境界線上のクルーゼック (度会)
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旅立ち

タイトルで分かった方もいらっしゃると思いますが、複数のサイトで投稿しているものです。
小説家になろうさん、arcadiaさん、それからsswikiに同じものが置いてあります。
今回は以前に完結していた分に改稿を加えた物となっていますが大筋は変わりません。
それでは。
※それ以外で消せる所は消しました。


「ねぇ…本当にいいの?岡部倫太郎?」

 

鈴羽は不安そうにこっちを見る。

 

「あぁ、俺が決めたことだ」

 

そう。俺は後悔することはない。

 

少なくとも俺だけは。

 

目の前にいる彼女が記憶を失うことを知っている。

 

俺だけが識っている。

 

思えば、まゆりや紅莉栖やダルはよく俺と共にいてくれたと思う。

 

あいつらがいてこその未来ガジェット研究所だ。

 

誰か一人でも欠けてはならない。

 

俺は、ラボメンナンバー001狂気のマッドサイエンティスト鳳凰院凶真だ。

 

まさかラボメンが増えるなんて夢にも思ってなかった。

 

ただの三人だけのサークルのようなものままだと思っていた。

 

俺は、ラボメンの味方だ。

 

あいつらには幸せな未来を付かんで貰いたい。

 

そして今目の前にいる未来から来た少女ダルの娘である阿万音鈴羽もラボメンの一人だ。

 

ラボメンが困っているのに手をさしのべないわけにはいかない。

 

例え過去に跳んで未来に戻れないとしてもだ。

 

恐らく、もう他のラボメンに会うことはないだろう。

 

縦しんば俺が今の時代まで生きていたとしてもその時はもういい年だ。

 

誰も分かるはずがない。

 

そして、目の前にいる鈴羽も俺と過ごした日々を忘れる。

 

その状況を想像して、一瞬自分が世界から取り残された感覚が背筋に冷たいものを流す。

 

「無理ならいいんだよ?」

 

俺の感情を読みとったかのように鈴羽は声をかけた。

 

それに答える代わりに鈴羽の頭を撫でた。

 

「え…な、なにすんのさ!!」

 

鈴羽は、顔を赤くして距離を取った。

 

「これが答えだよ。す……す、鈴羽」

 

なんだか、はぐらかされた気分だよ。と鈴羽は唇を尖らせた。

 

その顔が面白くて、愛らしくて俺は少し笑みを漏らす。

 

どう言われようとも俺はここに残るつもりはない。

 

俺は現実を受け入れる。

 

このままじゃ、まゆりも鈴羽も救えない。

 

俺は神様でもなんでもないから。

 

同じ時間にしがみつくのはもう飽きた。

 

同じ時の流れを薄く伸ばすのはもうウンザリだ。

 

俺はこの未来を変える。

 

 

タイムマシンの中の造りは思ったよりも簡単だった。

 

「もっと色んな器具があるかと思ったんだが、意外とシンプルだな」

 

鈴羽は、そうかな?私にはこれが普通だから。と俺に問いにそっけなく答える。

 

細かい設定を終わらせた後鈴羽は俺の方に向き直った。

 

「ねぇ、岡部倫太郎?私はこのタイムトラベルをしたあと記憶が消えちゃうんだよね?」

 

鈴羽は悲しそうに俺に尋ねる。

 

あぁ。と俺が頷くと鈴羽は俺から目を逸らした。

 

やはり、辛いのだろう。

 

自分の記憶が消えるのを知っていても過去に跳ばなければならないというジレンマに囚われているに違いない。

 

「ね、ねぇ……岡部倫太郎?」

 

「ん?どうした?」

 

「えーとね」

 

鈴羽は、言いづらそうに手を遊ばせている。

 

普段は見ない珍しい光景だった。

 

滅多に見ない上目遣いの表情にもどこか照れが含まれている。

 

「その、手……手を繋いで貰ってていいかな?」

 

そう言うと鈴羽はおずおずと手を差し出す。

 

「ほ、ほら。だって過去に跳んだらこの気持ちも忘れちゃうんでしょ?岡部倫太郎のことも忘れちゃうし……」

 

鈴羽の声は震えていた。

 

俺は黙って鈴羽の手を握り返す。

 

柔らかい手だった。まゆりの手とそこまで変わらない。

 

この小さな手でどれだけの物を背負ってきたのだろうか。

 

「残念だが、もう、俺がこの手を離すことはないな」

 

慣れ親しんだ厨二病のような言動でしか場を和ますことが出来ない自分を恨んだ。

 

「なら、平気だね。あたしからは離さないよ」

 

その握られた手を見て鈴羽は意を決したようにこちらを見た。

 

「岡部倫太郎。あたしは……」

 

その言葉の続きを聞くことなく俺の体は強烈なGに襲われた。

 

視界が暗転する。

 

吐き気を催す程の強い振動。

 

日常生活では体感することのない感覚。

 

「……くっ!!」

 

頭が痛む。

 

この感覚は……。

 

「せ、世界線は変動した」

 

俺のリーディングシュタイナーが俺の脳に、直感的にそれを伝える。

 

やがて振動は収まった。

 

まだ二人の手は繋いだままだ。

 

お互いに約束は破らなかったのだ。

 

タイムトラベルというたった二人の孤独。

 

「おい。大丈夫か?」

 

手を離して、鈴羽の肩を揺さぶった。

 

「う、うん……」

 

まだ意識が混濁しているのか目をシパシパさせている。

 

鈴羽はようやく目を開けると、ゆっくりとこちらを見た。

 

驚いたように目を丸くするとどこか自信なさげにおどおどしながら俺を見ている。

 

「あ、あなたは誰…ですか?」

 

鈴羽は記憶を失っていた。

 

――そう。

 

分かっていた。

 

――これでいい。

 

覚悟していた。何を今更驚く必要があるだろうか。

 

――これが俺の選択だ。

 




何かあればお願いします。
とりあえず、時間が取れる間に投稿を終わらせたいと考えています。
それでは、失礼しました。
何度も目を通していただいている方には感謝の気持ちで一杯です。


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二度目の初対面

一日に複数回更新するかもしれません


「あなたは…誰ですか?」

 

鈴羽はもう一度同じ質問をする。

 

その自信なさげな声色を聞く度に俺の心は締め付けられる。

 

あぁ、俺は孤独になってしまった。

 

だが、鈴羽が俺みたいな目に遭わないだけでも大分救われた気持ちになる。

 

記憶喪失が幸福とは言えないが。

 

「あの……」

 

「岡部倫太郎」

 

「え?」

 

「俺の名前は岡部倫太郎。そしてお前の名前は……」

 

 

橋田鈴だ。

 

 

そう言うと鈴羽の頭を撫でた。

 

サラサラとした髪が手に触れる。

 

さようなら。

 

そして、ありがとう阿万音鈴羽。

 

俺と記憶を失うと分かっていても一緒に過去に跳ぶことを選んでくれて。

 

未来を変える為に自分を犠牲にした少女。

 

もうここには阿万音鈴羽はいない。

 

「橋田…鈴。それが私の名前ですか?」

 

鈴羽は自信なさげに首をかしげる。 

 

「あ、あぁ、そうだよ。鈴羽」

 

「鈴…羽?私の名前は鈴じゃないんですか?」

 

「いや、ごめん。昔の知り合いに君にそっくりな人がいたんだよ。それで間違えてしまった」

 

「そうですか……その…岡部さん。どこか痛いんですか?」

 

「え?」

 

「先程から泣かれているので……」

 

ハッとして俺は自分の頬を触る。

 

確かに濡れている。

 

涙なんて久しく流した記憶がなかった。

 

俺は恥ずかしくなって、慌てて自分の頬を拭う。

 

「こ、これは何でも……そう、ゴミが目に入ったんだ」

 

「そ、そうですか……」

 

それからしばらくの沈黙が続いた。

 

「――そういえば」

 

俺は、その沈黙に耐えられなくなって口を開いた。

 

「そういえば、す、鈴はなにを覚えてる?」

 

鈴?と自分の名前を呼ばれても一瞬誰のことだか分かっていないように首をかしげたが自

分のことだと分かり、はい。と返事をした。

 

「そうですね……名前や出身などプライベートなことは何にも……」

 

ごめんなさい。と深々と頭を下げた。

 

「い、いや別にいいんだよ。だから謝らないでくれ」

 

2010年の時の鈴羽とはうってかわってまるで赤子のようだった。

 

それも無理はない。

 

人の性格はその人生によって形成される。

 

言わば積み木の様な物だ。

 

それを根本から崩されては赤子のようになってもしょうがない。

 

アイデンティティの喪失。

 

俺だってきっとそうなったら鈴羽と同じような状態になっただろう。

 

そう考えると、俺は少し感極まって鈴羽の頭を撫でた。

 

「え……あ、ひゃ!!」

 

一瞬何をされたか分からなかったようだった。

 

「あぁ、ごめんな」

 

先程と違った反応に俺は面喰って、思わず鈴羽の頭から手を離そうとすると、

 

「あ、あの…その……そのままにしてくれませんか?」

 

「え?」

 

「いえ、なんだかその安心するんです。岡部さんに頭撫でられると」

 

遠い昔にも誰かにやってもらったような気がして、と鈴羽は俯きながら答えた。

 

「そうか、ならいいが……」

 

もしかしたら、俺が今まで巡ってきた世界線でもあったように、記憶なんてものは失くしたのではなく忘れただけなのかもしれない。

 

きっかけがあればすぐに思い出すかもしれない。

 

そう思うと俺の心は少し楽になった。

 

いつか機会があったら俺たちがいた2010年のことでも話してみるか。

 

「一つ…いいですか岡部さん」

 

「なんだ?」

 

「ここは一体どこなんでしょうか?」

 

俺も改めて周りを見回した。

 

タイムマシンの中で間違いなかった。

 

いまいちタイムトラベルした感覚もなく、実は失敗してどの時代にも跳んでいなくて外に出たら2010年のままのような錯覚を受ける。

 

そんなことはあり得ないのに。

 

鈴羽が記憶を失った時点で時代は跳んだのだ。

 

「あの……」

 

「ここはタイムマシンの中だ」

 

「え……でも」

 

そう言うと鈴羽は周りをキョロキョロ見回して首を傾げる。

 

「どうやってカー・ブラックホールの特異点を裸にしたんでしょうね……」

 

「なんだと……おい、鈴羽!!」

 

今なんて言った?

 

カー.ブラックホールだと?

 

俺が大きな声をあげると鈴羽は小さな声でごめんなさいと呟いた。

 

その瞳にはうっすらと涙が浮かんでいる。

 

「あぁ、ごめんな。鈴。怒鳴らないから許してくれ」

 

俺が謝ると、鈴羽は、はい。とうなずいた。

 

「それで、どうして、そんなことを知ってるんだ?」

 

「わかりません……ただ、例えば日本の首都は東京とか、1+1=2とかみたいに自分に関係

ないことは少しは覚えているようなんです……」

 

「そうか……」

 

流石ダルの娘だけあってタイムマシンに関する理論には詳しいらしかった。

 

「あの、私どうしてこんなこと知ってるんでしょう?」

 

鈴羽は不安そうに俺を見てきた。

 

「それもきっとそのうち思い出すよ」

 

なに、時間はたっぷりとあるのだから。

 

そう言って俺は鈴羽を抱き寄せた。

 

「あわわわ……」

 

顔を真っ赤にして言葉にならない言葉を発していたが、やがて落ち着いたようでゆっくりと顔を俺の肩に乗せた。

 

「最後に一つだけいいですか?」

 

「なんだ?」

 

「私と岡部さんの関係ってなんなんですか……?」

 

そんなもの決まってる。

 

あの日鈴羽を死なせたくなくてループし始めたその日から、

 

二人で過去に跳んだその時から、

 

「俺たちはな……恋人だよ」

 

自分の顔が熱かった。これまで経験したことのない恥ずかしさを感じた。

 

ただ自然と嫌な感じはしなかった。

 

鈴羽は、その言葉を聞くと目を細めた。

 

「やっぱりでしたか……」

 

安堵の表情を見せながら鈴羽は、俺の耳元で、

 

「私は幸せ者ですね。岡部さんみたいな人が彼氏で」

 

そう言うと、目を閉じた。



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二人ぼっち

こんばんは


「ん……」

 

どうやら俺たちは寝ていたらしい。

 

タイムマシンの中にいると時間感覚が狂うようで今が朝か夜かすら分からなかった。

 

「すー……」

 

隣を見ると鈴羽が規則正しく寝息を立てている。

 

その頭を軽く撫でると起こさないようにそっとその場を離れた。

 

ここに来て恐らく二日目。

 

俺たちの目的であるIBN5100を手に入れる前に衣食住を確保しなければなない。

 

住は最悪ここでも良いだろうが、食と衣はどうにかしなければならない。

 

ふと、2010年の鈴羽は虫とか草を食べるとか言っていたいたことを思い出すが、恐らくその記憶もどこかに消えてしまったに違いない。

 

ここで悩んでいてもしょうがないので俺は意を決してタイムマシンの扉を開いた。

 

人間の習性とは見事なもので、どうやらちゃんと朝に起きれたようだ。

 

太陽が俺の目を刺す。

 

「ここは……どこだ?」

 

辺りを見回すと俺の周りには緑が広がっていた。

 

鈴羽の理論によると座標は移動出来ないはずなのだが、ここはどう見てもラジ館ではない。

 

とりあえず、近場にあった看板を眺めてみる。

 

「秋葉原……」

 

そこから先は掠れて読めなかった。

 

どうやらここは秋葉原であることは間違いなかった。

 

「岡部さん?」

 

鈴羽の声が聞こえた。

 

その声に振り返ると鈴羽がタイムマシンからひょっこりと顔を出していた。

 

「あぁ、おはよう。鈴。起こしてしまったか?」

 

鈴羽はその問に首を横に振る。

 

「いえ、自然と目が醒めてしまいまして」

 

「……」

 

いや、記憶を失ってるから当たり前なんだが、鈴羽が俺に対して敬語を使っているのはむず痒い気がした。

 

「どうかなされましたか?」

 

不安そうに鈴羽は、俺のことを上目使いで見た。

 

……むず痒いというか、この鈴羽も悪くない気がする。

 

こういう鈴羽も悪くない。

 

「い、いやなんでもない。それよりは、腹とかは減ってないのか?」

 

平気です。と言ってタイムマシンから出てくる。

 

「しかし、岡部さんは起きるのが早いですね」

 

寝惚け眼を擦りながら鈴羽は体を伸ばす。

 

鈴羽の体から小気味のいい音が聞こえた。

 

さて、まずは今の状況を冷静に把握するが先決か。

 

「鈴羽。MTB借りるぞ」

 

少し見てくると言って俺はMTBを走らせた。

 

何を思ったか2010年の世界からMTBだけ持ってきていたのだ。

 

太陽の高さから考えて、朝のようだが、秋葉原はやけに静かだった。

 

「それにしても、この時代の秋葉原は本当に電気街だな……」

 

まぁ、当たり前と言えば当たり前なのだが、俺が初めて秋葉原に来た時は既に、オタク街として機能していたので少々据わりが悪い。

 

「……俺が初めてここに来たのは何年後の話だよ」

 

そう皮肉気に笑うと、もう開店している店があった。

 

俺はその店の正面にMTBを停めると、その店に入った。

 

なにやら電気機器の部品関連を取り扱ってる店らしい。

 

ブラウン管が入り口のところに鎮座していた。

 

それを見て俺はおお、と、少し感激を覚えた。

 

まぁ、この時代はブラウン管が主流だから当たり前なんだが。

 

俺が入り口にいるのを気付いたのか店主が顔を出してきた。

 

店主はいかにも店主みたいな髭面をして、しかめっつらをしていた。

 

「お客さん……学者さんかい?」

 

俺の白衣を怪訝そうな目で店主は見つめた。

 

「いかにも、俺は…」

 

「あぁ、別にいいよ。難しいこと言われても分からないから」

 

そう言うと店主は引っ込んだ。

 

久々に鳳凰院凶真を披露してもよかったのだが……

 

少し残念ではある。

 

しかし、考えてみるとこっちで鳳凰院凶真なんて披露する必要ないのかもしれない。

 

この時代にはきっと厨二病などは流行ってないだろうし……

 

もしかしたら奇人、変人扱いされてここらにはいれなくなってしまうかもしれない。

 

「すみません」

 

「……なんだい?」

 

奥に引っ込んだとは言え一応客が来ているので話は聞こえるようだ。

 

「IBN5100ってパソコン知ってますか?」

 

おう。という反応が返ってきた。

 

「なんか、もの凄く重そうなパソコンだよな?プログラミング言語が使われてるとかなんとかの」

 

そんなものより俺は軽くて薄いパソコンが欲しいねと店主はぼやいた。

 

「そのIBN5100は最近出たものなんですか?」

 

「さぁな。少なくともアポロが月に行ったのよりは後だと思うがな」

 

なにせ、情報なんてこんな専門誌でしか手に入らないしな。と店主は、薄い冊子を俺に投げた。

 

パラパラと目を通すと確かにIBN5100の情報が少し書いてあった。

 

「やはり高いな……」

 

当然俺の持ってきた新札なんて偽札と同じ扱いで逮捕されるに決まってる。

 

かと言って盗むってのも変な話である。

 

最低限2010年までは俺か鈴羽の下に置いておかなければ俺達がここに来た意味がない。

 

「しかし、学者さん……あんた随分若そうなのにそんなものに興味があるなんて珍しいな」

 

「どういうことです?」

 

「いや……大した意味は無いんだが、あんた位の年でそんなPCを知ってるのが珍しくてな」

 

「ええ……良く知ってますよ」

 

俺は口を歪めた。

 

へぇ、なんか因縁がありそうだね。と店主は興味深そうに俺を見た。

 

「少しこのPCには縁がありましてね……」

 

俺の言い方にただならぬ雰囲気を感じたのか店主は、面倒事はごめんだな。と言ってそれ以上聞いてこなかった。

 

ありがとうございました。と俺は一礼して本を近くの机の上に置くと店を出た。

 

少し話しすぎたな……

 

別にこの程度話したとしても未来になんら影響を与えないだろう。

 

俺が携帯を見せたわけでも、新札を見せたわけでもない。

 

ただ、あの店主がIBN5100に少し興味を持つだけだろう。

 

俺は、MTBを借りてから大分経ったので一度鈴羽のもとに戻ることにした。

 

「なにをやっているんだ鈴羽?」

 

「あ、おかえりなさい。岡部さん」

 

俺が帰ってくると鈴羽が何かを焼いていた。

 

「いえですね。このタイムマシンの中にライターが落ちてたんですよ」

 

「それで何を焼いてるんだ……?」

 

「さぁ……?」

 

そういえば2010年の鈴羽も草やら虫を食べてたと言っていたが、まさか覚えていたのか……

 

「あれ?どうされました岡部さん?」

 

「い、いやなんでもない」

 

「そうですか。あ、焼けましたよ」

 

岡部さんもお一つどうですか?鈴羽はソレを俺に手渡してくる。

 

やはり、なにか動物のようだった。

 

「う……」

 

俺はそこまでアウトドア派では無かったので、そんなに刺激的なものを食べたことは無い。

 

ゴクリと生唾を飲む。

 

しかし、腹が減ったのも事実でさっきからたまに腹が鳴っていたのもまた事実だった。

 

「まぁ、何事も経験だな」

 

ここで、病気にかかって死んだらこの時代に来た意味無くなるよな。と自嘲気味に笑いながらソレにかぶりついた。

 

ん……?

 

「意外にいけるな」

 

思ったより不味くは無かった。

 

ただ少し焦げすぎて苦い程度だ。

 

「そうですか。それは良かったです」

 

鈴羽は嬉しそうに目を細めた。

 

その顔を見て思わず俺は照れくさくなって目を逸らした。

 

その様子にふふ、と鈴羽は笑うと自分の分も食べた。

 

「で、だ」

 

「はい」

 

俺と鈴羽は食べ終わったあと公園の隅に二人していた。

 

「とりあえず当面の目標は家を探そう」

 

「はい」

 

俺は決まったことをそこら辺に落ちていた枝を使って地面に書いた。

 

傍から見たらいい年した二人が公園で地面に絵でも描いて遊んでるようにも見えるだろう。

 

「まずは、お金をどうするかですね……」

 

「そうだな……」

 

色々話して結局そこに行きついて、俺はため息を吐いた。

 

何かいい案は無いかと俺は顔を上げた。

 

「あ」

 

見つけた。

 

これは、盲点だった。

 

しかし、と俺はまた下を向き頭に浮かんだ考えを消そうとする。

 

確かにアレを売れば大分金になるだろう。

 

でもそれでいいのか?

 

「鈴……」

 

「はい?」

 

 

「タイムマシンをばらして売ろう」

 

 

俺の提案に鈴羽は少し驚いたように目を丸くした。

 

確かにこの時代に存在しないものは売れないだろうが、中には売れるものがあるだろう。

 

ただ、あのタイムマシンは、鈴羽とダルの親子の血と涙の結晶なのだ。

 

鈴羽は記憶を失った。

 

この状況でタイムマシンを失ってしまったら鈴羽とダルを繋ぐものは無くなってしまう。

 

俺は神じゃない。

 

多分強引に売ってしまうことは簡単だろう。

 

でも、俺にはそんなことは出来なかった。

 

唯一父と娘を繋ぐ絆を……

 

「いいですよ」

 

答えは――

 

俺の予想していたものと違っていた。

 

その言葉に俺は鈴羽を見つめる。

 

「岡部さんは相変わらず優しいですね。私は記憶を失いました。きっと岡部さんがそこまで言いだし辛かったってことはきっと私の記憶に関係しているものなんですね」

 

ですけど、と鈴羽は続けた。

 

「アレがタイムマシンか判然とはしませんが、もし本当だったら、私と岡部さんは未来から来たってことですよね」

 

俺は何も答えなかった。

 

「岡部さんがいなかった時に中を観察してましたけど、もう燃料がなくてあのタイムマシンは動きそうにないです」

 

驚いた。俺がいない間にそんなことをしていたのか。

 

「岡部さんも未来から来た。タイムマシンが動かない。未来に帰れない。つまり私達は……」

 

因果の輪から外れてしまいましたね。

 

そう鈴羽は言った。

 

確かにその通りなのだ。

 

俺達は本来この時代には存在してはいけない存在。

 

いるだけで世界はいびつに歪む。

 

「だからですね……」

 

俺の頭を鈴羽の腕が包んだ。

 

「一人で悩まないで下さいよ」

 

 

 

 

私達は孤独な二人ぼっちなんですから……

 

 

 

 

そう言って俺の頭を包んでいる力が強くなった。

 

「過去も大事ですけど、私達は今を生きていますからね」

 

失った過去にしがみついて死ぬのなら今を生きますと鈴羽は俺を諭すように言った。

 

「そ、それにですね。さっき調べた時にバッジとか私物みたいな物は回収したから平気ですよ」

 

「……あぁ、ありがとう」

 

なんでお礼を言うんですか。

 

そう言って鈴羽は笑った。

 

「いや、辛いはずなのに……」

 

「もう、岡部さんはしつこいですね。私の記憶は私の物です」

 

いつか思い出しますって。と鈴羽は立ちあがって両手を広げた。

 

それに……

 

鈴羽は急に俺に背を向けた。

 

「……記憶が戻らなくても、岡部さんがいてくれれば…私は……平気です」

 

俺の方から表情はうかがえなかった。

 

泣いてるのか、はたまた笑っているのか見当もつかなかった。

 

しかし、俺は今の台詞を思い出して少し口が緩んだ。

 

そして俺は深く息を吸い込む。

 

「流石ラボメンなだけあるな!!自らの記憶を犠牲にしてまでこの俺、鳳凰院凶真と破滅の混沌の世界を共にすることを選ぶとは。バイト戦士よ。今一度聞く!!本当に……いいんだな?」

 

「オーキードーキー。当たり前じゃん」

 

「え?」

 

今なんて言った?

 

一瞬で鳳凰院凶真の仮面が外れる。

 

鈴羽の方もなぜ自分がそんな言葉を口走ったか不思議そうな顔をしていた。

 

「今の言葉なんでしょう?やけに自然と口に出てしまいました」

 

不思議そうな顔をしている鈴羽の頭を俺は撫でる。

 

「これもまたシュタインズゲートの選択か」

 

「なんですかそれ?」

 

鈴羽が上目遣いで俺を見た。

 

 

 

「なに、大した意味はない」

 

 

 

そう言うと俺は笑みを漏らした。

 




なるべく今月中に投稿を終わらせたいですね。


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出会い

あの後俺たちはタイムマシンをバラバラに分解した。

 

勿論売るために。

 

まぁ、時間矛盾を起こさない為にそこまで売れる部品があるわけではないのだけれども。

 

時代が時代だったためか結構な値段で引き取って貰えて当面の資金は工面出来そうだった。

 

「あの、岡部さん」

 

「なんだ?」

 

部品を換金した後公園に戻ってきた時に、鈴羽は俺に喋りかけた。

 

「このバッジのことなんですけど……」

 

「…バッジがどうかしたのか?」

 

「いえ……私のバッジの番号はNO8じゃないですか。そして岡部さんはNO1。その間

の数字ってなんで空いているんですか?」

 

それに所々削れてアルファベットが読めなくなってますし。

 

と鈴羽はバッジを見ながら言った。

 

「あぁ、それは……」

 

ラボメンだ。と言いかけて俺は口をつぐんだ。

 

「なんだって?」

 

削れてる?

 

馬鹿な。

 

「鈴羽。ちょっとそれ、貸してくれ」

 

「だから、私は鈴羽さんじゃないですって」

 

鈴です。と言いながらバッジをこっちに投げた。

 

投げられたバッジを受け取ると確かにアルファベットの文字が擦れたというか、削れてい

た。何か来てあるようにも見えるが、視認出来なかった。

 

俺のバッジを確認してみても特に変化は見られなかった。

 

「やっぱ、時空を超えた時に擦れちゃったんでしょうか?」

 

だとしたら残念です。

 

と鈴羽は肩を落とした。

 

タイムマシンの中にいるのだからそれも考え辛いのだが。

 

「時空を超えた……」

 

その言葉がやけに耳にひっかかった。

 

時空、時間、時。

 

「世界線か……」

 

確かに1975年に跳んだ際に世界線が動いたのを感じた。

 

だとしたら、バッジの理由も説明できる。

 

 

つまりは、そういうことなのだ。

 

 

「どうかしましたか?」

 

「いや、なんでもない。多分擦れてしまったのだろう」

 

はぁ、残念です。とまた肩を落とした。

 

「まぁ、気にしても仕方がないだろう。大丈夫だ。昔の事は俺がしっかり覚えてる」

 

そう言って頭に手を置くと、鈴羽は二カッと笑った。

 

「そうですね」

 

なら平気です。と鈴羽は言った。

 

さてと……

 

俺達は入った金で1Kのアパートを借りた。

 

普通のアパートだ。

 

金はあるのだからもう少しレベルの高い物件も借りれたのだが、そこまで資金が潤沢では

ないので我慢した。

 

なにより鈴羽が気にいってる様子だったので、俺も不満はない。

 

あらかた、荷物も運び、二人して畳に寝転ぶ。

 

まだ簡単にしか掃除してないせいか、少し埃っぽかった。

 

「しかし……もう少し安くならないものなのだろうか……」

 

「なにがですか?岡部さん」

 

俺の一人言に鈴羽が反応した。

 

「いや、これなんだがな」

 

そう言うと俺は先ほど買った雑誌を見せた。

 

「IBN5100……パソコンですか?」

 

「そうだな。パソコンだ。この時代では最先端の技術だから高くて正直個人じゃ手が出せ

ない」

 

「こんなもの買ってどうするんですか?」

 

鈴羽は心底不思議そうな顔を向けた。

 

「そうだな……ラボメンを救うかな」

 

実際に救えるかどうかは知らないが、少なくとも俺はそのためにやってきたのだ。

 

「へぇ……じゃあなんとしても手に入れなきゃダメですね」

 

鈴羽はそう意気込んだ。

 

「……なんだか、私にも関係がありそうですからね。このパソコン」

 

鈴羽は、そう一人で呟く。

 

やはり何かしらの因縁は感じているのかもしれなかった。

 

「ちょっと夜風に当たってくる」

 

考えても解決しなさそうなので俺は起き上った。

 

「あ、私も行きます」

 

と鈴羽も立ちあがり後ろからついてきた。

 

この時代は2010年に比べて、まだあまり開発が進んでおらず、自然が数多く見られた。

 

「静かですね」

 

「そうだな」

 

最近という言い方もおかしいが、最近こんなにゆったりとした時間を過ごしたのは久々だった。

 

俺達は特になにも言わず無言でブラブラしていた。

 

ふと歩いていると、フェイリスが住んでたマンションが建つあたりに来ていた。

 

当然そんな高層マンションも建っているわけではなく更地に近い感じだった。

 

フェイリス達が生まれるのは、大体あと20年後か……

 

もう会うこともなさそうだな。

 

そう思いながら歩いていると、夜には似合わしくない喧騒が聞こえた。

 

喧嘩か?

 

そう思って野次馬根性で覗いてみると、いかにもというステレオタイプの不良数名と育ちが良さそうで高そうな本を持っていた青年が対峙していた。

 

「だから、ここ通るには交通料いるの!!分かってん?」

 

「ここは公道。むしろ君達がどけ」

 

余程自分に自信があるのか、それとも世間知らずなのか不良を挑発するような言動を見せた。

 

案の定不良たちはガンを飛ばし始めた。

 

「いいのかな。お兄さん。痛いだけじゃすまないかもしれないよ?」

 

そんな脅しに対して青年は、下らないというようにため息をついてその場を通りすぎようとした。

 

その行動で完璧に堪忍袋の緒が切れたのか、不良数名が青年に襲いかかった。

 

「岡部さん。ごめんなさい」

 

「え?」

 

俺の後ろにいた鈴羽が何か呟いた気がしたので振り向くと既に俺の前に立っていた。

 

「多勢に無勢はカッコ悪いですよ」

 

鈴羽の声に不良が注意をこちらに向けた。

 

ゴンッ!!

 

次の瞬間、不良の数名が倒れる。

 

「え?」

 

俺は間抜けな声を出した。

 

鈴羽も予想外だったのか目を丸くしている。

 

「ふぅ」

 

青年が一仕事終えた後のように額をぬぐった。

 

「て、てめぇなにしやがった?」

 

「別に。ただ、この本で殴った」

 

そうやって持っていた本を不良に見せると、確かに少し汚れていた。

 

勝ち目が薄いと悟ったのか、チッと悪態を吐くと不良は倒れた奴らを担いでいった。

 

「私が加勢する必要なかったみたいですね」

 

あはは。

 

勢いよく飛び出てしまった為に引っ込みがつかなくなってしまった鈴羽は照れたように

笑った。

 

その笑みを見て俺は心底安堵する。

 

確かに鈴羽は2010年にラウンダー達を倒しているから心配はいらないだろうが、それとこれとは話は別だ。

 

「大丈夫ですか?」

 

鈴羽は青年に声をかけた。

 

「あぁ、なんだかんだ言ってあいつらの隙を作ってくれてありがとう」

 

本の汚れを軽く払うとその青年は言った。

 

「というか、なぜ、女が先に出てきて男はいつまでもそこに隠れてるんだ?」

 

バレていた。

 

しょうがないので渋々路地から出る。

 

こうして正対して見ると俺と同じ位の年かもしれない。

 

「俺は運動が苦手でな。戦闘要員ではないのだ。なぜなら俺は狂気の……」

 

「偉そうに言うことなのか」

 

青年はため息を吐いた。

 

俺達に敵意が無いと分かったのか先ほどと打って変わって友好的な態度だ。

 

「さて、助けて貰った礼だ。飯でもどうだ?」

 

「え……私達はなにもしてないですよ?」

 

そう言うな。

 

青年は俺達を連れだってそこら辺の店に入った。

 

店内は仕事終わりの会社員達が各々酒に耽っていた。

 

「お、幸ちゃん。お疲れさん」

 

青年が入ってくるのを見ていた会社員がそう言うと、他の会社員も口口にお疲れと言っ

た。

 

「あぁ、気にしないでくれ。みんな父親の会社の社員なんだ」

 

そう言って適当に空いていた席に座った。

 

「さっきは、それなりに助かった。私の名前は秋葉幸高だ」

 

「秋葉幸高……」

 

どこかで聞いたことがある。

 

秋葉……

 

「あ」

 

「どうかしたか?」

 

「あなたは秋葉原でそれなりに土地を持っているか?」

 

「ん?まぁ、親父がここらの土地をかなり持っているのは事実だな」

 

秋葉は、それがどうしたという顔をしていた。

 

この青年は、フェイリスの父親だ。

 

実際に見たことがないから分からないが、恐らく間違いないだろう。

 

秋葉なんて珍しい名字はそうもいない。

 

それに、俺達が出会った場所もフェイリスが暮らしていた高層マンションの近くであった。

 

「そういうお前は学者かなんかか?」

 

秋葉は俺の白衣を見ながら訝しげな表情を見せる。

 

「ふふ、良いだろう。俺の名前を聞くがいい。俺の名前は、鳳凰院凶真だ」

 

「え?岡部さん何を言ってるんですか?」

 

ぐ。

 

鈴羽のせいで鳳凰院凶真の名乗りは失敗に終わった。

 

クスッと笑い声が聞こえた気がした。

 

「で、鳳凰院さん(笑)そっちの彼女は?」

 

「今、お前、(笑)ってつけただろ?」

 

さぁ?と惚けながらも秋葉の顔は笑っていた。

 

「あ、橋田……鈴です」

 

鈴羽が簡単に自己紹介をした。

 

「ふーん。二人ともこれもなにかの縁だ。よろしくな」

 

今日は俺が奢るから食べてくれ。

 

そう言ってメニューを俺達に渡した。

 

それから俺達は他愛もない話をしながら楽しいひと時を過ごした。

 

「中々面白いなお前ら」

 

帰り際にメモ帳から紙を一枚破ってペンでさらさら何かを書いて俺に渡した。

 

「これが俺の電話番号だ。なにかあったらかけてきても構わない」

 

そう言って、俺達と反対方向に歩いていった。

 

あれが、人の上に立つ人なんだと直感で理解出来た後ろ姿だった。

 

そして、俺はその後ろ姿に誰にも聞こえないように礼を言う。

 

ありがとう

 

と。

 

彼がいなければ、フェイリスが生まれなかった。

 

それに、2010年にIBN5100を俺達が手に入れることは無かったのだから。

 



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1975

「……いい人でしたね」

 

帰り道鈴羽そんなことを言っていた。

 

確かに、いい人だった。

 

俺は手のひらの中の折りたたまれた紙を見る。

 

この番号にかけることはあるのだろうか。

 

何か困ったことがあるならかけて来いとのことだったが、正直かけたくはなかった。

 

別にフェイリスの父親の人柄の問題ではない。

 

でも、フェイリスの父親に電話をかけることは、そういうことだから。

 

安易にかけない。俺はそう決めた。

 

人柄と言えば、俺と年はそんな離れていないのに俺なんかよりずっとしっかりしている人だった。

 

「そんなことないですよ」

 

俺の心の声が聞こえたのか、鈴羽は一人で喋りだした。

 

「だって、秋葉さんや、他のどんな立派な人だって、私の為に過去に跳んでくれる人なん

ていませんから」

 

そう言うと照れ隠しなのか、俺の数歩前を歩いて、くるりとこちらを向いてニカッと笑っ

た。

 

台詞と笑顔に俺は顔がカァッと熱くなるのを感じた。

 

「あら、岡部さんもしかして照れてますか?」

 

案外可愛いところもあるんですね。と鈴羽は言った。

 

俺はそんな鈴羽の言葉に苦笑いで返した。

 

携帯もパソコンも普及していない時代。

 

こうして直に触れあうことしか出来ない時代。

 

そんな時代も悪くないと感じた。

 

「あ、見て下さいよ。岡部さん」

 

そう言って鈴羽が指を指した先には神社があった。

 

縁日でもやっているのかやけに明るく出店も多く見られる。

 

「ねぇ、行ってみましょうよ」

 

俺の腕を掴んで、鈴羽は強く引っ張る。

 

連られて俺もそちらの光の方へ向かった。

 

ピークの時間を少し過ぎたせいか、そこまで混んでいるという印象は受けなかった。

 

そういえば、縁日なんて来たのはいつぶりだろうか……

 

大学に入ってからは勿論のこと、高校時代も行った記憶がない。

 

恐らく、まだ小学生の頃にまゆりと行った程度だろう。

 

「見てくださいよ。岡部さん」

 

そう言って鈴羽はある出店の前に立ち止まる。

 

小物や、アクセサリーを扱っている店のようだった。

 

「へいらっしゃい兄ちゃん。もしかして、そっちの可愛い娘は彼女かい?」

 

「ふふふ。やっぱそう見えるみたいですよ岡部さん」

 

鈴羽は、ギュッと俺の腕を抱えて店主にアピールをした。

 

ふと、抱えられた拍子に柔らかい感触がしてなんとも言えない気持ちになった。

 

妬けるなぁと店主は笑いながら俺達を見ている。

 

「あ、これ可愛いですね」

 

鈴羽は、一つの指輪を指さす。

 

サファイアを模した安い指輪だった。

 

「お、お嬢ちゃん。なかなかいい目をしてるね」

 

「はい。私九月生まれなんで」

 

そう言うと鈴羽は、顔を綻ばせる。

 

「なんで、サファイアを選んだんだ?」

 

「えーとですね。私、実は九月生まれなんですよ」

 

ですから誕生石はサファイアなんです。と鈴羽は、俺に説明した。

 

「そうなんだよ。兄ちゃん。石言葉は、『慈愛』さ」

 

いい彼女じゃねぇか。兄ちゃんよと店主は俺を冷やかす。

 

「そこまで言うなら、店主よ。あなたに乗ろうではないか。これを一つ貰おうか」

 

店主は、毎度ありーと意気のいい声を上げた。

 

「え、いいんですか。岡部さん。あのお金は……」

 

「大丈夫だ。値段も安いし、俺のポケットマネーで十分買える。それにあの金はお前の思

い出の結晶だからな。お前の為に使うのなら悔いはない」

 

そう言って鈴羽の頭の上に手を置いた。

 

すると鈴羽は、大人しくされるがままにしていた。

 

指輪を買うと俺達はその出店の集団を抜け出す。

 

人ごみで少し疲れたので、神社の縁側に腰かけた。

 

丁度死角になっているので、誰にも咎められることはないだろう。

 

「なぁ、す、鈴」

 

「はい。なんですか岡部さん」

 

「ゆ、指を出せ…違った。て、手を出せ」

 

俺が言い間違えることも気にも留めずに、はい。と鈴羽は、手を差し出した。

 

端正な手だった。細くて長いしなやかな指には思わず息を飲んでしまう。

 

「ほら、どの指にはめてくれるんですか?」

 

鈴羽は、俺で遊ぶかのように目の前で手をひらひらさせた。

 

「くっ、鈴よ。これでははめられないではないか」

 

「別にいいですよ」

 

そう言うと俺の手からひったくって自分で勝手に指にはめた。

 

「こんなところで岡部さんに指輪をはめて貰ったら勿体ないですからね」

 

次の機会を期待してます。そう言って鈴羽は、照れ笑いを見せた。

 

その笑い顔はとても気持ちの良いものだった。

 

 

俺達はまだ新しい住居に慣れていないせいか、結局家に着いたのは大分夜中になっていた。

 

「やっと着きましたね。岡部さん」

 

「そうだな。凄い遠周りをした気がする」

 

二人共疲れたのか家に着くなり、居間に倒れ込んだ。

 

電気も点けていないので月明かりだけが部屋を照らす。

 

月明りに鈴羽が勝手にはめたサファイアの指輪の光が反射していた。

 

「岡部さん」

 

「なんだ?」

 

「手を繋いでもいいですか?」

 

あぁ。と俺が頷くと、鈴羽は、おずおずと自分の指と俺の指を絡めた。

 

「今は月明りしか見てませんね」

 

「そうだな」

 

俺が相槌を打つと、ふと俺の視界から月明りが消える。

 

目の前に鈴羽の顔があった。

 

口唇に柔らかい感触が押しつけられる。

 

一瞬にも永遠にも感じられた。

 

まるで相対性理論かと思いだして、自嘲的に笑う。

 

「な、なにがおかしいんですか」

 

表情はうかがえないが、口調には焦りが見られた。

 

「別に大したことじゃない」

 

そう言うと俺は自ら鈴羽の唇を奪った。

 

誰も見ていない。

 

月明りの晩の出来事である。

 



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1975-Ⅱ

あれから何事もないまま数日が過ぎた。

 

生活面には全く不満は無く、むしろ好調だった。

 

俺は一人暮らしたことこそないが、一応、洗濯も料理も掃除も人並みには出来る。

 

まるで、主夫みたいですね。と鈴羽に笑われた。

 

なにもない日々。

 

平穏な日々。

 

鈴羽と過ごす毎日は悪くなかった。

 

「では、おやすみなさい岡部さん」

 

「あぁ、おやすみ」

 

そう言って鈴羽の頭を撫でると気持ちよさそうにしてすぐに規則正しい寝息が聞こえた。

 

「ふぅ」

 

俺は鈴羽が寝たことを確かめてから、バレないようにそっと部屋を出た。

 

「さてと……」

 

これからどうすればいいのだろうか。

 

別に俺は1975年に片道切符の旅行に来たわけではないのだ。

 

観光気分でこの時代にいてはいけないことは分かっていた。

 

「IBN5100……」

 

全ての元凶となったレトロ、いやこの時代では新品のPCの名前を無意識に口走った。

 

俺はここ数日鈴羽が寝静まった後にフラりと外に出ていた。

 

別に目的はこれといってない。

 

ただ歩いている方が考え事はまとまりやすい気がした。

 

しかしまだ道を完全には覚えていないのでいつも同じルートを辿った。

 

「同じ道を毎日同じような時間に通るとはどうも御苦労なことだな」

 

「え?」

 

丁度十一時を過ぎた所だっただろうか、そう言って誰かに声かけられた。

 

声のした方を向くと、秋葉幸高がいた。

 

この間会った時とは違い本もなにも持っていない。

 

格好もラフな感じで、彼も散歩をしている途中だったのかもしれない。

 

「秋葉……さん」

 

秋葉さんとはまた随分他人行儀だなと一笑に伏すと秋葉は俺に近寄ってきた。

 

「今日は、橋田鈴さんとは一緒じゃないのかい?」

 

あ、もしかして喧嘩でもしたのか。とニヤニヤしながら肩をポンと叩いた。

 

「いや、そんなことはない……」

 

俺の返答のトーンから何かあると彼は悟ったのか、どうしたと真面目な顔をして俺を見

た。

 

「い、いや別に……」

 

「水臭いな」

 

恩返しとでも思ってくれよと彼は言った。

 

俺は彼になら話してもいいかもしれないと思った。

 

そうだ。結局彼の所にアレは行くのだから過程が多少変わった所でなにも起きることはな

いのだ。

 

この世界線ではなにが起こるのか分からないが、前の世界線ではそう収束した。

 

今回もそれは変わらないだろうと漠然と考えた。

 

「実は……」

 

「待った」

 

俺が話始めようとすると、彼は手で俺を制した。

 

「まぁ、時間も時間だ。俺の家に来い。話はそこで聞いてやる」

 

「い、いやそこまで……」

 

俺が拒否する言葉も聞かずに彼は歩きだした。

 

しょうがないので俺もそれについていくことにした。

 

当然この時代に2010年の様な高層マンションは建っていなかったが、それでも秋葉の家は

大きかった。

 

「ここまで来て何を遠慮している」

 

「……」

 

俺が圧倒されていると、玄関口で秋葉が呆れた顔をしていた。

 

家の中に入ると客間に通される。

 

客間というだけあって豪華だった。

 

腰をかけてくれと言われた椅子は、今まで座ったことのないような柔らかさで落ち着かなかった。

 

「さて、聞こうじゃないか」

 

テーブルを通して俺の前に座った秋葉はそう言った。

 

「……単刀直入に言う。IBN5100はこの家にあるのか?」

 

「ない」

 

即答だった。

 

「そもそも俺は今まさか岡部からそんな単語が出てくるとは夢にも思わなかった」

 

お前は一体なにが専門なんだ?と俺を不思議そうな顔で見る。

 

「IBNってあれだろ、PCだろ。なんでも独自の言語システムによって動くとか言う」

 

俺は首肯する。

 

「しかし、なんでまたそんなことを俺に聞いてきたんだ」

 

「実はな……」

 

俺はそこで言葉を止めた。

 

内心しまったと思った。普通に秋葉の立場なら、理由を聞いてきて当然である。

 

しかし俺にはその理由が答えられない。

 

未来から来たという台詞を誰が信じるのだろうか。信じてくれるはずがない。

 

「どうかしたのか?」

 

「い、いやなんでもない」

 

そうか……と秋葉は俺を見た。

 

「まさか、未来から来たとかって言うなよ。実は俺は未来から来てIBN5100がないと世

界は滅亡してしまう。だから俺はそんな100年先の未来から来た未来人だとか言ったら笑え

るな」

 

そう言いながら秋葉は笑っていた。まるでそんな夢物語なんてありえないとでも言うよう

に。

 

ビクッ!!

