いつまでもあなたのそばに (ルーラー)
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プロローグ 風のはじまる場所
第一話 異邦人(前編)


「ソーセージが食べたい」

 

 僕がその建物(スーパーというらしい)に入ってまず聞こえたのは、そんな一言。

 

 声のしたほうを見ると、フリフリの――そう、黒いドレスのような服を着た十六、七歳くらいの少女が、隣にいる彼女と同年齢だと思われる黒髪の少女に話しかけていた。

 ……うん、話しかけている、と取るべきだよな、あの光景は。だって黒髪の少女はそっぽを向いていて、ちっとも口を開かないし。

 

「ウインナーソーセージが食べたい」

 

「いや、ソーセージとウインナーは別物だろ」

 

 あ、黒髪がツッコミを入れた。いや、違うか。黒髪の表情から察するに、ツッコミを入れてしまった、という感じだ。

 

「そんなことより私はウインナーソーセージが食べたいんだよぅ。その辺わかってるの? ケイ?」

 

「だから食べたいのはウインナーなのかソーセージなのか、どっちなんだ」

 

「さっきから言ってるでしょ。チャーシューが食べたいんだよぅ」

 

 いや、言ってない。それは言ってなかったぞ。と、思わず心の中でツッコミを入れてしまう僕。

 一方ケイと呼ばれた少女は、

 

「はいはい」

 

 あっさりとスルーした。……手慣れている。それもすごく手慣れている。というか、それでいいのか、ケイ。さっきまでの会話がどうも時間の無駄っぽく感じられるのは僕だけなのか?

 しかも、ドレスっぽいものを着ている少女はケイにスルーされたことも気づかずに話し続けている。

 

「ラーメンにメンマにチャーシュー……それぞれがそれぞれの味を引き立たせて、さらなる高みへと昇らんとするようなあの味……。ああ、三大珍味さえ超えるよね、あの味は」

 

「食べたことないだろ、三大珍味。そんなのユウの思い込みだって」

 

「思い込みは大切だよ! 思い込むことこそが心を豊かにするんだよ!」

 

 ムチャクチャなことを言っている。しかもあながち間違いとも言い切れないからタチが悪い。恐るべし、ユウとやら。

 

「わけのわからないことをいってるんじゃない!」

 

 ケイのツッコミは普通の人間にならもっともなことのように聞こえたことだろう。しかし、僕の場合は違った。いや、そりゃ僕は普通の人間だ。というか、つい最近まではそうだった。――この世界にやってきてしまうまでは……。

 

 ◆  ◆  ◆

 

 自己紹介がまだだった。僕はマルツ・デラード、十七歳。カノン・シティにある魔道学会支部の副会長、ブライツ・デラードの一人息子。まあ、ぶっちゃけお坊ちゃまだ。

 カノン・シティについて詳しい説明は不要だろう。フロート公国の北東に位置する、まあ、それなりに栄えた町だ。僕はその町で日々、魔道士として修行に明け暮れていた。まあ、僕自身優秀なほうだったから、修行が苦になったりはしなかった。

 

 ところが、だ。ある日気づいたら、僕は海を行き来する船で寝かされていた。事情説明を求めたところ、海をプカプカ漂っていたというのだ。つまり僕はその船が通りがかってくれたおかげで一命を取り留めた、ということらしい。

 さて、そこからが大変だった。もはやトラウマとなりつつあるため、あんまり詳しく語りたくはないのだが。いや、この際、かいつまんで語ることとしよう。あの不快な出来事は出来る限り言語化したくない。

 

 察しのいい人なら既に気づいているかもしれないが、僕はまず助けてくれた人達に自分の住んでいた町――いや、世界のことを語って聞かせた。そのときはまだ、僕の乗っていた船が僕の世界を航行していると思っていたからだ。しかし違った。僕の住んでいた町の名も、フロート公国という国の名も、その人達は知らないようだった。それどころかその人達はだんだんと可哀想な人を見る目で僕を見始めたほどだ。あれは辛かった……。

 まあ、その辺りからなんとなく気づき始めてはいたのだ。僕がいまいる『ここ』は僕の住んでいた世界ではない、と。そう。ただ、信じたくなかっただけで……。

 

 まあ、それから色々あったあげく(その色々の大半は、僕が精神を病んでしまっているのではないか、という周囲のいらない気遣いだ……)、ある人が『バミューダトライアングル』について語ってくれた。なんでもその『バミューダトライアングル』というのは、海上にある別名『魔の三角海域』と呼ばれている所で、そこでは様々な不思議な出来事が起こっているそうなのだ(僕の世界でいうところの『魔海』みたいな場所か)。その人はそこでどういう不思議なことが起こったのか可能な限り詳しく説明してくれたが、あいにくと僕には憶えきれなかった。いや、違うか。憶えておく必要が無かった、というべきだな。ただひとつの説明を除いては、だけど。

 

 そのひとつというのが、僕にとって非常に興味をそそられるものだった。それは言うなれば、『異次元空間説』あるいは『空間移動説』というものである。まあ、早い話が、だ。僕はその『バミューダトライアングル』を通って、僕がもといた場所から空間移動してきたのではないか、ということなのだそうだ(なんでも僕は、その『バミューダトライアングル』のほうから流れてきたらしい。そもそもその説明にしたってその人は「あくまで仮説だが」とつけ加えていたし。というか、僕が別の世界の人間だということはとうとうその人も信じてくれなかった)。まあもっとも、僕は自分の住んでいた世界で、『魔海』に飛び込んだ覚えもないのだが。

 

 で、まあ、その船はちょうど僕が今いる日本という大陸に立ち寄った。そのときに逃げるようにして僕は船を降りたのだ(このままだと金払わなきゃならない可能性もあったし、なによりも周りの僕を見る目があまりに居心地悪かったから)。それが三日前のこと。

 

 ◆  ◆  ◆

 

 さて、話は戻って現在。僕はこの世界じゃ魔術を使えないことを受け入れ(受け入れざるを得なかったのだ。じたばたしても現実はそうそう変わってくれない)、とりあえず生きていくために食料の調達を試みた。ところがうまくいかないのだ、これが。「魔術が使えれば」と一体何度思ったことだろうか……。そして失敗して逃げ出すときに浴びせられる罵声もたいてい同じ。すなわち、「金払えーっ!」である。無いものは無いのだから仕方ないだろうに。まあ、稀に「警察に突き出してやるーっ!!」とか言われて追いかけ回されたこともあったっけか……。僕は頭脳労働派の魔道士であるからして、シンドイことこのうえなかった。

 

 そしてこのスーパーの試食コーナーとやらのことを知ったのが昨日のことだ。いや、人間なにも食べずとも三日は生きられるというが、確かに二日なら大丈夫だと身をもって証明してしまった(つまり、食料調達は一度もうまくいかなかったのだ)。できることならそんな証明なんてしたくなかったけどさ……。あ、そうそう。公園とかいう所の水飲み場はなんとも便利だった。あれがなかったら昨日の時点で動くこともできなくなってただろう。命の恩人だ、水飲み場。

 

 それはそれとして、僕がこれまで孤独感やらなんやらと戦ってこれたのも、「いつかはもとの世界に帰れる」と信じていたからだ。いや、そうじゃない。帰れると、思い込んでいたからだ。さっきユウとかいう少女が言っていたことに近いが、僕はそう思い込むことで、ともすれば折れそうにもなる心を必死で支えてきたのだ。

 しかし、そこは僕もしょせん十七歳の少年。思い込みだけで果たしてあとどれくらい心を支えていられるか……。

 僕は暗澹たる心持ちで嘆息すると、試食コーナーに向けて一歩を踏み出した。あの二人の漫才めいた会話を聞いていたときは、なんとなく明るい心持ちでいられたな、なんて思いながら。

 

 ◆  ◆  ◆

 

 えーと……、なんとコメントしたものか……。

 とりあえず、今日試食コーナーに並んでいたのは、チャーシューだった。それだけならいい。というより、それ自体はすごくいい。育ち盛りな僕の心情は「肉類バンザイ」だ。けれど……。

 

「わーい、チャーシュー! ラーメンに入ってないけどまあいいかぁ」

 

「やめろユウ! 周りの人達からはチャーシューがひとりでに浮き上がってるように見えるんだぞ!」

 

 えーと……、ひとりでに浮き上がって……? そんな風に見えるわけ……って、マズい! このままだとチャーシュー全部あのユウってヤツにくわれる! ストップ! ストォォォップ!! 試食は僕の生命線なんだ!!

 

 僕はそのユウって娘にタックルをかます勢いで試食コーナーに突っ込んでいった。そして食べる! 食べる! 周りの目なんか気にしてられるか! とにかく口の中にチャーシューを次から次へと放り込む!

 そんなことをしていると、だんだんと視線が和らいで――いや、周りの人達が目を逸らし始めた。そう、周囲の人間というのは常識を逸脱した光景を見ると、最初こそジロジロと見てくるが、だんだんと飽きてくるのか、はたまた目を合わせちゃいけないと――要は変人扱いし始めるのか、次々と視線を逸らし始めるのだ。変人扱いされているとするならそれは決して面白いことではないが、そのおかげで試食品をほとんど独占できるのだから甘んじて受けるとしよう、それくらい。こちとら空腹、メシのほうが人の視線なんかより重要なんだ。

 

 さて、と。腹の具合も落ち着いたので、辺りをぐるりと見回してみる。睥睨(へいげい)しているとも言えるかもしれないが。ともあれそうすると、なおもこちらを見ている人間、一緒に試食している人間はそそくさとこの場を去っていく――はずなのだ。少なくとも昨日はそうだった。そのはずなのに――

 

「あなた、もしかして私のこと見えてるの?」

 

 今の今までチャーシューに夢中になっていた少女――ユウは、睥睨した――もとい、チラリと視線をやった僕にそんなことを訊いてきた。

 

「――はい……?」

 

 思わずチャーシューを一切れ取り落としてしまう僕。……って、ああっ! もったいない!!

 しかしそんな僕にはかまわず、黒髪の少女のほうも、

 

「え!? マジでか!?」

 

 信じられないって表情でこちらを向いた。むぅ、さっきぐるりと視線を巡らせてやったときに、あさっての方向に視線をやっていたというのに。ユウのことが見えるというのがそんなに驚くようなことだというのだろうか。

 

「そりゃ見えるよ。当たり前だろ?」

 

「当たり前なのか……」

 

「当たり前なんだ……」

 

 息ピッタリに僕の言ったことを復唱する二人。僕があからさまに訝しげな表情をしたからだろう、ケイという少女のほうが少し声をひそめて、

 

「あのな、実はユウ――コイツのことな――は……」

 

 ここでまた一段声をひそめる。まるで、これから言うことは重大な秘密なんだぞ、とでもいうように。

 

「――幽霊なんだ」

 

 ゆうれい? ゆうれいというと、幽霊? つまり、人に害をなす魔物――『アンデッド』!?

 思考がようやくそこまで到達したところで、僕は素早くバックステップ。ユウから距離をとる。そして使う術をとっさに選択、その一瞬後に呪文の詠唱を開始。

 詠唱しながら精神を集中させ、右手を開き(持っていたチャーシュー十数切れが手からこぼれ落ちたが、気にしてる場合じゃない。命とメシなら天秤にかけるまでもなく僕は命を選ぶ)、ユウに向かって突き出す。そして――

 

黒妖崩滅波(ブラム・ストラッシュ)!」

 

 黒い波動が右の掌からユウに向かって一直線に飛びだ――さないなぁ、掌から一瞬黒いなにかが飛び出た感覚はあったんだけど……って、そうだよ! この世界じゃ魔術は使えないんだ! どうするよ、僕! 魔術使えなかったらアンデッド倒すなんて僕には出来やしないぞ! どうする!? 命乞いするか!? 手の甲さすって「申し訳ありやせんユウ様、ほんの悪ふざけでして……」とでも言うか!? 嫌だ、そんなの! プライドが許さない!でも命にはかえられないし――

 

「うわ……ここまでイタいヤツは初めて見たかもしれないな……」

 

 ああ、そりゃイタいだろうさ! あんたたちから見りゃ、僕はただのイタいヤツだろうさ! でもこっちは真剣なんだぞ! 真剣に命の危機で――って、待てよ。ユウが人を殺すヤツならケイもそう一緒にはいられないか。なんだかんだで関係は良好そうだったし。とするとなにか? ユウは別に危険な存在じゃないってことか? この世界のアンデッドは――いや、少なくともユウ個人は人間に害をなす存在じゃない?

 

 一応確かめたほうがいいな、ケイのほうに。ユウに話しかけていきなり襲われちゃかなわないし(いろんな意味で)。

 

「えっと……ケイさん……だっけ……? そのアン――いや、ユウさんって……害ない?」

 

「害? いや、多少迷惑なとこあるけど、害ってほどのことは――あるか……?」

 

 ふむ、どうやら命に関わるような害はないらしい。とりあえず一安心だ。

 

「……っていうか、そんな格好であまり話しかけないでくれないか? なんていうか……周りの視線が痛い――ってことはないけど、なんか自分までイタい人間に思えてくる」

 

 そりゃ周りの視線が痛いわけないだろうな。ついさっき僕が周囲を睥睨してやってからというもの、誰一人こっちには顔を向けようとしてないし。いや、それよりも、だ。そんな格好? 僕のどこが変な格好だというのだろう。一般的な魔道士なら誰もが着ている、フード付きの黒いローブ。僕の着ている物なんて、これと黒いブーツくらいのものだ。もしかして、髪型が問題なのだろうか。幼い頃はよく、「後ろから見たらまんま栗頭。しかも緑の」なんて言われたものだ。あるいは、この黒目がちの瞳? それならケイもユウもさして変わらないじゃないか。

 

「とにかくそのコスプレみたいな格好はどうかと――」

 

「そんなことよりっ!」

 

 ケイのセリフをさえぎって、ユウが少し身を乗り出してくる。

 

「あなた、私のこと見えるんでしょ!?」

 

 ついさっきも訊かれたことだ。してみるとアンデッド――もとい、幽霊とやらはこの世界では人に見えない存在らしい。一部の例外を除いて、だが。

 いや、そんなことよりも、だ。どうやら僕が彼女を攻撃魔術で一撃しようとしたことには、誰も気づかなかったらしい。そのことにまず、心から安堵。

 

「はい、見えますよ?」

 

 とりあえず丁寧語。彼女の能力(ちから)を見極めるまではこれで通そう。

 

「けど、なんで見えるんだ? 鈴音(りんね)と同じ霊能力者か?」

 

 少し考え込むようにケイ。微妙に僕から視線を逸らしているが、とりあえず気にしないことにする。

 

 僕は別の世界からやって来た事実を二人に語ることにした。そうしないと、いつまでもグダグダと意味のない会話が続きそうな気がしたから。




ストーリー性重視の『マテリアルゴースト』の二次創作小説、ここに開幕です。
オリキャラ、オリヒロインも出す予定でいます。
しかし、念のために『アンチ、ヘイト』のタグをつけておいたのですが、オリジナルのツンデレヒロインが主人公を罵倒するのって『アンチ、ヘイト』に含まれるのでしょうかね?

それでは、これからも楽しんでいただけることを祈りつつ。


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第二話 異邦人(後編)

「……つまり、お前の住んでいた世界ではそのアンデッドって存在は誰にでも見える。だからその世界の住人であるお前は、この世界ではアンデッドと同格であると思われる幽霊も見える、と……そういうわけか?」

 

「まあ、要約するとそういうこと。もっともこの世界で言うところの幽霊は、その誰もが悪しき存在ってわけじゃないようだけど」

 

 ところ変わってここは駅のホーム。

 僕の説明を要約してくれたケイは、その僕の補足を聞くと、ひとつ盛大にため息をついた。

 

「なんてこった……ユウがアニメキャラになるまえに、本当のアニメキャラに出会ってしまった……」

 

 ……なんか、失礼なことを言われた気が……。

 

「で、さっきの『なんとかストラッシュ』ってのが魔法……?」

 

「いや、<黒妖崩滅波(ブラム・ストラッシュ)>……」

 

「正式な名前はどうでもいいんだ。お前、アレやったとき、ものすごく恥ずかしくなかったか……?」

 

「いや、ちっとも。」

 

「そこは恥ずかしいと思うべきところだろうに……」

 

 また失礼なことを言われた気がするな……。いや、それよりも、だ。

 冷静になって考えてみると、さっきスーパーで魔術を使ったときは少しだけど手ごたえがあったな。四日ほど前に使ったときはウンでもスンでもなかったのに。

 

 ふむ、なんとなくわかってきたぞ。おそらくこの世界でも魔術は使えるんだ。ただ、この世界の住人は、自分たちが魔術という技術を使えるのに気づいていないだけで。いや、原因はもうひとつあるか。これまた『おそらくは』だけど――通常、大気には魔力が満ちている。しかし、この世界の大気に含まれている魔力はあまりにも濃度が薄いんだろう。だから、術を発動させる際の助けがとてもじゃないけど足りない。これだとよほどの――僕の世界でいうところの『超一流』レベルの魔力と才能がないと、魔術をまともに発動させるなんて不可能なんじゃないだろうか……。

 そしてその魔力と才能を顕在化させることが出来た人間のことを、この世界では『霊能力者』と呼んでいるのではなかろうか。さっき話題に出た『鈴音』って人みたいに。

 

 幸い、人間の魔力っていうのは、魔術を使えば使うほど上昇していく。筋トレすれば力がつくのと同じことだ。つまり、しょっちゅう魔術を使っていれば、この世界でもまともに魔術を使えるようにはなれるはずだ。元の世界に帰る方法はそれから考えればいい。なにしろ、今の段階では空すら自由に飛べないのだから。それに、この世界にいる魔道士――いや、この世界では『霊能力者』と呼ばれてるんだっけか――の『鈴音』という人に会って、この世界の魔術に関する考察を聞かせてもらうのもいいだろう。というか、今出来ることなんてそれくらいしか思いつかない。

 

 さて、となると当然ケイに頼んでその『鈴音』って人に紹介してもらうくらいしか、その人と会う方法はないわけだが。紹介してくれるかなぁ……こちとら、見ず知らずの他人だというのに……。

 

 ちなみに、僕が自分の思考に没頭している間、ユウは自分のことが見える人間が増えたことがそんなに嬉しかったのか、やたらとはしゃいでたりするし(具体的にはホームの天井の辺りを飛び回っている。まあ、アンデッド――じゃない、幽霊は人間を遥かに超える魔力を持っているんだから、無意識にでもそれくらいのことは出来るか)、ケイのほうは――

 

「はぁ……死にてぇ」

 

「えぇっ!?」

 

 いや、それは僕のような心境の人間が言うことだろ! 大体、軽々しく言っちゃダメだろ! 僕だって言わないようにしてるのに!

 

「なんだって自称とはいえ、『自分は魔法使い』みたいなこと言ってる、それも異世界からやって来たヤツと関わらなきゃならないんだ……」

 

「いや、自称でも魔法使いでもないって! 魔道士だって! ……って、信じてくれるんだ。僕が別の世界から来たって……」

 

 ちょっと――いや、かなり意外だった。今まで誰一人信じてくれなかったものだから。

 

「まあ、僕にも色々とあったからな。ここしばらくで」

 

「そ……そうなんだ……」

 

 ……なんだろう、このやたらと達観した表情は……。命のやりとりもしてない(この世界の)一般人ができる表情じゃないぞ……。

 

「それに、超常的な存在や現象は見慣れてるし……」

 

 言うとケイは嘆息しつつ空を眺めた。いや、違うか。いまだに空中を飛び回っているユウに視線をやったのか。

 

「……なるほど」

 

 思わず納得する僕。

 と、不意にケイは僕のほうに向き直り、

 

「ありがとな。さっきスーパーでユウから周囲の視線逸らしてくれて」

 

「え? あ、ああ……」

 

 あれは別にユウのためってわけじゃなかったんだけどな。まあ、感謝されてるらしいし、結果オーライか。

 

「アイツも別に悪いヤツじゃないんだ。ちょっと、自分が幽霊だってことを忘れがちなだけで」

 

 本当にいつも忘れているわけではないだろう。だって――。と、そこでケイが僕の心を読んだかのように続ける。

 

「忘れられるわけ、ないんだよな。アイツ、なんだかんだ言って夜はずっと一人、眠らずに――いや、違うか――眠れずにいて、それはきっと、ものすごい孤独感を感じることなんだろうから。そのときは、自分は幽霊なんだって、自覚せざるをえないんだろうから……。だから今も、スーパーにいたときも、昼間はずっとはしゃいでるんだろうな……」

 

 僕は少しうつむいてポリポリと頬を掻いた。

 うーん……少ししんみりとしちゃったなぁ……。ていうか、あの空中飛び回ってるアクションって、はしゃいでるっていうのか? 僕はてっきり魔力を無駄遣いしているものだとばかり……。

 

 それによく考えてみれば、だ。ユウは普通の人間には見えないんだよな……? だとすると、いくらはしゃいでいたとはいえ、人前で食べ物パクつくのはかなりマズいんじゃないか? なんせ、普通の人間から見れば試食品がいきなり宙に浮き上がったかと思ったら、次の瞬間には虚空に消え去ったように見えるのだから。うーん……、よく考えてみるとけっこうシュールな光景だ、それ。僕が周囲の視線を集め、さらに散らしたのは――こう、いっそ救世主的な行為だったんじゃないのか? この二人からしてみれば。もしや、これは恩を売るチャンス?

 そんなことを考えながら顔を上げると、スーパーでのことをケイも思い出していたのか、沈みがちな表情でポツリと一言。

 

「死にてぇ……」

 

「またか!?」

 

 いやだから! 軽々しく言っちゃダメだって! そういうこと!

 反射的に叫んで、さらに硬直していると、ケイはさらにすごいことを言って――いや、提案しようとしてきた。

 

「そういやお前って魔法使いなんだよな? それも異世界から来たっていうから当然、宿な――」

 

「だから魔法使いじゃなくて魔道士!」

 

「たいした違いないだろ? 細かいヤツだな」

 

「細かくない! 魔法使いってのは魔道士はもちろん、僧侶や魔道戦士、果ては巫女まで含めた『魔術を使える人間』のことを言うんだ!」

 

『巫女?』

 

 ユウも加わり、ケイと声をハモらせて『巫女』の部分を復唱してきた。なぜそこを繰り返すのかが謎だ。というか、ちゃんと話聞いてたのか。ユウ。

 

「巫女がなにか?」

 

「あ、いや。続けてくれ」

 

「うん、続けて続けて」

 

 なにか釈然としないものを感じるな。まあ、いいけどさ。

 

「とにかく。魔道士に『魔法使い』って言うのはとんでもない侮辱にあたるんだよ! 分かった!?」

 

「ああ、分かった分かった」

 

 両の手を空に向けブンブンと振りながらケイ。その傍らに降り立っているユウも、

 

「うん、マルツは魔道士。魔法使いじゃなくて魔道士」

 

 やっぱりなんかすっきりしない。

 僕が少しムスッとしていると、ケイが先ほど言いかけた提案を繰り返してきた。

 

「それで、『魔道士』のマルツは今宿なし――あー、つまり、泊まるところがないんじゃないか?」

 

『魔道士』の部分をやたら強調してくるケイ。一応言っておくが、僕は宿なしの意味くらい分かる。

 

「そりゃあ、まあ……」

 

 じゃあウチに泊めてやる、とでも言ってくれるのだろうか。だとしたらありがたいことこのうえないが(『鈴音』って人にも紹介してもらいやすくなるし)。

 しかし、彼女の次の言葉はこちらの想像を遥かに超えるものだった。

 

「じゃあ、ウチに泊まっていいよ。ワンルームだから狭いけど。ただそのかわりにさ……」

 

 僕はこれからさき、この提案を聞いたことを何度も後悔することとなる。

 

「人をなんの痛みも苦しみもなく殺せる魔法ってよくあるだろ? RPGとかでさ。即死の呪文ってやつ? 魔法を使えるようになることがあったら、そういうの僕にかけてくれないか?」

 

 …………はい? 今なんと? 要するに自分を殺してくれってことか? なんの痛みも苦しみも感じない術で?

 

 別にそういう魔術がないわけじゃない。いや、即死の呪文なんてものは存在しないが、要は殺されたことにも気づかないぐらいの一瞬で、かけた相手を殺せるほどの殺傷能力がある術か、あるいは精神そのものを消滅させる術を使えばいいだけだ。少なくとも後者なら肉体的な痛みを感じることは絶対にない。

 

 つまり、いま僕が呆然と――というより、困惑している理由は――

 

 ……この人、冗談抜きで死にたがってる……?

 

 というものだった。

 

 困惑するな、というほうが酷だろう。『あなたの願いをなんでもひとつだけ叶えてあげましょう。あなたの命と引き換えにね』なんて言ったはいいものの『じゃあ、痛みも苦しみも感じないように殺してください』なんて返された悪魔だったら今の僕の気持ちがよく分かるに違いない。まあ、悪魔が願いを叶えたときに命を奪う際、そこにはなんの痛みも苦しみもないのかというのは、議論の余地があるけれど。

 

 僕はちょっと現実逃避気味の思考をやめて、ユウのほうに視線を向けるが、

 

「もう、またケイは……」

 

 彼女は呆れたように呟くだけである。

 まさかとは思うけど……この二人にとっては、これが日常茶飯事……?

 

「え~と……」

 

 さて、なんと返事したものか……。

 いや、僕に選択肢なんて最初から存在していない。そこまで断言しなくてもいいのかもしれないが、僕にはそうとしか感じられなかった。

 

 まず、宿なしであるのは間違いのない事実である。この状況はいいかげんなんとかしないと、餓死する日もそう遠くはないだろう(今は夏なので野宿そのものは命に関わるまい)。第二に、彼女の提案を蹴ろうものなら、『鈴音』という人に会うのは困難をきわめることになる。ケイの提案を蹴ってなお『鈴音』という人に会おうとするなら、それ相応の――ハンパではない労力を必要とするだろう。別にそこまでしなくても、と思う人もいるかもしれないが、一刻も早く自分の住んでいた世界に帰りたい僕としては、その『鈴音』という人に会って色々とこの世界の魔術に関して訊きたいのだ。

 

 だから、僕はこう答えざるを得なかった。

 

「まあ、別にいいけど……」

 

 魔術を使えるようになったら空でも飛んで逃げればいい。そんな考えも僕の頭の中にはあった。

 

「よし、じゃあ決まりだな」

 

「えっと……」

 

 しかし僕は思わず言いよどんでしまった。だって……。

 

「どうした?」

 

「どうしたの?」

 

「いや、なんだかんだ言っても異性の家で暮らすのは、抵抗ある、というか……」

 

 それに今初めて気づいたというようにケイが言う。……女の子がそんな無防備でいいのか……? それともこの世界のモラルはその程度のものなのか?

 

「まあ、確かにユウのことは――気にはなるだろうけど、幽霊なんだし、そこまで気にすることも……」

 

「そうそう」

 

「それは分かるよ。そうじゃなくて僕が言いたいのはつまりキミが――」

 

「僕……?」

 

 怪訝そうな表情をするケイ。するとそこにユウが口を挟んできた。

 

「……え~と、マルツ、念のため言っておくけど、ケイは男だよ?」

 

「え……お、男ぉ~っ!?」

 

 ユウの言葉に僕は人目も憚らずに(といってもそんなに人いないけど)大声で叫んだのだった。

 

○その日の式見蛍(しきみけい)の日記より抜粋。

 

 

『――という経緯(いきさつ)で今日、マルツ・デラードというヤツと知り合ったのだが……なんかこいつ、僕のことを女と勘違いしていたらしい。……はぁ、死にてぇ』



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第三話 翼のざわめき(前編)

○???サイド

 

 

 空間に――歪みが生じた。

 

 二つの世界を――『蒼き惑星(ラズライト)』と『地球』を行き来できるようになった。

 

 それはまだ、私くらいの魔力を持っていなければ移動できないほどの薄い結びつきでしかないけれど。

 

 ――果たして、なにがきっかけとなったのか。それは分からない。いずれ調べる必要もでてくるだろう。

 

 しかし――。

 

 いまはまだ――そう、いまはしばし楽しむとしよう。

 

 そう。どうせしばらくは楽しいことなど起こりはしないのだから。いや、起こせはしないのだから。

 

 現段階で問題があるとするならば――。

 

 そう。見て楽しむか、私自身がことを起こして楽しむか、だ。

 

 まあ、ともあれ。いまはしばし、傍観させてもらうとしよう。

 

 それから判断すればいい。

 

 私が関わるほどの楽しみが――価値が彼らにあるのか、否か。

 

 彼ら――式見蛍という名の少年たちにあるのか、否か。

 

 もし彼らに、それほどの楽しみと価値があるのだとしたら。

 

 そのときは――与えてみるとしよう。彼らが活躍するべき、舞台を。

 

 起こしてみるとしよう。彼らのための、事件を。

 

 この、私の二つ名にかけて――。

 

○マルツ・デラードサイド

 

 

荒乱風波(ストーム・トルネード)っ!」

 

 僕の放った強風を起こす(じゅつ)は、目の前のテーブルに平積みにしておいた皿をすこしばかりあおり、

 

 ガシャーン!!

 

 と床に数枚落とした。皿はなかなかに派手な音を立てはしたが、いかんせんたいした強風はまだ起こせない。

 けどまあ、式見宅にやって来てからまだ三日。そよとも風が起こらなかった頃に比べれば、なかなかの結果である。

 

「あーあ、またお皿割って……。ケイ、さすがにそろそろ怒ると思うよー?」

 

 そんな心配無用なことを言ってくるのは、僕が式見宅にやってくる前からここの家主であるケイと同居していた同居人――いや、同居幽霊か――のユウ。

 そう。心配無用なのだ、そんなことは。

 

 なぜなら彼――ケイは、僕の魔術で『楽に死にたい』なんぞとぬかすヤツで、そんな彼の望みを叶えるためには、僕が術を使えるようになることが大前提なワケで。その結果、彼は僕の『魔術が使えるようになるための特訓』を容認しなければならないのだ。事実、少々迷惑そうな表情をしつつも、ケイはその特訓のせいで破損した物について僕にとやかく言ってきたことは一度もない。

 

 まったく、ユウは余計な心配ばかりして、むしろ自分の――

 

「……いい加減にしろっ!」

 

 コンッと。

 

 妙に小気味いい音をさせて、ケイが僕の頭を叩いた。どうやら洗濯物を干し終わったばかりらしく、片手に洗濯カゴを持っている。ああ、なるほど。その洗濯カゴで叩いたのか。……いやいやいや! いま重要なのはそんなことではなく。

 

「なんで叩くんだよ!」

 

 僕はケイに詰め寄ると、抗議の声をあげた。

 それに対する彼の返答は、

 

「いい加減にしろ! ウチを破壊する気か、お前は!」

 

 というすごく冷たいものだった。

 

「冷たくないよ、普通だよぅ」

 

 まるでこちらの心を読んだかのように横から口を挟んできたユウはとりあえず無視。僕はケイに対抗するだけでいっぱいいっぱいなのだ。

 

「別に破壊はしないって。いまの魔術だってさ、ただ風を起こすだけで殺傷能力はこれっぽっちもないんだぞ。だいたい、その風だってまだまだ本来のこの術に比べれば、百分の――いや、それは言いすぎか――十分の一くらいの力しか――」

 

「僕が言いたいのは――」

 

 ずいっと一歩踏み出してくるケイ。つい気迫負けして後ろに退ってしまう僕。なにしろここの家主は彼だ。本気で攻められたら勝ち目は薄い。

 

「ど・こ・に! 皿を割る必要がある! 言ってみろ!」

 

 お言葉に甘えて言わせてもらうことにした。

 

「いや、ただ風をおこすだけってのも、つまらなくてさ」

 

「もっと他に安全な魔法はないのか! 安全な魔法!」

 

「一応、<光明球(ライトニング)>っていう光球を出すだけの術っていうのもあるにはあるけど、それじゃやっぱりつまらな――」

 

「てめぇ、それ以上言ったらマジで怒るぞ!!」

 

 うおぅキレた! ケイさんご乱心! なんだよ。言ってみろと言うから言ったというのに。

 

「皿だって何枚も買えば値段もバカにならねぇんだ! ただでさえお前という()扶持(ぶち)が増えたってのに!」

 

 いえ、それは自分から増やしたのではありませんか。ケイ様。いくらなんでも理不尽な言い草なのではないでしょうか。ああ、なぜか丁寧語な僕。

 

 ……それにしてもこの人、確か理不尽なことが嫌いなんだよな? それなのに自分が理不尽なことを言うってどうなんだろう……?

 

 ……何も言わないでおこう。キレてる人にはなに言っても無意味だよ、うん。

 

 ケイはそれからもなにやら怒鳴っていたが(右の耳から左の耳に聞き流したのでダメージと反省は皆無)、やがて疲れたのか、肩で息をしながら呟いた。

 

「し……死にてぇ……」

 

 うん、もうこの三日間で飽きるほど聞いたおなじみのセリフだ。いっそ名ゼリフでさえあるかもしれない。

 これに関しては僕ももうすっかり慣れていた。……いや、慣れたくはなかったけどさ……。けどまあ、ムカつくことがある度に人に向かって『死ね』と言うヤツよりかは遥かにマシというものだろう。

 しかし、である。慣れたからといって、このセリフが心地いいものになるわけもなく。僕はとりあえずお返しとばかりにこう呟き返すことにしている。

 

「帰りたい……」

 

 もちろん元の世界――『蒼き惑星(ラズライト)』に、である。

 しかしこれを外で繰り広げると、周囲の人間からは僕が『おうちに帰りたい』という意味でこの言葉を使っているように見えるようなのだ。まあ、確かに不自然な返しではないだろう。

 

 それはともかく。

 

 息を整え終えたケイは、突然、僕が仰天することを言いだしてきた。すなわち。

 

「お前、バイトしろ。これまで壊した物の弁償代と――あと、自分の生活費くらい自分で稼いでくれ」

 

「えぇーーーっ!!」

 

 そんな成り行きで、僕はバイトをすることとなった。

 翌日ケイの機嫌が直ったであろう時にもう一度確認してみたが、やっぱりやらなきゃダメらしい。

 

 働き口はケイの通う学校の先輩である真儀瑠紗鳥(まぎるさとり)という人が世話してくれるそうなのだけれど(余計なコトを)、やっぱり不安だなぁ……。一体何をやらされることやら……。

 

 ……はぁ、死にたい……。

 

 ……って、いかんいかん! ケイの口癖がうつってしまった。

 

 頭脳労働だといいなぁ。そのほうが気持ちも楽だ。比較的、だけどさ……。



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第四話 翼のざわめき(中編)

○マルツ・デラードサイド

 

 

 ……ちっとも頭脳労働じゃあなかった。式見宅の周辺にあるコンビニでのバイトである。

 

 まあ、僕がやるのは主に接客ではなく、売り物を整理したり並べたりするほうだけど。ちなみに現在僕が着ているのはTシャツにジーパンという、いかにもなバイトの衣装である。

 

 ……それにしても、あのケイの先輩は僕の履歴書をどうやって用意したのだろうか。僕、この世界じゃ学歴はおろか、戸籍もないはずなんだけど。……気になるなぁ。

 

 ともあれ、ときおりダラダラとサボりながらコンビニでバイトすること今日で五回目(五日連続でバイトしているわけではないので、あしからず)。僕はこの世界に来てしまった理由をそれとなく考えつつ(一応、仮説のひとつくらいは立ったのだ)、週刊誌コーナーに現在『最高に面白い』と大人気だという週刊誌『週刊・醤油差し』(税込み九百八十円)を並べていた。

 

「……って、『週刊・醤油差し』!? この世界の『最高に面白い』って、一体どういう基準なんだよ!? それに九百八十円!? 高っ! 本当に週刊誌か!? これ!? っていうか、買う人本当にいるのか!?」

 

 僕が思わず本にツッコミをいれていると、レジのほうからケイと同年代くらいであろう女の子三人がやって来て、それぞれが迷わず『週刊・醤油差し』を持っていく。

 

「買うのか!? マジで買うのか!? いや、バイトとして喜ぶべきことではあるんだけどさ! ……いや、どうせ給料は増えないんだから、買ってもらえようともらえまいと僕には関係ないかぁ……」

 

「なんか……、さっきから叫んだり呟いたり色々と忙しいね、マルツ」

 

「うおぅ!?」

 

 唐突にかけられた声に振り向くと、そこには浮遊霊のユウと、その隣で呆れた視線をこちらに向けているケイがいた。いや、それと彼と同年齢くらいの少女があと二人ほど。

 一人は一応見知っている顔だ。腰まである長い黒髪に文句なしに『美人』と言える顔立ち。そしてスラリとした長身。そう。ここでバイトをすることが正式決定したときに会った、ケイの先輩こと真儀瑠紗鳥。しかしもう一人のほうは――と、そこでケイが紹介してくれる。

 

「コイツは神無鈴音。ほら、お前がウチに来た日にだったか、話を聞いてみたいって言ってただろ? ちょっとワケ話して、来てもらったんだ。まあ、鈴音もなんか『説明できる』って妙に乗り気だったし」

 

「ケイ! お前、実はすごくイイヤツだったんだな! バイトしろとか言われた日からお前のこと、どこか悪魔めいて見えてたんだけど!」

 

「大声で言うセリフじゃないな、それ」

 

 ケイがこめかみに少しばかり青筋を立てたが、気にしない。というか、気になどしていられない。僕はケイを無視して、肩の辺りまである髪を無造作に散らしている、華奢(きゃしゃ)でどことなく神秘的な雰囲気を持つ少女――鈴音さん(初対面の女性を呼び捨てはまずかろう。ユウは除くけど)に話しかけた。ちなみに学校帰りなのか、ユウを除く全員は制服姿である。

 

「ええと――どうも」

 

「え、ええ。どうも」

 

 なんというか……最強だな。『どうも』。

 

 それにしても、ちょっと見たところ人見知りするタイプっぽいな、彼女。だからといって、いつまでも互いに頭を下げつつどうもどうもと言い合ってても進まない。なので――。

 

「えっと……僕、こことは違う世界から来たんですよ……って言っても信じてもらえませんかね……」

 

 なんか、彼女は常識人っぽいし。こんな突拍子もない話を信じてくれるのなんて、それこそケイとユウくらいのものだろう。そもそも僕は会話を始めるにあたって、いの一番にまったく信じてもらえなそうなことを話題にして、一体何を考えているのだろうか……。

 そんな風に自己嫌悪に陥っていると、

 

「ええと……蛍とユウさんから聞いてますよ。だからここまで来たんだし」

 

 信じてくれてる……。信じてくれてるよ、鈴音さん……。そっか、彼女は『霊能力者』だって以前ケイが言ってたっけ。だから多少常識外れのことも受け入れられる価値観を持ってるんだ。

 

 これは僕の勝手な想像だけど――きっと彼女もこの世界では非常識とされる力を持っているから、それで苦労したこともあったのだろう。だから同じように苦労している僕のことも理解して――あるいは、理解しようとしてくれようとしているのだろう。『人は苦しみ(悲しみだったっけ)が多いほど、人には優しく出来るのだから』とかいうフレーズの曲をつい最近聴いたけど、まさにその通りだ。

 

 ジーンと感動している僕に「あの」と鈴音さんが尋ねてくる。

 

「それで、マルツさん? が住んでいた世界ってどういう……?」

 

「え、そうですね……って、なんかこのしゃべり方、ガラじゃないな。……えっと、そうだな。この世界でいうところの『剣と魔法の世界』に近いかな。魔術もあるし」

 

「それじゃあ、なんでこの世界に? それも魔法で?」

 

「いや、えーと……」

 

 いつだったか、ケイが『鈴音は筋金入りの説明好きだから』と言っていたが、なるほど。説明するにはまず説明するための情報を手に入れなければならない。つまるところ、鈴音さんは説明好きであると同時に、重度の訊きたがり屋でもあるわけだ。僕はそれにちょっぴり(本当にちょっぴり)ウンザリしながら、僕がここに来た経緯を話して聞かせることにした。ちなみにケイとユウにはもちろん、真儀瑠先輩(別に僕の先輩ではないが、なんとなくこう呼ぶことにしている)にも語ったことなので、三人は週刊誌コーナーという場所柄、黙々と立ち読みをしていた。とはいってもユウは自分で本を持つとさすがに大騒ぎになりそうなので、ケイの隣から覗き込んでいるのだが。そしてそんな二人を少々殺気のこもった視線で見やる鈴音さん。こ……怖い……。

 

 ともあれ、僕は語った。途中何度もあった鈴音さんからの質問にはさすがにウンザリしたが。というか、話の途中でも式見蛍殺人事件を起こしそうな視線をケイに送るあたりが恐ろしい。同時にそんな視線を向けられ、脂汗を流しているケイに少し同情。

 

 僕は事情を語り終えると、続けざまに僕なりに考えた仮説も話すことにする。まあ、それを話すには僕の世界の神話――というかなんというか――から話す必要があるのだけれど。まあ、ところどころはしょりながら話せばいいだろう。鈴音さんがそれを許してくれれば、だけど。

 

「まあ、昔話でも聞く感じで聞いててよ。神話の時代になにが起こったか、なんて、僕だってどうでもいいことだと思ってたくらいなんだから」

 

「はぁ……、そういうもの、なの?」

 

「うん。そういうものなの。じゃあ、昔々――『界王(ワイズマン)悪夢を統べる存在(ナイトメア)』が『聖蒼の王(ラズライト)スペリオル』と『漆黒の王(ブラック・スター)ダーク・リッパー』を創りました。するとこの二者は――」

 

「あの――」

 

 うおぅ。さっそく質問ですか。いくらなんでも早すぎませんかい?

 

「マルツさんが住んでいたのが『蒼き惑星(ラズライト)』なんじゃ?」

 

「ああ、それと『聖蒼の王(ラズライト)』は別物――というか、蒼き惑星(ラズライト)の名を取って『聖蒼の王(ラズライト)』としたという説と、その真逆の説があるんだよ」

 

 ううむ。卵が先か、鶏が先か。

 

「それと、もうひとつ」

 

 おいおい、まだあるんですかいな。まだ話し始めたばかり、序盤も序盤ですよ?

