恋姫†袁紹♂伝 (masa兄)
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プロローグ

プロローグと次の閑話は、管理者達が関わりませんよ~という内容だけなので、読み飛ばして一話から見ていただいても支障はありません。


 

 

「う、うぅぅん……」

 

 ずいぶん寝ていた気がする、重くなった目蓋を開けるとそこには―――

 

「知らない天井……、てっ、天井もないぞここ!!」

 

 真っ白な空間が広がっていた。

 

「あ、目が覚めましたか? ではこちらへ来てください」

 

 声がした方へ振り向くと、そこには一人の女性が椅子に腰掛け机上の書類(?)に目をやりながら手招きをしている。

 

「あの、失礼ですがどちらさまで?」

 

 女性のほうに歩み寄りながら観察してみると、なんと頭にわっかのようなものが浮いており、背中には翼のようなものもついていた。

 

(もしかしてこの女性は)

 

「その顔だと察しがついているとは思いますが、私は「コスプレっすね!」残念ながら本物の天使です。なんで残念そうな顔してるんですか」

 

 だってこの状況で天使ときたら

 

「はい、あなたは死にました」

 

「えぇ……、あっさりしすぎでしょう」

 

「まぁ貴方達人間と私達は死の概念が違いますから、輪廻転生についてご存知ですか?」

 

「え、えっと確か――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『輪廻転生』

 

 この世に何度も生まれ変わってくることを言う。ヒンドゥー教や仏教などインド哲学・東洋思想において顕著だが、古代のエジプトやギリシャ(オルペウス教、ピタゴラス教団、プラトン)など世界の各地に見られる。輪廻転生観が存在しないイスラム教においても、アラウィー派やドゥルーズ派等は輪廻転生の考え方を持つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まるでウィ○ペディアからコピペしたような説明でしたね……まぁいいでしょう、貴方の魂はこれから転生するわけですが、他の魂とは異なる手続きを行います」

 

「具体的には何が違うんですか?」

 

 質問すると天使(笑)は、一度手元の書類に目を向け何かを確認したあと口を開いた。

 

「貴方は生前、善行的な行いをし続けていたため善行ポイントがたまっているのです」

 

「つまりそのポイントに応じて、特典やらがもらえたりするわけですね天使(美)様!」

 

「察しがよくて助かります。――さて特典の方なんですが、転生先や人物を選んだり、記憶保持や肉体強化など様々で―」

 

「記憶保持だけでオネシャス!」

 

 そう口にすると天使(メガネ)は、今までの無表情が嘘のように驚いた顔をした。

 

「……いいんですか? 最低でも転生先とか指定しないと、何処のどの種族に転生するかわかりませんよ?」

 

 もちろんかまわない、記憶を保持した状態で他の世界に転生するのに、最初から場所や人物がわかっていてはつまらない。

 また、同じような理由で肉体強化なども遠慮した。

 

「珍しいですね、大抵の人は「俺tueeektkr!!」とか言いながら喜々としてポイントを使い切るのに」

 

 

………

……

 

 

 

「いきましたか……」

 

 扉にくぐり、新たな世界へ向かった彼を見送ったあと書類に目をもどす。

 

「善行ポイント……大分余ってますね、せっかくだから彼が向かった世界で一番障害になりそうな『彼ら』を、何とかしておいてあげましょう。」

 

 なんとなくポイントがもったいなく感じ、ある『処置』に使い切る。

 

「これで『彼ら』は介入できない、ふふっ、楽しんでくださいね■■さん――」

 

 微笑みながらそう口にした後、新たな書類を取り出し作業に戻る。すぐに新たな魂がやってくるだろう場所に目を向けて――

 

 

 

 

 

 




後書き


はじめましてmasa兄です。この話は他の恋姫二次創作にあてられて、衝動的につくってしまったものです。ツッコミどころ満載な文があるかもですがどうぞよろしく


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閑話

「………クソッ!」

 

 どこかの空間――およそ人が入れる場所に無いそこで青年が、その端正な顔を歪め悪態をつく、普段は飄々として他者を見下すようにしているはずの彼が、今はその余裕を無くし一つの『外史』を睨みつけるかのように見ていた。

 

「あらぁん? めずらしいわねん、左慈ちゃんが余裕の無い表情をしているなんて、でもそんな顔もス・テ・キ♡」

 

 どこからかセンスを疑うような格好で、体をくねらせながら筋肉質な男が青年に声をかけ近づいてくる。

 

「―――貂蝉か」

 

「……あらん?」

 

 いつもなら筋肉モリモリマッチョマンの変態――貂蝉の言動に怒りを露にし罵倒するはずの彼が、真剣な表情で『外史』の一つを見続けているため、貂蝉もただ事ではないとを察し彼の隣に立ち『外史』をみつめた。

 

「どうしたのん?」

 

「……見てろ」

 

 そう言うと左慈はその『外史』に手をのばし――

 

「きゃああん!?」

 

「…クッ」

 

 隣の変態があげる奇声に気をとられることもなく、左慈は弾かれた手を見つめる。

 

「これは、触れられないってことぉん?」

 

「ああ……」

 

 憎々しく顔を歪め左慈は事の顛末を語り始めた。

 

 

 

 

 『外史』に介入する力がある鏡の奪取に成功し。逃走した先で学生の男――北郷 一刀に妨害され争いの中で鏡を割られてしまう。

 

 彼は『外史』にとばされ、『外史』の『管理者』である左慈は本来の歴史を歪める可能性のある一刀を排除するため、彼のいる『外史』に向かおうとしたがその際に一つ違和感のある『外史』をみつけた。

 

 本来ならば北郷一刀の排除が最優先であるが、違和感を拭い去るために確認しようとその外史に手をのばしたのだが、先ほどのように弾かれてしまう。

 こうなってしまってはのぞくことも介入することもできない……

 つまりこの『外史』は『管理者』の監視から外れたのである。

 

「あぁぁぁぁぁぁあああんっっっ♡」

 

 体ごと飛込み弾かれながらも、どこか嬉しそうな筋肉達磨には目もくれず左慈は思案する。

 

(管理者である俺達にこのようなことが出来る奴はいない……、とするとこれは外部の、それも俺達より遥かに上の権限を持つ奴の介入だな―――クソッ! これではもうこの『外史』は、そいつが解除でもしないかぎり介入は不可能だ)

 

「オォォォンッ、アォンッッ♡」

 

(まぁいい、北郷一刀がいる『外史』とは違うんだ。本来の目的を果たせるんなら文句は無い。

せいぜいこの行き場の無い怒りをぶつけさせてもらうとしよう―――)

 

 

 

 その後、とある『外史』で天の遣いとして、又種馬として活躍する青年が、本来の『外史』よりも不幸な目に遭うのだが……それはまた別のお話。

 

 

 



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幼少~少年期
第1話


 永興2年(154年)

 

 その日、豫州汝南郡汝陽県(河南省商水県)にある後漢時代に4代にわたって三公を輩出する名門汝南袁氏、名家袁逢(えんほう)の屋敷では住人達があわただしく動いていた。

 理由は袁逢の妾である麗華が出産直前の状態だったからである。

 

「ええいまだか! もう随分たつのだぞ? 麗華は無事か!?」

 

 屋敷の自室にて、袁逢は落ち着きを無くし行ったり来たりを繰り返している。

 少し前は出産を控えた麗華の部屋の中にいたものの、彼女の苦しみように取り乱したため産婆に部屋から追い出され、部屋の前にいたっては騒ぎ立てるように彼女の安否を心配していたため、結局自室まで部下たちに押し込まれていた。

 

「少しは落ち着きなされ兄上、ここで騒いだとて仕方あるまいに……」

 

「しかし袁隗(えんかい)、心配なのだ……麗華は体が弱いのだぞ!」

 

 袁逢の妹――袁隗がなだめようと言葉を口にするも、いっこうに落ち着く気配は無い、それもそのはず。

 今、出産を控えた袁逢最愛の妾である麗華は、体が弱く出産に耐えられる体には無いと医師に診断されており、母子共に危険な状態とされていた。

 

「麗華様ならばかならず成し遂げられます。今は彼女を信じ無事を祈って下さい」

 

「う、うむそうだな、取り乱したりしてすまない……」

 

 たしなめられ少し落ち着きを取り戻した袁逢であったが、椅子に座った後もしきりに体をゆすり腕をくんだ状態でそわそわと、普段の威厳など欠片も感じられない姿をさらしていた。

 袁隗が余り見たことの無い兄の動揺っぷりに思わず頬を緩ませていると――

 

「袁逢様産まれました、産まれましたよ!!」

 

 袁逢に付き従う側近達が、言葉遣いも忘れ部屋になだれ込むように入室し報告した。そして――

 

「ふぅ、では兄「麗華ぁぁぁぁっっっっ」あ、兄上っ!?」

 

 袁逢はそれまで座っていた椅子から飛び出すように廊下に出て。眼にも留まらぬ速さで我が子と愛妾が待つ部屋へ駆け抜けていった。

 

「まったく兄上は、では私達も向かうとするか」

 

「袁隗様、実は……」

 

「どうしたの?――まさか、麗華様が!?」

 

 

………

……

 

 

「麗華っ!」

 

 ダンッと音を立て部屋になだれ込むように入った袁逢に、愛妾である麗華は微笑みながら顔を、腕に抱えられている我が子から袁逢に向けた。

 

「お、おぉぉ…」

 

 少しふらつくような足取りで彼女の側へと歩み寄る。体調を心配していた麗華の微笑みに袁逢は安堵し。我が子に目を向ける―――しかし子の誕生に浮かれていた袁逢には、彼女の顔が蒼白になっていることに気が付かなかった。

 

「さぁ袁逢様、この子を抱いてあげて下さいませ」

 

「う、うむ! して、この子は男児か? いや――このように愛らしいのだ女児に違いない」

 

 顔をとろけさせ我が子に満面の笑みを浮かべながら、性別を予想する袁逢に麗華は微笑んだ。

 

「フフフッ、この子は男の子ですよ」

 

「おおっ男児であったか、我が勘もあてにならぬな」

 

 笑いながら袁逢はそう言ったものの、この時代の名のある者の殆どが女性であるため、袁逢の予想は無理からぬものであった。

 

「さて、お前の名を決めねばな――、お前の名は『袁紹』真名は『麗覇(れいは)』だ!」

 

 

………

……

 

 

 

「さて、お前の名を決めねばな――、お前の名は『袁紹』真名は『麗覇』だ!」

 

 父親らしき男がそう告げる。

 

(へぇ、袁紹か変わった名……、え!? 袁紹! それってあの有名な三国志の袁紹のことか? ってか真名って何!?)

 

 自分の名を聞いてパニックになる俺――前世日本人の袁紹は、ここが恋姫†無双というゲーム、アニメの世界だと知らずに産声を上げた。

 

 

 



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第2話

―――あれから数ヶ月、いろいろなことがあった。

 まず俺の母親であり袁逢の愛妾、麗華が他界した……。もともと体が弱かったため出産後の体力低下に耐え切れず眠るように息を引き取ったらしい。

 当初罪悪感になやまされつつ、周りの人間に疎まれるのではと考えていたがどうやら杞憂だったようで、父をはじめいろんな人たちが自分に愛情を注いでくれているのがわかる。

 さて、その中である問題が今目の前で自分をあやしているのだが……

 

「袁紹ちゃん、こんにちはー袁隗叔母さんですよー、またおもちゃを買ってきたから今日はこれで遊びましょうねー」

 

 目の前の妙齢の女性、袁隗叔母上が語りかける。

 実際に彼女が袁隗とわかった時はひどく混乱した―――父親の名は袁逢、そして自分は袁紹であることから三国志の世界だと認識していた矢先、本来叔父であるはずの袁隗が女性として(しかも美女)現れたのである。

 このことからこの世界は三国志を軸につくられたアニメかゲームの世界なんだろうという結論にいたった。

 

 また、この世界には真名という概念が存在しており、真名を預けた相手以外が真名で呼んだ場合殺されても仕方ないらしい……恐ろしいものである。

 

(とりあえずこの世界は三国志をベースにしているし。これからの出来事にも細かい変更が あっても大きなものはないはず。

 なら俺が袁紹としてすべきことはやはりこの先にあるであろう 『黄巾の乱』『反董卓連合』そして『群雄割拠』この分岐点まで力を蓄えつつ善政をしいて国を豊かにする。

 そのためには勉学に励まねばならないだろうな……、いくら現代や三国志のチートに近い知識があるとはいえ、この時代の事を細部のことまで知らない……いや、知っている事の方が少ないはず)

 

 生後わずか数ヶ月の赤子が、あごに手を当てるような仕草で物思いにふけっていると、御付の侍女が奇妙な者を見る目で顔を向けているのだが―――

 そのことには気づかず袁紹はさらに思案する。

 

(とりあえず書物を読めるような年になるまで、もてはやされても増長し傲慢になったりしないように気をつけよう)

 

 

 

………

……

 

 

一年後

 

 

 

「麗覇が……麗覇がわしを『ちちうえ』といってくれたぞぉぉぉぉっっっっっ!!」

 

「おめでとうございます。袁逢様」

 

「うむうむ、きっと神童に違いない。さすが我が子じゃ」

 

 増長しないように……

 

 

 

………

……

 

 

さらに一年後

 

 

 

 

「兄上! 袁紹が歩きましたよっ」

 

「なに!? 真か袁隗」

 

「はい! しかも倒れたりすることなくしっかりした足取りで……武の才があるかもしれませぬ」

 

「ふははは、さすが我が子であるな」

 

 ぞ、増長しないように……

 

 

 

………

……

 

 

さらに一年後

 

 

 

 

「す、すごいです袁紹様。この書は大人でも難解なものなのに、齢三歳半にして読破されるなんて……」

 

「フ―ッハッハッハッハッ! 我、袁紹にかかればこのくらい出来て当然である。フ―ッハッハッハッハッ」

 

 ……増長しましたテヘペロ☆

 きっかけはふとしたいたずら心から父親を呼んでみた事である。その時の父上の喜びようはすごかった。 

 まさか三日も宴会を開くなんて誰が想像しただろうか、それからというものやることなすこと全てにおいて褒められ続ければ誰でも増長―――いや、自信がつくというもの、また我自身が神童のような振る舞いをしていたのもあいまって拍車をかけた。

 しかしそれ以外にも理由があった、前世の『俺』は褒められなれていなかったため照れるだけだったはずだが、『俺』の中にいるもう一つの魂がことさら褒められるのを喜ぶのだ。 

 おそらくこの『娘』は―――『俺』が転生しない世界で袁紹として生まれてきたはずの魂なんだと思う、会話や姿を見ることはできないが、なんとなく女であると感じる。

 

 そして―――『彼女』の喜びや他の感情、趣向は『俺』にもつながっている。一心同体……そんな感じだ。

 一人称も『俺』を使うつもりだったが名族には相応しくない! と『我』にすることで妥協した。

 

 

 

………

……

 

 

 

 

 それから二年後5才になった我はその日、父上に呼ばれ庭にある訓練所に向かっていた。

 

(庭に呼び出されるのは初めてだな、いつもは父上の部屋なのに……訓練所ってことは戦闘訓練するのか?)

 

 ちなみにいま住んでいる屋敷には広大な庭が広がっている、現代でいうところの東京ドームの広さに匹敵するであろう。  

 庭には細部まで手入れが施されており、訓練所を始め、茶や菓子などを楽しみながら談笑することができるテラス(?)のような場所まである。

 

(なんというか、さすが名族って感じだな。そしてなによりこの袁本初にふさわしい!! ……あれ? 俺こんなキャラだったっけ)

 

 自分の人格の、僅かな価値観の変化に驚きつつ目的地の訓練所前にやってくると、父上と袁隗叔母上がやってきた。

 

「さて麗覇、ここに呼び出されたことで察しが付いているだろうが、これから戦闘訓練を美項(みこう――袁隗の真名)と行ってもらう」

 

「叔母上と…」

 

 袁紹は疑問に思う―――この五年間、袁隗が文官として政務を行っている姿を何度も見たことがあるが、戦っている姿はおろか帯刀している姿も見たことが無い。

 

「私の実力を疑っているようですね……袁紹様?」

 

「い、いえそんな……」

 

 どうやら袁紹は感情が顔にでやすいらしい。心中を察した叔母上はいつもの笑みを浮かべてはいるものの、眼つきが非常に鋭くなっている。

 今の袁紹の心境はまさに蛇に睨まれた蛙だ。思わずといった感じで目をそらすと――

 

「ハハハッ、美項は線が細いからな」

 

「あら? それはどこを見ながら出た言葉ですか?」

 

「それはもちろんム―――、ああいかん! これから来客があるのだった! 失礼する」

 

 言い切らない内に叔母上の殺気を感じたであろう。父上は見え透いた言い訳を口にしながら脱兎の如く走り去っていった。

 

「逃げられてしまいましたか、しかたありませんねぇ……では袁紹様、中に入って準備をしたのち始めましょうか」

 

 ニヤリと、どこか意地悪そうな笑みを浮かべる叔母上。

 

(こ、これは先ほどの父上の言動と、我が叔母上を侮ったことが相まって相当怒らせてしまったのでは!? ……もしそれが原因で訓練が厳しくなっていたら、父上が寝台の裏に隠した気になっている秘蔵の春本に現代式モザイクを墨でかけさせてもらうぞ! ちちうええぇぇぇっっっっ)

 

 袁隗に引きずられながら袁紹は何かを決意した。

 

 

 

 

 

 

………

……

 

 

 その日の夜、袁逢の寝室からすすり泣く声が、近くを巡回していた警備兵により確認された。

 

 

 

 

 

 

 

―――五年後 袁家屋敷の門前―――

 

 

「なぁなぁ斗詩ぃー(とし)、ここにその袁紹がいるのかー?」

 

「袁紹『様』だよ文ちゃん、今日の挨拶で失礼の無いようにお母さん達に言われたでしょ?」

 

「わーてるって、ところで袁紹様はアタイ達と遊んでくれっかなー?」

 

「もうっ、文ちゃん!!」

 

活発そうな少女を、大人しそうな少女が諌めながら門をくぐって行った。

 

 

 

 

 

 

 

 



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閑話―袁隗―

 私の名は袁隗、兄袁逢の下で普段は文官として政務に携わっている…ところで私には一人甥がいる。

名は袁紹、真名は麗覇だ 実は私は真名を預かったがまだ呼んだことは無い。これは兄上のと同じ理由だが、

真名で呼ばず敬語で接する事によって『袁家当主』の兄上と『袁家次期当主』である袁紹と私の立場を明確にするための処置だったりする。

 袁家は名族の名に恥じずとても人員が多い、だからこそ派閥などで大きく袁家が割れたりしないように気を付けなければならない…、だが最近はそんな処置が必要ないのでは無いのかと疑問に思っている。なぜなら――

 

「叔母上、問題を解き終わりましたぞ!」

 

「うそもう!?……全問正解です。さすがの神童ぶりですね袁紹様」

 

その日、休日で暇を持て余した私は勉学に励む甥の姿をみつけ、昔使っていた算術の問題書を興味本位でやらせてみせた。

 袁紹お付の勉学の先生は『袁紹様は真の神童でございます』と評価していたがまさかこれほどとは…

 

「うむ、この袁紹にかかればこのくらい当然である。フハハハハハ!」

 

腰に手を当て胸を突き出すようにして高笑いする我が甥、事情を知らない者が見れば褒められた子供が増長しているようにしか見えないその光景は、たゆまぬ努力と才に裏づけされた自信だということは袁家の中では周知の事実である。

 なぜか本人は努力している所を隠そうとするのだが…

 

(本初様が隠した気になっている擦り切れるほどに使い込み手垢のついた沢山の書物は袁家の皆にばれていますよ?)

 

高笑いを続ける甥に、その事実を知らせたらどのような反応をするだろうか?――、そんないたずら心をすんでのところで何とか思いとどまる。

 

(それにしても隠し場所が寝台の裏だなんて…。そんな所は兄上にそっくりね。隠している物と用途に雲泥の差があるのだけれど――)

 

「――上?叔母上っ!聞いているのですか?」

 

「…え?、あ、ああごめんなさいもう一度言ってもらえるかしら?」

 

声をかけられ意識を戻すとそこには高笑いを終え、しかし腰に手を当てた格好のままこちらを覗き込んで来る甥がいた。

 

「もう一度言いますが我は父上に用事があるのでこれで失礼しますぞ」

 

「あら、そうだったの、わかったわ引き止めてしまってごめんなさいね?」

 

「なんのっ、実に有意義な時間でしたぞ!フハハハハハ」

 

そう言ってふたたび高笑いをしながら部屋から袁紹は出て行った。

 

『袁紹様、お疲れ様です!』

 

『おお、欄塊あいかわらず真面目よな』

 

『こんにちは、袁紹様』

 

『こんにちは零款、妻は息災か?確か身重だったな』

 

『はい!おかげさまで自分も妻も充実しております』

 

『ならばよし!フハハハハハ』

 

部屋から出てすぐに声をかけられそれに応対しながら袁紹の高笑いが遠ざかっていく…

ちなみに先ほど声をかけた者達は、名のある武将や文官などではなく 只の『警備兵』である。

 実は袁紹は袁家の兵達から莫大な人気をもっている。通常他の一般的に名家や名門と呼ばれる家はそこらの太守よりも兵が多く、言い方は悪いが替わりはいくらでもいる。そのため袁逢をはじめ他の血族達も特に兵達を気遣うような事はしない、だが袁紹はそんな彼らに積極的に声をかけた。

 

『見張りご苦労である!立ち仕事ゆえ疲れておろう、我のアメ玉をやろう 疲労には甘味ぞ!』

 

『そこの者、そんな辛気臭い顔で屋敷を歩いていては袁家の威光が下がるではないか!それで?… 何を呆けておる悩みがあるのだろう?我に聞かせよ、話すだけでもいくらか気が晴れるだろう、可能なら我が解決してやろうぞ!遠慮するでない、この袁紹にかかれば出来ないことのほうが少ないゆえなっフハハハハハ』

 

『おお各麗、訓練所で見たお前の弓の腕見事であったぞ!』

 

―――最初の内は袁紹に返事できる兵は少なかった、それもそのはず次期当主候補の袁紹と警備兵の自分達とは天と地ほどの差があり、まさに雲の上の存在である。

 だが袁紹は話しかけ続けた、時には挨拶し、時には褒め、時には悩みを聞き、時には叱咤する。するとどうであろう

気が付けば兵の方から話しかけるようになっていた。 無論反発もあった、ある兵士達は袁紹を『人気取りに必死だ』と馬鹿にしていたが実際に袁紹を前にして声をかけられた反発者達もやがて袁紹を慕っていった。

 

そんなある日、ふと袁紹に聞いたことがある。

 

『袁紹様は屋敷の警備兵の人数を知っているのですか?』

 

袁家の屋敷はとても広大で、それに比例するかのように警備兵も沢山いる。彼等は日ごとに持ち場を変えるため、ほとんど毎日が新顔の兵達のようなものであり、さすがの袁隗も正確な人数は知らなかった。

 

『153人…いや確かその内の一人零款は新婚で暇を貰っている故152人ですぞ!』

 

『………』

 

そんな袁隗に袁紹は人数はおろか名前まで覚えていると言ってのけた

 

『…?、一度名を聞けば覚えて当然ではないですか!フハハハハハ』

 

これには袁隗も顔を引きつらせた表情をしたが、袁紹はそんな袁隗の表情に気がつかず。兵達との会話の内容を満面の笑みで語り続けた―――

 

 

 

 

 

 

 

………

……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハハハッ、美項は線が細いからな」

 

「あら?それはどこを見ながら出た言葉ですか?」

 

「それはもちろんム―――、ああいかんっこれから来客があるのだった!失礼するっ」

 

袁紹の戦闘訓練をみる事になっていた私は体が昂るのを感じそれを必死に抑えていた

 

「逃げられてしまいましたか、しかたありませんねぇ…では袁紹様中に入って準備したのち 

始めましょうか」

 

私の様子に何か感づいたのか、袁紹は顔を引きつらせながら引きずられるように訓練所へと 

入っていった

 

 

 

 

 

 

「では袁紹様、訓練用の武器があちらにありますので習いたい物を持ってきて下さい」

 

「叔母上、着替えなどはしないのですか?」

 

現在袁紹は普段着、ひらひらとした高級服を身にまとっているがお世辞にも動きやすい格好ではない、そのためその疑問は当然のものであったが―――

 

「はい、武の鍛練は基本普段着や私服で行っていただきます。理由としてですがまず袁紹様は戦場に出ることはあっても直接戦闘に参加しない総大将だからです。さて、ではどういった時にこの鍛練が役に立つと思いますか?」

 

質問に質問で返す形となってしまったものの、袁紹は腕を組み目を閉じ少し間をおいたあと口を開いた

 

「屋敷内では暗殺者、街では犯罪者、さらに他の地域への移動中に現れる賊などとの突発的な―――叔母上?」

 

「っ!? え、ええあっています流石袁紹様」

 

齢五才の甥の理解力の高さに改めて舌を巻きつつ「無論、そのような事態には護衛の方達がさせませんが」と補足した

 

「さすが叔母上、感服しましたぞ!」

 

こっちが感服したわよっ!と心の中でツッコミつつ武器置き場の方に歩いていく甥を目で追いかける。

 その先には剣を始めとして槍、矛、大斧といったものからおよそ人には振り回せそうに無い大剣や大槌などもあるが―

袁紹は特に迷う素振りもみせず。剣を手にして戻ってきた

 

「あら?剣にするなんて派手好きな袁紹様には珍しく無難な選択ですね。理由を聞いても?」

 

「なに、突発的な戦闘には取出しや持ち運びが簡単で小回りの利くものをと思ったのです。それに―――」

 

「それに?」

 

「我の中でティン!ときたのですっっ剣を見たとき!」

 

「え、てぃ、てぃん?なにそ「忘れてくだされ」………わ、わかりました。では実際少し振ってみてください」

 

実は袁隗はこの瞬間を楽しみにしていた。五才にして大人顔負けの知識と洞察力を持つ甥の袁紹、もしかしたら武才もそうとう高いのでは?と常々思っていたからだ。

 袁隗の言葉に「わかりました!」と元気良く返事した袁紹は、片手で構えゆっくりと剣を 

頭上に上げ――

 

(あら、なかなか様に――)

 

そして縦に振り落とし――

 

「ふっ、おわぁっ!?」

 

――たものの剣先に重心をもっていかれ、前方に顔から倒れた

 

「………」

 

「………」

 

二人の間に短い沈黙が流れ

 

「…プッ、フフフッアハハハハハハハ!!」

 

袁隗の大笑いによってその沈黙は破られた

 

「ひどいですぞぉ叔母上ぇ…」

 

立ち上がり顔や服についた埃を叩きながら笑い続ける袁隗を憎らしそうに睨む袁紹であったが、袁隗には悪気はなかった

 というのも袁隗は今まで何でも出来る袁紹に舌を巻きつつもどこか恐ろしいと思っていたからだ。 言うまでもないが袁隗は優秀な人物である。だがその優秀さ故に袁紹の傑出した才の異常性には敏感に反応していた。

 高い知力を示してきた袁紹は武も最上なのかも―――と、期待しつつもどこかそれを恐れていた…が、初めての素振りで顔面から豪快に倒れた袁紹を見て、今まで抱いていたわずかな恐れは杞憂だった――、それがわかって嬉しくなりたまらず大笑いしてしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――しかし袁隗のそんな胸中は袁紹にはわかるはずもなく、大いに傷ついていた。彼からしてみれば敬愛する叔母にいいところを見せようとした結果、顔面ダイブしてしまいそれを笑われたのだ。 

 

「うぬぅ…」

 

たまらず呻いてしまったが袁紹は恥を一旦忘れ先ほどの失敗を振り帰る。

 

(我の今の筋力ではとても片手では振ることは出来ぬ…、両の手でしっかり持ち剣先に重心が持っていかれぬよう足を…ってこれ思いっきりあの構えだ、―――良しこれなら!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ!?」

 

袁隗は袁紹の構えを見て息をのんだ、見たことの無いその構えは袁隗に未来の知識があれば『剣道』といわれる競技の構えだとわかっただろうが、もちろんそんな事わかるはずもなく正眼に構えた袁紹を見て

 

(す、隙が無い、まるで緻密に隙を消していった結果これにいたったような構え…、この短時間でこの構えを編み出したっていうの!?)

 

絶賛勘違い中だった

 

「ふっ、はっ、ふっ」

 

そして袁紹はそのまま素振りを始めた…が

 

(あまりに完成された構えを見てもしかしたらっておもったけど振りの鋭さは普通ね…どちらかというと粗末な方、でも

さっき構えた時に感じた隙の無さ、この子に武の才があるのは間違いないわ…まいったわね、まさか知の才だけでなく武の方も金剛石の原石だなんて―――、はぁしょうがないわね、この原石を泥土の中に埋もれさせるわけにはいかないわ

初日だから軽く済ませようと思っていたけど予定変更、最初から全力よ!)

 

「むっ、何か寒気が…」

 

素振りで体が温まっていたはずなのに寒気を感じた袁紹には叔母の顔が満面の笑みになっているのに気づくことなくそのまま素振りを続けていた。

 その後から地獄の日々が始まり―――その初日に袁逢の春本が巻き込まれたのだった。

 

 

 

 

 



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第3話

 剣の腕も上達し歳が10になった袁紹は―――

 

「フハハハハハ、付いて来い目的地はすぐそこである!」

 

「ほら斗詩、はやくこいよー」

 

「もう、二人とも速すぎますよー」

 

 少女二人を連れて全速力で庭を駆けていた。……遊びでは無い。

 

 ことの始まりは時を少しさかのぼる―――

 

 

 

 

 

 

 

 父上に呼ばれ、謁見の間に足を運ぶと中には父上と少女が二人側に控えていた。この二人は今日から袁紹に側近として仕えるという。可愛らしい少女の口から出た二人の『顔良』と 『文醜』という名には驚いたものの、伯母上の件もありある程度予想していたため、特に慌てたりすることなく受け入れられた。

 そして容姿を含め彼女等を気に入った袁紹は(中の娘も気に入ったようである)その場で真名を交換しあい。主従として親睦を深めようと庭を散策しながら話をすることになった時。

 

『ところで二人は帯刀しているが、やはり得物は剣か?』

 

 話のとっかかりとしてまず。側近兼護衛でもある二人の得物を確認しようとしたのだが―――

 

『はい、私は小回りの利く『いやーそれが聞いてくれよー麗覇さまー』ちょ、ちょっと文ちゃん!?』

 

 斗詩(とし)の言葉をさえぎる形で猪々子(いいしぇ)が語りかけて来た。その顔はどこかうかない感じである。

 話しの流れから自分の得物に対して何か悩みがあるのだろうと察した袁紹は―――

 

『かまわぬ、聞かせよ』

 

 と、慌てる斗詩をなだめつつ続きをうながした『さっすが麗覇さま』と猪々子は笑顔で口にしたあとまた表情を少し暗くし。

 

『いやー実はアタイにしっくりくる武器が無くて悩んでいるんですよー、とはいえ丸腰で護衛は出来ないからこうして一応帯刀してるんすよね』

 

『フム……』

 

『ぶ、文ちゃん!!』

 

 歯に衣着せぬ猪々子の物言いに斗詩が慌てて諌めている姿を見ながら――(肝心の猪々子は『え?アタイなんかまずい事言ったか?』と首をかしげているが)――思案した。

 

(手になじむ武器が無いのは大きい、実際に我も槍や矛では実力の半分も出し切れぬ―――  いまは護衛とはいえ、いずれ戦場で兵を率いる将になるのだからこの問題は無視できぬ……ならば!)

 

 少し思案にくれ考えをまとめ終わると、尚も諌める斗詩の姿とそんな彼女に対し、頭の後ろで手を組み唇を突き出してあさっての方向を見つつ『へいへーい』と気の無い返事をする猪々子の姿が映った。

 袁紹はそんな二人の姿に苦笑しつつ――

 

『では我が側近になった記念として二人に武器を授けようぞ!』

 

 と提案した。

 

『『え!?』』

 

 これには二人も驚いたのか、容姿は違うがまるで双子のような同じ挙動で口を開け呆けている。……フム、可愛らしい。

 

『い、いいんですか? 麗覇様』

 

『うむ!自分の得意な得物は早々に手にした方が良い、それに、袁家の武器庫には色んな種類の武器が沢山あるのでな』

 

『やったぁ、さっすが麗覇様そこに痺れる憧れるー!!』

 

『そうであろう、そうであろうフハハハハハ! さあそうと決まれば善は急げだ、二人とも付いてまいれ!』

 

『りょーかい!』

 

『わわわ、待ってくださいよー、文ちゃーん麗覇様ー!!』

 

 そして冒頭に戻る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここだ」

 

 重々しい武器庫の扉を開き、二人を連れて中に入る。

 

「「うわぁ…」」

 

 中には袁家が代々にわたって集めてきた武器の山、見た目重視な宝剣から、無骨ながらも刃が鋭い光を放っている剣など、実用的な物から観賞用にいたるまで、用途は違えど全て一級品である。

 

「なぁなぁ麗覇様、この中から武器もらえるん……ですかぁ?」

 

「フハハ、慣れぬなら無理して敬語で喋らずとも良い。うむ、好きなのを選ぶといい」

 

「えっ!? 私達が選んでいいんですか?」

 

 袁紹の言葉を聞いて「やったぁ」と武器の山を見に行く猪々子に対し。斗詩はやはりどこか申し訳なさそうだ。

 

「うむ、自分で使う得物なのだから好きに選べ、ここに眠らせ続けるのも勿体無い故な!」

 

 そこまで聞くと遠慮しがちな斗詩も「ありがとうございます」と頭を下げ猪々子に続いて武器を吟味していく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よーし、アタイはこれに決めた!!」

 

 しばらくすると数百はあるであろう武器の中から、大きな剣と槌を手にした猪々子が戻ってきた。

 

「? 二つあるが……」

 

「ああ、こっちの槌は斗詩のね」

 

「ええっ、ちょっと文ちゃん!?」

 

 どちらかというと細身な剣を吟味していた斗詩に猪々子が渡そうとしたのは、とても女子には持てそうにない大槌、ちなみに理由を聞くと「だってアタイが選んだ武器の次にこれが強そうじゃーん」と実に彼女らしい考えだった。

 

「む、無理だよ文ちゃん私……文ちゃんみたいに力持ちじゃないもん」

 

「ったく斗詩はー、麗覇様の前だからって清楚ぶっちゃって……ホレ!!」

 

「えっ、きゃあ!?」

 

 遠慮する斗詩にあろうことか大槌を放って投げる―――。これには流石に危険だと思ったが

 

「もう、危ないじゃないっ!」

 

 と可愛らしく頬をふくらませて憤慨しつつも、斗詩はしっかり両手で大槌を受け取ってみせた。

 これにはさすがの袁紹も顔を引きつらせてしまった。大人しい故に忘れがちだが彼女もまた英傑なのだ。

 

「なぁ麗覇様、この武器なんて名前なんだ?」

 

「フム……、猪々子のが大剣『斬山刀(ざんざんとう)』斗詩のは大槌『金光鉄槌(きんこうてっつい)』だな、二つとも袁家に忠を誓い生涯を全うした将軍の得物だ。彼ら亡き後は重すぎて使い手が現れずここに保管されていたがな……」

 

「おおっ! ならアタイ等にぴったりじゃんか、なっ斗詩!!」

 

「もう、文ちゃんは……しょうがないなぁ……」

 

 そっけない言葉とは裏腹に斗詩も満更ではない感じで笑っている。小回りの利く得物では無いのだが問題無さそうだ。

 

「それにしてもこれだけの武器がある中でその名前が出てくるなんて……、さすがです!」

 

「う、うむ……この袁紹にかかればこのくらい造作も無い!」

 

「うぉー、麗覇様かっけぇ! 最初会った時はアタイと同類だと思ってたよー」

 

「ぶっ、文ちゃん!!」

 

「そうであろう、そうであろうフハハハハハ!」

 

 実は二人の武器の名と詳細を言えたのにはからくりがあった。武の鍛練を始めた頃から袁紹はたびたびこの武器庫の中で数々の武器を鑑賞しており、その中でも一際目立つ二つの武器が気になり、目録を通して名前と詳細を知っていただけであったが―――

 

 あまりに瞳を輝かしながら尊敬の眼差しを向けてくる猪々子に対し(斗詩は何故か慌てていた)いまさら本当のことが言えず。誤魔化すように高笑いするのだった……

 

 

 

 

 

 こうして二人にとってその日は、生涯仕えることになる主と、愛用する得物の両方を得た忘れられない日となり、以来三人でその日を記念日と称し祝い続けることとなる―――。

 

 

 

 




次回シリアス回!……の予定


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第4話

残酷描写有り


―――その日は雲一つ無い晴天だった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 袁紹の側近となった顔良と文醜の両名と出会ってから早数ヶ月、あの日から三人は共に勉学や鍛練を行い。常に三人でいることが日常となってきていたある日

 

「今日は街を散策しようではないか」

 

「街を…ですか?」

 

実は袁紹はあまり街を散策したことがない。それもそのはず仮にも『袁家次期当主』なのだから、今まで街に出かける時は沢山の護衛を伴っていたため、一度も満足に見て回った事が無いのだ。

 

「で、でも私達だけでは危険ではありませんか?」

 

実力はあるものの彼ら三人はまだ十歳、常識人の斗詩からしたら当たり前の疑問であったが

 

「大丈夫だって斗詩ぃー、アタイが守ってやるからさ!」

 

「左様、我等三人の力があれば左程危険はあるまい」

 

楽観視する猪々子に、めずらしく賛同する袁紹。彼にはこの三人ならば例え百人の賊に囲まれても突破出来る自信があり、実際毎日のように袁隗による地獄の特訓を切り抜けてきた三人にはその実力もあった。

 

「ほらほら斗詩、はやくしないと飯屋が閉まっちまうよー」

 

「いや、別に食べ歩きをしにいくわけでは…まぁいいか、で斗詩はまだ心配か?」

 

「いえ…、大丈夫だと思います。すいません出過ぎたこと言ってしまって」

 

「別にかまわぬ、我の器は大きい故なフハハハハハ!」

 

余りにも堂々とした主君と親友の言葉にさすがの斗詩も心配のしすぎだと内心自分を諌めた。

 

 

 

………

……

 

 

 

 

「うわー、相変わらずすごい人だかりだなー」

 

「これ猪々子はぐれぬようきちんと付いて来ぬか、斗詩足元に気をつけよ」

 

「は、はい」

 

街に来た三人は袁紹を先頭にして歩いていた。その間にも二人に気を掛けていたのだが  「あれ?私達が護衛じゃ…」と斗詩が何かに気が付き始めたところで猪々子が屋台を発見し

 

「麗覇様、あれ絶対おいしいですよ!」

 

と、今にも涎を垂らさん勢いで詰め寄ってきたため、急遽買い食いすることとなった。

が、中々に好評な屋台のようで長蛇の列が出来ており、「麗覇様、いまこそ袁家の威光を!」と猪々子が冗談なのか本気なのかわからない(おそらく本気)提案をしてきたので軽く小突いた後袁紹達三人はおとなしく列の最後尾に並ぶこととなった。

 

「うがーっ!全然進まないじゃんか!」

 

「少しは我慢しなよー」

 

「だってさー『腹が減っては良い草は出来ない』って言うじゃん?」

 

「…それを言うなら『戦』だ、大体―――ん?」

 

会話をしながら列が進むのを待っていると、袁紹の視界の端に気になるものが映った。 それは人ごみにまぎれ女性の口を押さえながら人気の無い路地へ入っていく二人の男の姿

 

「………」

 

女性は暴れていたにもかかわらず、周りの人間に彼女に気が付いた様子の者はいなかった。 それか気が付いてなお見てみぬふりをしているのか…あるいはその両方か、どちらにしろ袁紹の中にはそんな選択肢は存在しなかった

 

「所用が出来た、猪々子我らの分も買っておいてくれ斗詩―――ついて来い」

 

「がってん!」

 

「え、どうかしたんですか?麗覇様」

 

急な話題転換に驚き、返事をした猪々子とは違い斗詩は疑問を問いただそうとしたが―――

一刻の猶予もないかもしれぬその状況に説明を放棄して走り出す袁紹、そして少し遅れて斗詩が付いて来た。

 

………

……

 

薄暗い路地裏の袋小路になった場所に着くとそこには、女性に跨り組み敷く大きな男とそれを近くで見ている大男の仲間であろう小柄な男が居た。

 組み敷かれている女性に目をやると服がはだけており、おそらく抵抗した時のだろう殴られた跡があった。

 

「あなた達…、なにしてるんですか」

 

目の前の状況から今までの経緯を察しさらにこの後おきるであろう悲劇を察した斗詩は、普段の様子から一変し怒りを露にし低い声で男達に問いかける。よく見るといつの間にか抜刀していた

 

「っ!?なんだガキじゃねぇか、驚かしやがって…」

 

「ここはガキの来るとこじゃないぜぇ?」

 

「馬鹿野郎!、衛兵呼ばれる前に始末するぞ!」

 

「え?、でもまだガキ…わかりやした」

 

袁紹と斗詩の姿を確認すると大男は一旦組み敷いていた女性から離れ立ち上がり剣を抜いた。女性ははだけた服を直しながらこちらに心配そうな視線を送ってきたが、袁紹は「安心しろ」と言わんばかりに目を合わせた後抜刀した。

 

「顔良、お前は左のチビを…『俺』は大男を相手する。殺すなよ?、生きて罪を償わせる。」

 

「はい!」

 

初めての実戦を前にして気が高まっていた袁紹は、一人称が前世で使っていたものに戻っていた事には気づかずいつもの鍛練の時のように正眼に構えた。

 

「なぁんだてめぇら?俺達と殺り合おうってのかぁ?」

 

ククク、と下品に肩を震わせ剣を此方に向けながら大男が嗤う。それもそのはず、彼から見た袁紹たちは成長期の最中で背は大男の半分しかなく、袁紹が『チビ』と仮称した男と同じくらいの身長だった。 

 

「―――フゥ」

 

袁紹は脅迫めいた男に反応をみせず昂った体を抑えるべくため息をするように息を吐いたが…

 

「てめぇ…、なめんじゃねぇっ!」

 

それを余裕と感じた大男は憤慨し、およそ斬ることには適さない刃こぼれした粗末な剣で上段から斬りかかって来た。

 体重をのせず腕力だけの力任せの斬撃…、その剣速は袁隗達と鍛練を重ねてきた袁紹には避けるには容易かったが… 

 

あえて受け鍔迫り合いにもっていった。

 

「もらったぜぇ」

 

鍔迫り合いとなれば力の強い自分に分があるのは当然、大男は勝利を確信したが―――

 

袁紹はそんな男の考えを無視するかのようにわずかな力で相手の剣に巻きつくようにして中段での鍔迫り合いを下段に 持っていった後、

 

「――ハッ」

 

全力で上に巻き上げた。

 

「うぉおっ!?」

 

力をこめて握っていた持ち手を捻られるようにして巻き上げられたため大男はたまらず手を離した。

 そして宙に舞った剣は、大男の後ろの地面に刺さるように落ち静止した。

 

「てめぇっ、何しやがった!?」

 

武とは程遠い暴力と呼ばれる世界に身を置いてきた大男には、何が起こったのか理解できず苦し紛れに声を荒げた。

 大男に抵抗する手段がなくなったと思い斗詩の様子をチラッとみてみると、すでに終わっていたようで地面にはチビが苦しそうに倒れている。 とくに外傷が無い様子を見るとどうやら峰打ちされたようだ。

 

「さぁ、おとなしく――「かしらぁっ!!」

 

お縄につけ、と口にしようとしたところで後方から声が迫ってきた。

 

「お、おお良く来たなおめぇらっ!」

 

後ろを向くと大男の仲間であろう者達が五人、それを一瞥した袁紹は斗詩と女性の場所にかけよる。

 

「斗詩その女子を後ろに下げて守れ!」

 

「は、はい!」

 

斗詩は指示通りに女性を自分の後ろに隠し、剣を構えた。 そしてそんな二人の前に立ち袁紹も再び正眼に構える。

 

(まずいまずいまずい!)

 

敵の数は戦闘不能となったチビを外し、いつのまにか剣を拾いなおした大男を加えて六人… 『本来』なら問題無い数である。 では何故袁紹はこれ程までに慌てているのか、彼にはあるものが欠けていた。

 

「てめぇら、油断すんじゃねぇぞ…、複数であたるんだ」

 

仲間に合流して指示する大男の目に先ほどのような油断は消えていた。

 

「おらあぁっ!」

 

「クッ…」

 

「麗覇様!」

 

そして大男とその仲間二人を加えた三人が袁紹に斬りかかって来た。 一対一ならばこそ先ほどのような剣を弾くという芸当が出来たのだ、複数で斬りかかる者達にそれをする余裕は今の袁紹には存在しなかった。

 

「ちぃ、ちょこまかと」

 

迫る斬撃を避け、かわしきれないものは受け流すことで対処したが、袁紹は防戦一方になっていた。

 実は斬りかかれなかった訳ではなく、斬撃に対処しながら隙を何度も見逃していた。―――そう、斬りかかれないのでは無く、斬りかからなかったのだ。 そしてその隙にのこった三人は斗詩と女性の方に迫っていった。

 

「捕まえたぁっ!」

 

状況に変化があったのは、それから何合か斬撃を対処した頃である。 聞きなれない悲鳴を 

聞いた袁紹が顔を向けると、

 

「へへへ、おらっ大人しくしな!」

 

「よくやったチビ!」

 

いつの間にか戦闘不能になっていたはずのチビが女性を羽交い絞めにしていた。

 

「動くんじゃねぇぞ? そしてそこのガキィ…、よくもやってくれたな!!」

 

「っ!?あぅ!」

 

「斗詩ィッ!?」

 

剣の腹で叩かれ倒れた斗詩の周りには力なく倒れ伏した三人の敵…、そのどれもが致命傷を 負っていて事切れていた。

 再び斗詩に目を向けると、打ち所が悪かったのか頭から血を流し気絶していた。

 

「クソが、見てくれがいいから売り飛ばそうとも思ったが…、仲間の仇だ…」

 

そして大男は剣を掲げ―――

 

「死ね」

 

その瞬間袁紹の中で何かが弾け大男の許に一瞬で移動し振り下ろされる剣を、

横から斬撃を合わせ弾いた。

 

「てめぇっ、ひと―――!?」

 

たまらず大男が「てめぇ、人質が目にはいらねぇのか」と言おうとしたものの最後まで言葉をだすことが出来なかった。

 なぜなら―――

 

「ゴブァッ!!」

 

男の喉はすでに切り裂かれたのだから―――

 

「「「!?」」」

 

人質がいるにもかかわらず動いた袁紹と、彼等の中で一番の手練れの男がやられたこともあって、のこった三人は一瞬動きをとめてしまう、そしてそれは致命的な隙となりそして――

 

まるで風を切るような音をだしながら近くにいた二人の敵の間を袁紹が通り過ぎる。

 

「「?」」

 

そして首を斬られていた事にも気づかずに二人は事切れ、倒れた

 

「ひ、ひぃぃぃっ」

 

一瞬にして仲間全員がやられ悲鳴を上げたチビを見ると、女性を羽交い絞めにしているその手には凶器は握られていなかった。

 

「ちくしょうっ!」

 

近づいてくる袁紹に、自分が素手だと感づかれたことを理解したチビは女性を袁紹に向けて、突き飛ばし逃走を図った。

 袁紹は突き飛ばされた女性を左手で受け止め…

 

「があっ!?」

 

横を通り過ぎようとしたチビの喉を剣を持った右で突いた。

 

 

………

……

 

「あ、あの…」

 

「っ!?、斗詩!!」

 

少しの間放心していた袁紹は腕の中にいた女性の声で意識を戻し斗詩の許へと駆け寄り

 

「…血が出ているが傷は浅い、生きている!」

 

斗詩が無事なのを確認して心の底から安堵した。

 

「わ、私人を呼んできます!」

 

「…ああ、頼む」

 

走り出す女性を一瞥し斗詩に止血を施した後、袁紹は再び放心した。

 

………

……

 

―――その後、衛兵を引き連れ駆けつけた猪々子達により事態は収束へと向かった。

 

 

 

 

 




次回、事件後の出来事と袁紹の心境について


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第5話

「あなた……、自分が何をしたのかわかっているの!?」

 

袁家の屋敷、袁隗の自室で袁紹は此度の出来事について彼女に問い詰められていた。

 

「……わかって「わかってない!!」」

 

彼女の問いにわかっていると答えようとした袁紹だがその声を遮るようにして袁隗が怒鳴る、そしてそれほど間をおかずに部屋に乾いた音が響いた―――。

 

「……?」

 

始め何の音か袁紹にはわからなかったが、袁隗が右手を振り抜いているのを視界に捉え、自分の頬を叩いた音だと気が付いた。しかし頬を叩かれた当の本人は、痛みに顔を歪めることも無く目から光が消え虚ろな表情でそれを見ていた。

 

「何故ッ!大人の護衛達を連れて行かなかったの!?」

 

―――三人でも、危険は少ないと判断したから

 

「何故ッ!猪々子もその現場に連れて行かなかったの!?」

 

―――二人を無力化するだけなら斗詩と二人でも余裕だと考えたから

 

「何故ッ!護衛である斗詩を下げて貴方が前に出たの!?」

 

―――斗詩よりも自分の腕のほうが上だと思っていたから

 

袁隗が問い掛け続け、その間にも頬を叩く乾いた音が連続で鳴り響く

 

「何故……、何故貴方があの程度の人数に苦戦して斗詩が負傷する破目になったの?」

 

最後の問いには頬を打つ音は無く蚊が鳴くようなか細い声だったが、袁紹の耳には良く届いた。

 

―――それは自分に敵の命を絶つ『覚悟』が欠けていたから……

 

「……貴方の考えは理解しているわ、伊達に一番長く側に居た訳ではないもの、―――人を殺すのに葛藤があったのでしょう?」

 

「………」

 

袁隗の問いに袁紹は沈黙という形で肯定した。

 

「葛藤があった事に問題は無いわ、むしろそれは大事なことよ?初めて人を殺すのに何も感じなければただの異常者でしかないわ、―――でもね、許せないのよ」

 

聞いたことも無い袁隗の冷たい声に反応し伏せていた顔を上げる。そこには今にも斬りかかって来そうなほどに端正な顔を歪め此方を睨む敬愛する叔母の顔があった。

 

「貴方はね、天秤に掛けたの…」

 

「……?」

 

「自分の葛藤と自分や斗詩達の命を」

 

「っ!?」

 

袁紹の目に光は無かったが、言葉の意図をすぐさま理解し大量の冷や汗を流しだす。

 

「そして……」

 

「あぁ……」

 

やめろ!やめてくれ!!―――その先に待つ言葉を予見し、まるで死刑宣告を受けるような気持ちになりたまらず声に出そうとしたが言葉を紡ぐことはかなわず呻き声がもれた

 

「自分の葛藤を優先したのよ、私にはそれが許せない」

 

「―――っ!?」

 

後悔、恐怖、無念、諦念、罪悪感、自己嫌悪、いろんな不の感情が胸の中を掻き乱す。

 

―――そうだ、それは意図した状況では無かったが、あの時の選択は確かに『斗詩達』の命が天秤に掛かっていた。

 彼女達を優先するのなら簡単だ、事態を長引かせれば危険が増えるだけなのだからさっさと葛藤なんて物を捨て去り 一切躊躇する事無く敵を屠ればその後の不測の事態にも十分対処できた。

 『斗詩達』に命の危機が訪れる事もなかったはずだ。

 

「貴方今、『斗詩達』の事だけを思って後悔しているでしょう?その天秤には貴方の命も掛かっていたのに」

 

吐き出すように話しを続ける叔母の目には涙が浮かんでいた。

 

「普段、自己中心的な態度をとる貴方が他者を優先しがちなのは知っているわ、それはとても美徳だとも思う。でも自分の命を軽視していい理由にはならないわ」

 

袁隗の怒りそれは未熟な三人で街に出かけ、二人だけで事にあたり、護衛を下げて前にでる―――。

 それらの事柄に共通した袁紹の自分の命を軽視した行動に対しての怒りだった。

 

「そしてそれは、貴方を信じて慕っている者達全員の気持ちを踏みにじる行為よ、だから……約束しなさい」

 

そこまで言うと袁隗は、頭一つ分小さい袁紹を抱きしめた。

 

「!?」

 

突然感じた温もりと気恥ずかしさから思わず身をよじる袁紹だったが、まるで逃がさないと言わんばかりに抱きしめる腕に力が籠められた為その動きは止まった。

 

「もう二度と自分を軽んじたりしないと……」

 

そこまで話して袁隗は口を閉じる。最後の言葉の声色には始め憤怒した人間と同一人物とは思えぬほどに慈愛と悲痛に満ちたものだった。

 そのことからも袁隗がどれだけ袁紹の身を心配ていたかがうかがえる。そしてその言霊を受けた袁紹の目には光が戻っていた。

 

「約束致します叔母上……、『我』はもう二度と自身を軽んじたり皆の想いを踏みにじったりしないと!」

 

………

……

 

この世界に生れ落ちた彼はどこか『ゲームの世界』にいるような感覚に陥っていた。史実では叔父であるはずだった袁隗、男の猛将であるはずの顔良と文醜、武器庫に保管されていた時代錯誤な武器の数々、そしてその大剣や大槌を細腕で振り回す斗詩と猪々子の姿、これらの光景はまるで前世で見てきた漫画やアニメのようで…… 

 袁紹はいつしか『ゲーム』をしている気になっていた。そして倍の大きさはあるであろう大男が振るう剣を弾き飛ばすことが出来る自分の『キャラクター』として技量に酔ってすらいた。

 しかし敵の増援により無力化する余裕が無くなり『命のやり取り』をする場に変わったとき、彼の意識は唐突に現実へと引き戻された。

 命のやり取りの先に待つであろう光景は前世では余りにも自身と無縁な光景で、彼には受け入れがたい事実だった。

 そして散々葛藤したあげく、最悪の結果になりかけた。

彼には覚悟が足りなかったのでは無く、覚悟すること自体無意識に放棄していたのだ―――。

 

………

……

 

袁隗との一件の後、袁紹は一人庭に座り月をぼんやり見ていた。

 

「ここに居たんですね麗覇様」

 

「斗詩……」

 

自身を危険に晒した愚かな主にも関わらず。心配して探しに来たのであろう彼女の優しさに胸が締め付けられる

 

「すまなかった……」

 

「何を謝ったんですか?」

 

「全てだ、斗詩の忠告を聞かず三人で街に向かったこと」

 

「最終的には私も賛同しました」

 

「猪々子を連れて行かず二人で事にあたったこと」

 

「文ちゃんは説明しないと屋台から離れなかったかもしれませんし、見失うかもしれないから一刻の猶予も無かったです」

 

「……斗詩に危険が迫るまで敵を斬ることが出来なかったこと」

 

「それは、私も同じです」

 

「……?」

 

「私も初めての実戦で人を斬るのに躊躇していました」

 

私が前に出ていたら斬られていたかもしれませんね―――と、苦笑しながら言葉を続ける。

 

「優しい麗覇様のことだから私と同じく葛藤していることはわかっていました。そしてそんな様子で戦っている姿をみて怖くなったんです。麗覇様が殺されるかもしれないことに……」

 

袁紹は斗詩のために、斗詩は袁紹のために、過程は違えど二人が葛藤を捨てた理由は同じだった。

 

「でも、麗覇様は私が自己嫌悪する必要はないと思ったはずです。なら麗覇様もそうじゃないですか!」

 

「………」

 

最後に彼女が声を少し荒げてしまったのは勢いをのせて言ったからであろう、その言葉はどこまでも優しく袁紹を気遣っていた。

 

「あのー」

 

「うぉっ!?」

 

「きゃっ、文ちゃん!?」

 

そこにいつの間にかやって来た猪々子が顔を出す。

 

「なんか気まずい雰囲気で出づらかったけど、だまっていられなくなっちゃってさー」

 

そう言うと彼女は頭を掻きながら二人の近くまで歩み寄る

 

「二人とも難しく考えすぎでしょ、だってさ二人とも……いや助けた人含めて三人は無事だったんじゃん?なら、今更それまでの事を後悔しつづけても意味が無いって言うかさー、アタイ頭良くないからうまく説明できないけど、次はそうならないように気をつければ良いだけじゃん?」

 

歯に衣着せぬ物言いであったが、それは核心を突いていた―――。

 

(そうだ、我がすべき事は自己嫌悪に浸ることではない、此度の一件を糧にして前に進む覚悟を決めることだ。

  そも、先ほど叔母上と『自分を信じる相手の気持ちを踏みにじらない』と約束したばかりではないか!)

 

袁紹は自分の中から何かの憑き物が落ちる感覚を感した。

 

「ありがとう、二人とも」

 

「麗覇様…」

 

「へへっ」

 

礼を述べた袁紹の顔から憂いが消えた事を察した二人は、満足そうに笑い

 

「ところで麗覇様、傷物になった斗詩の責任はとるのか?」

 

「ブフォッ!?猪々子!!」

 

「ぶ、文ちゃん!?これはそんな傷じゃないから!!」

 

「そん時はアタイも頼むよ麗覇様!」

 

「ええっ!?文ちゃん!!」

 

その後、三人で他愛も無い話を朝日が昇り始める頃まで語り続けた。

 

………

……

 

その日から、袁紹は浮いていた足を地に着け、この世界で生き抜くことを改めて決意し 

 

そんな主を支えるべく斗詩と猪々子は更なる研鑽に励み、二枚看板の名に恥じない英傑へと 成長していく―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「責任は取ったほうがいいですよ」

 

「叔母上!?」

 




袁隗の口調が違うのは怒りで素が出ていたからです


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第6話

今回は短いです


「私塾ですか?」

 

「そうだ」

 

あの事件の後日、父である袁逢に呼ばれ事件関連の話でもあるのかと考えながら部屋に出向くと、とある私塾に通うようにとの話だった。

 

「そこで三年学んで来るといい、その後帰ってきたお前に家督を譲りわしは隠居する。」

 

「なっ!?」

 

何故ですか!?と、問いかける前に手で制されたため口を閉じる。

 

「ここだけの話しになる、聡明なお前なら勘付いているかもしれぬが漢王朝の腐敗は大分進んでおる。

 このままではいずれ滅ぶだろう」

 

「……」

 

「わしは漢の忠臣として努力してきたつもりだ、だがもはや袁家の力だけでは腐敗を止めることは出来ぬ、いたずらに事を先延ばしにするだけでは、漢王朝に潜む獅子身中の虫が全員心変わりでもしないかぎりどうにもならぬ、そしてそれはありえぬ」

 

「……」

 

袁逢の話はこの時代に生きる人々にすれば妄言に近かったが、なまじ先の出来事を知っている袁紹は話を遮る事無く聞き続ける。

 

「その先には動乱が待ち受けているであろう、そんな時に家督騒動などしておれば野心の高い他国によって攻め滅ぼされるであろう。

 だからお前には早いうちに家督を譲り袁家にしっかりと根をはった状態で、これから起こるであろう動乱に対処してもらいたのだ」

 

「話しはわかりました。しかし我が私塾に通う必要性がわかりませぬが?」

 

この地に骨を埋める覚悟をした袁紹には、来たる黄巾の乱に備えやっておきたい事が山のようにあった。

 

「フッ、確かに今更私塾に行っても『私塾』から学べる事は少ないかも知れぬ」

 

「!?そ、それは私塾内で勉学の他に学べることがあるという事ですか?」

 

「うむ、お前にはそこで他地域の諸侯の者達と交流を持ってもらう。その交流で得た友あるいは諸侯の情報は袁家を取り仕切る時に大いに役立つであろう」

 

(確かに、我の世代である諸侯の子息達を知っておくのは重要なことだ。史実でもそこで曹操と対面する事になっている。曹操か―――我としても顔を拝んでおきたい)

 

史実で自分を破る事になっている曹操に関心があった袁紹はこの申し出を受けることにした。

 

「なに、家督を継いだらしばらくゆっくりは出来ぬのだ。休息だと思って楽しんで来い」

 

「はい父上、……つきましてはお願いがあるのですが」

 

「何だ?言ってみるがいい」

 

「申し訳ありませぬが、しばらくお待ちくだされ」

 

そう言うと袁紹は一旦自室に行き、紙の束を持って戻ってきた。

 

「?何だその束は」

 

「はい、これらには我がこの地でやりたいこととその方法が書かれています」

 

袁逢は紙を取り内容に目を通す

 

「こ、これは!?」

 

そこには―――

 

刈敷や草木灰を肥料として使用する方法と効果、千歯扱きの設計図、楽市楽座の概要と経済効果、揚浜式塩田や入浜式塩田など、多数の政策とその欠点などが書かれていた。

 

「私塾に行っている間、父上にはこの政策を推し進めてもらいたいのです」

 

「う、うむ全ては無理かも知れぬが重鎮達と相談してみよう――」

 

「それから」

 

「まだあるのか!?」

 

「今後袁家で商売を始め、売っていただきたい物がありまして――、こちらです」

 

そう言うと袁紹は黒い液体を差し出した。

 

「何だこれは、墨?」

 

「いえ、調味料です」

 

「なっ!?この液体がか!?」

 

「はい、どうぞひと舐めしてみて下さい」

 

その言葉に袁逢は恐る恐る指を黒い液体につけ舐めた。

 

「っ!?これは――、なんと濃く芳醇な味だ……」

 

「魚醤と申します」

 

実は袁紹は一時期日本食が恋しくなり、前世でたまたま魚醤の作り方を知っていたため、醤油の代用品として作っていた

 

「これの製法を袁家秘匿とし、利益を独占するようにして下さい」

 

「……」

 

袁逢は思わず息を呑んだ、袁紹が提案した政策の数々―――そしてこの魚醤、どれほど成し遂げられるかわからないが、それによって民のみならず袁家にも莫大な財が入ることは想像できた。

 

「お前は……、それほどに財を成してどうするつもりだ?」

 

この疑問は袁逢にとって至極当然なものでった。名族である袁家はすでにかなりの財を保有している。

 先の時代に待つ動乱に備えるためとはいえ、ここまで利益を追求する理由がわからなかった。

 

「この先に起きるであろう時代の転機において、我の策を成すためには莫大な費用が必要なのです」

 

「……」

 

袁逢には息子が何を見据えているかわからなかったが、彼が考えなしに言っているわけではないことは理解していた。

 

「……最後に一つ聞きたい、これは全てお前が考え付いたのか?」

 

「はい、我が幼少の頃より異国の書物を参考にして考案しました」

 

さすがに未来の知識によるものだとは言えず、袁紹は無理があるとわかりつつも自分が考案したことにした。

 

「……そうか」

 

これにはさすがに袁逢も嘘だと気がついたものの

 

(聡明な我が息子が無意味な嘘をつくとは思えぬ、又ここで嘘をついても利点は無い、ならば本当の事を言えない理由があるのだろう。……まぁよい、ワシは息子を信じこの政策を推し進めるとしよう……)

 

「わかった……、何分やることが多く革新的なため時間は掛かるが慎重に重鎮達と進めることにする。

 それでよいな?」

 

「はい!ありがとうございます父上!!」

 

「うむ、しばしの別れだが達者でな」

 

 

 

………

……




袁紹「ワイが青春しとる間しっかりNAISEIしとくんやで」

パッパ「ファッ!?」


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青年期 ―私塾編―
第7話


 諸侯の子息が多数集まる私塾内にいた彼女は、憂鬱な気分に苛まれていた。

 

―――あの娘が曹操、宦官の孫

 

―――さっき質問されたから教本の通り答えたのに苦笑されたぞ

 

―――仕方あるまい、あやつに言わせれば教本の答えは合理的では無いらしいからな

 

―――なんと!そこまで高慢な奴は見たことが無い!!

 

―――噂ではかなりの同性愛者らしいな

 

―――曹操タンハァハァ……

 

―――罵られたい、罵られたくない?

 

私塾内で飛び交う会話は全て彼女に関する事であり、小声でありながらも嫌でも耳に入った。

 

(好き勝手言ってくれるわね……、上辺と噂だけでしか相手を量れないのかしら?それよりも最後の二人は誰よ!)

 

変態発言に身震いした曹操が、発言者を探そうとした時だった。教室の扉が大きな音を立て開かれ『彼』がゆっくりと入室する。

 扉は窓際の反対に位置しており、日の光が入ってくるようなことは無いはずであったが『彼』が姿を現すと、室内にいた全員は太陽を直視したような光を感じ思わず目を細めた。

 無論そんな光は無かったため即座に目を開き、入室者に目を向けるとそこに『彼』がいた―――

 

金色に輝く美しく長い髪は後ろで三つ編みににまとめられ、顔はどちらかというと女顔に近く端正な容姿、これだけだと他の貴族の子息にも同程度の者達は居たが、彼等とは違い体が服の上からでも良くわかるほどに鍛えぬかれ、目は鷹のように鋭く意志の強さがうかがえた。

 そして皆が視線を向け続けていると彼は口を開いた。

 

「フハハハハハ、我、天元であるっっっ!!」

 

「いや、あんたは違うだろ!!」

 

天元――― 天子をも意味する言葉を発した『彼』に赤毛の少女が思わず席を立ち上がりながら声を上げた。

 

「ほう、我の威光の前でそのような物言いが出来るとは……、気に入ったぞ小娘」

 

「し、しまった思わず……。ってか私達はそんなに年は離れていないだろうに」

 

「フハハハハハ、我こそが袁紹である!娘、名を聞かせよ」

 

「え、ええ袁紹様!?失礼しました私は公孫賛と申します!」

 

「そう畏まらずとも良い、これから学友となり共に学ぶのだ。先ほどのようなツッコミを期待しているぞ!」

 

「つ、つっこみ? しかし――」

 

「良い、許す」

 

「……わかりま―――わかった、これでいいか?」

 

「何と無礼な!衛兵、こやつを捕らえよ!!」

 

「わわっ申し訳―――って、あんたが許可したんだろうがぁぁぁっっっっ!?」

 

「フハハハハハ、良い、良いぞ!ノリツッコミも完璧ではないか!!」

 

言葉の一部は意味が解らなかったものの自分が弄ばれている事に気がついた赤毛の彼女―――公孫賛は頭をかかえた。

 

(何かこの後も私で遊ばれ続ける気がする―――)

 

それは確信に近い予感だった。そして一連のやり取りを見ていた塾生達は喋りだした。

 

―――え、袁紹ってあの?

 

―――齢三歳にして教本を読破した神童らしいぞ

 

―――英才教育の一環で武の鍛練も欠かさないとか

 

―――ウホッいい名族

 

―――まず家の屋敷さぁ、屋上あるんだけど……

 

先ほどまで曹操一色だった室内の話題は袁紹へと変わっていた。

 

(正直助かったけど、またえらく濃い人物ね……、皆の視線や言葉をまったく気にしていないようだけど貴方は噂通りの大物かしら、そうじゃなかったらただの馬鹿ね)

 

曹操が彼を観察していると目が合った。

 今更だが室内には多数の座席があり、曹操を中心に円が出来る形で空席があった。

 

「隣よろしいかな?『曹操』殿」

 

「あら、高名な袁紹様に名を知っていていただけるなんて嬉しい限りだわ、でも私がそうだとどうしておわかりに?」

 

「先の公孫賛にも申した通り畏まらなくてもよい、難しいことでは無い、ただ室内で覇気を持つものが一人しかいなかったからな、覇王の器に嘘偽りは無いらしい」

 

「っ!?そこまで高く買って貰えるなんて光栄ね、改めて自己紹介するわ曹孟徳よ」

 

「フム、孟徳とは字か?成人はしていないと思うのだが」

 

「あら、別に成人してからじゃないと字をつけれない訳じゃないわよ?まぁそれが一般的だけどね、早い人では七歳から持つ者もいるわ、早熟な人間ほど早い時期に持つみたいだし貴方は違うのかしら?」

 

「ほうなるほどな、ならば我も改めて名乗るとしよう、袁本初である!!以後よろしく頼む」

 

「本初?それって――」

 

「字だ、今つけた、もとよりこれ以外考えられぬしな」

 

「まぁ、あなたがそれでいいなら特に言うこともけどね」

 

………

……

 

初日の私塾は教師と生徒達の簡単な自己紹介と明日からの説明だけで昼前に解散となった。

 

「孟徳、このあと食事に行くんだがお主も一緒にどうだ?」

 

「……いいわよ、いろいろ話したいこともあるし」

 

「うむ、公孫賛お主も共に行かぬか?」

 

「え、私もいいのか?じゃあお言葉に甘えて」

 

三人で曹操のオススメである料亭で食事をすることになり、私塾を出ると再び彼女が口を開いた。

 

「少し待ってちょうだい、私の側近が二人来るはずだから」

 

「ほう、奇遇だな我にも二人――「ぬぉりゃああああ!!」うおっ!?」

 

返事をしている最中に急に横から斬撃が迫ってきたので慌てて剣を抜きそのまま受け――

 

「クッ(重い!――ならば)」

 

そして横に受け流した。

 

「うわぁっ!?」

 

受け流されたことで斬撃を放った者は体勢を崩しかけたが、ころんだりする事無く構えなおした。

 

「貴様ぁぁぁっ!無駄な抵抗をするな!!」

 

構えた相手に目をやると、猪々子ほどではないがかなりの大剣を下段に構え、仇を見るような目でこちらを威嚇するデコの広い娘がいた。

 そして視界に入った二人――公孫賛は突然のことで口をあけたまま呆け、曹操は片手で頭を押さえていた。

 

「娘―――なんの真似だ?」

 

「ぬぐっ!?男にしては少しは出来るようだな、だが!華琳様をかどわかそうとする「春蘭」はい!華琳様!!」

 

曹操に声をかけられ静止するデコの娘、真名で呼び合っているようだがまさか……

 

「察しがついていると思うけど、この子が私の側近の一人よ……春蘭、自己紹介なさい」

 

「し、しかし華琳様」

 

「春蘭」

 

「……はい」

 

しぶるデコ娘を曹操が諌めると先ほどの怒気が嘘のように鳴りを潜め、心なしか頭上から出ている毛――所謂アホ毛と言われる物が萎れていた。

 

「いや、自己紹介以前に斬りかかった事に対して何かあるだろ!?」

 

呆けていた公孫賛が意識を取り戻したようで慌てて声を上げたが

 

「心配しすぎよ公孫賛、さすがの春蘭もこんなところで刀傷沙汰を起こすつもりはないわ、そうでしょう?」

 

「うむ!ちゃんと首筋で止めようと思っていたぞ!!」

 

「だとしても問題だらけだろうがーーー!!」

 

「それに、彼の技量があったから大した事にはならなかったわ、そうでしょう袁紹?」

 

「うむ、我に掛かればあのくらいは造作も無い。フハハハハハ!!」

 

公孫賛の心中をまったく意に返さない三人のやりとりに思わず彼女は「あれ?私がおかしいのか?」と頭を抱えた。

 

「まったく姉者は、今回はやりすぎだぞ?」

 

「おおっ秋蘭!」

 

するとどこからか秋蘭と呼ばれた女性がやって来てデコ娘を諌める。

 その姿に自分以外の常識人の登場かと顔を輝かせた公孫賛であったが――

 

「そんな姉者も可愛いなぁ……」

 

その一言でまた頭を抱えた。どうやら彼女も只者ではないらしい、そして恍惚の表情でデコ娘を見た後こちらに向き直し自己紹介した。

 

「お初にお目にかかります。私は華琳様の側近の一人『夏侯淵』と申す者、以後お見知りおきを――そして此方が」

 

「その姉で華琳様の一の家臣『夏侯惇』だ! 」

 

丁寧に自己紹介の挨拶をする夏侯淵に対し、夏侯惇は腰に両手を置いて発育途中の胸を突き出すようにして声をだした。

どうやらこの二人が有名な夏侯『姉妹』らしい、双子にもかかわらず二人は真逆の気質を持っていた。

 そしてそんな二人を見て袁紹は

 

「ふむ、我が側近に少し似ているな」

 

自分の側近達と少し似た二人の関係性や雰囲気に思わず口にだすと

 

「おーい、麗覇様ーー!」

 

少し遅れて猪々子と斗詩の二人がやって来た。

 

「あら、その娘達が貴方の側近? へぇ可愛らしい子達じゃない。」

 

どこか含みのある言い方をし、二人を舐め回す様な視線を送る。

 どうやら同性愛者の噂は本当らしい、しばらくして口を開いた

 

「気に入ったわ、私にちょうだい?」

 

と、笑みを浮かべながら軽くそう提案してきたが

 

「たわけ!犬猫じゃあるまいし、我が大事な側近をホイホイとやれるか!!」

 

そう袁紹が口にすると彼女もはじめから返事はわかっていたようで「残念ね」と笑みを変えず口にした。

 

「予約していた時間を過ぎるのもまずいし、彼女達との自己紹介は料亭でやりましょう?」

 

「うむ、そうしよう皆もよいな?」

 

はい、とそれぞれ返事をしたが何故か公孫賛はうかない顔をしていた。

 

「あれ、私の影が薄くなってきてないか?」

 

………

……

 

その後料亭に到着し自己紹介を終えて、料理が運ばれると一同は―――

 

「へぇ、じゃああの時は受け流したわけね?」

 

「うむ、夏侯惇の剣はとても我に受けられるものではなかったからな」

 

袁紹と曹操が話に花を咲かせ――

 

「やるな夏侯惇!こんだけアタイについて来れた奴は始めてだぜ」

 

「当然だ文醜!それに私の丼はもう二桁目だぞ!!」

 

何故か春蘭と猪々子が大食いで競い合い――

 

「あの時の姉者は本当に―――」

 

「うわぁ……すごいです夏侯淵様、そういえば私も――」

 

秋蘭と斗詩は互いの半身の苦労話で共感し合い――

 

「……」

 

公孫賛は一人黙々と食事していた。

 

………

……

 

「じゃあな春蘭また会おうぜ」

 

「うむ、次こそは決着をつけるぞ!」

 

「では秋蘭さん、また今度」

 

「ああ、実に有意義な時間だった。夜道には気を付けてな、斗詩」

 

「……貴方達、いつの間にか真名を交換するほど仲良くなっていたのね」

 

「なんなら友好の証として我等も交換するか?」

 

そう袁紹は提案したが曹操は少し考えた後首を振った

 

「む、それはまだ友として見れないと?」

 

「別に真名を交換しなくても友になれるでしょう?私と真名を交換したかったら何かで認めさせることね」

 

「手厳しいな、せいぜい頑張るとしよう」

 

「フフ、そうしてちょうだい、そして逆に貴方が私を認めたら真名をもらうわ」

 

「……」

 

(すでに真名を交換しても良いくらいに孟徳の人のなりと器は認めているつもりだが、それだけでは彼女にとって不満なのだろう。

 よかろう時間はあるのだ、お前の真価――見せてもらうぞ!)

 

その日の袁紹と曹操等一行の出会いは互いに好印象で締めくくられた。

 

 

「ところで、何か忘れていないか?」

 

「あら確かに……、でも何かしら」

 

 

 

………

……

 

 

「う、うぅぅん、いつの間にか寝ていたのか」

 

目をこすりながら顔を上げた彼女―――公孫賛の目には誰もいない料亭の部屋が映った。

 

「あ、あいつら私を置いて帰ったのか!? おぼえていろよぉぉぉっ!!」

 

いきり立ち、帰路につこうとした彼女だったが

 

「あっ、お客様」

 

「え?はい何でしょう」

 

「お会計がまだです」

 

「……」

 

「……」

 

 

その日、とある『高級』料亭で赤毛の少女の悲鳴が木霊した。

 






曹操等の人前で真名を呼ぶことに関してですが、原作の通り呼ばせることに致しました。

というのも華琳が「夏侯惇、夏侯淵、行くわよ!」的な事を口に出している姿を想像したら

とてつもない違和感が作者を襲ったからです。真名関連の改善を希望した方々には申し訳あり

ませんが、上記の通り原作にそって人前真名呼び有りでいこうと思います。


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第8話

「……」

 

曹操達と食事をした後日、私塾に向かう道で曹操に会いその後公孫賛に会ったが、顔を合わせたことで昨日忘れていた人物がだれなのか記憶が蘇り、重々しい空気が流れた。

 

「そう不貞腐れるな公孫賛、我等は反省している」

 

「……」

 

三人で肩を並べ歩いているが、彼女は一向に顔を向けずそっぽを向いている。

――昨日袁紹たちは会計をし忘れて帰ってしまい、全額彼女が負担することになったらしい。

 もっとも高級料亭で食事する予定が無かった彼女は、持ち合わせがたりない分の皿洗いをして来ていた。

 

「だいたい何で会計忘れて帰るんだよ!?」

 

「我は、孟徳の勧めで行った場所故、彼女の奢りかと……」

 

言って曹操に目を向ける袁紹

 

「あら、私は持ち合わせの多いどこかの名族が払ってくれたと思っていたわ……」

 

そして曹操も袁紹を睨み付ける様に目を向ける

 

「ってことは二人とも払う気が無かったんじゃないかーー!!」

 

「「ごめんなさい」」

 

互いに責任を擦り付け合うような言葉を口にした二人に、業を煮やした公孫賛が憤怒し、あまりの剣幕に二人は正直に謝罪した。

 

「本当に悪かった。食事代を含め埋め合わせは必ずしよう」

 

「もちろん私もそうするわ」

 

「始めから素直にそう謝ってくれればよかったのに、まったく……でも埋め合わせかぁ、うーん」

 

そう言うと公孫賛は少し考え込み―――

 

「いや食事代はいいよ、今回は結果的に私が奢った事になったろ?なら今度私に食事を奢ってくれればそれでいいさ!」

 

二人とも謝ってくれたしな!、と最後に笑顔で締めくくった。

 

「「……」」

 

「な、なんだよ?」

 

そんな公孫賛を無言で見つめる二人に、何か企んでいるのかと怪しむ彼女であったが、そんな考えとは裏腹に二人の視線は感心に満ちていた。

 

「いや、良き友を持ったと思ってな」

 

「そうね公孫賛、あなたはいい子よ」

 

「な!? い、いきなり褒めたって何も出ないからな!」

 

正直に感じたことを口にした二人であったが、当の本人は褒められ慣れていないのか、顔を赤くし最初と同じようにそっぽを向いてしまった。

 そんな彼女の様子が可愛らしく、だが素直に賛辞を受けれない様子を袁紹と曹操は苦笑しながら見ていた。

 

 

………

……

 

 

 

 

突然だが曹孟徳は優秀である。幼少の頃から非凡な才を持ち、最近では覇気さえ纏い始めている。

 そんな彼女は同年代はおろか年上たちからも疎まれてきた。纏う覇気も原因の一つとして考えられるが、幼少の頃から才覚を見出されれば通常はそれに惹かれる者も出てくるはずである。

 だが現在、彼女の周りには夏侯姉妹と新たに友となった袁紹と公孫賛の二人しか近寄る者は居なかった。

 

―――何故そこまで彼女が敬遠されているのか、袁紹や公孫賛は最初理解に苦しんだがその日、私塾で開かれた戦術の問答でその原因を垣間見る事が出来た。

 

「―――だから、この教本通りの策では不十分よ」

 

「まだ言うか曹操!!どこが不十分だと言うのだ!!」

 

教本に記された戦術の策について意見が対立した曹操と他の塾生達、あくまで教本の策が最善だと言い張る塾生達に対しそれでは不十分だという曹操、問答が堂々巡りになったところで彼女は席から立ち上がった。

 

「どこへ行く?孟徳」

 

問答に参加していなかった袁紹は、曹操が扉に手を掛けた所で声をかける。

 

「帰るのよ、無駄な時間を過ごしたくないもの」

 

「に、逃げるのか曹操!!」

 

扉を開ける彼女に、問答で一番食って掛った塾生が言葉をぶつけたが、―――そんな彼を冷たい眼差しで見遣った曹操が口を開く。

 

「『逃げる』と言うのは、私が発案した策に対して意見する事もせず、思考停止したように無難な教本の策を祭り上げている人達の事を言うのよ、どこかの誰かさんのような……ね」

 

皮肉が詰まった言葉をその塾生にぶつけると、今度こそ扉を閉め部屋から出て行った。

 

―――な、なんだあいつは!?

 

―――あれが曹孟徳の合理主義か

 

―――でも、さっきの策は理にかなっていたよ

 

―――机上の空論だ、あんなのは策ではない!

 

―――ハァハァ

 

彼女が出て行った塾内は途端に騒然とし、熱くなった塾生達を公孫賛がなだめるように声を掛けていた。

 

(ここは公孫賛に任せても大丈夫そうだな)

 

しかし、五十は超えるであろう人数を彼女一人で抑えれるわけも無く、公孫賛はこんな時に頼りになる名族に目を向けたが、そこにいるはずであろう友の姿は無く空席だった。

 

 

………

……

 

「あら、貴方も帰るの?」

 

「……」

 

自分を追いかけてきた友の姿に、冗談めかしに彼女が言う。

 

「孟徳、我は」

 

「連れ戻しに来たのでしょう?残念だけど戻る気はないわ」

 

そう言って踵を返そうとしたが、

 

「勘違いするな」

 

「え?」

 

「我は孟徳が発案した策の穴を言いに来たのだ」

 

「っ!?」

 

予想外の言葉におもわず驚愕の顔を見せる曹操、それもそのはず。先に提示した彼女の策は短時間で考案されたものであったが、どこまでも効率と合理性を追求したものであり彼女の自信作であった。

 

「……へぇ、じゃあ説明してもらおうかしら」

 

少し驚いたものの、すぐにいつもの調子に戻る。そんな彼女を見ながら袁紹は口を開けた。

 

「まず、お主の策には高い錬度を持つ軍が必要となる。そして一昔前ならともかく今の時代にそこまでの軍はそんなにいない」

 

「……」

 

「次に、その軍を手足のように使いこなす優秀な将が必要になる」

 

「でもそれなら、策の穴とは呼べないでしょう?」

 

「フハハ、策は人なしで成る物ではない、そして彼等の想像する『平均的な軍』と『平均的な将』では孟徳の策が成せる事は出来なかったであろう。」

 

「っ!?」

 

曹孟徳は優秀だ、しかし優秀すぎるが故に彼女は周りにも同じ高みの視点を強要していた。

 

「どうだ孟徳、高みばかりを気にしていては見えぬ事もあるであろう? たまには目線を落として周りを見るのも一興ぞ」

 

―――我が言いたいのはそれだけだ、と最後に付け加え袁紹は踵を返した。

 

「待ってちょうだい」

 

「む?」

 

「私も戻るわ、今回の件は説明不足な所も有ったし、貴方の指摘どおりに穴もあったもの」

 

「ほう、では?」

 

「ええ、非が全て私にあるとは思えないけど、勝手に見下して語ったことに頭を下げる事にするわ」

 

「それは重畳」

 

そして二人は肩を並べて来た道を引き返し始めた。

 

「……」

 

「……」

 

その道中で曹操はふと、隣の袁紹に目を向ける。

 

今まで彼女の考案した戦術や策を、頭ごなしに否定する者は居ても彼のようにその理由を説く者はいなかった。

 そのため彼女は多大な鬱憤を溜め込んで来ていたのだが、今回の一件でその原因は自分が相手に要求する水準が高すぎるものだと知り、気が楽になっていた。

 

(まさか知らず知らずのうちに自分と同じ思考を強要してたとはね……、皆が何かと私を敬遠してきた理由がわかったわ、……それにしても彼はさすがね、それを理解して私に教えることが出来るなんて、私が彼に劣っているとは思えないけど学ぶところは多そうね)

 

そして袁紹も物思いにふけていた

 

(一見頑固なようで自分の非は認める器量、さすがは未来の覇王と言う訳か)

 

二人は互いを評価しあいながら歩き続ける

 

「……ありがとう」

 

「ん?」

 

「な、なんでもないわよ!」

 

礼くらい言わねばと思った曹操であったが、いざ口に出してしまうと何故か恥ずかしくなってしまい、即座に否定してしまった。

 

「ほう、孟徳の礼とは貴重な言葉を聞いたな」

 

「聞こえてたんじゃないっ!!」

 

「フハハハハハ、お主の声は良く通るのでな!」

 

「あっ、待ちなさい!!」

 

突然走り出す袁紹を追いかけ始める曹操、自然と笑みを浮かべておりその笑みは、いつもの他者を見下したような冷たさは無く心の底から笑顔になっていた。

 

………

……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし私塾に戻った二人に鬼のような形相で公孫賛が迫ってきたため、二人はまず最初に彼女に謝ることとなった……



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第9話

「こんにちは、曹操さん」

 

「ええ、こんにちは」

 

「おお、曹操殿あの時は知恵を貸して頂き助かりましたぞ!」

 

「そう?、また何かあったら言いなさい」

 

「曹操様、罵って下さい!」

 

「近寄らないでちょうだい」

 

―――いつぞやの問答騒ぎの一件後、皆に頭を下げた曹操は受け入れられた。

 当初は突然物腰が柔らかくなった彼女に皆が驚愕していたものの、今ではほとんどの塾生達と交流を持っている。

 

「ん?麗覇、今日はいつもよりごきげんだな」

 

そんな彼女を満足そうに見ていた袁紹に公孫賛が声をかけた。

 

「わかるか白蓮、孟徳が受け入れられているのも嬉しいが実は実家から手紙が来てな」

 

さらっと真名で呼び合う二人は、つい先日真名を交換し合っていた。

 

「へー、で?いい知らせがあったんだろ?」

 

「うむ!我に妹が出来たようでな、名は『袁術』腹違いではあるがれっきとした我の妹よ!!」

 

「へぇっ!そいつはめでたいな!!」

 

まるで自分のことのように喜ぶ公孫賛に袁紹もさらに気を良くする

 

「何がめでたいのかしら?」

 

と、そこに皆との話しを切り上げた曹操がやって来た。

 

「ああ、実は麗覇に妹が出来たらしくてな」

 

「へぇ妹が、おめでとう『袁紹』」

 

「ああ、ありがとう『孟徳』」

 

先日の一件以来お互いを認め合ったことで真名を交換する条件は達成していたものの、あくまで認め合っていたのは二人の心中の中での事だったため、二人は互いに真名を交換する時を計りかねていた。

 

「なら、一旦戻るのかしら?」

 

「いや、しばらくここで学ぼうと思う。妹の顔を見れないのは残念だがな」

 

三年後の楽しみに取っておく――、袁紹は私塾の交流を優先することにした。

 

 

………

……

 

 

「いっくぜぇ麗覇様」

 

「うむ、いつでも来い」

 

私塾での勉学や交流を終えると、斗詩や猪々子等と手合わせによる武の鍛練を行う。

 

「ぬぉりゃぁぁぁぁ!!」

 

「むぅっ!?」

 

猪々子の大剣から繰り出される重い斬撃をなんとか受け流す。

 

「猪々子、また重さが上がったな!!」

 

「へへっ、春蘭に負けてられないからさ~」

 

「麗覇様達が私塾に行っている間、文ちゃんは夏侯惇さんと模擬戦して来たんですよ」

 

観戦していた斗詩が情報を捕捉してくれた。

 

「ほう――して結果は?」

 

「それが……」

 

結果が芳しくなかったのか斗詩は表情を暗くする。

 

「いやぁ、実は負けちまってさぁ……」

 

そんな彼女に代わり猪々子が結果を報告した。

 

「で、でも文ちゃんすごかったんですよ!!最初は押していたしそれに―――」

 

「いいって斗詩、負けたのは事実なんだからさ」

 

「でも……」

 

「それに、ただ負けてきたわけじゃないぜ麗覇様」

 

「ほう?」

 

負けたと報告したにも関わらず彼女の顔に負の感情は感じられない。

 それどころか瞳は燃えるように輝き、口元は不敵に笑みを浮かべていた

 

「春蘭との一戦の後、アタイに何が足りないのかなんとなくわかったんだ。だから、今はまだ勝てないけどきっといつか勝ってみせるさ!!」

 

「……そうか」

 

新たな目標を見出した猪々子に対し斗詩はどこか暗い雰囲気を纏っている。

 

「斗詩!!」

 

「は、はい!?」

 

袁紹には彼女の憂いが何か察しがついていた。

 

「そう焦る必要などない、今はまだ猪々子に及ばなくも伸び代は決して劣っては無いぞ」

 

「そ、そうでしょうか?」

 

彼女は親友と自分の間に出来た武力の差で悩んでいる。伊達に側で彼女等と行動し続けていたわけでは無いため、

 袁紹には彼女の悩みが手に取るように理解出来ていた。

 

「我が保証する!だから面を上げよ、斗詩が見出すべき目標は下には転がってはいないぞ!!」

 

「っ!? そう……ですよね、わかりました麗覇様!」

 

「うむ、では今度は斗詩が打ち込んで来い。」

 

「え、今アタイの番じゃ――」

 

「行きます!!」

 

盛り上がった二人を猪々子が止める術も無く、しぶしぶ引き下がって行く、しかし憂いが消えた親友の表情に安堵し、満足そうに二人の鍛練を見学していた――

 

 

………

……

 

 

 

 

 

私塾で学友達と研鑽しあい、側近の二人も腕を磨き続け三年という月日はあっという間に流れた―――

 

 

 

 

 

 

最後の挨拶にと、曹操、袁紹、そして公孫賛が顔をあわせる。

 

「私はこれから陳留で太守を務めることになっているわ」

 

「ほう……その若さで、さすがだな孟徳」

 

その袁紹の言葉に曹操は――お祖父様の周りの者達は私を手元で扱う自信がなくて厄介払いしたかっただけよ、と付け加えた。

 

「我は袁家当主の座へと就くことになっている。白蓮はどうするのだ?」

 

「ああ、私は――ってちょっと待て!今なんかサラッとすごい事聞いた気がするぞ!?」

 

「落ち着きなさい白蓮私にも聞こえたわ、――冗談かしら?」

 

「いや事実だ、これから袁家は我が取り仕切ることとなる」

 

「「……」」

 

これには二人も開いた口が塞がらなかった。それもそのはず、名門袁家の当主にこの間14になったばかりの袁紹がなると言うのだから

 

「なら、次相見えるのは時代の激動の中でかしらね」

 

「多分……そうだろうな」

 

「え?激動?」

 

「白蓮、この先時代の機微に気をつけなさい。恐らくあと数年で動き出すはずよ」

 

「そ、そうなのか……わかった」

 

いまいち納得出来ない様子の公孫賛であったが、曹操の真剣な表情に思わずうなずき返す。

 

「ところで白蓮はどうするのだ?やはり幽州か?」

 

「ああ、このまま順調にいけば幽州太守だけど―――、その前に別の私塾であと一年学ぶことにしたんだ」

 

公孫賛が言うには盧植という名の高名な師がいる私塾があるらしく、太守に就く前に少しでも見解を広めておきたいという考えであった。

 

「そうか……、では我ら三人、しばらく会えぬな」

 

「そうでしょうね」

 

「別に今生の別れってわけでもないけどな!」

 

湿っぽくなりそうな空気にたまらず公孫賛が声を上げる

 

「というかお前等はいいかげん真名を交換しろよ」

 

「「……」」

 

真名を交換する機会を窺っていた二人だが、ついにその機会を見つけることが出来ず三年も経ってしまっていた。

 

「フハハそれもそうだ、孟徳、我が真名麗覇!今更ではあるがお前に預けるぞ!!」

 

「預けるということは、私を認めたのね?」

 

それは初めて出会った二人が互いに付けた条件――

 

「実はとうの昔に認めていたのだ。だが言い出す機会が無くてな、気が付けば三年経ってしまった」

 

袁紹は正直に理由を話す。

 

「そう…、もう知ってるだろうけど華琳よ、私もこの真名を貴方に預けるわ」

 

「ふむ、では……」

 

「ええ」

 

真名を交換した二人はしばらく見つめ合い、

 

「「次の舞台で」」

 

その言葉を最後に踵を返し、違う道を歩き出す―――もっとも

 

「ちょっとまって最後の言葉、私にも言わせてくれよ!!」

 

約一名出遅れていたが―――

 

 

 




はい、という訳で私塾編は終了とします。

 え?駆け足すぎる? このままだと塾編の終わりが見えないからね、仕方ないね

そのかわりと言ってはなんですが次話は皆大好き公孫賛視点の閑話を挟む予定です。


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閑話―公孫賛―

「白蓮、私塾の方は充実していたかしら?」

 

「うん、とても勉強になったよ母さん」

 

私塾で三年過ごした私は一月里帰りして実家でゆっくりしていた。

 

「それはよかったわ、ところで未来のお婿さんは出来たのかしら?」

 

「ブッ!?そ、そんなのいないから!!」

 

「あら?満更候補が無いわけでもなさそうね……」

 

「あいつはただの友達だから!!」

 

「その思い浮かべた人は誰かしら?」

 

「……」

 

「……」

 

気まずい沈黙が流れ――

 

「プッ、アハハハハハ! 冗談よ白蓮、良い友達が出来たようで良かったわ」

 

母さんの笑い声によりかき消された

 

「まったく……からかわれるのはあいつ等との時だけで十分だよ」

 

「へぇ、何事もそつなくこなす白蓮を私以外でからかう事が出来るなんて、すごい子達ね」

 

「ああ……、良くも悪くもすごい奴らだよ」

 

そう言って別々の道を歩み始めているであろう友を想う―――

 

袁本初、真名を麗覇、私塾で初めて出来た友であり良いことでも悪いことでも自分を引っ張り、又は引き回してくれた存在だ。

 髪は美しく長い金髪で三つ編みに縛り後ろに流している。一度曹操の巻き毛を羨ましそうにみながら『我も巻きたい』とか言い出したので、曹操と二人で必死に止めたのは良い(?)思い出だ。

 

 顔は母親似らしく女顔で、一度曹操に女装させられ私塾に突然現れた美女として騒がれた。

本人も悪乗りし『オーッホッホッホッホッ』と高笑いしていたが、何故か様になっていた。

 その後の私塾内を静かにさせるために奔走したのも今では良い(思い込み)思い出だ

 

服装は流麗で高価な物を好み、金の刺繍が入った派手な服が多かった。そういえば一度ふんどし一枚で私塾にやって来た事があり、理由を聞くと『父親の借金の取立てで難儀していた娘を見かけてな、持ち合わせが無かった故に我が服を授けたのだ!何心配することは無い、あの服であらばお釣りもでるであろうからな、フハハハハハ!』

 

そういう問題じゃないだろ!と食って掛かった私を他所に塾生達は彼の話に感動している様子で、曹操に至っては成り行きを面白そうに眺めていた。

 その後、さすがにふんどし一枚の友を放っておくことが出来ず、慌てて男物の服を買いに行き戻ってくると私塾内に着替えがあったようですでに服を着ていた。

『む?白蓮には男装趣味があるのか? 可愛らしいのだから女物のほうが良いぞ!、フハハハハハ!!』

あの時は恥ずかしいやら悔しいやらで手に持った服が破れそうになったけど、それも今では良い(記憶改善)思い出だ。

 

あれ? 何か容姿だけでも苦労話が―――いや、気のせいだ

 

次に彼の性格、これは彼の特徴でもあるが自己中心、唯我独尊を行くようで実は他者を重んじる傾向がある。

『困り果てた民草に手を差し伸べるのも名族としての役目よ!!』と、本心から言えてしまう彼は言葉通り自分に可能な範囲で人の助けになっていた……が、全ての人を助けることはしなかった。

『全ての問題に我が手を差し伸ばし解決してしまえば、いずれその者達の堕落に繋がるだけよ、手を貸さねば立ち上がれぬ者と自力でも立ち上がれる者達を見極める目を持つのも、名族としての義務ぞ!!』

 

その言葉の通り袁紹は自力で解決可能な問題に関しては助言をするだけで、直接手を貸すことはしなかった。

 これには公孫賛、曹操両名が感心した。 これだけ聞けば彼の内面は完璧と言えるかもしれないが、彼はとても慈悲深くそして―――『派手好き』だった。

 

―――ああ、あの日を昨日の事の様に思い出すなぁ

 

それは公孫賛が私塾に入って一年経った頃の出来事である。

 

 

 

………

……

 

 

「白蓮さん!ここにいたんですね!!」

 

「斗詩?そんなに慌てて―――まさかまた?」

 

袁紹が何かをやらかす度に事態を収束させていた公孫賛は、彼の側近で常識人な斗詩とはすぐに打ち解け、事が起きる度に二人であたっていた。

 

「そのまさかです。私一人ではどうにも――」

 

「わかった私も行くよ」

 

「うう、すみません」

 

そしてその日も二人並んで走り、袁紹の許へと向かう

 

(今度は何をやらかしたんだ麗覇!また猪々子と二人で街にある賊の拠点でも潰したか?横暴な役人を叱咤したか?