 

自分でも分かる位動揺していた。

 

それこそ目の前の秋葉に心配されるくらいに。

 

「おい、顔色が悪いぞ」

 

水でも飲むか?と水差しから水を注ぐと俺の前コップを置いた。

 

俺は水を一口飲んで、覚悟を決めた。

 

「秋葉…さん、聞いてくれるか?」

 

「あぁ」

 

 

「俺は未来から来た」

 

後悔は無かった。

 

もしこれで帰れと言われたら、迷わずまわれ右をする気持ちだった。

 

「ほう……」

 

俺の言葉に対して秋葉は眉を少し動かした程度だった。

 

「なぁ、岡部。もう少し話してみてくれないか」

 

「あぁ……」

 

俺はこの時代に来るまでの話をした。

 

何故この時代に来た理由を。

 

全部話終わると肩の荷が大分降りた気がした。

 

やましいというわけではなかったが、やはり隠しごとをし続けるのは大分辛いものがあるだろう。

 

「ふむ……面白いな。初めて会った時にあんなことを聞いてきたのは偶然ではなかった

のか」

 

秋葉の口から出たのは意外な一言だった。

 

「信じてみるよ。岡部、お前の話」

 

「ほ、本当ですか!?」

 

まず敬語を使うな気持ち悪いと言われた。

 

「正直な話、お前が未来から来たというのは信じられないし、今時詐欺師ですら使わないような手口だ」

 

ただな。

 

秋葉は、俺を見て、目を細めた。

 

「お前が、橋田鈴さんを大好きなことは分かった」

 

「な……」

 

俺の顔が途端に熱くなったのを感じた。

 

「そう照れるな。橋田鈴さんとの話の所だけやけに感情が入ってたからな」

 

目の輝きの強さが違ったな。と秋葉は笑った。

 

「自分の愛する女の為に全てを投げ出した岡部は凄いと思う」

 

俺には出来ないな。色々なしがらみのせいで身動きが取れないからな。と苦笑した。

 

「いや、きっと秋葉にもそんな女性が現れるさ」

 

自称未来から来たって人間に言われるとそれはまた説得力が増すなと互いに笑った。

 

「とまぁ……ひとまずは信じていいが、それとこれとは別だ」

 

「……どういうことだ?」

 

「なに、簡単な話さ。未来から来たのは分かったが、それと俺がIBN5100を手に入れる

ということは関係ないだろ?」

 

「それは、その通りだ……」

 

「まぁ、手に入れないこともない。俺もあのPCには興味を持っていたのだからな」

 

ただ、手に入れるきっかけが欲しいなと俺を見ながら言った。

 

「何が言いたい?」

 

意外に学者って察しが悪いのなと秋葉は口を歪めた。

 

 

 

「この時代で幸せになれって言ってるんだよ」

 

 

 

随分とクサイ台詞を吐くなと秋葉は言いすてた。

 

俺は絶句してなにも言えなかった。

 

「まぁ、二人が幸せそうだったら、例えば、結婚祝いとかで、俺の持ってるPCを贈って

しまうかもしれないからな。それが、偶然IBN5100を贈ってしまうこともあるかもしれ

ない」

 

……俺は、

 

……俺はただ……頭を、下げた。

 

この時代でもこの人は俺達を助けてくれた。

 

目に熱いものがこみ上げてきたのを必死に隠した。

 

「それよりだな……その…岡部の2010年の話に出てきた私の娘の話なのだが……」

 

「はい」

 

「娘って言うのも変な話だな……その、その女の子は、楽しそうに生きているのか?」

 

俺は秋葉の眼を見てしっかりとうなずいた。

 

口が緩んだ秋葉の顔が容易に想像できた。

 



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1975-Ⅲ

俺が秋葉に俺達のことを話してから数日経ったある日、俺がまた夜道を歩いていると、

 

「よう未来人」

 

そう言って秋葉に呼びとめられた。

 

「また会ったな未来人くん」

 

「その割には随分と作為的な偶然だな」

 

まぁな。と秋葉は笑った。

 

俺はあの日以来、秋葉に言われた通り敬語を止めていた。

 

なんでも、敬語はを使う人は皆、自分の肩書きに喋りかけているようで気分があまり良くないのだと言っていた。

 

「さて、別に岡部に声をかけたのは勿論偶然でもなんでもないのだけれどな」

 

俺の家に来い。そう言うと自分の家の方向に歩きだした。

 

俺も鈴羽は寝たし、別段用事もなかったので、大人しく付いていくことにした。

 

「一つ気にはなっていたんだがな」

 

道中で秋葉は振りかえらず、まるで一人言のように呟く。

 

「岡部達は戸籍とかどうしてるんだ?」

 

まさか、生年月日が未来の年号の保険証なんて持って行っても誰も信じちゃくれないだろ

うしな。と秋葉はこちらの意を気にせず喋る。

 

「戸籍がなければ、その人はいないも同じ。日本はそういう国だしな」

 

「……ッ」

 

正直に言うと失念していた。

 

俺は唇を噛む。そうだったのだ。俺はここで暮らす上で重大な事を忘れていたのだっ

た。

 

戸籍。それは秋葉の言った通り何をするにも必要なことだった。

 

身分を証明できるものは全て2010年のものだ。俺の手持ちの一番年号が古く印字されているのでも、俺の生まれた1990年代のもので、今から約15年後のことであった。

 

この国の人間が全て秋葉のようにもの分かりがいい人間であるはずがない。

 

これから、暮らしていくには金が必要だ。会社でもなんでもそれを証明するものが必要だった。

 

俺の心は、かつてないほどの絶望感苛まれる。

 

「さて、着いたぞ」

 

「あぁ……」

 

俺は導かれるままに秋葉の家に入り、またあの応接室に通された。

 

「さて、大方さっきの俺の一人言を聞いていたか顔色がよくないみたいだが?」

 

秋葉は椅子に座ると、俺も座るように促す。

 

俺は命じられるままにただ座った。

 

「一人言を律義に聞いているもんだなお前は」

 

秋葉はクスッと笑うと視線を机に移した。

 

「何が…おかしいんだ秋葉?」

 

今の俺の心境は例えるならば、鈴羽とまゆりの死を永遠に保留し続けていた時と通ずるも

のがあった。

 

不穏な感じを俺から感じ取ったのか秋葉は笑みを消した。

 

「だから、さっきのは一人言と言ったろう。つまりはこういうことだ」

 

そう言うと、どこから出してきたのか封筒を二枚出してきた。

 

俺は黙ってその封筒を開けた。

 

開けたはいいが中には数枚書類が入っているだけだった。

 

その中から無作為に一枚取り出して目を通す。

 

なにやら難しい言葉が羅列されていて、理解が難しかった。

 

「まぁ、簡単に言えばこういうことだ。戸籍がないなら作っちまえってことだ」

 

秋葉そういってニヤリと笑った。

 

「まぁ、そんな大それたことではないんだが、今そこにある書類は養子縁組に関する資料

だ。苦労したぜ、一応名前は重要かと思って、岡部姓と橋田姓の人の息子と娘にしておいた」

 

「なっ……」

 

俺は絶句した。そんなことが簡単にできるのだろうか。

 

「向こうの家族には許可とってあるし、お前らは戸籍を借りるだけだ。気にするな」

 

「面倒なことにはならないのか?」

 

「気にするな。会社内でやってることさ、誰にも文句は言われまい」

 

「そうか」

 

俺はそれでようやく安堵して肩の力を抜いた。

 

「ただし条件がある」

 

「……なんだ?」

 

「岡部でも橋田さんでもいいが、俺に協力してもらう」

 

「具体的に、なにをすればいい?」

 

「なに簡単なことだ。岡部達にしかできないことだよ。時代の節目を教えて貰いたい」

 

「時代の節目?」

 

一体どういうことなのだろうか。俺にはさっぱり理解できなかった。

 

「今は1975年岡部達が来たのは2010年。その間に何かしら大きな事件が起きているはずだ。それを事前に教えて貰えればいい。人は目の前に落とし穴があると分かっていたら落ちる者などいないということだ」

 

悪くない話だろう?そう言った秋葉はの顔は経営者の顔だった。

 

「別にその程度で未来が変わるはずもないだろうし、もし変わるって言うなら、岡部の話を聞いた時点で変わってるだろうしな」

 

俺はゆっくりと頷いた。

 

それを見て秋葉は相好を崩した。

 

「じゃあこれからもよろしく頼んだぞ鳳凰院凶真(笑)」

 

「だから、(笑)をつけるな」

 

そう言いながら俺は差しのべられた手を握った。

 

 

書類を持って、俺が家に帰ると鈴羽が起きていた。

 

「あ、岡部さんお帰りなさい」

 

「どうしたんだ鈴?こんな時間に」

 

俺は携帯で時間を確認すると、まだ深夜帯と言っていい時間だった。

 

「岡部さんの姿が見えなかったので少し探してました」

 

結局見つからなかったですけどね。と笑った。

 

そうやって笑っている鈴羽の目尻に涙が少し溜まっているのを見て俺は鈴羽を抱きしめ

る。

 

必死に探したのか少しだけ汗の匂いがしたがその匂いも愛おしかった。

 

「え、あ、ちょっ。なにしてるんですか岡部さん」

 

「いや、なんでもない。心配かけてごめんな鈴」

 

はい。と鈴羽は頷くと俺の頭をゆっくりと撫でた。

 

頭を撫でられるのは存外気持ちがいいものだが、気恥ずかしいものである。

 

「それは俺の役目だろう?」

 

と俺は照れ隠しに悪態を吐いた。

 

「たまにはいいじゃないですか」

 

たまにはね。と言って鈴羽は笑った。

 

「そ、そういえば鈴羽って今なにかしたいことでもあるのか?」

 

「え?なんですかいきなり」

 

「い、いや少し気になったんだ」

 

「そうですね……タイムマシンのことを勉強したいです」

 

「……そうか」

 

やっぱり両親には会ってみたいもんな……

 

「鈴、大学に行ってみるか?」

 

「大学……ってなんです?」

 

鈴羽のいた時代にはなかったのか大学というものがよく分からないらしかった。

 

「そうだな…勉強する場所だよ」

 

「そうなんですか……岡部さんも一緒に行くなら行きたいですね……」

 

「……」

 

どうかされました?と鈴羽は首を傾げる。

 

俺はこの時代を生きる代償として秋葉と条件を飲んだのだ。そんな簡単に物事が進むのだろうか。

 

「実は……」

 

俺は鈴羽に先ほどの出来事を全て話した。

 

鈴羽は時々驚いたような顔をしていたが、最後まで何も言わずに聞いてくれた。

 

「私、秋葉さんに頼んでみます」

 

そう言うとアパートの外にある公衆電話の方へ歩いていってしまった。

 

俺も付いていこうとすると、岡部さんはここで待っていて下さい。と念を押されてしまっ

たので大人しく部屋で待っていた。

 

時計の秒針が刻む音がやけに大きく感じた。これが独りだということが分かった。

 

自分が今座っている畳がグニャリと揺れる気がした。

 

鈴羽をこんな目に合わせなくてよかったと心から思った。

 

何十分経ったのだろうか。

 

実際には数分程度経った位だろうか、鈴羽は笑顔で帰ってきた。

 

「ど、どうだった……」

 

「秋葉さんって話の分かる方ですね。二つ返事で快諾してくださいましたよ」

 

自分に思い通りに事が進んだので鈴羽は、笑顔だった。

 

「そ、そうか良かったな」

 

はい。と喜ぶ鈴羽を尻目に俺は一抹の疑念を抱いていた。

 

確かに、友人としてならば、喜んで快諾するだろうが、秋葉の見せた経営者の顔を俺は忘

れなかった。

 

何か向こうにもメリットがあるに決まっているのだが、真意が図れなかった。

 

翌日秋葉に電話してそのことを尋ねてみた。

 

俺が喋り終わると、秋葉はクスリと笑った。

 

「流石、学者……いや、学者もどきだな。素晴らしい考察だと思う。簡単だ岡部達が学んだ技術を供与してもらうと思ってな。だから、悪いが、岡部達に行ってもらう学校は東京電機大学という所に勝手に決めさせて貰った。そこで学んだ技術と岡部の知ってる未来を合わせれば、想像はつくだろう?」

 

「あぁ……」

 

「ま。今言ったことは全部ウソで、未来で娘が世話になった礼をするための方便かもな」

 

電話口の向こうで陽気に笑う秋葉の真意は読めなかった。



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橋田助教

さて、時代は移り替わりまして1987年。
彼らはどのようにしているのでしょうか……

わざわざお気に入りにしてくれた方ありがとうございます。


もう十年以上前のことなのか……

 

俺は、無精ひげを手で触りながらテレビを見ていた。

 

「なにがですか岡部さん」

 

コトッと俺の前にコーヒーを置いて鈴羽は俺の前に座った。

 

「いや、別になんでもない」

 

わざわざ悪いな橋田助教。そう言うと鈴羽は止めてくださいと手を顔の前でパタパタと振った。

 

仕事帰りに、鈴羽の研究室に立ち寄ってみたのだが、今丁度一段落ついたようですぐにコーヒーを淹

れてくれた。

 

あれから、12年後の1987年。俺は31歳。鈴羽は30歳になっていた。

 

鈴羽は本当にダルの娘かと今でも疑ってしまうほど顔が整っていた。

 

18の頃に比べてなにか落ち着いたというかなんというか、大人の色香というのかまぁ、なんにせよ綺

麗だった。

 

余程母親の遺伝子が優秀だったのだろう。と会ったことのない鈴羽の母親に感謝した。

 

「というか、その若さで助教とは流石だな」

 

俺が褒めると止めて下さいと露骨に顔を赤くして照れていた。

 

全く30になっても中身を余り変わってないのか可愛らしかった。

 

「そ、そんなこと言ったら岡部さんだって、未だに。『俺の名前は鳳凰院凶真だ!』ってやってたじ

ゃないですか」

 

「う。そ、それは、酒の席での話だろ?」

 

俺は酒が弱い。

 

元々飲みたがりではないのだが、大学に行き始めてからは付き合い程度には飲まなければならず、

度々飲まされていた。

 

その度に、あの鳳凰院のポーズをしてしまうのだ。

 

しかも、なぜか大学時代はウケがよく、たまにせがまれて厨二病的な発言も絡めながらよくポーズを取っていた。

 

……そのせいで、俺もまだ中身が19から成長していないのかもしれない。

 

「岡部さんはの方は平気ですか?」

 

伏し目がちにこちらをうかがいながら、鈴羽は呟いた。

 

「あぁ、問題ないさ」

 

俺がそう言うと、鈴羽は顔をパァっと明るくする。

 

「それは、よかったです」

 

「だから、俺はそんなに危険な仕事をしているわけではないと言ってるだろうが」

 

今、鈴羽は物理学の方面の学科で助教を務めている。

 

俺は、まだ秋葉の助言役をやっていた。

 

ちなみに本当は、俺に研究員の話が来ていたのだが、秋葉は、「お前にはなるべく目立って欲しくない」と言ったせいで断るハメになった。

 

そのせいで鈴羽が助教になっているのだ。

 

俺の仕事は、仕事と言っても会社員のような仕事ではなく事前に大事件や、事故を思い出して、秋葉に伝えるというだけなのだ。

 

一応、怪しまれないように背広を着て会社に行って、社長室の横にある部屋で鈴羽の書いた論文を読んだり、自分で書いたりと、それなりに自由に一日を過ごしている。

 

破格の待遇だと言っても過言ではない。

 

ただ、それだけのことでそれなりの給料を貰っていた。

 

秋葉曰く、仕事が出来る人間はいくらでもいるが、未来を知っているの岡部しかいない。

とのことで、詳しくは分からないが、岡部の活躍に見合った給料だから気にするな。と言われた。

 

秋葉も社長になったせいか、普段は仕事に忙殺されているらしいが、相変わらず夜の散歩も欠かしていなかった。

 

忙しいのにどうしてだと聞くと、秋葉は、

 

「夜の散歩は思わぬ拾いものがあるかもしれないからな」

 

俺を見ながらそう言った。

 

「でも岡部さんの書いたこの論文良く出来てますよ」

 

興味深いです。そう言いながら鈴羽は、鞄の中から俺の書いた論文を取り出した。

 

この間、秋葉の会社にいる時に書いていたものだった。

 

「2010年の時の記憶はありませんけど、もうその時代には過去に電子メールを送る方法が確立されているんですね」

 

まぁ、残念ながら、この論文に出てくる『メールを送れる携帯』とか『42型ブラウンテレビ』などは私には想像つかないんですけどね。と鈴羽は頭をポリポリと掻きながら苦笑した。

 

釣られて俺も苦笑した。

 

そうなのだ。俺が大学時代研究していたのもまた物理学、とりわけタイムマシン理論についてだった

のだ。

 

2010年から来た俺は理論もやり方も分かっている。

 

しかし、俺はそれをこの時代に摺り合わせることは出来なかったのだ。

 

とはいえ、理論は興味深いとして、学会でキワモノ扱いされながらも一部の研究者からは評価されて

いた。

 

しかし、タイムマシンの研究で学会を追われたと聞くと思わず、ドクター中鉢を思い出す。

 

そう言えば、あの人の理論は2000年のジョンタイターの書きこみをそのまま転用したような内容だっ

たなと今更ながらの思い出した。

 

「私達、タイムマシンを捨てたはずなのに結局研究してますよね」

 

「やはり……」

 

「シュタインズゲートの選択だ。って言うですね」

 

本当に昔から変わってませんね。鈴羽は言った。

 

むぅ俺が唸ると鈴羽は満足そうに顔を綻ばせた。

 

……本当は、やはりダルの娘だな。と言おうとしたのだが、もうそんなことどうでもいいかと思いと

どまった。

 

「そう言えば鈴。今日の帰りは遅そうか?」

 

いえ、もうこのまま帰ろうかと思います。

 

そう言うと鈴羽は立ち上がって、流しにコップを置くと荷物を整理し始めた。

 

「もう帰れるのか?」

 

驚いた。てっきり忙しいのかと思って、帰ってくるのは深夜かと思っていた。

 

「岡部さんが迎えにきてくれたのに、帰らなきゃ悪いじゃないですか」

 

鈴羽は荷物を整理しながらそう呟いた。

 

その言葉を聞いて俺の顔が熱を持った。

 

どうもこういう言葉には未だに免疫は出来ない。鈴羽の顔は見えないが、きっと普通の顔をしながら

言ってるのだろう。

 

俺は鈴羽の準備が終わるまでテレビを見ていた。

 

テレビでやっているニュースはリアルタイムだが、俺からしたら、生まれる前の情報なんだなと思う

となんとも言えない感情に包まれる。

 

「さ、帰りましょうか岡部さん」

座ってる俺に向かって鈴羽は手を差し出す。

 

その差し出された手にデジャビュを感じながら俺はその手を取った。

 




さて、今はとりあえず書き溜めた分の話を順番に投稿していますが、時間があれば、1975年に入った大学生活でも書いてみようかと思います。
その際は活動報告の方で報告させていただきます。
それでは。


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牧瀬という学生

牧瀬と言ったらあの人しかいませんね。


コンコン

 

俺と鈴羽が研究室から出ようとすると不意にドアがノックされる音がした。

 

「はい。どうぞー」

 

鈴羽が言うと、ノックの主は失礼します。と丁寧な口調で部屋に入ってきた。

 

多分学生だろう。

 

品のいいワイシャツにズボンという社会人さながらの服装だったが、雰囲気はどこか学生らしいものがあった。

 

「どちら様ですか?」

 

「あ、はい。僕は、牧瀬、牧瀬章一って言います」

 

「牧瀬……?」

 

その青年は、牧瀬と名乗った。

 

確か紅莉栖の苗字も牧瀬だった気がする。

 

助手とか、クリスティーナとか呼んでいたからどうも記憶が曖昧なのだが、恐らくそうだったに違いない。

 

「それで、牧瀬さん。教授に何かよ用事かしら?まだゼミ関係の話は出ていなかったと思うのだけれど」

 

こうして見ると鈴羽が大学で教員をやっている実感が湧く。

 

少し鈴羽が遠くに行ってしまったようで寂しい気がした。

 

「あ、いえ。少し橋田先生に聞きたいことがありまして……」

 

「私に?失礼だけど、私の授業に出席していた生徒かしら?」

 

牧瀬は首肯した。

 

「残念だけど、成績の方はちゃんと適正につけるわよ」

 

研究室までくる熱心さは少し考慮に入れといてあげるけどね。と鈴羽は笑った。

 

「いえ、成績のことではないんです」

 

大体、多分優は来る位の出来だったと自負してますから。

 

牧瀬は自信満々に答える。

 

「そう。じゃ、なにかしら?」

 

はい。そう答えると、牧瀬は鞄の中から束になった紙を取り出した。

 

「あ」

 

俺は、その紙の束の上書かれたタイトルに見覚えがあった。

 

「それは、私の論文ね」

 

勉強熱心ね。と鈴羽は目を丸くした。

 

「先生のタイムマシンの理論についての論文読ませていただきました。学生の僕にとっては何を言っている

のか分からない部分もあったんですが、世界線などの話は読んでいて感銘を受けました」

 

そう言って力説する牧瀬の眼は好奇心の塊と言っていいほど目が輝いていた。

 

鈴羽は、そう。珍しいわね。その年で教授にもなってない人の論文に目を通すなんて。と随分と冷静に受け答えをしていた。

 

「いえ。単にたまたま目についたから手に取ってみたら面白くて……それより先生」

 

 

タイムマシンって実際に存在するんですか?

 

 

牧瀬はそう聞いた。

 

ただの勤勉な学生の疑問だろう。

 

その質問に、鈴羽はクスリと笑って、チラリとこちらを見ると、

 

もし、それがなかったら私はここにいないわ

 

そう言って研究室を出た。

 

牧瀬と俺も釣られて部屋を出る。

 

「なるほど……」

 

牧瀬は恐らく、成功する見込みのない研究が専門で助教になんてなれるわけがないと合点したのだろう。

 

じゃあ、私達はここで失礼するよ。

 

牧瀬くんさようなら。

 

そう言うと、牧瀬はありがとうございました。と軽く一礼して俺達と反対方向に歩いていった。

 

「中々面白い学生だったな」

 

俺が学生の頃とは大違いだ。

 

「そうですね。岡部さんはあれくらいの頃、未来ガジェット研究所を作ってましたからね」

 

「そうだったな」

 

昔を懐かしむように鈴羽は目を細めた。

 

「ところで鈴羽。さっきの学生に最後に言った言葉の真意はどっちだ?」

 

「岡部さんが思ってる方できっと正解ですよ」

 

鈴羽は俺の指に自分の指を絡めながら言った。

 

まぁ、確かに、タイムマシンが存在しなければ、俺達はここにいないんだからな。

 

この時代に作ることができるかは別として。

 

そう考えると鈴羽はただ理論を語っているだけかもしれない。

 

「ま。そんな小難しいこと考えなくていいじゃないですか」

 

それより今日の晩御飯、何にしましょうか?

 

鈴羽は俺を引っ張る。

 

「どうせ俺が作るんだからそこまで手のかからないものにしてくれると嬉しい」

 

「私が作ってもいいんですけど……」

 

「いや、遠慮しとく」

 

そうですか。残念そうに鈴羽は肩を落とした。

 

別に鈴羽の料理は下手というわけではないのだが、材料が2036年の感覚なのか、虫やら、草やらで得体の

しれない物が多いのだ。

 

味もおいしいのだが、いきなり「今日は、イナゴとカブトムシの幼虫ですよ」と言われて気持ちよく食べれ

るほど俺の精神は強くなかった。

 

それに、一度、なんの料理だったか分からなかったが、体質的に受け付けなかったのか二日間ほど腹痛で寝込んだことがあってから料理は絶対に俺が作ることにしている。

 

それ以外の家事は大体折半している。

 

「じゃ、じゃあ肉じゃが作って下さいよ」

 

岡部さんの作る肉じゃがってジャガイモがホクホクしてて美味しいんですよね。

 

なんか、食べた記憶はないんですが、お母さんの味って感じがします。

 

「そうか?まぁ、別にかまわないんだが……」

 

俺も自慢出来るほど料理がうまいわけじゃないから、そこまで褒められると逆にハードルが上がって辛い。

 

俺が作る料理のほとんどは2010年の時にラボで試しに作ったものか、母親の作ってる姿を後ろから見ていた程度のものだ。

 

なんにせよ、鈴羽が喜んでくれるのならば、特になにも言うことは無かった。

 

俺達は八百屋によって材料を買って帰路に着く。

 

「それにしても……」

 

俺が作った肉じゃがを美味しそうに頬張りながら、鈴羽は話を切り出す。

 

「あの学生さん。なんか変えたい過去でもあるのですかね」

 

それくらいの意志がなきゃ大学の授業を受けているだけの教師の論文なんて読んでるわけありませんしね。

 

「もしかしたら、鈴に惚れたのかのしれないな」

 

「……ッ」

 

予想外のことを言われて驚いたのか、思いっきりむせていた。

 

「な、なにを言い出すんですか…」

 

びっくりしましたよ。と鈴羽は言う。

 

「強ち間違ってないと思うんだがなぁ……」

 

「なんでですか?」

 

俺が惚れているからとは言えなかった。

 

晩御飯を食べ終えた後俺達は居間で二人して何をするわけでもなく、ただお茶を飲んでいた。

 

「鈴は……鈴。ちょっと散歩するか」

 

はい。鈴羽は頷いて、外に出る準備を始めた。

 

「こんな夜に二人して歩くのは久々ですね」

 

「そうだっけか」

 

「そうですよ」

 

そう言うと鈴羽は俺の腕に抱きついてきた。

 

「お、おい」

 

腕に当たる、柔らかい感触に俺はドギマギする。

 

「いいじゃないですか。誰も見ていないんですから」

 

そう言うとさらに俺の腕に抱きつく力を強めた。

 

「まぁ、そうだな」

 

幸い夜だし、知り合いに会わなければ一向に構わないか。

 

「ねぇ……岡部さん」

 

「ん?なんだ」

 

「2010年のことをなんか話して下さいよ」

 

別に私のことじゃなくてもいいですから。と鈴羽は言った。

 

「そうだな……」

 

それから、俺は道中色々なことを話した。

 

ここらへんは、2010年には電気の街と同時に漫画やアニメの聖地になっていることや、メールどころかテ

レビも見れる携帯電話があるなど他愛のないことを話していた。

 

その一つ一つに鈴羽は驚いたり、興味を持ったり様々な反応していた。

 

「2010年……遠いですね」

 

その時私達は、50歳は超えてますね。と遠い目をしてどこかを見ていた。

 

さて、帰りますか。

 

鈴羽は満足したように笑う。

 

帰り道、来た道をそのまま帰るのはつまらないと鈴羽が言ったので、違う道を通って帰ることにした。

 

「あ、見て下さいよ岡部さん」

 

鈴羽が指差した先には公園があった。公園にしては珍しくジャングルジムまであった。

 

鈴羽は俺の腕から離れてジャングルジムに昇る。

 

するすると、年不相応な位流れるような動きで頂上まで昇ってしまった。

 

「ねぇ岡部さん」

 

鈴羽は頂上から俺を見下ろす。

 

月の影になって表情はよく見えなかった。

 

「なんだ?」

 

 

 

鈴羽さんって誰ですか?

 

 

 

そう言った。

 

「……だ、だから、前に、鈴によく似た知り合いがいたんだよ」

 

嘘ですよね。と鈴羽は言った。

 

「別に、2010年にいた時に好きだった人の名前だったとしても構いませんよ」

 

岡部さんはその娘より私を選んでくれたんですから。

 

「……もう一度聞きます」

 

鈴羽さんって誰ですか?

 

十五夜の月が俺達を静かに照らしていた。



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2010年の片鱗

俺と鈴羽の間だけ時間が止まったようだった。

 

多分時計の針は五分も動いていないが、俺にはそれが無限のように感じられた。

 

時間はいつも一定じゃない。

 

どこかの脳科学者が言っていたことを思い出す。

 

「それで――」

 

「まぁ、待て」

 

鈴羽が同じ言葉を三度紡ぐ前に俺は鈴羽を制する。

 

「なんです?」

 

鈴羽は別に不機嫌な様子でもなく怒っているわけでもない。

 

ただ、焦っているように見えたのだ。

 

「私の中にですね……最近あたしがいるんです」

 

鈴羽はこちらを向くのを止めて月を見た。

 

「別に病気とかそういうわけじゃなくて、岡部さんの言う2010年の頃の記憶かもしれません」

 

「……」

 

「まぁ、そのあたしも今の私も岡部さんのことが大好きみたいですから余り気にはしてないんですけどね」

 

「鈴……」

 

「なんです?」

 

もうこっちに来てから10年以上経つ。

 

別に話してしまっても何かが変わるわけではないはずだ。

 

それにいくら未来が変わろうが、どうでもよかった。

 

元々未来は未定なのだから。

 

「鈴……。鈴羽は、鈴だ」

 

俺がそう言うと、鈴羽はやっぱりですか。とため息を吐いた。

 

「まぁ今まで隠していたのも辛かったでしょうから黙っていたことは不問にします」

 

心中は察します。と鈴羽はこちらに視線を移した。

 

「……」

 

それで、岡部倫太郎?

 

確かに鈴羽はそう言った。

 

確かにそう言った。

 

「す…鈴……羽?」

 

「あたしは阿万音鈴羽。けれど私が思い出したのはこのことだけです」

 

それでですね。鈴羽は続けた。

 

「教えて下さい。なんで岡部さんは2010年を捨てて私について来てくれたんですか」

 

まぁ、今となっては栓無きことなんですけどね。

 

俺の返答を待たずに、鈴羽はジャングルジムから飛び降りる。

 

「全く…若くないのに無茶するな」

 

「失礼な。まだ、岡部さん位なら倒せますよ」

 

そう言って拳を二、三回前に突き出した。

 

「それでだな。鈴……。俺がお前と共に来たのは……」

 

「いいんです」

 

私も岡部さんの気持ち分かってますから。

 

鈴羽は笑った。

 

「分かってますよ。岡部さんが……その、私のことを…だ、大好きってことくらい」

 

言ってて自分で恥ずかしくなったのか、鈴羽は顔を赤くして、目線を逸らした。

 

恥ずかしくなるなら自分から言わなきゃいいのに……

 

そう思ったが言わなかった。

 

「お、岡部さん!私はお腹が空きました!」

 

気恥ずかしさを紛らわす為か、鈴羽は、努めて明るい声を出した。

 

「そうか、家でアイスを冷やしてあったと思うから帰ってから食べるか」

 

はい。そう頷くと鈴羽は俺の手を取って……

 

キスをした。

 

「んん!?」

 

人目を気にしたのか、一瞬だった。

 

しかし確かにキスだった。手を掴んだ不安定な体勢だったのでしっかりと唇を押しつけてきた。

 

「い、未だに慣れないんですよね……」

 

ささっ早く帰りましょ。

 

鈴羽はそう言うと、俺の先を歩きだした。

 

「お、おい鈴」

 

俺は、反射的に鈴羽の肩を掴んだ。

 

「はい……ん」

 

やはり、10年以上経った今でもやはり慣れないものだな。

 

俺は気恥ずかしさからか唇を軽く拭うと今度は逆に鈴羽の手を引いて先を歩いていく。

 

「え、あ、ちょっと岡部さんってば…」

 

夜風がやけに気持ちよく感じた。

 

 

俺達が家に帰るとドアの間に手紙が挟んであった。

 

「ん?なんでしょうかねこれ」

 

鈴羽が紙を取ると、そこには、岡部倫太郎へ。と書いてあった。

 

「岡部さん手紙ですよ」

 

ほら、鈴羽に渡された手紙を俺は受け取る。

 

この時代で俺の事を知っている人間と言えば、大学の同期か、秋葉位のものか。

 

案の定手紙は秋葉からだった。

 

秋葉の文字は硬質で読みやすかった。

 

要約するとこうである。

 

明日、彼女とデートをしてくるという内容だ。

 

正直拍子抜けした。

 

手紙をわざわざ渡してくるくらいだから緊急の用事なのかと思った。

 

いや、本人にとっては緊急の用事なのだろう。

 

秋葉は確かに何でも卒なくこなす。

 

それはここ10年一緒にいて分かった。

 

しかし、仕事に熱心だった為か女っ気がなかった。

 

勿論、仕事上の付き合いは得意らしいのだが私事の方は余り得意じゃないらしい。

 

加えて、見合いも用意されるらしいのだが、どこぞの令嬢とか資産家の娘ばかりでなにか面白みに欠けるらしかった。

 

しかし最近、

 

「いい娘をがいたんだよ」と上機嫌に俺に話してきた。

 

「岡部さん。秋葉さんに彼女さんが出来たんですか?」

 

後ろから手紙を覗いていた鈴羽が楽しそうに俺に聞いてくる。

 

俺は分からないとだけ答えた。

 

「そうだ。明日デートしましょうか岡部さん」

 

「は?」

 

鈴羽の提案に俺は呆気にとられた。

 

「鈴羽、お前大学の方は?」

 

確か明日は平日だったはずだ。

 

俺は秋葉がいないから休むことは容易に出来るが、鈴羽の方はそうもいかないはずだ。

 

「実はですねぇ……」

 

そう言うと、鈴羽はぺロリと手帳を開いてスケジュールを確認した。

 

「明日は休みなんですよ」

 

まるで今書いたようにスケジュール帳には赤く『休み』と書いてあった。

 

まぁ、鈴羽も大人だ。

 

自分のことは自分で管理しているのだろう。

 

「なら……久々にどこか行くか」

 

思えば最近鈴羽の仕事が多忙のために久しくどこにも行っていなかったと思い出す。

 

はい。とにこやかに鈴羽は頷いた。

 

 

その晩秋葉に電話をした。

 

俺は向こうで受話器を取る音が聞こえる。

 

「秋葉か?あの手紙は……」

 

「あぁ、岡部か。明日は会社来るなってことだ」

 

じゃあな。そう言うと秋葉は電話を切った。

 

ツーツーと電子音が耳に響く。

 

心なしかいつもより声が弾んでいた気がした。

 

全く30歳を超えているのに彼女とデートではしゃぐなと言いたい。

 

「まぁ、俺が言えた義理じゃないか」

 

そう呟くと、軽い足取りで布団の中に潜った。



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ある秋の日のこと

「起きて下さいよ岡部さん」

 

そう言って誰かが俺を揺する。

 

俺が目を開けると隣にいた鈴羽が俺の顔を覗きこんでいた。

 

「おはよう……鈴」

 

おはようございます。と鈴羽は言った。

 

そうか。今日は久々にどこか行こうという話だったな。

 

鈴羽も大学が休みらしいし、俺も秋葉の都合で休みになった。

 

俺は寝ぼけ眼を擦りながら洗面所で顔を洗った。

 

「ふぅ」

 

冷たい水が顔に染みて一気に意識が覚醒した。

 

俺がタオルを探していると、鈴羽が、はい。と言って俺にタオルを手渡した。

 

全くよく出来たことだ。そう思いながら俺は礼を言ってタオルを受け取った。

 

顔を拭き終わるとタオルを洗面所にかけて窓の外を見る。

 

「ん?」

 

まだ少し薄暗かった。

 

確かに季節が季節だし、日の出は遅いはずだから、まだ薄暗いのも分からなくないが……

 

「鈴……今何時だ?」

 

「えっと……5時半です」

 

鈴羽は時計を確認しながら、にこやかに俺に言った。

 

「5…5時半だと」

 

思わず俺の顔が引きつった。

 

5時半起きなんて2010年でもした記憶がない。

 

普段はもっと遅く起きるか、徹夜して寝ていないかのどちらかだった。

 

最近30を超えてから、少し体力も衰えてきたと感じていたから、この早起きは少し辛かっ

た。

 

「あの……迷惑でしたか?その……楽しみであんまり眠れなくて……」

 

上目遣いで申し訳なさそうに鈴羽は言った。

 

その目を見て俺は、うっと心に刺が刺さる。

 

「い、いや、確かに俺も楽しみだったし、早く起きて損はないから気にしてないぞ」

 

ありがとな鈴。そう言って、俺が頭を撫でると、もう子供じゃないんですよ。という台詞

とは裏腹に鈴羽は、満更でもないという顔をしていた。

 

「そうなんですよ。岡部さん。どこ行くか決めて無かったじゃないですか」

 

思い出したように鈴羽は話しだした。

 

「昨日、私が寝ちゃったんでどこ行くか決めてませんでしたよね」

 

「あぁ、そう言えば、どこいくか決めてなかったな……」

 

そうだな……最近パンダが上野動物園に来たのはニュースでやっていたが2010年にパンダなんて見飽きていたし、混んでいるに決まっている。

 

そう考えてしまうとどこにも行きたいという場所が見つからなかった。

 

「鈴はどこか行きたい所でもあるのか?」

 

私ですか?と自分を指差して鈴羽は目を丸くする。

 

「実はですね……私は、岡部さんといれればどこでもいいんですよ」

 

えへへ。と少し口が緩みを隠しながら鈴羽はそんなことを言った。

 

これには思わず赤面する。

 

どうも、鈴羽は感情表現が素直だ。

 

そして素直な分聞いているこっちも照れてしまう。

 

「って待て。そしたら、どこ行きたいとか無いのか」

 

「そうですね。ただブラブラするのも悪くないですかね」

 

それならば、こんな早起きした意味がないじゃないか。

 

口には出さないが、俺にはそんな思いがあった。

 

「あ、そうだ。行ってみたい所ありました」

 

「どこだ?」

 

「海に行きたいです」

 

また随分と突発な意見だった。

 

「随分と季節がずれていないか?」

 

今はもう九月だ。流石に海に入るのには肌寒い。

 

というか第一俺は水着を持っていなかった。

 

「なに言ってるんですか。泳ぎませんよ」

 

ただ海を久々に見てみたいなぁと思っただけです。

 

「そうか……」

 

鈴羽の意見で海に行くことになった。

 

海か……。

 

久しく行った記憶がなかった。

 

30も超えたし、子供もいなければ、余程のことが無い限り海になんて行かないだろう。

 

だから、たまには海に行くのもいいかもしれない。

 

「じゃあ、そろそろ朝飯にするか」

 

そうですね。と鈴羽はエプロンを着けながら台所に立った。

 

ずっと俺ばかりに作らせるのも悪いと思ったのか、それとも料理の一つ位出来なきゃ、

みっともないと思ったのか、朝など、時間に余裕がある時は鈴羽が、たまに作るように

なった。

 

まぁ、料理も慣れれば、ある程度の物は作れるだろうし、レシピさえあれば大外れするものもないだろう。

 

鈴羽は元々料理が下手なわけではないのだ。

 

ただ使う材料が少し一般受けしないだけだったのだ。

 

最初の頃に比べて大分おいしくなったし、見た目も綺麗になっていた。

 

「はい。どうぞ」

 

そう言って、鈴羽は机に鮭と御飯と味噌汁、それに青菜と納豆を置いた。

 

純和風な食卓風景である。

 

「こうして見ているとさ」

 

「はい?」

 

料理が終わって使った容器を水に漬けてエプロンを外しながら俺と反対側に座る。

 

その様子を見ながら俺は目を細めた。

 

「鈴ってよく出来た奥さんみたいだな」

 

「ひゃい!?」

 

鈴羽が変な声を出した。

 

動揺しているのか足をぶつけて、机が少し揺れる。

 

俺は味噌汁がこぼれる前にお椀を浮かせた。

 

「な、なにをいきなり言いだすんですか。お、岡部さん」

 

「いや、別に大した意味はない」

 

そういいながら俺は味噌汁に口を付けた。

 

微妙な塩加減がなんとも美味しい。

 

「た、大した意味はないって……」

 

なんですかもう…と言いながら自分も味噌汁に口を付けていた。

 

さっき言った言葉は別に嘘でもなんでもないのだが、どうもこの年になっても俺は鈴羽と

違って素直に言うのは苦手だった。

 

俺と鈴羽が1975年にタイムマシンを使って来てから早10年。

 

もう十年以上も一緒にいるのだ。

 

秋葉には、ことあるごとにいつ結婚するんだ。とか、友人代表の挨拶はやらせろ。とか、

仲人は任せた。と言われている。

 

まぁ、若干しつこい気もしないが、言いたいことは分からなくもない。

 

俺も、結婚……はしてもいいと思う。

 

まぁ、時期が来たらその旨を鈴羽に伝えてみよう。

 

「岡部さん?どうかされましたか?」

 

俺が考え事をしている時間が長かった為か少し心配そうに鈴羽は声をかけた。

 

「あ、いや、鈴羽の作った料理に舌鼓みを打っていたのだ」

 

そうですか。それは良かったです。そう言うと鈴羽は、俯く。

 

それから、二人は黙々と朝食を食べた。

 

と言っても二人とも食べるのは早い方なので十分程度で食べ終わった。

 

俺より先に食べ終わった鈴羽が俺が食べ終わったのを見る。

 

「さ、さてじゃあそろそろ食べ終わったみたいですし、準備しましょうか」

 

スッと立ち上がって、食器を重ねて流し場に持っていった。

 

「あ、俺がやるから、鈴は準備でもしておいてくれないか」

 

俺は流し場に立った鈴にそう言った。

 

そうすると、鈴はありがとうございます。と言って居間の方へ歩いていった。

 

ジャーと水を出しながら食器を洗った。

 

洗い終わった食器に顔が反射していた。

 

そろそろ髭も剃らないと不格好だな。

 

俺は自分の顎を撫でながらそんなことを考える。

 

ジョリっとザラザラした感触がした。

 

剃刀はどこだったか……俺は手を拭いて居間の方へ目をやった。

 

「あ」

 

「ん?なんです?」

 

俺は着替えている鈴羽と目があった。

 

別に今までも一緒に住んでいるのだから着替えには遭遇するのだが俺はまだ慣れない。

 

向こうは全く気にしていないようで普通に着替え出すから本当に目のやり場に困る。

 

まぁ信用されていると考えれば悪い気はしないのだが。

 

「そのスタイルは反則だと思うぞ……」

 

「何か言いました?」

 

いや、なんでもないと俺は首を横に振った。

 

30超えても肌にツヤがあるし、MTBにもたまに乗ってるせいか体全体は引き締まって

る。

 

そのくせに女性的な所はちゃんと出ている。

 

……まじまじと観察してしまった。

 

「……流石にジッと見られる恥ずかしいんですけど」

 

鈴羽は、今まで着ていた服で体を隠した。

 

普段は見ない恥じらいの姿に何か感じるものがあったが、俺の理性が堪えきって剃刀を探す。

 

「何を探しているんです?」

 

俺が剃刀と答えると、それは洗面所ですよと言われた。

 

あぁ、確かに。

 

剃刀は洗面所に置いてあるのを思い出すと俺は洗面所に向かった。

 

髭を剃って俺が居間に戻ると、鈴羽は着替え終わっていた。

 

「岡部さんも早く着替えて下さいよ」

 

分かった分かった、と俺も着替える。

 

と言っても俺は余り服を持っていないのでシンプルな服に袖を通した。

 

先ほどまで着ていた服を押し入れにしまおうと襖を開けた。

 

「ん?」

 

押し入れの奥の方に俺が1975年時に着ていた白衣があった。

 

この白衣は2010年の記念として、傷めたくないからと言って、この家を借りた時からこう

して押し入れに入れていたものだ。

 

流石に古くなってしまいところどころ傷んでしまっていたがまだ着れなくない。

 

おっと話が逸れそうだ。

 

その白衣のポケットをが妙に膨らんでいるのが気になる。

 

取りだしてみると中には携帯があった。

 

勿論2010年の携帯なので電話をすることもましてやメールなんて出来ない。

 

試しにボタンを押してみるが流石に十年も持つ電池なんて存在していないので何も反応しなかった。

 

まぁこれも思い出だ。

 

そう思って白衣の中にまた忍ばせる。

 

「なにしてるんですか。岡部さん早く行きますよ」

 

先に玄関に行った鈴羽が俺に向かって叫ぶ。

 

俺は、悪い。そう言って白衣をまた押し入れの奥にしまうと鈴羽の方へ歩を進めた。




そういえば、劇場版がやるらしいですね。
鈴羽の活躍があると嬉しいです。


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ある秋の日のこと-Ⅱ

「早くしてくださいよ。岡部さん」

 

先を歩く鈴羽は振り向いて俺を催促する。

 

振り向いた時に鈴羽のスカートふわりと揺れる。

 

2010年の頃はジャージにスパッツという格好だったが、流石にこの年のなってもそのままというわけにはいかない。と大分前から履くのを止めていた。

 

その代わりにこの時代はタイトなスカートを好んでいるように見ていて思った。

 

鈴羽曰く、ピッチリしている方が好きらしい。

 

しかし、流石に今日は柔らかめのスカートを履いている。

 

「鈴が、歩くのが早いんだよ」

 

俺は正直言って運動は得意な方ではない。

 

歩く速さも人並みだ。

 

対して、鈴羽は2010年に屈強なラウンダー達を倒しているのだ。

 

どう考えても体力に差が出るに決まっている。

 

俺が息を切らしているのを見て鈴羽は、意外に体力がありませんねぇ岡部さん。と言っ

た。

 

い、いや確かに30歳を過ぎてから体力の衰えを感じたが……。

 

「ま。海は逃げませんから。気楽に行きますか」

 

そう言うと鈴羽は、ようやく追いついた俺の手を取る。

 

だから、これからは一緒に歩きましょうか。と小さな声で呟いた。

 

「お、おぉ」

 

俺は鈴羽の手を握り返す。

 

柔らかい。

 

鈴羽の手は俺の手に吸いつくように密着する

 

俺の知らないところでハンドクリームでも塗っているのだろうか。

 

しっとりとしてそれでいてすべすべとしていた。

 

「鈴の手って……気持ちいいな」

 

俺がそう言って鈴羽の手を揉むと、鈴羽はくすぐったそうに、止めてくださいよと言った。

 

海と言ってもそこまで遠出するわけでもなく、お互い明日は仕事もあるためそこまで遠くない場所を選んだ。

 

電車を乗り継いでいくにつれ、都会の喧騒から離れていく。

 

今日は平日ということもあってか電車に乗っている人は少ない。

 

「静かになってきましたね……」

 

「そうだな」

 

今俺達が乗っている車両は多く見積もっても十人には満たないだろう。

 

「本当に久々に遠出しましたね。あんま遠くないかもですけど」

 

私たちがこっちにきてから初めてかもしれないですね。と鈴羽は言った。

 

「そうかもな」

 

こっちに来てからこの十年間は本当にあっという間だった。

 

勿論辛かったことも楽しかったこともあった。

 

とにかく孤独だった二人は生きるのに必死だったのだ。

 

結果として、今では片方は大学の助教に、もう片方は未来の記憶を活かした相談役をやっている。

 

それはただの結果にしかすぎない。

 

十年間自分たちをロクに省みる機会もなかったんだ。

 

だから、ここらへんで一息ついてもいいだろう。

 

「岡部さん」

 

俺は鈴羽の声がしたので、隣にいる鈴羽の方に首を向けると、目の前に鈴羽の顔があっ

た。

 

「岡部さん」

 

「お、おう。な…なんだ鈴?」

 

俺は余りの顔の近さに圧倒された。

 

「なんで、さっきから私が話かけているのに『そうだな』しか言ってくれないんですか」

 

もう。と言って鈴羽は頬を膨らませる。

 

その年不相応の顔を見て俺は思わず笑いが漏れた。

 

「な、何が面白いんですか?」

 

鈴羽は自分がなぜ笑われたか理解できないようで唇を尖らせた。

 

「いや、悪いな鈴」

 

そう言うと俺は鈴羽の頬を両手で押さえた。

 

「な、なんです……?」

 

突然の俺の行動に、困惑気味だった。

 

「なんとなくだ」

 

「そ、そうですか…」

 

むぅ…。とそう言われては返す言葉がないというように顔を少し朱に染めながら押し黙っ

た。

 

事実、俺の行動に意味は深い意味はなかった。

 

本当にただなんとなくそうしてみたかったのだ。

 

少し拗ねて頬を膨らます鈴羽の顔がたまらなく愛しかったから。

 

きっとこんなことを口に出して言える日は来ないだろう。

 

もしかしたらそう近くないかもしれないが。

 

「まぁ、全ては運命石の扉の選択か」

 

そう言うと俺は唇を歪める。

 

「30超えても好きですねその言葉」

 

もう何回聞いたか覚えてないですよ。と鈴羽は言った。

 

「いつも、大した意味はないって言いますけど、岡部さんにとってはきっと大切な言葉な

んですよね」

 

そう言って鈴羽は窓の向こうに視線を向けた。

 

「わぁ、見てくださいよ、岡部さん。海ですよ。海」

 

そう言って子供のようにはしゃいだ。

 

「私海見るのも初めてなんですよ。大きいですね」

 

鈴羽は、興奮気味に車窓の流れる景色に釘付けになった。

 

鈴羽の話によると2036年はSERNが構築したディストピアによって全ての人民が管理される

世界になっているらしい。

 

住む場所さえも自由に出来ないのだから、海を見たことがなくても当然かもしれなかった。

 

「海に来てよかったな」

 

俺がそう言うと満面の笑みで、はい。と答えた。

 

俺にはその笑顔がただ、ただ眩しかった。

 

電車を降りると、海からの潮風が俺達を迎える。

 

「なんか、海に来たって感じですね」

 

鈴羽は潮風に乱れそうになる髪を押えながら言った。

 

俺自身海に来るのは子供以来だったのでこの潮風は懐かしかった。

 

もう九月ということもあってか泳いでいる人はおろか、砂浜にいる人もいない。

 

閑散としている。という表現がまさにぴったりな状況だった。

 

俺は砂にあまり汚れない座れる場所を見つけて鈴羽と俺の荷物を置いた。

 

「冷たいですね岡部さん」

 

バシャバシャと海の中に裸足で鈴羽は入った。

 

靴は水に濡れないように片手で持っている。

 

「ほら、岡部さんも来てくださいよ」

 

そう言って鈴羽は俺を手招きする。

 

手招きされたので俺も大人しく海の中に入った。

 

冷たい。

 

それが第一印象だった。

 

こんな時期に海に来たことがなかったからか、余計に冷たく感じる。

 

それでも少しすると体が慣れてきたようで冷たさを感じなくなった。

 

鈴羽と同じようにバシャバシャと水を蹴ると、年甲斐もなく楽しかった。

 

「意外と楽しいものだな鈴」

 

ええ。鈴羽は笑顔で頷いた。

 

俺達は二人でしばらくそうしていたが、お互いの体が少し冷えてきたので砂浜に戻った。

 

「気持よかったですねぇ」

 

足についた砂を持ってきたタオルで拭きながら鈴羽は言った。

 

「あぁ、まさかこの年で楽しいと感じるとは思わなかった」

 

遊びに年齢なんて関係ないんですよ。と鈴羽が得意げに言う。

 

俺はそうかもなと相槌を打って時計を見る。

 

まだ、13時を過ぎたところだった。

 

「鈴これからどうする?」

 

「そうですねぇ……」

 

少し考える素振りを見せたのちに、もう少しここにいます。

 

鈴羽は、そう言った。

 

鈴羽の隣に黙って俺は座る。

 

二人の間に沈黙が流れる。

 

「ねぇ、岡部さん」

 

そう言うと、鈴羽は、砂浜に降りた。

 

そして波がかかるか、かからないかギリギリのところで何やら文字を書いていた。

 

『橋田鈴』

 

どうやら自分の名前を書いているらしかった。

 

「あ」

 

名前を書き終わると同時に強めの波が来て鈴羽が書いた文字を乱雑に消す。

 

その様子を鈴羽は、なんだか悲しい表情で見つめた。

 

「岡部さん」

 

一ついいですか。と鈴羽は海を向いたまま俺に聞いた。

 

俺の方からは表情はうかがえない。

 

「なんだ?」

 

「私は、物理学者です。観念的に物事を考えるのは得意じゃないかもしれません」

 

―――もし、私の……

 

――――阿万音鈴羽の記憶が、蘇ったら……

 

―――――私はどうなるんでしょうか……?

 

 

鈴羽が砂浜に書いた『橋田鈴』という文字は跡形もなく消えていた。



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作戦

「どうって……」

 

俺は返答に詰まる。

 

考えてもみなかった。

 

いや、もしかしたら無意識の避けていたのかもしれない。

 

俺にとって今の橋田鈴としての鈴羽も、阿万音鈴羽としての鈴羽もどちらも鈴羽なのだ。

 

俺にはどちらかを選ぶ権利なんてなくて、どちらも選びたかった。

 

「ふふ……」

 

返答に困っているのを雰囲気で感じ取ったのか、鈴羽はこっちを向いて二コリと笑っ

た。

 

「今のは意地悪な質問でしたね」

 

さっきのは、冗談ですよ。さ、行きましょ。

 

そう言って鈴羽は俺の手をぐいぐいと引っ張りながら砂浜を後にする。

 

嘘だそんなはずはない。

 

鈴羽が少なくとも……橋田鈴があんな嘘をつくはずがない。

 

きっと自分の記憶が少しだけ戻ったあの晩、あの日から鈴羽が思っていたことだろう。

 

俺は即答出来なかった。

 

もし俺が、時間を戻すことが出来たら即答したかった。

 

鈴羽は鈴羽だ。

 

と。

 

「そう言えばですね――」

 

鈴羽は砂浜から離れると先ほどとはうってかわってテンションが高めに話をしている。

 

「先ほど駅のパンフレットを見た所ここの周り、というか電車の線路沿いに料理屋さんと

かが充実しているらしいですよ」

 

そう言っていつ取ったのか、パンフレットを鞄から出しながら、にらめっこをしていた。

 

鈴羽のそんな様子を俺は辛そうと感じてしまった。

 

気丈に振舞っている。そう見えてしまった。

 

だからこそ、こんな時だからこそ俺がしっかりしなくてはいけない。

 

漠然とそう思った。

 

「――で、岡部さん。おやつはこのアイスクリームと、抹茶金時どちらがいいですか?」

 

「どっちも、冷たいものだな」

 

私が食べたいものですから季節は関係ありませんよと鈴羽は言った。

 

抹茶金時と言うと、鈴羽は、実は私もそんな気分だったんです。気が合いますねと俺を見て笑った。

 

それから、その日は鈴羽がパンフレットを見て気になったものを見たり、食べたり、非常にゆったりとした一日を過ごした。

 

「楽しかったですね」

 

帰りの車内で鈴羽は少し興奮気味に言った。

 

もう車窓から見える景色は暗く、海も真っ黒に染まっていた。

 

「そうだな」

 

こういうのをデートと言うのだろうか。

 

「楽しいデートになりましたね」

 

鈴羽の顔を上機嫌そのものだった。

 

「……」

 

駄目だ。どうしても昼間の台詞が頭をよぎる。

 

あの時の鈴羽の顔は見えなかった。

 

どんな顔で言っていたのだろうか。

 

鈴羽が自分で言っていたように、冗談に俺がどんな反応をするか伺う顔だろうか。

 

違うそれはない。そのことを否定する手段はなにもないのだが……。

 

「あ」

 

帰りの電車を乗り継いでいる途中に見知った顔が前を通ったので思わず俺は声を出した。

 

「ん?」

 

俺の声に聞き覚えがあるのか、その人物はこちらを見る。

 

「なんだ、岡部じゃないか」

 

仕事が休みでも会うとはな。と秋葉はクスリと笑った。

 

「お、会うのは久しぶりかな橋田さん」

 

こんばんはと鈴羽は軽く会釈をした。

 

「そういえば……」

 

秋葉も今日は彼女とデートがあるとか言っていたがどうだったのだろうか。

 

見た所周りに誰か連れがいるようには見えない。

 

どこからどう見ても一人だ。

 

「秋葉まさか……」

 

またフッたのか。そう聞こうとすると秋葉は手で制した。

 

「まぁ、その話はこれから酒でも飲みながら…」

 

そう言うと秋葉はおちょこで乾杯をするかのように手を動かす。

 

「まぁ、久々に飲むのも別に構わないのだが……」

 

そう言って俺はチラリと鈴羽を見る。

 

鈴羽は明日も朝から授業があったはずだ。

 

流石に夜遅くまで飲んでいては辛いだろうか。

 

「大丈夫ですよ。岡部さん」

 

そんな俺の視線に気づいたのか鈴羽は少し笑った。

 

「うちで飲めば、寝たい時に寝れますから」

 

秋葉さんそれでいいですか?と鈴羽が聞くと、秋葉は勿論と答えた。

 

「こんな、自分の恋の話なんて出来る奴は周りにいないからな」

 

そう言うと、行こうか岡部と言った。

 

「あぁ、そうだな」

 

こうして俺達三人は俺達の家に向かった。

 

「焼酎でいいか?」

 

あぁ、と秋葉は頷く。

 

俺も正直強くないし、鈴羽はどうか知らないが二人で家で晩酌ということはまずしない。

 

それでも、たまに少しアルコールが欲しくなった時にちびちびと飲む為に焼酎一本は常備

していた。

 

「芋か……」

 

お前らしいな。と秋葉が言った。

 

意味は分からなかったが敢えて聞くこともなかった。

 

「はい。どうぞ」

 

そう言って鈴羽は、塩辛をテーブルに置いて床に座った。

 

そう言えば近所の人にどこかのお土産に塩辛を貰ったのだった。

 

俺達は互いに晩酌すると、誰が言うでもなく乾杯した。

 

キンッとガラスの澄んだ音が耳に気持ちよかった。

 

「―――それでな」

 

お互いに酒が進んで徐々にアルコールが回ってきた頃に秋葉がそう切り出した。

 

「お前の予想とは反対に上手くいってるんだよな」

 

たまたま向こうの予定の関係で早く別れただけだったらしい。

 

「丁度、岡部達に会う数分前に別れたんだ」

 

そう言ってコップに入っている焼酎を一気に飲む。

 

度数は20度程度だが、ロックなのによく飲めるなと俺は思う。

 

「なんつうか、今回は上手くいきそうな気がする」

 

ボソッと秋葉そう言った。

 

「ちなみにどんな人なんです?」

 

鈴羽がそう聞くと秋葉は顎に手を当ててなにやら考える仕草をした。

 

「そうだな……背はそこまで高くない。うーん……あっ」

 

何かは思いついたように秋葉はこっちを見た。

 

「猫だよ。子猫とまではいかないがなんとなく、そんな表現が合うと思う」

 

自分の例え方が余程的を射たらしく自分で言って自分で頷いていた。

 

「猫か……」

 

俺は秋葉の表現を繰り返す。

 

確かにフェイリスも自分でニャンニャンと名付けているし、猫耳もつけていて猫っぽい。

 

そういうものは、母親からの遺伝かもしれない。

 

「あの、岡部さん。大丈夫ですか?」

 

鈴羽が心配そうな顔でこちらを見ていた。

 

「顔が赤いですけど……」

 

「俺は飲むとすぐに顔に出るんだ」

 

まだ平気だよ。と言うと鈴羽はそうですかと言った。

 

「そういう鈴は平気なのか?」

 

はい。そう頷いた鈴羽の顔は素面と全く変わらなかった。

 

どうやら、この中で一番酒に強いのは鈴羽のようだった。

 

「さて、俺達も明日があることだし俺はそろそろ帰るわ」

 

そろそろ夜も更けてきた頃秋葉はそんなことを言って立ち上がった。

 

「送っていくぞ」

 

俺はあの後酒を口にしていなかったので、酔いは回っていなかった。

 

秋葉は俺の提案に悪いな。と言って賛同する。

 

「夜風が気持ちいい季節になったな岡部」

 

「…そうだな」

 

秋というより冬に近い夜風は俺達の火照った体を冷やす。

 

「で、なにか言いたかったことがあるんだろ?」

 

「え?」

 

秋葉の唐突な問いかけに一瞬思考が停止する。

 

「違ったら違ったでいいんだけどな。なにか悩んでいる気がしてな」

 

そう言って、秋葉はまっすぐとした足取りで道を歩く。

 

「実は……」

 

俺の言葉が聞こえると秋葉は歩くのを止める。

 

秋葉の後ろであたかも一人言のような口調で昼間のことを語った。

 

話終わると、秋葉はまた歩きだす。

 

「今からいうことは一人言だが……」

 

そんな前口上を口にした。

 

「きっと、橋田さんは不安なんだろうな。岡部のことだから、10年間好きだとも言わず、結婚しようとも言わず、なぁなぁな関係が続いてきた。自分がいた証が欲しいんだろう。もしこのまま橋田さんが消えてしまったら、俺達の記憶と、それから大学に名前がちらっと載っているだけだ」

 

そんなのは何も残ってないと同義だ。

 

そう言って、秋葉は、喋りすぎたな。と大きな一人言を止めた。

 

「……なぁ、秋葉」

 

「なんだ?」

 

「少し、お前の家で話したいことがある」

 

俺の言葉に何かを感じたのか、秋葉は、そうか。分かったと頷いた。

 

 

「――で、話したいことってなんだ?」

 

家に着くとまた俺は応接室に通された。

 

数回入ってはいるがどうもまだ慣れない。

 

秋葉は、少し酔いが回っているのか、手短に頼む。と欠伸を殺しながら言った。

 

「お前の知り合いで、宝石…いや、指輪を扱っている人はいないか?」

 

「いるよ」

 

随分とあっさり答えられた。余りにあっさりと答えられて驚いた。

 

「サファイアでいいんだよな?」

 

「あぁ……」

 

随分と話が早い。少し不自然なくらいに。

 

「なんだ?随分話が早く進むことが不思議か」

 

俺はは秋葉の問いかけに首肯する。

 

「なに。岡部なら、こうすると思っただけだ」

 

もう十年来の付き合いだしな。と素っ気なく答えた。

 

「橋田さんのサイズは?」

 

「なんのだ?」

 

「指のサイズだ」

 

「……知らない」

 

何分今さっき決心出来たことだったのだ。

 

そんな都合よく知っているわけがない。

 

「そうか……一応調べておけよ。こういうのは高価だから直すのも手間がかかるしな」

 

秋葉はそう言うと他になにかあるのか?

