を聞かれるとは思わなかっただけに、一瞬反応が遅れた。そして穂乃果もその話題に喰い付いてきた。

 

「私も知りたい! あんまり思穂ちゃんからその話聞くこと無いからさ!」

「え~と……すごくざっくり言うなら……アイドル研究部みたいなこと、かな?」

 

 決して嘘は言っていない。それだけにあんまり皆の前でその話をしたくないのもまた、嘘では無かった。

 

「まあ知っていると思うけど、私の文研部、今部員一人だからさ。あんまり自慢できるような活動はしていないんだよね~」

「確か去年はコミックマーケット? ってイベントで一人で同人誌って本出版したんやっけ?」

「はい希先輩、ストップです!」

 

 その単語を知っている人間が誰一人としていないことに思穂は安堵した。……去年は本当に死に掛けた。小さなことでは作画、大きな所では印刷所との交渉。そんな業務を全て一人でこなし、無事参加できたことは今でも記憶に残っている。

 ……お金を扱うので、学生としてセーフかと問われれば間違いなく九十九割ブラックである。理事長はおろか、生徒会長にすらバレたくない秘密中の秘密だ。

 誓って言うが、決して成人向けの内容では無い。

 

「に、にこ先輩め……」

 

 このことを言ったのはにこしかいないため自然と情報源が特定できた思穂は早速どうやって仕返しするかの算段を立て始める。きっとぽろっと口を滑らせたのだろうが、そんなモノがまかり通ったら世の中が成り立たない。そんなことを考えていたら、急に扉が開け放たれた。

 

「取材が来るって……!! 取材が来るって聞いたんだけど!?」

 

 息を切らせつつ、にこが部室へと入ってきた。にこにとっては正に最悪のタイミングと言えよう。

 思穂がニコリと笑顔を浮かべたのは決して嬉しいからではない。いつもの海未の気持ちが良く分かったような気がした――。



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第十九話 練習こそが本当の魅力

 にこの呼吸はとても荒かった。よほど急いで来たと見える。そんなにこへ、思穂は満面の笑みを浮かべる。

 

「あ、にこ先輩。今回はセクシー路線で行くみたいですよ!」

「セクシー路線……あ~なるほど、なるほど。分かったわ、ちょっと待ってなさい」

 

 そう言うと、にこは後ろを向き、色々“準備”をし始めた。その間、思穂はにこにカメラを向け、希は一応マイクの準備をしていた。

 準備が出来たようで、にこが軽く手を挙げる。あらゆる状況に対応しようとするにこのプロ根性に軽く感心しつつ、思穂はカメラのピントを合わせた。

 

「――どうも、初めまして。矢澤ぁにこってぇ言います。ふふ、ちょっと暑くてぇはしたない格好になっちゃいましたぁ」

 

 はしたない、と言っても胸元のリボンを緩め、人差し指を口元に当てているだけだったが。これでセクシー路線と言えるだけまだ健全だろう、というのが思穂が安堵したところである。これで電波に乗せられないようなことでもしでかされたらリアクションに困ってしまう。

 

「今日のにこはぁちょっぴりオ・ト・ナな素顔を晒してみました。ファンを誘惑させちゃったら大変だからぁ、いつもは子供ぶっているだけなんですぅ」

 

 次の言葉を言う前に、希が終了させた。話し過ぎでも、話さな過ぎでもない丁度いい塩梅の切り上げだ。

 

「あ、にこっち。今日そういうのやあらへんよ?」

「しまったーカメラの電源入れ忘れてましたーすいませんー」

 

 そもそも最初からカメラの電源を入れていなかったせいもあり、思穂の物言いは余りに白々しい。そして希も思穂の思惑に気づいていたので、笑いを堪えるのに必死だったようだ。

 

「って! あんたらにこを馬鹿にしてんの!?」

「してないですよーたまたまカメラの電源を入れ忘れてただけなんですってー。…………あとただの仕返しですよー」

「特に思穂! あんためちゃくちゃ棒読みなのよ! あと最後らへん良く聞こえなかったんだけど!?」

 

 カンカンのにこを軽く受け流した思穂はちょいちょいと周りを指さす。どうやらにこはキャラ作りに熱中していて周りが見えていなかったようだ。すでにこの部室には誰もいない。即刻部室を出て行ってしまったのだ。

 

「まあそれは否定しませんが、良いんですか? 私と希先輩とにこ先輩以外、誰も居ませんよ?」

「なあっ!?」

 

 そして思穂と希も立ち上がった。穂乃果からメールがあり、花陽と真姫を捕まえられたようだ。すぐに動画撮影するべく、二人も向かおうとする。

 

「あれ? にこ先輩、行かないんですか?」

「……ちょっとだけ出て、また戻ってくるわ。練習には間に合わせるわよ」

「今日?」

 

 思穂は今日と言う日に一体何があるかを軽く脳内検索してみた。にこが好きなアイドルの新曲発売日でも何かのイベントでもないただの日。

 

(……あ、違う。あの日か)

 

 肝心な所を見落としていた。今日は確か近くのスーパーで牛肉の半額タイムセールが行われているはずであった。しかも、時間的に今から行けば丁度始まる。

 両親からの仕送りを趣味に回すべく、思穂も可能な限り安く買い物をするための情報は全て頭に叩き込んでいた。スーパーのチラシもその一環。以前は隣の更に隣町の業務スーパーへ業務用チョコレートをキロ単位で買いに行ったこともある。ちなみに牛肉はあまり得意ではないので、今回はスルー。

 

「あ、察しました。了解です。にこ先輩、身体ちっちゃいんだから、押し潰されないように頑張ってくださいね! あと、遅れないでくださいねー!!」

「余計なお世話よ!」

 

 半ば追い出される形で追い出されてしまった思穂と希。にこが気になるが、一年生も早く撮らなくてはならないため、さっそく言われた場所へ向かうことにした。

 

「何か知ってるん?」

「ん~……にこ先輩が話すまでは言えないですね。本人もあまり話したくなさそうだし」

「ふーん……あ、中庭にいるの穂乃果ちゃん達やない?」

「あ、そうですね! おーい穂乃果ちゃんや~い!」

 

 窓を開けて手を振ると、穂乃果も気づいたようで手を振り返してくれた。そんな何気ないリアクションが嬉しくてさっさと穂乃果の元へ行くために、クラウチングスタートの構えへ移行する。ふいに、思穂の背中に悪寒が走った。

 

「……何をやっているのかしら? 片桐さん」

 

 悪寒の正体は案の定といった所で。思穂を見下ろす絵里の視線には明らかに呆れの色が含まれていた。とんでもない所を見られてしまった思穂は即座に言い訳を弾きだすべく思考をフル回転させる。

 

「あ、あっはっは……。あれですよ今流行りの柔軟ですよー! これってすごいんですよ!? 極めればテレポートとか口から火を吹いたり、手足伸びるんですよ!?」

「……下らないことを言っている暇があるということは、もうアイドル研究部の部活紹介ビデオは完成していると考えて良いのかしら?」

「そ……それはまだ鋭意製作中ということで……」

 

 その言葉に、絵里の視線が強くなった。

 

「良いですか? この部活紹介のビデオはホームページにもアップロードされるんです。……音ノ木坂学院の品位を損なうようなものだけは作らないでくださいね」

 

 思穂が返すよりも早く、二人を見守っていた希が口を開いた。

 

「まあまあエリち。ウチが回ってるんやから大丈夫大丈夫。何か問題があったらすぐエリちに報告するって」

「……分かったわ。なら、頼むわよ」

「私も全力を尽くしましょう!」

「貴方は出さないでください」

 

 そう言い残し、生徒会業務を片付けに絵里は歩き去って行った。いつも忙しそうな絵里に、何か手伝いたい気持ちがあったが、今は彼女に言った通り、ビデオ制作に全力を尽くそう。

 

「――ということで花陽ちゃんと真姫ちゃん、元気一杯で行きましょう!」

「ダ、ダレカタスケテ~……」

 

 カメラの向こうでは困り顔の花陽がいた。辛うじて笑顔だが、内心バックバクなのは間違いないだろう。カメラを回している思穂の後ろでは凛が彼女をずっと応援している。

 

「かよち~ん、緊張しなくても平気~。聞かれたことに答えるだけで良いから」

「ヤバいところあったら編集でちょちょーい! って編集するから大丈夫大丈夫! それよりも心配なのが……」

 

 言いながら、思穂はグリンと、遠目に様子を見ていた真姫へカメラを向ける。

 

「……私はやらない」

 

 バッサリだった。このビデオ制作の趣旨なんて投げ捨てろ、と言わんばかりの切り捨て具合。だが、希は全く動じず、むしろ思穂へ目くばせをしてきた。その意図を理解した思穂はすぐさま真姫をズームアップする。

 そして入り始める希のナレーション。数秒間のナレーションを要約すると、『多感な女子高生なんだから恥ずかしくて出来ないよね!』というものである。プライドが高い真姫からすれば完全に宣戦布告もので。

 結局折れた真姫は、凛と花陽と一緒に動画撮影をすることに決めたようだ。

 

「では花陽さんからアイドルの魅力について、聞いてみたいと思います」

「かよちんは昔からアイドルが好きだったもんねー?」

「う、うん! じゃなくて、はい!」

 

 凛のサポートを受けながら、希の質問にぎこちなく答えていく花陽。それを見ていた思穂もちょっと質問をしてみたくなって、口を開いた。

 

「花陽ちゃん、今日は初めて?」

「……へ? い、インタビューなんて初めてで緊張してます……」

 

 とりあえずはジャブをかまし、花陽の緊張を解きほぐすことに専心した。

 

「そっかぁ、今日の昼ごはんは何だったの?」

「お、おにぎりです……」

 

 花の女子高生の昼食とはとても思えないが、そこは置いておくことにした。今日の昼食がシソの葉だった思穂にはとてもじゃないが口を出せない。

 

「おにぎりか! 健康的で良いね。それじゃあスリーサイズなんか聞かせてもらえないかなぁ? あ、今日の下着でも良いよ?」

「すっ、したっ……!?」

「ちょっと止めて……!」

 

 ズンズン近づいてきた真姫が、怒りの形相で思穂へ喰い付いてきた。

 

「思穂先輩、今の質問何ですか!? 後半からいかがわしいんですけど!?」

「ほわっちゃ!? え、私!? ちょっと待ってよ真姫ちゃん、私はそんないやらしい気持ちで聞いたわけじゃないんだよ!?」

「だったら、どういうつもりだったんですか!?」

「だって私、未だに花陽ちゃんにお触……スキンシップ取った回数少ないから気になって……」

 

 思穂の目から見て、花陽は相当に肉付きが良い抱き枕にするには最高の女子だと睨んでいた。ふわふわなイメージ通りの抱き心地を提供してくれるだろう。そして押しの弱そうな花陽なら、スリーサイズも教えてくれるだろうと踏んでいたが、それは残念ながら失敗に終わってしまった。

 だが、真姫はまだ言いたいことがあるようで、思穂を……正確にはその後ろを指さした。

 

「ことり先輩と穂乃果先輩も!」

「がんばりたまえ~」

「ファイトだよ~」

 

 ひょっとこのお面を被ってそう言うことりと穂乃果を見て、どう頑張れば良いのだろうとは思ったが、それはそれで頑張れそうな気がするので、あえて突っ込まないことにした。それよりも、どこからそのお面を調達してきたかのほうが、思穂には気になった――。

 動画撮影も一区切り付き、また動画チェックをすることにしたμ'sと希と思穂。その意見は悪い方向で一致することとなってしまった。

 

「今まで撮った分だけ見ると……ちょっとねー」

「だらけているというか、遊んでいるというか……」

 

 凛の鋭い指摘で一斉に顔を逸らすメンバー達。希の言葉もあるから、尚更だった。

 思穂は思穂でその通りだと思うので、特に何も言うことはせず、ただ成り行きを見守るしかない。それに、まだμ'sの本来の活動を見せていないのだから。

 ――時間を見ると、丁度練習の時間に差し掛かろうとしているので、場所を屋上に移すことにした。にこも遅れることなく到着し、練習着に着替えたμ'sの練習が始まった。

 

「――花陽、ちょっと遅いです! 凛、早すぎます!」

 

 海未の手拍子に合わせ、次の新曲の振り付けをしていくメンバー達。希の隣で練習を見ていた思穂はうんうんと頷くだけだった。というより、海未が言いたいことを言ってくれているので出番が全くないのだ。

 そんな思穂へ希が聞いてきた。

 

「思穂ちゃんは? 何してるん?」

「あ、私あと五分くらいしたら海未ちゃんと交代なんですよ。本当なら私が全部やりたいんですけど、海未ちゃんが全体を見ておきたいって聞かなくて。自分の練習もあるから三十分過ぎたら私と交代! って感じですねいつも」

「思穂ちゃんも振り付け覚えてる感じなん?」

「そうですそうです。一分もらえれば頭に叩き込めますね」

 

 これは冗談では無く本当であった。思穂はμ'sでも一番振り付けを頭に叩き込んでいる人間と言っても過言では無かった。だが、思穂にしてみたらこれは当然のことである。見る側が理解していなかったら何も言えない。

 そうしている内に五分が経過し、海未が練習に参加することに。思穂は思穂で見やすい位置に移動して、手拍子を叩きやすいように両手を軽く上げた。思穂は別に動くわけでは無いので、制服のままである。

 

「よーし! じゃあこれからパート毎のステップ確認するよー! まだ怪しい所あったら私に聞いてね!」

 

 そして思穂による練習が始まった。皆大分いい感じに仕上がってきたようで、あとは細かな指導を加えていくだけだったから思穂にしてみれば楽な作業であった。思穂は最近、リアルタイムで状況が変化していくリアルタイムストラテジーというジャンルのゲームにハマっており、何百と言う駒を動かすのに比べれば、たかが七人だ。一挙一動を完璧に把握するぐらい、朝飯前だ。

 

(それにしても、にこ先輩が入ってきたことだし、そろそろ“あの事”について言及するのかなぁ……?)

 

 それはあえて思穂が口に出さなかったことだ。アイドルグループと言うのは必ず“華”となる、“顔”となる立ち位置がある。某二桁の数字を持つアイドルグループだって、事あるごとに人気投票でセンターが決まるぐらいだ。

 それだけの重要なポジションに関する話を、にこが今までしないことの方が意外であったとすら言える。一悶着あるだろうな、そう思いながら思穂は今しがたテンポが遅れた穂乃果へ注意する――。



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第二十話 センター決定戦!

「――リーダーには誰がふさわしいか。……私が部長に就いた時点で考え直すべきだったのよ」

 

 取材の翌日の放課後。練習は中止され、代わりに緊急会議がアイドル研究部室で開かれていた。議題はもちろん、『誰がリーダーにふさわしいか』である。

 思穂の不安は見事に的中し、かつ昨日穂乃果と凛が希から言われた一言、『どうして穂乃果ちゃんがμ'sのリーダーなん?』が更にそれを後押しした。

 

「私は穂乃果ちゃんで良いと思うけど……」

 

 ことりの意見が一番自然である。そもそもμ'sというグループを作ったのは穂乃果以外の何物でもない。言い出しっぺの法則、という訳ではないがそれでも言ったものが責任もってやるのが筋とも言えよう。

 しかし、にこはそれをバッサリと切り捨てる。

 

「駄目よ。今回の取材でハッキリしたでしょ。この子はリーダーには向いてないの」

「……それはそうね」

「お、真姫ちゃん。割と同意な感じ?」

「ええ。何で穂乃果先輩がリーダーなのか疑問に思ってましたんで」

 

 だが思穂に驚きはなかった。態度から察するに、割と穂乃果に不満を持ってそうなイメージはあったように見えていたから。だが、穂乃果にショックの色はまるで見えない。一応自覚はしていると言えばしているのかもしれない。

 今回の件の、思穂のスタンスは“傍観”一択である。思穂は穂乃果のフォローをするつもりはなかった。今までなあなあでやってきただけに、この機会に不満諸々全て吐き出した上で納得する答えを見つけた出した方が良いからだ。

 

「そうとなったら早くリーダーを決めた方が良いわね。PV撮影もあるし」

「リーダーが変わるってことはセンターも当然変わりますよねー」

「思穂の言う通りよ。次のPVは新リーダーがセンター」

「でも……誰が?」

 

 花陽の言葉でにこは立ち上がり、近くのホワイトボードを回転させた。そこには『リーダーとは!』という題名で、三行の文章が書かれていた。

 

「リーダーとは! 熱い情熱を持って、皆を引っ張っていけること! そして――」

 

 にこのリーダー論を思穂なりに纏めた結果が、つまりはこういうことである。『熱い情熱の持ち主で、皆を包み込めるぐらい器が大きく、メンバーから尊敬される人間』ということだ。週刊少年漫画で活躍しそうな主人公だな、というのが真っ先に抱いた感想である。

 

「つまり! この条件を全て満たすメンバーは!」

「海未先輩かにゃ?」

 

 そこに行き着いた凛の感性は全く間違っていない。世間一般ではカッコいい系女子として通っている海未こそリーダーとしての適正があるだろう。……そして、あえて思穂はにこの方を見ないようにしていた。絡まれれば厄介すぎる。

 

「私が!?」

「おお! 海未ちゃん向いてるかもリーダー!」

「……それで良いのですか? リーダーの座が奪われようとしているんですよ?」

「それが? μ'sを皆でやっていくのは一緒でしょ?」

「でも! センターじゃなくなるかもですよ!?」

 

 ことアイドルに掛けては一家言持つ花陽の喰い付きと言ったらすごかった。それに加え、センターと言う重要ポジションの話ともなれば熱くなるのも必然と言えよう。

 穂乃果は穂乃果で別にセンターにこだわりはないようで、皆を驚かせる。だが、思穂はそうは問屋が卸さないことを理解していた。少し棒読み気味になりながら、思穂は場を収めに掛かる。

 

「穂乃果ちゃんもあまりリーダーにはこだわってないようだし、ここは海未ちゃんで確定ということで次へ――」

「ま、待ってください思穂! その……む、無理です……私」

 

 思穂の予感はピタリと当たってしまった。リーダーということは必然的に前へ出る回数も増えるということだ。μ's一の恥ずかしがり屋と言っても過言では無い海未が、それを引き受けることなど、絶対に有り得ない。

 ならば、と花陽が視線をことりの方へ移した。

 

「なら、ことり先輩?」

 

 だが、その意見は凛によってすぐに勢いを失うこととなった。

 

「副リーダーって感じだねー?」

「なら思穂ちゃんは?」

 

 穂乃果の意見で全員の視線が一気に思穂へと注がれることとなった。突然の事態に思穂は目を丸くするだけ。

 

「……私、マネージャーもどきだけど?」

「に、にこ先輩の言っていた条件に割と当てはまる……かも」

 

 意外なことに、花陽の意見に真姫が後押しをした。

 

「……言動さえどうにかすれば、割とマトモかもね。海未先輩を説得するか、思穂先輩が引き受けるかの二択だと思うわね」

 

 部長経験もあるから、やろうと思えばやれるのは間違いない。しかし、思穂はそれだけは受け入れる訳にはいかなかった。それに、と思穂は立っているにこの方を指さす。

 

「いやーそれ言うなら、にこ先輩が適任だと思うんですけどね」

「っ! と、当然でしょ! 思穂の言う通りよ、やっぱりにここそがリーダーにふさわしいのよ!」

 

 憎まれ口を叩いているが、その顔は本気で嬉しそうにしていた。推薦を受けた瞬間、顔がパァッと輝いたのはできる事なら写真に撮って収めたいレベルであった。

 だが、いまいち納得できないようで、不毛な話し合いが再開された。とうとう我慢の限界を超えたにこが“ある事”を提案する――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「分かったわよ! なら歌とダンスで決着を付けようじゃない! 一番歌とダンスが上手い者がセンター。どう? 文句が無い良い方法でしょ?」

 

 決戦の舞台は近くのカラオケ屋であった。割と広い部屋でしかも安いこの店は知る人ぞ知る有名店だ。手早くセッティングを完了したにこがマイク片手にセンター決めの戦いの火蓋を切って落とす。

 

「……あの、何で私も連れて来られたんですか?」

「思穂、あんたには見届け人をやってもらうわよ。誰がセンターにふさわしいか、しかとその目に焼き付けなさい!」

「思穂ちゃん思穂ちゃん、あとで私と一緒に歌わない?」

「あ、良いねことりちゃん。歌おう歌おう! 久しぶりに来たなーカラオケ」

 

 そんな和気あいあいとした空間の中、にこだけが物凄くあくどい顔になっていたことだけは見ないフリをしようと心の中で決めた思穂である。大方、高得点が出やすい曲のチョイスでもしていたのだろう。

 穂乃果がトップバッターでカラオケは始まった。彼女のはつらつとした歌声は聞く者全てに元気を与え、明日への活力へと変換してくれる。思穂はいつまでも聞いていたい気持ちになったが、そこはカラオケ。四分を過ぎた辺りで終わってしまった。

 

「やった! 九十二点だ!」

 

 流石と言えば良いのだろうか、トップバッターの緊張に負けず九十点台を叩き出す辺り、高坂穂乃果である。次は凛が歌うようで穂乃果からマイクを受け取った。

 

「次は凛だにゃ~!」

 

 その後、花陽と真姫が歌い、にこからことり、海未へと順番が回っていった。皆九十点台以上を叩き出すというかなりレベルの高い戦いとなっており、真姫に至っては九十八点という超得点だった。歌が上手いと言うのは前から知っていたが、それが如実に表れている結果だろう。

 海未の結果は……九十三点。やはり皆、真姫に鍛えられているだけあり、良い歌声だった。

 

「海未ちゃん、やるねぇ!」

「……緊張しました」

「じゃあ最後は思穂ちゃんだね!」

「え、私も参加?」

 

 穂乃果が差し出したマイクを受け取った思穂は、参加して良いものか悩みながら、これはただのゲームと割り切ることにした。素早く選曲を済ませた思穂は息を整える。

 

「そういえば思穂先輩の歌って聞いたことないですね」

「あ、確かに凛ちゃん達とカラオケ行ったこと無かったよね」

「楽しみだにゃ~!」

 

 そして音楽が流れ出す。格好つけにマイクを一回転させた思穂は、曲名を告げる。

 

「私の歌でハートをビンビンに熱くさせてやる! 『アクセルレーショナル』!!」

 

 思穂がお気に入りの歌だった。どこを探しても無い曲だったが、こんな所にあったとは思いもよらなかった。思穂がカラオケに来て良かったと、本気でそう思えた瞬間である。五分にも及ぶ熱唱は、思穂の心を完全に昂ぶらせた。

 

「――ふっ。また一つ、オーバーランクの更に上へと到達してしまった……!」

 

 実際この歌を歌っているアイドルは『オーバーランク』を自負している。そんなアイドルの片鱗を少しでも再現出来たらと、思穂は暇を見つけては練習をしていたのだ。その成果もあり、大分振り付けと歌が様になってきたのは地味に達成感を感じている要素である。

 歌い切った思穂の視界には沈黙し、目を丸くしているμ'sメンバーが。そういえば得点を見ていなかったことに気づいた思穂は後ろを見て、その結果に驚いた。

 

「あ、九十八点だ」

 

 その瞬間、全員が爆発したように感想を言いだした。

 

「思穂ちゃんすっごい! 本物のアイドルみたいだったよ!」

「い、今のってあの超有名アイドル『ラオン』さんの曲ですよね!? しかもデビュー初期の曲!」

「……中々やるじゃない」

 

 近くにいた穂乃果や花陽、そして真姫が一番良く聞こえてきた。素直に褒められるのは中々に嬉しいものである。そんな中、にこが悔しげに、だがホッとしたような表情を浮かべていた。

 

「ま、マネージャーで本当に良かったわ……」

 

 にこの言うとおり、思穂はこの勝負には関わっていない為純粋な遊びである。故に思穂は本気でこなした。

 

(遊びに真剣になれなくて、何に真剣になれるって言うんだ! って感じだよね!)

 

 時間も時間だったので、早速次のダンスの得点を決めるべく、カラオケ屋からゲームセンターへと場所を移すことになった。ゲームセンターに入った瞬間、にこは目的の筐体へと走り出す。

 

「次はダンスよ! 使用するのはこのマシン! アポカリプスモードエキストラ!」

 

 割と高い難易度で有名なこのモードを選ぶあたり、にこも面の皮が厚い。正々堂々という言葉が見事に投げ捨てられていた。

 

「じゃあちゃっちゃっと始めよっか皆!」

 

 思穂の掛け声で皆が順番決めのじゃんけんを始めた。……音楽ゲームこそセンスが要求される。点数の大小うんぬんより、対応できているかどうかが判断基準となるだろう。

 

「プレイ経験ゼロの素人がまともな点数を出せる訳がないんだから。ふ……ふふ、ふふふ」

「にこ先輩、声出てますよー」

 

 思穂がジトーッとした視線を送っているにも気づかず、にこはただ悪どい笑みを浮かべるだけ。次の瞬間、ダンスマシンから歓声が上がる。

 

「何かできちゃったにゃ~!」

「おおー凛ちゃんやるね!」

 

 トップバッターの凛に続くように、穂乃果達もゲームを始めた。割と激しいノリの曲が多く、皆うっすらと汗を掻いていた。その姿の何たるそそることやら。思穂は得点なんかよりもそっちの方に目が釘づけだった。

 

「あれ? 思穂ちゃんはやらないの?」

「う~ん……まあ、穂乃果ちゃんが言うなら」

 

 実はダンスゲームはやったことがない思穂である。身体を動かすのは家庭用ゲーム機で十分なため、ダンスゲームにはまるで興味が湧かなかった。しかし物は試しである。

 

「よーし、やっちゃうぞ!」

 

 その後の思穂の結果は『AA』であった。これは凛と同じ結果であり、偶然が生んだ産物。たまたま適当に選んだ曲がやりやすかった。これに尽きる。

 μ'sメンバーのみの結果で言うのなら、決着はつかなかった。皆似たり寄ったりの点数でいまいち決め手に欠ける。

 そこでにこは最後の勝負を持ち出した。

 

「歌もダンスも決着が着かなかった以上、最後はオーラで決めるわ!」

「オーラ?」

 

 海未の相槌から、にこのアイドル論が始まった。握り拳まで作って力強く語ったが、大半は得心いっていないようであった。だが、花陽だけは同意をしてくれたようで顔を輝かせる。

 

「わ、分かります! 何故か放っておけないんです!」

 

 まさに花陽ちゃんだね、とはとてもではないが言えない思穂であった。というより言えばきっと周りからドン引きされること間違いなしである。

 

「でもそんなものどうやって競うのですか……?」

「そこでこれよ!」

 

 実に手早くにこは、ライブのチラシの束を渡し始めた。チラシはざっと三十枚前後、といったところだ。これを渡すのは割と骨がいる作業だろう。

 そんな事を思っていた思穂の手にもチラシが渡された。

 

「え!? 私も!?」

「あんたはマネージャーでしょ? 勝負には関係なくても、宣伝はしてもらうわよ」

「ぜ、全力で頑張らせて頂きますぅ~……」

 

 散り散りになり、チラシ配りが始まった。さっさと終わらせてチラシ配りにまごつく海未を見るべく、思穂は通りすがりの人へ次々に声を掛けていくことにした。

 皆、順調のようだが、にこはキャラを作り過ぎてあからさまに避けられている。それとは真逆で、ことりが自然体で次々に道行く人にチラシを渡していった。

 

(……ん?)

 

 他のメンバーは気づいていないようだが、ことりのチラシ配りが余りにもスムーズ過ぎる。手馴れすぎている。それよりも気になることがあり、時たま握手を求められている場面が多々見受けられた。

 しかし今は気にせず、思穂は再びチラシを配り始める――。

 

「あ、終わった」

「思穂ちゃんも? 私も丁度終わったよ!」

 

 ことりと思穂がほぼ同じタイミングでチラシを配り終えた。ただ人に声を掛け、笑顔でチラシを渡すだけの簡単なお仕事である。褒められるようなことではないが、それでも思穂は少しばかり照れてしまった。

 

「にこ先輩はー……あ、すいません」

「何よ思穂! 喧嘩売ってんの!?」

「いえいえいえ。にこ先輩はやっぱりにこ先輩だなぁと」

「喧嘩売ってんじゃなーい!!」

 

 これ以上騒がれる前に、思穂はさっさと行動に移した。ぎゃあぎゃあ騒ぐにこを抱え、一旦部室へ戻ることに。グッズを抱えるために鍛えられた腕力は伊達では無い。

 部室を目指しながら思穂は考えていた。一通りやってみたが、皆大体同じような点数であり、その中でもやはり得意不得意がハッキリ分かる結果となった。

 ダンスの点数が悪かった花陽は歌が良く、歌の点数が悪かったことりはチラシ配りが良かったときたものだ。正直、これではリーダーの才覚は分からない。

 

「にこ先輩も流石です。全然練習してないのに同じ点数だなんて」

「あ……当たり前でしょ」

 

 部室に戻った凛がにこへそう言った。だがそれは間違いで、思穂は知っていた。高得点を出しやすい歌のリストアップ、そして熟知しているダンスマシンでの勝負と挙げればキリがない不正の数々。下手に言えばにこのイメージダウンにも繋がるので、思穂は言うつもりは全くないが。

 

「どうするの? これじゃ決まらないわよ?」

「――ですが」

 

 海未の一言で、皆口を閉ざし、彼女の方へ視線を向けた。すると、海未が結果を記入したメモ帳を皆に見せながら言った。

 

「一応、思穂の点数も記録していたんですが、成績だけでいうのなら、思穂がトップなんですよね……」

 

 歌の点数が良かった真姫と一緒の点数で、ダンスの成績が良かった凛とも同じ点数、チラシ配りの成績が良かったことりとすら同じ点数だった思穂が、実質のトップであるのは間違いない。

 

「やっぱり思穂先輩がリーダーの方が……」

「あ、私。それだけは出来ないんだ。ということで穂乃果ちゃん! 結論はどうする!?」

「へっ? 私?」

「そうそう。思ったこと言えば良いんだよ」

 

 そうすると、穂乃果がポツリと“その言葉”を言った。

 

「じゃあ……無くっても良いんじゃないかな?」

「無くても?」

「うん。リーダー無しでも練習してきて、歌も歌ってきたんだし平気だと思うよ?」

 

 途端に出てくる反対意見。だがそれはリーダーの重要性を理解しているからこそ。だからこそ、センターの話も切っては離せない問題である。

 

「ならセンターはどうするの?」

「うん、それなんだけどさ。私、考えたんだ。皆で歌うってどうかな?」

 

 皆で順番に歌い、皆で一つのステージを作っていく。ありそうでなかった発想。アイドルと言うものを知っている者からすれば“甘え”とでも言われそうな考えだ。

 だからこそ、思穂はそれに賛同することにした。

 

「良いと思うよ。お手々繋いで皆で一等賞。良いじゃん、私達らしい、μ'sの形だと思うよ! 皆は?」

「まあ、歌は作れなくはないですが」

「そういう曲、無くはないわね」

「今の七人なら出来るよ!」

 

 μ'sの生命線と言える、海未と真姫、そしてことりは前向きな反応だった。凛と花陽ももちろん賛成のようだ。表情がそれを物語っている。とすれば、あとは一人。

 

「にこ先輩はどうします?」

「……仕方ないわね。ただし、にこのパートはかっこよくしなさいよ?」

「よーし! 早速練習しよう!!」

 

 にこの快諾も得られた穂乃果はもう無敵であった。立ち上がり、気付けばもう部室を飛び出していた。

 

(やっぱり落ち着く所に落ち着くんだねー)

 

 一人になった部室で思穂は安心したように笑顔を浮かべていた。何者にも囚われず、目の前の目標に一直線で、そんな彼女の周りには常に人がいる。

 

「――にこ先輩の言った通りの人物、居たじゃないですか」

 

 まだ消されていなかったホワイトボードの文章を見直し、思穂は早速PVの為の準備に取り掛かる。これからやることは山積みだ。効率よく終わらせ、そしてオタクライフを満喫するため、思穂は早速ペンを走らせる――。



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第二十一話 『ラブライブ』への試練

「どうですか? 絵里先輩?」

 

 生徒会室では思穂と希、そして絵里がいた。絵里の前に置かれているノートパソコンにはμ'sの新しいPVが流されている。メルヘンの国を思わせる衣装、そして校内装飾で楽しく歌っている動画である。

 他のクラスメイトと協力して装飾をしたのは割と楽しかった思穂だ。

 

「……希、何を言ったの?」

「ウチは思ったことを素直に言っただけや」

「どこかの無敵生徒会長とは違うんですね~」

 

 ジロリと絵里が思穂を睨み付けるが、その眼には力が込められていなかった。色々と思う所があるのだろう。

 そんな中、希が絵里に言う。

 

「もう、認めるしかないんやない? エリちが力を貸してあげれば、あの子らはもっと……」

「なら希が力を貸してあげれば……!?」

「――いいえ。絵里先輩の力が必要です」

 

 思穂は初めて見たのかもしれない。驚きの感情を顕わにしている絵里なんて。だが、思穂はそれでも言うことを言う性質であるが故に、遠慮はしない。

 

「一年生組が入ってやれる曲のバリエーションが広がりました。にこ先輩が入ってスクールアイドルへの意識が矯正されました。なら次は? 一番肝心のダンスを次のステージへと上げないと……μ'sはいつまで経っても埋もれたままです」

「っ! 貴方、知っているの……?」

 

 だがその視線は思穂では無く、希の方へと向けられていた。しかし希は意味深な笑みを浮かべるばかり。

 ……まさにそうである。“この話”は他でもない希から聞かされたのだ。正確には昨日の放課後にPVの編集をしている時、もっと言うなら、希と世間話をしている時にだ。思穂も最初は、耳を疑った。

 だが、希から動画を見せられた時、思穂に戦慄が走った。圧倒された、感動させられた。スクールアイドルに否定的なのも大いに頷かせられた。

 

「……なら、ハッキリ言わせてもらいます。私にとって、スクールアイドル全体が素人にしか見えない。実力があるというA-RISEでさえ……素人にしか見えない」

「……否定はしませんよ。絵里先輩の眼から見れば素人呼ばわりは当然だと思います。それだけのモノを絵里先輩は持っている」

 

 絢瀬絵里は昔、バレエをやっていた。それもまだ自分達が外で元気に遊んでいたような小さな時から。思穂が希から見せられた動画はそのくらいの年齢だが――その時点で、μ'sの全てを凌駕していたのだ。

 だからこそ、思穂ははいそうですか、と下がる訳にはいかなかった。

 

「だから、絵里先輩の力が必要なんです。絵里先輩からダンス指導をしてもらえればきっと、穂乃果ちゃん達は――」

「何故、貴方はそこまで……」

「前にも言いましたよ。自分の為です!」

 

 あえて答えを聞かず、思穂は生徒会室を出た。今ここで答えを求めるほど、思穂には余裕がない訳では無い。それにいずれμ'sは絵里へと辿りつく。その時に、また出しゃばろう。

 スマートフォンで時間を確認する。恐らくもう部室に皆が集まっている頃合いだろう。

 だが思穂の今日の予定は部室へ行くことでは無く、理事長室へ行くことだった。何故呼ばれるのかは全く見当が付かない。しかし、答えはすぐ分かるだろう。

 少しばかり緊張しながらも、思穂は理事長室の扉を開けた。

 

「失礼しまーす」

「あらいらっしゃい思穂ちゃん」

 

 相変わらず広い部屋だな、というのが思穂の感想である。こういうところで大画面のアニメ映画でも見られたらどんなに良いことか。となればまずは理事長室を占拠しなくてはならない。どうやって理事長を部屋から追い出そうか考えていると、その本人から声を掛けられた。

 

「何だか、すごく物騒な事を考えているような気がするのだけど、気のせいかしら?」

「気のせいです」

 

 即答である。まさかテロリスト紛いの願望を吐露するわけにはいかない。あっという間にまたブラックリスト入りだろう。

 

「ところで、何で私呼ばれたんですか?」

「新作のPVを見させてもらったから、その感想を言いたくて」

「ああ、この間は校内装飾の許可を出してくれてありがとうございました。じゃなかったらもうちょっと方法を考えなきゃなりませんでしたよー」

「あんなに分かりやすい企画書を見せられては、出さない訳にはいきませんからね」

 

 μ'sの新曲『これからのSomeday』のPV撮影には校舎全体が使われた。だが、もちろんそんなことをするためには事前の申請と、全体への周知が必要不可欠。

 思穂が行っていたのは申請書と添付資料の作成、そして放送部に流してもらう原稿の作成、あとは装飾の作成等などだ。装飾とその材料の作成だけはクラスメイトに手伝ってもらったが、後は全て思穂が行った。

 つまりそれは生徒会へも通さなければならない案件だったが、そこは全力を尽くした。おかげで、無事成功させることが出来たのだ。

 

「ありがとうございます。ということで、これからも頑張っていきます!」

「――の前に、そろそろ期末試験があります」

「……えっ!? ま、まさか何か部活存続の試練が!?」

「試練、という訳ではありませんが、メンバーでもし赤点を出したら――」

 

 理事長が言いかける前に、ノック音がした。どうぞ、という理事長の声で扉が開かれると、そこには先程話していた二人が。

 

「……何故、貴方がここに?」

「絵里先輩に会いたかったからに決まっているじゃないですかー! やだなーもう!」

「どうしましたか?」

 

 すると、絵里が理事長の前まで歩いていく。

 

「……今日こそ、生徒会が廃校阻止の為に活動する許可を頂きに来ました」

「……何度来ても、答えは変わりませんよ?」

「何故、アイドル研究部の活動を許して、生徒会の活動は許されないのですか!?」

 

 絵里と理事長のやり取りを見守っていた希の表情が複雑なものとなっていた。言うべきか、言わざるべきか、思穂が見る希の姿はいつもそんな二択を迫られているような顔である。

 

「分からない?」

「全く……!」

「私はすごく良く分かるんですがねぇ……」

 

 あからさまに絵里から目を逸らしながら、思穂は言った。希には悪いが、ここは口を出させてもらうことにした。

 

「片桐さんが……? 貴方達が許されて、生徒会が許されない理由を?」

「ええ、まあ。めちゃくちゃ単純な事だと思いますよ?」

「片桐さん、そこまでよ。そこからは駄目」

 

 理事長の視線が思穂を捉えて離さない。そう来ると思っていた思穂はすんなり引き下がることにした。そうだ、南ことりの母親はそんなネタバレを決して許しはしない。この音ノ木坂学院を取り仕切る者でありながら、彼女は“教育者”なのだ。

 絵里は未だに理解していないようだ。しかしそれは仕方の無いことで。むしろ、彼女程デキた人間だからこそ、到達出来ないと言っても間違いない。深みにハマりすぎて、抜け出せないと言った方が良いのだろうか。

 

「まあ、そういうことです。私ですらすぐにピンと来る答えってことですよ!」

「……くっ」

 

 そう言って、絵里は背を向けた。話の終わりを察した希も一緒に理事長室を出ようとする。

 

「あれ? お揃いでどうしたん?」

「ん? 穂乃果ちゃん達?」

 

 何か用があったのか、少しだけ開かれた扉の向こうにはμ'sメンバーがいた。しかし運が悪い。丁度絵里と出くわすような感じになってしまった。

 少しだけ思穂も近づいてみることにした。

 

「何の用ですか?」

 

 絵里がそう聞くと、前に出てきたのは真姫である。これはマズイ、と直感した思穂がタイミングを計る。

 

「理事長にお話があって来ました」

「各部の理事長への申請は生徒会を通す決まりよ」

「申請とは言ってないわ。ただ、話があるの」

 

 思穂が出る前に、穂乃果が真姫の肩を掴んだ。

 

「真姫ちゃん、上級生だよ?」

「そうだよ真姫ちゃん、あとでめんどくさくなるんだから、止めといた方が良いって」

 

 穂乃果と思穂の言葉をしっかり理解し、真姫は悔しげに引き下がった。ここで思穂は一気に場を変えることにした。

 

「あー理事長ーどうしましたー?」

 

 いつの間にか近づいてきた理事長に気づいていた思穂はあえて大げさにその存在を強調させる。理事長も理事長で話を聞くつもりだったようだ。一年生以外が理事長室へ入ることとなった。

 

「へー『ラブライブ』ね」

 

 思穂が初めて聞く単語であった。穂乃果と海未、ことりの説明を聞き、自分なりに要約した結果がこれだ。

 要はスクールアイドルの大会であり、ネットで全国的に中継もされるという規模の大きさ。

 これに出場することが出来れば、この音ノ木坂学院の名前を全国的に知らしめることも出来るだろう。……それ故に、絵里がそれを許すとはとてもではないが、思えなかった。

 

「私は反対です」

 

 やはりと言ったところである。即刻否定的な意見を出した絵里が、言葉を続ける。

 

「理事長は学校の為に、学校生活を犠牲にするようなことはすべきではないとおっしゃいました。ならば――」

「そうねぇ。でも良いじゃないかしら? 『ラブライブ』? って大会にエントリーするぐらい」

 

 その判断に穂乃果達はガッツポーズをした。割と説得するのに時間が掛かるとでも思ったのだろう。

 しかし、その理事長の判断に絵里だけが不服を感じているのもまた確かであった。

 

「ちょっと待ってください! どうして彼女達の肩を持つんです!?」

「別に肩を持っている訳じゃないと思いますよー」

「片桐さんは黙っていて。だったら、生徒会も学校を存続させるために活動させてください!」

 

 しかし理事長の出した結論は当然却下である。その言葉に、とうとう絵里が呆れを通り越してしまったようだ。

 

「……意味が分かりません」

 

 そう言い捨て、絵里が出て行ってしまった。希も一緒に出るかと思ったら理事長室に残っていた。そして絵里が出ていく姿を見送りながら、にこが言った。

 

「ざまーみろってのよ」

「絵里先輩も苦労しますねー」

「――ただし、条件があります」

 

 だがそう簡単にラブライブへの出場を認めないのもまた理事長である。娘であることりがいるからといって、一切の甘えを見せない辺り、やはりトップに立つ者であろう。

 

「勉強が疎かになってはいけません。今度の期末試験で一人でも赤点を取るようなことがあったら、ラブライブへのエントリーは認めませんよ? ――良いですね?」

 

 “赤点を”の辺りから理事長室全体に緊張が走っていた。絶望感と言っても良いのだろうか。凛とにこが崩れ落ち、穂乃果が壁に手をつき、あからさまな空気を醸し出している。

 その姿を見ながら思穂は思った。今までμ'sには様々な問題が降りかかってきた。だがその度に、皆で力を合わせて何とか乗り越えてきた。しかし、今降りかかってきた問題はその今までを優しく感じさせる謂わば――最強最悪の難問であったのだ。

 

「ということで皆さん、頑張ってくださいね。あ、片桐さんだけはちょっと残っていてください」

「へ? 私?」

 

 その言葉で思穂は予感した。また頑張らなければならないイベントが舞い降りてくるのだと――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「大変申し訳ありません!」

「ません!」

 

 部室に戻って作戦会議を開いた直後、穂乃果と凛が机に手をつき、土下座のようなことをしだした。よほど成績には悪い意味での自覚があるのだろう。

 

「……小学校の頃から知ってはいましたが、穂乃果……」

「数学だけだよ! 小学校の頃から算数苦手だったでしょ!?」

 

 花陽が凄く簡単な問題を穂乃果へと出した。ただのシンプルな掛け算だ。しかし、穂乃果はあろうことにそれを間違えてしまうという離れ業をやってのけた。当然、海未には“重傷ですね”と断じられることとなる。

 

「凛ちゃんは?」

「英語! 英語だけはどうしても肌に合わなくて……」

「我々は日本人だ! っていう凛ちゃんの大和魂が光るね」

 

 そんな思穂の冗談すら聞いている余裕はないようで、凛が更に花陽へまくし立てる。

 

「そうだよ! 大体何で日本人の凛達が外国の言葉を勉強しなくちゃならないの!?」

 

 凛の逆ギレに、真姫が立ち上がり、その上で更にキレた。

 

「屁理屈言わない! これでラブライブにエントリーできなかったら恥ずかしすぎるわよ!」

「ま、真姫ちゃん怖いにゃ~……」

「全く……やっと生徒会長を突破出来たって言うのに……!」

「そ、そうよ! あ、赤点なんか絶対と、取るんじゃないわよ……!」

 

 滅茶苦茶声が震えているにこであった。この間、アイドル研究部の備品棚を整理していたら見つかったテストの成績を知っている思穂からしてみれば、むしろその軽口を言える余裕があるのが凄いと言えるレベルである。

 

「に、にこ先輩。成績は……?」

 

 ことりの質問を得意の“にっこにっこにー”でやり過ごすが、それは逆に『ワタシ、ヤバイ、テスト、セイセキ』と言っているようなものだ。

 その惨状を理解した真姫は、ため息交じりに呟いた。

 

「はぁ……これで危険そうなのは、凛とにこ先輩、穂乃果先輩に思穂先輩、ってことね……」

 

 ――その言葉に穂乃果とことり、そして海未の時が止まった。

 

「……ま、真姫ちゃん。今の、本気?」

「……何がですか?」

 

 珍しく顔が引き攣っていることりを訝しげに見つめる真姫。その言いたいことが理解できずにいる真姫へ、穂乃果が問いかけた。

 

「……ど、どうして思穂ちゃんが危険そうって思ったの……?」

「どうしてって……普段の言動を見ていると何となく……」

「凛も、真姫ちゃんと同じ意見だにゃー。普通にカウントしちゃってました」

「うわっ! すごい傷ついた!」

「普段の行いが悪いからです」

 

 ぴしゃりとそう断じた海未ですらすごく顔が引き攣っていた。思穂は思穂で日頃の行いを振り返っていたが、何一つ悪い所は見当たらない。

 代表して、海未がその事実を告げた。

 

「……皆さん勘違いしているようですが、思穂は安全です。それこそ、確実に」

「何でそんなこと言い切れるんですか?」

「こう見えて思穂は、この音ノ木坂学院に全教科満点で首席入学してきた程の学力を持っています。私達と同じ枠で比べるのはむしろ失礼と言うレベルで……」

 

 その言葉に、一年生組の動きが止まり、視線が思穂へと注がれた。

 

「……へ?」

「全教科?」

「満点?」

 

 真姫、花陽、凛の順番で紡がれた言葉は、一瞬遅れて自分達へ自覚させた。その瞬間、一年生組、そしてにこが立ち上がった。

 

「首席入学ぅ!? し、思穂!? あんた、何でそれにこに言わなかったのよー!?」

「あああああ……にこ先輩、目が回るぅぅぅぅ……。だって、わざわざ言うようなことじゃないですかぁ~……」

 

 にこに両肩を掴まれた思穂がガックンガックンと揺らされてしまった。もうそれはガックンガックンと。大して自慢するような話じゃなかったからとしか言えない。

 

「思穂。この間の、ファーストライブの時に受けた学力テストはどうだったのですか?」

「あれ? そう言えば採点結果見てないけど、多分満点だと思うよ? でもあれ酷かったよー。中盤は応用の応用問題、後半は三年生の範囲だったし」

「……と、まあ。思穂に至ってはむしろ教える側に回ってもらうつもりでいました」

「め、滅茶苦茶だにゃ~……」

 

 一年生組とにこが完全に言葉を失っていた。今までのイメージが覆された瞬間とはこの事を言うのか、と思穂は珍しげに皆の顔を見ていた。

 しかし、思穂にしてみれば勉強はただのオタクライフを円滑にするための手段でしかない。既に思穂は、三年生までの範囲は大体学習済みなのだ。それも全て追試や補習を防ぐため。

 

「はい!」

「どうしたの? 凛ちゃん?」

「思穂先輩はどうやって頭良くなったんですか!?」

 

 その言葉に皆が注目した。真姫でさえ興味があるようで、チラチラ思穂の方を見ていた。

 

「一日一時間の勉強だよ! 趣味に時間割かなきゃならないし!」

「い、一時間!?」

「そうそう! 一時間だけね、もう勉強以外は見ないぐらい集中して取り組むんだ。下手にだらだらやるよりメリハリつくし、効率良いよ!」

「一回、思穂ちゃんの勉強している姿見たことあるんだけど、滅茶苦茶怖かったよね……」

 

 穂乃果の言葉に海未とことりが頷いた。

 

「まるで刀を喉元に当てられているような鋭い緊張感でしたね。剣道や弓道、日舞とか、そういう道に勧めたいぐらいに」

「でも思穂ちゃん、それが終わったらすぐにゲームとか漫画読んじゃうんだよね!」

 

 片桐思穂の勉強時間は一日一時間である。だが、その時間は異常に“濃い”ものとなっていた。全神経を勉強に注ぎ込み、徹底的に手を動かし、声に出し、頭に叩き込む。勉強時間が終わるその時まで、思穂は勉強の修羅と化すのだ。その状態の思穂は誰に声を掛けられても気づくことはなく、間近で大爆発が起きても、恐らく勉強し続けるだろう。

 思穂は別に天才でも何でも無い。勉強しなければ頭に入らないし、一目見ただけで全てを覚えるのはそれこそ異常である。時間当たりの濃度が凄まじく高いだけで、しっかりとした段階を踏み、ただ学習しなければならないことを学習しているだけなのだ。

 

「そうそ! 一秒でも無駄にしたくないから電波時計でばっちり計っているよ!」

「能ある鷹は……って言うけど、ここまであからさまなのがいるとは思わなかったわ……」

 

 真姫がボソリと言ったのを思穂は聞き逃さなかったが、あえてそれに突っ込むことはしなかった。別にそう見られたくてやっている訳ではないし、これで距離を取られて困ってしまう。

 普通に接して、普通に馬鹿話をする。これが片桐思穂の流儀である。

 

「わ、私にも教えて欲しいです……」

「花陽ちゃん!? 良いよ良いよ! もう個室でたっぷりマンツーマン授業してあげるよぉー!!」

「そ、それは~……!」

「かよちんがやるなら、凛もしてほしいにゃ~!」

 

 今日が命日か、そう感じたのも無理はなかった。個室でたっぷり花陽と凛をお触……スキンシップが出来る機会が訪れたのだから。だが、それはすぐに海未によって無くなってしまった。

 

「それはテストが終わった後にしてください。そう言えば思穂、理事長と何を話していたんですか?」

「あー。今度の期末で結果を出さないと、また補習だって先生から提案があったらしいよ? ほんと私の事、大好きだよねー眼鏡先生」

「……大丈夫なんですよね?」

「またぐうの音も出させない結果を叩き付ければ良いだけだから私の事は大丈夫。それよりも……穂乃果ちゃん凛ちゃん、にこ先輩だよね……」

 

 その言葉のどれだけ難しいことか、室内にいる皆がひたすら苦笑を浮かべていた。むしろ爆弾三人をどう処理したらいいか、頭を悩ませる思穂である。こればかりは勉強してもらうしかない。

 しかしどう配分するかも問題である。教える人が誰も居ないにこに付きっきりと言うのもアリだが、できる事なら凛と穂乃果の方も見ておきたい。

 そんな時、部室の扉が開かれた。

 

「にこっちはウチが担当するわ」

 

 このタイミングで現れた東條希が勝利の女神に見えたのは、きっと気のせいでは無いのだろう――。



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第二十二話 意外と庶民派?

 正直、希がサポートに入ってくれて、思穂は本気でホッとしていた。おかげでにこにばかり気を回さなくて済むのだから。

 

「……とはいえ、これは何ともしがたい……」

 

 早速勉強会が始まったのは良い。だが、穂乃果、凛、にこのやる気の無さは思穂の想像を遥かに超えていた。それぞれ解説が子守唄と化してしまっている。もちろん海未たちの解説が分かりづらい訳では無い。むしろ分かりやすい。

 ハッキリ言って、思穂の出る幕は無かった。

 

「思穂ちゃ~ん、これ分かんないよ~!」

「ん? どれどれ?」

 

 そう言って問題を見た思穂は固まった。今穂乃果がやっている数学の問題は初歩中の初歩であった。ことりが懇切丁寧に教えているにも関わらず、理解していないとは思穂もまいってしまった。

 

「……今のことりちゃんの説明を更に分かりやすくしたら、それはもう答えになってしまうんだけど……」

「し、思穂ちゃん。私これ以上穂乃果ちゃんに上手に説明する自信が……」

 

 ことりの今までの苦労が手に取るように分かる疲れ切った笑顔であった。むしろここまで分かりやすく説明することりはきっと先生に向いているだろう。……とりあえず穂乃果は様子見をすることにして、思穂は凛の方へと視線を向けた。

 

「はい凛、この英文の意味は?」

「わ、私リケ? が大好きです……? 何故なら、シャーベットだから?」

 

 瞬間、真姫の鋭い視線が凛を射抜いた。

 

「違う! 『私はご飯が好物です、何故なら甘いからです』よ!」

「分かんないよー!」

「り、凛ちゃん。頑張って……!」

「かよちん助けてよ~! 凛、英語なんて無理だよぉ!」

 

 凛は凛で大分重症のようだ。この分なら中学生レベルの英語も怪しいと見える。涙目の凛が、思穂の方へ向いた。

 

「思穂先輩ー! 凛に分かりやすく説明してください!」

「……よーし分かった! 英語で外国人と口喧嘩出来るレベルまでにしてあげるよ!」

 

 実際、思穂はオンラインゲームで一度外国人プレイヤーと三十分間に渡る口喧嘩をした経験があった。FPSのゲームで立て籠もっていたスナイパーを倒した時、ボイスチャットで文句が来たのだ。そこからは激しい言葉の応酬。……最終的には意気投合出来たのは自分でも驚きである。

 そんな思穂が教えたのは例文であった。下手に英単語の書き取り等をさせるより、例文をガッチリと覚えてしまえば、後はその形に英単語を当てはめていけば良いので、闇雲に勉強するよりは点数アップに繋がる。

 思穂が重視したのは口に出しての書き取りによる記憶である。ただぶつぶつ口に出して覚えるよりはよっぽど覚えやすい。

 

「頭が……パンクする、にゃ……」

 

 しかし集中力がそこまで持続しなかったようで、凛の頭から湯気が見える。その瞬間、机に伏してしまった。すぐに真姫がチョップで叩き起こし、花陽がそれを心配するという飴と鞭が出来上がるが、それにほのぼのしている余裕は微塵も無かった。

 

「……希先輩、にこ先輩はどうですか?」

「に……にっこにっこにー!」

「あ、駄目なんですね」

「駄目やね」

 

 にこの隣から教科書を覗き見た思穂は、スッと指さした。

 

「にこ先輩、多分考え方が違っていますよ。ここはそうじゃなくて……」

 

 そして思穂による解説が始まった。ここは思穂も苦戦した箇所である。だが、考え方を変えたらすぐに飲み込めた所でもあった。そんな思穂に、にこが逆ギレをする。

 

「って! 何で二年の思穂がにこより分かってんのよ!」

「と言われましても……一年生の後半で勉強した所だったからとしか……」

「さっき外から話を聞いてたけど、思穂ちゃんが勉強できるって本当やったんやね」

「勉強できるって言うか、勉強しなくても良いようにしたというか……」

 

 希が感心するが、思穂には生憎それを素直に受け取ることが出来なかった。オタクライフを円滑にするためだけのことなので、特に褒められる要素はなかったのだ。

 

「これは……ラブライブ出場が本格的に危ぶまれるなぁ……」

 

 ここで海未が弓道部に行くと言って退室した。海未と言うストッパーが居なくなった穂乃果が本格的にだらけだし、ことりが困ってしまっていた。

 しかし、思穂もどうやら時間切れのようだ。

 

「あ、じゃあ私もそろそろ抜けるね!」

 

 すごく勉強を見なくてはならない事態に陥っているが、これだけは譲れなかった。何故なら今日は予約していたゲームの受取日だったのだ。ロボット物のアクションゲームである。自由なカスタマイズと深い設定、そしてコントローラー全てを使う操作の複雑さは思穂の心を掴んで離さない。

 皆を残していくのは酷く心残りだが、それでも思穂は自分優先で動く人間である。心を鬼にして、思穂は部室を飛び出した――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「――あら、片桐さん。お久しぶりね」

「…………あ、ども」

 

 思穂は酷く冷や汗が止まらなかった。音ノ木坂学院を飛び出してきたまでは良い、何の事故も無くゲームショップ近くまで来れたのも良い。だが、バッタリ出くわしてしまった綺羅ツバサの笑顔を見て、思穂は今日の一日の終わりを確信した。

 

「つ、ツバサさんやツバサさん。どうして貴方がこんな所に……? 伊達眼鏡まで掛けて……」

 

 今日のツバサは伊達眼鏡を掛け、帽子を被ってと、じっくり見なければ本人だと分からない変装をしていた。そのオーラまでは隠しきれていないが。

 

「今日は練習が無い日なのよ。だから散歩していたの。常に新しい情報に身を置き、自分を高める。……とまでは言わないけど、アンテナはいつも高くしておかなければスクールアイドルは務まらないわ」

「それは立派な心がけですね! じゃあ私はこの辺で――」

 

 ツバサを横切り、ゲームショップに入ろうとした思穂。だが、店の中へ入る寸前、ツバサによって腕を掴まれた。

 

「ね? 時間あるかしら? ちょっとお話ししていかない?」

「……あんじゅさんや英玲奈さんは何処(いずこ)へ?」

「散歩に誘ったんだけど、二人とも用事があるって断られちゃった」

 

 舌をペロリと出してウィンクまで付けてくるとは流石スクールアイドルの頂点、といった所だろう。不覚にもドキドキしてしまったが思穂は直ぐに思考を切り替え、如何に断ろうかと思考を巡らせる。

 A-RISEのセンター直々に遊びに誘われるなんて経験、普通なら絶対に有り得ないが、思穂にはそんなの関係なかった。当然、にこや花陽にこの事が知られれば首を絞められてしまうかもしれない。

 

「ね、行きましょ? 私、もちろんμ'sにも興味あるけど、貴方にも興味があるのよ?」

「……私ですか?」

「そう。一度貴方と一対一でお話ししてみたかったの」

「う~ん……まあ、そこまで言うのなら……」

 

 思穂が思ったことは、A-RISEのセンターと遊べて嬉しい、等では断じて無い。ゲームを取りに行くのは明日以降になってしまう、ただそれだけであった。

 

「じゃあ、どこ行きましょうか? あ、私、女の子向けの店あまり知りませんので悪しからず」

「それじゃあいつもどこへ行っているの?」

「アニメ専門店、ゲームショップ、本屋等などですね。服屋なんてことりちゃんに連れて行かれる所しか知りませんし」

 

 とても花の女子高生とは思えない行動範囲であった。実際、見かねたことりによって“いかにも”なお店に連れ回されたのは記憶に新しい。あわよくばドン引きしてくれるのではないか、そう思っていた思穂は次のツバサのリアクションによって、それが間違いだったと気づかされる。

 

「それじゃあ貴方の行くところに付いて行って良いかしら? 興味が出て来たわ」

「……本気で言ってます?」

「もちろん。あの天才片桐思穂がいつもどうやって放課後を過ごしているのか気になるし」

「……天才かどうかは置いておくとして、ツバサさんって結構物怖じしないタイプですよね」

「ありがとう! 良く言われるわ」

 

 ある意味穂乃果と似ているな、と思いつつ思穂はツバサのリクエスト通りにすることにした。となればまず行くところは決まっていた。

 

「へー色々あるのね」

「ツバサさん、こういう所初めてですか?」

「ええ。歌とかダンスの練習であまりこういうのに触れる機会無かったから、新鮮ね」

 

 むしろ『私、滅茶苦茶やるのよ?』と言われても反応に困るからそれはそれで驚きはしなかった。とりあえず思穂は目的の物を入手するべく店員の元まで歩いていく。

 

「それが貴方の欲しかった物?」

「はい、そうです。この重厚感溢れるロボットが私の心を掴んで離さないんですよ!」

「ロボット……ん? もう一つは何?」

「これですか? ざっくり言えば女の子を口説いて彼女にするゲームです」

 

 ギャルゲーです、とはとてもじゃないが言えなかった。ツバサの純粋な瞳が思穂の心に突き刺さる。

 

「このパッケージの女の子達と仲良くなっていくのね。……面白いの?」

「もちろんです! 人の気持ちを掴む、と言う点ではツバサさん達スクールアイドルに通じるモノがあると思いますよ?」

「……なるほど。楽しみながら人の心を掴む術を学んでいる、ということね。流石は片桐さん。こういう考え方もあったのか……」

 

 すごく真面目に聞いて、真面目に頷いているだけに思穂は何だか申し訳ない気持ちで一杯になる。それと同時に、ツバサは意外に天然なのかと邪推してしまった。恐らく根が真面目なのだろうと結論付けた思穂は、ツバサと共に店を出る。

 

「それで? 次はどこへ連れて行ってくれるのかしら?」

「そうですねぇ……。本屋でも良いですか?」

「本屋ね、分かったわ」

 

 快諾してくれたツバサを連れ、思穂は馴染みの本屋へと移動した。小さいながらも漫画の新刊が出るのが早く、また品揃えも良い。下手に大きな書店へ行くより、新刊が手に入る確率が高いここは思穂御用達のお店である。

 

「片桐さんは何を買うつもりなの?」

「漫画です。ツバサさんは何かファッション雑誌とか熟読してそうですよね」

「そう見える? 料理の本とか健康関係の本とか色々読んでいるわよ?」

「へ~何か庶民的な感じですね」

 

 その言葉にツバサは立ち止まり、くすくすと笑い出した。

 

「ふふ。まさかそんなこと言われるとは思わなかったわ!」

「あれ? おかしかったですか?」

「いいえ。おかしくなんてないわ! ……と、これが貴方の目当ての物?」

「あ、はい。これ、超ハイスペックな執事さんと超お金持ちなお嬢様とのラブコメなんですよ。割と長寿な作品として有名ですね」

 

 ハイスペックと言うよりは、もはや人間という枠を超えた執事さんである。車に引かれても死なないというのは一体どこの機動戦士だろう。

 

「へえ……。あ、この漫画まだ続いていたんだ……」

「お、これ知ってます?」

 

 ツバサが手に取ったのは、妖怪が見える少年がとあるきっかけで自称用心棒となった妖怪と共に、妖怪の名前を返していく物語の漫画である。

 思穂もこの漫画は全巻持っており、新刊を待っている最中だ。

 

「ええ。昔、ちょっと立ち読みしたら割と面白くてね。目に付いたらたまに目を通すぐらいには気に入っているわ」

 

 そう言いながら、その漫画をパラパラとめくり始めたツバサ。パラパラとは言っても、けっこうしっかりと読んでいるようだ。口元が緩んだり、笑いを堪えたり、時には泣きそうになったりと、表情がコロコロ変わるのは見ていて楽しい。

 そんな思穂の視線に気づいたのか、ツバサがパタンと漫画を閉じ、元の場所へと戻した。その頬は少し赤い。

 

「ご、ごめんなさい。ちょっと集中しちゃってたわ……」

「いえいえ私は良いんですよ。まだ読んでいて良いですよ?」

「そ……そう? ならもうちょっとだけ良いかしら? あと少しで読み終わるから……」

「ごゆっくり~」

 

 そしてまた読みだしたツバサを横目に、思穂は読み終わるまで適当な本を読んで時間を潰そうと決めた。手に取った漫画をめくり、思穂は物語の世界は没入する――。

 

「ふう……面白かったわ。片桐さん?」

「……はっ! つい読み込んでしまっていた! 私にも守護してくれる卵が現れないかと妄想してしまっていました!」

「ふふっやっぱり貴方って面白いわね!」

 

 ツバサの無邪気な笑顔に、つい思穂は照れてしまった。顔が紅くなっていないか気にしつつ、思穂はツバサの手を掴む。

 

「は……恥ずかしい……。さ、ささっ! 読み終わったのなら出ましょうか!」

「ええ。時間も時間だし、最後は私のお気に入りの店に貴方を連れて行きたいんだけど……良いかしら?」

「ええ、もうこの際どこまでもお供しましょう!」

「じゃあ行きましょうか。割と近いのよ?」

 

 ツバサの言葉には全くの嘘はなかった。実際歩いて五分もするところに、その店はあった。

 

「ここのショートケーキが最高なのよ。絶対気に入ると思うわ」

「わー楽しみですー」

 

 見た感じ、お洒落なスイーツ店だと思っていたが、中はもっとお洒落だった。クラシック音楽が流れ、照明もほんのり暗くされている。……この時点で、思穂は財布の中身を確認した。

 

(ど、どうしよう。ショートケーキ税込うん千円とかだったら……!)

 

 ツバサと向かい合うように席に着いた思穂は、冷や汗が止まらない。呼び鈴を鳴らし、やって来た店員へ二人分のショートケーキとコーヒーをオーダーするツバサの何と頼もしいことか。

 

「ち、ちなみにツバサさん。ここっておいくら千円するのですか……?」

「ここ? えっとね……」

 

 そして聞いたショートケーキの値段を聞き、思穂は目を丸くした。値段が高いという話では無い、むしろとてもリーズナブルな値段に驚いたのだ。

 

「……やっぱりツバサさんって、庶民派なスクールアイドルですよね」

「そろそろ呼び捨てでも良いわよ? その代わり私も思穂って呼ばせてもらって良いかしら?」

「それはもちろん構いませんが……う~ん……」

「どうしたの思穂?」

「いや……私って結構ファンに嫉妬されるんじゃないかと思って」

 

 冷静に考えれば、ここまでA-RISEのセンターを独り占めしているなんてファンに知られたら、最悪刺されるんじゃないかと、思穂は段々脂汗を掻き始めてきた。

 しかし、当の本人はそんなこと気にもしていないようだ。

 

「ファンとの戦い、頑張ってね?」

「頑張れる気がしませんね~……その時は助けてくださいね? えっと……ツバサ」

 

 本人からの許可を貰っているにも関わらず何だか少し呼び捨てに緊張してしまった思穂である。

 

「ねえ思穂? 貴方、A-RISEにマネージャーに来る気は無いの?」

「無いですね」

「あら、ハッキリ言うのね」

「そりゃあ天下のA-RISEのマネージャーなんて畏れ多いですよ」

 

 冗談なら面白い、がもしそれが本音なら思穂は全力で断る心づもりであった。思穂が全力を尽くす相手は、とっくに決まっているのだから。

 

「私は……思穂ならA-RISEをもっと高みに押し上げてくれると思っているわ」

「――買い被り過ぎですよ。私はほんのり遠目から眺めているぐらいが丁度良いです」

「そういう謙虚な姿勢は大事にしたいわね。まあ、気が向いたらいつでも言って。他校の生徒でも何とかマネージャーに捻じ込んでみせるから!」

「本当、冗談か本気か分かりませんよねツバサって」

「私はいつでも本気よ? あ、ショートケーキ来たみたい」

 

 二人の目の前にショートケーキと香ばしい匂いのコーヒーが置かれた。この組み合わせはやはり鉄板だな、と思いつつ、思穂はフォークを手に取った。

 

「私もいつでも本気です。だから、A-RISEを超えるというのも冗談では無いですからね」

「ええ。楽しみにしているわ。だけど今日はそういうのは忘れて、ショートケーキ食べましょ?」

「はい! 頂きましょう!」

 

 世間は自分が思ったよりも狭い。今日はその事が良く分かった日であった。そして自分の綺羅ツバサに対するイメージが事実とは掠りもしていなかったことにも気づかされた。

 今日の収穫は二つ。一つは綺羅ツバサと思ったより仲良くなれたこと。そしてもう一つは――。

 

「おお! 美味しーい!!」

 

 ――ショートケーキが自分の想像以上に美味だったことだ。



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第二十三話 カウントダウンが始まった

「試験前日の夜って眠れないよね」

「うぅ~……お腹が痛いよぅ」

 

 時間が過ぎるのは早く、いよいよ試験当日となってしまった。正直、まだ不安しかなかった。

 穂乃果と凛とにこが勉強をサボって練習しようとした等、焦りを感じる場面が多々あったが、希を始めとするスパルタ教師陣がそれを抑え込み、勉強させていた。思穂は思穂で、なるべく均等に勉強を教えられるよう、ペース配分に気を遣った。

 それよりも思穂には気掛かりなことがあった。勉強期間中、海未がずっと浮かない顔をし続けていた。何度も生徒会室の前をうろついていたのを見て、海未もとうとう“あの事”を知ったのかと判断したが故に、思穂は見守ることを選んだ。

 

「まあ、やることはやったと思うし、後は天に全てを任せるしかないよ!」

「思穂ちゃ~ん……」

「穂乃果、信じていますからね?」

 

 海未の激励が穂乃果にとってのプレッシャーにならないように祈りつつ、思穂は机の上にシャーペンと替えの芯を置く。消しゴムは使う機会が恐らくないので筆箱に入れっ放し。

 

「穂乃果ちゃん……頑張ってね?」

「が、頑張ります……!」

 

 そして運命のチャイムが鳴った。ここからは泣いても笑ってもありのままを受け入れるしかない。思穂は思穂で、理事長からの試練があるので、そこに全力を尽くすのみ。

 

(足元掬われない様に、頑張りましょう!)

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「何というか……本当に思穂ちゃんって入る学校間違えているんじゃないかってたまに思う時がありますね……」

「そうですか? 私にピッタリな学校だと思うんですけど」

 

 ――テストの週が明けての火曜日。

 一応今日で、テストが全て帰ってくる日であった。思穂は取り組んだ時点で満点を確信していたので、特に心配はしていなかったが、穂乃果と凛、そしてにこのことを考えるとお腹が痛くて堪らない。

 

「彼女達は?」

「今、部室に集まって答案用紙見せ合っている頃だと思いますよ。ところで、今回は何の用で呼ばれたんですか?」

「ちょっと待っていて。もう一人が来たら話すから」

「……もう一人?」

 

 噂をすれば何とやら。ノック音がした後、扉が開かれた。思穂が何となく予想した通り、もう一人とは絵里だった。思穂を一瞥し、絵里は理事長の前まで歩いてくる。

 

「お話とは何でしょうか?」

「二人に来てもらったのはね、言わなくちゃならないことがあったからよ」

「……楽しい話じゃ、ないようですね」

 

 理事長の複雑そうな表情を見て、思穂は割と真剣な話だということを直感する。意を決し、理事長がその言葉を告げた。

 

「単刀直入に言います。今度のオープンキャンパスの結果が悪かったら、音ノ木坂学院は――廃校とします」

 

 全ての時が、止まったような気がした。呼吸も忘れ、理事長の言葉だけが脳内をリフレインする。何と言ったのか、意識していなければ言葉が耳から流れ出してしまいそうだ。口の中が乾いてきた。

 それでもそこで終わることなど、とても出来ない。その言葉を認めてしまえば、思穂の……μ'sの今までが無駄になる。

 

「どういう……ことですか?」

 

 思穂が口を開くよりも先に、絵里が理事長へ詰め寄った。

 

「言葉通りの意味です。見学に来た中学生にアンケートを取って、結果が芳しくなかったら廃校にします」

「そんな一方的な……!!」

「これは決定事項なの。結果次第で、音ノ木坂学院は来年から生徒募集を止め、廃校とします」

「待ってください理事長……理事長!」

 

 思穂も詰め寄っていた。それだけは、あってはならない未来なのだ。ここまで来たのだ。ようやく、それがこんなにあっさりとした結末になろうとしているなんて、誰が認められようものか。

 次の瞬間、また理事長の扉が開け放たれた。

 

「今の話、本当ですか!?」

「貴方……っ!」

「穂乃果ちゃん、海未ちゃんにことりちゃん!?」

 

 思穂の隣に来た穂乃果が理事長を問い詰める。

 

「本当に廃校になっちゃうんですか!?」

「穂乃果ちゃん、落ち着いて!」

 

 思穂以上に、穂乃果は鬼気迫る表情をしていた。恐らく、その前の理事長の言葉を聞いていないせいだろう。

 

「もうちょっとだけ待ってください! あと一週間……いや、二日で何とかします!!」

「いえ、あのね? 廃校にするというのはオープンキャンパスの結果が悪かったらって話よ?」

 

 そして理事長が先ほど絵里と思穂にしてくれた話をそのまましてくれた。最初こそ泣きそうな表情だったが、話すにつれ、段々表情が安堵の色へと染まっていく。

 

「な、な~んだ……」

「って安心している場合じゃないんだよね穂乃果ちゃんや。確かオープンキャンパスは二週間後の日曜日。そこで結果が悪かったら全てが終わる。私達の今までが全部水の泡だ……!」

 

 穂乃果は言葉を失っていた。いつも笑顔の思穂が、こめかみに一筋の汗を流し、明らかな“焦り”を見せていたのだから。どんな逆境でも笑い飛ばし、飄々と片づけていくあの片桐思穂が焦りの表情を見せていることが、穂乃果達に嫌でもこの状況を思い知らされる。

 

「理事長。オープンキャンパスの時のイベント内容は生徒会で提案させて頂きます……!」

「止めても聞く耳はなさそうね」

 

 一礼し、絵里は理事長室を出ていった。その後ろ姿を見送りつつ、思穂は穂乃果へ聞いた。

 

「……テストの結果は?」

「全員セーフだったよ。これで、ラブライブにエントリーできる……けど」

「その前に何とか、しなくちゃね」

「……うん! 何とかしなくっちゃ!」

 

 しかし思穂は穂乃果達を置いて、歩き出した。そんな思穂を、海未が呼び止める。

 

「どこへ行くのですか?」

「ごめん。今回、私は生徒会側へ付くことにするよ」

「し、思穂ちゃん!?」

 

 ことりの甘い声が背中越しに聞こえてくるも、思穂はその歩みを止めない。ここでμ'sと一緒に行動するのが普通なのだろう。しかし、だからこそ思穂は生徒会へ行くことに決めた。

 

「どうして生徒会長の味方するの思穂ちゃん!?」

「穂乃果ちゃん。こんな時にごめんね。だけど、こんな時だからこそ、私は絵里先輩の所へ行きたいんだ」

「何か、訳があるんですよね?」

 

 先ほどから思穂は皆の顔を見れずにいた。背中を向けて、一切目を合わそうとしない思穂はただ首を縦に振るだけで海未の質問に答える。

 

「分かりました。なら、私達は止めません。……頑張ってください」

「ありがと、海未ちゃん!」

 

 理事長室を飛び出した思穂は走り出す。絵里の性格を考えるならばもう生徒会室へ向かっているはずだった。

 

「――やっぱり来たんやね、思穂ちゃん」

「希先輩……!」

 

 生徒会室へ続く階段の踊り場で希が佇んでいた。手に取っていたタロットカードの絵は天高くそびえる神様の家つまり、崩壊や自己破壊を意味する『塔』であった。かいつまんで意味を言うのなら、『これから殻を破るか破らないかの境目』。

 

「思穂ちゃん。……今回の思穂ちゃんはどういう思穂ちゃん?」

 

 この返答次第では希は思穂から背を向け、そのまま生徒会室へと向かうだろう。それだけに思穂は言葉を慎重に選ぶ――なんて回りくどい馬鹿な事はしなかった。常に直球ど真ん中ストレート。思穂は、そういう人間だ。

 

「希先輩と気持ちが一緒の思穂ちゃんです!」

「……うん、合格やね」

 

 タロットカードを仕舞った希が、思穂に付いてくるように促す。μ'sの事が少しだけ気掛かりだったが、頭を振り、すぐにその考えを追い出す。彼女達はきっと上手くやってくれる。だから思穂も、己の出来る事、したい事を優先させることにした。

 

「――ということで皆さん、来たるべきオープンキャンパス成功へ向けて、頑張って行きましょー!」

「……何故、貴方がいるの片桐さん?」

「ウチが呼んだんよ。思穂ちゃんにはオブザーバーとして会議に参加してもらおうと思って」

「希、貴方……!」

「今はそんな事より、一丸となって目の前の問題に取り組んでいったほうがええんとちゃう?」

 

 希の言うことにも一理あると感じたのか、それ以上絵里は何も言わず、会議が始まった。議題は当然『オープンキャンパスのイベント』だ。

 

「……これから生徒会は独自に動きます。何とかして廃校を喰い止めましょう」

 

 すると、書記の子と会計の子が顔を見合わせ、すごく何か言いたげな様子であった。

 

「書記ちゃん、会計ちゃん、どうしたの? もしかして秘策アリ?」

「い、いや……そういう訳じゃ」

「言いたいことあるんだったら、言った方が良いよ?」

 

 希の言葉に後押しされ、書記の子が絵里を見た。

 

「あの、これってこの学校の入学希望者を増やすためにはどうしたらいいかっていう話ですよね?」

「ええ、その通りよ」

「だったら! 楽しいことを沢山紹介しませんか!?」

 

 そこからは庶務の子も加わって色んな意見が出た。挙がった意見は思穂の眼から見ても、現実的な意見ばかりであった。その中で挙がった意見の一つとして、制服の可愛さを推していく案である。他校の制服と比べても、確かに音ノ木坂学院の制服のレベルは高い。これ目当てで入学してくれる子がいるかもしれない。

 一通り出た意見を纏めるとするなら、今までの生徒会はお堅いイメージがあるので、それを払拭する意味を込めて、楽しさを前面に押し出していこうであった。

 

「それに、スクールアイドルとかも今流行っているよねー?」

「そうだね~! あ、そう言えば片桐先輩ってμ'sのマネージャーですよね!? 皆に言ってライブを……!」

「待ちなさい! まだ決まっていないでしょう? ……他には?」

 

 その意見が出たっきり、さっきまで盛り上がっていた役員三人は黙ってしまった。それを見計らって、希が思穂へとパスを出す。

 

「思穂ちゃんはどう思う?」

「そうですねぇ……。書記ちゃん達の意見、良いじゃないですか。現実的かつ効果的そうなのはそれぐらいしかないと思いますよ?」

「貴方は口を――」

「挟まないで、なんて言わせませんよ。廃校を阻止したい気持ちは絵里先輩と同じです。今日ぐらいは許してください」

「実際どうなん? もしやるとなったら出来そう?」

 

 オープンキャンパスまでのスケジュールを逆算すると、出来ないことはない。むしろ、穂乃果達もそのつもりでいるだろう。

 

「出来るとは思いますよ? 恐らくそれに合わせて、穂乃果ちゃん達も何かやるはずですし」

「……とにかく、これ以上意見が出ないようですし、今日は一旦止めましょう。また明日、集まってください」

 

 そう言って、絵里は会議を締めくくった。

 

「……もう会議は終わったわよ?」

 

 生徒会室には絵里と希、そして思穂がいた。しかし思穂は直ぐに帰らず、椅子に座ったまま。

 

「そうですねぇ。これから絵里先輩は何を?」

「決まっています。学校を紹介する文章を考えなくては……」

 

 言うが早いか、絵里は机の上に白紙の用紙を置いて、ペンを握った。カリカリと手を動かす絵里を見ながら、思穂は聞いた。

 

「どういう感じで紹介するつもりなんですかー?」

「このオトノキの歴史や進学率など、中学生の子達にとって有利な情報をふんだんに盛り込んでいくわ」

「……なるほど。やっぱりそういう感じなんですね」

 

 その言葉に、ペンを動かす絵里の手が止まった。

 

「やっぱりって、どういう意味かしら?」

「……正直に言いますね。絵里先輩が思いのままに書き連ねた文章を、絵里先輩が感情たっぷりに読んだとしても、きっと私は寝てしまいます」

 

 本当はこんなこと言いたくなかった。口を開けば開くほど、絵里から嫌われていくだろう。そんなリスクを背負ってでも、思穂は悪役を買って出る道を選んだ。こんなこと、希は恐らく言えないのだから。希にすら、嫌われる覚悟が思穂にはあった。

 

「何故か分かりますか?」

「……」

「答えは書記ちゃん達が言ってくれたじゃありませんか。絵里先輩は、カタいんですよ。今書こうとしている文章だって、絵里先輩の気持ちは微塵も入っちゃいない、ただの単語の羅列です」

 

 流石に言いすぎた、と自覚した思穂は絵里へ一言謝罪をし、生徒会室の扉へ手を掛けた。その背中へ絵里の言葉が飛び込んでくる。

 

「貴方なら……どうするの?」

「趣味のことを語りますね。そりゃあもうノリっノリですよ!」

 

 ぱたんと、生徒会室の扉を閉めた思穂はその場でしゃがみ込んだ。頭を抱え、悶える。

 

「あぁ~! 売っちゃった。あからさまに喧嘩売っちゃったよぉ~……!!」

 

 もう後悔しかなかった。自分の考えなしを酷く恨んでしまう。こんなことなら最初からμ'sの方へ付いておけば良かったと、本気でそう思った。

 

(どうなるんだろぉ……?)

 

 ――オープンキャンパスまで、あと二週間。



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第二十四話 絢瀬絵里

「……本気で言ってるの、穂乃果ちゃん?」

「うん! ていうか思穂ちゃん、昨日何で電話に出てくれなかったのさー!?」

「ご、ごめん……滅茶苦茶大音量でゲームやってて気づかなかったんだ。穂乃果ちゃんの電話に気づいたのだって、今日の朝だし」

 

 翌日、思穂は二年生組と一緒に生徒会室へと向かっていた。目的は絢瀬絵里である。穂乃果から聞いた話とはズバリ、『絵里にダンスを教えてもらう』ということだった。生徒会室を何度もうろついていた事からも考えると、恐らく本当の提案者は海未だろう。

 思穂は反対する気は無かった。むしろ、そのうち提案をしてみようかと思った程だ。彼女のバレエで培われた技術は確実に穂乃果達μ'sを次のステージへと押し上げてくれるであろう確信があった。

 問題は絵里がそれを引き受けるかどうか。

 

「でもまあ、今のままじゃきっと中学生を感動させるのはちょっと難しいかなぁとは思ってたんだ」

「やはり思穂もそう思っていましたか……」

「練習にも出てない分際で何言ってんだって感じだけどね!」

「思穂ちゃんにはやることがある! でしょ?」

 

 ことりの笑顔を見ていると、本当に癒しを感じてしまう。こんないい笑顔を持つ友人を持てて、思穂は幸せを感じていた。

 言っている内に四人は生徒会室前へと辿りついた。代表して、穂乃果が扉をノックする。すぐに扉が開かれ、中から少しだけ疲れたような顔をした絵里が現れた。

 

「貴方達……」

「おはようございます! 生徒会長に、お願いしたいことがありまして!」

「……私?」

 

 思穂は絵里の後ろにいた希と目が合った。『言ったん?』と言いたげな希の視線に、思穂は軽く首を横に振るだけで答えた。全ては穂乃果達が自分で辿りついた道である。

 

「私達に、ダンスを教えてくれませんか!?」

「……私にダンスを? 貴方達に?」

「お願いします! 私達、上手くなりたいんです!」

 

 一瞬だけ絵里と海未の視線がぶつかりあった。そこに何があったのかは、思穂には分からない。だが、その視線のやり取りに絵里は思う所があったようだ。

 

「……分かったわ。貴方達の活動は理解できないけど、人気があるのは間違いようだし、引き受けましょう」

「おー絵里先輩、話が分かりますね!」

「ただし、私が許せる水準まで頑張ってもらうわよ!」

 

 早速絵里は今日の放課後から練習に参加するようだ。時は金なり。やると決めたら徹底的にやるのが絢瀬絵里なのだろう。

 思穂はこの状況を決して悪いものとして捉える事はなかった。むしろ逆。そう、思穂は信じたかった――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「いや~良い具合にしごかれてるな~」

 

 例えるなら、絵里は鬼軍曹であった。テキパキと指示を出し、こなすべき目標を提示し、手ずからその者の限界まで身体を折り曲げる。

 スポーツドリンクが入ったクーラーボックスを隣に、思穂はボーっとその風景を眺めていた。絵里曰く、柔軟性は全てに繋がる。確かにその通りだと思った。柔軟を極めると腕が伸び、テレポートが出来る、これはもう常識と言って過言ではないだろう。

 

「どう? 順調?」

「あ、希先輩。お疲れ様です」

「エリち、気合い入ってるなぁ」

 

 思穂の目から見て、絵里は相当に気合いが入っていたように見える。その瞳はどこまで真剣で、ただ真面目にメンバーを見ている。

 

「――ちょっとすいません」

「思穂ちゃん?」

 

 希は思穂の表情が引き締まったのを見て、何か問題があったのかと一瞬不安になるが、彼女の次の行動を見て――正直に言うのなら呆れた。

 ことりが開脚をし、お腹を地面に着けようとした瞬間、思穂はすぐに地面へダイブする。ことりに気づかれないような距離で身体を地面に着ける。制服が汚れようが構わない。むしろ汚れる程度で良いなら安いものだ。

 ことりの練習着は、上はともかく下はスカートなのだ。ならば、どうするかは決まっている。顔を地面にベッタリつけ、思穂は楽園の一端を――。

 

「スパッツ……だって……!?」

 

 思穂が望んでいた光景は残念ながら見ることが出来なかった。気づけば思穂は涙を流していた。これではただ制服を汚した馬鹿ではないか。

 ことりがこちらの気配に気付いたようで、彼女が起き上がったのと同時に思穂は元の位置へ戻っていた。体育座りで思穂は未だ溢れる涙を止めようとしたが、この非情な現実をどう受け止めたらいいか、分からなかった。

 

「……思穂ちゃんってもしかして女の子好きなん?」

「……アレですよ、男の子が互いの筋肉見せ合って良いなーとか、俺も負けてられねーなーとかって言い合うようなもんですよ」

「いや、その例えは絶対違うと思うわ」

 

 今の思穂は希の顔を直視することが出来なかった。何と言うか、見つめ合ったら思穂は確実に負けるという予感があったのだ。

 

「きゃっ……!」

「かよちん!?」

 

 片足立ちでバランスを取る訓練をしていた時、花陽がバランスを崩して倒れてしまった。直ぐに思穂は花陽へ駆け寄り、身体の総点検を開始する。……もちろん、その時の思穂に、“遊び”は一切なかった。

 

「……うん、日頃鍛えているだけあるね。足首は捻ってないし、地面にぶつかった方の腕に異常は無い」

「あ、ありがとうございます……」

 

 練習着に付着した埃を払い、立たせた思穂は、絵里の顔を見た。絵里は目を閉じていた。

 

「もう良いわ」

 

 その瞬間、一斉に絵里へ降り注ぐ非難の雨。思穂はそれに口を出すことはなかった。もちろんμ'sの気持ちも分かる。これではまるで、花陽が倒れたから絵里が練習に付き合う気が失せたとしか取られない。

 だがきっと……思穂も同じ判断をしただろう。

 

「冷静に判断しただけよ。今日はお終い。自分達の実力が少しは分かったでしょう」

 

 そして絵里は背中を向けた。

 

「今度のオープンキャンパスは文字通り学校の存続が掛かっているの。出来ないなら、早めに言って」

「待ってください!」

 

 穂乃果の一言で絵里は止まった。少しだけ思穂は目を細めた。これで思穂が思っているような事を言うのなら、今度こそ口を挟むつもりでいた。

 

「――ありがとうございました! 明日も、よろしくお願いします!!」

 

 しかし、それはどうやら思穂の杞憂だったようだ。そうであった。これくらいでへこたれるようなメンバー、誰一人としていないのは最初から知っていたことである。

 それが信じられないと言うように、まるでその瞳から逃げるように、絵里は屋上を後にした。

 

「行かなくて良いんですか? 希先輩」

「もうちょっとしたらね。……どう見えた?」

「そう、ですね……」

 

 もちろん絵里に“遊び”が一切ないのは一目瞭然である。だが、何故か思穂にはそれだけには見えなかった。深読みをし、過信するのなら、絵里は思穂の眼から見て間違いなく……。

 

「あの絵里先輩も魅力的ですね」

「やっぱりおかしな子やね、思穂ちゃん」

 

 絵里を入れた初練習は終わりを告げた――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「たーらーららーらー」

 

 今日は早朝から練習と言うことで、思穂は一時間も早く登校してくるという奇跡を起こしていた。いつもなら寝過ごすのだが、絵里が来るのだから失礼は許されない。

 あとは、この曲がり角を曲がり、真っ直ぐ行くだけで屋上へと行ける。思穂はさっさとみんなの汗を掻いている姿を堪能すべく、曲がり角へ――。

 

「――エリちが頑張るのはいつも誰かの為ばっかりで、だからいつも何かを我慢しているようで……!」

 

 思穂はそのまま背中を壁に着け、目を閉じていた。希には悪いが、ここで出ていくことの方がいけない。盗み聞きをさせてもらうことにした。

 希が絵里へ更に言っているのを、ただ聞いていた思穂はとうとうこの時が来たのかと、そんな事を思っていた。希の言っていることは絢瀬絵里という人間の核心を突くものばかりであった。彼女の事を本当に分かっていないと出てこない言葉ばかり。思穂にはこの領域までは辿りつくことはなかった。

 

「エリちの本当にやりたいことって何!?」

 

 そして希は絢瀬絵里が最も恐れ、最も面と向かって言われたくはない一言を言い放った。最も信頼しているであろう人物にそれを言われて揺らがない絵里では無かった。

 

「何とか……何とかしなくちゃいけないんだからしょうがないじゃない!!!」

 

 初めて聞く絢瀬絵里の剥き出しの感情。そこからの彼女は、氾濫したダムのごとく、全てを吐き出すように口を動かした。

 

「私だって、好きな事だけをやってそれで全てが何とかなるならそうしたいわよ!! 自分が不器用なのは分かってる! だけど、今更アイドルを始めようなんて、私が言えると、思う……!?」

 

 絵里の足音がこちらに向かってきた。しかし、思穂に気づくことなく、絵里は走り去って行った。希が追いかけてくる気配はない。

 

「あ~あ。見ちゃったなぁ……見ちゃったよぉ……」

 

 思穂が身体を向けたのは屋上では無く、絵里が走り去って行った方向である。気付けば思穂は歩き出していた、最初はゆっくり、だが着実にそのテンポは速くなり――いつの間にか駆けていた。

 

「見なかったら、屋上へ行けたのになぁ!」

 

 思穂が動く理由は“自分の為だけ”。だが例外がたった一つあった。それは希に言ったことである。

 ――好きな人達の泣く所だけは見たくない。それは絢瀬絵里も決して対象外では無い。

 

「三年生の教室に初めて入りましたね……」

「貴方……また、貴方なの?」

 

 絵里は机に座っていた。全てに疲れたような、そんな顔だった。

 

「すいません、さっきの話、聞いちゃってました」

「……笑いに来たの? 私が、スクールアイドルを始めたいだなんて聞いて」

「……絵里先輩の目から見て、私ってどう見えます?」

 

 絵里の質問には答えず、思穂は逆に質問で返した。

 

「ふざけているの?」

「いいえ。絵里先輩から見る、私を知りたいだけです」

 

 思穂の言葉に、絵里は窓の外へ顔を向けながら、言葉を紡ぎだした。

 

「イライラするわ、見ていてずっと……」

「あはは……直球ですね」

「希もそうだけど、貴方はいつも心を見透かしたかのような発言をする。そして、自分の思ったように動いている。だから、それが気に喰わない」

 

 何となく思っていたが、やはりそう言う風に見られていたという事実に、思穂は少しばかりチクリとくるが、今はそんなことに引きずられる訳にはいかない。

 そして絵里の勘違いを正さなければならない。

 

「……そう見えます? けど、それは勘違いですよ。私は一度も上手く事を進められたことがない。いつも誰かに助けられている」

 

 片桐思穂と言う人間は自らを例える時、いつも狐を出していた。――虎の威を借る狐。いつも大きな力に隠れる臆病者、卑怯者と言うのが思穂であった。

 自分一人では駄目なのだ。それは文化研究部ですでに身を以て痛感している。純然たる事実、一切の誇張が無い有りのままの真実。

 

「絵里先輩にも助けられました。ファーストライブの動画、撮影してアップしたの、絵里先輩ですよね?」

「……だから、何?」

「世の中割と何でも起きるってことです。絵里先輩は違う意図であの動画をアップしたのでしょうが、それが巡り巡って今、こうして穂乃果ちゃん達は絵里先輩から指導を受けている。もう、良いんじゃないですか?」

「もう良いって? あの子達とアイドルをやれって、そう言いたいの?」

 

 思穂を見る絵里の眼には未だマイナスの要素は見られない。そこで思穂はタロットカードを思い出していた。『塔』――それは自己破壊の暗示。

 あと一押し。自らを破壊しようとする絵里にはあと一押しが必要なのだ。しかしその一押しは片桐思穂には、そしてあの東條希にすら――不可能なのだ。それを為せるのは世界でたったの一人。

 

「希先輩が言っていた言葉を繰り返しますね。……絵里先輩はどうしたいんですか? 我慢に我慢を重ねた末に、何を見たいんですか?」

「なら聞いていたでしょう……? 好きな事をやって、それで全てが上手くいくんなら私だってそうしたいわよ……! だけど、私は生徒会長だから、そういう訳にはいかないから……!」

「理事長が何故、絵里先輩を認めなかったか、本当は分かっていたんでしょう!? だけど、それを認めたら生徒会長の絢瀬絵里は――」

 

 とうとう立ち上がった絵里は思穂を睨み付けた。それは今まで見たことが無いほどの、強い怒りだった。

 

「貴方に私の何が分かるの!? 常に自分を通し続ける貴方に!!」

「分かりませんよ! だから私はぶつかりに来ました! もう嫌われても良い、希先輩から見放されても良い、だけど私は大好きな人達の泣いている所だけは見たくないから! 何度だって出しゃばりますよ! そしてハッキリ言います! 穂乃果ちゃん達は、絵里先輩を必要としています!!」

「言ったはずよ! 私は貴方を見ているとイライラするの! それを聞いて、どうして貴方は……!」

「それこそ言いました! 私は絵里先輩が好きです! そして私は今、自分の言いたいことを言いました!」

 

 足音が、聞こえてくる。それだけで誰か分かり、そして自分の役目が終わったことを悟る。自分ごときがこれ以上表に出過ぎるのだけは、いけない。あともう少し。絵里のやるせなさを全て受け切った思穂は両手を広げ――彼女達を迎えた。

 

「だから後は――彼女達の話を聞いてください」

 

 言い残し、思穂は走った。彼女達が扉を開けるのとほぼ同じタイミングで、思穂は別の扉から教室を飛び出した。

 

(絵里先輩、その“手”はきっと絵里先輩をしっかり掴んでくれますよ?)

 

 教室内から穂乃果の声が聞こえてきた。それは思穂が、そして希が待ち望んでいた瞬間でもあった。何とも回りくどかった。だが、それは誰かが勝手にそう思っていただけで、実はただの一直線の道だったのかもしれない。

 最初は平行線だった。しかし、それは徐々に角度を変え、今日と言うこの日にようやく合流を遂げた。

 ――μ's。それはギリシャ神話に出てくる九柱の女神達。そのグループが本当の意味を発揮するにはあと“二人”が必要だった。

 

(そして希先輩。誰にもバレないようにしたかったら、筆跡を変えなきゃですよ?)

 

 以前口に出そうとして、止められた言葉。……生徒会業務を手伝っていたおかげでその筆跡には覚えがあった。そして、もう隠す必要が無くなったのだ、と思穂はそう直感していた。

 女神達の名付け親とそして頑固で真面目な人間があの場には二人。そこから導き出されることとは――たった一つの、分かりやすい答え。

 

「よっし! 忙しくなるぞー!!」

 

 ――その日を以て高坂穂乃果達と、絢瀬絵里そして東條希の道が繋がった。



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第二十五話 溝の埋め方

 絢瀬絵里と東條希が入ってから五日が経った。彼女達が入ってから練習の質は確実に上がり、少しずつだが、ダンスのレベルも向上を見せる。

 そんな中、思穂もいよいよ本格的に練習に参加することとなった。本来ならもう少し早く入るべきであったが、“野暮用”があり、参加が遅れてしまった。

 

「ワンツースリーフォーファイブ――」

 

 相変わらずメトロノームの如きリズムで九人のパート練習を全体から見る思穂。その中でも、やはり絵里は飛び抜けていた。バレエ経験から来るしなやかで、それでいてキレがある踊りは見ていて惚れ惚れする。

 通し練習が終わると、すぐに思穂は思ったことをスパスパと言っていく。

 

「穂乃果ちゃんは腕の上がりが甘かったね。ことりちゃんは前衛後衛チェンジするとき少し遅かったし、海未ちゃんはもう少し動きを大きくしても良いかも。凛ちゃんはまだ早い。花陽ちゃん、疲れちゃったかな? 動作の“止め”が弱いね。真姫ちゃんは逆に意識しすぎて、次への動作がぎこちないかな」

 

 一息で問題点を挙げた思穂は一拍置き、三年生の方へ顔を向ける。

 

「にこ先輩、歌が早くて踊りがワンテンポ遅れています。希先輩は少し周りとの距離感を意識して移動してみてください。絵里先輩、最後の決めポーズ一瞬だけ気を抜きましたね」

 

 言い終わった思穂は、すぐに目薬を差し目を潤した。九人の動きを細かなところまで見るのは割と集中力がいるのだ。そして瞬きをほぼしないので、目が乾いて仕方ない。ただでさえドライアイ気味の瞳がどんどん加速度的に悪化している。

 

「とまあ、ざっと見た限りではこんな感じですね。絵里先輩、海未ちゃん、やっていて何か思う所ある?」

「いえ、私も思穂と同じことを思っていました」

「そうね……私も特に無いわ。皆、今言われたことをしっかり直して、明日も頑張りましょう!」

 

 そう絵里が締め括り、今日の練習は終わった。すぐさま思穂は皆へスポーツドリンクを配り、自分は栄養ドリンクを一気に飲み干す。期末試験の反動もあり、最近また夜更かしが多くなってしまったが故の“麻酔”である。

 

「何と言うか……」

「……ど、どうしたの?」

 

 思穂の視線はジッと絵里の脚へ注がれていた。スタイルは良いと前々から思っていたが、身近で眺めるとそれがしっかり分かる。長い、引き締まっている、肌すべすべ。この三要素はそう簡単には揃わない。

 凛の脚も捨てがたいが、絵里の脚は思穂の心を揺らがせる程度には魅力的であった。そんな絵里の脚を例えるのならばそう――。

 

「犯罪的ですよね……」

「ど……どこを見てそう言っているのよ……!?」 

「思穂ちゃんって基本、まず女の子の脚に目ぇ行くよね」

 

 希のその純粋な物言いに、思穂は一瞬自分がどれほど変なのかを思い知るが、その程度で観賞を止めるほど、脚への情熱は薄くない。

 

「思穂先輩、いつも隙あらば凛の脚ばかり見てますよね」

「そうそう。だから出来ればそういう脚を隠す練習着は止めて欲しいって前からお願いしているんだけどなぁ」

 

 正直、凛はドン引きしていた。しかしいつも触っていれば距離を置かれるのも無理はないと思穂は思穂で受け入れていた。……決して制服の時にスカート捲りなどしていない、断じてしていない。

 

「それって世間で言うセクハラだと思いますよ」

「……貴方いつも“こう”なの?」

 

 この五日間で、絢瀬絵里の片桐思穂への見方は変わっていた。今までは、飄々としていながらも決して自分の主張を曲げることのない一本芯が通った人間だと口には出さないながらも、そう思って“いた”。しかし、今となっては掴み所のない変人、としか思えなくなっていた。もちろん悪い意味では無く、自分の眼から見ていた片桐思穂はまだ底が無いということを理解させられた、という意味での“変人”。

 逆に思穂は絢瀬絵里を更に好きになっていた。今までも割と取っ付きやすかったが、最近は態度が徐々に軟化しつつあり、余計に取っ付きやすくなった。

 

「僭越ながら、世の中の真理を追究している謂わば“探究者”を自負させてもらっています」

「随分と不健全な探究者もいたものね……」

 

 そんな話をしていると、ことりが近くまで歩いて来た。。

 

「ねえ思穂ちゃん。ちょっと良い? ちょっとお願いがあるんだ」

「何々? 何でも言ってよ」

「ありがとっ! ええと、実はちょっと衣装作りに必要な材料をいくつか切らしちゃって……」

「おおう! 丁度私も備品買って来ようと思ってたから丁度良いや! メモとか用意してる?」

 

 するとことりが、ポケットから二つ折りにされたメモ用紙を取り出し、思穂の手に握らせてきた。練習をした後だからだろうか、その手はほんのり温かかった。

 

「ふむふむ……。よぅし! オッケーじゃ、早速これから買って来るね」

「お願いね思穂ちゃん! 後でちゃぁんとお礼をしますっ!」

 

 この語尾にハートでも付いてそうな甘い声を聞けただけで、思穂は既にお礼を貰っていた。メモ用紙を握りしめ、早速店へ向かおうとした思穂を、希が呼び止めた。

 

「ちょっと待って思穂ちゃん。備品も買いに行くってことは割と大荷物になるってことだよね?」

「ええ、まあ。けど最近、身体鈍っているし良い負荷ですよ」

「いやいや。もしもってことがあるからね。そうやな……」

 

 備品と言っても、クーラーボックスである。先日、ロックが壊れてしまったので、買い替えなければならないと思っていたのだ。

 思穂の言葉を聞いた希が一度頷くと、彼女は絵里の肩をぽんと叩いた。

 

「よしエリち、思穂ちゃんに付いて行ってあげて?」

「……私が?」

「生徒会長として、もし生徒に何かあったら困るやろ?」

 

 いやその理屈はおかしい、と思穂が言いたかったが、希の考えていることをいちいち考察していたら、ドッと疲れてしまう。ここは、流れに身を任せることにした。

 

「じゃあ絵里先輩、行きましょうか! 時間は無いですよ! 時は金なりです!」

「ちょ、ちょっと! 引っ張らないで!」

 

 半ば連れ去るような形で、思穂と絵里の買い物が始まった――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「どうですかどうですか調子は? もう五日も経ちましたが!」

「……悪くないわね。前より忙しくなったけど、充実しているわ」

 

 音ノ木坂学院を出て、その足でことりが指定した店まで歩く思穂と絵里。クーラーボックスは一番最後に買った方が消耗も少ない。

 歩きながら、思穂は絵里の顔を見ると、その言葉に嘘偽りはないようだ。心なしか、表情に疲れは見られず、むしろ活力に満ち溢れていた。

 

「そっちこそ大丈夫? 色々と細かい仕事をこなしてもらっているけど」

「あんなの仕事の内に入りませんよ。作業です作業」

「ふふ、言うわね。流石生徒会の隠れ役員って所かしら?」

 

 この五日間は、思穂にとって趣味と仕事の境目を行ったり来たりする忙しいものであった。オープンキャンパスで使う運動場の使用申請やステージ組みの段取り作成、音響機材の確保に宣伝チラシ作成等など……飾り付けに使う消耗品は後でも買えるので、書類処理を最優先で思穂は行動していた。

 すごく頑張れば一日で終わらせられる内容であったが、その間にもお気に入りの声優のイベントや、アニソン歌手のライブ、新刊漫画の購入等など、こちらもやることが盛り沢山だったのだ。必要とあらば誰にでも逆らえる思穂であっても、流れ続ける時間にだけは逆らうことが出来なかった。

 しかし、今この瞬間、思穂はとても良いモノを見られたので、それが全部帳消しとなった。

 

「……ううむ、やっぱり絵里先輩は笑顔が似合いますよねぇ」

「なーに? 私の事、口説こうとしてる?」

 

 片目を瞑り、余裕を見せている絵里。そして僅かに浮かべている微笑はとても絵になる一瞬で。今までの疲れ切った顔よりも何億倍も魅力的だ。

 

「あわよくば」

 

 話している内に、目当ての店へ辿りついた。ことり御用達なだけあり、何だかとてもお洒落オーラが溢れていた。一瞬思穂は場違い感に打ち震えたが、隣にはとても頼りになるクールビューティーがいたことを思い出し、彼女の後ろへ隠れるように回った。

 

「……って、いきなりどうしたのよ?」

「いや……先に絵里先輩が入ってもらえないかと」

「それは良いけど、どうしたの? 何だか表情が暗いわよ?」

「そう見えるんなら、私ももう少しお洒落に気を配った方が良いんでしょうね……」

 

 思穂の言葉の真意を理解できずにいた絵里は、速やかに店へ入った。いつまでも店の前でうろうろしている訳にはいかない。

 第一歩を踏み入れた思穂は、少しばかりお洒落気分に浸れたが、恐らくこういう用事でもなければ入ることの無かった店内を軽く見回してみた。

 店内は清潔感のある白い壁紙や床で統一されており、それに合わせるように照明も暖かみのある白い照明であった。服や生地が所狭しと並べられているが、決して下品なレイアウトでは無く、美しく見えるように、かつすぐに目的の物が分かるような機能的な配置となっている。

 思穂はこの手の店は店員に聞かなければ目的の物まで辿り付けないと思っていたので、内心胸を撫で下ろしていた。

 

「さ、買いましょうか。メモを見せてくれる?」

「こちらに」

 

 思穂から受け取ったメモを一通り読んだ絵里は、すぐにそれを返してくれた。

 

「手分けしましょうか。私は上から半分の生地を探すから、そっちは半分から下の生地をお願い」

「え、でも今日のこれは私が頼まれた奴だから絵里先輩は……」

「何事も効率良く、よ?」

 

 そう言って、絵里は本当に目的の生地を探しに行ってしまった。生徒会長経験がこういう場でも発揮するのか、などとややズレた意見を思い浮かべながら、思穂も目的の生地を手に入れるべく歩き出す。

 幸い、目当ての物は固まった場所に置かれていたため、買うのにそれほど時間は掛からなかった。絵里はこういう場所に慣れているのか、思穂以上のスピードで全てを探し当ててきた――。

 

「――いやぁ今日は助かりましたよホント」

「いいえ。大したことはしてないわ」

 

 絵里の手には生地が入った袋があり、思穂の左肩にはクーラーボックス、右手には同じように袋が握られていた。クーラーボックスは入って一分も経たずに購入できた。こういうのは機能性を重視しておけば間違いない。

 夕日も良い具合に落ち始めた頃に、二人は音ノ木坂学院へ帰ってこれた。スマートフォンをチェックすると、穂乃果から、『ハンバーガーを食べに今お店にいるんだ。荷物を置いたら、絵里先輩と一緒に来てね』という内容のメールが入っていた。

 

「……ハンバーガー?」

「あ、もしかして好きじゃない感じですか?」

 

 その旨伝えると、絵里は首を軽く傾げていた。好きじゃないのかと思っていたら、どうやらそうでもないような反応を見せる。だが残念ながら……ピンときてしまった。

 

「もしかして、そもそも食べたことが無い感じですか?」

「そ……! そんなこと無いわよ……ハンバーガーくらい、知っている、んだから」

 

 いつもハキハキとモノを言う絵里が言い淀む時点で、お察しという感じだが、下手に突っつけば手痛い反撃を受けそうな気がしたので、苦笑を浮かべる程度で済ませた。

 

「よっし! じゃあさっさと食すために行きましょう!」

「え、ええ……分かったわ」

 

 廊下を歩きながら、思穂が言った。

 

「絵里先輩や絵里先輩」

「どうしたの?」

「絵里先輩、良い感じに柔らかくなりつつありますよね」

「そう……かしら?」

「ええ。いつも絵里先輩に呼び出されているこの片桐思穂が、そう言うんですから間違いないですよ!」

 

 正直あまり自慢にならないのだが、こういう時には案外役に立つものだ。比較材料は豊富過ぎる。

 その思穂の言葉で、絵里の表情が僅かに暗くなった。

 

「私――」

「まあ、これからも是非、ご指導よろしくお願いします! ってことですね!」

 

 絵里の言葉を遮るように、思穂はあえておどけた調子で言った。そこでようやく思穂は、希の狙いを感じ取る。

 要は、溝埋めなのだ。穂乃果達以上に、思穂と絵里には色々あった。思穂は全く気にしていないが、絵里にはどこか思う所があったようだ。ほんのちょっぴりの溝、それを埋めさせるべく、希は世話を焼いたのだろう。

 

「あれ? もしかして、何か私との今までに思う所があったんですか!? 酷い、あれだけ絵里先輩から熱烈な言葉を受けてたのに!!」

「ちょっ……! ここ、校舎内よ!? 誰かに聞かれていたら誤解が生まれるから!」

 

 すかさず思穂は一旦絵里を止める。そして目薬を大目に差し、それから廊下を走り出した。

 

「うわあああん! 絵里先輩に捨てられるぅぅ!!」

「って何よ今の一手間は!? ちょっと、待ちなさい!!」

 

 溝を埋める、なんてまどろっこしい真似は思穂には合わなかった。埋めるのではなく、むしろ絵里の元まで飛び越える。それが、片桐思穂の流儀であった。

 これが正しいかどうかなんて思穂には分からない。だが、こうして追いかけられることが今の思穂、そして絵里との“距離感”なのかもしれない――。



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第二十六話 自分を変えたい

 人は信じられないモノを見た時または体験した時、まずは一瞬何も考えられなくなってしまう。例えば超限定のゲームのパッケージを店で見つけ、いざレジに持って行こうとしたとき店員から『あ、すいません。売り切れのタグ付けてなかったです』と言われた時などがそれに該当する。

 はたまた、新刊の漫画を買った際、躓いてしまって水溜まりにぶち込んでしまった時のあの一瞬も該当に値するだろう。

 これだけ言っておいて何だが、そういう経験もしばらくは無かった。強いて挙げるとするのなら、理事長からオープンキャンパスの件を告げられた時がそうであったと言えよう。

 要は、何を言いたいのかと言えば――。

 

「し……思穂ちゃん!?」

「ことり、ちゃん……!?」

 

 思穂の目の前に、クラシカルなタイプのメイド服を身に纏った南ことりがいた。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 その日は練習が早く切り上げられた。オープンキャンパスまであと二日ということもあり、普通に考えるなら沢山練習しておくのだろうが、丁度その日はことりや一年生組が練習に参加していなかったのと、『本番が迫っているからこそ、一度ゆっくりして、体力を回復させた方が良いわ』という絵里の一言でその考えは無しとなった。

 一年生組は小テストが近づいているようで、凛のサポートをするのに花陽と真姫が付きっきりで勉強を見るようだ。ことりは用事があるというのみで詳細は分からなかったが、意味も無く練習を休むことりでもないので、特に触れられることはなかった。

 穂乃果と海未はそのまま家に帰るらしい。絵里と希は生徒会業務を片付けてしまうようだ。にこは真っ先に財布を握りしめて帰ったのを見ると、恐らく買い物に行ったのだろう。

 残った思穂は、当然何をするか決めていた。すぐに思穂は鞄に仕込んでいた一枚の紙を握りしめる。

 

「今日こそ見つけるぞ……ミナリンスキーさん!」

 

 最近、思穂はメイドカフェ巡りに目覚めた。一度冷やかし程度でメイドカフェに入った時に“お帰りなさいませ、お嬢様”と言われた瞬間、思穂の価値観は一気に変わったのだ。

 可愛い女の子にお嬢様と呼ばれる何と気分の良いことか。そこで思い出したのが、アイドル研究部の部室にあった『ミナリンスキー』さんのサインである。にこの話によると、そのミナリンスキーさんなる人は、秋葉のカリスマメイドと聞く。

 ……一目見なければ、失礼だろう。

 

「と言っても、秋葉にいるってくらいしか情報無いから(しらみ)潰しなのが面倒だよね……」

 

 思穂は鞄に入れていたこの周辺の地図を広げた。そこには無数の点が付けられており、半分近くにレ点が入れられていた。そこは既に思穂が行った店の場所である。ミナリンスキーさんがいるか聞き、居なかったらコーヒーとケーキを楽しんでから店を出るという方式で効率良く回っていた。

 ……こんな不健康な事、絶対に海未にバレる訳にはいかなかった。

 

「そうだなぁ……とりあえずはこの店にしようかな」

 

 パッと見お城のようなデザインのお店である。店頭にはカッコいい紳士と美しい淑女の立て看板が立てられていた。早速扉を開き、中に入ると、ミニスカのメイドさんが思穂の元へ歩いて来た。

 パッチリとした目つきに愛嬌のある笑顔で、第一印象は満点だった。すぐにいつものあのセリフを聞けた。

 

「お帰りなさいませ、お嬢様!」

 