移動中にいつの間にか後ろについて来た子供達と遊びだしたか?握手を求めた娘を抱きしめて失神させたか?―――ああ、嫌な予感しかしない!)

 

そして現場に到着した彼女の目に映ったのは――― 

 

『お御輿わっしょい!お御輿わっしょい!』

 

「フハハハハハ、お御輿わっしょい!お御輿わっしょい!」

 

筋肉隆々の男達が担いだ御輿の上で高笑いしながら往来を移動する友の姿だった。

 

「何をやってるんだお前はーーー!!」

 

「おお白蓮ではないか、いやなに御輿を修繕している現場を偶然目にしてかな、我の中で何かがビビッと来たのだ」

 

「び、びびっと?」

 

「そうだ!名族とはこうあるべきというか……、事実乗ってから笑いが止まらぬわフハハハハハ!」

 

『お御輿わっしょい!お御輿わっしょい!』

 

二人が会話している間も担いだ男達は盛り上がりをみせていた。良く見ると猪々子も混じっている

 

「ううぅ、白蓮さんどうしましょう?」

 

「大丈夫だ斗詩、あいつは何だかんだ迷惑になるとわかればキチンと止めれる奴だ、おーいっ麗覇ーー」

 

すぐに止めさせるための言葉が見つかり袁紹に声をかけた

 

「どうかしたか白蓮!」

 

「こんな往来だと通行の邪魔になるだろ?」

 

「フハハ、周りを見よ!」

 

「え、周り?―――あっ」

 

御輿は道の中心にあるため通行人たちの目を引くものの、彼等は横を通り抜けていた。

 

「で、でもそれは止まっているからであって移動すれば―――」

 

「心配無用!さぁ、猛々しい益荒男達よ、風のように駆け抜けよ!!」

 

『 応!!』

 

袁紹のその言葉に御輿は動き出し――

 

「あ、ちょっ」

 

そして人と人の間に出来た空間をジグザグに間を縫うようにして駆け抜けた

 

「えええぇぇぇっっっ!?何その無駄な機動力!?」

 

「どうだ白蓮!これなら問題はあるまい!!」

 

さながら某アイシールドのようであるぞ!フハハハハハ、と意味不明な言葉を残して離れていった。

 

「……だめでしたね白蓮さん」

 

「クッ、諦めないぞ!次の一手だ斗詩!!」

 

「――はい!」

 

………

……

 

しばらくして二人は、御輿が通る道の先から、道の両端に届きそうなほどに大きな荷馬車を引いてやって来た。

 

「これなら駆け抜けられず止まらなきゃですね!」

 

「ああ、人がやっと通れる隙間を抜けられたりは出来ないだろうからな」

 

『……っしょい!お御輿わっしょい!』

 

「あっ、来ました!」

 

「良し!手はず通りに行くぞ!」

 

遠くから近づいてくる御輿に向かって荷馬車を動かす二人、商人の格好に顔を隠す布を深く被っていた。

 

「お御輿わっしょい!お御輿―――む?あの横は通れぬな……」

 

その袁紹の言葉に二人は内心、策の成功を喜ぼうとしたが―――

 

「致し方あるまい……、者共跳ぶぞ!!」

 

『  応 !!』

 

その言葉と共に御輿は速度を上げ、荷馬車の前で跳び上がり―――見事後方に着地した。

 跳びながら袁紹が「デビルバッ○ダイブである、フハハハハハ!!」とまたもや意味不明な言葉を発したが、一瞬とはいえ御輿の下にいた二人にはそれを気にする余裕は無かった。

 

「斗詩、白蓮!商売を始めるのは良いがその荷馬車は往来の邪魔である!もう少し小さくするが良いぞフハハハハハ!」

 

「~~ってどの口で言ってんだーー!!」

 

「しかも正体ばれてましたね……あっ」

 

袁紹が走り去った後、周りをよく見ると荷馬車が邪魔になっていたようで騒然としていた。

 

「ああ、も、申し訳ない」

 

「うう…、すみません、すみません」

 

………

……

 

「今度こそうまくいく」

 

「もう私、自信が無いですよぉ……」

 

「諦めるな斗詩!私達が諦めてしまったら麗覇はもう誰にも止められないぞ!!」

 

「そ、そうでしたすみません白蓮さん」

 

「うん、で、次の策なんだがな」

 

「はい」

 

「あそこに赤子が母親に抱かれながら眠っているだろう?」

 

「本当ですね、かわいらしいです~……私もいつか」

 

「あ、ああ、こほん」

 

「わわっ、すみません、それでどうするのですか?」

 

「何、別に特別なことはしない、ただ此処を通る麗覇に赤子が眠っているのを教えてやるだけだ」

 

「な、なるほど!なんだかんだお優しい麗覇様はそれを聞いて―――」

 

「「騒ぎを止め(ますね)る」」

 

グッと二人で握手し合い彼を待つ―――そして

 

『――こしわっしょい!お御輿わっしょい!』

 

「――来た、行くぞ斗詩」

 

「はい」

 

やって来た御輿に近づいていった。

 

「おーい、麗覇ーー!」

 

「麗覇様ーー!!」

 

「おお、斗詩に白蓮、商売は終わったのか?」

 

「そ、それはもういいよ」

 

「うう、忘れてください」

 

先ほどの騒動を思い出し少し落ち込んだ二人であったがすぐに立ち直った。

 

「実はこの先で赤ちゃんが寝ているんです!」

 

「そうだ、すごく気持ちよさそうに眠っていたぞ!」

 

「なにっ!?それはいかぬな……、皆!口を閉じよ!!」

 

『  応 !!』

 

「閉じよと言うに」

 

「いてっ!?」

 

御輿の前で思わず返事をした猪々子を袁紹が扇子で小突き、彼女は「ひでぇよ麗覇様~」と少し恨めしそうに見つめ返した。

 

「―――む?赤子は起きているではないか」

 

「え?あっ!?」

 

よくみると先ほどまで寝ていた赤子はすでに目を覚まし、楽しそうに笑っていた。

 これには斗詩と公孫賛が策の失敗を確信したが―――

 

「赤子を驚かせるわけにはいかぬ、今日はこれでお開きだな」

 

その袁紹の言葉に安堵した。

 

「ご苦労であったな益荒男達よ!今日は我の奢りゆえ、料亭で好きな物を食べよ!!」

 

『ごちになりやーーーっっス』

 

そして男達と猪々子をつれて帰っていった。

 

 

 

………

……

 

 

 

 

「ほんと、挙げればきりが無いほど色々あったなぁ」

 

懐かしみながらも公孫賛はどこか寂しそうだった―――

 

 

 

………

……

 

 

 

―――数ヵ月後、南皮へ向かう道―――

 

「まったく、何でお母様は勝手に仕官の話を進めてしまうのよ!?」

 

高級そうな護衛つきの馬車の中で、猫耳フードを被っている少女が憤慨していた。

 

「しかも袁紹って男じゃない!これで妊娠したら自決して化けて出てやるんだから!!」

 

のちに王佐の才と呼ばれるこの天才少女の、悲鳴のような言葉を出し続けながら馬車は南皮へと向かっていった。

 

 

 




「む?斗詩、ここに置いた御輿部隊設立案はどこに――」

「先ほど風に飛ばされていきました(即答」



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当主就任 ―始動―
第10話


帰って来た袁紹に、当主就任を前にして悪い知らせが入った。 楽しみにしていた妹との初顔合わせが見送られたのだ、原因は妹の母親とその周りの者達にあった―――

 

 袁術の母親は袁逢の正妻であり、妾の子である袁紹を毛嫌いしていた。又、袁術が生まれるや否や袁家当主は正妻である自分の子こそが相応しいと主張しだしたのだ。

 そしてそれに袁家内の反袁紹派の(後ろ暗い事に手を染めていた)者達も賛同し、少数ではあったが日に日に声が大きくなっていき、当主就任のこの時期に起きたこの騒ぎに頭を悩ませた袁逢は、娘の周りの者達を納得させるために荊州の太守とし、母親を始め袁術派の者達をまとめて送り出した。

 また、齢三歳にも満たない袁術に太守としての仕事は出来ないため、当時袁家で優秀と評判だった文官の張勲を補佐として(実質太守代理)つける事で騒ぎを収めた。

 

 政務のみならず幼い袁術の教育と周りの反袁紹派の懐柔、粛清も張勲に任せてあるため、袁家当主として落ち着いたらその時兄妹で力を合わせよとのことだ。

 

………

……

 

そして遂に当主に就任した袁紹には様々な問題が舞い降りた。 その中でも顕著なのが私塾に向かう前に彼が提案した政策の数々だ、

 

まず、関税緩和による流通活性化を目的とした『楽市楽座』は、行商人や旅人の訪問が多くなり目論見通りの結果となったが、訪問者が増えすぎたことにより治安が大幅に悪化した。

 これには当然、袁逢や袁隗を始めとし重鎮達が事の収束に当たろうと巡回する警邏隊の増員を手配したものの、

それでも尚広大な南皮には焼け石に水のような治安効果しか出せず、頭を抱えていた。

 この問題に対し袁紹は、ただちに南皮の各所に警邏所(所謂交番)を配置、一定の人数を交代制で決められた区間を巡回警備させることで南皮の細部まで警邏の目を行き届かせ治安を回復させた。

 

次に刈敷や草木灰を使った肥料だが、使い始めの頃は量の調節を間違え作物を駄目にする事があったらしい、その後はきちんと量を測り使っているので作物の生産性と質は向上した。

 

そして千歯扱き、意外なことにこれが一番難しい問題をのこした。稲や麦の脱穀は以前まで棒で叩いて行っていたため、かなりの重労働で時間もかかっていた。その為、作業率の向上を目的として作り上げたが……、結果仕事がなくなる人々が多数でることとなってしまった。

 これに対し袁紹は職業斡旋所と私服警邏隊を設立、彼等の仕事は日常に溶け込み、その中で見つけた犯罪を警邏隊に報告するというもの、その情報により犯罪が取り締められた場合、規模に応じて賞金が支払われる。

 職の見つから無い者達はこの私服警邏隊に組み込んだ、また、犯罪を見つけられなくても一定の給金が支払われた。

これにより巡回警邏隊の目を盗んで行われる犯罪のほとんどが検挙され、治安がさらに良くなった。

 余談ではあるが私服警邏隊設立当初、見張られる不快感があるとして一定の反感を呼んだものの、目に見えて向上していく治安に反感の声は鳴りを潜めていった。

 

―――さて、このように複数の問題に袁紹は奔走していたが、その中には良い知らせもあった。

 魚醤である。袁紹の提案により袁家で独占販売されたこの調味料は、楽市楽座の流通活性化により瞬く間に各地に広がり反響を呼んだ、生産に塩を大量に使うため発売当初かなりの高値で庶民には手が出なかったが揚浜式塩田と入浜式塩田による塩の製法を国に提出し、塩の生産性が劇的に向上したため、その報奨としてひと月ごとに大量の塩を無料で融通してもらえるようになり、魚醤の生産費を大幅に抑えることが出来るようになった結果、良心的な価格で販売され庶民の中にも広まっていった。

 すでに魚醤を使った料理なども出回っていると言う。

 

当初赤字だった袁紹の政策は試行錯誤を繰り返しながらも、今では何とか黒字を出し続けている。

 

 

………

……

 

 

日々色んな政務で頭を悩ませてきた袁紹に、またもや問題が猫耳をつけてやって来た。

 

「お初にお目にかかります袁紹様。荀彧と申します――」

 

一見、丁寧な挨拶をしているように見える、事実頭を下げるまでの一連の美しい動作に魅入られた者達もいるようだ。

 まるでお手本のようなその動きに、猪々子が口笛を吹き斗詩がそれを諌める。

いつもの袁家の暖かい空間のはずが、袁紹はやや厳しい顔をしていた。

 

(―――男嫌い、か)

 

謁見の間には荀家から派遣された彼女を一目見ようと重鎮達が来ている。 彼等の中には男も居た、扉が開かれ彼女が姿を現すと当然皆の視線が向く、その時彼女は一瞬表情を歪ませた。

 そして扉の前まで案内して来た侍女に笑顔で会釈し、玉座の前まで案内する男の武官にはまた一瞬顔を引きつらせ

袁紹の前まで来た彼女は顔に笑顔を張り付かせていたものの、袁紹を見る目に浮かぶ嫌悪感までは隠せていなかった。

 たったそれだけではあったが袁紹は見事彼女の本質を見抜いた――

 

「母達ての希望により参りましたが、私は非才なる身、余りご期待に応えられるとは思えません」

 

―――おおっ、なんと謙虚な

 

―――荀家一の才女なのに驕った様子が無いとは

 

―――最近の若者にしては立派ですな!

 

―――左様、謙虚さこそが若者の美徳である

 

荀彧の言葉と態度に次々と褒め始めていく重鎮達―――、中には謙虚という言葉を発しながら袁紹をチラチラと見る者までいた。

 しかし、袁紹には荀彧の言葉の真意がわかった

 

(遠まわしではあるが『此処に来たのは母親のせいで私の意志じゃない、お前に自分を売り込むつもりは無い』といった所か……フッ、随分嫌われたものだ)

 

袁紹は苦笑しながら、頭をたれる彼女を観察する。そしてその時荀彧は

 

(さっきから私をいやらしい目で観察してくるのよね、どうせ言葉の意味にも気付けなかっただろうし、ここの政策に適当に難癖つけて、覇王の器でありながら傾国の美女とされる憧れの曹操様の許に行かなくちゃ!)

 

とても口に出来ないほど失礼な事を考えていた。

 

「面を上げよ」

 

「はっ」

 

ゆっくりと顔を上げる荀彧、しかし袁紹と目を合わせる様子は無く、その目から嫌悪感は消えていなかった。

 

「よく来てくれた我はお前を歓迎する――、と言いたい所ではあるが一つ聞きたいことがある」

 

「何なりと」

 

(私の才を量る問答かしら?何にしても所詮男の――)

 

「お主が男を嫌う理由は何だ?」

 

「っ!?」

 

ざわっ、と謁見の間は騒然としだした。そして当の荀彧はさすがに予想外の質問だったらしく目を白黒させている。

 

(い、いきなりなんて事を聞くのよこれだから男は!?この状況でその質問に答えられるわけないじゃない!!)

 

「い、いえ私は別に――「申せ」っ!」

 

何とか場を取り持とうとした荀彧だが袁紹は彼女の言葉を遮り答えを促す。

 

「お主ほどの才女が無意味に男を嫌うとは思えぬ、我はその理由が知りたい。

 もう一度聞く、―――男が嫌いか?」

 

「……いえ」

 

袁紹の質問に対し遅れながらも出た否定の言葉、これには重鎮達も安堵したが――

 

「大っっっ嫌いよ!!」

 

『 !? 』

 

荀彧の突然の変貌に彼女と袁紹を除く皆の目が見開かれた。

 そして取り繕う仮面を脱ぎ去った荀彧は叫ぶように語りだす。

 

「男なんて、臭いし汚いし馬鹿だしすぐ欲情するし無能なくせに人の上に立ちたがる……まるで猿、そう猿よ!!

 私が『今まで』見てきた男は女の尻を追い掛け回すしか能の無い猿しか居なかったわ!!」

 

『……』

 

荀彧の男全体を罵倒した言葉に皆が沈黙し

 

「フッ、フハハハハハ!!」

 

袁紹は高笑いした。

 

「な、何よアンタ!?罵倒されて笑うなんてまるで変態じゃない?これだから男は――「オイ」ヒッ!?」

 

そんな彼になおも罵倒の言葉をぶつけようとしたが、殺気を出しながら一歩前に出た猪々子に遮られた。

 

「良い猪々子、下がれ」

 

「……」

 

その言葉に従い大人しく下がる、良く見ると斗詩を始めとした重鎮達も殺気立っている。

 

「な、何よ今度は脅そうって言うの!?」

 

気丈に振舞う荀彧であったが、肩は小刻みに震え瞳は恐怖に揺れていた。

 

「フハハすまぬな荀彧、我が家臣達を馬鹿にされるのを許さんように、彼等も我に対する暴言は許せぬらしい。

 此処に居る間生きていたかったら言葉は選ぶようにするがよい」

 

「……此処にいる間?」

 

「そうだ、お前にはしばらく我の側で働いてもらう」

 

『 !? 』

 

再び皆の目が見開かれた。今度は荀彧も混じっている

 

「お前が『今まで』見てきた男達とこの袁本初が違うことを証明してみせよう、それには我の側で政務に携わるのが一番手っ取り早い、―――お主に、今まで見たことの無い景色を見せてやろうぞ!!」

 

罵倒したにも関わらず自分の事を高く買ってくれているらしい、これには荀彧も少し気を良くしたものの

 

(フンッ、そこまで言うなら見せてもらおうじゃない!期待はしないけどね!!)

 

彼女に根付いた男嫌いの価値観がそれを鈍らせる。

 

「……では、『短い間』でしょうがお世話になります」

 

「お前いいかげんに――!?」

 

口の減らない荀彧に憤怒した猪々子が今にも飛び掛ろうとしたが、袁紹はそれを手で制し

 

「フハハ構わぬ、『男嫌い』な荀彧を世話するのは確かに『短い間』故な」

 

まるでその短期間で彼女の男嫌いを払拭させるとでも言う様な発言をした―――

 

こうして荀彧は一時的に袁家の客将として働くことになったが、その出会いは最悪に近いものであった

 

 

………

……

 

 

「何なのよこの政策は!?」

 

「フハハハハハ、革新的であろう?」

 

次の日から袁紹の政務を手伝うことになっていた荀彧は、この地で行われた革新的な政策の数々に目を見開いた。

 

「革新的すぎるわよ! そのせいで色んな問題が起きてるじゃない!!それに対する対応も遅いし、もっと早く解決していれば結構うまく機能したかもしれないのに……あっ!?」

 

袁紹が手がけた数々の革新的な政策を、自分が合理的に再構成しうまく機能している場面を想像した所で彼女の意識は現実に帰って来た。

 

「どうだ荀彧、お主から見た我の政策は」

 

「……確かに革新的だと思うわ、でも穴だらけだし合理的な考え方の私とは相性が合わないわ」

 

「嘘を申せ荀彧、お主は先ほどまでその政策の穴を自分が効率的に埋める場面を想像したのだろう?」

 

「……」

 

「我が革新的な政策を考え、その穴を荀彧の合理的な理論で埋めていく―――どうだ荀彧、その先に広がる景色はお主にも想像が出来ぬであろう?」

 

「っ!?」

 

その言葉に思わず肩を震わせる荀彧、袁紹の予想通り彼女は一人の文官としてこの政策に携わりたい、自分の理論でどこまで改善出来るか試したい、という欲求にかられていた。

 

「……うぅ」

 

いつもなら出てくるであろう罵倒の言葉も鳴りを潜め、彼女の頭はすでに政策の改善案を作り上げ始めていた。

 そんな彼女の様子と、自分の読み通りの展開に袁紹は満足そうに笑った。

 

 

 

 

 




猫耳軍師 荀彧

好感度 0%

猫度 シャー!

状態 警戒

備考 近づくことを許さず常に距離をとる



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第11話

はじめてルビを使ってみた(小学生並みの配慮)


 荀彧が袁紹の許に来てすでに三ヶ月、来た当初はすぐに出て行くつもりではあったものの政務に携わり改善案を出し実行していくうちにいつの間にか本格的に文官として働いていた。

 

「……」

 

しかし彼女は未だに客将としての立場であったため決断を迫られていた。

 

(このまま客将として居続けるわけにはいかないわ、私の気持ちは決まっているんだから気が重いけど袁紹様にお伝えしないと)

 

………

……

 

翌日、荀彧から重要な話が有ると聞いた袁紹は、斗詩や猪々子を伴って謁見の間で聞くこととなった。

 ちなみに彼女が来た時初日にいた重鎮達は一人も居ない。

 

「さて荀彧、我の勘が正しければ仕官の件に関しての話だと思うが?」

 

「はい、大分期間を空けてしまいましたがお返事したいと思います。」

 

「ふむ、腹は決まったか」

 

「はい」

 

荀彧は跪き頭を垂らしながら口にする。

 

「私は、袁紹様の許ではお仕え出来ません」

 

「……」

 

彼女のその答えを側近の二人は予想していたのか余り驚きを見せない、しかし袁紹はその言葉に疑問を覚えた。

 と言うのも、彼女と約三ヶ月にわたり共に政務を手がけてきたが、反発気味であった最初の頃に比べ最近は生き生きとした感じで働いていたからだ。

 今では袁紹に対する男嫌いな態度は鳴りを潜め、そんな彼女は袁家でやって行くものだと思っていた。

 

「面を上げよ」

 

「はい」

 

ゆっくりと顔を上げる荀彧、奇しくもその光景は最初の出会いと酷似していた。

 だがあの時とは違い彼女は袁紹をまっすぐに見据え、その目には嫌悪感は感じられず瞳は揺れている。

 

「今の言葉は本心か?」

 

「……」

 

袁紹の問いに荀彧は答えない、答えられない。

 

「……怖いか?荀彧」

 

「え、怖い?」

 

「どういうことですか?麗覇様」

 

斗詩と猪々子が言葉の意味を聞こうとするが袁紹は構わず続ける。

 

「『男嫌い』であった自分を否定するのが」

 

「っ!?」

 

ここに来て袁紹はまたもや核心を突いた。

 

 

………

……

 

 

昨夜、袁紹に仕官を断る返事をすると決めた荀彧であったがそれは本心からではなかった。

 短い期間であったが彼の側で政務に携わり、彼と共に行動してきた彼女には袁紹が主君として理想の器を持っていることがわかっていた。

 堂々たる立ち振る舞い、豪快な発言、自己中心的に見えて他者を重んじる慈悲深さ、常に最善を追求する姿勢、

大局のためには冷徹な判断も下せる冷静さ、革新的な政策を考え出す柔軟な発想、正しいと判断できれば下の者の意見でも受け入れる寛容さ、それらは全て荀彧が憧れの曹操に求めた要素でもあり、非の打ち所の無い人格であった。

 今となっては欠点を挙げる事のほうが難しく、荀彧からした袁紹の欠点は『男』くらいである。

もし仮に今の袁紹が女だったらどうか、きっとすぐに仕官していたであろう。下手をすれば初日の挨拶で心酔していたかもしれない。

 

「でも、……私は」

 

仕えたいと口にするのが怖い、それはまるで男嫌いだった今までの自分を否定するかのようで

 

挨拶の時の言動を含め、中途半端な気持ちで仕える訳にはいかない、それなら、それならいっそ

 

 

………

……

 

 

 

「『男嫌い』であった自分を否定するのが」

 

「っ!?」

 

袁紹の言葉に目を見開く、またもや核心を突かれ思わず彼を凝視する。

 初日に核心を突いた時の彼の目は、鷹のように鋭くこちらを観察していたのだが今はどうか―――

目は細められているが鋭さは無い、むしろ父親が愛娘を見守るような慈愛に溢れた眼差しをしていた。

 

「!!……」

 

そんな眼差しに対してばつが悪くなった荀彧は、視線から逃れるように再び頭を下げる。

 そうでもしなければ気持ちが溢れそうだ。

 

「フハハハハハ!お主はそこまで我につむじを見せたいのか?いや、被り物で見えぬがな」

 

「っ!?し、失礼しました!」

 

袁紹のおどけた発言に張り詰めた空気は弛緩し、荀彧は気持ちが少し軽くなるのを感じた。

 

「荀彧、我は過去では無く今の本心が聞きたい」

 

「今の……私の……」

 

「荀文若(ぶんじゃく)は袁本初に仕えたいのか?仕えたくないのか?」

 

「わ、私は……」

 

まっすぐ荀彧の目を見つめる袁紹、何故だかその瞳の前ではどのような嘘も看破されてしまう予感がした。

 

「仕え……たいです」

 

そして気が付くと本心を口にしてしまい慌てて発言する。

 

「し、しかし私は今まで多大な無礼を犯してしまいました!!」

 

「荀彧――」

 

袁紹は玉座から立ち上がり静かに歩み寄る。

 

「人間は大小の差はあれど過ちを繰り返す生き物だ、大事なのはそれを言い訳にして立ち止まらず、糧にして前に進むことよ」

 

「……」

 

そして荀彧の前まで来た袁紹はさらに言葉を続ける。

 

「それに、我にとっては手のかかる猫のようなものであったぞ!!フハハハハハ」

 

「お、お戯れを」

 

いつの間にか差し出された袁紹の手をとり立ち上がる。自分から男性に触れるのはいつぶりだろうか、

もしかしたら初めてかもしれない。

 

「本当に私は……仕えてもよろしいのですか?」

 

「くどい!もとよりお主ほど有能な者を今更手放す気など毛頭ないわ!!」

 

その言葉に荀彧の迷いは完全に消え去り一歩さがる。

 

「―――私の名は荀彧、真名を桂花、今この時より袁紹様を生涯の主とし仕える事を誓います」

 

そして改めて臣下の礼をとった。

 

「うむ、我が真名は麗覇、お主の今後に期待してこの真名を預ける。頼りにさせてもらうぞ桂花!!」

 

「―――はい!!」

 

こうして袁紹は、のちに王佐の才と呼ばれる稀代の名軍師を手に入れた―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いいのか斗詩、あの二人何か良い雰囲気だぜ?」

 

「うん、(わだかま)りが消えていい雰囲気だよね!」

 

「かーっ!、胸は大きくなってきてもまだまだお子ちゃまだな~斗詩は」

 

「え?違うの?」

 

「あの荀彧って子、絶対麗覇様に惚れるな!いや、……もしかしたらもう」

 

「え、えーっ!?まさかぁ~」

 

「ホントだって!賭けてもいいぜ!!」

 

「文ちゃんの賭けは大体外れるじゃない」

 

「う~ん、今回は自信あるんだけどなぁ~」

 

「それ、賭ける時いつも言ってるよね……」

 

「そうだっけ?」

 

「うん」

 

「……」

 

「……」

 

 

………

……

 

 

「武官が欲しい」

 

「武官……ですか?」

 

桂花を正式登用してから早数ヶ月、その日も彼女と共に政務をしていた袁紹が突然つぶやいた。

 

「斗詩も猪々子もいずれ万を率いる将になるであろう。だがそれでも兵が余る、彼女等と同等かそれ以上の武将が欲しい。何か策はないか?桂花」

 

質問され、桂花は一旦仕事を停止させて考える。

 

「そうですね……やはり無難に引き抜きでしょうか」

 

「ふむ、引き抜きか」

 

「はい、幸い麗覇様の袁家は潤沢な資金と諸侯との繋がりがありますので、他国の有能な人材を引き抜くのは難しくないかと」

 

「だろうな、しかし待遇で引き抜かれる者に我が求める者がいるとは思えぬ」

 

乗り気ではない主に、さらなる案をだそうと口を開く。

 

「では、野から登用してみてはいかがでしょう?」

 

「ほう、野からか……しかし手間ではないか?」

 

「それも袁家の名で募集すれば簡単かと、今の時代武者修行で旅をしている者も――「それだ!!」え?」

 

自分の言葉を遮るように食いつき席を立ち上がった主に目を見開く

 

「武芸大会だ!武者修行の旅をしている者らを集め武芸大会を開くぞ!!」

 

「武芸大会……確かにそれなら名を売る目的で腕自慢が集まりますね! そして腕利きたちをそのまま軍に組み込んでもいいし、娯楽による経済効果も期待できる―――さすがです麗覇様!!」

 

「フハハハハハ、そうであろうそうであろう、しかし桂花の意見なくして思いつくことはなかった。

 お手柄であるぞ桂花!!」

 

「そ、そんな!恐縮です」

 

(褒められたわ!さすが私!!)

 

こうして袁家主催による武芸大会が開かれることとなった。

 

 

………

……

 

 

「恋殿ーーー!!これを見てくだされ!」

 

「……掲示板?」

 

そこには『第一回チキチキ!袁家主催血湧き肉躍る武芸大会!!(賞金も出るよ)』と書かれていた。

 

「……大会」

 

「そうですぞ!武芸大会なら恋殿の優勝間違いなしです!しかも名族袁家が主催なら賞金沢山出ますぞ!」

 

「……すごい?」

 

「ごはんが沢山食べられるです」

 

「行く」

 

沢山の動物達を連れて二人の少女が南皮へと向かい歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 




猫耳軍師 荀彧

好感度 50%

猫度 ……ニャ、ニャア

状態 尊敬

備考 呼ぶと恐る恐る近づいてくる。以前までの自分の態度を気にして
   遠慮している様子、もうすぐ懐きそう。


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第12話

この作品の戦闘描写に期待してはいけない(戒め)


文章がいつもより長い(確信)


「ついに南皮に着きましたぞ!」

 

「……広い」

 

武芸大会開催を翌日に迫っていた南皮に少女二人が到着した。

 

―――うわッ!?何だ!!

 

―――犬と猫が大量に!

 

―――撫でたいな

 

―――ぼ、僕はあの大きな犬の上にいる小さい子を

 

―――衛兵さんこいつです

 

沢山の動物を連れて歩く二人は嫌でも周りの目を引いてしまう。

 

「何だ?貴様らも武芸大会の出場者か?」

 

その二人に、戦斧を持ち歩く女性が話しかける。

 

「出場するのは呂布殿です」

 

「……ん」

 

「ほう、見たところかなり出来るようだな」

 

「フッフッフッ、やはり呂布殿の素晴らしさがわかりますか、優勝は間違いなしなのです!」

 

「大層な自信だな、だが優勝はこの私が貰う事になっている。精々私とあたらぬ様祈るのだな、ハハハハハ!」

 

お前の自信も大層ではないか、とツッコミをうけそうな言葉を残しつつ女性はその場を後にした。

 

「ぬぅ~~、何なのですかあいつは!」

 

「……ちんきゅー」

 

「呂布殿?」

 

憤慨する少女の頭に手を置き安心させるように撫でる。

 

「大丈夫……負けない」

 

「呂布殿……はい!」

 

 

………

……

 

 

「おおっ、満員御礼ではないか!!」

 

武芸大会用に設備された袁家の演習場を見ながら袁紹が声を上げる。

 

「はい、ただでさえ娯楽が少ないですし」

 

客席が民衆で埋まっているのを確認した桂花が返事をした。

 

「むぅ、……やはり客席が少ないのでは無いか?」

 

急拵え(きゅうこしら)ですので仕方ありません、……麗覇様の案でしたら開催すら出来ませんでしたよ?」

 

「ぬぅ、良い案だと思ったんだがなぁ」

 

実はこの袁紹、武芸大会をするにあたってローマのコロッセオのような円形闘技場を建てようとしていた……が、桂花に理論付けで反対され見送られていた。

 

「あの『ころっせお』の規模ですと建造に途方も無い時間と費用がかかりましたから」

 

「確かに冷静に考えてみればそうであるな、良くぞ止めてくれた、感謝するぞ桂花」

 

「いえ、それも私の仕事ですから」

 

礼を言いつつもどこか残念そうにしている主に、桂花は苦笑しながら答えた。

 余談であるが袁紹の暴走を理論付けで止められる人間の登場に、側近の一人が涙を浮かべながら喜んだとか……

 

 

………

……

 

 

「優勝はアタイがいただきだぜ!」

 

「頑張ってね文ちゃん」

 

大会参加者の控え室で、意気込む猪々子を斗詩が鼓舞していた。

 

「斗詩も参加すれば良かったのに~」

 

「私はほら、運営係の一人だから」

 

「あっそうだ!斗詩もアタイに全額賭けなよ、大儲け出来るぜ!」

 

「ええっ!?文ちゃん賭けてるの!」

 

「おう!もちろん全額自分だぜ!」

 

実はこの大会の賭けの元締めは袁家である。 これほどの規模の大会であれば裏で賭け事が起きるのは必須、ならば余計な騒ぎを呼ばぬよう袁家で取り仕切る、という理由から桂花により発案されていた。

 だがそれは建前であり彼女の本当の狙いはその儲けによる利益である。

 

「そこのお前、この私を差し置いて優勝狙いとは無謀だな」

 

そこに戦斧を携えた女性が話しかけてきた。

 

「?誰だ斗詩」

 

「えっと、名簿には……華雄さん!?」

 

「そうだ、私が華雄だ」

 

「有名人か?」

 

「最近活躍してる董卓軍の将軍だよ文ちゃん!」

 

「おおっ、すごそうだな!」

 

「凄そうではなく凄いのだ!まぁいい、優勝して証明してやる」

 

そう捨て台詞をのこし華雄はその場を後にした。

 

「……何だお前達、からまれていたのか?」

 

「おおっ!春蘭!!ひっさしぶりだな~」

 

そこへ華雄と入れ替わるようにして春蘭が顔を出す。

 

「お久しぶりです夏侯惇さん、秋蘭さん達もここに?」

 

「いや私一人だ、武芸大会のことを知ってそわそわしていた私に華琳様が『どのみち政務の邪魔だし行って来なさい』と、送り出してくれたのだ!」

 

「え、えっとそれは送り出してくれたと言うより――」

 

「さすが曹操さんだぜ、わかってるぅ!」

 

「フフン、そうだろう華琳様はすごいんだぞ!」

 

「……あはは」

 

久しぶりの再会に和んだ雰囲気で談笑していたが、突然春蘭の目が好戦的に鋭く光る。

 

「……また腕を上げたようだな猪々子」

 

「ああ、悪いが今日は勝たせてもらう」

 

「そうはいくか!私が勝ち星を増やすのだ!!」

 

二人は獰猛に睨みあい火花を散らす。

 

「他の出場者の事、二人とも忘れているなぁ……」

 

 

 

 

………

……

 

 

 

 

「ではこれより『第一回チキチキ!血湧き肉躍る武芸大会!!』を開始します!進行は私、顔良が務めさせていただきます」

 

『うおおおおおおおお!!』

 

「この本戦は袁紹様考案の『とーなめんと』制となります。制約は予選の時と同じく

 

 一つ、命を奪う、又は致命的な怪我を負わせる事なかれ

 

 二つ、寸止め、もしくは相手の戦闘不能で勝利とする

 

 三つ、武器が破損した場合や降伏した時点でも負けとする

 

以上の三つです、なお規定を破られる方がいた場合、後方で控えている衛兵達に制圧されてしまうので絶対に守ってください」

 

『うおおおおおおお顔良ちゃん結婚してくれぇぇぇ!!』

 

「結婚!?ぜ、絶対駄目です!!」

 

観客のふざけた発言にも律儀に返事をする斗詩に、袁紹と桂花の二人が思わず苦笑する。

 しばらく慌てていた(しきりに袁紹を見ながら)彼女だが、気を取り直して進行させる。

 

「では第一回戦南方、董卓軍所属『華雄』!」

 

「華雄か……」

 

「優勝候補の一角ですね」

 

南方から歩いてくる華雄に目を向ける。髪は短く華奢な体つき、顔は端正で男装が似合いそうだ。

 そして手に持つ戦斧はかなり使い込まれている、猛将の噂に偽りはないだろう。

 

「北方、無所属『呂奉先』!」

 

「何だと!?」

 

「れ、麗覇様?」

 

斗詩の口から出てきた名を聞いて思わず袁紹は立ち上がる、彼が知っている呂奉先は一人しかいなかった。

 

(てっきり丁原あたりが抱えていると思っていたが在野だったとは……これで本物ならどうするか)

 

天下無双の武力を持ちながらも欲望のために二度主君を殺め、最後には曹操に処刑された史実

 

(本物だとしても我に御する事が出来るか?いや、史実通りの人物かはまだわからぬか……さて)

 

そして北方から出てきた呂布らしき少女に目を向ける。

 燃えているような赤髪、顔は端正だがどこか眠そうなたれ目、体は豊満で女性らしい魅力があるが非常に引き締まっている。一見可愛らしい少女だが纏う圧力が尋常ではない、相対している華雄が余裕そうにしているが彼女は鈍いのかもしれない。

 

「お前はあの時の娘ではないか、一回戦で私とあたるとは運がないな」

 

「……」

 

言って戦斧を構える華雄、しかし呂布は構えない。

 

「あの、呂布さん?構えは――」

 

「……いい」

 

「フンッ、勝負を捨てたか」

 

構えない呂布に対してつまらなそうに声を上げる華雄、仕方なく斗詩は開始の合図を出した。

 

「では――始め!」

 

「おおおおっっ!!」

 

開始と同時に呂布に接近し戦斧を横なぎに振るう華雄しかし――

 

「……遅い」

 

それを後方に下がり間合いから逃れる呂布、その動きには大分余裕が感じられる。

 

「なにっ!?」

 

今の一撃で決めるつもりだったのか華雄は目を見開く

 

「……終わり?」

 

「っ!?なめるなぁぁぁっっ!!」

 

叫びながら猛攻をしかける華雄、しかし最初と同じように避けられ続ける。

 良く見ると呂布の体勢は変わっていない、足捌きだけで避け続けている。

 

「ハァハァ……クッ、ちょこまかと!」

 

華雄は一旦距離をとり肩で息をしている。対する呂布は涼しい顔だ

 

「当たりさえすれば――「無駄」!?」

 

華雄の言葉を遮った彼女は、試す?とでも言いたそうに一歩近づき立ち止まった。

 

「っ!?、貴様!」

 

その態度に憤慨し華雄は彼女を睨みつける、視線だけで人を殺せたら呂布は死んでいたであろう。

 

「……いいだろう、その思い上がり私の戦斧で断ち切ってくれる!」

 

呂布の挑発に乗った華雄は戦斧を構え直す。

 

「――はあぁぁぁぁっっっ!!」

 

そして一呼吸置いた後渾身の力で上段から振り下ろした。

 

「……」

 

「ば、馬鹿な!?」

 

大きな金属音を立てながら見事華雄の一撃を凌いだ呂布、しかも―――

 

「私の金剛爆斧(こんごうばくふ)を片手だと!?」

 

彼女は片手で戦斧を受け止めていた。

 

「クッ、クソッ!」

 

たまらず距離をとる華雄、ここまで圧倒されてしまえば流石の彼女も実力差を理解したようだ。

 

「……」

 

「うっ……」

 

無言で近づこうとした呂布に対して後ろに下がる華雄、その目には恐怖の色があった。

 

「お前……弱い」

 

「っ!?」

 

その言葉に自分の武に誇りを持つ華雄の目が見開かれる。その目から恐怖は消えていないが、今の言葉は彼女にとってとても看過出来るものでは無かった。

 

(そんな、そんな事――)

 

「――あってたまるかぁぁぁぁっっっっ!!」

 

「……」

 

「がっ!?」

 

華雄が最後に放った斬撃は荒く軌道がみえみえだったため、呂布は難なくかわし彼女の首筋に一撃入れて意識を刈り取った。

 

「しょ、勝者北方、無所属『呂奉先』!」

 

『うおおおおおおお!』

 

………

……

 

「あ、圧倒的でしたね麗覇様」

 

「うむ、まさかここまでとは……華雄は未熟であったが弱くは無い、呂布が強すぎたのだ」

 

「かの者を我が軍に入れられれば良い戦力になるでしょう」

 

「うむ……」

 

桂花の言葉に少し難色を示す。最高の戦力になるのは間違いないが如何せん史実の呂布の行いが頭をよぎる。

 

(あれほどの腕前が刃向かえば止めるのは容易ではないな、何にしても会って話しをし見極めねば)

 

 

………

……

 

 

その後も呂布は難なく勝ち続け決勝戦まで生き残った。

 そしてついに反対のシードで戦っていた猪々子と春蘭が準決勝であたることとなった。

 

「ではこれより準決勝を開始します」

 

 

「南方、曹操軍所属『夏侯惇』!」

 

『うおおおおおおお!』

 

南方から現れた夏侯惇に声援が上がる。彼女も又持ち前の武力で他者を寄せ付けない実力を示してきた。

 

「北方、袁紹軍所属『文醜』!」

 

『うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!』

 

「ちょっと待て!何で私のときより声援が大きいんだ!?」

 

「そりゃあアタイの本拠地だからな」

 

「むむむ……ずるいぞ!」

 

「何がむむむだ……ずるくないね!」

 

緊張感の無いやり取りをしつつ阿吽の呼吸で同時に構える。

 

「では―――始め!」

 

………

……

 

準決勝が開始してから何度目かわからない剣戟の音が会場に響き渡る。

 観客達の眼前には―――

 

「ほらほらどうした春蘭、防戦一方か!?」

 

「クッ……おのれぇ!」

 

猪々子が春蘭を追い込んでいた。

 

「ぬぉりゃぁぁぁ!」

 

「グッ!?」

 

(いちいち止めの刃が弾かれてしまう、反撃が間に合わない!)

 

私塾に居た頃の猪々子は、大剣に『振り回されていた』が今はしっかりと『振り回している』あの頃とは雲泥の差だろう。

 

「――だぁっ埒が明かないな春蘭!堅すぎだっての!!」

 

「当たり前だ!――って誰が岩女だ!!」

 

「そんなこと言ってないだろ!?……こうなったら必殺技でけりをつけてやるぜ!」

 

「ひ、必殺技だとぉっ!?」

 

まだこの上があるのか―――と戦慄しながら猪々子を観察すると彼女は大剣を肩に担ぐようにして構えた。

 

「いっくぜぇ『大刀一閃(だいとういっせん)』!!」

 

「ぬわぁっ!?」

 

そして一呼吸溜めてから繰り出された一撃は今までのよりも鋭く速いのだ。たまらず春蘭は防ぎにいったが腕ごと弾き飛ばされてしまう。

 

「クッ、なんて衝撃だ……」

 

「――アタイの勝ちだな春蘭」

 

「何を言っている、まだまだ私は……ってあああああ!?」

 

勝利を宣言した猪々子に対してすぐに構え直そうとしたが武器に違和感があった。

 

「わ、私の剣がっ!?」

 

何と夏侯惇の剣は刃が綺麗に斬られ紛失していた。

 

「――勝者北方、袁将軍『文醜』!」

 

『うおおおおおおお!!』

 

「……~~っっいっよっしゃぁぁっっっ!!」

 

思わず叫ぶ猪々子、春蘭に勝つことは彼女の目標だったのでその喜びは計り知れない。

 

「くぅ……負けた」

 

春蘭は力なくうな垂れていたがすぐに立ち上がる。

 

「ずるいぞ猪々子!武器破壊を目的とした必殺技なんて!!」

 

「あれは武器破壊じゃなくて『武器ごと相手を斬る』技だよ、大会だから武器だけ斬ったけどな!」

 

実戦だったら真っ二つだぜぇ?とニヤリ笑いながら言葉にする猪々子

 

「ぬぅぅぅ、もう一度!もう一度勝負だ!!」

 

「っても武器が駄目になってんじゃ~ん」

 

「ええい猪々子!武器なんか捨てて素手でかかって来い!!」

 

「なんかその台詞に嫌な予感がするからおっことわり~」

 

「あっ!?待てい!」

 

激しい試合の後にもかかわらず二人は追いかけっこを始めてしまった。

 

 

………

……

 

 

「よくやったわ猪々子!よくその猪女を負かしたわね!!」

 

「け、桂花?夏侯惇とは面識があるのか?」

 

「い、いえ、でもなんか癪に障ると言うか相性が悪いというか、何か気にいらないんです!!」

 

「そ、そうか……」

 

面識のないはずの夏侯惇に敵意をだす桂花に軽く引くと、「誰が猪だーーっ!?」と聞こえてきた。

 

「決勝は、……少しきついですね」

 

「ああ、猪々子の腕は格段に上がったが相手は次元が違う。勝ち目は薄いだろうな」

 

 

………

……

 

「ではこれより決勝戦を開始します」

 

『うおおおおおおおおおお!!』

 

「南方、袁紹軍所属『文醜』!」

 

「ここまで来たら優勝したいっしょ!」

 

「続いて北方、無所属『呂奉先』!」

 

「……」

 

『うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!』

 

「あっお前等!アタイを応援しろよ!?」

 

………

……

 

「呂布の声援が多いと言うことは……」

 

「はい、ほとんどが呂布に賭けています」

 

「むぅ……我は猪々子に賭けたのだがな」

 

「ええっ!?最後の大口は麗覇様だったんですか!!」

 

「うむ、我の見立てではこの勝負はまだわからぬ」

 

「猪々子にも勝ちがあると?」

 

桂花の疑問に頷き、袁紹が気になったことを口にする。

 

「理由はわからぬが呂布の動きが鈍い、それも連戦を重ねる毎に悪くなる一方だ」

 

「疲れ……でしょうか?」

 

「断定は出来ぬがそれに近い何かであろう」

 

――始め!

 

「む、始まったな」

 

開始と共に斬りかかる猪々子、呂布は最初の試合のように動かず待っているが――

 

「……え?」

 

「む?」

 

次の瞬間には呂布が吹き飛ばされていた。

 

 

 

………

……

 

 

「あ、あれ?」

 

吹き飛ばした張本人である猪々子にもわけがわからない、今まで呂布が見せてきた武力なら問題なく対処されるはずだった。

 

「……呂布選手気絶!よって勝者南方、袁紹軍所属『文醜』!」

 

『うおおおおおおおおお!?』

 

「りょ、呂布殿ーーー!!」

 

壁にもたれる様にして倒れている呂布に少女が駆け寄る。

 

「……ちんきゅー」

 

「呂布殿……まさか」

 

『ぎゅるるる~~~』

 

「お腹……すいた」

 

「ああっ、やっぱりなのです!審判!!」

 

「え?はい何でしょう」

 

「この試合は無効なのです!後でやり直しを要求しますぞ!!」

 

「ええっ!?だ、駄目だよ決まりだから」

 

「ぬがーーっ納得いかないのですーーっ!」

 

そしてしばらく呆けていた猪々子が意識を取り戻し

 

「あれ?アタイの勝ちって事は賭け金がぱぁじゃんか!!」

 

優勝したにも関わらず悔しそうに叫んだ。

 

 

………

……

 

「あの子、最後に呂布に賭けていたのね……」

 

「フハハハハハ手堅いというか何と言うか、猪々子らしいな!」

 

 

こうして記念すべき第一回武芸大会は猪々子の優勝により幕を降ろした。

 

 

 

 




猫耳軍師 荀彧

好感度 75%

猫度 ニャン!

状態 敬愛

備考 呼ぶと小走りで近づいてくる。
   褒められると目を閉じ謙遜するが口角が上がる。
   反射的に撫でようとして手を止めるとチラチラ見て何か言いたそうにしている。


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第13話

武芸大会の後、呂布と陳宮の両名を謁見の間に呼び出していた。

 本戦まで駒を進めた者達には袁紹自ら賞金が手渡される、ついでにそこで人格を見極めて勧誘する手筈だ。

 

「優勝は逃したものの、その方の奮戦見事であった。これが賞金だ」

 

「やりましたぞ呂布殿!これでごはんにありつけますな!」

 

「(……コク)」

 

賞金を受け取った陳宮が喜びの声を上げ呂布が頷く

 

「ところでお主らは何処かに仕官する予定があるのか?」

 

「(フルフル)」

 

「呂布殿の武を活かせる陣営は少ないのです。大会で名を売ってどこかに売り込む手筈だったのですが……」

 

「……負けた」

 

「でもあれは仕方なかったですぞ!お腹が空いては戦は出来ないのです!!」

 

優勝は逃しても十分名は売れたと思うが……

 

「ふむ……もし良かったら我が袁家に仕官せぬか?」

 

「な、なんと!袁家で召抱えてもらえるのですか!?」

 

「……」

 

「うむ、呂布の武もさることながらお主も磨けば光る原石と見た。優遇するぞ?」

 

「呂布殿!」

 

陳宮はあくまで呂布の意見を尊重するようだ。彼女の答えを聞こうと顔を向ける

 

「……条件」

 

「ふむ、可能なかぎり聞こう」

 

(さて条件とは一体……、大将軍の位か?、酒と金か?、まさか女子ではあるまい)

 

史実の淫蕩極まりない呂布の私生活を頭に浮かべ振り払う、目の前の少女にはそんな気配は無かった。

 

「家族……一緒」

 

「家族がおるのか?かまわぬまとめて面倒を見よう」

 

「来る」

 

「何、ここにくるのか?」

 

すると謁見の間の扉のほうから悲鳴が(嬉しそうな?)聞こえてきた。

 

「ちょっと、何の騒ぎよ!」

 

居合わせた桂花が扉に手を掛け様子を窺おうと開けたその時。

 

「ワンッ!」

 

「キャア!?」

 

犬の一鳴きと共に沢山の犬猫が転がり込んできた。

 

「すごい数だな、皆飼っているのか?」

 

「違う、皆家族」

 

袁紹の問いは強い口調で否定されてしまう、どうやら彼女にとって譲れないことらしい。

 

「これほどの大家族ともなれば食費が大変であっただろうな……」

 

「そうですぞ、ねね達の出費の大半は食費なのです」

 

「ふむ、まぁ呂布と陳宮の両名を家臣に出来るなら安い出費だな」

 

「……じゃあ」

 

「うむ、万事我に任せよ、お主とその家族が飢える事が無いよう取り計らおう。」

 

「わかった……仕える」

 

「呂布殿が仕えるのならねねも一緒ですぞ!」

 

「~~っ麗覇様!」

 

「どうした桂花、まさか反対するわけでは―――、おおっ?」

 

声がした方に目を向けると一点に沢山の犬や猫達が群がっていた。

 

「た、たすけて下さい~~」

 

姿が見えないがその中心に桂花が埋もれているようだ。本来彼女を助けるはずの斗詩や猪々子に目を向けると、斗詩は猫達と、猪々子は犬達と戯れていた。

 

「これお前達、桂花が気に入ったようだが彼女は困惑している。その辺にするがよい」

 

袁紹のその言葉に犬猫達は桂花から離れ、彼女はその隙に袁紹の背後まで逃げてきた。

 背後で小刻みに震えながら恐る恐る顔を出す様子は、どちらが小動物なのかわかったものでは無い。

 

「助かりましたぁ……麗覇様」

 

憔悴しきった感じで礼をする桂花の服は、破れてはいないものの色んな足跡が付きボロボロだ。

 気のせいか頭巾の猫耳に力が無い。

 

「「……」」

 

「む、どうしたのだ?華雄が戦斧を片手で止められた時の様な顔をして」

 

余談ではあるが彼女は敗戦の悔しさからか、本戦出場者に贈られる賞金を受け取らずに南皮を離れていた。

 

「驚きましたぞ……彼等が呂布殿以外の命令に従うなんて。」

 

「……(コクコク)」

 

「あら、あなたの命も聞かないの?」

 

「ねねだとお願いしないと無理なのです」

 

「フハハハハハ!我の威光にかかれば造作も――「キャンキャン」む?」

 

話しの途中で他の犬達よりも一際小さい子犬が袁紹に向かってくる。

 

「お主は他の者達より小柄だな、それに大分軽いではないか」

 

足元によってきた子犬を抱き上げると、先ほどよりも驚いた様子の二人が居た。

 

「他の者に続いてセキト殿まで!?」

 

「……すごい」

 

「む?人懐っこそうに見えるが……」

 

「セキト殿は人を見る目が厳しいのですぞ!」

 

「袁紹様……いい人だから」

 

どうやらセキトと呼ばれる子犬は特別な存在らしい。

 

(それにしてもセキトか……、馬はいるのだろうか)

 

史実で呂布が董卓から譲り渡された『赤兎馬』を思い出し疑問に思っていると呂布が口を開いた。

 

「……恋」

 

「む?それは呂布の真名か?」

 

「真名……恋」

 

「ねねは音々音です。呂布殿と二人お世話になりますぞ」

 

「そうか、では我が真名麗覇を預けよう。二人の働き、期待しているぞ!」

 

「(コク)」

 

「おまかせですぞ!」

 

「だがその前に」

 

頷いた恋に呼応するように声を上げる音々音、彼女は恋の補佐として働くことに喜びを見出しているが、袁紹は主君として言わねばならないことがあった。

 

「音々音、お主はしばらく恋の側から離す事とする」

 

「な、なんですとーーーっ!?」

 

袁紹の言葉にバンザイをするような格好で叫ぶ音々音、やはり恋と離れるのは相当嫌らしい。

 

「お主は恋の補佐として大きな欠点を抱えている」

 

「欠点?そんなの――」

 

呂布殿にかかればあってないようなもの――そう口にする前に袁紹に言葉を遮られる。

 

「音々音、お主は恋のお荷物になりたいのか補佐になりたいのか、どちらだ?」

 

「ねねはお荷物なんかでは無いです!!」

 

可愛らしく頬を膨らませながら憤慨する音々音、彼女は今まで恋と旅をしてきて縁の下として支え続けてきた自負がある。

 大雑把な恋に代わり食費の計算を行ったり、賊退治では効率よく殲滅できる箇所を指摘したり、仕える主君探しのため武芸大会に出場したのも音々音の案だ。

 未熟ながらも自分に出来る精一杯で恋の傍らに有り続けた音々音には、主君といえ会ったばかりの袁紹にお荷物扱いされる謂れは無かった。

 

「麗覇様……ちんきゅー頑張ってる」

 

「りょ、呂布殿ぉ……」

 

大好きな人に庇われ音々音は、改めて自分がお荷物ではないと確信し袁紹に目を向ける。

 しかし彼の目には納得した様子は無い。

 

「なるほど……、今まで補佐として力になってきたようだな」

 

「そ、そうですぞ」

 

「ならば問おう、何故恋は優勝出来なかった?」

 

「っ!?」

 

その言葉に音々音の目が驚愕で見開かれる。しかしその驚きは核心を突かれたからでは無く、的外れな質問だと思ったからだ。

 

「大会は個人競技ですぞ……、ねねが助言する必要は無かったのです」

 

「違うな、お主に助言できる重要な事が一つあった。……恋の『遊び』だ」

 

「!?」

 

「……遊び?」

 

何かに気が付いた音々音とは対照的に、恋は首を傾げている。きっと彼女の頭の中では犬や猫達と戯れている光景が広がっているのであろう。

 その様子に袁紹は苦笑しながら言葉を続ける。

 

「その遊びでは無い、戦いの最中の『様子見』の事だ」

 

大会中の彼女は、実力差があったにも関わらず。終始相手の攻撃を有る程度受けてから勝負を決めていた。

 始めから本気で動いていればどの勝負もすぐに方が付いていたであろう。

 

「始めから本気で攻めて勝利していれば、それだけ大会の進行も早くなったはずだ。体力の温存にもなったであろう。そして音々音はそれを知っていたはずだ」

 

「ちなみに呂布の動きが鈍くなっていたのを見抜いた麗覇様は、最後猪々子に賭けたわよ?」

 

「ええっ、麗覇様アタイに賭けてたんか!?くぅ~、それを知っていれば!!」

 

「そう言う問題なの?文ちゃん……」

 

「あっ、ちなみに猪々子、相手に賭けるのは違反だから後でお仕置きよ」

 

「うぇっ!?」

 

気の抜ける会話がされているが、音々音は俯き袁紹の言葉に考え込み口を開く。

 

「確かにねねが試合前に、いえ試合中であっても呂布殿に注意すれば決勝まで力がだせていたかもしれないのです。……でも」

 

「『でも呂布殿なら大丈夫だと思った』であろう?仲間を信頼するのは悪いことではない。だが行き過ぎて盲信しては恋の為にならぬ」

 

袁紹の言葉に力なくうな垂れる音々音、以前までの彼女ならば『そんな心配は無用ですぞ』と鼻で笑っていたかもしれない。しかし音々音の頭に浮かぶ光景は、決勝戦で猪々子に吹き飛ばされ壁に力なく背を預けるようにして倒れていた最愛の人の姿、助言していた所で恋の体力が持ったかはわからない。

 それでも余力が残せていた可能性はあった。そして自分は彼女を盲信するあまりその助言をしなかった。

 

「……」

 

(大分反省しているようだが……、ここで情けをかけては彼女のためにならぬな)

 

俯く音々音に、心を鬼にした袁紹はさらに言葉をぶつける。

 

「そして今回の一件が戦場であったら、恋の命に関わっていただろう」

 

「っ!?」

 

音々音もその事は理解していたものの、考えるのが怖くて頭の隅に追いやっていた。

 

―――今までの賊退治でも似たような場面があった。数が多い賊たちに時間がかかり恋の動きは鈍くなっていたが、それでも他者を寄せ付けないその武力に音々音は度々突撃を指示していた。

 もしこの先も同じように突撃させ、疲弊した状態で猪々子のような強敵に出くわしたら――

 

「うっ……うぅ」

 

そこまで考えて音々音は現実へと意識を戻した。彼女はただの盲信者ではない。

 これまで恋を支え続けてきたことからも解るように、元々理解力は高いのだ。

 

「うわぁぁん!呂布殿、死んじゃ嫌ですぅ!!」

 

そして許容量をこえたのか泣き出してしまった。

 

(さすがに言い過ぎたか……いや、この問題を残せばのちのち――「麗覇様」む?)

 

泣き出した音々音に袁紹が胸を痛めていると斗詩が近くに来ていた。

 良く見ると猪々子や恋も側にいる。

 

「こんな小さい子を泣かせるなんてひどいです!」

 

「……何?」

 

「そうだぜ麗覇様、いくら何でも言いすぎだろ~」

 

「……泣かせた」

 

「ちょ、ちょっとあんた達!麗覇様は陳宮の事を思って!!」

 

その後、三人の剣幕に圧され(桂花は味方)音々音が泣き止むまであやす破目になった。

 

 

 

………

……

 

 

 

「「「ごめんなさい」」」

 

「わかればよい」

 

音々音が泣き止んだ後、袁紹は自分の考えを丁寧に聞かせ三人を納得させていた。

 

「まさか斗詩までわからなかったわけではあるまい?」

 

「うっ、頭では理解していたのですが小さい子が泣いているのを見たらつい……」

 

どうやら幼子の涙には弱いらしい。以後気をつけねば

 

「わ、私は麗覇様の心中を察していました!」

 

「うむ、感謝するぞ桂花」

 

「はい!」

 

軍師として厳しい対応にも慣れている桂花だけは、情に流されず叱咤した袁紹の気持ちを理解してくれていたようだ。

 

「音々音、お主が持つ大きな欠点……わかったであろう?」

 

「グスッ……、盲信」

 

「そうだ、お主はこれからも恋を補佐するに当たってその欠点を取り除いてもらう」

 

「その為にしばらく呂布殿と離れるのですか?」

 

「うむ、桂花の補佐として彼女からいろいろ学んでもらう」

 

「そ、そこの厳しそうな人ですか?」

 

「ちょっと、誰が厳しそうなのよ」

 

「違うのですか!」

 

「……違わないわね」

 

一瞬喜びの表情を見せたものの桂花の最後の一言に再び涙目になる音々音、表情がころころ変わって愛らしい。

 

「ちんきゅー……」

 

「呂布殿ぉ」

 

そんな彼女に恋が話しかける。その表情は心配していると言うより、『無理ならいい』とでも言いたそうだ。

 音々音の盲信の一因は、彼女の甘やかしにもあるのかもしれない。

 

「……いえ、頑張りますぞ!ねねは立派になって呂布殿の補佐に返り咲くのです!!」

 

「……ん」

 

思わず止めようとした袁紹だが杞憂だったようだ。音々音はきちんと先を見据えている。

 

―――こうして袁紹の陣営に天下無双の武と、のちにその補佐として名を馳せる軍師の両名が仕官した。

 

 

 

 

………

……

 

恋と音々音が仕官した数日後

 

「ここが南皮ですか~、大きな街ですね~」

 

まるでバスガイドのような格好をした少女が南皮へとたどり着いていた。

 

「さてさて、お嬢様の件をどうお伝えしましょうか~」

 

彼女―――張勲は、袁紹から妹である袁術に送られる手紙の返事と、近況報告のために来ていた。

 

(袁紹様が噂通りの方なら誤魔化すのは容易ではないですね~、気合をいれなくては!)

 

もっとも彼女には、真実を報告するつもりは無かったが――

 

 

 

 

 

 




猫耳軍師 荀彧 変動無し


NEW!暴食無双 呂布

好感度 50%

犬度 …… 

状態 差し出す食べ物により変動

備考 食べ物を持ち自分を呼ぶ見知らぬ人と、
   何も持たず呼ぶ袁紹がいた場合、食べ物に釣られる


NEW!盲信軍師 陳宮

好感度 10%

猫度 にゃんですと!?

状態 主君<<<<呂布

備考 初対面から厳しい言動で諌められたため少し怯えている
   呂布と袁紹なら迷わず呂布をとる





   


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第14話

恋と音々音の二人が仕官してから数日後、荊州から太守代理兼袁術の教育係を担っている張勲が袁紹を訪ねて来ていた。

 

「初めてお目にかかります袁紹様、張勲でございます。」

 

「うむ、遠路はるばる良く来てくれた。荊州の様子はどうだ?」

 

本当なら妹の事が聞きたいところであったが、袁家当主として荊州の様子を優先的に聞いた。

 

「大変順調ですよ、袁紹様考案の警邏番のおかげで治安も良いです。」

 

「それは重畳、……して我に反する者達は」

 

「そちらはあまり芳しくないですね~、荊州に送られた者達のほとんどが反袁紹様派でしたから、確執が取れるのはまだ先です。」

 

「そうか……」

 

袁家当主として様々な問題を解決してきた袁紹だが、この先の黄巾賊に備え反袁紹派は全て張勲に任せているため、現時点では彼女の采配に期待するしかなさそうだ。

 

「あ、そういえばお嬢様から手紙のお返事を預かってますよ~」

 

「おおっ!見せてくれ!!」

 

暗い話題を払拭させるかもしれない妹の手紙に袁紹は食いついた。

 内容は袁紹の手紙に書かれた事を答えた簡単な物であったが、代書人に書かれた丁寧な文字を眺めながら袁紹は顔をほころばせる。

 

(あらら、凛々しかった表情をあんなに崩して、会ってもいないのに溺愛とかドン引きですね~)

 

自分を棚に上げた張勲は、兄妹二人を会わせたら自分が袁術を愛でる時間が少なくなるのを危惧していた。

 

(やっぱり会わせたくないですね~、何だかんだ単純なお嬢様はすぐに懐きそうですし)

 

「手紙の内容がやたら丁寧だが……」

 

「それは、袁紹様にお返事の手紙を出すにあたって失礼が無いように、私が一緒に内容を考えたからかと」

 

思考中に声を掛けられたにも関わらず返事を返す張勲、

 

「なるほどな、本日は大変ご苦労であった。ここでしばらく体を休めた後戻るのが良かろう。」

 

「いえ、それには及びません、お嬢様を長いこと放っておくわけにもいけませんので」

 

「左様か、では些細ではあるが物資や資金等を土産に持っていくと良い」

 

「いいんですか?ありがとうございます~」

 

「蜂蜜も積んである故、妹によろしく頼む」

 

「それはお嬢様が大変喜びますね!宜しくされました~」

 

………

……

 

張勲が出て行った謁見の間の扉を見続ける袁紹、その顔は若干険しい様子だった。

 

「麗覇様、あの者が何か?」

 

その様子に違和感を感じた桂花が質問する。ちなみに斗詩達武官は訓練中で、音々音は別室で勉強中である。

 

「張勲に違和感を感じてな」

 

「違和感……ですか?」

 

その言葉に首を傾げる桂花、彼女には張勲の対応が完璧に見えていた。

 

「いや、きっと気のせいだろう。彼女は父上たちが見出したのだ。心配はあるまい」

 

「……」

 

妙なことを言ってすまなかった。と袁紹は謁見の間を後にした。

 

「……」

 

一人残った桂花も険しい表情になる。彼女が袁紹の下で行動した期間はさほど長くは無い。だが袁紹が時折見せる勘働きが、目を見張る物なのは知っていた。

 初日で桂花の男嫌いを見破って見せた袁紹が違和感を感じたのだ。謀反などはありえないが何かあるのかもしれない。

 

「誰か」

 

「ここに」

 

「荊州へ間者を送って街の様子と張勲の周りを探りなさい。」

 

「御意」

 

 

………

……

 

「はぁ、些細な土産とはよく言ったものですね~」

 

荊州へと帰路についていた張勲は、袁紹から持たされた土産の山を見て溜息を漏らす。

 これだけの物があれば、一年は荊州が飢えることはない。それをポンと渡す袁紹の豪快さに感心すらしていた。

 

「これは多分、政務よりも反袁紹派の対応に集中させるためですね。まぁ何もしないんですけどね~」

 

袁紹の期待とは裏腹に、張勲には反袁紹派達に対策を講じるつもりは無い。

 

(袁家当主でありながら驕った態度は無い。終始私を気にかけていたし、最後に持たせた土産の豪快さ、そんな人たらしを純粋なお嬢様に近づけるわけにはいきませんね!)

 そんな人たらしを純粋なお嬢様に近づけるわけにはいきませんね!)

 

全ては愛する袁術を独占するために、長年自分の本性を隠し続けてきた張勲の笑顔は、観察眼に優れた袁紹の目を持ってしても見破ることは出来なかった。

 

 

 

 

………

……

 

 

 

「お嬢様!ただいま帰りました~」

 

「おおっ七乃、お帰りなのじゃ、南皮はどうだったかえ?」

 

「とっても賑やかで大きな街でしたよ~、治安も良くていい所でした。」

 

「むぅ~、妾も行きたかったのじゃ……」

 

「でもお嬢様、南皮にはお兄様がおりますよ?」

 

「ピェッ、そうだったのじゃ」

 

袁紹の存在にひどく怯える袁術、彼女は物心ついた時から洗脳に近い教育をされていた。

 

「あ、兄様はまだ怒ってたのかの?」

 

「それはもう!『政務も出来ぬ上にお漏らしとは何事か!会ったら尻叩き百回だ!!』って激怒してました。」

 

「痛いのは嫌なのじゃ~、ガクガクブルブル」

 

「やーんお嬢様ったら可愛すぎます~。」

 

「な、七乃ぉ……」

 

「大丈夫ですよお嬢様、いざとなったら此処の皆と私がお守りしますから」

 

「本当かぇ?」

 

「もちろんですよ、では政務があるので失礼しますね~」

 

………

……

 

「張勲様、本日は四名捕らえました。」

 

「ご苦労様です。素性はわかりましたか?」

 

「ハッ、三人は口が堅かったですが、一人口を割らせることに成功しました。どうやら袁紹様お付の軍師、荀彧の手の者のようです。」

 

「あらら、うまく誤魔化せたと思ったんですがね~。私は別に敵対するつもりは無いのに……味方する気も無いだけで」

 

こめかみに手を当てながら苦々しそうにつぶやく、報告に来た兵は無表情で指示を仰いだ。

 

「捕らえた間者達はどういたしましょう」

 

「そうですねー、知らなかったとはいえ捕らえてしまったわけですから、監視が厳しくなりそうなのは目に見えてますよね? 口を封じてしまいましょう」

 

「っ!?し、しかし仮にも本家縁の者達を手にかけたとあっては……」

 

兵達に緊張が走る。それもそのはず。反袁紹派が集められた荊州だが、彼等には正面から敵対する気はさらさら無い。

 袁術の勢力も列強ではあるものの、袁紹軍はその比では無い。彼等がその気になれば自分達が潰されるのは火を見るよりも明らかであった。

 

「……最近は賊の活動が活発になってきてますよね?」

 

「は、はい」

 

「間者達が情報を持ち帰ろうとした道中で、不幸な事故があるかもですね~」

 

「っ!?御意……」

 

張勲の意図に勘付いた兵達はそのまま行動に移り、部屋には彼女一人となった。

 

「やれやれ、このくらい自分達で思いつけませんか、無能ですね~。まぁその方が私も動きやすいですけど」

 

そこまで言って手元の報告書に目をやる。そこにはこれまで捕らえた者達の名が記されていた。

 

「それにしても袁紹様考案の警邏所と私服警邏隊はすごいですね。おかげで変な気を起こそうとする民衆と間者を捕まえ放題ですよ、このへんは感謝ですよね~」

 

 

 

 

 

………

……

 

 

 

「馬だな」

 

「馬ですね」

 

張勲の訪問から数日後、富国強兵を推し進めている袁紹と桂花の二人に難題が立ちはだかった。

 

「袁紹様考案の『重騎兵』、実現できればすごいのですが……」

 

この時代で一般的に使われている青銅の鎧では無く、全身を覆う鉄の鎧を纏った兵士『重装兵』を試験的に作ってみたものの、重い装甲で動けるものは少なく少数精鋭となった。

 また、彼等の動きが著しく遅いため、馬に乗せることでカバーしようとしたが、その馬が矢などでやられては意味が無い。馬にも同様に鉄の鎧を装着させてみたが、搭乗者の重みも加えまともに走れそうに無い。

 

「西涼馬のような屈強なものが欲しいな、桂花、何か策はあるか?」

 

「そう……ですね」

 

主の問いを瞬時に思考し案をだす。

 

「……馬産を奨励してみてはいかがでしょう?。良い雄馬を育て上げた者に報奨金などを出して、その馬を種馬とすれば良いかと」

 

「ふむ、基準が難しいな」

 

「とりあえず体格と積載量で判断しましょう。時間はかかりますが、いずれ良き馬が揃うかと」

 

「……うむ!、良き案だ。それでいくとしよう。手筈はまかせて良いな?」

 

「かしこまりました」

 

頭を下げる桂花、気が付くと反射的に彼女の頭に手を置いていた。

 

「あっ……」

 

(しまった!)

 

いつもなら、手を伸ばしても思い止まっていた袁紹だが、手を置いてしまっては後には引けない。

 そのまま労わるように優しく撫でた。

 

「いつも苦労をかけるな桂花、他にも任せている仕事があるのに……」

 

「あ、あぅ……勿体無きお言葉」

 

袁家内でも群を抜いて優秀な文官である桂花には、袁紹の政務補佐、政策の補填、音々音の教育等、仕事を任せてしまっている。

 見かけによらず疲れ知らずな彼女は、袁紹同様休みが存在しなかった。

 しかし度々政務を抜け出す袁紹とは違い真面目なため、文字通り休むことなく働き続けている。

 

「幸い性急な課題ではない。三日ほど休息を取るが良い」

 

「し、しかし」

 

「これは命令だ、桂花」

 

「……わかりました」

 

その言葉に少し不満そうに顔を伏せる。袁紹は苦笑しながら彼女を抱き上げた。

 

「きゃ!?れ、麗覇様?」

 

「軽いな桂花……ちゃんと食べているのか?」

 

「か、軽いは余計です!」

 

小さな体を気にしている桂花は、それに関する言葉には敏感に反応する。

 とは言え、以前なら憎まれ口しか出ることは無かったし、少し前なら不満そうに顔を伏せるだけだった。

 それが今では軽口を諌めるほどになっている。二人の距離は確実に近づいてきていた。

 

「目にクマが出来ているぞ、このままお主の寝所まで連れて行くとしよう」

 

「そんな!こんな日が高いうちから……わ、私の心の準備が」

 

「昼からなにを考えているのだお主は」

 

二人の距離が近づくにつれ、何故か桂花の妄想癖が出始めていたが……

 

 

 

 

………

……

 

 

 

―――三年後、南皮―――

 

 

 

 

「おおっ!すごい賑わいですな」

 

「星、少しは落ち着いたらどうなんです?」

 

第四回武芸大会開催日、見た目麗しい女性三人が来ていた。

 

「稟ちゃん、稟ちゃん、多分星ちゃんは……」

 

「メンマの可能性を広げた調味料、魚醤発祥の地だぞ!興奮しないわけがあるまい!!」

 

「……武芸大会よりもメンマですか」

 

「それはそれ、これはこれよ」

 

周りの視線を集めながら彼女達は大会会場の演習所に向かって歩いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




猫耳軍師 荀彧

好感度 100%

猫度 フニァン♪ゴロゴロゴロ

状態 心酔

備考 呼ぶと飛び込む様な勢いで近くまで来る
   安易に手を広げて待機してはいけない(戒め)
   人前ではしっかりしているが、二人きりになると甘えてくる


暴食無双 呂布

好感度 70%

犬度 ……ワン 

状態 目に付くと近くまで来る

備考 食べ物を持ち自分を呼ぶ見知らぬ人と、
   何も持たず呼ぶ袁紹がいた場合、食べ物から目を離さないまま
   袁紹の所にやって来る


盲信軍師 陳宮

好感度 30%

猫度 にゃんですぞ!!

状態 主君<<<呂布 

備考 桂花の教育により態度改善
   呂布と袁紹なら一瞥した後呂布をとる


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閑話―荀彧―

いつもより長くなったから、分けて楽しようと思ったけど、誘惑は振り切ったよ!

……もう、ゴールしてもいいよね?


 大陸屈指の名門、荀家に一人の才女がいた。名前は荀彧、真名を桂花、頭脳明晰で毎日勉学に励む彼女は、母に一つの質問をした。

 

「お母様、何故後世に名を残す者や、現在活躍している者達のほとんどが女性なのでしょうか?」

 

「その答えは私にはわからないわ、今度行く私塾で見つかるかも……ね?」

 

「……」

 

娘の質問に対する答えを母親は持ち合わせていなかった。たまたま女性が活躍する時代と言うにしても、男との対比がありすぎて説得力に欠ける。

 今まで活躍してきた者達の中に男の名は余りにも少ない、これではまるで―――

 しかしそんな歪んだ先入観を持たせるわけにもいかず、荀彧が私塾で独自の答えを見つけることに賭けた。

 

………

……

 

「お母様!私わかったわ!!」

 

「あら、何がわかったの?」

 

私塾に通い始めて一週間ほど経ったその日、荀彧は母親に自分の答えを自信たっぷりに聞かせる。

 

「男は女よりも大分劣った生き物なのよ!」

 

「っ!?」

 

荀彧の頭の中で、これまでの私塾での出来事が思い出される。

 

………

……

 

今まで余り男性と触れ合うことが無かった彼女は、私塾に入ってから同い年の男達を観察する事にした。余談だが、桂花が通うことになった私塾は、大陸各地から将来有望とされた人物達が集まる場所である。

 だがその中にも例外がおり、その者達は家柄で私塾に招かれていた。そしてそのほとんどが男達であった。

 

『………』

 

しかしそれだけでは軽蔑の対象にはなるはずもない。家柄で招かれたとしても、無能と決まったわけではないのだ。

 荀彧は自分にそう言い聞かせ、彼等を上から下まで観察した。まず、彼女が気になったのは彼等の容姿だ。

 どの男もこれといった特徴が無く、よく言えば平均的な顔、彼等の名前と顔を一致させるのが、私塾で一番難題だったと荀彧は語った。

 それに比べて女性達は何と華やかだろうか、講師の女性を含め、女の塾生達は容姿や体型が優れており、男達とは纏う雰囲気がまるで違っていた。

 

『……でもまぁ、男の文官も多いし、頭の出来は悪くないかも』

 

―――悪かった。単純な算術なら出来ていたが、少しでも難易度が上がると音を上げ始める。

 指を使って計算しだし、それでも間違えたのを目撃したときは、我慢できずに吹き出してしまったほどだ。

 とてもではないが彼等に兵糧の管理や、政務を任せたいとは思えない。そしてこの面でも女性の塾生達は優秀な成績を修めてみせた。

 ならば戦術はどうか?―――凡庸だ、優れた教本があるので、それに載っている策を理解出来てはいるが応用が出来ない。ただただ無難な策しか提案出来ず、それらの策を組み合わせてみたり、少し内容を弄るといった柔軟さを持ち合わせていなかった。

 彼等の策が通用するのは、せいぜい同程度の相手か、賊といった類だろう。

 

『そうだわ!男は力が強いって、確かお母様が――』

 

―――弱かった。武官希望の男が自分の力を自慢していたので、同じく武官希望の少女が手合わせを提案し、彼はそれを受けた。

 その後、庭で手合わせが行われたのだが―――、男は手も足も出せずあっという間に無力化されてしまった。

 男は恥をかいたと言い、そのまま私塾を後にした。それもご丁寧に捨て台詞付だ。

 単純な腕力であれば、鍛練をしていない女は男には力で勝てない。しかし、鍛練をした者同士で、女性に勝てる男はいなかった。

 

『……』

 

ここまで来ると荀彧の目には、欠点しか映らなくなっていた。容姿、知能、武力、そして―――彼等の目だ。

 見た目麗しい少女達に、舐めるような視線を毎日送っている。特に胸と尻に目がいく様で、目を見て話す事は稀だ。

 ちなみに講師の女性は豊満な胸を持っており、彼女が入ってくると、決まって男達の視線は胸を凝視している。

 

『何よあれ、まるで猿じゃない……』 

 

色欲を好み、己たちの研鑽をも後回しにして胸を凝視する彼等は、もはや荀彧にとって滑稽な存在でしかない。

 その後も、男達の愚かな場面を見続けてきた。そしてほぼ同時期に賊達の活動が活発になる。

 その賊に身を堕とす者達も決まって男がほとんどだ。それを知った荀彧は、自分の判断に確信を持った。

 

 

………

……

 

『桂花さんは、仕えたい人がいるのですか?』

 

『もちろんいるわよ、私は曹操様がいいわね』

 

幼少から才覚ある人物、そして自身と同じく合理的な考え方、きっと相性が良いに違いない。

 

『袁家が一番人気あるけど……』

 

『当主も跡継ぎも男じゃない、愚鈍な主は嫌よ!』

 

『でも、跡継ぎの袁紹様は神童だって噂だよ?』

 

『どうせ周りに持ち上げられているだけでしょう?ここの男達のように』

 

『一応彼等も、幼い頃から英才教育を施されてきたはずなのに、どうしてここまで差が開くんだろうね……』

 

『そんなの決まっているじゃない』

 

そこで言葉を切り、男達に冷ややかな視線を向ける。

 

『下半身に頭のある猿だからよ!!』

 

荀彧の塾生活は、彼女に男を嫌悪させたまま終わりを迎えた―――

 

 

………

……

 

 

 

「はぁ……、曹操様」

 

いよいよ何処かに仕官する時期になり、憧れの女性に想いを馳せる。

 

「貴方は相変わらず曹操様好きね」

 

「覇王の器にして傾国の美女だって噂じゃないですか、素晴らしい方に違いないわ!」

 

「悪いけど桂花の仕官先は決まっているわよ?」

 

「なっ!?初耳です!!」

 

「言ってなかったもの」

 

「~~っっ、ちなみに何処ですか?」

 

「南皮よ」

 

「南皮って、確か袁―――」

 

袁紹の性別を思い出した荀彧は、男の主君の下で働く自分を想像して気を失う。

 

「……大げさねぇ、でも丁度いいからこのまま馬車に乗せてしまいましょう。後は人たらしと噂の袁紹様に期待ね!」

 

こうして、荀彧の母親による荒治療的な仕官は決められた。

 

 

………

……

 

 

「こちらの謁見の間にて、袁紹様はお待ちでございます」

 

「ありがとう」

 

案内をしてくれた侍女に笑顔で会釈し、中に入る。

 すると、重鎮らしい者達の目線が突き刺さった。

 

(結構いるわね、しかも男も多い……、まるで舐めまわす様な視線、嫌になるわ)

 

一瞬、顔を歪めそうになり何とか笑顔を保つ、そしてそのまま玉座の前まで移動した。

 

(あれが……袁紹)

 

荀彧の瞳が袁紹を捉える。―――なるほど、美形だ。それだけでも今まで見てきた男達とは異なる。

 女顔で長髪なため、一見間違えそうだが、体が良く引き締められており、袖口から覗く腕の太さや、筋肉により盛り上りを見せる他の各所が彼を男だと認識させる。それでいて大きすぎない無駄を省いた、しなやかな体躯だ。

 

「お初にお目にかかります袁紹様。荀彧と申します――」

 

(見た目は噂通りって感じね、でも男には仕える気にはなれないわ)

 

「母達ての希望により参りましたが、私は非才なる身、余りご期待に応えられるとは思えません」

 

荀彧はまず自身が考えていた、皮肉めいた言葉を口にする。

 伝わればよし、伝わらなければ一時的に仕官し、此処の政策に難癖つけて追い出させる算段だった。

 

―――おおっ、なんと謙虚な

 

―――荀家一の才女なのに驕った様子が無いとは

 

―――最近の若者にしては立派ですな!

 

―――左様、謙虚さこそが若者の美徳である

 

彼女の一言に重鎮達が感慨の言葉を口にする。まさか自分達の主でもある袁家当主を邪険にするものなど、想像すらしたことが無かった。

 

(ふん!やっぱり無能ね、今の真意がわからないなんて)

 

「面を上げよ」

 

「はっ」

 

ゆっくり顔を上げると袁紹と一瞬目が合った。そして慌てて視線を逸らす。

 

(何よあの目、まるで外ではなく内を覗き込もうとするような――、やましい考えがあるに違いないわ!)

 

「よく来てくれた我はお前を歓迎する――、と言いたい所ではあるが一つ聞きたいことがある」

 

「何なりと」

 

(私の才を量る問答かしら?何にしても所詮男の――)

 

「お主が男を嫌う理由は何だ?」

 

「っ!?」

 

ざわっ、と謁見の間は騒然としだした。そして当の荀彧はさすがに予想外の質問だったらしく、目を白黒させている。

 

(い、いきなりなんて事を聞くのよ、これだから男は!?この状況でその質問に答えられるわけないじゃない!!)

 

「い、いえ私は別に――「申せ」っ!」

 

何とか場を取り持とうとした荀彧だが袁紹は彼女の言葉を遮り答えを促す。

 

「お主ほどの才女が無意味に男を嫌うとは思えぬ、我はその理由が知りたい。

 もう一度聞く、―――男が嫌いか?」

 

「……」

 

そこまで聞いた荀彧の心は、どす黒い何かで埋まっていく。

 

(何で……勝手に仕官させられた先で、大嫌いな男達の視線に晒されながら、大嫌いな男に頭を下げ、大嫌いな男に男嫌いを告白しなきゃいけないのよ、私が何をしたっていうの?―――もう、我慢出来ないわ!)

 

「いえ……大っっっ嫌いよ!!」

 

………

……

 

 

―――好感度0%―――

 

 

次の日、荀彧は斗詩と街にくりだしていた。

 前日の一件や、長旅による疲労、『その状態で働かせるというのは酷だろう』と、袁紹による計らいであった。

 

「……さっきから巡回の兵を良く見るわね、そんなに人を割いているの?」

 

「いえ、警邏所なる施設が各所に設置されていまして、そこから決まった区画だけを警邏させているので、目に付く頻度が高いんだと思います」

 

「ふぅん……いい案ね」

 

伊達に名族を名乗っているわけではなさそうだ。少なくともこれを手掛けた優秀な文官がいる。

 素直に感心した様子でそう考えていると――

 

「提案したのは麗――袁紹様ですよ」

 

「……冗談でしょう?」

 

「真顔で聞き返されるなんて……本当ですよ!」

 

「……」

 

信じられないといった表情で警邏隊に目を向ける。するとまた疑問が生まれた。

 

「何故警邏隊がここまで溶け込んでいるの?」

 

荀彧の目に映った警邏の兵達は、民達と笑顔で挨拶を交し合っており、軽く談笑を始める者までいた。

 

「袁家の警邏隊は『地域に基づく警邏』を掲げておりまして――」

 

警邏は犯罪抑止のため、高圧的に行われるのが一般的だ。しかし、守る対象である民衆に避けられては遣り甲斐も無い。

 そこで犯罪の取り締まり以外でも、道案内や軽作業の手伝いなども業務として行うことで、自分達を抑制する者達という認識から、自分達を犯罪から守る者として認識させるのが狙いだ。

 そしてこれは大当たりした。今では武器を片手に歩く警邏隊の横で、子供達が楽しそうに遊びだすほどだ。

 

「提案者は袁紹様です」

 

「……」

 

斗詩の強めな口調で放たれた名前に、一瞬思考が停止する。

 しかしすぐに蘇り欠点を口にした。

 

「警邏の目は行き届いているけど、これでは舐められて影の犯罪の抑止にならないじゃない!」

 

荀彧のその言葉に、待ってましたと言わんばかりに斗詩が口を開く

 

「袁家には私服警邏隊がいるんですよ~」

 

「私服……警邏?」

 

これもまた聞きなれない単語だ、荀彧の知識欲が刺激される。

 

「その名の通り、普段着で警邏を担当する人たちです。彼等は―――」

 

私服警邏隊、彼等の殆どは一般人だった。そのため直接犯罪鎮圧に動いたりはしない。

 彼等の役目は日常生活に溶け込み、普通に生活していく上で目にする犯罪を、警邏隊に報告するというものだ。

 その報告により解決した犯罪の規模により、報奨金などが手渡されていたが、虚偽の報告は厳しく処罰されるため、情報の正確性は高かった。

 報告自体は一般の民衆も可能だが、犯罪行為に目を光らせながら日常生活を営む彼等の犯罪検挙率は、規模も数も多かった。

 

「まさかそれも……」

 

「はい、袁紹様が」

 

「……よそ者にそこまで聞かせて良いの?」

 

「袁紹様が『どうせ袁家に仕えることになるのだ、疑問には全て答えてやれ』って」

 

「あいつの自信は何処から来てるのよ……」

 

 

………

……

 

 

―――好感度10%―――

 

 

 

 

「ちょっと!この『千歯扱き』を開発した者はどこ!?」

 

「ここにいるぞーー!!」

 

「あな――袁紹様なのですか!?」

 

「使いたくなければ、敬語外してもよいぞ?」

 

「……しかし」

 

「良い、許す」

 

「そう、なら言わせてもらうけど―――」

 

「無礼者!衛兵!!」

 

「~~~っ、あなたが許可したんでしょうがぁぁぁっ!!」

 

「おおっ、手も出ている分、白蓮よりツッコミが激しいではないか!」

 

「く、このっ」

 

頭に血を上らせながら手を振るうが、簡単に避けられる。

 

「この千歯扱きのせいで失業者が溢れているじゃない!!」

 

「その為の職業斡旋所と私服警邏隊よ!」

 

「それからこの『楽市楽座』の発案者は!?」

 

「ここにいるぞーー!!」

 

「これもあなたなの!?犯罪が増加するじゃない!!」

 

「警邏所と私服警邏隊により対処済みである!」

 

「……対処済みと言う事は、事後に動いたのね?」

 

「……」

 

(やっぱり!何故行う前に対策を立てないのかしら、いや、立てれる者がいなかったのね。

 革新的な政策に革新的な対処、従来通りの考えでは難しいわ、―――面白いじゃない)

 

………

……

 

―――好感度20%―――

 

「むぅ……、我の政策をここまで改善するとは……流石は王佐の才だな」

 

「王佐?ふ、ふん、このくらい当然よ!」

 

「次はこの案件を頼む」

 

「任せなさい!この王佐の才で最良の結果を生み出してあげるわ!!」

 

 

………

……

 

―――好感度30%―――

 

「いつの間にか敬語で話すようになったな……」

 

「……何か問題がありますか袁紹様?」

 

「様付けは初耳だぞ」

 

「気のせいです」

 

………

……

 

 

―――好感度40%―――

 

「ええっ!?この魚醤を開発したのも袁紹様なのですか!!」

 

「フハハハハハ、我である!」

 

「……すごいです」

 

「王佐の才に認められるとは、我も鼻が高いぞ」

 

「……」

 

「そろそろ心は決まったか?」

 

「っ!?」

 

「我には目指している目標がある――それには王佐の才が必要不可欠だ」

 

「わ、私は」

 

「近いうちに答えを聞かせてくれ、たとえ仕官を断ったとしても我は責めぬ」

 

「……」

 

 

 

………

……

 

―――好感度50%―――

 

 

 

「私は、袁紹様の下ではお仕え出来ません」

 

「……」

 

やっとの思いでそう口にする。昨夜決心したにも関わらず後悔の念が襲ってくる。

 できればすぐにこの場、いや、この地から離れたかった。

 

「面を上げよ」

 

「はい」

 

その言葉に恐る恐る顔を上げる。彼はどんな表情をしているだろうか?落胆か、憤怒か、あるいは―――

 

(ああ、やっぱり)

 

彼の表情は荀彧の想像通り、とても悲しそうなものだった――

 きっとその表情の下で、荀彧を繋ぎ止められなかった自分を叱咤しているに違いない。

 荀彧の胸が締め付けられる。本当にこのままで良いのだろうか?

 

(でも、私は)

 

「今の言葉は本心か?」

 

「……」

 

まるで見透かすように聞いてくる。その言葉に肩が震え口が渇く、荀彧は心の何処かで本心を暴いてもらいたいと思い始めていた。

 

「……怖いか?荀彧」

 

「え、怖い?」

 

「どういうことですか?麗覇様」

 

斗詩と猪々子が言葉の意味を聞こうとするが袁紹は構わず続ける。

 

「『男嫌い』であった自分を否定するのが」

 

「っ!?」

 

袁紹の言葉に目を見開く、またもや核心を突かれ思わず彼を凝視する。

 初日に核心を突いた時の彼の目は、鷹のように鋭くこちらを観察していたのだが今はどうか―

目は細められているが鋭さは無い、むしろ父親が愛娘を見守るような慈愛に溢れた眼差しをしていた。

 

「!!……」

 

そんな眼差しに対してばつが悪くなった荀彧は、視線から逃れるように再び頭を下げる。

 そうでもしなければ気持ちが溢れそうだ。

 

「フハハハハハ!お主はそこまで我につむじを見せたいのか?いや、被り物で見えぬがな」

 

「っ!?し、失礼しました!」

 

袁紹のおどけた発言に張り詰めた空気は弛緩し、荀彧は気持ちが少し軽くなるのを感じた。

 

「荀彧、我は過去では無く今の本心が聞きたい」

 

「今の……私の……」

 

「荀文若は袁本初に仕えたいのか?仕えたくないのか?」

 

「わ、私は……」

 

まっすぐ荀彧の目を見つめる袁紹、何故だかその瞳の前ではどのような嘘も看破されてしまう予感がした。

 

「仕え……たいです」

 

そして気が付くと本心を口にしてしまい慌てて発言する。

 

「し、しかし私は今まで多大な無礼を犯してしまいました!!」

 

「荀彧――」

 

袁紹は玉座から立ち上がり静かに歩み寄る。

 

「人間は大小の差はあれど過ちを繰り返す生き物だ、大事なのはそれを言い訳にして立ち止まらず、糧にして前に進むことよ」

 

「……」

 

そして荀彧の前まで来た袁紹はさらに言葉を続けた。

 

「それに、我にとっては手のかかる猫のようなものであったぞ!!フハハハハハ」

 

「お、お戯れを」

 

いつの間にか差し出された袁紹の手をとり立ち上がる。自分から男性に触れるのはいつぶりだろうか、

もしかしたら初めてかもしれない。

 握った袁紹の手はとても暖かく、荀彧の心を溶かすほどに心地良かった。

 

「本当に私は……仕えてもよろしいのですか?」

 

「くどい!もとよりお主ほど有能な者を今更手放す気など毛頭ないわ!!」

 

その言葉に荀彧の迷いは完全に消え去り一歩さがる。

 

「―――私の名は荀彧、真名を桂花、今この時より袁紹様を生涯の主とし仕える事を誓います」

 

そして改めて臣下の礼をとった。

 

「うむ、我が真名は麗覇、お主の今後に期待してこの真名を預ける。頼りにさせてもらうぞ桂花!!」

 

「―――はい!!」

 

 

 

………

……

 

 

「桂花、少しいいか?」

 

「は、はい、何でしょう?」

 

「この報告書なのだがな――」

 

桂花が改めて仕官し、互いに真名を交換して数日が過ぎた。

 以前に比べ、大分距離が近くなったものの、どこか遠慮がちだ。

 

「……まだ慣れぬか?」

 

袁紹は彼女の男嫌いが払拭されきっていないと思っていた。

 

「違います!え、えっと、申し訳ありませんでした!」

 

突然謝りだした桂花に、袁紹は頭を傾げる。

 

「何をだ?」

 

「いろいろです!まだしっかり謝罪していませんでした!!……初めてお会いした時の態度とか」

 

「もう改善されている。それに、謝られるほど我は気にしていない」

 

「……麗覇様の政策を酷評しました」

 

「実際問題だらけだったな、お主の知恵が無ければ危うかったぞ」

 

「……麗覇様に、その、失礼な言葉を」

 

「フハハハハハ、猫の鳴き声のようなものよ」

 

「ま、またお戯れを」

 

「すまぬな……、しかし懐かしいな」

 

「何がですか?」

 

「実は我も今のように、昔慰められてな――」

 

………

……

 

「……そのような事が」

 

「事実だ、だが我はそれを糧にして前に進む事が出来た。我に出来て桂花に出来ぬ道理は無い」

 

「私も……」

 

「何、それでも進めなければ我が引いてやる。安心するが良い」

 

「――いえ、自分で歩きます!麗覇様の荷物には、なりたくないですから!!」

 

「ならばよし!頼りにするぞ桂花」

 

「お任せください!」

 

 

 

 

 

………

……

 

 

 

―――好感度75%―――

 

 

「荀彧様、武芸大会の会場ですが―――」

 

「それについては、此処に書いてあるわ」

 

「荀彧様、各地域に宣伝用の掲示板、設置完了の報告がありました」

 

「そう、担当した人達に褒美を、あとで私も顔を出すわ」

 

「それはあいつらも喜びます!是非踏んでやって下さい!」

 

「するわけないでしょ!?いいから行きなさい!」

 

「ハッ、失礼しました!」

 

袁家に来て数ヶ月、最初は重鎮達に敬遠され孤立しがちだったが、彼等に当初の態度を謝り、対話を重ねることで打ち解けていった。

 いまでは男嫌いは鳴りを潜め、兵達と冗談を言い合えるほどだ。

 そして、一ヵ月後に行われる武芸大会の企画を進めていた彼女の元に、一人の兵士が飛び込むようにやってきた。

 

「荀彧様!袁紹様がご乱心!!」

 

「あら、斗詩達は?」

 

「その顔良様からの救援要請です!」

 

「すぐに向かうわ!」

 

袁紹は政務などで鬱憤が溜まると暴走する癖があった。最近は桂花が補佐に入っていたためその回数は減っていたが、武芸大会を担当しているため政務の補佐まで手が回らなかった。

 

「ああっ、桂花さん、来てくれてありがとうございます!」

 

「ハァハァ……、れ、麗覇様は?」

 

「うぅー、あそこです」

 

「え?」

 

桂花の目に映ったのは、百は超えるであろう袁家の兵士達と、御輿の上に座り手を組みながら対峙する主の姿だった。

 

「……何よあれ」

 

「御輿部隊です……」

 

「み、御輿!?」

 

桂花が驚愕の声を上げると同時に御輿は動き出した。そして百人の兵達もそれに向かって動き出す。

 

「危ない!」

 

正面から当たりそうになるその光景に、思わず叫んでしまったが

 

「――え?」

 

次の瞬間には、御輿が兵達の背後を駆け抜けていた。

 

「何よあの機動力……」

 

「あれで敵陣に突っ込んで大将首を狙うそうです」

 

「総大将が突っ込む気!?」

 

「危険だと止めようとしているのですが、あれでは……」

 

会話の最中も兵士達を避けて駆け回る御輿、触れることもままならないようだ。

 

「――私が指揮をとるわ、皆!指示に従って動いてちょうだい!」

 

桂花の言葉に、浮き足立っていた兵達の足並みが揃い始める。

 

「ほほう、我に挑むとは笑止!皆のもの!!」

 

『ぶっころすっっ!!』

 

「『YEAH!!』」

 

「な、何よあの士気の高さは!?絶対止めるわよ皆!」

 

『 応!!』

 

………

……

 

「つ、疲れた」

 

その後何とか辛勝した桂花は、自室の寝台に倒れこんだ。

 袁紹の暴走を、理論付けや、周りの者達を指揮して止められるのは現在彼女一人だ。

 以前までは斗詩が担当していたが、完全には止められず大変な思いをしていたらしい。

 

「……フフッ」

 

何かと周りに同情される彼女だが、袁紹の暴走を止めるのが嫌いではない、むしろ好きだった。

 暴走といっても満足すれば袁紹は正気に戻るため、これといって被害は無い。

 袁家にとって彼の暴走と、それを鎮圧するのは一種の遊びのような物である。事実、今日の対決には多くの見学人がいた。それを肴に酒を飲む者もいるほどだ。

 この袁紹が度々おこす暴走と、それを鎮圧する事は、桂花にとって自分が袁家の一員であると再認識できる大事な行事であった。

 

 

………

……

 

 

「昨日は、……その、すまなかった」

 

そして翌日には、こうして謝罪しにやって来る。

 

(普段の凛々しい麗覇様もいいけど、目じりを下げて申し訳なさそうな顔もいいわね!!)