 

と言うような様子でこちらを見た。

 

「いや、今日の所は特にないな」

 

ありがとうと言って俺は席を立った。

 

「まぁ、一応指輪につける宝石はいくつか候補を出してやるから、それまでに調べておけ

よ」

 

じゃあな。と言って俺は秋葉の家を後にした。

 

「――ただいま」

 

俺が帰ってきたのは大分深夜で鈴羽も寝ているだろうから静かにそう言った。

 

案の定鈴羽は寝ていた。

 

スースーと規則正しい寝息が聞こえる。

 

俺はその姿を見て安堵のため息を吐いた。

 

チラリとカレンダーを見る。カレンダーは九月を示している。

 

もう残っている日曜日は27日しかないな。

 

俺は27日に作戦を決行することを決めた。

 

シャワーを軽く浴びて頭をドライヤーで乾かす。

 

この時期になると流石にシャワーだけでは寒い。

 

俺は布団に潜り込んだ。

 

横を見ると鈴羽の顔が間近にあった。

 

「鈴羽……」

 

 

愛してるよ。

 

誰に言うわけでもなく俺は呟く。

 

後になって気づいたが、奇しくも9月27日は鈴羽の誕生日だ。

 

 

 

これも、運命石の扉の選択か……

 

 

そう言って自嘲気味に笑うと俺は眠りについた。



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研究所にて

「岡部さん。朝ですよ」

 

起きて下さいと体を揺すられた。

 

「あぁ……分かった……ありがとうな」

 

俺はとりあえず洗面所に行って顔を洗う。

 

冷たい水のおかげで目が覚めた。

 

昨日の酒は残ってないようで、意識もすっきりしている。

 

「昨日は随分と遅かったみたいですね」

 

二人分の朝食を準備しながら鈴羽はそんなことを言った。

 

きっとそのまま感じたことを言ってるだけなのだろうが、俺は少しドキリとする。

 

疾しいことなどなにもしていないのにも関わらずだ。

 

「す、少しな。秋葉の所で話込んでたんだよ」

 

そうですか。と鈴羽は納得すると配膳が終わったのか床に座った。

 

「ほら、食べましょうよ」

 

岡部さんと違って私は遅刻してはいけませんからね。と少し皮肉気味に言った。

 

はは。と俺は苦笑した。

 

確かに俺に定時の出社の義務はない。

 

だから今日は――

 

「そうだ。鈴。今日は俺は少しやることがあるから一人で行ってくれないか?」

 

俺と鈴羽は目的地は違えど途中の駅までは一緒なので毎朝二人で行っていた。

 

分かりました。と鈴羽は頷くとひじきをつまんだ。

 

「じゃ、岡部さん片付けお願いしますね」

 

行ってきます。と鈴羽はいつも大学へ行く格好に着替えて大学へ向かった。

 

さてと……

 

俺は居間に向き直ってまず洗い物をした。

 

どうも汚いものがそのままというのは落ちつかないのだ。

 

洗い物が終わると俺は本来の目的にとりかかった。

 

「指輪はどこにあるかな……」

 

バカ正直に指輪のサイズを聞いたらきっと勘の良い鈴羽のことである。

 

勘づいてしまうだろう。

 

だからあくまで、バレないように調べたいのである。

 

「と言っても、指輪なんてあの時以来買った記憶がないんだけどな……」

 

俺達が片道切符で1975年に来た時に出店で買った指輪以来買っていなかった。

 

その事実に素直に申し訳ないと思った。

 

「今度はちゃんとしたやつを買ってあげるからな」

 

そう言葉に出して俺は誓った。

 

「あった」

 

探し始めて数分で目的のものは見つかった。

 

鈴羽の私物を漁るのはいまいち気が引けたが、今回だけは許してもらいたい。

 

結果的に言うと俺はほとんど私物を漁ることはなかった。

 

鈴羽の貴重品箱の中で一番大事そうにソレが保管されていたのだ。

 

他にもそれなりの値段がしそうなネックレスなどもあったのだが、それよりも厳重に。

 

思い出に傷がつかないように。

 

自分の証明であるかのようだった。

 

「はは、安っぽいな」

 

慎重にソレを取り出して光に照らしてみる。

 

イミテーションのサファイアが安っぽく光った。

 

それでもあの時の俺達には高級品だったのだ。

 

昔を思い出して少しセンチメンタルになる。

 

2010年に置いてきたラボメン達はどうなっているのだろうか。

 

ラボメンの顔ならば十年以上経った今でもありありと思い出せる。

 

例え時代を超越しても、世界線を越えて二度と会うことが無くても宝であることは変わらないのだから。

 

そしてラボメンナンバー001狂気のマッドサイエンティスト鳳凰院凶真はラボメンの味方なのだ。

 

ラボメンの誰かが困っていたら迷わず助ける。

 

だからここに来たのも……

 

「いや、違うな」

 

尤もらしいことを言ってみたがどうも安っぽい。

 

本当は分かっているのだ。

 

言葉にするのは未だに憚られる。

 

昨日も言ってたじゃないか。と誰かに言われそうだな。

 

俺は鈴羽のことが――

 

「さぁ、行くか」

 

俺は指輪を厳重に包むとそれを鞄の中に入れて家を出た。

 

「よぉ。どうした。今日は遅刻じゃないか」

 

給料からひいておくぞ?と開口一番笑えない冗談を言われた。

 

「なに、ボケっとしてる?冗談もわからなくなったのか」

 

「冗談なのか」

 

それを聞いて少し安堵した。

 

「まぁ、仕事をしているうちはな」

 

この間は助かったよ。と秋葉は軽く礼を言った。

 

この間と言えば、秋葉に何かないか?と聞かれて、彗星がどうのこうのと言った記憶しかない。

 

彗星のことが何に役に立つのかは分からなかったが役に立ってよかった。

 

「あ、秋葉」

 

俺は持ってきた指輪を見せた。

 

「ん―?」

 

あ、指輪か。と秋葉は納得したような顔をした。

 

「サイズは分からなかったから一応持ってきた」

 

俺は秋葉に手渡すと、秋葉は穴の大きさを見ながらブツブツと言っていた。

 

「大体9号位か……?」

 

そう呟いてメモに走り書きをしていた。

 

「よしよし、これで後は大した問題じゃなくなったな」

 

指輪は給料三カ月分というから先に引いておくぞと秋葉は言った。

 

「しかし、ようやく決心がついたのか」

 

こちとら八年は待ったぞ。埃かぶったわ。と秋葉が言っていた。なんのことだろうか。

 

「いつどこで告白するんだ?」

 

「9月27日に公園で」

 

秋葉は公園?と不思議そうな顔を俺に向けてきた。

 

「そこが俺達の始まりの場所なんだ」

 

ラジオ会館もあったがあそこは2010年の始まりの場所だ。

 

「なんにせよ思い入れがあるんだな」

 

そう言って秋葉は納得していた。

 

「というか、そんなこと聞いてどうするんだ?」

 

「ん?偶然その時間にそこを立ち寄ってしまうかもしれないというだけだ」

 

フフフと不敵に秋葉は笑った。

 

「俺はお前を信じるぞ……」

 

俺にはそれしか言えなかった。

 

俺達が話しているとコンコンと扉を叩く音が聞こえた。

 

秋葉がどうした?と聞くと秘書がひょっこりと顔を出した。

 

「お客様がお見えです」

 

客……?あぁ分かった。と秋葉言った。

 

「そういうわけだ。指輪のサイズは任せろ」

 

お前はプロポーズの言葉でも考えろと言われた。

 

俺がお客さんが来るので部屋を出て、自分の部屋に入った。

 

秋葉に言われたわけではないがプロポーズの言葉を少し考えてみる。

 

数個候補が上がったがどれもなにか決定打に欠ける気がしたので全て却下した。

 

全く昼間から何を考えているんだ俺は。

 

まぁ仕事という仕事は与えられていないからすることがあるわけではないのだが。

 

「……よし」

 

秋葉には悪いが、少し会社を抜けさせて貰うことにしよう。

 

そう決めると、気づかれないように部屋を抜け出して、会社を抜け出した。

 

俺はその足で鈴羽の大学、俺の母校へと向かった。

 

正門から堂々と入れるのもスーツが成せる技なのだろうか。

 

むしろスーツで構内に入ってくる人間の方が怪しい気がするがどうやら認識は違っていた

らしい。

 

俺は慣れた動きで研究棟に歩を進めた。

 

鈴羽のいる研究室の扉の前で足を止めた。

 

コンコンとノックする。

 

「どうぞー」

 

という声が聞こえたので俺は研究室のドアを開けた。

 

「あ、岡部さんこんにちは」

 

中には鈴羽が独りでなにやら調べ物をしていた。

 

ここの室長、つまり教授は自分の講義がある時以外は大学に来ずに余所で研究をしているらしい。

 

だからいつ来ても鈴羽しかいない場合が多い。

 

個人的には突然の来訪に少しは驚いて欲しいものだが、週に2~3回来ていれば慣れると

いうものか。

 

「今日は何をされにきたんですか?」

 

学生をあやすような口調で鈴羽は言った。

 

「いや、話相手になって貰おうかと」

 

なんですかそれ。と鈴羽は笑った。

 

「その為にわざわざここまで来るとは……」

 

結構なことですね。と俺を見た。

 

「まぁ、丁度一段落しましたからね。いいですよ」

 

お話しに付き合いますよ。と鈴羽は言った。

 

「でも……」

 

鈴羽はそう言うと時計をチラリと見た。

 

なにか予定でもあるのだろうか。

 

そんな時コンコンと外で誰かがドアを叩いた。

 

「どうぞ」

 

鈴羽がそう言うとドアが開いた。

 

そこには、この間見た青年が立っていた。

 

確か、牧瀬と言った気がする。

 

「なんだ?予定でもあったのか」

 

「いや、なんでも彼が質問があるらしくてね」

 

で、質問ってなんなのかしら。鈴羽は牧瀬を見た。

 

「あ、はい。実はここに所なんですが……」

 

牧瀬は何やらレポートのような物を鈴羽に渡していた。

 

それを見た鈴羽はやれやれとでも言うようにため息を吐く。

 

「だから、牧瀬君。君がなにに興味を持とうと勝手だけどね、タイムマシンなんて眉唾物に傾いちゃだめだよ」

 

「でも……」

 

「でも、じゃない。というか、タイムマシンの理論なんて勉強をしてなにか目的でもあるのかしら?」

 

そこで牧瀬は押し黙った。

 

別に鈴羽は牧瀬のことが嫌いで言っているわけではないだろう。

 

むしろこれだけの熱意を他のことに向ければ大成するかもしれないと思っているのかもしれない。

 

「……分かったわ」

 

沈黙に耐えかねて鈴羽はため息を吐いた。

 

「牧瀬君。君が物理学でもなんでもいいから学会で発表出来るレベルにまでなったら、科学者としてある程度の地位まで行くまで我慢することね」

 

そしたら私でもこの岡部さんでもタイムマシン理論についていくらでも教えてあげるわ。

 

牧瀬は、どうも納得出来ない様子だったのだが、一言ありがとうございますと言った。

 

「まぁ、私が暇な時は話を聞くくらいなら構わないけどね」

 

その言葉を聞くと牧瀬は少し安心したように一礼をして失礼しますと研究室を出た。

 

「彼は優秀なのか……?」

 

俺の問いに鈴羽はさぁ?と答えた。

 

「タイムマシンなんてものに興味のある人間が素晴らしいとは思えませんけどね」

 

そう言って鈴羽は苦笑する。

 

それは俺達を皮肉った言葉かもしれなかった。

 

未来を変える為に過去を変えると言う神に等しい、いや神を超えた行為。

 

天に近づきすぎたイカロスは翼をもがれて死んだ。

 

俺達はどうなるのだろうか。

 

「あ、そういえば岡部さん何か話すことがあるんでしたっけ?」

 

思い出したように鈴羽は言った。

 

「あ、そうそう。27日空いてるか?」

 

ちょっと待って下さいね。と鈴羽は手帳を開いた。

 

「はい。空いてますよ」

 

どこか行くんですか?と鈴羽は首を傾げる。

 

「ま、まぁな。少し行きたい所があるのだ」

 

分かりましたと。鈴羽は赤ペンで『岡部さんとデート』と書いていた。

 

「随分と露骨に書くな」

 

「いいじゃないですか。事実なんだし」

 

確かにその通りなのだが。

 

直接的な表現は未だに苦手なのだ。

 

人前で鈴羽を彼女だと話すのも少し恥ずかしい。

 

「岡部行きたいところでもあるんですか?」

 

この間言ってくれたら良かったのに。と鈴羽は言う。

 

「今回はぶらりと買いものやらしてみたいと思ってな」

 

不自然がられないようにそう言った。

 

鈴羽はそれを、聞くと良いですね。ぶらぶらしたいです。と言った。

 

「そうか。なら良かった」

 

空けといてくれよ。と俺は念を押す。

 

はーい。と鈴羽は返事をした。

 

その後は他愛もないような話をしながら時間を過ごす。

 

一時間位すると、鈴羽が時計を見て、そろそろと申し訳なさそうに言った。

 

「いや、こちらこそいきなり来て済まなかったな」

 

俺がそう言うと、いえいえ嬉しかったですよと言ってパソコンに向き直った。

 

釣られて俺もそちらを向く。

 

メールの受信画面だった。

 

何か海外とでもやり取りをしているのだろうか。

 

「あれ、珍しいですね。スパムですかね」

 

そう言って鈴羽はそのメールをクリックした。

 

スパムと分かってわざわざメールを開くというのもどうかと思うが。

 

「これってなんですかね?」

 

そう言って鈴羽はパソコンの画面を指差した。

 

「なっ……」

 

そこには見知った名前が表示されていた。

 

 

 

S…E…R…N……?




この話の中鉢はきっといい人です。きっと。


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鳳凰院と中鉢

SERN……

 

俺はその単語を聞いて2010年の出来事を急速に思い出した。

 

Dメールや電話レンジ、それにまゆりの死のことも。

 

強烈な感情が渦となって俺の中に押し寄せてくる。

 

感情が爆発しそうだった。

 

全ての元凶。

 

鈴羽が帰れないと分かっているのに片道切符の時空旅行を選ばざるを得なかった元凶。

 

感情の昂りに反比例するかのごとく俺の頭を急速に冷えていく。

 

「岡部さん。どうかされました?」

 

顔色が良くないですよ?と鈴羽は心配そうに俺の顔を覗きこんだ。

 

どうやら、俺はひどい顔をしているようだ。

 

顔を袖で拭うと嫌な感じの汗が袖についた。

 

「い、いや、なんでもない。それよりなんて書いてあるんだ?」

 

俺が大丈夫だ。と言った言葉を鵜呑みにしたのか分からないが鈴羽は画面に向き直った。

 

鈴羽は英語は話せないが一通りは読めるらしい。

 

「どうやら向こうもわざわざ英語で書き直してくれてるみたいで助かりました」

 

俺ではなんて書いてあるかさっぱりだが、鈴羽は時々頷いて見ていた。

 

「で、なんて書いてあるんだ?」

 

「えーとですね。単純に言うと、SERNで働かないかと誘われていますね」

 

なんでも私の論文の内容が興味を惹いたらしいですよ。と鈴羽は言う。

 

「SERNって確か表向きはタイムマシンは荒唐無稽だとか言ってますけど絶対作ろうと思っ

てますよね」

 

鈴羽はそこで、はぁ、とため息を吐いた。

 

「それで……どうするんだ?」

 

そうですねぇ……

 

鈴羽はパソコンの画面をスクロールしながら少し考える素振りを見せた。

 

「別に行っても構わないんですけどね」

 

給料だって向こうの方が良いはずですからと鈴羽は随分現金的なことを言った。

 

「それは……本気で言ってるのか」

 

俺の口調に違和感を感じたのか少し鈴羽は眉をしかめる。

 

「嘘じゃあないです。研究をしたいという気持ちがないわけではありません。それに同じく日本人として、鳳凰院凶真に参加を依頼したいってありますよ」

 

「なに?」

 

俺は言われて画面に食らいついた。

 

そこには、ずらずら英単語が羅列されている中に、ローマ字で「hououin kyouma」と書かれていた。

 

確かに俺が大学生の時に発表した論文は全て鳳凰院凶真の名前で発表していた。

 

ふざけているように聞こえるかもしれないが、意外とちゃんと理由があったりする。

 

論文を発表する際に秋葉に名前を隠してくれと言われていたのだ。

 

そこで俺の真名を使ったわけだ。

 

鳳凰院凶真が俺の真名というといつも鈴羽に、元の名前の方がかっこいいですよと言われていた。

 

「なんでも、岡部さんの理論は今の時代じゃ不可能かもしれないが将来性が感じられるって書いてありますよ」

 

俺の隣で見ていた鈴羽はそう付け加える。

 

「……」

 

正直個人的にはSERNに評価されても嬉しくないが、一科学者としてSERNに褒められるというのは悪くなかった。

 

「……さっきはああ言いましたが、私は行きませんよ」

 

その言葉に俺は鈴羽の顔を見た。

 

鈴羽は口を僅かに歪ませながらこう言った。

 

 

タイムマシンに興味ある連中が素晴らしいとは思えませんから。

 

 

ふふ。と鈴羽は笑う。

 

「そうか……」

 

俺は鈴羽の言葉に安堵の息を吐いた。

 

身近にあった椅子に腰をかける。

 

このわずか数分でかなり疲れた気がする。

 

俺にとって10年以上前の2010年の記憶。

 

もうSERNなど存在すら忘れかけていた。

 

元はと言えばSERNがいなければ俺はこの時代にくることはなかったのだ。

 

その奇妙な因果に一抹の不安を感じた。

 

「ちなみにですね。私の論文は少しひねくれてまして、肝心な所を少しぼやかして書いてます。だから鵜呑みにしてSERNが実験してもきっと失敗しますよ」

 

あぁ、でも嘘は書いてないですよ。と鈴羽は付け加えた。

 

「なに不安そうな顔してるんですか、岡部さんらしくない」

 

こんなものはこうしちゃいますから。そう言うと鈴羽はメールをゴミ箱にドラックして投げ入れた。

 

「こんなものは忘れちゃいましょ」

 

だから岡部さんも気にしないでくださいと鈴羽に念を押された。

 

「鈴がそう言うなら……」

 

そうだ。別にSERNがこの世界線で絶対悪というわけではないのだ。

 

「どうも2010年のSERNのせいで穿った見方をしているのかもな」

 

それじゃ。と言って俺は鈴羽の研究室を後にした。

 

大学から抜ける途中に見知った顔と目があった。

 

「確か牧瀬……くんだったか」

 

「はぁ、そうですが、何か?」

 

牧瀬はこの間のようないかにも大学生らしい格好をしていた。

 

「いや、なんでもない」

 

鈴羽と接している時とまるで正反対の応対だった。

 

露骨に敵意をむき出しにしている印象を受ける。

 

単に人見知りなのかそれとも知っているから敵意をむき出しにしているのだろうか。

 

「まさか…あんたは、橋田さんを狙っている機関の工作員なのか?」

 

牧瀬は俺を訝しむような眼で見つめた。

 

「は?」

 

俺はあっけにとられて間抜けな声を出した。

 

機関?工作員?どこかで聞いた気がする……

 

「何を言っているんだ?」

 

「とぼけても無駄だ。そうか、だからあんたはいつも橋田先生の近くにいるのか」

 

ちょっと待て。勝手に一人で納得している。

 

「橋田先生は渡さない。アインシュタインの弟子である宇宙を示す究極の形8を冠する中鉢の名に懸けて」

 

そう俺に宣言した。

 

「はぁ……」

 

俺はまだ呆けている。

 

「どうした?核心を指摘されて慌てているのか?今すぐ橋田先生の元から立ち去るのであるならば命だけは助けてやろう」

 

そう言って牧瀬はニヤリと口を歪めた。

 

あぁ、そうか。

 

なるほど。

 

コイツは、俺と同じなのか。

 

「ん?中鉢?」

 

そうだ。俺は中鉢だ。牧瀬はそう言ってニヤリと笑った。

 

「中鉢という名前はだな、我が偉大なる師匠であるアインシュタインが俺にタイムマシンの研究に危険が付きまとうからと言ってつけてくれた俺の真名だ」

 

牧瀬章一とは世を忍ぶ仮の名前にしかすぎない。と言っていた。

 

中鉢と言えば2010年に俺がインチキだと批判した相手ではなかったか。

 

それが牧瀬という名前……

 

「偶然にしては出来すぎてるな」

 

俺は笑いを噛み殺すように下を向いた。

 

そうか、そういうことか。

 

全く、あいつもこんな奴が親とは災難だな。

 

「何がおかしい」

 

俺が笑っているのを不機嫌そうに牧瀬は見つめる。

 

「よかろう。貴様が真名を名乗るならこちらも名乗らねばならないだろう」

 

どうやら鈴羽は俺たちみたいな変わり者に好かれるらしいな。

 

俺は2010年に戻ったような気持ちになる。

 

「俺の名は、フェニックスの鳳凰に院、それに凶悪なる真実とかいて凶真。鳳凰院凶真だ」

 

そう名乗って高笑いした。

 

白衣ではなくスーツなところが若干、年を感じさせた。

 

周りにいた学生が何事か一瞬こちらを振り向いたが、関わらないほうがいいと悟ったのだろう。

 

見なかったふりをして足早に歩いていった。

 

「どうやら、貴様と俺は時空を超えても対峙する運命にあったようだな」

 

そう言って指を指した。

 

今度は牧瀬が呆気にとられていた。

 

「そうか……貴様が鳳凰院凶真か」

 

ギリッと歯ぎしりする音が聞こえた。

 

「荒唐無稽な理論を発表する不届き者が其の名であることは知っていたがまさか貴様のような人間とはな」

 

フンっと牧瀬は鼻を鳴らした。

 

「良かろう。貴様をこの中鉢の好敵手として認めてやる」

 

そう言うと、牧瀬は立ち去った。

 

俺はその後ろ姿を見ながら、ふぅと溜息をついた。

 

「全く昔の俺がああいう風だったとは想像したくないな」

 

俗に言う黒歴史というやつか。

 

もしその時のムービーでもあったら俺は悶絶してしまうだろう。

 

話しているうちに分かった気がする。

 

あいつは鈴羽に恋をしている。

 

いくら恋愛に疎いと言われる俺でも理解できる。

 

恐らく叶わないとどこかで分かってながら。

 

だから、頻繁に質問をしにくるし、俺に対して敵意をむき出しだったのだ。

 

もしかしたら2010年の中鉢が発表したタイムトラベル理論はジョンタイターではなく、橋田鈴の論文を模したものではなかったのか。

 

約束通り物理学を学び、学会で発表し、ある程度の地位まで到達した牧瀬はタイムマシン理論に傾倒したのではないのだろうか。

 

自分の思いを寄せた師に教えを請うために。

 

「まぁ、俺には関係ないことだな」

 

所詮俺の妄想にすぎない。

 

それにその予感が当たっていようがいまいが、もうその世界線はなかったことになっているのだから。

 

「さて……秋葉の会社にでも戻るか」

 

そう言って俺は大学を出て会社の方へと足を進めた。



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独白

……岡部さんが帰ると私はパソコンのデスクトップ上にあるゴミ箱のアイコンをクリックした。

 

当然パソコンは私の指示に従ってゴミ箱の中身を見せた。

 

何回見ても変わるはずはないのに。

 

私は何度もそれを見てしまう。

 

いっそのこと削除してしまえばなかったことに出来るはずなのに。

 

私はそれが出来なかった。

 

理由は分からない。

 

ただ、なんとなくだが、このゴミ箱の中身を消してしまおうという気にはならなかった。

 

SERN、SERN、SERN……

 

私のゴミ箱はSERNからのメールで一杯になっていた。

 

厳密に言うと一杯ではない。

 

だから、ゴミ箱から溢れることもない。

 

物理学者にしては妙に詩的だな。と言っていて自分で笑えてきた。

 

岡部さんの態度から見ても2010年にいた時にSERNとひと悶着あったらしいですね。

 

それも悪い方向で。

 

それはきっと巡り巡ってあたしに関係のある話なんだと朧気に感じた。

 

私はゴミ箱を消すと頭を押さえる。

 

最近あたしの記憶がフラッシュバックすることがある。

 

SERNからメールを貰ってからは特にそうだ。

 

顔も名前も思い出せないはずの人達と楽しそうに話している夢。

 

真っ暗な闇の中をひたすら逃げ続ける夢。

 

あの赤みのかかった髪が印象的に彼女は誰なのだろうか。

 

彼女に対して狂おしいほどの憎しみとそれとは対照的な日向のような温かい感情が渦巻いていた。

 

そして岡部さんはいつも何か一生懸命だった。気がする。

 

そういう白昼夢を見る時がある。

 

「きっと夢なんじゃないんだろうなぁ……」

 

薄々気づいている。

 

これはあたしの記憶だ。

 

阿万音鈴羽の記憶だ。

 

私と同じ体で18年間生きてきた存在。

 

果たして私はあたしの記憶が完全に蘇った時岡部さんと普通に接することが出来るんですかね……

 

珍しく弱気にもなってみる。

 

幸い、研究室には誰もいないから私の弱い所は誰にも見られることはなかった。

 

私のそんな気持ちを無視してパソコンがメールを受信した。

 

「またSERNですか……」

 

一日に二通来たのは初めてですけど。

 

とりあえず開かないのも悪いのでそのメールを開いた。

 

今回は英語もほぼ書いておらず、意味不明な数字とアルファベットの羅列とURLが表示されているだけだった。

 

私はよしたら良いのにそのURLをクリックしてしまった。

 

クリックに反応してパソコンは指定された画面を表示する。

 

PDF形式のファイルのようだ。

 

なにやらパスワードを打つ形式のようで、パスワードを入力して下さい。と表示されていた。

 

そこで私はメールに書かれていた意味不明な文字の羅列を入力した。

 

案の定それがパスワードだったようで、認証しましたと表示されてロックが外れた。

 

「ゼリーマンズレポート?」

 

PDFの一番最初にそう書いてあった。

 

ゼリーマンとはなんかの隠語なのだろうか。

 

私は好奇心にかられてさらに読み進めた。

 

「……」

 

どうやらこれはタイムマシンの失敗例のようだった。

 

「これが過去にSERNが送った人間の末路ってことかしら……」

 

レポートは数種類あったが、全てに赤文字で『human is dead mismatch』と書かれていた。

 

つまりまぁそういうことだろう。

 

全てのレポートの途中辺りで黄緑色をしたやや透明感に欠ける煮ごこりのような物が混じった人型が映っていた。

 

どれも壁に埋まっていたり轢かれていたりしていて原型を留めていないものばかりだった。

 

尤も原型を留めていたとしても体がゲル状になっている時点で無意味だけどね。

 

カーブラックホールの特異点を使って過去を行くという方法みたいだけど、まだまだ確立出来ていないな。というのが正直な感想だった。

 

「ゼリーマンズレポートって全く捻りもとんちでもなくそのままの様子を評したものなのね……」

 

個人的には少しは捻って欲しいものだ。

 

しかし、SERN側が私にこちらを見せた真意が掴めなかった。

 

こんなに犠牲を生むのなら参加したくないと考えるという予測は立てなかったのだろうか。

 

それとも、秘密を知ってしまっては生かしておけないと、私を亡き者にするための口実作りかしらね。

 

自分から秘密を見せてそれはないだろうに……

 

私はコップに注いだコーヒーを口に含んだ。

 

口全体に苦みが広がる。

 

やっぱり私はシロップを入れなきゃ飲めませんね。

 

そう言って苦さのあまり顔を歪めた。

 

岡部さんがブラック飲みながら、『やはりコーヒーはブラックに限る』と言っていたので、少し真似てみましたがやっぱり無理でした。

 

私はシロップを入れてコーヒーを飲み直した。

 

画面をスクロールしているといつの間にか最後のページになっていた。

 

『検体NO.X 橋田鈴』そう書いてあった。

 

そして例にも漏れず、赤字で『human is dead mismatch』と書いてあった。

 

レポートの中の私はゼリー状になって壁に埋まってました。

 

それを見て私は理解しました。

 

彼らが私にこれを見せたわけを。

 

これは警告だ。ということでしょうね。

 

我々の要求を飲まないのならこういう風になってしまうかもしれないぞという警告。

 

高々一人の極東の科学者のために大層なことです。

 

SERNも案外暇なんですかね。と軽口を叩いてみる。

 

努めて思考を冷静に保つ。

 

いつまでこの余裕が続くかは分からないですけど。

 

気づくと私のコップを持つ右手がカタカタと小刻みに震えていた。

 

コップの中に残っていた少量のコーヒーの水面が手の震えに合わせて小刻みに揺れる。

 

私は震える手で残っていたコーヒーを一気に飲み干した。

 

ふぅとため息を吐くと震えは治まっていた。

 

「岡部さんは強いですね……」

 

誰もいない研究室でぼそりと呟く。

 

日の入りも早くなってきたからか早くも研究室にも陰が差してきた。

 

私の前のパソコンだけが煌々と光っている。

 

きっと岡部さんは2010年で似たような経験をしてきたのでしょう。

 

それでもこの大きな組織に抗い続けた。

 

「私には無理だなぁ……」

 

自分の白衣をきつく握りしめる。

 

爪が指に食い込んで少し痛かった。

 

ふと誰もいない研究室を見渡す。

 

この研究室は今の私の心のようだった。

 

さながら私は、暗がりに包まれた中、たった一つの光に導かれて飛んでいく羽虫か。

 

―――なに、言ってんの?あたしがいるじゃんか。

 

頭の中に自分の声が響いた。

 

正確には私の声も姿も一緒の別の人。

 

2036年と2010年の記憶を持った別人格とでも言うのかな。

 

私は目を閉じる。

 

あたしと話すために。

 

――初めまして。というのかお久しぶりというのか分からないけど鈴羽さんですよね?

 

――うん。

 

――残念ですけど、私はあなたがいた時代のことをほとんど覚えてません。

 

――うん。

 

――こうして会話していることは幻想なんですか?

 

――さぁ?

 

そう言うと目の前にいる鈴羽は笑った。

 

まだあどけなさの残る明るい笑顔だった。

 

――私はどうすればいいんでしょう?

 

――あたしには分からないよ。だけど、あたしはあなた。あなたはあたし。あなたの決め

たことに文句は言わない。

 

だから頑張れ。橋田鈴。そう言って背中を押された気がした。

 

他ならぬ自分自身に。

 

私は目を開いた。

 

目の前のパソコンにはゼリー状になった私の画像が表示され続けていた。

 

もう恐怖も何も感じなかった。

 

私にはあたしもいるし岡部さんもいる。

 

何を恐れることがあろうか。

 

岡部さんに話して一緒に対抗する術でも考えましょう。

 

「でも、ま。今日位は甘えてみてもいいですよね」

 

私はそう独り言を言うと私は携帯を取り出す。

 

もう少し小さくなってくれると嬉しいんですけどね。

 

私は押し慣れた番号を押す。

 

数コールの後向こうが電話に出る音が聞こえた。

 

「もしもし、鈴か?」

 

「そうですよ」

 

「どうかしたのか?」

 

「いえ、岡部さん…今日一緒に帰りましょ。それにどこかで外食しましょ。岡部さんの奢りで」

 

電話口で岡部さんがえっと聞き返す声が聞こえた気がしましたが、私はでは駅で待ち合わせで。というと電話を切った。

 

たまにはこんなのもいいですね。そう言って私は笑った。

 

私の心はもう暗くなかった。



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帰り道

俺は鈴羽に呼び出された。

 

いきなり電話があったから、もしやSERN絡みの話かと体に緊張が走ったが、どうやら夕飯のお誘いだったようだ。

 

鈴羽の方から何か食べたいなんて言いだすのは珍しい。

 

俺は財布の中を確認して顔をしかめる。

 

足りないことはないが念のため……

 

俺は少し寄り道をして金を下ろすことにした。

 

「あ」

 

しまった銀行はもう閉まっている。

 

コンビニにATMは……ないだろうな。

 

流石にこの時代にATMがあるわけがない。

 

仕方がないので俺は道を戻った。

 

俺は道中することがないので考え事をしていた。

 

確か2010年の鈴羽は1990年代に記憶を取り戻し錯乱状態で最後は…自殺したはずだ。

 

しかし、今の鈴羽は記憶を少しづつ取り戻しているに違いない。

 

俺はあの晩を思い出す。

 

――岡部倫太郎?

 

フルネームで呼ぶのは鈴羽の癖だった。

 

この分だと鈴羽は記憶をとり戻しても平気な気がする。

 

その為に俺が来たのだからな。

 

俺は電車に乗って待ち合わせ場所に向かう。

 

待ち合わせ場所は俺達の住居の最寄り駅だった。

 

電車の車窓から流れる景色を漫然と見ていた。

 

流れる景色は不可逆だ。

 

何かを忘れていてももうその地点に戻ることは出来ない。

 

それこそ俺達のようにタイムマシンでも使わない限り。

 

そこでふと俺は思い至る。

 

鈴羽の記憶喪失はある種確定事項だ。

 

しかし……

 

「俺自身が記憶を失っているとしたら……?」

 

いくら俺の体にリーディングシュタイナーが宿っていたとしても35年も時間を逆行すればなにかしら不具合を生じるかもしれない。

 

世界線が変わったという感覚は確かにあったのだが。

 

もし俺が記憶を失っていたとしてもその事象を確認する術はどこにもない。

 

「否定も肯定も出来ない…か」

 

別に悲観的になることもないが、言いようのない影に足を掴まれた気がする。

 

何か大事なことをしていないのではないかと。

 

まぁ良いだろう。

 

「全ては運命石の扉の選択か……」

 

もうこの言葉を使ってどの位経つのだろうか。

 

いつも大した意味は無いと言ってるが、あれは嘘だ。

 

この言葉を使うおかげで俺はいつも自分を奮い起すことが出来る。

 

そういえば、steinsはドイツ語のジョッキという意味だったな。

 

誰かからそんな言葉を聞いた気がした。

 

そろそろ変えてみてもいいかもしれないな。

 

そんなことを漫然と考えているうちに俺の最寄り駅に着いた。

 

「あ、岡部さん」

 

お仕事お疲れさまです。と鈴羽は一瞬こちらを見ただけで視線を戻すとそう言った。

 

鈴羽は何かを見ているようだった。

 

「なにを見ているんだ?」

 

「これです」

 

はい。と手渡されたのは十円玉だった。

 

「ここに描かれている建物の名前知ってますか?」

 

平等院鳳凰堂って言うんですよ。と鈴羽は言った。

 

「なんだか、響きが鳳凰院凶真と似てますよね」

 

そう言ってクスリと笑った。

 

平等院鳳凰堂と、鳳凰院凶真……似ているというか、半分くらい文字が被っている。

 

昔もそう言われていた気がする。

 

誰に言われたか分からないが。

 

「さて、行きましょうか」

 

鈴羽は、そう言うと手を差し出した。

 

俺はその手を握る。

 

鈴羽はどこか目的地があるらしく、俺を引っ張るその腕には迷いがなかった。

 

「さて、着きました。岡部さん」

 

そう言って鈴羽はようやくこちらを振り向いた。

 

屋台だった。

 

それも赤提灯を掲げて『おでん』と書いてあった。

 

季節外れというわけでもないが、流石に少し早い気もする。

 

「いやですね。私、屋台のおでんって食べたことないんですよ」

 

だから。と言って鈴羽は暖簾をくぐった。

 

いらっしゃい。と屋台の親父がぶっきらぼうに言った。

 

「こんばんはー。繁盛してます?」

 

鈴羽がそう聞くと、親父はこの状況で繁盛してるってことはねぇだろ嬢ちゃんと苦笑した。

 

「お、彼氏さんかい」

 

そっちは繁盛してるかい?と親父は俺に聞いてきた。

 

「まぁ、ぼちぼちですよ」

 

会社勤めしてるのにぼちぼちとは時化た兄ちゃんだなぁ。と親父は言った。

 

「まぁ、こうして来ているんですからそれなりですよ」

 

俺がそう言うと、親父は違ぇねえと笑った。

 

空きっ歯が笑った時に見えて愛矯があった。

 

「今日は、サービスだ。一本80円に統一してやるよ」

 

俺にはそれが良いのか悪いのか分からないがとりあえず礼を言う。

 

「それでこいつもサービスだ」

 

そう言うと、親父はコップに並々と透明な液体を注いだ。

 

「俺の生まれの特産品の日本酒だ」

 

旨いぞ。そう言うと、親父も自分で注いで一杯飲んだ。

 

「あ、そろそろ頼んでいいですか?」

 

鈴羽が申し訳なさそうに手をあげる。

 

「おお、済まねぇ嬢ちゃん」

 

そう言うと親父は鈴羽の方を向き何がいいかと尋ねた。

 

「そうですね……大根と、牛すじを下さい」

 

あいよ。という声と共に親父がおでんを掬って皿に入れた。

 

鈴羽はいただきますと一礼をするとおでんを口に運んだ。

 

「お、美味しいでふね」

 

こんなに美味しいおでんは初めてです。と鈴羽は褒めちぎった。

 

俺も自分のおでんを口に運ぶ。

 

大根に味が程良く染み込んでいてなんとも言えない旨さがあった。

 

「確かにこれは旨いな」

 

俺もそう言うと、お前ら口が上手ぇな。と言って満更でもないという表情だった。

 

それから俺達三人は下らない話をして夜は更けていった。

 

「あ、岡部さん。そろそろ帰らなきゃ」

 

鈴羽は時計を見て俺にそう言った。

 

「そうか……もう、そんな時間か」

 

俺は親父に金を払うとその場所を後にした。

 

「良い場所でしたね。岡部さん」

 

鈴羽の言葉に俺はそうだな。と頷いた。

 

確かに良い場所だった。

 

親父も人の良さそうな人で実に気が和んだ。

 

俺達は家に帰ると鈴羽は風呂にを沸かし始めた。

 

その間に俺は居間に腰を下ろした。

 

少し飲みすぎたのか……

 

親父の人柄に押されていつもより早いペースで飲んでしまった。

 

「岡部さん大丈夫ですか?」

 

そう言うと鈴羽はコップに汲んだ水を俺に渡してくる。

 

俺は礼を言って水を飲み干す。

 

水を飲んで落ち着いたのか、俺はふぅという溜息を吐いた。

 

「あ、岡部さん。私先に入っちゃいますね」

 

鈴羽は梁に背を預けている俺に、風呂に入る準備をしながらそう言う。

 

俺がおぉ。とうなずくと俺は畳に寝転んだ。

 

「ふ--ッ」

 

屋台には背もたれがなく、背筋を伸ばしたままだったため、今になってその疲れが背骨に来て、ミシッと音を立てる。

 

そんな時だった。

 

鈴羽が風呂に入っている間にふと小さくはない携帯電話がやかましく鳴り響いた。

 

「はい。岡部」

 

「あぁ、岡部か。指輪の件についてなんだが」

 

案の定秋葉からだった。

 

考えてみると大学の同期に限らず俺の携帯に電話をかけてくるのは秋葉と鈴羽位である。

 

まぁ、だからどうというわけでもないのだが。

 

「予算内のものを数点用意したから今から見に来るか?」

 

「悪いな。今日はもう動けそうにない」

 

流石にこれから立ち上がってどこかに行くという気力はなかった。

 

「まぁ。明日にでも見せて貰いたい」

 

そうかそれは残念だな。

 

秋葉は特に気にかける風でもなく素っ気なく言った。

 

じゃあな。と俺は電話を切ると、ちょうど風呂上がりの鈴羽の目が合う。

 

「「……」」

 

鈴羽の顔は風呂上がり特有の赤みがかった顔をしていた。

 

それがまた随分と、服装と相まっていて、大人の女性の魅力があった。

 

そう。艶やかである。

 

というか、風呂上がりにTシャツって中々扇情的だ。

 

「なんですか岡部さん」

 

「そっちこそ。何かあるのか鈴?」

 

クスッ、ぷ……

 

お互いの目を見て俺たちを訳もなく笑いあった。

 

九月二十日の出来事である。

 



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決戦は日曜日

昨日は悪かったな。

 

俺が開口一番にそう言うと、秋葉は全くだ。と口を尖らせた。

 

昨日の電話の件について指輪を見るために少し早目に会社に向かったのだ。

 

少し早く着きすぎたかと思ったが、意外と秋葉も早くから仕事をしていて、俺が早く来るのが珍しいのか俺の姿を見つけると目を丸くしていた。

 

「まぁ、指輪と一口に言っても色々とあるわけで……」

 

そこから少し蘊蓄が混じったので割愛させてもらうが、その中で秋葉が候補を三つに絞りこんでくれたらしいのだ。

 

「どうせ一杯あったらあったで選べないだろうからな」

 

「恩に着る」

 

そう言って俺はぺこりと頭を下げる。

 

正直言って女というものに疎いので、指輪などが、沢山あってもただ困るだけだ。

 

俺は一つ一つに目を通していく。

 

三つだけでもそれなりに悩んだ。

 

結局ゴテゴテしたものじゃなくて一番シンプルなものにした。

 

装飾などで誤魔化したくなかった。

 

「お、やっぱりそれにしたのか」

 

俺が悩んでいるのを楽しそうに後ろから見ていた秋葉は予想通りと言わんばかりにニヤリと笑った。

 

「なんだ予想でもしていたのか」

 

「いや、そんなことはしてないのだが……なにせ十年来の付き合いだからな」

 

岡部の好みなど予想はつくさ。と秋葉は言う。

 

「コーヒーでも飲むか?」

 

俺がうなずくと秋葉は自分でコーヒーメイカーを使って二人分のコーヒーを淹れた。

 

「俺の淹れるコーヒーを飲めるやつなんてそういないぞ」

 

ありがたく飲めと秋葉は淹れたてのコーヒーを差し出した。

 

秋葉が淹れてくれたコーヒーに口をつけた。

 

普段は淹れてないというだけあって濃い。

 

濃厚なコーヒーの味が口に広がる。

 

コクや深みがあるというかコーヒー豆そのものを飲んでいるようだった。

 

どうだ?と得意がる秋葉の顔を見て俺はまぁまぁという顔をしておいた。

 

「とりあえず、その指輪の代金は給料天引きにしとく」

 

自分で淹れたコーヒーを旨そうに飲みながら秋葉は紙に何かを書いていた。

 

何を書いているかを覗いてみると零が一杯並んでいた。

 

数えるのも面倒だったが、数十万位だろうか。

 

「こいつはお前の指輪の値段だよ」

 

俺の視線に気づいた秋葉はそう言った。

 

「そ、そうか……」

 

俺はその金額に大きさに軽く苦笑いをした。

 

苦笑いというか、顔が引きつった。

 

「これでも大分値切ったほうだぞ」

 

最初はこれの三倍くらい高かったかな。と秋葉は思い出すように視線を遠くにやった。

 

「向こうも強気だったんだが、お互いの腹の読みあいをしているうちに仲良くなって値切れたんだよ」

 

だから岡部は中々得な買い物をしたということだな。と秋葉は万年筆を閉じるとそう言った。

 

「前から思っていたのだが、どうして秋葉は俺たちをそこまで気にかけるんだ?」

 

別に迷惑だなんて思ったこともなかった。ただ知りたいのだ。

 

経営者の秋葉からしたら俺たち二人を必要以上に気にかけるという行為は合理的でもなんでもない。

 

「人には人のものさしがあるんだよ岡部」

 

秋葉はそれだけ言うと静かにコーヒーを飲む。

 

その姿は妙に様になっていて俺はそうか。としか言うことが出来なかった。

 

「そ、そういえば、お前は彼女とどうなんだ?」

 

俺はふと思い出した。

 

そう言えば秋葉も今付き合っているのだ。

 

しかも特徴を聞くだけだと、フェイリスの特徴とよく似ているのだ。

 

その人と結婚しなければきっと未来は変わってしまうだろう。

 

「お?あぁ、大丈夫だ。問題ない」

 

俺の質問に少し何かを思い出すかのような目をしながら答える。

 

「どうも、最近知ったのだが、彼女はどこかのお嬢さんらしくてな……」

 

全く気付かなかったよ。と秋葉は口に笑みを浮かべる。

 

「全然金があるわけではないらしんだが、なんでも最初から言うと政略とか、金目当てとか変に勘ぐられそうだったから、今になって打ち明けたそうだ」

 

そんなことを気にする俺じゃないんだがな。それでも秋葉は嬉しそうだった。

 

「それもそんなことを言うのに、ありったけの勇気を使ったらしい、言い終わったら泣いてたよ彼女」

 

俺はその情景がありありと思い描けた。

 

秋葉は、自分では普通に振舞っているつもりだろうが、実際中々オーラがある。

 

この間たまたまテレビに出ていた秋葉を見たが、少し空気がピリッとしていた。

 

恐らくある程度親しくなってないとその印象を拭い去ることは出来ないだろう。

 

きっとフェイリスの母親であろうその人はそれでもきっと清水寺の舞台から飛び降りる位の気持ちで言ったのではなかろうか。

 

自分の気持ちを誤解される恐怖と闘いながら。

 

それでも、自分のことを知って貰いたくて。

 

もっと秋葉のことを知りたくなったから。

 

「まぁ、やっぱ俺は彼女のこと好きなんだよな……」

 

そうボソッと言った秋葉の言葉を聞き逃さなかった。

 

その言葉を聞いて、やはり秋葉も俺と同じ人間なのだ。

 

当たり前の事実を今更ながら実感した。

 

「何かおかしいこと言ったか?」

 

いや、なんでもない。と俺は不思議がる秋葉にそう言った。

 

「まぁ、とりあえずこの指輪はありがたく買わせてもらうよ」

 

俺はそう言うとドアを閉めた。

 

それから時間はあっという間に過ぎた。

 

俺も勿論会社で秋葉顔を合わせていたが、その話には触れず、他愛のないことや、また未来の話を少し話す程度だった。

 

「しかし、もうすぐか……」

 

丁度約束の日の前日俺が秋葉の部屋から出ていこうとドアノブに手をかけた時秋葉は誰にでもいうわけでもなく一人でに呟いた。

 

「この十年あっという間だったな」

 

「……そうだな」

 

「それでもやっとだな」

 

「……そうだな」

 

「今までどんだけ待たせたんだよ」

 

「…ざっと数えて十年ほど」

 

「そりゃあ長いな」

 

俺もそう思う。

 

「もうこれ以上待たせるなよ岡部」

 

じゃあな。秋葉は俺を見送る。

 

俺はありがとな。と言って部屋を出た。

 

「ん?」

 

俺達の家のドアを開けようとしたが開かない。

 

鈴羽がまだ帰ってきてないようだった。

 

大方研究でも長引いてしまっているのだろう。

 

そう考えて俺は自分の鍵を使ってドアを開ける。

 

部屋の中は今朝と変わらないままである。

 

そろそろ七時近いので今日は久々に俺が作るとしよう。

 

台所に立つと俺は米を洗い始める。

 

それから適当にあり合わせのものを作って鈴羽を待つことにした。

 

俺が作っている最中に玄関のドアが開かれた。

 

「あ、岡部さん。お早いですね」

 

鈴羽が帰ってきたのだった。

 

聞くところによると少し研究が長引いてしまったらしい。

 

電話でもしようかと思ったが、まぁ、すぐに帰れるから特に気にしてはいないとのことだった。

 

鈴羽はすぐにコートをしまうと、俺に悪いと思ったのか居間に現れた。

 

「なにか手伝うことあります?」

 

「いや、もう出来るからいいよ」

 

ありがとう。と俺が言うといえいえと鈴羽は返した。

 

「やっぱり、岡部さん料理がお上手ですねぇ……」

 

俺の料理を食べながら鈴羽は言った。

 

もう十年経つが未だに鈴羽は俺の料理を食べるたびに美味しいと言ってくれる。

 

鈴羽は本当に出来た奴だと関心する。

 

「そう言えばですねぇ……明日どこかに行くんでしたっけ?」

 

食事中に何かを言おうとして手帳を開いた鈴羽がそう言った。

 

「あぁ、少しな」

 

極力何かを用意しているようには振舞いたくなかった。

 

「私の誕生日ですよね」

 

「そうだな」

 

俺が頷くと、また一つ岡部さんに近づきましたね。と顔を押さえながら嬉しそうに体を揺らした。

 

「そうだ。誕生日プレゼントでも買いに行こうか」

 

「本当ですか!?」

 

ありがとうございます岡部さん。と今にでも飛びついてきそうな感じがした。

 

「そうだな。明日までに欲しいものでも考えておくんだな鈴羽」

 

はい。と鈴羽は元気よく頷く。

 

夕食後も鈴羽は機嫌が良いようで、鼻歌を歌ったり何にしようかなと言っていた。

 

そんな鈴羽を尻目に俺は自分の背広のポケットに手を入れて指輪の箱を確認する。

 

「決戦は日曜日ってか」

 

別に誰と戦うわけでもないのだが。

 

俺も鼻歌を奏でながら指輪をポケットにしまった。



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1987

その晩俺は夢を見た。

 

2010年の時の夢であった。

 

俺が鈴羽を引き留めてしまった先にある未来を思い出した。

 

一人で過去に跳んだ鈴羽は記憶をなくした。

 

 

失敗した。

 

 

MRブラウンから貰った手紙の内容を思い出す。

 

失敗した失敗した失敗した……

 

「うわぁ!!」

 

俺は目を覚ました。

 

急速に現実に引き戻された。

 

2010年から1987年に。

 

「今のは……」

 

寝ぼけ眼のせいか視界が安定しない。

 

俺は鈴羽の姿を探す。

 