 

「その『界王(ワイズマン)ナイトメア』ってなんなの? 神とするなら『漆黒の王(ブラック・スター)』を創るのはおかしいし、魔王とするなら『聖蒼の王(ラズライト)』を創るのが不自然になってくるし」

 

 ああ、それは確かに疑問かもしれない。『界王(ワイズマン)』は僕だって理解に苦しむ存在だからなぁ……。まあ、分かっていることといえば、

 

「属性としては、聖でも魔でもないんだ。とにかく気まぐれで、自分が楽しいと思うことに全力投球する存在、とでもいうか、自分が生み出した存在が――神族でも魔族でも人間でもエルフでも――困っているのを見て無邪気に楽しんでいる存在、とでもいうか。まあ、一言で言うなら迷惑な存在、かな」

 

「それはまた厄介な……」

 

 ええ。厄介なのですよ、とても。

 ――と、思い出したかのようにケイが会話に加わってきた。

 

「なんか、ユウみたいなヤツだな。迷惑ってあたりが」

 

「ケイ、それ酷くない!? 私の場合、ちょっと睡眠妨害する程度じゃない。『界王(ワイズマン)』っていうのほど迷惑かけたりなんかしてないでしょ!」

 

「いや、そこまで迷惑かけられてたら、本当に鈴音にお祓いしてもらうことになってるだろうし」

 

「ひどっ!」

 

 ひとしきり漫才をすると、二人は再び雑誌へと視線を落とした。聞いているのか、いないのか……。

 

 説明を再開しようと鈴音さんのほうに向き直ると、彼女はどこか悔しげな表情でケイの背中を睨みつけていた。この人の精神構造もまだまだ謎だらけだな……。ともあれ、僕は説明を続ける。

 

「で、『聖蒼の王(ラズライト)』と『漆黒の王(ブラック・スター)』はお互い部下を創って戦ったんだ。この戦いは『第一次聖魔大戦(せいまたいせん)』・『第二次聖魔大戦』と呼ばれてる」

 

「ふむ。こちらでいうところの第一次・第二次世界大戦の神話バージョンか? 魔法少年」

 

 振り向いてそんなことを言ってきたのは真儀瑠先輩。

 

「いや、世界大戦なんて地球の歴史、僕にはさっぱりですよ。真儀瑠先輩。というか、魔法少年って呼ぶのやめてください」

 

「…………」

 

 ああ、無視された……。まあ、いいや。鈴音さんを相手に話を先に進めよう。

 

「それで、その第二次聖魔大戦を終わりに導いたのが『光の戦士(スペリオル・ナイト)ゲイル』。なんでも『漆黒の王(ブラック・スター)』を異世界に飛ばしたんだってさ」

 

「うわ。ものすごくはしょったな。……っていうか、迷惑だろうなその異世界。いきなり魔王がやって来るんだから」

 

 ちゃんと聞いてたんだな、ケイ。

 

 そりゃあまあ、はしょりもするさ。鈴音さんの質問は出来る限り回避したかったし。そもそもこれから話すことこそが今日の本題なのだし。まあ、『漆黒の王(ブラック・スター)』が飛ばされた異世界の住人にはご愁傷様としか言えないが。けど、数年前に魔王はこちらの世界に戻ってきちゃって、僕の師匠たちがなんとかして倒したんだよな。だから突如魔王の現れた異世界の住人には、僕の師匠たちに免じて許して欲しいところだ。

 

 まあ、そんなどうでもいいこと(異世界の人たちからしてみればどうでもよくはないだろうけど)はおいといて、だ。

 

「で、ここからが本題なんだけど」

 

 僕はようやくその仮説を話し始めることが出来た。神話の部分をはしょりまくったおかげで鈴音さんからの質問もない。ああ、よかった。

 

「僕も『漆黒の王(ブラック・スター)』同様、なんらかの要因によって僕の世界でいうところの異世界――つまりこの世界に飛ばされたんじゃないかって思うんだ」

 

「なんらかの要因って?」

 

 それは訊いて欲しくなかったよ、鈴音さん。

 

「いや、それは分からないんだけど……」

 

 バイトしながら片手間に考えた仮説なんてこんなもんさ。

 

「結局何も分かってないんじゃないか。……はぁ、死にてぇ」

 

 そんなこと言われてもなぁ……。……とと、忘れるところだった。僕も呟いておかないと。

 

「帰りたい……」

 

「え? ええっと……?」

 

 なんか、鈴音さんがやたら戸惑っていた。当たり前か。とりあえずフォローにまわるとしよう。

 

「ああ、気にしないで。社交辞令みたいなものだから」

 

「そ、そう……」

 

 余計に戸惑っているようにも見えるが気にしない。気にしたら負けである。何に負けるのかは知らないけど。

 

 ――と。

 

「あ、そうだ。ケイ、ちょっとどっか行ってて」

 

「はぁ? マルツ、何をいきなり……」

 

「多分ケイにとっては面白くない話だと思うから。いや、いまからする話をケイが『面白い』と思えるとしたら、それはそれでどうかと思うけど」

 

「……何の話だよ?」

 

 僕は敢えてキッパリと答えた。

 

「ケイの『死にたがり』に関する話」

 

 その場にいた四人全員が息を呑んだ。そう。ケイも、真儀瑠先輩までも、だ。

 

「……分かった」

 

 呟くように小さくそう洩らすと、ケイはレジ近くのおにぎりなどが置いてあるコーナーまで歩いていった。チラチラとこちらを見ながら、ではあったけど。

 

 こちらの会話がケイに聞こえないであろう場所まで彼が遠ざかると、早速僕は持論を語り始めた。もちろん小声で。

 

「いい? 怒らないで聞いてよ? これは僕の勝手な見解なんだけど――」

 

 そう前置きしておく。そうしておかないと真儀瑠先輩はともかく、ユウと鈴音さんはいきなり怒鳴ってきそうな気がしたから。事実、三人の表情はそれほどまでに真剣なもので、ああ、ケイはいい友達を持ってるな、なんて思ってしまえたほどだ。それに、僕がこれから話す内容はいきなり怒鳴られても――感情的になられても仕方のないものでもあった。

 

「さっきもちょっと話に出たけど、僕のいた世界には魔族っていう存在がいるんだ」

 

『魔族……』

 

 息を潜めて復唱する三人。僕は続ける。

 

「ケイの思想っていうか、考え方はね。魔族のそれにとても似てるんだよ。えっと、魔族の思想っていうのは、神族を、人間を、すべての生命(いのち)あるものを――そして世界を。最後には自らを滅ぼそうってものなんだけど――」

 

「少々規模がデカすぎるが、まあ、言ってしまえば確かに自殺志願者の思想だな」

 

「そう。そうなんですよ、真儀瑠先輩。魔族が言うには『生きることには常に不安と苦しみがつきまとうから、自分たちは滅びの中にこそ永遠の安息を見いだした』ということらしいんですが」

 

「つまり、不安だったり苦しかったりする時間を少しでも短くするためにすべてを滅ぼそうってことなの?」

 

 理解はしたが、呆れてもいるって口調で鈴音さん。

 

「どうかしてるんじゃない? その魔族っていうの」

 

「それに関しては同感。まあ、そもそも――」

 

「ねえ、ちょっと待って!」

 

 なにやら真剣な表情と声でユウが待ったをかけた。

 

「だったら自分たちだけで勝手に滅べばいいんじゃないの? なんで世界まで巻き込む必要があるの!?」

 

 はて? なんだか彼女、必要以上に真剣になっている気がするな。別に今この世界に魔族が来ているってわけでもないのに。……そうか。ユウは既に死んでいる存在だから……だからこそ、『滅び』に対して少し過敏に反応しているんだろう。自分がもう生者――生命(いのち)あるものじゃないから。

 

 僕はそんな彼女に返す明確な答えを持たない。そんなものは知らない。だから、せめてこう返す。

 

「それは分からないんだ、誰にも。ただ生命(いのち)あるものは『幸福になること』を目指していて、魔族は『不幸にならないこと』を目的としてるんだって。僕たちが魔族の思想が理解できない――というより、理解したくないのは当然なんだってさ。そもそも理解しあえるようには創られていないんだって。そういう風に創ったのは『界王(ワイズマン)』なんだけど。――そう、人が機械や魔術の補助なしに空を飛んだり、深海に潜ったり出来るようには創られていないように、ね。――『界王(ワイズマン)』がそう言ったらしいよ」

 

 その僕の言葉に、真儀瑠先輩があごに手をやりながら呟くように言う。

 

「ふむ。そういう風に創ったのは、おおかたお前たちと魔族との戦いをいつまでも見ていたかったからだろうな。恐らくは、単なる暇つぶしとして。『界王(ワイズマン)』には両者を和解させるつもりなど微塵もないのだろうから」

 

 この人、一体何者だ? そんな『界王(ワイズマン)』の心理、僕はこれっぽっちも話してないぞ。真儀瑠先輩も他人に迷惑をかけて楽しむタイプだから、その辺りの心理はよく分かるのか? 同類ってやつ?

 

「何を意外そうな表情をしている? 魔法少年。『界王(ワイズマン)』というのは迷惑極まりない存在なのだろう? なら、そのくらいのことはやるだろう」

 

 それはまったくもってその通りなのだが、普通そこまで見抜くか?  たったいま異世界の存在を知ったばかりだというのに。いくらなんでも洞察力がすごすぎる。それはそれとして、そろそろ『魔法少年』っていう呼び方やめてくれないかな……。抗議してもムダだろうし、そんな空気でもないから何も言わないでおくけどさ。

 

「それはそうと魔法少年。お前の口ぶりからするに、お前は『界王(ワイズマン)』と会ったことがあるんじゃないのか?」

 

「いえ、僕はありませんよ。『界王(ワイズマン)』と会ったことがあるのは僕の師匠たちです。まあ、僕もニーナ・ナイトメアっていう娘とは会ったことありますけど」

 

「師匠? 師匠がいたのか、お前。いや、それよりも、そのニーナとかいう娘、名前からして怪しくないか?」

 

「別に怪しいところなんてない普通の女の子でしたよ。……って、なんか話逸れてますね」

 

「そうだな……。戻すとするか」

 

 話の内容を軌道修正。ついでに少しバック。

 

 僕は一度三人をぐるりと見回し、話を再開する。

 

「まあ、とにかく。魔族の考えは僕たちには理解できないものなんだよ。――で、似てると思わない?  魔族の思想とケイの考え方。『不幸にならないこと』を目的にしているところとか、『僕たちには理解できない』ところとか、さ」

 

「そっ! そんなこと――」

 

「確かに……ね」

 

 大声を上げそうになったユウの言葉を遮り、鈴音さんがうなずいた。真儀瑠先輩も無言ながらうなずく。どうやらこの二人は感情より理性を優先できるタイプのようだ。僕はそう悟り、これなら大丈夫だろうともうひとつの仮説を話した。

 

「それともうひとつ。人間って腹が立つとなんで物を壊すか知ってる?」

 

『?』

 

 ユウと鈴音さんが揃って首を傾げる。答えを返してくれたのは真儀瑠先輩だった。この人、こういう話をしてるときはすごく頼りになるなぁ。

 

「他人を壊す――というか、殺すことができないからだな」

 

「そう。じゃあ――」

 

「ついでに言うと、他人を殺せる人間は自分を殺せないから他人を殺すんだそうだな」

 

 ついでの説明ありがとう。うぅ……余計な手間が省けたのに妙に寂しいのはなぜだろう……。

 

「で、それがなんだと――」

 

 そこまで口にして真儀瑠先輩には分かってしまったのだろう。首を傾げ続けているユウと鈴音さんを放置して、彼女は険しい表情をして黙り込んだ。

 仕方ない。僕が後を継ぐとしよう。

 

「そう。どうしようもないことがあると普通の人は自分を殺せないから人を殺す。そして人を殺せないから物を壊す。物の場合は壊すというけど、この行為はつまるところ物の寿命をゼロにする行為。つまり、人間は他人を殺せないから物を壊す――。物を、殺してしまう」

 

『…………』

 

 僕の解説に三人は重い感じで沈黙している。

 

「けどケイは――比較的、だけど――それをしないように思う。要するに彼はどうしようもないこと――この場合は理不尽なこと――があると、まず自分を殺そうとしてしまうんじゃないかな? そうすることに対して恐ろしいほどにためらいがないような気がする。そうだとするならケイの自殺志願も多少なりと理解できると思わない?」

 

 三人はまだ黙りこくったままだ。鈴音さんに至っては、すっかりうつむき加減になってしまっているし。

 僕はパンパンと二度ほど手を叩いて、三人の視線をこちらに向けさせた。暗い話はこれくらいでいいだろう。

 

「僕の考えはこの程度のものだよ。~かもしれない。気がする。それだけの――そう、仮説でしかないんだから。ケイの考えてることはどれだけ言葉を並べたところで……、分かった気にはなれても、完全に分かることはできないんだから。――だから、もうこの話は終わりにしよう」

 

 そう。人の心の内など、どれだけ言葉を重ねようと人間には分からない。それこそ人外の存在なら――『界王(ワイズマン)』ナイトメアになら分かるのかもしれないけれど。それでも、『界王(ワイズマン)』とて全能ではないと師匠は言っていた。それなら人の心は絶対に誰にも――自分自身にも理解しきれないものなのだろう。人の心。それはどの世界でも共通する永遠の謎だ。謎の塊。ミステリだ。

 そんな謎を解くよりも、僕にはもっと大事な解かなければならない謎がある。そしていま、目の前にその手がかりとなりうる人がいる。そう。僕はそもそも鈴音さんに訊きたいことがあるからこそ、ケイのムチャクチャな提案も受けたのだ。

 

「あの、鈴音さん。ひとつ訊きたいことがあるんだけど」

 

 僕がそう口にした瞬間、鈴音さんは沈んでいた表情を一変させて瞳をキラキラと輝かせた。……ああ、そうか。説明好きなんだったな、彼女。

 

「なになに?」

 

「ええっと――」

 

 僕は少し身を震わせつつも勇気を出して尋ねた。今回のことで僕は『生きていくためには出すべきではない勇気もある』ということを学ぶことになるのだけれど――それはまた別のお話。

 

「この世界の霊能力ってどういうものなんだ?」

 

 それからしばし、『そのとき』が永遠に続くように感じられた――。



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第五話 翼のざわめき(後編)

○式見蛍サイド

 

 

 どうやらマルツはよりにもよって鈴音に説明を求めたらしい。命知らずなヤツだ……。そして、知らなかったがゆえのこととはいえ、ちょっと尊敬。

 

 それにしてもやたらと長い話だったな。まあ、鈴音には及ばないけど。なんかユウも先輩も沈みがちだし。復活しているのは鈴音のみだ。ううむ、さすが巫女。いや、巫女は関係ないけどさ。

 

 そんなことを考えながらボンヤリしているときだった。

 自動ドアがガーッと開いて、覆面をした男がコンビニ内に飛び込んできたのだ。うん。多分男。こんなガタイのいい女の人はまずいないだろう。

 そんな余計な洞察を働かせたのが致命的なロスとなった。

 

「てめぇら、動くな! 手ぇ上げろぉ!!」

 

 僕はそのコンビニ強盗(覆面といまのセリフからして、まず間違いないだろう)に後ろから羽交い絞めにされ、首元にナイフを突きつけられた。なんてこった。死にてぇ……。もちろんナイフで刺されるのは嫌だけど。痛そうだし。というか、確実に痛いだろう。

 

 いや、よく考えなくてもさ。動かずに手を上げるって、どう考えても不可能だろ。などと意識的に平静な思考を保とうとしてみる。

 

 それからユウたちのほうに視線をやってみた。あ、鈴音のヤツ、こんな状況だというのにまだマルツ相手に説明を続けてやがる。もしかして説明に夢中で気づいてない? その説明を受けているマルツは涙で潤み始めている瞳をこちらに向けていた。『助けて』とでも言いたいのだろう。いやいやいや! 助けて欲しいのはむしろこっちだ! あ、でも鈴音の説明を延々と聞かされるのと、強盗に人質にとられるのとどっちがいいだろう。……どっちもどっちだな。

 

 じゃあ、先輩とユウは何をやってる? 密かに僕を助けだすミッションでも練ってるとかいう展開は……ないな、やっぱり。二人してどこか呆れた視線を向けている。それも僕にではなく、強盗に対して。

 どうせすぐに捕まるんだからやめときゃいいのに、とかいう視線かと思ったが違うようだ。よし、ユウの――はまだムリだから、付き合いの長い先輩の視線の意味を解読。どうも二人して同じこと考えてるっぽいし。

 

 えーと、なになに。『自殺志願者を人質にしたところで無意味だろうに。喜んで自分から刺さってくれるに決まってる。馬鹿な犯人だな、まったく』……って、ちょっとちょっと!!

 ああ、なんか先輩……、らしくなく僕のこと誤解してる。僕は慌ててアイ・コンタクトを試みた。

 

『先輩! そんなわけないでしょう! 僕は死にたがりやですけど、こんな痛い死に方は嫌ですって!!』

 

『うむ。そのくらい分かっている。ちょっとふざけてみただけだ。後輩』

 

 ふ……ふざけてたのか、こんなときに。しかもアイ・コンタクトで……。ユウのほうは――本気で僕がこの状況下で死にたいと考えてると思ってるんだろうな。

 

 とりあえず分かったこと――。皆が皆、助けてくれる気配はナシ。ああ、絶望的だ。……楽に死にてぇ。せめて鈴音が気づいてくれてれば、また違った展開も期待できたんだろうけど……。まあ、最悪の場合は『霊体物質化能力』でなんか武器でも出して――。

 

 うわ! そんなこと考えてるうちに強盗が焦れてきたのか、ナイフがプルプルと震えている! マ、マジで怖い……。

 店員さーん! 早くお金渡してあげてー! 今は警察呼ぶより人命救助が最優先ですよー! まあ、人命救助って言っても、助けるのは自殺志願者の命だけど……。

 

「け、蛍っ!!」

 

 おお! やっと鈴音が気づいてくれた! あ、でもとっさのことに弱いからオロオロしているだけだ。

 

 まあいいか。鈴音が気づいてくれたってことは、マルツも戦闘体勢に移れるってことだし。アイツは命のやりとりを当たり前にやっていた世界から来たってくらいだから、きっと頼りに――ならない。なんかやってるっぽいけど、掌に蒼白い光が集まるだけでそれ以上のことはなにも起こってない……。というかアイツ、僕ごと強盗を殺すつもりじゃないだろうな。

 そんなイヤな想像が頭をよぎったとき、マルツが大声で助けを求めるかのように呼びかけてきた。

 

「どうしよう! ソイツ、殺さないくらいの術でなんとかしようと思ったんだけど、威力が十分の一くらいしか出ない!」

 

 ……アホか。十分の一もなにも、ほとんどなにも起こってないだろ。というか、だ。

 

「だったら普段なら人が死ぬくらいの術を使えばいいだろ! 威力が十分の一になるんだから、それで大惨事にはならないって!」

 

「あ! なるほど!」

 

 さてはアイツ、冷静そうに見えて実はものすごく混乱してるんじゃないだろうか。

 

 ――と。

 

「喋んじゃねぇ! ガキィ! ぶっ殺すぞ!」

 

 強盗の大声と共に、僕の首がナイフと仲良しに! ……って、ふざけた言い回し考えてる場合じゃないぞ、これ! 仕方ない。僕の能力(ちから)でなんとかするか。いまは誰も頼りにならない。

 そう思い、なにか武器をイメージしようとしたときだった。

 

呪霊撃滅波(ソウル・ブラスター)っ!」

 

 マルツの声が聞こえ、彼の手から放たれた蒼白い一条の光の筋がこっちに迫ってくる! ひぃ! 死ぬぅ!!

 

 そう思った瞬間。コロンと音を立てて床に落ちる蒼白い光の筋。いや、蒼白い細い棒と化しているけど。……これって、マルツの撃った<呪霊撃滅波(ソウル・ブラスター)>? でもなんでこんなことに……。あ、まさか、僕の『霊体物質化能力』のせい!?

 

「脅かしやが――」

 

 怒鳴る強盗。しかしそれを無視するかのように唐突に。

 

「はい、邪魔邪魔。闇の矢(ダーク・アロー)。」

 

 そう。唐突に聞こえた女性の――いや、少女の声。そしてそれとほぼ同時に黒い矢が一本だけ飛んできた。そしてそれは――

 

 「――っぶっ!?」

 

 強盗の顔面に見事に命中した。強盗の身体から力が抜け、ナイフがカランと落ちる音。ドタッという音からして、強盗はおそらく後ろ向きに床に倒れ込んだのだろう。しかし、僕を含めて誰一人として強盗には目をやっていなかった。

 

 そう。僕たちの視線は、店内に唐突に現れた目の前の少女に注がれていた。

 

 茶色がかった短めの髪に赤いヘアバンド。大きな赤い――けれど少し暗めの瞳。そしてゲームなどで『武闘家』が着るような緑色のコスチューム。

 まるでゲーム雑誌から抜け出して来たかのような風貌。少々幼い印象を受けるが、おそらく僕と同年代だろう。

 

 まず硬直から脱したのはマルツだった。非常識な世界から来たヤツだから、非常識な事態もすぐに受け入れられるのだろうか。

 

「……ニ、ニーナさん!?」

 

 少女――ニーナは無視するでもなく答える。

 

「ああ久しぶり、マルツくん。……キミも間が抜けてるよねぇ。物質化能力を持つ彼の――」

 

 そこでちらりと僕を見て、

 

「――その範囲内に向かって『霊王(ソウル・マスター)』の力を借りた<呪霊撃滅波(ソウル・ブラスター)>を放つなんて」

 

 えーと……、『霊王(ソウル・マスター)』? それに『物質化能力を持つ彼の――』って、まさか彼女、僕の『霊体物質化能力』のことを知っている?

 

「霊体を物質化させるのが彼の能力(ちから)なんだから、あの術が物質化するのは想像つきそうなものじゃない?」

 

 やっぱり知っている。……一体彼女は何者なんだ? マルツの知り合いなんだから悪いヤツじゃないとは思うけど……。

 

 それはそれとして、僕いきなりカヤの外ですか? 僕のことが話題になってるっぽいのに。そもそも『霊王(ソウル・マスター)』って誰? 言葉の響きからして、幽霊の親玉っぽい印象があるけど。

 

「それにしても――」

 

 次の瞬間、ニーナは僕をはっきりとその赤い瞳に捉えて、こう言った。

 

「やっぱりこの世界も淀んでるんだねぇ。式見ケイくん」

 

 思わず息を呑む僕。

 彼女はそんな僕を愉快そうに見ながら、改まって自己紹介してきた。

 

「初めまして、だね。ボクの名は――」

 

 そこで彼女は瞳の色を深くする。

 

「――ボクの名は、ニーナ・ナイトメア。『界王(ワイズマン)悪夢を統べる存在(ナイトメア)』の端末たる存在(もの)のひとり。……よろしくね?」

 

 周りを見ると、ユウたち四人ともが身体を硬くして絶句していた。

 

 ……なんなんだよ、一体……。相手はユウよりちょっと(いや――かなり、かもしれないけど)迷惑なだけのヤツじゃないのか?

 だいたいマルツが語った内容から察するに、コイツは神話の中にしか登場しない、伝説上のイキモノなんじゃないのか?

 

 ……ホント、なにがどうなってるんだよ、まったく……。

 

 ……はぁ、死にてぇ……。

 

○???サイド

 

 

 ――見つけた。

 

 あの人間がこの世界の歪みの中心たる者か。

 

 式見蛍。この世界には存在しない新たな(ことわり)の力――『理力(リりょく)』を持ち、扱う者。

 

 しかし、まさか我と同格たる『界王(ワイズマン)』まであの人間に興味を持つとは……。

 

 いまは傍観するのみのようだが、だからといって油断していられる奴というわけでもない。

 

 ――それにしても、あの人間をここまで早く見つけられるとはな。幽霊間の情報網もあながち捨てたものではない、ということか。

 

 いや。この程度は出来なければ。

 

 この程度も出来ぬのならば、悪霊を取り込んでまで我がこの瞬間(とき)まで我で()り続けた価値がないというもの。

 

 そう。かつて『奴ら』に滅ぼされかけ、精神のみの存在となった我が、恥を忍んで悪霊如きをこの霊体(からだ)の核とした意味が消失してしまうというものだ。

 

 無論、悪霊と同化したこの姿は一時だけの仮初めだ。すぐに完全であった頃の我に戻ってみせよう。あの人間の持つ理力を――霊体を物質化させる能力(ちから)を用いることによって。

 

 我、『闇を抱く存在(ダークマター)』は、この世界で再びすべてを手に入れ、すべてを滅ぼすのだ――。



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第六話 それは、早すぎる『さよなら』。(前編)

○(以下、『蒼き惑星(ラズライト)』に存在する、とある書物より抜粋)

 

 

 ――あれは光と闇、聖と魔、生命と死、起源と終末、調和と対立、それら全てを()べる存在(もの)

 

 生み出されし世界。

 

 全ての滅びを望み続ける存在(もの)

 

 輝く光。深き闇。見え隠れする希望。消えることのない絶望。

 

 己の夢の中に全てを生み出せし存在(もの)

 

 生み出されし存在(もの)達、この存在(もの)の夢から決して逃れることは出来ない。

 

 すなわち――『界王(ワイズマン)悪夢を統べる存在(ナイトメア)』。

 

○式見蛍サイド

 

 

 買い出しは大変だった。

 荷物は僕ひとりで持てる量を大きく超え、マルツにはもちろんのこと、鈴音にまで持ってもらうことになった。

 

 いや……、だって、なあ。

 なんていうか、反則だろう。一ヶ月前にはこの家に住んでいたのは僕ひとりだったというのに、ユウが同居し、八日前には(僕が言い出したこととはいえ)マルツも同居し、これだけでもまず三人分の食材を買ってくることになっていたのだけれど、なんと今日に至っては、鈴音に先輩、さらには今日の夕方にコンビニで知り合った『界王(ワイズマン)悪夢を統べる存在(ナイトメア)の端末たる存在(もの)のひとり』とか自己紹介したニーナ・ナイトメアという少女の夕食の材料まで用意するハメになったのだ。

 

 当然買い出しはものすごい量になり、鈴音にまで持ってもらうことになったのだ。

 まあ、それはまだいい。あまりよくはない気もするけど、『死にてぇ』と思うほどの理不尽は感じない。だが――。

 

「……死にてぇ」

 

 夕食を作り始めてから僕はそう呟いた。

 

 いや、だってさ。金銭面でもあまり余裕がないというのに、自分を含めた六人分の夕食を作るってどんなもんだよ?

 さらに言わせてもらうなら、ここはワンルームだぞ? そこに自分を含めて六人も居るってどうなんだ? ひとり暮らししていたときから考えたら六倍の、マルツが来たときから考えたって二倍の人口密度だぞ?

 おかげで暑いったらありゃしない。もうすぐ夏だというのに。おまけに料理をしているものだから、余計に暑い。はぁ、死にてぇ……。

 

 ユウに鈴音、先輩はニーナとくっちゃべってるしさ。誰かひとりぐらい僕の手伝いをしてくれたってバチはあたらないだろうに。というか、むしろ今のこの状況でこそ女性たちにバチがあたるべきだ。こんなバチをあてる絶好の機会になにをやっているんだ、神様は。

 

 ちなみにマルツはというと、なんか部屋の隅で縮こまってニーナを恐ろしげに見ている。だというのにニーナはもちろん、談笑している他の女性たちも誰ひとりそんな彼を気にもとめていないようだった。あそこまで怖がっているというのに、だ。いっそマルツが不憫に思えてくる。

 

 ただ、そこまでニーナを恐れる理由も、正直僕には分からない。

 彼女と話してみると、気さくというかユルいというか、とにかく恐ろしいイメージが湧かないのだ。あるいはユウと似ているところがあるからかもしれない。迷惑かける云々ではなく、雰囲気とか、しゃべるときのスタンスとかが似てるのだ。それも、かなり。

 

「――で、ボクが『光の戦士(スペリオル・ナイト)』ゲイルに力を貸して、『漆黒の王(ブラック・スター)』を別の世界に飛ばしたんだけどね」

 

 野菜の炒め物を終えて火を止めると、ニーナのそんな言葉が聞こえてきた。

 

「そのときに言ってやったことが『漆黒の王(ブラック・スター)』はよほど腹に据えかねたらしくてね。ちなみに『そんなに僕の創った世界がイヤなら、別の王が創った世界に行けばいいじゃないか』みたいなことを言ったんだけど。なにも復讐を誓うまで怒らなくてもいいのにねぇ。どうせボクには敵わないって分かってるんだろうしさ。腹立てるだけムダだよねぇ、ムダ。あははははっ」

 

 ……そのお前の態度にこそ腹立てたんじゃないだろうか、『漆黒の王(ブラック・スター)』は。おまけに、言うだけじゃなくて、実際に『別の王の創った世界』とやらに飛ばしたって話だし。

 その行動って『漆黒の王(ブラック・スター)』のほうから考えてみれば、ある日、それほどたいした理由もなしに一文無しで家から閉め出され、路頭に迷うことになったということではないだろうか。それをコイツは笑い話にしてるんだから、『漆黒の王(ブラック・スター)』じゃなくても怒りはすると思う。

 

 まあしかし、『漆黒の王(ブラック・スター)』――魔王と呼ばれるような存在がコイツにどんな理不尽な扱いをされていようと別に僕には関係ないので、僕は特にコメントせずに出来上がった料理をテーブルの上に置いていった。

 すぐにテーブルに集まってくる五人。マルツ、お前ニーナを怖がってなかったか? 食欲の前では些細な問題、ということだろうか。

 

 ともあれ、僕もテーブルについて夕食をとることにする。……狭いけど。ニーナに訊いておきたいこともあるしな。……狭いことに変わりはないけど。

 

『いただきます』

 

 全員の『いただきます』が唱和したあと、そんな理由から僕はニーナに話しかけた。

 

「それで、夕方コンビニで言ってた『霊王(ソウル・マスター)』ってなんなんだ?」

 

 なんせ『霊王(ソウル・マスター)』である。成り行きで僕が戦うことになってもちっともおかしくない。まあ、僕がこのことを彼女に訊くのは、対決するときのために、ではなく、対決しなくてもすむようにするために、なのだが。

 やっぱりさ。平和が一番だよ。うん。痛かったり苦しかったりするの、僕は大嫌いだ。

 

 さて、ニーナの返答は、というと。

 

「このから揚げ、美味しいね~♪」

 

 ……どうやら、聞いていなかったらしい。仕方ないので、僕は再度問うことにした。

 

「……あのさ、ニーナ。『(ソウル)――」

 

神族(しんぞく)のひとりだよ。『蒼き惑星(ラズライト)』を治めてる、『神族四天王』の一柱(ひとはしら)。ちなみに名は『霊王(ソウル・マスター)アキシオン』」

 

 ……どうやら、ちゃんと聞いていたらしい。手間が省けたというのに、なんかビミョーに悔しかった。

 

 それにしても、神族ねぇ……。つまり神様側の存在なわけだ。幽霊の――悪霊の親玉とかではないわけだ。要するに戦うことにはならないわけだ。ああ、よかった。

 そう考えて僕が気を取り直していると、今度は先輩が質問していた。

 

「ふむ。『神族四天王』か。つまり他にあと三人――いや、三柱の神がいるわけだな?」

 

「そうだけど、別にいま知る必要は――というか、キミたちが知る必要はないんじゃない? 神族の力を借りた術を使えるわけでなし」

 

 それはそうだ。知ったところで特にメリットがあるとは思えない。まあ、デメリットもないだろうけど。大体、いまずらずらと『神族四天王』の名前を聞かされたところで、全部覚えきれるかなんてものすごく疑問だ。

 

 そもそも、そんなことを訊くより、もっと訊くべきことはあるんだから。そう、例えば『なんで霊体物質化能力のことを知っているのか』とか。

 けどまあ、その前にコンビニで助けてもらったお礼を言うのが先か。

 

 ……えっと、お礼を言う前にひとつ質問しちゃったけどさ。まあ、それに関しては僕の身の安全を確かめておきたかったから、というかなんというか。……いや、ちゃんと自分で分かってるんだよ。ただ単にお礼言うのを忘れていただけだっていうことは。はぁ、死にてぇ……。なんか、お礼より質問を優先した自分がなんとなくイヤになった。

 

「ありがとな、ニーナ。その、コンビニで……」

 

 ニーナは一瞬『何のことだか分からない』といった表情をしたが、やがて「ああ」と手を打った。

 

「気にしなくていいよ。ボクはキミが死んだら困るから助けただけ。まあ、でも――」

 

 そこでニーナは言葉を切ると、僕に親しみの込もった笑みを向けてくる。

 

「自分のためにやったことが他人のためにもなったんなら、それも悪くないよね。気分的に」

 

「……そうだな」

 

 まったくの同感だった。ニーナの言ったことは、自分本位の果てに行き着く結論のひとつだ。それは僕の考え方とどことなく似ている気がした。

 ただ、ニーナのセリフにはスルーできない言葉も含まれていた。すなわち――。

 

「僕が死んだらキミが困るって?」

 

 そこが分からない。どういう意味なのか、分からない。ただ、なにか嫌な予感のする言葉だった。

 そう。その予感は、かつて《中に居る》の話を鈴音から聞いたときに密かに覚えていた――『なにかに巻き込まれる予感』とでもいうか。

 

 ニーナはどう話したものか考えているのか、ハシを口に当てて虚空に視線を注ぎ始めた。

 やがて考えがまとまったか、視線を僕に戻して口を開く。ちなみに、ハシは野菜炒めへと伸びていた。

 

「なんて言ったらいいかなぁ……。まあ、単刀直入に言うのが一番かな。……あのね、いま、この世界は歪んでるんだよ。こことはコインの表と裏のような位置関係にある世界『蒼き惑星(ラズライト)』と少し空間が繋がっちゃってる――というか、二つの世界の境界が曖昧になっちゃってるんだ。そう。キミの能力によって生者と死者の境界が曖昧になりつつあるように、ね」

 

「それって――」

 

「そして、世界の歪みを引き起こしている存在、歪みの中心となっている人間がキミなんだよ」

 

 僕はその言葉に思わず絶句した。なぜなら、僕自身も『自分の能力が生者と死者の境界を曖昧にしているのでは』と思ったことがあるからだ。

 正直、自分が世界の歪みの中心かつ原因であることにもかなり驚いたし。

 本当、今日の夕方の一件で僕の周りでなにが変わり、起こり始めたのだろう。

 

 いや、違うか。なにかが変わり、起こり始めたのは、きっと僕がこの『霊体物質化能力』を身につけたときだ。

 根拠はないけど、なぜか僕にはそんな確信があった。

 

○マルツ・デラードサイド

 

 

 本当のところを言うと、僕はこのとき、頭痛を覚えていた。

 もちろん本当に痛いわけではなく、この頭痛は精神的な――心の持ち様からくるものだ。

 

 ニーナさんはこう言った。『キミが死んだら困るから助けただけ』だ、と。

 それは裏を返せばこうも取れるのだ。すなわち、『ボクが困らなきゃ、キミのことは見殺しにするつもりだったよ』と。

 皆はこれに気づいていない。真儀瑠先輩ですら、だ。皆、ニーナ・ナイトメアの持つ『少女』の外見に騙されているのだ。

 なんで誰ひとりそれに気づかないのか。ニーナさんが僕も知らなかったケイの能力のことを知っていたことに、なんで誰もなんの不審も抱かないのか。

 僕はそんな理由から頭痛を覚えつつ、しかし腹は減っているので食事は続けながらケイたちの会話を聞いていた。

 

「そういえば、ニーナ。なんで僕の能力のことを知ってたんだ?」

 

「うん? ……そりゃあ、ボクはなんでもお見通し?」

 

「その間と『お見通し?』ってのはなんだよ? まさか、あのときのは単なるカマかけだったのか?」

 

「失礼な! キミの能力のことはちゃんと知ってたよ! ……半信半疑ではあったけど」

 

「半信半疑だったのか……」

 

「うん。……で、キミが死んだら困るっていうのは――」

 

「いうのは?」

 

「……まあ、それはもう少し順序立てて説明するよ。それでまずボクのほうから訊きたいんだけど、キミ、『死にたがり』なんだよね?」

 

「……まあな」

 

「ああ、やっぱり……。そりゃその能力を持ってるんだから、ボクからすれば充分予想の範囲内ではあったけど、やっぱり面倒なことになりそうだなぁ……」

 

「おーい。ひとりでブツブツ呟かれてもワケわからないって。ちゃんと説明してくれよ」

 

「うん。それはいいけどさ。その前にボクからひとつキミに忠告」

 

「なんだ?」

 

 そこでニーナさんは少し瞳の色を深くした。瞬間、僕の背筋に震えが走る。

 

「世界を拒絶しようとする者はね。いつか、世界のほうにその存在を認めてもらえなくなるよ」

 

「…………」

 

 黙り込むケイ。それもムリはないだろう。ケイの自殺志願とはつまるところ、この世界に存在することを――世界そのものを拒絶する行為なのだから。

 

 ニーナさんは自身の発した重い忠告など無かったかのように、話を続ける。

 

「じゃあ説明するよ。キミには少しショッキングな内容かもしれないけど」

 

 から揚げをひとつ口に放り込み、ニーナさんは語りだした。



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第七話 それは、早すぎる『さよなら』。(後編)

○神無鈴音サイド

 

 

 私は口を挟めずにいた。蛍が他の女の子と親しげに話しているのは面白くなかったけれど、なんとなく口を挟んじゃいけない気がしていた。

 そして、ニーナさんが語りだす。

 

「まず、ひとつ。キミの能力効果範囲のことだけどさ。キミの能力効果範囲って二メートルジャスト、なんだよね?」

 

「……? ああ」

 

 訝しげにうなずく蛍。マルツさん以外の他の皆も『なにをいまさら』といった表情をしている。

 

 けれど、私は違った。表情に出たかどうかはともかく、私はニーナさんの言葉に身を強張らせた。

 なぜなら、わたしはかつて《顔剥ぎ》の事件が解決したあと、姉から同じような質問を受けたからだ。

 結局姉は、思わせぶりなことを言って、会話を中断してしまったのだけれど。

 

「夕方、コンビニでマルツくんの<呪霊撃滅波(ソウル・ブラスター)>を物質化させたけどさ、そのときに見てたんだよね、ボク。『二メートル範囲に入る前にマルツくんの術が物質化してた』のを。あ、ちなみに物質化したのは、霊王(ソウル・マスター)の――霊力を元にした術だからなんだけどさ」

 

 なにが言いたいのか、私には分かりつつあった。けれど、そのことのなにが問題だというのだろう。

 

「少し話が脱線したね。まあ、ボクが言いたいのはさ。キミの能力は二メートル以上の範囲に影響を及ぼし始めているっていうことなんだけど」

 

「……それが、なんだっていうんだ?」

 

 私も蛍に同感だ。一体どんな問題があるのか、私にはさっぱり分からない。

 

「分からないかなぁ……。キミの能力効果範囲は時間が経つとともに拡がってるんだよ? このままじゃいつか、全世界にキミの能力の影響が及ぶことになる。そう、キミが生きている限りは、ね」

 

 絶句。私はただひたすらに絶句した。

 

 そうだ。なんで気づかなかったのだろう。もし蛍の能力効果範囲がそこまで拡がったとしたら――いや、仮に日本中程度に留まったとしても、その範囲内にいる悪霊は常に物質化することになるのだ。これが問題でなくてなんだというのだろう。

 

 ニーナさんの言っていることが本当なら、確かに蛍の存在は問題で、面倒なことだろう。そう考えるのなら、姉が『蛍と仲良くするのは止めておけ』と言っていた理由も理解できる。

 

 しかし、理解できるからなんだというのだろう。人と人の間にある『情』というものは、そんなことでなくなるものではない。

 いや、そうじゃない、そうじゃない。いま最優先で考えるべきことは――。

 

「つまり、ニーナさん。あなたは『その問題』が現実になる前に蛍を――殺してしまおうというの?」

 

 そんなの私は許さない。そんな理由で蛍を見捨てるなんて、私には出来ない。例え――例え彼が自殺志願者でも、だ。

 

 厳しい視線を向ける私に、しかしニーナさんは肩をすくめて、優しい眼差しを向けてくる。

 

「落ち着いて、鈴音さん。ボクはいの一番にこう言ったはずだよ。『キミが死んだら困る』って。大体、その後も何度か言ってるし」

 

 ……あ。そういえば。

 

「そもそもケイくんのことはボクにもまだ理解しきれていないことが多くてね。まあ、確実に言えるのは、ケイくんが死のうものなら世界の歪みが正されるどころか、彼の中に留まっている歪みは即座に全世界に拡がるだろうってことかな。『式見蛍』という器から飛び出してね」

 

 な、なるほど。そういう考え方もあるのか……。

 

「それが僕が死んだら困る理由?」

 

「まあ、そういうこと。で、いまのことからキミの『死にたがり』に対する仮説も少しばかり立ってね」

 

 その言葉に思わず私は身を乗り出した。

 

「え!? ホントに?」

 

「うん。ボクが思うに、ケイくんの自殺願望は誰かが――この世界の上位存在が仕組んだものなんじゃないかな。正直、そう考えないとつじつまが合わないんだ。この世界を破滅させようと考えた上位存在が彼を創り、本能的に自殺願望を抱くように仕向けた。本能的なもの――言い換えるなら生理的なものなんだから、彼には抗う力どころか、その意志すら存在しない」

 

 上位存在という非現実的な前提が正しいなら、ニーナさんの仮説はうなずけるところだらけだった。

 

「いつになるかは分からない。けれど、空腹を永遠に我慢できる人間がいないように、いずれケイくんもその生理的な願望を我慢できなくなる。そして、ケイくんの死は彼の能力を『式見蛍』の器から開放することとなる。それは容易に世界を破滅させることに繋がるね。すると次の問題は――」

 

「なんで上位存在とやらがそんなことを企んだか、か?」

 

 そう問う真儀瑠先輩。しかしニーナさんは首を横に振る。

 

「それは問題にならないよ。おそらくは、だけど、単なるヒマ潰しに過ぎなかったんだと思う。……ボク――『界王(ワイズマン)』もかつて似たようなことをやったからね。なんとなく分かるんだ。だから問題にすべきは『なぜいまになって二つの世界の均衡が崩れたのか』だね」

 

「ふむ。後輩が能力に目覚めたからじゃないのか?」

 

「それは違うよ。いや、違わないといえば違わないんだけど」

 

「どっちだよ」

 

 思わず、といった感じでツッコム蛍。

 

 ニーナさんは「むぅ」とひとつ唸ると、

 

「確かにキミの能力開花がきっかけではあるよ。でもね、さっきもいったけど、ボクたちの世界とキミたちの世界はコインの表と裏のようなもので、例えば……そう、キミが特殊な能力を開花させる前からキミの中には潜在能力として『力』が存在していたでしょ? ならボクたちの世界でもそういった潜在能力を持っている人間がいるし、キミが能力を開花させたなら、その瞬間にこっちの世界でもその人間が能力を開花させて両世界の均衡を保つはずなんだよ。世界はそういう風に出来ているんだ。言うなれば対極の存在ってやつ。

 だからほら、ボクたちの世界でボクたちは魔術が使えるけど、キミたちの世界でキミたちは魔術が使えないでしょ? 魔術を使える存在(もの)と使えない存在(もの)という対極なわけだね。まあ、『霊王(ソウル・マスター)』の霊力(ちから)が少し漏れてるみたいだから、霊能力を使える人間が稀に存在するみたいだけど」

 

 なんだか少し説明の内容がずれてきた。蛍はよく私の説明がすぐにずれると言っているが、これに比べればかなりマシだろう。

 

「いや、イレギュラーと言われてもな。僕の場合は交通事故に遭って、目覚めたらこの能力が身についていたって感じで。そうだよな? 鈴音?」

 

「あ、うん。子犬を助けたんだったよね」

 

「なっ、なんでお前がそれを知ってるんだ!?」

 

 あ、そういえば蛍はそれを誰にも知られてないと思ってたんだっけ。

 

「真儀瑠先輩からきいたんだけど。ほら、あの《中に居る》のところに蛍が行ったときに」

 

「…………」

 

 顔を赤くして黙り込む蛍。そこまで恥ずかしいことだったんだ……。

 

「ふうん、交通事故ねぇ……」

 

 意味ありげにニーナさんが洩らす。そして、

 

「ねぇ、ケイくん。キミもしかして事故に遭ったとき、空間移動して別の世界にいったんじゃない?」

 

「はぁ? どこからそういう発想が出てくるんだ?」

 

「だって、たしかキミ、世界が比喩抜きで淀んで見えるんだよね? ボクと同じように」

 

「……まあ」

 

「そりゃ、これはボクの勝手な想像だけどさ。全くあり得ないってことでもないんじゃない?」

 

「……そんなこと――」

 

「まあ、いいや。この想像はさして重要でもないし。ちょっと言ってみただけだからね。思いつきみたいなもんだよ」

 

「なんか、釈然としないな……」

 

「気にしない気にしない。それで、ここからはちょっと真面目な話ね。どれくらい真面目かというと、キミの命に関わるくらい真面目な話」

 

「それは、ものすごく真面目な話だな……」

 

「まず結論からいうとね。キミの力を狙ってるヤツがいるかもしれないんだよ」

 

「そんなこといまさら言われてもな……。あれだろ? 僕の能力を使って悪さしようっていう悪霊のことだろ?」

 

「え? キミ、そんなチンケなのにまで狙われてるの?」

 

 悪霊をチンケって……。

 

「なんだよ、そのものすごぉ~く不吉な言い回しは……」

 

「あのね。キミの能力はボクや神族、魔族の間では『新たな(ことわり)の力』――『理力(りりょく)』って呼ばれててね。使いようによっては、すごく便利な能力(ちから)になるんだよね」

 

「いや、僕の能力なんて激しく使い道ないぞ……」

 

「だから使い方しだいなんだって。少なくとも幽霊なんかには価値ある能力(ちから)でしょ? それ」

 

 話を振られたユウさんはうなずいた。

 

「うん。生きてる人と変わらずに動けるし、いまみたいにご飯も食べられるからねぇ」

 

 蛍の能力の価値って、そこにあるんだ……。

 

 ニーナさんは満足げにうなずくと、

 

「じゃ、くれぐれも死なないように気をつけてね」

 

「……って、ちょっと待った! ニーナは僕に死んでもらっちゃ困るんだよな?」

 

「うん」

 

「だ、だったら僕の能力を狙ってるヤツをなんとかしてくれるんじゃないのか?」

 

「しないよ」

 

「……しないって――」

 

「そもそもね。ボクは別にキミの護衛をするためにここに来たんじゃないんだよ」

 

「そうなのか?」

 

「そう。まずひとつは、世界の歪みを直すため。でも現段階じゃボクにはどうしようもないということが分かったし。まあ、これに関しては『聖蒼の王(ラズライト)』の力を継いだ娘――ミーティアさんっていうんだけどね――がなんとかしてくれると思うから」

 

「そんな、無責任な……」

 

「で、この世界に来たもうひとつの――いや、もう二つのかな――目的は、マルツくんがこの世界に来ちゃった原因を調べて、マルツくんを『蒼き惑星(ラズライト)』に連れて帰ることなんだけどね」

 

『えぇっ!?』

 

 蛍とマルツさんの声が重なった。

 

「マルツのヤツ、帰れるのか……?」

 

「うん。ボクが迎えに来たからね。で、マルツくんがこの世界に来た理由だけど――ケイくん、彼がこの世界に来たと思われる日――二週間前に、なにか激しい感情を伴った状態で能力を使わなかった?」

 

『…………」

 

 二週間前というと、多分あの日だ。《顔剥ぎ》との戦いの日。

 確かあの日、蛍は私が《顔剥ぎ》にやられたことで激情にかられて、その状態で能力(ちから)を使ったのだ。……あいにく私は気絶していて、その瞬間を見てはいないのだけれど。

 

「どうやら、それっぽいことはあったようだね。とすると、マルツくんがこの世界に来たのはそのときの反動で、かな」

 

 確かに、時系列的にはピッタリ合う。おそらくはそれが真実なのだろう。

 

「さて、と。じゃあ帰るとしようか、マルツくん」

 

 マルツさんはうなずかなかった。しかしだからといって拒否するわけでもない。というか、拒否するはずがない。

 

 しばし、沈黙が部屋を満たし。

 

 ようやく口を開いたのは、ニーナさんだった。

 

「まあ、ちょっと唐突だったかな。じゃあ、こうしよう。ボクは明日の夜までこの世界に留まることにするよ。それまでに決めておいて。帰るか、帰らないか。どちらを選ぶかはマルツくんの自由ってことで。――実はボクも少しこの世界で楽しみたいんだよね」

 

 「へへっ」と、何も言わないマルツさんにイタズラっぽく舌を出すニーナさん。

 

「さて、じゃあまた明日、ね」

 

 そう言うとニーナさんは立ち上がり、唐突にフッと虚空に消え去った。幽霊にもそんなことは出来ない。やはり彼女は人間でも幽霊でもなく、異世界の――『界王(ワイズマン)』なのだと私は改めて実感させられた。

 

  ふとマルツさんを見てみると、その表情は複雑な感情に揺れていた。誰にだってその感情を推し量ることは出来ただろう。それほどまでに、彼は動揺していたのだった。

 

○???サイド

 

 

 ――式見蛍が『真実』を知った。

 

 果たして彼はこれから自らの理力とどう向き合っていくのだろうか。

 

 もう少し、もう少しだけ様子を見てみるとしよう。

 

 果たして彼に『価値』はあるのか、否か。

 

 まだ結論を出すのは早計だろうから。



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第八話 お別れの日にうたう歌(前編)

○『闇を抱く存在(ダークマター)』サイド

 

 

 ――もう少しだ。

 

 もう少しで我は完全復活できる。

 

 そのための能力――理力を持つ存在(もの)がこの世界には存在する。

 

 その理力(ちから)、必ず我のものとしてみせよう。例え『界王(ワイズマン)』の邪魔があったとしても、だ。

 

 そう。必ず――。

 

○神無鈴音サイド

 

 

「うーん……」

 

 蛍のアパートから帰ってきてから数時間、私は普段はあまり着ない服を着て鏡にその姿を映していた。

 ……似合うような、似合わないような……。《顔剥ぎ》の一件が解決した翌日に着ていった服なんだけど、蛍、似合うって言ってくれなかったし……。

 

 やっぱりいつも通りの服のほうが――。

 と、そこまで考えて私は我に帰ってため息をついた。

 

 本当、なにを浮かれた気分でいるのだろう。明日は――明日、遊園地に行くのは、元の世界に帰るであろうマルツさんがせめて楽しい時間を過ごせるようにっていうのが目的だっていうのに……。

 マルツさんは帰るとも帰らないとも言っていない。でも、きっと帰ることになるだろうから。だから、蛍は彼には内緒で私たちにそう提案したのだ。

 きっと、明日が彼とのお別れの日になるだろうから、せめて楽しい思い出を、と。

 

 ……まあ、それなら私も便乗させてもらって楽しい時間を過ごしてもいいかな。……きっと、いいよね?