 

桂花は笑顔で会釈する。彼女は袁家に毒されているのかもしれない。

 しかし不快感は無く、むしろ心地良い、彼になら盲目的に献身するのも悪くない。そしていつかは――

 

「しかし良く止めてくれた、感謝するぞ桂花」

 

そう言っておもむろに右手を桂花の頭の上に――

 

「あっ」

 

置きそうになった所で戻される。

 

「危ない危ない、すまないな桂花、所用がある故にもう行くぞ」

 

「え?あ、はい」

 

そう言って袁紹は部屋を後にした。

 

「……撫でようとしたのかしら?」

 

彼に撫でられる場面を思い浮かべる。身長差もあってか、兄が妹を褒めているような光景だ。

 

「~~っ、想像してみると結構恥ずかしいわね……でも悪くない、悪くないわ!」

 

桂花の目標に、袁紹に撫でてもらう、が追加された瞬間だった。

 

 

 

 

………

……

 

 

 

―――好感度100%―――

 

 

目標は一ヵ月後に、反射的にという形ではあったが達成された。

 そしてその翌日、袁紹から三日の休暇を貰った桂花は、緊張の糸が切れたのか、風邪をひいてしまった。

 

「はぁ……、せめて休暇中だというのが不幸中の幸いね」

 

「鬼のかくら……なんでもないですぞ!」

 

看病に来ていた音々音の言葉を視線で止め、口を開く

 

「何とか休暇中に、いや、明日には治したいわ」

 

「桂花殿は働きすぎですぞ、たまには休むのも重要なのです」

 

「その通りだ」

 

「れ、麗覇様!?」

 

そこに袁紹が当たり前のように顔を出す。彼は桂花が抜けた分の仕事もあり、忙しいはずだ。

 

「見舞いにきたぞ桂花、ああ、起き上がらなくて良い」

 

「しかし――」

 

「桂花、これはめい――いや、我の願いだ、横になってくれぬか?」

 

「う……その言い方はなんかずるいです」

 

その言葉に素直に体を寝かせる桂花、袁紹は少しむくれた様子の彼女に苦笑しながら、寝台の隣にある椅子に腰掛ける。

 

「えー、用事を思い出したので、ねねは行くのです」

 

「ちょ、ちよっと音々音!?」

 

二人が醸し出す雰囲気に耐えられず、「お大事にーー」という言葉と共に音々音はその場を後にした。

 そして二人きりになり、少し気まずい空気が流れた。

 

「麗覇様……聞きたいことが」

 

「む、どうした?」

 

「何故、音々音は普通に撫でるのですか?」

 

―――私のときは躊躇したのに、という言葉を飲み込む、さきほど入室した袁紹は、寝台に近づきながら音々音の頭を撫でていた。それも反射的にではなく自然に、それに対して桂花は軽く嫉妬していた。

 

「……」

 

「わ、私何言ってるのかしら、麗覇様気にしないで下さい!」

 

(普段なら胸にしまうのに、風邪のせい?)

 

羞恥心を感じた彼女は、すぐに質問を撤回するように口を開いたが、袁紹はその質問に答えた。

 

「音々音はまだ子供であろう?桂花は若いがもう立派な女性だ。軽々しく触れるべきでは無いと思って……な」

 

そう口にして、少し恥ずかしそうに顔をそむける袁紹

 

(これって―――私を女として見てくれているって事?)

 

言葉を理解した桂花の胸に、熱い何かがこみ上げて来る。

 

「あの、麗覇様」

 

「どうした?何でも言うが良い。大抵の事は叶えよう」

 

「では、撫でて欲しいです」

 

「……そんな事でいいのか?」

 

「はい、麗覇様に撫でられるの……私は好きです」

 

「フッ、そうか」

 

少し困ったように笑った袁紹は、そのまま桂花の頭に手を当て、優しく撫でる。

 

「あぅ……」

 

前回とは違い頭巾を被っていないので、直接頭に体温を感じる。彼の手は少し硬く、鍛練を怠っていない証として剣だこの感触もあった。

 

(ずっとこの時のままならいいのに――)

 

そう願わずにはいられなかった。しかし時は無常に過ぎていく、やがて桂花は心地よいまどろみに身を任せ、静かに寝息をたてはじめた。

 

 

………

……

 

 

その翌日、桂花は昨日までの状態が嘘のように元気になっていた。今は笑顔で鼻歌を口ずさみながら歩いている。

 もしも外だったならスキップしていたに違いない。

 

「あっ、麗覇様!」

 

そして目当ての人物を見つけ声を上げる。

 

「おお桂花、元気になったようだな!」

 

「はい!麗覇様!!」

 

少し距離があったので小走りで近寄ろうとした桂花だが――

 

「おおっ、今日はまるで子犬のようだな、よし来い!我の胸で受け止めようぞ!!」

 

「っ!?行きます!」

 

思わず両手を広げた袁紹に向かって加速した。

 

「なにっ!?さらに速く、さながら某アイシール――ぐぼぁ!?」

 

そして彼の胸に頭から文字通り飛び込んだ。思わず後ずさった袁紹だが、何とか踏み止まり彼女を抱きとめる。

 

「麗覇様麗覇様!昨日は本当にありがとうございました!!」

 

「ご、ゴホッ、うむ、元気そうで―――ゴホッゴホッ」

 

「れ、麗覇様?もしや私の風邪が!?」

 

「い、いや大事無い、少しのどが渇いただけだ」

 

「それはいけません!すぐに水をお持ちいたします!!」

 

「ああ、頼む……」

 

「お任せください!」

 

そして40ヤードを4,2秒で走り抜けるような速度で水を取りに行った。

 

「桂花と……離れた位置から……手を広げるのは……禁、止」

 

その言葉を最後に袁紹は気を失う。彼女に好かれる代償として、手を広げて待機する行為は禁忌となった。

 

 

 

 

 




まるでメインヒロインみたいだ、たまげたなぁ……


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第15話

活動報告に次話の進行率を報告するようにしました。

「続きあくしろよ」と思った方は、それを目安にして頂ければ幸いです。

作中裏話なども語られる予定。あと、「そんなのいいから本編あくしろよ」と思った人

 ……窓際行って、シ○れ


「そいじゃ、これより第四回武芸大会の決勝戦をはっじめるぜー!!」

 

『うおおおおおおおおお!!』

 

今回の武芸大会は猪々子が審判を務めている。始めは出れないことに不満がっていた彼女だが、 いざやらせてみるとノリノリで進行させていた。

 

「まずは南方、麗覇様とアタイの嫁!袁紹軍所属、斗詩ーーー!!」

 

『うおおおおおおおおお!!』

 

「ちょ、ちよっと文ちゃん!真名で呼んでるよ!!」

 

南方から慌てて出てきた斗詩、私塾から戻ってからも鍛練を怠らなかった彼女は、猪々子には一歩及ばないものの、二枚看板の名に恥じない腕を身につけていた。

 

「嫁の部分を否定しなさいよっ!!」

 

「落ち着け、桂花」

 

「もごっ!?」

 

主催者観覧席から身を乗り出すようにツッコミを入れる彼女の口に、茶菓子を放り込み黙らせる。

 

「…もむ、おいふぃれふ、れんはふぁまぁ」

 

「それは良かった。だが指まで食うでない」

 

「あぅ」

 

そして何故か指にまで甘噛みしてきたので、軽く小突き止めさせる。

 

「……何故、残念そうなのだ?」

 

「うっ……、知りません!」

 

袁紹に対して以前のような遠慮が無くなった桂花は、二人きりになると甘える事が増えてきた。

 公私のけじめはしっかり出来ているため、政務などを疎かにする事は無いのだが、元々男嫌いであった彼女の変貌に、さすがの袁紹も動揺を隠せなかった。

 

「む、相手が来るな」

 

「問題のあの人ですね」

 

袁紹の言葉に反応し、目つきが変わる。彼女のこの変わり身の早さにはまだ慣れそうにない。

 

「そして北方、突然この南皮に現れた正義の味方!無所属、華蝶仮面!!」

 

「華蝶仮面、此処に見・参!!」

 

『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっっっっ!!!』

 

「キャッ!?」

 

「さすがの人気だな」

 

「くぅ、忌々しいです!」

 

華蝶仮面の登場に、大地が揺れるような歓声が響き渡る。

 

―――華蝶仮面、猪々子の言葉通り、彼女はこの南皮に一ヶ月ほど前から突如現れた。

 弱きを助け、悪を挫く、その言葉を掲げ人助けなどをしている。

 これだけだと何の問題も無いように思えるが、そもそも彼女の人助けは警邏隊の仕事である。

 彼等が現場に駆けつける前に物事を片付けてしまうので、民衆の人気とは裏腹に警邏隊の面子は傷ついていた。

そこで、彼女の素性と目的を訪ねようとしたのだが、話を聞こうとするたびに逃げられてしまう。

 そのため、現在は桂花が指揮をとり身柄を追っていた。

 

「まさか参加するなんて……」

 

会場に現れた華蝶仮面に、警邏隊の面々が気が付き捕縛しようとしたが、対象の周りをその信奉者と思われる民衆達が取り囲んでいたので手が出せなかった。

 その後、袁紹の要望もあり彼女の大会出場は決まったのだが、これまでの対戦相手を槍の一突きで倒してしまうほどの手練れな為、斗詩の苦戦は必須である。

 

「貴方が、かの有名な『袁家の二枚看板』の一人、顔良殿ですか、こうして戦えること嬉しく思いますぞ」

 

笑みを浮かべながら槍を構える華蝶仮面、余談だが彼女の仮面は目の部分しか隠しておらず、顔の大半は露出している。

 あれで正体が隠せるものなのか? と、袁紹は疑問に思ったが、彼女の正体が露見していない事実からして、あれで隠せるものらしい。

 

「今話題の華蝶仮面さんが決勝の相手だなんて……」

 

少し自信無さそうに呟いた斗詩であったが、愛用の金光鉄槌を構えた瞬間顔つきが変わる。

 

「でも、皆が見ている前で負ける訳にはいきません!!」

 

その顔には闘志が溢れていた。

 

「両方準備は良さそうだな……、始め!」

 

「ハアァッ!」

 

「おっと」

 

開始と同時に大槌を横なぎに振るう斗詩、しかし華蝶仮面に難なく避けられてしまう。

 

「重そうな一撃ですなぁ、受けに回ったらひとたまりも無さそうだ」

 

「まだです!」

 

「むっ!?」

 

『おおっと、斗詩のものすごい猛攻だーーっ! 華蝶仮面は万事休すか!?』

 

いつのまにか実況者と化した猪々子の言う通り、斗詩は反撃の間を与えないように攻撃を仕掛け、華蝶仮面はその猛攻を避け続けている。時折、反撃に移るような動きを見せてはいるが、何故かその動きを意識的に止めていた。

 

(くっ、僅かな隙があるが手が出せない。実戦なら兎も角、致命傷が厳禁な試合となっては、こうも上半身を激しく動かされたら万が一があるかもしれん……、やはり狙うのは足下か)

 

「っ!? そこ!!」

 

「なに!?」

 

相手が一瞬、目線を下げたのを斗詩は見逃さなかった。

 

「くっ、大槌で突きだと!?」

 

横なぎや振り下ろし、振り上げとはまったく違う突きの軌道に、目線を下げていたのも相まって反応が遅れてしまう。

 

「チィッ!」

 

しかし間一髪の所で避けられてしまった。

 

「い、今のも避けられるなんて……」

 

「ハハハ、流石に今のは肝がひ―――え?」

 

一旦距離をとった華蝶仮面は、何故か言葉を途中で切り左手で仮面を押さえる。

 

(紐が切れている、先ほどの突きが掠ったのか? ……これはまずい!)

 

どうやら仮面の紐が切れて難儀しているらしい。斗詩にとっては攻める好機だ、しかし彼女は動かない。

 

「……何故、攻めぬのですか?」

 

その様子に華蝶仮面が問いかける。それもそのはず、彼女は個人としてだけではなく、袁家の忠臣としても優勝したいはずだ。

 斗詩は華蝶仮面の目を見据えたまま口を開いた。

 

「これで勝ちを拾っては、私の成長を信じてくれた方に顔向け出来ないからです!」

 

「っ!?」

 

その言葉に目を見開いた華蝶仮面、そして――

 

「フフフ……、フハハハハハ!」

 

次の瞬間には高笑いしていた。

 これには己の矜持を馬鹿にされたのかと、斗詩は怒りを感じたが相手は――

 

「いや失敬、この笑いは己の不甲斐無さに対してですよ」

 

そう言って仮面に手を掛け――

 

「貴方の武に対する真摯な姿勢には、このようなもの……無粋でしたな!」

 

取り払い、後方に放り投げた。

 

『おおっと!? ここで華蝶仮面の素顔が明らかに、その正体はすっげー美人の姉ちゃんだ! 沸けい野郎共!!』

 

『うおおおおおおおおおおおおっっっっっっっ!?』

 

仮面越しにも彼女の端正な顔つきがわかっていたが、不敵な笑みを浮かべながら、さらけ出された素顔はことさら美しく見えた。

 

「謝罪致しますぞ顔良殿、貴方のおかげで目が覚めました。礼と言っては何ですがこの趙子龍の全力、お見せいたしましょう!!」

 

「うっ!?」

 

その言葉と共に槍を構え直す華蝶仮面―――もとい趙子龍、始めの方とは雰囲気が一変している。

 

「趙子龍……、旅の武芸者として話題の人物ですね」

 

「まさか華蝶仮面の正体が、あの趙雲だとはな」

 

呂布と同じく、三国志を代表するような英傑の登場に溜息を洩らしながら呟く、生真面目な人物を想像していたが、あの趙雲は少しお茶目な気質のようだ。

 

「ハッ!」

 

「させない!」

 

そして試合が再開される。先手を取ろうとした趙雲を出し抜いて攻勢に出ようとした斗詩だが――

 

「遅い!」

 

得物の長さ、一撃の速さの二つにおいて上回った趙雲に、先手を取られてしまう。

 連続で繰り出される突きの嵐に、斗詩はたまらず防御に徹している。

 

(この突きの間は反撃できそうにないよぉ、ど、どうしよう……)

 

「そこ!」

 

「え? キャア!?」

 

斗詩が何とか反撃の糸口を探ろうとしている内に、意識が疎かになった足元を薙ぎ払われ転ばされてしまう。

 すぐに立ち上がろうとした斗詩だったが―――

 

「そこまで!!」

 

猪々子の言葉により動きを止める。目線を少し上げると、眼前に槍の矛先が突き付けられていた。

 

「勝者北方、無所属、趙子龍!!」

 

『うおおおおおおおおおおおおおお!?』

 

………

……

 

「斗詩は大丈夫でしょうか……」

 

「心配ない」

 

敗北した斗詩を心配した桂花が呟く、それに対して袁紹は悲観することなく斗詩達に目を向けていた。

 趙雲の手を借りて立ち上がる斗詩、二人はそのまま握手を交わし、お互いの健闘を称え合っている。

 負けたはずの斗詩の顔に負の感情は見られない。その表情には見覚えがあった、あれは私塾にいた頃、猪々子が自分の武に足りない何かに気が付いた時と同じ表情だ。

 

「斗詩に自信を付けさせようと出場させたのだが……、思わぬ収穫になったな」

 

こうして第四回武芸大会は、趙雲の優勝により幕を下ろした。

 

 

………

……

 

大会終了後、賞金の授与と勧誘のため趙雲を謁見の間に呼び出した。

 

「まさかお主があの華蝶仮面だとはな……」

 

「おや、誰の事でしょう?」

 

「ちょっと!この期に及んで惚ける気!?」

 

「……違うと申すか?」

 

「某は華蝶仮面に憧れを抱き、その風貌を真似て大会に出場しただけです」

 

疑われるなんて心外な、とでも言いたそうな表情で弁明する趙雲

 

「ふむ……、得物も真似たのか?」

 

「左様、某は形から入る人間故」

 

「そのわりには使い込まれているな」

 

「……」

 

「……」

 

ここまで追求されるとは考えていなかったのか、趙雲は目を泳がせ出した。

 どうやら華蝶仮面には彼女なりの矜持があるらしい。

 

「フハハハハハ、意地の悪い質問はここまでにしよう。趙雲、見事な腕前であったぞ」

 

「ありがたく……しかしこのような美少女を質問攻めとは、罪な御仁ですなぁ」

 

「さもあろう、我は美女に恵まれている故な」

 

「れ、麗覇様……」

 

「あ、あぅ……」

 

「え、アタイも入ってんの?」

 

「勿論呂布殿の事ですぞー!!」

 

「……」

 

袁紹の一言に周りの者達が反応を示す、趙雲はその様子に目を丸くしていた。

 

(名族とは御堅い所だと思っていたが、中々どうして暖かい環境のようではないか、この陣営で槍を振るうのは居心地が良いだろうな……)

 

「袁紹殿、賞金の方は要りませぬ」

 

「ほう……、理由を聞いても?」

 

「無論、実は三つお願いがあるのです」

 

「叶えるかは別にして、聞くだけ聞こう」

 

かたじけない、と丁寧に頭を下げた趙雲は言葉を続ける。

 

「まず紹介したい者が二人ばかりおります。両名とも優秀な文官ですので、悪い話ではありますまい」

 

「確かにそれは良い話だ、その者達は何処に?」

 

「後日ここに来る手筈です。面食いな袁紹殿も気に入りましょう」

 

「ちょ、ちょっと貴方!?」

 

「落ち着け桂花、お前をからかっているだけだ」

 

その言葉に桂花が趙雲へ目を向けると、「おや、ばれてしまいましたか」と意地の悪い笑みを浮かべていた。

 

「~~っ、この者は危険です! 今すぐ牢獄に叩き込みましょう!!」

 

「落ち着けと言うに」

 

「あぅ」

 

憤怒した彼女の頭に手を置き黙らせる。一瞬にして大人しくなるその様子は、親猫に運ばれる子猫のようだ。

 

「ハッハッハッ、慕われていますなぁ」

 

「……桂花の反応が可愛らしいのは理解できる。だがこのままでは話しが進まぬぞ」

 

「それもそうですな、では改めて二つ目の願いなのですが、私を客将として雇っていただきたい」

 

「正式にでは無く……か?」

 

「私は仕える主を探して旅をしております。その一環として客将になり、その陣営を見極めたいのです」

 

「フム……、我を前にして大胆な申し出だな」

 

「そうですな、しかしこの程度の事に腹を立てるほど、器量が狭いとは思いませぬ故正直に申しました」

 

大陸屈指の名門袁家、通常なら頭を下げて仕官するものである。趙雲のように様子見するというのはもっての外だ。

 だが袁紹には、そのような常識は関係無かった。

 

「当然だ、その程度の器では袁家の当主は務まらぬのでな! フハハハハハ!!」

 

「それは重畳、ではしばらくお世話になります」

 

「歓迎しよう。三つ目は何だ?」

 

「それなのですがな……」

 

少し言い辛そうにしている趙雲、これまでの堂々とした様子が感じられない。

 

「どうした? 大抵のことなら問題は無い、まずは言ってみると良い」

 

「では……、魚醤を作り出した者を教えて欲しいのです」

 

「魚醤の……」

 

「袁家で製法が秘匿とされているなら、その製法を編み出した者を――「我だ」は?」

 

言葉を遮るように答えた袁紹に目を見開く

 

「今……、なんと……?」

 

「聞こえなかったか? 魚醤は我が作り出した。もっとも、お主の言うとおり袁家の――「主!」うぉっ!?」

 

そして今度は趙雲が遮った。

 

「我が名は趙雲、真名を星、これより袁紹様に絶対の忠誠を誓います!」

 

「待て!、いろいろ待たぬか!?」

 

「ハッ」

 

言われたとおりに口を閉じる趙雲、袁紹は聞かねばならない事が沢山あった。

 

「まず、趙雲は客将でやっていくのでは無いのか?」

 

「それは過去のことであります! すでに我が心は主と共に!!」

 

「お、おう」

 

彼女の剣幕にさすがの袁紹も戸惑いを隠せない。

 

「……魚醤か?」

 

「……正確にはメンマですな」

 

「め、メンマ?」

 

左様、と頷きながら言葉を続ける。

 

「大陸一の食品であるメンマ! そのメンマの味を広げてみせた魚醤には感慨を禁じ得ませぬ!!」

 

「まぁ、確かに魚醤で漬けたメンマは味が濃くて、酒のツマミなどにピッタリだな」

 

「お、おぉ……」

 

その言葉に肩を震わせる趙雲

 

「やはり袁紹殿こそが我が主、是非私を――「断る」ふぇ?」

 

余りにもあっさりと一蹴され、思わず間抜けな声が漏れてしまった。

 

「先の約束どおり、お主には客将として身を寄せてもらう」

 

「……私では力不足、と?」

 

「そうではない、我にとってお主は喉から手が出るほどに欲しい人材よ」

 

ただ――と袁紹は言葉を続ける。

 

「お主の嗜好品を抜きにして、我が陣営を試して欲しいのだ」

 

仕官するのはそれからでも遅くはあるまい。と締めくくった。

 

「……」

 

趙雲はまじまじと袁紹を見つめる。過信するわけでは無いが、自分ほどの腕を持つ者なら抱え込みたいと思うはずだ。

 通常ならあのまま仕官の流れだったであろう。そうさせなかった事に、彼の心遣いが感じられた。

 

(自分の利の前に他者を思って――か、他から見ればあり得ない考え方だが……、悪くない)

 

こうして趙雲は、袁紹の人柄に好感を感じた状態で客将として、しばらく袁家に身を寄せることとなった。

 

 

 

 

 

 




好感度変動無し


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第16話

趙雲が客将として袁家に来る事になった後日、彼女の紹介で二人の少女と顔をあわせていた。

 

「郭嘉と申します。以後お見知りおきを」

 

「風は程立と言うのですよ、どぞよろしく~」

 

『俺は宝譿(ほうけい)だぜ、よろしくな兄ちゃん』

 

「……」

 

程立の頭上に乗っかっている人形も自己紹介する。

 

(いや、今の声はどう考えても……)

 

思わず郭嘉に視線を送るが、彼女は目を伏せ静かに首を横に振った。

 どうやら触れてはいけない事柄らしい。

 

「……良く来てくれた。我が袁本初である」

 

袁紹は空気を読んで話を進めた。

 

「お主達は袁家に仕官する……と認識して良いのか?」

 

「いえ、私達は」

 

「星ちゃんと同じく、客将として雇って欲しいですよー」

 

どうやら彼女達も趙雲と同じく、いろんな陣営を見て回っているようだ。

 

「良かろう。歓迎する」

 

「……麗覇様、宜しいのですか?」

 

快諾する袁紹に対して桂花は難色を示している。それもそのはず、武官ならまだしも文官として働くという事は、この地の政務に携わることになる。

 そのまま袁家に仕えるのなら問題ないが、他の諸侯に仕える事になれば情報の漏洩に繋がる。

 彼女はそれを危惧していた。

 

「構わん、後ろ暗い政策などしていないし、むしろ他でも真似て欲しいくらいだ」

 

軍務だけ厳密にすれば良い――と、彼女に言い聞かせる。

 

「畏まりました。出過ぎた口を利いてしまい申し訳ございません」

 

スッと後ろに一歩下がり深々と頭を下げる桂花、相変わらず仕事の時の彼女は真面目だ。

 その様子に苦笑しながら口を開く

 

「桂花の発言を、出過ぎたものだと思ったことは無い。むしろ――」

 

そこで言葉を切り、顔を上げた彼女と目を合わせる。

 

「お主が気を張ってくれるから大胆な決断も出来るのだ。感謝しているぞ桂花」

 

「も、勿体無きお言葉!」

 

「「……」」

 

そんな二人のやり取りを見ていた郭嘉と程立は、袁紹の器をはかろうと思考する。

 

(演技……には見えませんね、そもそも無名な私達にそこまでする必要は無いでしょうし。

 星から聞いた通り、周りの者に慕われているようですね)

 

郭嘉は袁紹の器を素直に賞賛し。程立は

 

(あらら、荀彧さん惚けてますね~、あれで素だとしたら女たらしです。

 星ちゃんの言う通り、美女に囲まれるわけですね~。―――でも)

 

そこまで考えた後、目を鋭くし――

 

(得てしてそういう人ほど身内には無防備なのですよ、これだけ大きな勢力であれば獅子身中の虫も多いはず。袁家にそれを駆除する人材はいるのですかね~?)

 

袁紹の甘さと、彼に足りない物を見抜いた。

 

「では麗覇様、彼女達の能力を見た上で、適した仕事を任せたいと思います」

 

「うむ、頼むぞ桂花」

 

………

……

 

―――数日後

 

「桂花、二人の様子はどうだ?」

 

「えっと、優秀……です」

 

「歯切れが悪いな、何かあるのか?」

 

「な、何でもありません!」

 

「……?」

 

「フフフ、この間の模擬戦の結果を気にしているんですね?」

 

「ちょっと風!?」

 

何処からとも無く現れた程立の発言に慌てる桂花、さらりと真名で呼んでいたが、この世界の女性達は仲良くなるのが本当に早い。

 

「……実はこの間、兵達を指揮して模擬戦を行いまして」

 

桂花が率いる兵達と、郭嘉、程立の両名が率いる兵で模擬戦を行ったようだ。

 二人とも攻守優れた指揮能力だったが、郭嘉は状況に応じて臨機応変に動くのが早く、程立は合理的な策を理解したうえで、桂花の虚を突く様な策を編み出して見せた。

 

結果、桂花が敗北を喫する事となったが―――

 

「二人だったから勝てたのです。一人ずつ相手をされていたら厳しかったでしょう」

 

程立の後からやって来た郭嘉が、桂花を賞賛する。

 

「そうでしょう?風」

 

「……ぐぅ」

 

「寝るな!」

 

「おぉっ!?」

 

そして、話の途中にも関わらず眠りだした程立を叩き起こした。

 真面目な郭嘉に対して、どこまでものんびりした様子の程立、対象的な二人だからこそ仲が良いのかもしれない。

 

………

……

 

その日、普段飄々としている趙雲にしては珍しく、瞳を闘志でぎらつかせていた。

 

「今日こそは、恋から一本取らねば!」

 

彼女が袁家に客将として招かれ早数週間、その間斗詩、猪々子、恋の三人と武を競い合っている。

 斗詩には勝ち越し、猪々子とはほぼ互角、しかし恋を相手には一度も白星を上げることは出来なかった。

 だが趙雲の毎日は充実している。ここに来るまで彼女は、自分の武に絶対の自信を持っていた。

 

それもそのはず、生まれ持った武の才能を長い期間実戦の中で鍛え上げてきたのだ。

 今の彼女は文字通り一騎当千の武力を持っている。……はずだった。

 

しかし趙雲は出会ってしまった。真の一騎当千、武の頂に居るであろう人物――呂奉先、真名を恋

 普段の眠そうな雰囲気からは想像も出来ない武力、ひとたび得物の方天画戟を手にした彼女を、単騎で止められる気がまるでしない。

 

―――始めの模擬戦では一瞬だった。様子見のつもりで突きを放った瞬間衝撃が走り、気が付くと槍が弾き飛ばされていた。

 二回目の模擬戦では数瞬だった。前回の反省を踏まえ、開始と同時に全力で突いたが、趙雲が一突きする頃には彼女は三度も矛を振ることが出来ていた。

 

斗詩や猪々子曰く彼女は、ある日を境に模擬戦でも最初から全力で向かっていくようになったらしい。

 

「私としてはありがたい」

 

自分の武は頂に届いてなど居なかった。まさか彼女のような遥かな高みと出会えるとは……

 

………

……

 

「調子はどうだ?」

 

「悪くありませぬなぁ、恋達と鍛練するたびに武が冴える実感が沸きます故」

 

「まだ伸び代があるのか……」

 

「恋と出会って武の極地はまだ遠いと思い知らされましたからな、ところで……」

 

様子を見に来た袁紹を軽く問い質すように語りかける。

 

「何故彼女ほどの者が未だ無名なのです? あれほどの腕前で諸侯に名が広まっていないとは……」

 

「腕が立ちすぎるのも考えものでな」

 

各地で賊の動きが活発になっているが、ここ南皮においてその被害は少ない。精々他の地域から賊が流れてくるだけだ。

 その程度の相手には恋はおろか斗詩達でも過剰戦力である。故に賊の相手は訓練を兼ねて新兵達が鎮圧していた。

 

なら武芸大会はどうか――、それこそ過剰戦力である。彼女の武力は文字通り次元が違う。

 圧倒的過ぎる力で若い芽を潰す可能性もある。大会としても盛り上がりに欠け、袁家としては賭けの利益的に赤字になるなど、いろいろと問題があるため最初の大会以降彼女の出場は無かった。

 

「だがもうすぐ天下に響き渡るだろう。否が応にも……な」

 

「……」

 

話しの途中にも関わらず。遠くを見るような目で呟く袁紹、趙雲はそんな彼の横顔を見ながら思いを巡らせる。

 

ここ数週間で袁紹の人となりを見てきたが、彼を一言で表すと『寛大で豪快な当主』だ。

 一見、単純明快な人柄のように思えるが、稀に現在のように遠い何かを見つめ考えを巡らせている。

 その内容は桂花達にも語られることは無く、彼が何を見据えているのか誰にもわからない。桂花曰く、この先の時代を憂うているのではないか、と彼女は予想していたが

 

「貴方は一体、何を見据えているのですか?」

 

「さて……な、袁家に仕官し我の側に居れば、その一端がわかるかもしれぬぞ?」

 

カマを掛けて見るも今のようにはぐらかされてしまう。

 趙雲の中に、袁紹の隣に立ち視点を共有してみたいという欲求が出来ていた。

 

………

……

 

それからさらに数日後、三人と袁紹達は再び謁見の間で顔を合わせていた。

 

「それで、お主達の答えは決まったのか?」

 

袁紹のその言葉に趙雲が歩み出る。

 

「では私から、此処に来た時も申しましたが袁家に……いや、袁紹様に仕えたいと思います」

 

からかい甲斐のある軍師、研鑽し合える武官達、そして嗜好品の件を抜きにしても敬愛できる主。

 少しからかうのが難しそうだが、それはこれから弱点を見つければ良い。

 

「我が陣営を見てきて出した答えのようだな、ならば歓迎しよう。期待しているぞ星」

 

「ハッ」

 

改めて臣下の礼をとる星、余談だが、袁紹が直接仕官を受け入れた家臣とはその場で真名を交換し合う。

 星は初日で真名を預けていたが、今日改めて家臣となったため彼女を真名で呼んだのだ。

 

「では次は風なのですよ~……ぐう」

 

「「寝るな!」」

 

「おぉ?」

 

歩み出ておきながら眠りだす程立に対して、袁紹と郭嘉の両名が声を出す。

 

「フフフ、失敬失敬、実はこの話題の前に重要な話しがあるのですよ」

 

「ふむ、聞こう」

 

「どもです。実は風は程昱と名乗る事にしまして」

 

「改名……か、理由を聞いても?」

 

「もちろんですー」

 

程立――もとい程昱が言うには、彼女がこの袁家に来てから『泰山に登り両手で太陽を掲げる夢』をよく見たという。

 

「太陽か」

 

「そうなのですよ、それで思ったのですが此処はお日様のような陣営です」

 

「我が袁家がか?」

 

はい、と柔らかい笑顔で話しを続ける。

 

「この暗い時代において、民を日輪の光で照らすかの如く笑顔にしていますね。風はそれを支えて行きたいです」

 

「ふむ、と言うことは」

 

「はい、風は程昱、真名を風と言うのです~。無防備な太陽さんを守ってあげるですよ」

 

「……?」

 

風の言葉に袁紹は首を傾げる。そんな彼の様子を見ながら彼女は楽しそうに笑っていた。

 

「では、最後に私ですね」

 

そして郭嘉が歩み出る。

 

「私は、旅を続けていきたいと思います」

 

どうやら彼女は袁家には仕えないらしい。てっきり風と共に残るものだと思っていた面々には驚きだ。

 

「……理由をきいても良いか?」

 

「はい」

 

彼女、郭嘉が言うには、ここ袁家に知の才が足りているとのこと、桂花は元より、まだ未熟だが磨けば光る音々音、そして今日加わった風、この環境では自分の力を十全に活かせないとの事だ。

 

「我が袁家でも十分活かせると思うのだがな……」

 

「ありがたいお言葉ですが、自分をもっと必要としている陣営に行きたいと思います」

 

「ふむ、では旅に役立つ物を後で与えよう」

 

「ありがとうございます」

 

余談だが、旅に出る郭嘉に袁紹が与えたのは、食料、馬、その他消耗品、旅の護衛、それらは給金とは別に渡され、それを知った郭嘉が目を白黒させたとか、させていないとか……

 

「寂しくなりますね~。稟ちゃん」

 

「そうですね……。風」

 

「何、別に今生の別れでは無いのだ。また出会えるさ」

 

「星ちゃんの言うとおりです。稟ちゃん、それまで鼻血を出さないように気をつけるですよ」

 

「だ、出しません!」

 

こうして新たに、袁紹の陣営に星と風の両名が加わることとなった。

 

 

………

……

 

 

数ヵ月後、南皮

 

「うっわー、すごい人だかりだね~」

 

「これ鈴々、余り離れるでない」

 

「でも愛紗、あそこすごいうまそうな匂いがするのだ!」

 

「フフフ、まだ時間あるし食べて行こうか?」

 

「……桃香様がそう仰るのであれば」

 

「それじゃあ決まりなのだーー!」

 

三人の娘が姦しく歩きながら――

 

「食事したあと袁紹様に謁見を頼まなきゃね!」

 

「……袁家当主とそう簡単に謁見出来るでしょうか」

 

「大丈夫だって! 心配性だな愛紗ちゃんは~」

 

南皮でも有数の『高級』料亭に入っていった。

 

 

 

 

 




NEW!常山の蝶 趙雲

好感度 30%

猫度 ……はて?

状態 普通

備考 魚醤の一件でも、主の器としても尊敬している。
   ……ように見えて実は弱点を探っている。


NEW!居眠り軍師 程昱
 
好感度 30%

猫度 ……zzz

状態 普通

備考 袁紹を太陽みたいな主と思っている。
   実は彼の無防備さに苛立ちを感じている。

 


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閑話―斗詩―

時系列的に劉備達が南皮に現れる少し前


顔良が数えて十になった頃、母親に仕官を命じられた。

 

「斗詩、貴方は今度から袁紹様の下で仕えるのよ」

 

「つ、ついにですか?」

 

袁家の次期当主、神童、名族の器、彼の噂は耳にたこが出来るほど聞いてきた。

 その袁紹に仕える事になるのは、代々袁家に仕えて来た家としての宿命でもある。

 その為彼女は物心ついた時から勉学、鍛練、礼儀作法など、どこに仕えても恥ずかしくないように教育されてきた。

 

「私で大丈夫でしょうか……」

 

厳しい教育をこなしてきたにも関わらず、いや、厳しい教育が施されて来たからこそなのか、当時の顔良は内気で自分に自信が持てない少女だった。

 

「私が保障するわ、それに猪々子ちゃんも一緒よ」

 

「えぇっ!? ぶ、文ちゃんが!」

 

母親の口から出た大切な親友の名に、彼女の事を思い馳せる。顔良とは違い、わりと自由な環境で育ってきた文醜には、礼儀作法の『れ』の文字すら感じられない。

 これから仕えるであろう袁紹の前で無礼な言動が確定しているようなものである。

 

「だからこそ、貴方があの子の手綱を握らなきゃね!」

 

「うー、頑張ります……」

 

そんな大事な親友を放っておくわけにもいかず。不安を押し込むように両手を握る顔良。

 文醜の存在が、彼女の不安を打ち消していた。

 

………

……

 

「なぁなぁ斗詩ぃー、ここにその袁紹がいるのかー?」

 

「袁紹『様』だよ文ちゃん、今日の挨拶で失礼の無いようにって、お母さん達に言われたでしょ?」

 

「わーってるって、ところで袁紹様はアタイ達と遊んでくれっかなー?」

 

「もうっ、文ちゃん!!」

 

あれから数日後、例の親友である文醜と共に袁家屋敷の門前まで来ていた。

 

「良い? 文ちゃん、袁紹様は寛大な方って聞いていると思うけど、最低限守らなきゃいけない礼儀があるんだからね!」

 

「大丈夫だってぇ、その辺は母ちゃんと予習してきたからさ。手と足は同時に出しちゃいけないんだよな!」

 

「うー、お腹が……」

 

「拾い食いでもしたのか?」

 

自分の不安を他所に機嫌よくしている親友に、少し恨めしげな視線を送りながら屋敷内へ入っていった。

 

………

……

 

「良く来てくれた。わしが袁逢じゃ、そして――おおっ、丁度来たようじゃ」

 

袁逢様の言葉に反応して、目線の先に目を向けると、美丈夫が此方に向かって歩いている。

 

(うわぁ、綺麗な人……)

 

美しく長い金髪、鷹のような鋭い瞳、色素の薄い唇は僅かに笑みを浮かべていて、私は思わず見とれてしまう。

 事前に彼が男性だと知ってはいたものの、女性と聞かされても納得できる美貌だったが――

 

「お早うございます父上、……この娘達は?」

 

彼の声音が男性だと再認識させる。

 

「は、初めまして、私の名は顔良、真名を斗詩と言います!」

 

「アタイは文醜、真名を猪々子だ!……です」

 

私達の名を聞いた袁紹様は少し驚いたように目を見開く、しかしすぐに表情を戻した。

 

「そうかお主達が……、知っていると思うが我が袁紹だ。初対面で真名を預けてよいのか?」

 

「私達は今日から袁紹様に仕えるので」

 

「主になる人に真名を預けるのは当然!……です」

 

「ふむ、ならば我が真名、麗覇も二人に預けよう!」

 

「ええっ! いいんですか?」

 

袁紹様の提案に思わず声を上げる。雲の上の存在である彼の真名を、こんな簡単に預けてもらえるとは思わなかった。

 

「かまわぬ、我()お前達が気に入ったし何より――」

 

そこで一旦言葉を切り

 

「真名を受け取って返さぬのは、我の矜持に反するのでな、フハハハハハ!」

 

そう言って豪快に笑い出した。

 

「「……」」

 

文ちゃんと私は唖然としてしまう。袁紹様は下の者に寛大だとは聞いていたけど、まさかここまでだなんて……

 

………

……

 

その後、三人で談笑しながら中庭へとやってきた。

 

「ところで二人は帯刀しているが、やはり得物は剣か?」

 

すると、袁紹様もとい麗覇様が私達の得意な武器を聞いてきたので――

 

「はい、私は小回りの利く――「いや、それが聞いてくれよ麗覇様~」ちょ、ちょっと文ちゃん!?」

 

私が肯定しようとしたら、それを遮るように文ちゃんが話し出した。

 それも敬語では無く、友達に語りかけるような気安い口調に私が慌てていると

 

「かまわぬ、聞かせよ」

 

と、麗覇様が私を手で制止して続きを促した。

 

「いやぁ、実はアタイにしっくりくる武器が無くて悩んでいるんですよ~、とはいえ丸腰で護衛は出来ないからこうして一応帯刀してるんすよね」

 

「フム……」

 

「ぶ、文ちゃん!!」

 

彼女の言葉を聞いた麗覇様は、顎に手をやり少し俯いて何かを思案しだしたので、私はその隙に親友を諌める。

 

「え? アタイなんかまずい事言ったか?」

 

「敬語忘れてるよ!」

 

「あはは、いいじゃん別に、麗覇様気にしてないみたいだし」

 

「私が気にするの!」

 

「……何で?」

 

「ぶ、ん、ちゃ、ん?」

 

「へいへーい」

 

文ちゃんが軽く拗ねながら返事した頃、思案を終えた麗覇様が声をかけた。

 

「では、我が側近になった記念として二人に武器を授けようぞ!」

 

「「え!?」」

 

袁家次期当主から武器を授かる。ここに仕えている忠臣達が夢見るような提案に、私と文ちゃんは思わず口を開きながら唖然とする。

 そんな私達を見た麗覇様は、何故か柔らかい笑顔で笑っていた。

 

「い、いいんですか? 麗覇様」

 

そんな彼の表情に、いち早く意識を取り戻した私は慌てて聞き返す。

 

「うむ! 自分の得意な得物は早々に手にした方が良い、それに、袁家の武器庫には色んな種類の武器が沢山あるのでな」

 

「やったぁ、さっすが麗覇様そこに痺れる憧れるー!!」

 

「そうであろう、そうであろうフハハハハハ! さあそうと決まれば膳は急げだ、二人とも付いてまいれ!」

 

「りょーかいっ!」

 

「わわわ、待ってくださいよー、文ちゃーん麗覇様ー!!」

 

………

……

 

「フム、猪々子のが大剣『斬山刀(ざんざんとう)』斗詩のは大槌『金光鉄槌(きんこうてっつい)』だな、二つとも袁家に忠を誓い生涯を全うした将軍の得物だ。彼ら亡き後は重すぎて使い手が現れずここに保管されていたがな」

 

文ちゃんから強引に渡された武器の説明を聞くと、何故か手に良くなじむ感じがした。

 

「おおっ!、ならアタイ等にぴったりじゃんか、なっ斗詩!!」

 

「もう、文ちゃんは……、しょうがないなぁ」

 

そっけなく返事をしたけど、顔が緩むのを抑えられない。

 その日私達は、一生物の宝物を手に入れた。

 

………

……

 

「麗覇様!」

 

私達二人が麗覇様に出会ってから早数ヶ月、麗覇様の提案で街に散策に来ていたその時事件は起きた。

 女性に暴力を振るおうとしている男を麗覇様が発見し私と二人で追跡、追った先で戦闘になり一時は優勢だったものの、増援が来てから麗覇様の動きが鈍くなった。

 

「あっちは大丈夫そうだな……、おい、武器を捨てれば優しくしてやるぜ?」

 

「っ!? 誰が!」

 

「すてねぇってんならしょうがねぇ、やるぞテメェ等!」

 

「……くっ」

 

背後で女性を守っている私に三人組が襲い掛かり、それを何とか防ぐ

 

「チッ、しぶといなこいつ」

 

「問題ねぇ、あっちはもうすぐ片付く」

 

「そ、そんな……」

 

男達の言葉に小さく悲鳴を上げる。麗覇様を確認している余裕はなかったが、剣戟の音が小さくなっていくのを感じた。

 

(麗覇様が死ぬ?―――そんなの)

 

「グッ! ガハッ!?」

 

(嫌だ!)

 

気が付くと私は、目の前にいた男の胸を突き刺していた。

 

「!? こ、この餓鬼!!」

 

「っ……ハァァーーッ!」

 

のこった二人が慌てて武器を構え直すが、迷いを消した私の敵ではなかった。そして――

 

「ハァ……ハァ……」

 

三人を倒した私は少し放心してしまう。

 

「っ!? 麗覇様!?」

 

意識を取り戻して主の安否を確認しようとしたその時だった。

 

 

「捕まえたぁっ!」

 

「キャア」

 

「へへへ、おらっ大人しくしな!」

 

「よくやったチビ!」

 

先の戦闘で意識を失っていたはずの男が女性を羽交い絞めにしていた。

 

「動くんじゃねぇぞ? そしてそこのガキィ……、よくもやってくれたな!!」

 

「っ!?あぅ!」

 

状況の悪化に対処できず動くことの出来なかった私は、大きな男の武器で叩かれ――

 

「斗詩ィッ!?」

 

麗覇様の悲痛な叫びと共に、意識を手放した。

 

 

 

 

………

……

 

 

 

「死ぬなぁ……、斗詩ぃ~」

 

「……文ちゃん?」

 

次に目が覚めた時には自室の寝台の上で、私に覆いかぶさるようにして文ちゃんが眠っていた。

 

「心配……させちゃったかな」

 

親友の目元には涙を流した後があり、自分をどれだけ案じてくれたかがみてとれる。

 

「麗覇様……っ!?麗覇様は!」

 

そしてすぐさま意識を覚醒させ主の安否を確認しようと起き上がる。文ちゃんに確認したいけど、良く眠っているので布をかけて一人外に出ていった。

 

………

……

 

「あ、あんなところに」

 

その後、廊下でばったり会った武官の方から事件の報告を聞き、麗覇様や女性が無事だと安堵した私は、彼の無事な姿を一目見ようと探し回り、中庭でその姿を見つけた。

 

「……」

 

一人で座りながら月をぼんやり見ている麗覇様に、思わず見惚れてしまう。

 憂いを帯びたその横顔は、普段の自信溢れた表情とは余りにも違い。ことさら美しく見えた。

 

「ここに居たんですね麗覇様」

 

「斗詩……」

 

ややあって私は声を掛ける。此方に顔を向けた麗覇様は安堵の表情を一瞬浮かべ、私の額に巻かれている包帯を見た後、視線を逸らし悲痛そうに顔を歪めた。

 

「すまなかった……」

 

そして彼の口から出た謝罪の言葉は、普段の麗覇様の明るい声色は鳴りを潜め、今にも泣き出しそうなほどに弱々しかった。

 

「何に謝ったんですか?」

 

――意地の悪い質問かもしれない。しかし天真爛漫(てんしんらんまん)なようで他者を重んじるこの優しい主には、内に溜め込んだものを吐き出してもらう必要があった。

 

「全てだ、斗詩の忠告を聞かず三人で街に向かったこと」

 

「最終的には私も賛同しました」

 

「猪々子を連れて行かず二人で事にあたったこと」

 

「文ちゃんは説明しないと屋台から離れなかったかもしれませんし、見失うかもしれないから一刻の猶予も無かったです」

 

麗覇様が自分の不覚を打ち明け、私も同罪だと答える。そして――

 

「……斗詩に危険が迫るまで敵を斬ることが出来なかったこと」

 

「それは、私も同じです」

 

「……?」

 

最後の言葉に反応して再び私に目を合わせる。『疑問がある』と書かれてあるのでは無いかと思うほど呆けた顔をしていた。 本当にこの方は出会った頃から、良くも悪くも感情が表情に出やすい。

 そんな麗覇様に対して苦笑しながら続きを口に出す。

 

「私も初めての実戦で人を斬るのに躊躇していました。……私が前に出ていたら斬られていたかもしれませんね」

 

あの時の事を思い出す。終わったことなのにそれで肩が震えだした。

 

「優しい麗覇様のことだから、私と同じく葛藤していることはわかっていました。そしてそんな様子で戦っている姿をみて怖くなったんです。麗覇様が殺されるかもしれないことに……」

 

私は麗覇様のために、麗覇様は私のために、順序が違うだけで葛藤を捨てた理由は同じだった。

 

「でも、麗覇様は私が自己嫌悪する必要はないと思ったはずです。なら麗覇様もそうじゃないですか!」

 

「……」

 

つい語尾を荒げてしまう。だけど麗覇様は私の言葉をしっかり聞いてくれた。

 

その後、いつからいたのか文ちゃんも合流して、彼女の意見も交えて麗覇様に聞かせそして――

 

「ありがとう、二人とも」

 

「麗覇様……」

 

「へへっ」

 

そう礼を口にした私達の主は、いつものような笑顔に戻っていて私達二人を安心させた。

 その後、三人で他愛も無い話を、朝日が昇り始める頃まで語り続けた。

 

………

……

 

それからしばらくして、私達二人は麗覇様の私塾に付いて行く事となった。

 そこでは色んな人たちと出会い。友好を深め、研鑽し合う関係を築き上げることが出来た。

 

そんなある日、一番仲良くなった秋蘭さんが、私にとんでもないことを聞いてきた。

 

「……斗詩は袁紹殿と肌を合わせたのか?」

 

「なぁっ!?は、肌ってどの肌ですか!?」

 

「落ち着け、ほら深呼吸」

 

「うー、……はい」

 

彼女に促されて深呼吸した後、落ち着きを取り戻した私は問い質した。

 

「いきなり何てこと聞いてくるんですか」

 

少し恨めしそうに秋蘭さんを見ていたせいか、彼女は苦笑しながら口を開く。

 

「魅力溢れる殿方の主に、可愛らしい従者二人が寄り添っているのだ。当然の疑問だと思うが?」

 

「み、魅力溢れるって……、まさか秋蘭さん!?」

 

「残念ながら私は華琳様一筋だ」

 

「……ですよねぇ」

 

その言葉に思わず安心してしまう。それを見た秋蘭さんは意地の悪い笑みを浮かべた。

 

「今、安堵したな?」

 

「うっ」

 

「ハハハ、わかりやすいなぁ斗詩は、姉者みたいで可愛いぞ」

 

「もう秋蘭さん!」

 

からかわれて頬を膨らまし声を張り上げる。しかし秋蘭さんは、まるで小動物でも見ているかのような優しい眼差しで言葉を続けた。

 

「すまぬすまぬ、ところで実際はどうなのだ?」

 

「ど、どうって……」

 

「とぼけるなよ斗詩、傍から見ていれば、お前が袁紹殿に想いを寄せているのは一目瞭然だぞ?」

 

「そんなにわかりやすいですか?」

 

「姉者の次にな」

 

「……」

 

どこまでも姉を話題にあげる彼女に呆れつつ、自分の気持ちを整理してみる。

 袁家次期当主である麗覇様、今の自分にとって一番身近な異性だ。

 

唯我独尊を地で行くようで他者を重んじる優しさ、忙しいにも関わらず鍛練を怠らない男らしさ、他者の失敗を豪快に笑って許せる寛容さ、悩みを持った者に的確な助言をする。父か兄を彷彿させる温かさ、彼の下についてそれほど時は経っていないものの、上げればきりが無いほどに主の良さが頭の中に流れた。

 

「……」

 

惚れるなと言う方が無理な話である。容姿も相まって袁紹は人気が高い。しかし意外な事に浮ついた話は聞かない。

 それもそのはず、次期当主である袁紹は他の異性からしたら別世界の住人、憧れこそすれ関係を持とうとする者は居なかった。

 そこに来ると斗詩はどうだろうか? 代々袁家に仕えて来て家柄的にも申し分ない。彼の側近という立場からも、異性の仲に発展するのは自然な事であった。

 

(でも、所詮私の横恋慕だし……)

 

いまいち自分に自信が持てず。顔を伏せてしまう。

 

「……袁紹殿は斗詩を好いていると思うぞ?」

 

「うぇっ!?」

 

そんな私の気持ちを知ってか知らずか、秋蘭さんはとんでもない発言をした。

 

「やはり気が付いていないのか……、彼は良く斗詩を目で追っているぞ」

 

「……」

 

自分でもそれには気が付いていた。しかしあくまで見守る様な視線であって、異性として好意を抱いた物だとは思えなかった。

 

 

………

……

 

それから長いようで短い時が流れ、麗覇様の膝元は賑やかになっていった。

 

桂花さんを始め、恋さん、ねねちゃん、星さん、風ちゃん、……気が付けば多種多様な魅力を持った人たちで彼の周りは囲まれていて、私は少し距離が開いたように感じてしまう。

 

そんなある日、文ちゃんが私の部屋を訪ねてきて――

 

「斗詩、真面目な話しがある」

 

「ぶ、文ちゃん? どうしたの急に――」

 

普段は見せない様な親友の表情に私は緊張して続きを聞く、すると――

 

「この間、麗覇様の寝室から星が肌着で出てきた」

 

「……嘘」

 

彼女の言葉に頭が真っ白になった。

 

「マジだって、アタイがこの目で見たんだからさ!」

 

「でも、星さんにそんな素振りは無かったじゃない!」

 

「いや、そうでもないぜぇ? この前なんか麗覇様の事を根掘り葉掘り聞かれたしさぁ」

 

「……」

 

実はただ袁紹の弱点を探っていただけである。しかし聞き込みでは有力な情報が得られず。

 夜這いを装って動揺させようと実力行使にでたのだ。星の読み通り経験の無い袁紹は始め動揺したのだが、彼女がただからかいに来たと途中で気が付き、首根っこを掴んで廊下に放り出した――という顛末だったのだが、斗詩や猪々子はその事情を知らず。邪推するしかなかった。

 

「だからさぁ――、夜這いでも何でも――、そん時はアタイも――」

 

「……」

 

頭が真っ白になった斗詩には親友の言葉が届かない。断片的な言葉を聞きつつも、ほとんど聞き流してその日は眠りについた。

 

 

………

……

 

翌日、皆が寝静まった時間帯に斗詩は、袁紹の寝室の前まで来ていた。

 

「……」

 

先日の一件で気が気でない彼女は、衝動的にここまで来ていたが――

 

「な、なにしてるんだろう私」

 

扉に手を掛けようとして我に返り踵を返そうとした。

 

「む、斗詩ではないか」

 

「麗覇様!? 部屋の中に居なかったんですか?」

 

「うむ、鍛練のあと湯浴みでのんびりしすぎてな、こんな刻限になってしまったわ!」

 

「そ、そうだったんですか……」

 

しかし自室に戻ろうとした矢先、部屋の主と遭遇してしまった。

 

「我に何か用があるのだろう? 遠慮はいらぬ、部屋に入るが良い」

 

「……はい」

 

こうなってはもう戻れない。斗詩は覚悟を決めた。

 

「それで、どうしたのだ?」

 

こんな夜分遅くに会いに来たのだ。ただごとではあるまい。と、彼女の答えを促した袁紹だったが、その口からでた言葉は彼にとって予想外の物だった。

 

「夜伽に参りました!」

 

「うむ、そうか―――は?」

 

「え、えっと、お慕いしています!」

 

「順序が逆……、いや、言いたいのはそんなことでは」

 

「や、やっぱり迷惑ですよね。忘れてください!」

 

「っ!? 斗詩!」

 

二人してしきりに慌てていたが、斗詩が思わず出て行こうとすると袁紹は彼女を抱きしめた。

 

「れ、麗覇様?」

 

「斗詩、我も男だ。好いた女にそこまで言われて黙ってはいられぬぞ?」

 

「好いたって……、えええぇぇっっ!?」

 

抱きしめられたまま斗詩は声を出す。

 

「そんな素振りなかったじゃないですか……」

 

「斗詩は自分の魅力に疎すぎるな、どうかと思うぞ?」

 

「うっ、麗覇様に言われたくありません」

 

「む、そうか?」

 

「そうですよ」

 

少し砕けた会話に緊張が緩み体を預けてしまう。

 

「斗詩、先に言わせてしまって男としては情けないが……」

 

しっかりと彼女に目線を合わせて言葉を紡ぐ

 

「我も斗詩が好きだ。これからは家臣としてだけではなく、女性としても我と共にいてくれるか?」

 

「……」

 

思い人の熱のこもった告白に頬を上気させた斗詩は、惚ける思考の中、自分の答えを口にする。

 

「はい、私は今までも、そしてこれからも麗覇様の側に――」

 

そこまで言葉にした所で何かに口が閉じられる。

 斗詩がその正体に気付く頃には寝台に優しく押し倒された後だった――

 

 

 




袁家の良心 顔良

好感度 120%

猫度 えっと、ニャ……ニャン!

状態 親愛

備考 今まで自信が持てず。内気だったが自己主張するようになった。
   家臣としてだけでなく、女性としても袁紹を支え癒す存在に。
   数多の恋敵達から初めてをもぎ取った。


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第17話

 ある日の昼下がり、珍しく時間に余裕が出来た袁紹たちは、中庭でのんびり過ごしていた。

 

「ちょっと猪々子! 貴方取りすぎよ!!」

 

「いいじゃんいいじゃん、早い者勝ち~」

 

「私の分まで……、ひどいよ文ちゃん!」

 

先日、袁紹の妹である袁術から蜂蜜で出来た菓子が送られてきており、皆でそれに舌鼓を打つ

 

「なんと美味な、たまには菓子も悪くないですなぁ」

 

「呂布殿、もっと食べて下され」

 

「……(モグモグ)」

 

「頬張っている姿が可愛らしいですね~」

 

「猪々子、皆の分あるのだからがっつくでない」

 

「うっ、すんません……」

 

新しい菓子に手を伸ばしていた猪々子を軽く諌め

 

「音々音、恋に自分の分を与えるのは良いが、お主の分がもう無いではないか」

 

「ああっ、しまったのです!」

 

「まったく……、ほれ、我のを分けてやろう。そのかわり味わって食べるのだぞ?」

 

「え、でも」

 

「遠慮はいらぬ」

 

「……ありがとです」

 

自分の分まで恋に与えてしまった音々音に、菓子を分け与える。

 一見、周りに気を使っていて休まる時が無いように見えるが、彼女達と過ごすこの時間は袁紹にとってかけがえの無い休息の時間でもあった。

 

「お兄さんは音々ちゃんみたいな小さい子でも、平気でたらしこむのですね~」

 

「これ、人聞きの悪い」

 

「そうよ風、ってなんで麗覇様の膝の上に座ってるのよ!?」

 

「ん~、ぽかぽかしてて気持ち良いからですよ~」

 

そう言って風は袁紹の胸に体を預ける。

 

「くぅ、……ちょ、ちょっと代わりなさいよ」

 

「だめですよ、此処は風の特等席です」

 

悔しそうに睨む桂花に対して、見せ付ける様に顔を擦り付けた。

 

「それに風は軽いですから無問題なのですよ、ね~麗覇様」

 

「うむ、まるで羽のようだぞ」

 

「う……うぅ」

 

「け、桂花?」

 

取り繕うことができず。彼女は肩を震わせ――

 

「フシャーーー!!」

 

理性を捨て憤怒した。

 

「おっと、落ち着かれよ桂花殿」

 

飛び掛ろうとした彼女を星が抑えたが、野生の猫のように暴れている。

 

「これは……、やりすぎましたね」

 

その様子に風は反省の色を見せ、袁紹の膝から降りた。

 

「名残惜しいですけど特等席を譲るのですよ」

 

「え? いいの!?」

 

「はい~」

 

「……別に構わんが我の了解も聞いて欲しいものだ」

 

理性を取り戻した桂花は袁紹の前に立ち――

 

「そ、それでは麗覇様! 失礼致します!!」

 

腰を落とそうとしたその時だった。

 

「失礼します! こちらに袁紹様は――「何よ!」ヒィッ!」

 

袁紹を探しに来た兵士に行動を遮られてしまい。思わず声を荒げる。

 

「まぁ待て桂花、火急の用かもしれぬ」

 

「うぅ……、すみませんでした」

 

そんな彼女の頭を落ち着かせるように撫で、兵に続きを促した。

 

「それで、何用だ?」

 

「ハッ、実は袁紹様にお会いしたいと言う者が来ておりまして……」

 

「……?、何か問題があるのですか?」

 

袁紹に謁見を頼む者は多い。今のように呼び出されるのは日常茶飯事であるが、何故か兵士は言い淀んだので、疑問に思った風が質問した。

 

「それが……、相手は食い逃げ犯でして――ヒィッ!」

 

言い辛そうに理由を語った兵士が再び悲鳴を上げ、彼の目線の先を見てみると、およそ文官には出せない殺気を滲ませている桂花の姿があった。

 

「……何で麗覇様がその様な輩にお会いすると?」

 

膝の上に座るという至福の時間になるはずだった行為を邪魔され、尚且つ食い逃げ犯が謁見を求めているという前代未聞の報告に、桂花は堪忍袋が切れる寸前だった。

 

「お、落ち着いて下さい桂花さん、他に理由があるから彼は報告に来たんだと思います」

 

「……斗詩がそう言うのなら」

 

怒気を一旦抑えた彼女に兵士は安堵し、報告に来た理由を話した。

 

「た、助かりました顔良殿、実はその三人の内一人が、幽州太守である公孫賛殿の名を持ち出しまして……」

 

「む、白蓮の名をか」

 

「はい、何でも同じ師の下で学んだ友人同士だとか」

 

私塾で袁紹と共に学んだ白蓮とは今も交流が続いている。ひと月ごとに文のやり取りをし合い。

 二人が真名を交換した間であることは袁家で周知の事であった。

 

「嘘偽だとも思いましたが、事実である可能性を考え報告に参りました」

 

「なるほどな、その者達の名は何と言う?」

 

「ハッ、今申した者が劉備、それに仕える二人が関羽、張飛という名です」

 

「劉備……」

 

「おや? 主殿はその者達をご存知で?」

 

兵士の口から出た名前に僅かに反応してしまい。星が目敏く質問する。

 

「いや、知らぬ名だな」

 

「左様ですか……」

 

流石に史実で知っているとは言えず否定する。星は納得していない様だが、特に追求する気も無いようだ。

 

「興味がある。その食い逃げ犯に会おうではないか」

 

「――麗覇様?」

 

立ち上がりながら、劉備達に会うと言った袁紹に、風が何か言いたそうな視線を向けながら声を掛ける。

 袁紹はその視線に対して頷き、彼女の懸念を払うために口を開いた。

 

「その三人を謁見の間へ、その際には武器の類は取り上げよ、斗詩、猪々子、恋、星の四名は我の護衛に付け」

 

「はい!」

 

「かしこまり!」

 

「……(コクッ)」

 

「承知致しました」

 

「そうだ、何なら桂花達も――」

 

将来大陸を動かすかもしれない人物『劉備』、袁家の頭脳として見ておいても損は無いと思い文官である彼女達を誘おうとしたが、今まで居た場所に桂花の姿が無く、思わず辺りに視線を向けるも見つからない。

 すると近くに気配を感じ目を向けると――、桂花はすでに袁紹の隣に立っていた。

 まるで其処こそが私の場所と言わんばかりの自然な立ち振る舞いに、袁紹達は苦笑しながら謁見の間に向かっていった。

 

………

……

 

謁見の間にある玉座に座り、しばらくすると扉が開き三人の娘が入ってきた。

 

「は、はじめまして! 私は劉玄徳といいます!!」

 

少し慌てながらも元気良く頭を下げて挨拶する。豊満な胸が桃色の長い髪と共に揺れ、思わず袁紹は凝視しかけたが、尋常ではない威圧感を隣にいる桂花から感じ、なんとか自制する。

 良く見ると風も同様の威圧感を発していた。

 

「そしてこちらが――」

 

「関雲長と申します。高名な袁紹様にお目にかかれて光栄です」

 

劉備よりも丁寧な動作と言葉で頭を下げる関羽。彼女は史実通り真面目な性格のようだ。

 そして劉備に負けず劣らず――

 

そこまで考えると脇腹に鈍い痛みが走ったため、袁紹はしぶしぶ目線を上げた。すると丁度頭を上げた関羽と目が合い。彼女は恥ずかしそうに視線を逸らした。純情な娘のようだ。

 

「最後にこの娘が――」

 

「鈴々は張益徳なのだ!」

 

そして最後に元気良く張飛が挨拶した。他の二人に比べ小柄な彼女は音々音と大差ない大きさだ。

 一騎当千の豪傑にはとても見えないが、その場に居る袁紹を含めた武官達は彼女の内に秘められた武力を感じ取っていた。

 

「我が袁家当主にして此処南皮太守、袁本初だ。良く来てくれた―――と言いたい所だが」

 

僅かに目を細め言葉を続ける。

 

「何故、この我が食い逃げ犯に呼ばれたのか聞かせてくれるか?」

 

「我等は食い逃げなどしていない!」

 

少し皮肉の入った袁紹の言葉に、関羽が言葉を荒げながら前に出る。武器は取り上げられていたため素手だったが、それでもわずかに殺気が出ていため恋と星の両名が間に入って止める。

 

「愛紗ちゃんの言うとおりです! 私達は食い逃げ犯ではありません!!」

 

「……とりあえず申し開きを聞こう」

 

「じ、実は――」

 

劉備の話しではこうだ。―――彼女達三人はある目標を掲げ、人助けをしながら旅を続けていた。

 基本無償で人助けしてきたのだが、今まで助けてきた人たちの中でも余裕のある人達から援助されてきたらしい。

 

 そしてここ南皮に着いた時には懐が温まっていたため、少し贅沢に高級そうな料亭で食事した。

 しかし料亭の注文表には値段が書かれておらず。予算を超えてしまうのを危惧した関羽の忠告により、注文は控えめに行うことになった。

 ややあって運ばれてきた料理に舌鼓を打っていると、いつの間にか張飛が追加の注文をしていたようで、予算を大きく超えてしまった。

 

この事実を料亭側に伝えると、衛兵を呼ばれてしまい食い逃げ犯扱いされ騒ぎになったらしい。

 そこで劉備達一行は、当初の予定通り太守である袁紹に謁見を―――

 

「ちょっと待て、何故そこで我の名が出るのだ?」

 

話しの途中であるが、袁紹は突然出てきた自分の名前に反応した。

 

「実は私の親友が、袁紹さんと仲が良いと聞いていまして」

 

「そうか、その親友が――」

 

「はい、白白ちゃんです!」

 

「……誰?」

 

「あっ、ひどーい! 白白ちゃんですよ!! 今は幽州で太守していて――」

 

「白蓮」

 

「公孫賛って言う名の―――え?」

 

「彼女の真名は白蓮だ」

 

「……」

 

「桃香様……」

 

「お姉ちゃん……」

 

真名を間違えて覚えていたのを知らなかった二人からも非難の眼差しが向けられる。

 ちなみに袁紹は、劉備と公孫賛が真名を交換した間であることを文で知っていた。

 だからなのか、温和な彼にしては珍しく額に青筋を浮かび上がらせていた。

 

「え、えっと……あ、あはは?」

 

そしてバツが悪くなった劉備が乾いた笑いをし――

 

「そこへなおれぇぇっっい!!」

 

袁紹が憤怒した。

 

 

………

……

 

「ごめんなさい!」

 

「わかれば良い……白蓮に会ったら謝っておくように」

 

一刻におよぶ説教を劉備に施し、落ち着きを取り戻した袁紹は話しを続けた。

 

「それで、なぜ我のもとに?」

 

「白ぱ……白蓮ちゃんが『あいつはお前ほどじゃないがお人よしでな、困ったことがあったら訪ねればいい』って、言ってたのを思い出しまして」

 

「……呆れた。じゃあ貴方達は袁家に無心しに来たってことじゃない」

 

桂花が白い目を向ける。どうやら彼女達にも自覚はあったようで、身を縮こまらせていた。

 

「我等は故あって急ぎ旅の身、何卒お願い申し上げる」

 

「鈴々からもお願いするのだ!」

 

「お願いします! 何でもしますから!!」

 

「――ん? 今何でもするって言ったな?」

 

「は、はい」

 

「では幽州に向かってほしい」

 

「え?それは――、白蓮ちゃんの?」

 

「うむ、どうやら彼女の所は人手不足に悩まされているらしくてな、猫の手も借りたい状況だそうだ」

 

「ね、猫の手……」

 

袁紹の言葉に関羽が僅かに端正な顔を歪める。自分達に言った訳ではないと解っていながらも、気になるようだ。

 凛とした空気を纏っているがその内は少し神経質で、気性の荒さが見え隠れしていた。

 

「……わかりました。元々そっちに向かう予定でしたし白ぱ――「桃香様!」わわっ、白蓮ちゃんを手伝ってきます!」

 

「う、うむ」

 

少し不安が残るが、後は関羽の手綱を握る能力に期待するしかなさそうだ。

 

「……そういえば、お姉さん達は別の用件があったのでは?」

 

「あ! 実はそうなんですよ!!」

 

「むしろそちらが本題になります」

 

風の言葉に、待っていましたと言わんばかりに声を張り上げる。

 

「先ほども話した通り、私達は人助けの旅をしています」

 

「うむ、何か理想があるのか?」

 

「っ!? そうなんです!! それで、袁紹様にどうしても聞きたいことが……」

 

それまで喰らい付くような勢いで声を出していた劉備だったが、最後の方は小さく呟くような声になっていた。

 

「私達は『皆が笑って暮らせる世』を目標に人助けの旅をしています。でも……世の中は荒れていく一方でした」

 

「……桃香様」

 

「うん、大丈夫」

 

関羽に声を掛けられ、劉備は顔を上げて言葉を続ける。

 

「どうしたら……、どうしたら南皮の皆のように、大陸全ての人を笑顔にできるのでしょうか? お願いします! 教えてください!!」

 

「私からもお願い致します」

 

「……鈴々からもお願いなのだ!」

 

そう言って頭を下げる三人、(約一名、意味がわかっているかどうか怪しいが)に向かって袁紹は答えた。

 

「その答えは簡単だ。大陸全土を此処と同じにすれば良い」

 

「こ、ここと?」

 

袁紹の口から出た突拍子も無い言葉に思わず首を傾げる。

 

「我が袁家の領地では、衣、食、住の三つを民に保障している。衣服があれば人として生きられ、食料があれば飢えることはなく、住処があれば家庭を育む事が出来る。

 その三つが満たされて民達は、賊に身を堕とす事無く生を成就できるのだ」

 

「……凄い」

 

「た、確かに、しかしそれは――」

 

素直に感心した様子の劉備に対して、関羽は言葉を詰まらせる。それもそのはず。

 袁紹の提案は自分達の漠然とした理想を形付けるほど素晴らしいものだ。実際に南皮のような実例もある。

 しかし、なまじ現実的だからこそ、その途方も無い道程の険しさが彼女には――いや、彼女達にはわかった。

 

疲弊しきった大陸、力を失いつつある漢王朝、増加する一方の難民と賊達……、今の状況では期間を予想することですら出来なかった。

 

大陸の状況を憂い顔を俯かせる劉備、途方も無い話に苦い顔の関羽、自身の容量を超えてしまったのか頭を抱える張飛。

 袁紹はそんな彼女等に対して笑顔で言葉を続けた。

 

「途方も無い時間が掛かるであろう……。しかし働き次第でその時間は短縮出来る。そして――」

 

「「「……」」」」

 

「その三つを大陸全土で満たすのが我が目標『満たされる世』である!!」

 

「「「!?」」」

 

最後の言葉に目を見開かせる。先ほどの話しが袁紹の目標、それはつまり――

 

「袁紹殿は……先ほど話した政策を、大陸全土に施す為に動いていると?」

 

おそるおそる関羽が確認するため口にする。良く見ると唇が震えていた。

 そんな彼女達に対し、袁紹は音を立てながら勢い良く扇子を眼前で広げ――

 

「当然である! そして我が政策が行き届いた暁には、大規模な賊など存在せず。

 安定した生活の中で、民達の笑顔が溢れた世になるだろう! フハハハハハ!!」

 

豪快に宣言し笑い声を上げた。まるでそうなるのが当然、と、言わんばかりに。

 傲慢、不遜ともとれるほどの、自信に満ちた彼の言葉に唖然としていた劉備達だが、先に我に帰った関羽は主に声を掛ける。

 

「――桃香様」

 

「うん」

 

彼女の言葉に頷く劉備、普段は何かと鈍い彼女だが、この時ばかりは義妹の考えに気が付いた。

 

「袁紹さん、またお願いが出来たんですけど……、聞いてもらえますか?」

 

「フム……、大体予想できるが――申してみよ」

 

「はい! あの、私達三人を袁紹さんの下で――「だが断る」ええっ!?」

 

「なっ!?」

 

「んにゃ?」

 

劉備の願いをあっさり一蹴する袁紹、話の流れ的にも断られるとは思っていなかった彼女達は、再び目を見開いた。(若干一名、頭上に大きな疑問符を浮かべている)

 

「な、何故ですか!?」

 

劉備は当然の疑問を口にした。彼の掲げる目標は沢山の人手が必要なはずである。

 自分は兎も角、武官として優秀な義妹達を欲しがらないとは思えなかった。

 

「フム……、時に劉備よ、我から一つ陳腐な質問をしても良いか?」

 

「え?えっと……、はい」

 

自分の疑問に答えず。唐突な話題転換に目を白黒させたが、とりあえず聞く事にした。

 

「一人の子供と十人の大人が危機に陥っていたとして、片方しか救えぬ場合……お主はどちらを救う?」

 

「えっ!? えっと……どっちも助けます!」

 

「フム、どうやって」

 

「が、がんばって……です」

 

「その答えは満点ではないな」

 

「……」

 

袁紹の言葉に沈黙する劉備。そもそもこの質問に正解などあるのだろうか?――

 

「『我』ならば迷わず十人を選ぶ」

 

「そんな!?」

 

「多数を救うために少数を切り捨てる覚悟を持つのは名族として――いや、上に立つ為政者として当然の義務である。そして今のお主には理解できない覚悟だ」

 

「……」

 

「お主は……清すぎる」

 

穢れを知らない。と言うよりは穢れから目を背け、理想を盲目的に追い続ける。

 劉備からはそんな雰囲気を感じ取った。

 

「先に話した我が理想、その実現のために少数を切り捨てる場面もあろう。そしてその度にお主達は反発し、最悪袁家は二つに割れる」

 

「っ!?」

 

そして内乱が起き目標から遠のく、なまじ穢れの無い劉備の理想は多くの人間を惹きつけ、巨大な派閥となり袁紹と対立するかもしれない――、彼はそれを何より危惧していた。

 

「……じゃあ私達は歓迎されないのですか?」

 

「今のままなら……な」

 

「今のままなら?」

 

左様――と頷いて袁紹は言葉を続ける。

 

「とりあえずは今まで通り旅を続けるが良い。そして諸侯の太守やそのあり方を見て学び、先ほどの我の質問にもう一度答えて見せよ、……その時には答えを得ているはずだ」

 

「――わかりました」

 

………

……

 

劉備達三人が退出すると、静観していた星が口を開き

 

「逃がした魚は大きいですぞ?」

 

「ほぉ……関羽と張飛か?」

 

「然り、あの二人はかなりの使い手ですぞ」

 

出来れば手合わせしたかった――。と少し頬を膨らませた。

 

「心配はあるまい。道を踏み外しさえしなければ再び再会出来よう。それに――」

 

彼女達が出て行った扉に目を向ける。

 

「その時には我が陣営に相応しい英傑に成長しているだろう」

 

 

 

 

 

 

 

………

……

 

 

 

 

 

劉備達との一件から約半年、ついにその時は訪れた。

 

――黄巾の乱である。各地に頻発した飢饉、疫病、賊、そして宦官の専制政治による重税に農民達の感情が爆発。

 張角を代表に『蒼天すでに死し、黄天まさに立つべし』との言葉を掲げ、漢王朝に反旗を翻した。

 

これに対し漢王朝は各地に黄巾討伐を勅旨、そして袁家は――

 

「桂花!」

 

「ハッ、資金、物資や食料、共に準備は完了しております」

 

「風!」

 

「はい、勅旨を合図に動く手筈、整っておりますよ~」

 

「ならば良し! さぁ派手に! そして豪快に!! 大陸全土に袁家の名を轟かせようぞ!!」

 

袁紹とその頭脳達による『黄巾の乱』に対する大計略が始動した。

 

 

 

 

 




?「おまたせ、ようやく原作開始だけど……いいかな?」


暴食無双 呂布

好感度 90%

犬度 ッ! ワン! 

状態 目に付かなくても、匂いで居場所を探し出せる

備考 食べ物を持ち自分を呼ぶ見知らぬ人と、
   何も持たず呼ぶ袁紹がいた場合、食べ物には目もくれず
   袁紹の所にやって来る(腹は鳴っている)


盲信軍師 陳宮

好感度 60%

猫度 ニャニャーンですぞ!!

状態 主君<<呂布 

備考 桂花の教育により知力向上
   呂布と袁紹なら少し迷った後呂布をとる



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黄巾の乱
第18話


~前回までのあらすじ~

劉備「友達の友達だからおごってクレメンス!」

袁紹「は?(威圧)」

………
……


漢「黄巾退治しといて」

袁紹「しょうがねぇな、じゃけん大計略始動しましょうね~」

……

大体あってる


「良しお前ぇ達、黄巾に合流するぞ!」

 

『うおおおお!!』

 

大陸のどこかにある村の男達は雄たけびを上げる。彼等は今までの生活が維持出来ないほどに追い詰められていた。

 凶作、疫病、それに加え重税。その日を生きるのも難しい状況で役人達は対策を講じることも無く、ただただ奪っていくばかり……

 

「オラ達が奪われたものを取り返すだ!」

 

「そうだ! 漢の奴等が奪っていったんだ!!」

 

黄巾に身を寄せたほとんどは元農民である。度重なる漢王朝に対する不満は、黄巾の長、張角を中心に巨大なうねりとなり、それまでの奪われる側から奪う側へと変貌し、大陸の支配者に牙を向いた。

 

 

 

………

……

 

 

「良く来てくれたな、張角様もお喜びに違いない」

 

「へ、へい」

 

数日後、黄巾に合流した村人達は萎縮しながらも頭を下げる。眼前にいる黄巾を頭に巻いた男が呼んだ『張角』 実はここにいる者達は自分の長の姿を見たことが無かった。

 彼等のほとんどが元農民、もしくは騒ぎに便乗した賊達である。

 

「ん? そこのお前、何を大事そうに持ってんだ?」

 

「あ、いえこれは……」

 

此処の黄巾達を纏めているであろう男が、農民達が粗末な武器や農具に混じって、白い布に包まった何かを大事そうに抱えているのを見つけた。良く見ると同様の者達が数人居る。

 

「実はここに来る道中、あちこちに刺さっていたもので……」

 

「黒い……看板?」

 

布を取り外すと中から黒い看板の様なものが現れ――

 

「っ!? お、重めぇっ!? 何だこれは!!」

 

「へい、鉄で出来た看板かと」

 

「て、鉄だぁ!?」

 

重々しい鉄の看板だとわかった。

 

「オラ達に字が読める奴はぁいねぇけども、鉄は高価だべ? 持って来ただよ」

 

「官軍の奴等はどこまで金を掛けてんだ……」

 

この時代において鉄は高価な素材である。そのため鎧や武器などに使われるのが一般であり、その他の素材とするのは贅沢な話だった。

 

「これも俺達から奪った金で作ったにちげぇねぇ! お前等、それが許せるか!?」

 

『許せねぇ!!』

 

「だったら官軍に目に物見せてやろうぜ!!」

 

『うおおおおおおお!!』

 

男の言葉に呼応して雄たけびを上げる者達、男は官軍の策を逆手に士気を上げることが出来たと思っていたが

 

――でも、何て書かれているだ?

 

誰かの呟きに皆が我に帰り――

 

「た、確かに……」

 

「わざわざ鉄を使ってまで伝えたい……事?」

 

「どうせ降伏勧告だ!」

 

「鉄を使う必要あるのか?」

 

場は騒然としだした。その様子に男も内容に興味を引かれる。 

 

「おい、丁の奴を呼んで来い」

 

自軍の中で字が読める者を呼び出すことにした。看板に書かれた内容が如何なるものであろうと自分達は止まらない。そう確信して――

 

「頭、呼んだか?」

 

「おう、ちょいとここに書いてあることを読んでくれ」

 

「……簡単な字なら」

 

そして丁と呼ばれた男は看板に目を通す。その間緊張が走り、皆が沈黙したが

 

「どうせ怖気づいた官軍が、今更降伏勧告してきたんだろうぜ!」

 

「ちげぇねぇ!!」

 

『ハハハハハハハハ!!』

 

頭の一言で笑い声を上げる。元盗賊団を率いてきたこの男は、人心掌握術に長けていた。

 皆の士気が維持できているのを確認した彼は、再び丁に目を向けたが

 

「あ、ありえねぇ……ありえねぇよ……」

 

「……おい、丁」

 

丁のただならない様子にまたもや場に緊張が走る。せっかく持ち直した士気を目に見えて下げられ、頭と呼ばれる男は声を荒げた。

 

「何て書いてあったんだ? 言ってみろ!!」

 

「……で、でも頭」

 

「いいから言え!!」

 

「ヒッ……わかった、この看板にはこう書かれてある」

 

良く聞かせるために丁は男達に振り返る。体全体を震わせ、冷や汗を垂らし、顔面は蒼白だ。

 彼の状態だけで、ただならない内容だと言う事がわかる。果たして何が書かれているのだろうか数十万の大軍が討伐に向かってくるのか、一騎当千の兵達が立ち上がったのか、あるいは――― 考えたくも無い内容が男達の脳を駆け巡る。しかし丁の口から出たのは、想像の範疇を超えたことだった。

 

「『生きることに困窮した者は南皮を目指せ、その地において保護する準備有り』」

 

「――は?」

 

その内容に頭が真っ白になる。そして一瞬にして騒然としだした。

 

――ほ、保護ってどういうことだ?

 

――そりゃあ……食い物に寝床だべ

 

――飯が食えるのか!?

 

――南皮っいえぁ、善政で有名な袁紹様のとこだぁ

 

――お、オラも聞いたことあるだ!

 

袁紹の善政は、規制緩和により南皮に訪れた行商人達、その他情報操作により各地に広まっていた。その情報は人から人へ、瞬く間に大陸全土へと袁家の名を轟かせていた。

 

言うまでもないが袁家の名は有名である。しかしその名が通用するのは役人などであり、

都市部は兎も角、近隣の小さな村などには無縁である。

 『名を知っていても善政を知らねば意味は無い』そう思った袁紹は南皮に訪れる行商人達を奨励した。物を高く買い取り、安く売り、袁紹の人柄や善政も相まって彼等は次々に賞賛しだした。

 後は放っておいても勝手に評判を広めてくれる。対黄巾の策の為に流布させたのだ。

 

「落ち着けお前等!」

 

『っ!?』

 

「これは官軍の罠だ! 俺達をおびき出して一網打尽にしようって寸法だ」

 

「……そ、そうだよな」

 

「今まで俺達を放っておいた連中が、助けるとは思えねぇ」

 

頭の言葉に反応して次々に口にする。今まで搾取されて来た彼等と漢王朝の間には、埋めようの無い溝が出来ていた。

 

「それじゃあ今日は此処で野営をするぞ、準備しろ」

 

『へい!』

 

 

 

………

……

 

 

風が仕官し、ある程度期間が経った頃、袁紹は此度の策を聞かせていた。

 

「……」

 

余りの規模の大きさに彼女は普段見せない様な顔で硬直していたが、なんとか頭の中で考えを纏めさせ口を開く。

 

「……このまま大陸が荒れ、賊が増え続ければそれらを先導するものが現れて、一つの大きな塊になるのはわかったですよ。また、それを大分前から予想して見せたお兄さんの慧眼も心服です~。

 ――ですが」

 

袁紹を褒め称えた後疑問を口にした。

 

「国に絶望し、反旗を翻した彼等にその策は成功するでしょうか?」

 

官軍に刃を向けるというのは尋常ではない。そうまでした者達が、善政を敷いているとは言え、

漢王朝の忠臣である袁家に、寝返るような真似をするとは思えなかった。

 

「……風は、『窮鼠猫を噛む』と言う言葉を知っているな?」

 

「はい~、追い詰められた鼠さんは、天敵である猫さんにも噛み付く、と言う意味ですね~」

 

「そうだ、そしてその鼠は団結した賊達にあたる」

 

「……」

 

「彼等の殆どは農民であると考えられる。生活に困窮しその日の食事も無くなった彼等は、そこまで追い詰められて官軍(天敵)に牙を向くのだ」

 

だが……、と言葉を一旦止め口を開く

 

「そんな彼等の前に突然『逃げ道(希望)』が出来たらどうなる?」

 

「っ!? 天敵(官軍)に挑まず逃げ道(希望)を……優先する……」

 

 

 

………

……

 

 

 

黄巾賊の日が沈んだ野営地、殆どの元農民達が眼を覚ましていた。

 

「……お前ぇ、さっきのあれ信じられるか?」

 

「わかんねぇだよ、んだども……」

 

元農民の者達は身を寄せ合い。看板に書かれていた内容を話し込む、此処のお頭は一蹴したし突拍子も無い内容だったが……

 

「あの看板は鉄で作られていただよ、袁紹様ってのが金を持っているのは間違いないだ」

 

「……」

 

「オラは……オラは飯が食いてぇ」

 

黄巾賊の殆どは飢饉と重税から生活が立ち行かなくなった者達である。そんな彼等が集まって出来た黄巾賊に満足な食料がある筈も無く、空腹で痩せ衰えていた。

 

「……行くか」

 

「んだ」

 

このまま黄巾に身を寄せていても腹は膨れない。そう察した者達は闇夜に紛れ、隊から離れて南皮を目指す。

 又、同様の事が大陸各地で起きていた。

 

………

……

 

「か、頭ぁ!! 大変でさぁ!!」

 

「なんだぁ? うるせぇなぁ……」

 

「昨日合流した農民の連中が殆ど消えちまってる!」

 

「んだとぉっ!?」

 

頭と呼ばれた男は、粗末な天幕から荒れてて外に出る。周りを見渡すと確かに元農民達の姿が無かった。それどころか合流前より数が減っているような―――

 

「……手下達からも離脱した奴等が出たようで」

 

「……馬鹿な」

 

生活に困窮していたのは何も元農民達だけでは無かった。元賊として黄巾となった者達も、元々は食い扶持に困り身を落とした人間達だ。

 藁にもすがる思いで賊になったのだ。どうして同じ理由で南皮に向かわないと言えるだろうか

 

「……追いますか?」

 

「いや、必要ねぇ」

 

兵の質に劣る黄巾にとって、数は唯一の武器である。それが無くなる事を危惧して追いかける事を提案したが

 

「今回は官軍の奴等にまんまとやられた、だがこれで連中も目を覚ますだろうよ」

 

「罠に掛けられて……ですか?」

 

「ああ、それで運よく生き残った連中がまた合流する。官軍の非道さも相まって勢いが上がるってもんだ」

 

「……」

 

この罠は瞬く間に大陸全土に広まる。藁にすがる思いで遠い道のりをやって来た農民達を、無慈悲に虐殺したという結末で――

 そこまで考えて、頭は農民達が使っていた野営地に目を向ける。

 

「馬鹿野郎共が……」

 

一見、悪態をついているだけに見えるが、その姿は悲壮感に包まれていた。何てことは無い。彼も元農民である。小さな村で畑を持っていた頃は妻が、子供が、沢山の友人がいた。

 しかしいつしか凶作に見舞われ、少ない食事でやりくりをしていたが、ほとんど役人に徴収されてしまった。

 

異を唱えた友人達は帰らぬ人に、慈悲を乞うた妻は連れて行かれ、満足な食事が出来なくなった子供は息を引き取った。

 

「今更信じられるかよ……、役人なんて……」

 

 

 

………

……

 

 

所変わって南皮、袁紹とその頭脳たる桂花、風の両名が、策により集まった農民達を観察していた。

 

「思っていたより少ないな」

 

「……はい」

 

黄巾の乱において、その軍勢は五十万にも及ぶという知識を持っていた袁紹は、始めは少なく見積もっても十万は南皮に来ると考えていたが――

 

「多く見積もっても一万ですね。此処にいるのは」

 

桂花が並ばせた農民達を見ながらそう口にした。

 

「フフフ、この人数は風の予想通りでしたね~」

 

官軍に対する不信感が根強いと踏んでいた風は、黄巾の中でも特に食い扶持に困った者達しか最初は集まらないとみていた。そして彼女の予想通り、眼前に集まった者達の殆どが、皮と骨だけと言う言葉が似合うほどに痩せこけていた。

 

「ええ、流石よ風、……想定していたからには策もあるのよね?」

 

「……ぐう」

 

「寝るな!」

 

「おお!?」

 

お約束なやりとりをしながらも、風は前もって考えておいた策を袁紹に耳打ちする。

 自分達袁家を信用できないのであれば、信用させれば良い。簡単な話であった。

 

 

………

……

 

 

「お、お頭ぁ! 大変だぁ!」

 

「どうした!? 官軍の連中か?」

 

「それが……、以前いなくなった農民達が戻って来たんでさぁ!」

 

「っ!? ……そうか」

 

農民達が離脱してから数ヶ月、彼等が戻ってきたって事は――

 

「……何人生き残ってた?」

 

「そ、それどころじゃ……兎に角来てくだせぇ!」

 

「……?」

 

罠にかかって戻ってきたであろう農民達を、報告に来た男の顔に不の感情は見られない。

 ただただ顔を驚愕に染めているだけである。これには頭も不思議に思い天幕から出る。

 そして彼の眼に映ったのは――

 

「お、お前……等?」

 

「あ、お頭さん! 久しぶりだなぁ」

 

「お頭さん、罠なんて無かっただよ」

 

「んだ、オラ達がその証拠だべ」

 

「……」

 

血色が良く、活力に満ち溢れた農民達であった。良くみると少し丸く肥えている者までいる。

 

「……お前等こそが罠ってこともある」

 

「か、頭?」

 

「全員武器を構えろ! これこそが官軍の罠だ! 俺達を見知った奴等に誘き出させる気だ!!」

 

「そんな!?」

 

頭の動きに渋々といった形で抜刀する黄巾賊、そんな彼等の前に農民が一人歩み出た。

 

「……家族や友人を、罠なんかに掛けねぇだよ」

 

「家族? 友人だぁ?」

 

「んだ」

 

農民は南皮での出来事を語り始めた――

 

………

……

 

「武器の類は捨て去れ! 従わぬ者は切捨てる!!」

 

南皮に着いた彼等がまず耳にしたのはそんな言葉であった。他の農民達の姿も多く見られたが、正規の兵士達に囲まれて強気に出れるはずも無く、殆どが言われるままに武器を手放した。

 

――お、オラ達やっぱり罠に?

 

誰かがそう呟き不安が広がる。気が付けば広場に集まった農民達は袁家の兵士に囲まれていた。

 

――嫌だ……死にたくねぇ

 

――うぅ……おっかぁ

 

――最後に、腹いっぱい何かを食いたかったなぁ

 

――んだなぁ、でもこれで楽に……なんだべ?あれ

 

南皮の重々しい門がゆっくりと開き、中から多くの荷馬車が姿を現す。

 

――あ、あの荷馬車、湯気が出ているだ!

 

――じゃあ食い物なのか!?

 

――んだ、いい匂いがするだよ

 

――まさか……本当に?

 

やがて荷馬車が止まり、一人の兵士が農民達の前に出た。

 

「これより食事を支給する! 列を乱さず順番を守れ!! ――以上だ」

 

言葉が終わると、農民達は恐る恐る並び、列を作り始めた。

 

「この皿を持て、……ほら、こぼすなよ?」

 

「お、おぉ……あの、お役人様?」

 

「何だ? 列は長いのだ手早く済ませ」

 

「こ、これは何人で分け合えばいいので?」

 

「……何を言っている? それはお前の分だぞ、分ける必要など無い」

 

「……へ?」

 

素っ頓狂な声を上げながら手元に視線を移す。両手でないと持てないほど大きな器に、並々と具沢山の汁物が注がれている。これほどの食事はここ数年、いや、もしかしたら初めて目にしたかもしれない。

 

「……」

 

農民は放心したように列を離れ広場に座り込む、手に持った皿をまるで己の命のように大事に扱い。落とす事を危惧し地面に置く

 

「……ング」

 

料理からのぼる芳醇な匂いを嗅ぎ、乾いているはずの喉を飲み込む、おそるおそる再び皿を持ち上げ口元に近づけ――

 

「っ!?」

 

そこから先の事はほとんど覚えていない。ただ一心不乱に食事を頬張るだけに精一杯で、美味いはずである味もわからない。だが手や口が止まる事は無く、気が付けば完食していた。

 

「……」

 

食事が終わり、仰向けになりながら空を見上げる。息苦しさを感じるが不快感は無い。

 むしろ満足と言うか、彼の人生では初の感覚であった。

 

「……うぅ」

 

安心したからなのか涙が流れ出す。家を失い、家族と離れ離れになり、泥水をすするようにして黄巾に身を堕とした。

 まさか今のように満たされる日が来るとは――

 

「注目!!」

 

食事の余韻に浸っていると、配膳を終えた兵が声を張り上げた。

 恐らく自分達の今後の話だろう。農民達は少し億劫に思いながらも体を向けた。

 

「……これより袁家当主にして南皮太守である袁紹様からお言葉を頂く! 心して聞くように!!」

 

『っ!?』

 

それまでだらけていた農民達も、たちどころに姿勢を正す。袁紹が南皮の太守であるなら、彼が自分達に食事を用意してくれたようなものに他ならない。

 窮地に陥った自分達の希望そのものだ。一体どんな人物であろうか―――

 

農民達が思い思いの視線を向けていると、高台の上に一人の美丈夫が姿を現した。

 

「我こそが袁家当主、袁本初である! 皆の者……良くこの南皮まで来てくれた」

 

一時は朝廷に反旗を翻した自分達に、向けられたのは暖かい言葉であった。

 又、袁紹の眼差しは慈愛に溢れ、不思議と農民達の肩の力は緩んでいった。

 

――もったいねぇお言葉だぁ

 

――んだ、袁紹様のおかげでワシ等は生きてるだよ

 

――太陽みたいなお人だ……

 

彼等は皆、一様に頭を下げ肩を震わせている。今なら黄巾に代わる宗教の教祖になれるのではないか、と言うほどの勢いだった。

 

「……だが此処に居る皆は、過程はあれど朝廷に弓引いた罪人である」

 

『……』

 

「故に、ここ南皮において数年の強制労働、もしくは兵役が課せられる」

 

――食い物と寝床さえあれば……なぁ?

 

――むしろそのまま雇って欲しいだよ

 

――ワシ等に文句などある筈も無い

 

――んだ、本来なら死罪だで

 

袁紹から罰を聞かされても悲観するものは少なかった。食事と寝床を保障されるならむしろそのまま労働したい。そう考えるものが殆どである。

 

「……だが、我は他者の制止を振り切り、ここまで来たお前達を賞賛する。――故に」

 

そこまで言って言葉を切った袁紹は、懐から扇子を出し前に構え――

 

「お主達の罪を恩赦する事にした!!」

 

パンッという音共に扇子を開き宣言した。

 

『……』

 

これに対して農民達は唖然とし――

 

――恩赦ってなんだ?

 

――さぁ?

 

――いいことなのけ?