手当たり次第に体を回すと何かに触れた。

 

ようやく視界が安定してきた。

 

世界とピントが合い始める。

 

そこには安らかな寝顔の鈴羽がいた。

 

スースーと静かな寝息が聞こえる。

 

俺はその顔を見て安堵のため息を吐いた。

 

「鈴羽……」

 

良かった。

 

俺がいたからというのはおこがましいかもしれないが、この時代では少なくとも今は失敗していない。

 

これからどうなるか分からない。

 

それでいいじゃないか。

 

未来は未定なんだから。

 

「ん?岡部さん……?」

 

俺が起きているのを気配で感じたのか鈴羽はパチクリと目を覚ました。

 

「あぁ、すまない。起こしてしまったか」

 

俺が頭を撫でると鈴羽はいえいえと首を横に振った。

 

「もしかして、今日が楽しみで起きちゃったんですか?」

 

意外ですねぇ……岡部さん。そう言うと鈴羽は笑った。

 

「あぁ、そうだよ。楽しみで起きてしまったんだよ」

 

俺は努めて笑顔で返した。

 

鈴羽にはあの未来を思い出して欲しくない。

 

あの世界線は無かったことにしていいじゃないか。

 

そう考えて俺はまた布団に深く潜った。

 

「あの時間に起きて結局起きるのが遅いってどうなんですか」

 

岡部さん。という声が俺の頭上から聞こえた。

 

「わ、悪いな……」

 

俺が起きたのは結局8時過ぎだった。

 

「全く二度寝してどうするんですか……」

 

呆れたような鈴羽の声。

 

いつも通りの一日の始まりだった。

 

「岡部さん。私に何か言うことがあるんじゃないんですか?」

 

鈴羽は得意気に鼻を鳴らす。

 

「あぁ、そうだな。鈴羽誕生日おめでとう」

 

はい。とにっこり笑った。

 

俺は体を起こすと布団を片付けて窓を開けた。

 

いかにも秋という風が心地よく部屋を通りぬける。

 

その風に乗って朝食の味噌汁の良い匂いが鼻をくすぐる。

 

「まぁ、もう三十路超えて誕生日が嬉しいってのも恥ずかしい話ですけどね」

 

俺の後ろで鈴羽が配膳をする音が聞こえた。

 

「いいんじゃないか?」

 

鈴羽らしくて。

 

ま。岡部さんがそう言うならそうかもしれませんね。と笑う。

 

「考えてみれば岡部さんに祝ってもらえるから嬉しいですよね」

 

ふふ。と鈴羽は嬉しさを隠せないようで口から笑みを漏らす。

 

「今日はどこに行きましょうかねぇ……」

 

朝食の最中鈴羽はテレビを見ながらそんなことを呟いた。

 

「あまり高いものは止めてくれよ」

 

ただでさえ指輪のせいで懐が少し寂しいのだ。

 

「当たり前じゃないですか」

 

私はいつも頂いてますから、と言った。

 

俺は何かあげていただろうか。

 

確かに毎年何かしらあげていた気がするが……

 

「うーん。決まりませんねぇ……」

 

とりあえず百貨店に行きたいですねぇ。

 

「意外だな。てっきり外に行きたいとでも言うのかと思ったんだが」

 

また海に行きたいとか山に行きたいとか言いだすかと思ったのだが。

 

俺がそう言うと、鈴羽は唇を尖らす。

 

「それは、デートの時じゃないですか」

 

たまには岡部さんに甘えて百貨店をウィンドウショッピングでもしてみたいんですよ。

 

鈴羽はボソボソと口をゴニョゴニョとしながら言う。

 

「そうだな……」

 

俺は相槌を打ちながら少し別のことを考えていた。

 

昨日の晩からやけに2010年の記憶がフラッシュバックする。

 

今だってそうだ。

 

こうして食事していると2010年のあの残念会を思い出す。

 

これは何かの暗示なのだろうか。

 

記憶がノイズのようにぶれる。

 

「岡部さん…どうかされましたか?」

 

ふと意識を現実に返った。

 

焦点を現実に合わせると鈴羽が心配そうに俺を見ていた。

 

「まだ、頭が寝ているんですか?」

 

なんなら、頭から水被せましょうか。と俺の顔の近くに水の入ったコップを持ってくる。

 

「い、いや大丈夫だ」

 

ありがとう。と言って、俺は鈴羽の手を掴んでコップを机に置かせた。

 

「岡部さん。何か悩んでいるなら言って下さいよ?」

 

なにせ私達は二人ぼっちだったじゃないですか。

 

随分と懐かしい台詞を聞いた。

 

確か1975年に来た時の言葉だ。

 

「大丈夫だよ。鈴」

 

そう言って俺が頭を撫でると鈴羽は分かりましたと素直に引き下がった。

 

鈴羽の髪は撫でてみるととてもさらさらしていて気持ち良かった。

 

髪の色はこっちに来てから少し色が落ちたのかダルの毛色に近い色になっていた。

 

やはり血だな。

 

俺達は朝食を食べ終わると、適当に後片付けをして二人してテレビの前に座った。

 

丁度テレビは番組が終わって次の番組までのつなぎの番組が始まろうとしていた。

 

「あ」

 

最初に鈴羽が声を上げた。

 

つられて俺も画面を注視した。

 

そこには秋葉の姿があった。

 

「本当に出ていたんですねぇ……」

 

鈴羽はまだ信じられないように画面を見てうなずいていた。

 

先ほど俺が新聞を読んでいた時に偶然テレビ欄に秋葉の名前があることに気がついた。

 

「本当に出ているのか」

 

こうして画面越しに見ると秋葉は威厳がある。

 

流石は社長だ。という感じだ。

 

その番組の内容は、その人の大切なものというインタビューで五分程度の番組だった。

 

今度会った時にでも教えてやるか。

 

前に偶然見た時は余り見れなかったから特に言わなかったが、今回は見たことくらい言っておこう。

 

「今度会ったらサインでも貰おうかな」

 

俺が冗談めかしてそう言うと、それはいいかもしれませんね。と鈴羽は笑った。

 

「さて、行くか」

 

俺は立ちあがると居間に行って着替える。

 

後ろで鈴羽も着替えているようで、衣摺れの音が聞こえた。

 

着替え終わった俺は鈴羽に気づかれないように指輪の箱を入れた。

 

俺達は近くの大型百貨店に来ていた。

 

百貨店とういうだけあって、品揃えも客も豊富だった。

 

俺達が一階の入り口から入ると多数の店員からいっらしゃいませと頭を下げられる。

 

どうも未だにこうやってお辞儀をされるとこぞばゆい感覚になる。

 

2010年では百貨店になんて余り行ってなかったから新鮮だった。

 

鈴羽は例のごとく一階の化粧品売り場で自分の好きなメーカーの新作を確認していた。

 

俺にはどれがどう違うとか店員から説明を受けたがチンプンカンプンだった。

 

「まぁ、岡部さんじゃなくても興味ない人には分かりませんから」

 

気にしなくていいですよ。鈴羽はそう言って笑った。

 

化粧品をあらかた見て回り次に服などを見ていると丁度昼ごろになったので上の階で昼食を取ることにした。

 

「なんだか、私達偉い人になったみたいですね」

 

昼食のチャーハンを食べながら鈴羽はそう言った。

 

「どういうことだ?」

 

「だって昼間から百貨店でお昼食べてるんですよ」

 

ちょっと豪勢な感じがしますよね。とお茶を飲む。

 

「まぁ、今日は特別な日だからいいんじゃないか」

 

それもそうですね。と鈴羽は最後の一粒まで残さずチャーハンを食べきる。

 

「今日は特別な日ですからね」

 

店を出ると鈴羽はまた百貨店を廻りたいと言いだした。

 

本人曰く、買わなくても見てるだけで楽しいそうだ。

 

結局何も買うこともなく4時頃には百貨店を出た。

 

「結局なにも買わなかったな」

 

「そうですね」

 

「何か欲しいものなかったのか?」

 

今からならまだ間に合う。

 

欲しいものを言ってくれれば今スグにでも買いに行けるのに。

 

「いや、本当にいいんですよ」

 

鈴羽は体の前で手をパタパタと振って拒否の意を表す。

 

「そ、そうですね……あれです。今日の夜ごはんを岡部さんが奢ってくれるってことでいいです」

 

随分小さな誕生日プレゼントだ。

 

まぁ本人がそれでいいと言うなら良いだろう。

 

「それでどこか行きたいのか?」

 

「え?そうですねぇ……」

 

暫く悩む素振りを見せていたが、やがて何とも申し訳ないような顔をしてこっちを見た。

 

「あの……岡部さん?」

 

「なんだ?」

 

「私がどこで食べたいって言っても怒らないですよね?」

 

「あ、あぁ」

 

わざわざ確認するのが少し不気味に感じたが、今日は鈴羽の誕生日。

 

多少高くてもなんら問題はない。

 

「実は、あのおでんが食べたいんです」

 

そう言うと鈴羽は俯く。

 

「おでんってあの?」

 

鈴羽はコクリと頷く。

 

「い、いや、別に鈴がいいならいんだが……」

 

俺がそう言うと、鈴羽は顔をあげて俺の手を握って早く行きましょと腕を引く。

 

「こんばんはーおじさん」

 

勢いよく暖簾を開けると、相変わらず繁盛していない屋台にオヤジがいた。

 

最初は誰だコイツと訝しむような目をしていたがすぐにようでいらっしゃいと言った。

 

「聞いてくださいよ。私、今日誕生日なんですよ」

 

鈴羽が自分をさしながら言うと、オヤジは目を丸くしてそりゃおめでとさんと言った。

 

「それでですね。ここで食べたおでんがとても美味しいのを思い出しまして、来ちゃいました」

 

鈴羽の言葉にオヤジの顔がふと緩んだ。

 

「随分とまぁ、嬉しいこと言ってくれるじゃねえか」

 

俺にも子供がいてよ、丁度嬢ちゃんみたいによく笑ってたっけなぁ。

 

昔を思い出すように遠い目をした後ふと目頭を押さえた。

 

「よし、こうなりゃ祝いだ。今日は半額にしてやる」

 

そう威勢よく言うと、オヤジは表に回って暖簾を外した。

 

「どうせ客なんてくることないだろが一応な」

 

そう言うと暖簾を俺の横に立てかけた。

 

「そんなに繁盛していないんですか?」

 

俺の問いにオヤジはそうでもねぇよと言った。

 

「毎週来てくれる人も数人いるぞ」

 

そうそう。と思い出したように店主は何かを探し始める。

 

やがて見つけたようで俺達の前に一冊の本を差し出す。

 

「この人も来たよ。彼女さん連れて」

 

「あら」

 

その本を見て俺は軽く吹き出し、鈴羽は口に手をあてた。

 

「なんだ知り合いかい?この秋葉さんって人と?」

 

その本のそのページには秋葉の写真が載っていた。

 

俺達はコクリと頷く。

 

「なんだ。世間って狭いんだな。この人こんな本に出るけどそんなに偉ぶったりしなかったから好感が持てたわ」

 

彼女さんも可愛かったしな。オヤジは付け加えた。

 

そうなのか。秋葉がこんな店に。

 

というかデートで屋台ってのはどういう趣味をしてるんだあいつ。

 

「なんでも、彼女さんの方が入ってみたいと言い出したらしくて、その人は渋ってたけどな」

 

意外な情報だった。秋葉の名前も知らない彼女は意外にこういうものが好きなのか。

 

「なんでも、こういう雰囲気の所に入るのは一人では怖いので誰かと入ってみたかったらしくてな」

 

やっぱり女の子一人では入りにくいのかねぇ嬢ちゃん。とオヤジは鈴羽に話を振る。

 

「そうですかね?私は全然平気ですよ」

 

鈴羽はいつの間に取ったのか分からない大根をかじりながら言った。

 

多分それは鈴羽だからだ。

 

一般女性からしたら一人で入るのは怖いだろう。

 

オヤジも強面だしな。

 

「それで、その女性とは仲は良さそうでしたか?」

 

おう。とオヤジは答えた。

 

「仲はよさそうだったな。彼女が少し酒入った時に男の方に大根を持って『あーん』とした所なんか見てるこっちが恥ずかしくなっちまった」

 

オヤジはその時を思い出したのか照れくさそうに鼻の頭を掻いた。

 

「岡部さん」

 

俺とオヤジがそう話していると鈴羽が俺の肩をトントンと叩いた。

 

振り向くと鈴羽が口を開けていた。

 

「あーん」

 

そう言って口を開けている。

 

どうやらやれということらしい。

 

俺はオヤジの眼を気にしながらも鈴羽の口にゆっくりとちくわぶを運ぶ。

 

俺が口まで運ぶと鈴羽はそれを口に含みゆっくりとそれを嚥下していく。

 

「ぷは。美味しかったですよ」

 

鈴羽はそう言ってニヤニヤした。

 

「随分とまぁ、見せつけてくれるんなぁあんたら」

 

オヤジが居場所なさげにそう言う。

 

確かに恥ずかしい限りだ。

 

家の中でもやらないのに、初めてが人の前とは。

 

「岡部さんもいりますか?」

 

そう言って鈴羽は熱々の大根をこちらに持ってくる。

 

したたるつゆと湯気の多さが尋常じゃない熱さだということを物語っている。

 

「おい、鈴羽。もう少し冷めた奴は無かったのか?」

 

このままだと俺はコントさながらの行動を取ってしまうに違いない。

 

俺はそういうキャラではないのだ。

 

「はい」

 

俺の口の中に激熱の大根が放り込まれる。

 

とりあえずリアクションをとることなくやり過ごすことはできた。

 

「兄ちゃんも災難だな」

 

そう言ってオヤジは水を差し出す。

 

俺はそれを勢いよく飲むとようやく復活することができた。

 

まだ口の中が少しピリピリするが食べ物の味を判別することは出来るようになった。

 

それから俺達は三人で下らない話をしていた。

 

最近の野球がどうとか、おでんの具で何が好きだとか、オヤジさんの身の上話を聞いていた。

 

「オヤジさん。そろそろお勘定」

 

おう。と言ってオヤジは値段を書いた紙を俺に渡す。

 

半額と言っていただけに随分安かった。

 

俺達は金を置くと店を出ようとした。

 

「あぁ、兄ちゃんちょっと」

 

不意に俺だけ呼び止められる。

 

俺だけ屋台の中に残った。

 

「なんですか?」

 

「お前さん。あの子にプロポーズとかしてないのかい?」

 

「えっ……」

 

予想外の質問に俺は戸惑う。

 

「こりゃあ俺の見立てだが、彼女は相当良い女だぜ?逃したら一生捕まえられねぇ位良い女だ」

 

オヤジは俺の顔を見据える。

 

「あんな良い女待たせるなんてお前さんも罪作りな男だな」

 

オヤジはシニカルに笑う。

 

「これからするつもりです」

 

俺の答えにオヤジはホゥと目を細めた。

 

「もう待たせませんよ」

 

十年も待たせたんだから。

 

ずっと言えなかった。

 

「なんだ。俺のおせっかいだったわけか」

 

似合うことはするもんじゃないな。と親父は鼻を掻く。

 

「いえ、お節介じゃないですよ」

 

おかげで決心がつきました。

 

そう言って俺は屋台を出た。

 

「なに話していたんですか?」

 

先に外に出ていて待っていた鈴羽が俺に尋ねる。

 

「なに、男同士の会話さ」

 

私だけ仲間はずれですか。と軽く拗ねた様子だったが、やがて、まぁ良いでしょう。と鈴羽は歩きだした。

 

「鈴羽、少し風に当たらないか」

 

俺の問いかけに鈴羽はそうですね。と言って俺の横を歩く。

 

「風が気持ちいいですねぇ」

 

「そうだな」

 

おでんを食べて火照った体に秋の風は心地良かった。

 

やがて俺の目的地の公園にたどり着く。

 

「懐かしいですね」

 

今は夜だからか人通りも少なく閑散としていた。

 

やけに心臓の音がうるさい。

 

俺はポケットの中にある箱を握って心を静める。

 

「私達がここに来たのが10年前なんですよねぇ……」

 

こっちの世界に来て以来ここに足を運ぶことはなかった。

 

何かを思い出しそうで。

 

そして哀しくなりそうで。

 

「す、鈴」

 

「なんですか?」

 

俺はありったけの勇気を振り絞る。

 

 

鈴……

 

 

好きだ。

 

 

……愛してる。

 

 

だから……

 

 

俺と結婚してくれないか。

 

 

こういう時にどうやって指輪を見せればいいのか分からなかったのでテレビドラマで見たように箱を開けて指輪が見えるようにして鈴羽の方を向けた。

 

鈴羽は何も答えない。

 

風が強くなった気がする。

 

ばさばさと木々が擦れる音が聞こえる。

 

沈黙。

 

その沈黙は僅か数秒のことだっただろう。

 

それでも俺は永遠のように感じた。

 

「わ……」

 

鈴羽は口を開いた。

 

その唇は震えている。

 

「私は、岡部さんが好きだった2010年の阿万音鈴羽じゃないですよ?岡部さんと初めて会ったことも2010年でなにをしたかも知らないんですよ?」

 

「構わない」

 

俺がそう言うと鈴羽は俺の方をようやく見た。

 

その両方の眼には涙が溜まっているようで月明りに反射してとても綺麗に見えた。

 

「前に私の…鈴羽の記憶がどうしますかって聞いたことがあったな」

 

そんなのはどうでもいいんだ。

 

「俺は……」

 

 

お前がいいんだ。

 

 

気づけばいつも隣にお前がいた。

 

健やかなる時も病める時も。

 

俺の記憶の中にお前がいない瞬間なんてなかった。

 

いつも隣にお前がいる。

 

それだけで俺がこの時代に跳んできた意味がある。

 

「だから……」

 

これからもずっと隣にいてほしい。

 

「……」

 

鈴羽はまた押し黙る。

 

返答を迷っているのだろうか。

 

「昔の……」

 

鈴羽はようやく口を開く。

 

「昔の約束覚えてますか?」

 

そう言って鈴羽は自分の両手を俺の前に差し出す。

 

「岡部さんの好きな指にその指輪を通してください」

 

そう言って鈴羽はいじらしく笑った。

 

俺は迷わず左手の薬指に指輪をはめる。

 

サファイアも輝きが良く栄える。

 

俺にはめられた指輪を見て鈴羽はにっこりと笑った。

 

その笑みから一筋の涙が零れおちる。

 

ふつつかものですが、これからもよろしくお願いしますね。

 

そ、その……倫太郎さん。

 

 

俺は答える代わりに鈴羽の唇を塞いだ。

 

 

 




恥ずかしい話編集しながら自分で泣いてしまいました……。
二人には幸せになって欲しい限りです。
いつも見て下さって皆さま本当に感謝です。


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たまには一人で

「聞いてくれよ」

 

開口一番に俺がそう言うと、秋葉はニヤニヤと口を緩ませた。

 

「どうした。遂に……」

 

俺は秋葉の口を手で塞いだ。

 

ここは俺に言わせてくれ。

 

「そうなんだ。実は……鈴羽と婚約したんだ」

 

俺の言葉を聞くと秋葉は指をパチンと鳴らして、やったなと俺の肩を叩く。

 

「いやー遂にか。俺が会ってから十年。えーと、その前から一緒にいたと考えると随分長かったな」

 

秋葉は余程嬉しかったらしく、秘書さんを呼んでビールを二缶持って来させていた。

 

「いや、ありがとね」

 

秋葉がそう言って片手を上げると秘書さんはやれやれと言った様子でため息をついた。

 

「いくら嬉しいことがあっても昼からアルコールはどうかと思いますよ」

 

自分で言ってもしょうがないと分かっているのだろう。

 

秋葉にそれだけ言うと一礼してすぐに部屋から出ていった。

 

「彼女も飲めば良いのにな」

 

そんな秘書の様子ももう慣れているのか秋葉の方も意に介さず缶ビールのブルトップに指をかけた。

 

「ほら、飲め。祝杯だ」

 

秋葉は俺の分のブルトップも空けて俺に渡してくる。

 

キーンと冷えた缶が手の感覚を鈍らせる。

 

秋葉は乾杯をするかのように缶を机から少し高い所に掲げる。

 

そこで秋葉の動きが止まる。

 

何事かと思ったが目を見ると、お前が音頭を取れと合図をしていた。

 

「え、えーと。俺婚約おめでとう」

 

乾杯。

 

そう言うと俺達二人は軽く缶を当てた。

 

コップと違いアルミ缶特有の鈍い音が鳴る。

 

俺はビールに口をつける。

 

冷えているせいもあってか喉を抜ける炭酸が気持ちよい。

 

昼に飲んでいるというある種の背徳感がビールのうまみを加算しているようにも感じた。

 

俺はあの公園で鈴羽に告白したあと、二人して家に帰った。

 

告白までして了解を得たのだから……と秋葉辺りなら邪推しそうなのだが、残念ながら何もしていない。

 

鈴羽が家に入る前に言ったのだ。

 

「岡部さん……今日はこの幸せを噛みしめたいのですぐに寝てもいいですか?」

 

と。

 

そう言われてしまっては俺もあぁと頷くしかなく、数秒お互いの唇を密着させただけで昨日の夜は終わった。

 

「しかし、昼に飲む酒は旨いな。癖になりそうだ」

 

秋葉は、口に付いた泡を拭う。

 

「さて、次は俺の番か」

 

缶ビールを持ちながら視線は遠くを見ていた。

 

「お前は最近順調とか言ってたが結婚する予定はあるのか?」

 

俺は缶ビールを半分ほど飲むと机に置いて一息吐く。

 

秋葉は俺の質問に微妙な顔をしながら、さぁと答えた。

 

いつもの秋葉らしからぬ返答だった。

 

普段ならきっぱり答えるのだが、どうにも歯切れが悪い。

 

「まさか、まだ言ってもいないのか?」

 

「あぁ」

 

今度はやけに即答だった。

 

質問した俺の方がそうかと黙ってしまった。

 

なるほど。

 

秋葉はプライドが高いというか少し恥ずかしがり屋な所もあるから自分の気持ちを伝えるのが気恥ずかしいのだろう。

 

「まぁ、俺は俺で気楽にやるさ」

 

秋葉は自分でそう締めくくると残っていたビールを一気に飲んで缶を勢いよく机に叩きつける。

 

「ぷはぁ。よし、仕事でもするか」

 

パシッっと自分の顔を叩いて気合を入れると缶をゴミ箱に捨てた。

 

「岡部もやることないなら手伝ってくれ」

 

秋葉はそう言うと俺の返答も聞かずに書類の束を渡した。

 

渡されたは良いがなにをしていいか皆目見当がつかない。

 

一応その書類に目を通してみたが俺に関係あることではなく内容もさっぱりだった。

 

「で、俺になんでこれを渡したんだ?」

 

俺がそう聞くと何かが飛んできた。

 

俺は反射的にその何かを手に取る。

 

印鑑だった。

 

ちゃんと『秋葉』と書かれた印鑑だ。

 

「判子押すだけだ」

 

うちの会社は稟議だからさ。と目を書類から離さず秋葉は言った。

 

俺は言われた通りに取締役の欄に秋葉の判子をポンポンと押していく。

 

しかし……

 

俺は判子を押しながら自分の横に積まれた書類の山を見る。

 

紙一枚の厚みはほぼないはずなのだが、それでもそれなりの高さがあった。

 

「いつもこんなことをやっているのか」

 

俺の問いかけにあぁと気のない返事が返ってくる。

 

集中しているのか書類を見ては何かを書きこみまた次の書類へ目を移すという作業を繰り返していた。

 

俺はその様子を見ながら普段と違う秋葉を感じた。

 

俺も少しくらいは手伝おうと判子を正確に押していく。

 

「ふぅ」

 

秋葉がようやく書類から目を離し天井を仰いだ。

 

どうやら一段落ついたらしい。

 

俺の方もあらかた終わっていた。こっちを仕事と呼んでいいのか疑問ではあるが。

 

そろそろ右腕がピリピリと痺れていた。

 

「悪かったな仕事を手伝わせちまって」

 

秋葉はようやく俺を見た。

 

「別にどうってことはない」

 

むしろ少しでも手伝えたのなら嬉しい限りだ。

 

未来を話すってだけで給金が貰えるのは少し心苦しいものがあったからな。

 

「まぁ、これで岡部が出来ることは大体終わった」

 

帰るなら帰ってもいいぞ。

 

秋葉は自分で淹れたコーヒーを飲みながら答えた。

 

流石に俺も自分の分からない分野まで口を挟むということはしたくないので俺は素直に秋葉の部屋を後にした。

 

「あ、お疲れ様です」

 

俺は部屋を出た時にビールを持ってきた秘書さんと目が合う。

 

「缶ビールありがとうございました」

 

俺がそう言うと、秘書さんはいえいえとかぶりを振る。

 

「秋葉の指示ですからね。昼間から酒を飲むってのは初めて見ましたが、大抵のことは慣れました」

 

そう言って秘書さんは自分の髪をじれったそうに掻きあげた。

 

この秘書さんはずっと秋葉の秘書をやっている気がする。

 

思えば俺がこの会社に出入りし始めた時からこの人だけ変わってない気がする。

 

「あなたもよくここで働いてますね。えーと岡部さん?」

 

流石に十年もここに通っていると名前を覚えるのだろうか。

 

秘書さんは俺の顔を見てそう言った。

 

「えーとそうですね。そういうえーと……」

 

俺が秘書さんの名札を見ようとすると秘書さんはクスリと笑った。

 

「生憎私は今日は名札を壊してしまってないんですよ」

 

まぁ、私の名前なんて気にしなくていいんです。

 

さよなら岡部さん。橋田さんによろしくと言ってどこかに行ってしまった。

 

「なんで鈴羽の名前知ってるんだろう?」

 

さっきの俺と秋葉の会話でも聞いていたのだろうか。

 

まぁいいか。

 

気にしてもしょうがない。

 

俺は壁にかかっている時計に目をやる。

 

午後三時。

 

まだ家に帰るのにも早い時間だ。

 

かと言って特にどこか行きたい場所があるわけでもない。

 

「どうしようか……」

 

俺はとりあえず会社の外で出ることにした。

 

時間も時間ということもあってか、スーツを着た会社員は忙しそうだ。

 

あと二時間で終礼だというのを感じてか、最後のラストスパートをかけている。

 

……そういえばここの辺りは歩いたことが無かったな。

 

そう思うと駅とは反対の方向に歩きだした。

 

そこでふと鞄が震えているのに気づいた。

 

勿論鞄にバイブ機能が付いているわけではない。

 

俺はまだポケットに入れるには少し大きい携帯を取り出して通話ボタンを押す。

 

『あ、岡部さんですか?』

 

どうやら鈴からの電話だった。

 

『実は今日研究室で会議が長引きそうなんで外食してきます。岡部さんも一人で食べて下さい』

 

それじゃあ岡部さん。と鈴羽は言って電話を切った。

 

今日は一人か……

 

なら別に早く帰る必要もないか。

 

俺はまた歩き始める。

 

歩いたことがないと言ってもここは元々ビル街なので特に見るものもない。

 

ただ、整然と並んだビルを見るのは爽快だった。

 

時間にして一時間ぐらいだろうか。

 

そろそろ歩くことにも飽きてきたので近場にあった本屋にでも入る。

 

ちなみに俺は本を読むのは実はあまり得意ではない。

 

小説などはオチを読む前に飽きてしまうほどだ。

 

比べて鈴羽は大学時代に意外と本を沢山読んでいた。

 

なんでも自分の知らない世界を知ることができるのが素晴らしいらしい。

 

とりあえず俺は旅行関連の雑誌を手に取る。

 

ハワイやらグアムなどの定番な海外旅行のハンドブックや東北や沖縄など国内旅行などの本もそれなりにあった。

 

俺は一冊の旅行雑誌を手に取る。

 

そういえば、結婚したら新婚旅行とか行くのか……

 

俺自体飛行機なんて乗ったことないから海外に行くのは想像出来ないな。

 

沖縄なんて高校の修学旅行で行った以来一度も行ってないな。など意外にただ雑誌を見ているだけでも楽しめた。

 

ふと顔を上げて時計を確認するとそろそろ帰るのにはいい時間になってきたので俺は本屋を後にする。

 

「さてと、どこに行こうか……」

 

悩んでみても今日は秋葉もいないので居酒屋に入るという気分でもなかった。

 

となるとあそこしかないのか……。

 

最近外食と言ったらあそこにしか行っていない気がする。

 

俺は気づくとあの屋台の前にいた。

 

今日は時間が早いからかもしれないが相変わらず繁盛していなさそうだ。

 

暖簾の奥からはオヤジの陽気な鼻歌が聞こえる。

 

俺が暖簾をくぐろうとした時トントンと後ろから肩を叩かれた。

 

「はい?」

 

俺が振り向くとそこには秘書さんがいた。

 

「こんばんは岡部さん」

 

こんな所で会うとはまったく思ってなかったので俺は思わずはぁと答える。

 

「えーとどちら様?」

 

秘書さんの後ろにもう一人いたらしくその人物がひょこっと顔を出した。

 

「あ」

 

俺はその顔に見覚えがあった。

 

写真でしか見たことがなかったが、会えばすぐ分かった。

 

血というものを感じられずにはいられない。

 

「初めまして、あなたは、秋葉と付き合っている人ですか?」

 

俺がそう聞くと、彼女はコクリと頷いた。



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無意識化の独白

店の前が騒がしいので何事かとオヤジが現れた。

 

喧嘩かと思ったのか面倒臭そうに指をポキポキと鳴らしながら現れたのだが、騒ぎの主が俺達だと分かると、途端に相好を崩す。

 

「おう、兄ちゃん今日は、違う女連れてるのかい?」

 

あの子に言いつけてやるぞと笑った。

 

俺は、やめて下さいと苦笑しながらそう返した。

 

「あ、あの、岡部さん」

 

誰かが呼んだような声がして俺は声のした方を振り向く。

 

「あの、そのおめでとうございます」

 

秋葉の彼女さんはそう言ってぺこりと頭を下げた。

 

秋葉に伝えたのは今日の昼頃だったはずだから随分と速い情報の伝わり方だ。

 

「秋葉に聞いたんですか?」

 

俺がそう聞くと彼女はコクリと頷いた。

 

「その、秋葉くんが珍しくお昼に電話をしてきて、何事かと思ったらそのことを……」

 

「そうか…」

 

秋葉もなんの意図があってそんなことを伝えたんだろうな。

 

俺が考える素振りを見せた途端に不意に誰かから肩を叩かれて思考が一瞬停止する。

 

「まぁさ、積もる話もあるでしょうし、取りあえず中に入りましょうか」

 

そう言って俺と彼女の肩を掴んで秘書さんは暖簾をくぐる。

 

「大将、日本酒皆に」

 

秘書さんの声を聞くとオヤジはあいよと答えて人数分のコップとその中に液体を注いだ。

 

「だから、私はお酒は…」

 

どうやら彼女はお酒が苦手らしかった。

 

「相変わらず、お酒飲めないフリするのねアンタ」

 

秘書さんは彼女をジーと見つめる。

 

「初対面の人には自分がお酒弱い女の子って見せたみたいだけどそういかないから」

 

それまで彼女に向けていた視線を秘書さんは唐突に俺に向ける。

 

「岡部くん。実はあの子ってお酒飲むと軽く人格変わっちゃうんのよ」

 

「へぇ」

 

俺は適当に相槌を打った。

 

確かに、今の話ぶりを聞いていると秋葉にアーンと口を開けさせた人物と同一人物には見えない。

 

「だから、そういう余計なことを言わないで下さいよ」

 

俺達の会話を聞いていたのか、彼女は秘書さんの肩をゆらゆらと揺らした。

 

そこからは楽しい時があっと言う間に流れた。

 

最初に俺が告白したことを根掘り葉掘り聞かれ、少し酒が入ってきて少し人格が変わってきた彼女が秋葉との惚気話を話しだした。

 

その後、俺達二人の話を二人の間で聞いていた秘書さんが私も彼氏作ろうかなぁ……とぼやいていたのが印象的だった。

 

「それじゃ、俺はこっちだから」

 

明日も仕事があるので早めに解散することになった。

 

俺達三人は駅までは一緒だったがそこからは俺が独り違う方向だったのでそこで別れた。

 

彼女達もさよならと手を振って別れた。

 

帰り途俺はいつになく上機嫌で歩いていた。

 

気候もようやく残暑から解放され秋、そして冬に変化する季節が個人的には一番好きだ。

 

秋葉の彼女、下の名前の方は少し酔いが回っているせいか思い出せないが、確か副島さんとか言った気がする。

 

酒が入ると積極的になるみたいだったが、普段も可愛らしい容姿をしていたし、あの子に好かれている秋葉は幸せものだなと感じた。

 

道中、不意にコンビニに目が止まった。

 

どうも学生の時から酒を飲むとアイスを食べたくなってしまう。

 

俺は誘惑に負け、一番安いアイスを口の中に放りこむ。

 

冷たいバニラの味が、口の中に広がる。

 

一応鈴羽も食べるかもしれないと思い念のためコンビニでアイスを一本余計にカゴに入れておいた。

 

そう言えば、鈴羽は今日研究室の集まりだとか言ってたな。

 

まだ帰ってないのかもしれないな。

 

あそこの研究室の持ち主である教授は普段は研究室にいることがないので、こういう機会の時には話が長くなってしまうらしい。

 

以前鈴羽がそうぼやいていたのを思い出す。

 

まぁ、冷凍庫の中にでも入れておけばいいか。

 

「ただいまー」

 

案の定まだ鈴羽は帰ってきておらず、俺は誰もいない部屋の電気を点ける。

 

人気のない部屋というのは気温以上に寒く感じる。

 

俺はそんな気持ちを紛らわせるためにテレビの電源を入れた。

 

2010年ではデジタル放送になるからアナログにから替えて下さい。というCMが頻繁に流れていたが、この時代にそんなことはあるわけがなかった。

 

「鈴羽のやつ遅いな……」

 

俺は部屋に掛けてある時計に目をやる。

 

そろそろ十一時を過ぎる頃だ。

 

それまで余り鈴羽を待つことのなかった俺にはこの時間が随分長く感じられた。

 

「たらいま帰りましひゃ」

 

俺がテレビで11時の時報を聞いていた時不意にドアが開けられる。

 

その音に驚いて振り向くと鈴羽がふらふらになりながら帰ってきていた。

 

「おい、どうしたんだよ?」

 

「ふぁ?おかふぇさん。ただいま」

 

ぐにゃりと体を弛緩させたまま俺にぶら下がる状態になる。

 

ここまで酔う鈴羽を見たのは初めて見た。

 

とりあえず俺は鈴羽を壁にもたれさせた状態で座らせると、コップに水を汲んで持ってる。

 

「ほら、飲め」

 

鈴羽は首肯すると水を一気に飲み干す。

 

「ぷはっ。美味しいですね。このお酒」

 

だめだ。完全に出来あがっていた。

 

それでも鈴羽は水を飲んで一息ついたらしく、大きなため息を一つ吐いた。

 

「私はですね……幸せ者ですよ」

 

どこか遠くを見るような目をしながら鈴羽は語る。

 

「1975年に、何も知らない時代にやってきて、不幸なことに記憶を失った」

 

それでも私には岡部さんがいました。

 

鈴羽はそう言ってほほ笑む。

 

その笑顔に俺は言葉を失う。

 

「色々なことがありました……秋葉さんにも出会いましたし、それから大学にも行きました」

 

今じゃ私も大学の教員ですよ。ふふ。と鈴羽は何が面白いのか笑みを漏らした。

 

「そして、私は遂に岡部さんと……その結婚することになりました」

 

鈴羽は自分の左手の薬指に光るサファイアを見ながら、うっとりとした表情をしている。

 

どうにもまだ信じられませんがね。と俺を見ながら照れくさそうにはにかむ。

 

「今日は、研究室の飲み会だったんですけど、研究員の一人が目ざとく指輪を発見して、私を祝うパーティになったんですよ。しこたま、飲まされました。体育会系のサークルでもないのに」

 

鈴羽はビールに焼酎……と自分の飲んだ種類をあげていった。

 

「そこでですね。ふと昔のことを思い出したんですよ。2010年のことだと思いますけど、私の為に会を開いたことがありますよね」

 

「あ、あぁ」

 

俺の記憶ではなかったことになっている変動した世界線であった出来事だ。

 

あそこで引き留めてしまったせいで、あの惨劇が起こってしまった。

 

「橋田至、推名まゆり、そして……牧瀬紅莉栖。今更2010年に一緒にいた人達の名前を思い出しても仕方がないですけどね」

 

あははは。と鈴羽は軽く流していたが、鈴羽が2010年の記憶を取り戻し始めているのは明白だった。

 

長い口上を話していたせいか、どうやら酔いは醒めてきたらしく、目をパチパチとさせて周りを見回す。

 

「岡部さん。私何か話していました?」

 

ポリポリと頭を掻く鈴羽は自分が何を喋っていたかあまり記憶にないようだった。

 

「秘密だ。とりあえずアイスでも食べるか?」

 

秘密にされたせいで余計に頭を捻って自分がなんて言っていたか思い出そうとしていたが、やがて諦めたのかアイス貰いますね。と冷凍庫を開けて、先ほど俺が買ってきたアイスを食べ始める。

 

「あぁ、そうです。そうです。これ見て下さい」

 

アイスも食べてようやく頭も冷えてきたのか鈴羽は鞄の中から何かを取りだした。

 

見た所なにかのパンフレットのようだが……

 

「大学の昼休みに抜け出してですね貰ってきたんです」

 

そう言って差し出したのは結婚式場のパンフレットだった。

 

「最近のドラマとかテレビを見ているとですね、私もちゃんと結婚式を挙げてみたいなぁと思いまして」

 

最近景気がいいらしいですしね岡部さん。

 

「まぁな」

 

「海外にも行ってみたいですし、国内も捨てがたいですねぇ……」

 

鈴羽に連れられてパンフレットを俺も見る。

 

こうして俺達の夜は更けていく…。



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IBN5100

「……以上のようなプランでよろしいでしょうか?岡部様」

 

は、はい。と俺はやや緊張気味に頷く。

 

俺と鈴羽は結婚式の段取りやその他諸々を決める為に結婚式場を訪れていた。

 

あの晩に決めたプランを改めて見直すとどうにも酒が入ってる状態でこんなことは考えるものじゃないな。

 

そうお互いに納得出来るほどの内容だったので、また後日に現実的な方向で考えた結果今に至っている。

 

「しかし、最近少し景気いいんですからもう少し豪華なことをやっても……」

 

社員の方が去ってから鈴羽は俺にそう尋ねる。

 

鈴羽の言うことも尤もなのだが、いかんせんバブルが崩壊した1990年代に生まれた俺からしてみれば、これから辛い時期が待っている中でどうにも派手にお金が使えなかった。

 

「ごめんな、貧乏性で」

 

「いえいえ。考えてもみればそこまで豪華にしても誰か著名人が来るわけでもなく、大規模な人数でやるわけでもないので岡部さん位の案で丁度いいと思いますよ」

 

パンフレットを見ながら鈴羽はそんなことを言った。

 

「しかし……」

 

「ん?どうした」

 

「ここまで、手際が良いなんて、もしかして以前誰かとお付き合いされてたとか?」

 

「あぁ、実は、阿万音鈴羽という娘と」

 

俺がそう答えると、鈴羽は驚いたように目を丸くした。

 

「それは、それは。その娘はどうされたんですかね」

 

「今目の前にいるよ」

 

俺の言葉に鈴羽は降参とでも言うようにため息を一つ吐くと笑った。

 

「話は変わりますけど、正直な話岡部さんのお友達と私のお友達は大分被っていますし本当に少人数でやることになりそうですね……」

 

「そうだな」

 

二人とも同じ年度に入学し、尚且つ同じサークルに所属していれば自ずと交友関係が似てしまうのはしょうがないような気がする。

 

ちなみに俺と鈴羽の戸籍上の親であった方々はこの十年の内に亡くなってしまっていた。

 

戸籍を借りる時に一度だけ会ったことがあったことがあるという程度の関係だった。

 

しかし、その訃報を聞いた時には思わず黙祷を捧げずにはいられなかった。

 

俺たちはあなた達のおかげでここまで生活できたと。

 

そしてこうして式も挙げられるようになったといつかそれぞれの墓前で一言礼が出来たらいいな。

 

そう考えていた。

 

向こうからしたら、見ず知らずの中年が墓参りに来られても天国で苦笑するだろうがな。

 

「おーかべさんっ」

 

「おう!?」

 

不意に肩を強く叩かれて俺は急に我に返った。

 

何事だと鈴羽を見ると、両手には緑茶のペットボトルが握られていた。

 

「また、ボーっとされているんですか?昔から考えごとをしだすと本当に周りが見えなくなるんですよね」

 

ふふ。と鈴羽は笑う。

 

それに釣られて俺は苦笑を返した。

 

「そうだ。鈴」

 

「はい、なんですか?」

 

「そろそろあれだよな。俺たち結婚するじゃないか」

 

「……そうですね」

 

「だからさ……」

 

「はい」

 

あぁ、もどかしい。

 

こういう台詞は恥ずかしいからなるべく言いたくないのだが……。

 

「それがどうされました?倫太郎さん」

 

「っと」

 

してやったりというような顔を鈴羽は浮かべた。

 

どうやら俺が言いたいことを知っていて敢えて惚けたようだ。

 

「どうかしましたか?倫太郎さん」

 

俺としては嵌められた形になるのだが、倫太郎と呼ばれて悪い気はしなかった。

 

以前に一回か二回呼んでくれただけだったからなぁ……

 

俺が少し感傷に浸っていると不意に携帯がけたたましく震えた。

 

以前にも言ったが俺の携帯に電話してくる人間はそういない。

 

『よう、秋葉。どうかしたのか?』

 

案の定秋葉からの着信だった。

 

『いやな、岡部今どこにいる?』

 

『今?えーと……式場?』

 

『式場?あぁ、なるほどそういうことか』

 

くっくっくと笑いを堪えているようだった。

 

『なるほどそれじゃ、時期も悪くなかったわけだ』

 

『時期?』

 

『いや、こっちの話。今日会社に出て来れるか?』

 

『えーと。ちょっと待て』

 

俺は一度耳から受話器を離すと鈴羽の方を振り向く。

 

「鈴。会社に呼び出されたんだが、これが終わってから行っても平気か?」

 

鈴羽はいいですよ。それなら私も大学の方に顔を出します。

 

俺は鈴羽に許可を貰えたのでその旨を秋葉に伝えた。

 

秋葉は、悪いなと少し申し訳なさそうに言っていたが、俺が気にするなと言うと分かったと答えて電話は切れた。

 

ツーツーと無機質な電子音を聞きながら、秋葉が呼び出すなんてどんなことなのだろうかと少し考えていた。

 

 

あれから鈴羽とその他諸々の打ち合わせを済ませ、鈴羽は大学に。俺は会社に向かった。

 

いつもなんだかんだ言って朝には出勤しているので二時過ぎに会社に来るのは学校に遅刻して入る時と同じような微妙な後ろめたさを感じた。

 

俺はいつもの通りエレベータの最上階を押し、秋葉のいる部屋へと向かう。

 

「あら、こんにちわ。今日は休みじゃなかったかしら?」

 

秋葉の部屋の前で仕事をしていた秘書さんに会った。

 

「ええ、そのはずなんですが、どうにも呼び出されましてね」

 

俺は、はははと言いながら頭を掻く。

 

「秋葉が?そういえば、今日の明け方何かが社長室に運びこまれてたわね…」

 

案外荷物運びで呼ばれたんじゃない?ほら、岡部くんって他の社員に比べて暇そうだし。

 

そう言って秘書さんは笑った。

 

本当にそんな理由だったら苦笑するしか他にない。

 

まぁ、それなりの給料は貰えているので文句を言えるわけもないのだが。

 

秘書さんが秋葉に俺が来たことを内線で伝えると、秋葉は入ってくれと俺を呼んだ。

 

秋葉は部屋の中でまた判子を押していた。

 

「全く、日本ってのはいつも縦社会で、上の判断なしじゃ動けないのかってたまに思うよ」

 

そう言いながらも書類からは目を離すことはなかった。

 

俺は大人しくその作業が終わるまで待っていた。

 

五分やそこらで仕事がひと段落ついたらしく、視線を机から天井に向け、ため息を吐いた。

 

「お疲れだな」

 

俺が緑茶を持っていくと秋葉は悪いと言ってその緑茶を口に含んだ。

 

「いや、悪かったな。折角の休みだったのにわざわざ出てきて貰って」

 

「いや、それ自体は構わないんだが……」

 

「要件か?ほれあれを見ろ」

 

秋葉はそう言うと部屋の隅を指差した。

 

そこには見慣れない…いや見覚えのある箱があった。

 

しかし、俺の記憶にある箱はもっと古かった。

 

当然だ。この時代に真新しい箱ならば2010年には古い箱になっているだろう。

 

「IBN5100か……?」

 

俺がそう呟いたのを聞くと秋葉は少し意外そうに眼を丸くした。

 

「なんだお前透視でも出来るのか?」

 

「いや……この箱に見覚えがあっただけさ」

 

「それにしても、もう少しリアクションを期待したんだがな」

 

残念そうに秋葉口を尖らせた。

 

「まぁ、そういうことだ。結婚祝いにそのPCはお前にやる」

 

昔約束したろ?もしかしたら結婚祝いにあげてしまうかもなってな。

 

その秋葉の言葉を聞いて、俺は秋葉から顔を背けた。

 

秋葉の顔が見れなかった。

 

今見てしまったら涙を見られてしまいそうで。

 

「し、しかし、秋葉。俺はそのPCがとてつもなく重いのを知っている。一人じゃどうやっても持っていくことは出来ないんだが……」

 

声が裏返ってないか心配になるような声音で俺は秋葉に問うた。

 

「確かになぁ、ここに持ってくるのにも二人がかりでやっとというような感じだったからなぁ……」

 

そう独り言をつぶやくと秋葉は内線でどこかにかけているようだった。

 

それを境に俺もようやく秋葉の方に振り向く。

 

「あ、これから俺の予定って何あるか分かるか?」

 

電話の相手は予定を述べているようで秋葉はスラスラとメモをとっていた。

 

「あ、出来れば、場所と時間も詳しく……」

 

そこまで聞いて何をするのだろうかと俺は不思議そうにその光景を眺めていた。

 

ようやく予定を全て書き出すと秋葉は、俺の方に視線を向けた。

 

「とりあえず、秘書の業務も全部聞いたから、外にいる彼女連れていっていいぞ」

 

「え…?」

 

「さすがにこの予定は外すわけにはいかないし、かと言ってお前が知らない人と運ぶのも苦痛だろうから顔見知りの奴に運ばせることにした」

 

「……」

 

こういう手際の良さは秋葉の長所なのだろうけど、秘書さんは納得してくれるだろうか。

 

「秋葉がそう言ったならしょうがないわね…」

 

「すみません」

 

案外簡単に秘書さんは折れてくれた。

 

流石に二人で手で持っていくのは面倒なので地下で台車を借りて運ぶことにした。

 

もちろん精密機械なので、強い衝撃を与えないように丁寧に包装して載せるとやはりそれなりの重さになった。

 

「そういえばなんですけど……」

 

「なによ?」

 

一緒に運ぶと約束したはずが何故か俺が一人で頑張って運んでいるという状況には敢えて触れないがそれにしても一つ聞いておきたいことがあった。

 

「名前なんて言うんですか?」

 

俺がそう聞くと秘書さんが怪訝な顔をした。

 

「あんた、もしかして婚約者いるのにナンパとかでも考えてるの?」

 

「違う」

 

「いや、今日は名札付けてるからてっきりそうかと」

 

そう言って秘書さんは名札を見せる。

 

『渡井』そう書いてあった。

 

「わたいって読むのよ。まぁ有名でも珍しくもない名字よね」

 

「そうですね」

 

それから俺たち二人は特に喋ることもなく道を歩く。

 

「あ、岡部くん。そろそろ休もうか」

 

渡井さんは全く運んでいなかったのだが、長い距離を歩くのが得意じゃないのか少し疲れが見えていた。

 

「こっちきなよ」

 

俺は渡井さんに案内されるまま道を歩いた。

 

「ってなんで境内に来てるんですか?」

 

広い所に出たと思って辺りを見回すとどうもどこかの神社の境内だった。

 

「いや、やっぱり歩道とかで止まると他の人に迷惑じゃない?それにこの場所なら静かで休むには最適じゃない」

 

「そりゃそうですけど」

 

まぁ確かにここは2010年の時も静かで俺も嫌いな場所じゃなかった。

 

俺と渡井さんは座れる場所を適当に見つけると二人で腰掛けた。

 

「あぁ、そういえばまだ言ってなかったね。結婚おめでとうございます」

 

「どうも」

 

俺は軽く頭を下げた。

 

こうして秘書さんもとい渡井さんと話したのは初めてな気がした。

 

俺は改めて渡井さんの横顔をチラリと見る。

 

勿論鈴羽程ではないが目鼻立ちもすっきりしていて、肩にかかるより少し短めな黒髪を敢えて揃えずに少しざっくばらんに切っている感じが渡井さんらしい気がした。

 

ここでもし、巫女さんの格好して出てきたらそれこそルカ子に見えるかもしれない。

 

性格の方はどう見ても似つかないのでそんなことはないかもしれないが。

 

「こんなところでどうされましたか?」

 

不意に後ろから声をかけられた。

 

「え?」

 

俺達は思わず振り向く。

 

そこにはメガネをかけた神主のような人物が箒を持ちながら柔和な笑みでこちらを見ていた。



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柳林神社

「ど……どうも」

 

俺はとりあえず頭を下げる。

 

神主風の男の方もこんにちわ。と丁寧に頭を下げた。

 

「んー?」

 

残った一人は頭も下げず挨拶もせずに男を見ていた。

 

「もしかして……漆原?」

 

「はい。そういうあなたは渡井さんですね」

 

どうやら二人は知り合いらしい。

 

渡井さんは自分の記憶が合っていたと分かると、しげしげと神主風の男を見ている。

 

「まさか、本当に漆原が神主やってるとはねぇ……」

 

「えぇ。一応神職の息子をやっているもんでね」

 

二人の会話を聞くにやはり勘は当たっていたようで神主は漆原と言う名前らしい。

 

ん? 漆原?

 

俺は頭の中でその名前を反芻した。

 

「あ、ルカ子の名字か」

 

なるほど、ここは確かに柳林神社だ。

 

2010年に比べて装飾品などが真新しく感じた。

 

「あ、岡部くん。紹介するわね。神主になるくせに大学で全然関係ないことをしていた漆原くん。私の……同期かな」

 

「初めまして。漆原と言います。岡部さんでしたね。よろしくお願いします」

 

礼儀正しい人。

 

俺がそう思っていることが顔にでも出ていたのか渡井さんは俺の顔を見ながら笑いをこらえている様子だった。

 

「岡部くん。一応言っておくけど彼は全然真面目じゃないわよ?」

 

「え?」

 

この神主が真面目じゃない?