 

 そんなわけで、私はまた服選びへと戻るのだった。

 

○式見蛍サイド

 

 

「ちょっと早く来すぎたかもな……」

 

 僕は某遊園地の入り口で、誰にともなく呟いた。

 今日は快晴。遊びに出掛けるにはもってこいの陽気である。

 

 ……まあ、なんでここに来たかを考えるとちょっとばかりテンション下がるけどさ。

 

「ちょっとどころかすごく早いって。かれこれ三十分くらい立ち続けて、もう足が棒のようだし、めちゃくちゃ暑いし、ユウはお前の物質化範囲から離れて涼しい表情してるし。ああもう、幽霊ってこういうとき羨ましい……」

 

「あんまりグチるなよ、マルツ。余計に暑くなる。ほら、あれだ。心頭滅却すれば火もまた涼し、だ」

 

「涼しくならない! というか、まず心頭滅却なんて出来ない! よって暑い!」

 

 ああもう、うるさい。僕はマルツのことを無視することにした。

 

 ……それにしてもユウ、暑さを感じてないからか、本当に涼しそうだな……。羨ましいを通り越していっそ憎たらしい。

 

「ええと、涼しくなる呪文、涼しくなる呪文……」

 

 マルツがなにやらブツブツと呟きだした。ああ、なるほど。辺り一帯を涼しく出来る魔法もあるのか。これは期待大だ。

 

凍結氷弾(フリーズ・ショット)!」

 

 マルツの掌から蒼い光球が飛び出し、なんと僕のほうに向かってくる!

 

 かきいぃぃぃん!

 

 光球の当たった僕の腕に、すこしだけ氷が出現した。……あ、ちょっと涼しいかも。

 

「ああっ! 威力が弱すぎたか……。よし今度こそケイが氷づけになるくらい強力な術を……」

 

 ……え?

 

冷気凍結弾(アイシクル・キャノン)っ!」

 

 またも飛び出す、さっきより一回り大きい蒼い光球。

 

「……って!」

 

 狙い違わず(なのだろう、たぶん。信じたくないけど)、光球は僕の腕にぶち当たり、その腕を氷づけにした。そこをベタベタと触ってくるマルツ。

 

「あ~、ひゃっこ~」

 

「ひゃっこ~、じゃない! 何すんだ! お前!」

 

「気にするな、ケイ。僕の世界で涼をとる方法としては、割と一般的なやつなんだ」

 

「こんなのが一般的であってたまるか! 早く溶かせ!」

 

「ヤだ。また暑くなる」

 

 殴ってやろうか、この野郎。

 

 と、そのとき。

 

熱気結界呪(ヒート・インベ・ラップ)!」

 

 もわあっ、と辺りがいきなり熱気で包まれた。……熱い、だるい。なんかもう、動きたくない……。

 

「よし、これで氷も溶けたね。感謝するんだよ、ケイくん。もちろんこのボクに」

 

 そんなことを言ってきたのは、胸を張ったニーナだった。いつやって来たのだろうか……。感謝なんか絶対しないぞ。なんなんだ、この暑さ――もとい、熱さは……。

 

「なんか、あんまり感謝してるようには見えないね……?」

 

「……当たり前だ。熱い、早くなんとかしてくれ……。死んじゃうって、このままじゃ……」

 

 いや、そんなことより、だ。

 

「ニーナ、お前までなんでここに……? 悪いけど、お前を誘った覚えはないぞ……?」

 

「うん。僕が勝手に来たんだよ。昨日言ったでしょ? 僕も少しこの世界で楽しみたいって」

 

 そういやそんなこと言ってたような、言ってなかったような……。ああ、ダメだ。暑くて頭がまともに働かない……。僕たちの周りだけ三十度超えてるんじゃないか……? だとしたら真夏並だ……。

 

「とにかく、涼しく……。ああ、マルツ、完全にへばってる……」

 

「え? ああ、ごめんごめん。じゃあ――」

 

 ニーナはひとつ息を深く吸い込むと、

 

激流水柱砲(アクアラー・ブラスト)っ!」

 

 両の掌を前に突き出し、そこから水の柱を打ち出してきた。……僕の顔面めがけて。

 

「ばぶぅっ!?」

 

「どう? 涼しくなったでしょ?」

 

 水がしたたる僕の顔を覗き込んで、そんなことを訊いてくるニーナ。

 

「それ以前の問題だろっ!」

 

「まあ、そうだろうね。じゃあ熱気(ヒート)――」

 

「それはやめろっ!」

 

「ねえ、ケイ。もしかしてニーナさんにからかわれてるんじゃない?」

 

 僕に近づいて来たユウが言う。しかし物質化範囲には入っていない辺りがなんとも憎たらしい……。

 

 ……いやまあ、からかわれてることには薄々気づいていたけどね。

 ユウに言われてニーナのほうを見てみると、

 

「いやあ、からかいがいあるよねぇ、ケイくんって。リアクション最高!」

 

「そんなのが最高でも嬉しくないぞ……」

 

 このイタズラ娘が……。殴ってやろうか。いや、絶対やらないけど。というか、やれないけど。

 

「あーあ、服がびしょびしょだ……」

 

「まあ、そのうち乾くでしょ。もしすぐ乾かしたかったら、また熱気の術使ってあげるけど?」

 

「……いい」

 

 僕たち四人がそんなことをやっていると、ようやく鈴音がやって来た。なんか、いつぞやと同じく、妙に気合いの入っている服装だ。

 

「お待たせー」

 

 待った。

 

 しかし待ったのは完璧に自業自得なので、それは言わないことにする。鈴音に文句言うのはお門違いってもんだ。うん。

 

「あれ? なんでニーナさんが?」

 

 やはり鈴音も疑問を持ったか……。

 まあ、ニーナが説明したら、鈴音もすぐに納得したからいいけど。

 

「さて、あとは先輩だけか……」

 

 とりあえず、先輩が待ち合わせの時間に遅れることはないだろう。

 案の上、先輩は時間ピッタリにやって来た。その頃には僕の服もだいぶ乾いていたことも述べておくとしよう。

 

 鈴音がそうだったから、先輩も前回と同じく巫女服で来た、ということはない。至って普通のワンピースだ。おお、外見だけなら超絶美女な人がここに。これで中身が外見に伴っていれば……。

 

「皆、来ているな。よし、では行くとしよう」

 

 ああ、漢口調のせいで先輩のまとう清楚で(しと)やかな空気が台無しに……。いや、気にするまい。今更だし。なんだかマルツが軽く落ち込んでるけど。

 

 そんなわけで、ようやく僕たちは遊園地へと足を踏み入れたのであった。……なんか、入るまでが長かったなあ。なんかもうどっと疲れてるし……。

 

 ◆  ◆  ◆

 

「わあぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 ジェットコースターに乗りたいと言い出したのはニーナだった。

 

 そしていま、僕の後ろで悲鳴を上げているのもニーナだった……。

 

 どうやら、想像以上に怖かったらしい。こんなのが怖いのか、『界王(ワイズマン)』。

 

「おっ……落ちるぅ~!!」

 

 ああ、うるさい。いや、いい気味か。自分が言い出したことだから誰にも文句言えないだろうし。

 

「こんなのに乗る人間の気が知れないよ~! 大体なんでお金払ってまで怖い思いしなきゃならないんだよぉ~!」

 

 思いっきり文句言っていた。それはそれとして言わせてもらえば、お金払ったのは僕だ。お前じゃない。

 

 ちなみに、僕とその隣の鈴音は適当に絶叫していた。まあ、絶叫してこその絶叫マシーンだし、絶叫しないと余計に怖いし。あ、そういえば先輩はさっきから一言も発さないな。マルツもか。

 

 考えてみれば先輩が絶叫したことなんて今まで一度もなかった気がするし、したらしたで、なんだか先輩のキャラやイメージが壊れそうだ。マルツのほうは……恐怖で声も出ないだけか?

 

 下のほうを見ると、ユウが不機嫌そうな表情をこちらに向けていた。いやだって、しょうがないじゃないか。姿の見えないユウは絶対乗れないよ、ジェットコースター。それで僕が責められるのはおかしいだろう。理不尽だ。死にてぇ……。

 

「しっ……死んじゃうよぉ~!! うっ、うわぁ~っ!!」

 

 最後の宙返りの所で、ニーナのこの世の終わりのような悲鳴が遊園地じゅうに響き渡った。それくらい大きい悲鳴だった。……それでいいのか、『界王(ワイズマン)』。上位存在の威厳ってものがまったくないぞ。

 

 ◆  ◆  ◆

 

「はぁはぁ……ま、全く。この世界の人間の考えは理解に苦しむよ……」

 

 ニーナが息も荒く呟く。隣ではマルツも、

 

「生きた心地がしない……。遊園地なんて全然楽しくない……。並んでばっかりで、やっと乗れたと思ったらあんな怖い乗り物で……」

 

 まるでうわ言のようにそんなことを繰り返し言っていた。……大げさな。

 

「本当、キミたちの感性を疑うね。ケイくん、鈴音さん」

 

 ジトッとした目をこちらに向けてくるニーナ。しかし、僕はその相手をしている場合ではなかった。なぜなら――。

 

「おい、ユウ。いい加減機嫌直せって。あれはしょうがないだろう」

 

「…………」

 

 無言のまま、しかし刺すような視線をチラチラと僕に送ってくるユウ。……どうしろと?

 

 と、そこで鈴音が助け舟を出してくれた。

 

「要は誰も乗ってなくても不自然じゃないところに行けばいいのよね。そう、例えば――」

 

 言って鈴音が指差したのは――。

 

「あれとか」

 

 メリーゴーラウンドだった。なるほど。確かにあそこはいまガラガラだ。いきなり誰かがユウの乗る馬に乗ってくる確率はものすごく低いだろう。

 

 ユウは最初、全く興味が無いようにしていたが、

 

「……あれだったらいいよ」

 

 とメリーゴーラウンドにある乗り物のひとつを指差し、僕のほうを向いた。



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第九話 お別れの日にうたう歌(中編)

○式見蛍サイド

 

 そんなこんなで今、僕とユウはかぼちゃの馬車をモチーフにした乗り物の中で向き合って座っていた。一体なにがそんなに楽しいのか、これに乗ってからユウは終始ご機嫌だ。

 

 ちなみにこれに乗るまでにはちょっと紆余曲折あったりした。

 なんかユウと鈴音の間で、

 

「いいよね? 鈴音さん。あれじゃないと私、ケイの物質化範囲から出ちゃうかも知れないもん」

 

「うっ……でも……」

 

「ジェットコースターでは鈴音さん、ケイの隣に座ってたよね?」

 

「まあ、そうなんだけど……」

 

「それに言いだしっぺだもんね、鈴音さん」

 

「で、でも……」

 

「なに?」

 

「……なんでもないです」

 

 というやり取りがあったのだ。なんかユウ優勢だったけど、一体なんだったのか……。

 

「いやぁ、楽しいねぇ~、ケイ」

 

 僕は正直それほど楽しくはなかったのだが、ジェットコースターでは全くユウが楽しめなかったんだしと、嘘にならない程度の答えを返した。

 

「まあな」

 

 ……うん。嘘じゃあ、ない。『それほど楽しくはない』ということは裏を返せば『少しは楽しい』ということでもある。

 

 と、そこでふと気づく。

 

「なあ、ユウ。もしかしてここに来た目的、みんなして忘れてないか……?」

 

「……あ」

 

 どうやらユウも思い出したらしい。

 

 そう。僕たちが今日ここに来たのは、マルツに楽しい思い出を作ってもらうためだ。元の世界に帰る前に。だというのに、なんだかさっきから僕たちばかり楽しんでいる気がする。というか、マルツは遊園地そのものにトラウマを抱きつつある。メリーゴーラウンドにもしぶしぶといった感じで乗ったくらいだし。

 

「どうする? 行き当たりばったりじゃなくて、少しはプランを練ったほうがいいんじゃないか?」

 

「そうだねぇ……。あまり怖くないものがいいよね。マルツは空飛べるって言ってたからジェットコースターは問題ないと思ってたけど、そうでもないようだし」

 

「でもゆっくり動く乗り物だったら問題ないのかっていったら……」

 

「……微妙だね。あ、なら乗り物じゃなければいいのかな?」

 

「……よし、両方ともプランに入れてみるか」

 

「ダメだったらまたそのときだよね」

 

「だな」

 

 メリーゴーラウンドのかぼちゃの馬車の中は、期せずして僕とユウの作戦(?)会議室になったのだった。

 

 ◆  ◆  ◆

 

「観覧車?」

 

「そう、観覧車。要は高いところから街を見下ろすんだよ」

 

 なんか説明間違えた気がするが、一体どこをどう間違えたのだろう? 今の説明じゃ全く楽しそうに聞こえないぞ、観覧車。

 

 しかしマルツは食いついてきてくれた。

 

「へえ。浮遊術(フローティング)で空を飛ぶようなものか?」

 

「あー、まあ、そんなところ。浮遊術(フローティング)のことはよく知らんけど」

 

 どうやら観覧車に乗ることはほぼ決定したようだ。と――。

 

「蛍、ちょっと待ってて。――ユウさん、いい?」

 

 鈴音が唐突にユウに声をかけて、少し離れたところに行ってしまった。ユウも首を傾げつつ鈴音についていく。

 

 一体なんだというのだろう?

 

○神無鈴音サイド

 

 

「それで、なに? 鈴音さん」

 

 茂みに少し身体を隠すと、早速ユウさんが尋ねてきた。

 

「ユウさん、観覧車で誰と誰が乗るか、ちゃんと考えてる?」

 

「あ、すっかり忘れてた……」

 

 やっぱり……。

 

「でも鈴音さん、今日ここに来た目的、ちゃんと覚えてる?」

 

「……忘れてた」

 

 本当、すっかり忘れてた。

 

「えーと、でも誰と誰が乗るかはちゃんと決めておかないと」

 

「まあ、そうだね。じゃあ、私とケイ――」

 

「ちょっと待った」

 

「ん? なに?」

 

 本気で分からないといった表情で首を傾げるユウさん。油断も隙もない……。

 

「……ジャンケンで決めよう」

 

「なんで?」

 

「いいから」

 

「…………」

 

 私のプレッシャーに負けたか、ユウさんがおとなしく右手を出す。そして。

 

『じゃ~んけ~ん……ポンッ!』

 

 結果は――。

 

 ◆  ◆  ◆

 

 私たちの住む街が、だんだん小さくなっていく。

 

 私と蛍は観覧車に揺られながら、その町並みを見下ろしていた。

 

「……来てよかったね」

 

 自然、そんな言葉が口をついて出る。あ、もしかしてなんだかいい雰囲気?

 

 しかし蛍は、

 

「うーん、どうだろう。まあ、ジェットコースターに比べればマシだとは思うけど……」

 

 と、マルツさんが楽しんでいるか心配していた。これは彼のいいところだとは思うけど、せっかく二人っきりで観覧車に乗っているのだから、もう少しこっちを気にして欲しいものだ。いや、あるいは、それは私のワガママなんだろうか。

 

「あれ?」

 

 ふと蛍が外を見やって声を洩らした。

 

「どうしたの? 蛍」

 

「いや、いまなんか、ユウがいたような……?」

 

「ユウさんが……?」

 

 立ち上がって窓に顔を近づけてみる。隣で蛍も同じようにしているのが雰囲気で分かった。しかし、私はそのことに照れるより前に、外を見て思わず呆けてしまっていた。

 

 いたのだ。ユウさんが。

 

 まずこちらに向かって飛んできて、蛍の物質化範囲に入ったからであろう、すぐに落下していく。しかし範囲外まで落ちるとすぐにまた上昇してくる。そしてまた範囲内に入ると落下して、の繰り返しだ。

 

 とりあえず、こんな状況でロマンティックな会話が出来るはずもなければ、そういった雰囲気になるはずもない。ジャンケンに負けたユウさんのせめてもの抵抗だろうか。

 

 私たちは同時にため息をついたあと、なんだか疲れた心持ちで向かい合わせに座ったのだった。もちろん、ユウさんのことにはどちらも口に出さずに。

 

 ◆  ◆  ◆

 

 次に私たちはお化け屋敷へと向かっていた。なんでもメリーゴーラウンドのところで蛍とユウさんが決めたらしい。正直、面白くなかったけどその案自体はいいと思う。なにしろマルツさんはRPGのような世界から来たんだから、作り物のお化けがダメってことはないだろう。

 そんなことを考えながら歩いていると、すっかり蛍たちから離れてしまっていた。隣にニーナさんがいるからひとりで迷子になることはないだろうけど。

 

 それでも、とりあえず私は彼女を促し、蛍たちを追いかけることにする。すると、前方から来た緑色の長い髪をした女性とぶつかってしまった。

 

「あ、すみません」

 

「気にしないで。こちらの前方不注意だから」

 

 ニッコリと穏やかな笑みを浮かべる女性。年の頃は二十四、五歳といったところか。とても落ち着いた雰囲気を持つ女性だった。

 彼女は今気づいたようにニーナさんへと視線を移す。女性の表情は、どこか強張っているようにも見えた。

 

「…………」

 

 沈黙する女性。その沈黙を破ったのはニーナさんの一言だった。

 

「初めまして」

 

「あ、ええ。初めまして」

 

 ぎこちなく返す女性。ニーナさんはそんな彼女に少し声を潜めて囁きかける。表情は笑顔のままで。

 

「さて、一体なにをしに来たのかな? まさか、ボクにバレてないと思ってるわけじゃないよね?」

 

「……やっぱり、貴女はあざむけないわよね。さっきすれ違ったあの坊やは気づかなかったようだけど」

 

「あの坊や? ああ、マルツくんのこと。そりゃ気づかないよ。彼は『蒼き惑星(ラズライト)』の人間とはいえ、やっぱりただの人間でしかないから。そんなことより――」

 

 そこでニーナさんはもう一段声を潜めた。顔からも笑顔は消えている。

 

「何のために鈴音さんに接触したのかな? もしケイくんをどうこうするつもりなら――」

 

 そこまでニーナさんが言ったところで、緑の髪の女性は逃げ出すかのように行ってしまった。

 

「……行っちゃったね。さ、ボクたちも行こう。鈴音さん」

 

「え、うん……」

 

 私は何か得体の知れないものを感じながら、しかし、女性の去ったほうを向くことなくニーナさんのあとをついていった。



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第十話 お別れの日にうたう歌(後編)

○マルツ・デラードサイド

 

 

 鈴音さんとニーナさんがようやく追いついてきたのは、蛍とユウがお化け屋敷に入ってしばらくしてからだった。それにしても、さっきからここに入る人たちはなんで男女のペアばかりなんだろう。

 

「……お待たせ」

 

 鈴音さんがどことなくボンヤリとした感じで言ってきた。はて? 何かあったのだろうか?

 一方のニーナさんは変わらず元気だった。

 

「お待たせー! あれ? ケイくんとユウさんは?」

 

「お化け屋敷に――あ、出てきた」

 

 グッドタイミングだ。おかげで説明する手間が省けた。

 

 それにしても鈴音さん、やっぱり妙だな。さっきまでの彼女なら、ケイとユウが一緒にお化け屋敷から出てきた段階で何か言いそうなものだけど。

 

「よし、じゃあボクたちも入ってみようか、マルツくん」

 

「……ええっ!?」

 

「ほら、早く早く」

 

 ニーナさんに引っ張られてお化け屋敷の中へと進んで行く僕。

 

「やだっ! 僕、すぐに戻る!」

 

「なんでさ」

 

「いや、だって……」

 

 言っておくが、僕は決してお化け屋敷が怖いわけではない。怖いのは隣にニーナさんがいることだ。

 

「分かった。お化けが怖いんでしょ?」

 

「そういうことにしておいていいよっ!」

 

「よし、じゃあお化け恐怖症克服のためにもレッツゴー!」

 

 ああ、逆効果。

 

 しかし参ったなぁ。ニーナさんが隣にいるというこの状況が何より落ち着かない。

 

 そもそもケイたちは気づいていないだろうが、昨日コンビニ強盗に向けて彼女が放った<闇の矢(ダーク・アロー)>。あれがこの少女が恐ろしい存在であるというひとつの証明なのだ。

 

 まず彼女はあのとき、呪文の詠唱をしなかった。それ自体が脅威以外の何物でもない。

 

 それに、彼女はあのとき<闇の矢(ダーク・アロー)>で黒い矢をたった一本しか具現化(ぐげんか)させなかった。本来のあの術は十数本の矢を放つのに、だ。そしてあの一本の矢は狙い違わずコンビニ強盗の顔面を捉えていた。あれは黒い矢を一本しか具現させられなかったんじゃない。わざと一本しか具現させなかったんだ。そうしなければ、本来十数本の黒い矢を放つあの術はケイにも当たっていた。

 

 もし仮に、この世界に来たせいで黒い矢の本数が一本に減ってしまっていたのだとしたら、矢の出現位置はランダムで決まるはずだから、あんな正確に強盗の顔を捉えられるはずがない。やはり、彼女は意図的に<闇の矢(ダーク・アロー)>で放つ矢の数を抑えたとしか考えられない。

 別にそれ自体は脅威ではない。それくらいは僕にだって出来る。自分が住んでいた世界でなら。けれど、この世界で同じことをやるのは至難の業だ。というか、僕には不可能だ。そして、ニーナさんはそれをあっさりやってしまったのだ。

 

 呪文の詠唱もせずに、いつでもフルパワーの魔術を使える存在。それがニーナさん――『界王(ワイズマン)』ナイトメア。その存在が脅威でなくてなんだというのだろう。

 

 そう。今この瞬間にも彼女はあっさりと、いつもの笑顔を浮かべたまま、僕を殺すことが出来るのだ。そんな存在の隣を僕は歩いているのだ。これを恐怖と呼ばずしてなんと呼ぼう。

 

 もしこの考えをケイたちが聞いたら、ずいぶんと物騒な思考をしていると思われることだろう。ここはそういうところだ。そういう、安全な世界だ。

 

 僕はそんなこの世界を、実は嫌いじゃなかった。そりゃ、最初は早く元の世界に帰りたいと思っていたけれど、ニーナさんに帰れると言われた瞬間、あんまり元の世界に帰りたくないと思っている僕に気がついた。

 

 ケイたちは僕が元の世界に帰ると思っているようだ。それはそうだろう。あの世界こそが僕の親や師匠、友人の住んでいるところなのだから。

 

 でも、僕の友人はこの世界にも出来てしまったのだ。そして僕は、この世界の居心地の良さに気づいてしまったのだ。だから、別に『お別れ』といわんばかりにこんなところに連れてきてもらわなくても……。

 

 僕には正直、自分の世界に帰ろうという気持ちはもう、ないのだから。そりゃ、永遠に帰れなくなるというなら話はまた別だけどさ……。

 

 ――そう。僕はこの世界に留まる。それが僕の選択だ。もし永遠に帰れなくなるというのなら、そのときにまた考えればいいさ。

 

「ねぇ、マルツくん。ひょっとして、この世界に留まろうとか思ってない?」

 

 ギクリ、と思わず身体を強張らせる。

 

「この世界はまあ、それなりにいいところだよね。魔術を使うのがシンドくはあるけど、なにより平和だもん」

 

「……?」

 

 ニーナさんがなにを言いたいのか、僕にはよく分からなかった。

 

「『蒼き惑星(ラズライト)』も、まあ、それなりに平和――だった。キミがあの世界から消えてしまうまではね」

 

「え……? じゃあ、今は……?」

 

「みんなの前で言うわけにはいかない気がしてね。……黙ってた。そもそも、なんでキミを『蒼き惑星(ラズライト)』に連れ帰ろうとしてるのかだって言わなかったもんね」

 

 そういえばそうだ。仮にも『界王(ワイズマン)』ともあろうものが僕を連れて帰ることだけを目的に動くはずがない。僕を元の世界に帰すのは、なんらかの問題を解決する手段のはずだ。

 

「キミは相当優秀な魔道士だよ。それこそ、この世界でも多少は魔術を使えるくらいの、ね。だからこそ、キミを連れて帰る必要があるんだ」

 

「一体、どういう……?」

 

「いま『蒼き惑星(ラズライト)』ではモンスターの凶暴化現象が起きてる」

 

「…………」

 

「なにが原因かは分からない。ただ、時を同じくしてキミがあの世界から消え去った。だからボクは原因を調べに来た。そしてキミを連れ帰りに来た」

 

「でも、僕はこの世界に――」

 

「今、『聖戦士』たちがことに当たってくれてる」

 

「師匠たちが……?」

 

「そう。それにミーティアさんもフロート公国に来てくれてる」

 

「……あの『虚無の魔女』が?」

 

 まさか、そんな事態が起こってたなんて……。

 

「魔族がこの世界にやって来られるようになるのも、時間の問題だと思う。もしそうなったら、キミはこの世界でどうする? 魔術もろくに使えない、この世界で」

 

「もしかして、モンスターの凶暴化も、魔族がこの世界に来るかもしれないっていうのも、ケイの能力(ちから)の――世界の歪みのせい?」

 

「おそらく、ね。それで、どうする? キミは自分の生まれ育った世界を放棄して、この世界でいつ魔族がやってくるか分からないまま過ごす? それとも、今の状況をなんとかするために『蒼き惑星(ラズライト)』に帰る?」

 

 そんな風に訊かれたら、答えは決まってるじゃないか。だって、この世界に魔族がやって来るってことは、イコールでケイたちの死を意味するんだから。僕の、友人たちの――死を。

 

 それに、師匠たちが僕の力を必要としてるのなら、無視することなんか出来るわけない。

 

 

 ……ああ、でも。本当は、もう少しだけ、この世界に――いたかったなぁ。

 

 

 平和な日常を――楽しんでいたかったなぁ。

 

 

 まだ、あの世界には――『戦場』には、戻りたくなかったなぁ……。

 

 

 でも、それはワガママ。

 

 

 ワガママなんだ――。

 

 ◆  ◆  ◆

 

 夕闇の忍び寄るケイのアパートの前で。

 

「……それじゃあ」

 

 僕はケイたちに別れの挨拶を済ませた。

 

 涙は――流さなかった。ぐっとこらえた。

 

 きっと――きっとだけど、僕には僕の、彼らには彼らの居るべき場所があって。それぞれの――戦いがあって。それぞれの――物語や役割があって。だから、そんな僕たちは、もう関わるべきじゃないんだって、そう、思った。――そう思い込むことにした。

 

 もちろん、悲しくはあった。寂しくもあった。でも、この事態を放っておくことは――僕には出来ないから。

 

 ケイたちが魔族と戦うハメになるところなんて、見たく――なかったから。

 

 だから――。僕は彼らに『お別れ』を、した。

 

「――じゃあね」

 

「ああ、またな」

 

 そう返すケイ。

 

 ……違うんだよ。もう、会えないんだよ。なのに、なんでそんなセリフを選んで――。

 

 いや、僕には分かっていた。また会えると――信じるとまではいかなくても。

 

 せめて、また会えると願っていたい。思っていたい。

 

 彼はそう思ってその言葉を使ったのだ、と。

 

「さ、マルツくん。準備出来たよー」

 

 ニーナさんの声に導かれるようにして、僕は彼女のほうを向いた。ケイたちに――背を向けた。

 そこには、薄っぺらい光の壁があった。それそのものが白光を放っている光の壁が。

 

「これは『(とき)の扉』。ボクたちの世界とこの世界を繋ぐ唯一の移動手段だよ。まあ、今はちょっと例外があるけどね」

 

 言ってケイのほうをちらりと見るニーナさん。そして、『刻の扉』をくぐるようにと僕にその瞳を向けてくる。

 

 僕は――ただ無言で『刻の扉』へと足を踏み出した。

 

 やがて周囲が光に包まれる。それでもなお歩き続け――

 

 ――不意に。気配がした。どうしようもなく邪悪な、敵意に満ちた気配が。

 

 しかし、それもすぐに消え去った。

 

 そして、僕の目の前に――見渡す限りの草原が広がる。

 

「やっと戻ってきたようだね。まったく、ニーナったらのんびりしすぎだよ……」

 

 声の聞こえたほうに目をやると、そこには三人の人間の姿。

 

 ひとりは今、口を開いた少女。

 

 ひとりは、僕の師匠のパートナーの男性。

 

 そして最後のひとりは、僕の師匠。

 

 少し目をこらせば三人の立つ方向に、僕の住んでいた町、カノン・シティが見える。

 

 とりあえず僕は声をかけてきた少女――茶色がかった髪に赤いヘアバンドをしている少女に戸惑った顔を向けた。

 

「えっと……?」

 

 一見すれば、彼女はニーナさんのように見える。というか、ニーナさんにしか見えない。

 しかし、目の前の少女とニーナさんには違うところがふたつあった。

 

 まずひとつ、服が違う。ニーナさんが着ていたのは『闘士(とうし)』の着る緑色の服。しかし目の前の少女がその身にまとっているのは、ロングスカートタイプの黒を基調とした魔道士のローブに、この世界ではきわめて一般的な膝くらいまでの黒いマント。あ、手には青い杖を持ってもいるな。

 

 そして、もうひとつの違う点。ニーナさんに比べて明らかに髪が長い。ニーナさんはショートだったけど、彼女はセミロング。肩にかかりそうだ。

 

 ちなみに、年齢は同じくらいに見える。……双子かな? いや、『界王(ワイズマン)』に姉やら妹やらなんているわけが――

 

「あ、そういえばキミとは初対面だったね。ええと……ボクはニーネ。ニーネ・ナイトメア。ニーナとは同一にして別個の存在。まあつまりは、ボクもまた『界王(ワイズマン)悪夢を統べる存在(ナイトメア)』の端末たる存在(もの)のひとりってこと」

 

 ええと……。要するに、彼女とニーナさんは本当に双子――のようなもの?

 僕の困惑をよそに「あはは」と笑うニーネさん。

 

「いやー、ニーナからキミの情報受け取ってたから、ついついキミもボクを知ってるものと考えちゃってたよ~」

 

「情報を受け取ったって……いつ? そもそも――って、ニーナさんがいない!?」

 

「え? ああ。すぐ帰ってくるんじゃない? あっちで後始末を終えたら」

 

「後始末?」

 

「え? あ、う~んと……。あ、ほら、話し込んでないでキミの師匠と感動の再会でもしたら?」

 

「感動の、って……」

 

 そう言いつつも、僕は師匠たちのほうに向きなおる。

 

 男性のほうはファルカス・ラック・アトールという名の魔道戦士だ。そうそう、かつて『闇を抱く存在(ダークマター)』を消滅寸前にまで追い詰めた『聖戦士』のひとりでもある。二つ名は『悪魔殺し(デモンズ・キラー)』年齢は――確か今年で二十五。

 

 金色の長髪に、強い意志をうかがわせる茶色がかった瞳。さらに額には赤いバンダナ。

 よく鍛えられた身体にまとうのは、特殊な魔力が付加されているという黒い鎧だ。そして、その腰には夕闇をも吸い込むような透き通った剣――水晶剣(クリスタル・ソード)が携えられている。

 

「お帰り、マルツ。大変だったでしょ?」

 

 そう声をかけてくれたのは、ファルカスさんではなく、僕の師匠――サーラ・クリスメントだった。

 

 腰まであるまっすぐな青い髪を少し揺らし、奥の深さを感じさせるふわりとした青い瞳が僕の瞳を正面から覗き込んでくる。つられるように師匠が胸元に下げている銀色のペンダント――『まもりのペンダント』がかすかに音を立てて揺れた。

 

 僕はその師匠の行動に思わずドキリとしてしまった。そう、僕の師匠はなにを隠そう女性である。それも、かなりふんわりおっとりとしていて、無防備な。このふんわりおっとり具合で『聖戦士』だというのには正直、僕も恐れ入る。ちなみに二つ名は『地上の女神』である。

 

 それはそれとして、いくら相手が師匠だとはいっても、二十二歳の女性にそんな行動に出られたら誰だってドキリとしてしまうだろう。十七歳の少年である僕ならなおさらだ。それも師匠はかなり造形がいい部類に入るし。本当、弟子入りした頃の五年前とは違って、僕も健全な少年に成長したのだということを、そろそろ彼女にも認識してもらいたいものだ。

 

 ……まあ、師匠のこの行動が、純粋に僕のことを心配してくれてのものだということは理解できるのだけれど。僕、きっと……いや、間違いなく元気ない表情をしているだろうし。

 

 元気のない理由なんて明白だ。誰がこんな心境で元気にふるまえるだろう。いや、師匠ならやりそうな気はするけど。

 

 泣き出しそうになるのを必死にこらえている僕を見て、師匠が少し首を傾げた。師匠の髪の匂いが僕の鼻をかすめる。

 

 ――限界だった……。

 

 瞬間、僕は師匠の薄緑色のローブ――『魔風神官(プリースト)のローブ』の裾を握って大泣きしてしまった。

 

 胸の中に――あるいは脳裏に浮かぶのはケイたちとの楽しい思い出ばかりで。

 

 少なくとも、今この瞬間に溢れ出したこの涙は、元の世界に戻ってこれた嬉しさで流れているんじゃないことだけは確かだった。これは、悲しみの涙だった。

 

 師匠はそんな僕の頭に手を添えると、まっすぐな青い髪を揺らして、ただ、そっと抱きしめてくれた。そう、それは僕が彼女に弟子入りしたばかりの頃。ちょっとした悪ふざけをして、ファルカスさんに怒られて泣きじゃくっていた僕に、師匠がそうしてくれたように。彼女の持っていた回復の杖(ヒール・ロッド)がカランと音を立てて地面に落ちる。

 

 きっと、師匠の中では僕はまだまだ子供なんだろう。十二歳のあの頃と変わっていないんだろう。なぜか、そう思った。

 

 ちなみに師匠は<通心波(テレパシー)>という術を使える。そしてその応用で人の心を読むことも出来る。だから師匠はきっと、僕が地球で得たものを、そしていま失ってしまったものを正確に理解してくれているだろう。もしかしたら魔術を使うまでもなく、僕の表情で理解してくれているかもしれない。

 

 僕はただただ泣いた。あのときと同じように泣きじゃくった。

 

 そして、悟る。

 

 

 ああ、僕はまだまだ子供なんだ、と。

 

 

 師匠の胸の中で、実感する。

 

 

 その匂いを感じて、実感する。

 

 

 ああ、僕は自分の住む世界に――師匠たちと過ごしていた世界に帰って来たんだ、と。

 

 

 自分の本来いるべき場所に帰って来ただけなんだ――と。

 

 

 そう実感しても、やっぱり涙は止まりそうになかったけれど。

 

 

 それでも。

 

 

 僕は――ここに、帰って来たんだ……。

 

○???サイド

 

 

 『蒼き惑星(ラズライト)』の住人であるマルツ・デラードは自分が元居るべき世界へと帰った。

 

 そろそろ『闇を抱く存在(ダークマター)』も動き出すことだろう。

 

 さて、私も彼――式見蛍にちょっかいをかけてみるとしよう。

 

 その結果、どういうことになるかは私にも分からないけれど。

 

 とりあえずは――楽しければそれでいい。

 

 ――そう、とりあえずは……。



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第十一話 生垣を隔てて(前編)

○『闇を抱く存在(ダークマター)』サイド

 

 

 ついにこのときが来た。

 

 このときを――この瞬間をどれほど待ちわびたことか。

 

 ようやくだ。

 

 かつて『聖戦士』らに砕かれた我が力をようやく取り戻すことが出来るのだ。

 

 人間などの能力(ちから)に頼るなどという考えは、かつての我からしてみれば愚かとしか言いようがなかった。

 

 だが、いまの状況では――。

 

 ふと、脳裏に我が消滅寸前にまで追い込まれた時の映像がよみがえった。

 

 『神族四天王』の力が込められ、霊明(れいめい)聖竜(せいりゅう)雷光(らいこう)(あや)かしの名を冠された四種の宝石(ジュエル)を装備している『虚無の魔女』の称号を冠された女魔道士。

 

 それらの宝石(ジュエル)から蒼、赤、黄、紫の光が飛び出し、混じりあい――

 

『希望という名の光の中で、永遠の安息を得よ! 『闇を抱く存在(ダークマター)』!!』

 

 とてつもなく巨大な光の奔流に呑み込まれ、我はバラバラに散り、滅びる寸前までいった。

 

 よもや、人間如きにそれほどの力があるとは思いもしなかった。

 

 我を滅ぼしかけたあの『虚無の魔女』とて、『聖戦士』と呼ばれるようになったあの事件のときには――『漆黒の王(ブラック・スター)』を<最後の審判(ワイズ・カタストロフ)>で倒そうとしたときには、結局果たせず、我の力を必要としたではないか。

 

 あの女魔道士は『我の望みを叶える』という交換条件を出し、我に魔王を――『漆黒の王(ブラック・スター)』をどうにかしてほしい、と取引を持ちかけてきたではないか。

 

 そのような脆弱(ぜいじゃく)な存在に我を消滅寸前にまで追い込む力があるなど、どうして想像できよう。

 

 待て。たかが脆弱な人間などになぜ我は滅ぼされかけ、このような――『闇を抱く存在(ダークマター)欠片(かけら)』とでも呼ぶべき姿にさせられた?