 

今まで聞いた事の無い言葉に首を傾げた。

 

「……」

 

その光景に袁紹は少し顔を赤くする。視線の端では風が笑いこけていた――

 

「……あー、お主達の罪を不問にするという事だ」

 

『……へ?』

 

「此処南皮において、住む家と当面の食料、職業を斡旋する用意もある。又、生活が安定するまでの間、税は発生しない」

 

『……』

 

袁紹の言葉を理解した農民達は一瞬沈黙し

 

『うおおおおおおおおおおおおおおお!!』

 

大地を揺らすほどの叫びを上げた。

 

 

 

 

………

……

 

 

「そして袁紹様は言っただよ、『お主達と行動を共にしていた黄巾達にも、この事実を伝えて欲しい』と、オラ達は恩返しを含めて此処に来ただよ」

 

「……その話しを信じろと?」

 

「んだ、短い間とは言え同じ釜の飯を食った仲でねぇか、先も言ったけど友を裏切るような真似はしねぇだよ」

 

「……」

 

「お頭……俺達……」

 

話を聞いていた他の黄巾の面々はすでに構えを解いている。それに彼等の意思が感じられた。

 

「どいつもこいつも……馬鹿野郎共が!!」

 

頭は武器を頭上に掲げ――

 

「か、頭ぁ!?」

 

「クソがっっ!!」 

 

勢い良く地面に突き刺した。

 

「……その話しがもし罠だったら――」

 

「オラ達の首を差し出すだよ」

 

「……行くぞお前ら、南皮だ」

 

「っ! へい!!」

 

こうしたやり取りは各地で起こり、黄巾はおろか食糧難に苛まされた難民を交え、最終的に南皮には三十万を超える人間が集結し。それら全ては迎え入れられた。

 

 

 

………

……

 

 

 

この策は当然諸侯を駆け巡った。

 

 

「いくらなんでもやり過ぎだろ、麗覇ぁ……」

 

幽州で太守を務める赤毛の少女は頭を抱えながら呟き――

 

「うわわ、さ、さすが袁紹さん……」

 

理想に向かって研鑽している桃色の髪をした少女は、引き攣りながらも賞賛し――

 

「あわわ、凄い規模です……」

 

「はわわ、こんなの未来を見通しでもしないと無理です!」

 

彼女の新たな賛同者達は袁家を畏怖し――

 

「……私達、独立出来るの?」

 

「……」

 

独立を狙う小覇王は珍しく弱気になり、彼女の頭脳でもある女性は頭に手を置き――

 

「得物は肥えきった所で食して、その力を得るつもりだったけど……、これは肥えすぎね……」

 

金髪の覇王は重々しい溜息をはいた。

 

 

………

……

 

 

三十万人の元黄巾、難民達を受け入れてから約半月、受け入れた彼等を視察しているときであった。

 

「袁紹様! どうか私の話しを聞いてください!!」

 

制止しようとする兵士達を振り切り、袁紹の眼前で叫ぶように口にする。

 

「大人しくしろ! 申し訳ございません袁紹様」

 

「……」

 

「袁紹様……、どうか……」

 

涙を流しながらも袁紹の目に訴え続けるその姿に、何かを感じた。

 

「離してやれ」

 

「し、しかし――」

 

「良い、許す」

 

「ハッ」

 

袁紹の言葉で兵達は彼を解放する。とは言え主に近づけるわけにもいかないので兵士達が間に入る形になった。

 

「ありがとうごぜぇやす……」

 

解放された男は地面に額をこすりつけるようにして感謝の言葉を口にする。

 そこまでして伝えたい事に袁紹は興味がわいた。

 

「良い、面を上げよ、……何か大事な事か?」

 

「へ、へい」

 

顔を上げた男は――

 

「どうか彼女達を――天和ちゃん達を助けてあげてくだせぇっ!!」

 

再び叫ぶようにそう口にし、頭を下げた――

 

 

 

 

 

 

 

 




この展開はやり過ぎだろー! とか思ったそこのあなた!!

これはまだ序盤だから……(震え声)


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閑話―棄鉄蒐草の計―

6/20 没にしたオチ追加


 漢王朝の腐敗により起きる黄巾の乱、全盛期には五十万にも及ぶ大軍勢となるがその大部分が元農民達で構成されていた。

 これに対し袁紹は討伐するのではなく受け入れる策を考え付き、私塾に向かう前から準備を進めていた。

 

とある『一件』後、改めてこの地に骨を埋める覚悟が出来た彼は、袁家の資金、人脈を駆使することで戦わずに黄巾に対処できる策を練っていた。

 

「目下の課題は―――資金か……」

 

名族袁家は大陸屈指の資産家でもある。しかし彼が考えている策を実行に移すには途方も無い資金が必要だった。

 

「我が当主になった時に税率を上げるか?――いや駄目だ、すでに十分な税を回収している。

 これ以上の重税は民の不満が大きいだろう。大体……不義理でもある」

 

同じ理由で臨時徴収も却下だ。となれば――

 

「やはり商売……か」

 

税だけでも賄う事が出来るため、領地の太守で店を持つものはいない。同じ理由で袁家も手を出していなかった。

 

「とは言え売るものがない……」

 

宝物庫には数々の高級品が納められている。それを売り払えばかなりの資金になるが、代々受け継いできた物に手を出すのは憚れる。又、長期的な資金調達にならない。

 

千歯扱き――も駄目だ。その効果に比べ仕組みが単純な物である。すぐに複製品が出回るだろう。

 

「長期的に利益が見込まれ、且つ他者に真似できない物――アレしかないが」

 

そう言って袁紹は一つの箱に目を向ける。中身は魚醤だ――

 

袁家の食事は名族の名に違わず、毎日豪華な物でその味も美味である。しかしいつしか日本食――とりわけ醤油の味が恋しくなった袁紹は、それに似た味で製法が簡易な魚醤を定期的に作っていた。

 

そのつくり方は、まず密閉性の高い箱を用意する。その中に魚を敷き詰めて埋めるように塩で満たし、蓋をして放置する。

 中の魚が液状になって来た所で、布に包み絞る。そうして出てきた液体が魚醤だ。

 

比較的簡易な製法、大陸全土に受け入れされそうな味、だが大きな問題があった――

 

塩である。先の製法にもあった通り、この魚醤は大量の塩を使わなければならない。

 今の時代、塩は大変高価な調味料である。それで作られた魚醤はかなりの値段だろう。

 

「高級品として売り出すのは論外だ」

 

大陸の民達は重税で疲弊しきっている。そこに高価な魚醤が売り出されればどうなるか?

 

高々調味料にそこまで金を掛けられるのは、諸侯の名族や太守達であろう。

 欲の塊のような彼等は食欲も旺盛に違いない。きっと大量に買い付けてくれるだろう。そしてその負担は民達にいく、

彼等はそんな太守に不満を募らせ、やがては魚醤を作り出した袁家にも反感を持つかもしれない。

 

「これを庶民にも手が出せる価格に、何より大陸全土に我が第二の故郷の味を広めたい」

 

庶民にも手が出せる値段で売り出せば、たちまち大陸全土に流行するだろう。

 それにより莫大な利益が長期的に見込める。

 

「一番良いのは袁家で塩を生産する事だが……」

 

袁紹の頭に浮かぶのは揚浜式塩田と入浜式塩田による塩の製法、従来のやり方に比べ生産性を向上させるこの製法であれば塩は大量に作れる。

 しかし、塩の生産と販売は国が請け負っている。許可なしに生産に乗り出せば何を言われるか、最悪反逆罪に問われるかもしれない。

 

いっそ密造してしまおうか? と頭をよぎりそれを振り払う。目的のためには手段を選んでいられない場面もあるだろうが、己の矜持を大きく逸脱する事、臣下達に対して後ろ暗いことには手を染める気にはなれなかった。

 

「そうなると他の方法としては、安く融通してもらい――そうか!!」

 

その時、袁紹に電流走る。何も自分達で揚浜式塩田と入浜式塩田をやる必要は無い。

 国にそれらの製法を献上すれば良い。生産性が上がれば塩の値段は安くなるし、褒美として安く売ってくれるはずだ。

 

そこまで考え紙と筆を取り出し製法を書き連ねる。塩の製法を勝手に研究していたとしていくらか小言があるかもしれないが、その先にあるであろう利益の前では小事に過ぎない。

 

「……」

 

次々に妙案を編み出しながら書いていたが、気が付くと袁紹の手は止まっていた。

 

彼の心中を薄暗い靄が覆い始めていた。――もし、もっと早く今のように大陸にとって必要な何かを真剣に考えていたら? 隠す事無く未来の知識を晒してそれに対処していたら? もっと多くの人命が救えたのではないか、漢王朝の腐敗や、各地の不当な重税にも対処出来たのではないか――

 

『難しく考えすぎでしょ』

 

「っ!?」

 

筆を強く握り締め始めていた袁紹の中で、先日、猪々子が言っていた言葉が木霊した。

 

『今更それまでの事を後悔し続けても意味が無いって言うかさ』

 

『次はそうならないように気をつければ良いだけじゃん?』

 

「……そうであるな」

 

既に前を向いて歩き始めていたつもりだったが、未だ自分の中では後悔の念が強かった。

 だが猪々子の言葉を思い出し再び筆を走らせる。ゆっくりで良い。大事なのは止めない事だ――

 

後日、突然礼を言い出した袁紹に対して、猪々子は目を白黒させながらも、料亭の高級料理を端から平らげて見せた。

 

………

……

 

それから時が経ち荀彧が袁家に訪れた頃、袁紹はさっそく策を聞かせていた。

 

「ば……馬鹿じゃないの!?」

 

「フハハハハハ! 馬鹿ではないな、我がそうなっては不幸になる者が多い故!!」

 

「……」

 

そう言う問題なのか、と言うツッコミは置いといて、荀彧は袁紹の策に考えを巡らせる。

 

漢王朝の腐敗、各地の飢饉、疫病、重税、増加する一方の賊達、このまま時が経てば生活苦から農民達は賊に身を堕とし。やがてそれを先導する者が現れ、自分達を虐げてきた漢王朝に牙を剥くために団結する。

 

――なるほど、理に適っている。殆どの者達には妄言にしか聞こえないかもしれない。

しかし荀家の才女である彼女には、袁紹の確信めいた言が理解できた。

 

――そして理解できるからこそ恐怖する。聞けば南皮で行われた政策『楽市楽座』は、大陸各地にわざと袁家の情報を流布するための物である。

 袁家で専門販売されている魚醤などは、各地を訪問する行商人達に優先的に売られ、その価格も割り引かれた値段である。彼等は袁家に気を良くし、南皮の善政も相まって大陸各地で賞賛する。

 荀彧がここに来るまでにも、袁家の高い評判をいくつも耳にしてきた。

 

行商人を利用した情報の流布、独占販売されている魚醤の利益、それら全てが数年後の策の布石だと誰が思うだろうか、又、漢王朝が力を失ってきているからと言って、そこまで大規模な反乱が起きると数年前から誰が予想出来るだろうか、

 

荀彧も漢王朝や周辺諸侯の腐敗については考えていた。しかし彼女が考え付いた策といえば、規律ある者が宰相となり諸侯達を取り纏めると言う。堅実で誰もが思いつくようなものであった。

 

しかし袁紹は違う。早々に漢王朝に見切りをつけ、まるで反乱が起きるのを『知っている』ように予想して見せ、それに対する対策を数年越しで準備している。あの漢の忠臣『袁家』の次期当主がである。

 

「この策は我が一人で考え付き、殆ど一人で推し進めてきたのだが……最近は限界を感じている。

 お主となら、この策をさらに効率良く出来ると思うのだが……どうだ?」

 

荀彧の目が好奇心で輝いているのに気が付いた袁紹は、ここぞとばかりに勧誘する。

 歴史稀に見る大計略、これに携わっていたとなれば史に名を残すのは確実である。

 彼女も文官として、軍師として、これを見逃しはしないだろうと袁紹は考えていた。

 

「……」

 

だが彼女の中に芽生えたのは、史に名を残すと言う欲求では無かった。

 ただただ目の前の男に思いを馳せる――

 

もはや予知に近い時代の先読み、策の準備を数年前から行える行動力、柔軟で斬新な発想、

そして今耳にした豪快で大胆な大計略――

 

全容を聞いたわけではないが、掻い摘んで聞いた中にも穴がいくつかあった。

 しかしそれは許容の範囲内であり、むしろ一人で考え付いた割には穴も少なく完成されていた。

 問題は、無駄を省きどこまで効率化できるかである。

 

もし彼女が、いつ頃から袁紹に魅せられていたのか聞かれれば、迷わずこの日を答えるであろう。

 

――そして彼女は袁家に正式に仕官した際に、この大計略の予算の算出と、全体の規模の計算、資材の確保を担当することとなった。

 

余りの仕事の多さに、頭から煙を出す日々がしばらく続いたが……

 

………

……

 

それからさらに時が経ち、風が仕官した後に策の全容を聞かせた。

 

「お兄さん、あの策の質問があるのですよー」

 

「いいだろう、何でも聞くと良い」

 

「ありがとです。……賊達にどうやって伝えるのですか?」

 

「良くぞ聞いてくれた!!」

 

「おぉ!?」

 

質問に対して食い気味で袁紹は声を張り上げた。そして、驚いて目を丸くしている風を他所に、長年考えていた策を話す。

 

「――看板だ。行商人達に多くの看板を持たせ、漢の勅旨を合図に各地に設置する。

 いずれ、字が読める者に伝わり、そこから全体に広がるであろう!!」

 

「……それでは不完全ですよ」

 

「む?」

 

自信満々な袁紹に水をさすような形で言葉を出す。並みの太守であれば激怒するだろうが、この主にはそのような心配は必要ない。臣下になって日は浅いが、彼にはそう思わせる何かがあった。

 

「……では、代案はあるか?」

 

そして彼女の予想通り、袁紹は穏やかな声で問いかける。少し目じりが下がり残念そうではあるが、それもまた愛嬌というものだ。

 彼のそんな表情に、思わず笑みを浮かべながら風は口を開いた。

 

「賊達のほとんどは農民……虐げられる事に嫌気がさした人達ですよね?」

 

「そうだ」

 

「生きるにも精一杯な彼等に、字を学べる余裕は無いですよー」

 

「なればこそ、多少の学がある者に読ませるために……」

 

「そうするには人の多い所まで看板を持って行かせるのが確実ですねー。でも字が読めない彼等はどうするでしょうか?」

 

「っ!?……官軍の降伏勧告か何かと思い無視するか、最悪――」

 

「破壊されるでしょうね~」

 

「……」

 

袁紹もこれには盲点だった。当然、農民達に字が読める者がいないのは予想出来る。

 だからこそ、字が読める者に見せるために大量に設置しようとしていたが、風の言う通り破壊されてしまっては意味が無い。

 黄巾に合流する移動の途中に、邪魔な荷物となる看板を持っていくとも思えなかった。

 

「だから看板は鉄で作るといいですよ~」

 

「て、鉄?」

 

「はい、鉄なら破壊は難しいですし。どうすると思いますか~?」

 

「……なるほど」

 

高価な鉄製であれば、生活難な彼等は持ち去ろうと考える。あとはその先で字の読める者に会えば……

 

「字を読める者に会わなくても、鉄を売ろうとすれば内容がわかるでしょうね~。

 商人であれば大体の人が字を読めますから」

 

「っ!?確かに!!」

 

大金を使う価値があるのでは? と締めくくった風。費用を少しでも抑えるように動いている桂花が怖いが、この案は採用する事になった。

 

………

……

 

「どうだ桂花、南皮周辺の整地は進んでいるか?」

 

「はい! 完成まで大分余裕があります」

 

数十万を受け入れる事になるであろう準備として、彼等が住む場所を確保すべく南皮の周りは円を描くようにして整地されていた。表向きは街道の安全のためである。

 

数十万の農民達を受け入れるのは、いくら広大な南皮でも無理があった。そのため、彼等が新しく住める場所を作れるように土地を開発しているのである。どれほどの規模になるのか細かい数字まではわからなかったため、約五十万人分の家を建てられる土地を予め用意し。策が始動して南皮に集結した暁には彼等自身の手で家を建てさせる算段だ。

 

強制労働と銘打って、道具、食事、仮宿なども用意され、工事が終わった暁には給金まで用意してある。この時代においては破格の待遇であった。

 

後は新しく出来上がった街を城壁で取り囲む、そしてその工事も、家を建て終えた彼等の『仕事』として、生活が安定するまでの間懐を潤わせる――彼女の発案である。

 

「彼等自身の手で開発させれば予算を削れますし。数年後には元が取れるようになるでしょう」

 

余談であるが、袁紹が提案した『生活が安定するまでの間免税』は、三ヶ月から一月に削られていた。

 苦労してきた難民達に厳しいのではないか? という袁紹に対し桂花は、慈悲深いのと甘やかすのは違います。と一蹴、袁紹自身が日々気をつけていた言葉を投げかけられ、彼は渋々許可を出した。

 

………

……

 

そして黄巾の乱、大計略が始動し南皮に農民達がやって来た。しかしその人数は風の予想通り少なく、袁紹は頭を抱えそうになったが――

 

「フフフ、大丈夫ですよお兄さん、風にまかせるです」

 

「……妙案があるのか?」

 

「はい~、先ずは兵士の皆さんに彼等を威圧させて下さい」

 

「いや、不安がっている彼等に――「麗覇様」っ!?」

 

いつも『お兄さん』と自分を呼んでいる風の真名呼びに驚く、彼女の瞳は袁紹を静かに捉える。

 まるで自分を信用してほしいと物語るように――

 

「……わかった」

 

その様子に袁紹は折れた。彼女の要求通り兵士達には厳しく当たらせた。

 

やがて食事の支給が始まると、空腹なはずにも関わらず彼等は静かに列をつくり始める。

 

「……これが狙いか?」

 

「いえいえ、これはおまけみたいなものです~」

 

「……」

 

彼女の狙いがわからず首を傾げながら農民達に目を向ける。―――すると彼等から 嗚咽が漏れ始めていた。

 

「――これは」

 

「フフフ、直前の緊張や不安が大きければ大きいほど、後にやってくる感動も大きくなるですよ」

 

「……」

 

「今なら、先ほどお伝えした『要求』がしやすいとは思いませんか~?」

 

集まりが悪いために風が考えた対策、それはここの農民達に黄巾賊達を集めさせると言うものであった。

 この地において保護されるという事実を知れば、わざわざ危険を冒してまで黄巾達を呼びに行くものは少ないかもしれない。それを防ぐために彼女は、彼等の心を感動で満たし袁家に心酔させたのだ。

 

「……風は太陽を支える為なら、黒い策でも編み出して実行出来るです」

 

「……」

 

「……嫌いになりましたか~?」

 

口調は変わっていないが彼女の肩は小刻みに震え、瞳は不安に揺れている。

 

「我の為に策を実行した者をどうして嫌いになれる? それに――この策は多くの人命を救える最善の一手だ。黒くなどない」

 

「……」

 

「それでも気になるというのなら――その業、我も共に背負おう! もとより、そうさせた我の業でもあるからな、フハハハハハ!!」

 

風の返事は聞かずそのまま高台に向かう。最後の彼女の顔を見てはいなかったが、何故か笑顔だと確信していた。

 

………

……

 

「……やっぱりお兄さんは、優しすぎますね~」

 

高台の上で演説中に、農民達にわからない言葉を使って顔を赤くした主を見ながら呟く

 

「……程昱様」

 

「あ、どうでしたかー?」

 

そこへ、彼女直属の部下が声を掛ける。彼は風から重大な任務を任されていた。

 

「程昱様が睨んだとおり、不正が発覚致しました」

 

「……そうですか」

 

「しかしまさかあの方達が……」

 

「仕方ないですよ~、今回の策では大金が上から下へと大きく動きましたから、目が眩むのも無理は無いのです~」

 

「……」

 

此度の策にあたって、風の言うとおり莫大な資金が使われた。並みの人間はおろか、その辺の武将では一生見ることも出来ない大金に、魅せられ不正を働く者がいても不思議ではない。

 袁紹とは違って、身内を完全に信用しきっていない程昱には当然の処置であった。

 

「その者達は一旦牢に入れて置いて下さい。後でお兄さんから沙汰が下るので~」

 

「……御意」

 

その後、資金から酒代とメンマ代をちょろまかした星と、難民達に支給される料理を味見と称して、鍋一杯平らげた猪々子の両名は、丸一日獄中で反省する事となった。

 

……袁家は今日も平和である――

 

 

 

 

 

 

 

 




好感度? なんのこったよ(すっ呆け)

変動……無いです!


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第19話

~前回までのあらすじ~

袁紹「食料と寝床あるから、南皮に来なさい」

三十万「ほんと?(純粋)」

袁紹「袁家は漢王朝と違って、嘘つかないから……(ゲス顔)」

各諸侯:33-4(チーン

………
……


男「助けてクレメンス!(鼻汁プシャー)」

袁紹「……そう(好奇心)」


大体あってる


 作業場で熱願してきた男の言に興味を持った袁紹。しかし何やら人目を憚る内容らしく、内密に仔細を伝えたいと言う言葉に何かを感じ。袁紹の腹心である彼女達と共に話しを聞く事にした。

 

「さぁ遠慮なく話すと良い。この者達は我が信を置く者達故、心配はない」

 

「は、はい……自分は以前、小さな村で暮らしていたのですが――」

 

辺境の村で貧しくもなんとか生活していたが、時が経つにつれ凶作で苦しくなっていった。生きることに精一杯で娯楽が皆無である村に、ある日旅芸人の娘達がやって来たと言う。

 

 その娘達は拙いながらも歌と踊りを披露し。一躍村の人気者になった。その勢いは近くの街や村から見物人に足を運ばせるほどである。しかし彼女達の目標は高く、いつしか伸び悩むようになっていた。

 そんなある日、彼女達の贈り物の中に歌と踊りが記されている書物が見つかり、それを参考に芸を披露したところ人気が爆発的に上がっていった。

 

「それで、途中から愛好者になった者達と、始めから応援していた自分達を分けるために、彼女達の特徴でもある黄色の物を体につけるようになりました」

 

「……まさかそれは」

 

「はい、黄巾です」

 

「……」

 

「始めのうちは自分達だけが身に付けていた物でしたが、他の者達にも広まり、黄巾を身に付けることが彼女達の愛好者である証となりました」

 

「少しいいですか? 風から質問があるです~」

 

「は、はい」

 

「さっき贈り物がどうとか言ってましたけど、何故そこまで知っているんですか?」

 

「自分は短い間でしたが彼女達の付き人をしていました。その時直接話しを聞いたのです」

 

「付き人?」

 

「彼女達の身の回りの世話とか、舞台の設置とか――」

 

「……」

 

袁紹は彼の話しを聞きながら懐かしい何かを思い出す。歌と踊り、舞台、付き人、愛好者、まるで――

 

「事が起きたのは地和ちゃんの……、あ、地和ちゃんていうのは天和ちゃんの妹で――」

 

説明が再開されたため慌てて意識を戻す。今は事情を聞かなければならない。

 

――どうやら彼女達は三人組らしい。長女の天和、次女の地和、末妹の人和、姉妹らしいが一人ひとり魅力的な個性があるとの事だ。

 

 

 

いつもと変わらない歌の舞台、違う事と言えばその日は観客が万を越える人数に達していた事か、彼女達はいつものように歌の合間に観客達に語りかけた。

 

『みんなー! 愛してるーー!!』

 

『うおおおおおお! 天和ちゃーーん!!』

 

『まだまだ続くから、最後まで楽しんでください』

 

『うおおおおおお! 人和ちゃーーん!!』

 

『よ~し、このまま天下獲るわよ!!』

 

 

 

「ちょ、ちよっと! 天下って!?」

 

「け、決して漢王朝に弓引こうとか、そんなのでは無いです!」

 

「歌と踊りを天下に轟かせる……といった所か」

 

「はい! 地和ちゃんは間違いなくそのつもりで言ったはずです!!……ですが――」

 

 

 

彼女の言葉と共に会場は騒然としだした。観客達は互いに顔を合わせ何かを話している。

 その様子に三姉妹が怪訝に思っていると――

 

――天下……漢王朝を滅ぼすんだ!

 

――天和ちゃん達がいればオラ達は無敵だ!

 

――さっそく隣町にも知らせてくるだよ

 

――俺も行くぞ!!

 

『あ、あんた達、何を言ってるの!?』

 

『皆さん、落ち着いて下さい!』

 

『た、大変~』

 

三姉妹の制止も空しく、観客達の勢いが止まることはなかった――

 

 

 

「漢王朝打倒を掲げた者達に付き人を追い出され、行き場の無くなった自分はここに流れて来ました」

 

「……お主はその狂気に身をゆだねようとは思わなかったのか?」

 

「先ほども申し通り、彼女達の真意はわかっていましたから」

 

「……」

 

「じゃあ、黄巾の長の張角って……」

 

「張角は天和ちゃんの名です。彼女達は皆に真名で呼ばせているので」

 

となるとのこった姉妹の二人が張宝と張梁だろう。一時期は五十万にも及ぶ勢力になった黄巾の長が、まさかただの旅芸人だとは――、

 

「その後、彼女達は説得を試みたか?」

 

「そ、それは勿論、彼女達が心配で黄巾に身を寄せていた時に何度も耳にしました。ですが……」

 

観客達が落ち着いて彼女達の話しに耳を傾けた頃には、黄巾は手がつけられないほどに拡大していた。彼女達を知る者の方が少なくなり、黄巾の長だと認識されず元の旅芸人として黄巾にいるという。

 

「このまま黄巾に居れば、いずれ官軍に討伐されてしまいます! お願いします! 彼女達を助けてください!!」

 

「……」

 

大陸の疲弊は最高潮に達していた。彼女達は体よく祭り上げられただけで、放っておいても農民達は感情を爆発させたに違いない。……しかし彼女達が黄巾の乱を起こしたのも又、事実である。

 

「自分は――彼女達に救われたんです……」

 

説明を終えた男はポツポツと心情を語り始める。凶作、疫病、重税、度重なる不幸に男を含め彼の村の面々は我慢の限界だった。村人達で集まり役人を襲う計画を立てたのも一度や二度では無いという。

 

そこへ彼女達が現れた。現在のように完成度の高くない歌と踊りだったが、娯楽の無い自分達を癒すには十分だった。

 以来仕事に精を出し。貧しくも充実した毎日を送ることが出来た。

 彼女達が現れなければ黄巾が出来る前に役人を襲い。自分達は処刑されていたか、良くても賊に身を堕としていただろう。

 

「彼女達が自分を救ってくれたように今度は彼女達を助けてあげたい。しかし自分には何の力もございません……」

 

「それで我か、だが我が袁家も漢の忠臣ぞ」

 

「ですが……、他の諸侯とは違い私達を救ってくれました!」

 

「……」

 

「私は反対です」

 

袁紹の顔に同情の色が出始めていたのを感じた桂花は、彼が情に流された決定をする前に自分の意見を口に出した。

 

「私達の陣営は、受け入れた三十万にも及ぶ難民達を管理するので手一杯です。

 ここは当初の予定通り、張角の事は諸侯に任せ内政に力をいれるべきだと進言いたします」

 

「……」

 

桂花の意見を聞き、袁紹はそのままもう一つの頭脳である風に目を向ける。

 彼女は目を閉じ静かに首を横に振った。

 

「風も桂花さんに賛成なのです~。彼の話に確証は無いですし。動き出した諸侯を出し抜くのは難しいかと、仮に出し抜けたとしても、南皮の内政を頓挫して得られるのは旅芸人三人の身柄……割に合わないです~」

 

「……フム」

 

「そ、そんな」

 

彼女達の意見を聞いた袁紹は難しい顔をして目を閉じる。その様子に男は顔面蒼白になった。

 彼に桂花と風がどのような立場の者かはわからない。しかし彼女達の意見は正論で、袁紹がそれを重視しているのは肌で感じた。

 

男が顔を伏せ絶望に染まり始めた頃、袁紹は静かに目を開いた。

 

「桂花! 斗詩、猪々子、音々音の補佐があればどのくらい南皮を取り仕切れる?」

 

「――二、いえ、およそ三ヶ月は」

 

「一月、長くても二月で戻る。その間南皮を頼む」

 

「畏まりました」

 

「風、利が無ければ作れば良い。違うか?」

 

「フフフ、そう言うと思っていたですよ~」

 

「我が陣営以外に張角の正体を知る所はあるか?」

 

「各諸侯より情報が集まる私達が知らなかったわけですし。知っている所は無いかと」

 

「なれば張角の正体を流布せよ、かの者は『男』であるとな」

 

「は~い」

 

「恋と星の両名は遠征の準備、各諸侯の前で主らの武を見せつけよ!」

 

「……(コク)」

 

「久々の実戦、腕が鳴りますなぁ」

 

「あ、あの!」

 

袁紹達のやり取りを見ていた男が思わず声を掛ける。先ほどの流れでは断られると思っていた。

 

そんな彼とは違い。袁紹の周りに居た娘達には始めから彼の決定が解っていた。

 為政者として感情を殺そうとしているが、目の前で困っている人間を放っては置けない。

 自分に――自分達に出来る範囲で助けたいと願っている。桂花と風の両名はそんな彼の気質を理解しているからこそ、自分達の意見を述べた。 張角達を救い出すのはこのような不利益があると確認しただけだ。

 それでも尚袁紹が助けるというのならもう言葉は必要ない。後は最善を尽くすだけだった。

 

「ほ、本当によろしいので?」

 

恐る恐るといった様子で尋ねる。実は本当に手を貸してもらえるとは思っていなかった。

 

付き人である事から追いやられた後も、彼女達を思って黄巾に身を寄せていた。

 しかし自分に助ける知恵もなければ力も無かった。やがて食糧難になり泣く泣くこの南皮に辿り着いたのだ。そして満足な食を口にし、しばらく安定した生活が約束されると、男に再び彼女達を助けたいと言う思いが芽生えた。

 だからこそ文字通り藁にも縋る思いで、むしろ断られれば踏ん切りもつくと自分に言い聞かせ進言したのだ。

 

一時期は黄巾に所属していた自分の言葉を、漢の忠臣と呼ばれる袁家が信じると誰が思うだろうか第三者から見れば唯の旅芸人である彼女達のために、勢いがなくなったとは言え二十万近い勢力に立ち向かうと誰が思うだろうか……

 

「今のご時勢、低い身分で太守に声を掛けるのは命がけである。我は己の命を賭した男の言を疑えるほど器用ではない」

 

「……」

 

唯でさえ命の価値が低い時代である。袁紹の言うとおり男の進言は自暴自棄になりながらも命がけだった。

 

「安心せよ、我が袁家には出来ない事の方が少ないからな! フハハハハハー!!」

 

「う……うぅ」

 

まるで男の不安を払い除ける様に豪快に笑う袁紹。彼のその言葉と姿は男にとって、      暗雲に差し込む一筋の光そのものであった――

 

 

 

………

……

 

 

数ヵ月後、各地で散り散りになった黄巾賊を討伐しながら、各諸侯は広宗(こうそう)に集結していた。

 広宗に篭城している黄巾賊は最後の最大勢力であり、その中に張角も居ると思われる。

 

手柄を立てようと集まった諸侯の一つである孫呉そしてその長女である孫策は、広宗に向かってくる軍旗を見つめ唖然としていた。

 

「……ねぇ冥琳」

 

「なんだ?」

 

「貴方、袁家は張角討伐に動かないって言ったわよね?」

 

「言ったな」

 

孫策に真名で呼ばれた女性――周瑜は眼鏡の位置を直しながら肯定する。

 

「『袁』の一文字に『趙』『呂』『程』の軍旗、袁家当主である袁紹殿に間違いあるまい」

 

「普通に来てるじゃないのよー!?」

 

冷静な周瑜とは違い孫策は珍しく頭を抱えた。それも無理は無い。独立を目指す彼女達にとって張角の首は喉から手が出るほど欲しい手柄だ。

 

 黄巾の乱は自分達の名を売るのに相応しい大舞台だった。しかし、黄巾討伐に動く前に袁紹の策が始動し黄巾賊は瞬く間に勢いを失ってしまう。故に自分達にできたのは残党のような黄巾賊の討伐と、南皮に向かう『難民』の道案内ぐらいであった。

 

「ただでさえ好敵手が多いのに袁家も参戦だなんて……、嫌になるわね」

 

今まで碌な手柄を立てられなかったのも相まって、孫策の機嫌は悪くなる一方だ。

 そんな彼女に周瑜は苦笑しながら口を開いた。

 

「その点では問題は無い。あの二人がいる私達はどの諸侯よりも張角の首に近いからな」

 

「そうね、あの二人が居れば――って他に問題があるの?」

 

孫策は頼りになる二人を頭に浮かべながら笑顔で問う。隠密に優れた彼女達はすでに広宗内部に潜入している。広宗を包囲しているだけの諸侯よりも断然有利な立場にあった。

 

それとは別の問題で周瑜は端正な顔を歪める。機嫌が直った友に告げるのは心苦しいが、対策を立てるためにも伝えなければならない。

 

「……問題は彼が袁家当主であり、袁術の兄というところにある」

 

「どういうこと?」

 

「袁術の下で食客として使われている私達に、当主である彼の命を断る術があると思うか?」

 

「……あ~」

 

独立を成していない孫呉と、袁家当主である袁紹陣営には天と地ほどの差がある。

 どのような無理難題を命じられても断れないほどに……

 

「で、でも私達が先に張角の首を取れば問題無いじゃない?」

 

「袁紹の補佐を命じられたとしたら? 補佐が彼の陣営を差し置いて張角を討ち取ったら、機嫌を損ねるだろうな」

 

「うっ……ほ、ほら! 袁紹様ってば人徳に厚いって噂だし――」

 

「袁紹がそうでも周りが同じとは限らん、それに――張角の首を狙うなら手は多いほうが良い。私が袁紹の軍師ならそうする」

 

「もう! どうすればいいのよ!?」

 

「そうならない様にこうして頭を捻っている。だから……挨拶の時に余計な事をするなよ?」

 

「す、するわけないじゃな~い」

 

「……」

 

こうなったら色仕掛けで――などと考え始めていた彼女に釘を刺して、接近してくる軍旗に再度目を向ける。

 

「……何かあるな」

 

袁紹の要求がどのようなものであれ、向こうの出方次第で孫策達をどうとでもできる為、対策の立てようが無かった。

 

そして周瑜は袁紹からあるかもしれない要求より気になる点、彼等の目的に疑問を持った。

 並みの思考であれば張角の首が目的だと考えるだろう。しかし孫呉の頭脳として動いてきた彼女には別のものが見えていた。

 

「財力を駆使して『難民』を受け入れ、将来的な内需と軍備の拡大を確約させた。

 そんな彼等に今更、張角の首に価値があるとは思えん」

 

袁家は朝廷の許可なしに派手に動いた。力を失った漢王朝は事実上黙認しているが、不満を募らせている。

 そんな彼等に対するご機嫌取りとして張角の首を――それも無い。

 

放って置けば、諸侯に討たれるほどに弱まった賊の長の首などたかが知れている。

 討ち取ったところで朝廷の心象には焼け石に水、まったくの無駄とは言えないが内政を停滞させてまで価値があるとは思えない。故に別の目的がある――周瑜にとって当たり前の結論であった。

 

「願わくば挨拶の際に、探りを入れさせてくれるほど甘いことを期待したいが――」

 

一歩間違えれば漢王朝と敵対するかもしれない大計略をやってのける度胸、発想、その他諸々を含め袁術派の愚鈍な者達とは比べものにはならないだろう。

 

「……まったく、やっかいな相手だ」

 

そう呟く周瑜の口角は上がっていた。諦めた訳でもやけになったわけでもない。自分達よりも遥かに強大な勢力をどのようにして避わし、或いは操ることが出来るか、自分の才がどこまで通用するか試したいという。狩りをする者の様に獰猛な笑みだったが――

 

「やだ……冥琳カッコイイ……」

 

「……」

 

孫策の横槍ですぐに表情を戻した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




常山の蝶 趙雲

好感度 50%

猫度 ……フム

状態 好感

備考 善政、人事、大計略において稀代の傑物だと思っている
   ……ように見えて虎視眈々と弱点を探っている


居眠り軍師 程昱
 
好感度 60%

猫度 『言わせねーヨ!』

状態 好感

備考 袁紹を太陽みたいに暖かい主と思っている。
   いくらか改善されたが、いまだ無防備な姿の主に対して
   何かを画策している。




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第20話

~前回までのあらすじ~

男「彼女達はある意味被害者、助けてくれよな~頼むよ~」

袁紹「しょうがねぇな……じゃけんついでに恋のお披露目しましょうね~(無慈悲)」



………
……


孫策「なんでや! 内政忙しいやろ!!」

周瑜「何が目的だ!? 金か! 物か!!」


大体あってる


 広宗(こうそう)に辿り着いた袁紹陣営はさっそく野営地に天幕を準備させた。本来であれば諸侯に挨拶に向かうべきではあるが、袁家は此処に集う諸侯の中で最も格式が高いため、先に設置させた豪華な天幕の中で風と二人、来たる来客に備えていた。

 

「『曹』の軍旗があったが……、姿が見えなかったな」

 

「現在曹操軍は城壁の黄巾賊と交戦中なのです~」

 

「ほほう、……落とせると思うか?」

 

「現状では無理ですね~」

 

 天幕が設置されるまでの間に戦況を見に行っていた風によると、曹操軍は単純な消耗戦を仕掛けているらしい。幾度も城壁に梯子を掛けてはいるが、城壁の上は黄巾で埋め尽くされており一進一退の攻防がなされていた。

 

「……らしくないな」

 

 私塾の頃から彼女を良く知る袁紹は首を傾げる。奇抜ながらも状況を打開する策は考え付いてるはずだ。又、ここ数年訓練させた兵達ならば多少の無茶にも答えられるだろう。

 そんな彼女が何故凡戦に甘んじているのだろうか―――

 

「多分、稟ちゃんの指示ですよ」

 

「郭嘉の……」

 

 袁紹陣営を離れた郭嘉は曹操の下で仕えていた。出発前の餞別と、短い間であったが客将として雇ってもらった事で、律儀な彼女は手紙で礼と現状を報告していたのだ。

 

「しかし余りにも――」

 

「言いたいこと、疑問に思ったことはわかっていますよ~、でも風からこれだけは言えるのです」

 

 そこで言葉を切った風は、正面から袁紹を見据える。

 

「彼女の考える策に、無駄なことは何もありません」

 

「……」

 

 いつになく真剣な表情、風としては真面目な雰囲気を作ろうとしたのだろうが――

 

「慣れぬことをするでない。頬が震えておるぞ?」

 

「あう!?」

 

 無理して表情を作っていたのが看過され軽く小突かれてしまう。袁紹としてはちょっとした悪ふざけのつもりだったが、風は瞳に涙をためながら此方を睨んでいる。

 ……後が怖いかもしれない。

 

「失礼致します。孫家の孫策様が配下の者と共に、袁紹様へと挨拶に来ておりますが……」

 

 涙目になった風を必死になだめていると、(高級菓子で手打ち) 天幕の前で見張りをしている兵が来客を知らせた。

 

「……思ったより早かったな」

 

「孫家の勢力は未だ小さいですから、遅れてお兄さんの機嫌を損ねるわけにはいかないです」

 

「……」

 

「ではお兄さん、手筈通りに……」

 

「うむ」

 

 来客者の名を聞いた二人からは、先ほどのような緩い空気が消えている。 

 袁術の食客としてこき使われている孫家、独立を目指し、どの諸侯よりも張角の首に固執している。そんな彼女達が一番に袁紹の顔色を気にしていると確信していた二人は、ある『頼み』を用意していた。

 

 

 

 来訪を知らせた兵士に中に入れることを許可すると、三人の見た目麗しい女性が姿を現した。

 

「初めまして袁紹様、孫伯符と申します」

 

 最初に挨拶をしたのは孫策、ややぎこちなく桃色の髪を揺らしながら頭を下げる。

 露出度の高い服から覗く褐色の肌が眩しく、女性らしい膨らみがある体型も相まって、相当な色気を醸し出している。

 

しかし、それよりも気になったのは彼女の目だ。端正な顔に隠されること無く意志の強さが見て取れ、気高い獣のように野生的な魅力が感じられた。

 

「その補佐、周公瑾と申します。袁紹様のご高名はかねがね……」

 

 続いて挨拶したのは周瑜、ぎこちない孫策とは違い美しい動作で頭を下げた。

 こちらの服装も露出度が高く、特に胸元が大きく開いており二つの果実が自己主張している。

 

 長く美しい黒髪から覗かせる端正な顔つきには、高い知性が感じられ彼女の有能さが窺える。

 史実においても美周郎と賞賛されるほどに美形であったが、異性だからなのか、袁紹の目にはことさら魅力的な女性に映った。

 

「そしてわしが孫家家臣、黄公覆(こうふく)と申す。此度は袁紹殿にお目にかかれて光栄の極み」

 

 最後に挨拶したのは黄蓋、慣れた手つきと言葉で頭を下げる。

 始めの二人に比べ、服の露出度も低く落ち着いた雰囲気を醸し出しているが、孫策と周瑜とも比べ物にならない戦力を胸に有しており、孫呉陣営の魅力の高さが窺え―――

 

「……コホン」

 

「っ!?」

 

 袁紹が鼻の下を伸ばしかけていると風がそれを止めた。これから彼女達と駆け引きするのだ。

 初手で取るに足らない男と、舐められるわけにはいかない。

 

「風は程昱と言うのです~。そして風の上に居るのが」

 

宝譿(ほうけい)だぜ、よろしくな姉ちゃん達!』

 

 「「「……」」」

 

 突然しゃべりだした(?)宝譿に唖然とする三人。その姿に苦笑しながら袁紹は前に出た。

 

「そして我こそが袁家現当主、袁本初である! お主達の活躍は度々耳にしている。

 共に此度の乱を収束させ大陸の平和を取り戻そうではないか! フハハハハハ!!」

 

 「「「……」」」

 

 挨拶と共に豪快な宣言と笑い声を上げる袁紹。そんな彼に孫家の面々は異なる胸中を抱く――

 

(へぇ……)

 

 孫策が抱いたのは好奇心、言うまでもなく袁紹の名は有名である。幼少の頃から研鑽してきた彼は文武両道として名を馳せていたが――孫策はそれを信じていなかった。

 それもそのはず。この時代の名族など自尊心が服を着て歩いてるようなものである。

 彼等の多くは幼少の頃から神童ともてはやされ、文武両道を自称する者で溢れかえっている。 実際袁術陣営はその類の者達であったし。例に漏れず愚鈍の集まりであった。

 

 では目の前の袁紹はどうか? 愚鈍などではない。自分の『勘』がそう強く告げている。

 名族の気に隠れて武の匂いを感じる。文武両道の言葉に偽りはないようだ。孫家の今後を担う 長女でありながら武人でもある孫策は、見え隠れするような袁紹の武の香りに惹かれ――

 

(顔も良いし真面目に嫁入りを考えるのも悪くないわね。袁家が後ろ盾なら心強いし)

 

 幸いにも自分達三姉妹は異なる魅力を持っている。後は彼の好み次第か――と、好感を抱き早くも好みの女性を検討し始めていた。

 

(……)

 

 周瑜が抱いたのは警戒心、先ほどの言動や表情からは自信の強さが感じられた。

 自尊心の高い者には傲慢、並の者には慢心に映るであろう気位の高さに隠れ、その瞳からは知性の光を感じさせる。後ろに控えている娘も只者では無さそうだ。

 

(探りを入れるにしても慎重にいかねばなるまい。もっとも、聞き出せるとは思えないが……)

 

 どうにかして袁紹の目的を知りたかった彼女は、その難易度の高さに癖で頭を抱えそうになり、 かわりに腕を組んだ。それにより胸が強調され袁紹の背後から恐ろしい殺気が漏れていた――

 

(……むぅ)

 

 黄蓋が抱いたのは畏怖、先の二人に比べ老獪な彼女は袁紹の器に着目していた。

 三公を輩出した名門袁家の現当主、彼が着任してから南皮は急速な成長を遂げており、只者ではないと常々思っていたが――

 

(何と大きな器を感じさせるのだ。気を抜けば跪いてしまいそうじゃ……)

 

 彼女が敬愛する主、孫堅にも勝るとも劣らない覇気、決して慢心などではない実力に裏づけされた自信溢れる立ち振る舞い。なるほど――この強烈な光に魅せられ人が集まるのだろう。

 

 これでまだ若いと言うのだから堪らない。伸び代を残している彼はどこに行きつくのだろうか――顔に笑顔を貼り付けているが、黄蓋は背中に冷たい汗を感じていた。

 

 三者三様の胸中だったが、袁紹に一目置いたのは同様だった。

 

 ――そんな彼女等の様子に袁紹は一先ず安心する。普段であれば名族の自分に緊張しないよう気を配るのだが、今回はあえて場に緊張感を作る。これから『頼み』を聞かせるためにも、 彼女達と必要以上に友好的になってはいけないと口をすっぱくして言われていた。

 

「さて、挨拶したばかりで悪いが『頼み』があってな」

 

 ――来た! 袁紹の言葉に孫呉の三人――特に周瑜が構える、袁紹の要求がどのようなものであれ自分達に不利益に動く可能性が高いとして、孫策等とも話し合った結果、断るのが一番という結論になっていた。

 

(どのような要求であれ避わしてみせる!)

 

 すでに周瑜の頭の中には、どのような要求も避けられる言葉が用意されていた。

 例え補佐を命じられても、例え――討ち取った張角の首を差し出せと命じられても。

 後は袁紹の要求次第で用意していた言葉を話せば良い。多少違うことでも臨機応変に対処してみせる。

 

 そして袁紹が口を開いたが――彼の要求は想定外の物だった。

 

「広宗の門が開く正確な時を教えて欲しい」

 

「――門を?」

 

 その言葉に孫策と黄蓋の二人は、大きな疑問符を浮かべるようにして首を傾げた。

 袁紹の要求が想定していた物と違うという理由もあったし。何より未だ城壁で熾烈な戦いが起きている中、門が開く刻限など知る由も無かったが―――

 

「開けるのであろう?『お主等』が」

 

「――っ!?」

 

 続いて発せられた言葉に周瑜は目を見開いた。

 

 

 

 

 

 諸侯を出し抜き張角を保護するのは至難の業である。偽の手配書が流布してはいるが、先に彼女等を確保されては露見するのも時間の問題だった。

 ならばどう動けば良いか――意見を求められた風は、何処よりも先に門をくぐるのが一番手っ取り早いと答えた。

 

「孫呉陣営に門を開かせる?」

 

「はい」

 

 袁家に仕官した彼女は、周辺諸侯の動向や内情に目を光らせてきた。その中には当然孫呉の情報もあり、風が今回注目したのは甘寧と周泰という二人の武将だ。彼女達は隠密に特化した武将らしく、間違いなく広宗内部に潜入させていると踏んでいた。

 

「潜入しているのなら、そのまま張角の首を狙うのではないか?」

 

「それは難しいですね~」

 

 仮にも総大将の張角、その周りは護衛の者で固められているはずだ。もし運よく討てたとしても首を持ち帰らなければ手柄にならない。

 大将を討たれ頭に血が上った黄巾賊から、首を抱えながら広宗を脱出するのは至難の業である。

 

「もっと確実な手段にでるはずです」

 

「それで城門か」

 

 何らかの手法で城門を開いてしまえば、たちまち黄巾と官軍の全面衝突になる。

 彼等が争っているうちに張角の首を取り、混戦に紛れて脱出する――単純だが一か八かの手法より有効な手段だった。

 

「そこで私達は城門が開くと同時に中に進撃、恋さんに派手に暴れてもらい。星さんに張角を目指してもらいます――問題は」

 

「城門がいつ開くか……だな」

 

 城門が開くと同時に張角を目指せば、孫呉の隠密二人とも距離が開かない。偽の手配書の効果で手を止めさせる事が出来れば十分勝算があった。

 

「孫呉の頭脳として動いている周瑜さんなら、さらに成功率を上げるべく、自分達が攻め入れられるよう城門が開く時を決めているはずです」

 

「しかし、手柄を横取りされると思うのでは?」

 

「十中八九そう考えるでしょうね~。だからお兄さんは潜入させているのを知っている『ふり』だけすればいいです」

 

「……? それだけか?」

 

「はい、後は彼女が才女であればあるほど――」

 

 

 

 

「……」

 

 周瑜は想定すらしていなかった最悪の可能性、『潜入している二人の存在の露見』が出て来た事に冷や汗を流していた。

 想定していなくて当然だ。彼女達の任は孫呉陣営においても秘中の秘、武将としての存在は知られていても広宗に潜入していると知る者など存在して良い訳が無い。

 

 しかし先ほどの袁紹の言動――城門が開く時を知りたいと言った後に、自分達孫呉陣営が開けると『知っている』かのような言。

 おそらくは鎌掛けであろう。しかし周瑜には――否、自分達には彼が知っていると仮定して動かなければいけない理由があった。

 

 袁家と孫家では天と地ほどの差が存在する。そんな彼等に虚偽を報告したとして心象を悪くするわけにはいかない。第一城門は開かせる手筈なのだ。此処で二人の存在をとぼけても後で露見するだろう。

 

「――はい、甘寧と周泰の両名は『情報収集』のため、広宗内部に潜入させております」

 

(め、冥琳!?)

 

(……)

 

 吐き出すように呟いた親友の言葉に孫策は目を見開く、手柄を立てるためにも二人の存在を秘匿にするように、と語った本人がその存在を暴露したのだ。黄蓋には何となく肌で感じていたが、単純明快な孫策は混乱していた。

 

「フム、貴重な秘を大局のために晒すこと、まこと大儀である」

 

「――ハッ」

 

 どの口で言っている!――恭しく頭を下げながら胸の中で叫び、歯軋りをした。

 袁家のような強大な勢力など敵にまわせない。最悪彼等と懇意にしている諸侯も敵になるであろう。

 

 彼女にとって先ほどの言葉は『言わされた』ような物だ。そこに自分達の意思など存在しない。

 

 そんな彼女の胸中を知ってか知らずか、袁紹は上機嫌で目録を差し出した。

 

「……これは?」

 

「先程も言ったが、これは命令では無い。『頼み』だ。ならば報酬があるべきであろう?」

 

「ちょ、ちょっとこれ!?」

 

 先に目を通し声を上げた孫策につられ、のこった二人も確認する。

 目録には自分達孫呉の陣営を数年は賄えるほどの、物資や資金が記載されていた。

 

(荷馬車の数が多かったのはこれか……)

 

 袁紹の天幕に向かう途中、彼女達には無駄に多い荷馬車が目に入っていた。

 まさか予備の兵糧ではなく財の類だとは――

 

 莫大な報酬に目を白黒させる孫策と黄蓋、しかし周瑜は――

 

(……良し!)

 

 表情には出さないものの内心口角が上がる思いだった。この状況は彼女の『想定内』だからだ。

 財力に余裕がある袁家ならそれを使ってでも要求してくる。しかし周瑜にとってこの状況こそが待ち望んでいたものであった。

 

 城門が開く刻限を教えて欲しい――という要求に対して報酬が過剰すぎる。

 これであれば逆に断りやすい。『この報酬に見合う働きが出来るとは思いません』そう言えば良いだけだ。あらかじめ『情報収集』が目的とも言ってある。後は素知らぬ顔で当初の予定通り城門を開けさせ、言及があれば偶々うまくいったと報告するだけだ。

 

 報酬は残念だが背に腹は変えられない。この程度の金品では張角の首に見合う名声は得られないのだから――

 

「成否は問わぬ、受けるだけでも報酬をやろう」

 

(――っ!?)

 

「な、なんと」

 

 しまった! 想定外の言葉に周瑜は、自分の用意していた逃げ道が音を立てながら崩れていく感覚に陥った。

 提示された報酬は孫呉にとって喉から手が出るほど欲しい物品である。今回は張角の首に軍配が上がっていたから断る言葉が用意できたのだ。

 しかし成否を問わないのでは話が違ってくる。報酬を、そして頼みを断る理由が存在しない。

 

 では報酬だけ受け取ってしまえばどうか――さらにまずいことになるだろう。

 刻限を伝えず、当初の予定通り張角の首を上げたとする。情報伝達が難しく正確な刻限がわからなかったと惚けて見せる。――それでも袁紹は報酬を渡すだろう。言葉の通りに

 

 そして諸侯は疑問に思うのだ。孫呉は袁家から何故大量の物資を貰っているのかと、疑問に思った諸侯は袁紹に質問する。彼はそれに答えるだろう。そして諸侯は思う、城門を開けられる手段を持ち報酬を受け取りながら、袁紹の頼みを反故にして報酬だけ受け取る恥知らず――と、勿論そうならないかもしれない。しかしなる可能性もあった。

 

 そうなれば孫呉の評判は地に落ちる。独立を成しえても諸侯から孤立してしまうだろう。

 

「……城門を開いた後我々は?」

 

「好きに動くと良い」

 

「……」

 

 彼が提示したのは城門の開く刻限だけ、落とし所があからさまに用意されているようで嫌悪感を感じるが、首を縦に振る他無かった。

 

 袁紹に会う前は彼を手玉に取ることを夢想し。その感覚に酔いしれていた。

 まさかここまで後手に回されるとは――

 

「っ!?」

 

 その時、袁紹の後ろに控えている娘と目が合った。真っ直ぐに周瑜を見据え視線で語りかけてくる。

 

 ――もう逃げ道は存在しませんよ?

 

 そして周瑜は悟った。これは彼女が用意した包囲網だ。袁紹という名族を使い、自分達に圧力を掛けることで選択肢を狭め、わずかに残っていた逃げ道を財力で封じた。

 

 ――化け物め、周瑜は目の前の小さな娘に内心悪態をつく、恐らくあの鎌掛けから彼女の策略だったのだろう。

 文官、とりわけ軍師という名の生き物には拭い難い癖が存在する。『最悪の想定』だ。

 軍を動かす上で色んな状況の変化が存在し、それを予め想定していれば有利に動けるため、有能であればあるほど最悪の事態を想定、対処を考えておくものだ。

 

 周瑜は袁紹の言葉から最悪の事態『潜入の露見』を想定し、まず確証が無いとしても万が一を考え暴露してしまった。

 言わされたのではない。言ってしまったのだ。例えそうなるように誘導されたとしても――

 

 それを成したのは目の前の小娘――名を程昱。取るに足らない相手だと甘く見ていた。

 孫策の末妹とそう変わらぬ年齢、頭上の人形が喋っていると見立てる子供らしさ、今考えてみると全てが油断させるために用意されたのではないかと勘ぐりたくなる。

 

 周瑜が目の前の程昱に畏怖していた頃、風もまた冷や汗を流していた。

 

(奥の手を使わざるを得ませんでしたか、流石です~)

 

 袁家の財が潤沢だからといって、無尽蔵にあるわけではない。袁紹が目指す世の為にもなるべく支出を抑えたかったが――、周瑜がそうはさせなかった。少ないやり取りだったが躊躇していたら逃げられていたかもしれない。

 

 他の者であれば、例えば孫策と直接交渉していたらどうか? もっとうまく事が運んだであろう。

 周瑜とは別の手段で言質をとり、城門を開ける刻限だけが条件として、財に頼らずとも『頼み』を確約出来た筈だ。

 

 しかし周瑜は手強かった。風が袁紹に用意させた包囲網を掻い潜り、どこまでも拒否に持って行こうとしてみせた。最後に用意してあった目録、財力は奥の手であった。

 

 もし逆の立場であったらどうだっただろうか?――不毛な考えかもしれないが予想せずにはいられない。此方の術中に掛かりながらも、勢力を背景にした圧力に屈する事無く逃げ道を模索し続けた周瑜。

 彼女が自分の立場だったら、財力に頼らずとも要求を通しただろう。風はそう彼女を評価した。

 

「……孫策様」

 

「袁紹様の『頼み』お受けいたします」

 

「おおっ! そう言ってくれるか! ならばその目録にある金品お主等の物だ。後で届けさせよう」

 

「――ありがたく」

 

(冥琳……)

 

 恭しく頭を下げる親友の姿に孫策は胸を痛める。先ほどのやり取りがどのような物か理解できなかったが、断るはずの要求を受け、袁紹と程昱に大敗を喫したのは勘で感じていた。

 

 やられっぱなしは面白くない――やられたらやり返すのが信条である彼女は、すでに意趣返しを模索していた。

 とはいえ相手は強大な勢力を誇る袁家の当主、敵に回すわけにはいかない。

 敵に回す事無く、尚且つ相手をうろたえさせる様な何か、悪巧みを思いついた彼女は口を開いた。

 

「これほどの物資をポンとくれるなんて私、袁紹様に惚れちゃったかも♪」

 

「なっ!? 雪蓮!!」

 

「策殿!?」

 

素早い動きで袁紹に近づき右腕に抱きつくようにして絡みつく、自然と彼の腕は胸に埋もれた。

 

「袁紹様はまだ正妻がいないでしょ? 私なんてどう? 結構自信あるんだけど~」

 

 無礼ともとれる行動にオロオロする黄蓋、頭を抱える周瑜、殺気を放ち始める風など、混沌とした光景だったが意外にも袁紹は落ち着いていた。

 そんな反応の薄い彼を怪訝に思っていると――

 

「フム、悪くない」

 

「えっ!?」

 

 いつの間にか腕から抜け出した袁紹は孫策を右手で抱きしめ、左手で彼女の顎を持ち顔を自分に向けさせた。

 え、まさか本当に?――ほぼからかい目的だった行為でこのような事態になるとは思っておらず。

 近づいてくる袁紹の顔を惚けながら見ていると――彼は柔らかい笑みを浮かべ孫策を解放した。

 

「経験豊富を装っているが――生娘だな? 己を大事にせよ」

 

「うっ」

 

 解放した後の彼の言葉に羞恥心から顔を赤らめる。袁紹の言葉通り孫策には男との経験が無い。

 彼女には戦場で戦った後、身体が昂るという悪癖が存在していたが、そんな彼女を静めるのは周瑜の役目だ。

 それも半ば強引にである。そんな自分がここまで攻められるとは思わず。顔に出てしまった。

 

(く、悔しい~~! 覚えてなさいよ、いつかアッと言わせてやるんだから!!)

 

 孫呉独立の他に、袁紹を手玉に取る――が目標に追加された瞬間だった。

 

 

………

……

 

 

 日が沈んだ頃、広宗内部に潜入していた甘寧は、人気の無い場所で壁に寄りかかり相方を待っていた。

 

「お待たせしました思春さん」

 

「来たか明命、……文を持っていると言うことは何か知らせが?」

 

 潜伏している自分達は陣営と矢文による情報交換を行っていた。正規の軍に潜入していたのであればまず不可能だが、元々は農民の集まりである黄巾達の目を欺くのは容易い。

 

 文に目を通した甘寧は目尻にしわを寄せる。あの『袁家』が参戦してきたこと、彼等の要求により門を開く刻限が漏洩したことが記されていた。

 

「……厄介な」

 

 主達の期待を背負っている自分達は、是が非でも張角の首を獲り孫家の名を轟かせたい。

 諸侯の中で好敵手は曹操軍だけと睨んでいた彼女達にとって、この知らせは目を覆いたくなるものだった。

 

「作戦は……変更ですか?」

 

「……いや当初の予定通り行く」

 

 元より、そうしなければ我が陣営が袁家に何をされるかわからない。

 

「奴等がどう出ようと私達の足には敵わぬ、地の利もあるしな」

 

「そうですね!」

 

 甘寧の口角が上がる。油断している訳ではないが、自分達は圧倒的に有利な立場にあった。

 数日に及ぶ情報収集により張角の居場所は掴んでいる。開いた門から黄巾を相手にしながら張角を目指す他の諸侯とは違い。自分達二人は裏道から黄巾賊を避け、把握した街の構造を元に最短距離で駆け抜けられる。後は警備が手薄になった張角を狩るだけだ――

 

………

……

 

 明朝、広宗後方に位置している黄巾賊達の兵糧庫、その『付近が』炎に包まれていた。

 日も上がりきっていない時間帯の出来事に、黄巾賊達は慌てて消火活動に勤しんでいた。

 

 そして警備が薄くなった城門、そこに残っていた十数人の警備は音も無く倒され門は開かれた。

 

「か、官軍だああぁぁ!! 官軍が門から押し寄せてくるぞおおお!!」

 

 

 

 

「うわぁ……あの人すごいですね思春さん!!」

 

「袁紹軍……呂布か」

 

 遠目で様子を見た二人の口から感慨の言葉が漏れる。自分達とは次元の違う武力に数瞬魅せられていたが――

 

「行くぞ明命……張角だ」

 

「は、はい!」

 

 己達の役目を再認識し行動を開始した。万が一にも他に遅れを取るわけにはいかない……

 

 

 

 

(……明命)

 

(……はい)

 

 広大な広宗の裏道を、張角に向かって疾走していた彼女達は互いに目を見やり確認した。

 

(つけられていますね……黄巾でしょうか?)

 

(元農民や賊ごときが私達について来れるとは思えん、他諸侯の手の者だろう)

 

 走りながらチラリと後方にいる人物に目を向ける。蝶を模した珍妙な仮面をつけているが、ここまで自分達について来れるあたり只者ではない。

 

(追い払いますか?)

 

(……必要ない)

 

 相当の手練れ、それでも自分達二人ならば対処できるはずだ。

 だが今回は失敗が許されない。武力行使以上の確実な策が必要だった。

 

(この先二手に分かれるぞ、奴がついて来たら――)

 

(適当な道を行き時間を稼ぎ、残った一人が先に張角を――ですね!)

 

 即座に意を解する相方に、甘寧は珍しく頬を緩めた。

 二手に分かれることで少し遠回りになるが止むを得ない。自分達と同等か、それ以上の武人を引き連れるわけにはいかないのだから――

 

(ここだ! 私は右、明命は左を頼む)

 

(はい!)

 

 そして阿吽の呼吸で分かれ――彼女達の後に続いていた華蝶仮面は立ち止まった。

 

「おや、気配は消していたはずでしたが……本業には適いませんなぁ」

 

 突然の事態にも関わらず華蝶仮面、もとい星には慌てた様子が感じられない。

 

 追って来た者をかく乱するための手段を即座に編み出してみせた甘寧。

 彼女の意思を理解し対応してみせた周泰。

 非の打ち所の無い完璧な動きのようであったが、ある事が盲点となっていた。

 

「このまま前に進んだ方が近いと言うのに、ご苦労なことですなぁ……フフッ」

 

 彼女達のとった手段には、相手が予め張角の場所を知っていることは、想定されていなかった

 




皆大好き金髪覇王との絡みは次回、大計略の呼称決定! 結果は活動報告欄にて!!

NEW!狂戦士 孫策

好感度 40%

猫度 「ニャン♪」

状態 好感

備考 袁紹にしてやられた事を根に持っている
   わりと本気で取り入ろうとしている
   末の妹と相性が良い予感を感じている


NEW!苦労人 周瑜

好感度 10%

猫度 「申し訳ないが……」

状態 警戒

備考 袁紹陣営こそが最大の障害と再認識
   わりと本気で孫家三姉妹の誰かを、正妻に出来ないかと画策している
   孫策に「あなたも候補よ?」と言われ、鼻で嗤った経緯がある


NEW!頼れる姉御 黄蓋

好感度 20%

猫度 「わ、わしに何を期待しているのじゃ!!」

状態 畏怖

備考 勢力、覇気、器、結構袁紹を認めている
   暴走しがちな孫策を嫁がせて、落ち着かせたいと思っている
   孫策に「あなたも候補よ?」と言われ、高笑いしながら否定した


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第21話

~前回までのあらすじ~

周瑜「袁家がなんぼのもんじゃい!」

孫策「頼りにしとるで」

………
……


袁紹「城門が開く時間を教えるんだよ、あくしろよ」

周瑜「うるせぇ!(かしこまり!!)」

多分あってる


 時は少し遡り、袁紹が孫策に『頼みごと』をしていた頃。数十人の護衛たちに守られた広宗内部の屋敷内で、暗い面持ちで顔を伏せる張三姉妹の姿があった。

 

「ちぃ達……これからどうなるの?」

 

「……」

 

 次女の地和が悲観的に呟き、三女人和は彼女の問いに答えることが出来ず沈黙した。

三姉妹の中でもとりわけ聡明な彼女は、現状を正しく認識し。絶望に打ちひしがれていた。

 

 黄巾の乱が起きる以前、自分達が旅芸人として伸び悩んでいた頃『それ』と出合った。

 『太平要術の書』である。愛好者達の贈り物に混ざっていたその書は、自分達に足りないもの、自分達が欲していたものがつぶさに書かれており、実践すると瞬く間に自分達の名は大陸に轟いた。

 

 抵抗が無かったわけではない。ただ書に記されていた通りに芸を披露することには少なからず嫌悪感を抱いていた。しかしやめられなかった。自分達の夢――歌と踊りを大陸中に轟かせるまで後一歩だったのだから……

 

 そしてその結果自分達は黄巾の乱、その渦中にある。意図していなかったとは言え黄巾は自分達を中心に出来た組織だ。

 良くて死罪、最悪――

 

「っ!?」

 

 そこまで考えて人和は頭から振り払った。大事な姉達をそんな目にはあわせられない。何があっても彼女達を助ける。例え自分を犠牲にしてでも――

 

「もぅ、ちぃちゃん達暗すぎ~、きっと大丈夫だよ~」

 

「「……」」

 

 そんな彼女達の気持ちを知ってか知らずか、長女天和が太平妖術の書に目を通しながら、のんきに声を上げる。

 

「……天和姉さん、いつまでそれを見ているの?」

 

「そうよ! そんな『役に立たない』もの!!」

 

「え~?」

 

 二人して姉を咎める。それも無理は無い。読者が最も欲する知識を与えるとされる『太平要術の書』は、広宗に辿り着いてから白紙になっていた――

 

 自分達の意図に関係なく増え続ける黄巾賊、彼女達三姉妹は黙って見ていたわけではない。

 太平要術の書を使い幾度と無く説得を試みていた。そのかいあって、一時は事態の収束に期待できたのだが―――次から次へと新たな黄巾達が合流し始め、気が付いた頃には手がつけられない規模にまで拡大していた。

 

 一時は袁紹の計略により勢いを失ったものの、ここ広宗には二十万もの黄巾が集結したのだ。

 そしてそれ以降もう手が無いとでも言うように、太平要術の書は白紙になっていた。

 

「う~ん、お姉ちゃんが思うに――」

 

「「……」」

 

「白紙ってことは何もしなくて良いって事じゃないかな~?」

 

「「!?」」

 

 長女の言葉に二人は顔を上げる。余りにも希望的観測、都合の良い考え方であったが、追い詰められた自分達にはそれに縋る他無かった――

 

 

 

 

 

 

 

 

「華琳様、袁紹殿と風――程昱が来ておりますが……」

 

「あら、やっと来たのね。待ちくたびれていたわ……」

 

「……では」

 

「ええ稟、丁重にお通しして頂戴」

 

「ハッ」

 

 孫策達との『挨拶』を終え、自陣で他諸侯とも言葉を交わしながら、袁紹は友である華琳との対面を心待ちにしていたが――彼女が現れることはなかった。

 

 そして遂に日が沈み、痺れを切らした袁紹が直接やって来た。

 

「どういうことだ孟徳!! 何故我に会いに来ぬ!?」

 

 華琳の予想通りお冠だ。常人であれば名族である彼のその様子に、腰が抜けるほどの怒気を感じるが彼女は何処吹く風、妙に芝居がかった仕草で自分の肩を揉みながら弁明する。

 

「ごめんなさいね。忙しくて」

 

「ムッ……」

 

 その言葉と仕草に袁紹は立ち止まる。自分が良く知る彼であれば――

 

「多忙であったか、では致し方あるまい」

 

「フフッ、ありがとう……」

 

 言って怒気を静める袁紹その様子に華琳は安心した。四年前に比べ背が高くなり、顔は野性味を増し男らしくなったが、彼は自分が良く知る麗覇だ。私塾にいた頃と遜色ない。

 

「あなたが程昱ね稟から色々聞いてるわ、私が曹孟徳よ」

 

「初めまして、程昱です~そして――」

 

『宝譿だゼ、よろしくな!』

 

「ええ、貴方もよろしくね宝譿」

 

『初対面でオレに動じないとはやるなぁ……兄ちゃんも見習わにゃいかんとちゃうんか?』

 

「う、うむ、精進しよう……」

 

「面白い娘ね」

 

 初対面にも関わらず華琳と風……宝譿は馴染んでいた。

 

「稟と積もる話しもあるでしょう? 二人で話してきても良いわよ」

 

「……いいですか?」

 

「うむ、久しぶりの友との対面だ。遠慮なく話してくると良い」

 

「ありがとです~……でもお兄さんが心配なので宝譿を置いていきますね」

 

「?……あ、ああ」

 

 そう言うと風は宝譿を――袁紹の頭の上に乗せた。

 

「ではでは、ごゆっくり~」

 

 そして袁紹が何かを言う前に素早く天幕を離れ――袁紹と華琳の二人きりとなった。

 

「本当に面白い娘ね」

 

「ああ、少し手を焼いているがな」

 

「あら、なら私が貰うわよ?」

 

「たわけ! 犬猫じゃあるまいし、我が大事な家臣をホイホイとやれるか!!」

 

「そう、残念ね」

 

 私塾で出会った頃と同じやり取り、二人は互いの姿と、互いの声を懐かしんだ。

 

「久しぶりね麗覇、また背が高くなっているわね……」

 

「む、そうか? 自分では良くわからぬものだ」

 

 華琳から渇望の眼差しを受け袁紹は慌てる。この流れなら次は自分が、彼女の成長を褒めなければいけないのだが――

 

「そう言う華琳は四年前に比べ――」

 

 まるで成長していない! という言葉を必死に飲み込む、彼女の姿は私塾にいた頃と変わらなかった。良くも悪くも袁紹が最後に見た曹孟徳そのものだ。

 

 とは言え、袁紹が良くても彼女の心情的には穏やかではないだろう。私塾にいた頃から自分の身体的成長を渇望してきたのだ。迂闊な言葉は掛けられない。

 

『まるで成長してねーナ! 呪いでもかけられたのかヨ!!』

 

「なっ!?」

 

 そして突然、宝譿が袁紹の内心を暴露する――袁紹の声で……

 

「……」

 

「ま、待て華琳! 話せば解る!!」

 

 額に青筋を浮かべ始めた華琳に何とか取り繕うとする。既に尋常ではない殺気が彼女から漏れ出しており、袁紹は滝のような汗を流した。

 

(お、落ち着け、まだ慌てるような展開ではない。大体先ほどの言葉は宝譿のものだ。

 断じて我ではない。そう我ではないのだ! 声は我のだったが……違うのだ!!)

 

「……」

 

 絶賛混乱中の袁紹に向かって、華琳はゆっくりとした動作で近づく、良く見るとその手には彼女の得物である『(ぜつ)』――死神の鎌を模したような武器が握られていた。

 

 これはまずい! すでに華琳の目から光が消えている。生命の危機を感じた袁紹は必死に頭を動かした。ありとあらゆる謝罪と世辞の言葉が、まるで走馬灯のように頭の中を駆け巡り、状況を打開しようと模索していたが――

 

『物騒だなオイ! そんなだから男が寄って来ないんだゼ!!』

 

 

 

 

―――終わった。

 

 

 

………

……

 

 

「……? 今お兄さんの悲鳴が聞こえたような……」

 

「袁紹殿の? 私達の陣営にそんな危険はありませんよ」

 

「それもそうですね。きっと気のせいです~」

 

 久方ぶりに顔を会わせた両名は話に花を咲かせていた。とりわけ話題になったのはあの大計略である。

 

「それにしても……袁家は大分派手にやりましたね」

 

「風達はお兄さんの派手好きに感化されたんですよ~」

 

「……棄鉄蒐草(きてつしゅうそう)の計、そう呼ばれているみたいですよ?」

 

「……ぐぅ」

 

「寝るな!」

 

「おぉっ!? このやり取りも久しぶりですね~」

 

「フフッ、そうですね」

 

「それにしても……棄鉄蒐草ですか~、言いえて妙ですね~」

 

「……風?」

 

 『棄鉄蒐草の計』袁家が行った大計略を諸侯が呼称したものである。賛辞ではない。皮肉だ。

 貴重な鉄を取るに足らない草に変える行為、袁紹に対する嫉妬や対抗意識から、諸侯達は棄鉄蒐草と名づけたのだ。

 

「あとでお兄さんにも教えてあげないとですね~。きっと喜ぶのですよ」

 

「し、しかし……!?」

 

 楽しそうに提案する親友に郭嘉は待ったを掛けようとした。折角の大計略を皮肉で呼ばれては心象に悪いのではないか? と思い声を出したのだが――

 

「お兄さんは……いえ、お兄さん達と風は文字通り『鉄』で『民草』を救ったのです。

 誇ることはあっても、恥じることは何もありませんよ~」

 

 「……そうですね」

 

 柔らかい笑顔で語る風を見て思いとどまる。あの袁紹なら気にしないどころか、高笑いと共に正式名称として使うかもしれない。

 彼の下にいたのは短い間だったが、そう思わせるほどに豪快な人物だったと、郭嘉は改めて袁紹を思い出していた。

 

 そして、何のためらいもなく親友に信頼を寄せられている彼に、少し……嫉妬した。

 

「あの計略は本当に驚かされました。でも次は――」

 

「……次はなんですか?」

 

「フフッ、何でもありません」

 

 次は私達が驚かせてあげましょう。という言葉を必死にのみこむ、この広宗において策の準備は既に終えている。極めて成功率が高く親友に自慢したかったが――それで失敗しては目も当てられない。

 

 彼女の反応を楽しむのは策が成ってからだ――棄鉄蒐草の計において、先に大陸中に名を轟かせた親友。風に対抗意識を燃やしていた郭嘉は、策の成就のため用心深く口を噤んだのだった――

 

 

 

 




NEW!金髪覇王 曹操

好感度 ??%

猫度 「……言わないわよ?」

状態 友愛

備考 友として快く思っている。恋愛感情は薄い
   対抗意識を持ち、色々準備している
   実は女装袁紹に一目惚れしたという秘密がある


NEW!鼻血軍師 郭嘉

好感度 20%

猫度 「鳴く? 鳴いて鳴かされ――プハッ!」

状態 尊敬

備考 自分達陣営の躍進ために、超えねばならない壁として注目している
   女性武将に囲まれている彼の状況に、度々妄想しては鼻血を出している
   実は諸侯の皮肉に、彼女が一番腹を立てている


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第22話

~前回までのあらすじ~

地和・人和「やべぇよやべぇよ……物凄い。白紙だから……」

天和「大丈夫でしょ、ま、多少はね?」


………
……


宝譿「まるで成長していないゾ」

華琳「……」

袁紹「駄目みたいですね(達観)」


大体あってる



 袁紹と華琳の両名が久しぶりに顔を合わせた翌日、日も昇り始めていない時刻の広宗内部、 『張三姉妹』が使っている屋敷よりも上等な建物内で、手配書に目をやりながら男が嗤っていた。

 

「……くくく」

 

 彼の名は『張角』――無論本人ではない。しかし手配書には彼と同じ風貌の男が描かれていた。

 

 二十万の勢力とは言え黄巾は下火にある。聡い者や不安に押しつぶされた者達は官軍が来る前に黄巾を離れ、行く当てもない彼等は自然と南皮に辿り着いていた。

 そんな彼等の情報により、表に現れない張角達に代わり黄巾を取り纏めている者の素性がわかった。その男は黄巾に合流したどの賊上がり達よりも多くの戦力を従えていた賊長で、持ち前の腕力と、多くの手下を使い広宗の黄巾達に指示を出していると言う。

 

 風はこれに目をつけた。実質上黄巾の指導者となっていたその男を『張角』と見立て手配書を作成したのだ。

 

 ただの賊上がりが一躍大罪人に、並みの人間なら卒倒しかねない状況だったが男は嗤った。

 見方を変えれば、ただの賊長が今や黄巾二十万を率いる『張角』だからだ。実際張角として此処に居るのは愉悦だった。それまで自分に恐怖の視線を向けていた者達からは畏敬の念を、自分の指示に従わない少数派の者達は頭を下げ始め――捕らえた女は抱き放題だった。

 

 広宗に篭城している黄巾達で、張三姉妹の素性を知っている者は殆どいない。

 彼女等の説得で目を覚ました彼等はそれまでの熱が嘘のように冷め、広宗に辿り着く前に離脱している。そんな状況のため男が張角を自称するのは、手配書の効果も相まってすんなり成功していた。

 

「此処の次は南皮だ。あのふざけた袁家って奴を滅ぼしてやる」

 

 男は何処までも驕り、昂っていた。彼に学はなかったが、戦において数の優劣がどこまで重要な事かは理解していた。

 広宗を包囲している官軍は多く見積もっても十万ほど、対する自分達はその倍の数で篭城している。広宗に備蓄されていた兵糧もあり長期戦でも余裕があった。

 

 そして此処を抜けられると前提して次の獲物――袁家を思い出しては顔を歪ませる。

 奴らが居なければ今頃自分は五十万の大軍勢を率いていたはずなのだ。聞けば南皮で難民として受け入れられたらしい。

 

「袁家を滅ぼして目を覚まさせてやる。この張角様がなぁ! ……くくく」

 

 周りの官軍を蹴散らしたら景気祝いにあの旅芸人達を抱いてやる――男は歪んだ決意を胸に屋敷から外に出て行った。

 

 

 

 

 

「か、頭ぁぁ! 大変です!!」

 

「頭って呼ぶなと言ってるだろ! いつになったら覚えるんだ?」

 

 外に出ると、すぐに部下の一人が慌てて駆け寄ってきた。

 

「す、すみません張角様……でもあれを見て下さい!」

 

「あ~ん?」

 

 いつまでも自分を頭呼びにしている部下を叱り飛ばそうとしていると、いつになく慌てた態度だったため部下が指し示す方角に目をやる、すると――

 

「な、なんだありゃあ……」

 

 広宗にある兵糧庫付近から黒煙が上がっているのが確認できた。

 

「おい兵糧はどうした!? 無事なんだろうな!!」

 

「へ、へい、幸い兵糧には火が移ってないです……が」

 

「なんだ……どうした?」

 

「火の勢いが強くて……このままだと……」

 

「馬鹿野郎! それをはやく言いやがれ!!……寝ている連中を叩き起こせ。

 門の見張りも消火活動にあたらせろ」

 

「へ? 見張りはどうするんで?」

 

 部下が疑問に思う。自分達黄巾は確かに数では官軍に勝る。しかし錬度という点ではまったく敵わない。

 そのため地の利を得ている現在が理想の形、それを脅かす可能性は作りたくないと、小心者でなくても至る考えだったが――

 

「大丈夫だって言ってるだろ馬鹿が! いいから行動しろ!!」

 

「ヒッ、わかりました……」

 

 一喝して部下を動かす。その懸念はこの『張角』にもあったが、今はそれどころではない。

 自分達が地の利を得ていられるのは単に、潤沢な兵糧があるから成せるのだ。それを無くしてしまえば長期戦は不利、窮地に追いたたされるかもしれなかった。

 

 警備は問題ない。仮に門番達を全て消火活動に当たらせたとしても、城壁には沢山の見張りが配置されている。

 官軍の攻撃があればすぐに警笛で知らせるはずだ。第一、日はまだ昇っていない。官軍達がいつもの攻城に出るまで時間があった。

 

 

 

 

 

 

「冥琳様の狙い通り、見張りが少なくなりましたね!」

 

「ああ……馬鹿な連中だ」

 

 城門から見張り達の殆どが兵糧庫に向かって行くのを、建物の影から甘寧と周泰の両名がほくそ笑みながら見ていた。

 彼女達は広宗に潜入してから、火の不始末に見せかけ幾度も小火騒ぎを起こしていた。日がまだ昇りきらない明朝であるのも相まって、間者の仕業だと疑う者はいなかった……

 

「いくぞ明命!」

 

「はい!」

 

 そして僅かに残った見張り数人を難なく黙らせる。彼等は悲鳴を上げることも出来ずに息を引き取った。

 

 

 

 

 

「ん? おい、あれ……」

 

「砂塵?――まさか」

 

 城壁の見張りが異変に気が付いたのは事が起きた少しあとだった。薄暗い大地に砂塵が出来ている。

 

「騎馬……騎馬隊だぁぁぁ!?」

 

 気付いた見張りがそう叫ぶも他の面々は首を傾げた。それもそのはず。明朝に攻撃を仕掛けてきたのは初めてたが、それ以上に篭城している自分達に対して騎馬で挑むとは――

 

「警笛を鳴らせ。一応下の見張りにも伝えておけ」

 

「下にはオラがいくだよ」

 

 見張り達は冷静に動いた――と言うより慣れに近い。

 主に見張りをまかされている自分達は非戦闘員だ。後は駆けつけた仲間に任せて後方に下がれば良い。広宗に来てから何度もやって来た単純作業。今日もそのはずだった――

 

「だ、誰もいねぇ!?」

 

 城壁の淵から下に知らせようとした男の声を聞くまでは

 

「おいどうした!」

 

「じょ、城門の見張りがいないだよ!」

 

「ば、馬鹿な……」

 

 いくら何でも見張りが居なくなるなんてありえない。この広宗において城門は兵糧庫と同等の重要拠点なのだから――そこまで考えて見張りの男は血の気が引く感覚に陥った。

 

 兵糧庫付近の火災、見張りのいない城門、砂塵と共に近づいてくる騎馬隊――男は確信した。

 

「か、官軍だああぁぁ!! 官軍が門から押し寄せてくるぞおおお!!」

 

 

 

 

 

 

「か、官軍だああぁぁ!! 官軍が門から押し寄せてくるぞおおお!!」

 

 その知らせは兵糧庫の火災を消化して、警笛の音で城門に向かっていた黄巾達に届いた。

 

「ありえん……門番達はどうしたのだ?」

 

「あ、あれ! 門が開いてる!?」

 

 遠めで確認して悲鳴のような声を上げる。もしも広宗内に進軍されたらと思うと――、黄巾達は一斉に走り出し門へと向かった。

 

「く……、一人入ってきやがった」

 

「女一人だ! さっさと片付けて門を閉めるぞ!!」

 

 官軍の隊列から飛び出し一人門を潜る武将が一人、燃え盛る炎を連想させるような赤毛、袁紹軍所属、呂奉先の姿がそこにあった。

 

「…………へ?」

 

 彼女に殺到した黄巾たちの一人が素っ頓狂な声を上げる。斬りかかった十数人の姿が一瞬にして『消えた』のだ。

 そして後方で音がしたので振り向くと――

 

「ヒ、ヒィーーーー!?」

 

 物言わぬ彼等がそこに()()()

 一閃――ただそれだけで彼等は吹き飛ばされ、痛みを感じる間も無く息の根を止められたのである。

 

「さすがだな恋……ここは任せるぞ!」

 

「……ん」

 

 恋の後に続いて広宗に辿り着いた星は、彼女の武力に黄巾達が恐れ硬直している内に、広宗の脇道へと入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「うああああ!? は、離れろおおお!!」

 

 恋を見て叫び声を上げるこの男、黄巾ではなく他諸侯の兵士だ。

 袁紹軍が内部に進撃しているのを確認した彼等は、便乗するように広宗に殺到した。そして入り口付近で黙々と黄巾達をなで斬りにする彼女の姿に叫び声を上げた。

 

 恋の得物が速過ぎて視認出来ない。彼女が数歩前に出るたびに風切り音が聞こえ、次の瞬間には十数人の黄巾達が吹き飛ばされていく――彼女の周りには元黄巾達の変わり果てた姿が転がっていた。

 

「……なんと言う」

 

 孫呉の将黄蓋、弓の使い手として目に自信のあった彼女には辛うじて恋の矛が見えていた。

 

「いいわぁ……あの娘、戦ってみたい」

 

「正気か策殿、あの武はわし等と次元が――!?」

 

 誰が聞いても無謀と取れる言葉を呟いた孫策を諌めようと顔を向け、口を閉ざす。

 他の者達が呂布に恐怖や畏怖のような目を向けているのに対し。孫策の目は何処までも野生的で、まるで獲物の様子を窺う虎のようだ。

 

 堅殿、貴方の血は確かに色濃く受け継がれていますぞ――孫策のそんな様子に意識を戻した黄蓋は、孫呉の第二の目的、諸侯の前で自分達の武を見せ付けるため弓を引いた。

 

 

 

 

「す、すげぇ……」

 

「ああ……」

 

 どこぞの兵士達から感慨の声が上がる。袁紹軍の呂布はもとより、孫呉の孫策と黄蓋、曹操軍の夏侯惇は一騎当千の腕前で次々と黄巾達を倒していく、そして一見地味だが呂布隊の面々、常日頃から彼女と鍛練に明け暮れている彼等は臆する事無く大群に向かい。前線で戦う彼女等の討ち洩らしを防ぐように、堅実に敵を屠っていく――

 

 

 

 

 

「ここか」

 

 所変わって星。張三姉妹の救出を任されていた彼女は、三姉妹が匿えられているとされる屋敷の近く、物陰から様子を窺っていた。

 

 広宗から南皮にやって来ていた『難民』の中には三姉妹の愛好者の姿もあった。そんな彼等に彼女等を救出する事を条件に広宗内部の作りと、この屋敷の場所を教えてもらったのだ。

 

 普段十数人に護衛されているその屋敷は、『張角』がいる屋敷より堅固に警備されており、孫呉の間者二人は奇しくも、此処に張角がいると断定していた。

 

「時間も無い。行きますか」

 

 見張りの数と位置を確認した星は、勢い良く物陰から飛び出し駆け寄っていく――

 

「な、なんだ貴様、官ぐ――」

 

 屋敷の門前に五人いた見張りの意識を奪う。本来なら倍以上の人数がひしめき合っているはずだが、先の小火騒ぎに借り出され彼等しか残っていなかった。

 

 そして星はそんな彼等の意識を奪うことまでで留める。息の根を止めたほうが確実性もあるのだが――南皮の謁見の間で袁紹に頭を下げて願ったあの男の顔が浮かんだ。彼と同じく三姉妹の愛好者として彼女達の護衛についている彼等を、手にかけることが出来なかった。

 説得という手も有ったかもしれないが――それではどこから情報が漏れるかわからない。

 

 

 

 

 

 

「!……誰!?」

 

 敏感に人の気配を察知した次女地和は、姉と妹を守るように彼女等の前に出た。

 そんな彼女達に華蝶仮面――星は姿を表し一言

 

「時が惜しい。お主等は生きたいか? それとも此処で散りたいか?」

 

「なっ!?」

 

 いきなり現れた奇人の、しかも一切繕う気が無いその言葉に三姉妹は目を見開く。半ば生を諦めていた。護衛達を退けてこうして誰かが来れば、それは自分達を討伐するのが目的だろう――そう確信していたからこその驚きだった。

 

「いきなり現れて何を言ってるの!?」

 

「ちぃ姉さん!」

 

「っ~~生きたい……わよ、これで良いの!?」

 

 肩を震わせながら地和は姉妹を代表して願いを述べた。そんな彼女の様子に星は満足そうに頷く、せっかく此処まで救出に来ているのに相手が無気力では助け甲斐が無い。

 三姉妹の瞳に光が戻ったのを確認し。踵を返した。

 

「時間がない。私の後に続け!」

 

 

 

 

 

 

 

「っ……クソッ!!」

 

 それから少し遅れて甘寧が屋敷に到着する。見張りの男達が意識を失っているのを見るに先を越されたようだ。相方ならこんな回りくどいことはしない。

 

「遅かったか……」

 

 苦虫を潰す様な表情で呟く、念のために屋敷内を確認しようとした彼女は疑問を持った。

 

 ――屋敷内が綺麗過ぎる。抵抗の跡はおろか血の一滴も落ちていない。

 

「……」

 

 気付かれないうちに暗殺に成功した?――ありえない。ここまで鮮やかな手口は自分達にも難しい。後ろから付いて来ていた仮面の女は気配を消す心得があったが、あくまで素人の真似事にすぎない。では何故血の一滴も見つからないのか――生け捕りにしたのだ!

 

「思春さん!」

 

 甘寧が結論に達したと同時に周泰が到着する。時間が無い故に詳細を省き指示をだす。

 

「付いて来い明命。張角を追うぞ!」

 

「え!? は、はい!!」

 

 突然の出来事に目を白黒させている周泰を伴い。裏道から広宗の門を目指す。

 自分なら生け捕りにした人間をどの道から連れて行くか、いかに黄巾や官軍の目から隠れるか、最も効率の良い経路を頭の中で描き二人は疾走した―――

 

 

 

 

 

 

 

「む……まずいな」

 

 星は後方から近づいてくる気配を敏感に察知した。隠密に優れた二人であれば悟られること無く近づくことも出来たが、一刻を争う事態に気配を消している余裕は無かった。

 

「?……何がまずいのですか」

 

 星の様子に、頭の上に疑問符を浮かべていた三姉妹の人和が問いかける。武をかじってすらいない彼女達にわかるはずもない。

 

「なに、お主達の首にご熱心な者達が来るだけよ――首と別れたく無くば口裏を合わせよ」 

 

「ちょ!?」

 

 おどけているとも真剣ともとれる星の縁起でも無い発言に、三姉妹は顔面蒼白になる。

 少しして遠方から二人組みが向かってくるのが確認できた。星の発言も相まって恐ろしい形相に見える。

 

「待たれよ!」

 

 殺気を振りまきながら接近してきた二人と、三姉妹の間に入る形で星が制止を呼びかける。

 甘寧と周泰は素直に止まったが、甘寧は後一歩踏み込めば星を間合いに入れられる位置で止まり、今にも斬りかかって来るような気迫を醸し出している。

 

「やはり生け捕…………女?」

 

 星が連れている三姉妹を見て、一瞬だが甘寧は呆気にとられた。手配書から張角を男と認識していたこと、星が連れ出したのは張角だと予想していたこと故の驚きだった。

 

「我が名は甘寧、孫呉の将だ……お前は?」

 

「我が名は趙雲、袁家現当主袁紹様の将よ」

 

「っ!? ……失礼致しました」

 

 袁家の名を強調され緊張する。先の文でもある通り、自分達の頭脳である周瑜が辛酸を舐めさせられた相手だ。勢力も比べ物にならず下手に出る他無かった。

 

「……後ろの者達は?」

 

「それよ! 主の命で張角を討とうと警備が厳重な屋敷を覗いてみれば、張角の姿は無く彼女達が監禁されていたのだ。

 本来なら張角探しに行きたいところであるが……被害者である者を放っておくのは義に反するであろう? 故にこうして安全なところまで連れて行こうとしておるのだ」

 

「え? 張角はわた――「「天和姉さん!」」むぐぅ」

 

「……」

 

 後ろのやり取りが少し気になるが、趙雲の言葉に不自然な点は無い。あるとすれば何故屋敷の場所を知っていたかだが――途中まで二人に付いて来て後は勘で進んだら行き着いた。とでも言われればそれで終わる。

 

「思春さん……この人たちは――」

 

 女性ですよ? 疑惑が晴れない甘寧に周泰は決定的な矛盾を突く、碌に説明は受けていなかったが何となく張角かもしれないと、甘寧が考えていることは肌で感じていた。

 

「……わかっている」

 

 既に穴が開くほど見た手配書を、懐から取り出し再び目を通す。

 そこに描かれていた張角は強面で、およそ目の前にいる三姉妹には似ても似つかない。

 

「……行くぞ明命」

 

「はい!」

 

 完全に疑惑が晴れたわけではないが、そこにいる三姉妹が張角で無いなら早急に探し出す必要がある。甘寧は化かし合いよりも任務を優先した。

 

 この手配書、もしも袁家で発行していたら彼女はさらに疑ったであろう。これには風の隠れた名采配があった。

 

 手配書を作成するに当たり彼女はまず、この『張角』の情報を漢王朝に袁家の名を伏せ提出した。黄巾の乱が起きてから権威の失墜を感じていた彼等は、喜々してこの情報を各諸侯に流布した。まるで己たちで調べ上げたとでも言うように――

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 周泰と二人、官軍と黄巾が争っている広場に向かいながら甘寧は思案していた。

 

 あの者――趙雲の任は張角の『首』では無い。旅芸人の救出が目的? だとしてもそれだけで破格の物資を投入するだろうか――考えすぎかもしれない。しかしどうにも腑に落ちない。

 

(後で詳しく調べる必要があるな、だが……まずは張角だ!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃、広宗の広場で指揮を取る『張角』は焦っていた。いくら広場といっても建物や壁に囲まれていては、数の利は十全に発揮されない。

 黄巾は人海戦術が肝だ。いくら補充要員がいてもそれが出来なければ意味が無い。加えて、前線では化け物のような武将(呂布)が暴れている。所詮農民の集まりである黄巾の士気は下がる一方だった。

 

「くそ! 一旦引くぞ」

 

 たまらず後方に下がろうとする。自分はこんな所で死んでいられないのだから――

 

「そんな……張角様!」

 

 そんな彼の様子に側近の一人が声を上げる。そしてそれは――官軍の耳に届いた。

 

「張角……張角がいるぞおおお!」

 

「手配書と同じ風貌、間違いない!」

 

 『張角』を確認した官軍は勢いが増した。逆に黄巾達は勢いが無く、まるで素通りの如く官軍達は張角を目指し進軍していった。

 

「ち、ちくしょう!」

 

 『張角』は恐怖から後方に走り出す。官軍の――そしてあの化け物の矛がすぐそこまで迫っている。もはや形振り構っていられなかった。

 

「逃がしません!」

 

「ヒッ……女!?」

 

 逃げる先で女――周泰が突然現れ情けない悲鳴を上げる。

 

 甘寧と周泰の両名は、黄巾賊後方の建物に身を隠し機を測っていた。手配書に描かれている張角を探し出せたまでは良かったが、周りが黄巾で固められていて手が出せなかったのだ。

 すると突然『張角』は周りの制止を振り切り走り出した。自分達の潜んでいる下へと、まさに火に飛びいる夏の虫――この機会を逃す二人では無い。

 

「餓鬼じゃねぇか、どきやがれ!」

 

「餓鬼じゃありません!!」

 

 童顔な周泰に悪態をつき、彼女の逆鱗に触れたことにも気付かずに『張角』は剣を振り下ろす――が、怒りを伴った周泰の長刀に圧し負かされ、粗末な剣は折れてしまった。

 

「く……おい野郎共! 早く俺を――っ!?」

 

「こいつらがどうかしたのか?」

 

 たまらず自分の側近達に呼びかけようとして止める。彼等は甘寧の手によって、既に物言えぬ姿へと変わり果てていた。

 

「あ……あぁぁ」

 

「終わりです!」

 

 絶望から動きを止めた『張角』は、抵抗も出来ず自身の首と別れる破目になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「黄巾の長『張角』この周幼平が討ち取りましたーーーー!!」

 

『うおおおおおおおおおおお!!』

 

「良くやったわ明命ーー!」

 

 官軍の勝鬨に紛れ孫策が嬉しそうに褒め言葉を叫ぶ、この場に『張角』が居たことで一時はどうなるかと思ったが、討てたのならば問題は無い。

 

 そして歓声に隠れ、前線に向かっていく旗があった――

 

 

 

 

 

 

 

「負け……ちまったのか俺たち?」

 

「……」

 

 官軍の勝鬨とは対照的に黄巾達は唖然とする。元々農民である彼等に戦の作法などわからない。

 『張角』を討たれはしたが自分達が残っているのだ。そもそも漢王朝に反旗を翻した自分達は死罪を免れない。

 

 それなら、それならいっそ―――

 

『うわああああああ』

 

「なっ!? こいつらまだ!!」

 

 黄巾達は自分たちを狂気に委ね、再び攻撃を開始した――ここから先は血で血を洗う殲滅戦、誰もがそう予想したその時だった。

 

「双方、武器を納めよ!」

 

『!?』

 

 戦場には相応しくないほどに凜とした声に、官軍、黄巾双方共に動きを止める。

 そんな彼等の間に割って入るようにして軍が現れた。

 

 そしてその軍の中央、漆黒と呼べるほど見事な体毛の馬に跨り、流麗な鎧を着こなし美しい金髪の――曹孟徳の姿が其処にあった。

 

 

 

 

 

 

 




(変動)無いです


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第23話

~前回までのあらすじ~

部下「火ゾ」

張角()「皆で消すんだゾ!」

ふんどし&猫好き「やったぜ」

………
……


黄巾「馬鹿野郎お前(張角いなくても)俺等は勝つぞお前!!」

曹操「あっ、おい待てぃ!(江戸っ子)」

大体あってる


 他諸侯入れ乱れる官軍と、狂気の中で生を見出そうする黄巾賊の間に割って入ったのは華琳であった。いつもの彼女らしくない出で立ち、派手さを優先したような鎧に登場。これはまるで――

 

「むむむ……出遅れた!」

 

 袁紹の趣味趣向そのものであった。余りの事に皆が制止しているうちに彼女の軍、曹操軍はまるで官軍と黄巾賊、両者と対峙する様に華琳を中心に円陣を組んだ。

 

「張角が討たれた今、これ以上の争いは無益! 双方武器を収めよ!!」

 

 そして再び要求を繰り返す。呆気にとられた両軍であったが従う者は居なかった。

 

「……武器を収めてどうするだ?」

 

 やがて黄巾賊の一人が呟く、それを合図にするように彼等は声を上げ始めた。

 

 

「どうせ死罪だろ!」

 

「オラは死にたくねぇ……」

 

「そうだ! 死罪になるくらいなら此処で――」

 

 再び彼等が狂気に包まれようとしている。それを感じた華琳は声を張り上げる。

 

「武器を捨て、降伏するのであれば――貴方達の助命、この曹孟徳が保障する!」

 

『!?』

 

 彼女の言葉に両軍は目を見開く、黄巾達は驚きと共に希望が生まれたことに、諸侯達には疑惑と猜疑心が生まれた。

 朝廷の勅旨は黄巾の『討伐』である。捕虜の類をとる指示は受けていない。第一いまの大陸には――否、今のどの諸侯達には万を越える人数を抱える余裕が無かった。

 

 黄巾は殲滅させる――それが諸侯達の暗黙の了解である。

 

「……曹操殿、そのような勝手は許されませんぞ」

 

 諸侯の中から一人が皆を代表して喰って掛かる。兵を圧力にした言葉だったが華琳には通用しなかった。

 

「…………勝手?」

 

「そうであろう。朝廷の命は黄巾の『討伐』『保護』では無い」

 

「張角が討たれた今、此処に居るのは唯の『難民』よ、そうでしょう?」

 

「な!? 詭弁だ!! そのような勝手通るはずが――」

 

「通()わ、必ずね……そうでしょう? 『袁紹様』」

 

『!?』

 

 華琳が最後に呼んだ名に彼女に噛み付いた男は絶句し――その視線の先に居る人物に目を向けた。そこには金色に輝く鎧を身に纏った袁紹の、この地における最大兵力を有する彼の姿があった。

 

(ほぉ……我を利用するか、華琳)

 

 自分を利用しようとする彼女の考えに気が付いたが、袁紹には特に不快感は無い。むしろ人命を救うことも視野に入れていた彼にとって、彼女の言葉は渡りに船だった。

 

「うむ、彼女の言うとおり此処にいるは難民。黄巾などもはや存在せん」

 

「う……ぐぅ」

 

 袁紹の言葉に渋々引き下がる。彼を敵に回す度胸を持つものはこの場にいなかった。

 

 その様子に黄巾達は騒然とし出す。先の華琳の言に今の袁紹の言葉――自分達は本当に助かる道があるのではないか、既に狂気が消えた彼等は武器を下げ始めた。もう一押し。もう一押しあれば彼等を降伏させることが出来る。

 そして華琳は用意していた言葉を――

 

「華琳様!!」

 

「っ!?」

 

 飛来する矢を見て夏侯惇が叫ぶ、矢は吸い込まれるように華琳の鎧を貫き肩に突き刺さった。

 それを見て黄巾達は血の気が引く、矢は彼等の方角から飛んできたのだ。それも――自分達を助命しようとしてくれている人物にである。

 

「っ~~貴様等ぁぁ!」

 

「ヒッ!?」

 

 華琳の安否を確認した夏侯惇が憤慨する。黄巾達を救おうとした敬愛する主が、その黄巾に負傷させられたのだ。無理も無い。

 

「大事無いわ、これは流れ矢よ……いいわね?」

 

「で、ですが華琳様」

 

「二度も言わせないでちょうだい……春蘭」

 

「……ハッ」

 

 華琳の言葉に大人しく怒気を収める。その様子に皆が唖然とする中、肩に矢が刺さったままの彼女は息を深く吸い込み、まるで広宗全域に轟かせようとするように声を張り上げた。

 

「行く当ての無いものは私と共に来ると良い。貴方達を虐げる事は――『天』が許してもこの曹孟徳が許さない!」

 

『!?』

 

 最後の言葉は黄巾達の脳に響いた。『天』この地に住む者達からすればそれは『天子』にあたる。今まで自分達を虐げてきた漢王朝そのものだ。彼女はそれを許さないと言った。

 

 あくまで比喩表現で直接言ったわけではないが――漢王朝の意向よりも自分達を優先すると言ったのである。それも漢王朝の忠臣であるはずの太守がだ。

 

 彼女の言葉を受け、黄巾達は手に持っていた武器を地面に落としだす。そして自然と跪き頭を垂れた。

 

「……」

 

 華琳は己が策の成就に頬を緩める。そんな彼女と黄巾達とは対照的に、他諸侯は今にも曹操軍に襲い掛かりそうだった。彼女の言――抽象的であっても朝廷に対する侮辱に他ならない。

 ここで黄巾ごと潰してしまえる大義名分が彼等には出来ていた。そしていくら曹操軍が精鋭だろうと正規軍の集まりには敵わない……たとえ黄巾と結託してもだ。

 

 しかし彼等は攻撃の合図を出さない――否、出せなかった。彼等の目線は一様に袁紹、そして恋に注がれていた。

 

 

 

 

 

「あらら、そういうことですか~、稟ちゃんもやってくれますね」

 

「ほう。何かに気付いたのですか? フフ」

 

 遠目で様子を窺っていた風と郭嘉。笑顔で惚ける郭嘉に対して、風は不機嫌そうに目を細めた。

 先ほど華琳の策に主が使われたのはまだ良い。解っていて使われたのだから、それは袁紹の意思に他ならない。だが――

 

「……む~!」

 

 知らない内に策に組み込まれているのでは話が別だ!