 毎回の事だが、この台詞を聞くだけで顔がにやけてしまうのは何故だろう。傍から見ると、完全に距離を置かれるタイプの客であった。

 だがすぐに落ち着いた思穂は、メイドさんへテンプレートと化した質問をした。

 

「あの、このお店にミナリンスキーってメイドいますか?」

「ミナリンスキー、ですか?」

 

 メイドの表情を見た瞬間、ハズレを確信した思穂はすぐにケーキとコーヒーをオーダーしようとするが、そのメイドさんがとある店の名前を出した。

 

「そ、そこはまだ行ってなかった……」

「恐らくそこにいると思いますよ? もし時間があったら足を運んでみてください!」

 

 とはいうが、ここまで言ってもらってすぐに店を出る程、思穂はメイドへの敬意は薄くない。当初の予定通り、ケーキとコーヒーをオーダーし、席へ着いた。

 とうとう得た手掛かりに満足しつつ、思穂は地図を見返していると、すぐに注文した品が届いた。

 

「お待たせいたしましたお嬢様!」

「おおう! 頂きまーす!」

 

 ここのショートケーキはイチゴが多めなのが、ウリのようだ。フォークを入れたらまず中のイチゴに当たってしまった。小振りなのを量で補っている、という訳では無く、むしろ逆。小さくて甘いのがギッシリとスポンジの中に詰め込まれていて、その触感は思穂の舌を飽きさせない。

 甘酸っぱさが口の中を満たしてきた辺りで、コーヒーを一口。思穂はコーヒーに詳しくないが、この味は明らかにインスタントのソレではない。一気に口の中がさっぱりしたところで、もう一口ケーキを食べる。そしてコーヒーを、という流れを繰り返していると、いつの間にか食べきってしまっていた。

 

「おお……思った以上に良かった。これで弓を使わない弓兵似の人が執事として出て来てくれればもう何にも言うことないや!」

 

 すぐに思穂は席を立った。ここは割と人気の店のようで、行列が出来つつあった。そんな所に、半ば冷やかしの客がいるのは失礼だろう。

 早速会計を済まし、思穂は目的地へと向かった。

 

「行くぞー! って気合いを入れるほど遠くも無いのが悔しいな……」

 

 あともう十数分頑張って歩けば良かった、と少しだけ後悔するが、しかし美味しいコーヒーとケーキがありつけたのでそれはそれで良しとする。

 思穂は生唾を飲み込んだ。いよいよカリスマメイドと会えることにひたすら胸が高鳴る。今日はシフトじゃなかったらどうしよう、なんてネガティブな考えはとうの昔に投げ捨てていた。いなかったらいなかったで、また来るだけだ。

 

「き、来た……! ついに……!」

 

 外装は割とシンプルな印象であった。カリスマメイドがいるというのだからもっとゴージャスな感じを予想していただけに、少しだけ肩すかしを喰らった気分。だがそんなことも一瞬で。

 一度深呼吸をしてから、思穂は店の扉を開いた。

 

「いらっしゃいませ! お嬢様!」

 

 その瞬間、思穂はまるで顎に手酷い一撃を喰らったボクサーのごとく眩暈(めまい)を起こし、天地が逆さまになった感覚を覚えた。勝負はたったの一声で決せられていた。

 この脳に直に囁きかけられているこの感覚の何と例えようの無いことか。某魔人探偵で使用された電子的なお薬もきっとこんな感じで効いてくるのだろうな、などと思穂は考える。倒れそうになりながらも、何とか持ちこたえた思穂は本能的に理解する。

 ――この声の主こそが彼のカリスマメイド『ミナリンスキー』さんなのだと。

 

「い、いらっしゃいました! 初めまして! 私片桐思穂と――」

 

 声の主と目が合った瞬間、思穂は動きが止まった。恐らく声の主も同じだろう。姉妹の類は見たことも聞いたことも無いので、他人の空似ということはないだろう。

 

「し……思穂ちゃん!?」

 

 彼女もようやく事態を飲み込めたようで、自分の名を呼んだ。それに合わせるように、思穂は声が震えているのも気にせず、その名を口にする。

 

「ことり、ちゃん……!?」

 

 クラシカルなタイプのメイド服を着たことりが引き攣った笑顔のまま固まっていた。思穂も名前を言ったきり次の言葉を口に出来ない。だが、手は動く。

 

「はいチーズ」

 

 なのでとりあえずスマートフォンを取り出し、ことりを写真に収めた。画面を見て、写真写りの良さを羨ましがりながら、思穂は回れ右をする。

 

「じゃ、お疲れ様でした」

「ちょっと、待ってくれるかなぁ?」

 

 思穂はそこから先へ進むことが出来なかった。ことりによってガッチリ腕を掴まれてしまっているからだ。海未のトレーニングは効果てき面のようで、そこそこに筋力が付いて来ているようだった。

 そして、思穂はそのまま店の隅っこのテーブルへ連れて行かれることとなる。顔を見ることが出来ない。思穂は席へ着かされ、ことりが俯いたまま、対面の席へ座った。

 

「思穂ちゃん、貴方は片桐思穂さんですよね……?」

「うん、私とことりちゃんの友情に亀裂が走ってなかったら間違いなく私は片桐思穂です」

「あぁぁ…………」

 

 何かの魂が抜けたかのような大きなため息と共に、ことりはテーブルへ突っ伏してしまった。正直、思穂が突っ伏したいのだが、ことりのこの落ち込み様を見ていると、何だかそれすらも申し訳なく感じる。

 

(ことりちゃん……南ことり……みなみ……)

 

 突っ伏すことりの姿を眺めつつ、思穂は色々と思考活動をしていた。思えばヒントは色々と散りばめられていた。μ'sが初めてアイドル研究部の部室に入った時、ことりはミナリンスキーのサインにいち早く気づいていた。そして、センター決定戦の際に見せたチラシ配りの異常な手際の良さ、ついでに握手を求められていた姿。

 

(みなみん……ミナリン……ミナリン、スキー……)

 

 極めつけはミナリンスキーという名前。カチカチ、と頭の中でパズルが組み上がっていく。今までは形すら分からず漂っていたピースが次々に枠の中へ収まっていく感覚。それが終わった頃、思穂は全てを理解した。

 

「もしかしてことりちゃんが……“あの”ミナリンスキーさん!?」

 

 ついにトドメを刺されたかのように、ことりは目を閉じたまま頷く。

 

「そうです……私が、ミナリンスキーです……」

「い、いつから……?」

 

 すると、ことりは語りだした。μ'sが結成された時期に、秋葉原を歩いていたらスカウトされたこと、メイド服が想像以上に可愛かったこと。そして、ずっと『自分を変えたい』という気持ちを持っていた事。

 

「そういう事か~……」

「私、穂乃果ちゃんみたいに前へ進んでいけないし、海未ちゃんのようにしっかりしてないし、思穂ちゃんみたいに完璧じゃないから……」

「そんなこと無いと思うけどなぁ。ことりちゃんには穂乃果ちゃんや海未ちゃんや私なんかとはまた違った良さがあるよ?」

「ううん。私はただ、三人の後ろを付いて行っているだけ……。何も、無いの……」

 

 肩をすくめることりに、思穂は何も言えなかった。今の思穂が何を言った所できっと、ことりの心には届かないというある種の確信があった。だから思穂の思うがままに、行かせてもらうことにした。

 

「……オムライス」

「へ?」

「ミナリンスキーさんの特製オムライス、まだ頂いてないなと思ってさ! ……出来る?」

 

 自分の欲望のままに、今日の思穂の目的は伝説のメイドからオムライスをもらうことだった。思穂には出来る事と、出来ないことが明確に分かれていた。その出来ないことが出来てしまう人物は今日はいない。穂乃果へ言うのはとても簡単であった。今日の写真でも送りつけて、悩んでいるとでも言えば恐らくすぐにでも行動するだろう。

 ――だから、思穂はあえて誰にも言うつもりはなかった。物事には流れと言うものが存在する。今のことりにはあと一押しとなるキッカケがなければ、きっと――。

 

「う、うん! 待ってて! 今、最高のオムライス作ってくるからっ!」

 

 その思穂の考えを察したかのように、ことりの表情は明るくなった。今日の思穂はただの客であり、それ以上でもそれ以下でもない。そして目の前のことりは今、“μ'sのことり”ではなく“ミナリンスキー”である。そんな彼女へμ'sの話題を持ち出すのは野暮と言えよう。

 故に思穂はことりの、やりたいことを……頑張っていることを応援することにした。

 

「はいっ! どうぞ、ことり特製のオムライスです!」

 

 そのオムライスを見て、思穂に稲妻が走った。丁寧に作られたオムライスの上にはデフォルメされた思穂の似顔絵が描かれていたのだ。あの短時間でこれほどの完成度のケチャップアートを作れるとはただ単純に驚いていた。しかも全く迷い筆が無い。紛れも無く一発描きであることが伺える。

 

「さ、流石……秋葉のカリスマメイド……!!」

「冷めないうちに召し上がれ!」

「う、うううぅ……」

「へっ!? し、思穂ちゃんどうしたのぉ!?」

「ご、ごめん。感動して泣いちゃった……」

 

 余りにも美しくて、つい感極まってしまった。視界が涙で滲む。しかしすぐに涙を拭い、思穂はスプーンを手にした。

 卵のテカり具合と香りから察するに多めのバターが使われているようだ。湯気と共に思穂の鼻腔をくすぐる。

 スプーンを静かに入れると、これまた思穂を驚かせた。半熟だ、半熟様だった。少し触れるだけで卵がトロトロと崩れ、中のチキンライスを露わにする。中身は鶏肉、細かく刻まれた玉ねぎとピーマンという比較的オーソドックスなものであった。

 ライスを掬っただけで、ベタつきの無いパラパラとした仕上がりだということが分かる。それに先ほど崩した卵と一緒に乗せ、静かに口へと運ぶ。

 

「……こ、これは!」

 

 口に入れた瞬間、ニワトリ達と戯れている幻覚が見えた。卵が口の中で解け、チキンライスの濃い味と程よい感じで中和されていく。ここで、何よりも評価したいのは食感である。家庭で作る時にありがちなベタつきがなく、先ほどの第一印象通り、やはりパラりとした口当たり。鶏肉の確かな旨み、そして玉ねぎとピーマンの甘さ。

 思穂の口の中では今、太陽が生まれようとしていた。

 

「……ことりちゃん」

「なぁに?」

「頂きます」

 

 思穂はスプーンを動かす手が止められなかった。ひたすら掬って食べるという海未や絵里が見たら確実に呆れられるようなほどのペースの速さ。はしたない、なんてクソ喰らえというレベルで思穂はあっという間にオムライスを平らげた。

 

「ごちそうさまでした、ことり様」

「え、ええっ!? 思穂ちゃん、顔上げてっ!? 皆見てるよぉ~!」

「ほんっと美味しかったよ。レシピ教えて欲しいよ」

 

 テーブルに両手を付け、思穂は額を擦り付けていた。これ以上の賛辞の仕方が他にないのが悔やまれるとばかりの勢いである。

 今までのオムライスは何だったのか、もう他のオムライスはしばらく口に入れたくないレベルであった。その旨、ことりに告げると、彼女は物を教える教師のように人差し指を立てた。

 

「それは、思穂ちゃんの事を思いながら作ったオムライスなんですっ! レシピは関係ありません!」

 

 キッパリと言い切ったことりと、思穂はまともに目を合わせられなかった。触ってもいないのに頬が熱いのが分かる。こう面と言われては、同性であろうが“落ちてしまう”。

 そんな気恥ずかしさと同時に、思穂は見つけていた。

 

「あー……そういうのか」

「ん? 何が?」

「あったよ、私が自信を持って推せることりちゃんの良い所」

「良い……所?」

「ご馳走様! お金、丁度ここに置いておくね」

 

 立ち上がりながら、思穂はテーブルの上にお金を置き、出入り口の方へ視線をやった。そんな思穂の背中へ、ことりは問いかけてきた。

 

「待って思穂ちゃん! 思穂ちゃんが見つけた私の良い所って――」

「あ、それ内緒ね!」

「ええっ!? 思穂ちゃん!?」

 

 手をプラプラと振り、思穂は歩き出した。

 

「きっと穂乃果ちゃんや海未ちゃんも私と同じことを思っているから二人にでも聞いてごら~ん」

 

 そう言い残し、思穂は店を出た。家路を歩きながら思穂は考えていた。

 

(ことりちゃんにもやっぱり悩みはある、か)

 

 それは親友の意外な一面であった。いつもニコニコとして、一歩引いたところから皆を見守っていることりだからこそ、と言った方が正しいのだろうか。

 『自分を変えたい』、この単語がずっと思穂の心に残っている。“片桐思穂”は、最初から今の“片桐思穂”でなかっただけに、ことりの気持ちが痛いほど良く理解出来ていた。そしてそんな変える方法を見つけ出すために、ガムシャラに何かに打ち込む気持ちも良く分かっていた。実際に、そうだったのだから。

 しかし、と思穂はまだ少しだけ高い夕日を見ながら呟く。

 

「開き直ってしまえば、良い場合もあるんだよね~……」

 

 スマートフォンで時間を確認しようとしたら、先ほどのメイド服姿のことりの写真があった。どうやら保存処理をまだしていなかったらしい。写真をジーッと見つめた思穂は、『保存する』をタッチし、保存処理を終わらせた。

 

(ま、それとこれは話が別と言うことで)

 

 しばらくは眺めてニヤニヤ出来る。またこういう写真が撮れたら良いな、という(よこしま)な願望を胸に抱きつつ、思穂はアニメ視聴をするために家へと急ぐ――。



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第二十七話 山場を越えて

 ステージ上では九人の女神が踊りを見せていた。二週間全ての努力を発揮するように、そして何よりも観に来てくれたお客さん全員に来て良かった、とそう思わせるように。それこそ、廃校の事は二の次だったと考えさせられる程度には、表情が輝いていた。

 ビシリと、最後の決めポーズを取った辺りで、思穂はビデオカメラを一時停止させた。

 

「いやぁ……良いね。九人揃ったら何だか輝きが増したって感じがするなぁ」

 

 部室の中で一人、そう呟く思穂。今日は一番乗りだったので誰とも話す相手がいなかった思穂はとりあえず暇つぶしに昨日撮影したビデオを見返していた。

 『僕らのLIVE 君とのLIFE』という名の新曲は、九人が揃って初めての曲だっただけに、思穂の目には未だ新鮮味が抜けきらない。

 

「さて、と。残りをちょちょーいって片付けますか」

 

 一番乗りした理由は他でもない。隣の空き教室が昨日、正式にアイドル研究部の部室の一部として使用していいことが認められたので、掃除をするために来たのだ。前から目を付けていたところなだけに、これはかなり嬉しかった。九人に増えたことにより、大所帯になることからも、いずれはどうにかしなければならない問題だっただけにこの知らせは正に天からの恵み。

 思穂は三角巾とマスクを装着し、早速掃除道具を手にする。

 

「まあ、絵里先輩と希先輩が力を貸してくれたからっていうのもあるよね」

 

 はたきで埃を落とし、チリトリと箒でささっとゴミを集めていく思穂の手際は中々のものだった。自分の部屋は自分でしっかりと掃除しているだけに、にこ程ではないが特にまごつくことなく掃除をこなせた。

 空き教室の使用許可を取るのにそれほど面倒な手続きはいらなかった。様式通りに書いたら即オッケーというこの適当さ。

 

「あ、思穂先輩。お疲れ様です!」

「お疲れ様です」

「凛ちゃんに花陽ちゃん、早いね」

 

 手をプラプラとさせ、二人を迎え入れた思穂は三角巾とマスクを外した。丁度思穂も一区切りついたのだ。その姿を見た花陽が申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「すいません、思穂先輩にだけ掃除をやらせてしまいました……」

「ううん、大丈夫大丈夫。割と綺麗だったからすぐに終わったよ。真姫ちゃんは?」

「真姫ちゃんは掃除があるから凛たち先に来ちゃいました」

「なーる。あ、そう言えば聞いた?」

 

 思穂の問いに二人は満面の笑みで頷いた。それはオープンキャンパスのアンケートの結果である。部室に来る前に職員室で聞いてきた思穂はずっと誰かに話したくてうずうずしていたのだ。

 思穂が口を開く前に、丁度いいタイミングで穂乃果達二年生組が入ってきた。

 

「思穂ちゃーん! ビッグニュース!!」

「噂をすれば来たね穂乃果ちゃん!」

「ねね? 聞いた!?」

「うん、今花陽ちゃんと凛ちゃんとでその話をしていたんだ」

「オープンキャンパスのアンケートの結果、廃校の決定はもう少し先になったそうです……!」

 

 つまり、中学生たちがこの音ノ木坂学院に少なからず興味を持ってくれたということだ。これはそのままμ'sの“勝利”に直結した。九人の努力は、無駄では無かったのだ。

 

「見に来てくれた子達が興味を持ってくれたってことだよね!」

「ことりちゃんの言うとおり! でも、私としては……これだ!」

 

 言いながら、思穂は開放された空き教室への扉を開けた。そうすると、よほど上機嫌なのか、穂乃果がくるくると回りながら入室した。

 

「あー思穂ちゃん、それ私が言いたい! ほら、部室が広くなりましたー! いやー、良かった良かった!」

 

 決めポーズもそこそこに早速穂乃果は、思穂が拭いた長椅子の上へと腰を下ろし、ぐでーっとし始めた。海未が注意をする前に、もう一人の凛とした声が穂乃果を諌める。

 

「安心している場合じゃないわよ。とりあえず今は廃校が先延ばしになっただけで、生徒が沢山入ってこない限りはまだ廃校の可能性が付き纏うのよ?」

 

 今まで穂乃果の手綱をしっかり握れるのが海未しかいなかったのだが、絢瀬絵里と言う強力な牽引役が加わったことにより、海未の負担はかなり減った。その証と言ってはしょうもないが、時折、感動したような表情を絵里に見せては彼女を引かせていた。

 

「う、嬉しいです! まともなことを言ってくれる人がようやく増えました!!」

「わっほい! 海未ちゃん、それほとんどの人達まともじゃないって言ってるの気づいてる!?」

「まるで凛達がまともじゃないみたい……」

 

 近くに居た凛も同じような事を考えていたようで、すごく複雑そうな表情を浮かべていた。

 

「にこっちもそろそろ来る頃だろうし、揃い次第練習始めようか」

「希先輩、益々気合い入ってますねー」

「何たってμ'sの中ではウチとエリちが新参者やからね。気合い入れて行かなきゃ」

 

 練習への士気も高まって来たところで、ことりが恐る恐る小さく手を挙げた。

 

「あ、あの~……今日は私、ちょっと……ごめんなさいっ」

 

 そう言い、ことりはそのまま部室を出て行ってしまった。その後ろ姿を見送りつつ、思穂は最近“忙しい”んだなとしみじみ同情する。

 南ことりはメイドカフェでバイトしている伝説のメイド“ミナリンスキー”だ。オープンキャンパス前は最低限のシフト数で調整してもらっていたのだろうが、それが終わってツケが回ってきた、と考えるのが自然だろう。

 

「ことりちゃん、最近どうしたんだろう?」

「さぁ……思穂は何か聞いていますか?」

「う~ん……何なんだろうねぇ」

 

 穂乃果と海未の問いをはぐらかすので精いっぱいだった。下手な事を言えば、海未に勘付かれてしまう。

 

(言うのは簡単だけど……なぁ)

 

 ことりは言っていた。『自分を変えたい』と。誰の手も借りず、一人で頑張ってみたいからこそ、今まで誰にも言わなかったのだと考えると、この件はことり自身が喋る以外に筋が通らない。

 そう考えていたからこそ、思穂はのらりくらりとやり過ごす、という方針を固めていた。

 

「さっきことりが走って行ったけど、今日も休み?」

 

 部室に入ってくるなり、にこがそう言った。その後に真姫が入って来たところから恐らく一緒に来たのだろう。思穂が答える前に、希が答えた。

 

「ことりちゃんは今日、用事があるんやって。だから、今日は八人で練習やね」

「よーし! じゃあ練習行こう! ……って、そう言えば思穂ちゃんも今日はこのまま帰るんだっけ?」

「ごめんなさい! ほんっとごめんなさい!」

「思穂、あんたも最近練習来ないわよね?」

 

 そう言って、にこが半目で睨んできた。とりあえず思穂は、無言でにこの頭をポンポンと撫でて、それから謝意を示すために両手を合わせた。

 

「すいません! マネとして最低限の事はやっているのでそれで許してください!」

「っていうかその前に気安くにこの頭を撫でるな! 突然頭撫でられたから何事かと思ったわよ!」

 

 とりあえずマネージャーもどきとしての自覚はあるので、必要最低限の事をやってから、自分の事をやらせてもらっている。そう言った理由もあるので、思穂は部室に一番乗りしていたのだ。

 

「まあまあ、にっこにっこにー!」

「使い方が雑なのよ、あんたは! 人の持ちネタを使うならちゃんとリスペクトの気持ちを持ってやりなさい!」

「リスペクトの精神しかないんですがねぇ……」

「……それがリスペクトなら馬鹿にされた時はもっとイライラするんでしょうね。はぁ……もう良いわ、さっさと行きなさい」

 

 ぶっきらぼうなのは相変わらず、と言った様子だ。にこ自身、別に練習休むことに対してそこまで恨み節を言わないので非常にありがたかった。

 今日だけは本当に外せない用事があったのだ。思穂が前々から目を付けていたゲームと漫画、特にアニメのブルーレイボックスの発売日が重なってしまっていたのだ。最優先がブルーレイボックス。初回限定版にはドラマCDに描き下ろしポスター等などのグッズが付いてくるので、売り切れ必至のデスゲームと化している。

 早速思穂は準備を整え、戦場たる秋葉原へ赴く。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「……ふ、ふふ。ふふふふ……」

 

 愛用の大型リュックには夢が詰まっていた。入った店に置かれていたブルーレイボックスは残り一つ。最後の一個を掠め取れたのは正に幸運と言っても過言では無い。他にも狙っていたゲームや漫画を買えたし、漫画に至っては全二十七巻にも及ぶシリーズを大人買いしてしまった。

 ホクホク顔で家へと歩いていた思穂は、目撃してしまった。

 

「……え、っと」

 

 赤い縁のサングラス、顔下半分を覆い隠すマスク、何故着けているか分からないピンクのマフラーに、厚手のコート。それが八人も。これを不審者集団と言わずして、一体何を不審者集団と言えば良いのか分からないというレベルであった。

 

(……周り、薄着なんだけどなぁ)

 

 皆の事は大好きだが、今の彼女達は話が別である。とにかく周りの人から“仲間”と思われるのを避けるため、思穂はなるべく目を合わせないように家へと――。

 

「あ! おーい思穂ちゃーん!」

「ああああぁ~……」

 

 即刻見つかってしまった。サングラスや眼鏡を外した穂乃果が駆け寄ってきた。

 

「……あ、初めまして。私、片桐思穂って言います……」

「知ってるよ!? え、どうしたの思穂ちゃん!? 何で私と目合わせてくれないの!?」

「いや……不審者と転売屋と違法アップローダーにだけは心を許すなって死んだおじいちゃんからの遺言でさ……」

 

 すると、穂乃果が自分の恰好に気づいたのか、慌てて手を振った。

 

「違うよ! これ着たくて着た訳じゃないんだよ!」

「まあ、あの妙に似合っているちっこい先輩だろうなぁとは思ったけどさ」

 

 穂乃果と思穂の会話を見ていた他のメンバーが歩いて来た。女性だからまだ良いものの、男性なら恐らく警察を呼ばれるレベルで、彼女達は“怪しかった”。

 口元や頬を触り、引き攣った表情を浮かべていないか不安になりながら、彼女達を迎えた。

 

「ま、またそのおっきなリュックなんだね……」

「ね、思穂ちゃん、それってそんなに重いん?」

 

 希が思穂のリュックを指さした。何も言っていないが、絵里は非常に困惑していたように見て取れた。思えば、絵里にリュックを見せたのはこれが初めてだったはず。

 思穂はリュックを下ろし、希に背負ってみるように促した。

 

「面白半分で持たないでくださいね。やるなら真剣に持ってください」

「う、うん……分かった」

 

 そう言うなり希はリュックを掴み、持ち上げようとしたが……リュックが少し浮き上がるだけで希の顔が真っ赤になっていた。

 

「っはぁ! 何これ!? 重すぎやん!」

「今日は割と軽い方なんですよね」

 

 ひょいと持ち上げ、背負う思穂。その言葉に嘘はなく、今日はまだ詰め込んでいない方だった。一時期はリュックがはみ出るくらい物を買ってしまって、持てなくなったことがあるぐらいだ。

 

「いつもどれくらい買っているのよ……?」

「おお! 絵里先輩、興味あります!? といってもこれくらいですが……」

 

 ポソポソと絵里に耳打ちすると、彼女は口を開いたまま、茫然としていた。思った以上の額に、絵里は感嘆の気持ちを意味するロシア語を呟いた。

 

「ハラショー……」

「……あれ? そういえば凛ちゃんと花陽ちゃんはどこ行ったんですか? さっき見た限りだとちゃんと九人いたと思うんですが」

 

 すると、にこが親指でアイドル専門ショップを指した。思穂の記憶が正しければ、最近出来た店だったはずだ。

 

「あそこよ。凛が花陽に引っ張られて行った、て言った方が良いのかしらね?」

 

 タイミングが良いことに、店の入り口辺りで凛が手招きをしていた。何だかすごい物を発見したようで、そのモーションが凄く大きい。

 もうここまで来たら帰るのも気が引けたので、穂乃果達に続いて店の中に入っていく。流石新しめの店だけあり、所狭しとアイドルグッズが並べられている。

 

「ねえ見て見て! この缶バッジの子可愛いー! かよちんみたい!」

 

 凛が見せてきたのは……明らかに花陽本人の缶バッジであった。穂乃果がそれを指摘すると、ようやく凛も気づいたのか、ただひたすら驚いていた。そんな凛に連れられたのは、何とμ'sのコーナーであった。

 

「おお……『人気爆発中』とはまた嬉しいことを……」

 

 それぞれが顔を寄せ合い、様々な感想を漏らしている中、人一番テンションが高いにこが思穂含めμ'sメンバーを押しのけて最前列へと喰い込んだ。

 

「どっどきなさーい! あれっ!? 何でにこのグッズが無いの!? あ、あった! 何で穂乃果に隠れてんのよ!」

 

 そしてせっせと自分のグッズを並べだした。記念撮影でもするのだろうか。その目は爛々と光っていた。

 

「あれ……?」

「どうしたの、穂乃果ちゃん?」

 

 穂乃果が何かの写真を見ているようだった。見せてもらった瞬間、思穂は固まった。

 

「これ、ことりちゃん……だよね?」

「い、いやぁ分からないよ~……? 可能性が九十九パーセントなだけで、まだことりちゃんって決まった訳じゃない、よ?」

 

 他のメンバーがそれぞれの気持ちを言い合っているの横目に、穂乃果と思穂の視線はことりの写真に釘づけになっていた。

 

「――あの! すいません!」

 

 店頭から聞こえてきた甘い声を聞いて、思わず思穂は顔を手で覆ってしまった。この微妙なタイミングで、最悪の人物がやって来たのだ。少しだけ顔を向けると、そこには先日見たクラシカルなタイプのメイド服を身に纏った――ことりがいた。



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第二十八話 ミナリンスキー

「あのっ! ここに私の生写真があるって聞いて! あれは駄目なんです! 今すぐに無くしてくださいっ!」

 

 ことりは余りにも切羽詰まっていたのか、こちらが全く見えていないようだ。μ'sメンバーの視線が物凄くことりに注がれていた。

 とうとう代表して穂乃果と海未がことりの元へと近づいた。

 

「こ、ことりちゃん?」

「ぴぃっ!」

 

 何だか首を絞められた鳥のような声を上げ、ことりがギギギと潤滑油が必要なロボットのごとく首を向けた。訂正、向きかけた。どうやら顔を合わせたら本格的に終わり、という意識があるのだろう。

 

「何を……しているんですか?」

 

 海未の追及には答えず、ことりはしゃがみ込み、手近な半球カプセル二つを手に取り、それらを両目に被せた。

 

「コトリッ!? ホワッツ!? ダレデスカ!? シラナイヒトデスネ!」

「わーっ! が、外国人だ!」

「落ち着いて凛ちゃん、あのトサカを良~く見るんだ。紛れもない日本人だぞ~」

 

 凛の後ろで絵里が半目になっていた。呆れている、というよりは三文芝居を見せられているようなそんな微妙な感情が込められている。

 穂乃果が更に追求しようとするが、ことりの片言がそれを上から抑え込む。

 

「い、いや、ことりちゃん――」

「アー! ワタシ、イカナキャ、ナリマーセン! ソレデハゴキゲンヨー!」

 

 妙にサマになっている怪しげなモデル歩きで徐々に遠ざかっていくことり。最後に“ヨキニハカラエー”と言い残し、ダッシュで逃げ出した。

 

「あ、逃げた! ことりちゃーん!」

「穂乃果! ああ、もう! 皆さん、ここで待っていてください!」

 

 ことりを追って、穂乃果と海未が駆けだした。希がタロットカードを引いて、小さく頷くと、どこかへ歩いていった。いつものスピリチュアルパワーで何かを掴んだのだろう。

 

「……どういうこと?」

 

 絵里の視線は明らかに“貴方何かお知りになられているんですよね?”と言いたげであった。凛と花陽、そしてにこも同じことを思っていたようだ。この無言の追及を避けきる自信は思穂にはない。

 穂乃果達が歩いて行った方向を見ながら、思穂は言った。

 

「まあ、メイドカフェでバイトしていたってことですよね」

「それだけじゃないでしょ? 何だか反応がにこ達と違っていたわよ」

 

 にこもこういう事には妙に勘が良い。あっさり終わらせようとした思穂は、肩をガッチリと掴まれたような感覚を覚えた。

 

「ことり先輩、何で逃げて行ったんだろう……」

「きっと咄嗟に逃げちゃったんだろうねぇ。あ、あと花陽ちゃんの疑問は多分すぐに解決されると思うよー」

 

 時間にして十分にも満たない時間。戻ってきた希の後ろには、ことりが付いて歩いて来ていた。先に行った穂乃果達より先に捕まえてくる希は探偵か何かに向いているのではないかと思いつつ、思穂は穂乃果と海未へ連絡を取った――。

 

「……ここです。私が働いている所」

 

 そこは以前、思穂が来たメイドカフェであった。相も変わらずシンプルさの奥深くにある洒落た雰囲気が、思穂は好きだった。

 何だか言葉が途切れ途切れのことりを先頭に、店の奥に案内された八人と思穂はそこで改めて事情聴取を行った。

 

「えっと……ことりちゃん、どうして私達から逃げたの?」

「ごめんね穂乃果ちゃん、皆……」

「ことり、私達は別にことりを責めている訳ではないんです。ただ、事情を聴きたくて」

 

 海未の発言の後、絵里がことりに見せたのは一枚の写真であった。

 

「この写真が見られたくなかったから、アイドルショップに来たのよね?」

 

 思穂も知らない間に、絵里は例の写真を買っていたようだ。その写真を見た、にこがようやく気付いたらしい。どんどん表情が変わっていく。

 

「え、絵里!! そ、それって!?」

「ミナリン、スキー? って書いてあるわね。にこ、知っているの?」

 

 ふと、ことりと目が合った。するとことりは思穂へ困ったような笑みを浮かべた。助け舟を求められていることに気づいた思穂は小さく“了解”と呟いた。

 

「実はことりちゃんって、秋葉原のメイド界隈で伝説になっているメイドさんで、その名はミナリンスキーって言うんですよねー」

 

 途端、爆発したかのように皆からの驚きの声が上がった。それが妙にシンクロしていたからやはりμ'sのチームワークは凄まじい。

 そこで、ようやくことりが口を開いた。

 

「そうです……。私がミナリンスキーです……」

「ひ、酷いよことりちゃん! 言ってくれればジュースとかケーキとかご馳走になったのに!」

「そこ……!?」

「穂乃果先輩、そういう話だとポジティブさに磨きが掛かるにゃー」

 

 花陽と凛の突っ込みには大いに同意であった。ちなみに思穂はサブカルチャー関係だと豹変する自信がある。

 

「じゃあ、この写真は?」

 

 絵里が指さしたのはコルクボードに貼られていた“ミナリンスキー”の写真であった。

 

「そ、それは……店内のイベントで歌わされて……撮影禁止、だったのに……」

 

 マナーがなっていないファンもいるもんだと若干憤りを覚えるが、今は置いておこう。そしてとうとう海未が投げかけた“何故”。

 ついにことりは語りだした。その内容は大体、既に聞いていたので、しゃがみ込み、別のバイトの脚をジッと眺めていた。ロングスカートに遮られ、生脚は見えないがそこは妄想力でひたすらカバー。そんなことをやっていたら、にこに拳骨されてしまったのはまた別の話だ――。

 

「じゃーねー!」

 

 日も暮れた頃、そろそろ良い時間ということで解散となった。思穂は穂乃果達と同じ方向に家があるので、一緒に帰ることにした。

 その道中、穂乃果が言った。

 

「意外だなぁ、ことりちゃんが『自分を変えたい』って悩んでたなんて……」

「意外と皆、そうなのかもしれないわね。自分の事を優れた人間だなんて思う人はほとんどいないんじゃないかしら? 大なり小なり、誰しもコンプレックスは持っているってことなのかもね。だから、努力するのよ皆」

「確かに、そうかもしれませんね」

 

 こと弓道や日舞で心身を鍛えている海未だからこそ、絵里の言葉には思う所があったようだ。

 

「そうやって成長して、成長した周りの人を見て、また成長していく。……ライバルみたいな関係なのかもね、友達って」

「絵里先輩にμ'sに入ってもらって、本当に良かったです!」

 

 穂乃果も海未の意見には全面の同意のようだった。そんな二人を見て、絵里が困ったように笑う。

 

「明日から、練習メニュー軽くしてーだなんて言わないでよ?」

 

 曲がり角の辺りで、穂乃果と海未は立ち止った。ここからは真っ直ぐ歩けば穂乃果達は家路へとつく。だが、思穂と絵里はここを曲がる。

 

「それじゃ、また明日」

「じゃあねー穂乃果ちゃん海未ちゃん!」

 

 別れの挨拶を交わし、二人は歩いて行った。

 

「……良い言葉でした」

「珍しく茶化してこなかったわね?」

「もーそれじゃ私、ただの空気読めない人じゃないですかー!」

 

 実際、絵里の言葉には心打たれていた。そういう明確な意見を持って日々を過ごしている絵里は格好良くて、海未を以て手放しで賞賛するだけはあった。

 

「貴方はどうなの? 希から聞いたわよ、貴方の事」

 

 半笑いを浮かべる思穂は、絵里の方を見ていなかった。なんだかその表情はニヤニヤしているんじゃないか、とつい勘繰ってしまうからだ。

 

「……絵里先輩の言葉通りですよ。私が出来る出来ないはともかく、自分が優れていると思った時点でもう努力はしないと思いますよ? 残るのは自信だけです」

「随分、さっぱりしているのね」

「まあ……私は常に壁にぶち当たっている方ですからね。口が裂けても優れているとかっていう単語は言えませんね」

「やっぱり私、まだ少し思穂さんの事を誤解していたのかもね。ずっと貴方と言葉を交わしていたのに、まだ底が見えていなかったわ」

 

 これも茶化す気にはなれなかった。これが海未やにこ辺りならば、すごくおちゃらけてしまうのだろうが、絵里が相手だと何故かふざける気になれなかった。

 

「いいえ。きっと絵里先輩は私の事を買い被っていますよ。私もことりちゃんと同じだったんですから」

「だった、か。過去形ね。詳細を聞いたら教えてくれるのかしら?」

「あ、はは……出来れば勘弁してもらえると。穂乃果ちゃん達にすら内緒にしている事なので」

「なるほど。それじゃあ仕方ないわね」

 

 そこからはしばらく無言で歩いていた。その間、思穂はずっとことりが頭から離れなかった。“変わった”思穂が、“変わろうとしている”ことりに一体何が出来るのだろうか。そんな事だった。

 

(変わりたい、変わろうとしている……か)

 

 ふと街へと視線をやった思穂。行き交う車、信号を渡る人々、新商品の呼び込みや閉店セールを行っている商店。目に付く全てが、何かかしらの“変化”に包まれていた。

 そんな目まぐるしい変化の渦中をこうして平然と歩いていられることの奇跡。――そこで、思穂は閃いた。

 

「ねえ思穂さん、ちょっと思いついた事があるんだけど」

 

 突然、絵里がそんなことを言ってきた。少しだけ緩んだ表情を見て、思穂は自分と同じ発想に至ったことを確信する。

 

「偶然ですね絵里先輩、私も思いついた事がありました、多分――絵里先輩と全く同じことだと思います」

 

 笑みを交わし、二人は踵を返した――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 辿りついたのは神田明神であった。そこでは巫女装束の希が箒をせっせと動かし、バイトに励んでいた。一息ついた希が二人に気づき、近づいてきた。

 

「あれ? エリち、思穂ちゃん、どうしたん?」

「希、ちょっと良い?」

 

 希の返事を待たず、思穂は希の腕をしっかりと掴み、有無を言わさずに目的の場所へ連行する――。

 

「本当にどうしたん? また戻ってくるなんて」

 

 希も連れ、やって来たのは秋葉原であった。あの場で話しても良かったが、ここではなくて駄目だと言うのが思穂と絵里の一致した意見であった。

 人が行きかう光景を眺めながら、絵里は言う。

 

「ちょっと思いついたことがあって。さっき、街を歩いていて思ったの」

 

 絵里の言葉に、思穂は続いた。

 

「次々と新しいモノが生まれてはそれを取り込んで、毎日新しい顔を見せていくのがこの秋葉原の凄い所だと思います」

 

 懐が大きく、だがその新しい物さえもどんどん波に飲み込んでいく恐ろしさもある。今のμ'sに必要なのはそんな波に負けないような力。だからあえて、絵里と思穂はここを選んだ。

 

「この街は、どんなものでも受け入れてくれる一番ふさわしい場所なのかなって」

 

 一拍置き、絵里が締め括った。

 

「私達の――ステージに」

 

 宣言したのは、九人となり本当の意味を持つようになった新生μ'sの二度目のライブである。二人の意見に対する、希の返事は決まっていた。

 

「ええやん、それ。面白そう!」

「いやぁ、となれば忙しくなるなー」

 

 恐らく明日にでも絵里から提案があるだろう。そこから思穂の労働がまた始まる。だが、それは思穂もやりたいことでもあった。思い浮かぶは始まりの曲『START:DASH!!』。小さかった雛鳥が大きくなり、空に羽ばたく時が来たのだ。

 また栄養ドリンクの本数が増えるな、と思穂は早速睡眠時間と勉強時間と趣味に充てる時間の調整を脳内で始めた。とりあえずは睡眠時間を削る方向で決着がついた。

 

「思穂ちゃん、また忙しくなるね」

「だけど私はやりますよー! 燃えるじゃないですか、秋葉原でライブ! μ'sここに在りということを秋葉原中に見せつけてやりましょう」

 

 秋葉原でライブをする。そのもう一つの意味を思穂は理解していた。秋葉原と言えば、A-RISEのお膝元である。そんな場所でライブをするという事はそのままズバリ、彼女達への宣戦布告を意味する。絵里がそこまでスクールアイドルに詳しくないというのもあるのだろうが、思穂はあえてそれを口に出すことはない。

 むしろ、それが面白い。A-RISEファンに何か思われるかもしれないが、むしろその反対意見すら全て飲み込み、μ'sファンへと鞍替えさせる心構えじゃなければいけない。いずれは越えなければならない相手だ。

 とりあえず、思穂はスマートフォンを取り出し、メールを作成し始める。送る相手は決まっている。つい、この間連絡先を交換した――正確には押し付けられた人間。

 

(『こんにちは! この間は美味しいケーキ屋に連れて行ってくれてありがとうございました。話は変わりますが、近い内、A-RISEへ宣戦布告させてもらいますね! 楽しみにしていてください』……と、こんな感じで良いかな? そーうしん!)

 

 綺羅ツバサ。彼のA-RISEのセンターへ早速、思穂はジャブをかましておいた――。



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第二十九話 シスターズ

「ふむふむ……」

 

 また一つ、地図に印を入れ、思穂は溜め息を吐く。今日の思穂は、皆とは別行動で、一人秋葉原へとやって来ていた。その理由はただ一つ。秋葉原でゲリラライブをやるための場所探しであった。

 練習に専念してもらうため場所の選定は思穂が引き受けていた。いくつか目ぼしい所はあったのだが、ライブ開始時間帯の人の通りを考えると、いまいち決め手に欠ける。そんな色んな条件を勘案していた思穂は、割と悩んでいた。

 

「私の趣味で良いならゲームショップや本屋の前なんだけどなー……」

 

 言ってみただけである。実際そこは微妙と言って良いだろう。特定の層しか捕まえられない。もっと人通りが活発な所を思穂は所望していた。

 

「しょうがない……もう一回じっくり考えるとしましょうかね……」

 

 ライブまでの時間を逆算すると、今日中にある程度目星を付けておかないと使用するための手続等で時間がオーバーしてしまう可能性があった。だからこそ、思穂は一度冷静になるため来た道を戻ることにした。

 

「あれ? もしかして思穂さんですか?」

「ん?」

 

 振り向くと、そこには二人の女の子がいた。一人は赤みがかった短い茶髪にツリ目が印象的で、もう一人は金髪が鮮やかな子。

 思穂は茶髪の方へと視線をやった。

 

「ん? もしかして雪穂ちゃん?」

「はい。お久しぶりです」

 

 丁寧に一礼までしてくれるというこの礼儀正しさ。このしっかりさは姉には真似できないな、と失礼ながらそう思ってしまった思穂。

 茶髪――高坂雪穂は高坂穂乃果の妹である。姉を見て育った、とでも言えばいいのだろうか。基本的に穂乃果と真逆の性格の持ち主である。そしてなにより、足が良い。

 

「雪穂ちゃんしばらく見ないうちに成長したね~」

「足見ながら言わないでください。海未さんに言いつけますよ」

「大変申し訳なかったと思っている。……で、そちらの金髪が美しい子は?」

 

 某おかっぱ頭の女の子が震えるレベルで、雪穂の隣の女の子は光り輝いていた。しかし、思穂は何だかその女の子に物凄く既視感を感じた。具体的には最近μ'sに入ってきた人物に。

 

「あ、あの! もしかして、μ'sのマネージャーの片桐思穂さんですか!?」

「ん? 苗字言ってないよね?」

「初めまして! 絢瀬亜里沙と言います! あの、私、μ'sのファンなんです!」

「や、やっぱり絵里先輩の妹かー!!」

 

 思わず叫んでいた。不思議そうな表情を浮かべる二人を置いて、思穂は運命の悪戯にひたすら震えていた。

 

(こ、こんな天使が実在するなんて……!! ああ、これは心がきんいろなモザイクで埋め尽くされるよぉ!!)

 

 第一印象は純粋そうな子であった。あの絵里の妹にしておくには惜しいと言うレベルだ。人間性は挨拶一つで分かる。亜里沙は間違いなく天使だった。

 

「思穂さん、涎垂れてますよ」

 

 半目でそういう雪穂。昔からどうも穂乃果と同列に見られているのか、言葉の端々に棘が感じられる。だが、その棘すら思穂にとってはご褒美であった。

 

「おっと。……それはさておいて。改めて自己紹介するよ。片桐思穂と言います。よろしくね、亜里沙ちゃん。気軽に思穂さんとでも呼ぶがヨロシ」

「はい! よろしくお願いします思穂さん!」

「思穂さん、今日はお姉ちゃん達と一緒じゃないんですか?」

 

 頷き、思穂は二人に地図を見せてやった。

 

「そうそ。ちょっと路上ライブやる計画あってさ、私はその下見」

 

 一番に反応したのは亜里沙であった。目を輝かせ、両手を合わせた。

 

「ハラショー! またμ'sのライブが見られるんですね!」

 

 亜里沙が使ったのは感嘆の気持ちを表すロシア語であった。それを聞いて、思穂は少し自分の耳を疑う。

 

(あれ? 絵里先輩より発音が良い……亜里沙ちゃんの方がロシアの血が濃い、のかな? 分からないけど、ちょうど良いや!)

 

 目を閉じ、頭の思考スイッチを切り替えた。一発芸程度の“これ”が亜里沙相手に、どこまで通じるのか試してみたかったのだ。

 

『そう。近い内、やるから、楽しみ、していて』

「えっ!? 思穂さん、ロシア語喋れるんですか!?」

「驚いた雪穂ちゃん? ま、カタコトだけどね!」

 

 絢瀬絵里がロシア人を祖母に持つクォーターと言うことを知っていた思穂は密かにロシア語を勉強していた。思穂が一年生の時、まだ丸くなっていない絵里とどう距離を近づけようか考えた末の行動であった。やってみると意外に難しく、こうして亜里沙に話せたのも一重に、ちまちまと勉強していたお蔭である。

 経緯はどうあれ、思穂がロシア語を嗜んでいると知った亜里沙は喜んだ。喜びついでにロシア語モードになってしまったのは余計だったが……。

 

『思穂さん、ロシア語お上手です! ちゃんと聞き取れましたよ!』

『ありがとう! でも、私、まだまだ、勉強中。これからも、勉強、頑張る!』

「な、何を喋っているのか分からない……!!」

 

 授業の英語で慣れ過ぎたせいか、ロシア語、しかも本場の血が入っている者のロシア語はヒアリングが非常に難解であった。どうしても、英語のヒアリングと勝手を同じにしてしまう。だが、思穂は何とか食らいついてみた。ゆくゆくは絵里とロシア語で話すために。

 

『ほら、亜里沙ちゃん、雪穂ちゃん、困ってる』

「あ、ごめん雪穂……」

「ううん、気にしないで? それにしても思穂さん、ほんといつも妙な特技披露してくれますよね」

「そう? こんなもの一発芸程度だよ?」

 

 ふと、思穂は雪穂の方へと顔を向けた。

 

「そういえば、二人は今日はお出かけ?」

「はい。亜里沙と買い物に」

「もし良かったら思穂さんもどうですか?」

 

 亜里沙から何とも嬉しいお誘いがあったが、思穂はチラリと雪穂の方を見た。目が合った雪穂は軽く笑みを浮かべ、快諾の意を示してくれた。

 

「私は良いけど思穂さん、ライブの場所を探していたんじゃ……」

「あんまり考え込むと逆に良いアイデア出てこないから違うことしようと思ってたんだよね。もし良かったらお供させてもらっても良い? というか、二人こそ良いの? 何か買う物でもあったんじゃない?」

「あー大丈夫ですよ。買い物って言っても、ほとんどウィンドウショッピングみたいなもんですし」

「う、ウィンドウショッピング……!? そんなスマートな言葉が存在したのか……!」

 

 何だか雪穂と亜里沙が自分よりも大人に見えてきた思穂は、少し二人が眩しかった。だが、ここで動揺しては年上の威厳が無くなる。思穂は極めて冷静に振る舞うことにした。

 

「そ、そそそうなんだ……! わわわわ、私も良くやるし、ウィンドウショッピング……! ほら、あれでしょ? この窓ガラスの輝き良いわねぇよしこの窓ガラス買おう! みたいなあれでしょ? でしょ?」

「違います」

 

 一刀両断であった。思穂は崩れ落ちた。

 

「ちょっ! 思穂さん、制服汚れますって! ほら、立って!」

 

 日頃穂乃果に対してもこう接しているのだろうか。雪穂は甲斐甲斐しくも思穂の腕を掴んで立たせた。叱責から行動に移すまでが実にスムーズで、貫録さえ感じさせる。

 

「う、うう……雪穂ちゃんってホント妹って感じだよね……。ほら、私の事お姉ちゃんって呼んでみて?」

「結構です」

「……なら、私の事、姉さんって……」

「あーもう! 冗談言ってないで! 早く行きましょ! 亜里沙、どこか行きたいところある!?」

 

 すると、亜里沙が人差し指を口元に当て、考え出した。その仕草がもう可愛くて、雪穂に小突かれるまで、自分の顔が緩んでいたことに気づかなかった。

 

「亜里沙、思穂さんが良く行くお店に行ってみたいです!」

 

 瞬間、思穂の全身から冷や汗が吹き出した。すぐさま、思穂は脳内で色んな展開を弾きだす。

 

(ど、どうする……!? 良いのか!? これ、良いのか!?)

 

 ここまで話してみて分かったことがある。絢瀬亜里沙は本当に素直な良い子だ。そしてそれ故に、ちょっとそれっぽい事を言えば確実に“こっち側”に引きずり込める自信があった。

 

(もしこの子がこっち側に入ったらきっと絵里先輩が悲しむ……! 先輩、あんまりアニメとか見なそうだし、急にそういう話をしだしたら絶対私が変な事を吹き込んだって疑われてしまう……!)

 

 マイナス思考が思穂を支配する。こんな純真な子に、ドロッとした世界へ踏み込ませていいのだろうか。もし、これで戻れなくなったらどうする。ここは大人しくお茶を濁せるような場所選びをするしかない――。

 

(――だが面白いッッ!!)

 

 ――などという腑抜けた選択肢は思穂には有り得なかった。無言で亜里沙へ近づき、そっと肩に手を置いた。そしてちゃっかりハグをし、彼女からふわりと香る匂いを堪能した後、思穂は空へ拳を突き上げた。

 

「よーし! なら時間が惜しいよ! 今すぐ行こう! ほら雪穂ちゃん行くよ!」

「……私、思穂さんの行く所って大体予想出来るんですけど」

「な、何か不都合が……?」

 

 雪穂は横に首を振った。一瞬ホッとしたのが、いけなかった。すぐに雪穂は半目になり、“警告”する。

 

「くれぐれも亜里沙に“変なこと”を教えないでくださいね」

「や、やだなー……。日本が誇る由緒正しき文化の結晶を伝授するだけだって……。そう、謂わば私は伝道師なんだよ」

「そんな伝道師、今すぐにでも廃業したほうが良いと思います」

 

 えへらえへらとやり過ごし、思穂は何とか亜里沙と雪穂をアニメ専門店に連れ込むことに成功した。入ってすぐに、亜里沙は店内にひしめくアニメグッズに圧倒されていた。雪穂もあまり来たことがないようで、同じようにポカンとしていた。

 

「ということで、来ましたよアニメ専門店。通称アニメーロ」

「こ、これ全部アニメに関係するものなんですか……?」

 

 キョロキョロと見回したり、近くにあるグッズを手に取ったりと早速興味を持ち始めた亜里沙。雪穂は今注目されているアニメの棚をまじまじと見つめている。

 早速、思穂は亜里沙の肩に手を置き、アニメキャラのストラップを顔ぐらいの高さにまで持ち上げた。着物を着た女の子である。

 

「これは何ですか?」

「どう、落語的な漫才的なコント的な事をやるアニメに出てくる子なんだ! 何だか亜里沙ちゃんの声にそっくりなんだよね~! あ、あとこの子どう? 何だか心がぴょんぴょんするような気しない!?」

「わぁ! どの子も可愛いですね! 思穂さんのオススメのアニメって何ですか?」

 

 目をキラキラさせて、そう聞いてくる亜里沙に、思穂は完全に心を射抜かれていた。本来ならばいい感じに目覚めそうな作品を薦めて一気に落とすのが普通なのだが、思穂は少し方針を変えた。

 思穂はDVDの棚を一瞥し、目当ての物を取り出した。

 

「え~と……これ! オススメはこの、テストの点数で戦いをするアニメだぁ!」

「す、すいません……あまり戦いとかそういう怖いのは……」

「大丈夫! ほら、このパッケージを見てごらん?」

 

 そう言って見せたのは、二頭身にデフォルメされたキャラである。

 

「わ! 可愛いー!」

「思穂さん、どんなモノ勧めるんだろうと思っていましたけどこれは中々……」

 

 パッケージを覗き込んだ雪穂も小さく唸る。そうであろうと思穂は内心笑みを浮かべた。このテの人間にアニメを勧める場合、いきなり重いストーリーの作品はまず見てもらえない。まずは頭を空っぽにして見られる作品でジャブを打ち、次に少し考えさせられる作品を見せる、そして最後はストーリー重視の作品でフィニッシュ。

 これが片桐思穂のコンビネーションであった。

 

「これはそんなに取っ付き辛くないから亜里沙ちゃんも楽しく観られると思うよ! それに、このアニメに出てくる保健体育が得意な女の子、どことなく絵里先輩に似てるし」

「お姉ちゃんにですか!? 私、これ観てみますね!」

「良かったね、亜里沙」

 

 すかさず思穂は雪穂の前に違うDVDを突き出した。

 

「あ、雪穂ちゃんにはこれね! 魔王が主人公のアニメなんだよ!」

「魔王ってあのRPGとかに出てくる魔王ですか?」

「うん、そういう感じの魔王ね! だけど驚くなかれ、この作品の魔王はハンバーガーショップで働いているんだよ!」

 

 これが流行っていた当時は何だか魔王を題材にした作品が多く出ていた気がするな、と思穂はぼんやりと思い出していた。

 

「ちなみにこのハンバーガーショップで働いている女の子がもう無茶苦茶可愛くてさ! 胸もふくよかで! 涎垂れるよ! 雪穂ちゃんはまあ……ファイトだよ!」

「何かすごく馬鹿にされた!?」

「じゃあ雪穂、早速レジに――」

「あ、大丈夫。もう払っているから! それは二人にプレゼント!」

 

 気に入るであろう前提でもう買っていた思穂である。こと、にこ相手に色々なアニメのプレゼンをしていただけに、どういうタイプがどういう作品を好むかは何となく把握出来ていた。

 積み重ねられた経験から打ち出されたチョイスは見事、二人の好みにハマったので、思穂は内心得意げだった。

 

「で、でもそんな悪いですよ!」

「良いの良いの! その代わり、それ観たら感想聞かせてくれると嬉しいな!」

「はい! ありがとうございます思穂さん!」

 

 いつでも感想を伝えられるように、と亜里沙は思穂へメールアドレスの交換を持ちかけた。二つ返事でオーケーした思穂は手早く交換を行う。

 

「じょ、女子中学生からこんなに簡単にメアドをもらえるなんて……! これ、事案発生じゃないよね!?」

「私に言われても困ります」

 

 それはそうだ、と思穂は肩をすくめる。第一、同性だ。ソッチの趣味は無いので、亜里沙をどうこうしようとかそういうやましい気持ちは微塵も無い。

 

「あ……そろそろ本格的に動かなきゃマズイか」

 

 スマートフォンの時計を確認した思穂は“遊び”の時間が終わったことを悟る。これから秋葉原を駆け回るという大事なお仕事が待っている。汗だくの姿を見せる訳にはいかない思穂は、ここで二人へ別れを告げることにした。

 

「ごめん。そろそろ私、自分の事をやらなきゃ怒られるから行くね」

「もう行っちゃうんですか!?」

「うん、亜里沙ちゃん、雪穂ちゃん、今日はありがとう! 楽しかったよ!」

「私も楽しかったです! ね、雪穂!」

 

 突然亜里沙に振られ、雪穂は小さく悲鳴を上げた。だが、すぐに冷静さを取り戻し、ポツリと呟いた。

 

「まあ、楽しくなかった訳じゃないですけど……」

「な、何か雪穂ちゃんが気持ち悪い……」

「気持ち悪いって何ですか!? もう!」

「ごめんごめん! じゃ、ライブ絶対来てねー!」

 

 今日の二人との買い物――というよりアニメ布教――で得た物はたった一つである。金髪がとても綺麗な絢瀬亜里沙との連絡先を手に入れられたことである。

 

「ん?」

 

 訂正、もう一つだけあった。

 

「――ここだ」

 

 思穂の視線がとあるビル前に縫い止められた。多すぎず、少なすぎず。ある程度の広さも持ち合わせている。ここで歌う九人が視えた思穂は、もう今までの場所の候補が頭から消えてしまった。

 

「よーし! 忙しくなるぞ!」

 

 地図を取り出し、思穂はこのビル前の地点へ大きな丸を描く。二人へのアニメ布教で得られた物は二つであった――。



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第三十話 ~Wonder zone~

「お帰りなさいませご主人様!」

 

 また一人、同志をテーブルに案内した思穂はこなれた手つきでメニュー表を渡した。一礼し、すぐに次のお客さんの元へ向かう思穂の足取りには何の迷いも無い。

 

(あれ? 私、何でバイトしているんだっけ?)

 

 現在思穂はことりと全くデザインが同じメイド服を身に纏っていた。別のテーブルではこれまたメイド服を着た穂乃果が接客をしている。

 

「思穂? どうしたのですか?」

 

 振り向くと、海未が心配そうに思穂の顔を覗き込んでいた。彼女のメイド服である。

 

「ね、ねえ海未ちゃん。どうして私、メイド服着て動き回っているんだっけ?」

「……とうとう脳がやられてしまいましたか?」

「いやいやいや! まだまだイケるよ!」

「はぁ……。昨日言ったじゃないですか。ことりの作詞のヒントを見つけるために、ことりが働いているメイド喫茶で一緒に働いてみよう、と」

 

 ようやく思い出した。全て海未の言う通りであった。場所も決まり、ビルを管理している不動産や警察へビル前で路上ライブをやっていいかどうかの確認を取ったまでは良いのだが、肝心の曲がまだだという事態。

 作曲は真姫だが今回の作詞はなんと、ことりが引き受けているようだ。秋葉原のカリスマメイドたることりならば、きっと秋葉原にふさわしい曲を書いてくれると思穂は全面的にそれを肯定している。

 しかし、やはり慣れないどころか初の作詞であることりのプレッシャーは尋常なものでないのも確か。大分難航しているらしい。

 そこで穂乃果は一策打った。それからは海未の言った通り、秋葉原の事を理解するためにことりが働いているメイド喫茶で期間限定で働くこととなったのである。

 

「おおう! そうだったね! ごめんごめん! 大分頭やられていたよ!」

「お客様はまだまだいます。だらけていてはいけませんよ?」

「了解! よーし! 我が同志達をおもてなししましょう!」

 

 今しがた入ってきた若い男性を空いているテーブルに案内した思穂は早速メニュー表を渡す。

 

「メニュー表でございます!」

「おお! 可愛い!! オムライス一つね! お絵かきはお任せ!」

「かしこまりました!」

 

 頭を下げ、上げる一瞬で思穂はその男性客の“観察”を開始した。椅子の下に置かれている鞄には某超能力を像にした漫画のストラップが付けられ、中には軽音楽部活アニメのツインテールな女の子のポスターらしきもの、そしてチラリとプラモデルの箱が見えた。

 

(……ふうむ)

 

 その箱に書かれたロボットの絵を頭に叩き込んだ思穂は、早速厨房に入り、オムライス作りに取り掛かる。ことりからここのオムライスの作り方は伝授されていたので、思い出しながら、フライパンを振るった。

 

「よし、あとはこのケチャップを……!」

 

 鼻歌混じりに思穂はケチャップを絞り、迷いなく手を動かした。そのプラモデルの作品は以前、思穂も嗜んでいたモノだったので、割と鮮明に思い出せた。

 出来栄えを改めて確認し、自分の中の合格ラインを越えられたことに満足した思穂は男性客の元までそれを持っていく。

 

「こ……これはぁ!?」

「ふっふっふ! どうですかご主人様! かつて私も恐怖した赤と黒のツートンカラーの機体が分からない訳ではないでしょう!」

「ああああ!! トラウマがぁ! 一瞬で機体が溶かされたトラウマがぁぁ!!」

 

 戦いづらいステージ構造の上、『お前機関銃かよ!?』というレベルでぶっ放してくるエネルギーライフル。知っている者ならば恐怖しない訳がない。そんな絵を、思穂は見事精密に描きあげた。ケチャップアートのレベルはとうの昔に越えている。

 

「というか、良く僕がこれ好きだって分かりましたね」

「すいません、プラモデルの箱が目に入ってしまったので……」

「え、でもこれたった一機で企業を相手にした機体なんだけど……」

「ええ。だからこれも知っているかなって」

 

 洞察力に唖然としている男性客に一礼し、思穂はクールに去った。

 

「思穂ちゃん、すごい活躍してるねっ!」

「お、ことりちゃん。お客さんの整理終わったんだ」

「うん! だから思穂ちゃん、休憩入っても良いよ」

「オッケー、じゃあ入るね! ……と、その前に」

 

 スゥーとほとんど足音を立てずに、思穂は遠くのテーブルの男性客の元へ向かった。身動きすらほぼせずに移動する様はどこか拳を極めし者を連想させる、というのがそのテのゲームをプレイしているお客さん達の感想であった。

 

「ご主人様? 申し訳ございませんが、店内は撮影禁止になっていまして……」

 

 そっと、思穂はお客さんがことりへ向けていたスマートフォンのカメラを手で遮った。蛇の道は蛇。こと“こそこそ”することに長けている思穂が、店内の隅かつ微妙な物陰がある絶好の盗撮ポジションを警戒していない訳が無かった。

 そして思穂は更にダメ押しをしてみる。なるべく穏便に、尚且つまた来てもらえるようなニュアンスで。

 

「だから、貴方の心のカメラで撮影してくださいね!」

 

 にっこりと、それはもう思穂が考えうる全力の営業スマイルであった。客の両手を握り、ジッと目を合わせるというコンボ付き。

 

「は、はいい! すいませんでしたぁ!」

 

 すぐに客はデータを削除してくれた。自分に向けられていたら特に気にしない思穂であったが、ことりはあまりいい気分はしないだろう。

 

(また一つ、登っちまったぜ……遠く果てしのないメイド坂って奴をよ!)

 

 要は完全勝利である。少しだけ得意げな思穂は事務室に入り、クイとコップのミルクを飲み干した。勝利の美酒としては最上級。

 

「メールだ。誰だろ……うっ」

 

 相手は綺羅ツバサからであった。色々書かれているが、要約すると『宣戦布告の件はまだかしら?』である。だから思穂も色々書いて返信してやった。

 

「その内、ですよーっと。あとツバサが好きそうな作品、今度貸してあげますよ……とでも書いておくか」

 

 思穂はどちらかというと、追伸の『この間一緒に立ち読みした漫画、面白かったからまた揃えてみることにしたわ』の方が重要であった。漫画トーク出来るのも近いな、と思穂はほくそ笑む。

 

「思穂、貴方も休憩でしたか」

「あ、海未ちゃんお疲れ。どう、慣れた?」

「……正直、人前に出るのは未だ慣れません。そ、それにこんなヒラヒラした格好を不特定多数のお客様に晒すなどと……」

 

 ライブで着ていた衣装より露出度が少ないのに、恥ずかしがる理由がいまいち分からなかった思穂はとりあえず相槌を打っておくだけにした。

 

「……ことりちゃん、作詞イケそうかなぁ」

「それはまだ分かりませんね。ですが、ことりにとってプラスになっているのは間違いないでしょう」

「そっか。善きかな善きかな」

「ところで思穂」

「ん? なーに?」

 

 すると、海未が少々言い辛そうにしていた。口が開いては閉じての繰り返し。……やがて海未は口に出した。

 

「――文化研究部は良いのですか?」

「……良いって何が?」

「とぼけないでください。貴方が今の質問の意味を理解していない訳がありません」

 

 当然理解していた。故に、思穂は全力で話を逸らすために思考を巡らせる。

 片桐思穂にとって、文化研究部の“深い”所は絶対に触れられたくないものであった。上辺の話ならば笑って誤魔化せる。だが、その“先”は違う。

 一言で言い表すなら黒歴史である。それも、まだ笑い飛ばす事が出来ない程の。

 

「思穂ちゃん! 海未ちゃん! 疲れたよー!」

 

 重くなりそうな空気を切り裂くように、穂乃果が事務室の扉を開け放った。その隙を見計らい、思穂は立ち上がる。

 

「あ、そろそろ休憩時間終わりだ! じゃあそろそろ行ってくるよ!」

「思穂!」

「海未ちゃん、笑顔笑顔! それじゃあ穂乃果ちゃんと海未ちゃんの分も頑張ってくるねー!」

 

 強引に終わらせたことの何たる卑怯な事か。思穂は自嘲気味に笑った――。

 

「それにしても、ことりちゃんやっぱりメイド喫茶にいる時って活き活きしているよね!」

 

 穂乃果や海未も休憩時間が終わった頃。思穂と穂乃果とことりは洗い場にいた。海未は穂乃果によって、半ば強引に接客の方に回されてしまっている。

 

「うん! 別人みたい!」

 

 穂乃果が思穂に同意した。口に出さないだけできっと海未もそう思っているはずだ。

 

「なんかこの服着ていると何だか“出来る”って思えるんだ。この街に来ると、不思議と勇気がもらえるの。もし、自分を変えようとしても、この街なら受け入れてくれる気がするってそんな気がするんだ! だから私、この街が好き!」

「ことりちゃん! 今のだよ!」

 

 途端、穂乃果の顔がパァッと輝いた。何に気づいたのか、思穂が首を傾げていると穂乃果がすぐにそれを口にする。

 

「――てことだと思うんだ! どう思穂ちゃん!?」

「……」

「思穂ちゃん?」

「なるほど……そういう考えもあるのか……」

 

 穂乃果が口にした言葉を聞き終えた思穂は、圧倒されていた。それは思穂が恐らく辿りつくことはなかったであろう発想だった。

 

(やっぱり勝てないなぁ)

 

 相変わらず自分の想像の更に上を行く穂乃果に思穂は敗北感を感じてしまった。だが、それは勝手に感じている一方通行な感情なので、上手い具合に飲み込むことにした。億尾にも顔に出さないように――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「おお……良い感じに人が集まっているね」

 

 遠巻きに眺めながら、思穂はチラシによる地道な宣伝効果を確認する。

 

「思穂さん!」

「お、二人とも来たね」

 

 思穂は手を振って、雪穂と亜里沙を迎えた。開始時刻直前の丁度いい時間だ。

 

「思穂さん、お姉ちゃん達は?」

「あそこあそこー。あ、亜里沙ちゃん、そこ見える? 私の位置、良い具合に見えるからどうぞー」

「ありがとうございます! わぁ! 雪穂見て! 海未さんやっぱり可愛い!」

「ああ、そう言えば亜里沙ちゃんって海未ちゃん推しだったっけ?」

 

 数日経ち、今日はいよいよ路上ライブの当日である。

 通りを歩いている通行人が何かイベントの予感を感じ取り、足を止めたり、遠くから様子を伺っている人もいた。まだ何人かいるが、そのどれもがチラシを握っていた。

 既に穂乃果達はビル前にスタンバイしている。それだけでなく、今回の衣装は何と“メイド服”だった。秋葉原が舞台ということを考えれば、これ以上にないぐらいふさわしい衣装であるといえよう。

 

「皆さんこんにちは! μ'sです!」

 

 時間に差し掛かったのを確認した思穂が両手で丸を作ると、穂乃果の挨拶が始まった。

 

「今日は皆さんにもっと私達の事を知ってもらいたくて、路上ライブをやることにしました! だから、最後まで楽しんでいってください!」

 

 すると、穂乃果が脇に逸れ、代わりにセンターへ移動したのはことりであった。

 

「ほら、始まるよ」

「はい!」

 

 亜里沙が握り拳でも作らんばかりに全身に力を込め、ただμ'sのライブに浸る為の準備を開始していた。雪穂は亜里沙程では無いものの、ジッとμ'sの方を見ている。

 

「――――!」

 

 ことりの歌い出しで、その曲は始まった。変わっていく景色、変わって行きたい自分、駆けだしたい気持ち。『自分を変えたい』ということりの気持ちが十二分に引き出された非常に良い歌詞だ。

 『どんなものでも受け入れてくれる街』。秋葉原をことりはそう評した。常に変わっていく街の景色、だけどそれは歪では無く、“街が生きている”というハツラツさの表れ。

 あらゆる物を受け入れてくれる懐の深さと、あらゆる物を押し流していく厳しさを持ち合わせているこの秋葉原は、思穂にとってオタクライフの原点とも言える街である。故に、ことりのこの歌詞がストレートに心へ響いてくる。

 ある意味同じで、ある意味真逆。“変わる”というのはそう簡単なことではない。その事を、思穂は良く知っていた。自分がそうだったのだから。

 

(……大丈夫。焦らなくても、きっと必ずやれるよ!)

 

 むしろ、と思穂はこの間の海未の言葉を思い出していた。

 

(私が……だよね。人の事応援している場合じゃない、か)

 

 自分は“変われた”側だと思っていたが、ことりを見ていると、まだまだ変わりかけだということを痛感させられてしまった。いつまで逃げている訳にはいかない、と簡単に思えるあたり、まだ甘い。

 

(『Wonder zone』……。私もいつかきっと……)

 

 ――『Wonder zone』。それは、始まりと変化に溢れたおもちゃ箱のような街の名前である。そんな街の中で片桐思穂は独り、取り残されたような気がしてしまった。



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第三十一話 先輩禁止

「――すいまっせんしたぁ!」

 

 某駅の中で思穂は九人に頭を下げていた。待ち合わせ時間に十分ほど遅れての社長出勤である。これが何かかしらのやんごとなき事情ならばまだ笑って許されたのだが、海未の張り付いた笑顔がその理由の下らなさを物語っている。

 

「私言いましたよね? 徹夜してアニメ鑑賞していたら絶対に寝坊する、と」

「え、ええ……まあそんな感じの事を仰ってましたね、ハイ」

「それを知っていながら貴方と言う人は……!」

「ごめんなさーい!! ほんっと反省してますからー!! 合宿の待ち合わせに遅れてほんとごめんなさい!」

 

 何を隠そう、今日からμ's初の合宿である。

 話が持ち上がったのはつい先日の事だ。最近炎天下が続いているこの季節、屋上での練習がそろそろ洒落にならないレベルでしんどい物になって来たのだ。照りつける太陽で熱せられたコンクリートの舞台はそのまま焼肉が出来るのではないかというレベル。メンバーの汗が地面に着くたびに蒸発していく様は見ていて飽きない。そこで出たアイデアこそ、合宿であった。

 だが、肝心なのはお金と場所。時間は確保できるにしても、この二つが最大の難問であった。

 

「とまあ、謝罪はそこそこに。ほんとに私も来て良かったの?」

「もちろん! 思穂ちゃんはマネージャーなんだし!」

「いや穂乃果ちゃん私、“もどき”だから。だから今回は九人で……」

 

 思穂が言い切る前に、にこが口を挟んだ。

 

「しつこいわねーあんたも。良いってんだから良いでしょ。それとも、にこ達と行きたくないの?」

「う……それを言われると弱いですね……」

「別に良いんじゃない? 九人だろうが、十人だろうが、部屋は余っているんだし」

 

 話はお終いとばかりに、真姫がそう言って思穂の意見を切り上げた。そう、今回の合宿先は真姫の別荘なのである。真姫が両親へ交渉し、その結果別荘の使用許可が下りたのだ。これで合宿先の経費がだいぶ浮き、後は食糧費などのちょっとしたお金を皆で出し合えば、立派な合宿へと変化する。

 

「ま、真姫ちゃんが珍しく天使に見える……。いつも小悪魔って感じなのに……」

「べっ! 別に天使とかじゃないし……!」

 

 口ではそう言うが、逸らした横顔はほんのり赤く染まっていた。どうやら褒められるのは苦手なようだ。雑談もそこそこに、絵里が話をしたいらしく、パンパンと手を叩いた。

 

「はいはい。そろそろ出発時間も近いし、行く前にちょっと提案したいことがあるんだけど、良いかしら?」

 

 視線を一手に集めても物怖じしない絵里の姿はやはり生徒会長といった所だろう。しかし、思穂はその次に出た言葉によって固まってしまった。

 

「これからは先輩禁止で行こうと思うんだけど、どうかしら?」

 

 思穂だけでなく、他のメンバー……正確には一年生と二年生から驚きの声が上がった。驚かない方が無理だろう。何せ学校社会においてある意味最上級の礼儀と言われる“先輩”を禁止しようという提案が、他でもない絵里から出されたのだから。

 

「……もちろん、先輩後輩の関係も大事だけど、踊っている時にそういうことを気にしちゃ駄目だから」

「あ……ああ! 分かります分かります! やっぱり三年生だから、て意見を飲み込んでしまう場面が多々見受けられますよね~」

「確かに思穂の言うとおりですね。私も三年生に合わせてしまう所がありますし」

「そんな気遣い少しも感じないんだけど……!?」

「それは、にこ先輩が上級生って感じがしないからにゃ」

 

 時々、凛の言葉にトゲを感じるのは恐らく気のせいでは無い。無邪気さ故の特権とでも言えば良いのか、むしろそのトゲ塗れになりたいと少しばかり思ってしまった思穂である。

 

「上級生じゃないなら何なのよ!?」

 

 そうにこが聞いてしまったのがいけなかった。次々に飛び出るにこの評価。色々出たが、まとめると“末っ子”ポジションである。確かに背が小さいし、体つきも色々残念。案外的を得た評価、というのが思穂の結論だ。

 

「じゃあ早速始めるわよ、穂乃果」

「は、はい良いと思います! え……えぇ……ぇ絵里“ちゃん”!」

「うん!」

 

 絵里が笑顔で頷いたのを見届けた穂乃果は大きく溜め息を吐き、緊張を全て吐き出していた。穂乃果に続き、凛がことりを“ことりちゃん”と呼んだ。もちろん満面の笑みのことりである。

 

「ていうか珍しいわね思穂、あんた今日あんまり喋ってないじゃない」

「うぇ!? い、いやそんな事は無いですよ、にこ先輩!」

「もう絵里の提案忘れた?」

 

 少しばかり意地悪そうに笑みを浮かべるにことは裏腹に、思穂は全身から汗が噴き出ていた。そんな状態を見透かされない様に思穂は“先輩禁止”を実行する。

 

「……あ、う……」

「なぁに~? にこ、聞こえな~い!」

 

 口をパクパクさせるも、声が出ず、それに伴い体温も不思議な上昇をしていっている。いつもなら回る頭も真っ白になり、手持無沙汰になり妙なジェスチャーまで始める始末。

 

「あ、……あぅぅぅ……」

 

 とうとう顔が真っ赤になり、思穂は頭から蒸気機関車のように湯気が出てしまった。駄目だった。ちっとも声にならない。思穂はつい喉元に手を当ててしまった。その姿に、思わず希が口を開き、真実を射抜いてきた。

 

「もしかして思穂ちゃん、照れてるん?」

「うっ…………! そ、そんなことないですよー! やだなぁ! 余裕ですよ余裕!」

「じゃあ、やってみなさいよ先輩き・ん・し」

「に……に……に、にゃ~……」

 

 はっきりと言えば、思穂は完全に動揺していた。絵里や希相手ならともかく、にこは本気で尊敬している相手なので、畏れ多いというのが本音である。たった一人で戦い続けてきたにこの背中はとても大きい。そんな相手に、半端な態度を取りたくないのだ。

 ふと目を落とすと、腕時計は出発時間に差し掛かろうとしていた。

 

「あぁ! ほら、そろそろ時間がマッハですよ! 行きましょう行きましょう!!」

 

 半ば逃げるように走り出す思穂を追いかけ、μ'sメンバーが駆けだした。走る思穂の顔は未だ紅くなっていた。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「で、デカァーいっ説明不要!!」

 

 真姫以外のメンバーはひたすら圧倒されていた。別荘の大きさは思穂の想像以上のものだった。こういう家をお宅訪問する番組を見たことがあるだけに、どこかまだ現実として受け入れられていない。

 

「そう? 普通でしょ」

「真姫ちゃん、お金持ちにゃあ……」

 

 早速真姫の案内で皆は部屋に荷物を置くことにした。ベッド付きの部屋が複数あるとか滅茶苦茶広いだとか、もうどこかのホテルだろ、なんて思いながら思穂は手近な部屋に入ってベッドの近くに荷物を置いた。

 

「思穂もここにしたのね」

「あ、にこせんぱ……」

「に・こ・にー」

「う、ううう…………」

 

 にこに主導権を取られるというのが凄く屈辱だが、ネタがネタなだけに言い返し辛い。やはり顔が熱くなってしまう。

 

「意外よね。あんただったらすぐ先輩禁止に慣れると思ってたのに」

「あはは……。まあ思う所があるんですよ。そのうち言えるようになるとは思うんですが」

「言っとくけどその敬語もよ」

「う、あああ! 駄目だぁ! 調子が狂うー!! 絵里先輩の馬鹿ー!!」

「誰が馬鹿ですって?」

 

 ヌッと入口から絵里が顔を覗かせてきた。笑顔だが、その心中は推して知るべしといった所。

 

「あ、え……え……」

「んー?」

 

 どうやら自分は思った以上に上下関係を重んじていたらしい。穂乃果や凛は直ぐに馴染んだというのに、これでは他のメンバーも先輩禁止しづらいだろう。

 

「すー……はー……すー……はー……」

 

 意を決し、思穂は絵里の顔を見ながら、口を動かした。

 

「――えり、ちゃん。絵里“ちゃん”……」

「ハラショー! よく出来ました」

「うっひゃあ、穂乃果ちゃんの気持ちがよく分かる……」

「でも、それと私を馬鹿呼ばわりをした件は別よ?」

「うわあ! 忘れてた! にこちゃん、助けて!!」

 

 すると、にこの表情がフッと緩んだ。

 

「言えたじゃない。にこ“ちゃん”って」

「あ……」

 

 要はキッカケの問題だったのかもしれない。勇気を出して読んで、自分の中で吹っ切れたのだろう。余りにもスムーズに言えたので、自覚がないが、それでも言えたことには変わりない。噛み締めるために、思穂はもう一度にこの名前を呼んだ。

 

「こ、これからも……よろしくおねが、よろしくね……? に、にこちゃん」

「しょーがないわねー。よろしくされてやるわよ思穂」

「うん!」

 

 にこと絵里と一緒に下に降りると、そこからは別行動になった。何せ広い別荘だ。それぞれ、色々と把握しておきたい場所がある。

 

「いやあ……ほんと広いなぁ……。某金髪ツインテのお嬢様のお屋敷には負けるけど、大きいよなぁ」

 

 庶民目線で行くと、まずトイレの大きさだ。自宅の二倍はある広さにむしろ落ち着かなさを感じてしまう。おまけに厨房も大きい。その辺の飲食店クラスはあるだろう。大広間もふかふかのソファやセンスの良い観葉植物が配置されている。

 

「思穂ちゃんも見学?」

「あ、希……ちゃん」

「お、さっきは顔真っ赤にしてたけど、ようやく言えるようになったんやね」

「あ、あはは。それはまあ言いっこなしで。割と度胸がいるんですよ」

「これで少しは皆と近づけた?」

 

 笑みを浮かべ、そう尋ねる希に、思穂は困ってしまった。本当によく見ている先輩だと改めて感じる。

 

「まあ、物理的にお近づきになれた方が私的には嬉しいんだけど、って感じかな?」

「そうやって誤魔化すのは悪い癖だと思うよ?」

「あら、思穂に希じゃない」

 

 軽く手を振りながら絵里が近づいてきた。絵里は一人で色々と見回っていたらしい。

 

「エリち。もう見学は良いん?」

「ええ。大体把握したわ。それにしてもここは本当に良い場所ね。真姫に感謝しなくちゃ。それに、練習も出来そうだし」

「練習……って中でもやるんですか? ……やるの?」

 

 途中まで言った所で、絵里が片目でウィンクをしてきた。それで敬語に気づいた思穂は何とか頭を切り替え、砕けた調子に変えた。

 

「ええ。海に来たとはいえ、あまり大きな音を出すのも迷惑でしょう?」

「もしかしてエリち、歌の練習もするつもり?」

「もちろん。ラブライブ出場枠が決定するまであと一か月もないんだもの」

「やる気やね。……ところで、花陽ちゃんはどうしてそんな隅っこにいるん?」

 

 希の視線を辿った先には観葉植物の陰に隠れた花陽が居た。花陽には悪いが、正直全然気づけなかった。

 

「ひ……広いと何だか落ち着かなくて……」

「分かるよ花陽ちゃん! 私も隅っこの方が落ち着くんだ!」

「思穂、ちゃんも……?」

「うんうん! むしろ暗くてジメッとしたところが私の心の故郷って感じだよ! 私の部屋もそういう感じだし!」

 

 思穂の部屋が狭いと言う訳ではないが、割と沢山の物に囲まれているのもあり、妙な圧迫感が部屋にはあった。広いと何だか持て余してしまうのだ。

 

「でも花陽ちゃんと思穂ちゃんの言うことも分かるかも。ウチも広い場所は苦手や」

「へー。希ちゃんなら狭い所嫌なのかと思ってた」

「そんなことあらへんよ。程よい狭さがウチには丁度いいんよ」

 

 何となく、何となくだが、思穂は希の笑みが悲しそうに見えてしまった。だが、この楽しい合宿が始まろうとしている時に、そんな野暮なことは聞くものではないとあえて思穂は何も知らないフリをした。

 

「そう言えば、これから練習だよね」

「ええ。この合宿中の練習メニューは海未が考えてくれているわ」

「……あ、ああ。だから海未ちゃん妙に張り切っていたんだね」

 

 妙に海未が活き活きしているように見えたのはやはり気のせいでは無かったのだ。ならば、と思穂は早速持ってきていたスポーツドリンクの粉を活用しなくてはならないとぼんやりと計画を立てていた。

 鞄からはみ出ていた丸まったポスターのようなものは恐らく拡大した練習メニューだろう。大和撫子という周りの評価とは裏腹に、意外と体育会系の海未は“こういう時”、普段の三割増しは気合いが入る。マネージャーで良かったと、本気でそう思えた。

 

「皆、ここに居たんですね。そろそろ練習を始めようと思うので、外に出てください」

「ええ、分かったわ。行きましょ希、花陽」

「頑張ってねー、私も応援しているよー」

 

 すると、海未が首を傾げる。その一動作を見た瞬間、思穂は全身から嫌な汗が噴き出てしまった。こういう時の嫌な予感は大体当たるものだ、絶対に。

 

「何を言っているんですか? 思穂も参加してもらいますよ」

「……へっ!? ちょっと何を言っているのか分からない」

「練習以外、いつも自宅に籠もっている貴方の身体が鈍っていないはず無いでしょう。良い機会なので、みっちり鍛えてあげます」

 

 等と思っていたら、予感が当たってしまった。愛すべき体育会系がどんな鬼メニューを用意しているのか、今から不安でしょうがない――。



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第三十二話 真夏のお約束

「これが! 合宿での練習メニューになります!」

 

 そう言い張り出したメニュー表を見て、思穂は若干引いた。メニューの内容では無く、練習量にだ。一体どこのアスリート養成プログラムを参考にしたのかは分からないが、これは些か気合いが入り過ぎていた。

 

「って、海は!?」

「……私ですが?」

「違うそうじゃない。そうじゃないんだ海未ちゃん」

 

 そこまであからさまに泣き言を言うようなメンバーはこの中にはいないが、この明らかに殺しに掛かっているような練習内容に海未以外は全員顔をしかめた。あの絵里でさえ、何も言えずにいる。

 そんなこともつゆ知らず、海未は語りだした。

 

「最近、基礎体力を付ける練習が減っています。折角の合宿ですし、ここでみっちりやっておいた方が良いかと思いまして! スポーツ関係の本を読み、皆が身体を壊さない程度の練習量を弾きだした結果がこれです!」

「え、遠泳十キロって……」

「その後にランニング十キロ……!?」

 

 穂乃果とにこが絶望したような表情を浮かべていた。流石にやり過ぎ感を感じたようで、絵里が口を出した。

 

「これは……皆、保つのかしら?」

「大丈夫です! 熱いハートがあれば、やれないことはありません!」

「うわっ! 何か海未ちゃんがすっごくめんどくさいぞ!」

「思穂! 先ほども言いましたが、貴方もやるんですよ! ファイトーオー!」

 

 正直に言えば、やれる。やれてしまう。限定生産のアニメグッズを手に入れるためには体力は必要不可欠。グッズを求め、ランニングで県を跨げないようではオタクとしては力不足というのが思穂のこだわりである。通販は本当に切羽詰まった時の最終手段、それ以外は基本走ったり交通機関を用いて直接店頭へ出向くのだ。

 

(よーし、こうなったら……!)

 

 穂乃果も考えていることは同じだったようだ。アイコンタクトを交わすと、すぐに意見が一致し、二人の視線は凛の方へ。こういう時、何のためらいも無く行動を起こせる人材こそが強い。

 

「あー海未ちゃん! こっちこっちー! ほらあそこー!」

 

 凛が遠くに引っ張り出した瞬間、絵里、希、真姫以外が海の方へ走り出した。一瞬でも野に放してしまった時点で、海未の負けである。もう、後は成り行きに任せる。

 絵里も止めるつもりは毛頭ないようだ。

 

「まあ、仕方ないわね」

「良いんですか、絵里先輩? あっ……」

 

 すると、絵里が片目を瞑り、人差し指をピッと立てた。それで海未が気づいたのか、口元に手をやり、小さく謝った。押される海未は非常に珍しいため、思穂は心のシャッターに収めておいた。

 

「μ'sはこれまで部活色が強かったから、こうやって遊んで、先輩後輩の垣根を取り去るのも大事な事よ?」

「絵里せんぱ……ちゃんの言うとおりだよ海未ちゃん。今日はアイスブレークの日と言うことで! 楽しまなきゃ損だよ!」

「おーい! 海未ちゃーん! 絵里ちゃーん! 思穂ちゃーん!」

 

 花陽が元気いっぱいに皆を呼んでいた。まだ煮え切らない海未に、思穂はとうとう痺れを切らす。

 

「よっし! 絵里ちゃん希ちゃん真姫ちゃん! この鬼軍曹をさっさと引きずり込もう!」

 

 鞄からビデオカメラを取り出した思穂は、海未の手を引き、走り出した。実は新しいPVの材料を確保するためにあらかじめ持ち込んでいたものである。本来は練習風景を撮影するためのものであったが、この状況はまるで話が変わってくる。

 

(これは……! 私に風が吹いた!)

 

 海と来たら海未では無い、海と来たら水着なのだ。冷たい海、照りつける日差し、白い肌、色とりどりの水着。鼻血を出さないのが奇跡でしょうがない。

 そうこうしている内に、皆水着に変わっていたので、思穂は走った。日頃のオタク活動で鍛えられた脚力をフルに活かすのはこんなことぐらいだろうな、と何だか虚しくなってしまったのは内緒だ。

 

「て、天国ッ……! これが、天国だと言うんだね!?」

 

 海で遊んだり、ビーチパラソルの下でくつろいでいたりするμ'sメンバーを見て、思穂は震えていた。美少女が水着ではしゃぐことの何たる贅沢な光景か。

 思穂は手が震えるのを何とか抑えながら、ビデオカメラの電源を入れ、それぞれをカメラに収める。

 

(まずは我らがリーダーっと)

 

 穂乃果は白と青のストライプ柄のビキニであった。オレンジ等の明るめの色が似合うイメージだったが、落ち着いた色もこれはこれで乙なものである。一番活き活きしている穂乃果の姿は思穂の心を癒してくれた。余韻もそこそこに、近くで睨み合っていた希と海未へカメラを向ける。

 

(海未ちゃんと希ちゃん。これはこれで、ある意味贅沢な組み合わせと言うか何というか……)

 

 水色の水着の希、白い水着の海未、色合いもそうだが、特筆すべきは胸部の差だろう。たった一歳違うだけで、何故こんなに差があるのか、本当に不思議でしょうがない。腕を交差させることによって、必死に希の視線を遮ろうとしている海未の何と涙ぐましいことか。

 これ以上見てはいけない、と直感した思穂はビーチパラソルの下でくつろいでいる真姫と、張り合っているにこへカメラを向ける。

 

「にこちゃーん、リーチが足りてないよー」

「うっさい! ていうか何撮ってんのよ!?」

 

 つい先ほどまで、『PV撮影~? またこのにこにーの可愛さが世間に知られてしまうのね~!』と言っていた矢澤にこ様である。今自分が割と酷い顔になっているという自覚の元、思穂は隣の真姫へカメラを向ける。

 ピンク色の水着のにこ、パープルレッド色の水着の真姫。似たような水着を纏っているはずなのに、どうしても真姫の方が三年生なんじゃないかという錯覚に陥ってしまう。

 

「そんなことよりもほら、そこの真姫ちゃんはスラッとしたいい脚を組めているのに、あのにこにーが組めないってどうなんですかー?」

「く、くぉの~……!!」

 

 何とか組もうとしているのは分かるが、やはりリーチが足りない。結果は分かり切っているので、とりあえず思穂はしゃがみ込み、真姫の脚を眺めることにした。

 

「ちょ、ちょっと! 何ジロジロ見てんのよ!?」

 

 眺められなかった。直ぐに真姫が起き上がり、思穂を睨んできたのだ。

 

「違うよ! ジロジロじゃないし! 堂々とだし! っと」

 

 後ろから嫌な予感がしたので、避けてみるとビーチボールが横切り、にこに直撃した。日ごろの行いが良いからだろう。この偶然をそう結論づけ、不幸にも顔面へモロに喰らってしまったにこの元へ歩み寄った。

 

「……大丈夫ですか? 大丈夫?」

「助けなさいよ!」

「何か反射的に動いてしまって……あっはっはっ!」

 

 そうしていると、穂乃果がにこへ手をぶんぶんと振ってきた。

 

「おーい! にこちゃーんもやろうよー!」

「ふん、そんな子供の遊び誰が――」

 

 直後に皆から振り掛かる挑発の数々。元々そんなに我慢強くないにこがいつまでも聞き流せるはずも無く、むしろ凛の第一声で“その気”になってしまった。近くに落ちていたビーチボールを抱えると、にこは穂乃果達の元へ走って行った。

 そんなにこの後姿を見送りながら、思穂は真姫へ再び視線をやった。

 

「真姫ちゃんは行かないの?」

「私は……別に」

「運動が苦手って訳じゃないよね?」

「当然でしょ。ダンスだって遅れているつもりはないわ」

 

 軽いジャブ程度のやり取りで思穂は確信した。遠くでは希と絵里がこちらを見ているのが良く分かる。どうやら思っていることは一緒らしい。

 

「……難しいよねー」

「……何が?」

「人付き合いってさ」

「貴方が言う?」

「私だからこそ言えるんだよ」

 

 真姫は首を傾げた。

 

(何ソレ。何かの嫌味?) 

 

 真姫の眼から見て、片桐思穂は自分と正反対な人間だと思っていた。初めて会った時から思っていたことである。水と油、μ'sに入っていなかったら恐らく一生関わることがなかったであろう人間と言っても言い過ぎでは無い。

 自分の眼から見て、社交性の塊であるそんな相手が、まさかの『人付き合いは難しい』発言をすることが、真姫には信じられなかった。

 

「まあ、私から言えることは一つだよ。頑張って!」

 

 何を、とはあえて言わなかった。チラリと、一瞬だけ希の方へ視線をやった思穂は、これ以上何もいう事はなく、穂乃果達の元へ歩いて行こうとする。だが、その前に立ち止まった思穂は真姫に背中を向けたまま、言う。

 

「ちなみに今真姫ちゃんが読んでいる奴、面白いよね。私その作者の作品は大体記憶しているよ! 今度オススメ教えてあげるね!」

「ほんと、無茶苦茶よ」

 

 割とマイナーな作者のはずだというのにそう言い切った思穂の後ろ姿を見て、真姫は呆れが混じった溜め息を吐く――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 遊びに遊んであっという間に陽が落ちようとしていた。別荘に戻って最初にやることと言ったら夕飯づくりだ。だが、ここでちょっとした問題が発生してしまった。

 どうやら調理場所はあるが、どうやら食材などはないらしい。半ば押しかけたようなものなので、それに一切の不満はないが、調達場所が少し遠いらしい。

 

「スーパーが遠いって割と不便だねー。ようし、ならこの片桐思穂、ひとっ走り――」

「何言ってんのよ。スーパーの場所分かってるの?」

 

 真姫が半目でバッサリ切った。この辺りの地理に詳しい者は真姫一人しかいないのだ。当然、思穂も知らない者の一員である。

 

「私が一人で行ってくるから、皆は休んでて」

「……いいや、それは駄目だね」

「え……?」

「一人で面倒事背負う必要ないよ。何のための私さー。私も付いて――」

「ウチが付いて行く!」

 

 思穂の言葉を遮ったのは意外にも希であった。……いや、むしろ予想通りと言った方が良いのかもしれない。

 

「たまにはええやろ? こういう組み合わせも!」

 

 有無を言わさず、希が真姫の手を掴み、さっさと出て行ってしまった。本来なら付いて行くのが筋なのだろうが、あのタイミングで手を挙げたということは二人で話したいことがあったのであろうということで。

 

「行っちゃった」

「行っちゃったねぇ。あ、こんな時間だ。う~ん二人の帰る時間を考えるなら……三十分くらいかぁ」

「何の時間?」

 

 絵里の質問に、思穂は事前に下ろしていたミニバッグの中身を見せることで回答とした。

 

「これは……勉強道具?」

「そうですそうです。三十分だけ勉強したいなぁって」

「し、思穂ちゃん勉強するの……?」

「ひ、ひぃ……!」

 

 穂乃果とことりがあからさまに怯えるのを見て、思穂は少しばかり傷ついてしまった。ただ勉強しているだけなのに、海未はともかく何故かことりと穂乃果には怖がられてしまうのだ。

 

「二人とも、何をそんなに怯えているの?」

「え、絵里ちゃんは分からないんだよ! 勉強している時の思穂ちゃん、すっごく怖いんだよ!」

「え~……本人の目の前で言うー?」

 

 団らんの時間を邪魔するつもりは毛頭ないので、だから、思穂はとりあえず個室に向かおうとした。だが、そうしようと思っていたら絵里に止められた。

 

「待って。もし差支えなかったら、ここでどうかしら? ……少し興味があるわ」

「ほ、本気で言ってます?」

「にこもあるわ! あんたの勉強法を真似すればきっとにこも……! ふ、ふふ……ふふふ……!」

 

 とても悪どい顔をしているのはきっと幻覚ではないだろう。周りを見ると、怯えている穂乃果とことりを除いて、興味津々と言った目で思穂を見ていた。話を聞きつけた凛と花陽まで来てしまう始末。

 

「……考え直した方が良いと思いますが」

 

 最後にやって来た海未が、事情を把握するなりそう忠告するが、一年生と三年生コンビはまるで聞く耳持っていなかった。いつまでも勉強に手を付けないのも落ち着かないので、思穂はようやく諦め、その場で勉強することに決めた。

 

「まあ……勉強するだけだから別に良いよね……。悪いこと、じゃないよね?」

 

 ソファに腰を下ろし、勉強道具と持ってきていた電波時計をテーブルに置き、タイマーをセットする。そして、思穂は深呼吸をすると――“入り込む”。

 

「――――」

 

 思穂を入れて、八人も同じ空間にいるはずだというのに、その中は“無”に包まれていた。それと同時に極度の緊張が思穂以外に纏わりつく。

 勉強中の思穂はずっと口を動かし続け、手を動かし続け、目を動かし続けていた。見て、口に出して、手で書いて覚える。この単純ながら重要な工程を高速かつまるで儀式かのように慎重にこなしていく様は、思穂以外をひたすら圧倒する。

 花陽と凛、にこ、おまけにことりと穂乃果に至っては気を失いそうになっていた。しかし絵里と海未は違う視点で思穂を見ている。

 

(相変わらず刃物を首筋に当てられているような感じがして、落ち着きませんね)

(……ハラショー)

 

 二人はその尋常では無い集中力に目を細め、同時にどうして普段これくらい真面目に授業を受けないのだと憤慨していた。常時これくらいの授業態度で勉学に励むとするなら、きっと入れない大学はないだろう。

 そんな二人の思いは、思穂には全く届いていなかった。今の思穂は完全に周りの音や気配、その他全てをシャットアウトしていたのだ。完全なる無。この身はただ、吸収するべき事柄を吸収するためのモノと化していた。

 息も詰まりそうな三十分は早い物で、小気味良い電子音がその静寂の終焉を告げた。

 

「よーし終わった! 皆、勉強終わった……よ?」

 

 海未と絵里以外が隅っこで震えていたのを見て、思穂はがっくり肩を落とした。また怖がらせてしまったのかと。だが、ある程度受け入れていた思穂は案外あっさりとした考えに辿りつく。

 

(やっぱり勉強は個室で一人でに限るなぁ)

 

 能天気に、そう結論付けた思穂はとりあえずトランプでもやろうかとミニバッグを漁り始める――。




「プロローグ」の後書きに主人公「片桐思穂」のキャラ絵が追加されました。


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第三十三話 日の出

「ほら思穂、レタスにトマトその他諸々! これでサラダ作りなさい!」

「い、イエッサー!」

 

 今は独り暮らしなので最低限の料理スキルはあると自負していたが、それでもにこの手際の良さには負けてしまう。今日のメインディッシュであるカレーは既に煮込みの段階に入った。

 思穂はとりあえず手早くレタスを千切り、それなりに盛り付けていく。

 

「思穂、灰汁取り! それとご飯がそろそろ炊けるから気にしてなさいよ!」

「はいはーい」

 

 本来ならば料理当番はことりであった。当然、不公平が無いように、厳正なくじ引きによって決められたものである。

 

(にこせんぱ、ちゃんがすっごいウズウズしていたからいつ言い出すかと思ったらいきなりだもんなぁ)

 

 ことりが料理下手と言う訳では断じてない。根本的に分野が違っていただけなのだ。サービス業であるメイド喫茶で働いていることりは一つ一つの料理を丁寧に出さなければならない。それとは裏腹に、にこは“そういう”のを気にしていたらどんどん自分の時間が無くなってしまうような家庭にいる。

 たったそれだけの違いである。ことりの手つきを見たにこが、様々な調理スケジュールを弾きだした結果、遅くなると判断したからこそ、にこはことりの代わりに料理当番となった。当然、マネージャーである思穂はそのヘルプ。

 

「う~ん……本当はもうちょっと寝かせたい所だけど、まあ皆お腹空かせているだろうし、この辺で良いわね」

「お疲れ様ーにこちゃん。結局、サラダ作りしか手伝えなかったね」

「もうちょっと腕上げなさいよー? ま、このにこにー特製カレーを越えるのはずっと先でしょうけどね!」

「あっはっは……にこちゃんレベルはちょーっと修行が必要なんだよなぁ」

 

 ご飯も炊け、待ちに待った夕食の時間である。今日の献立はカレーライスとサラダ。こういう合宿の定番と言っても良いだろう。

 

「はぁぁ~! お米がキラキラ輝いているよぉ!」

 

 一番目が輝いていたのは花陽であった。ちなみに本人たっての希望で一割増し多くご飯をよそっている。その小さな体の一体どこにあれだけの量のお米が入っているのか不思議でたまらない。

 

「花陽ちゃん、カレーはおかず派? お茶碗にご飯だなんて――」

「気にしないでください!」

 

 よほどこだわりがあるようだ。花陽にしては珍しく強気な態度で、思穂の問いかけをシャットアウトした。

 

「にこちゃんって料理上手だよね~!」

 

 穂乃果の素直な賞賛に、にこも満更では無いと言った態度だった。むしろ得意げ、と言い直した方が適切かもしれない。

 そんなにこの態度に疑問を持った者が二人いた。

 

「あれ? でも料理したこと無いって言ってたよ?」

 

 ことりの何気ない一言に、思穂はスプーンを思わず止めて、聞き耳を立てる。トドメとばかりに、食事の手を止めた真姫がことりの言葉を肯定した。

 

「言ってたわよ。いつも料理人が作ってくれるって」

「いやいやそんなまさかー! だっていつもにこちゃん――」

「――思穂? “お代わり”あるけどどうする?」

 

 顔は笑顔なのだが、目が全く笑っていない。頬が僅かに引き攣っている所を見る限り、相当抑え込んでいるようだ。あと少し口を滑らせたら、確実に後で何かされる。

 数瞬の思考運動の後、思穂の背中から冷や汗が吹き出した。恐らくにこの事情を知っている者は、この中で自分たった一人だろう。何回か遊びに行った――押し掛けたと言った方が正しい――ことがあるので、既に家族とも友達だ。

 割とデリケートな問題であるため、思穂は素直に小さくコクコクと頷く。

 

「い……頂きます!」

「よろしい」

 

 口は災いの元。この瞬間程、それを強く感じたことはない。とりあえず食べることに集中することにした――。

 

「ご馳走様ー! いやー美味しかったよ!」

 

 三十分ほどで、皆食べ終えた。穂乃果がニコニコ顔で両手を合わせる。それはとても素晴らしいことだったが、今の思穂はご飯を何杯もお代わりして、海未に諌められた花陽の方に目がいっていた。

 ご飯が好き、というのは凛から聞いたことがあるが、実際食卓に着くと何というか……すごかった。某スマッシュ兄弟でピンクの悪魔と恐れられていたあの真ん丸を連想するぐらいにはパクパクと食べていたのだ。

 

「いやぁホント見ていて気持ちの良い食べ方だったね。私も作った甲斐があるってもんだよ!」

「何言ってんのよ、にこでしょ!」

「は……恥ずかしいです……」

 

 自分でも食べ過ぎたという自覚はあったのか、顔を紅くして俯いていた。半目で睨んでくるにこはとりあえず視界の端に置いておくことにした。

 皆のお腹が良い具合に膨らんだところで、凛が非常に魅力的な提案をする。

 

「よーし! じゃあ花火をするにゃー!」

「お、良いねー! 皆も行ってきなよ! ここは私が引き受けた! 行っておいで!」

 

 夏と言えば花火、花火と言えば浴衣、浴衣と言えばうなじという式が組み上がっていた思穂は早速皆を促した。万分の一の確率で、浴衣姿が見られるかもしれない。着替える時間を与えるという意味でも、思穂は素早く片付けるための算段を組み立てる。

 だが、思穂は失念していた。天下無敵の生徒会長であり、公平の塊である絵里がそんな事を許す訳が無かった。

 

「駄目よ。そういう不公平は良くないわ。皆も、自分の食器は自分で片づけてね」

「それに、花火よりも練習です」

 

 海未の一言に、皆が固まった。絶対言うと思っていただけに、思穂は小さく苦笑する。

 皆の空気を察したことりがやんわりと言った。

 

「でも……そんな空気じゃないっていうか、穂乃果ちゃんはもう……」

 

 皆まで言わなくても分かっていた。ソファに寝転がり、ここに居ない妹にお茶を要求している辺り、だいぶグータラモードに入ったのだな、と思穂は穂乃果をぼんやり眺める。

 

「じゃあこれ片付けたら私は寝るわね」

 

 そう言って、真姫が食器を持って立ち上がった。単純に、明日に備えて、体力を回復したいという意味だけでは無いことが彼女の表情から読み取れてしまい、思穂は唇を突き出した。

 

「えー! 真姫ちゃんもやろうよー花火ー」

 

 そこからは凛と海未のバトルが始まった。花火か練習か。凛はともかく、海未は十割本気で言っているため、性質が悪い。このいい感じにリラックスした空気の状態で練習は相当に難儀な事だろうと予想される。

 とうとう凛は花陽を味方に付けようとしだした。

 

「わ、私はお風呂に……」

 

 ここで第三の意見を出すあたり、花陽である。互いに収める気のない意見。こういう時、どうしたら良いか。答えはもう決まっていた。

 

「よし寝よう!」

「思穂ちゃんの言うとおりやね。皆疲れてるでしょ? 練習は明日の早朝、花火は明日の夜にやるってことでどう?」

「凛はそれでも良いよー」

「……まあ、そちらの方が効率が良いですね」

 

 さらっと意見を丸める辺り、流石は希といった所だ。互いが納得いく妥協点を見い出すことに置いては右に出る者はいない。“そうならざるを得なかった”と言った方が正しいのかもしれないが……。

 

「じゃあ決定やね!」

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「ひっぐ……えぐっ……!!」

「何か思穂ちゃんがガチ泣きしている姿見るの、二回目な気がするなぁ」

 

 皆が寝床の準備をしている隅っこで、思穂は体育座りをして泣いていた。希からの生暖かい視線を感じるが、今は意識が全く向かない。

 足元には未だ水気を帯びているビデオカメラがある。だがこれはPV材料撮影用ではなく、思穂の私物だった。

 温泉と聞いて何を想像するだろう。そう、盗撮である。九人の女の子が一堂に会してお風呂に入る機会は滅多にないので、とりあえず記念に残したかった。なのでバレないように桶と桶でサンドイッチして隠したまでは良い。

 そこからだ。凛と穂乃果がお風呂ではしゃぎ始めたのだ。思った以上に動きが大振りで、お湯が飛び散っていた。その時、良い量のお湯が桶の中に入ってしまった。

 それから先は全く記憶にない。無我夢中でお湯に浸されたビデオカメラを救いだした時には全てが遅かった。全く動かない画面、電源ボタンを押しても反応しない。多少の雨なら濡れても大丈夫な防水を買ったのだが、どうも入ってはいけないところに水が入ってしまったのが原因らしい。

 何が言いたいかというと、苦労してビデオカメラ隠したのに全っ然無駄になってしまったということだ。

 

「希せんぱ、ちゃんは分からないの!? 一糸纏わぬ美少女をビデオカメラに収めたいっていうこの感情を!」

「いや、ウチそういう趣味ないし」

「趣味とかそういう問題じゃないんだよ! 撮りたいのか撮りたくないのか、どっちかなあ!?」

「ひっ! ま、まあ……撮れるなら撮りたい……かも?」

「そういうことなんですよ。撮れるなら撮りたい。それは食べたい眠たいなどの人間の欲求に繋がるものだと思うんですよね。つまり、これはある意味人間にとってごく自然な、欲求に従った行動なんですよ!」

 

 超展開した理論に、流石の希も一歩引いてしまっていた。思穂は思穂で、熱くなりすぎていて、後ろの海未には微塵も気づいていない。

 

「へぇ……欲求に従った行動、なんですねぇ」

 

 固まってしまった。今までの話が聞こえていたのか、顔だけは笑顔の怖い海未ちゃんがそこにはいた。

 

「海未ちゃんって優しい。そう思っていた時期が私にもありました」

 

 食事でも使っていたあの大広間に、思穂を入れて十人が布団を敷いて横になっていた。電気も消し、完全にお休みモードだ。思穂のこの呟きは海未の耳に届くことはない。何せ、もう海未は完全に夢の世界へ旅立っているのだから。

 

「あはは……。でも、思穂ちゃんがいけないと思うなぁ」

「ああああ~……ことりちゃんから言われると物凄く胸が痛い」

「良かったわね。性別が違ってたら捕まってたわよ」

 

 近くで横になっている真姫にまでそう言われてしまい、思穂はがっくり肩を落とす。今回、思穂は絵里や希、そして真姫の近くで横になっていた。左隣に絵里が横になっていると意識しただけで心臓がバクバクいっているのは秘密だ。

 ちなみに盗撮未遂は皆にばっちりバレてしまい、土下座済みである。なお、思穂は最近土下座することに何の抵抗も感じなくなりつつあるという大分末期の状況だ。

 

「ねえ思穂ちゃん思穂ちゃん」

「なーに穂乃果ちゃんや」

「眠れないね!」

「あー確かに眠れないかも。この時間帯いつもならゲームしてるし」

「そうやって話しているといつまでたっても眠れないわよ? あと思穂、ゲームのやり過ぎは駄目よ」

 

 思穂と穂乃果の会話だけが暗い室内に響く。絵里が諌めることでようやく睡眠をするための空間が整えられる。

 

「……真姫ちゃん、起きてる?」

「何よぉ……?」

「本当にそっくりやな」

「……何なの? さっきから」

 

 真姫の声にはイラつきが若干込められていた。察せる人ならすぐに察せるが、そうじゃない者は恐らく回りくどさに辟易してしまうだろう。希の言葉の裏をぼんやりと察しながら、眠りにつこうとする。

 そう、思っていた矢先、妙な音が鳴り響いた。

 

「……パリッ?」

 

 例えるならラップ音である。だが、それだけにとどまらず、続いて何かをかみ砕くような音が鳴り響く。皆ざわつき始め、とうとう絵里が声を上げる。

 

「な、何さっきから? 誰か電気付けてくれる?」

 

 真姫がリモコン操作し、電気を付けるとすぐにその正体は掴めた。

 

「……穂乃果ちゃん、何美味しそうなもの食べてんの?」

「何か食べたら寝れるかなぁって!」

 

 そう言って穂乃果が見せたのはおせんべいである。正直、その発想はなかった。チョコレートや飴程度ならまだ理解できるが、寝る前におせんべいを貪る女子高生がどこにいるのだろう。……ここにいた。

 

「もぉ……何よ、うるさいわねぇ。いい加減にしてよ」

 

 にこが身体を起こし、皆へ顔を向けた瞬間、全員が固まった。顔面パックを貼り付け、しかも輪切りのピクルスまで貼り付けたにこがそこにはいた。正直、夜道で会ったら全力で叫んで逃げるタイプのヤバさだ。

 

「にこちゃん、それは着けると吸血鬼になるタイプの新しい仮面か何か?」

「思穂。あんた喧嘩売ってんの? これは、美容法よ。び・よ・う・ほ・う!」

「こ、怖い……」

 

 思わず花陽が呟いたのを思穂は聞き逃しはしなかった。絵里に至っては『ハラショー』などと漏らし、茫然としている。

 

「良いから! さっさと寝るわ……ぶっ!」

 

 言い切る寸前、“何か”がにこの顔面に直撃し、そのままにこは倒れた。良く見ると、突き刺さったのは枕であった。

 

「あー! 真姫ちゃん、何するのー!?」

「な、何を言っているの……?」

 

 そう言い、希は“再び”枕を投げた。今度は凛に当たるが、しっかりと受け止めており、そのまま穂乃果の顔面へ。

 

「ほわっちゃ!?」

 

 希の方を見ていると、突然視界を埋め尽くす柔らかい感触。枕を投げられた、と気づくのはそう遅くはなかった。そして、スイッチが入る。

 

「ふ……ふふ、ふ。穂乃果ちゃんや、良い(たま)だったよ……!」

 

 そうしている内に、とうとう真姫が枕をぶつけられていた。相手は絵里である。意外とノリが良いと改めて驚きつつ、思穂は“開戦”の気配を肌で感じる。

 

「よろしい! ならば戦争だー!」

 

 皆、ついに枕を持ち、戦いが始まった。飛び交う枕。もちろん柔らかい素材なので、多少強く投げても怪我の心配は全くない。

 

「真ー姫ーちゃーん! 隙ありー!」

「っ! やったわね凛! 覚悟なさい!」

 

 真姫が凛へ枕を投げるもヒラリと避け、その後ろにいたにこへ直撃する。そんな激戦の中、ことりは実に飄々としていた。持っている枕を上手く使い、近くにいる者へどんどん枕を跳ね返して行く。

 どこから枕をぶつけられても不思議では無い中、思穂は一際張り切っていた。こんな機会、滅多にないのだ。思い切り楽しまなくていつ楽しむというのか。

 

「『LESSON海未』はこの為に……ッ!」

 

 現実と漫画は違うので、摩訶不思議な動きは出来ないが、思穂はとりあえず手首を回転させながら枕をにこへ投げつけた。夜寝る前にいつも練習していた成果が発揮された気がした。

 

「ちょーっ!? これ、何か回転がすごっ……ぶっ!!」

 

 回転した枕は勢いが死ぬことはなく、にこが盾にしていた枕を押しのけた。そのまま胸に当たり、にこはそのまま布団の上へ倒れる。

 

「思穂ちゃんすごーい! よーし凛も!」

 

 どんどんボルテージが上がり、枕の応酬も激しさを増してきた。その間、誰も気づかなかった。思穂ですら、楽しくて見落としていたことである。

 そしてとうとう、その時が来た。

 

「……あ」

 

 ぶつかり合い、勢いを失った枕が“寝ている海未”へ落ちていく。他にも手元が狂い、大きく狙いが外れた枕達が更に海未の元へ降り注ぐ。

 そうなるまでの光景が何故か、走馬灯を連想させたのは何故だろうか。

 

「――何事ですか?」

「あ、あわわわわ……!」

「どういうこと……ですか、これは……?」

 

 電気を付けて明るいはずなのに、海未の顔が全く見えない。このパターンは絶対に駄目な奴、そう確信した思穂が取り繕う前に、海未が言葉を続けた。

 

「明日、早朝から練習すると言いましたよねぇ……そう、決めたはずですよね……? ふ、ふふふふふ……ふふふふふ……」

 

 寝つきが良い海未はその分、無理やり起こされるのを非常に嫌っていた。昔、思穂が海未に悪戯しようとして、こっぴどく怒られたのは今でもハッキリ覚えている。

 誰かが口を開こうとした刹那、それを遮らん速度で枕が飛んだ。不幸にも、当たってしまったのはにこである。

 

「に、にこちゃん!? こ、こうなったら戦うしか……!」

 

 それが穂乃果の最期の言葉となった。止めるため、絵里が枕を振り上げた時には、既に海未から放たれた枕によって寝かされてしまう。

 

「ひ、ひい……!」

 

 海未がゆっくりと花陽と凛へ顔を向ける。その手には二つの枕が。もうなりふり構ってられないと、思穂が枕を掴んで振りかぶる。そして、同じような事を考えていた二人へアイコンタクトを送った。

 

「せぇの!」

 

 思穂、希そして真姫が投げた枕は海未の後頭部にクリーンヒットする。これで効かなかったら全滅は確定。そんなイチかバチかの攻撃の結果はすぐに示された。

 

「すぅ……すぅ……んぅ」

 

 再び寝息を立てはじめる海未を見て、思穂達は勝利を確信した。この血で血を洗う枕投げ合戦は、ようやく終わりを迎えたのだ。

 

「全く……」

「いやぁ真姫ちゃん、“戦いを始めた”者として、この戦いの感想を聞きたいもんだねぇ」

「ウチも興味ある!」

「思穂、希……あんた達……! 特に希! 希がそもそも――」

 

 返事の代わりに希からぶつけられたのは枕であった。

 

「何すんのよ希ー!」

「自然に呼べるようになったやん、名前」

 

 恐らく真姫は気づいていなかったのだろう。この合宿中もずっと皆と距離を維持し続けていると、そう“勘違い”していた。

 

「真姫ちゃんから名前呼ばれたの久しぶりな感じするなぁ!」

「う、うるさいわねー!」

 

 アイスブレークであるこの日は大成功と言っても良いだろう。何せ、知らない内に大きな氷が一つ、溶かされていたのだから――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「遅寝早起きは私のジャスティス……んん~名言だね」

 

 浜辺で思穂は一人、座っていた。寝巻に砂が付くのもお構いなしに、思穂は空と海、そして大地を独り占めしている最中であった。結局いつの間にか皆、眠ってしまっていて、思穂は元々の習性から一人だけ先に目覚めてしまった。

 身体を目覚めさせるという意味でも、この時間は非常に意義のあるもので。思穂は、この時間がすごく尊い物に感じていた。

 

「早起きさんやね、思穂ちゃん」

「希先輩……」

 

 どうやら二番目は希らしい。思うことは一緒、だろう。

 

「万事解決、みたいだね」

「……別に真姫ちゃんの為やないよ」

「あっはっは。確かにそうかもしれないねー。でも、それは少しだけ違うかも。本当は三割程度ぐらいは真姫ちゃんに世話焼きたかったんでしょ?」

「思穂ちゃんは本当、ウチの考えている事読むの上手いね」

「……小学校中学校、そして今までと人の顔色伺ってたから身につけられた嫌な特技だよ」

 

 上りかけの美しい朝日を見すぎたからか、つい余計な事を言ってしまった。だが、希はそれに触れることはない。その気持ちは言わずとも、希は理解出来ていたから。

 

「潮風が気持ちいいなぁ。そう思わない? 真姫ちゃん?」

 

 思穂は海を見ながら、後ろへと声を掛けた。足音と呼吸で誰か当てることくらい容易いことだった。

 

「希、どういうつもり?」

 

 真姫の問いに聞き返すほど、希は野暮では無い。希は真姫から海へと視線を移す。

 

「ねぇ真姫ちゃん、思穂ちゃん。ウチな、μ'sのメンバーの事が大好きなん。ウチはμ'sの誰にも欠けて欲しくないの」

 

 いつもは微笑みの裏に隠されていた希の心の一端が見えた気がした。思穂と真姫は黙って続きを促した。

 

「思い入れがあるんよ。……μ'sを作ったのは穂乃果ちゃん達だけど、ウチもずっと見てきた。何かあったらアドバイスもしてきたつもり。それだけ思い入れがある」

 

 話し過ぎちゃった、と希は人差し指を口元に当てた。秘密にしてくれという意図を受け取った思穂と真姫は頷く。

 その代わり、真姫がちょっとした今までの“仕返し”を口にする。

 

「めんどくさい人ね、希」

「二人ともめんどくさい人! ってことでこの勝負、真姫ちゃんの勝ちだねー」

「あんたもよ、思穂」

「私も!?」

 

 真姫の言葉に希も乗っかった。

 

「食器洗いを引き受けてウチらに花火をさせようとしたり、お風呂にカメラを持ち込んでワザと騒ぎを起こして皆の意識を一つに束ねようとしたのはどこの誰やろなー」

「……あはは。買い被り過ぎですよ。私は自分の事が大好きなだけです。今までのは私が個人的に楽しみたかったからですしねー」

「……ふふ。めんどくさい同盟結成、かな?」

 

 ぶつかりあって、ふざけあって、それが絆となる。今回の合宿は色んなことがあるだろう。この後なんかきっと地獄の特訓だ。

 だが、それで良いじゃないか。特訓の後は皆で美味しいご飯を食べ、夜は花火。辛さを乗り越えた先にはきっとご褒美と言う名の甘美な果実があるだろう。

 

「おーい! 希ちゃーん! 真姫ちゃーん! 思穂ちゃーん!」

 

 穂乃果を先頭に、皆がこちらへ向かって走って来ていた。μ'sという大きな旗を作った穂乃果は相も変わらず光り輝いていて。

 

(……私もいつか、真姫ちゃんみたいに……)

 

 だがそれを成し遂げる前に、今は皆の寝間着姿をばっちり心のカメラに収めておこう。時間は有限、素晴らしい物を素晴らしいと言える感性は無限。だが、今日は特別である。

 

「う~ん……絵になるねぇ」

 

 立ち上がり、思穂は左右の人差し指と親指を使ってまるでカメラでも取るかのように四角い枠を形作った。少しだけ離れ、枠内に収めた九人の表情は底抜けに明るい。

 朝日が完全に顔を出した――。



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第三十四話 軋む歯車

「らーららー。今日も今日とて体がだるい~」

 

 フィーリングで作った歌を口ずさみながら、思穂は二年生の教室へと向かっていた。合宿も終わり、今日からまた普通の学校生活に戻った。

 変化はそれだけでは無い。早朝、穂乃果からメールが入ってきた。その内容を見た瞬間、思穂は思わず歓喜した。アイドルランクが何と『十九位』まで浮上していたのだ。とうとう喰い込んだラブライブへの出場圏内。

 三人から始まったμ'sの活動も、ついにここまで……。

 

「あ、おはよーことりちゃん!」

「っ! お、おはよう思穂ちゃんっ!」

 

 さっと手に持っていた物を鞄にしまったことりは、どこか困ったような笑みを浮かべながら、挨拶を返してくれた。思穂はその笑みの真意よりも、さっき隠した物に意識がいっていた。

 一瞬だけ見えた赤白青のパターンで縁取られた封筒。思穂の記憶が確かならばこれは海外から送られてくる郵便物。

 

「ことりちゃん? 今持っていたのって……」

「な、何でもないよ? 私、何も持ってないからっ!」

 

 そう言って、ことりは教室へ走って行ってしまった。ことりにしては珍しい対応だったので、思穂は面食らっていた。いつもにこにこ笑顔で明るく対応してくれることりにしては、随分と忙しない。

 この感じ、思穂はどこか覚えを感じていた。だが、思い出せない。ここで予鈴が鳴り、思穂は思考を打ち切る。

 

(もう、この季節か……)

 

 ――別に、片桐さん一人でも十分だよね?