 

渡井さんが、ねぇ漆原?と視線を神主に向けると、神主は苦笑した。

 

「そんな、勘弁してくださいよ」

 

「随分とる猫かぶるわね。大学時代は色々あったじゃない」

 

「あれは、忘れてください」

 

神主がはぁとため息を吐いた。

 

とことん思い出したくない過去があるらしい。

 

そういえば思い出したがルカの父親はルカが男なのにも関わらず巫女服を着せていたことを思い出した。

 

「ところでこんな処に?何か用があるんですか?渡井さん」

 

自分に不利にな話題を避けるべく神主は渡井さんにそう尋ねた。

 

「そうだね。この箱を岡部くんの家まで届けなきゃならないのよ」

 

そう言って渡井さんは自分の足元に置いてある箱を忌々しく指をさした。

 

運んでるのは俺だけなんだけどな……

 

そう思ったが、別にこの神主に言う必要もないと思って俺は黙っておいた。

 

「そうですか。ま。汚さなければどうぞ、ずっといて下さって構いませんから」

 

神主はそう言って一礼して本殿の方へと歩いていった。

 

「ところで、漆原さんは何かされたんですか?」

 

俺がそう聞いてきたので渡井さんは一瞬目を丸くしたが、すぐににやけた表情に変わった。

 

「岡部くんも中々聞いてくるわね。えっとね――」

 

「なるほど」

 

若干渡井さんが話を盛っているという可能性も否定できないが、神主、漆原さんは真面目には見えなくなってしまった。

 

「さて……運びますか」

 

渡井さんはベンチから立ち上がると、座っていて凝った体を伸ばしているのか首を回したり背中を伸ばしていた。

 

「運んでくれるんですか?」

 

若干の期待とかなりの諦めを込めてそう聞いてみた。

 

彼女は首を横に振った。

 

 

「へぇ、ここが岡部くんの家なんだ?」

 

結局運ぶのを手伝ってはくれなかったが渡井さんは家にまでついてきていた。

 

「鈴さんはいるのかしら?」

 

何をしようとしているのかわからないが、ちょうどこの時間は鈴羽もまだ大学にいる頃だろう。

 

いや、そう信じたい。

 

流石に階段を一人で登らせるのは可哀想だと感じたのか階段を登る時だけ渡井さんも手を貸してくれた。

 

「岡部くん、意外に力あるのね……」

渡井さんは自分が持って改めて箱の重さを知ったのか俺を褒めた。

 

まぁ、台車があったからそこまで苦労はしなかったのだけれど。

 

俺は家のドアを開けるべく鍵を取り出そうとした。

 

「岡部くん?ドア開くよ?」

 

俺が鍵を取り出す前に渡井さんがドアノブに手をかけた。

 

ドアは何の抵抗もなく開く。

 

「あら、岡部さんお帰りなさい。早かったですね」

 

家の中には鈴羽がいた。

 

丁度帰ってきたばかりなのか二人で式場に行ったままの服装だ。

 

「こ、こんにちはー」

 

渡井さんはドアから顔を少しだけ出して会釈した。

 

「えーと、岡部さん。これはどういう状況ですか?」

 

「えーとな――」

 

俺は誤解を生まないように出来るだけ丁寧に状況を説明した。

 

「なるほど。つまり秋葉さんに頼まれてわざわざこの渡井さんは家まで持ってきてくれたと」

 

俺は首を縦に振る。

 

正直な話渡井さんは何もしていないのだがそこは触れずにおこう。

 

鈴羽は理解したようでなるほど。と頷いて、渡井さんにお礼を言っていた。

 

「わざわざすみません」

 

「い、いえいえ。お気になさらず」

 

流石になにもやってないのに感謝されると座りが悪いのか渡井さんにしては珍しく恐縮していた。

 

渡井さんは時計を見るとそろそろ帰りますと立ち上がった。

 

まだ何も出してないのに。と鈴羽に言われていたが、仕事ありますのでと言って渡井さんは帰ってしまった。

 

仕事の邪魔をするわけにはいかないと鈴羽は感じたのか、玄関先まで見送ると居間に戻ってきて俺の向かい側に座った。

 

「お仕事熱心な方ですねぇ…」

 

「あの人が秋葉に付き合えってしきりに勧めたそうだよ」

 

「へぇ…自分だってお綺麗なのに。自分のそういう話はないんですかね?」

 

そう言えばそういう話は聞いたことないな。

 

今度会ったら聞いてみるとするか。

 

「私はてっきり岡部さんが私がいない隙に女の人を連れ込んでるのかと」

 

俺は鈴羽のその言葉に軽くむせた。

 

「い、いきなり何を言い出すんだ鈴羽……」

 

「いえ、ほら、岡部さんだって狼ですからね」

 

何を根拠にそんなことを言い出すんだ鈴羽……。

 

「ひょっとして…妬いてるのか?」

 

鈴羽はぷいと目を逸らした。

 

「全くり、倫太郎さんは、何を言っているんですかね?私がそんなヤキモチなんて……」

 

必死に誤魔化そうとしている鈴羽がそこにはいた。

 

そういう所は昔っから変わっていない。

 

案の定頭を撫でると堪忍したかのように目線を合わせる。

 

「なんだか倫太郎さんに手な付けられたようで癪に障りますね……」

 

ま。今は許してあげます。と鈴羽は言った。

 

その晩は特に何もなかったので二人で夕食を食べた。

 

「なんか、久々に家で食べる気がするな」

 

「そうですね。実際あのおでん屋さんに入り浸っていた感じもありますしね」

 

正直な所そろそろ休肝日を作らなければと思っていた所だ。

 

「そういえば、あの箱はなんですか?」

 

鈴羽は今日俺と渡井さんが運んできた箱を指差す。

 

「あぁ、あれは秋葉からの贈り物だ」

 

「それは聞きましたよ?」

 

「えーと、俺達が結婚するって言ったらお祝いにってくれた。実際の所何が入っているか知らない」

 

「へぇ……」

 

「そこでなぜ開けようとするんだ。秋葉に式を挙げるまで開けるなと言われているからな。流石に無粋だろ?」

 

俺の言葉を正論だと受け取ったのか鈴羽はすごすご引き下がった。

 

今日は久々に時計が頂点を超す前に床についた。

 

「一緒に寝ますか?」

 

隣の布団で寝ている鈴羽が少しふざけ気味な口調でそう言う。

 

俺は言葉で答える代わりに鈴羽の手を握った。

 

あ。という声と共に鈴羽を俺の眼と鼻の先の所まで引っ張った。

 

「そうだな」

 

今更返事をしてみたが、鈴羽は遅いですよと言って笑う。

 

顔が近いせいか鈴羽の息が鼻にかかる。

 

甘い匂いがした。

 

「ねぇ、倫太郎さん?」

 

「ん?」

 

「もし、もしですよ。あの箱の中身がIBNだったら面白いですよね」

 

「そうだな」

 

本当はそれなのだが。

 

「もし、IBNを手に入れれば私は役目から解放されて幸せを手に入れられますかね……」

 

俺はその問いに答えなかった。

 



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そして俺たちは……

「倫太郎さんっ。何してるんですか?」

 

「わ、悪い」

 

俺達は結婚式当日、式場の中にいた。

 

今日他にも結婚式を行うカップルもいるのだろうが、まだ姿は見えない。

 

式場の職員達がちらほら見える程度だ。

 

俺達の呼んだ参加者の人達には迷惑かもしれないが、普通の結婚式よりも少し早めに時間を設定したのだ。

 

……もし、泣いてしまったら見ず知らずの人にその顔を見せたくないしな。

 

俺達は別々に着替えを済ます。

 

とはいえ、俺は服を着替えるだけなのだが。

 

鏡に映った自分の姿を見つめる。

 

無精髭も剃り髪をしっかり整えたそこには別人がいた。

 

別に自分を褒めているわけではないのだが、どうにも普段は髭こそ剃るようになったが、たまに寝癖がついていたりするのだ。

 

「携帯に写真を撮る機能があればな」

 

懐から携帯を取り出して写真を撮ることが出来たのに。

 

昔は出来たと言うと変な表現ではあるが、2010年であれば問題なく出来ただろう。

 

ダルや、まゆり。それに紅莉栖にも見せてやりたいものだ。

 

まゆりは、かっこいいと褒めてくれそうだな。

 

紅莉栖はきっと、興味ないふりをしながら小さな声で褒めてくれるのかもしれない。

 

鈴羽の方はやはりドレスを着るだけあって時間がかかるのかまだ部屋から姿を見せない。

 

俺は鏡に映る自分を見ながら少し感傷に浸る。

 

2010年。本来では絶対に会うはずのない俺達だった。

 

片やただの厨二病な男子学生。

 

もう片方は2036年から来た未来を変えるという使命を持った18歳の少女。

 

普通に聞いてれば一笑に伏される所なのにな。

 

そんな未来から来たなんて漫画やゲームの世界じゃあるまいし。

 

まさか。とは思っていたが事実は小説よりも奇なりとも言う。

 

鈴羽は正真正銘未来からきた人間だった。

 

それもまさかダルの娘だったなんて。

 

鈴羽がラボメンに名を連ねるのはある意味当然の行動だったのかもしれない。

 

彼女は任務を兼ねてラボメンに入ったのだから。

 

最初に会った時は紅莉栖を露骨なくらい敵意をむき出しにして睨みつけていたのを覚えている。

 

それも次第に薄くなり、彼女は任務を忘れて束の間の時を過ごした…と思う。

 

実際の所は俺の知らない所で苦労があったのかもしれないが。

 

そんな俺達は気づいたら1975年に来ていた。

 

「今は1986年か……」

 

鈴羽に入った部屋のドアをチラリと見る。

 

まだ出てくる気配はない。

 

ならば、まだ回想に耽るとするか。

 

秋葉との出会いが俺達の今までの人生を支えてきたと言っても過言ではない。

 

当然今日の結婚式には呼んである。

 

今は生まれていないがフェイリスの父。

 

そして、俺がかつていた世界線ではIBN5100を柳林神社に寄贈してくれた人。

 

本人にはもう恥ずかしくて言えないが感謝している。

 

「ん?世界線?」

 

自分で言った言葉であったが少しその言葉がひっかかった。

 

世界線……

 

確かにこの時代1975年にタイムマシンで遡った時に俺の『リーディング・シュタイナー』が発動したのは覚えている。

 

しかし、今がいくつの世界線かは知覚出来ない。

 

ダイバージェンスメーターなんて都合のいい話はない。

 

俺しか知覚出来ないし、別に知覚出来なくても困るわけではないんだが……

 

「まさかな……」

 

そんなことは…。

 

その時どこかのドアが開く音が聞こえた。

 

「り、倫太郎さん。これ…どうですか?」

 

「お……」

 

俺は思わず言葉を失った。

 

それまで考えていたことなど忘れて目の前の光景に目を奪われた。

 

純白のウェディングドレスに身を包んだ鈴羽は俺が今まで見てきたモノのどれよりも美しかった。

 

この姿が見れたなら今日死んでもいい。

 

そう思えるほどだった。

 

「いや、死なれちゃ困るんですけど」

 

ウェディングドレスに身を包んだ鈴羽が冷静に指摘をする。

 

「あぁ、スマン」

 

「って、倫太郎さん。もう泣いてるんですか?」

 

早すぎですよ。と鈴羽はため息を吐く。

 

いや、確かに自分でも早いとは理解しているのだが、いかんせん自分の意志とは無関係に溢れてくるものは止めようがない。

 

「止めて下さいよ。私もつられてちゃうじゃないですか」

 

鈴羽は鼻を擦る。

 

「じゃ、行きましょうか?倫太郎さん」

 

鈴羽はそう言うと俺に手を差し出す。

 

全くこういう時くらいは男らしくかっこつけて鈴羽をリードしていきたいものなんだがな……

 

俺は苦笑しながら鈴羽の手を取る。

 

会場の入り口前にやってきた。

 

中の騒がしさが外にまで聞こえる。

 

『それでは、新郎新婦の入場です』

 

中から司会の声が聞こえると、急に喧騒が止んだ。

 

そして扉が開かれる。

 

会場から鈴羽の姿を見るとおおという声が上がる。

 

見知った顔ばかりだ。

 

俺達は拍手の雨に包まれながら歩く。

 

この時点で俺は涙がギリギリまで溜まっていた。

 

ヤバいヤバい。

 

せめて何か話すまで耐えなければ――。

 

――結局俺はボロ泣きして秋葉に大声で笑われた。

 

「いや、傑作だった」

 

ケーキ入刀が終わり、友人達と話していると秋葉に肩を叩かれた。

 

「お、秋葉。悪かったな」

 

流石にもう涙は止まったが目が少し腫れぼったいかもしれない。

 

「しかし……ま。橋田さん可愛いな」

 

「そうだろ」

 

「いや、本当に……って痛いから耳を引っ張らないでくれますか?」

 

「幸くんは私じゃ満足できないんですか?」

 

秋葉が鈴羽を見ているのを感じたのか秋葉の後ろから副島さんが耳を引っ張っていた。

 

傍から見ていると手加減している様子が無いから千切れそうで少し怖い。

 

「そ、そんなことない。次は俺たちの番だろ」

 

「え…あっ……」

 

副島さんはその意味を理解して秋葉の陰にさっと隠れてしまった。

 

「結婚するのか?」

 

「さぁな……まぁ岡部たちを見て羨ましくなったのは事実だ」

 

仲人は頼む。と言って秋葉は他の友人達と談笑に消えた。

 

「なんで僕まで来てるんだろうね。一応神職なんだけど……」

 

「文句言ってもしょうがない。知らない仲じゃないでしょ?」

 

「いや、ほとんど知らないのだけれど」

 

「ごちゃごちゃ言わない」

 

そんな会話が聞こえて振り返ってみると渡井さんと漆原さんがいた。

 

渡井さんを誘った時に、渡井さんから『漆原も誘っていいか』と聞かれ一応名簿に入れておいたのだ。

 

漆原さんと渡井さんはどうやら付き合い始めたらしい。

 

らしいというのは、渡井さんが酒の席でうっかり漏らしてしまったからだ。

 

翌日素面の渡井さんに尋ねるとそんなことはないと顔を赤くして否定されたが。

 

渡井さんが嫁いだら、巫女さんの服を着るのか……。

 

少し想像してしまった。

 

「二人とも元気ですね」

 

「あ、岡部くん。おめでとう。彼女可愛いね」

 

「そうですね。岡部さんおめでとうございます」

 

「漆原が言うとどうも気持ち悪いんだよね」

 

どうにも渡井さんが漆原さんに対する扱いが酷い気がするのは気のせいだろうか。

 

「じゃ、私達も秋葉と一緒に挨拶してくるね」

 

バイバイ岡部くん。そう手を振ると知人を見つけたのか手を振っていた。

 

「なぜです!?」

 

一際大きな声が聞こえた気がする。

 

その声には聞き覚えがあった。

 

何故招待したのか俺には理解に苦しむのだが、鈴羽が招待していた人物だ。

 

俺はその人物の後ろに立ち、勇んで高笑いをする。

 

「この、鳳凰院凶真の前に再び現れるとはな、命知らずとは貴様のようなことを言うのだな中鉢」

 

俺の声を聞くと鈴羽の方を向いていた中鉢が俺の方を振り向く。

 

「きっ、貴様。あの時忠告したはずだ。俺に殺されたくなければ橋田助教から手を引けと」

 

「そんなことよりどうしたのだ?その目?やけに赤いが?まさか泣きはらしたのか?」

 

ぐっと中鉢は歯噛みする。

 

正直俺もさっきまで泣いてたから人のこと言えないが。

 

言い返さない辺り図星なのだろう。

 

意外に純情な奴かもしれない。

 

というかきっと俺に似ている。

 

「貴様見ていろよ。俺もいつか……」

 

そう言うと中鉢は鈴羽に一礼をして研究室の友人であろう人達と話始めた。

 

「そっちは終わりました?」

 

鈴羽は挨拶が終わったのか、俺の隣に来た。

 

「まぁ、あらかたな。しかし、どうして中鉢を呼んだんだ……」

 

「中鉢?あぁ、牧瀬くんのことですか?いいじゃないですか。教え子を招いても」

 

まぁ、そうなんだがなぁ……。

 

ひょっとして鈴羽は中鉢の思いに気づいていないのだろうか?

 

こうして結婚式は幕を閉じた。

 

「いやー疲れたな」

 

「そうですね」

 

結婚式をその他諸々を終わらせた後俺達は家にいた。

 

ジャーという風呂に水が流れ込む音が聞こえる。

 

秋葉とかにはホテルにでも行くのか?

 

と囃されたがそんなことなく二人で家路についた。

 

「私お風呂入ってきますね」

 

鈴羽は一息つくと洗面所に行く。

 

服を脱ぐ絹摺れの音が聞こえる。

 

柄にもなくドキドキする。

 

俺もやることがないので布団でも敷く。

 

勿論二人分だ。

 

「倫太郎さん出ましたよ」

 

「あ、あぁ」

 

鈴羽は早く入ってきて下さいよ。と俺を催促する。

 

俺は風呂には長く浸かるタイプではないのですぐに風呂から出た。

 

風呂から出ると部屋が暗かった。

 

鈴羽が消したのだろう。

 

俺は手探りで布団まで歩いていく。

 

足が布団を触った感触があったので布団の中に潜る。

 

布団に入ると隣から柔らかさを感じた。

 

「わざわざこっちに入ってくるなんて倫太郎さんなかなかやりますね」

 

「わ、悪い。鈴」

 

慌てて布団から出ようとしたが鈴羽に掴まれた。

 

「鈴?」

 

「逃がしませんからね」

 

俺は諦めて布団の中に戻る。

 

「倫太郎さんは私の体嫌いですか……?」

 

「いや、決してそんなことは」

 

正直大好きだ。

 

「鈴……」

 

俺は鈴羽の方を向く。

 

酒は入ってないはずだが、目が潤んでいた。

 

心なしか顔が赤い気がする。

 

もしかしてそれを隠すために電気を消したのかもしれないな。

 

俺はギュッと鈴羽を抱きしめた。

 

あっという声が聞こえた。

 

柔らかい。

 

愛しい。

 

離したくない。

 

この晩俺達は一つになった。

 

 




激動ですねぇ。
幸せになってもらいたいものです。
さて、次章からはまた時代が跳びます。
そろそろ目的を果たさねばならないですしね……。
それでは。


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1991……

遂に2000年まであと十年を切りました。
そのリミットが近づくにつれて世界は、世界線は収束していきます……。


「最近景気が悪くなってきましたねぇ……」

 

鈴羽はそう言うとテレビを消す。

 

俺達はあのアパートから引っ越して少し交通の便のいいところに引越した。

 

表向きは秋葉の会社の社宅扱いなので家賃はタダ同然だった。

 

1991年と言えば俺が生まれた時代だ。

 

とはいえ俺は別に零歳というわけではない。

 

今こうして鈴羽と一緒に生活をしている。

 

もう一つ1991年で思い出すことと言えばバブル崩壊である。

 

このことを知っている俺は秋葉にそう言うと、秋葉は最初は信じていなかった。

 

しかし、俺の言葉だからと半信半疑ながらも手広く行っていた事業も縮小させ、採算の取れる事業に絞って事業展開をしたのだ。

 

それで俺の言った通りバブルは文字通り泡のように消え去り、不渡りや銀行の不良債権などが溢れる時代に突入した。

 

この状況を見た秋葉は俺に対して、さながら救世主だな。

 

そう言って互いに笑いあった記憶がある。

 

俺達が結婚したその年、秋葉は結婚した。

 

なんでも秋葉はまだ結婚しなくても良いというような立場だった。

 

しかし、副島さんの方が俺達の結婚式を見て早くやりたいとせがんだらしくその年中に結婚式を挙げたのだ。

 

秋葉が言った通り俺が仲人を務めたのだが、正直何を喋ったのか覚えていない。

 

笑いを取るつもりではないはずが会場は笑っていた記憶がある。

 

それから渡井さんも漆原さんと結婚した。

 

意外と言えば意外だし、順当と言われれば順当である気もする。

 

とにかく渡井さん主導のような印象を受けた。

 

流石に漆原さんが神主なので、教会というわけにはいかず神社で結納をした。

 

この時は流石に秋葉が雇い主なので仲人をかって出た為に俺は喋ることは無かった。

 

式が終わったあと漆原さんが俺と喋った時に口を滑らせてしまったのか出た一言が忘れられない。

 

「何が、『彼女に似た大人しい女の子が欲しいな』だよ……」

 

結局男だろうとお構いなしじゃないか。

 

顔が良ければなんでもいいのか。とというツッコミをしようと思ったがすんでの所で呑み込んだ。

 

そして驚くべきはなんと中鉢が結婚したのだ。

 

最近結婚したのだ。

 

結婚式の時に尋ねた通りあいつは間違いなく鈴羽のことが好きだったはずだ。

 

失恋からの立ち直りの早さにも驚くが、それよりも意外なのは、中鉢の、いや牧瀬章一の破天荒振りに着いていける人がいたことに驚きだ。

 

初めて会ったのは結婚式の時だった。

 

随分とまぁしっかりとしていて目がどこか紅莉栖に似ていた。

 

ただ話すだけで伝わってくる理知という言葉が似合う雰囲気を醸し出していた。

 

紅莉栖の母親と会って分かったのだが、紅莉栖のあの髪は地毛だったのか。

 

ダルや、まゆりの家族と会うことは叶いそうにないがあいつらも少なからずダルに至っては今年中には生まれるのだろう。

 

「倫太郎さん?またどこかに意識が御留守になってるんですか?」

 

お父さんは困った人でちゅねー。

 

鈴羽は自らの体に語りかける。

 

鈴羽は妊娠していた。

 

もう傍から見ても膨らみが見てとれる。

 

1975年に来た時にはこういう展開になるとは思わなかったが後悔はしていなかった。

 

それは鈴羽も同じであった。

 

自分の選んだ道に悔いはないと俺の前で言い切った。

 

名前も決めてある。

 

男ならば、『鈴太郎』

 

女ならば……まだ決めていない。

 

まぁ、生まれてから決めればいいだろう。

 

俺は自分の腕を見る。

 

何もない。

 

別に体に不具合は感じることはない。

 

 

世界は俺達のことを観測していないのか?

 

 

幸いなことにこの世界線では俺、岡部倫太郎という人間は二人存在していない。

 

タイムパラドックス。

 

時間的矛盾。

 

2010年に鈴羽が言っていた世界線の概念。

 

世界線とはより糸。

 

どのような道を辿っても最後には同じ結果に収束する。

 

言葉で言われてもいまいち理解し辛いが俺はソレを経験してきた。

 

だから体系的に理解出来る。

 

もし、その理論が正しいのならばこうして俺達が過去に遡る行為は無駄だったのか。

 

2010年と2000年。

 

違う世界線に移る転機となると鈴羽はかつて言っていた。

 

俺はカレンダーをチラリと見る。

 

1991年。

 

2000年に世界線を飛び越える機会あると言うのならば、一度世界は収束するのではないだろうか。

 

俺や鈴羽は、世界から見たらイレギュラー以外の何者でもない。

 

ならばその時にまとめて修正をかけてくるかもしれない。

 

これはあくまでも仮説の域を出ない。

 

もしかしたら明日にでもフラクタル現象で俺の体がゲル化してしまうかもしれない。

 

今ならば、俺はそれでもいいと自信を持って言える。

 

鈴羽が笑顔でいてさえしてくれば。

 

――来る1991年12月14日。

 

今日は俺が生まれた日だ。

 

親にいつ頃生まれたは聞いていなかったので朝なのか昼なのか、はたまた夜中かは分からなかった。

 

その日朝から俺は体調が優れなかった。

 

鈴羽の方もそろそろ出産が近いらしく、秋葉の知り合いの病院に入院していた。

 

だから俺は部屋に一人取り残された。

 

もし病気なら鈴羽には絶対に移したくないという思いもあった。

 

普段ならば特に気にするほどでもないのだが、体調の関係もあってか心細い。

 

熱があるというわけでもなく、風邪の類ではない。

 

嫌な予感が体全体に纏わり付いているのだ。

 

嫌悪感と嘔吐感。

 

胃の中のものが吐きだされそうだ。

 

とりあえず寝ておけば良くなるだろうと床についてみたがよくもならない。

 

「――ッ!」

 

頭に電撃が走ったような錯覚。

 

薄れゆく視界の中で俺はあの感覚に包まれる。

 

目を開けているのか閉じているのか知覚出来ない。

 

そして、この世界には存在しない、いや、してはいけないものが俺の意識の中では目の前にあった。

 

「どうして……」

 

俺の疑問に答える人はいなかった。

 

世界線変動率メーター。

 

 

ニキシ―管に表示されている数字がせわしなく動く。

 

せわしなく動く数字。

 

その一つ一つの数字を目で追うのは不可能だ。

 

しかし、一つだけ全く動かないニキシー管があった。

 

一番左側の管。

 

すなわち俺達がどの世界線に存在するかという数字。

 

俺は言葉を失う。

 

0.8その数字だけは固定されていた。

 

俺達がいた世界の世界線は確か……0.337187。

 

1パーセントの壁は超えることが出来なかったようだ。

 

その数字の動きが止まると不思議と俺の体調も落ち着いてきた。

 

体を起き上らせて炬燵の中に入る。

 

電源は点けていないがそれなりに暖かった。

 

俺は炬燵の上に紙を置いて今の状態を整理する。

 

今俺達がいるのは世界線の率は違えど、α世界線の域を出ない。

 

となると俺達の歩む人生は見えてくる。

 

震える指で紙に書きこむ。

 

そうならないように願いを込めながら。

 

この世界線は、2000年に鈴羽と秋葉が亡くなる世界線なのだ。

 

俺はその線と平行してもう一本別の線を引く。

 

β世界線を模したものだ。

 

どうにかこちらに移れないものか?

 

そうやって二つの平行する線をまたぐように線を書いていると新たな問題に直面する。

 

俺はどうしてすぐにβ世界線に戻すことをしなかったんだ?

 

まゆりが死ぬのを見たくないだけなのならばすぐにでもβ世界線に戻せばよかったではないか。

 

勿論IBN5100が手に入らなかったということもあった。

 

しかし、俺は無意識に避けていたのではないのか……。

 

「牧瀬…紅莉栖……」

 

俺はとある未来の天才脳科学者の名を口にする。

 

β世界線とはすなわちこれから生まれるであろう牧瀬紅莉栖が死ぬ世界線だ。

 

俺は頭を抱える。

 

即ち秋葉と鈴羽を取るか、牧瀬紅莉栖を取るかと言う問いになる。

 

「人数の問題じゃないだろ……」

 

無数の線が描かれた紙がグシャっと音を立てて歪む。

 

そんな時電話が急にジリリリと音を立てた。

 

はい。と俺が電話を出ると電話の主は秋葉だった。

 

『おい、岡部。今、鈴さんの容体が急変して予定より二日早いが出産するらしいぞ』

 

秋葉はまだ何かを言っていた気がするが俺はガチャンと乱暴に受話器を置く。

 

自分の手に握られた紙をグシャグシャにしてゴミ箱に投げ捨てて着の身着のままで家から飛び出した。




数の問題じゃないですよねぇ……


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――初めまして

俺が病院に着くと秋葉が手術室と書かれた部屋の前の椅子に座っていた。

 

遠目から見ると項垂れているようにも見える。

 

「秋葉!」

 

俺の声に気がついたのか秋葉は項垂れていた頭を上げた。

 

「おお、岡部。病院の方は岡部に一度連絡を入れたが繋がらなかったらしく俺の方に入れてきたらしい」

 

じゃあ、後は任せた。

 

そう言うと秋葉はよれていた背広の襟を正し、どこかに電話をしながら足早に去っていった。

 

渡井という単語が聞き取れる。

 

恐らくここに来てしまったことで今日の仕事の予定に変更が生じてしまったのだろう。

 

他人のことなのだから無視してしまえば済むはずなのに……

 

秋葉らしいと言えばらしい。

 

そのらしさのおかげで俺はこうして間に合うことが出来た。

 

今度フェイリスが生まれる時は俺も何か恩返しが出来たらな。と俺は漠然と思った。

 

「そうだ鈴羽」

 

俺は赤いランプの灯った手術室を見つめる。

 

医学に明るくない俺では分からないがどの位手術に時間を要するのだろうか。

 

それから俺はどの位待ったのか分からない。

 

一時間だったか三時間だったかそれとももっとかかったのか。

 

どちらにせよその時間が永遠のように感じられた。

 

幾度足を組み変えただろうか。

 

赤く灯っていたランプは色を失った。

 

手術室の扉が開く。

 

俺は思わず中を覗きこむ。

 

看護師さんと目が合った。

 

彼女は俺と目が合うとにこやかに笑った。

 

その時ようやく室内にけたたましく響く泣き声に気づく。

 

泣き声など耳触りだろうと思っていた。

 

それは勘違いだったようだ。

 

その泣き声を聞けば聞くほど涙が止まらない。

 

男の子だった。

 

俺の血を受け継ぐ子供。

 

「あ…れ?倫太郎さん泣いてるんですか?」

 

「なっ……馬鹿を言うな」

 

俺は鈴羽に指摘されて顔に血液が集まる。

 

服の袖で涙をごしごしと拭くと得意気に鈴羽の方を見る。

 

「ふはは。ほら、どこらへんが泣いてるというのだ」

 

俺の気丈な振舞いがおかしかったのか鈴羽は少しクスリと笑った。

 

とりあえず俺は一度退散することにした。

 

何かと生まれたばかりだとやることがあるらしい。

 

俺はいそいそとその場を後にすると公衆電話に向かう。

 

2010年ではレトロ扱いされて最早探すのすら難しいのだが、この時代はそこら中にある。

 

自前のテレホンカードを入れると最早暗記している番号を押す。

 

トゥルルルルと受話器から音が流れる。

 

相手方が取るのが早かったようで一小節終わる前に相手が電話口に出た。

 

「はい。秋葉」

 

「あ、秋葉か!」

 

「おう。俺だ。どうだった?」

 

「それが……」

 

「それが……?」

 

「男の子だった」

 

俺がそう言うと電話口で祝う声が聞こえた。

 

声から察するに渡井さんも近くにいたらしく、良かったですね。という声が聞こえた。

 

二人共子供が生まれるには二年後位か。

 

「おう。良かったな。岡部。俺は少しこれから用があるから切るが、向こうさんにもよろしくな」

 

そう言い残してガチャリと電話が切れた。

 

俺が電話をし終わると看護師さんが俺を探しているようだった。

 

「あ、ご主人様ですよね?」

 

「え?まぁはい」

 

「赤ちゃんご覧になれますよ」

 

こちらへどうぞと俺は看護師の後ろを付いていく。

 

案内された部屋には沢山の赤ん坊がいた。

 

この病院にはこんなにも赤ん坊がいるのか。

 

俺は素直にその事実に驚く。

 

看護師の指の指すままに俺は赤ん坊を見た。

 

俺の子供か……

 

正直嬉しい。嬉しいのだが実感が湧かない。

 

俺は自分の子供をある程度堪能した後鈴羽の病室を訪れた。

 

麻酔が効いているのかスーと規則正しい寝息を立てて寝ていた。

 

俺は鈴羽が寝ているベッドの横の椅子に腰かける。

 

寝息を立てる鈴羽の顔を見る。

 

相変わらず目鼻立ちがすっきりしていて俺には本当に勿体ないくらいの美人だ。

 

俺は自然と鈴羽の手を握っていた。

 

ありがとう。

 

ただそれしか言えなかった。

 

「んあ?あ、倫太郎さん」

 

どうやら起こしてしまったようでまだ寝ぼけ眼だが鈴羽はこちらを見て微笑む。

 

「すまない。起こしてしまったようだな」

 

いえ、別に構いませんよ。

 

目を擦りながら鈴羽は言った。

 

「それにしても男の子でしたね」

 

「あぁ、名前は前に決めた通りか?」

 

えぇと鈴羽は頷く。

 

「『鈴太郎』二人のりんたろうに囲まれるなんて私は幸せですね」

 

恥ずかしそうに鈴羽は身をくねらせる。

 

そんな鈴羽の仕草を見て俺は微笑む。

 

願わくばこの三人の幸せがいつまでも続けばいいと。

 

――1992年7月25日

 

「何故貴様が俺の隣にいるッ!!」

 

「気にするな。これも運命石の扉の選択なのだ」

 

俺と中鉢はこの日二人揃って病院にいた。

 

理由は簡単だ。

 

今日は紅莉栖が生まれる予定の日なのだ。

 

鈴羽が出産して暫くしたある日のこと中鉢が一人尋ねてきたらしいのだ。

 

というのも俺は仕事をしていたので鈴羽からの又聞きだ。

 

中鉢は普通に遊びに来たようで少し世間話をして帰ったらしいがその時自分の妻も妊娠していることと病院を鈴羽に漏らしていた。

 

それを聞いた俺がこのまま指を咥えて見ているのは変な話だ。

 

幸い紅莉栖の誕生日には見当がついていたのでその日に病院に行ってみると案の定そわそわしている中鉢に出会って今に至るのだ。

 

「ごめんなさいね。牧瀬くん」

 

「いえ、経験者の橋田助教授がいて下さるだけで心強いです」

 

「待て。鈴は生んだ側だ。手術室の前で待っていたのは俺だ。だから経験者は俺になるのではないか?」

 

「貴様は、橋田助教授を奪っておきながら……うるさいわ!」

 

そう言うとムスッとした顔で椅子に深く座りこんだ。

 

ふむ。中鉢も慣れてくると随分と扱いやすい奴だ。

 

しかし、流石にナーバスになっている時期だろう。

 

やりすぎた。と少し反省した。

 

「大丈夫だ中鉢。意外に女の人は強いぞ」

 

俺の激励ともとれる台詞が意外だったのか中鉢は一瞬目を丸くしたが、おう。と言って俺から視線を逸らす。

 

「しかし、よく寝ますねこの子」

 

鈴羽が我が子を見る。

 

先程からすやすやと寝息を立てている。

 

鈴太郎はあまりぐずらなかった。

 

そのせいで何か病気ではないか?

 

とさえ二人で疑ったほどだった。

 

医者に見せたが病気でもなんでもないとのことだった。

 

しかし、俺が紅莉栖が生まれる瞬間に立ち会うとは……。

 

過去に跳んだとはいえ、まさかこんな状況になるとは思ってなかった。

 

「おい、鳳凰院」

 

「なんだ中鉢」

 

「少し聞かせろ」

 

「なんだ。暇つぶしの相手か?」

 

「嫌なのか?」

 

「いや、別にそういうわけではないが」

 

「そうか。なら答えろ。貴様は未来から過去に来て、未来を変えるということをどう考える」

 

その問いに俺は一瞬言葉に詰まる。

 

「どういう意味だ?」

 

「この間とある洋画を見てな。主人公が過去に跳ぶという話だったのだが、その時両親の未来をうっかり変えてしまいそうになった。その結果家族で映った写真の中の主人公の兄が消えそうになっていたのだ」

 

貴様はこれをどう考える?

 

中鉢はそう聞いてきた。

 

その映画なら確か俺も2010年に見た記憶がある。

 

確かにそんなシーンはあった。

 

中鉢は俺が答えないのを無視して話を続けた。

 

「助教授の論文や貴様の論文を読んでいる内にふとある推論に至ったのだ」

 

 

二人は未来から来たのではないのかと

 

 

その言葉に俺は極めて無表情を貫く。

 

俯いている為に表情は見えない。

 

「特に貴様の書いた論文は荒唐無稽で何を言っているのか皆目見当もつかない器具を用いて時空転移を可能とする試みのはずだったが、携帯電話というのは実際に出現した。このままだといつか42型という特大なテレビが出来るかもしれないそう考えた」

 

中鉢の言葉を聞きながら俺は別の事を考えていた。

 

中鉢というのはただのイカれた科学者ではなかったのか。

 

@ちゃんねるに書きこまれたジョンタイタ―の理論を模倣しただけのインチキ科学者ではなかったのか。

 

姿は違えどそこには牧瀬の血を感じた。

 

「そこで鳳凰院。貴様に聞きたいことがある」

 

「なんだ?」

 

「貴様らの体はなんともないのか?」

 

あぁ。俺は即答した。

 

どう見たって俺も鈴羽も健康体そのものだ。

 

「ほら……」

 

そこで俺の言葉が止まる。

 

手が一瞬ゼリーのように崩れたのだ。

 

慌ててもう一度見ると何事もなかったかのように俺の手はそこにあった。

 

「どうかしたか?」

 

「い、いやなんでもない」

 

そうか。そう言って中鉢が手術室の方を向くと丁度ランプが消える。

 

俺達三人に緊張が走った。

 

部屋の中から元気な赤ん坊の泣き声が聞こえた。

 

その声を聞いていの一番に中鉢は駆けだす。

 

俺も次いで扉の中に入る。

 

そこには看護師に抱き抱えられる牧瀬紅莉栖がいた。

 

正確には紅莉栖と名付けられる前の赤ん坊が。

 

俺は先程の不安を忘れ、ただ目の前の光景に微笑んだ。

 

おめでとう。

 

そして初めまして。

 

クリスティーナ。



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外国から来た大男

「ほらー鈴太郎。こっちこっち」

 

俺が手を叩くと鈴太郎はその音が鳴る方向に歩を進める。

 

「なに?ぱぱ?」

 

鈴太郎は俺に向かって小首を傾げる。

 

正直可愛い。

 

口がどうしても緩んでしまう。

 

鈴羽が鈴太郎を生んでから早四年。

 

世界は依然不況のままだったが俺達は幸せに暮らしていた。

 

秋葉の会社も依然として順調だった。

 

秋葉曰く、昔に言ったが見えてる落とし穴に落ちる奴はいないからな。と笑っていた。

 

そういえば、そんな秋葉にも娘が生まれた。

 

留美穂という名前だったかな。

 

それがどうしてフェイリスと名乗るのかは甚だ謎なのだが、まぁそれは追々分かるのだろう。

 

秋葉の娘が生まれたのも俺達と同じ病院だった。

 

秋葉も案の定仕事が手に付かず出産予定日の数日前からずっとそわそわいていたのを思い出す。

 

しかも渡井さんも産休を取っていたので、俺が秘書の代わりをすることになっていた。

 

俺が電話を取る度に病院からの電話じゃないのか?と聞かれたりと随分とナーバスになっていた。

 

きっと秋葉も親バカになるだろう。

 

秋葉の言動が二年前の自分と被った。

 

一方の渡井さんも八月に出産した。

 

漆原さんは秋葉や俺と違いやけに落ち着いている気がした。

 

秋葉に様子を見て来いと言われた俺一目でそう感じた。

 

「落ち着いてますね…」

 

「いえ、そりゃ、毎日願掛けてたらもう怖いものなんてありませんよ」

 

漆原さんがそう言って笑った顔もどことなく緊張の色が走っていたのは忘れられない。

 

鈴羽はいつの間にか教授になっていた。

 

というのも鈴羽の研究室の教授が一身上の都合で大学を辞めてしまったらしく、繰り上げのような形で教授の席に座ったのである。

 

「まだ、教授なんて柄じゃないんですけどね」

 

鈴羽はそう言ったが満更でもなさそうだった。

 

俺も素直にその事実は嬉しいし、祝福してやりたかった。

 

しかし、俺は紅莉栖が生まれた日以来あの考えから抜け出せないのだ。

 

世界線の矛盾。

 

このままだと鈴羽も秋葉も2000年に死んでしまう。

 

縦しんばその事実を変えたとしても2010年に紅莉栖が死んでしまう。

 

この二つを回避する方法を鈴羽にバレること無いように考えていたが特に画期的な方法は生まれなかった。

 

1997年にタイムリープマシンなんて都合のいいものがあるわけない。

 

それに俺、ダルそして牧瀬紅莉栖が揃ってない時点でそんな代物は生まれなかったのだ。

 

「ぱぱ。どうしたの?」

 

鈴太郎が心配そうに俺の頭を撫でる。

 

鈴太郎の顔を見る度に俺は勇気づけられる。

 

この子の未来を守らなければいけない。

 

既にこの問題は二人だけの問題ではなくなっていたのだ。

 

俺はふと時計を見る。

 

午後五時。

 

鈴羽からの連絡はない。

 

今日は早く帰ってくるのだろうか。

 

この時期は五時と言ってもまだまだ日が沈む気配はなく、西日が目に痛い。

 

「ただいま帰りました」

 

「おかえり」

 

噂をすれば主と言うが本当に鈴羽が帰ってきた。

 

鈴羽は俺の顔を見て少し驚く。

 

「あら、今日は全休でしたっけ?」

 

「まぁ、秋葉も暇だって言っていたし、来ても無駄だから来る位なら俺の娘の世話しろ。って言われたから大人しく家にいたんだよ」

 

あぁ、秋葉さんらしいですね。と鈴羽は着ていた服をハンガーにかけた。

 

それから俺達は早めの夕食を取る。

 

今日はこの後少し秋葉の家に行かねばならない用事があったので三人で出かけた。

 

鈴太郎も秋葉の家は広くて大きいから気に行っているらしく行く時はいつも上機嫌だ。

 

俺の家から秋葉の家までの道も街灯が付いたせいか随分と明るくなった。

 

こんなに明るければ変なことなど起きるはずがない。

 

「――?」

 

俺達の前に大男が現れた。

 

長髪に無精髭といういかにもホームレスに似た風貌をした大男。

 

しきりに俺に話掛けているらしいが向こうは酔っ払っているのか発音が明瞭ではないせいで聞き取れない。

 

「岡部さん」

 

俺が辟易していると鈴羽が俺の前に立った。

 

流石鈴羽。

 

こういう手合いに慣れていて話を聞くのか上手なのだろう。

 

そう思っていた俺の期待はすぐ裏切られた。

 

「はっ!」

 

鈴羽は大男の体がくの字に折れるほど強烈な一撃を鳩尾に打ち込む。

 

酔っ払っていたせいもあってか大男は成す術もなくその場に倒れこむ。

 

「さ、行きましょ」

 

茫然とする俺と鈴太郎に対して特に何もなかったかのように振舞う鈴羽。

 

俺は絶対鈴羽と喧嘩はしないと誓った。

 

「おおおお」

 

鳩尾を殴られた大男は一気に正気に戻ったらしい。

 

しきりに呻いていた。

 

「あの……大丈夫ですか?」

 

流石に心配になったので俺はその大男に問うた。

 

「あぁ、平気なんだが……一体何が起きたんだ?」

 

そう答えた大男の顔に俺は既視感を覚える。

 

どこかで見たことがある。

 

そう2010年に……。

 

「もしかして、あなたは……MRブラ…じゃなくて天王寺か?」

 

「あん?どっかで会ったことあったか?」

 

大男もといMRブラウンこと天王寺裕吾は俺を訝しむような目で見る。

 

「俺は最近ってか今日こっちに帰ってきたばっかりだから知り合いなんているはずがねぇんだが……」

 

「い、いや顔がいかにも天王寺って顔をしていたからな」

 

明らかに苦し紛れもいい所だったが、MRブラウンは納得していたので一安心した。

 

「というか、なんであんたいきなり殴ったんだ……」

 

MRブラウンは鈴羽を睨む。

 

「え?だってこの人今にも襲ってきそうじゃありませんでした?」

 

キョトンとした顔で鈴羽は言う。

 

鈴太郎も俺も、勿論MRブラウンも呆気に取られていた。

 

「私、間違ってましたか?」

 

「いや、そんなことないありがとう。助かった鈴羽」

 

ならいいです。と鈴羽は頷く。

 

「それで、天王寺さんはどうしてこんな所をうろついていたんですか?」

 

鈴羽にそう聞かれ若干口が引きつりながらもMRブラウンは答える。

 

「いやな、久々にこっち帰ってきたのはいいんだが、どうにも知り合いも少ねぇし、やることなくて酒を煽って、気づいたらあんたに殴られてた」

 

「へぇ。それはそれは。つまり、あなたはホームレスってこと?」

 

「う……あんた意外にはっきりと言うんだな」

 

図星だったようで口には苦い笑みが広がっている。

 

そういえば鈴羽が1975年に一人で跳んだ時も鈴羽の最期はMRブラウンが看取っていた。

 

どうやら俺が一緒に跳んだ所で世界線の誤差の範囲の内でしかないようだ。

 

その時俺は秋葉の家に行く途中だったことを思い出す。

 

「鈴羽……そろそろ秋葉の家に…」

 

「待って下さい。倫太郎さん。流石に今になって少し罪悪感が出てきました……。せめて家の手配位はしたいです」

 

「なら、俺達の家の隣空いてるからそこに住めばいいんじゃないか?」

 

それは名案ですね。倫太郎さん。

 

指をパチンと鳴らしてそれは妙案だとでも言うように鈴羽は俺を見る。

 

「良かったですね。天王寺さん。家が決まりましたよ」

 

「お、おう」

 

急展開もいい所で自らの住まいが決まってしまったMRブラウンはただ頷くしかなかった。

 

「それじゃ、私達これから行く所があるので失礼しますね」

 

「お、おい、あんた」

 

「なんですか?」

 

「い、いや、その住所を教えてくれよ……。じゃなきゃそこに辿りつけない」

 

あぁ、すみません。鈴羽はそう言うとポケットからメモ帳を取り出しページを一枚破ると、サラサラとペンを動かし我が家の大家の住所を書いた。

 

「多分ここの大家さんは夜遅くまで起きてる方ですから丁寧にお願いすれば何とかなると思います」

 

MRブラウンは、悪い。と一言礼を言うとその住所を探して歩いていった。

 

「さ、向かいましょうか。余り遅いと秋葉さん達も心配しちゃいますからね」

 

「そうだな」

 

俺は鈴太郎の手を引いて秋葉の家へと足を進めた。

 

「で。その大男はお前の知り合いなのか?」

 

鈴羽は秋葉の奥さんと一緒に子育てについて応接間で仲良く話してる横の部屋で俺は先ほどのことを秋葉に話していた。

 

「勘がいいな。実はな……」

 

俺はそこで2010年の時の思い出を秋葉に語った。

 

「なるほど。その天王寺って人が部屋を貸してくれてブラウン管の店をやっていなければ、岡部達はこの時代に来なかったのか」

 

相変わらず秋葉は理解するのが早い。

 

「それで、その話を俺にしてなんの意味があるんだ?」

 

「俺がこの時代に来たのに世界が変わってないと思うんだ……」

 

うん?秋葉は俺の言葉に興味を惹かれたのか顎で続きを促す。

 

「俺は俺のいた世界における2010年の未来を変えるためにここに来たのは話したな?」

 

「あぁ、なんか世界線がどうとか言ってたな」

 

「俺の目標は世界線を越えて未来を変えることなんだ」

 

「成程。つまり今現在岡部がこっちに来たのにも関わらず、世界線の変動は世界から見たら誤差の範囲で、結局このままだと未来は変わらないってか?」

 

秋葉の言葉に俺は頷く。

 

そして俺は禁断の言葉を紡ぐ。

 

言葉にしたら現実になりそうで。

 

それでも誰かに聞いて貰いたくて。

 

「このままだと……2000年に鈴羽は死ぬ」

 

秋葉も俺の口からそんな言葉が出るとは思ってもみなかったらしく珍しく動揺していた。

 

「それは本当の話なのか……いや、そんなこと聞くのも野暮ってもんか……」

 

秋葉は万年筆で机をコツコツと叩きながら何かを視認している。

 

「いまいち世界線なんて概念は想像つかないが、それってつまり2010年にしか存在しないずの岡部達が2000年に存在している矛盾を世界が正しているという認識でいいのか?」

 

「多分……」

 

俺は曖昧に頷く。

 

流石に面と向かって秋葉も死ぬなんてことは言えなかった。

 

「まぁ、俺には何も出来ない。出来ることがあったら教えてくれ」

 

そう言うと秋葉は表情を緩ませる。

 

「それよりさ……最近鈴太郎くんどうだ?勿論留美穂は可愛いが俺は男の子が欲しかったな」

 

「あぁ、最近鈴羽に似て運動するのが大好きみたいだ」

 

そうかそうか。そりゃいいな。秋葉は笑う。

 

「俺ももっと構ってやれればいいんだが、いかんせん仕事がな……」

 

俺はちらりと秋葉の机を見る。

 

会社で処理しきれなかった仕事であろう書類が束になって重なっていた。

 

社長というのも楽じゃないはずだ。

 

俺は秋葉の目の下に薄らとしたクマが見えて居た堪れない気持ちになる。

 

「そろそろ帰ることにするわ。鈴羽も仕事あるだろうし」

 

「そうか?分かった。夜だし、一応車出すか?」

 

俺は秋葉の申し出を断って三人で歩いて帰ることにした。

 

「そういや、目的は済んだのか?」

 

帰り道で鈴羽に問う。

 

「はい。それはばっちりと」

 

鈴羽は満足気に頷く。

 

ママ友とでも言うのだろうか。

 

鈴羽はもう仕事に復帰をしているので、そういう子育ての知り合いが多くなかった。

 

だから一カ月に数回秋葉の家で副島さんと子育ての話をしながらお茶でも飲むことになったのだ。

 

理想としては昼の方が勿論いいのだが、鈴羽は大学の講義もあるので、余り遅くならない程度に集まることとなったのだ。

 

俺自身は秋葉とは毎日のように顔を合わせているから特になんの感慨も湧かない。

 

しかし、鈴羽は副島さんと話すのをとても楽しみしているらしく、秋葉の家に行く日はいつも機嫌がよかった。

 

秋葉に聞いた所によると、副島さんも似たような感じで、いつ来るのか?と窓から外を見つめてそわそわしているらしい。

 

俺は、副島さんがそわそわしている情景を思い浮かべながら帰り道を歩く。

 

家にさしかかった時自分の家の横に誰か立っていた。

 

「どうも。岡部さん」

 

MRブラウンだった。

 

向こうからしたら当然なのだが、さん付けで呼ばれるとこそばゆい。

 

「どうかしたんですか?」

 

「さっき、大家と話をつけて、隣に住むことになったみたいだ」

 

これからよろしく。

 

MRブラウンに頭を下げられた。

 

「あら、よろしく。天王寺さん」

 

隣にいた鈴羽が頭を下げる。

 

俺はその様子を見て感じた。

 

どうやら、世界は、俺の願いを嘲笑うかのように順調に収束しているようだ。



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仏蘭西からの手紙

俺達の家の隣にMRブラウンが越してきたというのは家賃を取りに来られそうで少し落ち着かなかった。

 

まぁ、実際はそんなことがあるわけでもなく、特に変わったことが起きなかった。

 

MRブラウンは家賃を稼ぐために工事現場の仕事をやったりとにかく力仕事をすることにしたらしい。

 

2010年に出会った時に、年齢の割に良い体つきをしていたのも頷けた。

 

聞くところによると、あの晩、酔っ払っていたとはいえ鈴羽の一撃で沈んでしまった自分を不甲斐なく感じ、鍛え直しているらしかった。

 

それを聞いた鈴羽は、それは楽しみですね。そう一笑伏してお茶をすすっていたのを思い出す。

 

言っては悪いが、鈴羽も若くないのだから無理に張り合わないで欲しいと思う心は俺が年を取ったせいだからなのだろうか。

 

「倫太郎さん、また考え事ですか?そろそろ手伝って下さいよ」

 

「じんぐるべーる。じんぐるべーる」

 

「あぁ、すまん。少し外を見ていてな」

 

「雪でも降ってきましたか?」

 

「ゆきぃ?」

 

雪と聞いて鈴太郎が慌てて、俺の脇の下から興奮気味に窓の外を覗く。

 

予報では午後7時頃から降り始めるとのことだったがそういう予報は得てして当たらないものだ。

 

鈴太郎を見て俺も昔、こうしてまだ雪が降らないかと楽しみに見ていたこともあったと思い出す。

 

大学の同期にこういう話をすると雪国出身の友人からは、東日本の人間は気楽だなと苦笑された。

 

結局俺はこの年になっても雪国の生活を体験することなく人生を送っているが、たまに降る雪を見ると、子供の時のワクワクとした感情よりも頼むから積もらないでくれ。

 

という願いが勝ってしまう。

 

我ながら、年を食ったなとしみじみ感じる。

 

もし俺が2010年で同じ雪を見ていたら何と言っていただろうか……

 

きっと、『あぁ、俺だ。外を見ているか。そうだ。遂に奴らは自分達は天候を操ることも意のままだと脅迫してきている。……なに。どうして心配そうな声をあげるのだ。俺がそんなモノに屈する訳がないだろう。天候を操ることが出来てもこの俺は鳳凰院凶真を操ることは敵わないからな』

 

「エル・プサイ・コングルゥ」

 

こんな感じでどこにも繋がっていない電話に向かって囁いていただろう。

 

俺が、聞き慣れない単語を発した為か、不思議そうな顔で鈴太郎は俺のことを見上げる。

 

「もう、またその言葉ですか」

 

鈴羽はもう聞き飽きたとでも言うかのようにため息を吐いた。

 

「そういう、よく分からない言葉はあんまり真似させないで下さいよ」

 

「分かってるって」

 

ならいいですけど。

 

鈴羽はそう言うとテーブルに料理を置いて時計にチラリと目をやった。

 

「遅いですねぇ……」

 

俺も釣られて時計を見る。

 

MRブラウンと四人でクリスマスを祝おうという話になっていた。

 

結構な頻度でうちを訪ねてくるMRブラウンは鈴太郎の年の離れた兄のような存在になっていた。

 

そこで鈴羽がお礼も兼ねて、家が隣同士ということもあり我が家でクリスマスパーティを行うことになっていた。

 