 

 曹操軍には始めから張角の首に関心が無かった。弱小した賊長の首で手に入る名声。恩賞などたかが知れている。それよりも黄巾の兵力――花よりも実に注目した。

 

 そのために色んな工作をして来た。諸侯の動きを黄巾達が一ヶ所に集まるように誘導したり、なるべく確保できる兵力を増やすために彼等の被害は最小限に――広宗に辿り着いてからは他の諸侯に怪しまれないよう。適度に攻城戦を仕掛けもした。

 放っておいても張角は討たれる。集まった諸侯の目には花しか映っていないのだから、だが黄巾達を説得するにあたり大きな問題が生じた。彼等の心を華琳で満たした最後の言葉だ。

 

 一歩間違えれば王朝に反旗を翻しているとも取れる言葉。だからこそ黄巾達の心を掴めるのだが――だからこそ諸侯達に自分達を攻撃させる大義名分を与える事になる。

 本来であれば使わなくても良い言葉だった。自分達の他に(兵力)を狙う好敵手など存在しないのだから、黄巾達の助命を約束するだけで良い―――だが異変が生じた。

 

 袁紹軍(イレギュラー)の参戦だ。孫呉の周瑜と同じく内政に集中すると見ていた彼女達にも、寝耳に水な出来事だった。彼等の狙いはわからないが――彼が黄巾達の殲滅に黙っていないことは理解していた。この実を取り込む為に準備してきたのだ。今更譲れはしない。

 

 黄巾達の助命だけでは手ぬるい。だから危険を顧みず矢を『受けた』のだ――矢じりは潰してあったが、放った夏侯淵はしばらく食事が喉を通らなかったと言う。そして袁紹の入り込む隙間を埋める――『天』を敵に回す覚悟があると発言する必要があった。しかしそれでは諸侯を敵に回す可能性が高い。事実彼等にとって曹操はポッと出の太守にすぎない。

 功名心に逸った彼等が何を考えるかなど、火を見るよりも明らかだった。

 

 郭嘉はそれを防ぐ為の策を華琳に授けた―――総大将の天幕は陣営深くに設置するものである。

 だが彼女、華琳の天幕はわざと諸侯から良く見える位置に設置された。華琳は良くも悪くも注目を集める存在だ。そんな彼女の天幕に、日が沈んでから訪ねる人物がいた。そう。袁紹である。

 

 この地に集まったどの諸侯よりも格式高い家柄、強大な勢力、本来なら挨拶に来た者を出迎える立場にある。

 そんな彼が夜更けに自分の足を運んで―――邪推するなという方が無理な話だ。たとえ誤解しなくても袁紹と華琳が旧知の仲であることは明白である。

 

 

 

 

 

 

 そこで話を現在の状況に戻そう。もし曹操軍を攻撃した場合だ。彼女と旧知の仲、あるいはそれ以上の間柄かもしれない場合。『大勢力』袁紹はどうでるだろうか、考えるまでも無かった。

 苦戦は免れないが曹操軍だけなら、或いは黄巾と曹操軍でも勝算は十分ある。だがそこに袁紹が入るのであれば話は別だ。彼の連れてきた兵力はどの諸侯よりも数が多い。そして武はあの化け物(呂布)までいる始末。手が出せる筈も無い。

 

 そして袁紹も手詰まりだ。彼も華琳と同じく実を、というより(張角)(兵力)を狙っていたわけだが、黄巾達の心は既に華琳の言葉により埋め尽くされている。

 ここでどのような言葉を投げかけても所詮は二番煎じ。彼女以上の効果は出せないだろう。又、そのような情け無い役を演じるほど自分を捨ててはいない。

 

 唯一彼に出来る事と言えば華琳と郭嘉の策、自分という異変(イレギュラー)をも利用してみせた彼女達を天晴れと褒め称えるくらいしか―――

 

「――とでも思っているのだろう? 華琳」

 

「……」

 

「フハハハハハ! 笑止!! 我は誰の範疇にも収まらぬ、それこそが『我』故に」

 

 そこで大人しく見ているが良い――そう言葉を残し袁紹は、華琳の言葉で満たされた黄巾達の前に出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




感想欄の返信で、今話で黄巾終息とか言ってた奴は~

 どこのどいつだ~い? この俺だよ!(激寒)

ホモは嘘つき、masa兄はホモ、はっきりわかんだね


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第24話

~前回までのあらすじ~

黄巾「うるさいんで! さっきからぐつぐつよぉ――」

華琳「降伏してくれたら、天からも守ってあげるよ?」

黄巾「な、何を言って、僕達は逆賊だよ?(即落ち)」

………
……


華琳「あ~もう・・・もう説得しても無駄だぞ!」

袁紹「馬鹿野郎お前俺は勝つぞお前!!(天下無双)」


大体あってる




 前に出た袁紹に黄巾達は注目していなかった。彼等の視線は一様に華琳に注がれており、その側に居る大勢力の当主など気にもかけない。

 

(見せてもらおうじゃない……)

 

 袁紹の行動に華琳は口角を上げる。慢心ではない。確信だ。

 彼を封じるために用いた策、言葉は袁紹を意識して作られたように思えるが実は少し違う。

 彼女は『自身』を意識して考えたのだ。

 

 仮に自分が袁紹の立場だったとして、今の状況を覆す言葉、策が作れるか? きっと作れるだろう。だがそれは入念に時間を掛け、この状況を予め想定し。打開する言葉或いは策を作り出せればだ。事前の情報も無くこの状況を、土壇場で自分は覆せるだろうか?―――不可能だ。

 それだけに入念な下準備を、危険を顧みず自演をするほどに積み上げてきたのだ。

 

 そして目の前に広がる確かな手応え――広宗を埋め尽くすように跪き、自分に敬愛の眼差しを向けてくる人、人、人……。『自身』でも不可能と感じているこの状況を覆すことは、『自身』の想像を遥かに越えた発想と策、それは『私』以上の器であるという証明に他ならない。そしてそれはありえない。

 

 袁紹と同じく自身の才覚に絶対の自信を持っている。華琳らしい発想と見解だった。

 だからこそなのか、この状況に内心歓喜している彼女が居る。

 

 貴方はどう打開する? どう言葉を投げかける? どう彼等の心揺さぶり満たすの? 私には無理、それを貴方が? やってみなさい……見ててあげるわ、貴方が私を越えようと足掻く姿――或いは越えた姿を!

 

 袁紹の一挙一動を見逃さまいと彼の背中を注視する。やがて黄巾達が袁紹の存在を気にかけ始めた頃、彼は唐突に口を開いた。

 

「戦は終わった……ところで腹は空かぬか? 早朝から動き続けていては満足な食事もしていまい。昼食には良い時間だ。我が袁家で用意する故食べていくが良い!」

 

「………………は?」

 

 その言葉に間の抜けた声が上がる。諸侯でも無い。彼等の兵でも黄巾でもない。その声の主は――他ならぬ華琳のものだった。

 目を丸くし。口は半開き、およそ不可解な事象にでも遭遇したかのように、普段から凜としている彼女からはおよそ想像も出来ない表情をしていた。

 

「……っ!?」

 

 その顔は徐々に歪んでいく、失望、落胆、絶望、そして――怒りと軽蔑。

 今まで彼女が袁紹に抱いていたものが音を立てて崩れていく、それほどまでに彼女は先ほどの言を、それを言い放った袁紹を否定した。

 

 こんなものなのか、私塾の頃から一目置き、互いに研鑽し合い。離れた後も動向を意識し。その善政を参考に、あの大計略に感慨を抱かせ。こうして自分に期待させた相手が頼ったものが――『財力』なのか!

 

 出される食事はさぞかし美味な物だろう。酒の用意もあるかもしれない。

 彼等の食欲は満たされる――だがそれだけだ!!

 

 周りに居る諸侯達に特に反応は無い。精々いつもの『散財』か、と嫉妬と羨望の眼差しを向けるだけだ。しかし確かな知を持つもの、華琳を含めた者達にはこの策の不完全さが理解できていた。

 

 

 

 

 

 今現在、黄巾達の数は脱走と連日の防衛戦により十八万まで減っていた。一時期は五十万の勢力が見る影も無い。だが逆の視点で見てみれば、数が減ったことにより物資や食料が行き渡り易くなったのだ。

 事実此処に居る黄巾達に飢えている者はいない。数ヶ月にわたる長期戦を想定していなかった『張角』の意向も相まって、隅々まで食料が行き渡っていた。忙しさや戦から一、二食抜くことはあっても、一日何も食べない日などなかったのだ。

 

 故に袁紹の言葉には鈍い反応しか示さない。彼等は動き出し食事を貰おうとする姿勢をみせたが、もらえるなら――という感覚であり、心の底から望んでいるものはいない。

 

 食事で満たされた彼等の中には、袁紹についていく者もでるだろう。その数字も決して少なくないはずだ。

 だが、華琳の言葉で心が満たされているにも関わらず。それでも尚、袁紹に付いて行く人間にどれほどの価値があるだろうか、その者達など欲に忠実な堕落者、俗物の類だ。

 芯の通っていない人間を吸収してなんとする?

 

 華琳達による必勝の策に横槍を入れ、『散財』して彼が手に入れられるのは俗物、文字通り財を溝に捨てるその行為は、袁紹を友として、好敵手として、そして越えるべき壁として、彼を認めていた華琳を落胆させた。

 

 

 

 

 

 

 

 しかし半刻後、彼女の落胆は驚愕へと変貌する。

 

「なんだ……ありゃ……」

 

「わからねぇ……」

 

「……」

 

 その場に集まっていた袁紹軍を除く官軍の面々は、一様にある光景を見ながら唖然としていた。

 その表情は先ほどの華琳に似ている。それだけでも彼等の驚き具合を量ることができた。

 彼等の目線、その先には―――

 

 

 

 

 

 

 

「ワハハハハハハ!」

 

「飲め飲め!」

 

「これも食え、うめぇぞ」

 

「おっとっと、すまねぇな」

 

 『官軍』である袁紹軍と『賊軍』である黄巾達が、まるで宴会か祭りでもしているかのような様子で、楽しそうに食事しながら笑い声を上げていた。

 

 他諸侯やその兵達には理解できない。つい先ほどまで自分達は戦をしていたのだ。

 互いは仲間の、或いは友や親類の仇でもある。その戦の余韻が残るこの場で、何故敵同士だった者達が楽しそうに笑い合える? 何故肩を組んで酒を飲んでいられる? 何故泣きながら互いを慰めあえるのだ……。

 

「…………なるほどね」

 

「これは……まずいですね」

 

 多くの人間が混乱に陥っている中、華琳と郭嘉の両名は袁紹の策を――そして意図を理解した。

 

「我に対する失望、払拭されたか?」

 

「…………ええ」

 

 袁紹はそんな彼女達と共にその光景を眺めていた。本来であれば『宴』の中心にいるべき人物がである。

 

 先ほどの発言で華琳が自分に失望しているのは気付いていた。背中越しに殺気に近い視線を浴びていたし。彼女からすれば袁紹『自身』の言葉で自分に対抗するのを期待していたのだろう。

 残念な事に袁紹にはその気はなかったが……

 

 以前語ってある通り袁紹はこの地における最大戦力を有している。単純な武力は恋が、そして兵数も多いのだが――その殆どは非戦闘員だ。帯剣をしているが飾りに過ぎず。彼等の役目は天幕の設置や食事の準備などである雑用と、『黄巾の懐柔』である。

 

 彼等は南皮に辿り着いた元『難民』達で構成されていた。

 

 

 

 

 

「難民達を使う?」

 

「はい~」

 

 黄巾達の懐柔を目的の一つにした袁紹は、当初は華琳のように己が矢面に立ち説得を試みようとしていた。それに対し風が待ったを掛ける。

 自分達にはそれに最も適した人材、元難民達がいるのだ。使わない手は無い。

 

 仮にも漢の忠臣である袁紹と、黄巾と同じような境遇にあった難民達、どちらの話しに耳を傾けやすいかと言われれば後者だろう。袁紹はこれに納得し採用しようとしたのだが――

 

「お待ち下さい麗覇様、私に懸念が御座います」

 

 そこへさらに桂花が待ったを掛ける。諸侯の動きは風が目を利かせていたが桂花は過去の憧れもあり、ある軍の動きに注目していた。

 

 曹操軍だ。彼女達の動きがやけに鈍い。諸侯と協力しているともとれるがこれはまるで――

 

「まるで一ヶ所に黄巾を集めるように働きかけています」

 

「……一網打尽にするのが目的では?」

 

「だとしても追撃の手を緩める理由になりません。私にはわざと加減しているように見えます」

 

「華り……孟徳の目的は別にある……か」

 

「あるいは、黄巾の兵力を取り込もうとしているかもですね~」

 

 もしそうだとすれば彼女自身の言葉と覇気で説得を試みるだろう。私塾の頃から良く知る袁紹はそう結論付けた。

 

「風、万が一先を越され、孟徳の言葉に黄巾達が魅せられた場合。我等が入り込む策はあるか?」

 

「ありますよ~、桂花さんには怒られそうですけど……」

 

 この後メチャメチャ怒られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして黄巾達に食事と酒が用意された。始めは恐る恐るだった彼等も、配膳をしている者達が元難民であることがわかると安心し。談笑しながら食事に手をつけ始めた。

 戦の空気から開放され、空腹が食事で満たされ、似た立場の者達と苦労を話し合う。……すると

 

 華琳により満たされた心が興奮と共に冷め、自分達本来の願いを思い出す。

 

 それは『安寧』。飢餓、疫病、重税、賊達など、この大陸に蔓延するそれらから解放され、ただただ家族と、友と、愛する者達と生を謳歌したいという。なんともあたりまえで、なんとも尊い願い。

 

 華琳の言葉からは『変革』を感じさせた。彼女ならこの大陸を正してくれるのではないか、腐敗した『天』より自分達の命を重んじてくれるのではないか――故に魅せられた。

 

「……」

 

 彼等の様子に郭嘉はさらに心痛な面持ちになる。

 

 ここまで、ここまでならまだ条件は一緒だ。大陸変革という希望を感じさせた主と、安寧という農民達の望みを引き出した袁紹達、しかし自分達にはあるものが欠け、袁紹達は大きな物を持っていた。

 

 『実績』だ。三十万を越える難民達を保護し。こうして兵士として雇い入れてる袁紹。

 対する自分達はどうか? 曹操軍でも難民は受け入れている。善政に力を入れ、袁家を除く諸侯の中では栄えている方だ。――しかしそれだけだ。

 

 大陸は袁家の話題一色、やる事成すこと全て派手で豪快な彼等は、意図せずとも曹操陣営の実績が大陸に回るのを阻止している。

 実際に目の前で元難民達を手厚く遇する袁紹と、覚悟を示したが実績が無い華琳。

 黄巾達が前者に流れるのは自然の理であった。

 

「……っ」

 

 郭嘉が黄巾達の様子に顔を歪めている頃、華琳もまた心痛な面持ちになる。

 早とちりで袁紹に落胆したこともそうだが、なにより――此度の策を自分一人で練った事に後悔していた。

 

 黄巾の人心掌握にあたって自分の策を、自演でも華琳が傷つくことを良しとしない春蘭を除き、皆に聞かせた時だ。渋る秋蘭には半ば強引に言って聞かせ。郭嘉には彼女が思案する前に諸侯の動きの操作。そして封じる手立てを考えておくようにと命令を下してしまった。

 

 

 

 袁紹達の今回の策、これは彼一人で考えたものではないだろう。思えば私塾にいた頃から周りの意見を取り込むのが上手かった。

 対して自分はどうか? 以前に比べればいくらか融通が利くようになってきたが、それだけだ。根幹では自分の判断、考えが絶対だと思い込んでいることは変わっていない。

 もし仮に、今回の策を郭嘉達と考えていたら? 袁紹達の策に見劣りしない上策を編み出し。対抗できたかもしれない。あるかもしれない結果を思って後悔するなど滑稽だが、そう思わずにはいられない。

 

 そこまで考えて華琳は溜息を一つ洩らす。失望すべきは彼ではなく自分自身にではないか、だが顔を下に向けてなどいられない。もう一度、もう一度己を見つめ直す。遅すぎるかもしれない……しかし手遅れではない。

 

「ごめんなさい……稟」

 

「か、華琳様?」

 

「貴方達と一緒に考えれば上策が出来たかもしれないのに…………私は」

 

「謝るべきは私です!」

 

「……稟?」

 

 華琳の謝罪を遮るようにして郭嘉が声を上げる。彼女にも反省しなければいけない事があった。

 

 華琳から此度の策を聞いた彼女にはある懸念が存在した。それは自分達以外に(兵力)を取るかもしれない勢力、袁家の参戦。

 本来であれば袁家は受け入れた難民達の対処で忙しく、此方に構っている余裕などないはずだ。

 参戦の可能性は限りなく低い。しかし無ではなかった。

 郭嘉は軍師として、最悪の事態(袁家の参戦) に備えるために更なる上策が必要になると考えていたが……彼女は進言できない。

 

 華琳の下について日は浅いが主の気質は理解している。自身の考え、信念、やる事成すこと全てに自信の高さが窺え、又それが主の魅力でもあった。

 口出しする必要は無い。そう考え主に与えられた任『だけに』固執したのだ。

 

「貴方も私も、まだまだと言う事ね」

 

「はい。ですが―――」

 

「?」

 

「華琳様の策は、無駄にはなりません」

 

 柔らかい笑みを浮かべて語る郭嘉、彼女の視線の先には余り食事に手をつけず。神妙な顔つきで下を向いている黄巾の一団に注がれていた。

 そもそも郭嘉が華琳の策に対して進言しなかった理由の一つに、策の完成度の高さが存在していた。未来の覇王が編み出した策は、袁紹達の財力をも駆使した策に確かな爪あとを残したのだ。

 

 結果、黄巾十八万のうち『安寧』を求めた十五万の農民達は袁紹に、『変革』を求めた三万は華琳に付いて行く事となった。

 数だけで見れば袁紹の一人勝ちである。しかしそれ以外、質ではどうか―――

 袁紹に追従した者達は殆どが農民、武の欠片も無い非戦闘員に近い人員だ。

 対する華琳に追従した者達は――元盗賊、漢王朝に恨みに近い不満を持ち、黄巾の中では常に最前線で官軍と戦っていた。言わば精鋭達である。

 

 正規の軍に比べれば確かに質は劣るだろう。しかし武の下地が出来ている彼等は、扱い方さえ間違えなければ強力な戦力に変貌するはずだ。気性が荒く手綱を握るのに苦心するだろうが――規律を重んじる曹操軍であれば問題無く取り込めるだろう。

 

 

 

 

 

 こうして黄巾の乱は、孫呉が(張角)を、曹操が(兵力)を、袁紹が花と実の両方を手に入れ終息――したかのように見えた。

 

 

 

 

 

 各軍が引き上げていく中、孫呉の陣営は天幕すら片付けていなかった。

 

「孫策の様子はどうだ?」

 

「ハッ、大分落ち着いた様ですが……」

 

 周瑜の問いに兵士が答える。その視線は孫策がいる天幕に注がれている。

 

「いつまでもこうしてはおれぬ、私が様子を見てこよう」

 

「な! き、危険です!! あのような孫策様は見たことがありません。いくら周瑜様でも……」

 

 孫呉の陣営では異様な光景が広がっていた。日が沈み始めていたため、そのまま広宗で一夜過ごし明日出立する手筈なのだが――本来手厚く守りを固められるはずの天幕に護衛の姿が無い。それどころか皆、その天幕を避けるようにして動いていた。

 

 

 

 

 

「これはまた。……随分荒れたようだな雪蓮」

 

「……」

 

 天幕の中に入り孫策に話しかけるが彼女の目は虚ろ、中はそこらじゅうが彼女の獲物『南海覇王』により切り刻まれていた。

 

 

 

 

 

 時を少し遡る。

 

「良くやったわ! 思春、明命、貴方達は孫呉の誇りよ!!」

 

「勿体無きお言葉」

 

「わわわ、ありがとうございます!」

 

 黄巾達との戦が終わり、張角の首を持ち帰ることに成功した二人を労っていた頃だ。

 

「失礼致します! 袁術様の兵がお見えになっていますが……」

 

「……なんですって?」

 

 孫策の顔が一気に険しくなる。実は孫呉の軍に僅か千人余りの袁術軍が追従している。

 

 

 張角討伐による名声のため、孫策は自分達を客将として使っている袁術――と言うよりは張勲に許可を貰う必要があった。

 

『ん~そうですねぇ、条件がありますが良いですよ』

 

『……なにかしら?』

 

 力の抜けるような声色から発せられる『条件』と言う言葉に警戒心を露にする。

 今までも散々この女に利用されてきたのだ。また悪巧みをしているのではないかと、警戒していたが――

 

『そんな難しいものではありませんよぉ、私達の手勢を少し連れて行って欲しいのです』

 

 張勲が言うには勅旨を出した朝廷に『義理』を果たしたいとの事。重い腰を上げることの無い袁術陣営は形だけでも張角討伐に動いたことにしたいらしい。

 指揮は孫策達に一任され、兵糧も余分に用意してくれるともあって、この提案を二つ返事でうける事になった。

 しかし、広宗に辿り着く前に後悔する事なる。 

 

 目に付いたのは袁術軍の錬度の低さだ。常日頃鍛練に励んでいる孫呉の兵達とは違い。大した訓練をしたことが無い彼等は新兵の方が良いのではないか? と孫策が真顔で言えるほどだ。

 

 これでは黄巾達との戦いのときに足を引っ張られる可能性が高い。故に孫策達の満場一致の意見により、彼等は戦には使わない。文字通り案山子――否、兵糧を消費する分、案山子にも劣る存在と成り果てていた。

 

 

 そんな袁術の――張勲の手勢が今更なんの用だろうか、二人の労いの場を邪魔された気分に陥った孫策は、話を聞くため中に入れるように指示を出す。

 追い返そうとも思ったが、そんなことをしては何をされるかわからない。さっさと話を聞いて今後の打ち合わせをしなければ――孫策は半ば強引に思考を切り替えた。

 

 

 

 

「もう一度言ってくれるかしら?」

 

 挨拶もそこそこに、用件を伝えた袁術軍の兵士に再び問いかける。彼が発した言葉、要求はどう考えても許容出来る様な内容では無い。

 

「張角の首は我らが朝廷に持っていく、此方に渡して欲しい」

 

 孫策の殺意に近い怒気を前にして要求を繰り返す袁術軍のこの男、ある意味豪胆なのかもしれない。ただ鈍いだけだったが……、そんな男の意に返さない様子がさらに孫策の癪にさわる。

 

「っ!? 思春! 明命!!」

 

「はい!!」

 

「……くっ!」

 

 孫策の様子をいち早く察知し。周瑜は二人に制止させようと声を張り上げる。

 しかし二人の動きよりも速く、孫策の得物が男に振り下ろされていた。

 

「ヒッ!?」

 

 情け無い声を上げる男、彼は無事だった。孫策の振り下ろした刃は横から飛んできた矢に軌道を逸らされ、間一髪の所で男は命を拾う。もう少し遅ければ男は真っ二つに切り裂かれていたであろう。

 

「落ち着かれよ、策殿」

 

 狭い天幕内にも関わらず。矢で軌道を逸らす神業を披露した黄蓋は、弓を下ろしながら孫策を諌める。

 いまだ弱小戦力な自分達が袁術に逆らうのはまずい。孫呉の多くは残してきている故、人質をとられているも当然だった。そして逆らえば袁術たちは――特にあの張勲は容赦しないだろう。

 

 

 結局孫策たちは、要求通り張角の首を渡す他無かった。

 

 

 そして孫策は荒れた。やり場の無い怒りを天幕内の物に当たり、少しでも発散しようとしていた。無理も無い。緻密に計画を立て、名声を得て独立する事に夢を見、信の置ける仲間がやっとの思いで成し遂げた手柄、それが案山子以下だと見下していた相手に横から持っていかれたのだ。

 

 やがで暴れ疲れた孫策は泥のように眠った。周瑜は彼女を寝台に寝かせ天幕の外に出る。

 ちょうどその頃、孫策の怒気に恐れをなした袁術軍達が引き上げていた。

 

「……」

 

 周瑜はそれに目を向ける。張角を討ち取るための策を考え、ありとあらゆる手段で広宗を調査し。諸侯の動きを計算に入れ、袁紹達に辛酸舐めさせられても挫けず。自分達を眼中にも入れない曹操に歯軋りし。

 苦労の末に袁術たちに手柄を持っていかれた彼女は―――嗤っていた。

 

 

 こうして黄巾の乱は、袁術が花を、曹操が実を、袁紹が花と実の両方を手にし終息した。

 

 

 

 

 

 

 




だからあの時は序盤だって……(白目)


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閑話―文醜― 

「猪々子! あんた今度から袁紹様の御付な!」

 

「え~……アタイはもう少し遊んでいたいぜ」

 

 文醜が数えて十になった頃、彼女は母親から仕官を命じられた。仕官先はあの名族袁家、その次期当主である袁紹の側近ともなれば大出世だ。

 誰もが羨むほどの地位だったが、遊びたがりの文醜に堅苦しい環境は苦手だった。

 

「そう……じゃあ斗詩ちゃんだけ袁紹様に仕えることになるねぇ」

 

「行く」

 

 母親の口から出た名に即座に反応する。大事な親友顔良、真名を斗詩、物心ついた頃からの付き合いであり、この世で一番大切な人。

 

 自分とは違いお淑やかで女性らしく、礼儀作法も完璧で文武両道、自慢の親友であり想い人。

 自分に無い物をすべて持っている顔良に対し。文醜は強く魅かれていた。

 

 その想いは、自身がこの世に女として生まれた事を悔いるほどに――

 

 

 

 

 

 

「なぁなぁ斗詩ぃー、ここにその袁紹がいるのかー?」

 

「袁紹『様』だよ文ちゃん、今日の挨拶で失礼の無いようにって、お母さん達に言われたでしょ?」

 

「わーってるって、ところで袁紹様はアタイ達と遊んでくれっかなー?」

 

「もうっ、文ちゃん!!」

 

 あれから数日後、例の親友である顔良と共に袁家屋敷の門前まで来ていた。

 

「良い? 文ちゃん、袁紹様は寛大な方って聞いていると思うけど、最低限守らなきゃいけない礼儀があるんだからね!」

 

「大丈夫だってぇ、その辺は母ちゃんと予習してきたからさ。手と足は同時に出しちゃいけないんだよな!」

 

「うー、お腹が……」

 

「拾い食いでもしたのか?」

 

 おどけた発言に顔良は睨むように此方を見つめる。言いたいことはわかっているつもりだ。

 それでも、ある不安を隠すために今はおどけるしかない。

 

 袁家次期当主、袁紹。幼少の頃から数々の書物を読破し。叔母である袁塊から直接武を叩き込まれている文武両道の神童。

 名族の出にも関わらずに、驕らず。他者を蔑む事もなく、無礼を働く者以外には友のように接し。屋敷内の人望を受けているとのこと、見た目は母親似で美しく、それでいて凛々しい顔立ちをしているとか……

 

 まるで御伽噺か何かのようなその逸話に大事な親友。顔良は興味を示していた。

 もしも噂が本当なら――親友は袁紹に惚れてしまうのでは? 彼女を想う一人の『女』として、それが気がかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「良く来てくれた。わしが袁逢じゃ、そして――おおっ、丁度来たようじゃ」

 

 袁逢様の言葉に反応して、目線の先に目を向けると、美丈夫が此方に向かって歩いている。

 

(うわぁ……)

 

 顔良と文醜達の目の前に現れたのは一人の美青年。美しく長い金髪は日の光を背にしているからか、キラキラと反射して輝いている。

 

「お早うございます父上、……この娘達は?」

 

 近づいてきた彼と目が合う。鷹のように鋭い瞳、その視線は自分達の内面までも見透かそうとしているようで、端正な顔も相まって恐ろしいほど妖美な光を放っている。

 

「は、初めまして、私の名は顔良、真名を斗詩と言います!」

 

「アタイは文醜、真名を猪々子だ!……です」

 

 先に自己紹介した親友に続いて声を出す。事前に母親と練習していたが対面の緊張もあり、妙な言葉遣いになってしまった。

 

「そうかお主達が……、知っていると思うが我が袁紹だ。初対面で真名を預けてよいのか?」

 

「私達は今日から袁紹様に仕えるので」

 

「主になる人に真名を預けるのは当然!……です」

 

「ふむ、ならば我が真名、麗覇も二人に預けよう!」

 

「ええっ! いいんですか?」

 

 袁紹様の言葉に斗詩が驚いた声を上げる。無理も無い。本来真名とは神聖で特別なものである。伴侶にしか許さない者もいれば、親族にしか許さない者もいる。

 ましてや相手は名族袁家の次期当主だ。これですんなりと真名を受け取れる方がどうかしているであろう。

 

 「かまわぬ、我もお前達が気に入ったし何より――真名を受け取って返さぬのは我の矜持に反するのでな、フハハハハハ!!」

 

「「……」」

 

 豪快に笑う袁紹を二人は唖然としながら見つめ、一足早く意識を取り戻した猪々子は傍らに目を向ける。

 そこには頬をわずかに上気させた想い人の姿があった。

 

(袁……麗覇様は噂通りの人かぁ、あーあ斗詩の奴、嬉しそうにしちゃって~)

 

 少なくとも人徳ある主のようだ。仕える立場としては文句の付け所は無い。

 しかしそれによって大事な親友を取られるのは……、猪々子は複雑な思いだった。

 

 

 

 

 

 

「やったぁ、さっすが麗覇様そこに痺れる憧れるー!!」

 

 猪々子の複雑な胸中はあっという間に吹き飛んだ。その理由は、中庭で談笑していた時の話の流れにより、得物に難儀している自分に袁紹が掛けた言葉がきっかけだ。

 

『では、我が側近になった記念として二人に武器を授けようぞ!』

 

 自身に合う得物が無いと悲観していた猪々子に対し。豪快な提案をする袁紹。

 他の者であれば適当な相槌をして終わりだろう。そもそも愛用の得物探しなど個人の問題だ。

 しかし袁紹は思案し提案した。それも即座に解決できる方法をだ。これから武器を貰えるのもそうだが――、初対面である自分の小さな悩みを真剣に考えてくれた。猪々子にはそれがなによりも嬉しかった。 

 

 

 

 

 

 

 

「たっだいまー母ちゃん! さっそくだがこいつを見てくれ……どう思う?」

 

「すごく……大きいわね、どうしたのそれ?」

 

「へっへ~、実は麗覇様から貰ったんだ!」

 

「貰った!? しかも今のは袁紹様の真名でしょ!?」

 

「噂通りの人だったよ、なんか気に入られたみたいで真名も交換してくれたんだ」

 

 頬ずりしそうな勢いで大剣を撫でる猪々子。そんな彼女の様子に少し呆れながら母親は頬を緩ませた。

 

「この分だと孫の顔を見れそうだねぇ……」

 

「は? 孫??」

 

「だってそうだろ? 会って間もない猪々子に真名を預けた上に、そんな業物まで授けてもらったんだ。相当あんたを気に入ってくれたんだねぇ」

 

「……それがどうして孫の話しになるんだ?」

 

「あのね猪々子、あんたは女で袁紹様は男だ。異なる性別の二人が一緒にいて行き着く先なんか決まっているだろ?」

 

「ないない。大体斗詩も一緒だし」

 

 自分が彼の立場なら迷わず斗詩を選ぶ、あっけらかんとそう言ってのける猪々子に対して母親は溜息を吐く、この残念な娘は自分の魅力には無頓着だ。

 確かに女らしさという面では彼女の親友に軍配が上がるだろう。しかし、斗詩が女性らしく清楚だとすれば、猪々子は活発で情熱的だ。毛色が違うだけで魅力は劣っていない。

 むしろ今のような時代では愛娘の方が魅力的なはずだ! 親馬鹿を交えた自論を頭の中で展開させた母親は、猪々子にとって転機となる言葉を落とす。

 

「それに、袁家次期当主ともなれば側室の一人や二人――「その手があったか!」わっ!?」

 

 ありがとう母ちゃん! と言葉を残し猪々子は自室に入る。何故急にやる気を出したのかわからないが、これで孫の顔を見る可能性があるのなら……と母親は深く追求しなかった。

 

「……」

 

 場所は変わって猪々子の自室、彼女は先ほどの母親の言葉で妙案を思いついた。

 

 袁紹の『お手つき』になることだ。女として魅力的な斗詩は正室でなくともいずれ袁紹と関係を持つだろう。そこに同じく『お手つき』となった自分が割り込む、うまくいけば流れで斗詩を愛することができ――

 

「グフフ」

 

 乙女とは思えない笑い声を洩らしながら猪々子は、己の欲望のため袁紹の側室を目標に定めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「うりゃあああああ!」

 

「えーーい!」

 

 その翌日、袁紹の剣術指南をしていた袁塊を新たな師として、斗詩と猪々子の両名は鍛練していくことが決まった。その一環としてさっそく袁紹と模擬戦をしている。

 

「甘い!」

 

「うわわっ!?」

 

「きゃっ!?」

 

 二対一にも関わらず袁紹は二人を圧倒する。本来であれば彼女達のほうが腕は上だが、昨日今日新たな武器を使い始めた者に遅れを取るほど半端な鍛え方はしていない。

 

「いってて……持つのと振るのじゃあ違うな……」

 

「うー……体ごと持っていかれるよう」

 

 重厚な武器を振り回せるほどの腕力はあるが、彼女達が今まで使っていたのは普通の剣だ。

 力加減がいまいち解らず隙だらけとなっていた。袁塊は袁紹との模擬戦を通して熟練度の低さを二人に伝えたのだ。袁紹の側近で護衛でもあるのに不慣れな得物で万が一を迎えるわけにはいかない。

 手に馴染むまでは今まで通りの剣を帯剣する事を義務付けた。最初はそれに渋っていた猪々子も、袁紹との模擬戦で手も足も出なかったため了承した。

 

 

 

 

「麗覇様強かったね。文ちゃん」

 

「ふ、ふん! 同じ得物ならアタイが勝ってたね!」

 

「それ、完全に負け惜しみだよ?」

 

「…………だよなぁ」

 

 初日の鍛練を終え二人で帰路につく、話題に上がるのはやはりと言うべきか袁紹との模擬戦だ。

 武に自信のあった猪々子は力を示すことで袁紹の気を引こうと画策していた。自身の魅力に自覚が無いことと、いまだに幼い故の浅知恵であったが、この件は彼女の胸に深く残り、いつかこの斬山刀で派手に活躍してそれを見せ付ける―――特に邪念の無い目標が出来た。

 

 

 

 

 

 そしてその好機(チャンス)は数ヵ月後に訪れる。

 

 袁紹の提案で街を散策する事になったある日、途中で見つけた屋台で食事をしようと並んでいた時だ。突然袁紹が斗詩を伴ってわき道に入って行った。

 

「……」

 

 猪々子は屋台で二人の分も購入するようにと待機を命じられたが、血相を変えた袁紹の様子にただならない何かを感じた。それにわき道に入るとき彼は帯剣をわずかに掴んでいたのだ。このことから何かの厄介ごとだとわかる。犯罪者でも発見したのか、はたまた暴徒の類か、どちらにせよ武に頼らねばならない場面のようだ。

 

「…………よし」

 

 猪々子の中である欲求が湧き上がった。それは以前から画策していた斬山刀での活躍だ。

 今は手に無く、普通の武器を帯剣していたが、現在地点から猪々子の屋敷は近い。取って戻ってくる余裕があると判断した。

 

 心配があるとすれば二人が相対する敵の規模だが、袁紹は模擬戦で自分をあしらうほどの腕があるし。斗詩の武は自身と同等に近い。万が一など起こりえない。

 猪々子はそう決断を下し自宅に向かって駆け出した。

 

 

 

 

 

「はあ、はあ、……クソ!」

 

 斬山刀を背に戻って来るまで想像以上に手間が掛かってしまった。剣を鍛冶屋に手入れのために預けていたことを途中で思い出し来た道を引き返したのだ。すでにかなりの時が経っている。

 もう事は終わっている可能性が高い。だが何やら胸騒ぎがする。これは斬山刀を取りに行く前には感じなかったものだ。

 

「誰か、お助け下さい!」

 

「な!? どうしたんだ!」

 

 ようやくわき道に差し掛かったところで奥から女性が一人飛び出してきた。その様子は半狂乱といった形だ。服に血が付着していたが特に外傷は無い。

 そして落ち着きを取り戻した女性から話を聞いた瞬間、猪々子は飛び出すようにわき道に入る。彼女の話が本当なら二人は―――

 

 

 

「っ!? 麗覇様!!」

 

「……猪々子」

 

 奥に進むと袁紹の姿が確認できた。その周りには暴漢らしき者達が物言えぬ姿で倒れている。そしてその中には――斗詩の姿もあった。

 

「斗詩……斗詩ぃぃぃ!!」

 

 慌てて彼女の側に駆け寄り抱き起こす。そして袁紹に目を合わせた。

 何を訪ねたいのか悟った袁紹は口を開く

 

「斗詩は無事だ。気を失っているが額の傷は浅い。……あまり揺らすでない」

 

「…………良かったぁ」

 

 それから少しして駆けつけた警邏隊の者達と協力して斗詩を運び。他の者達に現場を任せ袁紹とともに彼の屋敷へと戻った。

 

 

 

 

 

「……」

 

 袁家の屋敷の一室。斗詩が安静のため睡眠をとっている部屋で猪々子は悔いていた。

 自分勝手な都合で現場に急行しなかったのもそうだが……、何よりも主を後回しにして考えていた事だ。

 

 屋敷に戻る道中で掻い摘んだ話しを聞くと、袁紹は初めて人を手に掛けることを躊躇し。その結果斗詩が怪我を負うはめになったらしい。

 その懺悔のような説明を自分は殆ど聞き流していた。無事だとわかっていても親友の安否が気になったのだ。それからの道中は無言だった。主に掛ける言葉はいくらでもあったのに……

 

 こうして親友の安らかな寝顔を見ていると冷静になる。そしてそれと同時に袁紹のことが気になったのだ。

 思い返してみれば何かを耐えるような顔をしていた。きっと罪悪感に苛まされているのだろう。

 

「うっ……ち……きしょお……」

 

 己の不甲斐無さ、情けなさに涙が出る。

 そもそも自分が現場に急行していればこんなことにはならなかったのだ。

 

 袁紹や斗詩とは違い猪々子には実戦経験がある。最も、賊退治に勝手に付いて行った末での成り行きでだが、それでも経験があることには変わりない。袁紹や斗詩が手を汚さずとも自身だけで片付けられる自信もある。

 それなのに、それなのに自分は―――

 

 独りよがりな理由で得物を取りに行った挙句、返り血を浴びて放心している主を他所に親友を気遣い。終始目線を合わせることも出来なかった―――忠誠を誓ったにも関わらずだ!

 

 

 

 斗詩に対する想いを理由に妙な対抗心を抱いていた。袁家次期当主で男として、親友を娶れる立場にある彼に嫉妬すらした。それでも心から忠誠を誓ったのだ。斬山刀を授けられたあの日から

 

 「……」

 

 涙を拭った猪々子は静かにある誓いを立てる。『忠臣』として自身を高めよう――と。

 一見今まで通りだが実は違う。そもそも袁紹が何故斗詩だけを連れて行ったのか、それは猪々子の『家臣』としての意識の低さにあった。何事にも楽観的な彼女は袁紹に対しても友のように接していた。それがあの場においてどう不利に動くか、彼は理解していたのだ。

 

 一刻の猶予も無く説明している時間も惜しい状況。猪々子に追従を命じれば屋台に意識が向いていた彼女は渋っていただろう。理由を説明さえすれば動いたが――それ自体が家臣失格である。

 迅速に動かねばならない状況において、主の命に問い返すなど言語道断だ。

 

 では猪々子が真に忠臣であったら? 状況は違っていたであろう。彼女も斗詩と共に動けたはずだ。

 故に猪々子は誓う。主である袁紹が自身に躊躇う事無く命を下せるように、その命を即座に実行できる忠臣になろう―――と。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん……あれ…………そうか、寝ちまったのか」

 

 斗詩が眠る寝台に、突っ伏すようにしていつの間にか寝ていたらしい。親友の姿は無く自分に布が掛けてある。

 目覚めた斗詩は事の顛末を確認し。そのまま袁紹を探しに行ったのであろう。

 

「……うし! 行くか!!」

 

 気だるい体に鞭打って立ち上がる。自分も二人に謝らねばならないこと――話したいことが沢山あった。

 

 

 

 

 二人は中庭にいた。すぐに声を掛けたい衝動に駆られたが入りづらい雰囲気が漂っており、猪々子は思わず物陰に身を隠した。

 

「でも、麗覇様は私が自己嫌悪する必要はないと思ったはずです。なら麗覇様もそうじゃないですか!」

 

「……」

 

 普段大人しい斗詩が口を荒げているのに驚く、しかし、だからこそ彼女の必死さが伝わった。

 自分とは違い彼女はどこまでも主を気遣っている。罪悪感に潰されそうな袁紹を救おうと必死に語りかけている。

 だが―――

 

「あのー」

 

「うぉっ!?」

 

「きゃっ、文ちゃん!?」

 

「なんか気まずい雰囲気で出づらかったけど、だまっていられなくなっちゃってさー」

 

 苦しそうに言葉を紡ぐ親友の表情に思わず姿を現す。未だ割り切れない主のため、そして、もっとも苦しんでいるであろう斗詩のために。

 

 気丈に袁紹に語りかけているが猪々子にはわかる。斗詩の言葉は自身にも向けられている。

 彼女は責任感が強い。あの場で気を失う事になって何も思わないわけが無い。きっと今も自分を責めているだろう。だからこそ見逃せない。猪々子の母親から習った経験則から言えば、後悔で歩みを止めるほど無駄なことは無いのだから――

 

「二人とも難しく考えすぎでしょ、だってさ二人とも……いや助けた人含めて三人は無事だったんじゃん? なら、今更それまでの事を後悔し続けても意味が無いって言うかさー。アタイ頭良くないからうまく説明できないけど、次はそうならないように気をつければ良いだけじゃん?」

 

 その言葉に唖然とする二人、それほどまでに自分が言うのは意外なのだろうか、と猪々子は頭に浮かべたがそれはすぐに消え去った。

 袁紹と斗詩の表情から憑き物が落ちる感じがしたのだ。

 

「ありがとう、二人とも」

 

「麗覇様……」

 

「へへっ」

 

 袁紹から憂いが消えている。それを察した斗詩も同調するように頬を緩めた。

 それを確認した猪々子は照れくさそうに、だが満足そうに笑う。

 

「ところで麗覇様、傷物になった斗詩の責任はとるのか?」

 

「ブフォッ!? 猪々子!!」

 

 そして唐突に爆弾発言をする。本来であれば他にも話す事がある。しかしそれはそれ、これはこれ、憑き物が落ち隙が出来たのを本能的に感じ取った猪々子は、ここぞとはかりに畳み掛けた。

 

「ぶ、文ちゃん!? これはそんな傷じゃないから!!」

 

「そん時はアタイも頼むよ麗覇様!」

 

「ええっ!? 文ちゃん!!」

 

 その後、三人で他愛も無い話を朝日が昇り始める頃まで語り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから数日後、猪々子は袁紹から礼として料亭に連れてこられた。

 

「なぁ麗覇様、アタイ何かしたっけ?」

 

「以前掛けてもらった言葉で我は目が覚めたのでな、これはその礼よ」

 

「…………何を注文しても」

 

「かまわぬ」

 

 その言葉に「よっしゃあ!!」と料理を注文していく、彼女が連れてこられたのは南皮でも有数の高級料亭で、その値段からとても普段の自分が手の出せる物ではない。

 良くも悪くも遠慮の無い猪々子は端から端まで注文、引き攣った笑顔の袁紹を他所に、幸せそうに胃袋に収めた。

 

 

「麗覇様……ちょっといいか?」

 

「……む?」

 

 運ばれた料理を全て平らげ一頻り満足そうに目を細めた後、猪々子は姿勢を正し袁紹に対面する。

 彼女のその様子に唯ならない雰囲気を察し。袁紹は顔を引き締めた。

 

「アタイは麗覇様に謝らなければいけない事、聞かせたい事があるんだ」

 

「聞こう」

 

 猪々子はぽつぽつと話し出す。あの日自分勝手な理由からその場を離れたこと、そのせいで到着が遅れ間に合わなかったこと、動転して斗詩にしか意識が向かなかったことをつぶさに話した。

 

「でさ、アタイは誓ったんだ」

 

 ただの家臣ではなく、真の忠臣として自分を高めたい。主である袁紹が躊躇する事無く自分に命を下せるようになりたいと聞かせた。

 

「……そうか」

 

「……」

 

「猪々子がどこか我に一線引いていること、何となくではあるが感じていた」

 

「っ!?」

 

「そして我も……どこか一線を引いていたらしい。本来であれば三人の中で一番の使い手であるお主を連れて行くべきであった。なのに残した。主の判断として失格である……すまない」

 

「そんな!? 謝るのはアタイであって――」

 

「なれば互いに謝罪した事で相殺である。良いな?」

 

「え、あー、そう……なのかぁ?」

 

 もっともらしい言葉で言いくるめられている気がして思わず首を傾げる。そんな猪々子の様子に苦笑した後、袁紹はおもむろに彼女の頭を撫でた。

 

「うわ!? いきなり何すんだよ麗覇様」

 

「しおらしい猪々子が可愛らしくて、ついな」

 

「だ、だからってガキじゃ無いんだからさぁ」

 

「そうであるな、すまぬ」

 

 猪々子に窘められ素直に手を引っ込める。彼女の言葉は照れ隠しからきたものであったが、何故か袁紹はそれを察することが出来ず。以後軽々しく女性に触れるべからずと、胸中で誓った。

 

 もっともその誓いは、可愛らしい猫耳に破られるのだが……それはまた別の話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 料亭で袁紹と猪々子の距離が狭まった数日後、袁紹はある私塾に通うことが決まり、斗詩と猪々子の両名はそれに追従した。

 

 そしてそこで曹操を始め彼女の側近である夏侯惇、夏侯淵、幽州の公孫賛との出会いを果たし。親睦を深めた、猪々子は特に夏侯惇と馬が合い。彼女と真名を交換し合い互いに研鑽する仲となっていた。

 

「さあ、どこからでも掛かって来るが良い」

 

「遠慮はしないぞ春蘭、斗詩、審判頼むぜ!」

 

「うん、頑張ってね文ちゃん」

 

 任せろ、と元気良く返す。袁紹達が私塾に行っている間、猪々子等は時間が有るため殆ど鍛練に費やしていた。そこへ同じく鍛練をしている夏侯惇に誘われ、こうして模擬戦をすることになったのだ。

 

「先手必勝! うりゃあああああ!!」

 

「うおっ!?」

 

 勢い良く大刀を振り下ろす猪々子、夏侯惇は後方に下がることで難を逃れる。

 

「……すごい一撃だな」

 

「当然! メチャメチャ修行したからな!」

 

 まだまだ行くぜ! 再び夏侯惇に向かって大刀を振るう。初撃に驚いていた彼女は、目が慣れたのか冷静に避け続ける。

 

「逃げてばっかりじゃ勝てないぜ?」

 

「それもそうだ」

 

「っ!?」

 

 避け続ける夏侯惇に痺れを切らし挑発する。しかし激情的なはずの彼女はどこまでも冷静に、大刀を振り切った瞬間猪々子に肉薄した。

 

「しょ、勝者、夏侯惇さん!」

 

 猪々子の眼前で止められた夏侯惇の大剣、それを見て斗詩は慌てて彼女の勝利を宣言した。

 

「アタイが……負けた?」

 

「……」

 

 その結果に猪々子は唖然とする。慢心していたわけでは無い。始めから全力で挑んでいたのだ。対する夏侯惇はどうであっただろうか、最後に見せた動きは本気のものだろう。しかしそれ以外は余裕が感じられ、猪々子との実力差を見せつけた。

 

「猪々子、お前の一撃はすごい……だがそれだけだ」

 

「っ!?」

 

 何故自分が負けたのだろうかと、顔から出ているのを感じ取った夏侯惇は指摘する。

 猪々子の大刀による一撃は確かに脅威だ。受けに回れば武器ごと弾かれ大きな隙が出来るだろう。それを本能的に感じ取った夏侯惇は回避する事を選択し。その過程で弱点さえ見つけ出した。

 

「難しいことは言えんが、なんかこう……剣に振り回されている感じだ」

 

「……」

 

 その言葉に口ごもる猪々子、彼女にも薄々それはわかっていた。

 これまでの鍛練で猪々子は、大刀による一撃に力を注いできた。それは確かに強力な一撃を放つことに成功したが、当たらなければ意味が無い。一撃一撃に全力を振り絞る斬撃は、避けられたり外したりすると僅かに隙が出来る。

 通常の兵になら問題は無いが、夏侯惇のような一騎当千の強者にはすぐに見破られ、その隙を突かれてしまう。

 

 猪々子は己が短所を理解し。その模擬戦からは初心に帰り素振りを始めた。結局、夏侯惇から一本とることは出来なかったが、猪々子達が南皮に帰って来た頃には、大刀をまるで手足のように扱えるほどにまで成っていた。

 

 そして彼女が今まで力を入れてきた一撃は、『大刀一閃』という奥義に昇華した。

 愚直なまでに拘り続けたそれは無駄にはならなかったのだ。

 

 

 

 彼女の努力は武芸大会で実を結ぶことになる。重さと速さの両立に成功した猪々子の剣戟は夏侯惇を苦しめ、奥義を以て彼女に勝利した―――

 

 

 

 

 

 

 

 




袁家の博徒 文醜

好感度 100%

猫度 ニャンだぜい!

状態 忠義

備考 幼馴染で親友の斗詩が好き
   袁紹には家臣として、異性としては……
   無類の賭け好き、大事な場面で良く外す


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閑話―猪々子― 

 第一回の武芸大会から月日は流れ、恋、音々音、星、風など、頼れる仲間が増え、劉備達と邂逅した後日。

 

『第一回袁家主催チキチキ、出された料理は全部平らげろ大食い大会~~』

 

『うおおおおおおおおおおおおお!』

 

 猪々子発案による大食い大会が決行されていた。

 

 

 

 

 

 時を少し遡る。

 

 ここ南皮では袁家主催の祭りが度々開かれる。その内容は武芸大会に留まらず数多く存在する。

 今の時代では娯楽が少なく退屈な日々が続いている。そんな民衆に生きる活力を与えようと様々な催しを企画しているのだ。

 

「さて、他に案がある人は?」

 

 袁家の屋敷、その一室で通例となる会議を開く、進行は桂花が務め、斗詩が書記だ。

 祭りの主な目的は民衆に娯楽を与えることだが、それと同時に南皮の経済を活性化させる役割も担っている。特に武芸大会など、他地域から強者を呼び寄せるような催しは陣営の強化にも繋がるため、袁家にとって祭りの企画は重要な政務になっていた。

 

「我が出した案でよかろう?」

 

「否、私の案こそ最善ですぞ!」

 

『却下』

 

 自分達の案を薦める袁紹と星の両名。その二人を除く全員から即座に反対の声が上がった。

 

 袁紹発案の祭りの内容は『お御輿』 自由に作り上げた御輿を担ぎ上げ街を練り歩くというもの。一見普通の祭りだが問題が多い。南皮での祭りは宣伝をしてから開かれるため基本的に人で埋め尽くされる。人が通るのもやっとな状況に多数の御輿は危険である。

 

「隙間を風のように駆け抜ければよかろう!!」

 

『無理』

 

 確かに袁紹の御輿は驚異的な機動力を発揮し人ごみさえ物ともしない。だがそれが出来るのは彼の御輿だけであり、一般人にそれを求めるのは酷と言うものだ。そもそも御輿祭りでは大した経済効果は望めない。

 皆の反応に意気消沈した袁紹は真っ白になりながらうな垂れる。彼の闘い終わったのだ……

 

「フ、やはり私の――『それも無い』せめて最後まで言わせよ!」

 

 再び名乗りを上げた星に対し食い気味に口を挟む。彼女の発案した祭りは―――

 

「何故だ!? メンマと酒の需要は大陸一であろう!!」

 

 彼女の趣向丸出しな『メンマと酒』の品評会であった。――そこまで悪くは無い。

 御輿に比べれば利益を得られるだろうし。美食は娯楽にもってこいだ。だが――

 

「需要が狭すぎるわ!」

 

「ば……馬鹿な」

 

 桂花は歯に衣着せぬ言葉で一蹴した。彼女の言うとおり需要が余りにも狭い。

 酒は兎も角、そのツマミがメンマだけでは飽きられてしまう。それに利益があるとは言え、あくまで御輿と比べてであって、大した経済効果は望めないだろう。

 

「星」

 

「……恋?」

 

「恋も…………メンマ好き」

 

「お、おぉ……私の心の友はお主だけだ! 恋!!」

 

 皆に一蹴されうな垂れる星を見かねたのか、恋は彼女を励まそうと声を掛ける。

 心に冷たい風が吹雪いていた星は歓喜しながら立ち上がり、恋に抱きつくと同時に頬擦りした。

 普段飄々としている星の変わりっぷりに皆は目を見開きつつ、桂花の進行に基づき会議を進めた。

 

「猪々子、貴方は何かあるかしら?」

 

「え、アタイ?」

 

 とりあえず色んな案を提示させようと、桂花は何故か会議に消極的な猪々子に声を掛ける。

 普段の彼女なら、このような議題には喜々として参加するのだが……

 

 本日の猪々子は上の空、皆のやり取りを見ているだけだった。

 

「うーん、大食い大会とか?」

 

『……』

 

「だ、駄目か? 祭りだから盛り上が――『それだ!』わッ!?」

 

 猪々子の何気ない提案に皆が食いつく、余りの勢いに提案した本人が椅子から転げ落ちそうになったが……そんな彼女には目もくれず、大食い大会について話し始めた。

 

「武芸大会のように競うことで賭け事による利益が見込めるわ」

 

「一般人も参加しやすいですね~」

 

「宣伝になると銘打って、各地の料理人を呼び寄せられますぞ!」

 

「南皮でも料理人は多いですし……大会の料理以外は出店で提供するのも良いかもしれません」

 

「私の盟友であるメンマの料理人も呼び寄せましょう!」

 

「沢山……食べられる」

 

「そして見世物として御輿を――『却下』チッ」

 

「……」

 

 発案者を他所に大会の内容が練り上げられていく、猪々子としては己の欲に従っただけの発言なので、ここまで皆の琴線に触れるとは考えておらず目を白黒させていた。

 

 

 

 

 

 

 

 そして冒頭に戻る。

 

「それでは、本大会の注目選手達の入場です!」

 

 開かれた大食い大会には多数の参加者が集っている。出場するのに資格や決まりなど無く、武芸大会よりも参加のハードルが低いことが幸いしたようだ。

 しかし百人に及ぶ参加者達を管理するのは難しい。そのため、一般の参加者達は広場の簡易食卓に、司会者が呼ぶ注目選手――所謂『優勝候補』と目される者達は急遽設置された高台の上で大会に参加することになった。

 

「まずは一人目、『その食い意地は袁家一?』皆さんご存知文醜様ーー!!」

 

「やってやるぜ!」

 

『うおおおおおおおおおお!!』

 

 司会者の微妙な紹介と共に現れた優勝候補の一角、猪々子。

 

 ここ南皮の住民であれば彼女=大食いは常識である。食欲旺盛な猪々子はよく街で食事しているのだ。それも袁家での食後にである。

 袁紹は家臣たちと共に食事をすることを好む、その中において猪々子の大食いに配慮し。彼女の食事には数倍の量を出されるのだが―――常人であれば見ただけで満腹感を感じるほどの料理を難なく平らげ、その上で食い足りないと称して街に繰り出すのだ。

 

 そしてその過程で広大な南皮にある食事処を制覇していた。間違いなく優勝候補である。

 

「続いて二人目、『武も胃袋も次元が違う』呂奉先様ーー!!」

 

「……」

 

『うおおおおおおおおおおおおッッッッ!!』

 

「あ、またアタイの時より声援が大きいじゃないか!!」

 

 静かに歩み出る恋、その姿に観客、参加者問わず沸きあがる。呂奉先の名は武芸大会の頃から話題沸騰だった。そんな彼女も猪々子のように街に繰り出しては食べ歩きをしている。

 

 武芸大会での熾烈な活躍もあり、初めは敬遠される存在だったが今は民衆に愛されている。

 その大きな理由は恋の食事風景だ。黙々と口を動かし食事するその姿は、リスのような愛らしい小動物を連想させ見る者全てを癒してしまう。今では彼女の食事見たさに無料で料理を提供する場所があるほどだ。

 

 そしてそんな彼女も例に漏れず大食いである。街に繰り出す理由は猪々子と同じく、南皮の食事処はおろか屋台に至るまで制覇済みなのだ。そのため最優勝候補と噂されており、賭け金は彼女に集中していた。(次点で猪々子)

 

「そして三人目、『今大会最年少』トントンちゃーん!!」

 

「沢山食べるのだ~!」

 

『おおおおお!』

 

 三番目に現れた娘は猪々子達に比べとても体が小さい。体格は音々音より少し大きいくらいで何故か……豚の被り物をしていた。

 

 先に紹介された猪々子、恋とは違いこの娘の素性は不明である。参加者達の中で最も幼いであろう彼女は、司会者のノリで注目選手の一人にされてしまった。

 別に悪気があった訳ではない。他所から来たであろう童子に良い思いでを作ってあげようという多少の善意と、見た目幼く奇怪な被り物をした選手の登場に、観客がどのように反応するか見たかっただけだ。

 

 そんな司会者は彼女の食べっぷりに驚愕することになるが――

 

 

 

 

 

「鈴々ちゃーん! がんばれーー!!」

 

「桃香様、今は」

 

「あ、そうだった! トントンちゃーん! がんばれーー!!」

 

 観客達の中に見覚えのある顔ぶれが紛れている。劉備と関羽だ。

 袁紹と謁見した彼女達は、彼の要請により幽州へと出立していたが途中で引き返して来ていた。

 

「それにして桃香様、以後は今回のようなことが無いように頼みますよ?」

 

「あ、あはは……ごめんなさい」

 

 幽州へと向かっていた劉備達一行は途中で路銀が尽きてしまった。そもそも、以前料亭での支払いが出来なくなったと言う経緯がある彼女達が、多くの手持ちを持ち合わせていないことは当然である。

 

 そしてそれに気がついたのはあろう事か、南皮を出発して一週間が経った道中。

 金銭管理を担当していた劉備が確認した時であった。幽州まではまだ遠く、難儀していた劉備達は大事を取って引き返してきたのだ。

 

 とは言え、既に料亭の一件で助けになった袁家に無心するわけにはいかず。短期間の働き口を探して途方に暮れていると、今回の大食い大会を人伝に知った。そして優勝賞金を狙い彼女達の中で一番の大食いである張飛が参加することになったのだ。……無論、保険として料亭で働いてもいるが

 

「何も被り物をさせずとも……」

 

「だって恥ずかしいじゃない!」

 

 張飛の顔を隠すために被らせた豚の被り物を見て言及する関羽。劉備はまくし立てるように弁論した。

 

 言うまでも無いがこの祭りは袁家主催である。そうなれば袁紹達とも出くわす可能性が高い。

 会わせる顔が無い――謁見の際に醜態を晒したのもあるが、本来であればすでに幽州に到着しているはずの自分達が此処に居るのはまずい。

 

 袁紹は気にしないかもしれない。彼ならきっと高笑いと共に路銀を融通してくれるだろう。

 だが、袁紹に尊敬の念を抱き始めていた劉備は、これ以上無様な姿を見せたくなかった。

 

「……」

 

 両の手で顔を隠し。耳まで赤くなった主を見ながら関羽は溜息を洩らす。

 それまで唯我独尊な主が羞恥心を覚えたのは嬉しいが、それとあの被り物は話が違う。顔を大きく覆っているため隠せてはいるが体が出ている。服装も変えておらず口調も今まで通りだ。本気で誤魔化そうとしているのだろうか

 

 既に隣の食卓に着いている文醜と親しげに話している。そんな様子を見て関羽は頭を抱えそうになった。

 

 

 

 

 

 

「そして最後に登場するのは何とあのお方『名族の胃は無限大?』袁本初様ーー!!」

 

「フハハハハハ! 我、参・上である!!」

 

『……』

 

 金色の光と共に現れた袁紹に皆が数瞬惚け、そして――

 

『うおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッッッッッッ!!』

 

 大地を揺るがすような歓声が響き渡った。猪々子と恋は目を丸くしている。

 袁紹の参戦は彼女達に伏せられていたのだ。

 

 他の参加者達よりも一際豪華な食卓に着く袁紹。猪々子は思わず話しかけた。

 

「麗覇様……参加すんの?」

 

「愚問である。この席に着いているのだからな!!」

 

「……」

 

 猪々子は首を傾げる。他の大会ならまだしも今回は大食い大会なのだ。これまで袁紹と共に過ごしてきたが、彼の食事の量は普通だ。大食いなどではない。

 余興として参加したと見るのが普通だが――あることを確認しなければいけなかった。

 

「な、なぁ麗覇様……もしかして賭けていたりする?」

 

 その言葉に袁紹は笑みで答えた。あ、これ賭けてるわ、と察し戦慄する。

 参加者が他人に賭けるのはご法度である。そうなれば必然的に自分に賭けた事になる。何故それに戦慄するか――

 

 袁紹を語る上で無視できない特徴がある。運の良さだ。それも並大抵のものではない。

 頭上から鳥の糞が落下してくれば、何かで立ち止まりそれを回避し。

 何かを始めれば必ず成功し。くじを引けば必ず当たり、気がついたら美女の臣下に囲まれていて、そして賭け事は――外したことが無かった。

 

 だが猪々子は不敵な笑みを浮かべる。今回は『大食い』大会なのだ。運が関与する場面は無い。

 そこまで考え視線を恋に移す。やはり注目すべきは彼女だ。

 

 恋には沢山の『家族』がいる。そのため食費も袁家で一番掛かっているのだが、大部分は恋の大食いが原因だ。個人の食費だけで言えば猪々子よりも上である。猪々子はあえて袁紹と張飛を無視。恋を好敵手に定めた。

 

「それでは一品目、巨大肉まんーー!!」

 

 そしてついに大食い大会が始まる。小手調べとばかりに現れた巨大な肉まん。

 司会者の合図と共に皆がかぶりついた――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「五品目、特盛チャーハン完食ーー! 一般の方々はもう残っていませんが、有力選手はなんと四人全員残っています! 信じられません!!」

 

「マジかよ」

 

 その事実に猪々子は素直な感想を洩らす。両隣の恋、そしてトントンと言う娘は兎も角、袁紹がここまで大食いなのは予想外だ。

 

「麗覇様ってそんなに食えたっけ?」

 

「我がいつ食えないと言った。普段は『食わぬ』だけだ」

 

 袁紹にとって食事とは量よりも質である。美味な料理を適量堪能する事を好む彼は、その言葉の通り満腹まで食事したことが無いだけで、胃袋の限界まで挑戦したことが無い。

 普段であれば名族として大食いを自重するところだが、今日は祭りである。遠慮はいらない。

 

「……」

 

「あれ、恋?」

 

「む、どこにいくのだ?」

 

「んにゃ?」

 

 突然立ち上がった恋に皆が反応する。彼女はのんびりとした足取りで近くにいた『家族』達の所へ向かいそして――毛玉に倒れこむように体を預け寝息を立て始めた。

 

「おおっと!? 最優勝候補の呂布選手ここで限界を迎えたーー!!」

 

 そんな馬鹿な! 各所で信じられないと言う声が上がる。

 

「はいはい皆さんお静かに、私が呂布選手を良く知る陳宮様から、理由を聞いて参りましたので」

 

 騒然としだしていた会場は司会者の言葉で沈静化した。驚きはしたが理由があるのなら――と皆が静まり返ったのを確認した司会者は言葉を続ける。

 

「えっと、陳宮様の話しでは『呂布殿は大会前に、出店の料理を堪能してきたのです』とのことです。流石の呂布選手も全出店を制覇した後では満腹が近ったようですね」

 

「恋の奴、出店のまで堪能してたのか、アタイは我慢したっていうのに……」

 

「何故悔しそうなのだ」

 

 

 

 

 

 

 

「桃香様、嫌な予感がするのですが……」

 

「だ、大丈夫だよ愛紗ちゃん! 私達には出店で食べる持ち合わせ無かったし!!」

 

「それはそれで悲しいです」

 

 劉備達一行は大会の会場に向かう前に幾つもの出店を見てきた。恋と同じく、食に遠慮のない自分達の妹を思って関羽は不安を口にしたが、主の情けなくも説得力ある言葉に頷く。

 

 張飛は劉備以上に唯我独尊な所があるが、最低限の常識は弁えている。

 少なくとも無銭飲食をするような娘ではない。料亭の一件があるが、あれは劉備の手持ちに余裕があると見た上での暴走だ。

 

 関羽は自身にそう言って聞かせる。しかし胸騒ぎが収まらない。何かを見落としているような――

 

「ん? あーっと! 呂布選手に続きトントンちゃんまで脱落だーー!!」

 

「いつの間に」

 

「うむ、恋に釣られたのか、仲良く寝息を立てているな」

 

 そしてその不安は現実のものとなった。会場から聞こえる司会者の声に反応して視線を送ると、そこには呂布と一緒になって多くの犬達に寄り添い。気持ちよさそうに寝息を立てている義妹の姿があった。

 

「え、な、なんで!?」

 

「……恐らく」

 

 実は大会前に張飛は広場に遊びに行っていた。祭りというだけあって出店のみならず。様々な催しがあったためそれを見に行っていたのだ。

 本来であれば義姉の二人もそれについてくはずであったが、万が一に備え張飛に我慢するように言い聞かせていた結果、彼女は二人の目を盗んで遊びに出かけたのだ。

 

 そして大会前に戻ってきた。勝手に離れたことを咎めようとした二人だったが、広場の見せ物が凄かったと、目を光らせながら語る義妹の姿に毒気を抜かれ、寧ろ大会前に戻ってきたことを褒めていた。

 

「でも、鈴々ちゃんに手持ちは――」

 

「桃香様、想像してみて下さい」

 

 瞳に涙を浮かべ、可愛らしく腹を鳴らしながら出店を凝視する童子(張飛)。それを見た大人たちは――

 

 余談だが、ここ南皮は袁紹の影響を強く受けている。彼の豪快さや寛容さは尊敬を集め、いつしか住民達にもその性質が移っていた。金に余裕の無い者や足りない者達、そんな相手でも邪険にすることなく接客し。無料で食べ物を提供するほどだ。

 

 そんな彼等が目の前で空腹を訴える子供を放って置けるだろうか、答えは否。

 可愛らしい少女に我こそがと食べ物を提供しだし。それに味をしめた張飛は出店を回り、同じ手法で食べ物にありついていたのだ。量こそは恋に劣っていたものの、無償で出店を制覇していた。

 

「――と、思われます」

 

「そんなぁ……」

 

 関羽の説明で肩を落とす劉備、優勝賞金に期待していたが駄目のようだ。

 その後、彼女等は料亭で接客業に励み(関羽は厨房から追い出された) 路銀を工面した後幽州へと出発した。

 

 

 

 

 

「さぁ残るはあと二人! 文醜様と袁紹様の一騎打ちだーー!!」

 

 かなりの時が経っていたが歓声に衰えは感じられない。その中で、選手として残った二人は目を合わせ笑みを浮かべる。

 

「どうだ猪々子、そろそろ限界が見えてきたのではないか?」

 

「まさか! それにアタイには秘策があるんだぜ!!」

 

「……ほう?」

 

 何てことは無い。その秘策とはただの絶食である。正し前日の夜から――

 

 大食いな猪々子にとって一食でも食事を抜くのは死活問題だ。それを大会開始の昼まで、前日の夜と当日の朝の二食分を抜いてきたのだ。会場に向かう途中漂ってくる出店の料理の匂いと、悲鳴のような音を鳴らす空腹に耐えて――

 

 その甲斐あって未だ余裕がある。腹六分目といったところか……、猪々子は勝ちに来ていた。

 

「それでは六品目! 特盛麻婆豆腐です!!」

 

「おお! 麻婆豆腐はアタイの好き……な……」

 

 眼前まで運ばれてきた好物であろう物体を見て固まる。真紅を通り越して赤黒い見た目。

 気泡がボコボコと発生しているが、それは熱のせいなのか、それとも別の物か、猪々子が思い描いた好物とは余りにもかけ離れた『ソレ』に、頬をヒクヒクと痙攣させた。

 

「で、でもまぁ、味は普通かもしれな――うぎゃあああああ!?」

 

「猪々子!?」

 

 現実逃避に近い希望を抱き、『ソレ』の匂いを嗅ごうとした猪々子は悲鳴をあげ、両目を押さえた。

 

「目が、目がぁぁぁあ!」

 

 激痛。『ソレ』に顔を近づけることで湯気が目に入ったのだ。見かねた袁紹が湿らせた手拭を用意し。彼女の目にあてがう。それで猪々子が落ち着きを取り戻した所で、司会者は続けた。

 

「ご察しの方もいると思いますが、六品目は激辛料理です!!」

 

「わからいでかぁぁあ!!」

 

 目を赤く充血させた猪々子が叫ぶ、『アレ』が激辛であることを身をもって知ったのだろう。

 見開いたことで再び痛みが走り、再度手拭を目頭に押し当てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでは~食事再開!!」

 

 ゴォォォン、と開始を知らせる銅鑼が鳴る。袁紹の要望により、猪々子が落ち着くまで開始時間を遅らせたのだが、幾分か熱が冷め、湯気の量が控えめになった『ソレ』は、未だにボコボコと気泡が発生している。

 

「……」

 

 猪々子はゴクリと喉を鳴らす。但しそれは、今までのように絶品の料理を前にした時のものではない。目の前の『ソレ』に対する戦慄、否、歓喜、否、そうこれは――まごうことなき恐怖だ。

 

「ええい。ひびっていても始まらねぇぜ!」

 

 やがて意を決し口に運ぶ。だが意外、彼女が想像していたものは訪れない。

 あれ? 全然――などと油断したその時である。

 

「ッッッッ!? ~~~~っ!!!」

 

 一瞬にして顔を赤くし。声にならない悲鳴を上げる。元来、辛さとは強ければ強いほど後から刺激がくるものだ。それを猪々子はあろう事か、口に入れた途端油断し。舌全体で味を確かめようとしてしまった。

 

 「~~~ッッッ」

 

 毛穴という毛穴から汗が吹き出る。飲み込まなければいけないのに、これほどの刺激物を喉に通す気になれず。口内に残ったソレがまた刺激を生み出し。悪循環となっていた。

 

「~~……はぁ、はぁ」

 

 ややあって何とか飲み込む。顔面は蒼白、汗を流しすぎて水分が不足しているのか、意識は朦朧としだしている。そしてふと、隣で『ソレ』に挑んでいるであろう人物に目を向け――

 

 目を見開いた。其処には激辛料理をものともせず。口に運び続けている主であろう者の姿。

 

「す、すげぇ……」

 

 その言葉を最後に猪々子は意識を手放した。

 

「――文醜選手気絶、よって勝者! 袁紹様ーー!!」

 

 係の者達に運ばれていく猪々子を横目に、袁紹は大会優勝者として腕を掲げる。

 やがて歓声が止み、彼は会場全域に響かせるように声を張り上げた。

 

「皆のもの、夕食時の出店の料理は無償とする! 支払いには今大会の優勝賞金を当てる故、好きな物を好きなだけ食べて行くと良い!!」

 

 その豪快な宣言に再び大歓声が鳴り響く、それに紛れて桂花の悲鳴が聞こえた気がしたが――気のせいだろう。袁紹は始めからこれが目的で大会に出場していた。民衆に祭りを楽しんでもらう為でもあるが――

 

 やはり祭りの中の自分はこれ位派手であるべきだ。という私欲から来ていた。

 自分に発せられる大喝采に、僅かに震えながら歓喜する袁紹。彼の派手好きは、様々な祭りで民を、そして自分を喜ばせるものだった――

 

 

 

 

 

 

 もしも六品目が激辛料理で無かったら袁紹は負けていただろう。そこには必然ではなく、彼の豪運が大きく関係していた。

 

 実は大会用の料理は五品目までだったのだ。一般の大食い自慢たちが全員脱落しているように、その量は半端な物ではない。係の者達が甘く見ていたわけでもない。

 まさか合計で体積の数倍もする五品を、平らげる人間がいると誰が思うだろうか、だが実際に袁紹と猪々子の両名は五品に届いてしまった。

 

 係の者達は焦った。六品目を用意していなかったからだ。そこで出店に目をつけた。

 いくつか見て回ったが昼時というのもあり、殆どの出店が料理を出し尽くしていた。

 そんな中、大きな鍋から大量の湯気を出している出店を発見、係の者は藁にすがる思いで、売り子とされる三人娘に交渉を持ちかけた。

 

『君達、その鍋一杯の料理、私達に売ってくれないか?』

 

『おお! ほら見ろ二人とも、この料理、わかる人にはわかるんだ』

 

『な、鍋一杯は止めといた方が良いと思うの……』

 

『せやせや、兄さんもまだ死にたくはないやろ?』

 

『……? 何のことか良くわからないが大量に必要でな、鍋ごと頼む』

 

 こうして六品目が用意された。しかし運び込んで蓋を開けてみると―――

 猪々子のような被害者が続出、激辛の類だとわかった。しかしここまで来て別の物を探すわけにもいかず。『ソレ』が六品目となったわけだ。

 

 かくして、辛さに耐性がある袁紹が優勝をもぎとったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「あ~、今日はひどい目にあったぜ」

 

 祭りが終わり、自室で意識を覚醒させた猪々子は、通路を歩きながら呟く、楽しく無かったのかと聞かれれば――楽しかったのだが、如何せん最後の『アレ』を思い出すと汗が滲み出る。もはやトラウマに近かった。

 

 そんな猪々子は優勝を果たした袁紹に祝いの言葉と、激辛料理をたべてなぜ平気だったのかなど、色んなことを話したくて彼の部屋に向かっていた。日は既に沈み、異性の部屋に訪ねるような時間ではなかったが、良くも悪くも天真爛漫な彼女には関係なかった。

 

「……ん?」

 

 部屋の前に差し掛かると、中から袁紹以外の人の気配がした。もしや賊が? とも思ったが、話し声を聞く限り違うようだ。

 

「やべ!!」

 

 中の気配が扉に近づいてきたことで思わず身を隠す。そして扉が開かれ――半裸の星が姿を現した。

 

「っ!?」

 

 それを見た猪々子は息を飲み込む。星は袁紹のからかいに失敗して追い出されただけだが、他者からみれば逢引のそれである。邪推しても仕方が無い。

 

「やれやれ、一筋縄では――そこにいるのは誰か!」

 

「あ、アタイだよ星」

 

「なんだ猪々子ではないか、こんな夜分遅くに何をしているのだ?」

 

「何をって……それはアタイの台詞だろ、星はこんな夜中に麗覇様の部屋で何をしていたんだよ、それも、そんな格好で」

 

「ん? ……ほほぅ」

 

 若干頬を赤らめながら問い返す猪々子を見て、星は口角を上げる。その笑みには悪戯心がにじみ出ていた。

 本来の目標である袁紹にはあしらわれてしまった。他の者をからかって楽しもう。

 猪々子は不幸なことに、その標的にされたのだ。

 

 

「何って、夜分に男女が一つの部屋にいたのだ……ナニに決まっているだろう?」

 

「そ、そうなのか」

 

 星の含んだ言い方に、ますます顔を赤らめる猪々子、その様子に畳み掛けるように言葉をだそうとしたが――

 

「アタイもう寝る……じゃあな星」

 

「む、主殿に用があったのでは無いか?」

 

「明日で良いや、大した用事じゃないし」

 

「そうか、お休み猪々子」

 

「ああ」

 

 猪々子は早々に踵を返してしまった。からかいすぎたか? などと少し反省する星。

 空気を読むことに長けた彼女にしては珍しく、猪々子の表情の変化には気がつかなかった。

 

 

 

 

 

「……」

 

早足で自室に向かいながら猪々子は、先ほどの星との話を思い出して不機嫌そうに顔を歪めた。

 そしてそれでハッとする。自分は何に腹を立てているのだろうか、わからない。だが――

 

 思えば、袁紹の部屋にいるのが女だとわかった時からだと思う。

 あれ、何故女だと腹が立つんだ?