 

(……嫌な事思い出しちゃったな)

 

 脳内に響いてくるような、面と向かって言われているようなそんな感覚。直接関係はないはずなのに、それでも連想ゲームのように引きずり出される“表情”と“言葉”。思わず顔半分を手で覆ってしまった。全てをシャットアウトするように――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 音ノ木坂学院ではそろそろ学園祭の季節に入ろうとしていた。μ'sにとってはラブライブ出場を不動のものにするかどうかの最重要イベントである。そんな中、思穂は今日、μ'sの練習には参加していなかった。

 学園祭では各部が日頃の活動をアピールするために色々出し物を企画している。アイドル研究部の一員であり、文化研究部の部長でもある思穂は今回、文化研究部の方へ力を入れることにした。

 

(……にこちゃんも中々気回してくれるよね)

 

 本来なら文化研究部は今回放棄し、μ'sの方へ力を入れるつもりであったが、それに待ったを掛けたのは他でもない部長のにこだった。こういう事に気を回せるあたり、流石にこである。

 

「久しぶりに来るなぁ……ここ」

 

 鍵を開け、思穂は久しぶりに文化研究部へ足を踏み入れた。

 目の前の光景にどこか妙な懐かしさを感じた。部室内は非常に無機質なものだ。綺麗に配置された棚に並べられているのは大量の漫画とゲーム、そしてライトノベル。そして部屋に置かれている三台のパソコンと一台のプリンターがこの文化研究部の財産。

 たったそれだけ。部室内には思穂一人。机に向かう足音だけが、この静かな空間に響き渡る。

 

「んー……今年はどうしようかなぁ。講堂は使えないし」

 

 この学園祭、実は講堂を自由に使えないのだ。余りにも講堂の使用申請が多すぎたので、いつからかくじ引きで決まるようになったのだ。既に思穂はくじ引きに行ったクチだ。結果は惨敗であった。アイドル研究部はまだ分からないが、文化研究部は今回、講堂は使えない。

 

「なら……無難にゲームでも作って、時間内で遊ばせようかなぁ」

 

 早速思穂はパソコンを立ち上げ、作業を開始した。ひたすら無心。大体頭の中で構想は組み上がっているので、後はひたすら作り上げていくだけ。時たま参考書に目を通しながら、思穂はただキーボード上に指を踊らせる。

 考案している内容ならば、綺麗に切り上げられ、μ'sの方へ応援に行ける。

 

(……今はすごく、楽しいな。昔が楽しくなかったわけじゃ無いんだけど)

 

 かつて、この部屋にも志を共にする仲間がいた。漫画を読み、ゲームについて意見をぶつけ、ライトノベルをオススメしあったりしていた。――それだけに留めておけばよかったのに。

 思い出すは中学三年の地獄のような半年間と、報われた半年間。そこから始まった新たな自分。そして今でも穂乃果、海未、ことりに対して感じる“申し訳なさ”。

 

(とりあえず今は順調だ。順調すぎて怖いけど、このまま上手く行って欲しいな……)

 

 キーボードを叩く音がBGМとなり、思穂の作業を彩る。アイドル研究部の部室でいつも聞く笑い声と比べれば、何と無機質なものだろう。この何の心も入っていない音が、ある意味で片桐思穂の本質を表しているのかもしれない。

 作業に没頭していると、メールを告げる振動が机を揺らす。

 

「ん? メール? ……ほわっちゃ」

 

 つい口癖が飛び出るくらいには、驚ける送信主であった。思穂は早速メールの本文に目を通す。

 

「七日間連続ライブ!? な、何て体力……!」

 

 送り主である綺羅ツバサの得意げな表情が透けて見えるようだった。内容はA-RISEの七日間連続ライブのお知らせである。ラブライブ出場枠確定まで約二週間。有名所であろうと無名所であろうと、最後の追い込みを掛けていた。あのA-RISEでさえ、最後の最後まで油断せずにいるところがこのラブライブの門戸の狭さを匂わせていた。

 早速思穂は、返事を返すため、スマホを手に取る。

 

「μ'sも負けてられません、絶対にツバサ達の隣まで上り詰めて見せますよ! ……っと」

 

 送信完了の画面を確認した思穂は、再び作業に集中する。ここで気づいてしまったことが一つある。

 

「……何か独り言多いな、私」

 

 誰が答えてくれる訳でも無いが、思穂は自覚するまでずっと独り言をつぶやいていた。誰かが返してくれるのが普通となっていただけに、この事は割と思穂の心を揺さぶる。

 ふと時計を見た思穂は、そろそろμ'sの練習も佳境に入ったことを悟る。ラブライブ出場が掛かっているのだ、きっと気合いの入り方も凄まじいだろう。

 今日の作業を一区切りつけ、思穂は立ち上がった。一応顔を出しておきたかったのだ。鞄を持ち、出入り口まで歩くと、また“嫌な思い出”が。

 ――片桐さんって何でも出来るから私達、邪魔かなって。

 

「っ……あ~あ。にこちゃんが来てくれていた時は思い出さなかったのに、一人で来るとやっぱり……か。やっぱりそう、忘れられるものじゃあないか」

 

 向けられた“羨望”と“嫉妬”、そして“無力感”。その視線が今でも強烈に印象に残ってしまっている。いつもよりも早く、思穂は屋上へ向かう足取りが早くなった――。

 

「え、ここでやるの?」

 

 屋上へ来て、思穂は早速くじ引きの結果を聞いてみると、まさかの落選。だが、話し合った末、この屋上で野外ライブをやるということで落ち着いたようだ。

 思穂はそれに賛成だった。いつもやっているところの方がリラックスして出来るかもしれないし、集客率は悪いと思うが、逆にいうならばわざわざ屋上に来てくれる人はそれだけこのμ'sに興味があるということに繋がる。

 

「うん! それに新曲でやろうと思うんだ!」

「おー真姫ちゃんがまた良い仕事したんだね!」

「べ、別に。ただ、海未の歌詞を見て思いついただけよ」

 

 プイと顔を背ける真姫。海未から歌詞カードを見せてもらうと、その曲調が何となく予想出来た。

 

「今回は結構ノリノリな感じなんだね」

「ええ。学園祭ということを考えれば、これ以上に無いくらいピッタリな曲よ。盛り上がること間違いなしだわ」

 

 ある意味講堂じゃなくて良かったのかもしれない、と絵里の話を聞いた思穂は失礼ながらそう感じた。開放的な外でノビノビと思い切りやった方がこの曲には合うだろう。

 

「今日ってもしかしてもう練習終わり?」

「そうやね。結構激しい曲だから時間を決めて効率よく練習しようってエリちと海未ちゃんが決めたんや」

 

 確かにいつもの倍は皆、汗を流していた。割と体力が付いてきたメンバーを以てしてこの汗の量である。それだけこの曲が体力を使うものだということを認識させる。

 

「へーこれは楽しみだなぁ!」

「ていうか思穂、あんたやることやってんでしょうね?」

「にこちゃん、ご心配無用だよ! やることはやる女ですから!」

「思穂、あんた……いや、良いわ。やることやってんなら何もいう事はないわ」

「あはは……ありがとう」

 

 にこの僅かに曇った瞳から逃げるように、思穂は悟られないよう、ことりの方へ視線をやった。自分の事より、今は何故かことりが気になってしょうがないのだ。

 

(ことりちゃん……?)

 

 今朝見かけた時からずっと浮かない顔をしていたことり。穂乃果の方をチラチラ見ては沈んだ表情を浮かべていた。口に出して話題にするのは簡単だろう。だが、海未や穂乃果ですらことりの浮かない表情に気づいていないということはそこまで重要な事では無いんだな、と思穂はそこで考えるのを止めにした。

 空も本格的に紅く染まった頃、今日は解散となった。

 

「ことりちゃん」

「どうしたの?」

「ちょっと良い?」

 

 だが、何となく気になったので、思穂は帰ろうとしていることりを呼び止めた。

 

「あれ? 二人とも帰らないの?」

「あっはっは。ごめんね穂乃果ちゃん。ちょっとことりちゃんと二人で話したいことがあるから先に帰っててもらって良い?」

「えー! じゃあ海未ちゃん一緒に――」

「私はこれから弓道部に顔を出さなければならないので、すいませんが今日は穂乃果一人で帰ってください」

「ぶぅ。なら良いもん! 私、これから神田明神行くから!」

 

 体力を持て余している穂乃果はそう言って、鞄を肩にかけた。それだけ次のライブに全力を傾けている証拠だろう。

 

「穂乃果、あまり根を詰めないようにしてくださいね」

 

 海未がそう言って釘を刺すが、穂乃果はまるで聞く耳持っていない様子だった。逆に思穂はそんな穂乃果へ精一杯のエールを送る。

 

「まあまあ海未ちゃん水差すようなことは言いっこなし! 穂乃果ちゃんこれから自主練頑張ってね! 穂乃果ちゃんなら雨降ろうが槍降ろうが頑張れるよ! 目指せ天元突破!」

「うん! じゃあねー!!」

 

 穂乃果のはつらつとした後ろ姿を見送ると、海未も練習に行ってしまった。他のメンバーも帰り、屋上に残ったのは思穂とことりだけ。

 

「思穂ちゃん、私と話したい事って何?」

 

 時間を拘束させる気は毛頭ないので、思穂は手短に用件を伝えることにした。本当に些細な事だ。もしかしたらたった数分のやり取りで終わるかもしれないことだというにも関わらず、穂乃果に帰ってもらったのは、ことりがずっと複雑そうな感情を彼女へ向けていたからだ。

 だから、さっさと終わらせて自分が考え過ぎだったと笑い飛ばす。

 

「今日のことりちゃん、変だったよね」

「えっ……」

 

 ことりの表情が変わった。白くなったとかそういうレベルを超えてそれこそ、“青ざめた”。

 

「な、何で……そう思ったの?」

「ん~……何となく? ていうかちらちら穂乃果ちゃんの方見てたのが目に入っちゃったと言った方が良いかも」

「思穂ちゃんの気のせいだと思うけどなぁ……」

「……あー。今、私ことりちゃんが嘘吐いたの分かっちゃった」

 

 南ことりという人間はいつも人の目をちゃんと見て喋る、とても真っ直ぐな子であった。そのことりが、“目を合わせず喋る”という異常事態。

 失敗したかもしれない、と思穂は少しだけ後悔した。なまじμ'sメンバーが優しかっただけに、いつしか人に関わる事を軽々しく捉えてしまっていた。

 

「……ごめんね。私、思穂ちゃんに嘘吐いちゃった」

「もしかしてあのエアメールが関係あるの?」

「えっ!? 何で知ってるのっ!?」

「え? やっぱり関係あるの?」

 

 カマを掛けたらあっさり引っかかった辺り、ことりの将来がとても心配だが、今はそんなことを考えている場合では無い。

 思穂のハッタリに気づいたことりが少しだけ頬を膨らませてしまった。

 

「思穂ちゃんのいじわるぅ……」

「それは後で土下座させてもらうとして。やっぱり関係あるんだね」

 

 ことりはコクリと頷いた。

 

「海未ちゃんや穂乃果ちゃんは知っている事?」

「ううん。まだ、話してない……」

「……そっか! 了解! 引き留めてごめんね! じゃあ帰ろっか!」

 

 思穂の言葉にことりが驚いてしまった。普通ならここで聞くものだと思っていたし、聞かれるものだと思ったことりは少しだけ面食らった。

 

「……聞かないの?」

「ことりちゃんが話したくなったらで良いよ! 無理強いさせる気無いしね!」

「……ごめんね。でも絶対、絶対話すからっ! その時は……聞いてくれる?」

「もちろん! ことりちゃんのお願いなら何でも聞いてあげましょう!」

「……ありがとう、思穂ちゃん」

 

 思穂は後々、この日ほど自分の軽薄さを恨んだ日はない。全ての行動が裏目に出るあの嫌な感じ。本当の意味で、皆と向き合えていなかったが故に積み上がる負債の塔。

 その塔が折れ、自分の頭上へ落ちてくるまで――あと少し。



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第三十五話 それは雨の日だった

「……良し、九割方完成。これなら余裕で学園祭に間に合うな」

 

 あれから一週間が経った。アイドル研究部に行く頻度も少なくなり、思穂はずっと文化研究部に入り浸っていた。自作ゲームを作るのはそう簡単なことでは無く、分担するならまだしも全てを一手に担っている分、制作スケジュールを一日たりともずらす訳にはいかなかった。

 

「今日こそは穂乃果ちゃん達の所に顔を出せるなぁ」

 

 難航していた部分が、ようやく終わり、スケジュールに少し余裕が出た。今日こそはアイドル研究部の練習へ顔を出せる。たった数日行っていなかっただけのはずなのに、数十年と行っていないような感覚になったのはきっと気のせいではないだろう。

 思穂は、早速鞄を肩に掛け、部室へ歩き出した――。

 

「やっほー! 皆、元気ー!」

「あっ! 思穂ちゃんだ! 久しぶりに来てくれたんだね!」

 

 穂乃果に発見されるや否や、彼女は思穂の元まで走り、抱き着いてきた。

 

「お、おおおお!! この感触はまさに文化の極み! 数日間の肩こり眼精疲労その他諸々が吹き飛ばされるー!!」

 

 和菓子屋特有の甘い香りと穂乃果が持つ良い匂いが思穂の鼻腔を目一杯通り抜けていく。しかも、と思穂は穂乃果の決して小さくはない胸部の感触をこれでもかというほど楽しんでいた。誠意を込めてお願いをすれば、難なく触らせてくれそうな感じはするが、それをやった時点で何か大事なものを失ってしまいそうな気がして、思穂は未だにそのライン上を踏み止まっていた。

 

「思穂、そっちの方はどうなの?」

「にこちゃんも久しぶり! いやぁ~このちっちゃな感じがアイドル研究部部長! って感じだよね~!」

「ぶっ飛ばすわよ! ったく、あんたは相変わらずね」

「それが私の取り柄ですから~。それより、何かお話し中だったの? 何か皆集まっているけど」

 

 思穂の質問に答えてくれたのは希であった。実は、穂乃果が徹夜で考えたという振り付けを取り入れるかどうかの話し合い中だったらしい。

 

「これ見てこれ!」

 

 そう言って、穂乃果が件の振り付けを踊って見せた。個人的には何の問題もない、むしろ結構良いのではないかとすら思えるものであった。だが、周りはそれを容易く受け入れる訳にはいかないようだった。

 ライブまであと少し、突然の振り付け変更をして間違ってライブの質を下げたらそれこそ笑い話にすらならないから。特に、にこと花陽はアイドルというものに詳しい分、振り付け変更には賛同しかねているようだった。

 

「ね! 思穂ちゃんどう思う!? 昨日徹夜で考えたんだ! それで、これだー! って思ったの!」

 

 チラリと海未の方を見ると、どうも芳しい表情をしていなかった。

 

「思穂、貴方からも穂乃果に言ってやってください」

 

 言外に『頑張り過ぎだ』と海未は言っていた。確かに、と思穂は海未の考えにある程度の同意を見せる。ちらちら聞いた話では、相当なオーバーワークをしているらしい。毎日夜に自主練をし、睡眠時間を削ってライブの事を考えている。

 

「……良い、と思うよ?」

「思穂?」

 

 だが、思穂はそれを止める気はなかった。――その時点で、思穂は己のスタンスを思い出すべきであったのかもしれない。

 しかし今は、穂乃果のやりたいことを邪魔立てする気は毛頭なかった。

 

「うん! 良いと思う! 最近の穂乃果ちゃん、すっごく頑張っているよね~!」

「ありがとう! ラブライブまであともうちょっとなんだ……私、今度のライブは絶対に成功させたいんだ!」

「皆もどう? 悪くはないと思うんだけどなぁ」

 

 思穂の後押しが決め手だった。メンバーもそこまで悪いものとは思っていなかったようで、にこと花陽も最終的には振り付け変更を受け入れた。

 

「よーし! じゃあ早速練習だー!」

 

 ならば時間が惜しい。変わった振り付けに早く慣れるため、μ'sメンバーは早速屋上へ上がって行こうとする。思穂もそれに付いて行こうとすると、にこがそれを止める。

 

「待ちなさい。あんたは練習に立ち会わなくて良いわ」

「な、何でそんなこと言うんですか?」

「――あんた、私がどうして文研部を優先させているか、分かってんの?」

 

 にこが自分の事を“私”と言う時、決まって真面目な話であった。部室には思穂とにこの二人きり。

 にこの瞳には“困惑”と“心配”の色が滲み出ていた。その瞳が怖くて、思穂はつい目を背けた。

 

「……私はあんたの全てを知っている訳じゃないし、この学園祭“で”何かあった訳でもない。だけど……今のあんたを見ていると、μ'sに入る前の私を思い出してしょうがないの」

 

 手が、震えていた。それを悟られぬよう、思穂は“笑顔”を張り付けるが、それがどこまでにこ相手に通用しているか分からない。こんな事を考えている時点で、思穂は“おかしい”ことを自覚するべきだったのだ。

 

「……これは、あんたより一年多く生きている大先輩にこにーからのアドバイスよ」

「アドバイス……?」

「自分に嘘だけは吐くんじゃないわよ?」

 

 そう言い残し、にこは練習へ向かっていった。返事も出来ず、ただ彼女の後ろ姿を見送ることしか出来なかった。

 ――私達、この部を辞めます。

 

「……自分に正直に生きた結果が、アレだったもんなぁ」

 

 気付けば、思穂は顔半分を左手で覆い隠していた――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 結局、その日はそのまま帰って来てしまっていた。お風呂に入り、後は寝るだけ。そんな思穂へ、一通の着信が鳴り響いた。

 

「もしもし」

『思穂、少し良いでしょうか?』

 

 電話の向こうの海未は、少し暗い声であった。だから思穂はあえておどけた調子で振る舞うことにした。

 

「どうしたの?」

『ことりの事だったのですが……』

「……ことりちゃんがどうしたの?」

『穂乃果にも電話をしましたが、思穂は最近のことりをどう思いますか?』

 

 ズキリと、“何か”が思穂の心に突き刺さった感覚を覚えた。

 

「どうって……まあ、たまに浮かない顔しているなと思う時はあるね」

『そう、ですか。思穂は何か、ことりから聞いていませんか?』

 

 思穂の脳裏に過ったのは未だ、ことりの口から聞かされていないエアメールの件であった。だが、思穂はそれを口にすることはない。自分の思い過ごしで、余計な心配を掛けたくなかったから。

 

「ごめん、分かんないや。でも、ことりちゃんの事は気にしていた方が良いかもしれないね。もしかしたら、言いたくても言えないことかもしれないし」

『そうですね。思穂も何か分かったら教えてください』

「うん! 了解! すぐに教えるよ!」

『お願いします。それでは……お休みなさい』

 

 通話が切れ、真っ黒な画面のスマートフォンをしばらく見ていた。今日は、何だか何もやる気が起きないので、そのまま寝ることにした。マネージャーの自分が風邪などひいて、余計な心配を皆に掛ける訳にはいかないからだ。

 

「雨が……降ってきたなぁ」

 

 ポツリポツリと、道路を濡らしていく冷たい雨。明日は晴れると良いな、思穂はただ――そう願うだけであった。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 ――とうとう始まった文化祭。

 天気は生憎の雨であったが各部全て、自分達の活動を余すことなくアピールするための出し物が多く、お客さん達を楽しませていた。中でも茶道部のお茶点ての実演は老若男女から好評だった。また演劇部の講堂を使った演劇は、終わった後、拍手大喝采だったと聞く。

 この音ノ木坂学院全てが活気に満ちていた。

 

「たらーらー。良し、セッティングオーケー」

 

 そんな中、思穂の文化研究部の出し物は特筆すべきものは何もなかった。三台のパソコンに自作ゲームを入れておき、自由に遊んでも良いという実に手要らずの出し物。

 

「これで良いんだ。これで……」

 

 思穂はそう呟き、『自由開放中』という看板を文化研究部の扉付近に立て掛ける。今は重要なμ'sである。自分の事は二の次、三の次。ライブに遅れると言う選択肢は、思穂にはなかった。

 控室の扉を開けると、そこには既に衣装に着替えたメンバー達がいた。

 

「おー! 皆可愛い! ていうかカッコいい!」

「思穂、あんた文化研究部の方は良いの?」

「――うん! 実は思った以上に人が来なくてさー! ライブも観たかったから早めに切り上げてきちゃった!」

「……本当ね?」

「もちろん! ……あれ? そう言えば穂乃果ちゃんは?」

 

 思穂の問いに答えられる者は誰もいなかった。

 

「私達も探していたのですが、どこにいるのかも分からないんです」

「えっ!? もう時間だよ!? 私、探して――」

 

 思穂が飛び出す前に、扉が開かれた。その人物を見て、思穂含め、全員がとりあえず安堵する。

 

「おはよ~……」

「穂乃果!」

「遅いわよ」

「ごめんね。当日に寝坊しちゃうなんて……」

 

 海未とにこの言葉を笑顔で返した穂乃果はそのまま衣装の元へ歩いて行くも、途中で身体がふらついてしまった。そのままことりの腕の中に納まり、事なきは得たが、これは些か思穂の目には不自然に映る光景だった。

 

「穂乃果? 声が少し変よ?」

「え……!? そう、かな絵里ちゃん? のど飴舐めておくよ……」

「なら、私のハチミツのど飴食べて? 割と美味しいから!」

「ありがとう……思穂ちゃん。私、ハチミツ大好き……」

 

 思穂は穂乃果の手にハチミツのど飴を乗せた。触れたのは一瞬。無意識に、思穂は声を出していた。

 

「穂乃果ちゃん? 本当に大丈夫?」

 

 妙に顔が赤らんでいる。一応暖房は付けているのでその赤みなのだろうが、思穂はそれでも聞かずにはいられなかった。だが、穂乃果はガッツポーズでそれに答えた。

 

「うん! だから思穂ちゃんは私達のライブ、最後まで見ていて欲しいんだ!」

 

 真っ直ぐに瞳を見つめ、そう言う穂乃果。思穂はこれ以上追及はしなかった。燃えている彼女に水を差すような真似をしたくなかったのだ。穂乃果達九人が舞台へと移動する時間となった。その背中を見送りながら思穂は自分も歩き出そうとした。だが、足元に妙な違和感が。

 

「靴紐……」

 

 千切れた靴紐が、酷く思穂を不安にさせた――。

 

「間にあった!」

 

 舞台には既に九人が並んでいた。穂乃果の表情には鬼気迫るモノを感じ、調子は絶好調だと判断する。この悪天候は枷にすらならないと思わせるほどのやる気。思穂は、頭の中でライブ時間を弾き出していた。

 

「セットリストを考えれば大体その時間……。雨は止む見込みがない。穂乃果ちゃん達……正念場だよ!」

 

 思わず拳を握りしめていた。火照った身体に雨が心地いい。

 そして音が鳴り響く。血液が沸騰しそうな激しい曲。穂乃果が最初にこの曲を持ってきたのは大正解と言えよう。

 ――『No brand girls』。ラブライブ出場を懸けた穂乃果の魂が込められた曲である。

 

「頑張れ……皆!」

 

 今までの曲は比較にもならない程激しい振り付け。そして豪雨という最悪のコンディションの中でも、彼女達は魂を燃やしている。その姿は、観客達の視線を捉えて離さない。悪天候すら吹き飛ばすその曲と彼女達の姿勢にいつしか観客達も一体となり、腕を振っていた。

 やがて、曲が終わりに近づいてくる。これなら何事も無く終われそうだ――そう、思穂は“油断”をした。

 

「――え?」

 

 最後のトメが終わった刹那、穂乃果の姿がブレた。メンバーが反応するよりも早く、彼女の身体は冷たい舞台の上に崩れ落ちる。

 

「ほの……かちゃん?」

 

 観客を掻き分け、思穂は舞台へ走った。そしてすぐに倒れた穂乃果の身体を抱き上げ、額へと手をやる。

 

「酷い熱だ……こんな状態で……!?」

 

 額が焼けるように熱い。どう見間違えても、これは――明らかに熱を出している。しかも相当高い。

 絵里が近寄って、穂乃果の様子を確認すると……静かに首を横に振った。

 

「思穂、ライブは……」

「分かってる絵里ちゃん。これ以上は穂乃果ちゃんが危険だ」

「――の」

「え?」

「次…………の」

「何、穂乃果ちゃん!?」

「つ……ぎの曲。……っかく、ここま、で来たん……だから」

「――――っ!」

 

 思穂は呼吸が止まりそうになっていた。最初から最後まで、高坂穂乃果はこのラブライブに懸けていたのだ。それこそ、自分の体調不良さえ押し殺し、彼女はこのラブライブへ繋がる“勝負”に全霊を懸けた。

 そんな彼女へ、思穂は今からこれ以上にないくらい非道な仕打ちをする。心が――どうにかなりそうだった。

 

(状況を冷静に受け止めろ片桐思穂……! 私が今、何をするべきか分かっているはずだ……っ!! なら、やらなきゃ……!!!)

 

 鋼の心で自分を律する。もはや状況は一秒すら惜しい。一刻も早く、“最善”へ橋渡しをしなくてはならない。

 すぐに手近なメガホンを手に取り、思穂はそれを口元に近づける。視界に広がるのは、困惑している観客たち。これから告げるのは、このライブを楽しみに来てくれた人達への残酷な事実。

 

「皆さん! メンバーにトラブルが起きました! 再開の見込みは現時点では分かりません! ですので……ですので……!!」

 

 思穂は次の言葉を言えずにいた。だが、この役目を買って出れるのは自分だけ。他のメンバーでは駄目なのだ。皆の負を受け止められるのは、この自分だけ。数瞬後、思穂は決断した。

 

「ライブは――中止です!!」

 

 思穂は既に、ライブの事は考えていなかった。

 

「海未ちゃん、私が穂乃果ちゃんを保健室へ連れて行く!」

「思穂、貴方……」

「良いから早く!!」

「っ!? お、お願いします!」

 

 それよりも穂乃果を急いで保健室に連れて行かなければならない。思穂は穂乃果を担ぎ、階段を駆け下りた。

 

(……)

 

 全てが頭の中でカチカチと積み上がっては落ちていく。まるで積み木遊びだ。それも、酷く悪趣味な。その全てが思穂の行動、言葉、思考を振り返させる。中でも強烈に頭の中にこびりついてくる事柄。

 

(私の――)

 

 いつぞやか穂乃果に言った言葉。あの真っ直ぐな穂乃果へ言った言葉。それが思穂の全身を蝕むかのような感覚。前日で気持ちが高ぶっていたであろう彼女なら“やりかねない”可能性。

 昨日の天気は確か、そう――。

 

(私の――せいだ)

 

 負債の塔の一端が、思穂の頭上へと降り注ぐ――。



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第三十六話 決めたこと、“ともだち”のこと

 ライブが波乱の幕切れを迎えてから、二日が経っていた。穂乃果はすぐに病院へ運ばれ、事なきを得たが、その代償はライブの中止。そして――。

 

「ラブライブエントリー辞退、か……」

 

 自室で思穂は電気も付けずにベッドの上に寝転がっていた。今日も何かしようという気が湧いてこなかったのだ。大好きなゲームやアニメ、漫画ですらまるで手に付かない。

 ――今日の放課後、絵里とそして思穂は理事長に呼び出されていた。そして言われた言葉は皮肉にも、絵里と思穂が予想していた通りの内容だった。

 『無理をし過ぎたのではありませんか? このような結果を招くために、アイドル活動をしていたのですか?』、そう理事長は言った。それはぐうの音も出ない程の正論で。

 廃校の危機を救うだとか、ラブライブ出場だとか、それ以前の問題として自分達は学生なのだ。無理をして倒れたらそれこそ本末転倒である。

 その言葉を持ち帰り、皆で話し合った結果が――エントリー辞退。思穂はそのことに対して、口を出す気は更々無かった。出すことすらおこがましい。

 時間さえ忘れ始めた頃、スマートフォンが振動した。画面を見ると、絵里からだった。

 

「はい……」

『私よ。思穂、どうして今日穂乃果のお見舞いに来なかったの?』

「ごめん、ちょっと……調子が悪くて」

 

 ――嘘だ。そんなこと、絵里も分かり切っているだろうに、あえて聞いてくれずにいる彼女の優しさに思穂は甘えてしまっていた。

 

「ねえ、絵里ちゃん。穂乃果ちゃんにあの事言ったんだよね?」

『……ええ』

「嫌な役やらせちゃってごめんね……」

『……それは良いんだけど、思穂はどうなの?』

「私?」

『皆言っているわ。あの後、一回もμ'sに顔を出していないじゃない。今日だって一緒に理事長に呼び出されるまで私、思穂の顔を一度も見ていなかったわ』

 

 ドキリとした。それはそうだ、と喉元まで出掛かったが、その言葉を飲み込む。これを言って、どうなるというのか。同情してもらいたくて、思穂はμ's……いや、穂乃果から距離を取っているわけでは無い。

 どんな顔をして、穂乃果の前に出れば良いのか分からなかったのだ。どれほど勉強が出来ても、この問いへの解答は全く見つけられない。

 

「あっはっは……。ごめんね、心配もさせちゃったや。気を付けるね、それじゃ」

『待って思穂――』

 

 絵里の言葉を断ち切るように、思穂は通話終了ボタンに掛けていた指に力を込めた。

 

「これ以上、私ごときに時間を取らせる訳にはいかないんだよ」

 

 真っ暗な部屋では、思穂の独り言のみが反響する。

 

「あの時、私が余計なことを言わなければ……」

 

 湧きあがる沢山の“IF”。そのどれもが、自分が余計な事をしなかったら、というものだ。考えれば考えるほど自分が嫌になってくる。思い浮かぶは去年の出来事。

 それは、いつまでもいつまでも思穂の足を掴んで離さない。

 

「私……わた、し……!」

 

 その日はいつ眠ったか全く覚えていない。ただ、枕だけは酷く濡れていた――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「……はあ。無遅刻無欠席の輝かしい栄光が無くなっちゃったなぁ」

 

 翌日、時刻は朝十時。思穂は今日、生まれて初めてのサボりをしてしまった。学校側には“身体が怠い”と嘘を吐いた。

 学校に行く気が全くしなかった。否、そんなものはただの建前で。本当は穂乃果と会うのが怖かったのだ。万が一穂乃果になじられでもしたら、本当に心がどうにかなってしまいそうで。思穂は逃亡を選択した。

 

「……ゲームでもやろ」

 

 早速思穂はパソコンを立ち上げ、中に入っているフリーゲームを起動した。RPGが作れるソフトで作られたゲームである。差出人も宛名も不明の手紙を巡り、郵便屋の青年が世界を旅する物語である。

 思穂はこの作品が好きで既に何週もしている。続編やスピンオフ作品もフルコンプ済み。間違いなく楽しめるはずの作品……だった。

 

「……冗談キツイよー」

 

 全く進まなかった。少したりとも指が動かない。本当に、冗談ではない。

 ゲームを中断し、思穂はまたベッドの上に寝転がる。そうすると、近くに置いておいたスマートフォンがまた振動した。ずっと海未からメールが入っていたのだ、今のは着信かもしれないが。彼女には悪いが、返信する気分では無かった。今は誰にも関わりたくはなかった。

 

(近すぎず遠すぎずで私は上手く立ち回れたと思ってたけどそれは大きな間違いだったなぁ)

 

 深く考え過ぎてもう一体何を考えていたのかすら分からない。ただ、はっきり分かったことが一つある。

 

(私はやっぱり……)

 

 “その結論”を出すのは容易い。だがそれは同時に、穂乃果達からの信頼を完全に裏切ることだった。しかし、そうやっていつまでも結論を出さずにいると、どんどんμ'sに迷惑が掛かる。

 そう、考え込んでいた。

 

「あ――」

 

 深く考え過ぎると、逆に思考が前向きになることがある。落ちていた気持ちが、急激に上昇していくこの感覚。思穂は今、スイッチが切り替わった。

 自分でも驚き、何の意味も無く手の平を見つめてしまう。その動作が自分でも可笑しくて。何故、自分があんなに落ち込んでいたのかが良く分からない。

 

「……よぅし」

 

 思穂は机の中から、一通の封筒を取り出し、ボールペンを握った。その瞳にはもう迷いは見られない――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「おっはよー!」

「し、思穂! 調子が悪くて休んだなら休んだと、どうして私達に言ってくれなかったんですか!?」

「うわっ! 海未ちゃん!?」

 

 昨日一日休んだだけだというのに、随分久し振りの登校のような気がした。そして、教室に入って一番に聞く海未の怒声も。昨日、メールを返信しなかったのに加え、“そういうこと”で休んでいたのだから海未の心配も良く分かる。

 ことりは未だ、浮かない表情である。

 

「あはは。それはほんっとごめん! あと……」

「ん? 私?」

 

 思穂の視線は穂乃果の方へ。迷うことなく思穂は頭を下げた。 

 

「ごめん穂乃果ちゃん。私のせいでライブ台無しになっちゃった」

「ううん。あれは体調管理を怠った私が悪かったんだよ。だから、思穂ちゃんは気にしないで」

 

 困ったように笑みを浮かべ、穂乃果は思穂の頭を上げさせた。その表情と、言葉には嘘は感じられない。だからこそ、思穂は誰にも気づかれない様に小さく頷いた。その表情は何かの決意を改めたように。

 

「でもμ'sのマネージャーだからねー私……。だけどまあ、うん! 落とし前は必ず付けるから、今は穂乃果ちゃんの言葉に甘えるね!」

「うん! あ、そうだ!! 思穂ちゃんこれもう見た!?」

 

 そう言って穂乃果が見せてきたのは一枚のプリントであった。

 

「ん、何それ? ふむふむふー……むっ!?」

 

 ――『来年度入学者受付のお知らせ』。思穂は一度目薬を差し、何回か瞬きをした後、もう一度その文面を見る。なぞる様に、舐めるように、数回読み返した思穂は――ガッツポーズをした。

 

「これって、入学志願者が多かったって! そういうことだよね!? 学校が……存続するんだよね!?」

 

 思穂の言葉を、穂乃果と海未、そしてことりが大きく頷いた。これは現実。ようやくそう理解した思穂は飛び跳ねる。

 

「やった……やったぁ!!」

 

 それが意味する所は『学校存続』。μ'sの戦いがとうとう報われたのだ。穂乃果達μ'sの悲願が達成されたのだ。時間にしてみれば短い、だけど自分達にとっては長い戦いがようやく落ち着く。

 喜ばずにはいられない。思穂は思わず三人に抱き着いていた。

 

「穂乃果ちゃん、海未ちゃん、ことりちゃん……やったねぇ……!!!」

「うん……うん! 思穂ちゃんありがとう……!」

 

 聞くところによれば、今日の放課後は学校存続を記念してのミニパーティーがあるらしい。運が良かったと、思穂は思った。そんな楽しいことに参加しない訳にはいかなかった。

 思穂は早速、今日の放課後の光景を思い浮かべながら、授業開始のチャイムを耳にする――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「にっこにっこにー! みんな~グラスは持ったかなぁ~?」

「にっこにっこにー! 持ちましたよー!」

 

 ――時間は過ぎるのが早く、もう放課後となっていた。部室にはμ's全員が揃い、それぞれ紙コップを手にしている。もちろんジュースだ。

 

「それじゃあ! 学校存続が決まったということで、部長のにこにーから一言挨拶させていただきたいと思います!」

「いえーい! かんぱーい!」

 

 話し出す直前には、既に思穂は皆へ向かってコップを掲げていた。皆も特に聞く気は無かったようで、思穂に合わせてコップを掲げた。

 

「聞きなさいよ! もー!」

 

 怒りながらも、にこはコップを掲げる。今日は無礼講である。いつも無礼講のような気がするが、今日は更に特別。細かい事は言いっこ抜きだ。

 ささやかながら皆で持ち寄ったりお菓子が山積みだ。しかもサンドイッチやポテトサラダ、から揚げが見える。ささやかと言うのは大きな間違いなのかもしれない。オマケに――。

 

「皆ー! ご飯炊けたよぉー!」

 

 炊飯器を抱え、花陽がすごく嬉しそうな顔をしていた。花陽の姿が一時、見えなかった時があったが、お米を研いでいたのだと分かった瞬間、思穂は思わず吹き出してしまった。

 学校に炊飯器を持ってくる女子高生はそういない。

 

「えーりちゃん」

「思穂……」

 

 言いたいことは色々あった。が、まずは乾杯だ。無言でコップを掲げると、意図が通じたようで、絵里もそれに応じてくれた。

 

「お疲れ様でした。色々と」

「ホッとした様子ね、エリちも」

 

 思穂と隣に座っていた希を見やり、絵里は微笑んだ。

 

「肩の荷が下りたっていうか……正直、私が入らなくても同じ結果だった気がするけど……」

「そんなことないよ。μ'sは九つと一つの星。それ以上でもそれ以下でもない」

「希ちゃん、九つと一つって?」

 

 希が取り出したのは彼女の象徴とも言えるタロットカードだった。裏の方を見せられたので、絵は分からない。

 

「カードにそう出てたんよ。九つの星の側に輝く星が一つある。これが一番良い形だって、そういうお告げだったん」

「九つと……一つ。一つって、私……?」

「そういうこと。思穂ちゃんはなるべくしてマネージャーになったと思うんや」

「私が? なるべくして?」

「カードは最後の星だけ詳しくは教えてくれなかった。だけど、μ'sが三人だった時に思穂ちゃんを見て、ウチ確信したんよ。ああ、この子がそうなんやって」

「あはは……嬉しいなぁ」

 

 その言葉を、“今”聞きたくはなかった。やはり希は大好きだが苦手。それが、思穂が抱いた感想である。

 ふと、“彼女達に”目がいった。

 

(海未ちゃん? ことりちゃん?)

 

 二人が何かを話していた。その表情はとてもじゃないが、楽しそうなものには見えなくて。何だか嫌な予感がした。

 

「ごめんなさい。皆にちょっと、話があるんです」

 

 その予感は直ぐに的中した。神妙な面持ちの海未。希も、絵里ですら知らない完全にイレギュラーな話。

 ――違う。思穂は、思穂だけは勘付いていた話だ。

 

「実は、突然ですが――ことりが留学することになりました。二週間後に日本を発ちます」

「……何?」

「嘘……」

「ちょっと、どういうこと?」

 

 真姫、花陽、にこの順番で、言葉が漏れていく。余りにも突然すぎる宣告に、皆が必死に言葉を飲み込み、理解しようとしていた。

 そんな中、ことりが口を開く。

 

「前から、服飾の勉強したいって思ってて、それでお母さんの知り合いの学校の人が来てみないかって……。ごめんね、もっと早く話そうって思っていたんだけど……」

 

 海未がことりの言葉を引き継いだ。

 

「学園祭のライブで纏まっている時に言うのは良くないと、ことりは気を遣っていたんです」

 

 全てに合点がいき、あのエアメールの件も解決した。あれが、あれこそが留学先からの招待状だったのだ。思穂は顔に出さない様に努めた。今、この話をして、一体何になるのか。それが分かっていた思穂は皆に見えないよう、手で顔を覆っていた。

 ――完全に折れた負債の塔が、思穂の頭上へ降り注いだ。

 

「行ったきり、戻っては来ないのね?」

 

 絵里の問いに、ことりは首を縦に振る。高校を卒業するまでは戻ってこない、と彼女は言った。今から行くとすれば、約二年。捉えようによっては、永遠の別れと同義とすら思える。

 当然、受け入れられない者が一人いた。

 

「どうして……? どうして言ってくれなかったの?」

 

 穂乃果が立ち上がり、ゆっくりとことりの元まで歩いていく。

 

「だから、学園祭があったと……」

「海未ちゃんは知ってたの?」

 

 穂乃果の目を直視できず、海未は目を逸らしてしまった。二人のやり取りを見ていた思穂は、全身を針で刺されたかのような痛みを感じていた。

 海未だけでは無い。恐らく、誰よりも早く気付けていたのは自分である。あの時、自分があのエアメールの事を無理やりにでも聞き出していれば。

 そうすれば――どうなっていたのだろうか。

 

「ことりちゃん、どうして言ってくれなかったの? ライブがあったからっていうのも分かるよ? でも――」

「穂乃果ちゃん、ことりちゃんの気持ちを考えてあげようよ……」

「思穂ちゃんは悲しくないの!? いなくなっちゃうんだよ!? ずっと一緒だったのに、離れ離れになっちゃうんだよ!? なのに……っ!」

 

 次の瞬間、ことりが哀しそうに、辛そうに言った。

 

「――何度も、言おうとしたよ? でも、穂乃果ちゃんライブやるのに夢中で、ラブライブに夢中で……。だから、ライブが終わったらすぐに言うつもりだった」

 

 相談に乗ってもらおうと思っていた――。

 だけど、それが叶わなかったのはあのライブ中に穂乃果が倒れてしまったから。ことりがそれを口にし、穂乃果が何も言えずにいると、彼女の感情が涙と共に、堰を切ったダムのごとく吐き出され始める。

 

「聞いて欲しかったよ! 穂乃果ちゃんには、一番に相談したかった! だって――穂乃果ちゃんは初めて出来た友達だよ! ずっと一緒にいた友達だよ! そんなの……そんなの――当たり前だよっ!」

 

 穂乃果を押しのけ、ことりは部室を飛び出していった。誰も追いかけることが出来ないまま、その場で固まる。

 そんな中、海未がポツリポツリと喋り出す。

 

「……ずっと迷っていたみたいです。行くかどうか……。むしろ、行きたがっていなかったように見えました。ずっと穂乃果の事を気にしてて、穂乃果に相談したら何て言うか……そればっかり。本当にライブが終わったらすぐに相談するつもりだったんです。……ことりの気持ちも、分かってやってください」

「そんなの……そんなの……」

 

 ふらふらと、穂乃果が教室を後にした。追いかけたかった。だが、今の彼女は誰も求めていない。それが分かっていたから思穂を始め、誰も追いかけなかった。

 

「海未ちゃんも、辛かったね」

「思穂にも言えなくて、すいませんでした。本当は昨日、言おうと思っていたのですが――」

「ううん。もうそれは言いっこなし。それよりも今はことりちゃんの事だよ」

 

 思穂の言葉に絵里も乗ってきた。

 

「思穂の言うとおりよ。どう皆? ことりが留学するまで後二週間、このままで良いと思う?」

「凛は……凛は嫌だ! このままことりちゃんとお別れだなんて絶対嫌!」

「私もです。これじゃ穂乃果ちゃんもことりちゃんも可哀想……」

 

 凛と花陽に釣られるように、真姫も小さく頷いた。にこと希も口には出さないが、思うことは同じである。

 

「海未はどう?」

「私も皆と同じ意見です。別れる直前の思い出がこれでは……あまりにも悲しいと思います」

「……そうね。私もそう思うわ。だから、最後の最後に……楽しい思い出を作りたいって思うの」

 

 そして絵里が思いついたまま話し始める。皆、似たような事を考えていたのかその意見はすぐに満場一致で可決した。

 そんな中、一人だけ表情を曇らせる者がいた。

 

(……私は、どうしたい?)

 

 だが思穂は、思穂だけは心の底からその提案には乗れなかった。理由は分からない。だが、絵里の提案に心の底から乗ってしまえば、もう本当に後戻り出来ないようなそんな予感がしていたのだ。

 思穂の手に握られたのは――二つの手札である。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 衝撃的な幕引きをした余韻もそこそこに。今日の放課後の練習はまず、昨日の話し合いの結果を穂乃果に報告する所から始まる。今、絵里が呼びに行っているところだ。

 思穂が行こうとしたら、『言い出しっぺは自分だから』と言ってさっさと行ってしまったのだ。

 

(昨日は眠れなかったや……)

 

 思穂は未だ、握られた二枚の手札を選択しかねていた。まだほんの僅かだが時間がある。その余裕が思穂を駄目にする。本当は即決出来るはずなのに、それが出来ない。

 ひたすら考えていると――扉が開かれた。穂乃果が来てしまった。思穂はとりあえず思考を中止し、穂乃果を迎えた。

 

「あ、来たね穂乃果ちゃん」

「皆……」

「じゃあ絵里ちゃん、早速ライブの話をしようよー!」

 

 穂乃果が来たことで、ようやく全員が揃った。皆を見回してから絵里は話し始める。

 

「凛の言う通りよ。ことりがいなくなる前にライブをやろうと思うの」

「来たらことりちゃんにも言うつもりよ」

「思いっきり賑やかなのにして、門出を祝うにゃー!」

 

 希の後に、凛が楽しげにそう言った。その後、にこからチョップをもらい、戦いが始まるが、皆はその様子を生暖かい目で見守る。

 そんな中、穂乃果の表情は影を落としていた。

 

「私がもっと周りを見ていれば、こんなことにはならなかった」

「穂乃果ちゃん、それは……」

「自分が何もしなければ、こんなことにはならなかった!」

 

 思穂の言葉を遮って言い放った言葉は、捉えようによってはμ'sの全てを否定するもので。いや、否定したかったのかもしれない。

 にこはそんな穂乃果の言葉を許さなかった。

 

「あんたねえ!」

 

 その一言だけは、決してにこの前で口にしてはいけなかった。自分がどれほど焦がれても辿り付けなかった境地へあっさり辿りつけた高坂穂乃果にだけは、決して口にして欲しくはなかった一言だった。

 

「自分一人で全てを背負い込もうとするのは傲慢よ。それに、言った所でどうなるの? 何も始まらないし、誰も良い思いはしない」

 

 絵里の言葉に、少しだけ胸が痛くなるが、思穂は首を縦に振り、それを肯定した。そして、真姫が場の空気を変えようと、あえて明るげに言う。

 

「ラブライブだって、次があるわ」

「……そうよ。今度こそ出場するんだから、落ち込んでいる暇なんてないわよ!」

 

 そんな真姫の意図を汲み取り、にこも落ち着きを見せ始めた。一年生が気を遣っているのに、三年生がいつまでも取り乱している訳にはいかないというにこなりのプライドである。

 そんな二人の思いを、穂乃果は受け取れない。

 

「出場してどうするの? もう学校は存続できたんだから、出たって意味ないよ。それに、無理だよ。いくら練習してもA-RISEみたいになれっこない……」

 

 場の空気が、凍りついた。後半は置いておくにしても、前半の穂乃果の言っていることはどちらかと言えば、“とうとう出た話題”と言える。だが、今はそれに対する議論をする心の余裕も、時間の余裕も無かった。

 

「……あんたそれ、本気で言ってる?」

「にこちゃん落ち着いて」

 

 思穂の言葉は既に届いていないようだった。作られた握り拳がにこの感情の高ぶりを如実に表していた。

 

「本気だったら許さないわよ?」

 

 穂乃果の答えは――沈黙。にこはとうとう我慢の限界を超えてしまう。

 

「許さないって言ってるでしょ!?」

「にこちゃん駄目!!」

 

 真姫が押さえに掛かっているおかげで最悪の事態は訪れていないが、もはや状況は最悪と言う言葉すら生ぬるい。解放すれば、にこは真っ先に穂乃果へ手を上げるだろう。

 にこは否定してほしかった、心の底から。穂乃果に謝って欲しい訳ではなかった、ただ“本気じゃなかった”と一言言ってくれればそれで良かったのだ。だが、結果は祈っていたものとは真逆。

 

「にこはねぇ! あんたが本気だと思ったから!!」

 

 ――本気だと思ったから、にこは穂乃果と歩いて行こうと決心したのだ。焦がれて、羨んで、嫉妬して、だけどそれらを全てひっくるめて穂乃果は自分が到達できなかったところまで連れて行ってくれる。

 

「あんたが本気でアイドルやりたいんだって思ったから!! “ここに懸けよう”って! そう思ったからにこは……!! それをこんなことくらいで諦めるの!? こんなことくらいでやる気を無くすの!? ……答えなさい!!」

 

 にこが落ち着いたのを見計らい、絵里が口を開いた。告げられる言葉は比喩表現抜きに、μ'sのこれからを決めるものだった。

 

「じゃあ、穂乃果はどうしたいの?」

 

 一拍置き、穂乃果は言った。

 

「辞めます」

「え……」

 

 言い間違いだと、ここに来て、今更そんな優しい世界を求めてしまいながらも思穂は懸命に首を振り、“その先”を止めようとした。

 

「……駄目だ、穂乃果ちゃんその先は――」

 

 だが、もう穂乃果は決めてしまったらしい。

 

「――スクールアイドル、辞めます」

 

 顔が歪んでしまった。それだけは穂乃果の口から言って欲しくはなかった。それを言わせてしまえば、自分は何のために“決心”をしたのかが分からない。

 皆、驚きを越え、ただ黙ってしまう。止める者も、肯定する者もいない。もう言いたいことは言ったとばかりに、穂乃果は扉へと顔を向け、歩いて行こうとする。

 

「待って……待ってよ穂乃果ちゃん!」

 

 思穂が追いかけるよりも早く、海未が飛び出した。

 

「っ――!!!」

「貴方がそんな人だとは思いませんでした……」

 

 パァン、と空気を切り裂くような乾いた音。そして、海未が振り切った手が、音の正体を現していた。穂乃果の頬が赤くなっている。

 

「貴方は……貴方は最低です!」

 

 ――叩いた方の海未の手が、震えていた。



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第三十七話 夢、再び

 “その日”から、少しだけ日常が変わった。ことりは留学の準備の為に長期休みに入った。穂乃果と海未は少しだけ会話が少なくなり、何だか味気ない日常だ。

 そして、もう一つ大きな出来事があった。それは――。

 

「μ's活動休止、か……」

 

 μ'sが活動休止をしたことだ。穂乃果がスクールアイドルを辞めたことにより、彼女を中心としていたμ'sは一度、あり方を見つめ直そうという方向へと流れて行った結果である。

 その事に思穂は異議はなかった。もとより、学校存続と言う目的で集ったグループだ。悪い言い方をするのなら『役目は終わった』のだ。そして、もっと言うのなら、いずれこの問題にはぶつかった。……要は、時期が早くなっただけだ。

 

「あ、海未ちゃん……」

「思穂……」

 

 海未が近くまで来ていたので、思わず声を掛けてしまった。彼女は何を話し掛けようか迷っていたようで、その表情には少しだけ余裕が見られない。

 周りを見ると、いつの間にか穂乃果はいなかった。どうやら先に帰ってしまったようだ。

 

「思穂、貴方は……どうするつもりですか?」

「マネージャー業?」

 

 メンバーが集まって活動休止の話になった際、にこが言っていた言葉である。『私はμ'sが活動休止になってもスクールアイドルを続けたい、皆はどうだ?』、そう彼女は言った。

 その時は誰も明確な返事を出さなかったが、後から聞いた話では、花陽と凛がにこと一緒にやることを決めたようだ。それ以外はハッキリとした答えを出せずにいた。思穂もその内の一人である。

 

「……海未ちゃんは?」

「私がスクールアイドルを始めたのは、穂乃果とことりが誘ってくれたからです」

「……ごめんね」

「思穂が謝ることではありません。それに、穂乃果に辞めると言わせたのは私の責任です」

 

 どこまでも真面目で、それ故にドツボにハマる海未が好きだったが、今の海未はとても弱いものに見えてしまった。それだけに、思穂も決めあぐねていた。

 ――“どちら”を選ぶか。

 

「それこそ、海未ちゃんのせいじゃないと思うよ。私は、そう思う。それに原因は――」

「どうしたのですか?」

「ううん、何でもない。それよりも部活、良いの? そろそろ時間じゃない?」

「……そうですね。ところで今日、夕方空いてますか? 部活が終わったらことりの家へ行こうと思っているんです。思穂も一緒に、どうですか?」

 

 その誘いはとても魅力的なものだったが、辞退させてもらった。少なくとも、“迷っている”思穂は行くべきではないと思ったのだ。

 

「ごめん、今日はちょっと用事があるんだ」

「……分かりました。それでは……」

「あ、ちょっと待って。一つだけお願いがあるんだけど、良いかな?」

「お願い? 私に出来ることなら……」

「ありがと。……と言っても、ことりちゃんにちょっとしたアンケートとってもらうだけなんだけどね!」

 

 そう言って、思穂は一枚のメモ用紙を海未に手渡した。そこに書いてあることを聞くよう、お願いした思穂は手を振って、海未を見送る。

 

(私はまだ迷っている……あれが無駄にならないように、後悔しない様に、ちゃんと決めなくちゃ)

 

 今日はどこかに寄り道をしていこう、そう決めた思穂はアテも無い小旅行を頭の中で思い描く――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「結局来るのは神田明神かー」

 

 無心で辿りついたのは、神田明神であった。μ'sの全てがそこに詰まっていると言っても過言では無いこの場所は、無心で辿りつくにはむしろ当然と言っても良い場所で。

 そしてそこでは当然の如く、にこと花陽と凛が練習をしていた。

 

「やほー」

「あ、思穂ちゃん!」

「おぉ~凛ちゃん何だか懐かしく感じるよ!」

 

 早速、凛の顎に手をやり、何度も擦った。猫をゴロゴロしている時のアレである。ほんの少しだけ気持ち良さそうにしていた凛だが、すぐに正気に戻ったようだ。

 

「に、にゃあー! 何だか気持ち良くなって来たのが悔しいぃー!!」

「り、凛ちゃん落ち着いて……!」

「やあやあ花陽ちゃん! 次は花陽ちゃんのほっぺを堪能させてもら――」

 

 途端、脳天に鈍痛が走った。後ろを振り向くと、そこには右手を手刀の形にしたにこが立っていた。

 

「あんた、なに堂々とセクハラしてんのよ」

「に、にこちゃん痛いんですけど!」

「痛くしたのよ! 全く練習中に良くも堂々と……!」

 

 すかさず思穂は手に持っていたモノをにこへ差し出した。ここへ来る前に買っていたスポーツドリンクである。手ぶらで練習を見に来るほど思穂は愚かでは無い。

 

「うっ……用意だけは良いわね、ほんと」

「えっへん! いやぁ練習に精が入ってるねー」

「当たり前でしょ。好きじゃなきゃこれだけやれないわよ」

 

 好きなものを好きと言い、それに向かって愚直なまでの熱意はやはり矢澤にこが矢澤にこたる所以と言える。そんなにこが、思穂にはまぶしかった。

 

「やっぱりにこちゃんはすごいよね……本当に」

「何言ってんのよ、あんたも同じでしょ」

「私が……?」

 

 その言葉に凛と花陽が乗ってきた。

 

「凛知ってるよ。思穂ちゃん、好きなことについて話している時の眼がすっごくキラキラしてるって!」

「私もそう思うなぁ……初めて会った時、私とゲームの事を話した時、すごく嬉しそうだったもん」

 

 まるで寝言を聞かれたような気分である。にこに言われるならまだしも、二人に言われるのは想定外で、何だか気恥ずかしい。

 

「思穂、あんたはマネージャー業、まだやる気あるの?」

 

 珍しく、弱気にそう尋ねるにこ。

 

「あんたがサポートしてくれたら、にこ達の活動はもっと幅が出る。アイドルだけじゃ輝けないの。それを支えるマネージャーがいなければ駄目なの。だから――」

 

 にこの真っ直ぐな気持ちを受けてもなお、思穂は即答することが出来なかった。

 

「ごめん、その答えはまだ返せないや」

「……そう、まあじっくり考えなさい。今度のにこは……一人じゃないから」

「りょーかい!」

 

 そう言って思穂は神田明神を後にした。逃げるわけじゃ無い、今思穂が悩んでいる“どちらか”は自分にとって、片桐思穂としての大事な分かれ道だ。後ろ向きな気持ちじゃない、自分が納得できるように、思穂は今は懸命に悩むことにした。

 その夜、穂乃果から着信があった。話を聞いて欲しい、それだけで思穂は“選択の時”が来たことを悟る。きっと翌日まで自分は悩み続けているだろう。だが、きっと穂乃果と話せば――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「あれ? 海未ちゃん?」

「思穂も、ですか?」

 

 呼び出されたのは講堂だ。あと少しというところで、出くわしたのは海未である。出会い頭にぶつけられた質問で、海未も呼び出されたのだろうと把握した思穂は苦笑する。

 

「何がおかしいのですか?」

「ううん、何だかまあ……もうありのままを受け入れようかなと思って」

 

 扉を開けると、ステージには穂乃果が立っていた。昨日“何か”があったのか、その表情には暗いモノは感じられなかった。

 

「ごめんね二人とも、急に呼び出したりして」

「穂乃果ちゃんが呼び出すならどこでも駆けつけるよ」

「……ことりちゃんは?」

 

 その質問に答えたのは海未である。

 

「今日、日本を発つそうです」

「そう、なんだ……」

 

 一瞬表情が曇ったが、すぐに穂乃果は意を決したように、ポツポツと喋りはじめた。

 

「私ね、ここでファーストライブやって、海未ちゃんとことりちゃんと歌った時に思ったの。もっと歌いたいって、もっと踊りたいって、スクールアイドルやっていたいって!」

 

 講堂内に穂乃果の声だけが響き渡る。彼女の口から語られるのは、完敗を喫した時に、他でもない彼女自身から出た決意であった。ガラガラの席でライブをやり切り、意味を問うた絵里に対して、言い切った言葉。

 ――やりたいから。想いを届けたいから。

 

「辞めるって言ったけど、気持ちは変わらなかった。学校の為とか、ラブライブの為とかじゃなくて、好きだから! 歌うのがそれだけは譲れない――だから、ごめんなさい!」

 

 そう言って、穂乃果は頭を下げた。

 

「これからもきっと迷惑掛ける、夢中になって誰かが悩んでいるのにも気づかないで、入れ込み過ぎて空回りするかもしれない! だけど――」

 

 『夢を追いかけていたいから』。

 ありったけの気持ちをぶつけられた海未の反応は、思った通りであった。

 

「う、海未ちゃん何で笑うの!? っていうか思穂ちゃんまで! 私、真剣なんだよ!」

 

 穂乃果に言われて初めて、思穂は自分が笑っていることに気づいた。手をやると、口角が上がっている。頬は緩んでいる。

 

「あは、は……ごめんごめん。ちょっと自分でも意外だったよ。それよりも、ねえ海未ちゃん。今の聞いて、どう思った? 私はやっぱり笑うしかなかったな~」

「思穂の言うとおりですね」

「え、えっ? どういうこと?」

「はっきり言って、穂乃果には昔から迷惑掛けられっぱなしでしたよ?」

 

 階段を下りながら、海未はトツトツと語り始めた。昔から穂乃果と居ると、大変なことになる。夢中になると何も見えず、ひたすら前へ前へと突っ走っていく。

 思穂もその姿勢に勇気づけられ、そして救われた一人である。渦巻いていた葛藤が今、一つの答えへと集束していこうとする。

 

「――ですが、穂乃果は連れて行ってくれるんです。私達では勇気が出なくて行けないような所へ」

「そうだよ穂乃果ちゃん」

「思穂ちゃん……」

「海未ちゃんでもことりちゃんでも花陽ちゃんでも凛ちゃんでも真姫ちゃんでも絵里ちゃんでも希ちゃんでもにこちゃんでも……私でもない。穂乃果ちゃんだからこそ、見せてくれる場所があるんだ」

 

 穂乃果以外じゃ行けなかった場所がある。打算も下心もなく、ただ貪欲にそしてただひたすら走れる高坂穂乃果だからこそ、辿りつける世界がある。

 穂乃果の隣に立った海未、そして思穂もその歌を口にした。それは自らが持つ可能性を信じ、決して後ろを振り向くことをしない者へのエールの歌。青空の下、どこかでこの歌を口にしているである大切な者は――きっと穂乃果を。

 

「さあ! ことりが待ってます! 迎えに行ってきてください!」

「ええっ! でも、ことりちゃん……」

 

 戸惑う穂乃果へ思穂が後押しをする。

 

「海未ちゃんと一緒だよ! ことりちゃんも引っ張って行ってもらいたいんだよ! 我が儘思いっきり言ってもらいたいんだよ!」

「我が儘ぁ!?」

 

 それに、と思穂が付け加える。そもそもあのタイミングまで言わなかった時点で、ことりの気持ちは既に決まっていたのかもしれない。

 

「有名デザイナーに見込まれたのに、“残れ”なんて。だけど、その我が儘を言えるのは世界で一人!! さぁ行け! 行くんだ高坂穂乃果!!」

「――うんっ!!」

 

 穂乃果は走って行った。その後ろ姿には完全に迷いを振り切っていた。

 

「行きましたね、穂乃果」

「そうだね。あーあ、やっぱり穂乃果ちゃんはすごいや。ちょっと話しただけで、私に答えを出させてくれた」

「何の話です?」

「ううん。こっちの話、そういえば海未ちゃんことりちゃんから聞いてくれた?」

「え、ええ。メモしておきました」

 

 受け取ったメモにはきれいな字で知りたい情報が書かれていた。そのメモを握りしめ、思穂は歩き出す。

 

「どこへ行くのですか?」

 

 海未が呼び止める。思穂は背中を向けながら、その問いに答えた。

 

「ちょっと野暮用にね。それよりも、海未ちゃんはちゃんとこの後のライブに備えて、体力を温存しておきなよ?」

「……ふふ」

「ありゃ? 何かおかしいこといった?」

「いいえ。思穂の顔から、何やら憑き物が落ちたみたいに見えてしまって……すいません」

「海未ちゃんには敵わないなぁ……ま、色々悩んでいたのが馬鹿らしくなっただけだよ」

 

 そう言い残し、思穂は講堂を後にした。そして、思穂はスマートフォンを取りだす。

 これからやるのは下手すれば、ライブを中止にした以上に酷いことだろう。刃物で刺されても文句一つ言えない。むしろその程度で許されるなら喜んで受け入れよう。

 

(ことりちゃん、ごめん。私、ようやく決められたよ。だから――今から私は自分のしたいことをさせてもらうね)

 

 握られていた二枚の手札はいつの間にか一つとなっていた。思穂は“選んだ”のだ。穂乃果の決意を聞き、ことりの気持ちを考えて、結局この選択肢にしか辿り付けなかった。……もちろん笑って見送る、ということも出来たのだろう。

 だが、片桐思穂にとってそれはバッドエンドの何物でもない。故に、思穂は“全力で留学を止めることにした”。皆が笑っている光景が欲しくて。μ'sのため、そして自分の為に。今、思穂はエゴイスティックの究極形とも取れる行動を、笑顔で選択してやった――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「――失礼します!」

「あら、思穂ちゃん、どうしたの?」

 

 突然の訪問にも関わらず、理事長は笑顔で迎えてくれた。何の用で来たのか、何を言いたいのか、全て予想しているような笑みだった。

 

「ことりちゃんは?」

「……空港よ? もしかしてまだお別れは済ませてなかったの?」

「それについて、言いたいことがあります!」

「言いたい、こと?」

 

 一度深呼吸をし、思穂は切り出した。今から言う事はどう捉え間違えても、一人の人間の人生に影響を及ぼすことだ。例え幼馴染の親だからと言って、それを口にするのは簡単な事では無い。それでも、今の思穂に怖いモノはなかった。

 

「μ'sは最初、三人と私で歩きました。それがいつの間にか六人、そして七人。ついには九人となりました……」

 

 穂乃果と海未、ことりで始まったμ's。凛と花陽、真姫が加わり、にこが、そして絵里と希が加わった。小さな力がいつの間にか大きな力へと変わり、学校存続と言う奇跡を引き起こす。

 誰か一人の力では無いのだ。出来る事をやり、出来ないことは皆で補っていき、一歩ずつ確実に進んでいく。

 

「誰か一人でも欠けていたら、誰か一人でもメンバーが違っていたら、恐らくここまでは来れなかったんだと思います。学校存続も……もしかしたら叶わなかったのかもしれない」

「それについては本当に感謝しているわ。貴方達は本当に良く頑張ってくれましたね」

「――これからも!」

 

 ついに切り出す本題。この結果次第では思穂はいよいよ全霊を賭さなければならない。どんな手を使ってでも、自分の望む結果へ……今の思穂は背水の陣と言う言葉が何よりも似あっていた。

 

「私達はこれからも前に進んでいきたい。皆で前へ……ことりちゃんと前へ!」

 

 思穂は頭を下げ、そしていよいよその言葉を口にする。

 

「お願いします! ことりちゃんを私達にください!! 私がどんなに無謀な事を口にしているか分かっています! ことりちゃんの人生が左右されるかもしれない……いや、されることも分かっています! だけど、私達にはことりちゃんが必要なんです!! だから、お願いします!! 私達の我が儘を許してください!!」

 

 永遠にも感じられた沈黙。理事長が一体何を思っているのか、思穂にすら分からなかった。予想も出来ず、ただ彼女からの返事を待つばかり。

 

「さっきも言ったけど、ことりは空港よ? 確かもう少しで飛行機の時間のはずよ……どうするの?」

「今、穂乃果ちゃんが空港へ向かっています。飛行機が出る前に追いつけるはずです……ううん、追いつきます。そこで、穂乃果ちゃんは話をします」

 

 そう、と言って理事長は顎に手をやった。視線を宙へ向けながら、理事長は口を開く。

 

「……今回の留学の件は、ことりの為になればと思って向こうに話をしました。向こうもその気で待っているはずよ。いきなり『やっぱり止めます』、じゃあ向こうも困るはずよ?」

「……そう、ですね」

 

 思穂は俯いた。確かにそうだ。ことりが良くても、向こうには向こうの都合もある。ドタキャンなど、普通なら有り得ない。――だから、思穂は海未にお願いをしていた。

 

「――なので、向こうにはもう頭を下げました。全身全霊で、理由を話して、私の思いをぶつけて……“お許し”を頂いています」

「へっ?」

 

 海未がことりの家に行くと言った時、思穂は彼女に一つお願いをしていた。

 

「向こうの事は聞いていましたので、直接電話させて頂きました。先方は、その気があるなら、高校卒業まで待つと、そう言ってくれています」

 

 あの時、海未に聞くよう頼んでいたのは留学先の“名称”と“電話番号”。思穂が“こちら”の選択肢を選んだ時用に前もって仕込んでおいた切り札だ。

 この結果に落ち着くまで、相当時間が掛かった。当然、先方も最初は難色を示していた。しかし、自分の語彙をフルに活かして、ことりの潜在能力の高さ、アイデアの柔軟さ、そして将来性を語りつくした。

 その末に勝ち取ったモノが――期間の延長。自分が出来る中で、最高の結果だった。

 

「本当に……そう言っていたの?」

「はい。確認してもらっても構いません」

「ことりは、何て言うかしらね?」

 

 その時、着信が鳴った。すぐに出ると、穂乃果が弾んだ声で“成功”を知らせてくれた。ことりの声が聞こえる。今から急いで学校に戻るそうだ。なら、自分もこうしてはいられない。

 

「ことりちゃんは――私達を選んでくれたようです」

「ことりが……」

 

 理事長は顔を伏せた。そうなるのはある意味当然とも言えた。場合によっては一生を棒に振ったのかもしれないだろう選択である。

 いっそのこと、罵倒でもしてくれた方が気が楽だ。そう思っていた思穂は――見事に裏切られる。

 

「そう。なら、良いわよ。向こうには私の方からもう一度話をしておくわね」

「……へっ?」

「本当、思穂ちゃんの行動力には感服するしかないわぁ」

 

 ホホホ、と笑う理事長を見て、思穂は全身の力が抜けてしまいそうになってしまう。だが、まだ力を抜くには早い、思穂は少しだけ唇を震わせながら、恐る恐る確認をした。

 

「え……っと、ことりちゃんの留学の件は、良いんですか?」

「ことりは穂乃果ちゃん達を選んだのでしょう? なら、私が口出しする権利は無いわ」

「私が言うのも何ですけど……本当に良いんですか?」

「なーに? 思穂ちゃんはことりに留学に行って欲しいの?」

「そ、それを言われるとノーと言うしかありませんね」

「なら、良いのよ」

 

 ……これもある種の親バカなのかもしれないと、思穂は本気でそう思った。あっさりしすぎた結果だったが、これぐらいじゃないと人生は面白くない。思穂の全身に力が漲ってくるのが感じられる。

 思穂は、もう一度理事長へ頭を下げた。

 

「ありがとう……ございます……!!」

「ふふ。それより、もう行かなくて良いの? ライブ、始まっちゃうわよ?」

「はいっ!」

 

 思穂は、理事長室を飛び出し、講堂へ向かった。ライブまでもう少し。だが、思穂には自然と確信があった。二人は必ず間に合う。

 そう信じ、思穂は走る速度を上げた――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「穂乃果ちゃん達は!? ……いない」

 

 舞台袖に辿りついた思穂は、辺りを一瞥するが、彼女達はまだいない。しかし、海未が力強くそれを否定した。

 

「いいえ。絶対来ます、必ず」

 

 ライブ開始時間は刻一刻と迫っており、不安げな言葉を口にする者もいるが、表情だけは誰一人として曇っていない。皆、信じていた。

 そうでなければ、にこが言い出したこのライブに、ことりを除いたμ'sメンバー全員が“参加する”と言って集まる訳が無いのだから。そして、ついにその時がやって来た――。

 

「うわああ!!」

 

 扉が開かれ、穂乃果がいきなりバランスを崩し、お尻から転んでしまった。思穂は反射的に、扉の方を振り向くと――頬を緩めた。

 

「お帰り、ことりちゃん。随分長い散歩だったね」

「それじゃあ全員が揃ったところで部長、一言」

「えええっ!? ……な~んてね、今度はちゃんと考えてあるわよ」

 

 突然の指名に声を上げるにこ。だが、すぐにその表情は余裕の色を見せる。流石に二度同じ手は喰わないようだ。

 

「良い? 今日皆を、一番の笑顔にするわよ!!」

 

 円陣を組み、それぞれのピースサインが合わさったそれは、大きな一つの星となった。恒例の点呼が始まる。

 一、二、三、四、五、六、七、八、九。九人の女神は正真正銘の復活を遂げたのだ。

 

「よぅし! 皆、いけー!!」

 

 丁度開始時間だ。最高のライブを始めるため、九人はステージへと駆け出した――。

 

「――皆さんこんにちは! μ'sです!」

 

 ――思穂は観客席の方に移動していた。彼女達が良く見える場所で、納得いくまで眺めていたかったのだ。

 

「私達のファーストライブはこの講堂でした!」

 

 そうだった。たったの三人と自分から始めた時のここは全くのガラガラ。完全敗北だったのだ。

 それが今ではどうだ。見渡す限りサイリウムの光。講堂は満席で、立ち見をする観客がいる程。こんな贅沢なことが、今現実で起こっている。

 

「その時、私は思ったんです! いつか、ここを満員にしてみせるって! 一生懸命頑張って、今私達がここにいる……この思いをいつか皆に届けるって! その夢が今日……叶いました!」

 

 その言葉が本当に嬉しそうで。走って走ってようやく辿りついた場所だ、それは当たり前だろう。

 だが思穂は知っていた。高坂穂乃果が、ここで満足するような人間では無いことを。

 

「だから私達は、また駆け出します! 新しい夢に向かって!!」

 

 『START:DASH!!』。走り始めた夢が、また更なるステージへと駆け出した。

 

「行け穂乃果ちゃん、穂乃果ちゃんを止めるモノはもう何もない!」

 

 その時、着信を知らせるバイブレーションが。電話の主は分かっていた。思穂は画面も見ずに電話に出る。

 

『思穂』

「来ると思ってましたよ、ツバサ」

 

 電話の主――綺羅ツバサはどこか興奮したような様子であった。

 

『今、ネット配信で貴方達のライブを観ていたわ。……一体何があったの? ラブライブのエントリー辞退をしたと思ったら、いきなりこれほどのパフォーマンスを見せてくるなんて……』

「色々あったんですよ、色々。それよりも――」

 

 彼女達の踊りと、歌が観客全てを魅了する。思穂も至近距離で大太鼓の音を聞いているような、そんな“何か”が腹の底から響いて来ていた。熱くならない訳が無い。ストレートな思いは何よりも圧倒する。

 

「――本気で焦った方が良いですよ、ツバサ。うかうかしていると、穂乃果ちゃん達は本気で貴方達を踏み越えていく」

『……勘違いしているわね思穂』

「ん?」

『私達はいつでも、どんな相手だろうと決して甘く見てはいない。むしろ改めて脅威を感じたわ、やっぱり貴方達は私達にとって最大の――』

 

 その言葉を遮るように、思穂は言葉を発する。“その先”は自分が聞くには、あまりにも上等すぎた。

 

「その先は、いつか穂乃果ちゃん達に言ってあげてください。私が最初にそれを聞くのは、何か恐れ多いです」

『……ふふ、そうね。そうさせてもらうわ。あ、そろそろ次の会場に移動する時間だから、そろそろ失礼させてもらうわね』

「あー連続ライブ中でしたっけ? 頑張ってください!」

『ありがとう! それじゃ!』

 

 それで通話は終了した。やはりA-RISEはこのμ'sを一番――。それだけ分かった思穂は、再びステージへ意識を集中させる。一分でも、一秒でも長く、それが片桐思穂に許された最大の幸福なのだから――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「ことりちゃん!」

「穂乃果ちゃんっ!」

 

 いつまでも鳴り止まない歓声を後に舞台裏へ戻ってすぐに、穂乃果とことりは抱き合った。互いが涙を流し、ただなるようになった結果を噛み締めている。

 二人の姿を見ていた海未の瞳にもうっすらと涙が。

 

「良かったね、海未ちゃん」

「思穂……。ええ、可笑しいですよね。もしかしたら私は、あの二人よりも喜んでいるのかもしれません」

 

 二人を一番気にしていたのは他でもない海未だ。落ち着く所に落ち着き、ようやく張りつめていた緊張の糸が緩んだといった所だろう。

 そんな二人と一人を見て、思穂は小さく頷いた。

 

(良いね。もう、あの三人は……大丈夫だ)

 

 何の根拠もないが、あの幼馴染達の姿を見ていると、そんな確信めいたモノを感じられた。これからはちゃんと言いたい事を言い、ぶつかる所はぶつかっていける。

 ――故に、タイミングは“この瞬間”しか有り得ない。そう感じた思穂の視線は絵里の方へ。

 

「――絢瀬絵里生徒会長」

「どうしたの思穂? 改まって……」

 

 思穂と絵里のやり取りに、皆の視線が集まる。思穂は、持っていたクリアファイルを絵里へ手渡した。

 

「これの受理をお願いします」

「受理? 何のしょる――」

 

 ファイルの中身は二枚の書類であった。両方に目を通した絵里は書類を手にしたまま固まる。その様子を見たメンバー達は何の事か分からず、ただ怪訝な表情を浮かべるのみ。

 

「……思穂、これは何?」

 

 何かの間違いだと、そう絵里は信じたかった。僅かに声が震える。だが、思穂の清々しいまでの笑みが、それを“本気”だと解釈させる。

 思穂はあえて悲壮感を感じさせない馬鹿みたいに明るい声色で答えた。

 

「見ての通りだよ!」

 

 絵里の手にあるのは『退部申請書』、そして『廃部申請書』。そのどちらもが思穂にとっての最終決断。ずっと前、穂乃果に宣言した“落とし前”。

 

「そういう事を聞いているんじゃないわ。思穂、貴方この二枚の意味を分かっているの……?」

「もち。ことりちゃんと穂乃果ちゃんが仲直りをして、μ'sのライブは大成功! ……私が蒔いた種は今その全てを収穫できた。……ならさ」

 

 そう――。

 

「私の役目は終わったと思うんだ。……これで片桐思穂はクールに去れるよ」

 

 ――片桐思穂の役目は、終わったのだ。



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第三十八話 振り返って、過去

「……皆揃ったわね?」

 

 絵里を入れ、九人が部室に揃った。それぞれ複雑な感情を胸に秘めているが、まだ誰も口には出していない。

 

「皆に集まってもらったのは他でもないわ。思穂の事よ」

 

 その一言で全員の表情が曇った。発言をした絵里でさえ、表情は良いものではない。

 話題に上がったのは何を隠そう片桐思穂の事である。机の上には、先日のライブ終了直後に手渡された退部届と廃部届が乗せられていた。

 その二枚が意味する所は、『μ'sのマネージャー辞職』、そして『文化研究部を綺麗さっぱり無くしてしまう』ということである。もっと言うのなら、片桐思穂の今までを無に帰するものでもある。

 

「……思穂はどうしているのよ?」

「もう学校にはいません。休み時間に話そうと思っても逃げられてしまって、それでとうとう逃げ切られてしまいました……」

「思穂ちゃん……どうして……」

 

 そう呟いたのは穂乃果である。ことりの件で周りを見ることを覚えた穂乃果はまた自分に非があったのではないかと、不安げな声色であった。

 

「もしかして、また私が何か……」

「……いいえ、私は違うと思うわ」

「ウチもそう思う」

 

 絵里の言葉に賛同したのは希である。特に希はある程度の確信を持った上で発言していた。――何せ、よく似ているのだから。

 そしてもう一人、絵里の言葉を肯定するものがいた。

 

「にこも二人と同じ意見よ。あいつが穂乃果のせいで辞めたなんて考えにくいわ。もしそうだとしたら、あいつはとっくの昔に辞めてるはずよ」

「……じゃあ、何でだろう?」

 

 花陽の一言で、皆が黙ってしまった。少なくとも、花陽が思い浮かべる思穂は常に笑顔で、そして出会った時から親しみが感じられる人物であった。

 その事に対し、真姫が呟いた一言で場の空気が変わる。

 

「そもそも。私達って思穂の事をどこまで知ってるの? 少しも見当つかないっておかしいでしょ」

 

 更に真姫は続ける。視線は穂乃果達の方へ。

 

「特に穂乃果達。本当に何でか分からないの?」

「はい。私達も何で思穂が辞めたいのか分かりません……」

「……ずっと一緒にいたんでしょ?」

 

 すると、穂乃果や海未、それにことりまでが互いに顔を見合わせてしまった。その様子を見て、真姫だけでなく他のメンバーも首を傾げてしまった。

 代表して、ことりが衝撃の事実を口にする。

 

「――実は私達、思穂ちゃんと仲良くなったの中学三年生からなの……」

「へっ? そうなん?」

「意外ね。てっきり小さい頃からの付き合いだと思っていたわ」

 

 希や絵里が驚くの無理はなかった。それだけ、穂乃果達と思穂は本当に仲が良く見えていたのだ。それこそ、本当に小さい頃からの付き合いのように。

 

「そんな最近からの仲には見えなかったにゃ」

「凛の言う事も分かります。正直、私もここまで親しくなれるとは思ってなかったんですから」

 

 海未の妙な言い回しに、二年生以外のメンバーが頭に疑問符を浮かべた。

 

「ここまで……ってどういうことなの?」

「それは……」

 

 とにかく妙な事ばかりだった。あの海未が言い淀むなど、あまりにも珍しい。そんな彼女を見て、絵里が誰に言うでもなく、呟いた。

 

「私達……実は、思穂の事をほとんど知らないんじゃ……」

 

 皆があえて避けていた事実を、とうとう絵里は口にした。不甲斐ない、と自分を責めるように苦い表情をしていた海未は、顔を上げる。

 

「……悔しいですが、きっとそうなのかもしれないですね」

 

 海未が続けて言葉を紡ぐ。

 

「正直穂乃果やことり、そして私も含め、一年生の時の思穂が良く分かりません」

「はぁ? それじゃ何よ、にこの方があいつの事知ってるっていうの?」

「恐らくは……そうなのだと思います。私達が一年の時、思穂は常に部室へ走って行っていたので……」

「だから教えてにこちゃん! 一年生の時の思穂ちゃんの事!」

 

 穂乃果の真っ直ぐな視線がにこへと向けられる。にこの返事も待たず、穂乃果は思いのままを思うままに口にする。

 

「私、ずっと思穂ちゃんと小さい頃から一緒にいたはずなのに、思穂ちゃんの事を全然分かっていなかった。それって、すごく酷い事だと思うんだ。だから、知らなくちゃいけないと思う、思穂ちゃんの事」

「……分かったわ。って言っても、にこが知る限りの事しか話せないわよ?」

「うん! ありがとう!」

 

 にこが話し出そうとした直前、ことりが恐る恐る手を挙げた。

 あの一件から、ことりはまた元通りの日常を送っていた。母親から聞いた話ではどこかの誰かさんが、先方に頼み込んでくれたから、卒業まで待ってくれるのだと言う。その誰かさんに碌にお礼も言えないまま、ずっとことりは今日一日モヤモヤし続けていた。

 だが今はそれは置いておき、とにかく気づいたことを口に出した。

 

「あ……あの~……。その退部届と廃部届って、何とかして受理を拒否出来ないのかなぁ……?」

「おおっ! そうだにゃー! 名前書いていないとか言って、突き返せば良いんだよ! ことりちゃん、あったま良いー!」

 

 これならば思穂を引き留めることが出来る。一瞬だけ浮上した希望に、皆が盛り上がるが、それを鎮めたのは他でもない絵里と希であった。

 

「……私と希もそのつもりで書類に目を通していたんだけど、駄目だったわ」

「退部届も廃部届も完璧すぎてケチの付けようがなかったんよ。誤字脱字はおろか、文法ミスもなければ書かれた理由もありふれすぎたもので逆にケチ付け辛くて……」

 

 それどころか、改めて思穂の力を思い知らされることとなってしまう結果へと辿りついていた。真姫がボソリと、彼女にしては珍しい素直な評価を口にする。

 

「……敵に回したら怖いっていうのは思穂の事を言うのかもね」

「ち、違うよ! 思穂ちゃんは敵なんかじゃない!」

「分かっているわよ穂乃果。言葉の綾って奴よ。それよりもにこちゃん、早く話してくれない?」

 

 元を辿れば、ことりが話を中断させたのだが、それに触れる者は誰も居なかった。

 

「わ、分かってるわよ! 全く……」

「にこちゃんと思穂ちゃんってどういうキッカケで知り合ったの?」

 

 花陽の言葉を噛み締めるように、記憶を手繰り寄せるように、にこは視線を宙に彷徨わせる。

 

「あれはそう――」

 

 そう――あれは、矢澤にこが二年生の時だった。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「よろしくお願いしまーす! アイドルやってみませんかー!?」

 

 その日もにこは放課後、部員集めの為に、手作りのビラを配っていた。結果は分かり切っていた。だが、それでも諦めきれないにこは一縷の望みに懸ける。

 極論を言えば、スクールアイドルは独りでも出来る。しかし、にこが理想とするのは本気と本気が調和した、一人では絶対に演出できない世界である。

 

「っはぁ……今日も収穫ゼロね。ビラは……まだ、しわくちゃじゃないわね。ここまで新品同然なら、使い回すのもアリかもね。どうせ、誰も分かりっこないし」

 

 今朝、印刷したばかりのビラの数は僅かにしか減っておらず、ただ紙の重みで腕が痺れるだけだった。今日は風が少しだけ強く、紙が飛ばされない様に強く持っていたのだから、尚更である。

 

「はあ……部室に帰って、情報収集でもしようかしら……」

 

 このまま帰るのは何だか負けた気がする。そう思ったにこは冷たくなった身体を温めるという意味でも、部室に戻ろうとした。

 振り返った瞬間、何かにぶつかった感触を感じた。そう思った時には既に、ビラは地面にぶちまけられていた。

 

「あ、あああああ!! にこのビラがぁぁ!!」

「――す、すいません! 急いでいたもので!」

 

 すぐに地面に膝を付け、ぶつかった女子生徒はビラを拾い集めていた。身体の動きに合わせて、ハーフアップにされた後頭部の髪の一房が揺れていた。まるで犬のしっぽのように、にこは見えた。

 

「こっちこそ悪かったわね。周りに意識がいっていなかったわ」

 

 物の数分で散らばったビラを回収し終え、女子生徒は集めた分をにこに手渡した。

 

「いえいえいえ! 先輩は後ろを向いていた、私は前を向いて走っていた。なら、私が気を付けられたはずなんですよ。だから、私が悪いんです!」

 

 申し訳なさそうに浮かべる笑顔に、にこはつい見とれてしまっていた。その笑顔を見たにこは、そんなつもりはなかったのに、完璧に、無意識に、“その言葉”を口に出していた。

 

「――貴方スクールアイドルに、興味ない?」

 

 咄嗟に口にした言葉をようやく自覚したところで、にこはつい顔を手で覆ってしまいそうになっていた。これじゃ不審者も不審者だ。何の脈絡も無く、いきなりスクールアイドルをやらないかなどと言って受け入れてもらえる訳が無い。

 

「って、ごめんなさい。いきなりすぎるわよね。ねえ、ちょっとだけ私の話を聞いてもらっても良いかしら?」

 

 これで少しでもアイドルへの興味を持ってもらい、そしてゆくゆくはスクールアイドルへ……。そんなにこの計算はあっさりと崩されてしまった。

 

「あ、私、二次元にしか興味が無いんですよね。すいません!」

「……は?」

 

 今この女子生徒が何と言ったか、にこは一瞬理解が遅れた。だが、冷静に噛み締めた結果、やはり言った言葉は一つ。清々しい笑顔で、『二次元にしか興味ない』とのたまったのだ。

 二次元と言えば、テレビでは良くアニメや漫画、あとはゲームなんかが挙げられるキーワードである。逆に言えば、それだけ聞くだけでにこは察することが出来た。

 何の気なしに、聞こえないような声量で呟いたはずの言葉が、女子生徒と矢澤にことの“始まり”であった――。

 

「……何だ、マニアか」

「へいへいへいへーい! 今のは聞き捨てなりませんな先輩!!」

 

 先ほどまで笑顔を浮かべていた女子生徒が豹変し、にこをビシリと指さし、もう片方の手は自らのこめかみに当てている。

 

「先輩は今、何を聞いて私をそう判断しましたか!?」

「そりゃあ……二次元にしか興味ないって言われたらそうとしか捉えられないわよ……」

 

 むしろバッサリ切っておいて、実は違いましたなんてサプライズは全然欲しくない。女子生徒はおもむろにため息を吐き、教師が生徒に教えるようなそんな風に人差し指をにこの前に立てた。

 

「先輩は先ほどスクールアイドル? という単語を口にしましたね?」

「ええ、言ったわよ。ついでに言うと勧誘もしているわね」

「……先輩はアイドルが好きなんですか?」

「好きよ。だからにこはアイドル研究部を立ち上げたの」

 

 女子生徒の質問は正に愚問であった。それは子供の頃からの夢であり、一年生の時の挫折を味わってもなお、諦めきれない夢。

 その気持ちを、あろうことに女子生徒はこう評した。

 

「先輩もマニアじゃないですか」

「んなっ!?」

 

 昔からの情熱を、あっさりとそう評した女子生徒に対し、にこは勧誘しようという気持ちより、一緒にされたくないという気持ちの方が大きくなって来た。

 ……と言うより、単純にその言い方がムカついた。

 

「あ、あんたみたいなオタと一緒にしないでくれる!? にこはもっと高尚な気持ちでアイドルと向き合ってるのよ!」

「み、みたいなオタって何ですか!? それに高尚な気持ちってどんな気持ちですか!? それが大好きなら私と同じですよー! 『あ、私そういうのと一緒にされるの困るんで』なんて澄ましたこと言う人かっこ悪いですよー!」

「人の声、ちょっと真似してんじゃないわよ! しかもちょっと似てたのがムカつく!!」

 

 何だかえらく真に迫った声で、一瞬自分が喋ったのかと喉元に手を当ててしまった程である。

 そんな妙な特技によって生み出された声が未だ、にこの鼓膜を震わせている時、にこは直感した。恐らく向こうさんも同じような事を考えていたのかもしれない。

 

(この女子……絶対仲良くなれない!! てか何なのよこいつ!)

 

 何だか好きなものに対する気持ちと言うか、考え方と言うか、その全てがにこを苛立たせる。あるいは、自分と似たようなものを目の当たりにしたことによる動揺だったのかもしれない。

 

「……矢澤にこよ。あんた、名前は?」

 

 だから、なのかもしれない。にこはぜひとも名前を聞きたくなってしまった。久々に見た、何かに真剣になれる馬鹿のことを。

 

「思穂です。片桐思穂。文化研究部の部長をやっています!! 矢澤先輩こそ、文化研究部に入りませんか?」

「あ、それは無理。にこはそんなものにかまけている余裕はないの」

「そ、そんなものっ!? 先輩、今のは聞き捨てなりませんねぇ……!」

 

 にこ、そして思穂の思考は恐らく一致していた。――目の前の人にだけは一歩も引きたくない。そこから、二人の似た者同士の交流が始まった。



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第三十九話 彼女の選択は単純な事だった

「何というか……にこと思穂らしいというか……」

 

 にこが一息ついている間、各々の感想は似たようなものだった。代表するかのように絵里がそう言うと、にこは気恥ずかしさから少し顔を背けた。

 

「悪かったわね。当たり障りのない話で」

「その時の思穂ちゃんはまだ文化研究部やってたんやね」

「みたいね。初対面で喧嘩売られるなんて滅多になかったから『こいつぶっ飛ばす』くらいしか思えなかったわ」

「あの猫かぶりのにこちゃんにそこまでムキにならせるなんてすごいにゃー」

 

 シレッと毒を吐く凛を花陽が止めるが、既に彼女はにこの目力によって震え上がらされてしまった後であった。そんな三人を見ながら、真姫は今聞いた時点での思穂をこう纏める。

 

「とりあえずその時点での思穂はまだ普通って感じね。穂乃果達はそれでも思穂と話せなかったの?」

「うん。さっきも言ったけど、休み時間や放課後になると、思穂ちゃんいつもいなくなっちゃうから……」

「話し掛けたらちゃんと笑顔で答えてくれるんだけど、それでもどこか私達を見ていないような感じがしたなぁ……」

 

 にこの話を聞いていた海未は自分たちが知る思穂と全く印象が違っていた。穂乃果の言うとおり、自分達が目にする思穂はいつもどこか違う場所を見ていたような気がする。

 否、海未だけはどこか理解出来ていた部分もある。

 

「皆知っている通り、思穂は物事への集中力が凄まじいです。その頃の思穂は文化研究部に夢中だったのでしょう。私も弓道部の大会が目前に迫っていると、そんな感じですから」

 

 それは部活に真摯に打ち込んでいるという何よりの証拠で。それだけに、海未は理解しきれない部分もあった。――なら何故、思穂は文化研究部の活動を休止したのだろうか。

 

「ああ、そんな感じだったわね。やっぱりあの子は私と似た者同士、“あの時”そんな気がしたわ。……良い意味でも、悪い意味でも、ね」

「良い意味と悪い意味……? 何かあったの?」

 

 小休憩を終わらせたにこは花陽の問いに答えるために、また“昔”を手繰り寄せる。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「さぁさ! 先輩、ここが我が文化研究部の部室ですよ!」

「パッと見は普通の部室の扉だけど、中はきっといかにもなグッズで溢れ返ってるんでしょ?」

 

 初めて言葉を交わした三日後、にこは文化研究部の部室前へ立っていた。昨日、思穂に“挑戦状”を叩き付けられたのだ。『何も知らないで批判するのはカッコつけたがりがすることですよ!』、そう言われては引き下がれない。

 

「あ~そういう偏見も今の内ですよ~」

 

 へらへらと笑う目の前のオタク女子にいつか手を上げそうだな、と思いつつも、口車に乗ってやったにこは、扉を開ける思穂の後ろに付いて、部室へと足を踏み入れる。

 

「あ、片桐さんお疲れー」

「待ってたよー!」

 

 部室内のテーブルには眼鏡を掛けた女生徒や、長髪の女生徒、ショートボブの女生徒が座っていた。リボンの色を見る限り、全員思穂と同じ学年だ。

 今にして思えば酷い偏見だが、全員“いかにも”な風格を漂わせていた。

 

「あれ? 片桐さん、その人……」

「うん、この背が私とそんなに変わらない人は矢澤にこ先輩! アイドル研究部の部長さんだよ!」

「あんた、ほんっとにこに喧嘩売るの好きよね!」

「おおっとその振り上げた拳を下ろしてもらいましょうか! もし叩かれたら私、泣きますよ? にこ先輩がドン引きするくらい泣きますよ?」

 

 確実に叩かれてしまう、ということを悟った思穂は、すぐに両手を挙げ、降参の意を示した。銃を突き付けられるよりも怖いかもしれない。

 

「それはそうと、今度は文研部の部員を紹介しましょうか! 眼鏡っ子がケーコちゃんで、日本人形みたいに髪長いのがウタちゃん、あとショートボブでアニメ声の子がシズクちゃんです!」

「……何かいちいち適当なのが気になるけど……まあ、良いわよろしく。で、あんた達は一体どういう活動をしているのよ」

「そうですねぇ、例えば……あ、ケーコちゃん。アレ持ってきた? にこ先輩にやらせてみよう!」

「うんっ。徹夜で並んでゲットしたよー!」

 

 ケーコがそう言って、いそいそと鞄の中から物を探し始めた。その待ち時間、にこは首を動かし、部室の中を眺めることにした。

 

(フィギュアに漫画に、DVD……。こいつらどういう手使って部費で落としているのかしら)

 

 アイドルグッズを部費で落としている自分が言うのも何だが、生徒会に追及されたら終わりではないのか、そうにこは感じた。ちなみに自分は研究資料で押し切っている。私物もあるが、自分のお金で賄いきれないグッズは惜しむことなく部費で落としているのだ。常にブラックに片足を突っ込んでいるのがアイドル研究部である。

 

「先輩、百聞は一見に如かずです。まずはこれをやってみましょう! おあつらえ向きにアイドル物ですよ!」

 

 いつの間にか用意されていたゲーム機、そして持たされていたコントローラー。モニターには既にゲームのタイトル画面が表示されているという至れり尽くせり状態だ。

 『アイドルクイーン』。悔しいが、少しだけ興味を惹かれてしまった。

 

「アイドルってだけで、このにこにーを釣れるとでも思ってんの? それどころか、あろうことにアイドル物をチョイスするとは……」

 

 にこにとって、それは最大の挑戦であった。二次元が三次元に通用する訳が無い。ただの絵が、本物のオーラに勝てる道理はないと完全に結論が付いている。

 だが、そう言って逃げたと思われるのは癪であったにこは思穂に操作方法を教えてもらったあと、プレイを開始した。

 

(ふん。所詮ゲームはゲームよ。寄ってたかって何がそんなに面白いんだか)

 

 ――ゲームを開始して、一時間が経過した。思穂含め、部員達は無心でコントローラーを操作するにこを見て、ニヤニヤしていた。

 それが意味する所は一つ。

 

「にっこせんぱーい。随分真剣ですねぇ……」

「うっさい。今良いとこなんだから黙ってなさい」

 

 ……正直、舐めていた。三次元と二次元だからと言って差別をして良い物では無い。むしろ、違う次元の“アイドル”を愛してこそ、真のアイドル好きなのではないか。そう思わせられる程度には、このゲームに心奪われてしまった。

 一区切りついたところで、にこはコントローラーを置く。

 

「どうでした? どうでした?」

「……悪く、無かったわね」

 

 認めざるを得なかった。自分はこういったコンテンツに偏見を持っていた。

 

「よぅし! 私の勝利、ですね!」

「……ええ。あんたの勝ちよ」

「じゃ、次は先輩の番ですね!」

「え……?」

 

 一瞬思穂が何を言ったのか理解が遅れた。思穂が更に続ける。

 

「え? じゃないですよ。私は先輩に二次元の素晴らしさを少しでも知ってもらいました。なら、次は先輩の番ですよ!」

 

 正直にいおう。その時、その瞬間に見た笑顔は、にこが求めていた物だったのかもしれない。付いてくるわけでもない、引っ張られる訳でもない。

 ――ただ、対等になろうとしてくれている。

 それを受け入れるのが怖くて、にこはすぐに返事が出来なかった。

 

「あれ? もう帰るんですか?」

「……ええ、邪魔したわね」

「じゃあ今度は私がそっちに行くんで!」

「……気が向いたら相手してあげる」

 

 あくまで素直になれないにこは、ついそんな憎まれ口を叩いてしまった。だが、思穂はそれすらも受け入れてくれたようだ。

 

「そうですか! なら先輩の機嫌が良いときに行きますね!」

「そうしなさい。……ん? 何、このスケジュール」

 

 すぐに出て行こうとしたにこだったが、壁に貼られていたカレンダーにびっしりと書き込まれていたスケジュールへ目がいってしまった。

 

「これですか? これは今、私達が製作中の同人誌……いいえ、ただの漫画です!!」

「同人誌……漫画? そういうもんがあるの?」

「はい! それで、これはその制作スケジュールなんですよ」

「こんなにビッシリ……素人のにこが言うのも何だけど、出来るの?」

「もちろん! 文研部の力を合わせれば、絶対に間に合います!」

 

 その瞬間、にこは見てしまった。ケーコ、ウタ、シズクの表情がほんの少し、瞬き程度に“曇った”のを。ドクドクとにこはもう気にしないと誓ったはずの光景が鮮明に脳裏にリフレインするのを感じた。

 去っていく仲間、そして一人の部室の静寂。しかし自分が好きだからこそ、譲れず、ただ背中を見送ることしか出来ない無力感。

 

「どうしたんですか?」

「……ううん。何でもないわ、それじゃ行くわね」

 

 ドアノブに手を掛けた時、にこは顔だけ思穂達へ向けた。

 

「……あんた達」

「何ですか?」

「……楽しくやりなさいよ」

 

 それだけ言って、にこは扉を閉めた。振り返ってみれば、自分はその時から直感していたのかもしれない。“もしかしたら”と。だが、思穂の笑顔を見て、にこはその思考を振り払った。

 いけない、とこれではただ自分が“嫉妬”しているだけじゃないかと反省する。片桐思穂は自分と良く似ているだけだ、同じ間違いは冒さない。そう、にこは信じていたかったのだ。

 ――だが、部室で一人になった思穂を見た時、自分の“願望”は叶わなかったことを悟る。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「そっからは穂乃果達も何となく知っているんじゃない?」

 

 海未が、その事実を端的に告げた。

 

「……ある日、文化研究部のメンバーは思穂以外、全員辞めたと聞いています」

「全員……それじゃあ……」

「にこっちと同じ経験を味わっていた、てことやね」

 

 言い辛そうにしている花陽に代わり、希がその先を言う。

「でも思穂ちゃん優しいし、何で部員の人達全員辞めちゃったのかな……?」

「凛も分かんない。思穂ちゃんの事嫌いになった……なんて考えられないよ!」

 

 花陽と凛の言うとおりだと言わんばかりに、皆頷いた。そんな中、穂乃果が思穂の感情を読み取ろうとしているのか、神妙な表情をしながら言った。

 

「その事聞いて、私すぐに思穂ちゃんの所に行ったんだ。何があったのって? そしたら思穂ちゃん、『あれだよ。ちょっとだけ意識の相違があっただけだよ!』ってすっごく面白そうに答えてくれた……」

「にこは聞いていないの?」

「聞いていたら、とっくにどうにかしているわよ。だけどあいつ、一切その事は言わないのよね」

 

 絵里の質問をそう切り捨てたにこは何気なくテーブルへ視線をやった。“想像”は色々出来る。だけど、それは思穂の口から聞かなければ余計に傷つけるかもしれない。そう思うと、にこは強引に聞き出せなかったのだ。

 

「ったく。あの社交性の塊が、どうしてあんな事に……」

 

 にこの呟きに、穂乃果は首を小さく横に振った。

 

「ううん……昔から思穂ちゃんはああじゃなかったんだよね」

 

 その言葉を海未とことりも肯定した。その事実に、二年生以外の表情は驚愕の色に染まる。

 

「じゃあ何よ、昔は真逆だったとでも言うの?」

 

 冗談でしょ、とでも言いたげに真姫は言った。皆もまだ信じられなかった。今の思穂以外の思穂を全く想像できない。

 

「ええ。思穂は昔はとてつもなく――内気な子だったんです」

 

 皆の反応も見ず、海未は顔を伏せながら言葉を続けた。

 

「小学校から中学三年生の途中までの思穂は、非常に人見知りで昔から一緒にいた私達ですら、一言二言話しただけで逃げられてしまっていました。そして、自分の意見を言うのも苦手としていたようで、ある時期は虐められていたぐらいです……」

 

 その度に私達が守っていたのでやがていじめっ子達が飽きてしまったようですがね、と補足する海未。

 

「そ……そんなことがあったなんて……」

 

 絶句する絵里。絵里だけでは無い。皆、驚いていた。今の思穂とは全く違い過ぎて、想像することすら難しい。なら、一体何があって、今の片桐思穂となったのか。

 

「ウチら、本当に思穂ちゃんの事知らなかったんやなぁ……」

 

 悲しげにそう言う希。想像した以上の境遇に、つい自分と重ね合わせてしまっていた。

 

「思穂ちゃん……私達の事、嫌になっちゃったのかな……?」

 

 込み上げてくる不安から、花陽はそんなことを口に出してしまった。思穂の事を知らな過ぎて、愛想を付かされてしまったのか。

 マイナスな思考しか湧いてこない。そんな空気を切り裂いたのは――やはり高坂穂乃果であった。

 

「そんなことないよ!!」

「穂乃果……」

 

 海未は確かに視た。穂乃果の表情が変わったのを。

 

「確かに私達は思穂ちゃんの事を知らなかった。“今まで”は! だけど、それで終わったら、私達と思穂ちゃんは本当に終わっちゃうと思うんだ!」

 

 拳を握り締め、穂乃果は思いを思いのまま、吐き出す。

 

「私はそんなの絶対に嫌だ! これで終わりたくない!! だって私……まだ思穂ちゃんから一度も“ともだち”って言ってもらったこと無いんだもん!!」

 

 ずっと、穂乃果は言ってもらいたかった。自分から言って、思穂からは言われたことの無い一言。

 ――ともだち、と。

 長い前置きはさておく。穂乃果の気持ちは、この一言に尽きる。

 

「私、思穂ちゃんと“ともだち”になりたい! 初めて会った時から今の今までなれなかった本当に、本当の“ともだち”に!!」

 

 穂乃果は鞄を肩に掛けた。

 

「穂乃果ちゃん、どこ行くのっ?」

「思穂ちゃんの家! 私、思穂ちゃんとお話をしに行く!!」

「待ちなさい穂乃果!」

「海未ちゃん、止めないで! もう私、決めたんだから!」

 

 すると、いつの間にか近づいていたにこが穂乃果の肩に手を置いた。

 

「海未の言う通りよ。まさか、あんただけ行くつもり?」

「え……?」

 

 穂乃果の目に映ったのは、同じように帰り支度をしている八人であった。

 

「……あんただけが持っている気持ちじゃないってことよ」

 

 そう言って、にこは後ろへ顔を向けた。

 

「凛もちゃんとお友達になりたいにゃ!」

「思穂ちゃんとはまだアイドルクイーンのお話を出来ていないから……!」

「……マネージャーがいなきゃ、μ'sの活動に支障を来たすでしょ」

 

 凛が、花陽が、真姫が――。

 

「ウチもまだまだ思穂ちゃんの胸、ワシワシし足りないからなぁ」

「思穂にはまだやってもらいたいことが沢山あるわ。自分だけ一抜けるなんて認められないわ」

 

 希が、絵里が、そしてにこ自身が――穂乃果と全く同じ気持ちであった。なれば、答えも、為すべきことも一つ。

 

「皆……! ありがとう!!」

 

 少しだけ涙を滲むが、これから会いに行く人の前ではそんなの情けない。拭い取り、穂乃果は表情を引き締めた。

 それは、ことりを迎えに言った時と同じ“決意に満ち溢れた表情”で。

 

「思穂ちゃん。私達は……思穂ちゃんと友達になりに行くよ!!」

 

 そして、穂乃果は部室の扉を開け放つ。向かうは思穂の自宅。追い返されるかもしれない、だけどそうなったら扉をこじ開けてでも思穂と話をする。いや、どんな手を使ってでも思穂の前に現れてやる。どんなに拒まれても、絶対に。

 ――思穂と、“ともだち”になりたいから。



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第四十話 片桐思穂の“昔”

(……これで、良かったんだよね)

 

 暗い私室で、思穂はベッドの上で体育座りをしていた。もうこれで全ての肩の荷が下りたというのに、何故か気分は晴れやかではない。

 あの二通の届を撤回する気はもうない。自分がいることによって、μ'sは余計なトラブルが起きる。この間のオープンキャンパスが良い例だ。あの時、自分が余計な事を言わず、そしてしなければ全てが上手く行っていたのだ。

 今更どんな顔をして皆に合えばいいのかすらも分からない。

 

(そうだ、これで良いんだ。今までだって、私が出しゃばると碌な事が起きなかったのに、それを忘れて、穂乃果ちゃん達と仲良くしちゃったのが悪いんだ。やっぱり昔の方が――私らしかったのかもしれないな)

 

 片桐思穂と言う人間は酷く弱い人間だった。昔から両親は仕事で良く家を空けており、家には常に思穂一人。学校から帰ると、いつもゲームや漫画、アニメ、そして勉強などをして時間を潰していた。

 それに不満を持ったことは一度も無かった。むしろ、それに十全の理解を示しており、両親が困らないように良い子を心掛けていたぐらいだ。もちろん学校でも問題を起こさない様にしていた。

 ただ、その方法が極端すぎただけで。

 

(まあ、あの頃の私は早すぎる中二病を引き起こしていたとはいえ、イチかゼロの方法しか選択していなかったよな~)

 

 問題を起こさないようにするためには、誰とも喋らず、そして空気に徹していれば良い。そう考えていた思穂は、小学校から転機となる中学三年生のある時まで、ずっとそうしていた。

 当然、周りの反応は実に分かりやすいものである。最初こそは話し掛けてくれていたクラスメイト達が徐々に距離を取っていくのだ。それだけならまだ良かったのだが、困ったことに筆箱や体操服を隠されるなどの軽いイジメが発生するようになって来た。

 犯人の目星は付いていたし、何かあった時用に買い与えられていた携帯電話による撮影で絶対に言い訳が出来ない証拠も確保済み。だが、思穂は決して先生にそれを提出することはなかった。

 何故ならそうしてしまえばイジメが発覚し、両親が心配してしまう。そうなれば元も子もない。だから思穂は、鋼鉄の心で、全てを受け入れていた。

 

(そんな時でも、穂乃果ちゃん達は構ってきてくれたんだよなぁ……)

 

 しかし、そのイジメは実に早い期間で終息を迎えた。その結果を導いた三人は、思穂が小さい頃からの付き合いである高坂穂乃果、園田海未、南ことりである。それなりに家が近い、というだけで良く話し掛けられたり、遊びに誘われたりしていただけの関係。……だと思っていた。現に、思穂はずっと三人と距離をキープし続けていた。

 それなのに、あの三人はそんな自分の事を構い、挙句の果てにはイジメまで終息させてくれた。――そこから、思穂は少しだけ反省をし、三人との会話の回数を増やすことにした。

 

(あれはすごく勇気が必要だったなぁ……正直、何で話せていたのかが分からないや)

 

 その当時の思穂には一つ誤算があった。自分は喋らないだけで、いつでも他人と楽しく喋られると、そう思い込んでいたのだ。実際、その一件以降、穂乃果やことり、海未から話し掛けられると話そうとしていたことが頭の中でグルグルと回りだし、上手く話せない。

 辛うじて声を出しても、すぐに恥ずかしくなってしまい、穂乃果達から逃げ続けていた。ほんの少しだけ心を開いた穂乃果達でああだったのだから、他のクラスメイト達とまともな会話は出来なかった。

 極大の恥ずかしさと、未だ染みついている自分と他人への配慮が邪魔し、良くて一言喋るだけ。穂乃果達へは三言ぐらいまで。

 

(中学生までどれだけ内気だったんだよ私!! って感じだよね……)

 

 思穂はずっと内気だった。どんな会話をして良いのかが全く分からず、口数も少ない女子である。

 そんな思穂の支えになっていたのは、やはりサブカルチャー全般であった。だが、勉学も忘れない。成績が悪かったら両親が心配するし、趣味だって止められる恐れがあった。

 だから、思穂は誰もが納得のいく結果を出すため、趣味の合間を縫って勉強をした。結果、いつかツバサに見せられた新聞通りになったのである。

 心からの本心を言うなら、模試の結果はどうでも良かった。ただ、両親を心配させない様に、そして自分の趣味を守れたことだけが思穂にとっての全てであった。

 ――誓って言うが、両親との仲は非常に良好である。

 たまに帰ってきたときはよほどのことが無い限り、思穂の為に時間を使ってくれる。そして趣味についても何一つうるさく言わないし、全国模試の結果を報告すればすぐに休暇を取り、お祝いパーティーを開いてくれたほどである。

 そんな両親だからこそ、思穂は心配を掛けたくなかったのだ。

 

(……いつから、こうなったんだっけ?)