 

 いや、そもそも我の望みとは一体――?

 

 なにより、我はなぜあのとき『虚無の魔女』に力を貸した?

 

 ――いや、いまとなってはそんなことはどうでもいい。

 

 いま我は、すべてを手に入れ、すべてを滅ぼすためだけに存在しているのだから。

 

 

 

 ――滅ぼしたい。

 

 

 

 それのみが、我の心の奥底から湧き上がってくる唯一の感情なのだから――。

 

○式見蛍サイド

 

 

「行っちゃった、な……」

 

 なんとなく、そんな言葉が漏れた。

 表情が沈みがちであることは容易に想像がつく。

 充分に覚悟していた結末ではあったけど、それでも――

 

「さて、と」

 

 しんみりとした雰囲気を打ち消すように、ニーナがひとつ伸びをした。

 そして別れの名残を惜しむ風もなく続ける。

 

「じゃあボクも帰るとするね。ケイくん、毎日を死なないように気をつけて過ごすんだよ」

 

 それだけ言って『刻の扉』に足を向けるニーナ。

 

 それにしても、コイツは自殺志願者に向かってなにを言っているんだか。

 呆れた心持ちで『刻の扉』をくぐろうとするニーナの背を見るともなしに眺めていると、

 

「あれ?」

 

 くぐる直前に『刻の扉』が消失した。思わず、といった感じで声をあげるニーナ。

 

 しばし立ち止まって沈黙し、やがてこちらを振り向いた。それも苦笑いというか、照れ笑いというか、そんな笑みを浮かべて。

 

「ええっとぉ……。どうしよう。帰れなくなっちゃった……みたい」

 

『は?』

 

 つい間抜けな声を出してしまう僕たち四人。

 いやだって、帰れないって……。

 

「なんでまた……?」

 

魔法力(まほうりょく)をすごく消耗したからだと思うんだけど」

 

「魔法力? 魔力じゃなくて?」

 

「うん、魔法力。放っておけば回復するけど、回復するまで時間が結構かかるんだ。ちなみに魔力っていうのは、高ければ高いほど強力な魔術が使えたり、魔術の威力があがったりするだけで、魔法力が尽きてたらどれだけ魔力が高くても火の玉ひとつ出せないんだよ」

 

 なるほど。なんとなく分かった。つまり魔力というのはRPGでいうところの『知力』や『かしこさ』のようなもので、魔法力というのは『マジック・ポイント』や『メンタル・ポイント』のようなものなのだろう。

 

「ふむ。つまり魔法力が回復するまでは『刻の扉』を作れない。だから帰れないと、そういうことか? 魔女っ娘」

 

 先輩、魔女っ娘って……。

 

 しかしニーナは気にした風もなく、こっくりとうなずいた。

 

「そういうこと。はぁ、参ったなぁ……」

 

「でも魔法力ってそんなすぐに底をつくものなのか? 『界王(ワイズマン)』の魔法力ってそんなに少ないのか? それに魔法力を回復するアイテムってないのか?」

 

 僕の矢継ぎ早の質問にニーナは次々答えていく。

 

「本来、魔法力はそうそう使い切ることはないよ。『界王(ワイズマン)』であるボクならなおさら、ね。

 ただこの世界って、大気に満ちる魔力の濃度があまりにも薄いんだよねぇ。だから空気中から魔力を取り出して魔術の補助に()てるってことが出来ないんだ。そのぶん、術を使うにはボクたちが住んでいた世界以上の魔力が必要になるし、魔法力も多く使うことになるんだよ。そんな状況下で『刻の扉』なんて作ったもんだから、一気に魔法力を消費しちゃったってわけ。まあ、キミの能力効果範囲内で空間を渡ったのも、かなり消耗はしたんだけど」

 

「空間を渡った……?」

 

「あー……つまり姿を消したってこと。ほら、昨日キミの家でご飯をご馳走になったあと、消えてみせたでしょ? あれのことだよ」

 

「ああ。そういやそんなことあったな。昨日今日と一日の密度高かったからすっかり忘れてた。けどそれくらい、なんてことないんじゃないのか? 『界王(ワイズマン)』ならさ」

 

 そう言う僕にニーナは少々呆れの込もった視線を向けてきた。

 

「キミねぇ……。『界王(ワイズマン)』ならなんでも出来る、とか思ってない?」

 

「思ってる」

 

「即答!? 少しは考えようよ。――まあ、確かにかつてのボクにならどうってことなかったと思うよ。でも『漆黒の王(ブラック・スター)』を倒した一件で弱体化したいまのボクには……いや、やっぱりどうってことないんだろうけどさ」

 

「どっちだよ」

 

 思わずツッコミを入れる僕。するとニーナは嘆息してから、

 

「要するにキミの能力効果範囲内で消えてみせたのが問題だったんだよ。ほら、キミの能力ってどういうもの?」

 

「なにを今更……。霊体を物質化する能力だろ?」

 

「そう。で、ボクや神族、魔族っていうのは、一種の精神生命体――霊体に近い存在なんだよ。肉体なんて持ってなくて、ただ自分の魔力でこの世界に具現・実体化してるの。そんなボクがキミの物質化効果範囲に入ると、魔力を使わなくても幽霊同様に実体を持つことになるんだよ。

 そんでもって、姿を消すっていうのは、具現化した自分の姿を消す行為のこと。ちなみに空間を渡るのはそれの応用で、神族だったら本来その身をおいている神界に、魔族だったら魔界に自分の魔力をすべて戻して、その直後に別の場所に自分の姿を具現・実体化させるわけなんだけど。まあ、どちらにしろキミの能力効果範囲に入ると否応なしに身体が実体化するわけだから、その状態だと姿を消したり、空間を渡るのは不可能になるんだよ。

 まあ、ボクほどの魔力を持っていれば不可能ではないけど、でもやっぱり魔法力をかなり消耗することになるんだ。だからキミの能力効果範囲内で姿を消すなり、空間を渡るなりするのはそれなりにどうってことあるってこと」

 

 理解できたような出来ないような微妙なところだったが、まあ要するに、僕の能力効果範囲内で姿を消したり、空間を渡るのはかなりシンドいということなのだろう。だったらやらなきゃいいのに。

 

「それと魔法力を回復するアイテムは……あるっていえばあるんだけど、この世界にはないだろうね。『蒼き惑星(ラズライト)』にならあるけど、戻ること自体が出来ないし、回復アイテムだけをこっちの世界に召喚するにしても、やっぱり魔法力をかなり消費するだろうから無理だろうし……」

 

 つまり手詰まりということか。……ん? 待てよ。

 

「神族は神界、魔族は魔界にってことは、『界王(ワイズマン)』はどこに身をおいてるんだ?」

 

「ああ、ボク? ボクは『蒼き惑星(ラズライト)』そのものに、だよ」

 

「は?」

 

「大気とかがメインなんだけど――『蒼き惑星(ラズライト)』に存在している意志のない自然の物質。それそのものがボクなんだよ。言うまでもないと思うけど、この姿は人間と話すために創り出した仮初めのものなんだ。

 もっともいまは『蒼き惑星(ラズライト)』に戻れないから、空間を渡ったりするときはこの世界の大気に溶け込んだりしてるわけなんだけど」

 

「そうなのか。――あ、それといま思ったんだけどさ。自分の魔力でその姿を創ってるってことは、いまこの瞬間も魔法力は使ってるのか?」

 

「うん。そうだよ。まあ、使う魔法力は微々(びび)たるものだけどね」

 

「微々たるものでも魔法力は使ってるんだろ? ならその姿は消したほうがいいんじゃ」

 

「平気平気。使う量より回復してる量のほうが多いから。――それで、これからどうするか、だけど」

 

 そこでニーナは額に汗を浮かべて、

 

「――まあ、世界の歪みを直す方法も分かってないしね。そっちの究明に尽力するよ」

 

「お前、確か昨日の晩は現段階じゃどうしようもないとか言ってなかったか? 『聖蒼の王(ラズライト)』の力を継いだにヤツに任せるって言ってなかったか?」

 

「うん、言ったね……。あ、でもほら、ミーティアさんにばかり頼るのも悪いかなーとか思ってみたりもする今日この頃……」

 

「いろいろと言い訳してるけど、帰れないから仕方なくやるってことなんだろ」

 

「う~んと、平たく言うとそうなるかな……」

 

「認めるなよ、自分で」

 

「認める以外にどういう選択肢があったっていうのさ」

 

「そりゃ、しらばっくれるとか、話を逸らすとか」

 

「あ、その手があったね」

 

 ポンと手を打つニーナ。『界王(ワイズマン)』って一体……。

 と、そのときだった。

 

 ニーナが唐突に視線を鋭いものに変え、僕の後ろを凝視する。

 誰がいるのかと振り返ってみたが、彼女が見ているのは僕たち四人の誰でもなく、ただ、なにも存在しない虚空だった。

 そして、ポツリと呟く。

 

「どうやら、お客さんが来たようだね」

 

 刹那――。

 ニーナが目をやっている虚空に揺らぎが生じた。

 

 霧のような黒いものが徐々に輪郭を人のものへと整えていき。

 

 やがて完全な人型となった『それ』は、一対の紅い瞳を見開いた。

 それと同時、すさまじいほどの敵意と霊力(と定義していいのかどうかは疑問だが、それっぽいもの)が僕の全身に叩きつけられる。

 物理的な圧迫感さえ感じるほどの『悪意』。

 

 本能的に理解する。コイツは敵だ、と。

 

 この黒い――いや、闇色の身体を持つ存在は僕に害意を持っている、と。

 

 そう。その闇の塊は、ただただ禍々しい存在だった。

 

 ニーナがそれに声をかける。

 

「久しぶりだね。――いや、かつてキミと戦ったときに会ったのはニーネのほうだったから、初めましてのほうが正しいかな。『闇を抱く存在(ダークマター)』」

 

 『闇を抱く存在(ダークマター)』というあまりに禍々しい名に、僕たち四人はわずかに身体を震わせた。



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第十二話 生垣を隔てて(後編)

○マルツ・デラードサイド

 

 

 僕の住んでいた町、カノン・シティに僕、師匠、ファルカスさん、ニーネさんの四人が着いたとき。

 町は今まさにモンスターの襲撃を受けようとしていた。

 

 数は――ざっと数えてみたところ、ロング・ソードを手にした二足歩行をする赤いトカゲ型のモンスター『リザードマン』と、コウモリを大きくしたようなモンスター『バットン』が十数匹ずつといったところ。

 それらを視界に収めてファルカスさんが舌打ちした。

 

「多いな。町に入れずに追い払うには少しばかり厄介な数だ」

 

 僕も同感だった。これをどうにかするにはモンスターを全滅させるしかない。倒さずに追い払うなんて芸当はそうそう出来ないだろう。

 

 ファルカスさんはモンスターを全滅させることに躊躇(ちゅうちょ)はない。ニーネさんも、おそらくは。けど、僕や師匠はそういう戦闘が苦手だったりする。

 可能な限り、命を奪わずに追い払うか、気絶させるだけにしようと考えてしまう。

 

 甘い、と笑われても文句は言えない。

 相手がモンスターであろうと決して殺しはしないという師匠の戦闘スタイルは、僕だって甘いと思っていたし、殺らなきゃ殺られると師匠に言ったこともある。

 そのときに師匠の瞳に浮かんだ悲しみの色を僕は今も忘れられない。(さと)すように言った言葉も。

 

『モンスターも生命(いのち)あるものなんだよ。滅びを望む魔族とは違って、生きるために人間を襲い、傷つけ、自身も死の恐怖にさらされ、それでもなお在りつづけようとしてるんだよ。いくら敵対していても、在りつづけようとしている存在を殺すなんて、わたしには出来ないよ』

 

 僕は師匠のその言葉を聞いたときから、相手はモンスターなんだから殺していいんだと、モンスターはイコールで悪なのだと、そう単純には考えられなくなった。師匠のことを甘いとは思えなくなった。

 

 ファルカスさんだって師匠に影響を受けたのだろう。モンスターを殺すことに躊躇はなくても、できる限り避けてはいる。そうでなければ、追い払うのが厄介だ、なんてセリフはでてこないだろう。

 

 もっとも、今回ばかりは師匠を除く全員が殺すのもやむをえないと考えてるようだけど。

 だって、やっぱり最優先するべきは町を襲ってきたモンスターたちではなく、町の人間たちの命だろうから。

 

 それはそれとして、おかしいことがひとつあった。

 

「師匠、顔ぶれが少々奇妙ですね。リザードマンとバットンはナワバリ争いをする仲なのに。奴らが手を組んで襲ってくるのは、人間のほうから戦いを仕掛けたときくらいのものでしょう?」

 

「普通はそうだね。でも少し前から別種のモンスターが手を組んで人間を襲うことが多くなったんだよ。何日か前にも、ここに同じくらいの規模の集団が攻めてきたんだけどね、そのときも数種のモンスターがそこそこ連携をとって戦ってたし」

 

 それは『モンスター凶暴化現象』のせいだろうか。

 

「おしゃべりはそれくらいにしとけ。ザコモンスターだからってなめてると、痛い目見ることになるぞ」

 

 腰の水晶剣(クリスタル・ソード)を抜いて、迎撃の姿勢を見せるファルカスさん。

 僕たち三人も呪文を唱えつつ半身に構える。

 

 戦いの火蓋を切ったのは、リザードマン数匹の剣での攻撃だった。

 しかし、ファルカスさんは慌てることなく、あるいは剣で受け流し、あるいは素早くその身をかわす。

 僕たちのほうもバットンの口から飛びくる光球の雨をかいくぐりつつ、モンスターたちから距離をとった。

 一番距離をとったのは師匠である。師匠の職業は僧侶。回復・援護の術を得意としている彼女は、もっとも広範囲の戦況を見渡せる場所にいなければならない。

 

 ファルカスさんのほうに目をやる。

 彼は呪文の詠唱を始めつつ一匹のリザードマンに斬りかかったところだった。

 

「ギャウッ!?」

 

 リザードマンの苦鳴が辺りに響き渡る。

 しかし、まるでそれを合図にしたかのようにリザードマンたちはファルカスさんに向けて大きく口を開き、『炎の吐息(ファイア・ブレス)』を吐き出した!

 

 ――マズいっ! 僕やニーネさんはバットンたちの相手で精一杯だし、師匠はというと、僕とニーネさんの援護に徹するつもりなのか呪文の詠唱を終えたまま離れたところで戦況を見守っているだけ!

 

 けれどファルカスさんはまったく焦った様子を見せずに呪文の詠唱を続けている。

 

 そして――

 

風包結界術(ウィンディ・シールド)っ!」

 

 風に乗って届くは師匠の声。

 それと同時に風の結界がファルカスさんの身を包む。

 ブレスは風の結界に進路を阻まれ、ファルカスさんの身を焼くことなくあらぬ方向へと流れていった。

 そして結界が消えるとともに剣を振るって二匹目を地に這わせるファルカスさん。

 

 さらに、

 

黒妖崩滅波(ブラム・ストラッシュ)!」

 

 左の掌から黒い波動をこちらに向けて放ち、バットン一匹も倒してみせる。

 

 ――ちなみに、魔術には大別して三種類がある。

 

 地、水、火、風の精霊の力を借りた、物質を介してこの世界に精霊力を具現化させる精霊魔術。

 

 人間の精神力を呪文によって引き出し、攻撃力や回復力に転化する精神魔術。

 

 そして、神族や魔族といった超常存在の力を借りて行使する超魔術。

 

 と、簡単にまとめてはみたものの、精神魔術と超魔術にはそれぞれ二種類が存在したりする。

 

 精神魔術の中でも単純な破壊エネルギーを生み出す術は黒魔術、破邪や回復、精神力を削ぐなどの効果を持つ術は白魔術。まあ、もちろん例外はあるけれど。

 

 じゃあ超魔術のほうはというと、区別はかなりしやすく、神族の力を借りた術は『神界術(しんかいじゅつ)』、魔族の力を借りた術は『魔界術(まかいじゅつ)』と呼ばれている。

 

 ちなみにファルカスさんの使った<黒妖崩滅波(ブラム・ストラッシュ)>は黒魔術。

 そして、いま僕が唱えているのは霊王(ソウル・マスター)の力を借りた神界術。

 

 さて、と――。

 

 僕は比較的近くを飛ぶバットンに右の掌を突き出した。

 

 そして、完成した呪文を解き放つ!

 

呪霊撃滅波(ソウル・ブラスター)っ!」

 

 腕の太さくらいはある白い波動が迫りゆく!

 

 もちろん威力は地球で使ったそれの比ではないだろう。

 しかしそれはあっさりとかわされた。

 

 いや、違う。僕の狙いが甘かっただけだ。かわされたわけではない。

 でも正直、そんなことはどっちでもいいような気がする。一気にピンチになったという事実には変わりがない。

 

 バットンは口を開き、僕に光球を撃ちだそうと――

 

火炎操波弾(ファイアー・ウェイブ)っ!」

 

 横手から飛びきた炎の帯が、僕に狙いをつけていたバットンを焼き尽くす!

 

 放ったのは――ニーネさん!

 

 僕はそれを視界の端に認めると、彼女に軽く、けれど感謝を込めて目礼し、モンスターたちから距離をとる。もちろん、頭をフルスピードで回転させ、この状況で有効な術を選び、即座にその呪文の詠唱に入りつつ。

 

 ファルカスさんはリザードマンをさらに数匹倒すと、大きく後ろにあと退った。

 もちろんファルカスさんにはりザードマンたちの追撃がかかる。けれど僕は既に呪文を唱え終えていた。それをファルカスさんの援護に放つ!

 

衝裂操弾(ダーク・ウェイブ)!」

 

 掌に魔力が収束する。それは黒い帯状のものとなり、僕の意志の通りにリザードマンの群れへと向かった。

 

 この<衝裂操弾(ダーク・ウェイブ)>は黒魔術の一種で、威力は<黒妖崩滅波(ブラム・ストラッシュ)>と変わらない。違うのは形状と、放ったあとも自分の意志で軌道をコントロールできるところだ。

 

 だからこの術ならまず外すことはない――はずだった。

 

「うおっ!?」

 

 危うくファルカスさんに当たりそうになる僕の術。

 のけぞってかわしてくれたからよかったけれど、当たっていたら今頃どうなっていたことか……。人間なんてあっさり殺せる威力を持ってるし、あの術。

 

 黒い帯は僕のコントロールを離れ、夕闇の中へと飛び去っていった。

 

精神裂槍(ホーリー・ランス)っ!』

 

 師匠とニーネさんが同時に破邪の力を――正確に言うなら『精神力を削ぎ落とす』力を持った槍を放つ。それはまったく危なげなく二匹のリザードマンに直撃し、気絶させた。

 

 ……おかしい。どうして今日の僕はこうもヘマばかりやらかすんだ?

 心のどこかになにかが引っかかって、全力を出し切れない感じだ。けど、なにが――?

 

 いや、なにが引っかかっているのかなんて、考えるまでもないか。

 ケイたちのことだ。この世界に帰ってくるときに感じた、あの敵意のことだ。

 あれは、純然たる破壊の意志。まるで、魔族の持つそれのようだった。

 

 ――やがて、モンスターの数が十匹をきった。

 普通に戦っていればまだまだ時間はかかっただろう。

 しかし、ここにきてファルカスさんが我慢の限界と言うかのようにわめきだした。

 

「ああもう! うっとうしい! 街道ちょっぴり潰れるだろうけど、大技で片付けるぞ!」

 

「ちょっとファル、いくらなんでも街道潰しちゃマズいんじゃ……」

 

 ファルカスさんは師匠の言葉を無視して、精神を集中するため小さく息を吐き出した。それを見て師匠も小さく嘆息。言ってもムダだと思ったらしい。

 ちなみに『ファル』というのは師匠がファルカスさんのことを呼ぶときの愛称である。

 

 それはともかく、ファルカスさんが詠唱を始めた。始めてしまった。

 

「黒の精神(こころ)を持ちしもの

 破壊の力を持ちしもの 

 我らが世界の(ことわり)に従い

 我に破壊の力を与えん

 その力 神々すらも滅ぼさん

 闇に埋もれしその力を

 我が借り受け 滅びをもたらさん!」

 

 呪文詠唱のときに用いる言語――『魔法の言語(マジック・ワーズ)』で綴られた言葉の列は、世界を支配する因と果を律し、術者の魔力と魔法力、そして精神力を媒介に、『呪文の名』を口にすることによってその力を解放する。

 

 ……って、これは『漆黒の王(ブラック・スター)』ダーク・リッパーの力を借りた無差別破壊呪文!

 そう悟った僕たちは、急いでファルカスさんやモンスターたちから距離をとった。

 

 そしてファルカスさんは呪力(じゅりょく)を解き放つ!

 

黒魔波動撃(ダーク・ブラスター)っ!」

 

 ファルカスさんの前に突き出した両の掌から黒い波動が放たれた。それは一匹のリザードマンを直撃し、その刹那、その着弾点を中心にすべてを呑み込む大爆発を起こす!

 

 モンスターたちは一匹残らずそれに巻き込まれた。

 整備されていた街道も、見るに無残なことになっている。

 

 相変わらずハデな術だなぁ……。

 呆然とそんなことを考えながら師匠のほうを見てみると、額に手をあてて空を仰いでいた。苦労してるんだろうなぁ、師匠も……。

 

 ともあれこれでモンスターは倒せた。かなり問題のある倒しかたではあっただろうけど。

 

「おい、マルツ」

 

 呼ばれて振り返ってみると、ファルカスさんが険しい表情をしていた。間違えてのこととはいえ殺傷能力バツグンの術を当ててしまうところだったんだから、そういう表情をするのも無理はないだろう。

 そう思って素直に頭を下げる。

 

「あ、さっきはすみませんでした」

 

 しかし不機嫌そうな表情は変わらない。ああ、こりゃどつかれるかな……。

 ファルカスさんは僕が頭を下げたことなんかどうでもいいといった感じで話し始める。どこか呆れたような口調で。

 

「一体どうしたんだ、お前。ニーネの言うところの『別の世界』でなんかあったのか? 他の術ならともかく、<衝裂操弾(ダーク・ウェイブ)>を外すなんて普通はありえないだろ。なのに外したってことは、意図的にやったのか、あるいは集中力を欠いていたかのどっちかだ。

 いや、他の術だってそうだ。お前くらいの魔道士なら外すことなんてそうそうない。少なくとも、単調な動きしかしないモンスターを相手に外すことなんてまずない」

 

 まったく、ファルカスさんの言うとおりだ。

 

 僕はまさに集中力を欠いていた。

 

 どうも引っかかっているのだ。

 

 この世界に帰ってくる直前に感じた、あの敵意のことが。

 

「今のお前はなんか別のことを考えながら戦っている節がある。そんな戦いかたはするな。そんな感じで戦ってたら、あっさり命を落とすことになるぞ」

 

 命を落とすことになる――。

 その言葉は僕の心にグッサリと突き刺さった。

 

「いえいえ。そうでなくともすぐ命を落とすことになりますよ。なぜなら――」

 

 風に乗って何者かの声が流れる。

 

 ――誰だ……?

 

 そう思った刹那、僕たちの目の前に『それ』は現れた。

 

 唐突に。なんの前触れもなく。

 

 黒いフードを目深にかぶった魔道士姿の『それ』が姿を現した。

 

 その顔を見て最初に受けた印象は――黒いのっぺらぼう、だろうか。目も、鼻も、口も、その顔には存在しなかった。

 当然、こんなのが人間のはずはない。こいつは、魔族だ――。

 

「なぜならこの私、フィーアの下僕(げぼく)たちを全滅させていただいたのですから」

 

「バカ言ってんな! 人間の姿をとれてないってことはどうせ下級の魔族だろう? その程度のヤツがオレたちに勝てると本気で思ってるのか?」

 

 そう言いつつもファルカスさんは油断なく剣を構える。

 

 どういうわけか、魔族は自分の持つ力が大きければ大きいほど人間に近い姿をとろうとする。だから顔すら持たないコイツはおそらく下級の魔族だろう。

 

 師匠たち『聖戦士』は魔族の天敵のようなものだし、このフィーアだっていま目の前にいる師匠とファルカスさんが『聖戦士』であることは気づいているはずだ。もちろん、自分じゃ勝てないことにも。

 

 なのに、なんで――?

 

「確かに正攻法でいくなら勝てないでしょうね。なにしろ相手は『悪魔殺し(デモンズ・キラー)』ファルカス・ラック・アトールと『地上の女神』サーラ・クリスメントですから」

 

「いやいや、正攻法じゃ――魔力のぶつけ合いじゃ絶対に敵わないのはオレたちのほうさ。人間の持つ魔力なんて、魔族からしてみれば本当にちっぽけなものだろうからな。だが裏をかいてお前を倒すのは決して困難なことじゃない」

 

「その通り。そしてそれは私にも言えることです。すなわち、裏をかいてこようとするあなたたちの更に裏をかかなければ私に勝利はない。例えば――こんな風にね!」

 

 言うと同時、フィーアは手にした黒い杖を横薙ぎに払い、黒い光球をいくつか撃ちだした。――僕に向かって!

 

「うわっ!?」

 

 思わず目を硬く閉じる僕。

 

「ちぃっ!」

 

 ファルカスさんの声。そして連続する爆発音。

 

「ファル!」

 

 師匠の悲痛な声が耳に届く。

 

 僕はおそるおそる目を開けた。

 するとそこには地に倒れ伏したファルカスさんの姿。手にしていた水晶剣(クリスタル・ソード)は彼から離れた所に転がっている。

 

 ――僕をかばったからだ……。

 

 僕はそれを理解し、自分の無力さを痛感した。

 

 実は僕はほとんど魔族と戦ったことがない。普通、そうそう出くわすものじゃないのだ。魔族というのは。

 

 だから、僕はガチガチに固まっていた。呪文を唱えることも出来なかった。もちろん唱えられたとしても、術を命中させる自信はないけれど。

 

「弱い者を狙えばなぜかそれをかばうように動く。人間というのは不可解な生き物ですねぇ……。まあ、私には好都合――」

 

精神滅裂波(ホーリー・ブラスト)っ!」

 

 師匠がせせら笑うフィーアに向けて<精神裂槍(ホーリー・ランス)>の強化版である蒼白い光の波動を放つ!

 

 しかし直撃すると思ったその瞬間、フィーアの姿はかき消え、光の波動は虚空のみを裂いていった。

 

 ――空間を渡ったか!

 

 そう悟ったときにはフィーアの姿はさきほどのやや後方にあった。

 

 それにしても惜しい。

 ローブに――いや、杖にでもよかった。当たってさえいれば、多少なりともダメージはあったはずだ。フィーアのあの姿はヤツの魔力で創られたものなのだから。服だろうとなんだろうと身体の一部ということになるのだから。

 

 そうだ。ファルカスさんの落としたあの剣、僕が拾って使ってみるか?

 ファルカスさんがあの剣で戦おうとしていた以上、あれがただの剣とは思えない。おそらく、魔力が付与されている武器――『魔道武器(スペリオル)』だろう。

 

 本来、精神生命体である魔族には物理的な攻撃は効かない。物質を介する精霊魔術も同様だ。効くのは精神に直接ダメージを与える精神魔術か、神族・魔族の力を借りた超魔術。そして使い手の精神力を直接叩き込める『魔道武器(スペリオル)』ぐらいのものだろう。

 けど僕があの剣をぶん回してどうにかなる相手か? 空間を渡ってかわされるだけじゃないのか? いや、そもそも、だ。水晶剣(クリスタル・ソード)を拾いに行く時間をヤツがくれるか?

 

 ちなみにニーネさんはというと、さっきからまったくフィーアを攻撃しようとはしない。

 理由は分かる。ニーネさんは――『界王(ワイズマン)』は神族だけではなく、世界そのものの生みの親である。そんな彼女が魔族と戦うのは、自分の子供や孫と戦うようなものなのだろうし、やっぱりそれはしたくないのだろう。

 

 とはいえ、神も魔族も超えた存在なんだからなんとでも出来るだろうに、ニーネさん。なんでなにもやってくれないかなぁ。

 

 ああもう、とにかくあの空間を渡る能力が厄介なんだよな。あれがなければ簡単にダメージを与えられるのに。

 

 実を言うと、師匠の呪文のストックには空間を渡る相手にも通用する術がある。

 

 ファルカスさんのほうも、武器を失ったからといって絶望することはない。切り札とでも言うべき術なのだけれど、『漆黒の王(ブラック・スター)』の創った『魔王の翼(デビル・ウイング)』と総称される四体の魔王――その一翼である『火竜王(フレア・ドラゴン)』サラマンの力を借りて刃と成す魔界術が使えたりする。

 

 けど、気楽に使えるものでもない。どちらも魔法力の消耗が激しいのだ。フィーアを一撃で確実に倒せるのなら問題はない。けどもし、倒せなかった場合は……。

 

 そもそも、師匠はすでにだいぶ魔法力を消費している。果たして術を放てるだけの魔法力が残っているかどうか。

 ファルカスさんだって、剣を創っても振る体力が残っているだろうか。

 

 賭けに出るにはあまりにも不安要素たっぷりの僕たちに、フィーアが声をかけてくる。余裕の響きを隠そうともせずに。

 

「さて、そろそろ終わりにしましょうか。いい加減諦めようという気にもなったでしょう?」

 

 うーん……、同じ殺られるなら賭けに出てみるほうがいいよな。でもそれを決めるのは僕じゃなくて師匠たちだしなぁ……。

 

 僕はなんとか身を起こしたファルカスさんと、僕の隣に静かにたたずんでいる師匠に交互に視線をやる。

 

 するとなんと師匠は、まるで諦めたかのように、うつむいて目を閉じてしまったのだった――。



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第十三話 ありふれた手法(前編)

○式見蛍サイド

 

 

「久しぶりだね。――いや、かつてキミと戦ったときに会ったのはニーネのほうだったから、初めましてのほうが正しいかな。『闇を抱く存在(ダークマター)』」

 

 人の形をした闇色の存在――『闇を抱く存在(ダークマター)』はそうニーナに語りかけられると、緩慢な動きで彼女にその目を向けた。血の色にも似た、その一対の紅い瞳を。

 

「ナイトメア、なぜ我の邪魔をする? 貴様もかつては我と同じく滅びを望んでいただろう?」

 

「かつては、ね。いまは違うよ」

 

 冷たい微笑をその口に浮かべてニーナはそう返す。その微笑に込められている感情がなんなのかは、僕には分からなかった。

 

「……なんなの? あれ……。悪霊のようだけど、それだけの存在じゃない……。ただの霊が悪霊に取り込まれた風でもない……」

 

 ヤツの持つ圧倒的な『力』に圧されてか、少し声をかすれさせて鈴音が呟く。それは疑問を呈してはいるけれど、誰に向けての言葉でもなかっただろう。

 だから、それに言葉を返す人なんていないと思っていたが、

 

「コイツは『闇を抱く存在(ダークマター)』。神族でも魔族でもない、ボクと同格の存在だよ。もっとも、かつてミーティアさんたちに滅ぼされかけたときのダメージが大きかったせいか、完全な人型をとることも、彼単体で存在することも不可能になったっぽいけどね。――実際、この世界の悪霊を取り込んで、なんとかその姿とそれだけの力を維持してるって感じだし」

 

 その言葉に鈴音が息を呑む。

 

「……っ、じゃあ、そのダークマターのほうが悪霊を取り込んでいるの? そんなこと、できるわけが――」

 

「できる。人間の小娘よ。以前に比べれば弱体化したとはいえ、我の『力』を侮ってもらっては困るな」

 

「よく言うよ。魔術を使えない人間が『地の支配者』をやってるこの世界に来たっていうのに、キミのやってたことはといえば悪霊の取り込みだけ。いまもなお滅びを望んでるキミが悠長にそんなことをやってたってことは、キミ自身には大して『力』がないってことでしょ?」

 

 ダークマターの瞳が不快そうに細められた。

 

「言ってくれるな、ナイトメア」

 

「いやいや、それほどでも。――で、確かキミ、ミーティアさんにやられたときバラバラになったよね。そのとき、本来キミが持っていた『力』や『意志』、『記憶』も身体と一緒にバラバラになったと思うんだけど、キミはそのどれを持っているのかな?」

 

「そのようなこと――」

 

 ダークマターが右の掌をこちらに向け、

 

「貴様に言う必要はない!」

 

 目に見えない『なにか』を放ってくる!

 

「っ!」

 

 それほどの威力はなかったものの、なにかに押し潰されるような感覚があった。しかし、なにをされたのかさっぱりなものだから対処のしようがないな、これは。とりあえず間違ってもダークマターに取り込まれることのないようにユウを『霊体物質化能力』の効果範囲内に入れる。

 鈴音や先輩もいまの攻撃は受けたのだろう。けれどダメージを受けた様子はほとんどなく、ただ単に驚きで固まっているだけのように見える。

 

 そしてニーナはというと、なんの圧力も感じなかったかのように嘆息して肩をすくめた。あるいはいまのダークマターの攻撃、物理的な効果しかなくて、そしてニーナは瞬時に実体化を解いたのかもしれない。実体化していなかったユウがけろりとしているのがその証拠だろう。あ、ということは実体化しているほうがもしかして不利? ユウは能力効果範囲から出しておくべきか?

 いやでも、取り込まれる危険を考えると……。

 

「それで本気を出してたりする? ひょっとして。だとしたら、いくらなんでも弱すぎるんじゃない?」

 

「ほざけ! 我の『力』の使いかたに文句を言われる筋合いはない!」

 

 わめくダークマター。どことなく余裕がないように見えるのは僕の気のせいだろうか。

 

「まあ、それはそうだけどね。でもさ、ひょっとしてキミ、自力で魔法力の回復が出来なくなってるんじゃない? だから多少なりとも魔法力を使う実体化はしないんでしょ? いまだって取り込んだ悪霊をベースにして何とか具現化してるって感じだし」

 

「……っ! やかましいっ!」

 

「あ、やっぱり図星? でもって、怒りに任せてさっきの魔力衝撃波、もう一度撃ってはこないんだ。そうだよねぇ。魔法力もったいないもんねぇ。回復できないんだもんねぇ」

 

 …………。ニーナがダークマターをおちょくり始めた。しかし、なんだろう。この、弱い者いじめでもしているかのような展開は……。

 

「ええいっ! なめるな!」

 

 いや、そりゃなめるだろ。なんだかボスらしきヤツが出てきたと思ったら、《中に居る》や《顔剥ぎ》よりずっと弱いんだから。

 

「確かに我は魔法力を回復できん。だがな、取り込んだ悪霊どもや我自身の魔法力が尽きるまでは充分『力』を使うことができるのだぞ!」

 

 僕はその言葉に思わずツッコミを入れてしまう。

 

「でも、それを使い切ったら火の玉ひとつ出せなくなるんだろ?」

 

「~~っ!」

 

「あははははっ!」

 

 地団太を踏むダークマター。僕のツッコミがツボだったのか、腹を抱えて大笑いしているニーナ。

 う~ん、自分と同格の存在が僕みたいな平凡な人間に言い負かされているのが笑えるのだろうか。ニーナの感性は僕には理解不能だ。

 と、先輩がなんだか呆れた口調で口を開いた。

 

「一体なんなんだ、アイツは。見た目はそれなりに怖い部類に入るというのに……」

 

 まあ、確かに見た目だけなら……って、

 

「先輩、アイツが見えてるんですか?」

 

「もちろん見えているぞ? それがなんだというんだ?」

 

 先輩に『見えている』ということは、ヤツはやはりかなりの『力』を持っているんじゃないだろうか? だって、あの《顔剥ぎ》だって先輩には声しか届かなかったんだから。

 

 でも……、どうにも、すごく強い敵には見えないんだよなぁ、アイツ。

 そんなことを考えていたら、ようやくニーナが笑うのをやめた。

 

「あ~笑った笑った。さて、じゃあそろそろ終わりにしようか? ダークマター」

 

 なかなか酷いことをサラッと言うニーナ。ああ、なんだかダークマターが不憫になってきたな。

 

「ふざけたことを……! そこにいる人間、式見蛍さえ殺せば我は完全であった頃の姿を取り戻せるのだぞ!」

 

 え? 僕を殺せばって……?

 

「ど、どういうことなんだ? ニーナ?」

 

「どういうことって、そのまんまだよ。キミが死んだらキミの能力――理力は世界中に拡がる。そうなればダークマターも自分の魔法力を消費しなくても常に実体化していられるようになるんだよ。それがダークマターの狙いだろうね。

 もちろん悪霊を取り込んで魔法力を補充するってことは出来なくなるけど、世界中の悪霊が実体化すれば自分が手を出すまでもなく世界も滅びるだろうし、すべてを滅ぼしたいダークマターにとっては満足のいく結果になるんじゃない?」

 

「おいおい、冗談じゃないぞ。それは」

 

「そうだね。冗談じゃ済まない。けどさ、ダークマターが完全だった頃の姿に戻るのはやっぱり不可能だとも思うよ?」

 

 それに反応したのはダークマター。

 

「なんだと!?」

 

「だってそうじゃない。取り込んだ悪霊はケイくんを殺す直前に外に出すつもりなんだろうけど、そうしたところでやっぱりキミは不完全な『ダークマターの欠片』のままだよ。完全体に戻るには『蒼き惑星(ラズライト)』にいる他の『ダークマターの欠片』と融合しないと」

 

「……。そのような些細なこと、いちいちこだわりはせん! 我が望むはこの世界の滅びのみ!」

 

「ええっと……。あのさあ、ダークマター。キミもしかして、『知能』が欠落してるんじゃないの? 本来のダークマターはそんな単純でおバカさんじゃなかったよ? そもそもキミは『闇を抱く存在(ダークマター)』の望みをちゃんと憶えてる?」

 

「我の望み、だと?」

 

「というより、ミーティアさんにやられる前の――本来のダークマターの望み」

 

「本来の、我の望み……」

 

 考え込むように同じ言葉を繰り返すダークマター。

 

「…………。憶えてないんだね。そもそもさぁ、ミーティアさんだって『聖戦士』とはいえ人間の器に縛られていることには変わりないんだよ? そんな彼女が力押しでキミに勝てたわけないでしょ」

 

「どういう……ことだ……?」

 

「つまりね。キミは、望んでいたんだよ。孤独な世界から解放されることを。誰かに滅ぼされることを。キミはあのとき確かに『希望という名の光』を受け入れた。自分を滅ぼしかねない力を持ったあの光を」

 

「そのようなこと……我は望んでなどない」

 

「記憶がバラバラになっちゃったみたいだもんね。おそらくその望みを憶えているのは、キミではない別の『闇を抱く存在(ダークマター)の欠片』なんだよ」

 

 ダークマターの中でなにかが膨れあがった――ような気がした。

 

「認めん……認めんぞ……そのようなことは……。その望みは、いまの我の存在意義に反する!」

 

 かつてのダークマターが望んでいたのは『滅びたい』。しかし、いまのヤツが望んでいるのは――

 

「我は滅ぼす! すべてを滅ぼす! そのために――その人間を殺す!!」

 

「まあ、過去の記憶を失ってるんだから、そういう結論になるよね。けど、それはさせないよ。彼が死んだら困るのはボクなんだし。それになにより、キミには彼を殺せないでしょ。確かに魔力はかなりのものだけど、魔法力のほうは――」

 

「まずは貴様からだ! ナイトメア!」

 

 ダークマターから放たれた黒い波動がニーナを襲う!

 

 彼女は驚きつつも虚空に姿をにじませ、消えた。

 少しダークマターから距離を置いたところに現れる。

 

「ちょっ……、嘘でしょ!? そんな強力な波動を撃ったら、魔法力なんてすぐに尽きる――」

 

「そうそうすぐに尽きはせん!」

 

 そのセリフを聞いて、僕はなんとなく事態を理解した。

 ダークマターは自然に魔法力が回復しない。それは事実なのだろう。しかし、RPGで言うところの最大MP――魔法力の上限はかなり高いんじゃないだろうか。

 そして、もし僕の考えどおりだとすると、状況はけっこう最悪の部類に入るんじゃないか? なにしろダークマターの魔法力が尽きるまでひたすら逃げ回るしかないのだから。反撃の手段なんてないのだから。

 

 そう思った矢先、ニーナが反撃に転じた。

 

「実力差、分かってないんじゃない? ダークマター。ボクも弱体化した身とはいえ、キミよりは強いと思うよ。というわけで、くらえ! 呪霊撃滅波(ソウル・ブラスター)っ!」

 

 ダークマターに向けた掌からは、しかしマルツのときのような光の筋すら出ない!

 

「……あれ? まさかとは思うけど……ボクの魔法力、けっこう尽きかけてる?」

 

 ええっ!? 冗談じゃないって、それ!

 ああもう! やっぱり事態は最悪なんじゃないか!

 

「実力差を計り間違えていたのは貴様のようだな、ナイトメア!」

 

 次々に黒い波動を放つダークマター。

 

「うわわわわっ!?」

 

 あるいは身体を動かし、あるいは空間を渡ってかわすニーナ。

 

 ちなみにあの黒い波動、僕のアパートやらその辺りの壁やらに当たってもなんの影響も及ぼしていない。もちろん、だからといって人体に影響がないというわけではないだろうけど。

 どうやらダークマターのあの攻撃は『物質』を破壊することはないようだ。とりあえずこの辺りが廃墟になるのでは、といった心配はいらないようなので一安心。

 

 ――いや、安心なんてしてられないか。

 正直、僕としては死ぬこと事態は大歓迎だ。ただ、いまの状態で死ぬと世界中に迷惑がかかるっぽい。まあ、別に世界の誰が困ることになろうと別に僕の知ったことではないのだけれど、ユウや鈴音、先輩といった『大切な人たち』に迷惑をかけるのは出来る限り避けたい。

 それになにより、やっぱり殺されるのはイヤだ。仮に痛くなかったとしても、やっぱり怖い。

 

 と、ニーナが走りながらこっちに近づいてきた。空間を渡って僕の目の前に現れないのは、やはり消耗するからなのだろう。

 

「ユウさん! ケイくんの能力効果範囲から出て!」

 

『え?』

 

 思いもかけない言葉に僕とユウの声がハモった。

 

「ほら、早く! ボクに考えがあるんだよ!」

 

「わ、分かった……」

 

 言って僕から離れるユウ。そして――

 

「よし、じゃあボクも実体化を解いて、と」

 

 次の瞬間、僕は自分の目を疑った。

 

 なんと、憑依したのだ。

 

 ニーナが。

 

 幽霊である、ユウに。

 

「ニーナさんがユウさんに――幽霊に憑依した!? 嘘! 取り込んだのなら分かるけど……」

 

 鈴音が驚愕の声をあげている。とすると、やはりこれは常識外れの行為らしい。もっとも、幽霊や『界王(ワイズマン)』なんて存在自体が既に常識の範囲外なのだけれど。

 ユウに憑依したニーナは鈴音の驚きなんてまったく意に介した風もなく、

 

「よし、成功。やっぱり波長は合ったね」

 

 などと呟いている。ユウの声で。

 

「さて、これでユウさんの魔法力を使えるようになったし、今度こそ反撃開始といこうか。自分の力を使うのにも呪文の詠唱が必要なのは不便だけど」

 

 ああ、なるほど。ダークマターが悪霊の魔法力を使っているように、ニーナもユウの持つ魔法力に目をつけたのか。とすると、魔法力というのは誰でも持っているものなのか? 鈴音の持つ霊力のようなもの? いや、なんとなく少し違う気がするな。なんとなく、だけど。

 

 ともあれ、これである程度危機は脱したと見ていいのだろうか。

 ニーナが意味不明な言葉をブツブツと呟き始めた。これが呪文の詠唱に違いない。マルツも魔法を使う前に似たような言葉を呟いていたし。

 

火竜烈閃咆(サラマン・ブレス)!」

 

 ニーナの掌から、まるで竜が吐きそうな炎がダークマターに向かって一直線に撃ち放たれた!



