アイアンボトムグレイヴディガー~ショタ提督の苦悩~ (ハルカワミナ)
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プロローグ・こんなナリでも提督だ!

注意点として独自解釈を含みます。


 我輩は孤児である。

 祖父と父母の顔は知らぬ、私が物心つく前に海難事故で亡くなったと聞かされている。

 

 曽祖父はレイテ沖で戦艦扶桑とともに名誉の戦死をしたと祖母に聞いた。

 

 齢8歳になるまで祖母に育てられたが、その祖母も晩年は体を壊しがちで病を患って死んでしまった。

 祖母は極力私を海に近づかせないようにしていたのだが、潮騒の音が聞こえないと愚図る私に相当に手を焼いていたようだ。

 

 祖母が亡くなり、四十九日も過ぎぬままのある日、私は小船で海へと漕ぎ出した。

 海に出れば祖父母と父母の声が聞こえるような気がして衝動的に行ったことだった。

 

 折しも強風に呷られ、鯨のようなものにぶつかり船体を破損し、あわや海の藻屑となるところであったが、江田島と名乗る海軍司令官に助けられ今に至る。

聞けば中将だと言う。

 

 その後、親戚と名乗る人間達から四十九日も済んでないのに問題を起こすとは、とかうちでは面倒見きれない等言われ祖父母と父母が残してくれた遺産を食い潰そうとしたのを守ってくれたのも江田島中将だった。

 

 その後、海軍が設立したと言う全寮制教育施設にまで紹介してくれた。

 施設では苦しい時もあったが海軍士官学校を卒業できたのも私の命があるのも江田島中将のおかげであろう。

 感謝してもし足りない。

 そのようなわけで海軍士官学校を卒業したとき礼を述べようと軍部に問い合わせたのだが、そのような人物は居ないと一蹴に伏されてしまった。

 

 どういうことだろうか?童話の足長おじさんのような人物が現実に存在するとは思わないのだが……。

 まだ月に一回ほどだが手紙が届く。

 達筆で思わず読むときには正座をしたくなるような筆跡だ。

 

 と、そんな事を思い出して夜の鎮守府近辺を歩いていたら警官に声をかけられた。

 

「あー、キミキミ。子供がこんな夜遅くに歩いていちゃ危ないよ?お家は何処?」

 

 失礼である。……と思ったが年若い警官だ、まだ私の事を聞いていないのだろう。

 これでも齢19なのだがな……と身分を証明できるものを見せる。

 

「ハッ! これは失礼いたしました! しばらくお待ち下されば車でお送り致します!」

 

 態度が先ほどまでとは180度変わる。

 最敬礼で微動だにしない姿に苦笑し、かしこまらなくても良い、ただ夜の町を歩きたいのだ、と告げて歩く。

 思えば施設に入ってから成長がとまってしまったかのように殆ど身長は伸びなかった。

 周りでは子供少将やらショタ提督やら呼ばれているが、はぁ……威厳が欲しい。

 

「こんなナリでも少尉なのだがな……」

 

 誰に呟くでもなくひとりごちたが返事をしてくれたのは夜の蟲達だけであった。




誤字、脱字などありましたらお知らせ下さい。
めんそーれ♂様がショタ提督とロリ提督を描いてくださいました。大感謝です。

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ありえない指揮

「ちっ、なんて指揮……」

 

 その言葉は痛烈に自分の心を抉った。

 出征していた艦娘達を出迎えようと思い、執務室を出たら帰還した大井に睨まれたのだ。

 

「すまない、大井」

 

 風向きと羅針盤の誤差とは言え、対空戦闘が苦手な大井と北上に敵航空母艦がいた海域へ出撃指示を出してしまった自分の責任である。もっとフォローをするべきであった。

 

「早く入渠しましょ、北上さん」

 

 謝罪の言葉は聞こえているのだろうが、完全に無視されている。目頭に少し熱いものが滲んでしまうが部下の前で溢れさせてしまうわけにはいかない。遠ざかる雷巡二人を横目で見送り執務室に行こうと振り向いた途端柔らかいものにぶつかった。

 

「どうされました?提督」

 

 頭の上からかけられる声、ということはこの柔らかいものは……

 

「扶桑、君も早く入渠してくれ。砲塔が少しゆがんでいる」

 

 扶桑の胸に顔を埋めてしまった動揺を気取られない為にわざと感情を込めず、言い放った。

 

「あら、本当ですね。ですが提督、しばらくこのままでも良いのでは?」

 

 涙がこぼれてしまいますよ、と小声で言われ頭をなでられる。いい加減子供扱いは止めてほしいと何度も言っているのだが、何故か聞き入れてはもらえない。

 

「扶桑、止めてくれ。他の艦娘に示しがつかない」

 

 気持ち良いのだが、自分は提督である。いくら背が小さかろうと童顔であろうと軍属として舐められてはいけないのだ。

 

「扶桑、あまり提督を甘やかさないで。僕が他の子に叱られてしまうよ」

 

 後ろから声がする。秘書艦の時雨だ。この分だと執務室で説教コースになりそうだなとため息をついた。

 

「ごめんなさい、ちょうど良い位置に頭があったものだから」

 

「扶桑、それはひょっとして私を馬鹿にしているのか?」

 

 好きで身長が低いわけでは無い。ささいな抵抗だが毎日牛乳も飲んでいる。それでも癪に障る部分はあるのだ。

 

「そこまでにしておいて。提督は僕と残務整理があるんだ。扶桑も小破してるし、早く入渠してきてよ」

 

 時雨が珍しく語気を強めに言うと扶桑も諦めたらしくようやく解放してもらえた。

 早く入渠してくれよ、と扶桑に告げて執務室に向かう。

 廊下の角を私達が曲がるまで扶桑はにこやかに手を振って見送ってくれた。少し心遣いが嬉しい。

 

「あまり鼻の下をのばしていると雨に濡れる事になるよ」

 

 横に居た時雨から注意を受ける。不可抗力だと説明しても聞き入れて貰えはしないようだ。ならば少し手を変えてみる。

 

「執務室に着いたら濃い目の緑茶を淹れてくれないか。時雨の淹れてくれるお茶は美味しいからな」

 

「またそうやって話をごまかす。でも悪い気はしないかな。いいよ、僕で良ければ淹れてあげるよ」

 

 さきほどまでジト目で見つめられていたが、少し雰囲気が和らいだようだ。

 時雨の顔も穏やかになっている。やはり艦娘同士は仲良くしてもらいたいものだ。

 特に西村艦隊として一緒に戦った時雨と扶桑では。但し、私の胃はキリキリと痛む。

 後で胃薬を医務室で貰って来るとしよう。

 

「さて、今回の作戦は……かろうじて戦術的にみて勝利か。時雨、反省点や指摘等はあるか?」

 

 執務室で作戦報告書を受け取る。中破の艦娘は大井と北上、しかしこの海域での敵はかなり格下のはずだ。それが腑に落ちない。

 

「敵のヲ級航空母艦が多かった事が予想外だったね。提督からの事前情報では一隻、もしくは二隻と聞いてたよ。だから正規空母は鎮守府で待機、航空巡洋艦の最上を作戦に加えた。だけど敵航空母艦は五隻、中にはエリートも居たよ」

 

 時雨の報告に耳を疑った。鎮守府近海で敵空母が五隻?ありえない話だ。だが、実際にここまでの被害が出ている。上層部から届けられた調査報告が間違っていたのか?いやしかし……

 

「提督、聞いてる?」

 

 時雨の声で我に返る。

 

「あぁ、すまない。少しボーッとしていた」

 

 調査報告書と実際の食い違いがあった事を知られたく無かった為、咄嗟にウソをついてしまった。艦娘達には軍上層部に不審を抱かせてはならないと厳重に言われているのだ。

 そんなウソを真に受けたのか時雨がふぅと溜息をついて言った。

 

「北上さん達が心配なんだね。あまり僕としてはオススメしないけど入渠が終わったら話をしてみたらどうかな」

 

 考え事をしていた事を艦娘の調子を心配していると思われてしまったようだ。

 他の艦娘を気遣う優しさは時雨ならではだ。私はその言葉に甘える事にし、雑務を終わらせようと腕を捲った。

 

「提督は早く女の子に会いたいんだね」

 

 何を勘違いしたのか時雨の愚痴と溜息が聞こえたが聞こえないフリをした。




誤字・脱字があった場合お知らせ下さい。
扶桑と時雨が割りと好きです。


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ショタ提督、沈められる危機

 出撃した艦娘の弾薬や燃料等の補給分の計算が終わると窓の外はすっかり暗くなっていた。

 

「お疲れ様、時雨。今日の分の仕事は終わったよ」

 

 ねぎらいの言葉をかけると、ん……と伸びをして目を擦っている。大分疲れさせてしまったようだ。

 

「私はこれから大井達の部屋に行ってくるよ、時雨も疲れただろう。ゆっくり休んでくれ」

 

 行ってらっしゃい、と珍しく机の上で溶けている時雨を残し大井と北上の部屋に向かう。今度はどんな言葉が飛んでくるのだろう。嗚呼、胃が痛い。

 

「珠のお肌が傷ついちゃったー。もう!」

 

「大井っち、私の魚雷発射管曲がってない?大丈夫ー?」

 

 大井と北上は同室だ。部屋からは二人の声が響いている。良かった、まだ就寝してはいないようだ。

 深呼吸をし、ドアをノックする。

 

「二人とも、まだ起きてるか?少し話を聞きたい」

 

 声は震えて無かっただろうか?艦娘といえども女性の部屋を訪ねるのは緊張する。足柄や如月あたりなどは見抜いているのかいつもそのネタでいじってくるものだから困っているのだが。

 

「はーい、どうぞ」

 

 ドアを開けて迎え入れてくれたのは大井だ。

 ふわりと洗い立ての髪の匂いがする。動揺を悟られない為に部屋の様子を伺う、

 綺麗に片付けられているが、工具が出してある。おそらくさきほどの会話から自前の魚雷管の整備などをしていたのだろう。

 ドックに持っていけば整備員が整理してくれるだろうが、細かな点はやはり自分で整備しておきたいのだろう。

 

「あー、提督ー。いらっしゃーい」

 

 北上はクッションの上で長くなりながら間延びした声をかけてくれた。

 

「さ、提督。何かお話があったのでは?そこに居られるとドアが閉められませんよ」

 

 大井が私の両肩を掴んでグイと押す。恥ずかしながら突然のことでよろけてしまった。ぼやいても仕方がないが体格差を考えてもらいたいものだ……。

 私が姿勢を正すと二人もソファに座ってくれた。どうやらちゃんと話を聞いてくれるようだ。

 

「今日はすまなかった。私の作戦ミスだ」

 

 まずは謝罪、経緯はどうあれ艦娘に怪我をさせたのは私なのだ。

 

「私こそ提督に八つ当たりしてしまってごめんなさい、北上さんが私を庇って怪我をしてしまったものだから頭に血が上っちゃって」

 

 大井もすぐに謝罪で返す。こういう部分は好感が持てる。だが次の言葉で背中から冷水を浴びせられた気分になった。

 

「でも調査報告書とかなり食い違いがでてますよねー。一、二隻かと思ったらエリート混じりの五隻なんて」

 

「大井、お前それを何処で知った」

 

 不味い、声が少し震えてしまっただろうか。

 調査報告書は軍上層部からのもので基本的に提督しか閲覧できないものだ。

 作戦会議時に、自分がそれを元に作戦を練り情報を伝える事はあるが勝手に艦娘が覗いて良いものではない。

 

「提督の机の上に開いて置いてありましたよ?提督がそのまま忘れて行ったものだとばかり思っていましたが」

 

 大井の言葉に絶句する。馬鹿な、鍵つきの机に保管していたはずだ。しっかりと記憶に残っている。では一体ダレが?

 

「提督ー、顔色悪いよー。牛乳飲むー?」

 

 北上の間延びした力が抜けるような声がする。だがその声で少し平静を取り戻す事ができた。

 

「牛乳は顔色悪い時に飲んでも変わらないと思うのだが。あぁ、調査報告書に関してはすまない。私の落ち度であるがゆえに勝手に閲覧した事については不問にする。お詫びといってはなんだが今度間宮の羊羹でも差し入れしよう」

 

 笑顔とはこうだっただろうか。ハハハと明るく声を挙げ、胸に芽生えた不信の種を隠す。

 

「本当ですか?! ちゃんと北上さんの分も用意してくださいね!」

 

「おこちゃまなのに女心わかってるねー、提督ー。んじゃアタシからは今度牛乳を差し入れしよー」

 

 飛び跳ねて喜んでいた二人だったが、唐突に北上が私の頭をモシャモシャと撫でる。

 

「止めなさい、私は君達の上官であるからして過度な接触は好ましく無いと自制しているつもりだ」

 

 頬の体温が上がるのを感じつつも、頭に置かれた手から逃れようと北上の手を掴む。

 すると北上は反対の手を私の頬に当て、顔を覗き込む。

 

「え?提督私のこと気になってんの~?そりゃあ趣味いいね、実にいいよ!」

 

「あ、あまりからかわないでくれるか」

 

 私は両手を挙げて降参のポーズをする。

 キャッキャッと騒ぐ楽しそうな二人の姿を見て安心した。これならば今後の任務も支障は無いだろう。

 

 少しばかり牛乳についての物言いがひっかかるが悪意は無いと信じよう。

 

「では、私はこれで失礼するとしよう。あまり女性の部屋に長居してしまうと悪いのでね」

 

 軽口を叩き、ドアに向かう。この状態なら次の任務も支障は無さそうだ。円満な人間関係こそ尊ぶもの。

 

「提督、気をつけてくださいね」

 

 ドアを開けてくれた大井が笑みを浮かべて呟く。

 

 私はあまり北上の気をひいてはダメですよ?と言ってる風に聞こえたので解ってるよ、と軽口で返す。

 すると大井はスッと目を細めて小声で囁いた。

 

「私を裏切ったら海に沈めますからね?」

 

 ドアが閉まり、二人の雑談する声を背中に受けながら廊下を歩く。

 当たり前だ、大切な仲間だと思っているからこそ裏切るなど考えたことも無い。

 

「少しばかり調査報告書の件については調べてみるか……」

 

 月の光に誘われて窓から外を見る。

 虫の音と松と月が綺麗な夜だった。

 

 これで少しは胃の痛みも晴れようか。

 

 ……川内が松の木に模擬戦用魚雷を投げつけていたが、それはまた別の機会に語るとしよう。




鎮守府内でのショタ提督の立場は割りと好意的。


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あさごはんはたのしいな

「提督、朝だよ。良い雨だね」

 

「どう見ても快晴に見えるのだが、時雨。後、男の部屋には気軽に入っていいものではないぞ」

 

 カーテンが開けられている。今日も良い天気になりそうだ。

 目の前には時雨の顔がある。少し跳ねた黒髪、晴れた海原のような青く澄んだ瞳。

 見つめていると吸い込まれそうに堕ちて往く予感がする。

 手をのばしてその瞳に触れたい衝動を必死で抑えた。

 自分の顔は赤くなっていないだろうか。

 

 しかし……そんな幻想は次の言葉で一瞬で吹き飛んだ。

 

「女性扱いしてくれるのは嬉しいけれど、提督の寝顔は可愛らしいからね。僕に弟が居たらこんな感じなんだろうね」

 

「弟か……すまないが着替えるから部屋から出てくれないか?」

 

 自分に犬の尻尾があったらそれはもう綺麗に三日月を描いて足の間に入り込むくらい落胆しているであろう。

 

 そんな事を考えていたらさらに追いうちをかけられた。

 

「え?ダメだよ提督。僕が着替えのお手伝いをしてあげるんだから」

 

 これは完全に男として見られていないらしい。

 自分の脳みそが沸点まで達する前に時雨を部屋から追い出さねば。

 ……と思っていたら物凄い衝撃音と振動で部屋が揺れた。

 

「ッ! 敵襲か!?」

 

 慌てて衝撃音がした方に視線を向ける。

 

 ……扶桑がドアに砲塔をぶつけていた。

 

「何をしている、扶桑……」

 

 朝から疲れたくないのだがな、と心底あきれた風を装って額に手を当てて問う。

 

「い、いえ……提督がいつまでも起きてらっしゃらないので遠征帰りがてらに寝顔を……じゃなくて起こしに参りました」

 

 そうか、それで艤装を装備したままだったのだな。あわあわと手を振る扶桑、あまり快適ではない覚醒を迎えてしまったので少し意地悪をしようと問いかけてみる事にする。

 

「扶桑、君も弟の寝顔を出歯亀しに来たのか?」

 

「え……弟ですか? それは一体……」

 

 そのまま扶桑の視線が時雨を捉える。

 時雨はむぅとむくれたような顔をしていたが、それを見て何かをひらめいた様だ。

 

 笑みを浮かべ、扶桑が自分に近づいてくる。何か嫌な予感がする。

 

「あら、そういうわけではありません。それに弟でしたらこういう起こし方はできませんよね?提督」

 

 視界が真っ白に染まる。

 柔らかいモノに顔が埋まる。

 洗い立ての衣服と石鹸の匂いがする。

 これでも人並みに性欲はあるのだ、朝ということも相まってこのままでは恥ずかしい事になってしまう。

 

「ふぁなひはまえ、ふほう(離したまえ、扶桑)」

 

 駄目だ、口もしっかりと固定されてしまっている。

 

「提督、そんなに喋ると弾薬庫がちょっと心配です……」

 

 扶桑がクスクスと笑いながらこんな事を言うが、こんなところで弾薬庫に誘爆は勘弁願いたい。

 明日の新聞に淫猥提督、寝室で艦娘に手を出し爆発!なんて見出しで載ってしまう。

 初雪などは普段から提督爆発しろ等とからかってくるのだが……。

 あぁ、しかし柔らかい。このまま目を瞑って寝てしまうのも有りかもしれない。

 

「扶桑、提督。君たちには失望したよ……」

 

 冬の雨のように底冷えのする声が響く。

 今は夏なのだが、部屋に冷房でもかかっているのだろうか。

 

「時雨……? 貴女にとっては提督は弟みたいなものなのでしょう?なら私がどうしようと勝手じゃないのかしら」

 

「僕が先に提督を起こしに来たんだから邪魔はしないでくれるかい?」

 

 頼むから煽ってやらないでくれ、扶桑。

 時雨も魚雷発射管を向けるのはやめなさい。

 怒らない子ほど怒らせると怖い。

 というか時雨も扶桑も怒らない娘だったな。

 

「今は僕が提督の秘書艦だよ。その僕が提督の朝の支度を手伝うのを邪魔しないでくれるかい?」

 

 嗚呼、胃が痛い。誰かこのレイテ沖海戦を止めてくれないだろうか……。

 と、思っていたら静かだが凛と通る声が止めてくれた。天の助けとはこのことか。

 

「司令官、朝食が冷めてしまうよ。鳳翔がせっかく作ってくれたのに彼女の悲しむ顔を見たいのかい?」

 

 救いの神はまだ自分を見捨ててはいなかったようだ。

 ドアの方に顔を向けると数人の艦娘が居たが声をかける勇気があったのはどうやら一人だけのようだ。

 

「あぁ、すまない響。すぐに行く」

 

 この状況から抜け出せるのが嬉しくてすぐに答えた。声が上ずってしまったのは御愛敬だ。

 

「了解、それからそこの二人。司令官が着替えられなくて困っているみたいだ。すみやかに部屋から退出したまえ」

 

 渋々といった風に扶桑と時雨が部屋から退出する。

 こういう時に冷静に指示ができる人間は少ない。

 自分が知る限りでは加賀か響くらいだろうか。

 最も加賀の場合口数が少なくて誤解されてしまう節があるのだが。

 他には不知火もいるが、たまに落ち度1000%クラスの大ボケをかます時があるので注意したい所だ。

 

 

「では早く着替えたまえ、司令官。私は部屋の外で待機していよう」

 

 ドアの前に群がっている艦娘達を響が解散させると静けさが戻ってきた。すぐに着替えるとしよう。

 

「響、待っていてくれたのか。さっきはすまない、そしてありがとう」

 

 ドアを開けると銀色の髪の娘が腕を組み、壁を背につけて立っていた。さきほどの騒動を鎮めてくれた謝罪と礼を述べる。

 

「なあに、いいんだよ。司令官が仕事をスムーズに進めるための協力は惜しまないさ」

 

 窓から差し込む太陽が響の髪に反射して一瞬金色に見え、眩しさに目を瞬かせた。

 綺麗な髪だ、フランスのアンティークドールでもここまで目を奪うものは早々無いだろう。

 

「そうか、改めて礼を言う。ありがとう響」

 

 髪に見惚れてしまっていたのをごまかす為に言葉を発する。少し顔が熱い。窓から差し込む日光に当たったせいだろうか。

 

「本当に……司令官は鈍感なんだね。視線に気付いていないとでも思ったのかい?」

 

「何か言ったか? 響」

 

 食堂に通じる廊下を二人で歩く。クスクスと横で笑う響の顔が少し赤いのも朝日に当たったせいだろう。

 白い肌に朱が映える。つついて触れてみたい誘惑はあるが、騒動を静めてくれた恩人に対して失礼だろう。グッと我慢した。

 

「触れてくれても構わないのだけどね、司令官」

 

 響がポツリと呟いた気がしたが、自分がまだ寝惚けているせいだろう。その証拠に聞き返してみたが、何も言ってないよとシニカルな笑顔が返ってきただけだった。

 

「提督、おはようございます。今日は遅いお目覚めですのね」

 

 食堂では赤城がお茶をすすっていた。

 ちらほらと艦娘が居るが、朝食はほぼ全員が摂ったようだ。

 

「あぁ、おはよう赤城。少し騒動があってな」

 

 背中越しに聞こえたのだろう、扶桑と時雨がビクリと身を震わせる。扶桑は艤装をちゃんと降ろしてきたようだな。それにしても何もあんな食堂の隅に居なくても……と思ったが反省を促す意味も込めて、もうしばらくは放っておく事にした。

 

「おはようございます、提督。どうぞ、冷めないうちにお召し上がりくださいね」

 

 お盆に鳳翔が朝食を載せて持ってきてくれる。

 そういえばちゃんと人間の給仕係も居るのだが、何故鳳翔が食事を作っているのだろう。

 まぁ、美味しいから良いのだが。今度暇が出来た時にでも聞いてみる事にしよう。

 

「ありがとう、鳳翔」

 

 礼を言って手を合わせ、早速箸をつける。味噌汁、鯵の開き、白米、香の物、胡瓜のタタキ。そして牛乳。

 牛乳は無理を言ってつけてもらっているのだが、朝はやはり和食だろう。それに鳳翔が作ってくれる食事は美味しい。

 と、三人分の視線が自分に向いている事に気がついた。

 

「どうした? 響、赤城、鳳翔」

 

 何か食事マナーが悪かったのだろうか、不安になってしまい問いかけてみる。

 

「司令官が美味しそうに食べているからね。私も和食を勉強してみようかなと思っただけさ」

 

「響ちゃんならすぐに覚えられますよ、私も協力しますからね」

 

 自分の言葉に鳳翔と響が楽しそうに会話をしている。

 二人の作る食事か、そういえば響が夜食にと作ってくれたボルシチは美味かった。和食の方もこの分だと期待できるだろう。

 

 顔が緩み、楽しみにしている自分がいる事に気づいた。

 

 あぁ、駄目だ駄目だ。こんな事だから威厳が足りない等と伊勢や日向達にからかわれるのだ。

 

「私は提督が食べている姿を見るのが好きなので」

 

 鳳翔と響から視線を横にずらし、赤城と目が合った時そのような言葉をかけられた。

 

「赤城は主に自分が食べている時が一番幸せだと思ったのだがな」

 

 人が食べている姿を見るのが好きというのは少し意外であった。

 

「勿論誰でも良いと言う訳ではありませんが……っと、提督、失礼」

 

 赤城の手が顔にのびる。

 

「御飯粒が頬に。お茶碗の縁についてたのがくっついてしまったのですね」

 

「あぁ、すまない。恥ずかしい所を見せてしまったな。赤城、このハンカチで指を……」

 

 ハンカチをポケットから出そうとした時には赤城は指を自分の口の中に入れていた。鳳翔、響は硬直している様だ。かくいう自分も一瞬思考が固まってしまっていた。

 時雨と扶桑の方向から湯呑みかなにかが落ちるのが見えたが私の心はそれどころではない。

 

「ご馳走様でした、提督。ふふ」

 

 花が咲くような笑顔を向けられて思考が更に真っ白になってしまった。

 新手の嫌がらせだろうか。あまりからかわないで欲しいものだ。

 

「あぁぁあああぁかぎさん、あなあなた何を……ッ!」

 

 珍しく鳳翔が慌てている。

 落ち着け、貴女と言うべきところが穴貴女になっている。

 たしかに赤城の胃袋は穴が空いているが……。

 鳳翔はよく私に冗談混じりで若妻のようにご飯にしますか、お風呂にしますか、それとも……等と聞いてくるのだが。

 

 こんな慌てた鳳翔を見るのは彼女が揚げ物をしている時に油が引火してしまった時以来だろうか。

 あの時は咄嗟に鳳翔を庇ったが、少々火傷を負ってしまったのと軍服を一着ダメにしてしまった。

 食材を無駄にしてしまった事がショックだったのか、私の火傷を手当てしながら艦娘を庇うなんて、と散々泣かれてしまった。

 

 まぁ今はそれは関係無いのでまた機会がある時に話すとしよう。

 

「早い者勝ちです。空母たる者、先手必勝ですよ?」

 

 胸を張って赤城が答える。このままではまた朝のように一触即発な雰囲気になってしまうと考えたので、昨日からの疑問をこの三人に聞いてみる事にした。

 

「執務室……によく出入りしている娘……ですか? いいえ、知らないですね」

 

「私も存じ上げません。最近は大抵此方に居るものですから」

 

 赤城と鳳翔は知らないようだ。

 

「響はどうだ? 何か知らないか?」

 

 食後のお茶を啜りながら響にふってみる。

 

「うーん、ここ最近青葉をよく執務室の前でみかけるよ。もしかしたら相談事でもあるのかもしれないね」

 

 青葉か……この間は自分の風呂上りに妙な写真を撮られた記憶がある。

しかも艦娘の間では間宮のアイス並みの価値で物々交換されているようだ。

 写真を全て回収しようと奮闘したのだが……長くなるのでその話はまたの機会に語る事にする。

 

「響、ありがとう。では私は少し青葉を探してみる事にしよう。それと鳳翔、御馳走様。美味かったよ、良い奥さんになれる腕だ」

 

 鳳翔は赤くなりながらブツブツと何かを呟いている。

 響はそんな鳳翔の頭を撫でている。どちらが年上なのやら。

 

「あの、提督。私には何もないのですか?」

 

 赤城が少し口を尖らせながら聞いてくる。

 

「赤城はつまみ食い禁止だな」

 

 ぷぅとむくれる顔が可笑しい。先ほどのお返しとして少し意地悪を言ってみた。

 

 さて、青葉を探しに行こう。




ヤンデレ化しそうな子が何人か……でもまだまだ健全進行です。
あとショタ提督はかなり純情です。


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深海棲艦とにんぎょひめ

「司令官さん、どうかしたのですか?」

 

 青葉を探して外を歩いているとふいに上から声がした。電だ。脚立に登り、松の木に引っ掛かっている何かを取ろうとしているようだ。

 

「どうした電。何をしている。取り合えず危ないから降りてきなさい」

 

 自分が脚立に登っている電を下から見上げる形になってしまっていたので目のやり場に困る。

 スカートの中から白いものがちらちらと見えていた。

 慌てて顔を背ける。

 

「はい? あ! はわわ!? 恥ずかしいよぉ! 司令官さんエッチなのです!」

 

 電が脚立から手を離し、両手でスカートを押さえる。そんな事をしたら安定が……。

 

「え? きゃ、きゃあ!」

 

 案の定ぐらりと脚立ごと悲鳴をあげた電の体が後ろに倒れる。咄嗟に腕を差し伸べるが、嗚呼、自分の身体が恨めしい。

 

 ……如何せん身長も力も足りなかった。

 

 電の体重を腕に感じた瞬間、支えきれず尻餅をついてしまった。

 その上で電がしがみついてきたので当然体は後ろに倒れこむ。

 背中をしたたかに地面へと打ち付けてしまった。

 

「いたたた……なのです。はわ!? 司令官さん、大丈夫なのですか!?」

 

 大丈夫なのだが、腹の上に乗られていると苦しくて声が出せない。パクパクと口は動くのだが、酸素が余計に抜けていくだけだった。

 

「はわわわ、司令官さんの声が失われてしまったのです!? 人魚姫の呪いなのです!」

 

 落ち着け、電。貴様は何を言っているんだ。取り合えず上から退いてくれ、苦しい。

 

 それに酸素を取り入れないと人間は窒息してしまう。辛うじて動く指で口を指差し、酸素不足の金魚のようにパクパクと口を開け、ジェスチャーをしてみる。

 

「わ、わかりましたのです! すぐに!」

 

 判ってくれたか、流石私がこの司令部に着任してからの付き合いなだけはある。

 しかし次の言葉で私の希望は儚く崩れ去った。

 

「司令官の声を取り戻すために電、頑張るのです!」

 

 待て、何を頑張るつもりだ。

 私の腹に跨がっている脚と胸を圧迫している手をどけてくれるだけで良いのだ。

 不味い、脳に酸素が足りていないせいか目の前が暗く……。

 

「司令官さん、司令官さんがこの司令部に着任された時、電は初めて秘書艦にしてもらってとても嬉しかったのです。だからずっとご恩返しをしたかったのです……」

 

 何やら電が喋っている。

 頬に筆で撫でられる様なくすぐったい感触が当たった直後に唇に柔らかいモノが押し当てられた。

 暗いと思ったのは電が覆い被さったせいか、等とぼんやりとした頭で考えていた。

 あぁ、このまま目を瞑れば深海の中に意識は沈んでいくだろう……。

 

「勝手は! 榛名が! 許しません!」

 

「はりゃあーっ?!」

 

 と、突然体の上の重みが電の悲鳴と、怒号と共に消えた。

 胸を圧迫するものが無くなったので思いっきり酸素を取り込むと久しぶりの刺激に肺が狂喜したのか激しく咳き込んでしまった。

 

「ゴホッ……榛名か、助かった……」

 

 目の前にいたのは巫女装束に似た衣装を纏い、腰まで届こうかという美しい黒髪を持つ艦娘だった。

 一瞬神様の国からお迎えが来てしまったと思ってしまったが、説明次第では本当にお迎えが来る羽目になってしまう。

 

「提督、何をなさっておられるのですか?」

 

 いつもにこやかに礼節と一歩引いた節度を保っている彼女だが今日に限っては笑顔が恐ろしい。

 自分にも訳が解らないが、ありのままを説明する事にした。

 

「いや、脚立から落ちた電を助けようと……」

 

 説明しようとしたら先程榛名に放り投げられた電が顔を涙でくしゃくしゃにして胸に飛び込んで来た。

 

「司令官さん! 声が戻ったのです!」

 

 そして再び唇を重ねられた。

 嗚呼、海軍士官学校の皆、元気にしているだろうか。

 人の夢と書いて儚いと読むのだよ。なんて素敵な響きなのだろうか。

 そして二十歳になる前に初めて女子の唇の感触を知ったのは不幸であろうか幸運であろうか……。

 

「提督……? これが運命ならば……受け入れます……ごめんなさい……」

 

 待て榛名、言っていることとやっている事が違う。

 四一式36cm砲が此方を向いている。名残惜しい感触だったが電を両手で引き剥がし、聞いてみることにした。

 

「電、榛名落ち着け。しかも声が戻ったとはどういうことだ」

 

「司令官さんは呪いにかかってしまったのです! この人形の呪いで声を失ってしまったのです!」

 

 電はそう言うと魚雷が刺さっている名状しがたい人形を目の前に突きつけてきた。

 焦点を合わせると惨値(さんち)とやらが石臼でゴリゴリと削られていくような気がする。

 私は極力その人形から目を背ける事にした。

 電が木から取りたかったのはコレだったのだろう。

 先程の騒ぎで木から落ちてきたようだ。

 

 榛名もヒッと短く声をあげてへたりこんでしまった。

 だが電は得意そうに人形を掲げると言った。

 

「これは深海棲艦の人魚姫なのです! 司令官さんはこの人形に呪われてしまったので、電が呪いを解いたのです!」

 

 ……私も榛名も唖然としてしまった。

 電はこのような残念な娘であっただろうか。

 胃の痛みとともに頭も痛くなってきた……。

 

「えーっと、電ちゃん? それで提督を押し倒してキスをしたのとどういう関係があるの?」

 

 榛名もコメカミに手を当てながら電に質問すると、電は下を向いて顔を赤らめながらあわあわと答えた。

 

「人魚姫の呪いはキスで解けるって金剛さんがお話してくれたのです……。イギリスの童話はキスをすると幸せの魔法がかかる、らしいのです」

 

 なんて事だ、確かに童話としては間違いでは無いが勝手に改変したものを教えるのは如何なモノだろう。

 後で童話の本当のストーリーを駆逐艦娘達を集めて教えなければならないのだろうか。

 

 どっと疲れたが榛名の誤解は解いておこうと口を開いた。

 

「あー、ゴホン。榛名、私は脚立から落ちた電を助けようと……」

 

「あ……はい、榛名は大丈夫です……」

 

 察しの良い榛名の事だ。大体の事は想像がついたのだろう。

 

「それと電、その人形は川内の野戦練習用の的だ。おそらく那珂のキャラクターグッズだろう。その証拠に頭の両サイドにお団子がついているだろう。」

 

 あまり見たくは無いのだがボロボロになって目も飛び出した人形に目を向ける。モザイクがかけられたらどんなに幸せだろう。

 

「はわわ!? これは那珂さんだったのですか!? では那珂さんに返してくるのです!」

 

「あ、おい。待つんだ!電!」

 

 あっという間に電は走り去り、後には榛名と自分が取り残された。

 その後、那珂が川内への罰として割と恥ずかしい衣装を着せ巡業に連れて行くことになったが、これはまた別の機会に語ろうと思う。

 

 榛名もかなり疲れたようだ。姉のした事とは言え、間違った童話を教えていた事に責任を感じているらしい。

 部屋に帰って休む様に命令する。

 

「私の疲れを見抜いたのですね……提督、ありがとうございます。榛名、お休みしますね……」

 

 フラフラと頼りない足取りで、宿舎に戻る榛名。

 責任感の強い榛名の事だ、おそらく姉が教えた間違った童話を全部教えなおそうと考えているのだろう。

 駆逐艦娘達の童話勉強会を開き、榛名に手伝って貰えば気も晴れるだろうか。

 後で秘書艦の時雨に連絡して榛名に伝えるとしよう。

 

 さきほどの騒動のせいか妙に疲れた、カラダも重い……。が、物事にはやらなければならない事もある。

 

 私は自分の膝と頬を叩いて性根を入れ直す。

 思わぬところで時間を食ってしまった。青葉を探しに行こう。

 

 ……気を抜くと唇を指がなぞってしまうが、彼女にとっては人工呼吸みたいなもので人命救助をしたかっただけだろう。

 

 そのような感情を抱いては失礼だ。この記憶は自分の胸の中にしまっておく事にする。

 

 ……その後遠征先で偶然遭遇した敵戦艦を一撃で沈めた電を何かおかしいと思い、雷が電を問い詰めたところ、雷から鎮守府中を追い回される羽目になるのだが、それはまた別のお話。

 




ここまで読まれた方は気付いたかもしれませんが果てしない物語が好きです。
それとお気に入り&評価ありがとうございます。


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死にたがりとさびしんぼ

「青葉、何をしている」

 

 到って簡単に見つかった。

 建物の外を歩いていると執務室のドアの前をウロウロしている青葉が目についたのだ。

 

「あ、司令官、青葉、見ちゃいました……」

 

 何を見たのだろうか。

 とりあえず執務室の前だと人目につくので中に招き入れる事にした。

 

「で、何を見たんだ?」

 

 執務室の椅子に腰掛けて問う。疑いたくは無いが、青葉が機密書類を漁った犯人だとして最悪の事態を想定、ピストルはいつでも抜ける様にしておく。

 最も艦娘相手に効果は薄いのだが……。発砲音で誰かしら駆けつけるだろう。

 

 できれば使いたくはないが。

 

「はい! 私の情報によるとですね。軍上層部は、この司令部にあまり良い印象を抱いて無い様です」

 

「あぁ、それは私も理解している。この間も陸軍の辻という名前の中将からはこんな子供が海軍少尉とは世も末だと言われたよ」

 

 他にも散々罵倒されたが、思い出すだけで腸が煮えくり返る様だ。

 陸軍と海軍の仲が悪いのは今に始まった事ではない。

 

 海軍上層部も私の司令部を陸軍からの文句の捌け口、いわゆるスケープゴートにしようとしている節があると少将まで上り詰めた提督仕官学校時代の友人から教えられた。

 

 提督によっては任務を遂行させる為に駆逐艦の艦娘をわざと轟沈させて成功率を上げたりしているようだ。

 上層部でもそのような手法がまかり通っている事は周知の事実だ。

 

 だが真っ向からその様な作戦に反対していれば反発も買うだろう。

 つまり、この司令部の私という存在は少々鼻つまみ者であるのだ。

 情報に聡い青葉の事だ。

 私が軍部で風当たりが強いことを知っていてもおかしくは無い。

 

「だが、お前たちはかならず護る。一人たりとも轟沈させたりしない。だから信じてくれっていうのはムシが良すぎるか」

 

 青葉の目を見ながら注意深く言葉を選ぶ。

 しかし青葉はキョロキョロと落ち着き無く目を動かしている。

 何か言えない事でもあるのだろうか。

 ……もしや本当に青葉が犯人なのだろうか。

 

「……きょーしゅくです。司令官、ですが……ちょおっと深入りしすぎたようです」

 

 青葉が7,7mm機銃を水平に構える。

 ちょうど今の自分の眉間あたりに照準がついているのだろう。

 額にペン先を近づけたようにムズムズする。

 コッソリとゴキブリとヘビのゴム製オモチャを中将のカバンに忍ばせておいたのだが……まさかそれくらいで殺されてしまうハメになるとは。

 どれだけ尻の穴の狭い人間だろうか、あの男は。

 

「青葉、私を撃つのか?」

 

 喉が渇く。

 机の下に隠したピストルが手汗でヌルヌルとすべり嫌な感触を伝えてくる。

 

「よく見えますねぇ……」

 

 青葉には私の声も届いてないようだ、照準を覗き込みながら呟く。

 艦娘の艤装での機銃掃射では普通の人間が撃たれたら即ミンチであろう。

 どうする?一か八かで青葉を撃つか?

 そんな事を考えていたら可笑しくなってしまってフフと息が漏れる。

 

「出来ない、な。青葉、すまない」

 

 艦娘を傷つけることはしたくない。

 そもそも青葉はあの陸軍中将からどんな辛い命令を受けているのか。

 おそらく姉妹艦の衣笠を轟沈させるとでも脅されているのだろうか。

 

「青葉、君が人殺しの業を背負う事はない。大丈夫だ、私が起こした問題は自分で責任を取る。だから後ろを向いて執務室から出ていきたまえ」

 

 瞳を閉じ、ゆっくりと自分のコメカミに銃口を当てる。

 ヒンヤリとした冷たさが心地よいと感じてしまうのは自分がおかしくなっている証拠だろうな、と考えたら不思議と口角が上がるのを感じた。

 自分は笑っているのだろう。

 そうだ、おかしい人間ならばこれで良い。

 

「え?」

 

 青葉の素っ頓狂な声が聞こえる。

 なんだ、まだ出て行ってなかったのか。

 まぁ良い、引き金に人差し指をかける。

 後の事は時雨が引き継いでくれるだろう。

 彼女は有能だ。

 嗚呼、しかし心残りが一つだけ、また別れを経験させてしまう事だろうか。

 願わくば、また独りで泣く事は無いようにと祈る。

 彼女の戦跡を辿り涙した事は私が墓まで持っていこう。

 

「すまない」

 

 けして彼女に届く事は無いだろうが、謝罪の言葉を述べ人差し指に力を込める。

 

「わぁぁぁあ~! ダメェッ!」

 

 悲鳴と発砲音とで鼓膜が鳴っている。

 天井からパラパラと壁材のかけらが降ってくる。

 どうやら銃弾は天井に当たったらしい。

 私の腕を捻りあげているのは青葉だろうか。

 痛いので離して欲しい。

 

「青葉、すまないが邪魔をしないで欲しい。後、腕が痛いので離してくれないか」

 

 せっかく人が覚悟を決めたのに邪魔をするとは……。

 目を開け、腕を捻りあげている青葉を見る……誰だ?

 

「君は誰だ?」

 

 私の腕を捻りあげているのは青葉ではなかった。

 正面を見ると腰を抜かしている青葉が居る。もう一度右腕にへばりついている艦娘?を見た。

 ゴーグルをつけ、白い水着らしきものを着ている。

 おそらく潜水艦娘なのだろう、道理で気配にも気付かなかったわけだ。

 

「とりあえず離してくれ。腕が痛い。」

 

 なるべく落ち着いたトーンで言ったつもりだったが自分の右腕に張り付いた艦娘?はブンブンと首を振るだけだった。

 とりあえず空いている左手で右手のピストルを机に置く。念のためにセーフティレバーもかけておく。

 銃が離れたことで安心したのかようやく捻る力が弱くなった。

 

「もう一度聞く、君は誰だ?」

 

「ま、まる……」

 

「その艦娘が司令官の部屋に出入りしてたんだよ! 青葉、見ちゃったんだ……」

 

 右腕にへばりついた艦娘の言葉をさえぎるように青葉が喋る。

 まだ腰を抜かしているようだが、カーペットに染みが広がっている所を見ると粗相をしてしまったらしい。

 

「そうか、じゃあ君の名前を教えてくれないか?」

 

 このままでは銃声を聞きつけた艦娘が押し寄せてくるだろう。

 ある程度事情説明ができる様に情報は整理しておきたい。

 

「まるゆはまるゆです! 陸軍が開発した秘密兵器です!」

 

 私の右腕にぶら下がりながらまるゆと名乗った艦娘は自慢気に自己紹介をした。

 

「そうか、じゃあまるゆは陸軍の命令を受けて私を暗殺しに来たんだな?」

 

「え? まるゆはそんな……」

 

「司令官! 離れて!」

 

 腰を抜かしたままの青葉がまるゆに機銃の照準を向ける。

 慌てて私の背に隠れるまるゆ。

 嗚呼、誰かから、どいてそいつ殺せないとか言われそうだ。

 

「まるゆは人殺しなんてしません!」

 

 私の背中で大音量で喋らないで欲しい。

 

「嘘だッ! 青葉見てたもん! アンタがモグラみたいに隠れて司令官の机を漁っていたとこ!」

 

「モグラじゃないもん。まるゆだもん!」

 

 五月蝿い。ここは息を吸って……

 

「五月蝿い! とりあえず落ち着け! 貴様等!」

 

 執務室のガラスにヒビが入った。

 自分の声は凶器になりうると自覚しているほどには高いのだが、ここまでとは……。

 深呼吸をし、一呼吸置いてから質問を続ける。

 

「どうしてまるゆは海軍司令部に来ていたんだ?」

 

「……まるゆは陸軍の偉い人になんでもいいから海軍隊長さんの邪魔をしてこいと言われたんです。」

 

 目を回しながらまるゆが質問に答える。

 

「そうか、じゃあ何故執務室に出入りしていた?」

 

「海軍上層部からの報告書がこの机の中にある事は知っていたので落書きしたら海軍隊長さん困るかなと思ってたんですが、その人と海軍隊長さんが部屋に入って来たので……。」

 

 まるゆは青葉を指差す。その人とは青葉の事だろう。

 全力で脱力した。

 ただの嫌がらせをしたかっただけなのか。

 

「もう一度聞くがまるゆは本当に暗殺等考えていないんだな?」

 

「はい! まるゆのバラストタンクを賭けても良いです!」

 

 どうやらまるゆは艤装も一切無いようだ。

 ならば殺意が無いのも本当なのだろう。

 自分の命に関わる事では無いので安心したが、悪事は悪事だ。

なにかしら考えておくことにしよう。

 だが、まずは青葉だ。

 電探を装備しているせいかさきほどの私の声で想像以上のダメージを受けているようだ。

 まだへたりこんでいる青葉に近づいて声をかけてみる。

 

「青葉、大丈夫か? ……ウグッ!」

 

 手を差し出そうとしたら右肩に激痛が走った。

 どうやら捻りあげられたとき外れていたようだ。

 アドレナリンが分泌されていたようで気付かなかったが、さすがはまるゆも艦娘といったところか。

 仕方なく左手で青葉の肩に手を置く。

 

「し、れい、かん?」

 

 かろうじて言葉を発する青葉。

 その横に膝をついて再度声をかける。

 膝に冷たい感触がじわりと染込む。ズボンはクリーニングだな、と半ば諦めた。

 

「そうだ司令官だ。青葉、大丈夫か?」

 

 その瞬間パァンと乾いた音が執務室に響く。

 青葉に頬を叩かれたと理解するまでに数秒かかった。

 

「司令官は馬鹿ですか! 青葉は司令官をおまもりしようとしたのにどうして自殺するんですか!」

 

「いや、まだしてないぞ。ちゃんと生きてるだろう?」

 

「黙って下さい! 青葉は……青葉は……!」

 

「あぁ、すまない。だが青葉も悪いんだぞ?あんな紛らわしい言い回しするから青葉が陸軍から暗殺指令を受けたのかと……。」

 

「煩いです! このボケナス! 鈍感! 女タラシ! 見た目ガキンチョ! モグラ!」

 

「モグラじゃないもん! まるゆだもん!」

 

 まるゆはモグラと言われると怒るらしい。

 後、青葉、右肩を掴まれると痛い。

 随分と理不尽な罵詈雑言を投げつけられ怒られているが、まぁ仕方ない。

 ドタドタと外が騒がしい、我先にと廊下を走っているようだ。

 ヤマトナデシコたるもの廊下を走るなといつも言っているのだがな、と苦笑いを浮かべていたら艦娘達が執務室に転がり込んできた。

 

「提督?! 今銃声が! ……青葉?」

 

 時雨が息を切らせて青葉の名前を呼び絶句する。

 何が起きているのか理解の範疇を超えている様だ。

 青葉は泣きじゃくって粗相をした後が残っているし、自分はその青葉を左腕で抱きしめる形だ。

 

 日頃から鈍感と言われている私でもこの後の事は容易に想像がつく。

 

「あらあら~、提督ったら泣き叫ぶ青葉ちゃんを無理やり手篭めに~?」

 

 しかもこの状況でガソリンに火をつけるような事をさらりと言う龍田。

 

「見損なったぜ、提督! 子供だと思っていたらこんな事! オレはっ! オレはッ!」

 

「あらあら~、天龍ちゃん泣いちゃった~。よしよし~。」

 

 天龍をいじりたいがために上官を奈落の底に突き落とす。

 龍田ならではだろう。

 いや、この場合恨みもあるのだろう。

 この間古いかき氷機を見つけたので直すのを手伝ってくれた天龍とかき氷を食べているところを目撃されたのだが、そんなに龍田もかき氷を食べたかったのだろうか。

 

 しばらく口も聞いてくれなかった。

 やはり食べ物の恨みは恐ろしい。

 

「提督、いい天気ですね……」

 

 扶桑の声が聞こえる。彼女ならばようやく落ち着いて話ができそうだ。

 

「扶桑か、すまないがタオルを取って……くれない、か?」

 

 少しばかり安堵して視線を扶桑に向ける。

 おかしい、瞳から生気が感じられない。

 しかも執務室のドアと壁は砲塔で破壊され、全砲門がこちらを向いている。

 

 修理費は自分持ちだろうなぁと溜息と涙が出そうになる。

 他の艦娘も広くなった執務室の入り口から入って来た。

 とりあえず状況説明しないと収まらないだろう。

 

 嗚呼、胃が痛い……。

 青葉は着替えてくると言い放つと執務室を出て行ってしまった。

 後でフォローをしておこう。

 

 ……その後青葉の粗相についての名誉回復に私は東奔西走する事になるのだが、それはまた別の機会に語ろう。




誤字・脱字などあればお知らせ下さい。
読んで頂いてありがとうございます。


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おばあちゃんの煎餅の味

「陸軍中将のカバンに悪戯したら暗殺されそうになったぁ?!」

 

 執務室のソファで笑い転げているのは暁である。

 レディたるもの大口を開けて笑うものではないと思うのだが。

 

「暁、あまり笑っては提督が泣いてしまうよ」

 

 諌めているのは時雨だ。誰が泣いたりするものか。

 暁め、毎朝牛乳を飲んでいる仲間にたいしてそれはないだろう。

 毎朝牛乳同盟は他に電と瑞鳳、大鳳と龍驤が居るがこれはまた次の機会に話そうと思う。

 

「提督、肩の調子は大丈夫かい? 明石に骨を接いでもらったとはいえ無理は禁物だよ」

 

 時雨が外れた肩を気にかけてくれているようだ。

 あの後、金剛に提督は私を手篭めにするのデース!などと言われ、外れた右腕を引っ張られ余計に悪化したのだ。

 整体が得意な明石を呼んだが、ここまで酷い脱臼は見たことが無いとまで言われて包帯を巻いて固定するハメになってしまった。

 罰として金剛には汚れたカーペットと掃除を頼んだのだが、思ったより綺麗になっていた。

 聞けばイギリス流ハウスキーパーのテクニックなのだと言う。

 流石メイド発祥の国だ。

 

「会議中に中将が資料を入れたカバンからがヘビやゴキブリを取り出して大騒ぎになった、と陸軍では有名になっていましたが隊長さんの仕業だったのですね」

 

 まるゆが煎餅を頬張りながらクスクスと笑っている。

 敵意も艤装も無い様なので対潜水艦戦が得意な五十鈴を見張り兼護衛に置き、制限つきだが比較的自由を与えている。

 

「しっかし提督も無茶するわね~、人間の身体で艦娘に勝てるわけないじゃない。バカなの?」

 

 ツインテールにした髪先を指でいじりながら五十鈴が会話に入ってくる。

 艦娘達に説明を求められた時、咄嗟に自分が侵入者の艦娘に戦いを挑んだ、という話をでっちあげたのだが思ったよりうまく収束した。

 

 ……青葉とも口裏を合わせておかなければいけないな……。

 医務室に痛み止めを貰いに行った後にでも青葉の部屋へ寄ってみようと思う。

 だがまずはまるゆの問題だ。

 

「まるゆ、君のやった事は罪ということは理解しているかね?」

 

 なるべく冷たい声で言ってみたが、まるゆはお茶を啜りながら何枚目かの煎餅に手を出している。

 

「もぐもぐもぐもぐ……」

 

 目を合わそうとすると下を向いてしまった。

 避けられてる感がして少し悲しい。

 

「提督の声が聞こえなかったのかい?」

 

 時雨が珍しく苛立っているようだ。

 声に余裕がない。

 部屋の温度が五度くらい下がったような気がする。

 五十鈴は額から汗が出ているし暁はさきほどまでの雰囲気が嘘のようにソファの上で震えている。

 こんな雰囲気、へ、へっちゃらだし!などと聞こえるが、まさか時雨もこんなところで艤装を使用するほど考え無しではないだろう。

 その時、まるゆがぽつりぽつりと話始めた。

 

「わかっています。まるゆがした事は悪い事です。おそらくこのまま憲兵さんに引き渡されて陸軍に帰れば解体処分でしょう。なら、せめて最後は美味しいものを食べて心安らかにありたいのです」

 

 その言葉を聞いて私は切なく……いや、悲しくなった。

 

 捕まえなければ良かったのだろうか、このような少女にしか見えない存在にそんな言葉を言わせた事にただ、やるせなさがつのる。

 

 ……いつの間にか私はこんなことを口走っていた。

 

「今はまだ憲兵に引き渡したりはしない。そこは安心してほしい。逃亡しないというのなら、鎮守府内での自由も与えよう。 どうかね?」

 

 我ながら甘いと思う。

 だが、まるゆはキョトンとした顔で信じられないといった風にこちらを見た。

 そして何かを気付いた様に言葉を放つ。

 

「まるゆを憲兵さんに引き渡さないって……海軍隊長さんは何を考えているのですか? もしかしてまるゆのカラダが目的ですか!? 捕虜にして牢屋に閉じ込めてあんなことやこんなことやいろんなことを! 子供だと思っていたら海軍隊長さんはとんでもなく変態だったのですね」

 

 ……心外である。

 

 まるゆを解体処分なぞさせるかと気遣ったら変態呼ばわりされてしまった。

 ここは正直に本心を話すとしよう。

 

「まるゆを憲兵に引き渡して解体処分にするのは簡単だ。だが、それではせっかく会えたのに悲しいだろう?」

 

 こんなに可愛い子なのに、と最後に付け加えようと思ったが時雨に睨まれているので後が恐い……やめておいた。

 しかし解体処分と言葉に出したらまるゆの体はビクンと震えた。

やはり怖いのだろう。

 

「大丈夫だよ、うちの提督は優しいからね。きっとなんとかしてくれるさ」

 

「あら提督が優しいなんて五十鈴には丸見えよ。これで山本艦長のように威厳があればねぇ」

 

 時雨と五十鈴がフォロー?ぽいものをしてくれる。

 ありがたいことだ。

 そろそろ青葉は落ち着いただろうか。

 様子を見に行く旨を皆に伝えた。

 

「煎餅が気に入ったのならいつでも作ってあげよう。それは私が揚げたものでな。形は悪いが味は保証しよう」

 

 去り際に執務室のドアを閉めながら告げる。

 

 揚げ煎餅は昔祖母が作っていたものだ。

 

 作り方は鳳翔に教えてもらったが、どうしても鳳翔のように綺麗な形にはならなかった。

 

「歪なほうが歯ごたえがあっておいしいですよ。それに子供にしか見えないのに大人ぶろうと必死な提督らしいです」

 

 と笑いながら言われて恥ずかしかったのを覚えている。

 執務室を出たら室内で煎餅争奪戦が始まったようだ。

 

 天龍龍田のカキ氷の件と言い、揚げ煎餅争奪戦を繰り広げているあの娘達と言いどれだけ食い意地がはっているのだ、とため息をついた。

 

「食事は不足してはいないと思うのだがな……」

 

 溜め息と共に声に出てしまっていた。

 気持ちを切り替える為に制帽のズレを直し、医務室に向かうことにする。




文中の煎餅は黒ゴマの揚げ煎餅をイメージしております。
わりとモテモテなショタ提督、さてさてこの鈍感提督は自分に向けられる好意にいつ気付くのやら。
読んで頂いてありがとうございます。
誤字・脱字などありましたらお知らせ下さい。


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医務室のじょうじ

「あら提督、いつものお薬ですか?」

 

「あぁ、すまない。頼めるか?」

 

「はい。お任せください」

 

 医務室で迎えてくれたのは大淀だ。

 普段は任務発注や資材の管理をしてくれているが、明石が忙しいときは薬品や備品の管理も一手に引き受けてくれている。

 その仕事ぶりには頭が下がる。

 

「ここで飲んでいこう、水を貰えるだろうか」

 

 胃の痛みがかなり酷いので一刻も早く薬を飲みたい。

 

「はい、どうぞ提督」

 

 手渡されたコップの水と薬を口に含み飲み込む。

 

「くぅ、苦い……」

 

 良薬口に苦しと言うが、この薬の苦さだけはいつも慣れない。

 

「提督、処方をした人間が言うのも何ですが、あまり薬に頼るのもどうかと思います」

 

「ははは、大淀がくれる薬は良く効くのでな。つい色々と頼ってしまうのだ、すまないな」

 

 コップに残っていた水をぐいと飲み干し、ふぅと一息つく。

 冷たさが喉を走っていく感触が心地よい。

 

「もう、提督はお上手ですね。そういえば陸軍の艦娘の処遇はお決めになったのですか?」

 

 軽口を軽口で返される。

 陸軍の艦娘とはまるゆの事だろう。

 

「あぁ、まるゆはしばらく鎮守府内で預かる事にした。一応監視もつけているしな、スパイかと思ったが……」

 

「えっ!? あっ……」

 

 薬品棚からビンを取り出そうとしていた大淀が指を滑らせ、茶色いビンが床に落ちる。

 耳障りな高い音がして、床に落ちたビンは砕け透明な液体がぶちまけられた。

 

「あっ! も、申し訳ありません! すぐに片付けます!」

 

 その場にしゃがみこみ割れたビンを片付けようとする大淀。

 慌てているのだろうか、大淀らしくないミスだが、それを黙ってみている事はできるはずもなく声が出てしまった。

 

「莫迦! 素手で触るな!」

 

「えっ!? あっ! 痛ッ!」

 

 声が出たときには遅かった。

 大淀の白い指先に赤い線が走り、赤い珠が雫になって床に落ちる。

 

「見せてみろ!」

 

「ひゃっ!」

 

 返事も待たずにぐいと大淀の手をひっぱる。

 観察してみたがガラス片はついていないようだ。

 これならある程度血を出してしまえば自然に止まるだろう。

 私は躊躇うことなくその指を口に含み吸い上げた。

 

「て、提督! いけません、汚いですのでお放し下さい!」

 

「じっとしていろ!」

 

 上目で睨みつつ吸う。

 割れたビンはどうやら消毒用のエチルアルコールのようだ。

 薬品を扱っていたからだろうか、大淀の指は石鹸の匂いがし、ひんやりと冷たい。

 揮発する香りと大淀の血の味が相まって少々くらくらする。

 自分の口中の温度と大淀の指の温度が判らなくなって、ようやく血の味がしなくなった。

 

「っふぅ……血は止まったな、後はアルコール……は割れたのか。流水で洗ってから絆創膏なり貼っておけ。……大淀?」

 

 ぼぅと顔を上気させているように見える。

 大淀もアルコールの匂いに酔ったのだろうか、早く換気をして割れたビンを片付けなくては。

 

「……大変申し訳ありません。少しお暇を頂けますと幸いです。提督」

 

「待て待て待て、今大淀に抜けられては困る」

 

 雑務や任務の整理を一手に引き受けてくれている大淀だ。

 いきなり抜けられては業務も全く立ち行かなくなるだろう。

 

「応急処置の仕方が気に入らなかったのなら謝る、何分無調法者でな。許してくれるとありがたい」

 

 頭を下げて謝る。

 

「ぷ、くく……。提督、冗談です。怒ってなどいませんよ。なので顔をお上げ下さい」

 

 眼の縁をこすり、笑いながら絆創膏を薬品棚の引き出しから取り出す大淀。

 

「冗談にしては此方は笑えなかったのだがな」

 

「良いではありませんか、これも艦娘のメンタルケアですよ」

 

 そう言って絆創膏とガラスで切った指を私に差し出す大淀。

 

「さ、貼って頂けませんか?でなければ片付けることができません」

 

「お前まだ、水で洗っていないだろう。いいのか?」

 

 ふふと笑われ、さらに手を前に突き出される。

 

「良いんです、これは、このままで」

 

 根負けした私は大淀から絆創膏を受け取った。

 

「ふぅ……わかった。だがもし痛むようなら明石にでも診て貰え。いいな?」

 

「はい、わかっています」

 

 白い指先に絆創膏を巻く瞬間少し鼓動が早くなった。さっきは咄嗟に出た行動だったせいか意識などしていなかっただけに。

 

「さ、提督。後片付けは私がしておきますから、どこか行く場所があったのではないですか?」

 

「む……それはそうだが」

 

「大丈夫です、今度はホウキとチリトリで片付けますので」

 

 にこりと笑われては信用するしかないだろう。

 私は大淀に任せて青葉の部屋に向かうことにした。

 胃痛も随分治まったようだ。

 

「あー……大淀、薬、助かった。ありがとう。後は頼む」

 

 去り際に一言声をかける。

 まだ気化したアルコールが抜けていないのだろうか、少し体が暑い。

 

「はい。お任せ下さい」

 

 大淀は私よりしっかりしているようだ、艦娘はアルコール分解能力も高いのか今度聞いてみる事にしよう。

 

 ……その後隼鷹と千歳に聞いたら提督公認の酒盛りと題したどんちゃん騒ぎが始まってしまったのはまた別のお話。

 

「……ふふ、現在時刻ヒトヨンマルマル。提督の必死で指を吸うお顔可愛いかったわ。うふふ、少し得したかな」

 

 しばらくして明石が医務室に戻ってきたとき大淀は指に巻かれた絆創膏をずっと見つめていたらしい……。




読んで頂いてありがとうございます。
ショタ提督はお酒にはものすごく弱いです。
胃薬(?)とお酒って相性悪そうですね!
書き溜め分はここまでになります。
続きはもうしばらくお待ち下さい。


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暴走機艦娘(ボウソウキカンコ)キヌガッサー

タイトルはあえてかんむすと読まずにカンコとお読み下さい。


「さて、青葉の部屋に来たはいいんだが。どうやって声をかけるべきか」

 

 青葉の部屋は衣笠と同室の二人部屋だ。

 ドアをノックしようと手を上げたところでしばし逡巡する。

 何度か腕を上げて下ろしを繰り返しているところだ。

 だが、いつまでもドアの前に居る訳にもいかないだろう。

 他の艦娘に見咎められると面倒な事にもなりそうだ。

 

 意を決して、ドアをノックする。

 

「はーいっ!」

 

 軽快な返事と足音がドアに近づいてくる。この声は……。

 

「おやー? 提督? どしたのー?」

 

 ドアが開かれ、出迎えてくれたのはやはり衣笠だった。

 青葉と同じ桜の花びらを少し濃くしたような髪の色と、制服。

 違うのは衣笠の方はスカートと髪型くらいだろうか。

 

「あ、ああ。青葉に用があって来たんだが、在室だろうか?」

 

 今からする話には少しそぐわない雰囲気をぶつけられ、たじろぐ。

 

「青葉ですかー? さっきお風呂に行くって慌ててましたよー?」

 

「む、そうか。すまない。不在なら良いんだ」

 

 青葉は浴場か、ならば前で待っていれば捕まえられるな。

 そう思って踵を返し、浴場に向かおうとしたとたん襟首を捕まれた。

 

「ぐぇ」

 

 妙な声が出てしまった。

 普段の私ならいきなり何をするんだと怒鳴っているところだったが、首がしっかり絞まってそれどころでは無かった。

 

「逃げても無駄よ!」

 

 ぐいと引っ張られたたらを踏んで衣笠の腕の中にスッポリと納まってしまった。

 

「は、離せ! 何をする!」

 

 衣笠の腕を掴みじたばたともがいてみるが、しっかりと胸の前で衣笠の腕が固定されて身動きがとれない。

 

「提督ー、青葉に何をしたんですかー? あの子泣いてたんですけどー」

 

「む、それは……」

 

 ジットリとねめつける様な声質で聞かれる。

 衣笠は先ほどまで遠征に出ていた筈だ。

 もしかしたらまるゆとの騒ぎを知らない可能性もある。

 このまま言い包めるか?しかし、青葉と同室なのだ。いつボロが出るか解らない。

 衣笠の腕に手を当てたまま考える。

 案外柔らかい、むにむにと腕の肉をつまんでみた。

 

 ……これはこれで楽しい。

 

「提督ー? あんまり触ってると触り返すぞ~。ほらほら~♪」

 

「え? いや、待て衣笠!」

 

 いつの間にかその行為に没頭していたようだ。

 胸の前で組まれていた手が脇の下に移動する。

 

「ほら~、言わないとくすぐりの刑ですよー、提督」

 

 不味い、すでに衣笠の指がもぞもぞと動いている。

 

「待て、くふっ…衣笠、クッ!」

 

 思えば幼いころからくすぐりに弱かった。おそらく皮膚が薄いのかもしれない。

 

「やめ、やめてくれ、衣笠……」

 

 こんなところで威厳の無い態度をさらけ出すわけにはいかない。

 力の入らない腕で衣笠の腕を掴み、頤を上げ後ろ上にあった衣笠の顔を見つめる。

 

 ……この時の心境を後に衣笠はこう語っている。顔を真っ赤にしてナニカに耐えている提督を見て自分の心のカタパルトが外れたと。

 

 後に青葉に自慢し、提督の弱点発見サル!という見出しの新聞が鎮守府中にばら撒かれたのはまた別のお話。

 

「よし、どんどん強くしちゃお!」

 

 すでに声も出せない。息が荒くなってしまい、ぜいぜいと呼吸する音だけが厭に耳に響く。

 

「ただいまー、衣笠。青葉ホントは敵じゃなくて司令官だけみていたいんだけどなぁ……な、なんてねっ!」

 

 ドアが開き、青葉が入ってくる。

 コヒューコヒューと自分の呼吸が邪魔をして青葉が何を言っていたのかわからない。

 

「……あ、あお、ば?」

 

 助けを求めようと手を延ばし、話しかけるがどうやら青葉は硬直しているようだ。

 薬局で配布しているものらしいヒロポンZと書かれた洗面器が落ち、乾いた音をたてる。

 石鹸、タオル、丸められた下着だろうか、薄いピンクの布が見える。

 

「青葉取材、……いえ砲撃しまーす」

 

 ドアを後ろ手に閉め、どこからか20.3cm連装砲を取り出す。

 

「はわわ、砲撃はやばいって! 青葉! ちょっと待って!」

 

 衣笠が慌てた様子で声をあげる。

 ようやく衣笠の腕から抜け出せたが、力が入らずに膝からへなりとくずおれてしまった。

 

「司令官!」

 

 このままでは床にキスするな、と酸欠の頭で考えていたら柔らかいものに抱き留められた。

 これは、青葉か。礼を言わなくては……。

 

「あ、おば。あ、りがぉ……」

 

 自分の口が礼を紡ぐより早く、意識は深海へと引きずられ暗くなっていった。

 だが、不思議と不快感は無かった。

 

 ……温かい温度に包まれながらそこで自分の意識は閉じた。




ショタ提督、自覚していないけれどブレーキブレーカーです。
読んで頂きありがとうございます。
誤字・脱字などありましたら教らせください。
やはりお薬とアルコールが残っていたのかもしれませんね!
(ちなみにヒロポンZは栄養ドリンクです。)


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擬装と偽装と艤装のエラー

 遠くで潮騒の音が聞こえる……。

 

「……ぅしてっ! 気絶するまでやるの!」

 

「いやー、衣笠さん、ついやりすぎちゃった」

 

 潮騒ではないな、例えるなら嵐の海か。

 これでは寝られはしない、いや、まだ就寝時間では無かったはずだ。

 そこまで考えて意識があった時のことを思い出すと同時に覚醒した。

 

「そうか、衣笠にくすぐられて……」

 

 失態である。

 くすぐられて酸欠で意識を失うなど軍学校の友人に知られたら、末代まで笑われる事だろう。

 

「あ、司令官! 起きた?」

 

 ベッドに青葉が駆け寄ってくる。

 気絶した私を運んでくれたらしい。

 

「このベッドは……」

 

 二段ベッドの下段に寝せられているみたいだが、自分以外の匂いがして落ち着かない。

 

「うん、青葉のベッド。司令官って軽いね。ちゃんと食べてる? 衣笠なんてカレーばっか食べてるから最近体重が……」

 

「わー! 青葉ストップ!」

 

 衣笠の制止の声が聞こえて視線をそちらに向けると備え付けの椅子に座っていた。

 ベッドの縁に腰掛ける青葉。木製のベッドがギシと軋んだ音を立てる。

 

「すまない、恥ずかしい姿を見せた」

 

 右手……は使えないので左手で体を起こし、懐中時計を取り出して時間を見る。

 倒れてから時間はあまり経ってないようだがそろそろ書類業務に取り掛からなければならない時間だ。

 

「提督、大丈夫?疲れてない?」

 

 衣笠が声をかけてくれる。

 

「あぁ、大丈夫だ。それはそうと青葉に頼みがあって、この部屋に来たんだ」

 

「何なに? なんの話ですかぁ?」

 

 青葉が手をついて顔を近づけてくる。

 ベッドがまたギシと鳴いた。

 

「あぁ、衣笠も聞いてほしい。まるゆの件だが、私がまるゆを発見し捕縛しようとした……という事にして貰えないだろうか」

 

「ふーん、それはまたどうしてです?」

 

 青葉が聞いてくる。

 当然だ、他の艦娘のために嘘をついてくれと頼んでいるようなものなのだから。

 

「あぁ、まるゆをしばらく此処の鎮守府で預かりたい。解体させないためにも、な」

 

「詳しく理由を教えてくれる? 司令官」

 

 雰囲気が変わり、青葉が片眉を吊り上げる。

 これはジャーナリストの顔だな。真実を暴こうとする人間特有の表情だ。 

 さて、気合を入れろ。

 ここからは巧く騙さねばならない。

 

「理由を言うとだ、艦娘同士の戦闘履歴が残ると当然上層部に報告しなければならない」

 

「え、でも演習とか普通にやってるのは?」

 

 衣笠が至極当然の疑問をぶつけてくる。

 

「演習は模擬弾だ。しかし、青葉が今回出撃ドックで装備した艤装で使用していたのは当然実弾だ」

 

「あ、あはは。青葉ちょおっと深入りしすぎたようです」

 

 たらりと汗を流す青葉。

 

「それで今回は未発砲だったが、どこから話が漏れるか分からない。そこで青葉、衣笠両名に協力してほしい」

 

 不都合な点は無いはずだ、うまく本当の理由を隠せるだろうか。

 本当の理由とは艤装の照準が一瞬だが、自分に当たった事。

 人類を護るための艦娘が人間に照準を当てた、これは大問題だ。

 当然、良くて青葉は原因究明のため尋問と名のついた拷問を受けた後、解体処分。

 悪くてこの鎮守府ごと解体であろう。

 