 

 そんな内気の塊だった自分が、今こうして知らない人相手でも話し掛けて行けるようになったのは――いつだ。

 

(……うん、やっぱり中学三年生のあの時だよね……)

 

 振り返れば、思わず笑ってしまうようなそんなキッカケ。壮大なあらすじも無ければ、感動的な山場もない、そんな小さなキッカケである。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「…………」

 

 中学三年生の思穂は小学生よりも口数が多くなって来たが、それでも内気な性格は変わっていなかった。今日も、話し掛けて来たクラスメイトと超最低限のやり取りをし、それ以上には発展しなかった。

 

(……はぁ、またやっちゃった。あの人、席隣だからいつも話し掛けてくれる良い人なのに……。それに、噂だとあの人アニメ好きらしいからお話ししたいんだけどなぁ……)

 

 今日そのクラスメイトへ言えた言葉は『……ペン落ちてたよ』である。これじゃあまりにもぶっきらぼう過ぎる。

 

「思穂ちゃん! 一緒に帰ろうよ!」

「穂乃果、ちゃん……」

 

 高坂穂乃果はそう言って、机に両手を乗せ、顔を自分へ近づけてきた。あまりにも無防備過ぎて、同性にも関わらずドキドキしてしまう。

 何とか喋れた言葉は名前だけ。彼女の勢いに付いて行くにはまだまだ修行が必要なんだ、と思穂は改めて壁の高さを痛感する。

 

「えと……その、私……」

「んー? 何? あっ! 思穂ちゃんシュシュ変えたんだね! 確か前はピンクのシュシュだったよね! 可愛いー!」

「え、ええっ……!?」

「あれ? もしかして違ってた?」

 

 小首を傾げる穂乃果。そんな穂乃果を見て、早く喋らなきゃと慌ててしまう思穂。

 

「何、で……分かったの?」

「分かるよー! 友達なんだし!」

 

 触らなくても分かるぐらい、顔が熱くなる。穂乃果だけではない、海未やことりもそう言ってくれるのだ。……友達と。

 

「あっ……そのっ、えと……! わた、私……! ごめんなひゃい!」

「え!? 思穂ちゃん!? どこ行くのー!? おーい!!」

 

 ――しかし、思穂からその単語を口にしたことはただの一度もなかった。出来なかった、と言った方が正しいのかもしれない。自分ごときに、あの三人を友達と呼ぶ資格があるとはとても思えなかったのだ。

 席を立ち、鞄を掴んだ思穂は穂乃果の制止を振り切り、そのまま帰路についてしまった。

 

(うぅ……また、逃げちゃった……。最低だよ私……)

 

 逃げても逃げても、穂乃果は変わらぬ笑顔で接してくれる。そんな彼女に対して、申し訳なさを感じていた。

 

(はぁ……ゲームだゲーム)

 

 そんな思穂の心を癒してくれるのはゲームやアニメなどの趣味だった。今日は通販で注文したゲームソフトが五本届く手筈となっている。ペース配分を考えていると、突然背中に“何か”がぶつかった。

 

「しーほちゃん!」

「……へ?」

 

 振り向くと、穂乃果が後ろに立っていた。更に、良く知っている二人も。

 

「思穂ちゃん、ことり達と帰ろっ?」

「こと、りちゃん……に」

「そういう事だったらそういう事と早く言ってくださいよ穂乃果。ことりにだけ言うなんてズルいです」

 

 ことり、そして海未がそこにはいた。突然の増援に、思穂の脳内アラートは鳴りっぱなしだ。

 

「わ、わわわ私っ! その、ごめっ――」

「待って!」

 

 逃げようと背を向けたら、穂乃果に腕を掴まれてしまった。それはもうがっしりと。

 

「ねえ、思穂ちゃん。もしかして私の事……そんなに嫌い、なのかな?」

「へっ? へぇっ……!?」

 

 目をウルウルさせ、今にも泣き出しそうな穂乃果がそこにいた。見方によっては自分が穂乃果を泣かせているように取られてしまう。……取られるだろう。

 

「ち、ちがっ! そんな事、ない……!」

「じゃあどうして、いつも私達から逃げるの……?」

 

 いつの間にか穂乃果の隣に来ていたことりまでもが寂しそうな顔をし始める。そんな二人を見ながら、海未が言う。

 

「すいません思穂。二人に悪気はないのです。ただ、私もその……いつまでも逃げられるとこちらに何かかしらの落ち度があるのかと気になってしまいます」

 

 一拍置き、海未が言った。

 

「だから思穂、この際ハッキリ言ってください。私達が……いいえ、穂乃果が何をしたのかを」

「ちょっと待ってよ海未ちゃん! 何で私だけなの!?」

「そ、そうだよ……穂乃果ちゃんは悪くないよ。悪いのは私……!」

 

 すると、三人が一度顔を見合わせ、思穂の方へと視線を集中させた。いきなり降り注がれる視線の雨に、一瞬逃げ出したくなる。

 だが、負けずに思穂は喋り出す。思えば、初めて三人の前でこんなに長く喋る。自然と、思穂の両手は握り拳となっていた。

 

「だって、小学校の時に三人に迷惑掛けちゃったし、これからも一緒にいることで迷惑掛けちゃったら申し訳ない……から」

「逃げちゃってたの?」

 

 ことりの問いに、思穂はコクンと頷いた。中学生になってからは大分その意識が薄れたが、未だに人に遠慮しすぎてしまい、距離を縮めるのが怖くてたまらないのだ。内気な性格も、そこから来ているのかもしれない。

 

「うん、だから、私は穂乃果ちゃん達から友達って呼ばれる資格はないんだ。だからもう私の事は構わなくて――」

「思穂ちゃんの馬鹿!」

「……へっ?」

 

 穂乃果の怒声が思穂の言葉を遮った。まさかここで怒られるとは夢にも思わなかった思穂はキョトンとしたまま動けずにいた。

 

「思穂ちゃんそれは違うよ!」

「違……う?」

「迷惑掛けたら友達になれないなんて、そんなことない! 迷惑掛けたり掛けられたり、ドジ見せたり見せられたりするのが友達だと、私は思う!」

「そんな事……」

 

 そんな穂乃果の言葉を海未とことりが肯定した。

 

「そうですよ。……大体、それを言うなら、もうとっくの昔に私と穂乃果は友達ではありませんよ?」

「海未ちゃん酷い!」

「二人とも落ち着いてよ~……。でも思穂ちゃん、そういうのを全部受け入れて、友達なんだと私は思うなっ」

「うん、やっぱりことりちゃんは私の味方だよー!」

 

 正直、二人の発言で一喜一憂する穂乃果であまり話の内容が頭に入ってこなかった。だが、言いたいことは何となく理解した――してしまったのだ。

 そこから、思穂の錆び付いていたスイッチが軋みをあげ始める。

 

「私も……皆みたいに、なれるのかな? こんな私が、突然逃げなくなったら、皆に引かれないかな……?」

 

 それはまさに分かれ道であった。片桐思穂に用意された最初で最後にして、最大の分かれ道。片方を歩けば、自分は変わろうと努力する。だが、もう片方を歩けば、自分はもう二度とこんなバカげた気は起こさないだろう。

 そんな思穂の問いは、とてもあっさりと、さも当然のごとく返される。

 

「――当たり前だよ! だって思穂ちゃん、すっごく人の事思ってくれる優しい子なんだもん!」

 

 稲“穂”のように雄大で優しい心で相手を“思”う。それが、思穂の名前の由来であった。いつか親から聞いたそんな言葉を思い出し、思穂は――錆び付いたスイッチがとうとう音を立て、切り替わったのを感じる。

 

「……そっか、そう、なんだ。そんなことで……良かったんだ……」

 

 キッカケにしては、余りにも小さな出来事である。聞く者が聞けば、失笑してしまうようなそんな些細な。だが、内気で口を開けばしどろもどろになってしまうような人間にはとても大きな出来事で。

 思穂はずっと欲しかったのかもしれない。遠慮しすぎて人と距離を置いてしまう自分の背中を押してくれる人が。それが、今日――押された。

 

「が……頑張って……」

「うん?」

「頑張って……みるっ」

 

 その時の穂乃果達の気持ちはどうだったのだろうか。今となってはそれを知る手立てはない。ただ、彼女達の満面の笑顔を見て、とりあえずは一歩進めたのかな、と思えた。

 内気で、口下手で、距離を取ってしまう。そんな殻を破った片桐思穂の最初の一歩には、幼馴染達三人の影が伸びていた――。

 



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最終話 片桐思穂の“これから”

「すーはーすーはー」

 

 教室の扉の前で、思穂は深呼吸をしていた。この扉を開けば、片桐思穂にとっての“新世界”が幕を開ける。そして、弱かった自分との決別が始まる。

 

(大丈夫……大丈夫……。教室の皆が私を拒絶しても、穂乃果ちゃん達が受け入れてくれる)

 

 昨日の夜、思穂は決断したのだ。殻に閉じこもっているだけでは駄目だった、全てに壁を作っても駄目だった、なら――次は。

 扉に手を掛け、思穂は最後にもう一度深呼吸をする。緊張しているのか、妙に空気が鼻腔に引っかかる。覚悟は――決まった。

 

「おっはよぉー!!」

「し、思穂ちゃん……!?」

「思穂……?」

「思穂ちゃん……?」

 

 朝の教室が静まり返った。そんなのは想定済みである。むしろ、いきなり受け入れられる方が怖い。穂乃果達ですら、固まっていた。

 今まで無口かつ内気だった自分がこんなにテンション高く入ってくるなどありえない。自分自身も、クラスメイトも、どうしていいのか分からないのだろう。しかし、思穂はここで退かない。

 

「どうしたの皆? 今日朝ごはん食べてないの?」

 

 特に意識させず、思穂は“自分はおかしくない、皆が変なのではないか”という空気を醸し出し、自分の席まで移動する。その所為もあるのか、未だチラチラ見られながらも、何とかいつも通りの教室の雰囲気に戻りつつある。

 

「おはよっ!」

「お、おはよ……」

 

 そして思穂は隣に座っていたクラスメイトの方へ顔を向けた。そのクラスメイトはおっかなびっくりといった様子だったが、何とか挨拶を返してくれた。

 手応えを感じつつ、思穂は早速本題を切り出す。

 

「いやー昨日は夜までアニメ三昧だったよ! 最近は魔法使い貸します! って感じのアニメがキテるね」

「え……」

 

 クラスメイトは目を丸くした。その瞬間、思穂は失敗したかと焦りだす。そもそもアニメ好きでは無かったのか、そんなことを思っていたら、そのクラスメイトが言葉を返してくれた。

 

「……片桐さんも見てるの、それ?」

「え? あ、うん。全部見てるよ! 右目に妖精の眼ってカッコいいよね! 私、一時期眼帯しちゃってたよー!」

「そ……そうなの!? うんうん! 私も私も! 私的には猫好きの陰陽師とかすごく好みなんだよね!」

「普段は優しいのにいざとなればカッコいいの! ってのを地で行っているからズルいよね!」

 

 そこからは打てば響く鐘のように。今までの鬱憤を晴らすかの如く、思穂はトークをし続けた。

 

「はぁ……はぁ……片桐さん結構濃いね」

「そっちも、思っていた以上でビックリしたよ!」

 

 いつの間にかクラスメイトと思穂は笑顔でやり取りをしていた。会話も一区切りついたところで、クラスメイトは言った。

 

「私ね。ずっと片桐さんと話してみたかったんだ。あ、もちろんアニメ知っているか分からなかったから、ただ普通に話したかっただけなんだけどね」

「……実は私もなんだ。あ、ちなみにアニメ好きって噂は聞いていたから私はそういう話をしてみたかったんだけど」

 

 いつも口数が少ないから誰とも話したくないのかな、とそうクラスメイトは言った。その一言で、思穂は今までの行動を振り返る。

 思えば、誰とも喋らず、必要に応じて最低限の単語だけで済ませる。そんな自分へ一体誰が近づこうと思うのか。

 

「思穂ちゃん!」

「穂乃果ちゃん……」

 

 改めて、思穂は幼馴染三人を“尊敬”した。振り返って、自己嫌悪したくなる自分を相手に、穂乃果達はいつも笑顔で接してきてくれた。

 

「一体どうしたの!? いきなり大変身しててビックリしちゃってたんだよ!」

「あれかな、心境の変化ってやつ!」

「思穂、その……どこか具合が悪い訳ではないんですよね?」

「もち! というか失礼な!」

 

 ことりの方へ視線をやると、彼女は笑っていた。どうしてか尋ねてみると、ことりは笑顔のまま言う。

 

「だって思穂ちゃんとこうして話すの、何だか初めてのような気がして!」

 

 たったこれだけで良かったのだ。気付けば、思穂は目頭が熱くなっていた。特別な事などいらない、ただ――笑顔で返せば良かったのだ。たったそれだけの事に気づくまで、自分は長い回り道をしていた。

 

「……今まで、ごめんね」

「えっ!? 何で思穂ちゃんが謝るの!?」

「私、何か勘違いしていたんだね。それが……恥ずかしくて」

 

 穂乃果は首を横に振り、おもむろに右手を差し出した。

 

「思穂ちゃんは思穂ちゃんだよ。だからさ、今までも……そしてこれからもよろしくね、思穂ちゃん!」

 

 伸ばされた手は“今まで”の自分の終着点に見えた。否、終わるのではない。思穂はゆっくりと、そして柔らかくその手を掴んだ。

 

「私、頑張って変わって見せるから、だから……よろしくね! 穂乃果ちゃん、海未ちゃん、ことりちゃん!」

 

 終わりは次への始まりだ。今までの片桐思穂は終わったが、また新たに――始まったのだ。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「――あの時、私は確かに変われた。そう、思ったんだけどなぁ」

 

 いつの間にか思穂は眠ってしまっていた。見ていた夢は中学時代の頃の変わったはずの自分。時計を見ると、まだ三十分しか経っていない。

 半日寝たかのようなえらく濃密な睡眠であった。

 

「さて、と。どうしようかなぁこれから」

 

 マネージャーもどきも、文化研究部も、全て終わりにした思穂はこれからのことについて思案を始める。ゲームをやり、アニメを鑑賞し、漫画とラノベを読み漁る。答えはもう出ているはずなのに、思穂は未だにそれを選べずにいた。

 何故だ、自問自答を繰り返す。誰も答えてくれる人はいない。いるのは製作者の魂がこもった無機物たちのみ。

 

「――思穂ちゃ~ん!!」

 

 まだ、いた――。外から聞き慣れた穂乃果の声がした。用件は分かっている。故に、それに反応する気は無い。

 既に自分は決別した身だ。今更どの面を下げて会えば良いのか。のうのうと穂乃果と顔を合わせるなどという破廉恥な真似は死んでもごめんだ。

 

「穂乃果ちゃん、鍵が掛かっているよ。いないんじゃ……」

「凛ちゃん、そこに掛かっているポストの下見てみて!」

「あったー! すごーい穂乃果ちゃん!」

「ていうか、不用心すぎでしょ」

 

 花陽に、そして凛。おまけに真姫の声まで聞こえてきた。不用心などでは無い毎日、鍵の隠し場所は変えている。一発で当てた穂乃果がすごいのだ。

 

「思穂ちゃんの家、初めて来るなぁ。あれ、にこっちどうしたん?」

「思ったよりデカくて驚いただけよ文句ある!」

「はいはい。時間が惜しいわ。思穂ーいるなら、お邪魔させてもらうわねー!」

 

 居なかったらどうしたのだろう。ことりと海未の声がしないが、恐らくはいるのだろう。思穂は頭を抱える。

 

「止めてよ……来ないでよ……」

 

 扉が開かれ、ドタドタと階段を上がってくる音が聞こえてくる。近づいてくる。今ならまだ、二階から飛び降りれば逃げられる。だが、思穂はそうしなかった。

 

「思穂ちゃん! 私だよ、穂乃果だよ! お願い、ここを開けて!」

「……なーんで、来ちゃったのかな」

 

 扉一枚隔てて、穂乃果と向き合うように立つ思穂。扉は固く閉ざしていた。精神的にでは無く、物理的に。

 元々、両親が勝手に部屋に入り込まない様に自作の電子鍵を施していたのだ。パスワードは六桁。外に備え付けられたテンキーで打ち込まなければ絶対開かないようになっている。扉自体も、物理破壊対策の為、中に鉄板を仕込んだ特別製だ。

 

「穂乃果ちゃんや。私、もうアイドル研究部を退部した身だよ? 退部した奴に構うより、早く練習に行った方が良いよ」

「……思穂ちゃん私、思穂ちゃんの事を何も分かっていなかった」

「ううん、分かっていなかったのは私の方だよ。自分の身の程を理解していなかった私の……完璧なミス」

 

 扉で隔たれているお蔭で誰の表情も見えない。今の自分がどんな顔をしているのか――知りたくもない。思穂は言葉を続ける。

 

「今回の件……。学園祭のライブや、ことりちゃんの留学騒動がここまで拗れたのも私が余計な事をしたからだよ」

「それは思穂ちゃんのせいじゃ――」

「私のせいだよ。私が穂乃果ちゃんを焚き付けるようなことを言ってしまったのがそもそもの原因。それに、ことりちゃんのエアメールの事知っていたし」

 

 扉の向こうから息を呑む音が僅かに聞こえた。

 

「私が前に出ようとすると、全てが拗れてしまうんだよ。それを忘れてしまっていたのが今回の原因。だから穂乃果ちゃんに一時的とはいえ、スクールアイドルを辞めさせてしまったのは私なんだ」

「文化研究部も、そうだったのですか?」

 

 海未の声が聞こえてきた。思穂はもう隠す必要はないと感じていた、むしろ聞いて、距離を離してもらおうとさえ考えていた。

 

「そうだよ。文化研究部は私の所為で潰れたんだよ。私が皆の事をちゃんと見ていなかったから去って行った」

「そんなこと――」

「あるんだよ!! 想像出来る? 皆の事を思って私が何でも手を出し過ぎた結果……皆が申し訳なさそうに去って行った瞬間を。想像出来る? “自分は信用されていないんじゃないか”そう言った時の部員の顔が……!」

 

 片桐思穂とは何でもこなせ、そして人を思いやり過ぎるのだ。

 

「……当時の私は自惚れていたんだよ。面倒な所は全部私が引き受ければ皆の負担が減る、皆には限りなく簡単な作業をしてもらえば楽しくやっていける。そう思っていたんだよ」

 

 更に思穂は続ける。皆はただ黙って思穂の話を聞いていた。

 

「全然気づけなかった……。皆、力を合わせて、私と一緒に、文化研究部全体で、物事に取り組みたかったんだって……。真正面から言われて初めて気づいた。酷い、傲慢だったんだよ私は。何も言えなかった、皆から口を揃えて“信用されていないんじゃないか”と言われた時に、心の底から言い返せなかったことが私は……絶望した」

 

 部員たちの言葉はそのまま片桐思穂の真理を突いていたのだ。なまじ自分で何でも出来るが故に、一人“でも”何とか出来ると心のどこかで思っていたからこそ、思穂は言い返せなかった。

 ――他人を、心の底から信用できていなかったのだ。

 

「そんな最低な奴なんだよ私は。だから私は、皆と一緒にいる資格はない。さっさといなくなった方が良いんだよ」

「……思穂、そこを開けなさい」

 

 扉の向こうからにこの声がした。この場では、彼女こそが一番の理解者である。

 

「にこちゃんか。にこちゃんが一番分かってくれるでしょ? だから、皆を説得して早く帰って」

「……希、何か適当に打ち込みなさい」

「ええの? ウチ、パスワードなんて知らないよ?」

「いーから」

 

 カチカチと打ち込み音が聞こえてきた。思穂はそれが無駄な事だと知っていた。そもそも六桁だということを知らないし、適当に打ち込んで開けられるモノじゃない。やってもらって、諦めて帰ってもらおう。

 そんな思穂の思惑は、ガチャリと言う音と共に崩れ去った。

 

「……は?」

 

 ドアノブが回り、扉が開かれた。

 

「の……希ちゃん、無茶苦茶過ぎるよ……!」

 

 思穂の声に絶望の色が滲み出ていた。適当に、しかも一発でパスワードを当てるとは最早、異常を越えている。

 一番に部屋に入って来たのは、穂乃果ではなく、にこだった。真顔で入って来たので、まるで感情が読み取れない。

 

「にこちゃん……」

「……思穂、あんた」

 

 瞬間、にこに胸倉を掴まれた。

 

「――ばっっっっっっかじゃないの!?」

「……へ?」

 

 途端、にこが今まで溜めていたものを吐き出し始める。

 

「あんた、さっき自惚れていたって言ってたわよね? それは言い間違えているわ、今“も”よ!」

「今も……?」

「そうよ! あんた一体何様のつもりよ!? 話を聞いていて納得したわ……あんた、思い上がるのもいい加減にしなさいよ!」

「にこ、言い過ぎ――」

 

 絵里の制止の声をにこが上から被せる。

 

「絵里は黙ってなさい。思穂、要は自分が何でもしようと思ったらまた同じ事になってしまうかもしれないそれが怖くてアイドル研究部を去ろうとしているってことでしょ?」

「そ、そうだよ! 私が出しゃばるからアイドル研究部にはトラブルが発生するんだよ! だから――」

「それが思い上がりって言ってんのよ! あんた如きが、アイドルの世界を知り尽くしたような事を言ってんじゃないわよ!」

 

 思穂の胸倉から手を離し、一呼吸置くと、にこは言葉を続ける。他のメンバーはただ二人の成り行きを見守っていた。

 

「正直、悔しいけどあんたの事はすごいと思っているわ。確かに何でも出来るのは事実だしね。だけど――それだけよ。それだけでこのアイドルの世界はあんたの想像通りにはいかないわ」

 

 にこの口から飛び出る言葉全てが思穂を貫いていく。“何か”にヒビが入りつつあるような、そんな感覚だ。

 

「良い? アイドルグループってのは個性がぶつかりあって、調和しようとしているからこそ輝くのよ。このμ'sだってそう。……例えば、真姫はいつもツンケンしてるけど歌方面の能力はトップクラスだし、花陽はオドオドしているけどアイドルの知識はこの私に付いてこれる程、凛はいつもにこを苛立たせるけどダンスの実力は折り紙つきだわ」

 

 花陽、凛そして真姫が部屋に入ってきた。

 

「思穂ちゃん」

「花陽ちゃん……」

「私、まだ思穂ちゃんとアイドルの事を話せてないから……! 思穂ちゃんにはまだ、止めて欲しくない……!」

 

 花陽の真っ直ぐな視線が突き刺さる。

 

「凛は思穂ちゃんと遊んだことがないから、遊びたいんだにゃー!」

「凛ちゃん……」

 

 ニパッと凛は笑顔を浮かべる。

 

「思穂」

「真姫ちゃん?」

「貴方にはまだその……そうピアノ! ずっと前に聴かせたのが私の全てだと思われたら困るからその、また聴かせなきゃいけないんだから勝手にいなくなるんじゃないわよ!」

 

 どこまでも素直じゃない真姫の言葉。

 

「絵里はスタイル良すぎてムカつくけど、生徒会長の経験が活きてちゃんと全体を見ているし、希はいつも私にちょっかい出してきていつかぶん殴ってやろうと思っているけど、アイドルに必要な能力がバランス良く備わっている」

 

 次に入って来たのは、絵里と希だった。

 

「思穂、貴方には責任があるのよ?」

「絵里ちゃん?」

「この私をアイドル研究部に焚き付けた責任が、ね? だから私よりも先に辞めるなんて認められないわ」

 

 そう言って絵里が片目だけでウィンクをする。

 

「思穂ちゃん」

「希ちゃん……」

「カードは今でもウチに言っているんよ。μ'sは思穂ちゃんがいて、更に輝くって。だから、居なくなったらあかんよ」

 

 希がカードを見せながら、言った。そのカードの柄は逆さまの『死神』。その意味は死と再生。それが意味する所とはつまり……。

 

「そして私は、スーパーアイドルだから今更何もいう事はないわ。そんなスーパーアイドルに釣り合うマネージャーは思穂、あんたしかいないわ」 

「にこちゃん……」

 

 そして、にこは穂乃果達の方へ顔を向ける。

 

「そして! 穂乃果は馬鹿みたいに突っ走るけどその行動力は誰もが認める所だし、海未は鬼のように練習厳しいけど良い歌詞を書く。ことりはポワポワしているけど素晴らしい衣装をいつも作ってくれるわ」

 

 最後に、穂乃果そして海未とことりが部屋に入ってきた。

 

「思穂」

「海未ちゃん……」

「私は思穂が羨ましいです、いいえ中学三年の時からずっと羨ましかった。思穂はあの時、確かに変われたんです。そんな思穂を、私はこれからも見続けていきたい。私も、もう少し変われるような気がするから……」

 

 海未がそう言って思穂の右手を握る。

 

「思穂ちゃんは最低なんかじゃないよ?」

「ことりちゃん……」

「思穂ちゃんは昔も、今も、素敵な人だよっ。そんな素敵な自分を責めないで? 私はそんな思穂ちゃんが大好きだから」

 

 思穂の左手を、ことりが握った。繋がれた両手。“温もり”が二人の手を通して、思穂に伝わってくる。

 ――揺らぐ、ヒビが入る。

 

「思穂ちゃん」

「穂乃果ちゃん……」

 

 穂乃果が思穂の目の前に立つ。

 

「私、思穂ちゃんの事を全然知らなかったんだね……。思穂ちゃんが昔も、今も苦しんでいたことも、どっちも分からなかった」

「それが私の罰なんだよ。一人で何でもやろうとした私のね」

 

 瞬間、穂乃果が思穂の両肩を掴んだ。

 

「違う! 思穂ちゃんはどこまでも優しいままの思穂ちゃんだよ!」

「違う、違う違う違う……! 私はそんな奴じゃあない!」

「私ね、思穂ちゃんにお願いがあるんだ」

「おね……がい?」

 

 浮かべた笑顔は、片桐思穂と言う名の“殻”に亀裂を入れ始め、やがて完全にヒビが回る。

 

「私と――友達になってくれないかな? 今度こそ、本当の。それでさ、これから分かり合っていけば良いんだよ!」

 

 その言葉を――思穂は、どれだけ待ち望んでいたのか。

 

「私、今更……もう、友達になる資格なんて……」

「友達に遅いも早いも無いよ! 私は思穂ちゃんと一緒にいたい! もっと思穂ちゃんの事を知りたい! だから思穂ちゃん、文化研究部を、μ'sを辞めないで!!」

「何で……何で、そんな事を言うの……? そんな事言われたら私……! もう決めたのに、決めたのに……!」

 

 割れる――殻が割れる。

 

「思穂、あんたは何でも出来るんだろうけど、私に言わせれば何にも出来ないわ。馬鹿で、人をおちょくるのが好きで、不謹慎で、二次元オタの、何にも出来ない奴なのよ。だから、少しは私達を頼りなさい。私達は――私達だからこそμ'sなのよ」 

 

 にこの言葉が、完全に思穂を殻を破壊する。思穂の視界はとっくの昔に、涙で滲み、もう誰の顔も見えない。

 

「私……っ! 私……もう、嫌だった……! 私のせいで、皆を傷つけるのがもう……!!」

 

 思穂は求めていたのかもしれない。自分はただの人間で、ちょっと要領が良いだけの、一人では何にも出来ない、ただの不器用すぎる人間だったと、そう言われるのを。

 

「……私、良いの? 居ても、良いの? 私、皆と居る資格が……あるの?」

 

 ふわりと穂乃果が思穂の背中に手を回し、耳に顔を近づける。ポソリと囁かれた一言で、答えは――十二分過ぎた。

 

「う、わた……しぃ……! あり、がと……ありがとぉ……!! 私、嬉しい……嬉しいよぉ……!!」

 

 そこからの思穂は今まで溜めていたものを全て洗い流すかのように、泣き続けた。声を上げ、恥も外聞もなく、ただ無心で泣き続けていた。

 そうして気づけば、憑いていたモノがいつの間にか消え失せていた。涙も枯れ果て、ようやく落ち着きを見せ始めた頃、思穂は一つ大事な事を思いだした。

 

「でも、私……もう届を出しているはずじゃ」

「それってもしかしてこの事?」

 

 そう言って希が取り出したのは、提出したはずの退部届と廃部届の二枚だった。すると、希がそれに指を掛ける。

 

「あー手が滑ってもうたー」

 

 あからさまな棒読みで、希がその二枚を縦に破ってしまった。それを見届けた絵里が、目を瞑りながら、さも申し訳なさそうに言う。

 

「最近、μ'sの活動が忙しすぎて生徒会の活動が疎かになっていたわ。ごめんなさいね、思穂。まだその届出は――受理されていないわ」

 

 へたりと、思穂は床に座り込んだ。完全に出し抜かれたと、自分はまだまだ未熟者だということを思い知らされた。

 破られた二枚の届は、今までの自分との決別の瞬間にも見えた。今度こそ、本当の意味での決別を。

 

「あは、は……何、それ……。職務怠慢過ぎでしょ生徒会……」

 

 笑った。心の底から、笑った。氷が溶けていくような感覚だった。身体が何だか軽い。

 今の自分なら、何でも出来るような、そんな気がした。

 

「あーあ……ほんっと、私の周りは――お節介ばかりだ!」

 

 心を安定させるため、一度深呼吸をした。そして、表情を引き締める。

 

「皆、ちょっと電話させてもらっても良い?」

 

 そう言って、皆を一度部屋から出し、思穂はスマートフォンを取り出した。

 

「あ、もしもし――」

 

 時間にしてきっかり十分。思穂は皆を再び部屋に入れ、走り書きをしたメモ用紙を見せた。『商店街のイベント』、『隣町の小学校への訪問』、『市の催しへの参加』などなど。

 そこに並べられていたのは全て、μ'sの為のモノ。

 

「し、思穂ちゃん、これは何……?」

「ん? μ'sの知名度上昇になりそうな仕事だよ? どれやる? あとはこっちが返事するだけだよ!」

「へ、へっ!?」

 

 穂乃果だけでは無く、皆が目を丸くしていた。そのどれもが、たった十分程度で纏められるような規模のモノでは無かったからだ。

 

「ど、どうしてこんなに……?」

「うん? だってそんなの決まってるよ! 私はμ'sの“マネージャー”だよ! μ'sの為に今日もえーんやこら! ――そうでしょ?」

 

 もう迷いはない。そう、これは自分の為なのだ。自分が大好きなμ'sの、穂乃果達の笑顔が見たいからこそ、自分は能力の全てをフルに使うことにした。これから、更に。

 

「そう言えば、ずっと自己紹介をしていなかったんだよね。花陽ちゃんとかちゃんと自己紹介していたし」

 

 今更過ぎる、なんて言わせない。思えば、部に入るための儀式をしていなかったことを思い出し、そして今こそそのタイミングだと、思穂は感じていた。

 

「――私は片桐思穂。趣味は二次元と名の付くもの全てとにこちゃんを弄ること。ついさっき、“もどき”は卒業しました。これからは――μ'sのマネージャーとして頑張ります! だから、これからもよろしくお願いしまっす!!」

 

 ――私達には思穂ちゃんが必要なんだよ。

 そう、穂乃果は言ってくれたから。皆と向き合って、皆が自分の勘違いを否定してくれて、穂乃果が必要だと言ってくれたから、自分はもう自分で歩き出せる。

 

「よぅし皆、私を本気にさせたんだ。もう休んでいる暇なんてないんだからね!!」

 

 思穂は完敗で始まった講堂のライブを思い出していた。夢が始まり、夢に到達し、そして夢がまた始まる。そんな歌のフレーズを思い出し、思穂はその歌を自分の胸に響かせる。

 これは片桐思穂にとっての“終わり”であり、新たな“始まり”の為の長い長いプロローグであった。

 

(……さよなら、今までの私。今までありがとう。これからは有りのままの自分で歩いていくよ!)

 

 そして、片桐思穂の新たなストーリーが今、幕を開けたのだ――。



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第二部~それは僕たちの奇跡~
第一話 現れたのは“死刑宣告”


「よぅし! 皆、お疲れ様!」

 

 九人分のタオルを抱え、思穂は皆の元へ駆け寄った。皆汗だくで、それだけで満足のいくステージを終えられたのだと、思穂はまるで自分の事のように満足した。

 今日は、商店街のイベントでμ'sが呼ばれていた。オープニングステージと言う一番目立つ演目に喰い込めたのも一重に思穂が商工会長へ地道に交渉を重ねた結果である。

 このライブの様子はしっかりネット中継で流されているので、熱心なファンならきっと見ていてくれているはずだ。

 

「はあ……はあ……どうだった思穂ちゃん!?」

「良かったよ穂乃果ちゃん。皆も良い仕上がりだったよ!」

「ま、このにこにーにかかればどんなライブでも――」

「あ、にこちゃんはちょっと半テンポ遅れてたから気を付けてね」

「な、何ですってぇ!?」

 

 あの一件以降、思穂は以前より積極的にμ'sの活動に精を出していた。具体的にはもっと穂乃果達に負担を背負ってもらおうという方面で。もちろんそんなことはやらないが、その気になれば毎日ライブ三昧にすることだって不可能では無いのだ。

 

「ということで、明日は今日の反省を活かしつつ練習しようね! あ、海未ちゃんに絵里ちゃん。これ観客である私の視点から見た改善点だから!」

 

 そう言って思穂は走り書きのメモ二枚を二人に手渡した。要点を押さえた恐ろしく簡潔明瞭なモノだった。受け取った二人はざっと目を通し、小さく頷く。

 

「そうですね、思穂の言うとおりだと思います。後、これに付け足すなら私はAメロからBメロに移る時の場所移動が少し遅かったと思います」

「海未の意見もそうだけど、私はもっと腕を上げる時の“トメ”を意識したほうが良いと思ったわね」

 

 思穂の意見を叩き台に、海未と絵里が思う事を言い合う。また、それに対して思穂が更に意見を膨らませる。

 そんなやり取りを繰り広げているのを遠目に穂乃果は酷く感心したように漏らした。

 

「うわぁ……思穂ちゃんと絵里ちゃんと海未ちゃんの周りに何だか炎のようなものが見えるよぉ……」

「穂乃果、あんた仮にもリーダーなんだからハマって来なさいよ」

「そ、それを言うならにこちゃん部長でしょー! 行ってきなよー!」

「に、にこは全体を見るっていう大事な役割があるのよ!」

 

 穂乃果やにこだけではなく、他のメンバーも今はあの三人の中にハマりたくないと遠巻きに眺めていた。

 

「思穂ちゃん、何だか活き活きしているね」

 

 ことりが言った一言に皆が頷いた。思穂は明らかに変わった、というのがμ'sの共通意見であった。“もどき”ではなく“マネージャー”として、思穂は以前の比では無いくらい一生懸命になり始めたのだ。

 

「あ、絵里ちゃん海未ちゃん、ちょっとごめんね!」

 

 そう断り、思穂はスマートフォンを手に取り、電話に出た。電話の主は隣の更に隣町にある小学校の先生からだ。

 

「あ、もしもし! はい! 場所は二階の大ホールなんですね。五年生と六年生が対象ですか、ならそれに合わせた内容にしますね! はい! それでは失礼します!」

「……随分忙しそうね、思穂部長」

 

 からかうようにそう言う真姫へ、思穂は満面の笑みで返してやった。忙しくて結構、それが楽しいことなら尚更だ。

 あれから変わったことがもう一つある。それは、文化研究部をまた活動再開させたことだ。メンバーとしては依然一人であるが、それでも発足当時のような活力を取り戻せた。

 先ほどの電話は近い内に小学校へ人形劇をやりに行くので、その打ち合わせの電話だった。当然、一人では不可能なので応援を頼んでいる。

 

「うん! すっごく忙しいけど、これで良いんだよ! あ、メールメール!」

 

 送信先は以前辞めてしまった部員たち。去る者は追わない主義なので、今更部に引き戻すことはしないが、手伝いくらいは頼めるくらいに前の事を受け入れ始めた思穂だった。

 

「そのタフさは見習わなあかんな」

「凛は同時にあれだけの事をこなすなんて絶対無理だにゃー……」

「凛ちゃん、頭から煙出てるよ!?」

「うわっ! 花陽ちゃんの言うとおりだ! 冷たいドリンクあるからそれで冷やそう!」

 

 前よりもずっと距離が近くなったμ'sメンバー。全てが明るく輝いていた。向かうところ敵なし、そういう言葉が今の思穂にはピッタリだったのだ。

 ――今日の夕方までは。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「いやー今日も良い感じに皆輝いていたなぁ」

 

 家までもう少しという所で、思穂は今日の事を振り返っていた。九人の良い所を挙げれば、本当にキリがない。それだけで本一冊は余裕で書けてしまう。

 心地良い充足感を感じながら、思穂は今日はどんなアニメを視聴しようか頭の中であれやこれやと思い浮かべていた。昨日アニメ視聴用のモニターが届いたので、今日からモニター二台を使ってアニメを同時に二本観られるのだ。二刀流を編み出した宮本武蔵って本当にすごい、そんな事を考えながら、思穂は自宅の前まで辿りついた。

 

「……ん?」

 

 鍵が、開いていた。朝は間違いなく掛けていたはずの鍵が、開いていたのだ。

 

「……何てこったい」

 

 バクつく心臓を鎮めながら、思穂は鞄から黒い物体を取り出した。それは何を隠そう護身用に買っておいたスタンガンである。この世の中、花の女子高生が一人でのうのうと日々を過ごせるなんて幻想はあまり抱かない様にしている思穂は常に鞄にスタンガンを仕込んでいたのだ。

 

「まあ、簡単な護身術程度なら修めているこの思穂ちゃんを同人誌のように出来ると思ったら大間違いだって話だよね……!」

 

 音を立てない様にドアノブを捻り、ゆっくりと慎重に扉を開いた思穂は一度深呼吸をし、自宅の中へ足を踏み入れた。玄関を見ると、呑気に靴を揃えて置いているではないか。

 やけに律儀な不法侵入者を賞賛しつつ、思穂は明かりが点いている居間へ慎重に移動する。

 

(玄関に置いてあった見慣れない靴は一組。他に気配も無いから変態は一人で確定。なら……電撃戦で仕留める)

 

 スタンガンを握りしめ、スイッチの場所を確かめる思穂。ここからは一瞬の油断も許されない命のやり取りだ。いきなり扉を開け、相手を怯ませたところでバランスを崩し、一気にスタンガンで仕留める。

 警察を待っていたらあっという間に逃げられてしまう。万が一にでも通帳なんか奪われたらもうオタクライフは過ごせない。思穂はそっとドアノブに手を掛ける。

 

(よし……よし……よし……!)

 

 覚悟を決め、思穂は立ち上がり、ドアノブを捻った――。

 

「南無三ー!!」

「へっ……!?」

 

 中の音で大体の居場所は把握していたので、後は一気に近づくだけだった。部屋に突入した思穂は不審者の服を引っ張り、バランスを崩させた後、一気に押し倒し、スタンガンを首元に当てる。

 あとはスイッチを押して相手を地獄に叩き込むだけ。スイッチを押しこむ刹那、不審者の顔が目に入る。

 

「…………ん?」

 

 まず目に入ったのは茶髪である。鎖骨くらいまで伸びた髪は左右どちらも結ばれ、おさげとなっている。そしてどこかで見たことのある顔立ち。ツリ目、そして口は二次元などで良く見るような典型的な『への字』。

 途端、思穂は心臓が別の意味で痛くなり始めてきた。バックンバックンと、それはもう外に聞こえるくらい大きな音で。

 

「…………ン、んんん……?」

「……ねえ、何で私、押し倒されてそんな物騒なモノ首に当てられてるの?」

 

 受け入れらない、受け入れたくない。どうして彼女が今、自分の下に倒れているのか理解したくない。背中から冷や汗が吹き出し始めてきた。手もガクガクと震えだす。

 そんな思穂とは真逆に、“彼女”は非常に冷めた目で思穂を射抜く。

 

「な……なななん、なん、何でいるるる、いる、の!?」

「まずはその物騒なモノを私から離して、そして私の上からどいてくれる?」

 

 すぐさま思穂は飛び退き、スタンガンを自分の手の届かない所へ放り投げた。そして熟練した動作で正座の体勢に移行し、思穂は土下座をする直前まで持っていく。

 

「……こ、ここ、この度は大変その、申し訳ないことを……!!」

「私がしばらく日本にいない間に、ここはスタンガンをか弱い女の子に突き付けるような世界になったんだね?」

「そ! そんな世紀末な世界じゃないよ日本はー……はっはっはっ!」

「……で、何で私にスタンガンを突き付けたのか説明してもらえるんだよね――思穂“姉さん”?」

 

 彼女――『片桐麻歩(かたぎりまほ)』はそう言って、腕を組んだ。

 

「つまり、ね。ほら、何の前触れもなく家の鍵が開いてれば誰でも不審者だと思うじゃん!? 私、悪くないよね!? 正当防衛だよね!?」

「……メール入れているはずなんだけど」

「えっ!? そ、そんな訳……」

「二日前の午後一時三十六分」

 

 すばやく思穂はスマートフォンを取り出し、言われた日時まで受信ボックスを遡らせた。すると――あった。『明後日、日本に戻ってくるから姉さんの家に厄介になるね。おばさんとおじさんにはもう了解もらってるから』、というメールがしっかりと。二日前に見なくても、どうにもできなかったであろうそんなメールが。

 とりあえず思穂は麻歩を座らせ、自分も向かい合うように座った。

 

「……」

「……」

「……あ、はは! サープライズ! どうだった麻歩? 外国生活長かったからきっとジャパニーズジョークが恋しいかなって思って一芝居打たせてもらったよ!」

「本気で言っているのなら今すぐに姉さんのコレクション全部叩き壊すんだけど――」

「――大変申し訳ございませんでした私が底辺です」

「もっと誠意」

「私はあろうことに“従妹(いとこ)”を恐怖に晒したド底辺でございまする」

 

 片桐麻歩とは、何を隠そう思穂より一個下の従妹であった。母方の妹の子供であり、早い内から外国と日本を行ったり来たりしている子であった。ゲームで例えるならはぐれたメタル。一緒に遊んだ回数は両手で数えられる程である。

 そんな事を思い出しながら、椅子から飛び降り、思穂は土下座をしていた。もはやこの一連の動作は手馴れたもので、何の躊躇なく土下座に移行出来た。

 

「ところでさ、急にどうしたの? 突然日本に戻ってくるなんて……。向こうの学校は良いの?」

「一か月くらい休んで来たの。たかが一か月程度休んだところで大して勉強には支障ないし」

「……確かその学校、前にテレビで特集組まれるくらい狭き門の学校じゃなかったっけ? え、良いのそれ?」

 

 思穂の記憶違いでなければ、麻歩の通っている外国の学校は『世界の難関校』という特集で番組を組まれるくらいにはレベルが高いことで有名な学校のはずである。

 だが、麻歩はそんなこと、と言いたげに人差し指を思穂へ向けた。

 

「大丈夫よ。本当にヤバかったら姉さんに教えてもらえば良いし」

「私がどれだけ買い被られているか良く分かる発言だね!」

「じゃあ姉さん、これ試しにやってみる?」

 

 そう言って、麻歩が隅っこに置いていた鞄から一枚の用紙を取り出し、思穂に手渡した。軽く目を通すとそれは、英文とグラフなどなどで埋め尽くされた数学の問題用紙であった。英文を読むのが面倒くさかったが、読み解くと実に分かりやすい問題だったので、計算は非常に楽であった。

 思穂はテーブルの上に置いているペンを手に取り、答えだけその用紙に書き連ねた。

 

「けっこう優しい問題の出し方なんだね! これ小テストか何か?」

「……やっぱり私は姉さんを買い被っていなかったということが良く分かる発言だったわ」

 

 麻歩は溜め息を吐き、その用紙を思穂からひったくると鞄に戻した。

 

(……去年の入試の過去問を小テスト呼ばわり出来るのは日本で姉さんくらいよ。しかも暗算で全問正解なんて、冗談じゃない)

 

 それは麻歩が去年、死に物狂いで解いていたその“狭き門”の入試の過去問であった。勉強の為にコピーはいくつも持っていたので試しに渡してみると、これだ。

 相変わらず敵わない、そう麻歩は感じていた。

 

「ていうかまだ理由を聞いていないんだけど!?」

「……姉さん、最近おじさんやおばさんと連絡取ってる?」

「うっ……!」

 

 思穂は思わず目を逸らしてしまっていた。正直に言えば、全く取っていない。それは昔のように両親に心配を掛けさせないようにでは無く、オタクライフに没頭しすぎているせいである。

 

「それで、この間向こうで久しぶりにおじさんとおばさんに会ったから姉さんの事聞いてみたけど、しばらく連絡取っていないって言われて、私心配だったのよ?」

「……は、はぁ……。そんな事なら心配ないよ! 私はいつでも元気元気! むしろ麻歩に心配させるなんて申し訳なかったね!」

「……で、私はおばさんとおじさんに言ってきたわ」

「な、何を……?」

 

 思穂はいつもよく当たる嫌な予感を感じ取っていた。『あ、これ流れ変わったな』、そう明確に理解できるくらいには。

 

「もし姉さんがぐうたら生活を送っていたら即刻――向こうに連れて帰るって」

 

 それは捉えようによっては死刑宣告で。一切の遊びも冗談も感じさせない麻歩の瞳を見て、思穂は随分久しく使っていなかった口癖を思わず口にしていた。

 

「ほ、ほわっちゃ……」

 

 新しく始まった思穂の物語は、いきなり波乱の展開を迎えることとなった――。



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第二話 従妹、這いよる

「ああああああああああ」

「ちょっ……!? 思穂、一体どうしたのですか!?」

 

 海未は面食らっていた。朝登校してきたかと思えば、いきなり机に突っ伏し、地獄の亡者が出すような声を出し始めたからだ。

 その表情にはどこか、いや全く生気が感じられない。

 

「うわ、すっごい顔してるよ思穂ちゃん!」

「ど、どうしたの?」

 

 その様子を発見した穂乃果とことりも不安げな表情で思穂の元へ近づいてきた。

 

「あ、おはよ……穂乃果ちゃん海未ちゃんにことりちゃん。良い天気だね……あああああああああ」

「いえ、現在進行形で良い天気が良い天気では無くなっているのですが……」

「本当にどうしたの? もしかして見たかったアニメの録画に失敗したとか?」

「その程度ならどんなに良かったことか……」

「ええっ!?」

 

 その言葉を聞き、穂乃果達三人は戦慄が走った。あの思穂がアニメの録画を“そんなこと”呼ばわりすることが信じられなかった。以前、アニメの最終話の録画に失敗した思穂が血涙を流したのを見ていただけに、その言葉がどれだけ異常事態か嫌が応でも穂乃果達に理解させる。

 ちなみに、比喩表現では無く本当に血の涙を流し、即病院へ行かせられた。穂乃果はその際気になったので携帯で調べてみたことがあるが、要はあまりにも強いストレスが起こると発生するようだ。……正直、いつかストレスで死んでしまうんじゃないかと本気で心配をした瞬間であった。

 

「思穂、何か悩み事があるのですか? 私達で良ければ、力になりますよ?」

「……ほんと?」

 

 机に突っ伏したまま、思穂は顔だけ上げた。所謂、上目遣いという奴である。一瞬だけドキリとした海未であったが、今は大事な友人の為、とにかく真剣に向き合おうと気を取り直した。

 

「例えば、さ」

「……はい」

 

 真剣な表情になった海未を見て、思穂は頼もしさを感じていた。あの一件以降、前よりは人を頼ることを覚えた思穂だからこそ、ここまで素直に口を開けるようになったのだ。

 そんな彼女達ならばきっとこの苦しみを分かってくれる。絶対の信頼を持ち、思穂は今の問題を口にする。

 

「ありとあらゆることをしっかり真面目にこなしてなおかつアニメゲーム漫画ラノベを封印し更に勉強勉強勉強って感じで出来なかったら即刻期間未定の無料バカンスに行かせられるかもしれない……ってなったらどうする?」

「すいません。言っている意味がさっぱり分かりません」

 

 思穂は泣いた。

 

「うわあああん! やっぱり私の苦しみを分かってくれる人はいないんだあああ!!」

 

 机に顔をうずめ、おいおい泣き出す思穂へ教室の皆の視線が一気に注がれる。画的には三人が囲って思穂を泣かしている、という状態である。

 クラスメイトも、当然穂乃果達もあまりの事態にパニックを起こしてしまった。

 

「ええっ!? ここ教室だよ思穂ちゃん、思穂ちゃ~ん!」

「し、思穂! これではまるで私達が泣かせたみたいではありませんか!」

 

 ことりが懸命に思穂を落ち着かせようと背中を擦り、海未がオロオロしだす。穂乃果に至っては逆に冷静になれたようで、苦笑を浮かべていた。

 

「いや……海未ちゃん、思穂ちゃん明らかに泣いているフリしているよ~……って聞こえてないや」

 

 穂乃果自身、これほど冷静なことに驚いていた。泣き出したと思った時は本気で焦ったが、一切涙が出てない思穂と目が合ってしまった時は、思わず吹き出しそうになった。

 やがて思穂も楽しみきったようで、ケロリと机から顔を上げた。

 

「とまあ、冗談はさておいて」

「冗談だったのですか!?」

「オーケー海未ちゃん、その振り上げた拳を下ろすんだ。オーケイ……オーケイ……ようし、良い子だキスしてや――!」

 

 その瞬間、思穂は世界が止まったような感覚を覚えた。真横に振り下ろされ、ピタリと止められた手刀の威圧感と言ったら言葉では言い表せない。

 海未はとてもいい笑顔になっていた。こういう時の海未は、これ以上突っ込めばそのままゲームオーバーを迎えてしまう。

 

「それで、本当に何なのですか? さっきまでのは冗談としても、元気が無いのは確かなようですし……」

「はぁ……冗談でも言わないとやってらんないというかさぁ……」

「何か嫌な事でもあったの?」

「嫌な事っていうか……」

 

 思穂が喋ろうとした直後、HRのチャイムが鳴った。次の休み時間にちゃんと喋るね、と思穂は一旦話を区切り、席に戻った。

 

(ちゃんと言っておかないとな~主に私の為に)

 

 だが、思穂はここで言っておかないといけなかったのだ。ここで言っておかなかったことにより、これから思穂にとって非常に面倒な事態に直面することになってしまう――。

 

「何て言っている内にHR終わったや! さっきの話だったんだけど――」

 

 HRもすぐに終わり、早速思穂は話の続きをするために席を立つ。穂乃果達の元へ行こうとした瞬間、教室の扉が開かれた。それだけなら全然気にならなかったのだが、小さなざわめきが起きた瞬間、思穂は自分でも絶望した表情を浮かべているのを自覚できた。

 

「――姉さん、休み時間だね」

「あーもう嫌な予感してたよちっくしょー!」

 

 誰よりも先に反応したのはやはりと言って良いのか、穂乃果であった。

 

「えっ……えっ!? 思穂ちゃんが二人!?」

「うん良く見て? 髪型とか目とかへの字口とか良く見てみるんだ。実は違うことが分かるでしょ?」

 

 何故、居るのか。そう聞くのは酷く無粋な気がした。音ノ木坂学院の制服を着ている時点で色々察することが出来た。しかし、と思穂は首を傾げた。

 

「ねえ麻歩、どうして何の迷いもなさそうに二年の教室へ来れたの?」

「……それは」

「私達が連れて来たのよ」

 

 そう言って顔を出してきたのは真姫だった。ということは必ず付いてきそうな人間が二人。思穂は真姫の後ろを見やると、予想通り、いた。……大体、真姫は“達”と言ったのだ。推して知るべしといった所だろう。

 

「思穂ちゃんそっくりでびっくりしちゃったよ」

「かよちん、思わず席を立って皆の注目浴びてたよね~」

「そ、それは言わないで……!」

 

 どうやら一年生の教室でちょっとしたドラマが生まれていたようだ。見れなかったのが残念でたまらない。

 

「ありがとう。貴方達のお陰ですんなり姉さんの所へ辿り着けたわ」

「ほんと、似ている癖に思穂とは真逆の性格なのよね。すごく丁寧で礼儀正しい所とか」

「真姫ちゃん、それ遠回しに私を馬鹿にしているよね。ねえ、そうだよね?」

 

 真姫があからさまに無視をしてくれたので、思穂はとりあえず置いておくことにした……良くはないが、とにかく置いておくことにした。

 

「思穂ちゃん、この子って思穂ちゃんとどういう関係なの? 姉さんって言ってたけど」

 

 凛の質問は当然とも言えた。思穂は一度ちゃんと説明しなくてはならないと腹を括る。

 

「う~ん……今日の昼休みまで待ってもらっても良い? ついでに絵里ちゃん達にも説明しておきたいんだよね」

 

 丁度チャイムも鳴ったので、思穂達は解散することにした。大分面倒なことになって来たなと、思穂は少しばかり覚悟を決める――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「うわぁ……本当に思穂ちゃんそっくりやなぁ」

 

 希の言葉が全てだった。昼休みになってすぐに麻歩を引き連れ、アイドル研究部の部室にやってきた。メンバー達の視線は麻歩へ降り注がれているにも関わらず、麻歩は顔色一つ変えずに思穂の隣へ立っていた。

 それどころか、麻歩は一歩前に出て、ぺこりと頭を下げる。

 

「皆さん初めまして。片桐麻歩と申します。いつも、思穂姉さんがお世話になっています」

「姉さんって、思穂、あんた妹いたの?」

「あーにこちゃん、ちょっと違うかな。正確には従妹だね。小さい頃からずっと海外にいて、ごくたまに日本に帰ってきたりするんだよ」

 

 本当に麻歩は物怖じしないな、と思穂はぼんやり眺めていた。ジッと麻歩を見ていた真姫が、とうとう口を開く。

 

「で、片桐さんはどうして学校に来たの?」

「そうそう、ついでに何で制服を着ているのかも教えて欲しいな。確か麻歩、朝は制服なんて無かったよね?」

「姉さんが一人暮らしでぐうたら生活を送っていないか見に来たの。もし目に余るようだったら――海外に連れて帰るわ。おじさんとおばさんもいるし、良いでしょ? あ、この学校にはちゃんと手続きを踏んで、生徒として扱ってもらっているわ」

 

 その一言で、メンバーの表情が変わった。穂乃果が思わず立ち上がっていた。

 

「え、ええっ!? 何それ、思穂ちゃん聞いてないよ!?」

「うん私も昨日聞いて、未だに驚きで震えているんだよ。お父さんとお母さんに聞いてみたら、麻歩に説得されきっていて特に反対はしていないみたいだし」

「ねえ思穂。貴方のお父様とお母様って海外にいるの?」

 

 それは絵里だけでなく、皆も気になっていた事だった。当然のようにそんな事を言われたので、思わず聞き逃してしまうレベルだった。そう言えばその話は一度もしたことが無い、ということを思い出した思穂は簡潔明瞭に説明することにした。

 

「うん、お仕事でね。お父さんが心配過ぎてお母さんが付いて行く形で向こうに行っているんだ。子供の頃からそんな感じだったから、もう居ないことに慣れちゃったよ」

「お仕事ってどういうことしてるのー?」

 

 凛の純粋な瞳が思穂に向けられると、思穂は少し視線を天井へ上げた。正直に言えば、どうやって説明すれば良いのか判断が付かないのだ。と言うのも、余りにもグローバルな職業過ぎて、近いものが見つからない。強いて挙げるとするなら、クリエイター。

 

「んー……物を作って考えて売って時にはそれを放り捨てはたまた国同士の潤滑油になるような……そんな感じ?」

「ぜ、全然分からないよぉ……」

 

 花陽が必死に理解しようとしているが、思穂の説明が抽象的過ぎて、理解への取っ掛かりすら見つけられていない状態である。大なり小なり、他のメンバーも同じように首を傾げていた。

 そんな皆へ、麻歩は補足をしてくれた。

 

「要は、ミスをすれば国が一つ傾くような仕事をしているのよ」

「ま、益々意味が分からない……むしろ、もっと意味が分からなくなったわよ」

「えっと……麻歩ちゃん、だよね? さっき思穂ちゃんを海外に連れて帰るって言ってたけど、具体的には何を見て判断するの?」

 

 ことりの問いに、麻歩は形の良い顎に指を当て、考える素振りを見せる。時間にして数秒。麻歩は言った。

 

「姉さんがちゃんと日々を過ごせているかどうかを見て、その後、判断します」

 

 その瞬間、思穂は麻歩の表情に妙な違和感を感じた。言葉では上手く言い表せないのだが、心のどこかで引っかかってしまった。

 

「ちなみに皆さんにお聞きしたいのですが、普段の姉さんはどうなのですか?」

「はっはぁ! 麻歩、それは迂闊だったね! さあ皆、言うが良い! 普段の、ありのままの、私を教えてあげるんだ!」

 

 思穂には勝算があった。今まで苦難を共に乗り越えてきた戦友とすら言えるこの九人。そして、自分が絶体絶命の危機に陥っているという事を知っているのなら、きっと自分の事を褒め称えてくれるに違いない。

 思穂は両手を広げ、賞賛の嵐を受け止める――。

 

「前は授業中寝ていましたね」

「いっつもにこちゃんに怒られているにゃー」

「全体的に軽いのよね。あ、軽薄って意味よもちろん」

「あ、そう言えば思穂ちゃんこの間――」

「ストーップ!! ストップストップストーップ!! これは全員に攻撃されるパターンだよ!」

 

 海未、凛、にこ、穂乃果の順番で生まれたえげつないコンボ。穂乃果に至っては何を言い出すのか本気で分からないので、全力で止めに掛かった。

 

「……なるほど。普段の姉さんが良く分かる素晴らしいお話でしたね。皆さん、ありがとうございます」

 

 麻歩が全てを悟ったような顔で小さく頷いた。

 

「そう言えば、麻歩ちゃんも勉強できるの? 思穂ちゃんが凄いから麻歩ちゃんも……」

 

 ことりがそう質問すると、麻歩は首を横に振り、それを否定した。

 

「いえ。私は人並みの学力しかありません。姉さんとはステージが違いすぎますよ」

「って言っているけど、この子すごいわよ。まさに文武両道って感じだったわ」

「……さっきから気になってたんだけど、真姫ちゃん妙に麻歩と仲良さげだよね。何、ツンツンしている者同士気が合ったの?」

「ち、違うわよ! ただ、思穂と似ているから何となく馴れなれしくなっているだけよ!」

「捉えようによっては私といると気が楽っていう実に好感度が分かる発現だね!」

「あーっもう! からかってるの!?」

 

 完全に調子が崩れた真姫は既に顔が真っ赤である。いつぞやかトマトが好きだと教えてもらったことがあるが、今まさに自分がトマトとなっている。正直、この時の真姫はずっとからかっていたくなる。

 

「あ、そうだ!」

 

 すると、穂乃果がさも名案を思い付いたかのような得意げな表情を浮かべる。こういう時の穂乃果は碌な事を言わないので、思穂は少し身構えてしまっていた。

 

「要は、思穂ちゃんがちゃんと何かをやっているかが見たいってことなんだよね?」

「はい。姉さんが無為に日々を過ごしていないか、それが知りたいんです」

「だったらさ! 麻歩ちゃんもμ'sの練習見に来ればいいんだよ! そしたら思穂ちゃんがカッコいい所一杯見られるよ!」

 

 訂正。こういう時の穂乃果は非常に頼りになることで有名だったのだ――。



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第三話 “差”は?

 麻歩は放課後までの間、色々な事を考えていた。片手間に授業をこなしつつ。その中の一つとして、人間関係が挙げられる。

 

(……何で、私はすんなり受け入れられているのかしら?)

 

 主に焦点は小泉花陽、星空凛、そして西木野真姫。この三人に絞られる。キッカケ、というより全ての始まりは朝のHRから始まった。最初に話し掛けて来たのは星空凛という名の少女である。 

 

「片桐さん、授業終わったねー! 放課後だにゃー!」

「ええ……そうね」

「どうしたの片桐さん?」

「いえ、本当自分でもどうなっているのか分からなくて。だから気にしないで小泉さん」

 

 そして小泉花陽。まだおっかなびっくりと言った様子だが、確実に自分にある程度の親しみを持たれているのが分かる。その理由を聞いてみると、赤毛の西木野真姫が答えてくれた。

 

「思穂。……貴方の従姉と似ているから二人ともいつもより早く打ち解けられているんじゃない? 特に凛。花陽よりも人見知りな所あるのにすごいわ」

「そうなの……? 私は貴方の方が人見知りそうに見えたのだけど」

「なっ……! そ、そんなことないわよ!」

「そういう事にしておくわ。それよりも、皆にお願いがあるんだけど」

 

 突然の切り出しに、何となく身構える三人。

 特に真姫はどんな質問が来るのか頭の中でシミュレートしていた。朝から何となく交流を始めていたが、片桐麻歩という人間が未だ良く分からない。これが思穂ならば、唐突に二次元の事や突拍子も無いことを話し出すので、ある程度適当に流せるのだが、今の相手は違う。

 

(……どんなことをお願いされるのかしら)

 

 今日一日授業を共にして良く分かったことがある。やはり片桐麻歩は片桐思穂の関係者なのだと。自分ももちろん日々の勉強はしているので、ある程度自信はあったのだが、麻歩を見ているとその差の大きさを痛感させられる。

 そんな麻歩の口から飛び出た言葉は、意外なものだった。

 

「私の事は呼び捨てで良いわ。その代わり、私も呼び捨てにさせてもらうから」

「……へ、それだけ?」

「そうだけど……おかしいかしら凛?」

「う、ううん! そんなことない! すっごく嬉しいよ! 麻歩ちゃーん!」

 

 凛の人懐っこさが嫌いでは無い麻歩は少しばかり表情を緩めた。そんな自分に気づき、すぐに表情を元の無表情に戻すが、ばっちり見られてしまったようだ。

 

「麻歩ちゃんって、笑うと可愛いね」

「……そんなこと、ないわよ」

 

 それに、と麻歩は続ける。

 

「三人が名前で呼び合って、私だけ苗字で呼ばれるなんて寂しいじゃない」

 

 その瞬間、三人は――真姫ですら――心射抜かれた。顔は無表情のはずなのに、どこか寂しげな声色でそう言われて何も感じない者はいないだろう。

 同時に、三人の印象が変わった。クールな印象が強かったのだが、何だかとても素直に感情を表現する子に見えてきた。

 

「じゃあ、屋上に行きましょうか。部活動はそこでやるのよね?」

「うん! μ'sの練習があるよ!」

「……μ's? それが、その部の名前なの?」

「部自体はアイドル研究部って名前よ。で、μ'sはその中で結成されたスクールアイドルグループの名前なの」

 

 真姫の説明はすごく分かりやすかった。だが、いまいち分からない単語が多く、麻歩は少しばかり理解の時間を要した。

 

「今更だけど、スクールアイドルって、何?」

「え、えええっ!? 麻歩ちゃん、知らないのぉ!?」

「うわっ」

 

 突然肩を掴まれ、くわっと顔を近づけられては驚くのも無理はない。しかも、大人しい印象しかない花陽が突然豹変すれば誰しもが面食らうだろう。

 

「え、花陽ってこういう感じなの?」

「そうだよー。で、凛はそんなかよちんも大好きなんだ!」

 

 ようやく落ち着きを取り戻した花陽からスクールアイドルの事を教えてもらった麻歩は、少しの間その言葉を咀嚼していた。要はアマチュアの、しかも学生によるアイドル活動のようだ。

 それは分かった。だが、麻歩は一つだけ絶対に理解できない理解したくない点が一つあった。

 

「……まさか、姉さんも所属しているの? そこに」

「え……うん、そうだよ?」

 

 サァッと麻歩は血の気が引いたような感覚を覚えた。何故だろう、そんなことは決まっている。

 

(嘘……)

 

 あの思穂が――“そんなこと”に(うつつ)を抜かしているということが、麻歩にはとてもではないが信じられなかった。

 しかし麻歩はその事を表情には出さない様に努める。理由としては、自分がまだそのスクールアイドルとやらのことを良く理解していないことにある。話だけ聞くと、ただのお遊び集団としか思えないのだが、あの思穂が参加していることがその結論を遮る。

 

(姉さん、私、分からないわ……)

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「あ、来たね麻歩! わっ凛ちゃん達と一緒に来るだなんて……麻歩も凛ちゃんの脚の魅力にヤラレタのかな!?」

 

 そう言うや否や、思穂は屈み、凛の脚を撫でた。一撫で、二撫で、頬でその全てを感じ取る。至福の時だった。この為に生きているんだ、そう素直に思穂は感じる。

 だが、思穂はすぐにそれが一瞬の儚さだったと痛感した。

 

「思穂ちゃん、凛だって怒る時は怒るんだからね?」

 

 シラーっとした、本当に冷ややかな視線だった。これが最初の頃ならば『やめてよーくすぐったいよー!』などと可愛らしい反応が見られて良かったのだが、それが何十回と続くと流石の凛も耐え切れなくなったようだ。

 最近はずっとこの調子である。ショックを隠せない、だが正直そのまま踏んでほしいと、思穂は何となくそう思えた。

 

「良し凛ちゃん、お触り料はラーメン一杯奢りで良いかな?」

「……チャーシュー、味玉、メンマ、バターにコーントッピング」

「……オーケー凛ちゃん、私今週ピンチなんだ。チャーシュー味玉でどう?」

「メンマは譲れないにゃ」

「…………乗った」

 

 固く結ばれた握手が、交渉成立を意味していた。これ以上もこれ以下もない理想の着地点である。凛からの要求を聞いた時点でチャーシュー味玉メンマに抑える算段を打ち立て、無事にそこまで持って行けたことに思穂は内心胸を撫で下ろした。これ以上は本当に厳しい。

 ちなみに仕送りまでの間、朝昼晩シソの葉生活が確定した瞬間でもある。更に切り詰めれば、もやしが一袋分くらいは買えそうだ。だが、思穂は涙を流さない。流せば、確実に麻歩に()られる。

 

「……ピンチって何のこと? おばさんから聞いた仕送りの額だと、よほど使い込まない限りピンチになるなんて事、有り得ないはずなんだけど」

「よーし! 皆、練習やるよ!! ほら左方向やる気薄いよ、何やってんの!?」

 

 麻歩の追及を完全に押しつぶすような声量で、皆に発破をかける思穂。命懸けだった。下手に取っ掛かりを見せると一気に持って行かれる。明日のオタクライフの為、思穂は修羅となる。

 

「それじゃ麻歩はそこで見ていてね!」

「うん、分かった」

 

 邪魔にならない程度に距離を離し、地面にハンカチを敷き、その上に座った麻歩は体育座りで練習を眺めることにした。

 

(それにしても、一体何をやるんだろう?)

 

 麻歩はさっきからずっとそんな事を考えていた。スクール“アイドル”と名乗るからにはダンスや歌の練習をするのだろう。――ただの学生が。

 正直に言うのならば、現時点で麻歩はスクールアイドルと言うコンテンツを見下している。あの思穂が、どうしてそんなモノに関わっているのかがまるで理解できない。

 九人が配置に付いたのを確認した思穂が音楽プレイヤーを再生して、両手を軽く上げた。

 

「あれ? 姉さんは?」

 

 音楽が鳴っても思穂は踊らず、パンパンとテンポを取っていたことに麻歩は首を傾げた。きっと後から踊るのだろう、と考えた麻歩はとりあえずスクールアイドルと言うものを理解するために九人へ視線を送る。

 

「ワンツーワンツーワンツーワンツー! 良い感じ良い感じ! にこちゃんターン遅いよ! 後衛ー! 前衛と振りの速さ違う! 良く見て!」

 

 パンパンと手拍子をしながら、九人へ鋭い指示を飛ばす思穂の姿は、麻歩が今までに見たことが無い姿であった。その視線はどこまで厳しく。

 

(姉さんのこんな顔、今まで見たことがない……)

 

 勉強でも、趣味でも、ここまで“楽しそう”な表情は今までに一度も見せたことが無い。チクリ、と麻歩は心にトゲが刺さったような感覚を覚えた。どこか、思穂が遠い所に行ったような、そんな感じに。

 眺めている事三十分。一区切りが付いたのか、九人が膝に手を付いたり、地面に座り込んだりと、各々休憩に入った。そんな九人へ、思穂は水が入っているのであろうボトルを渡し始める。

 

「どう? 見た感想は?」

 

 仕事を終えた思穂が、麻歩の元へ近づいてきた。ニコリと笑う思穂の顔は仕事をやり切った清々しさに満ち溢れていて。

 

「……悪くは、なかった。けど……」

「けど?」

 

 だが、麻歩は聞かざるを得なかった。どうしても、納得のいかないことがあったのだ。

 

「何で姉さんはあの中に入ってないの?」

「……私?」

「ええ。動きを見る限り、姉さんまたリズム取ったり水を配ったりするのでしょう?」

「もち。ん? 何か変?」

 

 頷いたのを見て、麻歩は少しばかり苛立った。どうしてだろう、と本気でそんな事を思った。何となくあの九人と思穂を見比べる。そして、ポツリと言った。思穂には絶対聞き取れないくらいの声の小ささで。

 

「…………姉さん可愛いのに」

「あれ? 何か言った? 口は動いていたみたいだけど……」

「……何でも無いわ」

「ねえ、思穂ちゃん! さっきのステップどうだった!? 私、昨日練習したんだよ!」

 

 トテトテと穂乃果が走ってきた。全身に汗だくで、それはそのまま練習密度の濃さを表していた。そんな穂乃果へ思穂はグッと親指を立てる。

 

「グッド! 練習してきたんだろうなーって思ってたんだよ! おーよしよしよし!」

「えへへ、ありがとう思穂ちゃん!」

 

 思穂に頭を撫でられ、嬉しそうに目を細める穂乃果を見て、麻歩は静かに立ち上がった。

 

「……あれぐらい、私にも出来る」

「へ? 麻歩?」

 

 スタスタと九人の近くへ歩いて行った麻歩を見て、思穂は困惑した。突然妙な事を言いだしたかと思ったら、念入りに準備体操を始めて、軽くジャンプした麻歩。準備が整ったのか、音楽プレイヤーを指さした。

 

「姉さん、音楽掛けてくれる?」

「何するつもり?」

「今ので大体覚えたわ。だから、私も出来る」

「……やるの?」

「早く」

「じゃあ私が押すねっ」

 

 思穂に代わり、音楽プレイヤーに近いことりが再生ボタンを押した。数瞬の間の後、曲が流れ出す。九人と思穂は麻歩へ視線を向ける。

 踊りだす麻歩を見て、全員は目を見開いた。

 

「す、すごいわね……」

 

 そんな感想を漏らしたのは絵里だ。身体の“軸”が全くブレていない。リズムは完璧に取れているし、各所のトメにも全く淀みはない。そして音楽が、まるで麻歩に踊られるために作られたかのようなそんな錯覚すら感じた。

 踊ること数分。曲が終わりを迎える。曲が止まると、麻歩は呼吸が乱れはしたものの、汗一つ掻いていない顔を思穂へ向けた。

 

「……どう? 私もやれるでしょう?」

 

 一度振り付けを見て、自分なりの改善点を発見し、取り入れた結果だ。一通り踊ってみて思ったことが、一つあった。やはり学生レベル。外国で色々な物を見てきた麻歩から言わせれば、子供騙し。

 本当に、理解が出来なかった。何故、思穂はこのコンテンツに深くのめりこめるのか。何故、あんなに良い顔になれるのか。

 しかし今はそんなことは置いておこう。ただ、思穂からの“すごい”を受けとめよう。そんな麻歩へ、思穂は言った。

 

「やれてるね。だけど――私的には駄目」

「……え?」

 

 全身から血が引くような感覚を覚えた。今告げられた思穂からの評価を良く聞きとり、噛み砕き、飲み込み、ようやくその言葉を理解できたのだ。――どうして。その言葉が麻歩を埋め尽くす。

 そんな思穂と麻歩へ、穂乃果と海未が近づいてきた。

 

「ちょ、思穂ちゃん!?」

「思穂、それは少し言い過ぎでは……?」

 

 穂乃果と海未だけでは無い。他のメンバーも困惑していた。言葉だけでは無い。思穂の顔から笑顔が消え、真顔になっていたのだ。

 

「ううん。ピタリ賞だと思うけどなー」

「姉さん……だって、私、完璧に踊れたよ……?」

「そうだよ思穂ちゃん! 麻歩ちゃん、すごかったよ! 何から何まで完璧だったし!」

「いやいや、麻歩は完璧じゃないよ」

 

 言い切った思穂。そんな思穂へ、麻歩は歩み寄った。

 

「私が完璧じゃない理由って何?」

「言わないと分からない?」

 

 首を傾げ、不思議そうに、本当に不思議そうにそう尋ねる思穂。その目をいつまでも見ていたくなくて、気付けば、麻歩は屋上の出入り口へ顔を向けていた。

 

「姉さんは昔から、いつもそうやって私をちゃんと見てくれない……!!」

「あ、麻歩!」

 

 言うが早いか、麻歩はもう走っていた。目を閉じると、先ほどの表情が浮かんでくる。何でも出来る従姉が、何でもは出来ない自分へふいに向けてくる表情がある。それは麻歩が――唯一、昔から嫌いだった表情だ。



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第四話 理解と前進

「思穂ちゃん、何であんな事言ったの?」

 

 麻歩が出て行った扉の出入り口を見ながら、穂乃果が言った。彼女は少しばかり唇を尖らせている。

 そんな穂乃果へ、思穂は答える代わりに、にこの方へ視線を向けた。

 

「にこちゃんはどう思った? あれ、感動した?」

「した……と言えば、嘘になるわね」

 

 非常に言い辛そうだったが、それでもハッキリとにこは評価した。間違いなくそう言うだろうと思っていた思穂は満足げに頷く。それが全てだ、そう言いたげに。

 

「と、にこちゃんからも同意が得られたということは、私の感想は間違いじゃないんだよ」

「でも麻歩ちゃん、あんなに一生懸命やってたのに……」

「違うんだよ花陽ちゃん。麻歩はね、一生懸命になんかやっていないんだよ」

「え……?」

「詳しく、聞かせてもらえる?」

 

 希が一歩前に出てきた。笑い話では無い、そう感じた希によって作り出された空気の中、思穂は喋りはじめる。

 

「麻歩ってさ、従姉の私が言うのも何だけど、何でも出来るすごい子なんだよね」

 

 それは思穂もだろう、と誰もが思ったことだが、話の腰を折りたくはなかったので黙って先を促した。

 

「勉強も出来るし、運動もすごく出来るし、もう完全無欠だろお前! って感じ」

「それが、さっきの感想と何の関係があるのよ」

「まあまあ真姫ちゃん。でさ、そういう子だから、昔からあの子、色んなことを下に見てしまうんだよ。“これは、この程度なのか”ってね」

「……ああ、なるほど。だからなのね」

 

 得心いったように、にこが頷いた。その表情は喉のつっかえが取れたような清々しさが滲んでいた。そんなにこへ、全く話を理解していない穂乃果が聞いた。

 

「だからって、どういうこと?」

「悔しいけど、ダンスは完璧だったわ。……にこの眼から見て、あの子、麻歩だっけ? レベルはこの九人の誰よりも上だったと言って間違いないでしょうね」

「ふぇぇ……にこちゃんが珍しく誰かを褒めてる……って痛いっ! チョップしないでよーもー!」

「うっさい! 話の腰を折らないの穂乃果!」

 

 にこから鋭いチョップを喰らい、涙目で頭を押さえ、うずくまる穂乃果。こうして見ると、姉妹か何かに見えるな、と思穂はそんな事を感じていた。

 一度咳払いし、にこは続ける。

 

「でぇ! 確かに上手かったわよ。でも、あの子のダンスには魂が微塵も籠もってなかった。だから、思穂はあんな事言ったんでしょ?」

「さっすがにこちゃんだね! そう、魂が籠もってなかった……以前に麻歩、一回も“笑っていなかった”んだよ。その時点で、私は駄目だと思ったんだ」

 

 思穂は麻歩のダンスをしっかり見ていた。μ'sの練習を見るぐらい真剣に。だからこそ、思穂はあの評価を下したのだ。

 下に見ている、言葉を悪くすれば端から“スクールアイドルと言うものを見下している”麻歩はただ上手いだけ。一切の私情を挟まず、限りなく公平に見た結果がアレ。

 

「ということなんだよ。だからまあ、ああ言ったんだ」

「思穂ちゃんって案外厳しいんやな」

「たはは……希ちゃんを始め、皆にはお見苦しい所を……」

「でも思穂、まさかそれで終わりって訳じゃないわよね?」

 

 腕を組んだまま絵里が言った。

 

「このままじゃ麻歩ちゃんが可哀想よ。多分あの子――」

 

 そこで、絵里が口を閉じた。そして言いかけた言葉の代わりに、こんなことを思穂へ聞いてきた。

 

「……ねえ、思穂。どうして麻歩ちゃんがダンスをしたか分かる?」

「え?」

 

 一度ではその言葉の意味が理解できず、思わず思穂は聞き返す。すると絵里がもう一度言った。

 

「どうしてわざわざ本家本元のμ'sの目の前で……いいえ、思穂の目の前でダンスをしたか分かる?」

「……う、う~ん……スクールアイドルは自分でも出来るってことを私に伝えたかったんじゃないのかな?」 

 

 自分としては特に気にしていなかった部分である。だが絵里から聞かれ、思案した結果、今の答えに辿りつけた。昔から麻歩は事あるごとに自分に見せつけるように何かをしてくる。そして、いつも最後には悲しそうな顔をするのだ。

 そんな思穂の答えを聞いた絵里が、ため息を吐き、手の平で顔を覆う。

 

「……意外だわ。貴方でも分からないことってあるのね」

「え? ……えっ!? 違うの!?」

「大間違いよ。完全に完璧に不正解よ」

 

 瞬間、脳天に鈍い痛みが走った。にこにチョップされた、と気づくにはそう時間は掛からなかった。

 

「あんた、何でわざわざ麻歩ちゃんがあんたの所に来たのか本当に分かんないの?」

「う、う~ん……」

「はぁ……しょうがないわねー」

 

 にこにもため息を吐かれてしまい、本格的に思穂は混乱した。そんな思穂から視線を逸らし、にこは置いてあった鞄を掴んだ。

 

「にこちゃん、どこ行くの?」

「野暮用よ野暮用。皆、ちょっと練習抜けるわね」

 

 そう言い残し、にこは屋上を後にした。

 

「にこちゃん、どこ行ったんだろう?」

「きっと麻歩ちゃんを探しに行ったのね」

「麻歩を!?」

「ええ。にこが行かなかったら多分、私が行っていたわ」

「絵里ちゃんまで……な、何が何だか分からない……」

「あ、私分かったかも!」

 

 名乗りを挙げたのは穂乃果だった。あろうことに、穂乃果までもがこの事態を理解できたとは思わなかったので、少し思穂はショックを受ける。

 

「ほ、穂乃果ちゃん麻歩はどうしてダンスを踊ったの!?」

「え? 簡単だよー! 麻歩ちゃんはきっとね!」

 

 穂乃果による答え合わせが始まった――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「はぁ……」

 

 近くの土手に麻歩はいた。スカートが汚れるのも気にせず、麻歩は体育座りをしていた。

 

「私、ちゃんと踊れたのに……」

 

 沈む夕日を見ながら、麻歩は誰に言うでもなく呟く。自分は完璧だったはずだ。完成度だけならあのメンバーの誰にも負ける気はしない。

 なのに。それなのに。何故。

 

「――ここに居たのね」

「え……?」

 

 振り向くと、そこには黒髪ツインテールの少女がいた。麻歩はすぐに記憶を手繰り、その者の名を思い出す。

 

「矢澤にこ、さん?」

「ええ。皆のスーパーアイドル、矢澤にこよ。……思穂、あんたの従姉が心配していたわよ? 早く戻った方が良いんじゃない?」

「……姉さんが私のこと心配しているはずなんてありませんよ」

 

 にこは麻歩から顔を逸らし、小さく笑った。これは思った以上に骨が折れそうだと思った故の苦笑、同時に、やはりこの子も思穂と同様に面倒な性格なのだという確信した故の微笑。

 座るわね、と一言置きにこも麻歩の隣へ腰を下ろした。

 

「矢澤さん、スカート汚れちゃいますよ?」

「それを言うならあんただってそうでしょ。それと、何かその顔で矢澤さんって呼ばれるのも何だか妙な感じしかしないから、私の事はにこで良いわ」

 

 川を見ながら、にこはそう言った。にこの有無を言わさぬ雰囲気に圧され、麻歩はあっさりとその指示を受け入れた。

 

「……分かりました、にこさん」

「やっぱりあんたは聞き分けが良いわね~、どこかのアホとは大違いだわ」

「……姉さんはアホなんかじゃありません」

 

 自分に手厳しい評価を下したにも関わらず、すぐに思穂を庇うような発言をする麻歩を見て、にこは確信した。

 

(やっぱりそういう事なのね……)

 

 にこは少し悪戯っぽい表情を浮かべ、ど真ん中直球ストレートを放り投げる。

 

「麻歩ちゃん……もう麻歩で良いわよね? 麻歩、あんた――思穂に褒められたくてダンスをしたんでしょ?」

「違っ――!!」

 

 途端、マシンガンのように麻歩から否定の言葉が飛び出るが、耳まで真っ赤になった彼女の言葉にはもう何の説得力も無かった。それをただ生暖かい目で眺めていたにこは、麻歩が一息つくタイミングを見計らって、声を掛ける。

 

「で、そんなに顔真っ赤にして否定する可愛い可愛い麻歩にヒントをあげるわ」

「……ヒント?」

「ええ。どうして思穂があんたのことを褒めなかったのかね」

 

 その言葉を聞き、麻歩はもう否定することも忘れ、にこの両肩を掴んでいた。

 

「……何故、ですか? どうして姉さんは私のダンスをちゃんと見てくれなかったのですか?」

「麻歩、まずは両手を離しなさい。あんたも見た目によらず力あるのね。すっごく肩がミシミシいっているんだけど」

「……すいません」

「で、まあそのヒントなんだけど。……ちょっと待ってなさい」

 

 ヒント、とは言ってもほぼ答えに近い。にこは一度麻歩から身体ごと背け、“スイッチ”を切り替える。そして――にこは“矢澤にこ”ではなくなった。

 

「にっこにっこにー!」

「……へ?」

 

 麻歩は自分の眼を疑った。突如、奇天烈な口上のあと、更に続くパフォーマンスのような何か。……正直、熱中症にでもなったのかと一瞬心配してしまった。

 だが、それは微塵も口に出すことはなく、ただ成り行きを見守ることにした。

 

「――これがヒントよ、どう?」

「頭大丈夫ですか?」

「このままあんたを消息不明にしてやろうか考えさせてくれる悩ましい発言をありがとう。で、これがヒントよ」

「……すいません、ちょっと理解を越えたのでもっと噛み砕いて教えて頂けると非常に助かります」

 

 色々言ってやりたいことはあったが、にこはひとまず麻歩の要求に応えるため、立ち上がった。既に手は握り拳となっている。

 

「あそこにいたメンバー達は全員スクールアイドル。アイドルなのよ!」

「アイドル……」

「良い! アイドルってのはね、皆を笑顔にさせる仕事なのよ! ……思穂は良くあんたの事を見ていたわよ。さっきあんたは“どういう表情(かお)”で踊っていた?」

「どういう……?」

 

 麻歩が次の言葉を発する前に、にこは鞄を掴んで立ち上がっていた。

 

「以上ヒントは終わりよ。あとはあんたが自分で考えなさい」

「あっ……」

 

 言い残し、にこは麻歩から背を向け、歩き出していった。その背中を見ながら、麻歩は今しがた言われた言葉を頭の中で反芻する。

 

「どういう表情で……?」

 

 呟いても、誰も答えてくれない。麻歩は無言で自分の顔を触ってみた。ペタペタと触っても、全く答えが出てくる気がしない。

 

「姉さん私、分からないわ……」

 

 夕日は麻歩を照らし続ける――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「って私は思うんだけど、どうかな!?」

「なるほど。……なるほどねぇ……なるほどなぁ……!!」

 

 穂乃果からの答え合わせを聞き、思穂は思わず両手を地面に着けた。全てが繋がったのだ。

 

「オーケー。全部理解して、そして納得した」

 

 麻歩が昔から対抗意識を燃やすかのように、自分の真似をしてくる理由がようやく分かり、思穂は自分が恥ずかしくなった。少し考えれば分かることだった。思穂は、麻歩の出来の良さしか見ておらず、その中身を見ることはしていなかったのだ。

 ――あの子なら出来て当然。それは、思穂が最も嫌うことである。それを、あろうことに麻歩相手にやっていたのだ。それを恥じず、一体何を恥じるというのだ。

 

「あぁ~……私ってぇ奴は」

「――落ち込んでいる暇はないんじゃない?」

 

 すっと、真姫が思穂の前に歩いて来た。そして、髪の毛を弄りながら、言う。

 

「そんな暇があるなら、今どうしたらいいのか考えた方が思穂らしいわよ」

「……まさか真姫ちゃんに言われるとは思ってなかったや。でもまあ、そうだね!」

 

 そう言って、思穂はポケットから四つ折りにされた紙を一枚取り出した。

 

「思穂ちゃん、それは?」

 

 ことりの質問を受け、思穂は片目を瞑った。

 

「皆、ちょっと私事と実益を兼ねたお願いがあるんだけど……聞いてくれる?」

 

 全員が頷いたのを確認し、思穂は話し始めた。思穂自身は気づいていない。皆を頼るという行為を最も苦手としていた思穂が、これほど素直に頼れていることに。

 

「実は今度さ、隣町でお祭りがあるみたいなんだよね」

「お祭り!? 海未ちゃんお祭りだって! たこ焼きだよ! 花火だよ!」

「落ち着きなさい穂乃果。まだ思穂が話している途中です」

 

 穂乃果と海未の相変わらずのやり取りをいつまでも見ていたかったが、とりあえずはさっさと伝えることに思穂は集中する。

 

「そこの実行委員長にμ'sを売り込みに行ってさ、なんとプログラムの一部に組み込んでもらえるかもしれないんだよ!」

「思穂ちゃん、相変わらずやね……。一体いつそんな時間があるか不思議でたまらんわ」

「思穂ちゃんはただの二次元好きじゃ無いにゃー!」

「はいそこの二人、出来れば茶化さないでくれると嬉しいなー!! 私泣いちゃうからさー!!」

 

 希と凛の辛辣な言葉を何とか切り抜け、思穂はいよいよ今しがた浮かんだ自分の計画を伝える。

 

「でさ、皆にはそのお祭りに出演してもらえないかなぁって」

「それは勿論ありがたいことだけど、そのお祭りと麻歩ちゃんがどう関係するの?」

「麻歩を必ずお祭りに連れて行くからさ。皆にはそのライブで麻歩を感動させて欲しいんだよ! 皆のライブを観れば、麻歩はきっと私の言いたかったことを理解してくれるはず、そしてスクールアイドルに対する考えも変えてくれるかもしれない」

 

 子供でも思いつきそうな案だ。だが、それだからこそ思穂はこの案しかないと思った。下手に小細工をするでもない、言葉を尽くすのでもない、ただ良いライブを観てもらうだけで良いのだ。

 思穂は頭を下げた。

 

「勝手な事を言っているのは分かっている。私の不手際が生んだ、私と麻歩の問題なのにっていうのも分かっている。だけど、お願いします。私一人だけじゃきっと駄目だと思うんだ。だから――」

「思穂ちゃん!」

 

 穂乃果の声で顔を上げると、そこには笑顔の皆がいた。

 

「思穂ちゃんが困っているならそれは私達μ'sの問題でもあるんだよ! だからライブ、頑張ろうね!」

 

 既に言葉は不要だった。とっくの昔に皆の気持ちは一つになっている。お人好しすぎる彼女達へ送る言葉はたったの一言だけ。

 

「……私、厳しくしていくからね!」

 

 ――これは、μ'sが青春の階段を再び駆け上がる少し前のお話であった。




片桐麻歩(Shocking Partyバージョン)

【挿絵表示】


https://twitter.com/08downer/status/617303954225954816
↑で思穂と麻歩のキャラ絵の比較ができます。


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第五話 今まで思いつかなかったけど

「う~ん……」

 

 放課後、思穂は教室で一人頭を悩ませていた。悩みの種は主にライブのセットリストである。セットリストの組み方を調べ、にわか知識で曲の順番をあれやこれやと書いては消しての作業を繰り返していた。

 そんな思穂へ、穂乃果がやってきた。

 

「何してるの思穂ちゃん?」

「ん? ライブの曲順決めてたんだよ」

「おお! 今回、何か本格的だね!」

 

 今回の思穂のモチベーションは最高潮である。麻歩を感動させるための曲……はもちろんμ'sに頑張ってもらうしかないのだが、それをよりよく見せるための工夫は出来る。

 盛り上がる曲や落ち着いた曲。谷あり山ありといった感じだ。下がるから盛り上がる、上がるから盛り下がれる。ただ何も考えずにやる曲順としっかり考えた曲順は全然違う、と思穂は信じ、ただひたすら頭を働かせる。

 

「そうだね。これも全てμ'sの知名度アップの為!」

「と、麻歩ちゃんの為だよね!」

「……私はね。麻歩の為だけにこのセトリを組んでいる訳じゃないよ?」

 

 麻歩の為と言うのもある。だが、メインはμ'sを見に来てくれたお客様全てだ。

 

「まずは穂乃果ちゃん達が楽しめるように、そして思いっきり歌えるように、私は頭を絞るんだよ? だから、頑張ってね!」

「思穂ちゃん……、うん! 分かった! それじゃ私、練習行ってくるね!!」

 

 思穂の言葉に何かを感じ取ったのか、穂乃果がやる気を漲らせて教室を飛び出していった。その後ろ姿を見送りながら、思穂は曲のリストに目を落とす。

 

「とは言ったものの……」

 

 現在思穂の頭を悩ませているものにして求めているもの。それは“目新しさ”である。今の所、全ての曲は九人で歌って踊っている。

 クオリティはもちろん文句なし。だが、それだけではお客さんは正直言って飽きてしまうのかもしれないのもまた事実。

 それに当たり、思穂には一つ二つ考えがあった。

 

「だけどそれにはあの二人の協力が不可欠……だね」

 

 思穂の考えを実現させるためのキーパーソンが二名。意義は大いにある。

 思穂は席を立った。目的地はその二人の元である。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「あ、思穂ちゃん!」

 

 屋上へ行くと、いつものように皆が練習していた。いの一番に気付いたのはことりである。ことりが手を振ったお蔭で、皆が思穂へ視線を集中させた。

 

「はろー。で、早速なんだけど真姫ちゃんに海未ちゃん。ちょっと良い?」

「私と真姫ですか?」

「何なのよ一体?」

 

 二者二様の反応を見せ、海未と真姫は思穂の所へやって来た。早速思穂は他の七人が見守っている中、手短に用件を告げることにした。

 簡潔明瞭かつ丁寧に説明を終えた思穂を待っていたのは海と真姫の絶妙に微妙な表情である。

 

「……本気、なのですか?」

「良く見なさいよ海未。思穂のこの顔が冗談に見える?」

「あはは……。と言うことで引き受けてもらえる?」

 

 思穂の問いに対する答えは至極シンプルなものである。

 

「無理!」

「思穂、それは少しばかり時間が……」

「う~ん……やっぱり無理? 新曲を作るのは?」

 

 思穂の考えとは“九人じゃないμ'sの曲”をライブで披露することだった。

 そもそもの話、もっと早くこの事に気づくべきであった。九人と言う数はプロのアイドル活動的に考えても、素人のアイドル活動的に考えても、無限の可能性を秘めた数である。

 コンビ、トリオにカルテット。ちょっと組み合わせを考えるだけでも九人ならば相当な数が出来上がる。

 だが、いきなり新しいことをやり始めても失敗するのは火を見るより明らか。これからの事も見据え、まずは試験が必要不可欠である。

 

「思穂、ライブまでもう時間はあまりないのよ? いきなり新曲をやるにしても九人で合わせる時間が……」

「今回の新曲はね、九人じゃないんだ」

 

 その言葉に皆が首を傾げ、疑問符を浮かべた。九人じゃ無ければ何人なのだ。無言の問いかけに、思穂はとある二人を指さした。

 

「凛ちゃんに穂乃果ちゃん。ライブには二人のコンビ曲を組み込むよ!」

「凛と?」

「私?」

 

 指さしたのは他の誰でもない、高坂穂乃果と星空凛である。思穂のμ's新アプローチの第一弾は凛と穂乃果によるコンビ結成だった。

 じっくり考えれば沢山組み合わせが思いつくのだが、真っ先に思いついたのがこのコンビだ。天真爛漫の凛と元気いっぱいの穂乃果。合わない訳が無い。

 

「そう。μ'sには九人でこそ出来る表現がある。だけど、ただそれだけじゃいつまでたっても次のステージへ進めないと思うんだ」

「分かります! 人数が多いとそういう試みが出来るんだよね!」

 

 花陽が真っ先に喰い付いてきた。にこも満更では無さそうである。アイドルというジャンルに精通したこの二人の反応の良さはそのまま思穂の自信に繋がる。

 

「で、まずはその試み第一弾、ということなんだよね! 凛ちゃん、穂乃果ちゃん、どうかな?」

「面白そうー!! 凛ちゃん、よろしくね!」

「凛も穂乃果ちゃんと歌えるなんて楽しみだにゃー!」

 

 凛と穂乃果は快諾も快諾。むしろ望むところといった所。だが、その二人に待ったをかける者が二人いた。

 

「穂乃果! ちょっと待ってください! まだ私と真姫は何も返事していませんよ!」

「そうよ。凛、気が早すぎ」

 

 勢いで押し切れると思っていた思穂はやはり見積もりが甘かったと苦笑する。歌う方が良くても、作る方が難色を示しては始まるものも始まらない。

 

「……そっか、海未ちゃんはともかく真姫ちゃんは急に作曲なんてやっぱり無理だよね」

「……はぁ?」

 

 ピクリと、真姫の形の整った眉が動いた。何が、とは言わないが手応えを感じた思穂は更に続ける。

 

「いや、ごめんね真姫ちゃん無理な事を言っちゃって。あの真姫ちゃんだったら二曲……は流石に無理だろうけど、一曲なら! って思っちゃった私が悪いんだよね……」

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ……」

「うん、分かった! 私の考えが甘かったんだよ! だからこの話は――」

「待ちなさいってば!」

 

 真姫が大きな声を出して、思穂の言葉を遮った。そんな真姫を見て、思穂は勝ちを確信する。

 

「誰が作れないって言ったのよ!?」

「え? でも無理って……」

「出来るわよ! 一曲くらい今から作り始めれば余裕よ余裕!」

「ま、真姫! 駄目です思穂の口車に乗せられては!」

 

 付き合いが長い海未は思穂の考えを察知していた。押してダメなら引いてみろ、ということである。

 あの真姫が、押せ押せからいきなり露骨に引きの姿勢を見せられて、それを素直に受け取る訳が無い。まさに、一度でも思穂の言葉を聞いた時点で、真姫の負けは決まっていたのだ。

 

「海未ちゃんは別に無理しなくても良いんだよ?」

「ど、どういう意味ですか!?」

 

 続いての思穂のターゲットは海未である。彼女に対しては、既に一撃必殺の術を編み出しているので、それほど苦労は感じない。

 

「海未ちゃんはほら、あの中学のアレをいい感じに再現すれば良いから私でも出来ると思うし、海未ちゃんのアレを世間に広める良い機会――」

「わ・た・し・が・や・り・ま・し・ょ・う」

「ありがとござーっす!」

 

 一分にも満たない時間で海未への説得を終えられた。アレとはアレの事である。厳選された言の葉の塊だ。

 

「ということでさ! 関係各所の“快諾”は得られたし! 絵里ちゃんどうかな?」

「……四人とも、本当に大丈夫なの?」

 

 四人は首を縦に振った。真姫と海未の表情が微妙だったが、絵里の判断を決めるには十分すぎるモノだった。

 

「ええ、本人たちが言うのなら、私も何も言わないわ」

「よっし! ありがとう絵里ちゃん!」

「それで? どういう曲を考えていたの?」

 

 早速真姫がやる気を見せてくれたことに感動しつつ、思穂は一言で説明する。

 

「ずばり夏っぽい曲だね!」

「……夏っぽい?」

「そうそう。ほら、凛ちゃんと穂乃果ちゃんを見てごらん?」

 

 思穂の言葉で、凛と穂乃果以外のメンバーが視線を向ける。

 

「夏っぽい二人じゃない?」

「いやいやいや。どんだけ適当な理由よあんた」

 

 いの一番に突っ込みを入れたのはにこであった。だが、思穂は軽く聞き流しつつ、もう少し説明を入れる。

 

「まあ、それは冗談にしても。凛ちゃんと穂乃果ちゃんの声質とか、パッションとか、そういう要素を持ち合わせている二人に合う曲と言ったらそういうのかなって思って」

「確かに、凛ちゃんと穂乃果ちゃんは元気いっぱい! って感じの曲が合いそうやね」

「うん。それにさ、今皆が練習している曲も夏っぽいしさ。夏ラッシュだよ夏ラッシュ!」

 

 概ね皆の空気は前向きなものに変わって来たところで、思穂はトドメに入る。

 

「ということでさ! 皆、頑張ろうよ! 特にコンビの方は私が言い出しっぺだし私も全力で手伝うからさ!」

「……まあ、そこまで言うのなら」

「ちゃんと手伝いなさいよー」

 

 海未と真姫ももう何も文句を言うつもりはないようで、早速頭を捻り始めたようだ。

 それでこの話は一区切りとなった。絵里の仕切りで、皆が練習の準備をし始めたのを見て、思穂は水の準備を始めるべく、クーラーボックスの元まで歩き出す。

 

「ん?」

 

 スマートフォンが鳴動し、メールの着信を知らせた。タッチ画面を何回か触り、文章を呼び出した思穂は送信主を見て、冷や汗が吹き出し始める。

 

「『今日、私オフなのよね! だから夕方ちょっと会わない?』……って、ファンにしてみたらなんて嬉しいデートのお誘いなんだ……!」

 

 だが、思穂にとったら何か嫌な予感がすごくするお誘いでしか無く。送信主――綺羅ツバサが画面の向こうで笑っているような、そんな錯覚をしてしまった。

 これを断ったら色々と面倒なことになるのは目に見えてしまっている。思穂の返答はたったの一つしかない。

 手早く返信をし、スマートフォンをしまった思穂は、少しだけ発想を逆転させることにした。

 

(そうだ、これから更にμ'sを盛り上げるためにはやっぱり頂点を勉強することが一番だよね)

 

 更に向上するため、思穂はあえて戦場へと踏み込む決意を固めた――。

 

(あ、また美味しい食べ物屋さんに連れて行ってくれないかな!)

 

 早速、本来の目的を忘れそうになってしまったのはご愛嬌。



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第六話 頂点を洗脳しよう!