 

「き、きっとあれだ。斗詩を放っておいて星に手を出したからだ!」

 

 そう結論付けた。それが一番自分の中で納得できる理由だからだ。

 だがその理由だと、袁紹の部屋にいたのが女だとわかった時点で、斗詩の可能性もあるのに腹を立てたことの説明にならないのだが――猪々子はそれを頭の中からかき消した。

 

 

 

 

「斗詩、真面目な話しがある」

 

「ぶ、文ちゃん? どうしたの急に――」

 

 その翌日、猪々子は昨晩の出来事を、斗詩をたきつける理由に使おうとした。

 

「この間、麗覇様の寝室から星が肌着で出てきた」

 

「……嘘」

 

 表情が固まり、言葉の真意を聞こうとする斗詩。効果は抜群だ! と内心口角が上がる思いで言葉を続ける。

  

「マジだって、アタイがこの目で見たんだからさ!」

 

「でも、星さんにそんな素振りは無かったじゃない!」

 

「いや、そうでもないぜぇ? この前なんか麗覇様の事を根掘り葉掘り聞かれたしさぁ」

 

「……」

 

 猪々子の言葉に顔面蒼白になっていく斗詩。少し気の毒だが、彼女はこのくらい言って聞かせないと動くような女じゃない。基本的に一歩引いた性格ゆえに消極的だ。

 

「だからさぁ斗詩は、夜這いでも何でも仕掛けていかないとヤバイぜ? そん時はアタイも協力するからさ! 声掛けててくれよな!!」

 

「……」

 

 まるで魂が抜けたのではないかと錯覚するほどに、こちらの言葉に反応を示さない親友。

 猪々子は諦めるものかと言葉を投げかけ続け、曖昧ながらも、彼女を頷かせることに成功した。

 

 

 

 

 

 

 

 変化が訪れたのはその翌々日である。前日までの呆けた表情が嘘のように笑顔を振りまき、鼻歌まで歌いだしながら仕事に励む斗詩。

 あ、これヤッたな、と一瞬で猪々子は理解した。星の時のようなイラつきは感じられない。

 だが何故か、何かを失った虚無感に苛まされた。

 

 いつも通りの猪々子なら、ここであっけらかんと斗詩に初夜の感想でも求めていただろう。だが何故かそれをする気にはなれず。彼女に便乗して自分も袁紹に~などと言い出せなかった。

 

 

 

 結局、彼女に真意を聞けたのは大分後、袁紹が張角の救出及び、黄巾の吸収のために広宗へ向かった後だ。南皮の守りを命じられた猪々子達、他の者がいないのを良い事に斗詩に聞きたい事を話した。

 

「なぁ斗詩、麗覇様とは……」

 

 だが、いざ言葉にだそうとすると口ごもってしまう。そんな猪々子の様子に、斗詩は彼女が聞きたい事を察し。顔を赤らめながら答えた。

 

「うん、私、麗覇様と結ばれたよ」

 

「そ、そっか、おめでとな斗詩!」

 

「ありがとう」

 

 まただ。何かを失ったような喪失感を感じる。思い人が男と結ばれたから? 違う。

 それならこの感情は嫉妬のはずだ。

 

「なぁ斗詩、アタイも麗覇様と……その、結ばれたいって言ったらどうする?」

 

「……」

 

 猪々子らしからぬ消極的な言葉に絶句する斗詩。だがすぐに表情を戻し。彼女に聞き返した。

 

「文ちゃんは、麗覇様のこと――好き?」

 

「……良くわかんねぇ」

 

 これは猪々子の素直な気持ちだった。幼い頃から一緒に過ごしてきた主、袁紹。

 なまじ共に在った期間が長かったせいか、それとも彼の包容力がそうさせるのか、猪々子にとって袁紹は出来の良い兄のような存在だった。

 

 故に、彼を異性として好きか――と聞かれると首をかしげてしまう。

 だがもし。もしもだが袁紹から猪々子を欲した場合。きっと自分は拒まないだろう。異性として自分を御せるのは彼ぐらいのものだろうし。それを受け入れられる程度には性的な魅力を感じている。

 

 では何故、そこまで曖昧な胸中で袁紹と関係を持とうとするのだろうか、斗詩には理解できた。彼女は仲間はずれが嫌なのだ。だから先ほど、自分が袁紹と結ばれたという事実を聞き、表情を暗くしたのだ。

 別にこのくらいのことで三人の輪が崩れるとは思えないが、斗詩がそう思うのと、猪々子が感じていることは違うのだろう。

 

「わかったよ文ちゃん」

 

「おお! さっすが斗詩、頼むぜ!!」

 

 そこで斗詩は一計を講じることにした。彼女が仲間外れを嫌うのは兎も角、袁紹に対する想いに無自覚なのは大問題だ。そもそも、家族同然に好いているからと言って、抱かれても良いなどという結論に到達するはずもない。この鈍感な親友は、心の奥に袁紹に対する異性としての好意を隠しているはずだ。

 

 猪々子の要望は斗詩と共に袁紹と一夜を過ごすこと、初めてで勝手がわからない故の提案だろう。

 そこで斗詩はこの件を掻い摘んで袁紹に説明。彼の采配に期待する事にした。

 この敬愛して止まない主なら、大事な親友の心を救ってくれるだろう。そう信じて――

 

 

 

 

 

 

 そしてその日は訪れた。決行日は広宗から袁紹達が帰って来たその日、善は急げと言わんばかりに斗詩は猪々子を捲くし立てた。

 始めは何やら羞恥心から渋っていた彼女も、観念したのか承知した。

 

「き、緊張するな」

 

 袁紹の部屋の前で柄にも無い台詞を呟く猪々子、斗詩の話しでは、彼女は先に袁紹を労っておくとのこと、事情は説明しておくから、途中から部屋を訪ねるように言われていた。

 

「たのもー! 斗詩一人に麗覇様の相手なんて無茶させられ……ない…………ぜ?」

 

 不安をかき消すように勢い良く扉を開け硬直する。部屋の中には袁紹一人で、先に来ているはずの親友の姿が無い。

 

「良く来たな猪々子、話しは聞いている」

 

「え、ああ――へ?」

 

 予想外の展開に目を白黒させる猪々子、袁紹はお構いなしに彼女を部屋の中に引き入れる。

 

「斗詩……そうだ斗詩は!?」

 

「斗詩は来ない。今宵は我と二人きりだ」

 

「え、そ、そんな!」

 

 いつに無く積極的な袁紹に落胆とも、歓喜とも取れる声を上げる。

 自分の目的は袁紹に便乗して斗詩を愛することだ。だが斗詩がいない今、何故か落胆よりも恥ずかしさが勝り、袁紹の顔をまともにみれない。

 

 格好も精一杯誘惑しようと、いつぞやの星のような出で立ちであったため、さらに恥ずかしさに拍車が掛かる。

 

「ふむ、普段も可愛らしいが、今日の猪々子は美しいな」

 

「な、何言ってんだよ麗覇様~、冗談は御輿だけにしてくれよ」

 

「猪々子、今の言葉が嘘かどうか、わからぬお主ではあるまい?」

 

「~~っ」

 

 その通りだ。長年付き添ってきた期間は伊達ではない。袁紹が嘘を苦手としていること、相手の目を見ながら発する言葉に嘘が無いことは知っていた。

 だが、それを認めると言う事は袁紹は自分に女としての魅力を――

 

「我は当の昔から、猪々子を一人の女として好いていたぞ」

 

「うえ!?」

 

 そこへ畳み掛けるように言葉を続ける袁紹。すでに猪々子は混乱中だ。それを知ってか知らずか、袁紹は彼女に問いかける。

 

「猪々子は――我をどう思う?」

 

「あ、アタイ……アタイは――」

 

 そこまで声に出した猪々子は、徐々に近づいてくる袁紹の端正な表情に臨界点を迎え

 

「……キュー」

 

「猪々子!?」

 

 気を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「アタイは、麗覇様を実のアニキのように思っていたんだ……」

 

 しばらくして意識が戻り、落ち着いた猪々子はポツポツと心情を語り始める。

 

 袁紹と関係を持とうとしたのは斗詩が目的だったこと、学に自信の無い自分を、力強く、そして寛容に引っ張ってくれる袁紹に、母親から感じるような家族愛に似た安心感を得ていたこと、それを理由に袁紹を兄のように思っていたことを話した。

 

「でもさっきわかったよ、アタイは女として、何時からか麗覇様に魅かれてたんだ」

 

 先ほど袁紹が見せた異性の態度、それは猪々子の女を刺激し。彼女の心を溶かした。

 猪々子は心のどこかで女であることを否定していたのだ。想い人は同姓。自身は男被れ、だがそんな自分を袁紹はどこまでも女として扱い。包んでくれた。

 

「もう一度言うぞ、(オレ)は猪々子が好きだ。臣下としてだけではない。一人の女性として」

 

「うっ」

 

 余りにも真っ直ぐな言葉に思わずたじろぐ、自身の想いに気がつき、覚悟をしたとはいえ、この恥ずかしさには当分慣れそうに無い。だが、袁紹にここまで言わせて無言でいるわけにもいかない。猪々子は意を決し。口を開いた。

 

「アタイも、麗覇様が好きだ。あ、愛していると……思う」

 

「……」

 

 顔を赤らめながら答える猪々子、その表情は間違いなく女のそれだ。

 袁紹は鏡を持ってきて、彼女にその表情をみせつけてやりたいという衝動にかられたが、そのような行為は無粋である。部屋の明かりを消し。暗闇の中であっても、赤面をしているであろう猪々子の顎に手を掛け、顔を近づけた――

 

 

 

 

 

 

 

 

 大きな寝台の上で、袁紹と猪々子は互いに全裸で横たわっていた。

 室内はまだ早朝、朝日が昇りきらない故に薄暗く、互いの呼吸もあわさって淫靡な雰囲気を醸し出していた。

 

 情事後の猪々子は袁紹にぎゅっとしがみつき、愛しい主を体全体で感じていた。

 そんな彼女に彼は腕枕をしてやり、少し汗で湿った髪を優しく撫でる。

 

「なんだろう。すごい恥ずかしい」

 

「今更であろう」

 

「そ、そうなんだけどさ……う~、麗覇様の馬鹿」

 

「……」

 

 初夜を通した女性はここまで変わるものなのだろうか、その可愛らしい言動に、再び欲情させられながらも自制する。初めての相手にそこまで求めるのは酷だろう。

 

「麗覇様……アタイさ、女に生まれてきて良かったよ」

 

「……そうか」

 

 へへっと眩しい笑顔の猪々子に袁紹も表情を崩す。二人はそのまま、心地よい疲労と共に寝息を立て始める。

 起きたら待っているであろう。昨日よりも輝かしいこれからに思いを馳せながら――

  

 

 




袁家の大刀 文醜

好感度 120%

猫度 ニャ、ニャンだよぉ……

状態 親愛

備考 家臣としての意識は高い
   女に生まれてきたことを幸運と捉える
   それでも斗詩が好き


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第25話

~前回までのあらすじ~

袁紹「この辺にぃ、飯の用意してあるらしいっすよ」

曹操「……は?(威圧)」



袁紹「ほら、見ろよ見ろよ」

曹操「どうりでねぇ」

郭嘉「完成度高いから、完成度高いから安心!」



袁術兵「じゃあ俺、手柄貰って帰るから」

孫策「こんなんじゃ独立になんないよ~、こっちの事情も考えてよ」

周瑜「……(暗黒微笑)」


大体あってる


 ―広宗での戦いから数週間後、荊州、袁術の屋敷―

 

 

 

「困ります! 面会の許可を頂いていません!!」

 

「袁術様と張勲様は多忙を極めております。どうか今日のところは――」

 

「どきなさい!!」

 

 張角の首の一件から孫策は、袁術――そして張勲に謁見を求めた。だがそんな彼女を嘲笑うかのごとく期日を先延ばし。ついに堪忍袋の緒が切れた彼女は直接屋敷に乗り込んだ。

 

「大事な用なの、これ以上は待てないわ――」

 

「うっ」

 

 その言葉に孫策を制止させていた兵士がたじろぐ、例の一件から時間は経ったものの彼女の怒りは色あせていない。幾らか理性を保てているだけで、殺気に近い怒気を静かに発していた。

 

「双方お待ちを、袁術様から謁見の許可を頂いてまいりました」

 

「……どういう風の吹き回しかしら?」

 

「当家までご足労頂いた孫策様を無碍には出来ないとのこと、他意はございません」

 

「……そう言う事にしておいてあげるわ」

 

「感謝致します。では、私の後に」

 

「ええ」

 

 一触即発の空気の中、現れた兵士の言葉によりその場は取り持たれた。

 そして袁術達の所へと、兵士に続いて歩き出す。

 

「貴方、確か張勲の側近よね?」

 

「はい、非才な身では在りますが」

 

「ふぅん、非才……ね」

 

 よく言うわ、と孫策は兵の背中に目を向ける。先ほどの場で自分の怒気に怖気づかず。こうして前を歩きながらも背後の警戒を怠っていない。袁術軍にも隠れた逸材がいたようだ。

 

 だがこの逸材は張勲の側近、どのような経緯があったかは不明だが忠を置いている様子。

 勿体無い。そう思いながら追従した。

 

 

 

 

「こちらでお待ちです」

 

「そう、案内ご苦労様」

 

「いえ」

 

 謁見の間まで案内したその兵士に軽く会釈して入室する。その際に武器の類は取り上げられたが――使う場面は無いはずだ。

 

「良く来たのう孫策、黄巾ではご苦労だったのじゃ」

 

「……」

 

「お嬢様のありがた~いお言葉を無視するなんて、お仕置きものですよ?」

 

「ピェッ!? お仕置きは嫌なのじゃ~」

 

「やーん、お嬢様じゃありませんよ~、あそこにいる猪です」

 

「なんと!? 孫策は猪だったのかの?」

 

「じゃなきゃ此処に一人で来ませんからね~」

 

「知らなかったのじゃ……」

 

 孫策は歯軋りしながら耐える。見え透いた挑発だ。

 

 武器は入り口で取り上げられている。謁見の間の兵士達も帯剣していない。

 万が一戦闘になった場合、武器を取られない為の処置だろう。素手でも負ける気はしないが、流石の孫策も多勢に無勢で掴みかかられたら、ひとたまりも無い。

 

「今日は、張勲に話しがあって来たわ」

 

「私にですか、一体何の話しでしょう?」

 

「……張角の首の件よ」

 

「はぁ、それが?」

 

「~~っ、惚けないで! 横から手柄を奪ってどういう心算か聞いているのよ!!」

 

 それまで静めていた怒気を爆発させる。張勲の横に居た袁術が震え上がるが、今の孫策にはそれどころではない。

 

「ガクガクブルブル」

 

「わー、怯えるお嬢様も可愛らしいです~」

 

「……」

 

 ズレた愛で方で袁術を可愛がりつつ、張勲は内心、孫呉の軍師周瑜を罵倒する。

 

 手柄を横取りした策に穴は無い。すでに張角の首は漢王朝の名の下、正式に『袁術軍』が挙げたものと発表されている。

 この状況において後から何を言っても無意味だ。彼女(孫策)の行為は徒労でしか無い。

 本来であればそれを周瑜が孫策に言い聞かせ、彼女の手綱を握らなければならないと言うのに。

 

 そこまで考え張勲は小さな溜息を吐く、目の前に居る猪には説明が必要なようだ。

 

「奪ったもなにも、当初の予定通りですよ」

 

「……予定通り?」

 

「出発前に私を通して、お嬢様に許可を頂きましたよね」

 

「ええ」

 

「逆に言えば、お嬢様の命で張角討伐に行った様な物ではないですか~」

 

「な!?」

 

 そこまで言われ孫策は気がつく、自分達は『袁術軍』として組み込まれていたのだ。

 確かに、袁術達に身を寄せている自分達は、広い意味で言えば袁術軍かもしれない。だが吸収された心算など無い。独立を目指す為に此処で活動しているだけだ。

 

 張勲はその事実を歪曲、朝廷に手柄を挙げたのは自分達の『手の者』と報告したのだ。

 

「詭弁だわ!!」

 

「違いますよ~、詭弁とは事実とは違うお話です」

 

 良いこと教えてあげますよ~。と張勲は嗤う。目の前の独立を目指す猪に、状況を頭で理解しつつ、怒りを露にする武骨者に。

 

「事実とは大多数の認識で出来る物です。覚えておくと良いことありますよ♪」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―孫家の屋敷―

 

 

「雪蓮、入るぞ」

 

「あ~、冥琳だぁ」

 

「……」

 

 袁術の屋敷から戻ってきた孫策は酒に溺れていた。普段であれば他の者に制止されるが、その日ばかりは彼女の迫力に圧され、誰も咎めることが出来ずにいた。

 

 孫策の部屋に入った周瑜は、親友の様子と充満している酒の臭いに顔を(しか)める。

 言うまでも無いが孫策は無類の酒好きだ。浴びるほど飲むことを好むだけあって酒豪である。

 

 そんな彼女が今は酒に飲まれている。やり場の無い怒りがそうさせるのだろう。

 

「色々報告がある」

 

「なぁにぃ~?」

 

「女狐に張角の首が横取りされたのは…………わざとだ」

 

「……なんですって?」

 

 周瑜から発せられた一言で酔いが醒める。正確にはまだ酔っていたが、周瑜の話に耳を傾けられる程度には理性を取り戻した。

 

 そもそも先の一件、張勲の手の者による手柄の横取り、孫呉の知として動いてきた周瑜が察知でき無い物だろうか、答えは否、自分達に手勢を預けてきた時点で彼女はそれを予測、対策を立てていた。

 対策と言っても、張角の首を討ち取り次第、早馬で朝廷に届け報告するという単純なもの。

 後から要求された所で首が無ければ意味が無い。難癖つけられたとしても、『此度の乱に早々に決着をつけ、漢王朝の安定の為に迅速に動いた』とでも言えば王朝の存在が盾になり、ぐうの音も出ないはずだ。

 

 

 

 

 

 

 時は遡り、袁紹等が黄巾を降伏させていた同時刻、かねてから懸念を抱いていた甘寧は真相を探るため、三姉妹が監禁されていたとされる屋敷に戻って来ていた。

 

「どうだ! 見つかったか!?」

 

「だめだ。一人も見当たらない……」

 

「そんな……天和ちゃん……」

 

「……」

 

 人の気配から物陰に隠れ覗き込む、すると、屋敷を見張っていたであろう男達が慌てている。

 彼等は趙雲に気絶させられた者達だ。何故彼女が意識を奪う程度に留めたか不明だが、この状況は甘寧にとって僥倖(ぎょうこう)だった。

 

「っ!? 誰だ!!」

 

「女? 官軍か!?」

 

「まさかお前が――「待て」」

 

 姿を現した甘寧に殺気立つ、彼女は待ったを掛け、剣を鞘に収めることで敵意が無いことを伝えた。

 その行動に黄巾達は疑問符を浮かべているが、甘寧は構わず続ける。

 

「――その屋敷に居た『張角』は官軍で保護している」

 

「え!?」

 

 甘寧の言葉に男達は顔を合わせる。その表情には驚きの色が強く出ているが、もう一つ、安堵の感情が感じられた。

 

 ――やはり趙雲が連れていたのは……、甘寧はほぼ確信を得ながらさらに畳み掛けた。

 

「偽の『張角』は広場で討たれた。黄巾は降伏、お前達の戦いは終わったのだ」

 

「あの偽者野郎、討たれたのか」

 

「天和ちゃんの名を使って悪さした末路だべ」

 

「ちげぇねぇ」

 

「……」

 

 自分達の守りたい人物が無事だとわかり安堵していた男達は、甘寧の全てを知っているような口ぶりも相まって、無警戒に口を開く。

 

 ――やはり! 彼等の口ぶりで甘寧は確信する。あの三姉妹こそが張角達だったのだ。

 何故偽の男が手配書に描かれ、袁家がそれを知っていたかは不明だが……

 

 

 

 

「……それは確かか?」

 

「ハッ」

 

「後で間違っていましたでは済まされんのだぞ」

 

「この命にかえても、真実であると進言いたします」

 

「……」

 

 『張角』の首を早馬で届け出す前に、戻ってきた甘寧の情報に周瑜は眉間にしわを寄せていた。

 袁紹達が内部に乗り込む事に躍起になっていた事、旅芸人を保護し早々に陣中に引き返した事、彼女の報告を信じるなら辻褄が合う。証拠は無いが、己の勘働きに命を易々と賭けられる様な者ではない。戦場にあって、その経験則から確信に近い勘を得ているのだ。

 

「それから、これを」

 

「――これは!?」

 

 最終的に周瑜は甘寧の言葉を信じ。『張角』の御首級を袁術達に押し付けた。

 

 

 

 

 

 

「――と、言うわけだ」

 

「ちょっと色々待ちなさい!」

 

 まだ続きがあるのだが……と周瑜は相方に目を向ける。其処には今にでも掴み掛かってきそうな孫策の姿。彼女の立場からしたら聞きたいことが山ほどあるだろう。それを含めて説明するはずだったのだが……

 

 周瑜は小さな溜息を吐き姿勢を正す。無視して進めるという手もあったが、それで血走った目つきの孫策に掴みかかられでもしたら、ひとたまりも無い。無難に質問を聞くことにした。

 

「……何故私に言わなかったのかしら?」

 

「敵を騙す前に、味方を騙す必要があっただけだ」

 

 実質、袁術軍の全権を担っている張勲、彼女はおっとりした見た目や言動に反し。恐ろしいほどに狡猾で用心深い。もしも、『張角』の首を何の波乱も無く手に入れたとしたら……彼女は孫策達を疑い。監視の目を強化するだろう。

 そうさせないためにも孫策に憤怒してもらった。彼女が張勲の手の者に刃を振り下ろした時は肝が冷えたが――おかげで疑われずに済んだはずだ。

 

 そしてダメ押しと言わんばかりに、袁術の屋敷に孫策が乗り込むことを黙認した。

 実際に目の前で激怒している孫策の様子に、張勲は満足しただろう。今頃は自分の思い通りに事が運び、孫呉を手玉に取ったことを嗤っているに違いない。

 

「雪蓮……お前の芝居では、あの女狐の目は誤魔化せない。本気の怒気を見せてやる必要があったのだ」

 

「むむむ……確かに私は芝居なんて苦手よ、だからと言って今回はあんまりじゃない?」

 

「確かにな、だがそれに見合う朗報があるぞ」

 

「朗報? ……張勲が偽の首を挙げたと報告して、朝廷に罰せさせるとか?」

 

「悪いがそれは無理だ」

 

「なんでよ!!」

 

 既に張角は討たれたものとして大陸全土に広まっている。それと同時に黄巾の活動も比較的小規模なものになってきた。そんな中、張角は別にいるなどと報告した所で聞き入れられるわけが無い。たとえその証拠を得たとしても、それごと闇に葬られるのが落ちである。

 

「ちょっと待って、それなら当初の予定通り、私達が手柄を挙げても同じじゃない!?」

 

「ほう、そこに気がつくか……成長したな雪蓮」

 

「誤魔化さないで!!」

 

「なにも誤魔化してはいないさ、私は……いや私達は、張角の首以上の()を手に入れただけだ」

 

「それが…………例の朗報?」

 

 そうだ、と周瑜は頷く、そして持ってきていた書物を孫策に差し出した。

 

「恐らくこれが、袁紹の真の目的だった物だ」

 

「真の……目的……」

 

 その言葉に首を傾げる孫策、無理も無い。袁紹はあの地において十五万の人員と、それを扇動したとされる三人を手に入れたのだ。それ以上の物などあるだろうか、孫策で無くとも思うところである。

 

 そんな彼女の様子に周瑜は笑みを浮かべ、口を開いた。

 

「これは――太平要術の書だ」

 

「ッ!?」

 

 『太平要術の書』武に傾倒している孫策でもその存在は知っている。

 読む者の必要としている知識を与えるとされる妖書、世の賢人達が渇望して止まない書物である。

 

「袁紹の目的は始めから『これ』だったのだろう。残念ながら、『これ』を持っているはずの張三姉妹は手ぶらだが」

 

 今頃、奴は歯軋りしているに違いない。――周瑜は愉快そうに笑い声を上げる。

 

 張三姉妹こそが真の張角だと確信していた甘寧に抜けは無い。彼女は周瑜に報告する前に件の屋敷を調査。手掛かりが残っていないか調べていた。

 そして見つけた。一際高級そうな布に包まれている書物を。

 

「そして私は、これが本物かどうか確かめたのだよ……それが朗報だ」

 

「ま、まさか」

 

「そのまさかだ。これは本物だよ雪蓮……孫呉の独立は成るぞ、それもこの荊州でな!」

 

「な!?」

 

 既に幾度目かわからない驚きの声を上げる。それもそのはず。荊州での独立は不可能だと断言した本人が、それを成せると豪語したのだ。

 

「袁紹がいる限り不可能……それが冥琳、貴方と――穏が弾き出した答えのはずよ」

 

 もう一人の孫呉の知、陸遜――真名を穏。孫呉随一の頭脳とされる二人の意見が合致した答えなのだ。いくら太平要術の書と言えどそれを覆すのは――二人を良く知る孫策は未だ信じられない。

 

「私を信じろ雪蓮、この書物には独立への『確実』な道筋が記されている。あの袁紹を封じる手立てもな……フフッ、フフフ」

 

「……」

 

 頬を上気させながら語る周瑜、恐らく彼女の頭の中には、独立した孫呉の姿が映っているのだろう。

 

 そんな彼女の様子に孫策は何か危ういものを感じた。しかし彼女はそれを指摘しない。指摘できない。

 幼い頃から共に在った親友。もはや半身と言っても過言ではない存在、孫策の良く知る彼女は、何の確信も無く大言を吐く様な愚か者ではない。それに―――独立は孫呉全体の目標でもある。

 

 

 やがて、太平要術の書に記されていた『道筋』を周瑜は嬉しそうに語りだす。

 孫策は黙ってそれに耳を傾けた。胸中に小さなしこりを残しながら――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




無いです(無慈悲)


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第26話

~前回までのあらすじ~

孫策「(手柄)とった? もしかして」

張勲「何の問題ですか?(レ」



周瑜「妖術書使って、独立、しよう!」

孫策「……あっ(察し)」

大体あってる


 ―南皮、袁家の屋敷―

 

「色々あったがようやく顔を合わせることが出来たな、我が袁家現当主、袁本初である」

 

 広宗での一件により十五万の人員を受け入れた袁紹は、余りの多忙に張三姉妹との面会が叶わなかった。そこでこうして南皮で改めて話を聞く事にしたのだ。

 

「まずは私達を助けてくれてありがとう。私が長女の天和だよ! よろしくね♪」

 

 張三姉妹の長女天和が、ウィンクをしながら元気良く礼を兼ねた自己紹介をしてくる。

 黄巾の中にあって張角として祭り上げられてきただけに、今まで感じてきた重圧は並みの物ではあるまい――と、袁紹はどのように接するべきか悩んでいたが、どうやら杞憂のようだ。

 長く美しい桃色の髪を揺らしながら軽く跳び、左手を上に掲げている姿には憂いを感じない。

 知らない陣中にあって無警戒もいい所だが、これも彼女の個性なのだろう。

 

 彼女のフランクな口調に眼鏡の娘が慌てているが、袁紹には特に気にしている様子は無い。

 彼の周りに居る者達は、言葉遣いが独特な者が沢山いる。丁寧な者から男口調の者まで十人十色だ。故に咎めることはない。袁紹とその縁にある者達を軽んじたりしなければだが……

 

「次女、地和よ……」

 

 続いてポニーテールの娘が前に出た。その目からは警戒の色が浮かんでおり、最低限な挨拶からも、どれだけ此方を怪しんでいるかがわかる。

 無理も無い。彼女達の処遇など袁紹の采配一つでどうにでもなるのだ。

 本来であれば媚を売ることで心象を良くしておこうと思うはずだが、地和にはそれが袁紹に通用しないことを本能的に感じ取っているのか、姉妹達の前に立ちふさがるように前に出た。

 

 不快に感じられるかもしれない動き、だが袁紹には先程と同様負の感情は沸いてこない。

 彼女の強気なソレを良く理解できたからだ。天然な長女、内気な三女の中にあって次女である地和は二人を守るべく、事の起こりには姉妹の前に出る役割を担ってきたのだろう。

 それに、こうして姉妹達の前で袁紹を睨む彼女の瞳には、少なからず恐怖が浮かんでいる。

 なるべく早く、彼女の不安を取り除いた方が良かろう――と、袁紹は三女に目配せをして続きを促した。

 

「三女、人和と申します。助けて頂き有難う御座いました」

 

 最後に挨拶をしたのは三女、姉に比べ地味な見た目だが、その瞳には姉達には無い知性の高さを感じさせる。恐らく彼女が姉妹の財布を握り、行動の方針を決めたりしているのであろう。

 

「黄巾内部にあっても、袁紹様のご高名は良く存じております。特に――「もう良い」え?」

 

「自分達に対する心象を良くしたいのはわかる。だが――見え透いた世辞ほど不快なものはない」

 

「っ!? し、失礼致しました!!」

 

「かまわぬ、悪気が無い事は承知している」

 

「は、はい……ですが――」

 

 人和は明らかに怯えている。大陸屈指の名族と相対しているのもそうだが、何よりその袁紹に世辞を見抜かれたのが大きかった。自分達姉妹の処遇は、言ってしまえば彼の気分次第で決まるようなものだ。ならば、少しでも心象を良くしたいと思うのは当然である。

 

 袁本初を良く知らない人和は、彼を褒め称える事で気を良くさせようとした。

 彼女の人生観において、上に立つ人間と言うのは総じて世辞に弱いものだ。立場が上であればあるほどその傾向が強いため、袁紹も例に漏れず好意的に世辞を受けるものだと思っていた。

 

「安心するが良い、このくらいの事で腹を立てていては名族など務まらぬ故な、フハハハハ!!」

 

「……」

 

 二度も許すと言葉にし豪快に笑い声を上げる袁紹。それを見て、人和はようやく安心したように溜息を吐いた。

 

 重ねて言うが袁紹と三姉妹は初対面である。しかし袁紹の纏う空気、言動には他者を理屈抜きに安心させる何かがあった。

 

「さっそくで悪いが、お主達と黄巾の実情を聞かせてくれるか?」

 

「では、私が――」

 

 姉妹の中で最も知と学に優れた人和が今までの経緯を語りだす。

 

 ――旅芸人としての出発地点

 ――歌と踊りによる芸で、一世を風靡(ふうび)するという目標

 ――伸び悩んだ自分達の下に届いた『太平要術の書』

 ――大陸の疲弊、痩せ衰えていく観客達……

 ――そして黄巾の乱

 

 彼女達の救出を願った男よりも正確に、しかし概ね聞いたとおりの答えが帰って来た。

 

「ふむ、太平要術の書……か、今は何処に?」

 

「それなら、天和姉さんが」

 

「え? ちぃちゃんじゃ……」

 

「私は持っていないわよ、最後に見ていたのは姉さんじゃない!」

 

「あ、あれれ~?」

 

 妹二人に白い目で見られ、天和は慌ててぺたぺたと自分の体を触る。何かを探している人間がとる古典的な行動だが、彼女の衣服には荷物を保管しておける場所など――

 

「ここかな~?」

 

「……む」

 

 あった。衣服にではなく身体にだが――、襟を前に引くようにして天和は胸の谷間を確認する。位置的に袁紹からも丸見えだ。妹達とは比べ物にならない豊かな果実が映り、まさに眼福眼ぷ――「麗覇様?」 

 

「時に桂花、受け入れた十五万の『難民』はどのような様子だ?」

 

「え? えっと、流石に人数が人数でしたので当初は各地で混乱が起きました。ですが兼ねてから受け入れられる体勢を取っていたため、それも小規模なものに。現在は安定して作業に合流できております」

 

「うむ! 引き続き彼等の監督を頼む。異変があったら直ちに知らせよ」

 

「承知致しました」

 

 瞳から光が消えかけていた桂花。彼女はある日を境に、袁紹が他者に抱く劣情に敏感に反応するようになっていた。人前では名族然とした態度を崩さない袁紹だが、桂花の女としての勘は容易くそれを看破していた。

 

 始めこそは彼女に翻弄された袁紹だが、良くも悪くも彼は学習能力が高い。

 すぐさま対策を考え付き、桂花の意識を逸らすことに成功していた。

 

 基本的に生真面目な桂花は、公私混同しない文官の鑑である。私事と仕事で自分を使い分けるのが巧く、切り替えが早い。袁紹はそれを巧みに利用。嫉妬の矛先が向く前に彼女の思考を切り替えさせたのだ。

 

 もっとも、世の中というものは不思議なもので

 

「麗覇様、桂花さんは誤魔化せても――」

 

「アタイ達までは誤魔化せないぜ」

 

 邪な考えを持つものには、相応の報いを与えるように出来ている。

 袁紹の両隣に控えていた斗詩と猪々子。彼女達は袁紹の肩に手を置き、何ともいえない威圧感を発していた。

 

「麗覇様、後でお話が」

 

「もちろん空けといてくれるよな?」

 

 そして硬直した袁紹に語りかける。彼は思わず助けを乞うように周りを見渡したが、桂花は先程の案件を思案しており、風は寝息を立てている。

 恋は音々音を可愛がり、星にいたっては事の成り行きを面白そうに静観していた。

 

「……ハイ」

 

 やがて蚊の鳴くような声で返事をする。その時、彼の顔から光る何かが零れ落ちたが、きっと気のせいだろう。

 名族は人前で泣いたりはしない。泣いたりはしないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「そういえば、お主等姉妹は真名で活動しているのか?」

 

「はい、私達は観客との距離を少しでも縮めるべく、皆に真名を許しています」

 

「真名で呼ばれたほうが嬉しいよね♪」

 

「……張宝って呼ばれても反応出来ない自信があるわ」

 

 この世界において真名とは神聖なるもの、しかし扱い自体は当人の自由だ。

 彼女達のような使い方は異質だが、特に問題は無いのだろう。

 

「さて、お主達の今後についてだが……」

 

「ちぃ達をどうするつもり!?」

 

 何気なく袁紹が呟いた一言で、再び地和が警戒心を露にし、姉妹の前に出る。

 

「ちぃ姉さん待って! 最後まで話を聞いてからでも遅くはないわ」

 

「……人和がそう言うのなら」

 

 妹に(たしな)められ、不満そうな顔をしながらも地和が下がる。彼女の警戒心は過剰にも思えるが、無理も無い。袁紹の周りには多種多様の美女が居るのだ。一騎当千の猛将から、戦場を思い通りに操作する軍師まで、一人ひとりが英傑であったが、そんな事情を知らないものから見れば、袁紹が美女を侍らせているだけのようなものだ。

 

 旅芸人として、自分達の容姿にある程度自信のある地和からすれば、ある種の疑惑を持っても不思議ではない。

 

「まず、お主達はこれからどうしたいのだ?」

 

「それは勿論、今まで通り歌と踊りで観客達を盛り上げるよ~」

 

「旅を続けながら、か」

 

「当然でしょ!」

 

「それは無理だ」

 

「な!?」

 

「え……」

 

「……」

 

 天和と地和の二人は絶句する。聡い人和は理解しているらしく、黙って袁紹の言葉に耳を傾けた。

 

 此度の乱において彼女達は、正体が露見しないのが奇跡なほどに有名になりすぎた。

 娯楽の少ないこの大陸において、彼女達の芸は民衆の心を再び掴むだろう。そしてそうなれば、黄巾から離脱している者達の耳にも入ることになる。そこから正体が知れ渡ってしまうのは時間の問題だ。

 

「そして正体が諸侯に知られれば――……」

 

「ど、どうなるって言うのよ」

 

「……良くない事になる。それは確かだ」

 

「っ!?」

 

 立てられる仮説は沢山ある。どれも若く麗しい女子に聞かせるには酷な内容で、袁紹は思わず言葉を濁してしまったが、それが返って彼女等の不安を誘うものになってしまった。

 

「そこでだ、我から提案がある」

 

「…………聞かせて下さい」

 

「お主等の問題は後ろ盾が無い事である。この大陸において『張角』とはすでに討たれた存在。疑いをかけられたところで、それを弁解できる保護下にあれば問題はないのだ」

 

「それが、此処ってわけ?」

 

「然り、我が陣営なら噛み付く者も少なかろう。お主達の安全を保障できる」

 

「……私達の待遇、役目は何ですか?」

 

「無論、至れり尽くせりという訳にはいかぬ。御主達には常に監視の者達をつけ、ここ南皮において慰問活動をしてもらう」

 

「ちぃ達を扱き使うつもり!?」

 

「待って、ちぃ姉さん」

 

 袁紹に喰いかかろうとする姉を止めて人和は思案する。先程の袁紹の提案、一見自分達を利用することしか考えていないように聞こえるが、果たしてそうなのだろうか。

 常に監視がつくとの話だが、此方が害を成したりしなければ唯の護衛になるだろう。慰問活動と言っていたが、彼等の指揮下になるだけで歌と踊りが出来るのは変わらない。そもそも、この提案は自分達からお願いしたいほどのものだ。

 

「お姉ちゃんは良いと思うな~」

 

「天姉さん……正気?」

 

「あ、ひっど~い!」

 

「ちなみに、私も賛成よ」

 

「人和まで……大陸中で活動出来なくなるのよ!?」

 

「む、我がいつお主達を南皮だけに留めると言ったのだ」

 

「「「え?」」」

 

 三姉妹が間の抜けた声を上げ、口を半開きにする。容姿は違えどやはり姉妹なのだと実感しながら、袁紹は苦笑交じりに口を開いた。

 

「少し早いが聞かせよう。我が理想そして、その中においてお主達が行き着く先を――」

 

 大陸を満たし、民衆に生を謳歌させる世を作るという袁紹の理想。まるで夢物語のようなそれに、始めは難しい顔をしていた三姉妹。

 しかし、袁紹の余りにも堂々とした言葉を聞き、彼は本気なのだと悟ると。地和は少し渋っていたが最終的に三姉妹は袁紹の提案を了承した。

 

 満たされた世の中において、歌と踊りで一世を風靡している自分達に夢想しながら――

 

 こうして袁紹は、兵達の士気を爆発的に上げ、さらに多数の志願兵を募る事の出来る張三姉妹を。陣営に迎え入れることに成功した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「正直、私達を閨に入れるかもと思っていたわ」

 

「お姉ちゃんはそれでも良かったけど?」

 

「な!? 天姉さん!!」

 

「……据え膳食わぬは男の――」

 

「「麗覇様!!」」

 

「じょ、冗談だ! 名族冗談!!」

 

 

 

 

 

 

 




NEW!天然長女 張角

好感度 30%

猫度 にゃ~ん

状態 普通

備考 長女だけあって人を見る目に長けている
   袁紹から邪気を感じていたら話しが拗れていた



NEW!小悪魔次女 張宝

好感度 5%

猫度 冗談じゃないわ!

状態 警戒

備考 三姉妹の中で最も袁紹を警戒している
   しかしそれは姉妹達を守りたいという思いの表れである



NEW!原石三女 張梁

好感度 50%

猫度 ニャ……ニャン

状態 尊敬

備考 袁紹の提案が自分達の為の物だと一番理解している
   その理想、目標を通して彼を知りたいと思っている


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反董卓連合軍
第27話


~前回までのあらすじ~


練馬一の解説者「いやぁ~名家名家! 大陸一の名族袁紹が、張三姉妹を陣営に迎え入れた頃で
        ゴザry」



あってる


 張三姉妹を陣営に迎え入れてから三日後。日が沈んだ南皮の広場に大勢の民衆が押し寄せていた。

 今日は張三姉妹の南皮初公演ライブだ。天和と地和が提案し、人和が二人を諌める中袁紹が許可を出した。

 

 南皮は十五万の人員を受け入れたばかりで多忙である。そこに民衆を集めて芸を披露することになるのだから、当然ながら大騒ぎになった。袁家内は上を下へと慌しく動き回り、桂花にいたっては余りの多忙ぶりに残像を生み出すほどだ。

 その後、袁紹から直接謝罪と労いの言葉があったのは言うまでも無い。

 

 こうして急遽設置された舞台の上に、張三姉妹が躍り出る。

 元黄巾だった者達が歓声を上げ。姉妹を代表して天和が口を開いた。

 

『みんなー! 今日は集まってくれてありがとー!!』

 

 久しぶりに聞く彼女の声に感極まる男達。張三姉妹を知らない大多数の民衆と温度差があるが、彼女達の歌さえ始まれば問題ないだろう。

 余談だが、会場を埋め尽くす民衆は数十万にも及ぶ。そんな彼等にどうやって天和達は声を届かせているか、信じられない事に拡声器(マイク)が使われていた。

 

 無論、この時代に音響機器の類は存在しない。拡声器の正体は宝石を用いた呪符だ。

 これは太平要術の書で作り出した物らしく、効能は文字通り音声の増幅。

 妖術の類だということもあって初めのうちは警戒したが、拡声器としての機能以外無いらしく、特別に使用が認められていた。

 

『みんな大好きーー!』

 

『てんほーちゃーーーーん!』

 

 合いの手に反応し、軽やかにポーズをきめる天和。

 

『みんなの妹』

 

『ちーほーちゃーーーーん!』

 

 続いて呼ばれた地和は、ウィンクを飛ばしながら天和に並びポーズをきめる。

 

『とっても可愛い』

 

『れんほーちゃーーーーん!』

 

 最後に人和が二人に合流して完成。一連の流れからしてお約束なのだろう。

 

『数え役萬☆姉妹(シスターズ)。ここに開幕!!』 

 

 三姉妹が同時に宣言し、大地を揺るがすほどの歓声が響き渡る。

 やがてそれが収まっていくと同時に、三姉妹達は間を開けず歌いだしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぇ~、すっごい美声」

 

「声だけなのに、楽器の演奏が聞こえてくる感じがします」

 

「おや、風だけでは無かったのですね~」

 

「彼女達の技量がそうさせるのだろう。見事だ」

 

 斗詩が呟いた通り、今回の舞台には楽器による演奏はされていない。

 黄巾在中だった頃は拡声器に留まらず。呪符を用いて楽器の演奏や舞台効果の演出もしていたとのこと。しかし、それらを使い始めた頃から黄巾達の様子がおかしくなった為、呪符による演奏には洗脳効果もあったと思われる。

 

 人和の提案により拡声器以外の呪符は制限され。彼女達は肉声のみの舞台を余儀なくされていた。

 

 演奏無しでの公演に不安がっていた彼女等だが、もともと肉声だけで旅をして来たこともあり、たちどころに観客達を魅了。気が付けば、他の民衆達も元黄巾の男達のように歓声を上げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

『今日は最後まで聞いてくれてありがとー!』

 

『もう終わりだけど、近いうちにまた披露するからね♪』

 

『今日よりも素敵な舞台になることを約束します』

 

『うおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉッッッッ!!』

 

 公演終了と同時に彼女達が発した言葉で、再び会場に大歓声が広がる。

 袁紹の近くに居た娘達が小さく悲鳴を上げたが無理も無い。最初と違い、観客全員による歓声は大地を揺るがすほど大きいのだ。多くの兵を従え、訓練や実践を指揮してきた桂花や風でも、この規模の歓声は聞いたことが無いだろう。

 その証拠に、桂花は可愛らしく首を縮こまらせ、普段おっとりしている風は目を見開いている。

 

「す、すごいのです……」

 

「黄巾達が熱狂してきたのも頷けるな」

 

「前代未聞ですが、戦場にて士気高揚のために歌ってもらうのも視野に入れましょう」

 

「……一応、耳栓を付けて待機させていた兵達によると、洗脳の類は確認されませんでした~」

 

「ほほう、一抹の不安は消えましたかな?」

 

「うむ、やはり呪符による演奏が原因だったようだな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 公演は終わり、各々が余韻に浸りながら帰宅する。袁紹はこのまま睡眠にありつけるものと思っていたが、部屋の扉が遠慮がちに叩かれ就寝はお預けとなった。

 ノック――この時代の大陸には存在しない作法だが、幸か不幸か、袁紹はたびたび誰かの着替えに出くわすことが多かったため。それを回避するために広めていた。

 

「入れ」

 

「失礼致します麗覇様。夜分遅くに申し訳ございません」

 

「風もいるですよ~……残念そうですねお兄さん」

 

「そ、そんなことは無いぞぉ?」

 

 斗詩か猪々子の来訪を予想していたために、風の言葉で思わず目を泳がせる袁紹。

 普段であれば、桂花がそれを目敏く指摘するところだが、彼女の表情は硬い。何かを思案しているようだ。

 

「……火急な用件か?」

 

「いえ、明日でも良かったのですが――」

 

「なるべく早めに方針を聞いておきたいのですよ、策の準備がありますからね~」

 

 そして語られたのは驚愕の内容。張勲が孫策達の手柄を横取りしたというものだった。

 『張角』の頸は孫呉の者達が諸侯の前で挙げている。しかし、それが朝廷の耳に入る前に張勲は頸を取り上げ献上、袁術軍の手柄にしてしまっていた。

 

 孫呉は、質はともかく勢力としては弱小である。それに比べ袁術。『袁』の字は伊達ではなく、兵も多い上にその背後には袁紹がいる。

 大勢力と弱小な地方豪族、どちらに肩入れするかは明白であり、諸侯は袁術軍、もとい張勲の暴挙を文字通り黙認した。

 

「だから風が言ったではないですか、早めに手を打つべきだと」

 

「ちょっと風! 麗覇様がどんな気持ちで――」

 

「かまわぬ、風の言うとおり、問題を後回しにして来た我に責がある」

 

「れ、麗覇様……」

 

 風の厳しい言葉を袁紹は正面から受け止める。

 

 そもそも反袁紹派、かの派閥に対して何故袁紹は対策を講じる事無く放っていたのか。

 これには袁紹の気質、そして自陣営と張勲に理由があった。

 

 袁家から離れ出来た反袁紹派の殆どは、元々は袁家の縁者である。

 重鎮達の親類、友、顔見知りたちで構成されていた。故に、彼等に対する強硬な手段は取らないでほしい――と直接懇請(こんせい)されたことも一度や二度ではない。

 そして重鎮達は慈悲を乞うだけではなく、反袁紹派の縁者に幾度と無く文を出し、改心するように求めた。

 そのかいあって、何人もの反袁紹派だった者達が此方の陣営に合流。袁紹に忠誠を誓っていた。

 

 そして張勲、意外な事に彼女は善政を行っていた。

 何故彼女が反袁紹派の懐柔を放棄したかは不明だが、張勲のおかげで荊州は潤い。反袁紹派の暴走を抑えていたことも事実である。

 

 そして、上記の理由から袁紹は人の可能性を捨てきれず。人の本質は善だけでは無い事を理解しながらも――事が起きるまで問題を後回しにしてしまっていた。

 

「かの者達を、これ以上野放しには出来ん」

 

「では……」

 

「うむ、風!」

 

「はいはい。彼等を押さえ込む策は既にありますよ~」

 

 風は何処からとも無く紙の束を袁紹に差し出す。

 

「反袁紹派が荊州で犯してきた不正の数々。記載されているだけのコレでは証拠になりませんが、これを元に荊州で証拠を押さえることは可能です~」

 

「……まるでこの事態を見越していたかのような対応、見事だ風」

 

 以前から反袁紹派に厳しく対応する事を求めていた風。主の気質を良く理解し。彼が頷きえる策を準備していた。

 袁紹の最大の憂いは反袁紹派と縁のある重鎮達である。彼等の心が痛むことを良しとしない袁紹は、余程の事が無い限り強攻策にでない事を知っていたため、まずは重鎮達を頷かせる事に着目した。

 袁紹派に集っている重鎮達は、基本的に主と同じく真っ直ぐな性格が多い。たとえ縁のある者たちとは言え、不正を犯した者を放ってはおけない。

 

 反袁紹派の不正を暴き出し、重鎮達に説明する事で理解を得ることにしたのだ。

 

「桂花!」

 

「五日――いえ、三日で出立できるように取り計らいます」

 

「迅速に事をなす必要がある。頼むぞ桂花」

 

「ハッ!」

 

 袁術を大勢力とするのは、ひとえに背後にいる袁紹の存在である。

 その袁紹が本腰を上げた場合。本来なら反袁紹派には対抗策は存在しない――が。

 格式の高い家柄の出である彼等にとって、立場とは命の次に大切なものだ。

 それを守るため、無謀な軍事行動に出る可能性もあった。可能性は低いが、転ばぬ先の杖である。

 

 そして何故迅速に動かなければならないか、その理由は大陸の情勢にあった。

 黄巾の乱から左程時は経っておらず、大陸の疲弊は未だ続いている。黄巾達は土から生えた訳ではない。彼等はもともと何処かの農民達である。

 彼等が抜けた土地は寂れ、その街の生産力は著しく低下。されど改善されない重税に難民達が安息を求め、離脱していくという悪循環に陥っていた。

 

 漢王朝の権威は地に落ち、各地は浮き足立っているこの状況。袁紹は自身の『知識』と勘から、近いうちにまた事が起きると推測、そのために迅速に動く必要があったのだ。

 そして、この袁紹の勘は的中することになる。

 

 

 

 

 

 事が起きたのは二日後、軍備も整い、いざ反袁紹派の一掃に! と息巻いていた時である。

 漢王朝からある知らせが袁紹を始め、大陸各地の諸侯に届けられた。

 

 その知らせとは―――『董卓』を、実質天子の次席である相国に据えたと言うもの。

 唯の抜擢ではない。涼州で部隊を率いていたところを十常侍である張譲によってだ。

 涼州で黄巾を相手に優秀な部下達と手柄を挙げていた董卓は。洛陽付近に黄巾の集団が現れた時に居合わせ、これを見事に退治して見せた。

 董卓軍の武力を気に入った張譲は彼女を天子に会わせ、忠臣達が反対するなか相国に据えてしまった。

 

 そしてそれと同時期に――『董卓』が暴政を働いていると言う噂が大陸を駆け巡ることになる。

 

 

 

 

 

 

 

「反董卓連合軍……か」

 

「左様で御座います」

 

 ようやく反袁紹派を一掃できるという矢先、『董卓』の一件により情勢を静観していた袁紹達の下に、ある知らせが届いた。

 『反董卓連合軍』洛陽で暴政を行っている董卓を、諸侯が一丸となって排除しようと言うものである。

 正確にはまだ連合は出来てはいないが、大陸の情勢や諸侯の胸中から、遅かれ早かれ連合は組まれることになっていた。

 

「大陸屈指の名族、袁紹様がお立ちになられれば。各地の諸侯も賛同し一丸となるでしょう!」

 

「…………」

 

 諸侯の使者を名乗る男は、袁紹を連合に参加させようと捲くし立てた。

 各地の諸侯が足踏みする理由。それは他ならぬ袁紹陣営に理由がある。

 

 連合が集結すれば董卓軍の勝率は低い。だが、袁紹が董卓に与すれば話は別だ。

 名族袁家の名は伊達ではない。兵力はもとより、武力、知略共に大陸最強である。

 幸か不幸か袁紹と漢王朝の間には不和があるが、この事態を期に、董卓に味方する事で漢王朝の忠臣へと返り咲こうとするかもしれない。そしてそうなれば、連合軍の勝利は厳しいものになるだろう。

 

「仮にも天子様が居られる洛陽へ……軍を向けるのは不敬ではないか?」

 

「て、天子様が居られるからこそ、暴君董卓を退かねばならぬのです!!」

 

「…………」

 

 連合軍に否定的ともとれる袁紹の言葉に使者の男は慌てる。袁紹の懐柔が連合の勝利に繋がるのだ、その重責は余りにも重く。滝のような汗を流しながら必死に参加する利を説いた。

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 重大なこと故、返事は後日に――と使者の男を下がらせ、袁家の主だった者達だけが謁見の間に残った。

 袁紹は腕を組み、眉間にしわを寄せながら思案に暮れる。

 

 これは彼の癖だ、案件が難解なものであればあるほど、袁紹は目を閉じ思案する。

 こうなると反応が鈍くなるため、それを理解している者達は一様に口を閉じ。主の考えが纏まるのを待っていた。

 

 しばらくして、考えが纏まった袁紹は目を開ける。

 

「……桂花」

 

「連合に参戦するべきです」

 

 袁紹は自分なりに答えを導き出した上で、袁家の知達に意見を求めた。

 それを理解した桂花は、即座に自分の意見を伝える。

 

「董卓軍の勝率は低いです。仮に私達が加わったとしても、勝利できる保障がありません」

 

「うむ、……風」

 

「風も桂花さんと同じです~、連合に参加しましょう」

 

 続いて声をかけられた風。いつもは眠そうにしている彼女だが、この時ばかりは真剣な表情をしている。

 それもそのはず、この一件は先の黄巾と同じく大きな分岐点だ。選択を間違えれば手痛い犠牲を出す事になる。

 

「袁家と漢王朝には不和が続いています。たとえ董卓につき勝利したとしても、漢王朝に取って代わる可能性がある袁家を、優遇したりはしないでしょうね~」

 

「……うむ」

 

 袁家は力を蓄えすぎた。そこに漢王朝との不和も混じり洛陽の宦官達に警戒されている。

 

「音々音、お主はどう思う?」

 

「え!? ねねの意見も聞いてくださるのですか?」

 

「袁家の知の一人なのだ。当然だろう」

 

「……はいです!」

 

 歓喜して声を張り上げる。ただ意見を求められただけに見えるが、これは袁紹が言葉にした通り、音々音を知の家臣として認めた事に他ならない。

 長らく桂花の下で縁の下を興じてきた彼女が、表舞台に出ることを許可された瞬間でもあった。

 音々音は即座に己の考えを纏め上げ答えようとする。余り納得がいかないのか、悲観的な表情が特徴的だった。

 

「ねねもお二方に賛成です。漢王朝はもはや風前の灯、泥舟に乗る必要はないのです……ただ」

 

「董卓か」

 

「……」

 

 音々音とは違い袁紹等三人は表情にこそ出さないが、一様に董卓の事が気がかりだった。

 そもそも董卓が暴政を働いてる証拠が無い。全ては唯の噂という可能性もありうる。

 

 史実において専横を極めてきたとされる董卓。しかしこの時代は袁紹の知識と大きく差異がある。

 張三姉妹が良い例だ、黄巾の乱こそ起きはしたものの、張角は扇動などしていなかった。

 その例を交え此度の問題を考える。

 火のないところに煙は立たないように、原因が無ければ董卓が暴政しているなどという噂は立たない。

 ではやはり暴政しているのではないか? 否、それ以外にもこの噂が立つ原因がある。

 

 なんてことはない――ただの嫉妬だ。

 

 黄巾を討伐してきたとしても、董卓は所詮地方豪族の身である。

 それが他諸侯を差し置き、相国の立場となるのは面白いものではない。

 ぽっと出の派遣社員が、正社員を抑えて社長に抜擢されるようなものだ、当然反発する。

 

 そしてこの時代の者達は血気盛んだ、対象を排除することに躊躇しないだろう。

 董卓が暴政を働いていると噂を駆け巡らせたのは、大義名分を得る為――そう考えると辻褄が合う。

 もしそうなら、一番の犠牲者は間違いなく董卓である。彼女は地方豪族だったのだ。たとえ諸侯が反発すると見越していたとしても、相国となることを断る術は持っていないだろう。

 今頃はその頭を、董卓軍の知である賈駆と共に頭を抱えているかもしれない。

 

「主殿は董卓をご存知で?」

 

「昔、遠目だが見たことがある」

 

 袁紹が幼少の頃、父に連れられ洛陽の宴に参加したときの事だ。

 各地の豪族に紛れ、壁の花になろうとする少女が気になった。父から聞いた董卓と言う名に驚き、彼女を観察したのだが――俯くように下に目線を下げ、ちびちびと料理を口にするその姿からは、内向的思考――引っ込み思案なように感じられた。

 憂いを帯びてるような雰囲気は独特で、一言で表すなら『薄幸の美少女』といった印象だ。

 

 将来大陸に影響を与えるかもしれない人物――董卓をさらに観照しようとした袁紹だが。

 彼の視線に気が付いた董卓の側に居る眼鏡の少女にきつく睨まれ、断念していた。

 

 当時の記憶では暴政を働く人物には思えない。勿論、時が立ち変貌した可能性も、彼女自身が誰かの傀儡である可能性も、袁紹が見破れなかっただけで本質が違う可能性もある―――とはいえ。

 

「もしも噂が虚偽であった場合、我は諸侯の下らん嫉妬に付き合う気など毛頭無い」

 

「……麗覇様」

 

「フフッ、そうでしょうな」

 

「麗覇様なら、そう言うと思っていたぜ!」

 

 袁紹が利だけを取る人間なら迷わず董卓討伐に出ただろう。だがそんな人間であったなら此処まで慕われはしない。

 

 そして、利を捨てた訳でもなかった。

 

「風! 洛陽に間者を忍ばせ実態を調べよ」

 

「御意です~」

 

「桂花! 噂の真偽がわかるまで諸侯の動きを止めよ、場合によっては袁家の名を使うが良い」

 

「畏まりました」

 

「音々音、噂の真偽関わらず呂布隊は使う事になる。隊の軍師として戦果を挙げよ!!」

 

「っ~~、はいです!!」

 

 噂が真実なら董卓を討伐する。もし違うなら――……

 

 諸侯の動きを止めるのは容易だった。袁紹軍が連合に参加するとこを仄めかすだけで良い。

 連合は大きな『核』を必要としている。その(袁紹軍)があって初めて(連合)となるのだ。

 逆に言えば、核が動かぬうちは塊は出来ない。

 

 集の心理を巧みに利用した上策であった―――が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 噂の真偽を確かめる前に『袁術』を盟主として連合を率いるという知らせが、各諸侯に届けられた。

 

 

 



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閑話―各陣営―

おまたせ。忘れられてそうな頃の更新なんだけど、いいかな?


「あーもう……何故こんなことに」

 

 夜もふけた頃、執務室で頭を抱えている女性が一人居た。

 彼女の名は張勲、真名を七乃。

 

 袁家の先代当主袁逢から娘である袁術の教育と補佐、そして反袁紹派の懐柔を命じられていた。とりあえず出世することを目標にしていた張勲はそれを快諾、任をこなそうと思っていたが。その決意は主である袁術の可愛らしさの前に崩壊。

 誰よりも袁術の近くで共に在りたいという純粋な願いは、袁術と他者の関係を絶ち、彼女を独占し続けたいと思うほどに歪んでいた。

 

 そして張勲は―――実に有能だった。

 彼女が危惧したのは袁紹、袁家現当主にして袁術の実兄である。

 文武両道にして寛大、その先見の明は歴代随一とまで言われている。

 近況報告を兼ねて観察したが概ね噂通り――いや、それ以上に器の大きな人物に感じられた。

 張勲が望んでも手に入らない袁術との血のつながり、それに加え人たらしな雰囲気が鼻に付いた。

 

 もしも、もしもだが、張勲が袁術の補助に付く事無く、あのまま南皮で文官として働いていたらどうなったであろうか。袁紹の人となりや、その器を間近で感じ続けていたら――……今頃は文醜、顔良に次ぐ忠臣として、彼の側に立っていたかも知れない。

 

 もっとも、今となってはそんな気すら起きないが。

 

 

 

 閑話休題

 

 

 

 そんな張勲の心配は、袁紹が袁術を懐柔――もとい。袁術が袁紹に懐いてしまう事である。

 

 主である袁術は、物心ついた頃から反袁紹派の者達に囲まれて育った。そんな環境で成長すれば性格が歪むことは必須、それを良しとしなかった張勲は、反袁紹派達をなるべく袁術に近づけなかった。

 それが功を奏したのか、まだ幼いながらも袁術は純粋な少女に成長した。しかしあまりにも純粋培養しすぎた。

 そんな袁術が袁紹と対面したら何を思うだろうか、普段から袁紹を『怖い人』と刷り込んではいるが、この小さな主は勘が鋭い時がある。陽光のような袁紹の存在感を察し。今までの刷り込みが偽りだとばれてしまう。

 

 仮にばれなかったとしても、対面した時に袁紹が掛ける言葉で心を開くだろう。

 兄妹の初対面に張勲が口を挟むことなど出来るはずも無い。

 

 故に此処、荊州を袁術の籠とすることにした。

 主の実兄、袁紹の先見の明は異常である。幼少期から大陸の疲弊と、それに伴う飢餓や賊の発生を察知し。『棄鉄蒐草の計』なる大計略もやってみせた。

 これは張勲にとって喜ばしいことだった。袁紹が袁家当主として有能であればあるほど、反袁紹派を後回しにしてでもやらなければいけない事が多々ある――それを知ったからだ。

 

 ならばあとは簡単、表向きは味方であると見せて、あえて反袁紹派を存続させれば良い。

 身内達を気にして袁紹が強攻策にでない人物であることは知っている。反袁紹派の者達に適度に暴れてもらいそれを張勲が鎮圧、「仕事してますよー」と素知らぬ顔をし、最愛の主と悠々自適な楽しい生活を――送るはずだった。

 

 反袁紹派の厄介さは張勲の想像を遥かに越え、元当主である袁逢に同情を覚えるほどだ。

 各々が名家出身なだけに権力があり、堪え性の無い者達の集まりである。

 彼等は袁紹が活躍すればするほど不満を覚え、袁紹が情報をわざと流布させていたこともそれに拍車を掛けていた。

 

 とはいえ、不満があると言っても何が出来るわけでもない。

 諸侯から見れば袁術も強大な勢力だが、それも袁紹ありきの話し。自分達よりも強大な勢力に刃向かう度胸があるわけも無く、せいぜい裏で悪口を叩く程度だ。

 しかしそれだけでは気は晴れない。そんな彼らが何で鬱憤を晴らそうとするだろうか――……

 考えるまでも無かった。

 

 ある者は酒に、ある者は美食や散財、そしてある者は――民に手を出し始めた。

 

 これには流石の張勲も焦り、様々な方法で事態を収束させていた。

 もしもこれが袁紹の耳に入ったら――彼は関わってくるだろう。普段から民草の為にと動いている彼の事だ、反袁紹派の暴虐を見逃すわけが無い。

 故に、張勲はあの手この手でそれを有耶無耶にした。荒っぽい事はせず、迷惑料を支払うことで解決させていたのだ。

 彼女を知るものなら『らしくない』と思うかもしれない。

 張勲の非情は天然ものである。普段の彼女であれば迷わず効率的な『口封じ』をしていただろう。

 しかし出来ない、袁紹と敵対する気は無いのだから――……

 

 

 

 

 

 

 以前、袁紹の軍師である荀彧の間者を捕らえた事がある。

 袁紹に近況報告を兼ねた顔見せをした後の事だ。張勲としては巧く本性を隠せた心算だったが、荀彧が思いのほか有能なのか間者を送り込まれてしまった。

 そして運良く――否、運悪く捕らえてしまった。

 張勲は袁紹達と敵対する気は無い。そのために善政をしいて外面を繕ったのだから、むしろそれを袁紹達に報告して貰う事で疑惑を取り除いておきたかったが――時既に遅し。間者から荀彧の手の者と口を割らせてしまった。

 

「張勲様、始末終えました」

 

「そうですか、ご苦労様です」

 

 『始末』を命じた手の者の報告を作業的に流す。――隠語だ。

 張勲、もとい彼女の部下は間者の口封じなどしていない。

 

 確かに口を封じれば余計な情報の漏洩、反袁紹派の癇癪が袁紹等の耳に入ることを防げたかもしれない。しかし証拠は無くとも間者が行方不明になったとあっては、荀彧が黙っていないだろう。

 此方への監視が厳しくなり、反袁紹派の行き過ぎた『癇癪』が漏洩、袁紹がそれの解決に動き出す可能性もあった。

 故に、安易に間者を始末する訳には行かず。捕らえた三人の間者は南皮方面に開放されていた。

 

 では何故それを隠語で命じる必要があったか、それは―――

 

「どういう心算だ張勲!!」

 

 『コレ』に理由があった。

 

 執務室の扉を乱暴に開き入室したこの男、反袁紹派の一人である。

 

「騒がしいですねぇ……どういう心算とは?」

 

「何故わしの許可無く間者を始末したのだ!!」

 

「何故も何も、袁紹様に情報が漏れるのは皆様も望まれ――「そうでは無い!」」

 

 張勲の返答に食い気味で割り込み、血走った目で男は続けた。

 

「捕らえた女の間者は、わしに一任しろと言ったであろうが!」

 

「……」

 

 『コレ』である。名家の出として酒池肉林を思うままに堪能してきた反袁紹派の男達。

 彼らの中にまともな人格者は少なく、特に異常性癖の者達は厄介極まりなかった。

 

 金でどうにかなる美女に飽き、度々街に出向いては誘拐まがいの事件を起こし。

 こうして尋問と称し、間者にも手を出そうとしている。

 彼らに間者を預けるわけにはいかないだろう。それも袁紹に縁があるのだから尚更だ。

 

 ――とは言え、彼らを無下にすることも出来ない。

 彼ら無くして袁紹の介入は防げないのだから。

 

「実は醜女だったのです。ですから報告するまでも無いかなー……と」

 

「なんと醜女であったか、では用は無い。良くやったぞ張勲」

 

 嘘である。件の間者は美女では無いが平均的な容姿をしていた。十分この男の守備範囲内だ。

 

「見目麗しい間者を捕らえたら知らせよ」

 

「了解でーす」

 

 慣れた様子で笑顔を貼り付け返事すると、男は満足そうに執務室を後にした。

 

「では張勲様、自分もこれで……」

 

「あ、はーい。また何かあればお願いしますね」

 

「ハッ」

 

 待機していた部下にも労いの言葉を掛け、見送る。

 退室した扉を見ながら張勲は思う、『やはり誰も信用できない』――と。

 

 反袁紹派の者達はもとより、直属の家臣団もだ。

 直属、聞こえはいいが彼等は、ある利害の一致から付き従っているに過ぎない。

 もしその利害関係が無くなったら、あっさりと手のひらを返すだろう。

 

 もっとも、張勲にとって理解しがたい『忠』よりは。信用に値するが――……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……はぁ」

 

 張勲の重い溜息と共に、話は現在へと戻る。

 

 まるで薄氷の上を歩くかの如く、危うい均衡状態を維持してきた張勲だが、それも最近は限界を感じていた。

 黄巾の乱の時である。飢餓、疫病、重税等々、様々な不満を募らせ爆発した民衆。

 袁紹達は時代の流れを読んでいたかの如く、『棄鉄蒐草の計』なる大計略を見事成功させた。

 

 それが不味かった。

 

 諸侯や漢王朝から見れば勝手な行動、反逆の兆しありという評価も、民衆からすれば正反対の物になる。

 無理も無い、重税を強いるだけで何も還元してこなかった王朝とは違い。袁紹は徳を持って大多数の人命を救ったのだ。その功績はすぐさま大陸各地を巡り、世間は袁家の話題で染められた。

 

 こうなると諸侯はもとより、漢王朝も苦言を呈し辛い。只でさえ王朝に対する不満は溜まっているのだ。民衆が支持する袁紹を批判し、さらに地に落とすわけにはいかないだろう。

 彼らに許されたことは、精々影で『棄鉄蒐草』と嗤う事だけであった。

 だが、それを良しとしない者達がこの荊州にいる。

 

 反袁紹派だ。かねてから目の仇にしている袁紹の活躍、評判、袁紹等が情報を拡散させていることにも拍車がかかり、嫌でも耳に入ることとなった。

 これに対し彼らの不満が爆発、功名心に逸り張勲を捲くし立てた。

 

 当然彼女は頭を抱えた。袁術軍は勢力としては大きいが、錬度が低い。黄巾討伐に乗り出しても大した功績は挙げられないだろう。張角の首級など夢のまた夢だ。

 故に孫呉の者達を利用した。彼女達の独立に対する願いと、それを可能に出来るだけの有能さを知っていた張勲は、狙い通り張角討伐の功績を横取りする事に成功した。

 

 この一件により反袁紹派の者達は沈静、彼らの功名心を満たすことに成功していた。

 

 そんな中また新たな一報が入る。その知らせとは『董卓』を、実質天子の次席である相国に据えたと言うもの。

 そしてそれに伴い、反董卓の風が漂い始めた。

 

 張勲は当初楽観視していた。自分達には余り関係が無いからだ。

 袁紹が連合に参加すれば袁術軍は召集されない。錬度の未熟さや、反袁紹派と言った不安材料を、わざわざ戦地に呼びはしないだろう。

 仮に袁紹が不参加を唱えたとしても、此方もそれに合わせ不参加と表明すれば良い。簡単な話しだった。

 

 しかし、反袁紹派は張勲の想定の範囲、それを軽く上回る厄介ごとを引き起こした。

 張勲の目を盗み袁術に接触、連合参加の文を署名させ、各地に届けだしたのだ。

 袁紹が参加の空気を醸し出すだけに留めたことを、恐れをなしていると解釈して……。

 

 これにより諸侯から、袁術軍の連合参加は確定的に見られている。前言撤回し、不参加にすることも出来るかもしれない。しかしその場合、袁術軍の名は地に落ち、不満を覚えた反袁紹派達は暴走するだろう。

 

 連合の参加は不回避、だが張勲の憂いはそれだけではない。

 

「恐れていた事になってしまいましたねぇ……」

 

 暗い表情でその文に目を通す、そこには――

 

 

 

 

 袁紹軍が正式に連合に参加すると記されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「彼の策は裏目に出たようね、稟」

 

「はい」

 

 家臣から渡された文、袁紹軍の連合参加が記されているそれに目を通し、華琳は笑みを浮かべながら呟いた。

 先にその知らせを受けた郭嘉が反応し。肯定の返事をする。現在、陣営の主たる者達を集めた場所に居た。

 

「……なぁ秋蘭、何が裏に出たんだ?」

 

「『裏目』だ姉者。稟、説明を頼めるか?」

 

「承りました」

 

 今回の騒動、袁紹達は参加を仄めかすことで諸侯の動きを遅らせた。当初は旨く策が通じていたものの、袁術軍の連合参加表明を機に一変。諸侯や世間に連合参加は確定的と認識されてしまう。

 袁術軍が参加するのに、当主である袁紹が参加しないとは思えないのだから無理も無い。

 この空気の中、不参加を表明しようものなら袁家の名に大きな傷が付くだろう。袁紹には名族の長として、他に選択の余地がなかった。

        

 稟は丁寧に、わかりやすく説明した。

 

「な、なるほどなぁ……」

 

「はぇ~、大変なんですねー」

 

「今のを理解できたのか!? 季衣(きい)!!」

 

「はい! 袁紹さん達は、期待に応えなければならなくなったんですよね!!」

 

「概ねそんな感じです」

 

「やったぁ!」

 

「……」

 

 余り自分が理解出来なかったことを妹分である許緒―――季衣が理解していることに項垂れる春蘭。

 そんな姉の様子に秋蘭は、微笑みながらある事を促した。

 

「姉者」

 

「う、うむ……すごいぞ季衣!」

 

「春蘭様、ありがとう!!」

 

 尊敬する姉貴分に褒められ、許緒は益々気を良くする。その光景を微笑ましく見ていた秋蘭だったが、ふと、袖が引かれる感触がし、そちらに目をやると――

 

「秋蘭様……私も稟様の説明を理解できました」

 

 彼女の妹分である典韋――流琉(るる)が遠慮がちに声を掛けてきた。それを見た秋蘭は一瞬眼を丸くし、蕩けさせる。

 

「ああ、流石だな……流琉」

 

「あ……えへへ」

 

 期待する眼差しに応える様に彼女の頭に手を置き、最大限の愛情を持って撫でる。

 

 許緒の幼馴染である典韋は、活発な許緒に比べ落ち着きがあり、幼い見た目に反し聡明だ。

 稟の説明を十分に理解しただろう、それに対して秋蘭は疑うべくも無いが、それとこれとは話しが違う。大人びている故に忘れがちだが典韋もまだ子供なのだ。褒められてうれしくないはずがない。

 そして、それを理解しているからこそ秋蘭は優しく目を細め、娘を愛でる母親のような表情で頭を撫でた。

 

「……この流れ」

 

「乗るしかないの! 凪ちゃん!!」

 

「止めろ気色悪い」

 

「「ひどい!」」

 

「……」

 

 楽進、李典、于禁も交えた。温かい団欒の様な光景を見て郭嘉は思う。

 

 ―――我が主も変わった……と。

 

 華琳は規律を重んじる。以前の彼女であれば軍議の場に覇気をめぐらせ。無駄な発言を許しはしなかっただろう。

 それに比べ今のこの状況、彼女の覇気が緩んでいるわけではない。それどころか今も凜とした空気を張り詰めている。しかし、それは芯まで冷えるような氷ではなく、厳格な父親の近くで見守られているような温かいものだ。

 

 過度の緊張感は個人を萎縮させ、柔軟な発想や、それに伴う発言を潰してしまう。

 故に郭嘉は、主のこの変化を素直に喜んだ。

 

「稟、私達も連合に参加するわ! 通達と軍備を担当なさい!!」

 

「承知しました」

 

「春蘭と秋蘭は将として追従、貴方達の武名を天下に轟かせて!」

 

「「ハッ!!」」

 

「季衣と流琉は二人の補佐よ。副将として任、見事全うしてみせなさい」

 

「「はい!!」」

 

 家臣一人ひとりに指示を施し、最後に残った三人を見て華琳は思案する。

 

 連合に袁紹と自分が参加した時点で負けは無い。ならばこの戦は勝ち負けではなく、どう勝つかである。

 曹操軍は袁紹軍ほど世間に認知されていない。ならば――諸侯の目の前で刻み付ける!

 

「もちろん凪、真桜、沙和の三人にも働いてもらうわ。特に真桜、貴方は『アレ』の準備を」

 

「おおッ!? こないな大舞台でお披露目出来るんやろか!」

 

「順当に行けば……ね。汜水関と虎牢関の突破に役立つはずよ」

 

「よっしゃあ! 任しといて下さい!!」

 

「真桜、珍しくやる気だな」

 

「殆どの時間を『アレ』に使っているし、仕方ないの」

 

 汜水関、そして虎牢関突破の鍵になるであろう真桜の奮起。それを確認した華琳は、再び皆の顔を視界に収め宣言した。

 

「行くわよ皆! これが我が覇道の第一歩よ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「袁紹軍に続き曹操軍も参加を表明……か」

 

「袁紹様が連合に否定的だった時は肝が冷えましたね~」

 

「ああ、だが亞莎(あーしぇ)のおかげでその不安も無くなった」

 

「そそそそんな!? 勿体無いお言葉ですぅ!!」

 

 孫呉の屋敷、連合に参加する軍の目録に目を通していた周瑜と陸遜は。先の一件で袁紹を連合に参加させる策を考え付いた呂蒙――亞莎を褒めた。

 

「謙遜しなくても良いですよ~、この結果は十分誇れます」

 

「穏の言うとうりだ。私達には思いつかなかった策、見事だぞ亞莎」

 

「あ、ありがとうございます!!」

 

 独立のため、さらなる名誉を得るために、孫呉はこの連合で勝利を収める必要があった。

 そこに袁紹が連合に対して消極的な姿勢を見せ、彼女達は慌てた。諸侯が集まった連合は強大だろう。しかし、袁紹軍が敵に回っては苦しい戦いになる。

 何とか袁紹を連合に参加させようと周瑜と陸遜の両名は苦心していた。そこに、仕官して間もない呂蒙が策を進言したのだ。

 

『袁紹様達の策を、逆手に取りましょう!』

 

 彼女の大胆且つ堅実な策は功を奏した。

 

 反袁紹派の面々は張角の頸を挙げた功績に満足し、慢心していた。

 そこへ張勲の目を盗み接触、煽て上げ袁術軍の連合参加を説いたのだ。

 

 袁紹達が取った策、参加を匂わすことで諸侯の動きを遅らせるそれは効果が出すぎた。

 彼らの想定以上に民衆に認知されていたのだ。平民の出で民に理解のある呂蒙はそこに目をつけた。

 結果、袁術軍の参加表明と共に袁紹の参加も確定と認知。大陸中で認識される。こうなれば袁紹は名族として参加せざるを得ない。

 袁紹軍以上に、民衆を理解していた呂蒙独自の策であった。

 

「袁紹、曹操、そして我ら孫呉……穏、連合に参加する中で他に目ぼしい所はあるか?」

 

「あらら、袁術様の軍は蚊帳の外ですか~」

 

「ただの案山子だろう」

 

 周瑜の辛辣な言葉に陸遜は苦笑し、彼女の質問に答える。

 

「そうですね~、あとは幽州の公孫賛様くらいでしょうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「麗覇も華琳も連合……か、良し! 私達も連合軍に参加するぞ!!」

 

「うん! 困っている皆の為にも、悪い人をやっつけなくちゃだね!!」

 

 幽州にある太守の屋敷、その謁見の間に太守である白蓮と、彼女の援護を袁紹に任されていた劉備達が居た。

 

「待ちくたびれたのだ! ……ところで何で待っていたのだ?」

 

「董卓さんが本当に暴虐を行っていたのか、その確認のためです」

 

「つまり、董卓さんは悪い人かどうかわからなかったんだよ鈴々ちゃん」

 

「なるほどなー、朱里のせつめいはわかりやすいのだ! 雛里も見習うといいのだ!!」

 

「あ、あはは……」

 

 頭に大きな疑問符を浮かべていた張飛、そんな彼女に鳳統――雛里(ひなり)が答え、諸葛亮――朱里(しゅり)が噛み砕いて説明した。

 

「参加するということは、真相がわかったのですか?」

 

「いや、わからん!」

 

 関羽が白蓮に疑問を投げかけると、彼女は何故かそれを自信ありげに否定した。

 そのあんまりな答えに関羽はずっこけながらも、目つきを変え、再び問いただそうとしたが――

 

 白蓮はそれを手で制し、口を開いた。

 

「れい……袁紹軍が参加するからだ、私はアイツを私塾で見てきた。名族としての体裁に拘るようで周りを重んじ、悪いことは見逃せないような奴なんだ。そんなあいつが連合に参加するってことは――」

 

「噂は本当なんだね!」

 

 食い気味に補足してきた劉備に頷く、それを確認した関羽も納得がいった様で後ろに下がった。

 

「準備ができしだい出発する! 目標は洛陽だ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 こうして、数多の英傑が連合と言う名の一つの固まりとなり集結。泥水関で迎え撃とうと控える華雄を前に布陣した。

 

 

 




「……」


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第28話

~前回のあらすじ~

天和「ダイナモ感覚!ダイナモ感覚!YO!YO!YO!YEAH!」

地和「DJDJ・・・(届かぬ思い)」

人和「……」






袁紹「どうすっかな~、大陸命運も掛かってるからよー」

使者「クゥーン」





袁術「じゃあ妾、連合率いて出陣するから……」

諸侯「やめろォ(建前)、ナイスぅ(本音)」

大体……これもうわかんねぇな(白目)


 大陸に住む人々、とりわけ農業を営む者達の朝は早い。日が昇り始めたとは言え、まだ辺りは薄暗く肌寒い。

 そんないつもの朝に、周りの村人と同じく畑仕事の為に起きてきた一人の男。彼にある違和感がよぎった。

 

「今日は随分……静かな朝だぁ」

 

 いつもなら聞こえてくる鳥のさえずり、それが無く不気味なほどに静かだ。

 男と同じく畑仕事に勤しもうとする者達の姿が無ければ、起きるのが早すぎたのではないかと疑うほどだ。

 

 男が不思議に思っていると村の外から一人、必死の形相で此方に向かってきた。

 

「おーい! 大変だぁ!!」

 

「な、賊か!?」

 

「いや、賊ではねぇだよ」

 

「んなら、野生動物が畑に」

 

「それでもねぇだ」

 

「……じゃあ何なんだ」

 

 要領を得ない彼の返事に苛立ちを覚えつつも先を促す。男は朝が早い上にやることが沢山あるのだ。貧乏暇なしである。

 

「そ、それが何とも……とにかく来てくれよ!」

 

「何だってんだ一体」

 

 出来れば口で説明して欲しかったが、よほど形容しがたいものでも見たのか、言葉を詰まらせている。ここまでくると男にも好奇心が湧いた。ただでさえ娯楽が少ない時代なのだ、珍しいもの、面白いものには目が無い。

 

 男は彼の後に続きながら、童心に返ったような気分を味わっていた。

 

 ――こいつは何を見つけたのだろうか、見たことも無い生き物? 変な形の石? それとも……

 

 様々な物を想像しては心を躍らせる。ものによっては家族に話題を提供できるなどと考えながら

 

 

 

 

 

 

 目的地に着いた男は、得意げに遠くを指差す彼のそれに続いて目線を動かし、驚愕した。

 

「……なんじゃありゃあ」

 

「な! すげぇだろ!?」

 

 軍の群れ、それ自体は珍しいものではない。先の黄巾の乱や、各地の賊多発に伴い行軍は良く目にする。では何故驚いているか―――それはその軍の出で立ちに理由があった。

 

 黄色である。身体を守る胸当てに始まり、兜、手甲、剣の装飾に至るまで黄色で統一されている。良く手入れされているのか光沢があり、光の角度によっては金色に輝いているようにも見えた。遠目で見るその光景は、さながら黄金の竜が移動しているようだ。

 

「一体何処の……」

 

「多分、南皮の袁紹様の軍勢だぁ」

 

「おめぇ軍旗の文字が読めるのか!?」

 

「うんにゃ、だどもこげん派手な軍はそこしかねぇべ」

 

「な、なるほど」

 

 軍は金食い虫である。兵糧、装備、賃金、維持するだけでも金が掛かる存在だ。

 鎧を着けているのは正規軍の証、大多数の歩兵は民衆に毛が生えた程度の装備が普通である。

 

 以上を踏まえ眼前の軍はどうだろうか――

 

 永遠に続いているのではと思うほどに長い軍列、その全ての者達が鎧を纏っている。

 騎馬隊、歩兵隊全てである。この軍にどれほどの軍資金が掛けられているのかは想像すら出来なかった。

 そしてこれほどの軍備を維持できる者など、南皮の袁紹ぐらいであろう。

 

「こんな大軍勢で何処に向かっているだ?」

 

「とう何とかって新しい相国様が悪いお人らしくてな、それを退治するために色んな軍が結託したらしいだ」

 

「ははぁ、んじゃあ袁紹様ってのは悪者退治に行くわけか」

 

「そうなるなぁ……ま、オラ達のような辺境には関係ないだ」

 

 雑談をしながらも二人は金色の行軍に魅入る。一糸乱れぬとまではいかないがその行進は規則的で、それだけでも鍛練が行き届いた者達だとわかる。

 

「袁紹様って、どんなお人なんだろうなぁ……」

 

「…………」

 

 ふと一人がそう呟き、二人して視線を動かし軍を観察する。

 彼らの中に在るのは単純な好奇心、幾度も天下に名を轟かせてきた袁紹の存在である。

 隣町の町人、村に訪れる行商人、流浪人、彼らから耳にたこが出来るほど袁紹の噂は聞いてきた。

 

 曰く、幼少の頃より聡明で文武両道の賢人。

 曰く、その先見の明で時代を先取り、巨万の富を生み出す商人

 曰く、空より広く海より深い徳を持ち、未来を詠み人命を救う仙人

 曰く、高笑いしながら高速移動する超人

 曰く、晴れた日は屋上で身体を焼く浩二

 

 ……興味を持たないほうが難しい。 

 

「お、あれじゃあねぇべか?」

 

「顔は……みれねぇな」

 

 二人が注目したのは隊列中央にある三台の馬車だ。これも黄色で染められ、豪華な装飾が成されている。

 まさしく名族に相応しい代物で、この軍の重鎮や、袁紹がいるとしたらあの中だろう。

 この軍の長を人目みたいと思っていただけに落胆し――その二人の目に奇妙なものが映った。

 

「おい、ありゃあ……」

 

「……御輿?」

 

『ふぅん、反袁紹派も愚かな存在に過ぎん。とんだ邪魔が入ったが、俺達の戦いはこれからだ。決戦の地、洛陽が待っているぞ! 進路をとれ! 全速前進DA!』

 

 御輿である。軍列の先頭を進み、上に乗っている者が何やら声を上げていた。

 

「あんなお調子者も、あの軍の一員なのけ?」

 

「袁紹様は派手好きって噂だぁ、気に入られているんだろうなぁ……」

 

 二人が白い目を向けている御輿の上の男。彼こそがこの軍の総大将、袁本初であることは知る由も無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「何を考えているんですか!!」

 

 ひとしきり騒いで満足した袁紹を待ち受けていたのは、桂花による怒りと言う名の落雷であった。

 

「いかんのか?」

 

『いかんでしょ』

 

「いけませんねー」

 

「当たり前です!」

 

「むぅ」

 

 宝譿、風、桂花の順に捲くし立てられ、開き直り気味であった袁紹はたじろいだ。

 

 元々、三台の馬車は奇襲を受けたとき、相手を撹乱(かくらん)するために桂花が用意したものだ。

 可能性は極めて低いが万が一賊等に襲われた場合、主である袁紹の居場所を隠すのが狙いだ。しかしそれも、袁紹が馬車を飛び出したことで効力を失ってしまった。

 

 黄巾以来の大行軍にテンションが天元突破した彼は、秘密裏に持ち込んでいた折りたたみ式御輿と、その担ぎ手達と共に先頭に移動。『一生に一度はやってみたい事集 著・袁本初』に記された一つ『全速前進DA!』を行っていた。

 それもご丁寧に、天和達から借り受けた拡声器を使用して。

            

「お兄さんには、お仕置きが必要ですね~」

 

「ちょっと風、なにもそこまでは……」

 

「甘いですよ桂花さん、少しくらい痛い目を見ないとお兄さんはまたやらかします」

 

 風の言葉にギクリと肩を震わせた袁紹を見て、擁護気味だった桂花の目が細められる。

 

「……それもそうね」

 

「そうですよ~ではお兄さん、目的地に着くまでお膝を拝借」

 

「む?」

 

「ええっ!?」

 

 驚く桂花を他所に、風は素知らぬ顔で袁紹の膝の上に収まる。これではいつも通りである。どこが罰なのだろうかと袁紹が疑問に思っていると――

 

「ちょっと風! それのどこが――」

 

「罰はここからですよ。さぁ、桂花さんもどうぞ」

 

「……ちょ、ちょっとま――」

 

 右ひざに移動し左を差し出す風。彼女のその行動に嫌な予感がし、袁紹は制止を呼びかけようとしたが時既に遅し。

 

「し、失礼します!」

 

「ぐぉっ!?」

 

 風の意思を理解した桂花は、そのまま袁紹の左ひざに腰を落とす。

 

 ――重い! その言葉をなんとか飲み込む。名族として、一人の紳士として、そしてなにより。そのような言葉を婦女子に投げ掛ける訳にはいかない!

 

 とはいえこのままもまずい。いくら小柄とは言え片膝に一人ずつなど、馬車の揺れも重なり袁紹の膝は悲鳴を上げていた。

 とりあえず二人を何とか説得――しようとしたが駄目だ。桂花は林檎のように赤くなり此方に反応を示さず、風に至っては意味深な笑みと共にこの事態を楽しんでいるようだ。

 

 ――自力の脱出は不可能。何故か此処に至って冷静な袁紹は、協力者を求めようと視線を動かした。

 

 ちなみに武官達は皆、自分の部隊を率いて行軍している。馬車内にいるのは袁紹達三人のみで、音々音は本人たっての希望により恋と共に騎乗していた。

 これらの事を踏まえ、袁紹は馬車の窓に目を向け――瞬時に逸らす。何故なら、馬車を警護する親衛隊の面々が血涙を流して見ていたから。

 

 袁紹にとっては仕置きでも、他者からみればただイチャついているだけである。

 桂花、風といった美少女を両手に花のこの状態で、彼女達を慕う親衛隊に助けを求めればどうなるだろうか、考えたくも無い。

 そして結局、しばらく膝上に二人を乗せた状態で馬車に揺られ続けた。

 

 

 

「お兄さん、連合の陣がみえてきましたよ~」

 

「まことか!?」

 

「あ、麗覇様また!!」

 

 桂花の慌てる声を無視して窓から顔を出す。風の言う通り連合の陣が見えた。

 

「ようやく……」

 

 陣中にある『術』と書かれた軍旗を見て呟く、実はテンションが天元突破した理由はあの軍にある。

 術の一文字、彼の妹袁術の軍旗である。思えばこれまで紆余曲折あった。

 

 当主就任の為に妹と顔を合わせることも叶わず。反袁紹派のしがらみで会いに行くことも出来ない。

 まだ見ぬ妹との唯一の繋がりは、月に一度の文のみ。

 そしてとうとう反袁紹派を淘汰しようというこの時に、今回の騒動である……。

 

 袁紹にとって連合での一番の収穫は、袁術との初顔合わせであった。

 

 

 

 

 

 

 

「華琳様、袁紹殿とその軍が到着致しました」

 

「あら、随分早いわね……」

 

 汜水関から少し離れた場所に位置する連合の陣。そこにいち早く到着していた華琳は、軍師である郭嘉と共に周辺の地形を見直している最中だった。そこへ秋蘭から袁紹の到着を知らされ、華琳は素直に驚いた。

 

『兵は神速を尊ぶ』

 

 これを自軍に掲げその言葉通りに曹操軍は、他では類を見ない速さでの用兵術を得意としていた。

 行軍とは本来鈍足なものである。それも大軍なら尚更だ。しかし袁紹軍はその常識を物ともせず、華琳達の予想を上回る早さで現地に到着して見せた。

 

「軍の速さは精強さに繋がる……そうだったわよね? 稟」

 

「はい、かの軍は良く鍛練されているかと」

 

「我が軍とどちらが上かしら?」

 

「軍の規模からして、鍛練の濃度が違いますので……」

 

 郭嘉の言葉に華琳は満足そうに微笑む。量では負けるが、質では自軍が上回る。

 何かと事を慎重に運ぶ郭嘉故に、断言せず濁したような答えだったが、彼女のそれが性格から来るものと理解している華琳にはわかった。

 

「作業を一時中断よ。秋蘭、皆を集めてきて頂戴」

 

「ハッ! ご挨拶に向かうのですね?」

 

 

 やれやれといった空気で立ち上がる華琳。主のそんな様子を見て、郭嘉と秋蘭はお互いに顔を合わせて微笑んだ。

 長らく彼女に付き添い、心を通わせてきたからこそ二人にはわかる。主が浮かれていることを。

 

 華琳にとって袁紹は対等に話せる数少ない相手である。多忙の中でも文でのやりとりは欠かさないし、それが遅れて苛立っている光景も見たことがある。

 

「以前のように放っておいて拗ねられたら面倒よ。ついでに自慢の娘達を紹介しましょう」

 

 

 

 こうして華琳は信頼できる家臣団を引き連れ、『袁』の軍旗が雄雄しくはためく陣地に歩を進めた。

 

 

 




Q ちょっと待って! 前回の後書き――

A そのような事実は御座いません


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第29話

~前回までのあらすじ~

村人A「なんだあれは、たまげたなぁ……」

村人B「あのさぁ……」

迷族「全速前進DA!」




軍師×2「「お! 両膝開いてんじゃーん(歓喜)」

名族「止めてくれよ(絶望)」


 
金髪覇王「もう来たの、はやくなぁ~い?(歓喜)」

良心&軍師「あっ…(察し)」


大体あってる


「貴方達は荷を降ろして頂戴。そこの人たちは各隊の天幕の準備を、それから――」

 

「程昱隊はごはんの準備です~。はやくしないとお腹を空かせた野獣(呂布・文醜)に食べられるですよー」

 

「麗覇様、他にご入用な物はありますか?」

 

「うむ、我が天幕とは別に大き目の物を用意して欲しい」

 

「大き目の天幕……畏まりました」

 

連合の陣地に到着した袁紹は、逸る気持ちを抑えつつ桂花達と共に指示を飛ばしていた。本来ならすぐにでも妹の顔を見に行きたいところだが、彼には総大将としての仕事がある。

 

「失礼します。曹操様とその家臣達が来ておりますが、いかが致しましょう?」

 

「真か!? あ、いや……此処に案内を」

 

「ハッ!」

 

 華琳の到着を知らされ、数瞬顔を輝かせ――引き締める。

 家臣の目の前では、名族として威厳をもった当主でありたいと願っている。最も、ほとんどの家臣達は彼の二面性を知っているので、今更肩に力を入れたところで余り意味は無かった。

 

 

 

 

 

「お久しぶりで御座います袁本初様、多忙の中私達のために時間を割いて頂き――」

 

「や、止めよ華琳! お主のその言葉使い、何処か恐怖を感じるぞ!!」

 

 袖口を引きながら「見よ、鳥肌が立っておる!」と訴えかけてくる袁紹を見て、華琳は満足そうに微笑む。

 

 奇襲は成功である。

 

「あら、『親しき仲にも礼儀あり』でしょう?」

 

「それは社交界の場だけでよい。此処には我とお主、その家臣しか居らんのだぞ……」

 

「ふふふ、冗談よ」

 

「華琳の冗談は心の臓に悪いものばかりだ……とは言え」

 

 袁紹は両腕を大きく広げる。

 

「良く来た華琳! 我はお主を歓迎する!!」

 

「ありがとう……それで? その格好には何か意味があるのかしら?」

 

 両腕を広げたまま静止している袁紹に華琳は訝しげに尋ねた。始めは大げさに歓迎を表現するためかと思っていたが、何か意図があるようだ。

 

「歓迎の抱擁である! 我が友華琳なら、これを受けるに値するぞ!!」

 

「…………」

 

 案山子のような格好の理由がわかった華琳は、一瞬目を丸くし、素の表情に戻る。

 

「結構よ、私はそこまで安くないの。それに――」

 

 袁紹の背後に視線を移し、口を開く。

 

「……命が惜しいもの」

 

「む?」

 

 その言葉に袁紹は、今まで華琳に向けていた意識を自身の背後に向けた。背後、袁家自慢の将達である。

 

 ――後ろを振り向けん!

 

 彼の背後から漂ってくるのは、殺気に近い怒気であった。誰が発しているかなど考えている余裕も無い。袁紹は冷や汗を垂らしながら、事態を収束させようと口を開いた。

 

「ふ、フハハ! 我が名族冗談を見切るとは、流石華琳であるな!!」

 

「冗談……なのね」

 

「!?」

 

 両手を胸の前で合わせ俯く華琳。『乙女心を傷つけた名族の図』完成である。

 ここまでくると冷や汗を通り越し、脂汗が流れ始める。先程とは違い、今は前方からも怒気が溢れている。

 前方――春蘭、秋蘭を始めとした華琳の家臣達だ。

 

「お、おい華琳……早く誤解を解かねば我が身が――!?」

 

 ついに自分の手に負えなくなったこの状況を打開するため、それが出来るであろう華琳に袁紹は話しかけ――気が付いた。

 

 彼女の肩が小刻みに震えている。笑いを堪えているのだ!

 

 そして、傍から見れば主が涙を流しているようなその構図に、彼女を最も敬愛していると自負していた春蘭が――弾けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「何はともあれ久しぶりだな華琳。元気そうでなによりだ」

 

「ええ貴方も……とは言えないわね」

 

 ボロッという擬音が聞こえてきそうな袁紹の姿を見て、華琳は楽しそうに笑う。

 

 先程は大変だった。臨界点を突破した春蘭が掴みかかることに始まり、それを止めようと、彼女と掴み合いを始める猪々子。二人をみかねて参戦した斗詩と秋蘭。

 その騒ぎの渦中にいた袁紹は、豪華な服や自慢の髪に埃をつけ。見た目のギャップもあり、間抜けな格好になっていた。

 

「フム、何のことかな?」

 

「……え?」

 

 そんな袁紹の『らしくない』姿を笑っていた華琳は。次の瞬間、目を見開いた。

 

 何と袁紹の姿が元通りになっていたのだ。先程まで埃を被っていた迷族の姿は無く、そこにいるのは紛れも無い袁家の現当主。威風堂々とした名族であった。

 

「貴方、いつのまに妖術を使えるようになったの?」

 

「フハハハハ! 名族の威光があれば、埃のほうから離れるのだ!!」

 

 ――答えになってない。そう華琳は胸中でツッコミを入れる。

 

「おそろしく速い動作、アタイでなきゃ見逃しちゃうね」

 

 大刀を背負っている娘がしたり顔で呟いているが。袁紹軍の面々は、覇王の娘が首を傾げている答えを知っていた。

 

 その答えの前に一旦話しは逸れるが、袁紹の能力が高いことはもはや語るまでも無い。

 その袁紹がさらに能力を飛躍的に上げる事象があった。彼の『こだわり』である。

 顕著な例を挙げるとするならば、彼の理想。『満たされる世』実現の為にこれまで行ってきた政策の数々や、黄巾の乱における、人命を優先した大計略などである。

 その他にも人材勧誘、南皮の拡張、魚醤とそれにまつわる商売など、彼が『こだわり』を持って行うことは、ことごとく成功させてきた。

 

 上記だけを見れば万能な能力だが、実は無駄に発揮される事のほうが多かった。

 その代表的な例は『御輿』だろう。なんの変哲も無い御輿とその担ぎ手達も、袁紹が上に乗ると一変。ありえない速度や俊敏な動きを可能にし、その力たるや、かの王佐の才を苦戦させるほどである。

 

 このように袁紹が『こだわり』を持って行うことは、常人には真似できないものになるのだが、その中の一つに『身嗜み』も含まれていた。

 名族として内も外もそうあろうとする彼は、見格好を整えることに余念がない。

 特に髪にはこだわりがあるようで、手入れは一日も欠かさず。少しの乱れも許さない。

 

 ※止むを得ない場合を除く(意味深)

 

 そして話は戻り、何故瞬時に見格好が整えられたかだが―――なんてことはない。ただ埃を叩き落としただけである。ただし『恐ろしく速い速度』で。

 

「はぁ……まあいいわ。貴方の規格外は、今に始まったことではないもの」

 

 溜息を洩らしながら『麗覇ならしょうがない』と、華琳は無理やり自分を納得させる。

 思考停止しているかのような安直な考え方は、彼女の苦手とするところだが。奇想天外な名族を友とし、私塾を過ごしていく上で身に付けていた。

 袁紹のやる事なすこと全てに驚いていては、身体がもたないのだ。

 

「む、良く見ると新顔が多いではないか?」

 

「自慢の娘達よ、皆、挨拶なさい」

 

「華琳様の親衛隊隊長の一人で、秋蘭様の補佐を務めてます。典韋です! よろしくお願いします!!」

 

 元気良く口火を切ったのは、短髪で淡い青髪の少女、典韋だ。

 音々音より年上といった感じだが。その瞳は理知的で、将来が楽しみな娘である。

 

「……華琳。いくら同性とは言え、限度というものが――グフッ!?」

 

 ※無言の腹パン

 

「彼女は閨要員ではないわ」

 

「っ~~……とか言いながら、十分育ったら美味しく頂こうとか――おい華琳、何故目を逸らす」

 

 やはり何か後ろめたい企みがあるのか、袁紹の言及に華琳は答えなかった。

 

 (まだ……まだよ、あの娘達はまだ青すぎるわ。穢れを知らない少女もまた一興だけど、どうせ頂くなら期を見てから――つまり、あの娘達が性に興味を持ち始めた頃あたりで――)

 

 そして何かを呟きながら自分の世界に入ってしまう。こうなるといくら聞いても反応は無いだろう。袁紹は渋々追求を諦める。

 

「流琉、自己紹介の時に真名では駄目だぞ?」

 

「あ!? そうでした!!」

 

「フフ……だが、聞き取りやすく丁寧な良い自己紹介だった」

 

「秋蘭様……ありがとうございます!」

 

 妙なやり取りをしている袁紹達を他所に、秋蘭と典韋の二人は微笑ましい光景を作り上げていた。彼女達の様子を見るに、姉妹のような仲なのだろう。

 面倒見が良く、褒めて伸ばす秋蘭。そんな彼女を尊敬し、多才に慢心せず己を磨き続ける典韋。

 春蘭が聞けば嫉妬するだろうが、似合いの姉妹である。

 

「はいはーい、次はボク! 同じく曹操様の親衛隊隊長の一人で、春……夏侯惇様の補佐。許緒と言います!」

 

 次に前に出たのは、典韋よりも長めな桃色の髪を頭上で束ねた。二つのお団子が特徴的な許緒だ。

 典韋と変わらぬ年齢で、二人は幼馴染だとのこと。

 元気良く自己紹介する姿は愛らしく、こちらも成長が楽しみである。

 

「へへーん、流琉より上手に挨拶出来たもんね」

 

 余程嬉しかったのか、許緒は典韋に絡むような言葉を発した。

 それを聞いた典韋は、頬を僅かに膨らませ反論する。

 

「む、季衣も春蘭様の真名を言いかけたじゃない!」

 

「でもボクは言わなかったよーん」

 

「私の言葉を真似て自己紹介したくせに」

 

「なにおー!」

 

「何よ!」

 

 売り言葉に買い言葉。そんな調子で口論していた二人は、気がつくとポカポカと可愛らしく殴り合いを始めていた。

 同い年で幼馴染、同じ陣営で同じ役割。互いに思うところがあるのかもしれない。

 きっとこの二人は良き友であると同時に、高みを目指しあう好敵手(ライバル)でもあるんだろう。

 

 見かねた夏侯姉妹が止めに入り、華琳が袁紹に謝罪を口にしたが。

 彼は特に不快感を抱かず、むしろこの空気を好んだ。

 

 

 

 

 袁紹が普段良く口にする名族の名は伊達ではない。彼と対面するほとんどの者は袁の名に萎縮し、何を話そうにも世辞や建前が前提になる。

 内を晒しながら彼と会話できる者は少ない。名族に生まれ落ちた定めと、当の昔に受け入れてはいるが、寂しくもある。

 

 故に、斗詩や猪々子を始めとした彼の家臣達。華琳や白蓮などの、萎縮することなく同じ目線で会話出来る者は貴重である。

 そして二人の少女は、袁紹に萎縮することなく自己を表現した。彼はそれが嬉しいのだ。

 

 最も、華琳と袁紹のやり取りで緊張が薄れただけなのだが――……。

 

 

 

 少しして、二人の少女がお互いの姉貴分に取り押さえられると。まだ紹介を済ませていない三人が袁紹の前に出る。

 ふと、先程まで騒いでいた少女達が気になり耳を澄ますと、離れた所で説教をする声が聞こえてきた。

 

『駄目だぞ流琉。売り言葉に買い言葉になることは、流琉なら予想出来たはずだ』

 

『はい……、ごめんなさい秋蘭様』

 

『駄目だぞ季衣、徒手空拳の場合は相手の動きを良く見てこう。ダー! ズバッ!って感じだ』

 

『はい春蘭様!』

 

 軽く諌める秋蘭の言葉に紛れ、妙なモノが聞こえた気がするが――きっと気のせいだろう。

 

「三羽烏が一人、楽進。曹操様に見出され、末席に据えて頂きました。お見知りおきを」

 

 袁紹が軽く現実逃避していると、残った三人の内一人、楽進が名乗りを上げた。

 銀髪で前髪が短く、長い後ろ髪を編みこんでいる。鎧も最低限なもので、動きやすさを重視したものだ。

 そして注目すべきは彼女の身体、そこに刻み込まれている無数の傷である。

 それは女の命とも呼べる顔にまで達しており、彼女がこれまでどれほどの鍛練を積み、実戦で鍛えてきたかが窺える。

 

 通常、身体の傷は奇異の目で見られるものだが、袁紹とその家臣達にそんな様子は無く。どこか不安に思っていたのだろう、楽進は後ろに下がりながら小さく息を吐いていた。

 

「同じく三羽烏の一人、于禁! 阿蘇阿蘇(あそあそ)でも有名な袁紹様に会えて光栄なのー!」

 

 次に前に出たのは于禁。彼女も栗色の髪を編みこんでいるが、楽進が後ろに流しているのに対し、于禁は横に結びつけてある。

 服装も、周りの者達の中で袁紹の次に派手であり、眼鏡の縁に至るまで彼女のこだわりが見える。

 阿蘇阿蘇の愛読者ということもあり、お洒落さんだ。

 

 ※阿蘇阿蘇……この時代のファッション雑誌、良く袁紹が扉絵を飾る。

 

 実物の袁紹に会えたのが余程嬉しかったのか、于禁は黄色い声を上げながら握手を求めた。

 彼女の突飛な行動に袁紹は面を食らったものの、最終的には笑顔で応じた。

 

「最後は私やな! 三羽烏の一の出世株、李典といいます。以後よろしゅう!!」

 

 唐突に聞こえてきた関西弁、袁紹は特に驚きを見せない。理由は二つ。

 一つは、感覚が麻痺していること。斗詩や猪々子を始めとした英傑達が女性だったり、黄巾を率いた張角達がアイドルだったりと、時代錯誤かつ『知識』と違うそれは。袁紹の感覚を麻痺させるには十分で、今となっては大抵のことに驚かなかった。

 

 そして二つ目だが――それは袁紹の目線の先に理由がある。

 

 (たわわな果実が実っている!)

 

 何が、とは言うまい。李典の可愛らしい顔立ちや、髪留めでツインテールにしている薄紫の髪形など、彼女を客観的に評価する部分は他にもあるはずだが。彼女が持つ豊かなそれは、他の印象を鈍らせるほどに破壊力を――

 

 袁紹はかろうじて李典の顔から目を動かさなかった。少しでも油断すれば目線が下がるため、必要以上に目力が入り、李典が首を傾げている。

 

 (さすが麗覇。彼女の才を見抜いたようね)

 

 そんな袁紹を見て勘違いしている娘がいるが――触れないでおこう。

 

「ちょっと麗覇様」

 

 華琳達を目力で誤魔化した袁紹だが、流石に付き合いの長い家臣達は騙せず。頬を引き攣らせた桂花が顔を覗き込むように、語りかけてきたが――

 

「あら、貴方が荀彧ね。噂は色々聞いているわ」

 

「え!?」

 

 華琳に声を掛けられ動きを止める。ただ話しかけられたようだが、実は違う。

 

「な、何故私の名を?!」

 

 別に桂花は自分の名を低く見ているわけではない。やる事なすこと全てが派手で豪快な袁家の軍師なのだ、桂花の名は嫌でも大陸中に広がる。華琳がそれを知っているのも当然である。

 しかし二人は初対面だ。互いに面識が無く、名と活躍を知るだけなのに、他にも袁紹の家臣である娘達がいるなか、迷う事無く名を言い当てたのだ。

 

「……袁家の知、荀彧は有名だもの。知らないほうが可笑しいわ」

 

「そんな、光栄ですぅ」

 

 かつての憧れ、曹孟徳に賞賛の言葉を掛けられた桂花は、顔を蕩けさせ喜んだ。

 彼女の反応に華琳は満足そうに微笑む、荀彧と言い当てることなど簡単である。

 

 袁紹には有名な二つの知がある。一人は桂花、二人目が風だ。

 華琳と風はすでに面識がある。ならばもう一人、風と同等かそれ以上の知の空気を纏う者など、袁紹の周りには一人しか居ない。簡単な消去法である。

 

 当の桂花は感激しているので、タネをばらすまでもあるまい。

 

「……フフ」

 

「む!?」

 

 華琳が蠱惑的な笑みを浮かべると、袁紹が身体を強張らせた。

 

 あの表情には見覚えがある。私塾いた頃の話だ、袁紹に比べ優等生だった華琳だが、何か悪巧みするときには顔に出る。それがこの蠱惑的な笑みだ。彼女にとっては可愛い悪戯の心算らしいが、華琳の冗談や悪戯は心臓に悪いものばかりである。

 その被害に遭うのは白蓮が多かったが、袁紹も幾度が標的にされていた。

 今その笑顔を華琳が浮かべている。警戒するのも無理は無い。

 

「いい娘ね気に入ったわ、私の所に来ない?」

 

「……え?」

 

「勢力としては見劣りするかもしれないけど、優遇するわ。それに私達――相性が良いと思うの」

 

 呆ける桂花の頬を撫でながらとんでもない発言をする。なんと大勢力の軍師を勧誘しているのだ。

 しかも、その主の目の前で。

 

「……」

 

「どうかしら、悪くない条件だと思うけど?」

 

 顔を伏せた桂花の耳元で、何やら囁いた後言葉を続ける。『条件』と言う最後の言葉から、曹操軍での待遇でも言われたのだろう。

 

 桂花の表情は袁紹から見えない。

 

「お断り致します」

 

「……何故かしら?」

 

 少しの間をおいて断りの言葉を口にする桂花。ここまではっきりと断られるとは思わなかったのか、華琳は眉を僅かに吊り上げ不機嫌そうな顔をしている。

 

「私の主は後にも先にも袁本初ただ一人です。それに――」

 

「それに?」

 

「待遇で誓いを反故にする者など、曹操様が求める人材に値しない――と愚考致しました」

 

「…………フフフ、アハハハハ!」

 

「か、華琳様!?」

 

 桂花の言葉を聞いた華琳は笑い声を上げる。それも、今までに見たことが無いほど豪快な声だ。

 その証拠に、彼女の家臣達が目を丸くしている。

 

 (見事、ますます気に入ったわ荀文若!)