 普通は人間に向けて発砲などしないようセーフティがかかっている筈だが……。

 

 今の青葉が使用している艤装にエラーがでているのだろうか。

 一度明石にでも、いや明石も完全に秘密を守れるとは思えない。

 自分で妖精に聞くべきか。

 

 言い忘れていたがこの世界には妖精がいる。

 船の航路を決める羅針盤にも、艦娘の武器系統を操作する者や戦闘機を操縦している妖精までいる。

 

「ふーん、それで提督がまるゆを発見し、不審者として捕縛しようとしたって事にしてほしいと」

 

 考えを思案していたら衣笠が話を纏めてくれた。

 

「そうだ、頼めるだろうか?その代わりと言っては何だが私で出来る事があるなら何でもしよう」

 

 衣笠に視線を合わせ、頷く。

 

「えーと、それじゃあ間宮のお菓子券二枚!」

 

 横から青葉が指でVサインを出して割り込む。

 

「何だ、そんな事でいいのならすぐに手配しよう。後で執務室に取りに……」

 

「ちょっと待って青葉! 今何でもって言ったよね? 提督」

 

 ニヤリと笑う衣笠。何故だろうか、なにやら嫌な予感がする。

 

「取り合えず、今日の書類業務が終わったらまた衣笠達の部屋に来て! それまでに用意しておくから!」

 

「……分かった。間宮のお菓子券は良いんだな?」

 

 衣笠は何やら怪しい笑みを浮かべコクコクと頷く。

 何を考えているのかは分からないがあまり無体なお願いはされないだろう。

 そうタカを括っていた、この時までは。

 

「では、私は執務室に戻る。それと青葉、ベッドを貸してくれてありがとう。先ほどの話、よろしく頼む」

 

 そう言って青葉達の部屋を後にした。

 

「衣笠? 一体何をするつもり?」

 

「ふふーん、衣笠さんにお任せ♪」

 

 二人の声が聞こえてくる。

 何やらあまり良い運命は待ち構えてないようだ。

 そっと胃の辺りを押さえるが、薬が効いているせいか不思議と胃痛は無かった。




閲覧・お気に入り・評価ありがとうございます。
誤字・脱字などあればお知らせ下さい。
青葉ちゃんの艤装直ると良いですね!(スットボケー


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Mad Tea Party

「提督、遅かったね」

 

 執務室に入ると時雨が声をかけてくれた。

 書類が執務机に山積みされている。どうやら書類の整理は全て終わっているらしい。

 机の上の書類は自分の判子待ちのものがほとんどなのだろう。

 

「あぁ、すまない。少し話し込んでしまった」

 

「ふぅん……青葉達との話はそんなに楽しかったのかい?」

 

 やけに今日の時雨は突っかかるな。

 

「そういうわけではないが、余り大事にしたくなかったのでな。できれば穏便にと申し付けてきたところだ」

 

 実際にはお願いに近かったのだが、まぁこう言っておけば語弊もないだろう。

 

「書類の整理を任せてしまって済まないな。助かる」

 

 自分が座るには少々高い椅子に腰掛け、書類の山を眺める。

 

「提督の仕事をお手伝いするのも秘書艦の役目だからね。例え提督が仕事を放り出して遊んでいても」

 

 かなり言葉に棘がある……。

 やはり大分怒っているようだ。

 こういう場合は話の矛先を変えるに限る。

 

「そういえばまるゆはどうしている?」

 

「まるゆなら五十鈴が付いているよ。他の潜水艦の艦娘達が集まっていたから今頃もみくちゃにされてるかもしれないね」

 

「そうか……それはまるゆも災難だな」

 

 ふふと笑い書類に目を通しながら判子を押していく。

 タンットンッと自分の中で判子を押す書類と印肉の間でリズムを取りながら山を片付ける。

 片手なのでいつもよりペースは落ちるが幸い複雑な案件は無いようだ。

 開けてある窓から風が入り込む、時折声が聞こえるのは駆逐艦の艦娘だろうか。

 

 整理してある書類というのはそれだけで仕事の能率が違ってくる。

 

 そういえば足柄が秘書艦の時だった。

 自分の名前を書いた婚姻届を忍ばせていた事があった。

 思わず判子を押してしまったが、自分の実印では無かったのは僥倖であった。

 その時の事を思い出し、くつくつと笑いがこみ上げる。

 そよそよとやわらかな風が流れる中でしばらく仕事に没頭していた。

 

「提督、そういえばお昼はどうしたんだい?」

 

 唐突に時雨に声をかけられる。

 

「あぁ、結局何も食べてないな。色々あってそれどころではなくてな」

 

 書類から目を離さず答える。

 そういえば朝食を食べてから胃薬しか飲んでなかったな……意識すると腹の虫がぐぅと鳴いた。

 

「提督。一応これ、僕が作ったんだけど……邪魔、かな?」

 

 ことりと机の上にラップがかけられた皿を置かれる。

 三角形に握られたご飯、いわゆるお握りだ。

 少し焦げ目がついているところを見ると焼きお握りだろうか。

 

「美味しそうじゃないか、いつの間……に……?」

 

 礼を言おうと時雨の姿を見た時しばし固まってしまった。

 いつの間にかエプロンを着け、赤いネクタイを垂らしている。

 一瞬大鯨という艦娘と見間違えてしまった。

 よく見れば大鯨の目は赤いし、髪型も違うのだが……。

 それにあちらは潜水母艦だ。

 

「提督、そんなにジロジロみないでよ。……似合わない、かな?」

 

 シュンとする時雨、慌ててフォローをする。

 

「いや、よく似合っていて見惚れていただけだ。いつの間に作ってくれたんだ?」

 

 その言葉に少し機嫌を良くしたらしい。にこりと微笑む時雨。

 

「提督は集中すると周りが見えなくなるのは悪い癖だね。さっき厨房で作ってきたんだ」

 

「そうか、この書類ももうすぐで終わるな。少し遅いがお茶にしよう。すまないが濃い目のお茶を淹れてくれないだろうか」

 

 当初あった分の書類は7割程度減っていた。

 

「うん、提督とお茶、嬉しいね」

 

 ふんふんと鼻歌を歌いながら電気ポットから急須にお湯を注ぐ時雨。

 白いエプロンが黒い制服とのコントラストを引き出しており、よく映える。

 少しオヤジ臭いなと自分の考えを恥じ、くくと笑った。

 

「あぁ、時雨。ティーセットの棚に確か缶に入ったクッキーがあった筈だ。今日金剛がそこにコッソリ入れているのを見た。せっかくだし頂いてみないか?」

 

 お握りの礼だ。金剛も私が食べたと言えば笑って許してくれるだろう。

 

「うん、見つけたよ。これかな」

 

 テープで封がしてある缶を時雨が机に置く。

 M&Sと書かれている。マークス&スペンサーというイギリスの会社だ。

 これならハズレはないだろう。

 封がしてあるテープに爪を立てて剥がしにかかる。

 左手なので少し手間取ったが無事にテープを剥がせた。

 

 開けると様々な形のクッキーが目に飛び込んだ。

 

「わぁ……」

 

 お茶を机に置いてくれた時雨がクッキーの箱を覗き込み、感嘆の溜息を漏らす。

 

「時雨、椅子を持っておいで。一緒に食べようか」

 

 テーブルはあるのだが、すでに机に食べ物とお茶が置かれている。

 同じ部屋で別々にお茶をするのも味気ないだろうと考えた末の結論だ。

 

 書類と印肉を片隅に寄せ、お茶から遠ざける。

 

 執務机の角を使い、焼きお握りとクッキーと日本茶の小さくて奇妙なお茶会が始まった。

 

 ラップを取り、焼きお握りを頬張る。

 醤油の香りが香ばしい。

 中に何か黒いものが入っていると思ったら昆布の佃煮だった。

 甘辛く味付けされた昆布に食欲が増進される。

 

 夢中で頬張っていると唐突に時雨に笑われた。

 

「提督、まるで雪風……いや、ハムスターみたいだよ。そんなに慌てなくてもお握りは逃げないさ」

 

 時雨の中では雪風はハムスターなのだろうか、確かに雪風は小動物のような庇護欲はそそられるが……。

 双眼鏡を構えた駆逐艦娘、雪風の姿を頭の中に思い描きながら、口中に残っていたお握りを咀嚼して飲み込む。

 

「いや、焼きお握りがとても美味しくてな。毎日でも食べたいくらいだ。それとも時雨が作ってくれたからかな」

 

 言ってしまって失言だったかもしれないと気付いた。

 

「……本当かい?こんなので良いなら僕、毎日でも作るよ」

 

 目をキラキラとさせる様はまるで戦意高揚状態だ。

 話題を変えたほうが良いだろう。ふっとクッキーの缶に目を落とす。

 

「時雨、気に入ったか一番美味しかったクッキーはどれだ?」

 

「そうだね、僕が一番気に入ったのはこれかな」

 

 時雨が指差したのはハート型で中にチョコが詰まっているクッキーだった。

 

「そうか、なら……」

 

 ウェットティッシュで手を拭いてそのハート型のクッキーに手を延ばす。

 クッキーを摘まんだところでふと時雨の視線に気付いた。

 

「時雨、食べるか?」

 

 気に入った物は取っておく主義だったのだろうか、それならば悪いことをした。

 摘まんだクッキーを時雨の眼前に持っていく。

 

「提督。これ、は……僕に? ……ありがとう♪」

 

 はむ、と指ごとクッキーを頬張る時雨。

 

「お、おい。私の指ごと食べるんじゃない……」

 

「HEY、提督ぅー! 倒れたって青葉に聞いたけど大丈夫デー……ス?」

 

 いきなりドアを開けて入って来たのは金剛だ。

 

 ノックくらいしろといつも言っているのだがな。

 だが今はそれどころじゃないようだ。

 その場に居た誰もの時間が止まってしまった。

 傍目から見たらどう考えても言い逃れはできない状況だろう。

 机には金剛が英国から取り寄せたであろうクッキー缶。

 そして私の指を咥えて固まっている時雨。

 

「時雨ー! 提督と二人でTea Timeなんてずるいネー! しかもそれワタシが英国から取り寄せたクッキーネー!」

 

「倒れた……? 提督、どういうこと?」

 

 最悪だ、最悪のタイミングで物事が重なっているような気がする。

 再び胃の痛みが襲って来る。

 薬では抑えきれなかったらしい、気のせいか脱臼した右腕も痛み出してきたような気がする……。




サブタイトルは何となくでつけています。
時雨のエプロン姿はバレンタイン時の改二イラストを基準にしております。
読んで頂いてありがとうございます。
お気に入り・評価などもしていただき狂喜乱舞しております。
誤字・脱字などありましたらお知らせ下さい。


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Daydream Loveletter

 ……さて、何故このような修羅場に私が居なければならないのだろう。

 

「提督、君には失望したよ」

 

「HEY、提督ぅー、ワタシへのお詫びのBigなお返しは何ですカー?」

 

 時雨と金剛、二人から責められる。

 一人ずつ説明していくことにして、左手を上げて制止した。

 

「わかった、だが私にも喋らせてくれ。まずは金剛、クッキーの件だが」

 

「どういうことなのか説明して欲しいネー!」

 

 憤慨し、机を拳で叩きながら身を乗り出す金剛。

 巫女衣装のような形状をした裃の袖をバッサバッサと振る。

 やめなさい、書類と埃が舞う。

 器用だな、と思いつつも言葉を慎重に選ぶ。

 

「執務室に私物を置くなと常日頃から言っているだろう」

 

「でも提督と一緒にTea Timeをしたかったネー!」

 

 ふぅと溜息をついて眼を長めに瞑り、開く。

 

「だが、お前の気持ちも解る。今度の補給品に良い紅茶を入れておこう。その時に二人でお茶会をしよう。金剛の焼くスコーンは美味しいしな」

 

 金剛の視線を捕らえ、にこりと微笑む。

 軍学校では艦娘、つまり女性という存在に対し、どういうコミュニケーションを取るかということを叩き込まれた。

 

 自分はそういう事は苦手なのでいつもC判定、落第ギリギリだった。

 

 思えば母も居ないので女性に対して免疫が無かったからかもしれない。

 他所の鎮守府では艦娘と行き過ぎたコミュニケーションを取り、刃傷沙汰になった事もあると聞いている。

 大抵が揉み消されているので、大衆に知られることはあまりないが。

 

 つつと背中に冷や汗が流れる。

 

「提督はずるいネー、そんな事言われたら言う事聞くしかないデース」

 

 むぅとむくれた金剛だったが、ふっと緊張がほぐれたような雰囲気の後、華が咲くような笑顔を見せてくれた。

 一瞬心臓が跳ね上がり、心の中で溜息をほぅと漏らす。

 

 ……不意打ちだったな。もっと気を引き締めねば。

 

 今からこれ以上の難所を突破しなければならないのだ。

 

「それから時雨、私が調子を崩したのはアルコールのせいだ」

 

 馬鹿正直に話したらそれこそ衣笠に害が及ぶ。

 艦娘同士で争うことなどさせたくはない。

 

「アルコール……? 誰だい、提督にそんな物を飲ませたのは。」

 

 不味い、時雨の眼が据わっている。慌てて次の句を継いだ。

 

「いや、私の不注意でアルコールの瓶を割ってしまってな。思い切り吸い込んでしまったのだ」

 

 ……本当は直接割ったのは大淀だが。まぁ私が割ったという事にしておけば角も立たないだろう。

 

「提督、僕はいつも無理しないでって言っているじゃないか。こんな事が続くようなら心配で次の秘書艦に引継ぎできないよ」

 

 いつの間にか隣に居た時雨に、ぐいと襟を掴まれる。

 ……こつんと額に時雨の額が当たる。

 少々痛かったが、ここで痛いなどと言葉を漏らすのは野暮というものだろう。

 近すぎて焦点が合わない視界で捉えた時雨の瞳は少し潤んでいるような気がした。

 

「HEY、提督ぅー! 時雨といちゃつくのもイイけどサー、時間と場所をわきまえなヨー!」

 

 金剛の声ではっと我に返る。

 襟を掴んでいた時雨も離れ、じんわりと温かくなった額に余韻だけが残る。

 いつもなら金剛もスキンシップに混ざるのだが、私に右肩に巻かれた三角帯をじっと見つめていた。

 あぁ、そうか。まだ気にしていたんだな。

 椅子から飛び降りて金剛の前まで近寄る。

 

「もう気にしていないと伝えた筈だが?」

 

 ぐいと背伸びをして金剛の頭を撫でる。柔らかい栗色の髪が手の平に流れる感触がくすぐったい。

 身長があればもっとさまになるんだがな、と自嘲の笑みを浮かべる。

 

 撫で続けていたら金剛の体がふるふると震える、そろそろか。

 

「提督のハートを掴むのは、私デース!」

 

 感極まった表情でトラバサミのように腕を振り上げ、私を抱え上げようとした金剛をスルリとかわす。

 

「まだまだ、だな。高速戦艦の名が泣くぞ?」

 

 ふふと冗談交じりに笑いながら距離をとる。

 

「提督ー! オトメのハートをもてあそぶなんてズルイデース!」

 

 言い回しに少しギョッとして金剛を見たが、表情はとても柔らかだった。

 くすくすと笑う声が聞こえ、顔をそちらに向けると時雨も笑っていた。

 

「金剛、残念だったね」

 

 時雨がにこやかに声をかける。

 

「うー……日頃の無理が祟ったみたいデース……」

 

 両手の人差し指を合わせ、いじけたフリをする金剛。

 

「マイペースでいいんだ。うん、僕もそうさ」

 

 何がマイペースなのだろうか。

 だが、二人には意味が通じたようだ。

 金剛にいたっては時雨に親指を立て、サムズアップをしている。

 

「さて、残りの書類を片付けたいのだが。金剛、手伝ってくれるか?」

 

「Yes! 私の実力、見せてあげるネー!」

 

 と、言っても書類をめくってもらうくらいだが。

 

「時雨はその間、来週の秘書艦への引継ぎを纏めて欲しい」

 

 この鎮守府での秘書艦は艦娘の希望を聞き、当番制でまわしている。

 

「来週は誰だったかな?」

 

「来週は、うん、電だね。少々あわてんぼうなところがあるけれど、僕より先輩だから大丈夫。そんなに手間はかからないよ」

 

 電か……ふと今朝の事を思い出して唇を触る。

 

「提督ぅー?」

 

 訝しげな金剛の声に我に返る。

 

「あぁ、済まない。さて、目標、眼前敵の完全排除! 高速戦艦の性能に期待するぞ」

 

 少しおどけて見せ、努めて明るい雰囲気を維持する。

 金剛が手伝ってくれるならば夕食の前に衣笠と青葉の部屋に行く時間ができそうだ。

 

 ……開けた窓からカレーの匂いが漂ってきた。

 黄色く染まり始める執務室で三つの影と時間が緩やかに動いていた……。




小さな嘘の積み重ねはいつか大きくなって返ってくるかもしれませんね。
読んで頂きありがとうございます。
評価・お気に入り登録も感謝しております。
誤字・脱字などあればお知らせ下さい。
タイトルは私の知っている曲の中で雰囲気に合いそうだな、と思ったものです。
興味があれば聴いてみてください。


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翠玉(エメラルド)の重さ

 陽が落ちて虫達が愛の言葉を奏で始める頃、金剛に手伝ってもらった机の上の書類はようやく片付いた。

 

 くぁと欠伸をしそうになるのを噛み殺し、呟く。

 

「……終わったか」

 

「ヒトキュウマルマル。そろそろ、夕食の時間だね」

 

 時雨が壁にかけてある時計を確認し、時間を確認する。

 

「お仕事Finishデース!」

 

「金剛も助かった。ありがとう」

 

 仕事を手伝って貰った礼を述べる。

 書類の仕事はひとまず終えた、後は資材の確認などをするくらいなものだ。

 

 ……たまに資材が目録と違う時があるので、用心の為にだが。

 そういえば深夜に幽霊が出ると噂になった時があった。

 何のことは無い、犯人は赤城と夕張だった。

 こっそりと資材庫で何やらやっていたが、そのせいで怖がりの暁が夜中に一人でトイレに行けなくなった、と雷がぼやいていた。

 まぁ、この話はまた機会がある時に語ろう。

 

「二人とも、今日はもうすることがない。なので後は自由に過ごしてくれ」

 

「提督は? もうすぐ夕食だけど」

 

 時雨がんーんと、背筋を伸ばしながら聞いてくる。

 

「私は衣笠に呼ばれていてな、すまないが少し話してくる」

 

 衣笠に仕事が終わったらもう一度来て、と言われているのだ。行かないわけにもいくまい。

 

「わかったよ提督。じゃあ金剛、一緒に夕食に行かないかい?」

 

「オゥ! Dinnerのお誘いネー! 今週の提督の事をいっぱい聞くデース!」

 

 時雨と金剛か……。珍しい組み合わせだな。

 

 だが艦娘同士、仲良くしてくれるなら喜ぶべきであろう。

 ……例え自分がネタにされても。

 

「ではすまないが行って来る。後の始末は頼んだ」

 

 そう言付けて、執務室を出る。

 二人がすぐに出てくるだろうと思い、扉は開けておいた。

 

「実は週間鎮守府に面白い写真とコラムが載ってるんだよ」

 

「Wow! それは面白そうデース! ……ってこれは!」

 

 何やら後ろから楽しげな話題が聞こえてくる。

 週間鎮守府は鎮守府内の艦娘向け女性雑誌だ。

 ゴシップ記事も多いが、艦娘達には娯楽として概ね好評なようだ。

 姉妹雑誌にジュフシイという婚活雑誌があり、一部の艦娘が定期購読していると聞いている。

 この間、偶然その雑誌を持った足柄と出くわし、しばらく部屋から出てきてくれなかった事がある。

 姉妹艦の那智の機転でどうにか機嫌は直ったらしいが……。

 機会があれば語る時もあるだろう。

 

 今は衣笠の部屋に向かうのが先だ。

 部屋に居てくれると良いのだが。

 

 重巡洋艦の艦娘に宛がわれている棟に向かう途中でいきなり後ろから抱きつかれた。

 

「うわっ! っとと……!」

 

 荷重をかけられバランスを崩したたらを踏む。

 

「ほぉーっ、提督じゃん、チーッス」

 

 耳元に息がかかりゾクリと鳥肌が立つ。

 

「鈴谷、やめなさい。重い」

 

 過度なスキンシップは私の好むところでは無い。

 本当はそこまで重くもないが、こう言えば怒って離すだろう。

 

「あー、提督女の子にそんな事言うんだー?」

 

 ……余計に圧し掛かられた。

 

「ぐぇ。酔っているのか? 鈴谷」

 

 鈴谷の体温を背中で感じる、柔らかい感触が落ち着かない。

のそのそと鈴谷を乗せ進む。

 

「こんな時間にお酒なんて飲まないよー。なんかマジ退屈でさー!」

 

「私は忙しい。降りてくれないか」

 

 言葉の選択を間違っただろうか、首にするりと手を回される。

 外れた右肩に触らないようにしてくれているのはせめてもの気遣いだろうか。

 

「どこ行くのー? 鈴谷も一緒に行きたいなー」

 

 自分の左肩付近から声が聞こえ、首を向けると鈴谷と眼がしっかりと合ってしまった。

 

「うわっ!」

 

「ああん!」

 

 恥ずかしさで咄嗟に声が出てしまった拍子にバランスが崩れ、圧し掛かっていた鈴谷がズルリと落ちた。

 

「痛いしぃ~……」

 

 どうやら腰をしたたかに打ったらしい。

 膝を立て、尻餅を着いた姿勢で固まっている。

 エメラルド色の瞳と髪が脳裏にアップで再生されるのを追い出しつつ、手を差し出す。

 

「すまない、鈴谷。ほら、手を……」

 

 と言った所で此方も固まってしまった。

 当然、その姿勢ではスカートが捲れているわけで……。

 布が音を立てるほど早く強く鈴谷は両手でスカートを押さえ、抗議の目で見つめてきた。

 

「やだ……マジ恥ずかしい……見ないでってば! あぁー、もぅテンション下がるぅ……」

 

「あぁ、すまない。立てるか?」

 

 おずおずと差し出された手を取り、引き上げる。

 思ったより軽かった。やはり艦娘と言えども女の子なのだな。

 妙に感心してしまった。

 立ち上がった鈴谷はスカートの埃を払い、腰をさする。

 

「もー! 提督いきなり何すんのー!」

 

「悪い、鈴谷が重くてバランスを崩してしまった」

 

 宝石みたいな瞳に吸い込まれそうだった、なんて言えるわけがない。

 

「だから鈴谷重くなんてないよー、ちょー失礼だね!」

 

 顔をぷくうと膨らませて抗議するさまは少し幼く見えて可愛らしかった。

 

「はは、すまんすまん。冗談だ。で、鈴谷は何してたんだ?」

 

 照れ隠しに制帽のズレを直しながら聞く。

 

「んー、熊野は先に晩御飯食べちゃったらしくて誰かと一緒に晩御飯をーと思ってたら、提督見つけたんでちょっかいかけたとこ」

 

「できればもう少し普通に声をかけてくれると嬉しいのだがな」

 

 溜息をひとつ、まぁ鈴谷はこういう屈託の無さが美徳な点でもある。 

 熊野は鈴谷の姉妹艦だが本日の遠征に向かわせた為、食事の時間が少しずれてしまったのだろう。

 

「と、ゆーわけで提督、ご飯いこ! 今日はカレーだよー」

 

 そう言ってグイグイと手を引っ張る鈴谷。半分引きずられる形で何歩か進む。

 

「っ! 待て、鈴谷!」

 

 止めようとした矢先に目の前のドアが開く。

 中から出てきたのは衣笠だった。

 

「あら? 何か部屋の前が騒がしいと思ったら……。提督と鈴谷、どうしたの?」

 

 いつの間にか衣笠達の部屋に来ていたのだな、青葉もドアの横から顔を出している。

 

「あぁ、衣笠に会いに来たんだが鈴谷に晩御飯ー! と捕まってしまってな。」

 

「なんかその言い方ひどいしー」

 

 ぷぅとむくれる鈴谷を横目で見て苦笑する。

 

「そうなの? 私と青葉も夕食まだだったし、一緒でもいい?」

 

「うん、大丈夫だよー! やっぱ食事は大勢の方が楽しいっしょ!」

 

 衣笠と鈴谷で勝手に話が進んでいる。

 女子同士の話でこうなってしまっては自分に発言権は無いだろう。

 青葉と衣笠、鈴谷と一緒に夕食を取ろう。




ゼクシイ・婚活雑誌は正義!
エメラルドって綺麗ですよね。
艦娘の髪色や眼の色をどうするか迷っていましたが、そのまま表現させて頂きました。
次回はほのぼの展開から少しレールが外れます。

読んで頂きありがとうございます。
お気に入り・評価していただき感謝しております。
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叶わぬ願い

 食堂に着くとそれなりに混雑していた。

 

「……わりと混んでいるな」

 

 キョロキョロと4人が座れそうなスペースを探す。

 幸い、窓際のテーブルが空いているようだ。あそこなら余裕で座れるだろう。

 

「衣笠、あの窓際のテーブル確保してて~」

 

 青葉が私の視線に気付いたらしい、人差し指でテーブルを差す。

 

「りょーかい! 衣笠さんにお任せ♪」

 

 言うが早いかスッと移動し、人ごみを綺麗にかわしながら椅子に座る。

 ヒラヒラと手を振る衣笠に青葉は親指を立て、ニッと笑った。

 

「やるじゃーん」

 

 鈴谷も感心したように言葉を漏らす。

 

「ふふ、では衣笠の分も用意しないとな。私はコップとスプーンを用意しておこう」

 

 こういう場合は分業したほうが早い。

 朝は鳳翔が食事を運んでくれたが、普通はセルフサービスだ。

 人間も艦娘も同じ食堂を使うので食事時は本当に忙しない。

 最も朝の場合は少し時間が遅くなってしまったので空いていたのかもしれないが。

 

 4つのコップに水差しから水を注ぎ、銀製のスプーンと共に盆に載せる。

 不便なので右手が使えないものかと動かしてみたが、少々痛むくらいで問題は無さそうだ。

 三角帯で吊っている右手を外し、両手で盆を持ち衣笠が座っている席へ向かう。

 

「あれ? 提督、腕大丈夫?」

 

「あぁ、そんなに痛みは無いみたいだ。落として割ってしまうほうが問題だろう?」

 

 見咎めた衣笠に聞かれたので、コップを置きながら答える。

 

「では私も鈴谷達と並んでくるよ、もう少し待っていてくれ」

 

「はーい、ありがとね!」

 

 背中で言葉を受け、今度は私が手を振った。

 

 列に並ぶと大淀と満潮が居た。

 

「お前達も食事か、奇遇だな」

 

「ええ、補給物資のリスト化と艦隊運営計画の候補をいくつか纏め終わりましたので」

 

 言葉を返してくれたのは大淀だけだった。

 満潮はこちらに視線を送るだけで無言を貫いている。

 

「そうか、助かる。ところで満潮、お前に少し話がある」

 

 相変わらず無言だが、構わず続ける。

 満潮が振り向き、サイドで結った髪がふわりと揺れた。

 この間演習で少々問題行動を起こしたと報告があがっている。

 執務室に呼び出しても理由をつけて応じないのだが、このままでは上に軍規違反と取られる可能性がある。

 こんな場所だが早めに解決しておかなければならない。

 

「……で、何?!」

 

 イライラした様子を隠そうともせず、同じくらいの身長の私を睨む。

 

「あぁ、こんな場所でする話でもないのだが」

 

 ワンクッション置いて前置く。

 

「満潮お前、この間の演習相手に何やら暴言を吐いたと聞いている。向こうの大尉サマが何やら散々喚いてきたぞ」

 

 あの時はキィキィと甲高い声を電話で数十分聞かされてゲンナリした。

 

「腹が立つ事はあっても演習は同じ艦娘相手だ。もう少し礼節を守った態度を取ってくれないか」

 

「……うるさいわね」

 

「……何?」

 

 聞き間違いで無ければうるさいと言われたみたいだ。

 

「つまらない話はそれだけ? 食事が不味くなるからやめてくれない?」

 

「待ちなさい、満潮。話は終わっていない……!」

 

 クルリと背を向けた満潮の肩を掴もうと手を延ばす。

 パシィと食堂中に響き渡る音、食堂に居た全員が注目するほどの。

 じんじんと痛む左手と此方に振り返った満潮の姿で、手をはたかれたのだと認識する。

 

「満潮、後で話がある」

 

「ウザイのよッ!!」

 

 静かに怒りを込めて言葉に乗せる私と真っ向から怒りの感情を言葉に乗せて放つ満潮。

 

 しばらく睨みあったが注目されるのが嫌だったのか、踵を返すと満潮は食堂から駆け足で出て行ってしまった。

 その後姿を見つめていたらすさまじい胃の痛みが襲って来た。

 

「ぐ……ッ!?」

 

「提督!?」

 

 脂汗を流して鳩尾に手を当てる私に大淀が駆け寄ってきる。

 

「……どうぞ、痛み止めです」

 

 近くにあったコップに水を注いで薬包紙と共に渡してくれる。

 

「あぁ、ありがとう。大淀」

 

 さらさらと薬を口に流し込み、水で飲み込む。

 冷たい水が胃に回る感触があり、少しだけ落ち着く。

 

「提督、大丈夫!?」

 

 青葉と鈴谷も駆け寄ってきた。

 

「だ、大丈夫だ」

 

 こんなところで大事にしたくない。大丈夫だと手を上げて制止した。

 いまだ注目されているようだ、ここは弁明しておくしかあるまい。

 

「あー、すまない。持病の胃痛でな。騒がしくしてすまない、食事を続けてくれ」

 

 食事中の皆に聞こえるように声をかける。

 中にはあまり納得をしていないような表情の艦娘や人間も居たが、しばらくすると再びざわざわと喧騒が戻ってきた。

 ズキズキと痛む胃に意識が行く。

 これは刺激物は控えた方がいいだろう。

 

 楽しみにしていたのだがな、甘口ハンバーグカレー……。

 

 想像の中でカレーを美味そうに食べる自分を思い描き、叶わぬ願いと諦め今日何度目かの深い溜息をついた。




満潮とショタ提督、両方にそれぞれ叶わない願いを含んでいます。
割と史実が壮絶な艦娘なので興味が出た方は調べてみてくださいね。
閲覧・お気に入り・評価ありがとうございます。
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ちんじゅふのおにんぎょう

ショタ提督は鎮守府に居る軍属以外の年上の人間に対しては敬う態度を取ります。
寮母さんに対してこういう言葉使いなのはこういう理由です。
(それに機嫌を損ねるとピーマン増量されます。)


「坊ちゃん提督、えらい騒ぎだったねぇ」

 

 給仕をしてくれている、おば……いや、寮母の女性に声をかけられる。

 

「騒がしくしてすみません。何か胃に優しいもの、ありますでしょうか?」

 

「カレーが食べられない人間もいるからね、ポトフとパンがあるけどそれでいいかい?」

 

「はい、構いません。お願いします。後、坊ちゃん提督は……」

 

 そうなのだ、いつも私のことを坊ちゃん提督と呼んでいる。その呼び方は辞めてくれと何度も言っているのだが、全く聞いてくれない。

 

「なぁに言ってんだい! うちの子よりも年下の癖に10年早いんだよ!」

 

 ガハハと豪快に笑われる。

 敵わないなと思いつつ、食器を載せるトレイを配膳台に置き、しばらく待つ。

 

「はい、おまちどう。熱いから気をつけるんだよ」

 

「ありがとうございます」

 

 礼を言い、衣笠達が座っている席に向かう。

 柔らかく煮込まれた野菜とコンソメの匂いが鼻をくすぐる。

 

「提督、私も御一緒してもよろしいですか?」

 

 声が聞こえ、横を見ると大淀だった。

 トレイに乗っているのはカツカレーのようだ。うぅ、羨ましい。

 

「あぁ、席は空いてるし構わないだろう」

 

「提督、御身体は大丈夫ですか?」

 

 返した言葉を遮るように顔を耳元に近づけられ、唐突に聞かれる。

 

「うむ、痛くないと言えば嘘になるが、薬のおかげかもな。今のところ大丈夫だ、ありがとう」

 

 心配してもらった事と薬の件で礼を付け加える。

 

「しかし、最近胃痛が続いているようですし一度本部の軍病院に……」

 

 しかし大淀の言葉は鈴谷にさえぎられた。

 

「提督おそーい! 鈴谷待ちくたびれたー!」

 

「はは、すまんすまん。大淀も一緒に食事をと思ってな。皆も良いだろうか?」

 

「良いですよ~! 衣笠、ちょっと詰めて~」

 

 青葉がゴソゴソと音を立て、ずれてくれる。

 鈴谷が椅子を引いてくれたので隣に座った。

 正面に青葉と衣笠、隣に鈴谷と大淀といった配置になる。

 

「司令官大丈夫? 疲れとかたまってるんじゃない?」

 

 青葉が先程の事を問いかけてきたが心配をかけたくないので問題ないと笑いながら返しておいた。

 あれこれ聞いてこないのは青葉なりの優しさだろう。ジャーナリストでも情や優しさはあるのだ……と思いたい。たぶん。

 

「提督はポトフにしたんだねー。あ、その骨付きの鶏肉美味しそう!」

 

 ポトフの皿に乗っている鶏肉をじーっと見つめている鈴谷。

 正直そこまで食欲もないのだが、あまり見っとも無い事をさせるわけにもいくまい。

 

「やらんぞ、それに鈴谷は自分のカレーがあるだろう。正直そっちの方が美味そうなのだがな」

 

「お? 提督食べるー? 鈴谷はいいよ~。はい、あーん。」

 

 思った先にこれか。

 目の前にカレーの乗ったスプーンを差し出されたのだが、大淀が止めてくれた。

 

「今の提督に刺激物はあまり良くありません。調子が戻ったときにされてはいかがでしょう」

 

「ほーい、まぁしゃーないよね~」

 

 眼鏡をクイッとあげて、まるで少女漫画の意地悪家庭教師みたいだと思った。

 少女漫画は駆逐艦娘の秋雲が秘書艦の時にいくつか資料と称して執務室に持ってきていたものだ。

 スケッチブックに絵を描くのが好きらしく、漫画を読んでいる姿をいつの間にか描かれていた。

 描きあがった絵を見せてもらうと何故か手に持っている漫画が洋書と煙草を吸うパイプになっていたが。

 その後、漫画を読みふけってしまい、様子を見に来た巻雲に怒られたのはまた別のお話。

 

 未成年なのに喫煙をしていると噂になってしまい、誤解を解くのに奔走したのはまた別の機会に語ろうと思う。

 

 食事をしながら4人の会話に耳を傾ける。

 どこそこの鎮守府の提督がイケメンだったとか、演習終了時に声をかけられたとか。

 ……あぁ、そいつはやめておけ。ニーソックスにしか興味がない変態だ。

 軍学校時代女性寮にニーソックスを盗みに入って懲罰房に入れられた同期の顔を思い出す。

 黙っていればイケメンなのだが……。

 教えてやろうかと思ったが、夢を壊すのも忍びないので黙っておいた。

 

 ……黙っているのを嫉妬していると間違われ、鈴谷にちょっかいを出されたが。

 

 たわいもない話をしているうちに周りから感じる人の雰囲気も少なくなってきた。

 あぁ、確か衣笠と話をするんだったな。今の雰囲気なら無理難題も言われ無さそうだ。

 

「そういえば衣笠、私に話があったのではないか?」

 

 正直間宮のお菓子券の方が手っ取り早くて楽なのだが。

 

「あー、うん。鈴谷と大淀居るけど、まあいっか! 実はさ、青葉とデートして欲しくて」

 

「はぁ!?」

 

 3人の声が同時に綺麗に響いた。

 大淀、鈴谷、青葉だ。何だ、衣笠と同室の青葉も聞いていなかったらしい。

 

「ちょっと衣笠! どういう事!?」

 

 青葉が慌てている。いつも人を慌てさせている立場の娘が取り乱しているさまは少し可笑しい。

 先ほどの3人のコーラスで少し鼓動が跳ね上がってしまったが、その様子に少し落ち着いた。

 皿の底に残った鶏肉をつつき、口に運びもむもむと咀嚼する。

 柔らかく煮てあり、ほろほろと崩れる。玉葱や人参の甘みもしみこんでおり、飽きない味だ。

 

「提督、聞こえてました~?」

 

 衣笠が青葉の頭を押さえながら聞いてくる。

 食事時に暴れるものではないと注意するべきか迷ったが口に物が入っているためコクコクと頷く。

 

「良かった! 他の艦娘に服を借りてきたかいがありました~!」

 

「衣笠! もしかしてあれ青葉にっ!? ていうかサイズが……くぅっ!」

 

 青葉のポニーテールに纏めた髪がずれ、わたわたと慌てている。

 そろそろ頃合かと思い、口を開く。

 

「では明後日の日曜日に時間を取ろう。青葉も食事時に暴れるんじゃない。良いな?」

 

 プシューと顔から蒸気が出るほど赤くなっている青葉、ニンマリと笑う衣笠。

 

「鈴谷さんは良いのですか? 提督と他の艦娘がデートって聞いて、もっと取り乱すかと思っていましたが」

 

「ん~、別に鈴谷は気にしないしぃ~。女心を沢山学んでくれれば退屈しないじゃん?」

 

 鈴谷と大淀が話している。

 だが人の頭の上で会話はしないでくれるだろうか、表情もうかがえないのであまり良い気はしない。

 

「そろそろお開きにするか。工廠へ資材の確認に行きたいのでな」

 

「あ、提督。服を見てもらいたいので終わったら部屋に来て」

 

 衣笠が青葉のポニーテールを結いながら話す。

 デートに来ていく服でも選べと言うのだろうか。正直そういうものは当日までのお楽しみにした方が良いと思うのだがな。

 青葉といえば真っ赤になって心此処に在らずといった様子だ。

 

「あぁ、わかった……あぇ?」

 

 立ち上がろうとした瞬間鼻から温かいものが落ちる。

 しまった、ポトフが温かいので鼻水が垂れてしまったのだろうか。

 しかし制服のズボンに赤い染みがある、花でも咲いているのかなと見当違いな事を考えていたら鈴谷に笑われた。

 

「んぉ、提督デートって聞いて鼻血出すほど興奮してんの? うわっきっもー☆」

 

 失礼な、誰が興奮などするものか。ハンカチを取り出して鼻を押さえる。抗議してやろうと口を開いたら声以外のものが邪魔をした。

 

「ゴボッ!? カッ……! ハッ……へ?」

 

 真っ赤に染まったハンカチ、半笑いの仮面を貼り付けたような顔の鈴谷、眼を見開いている衣笠と口を手で押さえている青葉。

 無表情な顔の大淀と椅子やテーブルが斜めに揺らぎ、砂袋を落としたような音が自分の体に響くのと意識が暗闇へと途切れたのは同時だった。

 

「提督!」

 

 最後に聞こえたのは誰の声だっただろうか……。




やはり胃潰瘍はほっとくとヤバイですね(スットボケー
追々明らかにしていくので楽しみにお待ち下さい。
閲覧・評価・お気に入りありがとうございます。
大変励みになっております。
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堕ちた月と満ちた潮

シリアス回です。


 ……誰かの争っているような声が聞こえる。

 

「今はあなたが知る必要はありません。それにここは関係者以外立ち入り禁止です」

 

「なにそれ!? 意味分かんない」

 

「意味が分からなくとも提督は現在安静にするのが望ましいと思われます」

 

「ふざけないでっ!」

 

 ……五月蝿いな。

 やけに重く感じる身体を起こし、周りを見回す。

 白いカーテンでさえぎられたベッド、その向こうには人影が二つ透けて見える。

 先程の声の主だろう、背の高い人物と低い人物が見て取れる。

 とりあえず言い争いを止めねば。

 ベッドから降りようとした所、足に力が入らずカーテンを引っつかむ。

 

「ぁぇ?」

 

 ……当然、カーテンはその重さに耐えられるはずも無くレールからプチプチと音をさせながら外れた。

 右手が上がりにくい事も忘れ、顔から落ちる。

 ぐぅと呻くが幸い歯や鼻は折れてはいないようだ。

 

「提督! まだ起きてはいけません!」

 

 顔を上げると無電を片手に大淀が駆け寄ってきた。

 視界の隅に満潮が居る。

 言い争っていたのはこの二人のようだ。

 大淀に肩を貸してもらい、ベッドに座らせて貰う。

 

「ありがとう、私は……そうか、食堂で気を失ってしまったのか」

 

 鼻血を出して貧血になったのかな、と笑いながら付け加える。

 大淀の表情は眼鏡に光が反射して伺えないが、どうやら笑っていないことは確かだ。

 

「満潮? 何やら関係者以外立ち入り禁止と聞こえたようだが」

 

 深呼吸して先程から耳に残っていた疑問を投げかける。

 相当苛立っているようで、腕を組みながらそっぽを向く。

 だが、話はしてくれるようだ。

 

「食堂で司令官が倒れたって聞いたのよ。もしかして私に原因があったら良い気はしないじゃない」

 

「あぁ、そうだったのか。いや、満潮には何の落ち度も無いぞ。だから安心してくれ」

 

 腕を伸ばし、頭を撫でようとしたら一歩飛び退って拒絶された。

 

「触らないでよっ!」

 

 満潮にこうまで嫌われるような事を何かしただろうか。艦隊運営に問題が出ないうちに聞いておくべきだろう。

 

「なぁ、満潮。私はお前に何かしただろうか? すまないが心当たりが無いのだが」

 

 おずおずと問いかけると満潮はキッと私を睨みつけると言い放った。

 

「知らないわよっ! なんか気に入らないだけよっ! アンタの近くに居るとイライラすんの!」

 

 理不尽な言動に少々ショックを受けた。なおも続けられる満潮の辛らつな言葉。

 

「それなのに、朝潮も荒潮も司令官司令官って……皆おかしいのよっ!」

 

 ……艦娘に好かれようと今まで努力をしてきたつもりだ。

 その様子が気に入らなかったのだろうか。

 甘味の情報を調べ、神戸の店まで発注を出したり、こっそり購入した女性にモテると銘打たれた雑誌で何度か勉強もしたりしていたが。

 流石に気分が消沈する。

 

 私がしょげている様子を意にも介さずに大淀が口を開く。

 

「満潮さん、提督が倒れたと言うのは誰に聞いたのですか?」

 

「それは朝潮に……あっ!」

 

 言ってしまって、しまったという顔をする満潮。

 何だ?何かあるのだろうか。

 

「満潮さん、とりあえず貴女には謹慎を命じます。懲罰房行きを命じないだけ有難いと思って下さい」

 

「はぁ!? 何でよ!」

 

 大淀が冷たい瞳で命令する。

 

「ちょっと待て、大淀。いくらなんでもやり過ぎだ!」

 

 慌てて抗議するが、大淀はこちらを全く無視して続けた。

 

「現在提督が倒れた事は緘口令を布いています。そして提督に対する数々の暴言。罰則としては十分でしょう」

 

「待て、大淀! お前に何の権限があって……!」

 

「お静かに、提督。また、頭に血が昇るといけません」

 

 有無を言わせない力で大淀にベッドに寝かせられ、大淀が満潮に振り向き、告げる。

 

「では第八駆逐隊、満潮! これより許可があるまで自室謹慎を命じます。解りましたね?」

 

 ギリと歯軋りの音がここまで聞こえてくるようだ。

 

「解ったわよ……! でも……私の謹慎中に、艦隊全滅とか、やめてよねっ!?」

 

 満潮は踵を返し、ドアが壊れるほどの音を立てて走って行った。

 ……眼の端に溜まっていた水晶の輝きは悔しいせいか、それとも……。

 満潮、後で何かできる事があればしてやるべきか。

 だが、まずは目の前の問題が最優先だ。

 

「大淀、緘口令とはどういう事だ。しかも私の前で満潮に罰則を与えるなど何の権限がある」

 

 身体を起こし、大淀を睨む。

 いくらなんでも自分が居る前で好き勝手されるのは嫌な予感がする。

 ふぅと溜息をつくと大淀は此方を向いた。

 どうやら説明してくれる気はあるようだ。

 

「提督がお倒れになっては全体の士気に問題が出ます。なので緘口令をあの場に居た者達に布きました」

 

 一部の者からは漏れ出ているようですけれど、と付け加えられた。

 

「では何故満潮に謹慎を命じた。お前にそんな権限は与えていない筈だ」

 

 身体が怒りで熱くなる。だが大淀はそんな此方を一目見ただけで続けた。

 

「上層部から提督が倒れている間、私が艦隊の指揮を取るように、と。確認されますか?」

 

「……上層部とは誰だ。此方にも伝手はある。そのような命令はすぐに……!」

 

「あぁそうそう。まるゆの件はこの鎮守府でしばらく預かってほしいそうです。但し、生死は問わない、と」

 

「何ッ!? 貴様……!」

 

 これではまるゆを人質に取られているようなものだ。

 

「私も本当は心苦しいのですよ? 愛しい提督は艦娘がだぁいすきですし。……馬鹿な考えは起こさないで下さいね?」

 

 馬鹿な、という部分を強調し、にこりといつもの自信に満ちた笑顔を浮かべ、大淀が近寄ってくる。青葉とまるゆの一件を知られているのだろうか。

 だが、今はその笑顔の裏に凄まじい悪意が隠れているような気がしてならない。

 寒気を感じて体を震わせた隙に両頬を大淀の両手で挟まれ、唇を奪われた。

 

「グッ……!」

 

 ぞわりと口中に入ってくる舌の感触が不快で、噛み千切ってやろうかと考えるよりも前に身体を離された。

 

「ふふ、提督の唇ご馳走様。とても可愛かったですよ」

 

 勝ち誇ったような、戦意高揚状態特有の表情を浮かべ、大淀が哂う。

 体内に大淀の臭いが染み付いてしまう気がして、私は袖で唾液ごと口を拭いた。

 

「あぁ、言い忘れていました。執務室には元気な姿で座っていてくださいね? 幸い明日は土曜日です。重要な書類は少ないはずですのでこちらで処理しますから」

 

「くそっ!」

 

「そういえばそろそろ夜戦……の時間ですね。うふふ。やりませんか夜戦」

 

「失礼する!」

 

 からかわれているのか本気なのかわからないが頭が沸騰していて区別がつかない。

 一刻も早く逃げ出したくて医務室を出た。

 

 外は月がやけに紅く昏い夜だった。

 屋内の電灯が明るいのがせめてもの救いだろうか。




おおよどちゃんはていとくちゃんがだいすきです。
みちしおちゃんもていとくちゃんがだいすきです。
でもすなおになれません。

どうしてこうなった(アタマカカエー
提督をめぐる蜘蛛の罠。
大淀さんも思うところがあり、悪人ではないはずです。たぶん。
読んで頂きありがとうございます。
続きは鋭意製作中です。


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unfinished finale of shade

 ふらふらとよろけながら廊下を歩く。

 血が足りないせいなのかもな、と考え、壁に手をつき一息入れる。

 幸い時間が遅いので艦娘に出会うこともないようだ。

 もう少し歩けば執務室に着く。

 

 確か机の中に麝香を使った救命丸、いわゆる気付け薬があった筈だ。

 それまで誰とも会わなければいいが。

 それにしても目の前が暗い、少なくとも貧血とはこのようなものであっただろうか。

 さきほどまであんなに煌々と明るかった電灯が、今は蛍のようだ。

 

「大淀に一服盛られたのかもな……」

 

 呟いて、自分の想像の可笑しさにククと自虐の笑いが零れる。

 艦娘を信用しないでどうする。もしかしたら上層部の誰かから嫌々やらされているのかもしれないだろう。

 ふと、丸眼鏡をつけた陸軍の将官の姿が脳裏に浮かび上がる。

 

「いや……まさかな……」

 

 あの人物にそこまでの権限はない筈だ。慌てて呟きで否定した。

 では誰が?少なくとも海軍大将クラス。

 だめだ、頭が回らない。

 

 ふるふるとかぶりを振り、前を見たら視界の端に艦娘が居た。

 白い肌のせいだろうか、暗くなった視界にやけに目立つ。

 窓の外の月をじっと見つめている。

 どちらにしろあの娘の後ろを通らないと執務室には行けまい。

 できれば今の私の姿に気付かないでいてくれればそれはそれで一番嬉しい。

 そろそろとできるだけ足音を忍ばせる。何分体調が芳しくないので限界はあるのだが。

 後ろを通ろうとしたとき、その艦娘がボソリと呟く。

 

「ツキガ……月が、きれい……」

 

「え……?」

 

 しまった、声が出てしまった。

 声が聞こえたのか艦娘が此方をゆっくりと振り返る。

 

 いや艦娘と呼ぶには異常だった。

 髪も肌も白く、瞳だけか異様な輝きを放っている。

 艦隊を率いて居た時遠目で何度か見た事がある。

 深海棲艦と呼ばれるモノ。

 人類を脅かす存在。

 

「き、貴様は……深海……ッ!?」

 

 何やらゆるゆると手を此方に延ばしてくるのを必死で叩き落とす。

 

「イタイジャナイ……カ……ッ!」

 

 はたかれた手を擦りながらも、今度は懐に入り込もうとゆるゆると近づいてくる。

 此方もゆっくりと後ずさるが、背中に硬く冷たいモノが当たる。

 壁だ。後ろを振り向いて、その認識が嘘では無かった事に絶望する。

 だが、敵の目の前で後ろを向くなど悪手でしかなかった。

 ゆっくりと手を回され、覆いかぶさられる。

 

「や、やめっ……!」

 

 恐怖で声がかすれる。

 人間とは最上級の恐怖を感じるとこうなってしまうのだな、と身体を切り離された思考で考える。

 

「司令官、落ち着いてください」

 

 ぎゅうと体に回される腕、顔に押し当てられる柔らかな体。そして体温。

 ……温かい。

 おかしい。深海棲艦には体温が無く、冷たいと聞いている。

 確認するために手を目の前の体に当ててみる。

 やはり温かい。安心すると先程の恐怖が再び体を襲い、カタカタと膝が笑い、足から力が抜けてしまい、立っている事が困難になってしまう。

 誰かは解らないが人肌のぬくもりが消えてしまう気がして、腰に手を回し力いっぱい抱きしめる。

 

「ひゃうっ! ……し、司令官!? あの……補給物資は大丈夫、無事ですから……」

 

 すまない、痛くしてしまっただろうか。

 離したくなくてスカートに巻かれているベルトを力いっぱい掴みながら顔を上に向ける。

 

 ……春雨だ。

 

 白露型駆逐艦の五番艦で夕立を姉に持つ艦娘だ。

 普段から輸送任務が得意だと自負しており、自信に欠けるが前向きな所が評価できる。

 何故、この娘を深海棲艦などと見間違えたのだろう。

 貧血がそこまで酷かったのだろうか、そういえば膝を折った姿勢のせいか周りも少し明るい。

 血が少しは頭に回ったのかもしれない。

 

「司令官、あの……」

 

「春雨、すまない。もう少し、このままで」

 

 艦娘にこのようなみっともない姿を晒すのは、正直言って情けない。

 だが、この時はそれどころじゃ無かったように記憶している。

 頭に優しく手が添えられ、そのまま左右に撫でられる。

 驚いて、声が漏れる。

 

「春雨……?」

 

「ふふ、春雨が任務で一番活躍した時に司令官がこうしてくれたのでお返しです」

 

 そういえば輸送任務の旗艦に春雨を据え、大成功を収めた時があった。

 その時に頭を撫でた記憶がある。

 ……その後、お祝いと称して二人で外食に行った時に一騒動あったのだが……これはまた別の機会に語ろうと思う。

 

 あぁ、しかし何故か落ち着く。

 身体の中の何か大事なものが流れ出ていくような心地よい感触、このままではいけないと頭の中で警鐘が鳴っているがそれさえも抗えない甘美な誘惑にしばらく浸っていた。

 

 と、瞬間視界に真っ白な光が飛び込む。

 

「きゃぁっ!」

 

 春雨の悲鳴があがり、肩と頭に置かれていた手から後ろに荷重が掛けられる。

 当然、後ろは壁であり、後頭部を強かに打ちつけた。

 

「うごっ!」

 

 くぅと嗚咽を漏らし、涙目で頭を押さえる。

 

「司令官、青葉、見ちゃいました……」

 

 声がした方を見ると、青葉がカメラを構えていた。

 そうか、先程の光はカメラのフラッシュか。

 これは言い逃れできないな、と痛みで涙目になりながら青葉を見たらもう一回カメラのフラッシュを焚かれてしまった。

 

 この時の涙目写真が鎮守府で高レートで出回ってしまい、回収するのに奔走するのはまた別のお話。




タイトルはとある曲の題名をもじったものです。
unfinished finale shedという曲が何となく合うかなと思ったので良ければ聴きながら読んでみてください。
ショタ提督のSAN値は現在下降中。血が足りないせいか、はたまた……?
閲覧ありがとうございます。
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正座は足が痺れます

「で、どういう事か説明していただきましょうか」

 

 衣笠がベッドに腰掛けながらジロリと此方を睨みながら口を開く。

 ここは衣笠と青葉の部屋。

 なぜか私と春雨は正座をさせられている状態だ。

 

「いや、貧血がひどくて倒れかけた所を春雨が助けてくれた」

 

 下手な言い逃れはできないだろう。

 だがあの時は姿勢が問題だった。

 今思い出してみると、春雨の臍の下辺りに顔を埋めていたわけだからセクハラと間違われても言い訳の仕様が無い。

 しかし、貧血状態とは言え、艦娘を深海棲艦と間違えて脅えるなど、提督としてあってはならない事だ。

 武器の類を持っていなくて良かったと心から思う。

 もし守り刀でも持っていたら春雨の胸に突き立てていたかもしれない……。

 嫌な場面が脳裏に映り、ゾワリとする。

 

「司令、官……?」

 

 胸元に深く突き刺さった短刀と私の顔を交互に見つめ、信じられないと言った表情でくずおれる春雨。

 胸元の白いセーラー襟が血に染まり、胸元の赤いスカーフとの境界を無くしていく……。

 春雨を手にかけ、自分の手を血に染める自分は笑っているのだろうか、それとも泣くのだろうか。

 

「……かん! 司令官!」

 

 春雨に体を揺さぶられる。

 

「ぇ?」

 

「ぇ? じゃありませんよ、衣笠さんが怒ってます」

 

 どうやら妄想の中に溺れていたようだ。

 自分には妄想癖は無かった筈なのだがな、気をつけねば。

 

「すまない、衣笠。ボーッとしていた」

 

「大丈夫? 疲れてない? やっぱり食堂で倒れた時に頭とか打ったんじゃ」

 

 衣笠に詫びると、心配そうな目で問いが返ってくる。

 だが、春雨の前だ。その事はできれば秘密にして欲しかった。

 

「え? 司令官倒れたって……?」

 

 やはり聞かれた。説明しておかねばなるまい。

 

「胃潰瘍が悪化してな、恥ずかしい事に自分の血に驚いて貧血で倒れてしまったのだ。なのであまり言いふらさないでもらえるか」

 

 大淀の布いた緘口令をバカ正直に言いたくなくて、あえて表現をぼかした。

 ちっぽけなプライドが邪魔をしたと、誰かに笑われそうだが。

 幸い、衣笠も黙っていてくれるようだ。

 しかし青葉が口を挟んできた。

 

「でも、司令官。胃潰瘍だったら食べたものも一緒に吐いちゃわない? 青葉それくらいの知識はあるよ」

 

 そうだ、何かがおかしい。私にも少しだが医療の知識はある。

 胃からの出血ならば黒っぽい血液が出てくることが多いが、ハンカチで押さえたのは赤い鮮血だった。

 だが、春雨にまで心配を掛けたくない。

 できれば今は言わないで欲しかった。

 

「……今は何ともないからな。それに呼吸も普通にできている。救急病院に行くほどでもないだろう」

 

「まさか司令官、結核じゃないよね?」

 

 ベッドに腰掛けた青葉が足を揺らしながら聞いてきた。

 自分もその可能性を考えたが、おそらくそれはない。

 

「子供の頃に予防接種を受けている。新しいウィルスなら解らんが」

 

「……」

 

 春雨が無言で距離を取る、少しだけ傷ついた。

 

「少なくとも春に受けた健康診断では異常は無かった。肺癌やウィルスの可能性は低いだろう。気道の少し上辺りが切れたのかもしれないし、ストレス性の潰瘍だと言ったのはそれが一番可能性が高いからだ」

 

 早口で言い放つと、ハハと笑って見せた。

 春雨にまで無用な不審を抱かせるわけにもいくまい。

 

「では、日曜日に遊びに行くのは問題無いですか? 提督」

 

 忘れてはいないのだが、今の状況では素直に楽しめるとは思えない。

 大淀や軍上層部の事が頭をよぎる。しかし艦娘のメンタルケアも提督の仕事だ。

 

 にこりと笑みを作り、頷いておいた。

 

「そういえば部屋に来て欲しいと言ってはいなかったか? もう遅いので都合が悪いなら出直すが」

 

 横を見ると春雨も目を擦っている。相当に眠そうだ。

 

 春雨がごそごそとスカートのポケットから艦娘支給の懐中時計を取り出し、時間を教えてくれる。

 

「マルヒトマルマル。司令官、真夜中です。はい」

 

 春雨の言葉で衣笠も考えを改めたようだ。

 

「そうね、とりあえず提督には明日病院へ行って貰おうかしら。それで問題なければその足で私を訪ねてくださいな」

 

「あぁ、解った。ではそろそろ自室に帰っても良いだろうか。大分足も痺れてきた」

 

 横の春雨は巻き添えみたいなものだし、流石にかわいそうだ。

 

「ふふーん。どうしようかな、青葉が良いならいいですよー」

 

「青葉は別に、司令官のこと信じてますから!」

 

 いきなり話を振られた青葉は驚いた様子だがしっかりと此方の目を見て話してくれた。

 ……この信頼を裏切るわけにはいかないな。少しだけ、元気が出たような気がする。

 

「では今日は解散しますか。んにゃ~……実は私も眠くて」

 

 誰もが眠かったようだ。実を言うと私も眠気が襲ってきている。当然だろう、いつもなら床についている時間だ。

 

「では失礼するとしよう。春雨、部屋までだが送ろ……うっ!?」

 

 ……油断した。

 

 足の痺れと弾みをつけて立ち上がろうとしたせいでまた貧血が襲ってきた。

 そのまま真横に倒れこんでしまう。

 あぁ、また地面と恋人になるのか、と思ったら幸いにしてクッションらしきものに頭が納まった。

 

「ひゃうっ! ……し、司令官!? あの……」

 

 上から慌てたような春雨の声が聞こえる。驚いて重い首をぐりぐりと動かすと春雨の見下ろす顔が目の前にあった。

 ……ということはこのクッションみたいなものは春雨の膝か。

 冷静に考えている場合では無かったが、吐き気もひどく体が動かない。

 

「す、すまない。そのまま私を転がしておいてくれるだろうか。貧血がひどくて立てないらしい」

 

「は、はい! じゃあすぐに大淀さんか明石さんを……!」

 

 慌てた様子で春雨は立ち上がり、今は聞きたくない人物の名前を言葉にする。

 当然私は春雨が立ち上がったせいで、頭ごとゴロリと転がるがそれどころではない。

 

「春雨! 待て! 大淀だけは止めてくれ! 頼む……!」

 

 うつ伏せの状態で春雨に手を伸ばしながら言ってしまいハッと気がついた。

 

 今自分は何と言った?

 

 大淀 だけ は止めてくれと言わなかったか?

 ドアノブに手をかけて怪訝な顔をして此方を見る春雨と訝しげな視線を送る衣笠と青葉。

 

「提督、どういうこと?」

 

 今まで聞いたことのない冷たい声が衣笠から聞こえた。




男の浮気って割とすぐにばれますよね。
今回はそんな状態をショタ提督に味わって頂きましょう。
閲覧ありがとうございます。
誤字・脱字などありましたらお知らせください。


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朝の連続ドラマ小説・ちんじゅ

「な、何でもない! ぐぅっ!」

 

 ふらつく頭と体で立ち上がる。机に手を掛け、必死で自分の重みを支える。

 何故自分はこのようなことを口走ってしまったのだろう。

 

「もう大丈夫だ。そこを退いてくれ。春雨」

 

 まだ膝に力は入らない。

 正直立っている感触が無い。しかし、この場に無様に存在していると良い方向に転ばないのは目に見えている。

 

「提督、手も足も震えて産まれたての小鹿といった表現がすごくしっくりきます。本当に使う時が来るとは思いませんでしたけど」

 

 衣笠がゆっくりと此方に近寄ってくる。

 危害は加えるつもりは無いのだろうが、正直恐怖を感じている。

 

 ……待てよ?恐怖?一体何にだ?

 

 大淀との件が知られる事か?

 それとも衣笠に何かされると思っているのか?私は。

 いっそのこと全てをぶちまければ楽になれるだろうか?いや、そんな事をしたら艦娘同士の不和を招きかねない。

 そうなれば最悪、罷免だ。

 

「大丈夫だ、本当に何でも無いんだ」

 

 力の入らない脚を叱咤しつつ、最大速力で衣笠の横をすり抜けようとする。

 

「逃げても無駄よ!」

 

 ……体ごと抱きしめられた。

 

 小脇に抱えられ、まるでラグビーのボールになった気分だ。

 

「提督が説明してくれなければ、大淀に直談判に行くけど」

 

 提督かっるーい、などと遊ばれゆらゆらとゆさぶられる。

 

「待て、待ってくれ。解った。だから離してくれ」

 

 流石にこの体勢は恥ずかしい。それにぐるぐると視界が回って気持ち悪い。

 

「はーいっ! わかりました……じゃあ青葉パス!」

 

 そのまま青葉が座っているベッドに投げ入れられた。

 

「うひゃあ!」

 

 いきなり放り投げられて青葉も抱きとめようとしてくれたのだが、座っている状態では力が入らなかったらしい。

 一緒にベッドに倒れこんでしまった。

 ベッドの下段は柵が付いていないことがせめてもの救いか。

 もし柵がついていたら引っかかって落下し、また地面とお友達になるところであった。

 幸い、というべきか不幸というべきか青葉の体がクッションになっているらしい。

 なるべく青葉の体に触れないように膝を立て、四つん這いの体勢になる。

 

 ……特に胸などに手が当たらないよう最新の注意を払って……。

 

「すまない、青葉。怪我は無いだろうか」

 

 青葉を見下ろし、問いかける。

 しかし青葉は真っ赤になって横を向き、火力が……火力がちょこっと足りないのかしら…等と物々呟いている。

 

「司令官、その格好は無理やり迫っているようにも見えます……」

 

 声がした方を見ると真っ赤になった顔の春雨が手で顔を覆い、指の間から此方を見ている。

 一瞬訳が解らなかったが、数秒の間をおいて理解すると同時に顔が熱くなる。

 

 慌てて青葉から体を離すが無慈悲な声が響いた。

 

「青葉、提督そのまま捕まえといて!」

 

 衣笠は悪乗りしているのだろうか。

 その言葉に青葉が動き、私から目線を逸らしつつ、袖を摘まんだ。

 青葉を見るとまだ顔は真っ赤だった。

 こうまでされては逃げるわけにも行かないだろう。

 仕方なくベッドの縁に腰掛けると青葉もそれに続いて隣に座った。

 

 ……相変わらず私の袖を摘まんだままだが。

 

 覚悟を決めた。

 今ここに居る艦娘には大淀や軍上層部の事を知っていてもらおうと思う。

 春雨が居てくれるのは好都合だ。

 何故なら、この娘は輸送任務が得意で他の鎮守府でも春雨型艦娘を輸送に重用している。

 輸送任務のついでに軍学校時代の信頼できる友に暗号文を渡す事ができるかもしれない。

 何でもない日常にカモフラージュした文を。

 

「まずは最初に謝る。すまない」

 

 自分の口の前に人差し指を立て、静かにとサインを送りながら、ドアの前に誰かが居ないか気配を探る。

 ……幸い、気配は無い、と思う。完全に気配を遮断されていては解らないが。

 壁は下地がコンクリートだ。艦娘に併せて板張りや桜の壁紙などを貼るが、騒いでも騒音被害は少ない。

 

 ふぅと一息ついてから、今の自分が置かれている状況を述べる。

 

「今の私には提督としての権限が剥奪されているに近い状況だ。おそらく海軍上層部。その中でも陸軍との繋がりがある者、と睨んでいる」

 

 流石に衣笠もおちゃらけた態度はナリをひそめたようだ。

 再び椅子に座った格好で、上半身だけをズイと此方に乗り出してくる。

 

「何やら朝の連続ドラマより面白そうな匂いがするね」

 

 ……衣笠は衣笠だった。

 連続ドラマとは朝八時に15分間ほど放映しているTVドラマだ。艦娘の間で密かにブームがおこっているいるらしい。

 少し毒気を抜かれたが続ける。

 

「理由は提督の体調不良、見せ掛けの業務を続けない場合まるゆの生死が掛かってくる」

 

「まるゆちゃんって今日鎮守府に来た……?」

 

 春雨は口に手を当て、心底驚いている様子だ。

 

「あぁ、そうだ。そこで春雨に頼みがある」

 

「わ、私にですか!? はい! 何なりと!」

 

 話を振られ、驚いたらしい。直立不動で敬礼をして表情をひきしめる。

 

「軍学校時代からの友人に手紙を出したい。親も兄弟も居ない私が唯一信頼できる人間だ」

 

 思えば少将まで一気に駆け上がったやり手だったな。

 長い黒髪が特徴的だった。よく邪魔だ邪魔だと言ってぼやいていたな。懐かしい顔を思い出し、ふふと笑みが零れる。

 

「司令官、その方は女性ですか?」

 

 青葉がむくれた顔で袖を引っ張ってくる。何だ、今そのような事は関係無いだろう。

 

「近々、ビアク島近海への輸送任務があった筈だ。その時に頼めるだろうか」

 

「はい! 輸送作戦はお任せください、です!」

 

 春雨の元気良い返事が聞けて此方も気分が上向く。

 しかし、この事は内密に運ばねば。

 

「私の体調については明日、時間外診療がある病院で診てもらうとして、この事は内密に頼む。でなければまるゆと私の首が物理的に飛ぶ」

 

 真剣な顔を作り、できるだけ静かに話す。

 その言葉に三人の艦娘はしっかりと頷いてくれた。




ビアク島と聞いて艦の鋭い方はいらっしゃるかもしれません。
閲覧ありがとうございます。
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Armeria

Armeria/アルメリア
和名は浜簪(ハマカンザシ)花言葉は思いやり、同情
同時に、バスク語で武器庫を意味する
(とある説明文より抜粋)


「……っはぁ……!」

 

 ひどく重く感じる執務室の扉を開け椅子によじ登りようやく一息つく。

 灯りをつける気も起きなかった。

 こういう時は月明かりだけで十分だ。

 

 いつの間にか月は紅から寒々とした蒼い色に変わっていた。位置の加減によるものだろう。

 月が低い位置では空気の関係で妙に赤く見えることもある。そう自分で結論付けた。

 しばらくだらりと足と手を投げ出し、すわり心地の良い椅子の感触に溺れる。

 

「薬を、飲まなくてはな」

 

 誰に聞かせるわけでもなく呟いた。

 すでに声に出さなければ行動を起こす気力も無いのかもしれない。

 引き出しから気付け薬を取り、ふと、その隣にある瓶に目が行った。

 

「あぁ、これは……」

 

 懐かしい、鎮守府に着任してしばらく経った時にくれた栄養剤だ。

 あの時は寝る間も惜しんで必死に艦隊の運用や艦娘の特性、戦術を勉強していた。

 

「艦娘を誰一人として失いたくなかったからな」

 

クマを作った顔で大淀に任務を聞きに行ったら驚いた顔をしていたな。

その後は睡眠はしっかりと取る事、と念を押されそっとこの薬を忍ばせてくれた。

明石さんには内緒ですよ?とウインクしながら。

先程の冷たい大淀の顔が思い浮かび咄嗟に栄養剤の瓶を振り上げた。

 

「クソッ……!」

 

解っているのだ、ただ何処へ持って行けばいいかわからない怒りが行き場を無くしているだけなのだ。

薬に罪は無い。せめて有効利用させて貰うとしよう。

重い体をのそのそと動かし、執務室に併設されている給湯室に向かった。

 

「コップは……これでいいか」

 

ガラスのコップは棚の一番上にあり、自分の身長では台に上がらないと取れなかった為、手近にあったマグカップを手に持った。

そして蛇口から水を注ごうとしたら手が滑ってしまった。

 

「うわっ……! とと」

 

ゴンと音を立ててマグカップがシンクに落ちる。慌てて拾ったが割れたりはしてなかったようだ。

 

「マグカップで良かったな」

 

ふふと笑いひとりごちる、そういえば独り言が多くなると呆けの始まりだと祖母が言っていたな。

懐かしい顔を思い出そうとする、しかし細部まで思い出そうとすると途端にぼやけてしまう。

遠目では祖母の顔はしっかりと思い出して認識できるのだが……。

 

「私に絵心でもあれば違ったかもしれんな」

 

またククと笑いがこみあげてしまった。

今度こそ汲もうと流しっぱなしの蛇口から水をマグカップに入れる。

気付け薬と栄養剤の丸薬を一粒ずつ口に含み飲み込んだ。

 

「ふぅ……」

 

口をつけたマグカップを洗い、乾いた布巾を敷いた台に置く。明日乾いてから棚に戻すとしよう。

シンクに手を置き、気付け薬の妙な後口と戦っていると、いきなり眩しい光が襲った。

 

「うわっ!?」

 

「きゃぁぁぁ!?」

 

声を上げた拍子にマグカップに手が当たったようだ。シンクに落ちてガシャリと派手な音がした。今度は割れてしまったな……。

光の主も驚いたようだ。なんとも可愛らしい声が聞こえた。

 

「て、提督? 灯りもつけずにどうされました……?」

 

懐中電灯の光の主は扶桑だったらしい。壁に反射する明かりで姿が見て取れる。

 

「……扶桑か。驚かせてくれるな、心臓が止まるかと思ったぞ」

 

マグカップを片付けようと手を延ばし、欠片を拾う。

 

「わ、私は執務室から何やら声と物音が聞こえたので泥棒の類かと……。暗闇で作業は危ないですよ、提督」

 

扶桑は近づいてくると私の手を取り、もじもじと言い訳をする。

まだ心臓が跳ね上がっている。だが、扶桑のあたふたとした姿に少し落ち着きを取り戻す。

 

「姉様! 姉様の悲鳴が!? 痛い! ……やっぱり不幸だわ……」

 

何やら重いものが転がったような音と声が聞こえる。

その後ずるりずるりと音が聞こえ、扶桑と私は目を見合わせると、給湯室の入り口に生首が転がった。

 

「ヒッ!?」

 

懐中電灯を入り口に当てていた扶桑は短く悲鳴を上げると、何処からか取り出したのか試製41cm三連装砲と12cm30連装噴進砲を構えた。

 

「主砲、副砲、撃てえっ!」

 

「待て待て待て扶桑! あれは山城だ!」

 

こんな所で艤装を使用されては執務室自体木っ端微塵になる。なりふり構わず扶桑の身体に組み付いた。

 

「えっ!? 山城?」

 

「うぅぅ……姉様酷いです。やっぱり、不幸だわ……」

 

首だけを給湯室に覗かせた姿勢のまま山城ははらはらと涙を流していた。

……とりあえず明かりを点けよう。

 

「……なるほど、艦娘で夜の見回りをしていたのか」

 

明かりのついた執務室で扶桑、山城から深夜に徘徊していた理由を聞く。

そういえば幽霊騒ぎの後に艦娘見回り隊が組織されていた事をおもいだす。

艦娘が持ち周りで不定期に行っているようだ。

 

冷たい艤装に触れたせいか、まだ鼓動が落ち着かない。

もしあのまま発砲されていたら私の身体も無事ではなかっただろうな。

思い出してぞわりと背中に蚯蚓が這い回る。鳥肌が立ちながら鼓動が早まる自分の体の器用さが少し可笑しかった。

 

「提督はこんな時間まで何を?」

 

扶桑が両手を前で組み、所在無さ気にもじもじと指をいじる。

事故だったとはいえ、妹の山城に武装を向けてしまった事が気になっているのかもしれない。山城の表情をチラチラと伺っている。

山城は気にしていないようだが……扶桑と目が合う度に此方に視線を送ってくる。言い出せなくて困っているのかもしれないな。

 

「少し野暮用をこなしていたらこんな時間になってしまった。眠気覚ましに薬を飲みに来た」

 

嘘を言っても仕方ないだろう、ここは正直に話した。

 

「提督……根を詰め過ぎては、体に毒です。私? 私は……はぁ……」

 

大きな溜息をつき、心底落ち込んだ様子だ。

 

「失敗は誰にでもあることだ。だが、それをいつまでも引きずるのは良いとは言えないな」

 

そう言って扶桑を慰めようと近づき手を延ばした時、赤いモノが目に入ってしまい、動きが止まった。

どうやら割れたマグカップで切ってしまっていたようだ。痛みを感じる暇も無いくらい取り乱していたのかもしれない。

 

「提督、血が……!」

 

山城がハッと息を飲む。

 

「かすり傷程度よ、心配いらないわ。」

 

扶桑が私の手を取り、観察する。

 

「もう血は止まっているようです、提督」

 

「あ、あぁ、そうか。すまない、では離してくっれ!?」

 

ねろりと手を舐められ、語尾が上がる。

 

「消毒を……いたしませんと……」

 

「ね、姉様?」

 

山城も私も固まってしまっていた。

その間にも傷口に舌を這わせられ、ぐりぐりと弄られる。

これは、消毒というより、傷を広げられているような……?