「お待たせしましたね、ツバサ!」

 

 音ノ木坂学院とUTXの丁度中間地点に小さな喫茶店があり、そこが今日の待ち合わせの場所となった。こちらから時間指定をしておいて何だが、正直遅刻寸前だった。

 本当はもうちょっと余裕を持って到着できていたはずなのだ。だが、その道中でゲームショップに立ち寄ってしまったのが運の尽き。新作ゲームが何本も発売しており、何を買おうか吟味している内にだんだん時間が過ぎていき――今に至る。

 

「いいえ、私も今来たところよ」

 

 流石と言うべきか、ツバサはにこやかにそう返した。買い物袋を両手にぶら下げた挙句、指定した待ち合わせ時間ぎりぎりに現れた思穂に対して、気持ち良く接してくれるあたり、ツバサの器のデカさは本物である。

 

「急に呼び出してしまってごめんなさい。しばらくメールだけのやり取りだったから久しぶりに顔を合わせてお話ししたくなったのよ」

「それはそれは。光栄というか涙が出るというか」

「……実はね。ちょっと相談があって」

 

 あの綺羅ツバサが“相談”を持ちかけてきた。その事実に、思穂は僅かながら表情を引き締め、姿勢を正した。

 彼女はA-RISEのセンターを務めている有名人綺羅ツバサ。日々頂点の座を維持するために自らを研磨していく彼女のストレスや苦悩は推して知るべしといった所。

 思穂は心して彼女の言葉を待つ。

 

「実は……」

「じ、実は……?」 

 

 一拍置き、ツバサはとうとう切り出した。

 

「――実は、思穂の趣味の世界を教えてもらいたいのよ」

「ほわっちゃ」

 

 想像の斜めの上を行く“相談”に、思穂は思わず口癖が飛び出してしまった。あの綺羅ツバサにこんな相談をされるとは夢にも思わなかった。

 念のため、思穂はもう一度聞き返す。

 

「えっと……思穂の趣味って私の趣味?」

「え? 貴方思穂じゃないの?」

「いやまあ、片桐思穂で間違いないですが……」

 

 思穂はしばし黙考した。これはどこまで本気なのだろうと、そういう類の心配だ。下手に薦めすぎてドン引かれるのも嫌な思穂は、次のツバサの言葉を待つ。

 

「ほら、以前二人で遊んだ時、ゲーム屋さんに行ったでしょ? そこで女の子と仲良くなるゲームの事を教えてもらった時、私思ったの。こういう一見、アイドル活動とは関係が無さそうな娯楽にも人を楽しませるための創意工夫がちゃんとある。幅広いジャンルに精通する事が更なるステップアップに繋がると思うの」

 

 真面目か、つい思穂はそんな事を口に出しそうになったが、本人の真面目な表情を見て、その言葉を飲み込んだ。どこまでもアイドルへの熱意に溢れたツバサに、思穂も中途半端な事は出来ないと感じた。

 

「よぅし。なら不肖片桐思穂。全霊を以てツバサに教授をすることにしましょう!」

「ありがとう思穂! なら早速行きましょう! ……の前に」

 

 ツバサがカウンターの方へ向いたので、思穂もつられてそっちの方へ向くと、店員が二つのトレイを持ってこちらへ向かってくるのが見えた。

 

「ここのパンケーキ、すごくおいしいのよ」

「おお! パンケーク! ついなんちゃって英語になっちゃうぐらいにはテンション上がってきたー!」

 

 テーブルに乗せられたパンケーキを見て、思穂は無意識にナイフとフォークを握っていた。何せ、家ではあまりパンケーキを作らない。ましてや上には大ぶりなバニラアイスが乗っている。穂乃果に見せたら卒倒すること間違いなし。

 

「おお! おいしいー!」

 

 出来立てでアツアツのパンケーキをヒエヒエのバニラアイスと共に口へ入れると、そこには天国があった。バニラアイスが程よく溶かされ、頭がキーンとする心配もなく甘さだけが口に広がる。すぐに、小さく角切りにされたバターとメープルシロップ、そしてパンケーキ自体の甘みが口の中に目一杯広がる。

 

「アツアツとヒエヒエのコラボレーションはやっぱり偉大ですね! 今までのパンケーキ観が極大消滅してしまいましたよ!」

「そんなに喜んでもらえると選んだ甲斐があるわ」

 

 そう言って、ツバサもパンケーキを切って口に運ぶ。

 

「……そう言えばツバサ、ちょっと聞きたいことがあるんですけど良いですか?」

「あら、思穂からの質問なんて珍しいわね」

「え、そんなに珍しいですか?」

 

 パンケーキを切る手を止め、ツバサは顔を上げる。

 

「珍しいわ。だって思穂、あまり人に頼らなさそうだし、何でも知っているし」

「……ほわっちゃ」

 

 つい口を突いて出た本日二回目の口癖。思穂はぎょっとしてツバサの方を見ると、彼女は得意げな表情を浮かべていた。

 

「どう? 当たっているでしょ?」

「あえて答えはしませんが、どうしてそういう考えになったでしょうか?」

 

 すると、さも当然かのようにツバサは答えた。

 

「私はずっとA-RISEを応援してくれているファン達と向き合っているのよ。目の前の友達がどういう子なのかくらい分からなくて何がスクールアイドルの頂点なのかって感じよ」

「……あはは。やっぱりツバサには敵いませんねー」

 

 やはり綺羅ツバサと言う人間はなるべくしてスクールアイドルの頂点になったと、手放しでそう評価することが出来た。どこまでもファンと向き合うことに手を抜かないその姿勢にこそ、説得力がある。

 

「実は、今度μ'sライブやるんですよ」

「そうなの!? ネット中継はもちろんするのよね? 見させてもらうわ」

「それで今セットリスト組んでたんですけど、ニワカ知識だとやっぱり限界がありましてね……。どういう組み方をしたらお客さん達は喜んでくれるのかなーと」

「そんなの簡単なことよ」

 

 目を丸くする思穂へ、ツバサは言い切った。

 

「μ'sの皆が楽しく、そして限界ギリギリで歌えるような曲順にすればいいのよ」

「……へ? そんなんでいいんですか?」

「ええ。本当に突き詰めるならプロから教授してもらった方が良いんだろうけど、私達はあくまでアマチュア。それに何と言っても、自分達が楽しめない物をファンが楽しめる訳がないわ」

 

 ツバサの答えはシンプルにして思穂が欲しかった答えを全て内包していた。それを聞いて、思穂は背中を押されたような気がした。

 

「そっか……そうですよね。その通りですよね!」

 

 何かとても小さなことで悩んでいたような、そんなこっ恥ずかしさが沸々と湧いてきた。後はさっさと自分の直感をリストにするだけ。

 だが、その前に。

 

「よぅし! 私の悩み終了! それじゃさっさと行きましょうツバサ! ここから先は私のターンですよ!!」

 

 ツバサの手を掴み、思穂は走り出した。もちろん会計はしっかり済ませてだ。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「ここが……」

「そうです! ここが今日のツバサの学校ですよ!」

 

 そう言って指さしたのは思穂御用達のゲームショップである。ゲームショップとは言った物の、この店は漫画やDVDなどがバランスよく置かれている店である。

 

「前に行った店よりも大きいのね」

「そうですね。ツバサの熱意に応えるには相応の店をと思いまして!」

 

 早速中に入ったツバサは目の前に広がる光景にひたすら圧倒されていた。前に入った店の光景を覚えていたから多少の予備知識があると自負していたが、これはそんな知識が無駄になると痛感させられるほどだった。

 四方八方三百六十度に広がる漫画にゲーム、その他諸々。戸惑っていると、思穂に手を掴まれた。

 

「と言うことで早速なんですけど、今日はアニメゲームラノベその他諸々関係なく、ただ私のオススメを叩き付ければいいんですか?」

「ええ。変にリクエストして思穂が教え辛くなるよりはいいと思うしね」

「わっかりました! ならまずはこの漫画をオススメさせていただきましょう!」

 

 そう言って思穂は既に選んでいた漫画の第一巻をツバサに手渡した。それは十数人のアイドルが、トップアイドルを目指して日々奮闘していくと言うような物語である。

 それを聞いたツバサはたちまち目を輝かせた。

 

「面白そうね! 私にピッタリかも!」

 

 早速ツバサは思穂が薦めた作品を全巻買い物かごに突っ込んだ。割と思い切りが良い方なのだな、と思穂は妙な感心をし、次の作品を薦める。

 

「次はアニメなんですけど、これはどうですか?」

「アニメ? これは何かしら? 魔法少女……みたいな感じね」

「正確に言えば魔法少女では無いんですけど、まあやっていることは似た様なものなんでその認識で良いです! で、これの最大の魅力はですね、ずばり歌です!」

「歌?」

 

 DVDに描かれているのは物々しい装備をした少女達であった。思穂はアイドルをやっているツバサだからこそこの作品をいつか薦めてみたかったのだ。

 

「歌うことによって力を発揮する美少女達が“雑音”と呼ばれる化け物と戦っていくバトルアニメなんですよ!」

「歌うことで!? え、じゃあこの子達は歌いながら戦うの?」

「そうです! 声優さん達の熱演と歌唱力もあって、戦闘シーンは迫力満点! ぜひ一見の価値ありです!」

 

 荒唐無稽な紹介だったが、それは逆にツバサの興味を大いに引くものであった。

 

「歌う者としては色んな“歌”の可能性にすごく興味があるわ。……これも買っておこうかしら」

 

 言うや否や、ツバサは思穂に連れられ、DVDが置いてあるコーナーに辿り着き、さっさと買い物かごに入れていった。早速“一つ目”の買い物かごが作品で埋まった。

 すぐにツバサは二つ目のかごを持ち、思穂の方へ顔を向ける。そのキラキラ輝く目を見て、思穂は確信した。

 

(あ、これ私ハマらせちゃいけない人ハマらせたかも)

 

 何事にも真面目なツバサはあらゆることに手を抜かない。この思穂の“授業”も当然、手を抜くことはない。少し抑え目に紹介していった方が良いか。そう思ったが、今日のツバサの予算を聞き、そんな“温い”考えは即刻放り投げた――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「今日はありがとう思穂! 楽しかったわ!」

「いえいえ。私も楽しかったです!」

「それよりも本当に良いの? 荷物持ってもらって」

「当然ですよ。天下のA-RISEが身体を悪くしたらコトですからね!」

 

 漫画やDVDはかなり重い。華奢なツバサに持たせるなどという選択肢は端からなかった思穂は、買い物かご三つ分のグッズを一人で全て持って歩いていた。

 ツバサは心配してくれるが、思穂にしてみたらこれはまだまだ軽い部類である。何せ愛用のバッグならまだ全然入る量だ。

 

「知らなかったわ……あんなに沢山の作品があるだなんて……」

「氷山の一角ですよ。まだまだ私ですら知らない作品が多く溢れています。今日はその一角の更に削りカスみたいなのを紹介したに過ぎません」

「そうなのね……奥が深いわ」

 

 すると、ツバサがとてとてと歩き、タクシーを呼び止めた。

 

「ここで良いわ。後は私一人でも大丈夫よ」

「良いんですか? 最後まで付き合いますよ?」

「ううん。そこまで迷惑はかけられないわ。だから、今日は本当にありがとう!」

 

 突っぱねる理由も無かったので、思穂は頷き、タクシーの中に荷物を全て入れてあげた。運転手がぎょっとした顔を浮かべたのは恐らく気のせいだろう。

 

「このお礼は“また”会った時にでもさせてもらうわね」

「あはは……期待せずにお待ちすることにしますよ」

 

 タクシーに乗り込んだツバサは最後にこう言った。

 

「これで私は更なるステージへと上がるわ。μ'sには届かないほど高いステージに、ね」

「それで上がるかどうかは分かりませんが、それならこっちも電光石火のごとく駆け上がるだけです」

「ふふ、お互いに頑張りましょうね」

 

 そうして、綺羅ツバサとの奇妙なお買いものは終わりを迎えたのだった。正直、未だに何故これほど気に入られているのかが分からないが、それでも思穂は一つだけ心に残っている言葉があった。

 

「友達、か」

 

 喫茶店で言われたツバサの一言。その言葉を思い出すだけで暖かい気持ちになれた。今日の夕食は、奮発をして大根ステーキにしよう。それくらいにはいい気分だった。すっかり陽が落ち、暗くなった夜道を街灯が照らしてくれていた。

 ――その夜、ツバサからメールが入った。歌いながら戦う某アニメを観たようだ。パッション溢れる文面を見る限り、相当気に入ったのだろう。最後の『私も歌いながらもっと激しいアクションしなくちゃ!』という一文を見た時は思わず笑い転げてしまった。



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第七話 作詞、作曲の難しさ

「ちっがうよー!!」

「じゃあどうすれば良いんですか!?」

 

 真姫を除いたメンバー達が苦笑を浮かべながら、思穂と海未のやり取りを見守っていた。現在、海未と思穂は作詞作業中だった。だが、始まって三十分が経過するが、ずっとこの調子である。

 

「まだ渋いよこれは! もっと甘ったるい単語を多用しなきゃ! 愛とか恋だとかそういうのを連想させる単語を!」

「は、恥ずかしいです!」

 

 目下検討中の議題は単語の採用率である。思穂の作詞条件の一つとして、『甘酸っぱい恋を連想させる歌詞』が含まれていた。

 

「いや、分かるけどさ! 海未ちゃんの作詞の魅力は何の淀みも無い真っ直ぐな歌詞だと思うんだ! 今回の曲はラブソングとは言わないけど、それにかなり近い曲なんだから、やっぱりそれを連想させるのは避けて通れない道だよ!」

「だ……だったら方向性を変えてください! それならばもう少し書きやすく――」

「する訳にはいかないよ! 夏と来たら浜辺で追いかけっこするような恋だよ!!」

 

 拳を握りしめて力説する思穂の姿を見て、穂乃果が少しだけ頬を染めた。

 

「も、もしかして思穂ちゃんそういう経験が……」

「え? 女の子と仲良くなるゲームだよ! ……そういうのは、ないよ……」

 

 思えば、そういう経験が全くない思穂。穂乃果の無垢な一撃に撃沈してしまった。壁に手を付いて、思い切り重苦しい息を吐き出す。

 だが、思穂はむしろ開き直った。

 

「でも! なんかあるよ! ほら、アニメとかゲームでも『何も知らないからこそ柔軟な発想が生まれる!』とかって言うじゃん!」

「し、思穂は勝手すぎます! なら思穂が書けば良いじゃないですか!」

 

 海未の訴えに対し、思穂は断固ノーの姿勢を示していくことにした。

 何故なら、μ'sの中で“作詞”をするのは例外を除き、園田海未ただ一人。そして思穂はあくまでマネージャー。

 以前のような卑屈な考えではなく、役割としての考えだ。

 

「多分、私も書けるけど、海未ちゃんのような真っ直ぐさは絶対出せないと思うんだよね。ほら、何か私ってドロッとしてるからさ……」

 

 海未から顔を逸らし、どんよりした空気を発する思穂の姿に少しだけ皆は同情の視線を向けた。いつもの言動がアレなので、本当に少しだけだが。一つまみの塩程度である。

 

「思穂、本当に私達、祭りの手伝いをしなくても良いの?」

 

 先ほどからずっと浮かない顔をしていた絵里がそんな事を口にした。

 

「ライブに向けて、私達は練習だけに専念してくれって前に言っていたけど、思穂に全部任せて良い物なのかと……」

「うん、大丈夫大丈夫ー。商工会から何人かお手伝いが来るらしいし、ステージ作りの段取りもライブの段取りも全部終わってるし、後は当日頑張るだけだから!」

「でも、お手伝いさんがいるからって思穂ちゃんの負担が……」

 

 絵里の心配に希も加わった。先輩として、全てを任せても良いのかと前々から思っていたこともあり、ついいつもより深く突っ込んだ。

 しかし、思穂はそれをあえて笑い飛ばす。

 

「うん大丈夫大丈夫! 私も役に立てなかったらどうしようと思って、試しに重い物持ってみたら、結構持てたから平気平気!」

 

 それを普通と感じるのか、普通と感じられないかが思穂との付き合いの深さを意味する。絵里たちは前者。なら仕方がない、と絵里と希は不承不承ながらに思穂の言葉を受け入れることにした。

 これ以上変に突っぱねれば、むしろ思穂を信用していないという事に繋がる。

 

「そういえば真姫ちゃんは?」

「音楽室にいるよ。海未ちゃんと同じコンセプトで今作曲してもらってるんだ」

「そうなんだ! だからいなかったんだね!」

 

 凛の言葉に頷きつつ、思穂は海未の肩に手をやった。ついでにさわさわと鎖骨を何度か撫でておいた。制服から覗く綺麗な鎖骨を見たら、触らずにはいられない。叩かれた。

 

「いったぁ! 酷いよ海未ちゃん!!」

「思穂が触るからです!!」

「でも海未ちゃんの『ひゃん!』って声が聞けたから私的には大満足! と言うことで海未ちゃん、ハイこれ」

「……これは何ですか? 単語の羅列?」

 

 思穂が手渡したのは女の子と仲良くなるゲームのテキストから抜き取った“それっぽい”単語群である。これから思穂は真姫の所へ行くつもりだった。

 とどのつまり、置き土産である。

 

「うん、参考になりそうな文章とか単語とかを抜き取ってみたんだ。これを当てはめてみるだけでも良いからさ! ちょっと頑張ってみてくれないかな!」

 

 それに、と思穂は続ける。

 

「幅広いジャンルに触れてみると案外、新発見があるかもよ!」

「新発見……ですか?」

「私もそうなんだけどさ、無理だと思ったジャンルのゲームでもやってみたらすごくハマっちゃったことがあるんだよ。その時の感動を、海未ちゃんにも知って欲しい」

 

 海未の言葉を待たずに、思穂は部室を後にした。人からの言葉で伝わるなら、きっとこんな感情は生まれないのだから。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「はろー真姫ちゃん」

「……何だ、思穂か」

 

 音楽室に入るなり、真姫が微妙な顔をした。これが凛や花陽ならば真姫ももう少し愛想良く返せたのだが、思穂が相手ならば全く以て話は別。

 

「え、酷くない?」

「いつもの言動を振り返ってみなさいよ」

「益々酷い!」

 

 フイと、顔を背け、真姫は再びピアノの鍵盤に指を乗せた。

 

「どうどう? 作曲作業は?」

「色々作ってはいるけど、海未の歌詞が無ければしっかりしたイメージがまるで湧かないわね」

「う~ん……やっぱりか」

 

 などと言いながら、すぐに歌詞に合わせられるように色々なパターンを作っている真姫の真面目さに感動している思穂。素直じゃないだけで、μ'sの中でも指折りの真面目さを誇るのが真姫なのだ。

 

「ていうか! 思穂の条件があいまい過ぎるのよ! 何よ、夏っぽい歌って!」

「だよねー」

 

 言いながら、思穂は真姫の横に近づいた。

 

「ねぇねぇ。私にも弾かせてもらっても良いかな?」

「はぁ? ピアノ? 思穂、やったことあるの?」

「真姫ちゃんの見よう見まねだけどね。と言うことでちょっとやりたいなーって思うんだけど、良い?」

 

 渋々ながら、真姫はそれを受け入れた。ずっと椅子に座っていたからお尻が痛くなって来たのもあるし、単純に思穂がどれくらい出来るのか興味があったからだ。

 真姫に席を譲られ、思穂は座って、鍵盤に指を添えた。細くて長い指。コントローラーのボタンを押し続けていたせいで、親指に少しばかりタコがあるのが玉にキズだ。

 

「よぅし。不肖片桐思穂、六百六十六の特技の内の一つをお見せしよう!」

 

 一呼吸置き、思穂は演奏を始める。

 

「私の好きな作曲者ハトケンさんに捧げるよー!!」

 

 厳かな出だしが室内に響き渡る。激しい前奏から一転、静かな曲調に移り変わる。その間、思穂の指が忙しなく動いているのを見て、真姫はひたすら驚いていた。

 

(……これで私の見よう見まね? 一体私のどこを真似ているのよ)

 

 こんなに激しい伴奏を思穂の前でやったことはほんの一度も無い。断じて真似などしていない。これはもう、思穂の演奏である。

 

(……何よ、全然真似てないじゃない)

 

 少しばかり嫉妬していた自分がいることに気づき、真姫は頬に熱を帯びる。一分半ほど経ち、思穂は満足したのか演奏の手を止めた。

 

「『トラスティボル~モーツァルトの夢~』……ああ、やっぱり名曲だよね。通常戦闘が神曲ってすごいよね」

「……もう、思穂が作曲すればいいんじゃない?」

「あ、それは無理」

 

 思わずずっこけてしまいそうになった真姫。あれほど静かに、そして情熱的な演奏を見せた思穂が言う台詞ではない。馬鹿にしているのかと思った真姫の考えは、次の彼女の言葉で改めさせられた。

 

「だって私のはコピーだもん。一を二にしただけ。μ'sの作曲はゼロから一を作れる真姫ちゃんしか有り得ないって」

 

 思穂はコピーならば完璧に出来る自信があった。今しがた弾いた曲も、一度聞いて音を覚えたのだ。そして、インターネットでピアノの弾き方を覚えて、今の演奏が何とか成り立ったのだ。

 

「多分、海未ちゃんは大丈夫だよ。そのうち、書き上げてくれると思う」

「えらく自信満々ね」

「やる時はやるのが海未ちゃんだからね! だって海未ちゃん、何だかんだでいつも良い歌詞書いてくれるしね」

「……まあ、それはそうね」

 

 真姫も海未の書く歌詞は嫌いでは無かった。生真面目な性格が影響しているのかは分からないが、彼女の書く歌詞には気取った感じが無く、“自然体”なのだ。

 だからこそ、真姫はさして苦労することなく曲が浮かんでくる。何故なら、彼女の世界をそのまま形にしてあげればいいのだから。

 

「で、麻歩ちゃんとはどうなの?」

「麻歩と? 真姫ちゃんから麻歩の話題が出るとは珍しいね。う~ん……まあ、相変わらずって感じだね」

 

 あれから麻歩とはあまり口を利いていない。家で顔を合わせるのは食事時だけ。すぐに部屋に行ってしまうのだ。

 その事を言うと、真姫が少しばかり呆れたような表情を浮かべた。

 

「なんだ、この間の思穂じゃない」

「うがっ……! 真姫ちゃんやっぱりえげつないね。とっくの昔に忘れてくれているものかと……」

「あんなに強烈なの、忘れられる訳無いでしょう」

「ほわっちゃ……」

 

 落ち込むのもそこそこに、思穂は直ぐに表情を切り替えた。

 

「でも麻歩は必ず分かってくれると確信しているよ? だって、海未ちゃんが作詞をして、真姫ちゃんが作曲をする。その歌で皆が最高のパフォーマンスをする。それで麻歩は感動するという実に簡単な話だよ」

「……随分買い被られたものね」

「私は常に、μ'sに対してお釣りはいらないスタイルで買い物をしているからね!」

 

 満面の笑みでそう言い切る思穂だからこそ、真姫は何となく口を滑らせた。

 

「……麻歩、何だか放っておけないのよね」

「そうなの?」

「何だか意地を張っているようにしか見えないのよ。特に思穂相手には特に。もしかしたら麻歩も――」

 

 そこまで言って、真姫は言葉を途切れさせた。そこから先は完全に自分の考えでしかない。だからその代わりに、ピアノを鳴らす。

 

「やるからには全力でやるわよ。――あの思穂の妹に一泡吹かせるなんて面白そうな事に手を抜くなんて有り得ないわよ」

 

 そう言って、真姫は悪戯ぽく微笑んだ――。



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第八話 階段に足を掛ける――

 とうとう祭りの日が来た。陽が落ちつつある、真っ赤な夕空の下、思穂はデカい荷物を二つ抱えていた。

 

「おう思穂ちゃん! そのスピーカーはそこに置いておいてくれー! そしたら距離離してもう一個もな!」

「へいらっしゃい!!」

 

 思穂は右手に持っていたスピーカーを置くと、少しばかり距離を離して、左手のスピーカーも置いた。流れでる汗をタオルで拭い、早速次の作業へ移る。

 今日は待ちに待った祭りの日であった。実行委員会からはわざわざ手伝いに来なくても良いとは言われていたのだが、ステージに上がらせてもらう以上、その厚意を素直に受け入れる訳にはいかない。休みだったこともあり、朝から思穂は祭りの手伝いに来ていた。

 ちょこまかと動く思穂は実行委員会達からも好印象で、また可愛らしい見た目と高いテンションから、いつの間にかスタッフたちのアイドルとなっていた。

 祭りの進行と並行して大人たちと一緒に続けていた作業も一段落を迎え、思穂には自由を与えられた。

 

「しーほちゃーん!」

 

 声のする方を向くと、穂乃果達が歩いて来ていた。それぞれ、衣装が入った鞄を肩に提げていた。

 

「お、来たね穂乃果ちゃんら! アップはもうオーケーな感じ?」

「ええ。来る前に軽くウォーミングアップしてきたわ。四十分後だったかしら?」

「そうそう。これから町内会のカラオケ大会やるからそれが終わったら絵里ちゃん達の番だよ! 皆緊張は……していないみたいだね」

 

 一瞥し、思穂は満足気に頷いた。何だかんだで場数を踏んでいる彼女達だ。変な心配はかえってプレッシャーになってしまう。

 そう考えた思穂は、更にその“奥”へと視線を向ける。

 

「来たね、麻歩」

「……真姫達に連れてこられたからよ」

 

 フイ、と顔を背ける麻歩。真姫は真姫で気恥ずかしいのか、髪の毛をくるくると巻いていた。

 真姫に麻歩を連れてくるよう頼み込んでいた思穂は、上手く事が運んだことに安堵する。そも、麻歩が来なかったら一体何のために祭りにμ'sを捻じ込んだのか分からなくなる。

 

「じゃあ麻歩、ちょっとだけ待っててね!」

「……ええ。かき氷食べて待っているから」

 

 言うが早いか、麻歩はかき氷を食べだした。時たま頭がキーンとしたのか、こめかみを押さえたりしている。

 そんな麻歩を置いておいて、思穂は穂乃果達を更衣室まで連れて行った。九人と言う大人数を収容できるスペースを確保するのは流石に難しく、半分半分で着替えてもらうしかない。

 

「麻歩、今日は来てくれてありがとうね!」

「……別に、良い」

「て言うか、何で浴衣じゃないの!? 用意しておいたよね!?」

「普段着で良いから、普段着で来たのよ」

 

 麻歩は未だに思穂とどう話せば良いのか分かっていなかった。

 ――やれてるね。だけど、私的には駄目。

 麻歩の脳裏にはまだこの言葉が過ぎる。先輩である矢澤にこからヒントらしきものをもらったがまるで意味が分からない。

 

「ねえ、何で私を連れて来たの?」

「……それは、見れば分かってくれると思う」

「それが姉さんの答え?」

「私達の答え」

 

 カラオケ大会も終わり、出演者が捌けると、その代わりにステージ上には司会のお姉さんが上がってきた。浴衣を着て、その手にはマイクが持っている。結構な美人さんで、酒に酔っぱらった男性陣が口笛を吹いた。

 

「皆さーん! お兄さんもお姉さんもだいぶ酔っぱらってますねー!?」

「うおおおおお!!」

 

 司会のお姉さんは割と“言う”性格らしく、ズバズバえぐい事を言ってくる。だが、それがむしろウケているようだ。

 そんなお姉さんがマイクを握り直し、進行を始めた。

 

「麻歩」

「何?」

「これから始まるステージを、一分一秒たりとも目を離したら駄目だよ?」

「……」

 

 思穂の言葉に対して、麻歩は返事の代わりにステージ上へと視線を向ける。

 

(姉さん、このステージを見れば、本当に姉さんの言っていることが……?)

 

 司会のお姉さんの前口上が終わり、とうとう本番である。

 

「それでは酔っ払い共ー!! 今日はスクールアイドルである『μ's』が来てくれました! さっさと酔い醒ませー!!」

 

 何かかしら出るタイミングが打ち合わせされていたのだろう、司会が軽く手招きすると、ライブ衣装を着た穂乃果達がステージに上がってきた。

 その顔には程よい緊張を(たた)えている。この分なら高いレベルのパフォーマンスが期待できる。皆がそれぞれのポジションに着き、音楽が掛かるのを待っている。

 

「始まる……!」

 

 これから始まる曲は『Mermaid Festa Vol.1』。

 何故、『Vol.1』なのか、その意味はこれから分かる。

 この曲はこれまでの曲とは違い、『妖艶』という言葉が似合うものとなっている。歌詞も渡した“それっぽい単語リスト”が十二分に活きている。

 なお、海未はこの歌詞を書いて以降、しばらく顔が真っ赤になっていたのはここで語るべきでは無い。曲も、海未のほんの少し大人びた歌詞がマッチしている辺り、真姫の本気が伺える。

 振り付けも波と海を連想させる滑らかな動きとなっている。歌詞と、曲と、振り付けと、その全てが組み合わさったステージ。

 仕上がりは十二分以上。思穂は満足げに目を細めていた。

 

「……」

 

 思穂はあえて隣の麻歩には突っ込まなかった。今はただ、ステージに集中させたかったから。

 一方、麻歩は何も語ることなく、μ'sのライブを眺めていた。だが、それは思穂の思惑通りではなく、“ただ眺めているだけ”。

 

(……姉さん、私、やっぱり分からない……はず、なのに)

 

 そうただ眺めているだけ。しかし、何故か見てしまう。

 彼女達の笑顔が、歌が、振り付けが、曲が、ライブを構成する要素全てに目がいってしまう。

 一瞬でも思穂を見ると、彼女のペースに持って行かれそうな気がして、絶対横を見る事が出来ない。

 

(何で……見てしまうの?)

 

 そんな麻歩の心中を察したように、思穂がステージを見たまま話し始めた。

 

「見てしまうよね。穂乃果ちゃん達のライブ」

「……別に」

「海未ちゃん、ことりちゃん、凛ちゃん、真姫ちゃん、花陽ちゃん、絵里ちゃん、希ちゃん、そしてにこちゃん。皆が一人一人一生懸命踊っている――笑顔でね」

 

 笑顔。その単語に麻歩は思わず九人の顔をみやった。

 確かに笑顔だった。一人たりとも余すことなく、笑顔だった。そして何よりも楽しそうで、真剣に。

 

「何で、先輩たちはあんなに楽しそうに歌えるの?」

「楽しいからだよ。そして、とても真剣で」

 

 思穂が更に続ける。

 

「それが、私が麻歩を駄目だって言った理由かな?」

 

 見てみて、と思穂に促されるまま、麻歩は再び彼女達のステージに集中する。何度見ても、いつ見ても、彼女達は楽しそうで。

 

「麻歩はあの時、楽しかった?」

 

 その言葉に、麻歩は少しだけ自分の胸に問いかけてみた。

 

(……あの時の私……)

 

 あの時の自分は無心だった。ただ、完璧に踊ろうと、ただそれだけであった。その先は、と聞かれたら間違いなく自分は――。

 

「……そんな、簡単な事で」

「簡単な事で、だからだよ。麻歩にもきっとちゃんと分かる時が来るのかもしれない。何も、今日今この瞬間に理解しろだなんて言わないよ。だから、さ」

 

 ステージが終わり、穂乃果と凛以外が舞台から捌けた。そう、ここからはお待ちかね。

 

「皆さんこんにちは! μ'sです!」

 

 穂乃果の簡単な挨拶が始まった。何度か場慣れしているだけあってか、その挨拶も随分とサマになってきた。

 手短な挨拶の後、穂乃果は何を思ったのか、一瞬だけ視線を移してきた。

 

「――あと! 今日は大切な友達の従妹さんが私達のライブを観に来てくれています!」

 

 その言葉に、麻歩はぴくりと肩を揺らした。まさか話題に上がるとは思ってもいなかったのか、僅かに頬が上気していた。

 

「今日は私達、皆さんとそしてその従妹さんに楽しんでもらえるようなライブにするつもりです! だから皆さん最後まで見ていてください!!」

「皆ー準備は良いかにゃー!?」

 

 言い終わるところで、次の曲が流れた。先ほどの曲よりも、更に夏らしさを感じる曲調。穂乃果と凛がどこからともなく可愛いデザインのタオルを取り出した。

 

「それでは高坂穂乃果と!」

「星空凛で!」

「『Mermaid Festa Vol.2』!」

 

 これこそが高坂穂乃果と星空凛の魅力を最大限に引き出せると言っても過言では無い曲であった。『Mermaid Festa Vol.2』。人魚は二度やってくる。二人のパッションを掛けあわせれば、まさに無敵なのだ。

 

「だから――今は、頭空っぽにして楽しもうよ!」

 

 すぐさま思穂は麻歩にタオルを手渡した。こんなこともあろうかと用意していたタオルである――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「オッケー! オッケー! 皆さいっこう! さいっこうだったよ!」

 

 お祭り会場の一角で、思穂と麻歩を含めたμ'sメンバーは祝杯を挙げていた。もちろん、ライブ大成功祝いである。実行委員会から借りた大きな丸テーブル二つの上にはたこやきや焼きそば、おまけに焼トウモロコシなどのお祭りには絶対不可欠なご馳走が所狭しと並んでいた。

 穂乃果と凛ががっつき、それを海未と真姫が止める。

 

「凛、行儀悪いわよ」

「真姫ちゃんも早く食べた方が良いって! 穂乃果ちゃんとかにこちゃんに食べられちゃうよ!」

「穂乃果もです。もっとゆっくり食べなさい!」

「ええ~! にこちゃんの方が一杯食べてるよ~!」

「……穂乃果ならともかく、にこをそんな大食らいにしないで」

 

 などと言いつつ、にこもその小さな体の一体どこに入っているのか、ぱくぱくと食べていた。そんなにこ達を尻目に、花陽やことりはマイペースに食し、希や絵里は皆を生暖かい目で見守っていた。

 暖かい空気。そんな空気に麻歩は一人だけ取り残されたような気がした。これは自分の思い込みなのは明確なのだが、それでもそう思わざるを得なかった。

 今までのライブを観ていた麻歩には一つの感想があった。

 

「ね、どうだった麻歩? 皆のライブは?」

 

 決して思穂が大きな声で言った訳では無かったのだが、皆食事の手を止め、麻歩の方へ向いた。一点に集中された視線に、麻歩は特に何も感じることはなかった。それよりも、自分の口から感想を言わなければならないことの方が恥ずかしい。

 

「私は……まだスクールアイドルの事は理解できないわ」

 

 途端、穂乃果を筆頭に表情が固まってしまう。しかし、麻歩はそんなちっぽけな感想で終わらせるつもりは毛頭なかった。

 

「だけど、μ'sの皆さんのライブはその……すごかったです。胸が熱くなりました、すごく。私が皆をそうしろと言われたら絶対に無理だと断言できるぐらいに」

 

 熱くなった――。億の言葉を以てしても表現できないこの感情をたったの一言で端的に表すとすればこの言葉に凝縮された。

 ダンスも、歌も、すごく上手いという訳では無い。それなのに、それだからなのかもしれない、そんなちっぽけなモノ全てを覆すぐらいの“魂”がそこには込められていて、麻歩はその彼女達の魂を寸分違わずに受け止められたのだろう。

 麻歩は思穂の方へ向き、頭を下げた。

 

「ごめんなさい姉さん。私、何も物を知らずに発言していたわ……」

 

 それは麻歩が思穂を認めたことの何よりの証拠であった。続けて、麻歩はにこの方へ向いた。

 

「にこさんも、ごめんなさい。にこさんの寒いギャグは私にこの事を気づかせるためだったのですね」

「寒いは余計よ!」

「穂乃果さん」

 

 にこの言葉をさりげなく聞き流し、麻歩は穂乃果の元まで歩み寄った。

 

「最高のステージでした。私、あんなステージは初めて見ました」

「ありがとう麻歩ちゃん! 私、嬉しいよ!」

 

 言葉だけでは物足りないのか、穂乃果は麻歩に勢いよく抱き着いた。最初こそ、驚きで目を丸くする麻歩であったが、彼女に思穂の面影を感じたのか、恥ずかしがるどころかむしろ安心したように目を細めた。

 その姿を見た思穂は当然抗議した。自分だってあんまり抱き着いたことが無いのだ。そんな軽々しく抱き着けるなんて一体どこのライトノベル主人公だと、思穂は物申したかった。

 

「だ、駄目だよ穂乃果ちゃんや! こればかりは穂乃果ちゃんには譲れないよー!」

「も、もうちょっとー! 麻歩ちゃん、抱き心地良いんだもん!」

 

 抱き心地の良さ、そんな魅力的なワードに真っ先に反応したのはやはりと言っていいのか、凛であった。そこからはまさにお祭り騒ぎ。次に狙われた花陽と共に、麻歩は凛から逃げ回る始末。

 そんな三人をことり達は面白そうに眺め、ジュースを飲んだり、新たに希が買ってきたリンゴ飴を舐めたりしていた。

 

「やっぱり決まり……ね」

 

 そんな楽しい一時を外から眺める人物が一人だけいた。

 リンゴ飴を皆に手渡し終えた希が、一人もの思いにふけっている絵里の隣へとやってきた。

 

「何が決まりなん?」

「希……。ええ、ちょっとこれからの事をね」

 

 “これからのこと”。その一言で希は全てを察した。察して、少しだけ物寂しい表情を浮かべる。悲壮感はない、時間が過ぎるという当たり前の現実を受け入れているだけだ。

 

「やっぱり穂乃果ちゃん達なんやね。……思穂ちゃんにも頼むの?」

「頼むつもりよ。……けど、恐らく断られるでしょうね」

「ウチもそう思う。『私のオタクタイムをこれ以上削らないで!』って思穂ちゃんなら言いそうやね」

「……ま、その時はその時よ」

 

 彼女達が再び青春の階段を駆け上がる前日譚はこれにて終了。ここからは脇目を振らずの全力疾走。

 彼女達の物語は、これからが本当の始まりなのだ――。



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第九話 夢の階段は彼女達の前に再び現れて

 講堂には全校生徒が集まっていた。

 隣で話をしている者、少しだけ寝ている者、ただステージへ視線を向けている者。そんなざわついた雰囲気も、やがて司会の進行が始まるにつれ、徐々に収束していく。

 全校集会が始まりを迎え、まずは檀上に理事長が上がった。

 

「音ノ木坂学院は、入学希望者が予想を上回る結果となったため、来年も生徒を募集することとなりました――」

 

 そんな前置きから、始まる理事長の挨拶。三年生には残りの学園生活を悔いの無いよう過ごす事、一年生、二年生にはこれから入学してくる後輩達の善き手本となる様に促した。簡潔ながら、色々と考えさせられる挨拶をした後、理事長は壇上を下りた。

 降壇を見届けると、進行役であり、穂乃果の友達でもある短髪の女生徒ヒデコが次へと会を進める。

 

「続きまして、生徒会長の挨拶。生徒会長、お願いします」

 

 その言葉を受け、観客席から絵里が立ち上がった。だが、絵里は壇上へと上がらず、ただ小さな拍手をする。それはまるで、他の誰かを待つように。

 やがてその誰かさんが舞台袖から姿を見せる。一歩進めるごとに、サイドポニーが小さく揺れた。

 徐々に生徒達から黄色い悲鳴が上がっていく。その声を一身に受け、その者は壇上のマイクまでやってくる。

 

「――皆さん、こんにちは! この度、新生徒会長となりました、スクールアイドルでお馴染み!」

 

 そこで言葉を区切り、その者はいきなりマイクを掴み、高く高く放り投げた。

 

「ほわっちゃ……!?」

 

 その瞬間を観客席から見ていた片桐思穂は思わず腰を浮かしてしまったが、つつがなくキャッチできたことに胸を撫で下ろす。あのマイク、割と良い物を使っているのだ。壊れでもしたら堪ったものではない。

 そんな小さな心配を全く知らない彼女は、マイク片手に演壇から身を乗り出した。

 

「――高坂穂乃果と申します!!」

 

 誰が見ても、完璧な掴み。彼女を知る者が見れば、驚きで目を見開くこと間違いなしと、そう言っても何ら差支えない出だしである。これは相当に期待できる、そう高坂穂乃果は皆に思わせた。

 

「……あ~……え~……」

 

 ……その後、数秒間固まったかと思えば、突然パンの話やμ'sの練習が辛い等と奇天烈な事を話し出すのもまた、高坂穂乃果が高坂穂乃果たるゆえんなのだろうと、思穂は遠くで頭を抱えている絵里を見て、とりあえず合掌した。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「あぁ~疲れたぁ~!」

「お疲れ様、穂乃果ちゃんっ!」

「いやぁファンタスティックな挨拶だったよ穂乃果ちゃん!」

 

 生徒会室に着くや否や、穂乃果は机に突っ伏して呻いた。

 ことりと一緒に労いの言葉を掛けた思穂はお茶でも入れてあげようと、席を立つ。

 

 ――あの祭り以降、話は劇的な展開を迎えた。

 

 その一つ目が高坂穂乃果の生徒会長就任であった。祭りが終わった翌日、二年生組と思穂は絵里に呼び出された。その時に告げられた一言が『穂乃果、貴方生徒会長をやってみる気はない?』である。穂乃果達は全く信じられないと言った様子であったが、思穂としてはとうとうこの瞬間が来たかと、どこか納得したような表情を浮かべていた。

 絵里たちの“時間”を考えれば、もうそろそろ世代交代の時期。そうなると必然、メンバー構成が二年生を主体としたものになる。――そして、絵里が後任に推薦する相手も決まってくるだろう。

 ――思穂も生徒会に入ってくれないかしら?

 そんな風に、絵里から言われるのも必然。そして、思穂が『あ、オタクライフ最優先なんで』。と断るのもまた必然。ただし、役員未満のお手伝いとして全力を尽くすとフォローはした。

 二つ目は、麻歩が海外に戻ったということだ。向こうのテレビ局から麻歩の取材をしたいというオファーがあったと、麻歩が通っている学校から連絡があったようで、つい一週間前に日本を発った。

 すぐに戻ってくると言うが、思穂的にはぐーたら出来る時間が増えるので『ゆっくりしてきな!』という優しい言葉を掛けてあげた。

 

「全然良いあいさつではありません! ……色々、言いたいことはありますが、よいしょ」

 

 そう言った海未が穂乃果の前に書類の束を乗せた。エベレストを想起させる量であった。

 

「今日はこれをすべて処理して帰ってください!」

「え、ええっ!? もう! 少しくらい手伝ってくれてもいいんじゃない!? 海未ちゃん、副会長なんだし!」

 

 穂乃果が生徒会長になったということは、海未が副会長と言う役職に就くのは最早必然。ことりは役員だ。

 海未は穂乃果の助けをバッサリと切り捨てた。何せ他にも仕事はある。その事を懇切丁寧に教えると、穂乃果の次の標的はことりであった。もちろん、ことりもそのつもりでいたが、海未がそれをさせない。まるで子煩悩の母親と、それを許さない父親のような構図であった。

 そんな穂乃果の最終標的は、座って漫画を読んでいる思穂となった。

 

「思穂ちゃーん! 助けてよー!」

「え~……? 今、私に振る~……?」

 

 結論から言えば、出来てしまう。その辺にある書類の山も、あの辺にある書類の山も、この辺に積まれている書類も全て鼻歌混じりに一時間半ほどで処理できる確信がある。

 ノートパソコン二台に、アニメ視聴用のスマートフォンがあれば作業効率は二倍。右手で一台、左手にも一台、真ん中にスマートフォンを置けば、アニメを見ながら作業が出来てしまう。思穂は両利きである。

 だが、思穂は心を鬼にした。――正確には海未が物凄い笑顔で思穂を威圧してくるからだ。これに逆らったら明日はない。

 

「あ、あはは……本当に処理出来なそうだったら私も手伝うから」

「穂乃果。思穂はいわば最終手段として認識しておいてくださいね。……間違いなく思穂は新生徒会の中では一番に仕事内容を把握しているでしょう。ですが、思穂は役員では無い上に、おんぶに抱っこでは私達に成長はありません。だから生徒会業務は極力新生徒会役員だけでこなしていきます!」

 

 穂乃果にとってはまさに死刑宣告と言っても、言い過ぎではないだろう。海未の気持ちも、穂乃果の気持ちも理解している思穂は中間の位置に立つことを改めて考えた。

 

「ふえぇ~……生徒会長って大変なんだねぇ……」

「分かってくれたかしら?」

「ふっふっふ。頑張っているかね、君達~?」

 

 そう言って入って来たのは絵里と希であった。二人ともからかい混じりの笑みを浮かべている。

 

「大丈夫~? 挨拶、だいぶ拙い感じだったわよ?」

「ううぅ……ごべんなざい~……! それで、今日は?」

「特に何かあるって訳じゃないけど、私が推薦した手前、どうしているか心配で」

 

 何だかんだでお節介な絵里に、思穂は含み笑いを漏らした。それが見られてしまい、絵里が少しだけ眉を逆八の字にする。

 

「思穂~何かしら今の笑みは?」

「ほわっちゃ!? え、何の事でしょうかね~っはっは!」

「この中では思穂ちゃんが一番生徒会の事を知っているから、ウチらがフォロー出来ないときはしてあげてね」

「あ、あ~……可能な限り頑張りま~す……。…………怒られない程度に」

 

 絵里が割とお節介焼きならば、希はとてもお節介焼きだと、そう言っても良いだろう。何せ、タロットカードを見せて、穂乃果達に『これから大変になるから頑張ってね~』とエールを送るほど。

 明日からμ'sの練習も始まる。それまでにちゃんと業務が出来るように、穂乃果達も気合いを入れなくてはならない。

 あと、オタクライフもより一層気合いを入れて、満喫しなければならない、と思穂はむしろそっち方面に気合いを入れた――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「だ~れ~も~い~な~い、部室で~やる~ネットサーフィンは~最っ高だなぁ~はっはっは!」

 

 アイドル研究部の部室で思穂は物凄い速さでタイピングとマウス操作をしていた。この時間は誰も居ないし、今日は練習もない。電気代を掛けずにパソコンを弄られる何と幸福な事か。

 生徒会業務も一区切り付き、各々自由な時間を過ごしていた。穂乃果が寝てしまい海未が彼女を怒ったり、書類の記入欄を一つ間違えて海未に怒られたり、書類の山を崩して海未が怒ったり……穂乃果は実に良く怒られていた。

 海未にバレないように雑件を片付けていくのは何とも骨が折れる作業であった。もちろん重要な書類は穂乃果に任せている。海未の言うとおり、こういうのまでやってしまったら彼女に成長はないからだ。

 そんな事を思いながら、思穂は次のサイトへのリンクをクリック――。

 

「思穂ー!!!」

「ほわっちゃー!?」

 

 突然のアクシデント。しかし思穂は神掛かった超反応でウィンドウを閉じた。まさに神速のインパルス。

 途端、雪崩れ込むようにμ'sメンバーが入ってきた。皆、等しく焦りの表情を浮かべていた。……否、穂乃果以外だ。

 

「思穂! あるのよ! また、あるのよ!」

「ちょ、にこちゃん落ち着いて! え、というか皆どうしたの!? 何があったの!?」

「思穂ちゃん! ちょっとパソコン貸して!!」

 

 花陽の異様な剣幕に圧され、即刻思穂は席を譲った。すぐに席に座るや否や、思穂をも超えんばかりの速度でとあるキーワードでの検索を実行した。

 そのキーワードを見て、思穂は目を丸くした。

 

「え……?」

「もう一度――ラブライブがあるんだよ思穂ちゃん!!」

 

 その言葉に、皆が興奮冷めやらぬと言った様子で頷いた。その後、全員がテーブルに着くと、花陽が説明を始める。

 要約すると、こうである。A-RISEと大会の成功で終えたラブライブの第二回大会が早くも決まった。しかも前回を上回る規模で、今回はネット配信やライブビューイングまであるとのこと。更に、今回はランキング制ではなく各地で予選が行われ各地区の代表になったチームが本選へ進めるこという事。

 これが意味する所とはつまり――。

 

「へえ、つまり歯を食いしばれよ最強(さいじゃく)、私の最弱(さいきょう)はちょっとばっか響く感じなんだね!」

「何を言っているか分からないけど、これはまさにアイドル戦国時代! 下剋上!! 予選のパフォーマンス次第では本大会に出場できるんです!!」

 

 その花陽の言葉に、皆の士気が一気に高まった。以前の人気投票でのランキング形式では不利感が否めなかったが、今回はあくまで自分達のパフォーマンスが全て。恨みつらみの無い良い方式だと、思穂は思った。

 ――だが、そうなるということはつまり、絶対に越えねばならない壁が出現したということで。

 

「でも、待って……地区予選があるっていう事は……私達、A-RISEとぶつかるってことじゃない……?」

「あ、絵里ちゃん気づいたんだね」

 

 その言葉で一気に盛り下がってしまったメンバー。スクールアイドルの頂点と真っ向対決しなければならないという絶望に打ちひしがれてしまったようだ。

 凛にいたっては全員の別地区転校を提案する始末。もちろん海未に一刀両断されてしまったが。

 

「確かにA-RISEとぶつかるのは苦しいですが、だからと言って諦めるの早いと思います」

「そうね、やる前から諦めていたら何も始められないわ」

「絵里ちゃんの言うとおりだと思うよ~。エントリーは自由だし、さい――。もしかしたら、もしかするかもしれないしさ! やってみようよ!」

 

 絵里の後押しをするように続いた思穂の言葉に、皆の士気が再び回復してきた。

 ラブライブ出場、盛りに盛り上がった空気の中、一人だけ雰囲気が違う者がいた。

 

「ぷはぁ~」

 

 その者は呑気に茶を啜り、ほっこりしている。そんな彼女へ皆からの視線が集中する。一拍間を置き、彼女は言い放つ。

 

「――出なくても、良いんじゃない?」

 

 そう言って笑う穂乃果。一瞬何を言っているのか分からない皆。飲み込み、理解して――どよめいた。まるで違う誰かを見ているような、そんな感じである。

 代表して、海未がもう一度訪ねると、穂乃果も再び同じことを口にする。

 

「ラブライブ、出なくても良いと思う!」

 

 皆が呆気に取られる中――思穂だけが目を細めて、穂乃果をジッと見つめていた――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「ふぅむ……」

 

 翌日、思穂は考え事をしながら生徒会室へ向かっていた。

 ――ラブライブ、出なくても良いんじゃない?

 そう、言ってから後が大変だったのだ。にこが振り付けの確認に使う姿見を持ち出して、他のメンバーが穂乃果を囲み、鏡の中の自分に問いかけさせてみた事もある。はたまた穂乃果がいきなり寄り道していこうと提案してみたり、なんていうこともあった。

 中でも一番驚きが絵里がプリクラの存在を知らなかったことにある。絵里が随分と『ハラショー』と言ったものだ。ハラショーのバーゲンセールである。

 その夜は穂乃果以外のメンバーと通話のやり取りと来た。色々話した結果、やっぱりラブライブに出たいという結論で片付いた。その会話の中で、思穂は一言二言しか意見を出さなかった。――皆には悪いが、思穂だけは穂乃果の心の奥底に燻っているモノに気づいていた。

 当然、その中で口には出さなかった。穂乃果にとって、これはそう簡単に拭い去れないものであったから。

 

「うんしょ……うんしょ……」

「あ、穂乃果ちゃん」

「思穂ちゃん、やっほ~」

「重そうだね、どれどれ私が手伝うよ」

 

 キングサイズのファイルの束を抱え、穂乃果が歩いて来た。すぐに思穂は半ばひったくるようにそのファイルを持った。体力お化けの思穂にとって、この程度の量は片手でも十分に持てるものであった。

 

「あ、ありがとう思穂ちゃん……」

「昨日からお悩みだよね~」

 

 思穂は穂乃果と並んで歩くなり、そんな事を言った。穂乃果は予想していたように、表情を曇らせる。

 

「あはは……。やっぱり、思穂ちゃんも出た方が良いと思う?」

「――ううん。私は穂乃果ちゃんの納得いく方で良いと思ってる。出ても、出なくても」

 

 その言葉は意外だったのか、穂乃果が思穂へと顔を向けた。

 

「どうして……?」

「あっはっは。私は全てを知る者、思穂ちゃんだよ。……とまあ、そんな冗談は置いておいて」

 

 思穂は続けた。

 

「……でも、これだけは覚えておいて?」

「なぁに?」

「やりたいことをやりたいと言っても、皆の迷惑になんか絶対ならないから。皆が協力する、私も――今度こそは本当に協力するから。だからさ、穂乃果ちゃんは思うままを思うように決めてね!」

「思穂、ちゃん……」

「私もまあ、穂乃果ちゃんに近いことをやったクチだから、分かってるよ。私が分かるなら当然海未ちゃんやことりちゃんも……ね?」

 

 穂乃果が返す前に、にこが走り寄ってきた。

 

「穂乃果……勝負よ!」

 

 有無を言わせぬ迫力で、にこは穂乃果へ勝負を申し込んだ。近いうちこうなることを予想していた思穂は、自分の想像以上であったにこの行動力に改めて感服することとなった――。

 

「良い! これから二人でこの石段を競争よ!」

 

 ジャージ姿になった穂乃果とにこ、その勝負を見守りに来た他のメンバーと思穂は神田明神へ来ていた。

 下では穂乃果とにこが並んで、それぞれストレッチをしている。

 

「思穂、これは……」

「避けられない戦いがあるってことだね! う~ん……まさにロック!」

「……随分と面白がっているのね思穂」

 

 妙に棘っとした言葉が真姫から投げかけられたが、思穂にとって、これはそんなふざけた勝負で無いことは誰よりも理解していた。

 

「……ううん。にこちゃん達三年生のこれからを左右する戦いだよ? 面白い訳ないよ。ただ、こうでもしないと怖い顔になっちゃいそうで」

 

 その言葉で、色々と勘付いた真姫が小さく謝罪の言葉を口にした。

 そう、これは比喩表現抜きで三年生の一生の後悔となるかならないかの分岐点であったのだ。

 穂乃果とにこがスタートの姿勢を取る。クラウチングスタートの姿勢だ。

 

「良い? 行くわよ?」

「うん……」

 

 にこがスタートの合図を発声するようだ。……思穂に、一抹の不安が過ぎった。まさか、いやこんな真面目な勝負で……。そんなドロッとした不安だ。

 

「よ~い――ドン!」

「え、ええっ!?」

 

 思穂の不安はまさか的中してしまった。今時、小学生でも使わないスタートの早出しを高校生にもなって何のためらいも無く使うにこの面の皮の厚さに、思穂は別の意味で尊敬し直した。……マイナスの意味で。

 スタートダッシュの差か、にこが先頭をキープしていた。穂乃果がその差を埋めるように、懸命に手足を振るう。

 ゴールももう目前。あともうちょっとで、と言うところでアクシデントは起きた。

 

「っ……!?」

 

 にこが石段に足を引っ掛けて転倒してしまった。すぐさま思穂が向かおうとすると、穂乃果が平手を突き出してそれを遮った。どうやらバランスを崩しただけで、全くの無事のようだ。

 にこがゆっくりと立ち上がる。

 

「もう、ズルするからだよ~」

「……うるさいわね。ズルでも何でも良いのよ。ラブライブに出られればね!」

 

 彼女の心の涙、とでも例えればいいのだろうか。ぽつぽつと雨が降り始めてきた。

 勝負は中止。穂乃果たちは一時、雨宿りをするために避難することにした。穂乃果とにこが制服に着替え終えると、絵里が“話”をし出した。

 三月になったら卒業すること、あと一緒にいられるのは半年、スクールアイドルでもいられるのも在学中、九人でラブライブに出られるのは――今回が最後になること。

 絵里の口から出るのはどれも、避けられない事実、避けようもない事実であった。

 

「やっぱり、皆……」

「私達もそう。例え、予選で落ちちゃったとしても、私達が頑張った足跡を残したい!」

 

 花陽の言葉が一年生の総意であったようで、凛と真姫が賛同した。

 続けて、ことりが穂乃果の意思に従う旨を表明した。どこまでも穂乃果に付いて行こうとすることりらしい言葉である。

 

「また自分のせいで、また皆に迷惑を掛けてしまうと、心配しているんでしょう?」

 

 やはり、と思穂は内心小さな笑みを浮かべた。海未だからこそ、と言った方が良いのかもしれない。

 彼女が言ったことはそのまま思穂が思っていたことで。

 

「ラブライブに夢中になって、周りが見えなくなって、生徒会長として学校の皆に迷惑を掛けるようなことがあってはならないと」

「……あはは、全部お見通しなんだね」

 

 そう言って、穂乃果は胸の内を吐露する。

 スクールアイドルを始めたばかりは何も考えずに突っ走ることが出来た、しかし今は何をやったらいいのか分からなくなる時がある。そして、一度は夢見た舞台だからやっぱり出たい、と言うことも。

 

「生徒会長やりながらだから、また皆に迷惑掛けちゃうかもだけど、ほんとは物凄く出たいよ!」

 

 ようやく聞けた穂乃果の“本音”。

 それを受けた皆の言葉は、既に決まっていた。そして、その返答の代わりに、皆は歌を紡ぐ。

 それは始まりの歌、自らの持つ可能性を信じ、決して後ろを振り向くことをしない者へのエールの歌。その歌を噛み締め、穂乃果は雨空の下へ走り出した。

 思いっきり深呼吸した後、穂乃果は叫んだ。

 

「雨、止めー!!!」

 

 すると、何と摩訶不思議か。雨の勢いが徐々に失せ、やがて――雲間に太陽の光が差し込んだ。

 穂乃果は天候を操る能力者だったのか、なんていう二次元的な妄想をしながらもその光を一身に浴びている彼女から目を離せない。

 

「本当に止んだ! 人間その気になれば何だって出来るよ! ラブライブに出るだけじゃもったいない! この皆で出せる最高の結果――優勝を目指そう!!」

 

 その言葉に皆は戸惑い半分、ワクワク半分と言った様子だ。あの自信満々なにこを以てして『大きく出たわね』と言わせる始末。

 もちろん思穂にとっては――ワクワク十割であった。

 

「ラブライブのあの大きな会場で精いっぱい歌って、私達……一番になろう!!!」

 

 ちょっとした紆余曲折があった。些細なぶつかり合いもあった。だが、今の穂乃果は――穂乃果達にはもう何も遮るものはない。

 夢の階段は再び姿を見せ、彼女達を待ち構えている。険しいだろう、楽ではないだろう、だがそれでも彼女達は笑って駆け上がる。

 彼女達の姿を見た思穂には、そんな確信があった――。



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第十話 一人は皆の為に、皆は皆の為に

「ええっ!?」

「それ、どういう事よ!?」

 

 思穂含め、μ'sメンバーが屋上へ集まっていた。そこでは花陽から重要報告が行われていた。その内容とは、その場にいる全員を震撼させるには十分過ぎて。

 

「ラブライブの予選で発表できる曲は、今までの未発表の物に限られるそうです!」

 

 そこから更に花陽の説明が始まる。

 その背景には、参加希望チームが予想以上に多く、中にはプロのアイドルのコピーをしているチームまでエントリーを希望しているようだ。

 

「これから予選までの一か月たらずで新曲かぁ……いつぞやのファーストライブを思い出すね!」

(ふるい)の網目は細かいなぁ……」

 

 事実を受け入れた次は、行動である。ここで文句を言っていてもルールは変わらないし、行動を起こすための時間だけが減ると言う悪循環。

 その流れを断ち切る様に、絵里が前へ出た。

 

「皆落ち着いて。ここでいくら言っても、これから一か月足らずで何とかしないとラブライブに出られないって事に変わりはないわ」

 

 すると、にこが大仰な仕草のあと、妙なこんなことをのたまった。

 

「しょうがないわねぇ……こんなこともあろうかとこの前、作詞した『にこにーにこちゃん』で――」

「はいはいはいはい。にこちゃんの作詞がまかり通るなら私も『しほしーしほちゃん』で立候補するから」

 

 ぎゃんぎゃん騒ぐにこの口を塞ぎ、思穂は絵里の方を見る。どうやら彼女も同じような考えを持っていたらしい。

 

「こうなったら作るしかないわね……」

「ど、どうやって……?」

「答えは簡単よ穂乃果。……真姫ッ!」

「ウェ……!? もしかして……」

 

 ……のはずだが、どうやら細かい所は違っていたようだ。

 絵里が真姫の方を見た瞬間、思穂は全てを察した。

 

(あ、これ真姫ちゃんまた苦労するパターンや)

 

 何故か希のような口調になりつつ、思穂は絵里の次の言葉を待った。

 

「ええ。――合宿よォォォ!!」

(……あれ? 絵里ちゃんってこんなテンション高かったっけ?)

 

 すっかりμ'sの加入前の絵里はいなくなってしまったなぁ、と思穂含め、他のメンバーの心が一つになった瞬間であった。あの冷ややかな視線で相手を威圧していたのとは裏腹に、今では大げさな身振り手振りで『合宿』を宣言する前生徒会長様。……僅かながらに賢さを感じないのはきっと気のせいだろう。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「で、デカァーいっ説明不要!!!」

「思穂ちゃん、前の合宿の時も同じこと言ってたね」

「違うよ花陽ちゃん! エクスクラメーションマークが一つ増える感じで叫んでるから、その辺よーく思い出してみて!」

 

 思穂達は真姫の案内で今回の合宿地である彼女の別荘までやって来ていた。電車に揺られ、バスに乗ってのちょっとした小旅行である。

 ちらりと、思穂は穂乃果を見た。まだ海未からの小言が効いているのか、ほんの少しだけシュンとしていた。どことなく犬耳が下がっているような、そんな感じ。

 それもそうだろう、と思穂はつい先ほどの事を思い返す。

 電車を降り、バスに乗り、さあ真姫の別荘へ行くぞと士気が高まっていた矢先に希から繰り出された一言。『あれ? 穂乃果ちゃんは?』である。そこからはもう大変であった。必死に辺りを探し、携帯に電話をかけての捜索劇。

 穂乃果がバスに無事辿りつけたときは、皆が胸を撫で下ろしたが、海未から雷が落とされたのはもはや様式美。正直、誰も気づけなかった時点であまり怒られたものではないが、それでも海未は穂乃果の事が心配だと言うことはよく分かるので、誰もその事に触れない。

 むしろ、海未が登山用の装備をしている事の方が気になってしまう。自分の愛用している登山用バッグよりかはサイズが小さいが、それでもタフな造りだと言うことが一目で分かる。

 

「さあ、早く行くわよ。時間がもったいないから」

 

 そう言って、真姫は別荘の扉を開け、中の案内を軽く始めてくれた。

 ピアノやお金持ちの家で良く見る天井のアレ、そして――。

 

「暖炉だ!」

「初めて見たよ~! 早速火を付けてみるにゃー!」

「付けないわよ」

 

 バッサリ言い、真姫は続ける。

 

「まだ寒くないし、それに冬になる前に暖炉を汚すと“サンタさん”が入りにくくなるって、パパが言ってたの」

 

 パパ、サンタ。その単語に思わず顔を見合わせる穂乃果と凛。ことりと海未が素敵なお父さんと言う事を喋ると、気を良くしたのか、更に真姫は暖炉の説明をしてくれた。

 

「ここの煙突はいつも私が綺麗にしていたの。去年までサンタさんが来てくれなかったことはないんだから。証拠に、中見てみなさい?」

「私も見たーい!」

 

 穂乃果と凛の間から顔を出し、暖炉の中を見てみると、そこには――どう見ても、なサンタのイラストとメッセージが書かれていた。

 どことなく室内に緊張が走る。まるで地雷原の中に放り込まれたような、そんな感じ。

 

「ぷぷっ」

 

 だと言うにも関わらず、にこはそんな地雷原の中でタップダンスを始めてしまった。その顔にはあからさまに、小馬鹿にした感情が含まれている。

 

「あんた……真姫がサンタ――」

「にこちゃん!」

「それは駄目よ!」

 

 刹那、花陽と絵里がにこへ詰め寄った。二人がいかなかったら自分が行っていた思穂は胸をなでおろす。

 後から穂乃果と凛も続いて言ってくれたが、それは、それだけはやってはいけない重罪である。純真な少女の一生を左右しかねない悪魔の所業、鬼畜の極み。

 矢澤にこは今、まさに魔に堕ちんとしていた。そうは問屋が卸さない。思穂もにこの肩をがっちりと掴んで顔を向かせる。

 

「良かったね、にこちゃん……。それ以上口にしていたら、にこちゃんの首をへし折っていた所だよ……!」

「あんたが一番物騒なのよねぇ! ちょ、あんた肩っ! 肩痛いっ!」

「ふぅ……分かってくれたようで良かったよ!」

 

 にこは思った。思穂を怒らせると潰される。社会的にと言うか物理的に。そしてみんなの視線が刺さるほどに痛い。それでも何だか可笑しくて。

 そう思っていたら、また必至な形相の皆に口封じをされた――。

 

「たーらーおーたーらーおーたーっぷり、たーらーおー」

 

 思穂は別荘の中を練り歩いていた。正確には家の構造の把握と、掃除をするため。

 業者の人が定期的に掃除に来るようだが、思穂に言わせればこんなものは掃除とは言えない。掃除用具を抱え、思穂は窓からμ'sの練習を眺めた。

 これからの時間は練習の時間と、曲作りの時間であった。

 海未とことりと真姫は何と個室が与えられ、じっくり時間を掛けて曲作りに取り組める。そして他のメンバーはみっちり基礎体力向上に励める。

 

「いやはや、やっぱり真姫ちゃんの家すごいなぁ」

 

 例えばことりの部屋。ミシンやファッション本など被服製作に必要な物は一通り揃っているという。そして、海未の部屋。詩の本や辞書など、作詞どころか小説一本書き上げるのだって不可能では無い至れり尽くせりぶり。

 どこぞのプロか、と突っ込みたくなったが、それだけ整った設備を用意してくれたということはそれだけ真姫も真剣だと言うことの何よりの証拠で。

 テキパキと掃除をしながら、思穂は頭の中でアニメを流した。最近は細かい所の記憶も良く出来るようになり、アニメ映画を完全に脳内再生できるようになった。台詞は当然として、SEが鳴るタイミングも完璧だ。

 

「これならことりちゃん達もいい感じに頑張ってくれるよね! と言うことで私はさっさと家の掃除をば……」

 

 二階の掃除が終わり、思穂は一階の掃除に移った。まだまだ思穂のやる気は天井知らず。思穂はハタキを掲げる。

 

「よーし! どこかの貧乏執事並みに完璧な掃除をしちゃうよー! というか、もうこの別荘を新築同然にピカピカにしちゃうよ~!!」

 

 思穂の掃除は止まらない――。

 

「――って思ってピッカピカにしたんだけどなぁ」

 

 ジトーッとした思穂の目がにこと凛へ向けられる。

 

「わ、悪かったわねぇ!」

「さ……寒いにゃあ~!」

 

 事実、思穂はあともう少しで完璧に掃除を出来ていたはずなのだ。突然、ずぶ濡れのにこと凛が飛び込んでこなければ……。

 話を聞くと非常に肝が冷えるものである。練習中、リスにリストバンドを取られたにこがそれを追い掛けていると、坂道に入ってしまい、何故か助けに入った凛も巻き込んで、坂を全速力で下り、崖へ飛び降りてしまったという。

 幸い、下は割と深めの川だったから大事には至らなかったものの、これが――と考えたら本当に笑えない。

 そんな事は気にも留めず、穂乃果は暖炉に火が付いたことをきゃっきゃっと喜んでいた。

 

「静かにせんと、上で海未ちゃん達が作業してるんやから……」

「そうだよそうだよ。希ちゃんの言うとおり、私達が騒がしくしたら何のためにここへ来ているのか分かんないよ~」

 

 希のいう事に賛同しつつ、思穂は再び掃除用具を手に持った。正直、傍から見れば既にプロレベルでキレイになっているが、妥協を許さない女思穂はまだまだ出来栄えに満足していない。

 とここで、花陽が皆の為にお茶を入れて来てくれた。甲斐甲斐しさに感動した思穂はお盆をもって塞がっている花陽の横腹をふにふにしてみた。凛に怒られた。

 

「それじゃあ、海未ちゃん達には私が持っていくよ」

「私も、穂乃果ちゃんと一緒に二階の掃除に戻るねー」

 

 二人分のお茶を持った穂乃果と一緒に二階へ上がる思穂。すると、穂乃果は何となしにこう言った。

 

「そういえば、下で真姫ちゃんが作曲しているはずだよね? どこ行ったんだろ?」

「そう言えば……そうだね。お手洗いかな?」

「かもね! ……うわぁ、やっぱり静かだね。皆集中してるんだなぁ」

 

 そう言いながら、穂乃果が海未の部屋をノックし、入っていった。その姿を見届けると、思穂は雑巾の入ったバケツを床に置き、腕まくりをする。今度は雑巾がけでもしてみようと思い立った結果である。

 

「うわぁっ!」

 

 と、ここで部屋から穂乃果の声がした。途端、慌てた表情で飛び出し、ことりの部屋に入ると再び悲鳴が。

 尋常では無い様子に、思穂も慌てて入ると、そこには凄惨な光景が広がっていた。……過言である。

 

「……こ、これは、なんというかまあ……」

 

 海未の部屋には『探さないでください』との書置き、ことりの部屋には『タスケテ』という文字が額縁の絵に貼られていた。……可愛いドクロの装飾が散りばめられている辺り、案外余裕があるんじゃないか、と疑問に思ったのは内緒だ。

 窓の方を見ると、無数の布が縛られていてロープのように外へ垂れ下がっていた。

 

「ほわっちゃ……」

 

 外を見ると、木陰に三人が体育座りをしているのが見えた。あの暗い表情を見る辺り、相当キテいると感じ取れた。

 これは一度皆を集める必要がある。そう判断した思穂の行動は早かった――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「よーし、これで最後のテントっと」

「ごめんなさいね思穂。一人でやらせてしまって」

「マネージャーだし、気にしないで良いよ絵里ちゃん。それに、一回やってみたかったしテントの設営! ロープワークはとっくの昔にマスターしているよ!」

 

 ――スランプ。

 それが、海未たち三人に振り掛かった問題であった。ラブライブに出場できるかどうかを左右する重要な予選。万が一予選敗退をすることになったら、その重圧が海未たちに圧し掛かってきたのだという。

 その事を受け、皆は話し合った。そして、流石に三人に任せきりは良くないと言う結論に至り、導き出された解決方法こそが――。

 

「三班に分かれての曲作り、頑張ってね! あ、真姫ちゃん別荘の鍵預かるね」

「はい、よろしくね思穂」

 

 くじ引きで班分けをしての曲作りであった。衣装班は穂乃果、ことり、花陽。作詞班は海未と凛と希。そして作曲班は絵里に真姫、そしてにこである。

 これからそれぞれ、距離を取って作業に入るため、思穂は拠点となるテント設営に勤しんだ。以前の祭りの際、スタッフから教えてもらったロープワークが役に立った。

 そんな中、思穂は進んで別荘の管理人役に立候補した。無いとは思うが、万が一泥棒などが入られた場合、誰も居なかったら何も出来ない。いつも鞄に入れているスタンガンも今日は持ってきているので襲われても返り討ちに出来る自信があった。

 それに併せて、思穂の千の特技である『なんちゃって太極拳』を以てすれば、素人くらい容易く地に伏せられるのだ。

 早速、別荘に戻ろうとすると、にこに呼び止められた。

 

「待ちなさい思穂。あんたもちょっと考えていきなさいよ」

「……私も?」

「そうね。思穂にもちょっと意見を聞きたいわね」

「……真姫ちゃんが珍しく素直だ」

「まあまあ、思穂。ちょっとテントに入りましょ?」

 

 そう言う絵里に引っ張られ、思穂はテントの中に拉致された。自分で組んでおいて何だが、割と広い。

 

「と言っても私、作曲とか分からないよ?」

「心配しなくても良いわ思穂。私やにこも偉そうに言えるほど詳しくないから。重要なのはね、真姫の取っ掛かりになれるようなことを考えることだと思うの」

 

 そういうことならば、と思穂は何となく考える。恐らく答えは真姫の中にとっくにあり、自分達に出来る事はそれを引きずり出すためのキッカケを作ること。

 思穂は思ったことを特に推敲もせず、口に出した。

 

「そうだなぁ……例えば、胸の中の心象を言葉にしてみるといいかもしれないね」

「心象……? あんたにしては小難しいこと言うのね」

「うわ、にこちゃんに馬鹿にされた!?」

「失礼ね! あんたこそ馬鹿にしてんのよ!?」

 

 にこと思穂の言い合いがヒートアップしそうになった頃、見かねた絵里が二人を仲裁する。顔こそ笑顔だったが、目が全く笑っていないことに恐怖した二人はすぐに謝り、思穂は続きを語る。

 

「例えばね、私達は今ラブライブと言う夢を追いかけようとしてるよね?」

「まあ、そうね……」

「その夢を今まさに追いかけます! って言うような決意を表したような感じとか?」

 

 その言葉に絵里と真姫は目を細めた。思穂の言葉をよく噛み砕いているようだった。

 

「なるほど……もう少し話し合ってみる必要があるわね……」

「と言うことで、私は他の班の様子を見に行ってくるね!」

「ええ。アドバイス出来るならしてあげてね」

 

 絵里の言葉に背中を押され、思穂はことり達の班がいるキャンプまで移動した。

 黄色いテントが見えてきた。ここは、ことりに花陽、そして穂乃果と言う比較的脳が蕩けてしまうトリオが収まっている。

 思穂には夢があった。それは花陽とことりに左右から囁いてもらい、穂乃果には真正面から囁いてもらうという壮大な夢だ。これが叶ったらもう死んでもいい。そんな事を考えながら、思穂はテントの中を覗いた。

 

「……ありゃりゃ。これはまた何とも眼福」

 

 川の字になり、三人が眠っていた。それはもうすぅすぅと。花陽の近くに置かれているザルには綺麗な白い花があった。種類が分からないがそれでも美しいことには変わりない。

 

「まあ穂乃果ちゃん達の方が美しいんだけどね! ……あれ? これもしかしてチャンス到来……!? あの時のリベンジ……!?」

 

 視線はことりの方へ。具体的にはスカートの方へ。思穂はすぐさま地べたに顔を付けた。外見的には非常に見苦しいが、思穂にしてみれば安いリスクである。

 

(今の私は正にアマガミった紳士! さあ、ことりちゃんのちゅんちゅんが……!)

 

 そして思穂の目の前には新世界が――。

 

「うっそ……だぁ……!」

 

 スパッツ。ザ・運動部系女子に許されたスカート捲りガード。ちなみに黒である。しかし、そこには夢の一つもない。思穂は地べたに顔を付けたまま落胆のため息を――漏らしはしない。

 

「いや、でもこれはこれはエロチック!? エロチックだよなぁ! ほうほう、白い肌に黒いスパッツのコントラストと来たら! まさにモノクロの奇跡。いやぁ味わい深いねぇこの情熱を秘めた肉体……」

 

 むしろそれを楽しめるくらいには、思穂に精神的余裕がお訪れていた。大人の余裕、という奴だ。この程度の障害、既に思穂には無いも同然。

 存分に楽しんだ思穂はことりの近くにあったスケッチブックに自分の案を描き込んだ。それは布地が余りにも少ない恐ろしく過激な衣装である。紐だ。紐である。

 ちなみに、思穂は着るのはやぶさかではない。

 

「まあ、英気を養うのは悪いことじゃないよね! ……最後に花陽ちゃんのほっぺをぷにぷにして、穂乃果ちゃんの匂いを嗅いで……と良し良し。次に行こう」

 

 テントを出た思穂は何となく山の方を見上げた。あの海未の装備と、彼女の性格から鑑みて――どこにいるのか何となく分かってしまった。

 思穂は軽くストレッチをして体をほぐしてから……走りだす。

 

「――とまあ、気のせいだと思っていたのに……」

「思穂ちゃん!? どうしてここに!?」

 

 一番に気づいてもらったのは希であった。海未はともかく、凛と希の軽装ぶりを見て、思穂は身震いした。比較的というか恐ろしくイージーな山ではあるが、手ぶらで登れるようなところでは無い。

 自分も人の事を言えないが、岩から岩へ飛びあがれるくらいには身体能力が高い思穂にしてみればここは遊び場である。

 

「ていうか、凛ちゃんどうして泣いてるの!?」

「海未ちゃんに騙されたんだにゃ~!!!」

 

 その一言で凛の感情を全て読み取れた思穂は、近くで気まずそうにしている海未へ一言。

 

「作詞に来たんじゃないの?」

「わ、私は山を制覇したことによる充実感を創作の源にしようと……!」

「まあまあ海未ちゃん。気持ちは分かるけど、ここまでにしといた方が良いよ」

 

 とうとう希が待ったを掛けた。希ストップである。

 

「山で一番大切なんは何か知ってる? チャレンジする勇気では無く、諦める勇気。……分かるやろ?」

「だと思うよ~。私も前、趣味で富士山登ってみたけど、超悪天候でさー参っちゃったよー」

 

 希と思穂の言葉に頷いた海未が、凛に下山の準備をするように促す。全員の様子を見届けた思穂は、別荘に戻る為、一足先に下山した。

 鹿が崖を下る様に、思穂の身のこなしは非常に軽やかなものであった。その様子を見ていた海未たちは軽く引いてしまったことを思穂はまだ知らない。

 別荘に戻ると、思穂はとりあえず入浴をするべく、風呂場へ行くことにした。露天風呂だったはずだ。思穂の期待は最高潮である。

 

「んしょ……と」

 

 脱衣所に行くと、早速思穂は腕を交差させ服を脱ぎ、下着姿に。お気に入りの空色だ。だが、山登りで汗を掻いてしまったのか下着が張り付いてしまっていた。

 胸の上など湿ってしまっていて気持ち悪い。早速上の方を外すと、ずっと中で温度が保たれていたのか急にひんやりとした感覚を味わった。

 

「おお、ちょっと寒いかも……」

 

 小柄な体格の割には豊かな思穂の乳房。形も良く、重力下に置いてもその柔らかな物には明確な張りと艶があった。少し冷えたのか両腕で胸を掻き抱くように交差させ、ほんのり体温を上昇させると、早く入浴するために、思穂は下の方も脱いだ。汗ばみ、少しだけ脱ぐのに手間取ったが、これでもう思穂を覆い隠すものは何もない。

 一糸まとわぬ姿で、思穂は露天風呂へと至る扉を開いた。

 そこは典型的な、アニメやライトノベルにありがちな、と表現しても差支えない立派なもので、テンションを上げた思穂は早速お湯で身体を清めた後、すぐに風呂へ入った。

 

「ああ~……気持ちいい~……風呂は良い。風呂はリリンが生みだした文化の極みってのは本当だねぇ~……」

 

 とっくに陽が落ちていた空は暗く、だが満点の星空。これだけでここへ来た甲斐があるというものだ。しかしあくまでここには曲作りに来ている。

 思穂は何と無しに湯をちゃぷちゃぷさせてみた。

 

「さぁて皆の曲作りは順調かなぁ……? きっと大丈夫かな?」

 

 でも、と思穂は三年生の顔を思い浮かべる。

 ――この曲作りにおいて、大前提がある。思穂が見た限り、海未やことり、真姫はそれに気づいていない様子であった。

 言うのは非常に簡単である。しかしそれでは駄目なのだ。自分が気づけなれば意味が無い事柄。にこ辺りはきっと三人のスランプの原因に気づいていると思う。いつ言うのかは分からないが。

 本当にヤバくなる一歩手前、否、三歩手前で思穂は口を出す気でいた。結局、出来ていなければ意味が無いのだ。

 

「それはそうと……」

 

 思穂は自分の胸を見下ろした。水滴が一粒、胸の上で弾いて玉となり、滑り落ちていく。

 お湯にまるでブイのように浮かぶ自分の胸を眺め、一言。

 

「……確か、ことりちゃんとサイズ同じだったよね……?」

 

 以前、思穂も何となくスリーサイズを測ってもらったらヒップ以外は全く同じであったのだ。そんな事をぼんやり思いだした瞬間、思穂に電流が走った。

 

「――あれ? これ自分の胸を揉めば、ことりちゃんの胸を揉んでいるのと同じってこと……!?」

 

 まさに天才の発想。

 目を瞑り、ことりの顔を思い浮かべながら揉みしだけばそれはそのまま彼女の胸を蹂躙しているのと同義だと言うことに、思穂は気づいてしまった。

 ごくりと息をのみ、思穂は自分の両手をワキワキさせる。無言で思穂は自身の胸を――。

 

「……なんてやったら、本当に私、ただの女の子好きだよね……上がろ」

 

 一陣の冷たい風が思穂の顔を撫でなければ、恐らくは欲望に身を任せていただろう。理性を取り戻した思穂は、さっさと身体を洗って、露天風呂を後にした。

 正直、風には感謝しかない。

 

「はぁ……ほっこり」

 

 タオルを首にかけ、思穂はジャージ姿で一階の大広間のソファに座っていた。そして思穂は上下左右を見回す。

 広い家、デカいモニター、ちょうど良い静けさ。何となく呟いた。

 

「……ゲームしたいなぁ。ファミコソとか。超巨大モニターでやるドラゴンストーリーの初代はきっと面白いだろうなー」

 

 実は今日、思穂は一度もジャパニーズカルチャーには触れていなかった。毎日ゲームが日課の思穂にとって、これは由々しき事態である。スマートフォンのゲームをやろうとも思ったのだが、いかんせん思穂が求めているのはコントローラーの感触である。

 まさに八方塞がり。その類の物を忘れて来たと言う痛恨のミスが今頃になって思穂自身へ抉り込んできた。

 

「ん?」

 

 玄関の扉が開く音が聞こえた。思穂は耳を澄ませ、足音を聞き分ける。知らない足音ならば悪・即・斬。伝家の宝刀、スタンガンとなんちゃって太極拳が威力を発揮する。

 しかし、幸いにも足音の主は真姫であった。

 

「お、真姫ちゃんだーはろはろー」

「……思穂、悪いわね。一人に雑用押し付けちゃって」

「マネージャーだから当然当然。それで、ここにはどうしたの?」

「作曲よ」

 

 そう短く答える真姫へ、思穂は少しばかり真面目モードになった。

 

「それは誰の為に作る曲?」

 

 真姫の表情は今朝よりも清々しいもので、そして今ならこの答えに明確な答えを返してくれる、思穂にはそんな確信があった。

 そして、真姫は見事に思穂の期待を裏切らなかった。

 

「皆の為によ。三年生に勝たせる為でも、三年生の為の曲だけでもない。これは――皆の曲なんだから」

 

 それはまさしく思穂が求めていた答えに寸分違わず。

 再びラブライブを目指すための過程で勘違いされがちであるが、今までの真姫たちのモチベーションを作り上げていた物はそもそもの大前提が違うのだ。

 そこを再確認するためにも、この班分けは見事な采配だったと思穂は絵里を賞賛した。

 

「そう、これは絵里ちゃん達の為でも、ただ勝つだけの曲じゃない。それだけの為に作り上げられた曲は心には響かないよ。私達が心から楽しめない曲がどうして皆の心に響くのかって話になるからさ」

「ふふ、思穂もたまには真面目な事を言うのね」

「なぁっ!? 茶化さないでよーもうー! でも、これだけは覚えておいて」

「……何?」

「一人は皆の為に、皆は皆の為に、だよ?」

 

 その言葉に、真姫はフッと笑みを浮かべた。だがそれは思穂を馬鹿にしたものでは無く、思穂の言いたいことを十二分に理解したからこそ出る笑みで。

 すると、また玄関の扉が開かれる音がした。

 

「真姫、来てたんですか」

「わぁ、思穂ちゃんジャージ姿珍しいね!」

 

 海未とことりがやって来るなり、そんな事を言った。二人の表情を見て、既にスランプを脱したことを悟った思穂は二人に抱き着いた。

 

「なっ……! 思穂、貴方……!」

「思穂ちゃん……!?」

「真姫ちゃん、二人とも! さあ、曲を作ろう! 私も手伝うから! 駆け上がろう。ラブライブへの階段を一気に!」

 

 誰とも頷き合う三人。

 夜はまだまだ長くなりそうだ。そう感じた思穂はひとまず三人へのエールを込めて、ミルクティーを淹れるべく調理室へと足を運んだ――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 早朝。思穂は跳ね上がる様に目を覚ました。海未たちの手伝いをしていたらいつの間にか時間が寝落ちてしまっていたようだ。これは紅の王もびっくりの時の吹っ飛ばされ方である。

 海未とことりはソファで寝ており、真姫はピアノにもたれ掛かるように眠っていた。ならば自分は、と振り返ってみると、何と床で眠っていた。海未とことりの間にはもう一枚の毛布があったことから、最初はそこで眠っていたが、寝ぼけて地べたで寝てしまったと見て、間違いない。

 

「ふ、二人の感触を感じられなかった……!? この片桐思穂、一生の不覚……!!!」

 

 泣いた。三人が起きない程度に泣いた。もう少し早く起きていれば寝静まっている三人に悪戯が出来ただろうに、これはもう、ちょっと触れば起きてしまうぐらいの時間なので、触ることが出来なかった。

 ――でも、少しだけなら触っても……。

 そんな思穂にトドメが刺された。

 

「あら、起きてたのね思穂」

「……あ、絵里ちゃん。おはよ。……はぁ」

「どうしたの? 表情が暗いようだけど」

「ううん。ちょっと世の中の厳しさを再確認しただけ……」

 

 絵里に引き連れられ、残りのμ'sメンバーが全員帰ってきた。

 どことなくおかしい思穂の様子に気づいたにこが徐々に目を細めていく。主にマイナスの意味が込められている。

 

「あんた、まさか真姫たちにセクハラしようなんて――」

「おはよう皆! 今日も清々しい朝だね! こんな時はラジオ体操でもしたくなるね!」

 

 刹那、思穂の表情が急に明るくなり、言葉通りラジオ体操を始める始末。その奇天烈な行動に、にこはおろか、他のメンバー全員が勘付いてしまう結果を招いてしまった。あの穂乃果ですら苦笑を浮かべるレベル。

 

「……海未ちゃん達は?」

 

 穂乃果の言葉に思穂は無言で、奥の部屋を指さした。それを見た皆が状況を飲み込み、それぞれ声がワントーン落ちた。

 

「……ていうか、思穂ちゃんが一番うるさいんだね」

「凛ちゃん、まだ朝だよ!? 抉られるぅー!」

 

 さらりと言いのける凛に対して、思穂は心が抉られたような感覚を覚えたが、今は爽やかな朝。つまらないことでこの素晴らしい朝を汚す訳にはいかない。

 少しばかり表情を引き締めた思穂は、両手に持っていた物を皆に見せた。

 

「これは……。……皆、海未たちが起きたらすぐに練習よ?」

「でも今は、ゆっくり寝かせておいてあげようか」

 

 絵里の言葉に希が頷いた。皆の気持ちは一つ。代表するかのように、思穂が拳を上へ掲げた。

 

「全ての膳は整った。後は――やるだけ!」

 

 歌詞、曲、衣装。海未が、真姫が、ことりが、全力を賭した結果を改めて見る皆。

 第二回ラブライブ予選まであともう少し。ここからは脇目を振り返らずの全力疾走。だが、今は。

 

(でも、今はお休みなさい)

 

 三人に、ほんの僅かな休息を――。



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第十一話 ~ユメノトビラ~

「うーん……パッとしない」

 

 そう言って思穂はグラウンドを候補から外した。

 第二回ラブライブ最初の予選は大会が用意した複数のステージの中から自分達が選択して歌う形式であったが、もし自分達が大会指定のステージ以外の場所で歌う場合はネット配信でライブを生中継する形式になっていると、花陽から熱い説明があった。

 そこで、思穂はμ'sとは別行動を取り、発表できそうな場所を探し回っていた。ちなみに単独行動の理由はシンプルで、一人なら色々と小回りが利く。それだけである。以前のようなネガティブな理由ではない。

 スマートフォンで時間を確認すると、過ぎた時間の大きさに軽く涙ちょちょぎらせながら、再度思穂はステージ選定に戻る。

 思穂の想定ではホームグラウンドである音ノ木坂学院で予選に臨むつもりでいた。が、いざ現場を目の当たりにすると、何かグッとくるものがない。

 講堂も、屋上も、今いるグラウンドも、前に使用し、尚且つPV配信済みの場所では圧倒的に新鮮さに欠ける。

 そんな事を考えながら練り歩いていると、校舎の外スピーカーが低い唸りを挙げた。

 

『あー皆さん! こんにちは!! うがっ!!』

「ほわっちゃ!?」

 

 スピーカーから穂乃果の声がしたと思ったら突然の鈍い音。大方額にマイクでもぶつけたのだろう、と思いながら思穂は少しばかり立ち止まる。

 そこからは慣れたもので、ラブライブへの決意表明を語った穂乃果。その声には決意が漲っていた。

 

『えっと、園田海未役をやっています園田海未と、申します……』

「ほわっちゃ……」

 

 今度は海未の声。何だか酷くちんぷんかんぷんな事を言っている。この一言だけで相当緊張しているのだろうと言うのが手に取るように分かってしまう。

 この次があるとするなら、次が誰だか思穂は何となく予想出来てしまった。

 

『あの、――ズの――――バーの――いずみ、はな――と』

「ほわっちゃほわっちゃ」

 

 口癖のバーゲンセールになってしまくらいには予想通りの展開過ぎた。リーダーは当然として、恥ずかしがり屋の海未と花陽に喋り慣れをさせておこうという魂胆なのだろう。

 だとするなら、もう後は〆るだけと踏んだ思穂は再び歩き出そうとする。

 ――次の瞬間、音の爆発が起きた。

 

『イエーーイ!!!』

「なぁーーーー!?」

 

 まるで耳に直接パンチを撃ち込まれたような、そんなヘビーな一撃。耳を塞ぐ間すらなく、音の暴力を鼓膜一身に浴びてしまった思穂はしばらく何も聞こえなくなってしまった。

 最大音量プラス穂乃果の声は正に死を意味する。

 抗議と報告を兼ねて、思穂の足は校舎へと向ける――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「とまあ、穂乃果ちゃんはマイクで喋る時はまず音量を確認しようねという話」

「ご、ごめんなさい思穂ちゃん……」

 

 ものすごくやんわりと注意を終え、一息つく思穂。

 何だかんだと騒いでいる内に夕方になったので、メンバーと思穂は秋葉原へとやって来ていた。ここも一応ステージの候補の一つなのである。

 

「でもまあ……どうしよう本当に。この辺りは人が多いし、それに」

「ここはA-RISEのお膝元よ? 下手にやれば喧嘩売っているとしか思われないわよー?」

 

 それもいっそのこと手なのではないかとも思ってしまう思穂。目立つことには目立つ。

 ふと、思穂はUTXのモニターに映し出されているA-RISEのPVを見上げた。堂々とした立ち振る舞いは流石スクールアイドルの頂点といった所だろうか。

 穂乃果も見ていたようで、『負けないぞ』と小さく呟いていた。

 

「――高坂さん」

 

 そんなPVに重なるように、彼女は――ツバサは現れた。

 

「ほわっちゃ……」

 

 本日何度目の口癖か分からなかった。そこからのツバサの行動は早かった。声を上げようとする穂乃果の口を塞ぎ、手を取り、ツバサは走り去っていってしまう。

 次の瞬間には、思穂も走り出していた。何だかややこしいことになりそうだ。そんな事を思いながら――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「――思穂ちゃん、座らないの?」

「う、うん! 私ってほら、背中に壁付けてドヤ顔するのが似合う感じだしね! あっはっは!」

 

 何とか追いつけた思穂と、それを追って来たμ'sメンバーは後から来たあんじゅと英玲奈、そしてツバサの案内によって前に来たことがあるカフェスペースまで連れられてきた。

 穂乃果が椅子に座るよう促すと、思穂は壁に背を付け、その場から動かないでいた。若干のスペースがあるとはいえ、丁度μ'sとA-RISEが座ることで席が埋まることもあり、言い訳としては最適だったのだ。

 むしろいない者扱いしてほしいとすら思っている思穂であった。思い返してみれば、実は思穂は一つだけ皆に言いそびれていたことがあるのだ。

 ――それはずばり、A-RISEと割と仲が良い事。そしてツバサとは呼び捨ての間柄と来たものだ。

 これをにこか花陽に知られれば、間違いなく東京湾に沈む確信があった。

 そんな思穂の噴き出る汗に気づかないツバサと一瞬目が合い、彼女からウィンクが飛ばされた。更に汗が出る。

 

「さっきはうるさくしてすいません……」

 

 花陽にはアイドルファンとしての矜持があった。それは応援している相手を絶対困らせない事。なので、先ほど自分がサインを求めたのはそれに抵触してしまう。故に、花陽は謝った。これからもファンで居続けたいから。

 あんじゅがそれを笑って許すと、続けて絵里がカフェスペースを見回して一言。

 

「素敵な学校ですね」

 

 生徒会長、という役職にいたからか、やはり着眼点が真面目だなと思穂は何となく思った。

 ツバサが軽く礼を言うと、彼女はとうとう今日の目的を口にする。

 

「同じ地区のスクールアイドルをやっている者として、一度挨拶したいと思っていたのよね、高坂穂乃果さん」

 

 動揺している穂乃果へ、英玲奈が言った。

 

「人を惹きつける魅力、カリスマ性とでも言えば良いのだろうか。九人で居ても、なお輝いている」

「あとは、どんな困難にもぶち当たって行けるハートの強さが魅力ですねー」

 

 一斉に皆が思穂の方を見たが、彼女は素知らぬ顔でミルクティーを啜る。変わらない味に、少しばかり感動をしてしまった。

 

「私達ね、貴方達の事をずっと注目していたの」

 

 ツバサは更に続ける。

 

「前のラブライブでも貴方達は一番のライバルになると、そう思っていたの」

 

 絵里が謙遜の言葉を口にすると、英玲奈の視線が彼女へ向けられる。

 

「絢瀬絵里。ロシアでは常にバレエコンクールの上位だったと聞いている」

「そして常に冷静な視点で、皆を纏める天下無敵の元生徒会長様ですねー」

 

 どんどん、A-RISEによるμ'sメンバーの良い所が挙げられていく。

 真姫は作曲の才能が素晴らしいと言われた。それに対し思穂は、『素直じゃないけどどこまでも人の事を思いやれる優しい子』と付け足した。海未は素直な歌詞を書くと言われたので、『恥ずかしがり屋だけど、その気になった時の馬力は凄まじい』と言い足す。

 バネと運動神経はスクールアイドルでも全国レベルと言われた凛には『足が凄まじく良い、触り倒したい』と言い、個性だらけのメンバーに素晴らしく調和するという歌声と評価された花陽に対しては『アイドルへの知識と情熱は誰にも負けていない芯の強い子』と言った。

 μ'sを牽引する穂乃果と対になる存在として九人を包み込む包容力を持つと褒められた希には更に『μ'sを語る上では絶対に欠かせない立役者ですよ』と細くする。更に、ことりが秋葉のカリスマメイドであることも知っていたので『気配り上手ですけど、突っ張るところは突っ張る強い子』と彼女を更に持ち上げる。

 そしていよいよ最後――。

 

「そして、矢澤にこ」

 

 ツバサの視線がいよいよにこを捉える。自然とにこはつばを飲み込み、一言一句聞き逃すまいとしていた。

 ツバサが一拍置き、言う。

 

「いつもお花ありがとう!」

 

 途端、にこへメンバーのシラーっとした視線が降り注ぐ。すると、μ's結成前からファンだったとむしろ笑って誤魔化されてしまった。だが、次の瞬間には、態度も豹変し、良い所を求めるこの図太い姿勢。

 そんなにこに対する答えを、ツバサはちゃんと用意していた。

 

「グループになくてはならない小悪魔って所ね」

 

 そう言われるや、身体をくねらせて声にならない声で喜び出すにこ。そんなにこへ思穂は更に言った。

 

「後は、どんなに叩きのめされても必ず立ち上がるガッツを持った素晴らしい先輩ですねー」

 

 どうしてそこまで知っているのですか、と絵里が聞いた。控えめに見ても詳しすぎるのだ。良く調べないと分からないことまで知っているこの事について、ツバサからの返答はシンプルであった。

 

「これだけのメンバーが揃っているチームはそうそういないわ。そして、その力を余すところなく発揮させようと尽力している敏腕マネージャーの存在も忘れてはいけない。――ね、思穂?」

「……へ!?」

「今、ツバサさん“思穂”って……」

 

 にこの時とはまた違う意味でざわつくμ'sのメンバー。特に、花陽とにこは驚きに満ちた表情でツバサと思穂を交互に見やっている。

 思穂は思穂で、とうとうこの瞬間が来たのかと、もうどうにでもなれ状態であった。

 

「貴方達、思穂のダンスもしくは歌を見たことはあるかしら?」

「え、っと一回だけ?」

 

 穂乃果の言うとおり、一度センター決定戦で何となくやったことがあったなと思穂はほんのり思い出す。

 それを聞いたツバサが言葉を続けた。

 

「正直に言ってすごかったわ。一度、英玲奈とあんじゅとで見たことがあるのだけど、思穂は私のパートを思穂なりに昇華させてきたわ。それを見て戦慄したわ。どうしてこんな逸材が今まで埋もれていたのかってね」

「思穂、貴方……」

「いや待って絵里ちゃん。そんな驚かれても困るんだけど!」

 

 冷や汗から脂汗に変わる。にこの視線が妙に痛くなって来たからだ。

 ツバサの言葉を補足するように英玲奈が繋げる。

 

「一度、片桐思穂をA-RISEのマネージャーへと勧誘したのだが、見事に断られてしまった。即答だったよ」

「し、思穂!? 貴方そんな事一度も……!」

「ストップ海未ちゃん、顔怖い顔怖い」

 

 そう言えばそんな事があったなと思い、思穂は更に言われて不味いことはないか脳内検索を掛けてみる。

 ――すると、一つだけあった。にこと花陽に聞かれたら致命的なレベルのが。

 

「あ、そう言えばこの間オススメしてもらった漫画面白かったわ。時間があったらまた一緒にアニメ専門店行きましょうね!」

「ちょ、ツバサ! それはぁ!」

 

 と思っていた矢先にこれである。正直、テロ以外の何物でもない。

 案の定、にこと花陽が飛び掛かってきた。

 

「思穂ぉぉ!! あんた、何ちゃっかりツバサさんと遊びに行ってんのよ!? というか今“ツバサ”って呼び捨てたわよね!? いつの間に呼び捨て!? いつから!? ねえ、いつから!? 答えなさい思穂ー!!」

「思穂ちゃん! 私達、友達だよね!? 友達って胸を張って思っていて良いんだよね!?」

「ま、って! ガックンガックン、頭がぁ、ガックンガックン、ゆれ、る~!!」

 

 揺さぶられ過ぎてこのままでは首の骨が折れてしまうのではないかと、本気で恐怖した思穂である。それくらい、にこと花陽の眼が爛々と輝いていたのだ。

 そんな思穂達へ向け、A-RISEは全員立ち上がった。

 

「とまあ、私達は貴方達を注目していたし、応援もしていた。そして何より――」

 

 ツバサの、眼が変わった。

 

「――負けたくないと思っている」

 

 思穂の顔つきが変わった。それは紛れもなく――。

 

「でも、貴方達は全国一位で――」

「駄目だよ海未ちゃん、そんな事を言っちゃあ。大体、それは前の話だよ? それじゃあツバサの言葉を聞き流すことになっちゃうよ」

「思穂ちゃんの言うとおりよ。それはもう過去の事」

「私達はただ純粋に、今この時一番お客さんを喜ばせる存在でありたい。ただ、それだけだ」

 

 あんじゅ、英玲奈の順番でそう言うと、ツバサが締め括る。

 

「μ'sの皆さん、お互い頑張りましょう? そして、私達は負けません」

 

 カフェスペースを後にしようとするA-RISEへ穂乃果が呼び止めた。

 

「――私達も負けません」

「……」

 

 こういう返しが来るとは思っていなかったのか、それとも来てほしかった答えが返って来たのか、ツバサは少しばかり戸惑ったようなそれでいて嬉しそうな表情を浮かべる。

 そんなツバサが思わぬ提案をする。

 

「ねえ、もし歌う場所が決まってないのならウチでライブをやらない? 屋上にライブステージを作る予定なの」

 

 それは実に魅力的な提案であった。だが、A-RISEと共演と言うメリットでありデメリットも付き纏う。そんな提案を前にして、穂乃果の答えは当然とばかりに決まっていた。

 

「やります!」

「やっぱりそう言うと思ってたよ穂乃果ちゃん! それにしてもツバサ、どういう風の吹き回しですか?」

 

 何を馬鹿な事を、とばかりにツバサが笑った。

 

「『μ'sは絶対にA-RISEを越えられる。いえ、越えますよ』――そうここで啖呵を切ったのは誰だったかしらね?」

「あはは……言い返せなーい」

 

 話は実に面白い方向で決まった。あとはもうライブに向けて練習をするだけ。結果的に見ればこれで良かったのだろう、というのが思穂の感想である。

 ちなみに後で、μ's全員から先ほどの啖呵について激しい追及を受けたのはここだけの話であり、思穂にしてみれば二度と思い出しくない悪夢となった――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 練習に練習を重ねて数週間。いよいよ予選の日となった。μ'sメンバーは思穂の後に続き、ライブ会場となるUTXの屋上へとやってきた。どこをとっても、オトノキと全く違うことに皆圧倒されていた。

 ある程度、下見をしたら次はいよいよ控室で衣装の支度である。穂乃果と希はもう少し屋上からの景色を眺めていたいと言うので置いてきた。

 

「おお、にこちゃん、お団子似合うね!」

「ふふん、当たり前でしょう思穂。なんたって今日は勝負なんだから」

「よーしやるにゃ!」

 

 それぞれ衣装を身に付け、士気が高まっている中、絵里は年長者らしく冷静に、だが更に激励の言葉を掛ける。

 

「皆、何も心配ないわ。とにかく集中しましょう」

「でも、本当に良かったのかなぁ……A-RISEと一緒で……」

 

 だが、ことりは不安そうであった。スクールアイドルの頂点と共にライブをやることになるというプレッシャーは相当なモノらしい。

 

「一緒で良いんだよことりちゃん! どの道、競り合うなら真っ向から競り合って打ち負かした方が良いんだよ!」

「思穂の言う通りよ。それに、一緒にライブをやるって決めてから二週間集中して練習することが出来た。私は正解だったと思うわ」

「――こんにちは」

 

 そう言って、ツバサはにこやかに入ってきた。ツバサはもちろん、あんじゅも英玲奈も既に衣装に着替えて、戦闘態勢は万端と言った様子である。

 すると、タイミングよく穂乃果と希が戻ってきた。

 

「あ、こんにちは!」

「こんにちは。いよいよ予選当日ね。今日は同じ場所でライブが出来てうれしいわ。予選突破を目指して、互いに頑張りましょ?」

「はい! よろしくお願いします!」

 

 そう言って、穂乃果とツバサは固い握手を交わした。

 それからツバサは思穂の方へと視線を移す。

 

「思穂、私達のステージを見ていてね?」

「ええ。もっちろん!」

 

 予選開始まであともう僅か。

 まずはA-RISEの番である。μ'sメンバーは終わったらすぐにやれるように、そして彼女達のステージを見るために舞台袖へ移動することにした。

 思穂はスマートフォンで時間を確認していた。そして、いいよ時間。秒針が開始時刻に差し掛かったのと同時に、いよいよA-RISEのパフォーマンスが始まった。

 

「おお……さっすが」

 

 圧倒。この二言で目の前で起こっていることを説明できた。ダンスに歌、ライブを構成する全てが最上レベル。

 スクールアイドルの頂点。この称号は正しく、彼女達のモノであるという事を証明するがごとく、A-RISEは輝きを放っていた。

 時間が過ぎるの早く、気づけばもうA-RISEのステージは終わってしまった。

 

「おー……皆、良い具合に圧倒されているね」

 

 直にライブを観たのは恐らく全員初めてなのだろう。もちろん思穂もである。間近で見るそのクオリティに、自分達と比較してしまうのは当然と言えて。

 花陽が、ことりが、海未が、皆が、実力の差に愕然としている。そんな中、思穂と穂乃果だけはその“差”を飲み込み、モチベーションへと昇華させる。

 

「そんなことない!」

 

 皆の不安を一蹴するかのように、穂乃果は声を張った。

 

「A-RISEのライブが凄いのは当たり前だよ! 折角のチャンスを無駄にしないよう、私達も続こう!!」

「穂乃果ちゃんの言うとおりだよ! 私達は頂点に行くんだ……その苦労に比べればこのくらい、ちょうど良いハードルなんだから!」

 

 二人の言葉に、頷く皆。それを見届けた思穂は穂乃果に軽く目くばせをした後、少しだけ距離を取った。

 その思穂の意志を感じ取った穂乃果は皆を集め、円陣を組むと、それぞれがピースを出し、一つの大きな星を象った。

 

「A-RISEはやっぱりすごいよ。こんなすごい人達とライブが出来るなんて……。自分達も思いっきりやろう! μ's――」

「穂乃果!」

 

 思穂含め、皆が声のする方を向くと――そこには穂乃果の友達であるヒフミトリオを先頭とした音ノ木坂学院応援隊が駆けつけていた。

 彼女達から掛けられた言葉は、今のμ'sにとってはどんなに心強い物だったか分からない。そして、それは思穂もだ。

 

「ヒデコちゃん、フミコちゃん、ミカちゃんありがとうー! よーし! ならお前達、私についてこーい! のんびりできると思うなよー!!」

 

 皆の手伝いも相まって、思穂の想定の二倍は早くステージの準備が整った。後詰めをしようと思ったら、ヒデコに『見に行ってあげて』と強く言われた。

 躊躇してしまうが、その後にフミコとミカにも言われたので、思穂はその言葉に甘えて、見やすい場所へ急いだ。

 

「思穂、来たのね」

「ええ見守りに来ましたよ、ツバサ」

 

 数分後、μ'sにとって、最初で最後のラブライブ予選が始まった。

 ――『ユメノトビラ』。

 再び階段を駆け上がろうとする彼女達の前に現れた扉。もしかしたらその扉を開けられないのかもしれない。だが、それでも笑って挑む彼女達の決意の歌である。

 

「……すごいわね。素直に、そう思える」

「私もそう思います。そして、やっぱりツバサ達の喉元に噛みつけるのは穂乃果ちゃん達μ'sしかいないと思いました」

 

 口にこそ出さなかったが、ツバサは頷くことで思穂の言葉を肯定した。ツバサには分かっていた。以前、思穂が言っていた、“A-RISEに届きうるモノ”を。

 それを改めて目の当たりにしたツバサの拳は自然と握られていた。――見つけたのだ。共に高みを競り合えるライバルと言う物を。

 そんなツバサの顔を横目に、思穂は佳境に差し掛かってきたμ'sのステージへと意識を集中させる。

 

「全力を出し切って穂乃果ちゃん達。穂乃果ちゃん達が思っているより、皆は穂乃果ちゃん達を見てくれているんだから……!」

 

 そう呟き、思穂は加速度的に増える投票数を見た。それは、決してA-RISEに負けていないことの、何よりの証拠で。

 トビラが開かれようとしている。そう思えたのは、投票数なんかでは無い、彼女達が懸命に、そして楽しそうに踊っている姿も見ているからこそ言える必然であったのかもしれない――。



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第十二話 スーパーアイドル

『い、いよいよです……』

 

 部室の中で花陽が呟く。部室に置かれた

 

『生唾ごっくんな展開にほんとワクワクが止まらないね!』

 

 室内で緊張が高まっていた。何故ならば今日はラブライブ予選の結果発表の日である。皆が顔を寄せ合い、画面を食い入るように見つめていた。

 

『な、なななに緊張してんのよ……! た、たたたたかだたか、予選じゃない……!』

 

 それぞれが言い合う中、花陽が順位を読み上げ始めた。

 A-RISEは堂々の進出。二チーム目、名前は無かった。三チーム目、また入っていなかった。そしてとうとう四チーム目。

 

『四チーム目はみゅー……』

『みゅ~……』

 

 皆が口を揃えて花陽の後に続く。数度のタメの後、ついに花陽が一気に画面をスクロールさせた。

 

『ミュー――――タントガールズ!!』

 

 しばしの沈黙が室内に充満する。それは受け入れない故の沈黙か、納得の沈黙か、はたまたまだ理解が追いついていない故か。答えは最後であった。

 

『へ……』

『ほわっちゃ……』

 

 最後に穂乃果が一言。

 

『そ……そんなぁあぁ!?』

 

 ――そこまで“話した”所で、穂乃果はテヘヘと舌を出した。

 

「っていう夢を見たんだよ!!」

『夢かーい!!』

 

 全員の心の底からの叫びであった。部室に入ってくるなり、穂乃果が皆を座らせたから何事かと話に耳を傾けた結果のコレである。

 思穂でさえも大声で叫んでしまったレベル。このやりきれなさはどこにもぶつけられないだろう。

 

「それにしても、生々しい夢だよね……」

 

 そんな事を言いながら、花陽はラブライブ公式サイトを開いて、今か今かと待ち望んでいた。

 皆を眺めながら思穂は一言。

 

「あれ? 穂乃果ちゃんの言う通りならこれって正夢になるんじゃ……」

「そうなんだよー!! 思穂ちゃんどうしよー!?」

「ほわっちゃ!? 私に振る!? よ、よーし……なら私が秘密の呪詛を唱えてμ'sが予選突破したと言う世界線を引き摺り込もう!!」

「な、何を言っているか分かんないけどそうしてよー!!」

 

 穂乃果は焦りに焦っていた。まるで夢と同じ状況。人の位置も、会話の流れも全て。今更どうにも出来ないがそれでもどうにかしようと頑張るのが生き物のサガ。

 ――そんな事をしていると、ついに花陽が声をあげた。

 

「き、来ました結果発表!!」

 

 すぐに花陽は読み上げた。思穂も生唾を飲み込みながら一言一句聞き逃さぬよう努める。一位から三位までは穂乃果から聞いた通りのチーム名。

 ならば、と思穂は最悪の展開を夢想する。

 

「四チーム目はみゅー……」

 

 皆が不安と恐怖に彩られた表情を浮かべる。正夢であることのないように、そんな祈りを込め、花陽は一気に画面をスクロールさせた。

 

「――――ズ」

 

 穂乃果の夢通りなら、もう少し長い単語。具体的には『タントガールズ』と続くはずだった。だが蓋を開けてみれば一言で花陽が言い切ったという事実。

 サイトに載せられた写真には紛れも無く九人の、見慣れた顔が映っていた。花陽が感情を抑えきれない声で最後のチーム名を読み上げる。

 

「最後のチーム……音ノ木坂学院高校スクールアイドル……μ'sです!!」

「みゅーず……って石鹸じゃ、ないよね?」

「当たり前でしょ!?」

 

 真姫の言葉でようやく皆、事態を認識し、途端部室を飛び出した。各々、大事な人へ報告するために。

 海未だけが未だ耳を塞ぎ、目を閉じて震えていたので、とりあえず置いておくことにした。

 それよりも、一人だけ気になる人物がいたのだ。

 思穂は廊下を歩き、何となく階段の曲がり角を覗いてみた。

 

「お、にこちゃん、やっぱりここにいた」

「……何よ?」

 

 鞄を持っていたにこは既に帰り支度である。これから練習があると言うのに。何か言おうとした思穂であったが、にこの顔を見て、察した。

 そういえば今日は、近くのスーパーで『大安売り! 血まみれ大出血セール!』なるものが行われているはずである。

 

「今日の晩御飯は何だろなーっと。ってあれ? にこちゃんのお母さんってもしかして出張?」

「……二週間ほどね。だから面倒見なきゃいけないの。……それよりもあんた、皆に言ってないでしょうね?」

 

 ジトーッと半目になりながらにこは思穂に迫った。その視線を一身に受け、思穂は笑顔で頷いた。

 

「当然。……は、良いんだけどさ」

 

 そう断り、思穂は言った。

 

「――そろそろ言わなくても良いの? 皆に“あの事”」

「……言える訳、無いでしょ」

「この間、にこちゃんの家に押し入った時に見せてもらったアレら、どうせあのままなんでしょ?」 

 

 思穂とにこの仲は既に以前語られた通りである。思穂は良くにこの家へ押し掛けていた。それは一人の寂しさを紛らわせるという意味でもあったし、矢澤家が少しばかり思穂にとって“暖かった”というのもある。

 そう、割とにこの家へ行っているのだ。――それこそ、にこがμ'sへ加入する前や“後”でも。

 

「涙ぐましくて本当にちょちょぎれそうなレベルのアレらは早めに言っておかないと後々辛いよ?」

「……分かってるわよ。うっさいわね」

 

 そう言って、にこは足を一歩前に出す。そんなにこの背中へ思穂は一言。

 

「今日はもう一件隣のスーパーで牛肉投げ売りされてるはずだよー」

「このにこが知らないとでも思ってんの?」

 

 キッパリと良い、にこは流石の貫録と共に今度こそ歩き去って行った。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「――ねえ、皆って練習するんじゃなかったっけ?」

「だ、だって怪しいんだもん!」

 

 そう言う穂乃果は積み上げられた荷物の陰からスーパーの中のにこを覗き込む。

 ラブライブ出場が決まって気合いが入っているというこの状況で、今皆はスーパーの近くに隠れていた。

 それも全てにこが悪い、というのが皆の共通の意見であった。何故ならば、今日もラブライブ出場に向けて厳しい練習をしようと士気が高まっている時に練習の欠席である。

 今、物陰に隠れた様子を伺っているのは絵里と希を覗いたメンバー。二人は『万が一のため』といってどこかへ歩いて行った。

 

「……普通に買い物しているみたいですね」

「なーんだ! ただの夕飯のお買いものか!」

「思穂はどう思う?」

「ほわっちゃ!? あーははは……どうなんだろうねぇ?」

 

 事情を完璧に把握している思穂は何を言えば分からず、ただへらへらと笑うだけであった。正直、繊細も繊細な話題なので下手に喋る訳にはいかなかったのだ。

 その間にも皆の憶測は加速していく。そしてそのたどり着いた先が彼氏が出来たから料理を作りに行っている、であった。正直吹き出しそうになったが、本人たちが至極真面目なので余計に笑ってしまう。

 そんな時、とうとうにこがこちらを向いてしまった。具体的には花陽がヒートアップして『アイドル論』を語ってしまったのが原因である。

 互いに時が止まって数瞬。にこはゆっくりと買い物かごを置き、そして――逃げ出した。

 

「ああー! 逃げたー!」

「にこちゃん早すぎるにゃー!」

 

 いつぞやの逃走劇を頭に浮かべながら、皆はにこを追いかけるために走り出した。だが思穂だけは追いかけなかった。

 例の件もあるが、実は今日は近くのゲーム屋で中古ゲームの投げ売りをされているのだ。そして噂によれば既に絶版となったゲームもあるとかないとか。

 そんな夢のような市場に行かない訳にはいかない。穂乃果達が走り去って行ったのをしっかり確認してから思穂はゲーム屋へ駆け出した。

 思穂は自分を最優先するのだ。当然、これはその原理に基づいたうえでの行動だ。

 

「げへへへへへっへ! これ、オクだとウン万円クラスの奴なんだよなぁ!! エヘヘヘヘッヘエ!」

 

 とても年頃の女子高生が出すような笑い声では無かった。思穂と同じくゲームを買いに来たお客さん達は皆、そんな汚い笑い声を浮かべる彼女へドン引いている。

 女性としては致命的な状況であったが、今の思穂はゲームを手に入れる修羅と化しているので、むしろ誰にも邪魔されないことを喜んでいた。

 財布が許す限りのゲームを買い込んだ後、すぐに思穂は店を出た。皆を探そうとしていたら、割と見知った女の子が遠くから歩いてくるのが目に入った。

 

「あ、思穂さんではありませんか!」

「こころちゃんこんにちは! お出かけ?」

 

 思穂はそう言って女の子――矢澤こころに声を掛けた。何を隠そう矢澤にこの妹である。あの姉にしてこの妹アリ――という言葉が通用しない程、非常に礼儀正しく、そして何より気が利く女の子である。

 

「はい! ちょっと家に居ても退屈だったので、ですがそろそろ帰ろうかと」

「そっかー! なら途中まで送るよ! 一人じゃ心配だしね」

「良いんですか? 思穂さんにも用事が……」

「気にしない気にしない! ささ、行こう行こう!」

 

 言いながら思穂はこころの手を引き、歩き出す。一瞬だけμ'sの顔が浮かんだが、こころの手のぬくもりを感じることを優先させた。

 

「そういえば思穂さん、今日はお姉さまがそちらの方へ仕事に行っているはずなのですが。マネージャーの思穂さんはこんな所で何をしていらっしゃるのですか?」

「ほわっぢゃ……!?」

 

 しまった、と思穂は思わず空いている手で顔を覆った。そういうことだ、そういう事となっているのだ。迂闊に近づいたのが運の尽き。

 思穂は頭を高速回転させ、最適解を導き出す。

 

「今、休憩をもらっているんだ! だからこころちゃんみたいにぶらぶらしてたの!」

「そうだったのですか! いつもお姉さまの為にありがとうございます!」

「あ、はは……苦しゅうない苦しゅうないよ!」

 

 この純粋な妹からどうしてあの姉がいるのかが全く思穂には理解できなかった。と思ったが、ある意味アイドルに対して純粋なのでやはり姉妹であろう。

 しばらく歩いていると、何だか良く見なれた集団が随分とシケた表情を浮かべていた。

 

「し、思穂!? 今までどこに行ってたのですか!? こっちはにこを探して見失ったと言うのに!」

「思穂ちゃん……またゲーム買ったんだね」

 

 海未とことりがすぐに思穂を見つけるなり駆け寄ってきた。そして海未は思穂が手に持っていたゲームショップの袋を見るなり、目を細めた。

 海未の叱責が訪れる前に、凛が隣のこころに気づいたようで声をあげた。

 

「に、にこちゃんがちっちゃいにゃー!?」

「思穂、この子どこの子なの?」

「あーこの子……?」

「思穂さん、この方たちはもしかしてμ'sの方達ですか?」

「あ、あー……そうそう。そうだよ、こころちゃん」

 

 チラリと思穂はこころの方を見た。一瞬だけ過ぎった不安をものともせず、こころは丁寧に自己紹介を始めた。

 

「皆さん、いつも姉がお世話になっています。矢澤こころと申します!」

 

 それはもちろん、全員があからさまに驚いたのは無理もない話であった。

 立ち話も何なので、思穂の先導で矢澤家へお邪魔することになった。こころからは『パパラッチ』の可能性を示されたが、思穂は『マネージャである私が警戒しているから大丈夫』と言い聞かせ、こそこそせずに真っ直ぐ向かっていた。

 そんなこころとのやり取りを不思議に思っていた絵里が思穂へ耳打ちする。

 

「ねえ、思穂。これはどういう事なの?」

「……うーん……とりあえずにこちゃん家に行ったら全部分かるから待っててもらえたら嬉しいなぁ……」

 

 ふいに降りてきた“潮時”を感じていた思穂は諦め混じりにそう言った。このタイミングで、この鉢合わせ。しかもこころがいるとなったらどう言い逃れても不信感しか残らない。

 ラブライブ出場を目指すにしても、恐らくこの問題はしこりをもたらすことは確実。

 ――ならばこそ、思穂は出しゃばることにした。

 

「皆さん? 思穂さんがちゃんと警戒してくれているから堂々と歩けていますが、思穂さんがいないときに来られる場合はちゃんと連絡をください!」

「え、っと……何で?」

 

 穂乃果がそう尋ねると、思穂は身を強張らせた。これから先の展開が読めるだけに、こころが少しだけ得意そうに答えてしまったのが、何とも複雑であった。

 

「何でって、皆さんはスーパーアイドル矢澤にこのバックダンサーなんですから!」

「……バック」

「ダンサー……?」

 

 ――バックダンサー。その一言で、皆の動きが固まった。そこからのこころの説明は聞いているだけで非常に胃が痛くなるようなことだらけであった。

 今にこの指導の下でアイドルを目指している事、駄目は駄目なりに八人集まれば何とかデビューできる等など……どう前向きに考えても晒し首にされるような未来しか見えない。

 口々に出るのは呆れや納得、そして『にこはにこ』という結論。

 

「思穂ちゃん、もしかしてこの事知ってたん?」

「……それを含めてにこちゃんの家に着いてから、かな?」

「まあそれはそうと。……こころちゃ~ん? ちょっと――電話させてくれる?」

 