MRブラウンはその日仕事が18時過ぎまであるらしいことを言っていたので19時に来るのは難しいかもと言っていた。

 

それでも、今か今かと待ってしまうのが人情である。

 

俺達のそんな心を読んだのか、ドアをノックする音が聞こえた。

 

「あ、天王寺です」

 

俺はその声を聞くとドアを開ける。

 

「こんばんは」

 

「あ、どうも」

 

MRブラウンはなにやら袋を俺に手渡すと部屋に入った。

 

渡された中身を見てみると何やらケーキのようだった。

 

それを俺は鈴羽に見せる。

 

鈴羽は驚いたように目を丸くした。

 

「天王寺さんわざわざ……」

 

「いや、気にしないで下さい。ただ自分が甘い物を食べたくなっただけなんで……」

 

照れたようにMRブラウンは言った。

 

自分が食べたいと言った証拠にクリスマスケーキではなく、全て種類の違うケーキが四種類入っていた。

 

俺と鈴羽はもう一度礼を言うと、四人で夕食を食べ始めた。

 

会話自体は他愛のないものだったが、いつもより一人多いだけで大分違ったものになったと感じる。

 

「そういえば、天王寺さんってフランスにいたんでしたっけ?」

 

「そうですね。南フランスにいました」

 

「ってことは、フランス語はペラペラですか?」

 

えぇ。とMRブラウンは少し自慢げに頷く。

 

「自慢じゃないですけど、他にも何ヶ国かの言葉は話せるとは思いますよ」

 

それが本当なら見た目に反して随分とインテリなタイプだ。

 

もし2010年にMRブラウンが学生をやっていてもグローバルな人材と引く手数多だろうななどと考えていた。

 

「そんなこと言ってる割にはやってる仕事は力仕事なんだな」

 

「そりゃ、鈴さんに勝つためには一から鍛え直さなきゃならないですからね」

 

どうにもMRブラウンが俺に対して敬語を使ってるのが座りが悪い。

 

いや、向こうからしたら当然のことなのだろうが。

 

そのせいか、MRブラウンとは鈴羽が主に話していた。

 

鈴羽はMRブラウンと会話していて何か思い出すことはないのだろうか。

 

仮にも短い期間と雖も雇い主とバイトの関係だったのだから何か思い出しても不思議ではない。

 

「それに、俺がそういうバイトをしているのにはもう一つ理由がありまして……」

 

俺が会話に参加にしていない間に話は進んでいるようだった。

 

とりあえず聞く耳だけは持っておこうと会話に耳を傾ける。

 

「まぁ、給料がいいからなんですが、それでソレを買おうと思いまして」

 

恥ずかしそうにMRブラウンが指さした先にはブラウン管のテレビがあった。

 

「テレビですか?」

 

「鈴羽は不思議そうな声を上げる」

 

てっきりもっと高価な物とでも思っていたのだろう。

 

我が家のテレビは一年前に買い換えたばかりのやつで画面が綺麗だった。

 

「こうして、岡部家に来ている時は団欒とテレビの映像で華やいでいますが、俺の部屋にはテレビもないですからね」

 

寂しいんです。

 

MRブラウンは呟く。

 

思わず、お前は老人か。

 

そうツッコミたかったのだが、思えば俺も未来ガジェット研究所でダルが寝てしまった深夜などは、おもむろにテレビを点けて気を紛らわしていた気がする。

 

「へぇ、テレビってあると無いのじゃ変わりますからね」

 

「そうっすよね」

 

それからはどんなテレビが面白い、これはつまらないなどという話をして夜は更けていった。

 

話の途中で鈴太郎は眠くなってしまったのか、サンタのプレゼントを待つと言って寝てしまった。

 

俺が鈴太郎を布団に寝かせる。

 

時計を見ると午後九時を回っていた。

 

鈴太郎がサンタにお願いしていたプレゼントも昨日のうちに買っておいたし準備は万端だ。

 

居間に戻るとまだ二人は話していた。

 

MRブラウンも話す人が少なくて鬱憤が溜まっていたのか口の動きが止まる気配はない。

 

最近どうだとか、フランスはワインがやっぱり旨いだとか内容自体は大したことはなかったが楽しそうに話すMRブラウンの姿が印象的だった。

 

「さてそろそろお開きにしましょうか」

 

鈴羽は時計を見ると手をポンと叩いた。

 

お開きと言っても鈴羽とMRブラウンが喋っているだけで俺はほとんど相槌を打つ程度しかしていないのだが。

 

「倫太郎さんすみませんね」

 

どうやら鈴羽は俺が先程から数回船を漕いでいるのをしっかりと見ていたらしい。

 

それで話は途中だったような気もしたのだが、スッパリ話を止めてしまったのだ。

 

気にしなくていい。鈴羽なら言うだろうが、少し罪悪感が生まれる。

 

「そうかい。岡部さん。俺も明日早いからどう切り出そうかと迷ってた所なんだ」

 

それじゃあな。MRブラウンはそう言って上着を羽織るとおじゃましました。と言って俺の家を出ていった。

 

帰ると言っても家は隣だから、すぐにガチャリと隣の家のドアが開く音が聞こえた。

 

「倫太郎さん。すみません。私ばかり喋ってしまって……」

 

「いや、構わない」

 

2010年を振り返ってみても特にMRブラウンとプライベートな会話をした記憶がなかった。

 

元々俺自身、鳳凰院凶真の時でなければ話すこともそこまで得意というわけではない。

 

「さて、私達も明日から仕事があるんですから寝る準備でもしますか」

 

そう言うと鈴羽はおもむろに俺に近づいてくる。

 

「どうかしたのか鈴?」

 

「いや、私もクリスマスプレゼントが欲しいなぁと思いまして……」

 

そう言いながら落ち着かない様子で両手をせわしなく動かしている。

 

そういえば、鈴羽に何も買っていなかったのを思い出す。

 

俺も最近は普通に秋葉の手伝いはやるようになっていたので少し余裕がなかったのだ。

 

「えーと……それじゃ、プレゼント貰っていいですか?」

 

「すま……」

 

すまない。

 

俺はその言葉を最後まで言い切ることはなかった。

 

唇に当たる柔らかい感触。

 

それは紛れもなく鈴羽の唇だった。

 

甘い。

 

先程食べたケーキの甘さとはまた別の脳の芯から溶けていくような甘さ。

 

もうかれこれ十年以上一緒にいるが未だに飽きることはないだろう。

 

どの位時間が経ったのか分からない。

 

それは永久とも刹那とも区別がつかなかった。

 

鈴羽の唇が俺の唇から離れる。

 

俺達の唇を繋ぐ糸のように伸びる唾液がな艶めかしい。

 

「ふふ。貰っちゃいました」

 

じゃあ私先にお風呂貰いますね。

 

そう言うと鈴羽は洗面所の中に逃げるように入った。

 

なるほど今のがクリスマスプレゼントというわけか。

 

翌日、鈴太郎は自らの枕元に置かれたクリスマスプレゼントに驚き、サンタにお礼を言っていた。

 

その様子を見て俺達は微笑む。

 

結局俺達にも両親がいないので、大晦日もどこにも行く所が無かった。

 

そして例に漏れず俺達の隣人も行く当てが無かったらしくまた四人で鍋を囲むことになった。

 

今度は大晦日ということもあってMRブラウンが日本酒を持ってきていた。

 

俺も鈴羽も少し貰い温かい大晦日を過ごした。

 

――そして新年を迎えた。

 

年が明けたと言っても特に変わったこともなく、ただ誰から年賀状が来ているのか確認する程度のことしか変わったことをしない。

 

ふと年賀状を振り分けていると外国からの手紙が混じっていた。

 

俺に外国の友人なんていない。

 

きっと郵便局の人が俺とMRブラウンのポストを間違えたのだろう。

 

それに年賀状というより何かの封書のようなものだった。

 

明らかに年賀という感じの装丁ではないのに年賀状と一緒に入ってるのもどうだと思うが。

 

俺はしょうがないので、MRブラウンの家のポストにその手紙を入れておいた。

 

まだ鈴羽達は寝ていたがどうにも俺は目が覚めてしまったため、年賀状を見ながらテレビの新年のバラエティ番組を垂れ流していた。

 

すると、八時過ぎに誰かがドアを叩く音が聞こえた。

 

俺がドアを開けるとMRブラウンが寒そうに立っていた。

 

「あけましておめでとうございます。岡部さん、これ間違って入ってたんで」

 

そう言ってMRブラウンが差し出したのは先ほどの手紙だった。

 

「え?だって俺達に外国人の知り合いなんていないんだが……」

 

「そうなんすか?でもここに橋田鈴様とえーと鳳凰院凶真様って書いてあるんだが」

 

鳳凰院ってなんでしょうね?

 

MRブラウンはその意味が分からず首を捻っていた。

 

「ちなみに、それはどこから来てるんだ?」

 

「そりゃ、フランスですけど。えーと、SERNって書いてありますよ」

 

SERN……随分懐かしい名前だ。

 

出来ればもう二度と関わりたくない名前だった……。



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SERNとIBN5100

俺はその手紙を受け取ると封を切った。

 

鳳凰院凶真と橋田鈴。

 

加えてSERNが絡んでくるとなれば中身など十中八九予想がついていた。

 

あの日、鈴羽の研究室のパソコンで見たSERNからの招待状。

 

橋田鈴の隣に書かれていた鳳凰院凶真という名前。

 

俺の真名……いや、偽名であるために、鈴羽と俺の関係性を把握出来なかったために今まで何も起きなかったのだろうか。

 

中にはワープロで打たれた一通の手紙が入っていた。

 

どうやらこちらに配慮したのか文面は日本語で書かれていた。

 

日本語に不慣れなのか所々意味の取りづらい箇所は有ったが内容を把握するには支障はなかった。

 

要約するとSERNに研究員として働きに来ないか?

 

という内容だった。

 

鈴羽にもラブコールを送っていたが、文章を読む限りでは俺の方によりラブコールを送っていたように感じた。

 

中鉢も言っていたが、俺の書いたあの時代では荒唐無稽にも取れた論文の内容が急に現実味を帯びてきたからだろう。

 

全て出まかせで言っていたのがたまたま合っていたとは訳が違うのだ。

 

正解率百パーセントの未来予知。

 

それは最早予知ではない。

 

事実だ。

 

普通の人々は先見の明があった程度にしか考えないだろう。

 

タイムマシンなんて所詮は漫画やアニメの域を出ない物だと考えているのだから。

 

しかし、ある事象というのはその観測者によって全く違った形を得るのだ。

 

日本では兎の餅つきに見える月が中国では蟹に見えると同じように。

 

公にしないまでもタイムマシンを研究していた彼らには、過去に何度も人を送り込んでは失敗していた彼らには、その事実は未来からやってきた人間であるということの証明になったようだ。

 

そして彼らは同時に危惧しただろう。

 

自分達以外の人間。或いは組織が未来から過去への時間跳躍を可能にした事実に。

 

もしSERNが未来から送りこんだ人材ならば、前回メールで事足りたはずなのだから。

 

こちらに来た際の待遇なども詳しく書かれていたが詳しくは割愛する。

 

よく調べたものだと関心するほど詳細に記されていた。

 

そしてその手紙の最後はこう締めくくられていた。

 

『尚、我々の要求が得られなければ、ゼリーマンズレポートに君達二人の名前が刻まれることになるだろう』

 

そう書いてあった。

 

随分と古臭い言い回しだ。

 

重要な所はそこではない。

 

ゼリーマンズレポート。

 

その言葉に俺は戦慄を覚えた。

 

それは2010年にダルが初めてSERNのコンピュータにハッキングした際に見つかったレポートのことだ。

 

あの時紅莉栖が読んでくれた内容こそ覚えてはいないが、最後に赤く印字された『HUMAN is DEAD』という羅列は忘れることはなかった。

 

俺達が読んだのほんの一部分だったが実験自体は大分前から行われていたのだろう。

 

この時代に行われていたとしてもなんら不思議はない。

 

俺の頭の中では、この状況をどうすれば切り抜けられるかという考えが浮かんでは消えることを繰り返していた。

 

「この時代にタイムマシンはない……!!」

 

自らに言い聞かせるように俺は誰にも聞こえないように呟く。

 

元々俺達が作った物も厳密に言えば人間を過去に飛ばすというわけではなく、意識、記憶を過去に飛ばすものだった。

 

しかし、この時代ではそんな都合の良い物は存在しない。

 

つまり、やり直しが利かない一発限りの大勝負となるわけだ。

 

例えばどこかで俺達が岐路に立たされた時、判断を誤ることは許されないのだ。

 

判断のミスはそのまま死に直結すると考えた方がいい。

 

仮に今の展開次第では俺達はめでたくゼリーマンにされ、世界線は変動することなく秋葉は死亡し、果ては10年後に……。

 

「新年早々辛気臭い顔ですね。倫太郎さん」

 

その声に振り返ると鈴羽の顔が間近にあった。

 

鈴太郎は起きておらずまだ布団の中で寝息を立てているのだろう。

 

「起きてたのか」

 

俺は慌てて今読んでいた手紙を背後に隠す。

 

無駄な行為と知りつつも少しの間でも手紙の存在を隠しておきたかった。

 

「倫太郎さん。とりあえず今後ろに隠した手紙みたいなものをこっちに見せて下さい」

 

「い、いや別にいいじゃないか」

 

俺の狼狽ぶりに鈴羽は怪しいと睨んだのか訝しむような視線をこちらに向ける。

 

「なんの手紙ですか?」

 

「い、いやほら大学の同窓会のお知らせだよ」

 

「そんなはずないですね。私達のクラスで外国の方はいらっしゃいませんし、フランスに行ったという人も聞いていませんから」

 

「え?」

 

俺は鈴羽の予想外な一言に俺は鈴羽を見上げる。

 

鈴羽の視線は机に向けられていた。

 

俺もその視線の先を見る。

 

「あ」

 

しまった。

 

机の上に封を切ったままの封筒を置いていたのだ。

 

これではどこから来たかなど一目了然である。

 

「フランスからの手紙……天王寺さんのお知り合いじゃないんですか?」

 

「いや、どうやらそういうわけじゃないらしい」

 

俺は観念して鈴羽に手紙を見せる。

 

手紙を見た鈴羽はまたかというため息を吐いた。

 

「この研究機関もどうしてこう極東の研究者達にこうもアプローチをかけてくるんですかね」

 

様子から察するに俺が見ていたメールからも数回同じようなメールが来ていたらしい。

 

「鈴羽……一つ聞いていいか」

 

「はい?」

 

「『ゼリーマンズレポート』って知ってるか?」

 

鈴羽は数瞬の後にゆっくりと首を縦に振った。

 

やはり知っていたのか。

 

「俺が見たあのメール以降に見たのか」

 

「はい。見ましたよ。私も一応物理学の中でもそっちの方面を専攻してますからね。ああいう現象が起きることは理解出来ましたよ」

 

狭い入口に無理矢理突っ込むからゲル状になるんですよね。

 

鈴羽はそう言いながら頭の中で数式でも組み立てているのがだろうか。

 

何かを思い出すかのように視線をどこか遠くに向けていた。

 

「鈴太郎は?」

 

「まだ寝てましたよ。昨日は少し遅くまで起きてましたからね。スヤスヤと寝てますよ」

 

それを聞いて少し安心した。

 

俺達がこういう話をしていても理解出来ると到底思わないだろうが、それでも昔を思い出す話を子供の前で余りしたくはなかった。

 

「それで倫太郎さんはどうされるつもりなんですか?」

 

「当然断る」

 

即答だった。

 

悩む余地すらない。

 

鈴羽が2010年に来なければならなくなった元凶。

 

まゆりを殺した元凶なのだ。

 

そんな奴らに与するわけがない。

 

「でも断ってどうするつもりなんですか?」

 

俺はそこで押し黙る。

 

そうなのだ。

 

高々俺一人がどうこうした所で何も動かないことは火を見るより明らかだった。

 

「まぁ。その話は後にしましょう。鈴太郎起こしてきますね」

 

そう言って鈴羽は鈴太郎を起こしに消えた。

 

それから俺達は鈴太郎と雑煮を食べ、初詣に行きおみくじを引いた。

 

運勢は凶だった。

 

神主に見せると、この時期には入れてないはずなんですが……と困惑していた。

 

普段の俺なら逆にツいてる。

 

とか、この鳳凰院凶真の名前の一文字を冠する籤を引くとは世界は俺に跪いたのか。

 

などと高笑いをしていたに違いない。

 

しかし、今はハハハと乾いた笑いが漏れた。

 

俺達は神社から帰ると、年賀状の確認をしたり新春番組を見たりしていつもとは違う随分とゆっくりとした時間が流れた。

 

おせちも三人しかいない為昼には食べ終わってしまった。

 

「おやすみなさい倫太郎さん」

 

そう言って俺達は床に着いた。

 

その晩俺は夢を見た。

 

「久しぶりだね。岡部倫太郎」

 

俺は暗闇の中でその声を聞いた。

 

随分と懐かしい声だ。

 

姿も声も2010年と同じそのままだった。

 

あの時のままのジャージ、スパッツという相変わらずのラフな格好だった。

 

「久しぶりって言ってるのに反応がないってのは少し哀しいね」

 

「あぁ、悪かったな。鈴羽。まさか夢の中とは言えあの時代の鈴羽に会うことはないと思ってたからな」

 

「そうだね。あたしもまさか岡部倫太郎の夢の中に現れるとは思ってなかったけどね」

 

やれやれと言った様子で鈴羽は頭をポリポリと掻く。

 

「ま。多分それはあたしの記憶が甦りかけてるってことだろうけどね」

 

「そうなのか?」

 

「そうだよ。きっとそう。あぁ、別に不安になることはないよ。あたしの記憶が甦っても特に今の私には影響は無いはずだから」

 

「そうなのか」

 

そうなのよ。と鈴羽は笑った。

 

「積もる話もあるかもしれないけど、今はそんな場合じゃないよね」

 

俺は首肯する。

 

「まさかこの時代でもSERNが絡んでくるとは予想外だったけど、全くの想定外ってわけじゃなかったでしょ?」

 

「出来れば絡んできて欲しくは無かったけどな」

 

「でも幸いなことに切り札はこちらにある」

 

鈴羽の言葉には確信的何かを感じた。

 

「IBN5100か……!!」

 

そうだね。

 

鈴羽は頷く。

 

「どう使えば未来が変わるかはあたしも残念ながら分からない。けどSERNを退けられるはずだよ」

 

その言葉を聞いて俺は考える。

 

誰かが言っていた。

 

SERNのページの中で現在のパソコンでは読むことは出来ない。

 

そのページを読むためにIBN5100が必要なのだと言う。

 

もしそのページの中においてSERNを退けるだけの情報があるのなら、俺達に勝算はある。

 

「しかし……俺はダルほどの技術は持ってない」

 

せっかく可能性を見つけたがまた壁にぶつかってしまった。

 

「あっははは。岡部倫太郎どうしたの?そこはほらね」

 

鈴羽は自分の事を指差した。

 

「ダル……橋田至は私の父親だよ?父親に出来て娘に出来ないことはないんだよ」

 

そう言って鈴羽は笑う。

 

大丈夫。

 

あたしと私を信じて。

 

そっと鈴羽は俺の頬に口づけをすると霧のように消えた。

 

俺がハッと目を覚ますと朝になっていた。

 

まだ、鈴羽も鈴太郎も規則正しく寝息を立てていた。

 

俺は押し入れを開いた。

 

押し入れの中には俺が入れた時と変わらぬ姿でIBN5100が鎮座していた。

 

俺はその姿を見てフッと笑った。

 

「全ては運命石の選択か」

 

いいだろう。

 

運命とは変える為にある。

 

未来とは未定なのだから。



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ただいま

「鈴。これを見て何かを思い出すことってあるか?」

 

俺は意を決して鈴羽にIBN5100を見せる。

 

倫太郎と一緒にテレビを見ていた鈴羽はこちらを振り向く。

 

俺達が1975年にまで遡ることになった原因。

 

SERNに対抗する唯一無二の道具。

 

鈴羽はそれをIBN5100を見るとこともなげに頷く。

 

「倫太郎さん。いや――……」

 

 

勿論だよ。岡部倫太郎。

 

 

「なっ……!!」

 

今なんと言った?

 

確かに俺は昨日夢の中で阿万音鈴羽と会話をした。

 

しかし、あれはあくまで俺の過去の記憶が鈴羽を夢に出しただけのはずだ。

 

「……って、やっぱり、もう似合いませんか」

 

俺が戸惑っているのを呆れていると受け取ったのか鈴羽は照れた笑みを浮かべて頭を掻く。

 

「いえですね……。記憶自体は最近、本当に最近戻ったんですよ。店長を見た時に」

 

あの特徴的な風貌は時空を超えても忘れるわけがないですよ。

 

ははは。

 

鈴羽は自分が言ったことが面白かったのか一人で相好を崩す。

 

「けど、髪があったせいで最初は誰だか分からなかったんですがね」

 

「まぁ、確かになぁ……」

 

俺は曖昧に相槌を打つ。

 

本当はそれだけではないはずだ。

 

俺はある種の確信を持っていた。

 

鈴羽が一人で1975年に戻っていた場合、雨で壊れたタイムマシンで強引に帰った鈴羽の最期を看取ったのは誰であっただろうか。

 

俺達にあの自らに吐きかけるような、心を抉るような呪詛を届けてくれたのは誰か。

 

考えるまでもない、MRブラウンだった。

 

俺達がいる世界線ではなかったことになっている世界。

 

俺だけが識っている世界。

 

しかし、他の人間が全く知らないわけではないはずだ。

 

俺はたまたま『リーディング・シュタイナー』と呼ばれる力が強かっただけで、人間誰しも持っているものだとは薄々感じていた。

 

他の世界線であったことは別に全く無くなったわけじゃないということを。

 

全ては意味があったこのなのだと。

 

まぁ、鈴羽自身は意識しているということはないのだろうが。

 

「それにですね。昔私言いましたよね。あたしの記憶が戻ったら私はどうなるんだろうって」

 

そう言えばそんなことを言っていた気がする。

 

あの時俺は明確な答えを出してやれなかった。

 

自信がなかったから。

 

どんな鈴羽でも鈴羽には変わりない。

 

その程度の気休めしか言うことが出来なかった記憶がある。

 

「どうやら、私の杞憂だったようで。一度夢か何かで昔の自分と話したことがあるんですけど、結局私は私のままでした」

 

「そうなのか」

 

「はい。まぁ、阿万音さんの記憶を辿ればこれがIBN5100だって言うことも、これが私達の当初の目的だったということも分かりますよ」

 

「当初の……?」

 

どういうことだろうか。

 

その言い方ではまるで新たな目的があるかのようではないか。

 

「どういうことだ?」

 

「ん?えーとですね。倫太郎さんは実は気づいているんでしょう?」

 

鈴羽はじっと俺を見つめる。

 

「なんの話だ?」

 

「なんの話でしょうねぇ……。とぼけなくても結構ですよ。この世界が歪に歪んでいるということに」

 

そこで俺は押し黙った。

 

「私は生憎そのリーディング・シュタイナーなんて世界線を見ることが出来る便利な能力なんてありませんから今どの世界線にいるかは分かりませんが、考えてみればこのまま私達が生き続けた場合、タイムマシンなんて便利なものがあれば話は別ですが、恐らくこの時代にそんなものを作ろうと思い立つ倫太郎さんではないでしょう。

つまり未来で生まれて過去で死ぬなんて矛盾は起きるわけがないんです。

倫太郎さん、一つ聞かせて下さい。今、私達がいる世界線はαなんですか?それともβ、はたまた――」

 

「α世界線だ。まゆりが死ぬ世界線にいる。俺達が何らかの方法でまゆりが死ぬはずだ。このIBN5100を手に入れてSERNと関わることのない2010年を過ごそうとも何らかの方法でまゆりは死ぬ」

 

俺は頭を力なく落とす。

 

言葉にすればするほど絶望が忍びよってくるようで。

 

俺の言葉を聞くと鈴羽はなるほどと何かを考えていた。

 

「まさかまだα世界線にいたなんてね……てっきり、私達が何もそういうことを考えずに生きていられる世界線だということを期待していましたがそうもいかないようですね」

 

「それに……このままだと、秋葉が2000年に亡くなるんだ」

 

「――っ!!」

 

そこで鈴羽は初めて息を飲んだ。

 

2010年では言い方は悪いが鈴羽と秋葉は面識すらない赤の他人だった。

 

俺だってフェイリスの父親と気づかなければ他人だったのだ。

 

自分の理解の及ばない所で誰か知らない人が死ぬのは日常茶飯事だ。

 

気にも留めることはないと思う。

 

しかし知ってしまったらそう簡単にことは進まない。

 

どうして死ぬと分かってしまった知人を見捨てられようか、俺には出来なかった。

 

「2000年て……あともう数年ですね」

 

鈴羽が遠くを見るように窓の外を見ながら言う。

 

「倫太郎さん。覚えてますか?阿万音さんというか私が昔言っていた話。世界線は2000年と2010年に大きな変動があるって」

 

俺は頷く。

 

「α世界線では2000年には何も起こらず、2010年に倫太郎さん達が電話レンジ……でしたっけ?という疑似的なタイムマシンを偶然作ってしまったことと牧瀬紅莉栖がSERNに入ったことでディストピアが構築されました」

 

鈴羽は朝刊の中に入っていたチラシの裏側を使って図を描く。

 

マーカーがキュキュと小気味良い音を立てる。

 

「このまま私達が何もしなければ秋葉さんは亡くなり、推名まゆりも死ぬ。そして、私達は生きていないにしてもこれから数十年後にSERNがディストピアを構築します。だけど、今私達にはこの未来を知っているという大きなアドバンテージがあります」

 

鈴羽は茫然としている俺を見る。

 

その瞳は何かを信じているような瞳だった。

 

俺は2010年に来る前の鈴羽を見たことはないが、このように何かに期待を寄せて未来から来たのではないだろか。

 

「あれ……おかしいですね」

 

鈴羽は自分が書いた図を見ながら頭を傾げた。

 

「何か矛盾でも見つかったのか?」

 

もし、矛盾があるならばそれは綻びかもしれない。

 

世界線という名のどうしようもなく残酷なまでに理路整然とした神の意思の綻び。

 

しかし、俺の期待は数秒で裏切られた。

 

「いやですね。私が一人で1975年で帰った時って私はどうなりました?」

 

「どうって……」

 

「倫太郎さんは私が一度一人で過去に行った世界線を見ていますよね?でなければ、推名まゆりと私が共に死なないように同じ一日を繰り返すはずがありませんから」

 

「た、確かにそうだ。……鈴羽。いや、鈴は記憶を失い2000年に自殺した」

 

自分が自殺したと聞いた鈴羽は驚いたような、やはりそうだったのかと頷く。

 

「まぁ、その私はなかったことにされましたから良いですが。つまり、私は未来で生まれ過去で死んだことになりますね?」

 

俺は頷く。

 

「それは、何故か。タイムマシンという存在があったからですよね」

 

タイムマシンなんて無ければそもそも過去に帰れないですからね。

 

そう言って鈴羽は笑う。

 

「私が疑問に思ったのは、岡部倫太郎という存在が2010年に存在しない以上、未来ガジェット研究所も、はたまた電話レンジも存在しないわけですからここにいる私達の存在は矛盾そのものですね」

 

「そうだな……」

 

「――私が考えるに、このままだと私達は世界線に消されます」

 

「消されるとは物騒だな」

 

「いえ、消されるで正しいんです、倫太郎さんと私は普通の人間の輪から外れているんですよ?そんな存在を許すほどこの世界は甘くないと思います。

もし、仮に倫太郎さんがあの日、タイムマシンオフ会の晩、私を捕まえることなく私が一人で故障していないタイムマシンで帰ったとしても私は2000年に何かしらで死んでいるでしょうね」

 

俺は鈴羽の淀みない口調に下を向く。

 

駄目じゃないか。

 

結局は世界に負ける。

 

「でもですね。逆に考えると私は2000年までは生きていたんですよ?いつ死んだかは分かりませんがそれでも生きていました」

 

「何が言いたいんだ…?」

 

鈴羽の言いたいことの真意は掴めなかった。

 

「いえ、気にしないでいいです」

 

今はね。

 

鈴羽はそう言うと、また表情を険しくする。

 

「それより、今はSERNをどうするかです」

 

俺はその単語を聞いてハッと現実に引き戻される。

 

「そうだ。鈴って――」

 

「父さんのように完璧に扱えるわけじゃありませんけどね」

 

鈴羽は肩を竦めた。

 

父さん。

 

その言葉を聞いてダルを思い出す。

 

2010年の俺の相棒であり、SERNにハッキングをしたスーパーハッカーだ。

 

そして、鈴羽の父親。

 

鈴羽が自らの父親の話を出したことで記憶がよみがえったことを改めて実感した。

 

「まぁ、ここじゃ当然出来ませんが、ある程度しっかりした所ならば或いは……」

 

自信なさげに鈴羽は呟く。

 

「それに多分英語だから平気ですけど、万が一フランス語で何か重要なことが書かれていた場合読みとれませんよ?」

 

「そのことに関しては心配ないだろう?」

 

俺の笑みから悟ったのかなるほど。そう鈴羽は笑った。

 

「店長、いえ、天王寺さんを使うというわけですか」

 

「MRブラウンも翻訳する程度なら受け入れてくれるだろうさ」

 

だといいですね。

 

鈴羽も平気だろうと思っているのか笑顔で答える。

 

「それより倫太郎さん」

 

鈴羽はそう言うと俺の肩に顔を置いた。

 

必然的に抱き合う形になる。

 

突然の事態に俺は無様に戸惑う。

 

「え……あ?鈴?」

 

「いえ、気にしないで下さい」

 

 

――ただいま。岡部倫太郎。そして、これからもよろしくお願いしますね倫太郎さん。

 

 

「あぁ。これからもよろしく頼む」

 

俺は鈴羽を強く抱きしめた。

 

この感触を忘れないように。




そう言えば、これは40話で終わるんで、あと十話くらいですね。


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エシュロン

俺は一緒にMRブラウンの家を訪ねることにした。

 

尋ねると言っても隣の家なのでそう時間はかからない。

 

インターフォンを押すとドアから大男がひょっこりと顔を出した。

 

「あぁ、岡部さんすか。どうしました?」

 

「す、少しいいか?」

 

「はい。言いですけど。俺の部屋余り綺麗じゃないですよ」

 

それでもいい。

 

俺がそう言うとMRブラウンは俺を部屋に招き入れた。

 

部屋げ汚いというのはどうやら謙遜だったらしく、見た所散らかっている様子もなかった。

 

「綺麗だな」

 

「物がないだけですよ」

 

MRブラウンはそう言うと居間の真ん中に鎮座していたテーブルを挟んで俺の向かい側に座った。

 

「それで、話したいことって?」

 

「あぁ、それなんだがな……その天王寺はSERNって知ってるか?」

 

「SERN?えーと詳しく知らないですけど、フランスにいた時に聞いたことはある程度ですね」

 

「……」

 

どうも敬語を使われるのはまだむず痒い。

 

「あの、天王寺。もう少し砕けた言い方でもいいぞ?」

 

「そうすか?」

 

「いきなり砕けたな……」

 

「いいじゃないすか」

 

「まぁ、いいが。それでSERNは名前を聞いたことがあるだけなのか?」

 

「何か聞きたいことがあるならはっきり言いましょうよ」

 

「そうだな。SERNがどんなことを研究してるまでは知らないのだな?」

 

MRブラウンは頷いた。

 

俺は少し考える。

 

この何も知らないMRブラウンを俺達のいざこざに巻き込んでいいのだろうか。

 

2010年の時のことを考えるとより頼みづらい。

 

「何考えてんすか?」

 

「少しな……」

 

俺の考えを察したのかMRブラウンは目を細めた。

 

「なんか悩み事があるから俺の所に来たんすよね?俺ははっきり言ってあの時岡部さん達に助けられなかったら人生が終わっていたかもしれねぇんすよ。今度はこちらが助ける番すよ」

 

自分で言っていて少し恥ずかしくなったのか照れたようにMRブラウンは目を遠くへやった。

 

「俺にしか出来ないことがあるから来たんすよね?そしたら岡部さんはただ頼むって言ってくれればそれでいいんすよ」

 

俺はMRブラウンの言葉を聞いて口をつぐむ。

 

1975年に戻ってきた時俺が頑張らなければならない。

 

未来を知っている俺だけ頑張ればいいと。

 

しかし、俺一人が頑張って何か出来ただろうか。

 

ただただ現実に打ちのめされその度に俺は何も出来ないと打ちひしがれていただけではなかったか。

 

2010年に俺が頭に描いていたような、厨二病もいいところの何でも一人で解決出来る、または俺一人さえいれば世界を変容することが出来る

 

そう、鳳凰院凶真のような存在ではなかったのだ。

 

知っていた。

 

そんなことは知っていた。

 

認めたくなかっただけで。

 

自分が他人と変わらないただの人間であるということを。

 

「……天王寺さん。いや、話を聞いてくれないか。MRブラウン」

 

「は?俺はMRブラウンなんて名前じゃねぇっすよ。けどま、話は聞きますよ」

 

俺は生唾をゴクリと飲み込む。

 

覚悟は決めた。

 

自分で一人では何もできない。

 

ならば誰かを頼るだけだ。

 

思えば2010年も俺は人に恵まれていた。

 

「実はな……」

 

俺は秋葉以来初めてこの時代の人間に真実を話した。

 

「凄いすね……」

 

俺の話を聞いた後しばらく黙ったのちMRブラウンはようやく口を開いた。

 

「話を聞いた限りがとてもじゃないですけど信じられないんすよ。本当に二人は未来から来たんすか?あの映画みたに車に乗って?」

 

「いや、車には乗ってないが、未来から来たのは事実だ」

 

そう言うとMRブラウンはまた押し黙る。

 

「全てを聞いた上でもう一度聞きたい。俺達を助けてくれるか?」

 

MRブラウンは俺の問いに首を縦に振った。

 

「例え今の話を聞いたとしても俺の気持ちは変わりませんよ」

 

その言葉を聞くとMRブラウンの顔を見て力強く頷いた。

 

MRブラウンとの話が終わり彼の部屋から出ると俺は携帯を取り出して、慣れ親しんだ番号を押す。

 

数秒の電子音の後相手が電話口に出る。

 

『はい。秋葉』

 

『岡部だ』

 

『なんだ?どうした』

 

『一つ頼みがある』

 

俺の言葉にただならぬ雰囲気を感じたのか秋葉の声が低くなった。

 

『何かあったのか?』

 

『まぁ、過去の清算をしなければならなくてな』

 

『過去の清算?あぁ、そういうことか』

 

秋葉は何かを悟ったようにそう言うとそこから言葉を続けることはなく、俺の言葉を待っていた。

 

『もし、もし俺達に何かあったら』

 

『断る』

 

秋葉は俺の言葉が終わる前にそう言い捨てた。

 

『悲劇の主人公を演ずるつもりなら他を当たれ』

 

『……そうだな』

 

もう二十年来の秋葉の言葉が胸に染みる。

 

『それで、なにが言いたかったんだ?』

 

『いや、来年辺り皆で旅行に行かないか?』

 

そう言うと、秋葉の声がふと優しくなったように感じた。

 

『それはいいな。計画は任せた』

 

『あぁ』

 

ザッ、ザッー。

 

向こうがトンネルにでも入ったのか電話が通じづらくなってきた。

 

『そ……か、…な…よ』

 

そうノイズが混じった声が聞こえて通話が切れた。

 

また、無機質なノイズが耳の中に響く。

 

俺は携帯の画面を見つめる。

 

最後の言葉は聞こえなくても理解していた。

 

「安心してくれ。まだ死ぬつもりはないよ」

 

誰に言うのでもそう言うと俺は自宅に戻った。

 

「随分遅かったですね」

 

俺が自宅に帰ると鈴羽はそう言った。

 

丁度鈴太郎と遊んでいたようで何か戦隊物の真似事をやっていた。

 

俺の顔を見て話が上手くいったと見たのか鈴羽の顔が綻ぶ。

 

鈴太郎が疲れてきたのか眠そうに眼をこする。

 

「どうした?遊んで眠いのか?」

 

鈴太郎は首を横に振る。

 

「そと、いきたい」

 

鈴太郎がそう言うので久々に俺と鈴太郎の二人で公園に行った。

 

この時代の公園は遊具が色々あって童心を思い出す。

 

「ほら、行くぞー」

 

俺は軽くサッカーボールを転がす。

 

鈴羽に似たのか運動神経が良く、拙いながらもボールを受け止めて蹴り返す。

 

「おお、上手いな」

 

そうして暫く、何も考えることなく公園で汗をかいた。

 

俺達が家に帰ると鈴羽が机に突っ伏して寝ていた。

 

スースーと規則正しい寝息を立てていた。

 

長い睫毛が綺麗だ。

 

「鈴太郎、お母さん寝ちゃったから静かにしてような」

 

俺がそう言うと鈴太郎はコクリと頷いてテレビを点けた。

 

丁度いつも見ているアニメが始まる時間だったらしく鈴太郎はテレビの画面に釘付けになっていた。

 

この時代のアニメは俺も子供の頃に見ていたものと同じなので鈴太郎と話が通じるというのが何とも奇妙だ。

 

そろそろ日が傾いてきて西日が部屋に入ってくる頃に鈴羽は目が覚めた。

 

「んぁ……すみません。寝てました」

 

変な態勢で寝ていたせいか体が凝っていたらしく首や腰をポキポキ鳴らしていた。

 

「すぐにご飯を作りますからね」

 

そこからテキパキと夕食を作り始めた。

 

 

「どうも」

夕食を終え、鈴太郎が寝始めた頃、鈴羽はようやく家事が一段落したようで席に着く。

 

まるでその頃を見計らったかのようドアがノックされた。

 

ドアを開けると先程呼んでおいたMRブラウンそこにはいた。

 

「こんな時間にどうされました?」

 

「あぁ、俺が呼んでおいたんだよ」

 

MRブラウンを部屋に入れると俺達は三人で机を囲むように座る。

 

「彼は全部知っている」

 

俺は開口一番にそう言った。

 

鈴羽はその言葉で理解したようで相好を崩す。

 

「そうですか」

 

「まだ信じられませんけどね」

 

MRブラウンは笑顔で頭を掻く。

 

俺は二人に向かって話始めた。

 

「まず、当面の目標はSERNを倒すことではなく、SERNから俺達の存在を消せばいい。それか、俺達がSERNに役立たない人間だと認識させるかだ」

 

二人は揃って頷く。

 

「夢物語と言うか本当に夢の中の出来事なんだが……SERNにアクセスしてエシュロンから、俺達の存在を消す」

 

エシュロンなどと聞きなれない単語が俺の口から飛び出したせいか二人は不思議そうに首を傾げる。

 

「エシュロンってのは単純に言うと時空を超えたとかそういう類のものを世界中から傍受をしている機関のようなものだと考えてくれ。

そこから消せばSERNには俺達の存在は感知出来なくなる」

 

「潰さなくていいんすか?」

 

「流石にそこまでは出来ない。それに俺達がいた2010年にはSERNは独学ではタイムマシンが作られていなかった。そこまで俺達が関与出来ない」

 

「しかし、それをどこでやるんですか?生憎ここにはそういう設備もありませんし、ここには鈴太郎がいますから……」

 

鈴羽は言いづらそうにそう言った。

 

母親としてここは使いたくないが、ならばどこでやるのかという矛盾に縛られているのだろう。

 

実はそれが問題なのだ。

 

場所がない。

 

秋葉の会社は設備こそあるがバレたら秋葉に迷惑がかかる。

 

秋葉は俺が頼んだら恐らく使わせてくれるだろうが、それはダメだ。

 

「そういうことをする場所がないんすか?」

 

俺と鈴羽は頷く。

 

「俺の知り合いって言うか微妙な人が持ってる建物がここら辺にあるんすけど、そこでいいですか?」

 

「あるのか……?」

 

俺の言葉にMRブラウンは首を縦に振る。

 

「まぁ、何もない場所ですけどね。とりあえず、パソコンが一個置ければ問題ないっすよね」

 

「あぁ」

 

「なら、明日にでも知り合いに話付けますんで、明日見に行きましょうか」

 

MRブラウンの提案に俺達は頷いて、明日その場所に行くということで今日の所は解散した。

 

風呂に入り、床に就く時俺はMRブラウンが言うその建物が分かっていた気がした。

 

昔の情景がありありと思い出される。

 

あの二階建ての建物。

 

「なぁ、鈴……」

 

「はい?」

 

「MRブラウンが言った建物って……」

 

「ふふ。私と同じこと考えていたみたいですね」

 

予測が正しいといいですね。

 

鈴羽はそう言って布団の中に潜る。

 

「……未来ガジェット研究所」

 

俺は、懐かしの名前を呟く。

 

かつての風景を思い出しながら。



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偽善のヒーロー

「着きましたっす」

 

俺達はMrブラウンの案内で連れていかれた建物を見上げた。

 

昨日の晩もしかしたらと予想していたが、2010年の頃の未来ガジェット研究所と寸分違わない建物というわけではなかった。

 

二階建てではあり、その他の共通点も見られるものの完全に一致というところまで達していない。

 

逆にその建物を俺は安心する。

 

この世界線は、物語を最初から読み直すように、ただ世界線をなぞるように進んできているわけではないという事実をより確信させるものだからだ。

 

「倫太郎さん。ここはあそこじゃないね」

 

鈴羽は懐かしのあの場所を予想してきたのだろうか。

 

心なしか少し肩を落としてその建物を見ている。

 

「なんすか?」

 

対照的な二人の姿を見てMrブラウンは少し呆れているようだった。

 

「い、いやなんでもない」

 

俺の言葉にMrブラウンは気にする必要はないと感じたのかそのまま歩を進めて鍵を開けた。

 

長い間使われていなかったせいか扉を開ける際に蝶番がギィと嫌な音を立てる。

 

使われていない建物特有のホコリの匂いが鼻をつく。

 

内装は使われていないせいでホコリが積もっているが、どこか壊れていたりしているわけでもなさそうなので一安心する。

 

「こんな場所でいいんすか?」

 

Mrブラウンの言葉に俺は頷く。

 

ここで十全だ。

 

鈴太郎を巻き込まないだけでも御の字なのにここまでの場所を用意してもらえるとは上手くいきすぎて怖いくらいだ。

 

しかし、俺に慢心は無かった。

 

2010年に嫌というほど味わった神様の厭らしさを忘れてはいなかった。

 

神は一度幸福を見せてから絶望に落としたがるらしい。

 

加えて今回はやり直しというのは出来ない。

 

間違えた選択肢を選んでしまったので任意の場所からやり直すという芸当は出来ない。

 

神との一本勝負。

 

勝率は1%にも満たない。

 

零と一の境界線。

 

「まぁ、掃除から始めましょうか」

 

私は鈴太郎の面倒見てきます。

 

鈴羽はそう言うと足早にここを後にした。

 

「さて、やるか」

 

「俺もっすか?」

 

「肉体労働は専門だろ?」

 

「人を見た目で判断しないでください……実は頭脳派なんすよ」

 

Mrブラウンのおどけた様子に俺の顔にも笑みが広がる。

 

二人で掃除を始めることにした。

 

ゲン担ぎではないが最初に二階から掃除することにした。

 

窓を開けると鬱蒼としていた空気が開け放たれた窓から一斉に飛び出した。

 

雑巾の拭き掃除に始まり、箒で掃き掃除、それから一通りのことを終えると丁度昼頃になっていた。

 

「やっと終わりましたね」

 

「そうだな。ありがとう」

 

「礼なんていいっすよ。建物は使ってナンボですからね。それに恩義には報いますって」

 

「そうか……」

 

俺達が話していると開け放っていた扉の向こうからヒョイと鈴羽が顔を出した。

 

「すみません。鈴太郎が寝てしまって……あ、お昼作ってきました」

 

鈴羽は手に持っている籠を俺達に見せた。

 

「お、本当っすか。腹減った所なんすよ」

 

Mrブラウンは嬉しそうに手を叩く。

 

鈴羽は取り敢えず作ってきた弁当を拭いたばかりの机に上に置いた。

 

おにぎりから始まり簡単に作れるおかずが数点並んでいた。

 

「いただきます」

 

Mrブラウンは丁寧にお辞儀をすると勢いよく食べ始めた。

 

まぁ、掃除をしたことに加えて食べ盛りの年齢だから無理もない。

 

「いや、本当に美味しいっすね。岡部さんもマジでいい奥さんを貰ったもんすよ」

 

「褒めすぎだよ。店ちょ……天王寺さん」

 

そう言う鈴羽の顔はどこか赤い。

 

「いや、俺もこんな奥さん欲しいなぁ」

 

「あげないぞ?」

 

「いや、今ですね。少しいいなって思う子がいましてね……」

 

頭を掻きながらMrブラウンは照れくさそうに話す。

 

「まぁ、一目惚れってやつですね。見た目に似合わずピュアなんすよ。俺」

 

「本当に似合わないな」

 

俺がそう言うと、Mrブラウンは苦笑する。

 

「まぁ、その人は今彼氏はいないらしいんで狙い目って言ったら狙い目なんですけどね」

 

そこで言葉を区切るとMrブラウンは鈴羽の方をチラリと一瞥した。

 

「なんとなく雰囲気が鈴さんに似てるんすよ。別に外見がどうとかでなくなんて言うんですかね……雰囲

気?」

 

「自分が殴った相手と似ている人を好きになるって変わってますね」

 

鈴羽が皮肉めいた口調で呟くと、Mrブラウンは笑った。

 

「あれは、仕方ないじゃないっすか。初対面にしては強烈でしたけど」

 

鈴羽はぺこりと頭を下げた。

 

「ま。二人を見ていて決心がつきました。明日告白でもしてきます」

 

「そうか。何もアドバイス出来なくてスマンな」

 

「いいっすよ。岡部さんから最初からアドバイスを貰えるなんて思ってないですから」

 

冗談とも本気と取れる口調に今度は俺の笑いが引きつっていた。

 

 

昼食を食べ終わると、俺は秋葉の会社に向かった。

 

鈴羽は家に帰り、Mrブラウンは仕事があるらしく三人は別々の方向へ向かった。

 

一応ここの社員となっているので、まっすぐと社長室に向かうことにした。

 

アポは取ってないがこの時間は確か空いていたはずだ。

 

「秋葉社長はいますか?」

 

社長室の前にいる復帰したばかりの渡井さんがその言葉に顔をあげた。

 

「あら、岡部くん。秋葉に何か用?」

 

「ええ、まぁ」

 

「今ならいるわよ」

 

渡井さんはそう言う扉をノックして俺が来た旨を伝える。

 

「入ってくれってさ」

 

俺は渡井さんに向かって一礼すると社長室に入った。

 

秋葉は書類を難しい顔をしながら判子を押している。

 

「よう。どうした。岡部がこの部屋にわざわざくるなんてさ」

 

「少し頼みたいことがある……」

 

「ふむ。聞こうか」

 

そう言うと秋葉は、今見ていた書類を脇に置いた。

 

俺はこれからすることを秋葉に話した。

 

俺の言葉を聞いてから秋葉は少し考えるように目を閉じていた。

 

「勝算はあるのか?」

 

「勝算?」

 

「言い方が悪かったか。生きてかえってこれるか?」

 

「まぁな。出来ないとは言わない」

 

秋葉は俺の答えに満足した様子ではなかった。

 

「しかし……まぁ、お前が欲しがったIBNはそういう理由があったんだな」

 

「言ってなかったか?」

 

「忘れた」

 

秋葉はおどけるように肩をすくめる。

 

「何を言っても聞かなさそうだな。全部ことが終わったら倍は仕事をしろよ」

 

「あぁ」

 

なら好きにしろ。

 

そう呟くと秋葉は書類に目を落とし始めた。

 

俺は一礼をして社長室をあとにする。

 

扉を開けると、渡井さんが耳を澄ませていた。

 

「なにしてるんですか?」

 

「え?ほら、なんというか気になるじゃん」

 

あはは、と笑顔で渡井さんは誤魔化していた。

 

気恥ずかしさか顔に朱が差している。

 

「それで、どうするの?」

 

「何がですか?」

 

「とぼけないでよ。何かやろうとしてるでしょ?」

 

「そうですね……」

 

少し地球の未来の為にでも戦います。

 

その言葉をどう受け取ったかは分からないが、渡井さんはフッと微笑んだ。

 

「そう。なら頑張ってよ。るかもそっちの子も小さいんだから」

 

そうですね。

 

そう答えて俺は会社を後にする。

 

「……地球の未来の為か」

 

家に戻る道中自分の言ったセリフを思い出していた。

 

我ながら薄ら寒いような台詞だ。

 

これでは、まだ厨二病と誰かに言われてもしょうがない。

 

地球の未来を救うなんて大それたことをしようなんて思ってない。

 

子供の未来を守るなんてかっこいいことを言えるわけでもない。

 

 

一つの命を救うのは無限の未来を救うこと。

 

 

昔親に連れていって貰った遊園地のヒーローショーで俺が言われた言葉。

 

あれから暫くしてテレビの中にいるような悪役はいないことに気がついた。

 

けれどヒーローもいなかった。

 

当然この世界にもヒーローなんて無償で命を張ってくれるお人よしなんかいない。

 

そもそもSERNと対峙しようがしまいがほとんどの人には関係ない。

 

赤の他人から見たらただのエゴだ。

 

偽善でもいい。

 

だから少しでもヒーローの真似事でもしようかと思う。



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勝利の時は来た

「倫太郎さんいいですか?」

 

鈴羽の言葉に俺は頷く。

 

時刻は昼を過ぎ暖かい日差しが部屋を照らす。

 

俺とMRブラウンが部屋を掃除した翌日鈴羽も新未来ガジェット研究所(仮)に来ていた。

 

鈴太郎はどうやらフェイリスとルカ子が遊ぶらしいので預けてきたらしい。

 

鈴羽は誰かに預けるのはあまり気が進んでいないようだったが、これから俺達がやろうとしていることに巻き込みたくないらしく今日は預けてきていた。

 

ちなみに今この場にいるのは俺と鈴羽だけでMrブラウンはいなかった。

 

一応ここに来る前にインターフォンを鳴らしておいたのだが反応がなかった。

 

一目惚れした彼女に告白すると言っていたから成功しても失敗しても夜遅くまで起きていたのだろう。

 

念のためMrブラウンの固定電話の方にメッセージを残しておいたので万が一来るとしても問題はない。

 

秋葉の許可を得た俺は午前中にこの部屋でインターネットを使えるように色々弄っていたのだ。

 

この部屋にある電話線だけでは恐らくフランスのSERNにアクセスするまで相当時間がかかってしまうので秋葉の会社を経由させてもらうことにした。

 

「秋葉さんに迷惑はかけられませんからね。ちゃんと特定出来ないように頑張りますよ」

 

俺が秋葉の会社の回線を経由すると鈴羽に言った時に鈴羽そう言って笑みを浮かべた。

 

記憶を取り戻した鈴羽はまさに2010年の俺の右腕であったパソコンの申し子スーパーハッカー橋田至の娘だった。

 

先程からIBN5100を直接操作出来るように設定をしているらしいが、俺には全く分からない芸当だった。

 

俺もダル程ではないがパソコンにはそれなりに詳しいはずなのだが全く何をしているのか分からない。

 

「しっかし、この時代のパソコンは遅いね。これが終わったら改造して滅茶苦茶速くしていいかな。岡部倫た……倫太郎さん」

 

「やはり、お前は鈴羽だな」

 

「たまに昔の言葉遣いに戻っちゃうんですよ。もう若くないのに」

 

あはは。そう言って笑う鈴羽はどこか昔の面影があった。

 

「あぁ、安心して下さいよ。どっちの私もその……ですから」

 

「ん?なんだって?」

 

「だから、私もあたしも岡部さんのことは好きなんですから気にしてないで下さいって言ったんです」

 

二度も言わせるあたり意外にサディストですね岡部さん。

 

鈴羽は自分で言っていて気恥ずかしくなったのかIBNの前に向き直ってカタカタと無機質な音を奏でながらキーボードを叩く。

 

どうやら俺が出来ることはなさそうだ。

 

せめて何か飲み物でも買ってこよう。そう考えて俺はそっと部屋を出る。

 

「……ん?」

 