頭で理解すると同時に痛みが走り、扶桑の口筋から赤い液体が一筋落ちて白い胸元を汚した。

 

「痛ッ!? 扶桑! 離せ!」

 

力いっぱい手を引っ張るがビクともしない。それどころか手首に痕が付くほど握り締められている。

握られている指の間からのぞいた手首が白く変色していた。

 

「!? 提督!? 姉様! やめてください! 姉様!」

 

山城が顔を蒼白にして半狂乱に取り乱す。

その山城の声に顔を上げた扶桑は童女の様な顔で赤く暗い瞳を細め、にこりと微笑む。

 

「あら……山城、美味しいの……コレ……ふふ……」

 

そう言ってまた血に染まった舌を傷口に近づける。

 

……普通じゃない。

 

頭で警鐘が鳴ると同時に姉の身体に必死に縋り付いて嗚咽を漏らす山城を見て、何かが切れた。

 

「いい加減にしろ扶桑ーーー!!!」

 

パァンと音を立て執務机の浜簪をあしらったデスクライトが砕け散った。

山城も扶桑も目を回している。

扶桑の握っていた手が離れ、抵抗を続けていた体は慣性に導かれるままに後ろへ運ばれる。

 

重たい執務机に背中を強かに打ちつけ、肺の空気が全て抜ける。

衝撃で机の上の物が落ちるが、構わずズリズリと体を机に預け、地面に腰を落とし居竦まる。

 

肺に空気が足りないせいか視界が暗い。

 

「提督……どうされました……?」

 

ハッと気が付いた様子の扶桑に声をかけられる。良かった……今度はしっかりと私の姿を認識しているようだ。

 

しかし、なにやら様子がおかしい、まるで戦意高揚状態のように活き活きとしている。

 

「もう……眠たいんだ……。扶桑……」

 

机に背を預けたまま声を絞り出す。

他にも何か口が呟いたかもしれないが思い出せない。

視界の端にヒビの入った栄養剤のビンが転がる。

何故……?血、体液、薬……。

電といい、大淀といい、そして今の扶桑。

 

「あぁ……そうか……」

 

何かが自分の中で結論づけられそうになった時、意識が限界を迎えた。




タイトルはアーマードコアシリーズの楽曲から。
そろそろショタ提督も異常に気が付いた様です。
閲覧ありがとうございます。誤字・脱字などありましたらお知らせください。


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お姉さんとショタ提督

今回はほのぼのラブ(?)回


気が付くと戦艦扶桑に乗っていた。

 

特徴的な艦橋を背に艦首に立ち、蒼い海を白く裂きながら進む。

青い空と蒼い海以外は何も見えず、ただ一人佇んでいた。

このまま何処までも行けそうな気がして空に手を延ばす。

 

太陽の光が眩しくて手をかざした瞬間、足元の感覚が無くなり海に堕ちた。

 

ざぼと音が響き、あたりは真っ暗になる。

もがいてももがいても浮かばず、海の中から感じるのは子供のときに溺れたあの嵐の音。

 

あぁ、いつの間にか海面は嵐になったのだな。

昏い黒い液体が耳から、鼻から、口から入り、なけなしの酸素を追い出す。

夢だと気付くが、この夢だけはいつも覚めてはくれない。

いつもならここで力強い手が引き上げてくれるのだが、今回は違った。

そのまま海底に沈み、柔らかい砂地に着床する。

巻き上げた砂が自分の体に降り積もるのを感じ、せめてと思い海面に手を伸ばす。

 

目を開けているのか閉じているのかさえ解らないくらい暗く深い闇の底で何も見えず、何も聞こえず、ただ柔らかな冷たさだけが体を支配していた。

 

その瞬間伸ばした手が誰かに握られた。

 

「カッ!ハッ……!?」

 

息を止めていたらしい、ヒューヒューと耳障りな音がやけに五月蝿い。

自分の呼吸音だと理解するのに数秒ほどかかった。

 

「提督、おはようございます……。」

 

何かを掴むように挙げられた手を誰かの指が包んでいた。

おそらく声の主だろう。

横を向くと扶桑が座っていた。窓の外は明るく、朝か昼かは解らないが少なくとも夜が明けている事は見て取れた。

 

扶桑の胸元についた赤い汚れを見て昨夜の事を思い出す。

 

私の血を舐め恍惚としていた扶桑の姿を。

 

じぃとしばらく元気が無いようにも思える扶桑の瞳を見つめていたが、昨夜の焦点が合わない目では無い様だ。

少しだけ警戒しつつも声をかけることにする。

 

「あぁ、おはよう扶桑。ところでこの手は?」

 

指摘するとあわあわとした様子で言い訳が聞こえた。

 

「その……提督が随分うなされてらっしゃったので……。」

 

良かった、いつもの扶桑だ。

 

昨夜は執務室で記憶を途切れさせたのまでは覚えている。その後は意識の無いまま自室にまで歩いて来たのだろうか。

 

いや、それは無い。扶桑が運んでくれたと思うのが普通だろう。

そう結論付けて礼を述べる。

 

「自室まで運んでくれたのだな、ありがとう扶桑。」

 

着の身着のままだったが、ベッドに運び布団をかけてくれたのだろう。

おかげで風邪をひくことも無かったようだ。

 

「いえ、それは……私じゃなくて山城が提督をお運びしました……。」

 

目を伏せ、憂いを含んだ瞳が所在無さげに揺れる。

 

「そうか、では扶桑は何故ここに居る?男子の寝所に入るなど、あまり喜ばしい事では無いと思うのだがな。」

 

なんとなくは気付いている。

おそらくだが、自分が私を傷つけたのだから何かしら罪滅ぼしをしようとずっと付いていてくれたのだろう。

 

……そんな事は気にせずともいいのに。

 

「申し訳ありません、提督。私はどうかしていたようです。何故あのような事を……!」

 

自分で自分の体を抱きしめ、ふるふると震える。まるで叱られる前の子供だな、と思いつつ溜息をついた。

 

「気にせずとも良い、あれは此方にも心当たりがある。」

 

その言葉に扶桑は疑問の表情を浮かべ、顔を上げる。

そう、全ては大淀が処方する薬だ。

確かめねばなるまい。

だが、まずは目の前の焦燥した様子の艦娘を労わらねば。

 

「扶桑、疲れてないのか?そのような木椅子に座っていては体が痛いだろう。」

 

扶桑が座っているのは物書きをするための机に備え付けの椅子だ。

 

「え?は、はい……確かに疲れていないと言えば嘘になりますけれど。」

 

おそらく一睡もしていないのだろうな、休めと命ずるのは簡単だが、この娘の為に何かしてやりたい気持ちが勝った。

 

「ならばこのベッドに座ると良い。私はコーヒーでも淹れて来よう。」

 

インスタントだが、と付け加えてスルリとベッドから抜け出す。

 

「いけません、提督!まだ動いては!」

 

「充分に睡眠をとったので平気だ。どうした扶桑、命令だぞ。」

 

命令という部分を強調すると渋々といった様子で先程まで私が寝ていたベッドに座った。

正直あのような硬い椅子に一晩座らせておくなど拷問にも等しい。

多少自分の匂いはついているかもしれんが、まだベッドに座って貰えれば此方としても気が楽だ。

 

……扶桑がそれを気にしなければ、の話だが。

 

紙コップにインスタントコーヒーとミルクと砂糖の袋を破って粉を入れ、電気ポットからのお湯を注ぐ。

電気ポットのお湯はいつも秘書艦が夕食後に換えてくれるので問題は無いはずだ。

一緒に入っていた使い捨てのティースプーンでかき混ぜる。

ほのかにコーヒーの香りが漂うと此方の目も覚めてくるような気がした。

 

「扶桑、できたぞ。……扶桑?」

 

眠っていた。下半身はベッドに腰掛けたまま、上半身だけを沈めている。胸元にかかった黒髪が呼吸に合わせて動いていた。

気が抜けたのかもしれないなと思い、紙コップを置くと扶桑に近寄る。

 

先程まで扶桑が座っていた椅子に座ろうとしたが止めておいた。

 

……ベッドからこぼれている脚の間から白いものがチラチラと見えたからだ。

仕方なく扶桑が寝ているベッドの頭側に座った。

 

「なぁ、扶桑。さっきまで私はお前に搭乗していたぞ。海原に白い線を引いて、青すぎる空が目に痛いほどで……。」

 

ふふと先程の夢の良い部分だけを思い出していると、扶桑の黒髪が手に触れた。

しばらく葛藤していたが、耐え切れず扶桑の頭に手を伸ばす。

 

そのまま艶のある髪を撫でると、寝ていた筈の扶桑から声がした。

 

「私の心も、提督に……」

 

「扶桑……?」

 

驚いて顔を見ても静かな寝息を立てているだけだった。

扶桑が起きたら全てを話そう。味方は一人でも多いほうが良い。

正直好意を利用しようという下衆な考えである事も自覚している。

御国から預かった大切な艦娘だ、決して結ばれる事は無いと言う事も知っている。

複雑な感情を胸に穏やかな寝息を立てている扶桑の髪を撫で続けた。

 

コーヒーの香りと鳥の鳴く声が響く部屋で、ゆっくりと時間が過ぎ去っていった。

 

「提督、新しい一日がはじまるね。……提督?」

 

扉を開けて入って来た時雨がベッドの上の私と扶桑を見て固まる。

何故この鎮守府の艦娘はノックをしないのだろうと頭を抱えた……。




閲覧ありがとうございます。
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追憶の雨音と柔らかな通り雨

「提督、何をしているのかな?」

 

さて、時雨が感情に任せて艤装を取り出す前に事を収めねばなるまい。

でなければ血の雨が降りそうだ。

いくら時雨が雨が好きだと言っても、赤い雨まで降らすわけにもいかないだろう。

 

口に人差し指を当てて、静かにとジェスチャーを送る。

とりあえず場所を移動したほうがいいだろう。

 

ベッドから飛び降り、虚をつかれた様子の時雨の手を掴んで自室を出る。

できるだけドアを静かに閉めると時雨に向き直った。

 

「どういうことだい、提督。」

 

底冷えのするような時雨の声だが、臆してはならないだろう。

 

「時雨、お前の部屋は空いているか?」

 

できるだけ手短に用件を言い放ち、真剣に時雨の瞳を見つめる。

唇に人差し指を当てながら。

大淀のカマ掛かもしれないが昨日の青葉とまるゆの騒動を知られているとなると執務室はだめだ。

 

おそらく盗聴器のようなものがあるだろう。

放送機器はあるが、もしかしたらそれに細工がされているかもしれない。

ならば駆逐艦娘の部屋ならばと咄嗟に思いついたのだ。

まさか艦娘の部屋まで盗聴器をしかけるような出歯亀じゃないと信じたい。

 

「うん、わかった。白露姉さんが居るかもしれないけど、構わないかい?」

 

しばらく逡巡した様子だったが、どうやら何かあると察してくれたようだ。

その答えに頷いて返し、歩き出す。

 

白露とは白露型駆逐艦の1番艦で2番艦の時雨の姉に当たる。

1番と言う響きにこだわりを持っており、それが元でしばしばトラブルの原因にもなった。

いつぞやは1番の座を賭けて島風と競争をして五月雨と衝突したり、マラソン中にタンクローリーに轢かれかけあわや大惨事となるところであった。

 

この話はいつか気が乗った時にでも記録を見ながら話そうと思う。

 

その時、キラリと光が目に入り、思考が阻害された。

何かと思って発生源を見ると時雨の髪飾りだった。

窓から入った光に反射したのだな、と思い時雨の顔をちらりと横目で覗く。

 

そういえば時雨は妙に鋭いところがある。そのおかげかもしれないが、第二次大戦でも最後まで生き残った艦として語り継がれるほどだ。

 

呉の雪風佐世保の時雨と並び称された武勲艦、と軍学校時代に習った。

 

駆逐艦である大戦時代の艦の写真を周りが武勲艦ともてはやす中、私は別のことを考えていた。

 

目を逸らす事もせず共に戦った艦や人間達の最期まで見つめていたのだろうか、と。

 

艦娘が対戦時の船の記憶を多少なりとも持っていると知ったときは衝撃だった。

自分だったらそのような記憶に引きずられて精神を病むだろう。

 

強い娘だ、時雨は……。

 

「僕は強くなんてないよ。それでも強いと言ってくれるなら……そう、提督のおかげだよ。」

 

にこりと時雨が此方を覗き込んで微笑む。

時雨の澄んだ瞳に見据えられて反射的に横を向く。

しまった、いつから声に出していたのだろう。

いや、それよりも不味い。

さきほどの不意打ちで心臓が跳ね上がり、早鐘を打つ。

最悪だ、時雨まで昨日の扶桑のような事になれば……。

今は他の艦娘達も起きている時間だ。

 

時雨の手を振りほどき、音がでるほどの勢いで後方に飛びすさる。

……だが時雨はきょとんとしていた。何ともないのだろうか?

 

「提督、酷いじゃないか。痛かったよ。」

 

振りほどいた側の手を撫でながら、しょんぼりとした時雨。

心なしか前髪のハネた部分もしおれている気がする。

 

「あ、あぁ。すまない、目の前にいきなり子蜘蛛が下りてきて狼狽えてしまった。」

 

言い訳としては苦しいだろうか、頭を掻き非礼を詫びる。

時雨の体が震えている、もしや相当怒っているのだろうか……。

 

「クク……、まさか提督が蜘蛛なんか怖がるとはね。随分可愛いところを見つけたよ。」

 

……違ったようだ。笑いを必死で堪えている為に震えていたのか。

しかしそんなに笑わなくてもいいだろう、流石に恥ずかしい。

今の時雨には赤くなった私の顔も可愛い弟と映っているのだろうな。

 

だが、これでハッキリした。

 

栄養剤といい、胃薬っぽい何かといい、特殊な成分が入っているのは想像に難くない。

 

それが艦娘の暴走を引き起こすのは飲んだ直後に体が発汗、もしくは出血した時だろうか。

 

……いや、それだと辻褄が合わない。やはり薬自体を調べるか大淀に問いただすしかあるまい。

 

「もう良いだろう、あまり言ってくれるな。」

 

そっぽを向いて時雨の手を握る。

ぎゅうと握り返してくれる手は温かかった。

……るんるんと振るのは止めていただきたいものだが。こちらの体まで引きずられかねない。

 

「……時雨、さっきは何処から口にしていた?」

 

気になって聞いてみた。

 

「……地面に落ちた雨の音を声にするのは野暮だと思わないかい?提督。」

 

おそらく内緒、という意味なのだろう。だがしかしとても機嫌が良いようだ。

時雨と白露の部屋につくまではしばらく引きずられて行くとするか。

ちらりと覗き見た時雨の顔は雨上がりの晴れ間のように爽やかだった。

 

「提督、着いたよ。白露姉さん、居る?」

 

繋いだ手を離し、ここで待っていてといった仕草をする。当然だ、艦娘が着替えなどしていれば此方としても問題だ。

そういえば昨日は風呂にも入れなかったな、そういえば服も昨日のままだ。

ズボンの血はそう目立つ場所でも無かったのが幸いした、ハンカチで咄嗟に口と鼻を押さえたのも良かったのかもしれない。

 

……迅速な処置をしてくれた大淀にここだけは感謝するべきか。

 

少しズボンをずりあげて裾を下ろせばそう目立つ事はないだろう。

走ったりしなければだが。

……体が小さくて制服が大き目なことを喜ぶべきか憂うべきか。

壁に背を当ててしばし待つと、時雨が声をかけてきた。

 

「提督?姉さんは居ないみたいだ。朝練かもしれないね。」

 

どうぞ、と部屋に通されて見回すと飾り気の無い、しかし綺麗に整頓された部屋だった。

 

「あまり見ないでくれるかな。その、北上達のように女の子らしい部屋じゃないし。」

 

ベッドにポフと座りながら拗ねている仕草を見せる時雨。

 

「いや、綺麗に整頓されていて時雨らしいなと感心していたところだ。それに勉強熱心なのだな。」

 

机の上に乗っているのはドイツ語と英語の本だろう、正直に思ったままを伝える。

海軍学校で一通り英語は叩き込まれるが艦娘にまで強制はしていない。

なので必要最小限を教えるくらいなものだが、どうやら見る限りでは自主的に勉強しているようだ。

物思いに耽っていると、時雨から声をかけられた。

 

「ふぅん、で、その血はどうしたのかな?」

 

時雨の青い瞳がサファイヤよりも冷たく私を見据える。

矮小な心などお見通しだと言わんばかりに。

 

「なんのこと、だ?」

 

声が掠れてしまった。

 

こんなことならあのインスタントコーヒーを飲んでくるべきだったと後悔した。




お気に入り登録・閲覧ありがとうございます。
呉の雪風佐世保の時雨は有名な言葉ですね。
ただ、やはり沈み行く仲間達を見つめるのは心に来るものがあります。(時雨の図鑑ボイス参照)
誤字・脱字などありましたらお知らせ下さい。


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落ちる涙は時雨に似たり

シリアス(?)回です。


「何のこと、じゃないよ、提督。いつも僕は言っているじゃないか。無理をしないでって。」

 

ゆらりと時雨が立ち上がる、気迫に押されて三歩ほど後ずさった。

 

「すまない、心配を掛けたくなかったんだ。何時から気付いていた?」

 

私が後ずさると時雨も近づく。

時雨が近づくと私も後ずさる。

 

「……提督の部屋に行って、扶桑が寝ているベッドに座って居た時に見たよ。」

 

なんてことだ、つまり最初からではないか。

 

机に手が当たり、ガシャリと音を立てて、置いてあった筆立てが落ちる。

鎮守府近辺の幼稚園児が果物の缶詰の空き缶を使って色々な色の折り紙を切ったり千切ったりして貼って作ったものだ。

 

……子供の作ったらしいカラフルな千切り絵で人っぽい何かが貼られている。時雨と白露だろう、制服と髪の色、艤装の煙突だろうか、かろうじてだが判別がつく。

 

ころころと転がり時雨の足元に転がる。

 

『おねえちゃんたちありがとう』と拙い文字でマジックで書いてあるのが見て取れた。

 

「そんなに……」

 

時雨の肩と声が震えている。

 

「そんなに提督は僕の……いや、僕達の事が信用できないの……?」

 

時雨の足先に筆入れの缶が当たった瞬間、ポタリと一滴、夏の雨が降る時のように時雨の瞳から涙が落ち、音を立てる。

 

気付かなかった、姉の白露が居るかもしれない。他の艦娘が居るかもしれないと気丈に振舞っていた時雨。

それが部屋に二人だけになった途端気が緩んだのかもしれない。

 

時雨が涙を流しながら散らばったボールペンや鉛筆を拾う。

 

下を向いて表情は伺い知る事はできない。

 

「僕はまだ、ここにいても大丈夫なのかな……。」

 

此処とはこの鎮守府の事だろう。

 

立ち上がり、時雨の青い瞳が射抜く。私の心の奥底まで、いや、体を通り抜けて壁の向こうまで見られているような気がした。

 

先程夏の雨と表現した通り、際限なく雨を溜め込んだ雲が大粒の雨を降らすように時雨の瞳から涙が落ちる。

ポタリポタリと、それはやがて土砂降りの雨になった。

一瞬躊躇したが、ゆっくりと近寄ると時雨を抱きしめた。

 

「時雨、この際ハッキリ言おう。……信用などしていない。」

 

時雨の身体が驚愕でビクリと跳ねる。

 

「いや……嫌だ。触らないで……!」

 

拒絶の言葉を唱え、力の入らない腕で離れようともがく。

背中に鉛筆やボールペンが刺さるが、更に力を込めて抱きしめると呟いた。

 

「信用などという言葉では足りない。私の命を賭けて、信頼している……!」

 

ふっと時雨から力が抜け、その場に座り込む。

 

「提督は、馬鹿なんだね……。そんな事を言われたら、また泣いちゃうじゃないかっ……!」

 

ボロボロと海を取り込んだかのような色の瞳から雨を零す時雨。

泣きじゃくる時雨を見て、綺麗だと思ってしまったのは私の心が壊れたのだろうか……。

ふと、自分の頬にも熱いものが流れるのを感じた。

 

「提督も……泣いているの?」

 

……時雨につられて泣いてしまったようだ。

 

「あぁ、今の私も……時雨、らしい……。」

 

時雨とは秋の通り雨。で、あればこの雨もすぐに止むだろう。

 

「ふふ、そっか……時雨、か。提督、じゃあ雨が上がるまで、こうしていよう。」

 

……抱き合い、ひたすらに二人で涙を流した後、お互いがお互いの顔を見ると吹き出してしまった。

 

当たり前だ。二人とも泣くに任せて泣いた為、服はドロドロ、顔は鼻水が出掛かっている。

ハンカチを出そうとポケットに手を運ぶが、無い。そうか昨日のままだったな、と思い出してまた可笑しくなってしまった。

 

「時雨、すまないがティッシュはあるだろうか。時雨の泣いた跡で私の顔も服も濡れてしまったのでな。」

 

人のせいにするなと言いたげだったが、無言でティッシュの箱を差し出す時雨。

 

礼を言いつつ受け取り、目尻に残った涙を拭く。

ゴシゴシと擦るが時雨に怒られた。

 

「提督、泣いたときは擦ったらだめだよ。ほら、こうやって……」

 

ティッシュを一枚引き抜いた時雨にふわりと目を押さえられる。

 

「擦ったら痕になるからね、泣いたのが丸わかりになるんだ。」

 

目を押さえる時雨のひんやりとした手が心地よい。

その感触をもう少し味わっていたくて、ふと頭に浮かんだ疑問を聞いてみた。

 

「時雨は……時雨は、そんな事を知っているということは、よく……泣くのか?」

 

その問いかけはしばらく時雨を逡巡させたようだ。

だが、ゆっくりと答えてくれた。

 

「提督、僕達艦娘に大戦時代の記憶があるのは知っているね?だから、そう……夢で見るんだ。」

 

……愚問だった。

 

そんな事を浅慮にも聞いてしまった自分の不甲斐なさに悔しくてまた涙が出る。

 

「あぁ、もう提督。ティッシュが一枚じゃ足りないじゃないか。」

 

ぐいと引っ張られ時雨の肩口に額が当たる。

時雨に抱きしめられ、髪の……シャンプーだろうか。良い香りが詰まりかけた鼻でも判る。

 

「大丈夫だよ。もう人が争う時代は終わったんだ。だから今度は……僕達が提督や他の人達を守るから。」

 

その言葉に自分の置かれている状況が思い出される。

人はまだ争っているんだと。

大声で叫びだしたい気持ちに駆られたが必死で押し殺し、代わりに喰い縛った歯の間から嗚咽が漏れた。

 

全てを見透かされている気がして、時雨の肩に顔を埋めたまま……また、泣いた。

 

ひとしきり涙を流した後、時雨がぽんぽんと背中を叩き擦ってくれる。

正直鉛筆やらボールペンで突き刺された部分が痛い。

 

「提督、ごめんね。なんだかハンコ注射みたいになっちゃった。」

 

……やはりか、何かしら跡は残っているだろうなと思っていたが。

 

時雨から体を離し、必死で首を回して後ろを向くが、見える場所ではなかったようだ。

 

「僕の服も提督の流した雨でびしょ濡れじゃないか、どうしてくれるんだい?」

 

咎める様な声が聞こえて、時雨を見ると肩口から胸元にかけて涙の珠が見える。

艦娘の服はある程度撥水加工がされており、多少の水なら弾くようになっている。

涙が吸収されていないのはそのせいだろう。

 

「すまない、時雨。随分と汚してしまったようだ。替えの服はあるだろうか。」

 

肩にたまった水滴がつつと時雨の胸をなぞるように通った時、見てはいけないものを見た気がして目を逸らした。

 

「大丈夫だよ。水は弾くし、何かで拭けば……んっ、やっぱりしょっぱいね……。」

 

……今、何と聞こえた?

 

しょっぱいと時雨は言わなかっただろうか。それは、つまり私の涙を口に入れたと言う事で……。

涙は血液から赤血球を抜いただけと聞いている、それはつまり血液と同じ……!

 

薬は飲んでないが、血液は不味い。昨夜、瞳から光を失った扶桑の姿がフラッシュバックする。

 

「待て、時雨!すぐに吐き出せ!」

 

慌てて時雨に視線を戻し、叫ぶ。

私の首筋に鉛筆を突き立て血を啜る時雨なんか、ましてや正気に戻った暁には間違いなく自ら果てるだろう。

そんな未来が脳裏を過ぎり、時雨の肩を掴み揺さぶる。

 

「うわっ!やめてよ、痛いじゃないか。」

 

「……え?」

 

時雨の様子はいつもと変わらなかった。強いて言うなら戦意高揚状態になっているくらいだろうか。

 

「なるほど、全部合点がいった……。」

 

「え?がってんだー……って涼風は居ないけど。」

 

訂正、少しばかり脳に糖分が行き渡っていないのかもしれない。

 

「いっちばーん!って提督!?もしかして提督が一番好きな物って?時雨!?」

 

朝練から帰ってきたらしい白露が帰ってきた途端に固まる。

こうやって肩を抱いている状況は昨日もあったなと思い出す。

ノックを……と思ったが白露達の部屋だった。私も脳に糖分が行き渡ってないらしい。

 

時雨が素早く立ち上がると白露を部屋に引きずり込みながらドアの外を確認し、閉めた。

 

「良かった、誰も居なかったみたいだ。」

 

時雨がふぅと溜息をつきながら言った。

この間、実に3秒もかかっていないだろう。

 

「あー!時雨キラキラしてるー!甘味処の間宮でいっちばん美味しい物奢って貰ったとか?」

 

白露が時雨に詰め寄る。

……戦意高揚状態の特に高い艦娘は艤装からのフィードバックで光り輝く微粒子が漏れ出す事がある。

生物や艦娘には害は無いが、私は良い事ありました!と看板を背負って歩いているようなものだ。

 

時雨はひとしきり両手を握ったり開いたりした後に此方を向いた。

 

「提督、説明してくれる?」

 

時雨の声は聞こえている。

たっぷり十秒はかけて息を吸って、吐く。

 

「あぁ、解った。だが、今から話す事は第一級機密と思え。それでも聞く勇気があるなら残れ。でなければ出て行け。」

 

覚悟を決め、ギラリと研ぎ澄まされた短刀のような目で白露と時雨を睨む。

時雨は真っ直ぐに視線を受け止め、しっかりと頷いた。

白露もいきなり変わった雰囲気に挙動不審だったが、時雨が白露の手をぎゅっと握り、小さな声で、しかし自信のこもった声で呟いた。

 

「大丈夫。」

 

驚いた様子の白露だったが、此方に視線を向けると力強く頷いた。

 

……涙は全て青く澄んだ海が飲み込んでくれた。さぁ、この歪(いびつ)を噛み砕け。

 

……奮起の感情に身を任せ浸っているとドアの外が何やら騒がしくなってきた。

ドアに耳を欹てて艦娘達の話を漏れ聞くと、どうやら私の自室で騒ぎがあったようだ。

 

……しまった、扶桑の存在を忘れていた。

 

「すまない、もう少しだけ説明は待ってくれ……。」

 

頭を抱えると白露が何かを察したようにポンポンと肩を叩いてくれたが、

先程までの感情がしおしおと萎えて行くのを感じた。

 




覧ありがとうございます。
歪な揚げ煎餅を覚えておいででしょうか。
今回はそれを掛けてあります。
でもショタ提督はショタ提督です。
ヤる時はヤってくれる……!はず。
ええ、きっと、たぶん、お、おそらく……だったら良いなぁ……。
誤字・脱字等ございましたらお知らせ下さい。


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海鷲の焼き提督

白露、時雨を連れて慌てて自室に赴くと見事に艦娘の人だかりが出来ていた。

 

手近に居た艦娘を捕まえて聞いてみる。

肩に手を置くとサイドテールがピクリと揺れた。これは、加賀か。

 

第一航空戦隊、略して一航戦と呼ばれる航空母艦の艦娘で、その艦載機搭載数は目を見張るものがある。

おそらく単純な能力ならばこの鎮守府で最強を誇るだろう。

赤城と違って言葉数が少ないので、物言いも合わさって近寄り難い空気を醸し出しているのが難点と言えば難点か。

しかし、加賀とも仲良くしたいと思っている艦娘も多く、何人か相談に来た事もある。

その時の事は今話す暇がないのでまた今度語ろうと思う。

 

「加賀、どうした。何があった。」

 

しかし加賀はちらりと此方を一瞥すると言い放った。

 

「御自分の目でご覧になった方が早いと思われます。さぁ、皆、提督が来たからどいて頂戴。」

 

加賀の声におそるおそるといった様子で自室を覗いていた艦娘が道を開ける。

 

ぐいと加賀に手を掴まれた。

 

怒りで興奮しているのだろうか体温が高いせいなのか解らないが、握られた手が熱くなる。

熱でもあるのかと思って加賀の顔を窺うと視線に気付かれたようだ。

 

「私の顔に、何かついていて?」

 

冷たい目で見下ろされるが、少し感情表現が下手なだけで割と感情の起伏は激しい艦娘である。

 

「いや、熱があるのかと思ってな。少し心配になった。」

 

正直に答える。

 

「これが普通よ。でも、そうね。そう感じるのは提督の手も熱いからじゃないかしら。」

 

頬に手を当てられて、じぃと顔を見つめられる。不味い。

鏡を見ていないがおそらく自分の目は泣き腫らしたようになっているだろう。

 

ビクリと震え、硬直していると何かを察したように目をすっと細める加賀。

 

「皆、提督は熱があるわ。悪いけれど解散して頂戴。」

 

「加賀!?何……ヲッ!?」

 

驚いたせいで何やらオットセイのような声が出てしまった。

視点がぐるりと回転し、加賀の顔が近くなる。

いわゆるお姫様抱っこだ。

 

「待て、加賀!流石にこれは!」

 

他の艦娘も居る中、恥ずかしさで赤面するのが解る。

 

「あぁ、大変。熱が上がってきたみたい。さぁ皆、うつるといけないわ。」

 

ぎゅうと抱きしめられ、背中から胸に回された手が肺を圧迫する。

かは、と空気が漏れる。暴れさせない為だろう、しかしこちらは加賀の胸当て、つまり弓を放つ時の防具が強く当たり、少々痛い。

 

加賀の声で自室の前に集合していた艦娘達は一人二人と減っていった。

 

「私に考えがあります。提督はそのままで居て。……大泣きするほどの事があったのでしょう?」

 

横目で白露と時雨を見て、加賀が小さく私にだけ聞こえるような声でボソリと呟く。

 

此方も時雨を見るが目は腫らしてないようだ。

戦意高揚状態のおかげかもしれないなと考えた。……少しだけ羨ましい。

 

抱っこされたまま自室に入ると金剛と扶桑が睨みあっていた。

 

……それだけで大体の事は想像がついた。

 

おそらく金剛が私のベッドで寝ている扶桑を見つけたのだろう。

大淀の事もある。あまり騒ぎにして貰いたくなかったのだがなと思い、溜息をついた。

 

時雨が白露に何事か耳打ちをする。

白露は部屋の外に行き、ドアを閉めた。ドアに耳を当てて中を窺おうとする出歯亀を警戒してくれるのだろう。

 

「あなた達、いい加減になさい。」

 

加賀が二人を見据え、ピシャリと言い放つ。

その言葉に扶桑と金剛はゆっくりと加賀の顔に視線を運び、続いてその胸に抱いている私を見た。

扶桑はうろたえているようだが、金剛は私と目が合うと憤慨した様子で猛然と加賀に抗議した。

 

「Hey!加賀ー!どうして提督を抱っこしているネー!」

 

しかし加賀は涼やかな顔で一言。

 

「ここは譲れません。」

 

そのままベッドまで運んでくれる……と思ったらそのまま加賀がベッドに座った。

ベッドの上に加賀が座り、その膝の上に私が座っているような形だ。

 

「加賀……?すまないが、もう離してくれ。」

 

何か考えがあるのだろうがいい加減恥ずかしい。どんな羞恥プレイだ。

 

「離せません。時雨、濡れタオルを持ってきて。それと金剛、提督は熱があるようです。五月蝿くするのならば出て行って頂戴。」

 

扶桑はハッと息を飲むが金剛はむぅと口を膨らませている。

違うんだと言いたいが、ここは加賀に任せるしかあるまい。

 

……偽りとは言え、扶桑にはあまり責任を感じて欲しくないのだが。

 

加賀の手が目に置かれ視界を塞がれる。

あぁ、なるほど。この二人から隠してくれるつもりなのだろうか。

しかし目に置かれた手が熱い。

手の温かい女性は人付き合いや面倒見が良いといった話を何処かで聞いた事がある。

いつもの加賀を見ていたら何となく納得した。

自分にも他者にも厳しいが、面倒はしっかりと最後まで見る。

駆逐艦の艦娘、吹雪に指導をしていた事を思い出してふふと笑いが漏れた。

 

「提督、どうなさいました?」

 

見ることができたら加賀はさぞかし怪訝な顔をしているのだろう、そんな声音だ。

 

「いや、面倒見の良い所が加賀の良い部分のひとつだと思ってな。」

 

小声で囁くと、目を押さえる加賀の手がさらに押し付けられる。

心なしか温度も上がったような気がする。

 

「流石に気分が高揚します……。」

 

加賀の呟きが聞こえた。

 

「あのぅ、加賀さん……お顔が赤いですけれど、提督の風邪がうつったのでは?」

 

扶桑がおずおずと問いかける。

扶桑の誤解ほどは解いておきたくて加賀が口を開くよりも早く答えた。

 

「あぁ、扶桑。これは風邪ではない。その……少々知恵熱が出てな。」

 

理由としては苦しいが風邪では無いと言う事を教えて安心させておきたかった。

だが金剛が横槍を挟む。

 

「風邪じゃ無いなら加賀のような体温高い焼き鳥製造マシンより私の方がヒンヤリしてるネー!」

 

やめろ金剛、それは禁句だ。

 

空母加賀は艦船時代廃熱に問題があり、人間蒸し焼き機とも言われたと聞いている。

なので艦娘となった今も体温が高い事を気にしているだろうに。

 

「頭にきました。」

 

ぞっとするような怒りの感情と裏腹に加賀の手が熱い……まるで目の周りが焼けるように。

 

……頼むから興奮しないでくれるか、加賀。

 

「加賀、濡れタオルを持ってきたよ。って、提督!」

 

時雨から慌てたような声が聞こえ、加賀の手が目の上から取り払われる。

ブフッと噴出すような声が響き、そちらを見ると金剛が腹を抱えて笑っていた。

 

「て、提督ぅー……目の周りが真っ赤になってまるでモンキーみたいだヨー!」

 

……加賀の手が熱かったせいだろうか、扶桑を見るとこちらも後ろを向き肩を震わせている。

手で口を押さえているように見えるのはせめてもの心遣いだろうか。

 

「ていとクフッ……うん、見た目が悪いからこれ……で冷やす、といいよ……クク……。」

 

時雨も笑い、震えながら濡れタオルを目に乗せてくれる。

 

タオルの隙間からちらりと見えた加賀の顔も赤く、頬が膨らんでおり、笑いを必死で我慢しているようだった。

 

泣き腫らした目が知られなかったのを加賀に感謝するべきだろうか、金剛にサル呼ばわりされたのを怒るべきだろうか、時雨と扶桑に笑われたのを悲しむべきか。

 

複雑な感情を抱きつつ加賀の膝の柔らかさに改めて気付き、赤面するばかりであった。

 




今回は息抜き回です。
たくさんのお気に入り・評価・閲覧ありがとうございます。
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蟹とバニラと間宮のアイス

ブルータス、お前もか


時雨の持って来てくれた濡れタオルが功を奏した。

 

目の周りの赤みも引き、ようやく話ができる状態になったようだ。

まずは金剛の誤解を解いておかねばなるまい。

加賀から離れ、椅子に腰掛ける。

 

「まずは金剛、言いたい事がある。扶桑を責めてくれるな。実は昨日体調を崩してな、一晩中寝ずの番をしてくれていたのだ。疲れている様子だったのでベッドを提供した。」

 

少しぼかしたが、自室も完全に安全とは言いがたい。できれば盗聴の危険性が無いところで話したいものだが……さて。

 

「それなら私を呼んでくれたら看病したネー!」

 

ぶぅぶぅと文句を垂れている金剛はひとまず置いておこう。

 

……机に目をやるとメモ帳が目に入った。

これは良い、精々利用させてもらうとしよう。

ボールペンでメモ用紙に『盗聴の危険性がある、良い場所がないか?』と書く。

 

振り向き、扶桑、時雨、金剛、加賀にメモを見せる。

人差し指を唇に当て、静かにとジェスチャーしながら。

 

時雨以外、誰もが驚いた様子だったが、しばらくするとと加賀が口を開いた。

 

「マルハチマルマル……提督、そろそろ朝食を取られませんと執務に支障が出ます。」

 

加賀も唇に人差し指を当てている、御丁寧にウィンクまでつけて。

滅多に見れない加賀のお茶目な部分を目の当たりにして、少しだけ鼓動が早くなった。

 

「あ、あぁ。そうしようか。」

 

動揺を悟られない為に返事をする。

 

「提督ぅー?」

 

訝しげな金剛の声がする。こういう時は鋭いのだな、と心の中で溜息をついた。

 

「その前に提督、着替えてはどうかしら。少しだけ臭うわ。私はその臭いもやぶさかではないのだけれど。」

 

加賀から言われる。

スンスンと袖を嗅いで見るが確かに昨日から色々な液体が染み付いている。

女性には耐え難い臭いでもあるかもしれない。

できれば下着も替えたい。

 

「わかった、全員部屋から出て少し待っていてくれるか。覗くなよ?」

 

「「「「う!?」」」」

 

冗談交じりに笑いながら覗くなと言うと綺麗に4人の艦娘からハーモニーが流れた。

 

……なんてことだ、加賀、お前もか。

 

大げさに溜息をついて部屋のドアを指差すと、艦娘達は並んで出て行ってくれた。

すぐに着替えよう。

 

……それに今からする事は誰にも見られたくない。

 

メモ帳を破り、文字の判別がつかないほど細かく千切ってゴミ箱に捨てた。

箪笥から洗濯された制服と下着と靴下を取り出す。

なるべくドアから見え難いところで着替える。

覗きが怖いわけではない、断じて、ない。

 

汚れたものは後で洗濯室に持って行こう、あまり見てくれはよくないがせめてと思い、畳んでおく。

本当は風呂かシャワーを浴びたかったのだが、清潔な衣服を着られるだけ贅沢というものだろう。

袖を通して真新しい手袋を着ける。

 

さて……ドアの外の様子を窺うと艦娘同士で何やら話しているようだ。

これなら大丈夫か。

机の引き出しを開け、引き出しの奥、机の裏の部分にテープで貼り付けた封筒を剥がす。

 

膨らんだ封筒を逆さにするとゴトリと万年筆が机の上に転がった。

万年筆にしては重い響きだが、それもその筈、万年筆にカモフラージュしたナイフだ。

 

キャップを回し、蓋を取れば普通の万年筆に見えるが逆に捻ると柄が外れて刀身が現れる代物だ。

 

刀身は細い筒を捻ったような形状をしており、溝に沿っていくつかの穴が開いている。

相手の体に突き刺して出血を狙う為のものだ。

 

軍学校卒業時、江田島中将から贈られたものだった。

思えばこの体のせいでトラブルに巻き込まれる事が多かったのだが、人を殺める事も無かったのはひとえに運が良かっただけであろう。

 

……人を誰も傷つけなかった、と言えば嘘になるが。

 

空っぽになった封筒を引き出しにしまい、ポケットにそっと万年筆型のナイフを忍ばせる。

 

……願わくば使わない事を祈りながら。

 

「すまない、待たせただろうか。」

 

部屋の外に出ると五人の艦娘が待っていた。

白露、時雨、金剛、扶桑、加賀だ。

 

「提督、待ちくたびれたネー!」

 

金剛が口を尖らせながら袖を振る。バサバサと音がして、隣に立っていた加賀は少し迷惑そうだ。

 

何気ない日常が感じられるのが嬉しくて、ふふと笑いがこみ上げた。

こういうムードメーカー的な事を自然にできるのが金剛なのだろうな。

 

「あぁ、では食事に行こうか。納豆があると良いな。」

 

「Wow!あのー、混ぜたり、乗せたりするやつですネー!」

 

そういえば金剛は納豆にはあまり抵抗が無いらしい。

いつだったか納豆カレーなるものを食べさせられたが、納豆が豆の形を残さないほど煮溶かしてあった。

不思議と食べられない味では無かったが、やはり納豆には熱を加えるべきでは無いと思う。

 

食堂に向かいながら後ろを気にすると納豆に何をトッピングするか、で議論が始まっているようだ。

 

私はオーソドックスにネギが良いのだが……等と考えていると加賀が隣に追いつき、歩調を合わせてきた。

 

「すまないな、加賀。赤城と朝食を取りたかっただろうに。」

 

「いえ、赤城さんならまだ食事中でしょう。まだ食堂に居るはずよ。」

 

赤城と食事を取れなかった事を抗議でもしに来たかと思ったが、何か違うようだ。

しばらく言いよどんでいたようだが、意を決したように問いかけてきた。

 

「提督……その、あまり香水などつけない方が良いのではないかしら?皆の士気に関わるわ。」

 

「いや、そのようなもの産まれてこの方つけた事も無いが……。」

 

今の私はさぞかし怪訝な顔をしていることだろう。

やはり朝食の後ででもシャワーを浴びに行こうかと、脇や袖をスンスンと嗅いで見る。

 

さぞかし怪訝な表情で嗅いでいたらしい、加賀がクスリと微笑んだ。

 

「いえ、つけて無いのならいいわ、なにか……そうね、間宮のアイスくらい甘い香りがしたものだから。」

 

「……何だその甘ったるそうな香りは。」

 

脱力しながら甘味処間宮のチョコレートが刺さったアイスを思い出す。

よく赤ん坊はミルクの香りがすると言うが、まさかこの齢になってそれはあるまい。

思い当たるといえば理由はあるが、他の艦娘は特に気付いてないようなので加賀が特段臭いに敏感な方なのだろう。

あまり汗をかかない様にしなければな、と下を向いて腕組みをしながら考える。

 

その瞬間、加賀にうなじのあたりをスンスンと嗅がれた。

サイドポニーの毛先が首筋を撫でて、うひぃと悲鳴が出そうになるのを必死で我慢する。

 

「か、かがっ!にっ、かにっ何をっ!」

 

「蟹ではありません。」

 

鳥肌が立った首筋を押さえながらオタオタと慌てていると、また加賀にクスリと笑われた。

 

「What!?加賀!提督に近づきすぎネー!」

 

金剛がなにやら喚いている。

加賀は金剛を一瞥すると、一言。

 

「やりました。」

 

フンスと鼻息が聞こえた。

 

少しだけお茶目な部分が見れたので嬉しくもあるが、正直この後の事を考えると気が重い。

今の所、胃痛はないが再発してもおかしくないな、と溜息をついた。

 

「目を離さないでって言ったのにィー!提督ぅー、何してるデース!?」

 

やはり先程の加賀の行動は見られていたようだ、金剛が慌てて近寄ってきて右手をガシリと掴まれる……が、反対の手を今度は加賀に掴まれた。

 

「ここは譲れません。」

 

まるで連行される宇宙人のようだ。

助けを求めようと後ろを振り返り扶桑達を見たが、ニコニコと笑っているだけだった。

 

姉の貫禄なのだろうか、とも考えを巡らしながらズルズルと連行されるがままにしばらく任せておいた。

 




今回は加賀さん推し。
閲覧・お気に入り・評価ありがとうございます。
誤字・脱字等ございましたらお知らせ下さい。
めんそーれ♂様がショタ提督を描いてくださいました。大感謝です。

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柔らかな傷跡

良妻軽母は誤字ではありません。


食堂に着くと時間が遅いせいか艦娘の数はまばらだった。

 

昨夜食堂で見た顔も何人かいたが、大淀の緘口令が布かれているためか、こちらの顔をチラリと窺うと会釈程度ですませる者がほとんどだった。

 

赤城の姿を探し、ぐるりと見回すとすぐに見つかった。

横に食べ終わったドンブリが積み重ねられている中心を探せば大体赤城か加賀が見つかる。

 

……大和も中々健啖だが、恥ずかしがるせいなのかあまり食事を共にした事はない。

バイキング形式にすれば一緒に取ってくれるだろうか、と思いを巡らせていると赤城の方から声をかけられた。

 

「あら、提督。それに皆さんもお揃いで。これからお食事ですか?」

 

食後のお茶だろうか、ほうじ茶の良い香りがする。

湯飲みを上品に両手で持ち、お茶を啜る赤城は満腹感の余韻に浸っているようだ。

あれだけの量が何処へ消えたのだろうと疑問だが、そういうものだと強引に納得して考えないようにしつつ、口を開いた。

 

「あぁ、朝からゴタゴタしていたものでな。遅くなってしまった。同じテーブルについても良いだろうか。」

 

赤城の隣に回り、声をかける。

 

「えぇ、私はもう頂きましたのでごゆっくりどうぞ。」

 

ふわりと柔らかな笑顔を見せてくれるが頬にご飯粒がついていると様にはならないぞ、赤城よ。

 

「そうか、では少しばかり話に付き合ってくれないだろうか。」

 

テーブルに置いてある紙ナプキンで赤城の頬を軽く拭う。

 

「きゃっ……すみません、お恥ずかしい所を……。お話、ですか?えぇ、私でよろしければ何なりと。」

 

少し頬を染める赤城に軽く気分が高揚するのを感じたが、加賀の方向から痛いくらい視線を感じたのでゆっくりと離れる。

幸い赤城は10人程度の長テーブルで食事を取っており、空のドンブリさえどかせば私を入れて7人は余裕で座れるだろう。

 

テーブルの場所も壁に近く、盗聴の可能性も無いだろうと考えたが、ふと気付いた。

食堂なんて賑やかな場所を盗聴するなど情報量が多すぎて私なら絶対にやりたくない。

この場所を選んだ加賀は流石だな、と思う。

 

加賀を見るとテーブルを拭いている。サイドポニーに纏めた髪が仕草に合わせてゆらゆらと揺れていた。

時雨と白露が気を利かせ、空のドンブリを片付け始める。

私は全員分の箸と湯呑みでも用意してくるか。

 

「提督?提督は座っていて下さいな。まだ本調子では無いのでしょう?」

 

……扶桑に椅子に座らせられた。

 

「いや、そういう訳にも。そういえば扶桑、山城はどうした?部屋に居たら呼んできてくれないか。」

 

そういえば一晩、姉の扶桑を山城から占有してしまったような形だ。拗ねてなければいいが。

食事がまだなら一緒に取りながら話もできる。

 

「はい、では直ぐに。」

 

扶桑の声に頷いて返事を返す。起きているなら五分もせずに来るだろう。

金剛が人数分の箸と湯呑みを用意してくれた。トレイの上に一人分余っているが、おそらく山城の分だろう。

 

……捕まるかどうかはまだ分からないが。

 

「提督、お早うございます。ご飯、出来てますよ。」

 

横から声をかけてきたのは鳳翔だ。

お盆の上に食事が載っている。もしかして用意してくれたのだろうか。

他の艦娘を見ると、トレイを持って並んでいた。

自分ひとりだけ甘えるわけにもいかないが、すでに食事をよそってくれた好意を無碍にするわけにもいくまい。

 

ありがたく頂く事にした。

礼を言いつつ、鳳翔に予定が無いか確かめるために声をかけた。

 

「鳳翔、話をしたいのだが時間はあるだろうか?」

 

「ええ、忙しい時間も終わりましたから大丈夫です。」

 

熱めのお茶を注ぎながら返事を返してくれた。

 

「そうか、助かる。」

 

頭を下げ、お茶を受け取る。

他の艦娘のお茶も鳳翔が注いでくれたようだ。配り終えると斜め後ろから声がした。

 

「提督、私ここに控えていますので、御用があればいつでもおっしゃってくださいね。」

 

いや、ホテルのウェイターではあるまいし、そのような無粋な事はさせたくない。

右隣の椅子を引くと鳳翔に座るように示した。少しだけ右腕が痛んだが支障はない。使っていくうちに薄れるだろう。

 

「提督、ありがとうございます。それではお隣、失礼いたしますね。」

 

鳳翔が勧めた椅子に座る。左に赤城、右に鳳翔と言った形だ。

話し声がして入り口を見ると扶桑が山城を連れてきてくれたところだった。

山城の髪に寝癖が付いているところを見ると起こして来てくれたのかもしれない。

 

悪い事をしたな、と少しだけ思った。

 

……赤城と鳳翔以外の前に食事が並ぶ。

二人はすでに食事を取ったから当然だ。皆で手を合わせ、いただきますと声を揃える。

今朝は鮭の塩焼き、納豆、味噌汁、茎わかめの酢の物だ。

鮭の塩焼きはやはり塩辛い方が好きだ。……あまり公には言えないが、鳳翔が居るときには私だけ特別に塩抜きしていないものを出して貰っている。

白米が甘く感じるほど塩が辛いと食が進むのだ。

 

……沢山食べると鳳翔が喜んでくれるのも理由の一つだが。

思い出して鳳翔に視線を送るとニコリと微笑んでくれた。

私には母は居ないが、理想の母とはこのようなものであろうか。

 

そういえば軍学校の教官が鳳翔をいつも連れていたな。

学生の間では良妻軽母などと呼ばれ人気があったようだ。

確かに全てを赦してくれそうな懐の深さはあるが……。

たまに見せてくれるお茶目な点が気に入っていたりするのだがな。

 

……鳳翔の顔を見ながら物思いに耽っていたようだ。

加賀の声で現実に引き戻された。

 

「提督、お話とは何でしょうか。それと、鳳翔が真っ赤になっているわ。そのくらいで勘弁してあげて。」

 

気付くと確かに鳳翔が耳まで赤くなっていた。

 

「私には……少し大袈裟ではないでしょうか?」

 

もしかしたら、また小声で考えを呟いていたのかもしれないなと少し反省する。

 

「あ、あぁ。すまない。少々物思いが過ぎたようだ。」

 

慌てて鳳翔から視線を外すと、目を離しちゃNO!とか、姉様が居るのに……慢心してはダメ……などとブツブツとつぶやく声が聞こえてきたので咳払いを一つする。

 

「話についてだが、あー……第一級機密扱いとする。時雨と白露は少しだけ知っているが……。」

 

自分の食事がまだ残っているが、話し終えてから食べるとしよう。冷めているだろうが、仕方ない。少なくともせっかく作って貰ったものを残すのは矜持に反する。

一呼吸置いて、今自分がおかれている状況を話し始めた。

 

自分の体液で艦娘が戦意高揚状態になる事、大淀の処方する薬か、体質かは分からないが何かしらの異常が出ている事。

それと推測だが、体液のせいで艦娘に好かれるような匂い、またはフェロモンが発散されているかもしれないと言う事を順序だてて説明した。

 

「にわかには信じられません。」

 

加賀が冷たく言い放つ。だろうな、自分でも信じられない。

 

「信じなくても構わない、これは憶測に過ぎない。が、現に理性を失いかけた艦娘も居る。」

 

私の言葉に扶桑がビクリと体をちぢこませる。

 

「姉様……。」

 

山城が心配そうに扶桑に声をかけるが扶桑は下を向いてしまった。

 

「そんな事はどうでも良いの。」

 

加賀にグイとテーブル越しに襟を捕まれた。相当腹が立っているようだ。怒りの感情が許容量を振り切ったせいか後ろに艤装の影が見える。

それもそうだろう、こんな欠陥提督が頭ではこれからの任務に支障も出る。

おそらく加賀の力なら人一人跡形もなく消し飛ばせるだろう。

納得できないならそれも良いかもしれない。大淀が上にはうまく説明するだろう。

それこそ艦娘には何のお咎めもなく新しい提督がこの鎮守府を引き継いで終わり。

 

……ただ、それだけだ。

 

そこまで考えると、自分の不甲斐なさにダラリと力が抜けた。

話すには時期尚早だったかもしれない。……私の落ち度だ。

何処で間違ったのだろうな、と思いつつ目を閉じた。

 

……しかしその次に聞こえたのは予想に反する言葉だった。

 

「私達の提督に向ける好意まで否定された様な言い回しなので頭にきました。」

 

驚いて目を開けると赤くなった加賀が横を向いている。

 

「加賀さんは照れているんですよ。……でも、そうですね。私も少しだけ怒っています、提督。」

 

声がした方を見ると赤城だった。スルリと襟を掴んだ加賀の手を離すとそのまま抱き寄せられた。

 

「提督が私達艦娘を大事にしてくれているのを知らない子は居ません。それに艦娘を女性として扱ってくれる事も。」

 

今朝の加賀と同じように、今度は赤城の膝に乗せられ顔を覗き込まれる。

 

「提督が僕達艦娘を一回も轟沈させた事が無いのは誰もが感謝してるよ。」

 

「ふっふー、あたし達の提督はいっちばーんカッコいいんだから。」

 

時雨と白露だった。

 

「提督がかわい……コホン、カッコイイのは知ってるネー!だから私達に任せるネー!」

 

金剛だ、ナニカを言い間違えたような気がするのは放っておくことにする。

 

「提督、ずっとお慕い申しております。できればこの先もずっと……妹の山城と共に。」

 

扶桑を見ると山城も目に入った。真っ直ぐな目で見つめられ目頭が熱くなる。

 

「提督、辛い時はおそばについていますよ。だから……遠慮なく頼って下さい。」

 

「お前ら……。」

 

言葉を発した瞬間鳳翔に優しく頭を撫でられた拍子に左目からポロリと熱を持った液体が流れた。

 

「皆、体質とか、そんなもの無くとも提督だから付いていくんです。誰よりも艦娘の事を考えてくれる必死で背伸びしている子の事を……」

 

赤城に目を覆われ、頬に温かい感触が押し当てられ、何か啄ばまれるような音がして左耳がゾワリとする。

 

「赤城さん!?」

 

鳳翔の驚いた声が聞こえた。

 

「ふふ、美味しゅうございました。一航戦たるもの、先手必勝です。」

 

目を覆った手が離れると目の前に舌なめずりをした赤城の顔があった。

と言う事は先程の感触は……頬に唇を当てられたのか。

理解すると赤城の体が戦意高揚状態特有の光り輝く微粒子に包まれた。

 

「……赤城さん、ずるいです……。」

 

ボソリと呟く加賀。

何に対してずるいのかはおそらく聞いても教えてくれないだろうな、と赤城の膝の上で考えていた……。

 




閲覧ありがとうございます。
お気に入り・評価していただき、感謝の言葉もございません。
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追記:めんそーれ♂様がショタ提督を描いてくださいました。ありがとうございます!

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エンジェルランプのほのかな願い

すっかり冷めてしまった朝食をもそもそと食べる。

 

「はい、どうぞ。提督、牛乳です。」

 

鳳翔が牛乳のビンをコトリと置いてくれる。

 

「あぁ、ありがとう。」

 

他の艦娘はすでに食べ終わっており、他愛も無い話を談笑しているようだ。

何でもない幸せな日常に浸っていたいが、そういうわけにもいくまい。

大淀に執務室に居ろと釘を刺されている。

ある程度言う事を聞いておかなければならないだろう。

 

さきほどの騒ぎというほどの騒ぎでもないが、あまり注目もされていないので見ていた者達はいつもの事だと思っているのかもしれない。

 

「それで、提督。これからどうなさるおつもりですか?」

 

赤城がじっと目を合わせ聞いてきた。

 

「鎧袖一触よ。心配いらないわ。」

 

物騒な声が加賀から聞こえる。爆撃機で大淀ごと吹っ飛ばすつもりなのだろうか。慌てて止めた。

 

「待て、まるゆが人質に取られている。それに大淀の裏に居る者がおそらく黒幕だ。大淀に罪は無い。」

 

今まで身体を気遣ってくれた事などが全て嘘とは思いがたい。

それに艦娘同士で争うなど、絶対に私の目の黒いうちはさせない。

 

「黒幕を炙り出すまで、もう少しだけ待っていてくれるか。」

 

立ち上がり、頭を下げる。

艦娘達は仕方ないといった表情だが納得してくれたようだ。

 

「提督は優しいのデスネー!」

 

金剛が妹の榛名の真似をした時、昨日の電との騒動を思い出した。

 

「金剛?お前、駆逐艦の艦娘達に童話を教えたか?第六駆逐隊の子達だが。」

 

「What?……Yes!それなら英国仕込のHappyストーリーを教えてあげたネー!」

 

人差し指をこめかみに当て、しばらく考える素振りをしていたが、思い出したようだ。

 

「馬鹿者、それで榛名が責任を感じてな。おそらく正規のストーリーを教え直そうと考えているようだ。」

 

「Why?榛名は真面目デース!」

 

何が駄目なのか解っていない様だ。

数学で例えると基本の公式を教えてからアレンジするなら良いが、最初からアレンジを教えてしまうとifの可能性に気が付かないことが多い。

それをゆっくりと噛締めるように説明すると金剛も解ってくれた。

 

「金剛は榛名の手伝いをしてやってくれるか。今日は特に予定も無いのでな。」

 

「提督も一緒に来るネー!その方が楽しいデース!」

 

残念ながら執務室に一度は行き、仕事をしているフリを示しておかねばならない。丁重にお断りしておいた。

 

「ではこの場は解散しよう。皆と食事を取れて楽しかった。」

 

食堂の他の者にも聞こえるように声を張り上げ、パンパンと手を叩き解散の合図とする。何でもないいつもの日常だと強調するために。

 

話を聞いてくれた艦娘が思い思いに片付け、食堂を離れる。

今日はやる事が多そうだ。

 

まず執務室で身なりを整え、満潮の部屋に行く。流石に謹慎命令はやりすぎだ。解きに行かねば。

その後は病院……は原因が解ったので後回しで良いな。

輸送任務も春雨に頼まねば。

満潮と話をしたら青葉達の部屋に行こう。

大淀に会いに行くのはその後だ。執務室のピストルや短刀の類は回収されているだろうな……。

 

「時雨、まずは執務室に行こう。仕事をしなければ、な。」

 

仕事という言葉を強調すると時雨も理解したようで頷いてくれた。

 

「あぁ、それと鳳翔。いつもありがとう、今日も美味しかった。」

 

朝食をいつも作ってくれる鳳翔に礼を言う。

 

「提督のお力になれる事が一番ですから。お礼なら、そうですね……。いつか一緒にお店でも開いてくれると嬉しいです。」

 

ふふと花がほころぶような笑顔を向けられ、頬が紅潮する。

 

「考えておこう。」

 

冗談交じりの睦言には睦言で返そう。

そういえば鳳翔の竣工日は12月16日だったな。

何とはなしに調べた事だが、『あなたを守りたい』という意味を持つ誕生花だった。

実に鳳翔らしく、気に入ったので頭に残っている。

 

「提督?提督の仕事は艦娘を口説く事じゃないよ。」

 

時雨がぐいと手を引っ張る。失敬な、口説いてなどいないと反論をしたかったが、グイグイと引っ張られるので出来なかった。

鳳翔を振り返るとニコニコと微笑みながら、たおやかに胸の前で手を振っていた。

 

「全く提督は、艦娘達に良い格好しすぎだよ。」

 

手を引いて先を歩く時雨から拗ねたような声が聞こえた。

 

「あぁ、すまない。だが時雨、あまり引っ張ると痛いのだが。」

 

そうなのだ。右手をつかまれているが昨日の今日でわりと痛い。

 

「あっ……ごめんね、提督。大丈夫?」

 

時雨が先を歩きながら此方を振り向く。手が離れて、時雨の体温が逃げていくのを感じた。

 

「いや、それよりもちゃんと前を向いて歩いてくれ。危ないぞ。」

 

「大丈夫だよ。今日は土曜日だし、皆ゆっくりしているさ。」

 

時雨が言った瞬間角を曲がって来た誰かにぶつかる。

 

「わっ!?」

 

「きゃあ!」

 

……言わんこっちゃ無い。

派手な音と悲鳴が聞こえ、反射的に目を瞑ってしまった。もう一人も転んだのだろうが時雨と廊下の壁が影になっていて見えない。

 

「大丈夫か?」

 

回り込んで時雨がぶつかった艦娘に手を差し伸べる。

 

焦げ茶のふわりとした髪と小学生女児くらいの身長……荒潮だった。

 

朝潮型駆逐艦の4番艦で、満潮の妹に当たる。

おっとりとした喋り方からは想像ができないが割と積極的で好戦的な性格だ。

絡みつくような言い回しが癖になるという提督と苦手な提督とで色々と議論があるようだ。

 

そういえば荒潮を旗艦にし、鎮守府近海を警戒任務を命じた時、遭遇した格上の深海棲艦を自分が大破するまで追い回した事がある。

あの時は帰還命令を出しても聞いてくれなかった為、仕方なく荒潮に罰則を与えたがそれから妙に好意的になった。

 

しかし今、この話をするのは時間がかかるので、また後日ゆっくりと語ろうと思う。

 

「あらあら。痛いじゃない。」

 

左手でスカートについた埃を払う荒潮、時雨は自力で立ち上がったようだ。

 

「ごめんね、荒潮。ちょっと余所見をしていたみたいだ。」

 

時雨が謝る。

 

「そんなことよりぃ、私。提督をさがしていたのぉ。」

 

謝罪の言葉をそんなこと呼ばわりされた時雨は少しムッとした様子だったが、ぶつかった方に非があると思ったせいか何も言わなかった。

 

「用があるなら執務室で聞こう。良いか?荒潮。」

 

「仕方ないわね~。」

 

荒潮が私を探しているということはおそらく満潮の事だろう。

それならば執務室で話を聞いたほうが早い。

 

……盗聴されていれば、の話だが。

 

「時雨、すまないが先に執務室に行って鍵を開けておいてくれないか。」

 

秘書艦には執務室の鍵を預けてある。

ある程度のピッキング技術があれば開くような鍵だが、それでもプライバシーがあるので普段誰も居ないときには鍵をかけている。

 

「……いいよ、だけどあまりくっつくと雨に濡れるかもしれないよ。」

 

ヌルリといつの間にか私の腕に腕を絡ませている荒潮の姿と私を見て、時雨が呟き、執務室の方向へ早足で向かって行った。

 

「荒潮、ベタベタするのは私の好むところでは無い。すまないが少し離れてくれるだろうか。」

 

注意をするつもりだったが、余計に腕に力が込められた。

肩に荒潮が頭を乗せ、まるで恋人同士みたいな繋ぎ方だ。柔らかそうな髪から甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 

「逃げられないって言ったでしょう?」

 

「……何のことだ?」

 

荒潮は蟲惑的な笑みを浮かべ、耳元に唇を寄せてきた。

 

「うふふふふ。私相当しつこいけど、耐えられるのかしらぁ……」

 

……前言撤回、荒潮の好意的になった理由を今思い出すべきかもしれない……。

 




誕生花については様々な種類がありますが、一番花言葉がしっくり来るものを選びました。
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(ショタ提督イメージ
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画:めんそーれ♂様)
5/4 00:50 少しだけ文章修正


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よいこのやせんと大人の夜戦

「荒潮、歩きにくいから離れてくれ。」

 

「うふふふふ。だぁ~め。」

 

半分荒潮を引きずりながら歩く。

 

「提督、良い匂いがする……。私、この匂い、好きよ……」

 

首筋に鼻先を埋められスンスンと音を立てられる。

……荒潮の場合は理性を失うと危険かもしれない。

史実では乗艦した船員が凄まじい死に方をしたとあった。

それに興奮すると命令を無視するほどだ。

ここは話の矛先を変えるべきだろう。

 

「なぁ、荒潮。どうしてあの時、帰投命令を無視したんだ?」

 

そうなのだ、過去に命令違反を行った時、理由は全く教えてくれなかった。

そのせいで懲罰が少し重くなったのを今も少し気にやんでいる。

 

「……朝潮を守りたかったの。」

 

そういえば荒潮は艦船時代、撤退命令を無視して救援に来た朝潮を敵の攻撃で沈められてしまっているんだったな……。

 

「そうか……。もしかしてフラッシュバックか?」

 

問いかけると荒潮はコクリと頷いた。

艦娘の艦船時代の記憶は艦娘にもある程度受け継がれている。

戦闘になった時、ごく稀にトラウマとして記憶が蘇る艦娘も少なくない。

あまりにも酷いと解体処分される事もあると聞く。

フラッシュバックが上層部に報告として上がる事を恐れて黙っていたのかもしれないな。

 

「荒潮、私が今まで艦娘に是非を問わず解体したことはあったか?」

 

「ううん。無いわよぉ。」

 

荒潮がフルフルと小さく首を振る。

荒潮の少しだけ脅えた瞳に見据えられ、ゾクリと背筋に妙な快感が走る。

奥歯を噛んでその感情を打ち消した。

 

解体や近代化改修で艦娘の艤装を利用しなければならない時がある。

その場合、艤装を解除された艦娘は普通の女性同様の力となり、どこからどうみても人間と同じとなる。

この鎮守府では探索や建造で同型艦が被った場合、その艦娘が後悔の残らないよう長い時間をかけて面談し、許可を得た場合のみ艤装を利用させて貰っている。

 

鎮守府を離れると艦娘の記憶はじょじょに薄れていくが、不便の無いように学校や就職先を世話している。

 

……そのおかげで、上層部には割り切れない無能扱いされ階級も低いままだが。

 