 凄まじいほどに優しい声で、絵里はこころに携帯を貸してくれるように求めた。その表情は、μ's加入前の絵里以上に怖かったのは言うまでもない。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「ここがにこちゃんの家……?」

 

 ありふれたマンションの一室。そこが矢澤にこの家であった。特筆すべきところは何もないそんなマンションである。

 

「し~ほ~さ~ん。ばっくだんさ~」

 

 玄関に入ってすぐに出迎えてくれたのはにこの弟である矢澤虎太郎であった。鼻水を垂らしながら、もぐら叩きをして遊んでいる最中のようだ。……そのもぐらにはμ'sの顔が張られた特別製。

 

「お姉さまは普段、事務所が用意したウォーターフロントのマンションを使っているのですが、夜になると帰ってくるのです!」

「どうしてこんなに信じちゃってるんだろう……?」

「その疑問や絵里ちゃん達に聞かれたことをざっくり説明するためのモノがこちらになります」

 

 思穂は壁に貼られているポスターを指さした。それはμ'sのポスターであった。

 

「何これ、何かおかしいわ……!」

 

 いち早くその違和感に気づいたのは真姫であった。その解答を示すため、思穂はとある箇所を指し示した。それはにこの姿である。――厳密にいえば、“にこのような何か”である。

 何故ならばにこは本来の立ち位置では無いセンターに居たのだから。その意味を理解した皆は口をそろえてその言葉を言った

 ――合成。

 

「で、付いて来て皆」

 

 思穂に連れられ、皆はにこの部屋へと入るなり、あちこちに貼られている“にこの顔が目立つところに張り付けられた”ポスター達を見回す。

 丁寧に切り貼りされたポスター達はむしろ感動すら誘う。

 

「涙ぐましいというか何というか……」

 

 絵里の感想が全てであった。皆が頷き、それに同意していると、玄関の扉が開かれる。そこに立っていたのは皆が待ち望んでいたにこであった。

 

「なっ……あんた、達……!?」

 

 にこと思穂の視線がぶつかった。思穂が申し訳なさそうに顔を歪めると、にこは全てを理解した。そして、そろりそろりと後ろへ下がる。

 玄関先に買い物袋をそっと置き、にこは言った。

 

「こ、こころ……今日は仕事で向こうのマンションに行かなきゃならないから……じゃ――」

「手刀!!」

「にごっ!?」

 

 その手を読んでいた思穂は一瞬でにこの背後に回り、首へ手刀を繰り出した。綺麗に入った手刀はにこの意識を刈り取り、思穂の腕の中に崩れ落ちる。

 

「よし皆、居間に戻ろう!」

 

 笑顔でそう言う思穂に対して、凛と海未が一言ずつ。

 

「……たまに思穂ちゃんっておっかないにゃ」

「私ですら反応が遅れてしまうとは思穂……やはり手練れですね」

「とりあえず海未ちゃんは私を何か勘違いしていると思う」

 

 ――五分後。

 にこはすぐに意識を取り戻した。それほど強くやっていないのでむしろ目が覚めてもらわねば困る。皆はにこを囲むように座っていた。万が一また逃げられても面倒だからだ。

 だが、にこは目覚めるなり、テーブルに両手と額を付けた。要は土下座である。

 

「大変申し訳ございませんでした。この矢澤にこ、皆様に嘘を吐いておりました」

 

 それからにこは語り始めた。その内容は既に思穂が聞いていた通りで。だが、皆はとっくにそんなことはどうでも良かったのだ。

 むしろ、その次。

 

「ねえ、にこ。バックダンサーってどういうことかしら?」

「うっ……!? そ、それは……」

 

 ふと、にこと思穂の目があった。変な誤解をされても困るので、皆には見えない程度に手を横に振った。『まだ言ってないから』、そういう思いを込めて。

 出しゃばったのは自覚している。本来ならば皆をここに連れてくるはずではないのだから。

 そしてここまでだ。これ以上をする気は思穂にはなかった。だが、最後に一言。

 

「にこちゃん、私はにこちゃんを信じて“言っていない”。……この意味、分かって欲しいな」

 

 そんな思穂の意図を汲み取ったのか、にこは諦めたように言った。

 

「……元からよ」

 

 その言葉に、穂乃果が聞き返した。するとにこは更に詳しく言い直した。

 

「元から家ではそういうことになっているの。……別に、家で私がどう言おうが勝手でしょ?」

 

 皆の言葉を待たずに、にこは別室で遊んでいる妹達を見ながら一言。

 

「……お願い。今日は帰って。思穂、皆を案内してあげて」

「……りょーかい」

 

 マンションを後にし、思穂を先頭にμ'sメンバーが歩いていた。真姫がボソリと言った。

 

「困ったモノねー」

「でも、元からってどういうことなんだろう?」

「にこちゃんの家では元々私達はバックダンサー?」

 

 穂乃果のその一言に、物憂げな表情を浮かべる希。その横顔を見て、思穂は優しく聞いた。

 

「希ちゃんは分かった?」

「多分、にこっちは元々スーパーアイドルだったってことでしょ?」

「……せーかい」

 

 その答えに満足したように、希は続けた。自分の憶測を交えて。

 矢澤にこは一年生の時からスクールアイドルとして活動をしていた。その時には当然、妹達にも……。

 

「にこちゃんの妹達がさ、すっごく嬉しそうににこちゃんの言葉を聞いていたんだよ。『お姉ちゃんがアイドルになった!』とか『すごいです!』……なんて、子供が思いつく限りの“すごい”をにこちゃんにぶつけてたって話を聞いたことがある」

「……言い出せなかったんだね」

 

 ことりの言葉に首肯し、思穂は続ける。

 

「一年生の時からずっと『スーパーアイドル』だったんだよ、にこちゃんは。そして、『スーパーアイドル』であり続けたかった。……分かるでしょ? 花陽ちゃんとかなら」

「うん。アイドルにすごく憧れてたんだよね? 私も……そうだから」

 

 すると、絵里がぽつりとつぶやいた。その表情はどこか申し訳なさそうに。

 

「私、一年の時にその時のにこを見たことがあるわ。その時の私は生徒会があったし、アイドルにも興味が無かったから……。あの時、話掛けていれば……」

「……まあ、“もしも”の話はしないでおこうよ。後ろは振り向かないで、前だけを向き続ける。……だからさ」

 

 皆が黙って思穂の言葉を聴きつづける。そして、思穂は一通り語り終え、そして――。

 

「どうしよっか穂乃果ちゃん? 私、全く思いつかないんだけど!!」

「……イマイチ締まらないにゃ」

「はいはい凛ちゃん、抉ってこない抉ってこない。ごめん、皆一緒に考えてくれない? 私一人じゃアイディアに限界があるしさ」

 

 目を閉じ、黙考を始める皆。やはりこの手の話題に強いのは穂乃果だったらしい。真っ先に目を開いたのは彼女である。

 

「そうだ! 思いついたよ!」

 

 そして話し出す穂乃果。それを聞いて、思穂は正直笑い転げそうになった。何を隠そう、それは自分もおぼろげながらに浮かべていたビジョンであったのだから。

 周りを見ると、その方向で良いようで、皆しきりにうなずき出す。これを肯定と受け取った思穂は早速頭の中で作業工程を弾き出す。

 ここからは忙しくなる。何故なら親愛なる先輩の晴れ舞台なのだ。そこには一点の淀みもあってはいけない。どこの誰が見ても、抜かりの無いように。

 思穂はひとまずの案を皆へ語り出す――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「来るかなぁにこちゃん」

「来るわ、きっと」

 

 控室で思穂と絵里は待っていた。そして絵里の隣に居た希も自信ありげに言い切る。

 

「ここで来なきゃにこっちじゃないと思うよ?」

「おお、希ちゃんはやっぱりにこちゃん大好きなんだね!」

「ふふ、まあ割と長い付き合いやしね」

 

 軽い口調に含まれた感情は計り知れない物があって。だからこそ思穂も座して待つことができるというものだ。そしてその時は直ぐに訪れた。

 

「思穂ちゃん! 絵里ちゃんに希ちゃん! お待たせ!!」

「だーもう! 引っ張るんじゃないわよ穂乃果!」

 

 ドタバタしながら穂乃果は入ってきた。後ろににこを連れて。

 すぐに思穂と希と絵里は動いた。各々、己の技能をフルに活かし、にこのメイクアップに掛かる。

 ものの数分でにこは“矢澤にこ”というアイドルになった。

 

「これは……」

 

 にこは半強制的に着せられた衣装に目をやる。それは思穂と絵里と希が超特急で作り上げたモノ。日頃コスプレ衣装を自作している思穂監修の元で作り上げられた可愛い衣装には一切の造りの粗さは見られない。

 思穂は未だ戸惑うにこの手を引っ張りながらとある場所へ歩き出す。

 

「どう? これぞにこちゃん! って感じで作ってみたんだけど!」

「やっぱりにこっちには可愛い衣装が良く似合う。――スーパーアイドルにこちゃん!」

 

 たどり着いたのは屋上へ続く扉。この先にはいるのだ。世界中の誰よりも、にこのライブを心待ちにしている“ファン達”が。

 にこがその意味を理解したようで、表情が変わった。引き締まった、と言った方が良いのだろう。

 

「にこ、早く行ってあげなさい。皆が待っているわ!」

「絵里……希、思穂」

 

 絵里に手渡された可愛い装飾が施されたマイクを持ったにこはほんの少し迷った後――扉を開け放った。

 

「ほっほーっと」

「思穂さん」

「ハロハロー。こころちゃん、隣良い?」

「どうぞ!」

 

 そう言って思穂はこころの隣に腰を下ろした。ここでひょいと抱えてこの屋上から逃げ出したら、お持ち帰りできるだろうか。一瞬だけ邪な考えが頭をよぎったが、にこに骨一片たりとも残さず始末されそうなので、考えるだけにギリギリ留めた。

 

「思穂さん、どうしてお客さんがいないのですか?」

「ん? それはね、これからやるライブが凄すぎて、他の人には絶対見せたくないからだよ?」

「そんなにすごいのならば他のお客さんにも見てもらった方が……」

 

 こころの言葉に対して、首を横に振る思穂。それでは駄目なのだ。このステージを見られるのは世界でたったの三人でなければいけない。

 思穂は目一杯飾り付けをした特設ステージを指さした。ヒデコ達と協力して突貫で作り上げた割と自信作のステージである。

 

「あ、ほら来たよ!」

 

 そこから出てきたのは『アイドル』だった。そしてその後に続く、八人の『バックダンサー』。

 

「こころ、ここあ、虎太郎。歌う前に、話があるの!」

 

 ――そして、にこは語り始めた。

 『スーパーアイドルにこ』は今日でお終いだと言う事、これからはμ'sの皆でアイドルをやっていく事、もっと新しい自分に変わって行きたい事、そして――。

 

「今の私の夢は宇宙ナンバーワンアイドルにこちゃんとして宇宙ナンバーワンユニットμ'sと一緒に輝いていくこと――それが、一番大切な夢、私のやりたいことなの!」

 

 思穂は三人の方へ顔を向けた。

 

「三人とも、始まるよ? この時、この瞬間でしか見られない最初で最後、そして最高に盛り上がるステージが!」

 

 思穂は断言出来た。この時この瞬間、矢澤にこは正真正銘の『アイドル』となったのだ。この世界の誰よりも大好きな三人のための『アイドル』に。

 その時の『にこにこにー』は、世界で一番幸せそうであったのは言うまでもなかった――。



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第十三話 殻を破ること、変わること

 天気は快晴。勉学に勤しむにはこれ以上にないくらい相応しい天気だった。窓を開くと風が入り込み、少しだけ上がった体温を冷ましてくれる。

 

「ひっく……えっぐ! 私の馬鹿ぁー! 何で昨日夜中の三時まで超薄着でゲームしてたんだよぉぉ!!!」

 

 思穂は“生徒会室”で叫んでいた。思穂の本来いる二年生の教室には誰もいない。

 

 ――何故なら、昨日から二年生全員は沖縄へ修学旅行へ行っていたのだ。そこには行くはずの思穂はいなかった。

 

 昨日の早朝のことである。いつものように夜中まで起きてゲームをやっていた思穂は突然寒気に襲われた。頭もボーっとして、体温計を計ってみたら三十八度オーバー。これは完全にアウトだった。

 強行して行こうと思っていたら、割と視界がぼやけてきたので、断腸の思いで早朝に担任へ電話した。ほぼ半泣きの声であったので、担任には酷く心配されたのが更に思穂にとってのトドメとなった。

 それだけならただの悲劇である。ずっと寝込み、穂乃果達の修学旅行を待つだけのヒロインとなれただろう。そこで思穂は己の身体の強靭さを失念していた。

 

「しかも半日寝たら熱下がってて何事って話だよね!! 」

 

 半日寝ると完全回復を遂げてしまったのだ。もはや体温計が壊れていたのではないかと疑わしいレベルで。

 このまま熱下がっていないと言い張ったらゲームやアニメが永遠にプレイできると行き着いたが、万が一にも麻歩にバレたらそこで終了。

 なれば、思穂に選べるのは“大人しく学校に行くだけ”である。

 当然授業は自習であったが、思穂にしてみたらもうとっくの昔に完全把握していたレベルである。なので、担任に掛け合い、自習をする代わりに生徒会業務をこなせるようにしてもらった。普通なら有り得ない事態だが、二年生は思穂以外居ないと言うのと、思穂の成績等などの条件からこの“特例”が許された。

 

「まあ、パソコン二台とスマホがあればただのサービスタイムになるんだよねーっと。……ていうか、穂乃果ちゃん、海未ちゃんやことりちゃんがいるのにこれは何ともはや……」

 

 左手のパソコンは海未、右手のパソコンは穂乃果。両利きであることを活かして、思穂は今真ん中にスマートフォンでアニメを流しながら、両方の手を踊らせていた。

 海未の方は綺麗に処理済み、これから処理しなければならないファイルを纏めていたので処理しやすかった。だが、穂乃果の方は違う。整理という言葉をどこかに置き忘れて来たかのようなごちゃごちゃとした状況。

 しかし、それらは全て織り込み済み。思穂の仕事に何ら支障はない。

 

「思穂ちゃん捗ってる?」

 

 ひたすら作業をしていると、希と絵里が入ってきた。彼女達も彼女達で穂乃果達が帰って来てからすぐに生徒会業務が出来るようにサポートに回っているのだ。

 

「ええ、悲しみを力に変えて今の思穂ちゃんはいるからね……」

「特に責める気はないけど、こういう人生でそう何度も無いイベントくらいは早く寝なさいよ? 後悔するのは思穂なんだから」

 

 そう言って、希と絵里も作業を始めた。彼女達は書類を整理したり、雑件を片付けているようだ。要は思穂のやっていることとほぼ同じである。

 

「まあ起きたことは起きたこととして受け止めますよ。その上で自分が納得できることを色々やって行きます。それに、例のイベントもありますからねー」

「そうね……あれ? この書類番号抜けている……どこかしら?」

「何の奴ですか?」

 

 絵里が書類の書類と抜けている番号を言うと、思穂は目を閉じた。カチカチとパズルを組み立てるように様々な事を思い出し、見つけた。

 

「……ああ、その番号なら確か部室の二番目のアイドルグッズ棚の上にあったようななかったような……」

「穂乃果は全く……」

「思穂ちゃん、良く覚えてるね」

 

 希が褒めると、思穂は胸を張った。と言ってもたまたまである。一度見たら割と頭に入る方なのだ。

 

「でしょ? 私の一京のスキルの内の一つだよ」

「毎回聞くたびに数字が増減しているのは気のせいやろうか?」 

「私も日々進化したり退化しているからねー」

「いや、退化は駄目でしょう……。部室だったわね? 取りに行ってくるわ」

「あ、エリち、ウチも行くー」

「私も行くー!」

 

 思穂は立ち上がるなり、そう言った。実は一人ぼっちの作業が多すぎて、寂しかったのだ。このチャンスを逃して堪るものかと。

 絵里と希の後ろに付き、思穂は部室へ向かった。

 扉を開くと、そこにはとても素晴らしいやる気に満ち溢れた真姫、凛、花陽、にこが椅子に座っていた。

 

「気合いが入っているねー皆ー」

「皆気合いが入らないのは分かるけど、やることはやっておかないとね」

 

 そう言うなり、絵里は先ほど思穂が言っていた場所を漁り、目的の物を見つけた。ぐちゃぐちゃになっていないのは良かったが、それでも大事な書類をこんな所に置いておく穂乃果の顔を思い浮かべ、絵里は溜め息を一つ。

 

「えーまた練習凛達だけー!?」

「今週末には豪華絢爛ファッションショーでのステージがあるんだし、テンション上げて行こうよ皆」

 

 先日行われたラブライブの予選を見てなのか、今週末に開催されるファッションショーの担当が思穂へコンタクトを取ってきた。内容はいましがた言った通り、ファッションショーの舞台で一曲披露すること。色々と条件が付加されているが、それでもμ'sの知名度上昇の為、思穂は即決した。

 だが、その時期が丁度思穂達二年生が修学旅行から帰ってきた直後。絵里たちに相談した結果、穂乃果達がやりやすいように彼女達抜きで練習をやろうと思っていたのだ。

 

「きっとモデルさん達と一緒のステージだよね……気後れしちゃう」

「そうだよね~……」

 

 何気なく、気づいてしまった。凛の表情が曇ったのを。もちろんファッションショーでモデルさん達が一杯いるからというのもあるだろう。――だが、それだけではないのではないかとも思えた。

 

「――ねえ、思穂」

 

 部室を後にし、廊下を歩きながら絵里は思穂へ顔を向けた。その顔を見て、何となく言いたいことを察した思穂は笑顔で言った。

 

「私は一択だねー」

「おお、思穂ちゃん察し良すぎるやろ」

「でしょ? 何故なら私は『千のゲームの女(サウザンドゲーマー)』片桐思穂ですからね」

「はいはいふざけないで。実は私と希も何となく話していたのよ」

 

 そう言って、絵里がその名を出した。少しだけ思穂は笑ってしまった。何故ならそれは自分も出そうと思っていた名前なのだから。

 思穂もその旨伝えると、絵里は頷き、携帯を取り出した。

 

「ふふ、この調子なら穂乃果もきっと同じことを言うわね」

 

 生徒会室に着くなり、絵里は穂乃果へ連絡を取った。開始数秒で絵里が心底不思議そうに首をかしげたので、一体どんな会話が繰り広げられているのだろうと頭の中で思考を巡らせながら思穂は空を見上げた。飛行機が飛んで行ったのか。飛行機雲が出来上がっていた。

 数分のやり取りの後、絵里が通話を終え、親指を立てた。

 

「穂乃果も賛成みたいよ?」

「やっぱりね、カードもウチにそう言っていたわ」

 

 そうなると話は早かった。早速、思穂は全員を教室へ集めることにした。

 本人は絶対に否定するだろう。だが、思穂も、絵里も、希も、穂乃果も、彼女が良いのだ。良いと思ったから彼女を選ぶのだ。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「え、ええええ!?」

 

 その本人である星空凛が教室で悲鳴を上げた。想像通りの反応に少しだけ笑ってしまった思穂である。

 全力で否定しだす凛に対し、絵里は滔々(とうとう)と語り出した。

 これからのμ'sの事考えたり、暫定的でもリーダーがいた方が練習の方向性も定まる。当然と言えば当然だが、期限は穂乃果達が帰ってくるまでの間。懇切丁寧に説明してもなお、凛はそれを否定する。

 

「そ、それなら真姫ちゃんとかが良いんじゃない!? ほら、歌も上手いし、ダンスだって!」

「なるほど……割と前から感じていたけど、凛ちゃんは引っ込み思案なんだね」

「うん……昔からね」

 

 花陽が代わりに答えてくれた。

 星空凛とは前に出るようで、実は出ないタイプの子である。どちらかというと、決して関わらず傍から騒いでいるタイプ。

 だからこそ、思穂は余計にこの選択は正しかったと心から思った。

 

「凛ちゃん。やっぱり私は凛ちゃんだと思うよ。最初は凛ちゃんがこういう纏める役割好きかなぁって思って名前を上げたんだけど、今は違う」

 

 思穂は凛の肩に手を置いた。

 

「やってみた方が良い。もしかしたら凛ちゃんの殻が破れるかもしれないよ?」

「凛の……?」

「うん。皆が凛ちゃんが良いって言っている。もちろん私も良いと思っている。この気持ちさ、ほんの少しだけ汲んでもらえると嬉しいなっ」

 

 凛は皆を見やる。断られない雰囲気が彼女へ襲い掛かる。否定の言葉を言うために口を開くもパクパクするだけで声が出せなかった。

 皆が言うなら……皆が言うなら……。凛は不承不承ながらに首を縦に振る羽目になった。

 ――凛はそんなタイプじゃないのに。

 なので、心の中だけに留めておくことにした。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 凛をリーダーにしてから一日経った。凛は凛なりに頑張っているのだが、やはり根っこの性格が災いしてしまい、難儀しているようだった。

 例えば、練習のリード。リズムを上手く取れず、ダンスのテンポを崩してしまうことが多々あった。そして、自分の意見を強く持てない事。にこと真姫がステージの使い方で意見が真っ向からぶつかった際、当然リーダーである凛に意見が求められたが、彼女はいまいち煮え切らない反応をしてしまい、にこが叱りつけた場面が見られた。

 だが、初日も初日なので、穂乃果が戻ってくるまで何とかやっていけるだろう。――そんな矢先に、アクシデントが降りかかって来た。

 

「――皆、面倒なことになったよ」

 

 部室に皆を集めるなり、思穂は切り出した。

 昨夜、台風の影響で飛行機が欠航になると、穂乃果から電話が掛かってきたのだ。つまりそれが意味する所とは一つ。

 穂乃果達は当日のファッションショーに間に合わないということだ。その事実に、凛は思わず席を立った。当然とも言える。そうなると、与えられる役割があったのだ。

 

「思穂の言うとおりよ。穂乃果達はファッションショーには間に合わない。だから――リーダーである凛がセンターを努めてもらうことになるわね」

「うん。で、それに伴って、先方からセンターの人に着てほしいっていう衣装が届いたんだよね」

 

 言いながら、思穂は袋から取り出した衣装を見せた。

 それは女の子の憧れである。女の子達の“憧れ”の集合体――ウェディングドレス風の衣装であった。

 “女の子らしさ”の究極系とも言える衣装を目の当たりにし、凛は完全に固まった。

 真っ先に反応したのは花陽であった。

 

「きゃあ! きれ~い~!!」

「へえ、良いじゃない」

 

 真姫も興味深そうに頬を緩めた。やはり真姫も女の子なのだな、と思穂が口にしたら彼女に睨まれた。その睨みは思穂にとって割と心地よかったのは内緒。

 周りが騒いでいる中、凛はコワレタ。

 

「こ……こここ、これを……!? はは、はははっはははは!!」

 

 にこが近づくと、“シャー”と猫のように威嚇し、部室から逃げ出した。

 

「あ、あれ!? 何で扉が!?」

「な~んでだと思う~?」

「うわ、やられっぱなしだからにこちゃんが知恵を付けた」

「ぶっとばすわよ思穂!」

 

 ゆらりと、にこが凛へ近づいた。思穂の言うとおり、何だかんだで凛に追いかけ回されている経験が多いにこにとってこれは千載一遇のチャンス。

 確保しようとした瞬間、扉の鍵が開き、凛が飛び出した。

 

「――ていう感じで逃げられても困るんだよね~」

「にゃっ!? 思穂ちゃん!?」

 

 廊下を駆けだした数秒後に、思穂は凛を連れて部室へ帰還していた。日頃の“買い物”で足腰が鍛えに鍛えられている思穂にとって、この学校の陸上部ですら敵では無かった。

 捕まってしまった凛はとうとう諦め、これ以上の抵抗は見せなかった。隣の練習部屋に移るなり、凛はぼそりと言った。

 

「無理だよ。どう考えても、凛には似合わないよ!」

「そんなこと――」

「そんなことあるの!」

 

 絵里のフォローを遮り、凛が言った。そして、自分の髪を触りながら、顔を伏せる。

 

「だって凛……こんなに髪が短いし」

 

 そう言い、更に凛は続けた。

 その話を聞きながら、思穂は自分の考えの甘さを自覚した。

 

(……これは根深い、か)

 

 星空凛とは思穂の想像以上に自分に自信がないのだ。言葉からにじみ出るその感情をしっかりと受け止め、思穂はそんな凛に昔の自分の姿を重ねてしまった。

 自己評価の低さから全てに対し臆病になってしまった昔の片桐思穂に。

 

「――とにかく、μ'sのためにも凛じゃない方が良い」

 

 とうとうそんなことを言い出した凛。彼女の気持ちを汲み取った希が頬に手を当てた。

 

「でも確かにあの衣装は穂乃果ちゃんに合わせて作られたから凛ちゃんだと手直ししなくてはならないんよね。……近いサイズだったら……花陽ちゃん?」

「私っ!?」

「確かに……急にリーダーになった凛一人に全てをやらせるのも頂けないわよね。……花陽、どう?」

 

 途端、凛は立ち上がって花陽の手を握った。よほど重圧だったのだろうか、その表情はとても明るくなり、花陽を褒めだした。

 そんな凛へ、花陽が聞いた。

 

「でも凛ちゃん――良いの?」

「――良いに決まってるにゃ!」

「あ……」

 

 見てしまった。なまじ、自分も同じような経験をしてしまった故に“気づけた”。そんな凛を見て、思穂は誰にも分からない様に顔を歪めた。普段ならば絶対にしない表情だ。

 

(……そんな顔して言う“良い”になんて、何の説得力も感じないよ、凛ちゃん)

 

 だが、流れはそれを許さない。絵里と希は早速衣装合わせをするために作業に取り掛かり始めた。

 “良い”と言った時の凛の顔がこびりついてしまった思穂は顔半分を手で覆った。一つだけ言えることがある。

 このまま時間が過ぎ去ると、間違いなく星空凛は二度と自分の殻を破れないのだ――と。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

『思穂ちゃん。ちょっとだけ……良いかな?』

「お、花陽ちゃん」

 

 その日の夜、花陽から電話が掛かってきた。内容は思穂が想像していた通り、凛の事である。

 

『実はね、穂乃果ちゃんから電話が来たんだ』

「うんうん」

 

 思穂はただ花陽の話を聞いていた。内容を要約すると、『自分はこのままで良いのだろうか』とそういう事であった。

 やはり花陽は凛の幼馴染である。凛の言葉と表情の“奥”を察していたのだ。

 

「そっか……花陽ちゃんは穂乃果ちゃんとの話で一応自分の中で答えは出たけど、本当に良いのかって不安なんだね?」

『うん……私は私なりに考えて決めてみたんだけど、もしこれで凛ちゃんを傷つけてしまったらどうしよって……』

「正解は花陽ちゃん自身にしか決められないよ?」

 

 あえて思穂は穂乃果と同じスタンスを取ることにした。その選択は花陽が悩みに悩んだ末に出た尊いものである。そんなものに自分と言う“淀み”を入れるなどという烏滸(おこ)がましいことは死んでも出来ない。

 選択に口を挟むことはしない。だけど、片桐思穂はその選択をどこまでも“後押し”することは出来る。

 

「花陽ちゃんの選択は花陽ちゃんの物だから、私は何も言わないよ? ――だけど、その選択を誰にも文句は言わせない事は出来る」

『思穂ちゃん……』

「だって私はマネージャーだしね! 演者さんがやりたいようにやらせるのが私の絶対使命だよ!」

 

 思穂はこう締めくくった。

 

「――大丈夫、花陽ちゃん。花陽ちゃんの勇気ある、そして優しい“選択”にケチは付けさせないから」

 

 もしかしたらこの選択で何かが大きく変わることがあろうとも、思穂はこの時の花陽の選択に後悔だけは持たせたくはない。そんな事があったら思穂は腹を切るまで考えていた。

 何故なら、この二人の友情はそれほどまでに優しく、そして尊いものなのだから――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 ついにファッションショーの当日となった。モデル達が軽やかにステージを歩いていく姿は思穂も目を奪われ、この中でμ'sはライブをやるのかと気持ちを新たにする。

 控室に通されるなり、凛が一言。

 

「じゃあ皆、着替えて最後にもう一度踊りを合わせるにゃ!」

 

 皆が頷くなり、思穂は隅を指さして言った。

 

「凛ちゃんの衣装はあっちに用意しているからねー」

「ありがとう思穂ちゃん!」

 

 カーテンを開いて、中を確認するなり、凛が驚いたように声をあげた。もちろんそうなることは全て織り込み済みである。

 

「え、思穂ちゃん……これ衣装間違って――」

 

 凛の眼に飛びこんできたのはタキシード姿のμ'sと、そして花陽であった。皆、凛へ暖かな目線を向けている。

 この状況に凛が戸惑っていると、花陽が彼女の眼をしっかりと見て、こう言った。

 

「――間違ってないよ」

「貴方がこれを着るのよ、凛」

 

 花陽の言葉に真姫が続いた。凛がこの控室に入った時点で既に彼女の運命は決まっていたのだ。

 白々しく、そして穏やかに思穂がトドメを刺した。

 

「ほわっちゃ、何ていう事だ。衣装の一部がほつれていたから直してみたら凛ちゃんのサイズにピッタリな感じになっちゃった! これはもう今すぐには直せないな……」

「思穂ちゃんは嘘吐くとき大げさになるなぁ」

「希ちゃん、そこは突っ込まないで欲しかったな!」

 

 だけど凛はその衣装を着れなかった。着る訳にはいかなかった。何故なら自分は他の皆と比べて――。

 急にセンター変更になったら皆が――。そう凛が逃げるが、それを見越して皆、骨を折った。既に凛と絵里の二人体制で凛がセンターで歌えるように調整してきたのだ。

 凛の不安要素を全て潰してもなお、凛は迷っていた。そんな迷いに光を入れたのは他の誰でもない自分の親友であった。

 

「凛ちゃん! 私ね、凛ちゃんの気持ちを考えて、困っているだろうなって思って引き受けたの。でも、思い出したよ!」

 

 花陽はずっと待っていたのかもしれない。いつか、大事な親友の背中を押せる時を。“あの時”、親友が背中を押してくれたから、今の自分がいるのだ。

 断じて、これは恩返しなどでは無い。ただ、当たり前のことを当たり前のようにしているだけである。

 

「――凛ちゃんは可愛いよ!!」

 

 そして真姫が続いた。

 皆の満場一致の意見が一つある。μ'sで一番女の子っぽいのは凛なのだ。他の誰でもない、星空凛その人なのだ。

 堰を切ったように花陽が凛を褒めだした。感情の溢れるままに出る言葉。その中の一つをあえて取り上げるとするのなら――。

 

「おお……抱きしめちゃいたいくらい可愛いかぁ。これは良いですねぇ……あのタワーが建てられちゃうなぁ」

「思穂、貴方は茶化さない」

「ほわっちゃ」

 

 絵里に軽く睨まれるとすぐに思穂はそっぽを向き、口笛を吹き始めた。適当にセレクトした曲は、トカゲクエスト初代のフィールドBGM。完全コピーして吹いたもので、以前ネットに投稿したら三時間で再生数ハーフミリオンを叩き出したレベルだ。

 口笛を自然に止め、思穂は花嫁衣装の横に立った。

 

「凛ちゃん。この衣装は女の子の憧れ、それは分かっているよね?」

「う、うん……」

「ならさ、凛ちゃんはやっぱりこれを着なきゃ駄目なんだよ。この衣装にはね、女の子達の憧れが込められているんだよ。そして凛ちゃんもこの衣装に憧れを持っている。……ならさ、凛ちゃんはこの衣装を着られるんだよ。――そうでしょ? 花陽ちゃん、真姫ちゃん!」

 

 すると、凛の後ろに花陽と真姫が回り込んだ。

 

「思穂ちゃんの言うとおりだよ! 凛ちゃん、あの衣装見てみて?」

「一番似合うわよ、凛が」

 

 そう言って、二人が押した。ふわりと、“あの時”のように。あの時、押してもらった背中を今度は自分が。

 全ての感情をこの一押しに。花陽と真姫はどこまでも強く、そしてどこまでも優しく凛の背中を押した。

 

「あ……」

 

 その衣装に触れた凛。今の今までその衣装に触れる事すら抵抗を感じていたのに、今はもう何も思わない。今はそう、ただ――。

 

「……思穂ちゃん。凛、こういう衣装の着方分からないから、ちょっとだけ手助けしてほしいにゃ」

「――承った! この片桐思穂に全てを任せなさい」

 

 ただ――自分でも着て良いのかと、すごく嬉しかったのだ。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「いやー……ほんと穂乃果ちゃん達を見ると、今でも自分の不摂生が恨まれるね」

「思穂は本当に加減を知ってください」

 

 久し振りの練習に参加するなり、海未は思穂にそう言った。半目で睨まれるも、思穂の心底悔しそうな顔を見るなり、すぐに表情を緩め、海未は言う。

 

「……来年はしっかりしてくださいね。私も思穂と修学旅行に行きたいのですから……」

「そうだよ思穂ちゃん! 私も思穂ちゃんと行きたかったのにー!」

「風邪はもう大丈夫なの?」

 

 海未、穂乃果、ことりの順番で心配されることの何と幸せな事か。思穂はありがたさに打ち震えながら、笑顔で返した。

 

「大丈夫! 今度は前日にはちゃんと二時に寝るから!」

「しーほー!?」

「ほわっちゃ!? う、嘘嘘!」

 

 お土産話をたっぷり聞きたいところであったが、その前に一人出迎えなければならない子がいる。何となく足音で察した思穂は扉をバッと開け放った。

 そこには――紛れも無く“変身”した凛がいたのだ。

 

「……え、えへへ……ど、どう……かなぁ?」

 

 今までの練習着から一転、スカートを履いた凛が居た。その顔はもう何も臆した様子はなく、自信に満ち溢れていた。

 その顔を見て、思穂の中から心配が完全に霧散する。

 

「わあ! 凛ちゃん可愛い!」

「へえ……良いじゃない」

 

 花陽と真姫が駆け寄って、左右から凛の肩に手を置いた。

 皆もそんな凛の姿を見て、盛り上がっていた。そんな皆の反応を一身に受け、凛は空を一度仰いでから、大きく息を吸い込み、そして言い放った。

 

「よーし! さあ、今日も練習いっくにゃ~!!」

 

 思穂は間違いなく言えた。今日のこの日ほど、凛を“可愛い”と思った日はないと。今までも可愛かったのに、更に“可愛い”と思えることの何と幸せな事だろうか。

 そして、これからは――これからも、今日抱いた感情以上に凛を“可愛い”と思え続けられるのだと思うと、更に嬉しくなる。

 スカートになり、脚の露出が増えた凛へ思穂は今日もセクハラをしに行くのであった――。



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第十四話 私達らしさ

『ハロウィンイベント?』

 

 皆の声が揃った。と言っても、海未とことりは“所用”でこのハンバーガーショップにはいない。

 思穂は皆のキョトンとした顔を見つつ、説明を続ける。

 

「そうそう。皆ハロウィンは知ってるよね? あのトリックオアトリート的なアレ!」

「ここにも飾っているカボチャとかの?」

 

 花陽の相槌に気を良くしながら、思穂は鞄から取り出したペーパーを皆に見せた。

 

「実はね、今年このアキバをハロウィンストリートにしようっていう計画があってね! 地元のスクールアイドルであるμ'sとA-RISEにも出演依頼が来たんだよ!」

 

 この話が来たのは最近の話であった。街のイベント実行委員会から音ノ木坂学院を経由し、マネージャーである思穂に話が通ったのだ。街ぐるみのイベントに出ることにメリットは思穂も良く知っていたし、何よりもA-RISEと肩を並べてイベントに出演すると言うことは否が応でもμ'sの知名度上昇にも繋がる。

 ――言い方を悪くすれば、A-RISEを利用させてもらうのだ。

 それに、と思穂はにこの方を見て意味ありげに笑みを浮かべる。

 

「そ・れ・に。そのイベントにはテレビ局も入るよ! つまり、にこちゃんがそれだけ有名になるってことだよー!」

「て、テレビ局ー!?」

「わ、すごーい!」

 

 にこが立ち上がった。興奮を隠しきれない様子のにこは思穂に掴みかからんばかりにやる気を露わにする。

 その隣では穂乃果がその意味を分かっていないようで、呑気に笑っていた。実際、思穂もただテレビに出るかもしれないとだけ聞けば実感が湧き辛いのも大いに分かる。

 その朗報に皆もざわつき、思い思いの事を話すが、にこの一声でそれらは掻き消された。

 

「皆、A-RISEよりもインパクトのあるパフォーマンスをお客さんの眼に焼き付けるのよ!」

「おお! これからはインパクトの時代だよ真姫ちゃん!」

「それよりも……良いの、穂乃果? こんなとこにいて?」

 

 生徒会の仕事は良いのか、と花陽が穂乃果へ言った。心から心配しているような、そんな声色だった。花陽の心配を受けた穂乃果はその瞬間から、顔から血の気が引いていた。

 思穂は入口が見える位置に居たので、物凄い笑顔を“貼り付けている”海未とそんな彼女におっかなびっくりをしていることりがやってきたことにいち早く気づけた。

 

「へえ……これからは“インパクト”ですか? 良いですねぇ」

 

 瞬間、鬼の形相になった海未。そこから海未による穂乃果へのありがたい“お話”が始まったのは言うまでもない。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「あ、思穂来ましたね」

 

 運動場に近づくにつれ、妙なコスプレをした九人が見えてきた。正直帰りたかったが、白衣と眼鏡を着用した海未に見つかったのが運の尽き。

 こうなったのにもちゃんと理由はある。

 ハンバーガーショップでの“お話”が終わったあと、色々話をした結果。『μ'sにはインパクトが無い』という流れになってしまったのだ。

 そして更にそれを裏付ける事柄として、その翌日から始まったハロウィンイベントにμ'sも出演したが、後に出てきたA-RISEによって一気に持って行かれたというのも決定打となった。当然と言えば当然だが、イベント開催側はA-RISEを重視している。

 言い方を悪くするならば、μ'sは出汁に使われた。このままでは完全にA-RISEの独り勝ちである。

 そこで海未が打ち出した策こそが今行われようとしていることである。正直、妙に自信満々な海未を見ていると不安な気持ちしかなかったのは気のせいでありたいと思穂は信じたかった。

 思穂が見やすい位置に着いたのを見計らって、テニスウェアを着こんだ穂乃果から順番に“始めた”。

 

「貴方の想いをリターンエース! 高坂穂乃果です!」

「え、相手フラれたのかな?」

 

 続けざまに新体操をする人のような格好をした真姫がリボンをくるくると回し出す。

 

「誘惑リボンで狂わせるわ! 西木野真姫!」

「あー確かにトンボが目回しそうだね」

 

 更に何故かミカンを着こんだ花陽や、バレー部のユニフォームを着た希が真姫に続いた。

 

「剥かないでー! 私はまだまだ青い果実。小泉花陽です!」

「ミカンが花陽ちゃんに似合いすぎてるなぁ」

「スピリチュアル東洋の魔女、東條希!」

「確かにそのお胸は魔女の風格ですわ」

 

 段々脂汗を掻き始めてきた思穂。そして、妙な感覚に襲われた。例えるならばそう、皆が盛り上がっている中、後から入って来て若干気まずい思いをしているような、そんな感じだ。

 

「恋愛未満の化学式、園田海未です!」

「つまりお前と恋人になる可能性は微塵もねーよバーカだね」

「私のシュートでハートのマーク付けちゃうぞっ! 南ことり!」

「わー付けて付けて―」

「キュートスプラーッシュ! 星空凛!」

「何か人魚が歌で相手と戦うようなアニメを思い出すね!」

「必殺のピンクポンポン! 絢瀬絵里よ!」

「絵里ちゃんに至ってはμ's加入前の自分を思い出してほしい」

 

 そして、と思穂は最後になったにこの方を見る。正確にいうのなら、“にこであろう”者だ。

 

「そして私! 不動のセンター矢澤にこにこー!」

「うわ、ごめん顔見えなかった」

 

 そして最後に皆で締めくくり、この茶番は終了した。皆から意見を求められたので、思穂は顎に手をやり、黙考した。やがて意見がまとまり、思穂は口を開く。

 

「部活系アイドルっていうコンセプトは良いと思うけど、ちょっとμ'sらしくないというか何というか……」

「そう……思いますか、思穂?」

「うん、まあ……そもそも――」

 

 そこで思穂は口を閉じた。折角、皆が模索しているのだ。それに口を挟むのが何だか空気を読めないような感じがしたので喉元まで出た言葉をグッと飲み込んだ。

 思穂の意見は最初から決まっていたのだ。

 

(まあ、それはよほど皆が行き詰ったらで良いのかなー)

 

 とりあえず空気を変えるため、思穂は部室へ戻ることを提案した――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「……これは何とも迷走が凄いと言うか何というか……」

 

 珍しく思穂は驚いていた。思った以上に壁にぶち当たっている様子が伺える。

 何せ、部活系アイドルの次は何故か『それぞれ皆のキャラを入れ替えて喋る』ということをやり始めたのだ。穂乃果は海未の真似、海未は凛の真似、ことりは絵里の真似、凛は真姫の真似、花陽はにこの真似、真姫は希の真似、絵里は花陽で希は穂乃果の真似、にこはことりの真似と、把握するのさえ面倒くさくなるようなこのごちゃ混ぜ感。

 印象に残った物まねをピックアップするならば、凛の真姫の物まねが想像以上に上手かったことや花陽の『にっこにっこにー』が愛らしすぎてつい録音してしまったこと等が挙げられる。にこのことりの真似は最もクオリティが高く、声なんて目を閉じれば本物かと聞き間違えるレベル。

 ――だが、それで問題が解決したかと問われれば全く話は別。

 

「ねえ、ちょっと思ったんだけど」

 

 そう前置き、絵里は続けた。

 

「いっそのこと、一度“アイドルらしい”ってイメージから離れてみるって言うのはどうかしら?」

「離れてみる……って言ったら、“かっこいい”?」

「それ以上だったら……“荒々しい”とか?」

 

 どんどん議論が深まっていく皆。議論、という文字の後ろに疑問符が付きそうなレベルで話は盛り上がって行き、結局行き着いた結果は思穂の想像していたよりもはるか斜め上の結果となった。

 

「よーし! ならさ! こういうのはどうかな!?」

 

 深夜のテンションもこういう感じだよな、とぼんやり思いながら思穂は穂乃果のアイディアを聞いていた。穂乃果の提案がよっぽど魅力的だったのか、皆は二つ返事でオーケーを出した。

 そうなってくると、思穂はそのやりたいこと十全に行えるようにサポートするだけである。

 二十分程時間をもらい、思穂は必要な道具を揃えた。μ'sのマネージメントをする際に色々イベント関係者と知り合いになれたので、その伝手を活かし、穂乃果達が要求する物一式を用意出来た。

 早速、穂乃果達なりの“アイドルらしくないアイドル”が示されることとなる。

 

 

「――クァァ! 皆さん、お久しぶり! 我々はスクールアイドルμ'sである!!!」

 

 

 パンク、というかメタル、というかそんな“奇抜”という言葉で塗り固められたμ'sが校門前に出現した。その第一印象は出てきた瞬間に悲鳴をあげられた時点でお察し。

 下校をしようと歩いていた生徒達は全員距離を離し、完全に不審者を見るような眼である。

 口上を終え、皆が一心地ついた辺りで校内放送が鳴り響いた。

 

『アイドル研究部μ'sの皆さん、今すぐ理事長室へ来てください』

 

 ふと思穂が校舎を見上げると、窓からこちらを見下ろしていた理事長と目が合ってしまった。にこりと浮かべた笑顔は正直――身震いがした。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「どうしてこうなったのよ!」

 

 馴染みのハンバーガーショップに集まるなり、にこは一言。

 皆、相当に参っていたのもあり、理事長に怒られた責任の擦り付け合いが始まってしまった。とうとう思穂が恐れていた事が起きた。奇抜すぎるアイディアは良いのだが、そんなものは第一印象の“インパクト”を強烈にするだけに過ぎない。

 

「思穂! 黙ってないで何か言いなさいよ!」

「ほわっちゃ! 私?」

「ええ、一歩下がった位置から見た思穂の意見を聞きたいわね」

 

 にこだけではなく、絵里にも促されたので、思穂は遠慮なく言わせてもらうことにした。正直、これ以上壁に当たり続けても練習時間や衣装を作る時間が勿体ない。

 

「私はさ、このままで良いと思うんだけどなぁ」

 

 ずっと抱いていた意見をとうとうぶつけられた少しばかり思穂は胸のつっかえが取れたような気がした。蓋が外れた思穂はとつとつと語り始める。

 

「この間の予選もそうなんだけど、あの時は全力で目の前のライブをこなしたからこその結果だったし、今度もそう出来たら怖いものは無いと思うんだよね。下手に変わって、この九人だからこそ出せる奇跡のバランスを崩すっていう選択肢はちょっと……ね」

 

 その言葉に思い当たる節が沢山あるようで、皆が顔を伏せてしまった。

 言いたいことは言った。あとは皆がどう思うか、これに尽きる。

 

「私も……皆が着て、似合う衣装が良いなと思うんだ。だからあまりインパクトは……」

 

 衣装担当であることりも思穂と似たような意見だった。インパクトはもちろん大事だが、それ以上にやはり『これが穂乃果ちゃん達の衣装』と胸を張って言えるような衣裳を作りたかったのだ。

 そこでこの話は一旦打ち切りになり、今日は帰ることになった。

 

「どうしたの、穂乃果ちゃん?」

 

 店から出ると、穂乃果が立ち止まり、皆の背中をジッと眺めていた。

 

「さっきの思穂ちゃんの言葉をね、色々考えてみたんだ」

 

 皆を見ながら、穂乃果は続ける。

 

「A-RISEがすごいから、私達も何とか新しくなろうと頑張って来たけど……多分、私達は今のままが一番良いんだよ。だって――皆、個性的なんだもん!」

 

 時間を掛けてお互いの事を分かって、受け入れて、それで今の自分達がある――と、穂乃果はそう続けた。

 その言葉を受け、行き着くところに行き着いたと、思穂はそんな手ごたえを感じていた。

 穂乃果の言葉の体現者は紛れも無く片桐思穂自身である。自分の殻に閉じこもってもなお、皆はその殻を割って自分を救い上げてくれたのだ。そんな思穂だからこそ、このμ'sの尊さをよく理解していた。

 

「そんなμ'sが――私は好き!」

「私も! いつまでもさ、そんなμ'sで居て欲しいんだよね私は!」

 

 確かに変わることは大事なのだ。現に思穂も変われた一人である。しかし、『変わらない勇気』もそれと同じくらい大事なのだ。

 そしてそれはそのままA-RISEの喉元へ突き立てる刃とも成り得て。

 ハロウィンイベントはもうすぐそこまでやって来ていた。

 いつまでもμ'sはμ'sのままで。慌ただしく、だが手探りでたどり着いた先は何て事のないからこそ、儚く大事なものなのだ――。



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第十五話 受け継がれたモノに対する“心構え”

「なるほど……だから穂乃果ちゃんと花陽ちゃんはジャージ姿なんだね」

 

 納得したように思穂が頷いた。

 そろそろ予算会議の時期なので練習には顔を出さず、文化研究部の部室で予算申請書を作成していたので、久し振りにμ'sの方へ顔を出したら、穂乃果と花陽が顔に汗びっしりで運動していたので困惑してしまったのだ。

 海未から事情を聞き、やはり最近二人とも“ふっくら”としてきたのは見間違いでなかったと確信した。

 この間のハロウィンイベントの動画がネットに上げられており、『A-RISEに強力なライバル出現!』などという評価がバンバン上がってきていたのだ。皆もその事は知っていたようで、実に士気が高まっていた。やはり、自分達のスタイルを貫いて良かったという何よりの証拠だ。

 ……その矢先にこれである。

 

「まあ、あれだけ何かを食べたら必然、そうなるよね」

「……思穂はあまり食べないわよね」

 

 真姫が思穂の頭から爪先を見下ろした。たまに昼食風景を見かけることがあるが、その代替はシソの葉だったりする。むしろ栄養失調にならないのかと不安になるレベルであった。

 

「ま、まあ……趣味の為ならばね」

「ちゃんと食べなさいよ? それで倒れでもしたら笑えないんだからね?」

「おぉ……真姫ちゃんから珍しく心配されたぞ……! これは今日一日分の幸せを使い切ったのかもしれない!」

「べ、別に心配してないわよ! ただ思穂はμ'sのマネージャーだから変な噂でも立ったら嫌なだけよ!」

「うんうん! それでも良いよ! ありがとう真姫ちゃん!」

 

 花陽はともかく、穂乃果の一日はダイエットだけでは終わらない。練習を終え、ダイエットメニューをこなしたら次に待っているのは生徒会業務であった。

 ジャージ姿のまま穂乃果は、海未やことり、そして思穂と共にたまった書類等を処理していく。

 

「おお~流石、皆早いねぇ……」

「思穂も一人で仕上げて来るとは流石ですね」

 

 既に予算申請を出している部はかなりあり、海未がメインでソレを纏めていた。思穂も海未へ申請を渡すと、早速雑件の処理を始めた。あくまで思穂はお手伝いなのだ。重要な仕事に手を付けたことは一切ない。

 

「失礼します。美術部です! 急いだ方が良いと思って直接予算申請書を持ってきました!」

「ありがとうございます。今、内容を確認しますね」

 

 そう言って、海未はすぐに書類を見て、不備がない事を確認すると、それを受理した。

 じゃあお願いします、と一礼し、美術部は生徒会室を後にした。

 

「いやぁ真面目だねぇ……あれは日頃ゲームとかしていないタイプだね」

「思穂の基準で比べないでください。まあ、良いです。これで申請書を貰っていない部はあと僅かですね。はい、ことり」

「うんっ!」

「よーし、ノルマ終了! じゃ、私は今日はちょっと早めに帰らせてもらうね! 今日は何と言ったって、私が注目しているアニソン歌手ユニットのライブDVDの発売日だからさ!」

「ええ、分かりました。今日もありがとうございました思穂」

「じゃあ明日!」

 

 ――その時、思穂はちゃんと良く見ていれば良かったと、そう振り返る。もちろん急いでいたのもあるし、皆も生徒会業務に慣れてきたということもあった。

 ほんの少しだけ、穂乃果達に気を遣っていれば後々降りかかってくる“厄介事”を避ける事が出来たのかもしれない。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 ――その“厄介事”が発生したのは翌日であった。

 やけに神妙そうな顔をしてやってきた希と絵里に連れられ、思穂は生徒会室へ顔を出すと、そこには落ち込んだ表情をしていた穂乃果達がいた。

 生徒会室へ向かっている間に軽く絵里と希から説明があり、それを聞いた思穂はなるほどと、表情を引き締める。

 今回の“楽しい”お話とは、『予算会議前に予算が通った』ことである。

 

「――いやはや……これは面倒な事になったというか何というか」

「ごめんなさいね思穂、来てもらって。思穂も居てくれた方が心強いから」

「気にしないでよ絵里ちゃん。私もまがりなりにも生徒会業務経験者だし、何かアドバイス出来る事はあると思うからね」

 

 今しがた美術部に話をしに行って帰ってきたという穂乃果達の話を聞き、状況を理解した思穂は顔半分を左手で覆った。

 要はこういうことである。ことりがあの時、海未から受け取った美術部の予算申請書をそのまま承認箱に入れてしまったので、ストレートに予算が承認されてしまったのだと言う。

 正直、学校側の経理担当は一体何を見ていたのかと追及もしたくなるが、そんなことをするぐらいならもっと他にやることがあった。

 

「すみませんでした」

「注意はしていたつもりだったのですが……」

「海未ちゃんが悪い訳じゃないよっ!」

 

 穂乃果と海未、そしてことりがそれぞれ責任を被ろうと言い合い始めたが、思穂は手を二度ほど打ち鳴らすことでソレを遮った。

 

「まあまあ。その被り合いは一段落着いたらやろっ? それよりも予算よさ~ん! 楽しい対策会議の時間だよー!」

「思穂、こんな時に――」

「こんな時だからさ、海未ちゃん。しかめっ面してスムーズに行くならともかく、気持ち切り替えていかないと正常な判断は絶対に出来ないよ? 私は断言できるね」

 

 ミスを引きずり、気持ちが落ち込むことでリカバリーが速く出来るならぜひ推奨したいが、生憎と現実はそうではない。気持ちが落ち込むことで思考する速度が鈍り、それはそのまま素早く正確な判断が出来ない要因にもなるのだ。

 これは思穂なりの叱咤。生徒達の上に立つ者ならばまずその生徒の事を優先させろ、という。

 絵里と希も同意のようでそれに頷くと、絵里が一つ提案を出した。

 

「三年生に美術部OGの知り合いがいるから、私からちょっと話してみるわ」

「そうやね。元生徒会長の言う事だったら協力してくれるかもしれないしね」

「それは駄目」

 

 思穂の一言に、絵里と希だけでは無く、穂乃果達も顔を向けた。手近にあった書類を何気なしに持ちながら思穂は続ける。

 

「これは新生徒会に移行して初めての大きなミスだよ? 今、絵里ちゃん達が協力して丸く収めてしまえば穂乃果ちゃん達はもうミスに対しての“心構え”が持てなくなっちゃう。絵里ちゃん達が本当に新しい生徒会を信じているのなら、ここは黙って見守ってくれると嬉しいな」

 

 その言葉に絵里は息を呑んだ。そこには既にいつもへらへらしている思穂はなかったのだから。

 思穂は思穂で、心を冷たい鋼のように変えていた。生徒会に本当の意味で関わっていない自分がこのような発言をするのは分不相応。それがこんなミスならば尚更だ。

 ――しかし、穂乃果はそんな思穂と全く同じ考えを抱いてくれていたようで。

 

「私も――思穂ちゃんの言うとおりだと思う。私達で何とかしなきゃ駄目だと思う。……自分達のミスだもん。自分達で何とかするよ。だって――」

 

 ――今の生徒会は私達がやっているんだから。

 この言葉を聞けた思穂に、もうこれ以上の言葉は要らなかった。あとは、やるだけ。

 穂乃果と、そして思穂の考えを真正面からぶつけられた絵里と希の反応は決まった。それはとても厳しく、そして新生徒会を心から信じているからこそ下せた判断である。

 

「よーし。じゃあ穂乃果ちゃん達、早速――」

「――思穂ちゃんも」

「え?」

「思穂ちゃんも、ここは私達にやらせてもらえないかな?」

 

 思穂は目を丸くするも、その発言の意味を理解し、あえて聞いた。

 

「良いの? 自惚れるつもりはないけど、私も手伝えばすぐに終わるよ?」

「うん、だからここは私達を信じてくれないかな? 思穂ちゃんに手伝ってもらっちゃったら、何だか全部思穂ちゃんに任せちゃいそうだしね」

 

 テヘへ、と舌を出す穂乃果。その顔には申し訳なさと、覚悟の色に染まっていた。

 その言葉を受け、絵里が両腕を組んだ。

 

「それもあるけど……思穂は文化研究部の部長でもあるから、下手に首を突っ込めば他の部から何か言われるかもしれないわね……」

「あ、バレた? それ覚悟でやろうと思ったのに」

 

 実はその通りである。最近こそ目立った活動はしていないが思穂は文化研究部の部長でもある。つまりそれは思穂も予算を申請する側でもあるのだ。

 だが、それ自体は特に何も気にしていない思穂である。何故なら思穂には奥の手があるのだ。第一記載した内容は作ったゲームを保存しておくCDなどの消耗品費のみ。

 他に欲しいものは全部『S会計』から捻出している。絵里達旧生徒会はおろか、穂乃果達新生徒会も、ましてや教師陣にも知られることはないであろう隠し会計。

 それを活用すれば例え予算を八割カットされてもやっていけるので何も恐れることはない思穂だからこそ平然と面倒事に首を突っ込んでいけるのだ。

 

「だったら尚更駄目だよ! 思穂ちゃんが何か言われたら私達も辛いよ……」

「そうですよ思穂? 今更思穂が泥をかぶることはありませんここは私達に任せてください」

「でも、本当に駄目そうだったら協力してねっ?」

 

 穂乃果、海未、そしてことりの決意表明を真っ向から聞いてしまったら、もう思穂には“無理やり手伝う”という選択肢は消えてしまった。

 ふっと、小さく息を漏らし、思穂は鞄を掴んだ。

 

「よーし、なら三人を信じた! なら私は予算会議で何かあったら援護してあげるから!」

 

 絵里と希に付いて、生徒会室を後にすると、二人に誘われ、パフェを食べに行くことになった思穂。

 早速、店に着き、それぞれ食べたいものを注文すると、希から口を開いた。

 

「てっきり思穂ちゃんなら無理やり手伝うかと思った」

「私もそのつもりだったんだけどね」

「ならどうして?」

 

 絵里の問いを受け、思穂は顎に手をやった。

 

「『一人でやるより、皆でやった方が面白い』、これは親戚のお兄ちゃんが通っている学校の生徒会長さんの言葉なんだけどね」

「一人でやるより?」

「うん。前にも言ったけど、私は確かに一人で何でも出来るかもしれないし、穂乃果ちゃん達の面倒を全て引き受ける事も可能だよ? でもそれは優しさじゃない、他の人達を信じていないことに繋がっちゃう」

「確かそれが原因で思穂ちゃんは……」

「そうそう。多分、ここで穂乃果ちゃん達の意志を無視して手伝ったらまた同じことの繰り返しだと思うんだ」

 

 穂乃果達は思穂に“任せて”と言ったのだ。ならばその意思を尊重しない道理はない。だからこそ、思穂に出来る事はたった一つ。

 

「だからまあ……私は、本当にいざとなったら出ていくことにするよ!」

 

 それくらいが思穂に出来る最高の援護なのだ。

 

「おおっと、パフェが来たね! 食べようよ!」

 

 思えば希と絵里との三人でこうして何かを食べに来たことはない。その事に気づけた思穂は、少しだけいつもよりゆっくりとパフェを味わうことにした――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

(さて、お手並み拝見だ)

 

 思穂の入室により、ようやく各部の代表が揃った。奥に座っていた穂乃果と目があった。交わす言葉に音は要らない。ただ、頷き合うだけで良かった。

 今日はついに予算会議の日であった。美術部代表へちらりと視線をやると、不機嫌そうな表情を浮かべていた。

 

「あれ? そこのちっこいのはどちらの矢澤先輩ですか?」

「ぶん殴るわよあんた? 私はアイドル研究部部長で来てんのよ」

「まあ分かってたけどね」

「後で覚えてなさいよ……!」

 

 時計が定刻に差し掛かった所で、穂乃果が発声した。

 

「では、各部の代表も揃ったようなので、予算会議を始めたいと思います。まずは私から――」

「はい。その前にまず、美術部の件について説明してもらえませんか?」

 

 当然、まずは美術部の代表からそう来るのは確定的で。出鼻をくじかれたか、そう思っていた思穂は次の穂乃果の発言でそれが杞憂だったと思い知る。

 

「――無い袖は振れません!」

「……ぷっ」

 

 思わず笑ってしまった。どう考えても予算会議前に予算を通すなんて馬鹿な話はないので、取り消しを言い切るしかないのだが、ここまで直球勝負とは思わなかったのだ。

 穂乃果は更に続けた。自分達のミスを包み隠さず喋り、そして尚且つ謝罪と承認の取り消しを求める。そして学校の状態を丁寧に説明する。

 

「そこで、勝手ながら生徒会で予算案を作成させてもらいました」

 

 穂乃果がことりと海未に目くばせをすると、ことりが席を立ち、生徒会作成の予算案を各部の代表へ配り始める。思穂の方にも予算案が来たので眺めてみると、思わず溜め息を漏らした。

 はっきり言って要求額は百パーセント満たせてはいなかったが、それでも希望の八割は満たせている。

 口々に聞こえる代表たちの呟き。大なり小なり、そのどれもが生徒会を評価するもので。それはそのまま流れが生徒会に向いたことを意味した。

 皆に行き渡ったのを見計らい、海未が説明を始めた。

 

「各部去年の予算と、本年度提出されている希望額から暫定で振り分けてみました」

 

 時間にして一分ほどの手短な説明の後、各部全ての希望額の八割は確保している事を宣言した。それに続き、穂乃果が口を開く。

 

「この予算案であれば、各部の今年度の活動に支障をきたさないと考えます。来年度、生徒が増えることを信じ――ご理解いただければと思います」

 

 そして、三人は席を立った。

 

「生徒会として、精一杯考えました!」

「至らぬところもあると思いますが」

「どうか、お願いします!」

 

 頭を下げる穂乃果達。だが、各部の代表は未だ何の反応も見せなかった。やはり八割を確保したとはいえ、満足な額では無いのも確かだからだ。

 賛成も反対も渋っている皆を見て、思穂はゆっくりと席を立ちあがった。

 

「どうかな皆? この学校の事と、そして皆の事を考えに考え抜いた良い案だと思うんだけど」

 

 言いながら、思穂は美術部代表へ視線をやる。

 

「例えばそこの美術部代表さん。去年の決算を考えたら、無駄に消耗品を買わなかったら全然余裕な額じゃん!」

「で、でも……これじゃ皆が不満を……。そ、それに片桐さんは去年の決算知ってるの!?」

「……海未ちゃん、手元に去年の決算書あるでしょ?」

「え、ええ……」

 

 そして思穂は去年の美術部の決算を口にする。科目や金額など一円単位で正確に覚えている思穂にとって、これほど楽な作業はない。

 

「か、完全に合っていますね」

 

 頷いた思穂は、各部に配られた生徒会作成の予算案に目を通した上で、言い切った。

 

「全ての部の決算と予算申請額を把握している私が断言するけど、これが多分黄金比だと思うよ。このバランスを更に弄ろうとすると、多分どこかかしらが八割にすら満たなくなってしまうよ?」

 

 思穂は別に美術部に口で勝ちたいわけじゃない。ただ、納得してほしいのだ。だからこそ、可能性も提示できる。思穂は自分の席に置いていた資料を一束美術部代表に手渡した。

 

「例えばこんな補助金制度があるんだよ。ちょっと条件は厳しいかもだけど、顧問の先生に相談して申請してもらえればもしかしたら補助金がもらえるかもしれないよ?」

「……こ、これわざわざ調べたの……?」

「当然! 何たって私はマネージャーだしね!」

 

 そう言いながら、思穂は皆を見渡し、両手を広げた。

 

「どうかな皆? さっきも言ったけど、この予算案は本当に良く出来ていると思う! だけど、それでもやりたいことがあるけど、部費が足りないって人がいたらいくらでも私の所に来てよ! 私がサポートするからさ!」

 

 顔を見合わせる各部の代表、その表情に後ろ向きな感情は見受けられず、次に出る言葉を自ずと予想させる。

 思穂はちらりと、穂乃果達に目をやり、軽くウィンクをする。

 

「ふぅ……。この予算案に賛成の人~?」

 

 言いながら、にこが手をあげた。人間、誰かの後に意見を出したいと考える生き物で、にこが明確に賛成の意を表明すると、それにつられるように手を挙げ始める各部の代表。その挙げた手には美術部の代表も含まれていて。

 結果は――決まったのだ。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「それで予算通っちゃったのぉ!?」

 

 夕方。予算会議と言う名の死闘を終え、思穂達は皆と中庭で合流し、報告を終えた。

 花陽が驚いた後に、穂乃果が心底ほっとしたようにため息を吐いた。

 

「ほんっと~に良かったよぉ!」

「思穂、本当にありがとうございました。思穂がフォローしてくれなかったら今頃は……」

「いやいや~! 日頃の行いが良かったからだよーほんと。で、結果的にその結果に辿りつけたのは穂乃果ちゃん達のおかげでもあるし」

 

 中学校の時に変われ、そして音ノ木坂学院で日々を全力で生きて来れたからこそ、あの結果に転がったのだ。それを自分のお陰と自惚れる思穂ではない。キッカケは全て穂乃果達三人だ。

 

「とまあ、これで穂乃果ちゃんのダイエット生活が――」

「あ、その事なんだけどね! さっき計ったら戻ってたの!」

 

 生徒会業務に没頭していたら食べることを忘れ、いつの間にか体重が戻っていたのだと言う。何とも都合のいい話であったのは流石高坂穂乃果といった所だろう。

 遠巻きに見守っている絵里と希の方へ歩いて行き、思穂は親指で穂乃果達を指さした。ランチパックを片手に、海未に追いかけ回されている最中なので、何とも締まらないが、それでも思穂は言った。

 

「どう? 穂乃果ちゃん達も何とかなるもんでしょ?」

「ええ。これで安心したわ」

「生徒会、大丈夫そうやね。これも思穂ちゃんがいたお陰?」

「ううん。これが穂乃果ちゃん達の底力だよ!」

「……そっか」

 

 心底満足げに頷き、希は夕空をふっと見上げた。その横顔が何故か切なそうで。

 今、声を掛けたら希がどこかへ行ってしまいそうな気がして。思穂はただその横顔を見つめる事しか出来なかった――。



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第十六話 繋いで紡いだモノ

「――新曲?」

「そう、新曲よ!!」

 

 ラブライブの最終予選に向けて、μ'sにはそんな気運が高まっていた。来たるべきA-RISEとの決戦に何を歌うか。切り出したのは絵里からだった。

 

「歌える曲は一曲だから、大事に決めたいわね」

「あーなるほど、それで新曲……か。予選でも新曲のみ! って厳しい条件だったし、ここでも新曲でやると中々インパクトがあると思うかも!」

 

 事情を理解した思穂は“新曲を作る”という選択肢を推すことにした。控え目に見ても、これだけポンポンと新曲を作れるグループはそうはない。これは確実に大きな武器となるし、また、この九人の表現力を考えるならばもっと色々なジャンルに手を出せるはずである。

 ――そんな時、希が口にした言葉でμ'sの流れが変わった。

 

「例えばやけど……このメンバーでラブソングを歌ってみたらどうやろ?」

 

 ――ラブソング。その言葉にいち早く反応したのは花陽であった。そして始まる花陽の演説。久しぶりに見た花陽の“熱さ”に少しばかり面食らいながらも思穂はうんうんと相槌を打つ。

 ひとしきり花陽が語ったところで、穂乃果が首をかしげた。その浮かんだ疑問符の内容は、恐らく思穂と同じ意見だろう。

 

「そういえば……どうして、今までラブソングは無かったんだろう?」

「それは~……」

 

 ことりの視線がとある人物へ向いた。作詞、作曲、振り付け。曲を作るにはこの三つの要素が欠かせない。その中の一つが致命的に欠如していたのだ。

 思穂は何気なしに呟いた。

 

「作詞って重要だよね」

「……私ですか!?」

 

 海未は海未で自覚が無かったようで、その驚きは思穂の目から見て笑いを漏らしてしまうレベルであった。そんな海未へ希がほんの少しだけからかったように言う。

 

「だって海未ちゃん、恋愛経験ないんやろ?」

 

 まさにそれであった。ラブソングとは恋愛の歌。何はともあれ歌詞は恋をする者の目線に立って書かなければラブソング足りえない。

 ――そんないじらしい経験、海未にはあるはずがなく。

 

「な、なんで決めつけるのですか!?」

「あるの!?」

「あるのっ!?」

「ほわっちゃー!?」

 

 穂乃果、ことり、そして思穂も海未を囲い込んだ。彼女の答え次第では思穂は全力を尽くさなければならない。あの園田海未に恋愛経験があるということはつまり、片桐思穂がゲームを一時間しかやらないというくらい有り得なくて。

 三人が海未を問い詰め、更に他のメンバーも海未を問い詰めだした頃。先に折れたのは海未であった。がっくりと膝をつき、目じりにはうっすらと涙を浮かべて、実に悔しげに認めた。

 

「――ありません」

 

 海未の言葉にホッと一息を吐く一同。皆も似た様なものではないか、と自分含めそう思いながらも思穂はそっと海未の側にしゃがみ込み、肩に手を置いた。穂乃果は逆側にしゃがみ込んでいた。

 

「まあ生きていれば良い事あるよ」

「し、思穂も穂乃果も何なんですか!? 大体、皆も同じでしょう!!」

「ぎゃ、ギャルゲーでキュンキュンはしているんだけど……な!」

「……にしても、今から新曲なんて無理じゃない?」

 

 決して真姫が意地悪を言っているのではないと言う事は皆分かっていた。現実的な思考でモノを言える真姫がそう言うということは割とその提案に懐疑的な感情を抱いているのだろう。

 普通ならばそのままお流れになるか、それに近い雰囲気になる空気。その空気を切り裂いたのは意外にも絵里であった。

 

「でも、諦めるのはまだ早いんじゃない?」

 

 思穂は思わず絵里を見てしまった。むしろ絵里ならば真姫の言うとおりだと肯定する方だと思っていただけに、その発言は本気で意外であった。

 ――何かある。そう察した思穂はとりあえず絵里の発言を後押しすることを選択した。

 

「そうだよ! 作詞は妄想だよ! 海未ちゃん得意でしょもうそっ!? 痛っ!!」

 

 全てを言う前に海未からの鉄拳制裁を頭のてっぺんにもらっていた。細身の腕からは信じられない程の痛み。トンカチで思い切り殴りつけられたような感覚である。

 

「し……思穂がいけないんです!」

「最近海未ちゃん段々攻撃が鋭くなっているよね……」

「でも妄想って言っても海未ちゃんだけだったら限界があるんじゃないかにゃ?」

 

 良く聞けば相当酷いことを言っているが、凛の愛嬌がそれを見事に打ち消していた。言っている人間が人間なら拳を交えての死闘を繰り広げていただろう。

 しかし、このまま手をこまねいていても時間を無駄にするだけ。その膠着状態から脱却するべく、皆は話し合いをし、一つの策を打ち出した。。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「――好きだ! 愛してる! ……あ~ん! こんなんじゃないよね~!」

 

 部屋で穂乃果の棒読み感がだいぶ来ている“台詞”を聞きながら、思穂は“資料”をいくつか漁っていた。今現在、μ'sメンバーは思穂の家に来ていた。ここならばいくら騒いでも誰にも迷惑にならない。

 そんな空間で、今皆は恋愛の何たるかを知るための勉強会を開始していた。ひとまず穂乃果が思いつきで告白の演技をしてみることにしたらしい。結果はご覧の通り、全く参考にならない。

 

「ラブソングは結局好きって気持ちをどう表現するか、だから素直な穂乃果にはちょっとね……」

「だったら恋愛映画でも見てみない?」

「お、ことりちゃんナイスアイディア! ……の前に、手刀!」

「ラブアロッ!?」

 

 後々の展開が見えていた思穂は、すぐさま海未を気絶させ、椅子に座らせ、グルグルと縄で身体を固定する。その異様な光景につい花陽が何でそんなことをするのか聞いてしまった。

 

「これ? 多分、海未ちゃん絶対そういうシーンあったらテレビ消そうとするからね~あっはっはっ」

「最近思穂ちゃんが暴力に訴え過ぎな気がするにゃ」

 

 聞き流しつつ、思穂は準備を終え、ことりが持ってきた恋愛映画を再生した。内容は良くあるものだった。

 だが、感動するものは感動するので、皆は既にハンカチをしっかり握りしめていた。

 

「はっ……!? 私は、何を……? ってこれは何ですかー!? 思穂ー!! 貴方ですねー!?」

 

 海未が目覚め、バタバタと手足を動かすもロープワークの達人たる思穂が本気で結べば彼女でも解くのは容易では無い。

 

「あ、海未ちゃんシーっ!! 今、良いとこだから!」

「良いとこ……? はっ!」

 

 そう、恋愛映画と言えばラブでキュンなシーンである。そしてそれは現在流れているこの映画にも当てはまるところで。

 今は男と女が向き合っているシーンである。互いが顔に熱を帯び、女の方はそっと目を閉じた。男はそれを見ると、徐々に顔を近づけていく。

 

「ひ……ひぃ~……!!」

 

 その光景をまざまざと見せつけられていた海未の顔がもう発火するのではないかというレベルで赤くなり、目も焦点が合ってない。

 皆は皆でそのシーンに黄色い声を上げており、心もとなそうに肩を寄せ合っている。穂乃果と凛に至っては完全に熟睡してしまっているが、思穂にはこの純粋な二人を起こす覚悟は無かった。

 そうしている間にもとうとうそのシーンが終わり、皆がドギマギとしているのを尻目に、思穂は海未の方へ視線をやった。さっきから一言も喋っていないのだ。もしかしたら怒りに打ち震えているのかもしれない。

 だが、とっくの昔に気絶している海未を見て、ある意味ホッとしたのは未来永劫誰にも話すことはないだろう――。

 

「――もう諦めた方が良いんじゃない!?」

 

 中々上手くいかない現状に絵里がもう一度案を考えてみようと提案した話題に対しての真姫の反応である。真姫は言った。これ以上は時間が勿体ないと。振り付けも作曲も諸々、このままだとただ完成度が低くなるばかりだと。

 その言葉に海未も同調した。ラブソングにも頼らなくても自分達には自分達の歌があると。

 

「で、でも――」

「確かに皆の言う通りや。今までの曲に全力を注いで頑張ろっ!」

「でも希……」

「ええんや。一番大切なのはμ'sやろ?」

 

 違和感を――覚えた。これを見逃すのは何故だかとてもいけないことのような気がして。以前のことりの一件に通ずるような感覚を受けた思穂は誰にも気づかれない様に表情を引き締めていた。

 そんなやり取りがあった後、すぐにこの作戦会議はお開きとなった。

 希と絵里が並んで帰っていくのを眺めていた思穂はほんの少しためらないながらも、一歩前へ出た。

 

「希ちゃん、絵里ちゃん!」

「ん? どうしたん思穂ちゃん?」

「今日、さ。一緒に帰っても良い? ……じゃ、ないね」

 

 首を振って、思穂は言葉を引っ込めた。そんな遠回りな言葉、思穂には似合わない。やるなら直球勝負。

 

「そろそろ、隠さないで話してくれると嬉しいだけどな」

 

 あの合宿の早朝。砂浜で結成したのだ『めんどくさい同盟』を。そして、それにはもう一人含まれていて。思穂は後ろを向かずにその者の名を呼んだ。

 

「ね、真姫ちゃんもそう思わない?」

「……何で、分かったのよ」

「勘って奴だね。それはともかく、真姫ちゃんも言いたい事、あるんでしょ?」

 

 そう思穂に促された真姫は、一度頷き、希の方を向いた。

 

「前に私に言ったわよね? めんどくさい人間って。――自分の方がよっぽどめんどくさいじゃない!」

 

 一刀両断であった。それと同時に、真姫が今回の件で相当に本気だと言うことが今の一言で窺えた。これほど真っ直ぐに相手と向き合おうとする真姫の真剣な表情を見て、隣に立っていた絵里が肩をすくめた。

 

「気が合うわね。同意見よ」

「エリチ……」

「ねえ希、ちょっと家へお邪魔して良いかしら?」

 

 思穂が、真姫が、絵里が、希から拒否権を奪う。これ以上はもう逃がさないと、そういう意思が込められた目である。

 その視線たちを一身に受け、希はとうとう――観念した。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「はろー希ちゃんの家」

 

 希の後に続いて、絵里と真姫、そして思穂が奥へ入った。一人暮らしの割にはこまめに掃除をしているようで、どこを見ても埃一つ見当たらない。

 早速希がお茶を入れるための湯を沸かし始めた。

 その後ろ姿へ真姫は問いかけた。

 

「一人暮らし……なの?」

「うん」

 

 そう前置き、希は語り始めた。以前、二人で買い物に行ったときに少しだけしか聞いていなかったので、思穂も彼女の言葉に耳を澄ませる。

 ――東條希とはずっと一人ぼっちだったのだ。

 小学生のころから両親の仕事の都合で転校ばかりで友達がいなかった希。最初は頑張った。精一杯仲良くして、それでどこの学校に行っても友達が出来るんだという自信を付けたかった。だけど――その意志の強さは年相応にか弱かった。

 いつももう少し、という所で転校が決まって友達に“なりかけ”の子達に何となく見送られる日々。子供心ながらに希は疲れてしまっていたのだ。――そして傷ついていた。

 こんな思いをするなら、友達なんていらない。むしろ、その思いすら摩耗していった。道路に引きずられる土袋のように、引きずれば引きずる程、中の土が零れ、そして軽くなっていく。そう、東條希は擦り切れて行ったのだ。

 

「そこで出会ったのがエリちなんよ」

 

 分かり合える相手なんて夢想するだけ時間の無駄。そんな時に出会えたのだ。

 自分を大切にするあまり、周りと距離を置いて、上手く溶け込めない。――自分にズルが出来ない。まるで自分と同じような人に。思いは人一倍強く、不器用な分、周りとぶつかる。そんな相手に。

 

「その後は色んな子に出会えたんよ」

 

 同じ思いを持つ人がいるのにどうしても手を取り合えなくて、真姫のように熱い思いを持て余す子がいたり、どうつながっていいのかが分からない。そんな子達が沢山。そんな時、現れたのだ。――大きな力で繋いでくれる存在が。

 残したかったのだ。思いを同じくする者がいて、繋げてくれる者がいる。必ず形にしたかったのだ。

 

「そして思穂ちゃんにも出会えた」

「私も……?」

「うん。初めて見た時はウチと真逆の子やと思ってた。やけど、色々思穂ちゃんと触れ合ってきて、実はウチと似ているんだってことに気づけた。そんな思穂ちゃんに、このμ'sを更に輝かせてもらいたかったの」

 

 そこで、絵里が言った。心底呆れたように、心底優しく。

 

「そんな希の夢だったのよ。九人皆で曲を作りたいって。ラブソングが作りたいんじゃないの。一人一人の言葉を紡いで、想いを紡いで、全員で作り上げた曲、そんな曲でラブライブに出たい。それが――」

「――そうか、だから希ちゃんと絵里ちゃんは……」

「ええ。上手く、行かなかったけどね」

「……夢なんて大それたものやないの。ただ……曲じゃなくても良い、十人が集まって力を合わせて何かを生み出さればそれでよかったんよ。だって――」

 

 この十人は奇跡で、一番の夢はとっくに――。

 

「……だからこの話はお終い。それでええやろ?」

「……っはあぁ」

 

 思わず思穂は大きくため息をついてしまった。ついシミ一つ無い真っ白な天井を見上げて、というオマケつき。正直、思穂は少しばかり怒っていた。どうしてこんなことを今まで黙っていたのだろうか。

 ブーメランだ、とは自覚しているがそれでも言わざるを得ない。達観した精神と、年相応の心。これが奇跡的なバランスで積み上がったのが東條希と言う人間の本質なのだ。

 

(――ああ、そうだよね。こんな表情を見せられて奇跡を体感させない訳には――いかないよね)

 

 その奇跡は既に思穂自身が体感しているところである。なれば、その奇跡を紡ぐのも思穂以外に他ならない。

 それにはたった今、目が合い、微笑み合った絵里と真姫の協力も絶対必要であり。

 

「さーこの話をオシマイにしたい人は手を挙げてー」

 

 互いが互いに含み笑いを投げかける。それでもう回答は示された。あとのやることは決まっている。

 それぞれ何も言うでもなく携帯を取り出すと、希がぎょっとした。これから三人がやろうとしていることを察したようなそんな表情だ。

「まさか、皆をここに集めるの?」

「え、他に何をすると思ったのさ希ちゃん!」

「良いでしょ。一度くらい皆を招待しても。――友達、なんだから」

 

 

 珍しく素直なその真姫の微笑に思穂は少しばかりほっこりしてしまったのはここだけの秘密――。

 

「ええ!? やっぱり作るの!?」

「もち! 私達にはやっぱりラブソングしかありえないよ!」

「思穂の言う通りよ。皆で作るのよ」

 

 これはちょっとしたプレゼントなのだ。μ'sからμ'sを作ってくれた女神様へ。真姫と絵里と、そして思穂はその方法を説明した。

 

「皆で言葉を出し合って……かぁ」

「まあ、一人一単語ならすんなり行くでしょって感じだね!」

 

 すると、花陽が何かに気づいたようだ。思穂もそちらの方へ向くと、丁度それが見えた。皆で映っている集合写真だ。皆、とても楽しそうな表情で写真に収まっていた。

 だが、希によって写真が一瞬で掠め取られ、胸に抱えられた。それを見たにこがからかった。

 

「そういうの飾ってるなんて意外ね」

「べ、別にいいでしょっ。……友達、なんやから」

 

 ドッキュンと、それはハートのど真ん中を希に射抜かれてしまった。ほんの少しだけ頬を朱に染めながら言うのだから更に思穂はトキメいてしまった。

 それは思穂だけの感想ではなく。皆もその希の愛らしさについ飛びついてしまっていた。

 

「もう! 笑わないでよ!」

「おお~希ちゃんの珍しい標準語だぁー!!!」

「し、思穂ちゃんうるさい!!」

 

 あまりにも唐突な事態だったので、希がつい“標準語”を使ったという超激レアな瞬間。脊髄反射で携帯の録音機能を起動していた思穂は有能と自信を褒め称えた。

 次の瞬間、穂乃果が何かに気づいたようで外を指さした。

 

「あ! 見てー!! 雪だー!」

 

 外に出ると、そこは粉雪が舞い落ちていた。初雪だ。それはまるで天が示し合せたかのように、彼女達を待っていたようにも見える。

 皆が輪になっている所を思穂が遠巻きに見つめる。別に遠慮とかそう言う水臭いものではない。ただ――それが一番絵になるからだ。

 そんな九人の元に雪が一欠け舞い落ちる。すると、穂乃果達の口からまるで心の奥底から引っ張り出されたように、己の深層に眠っていたであろう言葉が形になる。

 

 ――『想い』、『メロディ』、『予感』、『不思議』、『未来』、『ときめき』、『空』、『気持ち』、そして『好き』。

 

 九人が雪と月明かりに照らされてキラキラと輝いていた。その光はどこまでも思穂の目に眩しく焼き付き、九人の残影がまぶたの裏にこびり付く。そんな九人を見て、思穂も自ずと言葉が出ていた。

 個々の持つ光を一つの束にし、更なる大きな光へと変わっていく様を端的に、そして己の語彙力で表現するのならこの言葉しかなかった。

 

「――Halation」

 

 写真の像で、強い光の当たった部分の周囲が白くぼやける現象、異なる表現をするのなら光暈。思穂は心底眩しそうに目を細めた。

 ああ、彼女達は何て眩しいのだ、眩しくて――眩暈を起こしそうだった。 



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第十七話 心、そして音楽

「う~ん……たまにゲームをせずに早く寝るとこうだもんなぁ」

 

 実に目覚めが良かった、良すぎた。

 何せ――今日はラブライブ最終予選。気合いが入って思わず目覚めてしまうのも必然と言えた。そしてもう一つ、学校説明会という大事なイベントがあった。

 

「思穂ちゃーん!!」

「あ、穂乃果ちゃん! おっはー!」

 

 窓から外を見下ろすと、穂乃果と海未、そしてことりが手を振っていた。わざわざ迎えに来てくれたことに胸を熱くしながら、思穂は全力で着替えを済ませ、シソの葉を一齧りして、外へ飛び出した。

 三人の間に入れてもらい、しばらく歩き続けると思穂はとりあえず鉄板の話題で仕掛けることにした。

 

「いやぁ寒いねぇ! 海未ちゃんの脚か、ことりちゃんのふくよかな胸であったまりたいきぶ――。痛っ! 海未ちゃん痛いんですけど!」

「私だけならともかくことりまで巻き込むのは止めなさい!」

「アレ思穂ちゃん!? 私は!?」

「穂乃果ちゃん? んー……」

 

 思穂は穂乃果の上から下までねぶるように見やった。そして思穂はゆっくりと首を横に振った。それはもう、手遅れの患者に事実を伝えるような厳かさで。

 

「来世頑張ろっ?」

「ひどい! 海未ちゃん、今思穂ちゃん私に酷いこと言ったよ!?」

「だ、だって……ねぇ? 海未ちゃんのように足が抜群に魅力的でも無ければ、ことりちゃんのようにふくよかでもないし……ねぇ? あ、中途半端に良いとこどりって考えればそれはそれで良いかも!」

「うわぁ~ん!! 今日の挨拶サボりたくなってきたよー!!」

 

 海未にしがみつき、おいおいと咽び泣く穂乃果。だが、思穂は静かに合唱をするだけで済ます。一切の妥協を許さない女、思穂はこと自分に嘘を吐くことなど有り得ない。

 だが、穂乃果にもちゃんと良い所はある。そのお尻だ。慰め程度にお尻を一撫ですると、また海未に一撃貰った。

 

「ったぁ!?」

「だからセクハラを止めなさいって私言いましたよね!?」

「う、海未ちぁゃん……? 暴力は~……」

 

 やはり、そこで仲裁してくれることりは天使。思穂は改めてそう思い、とりあえず万感の思いを込めて頭を下げておいた。ことりの困り顔が最近、とてもグッと来ている。そんな思穂であった。

 

「思穂、事前にお願いしていましたが、今日は――」

「うん。ちゃんと絵里ちゃん達の面倒は見るから!」

 

 思穂は今回、学校説明会の手伝いはしない。それ以上にやるべきことを与えられたから。

 

「それよりもさ、まあ確率は低いと思うけど、今日吹雪くみたいだねー」

「ええっ!? だ、大丈夫かなぁ……?」

「大丈夫だよことりちゃん、だって思穂ちゃんがいるし!」

「ほわっちゃ? 私?」

 

 穂乃果の言葉に海未も同意したかのように頷いた。

 まるでその意味が分からず、思穂が聞き返すと、穂乃果が笑顔と共に言った。

 

「だって思穂ちゃん、私達が困っていると必ず来てくれるからね!」

「……な、ななな!? 何それー!? 意味わかんないよー穂乃果ちゃん!」

 

 その言葉がとても、嬉しくて。思わず顔がニヤケそうになったので、皆から顔を背けて、思穂は赤くなった顔をひた隠す。

 ――だけど、言うことは言っておいた。

 

「約束するよ! 私、穂乃果ちゃん達がどこで困っていても、必ず駆けつけるから! だって私は友達だからね!」

 

 それは誓いの言葉。貧弱な語彙だが、その分強靭な、思穂なりの最上級の“約束”だった――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「――はい、ということでこちらがラブライブ最終予選会場となります」

「こ、ここが……!」

 

 思穂の後に付いて来ていたメンバー達がその会場を目の当たりにし、驚いたのか誰も口を開くことはなかった。

 皆の反応は予測済みだった。というより、自分も最初は目を疑った。何故ならば今まで経験したことの無いほどの大きなステージであったのだ。

 何を隠そう、ここはラブライブ最終予選のステージ。

 雪の結晶を思わせる装飾で構成され、何重にも設置されたアーチ。ところどころに照明が設置されている所を見る辺り、開始時間に点灯した時の美しさは語るまでも無いだろう。

 ――完全に呑まれているか。そう不安に思いながらも思穂はあえておちゃらけた。

 

「いやぁ~気合入るねぇ」

「……ら、ラブライブの最終予選なんだから、気合いが入らない方がおかしいわよ……!」

「にこちゃん足震えてるよー」

「うっさい!」

 

 絵里の方を見てみると、耳に携帯を当てていた。恐らく穂乃果に電話でもしているのだろう。これは事前にしておいた方が呑まれなくて済むかもしれない。

 凄い人の数になりそうだ、と思った。それだけこの最終予選の重要度がハッキリ伝わってきて。

 

「ところで思穂、本当に良いの?」

「うん。穂乃果ちゃん達が大丈夫って言ったんだから大丈夫だよ」

 

 会場の隣にある建物の中を案内しながら、思穂はそう言った。元より手伝うつもりでいたが、穂乃果に『絵里ちゃん達と居てあげて!』と言われてしまっては居ない訳にはいかない。

 既に穂乃果達は自分が手を出さなくても十分に生徒会業務を遂行できている。過度な手出しはもうしないつもりでいる思穂は穂乃果の言葉に甘えた。

 

「――こんにちはμ'sの皆さん、そして思穂」

 

 曲がり角からA-RISEが現れた。にこが脊髄反射的に居住まいを正そうとするも、真姫に叱責された。そうだ、すでにA-RISEとμ'sは“ライバル”なのだ。ヘコヘコする道理はない。

 英玲奈が皆を一瞥し、首をかしげた。

 

「高坂穂乃果、園田海未、そして南ことりがいないようだが……?」

「少しばかり野暮用で遅れています。ですが、必ず来ますよ穂乃果ちゃん達は」

 

 思穂の言葉に、頷いたツバサは満足したようにμ'sを横切った。去り際に一言。

 

「穂乃果さん達に伝えておいて。互いにベストを尽くしましょうって」

「当然。そうじゃなければ確実に勝てませんから」

「楽しみにしてるわ。そして、私達は……絶対に負けない」

 

 互いに譲れないものがある。それは見る者が見れば『そんな将来に関係ない事で……』とせせら笑うのかもしれないそんな意地。だけど、それに命を懸けている者達もいる。

 そんな三人と真っ向からぶつかるためにはやはり九人いなければ意味がなく。

 

(穂乃果ちゃん達……早く来てよ~?)

 

 ――だが、事態は思わぬ方向に転がることとなった。主に、悪い方向でだ。

 

「――天気予報見て何となく嫌な予感はしていたけどさ……!」

 

 吹雪。天気予報は芳しくなかったのは知っていたが、荒れる確率は低かったので、特に気にしていなかった結果がこれである。

 ざっと調べてみたら交通機関は一時的に麻痺してしまい、恐らく穂乃果達は身動きを取れないはず。――いや、今穂乃果と連絡を取っていた絵里が首を横に振った。恐らく、完全に交通手段が断たれてしまったのだろう。

 後の選択肢は『走ってくる』。これだけだ。

 

「……良し」

 

 しかし、そんな選択肢を選ばせる思穂では無い。

 

「思穂ちゃん、どうするつもりなんや!?」

「迎えに行く」

 

 すると、真姫と花陽と凛が思穂の前に立ち塞がった。その目は酷く不安げで。

 

「迎えに行くって、どうするつもりなのよ?」

「あ、危ないよ……」

「そうにゃ! こんなに天気悪くなって来たんだよ? 収まるまで待とう?」

 

 皆が何も意地悪で言っているのではないことは良く理解していた。確かに風も雪も強くなり、出歩くのは危険と言えるのは明白。

 ――そんなこと、百も承知だ。

 

「うん……だからこそ、行くよ。ただぼんやりと間に合う“かも”を待つより、私は間に“合わせる”を選ぶ。……こんなこともあろうかと準備はしているしね」

 

 そう言って、思穂は皆を引き連れ、駐輪所までやって来た。そこには自転車とリアカーが組み合わされた思穂専用機が停められていた。

 こんなこともあろうかと、思穂があらかじめ用意しておいたものである。“万が一”を考慮しておいて、本当に良かったと思いながら、思穂はサドルにまたがり、ハンドルを握る。

 ペダルに足を掛けたところで、思穂は更に言った。

 

「絵里ちゃん達、約束するよ。必ず穂乃果ちゃん達を連れてくる!」

 

 思穂は満面の笑みで言い切った。約束し、言い聞かせるように。

 

「――だって、私はμ'sのスーパーマネージャーだからね!」

 

 風となった。脇目もふらず、全力でペダルを回す思穂。自転車道に入り、更にスピードを上げる思穂。トロトロ走っている車は瞬きしている間に遥か彼方へ置き去る。

 吐息が凍りそうだ。ゲームがゲームならこれで全体攻撃が出来るだろう。しかし、今の思穂はそんなゲームキャラでは無い。

 ――韋駄天。

 全ての景色がスローモーションに見える。自分だけが動いているようなそんな時が止まった世界。今、思穂は世界で一番速かった。

 

「……ん?」

 

 違和感を感じた。道が、綺麗すぎるのだ。まるで、誰かが雪かきしているような。

 

「――思穂ちゃーん!!」

「ヒデコちゃん!? それにフミコちゃんにミカちゃんまで……!?」

 

 遠くから、穂乃果の友達であるヒデコ、フミコ、ミカの三人が手を振っていた。それだけではない、辺りを見回すと、どれも知った顔ばかり。

 

「思穂ちゃんなら絶対穂乃果ちゃん達を迎えに来ると思ったから! 雪かいておいたよー!!」

「ありがとうミカちゃん!」

 

 優しさが。

 

「まだ時間はあるから! 気を付けろー!」

「フミコちゃんも風邪引かないでね!」

 

 思いやりが。

 

「気を付けて全速力だ思穂ー!!」

「言ってること矛盾しているけど承った!!」

 

 頑張れが、思穂に降り注ぐ。

 見ると、オトノキの生徒達が一丸となってウイニングロードを作っていたのだ。誰一人辛そうな顔を見せず、ただ一生懸命に雪をかいてくれていた。

 胸が、熱くなる。思わず思穂は内ポケットに仕込んでいたカイロを投げ捨てていた。こんなものがあれば余計に遅くなる。

 

 ――第一、こんな最高のエールを受けて間に合わない馬鹿がどこにいる!?

 

 

「イナーシャルなんちゃらー!!!」

 

 必着の絶意を示すように、思穂は次の曲がり角を睨み付け、アクションを起こす。

 バイクレースで選手がカーブをするときのように、思穂は自転車を限界まで地面に傾け、ドリフトをかましたのだ。後ろのリアカーが吹き飛びそうになるが、思穂の天才的なバランス感覚でその衝撃を見事に抑え込む。

 今の思穂に怖いものはない。そして、ゴールが見えた。だが、次の瞬間には一気に吹雪が強まり、視界が真っ白に。これは三人とも出て来れないのではないか。そう思っていた思穂だったが、それは杞憂だったと思い知らされる。

 ――それでも、声が聞こえたのだ。

 

「――あきらめちゃ、駄目!」

「――そう、です! やりたいんです! 私も、誰よりも! ラブライブに出たい! 九人で、最高の結果を出したいのです!!」

「うん……行こう! ラブライブに出るために……!!」

 

 ことりが、海未が、穂乃果が、まだ微塵も諦めていないのだ。来て良かったと、心の底から思穂はそう思えたのだ。

 自転車を止め、思穂は三人の前に降り立った。その姿を確認するなり、穂乃果達の顔が緩んだ。

 

「思穂……ちゃん?」

「どうして思穂ちゃんここに……?」

「そ、そうです! それにその自転車、まさかここまで……」

 

 言葉が溢れだしそうになる三人を手で制す思穂。その先を言われたら思穂は恥ずかしさで死にたくなるすらある。何せ、こんなことは自己満足だ。

 だから、三人に言ってほしい言葉はたったの一つ。思穂は親指でリアカーを指しながら、問いかけた。

 

「奇遇だね、ちょっとドライブしてたら三人に会っちゃった。でもまあ、丁度いいや! ――乗っていくかい?」

 

 顔を見合わせ、三人は少し笑っていた。何か馬鹿にされている気がして思穂は唇を尖らせるが、それでも三人は笑顔でこう言った――。

 

『よろしくお願いします!!』

 

 片桐自転車便は全力で疾走した。その道中、オトノキの全校生徒が穂乃果達へ激励を送り、三人とも涙をにじませながら皆へ手を振り返していた。

 そんな中、思穂は全力で自転車を漕いでいた。警察に見つかったらアウトもアウト。その時点で全てが終わる。念のため、穂乃果達が吹き飛ばない様にロープで固定をしたりなど安全面には最上の配慮を配っているが、それでも客観的に見たらアウト。

 冬ならではの寒さなのか、冷や汗なのか、どちらともつかないまま、思穂は無心でペダルを漕ぎ続けた――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 九人がステージの上に立つと、声援が皆に向けられる。誰か一人では無く、全員に。その想いを一身に受け、そして穂乃果が言った。

 

「みなさんこんにちは! これから歌う曲はこの日に向けて、新しく作った曲です! 沢山の“ありがとう”を込めて、曲にしました! だからこれは――皆で作った歌です!!」

 

 そんな様子を、思穂は観客席の良く見える所から見守っていた。全力を出し過ぎて足がパンパンである。筋肉痛不可避な状況でもなお、思穂は目の前の九人から決して目を離さない。

 応援してくれた人、助けてくれた人、様々な人が頑張ってくれたから、μ'sはここにいた。誰か一人がいなくなってもダメなのだ。ここまでくる過程で関わって来た人たち一人が欠けたら、今こうして彼女達はステージに立つことはなかったのかもしれない。

 

「――聞いてください!!」

 

 思穂は良く見える位置で腕を組み、ただ彼女達を見据えていた。

 

(泣いても笑っても良い。ただ……やりきって!)

 

 学校が大好きで、音楽が大好きで、アイドルが大好きで、踊るのが大好きで、メンバーが大好きで、この毎日が大好きで、頑張るのが大好きで、歌うことが大好きで、μ'sが――大好きだから。

 ――『Snow halation』。

 

(歌えば良いんだよ穂乃果ちゃん達。勝ちも負けも引き分けも無い、ただその喉から迸る感情をただ形にすれば良いんだ。そうすればきっと……!)

 

 始まる。全ての人達の想いを形にした歌が。ありがとう、それだけを言うためだけに作られた至高のラブソングが。

 その結果を、思穂は最後まで見届ける――。



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第十八話 みんなで叶える物語

 ひゅう、と風が思穂の頬を撫でればそこがひんやりと冷たくなる。コンビニから買ってきた肉まんを頬張れば暖かさと肉汁が口内に広がる。

 寒い、だけど暖かい。そんな贅沢な状態の思穂は一言だけ呟いた。

 

「年明けのゲームって良いよね」

 

 早速座り込み、思穂は携帯ゲーム機を取り出した。何せここは屋上、しかも冬休み期間。ごく一部の生徒しか来ないので、誰からも咎められる心配はない。そして、本来ならば絶対にしない早起きであったが、滅多に出来ないシチュエーション下でするゲームは格別だと言うことも知っているので、そこは努力をした。

 ――年が明けた。そしてそれはそのまま、ラブライブ最終予選が終わったことを意味しており。

 そんなちょっぴり感傷にふけっているところに、穂乃果が屋上の扉を開けて入ってきた。もちろん、思穂はすぐにゲーム機を隠した。別にやっても良かったのだが、今日は特段そういう気分でもない。

 

「しっほちゃーん!」

「おお、穂乃果ちゃん朝早いねー!」

「うん! 何だかジッとしていられなくて!」

 

 そう言って走る真似をする穂乃果が本当にハツラツとしていて。よくもまあ、こんな少し肌寒いのにという気持ちを言葉に出さず。だけどそんな穂乃果が相変わらず大好きな思穂であった。

 それに、穂乃果の並々ならぬやる気も良く分かる思穂であった。何故なら――。

 

「だね。なんせこれから本選だしね」

 

 

 ――『ラブライブ』最終予選、優勝『μ's』。

 

 

 思穂の初夢でもなければ、穂乃果達のやる気の比喩でもない。これは紛れもない事実。μ'sは、彼のスクールアイドルの頂点であるA-RISEの首を刎ね落としたのだ。

 しかし結果は非常に僅差であった。あとほんの少し、それこそミクロ単位で票が傾けば、こうして自分達は本選の事を考えてはいなかっただろう。

 九人の全力と、三人の全力がぶつかり合った末の結果。……とはいえ、まだ完全に実感できたわけでもないようだ。

 

「思穂ちゃん私ね。何だか……まだ信じられないや。だって私達がA-RISEに勝ったんだよ? あのスクールアイドルの頂点に」

「うん。けど、いつまでも後ろを見ていちゃいけないよ? そんなA-RISEに本当に勝ったんだと自覚するためにも今は!」

「本選……だね!」

「ハラショー! そうそう! 皆もそろそろ来るころだろうし頑張ろうよ!!」

「あ『ハラショー』だ! 私ね、パソコンで本物の『ハラショー』聞いたことあるんだけど、思穂ちゃんは絵里ちゃんの『ハラショー』よりも上手いんだね!」

 

 本人の前でこの台詞を使わなくて良かった、と思穂は本気で安堵していた。そんな穂乃果の無自覚な攻撃、いや口撃をした直後に皆が入って来たのだから。

 あと一歩遅ければ……なんて考えたくもない。

 

「――自由? 選曲が?」

「そうそう。選曲も衣装も踊りも曲の長さもぜーんぶね」

 

 みんなが柔軟体操をしているのを見守りつつ、思穂はラブライブ本選の説明をしていた。……とは言う物の、現在の思穂の思考はラブライブ本選の説明には非ず、柔軟体操をしている皆様方へ向けられていた。

 

(いやぁ……イイねぇ。腕とか脚とか伸ばさないといけないからさ、なんかこう……強調されてイイよね……えへ、えへへへ……!)

 

 例えば背中合わせになって互いに腕を組んで、片方がお辞儀をするように身体を前に倒すことでパートナーがそのまま持ち上げられ、背中が伸びる良くある体操。お気づきの方も既にいるかもしれないが、その際、胸が強調されるのだ。それはそうだ。ただでさえ、下着や服でガードされているのに、更に逆方向に力が加わるとそれが浮かび上がるのはもはや自明の理。アカシックレコードにもそう書かれている。

 柔軟体操のプログラム一つ一つがエロい。そう、思穂は考えながらも、口では本選の説明を終わらせる。

 柔軟体操は見ている側の思考も柔らかくさせる、柔らかくさせた頭は通常の数倍のパフォーマンスを発揮できる、つまり今の思穂は女の子のエロいポイントと本選説明を同時にこなせることも可能、すなわち思穂も柔軟体操の恩恵を授かっている。実に理論的な過程と結果である、そこには疑問が挟み込まれる余地など微塵も無い。

 

「思穂、あんた目がエロいんだけどどこ見てんのよ」

「申し訳ございませんでしたにこ様、私がクズ野郎、いや女郎です」

 

 なので、バレたら即刻土下座をすることなど本当に容易い。この程度の脊髄反射が出来なくて、何がμ'sのマネージャーか。マネージャーに求められているモノは何か、その問いに対する思穂の答えは決まっている。

 何者をも圧倒する流麗かつ誠意溢れる謝罪作法、つまり土下座以外に一体何を挙げれば良いのか、という話にすらなってくる。

 

「それで、出場グループの間ではいかに大会までに印象付けておけるかが重要だと言われてるらしくて……」

「全部で五十近くのグループが一曲ずつ歌うのは良いけど、当然見ている人達全てが全部の曲を覚えてるとは限らないわ」

 

 花陽と絵里がそう言うと、にこが更に補足した。

 

「それどころか、ネットの視聴者はお目当てのグループだけを見るって人もいるわ」

「にこちゃんの言うとおり。でもまあ、今は良いんだよ。何せあのA-RISEを破ったグループって看板が掲げられているしね」

「でもそれも本選の三月までにどうなっているか……やね」

「そうなんだ……それで、事前に印象付けておく方法ってあるの?」

 

 穂乃果の疑問に答えるように、花陽は皆を連れて一度部室に戻った。手馴れた動作でパソコンを立ち上げると、花陽がその答えを言った。

 

「それはね、キャッチフレーズだよ穂乃果ちゃん」

「キャッチフレーズ……?」

「『拙者より強い奴に会いに行く』とか『オープニングまで、泣くんじゃない』に『最後の一発は、せつない』等など、数多ある名作ゲームも秀逸なキャッチフレーズがあるから興味を持たれたといっても過言では無いからね!!」

 

 出場チームはチーム紹介ページにキャッチフレーズを付けられる。例えば、と花陽が目に付いたチームをクリックして出てきたのが……。

 

「『恋の小悪魔』『はんなりアイドル』『With 優』。なるほど、皆良く考えてるのね……」

 

 感心したようにため息を漏らす絵里。皆も同じような意見だったようで神妙に頷いている様子が見られた。

 

「当然、ウチらも付けておいたほうがええって訳やね」

「はい、μ'sを一言で言い表すような……」

「μ'sを一言でかぁ……」

「思穂ちゃんは何か思いついた?」

 

 ことりに振られ、少しばかり頭を捻る思穂。皆の顔を見ていると、自然とインスピレーションが湧いてしまったのが悔しい。なので、思穂は一つ悪戯をすることにした。

 

「真姫ちゃん、そこの紙とペン取ってくれる?」

「別に良いけど、何する気よ?」

「まあまあ。さらさらーっと」

 

 そしてそれを中が見えないよう四つ折りにすると、パソコンが置いてある机の上にテープで張り付けた。その作業を終えると、思穂は皆へ言った。

 

「ということで私は思いついたからここに置いておくね。あ、皆は意見が纏まるまで見ちゃ駄目だよ」

「え、ええっ!? なんで~!?」

「多分だけど、私と皆が考え着く所は同じだと思うんだ。そんな私が考えたキャッチフレーズを今見ちゃったらそれはきっと近道になっちゃう」

 

 更に思穂は続けた。

 

「私ももちろん考えるけど、やっぱり皆も考えないとね! それで、私と答え合わせだ!」

 

 求めるな、掴みとれ。それが思穂のμ'sに対する基本スタンスである。思穂は自らのスタンスに則った。

 皆もそれで納得したようだ。そうと決まったら話は早かった。練習は程々に。皆、キャッチフレーズを考えようという話になった。

 

「――と、その前に。皆にこれを渡しておこうかな」

「思穂、それは……」

 

 それは振り付けと歌詞表であった。衣装案は既にことりに預けている。

 そしてその歌詞表にいち早く反応したのは海未であった。

 

「思穂ちゃん、これ何? 本選でやろうって予定の曲じゃないよね……?」

「穂乃果ちゃんの言うとおり、これは特に本選には関係ないよ。……とまあ、それで、皆にお願いがあるんだけど、本選までの練習の合間で良いからさ、この曲の練習もしてくれないかなぁって」

 

 口を開いたのは絵里だった。

 

「私も知らない曲ね。真姫、海未、衣装もあるだろうからことりもよね……これは?」

「私がそれぞれ三人に掛け合って進めてたんだ。言わなかったのは、皆ラブライブの本選もあるしね。これは……そう、言うなれば私の趣味」

「趣味?」

「うん。ちょっとばかしの、私の些細な野望」

 

 そこで、思穂は話を変えるために手を打ち鳴らした。

 

「それは今語るとこではないから! 隙あらば私からも練習を促していくスタイルってことで! さあ考えよう考えよう!」

「その前に。まずは練習です」

 

 練習に向かう皆を見送りながら、思穂は余分に取っておいた歌詞表に目を落とす。その瞳には少しばかりの苦笑が。

 内容は絵里に言った通りだ。そこには一切の嘘は何もない。だけど、やりたいのだ。だから、思穂はコンセプトを打ち立て、真姫や海未、そしてことりに掛け合った。

 

「皆、私の一世一代の我が儘に付き合ってね……」

 

 次に浮かべた笑みには、自虐的なモノが消え失せ、少しばかり野望を滲ませる――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「はっ……はっ……!」

 

 翌日の夕方、思穂は走っていた。今はμ'sが練習を始めたころである。本来ならばそちらの方について、練習を見届けるのだが、何せ用件が用件だ。

 行かない、という選択肢はない。しばらく走っていると、ようやく“彼女”が見えた。更に走る速度を上げ、思穂は彼女の元へ辿りついた。そこは近くの公園。ベンチに腰かけると池が見えるデートスポットに最適そうな場所である。

 “彼女”が手に持っていた缶コーヒーを思穂へ手渡した。

 

「呼び出してごめんなさいね、思穂」

 

 そう言って“彼女”――綺羅ツバサは微笑んだ。

 

「いえいえ! ツバサが呼ぶならどこへでもひとっ飛びですから!」

 

 思穂とツバサは今、向かい合っていた。思穂の手には携帯が握られており、ツバサに指摘されるまで気づかず、顔を真っ赤にしながらそれをポケットにしまったのはまた別の話。

 どんな事情があろうと、思穂は彼女の元へ行かなければならないのだ。何せ――呼び出される理由が理由なのだろうから。

 

「立ち話もなんだから、そこに座りましょ?」

 

 ツバサに促され、思穂は彼女と一緒にベンチに座った。ツバサが自分の缶コーヒーを開けたのを見て、思穂も開けることにした。プルタブを指で持ち上げると、カシュっとあの良く聞く音が思穂の耳に響く。

 クイッと一煽りすると口内に苦さが広がる、けど目が覚める味。徹夜のお供である。

 

「ラブライブ最終予選突破おめでとう」

「ありがとうございます!」

「……実は昨日、穂乃果さんともこうしてお話ししたの」

 

 やはりそうであった。完全にどういう話か分かった思穂は少しばかりスイッチを真面目の方に切り替える。

 

「……そうですか」

「練習はどう?」

「皆、とっても熱が入ってますねー! 本選に向けて頑張ってますよ!」

「……ねえ、思穂。これは穂乃果さんにも聞いたことなんだけど」

 

 そう前置き、ツバサは続けた。

 

「私達は全てをぶつけて歌った。そして、潔く負けた。その事に何のわだかまりもない――と思っていたの」

「ツバサ……」

「でも、ちょっとだけ引っかかっていたの。何で負けたんだろうって。確かにμ'sはあの時、ファンの心を掴んでいたし、パフォーマンスも素晴らしかった。正直、結果が出る前にはもう勝敗は確信していたわ」

「そうですか……」

 

 でも、とツバサは言った。

 

「どうしてそれが出来たのか分からない。努力もした、練習も積んできたのは分かる、チームワークもね。だけど、それは私達も同じ。むしろ私達は貴方達よりも強くあろうとしてきた。それがA-RISEの誇りでありスタイル。負けるはずが無いと――そう思っていた」

「……ああ、なるほど。だから」

「だから? 思穂は知っているの? μ'sを突き動かしているモノ、原動力たるモノを……!?」

 

 思穂はじっとツバサの目を視た。そして思穂は、その目に含まれているモノが変わっていたことに気づいた。

 ――挑戦者。

 その言葉がこれほど似合う者がいるのかと、思穂は驚愕していた。今まではスクールアイドルの頂点たる風格と自信がみなぎっていた。

 だが、今はどうだろう。その誇りはそのままに、だがその瞳にはギラついた“挑戦心”が渦巻いている。

 それを自分に置き換えて考えてみる。今までトップであり続けていた自分が突然、その座を追われた。――耐え難い事である。受け入れることはそう容易くないだろう。

 ――それなのに、彼女達はもう気持ちを切り替えている。そのどれほど凄まじいことだろうか。思穂は思わずを息を呑んだ。

 だからこそ、その答えはしっかりと出せて。

 

「多分、在り方だと思います」

「……在り方?」

「そう。ツバサ達A-RISEは強すぎたんです。それこそ、誰からも“勝って当たり前”と思われるくらいには」

「そんなこと――」

「――があるんですよ。こうして結果が出た今でも、私はA-RISEに勝てたという実感を完全に持てませんもん。――でも、だからこそ、その一点だけがA-RISEの弱点であり、μ'sの最強の武器でした」

「私達の弱点であり、貴方達の最強……?」

 

 そう聞き返すツバサの声にはどこか信じられないような色が滲んでいた。そんなツバサの言葉に頷き、思穂は続ける。

 

「ええ。私達μ'sは駆け出しも駆け出し。だからこそ、音ノ木坂学院の皆が……それだけじゃない。色んなところでμ'sを見てくれた人達も皆、一生懸命応援してくれる。それが私達の強さ」

 

 立ち上がり、ツバサの方を向くと、思穂はバッと手を広げ、高らかに言ってのけた。

 

 

「――皆が、私達の強さなんです!!」

 

 

 計算では無いのだ、そして情でもない。そんなちっぽけなモノ全てを越えた所に、μ'sの強さはあったのだ。

 

「みんなが……」

 

 ツバサはようやく見えたのだ。どうして穂乃果がはっきりそれを言えなかったのか、思穂がはっきりと今、それを言えたのか。

 今のツバサならはっきり分かった。きっと、穂乃果も同じことを言うのだろうな、と。

 立ち位置なのだ、要は。穂乃果達はがむしゃらに走っているのに対し、思穂は一歩引いた立ち位置で冷静にμ'sを見ていた。だからこそ口に出せたのだ。

 ツバサは思った。近い内にこの事に気付くであろう穂乃果は更に上へと行けるだろうと。

 ――求めていた答えは見つかった。だからこそ、もうこうしている暇はない。

 

「ふふ……なるほどね。確かにそれは最強の武器ね」

「……行くんですか?」

「ええ。最終予選では負けたけど、それはA-RISEの終わりじゃない」

 

 思穂へ手を差し出しながら、ツバサは言った。

 

「いつかまた貴方達の前に立つわ。今度は“頂点”ではなく――“挑戦者”として」

「……はい!!」

 

 握られた手は固く固く。名残惜しさの欠片も見せず、ゆっくりと手を開いたツバサは思穂から背を向けた。そしてそのまま思穂へ語りかけた。

 

「思穂、私達はまだ友達よね?」

「いつまでも友達ですよ」

「嬉しいわ。ね? 今度また漫画を買いに行きましょう? 思穂にはまだまだ教えてもらいたい世界が沢山あるんだから、これからもよろしくね?」

「もちろんです! この片桐思穂、全力でサポートしましょう!」

 

 満足したように、軽く片手を上げて返事をしたツバサは歩き出していく。足取りは力強く、背中には情熱だけを乗せて。

 

「私達はずっと友達だよ、ツバサ」

 

 まるで狙い澄ましていたかのように、穂乃果からの着信が。

 

『思穂ちゃん!! 私、見つけたよ! キャッチフレーズが!』

「おお……早いね。それじゃあ、聞かせてもらえる?」

『うん! 私達って――――』

 

 またベンチに座りながら、思穂は穂乃果の話を聞いていた。そして彼女の話を聞き終わるなり、思穂は一言。

 

「私の書いた奴、もう捨てても良いね」

『っ! それじゃあ!』

「うん。やっぱり穂乃果ちゃんはすごいや! それで行こう。ううん、多分、それ以外に私達に相応しいキャッチフレーズはないよ!」

『うん! うん! 皆もこれで良いって言ってた! よ~し!! 決まったぞ~!!!』

 

 穂乃果の本当に嬉しそうな声を聞きながら、思穂はちょっぴり舌を出した。

 

(ごめんね、穂乃果ちゃん。実はあの紙、何にも書いてないんだ)

 

 そう、書いたフリをしていた。だけど、皆がこのμ'sの力だと言うことには何の嘘も無い。

 ――ただ、言葉を紡ぎだせなかったのだ。

 どんなワードをチョイスしてもしっくりこなくて。μ'sがμ's足りえるフレーズには少しもならなくて。

 

(だけど穂乃果ちゃんは辿りついた。すごいよ本当に。やっぱり穂乃果ちゃんは昔から、二枚も三枚も上手(うわて)だ!)