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第十四話 ありふれた手法(中編)

○ファルカス・ラック・アトールサイド

 

 

(――と、こんな感じでいい?)

 

 サーラが<通心波(テレパシー)>を使ってオレの精神に直接話しかけてくる。

 オレたちは目の前の魔族――フィーアに気づかれないよう、そうやって簡易作戦会議を開いていた。まあ、サーラはうつむいて目を閉じているので、端から見ると彼女の姿は降伏しているように見えるかもしれないが。

 

(サーラ、ちょっとムチャなところが多すぎないか? お前らしくもない)

 

 オレの意識を読み取り、それにサーラが自分の思いを伝えてくる。

 

(なに言ってるの。ファル、普段はこれくらいのムチャ、当たり前にやってるじゃない)

 

 実はこの術、別にオレがなにかしているわけではなく、サーラが勝手にオレの考えていることを読み取っているだけだったりする。なので、当然うかつなことは考えられない。

 

(……ファル? くだらないこと考えてないで、そろそろ実行に移したほうがいいんじゃない?)

 

 ほら。

 

(『ほら』って、なにが?)

 

 あー、やっぱりやりにくいなぁ、<通心波(テレパシー)>でのやり取りって……。

 まあ、それはともかく。

 

(よし、じゃあ始めるぞ)

 

(うん。気をつけてね)

 

 こっちにばかり危険を背負わせる作戦立てておいて、なにをいまさら……。

 

(ファル、なにか言った?)

 

(いや、なにも)

 

 さて、じゃあ始めるとするかな。

 オレは口の中で小さく呪文を唱え始めた。サーラも、また。

 そこに聞こえてくるフィーアの声。

 

「さて、一番手ごわそうなのはあなたですからね。『悪魔殺し(デモンズ・キラー)』。あなたから死んでいただくとしましょう」

 

 おいおい、オレからかよ。まあ、こんなピンチに陥っているのは誰のせいかと問われたら、フィーアを甘く見たオレのせいなんだけどさ。だからまずオレから狙われるのは自業自得ともいえる。

 しかし、だからといっておとなしく殺されてやるつもりはない。

 

病傷封(リフレッシュ)

 

 実はオレは回復呪文を一切使えない。サーラがその系統の術の専門家(エキスパート)なものだから、学ぶ気が起きないのだ。けど動けないくらいダメージを負ったときにそれでは、当然、困ることになる。

 だからオレはせめてこの<病傷封(リフレッシュ)>を覚えた。

 <病傷封(リフレッシュ)>はケガの痛みや病気・毒などの症状を押さえ込む白魔術だ。治すわけではない、応急処置のための呪文。時間が経てばいずれ効果は消える。けど、いまはそれで充分!

 

 オレは素早く後ろにとび退ると、続けて早口で呪文を唱えつつサーラのほうを見やった。サーラのほうの呪文の詠唱は――くそっ、まだ終わってないか。大がかりな術なものだから唱えるのにも時間がかかっているな。

 

 オレは唱え終えた術をフィーアに向けて放つ!

 

火炎弾(フレア・ショット)!」

 

 赤みがかった光球がフィーアに向かっていって直撃、中程度の爆発を起こす!

 

 う~ん、オレの放った<火炎弾(フレア・ショット)>、アイツの――アスロックの使うやつと比べると、やっぱり爆発力が弱い気がするな……。まあ、アイツの使う火の術の威力がケタ違いなだけなんだが。

 爆炎収まりやらぬうちにフィーアの嘲笑が耳に届く。

 

「恐怖で狂ってしまいましたかな? 物質を介した精霊魔術など、精神生命体たる魔族に効くはずがないのは知っているでしょう?」

 

 言われなくてもそれくらい知っていた。具現させるのに魔力を介していようと、しょせん火は火だ。効くはずがない。

 そして、オレもいまのでダメージを与えようとは思っていない。いまのはただの目くらましだ。

 さて、あとは――。

 

「すべての滅びを望みしもの

 消えぬ絶望を背負うもの

 皆が知る 大いなる汝の存在において

 我 汝の持つ虚無(うつろ)を扱わん

 汝の力の末端(まったん)である

 その剣身(けんしん)を我に預けよ

 ひとつになりて

 共に滅びを()き散らさん!」

 

 よし、これでこっちは準備OK。サーラのほうは――

 

破邪滅裂陣(ホーリー・グランド)っ!」

 

 さすがサーラ! タイミングぴったり!

 

 サーラの声がしたと同時にフィーアの姿がかき消える!

 そしてすぐさまオレの後ろに現れる殺気!

 オレを盾にサーラの術を防ごうというつもりなのだろうが――甘い! <破邪滅裂陣(ホーリー・グランド)>は広範囲にわたって破邪の結界を張り、魔の存在やアンデッドにのみダメージを叩き込む術! ちょっとやそっと移動したところで逃れることは不可能!

 さらに言うならこの術、人間やエルフ、竜などにはまったく効果を及ぼさない! つまり、オレにダメージはまったくない!

 

「――があぁぁぁっ!?」

 

 周囲一帯を蒼白い光が淡く包み込むと同時に、フィーアの苦鳴の叫びが辺りに響いた!

 

 おしっ! 効いてる!

 

 ちなみに、魔族と戦うときにはちょっとしたコツがある。

 端的に言うなら、短期決戦、一撃必殺、不意を突く、である。

 

 そしていま、まさにサーラは油断していたフィーアの不意を突いてみせた。

 あとはヤツが立ち直らないうちにさらに不意を突いてとどめを刺す!

 

 空間を渡ったフィーアがオレの背後に現れるであろうことは予想のうち。

 なので、オレは身をひねって振り返りつつ、唱えた呪文を発動させる!

 

聖魔滅破斬(ワイズマン・ブレード)っ!」

 

 『界王(ワイズマン)』ナイトメアの力を借り、闇の刃と成す術である。しかし、これは禁術(きんじゅつ)。扱える人間はそうそういないし、仮に扱えても魔法力の消耗が激しく、なかなか使いこなすのは難しい。

 さらに言うなら、いまオレの使っているこの<聖魔滅破斬(ワイズマン・ブレード)>は『界王(ワイズマン)』のことを誤解して組み立てた不完全なものだったりする。完全版のこの術と比べると威力は十分の一ほどしかない。当然、魔法力の消費スピードも十分の一――のはずなのだが。

 

 ぐらりと、地面が揺れたかのような錯覚に陥った。腕にも、脚にも力が入らない。

 

 くそっ! 不完全なものですら、ここまで消耗が激しいか!

 

 目の前にはフィーアの姿。オレは気力を振り絞って闇の――いや、虚無の刃を突き出した!

 振りかぶって斬りつけるなんてことはできない。そんな悠長なことをやっていたらとても魔法力がもたない。

 

 そして――手には何の手応えも伝わらずに。

 

 オレの虚無の刃はフィーアの胸元を貫いていた――。

 

○マルツ・デラードサイド

 

 

 <聖魔滅破斬(ワイズマン・ブレード)>に貫かれたフィーアの身体は一瞬にして塵となり、風に吹かれて消えていった。

 それが――下級魔族フィーアの最期だった。

 

 フィーアを貫いた虚無の刃は、刹那の間をおいてファルカスさんの手から消え去る。ファルカスさん自身も力尽きたようにその場にへたり込んだ。

 そしてそれは師匠も同じ。二人とも、ギリギリのギリギリまで魔法力を使ったようだった。

 そこで僕はハッとする。

 

 人間には――というより、生命(いのち)あるものには誰にでも魔力と魔法力がある。特に魔法力は人間が生きていくためには必要不可欠のものだったりする。それは地球で会ったケイたちにも言えることだ。

 

 そして、魔法力を本当の意味で使い果たした者は衰弱して死に至る。

 そうならないよう生命(いのち)あるものは『生命維持の魔法力』と呼ばれる必要最低限の魔法力を本能的に残している――のだけれど、もしかしたら師匠もファルカスさんも必死になるあまり、その『生命維持の魔法力』まで使い果たしてしまったのではないだろうか。

 

「お~い、マルツ~」

 

 ファルカスさんの僕を呼ぶ声がした。どうやら彼は大丈夫なようだ。本当に『生命維持の魔法力』まで使ってしまった人間は、声を出すことも出来ないというから。

 

 傍らの師匠を見てみる。

 すると師匠は肩で息をしながらもニッコリと笑って見せた。うん。師匠もこれなら大丈夫。

 僕はファルカスさんのところへ走って行った。

 

「悪い。回復呪文かけてくれ。いつ<病傷封(リフレッシュ)>の効果が切れるか分からないからな」

 

「あ、ハイ」

 

 ファルカスさんの傍らにかがみ込んで僕は呪文の詠唱を始める。キズはそれほど酷くないから初歩の回復呪文<回復術(ヒーリング)>で充分だろう。

 

回復術(ヒーリング)

 

 呪力を集中させた掌をキズ口にかざし、僕は口を開いた。

 

「それにしても、ファルカスさんの切り札は確か、『魔王の翼(デビル・ウイング)』の一翼、『火竜王(フレア・ドラゴン)』サラマンの力を借りた<火竜剣(サラマン・ソード)>じゃありませんでした?」

 

「ああ。以前はそうだった。でも最近ようやく<聖魔滅破斬(ワイズマン・ブレード)>を習得してな。いまはそれが切り札だ。――まあ、使いこなすとまではいかないんだけどな」

 

「あの術は『虚無の魔女』の専売特許じゃありませんでしたっけ? 勝手に使って怒られません?」

 

「いくらなんでも怒られはしないだろ。それにミーティアの専売特許は不完全なこの術じゃない。完全版の<聖魔滅破斬(ワイズマン・ブレード)>と――<最後の審判(ワイズ・カタストロフ)>だ」

 

 ――<最後の審判(ワイズ・カタストロフ)>。

 

 <聖魔滅破斬(ワイズマン・ブレード)>と同じく『界王(ワイズマン)』ナイトメアの力を借りた魔界術だ。威力の程は、なんと世界そのものを消し去ることも可能だという。もちろん言うまでもなく禁術。

 はっきり言って、魔道士うちではあまりその術の名は口にされない。なぜなら、威力が強大すぎて恐ろしくさえあるから。『界王(ワイズマン)』の力を借りた術は確実に術者を破滅に導く、とまで言う魔道士だっているくらいだ。

 

「それにしても、あの詠唱文を聞いてるとやっぱり『界王(ワイズマン)』って魔王の中の魔王って感じですよね。……って、ニーネさんがいるところで言うことじゃないか……。

 あ、でもちょっとひどいと思いません? 全知全能の代名詞である界王(ワイズマン)――ニーネさんのことですけど――ならフィーアをどうとでもできそうなものじゃないですか。なのになにもしないで――」

 

「ちょっと待て」

 

 ファルカスさんが手を振って僕の言葉をさえぎってきた。

 

「お前、ニーネ――『界王(ワイズマン)』のことを誤解――っていうか過大評価しすぎてないか?」

 

「――え?」

 

「いいか。『界王(ワイズマン)』っていうのはな――」

 

○ニーナ・ナイトメアサイド

 

 

「永くすべてを見守るもの

 すべての幸福(しあわせ)を望むもの

 皆が知る 大いなる汝の存在において

 我 汝の持つ精神(こころ)を扱わん

 汝の力のすべてである光よ

 我が未来(みち)を切り(ひら)

 希望の(つるぎ)となり 今ここに!」

 

 一般的にボクは全知全能であると勘違いされることが多いけど、決してそんなことはなかったりする。

 『蒼き惑星(ラズライト)』に存在する、とある書物にちゃんと書いてあるはずだ。

 

 ――あれは光と闇、聖と魔、生命と死、起源と終末、調和と対立、それら全てを()べる存在(もの)

 生み出されし世界。

 全ての滅びを望み続ける存在(もの)

 輝く光。深き闇。見え隠れする希望。消えることのない絶望。

 己の夢の中に全てを生み出せし存在(もの)

 生み出されし存在(もの)達、この存在(もの)の夢から決して逃れることは出来ない。

 すなわち――『界王(ワイズマン)悪夢を統べる存在(ナイトメア)』。

 ――と。

 

 

聖魔滅破斬(ワイズマン・ブレード)っ!」

 

 開放された呪力はボクの――ユウさんの両の掌の中で虚無の刃を形作る。

 これでダークマターにまともに一撃を入れられれば、おそらくはこちらの勝ち!

 

 ――そう。ボクは決して全知でも全能でもない。世界を――『蒼き惑星(ラズライト)』を創ったのはボクだって言う人間もいるけど、それだって本当は違う。

 

 ボクは――創られた側だ。そう書物にも記されている。ちゃんとあれを解読すればそう書いてあることに気づけるはずだ。

 すなわち、『あれは光であり、闇であり、聖であり、魔であり、そしてなにより、生み出された世界である』――と。

 誰に創られたのかは分からない。誰の意図も働いていない可能性だって高い。

 ただ――ボクはビッグバンという名の大爆発によって誕生した。

 

 虚無の刃に吸い取られるかのように、魔法力がどんどん消費されていく。そのくせ威力は不完全な<聖魔滅破斬(ワイズマン・ブレード)>とそう変わらないようだ。これは完全版のほうだというのに。

 横薙ぎに払った刃は、しかしダークマターをわずかに捉えられない。

 

 ――ボクは光であり、闇であり、聖であり、魔でもある。だからこそ、神族と魔族を創りだせたのだろう。

 

 けれど、ボクは――ボクの心の在り方は、造物主には程遠い。

 

 正しい心と間違った心を同時に持っていたボクは。

 

 消えることのない絶望を胸に生きてきたくせに、希望を捨てることが出来なかったボクは。

 

 結局、『強大な力を持って生まれてきてしまった人間』に他ならないのではないだろうか。

 

 ボクの心は『人間』以上でも以下でもないのではないだろうか。

 

 きっと造物主は、希望を抱いて苦しくなることも、絶望に直面して、すべての滅びを望むようなこともないだろうから。なにより――ボクのように『孤独』なんて感じないだろうから――。

 

 一気にダークマターに迫る!

 

 虚無の刃を縦に振り下ろす!

 

 ――捉えた!

 

 そう思った瞬間――虚無の刃が両の手の中から消失した!

 

 空振りして少しばかり隙ができてしまったけれど、ダークマターの放ってくる黒い波動はなんとか身をひねってかわす。そのままバックステップして距離をとった。

 空間を渡ってかわすことはできない。ユウさんの身体(?)に憑依しているからだ。

 

 それにしてもなんで虚無の刃が――あ、そうか! ユウさんの魔法力が尽きたんだ!

 おそらく、『生命維持の魔法力』までは使い果たしていないだろうけれど。

 それはそれとして、正直、ボクの魔法力も残り少ない。高位の呪文は唱えたところで発動しないだろう。

 

 状況は、絶望的なものとなった――。



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第十五話 ありふれた手法(後編)

○マルツ・デラードサイド

 

 

「…………」

 

 知らなかった。『界王(ワイズマン)』が僕たち人間とそう変わらない存在だったなんて。

 だって、普通は想像しないだろう。世界を創った全知全能の存在なのだと思っていたものが、実は人間と同じように悩んで、苦しんで、なんとか答えを出しながら生きている存在なんだ、なんて。

 そしてなにより、『界王(ワイズマン)』が『蒼き惑星(ラズライト)そのもの』だったなんて――。

 

 ニーネさんが僕の様子は気にした風もなく、唐突に口を開く。

 

「ファルカスくん、サーラさん。ニーナ、どうも思ったよりも苦戦してるっぽいよ。やっぱり戦ってる場所が悪いのかな。『闇を抱く存在(ダークマター)』の相手だけでも苦戦気味だから、『魔風神官(プリースト)』まで出てくることがあったらいよいよマズいね」

 

「『魔風神官(プリースト)』!?」

 

 それは『魔王の翼(デビル・ウイング)』の一翼、『魔風王(ダーク・ウインド)』シルフェスの直属の部下である高位魔族の二つ名だ。そんなのがなんで地球に? いや、それに『闇を抱く存在(ダークマター)』だって?

だとすると、この世界に帰ってくるときに感じたあの敵意の正体は――。

 

 いや、でも――。

 

「なんで!? なんでそんな凶悪な奴らが地球に!?」

 

 僕がここに戻ってきたのは、地球に魔族が行かないようにするためだ。ケイたちにそういう危険が及ばないようにするためだ。いや、もちろんそれだけが理由ではなかったけれど。

 

 それにしてもなんで――

 

「キミが地球ってところに行ったすぐあとぐらいにね、ダークマターと『魔風神官(プリースト)』も地球に向かったんだよ。止められなかったし、止めるつもりもなかったけどね。なにしろこの世界に実害があるわけでもないから」

 

「そんな……、だからって……。それで、ケイは? ケイたちは!? みんなは無事なの!? ニーナさんと一緒にいるんだよね!?」

 

「――なるほど」

 

 その声に振り向くと、ファルカスさんが「やれやれ」と頭を掻いていた。

 

「その『ケイ』って奴らのことが心配で戦闘に集中できてなかったってわけか」

 

「う……」

 

「…………。行ってこい」

 

「え……?」

 

 いま、なんて……?

 

 僕の肩に手が置かれた。柔らかい、女の人の手が。

 

「マルツ、行っておいで。そして、ちゃんと納得できるかたちで帰ってきて。でないと最悪、いつまでも悔いが残るだけだから。――ニーネちゃん。『刻の扉』、頼めるよね?」

 

「いや、反対できないって。この雰囲気じゃ……」

 

 そう言って『刻の扉』を作りだすニーネさん。

 

「まあ、ニーナにも助けが必要だろうしね。ボクからも頼むとするよ、マルツくん。――ニーナをよろしくね」

 

「あ、ハイ……」

 

 なんか、妙な気分だ。『界王(ワイズマン)』から頼まれごとをされるなんて……。

 

「あ、わたしも魔法力が回復したらすぐ助けに行くよ。だからそれまで頑張っててね、マルツ」

 

「え? 師匠も来るんですか?」

 

「そうだよ。なにか問題ある?」

 

「えっと……」

 

 僕はファルカスさんとニーネさんを交互に見やる。

 口を開いたのはニーネさんだった。

 

「大丈夫。『悪魔殺し(デモンズ・キラー)』のファルカスくんもいるし、このボク、『黒の天使』ニーネ・ナイトメアもいるんだから。そうそうモンスター如きには負けないよ」

 

「そ、そうですよね。……って、え……? 『黒の天使』?」

 

 ――『黒の天使』。

 それは七人いる『聖戦士』たちのひとりが持つ二つ名だ。『黒の天使』だけは本名が明らかにされていないんだけど……。

 

「ほ、本当に……?」

 

「もちろん。さあ、行った行った」

 

 僕の背中をグイグイと押してくるニーネさん。そんなに押さなくてもすぐ行くって……。

 気を取り直し、三人に告げる。

 

「――それじゃあ、行ってきます」

 

 そして僕は再び地球へと向かった。事故によって、ではなく、自らの意志で。

 

○神無鈴音サイド

 

 

 ニーナさんが憑依を解いてユウさんの中から出てきた。その顔には焦りの表情が色濃く貼りついている。

 私にだって分かった。状況は最悪だって。この事態をどうにかすることは――少なくとも私には出来ないって。

 それなのに、ニーナさんは私に目を向けてきた。

 

「鈴音さん。ダークマターの『力』は取り込んだ悪霊の力がほとんどなんだ。だから、ダークマターの取り込んだ悪霊をどうにかして引き剥がせないかな? それが出来ればどうにかなりそうなんだけど」

 

 私は一瞬、返事をするのを戸惑った。出来ない、なんて残酷な現実をニーナさんに突きつけたくなかった。そう思わせるほどにニーナさんは私の霊力(ちから)をアテにしているようだったから。

 でも、やはり出来ないものは出来ない。そう言うしかなかった。

 

「ごめん、私には……。感づかれずに少しずつ干渉できればあるいは可能かもしれないけれど、一気に引き剥がすとなると……」

 

「要するにダークマターが自分に干渉されてることに気づかなければなんとかなるんだね?」

 

「理屈の上ではそうだけど……。私の除霊法は相手に不快感を感じさせるものだから、どうやっても気づかれると思う……」

 

 自分の力のなさを口にするのは正直、辛い。蛍たちも隣で聞いているし。でも、出来ない以上はそう言うしかなかった。

 ニーナさんは私が不可能だと言っているのに、なおも言い募ってくる。

 

「じゃあ、気づかれても鈴音さんが集中を切らさずに干渉し続けられれば――ダークマターの邪魔が入らなければ悪霊を引き剥がすことは出来るんだね?」

 

「それは――確かに時間をかけて徐々に干渉できれば可能だろうけど、でも、そんな状況でダークマターが私を無視してくれるわけが――」

 

 と、そこで蛍が口を挟んできた。

 

「鈴音の与える以上の不快感を同時に与え続ければいいんじゃないか? ほら、痛みはより強い痛みでごまかせるっていうし」

 

「でも蛍、どうやってそれをやるの?」

 

「う……、それを言われると……」

 

「ボクもあんまり残ってないしねぇ、魔法力」

 

「もう一度ユウに憑依してみるとかは?」

 

「やめてよ、ケイ!」

 

「ケイくん、ユウさんの魔法力はもう、まったくといっていいほど残ってないんだよ」

 

「う~ん、そうか……」

 

「ちょっと! 無視!? 私の発言無視!?」

 

 ちょっと会話が混乱してきた……。

 そこに、ねちりっ、とした声が割り込んでくる。

 

「さて、ではもう終わりにしようか」

 

 言うが早いか、ダークマターがこちらに――蛍に掌を向けて黒い波動を放ってきた。

 

 やられる――!

 

 思わず目を閉じかけたそのとき、ゆらりっ、と蛍の目の前の空間に揺らぎが生じた。

 

 刹那の間をおいて現れた緑の髪のその人は、なんと腕の一振りでダークマターの黒い波動をはじき散らす!

 

「ずいぶんと強気じゃない、『ダークマターの欠片』さん。弱いものいじめがそんなに楽しい?」

 

「あ……」

 

 その人が誰であるかをようやく脳が認識し、私は思わず声を洩らした。

 『彼女』はそんな私を一瞥すると、すぐにニーナさんに視線を移す。

 

「思ったよりも手こずってるじゃない、貴女らしくもない」

 

 長い緑の髪が風に揺れる。

 年の頃は二十四、五。

 

「なんだったら、手伝ってあげましょうか?」

 

 そのありがたいとしか思えない申し出に、しかしニーナさんは固い口調で返す。

 

「へえ、どういう風の吹き回し? 高位魔族のひとり、『魔風神官(プリースト)』シルフィード」

 

 その言葉を聞いて、私は絶句した。

 

 

 ――高位魔族のひとり、『魔風神官(プリースト)』シルフィード。

 

 

 ニーナさんにそう呼ばれた女性は今日、遊園地でたまたま出会った人だったから――。

 

○同時刻 アメリカ某所

 

 

 フィッツマイヤー邸、と呼ばれる豪華な屋敷の一室で。

 老人と少女がテーブルに向かい合わせに座って、しばしの平和な――祖父と孫娘という関係に戻れる時間を過ごしていた。

 たゆたうように流れている時間は、なんとも穏やかで和やかなものである。

 

「なにやら、この世界にはあってはならぬ『歪み』を感じるな……」

 

 老人がそうポツリとこぼした途端、穏やかさも和やかさもあっさりと霧散したが。

 少女は全身を少し強張らせてうなずいた。

 

「『歪み』の源は――日本にあるようですわね」

 

 老人の名はレグルス・フィッツマイヤー。

 

 それに向かい合っている金髪碧眼(へきがん)の少女の名はスピカ・フィッツマイヤー。

 

 悪霊の退治を――より正確に言うのなら、世界の『歪み』を正すことを生業(なりわい)としている家系、フィッツマイヤー家の当主とその孫娘である。

 

 テーブルに置いてあったカップを手に取ると、レグルスは中に入っていた紅茶を一口飲んだ。

 

「スピカ、シリウスに伝えてくれ。すぐに日本に飛ぶように、と」

 

「お兄様に? 必要ありませんわ。わたくしひとりで行ってまいります」

 

 シリウスという名が出た途端、スピカの声に険が込もる。明らかに不機嫌になっていた。彼女はそれを隠そうともせずに手にしていたカップの中身を一気に飲み干した。ちなみに入っていたのはミルクティーである。

 

「明日、一番の飛行機で向かうとしますわ」

 

 カップを少々乱暴に置いてスピカは席を立った。かるくウェーブのかかった肩くらいまである金髪がふわりと揺れる。

 レグルスはそれに心配げな表情を浮かべた。

 

「お前がひとりで、か? しかし日本では神無か九樹宮(くきみや)の家がことにあたるのが慣例となっている。正直、あまり余計ないざこざは起こしたくないのだが……」

 

「お爺様はわたくしが神無家や九樹宮家といざこざを起こすと、そうおっしゃりたいのですか?」

 

 レグルスとて、そんなことは言いたくなかった。しかし孫娘の性格からして、神無や九樹宮と接触があった際、問題を一切起こさずにことを収めるのは無理があると思われた。なので老人はその辺りを正直に口にする。九樹宮のほうはまだしも、神無家といざこざを起こすことはしたくなかった。

 

「そう思っているからこそシリウスを向かわせたいのだ。あいつなら上手く立ち回りそうだからな」

 

 スピカの沸点はかなり低い。普段ならそろそろ怒鳴りだしている頃だ。しかし、そうはならなかった。おそらく、神無家には自分と同年齢の少女がいるという事実が彼女の負けん気を刺激しているのだろう。

 

「っ……! とにかく、お兄様に向かっていただく必要はございません。わたくしだけで充分ことは収められます」

 

「……だと、いいのだがな」

 

 思った以上にねばるスピカにレグルスは嘆息した。

 スピカは苛立ちまぎれに、日本にいる同業者に文句を言いだす。

 

「まったく……神無や九樹宮はこのような大きな『歪み』が生じているというのに、なにをやっているのか……」

 

「なにもやっておらん、ということはないだろう。だが、法律に縛られ、動きが遅くなっている可能性はあるな」

 

「ともあれこの件、わたくしがなんとかしてみせますわ。もし『歪み』を起こしているのが人間だった場合でもきちんと処理してまいりますから、ご心配なく」

 

 そこまで言われて、レグルスはとうとう折れた。もちろんこの場合の『処理してくる』というのは『殺してくる』という意味である。スピカは状況をそこまで想定していて、なお自分が行くと主張しているのだ。折れるしかない。

 

「うむ……。神無や九樹宮とのことで不安要素は尽きぬが、お前がそこまで言うのなら仕方がない。だがシリウスにも一応伝えていくのだぞ」

 

「承知していますわよ」

 

 憤然として言い、スピカはシリウスの部屋へと向かうのだった。

 

「まったく、なにかある度にシリウス、シリウスと……。わたくしだってもう充分に一人前だといいますのに……」

 

 そんなことを不機嫌そうな表情のまま呟きながら――。



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第十六話 再会、共闘、人間、魔族(前編)

○???サイド

 

 

 一体――私はなにをやっているのだろうか。

 

 私はただ彼の――式見蛍の力を見極めたかっただけだというのに。

 

 そして今の状況は、まさにその絶好の機会だというのに。

 

 ――彼らだけで『闇を抱く存在(ダークマター)』を倒せるか否か。

 

 それによって式見蛍の価値を見極めれば、それで済むことなのに。

 

 ああ――それなのに。

 

 なぜ私は――共に戦おうとしているのだろう。

 

 なぜ私は――彼を助けるようなことをしているのだろう。

 

 ちょっかいをかけるとはいっても、彼を助けるような行動をするつもりはなかったのに――。

 

 ――本当に、なぜだろう。

 

 私は人間ではないのに――しかし、その行動は人間と同じく矛盾に満ちている。

 

 私は人間ではないのに――おそらく人間と同じ本能を持っている。

 

 きっと――それが私にとっての不幸だったのだろう。

 

 そうに――違いない。

 

 ただひとつ――確かにいえることは。

 

 私は彼の価値を見極めることを放棄しようとしている――。

 それだけだった。

 

○神無鈴音サイド

 

 

 『魔風神官(プリースト)シルフィード』。

 そう呼ばれた女性が軽く肩をすくめて言う。

 

「別に特別な理由はないわ。ただ『なんとなく』よ」

 

 それに返すのはどこか態度の硬いニーナさん。どうしてそんな態度をとるのかは分からないけれど。

 

「へえ。なんとなく、ねぇ」

 

「私の性格はあなたが一番よく知っているでしょう? ナイトメア」

 

「昔ならそうだっただろうねぇ。でもいまのキミは昔と比べてずいぶんと変わったようだから」

 

「本質は変わってないわよ。生命(いのち)あるものを見れば放っておけなくなって滅ぼし、上からの――『魔風王(ダーク・ウインド)』様や『漆黒の(ブラック・スター)』様からの指示がない限りは自分がもっとも楽しめるように動く。――おっと」

 

 ダークマターの放つ黒い波動を、はたくようにして再び霧散させるシルフィードさん。

 

「あまり悠長に立ち話もしていられないんじゃない? さっさとどう動くか決めないと」

 

 それもそうだ。相手が魔族だからかニーナさんは警戒してるけど、ダークマターをなんとかするのに協力してくれるというのだから、これを断るという選択肢は存在しない。ならシルフィードさんにはどう動いてもらうのがいいか、すぐにでも考えるべきだった。

 その辺りのことは当然ニーナさんも理解しているのだろう。すぐにうなずく。

 

「……そうだね。じゃあシルフィード、ボクと二人でダークマターの注意を鈴音さんから逸らそう。話はその間でも出来るし。――鈴音さん、ダークマターの攻撃はボクたちが抑えるから、その間にヤツから悪霊を引き剥がす役、よろしくね」

 

「――え……ええっ!? 私が!?」

 

「正直、他にテはないからね。じゃあ頼んだよ!」

 

 言うと同時、空間を渡ってダークマターとの距離を一気に詰めるニーナさん。それにシルフィードさんも続く。

 

 頼んだよ、と言われても正直困るのだけれど、いまはやるしかない状況のようだった。

 

 私は(ふだ)を一枚取り出し、精神集中を始める。

 ダークマターに――いや、その中に居る悪霊に干渉し、少しずつその霊力を削り取っていく。

 瞳を閉じて行っているわけではないので、当然、ニーナさんとシルフィードさんの姿は視界にあるし、彼女らの会話も聞こえてくる。

 

「で、キミのその矛盾した行動は一体どういうわけかな?」

 

「――矛盾……? 私の行動のどこに矛盾があるっていうの?」

 

「だって、ケイくんたちも生命(いのち)あるものだよ。滅ぼそうとはしないの?」

 

「……彼以外の人間ならともかく、彼を殺すのは正直、惜しいわ。だって彼、面白い能力を持っているもの。予想できないなにかを――こう、面白いことを起こしてくれそうじゃない?」

 

「ふ~ん。キミ、本当にそう思ってる? ボクにはどうも言い訳っぽく聞こえて仕方ないんだよね。面白いことを起こしてくれそう、なんて理由で動く性格だっけ? キミ。――違うよね。面白いことが起こっているところを傍観するか、あるいは絶対に面白いことに発展するって見極められるまでは――今回で言えばダークマターをケイくんたちが自力で倒すまでは、彼と関わろうとはしないはずだよね?」

 

「…………」

 

 シルフィードさんは無言でニーナさんから目を逸らす。

 いまの話を聞いて思ったのだけれど、ひょっとしてシルフィードさんは私たちのことをどこかで見ていたのだろうか。そしてニーナさんの言葉から察するに、シルフィードさんには私たちを助けるつもりなんてなかった……?

 

 ニーナさんがまるで糾弾するかのような口調でシルフィードさんに続けて尋ねる。

 

「そもそも、さ。さっきケイくんをかばったのはなんで? しかもボクが見た限り『とっさに』って感じだったし。――キミは誰かをかばうような性格じゃない。笑って見捨てるタイプだよ。本質が変わってないのならそれだって変わってない。――違う?」

 

「……言ったでしょう。『なんとなく』だって。本当に本質は変わってないわよ。ただの気まぐれ。それだけのこと」

 

 どこか苦しそうに小さく呟くシルフィードさん。この会話がすべてダークマターの攻撃をかわしながら行われているのだから、正直、驚く。しかも私に当たりそうな軌道のものは必ずはじき散らすという徹底ぶり。

 

「気まぐれ、ねぇ……」

 

「なに、その含みのある言い方は」

 

「うん? いや、ボクもかつて似たようなことをしてたなあって思って、ね」

 

「『聖戦士』たちの――ミーティアさんのこと?」

 

「そう。自分のことを理解してほしいのに、彼女に助けてほしいと思っていたのに、素直にそうとは言えなくて。これはただの気まぐれだ、なんて自分に言い訳してはミーティアさんたちに何度もちょっかい出して。そんなかつてのボクといまのキミが、なんとなく重なって見えてね」

 

「――だから……? もしかして私もそうなんじゃないか、とでも思っているの?」

 

「うん。思ってる。間違いなくキミはケイくんになんらかの『救い』を求めてる。でないとキミがケイくんをかばったことの説明がつかないからね」

 

「ふざけないでもらえるかしら? 人間如きに『救い』を求めてる、ですって? 高位魔族の私が? そんなわけが――」

 

「そうじゃないのなら、キミの行動は魔族らしくない矛盾に満ちているってことになる」

 

「…………」

 

「それにね、シルフィード。人間っていうのは意外とすごいんだよ。あるときには『漆黒の王(ブラック・スター)』の一部を完全に滅ぼしてみたり、あるときには『漆黒の王(ブラック・スター)』の本体を滅ぼしかけてみたり、またあるときには『闇を抱く存在(ダークマター)』を滅ぼしかけてみたり、とね。なにより『界王(ワイズマン)』の心を救ったのが、そのキミの言うところの『人間如き』だし」

 

「それは『聖戦士』だったから――」

 

「『聖戦士』だったからやれたんじゃない。それをやれたから『聖戦士』と呼ばれるようになったんだよ。誰だって生まれたときから英雄だったんじゃない。だからこそ、人間は――生命(いのち)あるものは無限ともいえる可能性を持っているんだよ」

 

「それなら……なぜ私は生命(いのち)あるものとして創られなかったの? いえ、どうして……そう創ってくれなかったの? 無限の可能性を持つ存在として……」

 

「……シルフィード。やっぱりキミ、まだボクのこと憎んでる?」

 

「――当たり前よ。あなたのことを憎んでいない存在(もの)なんて、神族にも魔族にもいない……」

 

 悲痛な声でシルフィードさんはそう言葉を締めくくった。

 

 しかしなんでニーナさんが――『界王(ワイズマン)』が神族にも魔族にも憎まれているんだろう。『界王(ワイズマン)』はそのどちらをも創った存在――言うなれば生みの親なんだから、感謝されることはあっても憎まれるハズはないと思うんだけど……。

 やっぱり私の知らない過去があるのかな。あるいは私には想像も出来ないなにかがあるのかもしれない。

 

「ああもう! うっとうしい!」

 

 黒い波動をかわしたシルフィードさんがやりきれなさを吹っ飛ばすかのように腕を振るう。その数瞬あと、ダークマターの足元の地面が砕けた。どうやら一番最初にダークマターの放った不可視の衝撃波より数倍威力が上のものを放ったようだ。

 もっとも、あくまで威嚇(いかく)のための一撃だったようで、ダークマターに当てる気はないみたいだけど。

 

「なに避けてるのよ! ちゃんと当たりなさいよ!」

 

 いや、どうやら当てるつもりで放ったようだった。なんだかニーナさんと話しているうちに少しヒステリックになってしまったようだ、シルフィードさん。あるいはこれが地なのかもしれない。

 

 八つ当たり気味に次々不可視の衝撃波を放つ彼女。それは風のはじけるような音とともに、あるいはダークマターに、そしてあるいは周囲の地面に激突する。

 

 いま気づいたのだけれど、あの不可視の衝撃波の正体は高圧の風の塊ではないだろうか。あ、でもそれだけでダークマターにダメージを与えられるとも思えないから、シルフィードさんが風に自分の『力』を込めているのかもしれない。

 精神を集中させながらもそんな考察を私がしていると――

 

「しまった!」

 

 指先がわずかにかすったものの、黒い波動をはじき散らしきれずニーナさんが声をあげる。そしてその波動は一直線に私のところに向かってくる!

 もちろんニーナさんの指先が触れていたのだから多少なりとも威力は落ちているだろう。でも私は悪霊に干渉している真っ最中。干渉をやめないとその場を動くことも出来ない。かといって当たったら当たったでやっぱり干渉し続けることは出来ないだろう。いや、そもそもあの波動に当たって生きていられるのかどうか、非常に疑問だ。

 

 そんな風にのんびり思考を巡らせていたわけではないけれど、結果、私はその場を動かなかった。いや、動けなかったと言うほうが正しいかな。本家での修練の賜物(たまもの)か、精神集中を解くことこそなかったけれど、そんなものは焼け石に水だ。いや、焼け石に水をかけるほうがまだマシだろう。だって、一瞬なら冷めるのだから。でもいまの私はほんの少しも、半歩さえも動くことが出来なかった。

 

 時間が妙にゆっくりと流れる。その時間の中で少しずつ、でも確実に、私の命を奪うだけの威力を持っていると思われる黒い波動は私に迫ってくる。

 

「鈴音さん!」

 

「神無!」

 

 引き伸ばされた時間の中で聞こえるユウさんと真儀瑠先輩の声。ああ、蛍の声がないのが正直、残念かも……。

 そんな、自分でも呆れる思考をした直後。

 

 突如として私の視界に銀色の閃きが飛び込んでくる。そしてそれを持つ少年の姿も。それは私のよく知る少年――式見蛍と、彼の能力で創られた武器――霊体ナイフだった。

 

 蛍は自分の魂から創りだしたそのナイフで黒い波動を斬り裂く!

 

 瞬時に霧散する黒い波動。すぐ元に戻る引き伸ばされていた私の時間。

 そして、聞こえる蛍の声。

 

「鈴音! 大丈夫か!?」

 

「……う、うん。なんとか……」

 

 そう口にしてから初めて身体に震えが走る。それにしても、よくこんな状況になってまで悪霊への干渉を解かずにいられたなぁ……。

 ナイフを能力効果範囲の外に投げ捨てながら、安堵の息を突く蛍。

 

「そうか……。よかったぁ……」

 

 その言葉に思わず一瞬、気が緩みそうになった。気を抜いて、精神集中を――悪霊への干渉をやめてしまいそうになった。それほどに、その一言は嬉しいものだった。

 私は緩みそうになった気を引き締めて、悪霊への干渉を続ける。だいぶ相手の霊力は弱まってきたようだ。あともう少しで私にも引き剥がせるくらいまで霊力を弱められるだろう。

 

 ふと目をやると、ニーナさんとシルフィードさんが口ゲンカをしていた。

 

「まったく……。なにヘマをやらかしてるのよ、ナイトメア」

 

「しょうがないじゃん! 誰だって失敗はするよ! 大体いまのボクは普段と比べてまったく力が出せない状態なんだから!」

 

「言い訳を聞く気はないわよ。――そもそも、仮にもダークマターと呼ばれている存在(もの)をたったの二人で抑えよう、なんて発想自体がムチャなのよ」

 

「うわっ! まさかの作戦全否定!?」

 

「実際、『闇を抱く存在(ダークマター)の欠片』にしてはムチャクチャしぶといし」

 

「まあねぇ。――ねえ鈴音さん、まだかな?」

 

 私はそう言われたとき、この作戦のある問題点に気づいた。気づいてしまった。

 いくら私が霊力を削いでも、それだけでは悪霊を引き剥がすことが出来ない、という最大の問題点に。

 

 おそるおそるそれを言う私。もちろん精神集中は切らさないようにしながら。

 

「あの……、いまのままじゃ悪霊を引き剥がすのは不可能なんですけど……」

 

「ええっ!?」

 

「なんですって!?」

 

「鈴音さん、どういうこと?」

 

 同時にこちらを向くニーナさんとシルフィードさん。

 そして説明しやすいように促してくれるユウさん。

 

「えっと、つまりね。いまの状況だとダークマターは割と自由に動き回っているから、引き剥がそうにも悪霊の本体を完全には捉えられないの。霊力を削ぐだけなら悪霊のどの部分に干渉しててもいいけど、引き剥がすとなるとダークマターと悪霊の結合部分――つながっているところに干渉しないと不可能、というか……。あ、本来なら引き剥がしやすいように最初からその部分に干渉するし、そのためにとり憑かれた人を拘束しておく――」

 

「要するにどうすれば引き剥がせるんだ? 鈴音」

 

 また蛍に説明をさえぎられてしまった。

 

「え……、えっとね。要は数秒間でいいからダークマターの動きを完全に止めてくれればいいんだけど……」

 

「いくらなんでも二人でそれは出来ないわよ。相手は仮にもダークマターなんだから。もう少し人手があれば順番に攻撃して動きを止めるってテが使えなくもないけど」

 

「ですよね……」

 

 シルフィードさんのもっともな言葉に、私は思わずうつむいてしまう。

 と、そこで蛍が一歩前に出た。

 

「僕がやるよ。僕ならアイツにダメージを与えることもできる」

 

 確かにそれはそのとおりだ。蛍は《顔剥ぎ》を倒したとき、『ボウガンの矢にワイヤーをつけて遠距離から攻撃する』という戦法をあみ出した――らしい。そのとき私は気を失っていたから、その瞬間をしっかり見たわけではないのだけれど。

 

 まあ、その戦法をとれば蛍は充分にダークマターの動きを止めることができるだろう。

 でも、私は蛍の腕をつかんで行かせないようにした。

 

「駄目よ、 蛍! あなたは既に一度武器を創って消耗してる! 威力が下がってるだろうことは、足止めのための攻撃なんだからまだいいとしても、あなたが霊力を過剰に使用した場合どうなるか、蛍はもう知っているでしょ!?」

 

「…………」

 

 蛍は私が強い口調で言った言葉に一瞬表情を強張らせ、ついで悔しそうに唇をかむ。

 

 いままでほとんど戦いに参加していなかったのに、いま彼が『やる』と言ったのは、私がダークマターの攻撃でやられそうになったからだろう。おそらく、ではなく、自惚れでもなく、私はそう思った。――いや、思った、というのは違うかな。『思った』じゃなくて、私は彼がそう考えたのを――そう考える人間であることを知っていた。

 《顔剥ぎ》との戦いのとき、私が気絶したあと蛍は『見たことないくらいに怒った』そうだから。あ、これは私が目を覚ましてからユウさんから聞いたんだけど。

 

 ――そう。彼はきっと私だから『見たことないくらいに怒った』というわけではないのだろう。あのとき他の誰がやられても、彼はおそらくそうなったはずだ。だって、あのときその場にいたのは誰もが蛍にとって『大切な人』だったのだろうから。そして蛍はその『大切な人』を、例え自分の命を捨てても護りたいと思う人間だろうから。

 

 だから、おそらく蛍は霊力の過剰使用によるリスクのこともちゃんと頭にあって、それでもなおダークマターを放っておけずに、足止め役を買って出ると言ったのだろう。

 しかし、それを私は黙って見過ごすわけにはいかなかった。だって、黙って見過ごすなんて出来るわけないじゃない。ことは蛍の命そのものに関わるんだから。

 

 もっとも、もうここに戦力になる人間なんていないことも、また、事実だった。ユウさんは(ニーナさんが言うには)ほとんど魔法力が残ってないらしいし、仮に残っていてもユウさん自身は魔法を使うことは出来ない。真儀瑠先輩も真儀瑠先輩で、ダークマターの姿は見えるらしいけど、有効な攻撃手段なんてなにひとつ持ってない。私は私で動くわけにはいかないし。

 

 けど、だからといって唯一攻撃手段を持っている蛍に頼むのはイヤだった。霊力をまったく使っていない状態の蛍にならまだしも、既に霊力を消費している彼に足止めをしてもらうというのは、私には絶対に選べない選択肢だ。というか、蛍は私を護って霊力を消費したのだから、私はその選択肢を選んではいけない。

 

 ――でも、他にどんな選択肢があるというの……?