……解体に関しては無理やり行うと、人間の身体となった時精神が壊れる可能性がある。

 

そうなった艦娘は目も当てられない。精神病院に入院、そのまま秘密裏に薬物処理されるか、女衒行きだ。

 

下衆な笑いを浮かべてでっぷりと太った将官が笑いながら、良い金づるだと楽しそうに語っていた時はあまりの怒りに記憶が途切れてしまった。

 

気が付くとその将官の秘書艦、長門が必死に私の体を押さえていた。

見ると豚のような身体が蠢いて息をするだけの粘土の塊になって転がっていた。

 

憲兵も5、6人倒れていたが、自分が殺されていなかったのは、おそらくは子供だと油断したのだろう。

 

その後、将官は艦娘への度重なるセクハラで罷免されたと秘書艦をしていた長門から感謝の手紙が届いた。

今は同期の女性提督が艦娘達を引き継いでいるので扱いも随分向上し、心に傷を負った艦娘も癒されていると。

 

……上官を粛清した提督として問題になったが、元将官の艦娘と軍学校時代の友人達が骨を折ってくれたおかげで極刑は免れた。

聞く話によると、艦娘が上層部に嘆願書を送り、受け入れられない場合全ての事情を白日の下に晒し、クーデターを起こすと脅したらしい。

 

……噂なので眉唾モノだが。

 

「……もしかして解体されるとでも思っていたのか?」

 

その言葉に荒潮がコクリと頷いた。

そうか、満潮が謹慎命令を出された為か。

異常なほどくっついてきたのは不安の表れだろうな。

まずはその不安を払拭してやらねばなるまい。

 

「荒潮、誰にもトラウマはある。だが、それを和らげる事は自分では役不足か?」

 

そっと荒潮の髪を撫でる。

長めの、よく手入れされた焦げ茶色の髪が指からこぼれる。

 

「提督はいつも頑張っているからお邪魔しちゃ悪いかしらって思ってぇ……。」

 

不安気な瞳と共に絡ませられた腕に力がこもる。

いつも強気な荒潮だが弱気な部分を目の当たりにし、庇護欲が掻き立てられた。

 

「艦娘の為なら何時でも時間を取る。それこそずっと一緒に居てやる事もやぶさかではないぞ。」

 

言ってしまって失言だったかもしれないと思った。

荒潮の瞳が細められ、妖しく光を放つ。

 

「うふふふふ。まるでプロポーズの言葉みたいねぇ。ずっと一緒に居てくれるのぉ?皆に言いふらしちゃおうかしらぁ~?」

 

「なっ!?待て!荒潮!」

 

慌てて否定しようとするが、荒潮の人差し指がそっと唇に当てられ言葉を遮られた。

子供のような柔らかくて細い指先が唇の周りをなぞる。

 

唇と肌の境目、敏感な部分をなぞられて鼓動が落ち着かなくなってきた。

心臓の音が耳の奥で鳴っているような感覚に陥る。

そして荒潮が何かをボソリと呟いた。

 

「そんな提督だから……あの満潮ちゃんだって……」

 

満潮と聞こえたような気がしたが、まだ唇を指が這っている為、言葉を紡ぐのは止めておいた。

 

スルリと絡めた腕を解く荒潮。

ようやく離れてくれるのかと安堵した瞬間、荒潮の顔が近づいて、耳を啄ばまれた。

 

「好きよ……」

 

……好意の言葉を置き土産に。

 

「提督……は、忙しそう……えっと……どうしようかな……」

 

後ろから声が聞こえ、振り向くと顔を真っ赤にした古鷹が居た。

 

……不味いところを見られてしまっただろうか。

 

古鷹は古鷹型重巡洋艦の1番艦だ。

史実では重巡洋艦という括りで一番最初に作られたとある。言うなれば全ての重巡洋艦の姉である。

発行信号を誤って敵に送ってしまった青葉を庇って猛戦し、身代わりになったと資料に書いてあった。

艦娘としては黄水晶のような輝きを持ったオッドアイが目を惹く。

艤装改造前は短めのセーラー服を着ていたが、改造を施すときに腹が冷えるだろうと思い黒いインナーを用意した。

気に入ってくれたようでいつも着けているようだ。

 

「み、見ていたか?古鷹。」

 

少しだけ口篭ってしまった。だが、それは古鷹も同じだった。

 

「な、何のことでしょう。で、でもこれなら夜戦もバッチリです。」

 

古鷹が再び腕を恋人のように絡ませて来た荒潮に視線を送り、何を勘違いしたのか更に顔を赤くして意味不明な単語を紡ぐ。

 

……訂正、夜戦とは隠語の意味もあるかもしれない。

案外耳年増なのかもしれないな、と溜息をついた。

 




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画:めんそーれ♂様)


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Syota's kitchen ショタ提督の荒塩妬き(アラシオヤキ)

「古鷹、何か用があるなら荒潮の話を聞いてからで良いだろうか?」

 

執務室の前で古鷹に振り向く。古鷹が落ち着くまで、と思って歩いていたら執務室に着いてしまった。

まだ顔が赤いが、先程よりは話ができそうだ。

 

「いえ、青葉から何時くらいに来てくれるのか聞いてきてって言われたので……。」

 

見せ掛けの執務を行い、満潮の謹慎を解いたらおそらく……そうだな。二時くらいにはなるだろう。

頭の中で掛かりそうな時間を算出し、古鷹に告げる。

 

「大体二時、ヒトヨンマルマルくらいにはなるかもしれない。昼食後、ゆっくりしている時間帯が一番良いだろう。」

 

「わかりました!では伝えておきますね!」

 

まだ少しだけ顔が赤いが、元気な返事を返してくれた。

 

「あぁ、頼む。ではまた後でな。」

 

「はい、それでは失礼しますね。」

 

古鷹は一礼すると重巡洋艦の部屋がある棟の方向に去っていった。

 

「では入ろうか。中で話を聞かせてくれ、荒潮。」

 

「はぁい、わかったわぁ~。」

 

ドアを開けて、荒潮と共に入る。

執務室には時雨が居り、秘書艦用の机で書類の整理をしていた。

チラリと此方を見るが視線が異様に冷たい。

まるで冬の雨のように。

 

「君たちには失望したよ。」

 

腕に絡みついた荒潮をじっと見つめて溜息混じりに言葉を吐いた。

 

「うふふふふ。なぁにぃ?羨ましいのぉ~?」

 

……何やら時雨と荒潮の間で火花が散っているような気がする。

 

少しだけ胃の辺りがチクリとした。

ここは少し強く言わなければならないか。

 

「荒潮、いい加減に離れなさい。これでは話を聞く事もできないだろ

う?」

 

「はぁい、うふふふふ。そうねぇ、ずっと一緒に居てくれるものねぇ~。ねぇ、提督。」

 

ずっと、という言葉を甘い響きとなるように強調し、ようやく荒潮が離れてくれた。

 

「提督?どういう事かな?」

 

時雨が無理矢理笑顔を作っている風だが、コメカミがひくひくと痙攣しているのが判る。

……相当怒っているようだ。後でフォローを入れておかなければなるまい。

 

「後で説明する、今は満潮がどうしているか聞きたい。」

 

こう言っておけばしばらくの間は黙っていてくれるだろう。

案の定時雨から、他の艦娘がそんなに良いんだね。提督のスケベ……などと聞こえたが聞こえないフリをした。

椅子によじ登り、深く腰掛けて机に頬杖をつく。

 

……読みかけの漫画に登場したサングラスをかけた司令官がよくやるポーズで少しは威厳が出ないものかと真似をしてみた。

 

「荒潮、頼む。」

 

真剣に荒潮を目で射抜く。

 

「……満潮ちゃんだけれどぉ~、どうやら解体されるって思っているみたいよぉ?だから食事も取ってくれないしぃ、心配なのぉ……。」

 

「誰がそんな命令を出すんだ?」

 

大淀が解体命令でも出したのかと思ったが違うようだ。

どうやら自分一人で考え、ネガティブになっているのかもしれない。

 

「そうよねぇ~。だから提督とお話してもらいたくてぇ~。」

 

「判った。書類整理が終わったらすぐに向かおう。一時間後くらいを目処にしておいてくれ。満潮と話をできるようにしておいてくれるか。」

 

「わかったわぁ~。それじゃあ逃げないように捕まえておくわねぇ~。うふふふふ。」

 

妙に楽しそうに笑う荒潮。……少しだけ満潮に同情した。

しかしこれで満潮の謹慎を解きに動き回ることができるな、と考えた。

 

「話は以上だ。では頼んだ。」

 

机上のペンを手に取り、仕事に取り掛かるという意思表示をする。

少し冷たく思われるかもしれないが、これからやる事を悟られてはいけない。

……時雨が怖いわけではない。断じて、ない。

 

「うふふふふ。つれないところもぉ~、好きよ……」

 

去り際に荒潮がヒラヒラと手を振り、執務室を出て行った。

 

「提督、荒潮と随分仲が良くなったみたいだね。僕の目の前であまりいちゃつかないでほしいな、うん。」

 

時雨が悲しそうに呟く。

 

「荒潮とは何もない。ただ、話を聞くくらいなら何時でも聞くと言っただけだ。」

 

これは誤解を解いておかねば後に響きそうだと考え、弁明する。

……嘘は言っていないつもりだ。

 

「ふぅん、提督も鼻の下を随分伸ばしていたじゃないか。」

 

まだ疑っているような時雨。

 

「本当だ。やましい事は何一つない。」

 

その間にも手を動かし、友人の提督に近況報告にカモフラージュした手紙をしたためる。

時雨が何やら言いたげだったが、一度手を止め、時雨の瞳をじっと見つめる。

釈然としない風だったが、納得はしてくれたようだ。

 

「時雨、春雨を呼んできてくれないか。南方への輸送任務の書類があった。」

 

思った通り、遠征任務の書類までは弄られていないようだ。

時雨はチラリと此方の机の上を見ると全てを察したようだ。

こういうときは頼りになる。

 

「うん、分かった。僕の居ないところで無理はしちゃ駄目だよ、提督。」

 

無理という単語を妙に強調して時雨は執務室の出入り口に向かう。

そんなに信用が無いのだろうか、とくすりと笑みが漏れた。

パタリと音を立てて執務室のドアが閉まり、静寂が訪れた。

しばらくその静寂に魂を囚われていたが、のそのそと行動を始める。

 

執務机の一番上、からくり仕掛けの引き出しを開く。

引き出しには全て鍵がついているのだがここだけは別だ。

この引き出しだけは一度ある作法をしてから開けないと上部の偽の引き出ししか開かないような造りになっている。

明石に頼んで内密に作って貰ったものだ。

まるゆもこればかりは気付かなかったようだ。

 

……守り刀としての短刀と昨日使ったピストルがあった。

何故だろう、大淀が昨日の事を知っているならば回収されてもおかしくないのだが……。

 

それとも銃ごときは怖くないと高をくくっているのか、黒幕が鎮守府外に別に居るのか……。

 

自分としては後者の可能性に賭けたい。

他に考えられる希望としては、この仕掛けが破られていないという事。

つまり、明石が大淀とグルでは無い可能性がある。

希望の数は絶望よりも多いほうが良い。

例え希望が絶望に変わるとしても……。

 

小さいが鉄の冷たさを感じるピストル……ジュニア・コルトという名前だが小型で子供や女性でも容易に扱える。

弾倉を抜き、銃身をスライドさせ弾を抜く。

発射口を覗いて見ても詰め物の細工はされていないようだ。

これならば暴発して手を無くす危険はないだろう。

 

同じ引き出しから25ACP弾を取り出し弾倉に装填する。

 

3発ほど入れたところでフルリロードとなった。

弾倉が小さいので6発しか入らないのだ。

銃身を引けばもう一発ストックする事ができるのだが、生憎自分はすぐに撃ちたがるトリガーハッピーでも無い。

 

一番怖いのは事故だ。安全は何よりも尊ぶべきもの。

そう考えながら弾倉を銃身に装填する。

カチリと軽い音がして、ただの鉄の塊が人を殺すための道具になる。

 

願わくば使われない事を祈り、そっと制服のポケットに忍ばせた。




しょたていとく の そうび
E:万年筆型ナイフ
E:ジュニア・コルト後期型 弾6
ステータス:ゆうわくフェロモン 

からくり箪笥は実在の物を参考にさせていただきました。
UA10000有難うございます。
これからも更新頑張っていきますので温かく見守って下さいませ。
プロローグにめんそーれ♂様から戴いたショタ提督イメージ画がございます。気になる方は是非。


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絹の首輪とルビーの檻

誤字修正しました。


手紙をしたためていると、控えめなノックが執務室に転がり響いた。

ノックが聞こえるという事態が新鮮で、反射的に居住まいを正してしまった。

 

「白露型駆逐艦五番艦の春雨です。」

 

時雨が呼んで来てくれたのだろう。春雨の声がした。

椅子に深く腰掛け、息を吸って吐く。

 

「あぁ、入ってくれ。」

 

執務室のドアが開き、白く柔らかそうな帽子と、これまた更に柔らかそうな薄紅色の髪がヒョコリと覗く。

まるでネコかウサギが此方を窺っているようだなと思い、ククと笑いがこみ上げた。

 

「司令官、春雨に……ご用なのですか?」

 

静かにドアを閉め、執務机の前に立つ春雨。

 

「輸送任務の旗艦を頼もうと思ってな。……時雨はどうした?」

 

春雨を呼びに行った筈の時雨の姿が無いことに気付き、問いかけた。

 

「時雨姉さんは雲龍さんにつかまってしまって、お茶を御馳走になってか

ら行くと。提督にごめんねと伝えて欲しいと言付けされました。」

 

雲龍とは雲龍型航空母艦の長女に当たる艦娘だ。

艦船時代の資料としては戦時急造された空母で、中型正規空母の飛龍をベースに建造されている。

艦娘の能力としては燃費の良さが特筆すべき点だろう。

 

……その分性能は控えめだが。

時雨と気が合うのもいくつか理由があるが、これは今語ると夜までかかってしまう。

また機会があるときに寝物語程度に話すとしよう。

 

雲龍と一緒なら心配は無いなと考え、安堵する。

 

「そうか……。まぁ、ちょうど息抜きには良い時間だからな。」

 

時計を見ると午前10時、食事が遅かったとはいえ一息入れるのもいいかもしれない。

だが春雨の場合は違ったようだ。

 

「ヒトマルマルマル。お昼は……あっまだお昼には早いですね。すみません。」

 

同じく時計を見て、時間を呟く春雨。

 

くぅと可愛らしい音が鳴った。

どうやら音の発生源は春雨らしい。

春雨を見ると顔を真っ赤にして腹に手を当てている。

朝食が遅かったせいか、そう腹も減っていないのだが、春雨の名誉の為に一肌脱ぐ事にした。

 

「いや、すまん。どうやら朝食が少なかったようで腹が鳴いてしまったようだ。どうだ?これからお茶にしないか?」

 

自分の腹部を撫で擦りながら春雨にハハと笑ってみせる。

椅子から飛び降り、件の書き上げた手紙をポケットに入れた。

手紙を春雨に託す場所は何も此処でなくともよいだろう。

食堂で春雨とお茶を飲みつつ会話をすれば満潮達との約束の時間まで暇を潰せるかもしれない。

そう思いながら春雨に近づいて、少しだけ、ほんの少しだけだが自分より高い位置にあったふわふわとした髪を撫でた。

 

ニコリと笑顔を見せるのも忘れずに。

春雨のサイドポニーがゆらゆらと揺れるのが目を惹き、子馬の尻尾のような毛先を指で弄ぶ。

 

「……綺麗な髪だな……。」

 

「えっ!?」

 

春雨の驚いたような声が響く。……しまった、声に出してしまったと猛省する。

 

「すまん、つい……。」

 

何と謝っていいものか迷い、口篭る。

女性の命とも言える髪を無意識とは言え、摘み、弄んでいたのだ。

人差し指の先に巻きついてしまった春雨の髪が逃げるようにするするとほどける。

だが、薄紅色の糸が指の間を全て滑り落ちる前に、春雨の手がそっと包んだ。

柔らかくて安心するような温もりを持った手だった。

 

「あの、上手く言えないんですけど……いつも感謝しています。ほんとです……。」

 

真っ赤になった顔の春雨の唇から感謝の言葉が紡がれる。

それは薄紅色の糸が編まれ、布となり心に覆いかぶさった。

 

「春雨……?」

 

妙に春雨の顔が近い。ルビー色の瞳に自分の姿が映っている……いや、ルビーの中に閉じ込められてしまった自分がいた。

おそらく此方の顔も春雨と同じく赤くなっているのかもしれない。

心臓の落ち着きない鼓動で分かる。

距離を取りたかったが、手を包まれているのでできない。

 

いや、したくなかっただけかもしれない。

離そうと思えばいつでも離れられる力しか込められていないのだから。

 

……まるでただ一本の絹糸で作られた首輪をかけられたようだ。

千切って逃げるのは簡単だが、その後には何も残らない。

そしてその絹糸とは、おそらく心なのだと。

 

春雨の体温のせいか、自分の益体も無い考えのせいか硬直していると春雨の瞳が閉じられた。

 

「司令官……。」

 

春雨の唇が甘く響き、魔法のように此方の心を絡め取る。

まるで春雨の声が質量を持ったようだ。チョコレートを直接耳孔に流されたと思うほど自分の鼓動と春雨の声しか聞こえなくなる。

 

先程荒潮に散々撫でくりまわされたせいか唇の周りに異常に血液が循環してしているような錯覚に陥った。

そっと左手を春雨の手に重ねると、ビクリと春雨の身体が震えた。

そのまま半歩近づいて、少しだけ踵を浮かせた。

 

「春雨……」

 

熱いとしか表現できない溜息が一つ、口から漏れた。

きゅうと春雨の握られた手に力がこもるのが判った。

微かに震えているのが伝わってくる。

紅と紅がそのまま近づき、混じり合う瞬間……執務室の扉が開かれた。

 

「提督、ごめんね。雲龍にほうじ茶を御馳走になっ……て……?」

 

息を切らせた時雨が執務室のドアを開け、硬直する。

 

「きゃあっ!」

 

瞬間、春雨が悲鳴を上げ身体が跳び退く。

 

「春雨……?残念だったね。」

 

底冷えのする時雨の声がして、どこからともなく喚びだされた艤装が時雨の手に嵌まる。

 

「提督を誘惑するなんて駄目じゃないか。僕でさえまだした事ないのにっ!」

 

カタタタタタと古いミシンが稼動するような音がして時雨の手に持った機銃から弾が撃ち出された。

語尾は機銃の音に掻き消されたが、意味合いは通じた。おそらく……。

 

「時雨姉さん!?や、やめて~!」

 

春雨が必死に逃げ回る。

外れた弾で被害が出ていないのは訓練用の模擬弾だと思われるが、それでも当たれば痛いし窓に当たれば危険だろう。

 

……時雨に模擬弾を選択できるほどの理性が残っている事に感謝した。

 

「やめろ、時雨!」

 

時雨の前に立ち塞がり春雨を庇う。

 

「提督?仕事もしないで何をしていたのかな?」

 

ニコリと時雨が笑いかけてくれるが笑顔が怖い。

そのまま腕を上げ、機銃の先を此方の胸に当てた。

トン、と軽い音がした。

 

「え……?」

 

誰よりも驚愕した時雨の声が聞こえた。

春雨も口に手を当て、硬直しているようだ。

此方も驚いているが、妙な絶望感がじわりと心に染み込む。。

……やはり、青葉だけでは無かったのか。

 

「どうして……?」

 

時雨が疑問の言葉と共に呆然と自分の手に持った艤装を見つめ、もう一度此方の胸に押し当てる。

 

だが、震える手は思うが侭に動かなかったようだ。

昨日脱臼をした右肩にグリッとこじ当てられた。

 

「グッ……!」

 

痛みで悲鳴が漏れる。

そうだ、艦娘は人間には艤装を向けられないようにプロテクトがかかっている筈だ。

 

そう、人間には撃てないのだ。

 

一部の艦娘が冗談めかして提督を爆撃する等と言う時もあるが、実行に移しても人間に当たる直前で消える。

 

……つまり艤装の銃口がそのまま人間に触れる事は在り得ない。

時雨の艤装が感情と共に薄らいで消えていく反面、自分の中である結論が導き出される。

 

……一番認めたくない、絶望という結論が。

 

「提督……提督は……」

 

「やめろ時雨!言うな!」

 

羽交い絞めをするように時雨を必死で抱きしめ、その先の言葉を言わせまいとする。

時雨にだけはそんな言葉を言われたくない。

成長期を迎えても、いつまでも変わらない体を奇異の目で見られた日々が脳裏にフラッシュバックする。

その瞳に映るものは同情……嘲笑……、そして異種的なものを排除しようとする嫌悪……。

 

「提督は、本当に……に…げ……かい……?」

 

「や、やめろ……!」

 

希望という真珠の珠が、まるでメッキが剥がれるようにボロボロと剥がれ、剥がれた穴からどす黒い血の色をした絶望という膿があふれ出す。

膿は濁流となって襲い掛かり、それを前にした自分の足がカタカタと竦む。

朝に時雨と心が通じたと思ったのは此方の独りよがりだったのだろうか。

 

もし独りよがりでないと言うなら、頼む……時雨、お願いだから、何でもするから、それは……!その先だけは言わないでくれ……!

 

時雨の形の良い胸が潰れるほど、強く抱きしめる。

 

強く……強く…・・・その先の言葉を吐き出させてなるものかと言わんばかりに。

 

天井を向き、虚空を見つめる時雨の虚ろな瞳と力の無い唇からぼそりと、一番聞きたくない言葉が呟かれた。

 

胸の奥底で絹糸がプツリと音を立てて切れた。

 

「提督は……人間かい……?」

 

「ぃいやめろぉぉおおおーーーーッ!!!」

 

執務室に虚し過ぎるほどの悲しみを込めた絶叫が響き渡った……。

 




閲覧ありがとうございます。
「この泥棒ネコ!」とか時雨ちゃんに言わせようなんて思ってませんよ?
ええ、はい、ホントです。
プロローグにめんそーれ♂様から戴いたショタ提督イメージ絵が貼ってあります。よろしければ是非。


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笑顔の約束

……時雨が放った模擬弾が当たり、倒れてしまった花瓶などを無言で片付ける。

 

生けてあったスカビオサ……西洋松虫草と千日紅が散らばっていた。

 

「春雨、すまないが、そこの雑巾を取ってくれるか。」

 

「はい、どうぞ……。」

 

執務室には春雨と私、二人きりだ、

 

……時雨は幽鬼のような表情でしばらく立ち尽くしていたが、気分が悪いと自室に戻ってしまった。

秘書艦の仕事もできるような状況では無いと判断した為、一時的に任を解いた。

 

「あのっ……!司令官、時雨姉さんはきっと悪気があった訳じゃないと思います。」

 

雑巾で花瓶の水が零れた場所を拭いていると、春雨から声をかけられた。

 

「あぁ……。」

 

そうだと良いが、今は時雨と顔を合わせたくはない。それに悪気があったとしたら、まるでナイフのような悪意だな……と考え、悪い冗談すぎてククと笑いがこみあげた。

それを春雨は気分が上向いたと勘違いしたようだ。

矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。

 

「ほら、時雨姉さんも艤装の調子が悪かっただけかもしれませんし!怒りすぎて、たまたまかもしれませんし!」

 

慰めてくれているのだろうな。

心配をかけてすまないと思いつつも気分が晴れる事は無かった。

そのまま暫く雑巾をかけていると春雨から声をかけられた。

 

「司令官、そろそろ輸送作戦の打ち合わせを。あの……」

 

同じところばかり雑巾を往復させていたようだ。

床の一部分が妙に綺麗になってしまった。

春雨の声に反応し、見上げると心配そうな瞳で両手を胸の前で組んでいた。

手に持っているもののは……千日紅の花か。

 

春雨の髪と同じ色合いを持つその花も春雨の表情と同じように少し萎れていた。

胸の奥がチクリと痛む。純真な春雨にこのような顔をさせてしまった事を。

 

……しっかりせねばな。

勢いをつけて立ち上がり、雑巾をバケツに放り投げたら外れてしまった。

春雨が苦笑しつつ、狙いが外れて転がっている雑巾をバケツに入れ、片付けをしてくれた。少しだけ恥ずかしい。

 

「……すまないな。それでは任務の詳細を口頭で伝える。」

 

汚れた水を捨てて来てくれた春雨が帰ってきた。

背筋を伸ばし、正面から春雨を見据える。

雑巾の狙いが外れて春雨の手を煩わせてしまった事を謝り、辞令を伝えた。

 

「第二駆逐隊春雨!駆逐艦のみでインドネシア方面への輸送任務を通達する。尚、編成は旗艦春雨に一任する。」

 

「はい、白露型五番艦春雨……了解しました!」

 

真面目な顔で敬礼をする春雨。

そうだ、手紙を託さねばなるまい。しかしここは執務室だ、筆談で伝えるとしよう。

 

「楽にしてくれ。僚艦の希望はあるか?」

 

ポケットに入れた手紙を取り出し、机に向かいながら、同期の提督に輸送任務のついでに手紙を渡して欲しいとメモに書く。

ここは盗聴の危険性があるとも。

 

少しだけ驚いた様子の春雨だったが、さきほどの騒動を見たせいか納得はしたようだ。

コクコクと頷いてくれた。

できるだけ平静を装ってくれる春雨の心遣いが嬉しい。

 

「では、敷波さんと、五月雨、白露姉さん、文月さん。そして……時雨姉さんを連れて行きたいと思います。」

 

時雨という言葉に此方の体がビクリとした。

それを見咎めたのか心配そうな春雨が近づいてきた。

 

「大丈夫です、司令官。司令官も時雨姉さんも、春雨が守りきります……!時雨姉さんの事は任せて下さい!」

 

盗聴を気にしているせいか、言葉は少なかったが春雨が時雨との問題を解決してくれようとしてくれるのは分かった。

 

ここは少し甘えても良いのかもしれない。

こんな事を考えてしまうあたり、自分が弱っている証拠なのだが……。

 

「……ありがとう、春雨。」

 

机の上の手紙を胸にギュッと抱きしめると何やら決意を秘めた瞳で此方を見つめてくる。

 

「司令官、春雨が無事に任務を終えて帰投したら……デートしてください!あの……その……できれば、さっきの続きも……。」

 

顔を真っ赤にしてモジモジと両手で頭の上の帽子を押さえる春雨。

……さっきの続きとはやはりあの事だろう。

先程の春雨に囚われた自分が思い出された。

必死な表情の春雨に自然と笑みが零れ、帽子の上から頭を撫でてやる。

 

「あぁ、約束だ。頼むな、春雨。」

 

その言葉に明るく頷くと、再び敬礼をした。

 

「はい、白露型五番艦春雨、もう何も怖くありません!……出撃ですっ!」

 

春の雨のような柔らかな笑顔を残して春雨は執務室を出て行った、二種類の花が寄り添うようにささった花瓶を机の上に残して……。

 

……しばらく感傷に浸っていたかったが、荒潮との約束もある。そろそろ行かねばなるまい。

机の上の千日紅が少しだけ揺れた。何となく春雨が机の上に居るような気がして、花をつついてみた。

 

「行って来る、春雨。」

 

勿論返事など返ってくるわけがない、自分も相当参っているのかもしれない。

クスリと自虐的な笑いが漏れた。

 

執務室を出るとき、千日紅の花がいってらっしゃいと……揺れたような気がした。

 

駆逐艦の艦娘が生活している棟を歩く。

土曜日ということもあり、大半が気を抜いているらしい。通りがかる部屋の幾つかから楽しそうな声が聞こえた。

この鎮守府では艦娘のストレスを軽減するといった目的で、一部屋に入居できる最大人数は二人までと決め、同居生活をさせている。

民間の施設を軍が買い上げ、運用に耐えうる増改築をしたと聞いているが、随分と恵まれているかもしれない。

中には4人以上が同じ部屋になる鎮守府もあると聞く。

まぁ、部屋の大きさがおそらく広いのではないかと思うが、ソリが合わない艦娘同士だと大変だと聞いた。

他所の鎮守府で瑞鶴と加賀、他数人が同室となってしまった時随分と騒動があったようだ。

駆逐艦の艦娘が緩衝材となって問題を解決したと聞いているが随分とやり手の駆逐艦娘だと、話を聞いた時感心した。

 

他所の鎮守府について考えを巡らせていると、荒潮と満潮が生活している部屋に着いた。

 

……この際だ。満潮達にも話しておこう。

罵詈雑言が飛んでくるかもしれない。もしかしたら怒り狂って艤装で吹き飛ばされるかもしれない。

だが、何故かそれでも良いと思えてしまったのは少なからず自棄になっているからだろう。

そのせいか不思議と落ち着いていた。

扉をノックし、声をかける。

 

「荒潮、満潮、居るだろうか。」

 

ドタドタと何かが思いものが転がる音がして、中から声が聞こえた。

 

「あら。提督?どうぞぉ~、うふふふふ。」

 

荒潮の声が聞こえるがまだ何かが暴れているような音がする。

考えていても仕方ないので一声かけてから部屋に入る事にしよう。

しかし、よく考えてから入るべきだったのだ。

何故、暴れるような音がしていたのか。

何故、荒潮がいつにもまして楽しそうに笑っていたのか。

何故、荒潮がドアを開けてくれなかったのか。

 

「入るぞ、荒潮、満し……お?」

 

目隠しと猿轡をされ、さらに腕をベッドに縛りつけられた満潮の姿が飛び込んで、頭の中が真っ白になった。

 

 

 




春雨の竣工日は8月26日
誕生花はを西洋松虫草と千日紅を選びました。
花言葉は恵まれぬ恋と変わらぬ愛情。
どちらがどちらの花言葉に当たるのでしょうね。

閲覧・お気に入りありがとうございます。
プロローグにめんそーれ♂様から戴いたショタ提督イメージイタストがあります。興味がある方は是非。
誤字・脱字などありましたらお知らせ下さい。


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病んだ雛には銃弾を

「荒潮、これはお前の仕業か?」

 

満潮を見ると相当暴れたのだろう、いつも身に着けている青色のリボンタイはよじれ、胸元のボタンが開いている。

靴下もずり落ち、スカートも捲くれ上がって細く小鹿のような健康的だが、艶かしい白い脚が露となっていた。

 

「うふふふふ。もう……ひどい格好ね。」

 

荒潮は満潮を一瞥すると楽しそうに喋った。

 

「ンフー!ンーン!」

 

満潮が更に暴れる。

スカートが更に捲れ、下着が見えた。

見てはいけないと思い、視線を外す。

 

「逃げられないって言ったでしょう?あまり暴れると痛いわよぉ~?」

 

荒潮が満潮に近づくが、その足音で満潮が更に暴れる。

ベッドがギシギシと音を立てているのが、満潮が必死な悲鳴をあげているようだ。

 

「……悪ふざけはよすんだ、荒潮。」

 

満潮の縄を解こうと近寄ろうとした時、荒潮が前に立ち、止められた。

 

「こうしないと満潮ちゃん逃げちゃうから~。」

 

そんな馬鹿な訳があるか、おそらく荒潮のやり過ぎた悪戯だろう。

おそらくは昨日の夜から物を食べてない満潮を縛るのはそれほど苦では無かっただろうが……。

 

そっと荒潮の肩に手を置き、退いてくれと力を込めると抵抗せずに横に引いてくれた。

 

満潮の側に膝をつき、目隠し代わりにされていたタオルを取る。

暫く眩しさに目を瞬かせていたが、満潮の瞳が此方を捉えると、また暴れだした。

 

「落ち着け、大丈夫だ。怪我をするから暴れるな。」

 

静かに、できるだけ静かに刺激しないように囁くように。

 

しかし、足が飛んできたので仕方なく満潮の脚の上に膝を置く。

傷つける為では無く、傷つけない為に。

人身確保用の訓練で習った事だが、まさか艦娘に使うときが来るとは思ってもみなかった。

猿轡を取る……これはハンカチか。

キッと満潮は荒潮を睨みつけると怒鳴った。

 

「面白い事してくれたじゃない。倍返しよっ!」

 

その怒りを全て何処吹く風で受け止めた荒潮は飄々とした顔で告げた。

 

「あらー。提督がここに来るって聞いた時部屋から出て行こうとしたでしょ~?謹慎の罰則が重くなっちゃうと思ってぇ~。」

 

グッと悔しげな声を漏らす満潮。

全く悪びれもせず、愉しげに話す荒潮。いや、少しは悪びれて欲しいものだが。

確かに謹慎中に外に出ると誰かの目に留まったときややこしい事にはなる。

その点だけは荒潮に感謝すべきか。

……やり方は間違っているが。

などと考えていると満潮の怒りが此方を向いた。

 

「で、アンタはいつまで私の上に乗ってるつもりかしら?」

 

満潮が暴れまいと膝を乗せていたが、それが気に障ったようだ。

 

「あぁ、すまない。だが、手を解くから暴れないでくれ。」

 

手もタオルで縛られていたが、あれだけ暴れたのだ。痕になっていないか少し心配だ。

 

「……暴れたりしないわ。外すんなら早くして。」

 

心中はどうか判らないが、少なくとも表面上は力を抜いてくれた。

満潮の脚を押さえつけた膝を退かし、満潮とベッドを繋いでいたタオルを解く。

 

……少しだけ赤くなっていたが、擦り剥くような傷は出来ていないようだ。流石にホッとした。

荒潮も姉を傷つけるつもりは無かったらしい。

 

……再度考える、やり方は間違いだが。

 

「……いつまで触ってるのよ。」

 

満潮の腕に怪我が無いか確認していると、冷たい声が聞こえた。

 

「あぁ、すまない。怪我をしていないかと心配になってな。」

 

「なっ、何よ。私に恩を着せたつもり?!」

 

開いた胸元を隠すように庇い、怒鳴る満潮。

そんなつもりは毛頭ないのだがな、と苦笑しながら満潮の体から離れた。

制帽を被りなおし、居住まいを正すと未だ座ったままの満潮を見下ろす。

 

「満潮、謹慎命令を解きに来た。」

 

「なにそれ!?意味分かんない。好き勝手に謹慎命令出したり、解いたり……そういうとこが気に入らないのよっ!」

 

相変わらず辛辣な物言いだな、と思う。

しかしだからと言ってここで、はいそうですかと逃げ帰るわけにも行かないだろう。

 

「満潮、荒潮、両名に話がある。……私の体の事だ。」

 

提督は本当に人間かい?時雨の声が頭に響く。

一瞬その言葉と時雨の虚ろな瞳が思い出されて硬直した。

 

……そうか、やはりショックだったのかもしれないな。

 

「何よ……言うんなら言う、はっきりしなさいよ!ったく……」

 

手首を擦りながら満潮が立ち上がり、木椅子を引き、座った。

 

「あぁ……そうだな。じゃあ私が人間では無かったと言えば信じるか?」

 

「何よそれ。わけ分かんない。」

 

本題からいきなり話すと満潮がとうとう頭でも狂ったかという風な目つきをしてあしらわれた。

やはりそれが普通の反応だろう。

 

「順序立てて話そう。満潮、お前が私の近くに来るとイライラすると言ったな?」

 

昨日食堂で満潮に言われた言葉だ。

 

「そんなの司令官の態度にイライラするだけで、何の関係があるのよ。」

 

今度は満潮には返事せず荒潮に話を振る。

 

「荒潮、今朝私から良い匂いがすると言ったな。私は香水等つけてはいないにも関わらず、だ。」

 

いきなり話を振られた荒潮は驚いた様子だったが、暫く考えると口を開いた。

 

「そういう体質の人もいるんでしょ~?それじゃないのぉ~?」

 

そうだな、これだけでは説得力に欠けるな。

 

「私の体には艦娘を惹き付ける匂いがあるらしい。例えるなら……カブトムシに対する樹液か赤城に対するボーキサイトだな。」

 

冗談だと思ったのかクスリと荒潮から笑いが漏れた。

 

「司令官、頭大丈夫?」

 

満潮は本気で心配してくれているようだ。

何か良いものはないかと見回すと机の上に水差しとコップがあった。

丁度良い、利用させてもらおう。

手袋を外し口に咥えた。水差しからコップに水を注ぐ。

満潮も荒潮も何がしたいのが判らない様子で此方を見ている。

ポケットに手を入れ、万年筆型ナイフのキャップを外す。

そのまま親指の腹を刃先に強く押し付けた。

 

「ッツッ……!」

 

思ったより深かったかもしれない、ブツリという感覚があり、爪の裏側までじんと痺れが走る。残った指で手早くキャップを閉めるとポケットから手を引き抜いた。

 

「司令官!?」

 

「分かっている。」

 

満潮が驚いた声を出すが、手短に答えて遮った。

親指をギュッと押し、水の入ったコップに血をポタリポタリと落とす。

赤い珠が澱みのように底に行くほど広がって、やがてそれは水の色に溶けた。

 

コップを手袋を外していない方の手で持つと満潮に近づき、告げた。

 

「満潮、飲め。」

 

「はぁ!?嫌よ!」

 

当たり前だ、私なら飲みたいとも思わない。

だが、怒らせるのが目的なのだ。もっと、怒ってくれ。

 

「命令だ、飲め。」

 

なるべく冷たく言葉を放つ。

 

「あ、頭おかしいわよ!絶対!」

 

満潮の瞳に脅えの色が出る。

そうだ、脅えでも良い。艤装を喚び出せ。

砲身を向けて、全てを吹き飛ばしてくれ。

暗い愉悦の感情が胸の中で渦巻いていた。

……今思うとどうかしていた、それを実行した後、満潮がどうなるか等、一切考えていなかったのだから。

そうして一歩、脅えた満潮に近づくと、横から荒潮にコップをひったくられた。

 

「満潮ちゃんを虐めないでほしいわぁ~。」

 

言葉に怒りの感情が乗っている。コップを叩き割られるかと思ったが、荒潮が一気に飲み干した。

 

「荒潮っ!?」

 

満潮の驚く声が聞こえた。

 

「ふふっ、飲んだわよぉ~?これで文句ないわよねぇ~?」

 

言い終わった途端途端に荒潮の体から戦意高揚状態特有の光り輝く微粒子に包まれた。

 

「あらあら。これは~?」

 

荒潮から不思議そうな声が漏れた。、

 

「……これで判ったか?私は人間じゃない。可笑しいだろう?」

 

艤装でそんな事を考える頭ごと吹き飛ばして貰いたかったが、そうもいかなかったようだ。

笑ってくれ、と満潮に笑みを向ける。

 

しかし満潮は興味なさげに椅子から降りると、此方を向いて言った。

 

「ふぅん、じゃあどうしてアンタは泣いてんのよ。」

 

驚いて頬を触ると、今朝流しつくして枯れたと思っていた液体が溢れていた。

その事実に驚愕していると、満潮にそっと抱きしめられた。

 

「バカね、司令官の事嫌いとは言ってないじゃない……。ホントは感謝してるの。姉妹とも合わせてくれて。」

 

満潮の思いもよらない行動に頭が働かない。

 

「嫌われているかと思っていたのだがな。」

 

かろうじて出た言葉だった。

 

「司令官の体質なんでしょ?ちゃんと赤い血が出る人間じゃない。それにどうして近くに行くとイライラしたのか解ったから。」

 

「どういう事だ……?」

 

今までの満潮の態度が軟化した事に疑問を投げかける。

 

「司令官に近づくと甘い香りがして、落ち着かなかったの。まるで全てを委ねても良いって……それが嫌だったのよ。でも原因が判ったから、拒む理由も無いわ……。」

 

満潮の顔を見るといつも気丈に引き締めていた形の良い眉を不安そうにしかめている。

黒と金色をした虹彩を持つ瞳の端には、涙だろうか。

髪で隠れてしまったが、キラリと反射する真珠が見えた。

 

「……ごめんなさい、司令官。」

 

気位の高い満潮が謝るなど、相当な勇気が必要だったのだろう。

その言葉を聞いて、少しだけ迷ったが怪我をしていない方の手で満潮の頭を撫でた。

猫のように気持ちよさそうに目を瞑り、しかめていた眉も力が抜けたようだ。

人間じゃないかもしれないこの体を体質と呼んで、人間として扱ってくれる満潮に心の底から感謝した。

 

「うふふふふ。ちょ~っと席外すわね。」

 

荒潮が含み笑いをし、呟くと静かに部屋を出て行った。

 

……過程はどうあれ満潮と話す機会を作ってくれた荒潮にも感謝すべきかもしれない。




提督と荒潮ちゃんがヤンデレ化しかけました。
閲覧ありがとうございます。
誤字・脱字等ありましたらお知らせ下さい。


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満ちた潮は優しく奏で

ショタ提督鎮守府辞典・・・紋クマ(モンクマ):鎮守府でわりと人気を誇っているクマをモチーフにしたゆるキャラ……そこ、クマ○ンとか言わない。


満潮と二人きりになった部屋でしばらく無言で抱きしめられていた。

 

「ねぇ、司令官。もうあんな事やめてよね……。」

 

ボソリと満潮が耳の隣で呟いた。

 

「あんな事、とは?」

 

なんとなく予想がつくが、敢えて聞いてみた。

 

「死にたがり……。」

 

その言葉にピクリと此方の体が震えるが、消え入りそうな呟く声でそのまま続けられる。

 

「司令官、死ぬつもりだったでしょう。バカね、知ってたわ。」

 

ギュッと抱きしめられる手に力が込められる。

 

「……気付いていたのか。すまない、どうかしていたようだ。」

 

ハハ、と所在なさげに笑ってみせる。

本当はこんなみっともないところを見せたくはないのだが、まだ自暴自棄になっているのかもしれない。

 

「何かあったなら話くらい聞いてあげるわ。……司令官がしっかりしてないと皆が迷惑するじゃない。」

 

少しだけ心配そうな顔の満潮が新鮮だった。

 

「……ありがとう。」

 

こんなどうしようもない人間を人間と認めてくれた満潮に礼を言う。

 

「とりあえず言っておくわ。バカな考えは起こさないで。」

 

トンと軽く胸を両の手の平で叩かれ、満潮の体が離れる。

少しだけ名残惜しい気もしたが、元々あのような態度が態度だった為にお互いがどう接して良いのか解らない。

まるで中学生の恋愛だな、と考えると少しだけ恥ずかしくなった。

 

「そういえば、昨日の夜から何も食べていないと聞いたが。」

 

妙なこそばゆい雰囲気の流れを変えたくて荒潮に聞いた言葉をふと思い出す。

謹慎中の者でも絶食させたりはしないが、自分から食事を取っていないとなると問題だ。

 

「……あまり食欲なかったから。それに夕食はそれどころじゃなかったし。それよりも……」

 

満潮が此方の右手をじっと見つめる。

 

「……それ、いつまでそのままにしておくつもり?血が床に落ちたら掃除が大変なんだけど。」

 

血の跡のついた指を見咎められた。

 

「すまない、ティッシュかなにかあるだろうか。」

 

すでに血は止まりかけているが、見てくれが悪い。ティッシュかなにかで圧迫しておけば直に止まるだろう。

 

「はい、使って。」

 

満潮が両手でティッシュの箱を持ち、簡単に引っ張り取れるようにしてくれる。

クマのぬいぐるみのようなティッシュカバーがキョトンとこちらを向いて中々に可愛らしい。

紋クマと言う着物を着た黒いクマのキャラクターで、ゆるキャラとして有名になっているモノだ。

礼を言いつつ、ティッシュを一枚引き抜き、指に丸め、押し当てる。

その行動をじっと見ていた満潮はベッドの下から何やら箱を取り出し、机の上に置いた。

 

「ココ、座って。」

 

言葉少なに木椅子を引いて指差す満潮。

まさかな、と思う反面、少しだけ期待している自分も居た。

 

「……手当てしてあげるから座りなさいよ。」

 

逡巡していたら少し顔を赤くして、そっぽを向く満潮。

人に優しくすることは慣れてないのだろう、その仕草が可愛らしくて笑みが零れた。

 

「な、何笑ってんのよ。良いから座る!」

 

ハイハイと苦笑しつつ満潮が引いてくれた木椅子に座る。

 

「ハイは一回。」

 

……指摘された。何かしら喋ってないと照れが入るのかもしれないな。

机の上に手を置くとゆっくりとティッシュを剥がされた。乾いた血がひっついてペリペリと剥がれる感触が少し痛い。

新しいティッシュに消毒液をかけ、ピンセットで傷の周りに塗られる。

沁みるが、文句を言う筋合いもないので黙っていたら満潮に話しかけられた。

 

「ねぇ、司令官。怪我とかした時はいつもあんな感じで?」

 

あんな感じとはティッシュで圧迫していた事だろうか。

男だから、と怪我には割りと無頓着だった。

 

「いや、ライターがあれば炙って止めたりしていたぞ。」

 

少しだけあきれた様な顔をした満潮が一言、バカね。と呟き、少しだけ笑った。

冗談とでも取られたのかもしれないな。だが、艦娘の笑顔が見られるならそれでも良いと思った。

指の周りの乾燥した血液が消毒液で溶かされ、綺麗になっていく。

消毒液の沁み痛むのが和らぐかと思い、話を振ってみた。

 

「だが、艦娘はこんなものより酷い怪我をすることもあるだろう?」

 

少しだけ考える素振りを見せた満潮だが、机の上に置かれた救急箱から木綿のガーゼを取り出しながら答えてくれた。

 

「艦娘は入渠さえすれば怪我も癒えるから。痛みも普通の人間とは違って艤装のおかげで、ある程度は軽減されるわ。」

 

ガーゼを傷口に当て、テープで固定する。

上手いものだな、と少し感心した。

 

「終わり。感謝しなさいよね。」

 

満潮がテープを鋏で切ると同時に言葉も切った。

人間の手当ては艦娘の教育として一通り教えられるが、満潮の手馴れている様子を見ると経験があるのかもしれない。

 

「手当てに慣れているな。」

 

ずれないように、しかし動かしやすく固定されたガーゼを巻いた指を見て聞いてみた。

 

「……朝潮型は割りと無茶をしやすい艦娘が多いから。艦船の記憶もそこを引き継いでるの。」

 

その言葉に荒潮の命令無視をした話が頭をよぎる。

少しだけ悲しそうな感情が満潮の瞳に映った。

憎まれ口を叩くのも、史実のトラウマが原因なのかもしれないなと考えたら少しだけ納得できた。

 

……確か史実では満潮は修理中に朝潮、大潮、荒潮が沈没している。

自分ひとりドックで修理を受ける中、姉妹の訃報を聞いて愕然とする満潮。

その後も様々な艦隊に編入させられ地獄のような日々だったと。

最期は扶桑と同じ海に沈んだと聞いている。

 

記憶に引きずられ過ぎるのは誉められたことでは無いが、艦娘となってしまった運命を受け入れて尚、戦ってくれている。

満潮のドーナツみたいに結った頭を抱き寄せ、撫でた。

 

「……ありがとうな。」

 

何に対してか解らないほどごちゃ混ぜになった礼を述べる。

対して満潮はただ一言だけで返した。

 

「……バカ。」

 

……少しだけ満潮と通じ合えたかもしれない。

胸元では満潮が静かに呼吸をしている。

この鎮守府が満潮の心休まる場所になれば良いな、と潮騒の名を持つ艦娘に淡く希望を抱いた。

 




評価・お気に入り・閲覧ありがとうございます。
ツンデレって可愛いですよね。
少しだけ提督も救われました。
意外なところからダークホース登場かもしれません。
誤字・脱字などありましたらお知らせください。


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Syota's Kitchin ~Only you~

チャーハン作るよ!


食堂に着くと人間と艦娘でごった返していた。

何人かに挨拶をされたが、手短に返す。

厨房を覗くといつもの寮母の女性が居た。

 

「坊ちゃん提督!列はちゃんと並んで!」

 

相当忙しい様で注意された。

だが、今日は此処で食事を取りに来たわけではない。

用件をさっさと伝えるとしよう。

 

「すみません、鳳翔は居るでしょうか。少し頼みたい事がありまして。」

 

チラリと奥に見えたが着物を襷がけにしている女性が居る。おそらく鳳翔だろう。

 

「分かった、じゃあ厨房出入り口の方に回っといで。そこだと皆が通りにくいから。」

 

寮母さんに指で示される。

ペコリと頭を下げ、食堂を出て厨房出入り口に向かうと後ろで大きな声が響いた。

 

「鳳翔さーん!坊ちゃん提督が呼んでるよー!」

 

……そんな大きな声で言わなくてもいいだろうと苦笑した。

何人かの注目を背に受け、しばらくドアの前で待つと鳳翔が手を拭きながら現れた。

 

「提督、お呼びでしょうか。」

 

ふわりとした笑みを浮かべてくれた。

 

「あぁ、忙しい所をすまない。実はお前が夜中にやっている店の厨房を借りれないだろうか。」

 

鳳翔は夜になると千歳や早霜など、一部の艦娘と共に小料理や酒を何種類か出している。

儲けは度外視でやっているみたいだが艦娘のメンタルケアの為と称していたらいつの間にか広まっていたらしい。

 

……元々はイベント用にレンタルキッチン程度にするつもりだったのだが、すでに鳳翔の店となっている。

そういえば第六駆逐隊の雷が店に来たとき、隼鷹が悪乗りしてカルーアミルクを飲ませた事がある。

あの時は酔った雷を介抱するのに大変だった。

……興味があるならば話すが、この話は人前ですると雷に怒られるので誰も居ないところでこっそり話すとしよう。

 

「それは構いませんが、昼間からお酒は駄目ですよ?」

 

「私は未成年だ。それくらいの分別はある。……あまり騒がしい場所で食事を取らせたくない艦娘が居てな。協力して貰えないだろうか。」

 

鳳翔にあらぬ疑いをかけられて少しだけむぅとしたが、目的を話すと納得してくれたようだ。

 

「ふふ、冗談です。かしこまりました、用意する食材は何ですか?」

 

察しが良くて助かる。流石鳳翔だな、と自分でも簡単に作れそうな物を選択肢に挙げた。

 

「では鍵を開けていくつかの食材を置いておきますので、冷蔵庫から使ったものは教えてくださいね。それと今度は油の始末には気をつけて下さい。絶対ですよ?」

 

鳳翔に注意されながら手をキュッと握られた。

過去に調理中、油で軽いやけどをしてしまった箇所だ。すでに痕は残っていないが。信用が無いな、と苦笑する。

鍵をかけているのは昼間から酒を飲みたがる一部の艦娘がいるからだ。

目の前にあるとあるだけ飲んでしまいそうなので、艦娘の健康の為仕方なく鍵を取り付けているらしい。

だが、これで許可は出た。さぁ満潮の部屋に戻ろう。

 

満潮達の部屋に戻ると満潮が一人で座っていた。

 

「すまない、待たせただろうか。」

 

「別に待っていないわ。ボーっとしてただけ。」

 

……昨日までなら罵詈雑言が飛んできただろうな、と考え、少しだけ可笑しくなった。

 

「……何よ?」

 

「いや、何でもない。食事に丁度良い所を都合したんだが、付いてきてくれるだろうか。」

 

不審がる満潮だったが、あえて詳しく説明せずに言ってみた。

 

「分かったわ。…………ありがと。」

 

自分の為に骨を折ってくれたと思ったのか、消え入りそうな声で礼が付け加えられた。顔は赤く、此方と目を合わせようともしなかったが。

 

鳳翔の店の前に着くと満潮が怪訝な顔をして言った。

 

「ここ、鳳翔のお店じゃない。どうしてこんな所に?」

 

「許可は貰ってある。安心しろ。」

 

ドアを開けても一向に入らない満潮を促す意味で、そっと背中を押した。

渋々と言った形で入ってくれたが、中を見るのは初めてなのだろう。きょろきょろと辺りを見回している。落ち着いた雰囲気のライトとよく磨き上げられたバーカウンターと古いテーブルが目を引いた。

 

……いつのまにこのような高級調度品を取り揃えたのだろうか。

帳簿の流れにおかしい所がないか確認せねばなるまい。

そんな事を考えていたらキッチンの方から声がかけられた。

 

「これは全部お古ですよ。購入代金もとても安かったので此処の売り上げで充分賄えました。」

 

鳳翔がくすくすと笑いながら冷蔵庫を閉める。

そんなに苦い顔をしていたのだろうか。

 

「それでは提督、私は食堂のお手伝いに戻りますね。」

 

「あぁ、ありがとう鳳翔。助かった。」

 

理由を詳しく聞かないでいてくれた事と、場所を提供してくれた事を合わせて礼を述べた。

一礼して、鳳翔は静かにドアを開け、去っていく。

 

「さて、では始めるか。満潮、好きな場所に座っててくれ。」

 

「……司令官、料理できるの?」

 

酷く不思議な顔をされた。

 

「あぁ、少しな。」

 

軍学校時代はずっと寮だった。しかし盆暮れ正月等は親元に帰る同僚達を羨ましく思っていた。

そんな時に料理を教えてくれたのがあの寮母の母に当たる人だ。考えれば母子二代に渡って面倒を見てもらっているわけだ。

祖母の晩年はほぼ自分が食事を作っていた事もあり、男の身で調理を教えてもらう事に抵抗は無かった。

そんな事を考えながら調理のときに使う薄いビニール手袋を一枚取り、怪我をしている手にはめ、制帽を脱ぎ、腕を捲る。

石鹸で手を洗い、冷蔵庫から刻み紅しょうが、ベーコン、刻みネギ、卵、グリンピースを取り出した。

皿に盛り付けられ、ラップをかけられたサラダも入っているが、これは鳳翔が気を利かせてくれたのだろう、ありがたく使わせてもらおう。

炊飯器の横を見ると、ボウルに炊いた白米と皮を剥いた玉葱があった。こんな時間にこの部屋で米を炊いている訳が無いので食堂から持ってきてくれたのだろう。

これだけあれば充分な量だ。

小鍋で湯を沸かしながら、フライパンを熱し、その間にベーコンを刻む。

お湯が沸いたらグリンピースを湯がく、こうすると発色も甘味も段違いになるのだ。

油をほんの少しだけ入れてベーコンを炒め、玉葱を荒くみじん切りに刻み、強火で炒める。

グリンピースを茹でたらザルに取り、水で少し冷やしてからフライパンに入れた。

塩コショウを少しと中華風調味料を入れ、下味をつける。じゅうじゅうという音とベーコンの油の香りが漂う。少なくとも空腹時にはたまらない匂いだろう。

 

「……手際が良いわね。」

 

満潮が興味深そうに此方の手元を座った席から覗いている。

 

「これくらいしかできないがな。」

 

満潮に褒められた事が嬉しいが、それを表に出したくなくて謙遜しておいた。

炒めた物をボウルにあけ、まだ熱いフライパンにそのまま流水をかける。

水が蒸発する煙と音が酷いが、そのままタワシで洗う。

よく使い込まれている鉄のフライパンだ。洗剤など使えば怒られてしまう。

そのままフライパンを火にかけ、水分を飛ばす。

充分に温まったら油を注ぐ。パチパチと油が跳ね始めた処で卵を入れ、お玉でかき混ぜる。

半熟になったところで炊いた飯を入れ、フライパンを振る。

思えば寮生活の時、同期に作ってやったら私の分まで食べられたな、とどうでも良い事を思い出す。

飯がほぐれたところで、さきほど炒めた物を入れて追加の塩コショウを振る。

 

「司令官、楽しそうね。」

 

同期の事を思い出していたら懐かしさで顔が緩んでいたらしい。満潮から再度声をかけられた。

 

「あぁ、少し昔の同期の事を思い出してな。」

 

「……ふぅん。」

 

思っていたことを答えたら興味なさげに生返事を返す満潮。

さて、ここで仕上げだ。これをするとしないとでは随分風味が変わる。

紅しょうがと刻みネギを混ぜいれてからフライパンを傾け、飯にかからない場所に醤油を垂らす。

醤油が焦げる音と香りが漂い、夜店の屋台を彷彿とさせる。

焦がし醤油をフライパンの片隅で作り、水分を飛ばしてから混ぜて、特製チャーハンの出来上がりだ。

皿に盛るとき、満潮にさっきの続きだけど、と前置きされて聞かれた。

 

「その同期ってどんな人?」

 

できるだけ綺麗になるように盛り付けながら答えたが、その行動にばかり注意していた為、思ったことがそのまま出てしまった。

 

「満潮によく似たヤツだな。はねっかえりで人のいう事を聞かないヤツだった。だが、満潮と同じくらい可愛かったよ。」

 

同期の顔を思い出しながら満潮の前にレンゲとチャーハンを置く。何やら照れているような拗ねているような複雑そうな顔をしていた。

 

「ふん!どうも。…………ありがと。」

 

……言動をもう少し考えるべきだったな、と少しだけ反省した。

冷蔵庫にサラダを取りに行き、帰ってくると満潮がテーブルの横に備え付けの古い蓄音機を見ていた。

 

「レコードか、かけてみるか?」

 

コクリと頷く満潮。スイッチを入れて針を下ろすと静かにMoon Riverが流れ出した。このメニューにこれは……と思ったが満潮が満足しているようなのでそのままにしておいた。

 

昔の世界的に有名な女優が歌う柔らかな旋律が流れていく中で、時間も穏やかに過ぎて行った。

 




唐突に始まるお料理回です。
女の子のハートを掴むにはまず胃袋から!って少し違いますね。
閲覧・お気に入り・評価ありがとうございます。
続きは鋭意製作中です。



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溶けていく夢の中で

ほのぼの回です。


無言で食事を進める二人。先に口を開いたのは満潮だった。

 

「司令官の料理ってこんな味なのね。」

 

その声に顔を上げると手を止めて、此方を見ていた。

 

「口に合わなかっただろうか?」

 

思っていることがそのまま口に出てしまった。

しかし満潮はかぶりを振り少し考えてから口を開いた。

 

「ううん、美味しいの。美味しいから少しだけ意外なのよ。」

 

それに、と続ける。

 

「どこか懐かしい味がする。何かを思い出させるような優しい味。」

 

頬が緩んでいる満潮を見て、此方も頬が緩んだ。

満潮にそれを気付かれ、そっぽを向いて、ふん!と鼻を鳴らされた。

……懐かしく感じるのはおそらく醤油の香りだろうな、と結論づけた。

 

「司令官が料理を習ったのは誰から?」

 

「……寮に居た時の寮母からだ。」

 

満潮に聞かれ、しばらくどう答えようか悩んだが、正直に話した。

 

「ふぅん、親とかから習うものかと思っていたけれど、違うのね。」

 

「親は居ない。顔を覚えるより早く亡くなってしまったのでな。」

 

「……ごめんなさい。」

 

話を振った筈の満潮が少し俯いて謝って来た。

そんな顔をさせたくなくて言葉を紡ぐ。

 

「顔を覚えるより早く亡くなったと言っただろう?正直親が居た事の実感が無いのだ。強いて言うならお前達が家族みたいなもんだ。迷惑かもしれないが、な。」

 

少しだけ慌てていたのだろう、身振り手振りが少し大袈裟だっただろうか。そんな私を満潮はじっと見つけるとクスリと笑った。

 

「ふふ、そうね。迷惑だけど……嫌いじゃないわ。」

 

悪戯をした子供のように微笑む満潮を見て、こういう時間も悪くないなと思った。

蓄音機からは相変わらずスローテンポな洋楽が流れている。

片付けを始めようとゆっくりと立ち上がると満潮に制された。

 

「司令官、私がやるわ。」

 

空になった皿を流し台へ持っていく満潮。その背中を見てふと思いついた。

満潮が流し台に向かうと此方もキッチンへ向かい、冷凍庫の前に立つ。

 

「満潮、アイスがあるはずだ。食べるか?」

 

「あッ……!ビックリした。もう、いきなり声かけないでよね!お皿落とすところだったじゃない。」

 

……叱られてしまった。仕方ない、落ち度は此方にあるのだから。

しかし満潮は少々照れているようだ。見ると黄色いエプロンを着けている。

PUKAPUKAと書いてありヒヨコが描かれていて随分と可愛らしいエプロンだなと思った。

 

「……何よ?」

 

「いや、似合っていると思ってな。」

 

少々見蕩れていたようだ。満潮の疑問の声に答えると真っ赤になってしまった。

 

「う、うるさいわね!くれるんならさっさとしなさいよ!……アイス……。」

 

やはり甘いものは女性にとっては別腹なのだな、と苦笑した。

冷凍庫からハーフガロンサイズのバニラアイスを取り出し、ディッシャーで掬う。

 

「満潮、チョコレートは好きか?」

 

さきほど冷蔵庫を開けた時に見つけたものだが、チョコレートソースのボトルを取り出しながら聞いてみた。

 

「別に……嫌いじゃないわ。」

 

言葉とは裏腹に目の色が少し輝いていた。

満潮という娘がどういう性格なのかハッキリとした瞬間でもあった。

皿に二つほどアイスを盛り付け、一つだけにチョコレートソースをかける。経験上二つともかけてしまうと飽きるのだ。以前甘味処間宮で教えてもらったことがある。

甘いものは思い切り甘いものとほどほどな甘いものと組み合わせると満足度が違うと。

アイスクリームスプーンを添えて、テーブルに持っていく。

丁度満潮も洗い物が終わったようだ。手を拭きながら戻ってきた。

 

「すまんな、後片付けをさせてしまって。さぁ、食べようか。」

 

アイスをすすめると顔を輝かせていたが、此方の視線に気付くと鼻をならし、そっぽを向いた。……視線はアイスに向けたままだが。

……器用な事をするな、と思い可笑しくなった。

 

レコードを裏返し、B面をかけてみる。

どうやら映画音楽が集められたレコードらしく、ジャズも入っているらしい。

有名な黒人ジャズミュージシャンが歌うスローテンポだが、力強い歌声が流れていた。

 

「司令官、聞いてもいい?」

 

ジャズの音色に酔いしれながらアイスを啄ばんでいると、満潮から声をかけられた。

 

「ん、何だ?」

 

顔を上げると、下を向きながらアイスをつついている満潮。

そのまま言葉を紡がれた。

 

「司令官の事、聞きたいわ。色んな事。」

 

少しだけ考える素振りをすると少しだけ慌てた声が聞こえた。

 

「迷惑だったら良いの。別に。」

 

興味がそれほどあるわけじゃないし……と小声で呟くのがしっかりと聞こえた。

 

「いや、すまん。何から話そうかと逡巡していたところだ。」

 

さきほど両親は居ない事を話したので、できるだけ同情を引かないようにしたい。男としてのちっぽけなプライドだ。楽しげな話を織り込んで語るとしよう。

 

「……父母が居ない私は祖母に育てられてな、いつも山が遊び場だったよ。」

 

懐かしい幼少の頃の記憶を引っ張り出す。

山で迷った時の方法や真水の見つけ方、薬草と毒草の見分け方を少しだけ誇張して面白おかしく話す。

夜明け前にカブトムシを捕りに行ったが一匹も捕まえられなかった事、家に帰った途端、帽子の上からカブトムシが飛び立って行った事などを話したら司令官らしい、と満潮に笑われてしまった。

 

どういう意味だ、と少し口を尖らせるとまた笑われた。

祖母が亡くなり、あしながおじさんのような人物が現れた事、全寮制の軍学校へ入れてもらえた事等を話す。

祖母が亡くなった事、天涯孤独になってしまった事はあまり話したくなく、かなり省略してしまったが、勘のするどい満潮は何か気付いたようだ。

……そういえば満潮も艦船時代に姉妹を無くして天涯孤独になったのを失念していた。

 

何も聞いては来なかったが、あえて黙っていてくれたのだろう。

満潮の優しさに少しだけ感謝した。

軍学校時代の教育はとても厳しかったが必死に勉強していたら何時の間にか成績上位に食い込んでいた事、しかし体育だけは苦手だった事を話すと、さも当然のような表情で小さいから仕方ないわね、などと頷かれた。

 

悔しいのでそのうち大きくなると冗談混じりに怒るフリをしておいた。

……ムキになどなっていない、絶対に、無い。

満潮に請われてひとしきり自分の事を語っていたらレコードのB面も終わったようだ。

濃い茶色をした使い込まれた家具が静寂を奏でる。

 

「……満潮は、もう大丈夫か?」

 

あえて主語も本題も明らかにせず問いかける。ずるいやり方だとは自分でも思う。こうする事で満潮が本当に悩んでいる事を引き出そうとしているのだから。

 

「そうね……司令官のバカげた話のおかげで随分気が楽になったわ。……ありがと。」

 

気付かれていたようだ。

私もまだまだだな、と苦笑する。

 

「では夕食からは皆と一緒に取ってくれると嬉しい。もし、気が向かないというのならいつでも呼んでくれ。」

 

「ふん!どうも。…………ありがと。」

 

強がってはいるが、まだ少し不安があるようだ。

無理も無い、昨日は食堂で騒ぎを起こしてしまい、そのまま謹慎となったからな。噂に尾ひれがついている事でも懸念しているのだろう。

 

「なぁ、満潮。夕食も一緒に食べないか?食堂で。」

 

「そこまで私は弱くないわ。見くびらないで。」

 

元の調子に戻るまでもう一押しと言った所か……。ならば少し手を変えてみよう。

 

「満潮と一緒に居る時間がとても楽しかったからな。」

 

「なにそれ!?意味分かんない。」

 

憤慨した様子の満潮が椅子を鳴らしながら席を立つ。

そのままドアを開けて出て行った……と思ったらドアの影からそっと顔を覗かせていた。

 

「……ごちそうさま。美味しかった、ありがと……そ、それだけ!」

 

伏し目がちに顔を赤くして礼を言う満潮に心を捕らわれ、心臓が跳ね上がる。

今の自分の鼓動と同じ速さで廊下を音を鳴らしながら駆けていく満潮の名残に笑いが零れた。

余韻が残り、はしゃぐ胸を押さえながら考える。

 

……大事にしてやらねば、な。

満潮だけじゃなく、できれば全ての艦娘を。

 




お気に入り・閲覧ありがとうございます。
満潮の好感度が1上がりました。
提督の腹黒度が1下がりました。
艦娘図鑑の満潮ページが60%埋まりました。
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小さな旗と青瑪瑙

鎮守府辞典……ブルーアゲート(青瑪瑙):パワーストーンとしては絆の修復、または深める効果を持っているとされる。直観力、判断力の向上にも効果があると考えられている。また、稀にではあるが、光にかざすと虹色に発色するものもある。


満潮と自分が食べたアイスの皿を洗い、一息つく。

 

……少しだけはしゃぎすぎたかもしれない。妙な倦怠感が体に纏わりついている。

いかんな、しっかりせねば……もう薬には頼れないのだから。

執務室に帰って少し休もう。

ガスの元栓を閉め、使った場所を綺麗にする。

それがこの部屋を使わせてくれた鳳翔への礼儀だ。

使った食材をバーカウンターにあったメモに書いた。食堂に寄って鳳翔に渡すとしよう。

少しだけ余ったチャーハンはラップをかけ、冷蔵庫にしまっておいた。

余ったので欲しい人がいたら食べてください、とメモを乗せておいた。

 

……その後、那智と隼鷹がこのチャーハンを取り合い飲み比べをし、鳳翔に叱られるのだがこの話はまたの機会に語ろう。

 

最後に電気を消し部屋の鍵を閉めた。

年代を感じさせるテーブルやバーカウンターの香りに後ろ髪を引かれながら。

酒は飲めないが、この雰囲気は好きだ。落ち着きたいときは寄らせて貰おう、と考えつつ。

 

大分空いている食堂に着くと第六駆逐隊の4人が居た。暁、響、雷、電だ。

 

「あ、司令官!どうしたの?」

 

「司令官、ごきげんようです。」

 

「あ……司令官さん……。」

 

三人に同時に話しかけられた。雷、暁、電だ。

電の様子が少しだけおかしい。顔を赤くして俯きながら声をかけたもののどうしたら良いか迷っている様子だ。

……おそらく昨日の事なのだろうな。昨日電に唇を奪われた事を思い出す。

どう返事を返したものかと逡巡していると響が仲裁してくれた。

 

「皆、同時に話し掛けるから司令官が困っているよ。」

 

……暁が長女で響が次女に当たるのだが、誰が長女か解らないな、と苦笑しつつ話しかけた。

 

「お前達は食事だったか、邪魔してすまないな。」

 

食事のトレイを見るとまだ食事中のようで、いくつかの野菜が残っていた。

 

「暁が嫌いな野菜を残し……むぐぐっ!」

 

暁が真っ赤になって響の口を押さえていた。

 

「べ、別に嫌いじゃないし!今から食べるつもりなのよ、レディーだから好き嫌いは無いわ!」

 

必死に弁明しているが、嫌いなのだろう。

しかしそこをつつくのは野暮と言う物だろう。あえて知らないフリをしてやるのも優しさか。

 

「そうだな、だが腹に入らなければ無理する必要はないぞ。」

 

勿体無いかもしれないが、戦時中ならまだしも今は割りと飽食の時代だ。

無理矢理食べさせて更に嫌いになる事はよくある。

……ここの寮母に言えば食べやすいメニューを考えてくれるだろうかと思案していると雷に注意された。

 

「もう!司令官は暁を甘やかしすぎよ、そんなんじゃダメなんだから!」

 

「すまないな。だ、そうだ暁。頑張れ。」

 

雷に叱られ、苦笑する。

頭を撫でてやろうかとも思ったが、食事中だ。

不衛生なので止めて置いた。

なんだかんだ言いつつも、この4人は仲が良くて楽しそうだ。

先に自分の用事を済ませてくるとしよう。

 

「鳳翔に用があってここへ来ただけなのだ。あぁ、電にはすまないが後で話がある。秘書艦の事だ。少しだけ待っていてくれるだろうか。」

 