 

 先程の桂花の言葉、あれはただ断りを入れただけではない。

 『待遇で誓いを反故にする者など、曹孟徳には値しない』この言葉によって、断られた華琳の面目は守られ、これ以上の勧誘を縛ったのだ。

 勧誘を続ければ華琳の名に傷が付くだろう。待遇で鞍替えする『程度』の者を望むのかと、それは彼女の誇りが許さない。

 

 桂花はあの短いやり取りで、自分の意思を伝え、華琳の顔を立て、次に来る勧誘の言葉を断ち切ってみせた。

 

「貴女の意思は良くわかったわ。確かに、その『程度』の者など私の軍には相応しくないわね」

 

 ここまで見事に切り返されたのだから、『今回』は諦めよう。しかし、やられてばかりなのも曹孟徳の名が許さない。

 

「それにしても冷たい主ね。家臣が勧誘されていると言うのに、何も口にしないなんて」

 

「……」

 

 それは桂花にも気がかりだった事だ。彼女が以前斗詩や猪々子に聞いた話しでは、二人を欲した華琳に食って掛かったという。

 

(でも、私には……)

 

 桂花は主に心酔している、もしやこの想いは一方通行なのだろうか。聡いだけに考え出すと思考が止まらず、桂花の表情は暗くなっていった。

 それを確認して華琳は口角を上げる。これで袁紹が慌てればそれで良し、その惨めな姿に免じて仲を取り持ってやろう。我ながらやり過ぎた気がするし……と、反省しているのか良くわからない事を考え――目を見開いた。

 

 袁紹が不敵な笑みを浮かべている。それは華琳の予想していた表情ではない。

 

「桂花の答えは始めからわかっていた。我が口を出すまでもあるまい」

 

「麗覇様……」

 

「……」

 

 その言葉に顔を蕩けさせる軍師、内心舌打ちする覇王。

 

 私塾にいた頃の袁紹なら慌てふためいたかもしれない。しかし彼も華琳と同じく多くを学び、育んできた。

 此処に居るのは華琳の良く知る袁本初(未熟者)に在らず。数多の奇跡を成し遂げてきた袁本初(袁家現当主)だ。

 

(まあいいわ、いずれ貴方も含めて私のモノに――)

 

 確かな信頼と絆で結ばれている、袁紹と桂花の姿に苛立ちが収まらない。

 華琳はそれを自分の悪戯を利用されたから――と自己分析したが、実は別の感情であることを、この時の彼女はまだ知らなかった――

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

 




NEW!獣に大剣 夏侯惇 

好感度 10%

猫度 「フシャー!」

状態 警戒

備考 主に近づく悪い虫と認識している
   昔なら即座に斬りかかっただけに、成長している?


NEW!曹軍の精神安定剤 夏侯淵

好感度 20%

猫度 「私が懐く(鳴く)のはあの方だけだ」

状態 普通

備考 主の盟友と認識している
   斗詩の相談に良く乗っていた


NEW!将来有望 典韋

好感度 10%

猫度 「え? え?」

状態 普通

備考 袁紹の雰囲気に好感を抱く
   まだまだ未熟(意味深)


NEW!天真爛漫 許緒

好感度 10%

猫度 「ニャー!」

状態 普通

備考 名族は美味しい物食べているんだろうなぁ、程度の関心
   まだまだ未熟(意味深)


NEW!生真面目武人 楽進

好感度 10%

猫度 「ハッ! ニャー……っ~~」

状態 普通

備考 袁紹軍の規律が気になる
   傷に嫌悪感を出さなかった彼らを高く見る


NEW!今時の武人 于禁

好感度 40%

猫度 「ニャーなの!」

状態 尊敬

備考 阿蘇阿蘇の表紙を飾る袁紹に憧れを抱く
   単純に高収入イケメンってだけでポイントが高い

NEW!カラクリ娘 李典

好感度 10%

猫度 「出資してくれるなら鳴いたるで!」

状態 普通

備考 カラクリには目が無い
   袁紹の折りたたみ式御輿が気になる  


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第30話

~前回のまでのにくすじ~

曹操「今日はスペシャルゲストォ・・・大体分かってんだろうけど」

典韋&許緒「んは☆」

楽進&李典&于禁「武、カラクリ、オシャレって感じで」

袁紹「増えすぎぃ!」



大体あってる?


「大変じゃ七乃! ハチミツが終わったのじゃ!!」

 

「はいは~い。まだ予備が沢山ありますよぉ」

 

「うむうむ、流石七乃じゃ。……ところで妾達はまだ帰れないのかえ?」

 

「や~ん。開戦前どころか、連合集結前に帰る事しか頭に無いお嬢様、素敵です~。

 でも残念ながら、お屋敷に帰れるのはまだまだ先ですよう」

 

「そ、そうなのかえ? 此処は居心地が悪い……早く帰りたいのじゃ」

 

 連合の盟主を名乗り出たことで、どの勢力よりも逸早く陣を築いていた袁術軍。その中の一際豪華な天幕内で、軍の総大将たる袁術は不満を洩らし、張勲がそれを愛でていた。

 

 袁術が天幕の居心地を批評したが、総大将かつ名族袁家の天幕だけあって、兵士達が使用するものとは比べ物にならない快適さを誇る。

 しかしあくまで兵と比べた場合であり。物心ついた時から大きな屋敷内で、何も不自由することなく育ってきた袁術には不便極まりなかった。

 

「ハチミツが尽きる前に帰りたいのじゃ、それに――……ガクガクブルブル」

 

 連合の勢力の中に、袁術の実兄袁紹もいる。皆から伝え聞いた彼を形容詞する言葉は、どれも幼い袁術の恐怖心を煽るには十分なもので、間だ見ぬ兄を想像しては怯えていた。

 

 (キャー!! なにこの可愛い生き物!?)

 

 震える主が可愛いのか、涙目になる袁術を他所に張勲が悶える。

 

「大丈夫ですよお嬢様。いざと言うときはこの七乃がお守りします!」

 

「な、七乃ぉ……」

 

 (あ~ん、可愛すぎです!)

 

 事此処に至り、張勲は状況を楽観視していた。

 

 先程、袁紹軍到着の連絡は受けている。だが袁紹は総大将、自陣を放って此方に来るほど愚かではない。来るとしたら陣営を整えてから、あの大軍では時間が掛かるだろう。

 そうこうしている内に連合が集結、そのまま軍議を経て開戦まで持ち込めば良い。

 主である袁術は幼い、それを理由に軍議の場には張勲が代理として参加、盟主を袁紹に譲る旨を伝え、開戦後は与えられた役割を適度にこなし、決着が付き次第帰還すれば良い。

 

 張勲は未だ、兄妹の絆を断ち切ろうとしていたが――

 

「し、失礼致します。袁紹様がお見えになりましたぁッ!」

 

「えええええーーーーッッッッ!!!」

 

 彼女の企みは、常識を物ともしない袁紹の前に脆くも崩壊した。

 

 袁術に会う事を最重視していた袁紹は、『こだわり』を持って陣中の準備を簡略化し、従来のよりも迅速な方法を作り上げていた。

 部品を生産し、現地で組み立てる建築方法――※『ぷれはぶ』である。

 製造も組み立ても簡易で、少数でも手早く寝床を準備出来るそれは、大軍勢である袁紹軍の陣を瞬く間に完成させ、こうして他陣営を訪れる時間を作り上げた。

 

 ※『袁家式簡易天幕(ぷれはぶ)』お値段はたったの114514元! 今なら宝譿が付いてくる!(複製品)

 

「ど、どうすればいいのじゃあ七乃ぉ! ……七乃?」

 

「…………」

 

 余りに予想外の事態、それでも張勲はこの状況を乗り切ろうと懸命に頭を働かせる。

 『会わせる事は無い』そう楽観視していたからこそ参加したのだ。これでは予定と違う。

 

 事態を変える手段、誤魔化しの言い訳、最悪の想定――

 

 これから起こり得る事と、それに対する対策を張勲は頭を回転させ模索していた。――しかし。

 

『おうごらぁ! 何時まで待たせんだよ、あくしろよ』

 

『文ちゃん!?』

 

『我の時間も掛かってるからよー、駄目だやっぱ今すぐ会わせよ』

 

『麗覇様まで……もう知りません!』

 

 天幕の外から聞こえてきた袁紹(?)らしき声に思考を止められる。

 訳のわからない会話ではあったが、この無駄なまでに通りの良い声色には聞き覚えがある。

 南皮で一度だけ顔を合わせ、聞くことの出来た袁紹の声だ。

 

「張勲様、どうすれば!」

 

「ッ……通して下さい。丁重に……」

 

 結局何の対策も考え付くことが出来ず、招き入れる事になった。

 

 

 

 

 

 

 

「ふむ、招き入れるのに随分時間を使ったな」

 

「天幕内を少し片付けていたんですよぅ」

 

「フハ! まぁ良い。久しぶりだな張勲……そして――」

 

 天幕内へと招かれた袁紹は、冷や汗を流しつつも笑顔を貼り付けている張勲に軽く挨拶を済ませ、彼女の背後に隠れている少女に目を向けた。

 

(何と愛らしい!!)

 

 袁紹に負けず劣らず綺麗で長い金色の髪。不安そうに目尻を下げているが、普段はつり目だろう意思の強そうな瞳。肌は雪のように白く、食生活の良さを物語っている。

 そして注目すべきは上記全てを兼ねた彼女の容姿だ。幼少期の袁紹に瓜二つである。

 腹違いの妹にも関わらず、幼少期の袁紹との違いは性別だけだ。

 

「ようやく……」

 

 もっと近くで見たい、語り合いたい、触れ合いたい。逸る想いを抑えきれず近づこうとして――袁紹は歩みを止めた。

 

「…………」

 

 袁紹を見つめる少女の瞳、そこに宿る感情には見覚えがある。

 感激、感慨、緊張――否、恐怖、畏怖の類である。

 

 袁家現当主として、袁紹は様々な人物と関わってきた。その中には後ろ暗い背景を持つ者達も多々いる。そんな者達が一様に袁紹に対して抱く感情が恐怖、畏怖の二種類。

 税収のみならず商売でも莫大な財産を築き上げた袁紹には、中途半端な賄賂など無意味。

 むしろ清廉潔白を好む故に逆効果だ。故に彼等は、袁紹と謁見する度に自身の首の心配を強いられてきた。

 

 そんな者達と同種の瞳で妹が袁紹を見つめている。どういうことか問質そうと張勲に目を向けると。

 彼女は気まずそうに視線を泳がせた。

 

「…………」

 

 それで袁紹は大体を察する。理由は不明だが張勲はこれまで反袁紹派の懐柔を放棄してきた。

 必然的に荊州の中でその影響力は大きくなる。そんな中で育ってきた袁術が、実兄とはいえ自陣の敵である袁紹に良い感情を持っているはずも無い。

 恐らくろくでもないことが刷り込まれているのだろう。張勲が目を泳がせたのはそれを阻止できなかった後ろめたさか、はたまた彼女自身がそれを行っていたのか。

 

(下らんな、本当に下らぬ……)

 

 少女の自身に対する感情を正しく認識した袁紹は、再び足を動かし近づいた。

 張勲の袖を強く握り、肩を震わせるその姿に心を痛めながら。

 

「ッ!?」

 

「え!? れ、麗覇様!!」

 

 次に袁紹が取った行動で斗詩が驚きの声をあげ、張勲――そして猪々子までもが目を見開いた。

 

 跪いたのだ、袁家現当主にして大陸でも一二を争う大勢力の長が、自分に仇なす勢力の長に。

 もっとも袁紹としては、ただ目線を合わせるのが目的で他意はない。大陸の常識など、袁紹にはあって無い様なものである。

 

「初めまして愛らしい娘よ、我が名は袁本初。此処へは未だ見ぬ我が妹に会いに来た。名を……名を聞かせてはくれないか?」

 

「……」

 

 跪いた袁紹にビクリと肩を震わせた袁術だったが、彼から発せられた言葉と、その目を見て震えを止める。

 

 怖い人物だと聞いていた。事実、ここに入る前に聞こえてきた怒号、張勲に対して向けた言葉。

 全身から発し続ける、上に立つ者独自の空気。

 

 しかし目の前の彼はどうだ。先程とは違い優しい声色、不安げな表情。

 その姿は、袁術が抱いていた『袁紹』とは余りにも違うもので――

 

「袁……公路なのじゃ」

 

「ほう、その年で字を持つか。将来有望ではないか!」

 

(あ……)

 

 いつの間にか頭の上に感じる温もり、それが袁紹の手であるとわかった袁術は、子供特有の勘なのか、目の前の男に邪気が無い事を感じ取る。

 

「兄様…………なのかえ?」

 

「我こそがお主の兄、こうして合間見えること、待ちわびていたぞ」

 

「兄様ぁッ!!」

 

 気がつくと袁術はその胸の中に飛び込み、嗚咽をもらし始めた。

 

「お嬢様……」

 

 その様子に張勲は、自身の置かれた状況すら忘れ胸を痛める。

 

 ――わかっていた。派閥の庇護下の元、何不自由なく暮らしてきた主袁術にとって、唯一肉親の情が欠けていたことが。

 生まれて直ぐ実の父に荊州へ追いやられ。母親は病を患い、物心つく前に他界。

 周りにいる反袁紹派の者達は袁の名に追従しただけ、誰も彼女自身に目を向けたものはいない。

 それ故に張勲に依存。寂しさを紛らわせるように贅沢の限りを尽くした。

 

 そんな袁術が、皆に隠れ大事に保管しているものがある。兄袁紹からの手紙だ。

 内容はどれも当たり障りの無いもの。幼少の袁術に合わせて彼女が興味を持つような出来事や、新しい菓子がどこで作られたかなど。特別なことは書かれなかったが、それが唯一肉親の温もりを感じさせてきた。

 

 そしていつしか、手紙のやりとりを続ける中である疑問と、希望が生まれる。

 ――兄は皆が言うような怖い人間では無いのではないか。

 

「う、うぅ……」

 

 その疑問は袁紹の腕の中で解け、その希望は兄の温もりで叶ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「なんと! 兄様が乗る御輿はそんなに速いのかえ?!」

 

「うむ! 百を超える兵も追いつけぬぞ!!」

 

「うぅ~……兄様兄様、妾も乗ってみたいのじゃ」

 

「フハハ! 周りのことが片付いたら乗せてやろうぞ」

 

「やったのじゃ!!」

 

 肉親として互いを認識した二人は直ぐに打ち解けた。今はこれまでの距離を埋めるかのごとく談笑に花を咲かせている。基本袁術が質問し、袁紹が答える形だ。

 

「よ、よかったですね~お嬢様」

 

 そんな胸温まる空間の中。張勲は一人、居心地の悪さを感じながら必死に相槌を打っていた。

 袁術との会話にだらしなく顔を惚けさせている袁紹だが、この後袁術の事に関して追及があるのは目に見えている。今更取り繕うことなど不可能に近いだろうが、何もしないよりはマシである。

 どのような状況でも張勲は最善を尽くしてきたのだから(我欲&袁術関連)

 

「麗覇様、そろそろ……」

 

「む、もうそんな刻限か」

 

「兄様、もう行ってしまうのかえ?」

 

 斗詩に促され、立ち上がった兄に対して袁術は涙目で質問する。

 

「ッ~~うおおおお我は当主としての責を放棄するぞ斗詩ぃぃぃッッ!」

 

「だ、駄目です! 文ちゃん手伝って」

 

「おう!」

 

「は、放せぇッ! 我は主ぞ!!」

 

「『主が間違えたら正すのは家臣の務め』……でしたよね?」

 

「……ハイ」

 

 両腕を斗詩と猪々子の二人に掴まれ、引きずられるようにして天幕の出口に運ばれる迷族。

 そんな兄の様子が可笑しかったのか、袁術は笑顔を取り戻していた。

 

「はぁ、大体……すぐ会えるではないですか」

 

「そうであった!」

 

 斗詩の言葉を聞き袁紹は姿勢を正し、袁術の方へと振り返る。あまりの変わり身の早さに斗詩と猪々子が呆れているが、そんなことはお構いなしに口を開く。

 

「此度の戦に当たり、我が陣で合同軍議を行う。美羽には是非――」

 

「いえいえお嬢様はまだ幼――」

 

「ぜったい行くのじゃ七乃!」

 

「ですよね!!」

 

「あ、それから張勲を少し借りて良いか?」

 

「……七乃を?」

 

 思わず美羽は張勲と目を合わせる。張勲は自分の願いを瞳に込め見つめ返す。

 

(断って下さいお嬢様!)

 

 その目に何かを感じ取ったのか、美羽は短く頷き笑顔を返した。

 

 張勲は思わず涙が溢れそうになる。天然で、普段は自分がいなければ何も出来ない主だが、こうして大事なときは――

 

「もちろんじゃ兄様! 七乃は優秀ゆえ、きっと役に立つのじゃ!!」

 

 張勲から光るものが零れ落ちた。最後まで渋っていた彼女は猪々子に襟首を掴まれ、まるで親猫に運ばれる子猫のような姿で外に連れて行かれることとなる。その悲壮感漂う姿に、袁紹の頭の中でドナドナの歌が再生されていた。

 

 

 

 

 

 

 

「さて、話しを聞こうではないか」

 

「えっと、何のお話しでしょうか~?」

 

「ほう、それが答えか?」

 

「!?」

 

 ここまできて未だ誤魔化そうとする張勲、彼女に対して袁紹は容赦ない一言をぶつけた。

 

 ――お前は敵か? それとも味方か? 

 

 付かず離れずな中立は認めない。この期に及んで返事を濁すのであれば容赦なく敵として認識する。

 短い言葉で袁紹は自身の考えていることを、張勲に伝えたのだ。

 

「……わかりました」

 

 少しの間をおいて、張勲は諦めに似た声と共に今までの出来事、自分の目的、それら全てを告白した。

 彼女には袁紹と敵対して、完全に反袁紹派として活動する道も在ったが、その選択肢を思い浮かべることすら叶わない。それほどまでに目の前にいる男の強大さを理解していた。

 単純に勢力として魅力的な方を選んだだけ、と言うのも理由の一つだが……

 

 

 

 

 

 

 

「おいおい、じゃあネエちゃんの目的はあのお嬢様を独り占めしたかっただけ?」

 

「だ、だけとはなんですか! お嬢様の可愛らしさは大陸一です!」

 

「そうであるぞ猪々子! それにお主も、相手が斗詩だったら――」

 

「あ~わかる気がする」

 

「文ちゃん!? 麗覇様正気に戻って下さい!」

 

「元より正気! 美羽の可愛さは大陸から戦を無くせるぞぉぉぉぉッッッッ!」

 

 兄馬鹿、ここに爆誕!

 

 張勲の目的、美羽を独り占めにし愛でたいと言うそれを聞いて、袁紹は呆れるどころか共感し、猪々子をも巻き込み論理間の崩壊した空間を作り上げていた。

 斗詩が懸命に諭そうとするも、狂気に近い袁術愛を発揮する実兄と側近の前には効果が薄い。

 早い話ツッコミ不足である。

 

「まぁそれはさて置き張勲、お主の処遇だが――」

 

「はい! これからは袁紹派として保護して下さい」

 

「戯け、我がいつお主を我が陣に加えると言った?」

 

「え……えええええぇぇぇッッッ!?」

 

 現金にも、今までの行いを手のひら返しでなかった事にしようとしていた張勲。

 

「で、でも全てをお話ししたではないですか!」

 

「そうだな、故に敵として扱わぬ――が、我が陣に組み込むには今までの所業が悪すぎる」

 

「うっ」

 

 中立を保ち、敵対してこなかった張勲。それ故に一見袁紹に損害がないように感じるが、それは違う。

 張勲は袁紹にとって、そして袁術にとって貴重な時間を削り、二人の仲を阻害してきた。

 そして放置された反袁紹派は無駄に力をつけ、袁紹等の悩みの種となっている。

 

「まぁそう悲観するでない。お主のこれから次第で状況は変わる」

 

「私のこれから……」

 

「例えばそうさな……己に課せられた役割を全うするとか」

 

「ッ!?」

 

 本来の彼女の役割、それは袁術の教育と反袁紹派の『懐柔』もしくは『粛清』

 それを成せば今までの所業を水に流し、主袁術と共に陣に迎える。袁紹は暗にそれを伝えた。

 

「わかりました……必ずや、ご期待に答えて見せます!」

 

 

 

 

 

 

 

「って言ってたけどさ、本当にいいのか~麗覇様~」

 

「私も心配です、張勲さんの今までの行いからしても……」

 

「無問題」

 

 張勲と別れた後。袁紹の決定に不安を見せる二人、そんな家臣を安心させようと袁紹は答える。

 

「美羽に対する張勲の熱意は目を見張るものがある。それに、あの想いには偽りはない。

 その熱意が今度は反袁紹派の者達に向くのだ、彼女はやり遂げるだろう」

 

「あのネエちゃんが裏切る可能性は?」

 

「……我と反袁紹派、どちらを敵に回したい?」

 

「……あ~」

 

「そういうことだ」

 

 それに――と続け、袁紹は歩みを止め、張勲から貰ったそれを広げる。

 

「同好の士に敵はいない!!」

 

 ソレは背中にでかでかと『美羽命』と書かれた法被だった。

 

 

 

 

 

 




NEW!大陸一の姫 袁術

好感度 30%

猫度 「ニャーなのじゃ!」

状態 普通

備考 無事袁紹と対面し、打ち解けた。
   新たな目標が出来たもよう


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第31話

~前回までのあらすじ~

袁術「この辺にぃ、兄様来てるらしいっすよ」

張勲「大丈夫でしょ、ま、多少はね?」

袁紹「おうごらぁ! 妹いんのか? 妹出せよ」

袁術&張勲「ファッ!? やべぇよやべぇよ……物凄い、ハチミツ食べてたから」



袁紹&張勲「あ^~美羽ちゃん可愛いんじゃ^~」

顔良「えぇ……」


大体あってる


「やっぱり、汜水関の突破は難しそうね」

 

「ああ、正面から馬鹿正直に攻めれば痛い目を見るだろう」

 

「そこを守る華雄将軍含め、兵士達の士気も高いそうです」

 

 連合の陣から少し離れた見晴らしの良い丘、そこに陣を張り終えた孫呉の総大将孫策と、その頭脳たる周瑜、軍師見習いの呂蒙の三人が汜水関を遠目で窺っていた。

 

「まぁでも、私達には汜水関は関係ないものね」

 

「その通りだ。精々他の諸侯達に奮戦してもらおう」

 

「私としては向こうが気になるわ」

 

「ん? ああ、袁紹軍か……」

 

 汜水関のみならず連合全体を見渡せるそこから、孫策は袁の軍旗がはためく陣営を指差す。

 

「陣の形成がやたら早く感じたんだけど……これって何気に凄いことよね?」

 

「『凄い』の一言では済まされんぞ。あの速度は異常だ」

 

「大軍は鈍足なのが基本です。速さを兼ね備えた大軍なんて、敵に回したら大変ですよぅ」

 

「『袁家の常識は非常識』とは、よく言ったものね……」

 

 目にする度に常識を覆してきた袁紹軍、ここまで来ると感心を通り越し呆れてくる。

 しかし、ここで思考を停止させないのが有能な将、孫呉の者達だ。

 

 孫策は、自分達の独立の大きな壁になるであろうその軍を見つめ闘志を燃やし。

 周瑜は、袁紹軍の隙を見つけようと頭を回転させ。

 呂蒙はその軍の特性、自軍に応用出来るものは無いかと、陣営のみならず兵の一挙一動くまなく観察した。

 

「袁紹とは黄巾の時以来ね……」

 

「…………」

 

「冥琳?」

 

「ああ、あの時の借り、倍にして返す時がきた」

 

「はぁ……なんか冥琳が自信満々だと、嫌な予感がするのよね」

 

「どういう意味だ!」

 

 まるで黄巾の時のようなやり取り、周瑜の表情に不安を覚える孫策。

 彼女の辛辣な言葉を受けたものの、周瑜は改めて宣言した。

 

「あの時とは違う。今日こそは私が……奴を手玉に取る!」

 

「キャーやっぱり冥琳カッコイイ!」

 

「こ、こら! 引っ付くな雪蓮!!」

 

「わわわ、雪蓮様大胆です~」

 

 もうすぐ戦にも関わらず、孫呉の者達に余計な緊張は無い。

 百戦錬磨な彼女たちにとって、戦場の空気は慣れたものだ。唯一見習いである呂蒙は少なからず緊張していたが、孫呉の軍師に見出された事もあり、肝は据わっている。

 

「ッ!? ……お客のようね。多分三人」

 

「え? あ、本当ですね」

 

 突然身体を緊張させ、真剣な表情になった孫策に軍師二人は驚いたものの、それが来客の知らせと知り安心する。

 後ろを振り向くと此方に向かって歩いてくる人間が三人。距離はまだ遠く、顔は良く見えない。

 気配どころか足音すら聞こえない距離で気配を察知した孫策。その武人の範疇を超えた勘働きに、新人である呂蒙が舌を巻き始めた頃、周瑜は目を見開き驚愕した。

 

「馬鹿な……何故」

 

「え、えっと……お知り合いですか?」

 

 尊敬する周瑜の普段見せない驚きっぷりに、呂蒙はその原因であろう此方に向かってくる三人を見ながら尋ねた。

 その様子に、クスクスと笑い声を上げていた孫策が答える。

 

「さっきまで私達の話題の中心に居た人よ」

 

「話題の中心……ま、まさか!?」

 

 孫策から発せられた言葉と、先程話題になっていた人物を思い出し呂蒙は目を見張る。

 

 腰まで届きそうな長く美しい金髪、意志の強そうな鋭い瞳、嫌味ではなく、自信の強さから来るであろう笑みを浮かべ。

 光沢のある黄色い鎧が金色の光を発し続けている。

 それは、伝え聞いた『袁紹』の出で立ちそのもの。左右に居る女性達も只ならぬ気配を持つことから、彼女達がかの有名な袁家の二枚看板だろう。

 

「…………」

 

 呂蒙にはわからない。何故彼等がここに居るのか。

 

 俄かに信じがたいが、(孫策)(周瑜)の反応から察するに本物なのだろう。

 だからこそ信じられない。個々の優秀さで孫呉が袁家に劣っていると思ったことは一度も無い。

 しかし家柄、立場、勢力という面では天と地ほど差がある。そんな袁家から見て格下の孫呉に、このもあろうその当主が訪ねてくるなんて―――

 

 『袁家の常識は非常識』これは元々袁紹一人に使われていた言葉である。

 

 

 

 

 

 

「黄巾以来、久方ぶりなはずだが昨日今日のように感じるな。孫策、そして周瑜よ」

 

 袁紹達の顔が視認出来る場所から、拝手して待ち構えていた孫呉の三人。

 彼女等の胸中などいざ知らず、袁紹は比較的友好的に言葉を掛けた。

 

「お久しぶりで御座います。……此処へはどのような用向きで?」

 

「挨拶に来ただけである――が、『用』があった方が良かったか?」

 

「ッ!? これは出すぎた事を、申し訳御座いません」

 

「フハハ! 構わぬ、今の我は機嫌が良い――それに。挨拶に来たのは本当だ。近くに用事があったのでな、此処へはついでに顔を見に来たのだ」

 

 拝手の姿勢から顔を上げた周瑜は、袁紹の言葉にホッと胸をなでおろす。

 黄巾の事は未だ記憶に新しく、前回のような『頼みごと』を警戒していたのだ。

 

「フム、そこの者は初めてであるな、面を上げよ」

 

 拝手の姿勢で固まっている女性に袁紹が声を掛けると。彼女は恐る恐るといった感じで顔を上げた。

 

「は、ははは初めまして! 私の名は呂子明、孫呉の軍師見習いにですぅ!!」

 

「お、おう」

 

 極度の緊張から挨拶した呂蒙。そのの勢いに袁紹は思わずたじろいだ。

 しかしそれでも観察を怠らない、流石である。

 

 ――呂蒙、字は子明。茶色の髪をコンパクトに纏め。緊張からか眼つきが鋭いが、知性と伸び代を感じさせる瞳。大きな片眼鏡が特徴的だ。

 孫呉の者にしては肌の露出が少なく、全体的に長めの衣服、特に袖が長く腕は完全に隠れてしまっている。軍師見習いとの事だが一応武も嗜んでいる様で、唯一大きく露出している足のしなやかさがそれを物語っている。

 

「…………」

 

「む、猪々子?」

 

 気が付いた時には、袁紹と呂蒙の間に猪々子が割り込んでいた。そして彼女の行動の理由を聞こうと口を開く前に、猪々子は呂蒙に向けて言い放つ。

 

「ネエちゃん……暗器仕込んでいるだろ」

 

「は、はい! ごごごごめんなさいぃぃぃ!!」

 

「確かに亞莎は暗器を使うけど、暗殺用じゃないから安心していいわよ」

 

「た、足りない武力を補うための処置ですぅぅ」

 

「なんだ、じゃあ問題ねぇな」

 

 合点がいった猪々子は殺気をしまい後ろに下がる。一見無警戒にも見えるが、呂蒙が妙な動きをした瞬間斬りかかれる位置に陣取った。

 

「良くわかったな猪々子。後で褒美をとらそう」

 

「やりぃ!」

 

 褒美が出ることに顔を輝かす猪々子。彼女の様子に和んだ後、袁紹は顔を正し孫呉の三人に振りる。

 

「実は挨拶ついでに聞きたい事があってな」

 

「……私達に」

 

 袁紹の言葉に純粋に興味を持った孫策とは違い、周瑜は警戒心を露にした。

 思えば前回も質問から『頼みごと』に発展したのだ、無理も無い。

 

「今回の絵図を描いたのはお前達だろう?」

 

『!?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……黒幕がいる?」

 

「はい」

 

 連合に参加を決めたその日の夜、準備を進めている袁紹に対し桂花、風の両名が己達の見解を聞かせに訪ねてきた。

 

「今回の袁術様決起は余りに唐突です。また、今まで静観を決めていた張勲がそれを許すとも思えません」

 

「加えて言うなら、今回の決起は私達を邪魔をするのが目的でしょう。桂花さんの策を逆手に取ったと見ると自然です~」

 

「申し訳御座いません……」

 

 自分の策を利用され、目的(洛陽の調査)はおろか、その間に行う筈である反袁紹派の鎮圧も出来なくなった。

 気のせいか猫耳に元気が無く、垂れ下がっている。袁紹は彼女を慰めるように頭をなで、質問を続けた。

  

「では、裏で手を引いているものがいると……」

 

「はい、反袁紹派の誰かをそそのかし、袁術様に決起させた者がいるはずです」

 

「張勲の目を盗み反袁紹派に接触でき、尚且つ連合の勝利で利を得る勢力……」

 

『孫呉』

 

 

 

 

 

 

 

 袁紹の質問に三者三様の反応が返って来た。

 

 孫策は、『質問の意味がわからない』とでも言いたそうに口を開きながら呆け。

 呂蒙は質問に対しどう答えて良いかわからず、慌てふためき。

 そして周瑜は、口を閉じ静かに袁紹の目を見ていた。

 

「フハ! 下手だな周瑜よ、隠し事がある時沈黙は悪手ぞ。孫策のように呆けるか、呂蒙のように慌てる振りで良い。逆に何の反応も見せないのは、悟られたくない『何か』があると言っている様なものだ」

 

「ッ!?」

 

 その言葉に思わず顔に手をやる周瑜。そして『しまった』という表情。

 

「フハハ! 正直であるな周瑜。我は正直者が大好きである!!」

 

「……お戯れを」

 

 完全にしてやられた形だが、周瑜の余裕は崩れない。

 今のやり取りで袁紹は確信に近い何かを持っただろう。しかし証拠が無い。

 孫策とは違い、己の勘だけで動く人物では無い事を知っている。大胆で慎重。

 その方針、袁紹の考えが、袁家をことさら強大な勢力に成長させてきたのだ。

 

「戯れか……そうだな、ここまでが戯れ。この先が本題である」

 

「……?」

 

「お前達孫呉が独立の為に奮闘しているのはわかる。水面下での努力も並の物ではなかろう。

 ――だが」

 

『!?』

 

 袁紹の纏っていた雰囲気が変わる。連合の同士から、大勢力袁家当主のものに。

 

「その牙が我と――我が妹に向いた時には容赦せん。完膚なきまでに叩きのめし、独立の芽ごと狩りとろう」

 

「……」

 

 袁紹の本題、それは警告。

 

 今回の彼女達の企みは問題ない。たとえ董卓が噂と違い潔白だろうと、連合には『参加』していたのだから。

 結果論ではあるが妹とも対面でき、張勲を引き込むことに成功した、感謝すらしている。

 

 彼女達の独立心は強い。形振り構わないそれが妹に向くことを袁紹は危惧した。

 

「さて、我等はもう行くとしよう。ああそれから、後ほど我が陣で合同軍儀を行う。

 代表の人間を連れて来るように」

 

 名族の圧から未だ動けない三人に用件を簡潔に伝えると、言葉の通りに立ち去っていく袁紹。

 孫呉の三人は、まるで嵐にでも見舞われたような心境で佇んでいた。

 

 

 

 

 

「姉様ーー!」

 

「……蓮華?」

 

 しばらくして、重たい空気を漂わせていたその場所にまた一人。

 孫策の妹である孫権、真名を蓮華(れんふぁ)がやって来た。

 

「貴女には陣の管理をお願いしたはずでしょ、どうしたの?」

 

「大体終わったから思春と穏に引き継いでもらっています。ここには使者からの言伝を伝えに」

 

「当てて見せようか、袁家でしょ?」

 

「な!? 何故わかるのですか!!」

 

「ふふん、雪蓮姉様にわからない事なんて無いのよん♪」

 

「からかうな雪蓮。孫権殿はお前と違って真面目なのだ」

 

 生真面目な孫権は姉の冗談を真に受ける。その様子が面白いからからかった孫策に、周瑜が諭すように横槍を入れる。

 

「わかったわよもう!……実はさっき私達にも知らせが届いたのよ」

 

「此処にも袁家の使者が?」

 

「ええ、ただの使者じゃなくて当主だったけど」

 

「な!? からかわないで下さい! いくら私でもそれが冗談だとわかります!」

 

「あわわ、冗談ならどんなによかったか……」

 

 真面目な呂蒙が意味深に呟く。それを聞いて姉に喰らい付いていた孫権は動きを止め、恐る恐る周瑜の方に目を向けた。その意図がわかった周瑜は溜息を一つ洩らし、彼女が求めている答えを言葉にする。

 

「残念ながら事実だ、此処には先程まで袁紹殿が居た」

 

「!?」

 

 目を見開く孫権、呂蒙は少し前の自分を見ているような気分に陥り。

 その横で、妹が驚く表情を面白そうに眺めていた孫策が、意を決し口を開いた。

 

「蓮華……貴女は合同軍儀の時留守番をよろしくね」

 

「な!? ……私も孫呉の次期当主として参加すべきでは?」

 

「代表を『三人』と言われたの、私と冥琳と穏で三人。勢力としては格下の私たちが大勢で行くわけにはいかないわ」

 

「……わかり…………ました」

 

 

 

 

 

 

 

 

「雪蓮、何故あんな嘘をついた。袁紹は代表と言っただけで人数は指定していない。孫権殿一人連れて行くのは難しく無いだろう?」

 

「今のあの娘を袁紹に会わせるわけにはいかないわ」

 

「……何故だ」

 

 孫策にしては珍しくふざけた雰囲気が無い。彼女が真面目な時は孫呉の未来を左右するような事柄が多く。それを良く知る親友、周瑜は一字一句聞き逃さないよう耳を澄ませた。

 

「蓮華の当主としての気質は私とも、そしてお母様のものとも違うわ。

 義と徳を重んじるソレは袁紹に近いわね」

 

 言って、先程の袁紹を思い出す孫策。以前、黄蓋が袁紹の器について評価していたが、今日初めてその容量の計り知れない器のでかさを痛感した。

 彼が纏う器のでかさを体現したような威圧の空気。息が出来ず、心の臓を握られたかのような圧力は余りにも――

 

「袁紹は蓮華が目指す当主の姿そのものよ、問題は完成されすぎていることね」

 

「つまり……ここで袁紹(理想)と会わせては自信を無くす可能性があると?」

 

「そういうこと♪」

 

 未熟な妹とさして変わらぬ年齢、それでいて遥か高みにいる人間を見せ付けられれば心が折れる。

 孫権は真面目だ、それが自分の歩みを止める原因とわかりながらも、袁紹と自分の器を比べ、自身の未熟さに絶望するだろう。孫策は伊達に長女、そして孫呉の当主として立っているわけではない。

 その気質の違いから何かと反発されてはいるが、妹の事を誰よりも理解していた。

 

「心配はないわ、私の見立てだと蓮華の伸び代は彼を超えるわよ!」

 

「フッ……姉馬鹿だな雪蓮」

 

 孫策の考えに反対はない。むしろ孫権の伸び代に対しては周瑜も同意見である。

 

 

 

 

 

 しかし彼女達は失念していた。孫権と同じく袁紹にも伸び代がある事を――

 

 

 

 

 




NEW!新人軍師 呂蒙

好感度 10%

猫度 「え? ええええっと……」

状態 緊張

備考 初対面が強烈すぎて苦手意識を持つ
   それと同時に袁家に対する警戒心を高める


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第32話

~前回までのあらすじ~

そんさっく「はえ~すっごい大きい(汜水関)」

しゅーゆ「(関係ないし)大丈夫でしよ」

えんしょー「オッスオッス」

しゅーゆ「帰れや!(良う来たな)」





シスコン「妹は天才、はっきりわかんだね!」

 
大体あってるかもしれない。



「合同軍儀用の天幕がもう完成したか、流石に仕事が早いな」

 

「あ、おかえりなさいませ麗覇様」

 

 妹の顔を見に行き、ついでに孫呉の者達にも挨拶を終えた袁紹は自陣に戻って来ていた。

 陣を離れる前に桂花に要請していた天幕に入り、作業をしている者達に労いの言葉をかける。

 

「辺りの地形を模した地図、模擬戦駒の準備も整っています」

 

「うむ、連合が揃い次第始める。頼むぞ桂花」

 

「はい! お任せ下さい!!」

 

 思わず返事を、それも人目に憚らず喜色を込めてしてしまい。桂花は顔を赤くする。

 周りで作業をしている者達はそれを見て微笑む、袁家の日常だ。

 

 一部、殴る壁を探しに天幕を飛び出した者も居るが――見慣れた光景である。

 

「失礼致します。公孫賛様とその軍が到着致しました」

 

「来たか! 到着したばかりでは陣を離れられまい。久方ぶりに名族の顔を見せに行くか」

 

「いえ、それが――」

 

「麗覇ーーーッ!!」

 

 知らせに来た兵士の声を待たず、駆け足で誰かが向かってくる。

 

「おぉ白蓮!」

 

 無論その姿には見覚えがあった。私塾来の盟友白蓮だ。

 最後に見た記憶よりも背は大きく、色々を含め身体的な成長を遂げている。

 

 (どこぞの娘とは――)

 

 

 

 

 

 

 ――くしゃり

 

「華琳様?! 今の文に何か不備が?」

 

「何も無いわ、看過出来ない何かを感じてつい力が入ったの。気にしないで頂戴」

 

「は、はぁ……」

 

 その後、終始薄く笑みを浮かべる曹孟徳の姿は、かの陣営でトラウマとなった。

 

 

 

 

 

 

「む! なんだこの悪寒(プレッシャー)は!?」

 

「? どうしたんだ?」

 

「いや……気のせいだ」

 

 身の危機を敏感に察知した袁紹だが、頭を少し傾けながら尋ねてくる盟友の可愛らしさに、ソレを上書きされる。

 

「ところで白蓮、到着早々に陣を離れても良いのか?」

 

「うっ……そ、そっちは信頼できる家臣達に任せてあるから」

 

「ほう、優秀な者を揃えた様だな」

 

「ま、まぁな!」

 

 袁紹の問いに目を泳がせながら返事をする。袁の軍旗が目に入った途端、我慢できず駆け出してきたなどとは、口が裂けてもいえない。

 

「フハハ! 何はともあれ良く来た白蓮。我はお前を歓迎する」

 

「うん、ありがとう! ……それで、その格好には何か意味でもあるのか?」

 

「歓迎と親愛の抱擁である! 華琳だけでは不公平であろう?」

 

「なッ!? ほ、ほうよう!?」

 

 華琳のときと同様に腕を広げる袁紹。白蓮に対してはからかい目的だ。

 

 真面目な白蓮は色恋沙汰には疎く、純情な乙女である。

 そんな彼女はこの事態に、顔を茹蛸のように赤く染め、慌てふためくだろう――と、袁紹は予想していたのだが。

 

「……えいっ!」

 

「む?!」

 

 なんと白蓮は、大胆にも袁紹の胸に飛び込んできた。

 

 奥手な彼女がこのような行動に出れたのは、袁紹の言葉が関係している。

 『華琳だけでは不公平であろう?』それを聞いた白蓮は、華琳も抱擁を受けたものだと考えたのだ。

 

「何時に無く大胆ではないか! 可愛らしいぞ白蓮」

 

「あぅ……」

 

 甘い言葉と共に抱き締められる。力が強く息苦しさを感じるが不快感などは一切無く、彼の体温も相まって不思議な心地よさを感じる。

 そこにこれまでの疲労が、目蓋を静かに閉じさせようとしたが――

 

「あ……」

 

 夢の世界に入る前に解放されてしまう。思わず残念そうに声を洩らし、白蓮はさらに顔を紅く染めた。

 

「すまんな白蓮、これ以上は命に関わるのだ……」

 

「命って……一体何を――」

 

 冷や汗を出しながら体を離した袁紹に問いかけようとして――止める。

 

 彼の背後からチラリと見える猫耳、そこから何ともいえない気配が漂っていた。

 離れるのがもう少し遅かったらどうなっていただろうか、想像すらできない。

 

「そ、そうだ! 桃香達も連れてきたんだ!」

 

 誤魔化すように話題を変える白蓮。この空気を変える為袁紹もそれに便乗し、天幕の隙間からどこか白い目で見ている劉備達を招き入れた。

 

 

 

 

 

 

「お久しぶりです袁紹さん! 今回は劉備軍として、連合に力を貸すために来ました!!」

 

「以前は大変お世話になりました。ますますご清栄のこととお喜び申し上げます」

 

「お兄ちゃん、ひっさしぶりなのだーッ!」

 

「うむ、大食い大会以来であるな」

 

 返ってきた言葉に、劉備と関羽の二人は苦笑い。張飛は何故かキョトンとしていた。

 

「それにしても劉備軍とはな……兵はどうしたのだ。土から生えてきたわけではあるまい?」

 

「え、えっとそれは……」

 

「私の領民達だよ。あ、元領民か……」

 

 袁紹の疑問に答えたのは白蓮だ。

 

「……」

 

「誓って言うけど桃香達は一切勧誘とかしてないからな? 彼等はただ桃香達を案じて付いてきたんだ。だから――自分を責めるなよ麗覇」

 

「!?」

 

 白蓮は伊達に私塾で袁紹達と共に居たわけではない。袁紹の考えることなど丸解りだった。

 

 彼は多忙な白蓮の為を思って、精神的な未熟さは兎も角、能力的には有能な劉備達を幽州の地へと送り出した。

 結果的に領民を義勇軍として吸収される形になり、それをもたらしたのは自分だと袁紹は考えているのだろう。

 

「手が足りなくて難儀していたのは事実だし、桃香達が居なかったらあの黄巾の乱で手痛い犠牲を出していた。彼女達を送ってくれた麗覇に感謝こそしても、恨むようなことは一切無いよ」

 

「……白蓮」

 

「これだけ言ってもまだそんな顔するなら、華琳――と言うより春蘭直伝の実力行使にでるぞ! 本気だぞ!!」

 

 握りこぶしをと共に二カッと白い歯を見せる。

 誰が聞いても本心に聞こえるだろう。しかし白蓮と同じく袁紹もまた、彼女の心の奥底にしまっている感情を理解していた。

 

 元々は幽州の領民達だったのだ。本来なら白蓮の軍に組み込まれるべき人員である。

 真面目で責任感が強い白蓮は、笑顔の奥で親友に魅力負けした事を恥じ、悔やんでいた。

 

 そのような心境にも関わらず尚袁紹を気にかける。痛々しくも嬉しい心遣い。

 彼女にそこまで言わせて、しおらしい態度など続けられるはずも無い。

 

「まったく……相変わらず我が友は、器用なのか不器用なのかわからぬな」

 

「その台詞、お前にだけは言われたくないぞ!」

 

「あ、あのぉ~……」

 

「おお劉備、放っておいて悪かったな」

 

「いえ全然! えっとそれで……実は袁紹さんに紹介したい娘が二人いるんですよ」

 

「ほう、新たな仲間か? して、その者達は何処に――」

 

 袁紹の言葉に対し劉備は気まずそうに顔を伏せる。その様子から、紹介したい二人が既に天幕内に居るのだと察し。袁紹は懸命に視線を動かすがそれらしい者は見当たらない。

 

「……もっと下です」

 

「下? ……オォッ!?」

 

「うぅ……どうせ私達は」

 

「……小さいです」

 

 長身な袁紹の死角に可愛らしい娘が二人。気付かれなかった事がショックらしく、沈んだ空気を漂わせている。

 袁紹はしばらく、彼女達の機嫌直しに苦心するのだった。

 

 

 

 

 

 

「では改めて、私の新しい仲間! 諸葛亮ちゃんと鳳統ちゃんです!!」

 

 先程まで暗い表情の二人だったがそこは流石名族。袁家謝罪方100手の一つ『謝罪風車』にて事なきを得ていた。

 

「しょ、諸葛孔明です! 宜しくお願いしましゅ!!」

 

 劉備の紹介と共に声を上げたのは諸葛亮。緊張のためか言葉をかんでしまい、「はわわ……」と慌てる姿が大変愛らしい。 

 服装は制服を彷彿とさせる程整ったもので、合わせて被っている帽子が一層そう思わせる。

 容姿は言うまでも無く整っており、短めな金髪が優等生の空気を醸し出している。 

 

「鳳士元……です」

 

 次いで控えめに口を開いたのは鳳統。人見知りらしく、袁紹と目が合った瞬間「あわわ……」と顔を隠してしまった。

 諸葛亮とは色違いの服装なのだが、顔を覆い隠せるほど大きなトンガリ帽子を被っている。

 その帽子から青いツインテールがはみ出ており、時折こちらの様子を探ろうと恐る恐る帽子を上げる様子は、非常に庇護欲――否、保護欲を掻き立てられ――

 

「はぅーっっお持ち帰りぃ〜☆」

 

「いかん! 主殿のご乱心だ、者共取り押さえよ!!」

 

『オオッ!』

 

 このあと滅茶苦茶乱心した。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 乱心した迷族が取り押さえられた数刻後、合同軍議の天幕内で各諸侯たちが集っていた。

 その軍議の提案者たる袁紹は準備中(治療)の為、始められず重々しい空気が流れている。

 

 (それにしても、本当に面白いことを考えるわね……麗覇)

 

 そんな中華琳を始め、諸侯の好奇の視線に晒されている者が一人、劉備である。

 正確には劉備自身ではなく、彼女が座している席に関心を寄せていた。

 

 天幕内に設置された円卓で入り口から最も離れた席、所謂上座である。

 本来であれば陣営の長たる袁紹、もしくは連合を呼びかけた袁術が座る席。

 

 華琳が面白いと言ったのは、その席が袁紹側から劉備に用意されていた事だ。

 普段はのほほんとしている劉備だが、社会常識は当然弁えている。

 上座に座るように言われたときも何度も断ったのだ。最終的には押し切られ腰を落としたが。

 そして他の者達は序列通りの席に腰を置いている。そうすると必然的に空く席が一つ。

 

 入り口から最も近い席、下座である。

 

 袁紹が未だ姿を現さず他に空いている場所が無い事から、彼はそこに座る心算なのだろう。

 

 (分かりやすい意思表示ね……でも、嫌いじゃないわ)

 

 華琳は口角を上げながら賞賛する。

 

 この席順に袁紹が込めた意味。それは――『連合に序列は関係なく、皆平等』というもの。

 あえて上座に序列的に最下位の劉備を座らせ、それとは逆の下座に袁紹が収まることで、これを示した。

 

 各地から集っただけに殆どの者が理解したが、一部の者達の間では『袁紹池沼説』が唱えられた。

 

 

 

 

 

 

 

「待たせたな(蛇)」

 

 そんな新説など露とも知らず、渦中の袁紹が無駄ないい声(イケボ)と共に姿を現すと、さも当然のように下座に腰を下ろした。

 

「さて、これより合同軍議を―――と、言いたい所だが我から一つ提案がある」

 

 袁紹の提案、それは連合の総大将について。本来であれば連合を呼びかけた袁術が盟主としてそれを務める所だが、幼い彼女にはまだ荷が重い。

 そこで他の者に総大将として動いて貰おうと言うもの。

 

「立候補者が居ないのであれば我が引き受けようと思うのだが……かまわぬな?」

 

 提案者である袁紹自身が名乗りを上げる。まるで出来レースのソレだが文句などあるはずもない。

 軍事力、家柄、どれをとってもこの場に袁紹の右に出る者は無く。そんな袁紹を差し置いて総大将に名乗りを上げる者など居るはずも無い。

 

「ちょっといいかしら?」

 

「……構わぬ」

 

 順当に袁紹が総大将に着任すると誰もが思った中、待ったを掛けるものが一人。

 袁紹の言葉を数瞬詰まらせる彼女は、何を隠そう華琳である。

 

 とはいえ、彼女自身袁紹が総大将となることに不満がある訳ではない。ただ、面白くないのだ。

 提案を口にしてから自信満々な名族の顔を見て、何故か軍儀前に自陣の天幕内で感じた『何か』を思い出し。反射的に声を上げてしまった。

 

 華琳を見て袁紹は体を僅かに強張らせる。彼女が――あの笑みを浮かべているのだ!

 

「この席順、皆も理解している通り袁紹殿は連合は平等だと主張しているわよね?」

 

「うむ、この連合に上下関係は無粋である」

 

 華琳の言葉を聞いた諸侯達も頷く、袁紹の意図を解していなかった一部の者達が合点がいく表情をしていた。

 まるで彼らの誤解を解くための言葉に聞こえるが、華琳にその気は無い。

 ただこの先の言葉の為、皆に理解させる必要があっただけである。

 

「その平等を主張した袁紹殿が、自分を総大将にと名乗り上げたのは――ここにいる誰よりも自分が上だと判断したからかしら?」

 

『!?』

 

 その言葉に諸侯はハッとした表情になる。華琳の指摘通り、平等を訴えたはずの袁紹が、自身を総大将に据えようとするのはどこか矛盾している。

 

 ―――とはいえ、彼女の発言は屁理屈に近い。総大将としての器なら華琳も決して見劣りしないが、袁家よりも格下の家柄では角が立つ。袁紹の他に適任者が居ないのだから、たとえ彼が名乗り出なかったとしても、誰かしら袁紹を推薦していただろう。

 

 しかし、いかに屁理屈に近い言葉であっても、矛盾点を突かれたことに変わりは無い。

 返答を誤れば、皆の袁紹に対する評価が下がる可能性が高かった。

 

 (華琳め、我に何か恨みでもあるのか?)

  

 平静を保ちながら華琳を睨みつけるが、彼女は微笑んでいた。

 袁紹の反応を楽しんでいるのだ。友のドSっぷりに頬を引き攣らせながらも、袁紹は彼女の問いに答える。

 

「その言にも一理ある、しかし我は思うのだ。たかが『軍議を取り仕切る者』の人選のために、軍議を始めるのは時間の無駄だと」

 

 各地の諸侯が連合の下に集ってはいるが、決して一枚岩ではない。

 大まかな策、各々の役割は軍儀で決めることになるものの、開戦すれば指揮は各軍に委ねられる。

 その中において総大将など飾りに過ぎない。精々やることといえば袁紹の言葉通り、軍議の進行役くらいのものだ。

 

 誰が総大将となっても役割は変わらない。ならば一番角が立たない袁紹がそれをこなし、迅速に軍儀を進める方が有意義である――と、袁紹は口にする。

 

「……確かに時間の無駄ね。軍議の妨げになったこと、深くお詫びするわ」

 

 僅かに強張った袁紹の姿を見れたことで華琳は満足したため、追求を止める。

 

「この程度であれば問題は無い。さて、他の者は何かあるか?」

 

「私達からは何も無いわ」

 

「袁紹さんで問題ないと思います!」

 

「まぁ、形式上でも麗覇が誰かの下に付くとは思えないしな」

 

 他の諸侯たちも口々に肯定する。それを確認した袁紹は、予定通り軍議を進行させるため口を開いた。

 

「では、これより合同軍議を開始する。桂花!」

 

「ハッ! 袁紹軍軍師荀文若。僭越ながら汜水関攻略の概要を説明させて頂きます」

 

 円卓の上には辺りを模した地図が置いてある。

 

「我ら連合軍が洛陽攻略の為に避けて通れない難所、それが目の前の汜水関と、それを越えた先にある虎牢関の二つです」

 

 桂花は地図上に明記されている汜水関に『華』と書かれた小さな旗を立てた。

 

「皆様も確認した通り汜水関の軍旗の文字から、そこを守るは董卓軍の将の一人、華雄です。

 もう一人の将である張遼は、虎牢関にいると思われます」

 

 次いで汜水関の前に模擬駒を置いていく、それらの駒には各諸侯を現す一文字が彫られていた。

 

「これを見ても解る通り、戦力差は我らが圧倒しています。正面からの力押しでも勝利することが出来るでしょう」

 

『おおっ』

 

 解りきったことではあるものの、それを改めて言葉にしたのは袁紹軍が誇る軍師荀彧。

 諸侯は益々状況を楽観視し始め、彼女の逸話がそれに拍車を掛けた。

 

「ですが――」

 

 そんな緩んだ空気を桂花は良しとしない、戦に絶対はないのだ。

 

「地の利は断然敵方に有り。又、汜水関を守るのはあの猛将華雄将軍。単純な攻勢を仕掛ければ手痛い被害を受けるでしょう。後の虎牢関攻略の事を考えれば、犠牲の多い力押しは愚策です。

 故に、此処に居る皆様方で話し合い。汜水関を攻略する上策が求められます――以上です」

 

 先程とは一転して、ピンと張り詰めた空気が流れる。

 

 追い詰められた敵ほど手強いものは無い。(董卓軍)らの背後には洛陽がある。

 敬愛する主、愛する家族や友がいる。

 最も、連合軍は大儀を掲げているだけあって非道を犯す心算は無い。

 仮に暴走した軍が居たとしても、袁紹や華琳を始めとした者達に制圧されるだろう。

 しかしそれはあくまで連合内の認識であり、董卓軍と洛陽の人々から見れば侵略同然。

 彼等からしてみれば背水の陣である。

 

 可愛らしい容姿からは想像もできない緊張感溢れる言葉は、諸侯達の気を引き締めた。

 

「うむ! 実にわかり易い説明、流石は桂花である!!」

 

「ありがとうございます」

 

 袁紹の賞賛に冷静に返す桂花。表面上は平静を保っているが、彼女の猫耳が物理法則を無視してピクピク動いている。尻尾が付いていたらピーンと立っていただろう。

 そして袁紹は鼻高々に諸侯の顔を見渡していた。彼の心情を言葉にするならば『どうだ我が軍の軍師は! 凄いであろう!!』といった感じだ。

 

「ではさっそく、皆で汜水関攻略の策を――「お待ちを」」

 

「なっ!?」

 

 気を取り直して軍儀を再開させようとした矢先、彼の言葉を遮る者が一人。

 周瑜だ。それも、仮にも総大将である袁紹の言葉を遮ぎっての発言。余りに無礼なその行いに桂花は溜まらず憤慨し、袁紹がそれを手で制した。

 

「……何かあるのか? 周瑜」

 

「ご無礼をお詫びします。汜水関攻略の軍儀前にご報告が一つ、よろしいですか?」

 

「構わぬ」

 

「感謝を。では穏、頼む」

 

「承りました~」

 

 袁紹の許可を得て、孫呉の席から一人立ち上がる。

 

「孫策軍軍師の一人、陸伯言と申します。お見知りおきを~」

 

 のんびりとした口調で自己紹介したのは孫呉の将の一人、陸遜だ。

 小さな眼鏡が知性を感じさせ、軍師という肩書きにも関わらず武人の気を纏っている。

 

 (只者じゃない……見た目に騙されると痛い目を見そうね)

 

 華琳を始めとして白蓮、劉備といった英傑達が陸遜の器を量ろうと観察する中、男共は別の場所を観察し、目で量っていた。

 

「な、なんと豊かな」

「事が済んだら勧誘じゃ」

「抜け駆けは許しませんぞ!」

「ええい、孫策軍の脅威(胸囲)は化け物か!」

 

 救いようの無い愚か者達である。迷族の声は――きっと気のせいだろう。

 

「……報告しますね。実は何と! 私たち孫呉が汜水関と虎牢関を避けて洛陽に辿り着く迂回路を発見したんですよ~」

 

『!?』

 

 その報告には皆が驚き、目を見開いた。

 

 彼女の話が本当ならまたとない好機である。

 汜水関に布陣している華雄、そして虎牢関を守っているとされる張遼を避けることが出来れば、この戦は直ぐに片が付く。

 人的被害を最小限に抑えられる上、浮いた経費で莫大な余財が生まれるだろう。

 

「事実ならすごい事ですぞ!」

「左様、汜水関と虎牢関を避けられれば洛陽は目前」

「す、直ぐに部隊を編成し向かわせましょう!」

「うわわ……凄いね白蓮ちゃん」

「ああ、流石張角を討ち取っただけある。大した諜報力だ」

 

 やはりと言うべきか。諸侯たちは劉備や白蓮をも交え、迂回路に対する意見を口々に言葉にしだした。

 

「……」

「……」

  

 その中において静観を決め込む袁紹と華琳。そこまで都合の良い迂回路などあるはずがない。何かしら問題を抱えていると見るべきだろう。又、董卓軍の軍師賈駆が其処を放置しているとは思えない。

 袁紹は見た目に反し慎重な性格から、華琳は持ち前の鋭さから、陸遜の報告には続きがあると確信していた。

 

「それがですね~、そう良い話しばかりでは無いのですよ」

 

 卓上の地図を指差し、迂回路の場所を皆に教える。

 陸遜が指したそこは、道の無い山岳地帯だった。

 

「険しい山岳地帯で移動幅が狭く、騎馬は二騎以上並んで進めませんので、大軍での突破には向きませんね~。

 そして見通しが悪いです。伏兵や罠の事を考えますと、抜けるのは大分難しいです~」

 

 実際、私なら大量の伏兵を配置しますね~と報告を締めくくると、今度は水を打ったような静けさが流れた。

 

「……」

 

 迂回路の危険性を確認し、口を噤んだ諸侯を。

 華琳はつまらない者を見るような目で一瞥した。

 

 彼らの心境は単純でわかり易い。

 そもそも連合に参加した彼らの動機は、董卓が相国となる事を良しとしない者、又は勝ち馬に乗りに来ただけだ。

 これほどの規模を誇る連合軍、負ける可能性は限りなく低い。

 彼らの目標は、『どうやって勝つか』では無く『どう上手に勝ち馬に乗るか』である。

 

 最小限の損害で勝利し自軍の名を、あわよくば手柄をあげて武名を手に入れようという算段。

 ノーリスクでハイリターンを望む者達。

 

 そんな彼らが、万が一にでも自軍の全滅や己の命に危険がある迂回路を使おうと思うだろうか。

 答えは否、その証拠に誰も口を開かず静観している。迂回路の話が出たときにはあれほど息巻いていたというのに――

 

「迂回路を利用する上での危険性はわかった――が、それだけの要所を捨て置くのは惜しいな。

 なぁ、各々方?」

 

「む、無論です」

「じゃあわしの軍で行きますよ」

「いやいやここは私が」

「え、じゃあ俺――」

『どうぞどうぞ』

「!?」

 

 他侯の目の前で臆した態度をするわけにもいかず。ついには漫才と共に押し付け合いを始めだした。

 

「そのことで、私から提案があります」

 

「周瑜か、聞こう」

 

「いかに危険があるとはいえこれほどの要所、当然誰もが攻略したいと考えるでしょう。

 そこで――我らが総大将に迂回路の担当を決めていただくのは如何でしょうか?」

 

「む…我に?」

 

「おおっ、それは名案!」

「袁紹殿の決定ならわしらに異論はないわい」

「左様、あの方の目に狂いは無い」

 

「……」

 

 ここぞとばかりに袁紹を捲くし立てる。ご機嫌取りも含まれているが、彼等が期待しているのは袁紹の慧眼である。

 用は迂回路攻略の任から外れる大義名分が欲しいのだ。

 

 (周瑜め、何を企んでいる?)

 

 この流れで断るわけにも行かず、此方を見やりながら得意げに笑みを浮かべている周瑜を尻目に、袁紹はどの軍に迂回路を任せるか思案する。

 

「……」

 

 ほんの少しの間、目を閉じた袁紹は眉間に皺を寄せていた。

 それを確認した周瑜の笑みが深まる。

 

 (気が付いたようだな袁紹。そう、お前は私の掌の上に居る)

 

 やがて、静かに眼を開いた袁紹は答えた。

 

「迂回路攻略の任、我としては孫呉の軍に任せたい。受けてくれるな?」

 

「もちろん! 必ず吉報を持ち帰るわ!!」

 

「袁紹殿の御指名とあらば、それに恥じない働きを約束致しましょう」

 

 ――良く言う。

 

 彼女達の返答に、袁紹は苦笑いを浮かべる。

 

 そもそも彼には選択肢が用意されていなかった。

 袁紹が迂回路をどの軍に任せるか思案する前に、『任せれない軍』を選択肢から外す必要がある。

 そして消去法により残った軍の中で、もっとも適した者達に任せる――はずだった。

 

 迂回路の危険性に尻込みしている者達や美羽は論外。すると候補となるのは、華琳、白蓮、劉備、そして孫策達孫呉である。

 この中において一番軍事力を有する華琳。彼女であれば迂回路の突破も難しくないだろう。

 しかし彼女の軍は、袁紹に次ぐ規模の大軍だ。その持ち味を生かしきれない迂回路に当てるのは、宝の持ち腐れ。

 何より、華琳自身も迂回路には興味が無い様で、袁紹に幾度となく目で自軍を候補から外すように語り掛けていた。

 

 次に白蓮。軍の規模としては一見適任にも思えるが、彼女の軍には有能な将が少なすぎる。

 よくも悪くも平均的な能力では突破は難しいだろう。それに、その迂回路を守るのが万が一張遼であった場合……。

 よって白蓮も候補から外すことにした。この判断には袁紹の私情も含まれる。

 

 三人目の候補者は劉備だ。小規模な軍勢、武力、知力共に有能な将を従えている。

 一見すると迂回路に適役にも思えるが、彼女たちの兵はあくまで義勇軍。農民に毛が生えた程度の者達である。

 それでもあの二人――諸葛亮と鳳統が居る。どちらも三国志を代表する大軍師だ。

 彼女達ならばたとえ兵の力が物足りなくても、知でそれをカバーできるだろう。

 しかし――忘れてはならない候補者が居る。

 

 孫呉だ。兵は少数精鋭、将は言うまでもなく英傑揃い。加えて彼女達は、この迂回路を発見した者達だ。この場に居るどの軍よりも地の利に明るく、伏兵や罠の場所を察知しやすい。

 これ以上ないほどに適役である。周瑜は、袁紹がこの答えに辿り着くとわかっていたからこそ、彼に選択を委ねたのだ。

 それを前提に今頃は、隠密に長けている甘寧、周泰の両名が斥候として動いているのだろう。

 

 始めから答えは一つ、選択肢など無かったのだ。

 それは奇しくも以前の袁紹と周瑜の状況に、立場を変え酷似していた。

 

 しかしここで一つ疑問が出来る。何故周瑜がわざわざ袁紹に、自分達を任命させるようと仕向けたかだ。

 それも、少数精鋭こそが迂回路に相応しいと陸遜に言わせるという、保険を掛けててまで――

 

 その理由はこの場の面子にあった。各地の代表が集うこの場所は、軍議の場であると共に高度な政治の場でもある。

 

 どこの者達と友好関係を築こうか。

 どうこの中で自分の発言力を高めるか。

 将来的に敵対する可能性が高い相手の軍の規模は如何程か。

 

 其処に集まる者達は互いを牽制し合い、腹の探りあいをしていた。

 そんな中、自軍の力を示すまたとない好機、迂回路が現れた。欲に駆られ我先にと挑もうとするも、危険が高いとわかると一変、保守的な態度に出始めた。

 そんな中、勇猛果敢に『我が軍が担当しよう』などと言えば、彼等は何を思うだろうか。

 それも、序列的に下から数えたほうが早い孫呉の者達が。

 きっと彼等は快く思わないだろう。『下っ端が出しゃばりおって』などと理不尽に考えたかもしれない。

 独立後に孫呉が孤立する危険性、それを回避するために周瑜は袁紹を利用した。

 総大将からの任命であれば角が立たず、たとえ短気を起こす者がいたとしても、その感情は任命した袁紹に向く、まさに一石二鳥、それどころか以前してやられた鬱憤も晴らせ、一石三鳥である。

 

「フハハ! 期待しているぞ!」

 

「……」

 

 しかし、苦虫を噛み潰したような表情を期待していた周瑜を待ち受けていたのは。

 陽光にも例えられる袁家自慢の満面の笑みだった。

 

 袁紹は特に悔しい思いはしていない。初めは誰かの掌の上で踊らされることに不快感を抱いたものの、彼の目標は最初から戦の早期決着である。

 その中で誰かに利用されたなどは所詮小事。むしろそれが勝利のためになるのであれば、袁紹は喜んで手を貸すだろう。仮に周瑜から彼女の考えを聞かされていれば、袁紹は喜々として一芝居していた。

 

「……」

 

 自身が過去に感じた屈辱、袁紹がそれを歯牙にもかけない事を彼の表情から悟り、周瑜が苦虫を噛み潰したような表情になる。ここまで綺麗に返されれば、立つ瀬が無いというものだ。

 周瑜の小さな復讐は目的を達し、目標を逃した。

 

 

 

 

 

「さて、迂回路の件も片付いた所で、いよいよ目の前の難所について話し合おうではないか」

 

 殆どの軍が、迂回路を回避出来たことにホッと一息つく中、袁紹は改めて本題を語る。

 

「まずは目の前に聳え立つ汜水関か、皆に策を求めたい所だが――聞いてばかりでは名族として示しがつかぬ。ここは一つ、我が軍の策を語ろうではないか!」

 

『!?』

 

 袁紹の言葉に、天幕内に今までにない緊張感が走る。

 連合軍の総大将にして最大勢力、袁紹軍が用意した汜水関攻略の策だ、無理も無い。

 皆が一様に、武力、知力、兵力、財力最高峰と謳われる軍の長、袁紹の言葉に耳を澄ませたが――

 

「華麗に! 雄雄しく! 進・軍であるッッ!!」

 

 ――我が軍の策に、一片の迷い無し

 

 右腕を天に向かって高々と振り上げ、堂々と宣言する。

 

「……それだけなの?」

 

「うむ! それだけゾ!!」

 

「……」

 

 皆が唖然とする中、一足早く意識を戻した華琳が袁紹に確認するが、彼の答えは変わらず。

 何故か何かを成し遂げたような、無駄なまでに爽やかな笑顔で返事をした。

 

 それを聞いて諸侯達は溜息を洩らす。正直失望である。

 

 袁紹の狙いはまさにそこにあった。上記でも語ったとおり此処は高度な政治の場でもある。

 そんな中袁紹が策を出し、何処かの軍がそれを上回る上策を持っていた場合何が起こるだろうか、遠慮だ。

 

 そうでなくとも周りの者達が袁紹を持ち上げている中、彼の顔に泥を塗るような行為は出来ない。

 袁紹自身が気に掛けなくても、他の者達に目を付けられる可能性が高く、それによって主に迷惑が掛かると考えるだろう。又、そこまで考えが至らなければ上策など考えられない。

 

 袁紹はそんな彼らを発言し易くするため、あえて道化を演じて見せたのだ。

 袁紹にとって救いなのは、少なからず自分の考えを理解しているものがいる事だろう。

 もっもと、彼は『一生に一度はやってみたい事集 著・袁本初』に記された一つ、『一片の○○無し』を行えた事に満足していた。

 

「どうだ? 何処もなければ我が軍の策で行くが……」

 

「は、ハイ!」

 

「おお諸葛亮! 元気が良いな結構結構、何か策があるのか?」

 

「はい、私に秘策有り――です!」

 

「む、聞かせてはくれぬのか?」

 

「申し訳ございません。何分機密性が重要ですので、全容は説明できませんが――狙うは敵将華雄です!」

 

 諸葛亮の宣言に『おおっ』と声が上がる。劉備軍の規模は殆どの者が確認しており、そんな軍が汜水関攻略どころか、敵将の頸を狙うというのだから当然だろう。

 

 (……挑発か)

 

 僅かなやり取りだったが、袁紹を含め、その場に居た才覚ある者達は諸葛亮の策を見抜いた。

 

 諸葛亮が情報の機密を重視すること、寡兵に近い規模で敵将を狙うとすれば、とれる行動は限られてくる。

 その中で一番濃厚なのが『挑発』による敵将の誘き出しだった。

 劉備軍の将、関羽と張飛の武力があり、加えて華雄は気性が荒く、己の武に高い誇りを持っていると聞く。

 だとすれば、劉備軍が最も華雄を狙える策は『挑発』、簡単な消去法だ。

 

「面白い。他者達から意見が無い以上、初日はお主達に任せよう!」

 

「あ、ありがとうござりましゅ!」

 

 華琳は他陣営の力を図るべく静観している。恐らく彼女なりに策は用意してあるのだろう。

 

「そ、それであの……大切なお願いがあります!」

 

「聞こう」

 

「感謝しましゅ! ……ご存知の通り我が軍は兵力が乏しく、仮に策が成ったとしても、その後の汜水関へと続けません」

 

「……」

 

「そ、そこで! 大陸一と名高い袁紹様の兵を――」

 

「断る」

 

「ふぇっ!?」

 

 言葉を最後まで言い切らぬ内に一蹴される。諸葛亮自身、この要請がすんなり通るとは思っていない。

 だからこそ説き伏せる為の言葉を幾つも用意し、理論付けで説明しようとしたのに――こうもあっさり断られては何もいえない。

 もはや彼女に出来ることは、涙を溜めた瞳で袁紹を見つめるくらいしか――

 

「む! ま、まて泣くな。これにはちゃんと理由があるのだ!!」

 

 いたいけな少女を泣かせた名族の図回避のため、袁紹は慌てながら言葉を続ける。

 

「我が兵は各将の下でのみ実力を発揮できる。故に兵だけでは貸せぬのだ」

 

「!? で、では!」

 

「うむ、我が軍の将、趙雲とその兵を貸し与えよう」

 

 その言葉に劉備と諸葛亮の二人が歓喜の声を上げ。周りの諸侯達が袁紹の太っ腹ぶりに感心しつつも呆れていた。

 これで策が成せると喜ぶ諸葛亮。笑顔に戻った彼女に『あれ』を言うのは心苦しいが――袁紹は心を鬼にする。

 

「一つ聞いてもらいたい。趙雲を貸すが、其方の指示に従うかどうかは彼女に委ねる」

 

「!?」

 

 その一言で諸葛亮から再び笑顔が消える。

 

 諸葛亮の企み。それは敵将華雄を討ち劉備軍の名を広めると共に、今ある兵力の被害を最小限に抑えようと言うもの。

 華雄を討ち果たした後、激昂した華雄軍と戦いになる可能性が高い。精鋭と名高い彼女の軍と、自分達が率いる義勇軍では分が悪すぎる。多大な被害、あるいは全滅の憂き目にあうだろう。

 そこで袁紹軍だ。彼を使い自軍の被害を抑えようとしたが――

 

 ――我が兵はお主等の盾では無い

 

 袁紹の言葉にはその意思が強く宿っていた。指揮権は劉備達にあるものの、最終的に従うかどうかの判断は趙雲に委ねられる。

 つまり、趙雲とその兵を盾に使えないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「? どうしたの朱里ちゃん」

 

「いえ、何でもないです……」

 

 今の劉備に諸葛亮の心情はわからない。彼女は単純に将を貸してくれる袁紹に感謝していた。

 

 このどこか抜けている主の為、自分がしっかりしなくてはならない。

 袁紹の怒気に近い気にあてられ、肩の震えがまだ止まらないが、今は策を練り直さなければ。

 諸葛亮は自分に言い聞かせ、親友と共にこういう事態に対していくつか考えていた対応策。それらをさらに詰める作業を、夜が更ける頃まで行うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして明朝、汜水関で待ち構える華雄の前に。孫呉を除く全ての連合軍が布陣した。



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第33話

~前回までのあらすじ~

白蓮「あ、麗さん! ご無沙汰じゃないすか(訪問)」

袁紹「ドウモォ(抱)」

劉備「今日のゲストぉ……(二人)」

ハワワ&アワワ「DJ!DJ!}



袁紹「ん? 今どんな気持ちなんだ三国志で例えるとどのくらいだ(無茶振り)」

周瑜「……黄巾」

袁紹「黄巾じゃねぇ! 武将で言え武将!」

周瑜「李恢です」

袁紹「誰だよ(素)」


だいたいあってる




 軍儀を終えた袁紹は自陣に戻ると、星に劉備軍への援軍の件を説明した。

 

「そんな……主殿は私をもう要らないと申すのですか」

 

 よよよ、と乙女座りからの泣き真似。彼女のそれが演技である事は皆熟知している。

 しかし解っていても尚、美女の弱弱しい姿と言うものは心に響くもので。彼女の部下達は仇を見るような視線を袁紹に向けていた。

 

「こ、これ! 人聞きの悪いことを言うでない。戦力として貸し与えるだけだ、我が星を手放すはず無かろう!!」

 

 だからいい加減演技を止めよ。

 

 袁紹に対する男達の嫉妬は目を見張るものがある。袁家の必要経費に壁修繕の項目が追加されるほどだ。

 慌てふためく袁紹の姿に満足した星は、意味深な笑みと共に立ち上がった。

 

「仕方ありませぬなぁ……では、メンマ一年分で手を打ちましょう」

 

「く、やむを得ぬ」

 

「フフ、決断の早さは流石ですな」

 

 以前は袁紹の弱点を見破れなかった星。それもそのはず、彼の弱点は自身でなくその周りにあるのだ。

 他者を重んじる袁紹は誰かが傷つくことのみならず、負の感情にすら敏感に反応する。

 袁紹を慌てさせるのに効果的なのは周りを利用する事だった。

 

「指揮に従うかどうかは星の判断に任せる、向こうもそれは承知済みだ」

 

「……ふむ」

 

 聡い星はその一言で理解する、余りにも割を食う指示には従わずとも良い――と。

 

「この任はお主が一番の適役者だ。頼むぞ星!」

 

「任されましょう、大船に乗った心算で帰りをお待ちくだされ」

 

 一見いつも通りの星だが、彼女の瞳の奥に闘志が(みなぎ)っていた。

 久しぶりの実戦と言うのも理由の一つだが、なによりも袁紹から頼りにされた事が大きい。

 

 袁紹は物事を一人で抱え込む傾向がある。そんな彼から、武では数段上を行く恋や、幼少期からの付き合いで一番信を置いているであろう猪々子や斗詩でも無く、この趙子龍を!

 

「フフ、フフフ!」

 

 袁紹と別れ、兵の編成へと向かう星の足取りは軽かった。

 それでいて全身に力が漲る感覚、今なら単身で汜水関を突破出来るのではないだろうか。

 現実を見据える星がそのように仮想するほど、彼女はやる気に満ちていた。

 

 

 

 

 

 

そして明朝、まだ日が昇りきっていない時刻。開戦を前に星は兵を連れて劉備軍に合流、簡単な挨拶を済ませ諸葛亮からの指示を聞いていた。

 

「ふむ……後詰めか」

 

「はい」

 

 狙うは敵将華雄。その挑発による誘き出しと討伐を任されたのは、劉備軍きっての使い手関羽。

 華雄を討ち果たした後その軍が出てくるはず、そこに星は彼女の兵、そして劉備軍の将の一人である張飛と共に突貫。

 関羽と張飛達に華雄軍の相手をさせ、突破力の高い趙雲隊で汜水関の門を確保しようと言うもの。

 

「……」

 

 全体を見れば趙雲隊が割を食いそうだが、義勇軍である劉備達に門の確保は難しい。

 まさに適材適所、利に適っている。最終的に星はこの要請を受けた。

 

「趙雲、貴女ほどの武人と共に戦えるのは光栄だ」

 

「それは此方も同じ事、後ろは気にせず行かれよ」

 

「……ああ!」

 

 自軍の隊列に戻っていく星の背中を、関羽は頼もしそうに見つめる。

 

 二人はまだ二度ほどしか顔を合わせていないが、互いの力量は察している。

 自身と同等、あるいはそれ以上。

 特に趙雲の軍勢は良く鍛え上げられているようで、隊列に乱れも無く動いている。

 それだけでも精強さが窺えるが、注目すべきは兵士達の顔つきだ。

 どの者達も汜水関を静かに見据え静観している。恐怖心などの類は一切感じられず、それでいて闘志を燃やす瞳。

 あの軍勢であれば無理難題な指示にも従い、それを成せるだろう。そしてその兵を鍛え上げたのはあの趙雲。

 

 ――あの者が我が軍に居ればどれだけ……

 

 関羽は頭を振り雑念を払う。

 

 義勇軍という形ではあるものの兵を、そして将来有望な軍師二人に関羽と張飛。

 劉備軍はまだまだ大きくなるだろう、そこに必要不可欠なのが武将だ。

 いっそのこと趙雲を勧誘したい所だが、袁紹軍と劉備軍では待遇に天と地ほどの差がある。

 それに彼女は飄々としているが、主である袁紹には他の者達と変わらない忠義を持っている様子。

 

「……ふぅ」

 

 小さな息を吐くと共に意識を切り替える、開戦は間近だ。

 

 

 

 

 

 

「華雄様、いよいよですね」

 

「ああ」

 

「姉御が居れば俺らに負けはねぇ、そうだろてめぇ等!!」

 

『応ッッ!』

 

 華雄軍は汜水関の上に布陣、そこから連合軍を眺めていた。

 

 地平線を埋め尽くさんばかりのその光景は圧巻の一言。しかし、戦力差に劣る華雄軍の士気に乱れは無い。

 それどころか、どこからでも掛かって来いと言わんばかりに高揚していた。

 

「……」

 

 それが絶望から自分達を紛らわせる為のものだと華雄は理解している。

 本来ならば絶望し、武器を落としかねない光景なのだ。彼等が士気を維持できているのは華雄の存在が大きい。

 圧倒的な軍勢に堂々と立ちはだかるその姿は、華雄軍全員の心の拠り所だ。

 

 華雄は自身の存在が如何に重要なものか再確認した。

 

 

 

 

 

 

『あ、あーテステス。本日は晴天なり~』

 

 緊張感で張り詰めいてるその地に、似つかわしくない声が響き渡る。

 

 黄金の御輿に座り連合の先頭でそれをするのは、何を隠そう我らが迷族(袁紹)だ。

 天和達から借り受けた拡声器の調子を確かめ、声を張り上げる。

 

『お前達はすでに包囲されている。諦めて武器を捨てなさーい』

 

 この時の為だけに(あつら)えたトレンチコート風の衣服で警告する、無駄に派手な配色は仕様である。

そんな袁紹に猪々子はキラキラと瞳を輝かせ、斗詩は白い目を向けていた。

 

 ――そんな目で見るな斗詩、降伏勧告は義務なのだ。

 

 やがて華雄軍の中から一人前に歩み出た。

 その姿には見覚えがある、初の武芸大会で恋に敗北した華雄本人だ。

 同一人物だが袁紹は一瞬別人かと錯覚した。それ程に彼女の纏う空気が変わっている。

 おそらくあの敗戦から、一日も休まずに研鑽してきたのだろう。

 

「私が華雄だ! 今は董卓様の家臣である事を排し、大陸に住む一人の民として問う」

 

『聞こう』

 

「どのような理由で天子様の居る洛陽に刃を向けている……答えろ!」

 

『知れたこと、暴政を働く董卓から救出するためである』

 

「……そのためならば刃を向けても構わないと?」

 

 主である董卓を擁護するのは簡単だ、しかし証拠が無ければ意味を成さない。

 そして仮に、主の汚名を返上する確固たる証拠があっても連合は止まらないだろう。

 既に賽は投げられているのだ。

 

 だからこそ、天子の存在を引き合いに出したのだが――

 

『主が危機に瀕しておればそれを助ける。又、主が道を踏み外せばそれを正すのが真の忠臣だ。

 今度は我が問おう、華雄――お主は忠臣か?』

 

「!?」

 

 袁紹の問いに華雄は顔を伏せ肩を震わせる。 

 怒りからではない、恥辱でもない、悔しさでも憎悪でもない。この感情は――歓喜だ!

 

 この場に至って尚、華雄にはある疑問があった。

 

 主である董卓の暴政は当然彼女の耳にも入った。その時は張遼と共に馬鹿馬鹿しいと鼻で笑ったものだ。

 しかし火の無いところに煙は立たない。なまじ生粋の武人である華雄は、主を信じてはいるものの噂の真意を確信できなかった。

 そこで彼女は来たる連合との戦いに皆が鍛練を積む中、一人抜け出し洛陽の街を調査した。

 調査と言っても簡略的なもので。小汚い布で身を覆い、物乞いに扮して街角に座り様子を窺うというもの。

 

 洛陽の街の住民達は連合軍の噂で不安そうにしていたが、どの者達も一様に(董卓)を心配していた。

 そして極めつけは街の男達だ。彼等は老いも若いも関係なく兵士に志願し、董卓軍の規模は倍近く膨れ上がった。

 暴政が行われていればこのような事は起きない。

 

 ――やはり、我が主は潔白だったのだ!

 

 そして死地へと向かう覚悟が出来ると同時に疑問が生まれる。

 

 ――自分は本当に、忠臣なのだろうか

 

 同じ将である張遼は噂を歯牙にもかけなかった、それに比べ自分はどうか。

 華雄の思う忠臣は主に疑問を抱かず、どこまでも献身出来る武将である。張遼のような――

 

 そのような経緯から華雄はしこりを残したまま連合と対峙している。しかし彼女のソレは、皮肉にも敵の総大将の言葉で消え去った。

 思えば自分が街の調査をしたのも、万が一主が道を踏み外していた場合それを正そうと考えていたのだ。

 張遼とはまた違う形だが、華雄のそれも紛れも無い忠臣の証である。

 

「フフフ……アッハッハッハッ!」

 

「か、華雄様!?」

 

 突然笑い出した華雄に部下達から『姉御ォ!』と、心配そうな声が上がる。

 それを手で制し、華雄は顔を上げた。

 

「無論! 私は真の忠臣としてこの場に立っている!!」

 

 その時、突風が吹いた。

 

 それは大きな砂埃を作り上げ、汜水関に居る華雄軍を覆い隠したが――

 

「……フンッ」

 

『オオッ!』

 

 華雄が戦斧を横薙ぎに一閃、振り払う。

 武芸大会で辛酸を舐めさせられた彼女の武は、自身の得物『金剛爆斧(こんごうばくふ)』を片手で扱えるまでに磨かれていた。

 

「もはやこれ以上の問答は不要! 死にたい奴から前に出ろ、一人残らず我が戦斧の錆に変えてくれるわッッッ!!!」

 

『オオオオオオオオオォォォォォッッッッッッッ!!』

 

 まさに咆哮。

 

 馬に跨う者達は驚く愛馬を御す事に苦心し、歩兵達は僅かに肩を震わせる。

 微動だにしない御輿は流石と言うべきか。

 

「見事だ……華雄」

 

 拡声器を離し袁紹は呟く。先程の問答には暴政の真偽を確かめる狙いがあった。

 袁紹の見立てでは、華雄は放たれた矢のように真っ直ぐな人間である。疑問が出来たら己の目と耳で確かめるタイプだろう。そしてあの言葉『主が道を踏み外せばそれを正すのが真の忠臣』

 それに対して華雄は自分こそが真の忠臣であると宣言してみせた。

 恐らく彼女なりに噂の真偽を調査し、董卓の潔白を確信したのだろう。

 

「劉備軍に伝令、『華雄攻略を開始せよ』」

 

「ハッ!」

 

 矛盾する想いがある。華雄攻略の指示を出したが、死んで欲しくない。

 

 華雄の威風堂々とした姿は、その地に居る全員の記憶に刻み込まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヒャッハー! 流石姉御だ、連合の奴等ぶるってるぜぇ」

 

「華雄様、連合軍に動きが!」

 

「前に出てくるのは何処の軍だ?」

 

「軍旗から察するに……劉備軍かと」

 

「……チッ」

 

 兵士から舌打ちが聞こえてくる。

 

 開戦に至るまで董卓軍はのんびりしていた訳ではない。兵力や門の補強、軍師である賈駆が特に力を入れたのは情報だ。

 連合軍に集う諸侯、兵力、武将、その他諸々調べ上げている。華雄軍は一兵卒に至るまでその情報を頭に叩き込んだ。

 その中には劉備軍の情報もあるのだが――。多少名のある武人が二人、後は民に毛か生えた程度の義勇軍だ。

 華雄軍の面々が『舐められている』と錯覚するのも無理は無い。

 

「あん? 一騎飛び出して来やがるぜ」

 

「先程のように降伏勧告でもする気なのでしようか……」

 

「姉御にびびって向こうが降伏するんじゃねぇか?」

 

 どっ、と笑いが起こる。

 それが静まる頃、近づいてきた一騎の姿が解る所まで接近し――

 

「別嬪さんじゃねぇかッ!」

 

 美しく長い黒髪、抜群のプロポーション、整った顔立ちに歓声が起きた。

 

「……おい」

 

 緊張感を持たせようと華雄が部下を睨むが、その視線を勘違いした部下がフォローすべく言葉を続ける。

 

「も、もちろん姉御も別嬪ですぜ! 嫁さんになるのは想像できねぇけど……」

 

「余計なお世話だ!」

 

「ひでぶっ!!」

 

 的の外れた言葉に拳が返って来た。手加減しているとはいえ、怪力を誇る華雄の拳は相当のもの。しかし部下達も頑丈で、目を回しながらもヨロヨロと立ち上がる。この一連のやりとりは華雄軍のコミュニケーションの一つである。

 

「我が名は関雲長! 猛将と名高い華雄殿に一騎打ちを所望する!!」

 

「……はぁ? 何が悲しくて義勇軍の将ごときと姉御が一騎打ちしなきゃならねぇんだ」

 

 口汚い言葉だが、それは華雄軍全員の気持ちを代弁していた。

 劉備軍だけならば簡単に蹴散らせるだろう、しかし背後には連合本隊が待ち構えている。

 地の利を使い戦う事が最上なこの場にあって、何故自分からそれを手放し一騎打ちに応じると思うのか。

 

「……」

 

 華雄軍の反応にを見て関羽は眉間に皺をよせる。

 簡単にいかないことはわかっていた。だからこそ華雄の武に唾を吐いてでも挑発しなければならないのだが――

 

 関羽が思い出すのは先程の華雄の姿。

 圧倒的戦力差の連合に啖呵をきる華雄は正に理想の将軍。その見事な光景が頭にのこり、彼女に浴びせるはずの暴言を吐けずにいる。

 しかし子供の使いとして此処に居るわけではない、己の信念を曲げてでも任を全うしなければ。

 自分にそう言い聞かせ、口を開こうとしたその時だ。

 

「降りるぞ」

 

「な、華雄様!?」

 

 部下に制止されながら華雄が姿を消す、恐らくは下に降りているのだろう。 

 

 ―――なんだ?

 

 関羽が感じたのは違和感。華雄が武に誇りを持ち、好戦的な性格であることは聞いている。

 しかし実際に目にした華雄は、荒々しくも研ぎ澄まさせた闘志を漂わせていた。

 それ程の武人が挑発されていないにも関わらず地の利を捨てるだろうか。

 確かに一騎打ちを成立させるため、軍を大分後方に置いて来たが――

 

「いや、今は目の前に集中すべきか」

 

 猛将華雄の名は幾度と無く耳にして来た。相当手強いだろう。

 

 やがて重々しい汜水関の扉が開き、騎乗した華雄が姿を現す。

 

「な!?」

 

 華雄だけでは無かった。彼女の兵士達も騎乗し抜刀している。

 これは、これではまるで――

 

 

 

 

 

「突撃!」

 

『オオオォォッッッッ!』








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第34話

~前回までのあらすじ~

趙雲「メンマくれたら、奮戦してあげるよ?」

袁紹「君何を言って、私は主だよ?(即落ち)」




華雄「馬鹿野郎お前私は勝つぞお前!」

袁紹「忠臣の鑑がこの女郎……」



関羽「いいよこいよ!」

華雄「しょうがねぇな(一人とは言ってない)」



大体あってる



 汜水関の防衛を任された華雄は苦心していた。本来彼女は攻めに特化した将だ。

 そんな自分が如何に連合から汜水関を守れば良いだろうか、散々考えた挙句碌な答えが出てこなかった。

 

 だから唯一つ、相手の嫌がることをしよう。

 攻めに来る者達を自分に見立て。どのように動かれたら厄介か、どのように戦われることを嫌うか。

 

 関羽を確認し下に降りる。一騎打ちを申し込むだけに腕が立つのだろう、狙いは間違いなく自分(華雄)の頸。

 圧倒的劣勢である董卓軍及び華雄軍の精神的支柱である自分を討てれば、汜水関を比較的容易に落とす事が出来る。

 

 ――だが、問題だらけだ

 

 まず一騎打ちを成立させなくてはならない。あれだけの規模を誇る連合のことだ、恐らく自分の事を調べつくしているはず。

 

 ――関羽は私を挑発しようとしていた。大方、私の武にけちをつける算段だったのだろう。

 

 しかしそれだけではまだ弱い。華雄(自分)を確実に一騎打ちに持ち込むには……。

 

 ――兵だ! 後方に下げる事で堂々とした雰囲気を漂わせ、一騎打ちの空気を作り上げた!!

 

 これでは華雄としても引くわけにはいかない。武に誇りを持つものとして、そして汜水関の支柱として、これに乗らねば大陸の笑い者になるだけでなく兵の士気にも大きく影響がでるだろう。

 相手はたかだか義勇軍の将。自軍から孤立したその者の一騎打ちを断ったとして挑発し続けられ、兵たちの士気を下げまいと応じさせる。

 

 ――だがそんなものは所詮、奴等の都合だ。

 

 一騎打ちに応じるものと考えている関羽が嫌がる行動。兵は遥か後方、本隊もさらに後ろに位置するこの状況で相手がもっとも嫌がるのは――

 

 

 

 

 

「突撃だ!」

 

『オオオォォッッッッ!』

 

「ッ……くッ」

 

 華雄とその兵を確認した関羽は馬を翻し自軍へと走らせた。事前に違和感を感じていたことも有り、咄嗟の出来事にもかかわらず反応できたのだ。

 他の者であれば予想外の出来事に動きが遅れ、兵の波に飲み込まれていただろう。

 

 ――危なかった。

 

 馬を疾走させながら後方に目を向ける。案の定、華雄を先頭にその兵たちが彼女に続いていた。

 それを確認して関羽は思わず舌打ちする。

 

 いくら腕に覚えがあるとはいえ、華雄のみならず万に及ぶ軍勢を相手にできるわけが無い。

 

 ――斯くなる上は自軍と合流し、迎撃するほかない!

 

 任を全うできなかったにも関わらず、関羽に負い目の類は見られない。

 それどころか彼女の瞳は猛った光を放ち続けていた。

 

 義勇軍の集まりである自軍に、精鋭と名高い華雄軍の相手は分が悪いだろう。

 だがそこには頼りになる義妹(張飛)が、そして軍師達が居る。何より趙雲隊も居るのだ。

 彼女達の力を持ってすれば勝機は十分。迎撃の態勢を整えた後は張飛、趙雲達と共に突貫。

 華雄の目の前まで行きこの手で討ち取る!

 

 自身が取るべき行動、その方針を簡潔に纏めあげさらに馬を加速させる。

 大胆にして冷静。将となって日は浅いが、彼女は既に軍神としての片鱗を見せ始めていた。

 

「どうした関羽、私と戦いたいのではないのか!!」

 

「……」

 

 退かざるを得ない状況を作って置いて何を言っているのだろうか、誰もが思う所だろう。

 当然とばかりに関羽は無視を決め込み。そんな彼女の背中を見て華雄は口角を上げる。

 

「一騎打ちをするのではないのか?! 私は出てきたぞ!!」

 

「っ~~どの口で!」

 

 ――掛かった

 

 華雄は関羽の心境を手に取るように把握していた。それもそのはず、激情家であるのは華雄も同じなのだ。

 もしも自分(華雄)が同じような状況に陥っていたら、間違いなく腸が煮えくり返っているだろう。

 それこそ、反転して一太刀浴びせたい程に。

 

「……くッ」

 

 だがそれは死を意味する。たとえ運良く華雄を討ち果たせたとしても、残る軍勢に囲まれ殺られるだけだ。

 主の道はまだ始まったばかり、このような所で犬死など――

 

「フン、所詮売女の将か」

 

「……」

 

「大事な初戦を義勇軍如きに任せるはずが無い。大方、総大将である袁紹に股でも開いたのであろう? お前の主――劉備がな!」

 

    

 

 

 

 

 

 

 関羽の中で何かが切れる音がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは……まずいですね」

 

 兵達と共に出撃した華雄を確認し、諸葛亮は表情を曇らせる。

 

「ど、どうしよう朱里ちゃん!」

 

「大丈夫です桃香様」

 

 予定は狂ったものの、次の一手は決まっている。

 幸いなことに関羽は兵に飲まれていない。彼女と合流し趙雲隊と共に迎撃、戦術で敵軍の隙を突く。

 何とか一対一の状況に持ち込めれば、劉備軍最強の矛が華雄を討ち取るだろう。

 

「どなたか、今すぐ趙雲様に――」

 

「ああ……愛紗ちゃん!!」

 

「……え?」

 

 (劉備)の悲痛な叫びに目線を戦場に戻した諸葛亮は信じられないものを見た。

 何と関羽が馬を反転させ、華雄に向かって突撃したのだ。

 

 そして華雄に向かって武器を振るう姿を最後に、彼女は兵の波に飲まれていく。

 

「……ッ」

 

 今回ばかりは諸葛亮から余裕が消える。一騎打ちが成らなかったのも原因の一つだが、何より関羽が敵軍に孤立した事が大きい。

 彼女の存在は劉備軍に必要不可欠、何とかして救出しなければならない。

 しかし、それを任せるには義勇軍の集まりである自分達には荷が重い。最も有効なのは趙雲隊にそれをお願いする事なのだが――

 

 思い出すのは袁紹の言葉、そして策を聞いた趙雲の目。

 たかが将一人のために隊を動かしてくれるだろうか、それも自分から死地に飛び込んだ者の為に。

 

「朱里ちゃん!!」

 

「ッ……鈴々ちゃんを呼んで下さい。彼女と兵達で――」

 

「急報! 趙雲隊が動きました!!」

 

「!?」

 

 

 

 

 

 

 

 趙雲の動きは早かった。連合の誰もが関羽に意識を向ける中、彼女は常に華雄の様子を伺い一挙一動に注目していた。

 だからこそ動けたのだ。姿を消した華雄に何かを感じ、兵たちにすぐ動けるよう言葉を掛けると、華雄の背後に居た兵を確認した途端突撃、目的は下がる関羽の援護及び華雄の頸。

 

 途中関羽が兵の海に飛び込んだことで、援護から救出に変わりはしたが似たようなものだ。

 

「狙うは敵将華雄! 者共私に続け!!」

 

『オオオオオオォォォォォッッッッッ!』

 

 関羽救出はそのついで、あくまでついでだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「華……雄ぅぅッッッ!!」

 

 馬を反転させた関羽は瞬く間に華雄の目の前まで移動、渾身の力をもって青龍偃月刀を振り下ろした。

 

「なん……だと」

 

 激しい金属音と共に関羽の呟きが洩れる。渾身の一撃だった。それこそ両の手で、体重まで上乗せした全身全霊の振り下ろし。華雄はそれを――

 

「片手で弾いただと!?」

 

「中々の一撃だが……どうやら私の力の方が上のようだな」

 

「ッ……」

 

「どうした? まさかもう終わりではあるまい」

 

「貴様ぁぁッッッ!」

 

 さらに激高した関羽を見て華雄は笑みを浮かべる。

 

 ――お前には生餌になってもらうぞ、関羽!