俺が二人分のペットボトルを自販機で買っていると大音量で携帯が鳴った。

 

この時代の携帯の着信音はとにかく大きい。

 

俺は周りに迷惑がかかってないか確認して通話ボタンを押す。

 

『もしもし岡部だが』

 

『あ、岡部さんっすか。俺です。天王寺です』

 

どうやら電話主はMRブラウンだったらしい。

 

今起きて留守電でも確認したのだろうか。

 

『なんだ留守電でも確認したのか?』

 

『へ?そんなもん入れてたんですか。確認してないっすよ』

 

『そうか。まぁ、いい。それでどうしたんだ?』

 

『そうそう。聞いて下さいよ。昨日その…一目惚れした子に告白したんですよ』

 

『その口ぶりからすると成功したらしいな』

 

『なんすか。リアクション薄いですね。まぁ、そうなんですよ』

 

『分かった分かった。後で聞いてやるから今出れるか?』

 

俺とMrブラウンは数語交わすと電話を切った。

 

数分で準備してくるそうだ。

 

流石に鈴羽の準備が全て終わってもフランス語が読めない以上そこから進まないのは自明の理だ。

 

 

「それで、買ってきたのはドクペなんですね」

 

「いいじゃないか。選ばれし者の知的飲料なのだ」

 

「そうですか……私はコーラとかの方が好きなんですけどね」

 

俺が買った二人分のドクターペッパーを見て呆れた様な表情を浮かべた。

 

2010年でもそうだったのだが基本的に皆この知的飲料の素晴らしさを理解してくれない。

 

最近はもう俺の味覚がおかしいんじゃないかと真剣に悩んでいるところだ。

 

鈴羽の方はとりあえずIBNを操作出来るように設定は終わったらしく後はMrブラウンが来るのを待つだけになっていた。

 

「しかし、店長も凄いね。一目惚れした子にすぐに告白するなんてさ。倫太郎さんはどのくらいかかりましたっけ?」

 

「言うな……」

 

十年間待たせたことは今でもたまに負い目に感じることがある。

 

本当に十年間一途でいてくれたことに感謝したい。

 

「本当にありがとな鈴……」

 

「倫太郎さん……」

 

「あー、いいっすか」

 

その声に俺と鈴羽はドアの方を振り向く。

 

そこには気不味そうに頭を掻いてどこか遠くを見ていたMrブラウンがいた。

 

流石にドアを開けたらいきなりラブコメのような展開が繰り広げられているとは思っていなかったようだ。

 

「は、早かったな」

 

「い、いえ、まぁ俺がいなくちゃ進まないだろうし……暫く外に出てましょうか?」

 

「そんな気遣いはいい」

 

俺はその場の微妙な雰囲気を正すためにコホンと咳を一つした。

 

Mrブラウンが来たということでようやく話が先に進みそうだ。

 

「さて、これっすね」

 

パソコンに表示されている画面を覗きこんだ。

 

2010年時点では英語表記にされていたのだが、この時代ではまだフランス語表記のままだった。

 

Mrブラウンは鈴羽に時々パソコンの操作方法を聞きながらポチポチとキーボードを押している。

 

「えーとここをこうして、こうやって……」

 

鈴羽の説明を受けて操作をするMrブラウンの姿はどうもパソコン教室に通っている人そのものなのだ。

 

それにSERNとの闘いの全てを賭けていると考えるとどうも少し不安になる。

 

闘いなどと大それたことを言っているがどうすればいいのか見当もついていないのだが。

 

「ふむふむ。なるほど。そういうことか」

 

画面を見ながらMrブラウンは一人で頷く。

 

「何か出来たのか」

 

俺の質問にMrブラウンはそっとパソコンの前の席を開けた。

 

「どうやらここにタイムマシンに関するあらゆるデータがしまわれているらしいっす」

 

「勿論倫太郎さんの論文のデータや個人情報も含まれています」

 

俺は頷く。

 

その様子を見て鈴羽は言葉を続けた。

 

「そもそもこの画面自体普通のパソコンじゃ見ることが出来ず、昔のパソコン言語を使用しているIBN5100を介してしか見れないのは知ってますよね。

私は現在SERNのコンピュータにハッキングをしています。幸いにしてまだSERNは私達がそのIBN5100を持っていることを知らないでしょう。だからですね――」

 

鈴羽はそこで画面の中を指差す。

 

覗きこんでみると何やら文章が羅列した後に『OK?』という文字が浮かんでいた。

 

「ここでEnterを押すと私達に関する記録が全て無くなります」

 

「ふむ。しかし、住所など割れているのではないのか?」

 

俺の疑問に得意気な笑みで鈴羽は笑った。

 

その笑みはまるで新しい未来ガジェットの機能を得意気に説明するダルのようだった。

 

「平気です。そこらへんは抜かりなく。住所を変更しておきました。私達が海外の住所が分からないように向こうも日本の複雑な地名なんて分かりませんから」

 

自信満々にそう言う鈴羽の言葉を聞いて俺はチラリとMrブラウンの方を向いた。

 

俺の視線に気づいたのかMrブラウンは少し考えるように顎に手をやった。

 

「まぁ、流石に分からないでしょうね。全く音沙汰がなければ住所を間違えたという可能性を考えてもう一度参照した結果間違えていたことに気づいて……そうなればいいですけどね。難しいことは専門外なんでよく分からないんすけど、

とりあえず岡部さん達が向こうにとって必要不可欠な存在でなくなればいいんですから問題ないんじゃないんですか?」

 

「それもそうか……」

 

俺は一抹の不安を感じながらも頷いた。

 

「さぁ、岡部さんそのEnterを押す権利は岡部さんにありますよ。思えばSERNに勝つためにこの時代にやってきたと言っても過言ではないですからね」

 

「そんなかっこいい理由ではないがな」

 

そんな理由で時空を跳ぶなんて覚悟を決められるものか。

 

正義の味方なんてものは酷く恣意的で自分本位なのだ。

 

全ては鈴羽のために決まっている。

 

「一発格好いいの頼みます」

 

Mrブラウンもそう言って横に逸れる。

 

俺はその画面を見つめた。

 

俺には理解出来ない単語の数々。

 

高々齢19の俺達が関わっていいものではなかったのは分かっている。

 

『久々に童心に帰ってもいいのではないのか?』

 

俺の頭の中でそんな声が木霊する。

 

その声の主は間違いなく俺だ。

 

鳳凰院凶真だ。

 

流石は鳳凰の名を冠す者だ。死ぬことはなく俺の中で生きていた。

「――勝利の時は来た!」

 

――全ての仲間に感謝を。

 

果てなき遠き未来で助けてくれたダル、まゆり、そしてこの紅莉栖よ。

 

お前達がいなければ俺はただの学生に過ぎなかった。

 

強大すぎる現実に簡単に膝を折っていただろう。

 

ただ流されるまま最悪の災厄を享受したことだろう。

 

この世界では幸いなことに紅莉栖は平和に暮らしている。あとの二人の未来にも幸あらんことを。

 

そして、時空を超えて、あらゆるものを超越して因果の輪から外れた存在になってまで俺を思ってくれた鈴羽。

 

立場は違えど、この時代でも助けてくれたMrブラウンにはいくら感謝の言葉を尽くしても言い足りないだろう。

 

不意に目頭が熱くなる。

 

「この俺、鳳凰院凶真はここにSERNとの闘いの執着を宣言する」

 

これで終わる。

 

「全ては……運命石の選択なり――!」

 

カチッ。

 

無機質な音が部屋に響く。

 

画面の中の世界はその音に呼応するかのごとく音もなく冷静に組まれたプログラム通りに行動を進める。

 

「――ッ!」

 

俺はまるで頭が割れるかのような錯覚に陥り思わず頭を押さえた。

 

この感覚は久しく味わっていなかったが紛れもなくRSの痛みだった。

 

しかし、余りにも一瞬の出来事だったので世界線がどう変動したかを理解することは叶わなかった。

 

確実に俺達は世界線をずらしているのは事実だった。

 

それも世界が望まぬ方向に。

 

鈴羽とMrブラウンが喜ぶのを尻目に俺は椅子から腰を上げて窓の外に顔を出した。

 

気が付けば太陽も少し西側に下がり始め部屋に入る光の量も増えていた。

 

俺は徐に太陽に手を伸ばした。

 

手のひらの隙間から太陽の光が漏れた。

 

俺はその様子に言いようのない違和感を感じた。

 

普通手のひらを太陽に翳した状態で光が手のひらを透過してくるものだろうか。

 

俺はハッとして手のひらを自らの目の前に持ってくる。

 

予想が当たらないように祈りながら。

 

「まるで、ゲルバナだな」

 

俺は自嘲的に呟く。

 

その手はまるで電話レンジでゲル状にされてしまったバナナのようになっていた。

 

そろそろ世界に逆らったツケが体を蝕む頃かもしれない。

 

2000年までそう時間が残されているわけではない。

 

そろそろ自分の未来について決着をつけねばならないようだ。

 




毎度読んでいただきありがとうございます。


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花見

駄目だ。駄目だ。駄目だ。

 

俺は持ったペンを脇に置くと机の上に置いてあった紙をグチャグチャにして投げ捨てた。

 

こうして何枚紙を投げ捨てただろうか。

 

きっと二ケタでは足りないだろう。

 

SERNは俺が勝利宣言をしたあの日から音沙汰は無かった。

 

ニュースを見てみてもSERNが何らかの実験に成功したという話は聞かなかった。

 

完全勝利というには程遠かったが、一応俺達はSERNに勝利したのだ。

 

しかし、現実とは空想の世界と違い、一つの壁を乗り越えたらめでたくハッピーエンドが待っているわけではなかった。

 

神の論理に逆らった代償として俺の体に起きたフラクタル現象。

 

最初は一瞬だったが、最近は徐々にその時間が延び始めている気がする。

 

それもそのはずだ。

 

俺はおもむろにテレビを点けた。

 

偶然やっていたニュースでは2000年問題について深刻に議論されていた。

 

2000年問題。

 

俺がいた世界線では偶然起きなかったがこの世界で起きないとは限らなかった。

 

ニュースは他の内容をやる様子ではなかったので俺はチャンネルを変えた。

 

そのチャンネルでは、ノストラダムスの予言は当たるのか。そんな内容の番組が放送されていた。

 

もう分かっただろうか。

 

現在は1999年だ。

 

俺はこれまで世界線を変える方法を模索していたが、特に革新的な案が思い浮かばずとうとう2000年間近まで来てしまったのだ。

 

鈴羽は教授としてそれなりの地位を確立し、秋葉の会社の経営も順調だ。

 

中鉢もとい牧瀬も大学時代に話した通り物理学の研究者となり、突飛な意見を学会で発表していたのは記憶に新しい。

 

一方の俺はと言うと未だに秋葉の会社の一室で相談役と言う地位に甘んじている。

 

渡井さんも秘書として健在だ。

 

俺達の子供たちも特に大きな怪我もなく皆仲よく育っていた。

 

ルカ子と会うことは少ないのだが、紅莉栖やフェイリスとは会うことが多かった。

 

と言うのも何故だか知らないのだが、俺と紅莉栖の母親がやけに仲良くなってしまったからだ。

 

紅莉栖の母親が開口一番に、俺に仕事をしているのか?と聞いてきたことは生涯忘れないだろう。

 

「なんだか最近、主夫みたいですねぇ」

 

いつの日だったか鈴羽もそう感じたようで、仕事に出かける前に俺にそんなことを言ってきた。

 

反論出来ないところが哀しい所である。

 

事実最近、子育てというものに目覚めてきた節がある。

 

早く世界線を変動させる方法を考えなければ、ここにいる全員が不幸になる結末が待っているに違いない。

 

そんなことは分かっている。

 

けれど、心のどこかでそんなことは無理だと思っていたのかもしれない。

 

その現実に向き合いたくなくて子育てに没頭していたのかもしれない。

 

もうロスタイムに入ってしまった。

 

これ以上の猶予は望めない。

 

けれどもそんな簡単にいい案が浮かぶはずがなかった。

 

元々電話レンジだって俺一人で完成させたわけではないのだ。

 

三人でようやく完成させた偶然の産物なのだ。

 

一人だけでは半人前にも満たないのは当たり前だった。

 

「あまり根詰め過ぎないで下さいね」

 

鈴羽がポンと俺の肩を叩く。

 

俺はその言葉で現実に帰ってきた。

 

今日は久々に鈴羽や秋葉と一緒に家族ぐるみで遊ぶ予定なのだ。

 

花見をするなんていつぶりだろうか。

 

こっちに来てからもしていないし、当然前の世界線でも記憶になかった。

 

秋葉に聞いた話だと、最近いつも考え事をしている俺に気分転換させる為に催したらしい。

 

確かにいきなり花見に行きましょうと言われた時は少々驚いた。

 

折角鈴羽が気を回してくれたのに俺はどうやらいらないことを考えていたようだ。

 

秋葉達と近くの公園で落ちあった後、俺達は桜が良く見える場所を確保して一息吐く。

 

「どうした。岡部倫太郎。随分と大人しいじゃないか」

 

鳳凰院凶真は卒業したのか?

 

秋葉そんなことを尋ねてきた。

 

「いや、流石にもう子供がいるし目の前ではやれないな。そう言う秋葉こそ大人しいな」

 

「流石にそろそろ馬鹿をやる年じゃないからな」

 

「それはお互い様だ」

 

俺は秋葉のコップに酒を注いだ。

 

悪い。

 

秋葉は一礼すると継がれた日本酒を一気に煽った。

 

「俺達二人は花より団子だよな」

 

見ると、留美穂と鈴太郎達は桜などには目もくれず遊びまわっていた。

 

まともに花を見て和んでいるのは鈴羽と秋葉の奥さん位だろう。

 

「全くだ。こんな時しか楽しく酒を飲める機会がないからな。会社は大きくなったがそれに反比例して楽しいと思える時間は減っていた」

 

「社長の辛いところだな」

 

「まぁ、家に帰ってくるといつも留美穂に『パパお仕事お疲れ様。パパお仕事頑張っててカッコイイ』って言われると疲れなんかは吹っ飛ぶがな」

 

「親バカだな。俺の所はそんなこと言ってくれないぞ」

 

「そりゃ、お前男の子はそんなこと言わないだろ」

 

「いや、それがな鈴羽が帰ってくると『ママ。お仕事お疲れ様』って言ってるんだ」

 

「そいつは……」

 

「俺も本当は仕事してるんだがなぁ……」

 

俺の呟きに秋葉何も言わず俺のコップに日本酒を注いだ。

 

「今日はそんなこと忘れろ」

 

「そうだな」

 

全く慰めにもなってないのだが、久々に酒の勢いでも借りるとでもしよう。

 

 

「――我が名はっ、鳳凰院凶真。混沌を愛す狂気のマッドサイエンティストだ」

 

俺の高笑いが公園に響いた。

 

そこまで酔っ払ってはいないとは言え最近の色々なことでストレスが溜まっていた俺はつい叫んでしまっていた。

 

「まさか、本当にやるとはな」

 

「まぁ、今日位構わないだろ?」

 

「全くだ」

 

一度叫んで満足した俺は敷物の上に座り直した。

 

その時ふと俺の背中に何かがのしかかってきたかのような感覚を覚えた。

 

なんだろうか。

 

俺は不思議に思って背中にのしかかるソレを掴んだ。

 

「むぎゅ」

 

変な声が聞こえた。

 

「おかべのおじさん。いたい」

 

「ん?その声は紅莉栖か?」

 

せいかい。

 

そんな声が聞こえた。

 

2010年の時こそ恥ずかしくてクリスティーナなどという呼び方で呼んでいたが、この時代ではちゃんと名前で呼ぶように心がけていた。

 

「なんだこりゃ?」

 

秋葉は何が起きているのか理解出来ていないらしい。

 

正直俺も何故こんな所で紅莉栖がいるのか理解出来なかった。

 

抱きついてきたので思いだしたのだが、どうも俺は紅莉栖に懐かれているらしい。

 

そんなことを紅莉栖の母親が言っていた気がする。

 

そんなことを俺に聞かせてどうなるのか知らないが。

 

そのせいで只でさえ良くない中鉢との仲が悪くなったのは言うまでもなかった。

 

「おい、紅莉栖。人様に迷惑をかけ……。貴様は鳳凰院凶真ではないか!」

 

お約束と言っていいほどのタイミングで中鉢が俺達の前に現れた。

 

正直タイミングが良すぎて特に驚く気にもなれなかった。

 

秋葉はもう事態を把握することを諦め、一人で酒を飲んでいた。

 

「貴様我が娘を誑かすとはどういうことだ。さてはこの中鉢に勝てないと考えて娘を人質にしようとしたな子癪な……」

 

「パパ。わたしむずかしいお話わからない」

 

「そうだな、紅莉栖。分かりやすく言うとパパの所に戻ってきなさい」

 

中鉢が自分のことをパパと呼んだことに思わず噴き出しそうになったが、考えてみれば俺も似たようなことをしているので笑える立場ではない。

 

「やだ」

 

紅莉栖の言葉は拒絶だった。

 

「わたしは、おかべのおじさんとお話するの。パパはママとお話してて」

 

「うわ、結構キツイこと言うなこの子」

 

状況の把握を諦めていた秋葉だったが今のやり取りは見ていたらしく率直な感想を述べていた。

 

俺も秋葉の感想に概ね同意だった。

 

我が子にそんなことを言われては心のダメージは測りしれない。

 

事実中鉢は一瞬この世の終わりのような顔を見せていた。

 

「この……」

 

中鉢が何か言葉を紡ごうとした時、不意に襟元を誰かに引っ張られていた。

 

どうやら中鉢の襟元を引っ張ったのは紅莉栖の母親のようで、今のやり取りを見ていたのか、やれやれと言った表情をしていた。

 

「ほら、そんなに焦らないでよ。みっともない。岡部さん。ちょっと紅莉栖任せるわ」

 

「あ、はい。どうぞ」

 

俺が返事をすると紅莉栖の母親は笑ってその場をあとにした。

 

「なぁ、一つ聞いてもいいかい?」

 

「なに。おかべのおじさん」

 

「どうして、俺と一緒にいたいんだい?」

 

「わかんない」

 

「分からないか」

 

別に明確な答えを求めているわけではなかった。

 

もしかしたら、俺のことを覚えてる可能性が僅かでもあるかもしれない。

 

そんな希望的観測から出た言葉だった。

 

考えてみれば前の世界線では、紅莉栖がこの年齢の時に俺と会ってはいないのだから記憶も何もないのだが。

 

「だけどね。なんだかおかべのおじさんのにおいってなつかしいの」

 

「そうなんだ」

 

紅莉栖は頷いた。

 

「なんだかとってもなつかしい気もちになるの」

 

「そうか。そうか」

 

俺は紅莉栖の頭を撫でていた。

 

くすぐったそうに紅莉栖は被りを振った。

 

「なるほどな。その子が話に出てきたあの子なわけか」

 

秋葉は自分でブツブツと呟きながらそんなことを言っていた。

 

それから俺は紅莉栖と話したり、鈴太郎達に混じって運動をしたりと束の間の休息を楽しんだ。

 

「――で結局うちで飲むんですね。倫太郎さん達昼間も飲んでいたのに」

 

「悪いな。今日は少し話したい気分なんだ」

 

「岡部がそんなことを言っていたので少しだけ貰えるかい?話を聞いたら帰るから」

 

別にいても構いませんよ。

 

鈴羽はそう言うと缶ビールを二人の前に置いた。

 

「久々に私も飲みます。あ、けど、鈴太郎が寝てるんで静かにお願いします」

 

俺達は二人は了承するとちびちびと酒を飲み始めた。

 

「それで、一体岡部は何を話したいんだ」

 

「あぁ、実は最近行き詰っててな――」

 

俺は悔恨の念を二人に話した。

 

話終わったあと二人の顔は呆れているようだった。

 

「なんだ。そんなことですか。私も手伝いますから頑張りましょうよ」

 

「俺も出来ることならしてやるからな」

 

そんなありきたりな慰めの言葉だったが、その言葉は俺の胸にじんわりと染み込んでいった。

 

「まぁ、とは言っても時間も残されていませんし、助っ人でも呼びましょうか」

 

「助っ人?」

 

「はい。明日私の研究室に来て下さい。秋葉さん。明日倫太郎さん借りますけどいいですか?」

 

「いいぞ。岡部の奴、根は真面目なのか有給を全然消化しないせいで少し困っていたところだから丁度いいよ」

 

「なら決まりですね。そうと決まれば早めに寝ましょう。秋葉さんタクシーでも呼びますか?」

 

「いや、俺は平気だから歩いて帰ることにするよ」

 

秋葉そう言うとドアを開けて闇の中に消えていった。

 

もう社長なのだからタクシーに乗って帰っても罰は当たらないはずなのに。

 

俺はその背中を見ながらそんなことを思っていた。

 

「岡部さんはいい友人を持って幸せですね」

 

「そうだな。秋葉がいなかった今の俺達は無かったな」

 

そうですね。

 

鈴羽は遠くを見るような目でドアを見ていた。

 

「おやすみなさい」

 

飲み会の片付けも終わり交互に風呂に入ってから俺達は布団の中に入った。

 

「倫太郎さん」

 

鈴羽は布団の中に入って暫くすると目を合わせることなくあたかも独り言のようにポツポツと喋り始めた。

 

「私は、正直今のままの生活も悪くないと思ってました。家族三人で仲よく暮らして秋葉さんのようないい友達に恵まれて。

このまま2000年を迎えてもいいかな。そんな風に考えていました。記憶も戻って私は一番好きな人と一緒になることが出来た。

けどやっぱり駄目ですね。欲が出ました。鈴太郎の将来も見たいですし、なにより私はまだ倫太郎さんと一緒にいたいです。

だから絶対に成功させましょうね。私達の未来を創るのは私達なんですから」

 

「すずっ……」

 

俺が答えようとした時には鈴羽は既に規則正しい寝息を立てて眠っていた。

 

もしかしたら本当に独り言だったのかもしれない。

 

俺は鈴羽の言っていた助っ人のことを考える。

 

もしかしたら。

 

思い当たる節がないわけじゃない。

 

彼ならば或いはという期待がないわけじゃなかった。

 

 

私達の未来は私達が創る。

 

 

鈴羽がそんな風に考えていてくれたことが素直に嬉しかった。

 

俺は一人じゃない。

 

そう言われている気がした。

 

鈴羽が願うのなら俺は神が作り出したこのどうしようもない世界の綻びを見つけだしてやろうじゃないか。



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1999年の三人

「なぜ貴様がいるのだ」

 

開口一番に奴はそう言った。

 

奴の言葉に驚いたのか研究員の数名がこちらを向いていた。

 

「むしろこちらが聞きたいな」

 

俺の方も正直予想はしていたが、まさか本当にこいつが来るとどうしても悪態をついてしまう。

 

昨日の晩に言われた通りに鈴羽の研究室に来ていた。

 

正直俺は鈴羽の研究室によく出入りしていたので他の研究員とは大分顔見知りになっていた。

 

研究員達はむしろ俺たちと対峙している人物の方に興味があるようだった。

 

「質問に答えろ鳳凰院凶真」

 

「俺は鈴羽に呼ばれてきたんだ」

 

俺がそう言うと中鉢は驚いたように目を丸くした。

 

中鉢は相変わらず襟付きのシャツを着ている。着るものが無くてスーツを着てきた俺とは大違いだった。

 

「何?貴様が呼ばれただと?何かの間違いではないのか?」

 

「それはこちらのセリフだな中鉢。もしやとは思うがお前も鈴羽……鈴に呼ばれたのか?」

 

そうですよ。

 

不意に後ろから鈴羽の声が聞こえた。

 

研究員たちが鈴羽に一様に頭を下げる。

 

「こういうところで会うのは久々ね。牧瀬くん」

 

「失礼ですが、橋田教授。私の名前は中鉢なのです。間違えないようにしてください」

 

中鉢は鈴羽に対して背筋を伸ばしてそう言った。

 

真面目に自分で付けた名前を言っている姿を見ると何とも滑稽だ。

 

俺は中鉢を見てそう感じた。

 

しかし、鈴羽は中鉢の忠告を聞き入れることなく、牧瀬くん。そう中鉢を呼んだ。

 

「牧瀬くん。昔の話を覚えてるかしら?」

 

「昔の話ですか?」

 

中鉢の言葉に鈴羽は頷いた。

 

「そう。私が以前に言った話。タイムマシンについての話よ」

 

あぁ。中鉢は合点がいったような顔をして頷いた。

 

「あぁ、はい覚えてます。どうですか?この中鉢、立派になりましたでしょうか」

 

「えぇ。本当に。そこでなんだけど、今でもあの口約束を信じているかしら?」

 

鈴羽の言葉の意味を図り損ねているのか中鉢は首を傾げていた。

 

その様子を見て鈴羽は少し呆れて溜息をついた。

 

「えーと、つまりね。牧瀬くんはまだ、タイムマシンなんて眉唾ものを信じるのかしら?」

 

はい。

 

中鉢は鈴羽の問いに即答した。

 

その目には微塵も揺るぎなどなかった。

 

鈴羽は中鉢がそう言うというこを予想していたかのようにニコリと笑った。

 

「流石牧瀬くんね。私が見込んだ甲斐があったわ。あなたさえよければ私の次の研究に携わって欲しいのだけれど?」

 

その言葉に中鉢は大きく頷き、よろしくお願いします。そう言った。

 

「それではまず牧瀬くんに質問があるわ」

 

 

タイムマシンで人が過去に戻ることは可能だと思う?

 

 

鈴羽は他の研究員たちには聞こえないような声でそう言った。

 

中鉢は少し悩んだ後に首を振った。

 

「いいえ。残念ながら今の技術レベルでは出来ないだろうと考えます。勿論机上の空論ならば可能でしょうが」

 

「そう。『今の技術では』と言う辺りが実に牧瀬くんらしいわ。えぇ。私もそう思うわ。流石に今のここの技術レベルでは出来ないと思うわ」

 

鈴羽がそう言ったのを聞いて中鉢は驚いたように目を丸くしていた。

 

「橋田教授。失礼ですが、どういう意図で質問されたのでしょうか?」

 

「意図はないわ。ただ、牧瀬くんが現実を正しく見る力を持っているか確かめたかったの。今この状況で私がいるから出来るなんて感情論を持ち出されても困るからね」

 

「そういうことでしたか。流石にこの天才中鉢の頭脳を持ってしても出来ないものはあるのです」

 

そう言って中鉢は高笑いをしようとしたが、ここが鈴羽の研究室だということを思い出したのか、少し声を小さくして笑った。

 

「牧瀬くん。仮定の話だけれど、もし、過去に戻った人間がその戻った過去で暮らしていたとして何かしら不具合を生じると思う?」

 

俺は鈴羽の問かけを聞いて内心ヒヤヒヤしていた。

 

一歩間違えれば、俺たちが未来から来たとわかるような質問の仕方と内容だった。

 

あるいは、鈴羽は中鉢が俺たちの真実を知って欲しいとでも考えているのだろうか。

 

中鉢はそんな俺の考えを余所に考えているようだった。

 

「何か書くものを貸していただけますか?」

 

「えぇ、どうぞ」

 

少ししてから中鉢はそう言うと紙と鉛筆を使って何かを書き始めた。

 

頭の中だけでは追いつかないほどの計算をしているのだろうか。

 

正直俺はこっちの時代にくるまで自分がどういういう理論でもって過去に跳んだことは知っていたが、その理論を導く方法を知らなかった。

 

「ふむ……出来ました」

 

中鉢はそう言うと顔を紙からあげて鈴羽の方を向いた。

 

「橋田教授。その問いの答えは死しか待っていません」

 

俺は思わずその言葉に息を呑んだ。

 

鈴羽もその結果を知っていたかのようにただ、続けて。そう呟いた。

 

「はい。恐らくですが、かつて橋田教授の論文で発表されていたような理論で過去に跳んだ場合、高確率でフラクタル現象が発生します。そっちにいる鳳凰院凶真とか言う胡散臭い人間の論文を引用するのならば『ゲルバナ』状態とでも言いますか」

 

「それで?」

 

「はい。私には理解が及びませんが、もし橋田教授が仰る通り世界線というものが存在するのであれば、恐らくその世界線が最も変動しやすくなる2000年を境に『ゲルバナ』状態になるでしょう。最もこれは机上の空論ですので実際は――」

 

「事実よ」

 

俺と中鉢は鈴羽の言葉に固まった。

 

中鉢は一瞬何を言われたのか理解出来なかったかのように目を見開いていた。

 

鈴羽が言ったことを少しずつ咀嚼するようにしてようやく理解出来たようだった。

 

「事実ですか?つまり誰か未来からこの時代、或いはその前に来ていたのですか?」

 

「えぇ」

 

「なるほど、橋田教授の理論がたまに飛躍的になるのはそういう理由だったのですか。橋田教授、よろしければこの中鉢もその人に会わせてくれないでしょうか?」

 

「会うも何も今、あなたの目の前にいる、私と隣にいる岡部倫太郎は2010年から跳んできたのよ」

 

そう言うと鈴羽は俺の肩を引っ張って寄せる。

 

対して中鉢はまるで信じられないものを見たかのように唇をワナワナと震わせていた。

 

驚きのあまり声も出ないらしい。

 

落ち着くのに時間を要するらしく暫く中鉢は何も語ることなく椅子に座っていた。

 

「まぁ、そのなんだ……紅莉栖は2010年でも元気だったぞ」

 

余りにかける言葉が見つからずついそんなことを口走ってしまった。

 

「貴様に紅莉栖などと呼ばれる筋合いはないわ」

 

そう俺に向かって怒鳴ると中鉢はまた黙ってしまった。

 

「どうやら、ショックが強かったようね」

 

鈴羽もここまで衝撃を受けるとは思っていなかったようで、中鉢を心配そうに見ていた。

 

「牧瀬くん。聞いているかしら。私は別に私たちが未来から来たなんて話で終わらせようなんて気はないわよ?」

 

その言葉に少し反応を見せた中鉢は鈴羽の方を向いた。

 

「私はさっき言ったわよね。感情論では何も出来ないって。今回は残念だけど私も倫太郎さんも当事者なの。情が入らないわけがないわ。だから牧瀬くんを呼んだのよ」

 

「どういう意味ですか?」

 

中鉢はまだ鈴羽の言葉の真意を掴んでいなかった。

 

「あなたなら私たちと同じようにタイムマシンの知識を持っている。そして、タイムマシンが実現出来ると信じてるじゃない」

 

「……」

 

中鉢は黙っていた。

 

その沈黙の意味を俺は伺い知ることは出来なかった。

 

中鉢の様子の変化に気づいた数名の研究員がこちらを興味深そうに見ていたが、俺と目が合うと目を逸らし自分たちの研究に勤しんでいた。

 

鈴羽は沈黙する中鉢の様子を見て呆れたように溜息をついた。

 

「どうやら期待外れだったようね。牧瀬紅莉栖は若干17歳にして、タイムマシンのようなものを作っていたのに」

 

「17歳でだと……」

 

中鉢の様子に少し変化があった。

 

その様子に気づいてか気づかずか鈴羽はそのまま言葉を続けた。

 

「えぇ、若干17歳の牧瀬紅莉栖は私の父である、橋田至とここにいる倫太郎さんと共にタイムリープという精神を過去に跳ばす装置を作りました。正直な話私も父よりは優秀だと思ってます。

やはり、子の方が優秀なんですかね。倫太郎さん、牧瀬さんが乗り気ではないので牧瀬紅莉栖にでも頼みますか?」

 

「え……」

 

鈴羽がこちらを向いた時小さくウィンクをしているのに気が付いた。

 

俺はこの一芝居に乗ることにした。

 

「いや、そうだな。まだここで打ちひしがれている中鉢なんて奴よりは使えるだろうしな」

 

「待て……」

 

沈黙を貫いていた中鉢が低い声を出した。

 

「橋田教授。いくらなんでも言葉が過ぎます。言っていいことと悪いことがあります」

 

かろうじてまだ敬語を使うだけの余裕はあったようだが、体は怒りに震えていた。

 

「……事実だしな」

 

「黙れぇ、鳳凰院凶真!!」

 

俺が中鉢に聞こえないだろうとボソッと言った言葉が決定打になったらしい。

 

中鉢は俺を憤怒の形相で睨んでいた。

 

その声で数名の研究員がビクリと肩を震わせた。

 

「なんだ貴様は、先ほどから娘の紅莉栖の方がこの中鉢よりも優秀だ優秀だと言いおって、そんなわけがあるか」

 

紅莉栖の方が優秀だと言ったのは鈴羽なのだが、中鉢の頭の中では俺が言ったことになっているようだった。

 

「子が親よりも優秀だと?そんなことあるわけないだろうが!!よかろうそれを証明してやろう」

 

そう言うと少し溜飲が下がったのか鈴羽の方を向いて頭を下げた。

 

「橋田教授。その申し入れ謹んで受けさせて貰います」

 

「そう。ありがとう牧瀬くん」

 

鈴羽はそう言って中鉢の手を取った。

 

「あなたのその答えが幾人のも未来を保障したわ」

 

 

「しかし、いきなりあんなことを言うなんて思ってなかったぞ」

 

「私だってやる時はやるんですよ」

 

あれから数時間後、中鉢は去り、研究員も帰った研究室で俺たちはコーヒーを飲んでいた。

 

「私はもっと単純に受けてくれると思ったんですけどねぇ……」

 

鈴羽は思い出すように天井を向いた。

 

「幸いなことに、牧瀬くんは倫太郎さんに似てますからね。いや、似てないんですかね」

 

自分で言っていて面白くなったのか鈴羽はクスクスと笑った。

 

俺が中鉢と似ているというのは二人共作り物の名前を名乗るくらいのものではないのだろうか。

 

「鈴羽はさ、本当にダルよりも技術があるのか?」

 

「ないですよ」

 

「え」

 

即答だった。

 

一瞬も悩む素振りを見せずに事もなげに答えた。

 

「勿論、今の私なら勝てますけど、あの年の父さんは異常ですからね。それに戦ってましたから私」

 

昔を懐かしむように鈴羽は2036年のことを思い出すかのように目を細めた。

 

「倫太郎さんはどう思いますか?」

 

「ん?何が?」

 

「2010年に橋田至、牧瀬紅莉栖、岡部倫太郎で完成させた時間を超える機械を作りました。それ以上のことを1999年に、橋田鈴、牧瀬章一、岡部倫太郎の三人が出来ると思います?」

 

俺は鈴羽の話を聞いて自分の体に鳥肌が立つのが分かった。

 

ここまで仕組まれているものなのか。

 

この時代で中鉢と俺たちが出会ったことも、中鉢がタイムマシンに興味を持ったことも全ては偶然という神の気まぐれによって予め決まっていたのだろうか。

 

偶然にしては出来過ぎている。

 

そう感じた。

 

 

――全ては意味があったことなんだ。

 

 

ふと、どこからか誰かの声が聞こえた気がする。俺の後ろを振り向いてみても誰もいなかった。

 

「さて、倫太郎さん。私たちは世界を超えなければなりませんね」

 

「そうだな」

 

しかし、もしかしたら。

 

そんな思いが俺の中にはあった。

 

2010年の頃のように中鉢を蔑視していた俺はどこにもいなかった。

 

なぜなら、中鉢が鈴羽から何かを教えて貰っている時の目は紅莉栖のソレと似ていたから。

 

二人では見えなかった光明も三人なら見えるかもしれない。

 

少なくとも二人よりはその可能性が高い。

 

「まぁ、全ては――」

 

「運命石の扉の選択ですね」

 

鈴羽が俺のセリフを先に言った。

 

その顔は相手を出し抜いて喜んでいる子供のようだった。



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未定と確定

『先に確認しておきたいことがある』

 

翌日電話で開口一番に中鉢はそう言った。

 

俺は鈴羽と目を合わせてまた鈴羽の研究室に集合することに決めた。

 

鈴太郎は偶然うちに遊びに来ていたMRブラウンに任せて俺たちは研究室に向かった。

 

研究室に着くとその扉の前には既に中鉢が来ており、俺を見つけると睨みつけるように目つきを鋭くする。

 

恐らく昨日紅莉栖のことを言ったことが尾を引いているのだろう。

 

中鉢は研究室に来るというので着てきたのか白衣を上に羽織っておりその姿はどこか昔の俺を連想させた。

 

「おはよう。牧瀬くん」

 

鈴羽に対しては一礼して、休みの日に呼び出したことを謝罪していた。

 

「まぁ、いいわ。話は中で聞きましょう」

 

鈴羽は鍵を開けると研究室の扉を開けた。

 

「鳳凰院はともかく橋田教授が言ったことをに疑念を持つのもおこがましいことかもしれないのだが……」

 

そういう中鉢の台詞はどこか歯切れが悪かった。

 

少し間を置いてからゆっくりと口を開いた。

 

「橋田教授の未来から来たという話が俄かには信じがたいのです。理論的には可能だとしてもそれはあくまで机上の話です。そこまで理論を構築出来るのにも関わらず自分の体を使って実際に試すなど信じられないのです。自分で試すならばもっと確実性が高くなければ……」

 

「その言い方だと、確実性が確認されるまでは誰か他の人間を犠牲にすればよかったとでも言いたそうね?」

 

「そういうわけでは……」

 

鈴羽の言葉に中鉢は押し黙った。

 

黙るということはそういうことだったのだろう。

 

確実に成功するためには他の犠牲も厭わない。

 

それではまるで俺達が対峙した2010年のSERNそのものではないか。

 

成功する見込みが薄いにも関わらずカー・ブラックホールの特異点に人を押しこんだあの連中と。

 

「牧瀬くん。あなたの意見は科学者としてはもっともね。変な話私や倫太郎さんに余裕があれば同じ結論に至っていたかもしれないわ。

しかし、私達は余裕も何もなかったのよ。それに未来から来た証拠なんてあるわけないわ。信じてくれなくても構わない。ところで関係ない質問なのだけれどいいかしら牧瀬くん?」

 

「は、はぁ構いませんが」

 

「あなたに大切な人はいるわよね」

 

中鉢は頷いた。恐らく自分の妻と紅莉栖のことだろうか。

 

この時代の中鉢と紅莉栖の関係は良好だったはずだ。

 

「もし、これから数日後。そうね三日後とでもしましょうか。あなたの大切な人が死ぬとします」

 

「……はい」

 

鈴羽の言葉の真意は掴めていないようだったが中鉢はその質問の内容に思わず顔の表情を引き締めた。

 

一方俺の方も鈴羽がなぜそんなことをいきなり話始めたのかということは理解出来なかった。

 

中鉢の顔が引き締まるのを見て鈴羽は中鉢を安心させるように笑みを浮かべた。

 

「そんな、ただの仮定の話ですから、そこまで厳しい顔にならなくてもいいですから。ね。倫太郎さん?」

 

「え?あぁまぁそうかもな」

 

まさかいきなり話をこちらに向けられるとは思っていなかったので曖昧な返事しかすることが出来なかった。

 

「まぁいいです。話を戻しますか。三日後に死ぬと言いましたがこれはどうやっても避けられないわ。海外に逃げても三日後に何らかの理由で死にますし、

病院、あるいは警察に匿って貰ったとしても死んでしまいます」

 

「おい……」

 

まさか。

 

そんな思いが俺の頭を過ぎった。

 

「そんなの救いがない。きっと牧瀬くんならそう思ったはずね。私でもそう思うわ。けど、あなたはある方法を用いて過去に戻ることが出来ます。あなたの記憶は消えないわ。そうね三日間程度なら何とか平気ね」

 

「過去に戻ることが出来る……」

 

中鉢もその言葉で何かに気づいたようだった。

 

「最初は、牧瀬くんも大切な人を助けるためにその三日間を何度も繰り返すでしょうね。それとも諦めるかしら?」

 

「繰り返しますね……。まだ助かる道は残っているのではないのかと探すために」

 

中鉢の答えに俺は息を飲んだ。

 

鈴羽はその答えを予想していたのか笑顔で頷く。

 

「でしょうね。もしかしたらそんな道があるかもしれない。きっとそんな淡い期待をこめて何度も同じ三日間を繰り返すでしょう。何度も何度も。

しかし、数回、いや数十回同じ一日を繰り返し、あらゆる方法を試したとしても結果は同じだったとしたら?」

 

「それでも……それでも私は」

 

中鉢は言った。

 

その三日間を繰り返すと。

 

例え自分の大切な人達がその三日間の記憶が毎回消えて前回の三日間を覚えていなかったとしても。

 

一点の曇りのない声音で中鉢はそう言い切ったのだ。

 

流石に鈴羽はこの回答には驚いたらしく、少し目を丸くしながら拍手をしていた。

 

「強いのね牧瀬くん。それともその強さは机上の空論ゆえかしら?まぁいいわ。何度繰り返しても死んでしまう。ここでは縁起がよくないから失敗したとでも表現するわね。

失敗し続けた牧瀬くんはある推論に至った。この選択に至ってしまった時点で失敗だったのではないかと。

分かりやすく言うと、迷路の最初の方で絶対正解に辿りつけない方を選んでしまったことに気づかずにここまで来てしまったのではないかと」

 

「……」

 

中鉢は状況を想像し正解を模索しているのか何も答えず何かを考えるかのように黙って腕を組んでいた。

 

「しかし、その間違いをいつ犯してしまったかは中鉢くんには皆目見当もつかないわ。それにもし気付いたとしても、過去に戻れる日数なんてたかが知れてる。そんな時あなたの前に一人の青年が現れました。

その青年は過去に戻ってくれる仲間を探していたの。そんな青年にとって過去に戻ったとしても記憶が消えないあなたはまさにうってつけだった」

 

「なんだかSFのような話ですね。少し頭痛がしてきましたよ」

 

「大丈夫よ。もうそろそろ終わるから」

 

鈴羽はそう言うと机に置いてあった冷えたコーヒーを啜った。

 

とても飲めるものではなかったのか、顔を一度しかめて机にコーヒーを置き直した。

 

「その青年の力を借りれば今よりもっと過去に戻ることが出来るわ。けれど、その青年の目指す過去は牧瀬くんが行きたい過去よりもずっと昔なの。

もし青年と共に過去に行ってしまったらその人達と永遠に会えないかもしれない。会えたとしても向こうは自分のことを覚えていないかもしれない……。

あ、ややこしくないように言っておくけど、その大切な人はあなたが昔に行ったとしてもその生きていた時代で元気に生きているとするわ。世界中のどこかでね。

さて、牧瀬くんはどうするかしら?青年と共に過去に戻って選択肢を選び直すか、それとも今までのように三日間を繰り返すのか。これで私の質問は終わり」

 

鈴羽はそう言うと俺に向かって何かをアイコンタクトを送っていた。

 

残念ながら、俺がそのコンタクトの意味を理解することは出来なかったが。

 

「一晩考えてきてもいいですか?」

 

数分固まったように悩んでいた中鉢の出した回答は意外なものだった。

 

「えぇどうぞ」

 

鈴羽はそう言って笑った。

 

中鉢は一礼すると研究室から出ていった。

 

 

 

「なんだってあんな質問をしたんだ?」

 

俺は家に帰る道中鈴羽にそんな質問をした。

 

聞いている内に理解したが、所々改変しているとはいえあれは実際に起きたことだ。

 

俺がまゆりを守るや鈴羽を守る為に何度も同じ日を繰り返したことも。

 

鈴羽と言う過去に戻ることが出来る能力を持った人物と共に過去に行ったことも。

 

「あ、いえ、大した意味はないんですよ。ただ、聞いてみたかったんです中鉢くんがどんな答えを出すのかを」

 

その言葉は中鉢がある答えを出すことを期待しているようだった。

 

すなわち俺と同じ選択を。

 

過去に跳ぶ選択を。

 

「仮にも牧瀬紅莉栖の父親ですからね。どちらを選ぶかは想像がつきますよ。自分で言っておいてなんですが、もし私が予想した答えと違っていた場合は中鉢くんには降りてもらおうかと思います」

 

「なんだって?」

 

俺は鈴羽の方を振り向いた。

 

鈴羽の視線は星を見ているかのように中空に固定されていた。

 

「だってしょうがないじゃないですか。私達にこれ以上関わってしまったら、失敗した時は恐らく彼も無事では済まないでしょう。縦しんば牧瀬紅莉栖やその母親と共にいることが出来ても何も起きないとは限りません。もしかしたら太陽に近づきすぎたイカロスのように……」

 

「鈴羽……?」

 

2010年と違って街灯も余りないせいか暗くてよく見えないが鈴羽は泣いているようにも見えた。

 

時折鼻をすする音が聞こえるのも気のせいではないだろう。

 

昨日とは正反対の態度に俺は思わず辟易した。昨晩は確か中鉢が入ってくれることを心から喜んでいたはずだ。

 

この変化は一体何を意味するのだろうか。

 

「なんでそんなことを言うんだって目をしてますね。自分でもそう思ってますよ。でも私思ってしまったんです。もし失敗して牧瀬さんが記憶を失ってしまったらと」

 

鈴羽は流した涙を拭うことなくこちらを見据えた。

 

月明かりに涙が反射してキラキラと輝く。

 

一瞬、その顔を綺麗だと感じたが被りを振って俺その考えを消す。

 

「記憶を無くした牧瀬さん当人は良いですが、牧瀬紅莉栖はどうなるんですか?親が自分のことを娘と認識してくれないだなんて……父親の顔も居場所を知らないことよりも辛いはずです」

 

その瞬間鈴羽は間違いなく2010年に父親を探していた自分と紅莉栖を重ねていた。

 

いや、それ以上かもしれない。

 

「もし、牧瀬くんが青年の誘いを断り三日間を過ごすと言うなら私は止めません。実際には牧瀬紅莉栖も牧瀬くんの奥さんも三日後に死んでしまうわけではないですからね。

無駄なリスクを取る必要もないでしょう」

 

「それでも紅莉栖は……」

 

俺の言葉を鈴羽は俺の唇に指を当てることで遮った。

 

「分かってます。それに岡部さんが未来は未定だと言いたいことも。そうです。未来は未定です。牧瀬さんたちは」

 

鈴羽の言葉の真意が分からなかった。

 

俺たちの未来だって未定のはずなのだ。

 

「残念ですけど、私達の未来はどのような選択肢を選んでも2000年に何が起こるかは確定しているんですよ」

 

鈴羽の顔にはもう涙は無かった。

 

「ま。そんなことを言っても全ては牧瀬さん次第ですからね。明日を気長に待ちましょうよ」

 

わざわざ俺の数歩前まで歩いてから振り返った鈴羽の笑みは不安に溢れていた。

 

「鈴…」

 

「天王寺さんにいつまでも鈴太郎の面倒を見せてちゃ悪いですから早く帰りましょうよ。ちょうど向こうも小腹が空いてそうですから何か買っていきましょうか」

 

「そうだな。饅頭でも買っていくか」

 

「倫太郎さんってば年寄り臭いですね」

 

「そこまで若くないからな」

 

俺は鈴羽が笑顔でいてくれるならば何でもいい。

 

そんな気がしていた。

 

 

『私だ。鳳凰院凶真か?』

 

夕食も食べ終わって涼んでいた所に俺の携帯にそんな電話がかかってきた。

声から察するに中鉢だろうが、こんな時間になんなのだろうか。

 

「どうしたこの俺に電話してくるなど」

 

『黙れ。今から我が家に来い。場所は分かるだろう?』

 

「一体何がしたいと言うのだ」

 

『良いから黙って来い。橋田教授には内緒でな』

 

そう言うと中鉢からの電話は切れた。

 

何だったのだ。

 

俺は自分の携帯を見つめた。

 

確かに中鉢もとい牧瀬の家は依然何かの因果で行ったことはあるので問題はないがなぜ今呼び出されたのだろうか。

 

加えてなぜ鈴羽に黙ってなければならないのだろうか。

 

そこから求められる答えは一つである。

 

「誰からの電話なんですか?」

 

「あ、いや、大学の同期の奴からだ。済まないがそいつと会ってくる」

 

「夕食も食べたんですから、あんまり食べすぎると贅肉が落ちないですよ」

 

「ですよ」

 

鈴太郎も鈴羽に続いてそんなことを言った。

 

「善処はする。二人とも行ってくる」

 

俺はそう言って家を出た。

 




何かあれば遠慮なくお願いします


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観測者

わざわざ俺だけを呼び出した理由はなんなのだろうか。

 

まさか、鈴羽の出した問いの答えを先に俺に言って判断して欲しいなどという甘いことだろうか。

 

いや、中鉢に限ってそんなことはないだろう。

 

しかし、もしそうだとしたら俺は家に帰ろう。

 

そんなことを考えながら俺は中鉢の家へと向かっていた。

 

中鉢の家は俺の家からそこまで遠いというわけではなく、電車を乗り継いで行けばすぐである。

 

そうは言ってもそこまで人の家を覚えるのが得意なわけではないので、もしかしたら最寄駅から距離を歩くかもしれない。

 

俺は記憶を頼りに歩いていると『牧瀬』という表札があった。

 

何度見ても牧瀬である。

 

そこまでポピュラーな苗字ではないのでこの家で正しいだろう。

 

中鉢の家はアパートだった。大学を出て研究職に身を置いていてもそこまで稼ぎはよくないかもしれない。

 

事実鈴羽も大学の講義はいわば研究費を稼ぐ為にやっていると言っていた。

 

研究というのは金が必要。いつだったかそんなことを言っていた気がする。

 

まぁ、皆金に困っていると一概にはいえないが俺の予測は間違っていないだろう。

 

流石に表札まで『中鉢』にするわけにはいかなかったようだ。

 

厨二病まがいの言動で周囲との人間関係を悪くするほど頭のネジが外れていないらしい。

 

俺は軋む階段を落ちることないようにし、ゆっくりと階段を上った。

 

そして中鉢の家を訪ねた。

 

インターフォンを押す。すると『どちら様ですか』と舌ったたらずな紅莉栖の声が聞こえた。

 

このあどけない声を守ると為にも俺たちはやらなければ。

 

そんな思いが強くなった。

 

目を瞑るとあの光景が今でも蘇る。

 

ラジ館で起きた惨劇を。

 

あの殺人事件の犯人は結局分からなかった。もしかしたらあのまま2010年に居残っていたら分かっていたかもしれない。

 

しかし、それはどうでもよいことだ。

 

もうあんな悲劇は起きないのだから。

 

ラジ館と言えば俺と中鉢が初めて意見を戦わせた場所でもあった。

 

俺も若かったとはいえ公衆の面前でよくもあれほど人を罵倒出来たものだと感心する。

 

俺は岡部であると伝えると、紅莉栖は珍しい来客に驚いたのか暫く無言の状況が続いた。

 

開けて欲しいものだ。

 

「えーと、岡部なんですけど」

 

「おじさん?」

 

俺がもう一度インターフォンに向かって話すと紅莉栖がドアを少しだけ開けてこちらを見ていた。

 

風呂上りだったのか髪がしっとりと濡れ、頬が少し上気している。

 

俺の姿を確認すると紅莉栖はドアを開けて俺を家に招きいれた。

 

「来たか」

 

その声に顔を上げると中鉢が立っていた。

 

服装こそはラフであるが、その表情は真剣そのものだった。

 

「来い。鳳凰院。話がある」

 

付いてこいと言わんばかりの態度が少し気に食わなかったが俺はいそいそと中鉢の後を追う。

 

「ねぇ、なにしにきたの?」

 

途中紅莉栖が俺の袖を掴んでそんなことを訪ねてきた。

 

紅莉栖の目には遊んでもらえるのでは?という淡い期待が籠っているように見える。

 

俺はその様子を見て頭を撫でた。

 

「後で遊んであげるな」

 

「うん。約束」

 

そう言って頷くと俺の袖を離してどこかに行ってしまった。

 

 

 

「それで話したいこととはなんだ」

 

俺は中鉢に導かれるままに彼の書斎に入った。

 

勉強家なのだろうか。部屋の本棚には本がぎっしりと詰まっていた。

 

アパートなのにも関わらずそこはしっかりしている。

 

「分かっているのだろう?」

 

中鉢はそういうと椅子に座った。

 

それを見て俺も手近な所にあった椅子に座る。

 

「内容はな。だが、ここにわざわざ呼ぶ理由は分からない」

 

「そうだな。橋田教授に聞かれないためだ」

 