 

 

 ――――みんなで叶える物語。

 

 

 思穂は小さくそのキャッチフレーズを呟いた。実にしっくりくる、μ'sがμ's足りえるキャッチフレーズを。



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第十九話 決めたこと!

しばらく更新してなかったですね、お久しぶりです。


「やあみんな! 待たせたね!」

「何でそんな悪びれていないのですか!?」

「あれー!?」

 

 やって来るなり海未に一喝されてしまった思穂は驚きを隠しきれず、そうコメントをしてしまった。たったの三十分しか遅れていないのに、彼女は全く意味が分からないでいた。

 すると、穂乃果が彼女へ困り顔のつもりの、可愛らしい顔を向けてきた。うっかり撫で回したくなる。

 

「あれ? みんな暑くないの?」

 

 みんな寒さ対策万全の中、彼女だけが秋服のような中途半端な厚さの服を着ていた。正直、半袖短パンのセットでも歩き回れる彼女である。

 日頃パジャマ一枚で凍えるような寒い部屋や灼熱地獄のような暑い部屋でゲームをしている彼女にとって、こんな気温なんてただのポカポカ陽気に過ぎない。

 そんな彼女を見る皆は正直に言って、ドン引いていた。そんな視線に当然気づいていたが、あえて受け入れた彼女。彼女が穂乃果の元へ駆け寄ると、彼女は仕切り直したように腕を突き上げた。

 

「よ~し! 遊ぶぞ~!!」

「そう、それよ。いきなり日曜に呼びつけてどうしたの?」

 

 すかさず絵里が突っ込むと、にこと希がうんうん頷いた。

 思穂はちらりと周りを見ると、一年生組、二年生組がすぐに穂乃果の援護射撃を開始した。彼女には特段、違和感を感じることはなかった。

 ――そうではなくては、ならないからだ。

 

(あー皆も考えは纏まっているんだねぇ……)

 

 思穂は唐突極まりない穂乃果の『遊びの提案』の裏を知っていた。

 ――話はつい先日に遡る。

 雪穂と亜里沙が音ノ木坂に合格した。穂乃果達と思穂の戦いが実を結んだ確かな証拠といえるこのめでたい出来事。……同時に、避けては通れない出来事も思穂達μ'sにはやって来た訳で。

 新一年生が入ってくる、ということはそのまま今の三年生が巣立つということ。

 ――ならば、このμ'sはどうなる?

 ラブライブ本選を前に、とうとう皆はこの見て見ぬふりをしてきた事実にようやく向き合い始めた。いや、向きあう覚悟を決めたといったほうが正しかったのかもしれない。

 

「はぁ……まあ、分かったわ。それで、どこへ行くの穂乃果?」

「皆の行きたいところに行こうよ! それで、今日は思いっきり遊ぼう!」

 

 そんな穂乃果の提案に呆れながらも乗り気になってきたにこを見て、思穂はその勢いに便乗する。

 

「遊び倒すよ! ぶっ倒れるくらい遊ぼう! それで本選へのやる気を高めようぜい!」

 

 『しゅっぱーつ!』と穂乃果と肩を組んで出発の発声をした。三年生組も徐々に乗り気になってきたのか、その表情は柔らかいものになっていた。

 

(あぁ、やっぱり最後に何かが待ち受けているものほどチクりとくるものはないなぁ……)

 

 皆と最初の目的地へ移動しながら、思穂はそんなことを考えていた。

 これは言わば思穂にとって、いやもしかしたらμ'sにとってのデスマーチと比喩して何ら差し支えないのかもしれない。だけど、思穂はそれを態度にも、言葉にも出さずただ歩くことを選択した。

 既に選択肢は決まっていて、皆にその選択肢を変える気はさらさら無いときた。ならば、最後まで笑って過ごすのが、このメンバーである。

 そんな気持ちを察せられるのが嫌で、思穂は少しだけ皆を押して目的地へと急がせた。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「さあ、まずは割と誰かが言うと思っていたゲームセンターからだよ!」

「ここは以前、にこがμ'sに入ってすぐにセンターを決めるために来たことがありますね」

 

 海未が少しばかり懐かしげに頬を緩めたのを見て、首を傾げる希。

 

「そうなん? って、にこっちが入りたてやからウチやエリちが知らないのも当然か……」

「なんで希が寂しそうな顔してんのよ」

「だって三年生でにこっちだけにしからない思い出があるってちょっと悲しくない?」

「分かったから! 分かったからくっつかない!」

 

 希がにこにひっついているのを眺めて本気で羨ましい、むしろあの間に入りたいと思いながら、思穂は早速絵里の手を掴んだ。

 

「へっ!? どうしたの思穂?」

「見るからにゲームセンター初心者であろう絵里ちゃんに色々伝授しようと思ってね!」

「おお! 思穂ちゃん、凛にも教えて欲しいにゃー!」

「よっしゃ! このゲームセンターしほが凛ちゃんと絵里ちゃんにゲーセンの何たるかを叩き込んであげるよー!」

 

 ある意味、思穂の心の故郷であるゲームセンター。彼女は非常に生き生きとした表情で絵里を連れ、太鼓を叩くゲーム『太鼓の神様』の元までやってきた。文字通りリズムに合わせて太鼓を叩いてハイスコアを叩き出すゲームだ。

 まごつく絵里にバチを握らせ、彼女の後ろに回る。

 

「え? え? 思穂、これどうすれば良いの!?」

「えっとね、そこの丸に赤い丸が来たら面を叩いて、青い丸が来たら縁を叩くの! 簡単でしょ!?」

「こ、こう?」

 

 おっかなびっくりと言った様子だが、持ち前のリズム感で危なげなく太鼓を叩いていく絵里の姿に、思穂は天才の姿を見てしまい、正直嫉妬してしまったぐらいだ。

 才能って本当にあるんだ、そんなことを考えながら、彼女は絵里が一曲を終えるまで眺めていた。

 

「ふう……やってみると、中々面白いわね。しかも、太鼓を叩くのってなんだか良いストレス発散になりそうね」

「でしょうでしょう? いやぁやっぱり絵里ちゃんは可能性の獣だったね! ワンプレイで完全に慣れちゃってまあまあまあ!」

 

 そこからの絵里は見ていて非常に微笑ましかった。近くで観戦していた凛を巻き込んで二人プレイを始めたのだ。凛は凛で初めてプレイするようで四苦八苦していたが、それでも中盤あたりになると、μ'sの活動で鍛えらえれたリズム感で何の問題もなく叩き切ったのは素直に称賛できた。

 二人とも白熱したのか、額にうっすらと汗を浮かべていた。

 

「しっほちゃーん! 絵里ちゃん、凛ちゃーん! エアホッケーやろうよ!」

 

 そう言いながら穂乃果が三人を呼んだ。既に海未やことり達が台の近くに集まっていた。エアホッケー、その言葉を聞いた瞬間、思穂は決戦が来たことを察した。さながら心境は桶狭間の戦い、といったところ。

 ……正直、彼女は自分で何を言っているのか分からなかった。

 

「ほわっちゃ! ならまず私は希ちゃんを対戦相手に指名したいね!」

「え、ウチ?」

「そうだよ! 忘れたとは言わせないよ! 希ちゃんにはここで私のプライドをズタズタにしたんだからね!」

「そんなこと……ああ~……」

 

 そこで希は思い出した。同時にとある単語が脳裏をよぎる。その名は『マルオカート』。豪運を発揮し、思穂を地獄へと叩きこんだ悪魔のゲームである。

 

「思い出したね! なら勝負だ! 有無は言わさないよー!」

「なら私は希の方に付こうかしら」

「おお、絵里ちがいてくれたら百人力や!」

「じゃあ、思穂にはこのにこにーが付いてあげるわ」

「げ、にこちゃんか」

「どういう意味よ!」

 

 こうして思穂とにこ、希と絵里によるエアホッケー対決が始まることとなった。この勝負は反射神経と動体視力が全て。

 これならば勝機は十二分にある、と思穂は確固たる称賛を持っていた。彼女は必勝の意思を込め、とりあえずにこの頭を撫でておいた、叩かれた。痛む背中に耐えつつ、思穂はマレットに手を添える。

 

「にこちゃん、大丈夫だよね? 私、信じてるからね?」

「ふっふーん、任せなさい。たまにこころ達とやってるから得意なんだから」

「よっしゃ、信用してるよにこちゃん!」

 

 パックは思穂側。一打一点を目標とし、思穂は初打を放つ。カコン、と小気味いい音を発しながら、パックは壁に当たり、希サイドへ滑っていく。なんの危なげもなく返したパックが今度はにこの方へ。まだまだ余裕とばかりににこはさらりと打ち返した。

 

「絵里ち!」

「追えてるわ大丈夫!」

 

 絵里が返したパックは鋭角に反射し、再び思穂たちへ向かってくる。フェイントを織り交ぜつつ、すぐさま思穂は打ち返す。その軌道は絵里と希の間を縫うように。

 

「あっ」

 

 テニスのダブルスでもそうだが、ふいに真ん中へ打たれると、互いがお見合いをしてしまう。取り決めでもしていればまだ対応できるが、いきなりの試合にその事前準備をしておけという方が難しいといえよう。

 まずは思穂チームの一点先取。この差を維持しつつ、タイムアップまで戦えれば勝利は間違いない。思穂はにこの方を見る。プレイ経験があるらしい彼女の動きは安心してみられる。これならば、行ける。

 

「へえ、やるもんね四人とも」

「真姫ちゃんはやったことある? エアホッケー」

 

 四人のプレイを眺めていた真姫に花陽がそう聞いた。そうね、と彼女は答える。

 

「ないわね、ていうかそもそもこういう所にあんまり来ないし」

 

 μ'sの活動をしていなかったらもしかしたらこの先も来ることはなかったのかもしれない、と口にはしなかったが彼女はそう思えた。未知なる世界、未知なる出来事、改めて思うと、今の自分はだいぶ変わったのだと彼女は自分をそう分析する。

 そんなことを考えていると、彼女の肩へ凛がしがみついてきた。

 

「じゃあじゃあ~思穂ちゃん達が終わったら次は凛とやろ~!」

「な、なら私も……」

 

 凛の提案に花陽も乗ってくる。花陽も花陽で、ちょっとだけエアホッケーをやってみたかったのだ。

 右肩には凛、左には花陽。両手に花状態の真姫はわずかに顔を赤くしながらも、それを悟られぬよう少しだけ語気を強めた。

 

「わ、分かったわよ! やってやろうじゃない! やるからには私が勝つんだから!」

 

 そんな和気あいあいとしている一年生組を優しく見守っていたのは海未とことりである。

 

「海未ちゃんはここに来たの久しぶり?」

「はい。真姫ではありませんが、私も穂乃果に引っ張られない限りはこういう所に来ることはまずないので……」

「楽しいよね、皆で遊ぶのって」

「ええ……本当に。だからこそ、私は……いいえ、私たちは話し合いました」

 

 海未の言葉に、僅かに表情を曇らせることり。彼女も海未と同じである。この時間が楽しい、この九人で何かをやる時間がとても、だ。だからこそ、皆は――。

 そこまで思ったところで、海未は試合が終わり、泣き崩れる思穂へと視線を向けた。

 

「どうしたんですか思穂? 何を泣いて――」

「だって! おかしいって! 希ちゃんが打つときだけありえないぐらいエグイ反射かかってるんだけど! こんなの絶対おかしいよ! スピリチュアルってるってほんと! うわああああん!!」

「いつまで泣いてんのよあんた……」

 

 号泣している思穂に冷ややかな視線を送るのはにこである。彼女としては良い勝負以上の良い勝負をしたと思っているので特に不満もなかった。むしろよくこれほどハイレベルな試合が出来たと感動し、清々しい気持ちになっているほどだ。

 そんな思穂に対していたたまれない気持ちを抱いているのは希も同じであった。

 

「あ、あの~思穂ちゃ――」

「何、希ちゃん!? 勝者の余裕!? うわあああん!! 希ちゃんに勝負を仕掛けたのがそもそもの間違いだったのかぁ! えっぐいよぉ! そりゃないよー! うわあああん!!」

「ダメや、思穂ちゃんはあまりのショックで壊れてしまってる……!」

 

 勝負には常に真剣に。それが思穂にとっての正義であり全て。そのうえでここまでボロボロにされたのが彼女は悔しいという言葉以外にどう表現したらいいか分からなかった。

 結局、凛たちが試合を終え、次の場所に行くまで思穂が希に勝負を持ちかけてはコテンパンにされ続けるという負の連鎖が続いてしまったのはまた別の話。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「おぉ……また良い眺めだこりゃあ」

 

 色んなところを練り歩いた。美術館や遊園地、はたまたアヒルボートに乗ったりなど、穂乃果が言った通り、本当に皆の行きたいところへ行って、たくさん遊んだのだ。

 時刻は夕方に差し掛かる。あとは言い出しっぺである穂乃果の行きたいところへ行ったら、全員の行きたいところへ行ったことになる。

 そんな大トリの穂乃果が選択したのは――誰もいない、海が見えるところ。誰もいない、自分たちだけしかいない景色が見たいと、彼女は言った。

 その発言で三年生以外が全てを察することとなる。

 電車で向かう道中、思穂は穂乃果へこう聞いた。『迷いはない?』、思穂の質問に悲しげに、だけど迷いがないといった面持ちで彼女はしっかりと首を縦に振った。そんな彼女を見て、思穂はただ微笑むだけであった。

 

「……私はね、穂乃果ちゃん」

 

 皆が波打ち際で戯れているのを眺めている穂乃果の隣に立ち、思穂は独り言のように呟く。他の皆にはちょっとだけ話しづらい、そんな心情の吐露。

 

「マネージャーとはいえ、ステージに上がったことのない私にとって、本当の意味でステージを共にする皆と気持ちを一緒にすることはできないと思うの」

「そんなこと……」

「ううん。私は皆と練習を一緒にしたことはないから百パーセント苦楽を分かち合えないの。そういう物なんだ」

 

 でも、と彼女は穂乃果へ微笑みかける。それは電車で見せた笑みと一緒だった。

 

「私はこの時間が本当に楽しいし、大事だと思えている。だからこそ穂乃果ちゃん――よろしくお願いします」

「――うん!」

 

 思穂と穂乃果の周りに自然と皆が集まって、これまた自然に手を繋いだ。合宿の時を思わせる、だけど今度はまた違う感情が込められていて。ならばこそ、皆が握り合う手にどこか力強さを感じさせるのもまた必然と言えよう。

 

「……あのね」

 

 穂乃果が一瞬だけ言葉を詰まらせる。だが彼女はすぐに二の次を紡ぐ。

 

「あのね、私たち話したの。あれから、七人で集まって色々と。絵里ちゃんや希ちゃん、にこちゃんが卒業したらμ'sをどうするか」

「穂乃果……」

 

 絵里が小さく穂乃果の名を呼んだ。これからどんな言葉が出てくるのか、察したような声色であった。

 

「一人一人で答えを出したの。そしたらね、皆一緒だった同じ答えだった! ……だからそうしようって、決めたの」

 

 そうして穂乃果が言葉にしようと口を開くが、心の中で感情が高ぶり、それを上手く発音できず、一旦顔をそむけてしまった。思穂は穂乃果の手を握る手に一層の力を込める。勇気をあげられるように。

 思いが通じたのか、穂乃果――穂乃果“達”は今度こそ、その言葉を口にする。

 

 

 ――大会が終わったら、μ'sはおしまいにします!

 

 

 静寂が、訪れた。波打つ音だけが十人の鼓膜に響く。この言葉を、決意を何度も何度も反芻するように。

 やがて、絵里がそれを受け入れたように頷く、希もだ。彼女達を見て、にこは思わず二人の名を呼んだ。認めたくない、受け入れたくないと、そんな縋るような気持ちで。

 皆はこう言った。このメンバーじゃなきゃ駄目と、このメンバーが良いと。誰かがいなくなって、誰かが入ってきたらそれはもう、自分達がかけがえのない想いと共に駆け抜けた『μ's』じゃなくなってしまうのだと。

 ――そんなの、当たり前のことだった。

 

「分かってるわよ! そんなこと! でも、だけど、だって!」

 

 にこが一歩前に出て、自分の気持ちをありのままぶちまける。

 

「私がどんな思いでスクールアイドルをやってきたか、分かるでしょ? 三年生になって、諦めかけていたとき、こんな奇跡に巡り合えたのよ!? こんな素晴らしいアイドルに、“仲間”に巡り合えたのよ!? それを――」

「だからアイドルは続けるわよ!!」

 

 真姫が彼女の前へ飛び出した。

 

「何があっても続けるわよ! でも、μ'sは! μ'sだけは自分達だけのものにしていきたいのよ! ――にこちゃん達がいないμ'sなんて嫌なの、私が嫌なのっ!!」

 

 そこで、彼女はとうとう我慢の限界を超えてしまった。止めようと思っても、彼女の眼からはどんどん涙が溢れ出してしまう。そんな彼女を見て、花陽が、凛が、堪え切れなくなってしまう。

 

「――ほわっちゃー!!」

 

 あえて思穂はピエロとなった。大きな声を出し、大げさに時計を見て、こう告げる。

 

「あー! 時間だ! もう時間だ! 電車が出る時間だよ! みんな早く行こっ! もう行かなきゃ間に合わないなーこれは!!」

 

 ぐいぐいと、皆を押しながら思穂はそう言う。この瞬間だけは世界中の誰からも疎まれても喜んでそれを受け入れる。

 やらざるを得なかった。何せ――。

 

(穂乃果ちゃん、頑張ったしね)

 

 穂乃果と目が合った時には既に彼女は瞳に涙が滲んでいたのだから。ここまで頑張らせておいて、その努力をなかったことになんて、誰が出来ようか。少なくとも、思穂だけはそんな彼女の努力を最後までサポートしたかった。

 皆を押して、思穂たちは電車乗り場までやってくると、絵里が“そのこと”に気付いた。

 

「これ、まだまだ先じゃない」

「あーこれはやっちゃったー間違えちゃったなー。ごめんね、穂乃果ちゃん。まだ、居たかったでしょ?」

 

 そう問うと、穂乃果はゆっくりと首を横に振った。

 

「ううん! あのままいると、皆泣いちゃいそうだったし、ありがとう思穂ちゃん!」

「……うん!」

 

 途端、穂乃果が何かを思いついたように手を叩いた。

 

「そうだ! 記念に写真撮ろうよ!」

「写真、ですか?」

「そうだよ海未ちゃん! 私達だけの写真、撮ろうよ!」

 

 そう言って穂乃果が写真を撮る機械として選んだのはあろうことに証明写真撮影用の機械であった。まさか、と思ったが、彼女はそのまさかを押し通す。

 

「うわーこれは中々乙なものがあるなぁ~……!」

 

 筐体の中にはすし詰めにされた九人と思穂がいた。何度も言うが、現在使用しようとしているのは証明写真撮影用の機械である。当然それは一人での撮影を大前提としており、まさか機械自身も自らがこんな使われ方をするなんて夢にも思わなかっただろう。

 窮屈な空間ながらも思穂は少しばかり嬉しかった。残り少ない時間の中で沢山の思い出を。

 

「……私はさ、やっぱりマネージャーで、それで皆と一緒にステージに立てないから羨ましいなぁって思うことがあるんだ」

 

 誰かが何か喋ろうとしたが、思穂はそれを遮るように少しだけ声を大きくした。

 

「でもね、私は私の立場だからこそ、こうして皆とここにいるんだなぁってそう思えるんだ」

 

 だから彼女はシャッターが切られる直前、ありったけの笑顔でこう言った。

 

 

「だから――皆が大好きだ私は!」

 

 

 これから始まるのは彼女たちの最後の舞台。夢を追いかけ続けてきた彼女たちの総決算。その先に“終わり”が提示されてもなお、彼女たちは全力の疾走を続けるであろう。

 思穂は最後の最後まで目を離すつもりはなかった。これだけが彼女に許された贅沢といっても過言ではないのだから。

 

 ――終わりの時間が肩を叩く。



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第二十話 ~僕らは今のなかで~

 右を見ても、左を見ても他のスクールアイドルたちがいる空間。思穂にとってみれば、そこはまさに夢のような空間で。思わず深呼吸をするのも無理はないだろう、と彼女はそう自分に言い聞かせ、また深々と呼吸を再開する。

 

(全方位美少女とか、ここお金払わなくてもいいのかな……?)

 

 そんな良からぬ気配を察知されたのか、隣に座っていた海未に肘で軽く小突かれてしまった、痛い。おまけに『こんな所でふざけたことは許しませんよ?』などと小さく小言まで頂いた始末。

 何を隠そう、現在思穂を含めたμ'sは今、ラブライブ本選で発表する順番を決める抽選会にやってきていた。どんどん他のグループが呼ばれ、ステージの中央に置かれている箱からくじを引いている。

 そしてとうとう、音ノ木坂学院スクールアイドルμ'sの名前が呼ばれた。立ち上がった瞬間、送られる拍手。あのA‐RISEを超え、今この場に立っているのだから、無理もないことだろう。

 穂乃果がステージに上がると、彼女はそこで立ち止まり、にこの方を向き名前を呼んだ。

 

「にこちゃん! くじを引くのはにこちゃんだよ!」

「わ、私っ!?」

 

 すぐに意味を理解したにこはあからさまに驚き、うろたえた。そんな彼女の肩を思穂はポンポンと叩く。

 

「まあ、“部長”であるにこちゃんが引かないことには始まらないよねぇってな感じで」

「そうにゃそうにゃ! にこちゃん頑張って!」

「最後はビシッと決めなさいよ」

 

 凛や真姫の激励を受け、彼女は意を決し、ステージへと上がり、穂乃果の隣へ立つ。

 にこは唾を飲み込む。

 少しだけ緊張した。最初で最後の瞬間、くじを引いた瞬間に全てが決まるのだ。責任は重大である。

 ふと、彼女は穂乃果の方を向いた。すると彼女は無言で頷く。いかな結果になろうが、それで自分達の“全力”に何ら支障はないと、そう言いたげに。

 

「……分かったわよ!」

 

 ――そんな後輩からのメッセージに何も思わないほど、矢澤にこは安い女ではなかった。

 先ほどよりもはっきりとした足取りで、にこはくじが入っている箱まで向かい、その中へ手を突っ込んだ。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「いやぁ……さっすがにこちゃん。ここぞの引きは希ちゃんを凌駕するかもだね~」

「私たちの発表は最後……これは相当なプレッシャーになりそうですね」

「でもわくわくするよね! 念願のラブライブに出場出来て、しかも一番最後に歌えるんだよ!?」

 

 μ'sの発表順番は最後であった。幾多のスクールアイドルグループの中での最後。

 一番注目が集まるであろうこの順番に何かしらの意味がある。そう穂乃果が言うと、皆も同じことを感じていたのか、首肯で彼女へ同意した。

 実際一番“旨味”がある順番だと、現実的な考えを思穂はする。『奇貨可居』、これは好機である。これが中間や始めだったら、インパクトは薄くなっていき、下手をすれば忘れられてしまったりなどが考えられてしまう。こんな千載一遇のチャンス、活かさない方がどうかしている。

 

「そうだよ皆! ヒーローはいつも遅れて登場してくるんだよ! にこちゃんが引いてくれたこの順番が何を意味するか分かる?」

 

 思穂は続けた。というより、言葉が抑えきれなかった。

 

「これはもう、すべてを出し切れって、全力を出せってことなんだよ! そしてヒーローは最後に勝つ。絶対に勝つんだよ!」

 

 皆が顔を見合わせる。思穂の言葉にやる気を新たにしたように。

 

「優勝だ! それしか私達にゃあ似合わない! だから今は!」

「ええ、思穂の言う通りよ! ここまで来たんだから、悔いを残さないように今は出来ることをやりましょう!」

 

 思穂の言葉を引き継ぎ、絵里が手を合わせながらそう言った。彼女の言葉に後押しされ、皆が練習するため、屋上へと出て行く。

 そんな中、残ったのは花陽とにこ、そして思穂である。

 

「にこちゃん」

「……花陽」

「私達はどんな結果になってもきっと、こういう感じだったと思うよ?」

「そーそー。にこちゃんは相変わらずにこちゃんだなーって感じだねー」

「……二人とも、分かってるわよ」

 

 言いながら、にこは柔和な笑みを浮かべた。

 

「最後の最後まで、私たちらしくいようってことでしょ?」

「……ふ、もうただのネタキャラではなくなったねにこぢゃっ……!?」

「だからこれも私らしくだからね、ぶっ飛ばすわよ思穂」

「もうぶっ飛ばしてるのですがそれは……」

 

 落とされたチョップによって痛む頭を擦っている思穂を冷ややかな目で見ながらも、花陽に対しては覇気溢れる表情を向ける。

 

「さあ花陽! 練習に行くわよ! あ、思穂。あんたはしばらく私のことを褒める言葉を百個程度は考えておきなさい」

「い、いえっさー……」

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「今私は猛烈に感動している!!」

「部室の中で騒がないでください」

「はい」

 

 一瞬で部屋の隅っこにうずくまることとなる思穂。そんな彼女の視界に広がるのは“並べられた十床の布団”、そして時計を見れば夜。

 夕方まで練習をしている間、皆は気づいていたのかあえて口に出さない事実があった。

 ――“これでμ'sの練習が最後である”こと。

 その事実を改めて認識したとき、一人、また一人と自然に集まってきたのはやはり皆考えることは同じなのだろう。まだこの時間を終わらせたくはない、その一心で。

 そこで穂乃果が打ち出した案があった。

 それはまた突拍子もないことで、思穂ですら容易く辿りつけなかった案だ。だからこそ、彼女は面白がり、すぐさまことりと一緒に理事長の元へ直談判をしに向かった。

 実は相当ダメ元であった。何故ならことりの母親は本当に真っ直ぐな教師の鑑といっても良い人物だ。そんな人にいきなりそんなことを言っても通るわけがない。

 そんな教師の鑑が南ことりの母親じゃなければ、だったが。実際のところ、彼女はすぐに柔軟に取り計らってくれた。

 その結果が今こうして行われている、夜の“お泊り会”であった。

 

「いやぁそれにしてもおばさんはホント話が分かる人だね! 普通、こうはいかないよね!」

「ほんと、理事長には感謝よね」

「絵里ちゃんもあの頃に比べると随分ノリノリだよねぇ」

「あ、あの頃って何よ……?」

 

 絵里から振られた思穂はこほんと一つ咳払い。さりげなく喉の調子を整え、彼女はキリリと表情を引き締める。

 

「『片桐さん、そこの書類まだ終わってないわよ? 早く片づけなさい?』とか『片桐さん? これが貴方のいうお掃除なのかしら?』とか言ってたあの頃だよ」

「言ってないわよ! いつの話よそれ!?」

「ほわっちゃ!? あれ? 言ってなかったっけ? 特に二つ目は窓のサッシを指でつぅーってやりながら言ってたような……?」

「私がいつそんな小姑のようなことしたのよ!?」

「っていう感じには、昔ならならなかったでしょ?」

「……ほんと、思穂には敵わないわね」

「あーもう! 家庭科室のコンロの火力弱すぎじゃないの!?」

 

 そう言って入ってきたのは中華鍋を手にしたにこであった。そこから匂うは香ばしくも刺激的な『(まー)』の芳香。家庭科室の設備で一体誰が麻婆豆腐を作ると予想したものか。しかも実に見事な出来栄えというのが思穂の感想。

 そこからは皆でテーブルを囲み、楽しい夕食の時間となった。思えば十人でご飯を食べるのは合宿以来だなと想いを馳せつつ、割と辛い麻婆豆腐に舌鼓を打つ。

 決して意識をしている訳ではないが、これでにこの手作り料理を皆で食べるのも最後かもしれないという事実が頭を過ぎる。だが、決して表情には出さず、思穂はただ楽しむことにした。ご飯は楽しく、これが彼女のモットーである。

 

「というか思穂、あんたもうちょっとお上品に食べなさいよ」

「ふぁっほふぁっぼふぁふぁふぁふぁ」

「思穂ちゃん、食べたまま喋らない方が良いと思うなぁ」

 

 ことりにほんのり指摘されてしまった思穂はすぐさま水で流し込み、そしてどこからともなくナイフとフォークを取り出すとまるで貴族かのような振る舞いで麻婆豆腐を食べ始めた。

 恐ろしく器用な食事風景を見た凛が一言。

 

「どうして凛、こういう変なことで思穂ちゃんをすごいって思えるんだろう?」

「とてもじゃないけど、ナイフの腹に豆腐載せたり、フォークで掛かっているタレを掬っている人をそんな目では見れないわね」

「ほわっちゃ! 凛ちゃんはともかく、真姫ちゃん。今の発言は見逃せないねー! 裁判ゲームなら『待った』掛けてるよこれ!」

「うぇっ!? ちょ、ちょっと思穂、こっちに来ないでよ!」

 

 思穂が真姫に抱き着き、凛がそれに続いて抱き着いたりなど非常に賑やかな食事となった。穂乃果までもが面白がり、思穂達の輪に混ざりだす始末。

 ――そうなると、オチはやはり海未によって雷が落とされるというのはもはや決まりきったことと言ってもいいのだろう。

 何をやっても楽しい時間、明日には全てを掛けたパフォーマンスをするというのがまるで嘘のようにひたすら楽しむ。それが今のμ'sに許された最高の英気の養い方なのだから。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「色々話が通るとは思ってたけど、まさかバスも用意してくれるなんて夢にも思わなかったよ」

「たった十人の為に……理事長、良いんでしょうか?」

「まあまあ! 学生がそれを考えるのは学生らしくないよ! ここはただ感謝して、これからに備えるだけだよ!」

 

 決意を新たにしたラブライブ本選当日。思穂達は今、音ノ木坂学院が借り上げたバスで会場へ向かっていた。二十五人定員の中型バスは広く、非常に贅沢な気分であった。

 思穂は少しばかり皆の顔を見回した。そして、彼女は座席から立ち上がる。

 

「よし皆! だいぶ顔に固さが見られるからこの思穂ちゃんが一曲歌ってあげよう! こんなこともあろうかとマイクも持ってきたし!」

「どういう時なのよ」

「へいにこちゃん、そういう野暮は止めよ? にっこにっこにーだからほんと、にっこにっこにーな感じになるから止めよ?」

「私はあんたの言っていることが一ミリも理解出来ないわよ」

 

 にこのジト目をなるべく見なかったことにしていき、思穂はおもちゃのマイクを片手に、スマートフォンを逆の手に持つ。そして、音楽を掛けると、皆が一斉に首を傾げた。当然である、何故なら歌はともかく、曲だけとなるとピンと来ない。

 そんなことはお構いなしに、彼女は腹から声を出した。μ'sの皆に届くように。

 

「わーたしーはしーほー!!! おーたくじょーし! おーいえー! せいんとしーほ! 馬車馬のよ~うに~!!」

 

 そこから始まるのは様々な方面から怒られそうな緻密な歌詞構成と共にバスの中に響く“騒音”。ボエーという感じである、何がとは言わないが。思わずμ'sメンバーは耳を塞ぎ、顔をしかめる。

 やがて、我慢できなくなったにこが思穂の元へずんずんと詰め寄る。

 

「思穂! あんたなんなのよそのダミ声は! それ女子が出して良い声じゃないからね!?」

「ほわっちゃ!? 嘘だよね!? ええっ!? 正直美声だと思ってるんですが!?」

「これで美声なら私達みんな美声よ!!」

「……ぷっ、あははは!」

 

 突然笑い出した思穂に、皆が目を丸くした。中にはついに頭がおかしくなってしまったのかと思ってしまう者もいる始末。具体的には絵里と希、そして海未という比較的、常識人達である。

 そんな生暖かい目を無視し、彼女は両手を広げた。

 

「オッケーオッケー! 皆、だいぶいい顔になってきたね! それでこそ最終決戦にふさわしい顔だよ!」

 

 思穂は続ける。もう少しで本選会場。ゆったりとした時間で言葉を贈れるタイミングはここだけ。なれば、自然と彼女の口から言葉が出るのは必然ともいえる。

 

「私はね。これを奇跡なんて思ってないよ。これはね、皆が頑張ったからこそ辿り付けた必然なんだ! 誰かが、じゃなくて皆が頑張ったから……だから私は今更皆に“頑張れ”だなんてつまらないことは言わないよ。言うのは一つだけだよ!」

 

 下手な言葉はもういらなかった。片桐思穂が、μ'sへ贈る言葉は世界でたった一つ。ある意味もっとも難しく、そしてもっとも無責任な言葉。それを、恥ずかしげもなく彼女は言った。

 

「――楽しんで! 本選に参加する誰よりも、どのグループにも負けないぐらいに! そして!! 優勝だー!!」

 

 底抜けに明るい思穂を見て、既にμ'sの皆には“緊張”などという言葉は消え失せていた。目指すところはたった一つ、方法も単純。

 だからこそ、μ'sは決戦の舞台へ行くことが出来たのだ――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 時間は夜。本選の会場には観客がひしめいてた。既に他のスクールアイドルグループは発表を終え、その余韻に浸っているところ。μ'sとしてはこれからが本番である。

 既に着替えは済ませ、あとは出るのを今か今かと待つだけ。ことりが気合に気合を入れた衣装に身を包んでいる皆は思穂の眼から見ても全然可愛くて、思わず抱きしめたくなるほどであった。

 

「思穂ちゃん、どうどう?」

「オッケーだよ穂乃果ちゃん! もう目に入れても痛くないよ!」

「どうして思穂はそう、穂乃果に甘いのですか……」

「海未ちゃんも可愛いよ! 特にそのおみ足が!」

「どこを見て言っているのですか!」

「海未ちゃん、ここで体力を使っちゃ……」

 

 ことりに窘められながらも海未は思穂を睨むが、彼女はそのスラーっと伸びる足を眺めきり、にこの方へ視線を向けた。

 

「にこちゃん、ブルってない? 大丈夫?」

「ふん、私を誰だと思ってんのよ」

「まきりんぱなはどう? 緊張する?」

「何で私と花陽と凛を纏めてんのよ! ……今はそれよりも、早くあのステージに立ちたいんだから」

「私は、緊張しちゃうけど……でも、真姫ちゃんと同じ気持ちだよ」

「凛は早く踊りたいんだにゃー!」

 

 三人三色の答えは絶妙に違うも、その本質は一緒で。

 それに、希と絵里が加わった。また違う感じで。

 

「今日のウチは遠慮しないで前に出るから覚悟しといてね!」

「なら! 私もセンターのつもりで目立ちまくるわよ!」

「おお! 二人とも今日はすっごい張り切ってるね!」

「当たり前や! だって今日は最後のステージなんやから!」

 

 そこからは徐々に盛り上がってくるμ's。まだ盛り上がれる、まだ楽しめる。次々に名乗りを上げる“センター”達。

 これこそが最後のステージにふさわしい。そんな瞬間が、とうとうやってきた。

 

「さあ、とうとう時間だよ。穂乃果ちゃん!」

 

 思穂は穂乃果を皆の前に突き出した。彼女に背中を押された穂乃果は表情を引き締め、言った。

 

「皆、全部ぶつけよう! 今までの気持ちと、想いと、ありがとうを全部乗せて歌うんだ!!」

 

 そして、誰からともなくピースサインを合わせた。いつもの儀式だ。だがそこに思穂はあえて加わらなかった。

 

「思穂ちゃん?」

「私がそこに加わるのは――ね?」

 

 その笑顔で九人が彼女の言いたい事を察し、頷いた。

 穂乃果が口を開くも、声が出ない。そのことを海未に指摘された彼女は素直に言った。

 

「なんて言ったらいいか分からないや」

「穂乃果ちゃん……」

「だって本当にないんだもん。もう全部伝わってる。もう気持ちは一つだよ」

 

 感じていることも、考えていることも同じ。

 そう続けた穂乃果は、大きく息を吸い込み、そして吐く。

 

「μ'sラストライブ! 全力で飛ばしていこう!!」

 

 

 ――『KiRa-KiRa Sensation!』。

 

 

 奇跡という名の階段を登り切った先に視えた“光”の中、全力で“今”を楽しもうとする少女たちの歌だ。

 

「ああ、良いね。やっぱり穂乃果ちゃん達は最高だ」

 

 パフォーマンスをする彼女たちを遠目に見ながら、思穂は少しだけ涙ぐんでいた。今、あの瞬間は全ての観客が穂乃果達だけを見ている。

 こんなに嬉しいことはないだろう。講堂でのファーストライブの時に比べればその数は数えるのすら馬鹿馬鹿しくなってくるほど。

 

「良くもまあ、ここまで来たね。すごいよ、本当に」

 

 曲が――終わった。

 一瞬の余韻の後、すぐに起こる“アンコール”の声。その声達はラブライブ本選の規定には載っていない“ありえないこと”。そんなありえないことが今こうして起こったのだ。

 

「よっしゃ……なら、やらないわけにはいかないよね!」

 

 思穂はこんなこともあろうかと持って来ていた“ある物”を取りに行こうとすると、彼女の目の前にヒフミトリオが現れた。

 

「あれ……三人ともどうしたの?」

「思穂ちゃんの考えなら!」

「お見通しだよ!」

「ほら、これを取りに来たんでしょ?」

 

 ミカが持っていた袋はまさに思穂の取りに行こうとしていたもので。ちょうど、その時、後ろからμ'sが歩いてきていた。

 

「思穂……ちゃん」

「やあ穂乃果ちゃん。それに皆、お疲れ様だったね。っていうかあ~あ、穂乃果ちゃんまだ泣くのは早いよ?」

 

 言いながら、思穂は穂乃果を抱きしめ、頭をポンポンと撫でてやった。しばらく彼女の温もりを感じた後、思穂はゆっくりと離れ、袋を手渡した。

 

「ほら! 泣くのは皆のご要望にお応えしてからだよ! もー、皆で言ったでしょ? 最後の最後まで楽しもうって! だから!」

「うん……、うん!!」

 

 涙を拭った穂乃果はしっかりとその袋を受け取った。

 自分たちが今の中で、今出来ることを全力で成し遂げるために――。

 

「さあ行って皆! そして楽しんできて! 皆の為に! 自分たちの為に!!」

 

 

 ――『僕らは今のなかで』。振り返る暇もなく、ただ輝きを追い続けていた彼女達の軌跡を綴った歌である。

 

 彼女達は間違いなく“夢”を駆け上がり、輝いた。

 これより語られるのはそんな彼女達と、ひっそりと輝き続けた少女の最後の物語。後にも先にも一生彼女達の記憶に残り続けるであろう、そんな話。

 今、その最後のページが開かれる――。



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最終話 オタク女子と九人の女神の奮闘記

これで最終話となります!

長い間応援いただき、本当にありがとうございました。
最後の最後までどうかお付き合いください!


 春夏秋冬を巡り、再びやってきたこの季節には二つの出来事が皆の前にやってくる。

 一つは新たな出会い、そしてもう一つは――別れ。

 思穂は現在、体育館でその準備を行っていた。

 

「思穂せんぱーい、この装飾ってどこでしたっけ?」

「あ、それは上に登って、あそこの手すりからあっちの手すりにまで掛ける奴だよ」

「ありがとうございます!」

 

 書類ファイルを小脇に抱えながら、思穂は卒業式準備の陣頭指揮を執っていた。穂乃果達は穂乃果達で相応の準備があるので、ヒフミトリオを始めとする有志達に手伝ってもらっての作業である。

 

「思穂ちゃん、この看板はどこだっけ?」

「あ、それ? 渡した紙に書いてある場所に置いておいて! それは卒業式が終わったらすぐに使えるようにするから!」

 

 フミコは片手を上げ、それに了承した仕草を見せてまた作業に戻っていった。その一連のやり取りを見ていたミカが思穂のところまでやってきた。意地悪そう笑みを浮かべつつ。

 

「いいの? これ下手すれば後で怒られるかもだよ? ていうか良くラブライブの本選があったのに練習する暇あったよね」

「うん、そこはまあ頑張ってもらったよ! ……これだけは、どうしてもやりたくってさ」

 

 言いながら、思穂はスマートフォンの画像フォルダからとある写真を一枚選択した。

 それは部室内で撮った記念写真。中央には『ラブライブ優勝』と書かれた大きな旗、そしてトロフィーを持っている穂乃果を中心に思穂を含めたμ'sメンバーが写ったものである。皆、とても清々しい笑顔で、喜びをこれでもかというほどに表現していた。

 

 ――『ラブライブ』優勝。

 

 これが、彼女達の輝きの集大成。あの日、彼女達は確かに伝説になれたのだ。会場を圧倒し、魅了したその結果、こうして今、思穂の携帯の画像ギャラリーの一員となっている。

 時計を見ると、卒業式まであと一時間ほど。スタッフが優秀なのもあり、すでに九割方の準備は出来ていた。

 

(まあ、卒業式だけの準備ならとっくに終わってたんだけどね)

 

 そう、思穂は自分の我が儘に皆を付き合わせていたのだ。事情を話すと、皆が二つ返事で快諾してくれたのも大きい。周りの優しさを噛み締めながら、彼女は自信をもって声を張り上げられた。

 

「しっほちゃーん!」

「おお、穂乃果ちゃん。お疲れ様です!」

 

 穂乃果を先頭に、海未とことりがやってきた。来て早々、海未は会場を見回し、色々と察した様子であった。

 

「気合、入っているようですね?」

「うん! ……皆には、せっかくあのラストライブで完全燃焼してもらって悪いんだけどね」

「それは言いっこなしですよ」

 

 海未の言葉をことりが引き継いだ。

 

「そうだよ思穂ちゃん、ちゃんと皆もやりたいって言ってたんだから大丈夫っ!」

「ことりちゃん……君はなんて天使な子なんや……!」

 

 彼女の笑みが大天使の微笑に見えた思穂は、一瞬手を合わせそうになったが、そうすれば完全に変な人扱いされてしまうので、とりあえず抱き着いておいた。それはもう、大天使コトリエルの抱き心地は最高であった。

 

「さぁて……私はちょいと席を外させてもらうね」

「どこ行くの?」

「野暮用ー!」

 

 そう言いながら、思穂は体育館を後にした。

 廊下を駆けている最中、ふと中庭を見ると、探していた人物一人目に出会えたので、思穂はすぐに向かった。

 

「やあ希ちゃん。今日はいつも以上に大人っぽい髪形で思穂ちゃん正直メロメロだよ」

「思穂ちゃん……」

 

 屈んで花を眺めていた希が立ち上がると、一つに纏められ、左側に垂らされた三つ編みのおさげが揺れた。いつもの二つおさげも良かっただけに、更なるギャップを感じる。ギャップ萌え、そんな言葉が、思穂の脳裏をよぎった。

 

「どうだった、三年間は?」

「ふふ、言わなくても分かってくせに」

「愚問だったね」

 

 空を見上げながら、希は言う。

 

「本当に奇跡だった……。エリちに会えて、μ'sの皆に会えて、そして思穂ちゃんに会えたのが。ウチ、本当に楽しかったんよ? いつまでもあの中で笑っていたいって本気でそう思えた」

「うん、私もだ! だから卒業なんてなくなればいいのにね!」

「あはは! それじゃあ思穂ちゃんはいつまでも二年生のままやよ?」

「うわあ! それは嫌だなぁ! なんかこう……頼れるお姉さんキャラを維持するためには三年生っていうポジションはぜひとも欲しいところだね!」

 

 一瞬の沈黙。言葉ではなく、心で通じ合っている。思穂は無言で右手を差し出した。

 

「卒業、おめでとう!」

「……ありがとう、思穂ちゃん!」

 

 希と言葉を交わし、思穂は“二人目”の元まで歩いていた。何となく、どこにいるかというのは分かっていたのだ。

 

「お、何となく来てみたらやはりいたね!」

「思穂、どうしたの?」

 

 生徒会室にはやはりいた。鉄血にして堅物であった“生徒会長”から“一人の女子生徒”に戻れた、あの絢瀬絵里が。言葉こそ疑問形であったが、その表情はどこか“来る”と確信めいたもので。

 

「いやぁ、ちょっとばかり話をしたいなってね」

「穂乃果も似たような用事でさっき来たわよ~?」

「ほわっちゃ。流石、考えることが似ているね!」

 

 絵里の隣に行き、窓の外を見る。そこには桜が舞う中、各々の時を過ごしている卒業生と在校生がいた。

 

「……私はね、正直今でもこれが夢なんじゃないかって思っているの」

「へぇ、絵里ちゃんともあろうものが珍しい。理由を聞かせてもらってもいい?」

「もし穂乃果達と出会っていなかったら、私はこんなに清々しい気持ちでここを卒業できなかったと思うの。だって、廃校阻止よ? 普通なら、成し遂げられることじゃないわ」

「うん、そうだね。誰か一人が欠けていても駄目だったんだ。全員がいたから、この奇跡が起きた」

「もう何度も言ったと思うけど、改めて言わせて思穂。あの時……ううん、その前からずっとずっと私と向き合ってくれて本当にありがとう」

 

 そう言って、絵里はすっと手を差し出した。

 思穂は口を開こうとしたが、今喋れば確実に“我慢できない”と感じ、ただ無言でその手を取り、そして抱き着いた。

 

「何を言ってるのさ、絵里ちゃん。こっちこそ、ずっと私の事を怒ってくれてありがとう」

 

 ――次に思穂が向かったのはアイドル研究部の部室。

 最後の一人、思穂が誰よりも、何よりも尊敬する人物。自分よりも小さいのに、背中がとても大きな偉大な先輩。

 

「にこにこに~」

「私の持ちネタ適当に使うんじゃないわよ! 何よ、そのテンションの低さは!?」

 

 花陽辺りがいると思っていたらなんと、部室にはにこが一人いた。

 ある意味、好都合。この偶然は単なる偶然じゃない。そう思いつつ、思穂はにこの隣に座った。

 

「いやぁ卒業だね! 良く卒業出来たね!」

「あんたって奴は最後の最後まで私に喧嘩を売ってくるのね……」

「それが私だから何言ってんの!?」

「何で半ギレ気味なのよ!」

 

 一通り言った後で思穂は少しばかり雰囲気を変えた。言いたいことを言うために。

 

「……よく頑張ったよねーにこちゃんは! 本当に!」

「ふん! 宇宙ナンバーワンアイドルのこの矢澤にこがいるのよ。当然よ、とーぜん!」

「うん! 私はずっとにこちゃんなら出来るって思ってたよ!」

「な、何で素直に返してくんのよ……」

「だってさ、にこちゃんがμ'sに入ってくれたからこそ、今の私達があるんだよ!」

「……実際ね、感謝してんのよ。ほんと、あんた達には」

 

 頬杖をつきながら、にこは言う。少しばかり不機嫌に、少しばかり嬉しそうに。

 

「前にも言ったと思うけど、私にとっては本当に奇跡なのよ。皆に出会えたこと、そしてラブライブに優勝できたことも。全部ひっくるめて奇跡なの。だから、ありがとう」

「私はね、あの頃からにこちゃんに憧れていたよ。私ならたぶん絶対挫折しているような出来事に直面しても決して折れなかったにこちゃんが、私はすごいなって思ってた」

「ただアイドルが好きなだけよ、私は。だから折れるなんて有り得なかっただけ。でも、ま」

 

 少しばかり言葉が止まったにこ。だが、やがてするりと言葉が紡がれた。

 

「あんたが馬鹿みたいに私に絡んでくれたから、私も毎日が楽しかったわよ」

 

 ――その時の気持ちを何と表現したら良かったのだろう。

 フラッシュバックするにことの出会い、そこからの付き合い。いつもど突かれて、だけど優しくて、そんなにこの顔を見ていると、思穂は自然と涙が出ていた。

 

「ちょ、何で泣くのよあんたは!」

「う、うっさいうっさい! ちょっと目に伝伝伝が入っただけなんだから!」

「少女漫画並みの目のデカさよねそれ! あーもう!」

 

 そう言って、にこはポケットからハンカチを取り出し、思穂の涙を拭った。

 

「これから三年生になるあんたが、そんなんでどうすんのよ? シャキッとしなさいよ全く」

「……うん……、うん!」

「あんたはいつまでも私の後輩で、そして仲間よ。だから泣くんじゃないわよ」

「にこちゃん……! にごぢゃーん!!」

 

 思穂はその時、ずっとこの撫でてくれるにこの手を忘れるものかと心に誓った。

 ――いつか、自分もこんな手になれるように、そう思いながら。

 

「そういえば思穂。あんたは将来の夢って何かあるの?」

 

 部室から出ようとした時、にこからこんな質問をされた。

 

「私?」

「ええ。あんた、何でも出来るじゃない? だからちょっと気になってね」

「そうだなぁ……」

 

 色んな道が思穂の脳裏に浮かぶが、一度それを全て忘れ、そうすると一つだけ残った。

 

「将来の夢って訳じゃないけど、まずは世界を旅したいね。その後はそうだなぁ……先生になりたいかも」

「先生? あんたが?」

「うん。私の経験したことを皆に伝えていって、それで少しでも皆の“何か”になれれば、それはすごく素敵なことだと思うんだ」

「へぇ、あんたも珍しくまともなことを言うのね」

「あ、それはちょっと聞き捨てならないね! ふっふっふ。私の教師姿は刺激的だよぉ~。発禁待ったなしだよ!」

「何の教師よそれ」

「さってと、それじゃあ私はそろそろ行くね。卒業式だ!」

「ええ、またあとでね」

「うん! またあとで!」

 

 部室から飛び出した思穂は廊下を全力疾走せざるを得なかった。活力とやる気がこんなに漲っているのだ。走るしかないだろう。何せ、尊敬する先輩からとても力になる言葉を頂いたのだから――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 粛々と開始された卒業式。卒業証書の授与も終わり、理事長が挨拶を終えると、いよいよ生徒会長からの送辞であった。

 

「送辞! 在校生代表、高坂穂乃果!」

 

 そこから始まる送辞。実は何を喋れば良いのかわからなかったこと、何度書き直したか分からなかったこと。――結果、そういうのが苦手だったこと。

 

「子供のころから、言葉より先に行動しちゃう方で、時々周りに迷惑を掛けちゃうこともありました」

 

 自分を上手く表現することが苦手で、不器用で。――だけど、そんな時に出会ったものがあったのだ。

 

「でもそんな時! 私は歌と出会いました!」

 

 気持ちを素直に伝えられる、歌うことで同じ気持ちになれる、歌うことで心が通じ合える。そんな歌と出会い、そんな歌が何よりも――好きだった。

 

「先輩、皆様方への感謝と、これからのご活躍を心からお祈りし、これを贈ります!」

 

 いつの間にか、真姫がピアノの方に移動して、座っていた。鍵盤に指を置き、旋律が流れる。

 その歌は思穂、そして穂乃果が初めて触れた真姫の声と心。全てに感謝とありがとうを伝えるのにこれ以上ふさわしい歌はなかった。

 

 ――『愛してるばんざーい!』、と。

 

 穂乃果が歌い、やがて海未が、そしてことりが、凛が、花陽が、皆が――全てが一体となり、精いっぱい“ありがとう”と、そう歌ったのだ。

 その中には当然、思穂も加わっていた。だが、これで全部じゃない。まだあるのだ。

 片桐思穂が贈る精いっぱいの“ありがとう”が。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 卒業式が終わってから、自然とμ'sの皆は集まっていた。そこには思穂もいて。

 そして皆で色々とやることをやった。アイドル研究部の部長には花陽が就任し、副部長には真姫、リーダーには凛が。誰からも不服がない、なるべくしてなった結果。

 それからは色んなところを皆で回った。グラウンドや講堂、そしてアルパカ小屋、この学校の全てには思い出があった。いつまでも留まっていたくなってしまうのも無理はないだろう。

 だけど、まだ最後の最後に行っておきたいところがあった。そこはμ'sの全て、と言っても全く過言ではない場所で。

 

「最後はやっぱりここね」

 

 絵里の言葉に、穂乃果が頷いた。

 そこは屋上であった。最後の最後に訪れる場所として、ここほどふさわしい場所はきっとない。

 

「練習場所がなくて、ここに集まったんですよね……」

 

 海未の言葉に自然と皆が頷いた。

 そこは皆が喜び合い、時には怒り、そして哀しくなり、どこまでも――楽しかったそんな場所。

 そんな所をじっと見ていた穂乃果が、突然何かを思いついたのか、走り出し、バケツとモップを持ってきた。

 

「穂乃果ちゃん、どうするの?」

「見てて思穂ちゃん! 皆! えーい!!」

 

 穂乃果がモップを屋上に走らせると、そこには巨大な『μ's』の字が出来上がった。

 それを見て、真姫がどこか物悲しい表情を浮かべる。

 

「この天気だから、すぐ消えちゃうわよ……?」

「それで良いんだよ。それで」

 

 皆が並び、そして誰がタイミングを取ったわけでもないのに、自然と声が一つとなっていた。

 

 『ありがとうございました』。

 

 ある意味、μ'sのメンバーである屋上へ向かって、皆が心からの感謝をその一言に込めた。

 一人、また一人と出て行った。皆が屋上を出ていく中、思穂と穂乃果が立ち止まる。

 

「あったね、色々と」

「……うん」

「皆が行ったよ」

「やっぱりここはすごいね。色んな事を思い出しちゃうや」

「穂乃果ちゃん」

 

 思穂は穂乃果の隣に立ち、消えていこうとする『μ's』の文字を見つめる。そして問うた。全ての総決算たる台詞を聞きたくて。

 

「――やり遂げられた?」

 

 長いようで短い視線の交差。それ以上を言わない思穂の優しげな瞳を見て、穂乃果は頷いた。しっかりと、そして明確に、力強く、彼女は言った。

 

 

「やり遂げたよ、最後まで――!」

 

 

 そんな穂乃果の言葉を受けて、思穂はにっこりと笑顔を浮かべた。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 思穂は今、体育館の中を見てから、近くにある控室に向かっていた。

 その体育館の中には、卒業式だというのに、全校生徒、そして親御さんまでもがいた。

 これらは全て思穂が集め、そして来てくれた“観客”である。

 もしかしたら来てくれないかもしれない、そんな不安なぞ鼻で笑うぐらいの満員御礼。参加率百パーセント、否、百二十パーセントはまず間違いないだろう。

 彼女は控室の扉を開けた。

 

「おお、皆、やっぱり可愛いねー!」

 

 そこにはことり手製の衣装に身を包んだμ's全員がいた。

 

「うん! さっすがことりちゃん!」

「ありがとう穂乃果ちゃん! 私、頑張っちゃいましたっ!」

 

 一通り見回してから、思穂は体育館の中の状況を伝える。

 

「おかげさまで全員が帰らず、っていうか親御さん方まで集まってくれているよ!」

「なんだかラブライブ本選よりも緊張するわね……」

「絵里ちゃんが珍しく弱気にゃ~」

「ふふ。でもそれ以上に楽しみよ私は。何せ、思穂の一世一代の我が儘に付き合うんだから――でしょ?」

「こりゃあ一本取られちまったね!」

 

 そう、これは片桐思穂の一世一代の我が儘。μ'sのキャッチフレーズを考える際に、思穂自身が懇願したものである。

 μ'sのマネージャーとして、一人のファンとして、思穂は卒業式の日にライブを組んだ。

 

「ラブライブがμ'sにとってのラストライブなら、今からやるライブは絵里ちゃん達音ノ木坂学院卒業生にとってのラストライブ。先生達には全力で話をして、そんでもって、皆の協力が得られたからこそ出来るようになったライブだよ」

 

 μ'sを引き連れ、思穂は体育館の出入口の扉までやってきた。ここを開け放てば、始まるのだ。

 そこで彼女は立ち止まり、振り向いた。

 

「さあ!! ここから先に待っているのは皆の最後の歌を楽しみにしている人たちばかりだよ! そしてそこに――私もいる。音ノ木坂学院スクールアイドルグループμ'sのマネージャーであり、そして一人のファンである私もいる」

 

 思穂はさらに続けた。

 

「だからさ、歌って! 喜びも悲しみも全てを込めて、私に、私達に聴かせてよ!」

「うん! やろう皆! 全部を込めて、歌い切ろう! 完全燃焼しよう!!」

 

 九人が輪になり、ピースサインを合わせた。だが、すぐに穂乃果がいつもの言葉を言わないことに首をかしげていると、彼女が思穂の方を向いて、こう言った。

 

「思穂ちゃん! 思穂ちゃんも来て!」

「……私!?」

「そうよ思穂、貴方もマネージャーなんでしょ?」

 

 そう言って絵里がウィンクをする。

 

「思穂ちゃんも早く早く! ウチの隣に来てもええよ?」

「ったく、ようやくあんたが入って点呼やるのね。いつやるのか疑問だったわよ」

 

 希が微笑み、にこが悪態をつく。

 

「しっほちゃーん、早く来るにゃー!」

「全くーいつもいつも羨ましそうに見ていたの気づかないとでも思ってたの?」

「思穂ちゃん。実は私、思穂ちゃんとこれやってみたかったの」

 

 凛が、真姫が、そして花陽がウキウキとしている。

 

「思穂、貴方もμ'sです。マネージャーという立場ではありますが、それでも私達の大切な仲間ですよ」

「思穂ちゃんがいてくれたから、私達はこうしているんだよっ?」

 

 海未とことりが空いている手を思穂へ差し出す。穂乃果も手を伸ばしていた。

 その手に引かれるように、思穂はゆっくりと穂乃果の隣に立ち、ピースサインを作った右手を伸ばした。

 一際大きな星となったのを確認すると、穂乃果から――始まった。

 

「一!」

 

 穂乃果から始まり、ことり、海未、真姫、凛、花陽とカウントはどんどん続いていく。

 

「七!」

「八!」

「九!」

「思穂ちゃん!!」

 

 穂乃果が、そして皆から背中を押されるように、思穂は高らかにそして清々しく“その言葉”を口にした。

 

 

「ほわっちゃー!!!」

 

 

 ――『それは僕たちの奇跡』。

 長い道のりだった。だが、彼女達の物語はそう大それたものではない。夢が出来、夢を追いかけ、夢を抱きしめ――そして明日を駆けることが出来た、たったそれだけの物語。

 その物語には一人のオタク女子がいた。キッカケは自分のオタクライフを守るため、だがいつの間にか彼女は九人の音楽の女神と共に奮闘するようになっていた。

 奮闘記なるものがあるとすれば、彼女達との物語はどこまでも自身を喜ばせ、時には怒らせ、たまには哀しませ、だけどどこまでも楽しくさせる――そんなストーリーだったと胸を張って答えることが出来るだろう。

 

 

 これはオタクライフを守るため、九人の女神と行動を共にしたオタク女子の何という事の無い、そしていつまでも続く物語である――。

 

 

 

 

【ラブライブ!~オタク女子と九人の女神の奮闘記~ 完】




これでラブライブ!~オタク女子と九人の女神の奮闘記~は完結となります。

一期最終話で何でも出来るけどそれでも自分はちっぽけなただの一人の人間ということを自覚した思穂がμ'sの皆と共に、最後まで駆け抜ける事が出来ました。

女オリ主のラブライブ二次は書いていて本当に楽しかったです!皆様の応援があったからこそ、こうして畳むことが出来ました!ありがとうございましたとしか言えません!

これからは番外編を充実させていこうと思いますので、まだまだ目を離さないでもらえれば嬉しいです!

ではまたいつか!


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短編集
三分、されど三分!


 何て事の無いある日。思穂は何気なく呟いた。

 

「三分間って割と長いよね」

「分かる! 凛はカップラーメンを食べるときにそう思うよ!」

 

 部室では思穂と凛の二人きりであった。まだ誰も来ない部室で、思穂が呟いた一言でこの話は始まりを迎える。

 

「大体、何でラーメンを食べるのに三分も待たなきゃならないのかが分からないよ! 凛はすぐにラーメンを食べたいのに!」

「うんうん分かる分かる! 私もフリーゲームをダウンロードする時に強くそう思うよ! 何でこんなダウンロード遅いんや! って感じでさ! これは西の名探偵もご立腹だよ!」

「……凛はたまに思穂ちゃんが何を言っているのかが良く分からなくなる時があるにゃ」

 

 いまいちピンとこない様子であった。思穂はその内、凛にもこの果てしのないオタク道に引きずり込まなければと再び決意を新たにする。

 そう言えば、と思穂は凛をじっと見る。思えば、凛とこうして二人きりになる時間は今までになかった。

 

「とまあ若干小馬鹿にされてしまっているだろうから、ここで私が一つ! その三分間の理由を教えてあげよう!」

「えっ本当!?」

「もちっ! ということでまずはこのカップラーメンを見て頂こうかな」

 

 そう言って思穂は鞄からカップラーメンを取り出した。ふたを開けてお湯を注いで、三分間待つだけのオーソドックスな代物だ。それを思穂は机の上にそっと置く。

 

「……え、どうして思穂ちゃんカップ麺持ってるの?」

「ん? 今日のラッキーアイテムがカップ麺だったからだよ? もしかして星座占いとか信じないタイプ?」

「じゃあお昼ご飯って何食べたの? お弁当?」

「シソの葉だよ。最近は塩漬けで細々と食べるのが乙な食べ方だと気づかされたね」

「え……それを変だと思う凛がおかしいの? 何か凛が悪者みたいで嫌だよー!」

 

 逆にどうしてラッキーアイテムを食すのかが思穂には理解できなかった。それにシソの葉も中々悪くはない。食べれば口の中がスッキリする。

 

「まあ、凛ちゃんもお年頃だからね。そういう些細なことに気を取られるのも良く分かるから! だから、ね? 難しく考えない方が良いよ?」

「って、それじゃ益々凛がおかしいみたいだから! 思穂ちゃん、その優しい目は止めて!」

「全く……凛ちゃんはたまにはしゃぎすぎることがあるから思穂ちゃん困っちゃうよー!」

 

 凛の抗議をさらりと受け流し、思穂はカップラーメンを指さした。

 

「それでね、どうして三分間待たなきゃならないかっていう話に戻るんだけど……。あれ、凛ちゃんどうしたの?」

「……凛、思穂ちゃんの事嫌いになりそうだにゃ」

「ええっ!? ご、ごめん! それだけは嫌だよー! ドゥアメドゥアメドゥアメー!」

「最後何でにこちゃんの声真似をしたのか分からないよ……。むー……もう、良いよ。それで何でカップ麺は三分も待たなきゃならないの?」

 

 その問いに答えるため、思穂は鞄から電波時計を取り出し、机の上に置いた。この時計はいつも勉強に使っている愛用の時計だ。それを置き、思穂はタイマーをセットした。時間は三分。

 続いて、思穂は保温ボトルを取り出し、蓋を開けたカップ麺へお湯を注いだ。まだあっつあっつである。

 

「さて、凛ちゃん。凛ちゃんはカップラーメンにお湯を入れた時、どうして時間を過ごしてる?」

「凛? 凛はう~ん……テレビとか観たり、漫画を読んで時間を潰すかな?」

「お、凛ちゃんもか。私もそう言う感じだよ! 美少女フィギュアを眺めているとあっという間に時間経っちゃっているんだよね!」

「美少女フィギュア……って何? 可愛い女の子のフィギュアってこと?」

 

 頷き、思穂はスマートフォンに保存している自分のコレクションの画像を見せてあげた。瞬間、凛は顔を真っ赤にし、手をぶんぶんと思穂の前で振った。

 

「しっ……思穂ちゃんこれ何っ!? な、何かすごくえっちな感じなんだけど!?」

「いやぁ最近のフィギュアはすごいよ。造形と言い、衣装の露出具合と言い、全てが職人の心意気を感じるよね!」

「そ、そんな心意気嫌だにゃー!!」

「ちなみにこのフィギュア凄いんだよ、ほらここ。背中からお尻のラインが……」

「にゃああああ!! これ後ろほとんど裸だよぉー!!」

 

 フィギュアの後姿を見せると、そのあまりの際どさに凛は完全にショートしてしまった。やり過ぎたと、思穂はそそくさとスマートフォンをポケットにしまった。

 

「う~ん……やっぱりこの宇宙一の殺し屋と呼ばれる身体の一部を自由な形に変えられる能力を持つ金髪美少女のフィギュアは見せない方が良かったのかな……。しかもこれ、覚醒バージョンだから衣装際どいし」

 

 純情な凛には刺激が強すぎたらしい。今も顔が真っ赤である。思穂はチラリと時計を見る。残り、一分切った。

 

「思穂ちゃん……結構そういうの持ってるの?」

 

 恐る恐ると言った様子で凛は聞いてきた。しかもチラチラと視線を外したり合わせたりと物凄い“乙女”をしていた。いつもならば、ここで思穂は更にセクハラ発言に精を出すのだが、今回はここまでで止めた。

 

(お、思った以上に純情だ凛ちゃん……! このままじゃ私、ただのセクハラ野郎……いや女郎じゃないか!)

 

 なるべく穏便に、そして当たり障りのない言葉で思穂はフォローに入る。本当に嫌そうな反応をする者に、いつまでも嫌な話をするほど、片桐思穂は落ちぶれてはいなかった。

 

「それはすごいよ。もうすごいよ。凛ちゃんドン引くくらい持っているよ!」

「し……思穂ちゃんを見る目が変わりそうだにゃ……」

「げぇっ!? 墓穴!? ちょ、ごめ、それ嘘! 嘘だから!」

 

 その瞬間、ポーンとタイマー音が鳴った。ここでようやく三分が経ったのだ。思穂はポケットから割り箸を取り出すと、カップラーメンごと凛へ差し出した。

 

「え? 思穂ちゃんは食べないの?」

「うん、凛ちゃんに食べて欲しくてね!」

「わぁ! ありがとう思穂ちゃん! 話していたら三分なんてあっという間なんだね!」

 

 いそいそと割り箸を割り、手に持った凛へ、思穂は言った。

 

「そういうことなんだよ」

「……へ?」

 

 ゆったりとした動作で、思穂は人差し指を立てた。

 

「一分なら短すぎるんだよ。何をするにも、ね。例えばちょっとお手洗いに行きたくなっても一分だったら良い具合に伸びて美味しくないでしょ? 漫画を読むのだってそう。たった数ページめくって終わり」

 

 凛の反応を待たず、思穂は更に中指と薬指を立て、“三”を表した。

 

「だけど三分なら? 漫画も良い具合に読めるし、テレビもちょっと良い感じに見れる。そして、気の合う人がいれば程よくお話が出来る。一分ならあまりにもあっけないんだよ。かといって五分は長すぎる。――だから、その丁度良い時間が設定されたんだよ」

「確かに……。かよちんとカップ麺出来るの待っている時、いっつも丁度いい所でお話が終わるんだよね!」

「そういう事なんだよ。良く出来てるよね、ほんと。世界は本当に良く出来ている」

 

 凛はその時、僅かに時間が止まったような気がした。窓の外を見て、そう言う思穂が何だかいつもより大人っぽいと、そう感じたのだ。……いや、違った。もっと近い存在――そう。

 

「思穂ちゃんって、何だかお姉ちゃんみたいだにゃー」

「ん? そう? そっか……そういうのも需要があるのか……。メモしなきゃ!」

「台無しだよー……」

 

 いつもふざけているところを見すぎたせいなのだろう、と凛はそう結論付けた。だが、それで良いと思えた。たまにみるカッコいい思穂が、凛は割と好きなのだ。

 

「ほら凛ちゃん食べて食べて! 今日はピリ辛豚骨味だよ!」

「おおおー! 凛が大好きな豚骨味!? いっただきまーす!!」

「――すいません、遅れました。皆はもう揃って……」

 

 その後の展開としては、極めて理不尽なモノだった。ラーメンに手を付けた瞬間、運悪く海未が入ってきてしまい、『練習前に何て物を食べているのですか!?』と大激怒。

 凛が言い訳するよりも前に、思穂が部室を逃げ出したので、海未がそれを追い掛けて出て行ってしまった。

 

「思穂ちゃん、もしかしてワザと……」

 

 一人になった部室の中で、凛は呟いた。明らかに、自分から気を逸らすために行動を起こしたのだ。空気を読んでいるのか、素なのか、海未もまず思穂を追いかけて行ったのが何よりの証拠。

 

「――いただきますっ!」

 

 そんな面白い“お姉ちゃん”と今目の前に置かれているカップラーメンへ、凛は心の底からの“いただきます”を唱え、麺を啜り始める。味は当然――最高だった。



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夢と選択肢!

 何て事の無いある日。思穂は何気なく呟いた。

 

「絵本って、良いよね」

「絵本?」

 

 花陽が小首を傾げ、そう言った。

 部室には花陽と思穂の二人きり。最近、こうして誰かと二人きりになる確率が高いなと思いつつ、思穂は何げなく話を振ってみた。

 どうして絵本なのかと言うと、それには海よりも深い理由があったのだ。思穂は鞄の中から何冊かの絵本を取り出し、机の上に置いた。

 

「何でこんなにあるの?」

「まあまあまあ。ちょっと悪いんだけどさ、適当に一冊声に出して読んでみてくれない? 途中で良いから」

「い、今……?」

「うん。一ページだけで良いからさ!」

「……一ページだけで良いなら」

 

 完全に納得はしないものの、花陽は恐る恐るといった仕草で一冊の絵本を手に取った。『傘の上のおにぎり』と言うタイトルだ。適当にそれを取る辺り、流石小泉花陽といった所だろう。

 

「じゃあ、読むね?」

 

 一度深呼吸をした花陽は、静かに絵本を読み始めた。思穂は思わず目を閉じて、聞き入っていた。元々優しい声なのに加え、真面目な性格も相まって丁寧に一ページを読んでくれているので、ヒーリング効果が凄まじい。気を抜けばそのまま夢の国へレッツゴーだ。

 静かな部室に、花陽の優しい声。こんな贅沢な空間があっていいのだろうか。一分にも満たない夢の時間は直ぐに終わりを告げた。

 一ページを読み切った花陽がそっと絵本を閉じて、思穂へ返した。

 

「変じゃなかった……かな?」

「最高でした。ありがとうございます。これで今日多分寝ずに戦えます」

「そんなにぃ!?」

 

 真顔でそうのたまった思穂に、花陽は驚きのあまり声が上ずってしまった。自分はただ絵本を読んだだけだと言うのに、そこまで言ってくれる思穂。そんな思穂を見て、花陽はちょっとだけ思い出してしまった。

 

「でも、嬉しいな。何だかちょっぴり子供の頃の事を思い出しちゃった」

「子供の頃?」

「うん、私ね、子供の頃、絵本作家になるのが夢だったんだ」

「絵本作家? それはまた花陽ちゃんらしいというか何というか……。何でなりたかったか教えてもらっても良ーい?」

 

 そう軽く返すが、内心思穂は驚いていた。ご飯を前にすれば人が変わり、アイドルの話題に触れれば人が変わる、あの小泉花陽ならば小さい頃からアイドル一択だったと思っていただけに、意外な言葉だったのだ。

 

「えっとね、昔お母さんに絵本作家さんの講演会に連れて行ってもらった事があるんだ。それで、その時に読み聞かせがあって……」

「それを聞いて、心打たれたって感じ?」

「うんっ。作家さんの声が落ち着くなぁっていうのもあるんだけど、お話がね、すっごく感動したんだ。それで、私も皆を感動させるような絵本を作りたいなって」

「うん! そういう気持ちは大事だね! 人を感動させたいって言うのはクリエイターへの第一歩だよ!」

「そ、そうなのかな? えへへ、この事話したの凛ちゃん以外では思穂ちゃんが初めてだから何だか変な気持ち」

 

 照れ笑いを浮かべる花陽。結局は人を感動させたい、という気持ちが根底になければ良い物は生み出せない。もし花陽が絵本作家への道を本気で歩いていれば、きっと素晴らしい作品を生み出し続けていただろうと、本気でそう思う。

 

「あーあ、勿体ないなぁ。もしかしたら今頃、花陽ちゃんが良いお話を沢山絵本にしてくれていたのかもしれないのにー」

「そ、そんなこと無いよ……! そう言えば、思穂ちゃんってもしかして絵本好きなの? そんなに沢山鞄に詰め込んでいるなんて……」

「あ、これ? うん私も結構絵本好きなんだ。花陽ちゃんと似たようような理由でね。子どもの頃に読んでもらったのがすごく記憶に残っててさ。時たま集めるんだ!」

 

 両親に何かをしてもらった記憶が少ない思穂に取って、絵本も立派な思い出の一つである。その思い出を手繰るように、たまに思穂は絵本を購入しているのだ。絵本を開けば、あの頃の楽しい思い出がいつでも思い出せるのだから。

 ……少しばかり、自分の事を喋り過ぎた。思穂は話題を切り替えるため、少しだけ真面目になった。

 

「実はさ。隣町の保育園からちょっと頼まれごとをしているんだよね」

「頼まれごと?」

 

 思穂は頷き、机の上に一枚の用紙を広げた。色々書かれているが、要約するとその用紙は『読み聞かせ』の依頼状である。

 

「文化研究部の方にさ、依頼があったんだよね。私は当然行くとして、あと一人くらいはいないと格好つかないじゃん? で、そこでお願いなんだけど花陽ちゃん一緒に来てくれない? ちなみに来週の金曜の放課後!」

「わ……私っ!?」

 

 途端、花陽は頭の中が真っ白になってしまった。沢山の子供たちの前で、自分が絵本を読む。そんな光景が一瞬で想像出来た。……心臓がバクバクしてきた。

 

「むっ無理だよぉ……。私、人前でそんな、向いてないよ……」

「そうかな? 私はこれ以上にないくらいの人選だと思うんだけど」

 

 それはお世辞でもなんでもなく、ありとあらゆる条件を冷静にクリアしていった末の“なるべくしてなった”結果である。

 

「ほ、他の人を……」

「はーなーよーちゃん!」

 

 花陽の言葉をそっと遮るように、思穂は花陽の頬を触った。非常にぷにぷにしており、しばらく無心になる思穂。横に引っ張れば伸び、手の平で押し回せば体温とお餅のような弾力を直に感じ取れる。これは何という生体兵器だろうか。

 

「あうぅ……ぷにぷにしないで……」

「おおっ素晴らしい経験をありがとう! ……とまあ、冗談は置いておいてさ。本当に私、今回の仕事は花陽ちゃんとやりたいなって思ってるんだよね」

「私と……?」

「うん、やれば私がこんなにお願いする理由が分かると思う。どう? 私に騙されたと思ってさ」

 

 それが自分にやらせたくて言っているようなお世辞では無いことが思穂の目を見て、良く分かった。そんな思穂の言葉を信じてみたい、と花陽はそう思えた。

 

「……思穂ちゃんも、一緒なんだよね?」

「もち。もう絵本は選んで練習中」

「……じゃ、じゃあちょっとだけなら、やってみたい……かも」

 

 もじもじとしながらだが、花陽は意志を示した。それを受け取った思穂は早速、頭の中でスケジュールを組み立て始める。

 

「よぅし! じゃあ早速練習が終わったら図書館へ行こうか! 花陽ちゃんにピッタリな絵本を一緒に選ぼう!」

「思穂ちゃんの持っている絵本からじゃないの?」

「ん? やっぱり読むんなら花陽ちゃんの声質にピッタリなものでやりたいよね! って感じなんだよね、私としては」

「そっか、うん分かった。じゃあ、よろしくお願いします」

 

 と、ここで一人、また一人とメンバーが集まりだしたので、一端話を区切ることにした。来週の金曜日。花陽は微かに、だが確実に胸が高鳴っていた。それがどういう類のモノなのか、花陽はまだ自覚をしていなかった――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 時が経つのは早く、ついに読み聞かせの日となった。思穂は花陽を連れ、バスを使って目的地へと辿りついた。交通に関わる経費は全て文化研究部から捻出されている。領収書は絶対にもらい忘れがないように。

 

「さぁて、来たよ花陽ちゃん!」

「ここで……?」

 

 その保育園は割と大きなことで有名な所だった。それだけに園児の人数も推して知るべし、といった所だろう。

 

「そうだよ。緊張する?」

「う……うん、何だか段々緊張してきちゃった」

 

 いきなり大勢の子どもの前に出したら、花陽が気絶してしまうので、あらかじめ“子どもの人数多いから覚悟しておいて”と言っておいて本当に良かったと思穂は心から思った。

 遠くから女性が一人やって来た。思穂はその女性を知っている。彼女はこの保育園の先生の一人で、今回文化研究部に読み聞かせの依頼をしてきた人そのものだ。先生は柔和な笑顔で二人を迎えてくれた。

 

「こんにちは。思穂さんと、あと花陽さんよね? 今日はよろしくお願いしますね」

「はいっ! 全力でやらせて頂きます!」

「よ……よろしくお願いします」

「あら? 花陽さん、もしかして緊張してるの?」

「す、少しだけ……」

 

 いつの間にかカチコチになっていた花陽を見て、段々心配になってきた思穂。ライブの時はあんなにハツラツとしているのに。舞台が違えば、また違ってくるのかと自分の中で納得させつつ、思穂は早速、簡単に打ち合わせを開始した。

 と言っても、内容はそんなに濃い物では無く、どのタイミングで出るのか、時間は何分までか、等などの簡単なものである。

 

「花陽ちゃんは今日、難しいことは考えなくて良いからね。楽しんでいこう!」

「うん! まだドキドキするけど、やってみるね」

 

 先生の後に付いて行くと、大ホールの扉の前までやってきた。扉の上部についているガラスを見てみると、もう既に園児たちが座って待っている。……訂正。ワイワイ騒いでいる。

 

「あ、そうだ花陽ちゃん。読み聞かせにおいて、最も大事な事って何か分かる?」

「え? う~ん……大きな声で聞き取りやすいように読むこと、かな?」

「そうだね、それも大事だね。けど、もっと大事なことがあるんだ」

 

 スッと、思穂は手に持っていた絵本を軽く掲げた。

 

「心を込めて、相手に読んであげる事。特別な心構えも、技術も、何もいらない。ただこれだけで、読み聞かせは読み聞かせたり得るんだよ!」

「心を……込めて……」

 

 思穂の言葉を、花陽は胸の内で反芻する。その言葉で何だか肩の力が完全に抜けたような気がした。だが緊張感は適度なまま。それはまるで、ライブの直前のように程よくだが、心地よいものだった。

 もう、花陽の中に緊張と言う言葉は存在しなかった。

 

「思穂ちゃん行こっか。皆が待ってるよ」

「よぅし。良い顔になったね。それじゃあ、楽しみに行こう!」

 

 思穂に代わり、花陽が扉を開いた。

 

(あ……)

 

 こちらを向く園児たちの顔を見た瞬間、花陽はその子達に、忘れていた“何か”を視たのだ――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「たはー! 盛り上がったね盛り上がったわ!」

「い、今ちょっと足が震えているかも……」

 

 帰りのバスの中で、思穂と花陽は互いの健闘を称え合っていた。――結果はもちろん大成功だった。先生や園児は全員揃って笑顔になってくれたのが一番の証拠である。

 それに、と思穂は花陽を見る。

 

「花陽ちゃん、私の見立て通りだったよ! 最高の読み聞かせだったよ!」

「そ、そうなのかな……?」

「うん、あのヒーリング効果ったらすごいね! 私、起きていたのか寝ていたのか分かんないもん!」

「ありがとう、そう言ってもらえると嬉しいな」

 

 実際、花陽の声と言ったら一種の音波兵器の類と形容してまず間違いが無かった。月並みな表現だが、“安心できる”のだ。まるで母に抱かれた腕の中のように。読み聞かせが終わるころには、子ども達はほとんど寝かけていた。

 

「でも、思穂ちゃんもすごかったよ。皆笑っていたよ?」

「あれは絵本が良かったからだよ! 簡潔明瞭だし、絵も可愛かったのがポイントだね!」

 

 “静”の花陽、“動”の思穂といった所だろう。思穂で笑い疲れさせ、花陽で一気に眠りへ落とす。まさに究極のコンボ。

 

「……どうだった、今日?」

「なんだかね……読み聞かせしている時、ずっと子どもの頃の事を思い出しちゃってた。私がどれだけ絵本が大好きで、どれだけ絵本作家になりたかったのか。私はアイドルと同じくらい、絵本が大好きだったんだなぁって」

「それは良かった! 誘った私も報われるってもんだよ!」

「思穂ちゃん、今日は本当にありがとう! すっごく楽しかった!」

 

 そんな清々しい笑顔を向けてくれる花陽だからこそ、思穂は一つ白状しなくてはいけなかった。

 

「花陽ちゃん、一つだけ怒らないで聞いて欲しいんだけど……」

「どうしたの?」

「実はさ、今日の読み聞かせなんだけど、本当は花陽ちゃんを誘うつもりはなかったんだ」

「えっ……!?」

「あ、いや! 変な意味じゃなくてね! ただ、読み聞かせがあるんだーあっはっは! で済まそうと思ったらさ、花陽ちゃんから意外な話が聞けたじゃん? だからさ、なんか一緒にやってみたくなってね!」

 

 夢を話す花陽の眼がキラキラと輝いていたからこそ、思穂はこの話を持ちかけたのだ。

 

「私にもさ、子どもの頃の夢があったんだよね。正義の味方って夢が」

「正義の……味方?」

「そうそ。あれだよ、変身ヒーローとかそういう奴」

 

 女の子向けのアニメも好きだが、それと同じくらい特撮モノが好きだった思穂。子どもの頃は、常に正義の味方になるべく研究を重ねていたぐらいだ。

 

「私は少し叶えるのが難しいけど、花陽ちゃんの夢はもしかしたら本当に叶えられそうなモノなのかもしれない」

 

 思穂は言葉を続ける。

 

「選択肢は多い方が良いんだよ。将来アイドルになるのも良し、絵本作家になるのも良し! 私達には可能性が広がっている!」

「可能性……」

 

 持った興味の分だけ可能性が広がっていく。何でもやろうと思えばやれる思穂だからこそ、それがどれほど大事な事か知っていた。分かってもらおうと、もらわなくとも、何となく“そういうモノ”だと思ってもらえればそれで良かった。

 そろそろ自分達の町への停留所だ。思穂は、最後にこう言った。

 

「これからもμ'sの活動頑張って行こうね。私も、頑張っていくから!」

「うん! 頑張ろうね思穂ちゃん!」

 

 花陽は笑顔でそれに応えた。夕日と、やり切った清々しさが合わさり、思穂が知る限りで一番綺麗な笑顔だった――。



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思穂、七変化!1

「凛ちゃん、今日は早くお掃除終わったね」

「うん! これでいつもより早く部活へ行けるね!」

 

 今日はゴミも少なく、少しだけ早く掃除を終わることが出来た。同じ班である花陽と凛は部室へ向かっていた。その二人を後ろから呼び止める声がする。

 

「凛! あんたまた授業中寝てたでしょ!?」

「うにゃっ!? 真姫ちゃん!?」

 

 奇妙な凛の言葉を遮るように、真姫は分厚い用紙を彼女へ突き付けた。それを目で読み、理解した凛は走り出そうとするが、一瞬で真姫によって肩を掴まれる。

 

「全く。何で私が凛のペナルティーを持って行かなきゃならないのよ……」

「だ、だったらそれはゴミ捨て場とかに持って行ってくれても……」

「何馬鹿な事言ってんのよ! あ・な・たが寝なきゃ良いだけの話ー!」

「ふ、二人とも喧嘩は止めようよ……」

 

 凛がやらかし、真姫が怒り、花陽がなだめる。そんないつも通りのやり取りをしながら、三人は部室へとたどり着く。今日も今日とて練習の日々が始まる。

 そんな期待とモチベーションを持ちながら、代表して花陽が扉を開けた――。

 

「あーん! 誰の許可得て扉開けてんだー!?」

「ひいっ!」

「にゃ! かよちん!? どうしたの!?」

「花陽? 何がいるって言うの――」

 

 そこには“ヤンキー”になっている思穂がいた。特攻服を羽織り、胸にはサラシのみで、おヘソはまる出し。そして下は裾を紐で縛るタイプのズボンを穿いている。……これをどう見間違えばヤンキー以外に見えるのか問いただしたくなる程の格好だ。

 いつもはハーフアップの髪もポニーテールにしており、眼つきは鋭い。口はガムか何かを噛んでいるのかしきりに動いている。隣に立て掛けられた木刀が異様な存在感を放っていた。

 

「し、思穂ちゃん何だか不良さんみたいだよ……」

「何だぁ星空ァ! 私の悪口かァ!?」

「聞かれてた! ちょ、まずは木刀を下ろして下ろして!」

 

 音も無く、思穂は片手で木刀を振り、切っ先を凛の鼻先にくっつける。なぜかチョンという擬音で表現できるほど柔らかなタッチだったのは気のせいだろう。

 完全に凛が怯えてしまった、花陽に至っては今にも気絶寸前。そんな中、真姫だけはあくまで平静を保ち、凛と木刀の前に割り込んだ。

 

「って、何やってんのよ思穂。ほら、凛と花陽が完全に怯えてるじゃない」

「んー? まっきまっきまーよぉ? 何、何なの、何なんですかーその口の利き方はよー」

「うぇっ……!?」

「ほうら真姫よ、飴ちゃんやるよ飴ちゃん」

 

 言いながら、思穂はポケットから棒キャンディーを取り出し、真姫へ突き付けた。まるで今のこの状況を理解できていない真姫はそれでも、とりあえず思穂から飴を受け取った。包み紙を取り、中の飴を舐める真姫。味はトマト味だ、好物である。

 

「ウマいか?」

「……何?」

「美味しいかって聞いてんだよー!?」

「……まあ、悪くないわね」

「か~わ~い~い~!」

 

 まずは思穂の頭をぶん殴れば良いのか、と真姫は己の医学知識を総動員し、最適解を導き出す。

 

「待って待って待って待って。そのパイプ椅子を下ろして真姫ちゃん」

 

 スッと立ち上り、ポニーテールを解き、またハーフアップに纏め直した思穂は降参の意志を示すように両手を挙げた。いつもの見慣れた思穂である。とりあえず椅子を下ろし、花陽と凛が復活したのを確認してから、真姫はジト目で思穂を睨み付ける。

 

「で? どういうことなの?」

「ん~と……役作り?」

「……はぁ?」

 

 思穂からの説明を聞き、真姫は呆れを通り越してしまった。何がと言えば、演劇部から助っ人を頼まれ、演技の幅を広げるために色んなキャラを作ってみようとする思穂の方向性が微妙にズレた勤勉さである。

 

「そ、そういうことだったんだね。びっくりしたよ~もう!」

「思穂ちゃん、本当に怖かったよぉ……」

 

 凛と花陽も復活し、ようやく場の空気も落ち着きを取り戻した。特攻服のままで、いつもの明るいテンションで話し出す思穂の何とシュールなことか。

 

「いやーごめんね三人とも! 驚かせちゃったね!」

「それで、何で不良さんの恰好なの?」

「良い質問だね! ほら、やっぱりありとあらゆる作品に存在する欠かせない存在でしょ? だからこそ、まずはこれを完璧にしないとなって!」

 

 質問をした花陽は正直、思穂が何を言っているのかさっぱり分からなかった。凛はうんうんと頷いているが、絶対理解していないことは昔からの付き合いでとっくの昔にお見通し。なら、真姫は。一縷の望みを抱き、花陽は真姫の方へと顔を向ける。

 

「ま、真姫ちゃん分かった?」

「さっぱり」

「えっ!? 分からない!? なるほど……じゃあちょっと待ってて!」

 

 そう言い残し、思穂は隣の部屋へと消えて行った。

 

「……いつもおかしなことをしているけど、今日は一段とおかしなことをしているわね」

「あはは……思穂ちゃん、何事も一生懸命だから」

「凛は思穂ちゃんの演劇見てみたいにゃー!」

「おっ、花陽ちゃん達早いなぁ」

 

 そう言って入って来たのは希を始めとする三年生メンバーであった。

 その違和感に気づいたのはやはりと言っていいのか希である。部室を一瞥し、凛たちの微妙な表情を見るやいなや、希はいくつかの推測を立ててみた。

 

「何や、思穂ちゃんまた何かやらかしたん?」

 

 三人からの答えを聞く前に、隣の部屋の扉が開け放たれた。

 

「あいや待たれい! 拙者は無実なりー!」

 

 セーラー服を身に纏い、左目には眼帯を付け、ついでに右腕に包帯を巻き、トドメにえらく古風な言葉遣いの思穂が現れた瞬間、全員が固まった。正直言って、これは希の理解を遥かに超えていた。コスプレと言うには真に迫り過ぎている。

 

「し、思穂。貴方どうしたの? その格好は……」

「おおう絢瀬氏、それに矢澤氏に東條氏も来おったか! ささ、外は寒い。狭い所だがくつろいでくれ」

「いや、にこの部室だからここ」

 

 ジトーっとした視線を向けているにこを無視し、思穂は更なるステージへ移行する。思穂は突然、右腕を押さえだした。

 

「えっ? 思穂ちゃん、どうしたの? 大丈夫?」

「ふ……ふふふ……! 今は話し掛けない方が良い小泉氏……今宵は我が聖暗黒双頭龍が抑えられぬ……」

「あんた本当に何やってんのよ?」

「聖なのか暗黒なのか判断に困るところやね」

 

 花陽は思った。あ、これ絵里ちゃん達戸惑っているなと。自分達は理由を知っているから無言で眺めていられるが、絵里たちは本当に混乱しているようだ。

 

(そんな絵里ちゃん達を見ているのがちょっと楽しい私はイケない子です……。ごめんね絵里ちゃん、にこちゃん、希ちゃん)

 

 心の中で謝りつつ、花陽は思穂の次の行動から目を離せない。

 

「はぁ……何か違うなこれ。ちょっと属性盛りすぎたかなぁ? 盛り過ぎだよねぇ……?」

「やっほー! 皆ー! 早いねー!」

「どうしたのですか皆? 何か様子が変ですが……」

 

 入ってきた二年生組の中で、思穂の有様に一番先に気づいたのはことりであった。だが、ことりの反応は皆とは少し違うものである。

 

「思穂ちゃん、これもしかして手作り!? すごーいっ!」

「お。お目が高いねことりちゃん! ちょっと頑張ってみたんだ!」

「わぁここ難しいのに上手~!」

「……それは良いのですが、何故思穂がそんな恰好をしているのですか?」

「ん、これ?」

 

 思穂は花陽達に説明した事と一字一句同じ内容で手早く事情を理解させた。

 

「面白そう! 私も協力するよ思穂ちゃん!」

「穂乃果ちゃんは分かってくれると思っていたよ!」

 

 まるで穂乃果の言葉を読み切っていたかのように、思穂は鞄から七つの用紙を取り出した。

 

「それは?」

「うん? とりあえず適当にキャラの練習しようと思ってね。台詞書いて来たんだ。はい絵里ちゃんこれ」

「わ、私!?」

 

 絵里は受け取った用紙を開いて中身を確認すると、そこには何行かの文章が書かれていた。具体的には“先輩”という単語が沢山あるものだ。

 

「これは……何かしら?」

「まず手始めに“ドジっ子後輩”をやってみよう!」

「ど、ドジっ子?」

「まあやってみれば分かるよ。あ、他の皆は感想聞かせてね」

 

 そうして、思穂の“ドジっ子後輩”が幕を開けた。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「せんぱーい! 今日もテニスお疲れ様でしたぁ!」

「え、っと……。『ええ、貴方も今日は一日良く頑張ったわね』」

「えへへ。あ、そうだ! 今、スポーツドリンク持ってきますね!」

 

 絵里と思穂を除き、皆がシラーっとした目を向けていた。それには当然気づいていたが、中途半端に止めることの方が大やけどだ。

 あらかじめ置いておいた発砲スチロールの箱の山へ駆け出す思穂。だが、すぐに思穂は前のめりにバランスを崩す。

 

「きゃっ! 転んだ!」

 

 どんがらがしゃんと、思穂は発泡スチロールの山へ突っ込んだ。派手に崩れる発泡スチロールの箱。その様に、絵里は思わず駆け寄っていた。

 

「ちょっ! 大丈夫、思穂!?」

「てへへ。やっちゃった!」

 

 ウィンクをし、コツンと頭を叩く思穂。これをあざといと言わずして何と言うのか。

 

「ほら絵里ちゃん、最後最後。締めて」

「えっ……!? えと……『あらあらもう全く。後輩はおっちょこちょいね』」

 

 語尾に音符でも付けんばかりの声色で言った後、絵里は思穂をデコピンをし、このコントは終わりを迎える。

 

「どう、皆?」

 

 すると、堰を切ったように八人からの感想が流れ込む。

 

「あざとい」

「何かちょっと後輩要素が感じられないというか……」

「いつもの思穂ちゃんに似てるにゃー」

 

 等など。どの感想も要約すれば『あざとい』で纏められてしまう。自分でも分かっていた。こんなベッタベタの事をやらかす奴なんてそれこそアニメの世界である。とりあえずこの『ドジっ子後輩』はあまり好評では無いようだ。

 

「くっ……負けないぞ私! じゃあ次、次!! 次は……う~んこれだ!!」

 

 そう言って、思穂は凛へ用紙を手渡した。凛がそれを開くと、そこにはこう書かれてあった。

 ――ヤンデレ。



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思穂、七変化!2

「思穂ちゃん、凛はこれを引いたんだけど、ヤンデレってなに?」

 

 凛から受け取った用紙を見て、思穂は途端口を閉ざした。

 

「思穂ちゃん?」

「……ちょっと小道具用意させて。えっとそれで凛ちゃんはそこに立っててくれる? あ、皆はちょっとだけ離れててもらえるかな」

「思穂?」

「絵里ちゃん、お願い。私がノビノビ演技をするために必要なんだよね」

 

 絵里に有無も言わさず、思穂は凛以外のメンバーを壁際に追いやった。そしてすぐに鞄からプラスチックのコップや、玩具のハサミを机の上に置き始める。それが終わると、次にホチキスを取り出し、中の針を全部抜いてからそれをハサミの横に並べる。

 いきなり黙々と準備を始める思穂の異様な雰囲気に、誰もが口を出すことが出来なかった。いつもならここで海未や絵里が更に追求を始めるのだが、その余りにも真剣な眼差しに、二人も発言を躊躇った。

 

「え、と、思穂ちゃん?」

「うん? どうしたの凛ちゃん? あ、ごめん、もう少しで終わるから待っててね!」

「ヤンデレ……って何なの?」

「……。う~ん……ざっくり言うなら、その人好き好きー! ってガンガンに攻めていく感じかな?」

 

 そう言う思穂の笑顔が、凛はどことなく怖かった。しかし、ヤンデレの意味を知った後にはそんな恐怖はいつの間にか霧散していた。

 

(な~んだ、ただ好き好き言われるだけなんだ! これなら絵里ちゃんよりも楽かも!)