 

 そんな考えが頭をかすめ、私にはやっぱりどうすることもできない、と半ば諦めかけたときだった。

 

 夕日も沈んで夜の闇に満たされていたその空間が、縦に長い長方形の光を放つ!

 

 これはまさか――『刻の扉』!?

 

 そしてそこから現れたのは、つい数時間前に自分の世界に帰ったはずの少年だった――。



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第十七話 再会、共闘、人間、魔族(中編)

○マルツ・デラードサイド

 

 

 僕が周囲を見回すと、その場の全員が僕に注目していた。

 まあ、それはそうだろう。もう二度と会えないと思って別れたら、その数時間後にまたこの世界にやってきたのだから。……ああ、バツが悪いったらありゃしない……。

 

 ケイたちの表情はどれも複雑なものだった。僕が推測するに、驚きが二割、納得できないという気持ちが八割、といったところか。

 

 あ、見たことない顔が二人分増えてるな。全身が闇色のヤツと緑色のロングヘアーの女性。

 

 ふむ……。別に外見で判断するつもりはないけど、おそらくあの闇色のヤツが『闇を抱く存在(ダークマター)』だろう。少なくとも女性のほうは悪役っぽい感じはしない。――うん。美人は悪人じゃあない。たぶん。……って、思いっきり外見で判断してるな、僕。

 

 それはそれとして、あの女性は一体誰なんだ? この世界にあって、なお強力な魔力を感じるけれど……。

 

「マ、マルツ……?」

 

 硬直していたっぽいケイが声をかけてきた。ああ、やっぱり納得できない感がバリバリ感じられる声音だ……。

 

「マルツさん……、どうして……?」

 

 こちらは鈴音さん。声音はやっぱりケイのものとそう大きく変わらない。

 

 ……ああもう、ああもう! こうなることは予想ついてたんだけどなぁ! やっぱりこの空気はいたたまれない気分になるぞ!

 

 まあ、あの『お別れ』のあとに『数時間ぶりの』再会をしたんだから、定番どおりに『感動の再会』になるわけがないんだけどさぁ……。

 とりあえず僕はみんなに声をかけることにする。そうしなきゃ事態が進まない気がしたから。

 

「お久しぶり、というか、数時間ぶりだね、ケイ、ユウ、鈴音さん、真儀瑠先輩、あとニーナさんも。――ええっと……、助けにきたよ、なんて言ってみちゃったりなんかしちゃったりなんかしてー……」

 

 うーん、駄目だ。なんか、まだみんなの硬直が解けてない。あ、ダークマターと思われるヤツと戦っているニーナさんと緑色の髪の女性は除いて、だけど。

 

 気にせずに僕は僕の訊きたいことをぶつけるとしよう。うん。質問してるあいだに空気もまた緊迫したものになってくるさ。……きっと。

 

「ところで、あの闇色の身体のヤツがダークマター?」

 

「え? あ、ああ……」

 

 うーん……。どうも反応鈍いなぁ、ケイ。

 

「じゃあ、あの女の人って誰? 見たところ敵ではないようだけど、すごく強力な魔力を感じるし、本当にこの世界の人間なの? あの人」

 

 僕がそう口にした途端、辺りの空気が変わった。――悪いほうに。

 なんというか、こう、すっかりしらけたような空気になったのだ。なぜかケイたち四人ともが僕に呆れたような視線を向けているし。

 

「えっと……、なに? 僕、なんか変なこと言った……?」

 

 それに返されるのは四人の嘆息。

 

 おいおい、そこまで詳しく状況を認識せずにここに来たんだから、そんな反応しなくてもいいだろうに。

 なおも呆れたように首を横に振りつつ、ようやくケイが説明してくれた。その段階になって思ったのだけれど、説明してくれるのが鈴音さんじゃなくてよかった。本当によかった。

 

「お前、あの女性――シルフィードのこと知らないのか? お前の世界の人間――じゃなかった、魔族らしいんだけど」

 

 あ、僕の世界の人だったのか。どうりで強力な魔力を感じると……って、

 

「ま……、魔族!? それもシルフィードだって!? なんだってそんな高位の魔族がダークマターと戦ってるのさ! いやそれよりも! なんでケイたち、『魔風神官(プリースト)』が目の前にいるのにそんなのほほんとしていられるんだよ!」

 

「だって、別に敵ってわけじゃないし。それよりも『魔風神官(プリースト)』ってなんだ?」

 

「ああ、それはシルフィードの二つ名だよ。――って、いやいやいやいや! そんなことはどうでもよくって!」

 

「いや、僕たちからしてみれば割とどうでもよくなくって。――まあ、それはそれとしてさ。ニーナと会ったときにも感じたんだけど、お前ちょっと界王(ワイズマン)とか魔族とかに対して恐怖心抱きすぎなんじゃないか?」

 

「僕が普通なんだよ! いやまあ、ニーナさんに対してはもう大して怖いとか思わないけど。でも『魔風神官(プリースト)』は高位魔族なんだよ!? 『魔風王(ダーク・ウインド)』っていう魔族の直属の部下なんだよ!? いま存在している魔族の中では、え~と……、七番目に強いんだよ!? もちろん上から数えて、だよ!?」

 

「七番目って……割と下なんじゃ……?」

 

「分かってない! 分かってないよ、ケイは! いい? 魔族間の力関係っていうのはね――」

 

 と、そこで鈴音さんが割って入ってきた。

 

「あの~、そろそろ干渉し続けるのもキツくなってきたんだけど……。マルツさん、助けにきたって言ってましたよね? 確か。それなら早くニーナさんたちに協力してダークマターの動きを止めてほしいんですけど……」

 

「え? ニーナさんたちにってことは……『魔風神官(プリースト)』とも協力するの!?」

 

「ええ。三人で数秒間足止めしてください。その間に私が――」

 

「イヤだよ! 『魔風神官(プリースト)』と協力するなんて! いつ微笑みながら横からグッサリやってくるか……」

 

「そんなことされませんって! さっきからずっと協力してくれてるんですから!」

 

「鈴音さん! これは僕の師匠たちが前に言っていたことだけど、あいつは邪気の無い笑みを浮かべながらあっさり人の首筋を掻き切るタイプのヤツなんだよ!?」

 

「シルフィードさんがこの状況でそんなことをする理由がないでしょう! いいから早くニーナさんたちに加わってください! 私の集中力もいつまでもつか分からないし、この中ではマルツさんしか魔法を使える人はいないんだから!」

 

 鈴音さんの剣幕に僕は不覚にもビクッとしてしまった。

 

 ……ああ、女性ってたまに怖いな……。下手すると高位魔族よりも怖いな……。『魔風神官(プリースト)』なんて女性で高位魔族なんだから恐ろしさはもう底知れないよ……。

 そんなことを思っている僕に、なおも鈴音さんが言ってくる。

 

「ダークマターの動きを数秒間止めてくれれば、私があれの『力』のほとんどである悪霊を引き剥がしてみせますから! だから早く!」

 

「わっ、分かりましたぁ~!」

 

 悪霊を引き剥がすとか意味のよく分からない部分はあったものの、とりあえずダークマターの動きを数秒間止めればいいらしい。そう理解し、僕はニーナさんたちのところまで一目散に駆けていった。

 

「それでニーナさん、どうやります?」

 

 僕はニーナさんのそばまで来てからそう訊いた。『魔風神官(プリースト)』には絶対訊かない。だって、怖いし。

 

「そうだね~。とりあえず時間差をつけて順番に呪文を放つってことで」

 

「了解です」

 

 言って僕は呪文を唱え始める。他の二人は呪文の詠唱をせずとも術を放てるが、人間という器に縛られている僕には、それは到底出来ない芸当だ。

 

 まず『魔風神官(プリースト)』が両の掌をダークマターに向けた。

 

「じゃあ一番手。――はっ!」

 

 その掌からは風の塊が放たれる。風である以上僕には当然見えないのだけれど、生じる風圧を感じ取ることでそれが放たれたことは分かった。

 

 これはおそらく、精神や物体に接触すると破裂する風の塊を放つ術、<魔風破弾撃(シルフェ・ブリッド)>だろう。

 <魔風破弾撃(シルフェ・ブリッド)>は彼女の主である『魔風王(ダーク・ウインド)』シルフェスの力を借りて放つ術だから、『魔風神官(プリースト)』なら呪文の詠唱はおろか、『呪文の名』を口にする必要もなく放てるに違いない。だって、それって結局、人間でいうところのパンチやキックと同じだから。実際、人間がそういったことをするときに『パンチ!』とか言わなくてもまったく問題ないし。……まあ、言う人だっているだろうけど。

 

 ともあれ、『魔風神官(プリースト)』の放った術はダークマターの進行方向の地面をうがった。なかなかハデな音をさせて地面が砕ける。

 足止めにはなってるんだろうけど、あとあと修理する人は大変だろうなぁ……。ああ、そういえばファルカスさんの破壊した街道はいつ直るんだろう……。あそこの管理はカノン・シティの魔道学会がやってるし、そこの副会長である父さんも関わることになるんだろうなぁ……。そうでなくても放ってはおけないだろうけど――。

 

光明球(ライトニング)っ!」

 

「ぐおっ!?」

 

 ダークマターの目の前に煌々(こうこう)と輝く魔法の明かりを放つニーナさん。

 夜の闇に慣れているダークマターの目には効果絶大だったようだ。おそらく目を()かれて視界にはなにも捉えられなくなったことだろう。

 しかし――。

 

『しょぼっ!』

 

 期せずして僕と『魔風神官(プリースト)』の声がハモった。

 ……って、しまった! ニーナさんにツッコんだせいで、つい呪文の詠唱を中断しちゃった! 急いで呪文を唱えなおさないと……。と、待てよ。いま唱えてたものよりこっちのほうが……。

 

 まあ、それはともかく……、しょぼいだろ、これ。

 

 <光明球(ライトニング)>には殺傷能力がまったくない。ただ光り輝く光球を放つだけの術だ。

 そしてこの術はこの状況では確かに有効だろう。

 それでも、『界王(ワイズマン)』が使う術としては、なんだか相応しくないような気がする、というかなんというか……。

 

 僕たちの発した言葉を聞きとがめてか、ニーナさんがわめく。

 

「しょうがないでしょ! 魔法力が残り少ないんだから! それにしょぼくなんかないよ! もっとも効率的な方法だよ! ちょっと! シルフィードはともかく、なんでマルツくんまでなにも返してくれないのさ!」

 

 いや、僕は急いで呪文を唱え直しているからニーナさんの言葉に返せないだけなんだけど……。

 

 さてさて、この状況で効果的な術はというと、地の精霊の力を借りて地面を蛇の如くうねらせ、相手の動きを封じる術――<地蛇意操(アース・サラウンド)>が挙げられる。でも僕はこの術を使えないし、仮に使えたとしても使おうとは思わない。相手が『闇を抱く存在(ダークマター)』――精神生命体である以上、どれだけ地面をうねらせて動きを封じようとしても、実体化を解いて無効化する、というテを使われる可能性があるからだ。無効化される可能性が高いのにそれを使うほど僕は無能じゃない。

 

 なのでここで使う呪文は――。

 

不均衡音波(クラッシュ・ノイズ)!」

 

 これにした。

 

 ――<不均衡音波(クラッシュ・ノイズ)>。

 

 相手の神経をマヒさせる音波を放つ精神魔術――ちなみに黒魔術――だ。これをモロにくらえば一定時間は思うとおりに動けなくなる。ちょうどいまダークマターがそうなっているように。

 

 もっともこの術は、かなり風の精霊魔術に近いものがあり、それだけに耳らしきものが見当たらないダークマターに効くかどうか少しばかり不安があったのだけれど、どうやら問題なく効いたらしい。まあ、目があるから<光明球(ライトニング)>の光を眩しく感じたんだから、これも多分効くだろうと思ってやったんだけれど。

 

 実は最初は<黒妖崩滅波(ブラム・ストラッシュ)>を撃とうとしたんだけれど、ニーナさんにツッコんで詠唱を中断したときに使う呪文を変えてみた。それがこれなのだ。

 

 しかし、ここは僕の住んでいた世界ではない。ついさっきまで『蒼き惑星(ラズライト)』で戦っていたものだから、その感覚で<不均衡音波(クラッシュ・ノイズ)>を使ったのだけれど、はたしていつまでその効果が持続するか――。

 そんな心配が脳裏をよぎったそのときだった。

 

「――ハッ!」

 

 鈴音さんの気合いを入れる声。続いてバリッと乾いた音がする。

 それと同時にダークマターのその人型の輪郭は、曖昧なものへとなっていった。

 

「――なっ……!?」

 

 驚愕の声をあげるダークマターから黒いなにかが飛び出てくる。……あれは、一体……?

 

「悪霊を引き剥がしたわよ! あとはもう一度ダークマターが取り込む前にあの悪霊を除霊しないと――」

 

 鈴音さんが言い終えるよりも早く、

 

精神裂槍(ホーリー・ランス)っ!」

 

 ニーナさんの放った蒼白く輝く槍が悪霊とかいうのを直撃、消滅させる。

 

「い……、いま、なにを……?」

 

 目を丸くして尋ねる鈴音さん。ニーナさんは鈴音さんの近くまで空間を渡って移動すると、それに答えた。

 

「ボクの魔法力を使い切っちゃった感じだけどね。あの悪霊を倒しておいた」

 

「いや、だからどうやって……? 霊をどうにかするには精神干渉で説得するか、不快感を与えるくらいしかできないはずで、あんな風に『倒す』なんてこと――」

 

「あれも一種の精神干渉だよ。鈴音さんのやった『不快感を与える』っていうのに近いかな。『霊の精神を引き裂く』という干渉をしたんだよ」

 

「それって……、成仏させたんじゃなくて……」

 

「そう。消滅――世界そのものから消し去ったの。もちろん成仏させるための『浄化』の術も存在するけど、あれは魔法力を多く使うからねぇ。今回は使えなかったんだ。それにこれが一番手っ取り早い倒し方だしね」

 

 なぜか絶句している鈴音さん。しばしして彼女の口にした言葉には、驚くべきことに少し非難が込もっていた。

 

「ニーナさん。悪霊だって成仏すれば転生(てんせい)して――」

 

 ニーナさんはうんざりした表情になって鈴音さんのセリフをさえぎる。

 

「それよりも、ダークマターをなんとかするほうが先じゃない? まだ滅びたわけじゃないんだし……」

 

 見るとダークマターは確かにまだ滅びていなかった。明確な殺意が、おそらくはケイに向けて発せられている。

 

「まだだ……。まだ我は滅びん……。我はまだ在り続ける……。世界を滅ぼすその瞬間(とき)まで在り続ける……」

 

 そこに冷淡な声が浴びせられた。ケイの声だった。

 

「――いい加減にしろよ」

 

 その表情を見る。明らかに怒っている表情だった。なにか、大切な物を傷つけられそうになった者の――なにかを護りきれなかった自分に対する怒りを覚えている者の表情だった。

 

「滅びたい、死にたいっていうなら止めないさ。それを止める権利なんて誰も持ってない。生きたい、在り続けたいと思うのも勝手だ。それは正常な思考だ。でもな――」

 

「黙れ! 小僧!」

 

 ――ちょっ……! 本当に黙ったほうがいいって! ケイ!

 

「誰かを傷つけたいから生きたいなんてのは、死にたいっていうのよりもっと悪い。はっきり言って最低だ!」

 

「黙れと言っている!」

 

 残り少ないと思われる魔法力を消費して黒い波動を放つダークマター。

 

「蛍!」

 

 鈴音さんの悲痛な声が夜の街にこだまする。

 

 しかし、僕たちが目を背けるその前に、波動はケイの身体を直撃する直前でわずかに逸れた。

 

「な……?」

 

 思わず、といった感じで声を洩らすダークマター。波動はケイのアパートのほうに飛んでいき、壁に当たるとなにを破壊するでもなく霧散した。

 勢いで、なのか、一息にダークマターと距離を詰めるケイ。そして、僕に向かって叫ぶ。

 

「マルツ! こっちに<呪霊撃滅波(ソウル・ブラスター)>を撃ってくれ!」

 

「は!? ケイ、一体なにを考えて――」

 

「いいから、早く!」

 

 僕はその声に急かされて早口で呪文を唱えた。

 

 再び黒い波動を放とうとするダークマター。

 

 それをケイはまばたきもせずに、冷ややかな瞳で見るともなしに眺めている。

 

 そして――僕の呪文が完成した。

 

呪霊撃滅波(ソウル・ブラスター)っ!」

 

 ダークマターのほうに向かって放つ!

 

 けど『霊王(ソウル・マスター)』の力を借りたあの術はケイの能力効果範囲に入った途端、物質化してしまう。ケイはそれを知っているはずだ。

 

 一体、どうするつもりなんだ? ケイ。



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第十八話 再会、共闘、人間、魔族(後編)

○神無鈴音サイド

 

 

 マルツさんの放った<呪霊撃滅波(ソウル・ブラスター)>が一本の細長い棒と化した。蛍の『霊体物質化能力』の効果範囲に入って。

 そしてその蒼白く輝く棒を顔をしかめつつ拾う蛍。

 

「なにしてるんだよ! ケイ! そんなのに直接触れたら、死ぬ――とまではいかないまでも、精神力をごっそり奪われるぞ! いや、それだけじゃない! 物質化してるんだから、肉体にもダメージがあるはずだ! 早く離せ!」

 

 しかし蛍はマルツさんの叫びにも似た声を無視して、まるで剣を構えるかのように両手で細長い棒を――物質化した<呪霊撃滅波(ソウル・ブラスター)>を握った。

 

 彼の表情が苦しそうに歪む。

 早く手放したほうがいいと思われるが、私は蛍の考えをおぼろげながらも理解し始めていた。

 

 いまの蛍は多少なりとも霊力を消費しているため、普通に武器を創ったところで、それの持つ威力はダークマターに致命傷を与えられるほどのものにはならない。

 しかしダークマターをこのまま放っておくわけにはいかないし、なによりもそれは蛍自身がしたくないのだろう。

 

 かといって彼の場合、霊力を過剰に使用すれば植物人間状態になりかねない。

 

 だから、蛍は考えたのだろう。霊力を過剰使用せずに済む方法を。

 

「死ね! 理力を持ちし者!」

 

 分厚いガラス越しに見ているときのように、歪んだ姿の黒い影が自分の身体と同色の波動を蛍に放つ。

 

 しかし、それはまたも蛍の身体に当たる直前で不自然に軌道を変えた。

 

「また!?」

 

「そんなことが……」

 

 驚きの声をあげるニーナさんとシルフィードさん。

 私も驚いてはいた。別に蛍があの棒でなにかをしたようには見えなかったから。

 

「死ね、死ねってうるさいな……。誰にだって死ぬ権利こそあっても、殺す権利はないだろ……」

 

 マルツさんが言っていたように、あの棒に精神力を奪われているのだろうか。蛍の声には少し力がなかった。

 

 けれど蛍は手にした棒を振りかぶり――、

 

「まあ、よくいるけどさ……。そこを誤解してるヤツは……。――よっ!」

 

 ダークマターに向けて叩きつけた!

 

「――ぐあぁぁぁぁっ!?」

 

 響き渡るダークマターの苦鳴。いや、絶叫。

 

 残っていた蛍の霊力だけでは大してダメージは与えられなかったに違いない。けれど、蛍はその残った霊力だけでダークマターを倒せるだけの威力を出す方法を考えだした。

 

 おそらくそれは、あの棒に自分の霊力を込める、というものなのだろう。そうすれば武器の形を創るための霊力を、攻撃するためのエネルギーにまわせ、武器の姿を形作るときに使用していた霊力のぶんだけ、ダークマターに与えるダメージを増やすことができる。

 

 しかもそれだけじゃない。これは彼自身もあとから気づいたことかもしれないけど、蛍が霊力を込めるのに使用しているあの棒は物質化した<呪霊撃滅波(ソウル・ブラスター)>だ。よってダークマターは、必然的に蛍が棒に込めた霊力によるダメージと<呪霊撃滅波(ソウル・ブラスター)>が直撃したぶんのダメージを同時に受けることになる。これを受けてなんともないということは、まず、ないだろう。『力』のほとんどである悪霊を私が引き剥がしているんだから、なおさら。

 

「こんなことがっ……!?」

 

 自分の身に起きたことがまだ信じられないようにそう呟くと、ダークマターのその身体は、ざあっ、という音とともに崩れ去った。

 

 それが――『闇を抱く存在(ダークマター)の欠片』の最期だった――のだろう。多分。

 

○同時刻 アメリカ某所

 

 

 スピカはシリウスの部屋の前まで来ると、少し乱暴にそのドアをノックした。

 

「どうぞ~」

 

 部屋の中から聞こえてくるのは、どこか気の抜けた声。

 

「お爺様に念を押されましたので、報告に参りました」

 

 ドアを開けながらのスピカの声はシリウスのものと違って、どこか厳しい。例え仕事のときであっても適度に気を抜いていたほうが、実は成功を収めやすいのだが、彼女はまだそれを知らない。

 

「スピカか。また怒ったような顔をして。年中それじゃ疲れないか?」

 

 ベッドに寝転がっていた身を起こしつつ、青年がスピカのほうに顔を向けた。

 

 腰くらいまである金髪は、スピカ同様かるくウェーブがかかっている。

 瞳の色もやはり彼女と同じ鮮やかな青。

 スピカの兄、シリウス・フィッツマイヤー。二十一歳の好青年である。もっとも、お気楽を絵に描いたような緩んだ笑みをその顔に貼りつけていなければ、だが。

 

 そのお気楽な表情がスピカはどうも気に障って仕方がなかった。

 

 この兄は毎度この調子だというのに祖父、レグルスから厚い信頼を得ているのだ。

 むしろシリウスのその態度こそがレグルスの信頼を得ている最大の理由なのだと知らないスピカの声には、自然と険が込もる。

 

「特に疲れは感じませんわ。わたくしが疲れているように見えるのなら、お兄様の視力に問題があるのでは?」

 

 早くもケンカ腰である。

 しかし動じることなくシリウスはそれに応じた。スピカのその態度はいつものことだからである。この兄妹も昔は仲が良かったのだが、祖父に信頼されているシリウスへの劣等感やその他もろもろの理由から、スピカはいつからか兄に冷たくあたるようになっていた。

 

「俺の視力に問題が、か。それは盲点だったな。けどそれで俺が困ることも、いまのところ特にないしな。放っておいてもいいか。――で、報告ってなんだ? 日本の首都辺りで起きている四つの『歪み』のことか?――あ、いま三つに減ったな」

 

 既に『歪み』のことは察知していたらしい。それもレグルスもスピカも察知しなかったそれの数まで、おそらくは正確に。

 

 シリウスはフィッツマイヤー家の中でもトップクラスの霊能力者だった。

 

「……そのことですわ。その件、わたくしに解決が命じられましたので、一応ご報告に」

 

「おいおい、じーさんがよく許したな。……本当にお前ひとりで大丈夫か?」

 

 早く会話を終わらせたいので手短に告げたスピカに、シリウスはそう尋ねる。もちろんその言葉は本当にスピカの身を案じてのものだったのだが、シリウスに劣等感を抱いているスピカには単にバカにされたようにしか感じなかった。……あるいは、案じるシリウスの声に真剣みが皆無だったのも、彼女がそう感じた理由のひとつかも知れない。

 

「問題ありません! それでは!」

 

 言ってバタンとドアを閉めるスピカ。

 

「そんな勢いで閉めたらドア壊れるだろうに……。――しっかし、本当に大丈夫かよ……」

 

 シリウスは唐突に表情を引き締めると、今度は真剣な口調でそう呟いた。普段からこうならスピカの対応も、もう少し違うものになっていることだろう。

 彼はひとつ嘆息すると、再びベッドに寝転がる。

 

「まあ、なかなか帰って来ないようだったら俺も日本に飛ぶとするかね」

 

 軽い口調で言って、シリウスはより表情を引き締めたのだった――。

 

○式見蛍サイド

 

 

 手にしていた蒼白い棒を能力範囲外に放り捨てる。するとそれは物質化を解かれて近くの壁に直進し、直撃。一瞬にして消滅した。

 

 物質化させた<呪霊撃滅波(ソウル・ブラスター)>に僕の霊力を注ぎ込み、ダークマターを思いっきりぶっ叩く――。

 

 やるまでは多少不安があったものの、やってみればそれはあっという間のことだった。

 

 ただひとつ、まだ不安があるとすれば――。

 

「……空間を渡って逃げたんじゃないだろうな、ダークマター……」

 

 それに答える声があった。数時間前に自分の世界に帰っていったハズだったヤツの声。

 

「それは多分ないと思う。魔力が細切れになって消えていったから」

 

 そっちを見ると、ムスッとしているマルツと目が合った。なんか、『闇を抱く存在(ダークマター)』と対峙していたときよりもずっと怖い。

 

「それよりもケイ。両の手、見てみなよ」

 

「両手?」

 

 言われたとおりにして――後悔した。

 

 あまり詳しく表現したくはないのだけれど、両手がかなり控えめに言っても、ものすごいことになっていた。

 思わず血の気が引く。同時に、さっきまで大して痛くなかった両手にいまになって激痛が走った。まあ、さっきまであまり痛くなかったのは、感情が(たかぶ)っていたからなのだろうけれど。

 

「っ~~~~!!」

 

 声にならない悲鳴をあげる僕。

 そんな僕の両手に手をかざしてマルツがなにやらブツブツと呟いた。

 

 少しの間があって。

 

復活術(リスト・レーション)

 

 僕の両手にじんわりと温かい光が当てられる。その光をボンヤリと眺めていると、光が当たっているところの痛みが少しずつ薄れていくのに気づいた。これって、ひょっとして……。

 

「RPGでよくある『回復魔法』ってやつか?」

 

「そうだよ。精神魔術系統の白魔術――上級回復呪文の<復活術(リスト・レーション)>。……本当は神界術に<神の祝福(ラズラ・ヒール)>っていう高位の回復呪文があるんだけれど、あいにく僕には使えなくって……。まあ、そんなわけで僕にはこれが精一杯なんだ。悪いな」

 

「いや、悪いなんて……。助かるよ。本当」

 

 それは僕の本心だった。大体、マルツの言うことを聞かずにあの棒を使い続ける、なんていう自業自得なことをやっておいて、それで負った大ケガをマルツに治してもらってるんだ。それでマルツに文句なんて言ったら冗談抜きでバチがあたるだろう。

 

 それからしばし他愛のない会話をしながら、僕の両手が完治するまでマルツは回復呪文をかけ続けてくれた。……ふむ。RPGとかだと一瞬で治ってるように感じるけど、やっぱり本当の回復魔法っていうのはそういうものではないんだな。きっと鈴音が話をしつつも集中を切らさずにいたように、マルツもまた、僕としゃべりながらも精神集中を切らさないよう絶えず気を張っているのだろう。

 

「ほい。これで完治」

 

 マルツは両の掌をパンパンと打ち鳴らした。すると僕が完治するのを待っていたかのようにシルフィードが口を開いた。いや、間違いなく待っていたのだろう。

 

「さて、じゃあ私はそろそろお(いとま)させてもらうわ。じゃあね、ケイ。また会うときまで」

 

 言って彼女は僕にウインクを飛ばしてきた。

 

「シルフィードさんっ!」

 

 鈴音がなぜか怒ったような声を出す。シルフィードはそれを意に介した風もなく、僕たちに背を向けて歩きだした。

 そのまま歩き去るかと思いきや、数歩歩いたところでそのうしろ姿は夜の闇にスッと溶け消える。

 

 どうやら、間違いなく終わったらしい。シルフィードの『また会うときまで』が気にならないと言えば嘘になるけれど。

 

「……まだ不安は残るけど、とりあえず『魔風神官(プリースト)』は安全と見ていいのかな……? まあ、ならもう帰っても平気か」

 

 そんなことを呟くマルツ。……って、帰る……?

 

「お前、もう自分の世界に帰るのか?」

 

 確かにそう言っていたのに、思わず問う。

 

「え? うん。問題はあらかた片付いたようだし、僕自身の心も納得したし。師匠からも言われたからね。納得できるかたちで帰って来いって。――あ、そういえば師匠、結局来なかったな。まあ、僕たちだけで割とあっさり倒せちゃったもんな。――じゃあね、ケイ。元気で」

 

 僕はその言葉に、しかし寂しさなんて微塵も感じなかった。それよりも、困った感情のほうが湧いてくる。だって、さあ……。

 

 僕の戸惑いをどういう風に受け取ったのか、マルツは一度僕を安心させるように大きくうなずくと、ニーナのほうに向いた。

 

「ニーナさん。『刻の扉』をお願いします。師匠たちも待ってるでしょうから」

 

 その言葉に辺りの空気が凍りつく。ニーナはニーナでダラダラと汗を流し始めた。

 

「ええっとね……。創れないんだよ、『刻の扉』。魔法力が足りなくて……」

 

「ええっ!? やっと現状に納得できたのに!」

 

「ええと……、ほら、まあ、その……。良かったじゃん。ケイくんたちとまだ別れずにすんで」

 

「それはそうかもしれませんけど、なんか複雑!」

 

 なんだか不毛な会話になりそうだったので、僕が口を挟む。

 

「まあ、いいじゃないか。お前はともかく、ニーナはこの世界の歪みをなんとかするために来たんだろ? ならそれを手伝ってやれよ、マルツ。『刻の扉』だってそのうちまた創れるようになるらしいし」

 

「確かにそういう大義名分があるのは嬉しいけど……。で、ニーナさん。また『刻の扉』を創れるようになるまでどれくらいかかります?」

 

「う~ん……。一週間くらい、かな。――でも世界の歪みを引き起こしている張本人に言われるのは、正直、釈然としないなぁ……」

 

 僕にも自覚はあった。

 マルツが僕のほうへと視線を移す。

 

「じゃあ、また帰れるようになるまで同居してていいかな?」

 

「ああ、もちろん」

 

 即答。断る理由なんてなかった。どうやら僕はコイツのことを『大切な人』と思い始めているようだから。

 

「ボクはこの世界の大気と同化して待機することにするよ」

 

 言ったニーナのほうを見ると、なんだか『上手いことを言った』とでも言いたげな表情をしていた。おそらくは『大気』と『待機』をかけたのだろう。なぜかは分からないけれど、吹く風が急に寒くなったような気がした。まだ夏になったかならないか、という季節だというのに。

 

「……ええと、この世界の大気、すごく溶け込みやすいんだよね。なぜかは分からないけど」

 

 弁解するようにそんなことを言うニーナ。誰も訊いてないんだけどな、そんなこと。

 

 彼女はとうとういたたまれなくなったのか、

 

「……じゃあ、またねっ!」

 

 それだけ残してニーナの姿が掻き消える。

 

 僕たちは視線を交わしあって今回のことが終わったことを実感すると、五人揃って大きく嘆息した。先輩が嘆息するところを見るのは妙に新鮮だな、とか思いながら――。



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第十九話 そして、はじまる。

○???サイド

 

 

 この世界の大気に含まれている魔力が少しばかり濃度を増した。

 『闇を抱く存在(ダークマター)の欠片』が滅びるのと時を同じくして。

 

 二つの世界の境界がさらに曖昧になり、魔力の濃度の濃い『蒼き惑星(ラズライト)』の大気が地球の大気に混じり始めたのだろう。このまま放っておけば、あるいは世界そのものが混じりあい、ひとつになってしまうのかもしれない。

 

 しかし、一体なにが引き金となったのだろう。

 

 ダークマターが滅びたことだろうか。

 

 それとも、式見蛍の持つ能力によって――?

 

 ――そう。式見蛍の能力だ。あの能力(ちから)――理力(りりょく)がなんらかの原因にはなっているのだろう。

 

 しかし、彼の持つ理力と世界の歪みにどんな関連性が――?

 

 ……いや、それを私が考える必要はないだろう。それは『聖戦士』たちや『界王(ワイズマン)』のすることだ。

 そう。私が考えるべきは、彼の価値のことだ。

 

 今回の事件で、彼は私の想像していた以上の『力』を見せてくれた。あれなら私の助けがなくても、ダークマターを倒せていたことだろう。

 

 ――私は一度、放棄しようとした。彼の価値を見極めることを。

 

 思ってしまった。彼を失いたくない、と。――しかし、あれほどの『力』を見せてくれたのなら、もう躊躇(ちゅうちょ)することはない。彼らは間違いなく私を楽しませてくれることだろう。さて――。

 

 起こすとしよう。彼らのための事件を。

 

 与えるとしよう。彼らの活躍の場を。

 

 その結果、彼らがどうなるか、世界がどうなるか、そして私がどうなるか、まったく予想はつかないけれど。

 

 あるいは、あのとき『界王(ワイズマン)』が言ったように、私はただ自分に言い訳をして自身の『救い』にちょっかいを出して、関わりたがっているだけなのかもしれないけれど。

 

 ――決断は、もう終えた。

 

 さあ、この私――『魔風神官(プリースト)』シルフィード、暗躍のときだ――。

 

○神無鈴音サイド

 

 

 あれから蛍のアパートの前で蛍たちと別れ、私は真儀瑠先輩と二人で最寄りの駅へと向かい、電車に乗った。

 自分の家にほど近い駅で電車が止まると、先輩に「じゃあ」とだけ告げて、電車を降りて自宅を目指す。

 

 その少女と出会ったのはその帰路の途中だった。

 

 年の頃は私と同じ十六歳くらいだろうか。

 背中に流されているまっすぐな黒髪に、不安げな色を宿した黒い瞳。

 身に(まと)うちょっと変わったデザインの白いワンピースが夜の闇に映えている。

 

 美少女、という表現がぴったりと当てはまる少女だった。

 

 声をかけてきたのはその少女のほうから。どこか、おどおどとした表情で。

 

「あの……、すみません。ここは、どこでしょうか……?」

 

 どうやら道に迷ったようだった。私は電車から降りた駅の名を挙げ、その付近だとつけ加える。

 しかし彼女はそれに困ったように首を傾げ、

 

「すみません……、聞き覚えがなくて……。あの、じゃあ……、あなたの名前は……?」

 

 変な質問だな、と思いはしたものの、

 

「私は神無鈴音って言うんだけど、あなたは?」

 

 本当に軽い気持ちで私は少女に名を訊き返した。しかし彼女はその質問に本格的に困った表情に――というか、泣き出しそうな表情になった。

 

「分からないんです。私は、誰なのか……」

 

「それって、もしかして……」

 

 私は思わず息を呑む。

 この少女は記憶喪失なのではないだろうか、と思いあたって。

 

 不安なのだろう。とうとう少女は泣き出してしまった。涙の滴が地面に落ちる。

 

「お、落ち着いて。とりあえず、私の家に……」

 

 私の言葉にうなずく彼女。私はそれを確認すると少女の手を引いて歩きだした。彼女はしゃくりあげながらではあったけれど、ちゃんとついてきてくれた。とりあえず、私の家で落ち着いて話を聞く必要があるだろう。放っておくという選択肢は、私の中には存在しなかった。

 

 歩きながら、ふと思う。

 記憶喪失の女の子を拾ってしまうなんて、まるで蛍みたいだな、と。でも、彼が同じ立場に立たされても、結局はこうするんだろうなぁ。

 

 なんとなく、蛍がユウさんと同居している理由が分かったような気がして、こんなときに不謹慎(ふきんしん)とは思いつつも、私は小さく笑った。

 

 

 

 ――『プロローグ 風のはじまる場所』―― 閉幕



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第一章 自分の意味は
第一話 聖なる侵入


○サーラ・クリスメントサイド

 

 

 あれから――下級魔族フィーアを倒してから時間が経過すること丸一日以上。

 わたしの魔法力が完全に回復するまでなんて待てない、とニーネちゃんに頼んで作ってもらった『刻の扉』でわたしは弟子――マルツ・デラードが向かった(はずの)地へとやって来ていた――のだけれど……。

 

「ここ、どこ……?」

 

 本当、ここはどこだろう?

 とりあえず近くの建物に入ってみることにしたけど……。

 

 いや、そもそも。

 どうして『闇を抱く存在(ダークマター)』の強大な魔力が感じられないのだろう。

 まさか、マルツと弱体化したニーナちゃんだけで倒せるとも思えないし……。

 

 ……まさか、ね。

 

 う~ん……。最悪の事態になっていたらどうしよう……。

 とりあえず、ここはどの大陸にある街なのか確かめないと。

 建物の構造から察するに、ルアード大陸だろうか。それともカータリス大陸? あるいはドルラシア大陸?

 

 エルフィー大陸……ということはないだろう。ここがエルフィー大陸ならもっと緑があるはずだし。

 わたしの住んでいた地、リューシャー大陸だということもないだろう。

 だって、こんな構造の建物、わたしの住んでいた大陸では見たことないし。

 

「う~ん……」

 

 少し考え込んだのち、手近にあった本を手にとって開いてみる。

 幸い、それは地図のようだった。もっとも、どの大陸が私の住んでいたところなのかも分からなかったけれど……。

 

 ああ、マルツ。出来の悪い師匠でゴメンね……。

 わたしはそんなことを思いつつ、途方に暮れて立ち尽くすのだった。

 

○式見蛍サイド

 

 

 思いっきり非日常な存在と対峙し、勝利した翌日の朝。

 そこにはなんの変哲もない、普通の日曜の――休日の朝の光景があった。

 

「ふわぁ……。しかしマルツ、お前もよく食べるよな……」

 

「当然! 魔法力を回復させる一番ポピュラーな方法は『よく食べ、よく休む』だからね!」

 

 朝も早くからハイテンションにそう告げてきたのは、同居している浮遊霊のユウ――ではなく、同じく同居人(いや、居候か?)のマルツ・デラードだった。今日も緑色の髪が印象的だなぁ……。栗を連想させる髪型をしているものだから、なおさらに。本人、髪形を変える気、ないのかな……?

 食パンにバターを塗りながら、そんなことを考える僕。

 

 それにしてもマルツ、食べるのが本当に早い。ユウも負けじと食べるものだから、もしかしたら八枚入りの食パンじゃ足らないかもしれない。

 

 なんとなく会話が途切れる。

 僕はあくびをかみ殺すと、リモコンを操作してテレビをつけた。

 

『――で、四十二歳くらいの男性のものと思われる遺体が発見されました。遺体は両腕が切断されており――』

 

 テレビの中では、男のキャスターが淡々と物騒なニュースを読みあげていた。しかも現場はここから近いときたもんだ。

 そうしたからどうなるってわけでもないけど、すぐにチャンネルを変える僕。

 

「割と物騒だなぁ、この世界も。まあ、僕の世界はもっと物騒だけど」

 

 得意げに言うマルツ。いや、そこは得意げに言うところじゃないだろう。物騒なことなんて起こらないにこしたことないんだから。

 

「昨日帰ったら、早速モンスターやら魔族やらと戦うハメになったもんな。いや~、本当、大変だった」

 

「いや、それ聞いたから。昨日からもう五回くらい聞いたから」

 

「でも本当に大変だったんだぞ。魔法力もかなり消費したし。――というわけで、もっとパンをプリーズ!」

 

「ないよ。お前とユウとで全部食べちゃったよ。僕なんか一枚しか食べてないよ。いまバター塗ってるの含めて二枚しか食べられないよ」

 

「じゃあそのケイの食パンを僕にプリーズ!」

 

「イ・ヤ・だ!」

 

「なんだよ、ケチー。じゃあなにか別のものを――」

 

「それもないよ! 冷蔵庫ほとんど空なんだよ!」

 

「ええー! ケイの甲斐性なしー!」

 

「ユウ! どさくさに紛れて理不尽なこと言うんじゃない!」

 

 ……はあはあ。まったく、なんで僕は朝っぱらからこんな大声出してるんだ……。

 

「とりあえず、そんなわけで今日は買い物しないとな」

 

「私が言うのもいまさらだけどさ。ケイって所帯じみてるよね~」

 

「うるさいな、ユウ。――そんなわけでマルツ。お前、荷物持ち――」

 

「ごめん。僕、今日はパス。魔法力の回復に努めないと」

 

「それって要するに、今日は一日ダラダラと過ごすってことだよな!?」

 

「うん。ケイ正解~。賞品としてユウとの一日デート権を差し上げま~す。あ、もちろん買い物ついでに」

 

「いらないよ! それにお前――」

 

「ちょっとケイ! いらないってどういうこと!?」

 

「お前はちょっと黙ってろ! ユウ! 話がまったく進まなくなる!」

 

「む~!」

 

「で、マルツ。お前、『今日はパス』とか言ってるけど、こっちの世界に来てから一度だって荷物持ちなんてしたことないだろ!?」

 

「うん。魔法力が回復したら荷物持ちデビューすることにするよ。だから今日はユウとの一日デート権、ありがたく受け取っておきなって。そしてそのパン僕に渡しなって」

 

「誰が渡すか!」

 

 僕は怒鳴ってパンを口の中に放り込んだ。「あ~!!」と泣きそうな声を洩らすマルツ。……勝利。

 

 僕は「ごちそうさま」と手を合わせると、ささやかな勝利感を胸に食器を片づけ、そのまま買い出しに出かけることにした。

 

「あ、テレビ見なかったら消しといてくれよ。マルツ」

 

「……うん。分かった」

 

 素直なものだった。あるいは僕と言い合いしても勝てないと理解したのかもしれない。

 

「じゃあ、行くぞ」

 

 靴をはきながらユウに声をかける。

 彼女がついてくるのを確認すると、僕はアパートを出た。

 

 はて? なにか忘れてるような……?