「お前が鈴羽に隠しごとか。別に構わないが珍しいな。先に言っておくが、鈴羽は中鉢が降りると言うのなら止めないと言っていたぞ?」

 

その言葉を聞いて中鉢は笑みを漏らした。

 

「あの人らしいと言えばらしいな。いや、もしかしたらこちらの家族を慮った結果かもしれないな。結論を先に言わせてもらう。俺は今回の話には乗ることにする」

 

「そうか」

 

俺のリアクションが思ったよりも淡泊だったせいか中鉢は目を丸くしていた。

 

もっと驚いて欲しかったのだろうか。

 

「貴様は礼の一つも出来ないのか」

 

「いや、別に予想通りだったからな」

 

俺は中鉢が申し出を断るはずがないとある種確信めいた思いがあった。

 

何故なら彼は科学者なのだから。

 

それも鈴羽の頼みとあって断る中鉢じゃないことは重々承知していた。

 

いや、中鉢という男が紅莉栖の父親である以上そんなことを断ることはない。

 

そこまで断言出来た。

 

「まぁ、いい。それで貴様をここに呼んだのは話をするためだ」

 

「話?」

 

中鉢はゆっくりと頷いた。

 

「正直な所世界線を超える方法はあるのか?」

 

「あるんじゃないかな……」

 

「随分と曖昧な返事だな」

 

「残念だが、今回は一度限りの博打なんでね。100%成功する方法などないだろうさ」

 

「それでは、世界線が変動したとはどうやって知覚するのだ?」

 

「あぁそれならば問題ない」

 

そう言って俺は自分の目を指指した。

 

「俺の目はRSと言ってな。世界線が変動したことを知覚出来る」

 

「貴様も随分と冗談が上手いな。そんなものがあるか」

 

「さぁな。信じるも信じないも自由だ。ただ、言えるのは俺の目はただ視ることしか出来ない。ただの傍観者の力だ」

 

そう傍観者だ。言いかえるなら観測者とでも言うのだろうか。

 

例えるなら、テレビを見ているようなものだ。

 

それに手を加えることは出来ない。

 

いつだったかどこかの論文で見た言葉を思い出す。

 

『全ての生物は一次元下のものしか知覚出来ない』

 

そんな言葉だった気がする。

 

二次元下では一次元のことしか理解出来ず。

 

三次元下では二次元のことしか理解出来ず。

 

三次元を理解するには四次元に跳ぶしかない。

 

RSは偶然擬似的に四次元の視点を得たのではないかとも考えたこともあった。

 

全ては俺の絵空事には変わりないのだが。

 

「ふん。まぁいい。貴様を信じてやる」

 

「話はそれだけか?」

 

「いや、違うな。これだけでわざわざお前と二人で話す必要があるか」

 

「確かにな」

 

むしろここからが本題と言ったところだろう。

 

「リスクは何がある」

 

「は?あぁ、そうだな。分からないというのが本音だ」

 

「このままだと何が起きるのだ」

 

「2000年になった時点で俺と鈴羽はこの世界から消える」

 

「消える?」

 

中鉢は俺の表現が意外だったのか首を傾げた。

 

「世界から弾き出されるという表現が正しいのかもしれないな」

 

「他に何か影響は?」

 

「そうだな……紅莉栖が」

 

「なぜ紅莉栖が出てくるのだ?」

 

「紅莉栖が2010年で死ぬことになるだろう」

 

ガタッ

 

突然大きな音がしたかと思うと中鉢の手が俺の胸元を掴んでいた。

 

呼吸は荒く、興奮のためか瞳孔が開いている。

 

「ふざけるなっ!何故紅莉栖が……!」

 

「それが世界線出した答えだったからだ。これはどう転んでも変わることはない。事件に巻き込まれなくとも事故で、或いは突発的な病気で死ぬだろう」

 

事実だけを伝える俺の口調は冷徹だっただろう。

 

「あんたのせいか知らないが、紅莉栖は海外に留学して若干17にして天才の名を冠していた。俺がここにいるのは半分はあいつのおかげだ」

 

俺は話しながら紅莉栖の姿を思い出す。

 

ほとんど俺に微笑みかけることはなかったかもしれない。

 

出会って日にちも全く経っていなかった。

 

それでも、紅莉栖はまゆりの為に命を張ろうとしてくれた。

 

たった数日、一カ月にも満たない程度の付き合いだったまゆりを。

 

まゆりが襲われた時自分の身より他を優先した。

 

そして何より胡散臭い厨二病だった大学生だった俺の言ったことを信じてくれた。

 

絵空事と笑わずに。

 

俺が今ここにいることが出来る最大の功労者は紅莉栖だろう。

 

鈴羽が未来から来ることが出来たのも。

 

俺があの時代の紅莉栖に会うことはもうないだろう。

 

それに会えたとしても受けた恩を返すことはまず出来ないに違いない。

 

それほど受けた恩が大きいから。

 

「それは確定した事実なのか……?」

 

「そうだな。いや変える方法はあるぞ」

 

「それは本当か?」

 

俺を掴む中鉢の手に力が籠った。

 

「言え。鳳凰院、いや岡部倫太郎!」

 

「2000年を迎えた時に世界線を変えることだ」

 

それだけ言うと全てを理解したらしく、中鉢の手が離れた。

 

「なるほど、全ては最初から決まっていたのではないか……」

 

ククク

 

そんな不気味な笑いが聞こえてきた。

 

「橋田教授の誘いを受けようが受けまいが関係なかったのだ」

 

「な、中鉢……?」

 

「始めから選択肢などなかった。全ては決まっていたというのか。どのような道を選んでもこういう結果になったに違いない。なるほど、これが世界線の収束というものか」

 

中鉢はキッと俺の方を向いた。

 

「アインシュタインの弟子であり、究極を現す8の中心という名を冠すこの中鉢が世界に喧嘩を売るとするか」

 

その笑みは俺が鏡で見た自分の笑顔とどこか似ていた。



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世界線のハードル

「随分と長い散歩でしたね」

 

お帰りなさい。鈴羽は俺がドアを開けるとそう言って笑った。

 

俺は時計を見る。

 

もう十時を過ぎていた。

 

「ただいま。別に起きてなくてもよかったのだが」

 

「別に倫太郎さんの為に起きていたわけじゃないですよ。私も家事とか色々やることがあるんです」

 

鈴羽は鼻を鳴らした。

 

手に持っているものを見るとどうやら風呂に入る所だったようだ。

 

「わざわざ邪魔してすまないな。どうぞゆっくり入ってくれ」

 

「倫太郎さんが覗かないのなら安心してゆっくりできますね」

 

鈴羽はそのまま洗面所に消えた。

 

程なくしてシャワーの音が聞こえた。

 

「誰が覗くものか」

 

鈴羽の言葉に半ばむきになりつつ寝室の方へ足を伸ばす。

 

そこには寝ている我が子がいた。

 

スゥスゥと規則正しい寝息を立てている。息を吸う度に上下する胸が生きていることを実感させた。

 

俺は起こさないように注意しつつ鈴太郎の頭を撫でる。

 

まさか自分が所帯を持つなんて夢にも思っていなかったが、こうして持ってみると存外悪くなかった。

 

恐らく俺達がいなくなればその間の子である鈴太郎もいなくなるだろう。

 

この世に生を受けてから十年足らずでこの世から去らねばならぬのだ。

 

それも天国に行くわけでもどこともつかない場所へ。

 

それだけはなんとしてでも防がなければいけなかった。

 

俺は紅莉栖が死ぬと言われた時の中鉢の表情を思い出す。

 

俺も自分の子供が死ぬと言われればあんな表情をするのだろうか。

 

きっとするだろう。

 

ともかくこれで役者は揃った。

 

明日鈴羽に中鉢は言ってくれるだろう。

 

世界を変える。と。

 

「倫太郎さん。お風呂上がったんで適当に入って下さいね」

 

「お?あぁ」

 

いつの間にか鈴羽が隣にいた。

 

シャンプーの匂いだろうか。

 

俺の横を通った時柑橘系の匂いがほんのりと香る。

 

「何かいいことでもあったんですか?」

 

「そう見えるか?」

 

えぇ。鈴羽は頷く。

 

「優しい表情をしてますよ」

 

「そうか。いいことがあったからな」

 

「なんですか?」

 

「秘密だ」

 

なんですか、もう。鈴羽は頬を膨らませる。

 

その様子が変に子供染みていて俺は笑った。

 

 

 

「なぁ、鈴羽。鳳凰院凶真って知ってるか?」

 

「いきなりなんです?」

 

風呂から出た俺は布団に入った鈴羽に向かってそんなこと尋ねた。

 

「いいじゃないか。で、知ってるか?」

 

「質問の意味がよく分かりませんけど……知ってますよ。狂気のマッドサイエンティストですよね」

 

そうだ。俺は答える。

 

「鳳凰院凶真は狂気のマッドサイエンティストであり世界を混沌に陥れる為に現れた存在だ。出来ぬことなどひとつもない」

 

「そうらしいですね」

 

また、いつもの厨二病が始まったとでも思ったのか鈴羽は溜息を吐きながらも賛同した。

 

「しかしだな。いくらその鳳凰院でも2010年にいた友たちを助けて尚且つ自分を愛した人を助けるなんてことをは出来なった」

 

「倫太郎さん……」

 

「彼は決意したのだ。どうせ世界線が、世界が変動したとしても自分しか傷つかなくて済むのならせめて愛する人だけでも助けようと」

 

全くどこが狂気のマッドサイエンティストなんだか。

 

俺は自嘲的に笑った。どうして今こんな話を俺はしているのだろうか。

 

自分でも分からなかった。

 

いや、分かっていたのかもしれない。

 

心のどこかで。

 

数々の世界線を経た俺には。

 

世界はご都合主義なんて許さないということを。

 

「いかんな。少し下らないことを話すぎたかもしれない」

 

俺は被りを振って鈴羽を見た。

 

心配そうな瞳がこちらを覗いていた。

 

「本当に大丈夫なんですか?」

 

「あぁ。少しカッコつけてみようと思ったんだが、久しく鳳凰院凶真をやっていないせいか調子が出なかった」

 

俺が笑うと鈴羽も釣られて笑った。

 

「もう何言ってるんですか。鈴太郎に悪い影響を与えないでくださいよ?」

 

「そう言う言い方を聞くとまるで教育熱心な母親だな」

 

そうですか?

 

鈴羽はとぼけたが満更でもないようだ。

 

「そろそろ私は寝ますね。おやすみなさい」

 

「あぁ、お休み」

 

それから数分後には静かな寝息が聞こえてきた。

 

俺はおやすみと言ってからずっと天井を見つめていた。

 

別に天井のシミを数えているわけではない。

 

眠れないのだ。

 

不眠症なんてものにはかかったことがないがこういうものなのだろうか。

 

変に目が冴えている。

 

頭と体の動きが一致していないようだ。

 

俺は二人を起こさないようにそっと布団から抜け出す。

 

ふと、窓を覗くと月が綺麗に輝いていた。

 

俺はその光に魅せられたかのように外に出る。

 

ドアをそっと閉め俺は秋葉のように夜道を散歩しようと考えた。

 

もう深夜のせいか辺りには人の気配がなかった。

 

気づくと俺は公園に足が向いていた。

 

俺達が最初にこの時代に着いた公園。

 

そして俺が鈴羽にプロポーズをした公園。

 

全ての始まりの公園と言っても過言ではなかった。

 

俺は誰もいないベンチに腰掛けて月を見る。

 

秋葉原も変わってきたがこのあたりまだそこまで開発が進んでないのか俺が見上げた視界の中に高層ビルは映らなかった。

 

月が大きく見える。

 

月の晩と言えば、鈴羽が己が誰であるか俺に尋ねた時もまたこんな夜だった気がする。

 

あっという間の人生だった。

 

そのせいなのだろうか。

 

やけにセンチメンタルな気分になるのは。

 

紅莉栖の代わりに中鉢が入り、ダルの代わりに鈴羽が入ったのだから、中鉢次第ではすぐに解決策は見つかるのかもしれない。

 

尤も、中鉢は2010年のように模倣することしか出来ないのならば話は別なのだが。

 

すぐに解決策が見つかる。

 

それは素晴らしいことだ。

 

俺のことはともかくとして鈴羽が鈴太郎が、秋葉が、そして紅莉栖が助かるのだ。

 

客観的に見ても主観的に見ても十全だ。

 

「辛いのは俺だけでいいよな」

 

月に向かってそんなことを言ったが当然答えは帰ってくることはなかった。

 

答えは求めていなかったが誰かには聞いて貰いたかったのかもしれない。

 

2000年に世界線を変動させればいい。

 

確かにそれだけで未来は変わるかもしれない。

 

α世界線でもβ世界線でもなくまた別の世界線へ。

 

その時皆の記憶はどうなるだろうか。

 

俺を除いた人は皆それが当たり前なのだからなんの影響も受けないだろう。

 

以前を知っている俺だけが苦しむだけなのだ。

 

いや、鈴羽の前例を考えると記憶を取り戻すことが容易なのかもしれない。

 

もしかしたら全員の記憶は変動しないかもしれない。

 

だから俺のこんな考えは杞憂だ。

 

そう割り切れるほど俺は強くなかった。

 

そしてそれは鳳凰院凶真を持ってしても超えることは出来なかった。

 

「全く夜の散歩ってのはどうしてこんな拾い物が多いんだろうな」

 

そう言って誰かが俺の隣に座った。

 

その声には聞き覚えがあった。

 

「秋葉か」

 

「おう。今ようやく仕事が一段落してな。気晴らしに散歩してたら、月に向かって話しかけてる変な奴を見かけてな」

 

「それが俺だったのか」

 

「そうだな。全く俺が言えた義理じゃないがこんな所でなにしてるんだ?」

 

俺は秋葉の質問に曖昧な笑みで答えた。

 

言えるわけがない。

 

勿論言ったら秋葉は答えてくれるだろうが明確な答えが出るわけではないのだ。

 

「……お前がこっちに来てから大分経つな」

 

「そうだな」

 

「その間色々あったな。お前が知っていたことで一番大きかったのはバブルだな。あの景気がいつ消えるか分かっただけでウチの会社は大分助かった」

 

「たまたまだけどな」

 

俺が生まれた時のことなので詳しくは知らないが大学生にでもなれば2010年を生きていて学生はいないだろう。

 

「なんか大きなことをやるらしいな」

 

「そう……だな」

 

「俺はお前が何をやろうとしているかは知らない。皆目見当もつかないが後悔だけはするなよ。どんな結果になっても自分が正しいと信じろ」

 

そう言うと秋葉は立ち上がった。

 

「全く年は取るもんじゃないな。無駄に説教臭くなる。さて、俺はそろそろ帰るとするわ」

 

照れたような笑みを俺に見せて秋葉は自宅の方へ歩いていった。

 

そうだ。

 

心は決まっていたじゃないか。

 

どうなっても後悔はしないつもりだった。

 

誰かから背中を押して貰いたかっただけなのだ。

 

俺は秋葉の後ろ姿を見送ってから家に戻って床に入った。

 

 

「昨日の話ですが……私は青年と過去に戻ります」

 

朝一番に鈴羽の研究室に来た中鉢は開口一番にそう言った。

 

「そう。ありがとう牧瀬くん」

 

鈴羽は自分では素っ気なく言ったつもりだろうが目の淵が赤かった。

 

俺は中鉢を見るとある違和感を覚えた。

 

その正体はすぐに分かった。

 

「なんで紅莉栖がここにいるんだ?」

 

「あ、おかべのおじさん、おはよー」

 

紅莉栖は自分の名前を呼ばれると中鉢の後ろから出てきて俺に挨拶をした。

 

小学生らしいスカートにTシャツを着ている。

 

「あ、すずはおばさんもおはよー」

「……分かってるんです。分かってるんですけど、なんか釈然としません」

 

鈴羽は引きつった笑みで紅莉栖に微笑み返していた。

 

確かに未だになんだか紅莉栖が鈴羽をおばさん呼ばわりするのには慣れない。

 

「何でもこいつが研究室って言うものを見てみたいと言ってな。貴様には知らせてないが、橋田教授には許可を貰ってある」

 

俺はその言葉を聞いて鈴羽の方を向く。

 

「えぇ。確かに。許可しましたよ。女の子のお願いは無下にするものじゃないですからね」

 

笑いながらそう答えた。

 

「すずはおばさんやさしいね。ありがと」

 

「……出来ればおばさんはまだ慣れないから鈴羽さんって呼んでくれない?」

 

紅莉栖は鈴羽の言葉がよく分からなかったようで首を傾げる。

 

「ま。いいわ」

 

鈴羽は諦めたように溜息を吐いて中鉢を見た。

 

「その隈はどうしたのかしら?」

 

「えぇ、実は一つ案を考えたのです」

 

そう言って中鉢は鞄の中から紙の束を取り出した。

 

そしてそれを机の上に並べた。

 

一番最初の上には何語か分からない単語が書いてあった。

 

「これなんて読むんだ?」

 

俺の質問に中鉢は鼻を鳴らした。

 

「ふん、貴様はこんなのも読めないのか。これはだな――」

 

「クルーゼック」

 

「ん?」

 

中鉢の声ではない声が聞こえた。

 

「たしかクルーゼックって読むんだよね?」

 

「お、おう。そうだぞ。流石紅莉栖だな」

 

俺は言われてその文字に目を落とす。

 

どう考えても読めるローマ字を読んだだけにすぎなかった。

 

「いいじゃないですか。クルーゼック」

 

鈴羽もそれが分かったのか少し笑いをこらえながら言った。

 

おほん。

 

中鉢は気恥ずかしくなったのか一度わざとらしく咳込んだ。

 

「それでは改めて、これはクルーゼックと呼びます。橋田教授、これが私の考えた作戦名です」

 

「名前から入る辺りがあなたたち本当に似てるわね……」

 

鈴羽はやや呆れていたが、俺と目が合うと似た者同士ですね。

 

そう言った。

 



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幼子の夢

「俺は別に名前から入るなんてことをしたことはないがな」

 

「嘘ですね」

 

鈴羽は笑った。

 

「大学時代でも、2010年でもまず漢字に横文字のルビを振ったり、英語じゃなくてドイツ語とか他の言語で読むみたいなことしていたじゃないですか」

 

「ふん。やはり貴様は愚かなようだな」

 

「お前もロシア語読みを持ち出した時点そう変わらないだろうに」

 

すぐさま俺は反論したが、確かに鈴羽が言うように俺達は似ているのかもしれない。

 

認めたくないのだが。

 

紅莉栖が俺の扱いに慣れていたのもそのためか。

 

「さて、倫太郎さん達はどうせいがみあってばかりで話が進まないでしょうから、私が進めますね。それで、牧瀬君。その作戦はどういうものなんですか」

 

「おかべのおじさんあそぼうよ」

 

俺は紅莉栖に白衣の袖を引っ張られていた。

 

無下に扱う気はないが今は中鉢が考案した作戦を聞かなけばならない。

 

「いいですよ。倫太郎さん。後で私の口から説明しますから」

 

「え?」

 

どういう意味だろうか。

 

この場にいらないということだろうか。

 

俺の動揺を顔色から察知したのか鈴羽は取り繕うように言葉を続けた。

 

「その方が牧瀬君が話し易いと思うんです。現に倫太郎さん達は会う度に何かしら言い合いをしているので。それに――」

 

鈴羽はしゃがみこんで俺の袖をまだ握っている紅莉栖の頭を撫でた。

 

「今回の作戦名を決めてくれた立役者にご褒美を与えないと罰が当たりますからね」

 

「ごほうび?」

 

紅莉栖は不思議そうな顔をして鈴羽を見返す。

 

「そうね。岡部のおじさんと遊んできていいわよ」

 

その言葉を聞くと紅莉栖は目を輝かせた。

 

「ほんと?ありがとうおばさん」

 

そう言い残して紅莉栖は研究室から俺を連れて出ていこうとする。

 

「いいのか?本当に」

 

「えぇ、どうぞ行ってらっしゃい。せめて私をおばさん呼ばわりするのだけは止めさせて貰えると嬉しいです」

 

鈴羽は少し乾いた笑みを浮かべて手を振っていた。

 

流石の鈴羽もあの牧瀬紅莉栖におばさん呼ばわりされるのは納得がいってないのだろう。

 

事実、鈴羽が生まれるのは今から数十年後の未来なわけなのだから。

 

俺は鈴羽の中鉢に見送られながら研究室を後にした。

 

「それで何をするんだ?」

 

「んーとね」

 

そこまで考えていなかったらしく紅莉栖は辺りをキョロキョロと見回す。

 

俺もつられて見回したがここで遊べるようなものは当然ながら何もなかった。

 

「中庭にでも行くか」

 

一人言のようにそう呟くと俺は紅莉栖の手を握って研究棟を出た。

 

中庭と言っても緑があるわけでもなく無機質なテーブルとイスが数個あるだけだ。

 

文系の大学だともう少し色があるのかもしれないが、男ばかりのこの学校にそこまで求める生徒はいないようだった。

 

「紅莉栖は何が飲みたい?」

 

「ドクペ」

 

「ん?」

 

「ドクターペッパーって言うのみ物がのみたいの」

 

「そうかそうか」

 

まさか、この時代からそんなものが好きだったとは。驚きだ。

 

幸いなことにこの大学の自販機にはドクペは常備されているので俺はそれを二つ買った。

 

「ほら、これが選ばれし者の知的飲料だ」

 

「? おかべのおじさんありがと」

 

紅莉栖は俺が何を言ったのか理解出来ていないようだったが俺から渡されたドクペを受け取った。

 

「おかべのおじさん」

 

「ん?」

 

無言で紅莉栖はその缶を差し出す。

 

なるほど開けられないのか。

 

俺はその缶を開けると紅莉栖に渡した。

 

「ありがと。かんを開けられるなんて、おかべのおじさんは大人だね」

 

「はは。そうかありがと」

 

俺は礼を言いながらドクペに口を付けた。

 

久しく飲んでいなかったせいか大分懐かしく感じた。

 

日は高く燦々と降り注ぎ風も程よく吹いている。

 

絶好の昼寝日和だ。

 

そんなことを考えながらもやはり俺は二人の話の内容が気になっていた。

 

クルーゼック。

 

元々どんな意味なのだろうか。

 

俺は手元にあった携帯の辞書でその言葉を検索する。

 

「なるほど……」

 

鈴羽が似ていると言った意味が分かった気がした。

 

「なぁ、紅莉栖」

 

「ん?なぁに」

 

「さっきのクルーゼックってこんな字だっけ?」

 

俺は携帯の画面を紅莉栖に見せる。

 

「うん。そうだよ」

 

紅莉栖は頷く。

 

「кружекはドイツ語に直すとsteinsか」

 

これは果たして偶然なんだろうか。

 

作為的な何かを感じとってもなんら不思議なかった。

 

穿った見方をすれば俺の運命石の扉を捩った結果かもしれない。

 

全くいくらの俺でも自分の口癖を作戦名に持ってこようとは考えない。

 

もし、持ってくるとしたら、そこには不退転の決意があるのだろう。

 

「ねぇ、おかべのおじさん」

 

「ん?なんだ」

 

「なんでわたしはこうやっておかべのおじさんといっしょにいるんだろうね」

 

「なんでだろうな」

 

「わたしゆめの中でもおじさんといっしょにいたことがあるの。その時のおじさんはなんだかこわい顔をして――ないてた」

 

「……そうか」

 

「それでね。わたしが平気? って聞くとおじさんはわらってさっきまでないてたのがウソだったみたいによく親ゆびを立ててたの」

 

「……うん」

 

「聞いてるおじさん?」

 

「聞いてるよ」

 

「それでね。よく分からないんだけど、またちがう時に見たゆめだとなんか黒いかっこうをした人たちがたくさんきてとてもこわい思いをしたのをおぼえてる。

 

でも、その時はすずはのおばさんがたすけてくれたの」

 

あの時のことを言っているのだろうか。

 

「それでね。わたしはとっさにおじさんをさがしたの。なきそうな顔をしてるんじゃないかって思って――。そんなゆめを見たのなんでかな?」

 

「さぁな。もしかしたら紅莉栖は預言者になれるかもな」

 

「正ゆめってやつ?それはそれでおもしろそう」

 

「そうだな。でも、それは正夢なんかじゃないんだ。現実にそんなことは起きないから」

 

起こさせないから。

 

例えあの時の思い出が全て無くなったとしても。

 

あの日紅莉栖と会ったことが無かったことになっても。

 

「そうなの?よげんしゃって言うゆめもおもしろそうだけど、わたしは物り学しゃになりたいの。まだパパにはないしょだけどね」

 

「そうか。それは中鉢も喜ぶだろうな」

 

いや、案外紅莉栖の方が筋が良くて喜ぶどころか嫉妬してしまうかもしれない。

 

「ねぇ。なんでパパのことをなかばちってよぶの?パパの名前はちがうよ?」

 

「それは秘密だ。多分紅莉栖がもう少し大人なったら分かることだよ」

 

俺は残っていたドクペを一気に飲み干した。

 

紅莉栖が俺のいた時代のことを話しても特に驚きはなかった。

 

RSは誰にでもあるものだ。

 

別に俺にだけ身に付いた特別な力というわけではない。

 

「さて、そろそろ話は終わったのかな」

 

「まって。まだわたしの話がおわってないの」

 

立ち上がって研究室の方を見た俺を紅莉栖が掴んだ。

 

「あのね。一つ聞いてもいい?」

 

「一つと言わず何個でも聞いてくれ」

 

「あのさ、どうしてわたしのことを紅莉栖ってよぶの?」

 

「それがお前の名前だからだ」

 

「それだけなの?」

 

幼いながらも俺に探りを入れるその視線は昔と変わっていなかった。

 

もし、紅莉栖と同年代の俺がいたら怖くて逃げ出していることだろう。

 

紅莉栖の言葉の真意はなんなのだろうか。

 

「だって、なんかほかの人がよぶ紅莉栖と、おかべのおじさんがよぶ紅莉栖はなんかちがうもん」

 

「そうか。そうかもな」

 

「なにかあるの?」

 

「さぁな。そこは大人の秘密だ」

 

そう言って俺は紅莉栖の頭を撫でた。

 

何か言いたそうだった紅莉栖だが、それが気持ちよかったのか何も言わなかった。

 

本当は言ってもよかった。

 

けど、それはまたいつか言うことにしよう。

 

「さて、もう話は終わったのかな」

 

「どうだろうね。はい」

 

俺の手に何かが渡された。どうやらドクペ一本を飲むことは出来なかったらしい。

 

流石にまだ子供か。

 

「あげる。もうのめないから」

 

「ありがとう」

 

俺はそう言ってドクペに口を付ける。

 

「あっ!」

 

その様子を見ていた紅莉栖が何かに気づいたような声を上げた。

 

寸での所で俺はドクペを吹き出しそうになるのを堪えた。

 

「ど、どうしたんだ」

 

「か、かんせつキスしちゃった……」

 

紅莉栖は、顔を真っ赤にして俯いていた。

 

全く自分がしたわけでもないのに。

 

「あ、そうだな。悪い悪い」

 

「べつにいいけど」

 

謝る俺に対して紅莉栖は首を横に振った。

 

「そうか。ありがとな。お」

 

俺が視線をあげると研究棟から鈴羽と中鉢が出てくるのが見えた。

 

どうやら話が終わったらしい。

 

俺は二人を見つけると紅莉栖の手を繋いで二人の方へ歩いていった。

 

「おぉ、鈴――」

 

「まず、貴様がなぜ紅莉栖と手を繋いでいるのか説明してもらおうか」

 

俺と鈴羽の間に中鉢が割り込んだ。

 

その目はどこか血走っている。

 

「ま。大したことない」

 

そう言って俺は手を離す。横目で残念そうな紅莉栖の顔が見えたが今は気にしないことにしておく。

 

「それでどういう話になったんだ?」

 

鈴羽の方を向く。

 

「うーん、それがですねぇ……。大分考えたんですが」

 

どうも鈴羽は歯切れが悪かった。

 

 

 

私達はどうやら一度死ななきゃいけないみたいです。

 

 

「え?」

 

俺の思考は停止した。

 

 




あと一話になります。
何かあれば遠慮なくお願いします。


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境界線上のクルーゼック

最終話ですね。
今まで見て下さってありがとうございました。


「し、死ななきゃいけないって……」

 

鈴羽の言葉に思わず俺は言葉を失う。

 

言葉の意味が分からなかった。

 

頭の中でどう鈴羽の言葉をかみ砕いてもその真意は理解出来なかった。

 

「おじさんしんじゃうの?」

 

そんな俺の動揺に勘付いたのか紅莉栖が泣きそうな顔で俺の服の袖を握っていた。

 

「おじさんは死なないよ」

 

鈴羽は屈んで紅莉栖の目線に合わせて微笑む。

 

その顔を見て紅莉栖はきょとんとしていた。

 

「ほんと?」

 

「うん。ほんと。だから心配しなくていいんだよ。大好きなおじさんはいなくならないから」

 

「べ、別にそこまで好きじゃないんだからね」

 

急に気恥ずかしくなったのか俺の服から手を離してプイと目を逸らした。

 

「可愛いですね。昔の牧瀬紅莉栖もこれくらい可愛げがあったらよかったのに……」

 

「あいつはあいつで――」

 

「オホン」

 

中鉢がややイラついたようにわざとらしく咳をした。

 

「橋田教授まで何をやっているのですか。鳳凰院凶真にも話さねばならないでしょう。作戦の概要を。文字通り命がけなんですから」

 

「……そうね」

 

鈴羽は真顔に戻ると立ち上がった。

 

その瞳は何かを決めた顔だった。

 

「倫太郎さん。私の研究室に来てください。そこで詳しく説明します」

 

「あ、あぁそれは了解した」

 

俺は鈴羽の後ろを歩いていく。

 

紅莉栖は中鉢が手を取って先に歩いていってしまった。

 

なんで自分の研究室でもないのに鈴羽より先に行くんだか……。

 

「では、説明と行きましょうか」

 

「どうぞ」

 

「まず、前提ですが、この世界線的には私達が2000年以前に生きているのがおかしい。だから2000年になった時世界からなかったものと見なされて結果私達は消えるということでしたね」

 

「そういう話のはずだ」

 

じゃなきゃフラクタル現象なんて起きるはずがない。

 

俺が頷くのを見て鈴羽は頷き返す。

 

「えぇ、そうです。考えてみれば分かることなんですけど、世界は私達を消そうとしているわけですよね」

 

「ん? まぁそういうことになるな」

 

「だからですね。世界の思い通りにしてみようかと思いまして」

 

「と言うと?」

 

「えぇ、だから死ぬんです」

 

俺は首を傾げる。

 

死ぬことと世界線を突破することがどうしてもイコールにならない。

 

「世界的には2000年になった瞬間、つまり2000年一月一日零時零分零秒の時点で私達が生きていなければいいんですよね」

 

「まぁ、細かいことを言うのならそうなるのか」

 

「その瞬間だけ死ぬんです」

 

「あ」

 

俺は鈴羽の言葉を聞いてようやく合点がいった。

 

そういうことか。

 

世界から見たら俺達が異端かもしれないが取るに足らない存在だ。

 

別に2000年になった瞬間に存在していなければ世界の整合性が取れたとして何事もなかったかのように世界線が進んでいくに違いない。

 

俺が鈴羽と中鉢の思惑を理解した瞬間頭の中で声が聞こえた。

 

 

世界を騙せ。

 

 

そんな声が聞こえた。

 

誰の声だっただろうか。俺の声に似ていた気もするが過去にそんなことを言った記憶はないので俺じゃないはずだ。

 

「世界を騙せってか……」

 

「中々いい例えですね」

 

鈴羽が驚いたように目を丸くしながらその言葉を口の中で反芻しながら頷く。

 

「さて、どうですか。これで。私と言うか私達ではこれ以上の案は浮かばないと思うんですが」

 

「……ないだろうな。これ以上の作戦は」

 

どちらにせよ俺は俺の命は賭けるつもりだった。

 

犬死にするつもりはないけれど、例えば二人の為に死ぬことくらいだったら厭わないつもりだった。

 

「命懸けですよ。万が一蘇生が遅れようものなら私達は現実に帰ってこれません。と言うかそのまま天国だか地獄だかに直行です」

 

「そうだな……」

 

「とりあえず今日はこれで解散しましょうか。牧瀬くん協力感謝するわ」

 

「滅相もありません」

 

そう言うと中鉢は鈴羽にだけ礼をして研究室を出る。

 

紅莉栖が俺に手を振ってドアを閉めた。

 

「牧瀬くんには感謝せねばなりませんね。私達では自分達を殺すことなんて思いつきませんよ」

 

「多分、あいつは俺が死ねばいいと思いながら考え付いたんだろうな」

 

「なんでもいいじゃないですか」

 

鈴羽は笑った。

 

クルーゼックを説明している時の真面目な顔と違いどこか気が抜けたようにリラックスしている。

 

「この作戦は一回こっきりしか出来ませんからね。失敗すれば私達はなかったことにされ、成功すれば無事皆と同じように生きていくことが出来る」

 

鈴羽は目を細めて俺を見る。

 

そして次の瞬間俺の首に手を回した。

 

「な……」

 

突然の出来事に俺は焦る。

 

分かっているが誰もいないことを確認した。

 

そして俺も背中を抱きしめ返す。

 

「倫太郎さんは覚えているんですよね。成功しても」

 

「あぁ」

 

恐らく俺のリーディングシュタイナーのことを言っているのだろう。

 

ただ一人世界線がが変動したことを理解出来る。

 

記憶を持って世界線を渡れる唯一の存在。孤独な存在が俺なのだ。

 

「もしかしたら、成功しても私の記憶、秋葉さん達の記憶は戻らないかもしれません」

 

俺の肩辺りがじんわりと温かく濡れる。

 

「それでも私は私ですから。秋葉さん達も秋葉さん達ですから。よろしくお願いします。今日だけ、いや、今だけですから。もう明日からは泣き言なんて言わないですから今だけは――」

 

「いいよ、鈴羽」

 

俺は鈴羽の頭を撫でる。

 

サラサラとした髪が手の中をすり抜けていく。

 

鈴羽も気を張っていたのだろう。

 

中鉢の手前、教授であるスタンスを崩さず気丈振る舞っていたに違いない。

 

そうでなければ自分が死ぬという作戦を真面目に言えるわけがない。

 

きっと中鉢に言われる前に自分で思いついていたのかもしれない。

 

ただ口に出すのが怖くて。

 

口に出したらそれをやらなければならないから。

 

他に案が出るまで待っていたのかもしれない。

 

あくまで推測なのだが。

 

「倫太郎さん。好きです。大好きですよ」

 

「あぁ、俺もだ」

 

鈴羽は俺を抱く腕の力を一層強めた。

 

俺も背中に回した手の力を強める。

 

この温もりを失わないように。

 

 

どのくらいそうしていたのだろうか。気づくと西日が目に痛かった。

 

紅莉栖なら相対性理論を持ち出すのかもしれない。

 

「さて、帰りましょうか。元気貰いましたし」

 

鈴羽は俺から離れると子供ような笑みを浮かべて立ちあがる。

 

頬に残った涙拭うと伸びをしていた。

 

「あ、その前に電話しますね」

 

研究室に置いてある電話から鈴羽はどこかに電話を掛けた。

 

「あ、もしもし、天王寺さんですか? 鈴太郎元気にしてますか?」

 

どうやら相手はMrブラウンらしい。

 

そう言えば今日も預けてしまっていた。悪いとは思っているのだが。

 

「中鉢とかに会わせたらきっと悪影響だしな」

 

それに親の生き死にの話を聞かせたくなかったのが本音だ。

 

幸いなことに鈴太郎もMrブラウンに懐いていたし、向こうも恩を返すと言って嫌な顔一つしないで受けてくれていた。

 

俺は友人に恵まれているな。

 

そう考えただけで少し涙腺が緩む。

 

年のせいだろうか。

 

最近涙腺が緩い。

 

「あ、じゃあもう帰りますんで。本当にありがとうございますね」

 

鈴羽は受話器を置いてこちらに歩いてくる。

 

「帰りましょうか……ってなんで泣いてるんですか?」

 

「少しな」

 

「そうですか」

 

鈴羽は手を差し出す。

 

俺は何も言わずその手を握った。

 

 

「少しだけ出てくる」

 

「気を付けて下さいね」

 

夕飯を食べて鈴太郎と遊んだ後俺は外に出た。

 

最近よく夜に外出している気がする。

 

無いとは思うが鈴羽に浮気を疑われるかもしれない。

 

いや、そんなことはないか。

 

俺にそんな度胸がないことは一番鈴羽が知っているか……。

 

足の赴くままに夜の街を歩いた。

 

最初に来た頃に比べて随分と街明かりが眩しい。

 

俺はふと足を止めた。

 

そして上に続く階段を見上げる。

 

そうだ。

 

思い立ってその階段を昇る。

 

意気込んだ割に年には勝てずに息を切らしながら階段を昇り切るとそこには見知った顔がいた。

 

「おや。こんな時間に珍しい人が」

 

「こんばんは。ご無沙汰してます」

 

俺が挨拶すると彼は会釈した。

 

「ルカ子は元気ですか?」

 

「えぇ。おかげ様で。よかったら会っていきますか?」

 

漆原はにこやかな笑みで俺に問いかける。

 

「是非。お参りをしてからでも」

 

俺は笑顔でそう返答すると境内まで歩く。

 

そこで財布を持ってきていないことに気づいた。

 

全く抜けている。

 

偶然入っていた五円玉をズボンの中から見つけ賽銭箱に放り込む。

 

「……願わくば鈴羽達に幸せな未来が待っていますように」

 

目を閉じて今まで会った人達の顔を思い浮かべる。

 

自分が犠牲になってもなんて主人公染みたことは言えない。

 

けれど皆には幸せになって欲しいと思う。

 

これから何があっても。

 

何が起きても。

 

「終わりましたか?」

 

「えぇ。ありがとうございます」

 

「こ、こんばんは」

 

「ん?」

 

俺は声のする方に目をやる。丁度漆原の足にくっつくようにしてルカ子がいた。

 

今位の年だと男か女か本当に判別がつかない。

 

尤も昔もそこまで判別出来たわけでもないが。

 

「可愛いでしょう。男に生まれたのが勿体ないくらいですよ」

 

漆原が俺の視線を目で追いながらそう付け加えた。

 

「ルカ子。頑張れよ……」

 

大した言葉も掛けられずに俺は頭を撫でた。

 

もう風呂に入っていたのか少し髪先が湿っていた。

 

ルカ子は何をされているかよく分かっていないようでされるがままにされていた。

 

「それじゃ、行きますね」

 

「これからどこか行くんですか?」

 

「えぇ。今夜中に少し回っときたい場所がありまして」

 

「そうですか……。それではどうかお気を付けて」

 

「ばいばい」

 

漆原は笑って手を振って俺を見送る。

 

「あ、ねぇ。おじさん」

 

「ん? なんだ」

 

「またね」

 

「……またな」

 

俺はルカ子に手を振って今度こそ階段を降りる。

 

またね。か。

 

ルカ子は子供ながらに何かを感じたのだろうか。

 

それとも何かを思い出したのだろうか。

 

「次は秋葉の所か」

 

俺はもう暗記してしまった秋葉の携帯に連絡を入れた。

 

数コールもしない内に向こうから声が聞こえた。

 

『どうしたんだ。こんな時間に』

 

「いや、今家にいるのか?」

 

『なんだ藪から棒に。いるぞ』

 

「フェイリ……留美穂ちゃんは起きてるのか?」

 

『まぁ、もうそろそろ寝かせようかどうかってとこだな。代わるか?』

 

「いや、今からそっちに行っていいか?」

 

俺の言葉に秋葉は驚きの声を上げた。

 

『何かあったのか?』

 

「いや、久々に顔を見たくなった。今柳林神社にいるからそこまでかからないと思う」

 

『分かった。大したもてなしは出来ないが待ってるぞ』

 

秋葉はそこで電話を切った。

 

これまでのことを振り返りながら俺は秋葉の家に向かう。

 

家に着いたのは九時前だった。

 

俺は相変わらず大きな秋葉の家を見上げながらインターホンを押す。

 

「来たか。寒かったろ。入れよ」

 

秋葉はこの時間に来た俺になんの恨み言も言わずにドアを開けた。

 

「しかし、留美穂に会いたいとかいきなりどうしたんだ?」

 

「いや、色々とな。お前と話とかなきゃならないことがあってな」

 

「ほぅ。それはまた後で伺うとしようか」

 

秋葉はそう言ってドアを開ける。

 

そこでは奥さんとフェイリスが二人して遊んでいた。

 

奥さんは俺を見ると軽く会釈をして、フェイリスは俺を見ると一瞬呆けたような顔をしている。

 

「……あ。りんたろうくんのおとうさんだ! なにしにきたの?」

 

どうやら俺のことを思い出したらしくなんら警戒心もなく近寄ってきた。

 

昔のニャンニャン言ってた時も可愛かったが無邪気なのも悪くない。

 

「そうだな。留美穂ちゃんに会いに来たのかな」

 

「おい、岡部。お前何を言ってるんだ」

 

冗談じゃない力で秋葉に肩を掴まれる。娘の手前、手加減しているのかピリピリと痛む程度の力だった。

 

どこまで親バカなんだよ。

 

「いいじゃないですか。折角岡部さんが来てくれたんですし」

 

奥さんの言葉で秋葉は手を離した。

 

「るみほにあいにきてくれたの? なんで? やくそくでもしたっけ?」

 

「してないよ。ただ元気なのが見たかっただけ」

 

「へんなおじさん」

 

フェイリスはそうとだけ言ってまた奥さんの方へ戻った。

 

「結局お前は何がしたかったんだ?」

 

フェイリスに触れることもなくただ見ているだけの俺に秋葉は困惑したような顔を見せていた。

 

俺としては顔さえ見れれば良かったので特に問題はなかった。

 

「目的は達成したさ。次はお前に話がある秋葉」

 

「お? やっとか。向こうで聞くよ」

 

秋葉は部屋を出てある扉を指差した。

 

「さて。なんだまた改まって」

 

「毎回ことながらお前に頼りっぱなしで申し訳ないと思うが――」

 

俺は今回の計画クルーゼックの概要を全て話した。

 

最初、『死』 と言う言葉に面喰らっていたようだが話を聞くにつれて顔が真面目になっていった。

 

「――というわけなんだ」

 

俺が話終わると秋葉は深いため息を吐いた。

 

そして校長の話が終わった学生のように肩の力を抜く。

 

「毎回ながらお前も大変だよな。まぁ、過去に戻ってきた未来人だからしょうがねぇのか」

 

秋葉は笑った。

 

こんな話を聞いても邪険に扱わない器の大きさは凄いと思った。

 

「それでだな――」

 

俺の言葉を秋葉は手を前に出して制する。

 

「待て待て。分かった。とりあえず病院を用意して、俺達には心の準備をしておけってことだな。新しいお前らを祝うための」

 

秋葉は得意げに笑うと俺に向かってそう言った。

 

「病院はあそこなら何かと融通が利く。えーと大晦日から元旦か……面倒だな」

 

独り言のようにブツブツ言いながら秋葉はもう目の前にいる俺が見えないかのようにメモ帳に何かを書き込みどこかに電話を掛け始める。

 

俺は頭を下げるとその部屋から退出した。

 

部屋を出る瞬間にチラリと見えた秋葉の顔は仕事と同じくらい真剣な顔をしていた。

 

「さて、帰るか」

 

こっちに来てから意外と人と付き合っていない事実に少しショックを受けつつ我が家に戻った。

 

「っと、ここがあったか」

 

俺は自分の隣を部屋をノックした。

 

「あいよー」

 

呑気な返事と共にMrブラウンが顔を出した。

 

Mrブラウンは俺の顔を見ると一瞬目を丸くしたがすぐに相好を崩す。

 

「おう、どうしたんすか? 部屋は隣っすよ」

 

「分かってるって。そこまで耄碌した覚えはないですよ。ただ、一言言っておきたくてですね」

 

「なんすか。改まってこっちも緊張するんすけど」

 

「ありがとう。そしてこれからもよろしくな」

 

俺はMrブラウンの返答も待たずに自分の部屋に逃げ帰るように入った。

 

なんだか面と向かって言うのは気恥ずかしい。

 

「あ、お帰りなさい。随分と慌てて帰ってきましたね」

 

丁度玄関に鈴羽がいた。

 

「ん、いや、そうだな。ただいま鈴羽」

 

「お帰りなさい」

 

「本当に鈴太郎は何もしなくて平気なんだな鈴羽」

 

「えぇ。多分。元々居ない者から生まれたとは言え、ちゃんと1992年に生まれてますからね。私達と違って生年月日が過去にある以上バグではなく手違いとして世界は判断するでしょう」

 

「そんなものなのか」

 

「世界だってそんなに暇じゃないですからね。それにそれは私が研究したんですから信じて下さいよ」

 

「分かった信じる」

 

俺達は患者服を着ながらそんなことを話していた。

 

不安を紛らわすように。

 

時刻は1999年12月31日午後11時を回った所だ。

 

さっきトイレに言った時鏡に映った俺の首が一瞬ゼリー状になっているのが見えたことから順調に事態は進行していると言えるだろう。

 

秋葉が配慮したのかそのフロアには誰もいなかった。

 

シンと静まりかえりただ寒さだけそこに残っていた。

 

「やはり餅は餅屋と言った所ですね。死ねばいいと言った所で私にはどうすればいいか見当もつきませんでした」

 

「どうするつもりだったんだよ……」

 

俺の質問に鈴羽は沈黙で答えた。

 

そしてさり気なく目を逸らしていた。

 

「まぁ、いいさ。秋葉のおかげでなんとかなりそうだ」

 

秋葉は病院には来なかった。

 

もう成功するものだと考えてパーティの準備をしているらしい。

 

「あと、留美穂が鈴太郎くんと遊びたいって言ってな」

 

そんなことを言いながら鈴太郎を預かってくれたのだ。

 

中鉢も何故か来なかった。

 

研究者として被験者を危険に晒すと言うことに耐えかねたのだろうか。

 

今ここにいるのは秋葉が手配した初老の医者と俺達だけだった。

 

「そろそろ最終説明と致しますか」

 

俺達の前に立った男の医者がそう言って女医が紙を渡した。

 

それは同意書のようなものでサインを書く欄が開いている。

 

「私達も秋葉さんの願いじゃなければこんなことしたくないです。下手すれば私達は人殺しになってしまう」

 

「だから同意書ってわけですね」

 

「……ご了承頂きたい」

 

「勿論です。わざわざすみません」

 

鈴羽はそう言ってすぐにサインをして女医に返す。俺もそれに釣られてサインをした。

 

サインした後、俺は内容を読み返した。

 

専門外なのでよく分からない単語が羅列していて意味が分からなかった。

 

「簡単に言うと仮死状態にするんですね。そして日をまたいだ瞬間に蘇生措置を行うってことです」

 

「時間との勝負ですね」

 

「そうですね。確実とは言えません。それに何等かの障害が残るかもしれません。それでもよろしいんですね」

 

「えぇ」

 

鈴羽は医者の言葉に緊張した面持ちで頷いた。

 

「それでは参りますか」

 

医者が手術室と書かれた部屋に俺達を招いた。

 

「年が明けたら皆で餅でも食べたいですね」

 

冗談かそれとも場を和ませる為に敢えていったのか医師はそんなことを言って笑った。

 

初めて手術室を見る。

 

薬品の匂いがする気がする。

 

いよいよか。

 

俺は覚悟を決めた。

 

「それじゃベッドに横になって下さい」

 

俺は言われた通りにベッドに横になった。

 

隣には鈴羽もいる。

 

恐れはなかった。

 

「倫太郎さん」

 

横を見ると鈴羽は微笑んだ。

 

いつもと変わらない様子で。

 

その顔には色々な思い出があった。

 

俺の手を鈴羽がそっと握った。

 

その様子はさながら過去に跳ぶかのように。

 

片道切符の時間旅行。

 

今度は世界を跳ぶのだ。

 

チャンスは一度きり。

 

俺は――。

 

 

真っ暗だ。

 

何もない。

 

無と言う表現が正しい。

 

上も下もない。

 

真っ黒。真っ暗。

 

聴覚も触覚もない。

 

ただ意識だけしっかりしていた。

 

目は開いているが眼前には黒が広がるばかり。

 

なにをしているのだろうか。

 

そもそもここはどこなのだ。

 

体は頭と切り離されてしまったかのように動かない。

 

そんな時だった。

 

ふと前に何か見え出した。

 

最初はうっすらとだったが、徐々にその輪郭がはっきりしてくる。

 

その姿に見覚えがあった。

 

ダイバージェンスメーター。

 

確か、2010年に鈴羽が持ってきたもの。

 

俺がリーディングシュタイナーで唯一知覚出来るもの。

 

その数字が今せわしなく動いていた。

 

デジタルで表示される七つの管がせわしなくその数字を変える。

 

ピシッ……。

 

変化は突然起きた。

 

七つの内の一つにヒビが入り始めた。

 

そしてそれは伝播するように他の管にもヒビを入れていく。

 

そして……割れた。

 

ダイバージェンスメーターは割れた。

 

それは割れると元からそんなものなかったかのように世界は暗闇に戻る。

 

「――ッ!」

 

メーターが壊れると同時に頭が割れるように痛んだ。

 

しかし、俺はその痛みの中漠然と理解していた。

 

間違いない。

 

壊れる瞬間に一瞬見えた数字は俺の脳裏に焼き付いている。

 

 

世界線は変動したのだ。

 

 

そう認識すると少しずつ世界が光を取り戻してきた。

 

「……さん」

 

聴覚も戻ってきたようだ。

 

誰かの声が聞こえる。

 

懐かしい声だ。

 

俺の意識は急激に引き戻された。

 

「はぁ…はぁ…」

 

俺は病室で寝ていた。

 

見知らぬ天井が俺の上にはあった。

 

咄嗟に手を見る。

 

ある。

 

手がある。

 

顔を触る。

 

顔がそこにはあった。

 

そして改めて周りを見回す。

 

「おい。まだ寝惚けてるのか」

 

秋葉に頬をはたかれた。

 

「いて」

 

そこには、漆原夫妻にルカ子、秋葉夫妻にフェイリス、そして紅莉栖がいた。

 

「あ、おきた。おじさんがおきた。よかった」

 

紅莉栖は俺の顔を見ると途端に泣き出した。

 

それも一目を憚らず。

 

わんわんと。

 

「誰だ、うちの娘を泣かしたのは!」

 

カーテンがシャッと開き中鉢が現れた。

 

なんだいたのか。

 

「また、貴様か。うちの娘を誑かせおって……」

 

「ふん。この鳳凰院きょ――」

 

俺は悪態と寸での所で呑み込む。

 

 

カーテンの向こうには……鈴羽がいた。

 

 

鈴太郎を抱いて頭を撫でていた。

 

俺の視線に気づいたのかこちらを向いて笑った。

 

「久しぶりですね。倫太郎さん」

 

「久しぶりだな、鈴羽」

 

鈴羽の周りには中鉢やMrブラウンがいた。

 

皆俺の様子を見て笑っていた。

 

結局試みは成功したらしい。

 

後遺症もなく世界線は変動したらしい。

 

それを知覚する術は俺には無かったのだけれど。

 

不思議なことに皆が俺との出会いを覚えていた。

 

リーディングシュタイナーは誰でも持っているものだからなのかもしれない。

 

皆が帰ると俺達は三人だけになった。

 

相変わらず鈴太郎は寝ているので実質二人だ。

 

秋葉曰く昨日フェイリスと遊び過ぎたらしい。

 

一応念の為一日は入院するという運びとなった。

 

西日が病室を朱く染める。

 

成功したのだ。

 

鈴羽にあんな思いを抱かせずに済んだのだ。

 

それだけで涙が出るほど嬉しい。

 

 

「ねぇ、倫太郎さん。あなたはなんて名前なんですか?」

 

「え?」

 

鈴羽は笑っていた。

 

俺も真意を理解した。

 

 

―俺の名前は岡部倫太郎。

 

――そしてお前の名は。

 

岡部鈴だ。

 

鈴羽は笑った。

 

その幸せを噛みしめるように。

 




これで一応物語は終わりになります。
それでは、見て下さった方、感想をくれた方、お気に入りに入れてくれた方本当にありがとうございました。


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