電が食堂に居てくれたのは好都合だ、時雨が遠征に向かった為、秘書艦のシフトを少し繰り上げて貰おう。……それと昨日の事も話をしたい。

後をひいて仕事に支障が出るならば此方はあまり気にしていないと伝えた方が良いだろう。

 

「はわわわ、わかりましたのです!」

 

いきなり話を振られた電がわたわたと慌てる。

その様子が少し可愛らしく、クスリと笑みが漏れてしまった。

響が何か言いたげな目で見つめていたが……。

さて、鳳翔は居るだろうか。4人に後でな、と後ろ手に手を振り、厨房へ向かう。

 

「おや、坊ちゃん提督。鳳翔さんかい?」

 

……空いている食堂にこの寮母の声はよく通る。

暁達の方からクスクスと笑う声が聞こえて来た。

特に言明する気も起きなかったのでなるべく普通に返事を返す。

 

「はい、居るでしょうか。裏に回ったほうが良いです?」

 

そういえばさきほどは裏に回ってくれと注意されたな、と思い出す。

 

「大丈夫だよ、人も居ないから。おーい、鳳翔さーん!」

 

名前を寮母に呼ばれ鳳翔が近づいてくる。洗い物を手伝っていたらしい、白い割烹着姿が少し新鮮だった。

 

「提督、おかえりなさい。その御様子だと大丈夫だったみたいですね。」

 

「あぁ、助かった。これが鍵と使ったものを書いた紙だ。それと冷蔵庫に少しだが余ったチャーハンが置いてある。良ければ感想を聞かせてくれ。」

 

「あら、それは楽しみにしておきますね。」

 

ニコリと微笑む鳳翔。是非鳳翔に味見をして貰い意見を聞かせてほしいものだ。

 

「ありがとう。また何かで礼をしたい、入用な物があれば言ってくれ。」

 

「ふふっ、では提督と私の船旅のチケットでも……。」

 

船旅も悪くは無いが、まだ深海棲艦の脅威があることを考えるといつもの冗談なのだろう。軽く流しておいた。

 

「そういう事はハネムーンに良いかもしれないな。その時は洋装でも着て見せてくれ。」

 

ふふと笑い合っていたら、寮母に突っ込まれた。

 

「坊ちゃん提督、鳳翔さんを泣かせると後が怖いよ。ここの男共にすごい人気なんだから。」

 

「冗談を言い合っているだけですよ。いつか平和な世界になれば本気で考えますが。」

 

だが本気で考える、という言葉尻を捉えられたらしい。

 

「そうかい、それなら鳳翔さんも安心だね!坊ちゃん提督も公務員だし、老後は安泰じゃないか。」

 

わははと笑い、隣に居た鳳翔の肩を軽く叩いている。

少しだけ鳳翔も苦笑していた。

 

……妙齢の女性というものはどうしてこうも誰かと誰かをくっつけようと煽るものだろうか不思議に思う。

鳳翔に助けてくれ、と目線を送ると気付いてくれた鳳翔がとりなしてくれた。

 

「ふふっ、そうなれば良いのですけれど。さぁ、提督もまだ執務があるみたいですから。」

 

仕事の話を振られると、いつまでも捕まえてはおけないだろう。

鳳翔の気遣いに感謝しつつ、その場を離れて電達に近づく。

 

「すまない、待たせてしまったな。」

 

「随分鼻の下を伸ばしていたみたいだね、司令官。」

 

響にじぃと、少しだけねめつける様な視線を送られた。

鼻の下を伸ばしていたつもりはないが、誤解は解いておかなければなるまい。

 

「いつもの軽口の言い合いだ。からかわれてばかりだがな。」

 

ハハと笑い、頭の後ろを掻く。

 

「そうかい?それなら良いんだ。でもあまり妹を悲しませるような事はやめてくれ。」

 

「響ちゃん!?」

 

響の言葉に電が口を押さえて驚く。

 

「む、そうなのか。それは悪かった、以後気をつけるとしよう。」

 

鳳翔と軽々しくハネムーンの話題などしたので、何かしら気に障った部分があるのだろうな。

自分にそこまでの好意を向けられているとは思わないが、悲しませてしまったのなら謝るしかないだろう。

 

「わかればいいんだ、司令官。」

 

響のブルーアゲートを嵌め込んだような、宝石の瞳がふと柔らかくなった。

電を嫁に貰おうとする男がいるならまず響に認められなくてはならないだろうな、とその大変さを想像して架空の存在に同情した。

 

「ところで司令官さん、お話ってなんなのです?」

 

少しだけ落ち着いた様子の電に声をかけられる。まだ顔は赤いが、精一杯此方と目を合わそうとしている点が健気で可愛らしさを感じた。

 

「……時雨を遠征に行かせてしまったのでな、秘書艦の仕事を繰り上げて早めに就いて貰おうかと思ったのだ。頼めるだろうか。」

 

「この後金剛さんと榛名さんと童話のお勉強会をするのです。できれば、その後だと嬉しいの……です。」

 

理由を言うと、おずおずと電から返答が返ってきた。

童話の勉強会とは金剛作の間違った童話を教えなおす事だろう。姉妹との時間は大切にしてやりたい。他の提督に言わせれば甘いかもしれないが、今日は特に大した執務も無い。

そう考えて、電に微笑み語りかけた。

 

「あぁ、構わない。特に急ぐ用事も無いからな。此方の都合で振り回してすまない。」

 

「そ、そんな事は無いのです!電こそ我侭を言ってしまってごめんなさいなのです。」

 

二人で謝り合い、それが可笑しくてふきだしてしまうと電も同じだったようだ。袖を口に当てて笑っていた。……これなら大丈夫そうだ。

 

「司令官、雷ならずーっと傍に居てあげるわよ!」

 

言葉と同時に横から座ったまま雷が腰に抱きついてきた。

 

「うぐふ!?」

 

勢いで腹が押され変な声が漏れた。

雷なりの愛情表現なのか、痛くはないがいきなりされるのは心臓に悪い。

腹に抱きついて頬ずりしている雷の頭を撫でてやると怪訝な顔をされた。

 

「ねぇ、司令官?何か美味しそうな匂いがする……食べていい?」

 

ビクリと身体が硬直する。

雷はカニバリズム性癖は持っていなかった筈だ。だが、理性を無くして襲い掛かられたら……。

嫌な予感と惨状の光景が頭をよぎる。

しかしその考えは暁の言葉で払拭された。

 

「本当ね、司令官すごく美味しそうな匂いがするわ。そうね……まるで旗が立ってるようなランチの……。」

 

スンスンと背中に鼻を近づけて嗅ぐ暁。お子様ランチと言いかけたのだろう。ハッと気付いたようで顔を赤くしてお子様じゃないし!等と言っていた。

 

あぁ、そうか。チャーハンを作った時に匂いが移ってしまったのだな。

……当然だ、服を着たまま作っていたのだから。自分で自分の臭いに気が付かなかったのは鼻が麻痺していたのだろう。

未だ腹に頬ずりしている雷に心底ホッとして撫で、暁の頭ももう一本の手で撫でてやる。

 

「頭をなでなでしないでよ!もう子供じゃないって言ってるでしょ!」

 

怒られたが、暁の言葉に安堵されられたのもある。慈しむ様に撫でていたら響から声をかけられた。

 

「司令官……。」

 

「ん、何だ?響。」

 

笑顔の仮面を貼り付け、努めて明るい声を出す。

しかし響は真剣な瞳で此方を射抜いている。何か……そうだ、嘘がばれた子供の様な気持ちにさせる目だ。

背中にたらりと冷や汗が流れるほど、しばらくの時間見つめられていたがふいと視線を外された。

 

「не волнуйся(ニ ヴァルヌーィスィヤ)……心配ないよ、大丈夫さ。」

 

ロシア語で喋られ、少しだけ頭が混乱したが日本語に言い換えてくれたようだ。

そんなに怯えたような仕草をしてしまっただろうか。……響には何か気付かれたのかもしれないな。

 

「昼は自分で作ったのでな、油の臭いが移ってしまったのだろう。お前達が勉強会に行ってる間、風呂にでも入って来るとするよ。」

 

ハハと笑い、理由を話す。

風呂に行くと予定を話しておけば、電が人を待たせていると遠慮しなくても良いだろうとの判断からだ。

 

「じゃあ雷は司令官のために背中を流してあげるわね!」

 

「だめだ、雷も勉強会に参加するんだ。」

 

……雷は過去にも私が風呂に入っていたとき、背中を流すと言って突入してきたことがある。

バスタオル一枚のみを身に着けた格好だったが、女性の発育を感じさせる肢体と姿態は隠す事ができず、見惚れてしまった隙に好きなようにされてしまった。

背中を流され、髪を洗われ、気持ちが良くなかったと言えば嘘になるが、もうあのような恥ずかしい事はしたくない。

風呂とはゆっくりと入るものなのだ。

 

この後、響にばれ、深夜に響、雷、電と艦娘用大浴場で混浴するハメになったのだが、また機会があれば書き記そうと思う。

暁?深夜なのでぐっすり寝ていた。言わずもがな、だ。

 

不承不承と言った顔だが、納得してくれた雷の頭をご褒美と言わんばかりに撫でる。

さて、いつまでも此処に居てはお互い行動できないだろう。話を切り上げるとするか。

 

「それでは行ってくる。お前達も精々励んでくれ。」

 

未だ纏わりついている雷を身体から離した。名残惜しげだったが、納得してくれたようだ。

行ってらっしゃいと言う4人の声を風のように背中に受けて、自分が帆船にでもなった気分になる。

 

さて、命の洗濯に行こう。

 




思ったより文が長くなってしまいました。
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男にも 気をつけなければ いけないな

誰得ショタ提督情報……性毛が全く生えていません。髪、顔の毛以外つるつるです。


何人かの艦娘と挨拶混じりの軽口を交わし、自室に戻る。

 

服にも油の臭いが付いているみたいなので新しい制服と下着を用意した。

洗濯室に持っていく為、朝に着替えて置いておいた汚れ物を布のバッグに詰める。

鳳翔や雷に頼めば喜んで洗濯してくれるかもしれないが、流石にそれは遠慮したい。

 

この鎮守府では女性用と男性用に洗濯室が別れている。女性用……というか使うのは艦娘がほとんどな為、数が多く優先度も高い。

それと比較して男性用洗濯室は必然的に設備も古く、部屋も狭い。

 

着任当時、大井に一緒に洗ってあげますよ、と言われ、言葉に甘えてしまった事があるが、ポケットから艦娘のハンカチが出てきて危く泥棒の嫌疑をかけられる所だった。

後に大井に平謝りされて解決となったが、思えばその頃だったな。大井の態度が少しだけ軟化したのは。

今となっては笑い話だがその時は人生が終わるかと思ったものだ。

……後に気付いた事だが、案外わざとじゃないかもしれないと思ったのは、北上と仲良くしていたからかもしれないが。

 

風呂から上がってから一まとめに汚れ物を洗おうと思い、洗面器とシャンプー、タオル、替えの下着や服を別の袋に詰める。

 

……ナイフと拳銃の存在を忘れていた。

風呂にこのようなものを持ち込むのは無粋以外の何者でもないだろう。

そう考えて、鍵付きの机の引き出しに閉まった。

まだ昼間だ、廊下の往来もある。誰かが忍び込んで盗難することは難しいだろう。

 

意気揚々と自室を出たが、ふと足を止める。

男性用大浴場と提督用のシステムバスのどちらに行こうか迷った為だ。

大抵、何処の鎮守府もそうだが規模の大小はあれど提督には個人用の浴場が提供されている。

女性の提督も居るし、他人に肌を見せたくない提督も居るだろうとの大本営の判断だ。……中には柴犬など人間以外の提督も居ると聞いているが、デマだろう。

以前雷に突入を許してしまったのも、この個人用の風呂に入っていたせいだ。

 

……まだ昼だ、この時間なら男性用大浴場には誰も居ないだろう。

それにシステムバスを使うならお湯を張らなければいけない。

どうせならできるだけ早く身体を綺麗にしたいと思い、大浴場の方に足を向けた。

……夜に大浴場を使うのはあまり気が向かない。何故かと言えば周りは筋骨隆々の青年や壮年ばかりでほとんど筋肉が付いていない自分の身体は随分と貧相に思えるのだ。

 

悔しいッ!でもッ!ビクンビクン!

などと手拭いをかじったりしない、絶対に、無い。

……最近は妙な視線を感じる事があるしな。

いつだったか齢18だと言っていた整備班の少年と一緒になった時があった。

湯船に二人で浸かると、自分にもこんな弟が居たと、深海棲艦の攻撃で亡くしたと、あの時海に遊びに行かせなければと嘆いていた。

不憫に思い、話を聞きながら慰めて居たが何かが琴線に触れたようだ。

少年が泣き出してしまい、ついいつも艦娘にやるように頭を撫でたら手を握られた。

 

確か……何と言われたかな……。そうだ、思い出した。

僕は君に会うために産まれてきたのかもしれない、と言われたのだった。

流石にそれは言いすぎだ、家族を亡くした事を思い出して感情が昂ぶっているだけだと注意したのだが……。

 

その時から整備部に行くと視線を感じるようになった。

衆道の気は此方には無いが、あのまま流されていれば布団を同衾する仲まで行ってしまったかもしれない。

そんな妙な雰囲気を持った少年だった。

 

……が、幸い今は昼だ。

夜戦任務の為に出ずっぱりな人間も今日は居なかった筈だし、ゆっくりと湯に浸かれるだろう。

男性用浴場に着くと、思ったとおり誰も居なかった。

電気のスイッチを着け暖簾をくぐり、木とすりガラスが嵌め込まれた引き戸を開けた。

カラカラと小気味良い音を出して引き戸が滑る。

誰も居ないと分かったのは明かりが消えていたからだ。誰も暗闇で風呂に入りたいとは思うまい。

節電は大事だ。税金の無駄遣いはなるべく抑えなければ。

服を一枚一枚と脱ぎ、籠に入れる。

指に巻かれたガーゼが気になったが、すでに血も止まっている。いつまでも着けて置くと不便だし、不衛生でもある。

手当てをしてくれた満潮に感謝しつつ、ガーゼをゴミ箱に捨てた。

スポンジと自前のシャンプー、ボディソープと洗面器、それとタオルを持ち風呂の引き戸を開ける。

 

一瞬、濃密な湯気が身体を撫でて顔を背ける。

湯気のいカーテンが開けられると浴場が姿を現した。

男性用浴場は10人程度入ると一杯になってしまう広さだが、一人で入るには充分すぎるほどの広さだ。

 

まずは洗い場で体を洗いに行く、それが礼儀だ。いくら風呂の湯はポンプとフィルターで循環させているとは言え、汚れた湯など誰もが嫌がる。

シャワーのコックを捻り、頭から湯を浴びる。

温かい湯が乾いた体をなぞるのが少しだけくすぐったいが気持ち良い。

髪を洗い、続けて体を洗った。

 

湯船に浸かった後でもう一度洗えば炒飯の臭いも完全に消えるだろう。

タオルを硬く絞り、湯船に浸かり頭の上に乗せる。

 

湯船にアヒルが浮いているが、これは中に果物の皮が入っている。

軽巡洋艦の艦娘、夕張に頼んで作ってもらったら事の他好評だったらしく、厨房で風味が良い果物を料理に使った時アヒルの中に余った皮を詰めて浮かべるといったリサイクルが出来ている。

 

夕張がメロンの皮を入れたときは不評だったが……。

 

その後、改良を重ねて入浴剤化したものが鎮守府近辺で売られている。

売り上げは夕張のポケットマネーとして良いと言ったら、随分張り切ってすごい物を作ってしまった。

 

……この話は湯船でリラックスしていると上手く話せる自信が無い。

また風呂から上がったときにでも話すとしよう。

 

今日はアヒルに柚子が入っているようだ。和の香りが漂っている。

ゆらゆらと揺れるアヒルを見ていると何か不思議な感覚に陥るような気がしてくる。

嗚呼、と深い吐息をつき、湯船に身体を伸ばす。

縁に身体を預け目を瞑る。湯口から流れ出る湯の音を聞きながら心地よい温かさに包まれていた……。

 




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猟奇的な道化

シリアス回、残酷描写注意です。


……嵐が響いている。

聞こえるのは怒号と怒声、時折嵐に混じって花火の上がる音がする。響く悲鳴が祭囃子の様に。

鎮魂歌となるのは嵐の音かそれとも悲哀の声か。

 

「火薬を濡らすな!濡らすなと言っている!」

 

「艦長!少尉が銃座を!」

 

……轟音に掻き消されながら怒号が響く。

 

「転がっている腕を拾ってやれ!下がらせろ!」

 

「くそったれ!どうして……!どうして……!」

 

再び轟音と花火が上がる。

 

「うわぁぁああああ!」

 

「貴様!死ぬな!死ぬなよぉお!」

 

「艦長!ボートで特攻の許可を!」

 

「馬鹿野郎!命を粗末にするな!」

 

「腕が……俺の腕は……!?」

 

「地獄かよ!此処はぁ!?」

 

「愚痴るなら照明弾あげろぉ!」

 

「……嘘だ嘘だ嘘だ嘘だぁああ!」

 

……あぁ、本当に地獄のようだ。

もし地獄に祭りがあればこのように見えるのだろう。

轟音とともに紅葉が咲き乱れ、人間が玩具のように放り投げられ、飛び、砕ける。

黒と橙と赤しか見えない。

周りには千切れた腕や足が浮いている。

 

火薬の焦げる臭いと肉が焦げる臭いと海水が蒸発する臭いが漂っていた。

生きている人間は浮いているモノの中には居ないようだ。

 

……ねろりとした血と脳漿と重油が混じった海水に捕らわれ、自分の身体も動かない、おそらくこの有象無象の中の一部なのかもしれない。それならば直に意識も無くなるのだろう。その証拠に寒くも痛くもない。

考えていたら案の定、身体が沈んでいった。

海上と違い、海の中はとても静かで……。

 

沈むのに身を任せ、上を向いていると船のような形が二つに折れ、ズンと身体全体に響くような衝撃が襲った。

それと同時に花火が真上に上がり、昼間のように明るく照らされる。

 

……寿命を終えかけた線香花火が空に上がっているような風景だ。

祖母の庭で初めて作った線香花火に火をつけた事を思い出す。

 

黒色火薬をこよりでこよる(小夜)、今宵の子寄りは此処の家……。

 

……病床の祖母から歌が聞こえていた。

 

……その日は縁日だった。しかし祖母の体調が悪く、出かける事は躊躇われた。

せめて祖母にも聞こえるように縁側を開け祭囃子が聞こえるように、と。

自分で作った線香花火が見えるように、と。

虫の声が響き、祭りの熱気を含んだような妙に生温かい風が頬を撫でる。

遠くでは太鼓の音と祭囃子。

……祖母は笑ってくれていた。

 

嗚呼、と涙が出る。

このまま沈んで行けば、その様な考えもすぐに消える。

ただ、最期に、あの空に浮いている花火が欲しくて手を伸ばした……。

 

……歌が……聞こえた……。

 

目を開けると太陽がゆらゆらと揺れていた。

 

「ッ!?ガボッ!?」

 

口と鼻から一気に水が入り込む。

慌てて、明るい方に向かって全身で移動する。

ザバリと音がして、抵抗が一気に無くなった。

息を吸おうと思ったが、気管に水が入り込んで閉じているようだ。

苦しさにしばらく悶えて、窒息しかけた時にようやく息が吸えるようになった。

 

「カッ……!ゼェッ……!」

 

ひゅうひゅうと湿度の高い空気を肺に取り込むと、その空気の濃密さにまたむせた。

 

「何だ、あれは……何なのだ!あれは!?」

 

訳も分からず叫ぶ。風呂場にわんと自分の声が反響する。

自分の記憶では小船が転覆し、溺れてしばらくすると力強い腕に引き上げられた記憶しかない。

 

「何だ……これは……。」

 

気が付くと目から滂沱のごとく涙が流れ出ていた。

 

あの時助けられたのは、全部夢だったのか?溺れていた自分を救い上げて、引っ張り上げてくれたあの太くたくましい腕は幻想だったのか?

夢と現の境目が曖昧になる。

 

「あぁぁあああああ!?」

 

身体をくの字に折り、頭を抱える。脳に凄惨な光景と凄まじい情報量と懐かしい追憶が流れ、ごちゃ混ぜになり許容量を超えプチプチと音を立て頭のどこかが切れるような感覚。

 

ガクガクと身体が震える。慌てて湯船に浸かるが、ガチガチと歯の根が震え、音を出すほどの寒気が襲う。

寒い、まるで浸かっていた湯が水になってしまったような錯覚に陥った。

 

「そんな、馬鹿な……。」

 

湯口に手を当てて湯を掬う。

……熱い……冷たい……?よく解らないほど混乱している。

雪山で遭難した極限状態の人間は冷たい雪を熱いと勘違いし、服を脱ぎ去ってしまう事があると聞く。

自分もそれなのかもしれないと頭の正常な部分で考えた。いや、すでにこのような結論が出る事自体、正常とは言えないのだが。

まずは落ち着かなければ、でなければ本当に無能の烙印を押され免職だ。

免職の文字が頭に浮かんだ瞬間、先程の人の形を留めていない肉の塊を思い出し、ぶるりとする。

 

……風呂場に自分以外居なくて本当に良かった。最も一人じゃなければ溺れる心配も無かったのかもしれないが。

 

深呼吸を一つ、二つ、三つ目でようやく落ち着いてきた。

深い深い溜息を吐く。

ようやく感覚も戻ってきたようだ。湯口の湯を熱いと感じる。

流石にもう風呂に浸かれる気分では無い。当初考えていた風呂上りにもう一度体を洗う事も忘れ、湯船から上がり脱衣所に向かう。

体を拭くのもそこそこに、服を着る。

洗剤の匂いが少しだけ、現実を感じさせてくれ、安堵した。

 

だが、もう此処には居たくない……何故か一人が怖い。

逃げるように脱衣所を飛び出し、明かりのスイッチを消す。

暗闇に包まれた浴場が自分を引きずり込むんじゃないかと恐怖を覚える。

 

……そんな事があるわけは無い、あってたまるかと自分の弱い心に活を入れた。

早足で自室に逃げ帰る、日の光が入りこんでいる自室に少なからず精神状態が回復したようだ。

 

……洗濯物は落ち着いたときにやろう。若しくは誰かに付いて……とそこまで考えて、馬鹿な思いを振り払った。

誰かに付いて来て貰ってどうする、艦娘は女性だ。

女性を男性の下着を洗ったりする場所に連れて行くなどセクハラにも等しいではないかと。

 

……大井に洗って貰った時は下着は頼んでなかった。本当だ。

このような精神状態だと何をやっても良い方向には転ばないだろう。

少なくとも執務室なら窓も大きく、明るい。今の時間ならなおさらだ。

本当は外に居た方が良いかもしれないが、執務を行っているフリをしろと言われている。

 

落ち着かない心臓を何とか静めながら、引き出しの鍵を開け、先程入れた万年筆型ナイフと拳銃を取り出す。

 

「オラオラ!オレ様の登場だぜぇ!」

 

その二つを制服のポケットにしまおうとした瞬間、自室のドアが勢いよく開けられた。

驚くよりも先に体が動いた。ナイフのキャップを外してその方向に投げ、拳銃の安全装置を解除し銃身をスライドさせ、弾を込め照星を侵入者に合わせる。

 

木製のドアにナイフが刺さり、ダーツが刺さる音よりも少し重い音、次いでバネがしなる様なビィンという音が余韻を響かせた。その衝撃でドアが閉まり、カチリと音がする。

 

フー、フー、とまるで猫が敵を威嚇するような吐息が自分から漏れているのを感じる。

 

「あっ……ぶねぇな!何すんだいきなり!」

 

批難するような怒声が聞こえ、相手をよく見ると……天龍だった。

天龍は軽巡洋艦の艦娘で、天龍型1番艦である。

艦船としては3,500トン級軽巡洋艦として建造され、重油・石炭混合型燃料を使用する機関を搭載しているため燃費がすこぶる良い。

艦娘としてもそれを受け継いでおり、燃費に関しては特筆すべき点がある。自分を最強だと自負しており、自信に溢れた言動と眼帯がトレードマークだ。

 

「な、なぁ……その物騒なモン降ろしてくれないか?」

 

不安気な声に気付くと、未だ天龍に銃の狙いをつけたままだった。

すまない、と言葉に出すつもりが、喉からでたのはヒューヒューと空気の漏れる音だった。

 

言葉にするのは諦めて、銃を降ろす。

天龍もホッと一息ついたようだ。しかし何故此処に?

 

慌てていたので鍵を閉めていなかったのだろうか……。

 




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脅えた子犬と天の龍

一人ぼっちは寂しいもんな


銃に安全装置だけかけて机に置く。

 

天龍に背を向け深呼吸をして試しに、あーと喋ってみた。

……良かった、声がでる。

 

「すまない、少し夢見が悪くて混乱していたようだ。」

 

目を合わせず、床の埃などに視線を向ける。

土下座して謝っても赦される事ではないが、ひたすらに謝る。

ドアに刺さったナイフを回収しに近づくと、天龍に前に立たれ遮られた。

 

「どうした、危ないぞ。」

 

自分でも驚くほど冷たい声が出た。その言葉に天龍がピクリと身じろぐが、隻眼でギロリと睨まれた。

 

「何だ?……何に脅えているんだ?提督。」

 

今度は此方が身じろぎをする番だった。

 

「何でもないんだ。さっきも言ったようにさきほど悪夢を見てな、混乱しているだけなのだ……。」

 

下を向いて決して天龍と目を合わせようとしない此方の態度に相当苛立った様だ。チッと舌打ちが聞こえ、言い終わった瞬間に胸倉をぐいと掴まれ、爪先が浮く。

 

「嘘は良いんだよ!アンタさっき風呂に行ってたよなぁ?いつ昼寝したんだよ!?」

 

「な、何故それを……?」

 

夢見が悪かったのは本当だが、風呂に行くのは一部しか知らない筈だ。

もしや行動を監視されていたのか?

天龍が大淀と繋がっている可能性が頭に浮かび、カッと頭が熱くなった。

艦娘と何人かすれ違っていたのに何故そのような結論が出てきたのか不思議に思うが、その時はおかしいとも思わなかった。

 

「……離せ、天龍。」

 

「あぁ!?」

 

先程の夢のせいか、随分と死と暴力に対するリミッターが緩くなっている気がする。

天龍に胸倉を掴まれたまま、ドアに刺さったナイフを引き抜き、天龍の首元に当てた。

 

「離せと言っている。聞こえなかったか……?」

 

諭すように、しかしこれまで出した事もないような冷たい声が自分の口をついて出る。

 

「ぐうっ!……クソがっ!」

 

その言葉に天龍は悔しそうに捨て台詞を吐くと、手を離した。

沸騰している頭に任せるまま、天龍にナイフの切っ先を向け問いかける。

 

「言え、誰の命令だ。何の目的がある。」

 

天龍の黄水晶のような瞳に脅えが走る。いつも強気で勝気な艦娘が自分に脅えている……昏い愉悦が湧き上がるのを感じ、その欲望に身を任せてしまいたい感情が自分の躯を駆け巡った。

 

その淀んだ感情が脳に達した時、必死で警鐘を鳴らす存在があった。

それはまるで線香花火の様に脳内でパチパチとはじける。

 

その火花に照らされるように、嵐の海に漂っていた人の欠片が怨嗟の声と共に自分の身体に纏わり付いて引きずり込んだ……!

 

天龍の瞳に映った自分の姿に今度は此方が脅える。

 

「ち……違う……!違うんだ!来ないでくれ……。すまない!」

 

だらりと降ろした手からナイフが滑り落ちる。それはトスリと音を立てて、自室に敷かれたカーペットに突き刺さった。

 

「おい!?」

 

「ヒッ!?」

 

天龍が訝しみ、声を此方にかけてくるがそれさえも恐い。

 

「すまない、天龍……ごめんなさい、ごめんなさい……!」

 

何に謝っているか解らないほど混乱している。

ズリズリと音を立てて後ずさるが、椅子に躓き後ろに倒れた。

 

「おい!?」

 

天龍が慌てて近づこうとするが、膝と腰だけでジリジリと距離を取りながら牽制の言葉を放つ。

 

「来るな……クルナ……コナイデ……!」

 

後に天龍が語っていたが、その時の私は本当に普通じゃなかったと、放って置けば自害していてもおかしくないような雰囲気を纏っていたと未だに言われている。

 

今私が生きているのは天龍のおかげかもしれない……。

天龍が此方に駆け出して来ると同時に腕を上げ、交差させて何かから自分を守ろうとする。

殴られると思い、目を瞑り、歯を食いしばった。

 

……しかし感じたのは強いが、柔らかな抱擁。

 

「え……?」

 

ぎゅうと顔に天龍の胸が押し当てられる。意外な感触に戸惑いの声が漏れた。

 

「……しっかりしろよ、提督。誰もアンタを傷つけたりしねーよ。」

 

あのような事をしたのに関わらず、天龍が慈しむような声音で語りかけるように話す。

嗚呼、と声が漏れる……あの時、あの海から引っ張り上げてくれた腕もこうでは無かったか……?

何が幻想か真実か判らないが、せめてもの希望に縋りたくて目の前の温かさを抱きしめた。

 

何分間かそういしていただろうか。

 

少しだけ冷静になれたような気がする。天龍の身体に腕を回したまま聞いてみた。

 

「何故、私が風呂に行っていると……?」

 

「あ?電に頼まれたんだよ。提督に勉強会が遅くなるかもしれないから伝えてくれって。風呂に入ってるのもその時聞いた。」

 

そうだったのか、私の勘違いであんな事を……。本当に申し訳なく思う。

 

「すまない……。」

 

「良いんだよ。大体艦娘ならあんなモン刺さってもすぐに治るしな!」

 

アハハと笑い、此方を元気づけようとしてくれているのだろう。だが、刺されば痛いのは当たり前なのに、それをあえて言わない天龍の優しさに感謝した。

 

「さぁ、提督。離してくれ、オレも予定があるんだ。」

 

そう言って立ち上がろうとする天龍。

しかしその身体が少しだけ離れた瞬間、思い出したくも無い光景がフラッシュバックした。

自分の手が、足が、頭が……。血か重油か判らないモノにねっとりとしゃぶられる。耳のすぐ後ろで怨嗟の声がする。

奥歯がカタカタと震え、慌てて目の前にあった温かい体温を持った存在に必死で縋りつく。

 

「オイ!?」

 

天龍が慌てた声を出すが、すぐに尋常じゃない様子だと察したようだ。

 

「……寒い……嫌だ、一人にしないでくれ……。一人は恐いんだ……!」

 

「あぁ、もうしょうがねぇなぁ!」

 

我ながら情けない、もし今一人だったなら発狂していただろう。

天龍はヤレヤレといった様子で頭の後ろを掻くと、立ち上がろうとした力を緩めてくれた。

 

「良いぜ、居てやるよ。もう少しだけな。……一人ぼっちは寂しいもんな……。」

 

頭に腕が回され、そのまま天龍の胸に押し付けられた。

もう片方の手で頭をグリグリと撫でられる。……そうだったな、天龍はいつも口では勇ましいが本当は面倒見がよく優しいのだ。

 

頭を撫でられる感触に身を任せると、身体中から力が抜けた。

まるで太陽が降り注ぐ浅瀬に身をたゆたえているようだ。

 

弛緩し、力の入らなくなった頭を撫で続けられているが、若干弱められている。

犬か猫を撫でるようなやわやわとした手つきが心地よくて目を閉じた。

 

……しかし警戒心を全て解いてはいけなかったのだ。ドアが開けられ、声がかけられた。

 

「あらー、やっぱりこうなっちゃいましたか。」

 

一番聞きたくなかった人物の声を……!

 

 




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疑念と和解

「クッ……!」

 

天龍の体を左腕で抱きしめながら机の上に置いた拳銃に右手を伸ばす。

冷たい鉄の感触が指先に触れると同時に天龍を後ろに庇い、闖入者に狙いをつけた。

 

「オイ!?提督!大淀に何してるんだよ!?」

 

……自分の体では庇いきれていない天龍がドアを開けて入って来た人物を視認したようだ。

慌てたような声で疑問と戸惑いがぶつけられ、手に持った銃ごと腕を掴まれた。

 

「天龍!?放せ!大淀は!」

 

天龍に腕を上げられ大淀につけた狙いが外れる。

 

「提督!しっかりしろよ!?あれは大淀だぜ!?」

 

話が全く噛み合っていない……。

まるで出来の悪いコントのようだ。

 

コホンと咳払いが一つ、聞こえた。

 

「提督……落ち着いて下さい。私の話を聞いてくれませんか?」

 

両手を上げて敵意が無いといった風体を示す大淀。

此方は鼓動も呼吸も荒く、落ち着かないが無抵抗の相手に銃を向けるほど堕ちてはいない。

疑念はあるが、話を聞かないと判断もつかないだろう。

銃を握る手を緩めると天龍も腕を放してくれた。

 

「なぁ、提督……、一体どうしちまったんだよ?どうして俺達艦娘に銃なんか向けるんだよ。」

 

混乱しているらしい天龍の弱気な声が此方の心をグサリと突き刺す。

謝罪か、それとも言い訳を並べようかと迷っていると大淀が口を開く。

 

「天龍さんは提督のお体の事は、まだ何も?」

 

その言葉にコクリと頷く。

天龍だけが理解不能といった表情を浮かべている。

 

「お、おい……。オレを置いていくんじゃねーよ……。」

 

不安気な声を漏らす天龍を余所に大淀が頭を下げた。

 

「二つ、謝る事があります。申し訳ありませんでした……。提督に薬の事を黙っていた事、無理矢理提督の唇を奪った事です。」

 

眼鏡の端から覗く表情は真剣そのものの大淀だが、天龍から素っ頓狂な声が漏れた。

 

「はぁ!?ちょ、ちょっと待てよ!それって提督とキ、キスしたって事か!?それに薬ってなんだよ!?」

 

慌てたらしい天龍が大淀の肩を掴み起こすとガクガクと揺さぶる。

ガックンガックンと大淀の頭が揺れて、まるで振り子の様だ。

少しだけ、昨日強引に唇を奪われた怒りの感情が勝っているのだろう、止める気はあまり起こらなかったのが不思議だ。

 

「提督も何処か悪いのか!?薬を飲むほど悪化してるってガンとかじゃないよな!?」

 

自動首揺らし機、もとい、天龍が此方を向き、矛先を変えようとしたところで言葉を放つ。

 

「……薬の事を詳しく教えてくれ。それと私が何故この様な体になっているのかも、な。医務室の件は薬のせいなのだろう?」

 

天龍の腕から抜け出した大淀に問いかける。

まだダメージは残っているようで、眼鏡がずれているがしっかりと頭には届いたみたいだ。

 

「その件については軍上層部からの秘匿命令が出ていますが、もう気付かれている御様子ですね……。」

 

やはり軍上層部か……。何人か心当たりのあるものの姿を心で描き、物思いに耽る。

大淀がふぅと溜息をつき、眼鏡を直して話し始めた。

 

「他に提督の体の事を知っている人物はどなたです?できればその方達にもお話しておきたいのですけれど。」

 

続けて言の葉を受けたが、正直に言ってしまって良いものか迷った。

最悪の可能性として考えられるのが、余計な情報を知ってしまった艦娘と私への罷免だ。

 

顔に脅えの色が出てしまったのか、大淀に考えを読まれたようだ。

 

「……少なくともこの情報は部外秘です。外で洩らさなければ誰も罰を受ける事はありません。」

 

言い切られてしまった。私はどうなっても良いが艦娘達が罰を受けるので無いのなら信用しよう。

 

「……最悪の場合、刺し違える心算だったのだがな。」

 

床に刺さったナイフに視線を送る。

大淀は複雑な表情で、そのナイフを床から引き抜くと両手で差し出しながら言ってくれた。

 

「……提督には血生臭い事は向いていません。できれば綺麗なままで居て貰いたいのですけれど。」

 

……綺麗でもないが、それが艦娘の望みなら演じてやろうと思った矢先、更に言葉を続けられた。

 

「最も、その綺麗なものを汚して穢してしまいたいという欲望もあるのですけれど。」

 

言い終わった瞬間、眼鏡がキラリと光る。やはり大淀は大淀だった。

大淀からナイフを受け取ると天龍の情けない声が響いた。

 

「オレを置いていくなよぉ……。」

 

あぁ、すっかり存在を忘れていた。

ナイフにキャップを着け、元の万年筆にカモフラージュする。

安全であることを確かめるとポケットにしまい天龍の頭をポンポンと撫でてやった。

 

「そのようなモノを一体何処で手に入れられたのです?」

 

大淀に問いかけられた。

 

「……恩人から少し、な。」

 

逡巡して、江田島中将の顔を想い浮かべながら喋ると大淀に皮肉られた。

 

「……随分と提督の事を解ってらっしゃる御様子の方ですね。お名前を伺っても?」

 

一瞬、大淀に調べてもらえば江田島中将の所在がハッキリするだろうかとも考えたが、ふと恩人に迷惑がかかる可能性が懸念として頭に浮かぶ。

 

「今は言えない……。すまんな。私にとって、唯一の絆なのだ。察してくれると有難い。」

 

苦々しく口を開くが、大淀は赦してくれるだろうか。少しだけ不安になった。

 

「解りました、提督。それで御身体の件を知っている娘達を集めていただくことは可能でしょうか?」

 

しかしそれは杞憂だったようだ。全く別の話題を振られ、少しだけ胸を撫で下ろす。

未だに天龍の頭に手を置いていたことを忘れていた。少しくせっ毛がちな髪の感触を撫で、確かめてから返事を返す。

 

「分かった。信用するぞ、大淀。」

 

……まだ信頼する、とは言えないが……。

その意図を知ってか知らずか大淀はしっかりと頷いた。

 

「では、何処か希望の場所はあるか?」

 

「執務室でお願いします。おそらくは其処が一番安全かと。」

 

何が安全か、は教えてくれなかったが大体の想像はついた。防音と、もし艦娘が暴走してもすぐに非常招集をかける事ができる。

 

頷くと天龍と視線が合い、投げかけられる言葉。

 

「お?ようやくオレに作戦をくれるのか?」

 

「いや……。すまんがそういうわけではない。」

 

「……。」

 

空気の読めない天龍に脱力すると同時に、その様子に気分が軽くなるのも感じた。

ありがとう、と天龍に心の中で呟いておいた。

 

……面と向かって言うと調子に乗るしな……。




アホの娘可愛いですね。

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悪いひとたち

一部書式を今回から変えてみます。


執務室に一部の艦娘に招集をかけた。

 

一部の艦娘とは私の体の事情を話した者達で赤城、加賀、扶桑、山城、鳳翔、荒潮、満潮、衣笠、青葉、金剛、そして大淀が目の前に並ぶ。

 

時雨と白露、春雨は遠征中なので当然の事ながら居ない。

鈴谷にしても本質を知っているわけではないので呼ばなかった。

天龍は龍田と予定があるらしく、別れるときに絶対に後で教えてくれよ!

と言っていた。

 

「さて、大淀。話を聞かせてくれないか。それとまるゆの処遇についてもだ」

 

そうなのだ、大淀に言われたまるゆの件については陸軍が関与しているとしか思えない。

全員の注目を浴びた大淀が、第一級秘匿事項ですが、と前置きして怯む事なく話し始めた。

 

「まるゆさんは陸軍が開発した艦娘ですが、提督のお薬については直接的な関わりはありません。ただ、海軍上層部からは提督を繋ぐ首輪として扱え、と言われています」

 

第一級秘匿事項の言葉で前に並んだ者達が緊張するのが分かった。

 

「海軍上層部とは誰だ? 少なくとも大将クラスの将官か?」

 

見えない敵が居るのがもどかしくて大淀に質問を投げかける。

 

「……おそらくは提督に心当たりがあるのではないかと。私も上層部については詳しく知らないのですが、提督を随分恨んでいる方、と聞き及んでおります」

 

大淀の言葉に金剛が反論した。

 

「Hey! テートクが誰かから恨みを買うなんてありえないネー!」

 

……いや、心当たりはある。

 

もしかしたら過去に不正を暴いた将官の縁者かもしれないな。

興奮する金剛を手で制して静かにさせる。止めてくれ、そこまで純粋な人間でもないのだ。

 

「では本題だ。大淀……貴様がくれた薬は毒なのか? 薬なのか? どちらだ?」

 

どんな答えが返って来ても冷静に対応できるように心を静める。

大淀はしばらく思い悩む様子だったが、少しずつ話始めた。

 

「基本的には提督の体に必要な薬です。胃痛を和らげる成分や、栄養剤の成分が入っています。ただ……」

 

ただ、の先から言いよどんでいるようだ。

誰も言葉を発しない。握った手にじわりと微かに汗が滲むのが分かった。

 

「ただ……何だ?」

 

我慢できずに先を促すとしばらく迷っていたが話してくれた。

 

「……飲みすぎれば分解できなかった成分が毒として溜まっていきます。それに応じて副作用も酷くなっていきます……」

 

「……副作用って何よ。いや、そもそも司令官に毒になるものを飲ませてたってワケ? アンタは!」

 

満潮が今にも大淀に食って掛かりそうな雰囲気だ。

 

「待て、艦娘同士の諍い事は絶対に許さん。厳命だ」

 

満潮に釘を刺すと、不満そうな顔だが矛を収めてくれたようだ。どんな結果でも知っているのと知らないとでは大きな違いだ。

……薬に頼りすぎていた部分があるのは事実だが。

 

「副作用は、艦娘の欲望の増幅。それと……」

 

「ちょっと待って! それじゃあ姉様は!?」

 

大淀が話していると山城が口を挟む。艦娘達に勝手に発言して良いとは言ってなかったのだがな、と思ったが今更だ。

口には出さずに見守る事にした。

 

「……おそらくですが、扶桑さんは提督を守りたいが為に自分の中に取り込もうとしたのでしょう。もし提督が意識を失っていたらそのまま食べられていたかもしれません。……物理的に、ですが。そこまで提督が愛されているとは驚きましたけれど」

 

「嘘……そんな……嘘よ……」

 

大淀の言葉に扶桑が両手を口に当て、首をゆるりと左右に振り蒼白な顔でよろめく。慌てて山城が支えた。

 

秘書艦用の椅子を指し示して扶桑を座らせた。

……愛されていても私にはそれを受け入れる事はできないのだ。大本営から預かった大切な艦娘、それこそ江田島中将に顔向けができない。

……すまない。

扶桑を複雑な目で見つめた。

 

その視線を何かと勘違いしたのだろう。扶桑が縋るような声を絞り出した。

 

「提督……私は提督をお慕い申し上げております。傷つけるなど、本当に……あってはならない事……」

 

「姉様……」

 

山城が悲痛な声で扶桑に縋りつく。扶桑の声の最後は涙でくもり、聞こえなかったが言わんとする事は解った。

 

……フォローをしておかなければ後に影響が出そうだ。

執務机から離れ、扶桑に近づき、椅子の手すりを指が蝋燭のように白くなるまで掴んでいた扶桑の手に重ねる。

 

「大丈夫だ、お前に咎は無い。これからも守って、いや、護ってくれるのだろう?」

 

日の本の名を冠した戦艦、私の血筋に縁がある扶桑という名を持つ艦娘……。

どさくさで愛情を吐露されたとは言え、憎からず想っているのは私もそうだ。

 

「提督……」

 

手すりを握る扶桑の手から力が抜けた。これならば大丈夫かもしれない。

 

「Hey! テートクはワタシが一番LOVEなんだからネー!」

 

「……愛をけたたましく唄う蝉より鳴かぬ蛍が身を焦がすと言います」

 

「What!? 加賀ー! ソレはどういう意味デスカー!?」

 

……此方では金剛と加賀が言い争いを始めたようだ。これでは埒があかない。少し注意をしようと息を吸い込んだ瞬間、衣笠に遮られた。

 

「じゃあ薬のせいで私達艦娘は世の中の提督に無条件で惹かれてるっていうの?」

 

……行き場を無くした息が漏れた。

 

「世の提督が全員そういう体質というわけではありません。今からそれをお話しますが……ここに居る方々には少々辛いかもしれません」

 

大淀自身も辛そうな表情をし、誰も言葉を発しなくなった。

 

「……まず、提督の体質についてお話しなければなりません」

 

静寂を破り、大淀が話すが言いよどんでいるようだ。

 

「……続けてくれ」

 

言葉の先を促すと、大淀は頷いた。

 

「何万人かに一人、艦娘や深海棲艦に愛されすぎる子供が産まれて来ます。成長するとその効果は薄れるので大抵気が付かないか、海で深海棲艦に襲われ、そのまま行方不明となるかどちらかです。提督の体液を貰った、あるいは提督の体臭で戦意高揚状態になった艦娘が居る事が何よりの証拠です」

 

大淀の言葉にゴクリと唾を飲んだ。扶桑の不安そうな瞳が此方を見つめる。

 

「軍はその様な体質を持つ子供が発見された場合、成長ホルモンを阻害する薬を処方、脳の下垂体の部分にも手を加えられます」

 

「ちょっと待ってよ! そんな非人道的な事……!」

 

満潮が大淀に食ってかかるが、気にせず大淀が続ける。

 

「今更です。年端も行かない少女に武器を持たせ、戦えというような時代ですから」

 

ギリと歯を食いしばる満潮だったが、それ以上何も言わなかった。

 

「……脳に手を加えているわけですから薬が切れると重篤な副作用として、増幅された過去のトラウマ、つまりPTSDが起こり、現実と過去に受けた心的苦痛の境が無くなります。中には耐え切れず発狂する人間も居ると聞き及んでおります」

 

……まさか、そんな、馬鹿な話があるか。

扶桑の上に置いた手がカタカタと震える。

 

「提督……」

 

扶桑が不安気に言葉をかけてくれるが、大丈夫だと目線を送り、頷く。

 

「……つづけて、くれ」

 

腹の底から絞り出すような声が出た。

 

「……はい。薬を飲んだ直後は艦娘を誘引する状態になります。それに伴いPTSDは薄れますが、さきほども言った様に分解できなかった成分が体内に蓄積します」

 

「……そーなると、どうなるんです?」

 

青葉が質問を投げかけると、大淀が言うべきか迷ったように視線を動かした。

……なんだ?もしやそこまで深刻な事態になるのか……?

 

「蓄積し続けた場合、深海棲艦まで誘引する様になります。海軍元帥の中にはその状態になった人間を『エサ』と呼んでいます」

 

「なっ!?」

 

誰かの声が響き、沈黙が訪れた。だが、エサとは……。随分と直球だな。

まるで悪い冗談みたいだ。

 

「ふざけないで下さいッ!!!」

 

静寂を破ったのは鳳翔だった。半分叫び声になった声に驚いて其方を見ると涙を流しながらえづいていた。

 

「どれだけ……どれだけの犠牲を払えば気が済むんですか! 人も艦娘も幸せに穏やかに暮らせる事を願っているんです! それを……! それを……!」

 

鳳翔がここまで激昂した姿は初めて見た。

おそらくこの場に居た全員がそうだろう。

しかし、大淀は表情を変えず、言い切った。

 

「もちろん深海棲艦を殲滅するまで、です。そう命令を受けています」

 

「うっ……! うぅ……うあぁああ……!」

 

鳳翔が崩折れ、嗚咽の声を洩らす。

鳳翔の嗚咽が執務室に響く。誰もが悲壮感に包まれ、悲痛な表情をしていたがハッキリさせておくべき事がある。

 

今の自分の状態はどの程度なのか、と。

 

「大淀、今の私はどの段階だ? 過去の記憶に関してはすでに映像として見ているが、辻褄が合わない部分が幾つかあるのだ。もしや艦娘の記憶を覗いて見たりできるのではないか?」

 

「段階についてですが、危険な状況です。フラッシュバックを抑えられる状況でしたら薬の成分が分解されるまで飲まないに越した事はありません。艦娘の記憶の共有についてもその様な報告は聞いた事がありません」

 

「そう、か……」

 

ある程度、大淀の話を聞いてから覚悟はしていたが、あの血と重油の海の記憶が正解なのだろう。

それを思い出したくなくて、精神を守る為に脳が記憶を改変したのか。

自分の命を軽んじる癖も、おそらくはあの時に一回死んでいるからか……。

 

「ちょっと待って? じゃあ幸せな記憶で塗り替えればどうなるの?」

 

誰もが虚をつかれた表情でその言葉の主を見た。

 

 

 




タイトルはTHE BLANKEY JET CITYの楽曲から。
危険ドラッグってデンジャー・ドラッグ、略してD・Dとかのが格好良いと思うんですよね。

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共に歩む路

ほのぼのとラブコメとシリアスを混ぜて三倍の水で溶いて3で割ったような回


声の主は衣笠だった。

全員が全員、何を言っているんだコイツは、といった目で見ている。

 

「いや、この間朝の連続ドラマで辛い過去で記憶を失った主人公に恋人が幸せな思い出を作れるようにって演出してたから……」

 

あぁ、なるほど。

連続テレビドラマ小説『ちんじゅ』か。衣笠は好きであったな。

 

「……記憶の上書きについては聞いた事がありませんが、実験的に試してみる価値はあるかもしれません」

 

何を言っているんだ大淀、と言い掛けたが一部の艦娘が衣笠を神様でも見るような目つきを向けていたのでやめた。

……私の意志はやはり無視だが、艦娘達が生き生きとしてくれるならそれでもいい。

……一人で居ると、あの記憶がフラッシュバックしそうで恐いからな。周りが騒がしければきっと大丈夫だろうと打算的な部分もあったのも事実だ。

 

「ふっ……ふざけんじゃないわよ! それって司令官をモルモットにって意味でしょうが!」

 

満潮が激昂している。唯一、常識的な事を言ってくれた。

が、衣笠達の言う幸せな記憶とやらがよく解らない。

相手は衣笠だ。……少なくとも悪いようにはしないだろう。

 

「良いのだ、満潮。……衣笠も決して悪気があるわけじゃないだろう。私の事を考えて提案してくれたのではないか?」

 

衣笠に視線を向けると何やら目を泳がせていた。

 

「えぇ、そうね……き、衣笠さんにおまかせ♪」

 

……とってつけたような台詞が気にかかる。少しだけ保険をかけておこう。

 

「満潮、もし衣笠がやりすぎだと感じたら止めてくれるか? お前の意見は頼りになる」

 

「えっ!? 頼りに……って本当? 司令官……?」

 

擁護が来るとは思わなかったのだろう。顔を赤くして少しだけ意外そうな声で戸惑っている満潮。

……少しだけ可愛いとか思ってなどいない。絶対にない……たぶんない。

 

「うふふふふ。満潮ちゃん良かったわねぇ~」

 

「ちょっと! 止めてよ! 荒潮!」

 

荒潮が満潮の頭をグリグリと撫でている。少なからず嫉妬の感情が見て取れたが言わないでおこう。

 

「提督?」

 

扶桑から怪訝そうな声が聞こえて来たが、何もないぞという風に笑っておいた。

このままでは埒があかないと考え、衣笠に話を振る。

 

「衣笠? で何か良い方法はあるのか?」

 

「うん、だから提督は昨日約束した通り私たちの部屋に来てね! 待ってるから!」

 

ニコニコと笑顔を浮かべる衣笠。……此処では秘密、と言う事か。

衣笠に頷くと大淀がパンパンと手を叩いて、一旦話を打ち切る方向に出たようだ。

 

「さて、それでは一度衣笠さん達に任せてみませんか? ……私もこの此処が好きです。誰も轟沈していないこの鎮守府は上層部から臆病者扱いされていますが、姉妹艦を失って自棄になる艦娘も居ませんし。……艦娘に悲壮感が漂う鎮守府なんて私も嫌です。皆さんも協力してくれませんか? ……提督を死なせない為にも!」

 

「どういう事なのです!?」

 

執務室のドアが吹き飛んだ。

慌ててそちらに視線を向けると艤装を全展開させた電が入って来た。

……不味いな。肩で息をし、かなり興奮している。

自分の言葉に酔っていたのだろう。大淀が少し芝居がかった口調で死なせない為に!などと言ったのが聞こえていたと思われる。

 

「嫌なのです! 司令官さんは死んじゃ駄目なのです! 司令官は! うわぁああん!」

 

艤装を背負った電が走って飛びついて来る。待て、その状態で飛びつかれたら人間は死ぬ。

特に私は艦娘からの攻撃へのセーフティがかからない。

一瞬走馬灯みたいなものが見えたが、それは腹に感じる重い衝撃で掻き消された。

 

「ぐふっ!」

 

腹から全ての酸素が抜けた。

腹に大穴が開いただろうと思い、首を下に向ける。

電が腰に手を回して私の腹の部分に顔を押し付けている。

……大穴は空いては居なかったのでホッと一息つく。

艤装を直前に解いてくれたのだな、と電の頭を撫でた。

しかし、これは少し気をつけていないと不味いかもしれない。

 

「なぁ、大淀。私のような体をしたものは艦娘からのセーフティが効かないのか? 少なくとも艦娘の艤装でスプラッタにはなりたくないのだが」

 

「えっ? そんな、まさか……」

 

大淀も初耳だったようだ。昨日から今日にかけての騒動を知らないのか……?

と、いうことは執務室には盗聴器など仕込まれていない事になる。

 

「本当なのだ……。青葉と時雨に照準を向けられた。時雨に到っては砲身を直に身体に当てられたな。……ハッ!?」

 

……迂闊だったかもしれない。この場に居るほぼ全員の艦娘が青葉を批難するような目で見つめている。

 

「え~と、ハハ……青葉しくじっちゃいました……。うわぁん! 司令官なんでバラすんですか~!」

 

青葉が恨みがましい声で此方を咎めるが金剛、扶桑、加賀に囲まれて身動きが取れなくなっているみたいだ。

まるで学校の不良がいじめっこを囲んでいるような構図だが、まずは泣いてしがみついている電を何とかするのが先だろう。

 

「司令官、死んじゃ嫌なのです……。司令官は電をいつも待っててくれたのです。だけど、まだ往かないで欲しいのです。お願いだからそんな先に行かないで欲しいのです……」

 

しゃくりあげながら必死でしがみつく電。誰もが毒気を抜かれたように此方を見ている。

……鳳翔は貰い泣きした様で目頭を押さえているが。

電も感情が昂ぶっているせいか、いつもの司令官さん、とさん付け呼びでは無くなっている。少し落ち着かせねばなるまい。

 

「電、私はまだ往かないぞ。……そんなに心配なら、この先もずっと隣を一緒に歩いて行くか?」

 

この間電と街に買い出しに出たとき、電がよそ見をしていて何度か遅れる度に立ち止まって待っていたからだろう。仕方なく手を繋いで歩き出してからは遅れなくなったが……。

買出しの荷物の中にとある物が入っていたり、迷子を見つけたり、あげくの果てに私が迷子扱いされて保護されそうになったりと色々騒動があったが、これはまたの機会に話そう。

 

「え? ……え? ……は……はにゃあー?!」

 

私から離れず、不安そうに見つめる電の頭を撫でながら声をかけたら蒸気船のボイラーの如くプシューと音がするほど顔が赤くなり、気絶した。

慌てて電の体を抱きとめる……何か間違えただろうか。

助けを求めるように艦娘達を見回すと全員溜息をついていた。

 

衣笠がこめかみを押さえながら、一言。

 

「提督……それ、プロポーズ……」

 

「は……?」

 

疑問の言葉が漏れたが、艦娘達からは溜息で返された……。




提督ステータス
恋愛掌握:C-
天然  :A
鈍感  :B
戦闘  :C(悪夢覚醒時A+)

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しあわせの価値

艦これの闇


「ここは……?」

 

「お、気が付いたか電。ここは執務室だ、気絶した事は覚えているか?」

 

執務室のソファに寝かせていた電が目を覚ました。大淀も調べたい事があると出て行ったし、他の艦娘達も一旦解散させた。

……一部の艦娘はぶぅぶぅと文句を言っていたが……。

今執務室に居るのは私と電だけだ。

 

「はわわ!? 司令官さん!?」

 

「そうだな、お前の司令官だな」

 

ニコリと微笑んで電の頭を撫でてやると、また真っ赤になってしまった。

 

「電の……司令官なのです……。嬉しいよぉ……司令官、電はプロポーズお受けしますのです!」

 

「はぁっ!? いや、まてまてまてまて!」

 

……やはり勘違いをしている。此方に落ち度があるとは言え、誤解を解いて置かねばなるまい。

 

「嫌……なのですか? 司令官……」

 

じわりと電の眼が滲む。不味い、泣かせたら暁、雷、響から殺される。特に響はたとえ鉄底海峡の底まででも追ってくるだろう。

頭脳をフルスピードで回転させる。

 

「……嫌ではないのだがな。まだ少し早くはないだろうか?」

 

「司令官さん……それは電の魅力が無いからなのです?」

 

シュンとしょげる電。……そうだったな、電は背が低いのと胸が小さい事を気にして毎朝牛乳を飲んでいるのだった。

 

「電は魅力的だぞ。だから大事にしたいんだ。……もしそれで昨日の事を気にしていると言うなら、私も考えよう」

 

昨日、電に呪いを解くためと言われ、キスをされたのを思い出す。

望まぬ事ならばいつか電に本当に好きな相手が出来た時に初めてと言えるように事故として思わせてやりたい。

 

「……た事になんか……」

 

「ん? どうした?」

 

電がボソリと呟く。

 

「無かった事になんかしたくないのです! 電は司令官の事が好きなのです!」

 

……電よ、お前もか。

体質のせいで、と教えてやるべきか迷ったが、覚悟を決めた。

それで嫌われるならば仕方無い事と諦めよう。

 

「電、話がある。聞いてくれるか?」

 

「は、はいなのです! なんなりと、なのです!」

 

ソファの上で正座して畏まる電。そこまで硬くならずとも良いのだがな、と苦笑する。

木椅子を引っ張ってきて電と向かい合わせに座る。

 

「さて、幾人かの艦娘は知っているが今から放す事は第一級秘匿事項で頼む」

 

「は、はいなのです!」

 

そうして電に自分の体質と置かれている現状を話した。

最初は何度も頷き、真剣に聞いていたが、途中からボロボロと大粒の涙を零していた。

……少々酷だったかもしれないな。

自分が抱いていた好意を真っ向から否定するようなものだ。

 

「……というのが現状だ。……幻滅したか? だから、昨日の事も……」

 

「……のです……」

 

ボソボソと言葉を紡がれるが小さすぎて全く聞こえなかった。

仕方なく近づいてよく聞き取ろうとしたら電に手を引っ張られ、ソファに座らせられた。

 

「な、何をする! 電!」

 

「司令官の呪いを電が解いてあげるのです!」

 

「いや、これは呪いじゃなくてだな……ンムッ!?」

 

……電に唇を奪われた。

相変わらず電のキスは涙の味がするな……と脳の一部分が感じたが慌てて引き離す。

 

「待て、電。私の話を聞いていたか?」

 

「……聞いていたのです。電は司令官の事が好きなのです。体質とかそんな事関係ないのです!」

 

ポロポロと涙を流す電を綺麗だと思った。

 

「……艦娘に特別な感情を抱くわけにはいかないのだ。……辛いだろうが解ってくれないか?」

 

「解らないし解りたくもないのです! 電は司令官が着任した時からずっと見ていたのです……。前に居た鎮守府に比べたら……。電は地獄から救われたの……です」

 

そうか、電は初期艦。つまり他の鎮守府で建造され、此方に回された、という事だ。

もし不正があるならば具申して正さねばなるまい。

 

「……辛いだろうが、聞いても良いか?」

 

電はしばらく考えていたが、ポツリポツリと話し始めた。

 

「……前の鎮守府は艦娘をモノとしか見れない司令官さん……でした。電も司令官さんの姿は見た事はありません。秘書艦もつけず執務室から全て電話で指示をしていたのです。」

 

……艦娘を人間として見れない提督も幾人かいると言う。

 

陸軍から海軍に編入された提督が顕著だという話だ。

陸軍にも良い人間は居るのだが、どうにもあの丸眼鏡の厭らしい媚び諂った笑顔を浮かべる中将の姿が思い出される。

 

「戦意高揚状態にさせる為と補給と入渠で、資源を使わせない為に建造したての駆逐艦から艤装を取り、高錬度の空母や戦艦の艦娘の盾にし、大破した駆逐艦の艦娘はそのままそこで沈められていたのです……」

 

電がしがみついたまま、カタカタと震える。

 

ギリと歯軋りをしてしまった。

 

……キラ付け、と呼ばれるやり方だ。駆逐艦をエサにすることで同行していた艦娘にMVPを取らせ、戦意高揚状態にしてから難関海域に向かう。

提督の間ではほぼ常套手段になっていると聞く。

……特に元帥クラスは何人の艦娘を沈めるかでギャンブルの対象にもなっていると。

ギャンブルの名前はKiller漬けというらしい。

 

「電も、あの時この鎮守府に呼ばれなければ今頃は……。電を送り出してくれた漣ちゃんや五月雨ちゃんが良かったねって……良かったねって……言って送ってくれた顔が忘れられないのです……!」

 

……漣も五月雨も初期艦だ。恐らく全てを諦めた表情だったのだろう。

そんな人間を何人も見た事がある。

 

「みんな……みんな、出来れば助けたいのです……」

 

隣に座る電が静かに泣き出す。

これも一種の呪いかもしれないな……。

助けてやりたいが、その鎮守府の漣や五月雨は恐らくすでに沈んでいるのだろう。電もおそらくそれは解っている。

キラ付けの手法が禁止されない限り、無くなりはしない。

電にしてやれる事はこの鎮守府で誰も沈めない事、誰も沈めない様な鎮守府が少しずつでも増えてくれれば今の電の様な艦娘が出てくる事も無い。

それからもう一つだけできる事がある。覚悟を決めよう。

 

「……辛かったんだな。だが、その鎮守府のやり方を止めるには私では力不足だ……。すまない」

 

「大丈夫なのです……! それでも電は救われたのです。司令官さんに……ムムーッ!」

 

電の髪留めに手を当て、言葉を紡ぐ唇を奪った。

思えば私からする事は初めてだな……。

 

「司令官……さん……?」

 

しばらく唇だけを重ねただけのキスをし、離すと電が眼を見開き、戸惑いの声を洩らす。 

 

「すまない、嫌だったか……?」

 

頭から手を離し、聞くと電はフルフルと首を振った。

 

「そうか……。呪い、解けたか?」

 

ハッとする表情の電。

 

「……まだ解けてないのです。もっとゆっくりじゃないと解けないかもしれないのです……」

 

真っ赤になり、はにかんだ表情でおずおずと唇をねだる様はそのまま押し倒してやりたい欲望が沸き起こったが、必死で自制する。

 

「そうか、ただ……一つだけ言っておく。ずるい奴だと思われるかもしれないが、これは呪いを解くためだ。良いな……?」

 

予防線を張る。ここまでやっておいて何を今更と、頭の中で嘲笑う声が聞こえるが艦娘と結ばれてはいけない、すでに恐怖心というか刷り込みの様になっている。

だが、コクリと頷く電。おそらく此方が艦娘と一線を超える事を何よりも恐れている事は気付いているのだろう。

せめて、幸せな記憶となる様にしてやりたい。

電の辛い記憶を溶かす為に口付けを交わす。

心臓の音と執務室の時計の秒針が同じくらいの速度になるまで唇を合わせていた。

ゆっくりと離すと電が礼を言った。

 

「司令官……ありがとう、なのです」

 

「あぁ、こちらこそ、な……。そうだ。言い忘れていたが電。お前が私の初めての相手だぞ」

 

……恐らく此方の顔も赤くなっているだろうが、自分の唇を人差し指でトントンと指し示す。

 

「ふふ、それは、とても……幸せなのです……」

 

泣き笑いの様な顔をする電の額にキスを落とした……。

 

 




電ちゃん?ケッコンカッコカリしてますが何か。
ここではぷらづまちゃんは出てきません。

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指先ミルクティー

電が落ち着くまでと思ってソファに座っていたが、腕を離してくれない。

衣笠達に呼ばれているのだがな……。

 

「な、なぁ電?」

 

「司令官、何ですか何ですか? えへへ」

 

電、それは違う艦娘の台詞だ。

 

「……電?」

 

「冗談なのです……」

 

疑問の声をあげると少し恥ずかしそうに下を向いた。

その仕草が可愛らしかったが、そろそろ行かねばなるまい。

しかし、執務室に電を一人で残して行くのも心配だ。

 

「衣笠達に呼ばれているのだが、お前も来るか?」

 

「だ、大丈夫なのです。電はお留守番くらいできるのです!」

 

ふむ、と顎に手を当てて考えていると、ドアをノックする音が聞こえた。

 

「司令官、入ってもいいかい?」

 

この声は、響か。

 

「あぁ、いいぞ」

 

手短に返事をして立ち上がろうとする……が、電に腕を抱かれているので立てなかった。

 

「ちょ、電!?」

 

「司令官? 今、電と聞こえたが……」

 

此方が驚きの声を上げるのと、響がドアを開けて入って来たのは同時だった。

腕にへばりついた電の顔と、此方の顔を見て大体の事は察したようだ。

 

「……そろそろ戻ってもいいかな」

 

「待て待て、用件は何だ?」

 

踵を返して出て行こうとする響を慌てて止める。

 

「フフ、冗談さ。暁と雷がおやつを作るそうだから司令官と電に声をかけに来たんだ」

 

「そうなのか、しかし生憎と私はこの後、衣笠に呼ばれていてな。昨日からの約束なので果たさなければいけないのだ。電を一人にさせることになってしまうのでどうしたものかと思っていたが助かった。一緒に居てやってくれないか?」

 

行き先と理由を明らかにしておけば心配はしないと考えた末での言葉だ。

 

「そうか。司令官が一緒に来れないのは残念だけれど。じゃあ電を借りていくよ?」

 

……妙に残念という言葉を強調して言われた気がするが、気のせいだろう。

 

「あぁ、大丈夫か? 電」

 

電の同意を得られなければ一緒に連れて行こうと思ったが、元気な返事を返してくれた。

 

「なのです!」

 

その様子を見ていた響だったが、何やらニヤリと笑みを浮かべている。

 

「……何があったか皆でじっくり聞こうじゃないか、電」

 

「はわわわ、何もないのです! 何でもないのです!」

 

……電よ、私の体液の事もあるだろうが、戦意高揚状態になっている事は何でもないで隠せる事ではないぞ。

しかし、姉妹達と賑やかにしているならばそれが一番良いな。

 

「頼むな、響」

 

被った帽子の上から響の頭を撫でる。

少しだけ気持ち良さそうに猫のように目を細める。

 

「行っておいで、司令官。до свидания(ダスビダーニャ 訳:また会いましょう)」

 

響に背中を軽く押されて執務室を出た。

鍵は電に任せておこう。

……一寸前に電が秘書艦を努めていたときに鍵を閉め忘れてちょっとした騒動があったが。

今は先を急ぐのでまたの機会に語ろう。

 

少し早足で衣笠達の部屋に向う。

重巡洋艦棟に着くと前を歩く艦娘が居た。

焦げ茶色の制服とミルクティーの様な髪色のポニーテールが歩くたびに揺れている。

あれは、熊野か。

熊野は最上型重巡洋艦4番艦で、最上型の末妹に当たる。

この鎮守府に着任時は重巡洋艦だったが、艤装の改造を施してからは航空巡洋艦という括りになっている。

新しく航空巡洋艦の棟を作ろうとしたが、熊野にそこまでする必要は無いと言われたので重巡洋艦の時に使わせていた部屋をそのまま宛がっている。

 

艦船時代の記憶としては神戸の造船所で生まれ、激戦を繰り広げ、沈んだと資料にある。神戸に帰れなかった事を悔やんでいるとも……。

艦娘としては方向音痴なのが玉に瑕だが、お嬢様然とした喋り方と礼儀正しさには好感が持てる。

……そういえばよく私に髪を梳いてくれと言ってくるな。

普段は鈴谷がやっているのだろうか。

とりあえず声を掛けておかないと後々不機嫌になりそうだ。

 

「ごきげんよう、熊野」

 

「あら提督、熊野に何かご用?」

 

熊野の挨拶を真似してごきげんようなどと声をかけてみたが、気付いていないようだ。

……少しだけ寂しいとか思っていない、本当だ。

 

「いや、衣笠の部屋に用があってな。熊野を見かけたので声をかけたのだ」

 

「そうですの? 私も衣笠と青葉に用があったのですけれど。新しいエステに岩盤浴コースというものが出来たらしく、誘ってみようかと」

 

熊野がミルクティー色の髪を指先で弄りながら答える。

最新エステ情報が週間鎮守府かジュフシィのどちらかに載っていたのだろう。わずかに期待に満ちた目をしている。具体的にはワクワクしていると言ったほうが良いだろうか。

 

「衣笠と約束をしていてな、私と話を終わらせてからでも構わんか? すぐ終わるとは思うが……」

 

「構いませんわ。私も御伴しても?」

 

「あぁ、いいぞ。では行こうか」

 

熊野を横に連れて衣笠の部屋に向かう。熊野のエステ好きにも困ったものだ。

夏に熊野に秘書艦を任せたとき、鎮守府内にエステショップを作ろうとして軽く叱った事がある。

その後、不満だったのか私にエステの本を読ませ、エッセンシャルオイルを配合したオイルを塗ってくれとストライキを起こしたのだが。

 

……水着を着ていたとは言え、熊野の体は柔らかくて白かった。引き締まっている部分は引き締まっていて……。

鼻血が出そうなので止めて置こう。

 