 

 

 

 

 荷物持ちのことを上手い具合に流されたと気づけたのは、街に繰り出してからのことだった。……しまった。パンに気をとられてたからだ。やられた……。

 

○同時刻 蒼き惑星(ラズライト)

 

 

「ん……」

 

 魔道学会カノン・シティ支部にある一室で。

 

「ふあぁ~。よく寝た~」

 

 ファルカス・ラック・アトールはのんきにあくびを洩らしてベッドから起きあがった。

 緊張感がないことこの上ない表情だった。シリウス・フィッツマイヤーといい勝負かもしれない。

 

 しかし、『よく寝た』とはいえ、窓から差し込んでくる太陽の光の角度の変化から推測するに、おそらくサーラの出発を見送ってから二時間と経っていないだろう。

 それでも、緊張感を完全に解いて眠ることの出来る時間は貴重だった。

 フィーアと戦った際の消耗が激しかったのだから、なおのこと。

 

「サーラのヤツ、ちゃんとやれてるかな……」

 

 当然だが、『闇を抱く存在(ダークマター)』と戦おうとしているサーラとマルツのことが心配でないといえば嘘になる。しかし、ファルカスは心配する以上にサーラを信頼していた。だから自分は身体を休め、回復させることに専念していたのだ。

 しばしベッドの上でボンヤリしていると、外からなにやら声が聞こえた。

 

「――まさか……」

 

 モンスターの襲撃だろうか、とファルカスは一瞬身を固くしたものの、しかし、それにしては少し妙だった。

 なんというか、混乱しているようではあるが、命の危険を感じている声ではないのだ。

 怪訝に思い、部屋を出るファルカス。

 

「――やあ」

 

 廊下で温厚そうな中年がこちらに向かって手を振り、声をかけてきた。マルツの父、ブライツ・デラードである。

 彼はこの魔道学会カノン・シティ支部の副会長であると同時に、腕のいい魔法医でもある。ファルカスもよく世話になっていた。

 

「ファルカス君。もう起きて大丈夫なのかい?」

 

 ファルカスはつい反射的に顔をしかめる。街道を壊した件で散々叱られたのだ。

 

「まあ、ケガは完治してたからな。ただダルかっただけで。それより外で一体なにが――」

 

 ファルカスの言葉は途中でブライツに遮られる。

 

「なんともおかしなことが起こってるよ。みんな、パニックに陥ってる」

 

「?」

 

 わけが分からず首をかしげるファルカス。

 

「とにかく、外に出て自分で見てみたほうがいい。あれを言葉で説明するのは難しいから……」

 

「――? ああ、分かった」

 

 芸のない返事をして彼は外への扉へと急いだ。その背にブライツの冗談混じりの言葉がかけられる。

 

「あれを見て君までパニックを起こさないでくれよ。それと、廊下は静かに!」

 

 もちろんファルカスは走るのをやめはしなかった。

 

 ◆  ◆  ◆

 

 皆が空を見上げている。

 ファルカスもそれにならうように空に視線をやった。

 

 そして――彼は異常に気づいた。

 

「――なんだ……? あの大陸は……」

 

 空には大陸が浮かんでいた。まるで水面(みなも)に映った虚像のような、いくつもの巨大な大陸。いまにも落ちてくるのでは、とさえ思える。

 

 ファルカスを初めとする『蒼き惑星(ラズライト)』の人間たちには分かるはずもなかったが、その大陸は、地球にある大陸そのままだった。

 

「……おい。一体なにが起こったっていうんだ……?」

 

 呆然と――。

 

 自分でも意識せずに――。

 

 ファルカスは空に向かって、そんな言葉を呟いていた――。

 

 

 

 ――『第一章 自分の意味は』―― 開幕



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第二話 邂逅(前編)

○???サイド

 

 

 式見蛍の能力(ちから)が少しずつ――しかし、確実に大きく、広くなっていく。

 

 そう。私の望んだ、その通りに。

 『闇を抱く存在(ダークマター)』との戦いは間違いなく彼を『成長』させたようだ。

 

 しかし、これではまだ駄目だ。

 このままでは彼の能力が二つの世界を影響下に置く前に、彼が死を迎えてしまう。

 式見蛍には一刻も早く『成長』してもらわなければ。

 『彼女』との邂逅(かいこう)を回避させることは不可能なようだから、なおのこと。

 

 ――しかし、どうやったものか。

 

 ……ふむ。魔風神官(プリースト)シルフィードに協力してもらうのは当然として、それ以上のなにかを……。

 

 『フィッツマイヤー家』や『九樹宮(くきみや)家』にも協力してもらうか。幸いフィッツマイヤー家は既に動いていることだし。

 さて、あとは――。

 

 『神無家』――だな。式見蛍になるべく近しい者に協力してもらうとしよう。

 まあ、私が彼女らに頼んで『協力』してもらう、というわけでは無論ないが。

 

 さて――方針は決まった。

 まず接触を持つべき相手は――あの少女、か。

 

○式見蛍サイド

 

 

 スーパーで買い物を終えて、ちょっとその辺りのコンビニに入ることにする。そういえばマルツ、以前起こったコンビニ強盗事件のとき、一体どういうとばっちりを食らったのか、コンビニでのバイトをクビになっていた。……気の滅入る話だ。家計も圧迫するし。……はぁ、死にてぇ。

 

 ちなみに荷物は全部僕が持っている。……いや、だって、他人から見えないユウが持っていたら、荷物が宙を浮いているように見えるだろうし、そもそも僕自身が女の子に荷物を持たせることに居心地の悪さを感じるタイプだったりするから。……なんて損な性格をしてるんだ、僕。もっとも、そんな自分を嫌いじゃない僕がいるのもまた事実だったりもするのだけれど。

 

 今日売りのマンガや小説がないか、週刊誌コーナーに行ってみる。すると、そこで僕は少々変な人を見るハメになった。

 

 見たところ先輩と同年齢くらいであろう女性が真剣な表情で本を開いていた。つまり、立ち読み。それはいい。僕だって立ち読みくらいはする。その程度で目くじら立てる人間は世の中、そうそういないだろう。

 立ちっぱなしで足が痛むのだろうか。ときどきトントンとつま先を鳴らしている。それも別にいい。そんなの変でもなんでもない。

 

 時折、首をかしげる動作に腰まであるロングヘアーや首から下げられている銀色のペンダントが揺れる。それだっておかしくはない。そのたおやかとも表現できる雰囲気に見とれる人間もきっと多いだろう。

 

「ケイ?」

 

 だからおかしいのはその髪や瞳の色、および服装に他ならなかった。

 

 青である。その瞳が。その髪が。――いや、瞳が青いだけなら『外人さんかな』ですませることも出来ただろう。髪だって、あるいは『染めてるんだろうな』ですませることも出来るのかもしれない。

 でも、その髪の色は明らかに自然のものっぽかった。人工的な色合いじゃなかった。普通ならあり得ないとは思うんだけど、マルツの緑色の髪をここのところ毎日見ている僕だから分かる。あの色は生まれつきの色だ。染めたときのどぎつさと違和感がない。

 

「ねえ、ケイ?」

 

 さらに、だ。あの服はどうだろう。『この世界』では明らかに目立ちすぎる、薄緑色の服。マルツの着ているローブとよく似た、けれどRPG風に言うなら、彼と違って、神聖な職についている人間が身につけていそうな薄緑色のローブ。この外見から推測できることは――

 

「ちょっと無視しないでよ! ケイ!」

 

「! 痛たたた……」

 

 ユウに頬をつねられた。はっきり言ってかなり痛い。まったく、もう少し手加減しろよな……。そんなつもりなかったとはいえ、結果的に無視してた僕が悪いのは分かってるけどさ。

 

「……ふう」

 

 と、そこで目の前の青い女性が嘆息してパタンと本を閉じた。……彼女、僕たちのやりとりにまったく気づいてない?

 

「あの、ちょっと訊きたいことがあるんだけど、いいかな?」

 

 おっとりした調子でそう声をかけてくる女性。なんだか、僕と同年代であることを疑いたくなるような無邪気さがあった。うん。アヤといい勝負かもしれない。

 

 奥の深さを感じさせるふわっとしたその瞳を向けられ、僕は少しドギマギしながら返す。

 

「は、はい……。なんでしょう?」

 

 僕って、色々と尋ねやすい顔してるのかな……。

 そんなことを考えている僕に彼女は再び本を開いて見せてくる。

 

 それは地図だった。しかし、世界地図。

 

「ここって、どこなのかな? それとわたしの住んでいた――リューシャー大陸ってどこにあるんだろう?」

 

 僕が返答に困ったのは言うまでもないだろう。

 リューシャー大陸? どこ、そこ?

 大体、世界地図広げられて『ここってどこ?』と訊かれてもなぁ……。

 

 う~ん……。どうも天然っぽいぞ。この人。それも陽慈(ようじ)並みの。

 しかし、からかわれているわけではないことは彼女のその表情から分かるため、僕はとりあえず、

 

「ここは――ここの、この辺りだと思いますけど……」

 

 世界地図の日本のところを指差して、そう言った。曖昧な答え方になってしまったのは、世界地図を見せられたからだ。この地図で関東のどこどこと説明するのは、いくらなんでも不可能に決まってる。

 

「え? ここなの? ここってエルフィー大陸じゃ……。でもエルフはこういう建物嫌いだったはず……。――あ、君の耳は尖ってないね。だとすると――」

 

 うん? エルフ? なんだそのRPGでよく出てくるワード。

 

 ああ、この人の正体、もう見当ついてきたぞ。さすがに。

 

「あ、でも――ここは間違いなくリューシャー大陸だよね?」

 

 少し焦ったように尋ねてくる女性。指はオーストラリアを指している。

 

「……違います」

 

 とりあえず否定しておいた。

 

「ええっ!? 違うの!? じゃあ……じゃあ、ここはドルラシア大陸でしょ?」

 

 指されたのはユーラシア大陸だった。語感は似ているけど、違うものは違うので、ちょっと悪いかなと思いつつも首を横に振る僕。

 

 彼女はとうとう絶望的な表情になって、床に崩れ落ちた。なんだか、こっちが悪者になった気分。……理不尽だ。死にてぇ。

 今度は僕のほうから質問する。

 

「あの、あなたはもしかして『蒼き惑星(ラズライト)』から来たんじゃないですか?」

 

 うなだれるようにうなずく青い女性。う~ん。やっぱりそうか。

 だとすると――。

 僕はユウを指して続ける。

 

「彼女、幽霊なんですけど、見えます? マルツ――『蒼き惑星(ラズライト)』から来たっていう僕の知り合いには見えてたんですけど」

 

 僕の言葉に顔を上げ、ユウを直視する彼女。その瞳は涙で少し潤んでいた。……『守ってあげたい』と思わせる表情だ。かくいう僕もなんの気の迷いか、一瞬そう思ってしまったし。

 

 実は、マルツはたまたま霊視能力を持っていただけ、という可能性も僕は考えていた。だから彼女に見えなかったとしても、それはそれで別におかしなことではない。

 むしろ、僕が危惧していることはまた別にあって。なにしろマルツが以前、ユウのことをアンデッドモンスターだと思って過剰に反応したことがあったから、この女性もそういった反応を返すんじゃないかと。

 

 しかし僕のそんな心配は杞憂(きゆう)に終わってくれた。マルツの反応が過剰だったのか、はたまた彼女の危機感が薄いのかは分からないけど、彼女はただ平然と返してくる。

 

「見えるよ。もちろん」

 

 途端、ユウの顔がパッと輝く。比喩ではなく、本当に。まるで裸電球の如く。

 

「本当に!?」

 

 まあコイツ、基本、明るくはあるけど、心には常に寂しさがあるようだから、この反応も分からなくはない。

 僕がなぜか穏やかな気持ちになっていると、「あっ!」と女性がなにかに気づいたように声をあげた。

 

「君、『マルツ』って言ったよね? もしかして『マルツ・デラード』のこと!?」

 

「え? ええ――っていうか、気づくの遅っ!」

 

 思わずツッコミを入れる僕。……ああ、やっぱりこの人、天然だ……。

 呆れると同時に、しかし、ちょっと驚きでもあった。彼女、まさかマルツの知り合いだったなんて。偶然の一言で片づけていいものか少し迷う。

 

「よかったぁ……。ちゃんとマルツがいるところに来れてたんだぁ……」

 

 安堵の息を吐きながら立ち上がる女性。……よかった。やっと立ってくれたよ。けっこう痛かったんだよね、周りの視線。

 

「あ、自己紹介がまだだったね。わたしはサーラ。サーラ・クリスメント。――これでもマルツの師匠なんだよ」

 

『師匠っ!?』

 

 本棚に立てかけてあった杖(らしきもの)を手にしつつ、にっこり笑ってそう言った彼女――サーラさんに、僕とユウは驚愕の声をあげてしまっていた。

 いや、確かに師匠がいるとマルツから聞いてはいたし、弟子がいればたとえ何歳であろうと師匠は師匠だろうけど……いくらなんでも若すぎるんじゃあ……。

 

 僕とユウはあまりのショックに口をポカンと開けてしばらく固まってしまったのだった。

 

○神無鈴音サイド

 

 

 昨日知り合った記憶喪失の少女との朝食を終えて、私は彼女と部屋に戻った。

 

 食事中、思い出せることはないものかと彼女と色々会話をしてみたのだけれど、それで思い出せたことは、なにひとつなかった。とりあえず、昨日出会ったときに比べてだいぶ打ち解けることが出来たのが収穫といえば収穫だろうか。

 

 部屋に入ってすぐのところにある鏡に私たちの姿が映る。肩にかかるくらいまでの髪の私と、背中まである彼女の黒髪。

 

 どうしたって私は自分と彼女の容姿を比べてしまう。

 

 彼女がいま着ているのは黒髪や黒い瞳とは正反対の色の、白いワンピース。ちょっと変わったデザインをしてはいるけれど、それで彼女の魅力が損なわれるということもない。黒と白の見事なコントラスト。そういえば黒は女を美しく見せる、という言葉を聞いたことがある。いや、あれは黒い服は、だったっけ。事実、私の目に彼女は美しく見えるのだから、どちらでもいいような気がしてきた。

 

 私は――どうだろう。別にブサイクとまで自分を卑下はしないけれど、だからといって可愛いとか美しいとかいう形容詞が似合うかどうかは……。まあ、私は別に容姿がすべてと思っているわけでもないけれど。《顔剥ぎ》のこともあったし。

 

 蛍が『可愛いよ』とか冗談混じりでなく言ってくれたら少しは自信、持てる気もするんだけれど。彼は基本、お世辞を言うタイプじゃないし。こと、私に対しては。

 

「それで鈴音。私の名前のことだけど」

 

 少女の言葉で現実に意識を向ける私。

 そういえば食事中、呼び名がないと不便だ、みたいなことを話していたっけ。

 

「う~ん。そうだよね。なにか考えないとね」

 

 とは言ってもどんな名前にしたものか……。電話帳でも開いてみようかな?

 しかしそんな適当なのはどうだろう、などと思っていると、彼女のほうから話を続けてきた。

 

「一般的な名前ってどういうのがあるの? 鈴音?」

 

「一般的? う~ん……」

 

 あいにく、どんな名前が一般的で、どんな名前がそうでないのか、私にはなんとも言えなかった。考えてみれば、『鈴音』という名前は一般的なのだろうか?

 

 それに彼女には名前だけじゃなく苗字だって必要だ。私の姉や妹ということにしない限り、『神無』姓は名乗れないだろう。ちなみに私には神無深螺(しんら)という姉がいる。なのでこれ以上姉が増えるのはちょっと勘弁だった。

 

「○藤とか○崎というのが苗字には多いけど、名前……名前ねえ……」

 

 ぜんぜん思いつかないよ……。やっぱり電話帳から採ってくるのが一番かなぁ。

 

「○崎が多いんだ……。じゃあ例えば、『神崎(かんざき)』とかはどう? それとも、そんな苗字ないかな……?」

 

 『神崎』か。悪くないと思う。

 

「いいと思うけど、名前との組み合わせってものもあるから。名前によっては変な苗字に思えちゃうかもしれないよ?」

 

「名前はもうなんとなく決めてあったの。――名前は『りん』。私は今日から『神崎りん』。……どうかな? 一般的?」

 

 一般的かどうかはやはり分からない。しかし――。

 

「それは分からないけど、いい名前だとは思うよ。うん」

 

「よし、じゃあ決まり。私はりん。神崎りん。――改めてよろしくね。鈴音」

 

 う~ん。もう少し考えてみたほうがよかったんじゃ……。まあ、本人が満足ならそれが一番だとも思うけど。

 

「うん。よろしく。――でも意外とあっさり決まったね。てっきりもっと時間がかかるかと……。ところでその『神崎りん』って、どこから出てきたの?」

 

 そう訊くと、彼女――りんはイタズラが成功した子供のように笑った。

 

「鈴音の苗字と名前から採ったんだよ。『神無』の『神』に崎をつけて『神崎』、そして『鈴音』の『(りん)』を採って『りん』」

 

「……あ、なるほどね」

 

 なんだか、最初からこの展開を狙っていた気さえする。勘ぐりすぎかな?

 

 それから私たちは、しばし雑談に興じた。りんがいまの流行とかを知っているわけないけど、私もそういうことには少々疎いし、内容がどんなものであれ、素直に、自然体で話すりんとしゃべっているのが単純に楽しかった。そういえばこの感覚って、蛍と話しているときと似ているかもしれない。特に共通の趣味に没頭しているわけでもなく、気がものすごく合うというわけでもないのに、話していてとても楽しい。居心地がすごくいい。その感覚はやはり、いま感じている感覚と同じ、あるいはとても近いものだった。まあ、もちろん異性と同性という違いはあるけどね。

 

 時計の長針が一回転くらいしたころだろうか。ふと、私はりんの着ている白いワンピースにかすかな汚れを見つけた。そして気づく。

 

「りん。それ以外の服って、持ってないよね?」

 

「え? うん。たぶん」

 

 よほど疲れていたのか、昨日の夜は着替えることはおろか、お風呂にも入らないで寝ちゃったもんなぁ、彼女。というか、家に入ってすぐバッタリ倒れちゃって、目を覚ましたのが今日の朝だったし。

 

「じゃあせめて服だけでも買いに行こう。その服だって洗濯しないといけないし」

 

 私の服だと胸の辺りが窮屈(きゅうくつ)そうだし、とは言わないでおく。

 

「さ、行こう」

 

 私はりんの手をとって立ちあがった。

 ……あ、その前に着替えないと。



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第三話 邂逅(中編)

○神無鈴音サイド

 

 

 買い物はすんなりと終わった。

 というのも、りんがまったく自分の意見を挟まなかったからだ。

 

 実は、このことを私はちょっと怪訝に思った。

 いくら記憶喪失でも、自分の服の好みまで忘れるだろうか。一般常識を覚えているのと同様に、自分の性格や好みというものはそうそう忘れはしないだろう。ユウさんがいい例だ。

 

 なのに彼女、服はもちろんのこと、お店そのものまで珍しそうに眺めていた。まるで、初めて見るものであるかのように。

 

 ――まあ、深く考えることでもないとは思うけど。

 

 そしていま、私たちは近くの喫茶店に向かっているところだった。買い物はひと段落ついたから、ちょっと休もうと私のほうから提案したのだ。

 

「喫茶店かぁ。喫茶店ってどういうところ?」

 

 私からしてみれば、あまりにいまさらな質問だったので、思わず考え込む。そういう知っていて当然なことを訊かれるとかえって説明しづらいなぁ。

 

「う~ん。軽くなにか食べて、お茶飲んで、ゆっくりするところ、かなぁ。――あ、人と会ったり話したりするときにも行くことあるわよ」

 

「へぇ。なんか家にいるときと変わらないね」

 

「…………」

 

 ぜんぜん違うと思うけどな……。上手く説明する自信ないから、あえて突っ込まないけど。

 

 喫茶店の前に到着する。そして、私はそこで喫茶店に入ろうという自分の発言をすごく後悔することになった。

 なぜなら、窓から蛍とユウさんがいるのが見えたから。別にそれだけならいい。いや、よくはないけど、別にそこまで糾弾する光景ではない。

 

 喫茶店にいたのは蛍とユウさんだけではなかった。蛍の向かいに見知らぬ青い髪の女性が座っている。それもかなりの美少女。年齢は真儀瑠先輩と同じくらい、つまり十七から十九くらいだろう。『美人』というより『可愛い』という言葉が似合うタイプだ。

 ユウさんが怒っていないことが不可解といえば不可解だったけれど、いまの私にそんな些細なことを気にする余裕はなかった。蛍たちを見つけた瞬間からそんな余裕、なくなっていた。

 

「りん。喫茶店に入るとき、少しの間静かにしててね」

 

 りんがうなずくのを確認すると、私は窓から見えないように少し身を屈め、喫茶店の入り口まで走っていった。

 

○式見蛍サイド

 

 

 ……隣からの視線が痛い……。

 うぅ……。なんでだ……。なんでそんなギロリという擬音がピッタリ合う目で僕を睨んでるんだ、鈴音……。

 一体僕がなにをしたと……?

 

 ――ことの起こりは、ほんの数分前にさかのぼる。

 

 ◆  ◆  ◆

 

「じゃあ、キミが『闇を抱く存在(ダークマター)』を倒してくれたんだ。大変だったでしょ」

 

「ええ、まあ……」

 

「本当に大変だったよぉ~……」

 

 僕とユウはマルツの師匠だという女性――サーラさんに『闇を抱く存在(ダークマター)』の一件のことを説明するため、喫茶店へと足を向けていた。もうだいぶ話し終えていたりするけど。

 喫茶店のドアを開くと、カランカランと涼やかな音が鳴る。

 

「うわぁ~。音が鳴るなんて、凝ってるねぇ」

 

「……そうでしょうか」

 

 サーラさんは『蒼き惑星(ラズライト)』から来た人なだけあって、こっちの世界の常識にかなり疎かった。横断歩道なんて、信号機が赤なのに渡ろうとしたことが何度あったか……。おまけに彼女、どうも天然っぽいところもあるし。

 

 ここはセルフサービスなので、まずレジに行ってストレートティーを二つ頼む。いや、サーラさんの好みは分からないし、訊いても多分的外れな答えが返ってきただろうから。ユウの分が無いのはこの場合、当たり前のことと言える。

 

「どうぞ。ごゆっくり~」

 

 ストレートティーを淹れてお盆に置いてくれた女性の店員の表情は、どこかニヤニヤしていた。

 ……店員にはユウの姿が見えないのだから、僕とサーラさんを見てニヤニヤしているのは明白だ。どこにニヤニヤ出来る要素があるのかは分からないけど。

 

「……どうも」

 

 お盆を受け取り、空いている席を探しながら歩く僕たち三人。日曜だから割と込んでるな……。

 

 あちらこちらへと視線をやっていたら、ふと、ある一点でその動きを止めてしまった。

 僕たちの座ろうとしているテーブルの――つまりは空いていたテーブルのひとつ向こう側。シックな黒いワンピースに身を包んだ、クセのあるセミロングの黒髪がどこか印象的な少女と、なんのイタズラかバッチリ目が合ってしまったものだから。

 

 少女の年齢は僕と同じかそれより少し上、といったところだろうか。顔立ちはかなり整っている部類に入るだろう。しかし、なぜか――いや、だからこそ、なのだろうか。なんだか妙に冷たい印象を受ける。無表情なのがそれに拍車(はくしゃ)をかけていた。

 彼女のその切れ長の黒い瞳からは、どこか人を見下しているような、あるいはあらゆることに飽きてしまったかのような、はたまたなにかを諦めてしまったかのような、そんな感情がかすかに見て取れる。

 しかし、僕はそれに悪い印象を抱かなかった。人を見下しているようにも見えるのに、だ。

 

 それはきっと――僕と彼女は似てるから。僕もユウと出会うまでは、家であんな瞳をしていたんじゃないだろうか。家だけでなく、独りでいるとき、あんな、どこか諦めたような、生きることに飽きたような瞳でただ時間が流れるままに過ごしていたんじゃないだろうか。

 

 少女は少しの間、僕のほうをジッと見ていたが、やがて店内のどこというわけでもない場所に――言うなれば、虚空に視線をやった。いや、おそらくはふとこちらを見たというだけのことで、また虚空に視線を戻したというだけのことなのだろう。

 

 彼女の見つめるそこになにがあるのか、僕には分からない。ただ、推測するなら……。そう。望んでいる自分の姿があるのかもしれない。僕が同じように虚空に視線を注いだとしたら――注ぐ気分になるとしたら、それは、その虚空に意識というものを持たずにふわふわと漂っている自分の姿を想像しているときだろうから。それがきっと、僕にとっての『幸福』だろうから。

 

「? ケイくん?」

 

 その声で顔を横に向ける。視界一杯に心配そうなサーラさんの表情があった。それはもう、本当に息がかかりそうなほどの目の前に。

 

「……な、なんでもありませんよ。座りましょう」

 

 真っ赤になってそう言い、イスを引いて座る僕。……ああ、びっくりした。この人、驚くほど無防備だな……。

 そのサーラさんも自分でイスを引いて僕の向かいの席についた。

 

 ユウは僕の能力範囲外に出て、ふわふわと僕の真上に漂っている。イスを引いて座るわけにもいかないからだろう。周りから見たら、ただイスが引いてあるだけ、と映るに決まってる。それだけならまだしも、店員さんがイスを戻しに来る可能性だってある。そうなると面倒だし。

 ストレートティーを口に含み、だいぶ落ち着いたところで話し始める。

 

「それで、もう詳しいことは大体話しましたけど――」

 

「蛍~!?」

 

 しかし僕のセリフは、唐突に背後からした冷ややかな声に遮られることとなった。その声の主は……。

 

「――り、鈴音……」

 

「一体、ここでなにしてるのかしら?」

 

 立ったまま僕を睨む鈴音。いや、僕がここでなにをしていようと鈴音が怒る理由にはならないだろう。もちろん、鈴音の気分を害する行為は除くけどさ。僕、そんな行為した?

 すかさずサーラさんに視線をやった鈴音を見るともなしに見ながら、そんなことを思う僕。

 しかし、僕の心の声が届くはずもなく、鈴音はこちらに視線を戻すとさらにまくしたててくる。

 

「蛍、説明してもらえる? この人は誰? なんで一緒に喫茶店に入ってるの!? そもそも、どうして――」

 

「あなた、もう少し静かにしたら?」

 

 だんだんヒートアップする鈴音に冷水じみた声が浴びせられた。そちらに顔を向けると、さきほどの少女がこちらを冷たい目で見ている。

 鈴音は少し目を見開いた。

 

「あ。あなたは……」

 

 ん? 彼女、もしかして鈴音の知り合いか?

 

「えっと、す……、すみませんでした」

 

 店内でうるさくしたのはマズかったと感じたのだろう。軽く頭を下げ、僕の隣のイスを引いて座る鈴音。……って、彼女のことはスルーか?

 黒いワンピースの彼女は一体誰なのか、僕には割と気になったのだが、しかしこちらを睨んでくる鈴音に訊けるはずもなく。

 

 ◆  ◆  ◆

 

 ――とまあ、そんなわけで現在に至っているわけだ。

 

 ふと見ると、ちょっと変わったデザインの白いワンピースを身にまとった少女が鈴音の隣の席に座っていた。いままで鈴音の勢いにすっかり呑まれていたため、ちっとも気づかなかったな。

 

「なあ、鈴音」

 

「……なに?」

 

 すごい視線で睨まれる。うん。こりゃあ白いワンピースの少女のことは訊けないな。鈴音の連れであることは間違いないと思うんだけど。

 

「それで、蛍」

 

「……なに?」

 

 返す僕の返事はつい先ほどの鈴音のセリフとまったく変わりない。違う点はただひとつ。鈴音は僕を睨んで返したけど、僕は口ごもりながら返しているところだ。

 

「彼女は誰?」

 

 僕もそう訊きたいよ、鈴音。白いワンピースの少女と、黒いワンピースの少女は誰なんだ……。しかし訊くことなんてできやしない。なのでこう返す。

 

「サーラ・クリスメントさん。マルツの師匠なんだって」

 

「嘘をつくんならもっと上手くつきなさいよ!」

 

「嘘じゃないって! そもそも、どこに嘘をつく必要があるんだ!」

 

「だって、サーラさん……だっけ? 彼女、どう見ても真儀瑠先輩と同い年かそのひとつ上くらいの歳じゃない! それで師匠って!」

 

「僕とユウも最初はそう思ったよ! でも本当なんだってば!」

 

 どんどん大声になっていく僕と鈴音。そこにまたも例の少女から冷水じみた声が届いた。

 

「だから、静かにしなさい。他の人たちの迷惑になるでしょ」

 

「ごめんなさい」

 

「すみません」

 

 即座に謝る僕たち。……だって、悪かったのは明らかに僕たちのほうだし……。

 少しテンションダウンしたところで、サーラさんに話を振る。

 

「サーラさんからも言ってあげてくださいよ。マルツの師匠だって」

 

 そこでサーラさんはなぜかハッとしたようにして、白いワンピースの少女から鈴音へと視線を移した。そういえばサーラさん、さっきから一度も口を挟んでこなかったな。ずっと白いワンピースの少女を見ていたのか?

 

「……あ、なに? ケイくん」

 

「いや、だから……」

 

「サーラさん。あなたは本当にマルツさんの師匠なんですか?」

 

 嘆息した僕の代わりに鈴音が尋ねた。サーラさんは当然、肯定を返す。

 

「そうだよ。――やっぱり見えないかな?」

 

「……えっと、失礼ですけど、歳はいくつですか?」

 

「歳? 二十二だよ」

 

『二十二歳!?』

 

 思わず揃って叫んでしまう僕たち三人。実は僕もサーラさんの年齢は訊いていなかった。だって、女性に歳を尋ねるのって、すごく失礼なことだと思うし……。でも、まさか二十二歳とは……。てっきり十八、九くらいだと思ってたのに……。

 

 でも二十二歳ならマルツの師匠というのもうなずけ――ないな。やっぱり師匠としては若すぎる。

 

「ところでその娘……」

 

 サーラさんは僕たちの驚きなんて意に介した風もなく話題を変えた。白いワンピースの少女に視線を戻し、

 

「リルちゃんだよね? どうしてここに?」

 

「?」

 

 リル、と呼ばれた白いワンピースの少女は可愛らしく小首をかしげた。代わりに鈴音が口を開く。

 

「あの、この娘は『神崎りん』といって……」

 

「あ、人違いだった?」

 

「いえ、そうとも限らなくて……」

 

 なぜか口ごもる鈴音。うん? 結局、彼女の名前はリルなのか? それとも神崎りんなのか? どっちだ?

 

「どういうことなんだ? 鈴音?」

 

「うん、それがね……」

 

 おお! やっと鈴音とまともに会話ができた。なんか安堵感と達成感が同時に湧いてくる。

 

「記憶喪失なのよ。りんは」

 

「うわぁ。じゃあ、私と同じなんだ」

 

 そう言ったのは記憶を失くした浮遊霊、ユウ。

 

「――記憶喪失かぁ。それは面倒なことになったねえ」

 

 いまのセリフはユウのものじゃない。というか、いまの声はいま聞こえるはずのものじゃない。いや、聞き覚えはすごくある声なのだけれど。

 

 なんとなく嫌な予感を抱いて、空いていたはずの席に視線をやる。サーラさんの隣の席だ。ちなみにここのテーブルのイスは全部で六つ。座っているのはユウを除いて、僕と鈴音とサーラさん、そして記憶喪失の少女。そのはずなのだけど――。

 

「やあ、昨日ぶりだね。ケイくん、ユウさん、それと鈴音さん」

 

 空いていたはずの席にはいつの間にやってきたのか、ニーナが座っていた。おかしいな、腰かけるところを見てないぞ。……って、ああ、そうか。空間を渡って店内に直接現れたのか。



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第四話 邂逅(後編)

○式見蛍サイド

 

 

 サーラさんとニーナはどうやら知り合いらしく、親しげに言葉を交わし始めた。

 

「相変わらず神出鬼没(しんしゅつきぼつ)だね。ニーナちゃん」

 

「あ、サーラさん。ニーネとボクを同一人物と捉えないなら『久しぶり』だね」

 

「とりあえずわたしは同一人物だとは思ってないよ。双子っていう認識が一番近いかな。だから久しぶり。ニーナちゃん」

 

「それはそれとしてさ、サーラさん。どうしてここに?」

 

「『闇を抱く存在(ダークマター)』との戦いに加勢しにきたんだけどね。ケイくんに話を聞いた限りだと、もう終わっちゃってたみたい。まあ、いいことなんだけどね。――あれ? ニーネちゃんから聞いてなかったの?」

 

「全然。きっとニーネ、ボクを驚かせるつもりだったんだろうね。――じゃあ、サーラさんはニーネの創った『(とき)の扉』でこの世界に来たんだ」

 

「そうだよ。というか、マルツみたいに事故でこっちの世界に来ちゃうほうが特殊でしょ?」

 

「そうだねぇ。だとすると、やっぱりその『神崎りん』は『リル・ヴラバザード』みたいだね。……はぁ、やれやれ」

 

 へ? なんでそうなるんだ?

 

「待った、ニーナ。一体どういうことなんだ?」

 

「つまり、だよ。ダークマターを倒すとき、キミはまた能力(ちから)を使ったでしょ。激しい感情を伴って」

 

「……あ」

 

 それで分かった。そもそもマルツがこの世界に来ることになったのは、僕が怒りなど、激しい感情を抱いて『霊体物質化能力』を使った――というか、武器を創ったからだ。そしてダークマターと戦ったときにも、僕は激しい感情を持っていた。ヤツに、怒りを覚えていた。

 

 最初、ニーナはそのせいでサーラさんがこの世界に来てしまったのだと思ったのだろう。しかしそれは違った。彼女は自分の意志でこの世界にやってきたという。そう。再びこの世界にやってきたときのマルツのように。

 

 なら、幸いなことに今回は誰もこっちの世界には来なかったのだろう、と考えたくはあったけど、自分やサーラさんと――あっちの世界の人間と面識のあった少女、神埼りんがここにはいた。だからニーナはこう思考を展開したのだろう。マルツ同様、神埼りん――もとい、リル・ヴラバザードがあっちの世界から来てしまった人間だ、と。そして、そのリルは空間移動の際のショックでなのか記憶を失くしていて、連れて帰るのも骨が折れそうだ、と。

 

 確かに僕が同じ立場に立たされたら、そりゃ、嘆息して『やれやれ』の一言もこぼしてしまうだろう。いや、僕なら『死にてぇ』とこぼすな。

 

 ニーナは僕の様子を見て大体なにを考えているのか悟ったらしく、話を続けた。

 

「それともうひとつ厄介なことがあるんだよ。なんかね。ボクたちの世界とこの世界、繋がり始めてるみたい。少しずつだけど、こっちの大気に混じる魔力が濃くなってきてるからね」

 

「それって、そんなにヤバいことなのか?」

 

「うん。かなりね。まず、この世界で以前より簡単に魔術を使えるようになると思う」

 

 全然問題ない気がした。というか、便利なんじゃないか? それ。ニーナが『刻の扉』を創るときに消費する魔法力も少なくてすむってことだろうし。それに――。

 

「じゃあ、あれか? 僕もマルツみたいに魔法を使えるようになるかもしれない、と?」

 

 確か人間なら誰でも魔力を持っているはずだ。そんなことを以前、聞いた覚えがある。

 

「いや、多分キミには使えないんじゃないかな。ちょっとしたコツが必要だし」

 

 ニーナにあっさりと否定された。……なんだよ。霊能力と同じで、やっぱりコツが必要になるのか。そもそも僕の能力は純粋な霊能力とはまた別物らしいし、僕はその霊能力を使うコツさえつかめてないに違いない。……はぁ。死にてぇ。

 

 ……と、待てよ。

 

「じゃあ、鈴音はどうなんだ? なにしろ巫女だし」

 

「……蛍、ここは『巫女だし』じゃなくて『霊能力者だし』と言うところなんじゃないの?」

 

 鈴音の苦情は、しかし誰からも無視される――かと思いきや。

 

「あ、鈴音ちゃん、巫女なんだ。偶然だね~。リルちゃんも巫女なんだよ~」

 

 そういえば、あっちの世界にも巫女はいるって、以前マルツが言ってたな。さすがRPGのような世界なだけのことはある。しかし、巫女服は着てないぞ、彼女。まさかリルも巫女服を着ない主義なのだろうか。だとすると、いよいよ巫女服を着ている巫女さんの立場が危うくなってきたな。

 

 僕がこの世の巫女さんの将来を案じている間にも、鈴音とサーラさんの会話は勝手に進んでいく。

 

「じゃあ、『蒼き惑星(ラズライト)』でも巫女服ってあるんですか?」

 

「巫女服? なにそれ? ああ、鈴音ちゃんが言ってるのって、読んで字の如く『巫女が着る服』のこと?」

 

「その通りのような、なにか違うような……」

 

「巫女の服なら、ほら、リルちゃんがいま着てるやつだよ」

 

「え? この白いワンピースが?」

 

 あ~、確かに変わったデザインのワンピースだとは思っていたけど。会話には加わらずにボンヤリとそんなことを思う僕。

 

「そう。『巫女の法衣』っていうんだよ」

 

「へぇ~。いいですねぇ~。普通の服とそれほど変わりなくて……」

 

「? なにがいいの? そもそもこの世界の『巫女の法衣』ってどういうもの?」

 

「え~と、それは……」

 

「――あのさぁ」

 

 ニーナが少々不機嫌そうに口を挟んだ。

 

「話がかなり逸れてる気がするんだけど? 巫女の着る服なんてどうでもいいことじゃない」

 

 いや、一部の人間には相当重要なことらしいんだけどな。その『一部の人間』の代表格が鈴音だ。

 

「話を戻すけど、鈴音さんも多分魔術は使えないよ。コツをつかんでいる可能性は高いけど、大気に満ちる魔力がボクたちの世界に比べると、やっぱりまだ薄いからね。

 まあ、相当修行を積んでいて、なおかつミーティアさんやサーラさんみたいに強大な魔力を持っているっていうなら話は別かもしれないけど」

 

 鈴音にそれほどの魔力があるとは思えなかったが、しかし、僕は『すごい魔力を持ってる』という方向でニーナに話しかけた。だって、鈴音が使えたほうが面白そうだし。

 

「つまり、使える可能性はあるわけだ」

 

「まあね。――で、このまま世界が繋がっていくと、どうマズいことになるかってことだけど」

 

 あっさりと流された。

 

「単刀直入に言うとね、『魔族』っていうダークマターみたいな連中がどんどんこの世界にやってくることになるんだよ。で、ボクたちの世界にいる『神族』にこの世界を護るつもりはないだろうから、この世界はただ一方的に攻められることになると思う」

 

 ……そりゃあ、なんていうか、ムチャクチャマズイな。現実にそんなことになろうものなら、世界が世紀末の雰囲気に包まれそうだ。

 

「なんとかできないのか?」

 

「いまのボクにはなんともしようがないよ。まあ、ミーティアさんあたりにでもなんとかしてもらおうかな、と思ってる」

 

 他人任せなんだな、お前。サーラさんはそんなニーナをたしなめるように、

 

「ニーナちゃん、『漆黒の王(ブラック・スター)』の一件以来、すっかり人に頼るようになったよね」

 

「ミーティアさんが『もっと他人に頼れ』って言ってくれたからね。言ったのはニーネに、だけど。それに、頼ることしか考えてないわけじゃないよ」

 

 ニーナはそう言うと、少しテーブルに身を乗り出し、声を潜めて続ける。

 

「前にも話したと思うけど、世界は『世界の意志』とでも言うべきものでバランスをとってるんだよ。そしてバランスをとるために、世界には『復元力』というものも存在する。つまり、世界そのものがこの状況をなんとかしようとしてるってこと。

 物語のつじつま合わせに似てるかな。少しでも元の姿の世界に戻ろうとするんだよね」

 

「つまり、ニーナはその『世界の意志』に任せてなにもしないと、そういうことか?」

 

 僕は否定してくると思ってそう疑問を投げかけたのだけど、

 

「平たく言えば、そういうこと」

 

 肯定されてしまった。

 

「それで、ここからが重要なんだけど、その『復元力』が一向に働いてない感じなんだよね。おそらくここ数週間は、人間でいうところの『準備期間』だったんじゃないかな。でもって、これからはどんどん『復元力』の影響が出てくることになると思う」

 

「いいことなんじゃないか?」

 

「問題なのはその影響の出方、『世界を元に戻す方法』だよ。誰かを犠牲にする必要があるなら、『世界の意志』は迷いなくそれを実行するからね。キミが誰かに命を狙われるようなことがあったり、キミたちが倒したダークマターが復活したりすることも、ないとは言えない」

 

 僕はその言葉に一瞬、詰まった。だって……。

 

「……え? 僕が死んだら困るんじゃなかったっけ? 世界に一気に歪みが拡がるとかなんとか……」

 

「それはボクの見解にすぎないよ。キミが死んでも、あるいはなんの問題もないのかもしれない」

 

「っ……。あ、それとさ。倒したダークマターが復活ってどういうことだ? あのとき、倒した――んだよな? あいつ、そんな簡単に復活しちゃうのか?」

 

「仮にも『闇を抱く存在(ダークマター)』だからね。――もっとも、バラバラになって滅びたんだから、あの姿のままで復活することはないだろうけど。――あ、そんな暗くならないでよ。これは全部ボクの推測なんだから。取り越し苦労の可能性もおおいにあるんだよ?」

 

 それを聞いて暗くなっていた気持ちがすぐに明るくなる、なんてことはもちろんなかったけど、ニーナが僕のことを気遣ってくれたことは分かるから、僕は無理にニコリと笑みを浮かべて、楽観的なセリフを口にした。

 

「そうだよな。問題が起こらない可能性もあるんだし、どうにかしようって思うのは実際に問題が起こってからでいいよな」

 

 鈴音も僕に同調してくれる。

 

「そうよね。なにも起こらない可能性も充分あるんだもんね。いまから心配してても仕方ないよね」

 

「――さて」

 

 一度目を閉じて、明るくしきり直すサーラさん。

 

「じゃあ話もまとまったし、ちょっといいかな、ニーナちゃん」

 

「なに? サーラさん」

 

「『刻の扉』、創ってくれない? ダークマターが復活する可能性がある以上、マルツはここに残るべきと思うけど、わたしはそれなりに『蒼き惑星(ラズライト)』でやることがあるから」

 

 サーラさん、それは言っちゃいけない。いまニーナは……。

 

「えっとぉ……。それがね、サーラさん。ボクの魔法力が回復するまでは創れないんだよねぇ。『刻の扉』」

 

「え、そうなの……?」

 

 さすがに呆然とするサーラさん。しかしすぐに気を取り直し、

 

「じゃあ、マルツのいるところに居候させてもらおうかな……」

 

 と呟いた。……ん? この展開って、もしかして……。

 

「だっ、ダメです!」

 

 最初に反応したのは案の定、鈴音だった。

 

「マルツさんは蛍の家に泊まってるんです。だから、えっと……えと……。…………。そうだ! 私のところに来たらどうですか? ほら、りん――じゃない、リルもいますし。私が個人的に訊きたいこともありますし! ね!」

 

「そう? じゃあそうしようかな。――まあ、確かに男の子の家に泊まるのは、わたしの世界でも一般常識としては問題だったしね。わたしはファルと野宿することも多かったから、そういうことを問題とは思わないんだけど」

 

 そういうものなのか。サーラさん、やっぱり無防備だな……。

 それにしても、彼女の口から『一般常識』という単語が出てくるとは思わなかった。僕がそんなことをボンヤリと考えていると、鈴音がブンブンと手を振ってサーラさんに言い聞かせるように言う。

 

「いえいえ、やっぱり問題ですよ! それも大問題!」

 

 そんな彼女の服の裾をつかむ手があった。リルだ。

 

「ねえ、鈴音。私は『リル』じゃなくて『りん』なんだけど」

 

 あ、もしかして彼女、リルって呼ばれるの嫌いなのか? 記憶がない以上、『リル』は自分の名前だと思えないのかもしれない。鈴音はそれを察してか、

 

「あの、サーラさん、ニーナさん。彼女の過去を知ってるあなたたちには抵抗あるかもしれませんけど、記憶を失っている間、彼女のことは『りん』と呼んであげてもらえませんか? 二人の会話の中では『リル』で構いませんから」

 

 別にそれでも問題ないからだろう。サーラさんとニーナは首を縦に振った。

 

「蛍とユウさんも、それでいい?」

 

 当然だけど、僕も首を縦に振る。

 

「うん。それでいいよ」

 

「記憶がないときにつけてもらった名前って、自分の存在の証明みたいなものだもんね。私にはよく分かるよ。よろしくね、りん」

 

 相変わらずユウはときどき深いこと言うよなぁ。

 

 ともあれ、そんなわけでみんな、リルのことは『神崎りん』という名の少女として扱うことにしたのだった。

 しっかし、口数少ないなぁ、りん。人見知りするのかな。それとも記憶がなくて不安なのかな。まあ、どちらであってもその心情は分からなくないけど。



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第五話 スピカ、来日。

○???サイド

 

 

 喫茶店を出ていく六人の姿をボンヤリと見送る。……そう、『六人』。どうやら幽霊も混じっていたようだけど、神無鈴音が放っておいているということは、おそらく害はないのだろう。

 

 ティーカップを持ち上げ、レモンティーを一口飲む。いまひとつレモンの香りが弱かった。ついてきたレモンの汁を紅茶に垂らし、スプーンでかき回す。

 そんなことをしていると、唐突に声をかけられた。

 

「やあ。ここ、いいかな?」

 

 美形と称していい顔立ちをした青年だった。年の頃は二十七、八。背が高く、足も長い。まあ、だからといって好みのタイプだったりはしないけれど。

 線は細いものの、体格は良く、その身体を黒いスーツに包んでいる。そのスーツの着こなし具合もまた、妙にサマになっていた。

 顔には柔らかな微笑がたたえられている。その微笑みを形作った口から、再び言葉が紡がれた。

 

「ここ、いいかい? 九樹宮のお嬢さん」

 

 思わず息をのむ私。この男、なんで私の苗字を……?