 

 凛は完全に安堵していた。メンドクサイ演技の思穂に絡まれると考えただけでげんなりしていたが、これならさっさと終わらせられる。――そう、思っていた。

 

「それでさ、皆と凛ちゃんにちょっとだけお願いがあるんだよね。この属性って割と雰囲気が大事だからさ! 皆は“声を出さないこと”、そして凛ちゃん」

「凛? 何すればいいの?」

「私が部室の外に出て、ノックしたらこの演技はスタート。その間ね――」

 

 思穂が一拍置き、続ける。

 

「――凛ちゃんは絶対に扉を開けないでね」

「……う、うん」

「あ、そうそう。ちなみに紙に書いていると思うんだけど、私と凛ちゃんは幼馴染設定だから、その辺考えて受け答えしてくれると嬉しいな!」

 

 言われるがまま、紙を見ると、確かにそう書かれていた。これならすぐ側に親友もいるし、演技もしやすい。深く考えず、凛は頷いた。

 

「じゃあ凛ちゃん、よろしくお願いしまーす!」

 

 そう言って、思穂は部室を出た。ガチャリと閉じられた音が、何故だか妙に部室内に響き渡ったような気がする。

 

「……思穂、あいつどんだけ手ぇ込んでんのよ?」

「まあまあ。思穂ちゃん真面目やから。演劇部さんらの為になれるよう頑張ってるんよ、きっと」

 

 にこと希のそんなやり取りを聞きながら、凛は部室の扉を見つめる。いつもならただの扉としか思えないが、何故だかのっそりと重い空気が漂っている気がしてならないのだ。

 ――コン、コン。軽快な、そして無機質な音が二度響いた。始まったのだ。

 

「……確かノックの音が開始だったわね。ほら凛、早く始めなさいよ」

「真姫ちゃん、完全に他人事だにゃ……」

 

 溜め息を一つ。扉の前に立った凛は、とりあえず一言。

 

「思穂ちゃーん」

「りーんちゃん。こんな所に居たんだね」

 

 扉の向こうから思穂の声が聞こえてくる。いつも通り、人懐っこい声である。

 

「そりゃあ、今日部活なんだから部室にいるよ!」

「アハハ、そっか。そうだよね、だから今日は栄養満点の肉じゃがが朝ごはんで、お弁当はハンバーグだったんだね!」

「うん、そうそ――」

 

 そこで凛は言葉を詰まらせた。今、思穂は何と言ったか。それは間違いなく――思穂がいない時に食べたメニューである。花陽と真姫の方を向くが、二人とも首を傾げるだけ。

 軽い疑問符が浮かぶのと同時に、思穂から声が投げかけられた。

 

「ねえ、どうして今日は一緒に登校してくれなかったの?」

「え、っとそれはちょっと寝坊しちゃって――」

「――嘘だよね?」

 

 まるでひやりとした感触が凛の頬を撫でた。それは、鉄のような凍えた感覚であった。そう思えるくらい、思穂の声は鋭かった。

 

「今日は七時四分にお母さんに起こされて三十分の間、身支度して朝ごはん食べて、それから学校に行ったよね?」

「え!? どうして思穂ちゃんがそれ知っているの!?」

 

 凛の驚き様に、他のメンバー間へ緊張が走った。きっと秘密にしているだけで、誰かが思穂に伝えたんだ。それぞれ、そう根拠もない憶測を口に出さずに。

 

「だって、私と凛ちゃんは幼馴染でしょ? 凛ちゃんの事は何でも知ってて当然じゃない。あ、そうだ昨日の黄色のパジャマ、可愛かったなぁ……」

 

 うっとりと、それでいて楽しげな思穂とは裏腹に、凛の表情が徐々に青ざめていく。

 

「……り、凛。思穂ちゃんにパジャマ見せてな、いよ……?」

 

 演技、演技。そう自分に言い聞かせながら、凛はなるべく声を震わさない様に努めた。

 対する思穂は、扉の向こうから更に明るい声へと変わった。

 

「そうそう! 凛ちゃん自分から私にパジャマを見せてくれないんだもん。でも私ちゃんと知ってるよ? 凛ちゃんって結構恥ずかしがり屋さんだもんね! だからさ、私ずっと――凛ちゃんを見てたんだよ?」

「……っ!」

 

 ぞくりと、まるで背中に氷を通された時のような薄ら寒い感覚に陥った。声だけなのに、扉の向こうには“笑顔”の思穂がいる。だけど、その笑みを何故か想像したくはなくて。

 

「あれ? どうしたの凛ちゃん? さっきからお返事してくれないよね? ……どうして?」

「だ、だって思穂ちゃん……、え? 何で、凛の事そんなに……」

「あ、分かった! 凛ちゃん、もしかして具合でも悪いのかな? 診せて欲しいなぁ。だからさ、ここ開けるね?」

「ひっ……!」

 

 ゆっくりと開かれる扉。その扉の隙間から覗く思穂と目が合った瞬間、凛は反射的にドアノブを掴み、扉を引き戻していた。

 

(いっ……今、思穂ちゃん……)

 

 ――笑っていた。にっこりと、いつも通りの笑顔で。

 

「ねえ、凛ちゃん? どうして開けてくれないの?」

「だ、だって……だって!」

「ねえ凛ちゃん、どうして? 私達、幼馴染だよね? いつも……いつも仲良かったのに……」

 

 気づけば扉の鍵まで閉めていた。演技のはずなのに、演技のはずなのに。ドアノブを握る手が震えていると気づいたのはすぐのことだった。

 

「ねえ? どうして開けてくれないの?」

 

 ガチャ、ガチャ。ドアノブが一回、二回と捻られる。

 

「し、思穂……そろそろ凛が……」

 

 そろそろ見かねた海未が扉の向こうへ声を掛けるが、ドアノブを捻る音が一段と大きくなっただけであった。

 

「ねえ、開けてよ凛ちゃん。ここを開けてよ? どうして開けてくれないの? ねえ――」

 

 ガチャリガチャリガチャリ。音が鳴るたびに凛の両肩が跳ね上がり、後ずさっていく。ノブを捻って、離して、音が鳴る。この間隔が段々早くなり、そして――。

 

「――どうして開けてくれないの?」

 

 気が狂ったように音が連続する。ガチャガチャガチャガチャ、と音が執念を纏った瞬間であった。

 凛は既に下がり過ぎて背中が壁についていた。そこから脚の力が抜けたかのようにへたり込む。

 

「あっ、そうか!」

 

 捻る音がパタリと止んだ。その静寂が嫌に気になるが、ひとまずは安堵した凛。壁に手を付き、何とか立ち上がる。

 ――瞬間。鍵が開く音がした。

 

「……えっ?」

 

 静かに開かれる扉。凛だけでは無い、他のメンバー全員が息を呑んでいた。この異様な光景に、何も言えなかったからだ。

 

「分かったよ、私!」

「え……どう、して、思穂ちゃん、鍵っ……!?」

 

 そこに立っていたのは優しい、いつも通りの笑顔の思穂だった。“いつも通り”過ぎたのだ。今までの行動が嘘だったように、嘘だったと信じたいほどに凛は安心“してしまった”。

 

「合鍵で開けたんだ! あぁ……やっと会えたね、凛ちゃん」

 

 静かに、思穂は机の上のホチキスに触れた。針をあらかじめ抜いておいたものだ。シンプルな形状の緑色のホチキス。

 

「ねえ、凛ちゃん。私、分かっちゃった」

「な……に、を?」

 

 そっとそれを手に取った思穂が徐々に近づいてくる。一歩を踏みしめるたびに、ホチキスがカチリと鳴らされた。

 そしてもう一つ。青いハンドルの、コンビニで売っていそうなハサミを手に取る。

 

「凛ちゃん、私の声聞こえてないんだよね? 私が見えていないんだよね? 私の名前、呼んでくれないもんね?」

 

 カチ、カチ、と鳴らされるそのホチキスは、思穂の心の波を表しているようで。ならば、これは嵐の前の静けさ。だとすれば――。

 

「きっと他の人たちの声を、顔を、名前を呼び過ぎちゃったんだよね? だから私の事が分からないんだよね?」

 

 シャキ……シャキシャキ。一緒に奏でられるホチキスとの不協和音が凛の耳をべろりと舐める。

 動けない、指が一本も動かない。これで気を失えたらどれほど楽なことだろうか。だが、目の前の思穂の笑顔を見ていたらいつも通りで“安心”してしまう。この歪なシーソー。

 思穂が、凛の目の前まで近づいてきた。

 

「あ……あっ、いゃ……!」

「だからさ――うん? 今何て言ったの?」

 

 ハサミとホチキスを動かす手を止め、思穂が微笑んだ。演技だって分かっている、心の中ではちゃんと分かっているのに、それでも、それでも――。

 

「し、ほ……ちゃん、怖い……よぉ」

 

 怖い。絞り出したその声を聞いて、思穂は笑みを見せたまま言った。

 

 

「――――今、何て言ったの?」

 

 

 途端、思穂が腕を振り、はずみでテーブルの上に置いていたプラスチックのコップが地面に落ちた。プラスチック特有の乾いた音が部室に鳴り響く。

 

「ひっ……!」

「ねえもしかして今、“怖い”って言ったの? 私の事、怖いって言ったの? 凛ちゃんが?」

 

 瞬間、思穂が爆発した。

 

「――そんな訳無いよッ!!!」

 

 弾かれたように、凛は距離を離そうとしたがそこはとっくに壁。バランスを崩し、尻餅をついてしまった。

 

「ねえ、何でそんな意地悪言うの? 昔の凛ちゃんはいつも優しかったのに、何で私に酷い事言うの? あーやっぱりそうなんだね」

「り、凛……わかんない、よ……!」

「やっぱり凛ちゃん、毒されてるんだよ。髪が、耳が、目が、鼻が、口が、肌が、腕が、指も爪も産毛も全部全部」

 

 ハサミとホチキスを再び動かし始める思穂。

 

「好きで、大好きで大好きで大好きで大好きな凛ちゃんが毒されちゃった……! 身体の全部が他の女の子に毒されちゃったよぉ! ――なら、消毒してあげなくちゃね」

 

 ハサミは玩具、ホチキスは針無し。その大前提があるというのに、何故かそれがどちらも“本物”に見えてきた。

 

「そうしたらまたあの優しい凛ちゃんが戻って来てくれるよね! いつも私に優しいあの凛ちゃんが戻って来てくれるよね! だからまずはその耳を切らなくちゃ」

 

 大きくハサミを開閉する。開閉の動きに“馴染んだ”のか、刃の動きにぎこちなさが無くなっていく。

 

「そしたら次は目だよね。ホチキスでしっかり留めて他の悪いモノを見せない様にしなきゃ」

 

 二度、ホチキスを押しては離した。

 

「そうしたら次は舌だよね、悪いモノを体内に入れさせない様にしなくちゃ。そしたら次は――アハ。アハ、ハ、アハハハハハハハハハ!! 考えただけで幸せだよ! 素敵な事だよね! 大好きな人から汚れを落とすのって素敵だね!」

 

 徐々に凛との距離が縮まる。既に彼女は涙目で動けずにいた。全身から冷や汗が流れ、目は焦点が定まらず、両肩は上下し、足には力が入らない。

 対する思穂は最初から最後まで愛しい相手を見る、恋する少女の瞳のままであった。

 もう一歩、一歩、一歩。凛の緊張の糸が張りつめていく。触れれば何物をも両断しそうなほど、鋭く細く。

 とうとう凛と思穂の距離はほぼゼロへと至った。思穂はそっと、凛の耳に唇を近づける。

 

「大好きだよ、凛ちゃん。だから私がちゃんとキレイにしてあげるね」

「――!」

 

 そして、とうとうその緊張の糸がブツリと千切れ飛んでしまった――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「――この度はどれほどお詫びをしたら良いのか分かりません!!」

 

 部室のど真ん中で思穂は土下座をしていた。その前に座っている凛は完全に怯えきり、花陽に抱き着きっぱなしであった。

 そして、堰を切ったように、他のメンバーからの感想が飛び交う。

 

「思穂ちゃん、これは駄目だよ……」

「思穂、これは些か……」

「私、ちょっと好きかも……」

 

 二年生組は満場一致でドン引き。一部妙な台詞が聞こえたような気がするが、気のせいだろう。

 

「これは……にこっちのアイドルモードのがまだ見ていられるわ……」

「どういう意味よそれ……!? って言うか、ヤンデレ? って初めて見たけどこれは流石のにこも言葉を失ったわ……」

「ハラショー……。私、本気で先生呼ぼうか考えていたわ……」

 

 三年生組ですらドン引き。絵里に至ってはもはや演技と言うことを忘れていたようだ。

 

「凛ちゃん、大丈夫?」

「か、よっちん……! こわか、怖かった、よぉ……!」

「思穂やり過ぎ。凛、完全に泣いてるじゃない」

 

 一年生はもう完全にお通夜の空気だった。泣いている凛を慰めている花陽と、その二人を守る様に立っている真姫。

 特に真姫の視線は冷たい物で、顔を上げられない。

 

「凛ちゃん、ほんっとごめんなさい。ちょっとノッてしまって……泣かせるつもりはなかったんだ!」

 

 だが、凛は返事をしてくれない。花陽の制服の裾を握りしめ、彼女の影からチラチラこちらを伺ってくるだけ。

 

「ごめん、本当に。謝って許してもらえるとは思ってないけど、それでも謝らせてください!」

 

 すると、凛がボソリと呟いた。

 

「……ラーメン」

「……チャーシューは」

「……スペシャルトッピング」

「…………うぅ。そ、それぐらいお安い御用――」

「あと、替え玉……」

 

 今、思穂の今週の食費が消えた瞬間である。だが、自分がしでかしたことを考えれば、むしろまだ足りないレベルである。だから、思穂は更に十字架を背負った。

 

「バター……スペシャルも、追加してあげる……!」

「……本当?」

 

 半目でジトーッとした視線を送る凛。その瞳を逸らすことは出来ず、思穂は――死刑宣告を笑顔で受け入れた。

 その末に勝ち取れたものは――。

 

「じゃあ……良いよ」

 

 凛からのお許しであった。

 

「良かったぁ~……」

「とりあえず一件落着したみたいだけど、思穂、分かってるわよね?」

 

 絵里からの無言のプレッシャーが襲い掛かる。それはつまり、演技の時間終了と言うことである。正直、まだまだネタがあるが、もうそれをやる気力は無かった。

 故に、思穂はそれに頷いた。

 

「はい……皆さん、ありがとうございました……」

「ていうか思穂、あんたどこでそんなの知ったのよ」 

「まさかにこちゃんからそんな質問が来るとは……。アレだよ、女の子と仲良くなるゲームでだよ……」

「……ロクなゲームやってないのね」

 

 そう、にこによって一刀のもとに両断された。

 

「あはは……言い返せないや。でも助かったよ、これで演技の練習は良い感じだよ」

「大丈夫そうなん?」

「うん、大丈夫だよ希ちゃん。皆、本当にありがとうね! それで、さ」

 

 一拍置いて、思穂は続ける。

 

「これから皆でご飯に行こうよ! 凛ちゃんにも奢りたいし、ラーメン屋でどうかな!」

 

 濃密な演技を見ていたらいつの間にか時間が過ぎており、既に良い時間であった。真っ先にその提案を飲んだのは凛である。

 先ほどとは打って変わり、凛は非常にご機嫌であった。

 

「ラーメンっ! ラーメンっ! ラーメンにゃあ!」

 

 そんな事を叫びながら、凛が部室を飛び出した。その後ろ姿を見ていると、横から希が声を掛けてきた。

 

「……そう言えば、思穂ちゃん、どうして凛ちゃんの事知ってたん? 表情見るに、どれも本当の事っぽかったみたいやけど」

「ああ、あれ凛ちゃんに聞いたんだよ? ていうか、皆に聞いているよ?」

 

 飛びだしたのはまさかの答えで。希は目を丸くした。

 

「へっ!? ウチ、そんなこと思穂ちゃんに言ったっけ?」

「うん。今日、休み時間に希ちゃん達の教室へ行ったでしょ? その時の会話覚えてる?」

「……う~ん……なんか雑談ばかりやったから覚えてないなぁ。……あっ」

 

 そこで希は気づいた。その雑談の中に、確かそういう話題が出たような気がしないでもない。

 

「あ、気づいたみたいだね。希ちゃんの考えている通りだよ。適当な会話の中に聞いておきたいことを紛れ込ませていたから私が言わなきゃ皆気づかないと思うよ?」

「…………思穂ちゃん、ほんと末恐ろしいわ」

「うん? 何か言った?」

 

 希が顔を背け、ボソリと言った一言を聞き取ることが出来なかった。それを追及しても、希がやんわりといなしてくるので、思穂はそこで聞くのを止めた。後で酷い目に遭うかもしれない、と予感したからだ。

 

「思穂ちゃーん! 早く行こうよ~! 凛、お腹ぺっこぺこだにゃー!」

 

 既に希と思穂以外は鞄を持って帰り支度を終えていた。置いてかれないように、思穂も鞄を掴み、皆の元へと走り出した――。

 ……後に、思穂が助っ人として出演した演劇はある意味で伝説となった。何故なら開口一番の思穂の台詞があまりにも印象に残り過ぎたため。

 

『シホーシュ・ファ・カタギリアが命じる。貴様たちは――死ね!!』

 

 黒づくめに仮面を被り、大仰な仕草でそう言う思穂があまりにも堂に入っていたため、一部の“中学生特有の病気”を持った生徒達から大拍手を受けるばかりか、いつの間にか演劇がネットに上げられたようで、凄まじい再生数を叩き出したとか何とか――。



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コラボ回 図書委員とオタク女子

名前はまだ無い♪さんの作品「巻き込まれた図書委員」とのコラボ回です。


 片桐思穂は生徒会室の前までやって来ていた。絵里から直々に仕事を頼まれたということもあり、全力で終了させた結果、何か所か数字が合わないところがあったので、詳しい資料を貰いに来たのだ。

 

「絵里先輩! いや、希先輩でも良いんですけどー!!」

「あの、どちら様でしょうか……?」

 

 思穂の目に飛び込んできたのは、まるで大和撫子を絵に描いたような女子生徒であった。机に座り、本を広げているその様は何ともしっくりくる。

 そして、思穂はこの女子生徒の事を良く見知っていた。

 

「……ん? って、ええ!? オトノキ三大美女の一人が何故ここにぃ!?」

「なぜ、と言われましても私も生徒会役員ですし」

 

 東野友実(ひがしのゆみ)はいきなりの事態へ極めて冷静に対処しようと努めた。その落ち着きは今までの“演技”で培ってきたブレない心から来ているのかもしれない。

 思穂は突然の出会いに、極めて動揺を隠しきれなかった。今まで噂にしか聞いていなかった有名人がポッと目の前に現れたら、それは仕方がないと言うものだ。 

 だが、思穂は彼女の顔を何回か見ていた。

 

「生徒会? ……あれ? 確か、図書室でも見たことがあるんですけど……もしかして兼業的な何かですか?」

「ええ。図書委員会では副委員長を、生徒会では書記をやらせて頂いてます」

「あ、なるほどなるほど……。図書室でたまに見かけるからもしや! と思ったけどやっぱり正解だったんですね! ……は、良いんだけど生徒会ではあまり見かけたことがあるようなないような……?」

 

 一年生の頃にやらかして、生徒会業務の手伝いを命じられた思穂は何度も何度も生徒会へ出入りしている。しかし、友実とはただの一度も顔を合わせたことがなかった。……あったら、もっと出入りしている。

 友実はそんな(よこしま)な心で染まった思穂の質問に答えた。

 

「まあ図書委員長が一般業務を疎かにする為、そちらのフォローで忙しくてあまりこちらに来れないんですよ」

「な、なるほど……それにしても絵里先輩も言ってくれれば良かったのに! オトノキ三大美女が勢ぞろいしている時に生徒会業務を手伝いに来たいんですよ私はぁ!」

「ま、まぁ落ち着いて下さい。えと……お名前を伺ってもよろしいですか?」

 

 友実の目から見て、思穂のテンションは大分あったことが無い類いのものであった。某アイドル研究部部長もやかましいと言ったらやかましい類いだが、それとは全く違うベクトル。

 とりあえず思穂を(なだ)める意味を込めて、未だ聞いていない彼女の名前を知るためにも、友実は名を問うた。

 

「な、何と! 私としたことが名乗り忘れるなんて! えっと、私は片桐思穂って言います! 二年生で、文化研究部の部長なんかをやってたりしてます!」

「では片桐さん。もうご存じの様子ですが改めて自己紹介させて頂きます。東野友実と申します。それにしても二年生で部長とは凄いですね」

「当然! 知っていますよ! クレオパトラ七世、楊貴妃、小野小町と肩を並べる、オトノキ三大美女の名前は! ……だけどちゃんと話せたことなかったんですよね……。あ、ちなみに文研部は私一人しかいない感じだからまあ、当然の昇格ですね!」

「そんな世界三大美女と一緒にされましても……それに私は絢瀬さんみたくスタイル良くないですし、東條さんみたく包容力もないですよ」

「何を言っているんですか友実先輩! その有り余るオーラが三大美女たる所以じゃないですか!」

 

 絢瀬絵里、東條希、そして東野友実は音ノ木坂学院三大美女として崇め奉られていた。

 一人、絢瀬絵里は淡々と業務をこなしていく様から女子のファンは多い。最近ではμ's加入と言う転機を経て、態度が柔らかくなったので尚ファンは絶賛増大中。

 一人、東條希は親しみやすい。親しみやすすぎる。物腰が柔らかく、常に人の輪に入っていくのが上手い彼女はオトノキで知らない者は誰一人としていない。

 一人、東野友実――自分自身――は何故、名を連ねているのかが分からないでいた。

 

「って文化研究部は片桐さん一人なのですか。色々と大変じゃありません?」

「私一人で何とかやっていけているんでまあ、問題ないかなぁって!」

 

 事実、思穂は今の今まで一人でやってこられた。それが良いことか悪いことか、と問われれば口をつぐんでしまうのだが、穂乃果達との一件を通じて、“それが私だ”と強く胸を張って言えるようになったため、特に気にしないことにしていた。

 

「そんな、私にはオーラなんてありませんよ。それに多分私よりもあなたの方が素敵なものを持ってると思いますよ。部活動の事で何かありましたら声をかけてください。微力ながらもお力になりたいと思いますので」

「何をおっしゃっているんですか! その海未ちゃ、えと私の知っている友達以上の大和撫子臭! これはアニメやラノベでもそうはお目にかかれない! それに私の事を気に掛けてくれる感じが素晴らしい! これはまさに天使の風格!」

 

 友実は今しがた出た名前に耳が反応した。二年生だから、知り合いという可能性が無きにしも非ずだったが、まさかピンポイントで“知り合い”が出てくるとは思わなかった。

 そして、平然と出てきた“絵里先輩”、“希先輩”。そして親しげに声に出された“海未ちゃん”。これらの情報を統合した結果が――。

 

「海未? そう言えば入って来る時も絢瀬さんと東條さんの名前をおっしゃっていましたが、三人とお知り合いで……?」

「スクールアイドルなるコンテンツが世の中にはありまして、不肖片桐思穂はそのオトノキのスクールアイドルグループのマネージャーもやらせてもらってるんですよ!」

 

 つくづく奇妙な縁だ、と友実は思った。それは目下、友実が気にかけているグループで。

 

「確かグループ名は『μ's』でしたよね。そうですか、片桐さんがマネージャーを……。あの、高坂さんは何かご迷惑をお掛けになってはいませんか?」

「おお! 既に知名度は相当なものだった! 穂乃果ちゃん? ……ま、まあとても良い人生経験をさせてもらってますね……。ところで、友実先輩は穂乃果ちゃんと知り合いなんですか? “高坂”って言い方に優しさを感じたんですが」

「そうですね。高坂さんとは家もお隣同士ですし、昔からよく遊ぶいわば幼馴染み、といった所ですね」

「な、何ですと!? 全然知らなかった私! ……とまあ、それはさておいて。だから妙に声色が優しかったんですね。納得です」

 

 小学生中学生の時は少々人見知りかつ引っ込み思案だったため、他人の事を知ろうともしなかった。その“ブランク”を埋めるのはやはり容易ではない。

 ……何て感傷に浸るほど、思穂は弱い女では無い。

 思穂は友実の持っている背表紙を見て、目を細めると、ソレへスッと指を指した。

 

「そう言えば、その友実さんが読んでいる本、もしかして太宰的な治殿ですか?」

「はい『女生徒』です。1939年7月20日に出版された作品集です」

「ですよね! 表紙を見てもしやとは思ったんですが、やはりでしたか! 『女生徒』は私も一度目を通したことがあります! 男性が書いたとは思えない程、『女子』と言う目線にリアリティが感じられたから印象に残っているんですよね!」

 

 ほぉ、と友実は小さく息を漏らした。どうやらただテンションが高い系ではないようだ。そんな感心を友実は抱いた。

 

「片桐さんは他にどんな作品を読まれるんですか?」

「私ですか? そうですねぇ……ライトノベルやら漫画やら色々読みますけど、そう言う感じで行くなら、宮部的なみゆきちさんですかね!」

「あの人は冒険ものからシリアス系まで書けて素晴らしいですよね」

「そうなんですよね! 特にファンタジーがすんばらしく好きで! ……さっすが友実先輩ですね、すさまじく話せますね……」

「マンガは妹の領分なので偶に話について行けませんけどね」

 

 “妹”、その単語に思穂は反応した。自分も妹がいる身。これは思った以上に話が合う。そんな確信を、思穂は持っていた。

 

「おお! 妹さんがいるのですか! それはぜひにお会いしたい……! ところで友実先輩は生徒会では書記でしたっけ? あれ? それなら多分、私も書類作成とかで色々やっているから知っているはずなんだけどなぁ……」

「タイミングが上手く合わなかったみたいですね。私も絢瀬さん達から片桐さんの事を聞かされた事はありませんし」

「な、何と! そっか……でもまあ、私どっちかと言うと、罰則的な扱いなんで知らないのも無理ないかもです」

 

 どうやら二人とも、自分が全うな理由で生徒会の業務を手伝ってはいないことを気遣ってくれたようだ。別に言ってくれても構わなかったのだが、そこはあの二人。思った以上に細かな事を気に掛けてくれる良い先輩であった。

 

「罰則って……一体何をしでかしたんですか?」

 

 そして会話の流れで当然のように繰り出されるこの質問。実際、特に恥ずかしがる理由でもない――恥ずべき理由だったので、思穂はか細い声で簡潔かつ明瞭に答えた。

 

「うっ! ……た、度重なる居眠り及び授業への態度の悪さ……で、す」

「ちゃんと授業を受けましょう? まぁ成績が上の下の私が言えた立場ではないですが……」

 

 バッサリであった。まさに一刀両断。友実の太刀筋の鋭さが伺える素晴らしい一撃に、思穂はノックアウト寸前であった。

 

「じょ、上の下とかやはり凄まじい立場だったんですね! 何だか趣味に明け暮れていたらいつの間にか睡眠時間を犠牲にする生活になってまして……」

「片桐さんは成績どのくらいなんですか?」

「そんなに自慢するようなレベルじゃないんですよね~。ま、まあ極短の時間に集中して勉強しているんで悪くは……ないですね!」

「そう言えば高坂さんから勉強する時怖い知り合いがいると聞いたのですが、まさか……」

 

 言いながら、友実は穂乃果の青ざめた顔を思い浮かべていた。普段は優しいのに、勉強のときは恐ろしくて一歩も動けなくなる友達がいると。穂乃果の物言いからして、これは相当にギャップを感じる羽目になるのだろう、と友実はぼんやりと感じた。

 

「な、何の事でしょうか!? あっはっは! やだなぁ友実先輩! それは恐らく何者かの悪質な情報操作ですよ!」

「そ、そうですよね。それはそうと、絢瀬さん達に何か用事があったのでは無いのですか?」

「あ、そうだった! バレーボール部と新聞部の決算なんですけど、数字が微妙に合わないんですよね。全部洗ってみたら『もしかしたら……』って部分見つけたんで、リストアップしたんですよ。確認してもらえないかなーって」

「そうなんですか。では私の方で預かって絢瀬さんに渡しておきましょうか?」

 

 何とも魅力的な提案であったが、思穂はそれを受け取る訳にはいかなかった。元来、そんな図々しい性格を持ち合わせてはいなかったのだから。

 

「う~ん……いや、友実先輩にやらせる訳にはいかないんでちょっと待たせてもらいますかねぇ……。その間は友実先輩と熱いトーク!」

 

 ――代わりに、存分に目の前の美女との会話を堪能させてもらう道を選んだ思穂。

 下手を打てば、結果と過程が逆転しかねないのもまた片桐思穂である。

 

「そうですね。私もそんなに後輩達と交流を持っていないので、お話しましょうか」

「そうなんですか? 図書委員という特権を活かして、女の子達と無料でお話しできる素敵役職だと言うのに!?」

「まあ浅田さんとはよく話しますが、他の役員の子達とは大体が業務ですよ」

 

 この子は図書委員を何だと思っているのだろう、口にこそ出さなかったがそんなことを考える友実。そんないかがわしい役職に就いた記憶は微塵も無い。

 思穂は今しがた飛び出た名前に反応する。それは良く知っている子だったのだ。

 

「浅田さん……って浅田夏帆ちゃんの事ですか? 熱い図書トークをしていたりするんですよねあの子とは!」

「そうなんですか? 浅田さん、始業式の日にほむまんを持って来て、遥さんと三人で美味しく頂いたんですよ」

「始業式の日に何て事を……! 始業式か……爆睡していて絵里先輩に呼び出された記憶しかないですね……」

 

 ここは断固として追及していく姿勢を見せる――つもりであったが、自分も似た様な事をやっていたので、二の次が言えなくなる思穂であった。

 そんな思穂を呆れの眼差しで見つめるのも、また友実である。

 

「始業式から寝ていたんですか……そう言えば寝ていた生徒がいましたね。片桐さんだったんですか、あれ」

「……ま、まあそういう平行世界もある気がしますね……。でも! 最近はそんな事はしてませんからね!」

「最近、ですか……?」

「そ、そうですよ! テストだって文句無いように結果叩き付けてますし!」

「……先日職員室に伺ったら先生が項垂れてましたけど、あれって片桐さんの仕業だったんですね」

 

 授業の事で件の先生の所へ向かおうと思ったら、先生が机に肘を付き、ブツブツと何かを言っていたのできっと何かかしらがあったのだろうと思っていたら、まさに元凶が今、目の前にいた。

 

「げっ……! ところで友実先輩は図書の方行かなくて良いんですか?」

「今日は当番じゃないので大丈夫ですよ?」

「ならオッケーですね! 素晴らしい! ついでにその友実先輩の脚をもっと見せてくれる最高なんですけどね!」

 

 先ほどから気になっていたのだ。スカートから覗く友実の脚は細くしなやかな曲線を描いていた。白魚のような肌の白さは、涎を出すなと言う方が無理難題である。この飛び道具のような脚を眺めていると、とうとうスカートの裾を伸ばして隠されてしまった。

 

「え……あの、えと、すいません! 私そう言う趣味じゃないので!」

 

 何だかギャルゲーのバッドエンドを迎えた時のようなそんな気持ちになってしまった。微妙そうな表情を浮かべる友実を見ていると、これはこれで何ともイケない気持ちになってしまったが、これ以上踏み込めば殴り飛ばされるような危うさも感じられたので、そこで引くことにした。

 

「あ、あれぇ!? 何か変な誤解をされた気がする!? ち、違いますよ! 私だってそういう趣味無いですって! ただ女の子の脚が好きなだけですよ!」

「それはそれでおかしい! まさか穂乃果達の脚は既に思穂ちゃんの魔の手に!?」

「そうですねぇ……とりあえずは海未ちゃんの脚は堪能しました!」

 

 冗談とも本気ともつかない笑みでその言葉を受け入れる思穂。

 ――そんな思穂の目がほんの少しだけ細くなる。

 

「――ところで、その“穂乃果達”~って呼び方が素の呼び方って感じですか?」

「…………な、ナンノコトデショウカ~」

 

 ぶわっと背中に冷汗が伝った。声が若干カタコト気味になってしまった友実を見て、思穂はピッと指を指す。

 

「あっはっは。友実先輩、私はこれでも『演技』と言うカテゴリにおいては一家言持つ女片桐思穂なんですよね! 表情とか言い方とか、完全にリラックスした友実先輩の『さっき』のが本当の友実先輩なのかなぁって。……愚かモノの私なりのなんちゃって考察なんですがね」

 

 ――なるほどどうして。

 友実は思穂を見る眼が変わった。ハイテンションと言う仮面を被り、実は鋭い刃のごとき観察力を持つ思穂。

 そんな彼女に無駄な言い訳はむしろ恰好が付かないと判断した友実は――晒すことにした。

 

「……初対面でバラしたのはにこに続いて思穂ちゃんが二人目だよ。バレちゃあしょうがないね~こっちが素の口調なんだよ……騙しててゴメンね?」

 

 非常に砕けた口調。そして大和撫子から一転した雰囲気。それが東野友実の本当の姿。大和撫子と言う仮面を脱ぎ捨てたありのままの友実であった。

 

「……ほっほぉ。それが友実先輩の素でしたか! にこちゃ、先輩に次とは光栄の極みですね! むしろありがとうございますとでも言っておきましょうか!」

「まぁね~。家や素の口調を知ってる人達だけの空間ではこっちで話してるよ」

「なるほどしかし……そっちの方が魅力的ですね! 何というか、にこ先輩を見ている気がして良い感じです!」

 

 面白い人物の名が出てきたことに、友実の表情が綻んだ。そして、飾らない感想を漏らす。

 

「にこはアイドルモードと弄られモードの差が激しくて見てても楽しいよね!」

「そうですね! にこちゃんは本当に一生ついて行きたい先輩ですよ!」

「やっぱり思穂ちゃんってそっちの趣味が……?」

 

 片桐思穂は同性愛者。そんな印象が濃厚にこびり付いてた故、無意識にそんな言葉が飛び出していた。

 

「うわっ! 何か話せば話すほどドツボにハマる系の奴だこれ!? でもまあ、色々合点がいきましたよ。穂乃果ちゃん達がたまに話題にする先輩って友実先輩だったんですね。印象が繋がりましたよ」

「ち、因みにどんな話を……?」

 

 ドキリとした。聞きたくない、と聞いてみたい、という二律背反の気持ちを抱きながらも友実が選択したのは“聞いてみたい”であった。

 

「厳しいけど優しい。あと何かたまに投げやりな態度になる素晴らしいお姉ちゃんって! ……あと、たまに適当な態度になるとか」

「うっ……そのままな私だ……よく見られてる事に喜ぶべきか、その正当な評価に今後を改めるべきか……」

 

 的のど真ん中を射抜かれたような気持ちであった。よくもまあそんな完璧に言い当てられるのか、友実は呆れ半分、嬉しい半分と言ったような複雑な感情にグルグルと翻弄されていた。

 

「それだけ良く見てくれている穂乃果ちゃん達ってことですよ! さっすが仲が良い! でも私もそう思ってしまってしまったのは心の中に留めておきます!」

「おーい声に出てるぞ~?」

「し、しまった! 私、心の中を読ませないことに定評があったのに! あ、ところで大和撫子的な口調ってもしかして海未ちゃんの真似した感じですか?」

「そうだよ。身近にいたいい感じの子が海未だったからね。そのせいで三大美女とか言われて、ね」

 

 実際、海未は絵に描いたような大和撫子である。幼馴染達の中から誰にしようか考えた時、真っ先に浮かんだのが園田海未。

 その効果は思った以上に凄まじく、いつの間にかオトノキ三大美女などというものに祭り上げられてしまっていた。

 

「攻守万能の海未ちゃんがやはり凄まじいことが分かりますね! それは三大美女待ったなしですよ……むしろ演技出来ていた友実先輩がすごいんですよねきっと」

「そ、そうかな? って攻守万能ってどういう事!? 何があったのさ!」

「海未ちゃんって……割と恥ずかしがり屋じゃないですか」

 

 何だか全てに疲れ切ったような眼になってしまった思穂に、友実は首をかしげた。攻守の“攻”がいまいちピンとこなかったからだ。

 

「まぁそうだけど……攻め……?」

「チョップが痛い!!」

「あー。海未は怒らせると怖いからね~」

「ホントですよ! 私、常に怒られているんですよ! 酷くないですか!?」

「いや、海未はそんな理不尽に怒るようなマネは……あー授業中寝てるからか……」

「そ、それは何とも言い返せないことを……! でもまあ、スクールアイドル絡みでちょっと反省することがありまして……。奇跡的に絵里先輩か、希先輩から聞いたことあったりします?」

 

 記憶を手繰ってみると、どちらかは曖昧だが、そんなような事を聞いた気がする。合っているかどうかはわからないが友実はとりあえず口に出してみることにした。

 

「あー確か一時期穂乃果達を避けてたんだっけ?」

「そうですそうです。ファーストライブの時に授業態度で先生にテストやらされてしまって……。穂乃果ちゃん達に迷惑掛けたくないって思ったらいつの間にか止めてましたねぇ……あのテスト、意地悪だったなぁ」

 

 今でも申し訳ないことをしたと思穂は思っていた。あの一件以降、思穂は一度も居眠りをしたことがない。その変貌ぶりに先生が最初は面食らっていたのは今でも記憶に新しい。

 

「それでも解けちゃう思穂ちゃんは頭良いんだね」

「ん? そこまででもないですよ? 冷静に読み解けば何とかいけましたしね! そういう友実先輩も上の下って中々凄まじいと思うんですけどその辺はいかにお考えで?」

「それは調子が良くて上の下なんだよ。普通は大体真ん中ら辺。だから大学受験が心配でね~」

「ほっほー……。私もにこちゃんに勉強教えたくて、何かもう大学入試の勉強してますね~……」

「もうそこまで行くとにこの保護者か家庭教師だよね。思穂ちゃん」

 

 発言からすると、もういつも勉強教えているんじゃないかと言うレベルに聞こえる。絵里、希、そして思穂。この三人に勉強を教えてもらえればきっとどこの学校にでも行けるだろう、そんなことを友実は考えていた。

 

「いやいや! 私は永遠ににこちゃんの後輩ですよ! ……そういえば、図書委員ってことは、もしかして図書購入もやっている感じですか……? もしくは教育委員会に購入依頼しているとか……?」

「それは生徒達の要望を私達が松田先生に通して、松田先生が購入依頼を出してるんだよ」

「なるほど……ならば、一般生徒たる私もリクエストを出せば買ってもらえるパターンですね……! これはチャンスが来た!!」

「もちろん松田先生に通す場合にこういう時しか真面目に仕事しない遥さんが動くよ。だから変な物は通らないんだよね」

 

 言葉通り、遥はまさに鉄壁ともいうべき仕事ぶりを発揮してくれる。事実、今まで妙ちくりんなリクエストが沢山来ていたが、遥はそれを全てガードしてくれた。……それでも例外がある事を言えば、面倒なことになるのでここでは言わないことにした。

 

「な、何と……例えばこんなライトノベルのタイトルリストをずらっと並べた上で、こんな恐ろしく真面目なリクエスト理由があるとどういう感じなんですかね?」

 

 差し出された用紙に目を通すと、そこには物凄く“それっぽい”リクエスト理由が書き連ねられていた。それは無視する分にはあまりにも全うで、取り合う分にはあまりにも多すぎる量であった。

 

「……と、取り敢えず遥さんに渡しておくよ。でもさすがに買えたとしてもこんな量は無理……かな?」

 

 そこで出した結論は“保留”。きっと結果は決まっているのだろうが、少しでも誠意を見せておいた方がいいという友実の誠実さが導き出した結果であった。

 

「なぁっ!? ……ま、まあ五百万歩妥協して半分程度の量でも我慢しましょう……! 珍しく本気出したのにぃー!」

「本気の出し所が違うのはつっこまないよ!」

「私は私の為になることなら本気を出しますからね! 何だってやりますよ!」

 

 ほぉ、と友実は興味深げに吐息を漏らし、自分の机の横に積まれているモノへと視線を向けた。

 

「今なんでもって言ったよね?」

「ん? これやれば良いんですか?そうしたら、そうだな……十分貰ってもいいですかね?」

 

 友実から差し出された書類の山を抱え、思穂はいつも自分が使っている机に座った。そして、思穂のスイッチが切り替わり、“本気”モードとなった。

 ――十分後、そこには完璧に書類を処理した思穂がドヤ顔を浮かべていた。

 

「ほ、本当に終わってる……」

 

 念のためチェックしてみると、文句のつけようもない仕上がり。ちょっとでも駄目だったらそこを理由にしようとも思ったが、これは無理。

 

「ふっふっふ! 伊達に生徒会業務を手伝ってないですよ!」

「まぁだからと言ってラノベが通るとは限らないけどね」

「ほわっちゃ!? まさかの大どんでん返し!?」

「いや、図書委員会と生徒会は別だし」

「と、図書委員長はどこですかぁ!? 直談判だー!」

「遥さんはそういうの面倒がって受け付けないんだよね……だから私の方にそういうのが回ってくるんだよ……ハァ……」

 

 いつも割を食うのは自分である。しかもタチが悪いのはそんな無茶ぶりでも何だかんだでやってのけてしまう自分自身。

 そんな友実の発言を受け、思穂の目付きが変わった。

 

「よぅし、友実先輩。ちょっと有意義なお話をしましょうか」

「思穂ちゃんの場合は言葉の後に『意味深』が付きそうだから遠慮しておくよ」

 

 友実の前の席へ移動し、腰を据えた思穂は鋭い眼光を向ける。そんな眼光なんてなんのその、とばかりに友実は本から視線を外さない。

 

「意味深じゃないですよ! もう直球で良いお話ですよ! これは文化研究部としても重要な話だったりするんです!」

「今は生徒会業務中だから後でね~」

「なぁっ!? ……ふ、ふふふ。ならばその業務が無くなれば話を聞いてくれると、そういう解釈でよろしいか!」

「いや、終わったら帰って本読むからどっちみち無理」

 

 そんな崇高な作業があるというのに、思穂の話を聞いている余裕は一ミリも無かった。今にも帰りたいというのに。

 

「更に畳み掛けられる試練!? いや、ほんと聞いてくださいマジで……。土下座なら得意なので……」

 

 言いながら、思穂は凄まじく滑らかな動作で地面に額を擦り付けた。制服が汚れるなんてこの際どうでもいい。

 

「土下座されても困るんだけど……う~んどうしたものか」

「……とまあ、流石に友実先輩をそこまで困らせるほど自分を高い位置には置いていないので、とりあえずは引き下がります。文研部の予算を上手く回せば余裕ですし!」

「そう?でも無駄遣いしちゃダメだよ? 最近はラノベも高くなってきてるんだし」

 

 今ではもう無闇に買うだけではあっという間に金欠になるような金額設定。学生の身で、そんな贅沢は許されない。

 

「そうなんですよね……おかげで予算作成は非常に上手くやらなければならないハメに……」

「まぁ低予算はアイドル研究部も同じだからね~。私からは頑張って、としか言いようがないけど、頑張ってね」

「そうなんですよね! だから特別会計……ゴホン! 何でもありませぬ頑張りまする!」

「今なんか聞き逃せない言葉が聞こえた気がしたけど、まぁ良いや」

「良いんです! それは私の有毒な音波なんで! 気にしないで良いんです!」

 

 内心、心臓ばっくばくの思穂である。その声には必死さが宿っていた。

 

(あっぶな! 決算作り直させられるところだった……!)

 

 これが明るみに出れば、色々とマズイ。生徒会長に怒られるどころか、下手すれば停学なんていうコースも視野に入る。これが社会ならばあっという間にニュース。絶対にばれる訳にはいかなかった。

 

「有毒……やっぱり思穂ちゃんは危険な人か……!?」

「耳が腐るのでさっきの発言は何も聞こえていない、あと絵里先輩に言わない……良いですね!?」

 

 ばっちり聞こえていたが、何だか引っ張り上げるには闇が深すぎる。そんなのと関わりたくはない友実はとりあえず一、二の三でポカンと忘れることにした。

 自分は何も聞いていない。これで良いのだ。

 

「はいはい。それはともかく、仕事も終わっちゃったな……」

「絵里先輩も来ないんだよなあ……希先輩すら来ないって何事!?」

「これは事件の匂い!」

「……ていうか、今日は生徒会ないとかってオチはないです、よね……?」

 

 まさかのまさか。もし仮に本当ならこれ以上の徒労はないのだ。若干、思穂の声に震えが走る。

 

「いや、さすがにそれはない……んじゃないかな。一応希から頼まれた事だし……」

 

 友実は念のため、カレンダーを確認してみたが、やはり今日は生徒会が行われる日である。だから来ないというのは本当に有り得ないのだ。

 また、思穂も本気では無かったため、あっさりとその発言を受け入れた。

 

「ですよねー。三ヶ月先のスケジュールは一応記憶してますけど、今日は確実にある日だしなあ……」

「三ヶ月先……さ、さすがμ'sのマネージャー……?」

「いえいえ! 大したことではないですよ! ゲームのパスワード覚えるついでだっただけですし!」

「本題とついでが逆だよ! ついでにパスワード覚えよう?」

「まさか! 私からゲームをとったら何が残るんですか!? しかもけっこう昔のゲームだから三十文字以上の超難度……!」

 

 正直、記憶力の無駄遣いではないかと非常にそう突っ込みたかったが、野暮を差し込みには些かレベルが高いことをしていたので、友実は何も言えなかった。

 

「復活の呪文か……大丈夫、思穂ちゃんからゲーム取っても脚フェチが残るから」

「なんですと……! そういう変態臭しか感じぬと!?」

「他に何が残ると」

 

 思穂の有象無象の言い分はその一言で刈り取られた。ぐうの音も出ない見事な一刈り。思わず泣きそうになってしまった。

 

「友実先輩は愛と勇気が残りますよね!」

「誰がアンパンだ! しかしそう言われたらお互い碌なものが残らないね」

「でもまあ、それが私っ! って言う感じだからなぁ……。ところで友実先輩はなかなかスレンダーな印象ですが、脱げばすごいんですかね!? ですかね!?」

「そんな立派なものじゃないよ。穂乃果以上、ことり未満と言ったところだし……思穂ちゃんはどうなの?」

 

 ジーッと半目で思穂の胸辺りを見つめる友実の目には何か仄暗い炎が燃え上がっていた。

 

「私……は、そうだなあ……ことりちゃんくらい、だったり? なかったり?」

「て事は私よりも……負けた」

 

 ことりの戦闘力(お胸のサイズ)は友実の遥か上。つまり、そのレベルに喰らい付けるほどと言うことは――。悟り、友実は崩れ落ちる。

 

「大きくてもなあ……っていう感じだったりなかったり?」

「やっぱり大きいと大変だったりするの?」

「強いて言うなら、合わない下着付けると痛いかな、程度かな!」

「大きい故の悩みか…大変なんだね」

「とまあ、そんな感じですよ! 特に面白みはないんですがね!」

 

 コンコンと二度扉がノックされた。扉の向こうにいた人物は思穂と、そして友実が良く知る人物であった。

 

「失礼します。絵里、ちょっと相談が――思穂? それに友、東野先輩」

 

 園田海未は今の状況を咄嗟に飲み込めなかった。本当に珍しい組み合わせ。室内を一瞥し、まずはどちらへ話し掛けようか思案した結果、まずは思穂の方へと呼びかけたのだ。

 そんな様子を見ていた友実はむくむくと嗜虐心が芽生えてきた。

 

(ふむ。ここは少しからかってみるか)

 

 一計思いついた友実。この様子では何も知らないと見た。ならば、ここで遊ばないと言う選択肢は無かった。

 

「あら園田さんこんにちは」

「その……!? 思穂、ここに一体何の用で……」

「ん? 私も絵里ちゃんに用事! ていうかなんでそんな余所余所しいの? 友実先輩いるのに」

「おや、園田さんは片桐さんとお知り合いだったのですね」

「え、ええ……。そうですが……思穂、友――東野先輩に失礼なことを言ってはいないでしょうね……?」

「あ、大丈夫だよ。もう、本当の友実先輩知ってるから!」

「……っ!? 本当ですか!?」

 

 海未の驚く様に、友実は口元に手を当て、くすくすと笑った。その表情はさながらいたずらっ子のようで。

 

「ふふ、本当だよ。思穂ちゃんは面白い子だよね~。穂乃果が気にいるのも分かるよ」

「そう、でしたか……。それにしても友実もこんなに早く晒すとは思ってもいませんでした……」

「まぁバレちゃったしね~。変に足掻くのも私の信条じゃないし、まぁいっかなって」

 

 バレたらすっぱりと晒す。よほど言いふらすような人でもない限りはいつまでも悪あがきしている方が見苦しい。

 海未は思穂に向かって頭を下げた。

 

「そう、ですか……。思穂、今までで黙っていてすいませんでした……」

「ううん! おかげで飾らない友実先輩見れたから大丈夫!」

「それで海未、絵里に相談って? まさか弓道部の決算に不備があったりした?」

「いえ、違――」

「あ、そしたらμ'sのこと!?」

「まさかまた穂乃果が無茶な事を言ったとか!?」

 

 矢継ぎ早に繰り出される質問に、海未は困惑する。このテンポの良さは何だろう、そんな疑問符で一杯であった。

 

「え、ええ……今度のライブのことで少々……」

「へぇまたライブやるんだ。いつやるの?」

「それの相談をしに来たのですが……」

 

 いまいち煮え切らない海未の返しに、二人の不満は大爆発した。

 

「あれ!? 何その残念そうな!?」

「私達じゃ役不足って事でしょ」

「ち、違います! 二人とも信頼を置ける人だと思っていますから……!それよりも! どうして二人はそれほど意気投合しているのですか!?」

「はてどうしてだろうか……気付けば意気投合していたって感じ? こうビビッと来た! みたいな」

 

 シンプルなその答えに、海未は面食らった。もう少し高尚な理由があるものかと思っていただけに、その答えが余りにもすんなり入り過ぎた。

 

「そ、そんな簡単なものなのですか!? ……もしかした根っこのところで似ているのかもしれませんね……」

「どうだろうね。そこの辺どう思う? 思穂ちゃん」

「ん? 多分似ているなーとは思いましたね! 何せ、どうやらお互い出しゃばらないのが趣味のようだし」

 

 少しだけ意味ありげな視線を友実へ向ける思穂。その視線を受けてもなお、友実はその余裕たっぷりの表情を崩すことはなかった。

 

「と、言う事であれだね。私達が出会ったのは運命と言うより、類は友を呼ぶ的なやつだね!」

「ですね! どうやら根っこのところで同じみたいだし……。となると――」

「と? 何ですか?」

 

 海未が首をかしげる。

 思穂はそこで首をかしげるのが不思議でたまらない。そう、ここで出る言葉は一択。それは結婚――。

 

「え、結婚はしないよ? デートは……プライスレス!」

「なんと!? 友実先輩とそのエンドはなかったのか!? くそう……イベントCGの回収がぁ……!」

「東の――友実を困らせないでください」

 

 友実はようやく、海未が“いつも通り”に呼んでくれたことに嬉しくなる。やはり感じる壁が違ってくるものなのだ。

 

「わお、辛口!」

「う~ん。じゃあ……私とのイベントCGを回収する代わりに海未で回収しよう!」

「なるほど! それは名あ――」

「無いです!! 友実も乗らないでください!!」

 

 素晴らしい提案のはずだった。ここで海未のあられもない姿を脳内と言う名のギャラリーに保存できれば、思穂はあと数十年は戦える。だというのに、海未は拒否の姿勢を崩さない。

 これが思穂には理解できなかった。

 

「え~だってここで乗らないでいつ乗るの?

「ああもう! 何で二人はそんなに……!」

「結構、友実先輩もエグイよねー」

 

 言いながら友実の方を見ると、彼女も思穂と同様の“悪い”笑みを浮かべていた。

 

「あはは~そうかな? 乗れる時は乗んないとじゃん?」

「素晴らしい先輩ですね本当に……。それはともかく、海未ちゃん。絵里ちゃんはともかく希ちゃんの居場所も知らない感じ?」

 

 少しだけ顔を俯かせ、海未は申し訳なさそうに眉を下げた。

 

「え、ええ……あともう少しで練習だから来ないことはないと思うのですが」

「やっぱり事件……いや、あの二人だと思穂ちゃんの好みな関係に発展してもおかしくないな……」

「そうそう! もう、日ごろから見ていてニヤニヤが止まらな――ゴホン。なるほど、でもまあこれは真面目に推理しなきゃならんかな……?」

 

 一気に噴き出す桃色幻想。絵里と希の関係はまさに百合が咲き誇る硝子庭園とでも例えようか。

 それを口に出しきる前に、思穂は頭を振り、煩悩を消し去った。

 

「私が最後に見たのは教室。で、その時に生徒会業務の事を聞かされて……それから会ってないな」

「私も今日、会ってないな……でも部活や生徒会をほっぽりだすなんて有り得ないしな……」

「まぁその内戻って来るでしょ、あの二人なら」

「ですね……来なかったら来なかったで色々手はありますし」

「思穂と友実の言うとおりです。……ところで思穂、今日、穂乃果から勉強教えるよう頼まれていませんでしたか?」

「え? まあ、小テストの関係でちょっと――」

「絶対教えては駄目ですからね!」

 

 目を鋭くし、思穂に詰め寄る海未を見て、友実は苦笑ともとれる微笑を浮かべた。

 

「海未は相変わらず穂乃果に厳しいね~」

「そうです! 特に思穂! 貴方は穂乃果に甘いんですからことり以上に教えては駄目な人なんですよ!?」

「私が!? それは意外!」

「思穂ちゃんは脚を触らせたらイエスウーマンになりそうだもんね」

「うっ!? 否定できない私がいる……!」

 

 まさにその通りである。どんな無理難題でも、脚を一撫でさせてもらえたら確実に遂行する自信がある。それだけ脚と言うものは魅力的なのだ。

 そんな思穂を叱咤するのは他の誰でもない、海未だった。

 

「仮にも学年首席なんですから、節度ある対応をですね――」

「うわああ! 海未ちゃんそれは言いっこなし!!」

「学年……主席……?」

 

 ぴくりと、海未の言葉に反応した友実。今しがたとんでもない単語を聞いた気がする。半ば呟くように漏らした言葉を海未はしっかり聞いていたようで、彼女は頷いた。

 

「そうです……。思穂は私達と同じステージで比べるのはむしろ失礼と言うレベルで……」

「ぬぅ……さっき自慢する程でもないって言ってたのに……まぁ鼻にかけてないから良いけど」

 

 これで散々自慢でもされようものなら思穂に対する印象ががらりと変わっていたのだが、あくまで鼻に掛けない態度が友実にとって、割と好印象であった。

 

「ち、ちっがーう! それはただオタクライフを円滑にするための過程でしかないんですよ! だからそんなの気にするレベルじゃないんです!!」

「海未さん海未さん。もしかしたら三年陣を含めてアイドル研究部で成績トップなんじゃないかしら? あの娘」

「え、ええ……。既に卒業までの勉強は終えているとか……」

「そっか。じゃあ思穂ちゃんこれから卒業まで来なくても平気だね」

「ちょっ!? 何でそんなこと言うのー!?」

 

 ニッコリとそういう友実の笑顔は実に皮肉満点で。

 実は友実は非常に毒舌な人間なのではないか、今までのやり取りから、思穂は何となくそんな事を感じてしまった。

 

「まあ、そんなのはあくまでオタクライフを円滑にするためのツールでしかないんで……。それに、妹のほうが何倍も……」

「思穂ちゃんにも妹がいるんだ? て言うか何倍って……」

「確か、世界の難関校という番組に乗るくらいには有名だったような……」

「世界の難関校……片桐……?

 もしかして妹の名前、片桐麻歩って言わない……よね?」

 

 その二つのキーワードで、友実は辿りついた。気付いて、改めて片桐の恐ろしさを思い知る。

 

「あ、そうですそうです。良く知ってましたね!」

「友香、あぁ私の妹ね、が見ててね。私が見た時ちょうど映ってて印象に残ってたんだよ」

「なんと! これは妹繋がりで私にチャンス!? あ、ちなみにこれ、その麻歩から渡されたテストです。たぶん小テストかなんかだと思うんですけどね。よく読めば暗算でやれる感じですよ?」

「……これって」

 

 友実はさぁっと血の気が引いた。これは一体何語だろう、そんな頓珍漢な事を考えるくらいには頭がおかしい問題しか載っていなかった。

 

(ヤバい分からない……いやいや落ち着け私。そもそも数学はわりと不得意な方なんだ。だから分からなくても仕方ない。うん仕方ないんだこれは)」

 

 そんな事を自分にひたすら言い聞かせ、現実逃避にいそしむ友実。百人中百人にこの問題を見せたら、百人が間違いなく“分からない”というレベルの問題。

 友実は近くに立っている海未に、問題用紙を見せた。

 

「海未は分かる?」

 

 海未は首を横に振るだけでそれを否定した。人間出来る事と出来ないことがある。今、海未が求められた物はその内の“出来ない”ことであった。

 

「私も見せてもらったことがありますが、全く……。穂乃果に至っては少し見ただけで目を回していましたし……。確か、思穂は麻歩に勉強も教えているんでしたよね?」

「ん? まあ、取っ掛かりだけね」

「ダメだ……サッパリ分からない。こうなったら、ググろう!」

 

 一方、友実は全く話を聞いておらず、パソコンの画面と対話をしていた。だが、結果は全くの惨敗。ヒントのヒの字すら出てこない。

 

「あれ? これ、そんな難しいかな? 英文も易しいし、読んでいけば分かるよ?」

「そんな簡単に分かったら堪らないよ!」

「麻歩が勝てないと言った理由がよく分かります……」

「え、待って。思穂ちゃん曰く、思穂ちゃんの何倍も凄いんでしょ? その麻歩ちゃんが勝てない……? そうか、考えるのを放棄しよう」

「なぜ、オトノキに来たのかが分からないレベルなんですよ、思穂は……」

 

 海未の疑問に、友実が答える。何となく分かってしまう自分が居たのだ。

 

「近かったからとかそんな理由じゃない? 実際私もそれが理由の一つだし」

「それもあるけど、やっぱりゲームや漫画買いやすいからかな!」

「思穂ちゃんらしいっちゃらしい答えだね!」

「むしろそれ以外にないよ! どんなところからお呼びが掛かろうが即刻却下だよ!」

 

 何でも出来るはずなのに、何でもはしない。そんな思穂が少しだけ羨ましく、それでいて勿体ないという気持ちしかなかった。

 

「それはそれで勿体無いような……」

「可能性の獣だから、しょうがないっちゃしょうがないよね! でも私はオタクライフを取るよ!」

「そう。思穂ちゃんは本当にオタクなんだね! あ、ちょっとゴメン。携帯が」

 

 会話の最中に携帯が鳴り響いた。着信画面を確認すると、着信主は噂の生徒会長、絵里であった。友実は一度二人の方を向くと、右手で手刀を作り、電話に出ることを告げる。

 

「おおっと……。どうぞどうぞ」

「では失礼して……あれ? あ~もしもし絵里? どうしたの? 片桐さん? それって思穂ちゃんの事?……いや一緒にいるし。うん海未も」

 

 海未と思穂を一瞥し、友実は再び電話に意識を集中させた。

 

「いや一応任された分は終わったし、思穂ちゃんと話してただけだよ……え、あ、うん分かった。じゃあね」

「おやおや、何か用事でも?」

 

 思穂は空気を察し、生徒会室からお(いとま)しようとした所、友実はすかさずそれを止めた。

 

「ふふふ。思穂ちゃんやったね。今から私と中庭に行くよ! もちろん海未も!」

「私もですか!?」

「ん? 何か用事あるのかな? 私もあるから都合いいけど」

「絵里からダンスの最終チェックと第三者視点からの感想が欲しいって言われてね。既に中庭に二人以外のμ'sが揃ってるんだってさ」

「ほっほー。ってあれ、そのダンスたぶん私、知らないや。海未ちゃん、振り付け表ある?」

「ちょっと待ってください……どうぞ」

「ありがと! 三十秒頂戴!」

 

 振り付け表を受けとった思穂はそれに目を通す。

 ――三十秒後。そこには完璧に振り付けを頭に叩き込んだ思穂がいた。

 

「よぅし、覚えた。じゃあ行こっか! 皆待ってるし!」

「そうだね! 行こう!」

 

 時間にしたらすごく短い物であった。だが、その密度は非常に濃い物で。

 東野友実とはもっと早く出会いたかった、というのが思穂の正直な感想であった。これほどに優しくそして親しみやすい先輩なら本当に毎日生徒会業務をしてもいいぐらいである。だが、それは口には出さない。

 出してしまえば安くなる。こういうものは胸の内に留めておいた方が良いのだ。

 思穂は今日も今日とてせっせと働く――。




前書きにもありましたが、名前はまだ無い♪さんの作品「巻き込まれた図書委員」とのコラボ回でした。

ハメでは珍しい女主の作品だったので、気合いが入りました。名無しさんの作品も面白いので、これをきっかけにぜひに読んで頂けるとなぁって思います。
ありがとうございました!


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コラボ回 図書委員とオタク女子~その後~

名前はまだ無い♪さんの作品「巻き込まれた図書委員」とのコラボ回第二弾です。


「おじゃまします」

「お、おじゃま、します」

 

 この日、友実は友香を連れて片桐宅へやって来ていた。初めて訪ねることになる片桐宅を前にして、深呼吸を一つしてから、友実はインターホンを鳴らした。

 

「はい。……どちら様ですか?」

 

 出てきたのは思穂と瓜二つの女の子であった。口をへの字にしており、何だか近寄りがたい雰囲気である。

 だが友実は負けずに、用件を口にする。

 

「こ、こんにちは。えーと、思穂ちゃんいるかな?」

「姉さんですか? 失礼ですがお名前を教えて頂けますか?」

 

 ――姉?

 そんな小さな疑問を抱きつつ、友実は早速名乗った。

 

「あ、これは失礼。音ノ木坂学院三年生の東野友実です」

「わ、私は妹の友香です! 中学三年生です!」

 

 リラックスした様子の友実と、緊張した様子の友香を一瞥し、思穂にそっくりな女の子は用件を了承した。

 

「東野友実先輩と、東野友香さんですね。分かりました、今姉さんを――」

「その声を聞いた私が来ないとでも!?」

 

 ――の前に、思穂はやって来た。それはもう迅速に。どこぞの風の魔装機神を彷彿とさせる素早さであった。

 

「あ、思穂ちゃん久し振り~」

「お姉ちゃん! 変な人が階段の上から!」

「何か謂れのない暴言を受けた気がする!?」

「止めて姉さん、恥ずかしいわ」

「友香落ち着いて、大丈夫だから。確かに脚を眺める癖はあるけど、それを除けば良い人だから」

「う、うん……て脚!?」

 

 思わず飛び出た単語に驚く友香である。そんな彼女のリアクションを見た思穂は友香を指さした。

 

「良い脚は顔を見るだけで分かるものなんですよ。まあ、いずれ君にも分かる時が来るよ妹っぽい妹ちゃん! あ、こっちは片桐麻歩って言うからね! 私の従妹だよ」

「片桐麻歩です。姉さんがいつもお世話になっています」

 

 そうして思穂にそっくりな女の子――麻歩が頭を下げた。

 

「麻歩ちゃんね。オッケー覚えたよ」

「ど、どうも!妹の友香です! あの、麻歩さん。間違っていたら失礼なんですけど、以前『世界の難関校』って番組に出ていませんでしたか?」

「『世界の難関校』……。確かインタビューを受けた記憶があるような」

 

 あまりにも記憶が薄すぎて言われて思い出せたレベルである。余りにも平凡な事しか受け答えしていなかったような気がするのは内緒だ。

 

「すごいよねー麻歩。やっぱり私よりも出来が良いから」

「あのもし良かったら握手……いえ、サイン下さい!」

 

 そう言って友香は色紙をずいっと突きだした。

 

「ちょ、友香!? いつの間に色紙なんて用意したのさ!? それと思穂ちゃん人の事言えないからね!?」

「サイン……これでいいのかしら? あと、握手も? 変わっているわね貴方」

 

 色紙を受け取るなり、麻歩はさらっとサインを書き、そのまま友香と握手を交わした。

 麻歩的には何故自分ごときに、と疑問符で頭が一杯である。

 

「いえいえ! 私はずっと麻歩の方が凄いと思っていますから!」

「……姉さんの方がすごいのに」

 

 ボソリと呟いた一言。だがそれが思穂に届くことはないのを知っていた麻歩はひたすらもやっとする。

 

「あ、ありがとうございます!」

「……どっちもどっちみたいね。ほら、友香もいつまでもほうけてないの」

「あ、うん。てそうじゃなくて、お姉ちゃんはなんとも思わないの? 有名人だよ! 有名人!」

「友香が騒がしくてごめんね…」

 

 思穂はそれを笑って飛ばした。何より、全く気にしていないのだから。

 

「良いよ良いよ! でも有名人かぁ……その気持ち分かるよ友香ちゃん! 私だって声優さんの握手会行ったらめちゃくちゃ緊張するもん!」

「分かります!そうなんですよね! 緊張しちゃって、何か言おうにも頭が真っ白になっちゃって!」

「おお話せるね友香ちゃん! ほら、やっぱり麻歩もアニメ見るべきなんだよ!」

 

 いきなり話を振られ、麻歩は困惑しながらも顔をフイッと背け、玄関を指さした。

 

「……私は、良いわよ。それよりも、二人とも上がってください立ち話もなんですから」

「あ、どうもすいません。ほら友香も靴脱いで」

「うぅ…お姉ちゃんもやっぱりアニメを見るべきなんだぁ」

「いや、私もそれなりに見てる方でしょうに…」

「ほうら! やっぱり麻歩だけだよ見てないの!」

「良いでしょ、別に……。勉強で忙しいの」

「麻歩ちゃんって一日どのくらい勉強してるの?」

 

 何気なく友実がそう質問をすると、麻歩はしばし黙考した後に答えた。

 

「三時間ほど……ですね」

「さ、三時間……」

「友香も見習わないとね。今年受験生なんだから」

「お姉ちゃんだって受験生じゃん!」

「友香さんと友実先輩を笑っているけど姉さん? 姉さんはもっと勉強時間増やした方が良いと思う」

「オタクライフ最優先!!」

「だよね~。やっぱり勉強よりも趣味取っちゃうよね」

「お姉ちゃんの場合は特に酷いんだよ。家に帰っても基本読書じゃん!」

 

 そこで気になるのは友実の勉強時間である。思穂が手を挙げたあと、その事に触れた。

 

「友実先輩はどれくらい勉強するんですか?」

「んーと、試験前は二時間前後。平日は三~四十分?」

「に、二時間!? 死んでしまいますよそんなの!!」

「思穂ちゃんの場合は周りに被害が行くでしょうに!」

「周りに被害が出る勉強って一体……」

「姉さんは集中しすぎるから……。あ、どうぞ紅茶です」

 

 こうして駄弁っている間にも、麻歩は既に紅茶の準備を整えていた。人数分のカップを用意し、麻歩はそれぞれにそれを配った。

 

「あ、どうもありがとうございます」

「あ、ありがとうございます」

「さ、ゲーム――」

 

 思穂の言葉を麻歩は即刻遮った。

 

「先輩が来ているのにそれはないわよ姉さん」

「ゲ、ゲーム」

 

 同じくウズウズしている友香を友実は窘める。

 

「はいはい友香もやりたがらないの。迷惑でしょ」

「とりあえず勉強――」

「も、無いと思うよ私は!」

 

 この姉にしてこの妹アリと言わんばかりの発言である。思穂は早速麻歩の提案を取り下げさせた。

 

「普通にお喋りとかで良いんじゃない?この前みたいに、さ」

「えーただ話すだけー?」

「友香? 礼儀や遠慮ってものをそろそろ覚えようか」

 

 ニコリとそう笑う友実。その隣では麻歩も思穂へ釘を刺していた。

 

「姉さんもゲームしようだなんて言い出さないでね?」

「うっそぉ!?」

「見事に麻歩ちゃんに考え見抜かれてるね」

「ち、ちなみにその、ゲームは一体何をお持ちで……?」

 

 そんな友香の問いにたちまちテンションを挙げる思穂。まるで水を得た魚のようである。

 

「良くぞ聞いてくれたね! 皆で出来るやつなら、ス○ッシュ○ラザーズとかマリ○テニスとか、ゴールデンア○等など! 色んなの持っているよ!」

「もうこれはやるしかないですね!むしろ神様がやれと言っているようなものです!」

 

 思穂と友香が盛り上がっているのを他所に、麻歩は友実の方へ視線を向ける。

 

「……友実さんはどうですか?」

「どうしようね? まぁ、ああなった友香は止めるのに時間かかるから放置って手もありなんだよね」

 

 苦笑とともに口にした言葉は諦めに近い感情が込められていた。それを肯定と取った麻歩は小さく呟いた。

 

「私は……やっても良いわ、姉さん」

「うっそ! どういう風の吹き回し!?」

「お客の要望には出来うる限りこたえたいだけよ」

 

 そうなると友香も友実を説得しに掛かった。目をキラキラさせて。

 

「お姉ちゃんもやろう!」

「まぁ、迷惑にならないなら……」

「そう思ってもう準備は完了していたり!」

「こういう時は本当に早いのよね姉さん」

「私の方も既に準備は万端だよ!」

「……ねぇ麻歩ちゃん。もしかしてこの二人って結構似てる?」

 

 麻歩に近寄るなりそんなことを口にする友実。直ぐに麻歩はその言葉に頷いた。……ため息と共に。

 

「かなり似ていると思います。姉さんが二人いるような感じです」

「前に私も似てるって言われた事あるけど、こんな状態だったんだ……すまんよ海未」

「さぁさ!麻歩に友実先輩もコントローラーを持って! まずはス○ブラだよ!」

「お姉ちゃん早く早く!」

 

 二人して騒ぐあたり、本当に良く似ている。そう思いながら、友実は麻歩の方へ顔を向ける。

 

「はいはい。麻歩ちゃん取り敢えず行こっか」

「ええ。……久しぶりにやるわね」

「麻歩の言うとおりだね! ちなみに、お二人はどれくらいやるんですか?」

「私は最初のヤツから3Dのヤツまでコンプしてますよ!」

 

 そうなると相当やり込んでいるな、と思穂は思い、内心闘志を燃やす。そんな燃えている思穂に麻歩はチョップをかます。

 

「私はその横で偶に友香の相手をしてるくらい」

「その癖勝率は姉の方が上なんですよね……」

「結構やっているんですね……」

「私は麻歩と勝っては負けてだよね!」

 

 と言っても、相当な接戦である。しかも勝敗が決まる瞬間はいつも場外のタッチの差。

 そんな事を喋りながら、友実と友香は既にキャラを選び終えた。思穂はそのキャラを見て、二人の実力を垣間見る。

 

「じゃあ私はいつも使ってるこの黄色いネズミでやろっと」

「お姉ちゃんがそれを使うなら私はこの青い鳥で行くよ! 思穂さんと麻歩さんは何を使いますか?」

「私はもちろん超能力少年だよ!」

「私は……この長い剣を使う王子様にしておくわ」

 

 超能力少年、そのフレーズを聞いて、友香は震えた。何故ならあまり使うキャラは居ないのだから。言葉を悪くすればマニア向けである。

 

「ちょ、超能力少年だって……!?」

「そんなに凄いの?」

「凄いって言うか、あれは場外からの復活方法が難しいんだよ。まさかこんな所で使い手に会えるとは」

「……ダメだ話について行けない…」

「空中戦の決定力には未だ定評があるんだよ! やっていたゲームなんて大ファンだしね!」

「姉さんずっとそれ使っているものね」

 

 『母』。そのゲームは未だ思穂の心を掴んで離さない。そのゲームへの愛だけでこの少年を使い続けていると言っても過言ではないのだ。あと、空中戦が強い。

 

「しかし遠距離攻撃をリフレクターで跳ね返せるこの鳥なら!」

「そのリフレクター物理攻撃には効かないじゃない」

「ちなみに二人はどれくらい出来るの?」

「私と姉さんはネットでやっていたことがあるから退屈はさせません」

「私もネットではそれなりに勝ってはいますよ」

 

 友香も実はネットでならしていた一人である。電子の海を泳ぎ、幾多もの対戦相手としのぎを削って来た修羅の一人。

 そんな姉はまた違う方向で能力を見せていた。

 

「無限組手でそれなりの数は更新してるよ」

「お姉ちゃん。記録が四桁はそれなりじゃないと思うよ……」

「ネットやってたんだ! 私はsihosihoで、麻歩はmahomahoでやっていたからもしかしたら戦っていたかもしれないね!」

「sihosihoにmahomaho、ですか……むー多分戦った事ないと思うんですよね……あ、ちなみに私はyu-kaです」

 

 その名前を聞いて、麻歩はピンときた。その名前に記憶はある。余りにもチープすぎて麻歩の記憶の網に一発で引っかかった。

 

「……私、戦ったことあるかもしれない。それっぽい名前に、妙に腕の立つのがいた気がするわ」

「あーほらあの時のじゃない?」

「あの時って?」

 

 友香が首をかしげると、友実が更に続ける。

 

「友香少し前に通信した後清々しい表情した事あったじゃん」

「確かにそんな事あったけど……え! 私そんな表情してた!?」

「私はなーい! 羨ましーい!」

「これから戦うから良いじゃない……」

「そうだよ思穂ちゃん。そんな事言ったら私だって友香以外とやった事ないんだから」

「それはお姉ちゃんがネット対戦しないからでしょ」

 

 段々と会話の量が増えてきた。これではいつまでたっても始まらないので、思穂はさっさとスタートをすることにした。

 むしろいきなり不意打ちでもしてみようと思ったが、麻歩に殺されかねないのでただ思うだけ。

 

「ええい! とりあえずやってみよう! ほら、ゲームスタート!!」

「よっし、ここはもう戦場。上下関係は無しで行きますよ!」

「一人で勝手に行ってなよ」

「えい! この超能力少年のPSI、受けてみるが良い!」

「二人がどれくらいなのか……」

「甘いですよ! 思穂さん!」

「だから後ろガラ空きじゃない」

 

 リフレクターや頭突きなど、様々な必殺技や攻撃を織り交ぜながらも乱戦を続ける四人。その中でもやはり友実を除く三人の動きは熟練したソレである。

 

「お姉ちゃんひどーい!」

「丁寧に立ち回り、確実に剣先で捉える……」

「こっからは定石通りのSJからの空中前で稼ぐよ!」

「ふぉー! 炎を纏って生き返れぇ!」

「私はヒットアンドウェイで確実性を取って行くよ」

「流石友香さん、やるわね」

「このプレイスタイル……確かに前に一度戦った事ありますね。しかし負けませんよ!」

「あっはっはっは! 弱体化しているけど私の腕前ならー!」

「なんだろう。この、一人だけアウェイな空気は……違いはやり込み度なのかな?」

「友実さんもすごいですね。私が攻めあぐねている」

「麻歩さんスキあ、て、あー! 思穂さん不意打ちぃー!」

「次作ではリュカちゃんが来るけど私は変わらず超能力少年を使い続けるこの愛ー!」

「このネズミのアニメは珍しく初期から見てるんだ。愛で負けて堪るかー!」

「リーチと剣先の威力が高いから使いやすいのよね……」

「こっちは遠近それなりに使い分けられる上に、最近のはリフレクターを飛ばせますからね。負ける気はこれっぽっちも無いですよ!」

「と言ってる間にロケット頭突き!」

「このほかにはドクターなマ○オとか得意だけど、関係あるかー!」

「わ、私だってキツネも得意ですし!」

「こいつは何を張り合ってんだか……」

「私は、あとはオーソドックスなマ○オが得意ですね」

「私は作品繋がりで火のトカゲやピンク風船を使うくらいかな。でもやっぱりネズミが一番だね」

「お姉ちゃんだって張り合ってんじゃん!」

 

 対戦すること数分。そこにはさまざまなドラマがあり、そのドラマを乗り越えた先の結果は――全員が思いもよらない結果となった。

 

「やたー! 一位取ったどー!」

「うわああ! 負けた!」

「……まさか姉さんの空後と私のスマッシュがかち合うとは……」

「まぁ私がビリなのはプレイ時間からして順当って所かな」

「でもまあ、流石は友香ちゃんってところだね!」

「いやぁそれ程でもありますよ!」

「はいはいそうやってすぐ調子に乗るんだから」

「敗者の戯言かなって、痛い痛いお姉ちゃんごめんなさい!」

 

 友実が友香の頭をぐりぐりとする思穂にとって、実に微笑ましい光景である。麻歩に近づいたらチョップをされてしまった痛い。

 

「良い試合だったわ。流石は友香さん」

「ほ、ほらお姉ちゃん。二人とも褒めてくれてるんだから、少しは調子に乗っても良いんだよ!」

 

 涙目でそう言ってくる友香だが、姉としてここはしっかり言っておこう。そんな事を思いながら友実は口を開く。

 

「友香の場合は少しじゃないからこうして怒って止めてるんでしょうに」

「まほー!! のど乾いたよー!」

「はいはい。今お茶持ってくるわ」

「なんか麻歩ちゃんの方が姉みたいだね」

「う、うん。なんか穂乃果お姉ちゃんと雪穂の構図を思い出すよ」

「麻歩はすごいよー本当に一家に一人は欲しいよね」

「家電じゃないわ姉さん」

「一家に一人……」

 

 冷静に言い返す麻歩の近くでは自分の家に彼女がいる事を想像している友香がいた。

 そんな友香へ友実は現実に戻ってくるよう声を掛ける。

 

「友香も本気にしないの」

「ほんと何でもやってくれるからすごいよ麻歩はー」

「ん? 今何でもって?」

「なんだろう、激しい既視感が……」

「何でもはやらないです友実先輩、やれることだけです」

「え……て事は思穂ちゃんのセクハラにも耐えてるの?」

「それはすぐに叩きます」

 

 それは絶対に許さない麻歩である。今まで何度叩いて来たか分からない。

 

「あ、お仕置きまで決まってるんだ……」

「お姉ちゃんそれよりもセクハラって……?」

「ち、違うでしょ! スキンシップ! スキンシップだよー!」

 

 思穂の言い分を、友実は冷静に噛み砕き、そして思穂にとって答え辛いことを言い返す。

 

「あれをスキンシップと言うなら希のわしわしもスキンシップに入るんだけど」

「ねぇお姉ちゃん。さっきから何の話してるの?」

「友香さんは知らなくても良い世界よ」

「そ、そう……なんですか?」

「友香、私の知らない間に遠くに行っちゃダメよ」

「い、行かないよ!」

「姉さん、いつも学校でもそうなの?」

「思穂ちゃん……正直に言おっか……」

「す、スキンシップだよ!」

「ほ、本当ですか?」

「そ、そう、だよ……!?」

 

 友香の純粋な視線にいよいよ直視すること出来なくなり、目をそらしてしまう思穂である。これ以上見られたらハッキリ言って死にたくなる。

 

「どもるところが怪しいと思うんだけど、どう思う? 麻歩ちゃん」

「完全にアウトですね。にこさんに聞いたことがありますよ友実先輩」

「にこェ……」

「あの、具体的にはどのような事を……?」

「前はことりちゃんの練習着のスカートからパンツを覗こうと……」

 

 そうして思穂は白状した。それはいつぞやかの練習での一コマである。あの時の無念は今でも忘れられない。

 

「あ、吐いた」

「これは酷いですね」

「そう言うのは女子高だとよくある事なんですか?」

「常識的な女子高ならないわ」

 

 さらりと麻歩は切った。思穂の援護をする気は一切ないのである。

 

「ま、まぁ音ノ木坂は少し特殊な人多いから……生徒会副会長しかり、文化研究部長しかり、図書委員長しかり……」

「友実先輩、何だか私が入っているのは納得できないんですよねー」

「むしろμ'sに聞いたら十中八九賛成の意を得られそうだけどね」

「そんなぁ!?」

「そんなに酷いの!?」

「確か…初めて会った時も脚を見られた上に告白されたな……」

「姉さん、それは……引くわ」

「私よりもお姉ちゃんのほうが遠くに行っちゃってる気がするよ……」

 

 妹達は二者二様の感想を口にする。だが、少しばかり距離を置きたくなったと言うのは共通の意見である。

 

「な、何てことだ……!?」

「思穂ちゃん……強く生きるんだよ」

「友実先輩がフォローしてくれたらなぁ!」

「むしろ思穂ちゃんはマネージャーなんだからフォローする側でしょ」

「それはそうなんだけど!! 麻歩助けて!」

「私はフォローできないわ姉さん」

 

 付き合っていられないとばかりに、麻歩は顔を背けた。

 

「えっと、私は……」

「さすがの思穂ちゃんもそれは……ねぇ?」

「まあまあ友実先輩。友香ちゃん、友香ちゃんにもいつか分かる時が来るよ!」

「友香を変な道に引き摺り込むなぁ!」

「変な道なの!?」

 

 友実の言葉にもお構いなしに、思穂は更にプッシュする。ここで退くと言う選択肢はない。

 

「欲望を解放するんだよ友香ちゃん! もう我慢することはない! 思うがままに精神を解放するんだ!」

「え、嫌ですよ。そんなの。は、恥ずかしい」

「まあまあ。そんなことを言わずに!」

「思穂ちゃん?」

 

 ニコリとそう笑う友実を見て、思穂は直ぐに“いつもの用意”をする。

 

「ふぁっほーい! 急に土下座したくなってきたぁ!」

「またなの?」

「またって事は何回も見てるんだ。麻歩ちゃんは」

「お姉ちゃん。私、ここまで綺麗な土下座初めて見た……」

 

 そう呟く友香に、麻歩は言った。

 

「姉さんの得意技は土下座だからね」

「これまたおおっぴらには言えない特技だ事で……」

「え、そう? 割と慣れたけどなぁ」

 

 数えるのも馬鹿らしくなるほど思穂は土下座をしてきた。今更何を思うことはない。土下座をしろと言われたらすぐに出来てしまう。

 

「それは慣れちゃいけないと思いますよ……。ちなみに土下座にオススメの場所とかあるんですか!?」

「もちろん! 土とかオススメだよ友香ちゃん!」

「そう言えば生徒会室でもしてたね。土下座」

「あそこ結構やりやすくて良いです!スカートも汚れづらいし」

「まぁ生徒会室は頻繁に掃除してるしね。綺麗なのは当たり前だよ」

「だからこそ安心して土下座出来るんですよね!」

「土下座する為に綺麗にしてる訳じゃないからね!?」

「なら何のために綺麗にしているんですか!?」

 

 むしろそれが分からない思穂である。そんな思穂へ麻歩と友実は心の底からの言葉をぶつける。

 

「まずは土下座しない様に努力して姉さん」

「普通に衛生上の関係で綺麗にしてるんだよ!」

 

 そうツッコミである。思穂は崩れ落ちた。

 

「お姉ちゃんって綺麗好きだもんね」

「姉さんも割と綺麗よね」

「かもね。部屋は完璧!」

 

 すかさず友香が言った。

 

「土下座する為にですか?」

「いやいくら何でもそれはない……んじゃないかな?」

「友香ちゃんと友実先輩の期待を裏切ってすいませんが……単純にゲームとか漫画のありかが分からなくなるんですよね……」

「漫画を棚から抜き取る為だけに筋トレしているんだっけ?」

「そうそう! 指立て伏せね! 今だと片手人差し指で五十回はイケるね!」

「ち、ちょっと腕触らせて貰っても良いですか?」

「ん? 友香ちゃんの頼みなら! はいどうぞ!」

「……あ、思った程硬くない…」

 

 ふにふにと友香は思穂の腕を触ってみた。特段鍛えてるという感触はしない。首をかしげる友香へ麻歩は呆れ気味に言った。

 

「そうなのよ。それで登山用の大きなリュックを満タンにしてスキップして帰ってくるからすごいのよ……」

「山頂アタックでもするつもりなの?」

「見た目より質を重視した結果ですね! 山頂アタックはたまに体力づくりがてら行きます!」

「行くんだ!?」

「まあね。普通に行ったら物足りないからその時は腕と足に重り付けて行きます!」

「お姉ちゃん。私って貧弱なのかな……」

「大丈夫。友香で貧弱だったら私も貧弱の部類に入るから」

 

 ドンビキ、まではいかないがそれに近い感想を持った姉妹である。そしてその感想は思穂の妹も抱いていた。

 

「姉さんは体力おばけですから……」

 

 一体どういう鍛え方をすればそんな体力を獲得できるのか、割と本気で気になる麻歩である。

 

「おばけ……絵里が怖がりそうだね」

「そのうち、また行こうかな! 友実先輩も行きます!? 重り貸しますよ!?」

「いや、遠慮しとくよ。さすがに読書の時間を削ってまで運動したくないし」

「友実先輩にフラれた!? なら麻歩は!? 友香ちゃんは!?」

「私は嫌よ」

「私もちょっと……」

 

 まさに全滅である。ならば、と思穂は話題を変えるためと自分のステージに持ち込む意味を込めて、自分の趣味をさらけ出すことにした。

 

「じゃ、じゃあ皆でアニメ見ようよーなんてのはどうかな……?」

「どんなのがあるの? 思穂ちゃんなら一通り揃えてそうだけど……」

「ふっふっふ! 友実先輩のおっしゃる通りです。そして紹介するのはずばり、この科学と魔術が交差したりしなかったりするこの作品だぁ!!」

 

 思穂の見せつけたアニメに友実が反応した。

 

「あ、それなら原作全三十七巻全部持ってるよ!」

「すばらっ! ならばこのアニメ版もきっと楽しめるはずですね!!」

「私もアニメと原作両方見ましたけど、第四巻に出て来た犯罪者がアニメに出て来なかったのがちょっと残念でした」

「おお! 友香ちゃん相当に詳しかった!」

「友香さんは分かるの?」

「もちろん分かりますよ。あの人気ランキングでなぜか上位に食い込んだキャラ!」

「あれは組織票を感じたね」

「そうそ! 正直票数が異常だと思いました! そんなおかしなキャラに想いを馳せながらさあ、観ましょう!」

 

 黙って視聴すること約三十分。第一話を視聴し終えるなり、友香が不満を爆発させる。

 

「って第一話じゃ出てこないじゃないですかー!」

「姉さん、何だかんだ言って一話からじゃない……」

「まあまあ!最初のインちゃんの可愛さを改めて再確認しようよ!」

 

 思穂の感想に、友実は少しばかり遠い目をして、小さく漏らした。

 

「あの子ってただのヒ――いや、なんでもないや」

「お姉ちゃん今何を言いかけたの!?」

「あれー!?何か聞こえかけたんだけど!?」

「ごめん姉さん、私もそう思っているわ」

「やっぱりそう思う人はいるんだね」

「わ、私はあの子好きだよ! 語尾に『訳よ』って言う子!」

「ちっがうよー!それ上下半分にされる系女子じゃーん!」

 

 まさかの発言に思穂の怒りはマックスである。間違え方が酷過ぎる。あろうことにだいぶ悲惨な目に遭うキャラを出されたことに思穂の精神的テンションは下落中。

 

「姉さん、落ち着いて……」

「やめてー! 間にスラッシュ入れないで下さい!」

「最近の原作でもチョロチョロ出て来てるしね~」

「インちゃんに噛まれたいよ私ー!」

「私が叩いてあげることはできるわよ?」

 

 麻歩が割とおっかない表情でそう言ってくるのでその瞬間に諸手を挙げて降伏の意を示す。

 そんな思穂を見ながら、友実が友香へこんなことを言った。

 

「友香噛んでみたら? 頭良くなるかもよ?」

「え!? さ、さすがにそれはちょっと……」

「むしろ友香ちゃんに噛まれるならそれはそれで良い!! 噛んでー!」

「そ、それじゃあ……」

「おお~何だか頭がスッキリしてきた気がするー!」

 

 カプリと腕を噛まれる思穂はその瞬間から、興奮したように頭を振る。

 女の子に噛まれていると言うだけでテンションが上がる思穂。今なら何でも出来る気がする。そんな思穂であった。

 

「これで思穂ちゃんもYウィルスに感染したか……」

「バイオハザー」

「それ以上はいけないよ麻歩!いやーそれにしても友香ちゃんノリイイねえ!」

ふぉふふぇふぁ(そうですか)?」

「友香、まさか亜里沙ちゃんや雪穂にもそれやってないでしょうね?」

「さすがにしてないよ! ちゃんとした友達の関係だよ!」

 

 友実だけでは無く、思穂と麻歩もホッとしていた。これでやっていたら大分アブナイ関係である。

 友香が口を離すと、思穂が少しばかり残念そうに声を漏らす。

 

「あ、噛むの止めちゃった……!」

「残念そうね、姉さん」

「どうだった?」

「なんか、うん。美味しくなかった」

 

 友実の問いにそう返す友香。これで食人に目覚められても困る。実に無難な答えであった。

 

「それは、まぁ……うん」

「うん、まあ……知ってた」

「これで美味しいと言われても困るわよ」

 

 何だかいたたまれない空気。そんな雰囲気を切り裂くように、友実がテレビへ顔を向けた。

 

「そんな事より、私達普通にアニメ見てないね」

「あ、今レールガン撃ったぁ!」

「おお!電撃姫かっこいい!!」

「やはり戦うお姉様は良いわね」

 

 この作品が割と好きな麻歩である。

 

「お姉ちゃんと思穂さんも戦ってみたら?」

「別にかっこよさは求められてないよ!?」

「……腕相撲?」

 

 思穂が呟いた言葉に、麻歩がいち早く反応した。

 

「姉さん、馬鹿な真似は止めて。家に救急車は呼びたくないわ」

「救急車……入院……つまりは合法で授業をサボれる……ハッ! 本読み放題!」

「お姉ちゃん。それはダメだと思うよ」

 

 友香がビシリとそう言うと、友実は少しばかり肩を落とした。

 そんな友実へ麻歩は問いかける。

 

「……友実先輩は腕力に自信がありますか?」

「ない」

 

 即答でそう答える友実。その答えを聞いた麻歩は割と真面目な表情でその勝負に待ったを掛けた。

 

「じゃあ姉さん、腕相撲は止めましょうね。冗談抜きで友実先輩の腕折りかねないから」

「麻歩さんと思穂さんがやったらどうなるんですか?」

「脱臼……」

 

 端的にそう答える麻歩。思穂が異常なだけで自分は年相応の身体能力しかないのだ。

 

「友香がやったら骨折で済むのかな。下手したら再起不能、とか?」

「再起不能!?」

「私、そんなに力ある……?」

「この間、リンゴ片手で潰していたじゃない」

 

 テレビなどで良く見るリンゴを片手で潰す行為。割と筋肉ムキムキな人しかやらない印象しかない。

 それはつまりそのまま思穂の握力を邪推してしまうことに繋がった――。

 

「片手でリンゴ……握力幾つなんだよ思穂ちゃん……」

「……ねぇそう言えばさ。お姉ちゃんと思穂さんって仲良いみたいだけど、呼び捨てで呼ばないの?」

「…………あ」

 

 友香の指摘に、思穂が気づいたように声を上げた。否、とっくの昔に気づいていたあえて避けていたのだ。そういう距離感がどうか掴みかねていたから。

 

「思穂さんは『友実先輩』って呼んでるし、お姉ちゃんは穂乃果さん達を呼び捨ててるじゃん」

「それは……うん。そうだね」

「あーそれは確かに不公平感がすごいですよ!友実先輩!これはもう呼び捨てするパターンですね!!」

「さぁお姉ちゃん!」

 

 友香に促されるまま、とうとう友実はその言葉を口にした。それは割と思穂が待ち望んでいた言葉で。

 

「うぅ…………思、穂……?」

「お、おお~……これはこれは中々良い感じがする……!」

「流れで麻歩さんの事も! さぁ!」

「……麻…歩……」

「はい。よろしくお願いします、友実先輩」

 

 何だか全てどうでもよくなってしまった友実。とうとう友実のタガが外れ、こんなことを提案した。

 

「クソー! こうなったら二人とも『先輩』を外して私と同じ目にあえばいいんだー!」

「分かりました、なら友実さん。……姉さん?」

 

 思穂の方を見て、麻歩は納得した。そして思い出した。

 従姉は、こういう他人との距離を縮めるのは苦手だということに。

 

「ゆ、ゆ……ゆ、……」

「もしかして姉さん、照れてるの?」

「そ、そんなことないよ!」

 

 ならば、と友香と友実が思穂を促す。

 

「さぁ思穂さん!」

「思穂!」

「ゆ……、ゆ……、み、ちゃん」

 

 じれったくなり、とうとう麻歩が背中を押した。

 

「声が小さいわ、姉さん」

「ゆ……友実、ちゃん!」

 

 とうとう言えたその一言。だが、いつぞやの時のように顔を真っ赤にしてしまう思穂に、いつもの明るさは見られなかった。

 そんな思穂へ追撃するのが友香であった。

 

「思穂さん可愛いです!」

「友香、先輩をそう簡単に弄らないの。脚触られても知らないよ」

 

 ここぞとばかりに思穂はテンションを上げた。それが照れ隠しだと言うことを知っているのは麻歩だけである。

 相変わらず不器用な姉である。

 

「そ、そうだよ!私の手捌きはすごいんだから!」

「やったら麻歩にお仕置きして貰うからね。思穂」

「ふぁっほー! まさか、そんなことする訳ないじゃないですかー!」

「じゃあその下向きになってる手はなんなのよ……?」

 

 友実に指摘され、手持無沙汰となる思穂。思わず手をワキワキさせてみるぐらいには余裕が無かったのだ。

 

「い、嫌だな~。幻覚ですよ~!」

「姉さん言い訳になってないわ」

「取り敢えず土下座……?」

「やだこの子。知らない内に黒くなってる……」

 

 友香のぽろっと出た発言に顔を青くする友実。

 

「これは友実ちゃんもびっくりの黒さだね!」

「ええ。やはり姉妹なのね」

 

 麻歩は何となく所々垣間見えていたのは分かっていたが、これで得心いっていた。やはり姉妹なのだ。良く分かる。

 

「ちょっと待って麻歩! 私そこまで黒くないよ!?」

「そ、そうです! 思穂さんは特技が土下座って言ってたので、大丈夫です!」

 

 全然隠しきれていない友香である。ジトーッとした視線を向けながら麻歩は思穂の方を見ると、何も気にした様子無く笑っていた。

 

「まあ、それもそうか!私の百八の特技の一つですからね!」

「煩悩じゃない」

 

 バッサリと切る麻歩。そんな麻歩に友実は一言。

 

「毎年浄化されての今か……麻歩も苦労してるんだね」

「ええ……まあ。それよりも、さっき凛からメールが入ったわ。今何してるのって」

「思穂をいじってあそ……思穂の家で楽しくおしゃべりって感じかな?」

 

 友実の呟きをあえて聞かないようにした思穂は場の流れを変える意味を込めて、こんな提案をしてみた。

 

「よーし、こうなったら皆呼んでゲーム大会でもする!?」

 

 それに乗ったのは当然ともいうべきか、友香である。こうなったら思穂はもう止まらない。

 

「良いですね! ゲームは大勢で楽しくやるのが一番です!」

「よーし、麻歩、さっそく皆を呼んでー! パーティーだ!!」

「はいはい、分かったわ……」

 

 そう言い、麻歩は早速携帯を取り出した。友実と友香もそれに合わせて動き出す。

 

「あ、麻歩。私も何か手伝うよ」

「私はゲームの準備を手伝います!」

 

 その様子を満足げに見ていた思穂は右手を突き上げた。

 

「よーし! じゃあ、終わらないパーティー始めようか!!」

 

 この楽しい祭りはまだ終わらない――。




前書きにもありましたが、名前はまだ無い♪さんの作品「巻き込まれた図書委員」とのコラボ回第二弾でした。

コラボ先の作品も面白いのでぜひ読んでみてください!!
名無しさん本当にありがとうございました!!


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コスプレ大作戦!

 何て事の無いある日。思穂は何気なく呟いた。

 

「コスプレって、良いよね」

「えっとぉ……いきなりどうしたの思穂ちゃん?」

 

 真向かいに座っていたことりが困ったような笑顔を浮かべ始める。今日は皆、何故か来るのが遅く、現在部室には思穂とことりの二人きりだった。

 思穂があえてこの話題をセレクトしたのにはちゃんと理由がある。それはもう、深淵な理由だ。

 

「いやさ。たまに秋葉原に行くと、コスプレしてる人がいて、それを撮影する人っているやん?」

「何で希ちゃんなのか分からないけど……うん、そうだねっ! コスプレイヤー……って言うんだったっけ?」

 

 コスプレイヤー。それは思穂にとって心躍る響きである。要は、アニメやゲームに登場するキャラのコスチュームを着て、そのキャラに“なりきる”人達の総称だ。

 

「そうそれ! で、ことりちゃんはコスプレに必要不可欠な物は分かる?」

 

 突然の問いに、ことりは人差し指を口元に当て、考えるそぶりを見せる。その姿が何とも愛らしく、つい抱き着けるかどうか隙を伺ってしまっていた。

 

(……しかし何とも隙のない……)

 

 だが、ことりからは何故かその隙を一切感じさせず、“突撃”をするタイミングが全く掴めない。そう言った“眼”は常に養っていただけに、思穂のプライドは傷ついてしまったのはまた別の話。

 

「やっぱりコスチュームかなぁ? それが無いことには始まらないと思うし……」

「正解! 造語だけどコスチュームプレイなんだからコスチュームは絶対必要なんだよ! で、何で私がその話をしたかと言うとね……」

 

 正直、ことりは思穂が一体何の話をしたいのかが全く予想できなかった。まさかいきなりコスプレの話が出されるとは思っていなかっただけに、悪くはないことりの頭の回転の速さが半分以下の速さとなってしまっているのだ。

 だが、思穂がポケットから一枚の写真を取り出した所から、この話は急加速を見せ始める。

 

「まずはこれを見てもらおうかな。こいつをどう思う?」

「えぇっとぉ……これは探偵さん?」

 

 写真に写っていたのは、後ろに大きな二つの輪っかがあるピンク髪とこれまたピンク色の探偵服を着た小さな女の子である。

 これだけを見せられたら、疑問符大量発生が確実なのだが、思穂の次の言葉でそれは明確な形となる。

 

「これを海未ちゃんに着せたら可愛いと思わない?」

「可愛いと思いますっ!」

 

 即答に、思穂の方が戸惑ってしまった。流石に髪をピンク色にするのは厳しいと思うが、肝心なのは衣装である。ただでさえ、海未が絶対着ないであろう服色に、フリルが付いた非常に可愛らしい衣装ときた。

 思穂の表情が少し悪いものへと変わる。

 

「ことりちゃんってさ、衣装作っているじゃん? いつもご苦労様!」

「ありがとっ! でも、思穂ちゃんが手伝ってくれているお陰でいつも早く完成できているんだよ?」

「あっはっは! それは嬉しいことを! でさ、正直衣装製作経験豊富なのってことりちゃんくらいじゃん?」

「そ、そんなことないと思うけど……」

「まあまあ謙遜はこの際置いておいて。で、本題に入る前に聞いておきたいことがあるんだ」

 

 スゥッと思穂の目が真剣なモノへと変わっていく。いつもとは打って変わって真面目な雰囲気になっていた思穂が少しだけ怖かったが、ことりは絶対に目を逸らさない。

 

「な、なぁに……?」

 

 一拍置いて、思穂が言った。

 

「――海未ちゃんがこれを着ている所を見たくはないかね?」

「見たい!」

 

 これまた即答であった。ことりはもう条件反射と言っても過言では無かった。普段真面目一色の海未が、こんなに可愛い衣装を着て、恥ずかしがっているところを想像しただけでご飯が進む。

 満足げに頷いた思穂は、四つ折りになったA4用紙を何枚も取り出し、それを広げる。

 

「ちょっと小さいけど、その衣装の完成図と各パーツの設計図を作ってみたんだ」

「すごい……こ、これなら……!」

 

 ことりの目から見て、その設計図は非常に分かりやすく丁寧な作りとなっていた。まさか製作工程まで細かい指示が書きこまれているとは思わなかった。服飾を齧っている人間からしてみれば、これで失敗すれば恥ずかしいレベルである。

 

「これを私とことりちゃんが作ったら恐らく最高の出来になると思うんだけどどう?」

「わぁ面白そう! 丁度、次のライブ用の衣装も一区切りついたし、息抜きにやってみたいなぁ」

「よぅし! 話は纏まったね! じゃあ……今日から始めよう!」

「何を始めるんですか?」

 

 そう言って入って来たのは他でもない海未である。前の会話は聞かれていなかったようで、キョトンとしていた。

 

「う、うわあ海未ちゃんが出たぁ!」

「な、何でもないよ海未ちゃん!」

 

 これはいわば、サプライズである。不意打ちで衣装を突き付け、海未をテンパらせ、押し切るという流れを計画していただけに、手の内がバレることはそのままサプライズ失敗を意味する。

 

「……思穂、ことり、何か企んではいないでしょうね?」

「ナンデモナイヨ」

「ウン、ナンデモナイノヨナンデモ」

 

 その時の二人に言葉は要らなかった。二人は何の打ち合わせも無く、真顔かつ早口で海未の質問をシャットアウトするというコンビプレイを見せたのだ。

 妙な迫力に圧された海未は、それ以上の追及をすることが出来なかった。深く突っ込めば、手酷い目に遭うかもしれないという防衛本能が働いた結果である。

 何とか逃げ切った二人は、何とかコスプレ製作の第一歩を踏み出した――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「時間が経つのって早い。本当にそう思いました」

「ま……まだ三日しか経ってないけどね」

「でも、思った以上に早く完成して良かったよ!」

「うんっ! 私達、頑張ったよね思穂ちゃん!」

 

 完成に三日。その道の人間が聞けば顔を真っ青にする驚異の速さだ。それも、思穂とことりの連携が最高潮に達した故の当然の結果である。

 衣装を広げ、写真と見比べてみても、本物と何ら遜色ない出来栄えだ。オークションに出せば、そこそこのお小遣いは稼げるレベルだった。

 

「よっし! ならことりちゃん! 次にやることは分かるよね!?」

「もちろんです! 海未ちゃんに何とかして着てもらう、だよね」

「そう! まあ、海未ちゃんの事だから少し騙せばコロッと着てくれること間違いな――あれ? どうしたの?」

 

 『騙せば』の下りからことりの顔が青くなっていたのは分かっていたが、とうとう震えだしてしまったので、思わず聞いてしまった。思穂は広げた衣装をプラプラさせながら、首を傾げる。

 ことりが口をパクパクさせながらも、何とか言葉を紡ぐ。

 

「う、ううう……ううう、う……」

「う? お腹でも痛くなったの? これから海未ちゃんを良い感じの言葉で引っ掛けようって時に……お手洗いに行く?」

「ち、違うの……えと、その……う、ううううしうし……」

「牛? まあ、確かに海未ちゃんは闘牛ってレベルの戦闘力は持ってそうだけど!」

 

 何だか気を失ってしまいそうな様子が伺えた。真っ青を越え、もはや真っ白というぐらい顔色が悪い。風邪でも引いたのか、と心配するが、ことりは首を横に振る。

 そして、震えながら人差し指をゆっくりと上げる。

 

「思穂ちゃん……うし、後……ろ」

「後ろ? 何がいるってのさ! まさかお化け? 放課後だけどまだそんな時間じゃ――――」

 

 ニコリと笑っている海未がいた。

 

「いやぁ! やっぱり誰も居ないじゃん! やだなぁことりちゃん! あれ、ことりちゃん地震でも起きてるのかな? さっきから視界がブレてるんだよね~不思議だね!」

「足、震えているよ……思穂ちゃん……」

 

 足どころでは無く、身体全体で震えていたのだ。もはや悪寒がどうとか、恐怖がどうとか、そういう問題を越えていた。ガックガクである。痙攣でも起こしているのかと疑ってしまうレベルだ。

 

「――思穂?」

「ねえ、ことりちゃん。この学校ってAEDあるよね? ちょっと私、心臓止めるからそれで助けてくれないかなぁ?」

「……どうやってやるのか気になるけど、それは止めておいた方が良いと思うよ?」

「思穂?」

「じゃあ、あれだ! 今から呼吸止めゲームしよっか! 心臓止まった方の負けね!」

「それも止めておいた方が良いと思うよ?」

「思穂」

「まずは弁解をさせてください園田海未大明神様」

 

 一回目の『思穂』から土下座をしていた思穂はとうとう海未の存在を認知した。直後、高速かつ素晴らしい滑舌で、素早く事情説明をし終えた思穂は、海未による判決を待つだけとなっていた。

 

「……状況を整理すると、この三日で作った素晴らしい出来栄えの衣装を私に着させるつもりだったと? お化けで、闘牛のような戦闘力を持つ私を、騙して」

「本当に申し訳なかったと思っている。ということで着てください、私はこれを着ている海未ちゃんが見たいのです」

 

 非常にふてぶてしい態度で、そうのたまう思穂を海未は一刀両断した。

 

「ぜっっっっったい嫌です!!!」

 

 そこから海未の機関銃のようなお説教が始まった。

 

「大体なんですかこのスカート丈の短さは! それに、こんなフ、フリフリの多さは破廉恥です! おまけにこんな派手な服の色なんて私には似合いませんよ! あと、一体なんなんですか闘牛のような戦闘力とは!? 失礼にも程がありますよ!!」

 

 無くなった酸素を取り込むように、全身で呼吸する海未。土下座の姿勢を崩さずただ首を上下に振り、甘んじて受け入れていた思穂の前にことりが立った。

 

「う、海未ちゃん……あんまり思穂ちゃんを責めないで! 私もその、見たいなぁって思って作ってたし」

「こっ、ことりもですか!? 貴方達と来たら……!」

 

 怒りのやり場に困った海未はとりあえず大きなため息を吐いた。そんな海未へ、思穂は土下座のまま言った。

 

「だからさー海未ちゃん着てください、ほんっとお願いします。私とことりちゃんに可愛い海未ちゃんを見せてください」

「海未ちゃん、お願い! ちょっと着るだけで良いからっ!」

「お断りします! どうして私がこんなかわ、可愛い服を着なくちゃならないんですか!?」

「……ライブ衣装は着れるくせにー」

「ライブだからです! これは違うでしょう! 明らかに趣味じゃないですか! 何故私がそれに付き合わなくてはならないのですか!」

 

 ぐうの音も出ない正論である。全く反論出来ない。これはもはや取りつく島も無い。

 ――なので、あらかじめ取り決めていた“最強の矛”を繰り出すことにした。思穂はゆっくりと立ち上がり、ことりへアイコンタクトを送った。

 

「ねえ、海未ちゃん……」

「海未ちゃん……」

「な、何ですか」

 

 ジリジリとにじり寄り、思穂とことりはそれぞれ両手を合わせ、一度顔を背けた。――そして一息に畳み掛ける。

 

「お願ぁい!」

「お願ーい!!」

 

 瞳を潤ませ、甘えるような声色で、海未へ精一杯の“お願い”を繰り出した。ことりの“お願い”は正に一撃必殺だ。これで海未が落ちなかったことはない。

 

「そ、そんな……二人して……!!」

 

 海未は堪えていたが、やがて大きく肩を落とし、降伏の意を示した。安心と信頼のお願いだ。正にエターナルなんとか、相手は死ぬ。

 

「……一回だけですよ」

「やったぁ!!」

「ありがとう海未ちゃん!」

 

 ――それから、海未は要求通り衣装を着てくれた。そして、駄目押しで思穂はそのキャラの台詞を書いた紙を渡し、台詞を言ってもらったり、ポーズを決めてもらったりなど、まさに玩具のような扱いであった。直後、部室にやってきたメンバーに見つかり、顔を真っ赤にした海未に再び怒られてしまったのだけは、最大の誤算である。

 ……余談だが、後で二人きりになった思穂とことりが『またこの手で行こうね!』という旨のやり取りがあったとか何とか――。



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『超』番外回 オタク女子がゲーセンで出会ったのは……

今回の話は私の書いている「スーパーロボット大戦OG~泣き虫の亡霊~」の主人公と思穂の話になります。

そういうのが苦手な人は即刻ブラウザバックしてください。


 鉛弾が装甲を掠ると鈍い音が思穂の鼓膜を揺らす。本来ならば直撃コース。だが思穂の機体が沈まなかったのも、微細なスティック捌きと射線退避が早かった故の当然の結果である。次弾装填まで三秒のラグがあることは既に把握済み。

 ペダルを踏み込み、機体を推進させるなり、ターゲットをレティクル内に収める。大砲に手足を生やしたような機体――《バレリオン》。堅牢な装甲と長距離砲撃を得意とする機体である。

 思穂は己の機体である《量産型ヒュッケバインМk-Ⅱ》の機体コンディションが表示されているモニターに視線を移し、一瞬で把握する。そうしながらも思穂は、右手の近くにあるタッチパネルに指を踊らせ、武装をセレクトする。プラズマカッター、エネルギー効率が良い非実体兵器である。

 背部のメインスラスターが一気に吹き出し、《バレリオン》へ肉薄する思穂機はその手に握っていた光子の刃を横一文字に振り抜いた。

 大砲ともなっている頭部がチーズのごとく裂けていき、中の配線や弾倉を焼き切っていく。前面から背部へ刀身が通った辺りで《バレリオン》のメインカメラから光が消え、徐々に各部から火花が散っていった。小刻みな爆発の後、《バレリオン》はついに紅蓮に包まれた。

 ――ゲームセット。

 メインモニターにその一文が映し出されたところで、思穂はコクピットブロックから降り、伸びを一つ。

 

「っはー! やっぱり熱いねーこの『バーニングPT』は!」

 

 今、思穂が最もハマっているゲームの一つである。PT(パーソナルトルーパー)というロボットを操作して敵のロボットを倒していくと言う単純明快なゲーム。全天周囲モニターを採用しており、まるで本当にその戦場にいるかのような映像クオリティ。そして対人戦も出来るこのゲームの操作性はリアルもリアル。オートならば適当に操縦桿のボタンやペダルを踏むだけで機体が動いてくれるが、セミオートやマニュアルならばまるで話が変わってくる。

 思穂が使っている操縦モードはマニュアル。四肢の駆動や武器へ注ぎ込むエネルギーの出力量を調整したり、効果的な索敵をするにもちゃんとセンサーをアクティブ・パッシブを選択していかなければならない。だが、操作難度が高い分、機体を思うように動かせてしまうというこの神仕様。

 正直、ここまで作り込まれていると作為的なモノを感じずにはいられないが、たかがゲームにそんな壮大な伏線は有り得ない。

 第一、そんな妙な懐疑を抱いていたら、わざわざ隣町のゲームセンターまでやってこない。喉が渇いた思穂は自販機へ足を運ぶ。

 

「ぷはー! やっぱりCP戦を終えた時の炭酸は本当に染みるねー!」

 

 乾いた喉を自販機で買った炭酸飲料で良い具合に痛めつけながら、思穂は『バーニングPT』の筐体周囲を一瞥する。

 正直に言って、このゲームはマイナーの部類に入った。この辺で重厚なロボットゲームをやるような人間がいない事を知っている思穂は物足りなさを感じていた。

 いつもやっているのはCP戦ばかり。対人戦も出来るはずのこのゲームで対人戦をやったことはただの一度も無いのだ。

 思穂は望んでいた。いつか胸が熱くなるような対人戦を繰り広げてみたいことを。

 

 

「――失礼。今、あの筐体で誰かプレイしていますか?」

 

 

 後ろから声を掛けられた思穂が振り向くと、そこには女性が立っていた。控えめにいっても美人である。黒に限りなく近い赤い髪を後頭部辺りで縛っており、その目はすこしばかり眠たげな印象を伺わせる。すらりとした手足を強調するように、彼女の服装はタンクトップの上に羽織った半そでのジャケットとホットパンツという何とも魅力的な組み合わせである。これには思穂もご満悦だ。

 思穂の視線に気づいたのか、その女性は小首を傾げた。

 

「どうされましたか?」

「あ、いえいえいえいえ!! 別に一切いやらしい視線は向けてないですから! はい!」

「……不思議な方ですね」

「あはは、良く言われます」

 

 そんなやり取りの後、女性は言った。

 

「ところで、見たところ貴方もこのゲームをやるのですか?」

「『バーニングPT』ですか? もちろん! 大好きです!」

 

 その言葉に女性は満足げに頷いた。表情はどこか嬉しそうで。そして女性は筐体を親指で示しながら言った。

 

「――もしお暇なら一戦どうですか? これをプレイしている人間はこの辺りにはいないみたいで、対戦相手が欲しかった所なんですよ」

「や、やります! むしろこちらからお願いします!」

 

 まさに棚からボタ餅。対人戦を求めていた矢先に美人からの対戦の申し込みは何か運命的なモノを感じてしまった。超反応でその申し出を受け、早速二人は向かい合っているように配置されている筐体へそれぞれ入った。

 すぐに向こうの筐体から通信が入った。筐体内の背部にスピーカーが設置されているので、女性の凛とした声が良く聞こえる。

 

『そちらの準備は整いましたか?』

「はい! オッケーです! ルールはどうしますか?」

『時間無制限のデスマッチ。フィールドはランダム、機体周りは全て規制なし。これでどうでしょうか?』

「オールオッケーです! それでは始めましょうか!」

 

 操縦桿を握り直し、ペダルに軽く足を掛けた思穂は左右のコンソールをタッチし、次々に必要事項を選択していく。機体はいつも使っている《量産型ヒュッケバインMk-Ⅱ》。武装は標準的な射撃兵装であるM950マシンガン、そして斬撃武器であるコールドメタルナイフ、そして大型火砲レクタングル・ランチャーという比較的オーソドックスな装備で纏めたこれ以上にないくらいガチな選択である。

 何故かこの女性を相手に手は抜けない、と思穂の本能がそう言っていたからだ。彼女のオーラ、と言えばいいのだろうか。

 そこまで考えたところで、思穂は一つ聞きそびれていたことを思い出した。既に戦闘開始されるが、それでも聞いておきたかった。

 

「そう言えば、お名前伺ってませんでしたよね。私、片桐思穂って言います!」

『そうでしたね、失礼しました。私の名は――』

 

 『戦闘開始』の一文がメインモニターに表示されたと同時に、女性は名乗った。

 

『――宮代来花(ミヤシロ・ライカ)と言います。よろしくお願いします』

 

 すぐにメインモニターに今回戦うこととなるフィールドが映し出された。森や山があるオーソドックスなバトルフィールド。障害物を上手く使って敵の攻撃をやり過ごしたり、攻撃の基点にしていったりなどシンプルながら実に奥が深いアーケード版では最初に戦うこととなるステージだ。

 しかし、それはどうでも良くて。驚くべきは来花の使っている機体であった。

 

「そ、その機体は……《量産型ゲシュペンストMk-Ⅱ》!? 初期機体も初期機体じゃないですか!?」

 

 ――《量産型ゲシュペンストMk-Ⅱ》。このゲームの設定では一番最初に作られたPTである《ゲシュペンスト》の後継機の量産型であった。

 丸い頭部と突き出た眉庇(まびさし)を持ち、眼の部分はゴーグルの下に二つのカメラアイがあり、両耳に当たる部分からは薄く細長いセンサーブレードが伸びている。そのほかにも丸みを帯びた四肢を持つなど色々特徴的な外見だが、最も目を引くのは左腕の三本の突起物――放電打突武装『プラズマステーク』。

 単純明快ながらも威力は高く、思穂が使っている《量産型ヒュッケバインMk-Ⅱ》をも一撃で落としかねない攻撃力を持っていた。

 

『そちらはヒュッケバインですか……何とも因縁がある相手ですが――上等』

 

 来花機からのロックオンアラートがコクピット内に鳴り響く。ロックオンが早い。思穂は早速射線から逃れるため、機体を空中に移動させる。この機体には飛行システムが積んであり、地上戦空中戦など戦う場所を選ばない機体だ。

 しかし、来花機には飛行システムが無く、背部スラスターを使用しての“跳躍”やホバー移動で地表を滑るなど、地上戦のみしかこなせない。――基本性能では思穂の機体が勝っていた。

 来花機の手にはM90アサルトマシンガンと言う一発限りの大火力を備えたM950マシンガンと近い性能を持った兵装が携えられている。

 

(うっそ……!?)

 

 回避行動先を読まれているかのように弾丸が機体を掠めていく。だが致命傷足りえず、舐めれば治る程度の損傷。そんな小さな被害を気にするよりも、思穂は来花の腕に戦慄を覚えていた。

 決して思穂が二次元的な動きをしている訳では無い。上下左右前後と、三次元的な回避行動を意識しているのにも関わらず、来花機の銃口がピタリと思穂機を捉えて離さないのだ。

 

(……手馴れたものですね。動きにメリハリを感じる)

 

 来花は思穂の回避技術を内心賞賛していた。本人も意識しているのだろうが、パターン化されておらず、実に有機的。回避パターンを探るためにあえて甘い射撃を行っていたが、これは思わぬ収穫。

 サブモニターに表示されている兵装リストを一瞥し、来花は戦術を組み立てる。

 

(……こちらの手持ちはマシンガンとその予備弾倉、そしてスプリットミサイルにプラズマステークと何とも(わび)しいものですね)

 

 とは言ったもの、特に不足は感じていない。ばらまける武装と、当たれば痛打を与えられる兵装が一つでもあれば来花は十二分に戦えた。

 

(ですがゲシュペンストは質実剛健を象徴する機体。私の無茶に応えられる機体であれば渡り合える……!)

 

 山を盾にするよう位置取り、思穂機からの応射をやりすごしながら、来花は次の攻撃に備えた。

 

「ほわっちゃ……! げ、ゲシュペンストってこんなに動けるの……!?」

 

 思穂は絶句していた。鋭い射撃をやり過ごし、ようやく反撃できたと思ったら、予測でもしていたのかというレベルですぐに山を盾にするように後退していく来花の冷静な判断にだ。

 ――慣れ過ぎている。というのがこの攻防に対する思穂の第一印象であった。

 機体特性を十二分以上に理解した戦闘機動(マニューバ)をさらりと行える来花に、思穂はつい聞いてしまった。

 

「ら、来花さんってどうしてその機体でそこまで動けるんですか!?」

 

 すると、来花はさも当然とばかりに返答する。

 

『この機体を――ゲシュペンストを愛しているからですね』

 

 クールな印象を持っていた来花の口から出たとは思えない程、その言葉には熱が籠もっていて。だからこそ、その言葉に込められた“重み”を感じた思穂。

 ペダルを踏み込み、操縦桿を倒すと、山を飛び越えるように空中を進む思穂機。制空権は完全にこちらが握っていた。

 空対地射撃で手堅く攻撃を加えていこうとする思穂機に対し、来花機は山や森を上手く利用してその弾丸の雨から逃れることを選択した。その間にも来花機からの鋭い応射が思穂機を襲う。

 未だに来花機に明確な損傷を与えられていない。与えられたとすれば、射撃の余波で飛び散った岩の破片などが機体の装甲板を傷つけていくだけ。

 

「ど、どうしようかこれは……」

 

 それと反比例するように思穂機のダメージは蓄積するばかり。M950マシンガンの弾数を節約するため、思穂機のマシンガンからレクタングル・ランチャーに持ち替えた。M950マシンガンよりも大型の火砲は当たれば相当なダメージが期待できる。

 高度を下げたり、回避方向を変えながらも思穂は来花機へ照準を合わせるため、目を細める。上下左右するレティクル。動体視力には多少自信がある思穂でも来花の決してパターンを絞らせない動きを捉えるのは至難の業で。

 ――そして、思穂は気づかなかった。来花機が徐々に距離を詰め始めていることに。

 

(片桐思穂さんですか。中々どうして……良く立ち回れている)

 

 適切な間合い管理で近づけさせず、そして遠すぎずの距離を絶対維持していた来花は予備弾倉の交換を終え、一気に距離を縮める。

 その動きに思穂は戸惑いを隠せなかった。

 

「これは何ともはや……! 逃げられない……!」

『恐れ入りました思穂。天性のモノなのでしょうね、素晴らしい動きです』

「ら、来花さんこそ……酷くえげつない動きを!」

 

 この時点で思穂は来花の手の平で踊らされていたことに気づいた。全く逃げさせてもらえない。地上から空中を撃つ来花の射撃精度の高さは空にいる思穂に絡みついて離さない。

 だが、それもとうとうここまでのようだ。

 

「当たった……!?」

『ですが、どうやら経験値では私が一枚上を行っていたようだ』

 

 その時、思穂は来花からのフェイントに引っかかっていたことに気づいてしまった。射撃のリズム、そして射撃方向など思穂の回避先を徹底的に潰し、必中の位置まで持っていく来花の狡猾さ。

 背部スラスターの一部が損傷し、浮力を保てなくなってきた思穂機。すぐさま思穂は損傷部へのエネルギー出力をカットし、その分を駆動系に回す判断を下した。高度が下がっていく間にも、思穂はダメもとでレクタングル・ランチャーによる大火力を来花機へ放り投げ続け、とうとう地表へ降り立った。

 逃げよう。そんな選択肢が思穂の脳裏に浮かんだ。このままではあっという間に倒されてしまう。ならば機体性能を活かし、消耗戦を粘り強く続ければいつかは……。

 ――そんな恥ずかしい選択肢、死んでもごめんだ。

 

「その積み上げられた経験値の隙間を、私は貫く……!!」

『……どこかの彼が言いそうな台詞だ……!』

 

 来花の機体が向かってきた。その光景に、思穂は機体名の通り『亡霊』を幻視して。だからこそ、思穂は迎え撃つことを選択する。

 真っ向勝負。思穂は機体の右手にM950マシンガンを持たせ、発砲を続け、そして空いた手にはコールドメタルナイフを装備させた。

 降り注ぐ弾丸を掻い潜りながらも来花はコンソールを開き、スプリットミサイルを選択する。即座にトリガーを引くと、来花機の背部ユニットから二基のミサイルが飛翔し、ターゲットである思穂機へ向かっていった。自機と思穂機のちょうど真ん中あたりの距離で二基のミサイルが頂点から割れ、中に大量に積められていた子弾が前面を制圧するように次々に点火し、推進を開始する。

 

(冷静にやり過ごせば……! 一発一発なら耐えられる……!)

 

 だが、スプリットミサイルが放たれた時点で、思穂は全力で逃げるべきであった。

 十分に展開された辺りで来花機が握っていたM90アサルトマシンガンをフルオートで撒き散らす。しかしそのどれもが思穂機へ当たるものでは無く、自らが放った子弾に当たっていった。次々に攻撃が当たり、爆ぜていくミサイル群。

 爆風が重なり、思穂の視界に煙が広がっていく。

 ――その向こう、煙の中からゆらりと『亡霊』の眼光が思穂機を捉える。

 

「負けませんよ来花さん!」

『良い心掛けです……!!』

 

 煙を切り裂き、来花機は思穂機の前へ躍り出る。既に左腕の兵装――プラズマステークは起動を終え、三本の突起物にはプラズマが蓄えられている。

 このやり取りで決着が付く。操縦桿を握る手に力が入る。思穂は既に呼吸を止め、瞬きすら止まっていた。一秒が永遠に感じられる。そんな引き延ばされた時間。来花機はそんな中でも経験値を見せつける。

 

「なっ……!?」

 

 右手に持っていたM90アサルトマシンガンのアンダーバレルに備えれられていた一発限りの無誘導ミサイルが放たれる。プラズマステーク程ではないが、その一撃は決して楽観視できるものでは無く。咄嗟に銃を持っている側の腕部でそれを防いだ。

 至近距離で喰らったので、腕部は完全に使い物にならなくなり、頼みの綱はナイフを持っている方のみ。既に来花機は左腕を殴りつけるモーションに移行していて。

 

『……ショウダウンです』

「こなくそー!!」

 

 思穂はほぼ無意識に操縦桿を引いて前へ動かした――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「ありがとうございました!」

「ええ、こちらこそ良い試合でしたね」

 

 近くの公園のベンチに二人はいた。死闘を繰り広げたあと、少しだけ話そうと言うことになり、二人はコンビニで軽食を買って雑談をしていた。

 思穂はちくわとミネラルウォーター。そして来花は栄養ドリンクとあんぱんであった。

 

「……何か来花さんって刑事みたいな物食べますね。ていうか栄養ドリンクとあんぱんって中々面白い組み合わせ……」

「美味しいんですよ? 栄養ドリンクの酸味と餡子の甘さが高いレベルで調和している有力な組み合わせです」

 

 冗談を言っているつもりはないようで、来花は真顔であんぱんを齧り、栄養ドリンクを煽る。無表情で食べているのでシュールさが凄まじい。

 

「それにしても思穂は相当にやり込んでいますね。つい熱が入りました」

「いやいや! 来花さん相手に手なんか抜く方が難しいですって!」

「私のゲシュペンストに一撃を与えられた。これは十分過ぎる結果ですよ」

「ナイフ掠らせただけだから誇れない自分がいますよ……」

 

 ――結果としては思穂の完敗であった。

 どうあがいても下地が違い過ぎた。苦し紛れに突きだしたナイフを掻い潜り、思穂機のコクピット部へプラズマステークを叩き込んでのゲームセット。

 何でも出来る思穂の操縦技術は平均以上。むしろ、相手はほぼいないと言っても過言では無い。――しかし、来花はその上を遥かにいっていた、というのが思穂の感想である。

 射撃能力、格闘センス、位置取りなど、全てが思穂を凌駕していた。その溝は一生埋まることはないであろう、というレベルで。

 

「どうして来花さんはそんなに強いんですか?」

「そうですね……あの機体、好きなので使い続けていたらいつの間にか……といった所でしょうか?」

「好きこそものの何ちゃらって奴ですか……凄まじいなぁ」

 

 あんぱんを全て平らげ、来花は立ち上がった。

 

「私はこれで行きますね。思穂、貴方がまだこのゲームをやり続けているのなら、いずれまた出会うでしょう。その時は更に成長した貴方を見せてください」

「は、はい! この片桐思穂、全力で努力します!」

「……その物言い。貴方は彼と気が合いそうだ」

「彼……ですか?」

「ええ。私が通う萬台高校(ばんだいこうこう)の後輩ですが」

 

 そう言い、薄く笑みを湛える来花がとても美しく。同じ女性だと言うのに、思わず見惚れてしまった。絵里や希とはまた違う魅力が、彼女にはあった。その数秒後、にこの顔を思い出したのはご愛嬌。

 

「わ、私! 音ノ木坂学院二年、片桐思穂です!! もう一度、貴方のお名前を聞かせてくれませんか!?」

 

 すると、来花は居住まいを正し、思穂の目をしっかり見て、微笑と共に名を告げる。

 

「私は萬台高校三年、宮代来花です。いつかまた、会いましょうね思穂」

 

 時間にしては一時間にも満たない。だが、この邂逅は思穂にとって忘れられることの出来ない尊い物となって、心に刻み込まれる。

 ――またいつか。

 その言葉を信じ、思穂はまず家庭版のバーニングPTを買うべくゲームショップへ走り出した――。



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