この話は青葉が週間鎮守府に匿名小説として書いている。

もし提督諸氏が読みたければ、鎮守府に置いてある過去の週間鎮守府を明石か大淀に出して貰って欲しい。

……よほど二人の機嫌が良くなければ出しては貰えないかもしれないが。

 

「提督? 何処まで行くおつもりですの?」

 

熊野の声にハッと気付く。

どうやら物思いに耽っていて衣笠達の部屋を通り過ぎてしまったようだ。

 

「すまない、ボーっとしていた」

 

「もう、ちゃんと目をお開けなさいな」

 

クスクスと笑う熊野。少しだけ恥ずかしい。

気を取り直して衣笠達の部屋のドアの前に立つと何やら中から声がする。

 

「ほ、ホントにやるの?」

 

「大丈夫! 衣笠さんにお任せ♪」

 

ノックするかどうか逡巡させる台詞が聞こえてきた。青葉と衣笠の声だ。熊野と目を合わせたが、知らないと言う顔つきでフルフルと頭を振った。

……話もしない事にはどのような事か分からないな。

諦めてドアをノックする。

 

「衣笠、青葉。話を聞きに来た」

 

「あ、開いてるから入ってー」

 

ドアの向こうから衣笠の声がした。鍵は開いているようだ。

許可は出たので入るとしよう。

しかし入らないほうが良かったと直ぐに後悔する事になる。

 

「なんだ、これは……」

 

「ふふーん。どう? 衣笠さん最高でしょ!」

 

そこには男にとっては余り嬉しくない光景が広がっていた。

 




タイトルは某漫画から。

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Lapin Ange

注)女装回です。



「……どう、と言われてもな……」

 

目の前に広がる状態に何を言っていいのか分からない。

 

「ふふーん、提督のために用意したのよ!」

 

得意そうな衣笠だが……さて……。

 

「女性モノの私服ですわね……」

 

熊野が後ろから覗き込む。

そうなのだ、しかし見る限り衣笠達が着るには少しサイズが小さいモノばかりだ……。

 

「司令官、ごめんなさい! 青葉も見てみたいです!」

 

いつの間にか後ろに回りこんだ青葉が私の肩を掴む。

まさか……。この服を私に着せようというのだろうかと考えていたら、代わりに熊野が先んじて聞いてくれた。

 

「もしや、この服を提督に着せるおつもりですの?」

 

青葉が後ろに立った為、必然的に隣にずれ込んだ熊野だが、顔を見ると少し赤い。

憤慨してくれているのかもしれない。

 

……こういう時は頼りになるな。今度、好物のサンドイッチを奢ってやろう。

 

「もしそうだとしたら……わたくしは……」

 

そうだ熊野、唯一の常識人として衣笠の暴挙を止めてくれ。

 

「……衣笠はとてもいい趣味をしてらっしゃるのね。わたくし、嫌いではなくってよ?」

 

……だろうな。なんとなくこうなる予感がしていた。

熊野の頬が紅潮していたのは憤慨ではなくて期待だったのだな。

駄目元で青葉の顔を不安そうに見上げてみる。

……しかしこれが青葉の残った理性を打ち砕いてしまったらしい。

 

「司令官。青葉、もう我慢できません!」

 

両脇を抱えられ、ドレッサーの前に座らせられてしまった。

 

「待て待て! 一体何をどうしてその様な結論になる!?」

 

味方が居なくなってしまった事で、慌てて抗議する。

 

「提督昨日言ったよね? 何でもする、って」

 

衣笠がニヤリと意地の悪い笑顔を浮かべて言った。

確かに、言ったが……。だからといってこれは無いだろう。

抗議の視線を向けると衣笠が続けた。

 

「いやー、最初は青葉とデートして欲しかったんだけどね? ただ普通にデートさせるのも、ホラ、悔しいのよね」

 

嫉妬をしたという事で合っているのだろうか……。抗議の視線からジットリとした視線に変えると再び口を開かれた。

 

「で、まぁ駆逐艦の艦娘達からいくつか私服を借りてきたのよ。ふふーん、どう? 衣笠さんもやるでしょ!」

 

得意気に言われても困るが、まぁ要するに女装して青葉とデートしろという事らしい。

……どんな罰ゲームだ。

 

「青葉はそれで良いのか?」

 

青葉が最後の良心だろうと思い、聞いてみる。

これで駄目なら諦めよう。

 

「こー見えても青葉、自分の事には奥手ですから……」

 

少しだけモジモジとしている。

普通のデートだとずっと無言になりそうだな。しかし女装とは……。

 

そう思いつつ、部屋を見回すと『提督に言う事を聞かせて好き放題しちゃう本』という薄い漫画の表紙が目に入った。

島風の制服を着せられ、女装をさせられた提督らしき人物が描かれている。

……秋雲、お前のせいか。

暇なときに少々叱ってやらなければなるまいな。

どのようなお仕置きをしてやろうか考えていると衣笠から声をかけられた。

 

「提督、どれがいい?」

 

両手にワンピースやどこから借りてきたのかいわゆるゴスロリと呼ばれる形状の服を持っている。

 

「……服を借りてきた艦娘は私に着せると言って許可を出したのか……?」

 

もし許可が出ていなければ即刻中止させるつもりだったが、甘かった。

 

「女装した提督の写真と交換でって言ったら二つ返事でオーケーだったよー!」

 

……この鎮守府にはマトモな艦娘は居ないのかと深い溜息をつきかけたが、熊野にさえぎられた。

 

「一人前のレディとしてゴスロリを所望いたしますわ!」

 

……鶴の一声だった。

ゴスロリならば体型もでにくいので、もし見咎められてもごまかせるかもしれない。

しかし……この服の選択肢にズボン系統が無いのが悪意を感じる。

 

しかし、女装か……。少しだけ懐かしいな。

女装に関しては軍学校時代に何度かさせられた事がある。

一般の学校見学ツアーや観艦式の時に手伝いに行った時の話だ。

同期の奴らが悪乗りをして、女物の制服を着せられたのだ。

……前日にポーカーなどしなければ良かったと今も後悔している。

その後、しばらくは私宛に手紙や花が贈られて来ていたのだが、残念なイケメンの同期が助けてくれた。

 

……この話は長くなるし、素面で話せる様な話題ではないのでまた機会があるときにでも話そう。

最も私は酒は飲めないがな。

 

「……着替える場所くらいは用意して貰いたいのだがな。それと下着はこのままでいいのだろう?」

 

「お、提督乗り気だねぇ! じゃあこの衝立の後ろでお願い! ちなみにパンツはどんなの履いてるの?」

 

妙に衣笠が目をキラキラさせている。少しだけ恐くなって聞いてみた。

 

「……衣笠よ、それはセクハラになるのではないか?」

 

「トランクスとかだったら線が出ちゃうからこっちで用意しないとって思ったのよね!」

 

「……ボクサーパンツだ」

 

正直に答える。今の衣笠なら女性モノの下着まで着けさせかねない。

 

「ふーん、それなら大丈夫そうね。……残念」

 

聞き捨てならない事をボソリと呟かれたが、今日、この下着を選んだ事を神に感謝した。

 

「それとそこでカメラを構えている青葉を押さえておいてくれ。でなければこの話は無しだ」

 

「……気になるんですかぁ? 青葉いい子にしてますよぉ?」

 

あまり信用できない、何故ならば此方と視線を合わせずに口笛など吹いていたからだ。……うん、わざとらしいな。

と、ジト目で見つめていた所に衣笠が青葉を羽交い絞めにした。

 

「んじゃ提督、お願いしまーす!」

 

「ちょっ! 衣笠! スクープが! 大スクープが!」

 

ぎゃあぎゃあと騒いでいる二人を尻目に、溜息を一つついて衝立に隠れた。

 

「ちなみにこの服は誰から借りたんだ?」

 

念のため青葉と衣笠の位置を声で把握したかったので着替えながら声をかけた。

 

「ゴスロリ服は天津風だねー。ガーターも借りてきたけど、提督着けるー?」

 

「……止してくれ。流石にそれを着けるのは天津風に悪い」

 

肌に直につけるものは遠慮したい。……新品ならまだしも、な。

 

「そう言うと思って新品のニーソ買って来てあるから安心してね!」

 

自分の考えが読まれたらしい。それにしても衣笠はノリノリだな。

しかし天津風か……言われてみると少し大人びた雰囲気のワンピースだ。

おそらく何処かのブランド品だろう。

其処此処にエレガントさを感じる意匠が施されている。

胴回りは比較的ゆったりとしているのでコルセットをつけるまでもなさそうだ。……あれは苦しかったな。

そうこうしているうちに着替え終わった。

 

「これで良いか?」

 

靴はまだ革靴のままだが、座らないとブーツもニーソもつけれないので衝立の影から出る。

 

「まぁ! よろしくてよ! よろしくてよ!」

 

……熊野が興奮している。

フラッシュが焚かれ一瞬、目が眩んだ。青葉め、カメラを没収するぞ。

 

「提督、ここ座ってー。ウィッグつけるから」

 

衣笠がドレッサーの椅子を指し示す。言われるとおりにストンと座った。

 

「やっぱ提督には黒髪だよねー。あ、これ明石さんに作って貰ったんだけれど限りなく人毛に近い素材でしかも蒸れにくいんだって」

 

「よくそんなものを開発する暇があったな」

 

ウィッグを被せられ、櫛を入れられる。

サラサラと言う音が心地よい。

胸元に垂れている髪を指先でいじると確かに人毛に近い手触りだ。ナイロンや混合毛とはまた違った感触がする。

 

「司令官、これブーツとニーソ。インタビュー、する?」

 

「しない」

 

青葉に一言返して、持って来てくれたものを身に着ける。

……ニーハイソックスを履くとき、スカートを腿まで上げてしまい、熊野が獲物を狙う肉食獣のような目つきをしているのが気になった。

 

「後はお化粧ですわね! わたくしに任せて頂ければ最高のメイクをして差し上げますわ!」

 

鼻息荒く熊野が張り切っている。少し恐いが下手に言葉を言わない方が良いだろう。興奮している所にガソリンを撒くような事になりかねない。

 

「まずは下地を……あまり下品にならないように致しますわ」

 

冷たいクリームが熊野の指によって顔に塗られていく。

少しだけ気持ちよくて目を閉じた。

 

「次はファンデですわね……。提督の肌、綺麗ですのね。少しだけ嫉妬しますわ。……衣笠さん、このブランドのパフはおすすめしませんわ」

 

「え!? そうなの?」

 

女子トークが始まってしまった。何時の時代でも女子というものはこういう話題が好きなのだな。

ファンデーションをパフで軽くはたかれる。柔らかい感触が心地よい。

 

「提督、ピューラーとマスカラをつけるので目を少し開けていただけます?」

 

「そこまでしなくても良いのではないか……?」

 

「いいえ! せっかく提督は睫毛も長くていらっしゃるのに、もったいないですわ!」

 

強い口調で言われ、仕方なく目を開ける。目の周りを他人に任せるのは自分でするより少しだけ恐怖感があるな。

マスカラを塗られ、眉毛を描かれる。

ペンの先を額に近づけたようなムズムズとした感触が残った。

 

「後は、チークですわね。……その前にアイシャドウを入れますわ。少し赤い色がお人形さんみたいで合いますの」

 

瞼に筆が塗られる。まるでキャンパスだな、と苦笑しかけるがあまり顔を動かすと怒られそうなので我慢した。

チークをサッと塗られ完成かと思いきやそうでもないようだ。

 

「後はリップを……衣笠さん、リップはありませんの?」

 

「あ! しまった、忘れてた……」

 

別に無くても構わないのだが、と熊野に目線を向けると何やら勘違いしたようだ。

 

「しょうがないですわね。私のリップを塗ってさしあげますわ」

 

「え、それって間接……!」

 

熊野の言葉に青葉が慌てるが時すでに遅し。

 

「今年の新作でうぉーたーぷるるんと言った触感を出せますわ! これで完成でしてよ」

 

唇に軽くリップを塗られる。色合いからして淡いピンクの様だ。

……終わったようだ。ゆっくりと目を開けると三人の艦娘がホゥと溜息をついていた。

 

「……これは……想像以上ですわ……」

 

「青葉、この気持ち……なんだろ? なんだろ?」

 

「直撃ー……? 提督、あの、みないでくれますー……?」

 

何やら怪しい雰囲気だ。慌てて正気に戻すために言葉を紡ぐ。

 

「さ、さぁもう良いだろう?明日この格好で青葉と街に行けば良いんだな?」

 

服に手をかけ、脱ごうと胸のボタンを外すが失策だった様だ。

 

「提督! ちょっと待った! その仕草はヤバイって!」

 

衣笠が制止する声が聞こえたが遅かった。

 

「とぉぉ↑おう↓!」

 

熊野が理性を失った目で此方に飛び掛ろうとしたのを衣笠と青葉が必死で止めていた。

 

「提督! ちょっと熊野が落ち着くまで出て行って! 今すぐに!」

 

半分悲鳴が混じった衣笠の声に押され、部屋を出たが……。

 

「どうするんだ……。この格好で……」

 

途方にくれる女装提督がそこに残されるだけだった……。

 




タイトルは某ゴスロリブランド名をもじりました。
可愛らしい、且つ大人っぽい服が多いのでよろしければ検索してみて下さい。

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ゴシック幼女と竜田揚げ

「どうするんだ、これは……」

 

まだ室内では熊野が暴れているようだ。かなり騒がしい声が外にも漏れている。

 

……自室か執務室にでも篭もっているしかないな。

自室に、と思い足を向けるが、まだ演習や出撃で減った資材の計算が残っていた事を思い出した。

仕方あるまい。執務室に行こう。

正直この格好では気が乗らないが。

自分が今どうなっているのかも確かめたい。鏡に背を向けて座らせられていたせいで、自分の姿を見られなかったしな。

あちこち歩いて天津風に借りたという服を汚してしまうのは困る。

寄り道せずに真っ直ぐ執務室に行こう。

 

……あまり他の艦娘に会いたくないと言うのが本音でもある。

しかしその願いは天に届く事は無かった。

 

「うぶっ!」

 

「きゃっ!」

 

ウィッグの前髪が目に入り、かき上げようとしたところに艦娘にぶつかってしまった。

白と黒の制服、濃い紫の髪。そして紐……ではない、リボンタイ。

龍田にぶつかってしまったらしい。

 

龍田とは天龍型2番艦で天龍の妹にあたる軽巡洋艦だ。

石炭と重油の混合燃焼型機関を持ち、燃費のよさは艦船時代から特筆すべき点だ。

ちなみに龍田揚げの名前は、この龍田から来ているらしい。

から揚げを作ろうとしたら小麦粉が無く、代わりに片栗粉で作ったら好評だったみたいだ。

……私も大好きだ。龍田揚げの方は。もう一度言う、龍田揚げの方は。

 

艦娘としての龍田は普段から天龍をネタにして色々といじられているので正直苦手なのだ。

 

「すまない、大丈夫か?」

 

「あら~、新人ちゃん? それとも迷子かしら~?」

 

身長差のせいで此方がよろけて倒れそうになったが、咄嗟に龍田が背中に手を回し助けてくれた。

……龍田はこんなに優しいお姉さん然とした艦娘だっただろうか……?

しばらく顔をじぃと見つめていると、見惚れていたと勘違いされたらしい。

 

「こんなに可愛い子にじっと見られると私、恥ずかしいわ~。ふふふっ♪」

 

もしかして私が提督だと判らないのか……?

熊野め、一体どこまで化粧を施したのだ。

 

「龍田……?」

 

疑問に思って声をかける。

 

「あら~、私の名前知ってるのね。初めまして、龍田だよ。あなたのおうちは何処かしら~?」

 

……全く判らない様だ。このまま隠し通す事も考えたが、バレた時に後が恐い。

例えば……女装好きな変態提督と天龍をいじりたい為だけに鎮守府中に噂を流される。若しくは、人知れず監禁されてあんな事やこんな事を……。

そういえば昔、秋雲が龍田を題材にして薄い本、いわゆる同人誌と言うものを書いていたな。

 

……その後、本が龍田にばれた時に鎮守府のてるてる坊主としてぶら下げられていたが。

 

龍田が秋雲を首からぶら下げようとしていたのを慌てて止めた記憶がある。

 

……この話は怪談の時にでも誇張して話すとしよう。暁などは漏らしてしまうかもしれないが。

なので私が提督であることを隠しておく選択肢は無いな。

 

「龍田、私だ。提督だ。」

 

「あら~。嘘はだめよ~? こんなに可愛い子が提督の筈ないじゃない~」

 

……何処かで聞いたようなフレーズだな。

心なしか背中に回された手が熱を持っているような気がする。

 

「離してくれないか、龍田。執務室に行かなければ」

 

「執務室に入るには鍵が無いと入れないのよ~? 逃げようとしたって絶対逃がさないから~」

 

何を言う、鍵ならポケットの中に……。しまった、服は衣笠達の部屋か、今戻って入っていくのはおそらく危険だ。

愕然としてしまった此方の態度に少しだけ勝ち誇った様な龍田が声をかける。

 

「ね? だから送って行ってあげるわ~。さ、龍田おねーさんと一緒に行きましょ?」

 

「待ってくれ、執務室には電がいるはずだ! 電に聞いてくれれば……!」

 

その言葉に龍田は『んん?』と此方を凝視する。視線が怖いが目を逸らさず、信じてくれと一抹の望みを掛けた。

 

「本当に提督~?」

 

コクコクと頷く。

 

「そんな必死に上目遣いをされても~。……攫っちゃいますよ~? うふふふふふっ♪」

 

「身長差があるのでそういう風に見えても仕方無いだろう……。とりあえず離してくれ」

 

未だに手を背中に回されているが、少しだけ力が強くなった様な気がする。

 

「あはっ♪ ねぇ提督? もうずっとこのままでも良いんじゃないかしら~……うふふ」

 

不味い、龍田の眼に危険な光が燈っている気がする。

一刻も早く抜け出さねば、と思うが身じろぎをしても全く離れない手に恐怖を感じる。

 

「さぁ、行きましょうね~」

 

……先ほど冗談で頭の隅で考えた拉致監禁という言葉が頭をよぎった。

 

……ポタリ、ポタリとどこかで水滴が落ちる音が聞こえる……。

龍田に攫われ、暗い地下室で鎖に繋がれた自分。

 

もう昼と夜の区別もつかないほどの時間、ここに繋がれている。

待つのはただ、足音だけ。龍田の足音だけが私の命を繋いでいる。

コツーン、コツーンと階段を下りる音が聞こえて私の心臓は期待に踊る。

ギィと錆が浮いた、鉄の匂いがする扉を開け龍田が入ってくる。

 

「うふふっ♪ 今日も良い子で待ってたかしら~?」

 

龍田の甘く痺れるような声が耳を溶かす。

その声に体も溶かされる気がして全身から力が抜け、倒れこみそうになるが、ジャラリと手首と壁を繋ぐ鎖が邪魔をした。

手首が擦れて痛むが、もうそんな事は気にならないくらい衰弱している。

 

「提督が悪いんですよ~? そんな格好で私の天龍ちゃんを誘惑しようとするから~」

 

そんなつもりは毛頭無かったのだが、もうどうでも良い。

私の思考と視線はただ、龍田の持っているモノ、ただ一点に注がれていた。

 

「あはっ♪ 子犬みたいで可愛いわ~。ほら、ご飯ですよ~」

 

カレーの匂いが鼻腔をくすぐる。早く食べたくて手首の鎖が鳴く。

……鎖が立てる悲鳴は私の代わりに泣いているのだろうか……。

すでに嗚咽を立てる喉も枯れ果て朽ち果て、獣のような息しか出ない。

 

「はい、あ~ん」

 

龍田がスプーンでカレーを一掬い、口元に持ってくる。龍田が持ってくる食事は一口食べるごとに思考がボンヤリとする。

 

最初は薬が入っているかも、と思い、食べなかったら頭が朦朧とするほどの時間飲まず食わずのまま放置された。

その時気が付いたのだ、龍田は私の生死などそこまで気にしてはいないと。

涙を流しながら、スプーンで口に運ばれたものを咀嚼する。

嗚呼、直にこの悲しみも夢現と成り果てるだろう……これを飲み込みさえすれば……。

 

「うふふっ♪ 提督、可愛いですよ~? ずぅっと私のお人形さんでいてね~」

 

その言葉に糸の切れた操り人形の様にカクカクと頷いた……。

 

 

「提督~? 行かないんですか~?」

 

龍田の声に我に返る……。先ほどのは、白昼夢か……?もしやこれも薬の副作用だろうか。

 

「ど、何処にだ……?」

 

まだ頭が働いていない。疑問の声を上げると龍田が呆れたように肩を竦めた。

 

「先ほど自分で執務室に行くと言ってたじゃないですか。もうボケたのかしら~?」

 

……そうだったな、思い出して執務室に執務室に足を向けると龍田も付いてきた。

 

「龍田も来るのか?」

 

「だぁってぇ~、面白そうですし~」

 

溜息を一つついたが、離れてくれる気は無いようだ。

執務室に電が居てくれればいいが……。そういえば響達とお菓子を作っているのだったな。もしかすると居ないかもしれない。

 

執務室の前に来ると天龍が立っていた。

 

「お? 龍田……と誰だ?」

 

「天龍ちゃん、えぇっとこの子は新しく入った駆逐艦の艦娘よ~」

 

「待て龍田、何故そうなる!」

 

龍田に妙な紹介をされて思わず声が出てしまった。しかし天龍が龍田の軽口を本気にしたようだ。

ズイ、と此方の前に立つと腕を組みニヤリと笑いながら言った。

 

「オレの名は天龍。フフフ、怖いか?」

 

あぁ……凄く恐いよ。

都会の片隅のスーツを着たお兄さんに騙されてホイホイ着いて行ってそのままお風呂遊びをしそうで物凄く恐い。

 

龍田を見ると天龍の後ろで声も立てずに壁を叩きながら笑っている。

……器用な事だ。

 

「天龍……それは新しい艦娘が来るたびにやっているのか……?」

 

「あぁ!? お前新人の癖に口の利き方をしらねーんだな。ちょっと教育してやろうか? あぁん?」

 

天龍がポキポキと指を鳴らすが、正直微笑ましい。我慢できなくなった龍田が笑いをこらえながら天龍に話しかけた。

 

「て、天龍ちゃん……それ、提督……あはははっ!」

 

ネタ晴らしをしたら我慢が出来なくなったのだろう、腹を抱えながら笑い出した。

 

「は? ……え?」

 

「そういうことだ、天龍」

 

龍田と此方の顔を交互に見る天龍。そこに頷いてやると何となく理解したようだ。一瞬で顔が真っ赤になる。

 

……声で気付いたのだろうな。

しかし龍田も意地が悪いなと思ったが、天龍をいじるのはいつもの事だった。

多少歪んでいる所はあるが、この娘は天龍を愛しているのだ。

 

「て、提督? 何でそんなカッコしてるんだ……?」

 

まだ信じられないと言った風に天龍が此方の体をペタペタと触ってくるが、落ち着かないので止めて欲しい。此方も好きでやっている訳じゃない。

 

「天龍ちゃん? 提督は女の子になりたいんですって~。ふふふっ♪」

 

「龍田ァ!?」

 

思わず声が出てしまった。

変な事を吹き込むな龍田。天龍なら信じてしまいかねない……。

 

「あー……そうか。いや、それが提督の願いなら応援してやるよ。正直恐ろしいほど似合ってるしな……」

 

少し赤い顔をして此方から視線を外し、鼻の頭を掻く天龍。

褒められても嬉しくないのだが。

しかしどうするのだ、龍田よ……。

天龍が信じてしまったではないか。

これからどう誤解を解こうかと考えたが、一度信じたらテコでも考えを変えない目の前の艦娘を説得するのは骨が折れそうだ……。

 

「はぁ……」

 

憂鬱と言った感情がしっくりくるであろう溜息をついて、言い訳を考える。

 

……そのアンニュイな表情と溜息をついた私を本気で攫おうと考えた、と後に龍田が教えてくれたのはまた別のお話……。




DMM公式でヤンデレ認定されている龍田さん。

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第六駆逐隊と大きな月

「で、天龍はどうして此処にいるんだ?」

 

執務室の前で待ちぼうけしていた天龍に聞いてみる。

 

「あ? 昨日の遠征の資材報告書出すの忘れててよ、此処に来たんだけど鍵かかってて入れねえんだよ」

 

……という事は電はまだ帰ってきてないのだな。

 

「服の中に鍵を忘れてきてしまってな、すまないが開けられないのだ。電がスペアキーを持っているので呼んで来てくれないだろうか」

 

秘書艦を頼んだときにスペアキーを渡してある。

今なら恐らく食堂だろうか。

 

「提督は行かねえのかよ? パシリにされるのは気にいらねーんだけど」

 

「う……。そうなんだが……」

 

「提督はこの可愛い姿を皆に見られるのが恐いんですって~。うふふっ♪」

 

また龍田が変な事を……。

見ろ、天龍がニヤニヤしている。

 

「そうかそうか、提督にも怖いものがあったんだなぁ! じゃあ電を探しに行くか!」

 

わははと笑い、此方の肩をパシパシと叩く天龍。正直痛いし、鬼の首を取ったような態度が癪に障る。

……こうなると思っていたよ。

仕方が無い。これ以上龍田や天龍にからかわれるのも癪なので電を呼びに行くか。

 

「電は食堂に居ると思う。私は行くがお前達はどうする?」

 

「そうね~。面白そうなので付いて行こうかしら~♪」

 

やはり付いて来るのか……。

ふぅと軽い溜息をついて気持ちを切り替える。

 

さて、食堂に向かうか。

食堂に向かう道中で何人かの艦娘と会ったが会釈ほどしておいた。

……わざわざ此方から火中に飛び込むような真似はしたくない。

龍田はひどく残念そうに笑っていたが……。

早く熊野が落ち着いて欲しいものだがどれくらいかかるのだろう。

爛々と目を光らせた熊野が四つん這いでシュコーシュコーと息を漏らし飛び掛ってくる図が頭に浮かんだ。……どんなホラーだ。

このままだと胃痛が復活しそうな気がするな……。

 

食堂には鳳翔と響、暁、電、雷が居た。

4人掛けのテーブルにはホットケーキを焼いているのだろうか、ホットプレートの上に大きな黄色い月が見える。

 

……どうやら生地を垂らしすぎて大きくなっているようだな。

あれでは火が通りにくいし、4人全員に焼いて行き渡る頃には最初に焼けたものが冷めてしまう……。

鳳翔も苦笑いしているな。

 

「あら~。提督? 何か言いたそうな顔してますよ~?」

 

「あぁ、すまない。ちょっと行って来る」

 

龍田達に断って暁達が座っているテーブルに近づく。

 

「お前達、お菓子を作ると言うのはホットケーキを焼いていたのか?」

 

「きゃあっ! ……アナタ誰?」

 

声をかけると生地を練っていたらしい暁が驚いて声をあげた。

 

……しまった、ホットケーキに気を取られて普通に声をかけてしまった。

その場に居た全員の視線が此方に集まる。

 

「……衣笠達にこのような格好をさせられてしまってな……。笑わないでくれるとありがたい」

 

「もしかして司令官さんなのです?」

 

電がいち早く気付いてくれた。

……流石だな。まぁあれだけ情事を重ねたので当然か。

……思い出して顔が火照るのを感じた。

頭を振ってやましい考えを追い出す。

そうだな。正解した事だし、今度間宮のアイス券を奢ってやろう。

コクリと頷くと雷と響が驚愕の声をあげる。

 

「うそ!? 司令官!? ……私より可愛いかも……」

 

「Хорошо(ハラショー 訳:素晴らしい)……」

 

……あまりジロジロと見ないでくれるとありがたいのだがな。

それよりもホットプレートの上が気になる。

見るとプツプツと穴が開いて片面が焼けた様子だ。

 

「ほら、焦げるぞ。ターナーでひっくり返した方が良くないか」

 

ターナーを持っている電に声をかけると少しだけしょんぼりとしている。

 

「重くて引っくり返せないのです……」

 

なるほど、確かに慣れてないとこの生地の大きさでは難しそうだな。

 

「代わっても良いか?」

 

袖が汚れないようにボタンを外して捲り上げる。

……フリル付きの袖に慣れていない為、少しだけ苦労した。

 

「はわわ! ど、どうぞなのです!」

 

電からターナーを受け取る。

生地の端に滑り込ませ、円を描いて一気に持ち上げ引っくり返す。

無事に引っくり返せたようで少しホッとする。

 

ホットケーキだけに、なんて言わない。絶対に。

 

そういえば国民的アニメに出てくる婿養子の父親はホットケーキを作りながらバク転をするらしい。

……埃が舞うのであまり褒められる事では無いと思うのだがな……。

 

「司令官……綺麗……」

 

暁が此方の手元に視線を合わせ、ほぅと溜息をついている。心なしかウットリとしているようだ。

暁よ、ホットケーキでは無く、何故此方の腕を見てそのような台詞を吐くのだ。

正気に戻す為に軽く脳天に手刀を入れておいた。

 

「もう! 何するのよ司令官! レディーに手をあげるなんて!」

 

「正気に戻ったか? 暁が此方に見惚れていたのでな」

 

指摘してやると真っ赤な顔でみ、見惚れてなんかいないし!と小声でぶつぶつ呟いていたが、気にしない事にした。

 

「それはそうとこんなに大きいものを焼いてどうするつもりだったんだ?」

 

「暁が一人前のレディーにふさわしい大きさを作るって息巻いていたんだよ。 私は止めたんだけどね」

 

疑問に思って聞いてみると響が答えてくれた。

やはり暁か……苦笑して視線を送ると顔を赤くしてそっぽを向いた。

 

「しかしこれでは全員分焼くには最初に焼いたモノが冷めてしまうだろう? 良い方法がある。私が次から焼いても良いか?」

 

「え!? 司令官料理できるの !?」

 

雷が驚いた声を出す。

 

……満潮にも同じ事を聞かれた事を思い出して苦笑した。

 

「少しだがな。鳳翔、すまないが小さ目のお玉を取ってきてくれないか」

 

横で心配そうに見ていた鳳翔に声をかける。おそらく手伝って良いものか迷っていたのだろうな。

 

「い、電は司令官さんが作ってくれるのなら食べてみたいのです!」

 

電が頬を赤く染めて自分の意見を主張した。……姉達が居る中では珍しいな。

他の三人の顔を見回すと頷いていた。ではここは好きにさせてもらおう。

鳳翔がお玉を取りに行ってくれている間、ターナーでホットケーキを四等分に切り分ける。

 

ボウルを見る限り、まだかなりの生地の分量があるみたいだ。これならそこで座って見ている天龍と龍田に配っても充分あまるだろう。

 

「お前達にも焼いてやるが、これは天龍と龍田に分けても良いか?」

 

少々分厚くて暁達には食べにくいと思ったからだ。

口の周りをベタベタに汚してしまうのはレディーを目指す者としては本意ではないだろう。

 

「わかったわ、司令官。天龍さん達には遠征とかでいつもお世話になってるし」

 

暁が4人を代表して答えてくれる。こういう時は良い姉の顔をしているな。最も、妹に当たる3人が暁の顔を立ててくれている事もあるが。

 

白い皿に二切れずつ、少し角度をつけてずらして載せる。いわゆる喫茶店盛りだ。

お玉とエプロンを持ってきてくれた鳳翔にホットケーキの乗った皿を渡して頼む。

 

「ディッシャーでプレートの空いた場所にアイスを乗せて龍田と天龍に出してくれるか。バターとメープルシロップもかけてやってくれ」

 

「ふふ、はい。畏まりました。まるで第六駆逐隊のお姉さんになったようですね」

 

鳳翔にクスクスと微笑まれる。妹と見られなかったのを喜ぶべきだろうか。話が聞こえていたらしい龍田に軽く会釈された。

手を軽く上げて返事の仕草を返しておいた。

……伝わっているといいが。

 

「よし、では始めるか」

 

PUKAPUKAという文字とヒヨコが描かれた黄色いエプロンを着ける。

 

……可愛い、確かに可愛いのだが……このエプロンは流行っているのだろうか。

 




ゴス服で料理はヤメテー!と叫んでも勝手に私の手を離れて料理を始めてしまう提督です。
……まぁ天津風が許してくれると良いのですけれど。

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未確認で深海系

そうですホットケーキは大好物です。
ただ欲を言わせてもらえれば……なEDからタイトルネタを引っ張ってきています。(本編とはなんら関係がありませんので元ネタをご存じなくても安心してお楽しみ下さい)


暁から生地の入ったボウルを受け取り、軽く混ぜる。

生地の硬さを確かめる為にお玉で一掬いして生地の上に垂らし、のの字を書いてみる。

 

……少々生地が硬いが問題はないようだ。

手早くホットプレートに4つほどくっつかないように間を空けて生地を垂らす。

 

……一つだけ生地が垂れておたまじゃくしの尻尾みたいな部分ができてしまったが。

 

「へぇ……司令官、手際がいいわね」

 

手元を覗きこむ暁に感想を述べられた。

同じ事を満潮に言われたな。

普段の私はそこまで手際が悪いと思われているのだろうかと思い、苦笑する。

甘い香りが漂い、プツプツと穴が開いてきた所でひっくり返す。

ホットプレートはフライパンで焼くより楽だ。

フライパンだと熱を持ちすぎて一回焼くごとに濡れ布巾を底に当てて冷まさなければすぐに焦げたりするしな。

 

焼いているうちに鳳翔がさきほど持って来てくれたバターをバターナイフで切る。

良い香りが漂い始め、試しに引っくり返してみると両面とも綺麗に茶色く焼けていた。

皿に盛り、上にバターを乗せてメープルシロップをかけてやる。

暁、響、雷、電の順に目の前に置いてやった。

 

「イ級みたいで可愛いのです!」

 

電に尻尾つきのホットケーキを出した時に言われてしまった。

 

「……イ級か、可愛いか……?」

 

疑問の声が漏れてしまった。

イ級とは駆逐艦に相当する深海棲艦だ。

鎮守府近辺でも何度か目撃されており、おそらくはほぼ全ての艦娘や提督が最初に目にする敵ではないだろうか。

……そういえば私が幼少時代に溺れたのも鯨ではなく、イ級にぶつかったからかもしれないな……。

 

しかし……どの様な感性をしているのだろうか、私の秘書艦は。

フォークとナイフを持って「いただきます!」と声を合わせて食べ始めた4人を横目に二枚目のホットケーキを焼き始める。

まるで雛鳥に餌付けしている様だな、と思い、笑いがこみ上げる。

しかし、不快では無い。むしろ心地よい。

 

「司令官! 美味しいわ!」

 

「Хорошо(ハラショー 訳:素晴らしい)」

 

「司令官の手料理美味しいわ!」

 

「イ級ちゃん美味しいのです!」

 

4人の感想がそれぞれ述べられる。

電の言動が気にかかるが……。

出撃した時にイ級に齧り付いたりしないか少しだけ心配になった。

 

……案外誰かのために何かモノを作るのが私にとって幸せなのかもしれないな。ホットケーキを頬張る4人を見て、笑みが零れた。

平和な世界になれば、喫茶店など開くのも良いかもしれない。

鳳翔に声をかけたら付き合ってくれるだろうか。

甘い香りと甘い妄想を胸に抱きながらホットケーキを焼いていった。

 

きっちり三枚ずつ食べ終えた所で暁達のお腹も膨れたようだ。

……粉物は腹に溜まるしな。

生地はまだかなり余っているので、このまま他のお菓子を焼いてみることにした。

 

「鳳翔、持ち手が付いているタイプの落し蓋を持ってきてくれないか?」

 

「はい、分かりました。でも落し蓋で一体何を?」

 

「ふふ、それは出来てからのお楽しみだ」

 

鳳翔に頼むと怪訝な顔をされたが厨房にとりに行ってくれたようだ。

その間にメープルシロップを生地の中に入れる。

 

「司令官!? 何をしてるのです?」

 

電が驚いたようで声を上げるが、大丈夫だと声をかけ、生地を練る。

軽くお玉に掬い、ホットプレートの上に垂らす。

ここまではホットケーキと同じだ。

鳳翔が落し蓋を持ってきてくれたので礼を言って受け取った。

プツプツと穴が開いたら生地を引っくり返して落し蓋で上から押さえる。

ぎゅううとこれでもかと言うほどに押さえる。

 

これでもか、これでもか。

 

「ペッタンコになったのです……」

 

「あぁそうだ……ペッタンコだな……」

 

電が感想を漏らし、その言葉に同じ言葉で返す。

……決して電の胸を見ながら言ってはいけない。

 

「あらあら、そういう事なんですね」

 

鳳翔は私が何を作っているのか気付いたようだ。

押し固めて焼いていると良い香りが漂ってきた。

そろそろ良いだろうと思い、皿にあける。

カランと乾いた音が響き、茶色く焼きあがったメープル煎餅が出来上がった。

 

「お煎餅ってこうやって出来るの? 司令官」

 

暁が焼きあがった煎餅を興味深そうに見ながら尋ねて来た。

 

「いや、これは私のオリジナルだ。他の煎餅をどう作っているのかは見た事が無いから分からない」

 

祖母が昔作ってくれたものに、自分なりのアレンジを加えたものだ。

 

「ねえ、司令官! 一口食べてみたいわ!」

 

雷が興味津々と言った風に手を伸ばして来た。

さきほどお腹が一杯になったのではないのか……。

苦笑するが、欲しいと言うならば食べさせてやろうではないか。

煎餅を手に取り、まず半分にパキリと割る。その半分にしたものをまた半分に割って4人に渡した。

味は悪くないはずだ。

 

「あ、結構優しい味がする」

 

雷がまるで料理評論家のような事を言ったので思わずふきだしてしまった。

 

「雷、そういう時は素直に美味しいと言ってあげれば作った人は喜ぶよ。美味しいよ、司令官。正直驚いている」

 

響がポリポリと煎餅を齧りながら雷を注意する。

 

「ありがとう、響」

 

礼を言うだけに留めておく。頭を撫でてやりたいが、調理中に頭や髪を触るのは褒められた行為では無いしな。

 

そうだ、熊野達にも持っていってやろう。

そう考えて二枚目を焼き始める。

 

「司令官さん、美味しいのです! ……司令官さんの手作り……電はずっと食べたいのです……」

 

「電……」

 

電がボソリと呟く声に反応して名前を呼んでしまった。

しばらく視線を交わし、妙に甘ったるい雰囲気が漂うが響にじぃと見つめられている事に気がついて慌てて我に返った。

きっと煎餅に入れたメープルシロップの香りのせいだ。きっとそうだ。

 

「ほ、鳳翔? 何か包む物があるだろうか。青葉達にも持って行きたいのでな」

 

「はい、ちょっと待っていて下さいね」

 

雰囲気を変えたくて鳳翔に声をかけるが他の艦娘の名前を出したのは失敗だったかもしれない。

 

「司令官さんはやっぱりもてるのです……」

 

電が肩を落としてしょげている。……恋愛感情は持てぬと言ったばかりなのだがな。

生地を引っくり返してグッと上から押す。

やはり、酷かもしれないがハッキリ言っておくべきかもしれないな……。

 

「電、あのな……」

 

「あら? あなた……」

 

食堂に入って来た艦娘に声をかけられ、話の腰を折られてしまった。

そういえば今は15時を過ぎたくらいだろうか。食堂もにぎわい始めるな……。




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天津風 雲の通ひ路 吹き閉じよ

タイトルは百人一首、僧正遍昭の歌からです。


顔を上げると天津風が居た。

 

天津風とは陽炎型駆逐艦9番艦だ。

艦船時代は新型機関のテストモデルとされ、そのデータは後の重雷装高速駆逐艦島風へと受け継がれている。

言うなれば島風とは姉妹とはいかないまでも従姉妹あたりの関係になる。

 

艦娘としては島風と同じく連装砲をマスコット化した、連装砲くんと名付けられた連装砲をいつも連れ歩いている。

自立的に動いているので妖精と同じような存在なのだろうか。一度天津風に問いただしてみたら自分も知らないと言われた。

艦隊運用するに当たっては、燃費が少々悪いのが難点か。

彼女の名誉の為に補足しておくと、駆逐艦にしては、という枕詞が入るが。

 

短いワンピースと頭の帽子まで繋がっているガーターベルト、黒い紐の下着……と別にいつも見ているわけではないが、どうしても見えてしまうのだ。

一度スカートを穿かせようとしたらひどく嫌がられた。

見えてしまうだろうと此方が注意すると、見たいの?と扇情的に煽ってこられた経験がある。

わざわざ執務机にまで乗って迫られた。

小さな体から静かだが、高く芯の通った声で囁かれ、あやうく理性を失うところだった。

 

……恐らく此方が動揺するのを愉しんでいたのだろうな。

いつだったか、夜明け前に目が覚め、散歩をしていたら天津風と出会い、彼女のお気に入りスポットに連れて行かれた事がある。

水平線に昇る朝日を風に吹かれながら共に見たが、その横顔は真剣だった。

銀髪に輝く朝の光が鮮烈で、一瞬極上の金糸かと見紛うほどだった。

……何を考えていたのかと後に聞いてみると朝食を和と洋で迷っていた、と解り力が抜けてしまったが。

その後、真剣な顔で夕陽も一緒に見ないかと誘われたが……。

いや、この話はまた天津風が秘書艦になって暇が出来たときに時にでも話そう。

 

秘書艦としては天津風は色々な試験を受けていたせいか知識の幅が広く有能だ。

料理も比較的上手いので、将来は良い嫁になると思う。

それをこの間、本人に言ったら真っ赤な顔をしていた。

……案外不意打ちには弱いのかもしれないな。

 

「それ、あたしの服ね……。衣笠が借りに来たわ。ということはあなたまさか……」

 

天津風が此方を指差して見ている。

人を指差すのは止めて欲しいものだがな……。

その前にあまり騒がしくされて人目を引いても困る、ここは早めにばらしておこう。

 

「あぁ、そのまさかだ。衣笠達に見事にやられてしまったよ」

 

「おそろしいほど似合っているわね……」

 

天津風が呆れというか、感嘆というか、そのどちらもが入り混じった様な表情をしている。

 

「汚さないように気をつけているが、もし何かあれば償おう」

 

それでなくてもこの服で料理をしているしな……。

しかし天津風は事も無げに言った。

 

「いいわよ別に。それ、あたしにはスカートが長すぎて殆ど着ない物だし」

 

いや、せめてもう少し長いスカートを……と思ったが、聞くわけがないな。黙っておこう。

その間にも手を動かしていたが、天津風の注意はそちらに向いたようだ。

 

「で、あなたは何を作っているの? 随分美味しそうな匂いがするけれど」

 

「食べてみるか?」

 

じぃと何枚か焼きあがった煎餅に天津風が視線を送っていたので聞いてみた。

 

「ありがとう、戴くわ」

 

そう言って手を伸ばす天津風。ふわりと髪の香りが鼻をくすぐる。風呂上りなのかもしれないな。

 

「司令官さん……?」

 

天津風に気を取られていたら電から声が聞こえた。

 

「あぁ、いや……何でもない。電、頼みがあるんだが」

 

コホンと一つ咳払いをして、場を締め、電に声をかけた。

 

……執務室で待機を命じようと思ったが、やはりまだ一人にさせるのは危ないかもしれないな。……甘いかもしれないが。

 

「は、はい! 何なのです?」

 

驚きながらも真剣な顔で返事をする電に続けて命じる。

 

「できるだけ早く帰ってくるので、暁達4人と執務室で留守番していてくれないか? 何人か書類の出し忘れがある様だし、な」

 

一人で待機させるか迷ったが、姉妹達と、あえて留守番という表現を使って柔らかい表現にした。

語尾の書類の出し忘れの部分は比較的大きな声で天龍にも聞こえる様に言ったが……。

わぁーったよ、等と天龍から聞こえて来たが私もそこまで追及するつもりはない。

先ほど天龍達にからかわれた意趣返しだ。

 

「あなた、第六駆逐隊には本当に甘いのね。……何? その顔?」

 

ポリポリと煎餅を頬張っている天津風に言われた言葉が図星で、おそらく鳩がマシンガンを食らったような顔をしてしまった。

いや、それは鳩が死んでしまうな……。

 

そうだな、やはり甘いな。しかし、言ってしまったものを今更変える訳にもいくまい。

それに先ほどから響が何やら言いたそうな顔をしている。

言いたい事を言わせておくべきか、言わせずにおくべきか。

どちらが禍根が残らないだろうか。

いや、良い。ここは私が泥を被ろう。

 

「甘いかもしれないが、艦娘のストレス軽減の為だ。解ってくれるとありがたい」

 

「そう、それなら仕方ないわね」

 

他にも何か言いたそうな表情をした天津風だったが、引いてくれた様だ。

大人の対応をしてくれた彼女に感謝する。

煎餅の生地も切れたので今ホットプレートで焼いているのが最後だ。引っくり返して上からぎゅうと押す。

 

しかし、電から妙な事を言われた。

 

「あ、あの! 実は今秘書艦の席が空いているのです!」

 

……電、お前は一体何を言っているんだ。

おそらく今の私は鳩の上に魚雷が落ちてきた様な顔をしているのだろうな。

呆れて電を見ると、少し俯いてポケットから執務室の鍵を取り出した。

 

「天津風さん、今は時雨さんが不在なので秘書艦のシフトが繰り上がっているのです。それで電達は遠征に出かけたいのでその間、秘書艦を代わって戴きたいの……です」

 

「……解ったわ。新型缶のデータを取る予定もないし、その話受けるわね」

 

天津風と電が勝手に話を進めている。

どういう事だろうか、何故私を無視してこんな話になっているのだろう。

 

「……電が特別扱いされていると思われるのが嫌だったんだよ。そんな事も解らないのかい?」

 

響が私の隣に来て、小さな声で呟く。

そうか、やはり他の艦娘には特別扱いと映るのだな。猛省せねばなるまい。

 

「だけど、電を大切に思ってくれている点は評価するよ。Спасибо(スパスィーバ 訳:ありがとう)」

 

帽子を直し、シニカルな笑顔を見せて天龍達に近づく響。

おそらく遠征の旗艦を頼んでいるのかもしれない。

 

遠征の場所にもよるが、早ければすぐに帰ってくるだろう。

 




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風と共に来たる

「じゃあこれは私が青葉さん達に持っていってあげるわね!」

 

雷の声がした。

 

「あ、あぁ……すまない。頼めるだろうか」

 

響のおかげで自分の考え無さに気付き、放心していたようだ。気の抜けた返事をしてしまった。

 

「元気ないわねぇ、そんなんじゃ駄目よ!」

 

テキパキと私が焼いた煎餅を包む雷の姿を見て苦笑する。

 

「どうしたの? 司令官」

 

視線に気付いたのだろう、雷が疑問の声をあげた。

 

「いや、なんでもない。では雷、頼むな」

 

そっと雷の頭を撫でる。

 

「そうそう。もーっと私に頼っていいのよ」

 

フフンと腰に手を当てて威張る雷に救われた気がする。

そういえば雷は一部の提督からロリお艦、つまりロリオカン等と呼ばれていると聞いた事がある。

全てを許してくれる包容力があるとも取れる言動が目立つからなのだろうな……。

他には妹の電と名前をよく間違われる事が悩みの種らしいが。

 

「天龍の許可を取ってきたよ。司令官、良いかい?」

 

響が帰ってきた。良いかというのは遠征任務の事だろう。

 

「構わないが、何処にいくつもりだ?」

 

「南方方面に行くよ。……この間輸送任務をしていた時にちょっと気になる事があったんだ」

 

と、いう事は東京急行任務か。それならば遅くとも今日中には戻れるな。そういえば春雨達は無事だろうか。

 

「東京急行なら駆逐艦がもう一隻とドラム缶が必要だが……」

 

輸送任務を成功させる為には、最低限守らないと達成できない暗黙のルールみたいなものがある。

例えば艦種だ。補給任務に戦艦など連れていくととてもじゃないが資源がマイナスになる。

かと言って、軽巡洋艦ばかりで編成をすると艦船時代のトラウマがフラッシュバックしやすくなり、これまた失敗するのだ。

なので、場所にもよるが資材運搬任務等は史実に沿った駆逐艦5隻に対して軽巡洋艦1隻などの編成がベストとされている。

 

「ん……まぁそこは任せておいて。それじゃあ第六駆逐隊、抜錨するよ」

 

「分かった、編成と装備に関しては響に一任する。頼んだぞ」

 

響の頭を撫で、遠征任務を任せる。

何か考えがあるのかもしれない。……ただ単に腹ごなしの運動をしたいだけかもしれないが。

 

「じゃあコレを急いで青葉さん達に渡してくるわね! 皆、出撃ドックで待っててね!」

 

雷が煎餅を抱えて食堂から出て行った。

その背中を見送っていると電から声をかけられる。

 

「あの、司令官さん……怒ってるのです……? その、勝手な事をしてごめんなさいなのです」

 

不安そうにおどおどと挙動不審な電の頭を撫でて答える。

 

「怒ってなどいない、むしろ感謝している。私に責が行く事を考えてかばってくれたのだな、すまない」

 

「ふにゃあ……」

 

 

撫で続けていると電が蕩けてしまった。不味い、少し面白いかもしれない。調子に乗ってワシワシと色んなところを撫でてみる。

 

「ふあ……はにゃあ……はわわ……」

 

髪、耳の裏、顎の下などを撫でていると色々な声が出た。

まるで楽器か人に慣れた猫のようだ。

面白くて止まらない。

 

「おかしいなぁ、連装砲くんの機嫌が悪い……なんで?」

 

天津風の声がして、そちらに視線を向けるとマスコットの連装砲の砲塔がこちらを向いていた。

艤装では無いので人への殺傷暴力はないが、それでも当たると痛い。普段はスポンジ状のボールを詰めているようだが、怒ると実際の砲弾も撃てるらしい。気をつけねば。

両手をあげて降参のポーズを見せ、声をかける。

 

「わかったわかった。では執務室に行こうか。鳳翔、すまないが片付けを頼んでも良いだろうか。後で何かしら融通しよう。それと電、気をつけてな」

 

鳳翔と顔を赤くした電がコクリと頷いたのを確認して食堂の入り口で待っていてくれた天津風に駆け寄る。

……スカートがひっかかって走りにくいな。

 

「あなた……まるでお姫様みたいね。体中からバニラの香りをさせて。あたしが男なら襲いかかってるわよ」

 

天津風に近づくとそんな事を言われた。冗談はやめてくれと笑いかけたが、妙に顔を赤くして此方から目を背けてしまった。

他愛も無い話を幾つか振るが、天津風は上の空だった。

 

……どうかしたのだろうか。ふと連装砲のマスコットと目が合う。

知らないと言った風に、フルフルと首を振られた。

そうこうしているうちに執務室に着いた。

 

「天津風、鍵を開けてくれないか。私の服から取り出すのを忘れてきてしまってな」

 

「しょうがないわね……はい、開けたわ」

 

天津風に礼を言い、執務室に入ると電文が届いている様で、電信機にランプが点いていた。

 

「あら、電文ね。受け取っても?」

 

「あぁ、頼む」

 

天津風が電信機を操作すると文字を印刷された紙が出てきた。

 

『我、其方ニ向ウ』

 

ビリッと根元から破き取り、電文をこちらに渡してくれる天津風。

 

「我、そちらに向かう……って誰か来るの?」

 

しまった……同期に誤解が解けた事を伝えるのを忘れていた……。

 

同僚の鎮守府からこの鎮守府に来るとなると、明日には着くと思われる。

海路を利用するので向こうの護衛は恐らく長門が率いる艦娘達だろう。

此方も護衛艦隊を出すべきだろうな。……歓待だけに。

 

しかし明日は青葉とこの格好で出かけなければならない。

このような格好を彼女はあまり好まないだろうな……。

嗚呼、簡単に予想できる。

黒髪を風に棚引かせ、腰に手を当てて一言。

 

『何、アナタまたそんな格好してるの?』

 

釣り目気味の視線でじっとりとねめつけられる。

う……想像しただけで冷や汗が垂れてきた。

 

「あなた、すごい汗よ? 大丈夫? 無理はしないでね」

 

心配した天津風に声をかけられた。

 

「私の軍学校時代の同僚が来る。ついては護衛艦隊を編成したい。今から言う艦娘達を呼んでくれないだろうか」

 

「良いけれど……あなたはその格好で良いの? 戦艦クラスに押し倒されても私じゃ助けられないわよ?」

 

しまった、女装している事を忘れていた……。

 

「……着替えてきてもいいだろうか」

 

「ええ、待っているわね」

 

天津風に断って執務室を出た。

さて、衣笠達の部屋に急ごう。




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薫風撫でるはテクニシャン

衣笠達の部屋に入るとお茶会が始まっていた。

 

「あ、提督。頂いてるよ~」

 

衣笠が食べかけの煎餅を持っていた手を振った。

 

「衣笠さん? 食べ物を持った手を振り回さないで貰えるかしら。お行儀が悪くてよ?」

 

「んにゃ~……ごめんごめん」

 

熊野に衣笠が行儀を窘められ、苦笑する。

……熊野は比較的落ち着いたようだな。

これならば落ち着いて話もできるだろうか……。

明日、一緒に出かける事を先延ばしにしてもらう言い訳を頭に描く。

知り合いがこの鎮守府に来る……これでは駄目だな。同期の少将が視察に来る、ではどうだろうか。

もう少し考えればもっと良い言い訳も出来るだろうが、如何せん時間が無い。

これで行くとしよう。

 

「青葉、話があるんだが」

 

「んもぐ……何なに? なんの話ですかぁ?」

 

紅茶と煎餅を頬張っている青葉が口の中のモノを飲み込んでから返事をした。

 

「明日、出かける件なんだが先延ばしにしてもらう事はできないだろうかと思ってな」

 

「青葉は構いませんけど……どうかしたんです?」

 

至極当然の疑問を返された。さきほど頭の中で考えていた言い訳を齟齬が無いように並べ立てる。

 

「軍学校時代の同期で、今少将になっている人間が明日、この鎮守府に視察に来る。……この格好では、その……」

 

「あー……。そういうことでしたら青葉は構いませんよ。……楽しみは後に取っておいたほうが倍になりますもんね!」

 

少しだけ視線を逸らし、しょげた様子を見せた青葉だったが、再び此方を向いた時にはにこりと笑顔を浮かべてくれていた。

胸の奥がチクリと痛むが、ここは青葉に感謝しておこう。

 

「すまない、青葉。では着替えを……」

 

「駄目よ!」

 

提督服に着替えると言おうとしたら衣笠に遮られた。

驚いて衣笠を見ると、此方に指を突きつけて近寄ってきた。

 

「提督? 青葉が肝心な時は押しが弱いの知っててつけこんでるでしょう?」

 

「い、いや。そんな事は無いぞ?」

 

図星を突かれてどもってしまった。これではその通りですと言っている様なものだな。

何やら衣笠がニヤリとしている。あまりいい気分はしないな……。

 

「だから、ね? 提督は今から青葉とデートしましょう!」

 

「何ぃ!?」

 

「えぇっ!?」

 

……衣笠の言葉に私と青葉がほぼ同時に声をあげた。

 

「だって提督が予定変更する事はよくあることだし、また次も先延ばしになっちゃうかもしれないでしょ?」

 

衣笠の声にしばらく考える。

……確かにそれはそうなのだが、今からか……。

できれば残務を終わらせておきたかったのだが、艦娘との約束を反故にするわけにもいかないからな。

 

「分かった、では財布を取ってきても良いだろうか。……それと護身用具も一応持っておきたい」

 

ハンガーにかけられた提督服に目が行く。熊野辺りがかけておいてくれたのだろうか。

しばらく自分の服を見ていると衣笠からニヒヒと笑い混じりの声がした。

 

「あ、それ青葉がやったんだよ。青葉ったら提督の匂いがします、とか言ってウットリしながらクンクンしてたんだよ」

 

「う、ウットリなんかしてないよ! 何言ってるの衣笠!」

 

「クンクンは否定なさらないんですのね」

 

慌てて衣笠に食って掛かった青葉だったが、熊野の一言で轟沈したようだ。

 

「あぅ……」

 

小さい声をあげて、真っ赤な顔をしている。苦笑しながら万年筆型ナイフと提督専用のマスターキー、ジュニア・コルト……小型拳銃を取り出す。

 

「万年筆と拳銃……ですわね。提督? どうしてこんなものを?」

 

熊野に疑問の声をかけられた。当然だ、自分の提督が普段から拳銃などを持ち歩いているとは、艦娘にとっては良い気はしないだろう。

 

「……自室で分解整備をしていてな、執務室に戻そうと思っていたがスッカリ忘れてしまった」

 

「ふぅん……そうですの」

 

何か含むところがあるような返事をされた。

……こういう場合はどうするんだったか……。あぁ、そうだ、秋雲が持っていた少女漫画に描いてあったな。試しにやってみるとするか。

 

「ごめんなさい、熊野お姉ちゃん。こんなもの持ち歩いているなんて、私悪い子だよね……」

 

「はぶぅっ!」

 

上目遣いに熊野を見て、それから視線を逸らしながら憂う表情を浮かべると熊野が鼻血を撒き散らして倒れてしまった。

 

……なんだこの破壊力は。

 

「提督……もうずっとそのままでも良いんじゃない?」

 

衣笠が呆れたように呟く。いやいや、私はできるだけ男らしくありたいのだ。

……あんな事をしておいて説得力の欠片も無いが。

 

「司令官、青葉レッグホルスター持ってるよ。着けてあげるね!」

 

青葉が机の引き出しからホルスターを取り出す。レッグホルスターとは腿につけるタイプの拳銃携行器具だ。

 

「この椅子に右足をあげてくれます? 司令官」

 

青葉の指示に従い、右足を上げるとスカートを捲られた。

 

「ちょっ! 青葉?」

 

「もう、動かないで下さいよ。全部捲り上げるわけじゃ無いんですから」

 

驚いて声をあげるが到って青葉は冷静だった。

ここは任せるしかあるまい。

スカートの中に手を入れられ、まず腰に固定用のベルトを締められる。

青葉のひんやりとした手が臍から腰の周りをなぞっているようでゾクゾクする。

 

「あ、青葉? その、くすぐったいんだが……あっ!」

 

「じっとしててくださいよぅ。うまく着けれないじゃないですか」

 

モゾモゾと居心地無く動くと青葉に窘められた。

革のベルトが腿に当てられ、締められる。傍から見たら百合にでも見えるのだろうか。そう考えて衣笠を見ると食いつくような視線を送っていた。

その視線を受けたくなくて反対側を見るとドレッサーに自分の姿が映っているのが見えた。

 

青葉にスカートの中を弄られて顔を赤らめている少女の姿があった……。

 

「あ、あおば!? これ、まずい! 自分でやるから!」

 

「じっとしててって言ったじゃないですか。街中で拳銃落としでもしたら司令官、クビ飛んじゃいますよ?」

 

……全く気付いていない青葉を尻目に此方は意識してしまってそれどころではない。

こういうものは一度意識してしまうともう駄目だ。

せめて声をあげないように片手で口を押さえ、もう片方は青葉の肩に置く。

 

鏡の中の少女を見ると必死で声を出すまいと、相手を押しのけようとしていた。

その間にも太股に青葉の手がさわさわと触れる。ベルト以外の感触には一際感覚が鋭敏になっている様な気がする。

 

……痴漢されて声も出せずに必死で抗っている図に見えた。

 

「はい! 出来たよ、提督。……ありゃ?」

 

立ち上がった青葉に満面の笑みを浮かべられるが、此方が腰砕けになってしまった。

 

「きぬがさ……?」

 

荒くなった息を整えつつ衣笠に声をかけるとそちらも息が荒くなっていた。

 

「な、なに?」

 

「……青葉ってテクニシャンだったんだな……」

 

此方の言葉に頷く衣笠。初めて衣笠と意識が繋がったような気がした。

 

「何なに? なんの話ですかぁ?」

 

一人だけ訳が解らないと言った顔をする青葉。

……熊野が気を失っていてくれて本当に良かった。

こんな姿を見られたら野獣艦娘、……いや、クマと化して襲い掛かってくるだろう。熊野だけに。

 

「ん……んぅぅ……神戸牛……ですわ……」

 

妙に幸せそうな熊野の寝顔を見つつ、安堵した。

 

 




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女装子レイカ誕生

「天津風に外出する旨を伝えておかなければならないな」

 

「あ、それなら私が伝えておくよ。衣笠さんにお任せ♪」

 

衣笠が私に任せて、と言わんばかりに胸を叩く。

 

「そうか……では頼む。今から出かけるならば早いほうが良いしな。遅くなるならば自室に戻るようにとも伝えておいてくれ。それとこれを天津風に渡してくれるか」

 

机の上にあったメモに『南方海域への護衛艦隊について、編成は天津風に任せるが高速戦艦と足の速い空母で固めるように。準備出来次第出撃してくれ。』と走り書きをする。護衛さえ出せばおそらく向こうが見つけてくれるだろう。

 

メモを受け取ると衣笠はニヤリと笑みを浮かべた。

 

「ふふーん。提督は青葉と遅くまでナニをするつもりなのかなぁ?」

 

「……茶化さないでくれるか。一緒に出かけるだけだ」

 

苦笑し、まずは自室に財布を取りに行く為に青葉の手を握る。

……が、全く動かない青葉を見ると硬直していた。

 

「ナ、ナニって……。初めては……海の見えるホテルでって……決めてたんだけどな……」

 

……すさまじい勘違いをしているようだ。

 

「青葉、しっかりしてくれ。少なくとも今の私の外見ではホテルに入ろうとしても青葉が捕まってしまう」

 

「へーえ? ホテルに入るつもりはあるんだ?」

 

衣笠に突っ込まれて絶句する。

あまり人の言葉尻をあげつらわないで欲しいものだがな……。ジロリと睨むと衣笠は降参といったポーズを取った。

 

「冗談、冗談だってば! ……その目つきも何かに目覚めちゃいそうだから伝えてくるね!」

 

ヒラヒラと手を振り、執務室の方向に向かっていく衣笠。

 

「では行こうか、青葉」

 

「は、はい! きょーしゅくです!」

 

まずは財布だな……。

鎮守府内を共に歩く青葉の手は暖かく熱を持っていた。

……少しその熱に慣れないが、頼もしさを感じて青葉に微笑みかける。

少し顔が赤かったが、青葉も此方を見て微笑み返してくれた。

 

鎮守府を出るとまだ陽は高かった。

途中何人かの艦娘とすれ違ったが、誰も私だと気付かなかったようだ。

心配になって青葉に問いかける。

 

「なぁ、青葉? 私の格好はいつもとそんなに違って見えるのか?」

 

すると青葉は人差し指を顎に当てて考える。その仕草が少し可愛らしい。

 

「ん~……そうですねぇ。少なくともいつもの司令官とは思えません。口調や喋り方でやっと気付くかな? って程度で。ほら、口調が特徴的な子はたくさんいますし」

 

「あぁ、確かにそうだな」

 

口調が特徴的な艦娘を何人か頭に思い浮かべる。

まぁ今はいいか。時間は少ないが精一杯青葉を楽しませてやらないとな。

 

「青葉、何処か行きたい所はあるか?」

 

「司令官が行きたい所なら何処でもいいですよぉ?」

 

青葉に言われ、返答に困る。

何処でも良い、は割と困るのだがな。

まぁ良い、それでは繁華街を少しぶらついて小腹が空いたら甘味処間宮にでも行こう。

 

「ではまず繁華街にでも行くか。タクシーを拾おう」

 

運よく空車のタクシーが捕まった。

青葉と二人で乗り込む。

 

「お嬢ちゃん達何処まで?」

 

「繁華街までお願いします」

 

タクシーの運転手に伝えると、少し眉をしかめられた。

 

「わかった。だけど繁華街へ行く道はちぃと混んでるよ。なにやら軍のおえらいさんが来てるみたいでねぇ」

 

随分フランクな口調の運転手だな、と思ったがこの容姿では仕方ないか。

しかし軍のおえらいさん?まだアイツが来るには早すぎるが……。

 

「司令官、行って見ましょう? 青葉、興味あります」

 

「そうだな……大淀が知らないと言う事は空軍か陸軍かもしれない。顔を拝んでおいて損は無いな」

 

……ただ単に大淀の伝達ミスかもしれないが。

青葉とそっと小声で話すと運転手から話しかけられた。

 

「へぇ、お嬢ちゃんはレイカっていうのかい。少しキツ目な所が名前も合わさって将来美人になりそうだ」

 

「え?」

 

いきなり勝手に名前をつけられて唖然とする。

 

「あれ? 違うのかい? そっちの娘……艦娘だろ? その子がレイカって呼んでたから、そうだと思ったんだけどな」

 

……そういう事か。司令官をレイカと聞き間違えたのだな。

 

「ちが……ぐむむむ……」

 

否定をしようとすると青葉に口を塞がれた。

 

「はい、この子は鎮守府の大事なお客様なので私、青葉が護衛をしているんです! ね、レイカ?」

 

「そうかそうか、ウチの娘もこの間幼稚園で艦娘達に手作りの筆立てをプレゼントしたってはしゃいでたよ。ここの鎮守府の提督さんはやり手みたいだから、本土の建物まで攻撃される事が無くて本当に助かってるんだ。前のヤツは、……ありゃ駄目だったな」

 

運転手と青葉から楽しそうな声が聞こえる。

……艦娘に拒否感を示す人間も居るが、この人は違うようだ。

自分の功績を評価されて少しだけ嬉しい。

 

「何笑ってるんですかぁ? レイカ」

 

イカンイカン、少しにやけていただろうか。青葉に見咎められた。それはそうと私はレイカで確定なのか……。

どうしたものかと思っていると青葉にそっと耳打ちされた。

 

「司令官がこんな可愛い女の子だって知られたら、きっと大騒ぎになりますよ?」

 

それもそうだな、コクコクと頷くとやっと口を塞いでいた手を離してくれた。

 

「ちなみに軍のおえらい方というのは?」

 

駄目元で聞いてみる。

 

「うーん、名前までは知らないけれどオリーブ色の軍服を着ていた人が何人か居たよ。絡まれる事はないと思うが気をつけてな」

 

オリーブ色と言う事は陸軍か。正直あまり陸軍に良い思い出は無いが、此方から絡まなければ問題はないだろう。

 

「うーん……やっぱり混んでるなぁ」

 

運転手の言葉に外を見ると確かに車の流れが悪い。

……確かここら辺には青葉を楽しませられる店があったな。

 

「運転手さん、もう100メートルほど行った所で止めてもらえますか?」

 

「分かった。じゃあお嬢ちゃん達可愛いからサービスしとくな!」

 

そういうと運転手はメーターを止めてくれた。

 

「ありがとうございます」

 

お礼を言い、好意に甘える事にする。

……女装も悪くないかもしれないな。

料金を支払い、青葉とタクシーを降りて店の前に立つ。

 

「レイカ、ここは?」

 

「過去の知り合いがやっている店だ。……相手はもう私の事は覚えてないが、な」

 

青葉に聞かれて、少しだけやりきれない寂しさを覚える。

怪訝な顔をした青葉を余所に店のドアを開ける。

 

「あっ、いらっしゃいませー!」

 

カメラを修理していたらしい濃い灰色の髪を緑のリボンで結んだ女性が顔をあげて声をかけてくれた。

 

「……夕張、さん?」

 

青葉の目が点になり、固まってしまった。

 




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Precious Park

タイトルはACシリーズの楽曲名からです。


「あはは、よく間違われるんですよー! やっぱ似てます?」

 

夕張似の女性はテキパキと修理機材を片付けながら笑顔で応対してくれる。

 

……そうなのだ、この女性は元、夕張だ。艤装を解体し、鎮守府から離れた元艦娘。

おそらく鎮守府に居た事も私の事も忘れているだろう。

 

「えっと、カメラを見たくてですね。たしか、此処のお店の御主人が少し前に良いのが入ったと言ってくれたんですよ」

 

ニコリと夕張だった女性に微笑む。

 

「あぁ~、お爺ちゃんは今観劇に行ってるんですよ~。私でよろしければ聞きますよ!」

 

「あ、今日は私では無くてこの子です。ほら、青葉」

 

未だに固まったままの青葉の背中を軽く叩く。

 

「あ、ども、恐縮です、青葉ですぅ! 一言お願いします!」

 

あわあわとした態度の青葉に吹き出してしまった。

 

「そんなに固くならないで? 艦娘の青葉さんですね、写真の腕が良いってお爺ちゃんから聞いてます。あの写真も青葉さんが撮ったんでしょう?」

 

鎮守府の夕張とは少し違う口調で壁に掛けてある晴嵐……水上攻撃機の写真を指差す。

 

「あ、うん。青葉が撮った写真ですねぇ」

 

晴嵐が飛び立つ瞬間をしっかりと収めている。流石青葉だな。

 

「此方のデジタル一眼レフなんて如何です? レンズだけでも勉強させていただきますよ」

 

「え、これあのメーカーの新作!? うわぁ、予約しても手に入らないから諦めていたのに……うわわ、こっちのレンズも雑誌で紹介されてたヤツだ」

 

……奇妙な女子トークらしきものが始まってしまった。

まぁ、楽しんでいるようで何よりだ。女子トークに華を咲かせている二人は放っておいて、私も店内を見せてもらうとしよう。

 

「うぅ、このレンズ欲しいけれど。手持ちが……手持ちがちょこっと足りないかしら……」

 

しばらく店内を見ていたら声が聞こえた。青葉がレンズを見て悩んでいる。

……仕方が無いな。

 

「支払いはカードで。一括でお願いします」

 

横からカードを出す。

 

「しれいか!? ……じゃなかった……レイカ、ちょっと待ってくださいよぅ!」

 

……司令官と言い掛けたな……。それほど驚愕しているようだ。

確かに高いが、これくらいなら充分払えるほどの貯えはあるつもりだ。

 

「世話になっているしな。これくらいの恩返しはさせてくれ。それと青葉の撮る写真は好きだからな」

 

「あぅぅ……」

 

続けざまに畳み掛けると顔を真っ赤にして俯いてしまった。

 

「お買い上げありがとうございます! では梱包しますので少々お待ち下さい」

 

夕張……いや、もうすでに一般人となっているのだったな。

店員に言われ頷く。

 

「今度は御店主が居るときに来たいものだな。あの人は昔の話を語るのが上手い」

 

「……そうですね、お爺ちゃんの話はついつい時間を忘れちゃいます」

 

……不自由無く暮らしているようだな。少しだけ安心した。

 

「はい、お待たせ致しました! どうぞ」

 

「ホラ、青葉」

 

そっと青葉の背中を押して受け取るように促してやる。

 

「は、はい! あの、ありがとうございます!」

 

青葉は満面の笑みを浮かべて此方の手を握ってくれた。

……店員に微笑ましいと言った表情をされて恥ずかしいが、この笑顔が見れるなら安いものだ。

店を出ると少し陽が黄色くなっているが、まだ歩くには問題なさそうだ。

さぁ、街を歩こうか。

 

手を繋いでいる青葉を見るとまだニコニコしている。

片手にはレンズが入った箱をしっかりと抱いて。

 

「帰る時に寄れば良かったか?」

 

不自由にならないかと思い、青葉に声をかけるが杞憂だった様だ。

青葉にフルフルと首を振られた。

 

「大丈夫です! 青葉、感激です!」

 

……興奮して榛名の様な喋り方になっているがそれほど喜んでくれると此方も嬉しい。

くつくつと笑い、次は何処に行こうかと青葉を先導する。

 

「そうだ、確かこの先の公園にたこ焼きとクレープの屋台があったな。青葉はどっちが食べたい?」

 

少し大き目の、この公園にはいつも屋台に改造したフォルクスワーゲンのバンが止まっている。

鎮守府内ではあまり有名では無いが、隠れたオススメスポットだ。

着任したての頃は息抜きと運動がてらよく足を運んでいた。

 

「ん~……じゃあクレープで! ……たこ焼きはそのぅ、青海苔が歯についちゃうとキスが……」

 

「分かった、じゃあ向かおうか」

 

……たこ焼きの後の台詞は聞かなかった事にしよう。

あえて否定して機嫌を損ねるよりも良いだろう。

 

しかし少々浮かれていたようだ……。ビルの陰から出てきた人物にぶつかってしまった。

 

「わぅっ!」

 

「おわっ!?」

 

ぶつかった弾みで転びそうになったが、咄嗟に青葉が手を引き上げてくれて転ばずに済んだ。

対して相手は尻餅をついている。

 

「あ、あのすみません。大丈夫ですか?」

 

「ぶ、無礼であろう! この小娘が!」

 

地面に腰をおろしたままの姿勢で怒鳴りつけてくる相手を良く見ればオリーブ色の軍服、そして丸眼鏡……辻中将だ。陸軍の中でもできれば一番会いたくない人物に出会ってしまったな……。

 

何故このようなところに陸軍中将が、とも思ったがまずは此方の素性がばれないようにしなければ後で何を言われるかたまったものではない。

 

「申し訳ございません。私の不注意でした、お怪我はございませんか?」

 

頭を下げて謝ると共に相手を観察する。随分と酒の臭いをさせているな……。

 

「おぉー! 痛い痛い! 全くこんな田舎に来るのではなかったわ!」

 

此方の謝罪を完全に無視され、少々ムッとするが堪える。

 

「辻、どうかしたか?」

 

ビルの地下、階段を登ってきたもう一人の陸軍将校らしき人物が現れた。

ここは、確かバーだったな……。

もう一人の方はそこまで酒の臭いはさせていないようだが……さて。

じっと顔を見る。

確か富永とか言ったな、階級は大将だった筈。

顔と名前と階級を思い出していると辻中将がキィキィと耳障りな声でのた打ち回るように口を開いた。

 

「おう、富永殿。良い気分で空を見ていたらいきなりこの小娘に突き飛ばされてな。全く田舎は敵いませんな!」

 

……随分と大げさだな。しかも自分がさも立ち止まっていたような言い回しをしている。

 

「ほほう……。それはいけないな、お嬢さん。大人に悪戯するものではないよ。……見たところそちらの娘は艦娘かね? ということは海軍の関係者かね?」

 

青葉と自分にジットリと爬虫類じみた視線を投げかけられる。

青葉をそっと自分の後ろに庇い、せめてその視線を受けないようにと配慮する。

富永大将は辻中将の手を引き、起こすと此方にゆっくりと近づいてきた。

 

「……青葉、少し離れて」

 

「でも……」

 

青葉が逡巡している間に富永大将は後半歩、という所で止まった。此方の両肩に手を置き、上から見下ろす。胸元に視線を感じるのが分かり、鳥肌が立つ。

 

「悪い事をしたら償ってもらわねばねぇ。とりあえず一緒に来てもらいたいんだがどうかね、んん?」 

 

好色そうな笑みを浮かべ、肩を撫で回す手に嫌悪感が体中を走り回る。……この少女趣味の変態が……!