 

「……どうぞ」

 

 男がイスを引いて座るのを待ってから、私は質問をぶつける。

 

「あなたは、誰?」

 

黒江(くろえ)、という者だが」

 

「そうじゃなくて。……何者?」

 

「……『世界と同時に生まれた存在(もの)』、と言ったらお嬢さんは信じるかい?」

 

「――鼻で笑うわね」

 

「ハッキリ言うお嬢さんだ。まあ、私のことはどうでもいい。お嬢さん、『蛍』と呼ばれていた少年のことを知りたくはないかい?」

 

「…………」

 

「興味を持ったんだろう? 顔に書いてあるよ」

 

「……ポーカーフェイスは得意なんだけど?」

 

「そのようだね。いまお嬢さんがなにを考えているのか、私にはサッパリだ」

 

「……ふざけてるの?」

 

「少しばかり、ね」

 

 こういう返し方をされるのは予想外だった。と同時に、少し腹も立ってくる。すると黒江はそれを見透かしたように、

 

「OK。ふざけるのはやめるとしよう。あと、お互い嘘をつくのも、ね」

 

「私が嘘をついた覚えは――」

 

「ずっとお嬢さんを観察させてもらっていたから分かったことなのだが、あの少年に興味を持っているだろう? イエスかノーだ」

 

「……それが、どうしたの?」

 

 私は平静を装って返したが、内心では冷や汗を流していた。ずっと観察していた? そんな視線、まったく感じなかったというのに。黒江はなぜか、なにかを嘆くように天井を仰ぎ見て、続けた。

 

「ノリの悪いお嬢さんだ……。とりあえずイエスと受け取っておくよ」

 

「どうぞ、ご自由に」

 

「私の用件はひとつ。彼ともう一度会いたいと思うなら、彼のことを教えてあげようかと思ってね」

 

 私に戻したその瞳に見つめられ、一瞬、息が詰まる。あの少年のことを……?

 

「あなた、彼の父親かなにか?」

 

「いや、血の繋がりも親交も一切ない、赤の他人だよ。それでも教えてあげられることは、多々ある。そして、教えることで私にもメリットがある」

 

「あなたに、メリットが?」

 

「そう。私の情報から君がどう動くのも自由だ。そして、自由に動いてもらうことの延長線上に私のメリットがある。

 ほら、あれだ。いいことをすると巡り巡って自分に返ってくるというだろう? 私は遠くない未来に『いいこと』が起こって欲しいんだよ。だからいま、君に『いいこと』をしてあげたい。具体的に言うなら、彼のことを教えてあげたいんだ」

 

「見返りを求めているだけってわけ? まるで『いいこと』の押し売りね」

 

「押し売りとは言いえて妙だね。ああ、お金は取らないから、その心配はいらない」

 

「そのことは心配してない」

 

「――じゃあ、聞くかい?」

 

 しばし迷い、結局私は聞くことにした。彼――蛍にはなぜか親しみのようなものを覚えていたから。もっとも、その親しみは恋愛感情などではなく、同類に対するそれのようではあるけれど。

 

 

 そして私は知ることになる。『式見蛍』という人間を。『式見蛍』の望んでいることを。

 

○スピカ・フィッツマイヤーサイド

 

 

 ざわめきが周囲を満たす空港から外に出る。

 

「ここが、日本……」

 

 兄――シリウス・フィッツマイヤーはよく訪れていたらしいが、スピカにとっては始めて降り立つ地。特に感慨は感じない。すぐさま『歪み』の位置を特定する。

 

「――見つけた……」

 

 フィッツマイヤーの一族は霊などを始めとする『世界の歪み』を察知する能力に優れている。おそらくはその身に流れる『血』によるものなのだろう。

 それに従い、彼女は見つけた『歪み』のいる場所へと移動を開始することにした。――と。

 

 腕時計を見る。午後三時を示していた。あっちを発ったのは午前五時だというのに。

 

「とりあえず今日のところは、ホテルにでも泊まる必要がありますわね。接触は明日、ですかしら」

 

 そうこぼして、スピカはまず駅へと向かうことにしたのだった。

 

○式見蛍サイド

 

 

「なあマルツ、『リル・ヴラバザード』って知ってるか?」

 

 家に帰ってから、僕はそうマルツに訊いてみた。

 

「へ? リル・ヴラバザード? 現代の三大賢者のひとり、アーリア・ヴラバザードの娘――のことだよな?」

 

「多分、そうだと思う」

 

「なんでケイがリルのことを知ってるんだ?」

 

 マルツは訝しげな表情をしてそう訊いてきたが、僕が今日あった出来事を話すと納得したように、

 

「あ、師匠、こっちの世界に来たんだ。それで、か。なあ――」

 

「ねえ、マルツ」

 

 ユウがマルツのセリフを遮り、質問をぶつける。

 

「『現代の三大賢者』って、なに?」

 

「え? ああ、その名の通りだよ。僕の世界の『賢者』と呼ばれるほどの知恵と魔力を持った三人の魔道士――『紅蓮(ぐれん)の大賢者 ルイ・レスタンス』と『漆黒の大賢者 アーリア・ヴラバザード』と『沈黙の大賢者 ドローア・デベロップ』のこと」

 

 つまり、リルはその『漆黒の大賢者』の娘ってことか。けっこうな大物だったんだな、彼女。いや、親の七光りか?

 

「それで、師匠と会ったんだろ? 師匠、美人だっただろ?」

 

「え? うん、まあな。美人っていうか、美少女って感じだったけど……」

 

 二十二歳の女性のことを指して『美少女』はないだろうとは思うが、事実、そんな感じの女性なのだから仕方がない。

 

 このあと、マルツの『師匠自慢』が延々と続くことになったのだが、それはまた、別の話ということで。

 どうでもいいけどマルツって、こういうキャラだったっけ?

 

魔風神官(プリースト)シルフィードサイド

 

 

 夜の闇が辺りを静かに包み始めるころ。

 私は一匹の悪霊を従え、とある巨大な建造物の一番上に立っていた。

 

 おそらくナイトメアも気づいてはいないだろうが、私はあのとき――『闇を抱く存在(ダークマター)の欠片』が滅びたとき、細切れになって拡散した奴の魔力の一部を自らの内に吸収しておいた。

 

 それを自らと分離させ、傍らにいる悪霊に与える。

 悪霊の力を取り込んで復活しようと企んでいた『闇を抱く存在(ダークマター)』が悪霊に取り込まれ、私の手駒となるとは、皮肉なものだ。

 

 この悪霊も当然のことながら、元は人間だった。それを私の手駒とするため、風の刃で両腕を切断し、殺した。

 

 なぜそんな殺害方法を選んだのか。それは私に強大な恨みや憎しみを――悪意を抱かせるため。

 

 なぜそんなことをしたのか。それは『闇を抱く存在(ダークマター)の欠片』の力の一部を取り込めるほどの強い『悪意を持った霊』を――悪霊を生み出すため。そして、式見蛍に活躍の場を与えるため。彼らのための事件を起こすため。

 

 ――そう。私は事件を起こすために事件を起こした。

 

 傍らの、『闇を抱く存在(ダークマター)の欠片』の魔力に縛られ、私だけの命令を聞くようになった悪霊を見やる。私の手駒は順調に成長を遂げたようだった。

 『両腕』の復元は出来なかったようだけれど、『力』のほどはそれでも充分。

 

 私は少し考え、傍らの悪霊に名を与える。

 ふむ。『両腕』が――手が存在しないのに霊力でその機能を代替出来るようなのだから――。

 

「――さあ、行きなさい。《見えざる手》」

 

 これでいいだろう。やや適当な気はするけれど。

 

 私の言葉に従い、《見えざる手》は夜の闇にその姿を溶かし、消えた。

 

 途端、私はなぜか虚しくなり、思わずポツリと呟く。

 

「式見蛍。あなたが私の救いだというのなら……私に――」

 

 そこから先の言葉は、口にしなかった。心の中でも考えなかった。

 

 ――いや、考えなかったわけではない。

 

 ただ、心の中で――押し殺した。



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第六話 つながる輪、つなげられる輪。(前編)

○???サイド

 

 

 私はあのときからずっと頭を悩ませていた。

 

 なぜだ?

 なぜあのとき、マルツ・デラードがこの世界に来た?

 

 あのときこの世界に来るのはサーラ・クリスメントだったはずだ。少なくとも『前の世界』ではそうだった。

 

 『闇を抱く存在(ダークマター)』は式見蛍とサーラとシルフィードが倒すはずだった。

 

 どこで歯車が狂った?

 

 なぜ歯車が狂った?

 

 いや、歯車が狂ったことなど、今更だな。なにせ、『さらにひとつ前の世界』では、『あの世界』から『界王(ワイズマン)』以外の誰かがやって来ることすらなかったのだから。

 

 ……彼が『さらにひとつ前の世界』で『能力保持者』になったのが、歯車が狂った原因か?

 

 いや、それは違うだろう。

 

 おそらく狂い始めたのはいまから『三つ前の世界』からだ。

 

 そう。『界王(ワイズマン)』がこの世界に干渉してくるようになってからだ。それから私は毎回頭を悩ませることになっている。

 どうやらそれは『今回の世界』でも例外ではなかったようだ。

 

 まあ、過ぎたことで悩むのはやめるとしよう。すでに回り始めてしまった歯車は、私にすら止めることは出来ないのだから。

 

 さて、まずはあのお嬢さんをなんとかしなければ。

 私からの情報を完全には信用していないだろうしな。

 まあ、『前の世界』でもやったことだ。

 

 重要なのは、『今回の世界』では失敗しないこと。

 すべてを私のシナリオ通りに動かすことだ。

 

 そう。すべては『私が望む世界』のために――。

 

○神無鈴音サイド

 

 

 深夜、私の家にて。

 

「ふぅ~、いいお湯だった~」

 

 そう洩らしながら私の部屋に入ってきたのは、タオルでその長い髪を拭いているパジャマ姿のサーラさん。

 

 本当、見れば見るほど二十二歳の女性には見えない。顔の造形が美人というよりも可愛いと思わせるものだから、なおさらだ。おまけに、あの薄緑色の服の上からではよく分からなかったけど、スタイルはモデル並み。

 

 ……顔は可愛くてスタイルは抜群だなんて、これはもう、ちょっと反則の域なのではないだろうか。

 

「……ふう」

 

 窓のカーテンを閉じながら自分の身体と彼女のそれを見比べて、ため息をつく私。

 

「どうしたの? 鈴音ちゃん」

 

「あ、いえいえ、なんでも」

 

 パタパタと手を振ってごまかすことにする。サーラさんもりんもまだ『?』ってなってたけど、説明するのもなんだかバカらしいし。

 

 さて、訊きたいことは色々とあるんだけど、どう話し始めたものか……。そんなことを考えていると、

 

「じゃあ次、私がお風呂入ってくるね」

 

 そう言ってりんが部屋を出て行った。

 私もサーラさんもどう話を始めたものか考えているため、訪れるしばしの沈黙。

 

 やがて、それを破ったのはサーラさんのほうからだった。

 私の腰かけているベッドに座り、にっこりと――同性の私の目にも魅力的に映る笑顔を浮かべて、

 

「そうそう、ケイくんから訊いたんだけど、『闇を抱く存在(ダークマター)』を倒すのに協力してくれたんだってね。ありがとう」

 

「いえ、私にやれたことなんて、ほとんどなくて……」

 

 サーラさんは首を横に振って、私の言葉を否定する。

 

「そんなことないよ。ケイくんが言ってたよ『鈴音がいなかったら勝てなかった』って」

 

「蛍が?」

 

 蛍がそんなことを言っていたなんて、正直、予想もしていなかった。嬉しいと同時に、なんだか胸が高鳴る。すると私の表情を見てサーラさんが、今度はどこかイタズラっぽく笑った。

 

「鈴音ちゃん、ケイくんのことが好きなんだね」

 

「……え? え!? な、なにをいきなり……?」

 

「表情を見れば分かるよ。というか、分かりやすすぎ」

 

「そ……、そう、ですか」

 

 そのサーラさん曰く『分かりやすすぎ』な表情を見て、蛍はなんで気づいてくれないのだろうか……。

 

「その感じからすると、やっぱり告白はまだ?」

 

「え、ええ。まあ……」

 

 『告白』の言葉に真っ赤になる私にサーラさんは過去を懐かしむように続ける。

 

「なんだか微笑ましいなぁ。わたしにもそういう感じの頃があったんだよね」

 

「そういう感じの頃、ですか?」

 

「うん、そう。ファル――あ、わたしの好きな人の名前だけどね――その人となんの目的もなく旅をしていたとき、わたしもそういう表情してたのかなぁ、って」

 

「その人と、いまは……?」

 

 やっぱり『告白』とかしたんだろうか。そして想いは届いたのだろうか。果たして、サーラさんはベッドに腰かけると考え込むように人差し指を立てて口元に持っていって天井を見上げた。

 

「う~ん……、まだ微妙な関係のままかなぁ。とりあえずは『パートナー』? いや、ファル、わたしの気持ちは知ってるし、わたしもファルはわたしのことが好きだって自惚れでなく分かってるんだけどね」

 

  照れずにそこまで言えるなんて、すごいなぁ。これが年齢の――というか、人生経験の差なのかなぁ。私もこれくらいはっきり言えたら、また違うのかなぁ……。

 

「まあ、でも、というか、だから、というべきか、ともあれ告白とか、そういうのを必要とせずにいまに至ってるんだよねぇ」

 

「つまり、よく言う『友人以上恋人未満』っていうやつですか?」

 

 まるでマンガみたい、と思ってそう口にすると、

 

「それとは違うと思うよ。恋人だけど、口に出して『恋人』とか言ったことは一度もないってだけ」

 

「それで、いいんですか?」

 

「いいんじゃないかな。わたしだってまだ彼との将来を具体的に考えてるわけじゃないし。要は気持ちが繋がってるっていうことが大事なんだよ」

 

「将来って……?」

 

 なんとなく予想はついたけど、つい尋ねてしまった。だって、恋人との『将来』っていったら、やっぱり……。

 

「ん~、まあ、結婚とか? でもわたし、あんまり結婚願望ないんだよねぇ。ひとつの所に留まってるよりも、あちこちを旅してるほうが好きだし。――わたし、放浪癖(ほうろうへき)があるから」

 

 あまりそうは見えない。どちらかというと、家庭に収まっている良妻賢母(りょうさいけんぼ)タイプに思えた。しかし本人が言う以上、そうなのだろう。

 

 ふと、彼女が台所で料理などをしているところを想像してしまった。……なんだかすごく絵になる光景のような気がする。

 私が少し黙っていると、この話はこれでおしまい、という風にサーラさんが尋ねてきた。

 

「ところで、わたしに訊きたいことがあるとか言ってたよね? それってなに?」

 

 そういえば、喫茶店でそんなことを言った覚えがある。これは私の知的好奇心からくる質問だった。知っていても、そうでなくても、蛍が問題に直面しているという現状は変わらないだろう。

 でも、もしかしたらなんらかの突破口になるかもしれないから、と心の中で言い訳して、私はサーラさんにその質問をした。

 

「それは――」

 

○式見蛍サイド

 

 

 明けて翌日、月曜日。

 

 学生なら平日には必ずそうするように、僕は学校へとやってきていた。

 扉を空け、自分の席へと向かう。ユウも授業が始まるまではいつものように僕と一緒に行動するつもりのようだ。

 

 そう、結局『異世界からやってきた人間』が増えようと、『闇を抱く存在(ダークマター)』とかいう奴を倒そうと、僕の日常に大きな変わりはないわけで。というより、日常が変わることなんて望んでもいないわけで。

 

 昨日までの疲れが少し残っているからなのだろう。なんとなく身体がだるく、重い。一言で言ってしまえば、かったるい。

 僕の隣の席に鈴音の姿を認め、これまたいつも通りに声をかける。彼女、ここのところ朝は決まって機嫌が悪かったが、さて、今日はどうだろう。

 

「おはよう、鈴音」

 

「あ、おはよう、蛍」

 

 とりあえず機嫌は悪くないようだ。一安心。

 

「ユウさんも、おはよう」

 

「おはよう、鈴音さん」

 

 平和だなぁ……。うんうん、平和が一番だよ、やっぱり。などとしみじみとしていると、

 

「そうそう、蛍」

 

「ん? なんだ?」

 

「昨日の夜、色々とサーラさんから聞いたのよ」

 

「色々と、ねぇ。それで?」

 

 あとになって思えば、このとき軽々しくうなずいたのは失敗だったかもしれない。

 

「例えば『聖戦士』とかのことね。ニーナさんとシルフィードさんがそういうことを話してたけど、憶えてる? 蛍」

 

「ああ、憶えてるよ。『聖戦士』だからやれたんじゃなく、やれたから『聖戦士』なんだ、とか言ってたあれだろう?」

 

「そうそう。それでサーラさんはその『聖戦士』だったのよ」

 

「――『聖戦士』って、戦いが強い人のことだと思ってたけど……?」

 

「サーラさん、けっこう強いらしいけど?」

 

「マジで……?」

 

「うん」

 

 なんだか、サーラさんに抱いていた年上の女性に対する幻想みたいなものが音を立てて崩れた……気がした。普段はあんなにおしとやかそうだけど、いざ戦いとなるとバリバリ攻撃したりするのだろうか。それも肉弾戦とか……?

 

「で、『聖戦士』は全部で七人いてね。まず以前ニーナさんが蛍のアパートで言っていた『聖蒼の王(ラズライト)』の力を継いだ人、『虚無の魔女』ミーティア」

 

「なんだか悪人っぽい称号だな」

 

「称号というか、二つ名らしいけどね。それで、二人目、『爆炎(ばくえん)の戦士』アスロック。それと『天空の神風(かみかぜ)』ドローア」

 

「ドローア? その名前、どこかで聞いた気が……」

 

「ほら、ケイ。昨日、マルツが言ってたじゃん。『現代の三大賢者』のひとりに『沈黙の大賢者』ドローア・デベロップがいるって」

 

「あ、ああ。それで聞き覚えがあったのか。――なあ、鈴音。その『天空の神風』っていう二つ名の『聖戦士』って、そのドローアのことなのか?」

 

「さあ……。サーラさんからは名前しか聞かなかったから」

 

「苗字は分からないってわけか」

 

「うん……。で、四人目、『静かなる妖精』セレナ。五人目はサーラさんのパートナーらしいんだけどね、『悪魔殺し(デモンズ・キラー)』ファルカス」

 

 『悪魔殺し(デモンズ・キラー)』……、うん、すごい二つ名だな。敵に回したら怖そうな予感がヒシヒシとする。

 

「六人目はサーラさん。二つ名は『地上の女神』だって」

 

「なんか、すごく『らしい』二つ名だな」

 

 僕のその言葉に鈴音は軽く笑って続けた。

 

「そうね。それと最後の七人目は『黒の天使』ニーネ」

 

「ニーネ? そういえば昨日も喫茶店でそんな名前が出たけど……」

 

「ニーネさんはニーナさんと同じ『界王(ワイズマン)悪夢を統べる存在(ナイトメア)の端末』なんだって。サーラさんはニーナさんたちのことを『彼女たちは同一にして別個の存在』だって言ってたけど。あ、人間でいうところの双子みたいなもの、とも言ってたわね」

 

「分かるような分からないような……」

 

「それで七人が『聖戦士』と呼ばれることになった経緯(いきさつ)だけど――」

 

 うっ……。これは本格的に長い話になりそうだ。なので話題の転換を図ることにする。

 

「それはそれとして、鈴音。昨日の喫茶店でのことだけどさ。あの黒いワンピースを着た女の子のこと、憶えてるか?」

 

「え? うん。蛍、彼女が誰か知ってるの?」

 

「いや、知らない。だから鈴音に訊こうと思ったわけなんだけど。鈴音は知ってる感じだったし」

 

「そうね……。一応は知ってる……かな」

 

 なんか、微妙な返事だった。『一応』って、『かな』って……、なんか、歯切れ悪いなぁ……。

 

「彼女とは直接的な面識は正直、あまりないのよ。会ったのもあれが初めて。ただ、同業者ではあるから、顔は知ってたの」

 

「同業者? つまり、彼女も霊能力者?」

 

「彼女もそうだけど、彼女の家が、ね」

 

 鈴音はなぜか憂鬱そうに息をつく。まあ、同業者ともなると色々なしがらみがあったりするんだろう。それくらいは僕でもなんとなくは分かった。

 

「彼女の名前は九樹宮(くきみや)九恵(ここのえ)。九樹宮家の長女で、霊能力者の能力としては、まあ、使い方にもよるけど、多分私よりは上でしょうね」

 

「九樹宮九恵……」

 

 特に意味もなく彼女の名前を口の中で転がしてみる僕。しかし、それがいけなかったらしい。

 

「ところで蛍、どうしてそんなに彼女のことを気にしてるの?」

 

「いや、なんとなく」

 

「本当に?」

 

「本当だって……」

 

 なんだか、鈴音の機嫌がまた悪くなり始めているようだった。僕が一体なにをしたっていうんだよ。まあ、これも僕の『日常』なんだけどさ。でもやっぱり、

 

「死にてぇ……」

 

 鈴音の問い詰めが激化する前に先生が教室に入ってきて、チャイムも鳴ってくれた。あとは授業を受けている間に鈴音の機嫌も直ってくれることだろう。そう思いたい。

 

 そして、ホームルームが始まった。



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第七話 つながる輪、つなげられる輪。(後編)

○九樹宮九恵サイド

 

 

 事件はその日の昼休みに起こった。

 私が私の通う高校――都麦(つむぎ)学園の自分のクラスで昼食を食べ終えたところで、

 

「たっ……、大変だ! 篠倉(しのくら)さんが!」

 

 そう叫んで男子生徒が飛び込んできた。

 運動系の部活をやっているのだろう。引き締まった体躯と、スポーツ刈りにしている頭。髪は黒。さわやか好青年といった感じの顔立ち。

 

 ふむ、彼は私の記憶が確かなら、木ノ下(きのした)(しゅん)という名のクラスメイトのはずだ。私と、その篠倉(しのくら)(あや)の。

 彼は大声で続ける。

 

「しっ……、篠倉さんが屋上から飛び降りようと……!」

 

 私はその言葉を聞いて即座に立ち上がった。

 

 ここで私のことを誤解されても困るのだけれど、私は別に彼女の心配をしたわけではない。彼女とは別に友達というわけでもない。ただ、やはり自分の通う高校で飛び降り自殺なんてあったら、誰だって愉快には思わないだろう。それをしようとしているのがあの篠倉綾なのだから、なおのこと。

 

 それに、これが一番重要なことなのだが、私には彼女に用がある。だからいま死なれては困る。昼食を終えたらコンタクトをとろうと考えていたくらいなのだから。

 

 せめて放課後なら、おそらく止めはしなかったのに……。

 そんなことを考えながら、私は全速力で屋上へと向かった。

 

 ◆  ◆  ◆

 

 腰ほどまである長い髪を吹く風に遊ばせている私のクラスメイトの少女――篠倉綾はこちらに背を向け、手すりに両手をかけていた。

 なるほど、確かにこれは自殺しようとしているように見えるだろう。

 

 しかし私には()えた。

 

 飛び降りまいと必死に抵抗している彼女の精神(こころ)が。

 

 そしてもうひとつ。彼女にとり憑いている『両の腕を持たない悪霊』の姿が。

 

 だから私は、スカートのポケットから一枚の札を取り出し、

 

「――オン!」

 

 その悪霊に思念を送る。

 

 しかし……『完全憑依型』ではないものの、人間に憑依できるだけあって、なかなかに手ごわい。

 

 しばし、せめぎ合いが続き――

 

 ――バリッ!!

 

 ようやく引き剥がすことに成功した。

 そのまま向かってこられたら少々マズいことになっていたのだが、悪霊は幸い、そのまま空の彼方(かなた)へと逃げていく。

 

 視線を戻すと、意識を失ってその場に崩れ落ちている篠倉綾の姿。さて、記憶を失っているだろうから、どうやってフォローしたものか……。

 

 しかし彼女、よくあんな悪霊に抵抗できていたものだ。普通、数秒で自分の意志を失うはずなのに。

 まさかとは思うけど、この娘、一度悪霊に憑依されたことがあるんじゃ……。

 

 まあ、それはどうでもいいか。とりあえず昼休みの間に話したいことがあるし、起こすとしよう。

 私はしゃがみ込んで彼女の肩を軽く揺さぶった。

 

 さて、どうやって『彼』のことを尋ねたものか……。

 

○式見蛍サイド

 

 

 放課後。クラスを出ながら、僕は鈴音に話しかけた。

 

「あ、僕はスーパー寄っていくけど、鈴音はどうする?」

 

「あれ? 昨日買い物したんじゃなかったっけ?」

 

「したけど、大抵のものはマルツに食べられたんだよ……。アイツ、あそこまで大食いじゃなかったと思うんだけどなぁ」

 

 そこでマルツをフォローするように口を開くユウ。

 

「マルツは『魔法力を多く消費したからだ』って言ってたよね」

 

「え? そうなの? じゃあサーラさんの場合も……?」

 

 額に汗をかきながら鈴音。そのまま黙り込んでしまう。

 

「それでどうする? 鈴音」

 

「あ、うん。私は先に帰ることにするよ。りんとサーラさんが待ってるだろうしね」

 

「まあ、そうだよな」

 

 あの二人なら人の言うことを聞かずに暴走することはないとは思うけど。マルツとは違って。……はぁ、同居人を交換してほしいなぁ、ユウとりん、マルツとサーラさん、といった具合に。いや、やましい考えは抜きにして。

 

 ちょっと想像してみる。……うん、ユウとマルツがいるのに比べて、なんと平穏そうなことか。……ん? なんだろう。ユウはともかくとして、マルツが鈴音の家で暮らしているところを想像したら、妙にムッときたぞ。一体なんだっていうんだ?

 

「あ、ねえケイ」

 

 黙り込んだ僕の袖を引っ張ってユウが校門のほうを指差す。考え込んでる間に校舎からは出たらしい。無意識に上履きから外履きに履き替えてもいるんだから、無意識下の行動ってけっこうすごい。

 いや、それはともかく。

 

「誰だろうね? あの人」

 

「さあ、僕に訊かれてもな……」

 

 校門の所には豪奢(ごうしゃ)なドレスみたいな服を着た金髪碧眼の少女の姿があった。髪は軽くウェーブがかかっており、腰くらいまでありそうだ。遠目にもけっこうな美少女(美女?)だと分かる。

 年の頃は僕より少し上、といったところだろうか。大人びて見えるが、いくらなんでも二十歳にはなってないと思う。おそらく。

 

「――あれ? あの人は……」

 

「ん? また知ってる相手か? 鈴音。最近鈴音がらみの因縁、多くないか?」

 

「因縁って……。私もとっさに名前が出てこないのよ。どこかで見た覚えのある顔だとは思うんだけど……」

 

「知り合いに似てる、とか?」

 

「うん。印象としてはそんな感じ」

 

 と、そこで金髪碧眼の少女はこちらの姿を認めたらしく、ツカツカという効果音がぴったり合いそうな歩調で歩いてくる。ここ、校内なのに無断で部外者が入ってもいいんだっけ……? まあ、ゆるーい学校だから問題ないか。あの外見のせいか、注目はすごく受けてるけど。

 

 僕の前まで歩いてきて、彼女はようやく口を開いた。

 

「――見つけましたわ。あなたがわたくしの探していた『歪み』の源ですわね」

 

 僕はその彼女の自己紹介もなにもない第一声に、しかし、絶句していた。

 

 なんで、僕が『歪み』だって知っているのだろう……。

 

 絶句している僕たち三人に構うことなく、彼女は続けてきた。

 

「初めまして。わたくしはスピカ・フィッツマイヤー。『歪み』の源を処理する者ですわ。以後、お見知りおきを」

 

 その言葉に僕たちは、やはり絶句するしかなかった。『処理』の意味があまりにも簡単に推測できてしまったから――。

 

○九樹宮九恵サイド

 

 

 篠倉綾から聞き出せたことは、どれもあの男――黒江のもたらした情報を裏づけるものばかりだった。彼の通う学校、よく行くスーパー、登下校の際に利用する駅。

 ただ、彼の能力と、その望み、それと彼が『世界の歪みの中心』であることは彼女も知らなかったようで、まったく裏づけがとれなかった。

 

 肝心なことのみ裏づけがとれずじまいで、私は苛立たしげな息をついた。これでは徒労とそう変わらない。

 そんなことを思いつつ商店街を歩いていると、前から見知った男が歩いてきた。

 

 黒いスーツに身を包む二十七、八歳の男性――黒江だった。

 私が視線を向けると、黒江は(ほが)らかに声をかけてくる。

 

「やあ、お嬢さん。裏づけのほうはとれたかい?」

 

 どうやらこちらの動きは読まれていたらしい。だからといって別に私に困ることなどないわけだけど。

 

「大体はね。肝心なところは分からずじまいだったけど」

 

「しかしお嬢さん、君はまだ私のことを信用していないようだね。本当に裏づけをしているんだから」

 

「信用されてると思っていたの?」

 

「さて、どうかな」

 

 付き合いきれない。私が歩き出すと、彼は隣に並んで続けてきた。

 

「ところで《見えざる手》はどうだった? 手ごわかったかい?」

 

「《見えざる手》?」

 

 頭の中で検索をかける。しかしそんな固有名詞はヒットしなかった。

 それを見透かしたかのように口を開く黒江。

 

「今日の昼にお嬢さんが戦った『両の腕のない悪霊』のことだよ」

 

「なんでそのことを……!」

 

「私はなんでも知っているのさ。どうだい? これで私のことも信用する気になったかい?」

 

 信用なんて、できるはずもなかった。この男は正直、恐ろしい。それでも、彼のもたらす『情報』は信用できそうではあった。

 

「時と場合によりけりね。それで、彼が『霊体物質化能力』という能力(ちから)を持っているのも本当なの? また、彼がこの世界と別の世界の境界を曖昧にしているというのも?」

 

「もちろん本当のことさ。まあ、私としてはお嬢さんの信じたいように信じてもらえれば、それで構わない」

 

 つかみどころの無い返答だった。しかし私はそれを無視して、こう返す。

 

「もしそれが本当なら――私や九樹宮家は彼の敵に回ることになるわよ」

 

「九樹宮家はともかく、君は彼の敵にはならないさ」

 

「それはどうかしらね。確かに私は彼を積極的に排除しようとは思わない。でも危険と判断したら家に報告くらいはするわ」

 

「そうだな。確かにそうするかもしれない。けれどお嬢さん自身は彼の敵にはならない。絶対にね」

 

「なにを根拠にそう言うの?」

 

「さて。君の胸に訊いてみれば分かることじゃないかな?」

 

 知った風なことを言う男だ。しかし、それが事実であることも、認めざるを得なかった。同時に悟る。いまになってようやく。この男は私の心を見透かしている、ということを。

 

「そうそう、もうしばらくしたら彼はいつも行っているスーパーに寄るんじゃないかな。彼にもう一度会いたかったら君も行ってみたらどうだい?」

 

 肩をすくめてそう言うと、黒江はおそらく意図的に歩調をあげ、私の前に出る。そしてそのまま歩調は緩めずに、商店街の角を曲がって行った。

 

 黒江の姿が完全に見えなくなると私は得体の知れないあの男の恐ろしさに、思わず身を震わせてしまった。

 それから身を引き締めるため、背筋をピンと伸ばす。そしてわずかに胸の鼓動を高鳴らせ、ゆっくりとした歩調で彼がよく行くスーパーに向かって歩き始めた――。

 

○???サイド

 

 

 これで私のシナリオ通り、式見蛍とお嬢さんは再び会うことになるだろう。

 

 さて、フィッツマイヤー家の人間も彼と接触したようだし、私もこれまで以上に上手く立ち回っていかなければ。

 

 そうそう、魔風神官(プリースト)シルフィードと、彼女の創りだした《見えざる手》のことも忘れてはならないな。

 

 それと予想外の存在、マルツ・デラードのことも、だ。

 

 とにかく、すべての事柄が式見蛍の成長に繋がるようにシナリオを書いていかなければ――。



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第八話 究極の遊戯(その一)

星川(ほしかわ)陽慈(ようじ)サイド

 

 

「君が陽慈くんだね?」

 

 そんな言葉がいきなり投げかけられたのは、オレが商店街をブラブラとしていたときのこと。

 

「?」

 

 怪訝な表情をしつつも声のしたほうに顔を向け、オレは更に怪訝な表情を浮かべることとなった。なぜなら、そこに立っていたのはオレのまったく知らない人だったから。

 黒いスーツに身を包んだ、二十八くらいの背の高い男性。……はて? この人はオレの知り合いじゃ……ないよなぁ……。でもオレのことは知ってるようだし……。

 

「蛍くんからちょっと伝言を預かっていてね。――知ってるよね? 式見蛍くん」

 

 オレの戸惑いをまったく無視してセリフを続けてくる男性。オレは怪訝な表情はそのままに、

 

「知ってる、というか、友達ですけど……。あなたは?」

 

「ああ、私は黒江という者でね。君のことを知っていたというのは、まあ、蛍くんから聞かされていたからなわけなんだが」

 

「黒江さん、ですか……。――あ、伝言って言いましたよね? 蛍、なんて?」

 

 彼は軽く肩をすくめて、空を仰いだ。

 

「なんでも、スーパーに来て欲しい、とかなんとか……」

 

「スーパーに、ですか? わかりました」

 

「……『わかりました』って、なんで来て欲しいのかも聞かされていないのに行くのかい?」

 

「理由なら蛍に会ってから訊きますよ。じゃあ――あ、伝言、ありがとうございました」

 

「あ、いや、どういたしまして」

 

 オレはすぐさまスーパーの方へと足を向ける。すると、後ろから黒江さんの声が小さく届いた。

 

「君は相当なお人よしだな……」

 

 ……そうだろうか?

 その後に続いた言葉はよく聞き取れなかったが、

 

「彼のほうはこれでよし、と。次は木ノ下 瞬のほうか。……これで少しは面白く――」

 

 そんな感じのことを言っていた。

 木ノ下っていうのは 二年の――篠倉のクラスの奴じゃなかったか?

 そういや篠倉、今日もなんか騒ぎを起こしてたな。いや、九樹宮もいたから、騒ぎに巻き込まれていただけという可能性もあるか。どっちにしても、厄介事に歓迎されてる奴だよなぁ……。

 

○式見蛍サイド

 

 

「死にてぇ……、というか、近いうちに本当に死ねそうだよなぁ、僕」

 

 そう呟きながら、ユウと二人、夕暮れの近い商店街をとぼとぼと歩く。

 実際、なんなんだ、あの金髪碧眼の少女は。まさか僕を殺しに来たなんて、昨日ニーナが喫茶店で言ってたとおりじゃないか。……これってやっぱり――

 

「ねえ、ケイ。これってやっぱり、『世界の復元力』の影響なのかな……?」

 

 隣を歩くユウが僕の気持ちを代弁してくれる。

 

「ケイが死んだりなんかしたら、『世界』にとってはよくない――んだよね?」

 

「昨日、ニーナは『それはボクの見解にすぎない』とも言ってたけどな。まったく、どっちなのかはっきりして欲しいもんだ……」

 

 ちょっと皮肉交じりにそう口にして、僕はついさっきの、『彼女』との邂逅を回想してみた。

 

 ◆  ◆  ◆

 

「初めまして。わたくしはスピカ・フィッツマイヤー。『歪み』の源を処理する者ですわ。以後、お見知りおきを」

 

 その言葉に僕、ユウ、鈴音の三人はただただ絶句するしかなかった。誰も、口を開けなかった。その沈黙の意味を彼女――スピカ・フィッツマイヤーはどう取ったのか、

 

「……ちょっと、どなたかなにか言っていただけませんこと? せっかく格好よく決めたというのに、これでは間が抜けて見えるではありませんか。……それとも、わたくしの日本語、どこかおかしかった、とか……?」

 

 急に不安そうに視線をあちこちさ迷わせる。

 

「えっと、『処理』の意味は……間違っていませんわよね? この場合は『問題を解決させていただく』という意味ですけれど……」

 

 ああ、問題を解決するつもりなのか……。ん? 問題を解決? ということは……。

 

「別に僕を殺しに来たわけじゃないってこと……ですか?」

 

 初対面の相手には、なんとなく敬語を使ってしまう僕。

 

「ええ。そのような野蛮な解決策、わたくしは取りたくありませんから。あなたの中にある『歪み』を取り除くのがわたくしの目的です」

 

 真っ暗だった目の前が、パッと明るくなった気がした。なんだ、僕を殺しに来たわけじゃなかったのか。

 ……いや、僕は自殺志願者だから、殺されないことを喜ぶのは変だと思われるかもしれないけど、やっぱり嫌なものだよ。殺されるのは。僕は『殺されたい』んじゃなくて、ただ『死にたい』だけだから。苦しむことなく、ただこの『世界』からいなくなりたいだけなんだから、やっぱり殺されないとわかれば、そりゃ、ホッとは、する。

 

「今日はあなたに挨拶に来ただけですわ。やはり直接会ってみないことには、『歪み』の度合いも完璧にはわかりませんし。

 それにしても、やはりあなたの持つ『歪み』は桁違いですわね。こうして顔を合わせてみると、よくわかりますわ。なんでこんな大きな『歪み』を人間が内包していられるのか――」

 

「あの……」

 

 さっきからずっと沈黙していた鈴音が手を軽く挙げた。

 

「フィッツマイヤー、ということは、やっぱりシリウス・フィッツマイヤーさんの親戚の方ですか?」

 

 そう訊いた瞬間、フィッツマイヤーさんの眉が険しい角度にピクリと上がる。

 

「シリウスはわたくしの兄ですが、なぜあなたが兄のことを……?」

 

「あ、妹さんだったんですか。道理で似てると思いました。――えっと、シリウスさんは私の本家に来たことが何度かありまして、そのときにちょっと話したりしたんですが――」

 

「本家? じゃあもしかしてあなた、神無家か九樹宮家の人間ですの?」

 

「えっと、神無家の人間です。神無鈴音といいます」

 

 頭をペコリと下げた鈴音を見て、フィッツマイヤーさんはちょっと驚いたような、どこか呆れたような、そんな表情になった。はて? なんでだろう?

 

「神無の本家にはわたくしと同年齢の人間がいると聞いてはいましたが――」

 

「ええっ!? フィッツマイヤーさんって、鈴音さんと同じ歳なの!?」

 

 ユウが大声で鈴音と彼女の会話に割り込む。いや、これはちょっと失礼だろう。まあ、フィッツマイヤーさんが十七歳だという事実には僕も少なからず驚いたけどさ。

 金髪碧眼の少女は、ユウのことは完全に無視して、話を続ける。

 

「あなた、神無の人間だというのに、彼を完全に放置しているのですか? 本来、彼に関することは神無家と九樹宮家がどうにかするのが慣例になっているというのに……」

 

 相当呆れたらしく、額に手を当てて空を仰ぐフィッツマイヤーさん。でもなんか僕、彼女の中で酷い扱いになってないか? 下手するとモノ扱い? それも爆弾とか、そういう感じの。僕の被害妄想だといいんだけど……。

 

「別に、放置するとか監視するとか、そういう必要は――」

 

「それ、本気で言ってますの? 彼の持つ危険性があなたには微塵も感じられない?」

 

「――そういうわけでは、ないですけど……」

 

 鈴音のセリフは段々小さくなっていって、消えた。僕からすれば彼女のそんな姿は見ていられなくて、「でもさ」と口を挟む。

 

「これからフィッツマイヤーさんも一緒に考えてくれるんでしょ? 僕の『能力』をどうするべきか」

 

 最悪、怒鳴られる可能性もあったわけだけれど、彼女は実に冷静にうなずいた。

 

「そうなりますわね。どうするのが一番か、わたくしなりに考えていくことにしますわ。とりあえず、今日はこの学校の敷地内に入る許可をとって、明日からあなたを監視させていただくことにします」

 

「監視……ですか」

 

「観察、と言い換えてもかまいませんけどね。どうやって『歪み』を取り除くのか、その方法はあなたの生活パターンから考える必要がありそうですし」

 

「はあ、まあ、学校内くらいでなら、お好きにどうぞ。……ユウみたいに家にやってきてまで、というのは困りますけど……」

 

「それでは、わたくしはこれで。学校長から許可をいただかなければなりませんし」

 

 言ってざっと鳴らして僕たちの横を抜けていくフィッツマイヤーさん。しかし途中でその足音はやみ、

 

「そうそう、蛍、言い忘れてましたわ」

 

「なんです?」

 

 もう呼び捨てなんだ、しかも名前で。そんなことを思いつつ後ろを振り返ると、そこには予想もしていなかった厳しい表情をしたフィッツマイヤーさんの顔があった。

 

「もし、解決策が見つからなかった場合は、あなたの殺害も当然、考慮はしています。無論、そんな野蛮な解決策、わたくしは採りたくないのですが、それ以外の解決策がないという可能性もまた、考えられはしますので」

 

 ……そりゃないだろ、さっきまでの会話の流れからして……。

 

「全力は尽くしますが、あなたも一応、そのつもりで」

 

 踵を返し、悠然と校内へと向かって歩いていくスピカ・フィッツマイヤー。……そのつもりでって……、一体どんなつもりでいろっていうんだよ、ったく……。

 

 僕たち三人は、彼女が校内に入ってからも、しばらくその場を動けなかった――。



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