 

鳩尾に拳を当てて……いや、だめだ。相手の服に妙な盛り上がりがある。おそらく銃を携帯しているな……。

 

「将校殿、どうかしたでありますか?」

 

ギリと歯軋りをすると同時に凛とした女性の声が響いた。




辻さんや富永さんには特に悪印象も抱いていませんし、史実の陸軍の方とは別人です。
……戦術が理解できるか、といわれれば理解はできませんが。
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白と黒、海と陸

「おや、これは可愛らしい。しかし女子の肩を撫で回すのは将校殿といえども褒められた行為ではありませんな」

 

飄々と言った態で、富永大将と私の間に割り込む女性。

 

「……邪魔立てするな、あきつ丸!」

 

「おや、邪魔とは何の事ですかな? もしや年端もいかない娘子を撫で回すのが大将閣下の御趣味とは。随分魂消た高尚な御趣味ですな」

 

大将があきつ丸と呼んだ女性と火花を散らしている。

根負けしたのか舌打ちをすると、後ろに控えていた辻中将に振り向いた。

 

「……チッ……。お前、名前はなんという」

 

後ろ向きに声をかけられた。おそらく私に問いかけたのだろう。

 

「……レイカと申します……」

 

偽名を名乗り、できるだけ粛々と答えた。

 

「レイカか、覚えたぞ。……ここは娯楽が無いのでな……ククク」

 

瞬間、体中が総毛立つ。

おそらく私を諦める気は無いのだろう。……あからさまな人間の欲望というものはここまで醜いのだな。

千鳥足の辻中将を連れ、ビルの地下から出てきた何人かの護衛と共に富永大将は去っていった。

 

ふぅ、と一息つく。

 

「大丈夫でありますか? レイカ……と申されたか。災難でしたな」

 

「ありがとうございます。あきつ丸さん、でよろしいでしょうか。助かりました……」

 

助けてくれた女性に頭を下げ、礼を言う。

 

「あきつ丸……で構いませぬよ。そちらの艦娘と同じく私もでありますゆえ」

 

……そういえば陸軍も艦娘を開発しているのだったな。まるゆもそうだったが。それがあきつ丸か。

そちらの、と視線を向けられた青葉がピクリと反応する。

 

「し……レイカ、大丈夫ですか!? あの、あきつ丸さんありがとうございます。恐縮です、青葉といいます!」

 

慌てた様子の青葉に日常を感じ、安堵する。

しかし、感情が落ち着いたことによって先程の悪寒が寒気となって体を襲い、思わず両腕で自分を抱いてしまった。

 

「……怖かったのでありましょうな。償いになるかは判りませぬが……」

 

ふわりと……羽根のようにふわりとあきつ丸に抱き締められてしまった。

随分と肌が白い艦娘だったので、体温は低いかと思ったが随分と温かかった。

 

「艦娘が着いていると言うことは海軍の関係者でありますか?」

 

「レイカはこの鎮守府にとって大切な人です」

 

私を挟んで陸と海の艦娘が話をしている。

 

「青葉殿、陸とか海とか一体何なのでしょうなー」

 

「本当ですねぇ。あ、でも今うちの鎮守府に陸軍の艦娘が遊びに来てるんですよぉ」

 

「陸軍の艦娘ですか、あきつ丸以外に居たでしょうか……はて?」

 

青葉が口を滑らせてしまったようだ。

少しギクリとしたがあきつ丸は心当たりが無い様子でホッとした。

 

「……それで、あきつ丸さんはいつまでウチのレイカを抱き締めているんですか?」

 

青葉が後ろからジットリとした声で問いかけた。

心なしか後頭部にジリジリと太陽に虫眼鏡をかざしたような視線を感じる。

 

「……何やら随分と良い香りがするので、正直自分も戸惑っているのであります」

 

不味い……もしやあきつ丸には私のような体質の持ち主への耐性が無いのではなかろうか。

少しだけあきつ丸の体温が上がっているようだ。

それが此方にも伝わってくる。

顔を見上げると少しだけ頬が紅潮しているようだ。ファンデーションのせいで分かりにくいが……。

 

「この香り……実に良い……ハァ~……」

 

身をかがめて此方の首筋をクンクンと嗅ぐあきつ丸。

……そういえば暁達と見たドラキュラの映画にこんなシーンがあったな……。

その翌朝、暁が布団をコッソリ干している所を見かけてしまったが……。

いや、そんな事を考えている場合ではないな。この話はまた今度語ろう。

まずはあきつ丸を引き離そう。

 

「あきつ丸、助けて貰った恩人に言いたくはありませんが。そういうことは、よその子でお願いしたい……!」

 

少しだけいつもと口調を変えて淑女然とした態度を取る。

その言葉を聴いたあきつ丸がハッとしたような表情をし、ゆっくりと名残惜しげだが、手を離してくれた。

 

「申し訳ない! 何分むくつけき男共に囲まれていて……少々精進が足りないようであります」

 

「……離してくれたなら良いんですぅ~。じゃあレイカ、行きましょうか!」

 

青葉が此方の手を引き、先に進もうとするとあきつ丸に呼び止められた。

 

「待つのであります!」

 

「何なに? なんの話ですかぁ?」

 

青葉が胡乱気な目をあきつ丸に向けた。

しかし、あきつ丸は動じていないようだ。

心根が強いのか、空気が読めていないのかどちらだろうか。

 

「……言いたくはありませぬが、あの大将閣下は欲しいと決めたものは非道な手段を使ってでも手に入れる御仁であります。いくら艦娘が護衛と言えども多人数の人間相手では少々分が悪いのでは、と考える次第であります」

 

「う……。でもまさかですよね? そんな白昼堂々とハイエースするなんて」

 

ハイエースとはなんだろうか……。青葉にそっと耳打ちして聞いてみたら、言葉では言い表せぬような卑猥な事を言われ、尾骶骨の辺りがムズムズした。

 

あきつ丸はその言葉にフルフルと首を振った。

 

「……あの御仁ならやりかねないであります。不肖、このあきつ丸が鎮守府までお送りしたいであります」

 

「うぅ……」

 

あきつ丸の言葉に青葉が唸った。

どうやらデートの続きをしたいのと私を危険な目に合わせたくないという気持ちを天秤にかけて葛藤しているようだ。

しょうがない、また日を改めて出かけるとしよう。……衣笠には叱られるかもしれないが。

 

「青葉? すまないが日を改めよう。今度は、ちゃんとした格好で出かけたい。……好意を抱いている相手なら特にな」

 

そっと青葉に耳打ちするとボンと音が鳴るかと思うほど顔が赤くなった。

……言い過ぎたかもしれないな。

 

ブツブツと口の中で呟き、両手の人差し指を合わせている青葉を置いてあきつ丸を見ると何やらニタリとほくそ笑んでいた。

 

「ほほう……レイカ殿がネコかと思っておりましたが、タチだったのですな。これは驚き申した」

 

待て待て、どうしてそうなる!?

 

「ネコ……タチ……」

 

青葉の声が聞こえてそちらを振り返ると耳から蒸気が噴出すかと思うほど、更に顔が赤くなっていた。そのままゆらりと後ろに倒れる。

 

「青葉ァーーーーー!?」

 

慌てて抱きとめるが、目を回している青葉を余所にあきつ丸のくつくつと言った笑いが響いていた。

 

 




粛々という言葉については産経妙の記事を見て使っています。
誤用でしたら申し訳ありません。
ハイエースに関しましては実在する車種とは何の関係性もございません。

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Ambiguity(春雨視点)

タイトル名はアーマードコアMOAの楽曲から。


一方、その頃遠征任務に出撃した春雨達は……

 

「皆、このまま単横陣になって~!」

 

旗艦の私、春雨がインカムで指示をする。

単横陣は攻撃力は低いが回避能力は高い。

あまりこの海域は安全とは言いがたい為、警戒するに越した事は無い。

それにビアク島は私が艦船時代に沈んだ場所だ。フラッシュバックは今のところ起きていないけれど、気をつけなくちゃ。

 

「春雨、どうして先に手紙を届けたんだい?」

 

隣に並んだ時雨姉さんに話しかけられた。インカムのマイクのスイッチを切り、肉声で答える。

 

「司令官が急いでいるようだったからです、時雨姉さん」

 

「ふぅん……随分と提督の事を気にかけているんだね」

 

相変わらず時雨姉さんの機嫌が悪い。

 

「……時雨姉さんは、司令官の事が嫌いなんですか?」

 

「ッ! そんな事はっ!」

 

いつも冷静な時雨姉さんが動揺してる。

でもここは私も譲れない。

春雨一世一代の頑張りどころだから。

 

「春雨は、司令官が何であっても好きです! ……時雨姉さんは違うんですか?」

 

「……提督の事は僕も好きなんだ。だけど、僕もあの人も壊れてる……。だから、純粋な好意を向けられる春雨が羨ましいよ」

 

壊れている?何がだろう。

悩んでいると時雨姉さんが少し考えるような仕草をして話し始めた。

髪飾りがチリと音を立てて揺れる。

 

「提督は艤装を向けてもセーフティがかからない。それは春雨も見ていたよね」

 

時雨姉さんの言葉に私はコクリと頷いた。

 

「提督は一度死に掛けているんだ。……だからかもしれない。セーフティがかからないのは。僕は、あの生きる事を諦めたような儚げに笑う時の提督は大嫌いなんだ」

 

「一度死に掛けてるって何があったんです?」

 

だけど時雨姉さんは私の問いには答えず続けた。

 

「一緒に生きていたいのに……! それさえ叶わなければ僕が終わらせて……と何度思った事か!」

 

時雨姉さんの大きな声に五月雨ちゃんと白露姉さんが此方を向いた。

 

「時雨姉さん、落ち着いて!」

 

慌てて私は止める。

可能性は低いけれど、もしこの会話が傍受されていたら司令官への反逆の意アリと見られて問答無用で解体されちゃう。

 

……時雨姉さんも司令官の事は本気なんだ。愛情の方向は間違っているかもしれないけれど。

 

「時雨姉さん、だからと言って好きな相手を傷つけるのは幸せにはなれないと思います……。春雨は一緒に生きる道を選びます」

 

鎮守府に帰ればよくやったなって司令官が褒めてくれる。……それに、未遂で終わったキスもしてくれるかもしれない。

少しだけ顔が熱くなっているらしい。両の手の平を頬に当てたらじんわりと手袋の上から顔の熱が伝わってきた。

 

「……春雨? ……春雨は綺麗だね」

 

「はい?」

 

深い息を吐いて落ち着いたらしい時雨姉さんに声をかけられた。

綺麗?私が?意味が分からなくてなんとも間の抜けた返事をしてしまった。

 

「さっき、提督が死に掛けたって言ってたよね。……子供の頃、海に沈みかけていた彼を助けたのは、僕なんだ。提督は江田島って人に助けられたと思っているけれど。僕が死に掛けていた提督を彼に引き渡したんだ。酷い状態だったけれど、僕が積んでいた応急修理をしてくれる妖精が提督を治療してくれたんだ。腕の中で息を吹き返した子を見てホッとしたよ」

 

「え……?」

 

あまりの疑問に思考が固まる。

おかしい、時雨姉さんはあの鎮守府で建造された筈。

第一秘書艦の電さんなら他の鎮守府から配属されたので頷けるけれど。

それでも、提督が子供の頃なら10年近く前になると思う。……それに艤装としての応急修理要員を人間に使った……!?

 

「時雨姉さん……。意味が分かりません。どうしてそんな記憶があるんですか?」

 

少しだけ、自分の姉に当たる艦娘が恐ろしくなり、得体の知れない恐怖にぶるりと震えた。

 

「僕にも分からない。でも、あの鎮守府で建造されて……改二になった時思い出したんだ。血と重油と臓物が浮いていた中で全てを諦めたような瞳で僕を見ていた子だって。驚いたよ、助けた時から全く変わっていなかったんだから」

 

時雨姉さんが寂しそうな瞳で髪飾りを所在無さげにいじる。その仕草にいつもの姉の姿を感じて、先程の感情を恥じた。

 

「司令官にはその事を……?」

 

そうだ、自分の命の恩人なら司令官も特別な感情を抱いているかもしれない。

そうなると私には少し分が悪いのかな。でも時雨姉さんなら司令官とお似合いな雰囲気になりそうだし。

 

「言える訳ないじゃないか。僕は提督を助けてから……沈んだんだ。敵の攻撃を受けてね。前世でアナタを助けました、だから恩を感じて下さい、とでも言ったらまず頭を心配されるよ」

 

それに……と時雨姉さんが続ける。

 

「提督はその当時の記憶を封印しているみたいだ。もし完全に思い出したら今度こそ自分で自分の命を絶つかもしれない。僕はそれが怖いんだ……」

 

時雨姉さんがシニカルな笑みを浮かべ、どうすればいいのか分からないという風に首を振る。

あぁ、なるほど、と納得してしまった。この人も辛いんだ。

司令官を好きで、でも傷つけたくなくて、だけれど想いが届く事は無くてその術さえ知らなくて。

だから私もちょっとだけ、この不器用な人の背中を押してあげる事にした。

 

「前世とか春雨はどうでもいいんですけれど、今の時雨姉さんが司令官の事を好きなのは素直になって良いと思います。それに、司令官に艤装のセーフティがかからなくなったのは妖精さんのせいでは?」

 

私はさっきから考えていた持論を展開する。

 

「艤装は普通の人間には効果が無いですけれど。でも……仮死状態ならどうなんでしょう? 生気が限りなくゼロに近くなっていれば、時雨姉さんの腕に抱かれた司令官は艦娘の一部として認識されるかもしれませんし。もしかしたらその時に私達艦娘と同じような身体になっているかもしれません」

 

ここまで話して、あくまでも私の想像ですけれど、と付け加えた。

その言葉を噛締めるように反芻する時雨姉さん。次第に顔が輝くのが見てて分かる。もう一押しかもしれない。

 

「いつまでも鬱々としていたら司令官を春雨が貰っちゃいますよ? 春雨だけじゃなくて電ちゃんや扶桑さんや金剛さんや青葉さんなんかも強力なライバルになりそうですし、たぶんもっと増えますよ? 司令官の事が好きな艦娘」

 

「フフ、そうだね。負けないよ。僕が提督の一番になるんだから!……でも、まずは提督に謝らないとだね」

 

にこりと時雨姉さんが微笑む。あぁ、やっぱり時雨姉さんは笑っていたほうが良いな。いつもの儚い笑顔じゃなくて。

そっか、司令官と時雨姉さんは案外似たもの同士なのかもしれない。

 

「一番はあたしー!」

 

白露姉さんが時雨姉さんの一番って言葉に反応して通信に割り込む。

 

「きゃぁっ!」

 

思わずびっくりして声が出てしまった。

 

「春雨ちゃん、インカムのマイクずっとスイッチ入ってたよ……」

 

五月雨ちゃんの声がインカム越しに聞こえる。……という事は今までの会話全部!?

マイクのスイッチ切っていたはずなのに!……って切れて無かったみたい。

 

「春雨は五月雨よりドジだなぁ」

 

「なっ!? 私ドジっ娘じゃありません!」

 

白露姉さんと五月雨ちゃんが言い合いを始めちゃった。

と、その時重い何かが空を切る音が聞こえた直後、後ろで大水柱が上がった。

前を見ると遠くに黒い影が見えた。

 

「敵襲! 敵艦見ゆ! ってか? ふん!」

 

「ねぇ、こいつら……やっちゃって、い~い?」

 

敷浪ちゃんと文月ちゃんが艤装を構える。駄目だ、さっきの音は5inch砲の音じゃない、それに威力も。つまり敵は駆逐艦じゃない、少なくとも戦艦クラス……!

 

「駄目! 回避に専念して! 島の影と浅瀬を使って逃げ切ります!」

 

艦船時代の記憶がフラッシュバックしかけて足が竦みそうになるけれど、気合を入れて奮い立たせる。

 

「単横陣から複縦陣に! 被弾面積を減らして!」

 

守りきるんだ!誰も、生きて鎮守府に帰るんだ!

砲弾の雨が降り注ぐ。みんな紙一重で避けてるみたいで少しだけ安心する。

幸い戦艦が1隻、重巡洋艦が3隻みたい。こちらは高速な駆逐艦編成、これなら逃げ切れる!

 

一時は親指くらいの大きさだった敵を豆粒くらいの大きさになるまで引き離した。

もう少し離れれば砲撃も見てからかわせる距離だ。

ホッと一息つく。他のみんなも私が気を抜いたせいで緊張が少し解れてしまったようだ。

しかしこれがいけなかった。

 

時雨姉さんの直上、太陽を背にした禍々しい黒い艦載機が爆弾を落とす。

艦載機!?何処から!?いや、それよりも時雨姉さんは上に気付いてない!

 

「時雨姉さん! 危ない!」

 

「春雨ッ!?」

 

慌てて時雨姉さんを突き飛ばしたけど、当然突き飛ばした場所には私が立っているわけで……。

あぁ、やっぱりビアク島は鬼門かぁ。しかも艦載機の爆弾で沈んじゃう事も同じ……。

私が沈んだら司令官は悲しんでくれるかな。

キス、したかった、な……。

 

「春雨ェーーーーー!!!」

 

時雨姉さんの絶叫が響き渡るのと、落ちて来る爆弾に全ての光が遮られ、目を閉じたのは同時だった。

 




春雨のおかげで提督のカラダのヒミツ(意味深)が分かりました。
悪雨ちゃんにならないか、少し心配ですけれど。

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その女ドSにつき

所変わって此方は鎮守府

 

陽が少し傾きかけ、朱が刺す時間に鎮守府についた。

 

「鎮守府まで護衛してくださってありがとうございます」

 

あきつ丸に礼を言う。

 

「レイカ、あきつ丸さんにお茶でも飲んで行ってもらってはどうです?」

 

「えぇ、そうしてもらいましょう。私も着替えたいですし」

 

青葉に同意してニコリと微笑む。

正直この口調も化粧も早く落としてしまいたい。

 

「良いのでありますか?」 

 

「ええ、御予定が無ければ是非。青葉? 鳳翔……さんが今の時間ならバーの方に居る筈。私が願っていたと伝えてくれれば融通して貰えると思う」

 

鳳翔といつもの癖で呼び捨てにしかけたが慌てて敬称をつける。今なら鳳翔がバーで仕込みをしている時間だろう。

 

「りょーかいしました。ではあきつ丸さん、青葉と行きましょうか」

 

「海軍はバーまで施設内にあるのですな。自分、酒は好きなのでありますがまだ陽があるうちは……」

 

あきつ丸が逡巡しているが青葉がグイグイと引っ張っている。

 

「大丈夫ですよぅ。青葉の目当ては甘味なんです。あきつ丸さんも気に入ると思いますよぉ?」

 

「何!? 甘味……でありますか。それは是非とも御相伴にあやかりたいであります」

 

甘味という言葉につられてあきつ丸がヘロヘロと引きずられて行く様に苦笑する。

陸でも海でも女性の食の好みは変わらないのだな。

そういえば陸軍の糧食は酷い物だと聞いた事がある。

もしやあきつ丸も食についての娯楽は少ないのであろうか。それならば、できるだけ楽しんでいってもらいたい。

……鳳翔ならクレープアイスでも作るのはお手の物だろうしな。

 

後で覗いてみるか。

さて、衣笠の部屋に行こう。提督服があそこにある筈だ。

鎮守府内を早足で歩くが、何やら少々騒がしい……。何だ?何かあったのだろうか。

 

「あ、提督! 帰ってきたの?」

 

廊下で衣笠に声をかけられる。どうやら私を探していたらしい。

 

「あぁ、少しトラブルがあって早めに切り上げた。すまない、また日を改めて……」

 

「そんなの良いから! 執務室に提督の知り合いだってお客さんが来てるの! 今探しに行こうかと」

 

客……?その様な予定はなかった筈だが……。

衣笠にさきほどあきつ丸が青葉に引っ張られていたような格好で、今度は私がグイグイと引っ張られる。

 

「ちょっ……と待った! 衣笠! この格好では!」

 

少なくとも女装している格好では提督として人前に出るのは色々問題がありすぎるだろう。

 

「良いから! あまり待たせると提督のクビが飛んじゃうかもだし!」

 

……そんなに階級の高い人間が来ているのだろうか。

咄嗟に頭に浮かんだのは先程の陸軍大将殿だ。

もし鎮守府まで乗り込んで来たと言うならば、刺し違えてでも……!

執務室の前まで半分引きずられるような形で連れて来られた。

 

「衣笠です。お連れしました」

 

衣笠が執務室の扉をノックした。

 

「どうぞ」

 

天津風の声が中から響く。声の調子から相当緊張しているようだ。

衣笠はドアノブに手をかけたまま迷っている。代わりに私が開けた。

 

「……お待たせ致しました。何か御用でしょうか」

 

あの陸軍の将校だとしたら顔も見たくない。下を向き、そろそろと入る。

 

「遅い! んっ、なっ……!? い……いや……て、提督は何処だ!?」

 

いきなり上から怒声が降りかかった。

驚いて顔を上げると、長門が居た。

私の鎮守府には居ない筈の艦娘だ。

 

長門とは長門型戦艦1番艦で超弩級戦艦、所謂ネームシップと呼ばれていた存在だ。

ビッグ7と呼ばれる事も誇りであるらしい。

艦船時代としては大和型が就役するまで日本海軍の主力として活躍していたと言う。

戦後まで沈まずにいたが、その後アメリカが接収。核実験の標的艦にされてビキニ環礁に沈んだという話だ。

……戦いの中で沈まなかった事が心残りだと悔やんでいると、同期に聞いた事がある。

普段は同期の秘書艦をずっと務めていた筈……。という事はもしや!?

 

そのまま視線をずらす。

長門の隣には白い提督服に身を包み、華奢な体と長い黒髪、人を射抜くような視線を持ちシニカルな笑顔を浮かべた見知った顔が居た。

 

「落ち着いて、長門。目の前に居るのがここの提督よ。アナタまたそんな格好しているのね。随分とお似合いだけれど、化粧の腕まで良くなったの?」

 

開口一番、皮肉が飛び出してきた。

 

「……罰ゲームでな。久しいな。壮健であったか?」

 

一瞬衣笠にさせられたと口から零れてしまいそうだったが、女性のせいにするなど矜持に反する、

グッと我慢してその言葉を飲み込んでおいた。

 

「えぇ、アナタも元気そうね。……見た目は、だけど」

 

くつくつと笑い、客用に設えたソファに腰を下ろした。

改めて、目の前の見知った顔を見る。

釣り目がちな瞳、腰まで伸びた艶のある髪。色は共に黒く、日本人形を彷彿とさせる。

……体型もだが。

提督服をアレンジした短めのスカートにニーソックスを履いている。

上層部からの指示だそうだ。……あの爺共はこういう事には五月蝿いらしい。

 

私と同期だが、成長を全くしていない目の前の相手も、もしや同じような体質の持ち主であるかもしれない。

階級は少将。名前は……設楽(しだら)だ。容姿も相まって海軍の広告塔として爺共にこきつかわれると、よく個人回線の無電でボヤいていた。

設楽とは音楽の手拍子の意味だと聞いた事がある。音楽家の家系だったのだと。

 

「設楽、随分と早かったのだな。到着は明日かと思っていたぞ」

 

「それよりもアナタ、その格好でその喋り方はありえないわ。私を楽しませる気なら女性になりきって欲しいものね」

 

言い忘れていた。

 

この女、性格はドSである。

 




めんそーれ♂様がロリ提督を描いてくださいました。大感謝です。

【挿絵表示】


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Cadence Call

タイトルはアーマードコアVの楽曲名から。
うぅ、最近ACからのネタにお世話になりっぱなしですね。
エスコンネタも入れたいのに。


「望んでこのような姿をしている訳では無いしな……」

 

ふぅと溜息をついた。

 

「あらそう? 似合ってるのに。できればずっとその格好で居て欲しいくらい」

 

本気なのか冗談なのか判らないが設楽がクスリと笑う。

あぁ、こういう性格だったなぁ。そういえば。

同期のイケメン提督が設楽に好意を抱いているが……。もし付き合ったら絶対尻に敷かれるな。

 

「提督、その……なんだ……。私も随分と似合っていると思うぞ」

 

長門が口を開く。何やらこちらを凝視していて少し怖い。

 

「長門か、その後どうだ? 不自由は感じていないか?」

 

設楽の鎮守府は過去に問題を起こした将校の鎮守府をそのまま引き継いでいる。

長門ともそのおかげで私と面識があるのだ。

 

「あぁ特にはないな。……難点があるとすれば設楽が抱かせてくれないので少々悲しい」

 

「抱かせて……というと貴様等そういう関係だったのか?」

 

胡乱気な目を設楽と長門に向ける。

……他人の鎮守府の事までとやかく言うつもりは無いが、風紀が乱れているようならば注意しなくてはならないだろう。

 

「……後ろから腕を回されて長門ネックレスというか、長門リュックサックをされたい提督は少ないのではないかしら」

 

あぁ、そういうことか。随分設楽に懐いているな。

微笑ましくてクスリと笑いがこみ上げた。

 

「とりあえず座ったらどうかしら。長門もそのゴスロリ提督の隣に座ると良いわ。たっぷりと抱かせてくれるから」

 

抱かせて、という部分を強調し此方にも座るように強制する。

……此処は私の鎮守府なのだがな。

 

「天津風、すまないが私にも茶を頼む。衣笠は私の服を取ってきてくれるとありがたい」

 

「はーいっ! 衣笠さんにお任せ♪」

 

「あ、お茶葉切れたから厨房でもらってくるわね」

 

小気味良い返事を残して衣笠と天津風が出て行く。

設楽と話したいこともあったので、対面のソファに腰掛けた。

自分の体がソファに沈んで落ち着かない。

固い椅子の方が好きなのだ。

隣に長門が座り、体格差で長門の方に傾いてしまった。

彼女の名誉の為に言っておくと決して長門が重いわけではない。

ソファが柔らかすぎるのが問題なのだ。たぶん、きっと、おそらく。

 

「おっと……。大丈夫か? 提督」

 

「すまない、柔らかい椅子に慣れていなくてな」

 

少し釣り目気味の艦娘の顔を見つめる。

長い黒髪、瞳の中に炎が揺らめいているような朱がある。それが彼女の意志の強さを証明しているようだ。

 

「私の顔になにかついているのか?」

 

見つめていると長門が口を開いた。

 

「……いや、瞳が綺麗だな、と思ってな」

 

正直な感想を漏らす。

 

「あー……。そんな事長門に言ったら……」

 

設楽が盛大な溜息をついて、知らないぞといった表情をする。

何だ?何かあるのだろうか?

疑問を考える暇も無く、長門にぎゅうと抱きしめられた。

 

「あぁ、もう可愛いでちゅね~! もう長門お姉さんがチュッチュしたいくらい!」

 

「な、長門!?」

 

ありえない言動に動揺する。

いつもはキリッとして、頼れる姉、または副指令を務められる威厳を持った艦娘なのだが……。

 

「はぁ……。やっぱりこうなったわね。長門は小さくて可愛いものには目が無いのよ。で、抱きしめられると離さないから私の鎮守府でついたあだ名が妖怪アリジゴク。年少の駆逐艦達にはそれをネタに遊んでいたりしてスリスリしてるわ」

 

設楽がヤレヤレと苦笑する。そういうことは早く言え!

 

「だぁーってぇー、設楽はあんなに良い匂いをさせてるのにスリスリもチュッチュもさせてくれないんだもん。でも提督でちいかわ成分補給するから良いもん」

 

ちいかわ成分とは小さくて可愛いといった略だろうか。

……長門の口調まで変わってしまっている。ヒョイと持ち上げられ膝に乗せられてしまった。首筋にスリスリと鼻を擦りつけられる感触にくすぐったさで身悶えした。

 

が、先程の言葉に看過できない部分があった。

あんなに良い匂い……やはり設楽も……?

くすぐったさを我慢しつつ設楽に問いかける。

 

「……設楽、もしかしてお前も、なのか? 艦娘の、その……」

 

何と言って良いか言いよどむ。

 

「……そうね。エサよ」

 

茶を口に含み、事も無げに言い放つ設楽は複雑な表情をしていた。

 

「アナタは気付いてないと思っていたわ。鈍いし、できれば気付かないままのが幸せだったのかもしれないけれど。私自身は海軍公認の人形姫。……傀儡姫と言ったほうが良いかもしれないわね」

 

「設楽、だから自分をそう卑下するのは止めろと言っている」

 

設楽の世をひねた自虐的な笑い方に、長門が怒気を込めた声を放った。

 

「そうね、ごめんなさい。ただ同期として忠告しておくけれどマスコットとして役に立つ今の私以外は使い捨ての駒よ。それはアナタも」

 

設楽の瞳の中に深い闇が見えた気がした。

相当な苦労を重ねて来たのかもしれないな……。海軍のマスコットガールにされたとは言え少将までの道のりは並大抵の努力では無かっただろう。

……考えたくはないがあの陸軍大将の様な趣味の人間も居る。設楽がそういう行為をするとは考えたくは無いが、な。

 

「設楽よ、もしかしてこんなに早く到着できたのは、やはり血か何かを飲ませたのか?」

 

コクリと設楽が頷いた。……だろうな、戦意高揚状態で無ければとてもじゃないが数時間で来れる距離ではない。

 

「小型魚雷艇を改造したものを比較的高速で移動できる艦娘達に牽引してもらったわ。風向きも良かったので、おそらく40ノット以上は出てたはず」

 

そういえば設楽は小さくても重武装の兵装が好きだったな。

おや?海路で来たのなら護衛艦隊と出会わなかったのだろうか……。

 

「設楽、こちらから護衛艦隊を向かわせたのだが見なかったか?」

 

「え? 見なかったけれど……。何処のルートから送ったの?」

 

キョトンとする設楽、何故だろう。何か胸騒ぎがする。

 

「南方ルートだが……。お前達は何処を通ってきた?」

 

私の言葉に設楽がハッとしたように声をあげた。

 

「ダメよ! 南方海域は今、深海棲艦の姫クラスが居るわ!」

 

その言葉に驚愕した。

姫クラスだと!?

では春雨達は……!

 

「あなた、お茶葉もらってきたわよ……って何してるのよ。他の鎮守府の艦娘まで手を出すつもり?」

 

厨房から帰ってきた天津風が呆れたように声を出す。

長門の膝の上に座らせられているが、これをどこをどうみれば手を出していると見るのか。

私が手を出されているとは考えてくれないのかと少しだけ悲しくなった。

しかし今はそのような事どうでも良い。

 

「天津風、大淀を呼び出してくれ。それと長門、すまないが離してくれると有難い」

 

アリジゴクのように両腕をガッチリと此方の腰に回し、首筋に鼻を埋めている長門に声をかけた。

 




めんそーれ♂様がロリ提督を描いてくださいました。大感謝です。

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水底への鎮魂歌

天津風が執務室からの直通回線で大淀に連絡を取る。

 

「はい、こちら大淀」

 

「大至急、執務室まで来てくれ。繰り返す、大至急だ」

 

大淀の声が聞こえると同時に天津風から端末をひったくるようにして捲し立てた。

 

「提督、先程時雨から救援要請が……」

 

何故旗艦の春雨では無く、時雨から……?

いやな予感がじわりと心中に広がる。

 

「良いから来いと言っている……!」

 

ほぼ当てつけに近い感情だが、大淀にぶつけてしまった。

 

「……分かりました。すぐに向かいます」

 

プツリと通信が切れる。

 

「提督、落ち着いて」

 

いつの間にか後ろに居た衣笠が声をかけてくる。

手には私の提督服を持っていた。

 

「すまない、衣笠。……少し席を外す。着替えるので覗かないでくれるとありがたい」

 

衣笠から提督服を受け取り、給湯室に入った。一番手っ取り早く着替えられそうな場所がここしかなかったからだ。今は自室に行く時間さえも惜しい。

艦娘達には悪いがおふざけはここまでだ。

ホルスターとウィッグを外し、給湯室の影で服を脱ぐ。

長門や衣笠が覗きに来るかとも思ったが、そのようなおちゃらけた雰囲気ではないと悟ってくれたようだ。

 

TPOをわきまえてくれるのはありがたいな……。

給湯室の水道と石鹸でメイクを落とす。……あまりう褒められた行為ではないが、非常事態ということで許してもらおう。

サッパリしたところでハンカチを取り出して顔を拭く。

ハンガーから提督服を抜き、袖を通して帽子を被る。

 

睫毛が落ち着かないのは確かだが、今はそんな事を構っている場合ではないだろう。

執務机に着いて、設楽に声をかけた。長門と衣笠は少しだけ残念そうな顔をしていたが、気にしない事にした。

 

「設楽、お前の小型魚雷艇は借りれるか?」

 

「どうしても、と言うなら貸してもいいけれどオススメはしないわ。知能の高い深海棲艦の姫ならば真っ先に私達を狙ってくると思う」

 

しばらく考える素振りをした設楽が答える。

 

「それならば良い囮になるだろう?」

 

「「「ふざけないでっ!」」」

 

天津風と設楽と衣笠の声が綺麗に重なった。

最初に口を開いたのは設楽だ。

 

「……少し頭を冷やしなさい。もしアナタが敵の手に落ちたら深海棲艦まで強化されるのよ? まずそうなったらコチラに勝ち目は無いわ。それに、小型と言っても操縦するのはアナタ一人でできるわけじゃないわ。操縦するほかの人間まで巻き添えにするつもり?」

 

設楽の言葉に我に返る。……かなり頭に血が上ってしまっていたようだ。

 

「……すまない」

 

一言だけ謝罪の言葉を口にし、少しだけ冷静になった頭で敵について考える。

深海棲艦の姫、南方にいるならば南方棲戦姫だろうか。

何度も退けた経験はあるが、何度でも復活している。

経験があると言っても戦艦と空母での、この鎮守府ほぼ最強編成で、だ。

駆逐艦が狙われたらひとたまりもないだろう。

特に恐ろしいのは夜戦に持ち込まれたときだ。

おそらく夜戦能力にかけては最強と言っても良いだろう。

 

春雨は無事だろうか……。

月が昏く紅く染まった昨日の夜を思い出す。

あの時の深海棲艦に見えたのはもしやこの事を暗示していたのではないかと。

嫌な考えばかりが頭に浮かぶ。

その時だ、ぞわりと……ぞわりと体が重油の中に沈みこむ感触がした。

視界が暗くなる。耳の奥でノイズが走る。潮騒の音と、鼓動の音が。

 

「……あっ?」

 

不味い……!この感覚は……!?

机の影、足元に黒い影が纏わりついている。

それは一気に膝まで上がって、人の手のカタチになった。

 

「や……やめろ!」

 

払いのけるが次から次へと纏わりついてくる。

耐えられなくなり、銃を抜いた。

セーフティを解除し、震える腕で照準を足元の黒い重油に向ける。

……自分の足ごと撃ち抜くこともいとわないと考えて。

 

「……! 長門! ソイツを押さえて!」

 

設楽の声が響く。ただ、すでに私にとっては人の声と認識ができなかった。

重油のもりあがった部分が紅く、ただ紅く盛り上がり、言葉を紡ぐ。

 

それは怨嗟の声。

 

「ドウシテ……ナゼ、オマエモコイ……ミナソコに……シズメ」

 

「嫌だ……! やめてくれ!」

 

引き金に力が込められ、弾丸が発射される直前に椅子から引き摺り下ろされ押し倒された。

 

「ッ! ……ハナセェ!」

 

両手両足を固定され、必死にあがく。目の前の黒い物体が覆いかぶさり、無理矢理何かを口に流し込んだ。

 

「ぅゲホッ……!」

 

甘ったるい何かが死臭を連想させ、たまらずえずいた。

気管に入ったようで涙が出る。

 

「ガハッ! ハヒュー……ハヒュー……!」

 

何とか息が吸えるようになった時、目に入ったのは長門の姿だった。

 

「なが……と……?」

 

焦点が合い、私の両手両足を拘束しながら心配そうな目で見つめる長戸。このような真似をさせてすまない……。もっとしっかりせねばと考えるが、あの恐怖には抗えないのが悔しい。

 

「……落ち着きましたか? 提督」

 

「……大淀……か」

 

声がかけられ、首だけを回しそちらを向くと空になった瓶を持った大淀が居た。

どうやら薬を飲ませてくれたらしい。

 

「アナタ、相当危険な所まで来ているようね」

 

設楽が腕を組みながら冷徹に言い放ち、転がった私の拳銃を拾った。

 

「……すまない、もう大丈夫だ。離してくれ、長門」

 

「っ……う……」

 

長門の様子がおかしい……。これは、まさか。

 

「いけません! 長門さんを提督から離して!」

 

大淀の切羽詰ったような声が響く。

しかし衣笠、大淀、天津風の3人がかりでもビクともしなかった。

 

「……光が見えるな。あの光は嫌いだ……まだ、まだ私は沈まない……!」

 

長門の瞳に暗い炎が宿る。やはり理性を失った扶桑の時と同じか!長門の手が提督服の襟に伸びる。長門が何をしようとしているのか一瞬で分かった。……おそらく私の衣服を破くつもりだ。

 

「やめろ長門!」

 

パァンと音が破裂した。

私が自省を求める声を叫ぶのと設楽が天上に向けて銃を発射するのは同時だった。

キンと耳が鳴っている。

 

「え……あ? 私、は……」

 

だが、これで良かったらしい。長門の瞳に光が戻っている。

その瞬間長門の体が離れ、設楽が代わりに膝を着いた。

 

「ホラ、立てる?」

 

手を差し伸べてくれる設楽、しかしその体勢は……。白いレースがついたモノが目に入る。

 

「……設楽、下着が丸見えだぞ」

 

ゴスと銃底で殴られ星が飛んだ。

薬のせいか、此方も欲望に正直になっているのかもしれない……。




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Albatross

「このスケベ男は放っておきましょう。艦娘はコイツに近づかないように」

 

少しだけ怒っているような風体の設楽が立ち上がる。顔が赤いのは怒気のせいだろうか。

 

「……あぁ、そうだな。今艦娘が私に近づくのはあまり褒められたものではないな……」

 

執務机に手を掛け、よっこらせと立ち上がった。

大淀が処方する薬を飲んだ直後は発汗や体臭に戦意高揚の成分が乗るらしく艦娘の理性を飛ばし易いのだ。

 

……最高にハイ!ってやつだあー!等と叫んではならない。ダメ、絶対。

 

こんな事を考える程度には頭は落ち着いているらしいな。

艦娘達を見ると大淀、衣笠の両名は理性を保っているが、状況が分からないらしい天津風は何やらスカートの前を押さえてモジモジとしている。

長門は先程理性を飛ばしかけたせいか他の艦娘より一歩引いている。

 

「天津風さん、緊急用の放送端末を」

 

大淀が天津風に指示を出す。

 

「え!? ええ、分かったわ」

 

大淀が全館放送用のマイクに近づいて話す。

 

「さきほどの発砲音は訓練です。繰り返します。先程の発砲音は訓練です」

 

そう言ってマイクのスイッチを切った。

……あぁ、なるほど。設楽が長門の正気を取り戻す為に撃った音を聞きつけて誰かが飛び込んでこないとも限らないからな。

何人かの艦娘はいぶかしむかもしれないが、それでも大淀の言葉なら大丈夫だろう。

それに記録として残るが大淀の声であれば訓練として処理される。……私が言ってもアラを突かれ痛くも無い腹まで探られる事になりかねないからな。

 

「設楽は薬を飲んでいるのか?」

 

ふと疑問に思って聞いてみた。

 

「ええ、アナタほど飲む頻度は多くないわ。……必要最低限にはしているからなのだけれど。そもそも何故ここまで早くフラッシュバックの症状が出てるの? それこそほぼ日常的に食事に入れて摂取でもしないとこうはならない筈よ?」

 

設楽が大淀を睨みつける。敵意の篭もった瞳で。切れ長の目が細められて敵か味方かを推し量っているようだった。

 

「それは……」

 

大淀が言いかけるのを私は手で制した。

 

「私が話そう。……恥ずかしい事に慢性的な胃痛を抱えていてな。どうしても頼ってしまっていたのだ。大淀に責は無い」

 

「提督……ありがとうございます」

 

副作用や効果については全く知らされていなかったが、ここでそれを設楽に言うほどでもないだろう。

できれば問題をばらまきたくないしな。

 

「それはそうと救援要請についてだが、本当に時雨からだったんだな?」

 

「はい、救援要請と共に、敵の第一波は凌げたと電文を受け取りました。……ですがそれからは連絡が来ていません」

 

大淀から状況報告を聞く。

不味いな、時間的にはそろそろ夜だ。

夜戦に持ち込まれたら時雨達の生存の可能性はゼロになる。

窓の外を見て橙に染まった景色を確認する。

 

「設楽の護衛に向かわせた高速戦艦達を時雨達の下へ向かわせよう。暗号は変えておけ、他の鎮守府で深海棲艦に暗号が傍受されていた事があったみたいだ」

 

信じられないことだが、深海棲艦が暗号を解読しているという噂がまことしやかに囁かれている。

確か有名な鎮守府が発信源で、駆逐艦の吹雪が精一杯頑張っている場所だ。

自分が行って無事な姿を確認したかったが、今は最善と思われる策を取ろう。

無事で居てくれ、春雨。

 

「天津風、衣笠に頼んでおいたが護衛艦隊の編成は誰だ?」

 

未だモジモジと顔を赤らめている天津風に声をかけるとビクリと体を震わせた。

 

「えっ!? あ、うん……。戦艦は金剛、榛名、比叡、霧島。空母は赤城と翔鶴よ」

 

……どうやら自分の体の不調には気付いていないらしい。

少し席を外させるべきだろうか……。

だがこれなら救援に向かわせられる。

 

「大淀、頼む」

 

「畏まりました。それでは暗号電文を飛ばします」

 

小型端末を取り出し、操作をしている大淀。

恐らく司令室の機材に直結しているのだろう。

 

「送信しました。それでは確認の為に作戦司令室に戻ります」

 

操作を終わらせたらしい大淀が此方を向いた。

 

「あぁ、二度手間を踏ませてしまって申し訳ない」

 

感情に任せて呼び出してしまった事を少し後悔した。

 

「……良いんです。あそこで薬を持っていかなければもっと酷い事になっていたでしょうから」

 

大淀の言葉にギリと歯軋りをする。確かに大淀が来なければ、長門に止められなければ自分の体か艦娘を傷つけていたかもしれないのだから。

 

「……すまない。苦労をかけるな」

 

「ふふ、本当ですよ。そう思うなら私ともデートしてくださいね」

 

ニコリと微笑み、一礼をして出て行く大淀。

やはりばれていたのか。

 

「随分もてているようね。艦娘とデートまでするなんて。正直アナタはその外見だから恋愛対象には適さないと思っていたわ」

 

妙に不機嫌そうな設楽の声がする。

 

「お言葉ですが、提督は艦娘の事を第一に考えています。たまに過保護とは言える時もありますが、私達は感謝しています。異性とはいかないまでも父親や兄、弟に抱くような好意が芽生えるのは当然の流れです」

 

衣笠が設楽に食って掛かる。フォローをしてくれているのだろうか。

 

「ふぅん……。まぁ、いいわ。それで、アナタは黙って座っている様な人じゃないわよね?」

 

設楽が私の肩に手を置く。

……ばれていたか。

 

「あぁ、空軍の知り合いに連絡を取る心算だ。小型のオスプレイをな」

 

「……ってアメリカの機体じゃない! そんなもので日本の空を飛ぶつもり!? 第一そんなものは空軍は導入していない筈よ!? ……まさか!」

 

設楽が激昂する。

無理も無い、当然の事だ。だが、存在するのだ。

小型にして機体識別番号を偽装したものがな。

 

名称はMV/SA-32J:海鳥。

航続距離は燃料タンクを換装すれば1000km弱まではいくだろうか。しない場合は400kmほどだ。ギリギリ帰れるか片道切符かは運次第だな……。

 

「やめておきなさい、海鳥の事は私も聞いた事があるわ。でも行かせない。あれは深海棲艦にとっては蚊を落とすより簡単よ」

 

コメカミに銃をつきつけられる。

 

「設楽!?」

 

「提督!」

 

長門と衣笠の声が響く。

しかし設楽はそれに全く動じず、言い放った。

 

「良いわ。私と行きましょう。魚雷艇を貸すわ」

 

行きましょう、という単語に様々な意味が込められていた気がする。

それは往きましょう、なのかもしれないな。

巻き込んでしまってすまないと思いつつも設楽に頷いた。

 




海鳥は架空の兵器で、ジパングに出てくる垂直離着陸機です。

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Gymnopédies confusion

「そんなことさせると思う?」

 

設楽と喋る様子を無言でじっと見つめていた天津風がナイフの様に冷たく尖った言葉を放つ。

……そういえば設楽と天津風はなにか雰囲気が似てるな。喋り方と言い、そっくりだ。

 

「悪いが止めても無駄だ。すまないな、天津風」

 

席を立つとドアの前に天津風と衣笠が立ちはだかった。

 

「……貴様等、どういうつもりだ」

 

自分でも不味いと思うが、どうにも感情が昂ぶるのを抑えきれない。

 

「提督、落ち着いて。金剛さん達が向かっているなら足手まといになるかもよ?」

 

衣笠が此方を落ち着けようと声をかけてくれる。

しかしドアの前をふさいだまま。

 

「……私も反対だ。提督や設楽達を護衛する為に艦隊編成をしなければならないが、すでにこの鎮守府の主力は出払っているのだろう?」

 

長門が壁に背をつけ、腕を組みながら一語一句考えるように話す。

 

「もし提督が向かった後に鎮守府を攻撃されたらどうなる? 主力艦隊不在の間に鎮守府が攻撃された場所もあると聞いているぞ」

 

私も聞いた事がある。

主力艦隊を全て出払わせていたために、鎮守府が深海棲艦に攻撃されたと。

その後、提督が生死不明になったがあまり艦娘に慕われていなかったのか秘書艦の長門と大淀が提督業を引き継いだと聞いている。

……私の鎮守府ではどうだろう。

もし私が死んだら艦娘達は泣いてくれるだろうか。

 

「天津風、衣笠。もし私が深海棲艦の手にかかって死んだらどうする」

 

……しまった。考えて居た事が口に出てしまった。

 

「あ、いや。気にしないでくれ。なんでもないんだ」

 

慌てて言葉を取り消すが一度出てしまった言葉はもう戻らない。

 

『……地面に落ちた雨の音を声にするのは野暮だと思わないかい、提督。』

 

ふと時雨の言った言葉を思い出した。

あの時の時雨はどういう気持ちであったのだろうな、と考えていたら衣笠の言葉で現実に引き戻された。

 

「私は泣くかもだけれど、まずは青葉を慰めるかな。姉妹艦だし、あの子が提督を慕っているのは事実だしね」

 

「いや、先程のは戯言だ。気にしないでもらえるとありがたい」

 

衣笠に弁明すると天津風が近寄ってきた。

 

「私は!」

 

怒りを含んだ声色で此方に大股で歩いてくる天津風。

 

「……あたしは、あなたが敵の手にかかって逝くなら深海棲艦を一隻残らず沈めるわ。例え腕折れ、腹に風穴が空いても残った歯で奴等の喉笛を噛み千切ってやるから」

 

天津風の瞳にはその様子を想像しているのだろう。

暗い愉悦の光が燈っている。この感情は以前何処かでぶつけられた事がある。

……そう、怨念だ。

あれは何処だっただろうか……。

 

あぁ、深海棲艦と戦っているときだったな。艦娘につけた通信機から深海棲艦の沈み行く時の声が未だ耳に残っている。

しかし今は天津風を落ち着かせねば。

こうなっているのはおそらく私の体臭だろう。

事前知識の無い天津風には仕方の無い事だ。

ましてや駆逐艦、体の小ささも相まって薬の影響への耐性も理性で抑える事も知らないのだろう。

 

「天津風、大丈夫だ。すまないな、変な事を言って。何処にも行かないから、もしもの時は守ってくれるか?」

 

天津風の肩を少々強めに叩く。

これで正気に戻ってくれればいいが。

 

「あ? え、えぇ……そうね。あたしに任せてくれれば提督の一人や二人大丈夫よ。ね! 連装砲君!」

 

肩を強めに叩いたせいだろうか。瞳に光が戻った天津風が正気を取り戻す。しかし、私が二人も居たら大変だろうな。多少偏屈なのは自覚しているつもりだ。

 

「しかし……。ただ待つだけというのは辛いな。大淀が居る作戦司令室へ向かうか。あそこなら情報もすぐ入って来るだろうしな」

 

正直言って春雨達の救援に行きたいのは山々だが、天津風の様子を見る限り私に何かあれば後を追う艦娘が少なからず居るかもしれない。

……私の思い上がりならば良い、笑って済ませられるが。先程の気迫には冗談ではすませられない迫力があった。

 

「私がこの馬鹿を見張っておくわ。天津風ちゃんは此処で待機して何かあれば知らせてくれる?」

 

設楽が天津風の頭を撫でる。

対して天津風は少しだけ迷惑そうだな。階級が私より数段上なので、跳ね除けられなくてこまっているようだが。

まぁ設楽が付いていてくれるなら問題はない。今の私の状態では艦娘にとって害悪以外の何者でもないからな。

 

「誰が馬鹿だ。……そういう事だ、天津風。もしここに一報が届けば直ぐに知らせてくれ。これも重要な任務だからな」

 

「重要任務なら仕方ないわね。……任されるから早く帰ってきてね」

 

命令に対して不安気な天津風が此方を見る。正直その視線に心臓がドクリと脈打つがその後の設楽の一言で急速に冷めた。

 

「……このロリコン。いつから駆逐艦の艦娘を手篭めにするような男になったのよ」

 

「何故そうなる。まぁいい。付いてきてくれ、設楽」

 

流石に性犯罪者のように呼ばれるのは我慢がならない。

とりあえず大淀の下へ行こう。

あぁ、その前に忘れていた。

 

「衣笠、長門、設楽も聞いてくれ。今日陸軍の艦娘に世話になってな。青葉と鳳翔の店で休んで貰っている。設楽を護衛してきた艦娘も良ければそちらで休んでくれ。それと衣笠、行くなら天津風に差し入れでもしてやってくれると嬉しい」

 

あの陸軍将校から助けてくれたあきつ丸を思い出す。

私の症状が落ち着いたら挨拶せねばな。

 

「……そう、ならお言葉に甘えるわ。長門? 磯風達を連れて休んでらっしゃい」

 

「ああ、そうさせてもらおう」

 

長門が設楽の言葉に答える。

衣笠に案内してもらえば良いだろう。

衣笠に視線を向けると分かったと言う風に頷いた。

さて、それでは設楽と作戦司令室へ向かおう。

執務室のドアを閉めると設楽に話しかけられた。

 

「アナタ、今の症状の具合は問題よ。一度軍病院にでも行ったらどうかしら」

 

「分かってはいるのだがな。今私が抜けるわけにもいくまい」

 

ゆっくりと歩き出して、私の言葉に設楽は少し考えるような素振りを見せた。

 

「怖いんでしょう? 自分がエサとみなされて艦娘達と引き離されるのが」

 

「……ッ! そんな事は!」

 

……無い、と言いたかったが実際その通りかもしれない。

 

「受け入れられなければ心が壊れるのが先よ。実際そうなってきた人間を何人か見てきたわ。そういう人間は自分の頭を撃ち抜くのが先ね。エサとして利用されるのが受け入れられず、それでも誰かに己の辛さを分かって欲しいと叫んだあげくの行動よ」

 

「……そうか」

 

その気持ちは解る気がする。私もエサとなれ、と命じられたら自分の命は断つだろうな。

 

「そうはさせないけれどね。私はあなたが大切よ。軍学校時代からの大切な同期ですもの」

 

設楽に同じ身長、同じ目線から真っ直ぐに視られる。

面と向かって大切と言われた事に少々顔が熱くなるが、それでも視線を外さない設楽にますます顔が赤くなる。

 

「ふふ、何顔を赤くしてるのよ。同期だって言ったでしょ。大切な、ね」

 

ボソリと勘違いしないでよね、と言われ、ようやく視線を外された。

設楽の顔も少しだけ赤いのは陽に朱が混じったか、気のせいであろうな……。

 

 




ロリ提督はツンデレ属性持ちです。

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Operation Room

タイトルはACVの楽曲から。
雰囲気に合う曲をチョイスしています。


作戦司令室の扉を開けると大淀が無電機から延びるヘッドホンを耳に当てながら、電探を覗いていた。

 

「大淀、邪魔するぞ」

 

一言声をかけて、コンソール型の机に映し出された海図を見ると艦娘達がいるであろう海域に艦娘を表す青の印と深海棲艦を表す赤い点が明滅している。

ビアク島に近いのが春雨達、近くの赤い点。そこに向かう金剛達とは少し距離が離れている。

 

GPS等といった技術はとうの昔に廃れ果てた。

今、ここに映し出されているのは実際の布陣では無く、無電から推測され、計算された位置だ。

焦燥感に駆られ、ギリと歯軋りが鳴った。

 

「……提督、金剛さん達が遠征隊を発見次第、保護、帰投します。まずは気を落ち着けて下さい。頭に血が上っていては冷静な判断もできなくなります」

 

座りながら此方を振り向いた大淀に言われ、一目で焦っているように見える自分の姿に反省する。

 

「……まさか深海棲艦の姫が居る海域とはな……。すまない、大淀。私がお前を避けていなければ防げた事故だ」

 

「いえ、私もスパイと取られても仕方の無い事をしていました。大淀型の艦娘は大抵、大本営と通じています。でなければ日毎に変わる任務等を受けられませんので」

 

大淀と向き合って謝りあうと、設楽に呆れた様な声をかけられた。

 

「何、アナタ達喧嘩でもしてたの?」

 

「……あぁ、私の体調の事を正確に知ったのは今日の事だからな。それまで疑心暗鬼に捉われていた」

 

面目無いと言った感情が溢れ出す。

おそらく言葉にもその感情が乗っているだろう。

 

「ねぇ、あなた暫く私の鎮守府に来ない? 少なくとも療養が必要じゃないかと思うのだけれど」

 

設楽が此方の身を慮ってくれるのだろう、そんな事を言い出した。

だが私はそれに首を振って答える。

 

「この鎮守府の艦娘達は私の体の事を知っても、それを何とかしてくれようとしている。……今はその様な気分にはなれないな」

 

「ッ! でも……」

 

設楽がそれでも言葉を続けようとした瞬間大淀が叫んだ。

「金剛さん達からの暗号電文入りました! 解読機にかけます!」

縋るような目を大淀に向ける。

 

「……これは!」

 

「なんだ、どうした!? 大淀!」

 

大淀に詰め寄ろうとしたのを設楽に止められた。

……そうだったな、まだ薬が抜けていない。

艦隊の頭脳とも言える大淀が暴走しては手に負えない。

 

「……春雨、文月、敷波が大破、赤城、翔鶴も中破し、なおも執拗な追撃を受けているとの事です……」

 

その言葉に今度こそ抑えきれないほどの血が頭に上る。

まるで熱い鉄を血管の中に流されたように。

航空母艦の艦娘は中破以上になると艦載機が発艦できない。つまり航空戦力は全く期待できないということになる。

 

「大淀、救援艦隊を。6隻編成で大和、武蔵、鈴谷、熊野、利根、島風と私が出撃する」

 

「駄目です! 危険です、鎮守府の守りが薄くなります!」

 

大淀が必死に止めるが熱に浮かされた頭では考える事も面倒だ。

 

「鎮守府の守りについては此処にいる設楽に一任する」

 

そう伝えて近くの無電に手を伸ばす。

同期の海軍司令に連絡を取るつもりで。

直通のホットラインを利用すると直ぐに繋がった。

 

「おうどうした。珍しいな、お前から連絡するなんて」

 

「あぁ、すまないがPG-823、ミサイル艇を貸して欲しい。今直ぐに、だ」

 

懐かしい声だが挨拶もそこそこに言葉を放つ。

 

「またいきなりだな、確かにあるが……」

 

「ちょっと待ちなさい! あなた何考えているの!?」

 

設楽が我慢ならないと言った態度で声を荒げる。

 

「ちょっと待て、設楽がそこにいるのか?」

 

「あぁ、視察に来ている。それがどうかしたか? 生目(いきめ)

 

生目の名前を出した途端に設楽がウンザリと、いや、アングリと口を開けそのどちらもが混ざったような顔で絶句した。

 

「うげ……」

 

設楽が勘弁してくれと言った声をあげる。そういえば設楽は昔、下着の類を生目に盗難されていたのだったな……。

しかし、今はそのような事はどうでもいい。

 

「す、すぐに行く! PG-823だな! 一時間以内に届けてやる!」

 

……興奮したような生目の声に押され、受話器を離した。

それと同時に通話が切れてしまったが、さすがに一時間は無いだろう。

生目の鎮守府からここまでは、艦娘の中で一番早い島風でも三時間はかかる。

それよりも此方の二人をどうするか。

 

「どういうつもり?」

 

「どういうつもりですか!」

 

大淀と設楽の声が重なる。

 

「すまない。……が、一生で最初で最後の願いだ。聞いてくれるとありがたい」

 

「……ふぅ。先に大和さんと武蔵さんを先行させましょう。少し遅れて航空巡洋艦の3人を。島風は提督の護衛です」

 

哀願するような瞳で大淀を見ると折れてくれたようだ。手元のコンソールを叩いて、ドックの艤装使用許可を出している。

 

「ちょっと待ちなさい! 幾らなんでもそんな事聞けるわけないでしょう!」

 

「すまない、設楽。どうしても果たさなければいけない約束があるのだ。それに未練を抱えたまま沈んだ艦娘がどうなるかという仮説はお前も聞いた事があるだろう」

 

「深海棲艦になるって噂ね。確かに聞いた事はあるわ。でも出撃するなら私の高速魚雷艇を使えばいいじゃない! 信用されてないようで頭に来るわ」

 

設楽が此方の襟をグイと掴む。

 

「違う。お前を信用しているからこそ、この鎮守府を任せたい」

 

「じゃあ何故!?」

 

設楽の瞳に怒りが燈っている。

 

「……お前の魚雷艇は何人で動かしている?」

 

「20人ほどだけれど……あっ!」

 

気付いたようだ。船を動かそうとすればどうしても人員が要る。

 

「生目は技術研とも繋がりのある半科学者だ。アイツの持っている小型ミサイル艇は人工妖精としてのAIを積んでいる。それならば私一人で動かせる」

 

「アイツ……こりずにまたそんな事しているのね」

 

軍学校時代に生目の作った機械で恥ずかしい事態となった過去を思い出したらしい。

設楽が爪を悔しそうに噛んだ。

 

「ドックの出撃準備が整いました。後は艦娘に命令をお願いします。提督」

 

「解った。その6人を此処に来るように緊急招集をかけてくれ。口頭で作戦を説明する」

 

大淀に答えて、ビアク島近辺で明滅している艦娘達を示す青色の光を見た。

……誰一人沈めはさせない。

例え自分が犠牲になっても。

心の中で死神が鎌を構えて笑っている姿が視えた。

 

 




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非理法権天

「提督、出撃命令と聞きましたけれど……」

 

大和以下五名が作戦司令室に揃う。

執務室では無く、此方に来させるのは珍しい事であると自覚しているようだ。

少し挙動不審な様子でキョロキョロと辺りを所在無さげに見回している。

 

「あぁ……。絶対に成功させて欲しい任務がある。大淀、頼む」

 

「はい、では提督に代わりまして私が任務の詳細を説明します。まず、南方海域にて深海棲艦の姫に足止めをされている艦娘達の救助を最優先でお願いします。その後、速やかに戦闘海域を離脱、鎮守府まで帰投。敵航空戦力は健在なので、大和型のお二人には三式弾を装備してもらいます。あくまでも救助が最優先です」

 

大淀が淀みなくスラスラと任務の概要を説明している。

 

「あのぅ、救援艦隊でしたら私達のような足の遅い艦は不向きだと思うんですけど……」

 

大和がおずおずと口を挟む。

まぁ、当然だろうな。この疑問は。

大和と武蔵は所謂超弩級戦艦だ。船足はそれに応じて遅い。

 

「問題無い。言うなれば大和、武蔵の両名は姫への牽制、救助後のしんがりを務めてもらうことになる。危険な任務だが、やって貰えるだろうか?」

 

「了解しました。この大和にお任せ下さい!」

 

胸に手を当てて全てを任せろと言ってくれる大和。盾として扱ってしまうことを心の中で詫びた。

 

「では時間差で出撃してもらいます。最初に大和型のお二人。続いて利根、熊野、鈴谷。……最後に島風と提督です」

 

「「「「「えぇっ!?」」」」」」

 

出撃する6人の艦娘達が一斉に此方を向いた。無理も無いな。

 

「高速艇を借り受けた。おそらくだが、深海棲艦は積極的に私を狙ってくる可能性がある。その理由については終わったら鎮守府の皆に話すつもりだが、な」

 

そう言って厨房から届けてもらったオレンジジュースをコップに注ぐ。

 

「……ブラッドオレンジのジュースだ。眠気が覚める」

 

普通のオレンジジュースよりは少し赤い液体を艦娘達に薦めた。

 

「ありがとうございます、頂きますね」

 

「んぉ、提督気が利くじゃーん!」

 

「島風一番多いのー!」

 

「ありがたい、補給は大事だ!」

 

大和と鈴谷と島風と武蔵が手を伸ばす。

……騙して済まないな。

全員に行き渡ったところで作戦の成功を願って、と声をかける。

艦娘達がジュースを飲むと途端に戦意高揚状態になった。

私の血をジュースに混ぜたのだ。

 

「流石間宮印のオレンジジュースだな」

 

これも嘘だ。

生理的に受け入れられない艦娘や味覚が優れている艦娘も居るからジュースに混ぜて飲ませると設楽に教えられたからだ。

アナタならそんな事は無いでしょうけれど、と皮肉も言われたが。

どういう意味だと怒ったら、さぁねとシニカルな笑みを浮かべるだけだった。

艦娘達の様子を見る限り、武蔵は私の血の影響が色濃く見られる。

 

「……ふっ、痛快だ! 武蔵、突撃するぞ! ついてこい!」

 

ふはははと高笑いしてドアを開け放ってドックに向かう武蔵。

 

「……すまん、大和、武蔵に追従してくれ。後、大淀……、ドアの修理費は経費で落ちるだろうか?」

 

「落ちません」

 

大淀に聞いてみるがニッコリと笑い返答する姿に少し肩を落とす。

大和に命じ、武蔵がハメを外さないようにと言いつけて武蔵に追従するように出撃させた。

その時、作戦司令室の無電が入った。

 

「よう相棒、まだ生きてるか? ……じゃないな、御所望の品、届けに来たぞ」

 

直通回線の無電を取ると生目の声が聞こえた。まさか!?幾らなんでも早すぎる!

 

「早すぎると思っているだろう? 当然だ、輸送機に積んで来たからな! 鎮守府近海を空けておいてくれよぉ!」

 

そういえばこの音は……航空機か……!

耳に響く高周波の音が窓ガラスを揺らす。

慌てて外に出るとズングリとした輸送機が旋回していた。

もしやXC-2型輸送機か!?実働していたのか……。

……しかしどうやって降ろすんだ? ここにはまともな滑走路はないぞ?

と思っていたら輸送機のハッチが開けられ、海面スレスレをゆっくりと飛んでいる。

まさか!?

 

……そのまさかだった。

ズルリとPG-823の船尾が姿を表すと同時に着水、派手な水しぶきを上げながら水上を滑る様にすすむPG-823。

XC-2型輸送機は再び高度を上げて来た方向に戻って行った。

……着水と同時にウォータージェットエンジンを最大回転させて衝撃を減らしたのか……。

 

しかし、無茶をする。

一歩間違えれば大事故だったぞ、あれは。

速度を落としながら旋回して、ようやくドックの前に停泊したPG-823高速ミサイル艇に駆け寄る。

 

ウォータージェット式の船舶は低速走行がとても難しいが、岸にぶつける事もなかったのはAI補助のおかげであろうか。

……しかし形状がおかしい。艦橋が無いのだ。唯一目を惹くのは艦中央に配置された高速速射砲みたいなものだ。

見知った顔が降りてきて、こちらに手を挙げた。

 

「生目、すまんな。……しかし、これは何だ?」

 

どう考えても私が見知っているミサイル高速艇ではない。

 

「ん? あぁ、あの輸送機には30トンしか載らないのでな。元々改造していたコイツを更に肉抜きした」

 

なんて事は無いといった顔で飄々と答える。

 

「ステルス性は上げて空気抵抗は下げてある。最大速力50ノットは出るぞ。その代わりミサイルは撃てなくなったがな。まぁ深海棲艦に人間が作った兵器は効かないんだ。あろうがなかろうがどちらでも良いなら無くても構わないだろう?」

 

自慢げに笑いながら此方の肩をパシパシと叩く。

……馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、危険な意味で馬鹿だったな、コイツは。

 

「ところで設楽は?」

 

手をわきわきさせながらニヤリとしている姿が最高に気持ち悪い。

黙っていれば美形として通るのだが……。

少なくとも今の姿を設楽が見たら嫌悪すると思うぞ。

もしかしたら長門の影に隠れるかもしれないが。

 

「あぁ……。案内しよう」

 

残念なイケメンの生目を連れて、建物に戻った。予定が少し狂ったので島風と利根達への指示も変更せねばなるまい。




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島風とのかけっこ

かけっこ という言葉には色々な意味が含まれています。
決して卑猥な意味ではありませんので悪しからず。


司令室に生目を連れてきた。

 

「うげ……」

 

設楽が勘弁してくれといった表情と声をあげる。

しかし生目は大手を広げて設楽に近づく。

 

「おぉ! 設楽! 私のマィエェンジェルゥゥウウ!」

 

……最高に気持ち悪い。

高身長の人間が設楽に求愛する様はまるで性犯罪者だな……。

しかし設楽はポケットから私の拳銃を取り出すと生目に向けた。

 

「それ以上近寄ると上官に対するセクハラとして頭に風穴が開くわよ。それに私は貴方が嫌いなの」

 

執務室で撃った後、自分のポケットに入れていたのか。

もし私が暴走するような事があれば介錯するつもりだったのか、自傷防止の為か……。

おそらく両方だろうな、うん。

 

「いちゃついているところ悪いが、出撃をしたい。生目、高速艇の操作と装備を聞かせてもらおうか。利根達も先行してくれ」

 

「わかったのじゃ! 我輩に任せるが良い!」

 

「誰がいちゃついてるのよ!」

 

プリプリと怒る設楽を無視して、敬礼をする利根に頷くと、鈴谷、熊野を連れてドックに向かってくれた。

設楽の前でハンズアップをしている生目に座れ、と椅子を勧める。

 

生目はお前はもう知っていると思うが、と前置きして話し始めた。

 

「あの高速艇は妖精と、それが視える人間に協力してもらって、簡易的な妖精AIを搭載してある。操舵席に座ればサルでも扱えるぞ」

 

この世界には妖精が見える人間とそうでない人間がいる。

生目は後者だ。提督が全員妖精が視えるわけではないが、つい先日妖精を見る事ができる眼鏡を開発したらしい。

……まだ試験段階だと聞いているが、実装されれば飛躍的に艦娘の運用能力が上がるだろう。

中には妖精などとくだらんと毛嫌いする頭の固い提督も居る様だが。

 

「そうか、では借りていくぞ。この鎮守府界隈は治安もそこそこ良いのでな、好きに見ると良い。ただ一つ気をつけて欲しいのは陸軍の人間が来ていることだろうか」

 

「陸軍? またそりゃあなんでこんな辺鄙な所に」

 

生目が少し驚いたような声をあげるが私に分かる筈も無い。

 

「さぁな、ではすまないが行ってくる。島風! 行くぞ!」

 

「駆けっこしたいんですか? 負けませんよ?」

 

キラキラと戦意高揚状態になった島風を撫でる。

んふふーと気持ち良さそうな声を出して目を瞑る島風を促すと、ドックへ向かってくれた。

 

「……大淀、設楽。バックアップは頼む」

 

声をかけると大淀と設楽が頷いてくれた。

……生目は、まぁ良いだろう。後で礼として軍学校時代の設楽の写真でもやるとしよう。おそらく出回ってはいない筈のな。

 

「わかったわ。……無事で帰って来ないとこの鎮守府貰うからね? 大淀さん、長門を此処に呼んで貰う事は可能かしら」

 

「はい、では館内放送をかけます」

 

設楽と大淀を後に、作戦司令室を出る。

さて、私も高速艇に乗り込もう。

不安が無いわけではないが、艦娘達も居る。今はあの娘達を信じよう。

 

「提督、おっそーいー!」

 

高速艇の前に着くと島風が艤装をつけた状態で待ち構えて海に立っていた。

……なるべく急いで来たつもりなのだがな。

 

「あぁ、すまないな。では行こうか。これは早いらしいぞ? 島風よりも、な」

 

「そんな事ありませんよーだ! 島風が一番速いんだから! ね! 連装砲ちゃん!」

 

島風が連装砲ちゃんと名づけているマスコットに話しかける。

あのマスコットも今は実弾を装填しているのだろう。

天津風と同じく、島風も連装砲を友達として扱っているのだ。

これ、と指差した高速艇を見ながら、目の前で挑発的な態度を取る艦娘の驚く顔を想像して笑みが零れてしまった。

さて、では乗り込むか。

 

改めて見ると、アメリカのステルス戦闘機、F-117から羽根をもぎ取って高速艇の上に載せたと言えばしっくりくるだろうか。

その前寄り、艦首の方向に某宇宙戦争に出てくるロボのような形をした単装速射砲が載っている。まさか全天周型レドームレーダーも兼ねているわけでは無いだろうが……。生目ならやりかねん。

ロープで固定された高速艇に飛び乗り、その縛を解いて操舵席へ入る。

 

操舵輪の前に設置されている椅子に座るとディスプレイに緑色の文字が浮かび上がった。

 

「おはようございます。メインシステムパイロットデータの認証を開始します」

 

音声と共にディスプレイにゲージが表示され、その下に認証データ完了までと書かれた数字が見える。……今は夕暮れに近い時間なのだがな。

30%……40%……と増えていっているな。ゲームの様な演出は生目がやりそうな事だ。

 

そういえばアーマード艦CORE等というゲームの開発にも奴は関わっていたな。

艦娘達を操作して任務を達成するのは現実と同じだが、ゲームでは艦娘を操作して敵を倒す3Dシューティングとなっているらしい。

私はゲームなどやる暇が無いので、もしこれを見ている提督諸氏……。興味があれば鎮守府内のゲームが詳しそうな艦娘に聞いてみて欲しい。

もしかしたら部屋に招き入れて一緒に遊んでくれるかもしれない。

 

「データリンクエラー、メインシステム稼働率80%で起動します。一部の機能に制限がつきます。これより作戦行動を開始します」

 

エラーだと?

……あぁ、私が生目本人では無いから仕方無いのだろうな。

納得してディスプレイに映し出されたタッチパネルを操作する。

たとえエラーが出ても速度さえ出ればそれで良い。

そういえば何故艦娘を高速艇に乗せないのかという疑問が出てくる事がある。

答えは簡単だ。

艦娘の艤装が艦として艦船に乗ることを拒絶するのだ。

当然だ、駆逐艦の上に駆逐艦を積むようなものだ。

艦船と認識されない、海上に浮かぶモノならば乗る事はできるようだが……。

例えば筏やボートのような。

いつだったか他の鎮守府で艦娘の吹雪が大和を曳航する時にボートを使って曳航したという。

眉唾だが、事実として認識されているのでもしかしたら、この先艦娘が艦船に乗れる様になるかもしれない。

 

音声認識でも操作できるみたいだな。横に掛けてあったヘッドセットを装着する。

 

「提督、おっそーい!」

 

ヘッドセットを着けた瞬間島風の声が聞こえる。

どうやらこれで艦娘にも指示が出来るようだ。

新しい玩具を買ってもらった子供の様に気分が高揚する。

 

「あぁ、待たせたな島風。それでは駆けっこをしようか」

 

「私には誰も追いつけないよ!」

 

「ほほう、じゃあ何か賭けるか? 私は間宮のパフェ券を1枚賭けよう」

 

「ふふーん! 提督ご馳走様! じゃあ私に勝てたら何でも言う事聞いてあげる!」

 

ん?今なんでもって……。

まぁ良い。島風に勝ててから考えよう。

ウォータージェットエンジンに火が入る。

航空機のような高周波混じりの音をあげて、エンジンが唸る。

ゆっくりと岸から離れ、充分に距離が離れた所でAIに命令する。

 

「提督、その艦五月蝿いだけでおっそーい!」

 

島風が馬鹿にしたように煽ってくる。

 

「目標、南方海域! 最大戦速!」

 

瞬間、後方で鳴る音が変わりグイグイと座席に体が押し付けられた。

少し前に居た島風が慌ててスピードをあげるが、楽に追い抜いてしまった。

 

「……うそ……!?」

 

此方の艦船から上がる水しぶきをモロに受けてしまった島風が絶句する。

……しまった、島風は護衛だからな。あまり離れるわけにもいくまい。

少しスピードを落として後方に居る島風を待つ事にした。

 




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暁の水平線

少し慣らして分かった事だが、この高速艇は直進は早いが曲がりにくい。

ソリの競技である、ボブスレーに近いと言えば分かり易いかもしれない。

隣を滑る様に進む島風は少し不機嫌そうだ。

 

「提督、後でもう一回! もう一回駆けっこしよ!」

 

島風が懇願するように駆けっこの再戦をねだる。

先程何でもするって約束をしてしまったからな。島風も必死なのだろう。

……おそらく弾薬も燃料も削った状態でならば勝てると思っているのかもしれない。

ただ、今から戦闘海域に救援に行くのだ。

浮ついた心では一撃で轟沈という可能性も無くは無い。

 

「あぁ、分かった。だが、鎮守府に無事に帰投してからな。それからで良いなら幾らでも競争しよう。それにそろそろ日も暮れてくる。電探を積んでいるとは言え、最大戦速では危険だしな」

 

「えっ? 提督、もう走り疲れたの?」

 

どうしてそうなる……。暗い中ではこの高速艇は危険だ。曲がれないし止まれない。島風が更に不機嫌になる。

 

この速さにこだわる島風型1番艦の艦娘の機嫌を治す良い方法は無いものだろうか。

窓から見える、隣に追従する駆逐艦の艦娘の事を考える。

高速、強力な雷装……。

今は五連装酸素魚雷を積んでいる。

おそらくだが、艦娘の中では一番速度が出せるだろう。

40ノット以上の速度を出せると普段から自慢している。

これは島風の95%の出力時であり、タービンが焼け付くのを覚悟すれば42ノットは出るのではないかと思っている。

 

……エンジンを大事にしたいので勿論そんな事はしないが。

対潜戦闘も対空戦闘も高い水準でこなす、所謂駆逐艦の化け物といった所だろうか。

勿論良い意味でだが。

艦船としての最期は迫り来る魚雷を全弾避けつつ、奮戦したと聞いている。

機銃掃討での蜂の巣状態ではあったらしいが……。

 

その後、乗員を全員退去させた後、意図的にタービンを暴走させ爆発、自沈している。

最大出力で運行させないのは艦船時代のフラッシュバックを起こす可能性があるのであえてしたくないのだ。

 

「……そういえば新式タービンを明石が開発したと言っていたな。島風がつけたらこの鎮守府で敵うものは居なくなるなぁ」

 

追従する島風の機嫌を直す為に、この間明石が言っていたことを思い出す。

 

「私が一番? やっぱり? そうよね! だって速いもん!」

 

新しい機関を装備して速度が上がる事を想像したのかニマニマと島風が表情を変える。

 

……よかった、どうやら機嫌は直ったみたいだな。

私は島風から視線を外し、前を向く。

緑色のディスプレイの左上部にレーダーが映っている。自艦を中心として、前向きの青い三角形が島風だろうか。

レーダーに触れると倍率が変わるようだ。

ディスプレイに小さく5倍と書いてある。

見ると青い矢印が5つほど増えた。

 

近くの一つの三角は島風だとして、少し離れて3つの三角は航空巡洋艦、利根、鈴谷、熊野か。

という事は一番前の2つが大和と武蔵だな。

 

このまま行けばおそらく追い抜くな。

先行しても良いが、艦載機が無いので索敵に不安が残るな。

鈴谷や利根達と足並みを合わせるべきか。

 

ディスプレイに指を当て、この艦船の装備を確認する。

オートメトーラ社製62口径76ミリコンパクト砲、OPS-18対水上捜索用レーダー、Mk137六連装デコイ発射機か……。

確かにこころもとないが、人間が作る兵器は深海戦艦には効かない。

 

何故かというとバリアみたいなもので防がれてしまうのだ。

みたいなもの、と書いたが正確には不明だ。

……人間と接触して無事に帰ってこれた例が無いのでな。

 

深海棲艦の事を考えていると通信が入って来た。

ヘッドセットを操作し、通信チャンネルを開く。

 

「提督、聞こえますか?」

 

大淀の声が少々のノイズとともに聞こえる。

 

「あぁ、問題無い。どうした?」

 

ディスプレイを操作しながら燃料、推進装置にも異常が無い事を確かめて返事をする。

 

「もうすぐ鎮守府近海領域範囲外に出ます。そうすると通常通信では傍受される危険性がありますので、鎮守府と直接の通信は出来なくなります」

 

「あぁ、分かっている。暗号で、だな?」

 

……暗号といっても何度も通信回線を開いていると此方の戦力も位置も特定されるかもしれない、必要最低限に留めておくべきだろう。

 

「はい、その通りです。それで、ですね。設楽提督から言伝を預かっています。必ず無事に帰るように、だそうです。……モテモテですね、提督」

 

「ははは、そんな事はあるわけがないだろう。設楽は同期の友人として気にかけてくれているだけだ」

 

私が笑い声と共に大淀に通常回線の通信を送ると、何やら設楽の喚く声が聞こえた。

 

『長門! 離しなさい! やっぱり私も!』

 

『えぇい! 落ち着かないか! 設楽!』

 

……長門と設楽も大変だな。

 

「ま、まぁこちらは心配は要らない。島風と大和も居るしな」

 

大和も島風も比較的性能の良い電信機を持っている。

私が使えなくても問題は無いだろう。

 

「はい、解りました。お気をつけて……」

 

「あぁ、では通信を終了する」

 

鎮守府近海領域では深海棲艦に通信を傍受される事は無いが、領域外に出れば傍受の危険性は跳ね上がる。

超短距離無線に切り替え、島風に連絡を取る。

 

「このまま島風の巡航速度で鈴谷達と合流。索敵機の届く範囲で先行する」

 

「了解です! 連装砲ちゃん、一緒に行くよ」

 

島風は小さな船に乗っているマスコットの連装砲に声をかけると、高速艇の前を進む。

まるで水先案内人みたいだな、と苦笑した。




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天気晴朗ナレドモ波高シ

「鈴谷、索敵はどうだ?」

 

先行していた鈴谷達に追いつき、近距離通信チャンネルを開く。

こちらのレーダーでも確認しているが、今の所危険は無い様だ。

 

「んぉ、提督。随分イケてる艦だねぇ」

 

鈴谷が振り返り、高速艇を見ながら口を開く。

 

「今のところ異常は無いよ、ただもうすぐ夜だから鈴谷達の瑞雲は飛ばせなくなるねぇ」

 

「問題ない。その為に砲も積んでいるだろう? 比較的高速で移動できて、耐久力もあり、高錬度な艦娘は鈴谷達しか居なかったからな。頼りにしている」

 

「ふひひひっ♪ 鈴谷褒められて伸びるタイプなんです。うーんとほめてね」

 

……少しだけ気持ちの悪い笑い方をした鈴谷に苦笑すると利根からも通信が入った。

 

「提督よ。少し気にかかる事があるのじゃ。少し風が強い、夕暮れが見えるとは言えどもあちらでは荒れるやも知れんぞ」

 

それは少々気にかかっている。

嵐の海なぞ最悪だ。

 

「利根、お前の経験としてはどう思う?」

 

「……あまり良い波では無いみたいじゃな。渦潮が出ているかも知れん。島風を先行させてはどうじゃ? 提督が乗っている艦では小回りがきかんじゃろう」

 

利根が人差し指を舐めしゃぶり、風に当てて透かす。

風向きと湿度を計る原始的で簡易的な方法だ。

 

「あぁ、そうした方が良いだろう。島風、話は聞いていたな? 先行して索敵、哨戒を頼む」

 

「オゥッ!?」

 

話を振ると島風が驚いたような声をあげる。

……恐らく連装砲と話でもしていたのだろう。

任務中に集中を切らして欲しくは無い、後で少し叱っておく事にしよう。

 

「……速度が一番速くて小回りの利く島風に渦潮の警戒と哨戒をして欲しい。できるな? 島風」

 

「私が一番? やっぱり? 任せて! 私には誰も追いつけないよ!」

 

少し褒めたら勝手に自分ひとりで納得して先行してしまった。

……何事も無ければ良いが。

その時、ザザとノイズ混じりの無線が入る。

 

「コチラ葛城型巡洋艦、前方に敵影無し。しかし曇天、浪も高いです」

 

葛城型巡洋艦というのは大和の素性を隠すための言葉だろう。

大和達とは少し距離が離れている。

中距離での通信の為、周波数をこまめに変更しているとは言え、傍受を警戒しなければならない。

大和が戦艦になる前、つまり初代の大和は巡洋艦であったと聞いている。

そこからもじったのだろう。

私はディスプレイを操作して周波数を合わせ、大和に送信する。

 

「了解。そちらに島風が向かうが、衝突に気をつけろ。以上通信終了」

 

「わかりました」

 

手短に通信を終え、前を向く。

……このまま無事に着けばいいが。

鼓動が不安で早くなる。手がジットリと嫌な汗をかくのを感じる。

 

「……焦ってもどうにも出来ぬぞ。提督よ」

 

利根の声がインカム越しに聞こえる。

私の感情が見抜かれていたか。さすが利根型の長女だけあるな。

 

「大丈夫だ、しかし不安はある。鎮守府で一報を受けてから電文が一切入らないのも気掛かりだ」

 

「お主が信じてやらなくてどうする。大丈夫、装備は万全じゃ!」

 

小さ目の窓から覗くと利根が胸を張っている……ように見える。

……張るほどの胸は……いや、何でもない。やめておこう。

焦りを艦娘に悟られてしまった事に苦笑するが、おそらくは元気付けようとしてくれたのだ。ここは礼を言っておかなければなるまい。

 

「……そうだな、ありがとう。頼りにさせてもらうぞ」

 

「我輩がいる以上当然じゃ! 提督より少しお姉さんなのだからな。……だから、その、もっと甘えても良いんじゃぞ?」

 

利根の言葉に操舵輪を握っていた手がすべり、ディスプレイに頭をぶつけそうになった。

 

「ちょっと利根さん!? ドサクサに紛れて何を言い出しますの!?」

 

熊野が利根に食って掛かる。

あぁ……どうしてこう、うちの艦娘達は……。

 

「五月蝿い貴様等、任務に集中しろ!」

 

一喝すると二人とも黙ってしまった。

私を出汁にして弄るのは構わないが、もう少し時と場合を考えて欲しいものだな。

窓から覗くとすでに顔の判別が難しいほどだった。

刻一刻と闇が迫っている。

ディスプレイのレーダーの倍率を二倍に変更すると先行している大和と武蔵らしき青い三角が映る。

この分ならすぐに追い抜くな。

速度計算を頭の中で行っていると横風と波が襲い、艦が横揺れする。

 

「うぉっ……と!」

 

妙な浮遊感を味わい、落ち着いてから並走する艦娘達の様子を見ると皆一様に波を被ってしまったようだ。

 

「うわぁ、グッショグショ! ……サイアクー……」

 

鈴谷からペッペッと口に入った海水を吐き出す音と共に通信が聞こえる。

 

「……大丈夫か?」

 

「うん、このくらいはへーき。だけど帰ったらお風呂使わせてね。提督も一緒に入ろ」

 

軽口が言えるなら特に何があったというわけではないだろう。

しかし、あまり良い傾向ではないな。天気も、士気も。

幾ら戦意高揚状態といえども、艦娘のメンタルによってそれは如何様にもなる。

 

「……少し速度を上げるか。利根、先頭を頼む。鈴谷は左、熊野は右だ。魚鱗の陣形と思ってくれれば良い」

 

「武田八陣形じゃな。海戦ではあまり聞かぬが、面白そうだ。良いじゃろう」

 

魚鱗の陣とは後方からの奇襲以外に対応する防御に特化した陣形だ。

……普通は輪形陣などにするのだが、隊を分けているしな。

すでに艦載機も飛ばせないほどの濃密な闇が迫っている。

少なくとも高速で移動している此方に追いつくのは難しいだろうと判断しての事だ。

艦娘達は闇夜でもある程度は見えるが、人間は不便なものだな。

 

ディスプレイに暗視モードでのカメラ映像を映す。暗視モードはどうやらレーダーの索敵範囲が狭まるようで、倍率の数字が消えてしまった。

演算処理に割いているのだろう、無理も無いな。

魚鱗の陣形を組み終わってしばらくすると大和と武蔵らしき艦影がディスプレイに映った。

この距離まで近づけば近距離通信でも大丈夫だろう。

 

「今からそちらを追い抜く。誤射しないでくれよ」

 

冗談混じりに通信を入れるとむぅと膨れた大和の声が聞こえた。

 

「んもぉ~、大和はそんな事しません!」

 

「あぁ、冗談だ。すまないな、帰ったら皆でフルコースディナーといこう」

 

「ええ、殿(しんがり)はお任せ下さい!」

 

危険な任務に就かせてしまうことを詫び、大和と武蔵を追い抜く。

しばらく無言で進むとやはり波も風も強くなってきた。

バチバチと音がするのは波のせいでは無く雨のせいもあるだろう。

 

「……そろそろ最後の通信があった海域だ。気をつけろ」

 

嵐の夜は嫌いだ。

さきほど薬は飲んだのでフラッシュバックは起きないと思うが。

いや、弱気になるな。

弱気になるからこそつけ込まれる。

ギュッと操舵輪を握り締めると島風から通信が入る。

 

「提督! 何か浮いてるよ。……これは、ドラム缶? 何か白いものが引っかかってるみたい」

 

ドラム缶は輸送任務についた艦娘達に持たせる艤装だが、何故こんな所に?

嫌な予感がする。

呼吸が上手く吸えない。

 

「……近くに金剛達は居ないか? お前がいる場所は此方のレーダー範囲外の様だ」

 

搾り出すように、唸るように歯を食いしばりながら声を出す。

 

「……!」

 

島風のヒュッと息を飲む音がヘッドセットから聞こえる。

なんだ、どうした、頼む、何か言ってくれ……!

 

「……提督、は……春雨ちゃんのぼ、帽子が……この赤いのって……血!?」

 

嘘……だろう?

体中から力が抜け椅子から滑り落ちる。

ガクリと膝を着き、両手を下ろす。

春雨が、轟沈?

まさか、そんな事あるわけないだろう……。

頭の中で春雨の笑顔が血に塗れる。

私のせいか?!私が……!私が輸送任務などに行かせなければ!私が、大淀ともっと早く話してさえ居れば!

ぐぅと唸り、嘔吐感がこみ上げる。

 

「提督! しっかりするのじゃ! ここは敵地なのじゃぞ!」

 

利根が必死に声を荒げる。

椅子に掴まり、必死で体を起こす。

 

「あぁ……そうだな」

 

歯の間から零れるは怨嗟、後悔、慕情全てを込めた感情。

赦せない……。

 

「提督? どうしたのじゃ?」

 

不安気に利根が問いかけてくる声も、もうすでに届かなかった。

 

「暗視モード切替、レーダーを最大探知距離に!」

 

「危険デス 敵性反応ノ存在ガアリマス 探知サレル確率87%」

 

妖精を模したというAIに命令すると止められたが、そんな事を気にするほど冷静ではなかったようだ。

 

「構わん、一瞬で良い。艦娘の反応があれば急行してくれ」

 

「提督!? 何をしようとしているのじゃ!?」

 

利根の声が耳を突き刺す。しまった、マイクのスイッチが入っていたようだ。

 

「すまないな……。ただ、早く見つけてやらなければ春雨が……」

 

「落ち着きなさいな。安全な場所を見つけて隠れているかもしれないでしょう? ここは金剛さん達と合流して戦力を立て直すのが先決ではなくて?」

 

熊野が諭すように語り掛けてくる。

微かに声が震えている。焦燥しているのは私だけじゃなかったな。

 

「……そうだな、まずは金剛達を見つけよう。ただそれにはやはりレーダーを使わねばならないか……」

 

ディスプレイを睨みながら考える。

そうだ、この艦にはチャフ発射機 Mk 137が載っていたな。所謂デコイだ。

レーダーを最大に設定した後、チャフをばら撒けばカモフラージュにはなるだろう。

 

「レーダーを最大にし、チャフをばら撒く! 感があった方向に全速で進むぞ! 島風も、良いな?」

 

「了解! 私には誰も追いつけないよ!」

 

AIに命じ、レーダーを最大探知に切り替えると、比較的近い場所に6つ、島影に1つの大き目の青い点が映った。

やはり誰かが沈んでいるのかとも思ったが、固まっているせいで判別ができないのだろう。

 

「このポンコツめ……」

 

AIと兵装に棘を放っても通じるわけが無い、がジリジリとした感情に任せて、つい言葉に出してしまった。気を急くが、まずは金剛達の方向に向かおう。

 

「皆、六時方向に金剛達が居るようだ。全速で急行する!」

 

「うむっ! 了解だ! 指揮をしっかり全うしてこそ提督じゃぞ!」

 

利根が元気付けようとしてくれているのだろうか、務めて明るい声を出してくれるが今の私は感謝こそすれ焦燥感を抑えきる事ができない。

 

「……迷惑をかけるな……」

 

「もー! 提督、それは言わない約束っしょー? お爺ちゃんみたいだよ!」

 

鈴谷も此方を安心させようと軽口を叩く。

高速艇を金剛達が居るであろう方向に向け、レバーを全速に入れる。

パシュッと軽い発射音がして後ろを見ると、キラキラと発光するバルーンが海面に浮いていた。




チャフ発射機 Mk 137は現代の兵器ですが、デコイとバルーンについては空想兵器です。
ちなみに護衛艦:しまかぜに搭載されております。

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ロリ提督とショタ提督の挿絵はプロローグの方に置いてあります。


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深海棲艦の人魚姫

しばらく間が開いてしまいました。
すみません。


「Wow! テートクゥ!?」

 

金剛達を見つけ、こちらが近寄ると驚いた金剛の声が飛び込んだ。

まさか私自ら来るとは思っていなかったようだな。

暗視カメラに映る映像を見る限り惨憺たる有様だった。

 

「……随分とボロボロだな……」

 

報告どおり赤城と翔鶴が中破している。

翔鶴の弓は折れ、飛行甲板も破損。下着が見えている。

赤城も飛行甲板が破損しているな。

金剛と榛名も小破しているようだな。

服があちらこちら破れている。

……随分と扇情的な格好だが、もう少し無理をしてもらうことになりそうだ。

すまないな、と心の中で詫びた。

 

「……開幕の敵の攻撃から赤城さんと翔鶴さんを守りきれなかった榛名に責任があります……ごめんなさい」

 

「No! 榛名は悪くないネー! まさか敵が奇襲してくるなんて……Shit!」

 

榛名が謝り金剛が庇う。

平時なら美しい姉妹愛だと褒める事もできただろうが、ここは戦地だ。

まだ気を抜かないほうが良いだろう。

全員無事で帰投する事こそが一番なのだからな。

 

「責任の所在はどうでも良い。お前達が沈まないでいてくれたのが一番嬉しい。それに……私にも聞かせてくれるのだろう?」

 

「え……? 何をでしょうか?」

 

私の言葉に榛名が疑問の表情を浮かべる。

 

「電達に教えた金剛と榛名の童話がどのくらい違うのか興味がある。鎮守府に全員無事で帰れたら聞かせてくれ。その為にはもう一踏ん張りしてもらうぞ」

 

「はい、榛名は大丈夫です!」

 

「提督のハートを掴むのは、私デース!」

 

私の言葉に榛名と金剛が気合を入れなおす様に両の掌をぎゅうと握る。

その様子が微笑ましい。

まるで此方の勇気まで奮い起こしてくれるような。

 

「霧島、比叡も頼む。金剛と榛名は少々気負いすぎるきらいがあるからな。ストッパーになってくれると嬉しい」

 

「まっかせてー!」

 

「艦隊の頭脳と言われるように、頑張りますね」

 

比叡と霧島も救援に来たおかげで士気が持ち直したようだ。

声に明るさが戻っている。

しかし、反対に落ち込んだ様子の翔鶴の声が聞こえる。

 

「あの、提督……私は……」

 

「翔鶴か、赤城と後方まで下がってくれ。今は夜、艦載機も飛ばせないからな。中破しているならば尚更だ。それに……その格好は少々目に毒だ」

 

「っ! ですが、盾くらいには!」

 

翔鶴の一言にカッと頭に血が上る。

すんでの所で叫びだしたい感情を押し殺し、腹に鉛が沈んだような気持ちで声を出す。

 

「……誰がそんな事を望んでいる。私の願いは全員が無事である事だ。誰かを犠牲にして誰かを助けるというのは好ましくない」

 

「……失言でした。提督、ごめんなさい」

 

「解ってくれれば良い」

 

あぁ、そうかとふいに気付いてしまった。

翔鶴と私は似ているのだ。

だからこれほどまでに感情が掻き乱される。

すぐに自己犠牲という結論にたどり着く心根が。

翔鶴は瑞鶴を、そして私は艦娘を、か……。

笑えない冗談だが、笑えてしまうな。

クク、と自虐の笑みが零れているのを翔鶴が不審に思ったようで声をかけてくる。

 

「提督……? あの、なんでしょう?」

 

「……いや、何でもない。そうだ、翔鶴。……鎮守府に帰ったら一緒にあの時の場所で夕日を見ようか。少し話したい事もあるのでな」

 

「はい、分かりました。お付き合いさせていただきますね」

 

いつだったか翔鶴を秘書艦にした時に夕日を一緒に見た事がある。

鎮守府のとある場所で瑞鶴と自分についての悩みを打ち明けられたのだ。

……まぁ、その話は機会がある時に語ろう。

先程も言ったとおり、ここは敵地だ。

そう時間も経っていないが、士気が持ち直したのならすぐに出発したい。

島影に隠れているならば敵も砲撃が出来ないとは思うが春雨達が心配だ。

 

「では島風と金剛型の4隻は私に続いてくれ。翔鶴と赤城は下がれ。護衛は利根、鈴谷、熊野だ。春雨達を救出したら一気に離脱するぞ」

 

「えぇー! 鈴谷も撃ちたいよー!」

 

私の言葉に鈴谷がぶぅぶぅと文句を垂れる。

子豚かお前は。

 

「足柄のような戦闘狂になってどうする。ここには救援に来たのだ。やむをえないならば戦闘も辞さないが、極力しないに越した事はない」

 

「はーい、わかりましたよー」

 

むくれている鈴谷に声をかけようとすると赤城に先を越された。

 

「鈴谷さんは翔鶴さんにヤキモチを妬いているのでは。提督が二人きりで夕日を見るなんて言い出すからですよ?」

 

「んなっ!? ち、違うしぃ~! 鈴谷は提督が女心をもっと知ってくれればそれで良かっただけだしぃ~」

 

鈴谷はアワアワと手を振っているし、熊野はそれを見て微笑んでいる。

対して、翔鶴はと言えば顔を赤くして両手で頬を押さえている。

あぁ、だから手を離すなと言いたい。

押さえていた服の破れ目から紐の下着がチラチラと見えている。

……どうしてウチの鎮守府の艦娘達は緊張感の欠片も無いんだ。

盛大な溜息をディスプレイに向かって吐き出すと、粛清一括。

 

「喧しい! 貴様等とっとと行かんか!」

 

「うひゃあい!」

 

変な返事を残して鈴谷達が慌てて下がっていく。

 

「司令、霧島でよろしければサポートいたしましょうか?」

 

「……手が回らなくなったら頼む。今は春雨達の場所に急ごう……」

 

霧島の言葉に話半分で答える。

舵を切り、暗礁用のソナー映像を確認しながらレーダーに反応があった場所に向かう。

島の姿が暗視カメラに映るまで誰も無言だった。

 

「……この反対側に少し窪んだ場所がある。そこにレーダーの反応があるな」

 

レーダーに映るこの島はブーツを捻ったような形状をしている。

その捻れて細くなった部分に春雨達は隠れているのだろう。

先程から雨も風も波も勢いを増している。

これは嵐と読んで差し支えないな……。

 

「暗礁に気をつけてくれ。座礁なんてしたら良い的だ」

 

先行している島風に注意を促す。

艦娘は水上に立てるから良いのだが、此方は船である以上、どうしても暗礁には弱い。

雨と風に邪魔はされているが砲撃の音は聞こえないようだ。

このまま深海棲艦も諦めてくれると良いのだが……。

その時島風から通信が入った。

 

「提督見つけたよ! 春雨ちゃん達全員居たよ! ……ひゃっ!?」

 

春雨を見つけた報を聞いた瞬間安堵したが、続いて聞こえた島風の悲鳴の後、通信が切れる。

 

「島風!? どうした!? 何があった!」

 

慌てて問いかけると爆発音と共に島風の悲鳴が耳に飛び込んだ。

 

「てっ、提督! 魚雷が! あうぅっ! 痛いってばぁっ!」

 

続いて島風のいる方向が若干明るくなると共に水柱が上がり、轟音が響いた。

一瞬艦娘の誰かに魚雷が当たったかとも肝を冷やしたが、明るい光が見えたという事は水中では無く崖か岩礁に当たったのだろう。

しかし、島風と大破しているであろう艦娘達では直撃を食らえば、まず助からない。

 

「金剛。榛名、比叡! 弾幕を張りながら春雨達の救出に向かえ! 方向は指示する! 霧島は私の護衛だ。今からレーダーの索敵範囲を拡げる!」

 

暗視モードを切り、レーダーの索敵範囲を拡大すると南東に赤い三角が見えた。

 

「金剛! 5時の方向に敵影! 測距射撃を頼む。敵をこれ以上春雨達に近づけるな!」

 

「撃ちます! Fire~!」

 

金剛の砲門から火が噴出し、続いて比叡、榛名からも砲撃音が轟く。

 

「魚雷に気をつけろ。地形が変わるほどの威力だ。当たれば戦艦といえども無事には済まん」

 

「Yes! 高速戦艦の実力、見せてあげるネー! テイトクー! 魚雷なんて撃たれる前に沈めるネー!」

 

「私! 頑張るから! 見捨てないでぇー!!」

 

「試製35.6cm三連装砲、即応射撃です! 勝利を! 提督に!!」

 

私の言葉に金剛が答え、比叡、榛名も続く。

 

これならいくら深海棲艦の姫クラスと言えども……!

 

「……何ッ!?」

 

レーダーに映るのは未だ健在な赤い三角。

しかも向きを此方に向け近づいてくる。

やはりレーダーに気付かれたか……!

そして、これは魚雷か……!?

ソナーに放射状に白い点が表示され、刻一刻と近づいてくる。

 

「ッ! 不味い! 霧島、魚雷に警戒しろ! 敵の砲撃は私が囮になる!」

 

「危険です、司令!」

 

霧島の制止の声を振り払い、面舵を一杯に取る。

自分の体が艦の出力に引きずられそうになるのを踏ん張り、かろうじて耐えた。霧島もすでに魚雷の射程からは外れている。

なんとかかわした魚雷の軌跡を見送り、考える。

 

……しかし深海棲艦一隻だけか? 

レーダーに一隻しか反応が無いのは流石におかしい。

しかし、金剛達の砲撃をモノともせず魚雷を撃ってくるほどの相手だ。

一隻で充分だと舐められているのか。

嵐の音と暗闇で血と重油の海が脳をかすめる。

ギリと歯が軋ませ、無線の出力を最大にして叫んだ。

恐怖を吹き飛ばすように、声も枯れよと。

 

「金剛! 今のうちに救出を! 大和、武蔵! 5時方向! 合図を出したら撃て!」

 

「ッ! 了解です!」

 

大和の声が聞こえたと同時に、高速艇のサーチライトを深海棲艦に当てる。

夜の闇を切り裂くような凄まじい光が深海棲艦のおどろおどろしい姿を露にする。

蒼い靄に包まれたその深海棲艦と目が合った……ような気がした。

 

「ッてぇ!!!」

 

私の声に雷が轟いたような轟音を響かせ、大和と武蔵が主砲を放った。

凄まじい水柱が立ち、視界が塞がれ、バチバチと砲撃によって巻き上げられた海水が否応も無しに船体を叩く。

……しかし、目標未だ健在。

真っ白な髪とアメジストのように淡く紫に光る瞳、そして色素の薄い肌。

この娘を私は知っている……!?

「……はる……さめ……?」

自分の口が勝手にありえない名前を呟く。

私の声が聞こえたのかどうかは分からないが、その形の良い目を細めて、此方に照準を定め、儚げな笑みを浮かべた……。




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穢れた愛と汚れた藍

時雨改二の対空値は特筆すべきモノがありますね。


「司令! 何を言っているのですか!? あれは深海棲艦です、春雨ではありません!」

 

 いつの間にか艦の隣に付いた霧島がずれた眼鏡の位置を直しながら叫ぶと同時に砲撃を開始した。

 海に浮かぶ深海棲艦は腕を前に重ねて防御の姿勢を取り、此方を狙うのを止めたようだ。

 

 霧島の砲撃音のおかげで呆けていた思考がクリアになった。

 しかし、私はあの深海棲艦を知っている。

 昏く紅い月の日の夜に廊下で佇んでいた艦娘……。

 

「……春雨はッ!?」

 

 ハッと気付き、レーダーを見る。

 4時の方向に深海棲艦、その後方2時の方向に7つの青い三角が見えた。そして3時方向に3つの青い三角。

 7つという事は島風と遠征隊の駆逐艦の艦娘達だろう、先程の場所から僅かに移動を開始しているようだ。

 では目の前のアイツは春雨では無い……。

 そもそも何故あの深海棲艦を春雨と見間違えたのだ、莫迦か私は。

 

「霧島、春雨達を頼む……!」

 

「司令、まさか!?」

 

 霧島の驚く声が聞こえる。そうだ、私が囮になって駆逐艦の艦娘達から引き離す!

 

「大和! 武蔵! そちらに持っていく(・・・・・)! 弾薬が尽きるまで撃てぇっ!」

 

 サーチライトを当て続けながら面舵いっぱいに急旋回をする。

 急激な操作に艦のあちらこちらから軋んだ悲鳴が上がるが、必死で操舵輪を力で押さえ込む。

 

「危険です! 司令! お姉様方! 司令を止めて下さい!」

 

 霧島の悲痛な叫びが無線越しに聞こえる。

 

「……大丈夫だ。おそらくヤツは私しか狙って来ない」

 

 捕捉されていない状態ならいざ知らず、一度発見されてしまえば、私は深海棲艦に取ってなによりの御馳走(エサ)に見えるだろう。

 言い換えれば、囮としてこれ以上最適な駒は居ないという事だ。

 麻痺している頭が顔に笑みを浮かべると同時にじわりと足に黒い藻が絡まっていく。

 まるで白い軍服に絡んで、喪に服す鯨幕の様に、逃がすまいと。

 この重油と血の海へと沈めと。

 それを振り払うようにディスプレイに拳をぶつける。

 ディスプレイにヒビが入り、レーダーの表示が歪む。まるで自分の心を表す様に。

 叩き付けた拳からはじわりと手袋に赤いものが染みていく。紅白とはなんて縁起が良いのだろう!

 

「クク……クハハハハハッ! さぁ、鬼ごっこだ! 捕まえてみろ!」

 

 乾いた哂いを張り付かせでもしなければ気が狂いそうだ。

 ……いや、もうすでに狂っているのかもしれない。

 

「サーチライトは深海棲艦に当て続けろ! 弾着予測に全ての演算を! 全て避けろ!」

 

 ヒビの入ったディスプレイに命令し、最大戦速で深海棲艦に背を向け遠ざかる。

 霧島は金剛達と合流できた様だ。少しだけ安堵する。

 あそこに居たら深海棲艦の通り道だからな、各個撃破される恐れがあった。

 まずは憂いが一つだけ消えたな。

 

「敵深海棲艦のデータが不足しています。メインシステム稼働率80%の為、反応速度も下がります」

 

 ……こんな時にっ!

 

「100%に上げるには!?」

 

 声を荒げてAIに当たってしまう。

 ジリジリと焦れる心がまるで誰かに恋をしてしまったかのように錯覚する。 

 

「不可能です。現在の搭乗者には人間以外の組成が混ざっているようです」

 

 あぁ、そうか……ふと納得してしまった。

 つまり私はあの嵐の夜に深海棲艦に捉われてしまっていたのだろう。

 だから艦娘の艤装が通常の人間に利く筈のストッパーがかからない。

 否、艦娘にとっては敵と認識されていたのだろう。

 嗚呼、精神(ココロ)が壊れる。

 ガラスのコップを落とし、粉々に砕けた音が響いた……様な気がした。

 足元の黒い塊が喉にまでせり上がって、口から入っていく。

 ズルリ、ズルリと音を立て、まるで獲物を見つけたヌタウナギのように柔らかい部分、つまり私の精神を蝕んで、啄ばんで行く。

 

「ク、ククク……! アハはハハは! そうか! 私が! 私は! 私こそが深海棲艦だったのだな!」

 

 狂ったように笑う。

 笑えばこの精神に取り付かれた黒いモノを吹き飛ばせるだろうかと一抹の望みを賭けて。

 吹き飛ばせなければこのまま艦をあの深海棲艦にぶつけても良い……。

 その時、聞きなれた声が無線を通して飛び込んできた。

 

「違います! 司令官は私達と同じだったんです! 司令官が一度死に掛けた時に艦娘の、いえ! 時雨姉さんの応急修理妖精が司令官のカラダを治してくれたんです!」

 

「……はる、さめ?」

 

 嗚呼、と。涙が出そうになる。

 良かった、声が聞きたかった。その為に此処に来たのだ。

 

「はい、春雨です! 島風ちゃんの無線を借りて話しています! 皆ボロボロですけど、生きてます!」

 

「提督が装備させてくれた12cm30連装噴進砲で春雨を狙った爆弾を吹き飛ばしたんだ。……直上だったから無事に、とまではいかなかったけれど轟沈は防げたよ」

 

 時雨の声も聞こえる。

 どろりとした、私の精神を蝕んでいたモノがずるりと音を立てて離れていく。

 

「……よく、やってくれた」

 

 今、口を開けば歓喜の嗚咽が漏れ出してしまいそうだ。辛うじて、それだけを絞り出すとディスプレイに映し出された深海棲艦を見る。

 サーチライトの眩しさにも幾分目が慣れた様子で、此方に再び照準を当てている。

 

「春雨、時雨。鎮守府に帰ったら先程の話を聞かせて欲しい。私が死に掛けた事を何故知っているのか、何故時雨がその場所に居たのか……をな」

 

 ヒビ割れたディスプレイ越しに深海棲艦を睨みつつ、照準を合わせずらくする為に艦を左右に振る。

 船体が軋む音が聞こえるが、今だけもてば良い。……最悪エンジンが焼け付いてもこの海域さえ離脱すれば艦娘に牽引してもらう事だってできる。

 

「はい! それと、時雨姉さんと私にキスをしてくださいね! ……時雨姉さんも幸運の女神なんですから」

 

 春雨の言葉にブフゥと息が漏れ、緊張感が霧散してしまった。

 

「春雨!? 僕は別に……ッ!」

 

「はい? 時雨姉さん、さっき言ってましたよね? 恋のライバルとして絶対に負けないって」

 

「う……。それは、その……もっと時間と場所をわきまえてだね……」

 

 無線からは時雨の慌てた声と春雨の笑いを含んだ声が聞こえている。 

 聞こえる様に溜息をつき、すぅと息を吸い込み、マイクにむけて怒鳴る。

 

「……馬鹿者共が! 此処は敵地だろうがぁ!」

 

「うひゃあっ! ごめんなさい!」

 

 悪ノリしていただろう春雨の驚いた声に笑みが零れる。

 ……本当に無事で良かった。

 再びディスプレイの青白くぼんやりと、まるで幽霊の様に佇む深海棲艦を睨みつける。

 

「大和! 武蔵! そこからありったけの弾をぶち込め! 敵を一歩も動かすな!」

 

「了解だ! 全砲門、開けっ!」

 

「敵艦捕捉、全主砲薙ぎ払え!」

 

 私の言葉に武蔵と大和が答え、轟雷が響く。

 大和と武蔵の砲は史実では砲撃時に食器を全て水の中に漬けておかなければ衝撃で割れるほどだったらしい。

 その砲撃が深海棲艦を襲い、その場に釘付けにする。

 

「くっ! 至近弾です! 武蔵! 狭叉弾を!」

 

 大和の次弾装填音が無線越しに聞こえる。  

 その時、無線を通してノイズ混じりの声が聞こえた。

 

「ヤラセハ……シナイ……ヨ…………ッ!」

 

 海の底から響くような、静かだが狂気を秘めた声。

 

「私ハ……駆逐棲姫……アナタが……欲シイ……」 

 

 まさかと思い、ディスプレイを見ると深海棲艦が儚げな笑みを浮かべていた。

 

「無傷!? いえ、効いている筈! そうか……それなら……やるしかないわね!」

 

 大和の主砲が再び火を噴く。

 距離があっても判るほどの砲火に晒された深海棲艦、これなら為す術も無いだろう。

 だがその認識は……甘かった。

 爆煙が晴れたとき、サーチライトに映し出された姿は未だ健在。

 しかし、服のあちらこちらが破れている。

 どうやら全く効いていないわけでは無さそうだ。

 ただ、大和と武蔵の砲撃をまともに喰らって沈まないとは……。

 

「なんて装甲だ……」

 

 思わず呟きが漏れ、駆逐棲姫がそれに答えるように虚ろな瞳を大和達に向ける。

 

「イタイジャナイ……カ……ッ!」

 

 不味い! 何かが来る!

 大和達が居るであろう方向に腕に持った砲とまるで髑髏を模した様な凶悪な形の艤装を向ける。 

 

「オチロ! オチロッ!」

 

 ゾクリと悪寒が背筋を走る。

 

「大和! 武蔵! 気をつけろ! 敵の攻撃が来る!」

 

 言い終わらぬ内にズドム!と音が響く。

 ……大和の主砲に比べると随分と可愛らしい音だが、なにか嫌な予感がする。

 駆逐棲姫の砲が命中したらしい武蔵が何とも無いと言うように言葉を発する。

 

「くっ、いいぞ、当ててこい! 私はここだ!」

 

 待て、相手は駆逐棲姫……駆逐艦が得意なのは、雷撃……。そもそも島風を襲った魚雷はどこから来た?

 ……! しまった! そうだ、魚雷だ!

 

「馬鹿! 武蔵、避けろ!」

 

「あ?」

 

 武蔵の呆けた様な声と共に大水柱が上がる。

 

「武蔵ィィイイイ!」

 

 無線に向かって叫ぶとノイズと共に声が聞こえてきた。

 

「……ゴホッ! まだだ……まだこの程度で、この武蔵は……沈まんぞ!」

 

 武蔵が沈まないでいた事に安堵するが、どうやら相当なダメージを受けているらしい。

 レーダーを見ると、春雨を護衛している金剛達はもうすぐ敵の射程外に外れそうだ。

 

「武蔵! もう良い! 下がれ! 金剛、榛名! 武蔵の代わりに大和に付け!」

 

 傍受されるのを恐れて周波数を変えながら命令する。

 しかし、駆逐棲姫の声は無線の周波数を変えても耳に届いてくる。

 

「ツキガ……月が、きれいデスネ……デキレバ……アナタと」

 

 一瞬その言葉に思考が止まる。

 鎮守府の廊下で聞いた言葉と同じ、まるで文豪の求愛の言葉のように自然に。

 その儚げな瞳と視線がディスプレイ越しに此方を覗く。

 まるで精神(ココロ)の奥底まで見透かすかのように。

 

「やめろ……! 私を、見るな!」

 

 堪えきれない恐怖に襲われるが、目を逸らす事ができない。

 

「ズット……欲シカッタ……」

 

 駆逐棲姫が手を此方に伸ばすような仕草をする。

 まるで幽霊がおいでおいでと三途の川を渡らせたがるように。

 

「提督! 気をしっかり持ってください! 提督は大和とあの陽が差す鎮守府に帰るんです!」

 

 大和の声にハッと自分を取り戻す。

 ……危なかった、もう少しで取り込まれそうになる所だった。

 

「……すまない、そうだな。帰ろう、あの鎮守府に。だが、その為にはもう少し頑張ってもらうぞ!」

 

 半分叫びながら操舵輪を殴りつける勢いで操作する。

 ……しかし気付くべきだった。

 敵は一人じゃ無かったという事を。

 不幸だったのはディスプレイの白いヒビによって魚雷に気が付かなかった事。

 すぐ後ろに現れた赤い三角。

 

「!? 提督! 避けてください! ソ級潜水艦が後ろに!」

 

 大和の悲鳴混じりの声が聞こえたと同時に、爆砕音と衝撃が艦を襲う。

 

「グ……ァッ!?」

 

「被弾しました。航行不能につき、速やかに下船を推奨します。バルーンチャフと共に救命艇を降ろします」

 

 無機質な機械音声が言葉を紡ぎ、赤く暗い赤色灯の光に切り替わっている。 

 衝撃でしこたま体を打ち付けてしまったが、不味い! 艦が傾斜している。早く艦橋から出なければ!

 水密扉に飛びつき、こじ開ける。

 幸い扉は何とか開いたが、外に出ると同時に雨と風がバチバチと体を打つ。

 

 パシュッと軽い射出音と共にキラキラと光るバルーンと救命艇が射出された。

 みるみるうちに膨らんでいく救命艇を見下ろし考える。

 救命艇まで行くには、この海を泳がなければならないだろう。

 ……足が竦む。しかし、飛び込まなければ完全なる死だ。

 質量が重いものが沈む時、周りの物も一緒に引き込んでしまうのは海の事を少しでも知っていれば誰でも分かる。

 

「ええい、ままよ!」

 

 叫び、飛び込んだが直ぐに後悔する事になった。

 前後左右の感覚が全く分からない。

 かろうじてバルーンの光がある方向が海面だと判別はつくが、荒れ狂う波に邪魔されて辿り着く事ができない。

 肺から空気が抜けていくと同時に浮力が失われ、沈んでいく。

 嗚呼、また私は暗い昏い水底へ沈んでいくのか……。

 すまない、設楽……後は、頼んだ……。

 これも夢ならば誰かの手が引き上げてくれるのか……。

 淡い期待と共に沈み行く体から腕をキラキラと光るバルーンに向けて伸ばす。

 

「捕マエタ……モウ……離サナイ……」

 

 薄れ行く意識の中で艦娘の声を聞いた様な気がした。




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I Can See All(時雨視点)

体調を崩してしまい更新が滞りがちです。
すみません。


「ッ! そんな!? 提督!? 提督を離しなさい!」

 

 ガコンと音を立てて大和が駆逐棲姫に砲塔を向ける。

 

「止めて下さい! 提督に当たります!」

 

 それを榛名が無理矢理羽交い絞めにして止めている。

 一瞬何が起こったのか判らなかった。

 でも、遠目で微かに見えたのは駆逐棲姫の白い肌に抱かれた提督の姿。

 肩を貸していた春雨も気付いたようで、暴れだすのを必死に押さえる。

 

「時雨姉さん!? 邪魔しないで下さい! 司令官が!」

 

「クッ! 落ち着いて、春雨! だからと言って僕達が行っても轟沈するだけだよ」

 

 此方も暴れる春雨を羽交い絞めにして止める。

 

「時雨姉さんはどうしてそんなに落ち着いているんですか! 司令官が! 司令官がぁ!」

 

 泣きじゃくる春雨を押さえつつ、自分が考えていることを言葉にする。

 

「……提督はすぐにどうこうされない筈……だと思う。でなければ駆逐棲姫が提督を抱き上げている理由にならないよ。もし興味の無い人間なら海の底に沈めているだろうから」

 

 そう言うと、春雨の暴れる力が少し弱くなった。

 とは言え、提督を胸に抱いている駆逐棲姫の気がいつ何時変わるかも知れない。

 一種の賭けだけれど、一度鎮守府に戻って艦隊を再編成、万全の状況で救援、捜索艦隊を出さなければならない。

 その間に提督が殺されてしまったら……と嫌な考えが頭をよぎるけれど、必死でそれを追い出す。

 見回すと誰も動揺しているようだ……。

 

「僕がしっかりしなくちゃ……!」

 

 自分にも言い聞かせるようにひとりごち、インカムのマイク出力を最大にして呼びかける。

 

「皆! ここは退くよ! この戦力じゃ勝てない!」

 

「No! 時雨ー! テートクを見捨てるつもりですカー!?」

 

 金剛も反対しているけれど、このままじゃ犬死にだ……。

 

「提督は直ぐにどうこうされる訳じゃないと思う……。もし深海棲艦に知能があれば金の卵を産むニワトリを食べようとはしないはずだから」

 

「What!? でも! 今なら皆で囲めば!」

 

「対潜能力の無い戦艦が敵潜水艦がいる中をくぐりぬけて行くのは難しいと思うよ。対潜に長けた駆逐艦の皆はボロボロだ……。ここは一旦立て直すのが得策なんだよ!」

 

 金剛にまるで赤子をあやす様に一から説明する時間も惜しい。

 ジリジリと焦燥感に身を焦がされる。

 こんな事をしてる間にも深海棲艦は周りを包囲しているかもしれない。

 

「お願いだ……。今は皆が生きているうちに鎮守府に帰ろう。もし提督を取り戻したときに誰かが轟沈でもしていたら、提督は……自害し……いや悲しむと思うよ」

 

 自害してしまうよ、と言い掛けたのを慌てて押し留めて言い直す。

 あの純粋すぎる少年を決してそんな目に合わすわけにはいかない。

 

 ……それが、10年前に決意した事だから。

 

「お姉様! 私も時雨ちゃんの意見に賛成です。ソ級潜水艦がまだ潜んでいます!」

 

 榛名が大和を押さえながら声を荒げる。

 流石に超弩級戦艦を押さえるのは難しいらしい。

 

「……もう、無駄です……。射程外に離れられました。霧島の演算では速やかに撤退を推奨します」

 

 霧島の声がして、そちらを見ると眼鏡に片手を当て、直しながら落胆したように溜息をついていた。

 

「Shit! Shit! Shiiiiit!!! テートクゥ!」

 

 金剛が悪態をついている。

 

「……! ふぅ……わかりました。代理として大和が旗艦を務めます! 全艦隊、帰投します! ……今なら提督の御友人が鎮守府におられます、指示を仰ぎましょう。提督が連れ去られているならばビアク島周辺の島々の何処かに深海棲艦の泊地があるはずです。大和が殿(しんがり)を務めます!」

 

 大和の鶴の一声で皆従わざるを得なくなったようだ。

 

 インカムからは皆の啜り泣きや苦虫を噛み潰したような苦悶の声が聞こえる。

 

「……ありがとう、大和」

 

 殿(しんがり)を務めてくれている大和にお礼を言って、春雨に肩を貸しながら鎮守府に帰る。

 守るべき宝物を失くした鎮守府へと。

 

 提督は僕にとって真珠と同じなんだ。

 そして艦娘はそれを守る貝殻でなければいけない。

 ……執着心が強すぎて僕はいつも提督を傷つけては後悔しているけれど。

 深海棲艦達は追撃してくる事もなく、僕たちは嵐に紛れて鎮守府への帰途に着いた。

 

 鎮守府に帰ると一番に入渠させられ、高速修復材を使われた。

 執務室で待っていた設楽少将という女性の提督や生目という提督、それに陸軍の艦娘が来ている事を知った。

 あきつ丸というらしい、提督を鎮守府まで送ってくれたらしいけれどお酒を随分と飲んだみたいで客室で寝ているとの事だ。

 

 まだ鎮守府の皆には動揺が広がってない様子だけれど、提督不在の話は直ぐに広まるだろう。

 

「……そう、やっぱりね」

 

 執務室で僕たち艦娘から事の顛末を聞き、ソファに座りながら腕組みをし、考える仕草をする設楽少将。

 その表情は浮かばぬ顔だ。

 提督の執務机じゃなく、ソファに座って指示をしているのは鎮守府が違う僕たち艦娘への配慮だろう。

 

 ……提督の机に設楽少将が座っていたら、提督が居ないんだと言う事を否応も無く思い起こさせるから。

 こういう気配りができる人はそうそう居ない。

 きっと見た目は幼いが大人の世界を随分と清濁併せて飲み込んできたのだろう。

 そんな雰囲気がにじみ出ている。

 

「私の鎮守府からも援軍に割ける艦娘を出して……。生目、アナタにも協力して貰うわよ。もしアイツが深海棲艦に喰われて(・・・・)いたとしたら正直主力を合わせても難しいわね」

 

「はぇっ!? お、おう!」

 

 設楽少将が生目提督を向き、話を振るけれど当の本人は鈴谷と熊野の太股を凝視していたようでうろたえていた。……少しだけ気持ち悪い。

 

「……ごめんなさいね、気持ち悪いヤツだけれどニーソックスが好きで好きでたまらないだけなのよ、ソイツ。……それはどうでもいいけれど、まずはあの馬鹿の居場所を探さないといけないわね……」

 

 設楽少将が口を開く。

 あの馬鹿というのは提督の事だろう。深海棲艦に連れ去られてしまったのだから、馬鹿と言われても仕方無いけれど僕達を助ける為に来てくれたのも否定されたような気がして少々ムッとする。

 

「沈んだのはビアク島周辺なんだろう? ならば、その辺りの洞窟だろう。……最悪なのは、これは仮説に過ぎないが深海棲艦側にも提督が居て深海鎮守府がある事だが……。その可能性は低いだろう」

 

「生目? そんなの初耳よ? 深海棲艦側に提督が居るなんて」

 

「あぁ、だから仮説に過ぎないと言っている。だが通信を傍受したり、クリスマスの時に深海棲艦の姫がプレゼント用と思われる綺麗にラッピングされた箱を持っていると噂があったからな。何かキナ臭い匂いはしている」

 

 設楽少将と生目提督が話している。

 そういえば冬に深海棲艦の北方棲姫が何か大きな箱を抱えていたらしい。

 

 ……この鎮守府の提督は、『あちらもクリスマスを楽しみにしたいんだろう、大事そうに抱えている物を強奪しなくても此方は此方で祝えば良いじゃないか』と言ってたっけ。あの時は僕もサンタ帽子を被って鎮守府の皆にプレゼントをしたんだ。提督はつけひげを付けてサンタ服を着たけれど似合ってなかったな。

 

 フフと思い出し笑いをして、提督が今ここに居ない事を再認識させられ、途端に悲しくなる。

 いけないな、こんな事じゃ。

 僕がしっかりしなくちゃ。

 

「……設楽少将、生目提督、意見を具申してもよろしいでしょうか」

 

「時雨? 良いわ、何か良い案でもあれば聞かせて頂戴」

 

 設楽少将の切れ長の瞳に見据えられ、背筋が伸びる。

 この人からは提督と同じ匂いがする。もしかしたら提督と同じような体質なのかな。

 

「はい、提督の捜索隊は西村艦隊を推奨します。理由は偵察機を積めて火力も錬度も高い艦娘、つまり山城、扶桑、最上が居ますし対潜能力に長けた駆逐艦が僕……いえ、時雨、満潮と朝雲を連れていければ、ほぼ磐石となります」

 

 ……言ってしまってから慣れない敬語は使うものじゃないなと後悔した。

 あちこちが変で赤面してしまう。

 西村艦隊は他に山雲もいるのだけれど、あの子は扶桑と山城を前にすると腹痛に襲われるし、艦娘同士の編隊は最大6人編成での教育しか受けていない。

 

 7人になってしまうと咄嗟の事態にどう動けば良いか混乱すると思ったからだ。

 ……それに錬度が高いと言ってしまったけれど、朝雲と山雲はつい最近鎮守府に着任したので錬度はそこまで高くは無い。

 でもあえて西村艦隊で、と言ったのは提督に対して縁が深い艦娘達だから。

 

「What!? 時雨ー! 何を言ってるネー! ワタシも行きたいデース!」

 

「は、春雨も行きたいです!」

 

 金剛に続いて春雨や他の艦娘も騒ぎ出してしまった。

 

「あぁ、もう! 五月蝿い! アイツが心配なのは解るけれど、騒ぎ立てたらその分進展が遅れるだけよ?」

 

 設楽少将の一括で皆黙ってしまった。

 この曲者ぞろいの艦娘達を黙らせるなんて凄いな。

 

「大淀、この鎮守府の艦娘データのリストを見せてくれる?」

 

「はい、設楽少将。どうぞ」

 

 脇に控えていた大淀が設楽少将にファイルを渡す。

 提督が言っていた大淀との禍根は解けたようだけれど、その為に僕や春雨が危ない目にあった事を考えるとやり場のない義憤じみた怒りに駆られてしまう。

 

「……朝雲が少し錬度が低いわね。代わりに金剛か春雨だけれど、春雨はあそこの海域は鬼門ね」

 

「いえ! 春雨は平気です!」

 

 いつになく春雨が声を荒げる。

 けれど、現実は非情で金剛にお呼びがかかってしまった。

 ごめんね、春雨、と心の中で詫びる。

 

「それじゃあ旗艦は扶桑。西村艦隊と言うならば山城にしたい所だけれど、おそらく彼女が一番冷静になれる筈よ。頑張ってね、時雨」

 

「ありがとうございます……。必ず御期待にこたえてみせます」

 

 設楽少将の言葉に答える。

 

「それじゃ、満潮と扶桑、山城と最上を連れて出撃してくれるかしら。作戦内容は捜索と偵察、無用な戦闘は避けて」

 

「わかりました、設楽少将」

 

「Yes! テートクをそのまま連れ帰ってしまえば良いネー!」

 

 金剛の言葉に苦笑する。

 でもどうしてだろう、僕は金剛を羨ましいと思った。

 希望を多くもてば持つほど裏切られた時の反動は大きい。

 腕は二つしかないのに両手に抱え切れないほどの希望を持って、そこに提督が入る余地はあるのかな。

 

 ……僕は何を考えているんだ。

 妙な思考をしていた事にハッとする。

 これじゃまるで提督が助からない事を望んでいるようじゃないか。

 頭を振って嫌な考えを追い出すと髪飾りがリィンと音を立てた。

 ……提督、待っていてね。

 必ず、僕が助けてあげるから。

 提督を助けるのは僕でなければいけないから。

 

 ……この時僕は気付くべきだったんだ。

 執着心という悪魔の手に心を握り締められていた事を。

 

 ━━━モウ二度ト失イタク無イ━━━

 

 頭の中で誰かが嗤ったような気がした。

 

 執務室を出た時、扶桑達を呼び出す館内放送がかかっていた。

 金剛と一緒に出撃ドックに急ぐ。

 金剛が何か話しかけていたけれど、僕は上の空で聞き流してしまっていた。

 提督を必ず見つけなきゃ……。




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月の光と月長石

文章リハビリ中です。


「……ここは……」

 

 暗い洞窟で目を覚ます。

 手を付いて起き上がると、白い砂がパラパラと零れる。

 暗いが、その砂に月の明かりが反射してかろうじて視界が確保できた。

 むきだしのゴツゴツとした岩肌が寒々とした印象を与えてくる。

 

「そうか、私は深海棲艦に……」

 

 あたりを見回してみても、生き物の気配は無い。

 少なくとも今すぐどうこうする気はないのか、それとも逃げられないとタカをくくっているのか。

 それはそれで都合が良いな。

 濡れた服が肌に張り付いて気持ち悪いが、深海棲艦がいつ戻ってくるとも解らない。

 少なくとも自分が現在置かれている状況を確認しておいたほうがいいだろう。

 立ち上がり、サクサクと白砂を踏み、明かるい方へ向かう。

 ふと、なにかが聞こえてきた様な気がして足を止めた。

 

「━━━♪……~……~~♪」

 

「……これは……歌、か?」

 

 少なくとも深海棲艦が歌を歌うと言う報告は無い。

 ……もしや人か!?

 逸る期待を押し殺して、そっと歌が聞こえてくる方向に、身を隠しながら近寄る。

 近づくにつれ、歌のメロディが耳に入る。

 妙に物悲しく、まるで月の光のように寒々しい。

 どこかで聞いた事がある……これはドビュッシーの月の光か?

 何を言っているかは聞き取れないが、メロディをそのまま口ずさんでいるようだ。

 岩陰に隠れ、様子を伺うと此方に背を向け海に歌っている人物が居た。

 黒いセーラー服、サイドに纏めたポニーテール。

 月明かりに照らされている限りだが、海上にも辺りには深海棲艦の姿は無いようだ。

 ……良かった。何処かの艦娘が助けて安全な所まで運んでくれたのか……。礼を言わねばな。

 膝を起こし、一歩歩くとジャリと音がした。

 慌てて下を見るといくつかの欠けた貝殻が転がっていた。

 歌も止んでしまい、邪魔をしてしまった事を謝ろうと、汀の岩の上に座っていた艦娘に声をかける。

 

「すまない、君が助けてくれたの……か?」

 

 此方を振り向いた艦娘が冷たい瞳で私を射抜く。

 いや、艦娘では無かった。

 黒いセーラー服と月の光より尚寒々しい髪の色で気付くべきだったのだ。

 

「……駆逐棲姫ッ!?」

 

 濡れた服のせいで冷えた体中に熱が灯る。

 慌てて背を向け脱兎の如く駆け出す。

 

「待ッテ……! アゥッ!」

 

 制止する声と何かが砂の上に落ちる音と悲鳴。

 後ろを振り返ると駆逐棲姫が岩の上から砂の上に四つん這いに転んでいた。

 ……いや、良く見ると脚が無く、上半身のみでズルズルと此方に這って来ようとしていた。

 待て、そこには欠けた貝殻が……!

 危ないと言うより先に、地面に落ちている貝殻が這っている駆逐棲姫の掌を切る。

 

「ウッ! ツッ!」

 

 駆逐棲姫の悲鳴が聞こえ、淡い紫がかかった、まるで月長石のような瞳が哀しそうに掌を見つめる。

 たまらず私は駆逐棲姫に駆け寄ってしまった。

 少なくとも逃げ出すチャンスではあったのに。

 

「大丈夫か!?」

 

 声をかけ、手の平の傷を見る。

 幸い、深くも無く欠片も入ってないようだ。

 深海棲艦も血は赤いのだな……。

 ハンカチを、と思ったが生憎ポケットもびしょ濡れの為諦めた。

 何もしないよりは、と思い駆逐棲姫の傷を舐め取る。

 口の中に鉄の味が広がり、そういえば先日もこのような事があったな、と思い出す。

 

「……何ヲ……シテルノ……?」

 

 駆逐棲姫が戸惑った様な声をあげた。

 その声に口を離して、手当てだ。と一言告げて血が止まるまでそのままで居ようと思った。

 しかし駆逐棲姫は艤装が無いと歩けないのだな。

 まるで脚の先、太股からスパリと切断されたような娘を見る。

 

「……艤装はどうしたのだ? まさか這ってあそこまで登ったわけではあるまい」

 

 血が止まった頃、害意も感じられない為、なるべく刺激を与えないように駆逐棲姫に問う。 

 

「艤装……出セル。……忘レテタ……」

 

「……そうか」

 

 たどたどしく言葉を紡ぐ駆逐棲姫を抱き上げ、貝殻が散乱している場所から離れる。

 随分と軽い。

 ……それもそうか、艤装も無い、部分的に欠損している人間の体だからな……。

 いつのまにか深海棲艦をも人間として扱っている自分が可笑しく思えて、ククと笑いがこみ上げてしまった。

 

「ドウシテ……ワラウ、ノ……?」

 

 胸元から怪訝な顔と声で見上げてくる駆逐棲姫、やはり体温はひどく低い。

 

「いや、軽いなと思ってな。……月が、綺麗だな」

 

「ウン……」

 

 襟ぐりが随分と開いたセーラー服を着ている駆逐棲姫を眼下に留めると、見えてはいけない膨らみが見えそうだったので慌てて空を仰ぐ。

 ……下着の類は着けていない事は解った。

 嵐も止み、駆逐棲姫の瞳と同じ色をした月が空に浮かんでいる。

 

「私はどれほど寝ていたか解るか?」

 

「解ラナイ……デモ……モウスグ朝」

 

 どうやらかなりの時間寝ていたらしい。

 しかし、意思の疎通はできるのだな。

 これならば無事に鎮守府に帰してくれるのかもしれないと思い、試しに聞いてみる事にした。

 

「……鎮守府の皆が心配しているだろうから帰りたいのだが。……良ければ一緒に来るか?」

 

「……ソレハ……」

 

 どうやら迷っているようだ。

 春雨と似ていると感じたが、押しの弱さも似ているのかもしれない。

これならば……!

 

「アラ……ソレハ……ダメ……ネ」

 

 後ろからズシャリと重い物が砂を踏む音と、声をかけられ振り向くと、長いウェーブがかかった黒髪とそれを覆い隠すフリルのついたヘッドドレス。

 ……所謂ゴスロリと呼ばれる衣装を身に纏った深海棲艦が立っていた。

 そして、その愛らしさを全て灰燼に帰すほどの異形を纏った艤装。

 

「……離島……棲鬼……」

 

 胸に抱いた駆逐棲姫がポソリと呟く。

 離島棲鬼と呼ばれた深海棲艦の瞳が赤く、紅く輝いていた……。




筆が遅くなってしまい、申し訳ありません。
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