 

 華雄と関羽が矛を交える場所には、兵達による円形の空地が出来ていた。

 誰も手を出さないそれは一騎打ちと遜色ない。しかしそれもあくまで華雄軍から見た場合であり、連合からは孤立した

関羽が窮地に陥っているように見えるだろう。

 華雄の狙いはそこにあった。

 

 ――あの義勇軍の中にあってこれほどの大役を任されたのだ、関羽の存在は特別なもののはず。

 分が悪いとわかっていながら救出に動かざるをえないだろう――そこを叩く!

 

 たかだか義勇軍の集まりである劉備達を蹴散らしたところで、連合には大した痛手ではない。

 だが、出鼻を挫かれたら士気に影響がでるだろう。

 

 華雄の考えは当たっている。大規模な攻勢を仕掛ける連合にとって、この戦いは勝ち戦だ。

 その戦で苦戦はおろか、初戦を任せた隊が全滅したとあっては天下の笑い者である。

 なまじ外面を気に掛ける諸侯が集まっているだけに、この策は連合に苦汁を飲ませる唯一無二のものだった。

 

 ――この戦力差では取れる行動が少ない、ならば少しでも勝ちの目を作る。

 まずは奴等の士気を下げてやる!

 

「華雄様! 側面から我が方に向かってくる軍が!!」

 

「劉備軍――いや早すぎる、どこの軍勢だ!」

 

「旗の文字は『趙』。袁紹軍の趙雲です!」

 

「チッ……側面に兵を集中させろ、ここに入れるな」

 

「ハッ」

 

 関羽の斬撃を捌きながら部下に指示を飛ばす。その余裕に関羽は焦りを見せ始めた。

 

 ――何故だ、何故我が刃が届かぬ?!

 

 怒りは単調な攻撃を、そして焦りは技を鈍らせる。

 華雄はその猛攻を淡々と受け、捌き、避わす。

 

 頭に血が上った関羽は敵ではない、その気になれば返す刃で討ち取れる。

 時折それが仕草に出る為、華雄は半ば強引にそれを止める。

 その行動が関羽の怒りを更に激しくし、動きを鈍らせていった。

 

「そこまでだ!」

 

「!?」

 

「……ほう」

 

 そこに介入したのは趙雲。彼女の襲撃を予期した華雄によって兵の壁を作られたものの、それを物ともせず突破してみせた。

 

「な、側面の兵は何をしているのだ!」

「これではまるで素通りだ、何と言う突破力」

「ええぃ、ここで討ち取るぞ! 華雄様の邪魔をさせ――」

 

 そこから先の言葉は続かなかった。華雄に近づく趙雲を阻止すべく、彼女に接近した兵士達の目線は気が付けば地面にあった。

 そして意識が遠のくと同時に理解する。己が頸が胴と別れたことを――

 

「ば、馬鹿な!?」

 

 遠巻きに様子を見ていた華雄軍の兵士が驚くのも無理は無い。

 

 まさに神速。

 打たれた事にも気付かせない程速度をもった突き。趙雲を討つべく接近した者達は、次々に唖然とした表情でこの世に別れを告げた。

 

「一旦下がるのだ関羽! 自軍に合流し体勢を立て直して――「邪魔をするな!」!?」

 

「私の獲物だ、私の戦いだ。邪魔立てするのであれば例えお前でも……」

 

「……」

 

 関羽の怒りは頂点に達していた。一騎打ち不成立、華雄の挑発、主に対する侮辱、そして手加減。

 様々な要因が収束し、彼女の意識は殺意という形で華雄にのみ注がれていた。

 

 ――く、ここまで頭に血が上っているとは想定外だ。

 

 星を制止させ、関羽は再び猛攻を仕掛ける。

 攻めは単調、息も上がっている。誰が見ても勝ち目の無い一騎打ちに固執した関羽。

 星が割ってはいるのは簡単だ、しかし関羽は正気を失っている。

 手出しすれば間違いなくその怒りが向けられるだろう。

 

 もはや捨て置くほか無いのか。関羽救出を諦めかけたその時だ。

 

「愛紗ぁぁッッ!」

 

 彼女の真名を呼ぶ声が一つ、張飛だ。

 趙雲隊に少し遅れ義勇軍と共にやって来た彼女は義姉救出の為、単身で華雄軍を突破した。

 

「鈴……々?」

 

「なにをやってるのだ愛紗! はやく逃げるのだ!!」

 

 関羽の目に理性が戻ったのを確認し、華雄は小さく舌打ちをする。

 

「華雄様! 形勢は我々の有利、このまま押し切りましょう!!」

 

「そうだぜ姉御ォ! 予定通り劉備軍は釣れたんだ、奴等に目にもの見せてやろうぜぇッ!」

 

「な!? それが狙いか!」

 

 正気に戻った関羽は状況を理解する。近くに趙雲隊が居るとはいえ敵中に孤立、自軍は手練れである義妹を救出に向かわせた代償に、精鋭である華雄軍の攻撃をまともに受けている。

 

 ――ならばせめて華雄だけでも!

 

 敵将も討てなければ自軍に残るのは半壊以上の損害のみ。どうにか討たねばと得物を握り直す関羽だが――

 

「退くぞ」

 

『!?』

 

 撤退を口にしたのは華雄だ。その言葉に連合軍、董卓軍関係なく目を見開く。

 それもそのはず、いくら趙雲隊が居るにしても数が少ない、参戦した劉備軍は寡兵。

 このまま続ければ華雄軍の勝利は確実、彼女の兵たちはそう認識している。

 

「なんでだ姉御!? このまま続ければ――」

 

「二度も言わせるな」

 

「ッ……野郎共、撤退だ!」

 

『オオオォォッッッッ!』

 

「逃がすか!」

 

 撤退を開始した華雄達を確認し、後を追おうとした関羽がすぐさま馬をとめる。

 兵達が引いていく中、華雄だけがその場に残ったのだ。

 

「やりのこしたことがある――関羽!」

 

「ッ……」

 

 一騎打ちを再開しようとでも言うのだろうか、警戒する関羽の目に信じられないものが映った。

 華雄が頭を下げたのだ。未だ矢が行き交い、目の前に敵が居るこの状況で。

 

「お前ほどの武将が忠を置く主だ、劉備は素晴らしい御仁なのだろう。

 私の発言を撤回すると同時に謝罪する、この通りだ」

 

「……ッ今更!」

 

 謝罪を受けようとしない関羽だが、彼女の心情を読み取った華雄は満足そうに頭を上げる。

 関羽がその気になれば先程華雄を討てた。いくら猛将とはいえ、関羽ほどの武を目視無くして捌く事は出来ないのだから。恐らく主を侮辱されたことで、簡単に謝罪を受け入れられないのだろう。

 

「フッ……またな関羽! 次は決着をつけようぞ!!」

 

 それだけ言うと華雄も撤退を開始した。

 

「くっ……趙雲! 奴等の追撃を!!」

 

「無駄だ。した所でこの兵力では返り討ちに遭うだけよ、私達に出来るのは華雄の慧眼を褒めることだけだ」

 

「華雄の……慧眼?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「詰みかけていた?」

 

「ああ」

 

 撤退する中、華雄はその理由を部下に説明していた。

 

「正気の関羽は簡単に討てない、それに状況を理解した奴は趙雲達の助力を断らないだろう。

 そうなれば私でも難しい」

 

「しかし戦況は我々の方が――」

 

「不利にあった」

 

『!?』

 

「原因は趙雲隊と――公孫賛の軍だ」

 

 劉備達にとって幸運だったのは、親友を心配した白蓮が近くに布陣していた事だろう。

 そして彼女は諸葛亮からの要請を受け、劉備軍と共に動いたのだ。

 

 白蓮は義勇軍である劉備達を援護するだけでなく、趙雲の策を見抜き支援しようと動いた。

 星は隊を二つに分け、ある指示を施した。

 それは――華雄軍の後方に回り、退路を断つというもの。

 しかし趙雲隊だけでは効果が薄く、星の考えた策は成らない。

 そこに現れたのが白蓮こと公孫賛軍だ。

 

「趙雲隊だけなら我等の突破力の前に、大した足止めにはならなかっただろう。

 だが公孫賛軍……奴等も後方に回り込ませたら、私たちの撤退は苦しいものになる」

 

「で、でもよぉ姉御。それでも俺らの有利には――」

 

「まだわからんか、後ろを見ろ馬鹿者」

 

「!? あ、あの砂塵は!」

 

「気が付いたようだな、連合軍本隊のものだ」

 

『……』

 

 勇猛果敢で知られる華雄の兵たちも流石に血の気が引いていく、目の前の敵に夢中で気がつけなかった。

 もしもあそこに留まり続けていたら、今頃は連合本隊と衝突し形勢は逆転していただろう。

 

「あと少しでも撤退が遅れていたら、我々は趙雲と公孫賛の足止めで……」

 

「その事態は既に脱した。案ずるな」 

 

「あ、姉御……」「華雄様……」

 

 危機一髪の状況を回避した華雄は笑う。関羽を討ち取ることは叶わなかったが劉備軍、及び趙雲隊に打撃を与えた。

 初戦で連合の出鼻を挫いたのは小さくない、何らかの影響を与えられるだろう。

 

『……』

 

 先程まで危機的状況に恐怖していた華雄軍。彼等は先頭を走る将の姿を見て、胸の中に熱いものを宿らせる。

 

 確かに連合軍は強大だ。力押しで攻められるだけでも絶望的だが、彼等は策、戦術、そして力押しの全てを駆使した。

 並みの将、並みの兵であれば白旗を挙げるだろう。しかし、華雄軍の中にそれを考える者は一人も居ない。

 皆が彼らの主、華雄の力を信じて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第35話

~前回までのあらすじ~

華雄「お姉さんはねぇ、敵軍の苦しむ顔が大好きなんだよ!」

関羽「ライダー助けて!」



華雄「退いちゃうの? 一騎打ちしてよ」

関羽「調子に乗ってんじゃねーぞこの女郎、真名ないくせによー(棒」



華雄「謝罪はしといてやるよぉ」

関羽「許すん」


どっちだよ


 連合と董卓軍の衝突から、早くも初日が過ぎようとしていた。

 

「……」

 

 謁見の間にて相国である董卓、そして軍師の賈駆が陣営の文官達と共に沈黙を保ち報告を待っている。

 絶望的な状況にあって、初日の戦況は今後の勝敗を大きく左右する重要な要素だ。

 

「ほ、報告! 汜水関の防衛に成功、初日は我等の勝利に御座います!!」

 

『オオッ!』

 

「詠ちゃん!」

 

「詳細を教えて」

 

 安堵の空気が流れる中、賈駆は報告を急かす。

 戦はまだ始まったばかりなのだ。前線で奮闘する将兵達のためにも、時間を無駄には出来ない。

 

「連合の先鋒は劉備軍。その将である関羽が華雄様に一騎打ちを申し込んだものの、華雄様はこれを無視して出陣。関羽を孤立させ敵軍を誘き出し、相手に大きな被害を与えました!」

 

『オオッ!』

 

「さすが華雄様だ」

「しかし劉備軍が先鋒とは、寡兵を当てるなど舐めたマネを……」

「いや、これは好機でもある。相手が余裕を見せている内は防衛しやすい」

「その通りだ、生半可な攻めでは華雄様を退けまい」

 

「なんで華雄さん出陣したのかな?」

 

「ボクの指示よ」

 

「詠ちゃんの?」

 

「華雄は圧倒的に攻めの将だもの、あいつの持ち味は攻勢に出ることで発揮されるわ。

 だから此処を発つ前に伝えたの、『機があれば出陣しなさい』って。正直、ここまでうまくいくとは思っていなかったわ」

 

「普段はケンカばかりしてるけど、やっぱり詠ちゃんは華雄さんの事も良く見てるんだね」

 

「な、ぼ、ボクは軍師としての責務を全うしているだけよ!」

 

 董卓の言う通り、華雄と賈駆の二人は普段から口論が絶えない。

 攻め主体の華雄、慎重に事を進める賈駆は何かと意見が衝突しがちだ。

 しかし、喧嘩するほど仲が良いという言葉があるように、この二人も互いを認め合っていた。

 

「そんなことより報告の続きよ!」

 

「ハッ、劉備軍とそれを援護に来た趙雲に痛手を与えた後、華雄様は汜水関に撤退。

 下がった劉備軍に変わり、他の軍勢が汜水関を攻め立てましたが被害は軽微。

 日没と共に連合は退却いたしました!」

 

「上出来ね。……張遼の方は?」

 

「賈駆様の予想通り、迂回路に敵が現れその軍と交戦。

 軍旗は無いものの兵の特徴から、孫策軍と思われます」

 

(しあ)さん……」

 

「大丈夫よ(ゆえ)、霞にはボクから必勝の策を授けてあるわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 開戦から二日目の朝。迂回路を攻略する孫策軍は思うように進軍出来ず、未だ入り口付近に待機していた。

 

「どうにもやりにくい相手ですね~、張遼将軍は」

 

「いや、張遼ではない。この策は別の者の臭いを感じる、恐らく賈駆だろう」

 

「それを実践できる張遼将軍の能力は高いですぅ」

 

 初日の攻防戦。孫策軍の三軍師が伏兵や罠の場所を予測、優秀な斥候を使い特定。

 回避、或いは返り討ちにすることで進軍しようと目論んだ。

 

 それに対し張遼は――孫策軍の動きに合わせ伏兵の位置を変えることで霍乱。

 結果、幾度となく孫策軍に奇襲を仕掛け損害を与えた。

 

「解った事が一つあるな」

 

「あら、それも太平要術の書のおかげかしら?」

 

「むくれるな雪蓮。それを置いてきた事はお前も知っているだろう?」

 

「フンッ!」

 

 そっぽを向く孫策に周瑜は苦笑する。

 

 太平要術の書に頼り、それに友が魅入られることを警戒していた孫策。

 長い付き合いからそれを察した周瑜は、彼女の憂いを解消すべく置いて来たのだ。

 この迂回路発見は紛れもなく孫策軍の力によるものである。

 

 孫策が拗ねているのは戦況に満足できないからだろう。基本的に正面からの戦いを好む彼女にとって、一進一退の攻防は退屈で仕方なかった。

 

「話を戻そう。解ったことは敵の本陣が近くにあるということだ」

 

 張遼軍は孫策達の動きに応じて伏兵の位置を操作している。見通しの悪いこの地形で成すのは至難の業だ。

 

「奴は我等を監視している」

 

 隠密に長ける偵察兵を使い此方の動きを察知している。注目すべきは情報伝達の精度だ。

 本陣が離れていればいるほど伝達するのは難しい。狼煙や銅鑼の音響を使ったものが効果的だが、その二つはおろか合図を送った痕跡が見られない。

 そこから導き出される答えは、長距離で情報伝達する必要が無いという事。

 

「問題は何処に本陣があるかだが……」

 

「あっ」

 

「どうした隠、気が付いた事があれば遠慮なく言ってくれ」

 

「伏兵の動き……左右で偏りを感じませんか?」

 

『!?』

 

 地形図で初日の戦況を振り返っていた陸遜。彼女の言葉に周瑜と呂蒙も、地形図上に配置されている兵馬駒に視線を移す。

 自分達から見て右側に位置する伏兵が、もっとも効果的なタイミングで奇襲している。

 それに対して左側の動きが僅かに遅い。特定した場所からの移動はできているが、奇襲を仕掛ける最適のタイミングを失っていた。

 

「張遼は我等の動きを見透かすように伏兵を動かす」

 

「必要とされるのは、優秀な偵察兵の目と正確かつ機密性のある情報伝達」

 

「その二つを両立させるのは至難の業ですね~。

 精度が高ければ高いほど本陣も近くにあるでしょう」

 

「その条件の下。右にいる伏兵の動きが正確なのに対し、左に生じる僅かな遅れ。

 これは……情報伝達の速度を意味する」

 

 そこから導き出される答えは一つ。

 

『敵本陣は右にある!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「報告! 孫策軍がこの本陣に向かって進軍を開始しました!!」

 

「馬鹿な!? この場所がばれたというのか!」

「もしや偵察兵が捕まって……」

「彼等は選りすぐりの精鋭達だ。たとえ捕まったとしても吐かぬ」

「では我等の策を見破ったと……まだ二日目だぞ?」

「ええぃ、そんなことより迎撃の準備だ!」

 

 

「流石やな――

 

 

 本陣で伏兵を操作していた張遼達は、やってきた報告と共に慌しく動き出した。

 そんな中、地形図を見ていた張遼が静かに賛辞を口にする。しかしそれは――

 

 

                     ――うちらの軍師様は」

 

 (孫策軍)に対する言葉では無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 時を遡り連合が集結していなかった頃、張遼は軍師である賈駆と口論になっていた。

 

「なんでや賈駆っち……なんでうちが虎牢関やねん!!」

 

「ボクの決定になにか異論でもあるの?」

 

「当たり前や!」

 

 普段は飄々としている張遼も、このときばかりは語尾を荒げた。

 無理も無い。この戦の勝敗は主、部下、そして戦友(華雄)の命が掛かっている。

 

「汜水関と虎牢関を抜かれ洛陽が落ちればうちらの負けや。双方に軍を置くこと自体は理解できる。でもそれは通常の戦である場合や!」

 

 戦では大小の差こそあれ、戦力が同等の軍同士での戦いは少ない。

 しかしそれを踏まえて尚、連合と董卓軍の戦力差は常軌を逸していた。

 それこそ、無条件降伏を視野に入れるほどに――

 

「虎牢関でうちが連合を迎撃するっちゅうことは、汜水関が落ちたことを意味する。

 すなわち、華雄とその軍が敗れたっちゅうことや! 唯でさえ戦力差のあるうちらが華雄達を失って戦えるわけない。汜水関を突破して士気が最高潮の連合に蹂躙されるのがオチやろ!!」

 

「……」

 

「うちが守るべき場所はな……」

 

 そう言うと張遼は、地形図上にあった自軍を模した駒を手に取り――

 

「ここや!!」

 

 叩きつけるように汜水関、華雄軍の横に置いた。

 

「一軍でも欠けたら敗北が決定する。なら最初から全軍で汜水関の防衛にあたるべきや!

 賈駆っち……あんた程の軍師がこの答えに辿り着けなかったとは言わせへんで!!」

 

「霞の言いたいことはわかる。ボクも同意見よ」

 

「――だったら!」

 

 さらに捲くし立てようとする張遼を手で制する。

 

「理由を説明する前に確認なんだけど、ボク達にとって最悪の事態はなんだと思う?」

 

「そんなの……関を抜かれて洛陽に攻め込まれることやんか」

 

「そう、洛陽が攻め込まれることよ。そしてそこに通じる道は一つじゃないわ」

 

「迂回路の事を言うとるんか? 洛陽に来たうちらが最近知った場所を、連合が知るはずないやん。たとえ見つけたとしても、あんな悪条件だらけの所を誰が使うねん」

 

「甘いわ霞。ボク達は文字通り後が無いの、石橋を叩いて渡る位じゃないと駄目よ」

 

「つまりウチに、虎牢関では無く迂回路の指揮を取れってことか」

 

「迂回路を使う軍がいるとしたら、どのような軍だと思う?」

 

「そら功名心に駆られた猪突猛進の馬鹿か、自軍に自信のある少数精鋭やろな」

 

「恐らく後者ね。ボクの見立てでは孫策軍が来るはずよ」

 

 連合の情報に力を入れた賈駆は、軍の構成、有力な将、これまでの実績など等、全てを網羅していた。

 その中で目をつけたのは孫策軍。黄巾との戦いにおいて他諸侯を出し抜いて門を開き、張角の頸を挙げて見せた。

 この実績からかの軍は諜報力に優れ、その能力を十全に発揮できる軍師がいることがわかる。

 

「貴女にはあえて敵軍の近く、この位置で陣を張って貰いたいの。 

 孫策軍は優秀な斥候と軍師を保有しているわ、配置させる伏兵と罠の位置は看破される。

 彼女達は一気に突破すべく避けるはずよ、そこで――貴女には敵軍の動きに応じて伏兵を動かして欲しいの」

 

「情報伝達の為に敵軍の近くに本陣を置いて……か」

 

「流石ね、理解が早くて助かるわ」

 

 地形図上の迂回路に駒を持って行こうとした賈駆。その腕を張遼が掴んで止めた。

 

「まだや賈駆っち……まだ半分や」

 

「半分?」

 

「迂回路を突破されることが最悪の事態の『一つ』である事はわかった。

 少数精鋭で知られる孫策軍がそこを狙う危険性もな。でもな賈駆っち、ウチが迂回路で敵を迎撃するとして正面はどないすんねん! いくら華雄が強いといっても限度があるで!!」

 

「あら、いつボクが迂回路の敵を迎撃するといったのかしら?」

 

「……へ?」

 

「ボクの策はこうよ、迂回路に陣を張り敵が来たらそれを速やかに『撃退』

 汜水関にいる華雄に合流し二軍で防衛する。

 霞――貴女には迂回路で攻勢に出てもらうわ」

 

「攻勢……って」

 

 張遼は地形図上――迂回路に配置された駒に目を向け、賈駆の策と言葉の両方を頭の中で反復させた。

 

 伏兵を察知する敵軍に対して、臨機応変に伏兵を動かし奇襲する。

 見事な『迎撃』の策だ。この策をもってすれば敵軍の動きは封じられ、迂回路の突破は困難を極めるだろう。

 

「フフフ、わけがわからないって顔ね。今から説明するわ――」

 

 そこから聞かされたのは紛れも無い『攻勢』の策。先程聞いた『迎撃』の策が見事に昇華したもの。

 

「詠っちアンタ……伏兵、罠、そして本陣でさえも囮にするんか!?」

 

 艶かしく笑みを浮かべる軍師の姿に、張遼は戦慄すると共に安堵する。

 彼女が味方で良かった――と。

 

 

 

 

 

 

 

「物見より報告! 前方に敵本陣と思しき場所有り、迎撃の姿勢を見せております!!」

 

「ふふふ。初日に感じた鬱憤――大いに晴らさせてもらうわ!」

 

 張遼軍の本陣を見つけた孫策達は疾走した。

 険しく行軍には適さないその場所を、何事も無いように馬を走らせていく。

 孫策軍が少数精鋭だからこそ成せる業だ。

 

「……」

 

 自軍が血気盛んに進軍していく中、軍列の中央付近に居た周瑜は違和感を感じていた。

 

 ――うまく事が運びすぎている

 

 迂回路全体に伏兵を散らばしている張遼軍。本陣の戦力は多くない、精々自分達と同程度の筈。

 伏兵策の為に精鋭を使っていれば、質で自軍が圧倒できる。

 

 ――にも関わらず、迎撃

 

 妨害が無い事も気がかりだ。此処までの道程で、幾つも伏兵を配置できる場所を素通り出来た。

 敵の策で最も重要なのは本陣の指揮系統。それが無くなれば伏兵は孤立し、全てが水の泡になる。

 敵方には本陣を移動させるという手段もあった。伏兵や罠で孫策軍の動きを止め、把握している地形の中で付かず離れず(孫策軍)を監視すれば良いのだ。

 

 しかし、疑問に思うと同時に答えも湧いてくる。

 

 本陣の守りを意識して伏兵を配置すれば、そこから本陣の場所を予測されるかもしれない。

 あえて配置せず手薄にする事で、本陣の場所を分からないようにした。

 此方の接近に気がついて迎撃の動きを見せるのは、地形的に退却が難しいから。

 そう考えると辻褄が合う。

 

 ――だがこの感じ、あの時に似ている

 

 誰かの掌の上に居る感覚、あの袁紹等から感じたものだ!

 

「どうしたのだ冥琳。敵本陣を見つけた自軍の軍師が青い顔をすれば、皆の士気に関わるぞ?」

 

(さい)殿……」

 

 思い詰めた表情の周瑜に黄蓋が声を掛ける。彼女の言葉で意識を現実に戻した周瑜は、最悪の事態に備えるため口を開いた。

 

「祭殿、前方に居る雪蓮に言伝をお願いします」

 

「む、それは儂でないといけないのか?」

 

 現在軍列の中央に居る。黄蓋は周瑜に声を掛けるために後続から出て来たのだ。

 言伝の相手である孫策は軍の先陣を指揮している。中列からそこまで行くのは骨を折るし、何より伝令係の者達が居る。

 

「雪蓮は興奮で頭に血が上っているはず。兵の言葉には耳を貸さない恐れがあります」

 

「それで儂か……相分かった。言伝を引き受けよう」

 

「忝い。彼女には一言『気をつけるように』とお願いします」

 

「承知した。では善を急ぐとするか」

 

 感謝の意を伝えるため頭を下げる、それを見て黄蓋は苦笑いを浮かべた。

 

「相変わらず固い奴じゃ。そうさなぁ、儂から取り上げた酒で手を打とう」

 

「フッ、考えておきます」

 

「十分じゃ、ではな!」

 

 周瑜の表情が和らいだのを確認し馬を急がせる。孫策には及ばないが周瑜の勘も鋭い。

 直ぐに伝えねば――

 

 

 

 

「『気をつけるように』?」

 

「うむ」

 

「……」

 

 それまでは獲物を前にした獣の如く興奮していたが。黄蓋と、その口から聞かされた周瑜の伝言で、孫策の目に理性が戻る。

 

 ――何かある?

 

 そして類稀な勘の鋭さで何かを察知する。それは周瑜が感じていたものと同じ違和感。

 周瑜とは違い理屈は伴っていないが、この先に何かあると強く感じた。

 

「あの冥琳が儂を遣わすほどじゃ、警戒しても損は無いと思うがの」

 

「ええ、でも敵本陣は目と鼻の先よ。迎撃の態勢を整えられたらまずいし、この速度を維持するべきだわ」

 

「それについては同感じゃ」

 

 物見の報告から敵本陣は確認している。相手が何かを仕掛ける前に突撃してしまえば問題ない。

 攻撃こそ最大の防御、孫策軍はそれを立証できる精強さを誇るのだ。

 

 

 

 それから数里移動し、ある場所に行き着いた。

 

「ほう、敵本陣に到着する前にこのような広い所が――「全軍停止!」な、策殿!?」

 

「祭、今すぐ皆を停止させて!」

 

「正気か策殿、この速度でいきなり止めては――「早く!」ッ~~全軍停止!!」

 

 孫策の必死な言葉を受け、黄蓋は疾走する自軍に停止を呼びかけた。

 その結果彼女の懸念した通り、兵達は前後でぶつかり合い多くの者達が落馬。

 大小の差はあれ怪我人が続出した。

 

「く……策殿、いったいどうしたのだ!」

 

「わからないわ、でも……この地形に危機感を感じるの」

 

「この地形? ただ少し開けた――」

 

 そこで黄蓋の言葉が詰まる。馬を走らせていた時には気にならなかった地形。

 出入り口が先細りになっているこれには見覚えがある。

 

「ッ、皆の者退け! これは――これは囲地じゃ!!」

 

 黄蓋は反射的に弓を手に取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 孫氏曰く『囲地・囲繞地』とは。

 入り口が険路で中は断崖に囲まれ、出口が先細りしている。

 敵を討つのに絶好の地形である。

 

 攻める側は断崖の高所より矢を撃ち込み、機を見て駆け下り敵を討てる。

 受ける側は逃げ道を断崖と自軍の兵に阻まれ、唯一の出口には兵が殺到し先頭から行き詰る。

 後ろも容易に敵に割って入られ道を塞がれる。

 つまり『囲地』にうまく敵を誘い込めれば――

 

 倍の数の敵でも容易に討てるのである。

 

「敵軍、入り口で停止しました!」

 

「な、もう囲地に気がついたんかいな!?」

 

「いくら何でもこんなに早く気が付かれるはずが……張遼様、一旦様子を窺いましょう」

 

「あかん! 落馬してでも全軍を停止させたんや、気が付いてると見るべきやで!」

 

 既に囲地の崖には、張遼軍による大量の弓兵が控えている。

 孫策達が囲地の奥――否、中央まで進軍していれば壊滅的な被害を受けていただろう。

 しかしそれも、孫策軍が入り口付近で停止した事により事態は一変した。

 

 孫策の勘が常人の遥か上である事は報告に受けている。だからこそ伏兵を悟られぬよう弓兵達は出口側、本陣に近いほうに配置したのだ。

 本来なら入り口を封鎖したのち、弓兵達を広げ一斉掃射を浴びせる算段だった。

 そして満身創痍になりながら混乱する敵軍に向かって、本陣の騎馬隊が止めを刺すはずだったのだ。

 

「―――入り口封鎖や、合図を!」

 

「ハッ」

 

 予定は大きく狂ったが張遼はすぐさま行動に出た。敵軍は少なからず入り口に入っている。

 先頭に居る者の風貌は伝え聞いた孫策本人だろう。一緒に居る妙齢の女性からもただならない気配を感じる。恐らく名のある武人だ。

 

 ならば話は早い、入り口を封鎖し孤立させ討ち取れば良いのだ。

 支柱を失った軍ほど脆いものは無い、士気の落ちた残党兵など張遼軍にとって恰好の餌食だろう。

 

 張遼は後方に控える騎馬隊に知らせを送る。

 

 『入り口封鎖と共に突撃せよ』

 

 しかし彼女の予想を裏切り、入り口の仕掛けが作動する事は無かった。

 兵により合図の旗が振られ続ける。

 

 入り口を封鎖するはずだった兵士達は――既に事切れていた。

 

 

 

 

 

 賈駆と張遼による、囲地を用いた撃退策。

 これが失敗に終わった要因は実に些細なものだった。

 

 始まりは周瑜を心配した黄蓋からだ、言伝を頼まれた彼女は孫策にそれを伝え、敵陣が近いと見るやそのまま先頭に加わった。

 そして理性と勘を取り戻した孫策が強引に進軍を停め、黄蓋が長年培った経験から囲地を看破した。

 

 黄蓋は退却を口にすると同時に弓を手に取る、その動きは反射的なものだ。

 彼女ほどの武将は当然『囲地』を知っている、その効果と有能性も。

 

 だが幸いな事に自軍は入り口付近で停止出来た。最悪の展開は免れたはずだ。

 

 ――否、まだ恐れる展開がある!

 

 本能に基づき目線を入り口の崖に向ける。そして見つけた、落ちれば確実に入り口が封鎖される巨石を。

 そして発見と同時に複数の兵士が姿を現す、約十数人。

 彼等が巨石に近づく前に、黄蓋の弓から矢が放たれた。

 

 もし、黄蓋が周瑜に声を掛けなければ。

 もし、周瑜が黄蓋に言伝を頼まなければ。

 もし、孫策の興奮が醒めていなければ。

 もし、黄蓋が先頭にいなければ――

 

 賈駆の策は成っただろう。総大将孫策は討ち死に、他の将兵達も壊滅的な被害を受け、撤退を余儀なくされたはずだ。

 

 勝利の女神はこの時、孫策達に微笑んでいた。

 

「さっすが祭! 愛してる!!」

 

 巨石と、その近くで倒れている敵兵を確認した孫策は、自分達が窮地に立たされていたことを理解すると共に、黄蓋によりそれを脱した事で歓喜の声を上げた。

 

「これ策殿、油断めされるな!」

 

「一時退却よ! 落馬した者に手を貸しなさい、殿は私が務めるわ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「敵軍が退いて行きます!」

 

「敵軍は落馬した者による離脱者が多く、未だ隊列が整っていません!」

 

「張遼様、追撃を!」

 

「張遼様!!」

 

「―――ッ」

 

 選択を迫られた張遼は、賈駆の言葉を思い出していた。

 

『ボクの策は十中八九決まるわ、でも――もしも失敗したら。

 そこから先は霞の采配に任せるわ』

『それでいいのかって? 何を言うかと思えば』

『ボクは霞の力量を信じてる。何が起きても張文遠なら最善の行動が取れるってね!』

 

 

「張遼様!!」

 

「うち等も退却、本陣を移動させ策を練り直す」

 

「なッ、これではみすみす――「あかん」!?」

 

「こっちの策を寸前で看破できる軍や、無策で退却するはずない!

 とっくに何らかの対策を立てられていると見るべきや!!」

 

 張遼の言葉通り、既に孫策軍は迎撃の準備を終えていた。

 軍列中央に居た周瑜は囲地の仔細を聞いた後、今まで通ってきた道の崖に兵を配備。

 甘寧、周泰の両名を機能しなかった巨石に移動させていた。

 

 仮に張遼が騎馬を率いて追撃に動いた場合。入り口を封鎖され張遼は敵地に孤立していただろう。

 

「堪忍な――華雄」

 

 両軍が慌しく動く中、張遼は汜水関の方角に呟いた。

 本来であれば今日の内に孫策軍を撃退し、汜水関に合流するはずったのだ。

 策が成らなかった事で仕切り直しになる。大胆にも撃退に動いた此方に対し、(孫策軍)は慎重になるだろう。

 

 焦って多大な被害を出せば援軍として機能しなくなる。迂回路の攻防はもう少し長引きそうだ。

 

 

 

 

 

 

「どうやら追って来ないようじゃの」

 

「正直、助かります」

 

 迎撃の準備を終え、敵軍を待ち構えていた周瑜は溜息をつく。

 即興で用意したにしては効果的な迎撃の策、うまく機能すれば張遼を討てたかもしれない。

 それを踏まえて尚、追撃が無かったことに安堵した。

 

 急停止による落馬は予想以上に被害が大きい。特に先頭を走っていた精鋭、孫呉の主攻を担う者達の離脱が痛い。

 彼ら無くして張遼は止められない。追撃していれば彼女の刃は孫策まで届いただろう。

 無論、自分達の長の武を疑ってなどいない。しかし、退路を無くし背水の陣とかした張遼軍は

 

 最悪、総大将同士の相討ちもありえた。

 

「ああもう! なんで追ってこないのよ!!」

 

 そんな安堵の空気が流れる中、一人不満げに叫ぶ者が居た。

 孫策だ。彼女からしてみれば今回の件も初日と同様一進一退の展開であり、刃を交えさせることのないそれは、消化不良もいいところだ。

 

「……はぁ」

 

 孫策の様子に、先程とは違う種類の溜息を周瑜は洩らした。

 

 気分屋な孫策は盛り上がっているとき武力が向上する。

 その逆も然り、不満が溜まっていれば腕が鈍るのだ。

 

 初日は策を詰める為と断ったが。今夜あたり彼女の天幕で、その不満を解消させてやらねばなるまい。

 

「戦はまだ始まったばかり、武人で無いとは言え体力は温存したいのだが……な」

 

 言って周瑜は天を仰ぐ、沈みかけた太陽の光が眩しく感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




もしものIF 袁紹軍迂回路ルート



「駄目です! 動きが速過ぎて伏兵も罠も間にあいません!!」

「何で出来てるねん、その御輿ってのは!?」

「急報! 文醜、顔良、趙雲、そして呂布の軍勢が本陣に向かって進軍中!!」

『…………』



?「武力&知力+αで容赦なく攻め立てる袁紹軍。
  頑張って張遼、あんたが倒れたら董卓様は……!
  次回『董卓軍死す』迎撃スタンバイ!」


感想欄大荒れ不回避



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第36話

~前回までのあらすじ~

董卓「やっぱ好きなんすねぇ」

賈駆「な、何を言って……ボクは軍師だよ?」



周瑜「嫌な予感する、嫌な予感しない?」

孫策「じゃけん退きましょうね~」

黄蓋「ンハッ☆(射)」

張遼「えぇ……」


大体キングダム


 連合総大将、袁紹の合同軍儀天幕内。

 

 汜水関を攻略すべく新たな策を模索するため、初日のように各軍の一同が揃っていた。

 その天幕内の空気、一言で表すなら『異様』だ。

 殆どの者達が口を閉じ。まるでそれが当たり前のように下を、或いは虚空を眺めている。

 

「失態ね」

 

 そんな水を打ったような静けさの中、華琳の辛辣な一言が聞こえる。

 そこに居る者達は各地の長、或いは代表の者達だ。彼女の言葉に黙っていられるはずが無い。

 平時であれば直ぐに誰かが食って掛っただろう。しかし、其処に集まるものでそれをしようとする者は居ない。否、出来ないのだ。

 ある者は恥辱に震え、ある者は拳を握り締め血を滲ませる。

 

 開戦から『四日目』が過ぎようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 初日の戦い。うって出た華雄軍を撃退しようと動いた連合軍だが、彼女の類稀なる勘働きに躱されてしまう。

 一旦下がり軍列を整えようとした連合軍だったが、あろうことか華雄達を追撃した軍がいたのだ。

 

 彼等は勢いに任せて汜水関を攻め立て、梯子を次々に設置し乗り込んで行く。

 これに対して華雄軍の迎撃は――余りにお粗末な結果を残した。

 梯子をかけられ容易く拠点を構築されるだけならまだしも、なんと汜水関内部の奥、門の内側付近まで侵入を許したのだ。

 流石に門を開けられることは無かったものの。日没と共に退いた兵士達は興奮した様子で、『もうすぐで門前だった』などと豪語し始めた。

 その言葉は瞬く間に連合に広がり……結果。連合全体の気が緩み、華雄に対して慢心し始めたのだ。

 

 そしてその日の夜。袁紹が再び合同軍儀を開くと異常な事態が起きた。

 なんと諸侯が我先にと二日目の攻撃を志願し始めたのだ。

 その様子に圧巻される劉備、抑えようと奮闘する白蓮、目を細める華琳。

 袁紹は――笑っていた。苦笑いだ、頬を引き攣らせ諸侯の勢いにドン引きしていた。

 

 地平線を埋め尽くすほどの連合が控える地に攻撃を仕掛ける度胸。

 劉備軍の策を逆手に取り大打撃を与える用兵術。

 猛将関羽を片手であしらう武力、窮地に対する迅速な対応。

 どれをとっても華雄を傑物と思わせるもので、強敵を前に気を引き締めることはあっても、油断する要素などあろうはずもない。

 しかし、寡兵である劉備軍との戦局など諸侯の眼中に無く。

 彼等は一心に汜水関の攻防に目を向けていた。連合を先駆け攻め立てた軍勢、決して強い軍ではない。

 むしろ序列的にも戦力的にも下から数えたほうが早い者達で、彼らの持ち味は勇猛さだけ。

 言い換えればただの猪突猛進な軍だったのだ。

 そんな軍があの華雄軍を力押しで苦戦せしめた、ならば自軍が攻城戦を仕掛ければ――……

 

 単純且つ明快な思考である。

 もはや彼らには劉備軍との一件も、寡兵を相手に無様に退却したように映っていた。

 

 だがそれも無理からぬ事、そうなるように仕向けられていたのだから――

 

 

 

 

 

 結局、止む終えずといった形で諸侯の一人に攻略を一任した。

 袁紹がその気になれば止められただろう。総大将の名の下、上から押さえつける形で事態を収束出来た筈だ。

 しかしそれをしては、ただでさえ脆い連合の結束に大きな亀裂が入る。

 袁紹はもとより、次戦を任された軍にまで不満の感情が向けられるだろう。

 それを良しとしなかった袁紹は、一時的に諸侯に任せることにしたのだ。

 

 そうして迎えた二日目。立候補者が多かったためにクジ引きで軍を決め、攻略を命じた。

 

 彼等は初戦後半のように汜水関を攻め立て、次々と内部に進入して行った。

 単純な力押し。自軍の兵に自信を持っていただけあり、初戦の軍よりも華雄軍に損害を与える。

 しかし、汜水関の門が開かれることは無かった。

 

 日没と共に退いた兵の話だと、門前で華雄が精鋭と共に奮闘しているらしく。

 汜水関の上ならともかく、内側では数の利が敵方にあるため攻めきれない――という結論に至った。

 

 だが、門前まで侵入出来たという事実は他の諸侯を滾らせた。

 

 あの軍が駄目でも自軍であれば――……

 

 初日と変わらない考えの下、三日目の攻略に対しても立候補候補者で溢れる。

 華雄軍が迎撃に成功しているあたり、手強いことは理解できる。

 しかしかの軍は連戦で疲弊してきているのだ、うまくいけば漁夫の利に近い形で功を得られるかも知れない。

 

 

 

 

 

 三日目、攻略を任された軍はまたもや力押しで汜水関を攻め立てた。

 そして今までと同様、容易く内部に兵を進ませ――返り討ちに遭う。

 

 ここまできて、ようやく諸侯も違和感と共に危機感を持ち始める。

 

 

 

 

 

 四日目、何と連合は三軍で汜水関を攻め立てた。

 戦力差を武器に攻撃することは軍議でも案が挙がっていた。しかしそれをしなかったのは、桂花を始めとした軍師達に理論づくで反対されたからだ。

 汜水関の内部で戦闘を行うのは混戦となる。様々な軍勢で入れば同士討ちの危険性が高く、指揮系統も混乱し軍として機能しない。そこを華雄軍に攻められ莫大な被害が出る恐れがある。

 

 余裕が無くなって来ていた諸侯はこの反対を振り切り、三軍で攻撃を仕掛けたのだ。

 そして軍師達の懸念通り同士討ちが多発、多くの被害が出た。

 しかし人海戦術の破壊力も伊達ではなく、汜水関の上の制圧に成功。

 残るは門だけ、というところまで歩を進め――

 

 そこで華雄軍は今まで隠していた牙を剥いた。

 ここまでの展開、全ては董卓軍の軍師賈駆と華雄による『演出』である。

 

 

 

 

 

「汜水関での迎撃……華雄、アンタは『下手』に戦いなさい」

 

「いくらお前でも私の軍を馬鹿にすることは――」

 

「最後まで聞く! これはボクの策よ」

 

「……策だと?」

 

 余りにも詳細を省いた賈駆の発言。華雄は数瞬怒気を発したが、策という言葉を聞きそれを四散させる。

 戦場でその策に助けられたことは、一度や二度ではない。

 普段から彼女と口論が絶えないが、軍師としての力量、才覚には信を置いていた。

 

「説明する前に確認だけど、個人と複数人では力量に偏りが生じること――理解してるわよね?」

 

「ああ」

 

 一対一で敵に相対しているのに対し、多対一で戦う場合。

 仲間との連携、数で勝る安心感、様々な要因が個人の武力を妨げる。

 幾度も軍を指揮し、戦をこなしてきた華雄はそれを良く理解していた。

 

「そしてそれは軍に対しても適用されるわ、連合は一枚岩では無い……彼等は自然と余力を残す戦い方をするはずよ」

 

 例を挙げるとしたら初戦の劉備軍だろう。もしも連合が純粋に汜水関突破に動いていた場合、華雄軍の相手は袁紹軍、或いは曹操軍だったはずだ。

 しかしこの両軍は余裕を持って高みの見物、他軍に任せてしまった。

 もしもどちらかが攻略に動いていた場合、苦戦は免れなかっただろう。

 へたをすれば初戦で汜水関を抜かれていた。

 

「アンタはその油断に付け込むの。攻防戦を長引かせて、霞の到着までね」

 

「それと下手に戦うことに何の繋がりがある?」

 

 華雄の疑問はもっともだ。いくら連合の各軍が余力を残す戦い方をした所で、自分達の不利に変わりは無い。

 そもそも余力を残せるという事は、裏を返せばそれだけ有利である証。

 

「アンタの軍なら初戦は心配ないわ、精鋭兵と将の力で難なく退けられるはずよ。

 ……でもそれじゃ駄目なの」

 

「駄目とは?」

 

「連合軍は決して無能の集まりじゃない。猛将とその兵の活躍を見れば次戦で必ず対応してくるわ。策と軍の質を上げて……ね、そこで――」

 

「『下手』に戦い、敵の余力を維持させ時を稼ぐ――か」

 

「…………理解できたなら話が早いわ」

 

 華雄が時折見せる理解力の高さ、それには本当に舌を巻く。

 彼女曰く、頭の中で想定し結果を導き出しているとの事だが――それが即興で出来る凄さを理解していない。

 しかもその殆どが勘によるものなのだ。故に、軍師が地形図を見ながら編み出す策を、戦場で大斧を振り回しながら看破し、即座に対応できる。

 軍略家としては笑えない相手だ。彼女が味方で良かったとつくづく思う。

 

 

 

 

 

 こうして華雄軍は下手に戦い――四日目にして本性を現したのだ。

 実は三日目まで戦っていた華雄軍の殆どが新兵、今回の戦にあたり参加した志願兵達だ。

 四日目にして三軍で攻勢に出た連合に対し、予備兵のように下げていた精鋭達を投入。

 瞬く間に内部の敵を殲滅し、汜水関に作られた拠点を全て粉砕した。

 

 そして諸侯は理解する。まんまと踊らされていたことを――

 

「失態ね」

 

 華琳の辛辣な言葉と共に話は現在へと戻る。

 

 彼女の言葉通り失態に継ぐ失態、大失態であった。

 度重なる敗戦と華雄軍がみせた武の爆発、そして連合全体に流れた噂。

 

『黄巾賊、各地で再び決起せり』

 

 見え透いた虚偽である、賈駆が機を見て流したものだ。

 しかし黄巾の傷跡は大陸各地で濃く残っており、あながち有り得ない話ではないため性質が悪い。

 殆どの諸侯が保身のため、今すぐ領地に戻りたい心境であった。

 此処にいるのは単に他者の目を気にしているからで、残留の訳は惰性に近い。

 

 今や士気は最悪。初日に比べ見る影も無い。

 

「五日目は私が貰うわ、文句はないわよね?」

 

 そんな中、華琳の言葉が天幕内に響く。

 此処まで辛酸を舐めさせられているのにも関わらず、彼女の表情に憂いは感じられない。

 それどころか、ようやく出番が回って来たと瞳をギラつかせ高揚していた。

 

「他に声が無いなら決まりだ。明日はか……曹操殿に任せるとしよう。

 他軍の援護はどのように?」

 

「必要ないわ。私の軍だけで十分よ」

 

『!?』

 

 袁紹を除く者達の目が見開かれる。特に華雄軍と攻防を繰り広げてきた者達が驚いた。

 無理も無い、三日目までなら兎も角。四日目の今日は三軍での攻撃が弾かれたのだ。

 いくら曹操軍が精鋭揃いとはいえ、地の利に勝り、加減を止めた華雄軍に一軍で当たるのは――

 

 それも明日の五日目は重要だ。士気が落ち、黄巾が気になる現状でまた抜けなければ。

 各諸侯は不安から連合を離脱し始めるだろう。そして最初に離れた軍を機に、半数以上の戦力が失われる。

 そこに張遼が華雄達と合流すれば勝機は……。

 

 しかし心情はどうあれ、これに反対する意見などあるはずもなく。

 明日は曹操軍に一任するという形でこの日は解散した。

 

 

 

 

 

 

「本当に、彼等は何しに来たのかしらね」

 

 軍議後、自陣の天幕に戻った華琳は酒を飲んでいた。

 軍師である郭嘉に酌をさせ、諸侯に対する不満を口にする。

 

「史に愚将として名を残しに来たのかと思うほどよ、貴女はどう? 稟」

 

「華琳様、流石にそれは……」

 

「此処には煩わしい連中は居ないわ、本音を聞かせて頂戴」

 

 郭嘉は言いよどみながらも主の杯に酒を注ぐ。本音を聞かせるよう諭されたが、彼女の意見は変わらない。

 

「高みを目指す我々から見れば確かにお粗末ですが、四日目の鬼気迫る攻勢には目を見張るものがありました。

 彼らを批判するより、相対している董卓軍の奮戦を褒めるべきかと」

 

 郭嘉の言葉を「それもそうね」と受け入れ酒を飲み干す。

 自軍や袁紹達から見ればお粗末だが、彼らの攻めには確かな破壊力があった。

 相手が華雄軍でなければ突破していただろう。

 

「まぁでも、華雄の奮戦も明日で終わりね」

 

 諸侯の戦力、戦術を観察する間。十分に華雄軍と汜水関を見ることが出来た。

 

 確かに堅固だ、しかしまったく脅威を感じない。

 それほどの軍備、それほどの『もの』を曹操軍は用意してきたのだ。

 

「華琳様、そろそろ」

 

「そうね、明日に差し支えるといけないし……今日はもう寝るわ」

 

 天幕を後にしようとする郭嘉を、腕を掴んで止める。

 

「稟、貴女も此処で寝ていきなさい。いいわね?」

 

「ふぇ!? いいいいいえ、私は!」

 

「駄目よ、今日と言う今日は逃がさないわ」

 

 郭嘉が曹操軍に仕えてから数年。彼女は未だに華琳と閨を共にしたことがなかった。

 閨に誘われるたび断り続けていたのだ。本当は興味があるにも関わらず……

 郭嘉はどこか天邪鬼なところがあった。

 

「大丈夫、私に全てを委ねるだけでいいのよ」

 

 半ば強引に郭嘉を寝台に押し倒し、口付けを交わす。

 そしてそのまま、舌で彼女の首をなぞり――

 

「~~~―――ッ……プハッ!」

 

 臨界点を突破し、郭嘉から噴出された鼻血に止められる。

 

「……この娘も相変わらずね」

 

 妄想癖がある郭嘉の鼻血、曹操軍では見慣れた光景だ。

 このクセも相まって今まで愛でる事が出来なかった。いざ事が始まればあるいは――

 と、思っていたが駄目のようだ。

 

 華琳は行為を止め、気を失った郭嘉に処置を施す。

 いくら好色とはいえ、意識の無い者に手を出すほど飢えてはいない。

 この持て余す程の昂りは明日、董卓軍にぶつけるとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 五日目。汜水関を守る華雄軍に緊張が張り詰める。

 

 その原因は近づいてくる軍旗にあるだろう。『曹』の一文字、曹操軍だ。

 華雄軍は当然その軍を知っている、その脅威も。かの軍勢は軍師賈駆をして、二番目に気をつけなければならない軍勢だった。

 

 それに、援軍がまだ到着していない。

 華雄軍は度重なる連戦で疲弊してきている、今にも絶望の兆しが現れそうだ。

 

「臆するな! 援軍は必ず来る、それまで此処を守りきるぞ!!」

 

『オオオオォォッッッ!!』

 

 そんな彼等が戦意を保っていられるのも、単に華雄の存在が大きい。

 初日から鬼神の如く連合を退け続けた彼女は、汜水関の希望そのものだ。

 

「華雄様! 敵軍から何か飛び出して来ました!!」

 

「あれは―――」

 

 

 

 

 

 

「―――衝車!?」

 

「知っているのか雷電(桂花)!」

 

「?……門を破壊することを目的とした攻城兵器です!」

 

 曹操軍の騎馬に引っ張られたソレは、華雄軍の斉射も虚しく汜水関の門前まで到達した。

 そして――容赦なく取り付けられている巨大な杭で門に衝撃を与える。

 

 それを見て、曹操軍を除く軍勢が目を見開いた。

 衝撃に驚いたわけではない、なんとその衝車は――無人で動いていたのだ。

 

「連合も董卓軍も見て驚け! これがウチ渾身のカラクリ自動衝車『ぶちやぶる君二号』や!!」

 

 

 

 

 

 

 

 




ぶちやぶる君一号、春蘭による耐久テストにて殉職。


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第37話

~前回の用語解説~

『知っているのか雷電』

額に大往生の文字を掲げ、ある時は中国拳法家、ある時は猿三匹を使った曲芸士、
そしてある時は武術の解説を務めた人物、雷電に送られた賛辞の言葉。
仲間達が彼に畏敬の念をこめ「知っているのか雷電!」と口にしたのが始まり。

以降、物知り且つ解説役を務め上げる賢人に対し、賞賛の言葉として用いられる。


名族大全集『袁家知心』より抜粋



「いっけぇッ二号! お前の兄の…ぶんも……グスッ」

 

 李典の脳裏に忘れられない光景が蘇る。

 

 自動衝車を完成させた彼女は、すぐさま主である華琳に報告した。

 その未知の原理に驚きを隠せない覇王、得意げに胸を張るカラクリ娘。

 

『耐久性は確かなのでしょうね?』

 

『へ?』

 

 門破壊を目的とするなら、阻止しようとする敵の攻撃を考慮し頑丈でなければならない。

 しかし、カラクリにばかり夢中になっていた李典には寝耳に水な確認だった。

 

『だ、大丈夫です。素材には頑丈なものをつこうてますし、生半可な攻撃には――』

 

『春蘭』

 

『ハッ!』

 

『――びくともしません……って、あーーッ!!』

 

 自信の傑作に向かって拳を振り上げる春蘭に悲鳴を上げる。

 考慮していなかったとはいえ耐久性には自信がある。しかしそれは矢や大斧による一撃に対してだ、断じて曹操軍が誇る武神(脳筋)の一撃ではない!

 

『……』

 

『……スマン』

 

 春蘭の一撃は見事に傑作を半壊させた。否、修復不可能な時点で全壊と変わりない。

 これにはさすがの春蘭も気まずくなり、一言謝罪しその場を後にした。

 大破した『一号』を前に李典は唖然とし、周りはそんな彼女に何と言葉を掛けるべきかと慌てていたが――

 

『耐久性は重視させなさい。いいわね?』

 

『…………ハイ』

 

 そんな放心状態の李典に対し、華琳は容赦なく改善するよう命を出す。

 一つ間違えればトラウマになりかねない出来事、しかし華琳は李典の瞳が熱を帯びたのを見逃さなかった。

 

 

 

 

 

 

「いっけぇ二号!」

 

 苦い記憶だが、おかげで二号の耐久性は折り紙つきだ。

 

 敵方が衝車を破壊しようと矢の雨を降らせる、びくともしない。

 燃やそうと火矢に変える。生憎、二号は鉄製だ。

 ついには人の頭ほどの大きさの石を落とし始めた、傷一つ付かない。

 二号は春蘭(脳筋)の一撃を意識して作られたのだ、この程度の衝撃で壊せるはずも無い。

 

 華雄軍の攻撃も虚しく、衝車の一撃で再び汜水関が揺れる。

 

「あ、姉御ォ……これは不味いぜ」

 

「……ッ」

 

 部下達の手前、これまで毅然としていた華雄も動揺が隠せない。

 

 巨石を運ばせてはいるが如何せん時間が掛かる。恐らく到着前に門が破壊されるだろう。

 一見詰みだが、手はまだある――華雄(自分)だ。

 華雄とその得物『金剛爆斧』の一撃を持ってすれば破壊できるはず、しかしそれが出来るなら苦労はしない。

 汜水関の門はすでに内側から固く封鎖してあった。

 

 連合は四日目で三軍を導入するという、熾烈な攻勢を仕掛けてきた。

 賈駆の話しを考慮するなら、次はそれを超える攻撃にでるはずだ。

 そう考えた華雄は内門を封鎖、敵が門を破壊しようとした場合に備え、巨石で補強したのだ。

 

 ――まさか裏目に出るとはな

 

 汜水関から打って出るには巨石を退かす必要がある。しかしそれをすれば、門は衝撃に耐え切れず破壊されるだろう。

 今運ばせている巨石の一つは、あの憎い衝車に落とすためのものだ。

 

「急げ! 巨石をここまで持ってくるんだ!!」

 

 部下の一人が急かす中、それを鼓舞すべき華雄は沈黙を保つ。

 

 ――間に合わない

 

 華雄の勘がそう強く告げていた。

 ではもう手が無いのだろうか、否、一つだけある。

 

「張義、縄梯子を今すぐ下ろせ!」

 

「縄梯子!? まさか姉御したに行く気……じゃ」

 

 華雄の姿は既に無く――瞬間、その地全体が揺れた。

 

「な、何や!?」

 

 その衝撃に耐え切れず尻餅をついた李典。余りの揺れに天災の類を疑ったが揺れは一瞬だけだ。

 では何の衝撃だろうか、確認しようと立ち上がり前方に目を――

 

「んな……アホな」

 

 向けて硬直した、彼女の視線の先では『二号』が大破している。

 だが李典が声を上げたのは自身の傑作に対してではない、その上に居る『衝撃』の正体に対してであった。

 

「衝車……破壊させて貰ったぞ!」

 

『ウオオオオオオォォォォォォッッッッッッッ!!!!』

 

 華雄だ! あろう事か彼女は汜水関から飛び降り、勢いそのまま衝車に戦斧を振り下ろし破壊したのだ。

 

 大胆不敵、勇猛果敢。

 その光景に連合、華雄軍双方から声が上がった。

 

「しょ、正気かいな!」

 

 李典の口から思わず言葉が洩れる、無理も無い。

 確かに華雄は衝車を破壊したが、その代償に敵中で孤立している。

 ここから連合が彼女を攻め立てれば、いくら猛将とはいえひとたまりも無いはずだ。

 

「無論正気だ」

 

 言うが早いか、華雄のすぐ側に縄梯子が下ろされる。

 上では彼女の部下らしき者達が『姉御ォ!』と声を上げていた。

 

「逃がすわけないやろ! 弓隊、敵将華雄に向かって一斉掃射や!!」

 

『ハッ』

 

「ちっ……!」

 

 容赦なく放たれる矢を戦斧で叩き落す。その人間離れした芸当に李典は目を見張るが、手は緩めない。

 いくら華雄とはいえ、梯子を上りながら矢を防げるはずが無い。

 このまま彼女の動きを封じ、春蘭達騎馬隊の到着を待つだけだ。

 

 突然の事態にも関わらず反応した李典は流石である。カラクリばかりに注目されがちだが、彼女も有能な将の一人なのだ。

 

「止む終えん」

 

 ――な、上る気かいな!?

 

 縄梯子を握った華雄、それを見て何度目かわからない驚愕に李典は目を見開く。

 しかし次の瞬間、李典の予想が破られると同時に再び驚愕させられる。

 

「張義!!」

 

「今だ野郎共! 引けぇッッ!!」

 

『応!!』

 

 そう、自ら上る必要など無いのだ。

 側近の一人、張義。特に打ち合わせたはずでもないのに彼は華雄の考えを理解し。

 彼女の合図と共に部下達に縄を引っ張らせた。

 

「させるか!」

 

 当然、李典達がそれを見てみぬふりするはずがない。

 梯子と共に上がっていく華雄に対し、再び矢の嵐を浴びせる。

 

「フンッ!」

 

 華雄はそれを得物を握っている右手で先程のように弾く。これまでの展開、全て計算通りだ。

 

 双方の軍が門に注目する中、華雄は曹操軍の配置を上から確認していた。

 衝車の周りに居るのは李典を始めとする工作兵、その後ろに援護の弓隊。

 門まで衝車を運んできた騎馬隊は、邪魔にならないようその後方に布陣している。

 

 ――いける!

 

 敵中に将が降り立つという異常事態、それに加え衝車が破壊されれば、動揺で数瞬動きが止まるだろう。

 後は精鋭の騎馬隊が来る前に、引っ張り易い縄梯子で離脱すれば良い。

 

 一見無謀にしか映らない行動、それら全て華雄の計算通りだった。

 

 そしてその証拠とでも言うが如く汜水関の中腹まで上がった頃、彼女の眼下に曹操軍の騎馬隊が到着していた。

 

 ――ほう、神速の名に恥じぬ速さだ

 

 もう少し離脱が遅れていたら……自身を睨む将と相対していた。

 たとえ討ち破れたとしても、後に続く兵士達に多勢に無勢で成す術もなかっただろう。

 

 華雄は――賭けに勝ったのだ!

 

 

 

 

 

「華雄様お怪我は!?」

 

「私は大丈夫だ、張義はどうした?」

 

「ッ……それが」

 

「……そうか」

 

 華雄を引き上げるため、彼女の兵達は手に持っていた矢避けの盾を手放していた。

 部下達が言いよどむあたり察しがつく。

 口の悪い側近だった。だが古株で、誰よりも華雄の考えを理解できる人物だ。

 彼なしに衝車の破壊は成しえなかっただろう。

 

「よくも、よくもウチの二号をぉぉ」

 

 短く追悼を送る華雄の耳に悲痛な声が聞こえてきた。

 李典だ、大破した衝車に被さり嗚咽を洩らしている。

 

「ウチは怒ったで華雄ッッッ!」

 

 顔を上げた彼女が右手を振る、それに呼応して旗が振られ始めた。

 どうやら何かの合図のようだ。

 

「負傷者を下がらせ、その穴を予備隊で埋めろ」

 

「ハッ」

 

「盾隊を再組織、梯子を掛けられた時の為に大斧の準備も急げ!」

 

 油断無く指示を送る、窮地は脱したが敵方の合図が気がかりだ。

 よもや自動衝車以上の物を用意しているとは思えないが……

 

「ああそんな、……華雄様」

 

「?―――ッ!!」

 

 側近の悲痛な声に、華雄は彼の目線を辿り前方に目を向ける。

 そしてそこで――信じられないものを目にした。

 

「三号、四号、五号! 兄弟の仇をとったれぇッッ!」

 

 衝車だ、それも一台ではない。

 先程破壊した物と同様のものが三つ、曹操の軍中を此方に向かって移動していた。

 

「……あ」

 

 側近の男は力が抜け、その場に崩れ落ちる。

 彼は華雄軍の中でもとりわけ知に秀でた者で、戦況の読みには定評があった。

 そんな彼が力なく崩れ落ちている、それが如何に絶望的な状況であるか再確認するには十分で――

 

「立て」

 

「か、華雄様!」

 

 崩れ落ちた側近を華雄が乱暴に掴んで起こす、確かに状況は絶望的だ。

 華雄の命を賭した一撃を持ってようやく破壊できた代物、それが三台。

 曹操軍の騎馬は門に隣接している、先程の奇策は使えない。

 運ばせいてる巨石は一つ、運良く一台破壊できたしても後が控えている。

 

 しかし華雄は――諦めない。

 

「運ばせている巨石を内門に戻せ。直ちに撤退、虎牢関まで退くぞ!」

 

「な!? それでは汜水関がみすみす――」

 

「最早全ては守れぬ、ここで避けるべきは我が軍の壊滅だ!!」

 

 部下の一人に賈駆に向けた伝言を任せる、内容は戦の仔細。

 

 巨岩で固めた門は突破に時間が掛かる、その後の汜水関の制圧。

 汜水関の通過とそれに伴う連合軍の動き、時間稼ぎには十分だ。

 

「アイツなら――賈駆なら! この事態に対応できる策を思い付くはずだ!!」

 

 

 

 

 

 

「報告! もうすぐ汜水関の門を破壊できるとの事です!!」

 

「妙……ですね」

 

 曹操軍本陣で報告を受けた郭嘉は、華雄軍の動きに違和感を感じた。

 

「あの大胆不敵な華雄が、二台目以降衝車に何もしないのは……恐らく」

 

「退却したわね」

 

 同じく本陣に居た華琳が言葉を続ける。

 主の聡明さに改めて舌を巻き、自身の存在意義に気を使って欲しい――と少し拗ねつつ郭嘉は肯定した。

 

「自動衝車三台を道連れにせず後方に下がり体勢を立て直す。

 洛陽にいる賈駆に早馬を走らせ、策を請う心算でしょう」

 

「ふーん、初動としては悪くないわね……稟!」

 

「前方に通達『汜水関制圧を後方に任せ、虎牢関を一気に攻め立てよ』」

 

「ハッ」

 

 董卓軍に考える時間など与えない。衝車の目的は門を破壊することだけなのだ、ならば策を編み出す前にかたをつければ良い。

 虎牢関の門も破壊できれば、圧倒的戦力差の前に董卓軍に成す術は無い。

 

「この戦――「急報!」」

 

 貰ったわね、と言葉にしようとした瞬間遮られる。

 不快ではあるが、この程度の事で激怒するほど華琳の器は小さくない。

 

 しかし――

 

「え、袁紹軍が動き出しました!!」

 

 伝者の言葉に、彼女の表情から余裕が消えた。

 

 

 

 

 

 

 




袁紹「 お ま た せ (ゲス族)」


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第38話

~前回までのあらすじ~

兵士「やべぇよやべぇよ、もの凄い衝車だから」

華雄「大丈夫でしょ、ま多少はね?」キサクー



李典「もう許さねぇからなぁ?(ネットリ」

三号「兄!」

四号「仇!」

五号「破壊!って感じで」

華雄「その為の退却、あとその為の軍師(カク)?」



 ?「オイヒキコモリ」

袁紹「働かなきゃ(使命感)」


大体あってる。


 伝者の報告を聞いた二人は、本陣の天幕から外に出ると。

 見晴らしの良い場所まで移動し、汜水関に向かう袁紹軍に目を向けていた。

 

「あれは……もしや」

 

「知っているの? 稟」

 

「私と風が南皮に身を寄せていた頃、噂を聞いたことがあります。

 何でも、あの荀文若をして『完成すれば大陸最強の騎馬隊』になるとの事です」

 

「詳細は?」

 

「そこまでは、何分軍事機密でしたので」

 

「そう、大陸最強……大きく出たわね」

 

 長い歴史の中で、騎馬隊は戦場の主役として前線で活躍してきた。

 それは今も変わらない。

 

 その騎馬が有名なのは西涼の馬騰や、公孫賛率いる白馬隊だろう。

 そしてこの曹操軍も騎馬隊には力を入れている。春蘭や秋蘭を主軸に鍛練を施し、その完成度は大陸でも五指に入ると自負していた。

 そんな自分達を差し置いて最強を名乗る、その騎馬隊とは如何程の―――

 

「興味があるだろう?」

 

「麗覇……ッ!!」

 

 いつの間にか自身の隣に来ていた袁紹。華琳が驚いたのは彼の姿だ。

 肩から足首にいたるまで縄で縛られ、そんな彼を猪々子が担いでいる。

 その姿は戦場で捕らえられた敵将のようだ。

 

「これか? 袁家が誇る真の秘密兵器を温存しようという、桂花の粋な――」

 

「御輿に乗って飛び出そうとした所を、桂花さんの指示で簀巻きにしたんです」

 

「……そうとも言う」

 

 そうとしか言わない。

 

 状況がわからず困惑する華琳だったが、優秀な通訳(斗詩)のおかげで理解する。

 どうやら私塾にいた頃以上に、周りに迷惑を掛けているようだ。

 桂花と斗詩の気苦労は絶えないだろう。

 

 少し強引にでも引き抜くべきだったか――などと華琳が考えている間。

 猪々子の手により隣に降ろされた袁紹は、先程の続きを話そうと口を開いた。

 

「我の事はさておき、どうだ華琳」

 

「どう、とは?」

 

「惚けるな、あの騎馬隊に興味があるのだろう?」

 

「……」

 

 いつの間にか縄抜けを果たしている迷族を尻目に、彼の言葉を吟味する。

 興味は――ある、大いにある。華琳の好奇心は並の物ではない。

 それも友が手掛け、大陸最強を名乗るのなら――

 

「痛!? ……??」

 

 何だか掌の上で転がされているようで我慢ならない。反射的に隣に居る彼をつねってしまった。

 

 袁紹がここに来たのは汜水関を先んじて通る為、その許可を貰うのが目的だろう。

 興味を持った華琳(自分)なら難なく篭絡出切ると考えて。

 

「いいわ、そこまで言うなら見せて貰おうじゃない。先に汜水関を通るのは私達だけど」

 

「む、何故だ?」

 

「何故って……虎牢関の門に衝車を当てるために決まってるじゃない」

 

 騎馬が本領を発揮できるのは平地の戦だ。いくら精鋭揃いでも、虎牢関の門が閉まっていては真価を発揮できない。

 

「無用だ、我が軍だけで当たる」

 

「!?」

 

 何気なく放たれた一言だが、内包している意味が余りにもでか過ぎる。

 

 衝車による援護を不要と言い放った、虎牢関を突破できる力があるという事だ。

 見たところ自分達のように攻城兵器を持ち合わせているわけではない。華琳が目を丸くするのも無理は無い。

 

「ホホホ、用も済んだことですし帰りますよ斗詩さん! 猪々子……さん?」

 

 理想の上司のような言葉使いで踵を返そうとした袁紹だが、その動きを猪々子により止められた。

 

「猪々子、なんだそれは」

 

「これ? 麗覇様は縄だとすぐ抜け出しちゃうからさ~、こんなときの為に鎖を持ってきたんだ!」

 

「ぶ、文ちゃん! いくらなんでもそれは――」

 

「我は一向にかまわんッッ!」

 

「もう! 何で変な所で自信満々なんですか!!」

 

「あ、いや言ってみたかっただけ――」

 

 そうこうしているうちに鎖で簀巻きにされる迷族。来た時と同じように猪々子に担がれると、観念したのか抵抗はしなかった。

 

「ではな華琳! 事が終わったら飲み明かそうぞ!!」

 

「へ? え、ええ」

 

 一連の出来事に流石の華琳も言葉がない。今更だがあの格好で軍中を移動する事に抵抗は無いのだろうか。

 華琳の疑問に答えるように、袁紹達は何事もなく自陣に向かって歩き出した。

 彼らの背が遠くなった頃、郭嘉が胸中を言葉にする。

 

「まるで嵐のような御仁ですね」

 

「自分が台風の目でないと気がすまない性質、昔からよ」

 

 私塾に居た頃からそうだ。彼は常に注目を浴びる事に、無自覚ながら執着していた。

 能力の高さや、歯に衣着せぬ物言いで袁紹についで問題児だった華琳だが。

 彼女が何かしら問題を起こしても、いつの間にか介入している袁紹に上書きされる。

 

「楽しみね」

 

 心底そう思う。

 

 私塾に居た頃のようにその性質が健在なら、彼は必ず自軍(曹操軍)よりも大きな偉業を成し遂げ、この地の、いや、天下中の注目を掻っ攫っていくはずだ。

 果たして、自動衝車という規格外を越える事が出来るだろうか――

 

 

 

 

 

「な、なんやねんこの騎馬隊は……」

 

 華琳の許可を得て汜水関を通っていく騎馬隊。それを最前列で見ていた李典の呟きは、その場に居た曹操軍全員の気持ちを代弁していた。

 

 この大陸の軍には分かり易い特色がある、色だ。

 曹操軍が蒼、孫策軍が赤とあるように、袁紹軍の特色は黄色だ。

 それを踏まえて李典達の目の前を横切る騎馬隊はどうだろうか、黒だ。

 漆黒の鎧を人馬共に纏っている、旗がなければ誰も袁紹軍だと気付けないだろう。

 

「フッフッフッ、見ましたか呂布殿! 曹操軍は我ら重騎隊に目を丸くしていましたぞ!!」

 

「……」

 

 その隊を率いるは袁紹軍最高戦力、呂奉先。専属軍師である音々音と共に虎牢関へと向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 場所は変わり虎牢関、その門を超えた先の平地に華雄と、()()の両軍が布陣していた。

 

 華雄から戦の仔細を受け取った賈駆は、虎牢関を一時的に諦める策を考えた。

 汜水関を陥落させた曹操軍は、神速の用兵術を持ち味にして最大の武器としている。

 その軍勢が虎牢関で建て直しを図ろうとする自分達を、見逃すとは到底思えない。

 汜水関の制圧を後回しにしてでも虎牢関を攻め立てるはず、そしてそうなれば――

 

 自軍に手立ては無い。

 故にあえて虎牢関を諦める。衝車を止める術、時間がないなら固執した所で結果は同じだ。

 それよりもその後、虎牢関を抜けた連合に対して策を立てたほうがマシである。

 

 賈駆の策、それは単純にして効果的なものだ。

 虎牢関を通る連合に、陣形を整える間を与えず攻撃する。

 門を通る人数には限りがある、そして大軍であればあるほど陣形を整えるのに時間を有する。

 その大軍に向かって二軍の弓隊で一斉掃射、機を見て騎馬隊で止めを刺す。

 単純にこれを繰り返すだけ。

 

 たとえ無陣形で突撃した所で、董卓軍が誇る二軍の餌食になるだけである。

 そうして連合軍の進入を迎撃し続け、日暮れと共に退却させ。

 夜の内に虎牢関の守りを固めようという段取りだ。

 

「すまんな華雄、ウチが汜水関に合流さえしていれば――」

 

「二軍であたった所で、あの衝車を止められたとは思えん。

 お前が気に病む必要は無い」

 

「……」

 

 不器用ながらも気を使った言葉に張遼は目を丸くする。

 一昔前の華雄なら、皮肉の一つや二つ言い放っていたはずだ。

 敗北から心機一転した事は知っているが、これではまるで別人である。

 

「そんな事より霞、そちらは大丈夫なのか? 迂回路の敵を撃退したという報告は受けていないが」

 

「そうなんよ! あいつら二日目以降消極的やねん」

 

「では、孫策軍は健在か」

 

「ほんますまんなぁ……けどウチの副将と兵を残してきたし、数日は大丈夫なはずや」

 

 迂回路の戦は二日目以降停滞していた。賈駆や張遼の策を警戒する孫策軍、孫策軍の反撃を警戒する張遼。

 両軍が守りに集中していたため小規模な戦闘しか起こらず、孫策軍の進軍を阻む事に成功しているが撃退まではいかなかった。

 そこへ賈駆の指示で汜水関を抜かれたという報が入り、華雄と合流したのだ。

 

「――霞」

 

「合図の旗が振られたな、賈駆っちの予想通り汜水関の制圧を後回しにしてきたか」

 

 虎牢関に配置させた物見達からの敵軍接近を知らせる合図。汜水関を制圧した後なら早すぎる。

 

「……妙だ、役目を終えた物見達が下がらない」

 

「なんやて?」

 

 連合軍が進軍を優先してきたなら、十中八九虎牢関を突破する為の衝車を持ってくるはず。

 そうなれば確実に虎牢関は抜かれる。だからこそ、物見を任せた者達には速やかに退却するようにと話てあるのだが――

 

「下がる必要が無い、敵は来るが衝車は無いという事か?」

 

「んなアホな、けど確かめるにも時間が無い。ここは予定通り配置に付いたほうがええで」

 

「ああ、そうしよう」

 

 洛陽を背に華雄軍は右翼、張遼軍は左翼に配置されている。その中腹で会話していた両名は、自軍の指揮に戻ろうと踵を返した。

 

「華雄! 約束忘れんなや!!」

 

「お前もな!!」

 

 約束――それはこの戦が終わった後、二人でどちらが最強か決しようというもの。

 

 各地から成る連合軍を退けることに成功すれば、この二人は誰もが認める中華最強の武将となる。

 だが二人で最強では締りが悪い。そこで――連合に勝利した後に一騎打ち、真の中華最強を決めようというのだ。

 

 この約束には二つ、前提となる条件がある。

 一つは連合に勝利する事、そして二つ目は――生き残る事だ。

 今から死地で戦う二人、安易に『死ぬな』とは言えない。

 この約束はそんな武人の性質が生み出した、互いの無事を願う祈りでもあった。

 

 瞬間、自軍の中核に戻った二人の耳を轟音が襲う。

 

「なんだ!?」

 

 音の出所に目を向けた両軍はそのまま目を見開く、彼らの目線の先では――虎牢関の門が粉々に吹き飛ばされていた。

 

 

 

 

 

 

 この世界には規格外な人物が存在する。例を挙げるとすれば李典だろう、時代錯誤な自動衝車なる物を作り上げ。

 原作では用途を聞いただけでカメラさえも作ってのける、彼女は正しく規格外(チート)だ。

 

 そしてその規格外は袁紹軍にも居る。彼女は李典のような技術が有るわけではない、どこぞの迷族のような未来知識が有るわけでもない。

 では何が規格外なのだろうか―――武だ。英傑が数多存在するこの大陸の中で、彼女の武力だけは突出している。

 

「門……壊れた」

 

 正しくは壊したである。

 

「流石ですぞ呂布殿ぉーー!」

 

 音々音の賞賛を皮切りに、騎馬隊の面々からも『お見事』と言葉が上がる。

 虎牢関の上で衝車の存在が無く油断していた物見達は、顎が外れんばかりに口を開き惚けていた。

 

 物見達の反応は正常である。衝車の十数撃を持って破壊した関門を、矛の一振りでやってのける人間が居るなど誰が思うだろうか。

 その証拠に、恋の規格外に慣れている隊の者達も戦慄している。

 

 呂奉先、彼女こそが袁紹軍が誇る規格外にして武の化身。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うせやろ?」

 

 目を疑う光景に張遼が呟く、言葉が変なのはそれだけ動揺している証だろう。

 

「敵、此方に意を解さず突っ込んできます!」

 

「無陣形か――ならやることは変わらん、弓隊構え!」

 

 自分達の配置を見れば待ち構えている事くらい安易に想像できる。

 それを確認した敵軍の行動は、無謀な事に突撃であった。

 

 ただの猪突猛進なのか、それとも策があるのか。

 

『射てぇッッ!』

 

 華雄と張遼の声が重なり、阿吽の呼吸で両軍から矢が放たれる。

 暫く上空へと進んだ矢は重力に従い降下、吸い込まれるように敵に降り注いだ。

 

「す、凄い……!」

 

 矢を放った兵士の一人が言葉を洩らす、無理も無い。

 両軍から放たれた矢は万を越える、それが敵軍に飛来したのだ。最早矢の雨では生ぬるい。

 余り矢の多さに敵軍が見えない、その光景は文字通り矢の嵐。

 この後残存する敵に騎馬隊で止めを刺す手筈だが……果たして彼らの出番はあるだろうか。

 

「――ッ! 弓隊構え!!」

 

「え、……なッ!?」

 

 張遼の切迫した言葉に驚きつつも矢を番え――驚愕した。

 敵軍が矢の嵐から出てきたのだ! それも一人や二人では無い!

 

「て、敵軍の被害は皆無! 落馬した者も見当たりません!!」

 

「馬鹿な……」

 

 重騎兵、その存在自体新しいものではない。長い歴史の中で似た概念の兵種は生み出されてきた。

 重装兵の防御力、騎馬の機動力、両方の長所を組み合わせれば強力な騎兵が出来上がる。

 しかしそれは机上の空論とされてきた。防御力と機動力、どちらかに傾倒しなければ機能しなかったからだ。

 

 だが目の前の敵はどうだろうか。騎馬隊に劣らぬ機動力、矢の嵐を耐え抜く重装兵に劣らぬ、否、それ以上の防御力。

 

「恐れながら進言いたします! あの敵に矢は――「通じる!」 ッ!?」

 

「完全な重装なんて不可能や! 必ず通る箇所が在る、そこを狙うんや!!」

 

 張遼の言葉は当たっている。人馬共に分厚い鉄鎧で覆っている重騎兵にも弱点があった。

 間接や鎧の繋ぎ目部分だ。騎兵としての役割も果たすために、そこだけはどうしても装甲を薄くせざるを得ない。

 

「二射目、射てぇッッ!」

 

 その弱点を袁紹達は良しとしただろうか―――答えは否。

 

 彼らの左手には小楯がある。動きを阻害しないように設計されたそれを使い、致命的な部位に当たる矢を――弾いた。

 

「なんやそれは……なんやソレはァァッッッッ!!」

 

 溜まらず驚愕と共に怒号の声を上げる。

 

 重装備で矢を弾く事はまだ理解できる。しかし小楯で弾くとなると話が違ってくる。

 とは言え、やろうと思えば張遼にも出来るだろう。だがそれは彼女(武将)だからであり、一兵士に出来て良い芸当では無い!

 にも関わらず、目の前の重騎兵は一人を除いて全員やってのけた。そこから導き出される答えは――

 

 

 

 

 

 袁紹の提案により生み出された重騎兵、馬の難題を桂花の策でクリアした後。

 その騎手が問題となった。

 唯でさえ重い装備、それを着こなし馬を操り、小楯による防御にも気を回さなければならない。

 袁紹、桂花、恋による厳しい適正審査を経て騎手は決められた。故に必然的に精鋭兵で構成される。

 

 重騎兵は袁紹軍約30万の兵から選出された千の騎兵。一人ひとりが百から数千の兵を率いる事が出来る、隊長格で構成されているのだ!

 それを率いるは袁紹軍が誇る最強の個、呂奉先。

 

 重騎兵はこの時より、名実共に袁紹軍の武の結晶となった。

 

 

 

 

 




あと二話で今章収束です。閑話挟んで新章に進む予定、予定は未定(真顔)


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第39話

~前回までのあらすじ~

袁紹「とりあえず通して」

曹操「しょうがねぇな……」



重騎兵「お、開いてんじゃ~ん」

董卓軍「(開けたんだよなぁ)」



重騎兵「(鎧と)合体してるから、合体してるから安心!」

董卓軍「fuck off」






「ねね」

 

「後続の報告によると軽傷者が数名、落馬を含め離脱者はいないのです!」

 

「上出来」

 

 華雄軍と張遼軍による矢の嵐を潜り抜けた恋達は、一人も欠ける事無く両軍に近づく。

 この隊の専属軍師である音々音は、彼女専用の親衛隊により守られていた。

 

「……どっち?」

 

「左です! ねね達から見て左にいる華雄軍を突破するです!!」

 

「ん」

 

 両軍の中央を突破する事も出来る。しかしそれを狙えば二軍を相手取る必要があり、いくら精鋭揃いでも苦戦を強いられる。

 音々音が華雄軍に狙いを定めた理由は、上記の他に三つ理由があった。

 一つ目は両軍の動きだ。近づいてくる重騎兵に備え迎撃の体勢を終えている張遼軍に対し、華雄軍はようやく弓兵達を下がらせたばかり。

 これには両将の指揮能力が顕著に現れている。攻めと守りの両方に高い能力を発揮する張遼。攻めに特化し守りが苦手な華雄なら、どちらが組み敷き易いかは一目瞭然である。

 

 二つ目に疲労の度合い。迂回路で二日目以降、局地的に小規模な戦闘を繰り返してきた張遼軍。

 開戦から今に至るまで、連合の猛攻を迎撃し続けてきた華雄軍。後者の方が心身共に消費している。

 

 そして三つ目は―――

 

 

 

 

 

 

 

「あれが華雄の言ってた呂布かいな……なるほど、怪物や」

 

 人物を視認出来る所まで近づいてきた敵騎兵、その最前列に居る赤毛の将を見て張遼が呟く。

 武力という観点から見れば張遼のそれも怪物の類だ、しかし眼前に居るアレは次元が違う。

 

 馬は後続と同じく重装だが呂布自体は軽装、身を守る物と言えば手甲位で他は見当たらない。

 つまり彼女はあの万に及ぶ矢の嵐を、己の武だけで切り抜けたのだ。

 得物で矢を弾くという芸当は汜水関で華雄も見せたが、それとも比較にならない。

 

 もし自分(張遼)であれば出来ただろうか? 無理だろう。

 仮に運良く切り抜けられたとしても無傷では済まなかった筈だ。矢を数本身体に受け、息も絶え絶えになりながらふらつく姿が想像できる。

 だが目の前の呂布はどうだ、傷どころか呼吸の乱れも無い。

 それが当然とばかりに後続と何やらやり取りをしている。

 

 ――華雄が片手であしらわれたって話、ほんまやったんやな。

 

 華雄の事は彼女が未熟だった頃から知っている。

 未熟と言っても華雄の武力は本物だった、でなければ将まで出世できないだろうし。

 実際に董卓軍内で彼女と互角以上に戦えるのは張遼だけだ。

 

 武に対する過剰な自信が玉に瑕だったが、それも踏まえて一目置いていた。

 だからこそ彼女が手も足も出ない武人が居る事に耳を疑い、半信半疑だったのだ。

 その疑惑は、前方に居る怪物に晴らされたが……

 

「急報! 側面から敵影あり!!」

 

「なんやて!?」

 

 そんな馬鹿な――と目線を向けると、そこに居たのは張遼も見慣れた軍勢。

 

「もう迂回路を抜けて来たって言うんかいな!」

 

 音々音が華雄軍に狙いを定めた三つ目の理由がこれだ。

 

 二日目こそ接戦を繰り広げた両軍だが、孫策軍は敵将に固執していない。

 あくまで迂回路を抜いたと言う事実が欲しいだけである。

 軍議の中でその難易度を皆に知らしめた、後はどんな形であれ実現出来れば評価される。

 故に、孫策達が二日目以降勝負を仕掛けることは無かった。

 張遼が手強いと見るや、守りを重視して機を待ったのだ。

 

 あの広宗の地で袁紹軍と曹操軍の精強さは知っている。この二軍の力を持ってすれば、汜水関と虎牢関の陥落も時間の問題だろう。

 そうなれば張遼は迂回路を離れなければならない。

 そして孫策軍の軍師達の予想通り、張遼が迂回路から姿を消すとかの軍は一変。

 積極的に攻勢に出たのだ。初めは何とか迎撃していた張遼軍の副将だが、孫策軍の戦術と精強さの前に敗北。

 指揮官を失いつつも迎撃に奔走する残党兵の抵抗虚しく、孫策軍は迂回路を突破した。

 

「張遼様、眼前の騎馬隊が華雄様の方へ!」

 

「厳しいな、賈駆っちに早馬を頼むわ」

 

「で、では……」

 

「ああ、詰みや」

 

 賈駆の迎撃策が成らない時点で大局は決していた、止めを刺したのは側面の孫策軍だ。

 彼女達の参戦により華雄軍と連携を取れない、この二軍を相手にしている内に後続の連合軍がやって来るだろう。

 しかし、敗北が決定した瞬間でも張遼の闘志は衰えない。

 自分達には――

 

「皆聞けえぇッッッ!」

 

 ――まだ出来る事がある。

 

「ウチ等にはもう勝ち目は無い、けど戦はまだ終わらん!」

 

『董卓様!』

 

「せや! ウチ等の大将が洛陽に居る、無実の娘を連合に渡す道理など無い! せやろ!!」

 

『応!』

 

「今は一刻を――いや、数秒を争う事態や! 此処で一秒でも時を稼ぐ事は千金に値する。

 最後の一兵まで肉壁と化してでも、敵を足止めするでぇッッッ!!」

 

『ウオオオオォォォォッッッッッ!!!』

 

 

 

 

 

 

 

「張遼様が側面の孫策軍と交戦を開始しました!」

 

「敵騎馬隊、我が軍前列の重兵をものともしません!」

 

「馬鹿な、千騎程度に……」

 

 張遼軍が檄にあてられ声を張り上げていた頃、華雄軍に恋の騎馬隊が切り込んだ。

 

 前列に重装備の盾兵を並ばせ、敵の勢いを止めようとした華雄軍。

 彼らの判断に間違いは無い、騎馬の突進力も障害物を前に勢いを失うのが道理だ。

 正しそれは――普通の騎馬隊に対してであった。

 

 生憎、恋の率いる重騎隊は彼女を含め常軌を逸している。

 まず始めに先頭の恋が得物を一閃、盾ごと兵士を十数人吹き飛ばす。

 彼女の突撃で空いた穴を後続が容赦なく広げていく、無論、華雄軍も無抵抗な訳が無い。

 しかし刃は分厚い装甲を前に余りにも無力、手練れの者達が薄い箇所を狙うも小楯で弾かれる。

 

 万近い軍勢が千騎に成す術もなく蹂躙されていく、正に悪夢。

 遂には逃げ出すように道を空け始めたが、彼等は命が欲しい訳ではない。

 左翼で奮戦している張遼軍と同様、命を投げ出す思いで戦に望んでいるのだ。

 

 だが命を賭した一撃は通じず、足止めにすらならない。

 彼等が恐れたのは無意味な死――犬死にであった。

 

「く、敵が……華雄様一旦後方に」

 

 将を後ろに下げようとした側近の男、英断である。

 華雄は戦力以上に自軍の精神的支柱だ。もしも彼女が討たれでもしたら、それまで抑圧していた絶望が自分達を襲う。

 しかしその判断は――

 

「馬鹿を言うなッ!」

 

 華雄の心情を汲み取っていなかった。

 制止する部下達を振り切るように馬を走らせる。狙うは敵軍の先頭、大火の如く華雄軍を蹂躙している呂布。

 

「私が戦斧を振るうから、皆が奮い立つのだろうがァァッッッ!!」

 

「!?」

 

 恋の目の前まで躍り出た華雄は、渾身の力を持って戦斧を振り下ろす。

 その気迫に危険を感じた恋は、即座に受へと切り替えた。

 

 瞬間、戦場に金属音が響き渡る。

 

「やはり、そう簡単には討たせてくれんか……」

 

 舌打ち交じりに悔しがる華雄だが、その一撃は確かな結果を及ぼした。

 恋が止まったのだ。それまで誰にも手をつけられなかった彼女が――

 

 それに呼応するように後続の騎馬隊も動きが鈍くなり始める。

 

「……」

 

 恋は目の前の猛将に感慨を抱く。先程の一撃、明らかに相討ちを狙っていた。

 

 恋であれば、振り下ろす体勢の華雄よりも速く斬り付ける事が出来る。

 しかし華雄の只ならぬ気配に本能が危険を察知し、即座に防御に切り替えたのだ。

 もし仮に斬り付けていたら――致命傷を負っても尚、華雄は戦斧を恋に振り下ろしただろう。

 

「と、止めた」

「あの化け物を……」

「華雄様が」

 

 ――我等の将が

 

「華雄様に続けぇッッ!」

 

『ウオオオオオォォォォォォッッッッッ!!!』

 

 華雄軍の兵士達に闘志が漲る。

 

 敵の騎馬は矢も刃も通さない、狙った一撃も弾く、一人ひとりが手練れ――だからどうした。

 それ以上に手の負えない化け物を、我等の将が止めて見せたではないか!

 

「ねね!」

 

「ッ! 第一隊はここで呂布殿の援護、後はねねに付いて来るです!」

 

『応!』

 

 名を呼ばれただけで音々音は恋の思考を把握、隊に指示を飛ばす。

 自分達の目的は洛陽の董卓だ、ここで足を止める訳にはいかない。

 

「華雄様! 敵の騎馬が――ッッ」

 

「捨て置け、こいつ(呂布)を留められただけでも上出来だ」

 

「……」

 

 音々音は恋と三百の騎兵を残し七百の騎馬で華雄軍を突破、洛陽を目指す。

 以前の彼女には考えられない行動だ、一昔前の音々音であれば恋と別行動を取れない。

 仮に取れたとしても、恋に援護など不要と考えだろう。

 

 今回彼女は三百の騎兵を残した。数だけで見れば寡兵だが、恋の背中(一騎打ち)を守るには十分な戦力だ。

 

 ――三百もいれば十分、呂布殿なら遅れはとらないのです!

 

 そこには以前盲目的だった音々音には無い、信頼と観察眼に基づく戦術があった。

 

 

 

 

 

 

 

 華雄が恋と矛を交えた頃、左翼の張遼軍も孫策軍相手に苦戦を強いられていた。

 

「ほらほらぁッ! もっと私を愉しませなさい!!」

 

 孫策が先陣を切り狂戦士の如く剣を振るう、頬を上気させ恍惚とした表情。

 血に――と言うよりは戦場に魅入られている。その戦い方は色んな意味で危うい、現に隙だらけだ。

 

 しかし彼女を補佐するように、甘寧と周泰の両名が孫策の左右を守っている。

 そしてダメ押しと言わんばかりに、後方から弓による絶妙な援護射撃。

 軍列を乱そうとすれば即座に整えられる、優秀な指揮官が居る証だ。

 

 完璧な連携。これがあるから孫策は先陣に集中でき、爆発的な戦果を生み出せるのだろう。

 

「ウチが出られれば……」

 

「駄目です! 副将も居ない今、将軍が中核から離れれば指揮系統が麻痺します。

 そうなれば助かる者も助かりません!!」

 

「そうも言っていられないみたいやで」

 

「? ……なッ!」

 

 張遼の目線を追った兵士は絶句する。前方――虎牢関から、曹操の軍勢が確認出来たのだ。

 

「急報! 右翼の華雄様が七百程の騎馬に抜かれました!!」

 

「敵将は?」

 

「ハッ、敵将呂布の突破阻止には成功、現在は華雄様が交戦中です!」

 

「上出来や華雄!」

 

 洛陽には一軍に匹敵する戦力を残してある。精鋭とは言え呂布を欠いた七百の騎兵では、突破に時間が掛かるだろう。

 

 その隙に――賈駆が主を逃がすはずだ。

 

「前方から曹操軍が接近、間も無く交戦します!」

 

 張遼は曹操軍の先陣にある軍旗を見て目を細める。かの有名な夏侯姉妹とその補佐、そして三羽烏達だ。手練れは孫策軍に当てている、曹操軍には予備兵と張遼で行くしか無い。

 

「渋い状況やなぁ、けどウチは気張るで華雄。だからアンタも――」

 

 ――敗けるんやないで!

 

 

 

 

 

 

 

 ――この気配、左翼の張遼に何かあったか。

 

 恋と相対している華雄はその類稀なる戦術眼、というより勘で左翼の異変を察知した。

 しかし確認しようにも目を向けられない。

 

 ――今目線を逸らせば

 

 危機感が鳴らす警告に従い、顔を右に傾ける。

 

 ――全てが終わる!

 

 次の瞬間、顔が有った位置を恋の矛が通り過ぎる。直撃は免れたが肩が小さく斬られ血しぶきが飛ぶ。

 現在、華雄と恋は一騎打ちをしていた。

 

 華雄軍の中に恋と共に残った三百の重騎隊、彼らの持ち味は武力だけではない。

 一人ひとりが隊を率いる水準の猛者、臨機応変に戦術を選択出来るのだ。

 

 彼等は恋と華雄の周りに居る敵を排除、二人を中心に円陣を組んだ。

 いくら自分達が手練れとはいえ、万に及ぶ華雄兵をまともに相手取るわけにはいかない。

 そこで――将の一騎打ちを成立させる舞台を作り上げたのだ。

 円陣の中に出来た空地、それは奇しくも華雄が初戦で行ったものに酷似していた。

 

「く、何て堅さだ!」

 

 外から陣を破ろうとした華雄兵の言葉だ。

 重騎隊の壁は三層から成る。

 

 前列、近づいてくる敵の対処。

 中列、広い視野で戦場を警戒。

 後列、治療と休憩。

 

 前列が疲労を感じる又は怪我などした場合、即座に後列と交代する。

 左右と背後は味方が居るので警戒するのは前方だけ、重騎隊達には楽な仕事だ。

 

 対する華雄兵には苦しい状況。

 矢や槍は弾かれ、剣や矛を砕かれ、人は馬ごと吹き飛ばされる。

 通常の槍よりも重圧で長い得物を用いて、近づく者に容赦なく風穴を穿つ。

 最後に完璧な連携、付け入る隙が無い。

 

 場所も悪い。華雄軍の中心で陣を敷かれている。

 それにより中心以外――外側に居る兵達が戦いに参加出来ずいる。騎馬による突撃に頼りたい所だが、兵士で入り乱れている中心地故にそれも叶わない。

 

「こうなったら、矢を浴びせて疲れだけでも――」

 

「よせ! 中には華雄様が居る!!」

 

 円陣に捕らえられた将も、彼等が攻めあぐんでいる理由の一つ。

 華雄軍の副将が懸命に指揮を執っているが、効果は薄い。

 精神的支柱である華雄を見失った今、士気は下がっていく一方だ。

 

「……華雄様」

 

 情け無い話だが、内側から壁を崩してもらう以外に展望は無かった。

 

「ハァ……ハァ……、想像通り…いや、それ以上の化け物だ!」

 

 無論、華雄にそんな余裕は無い。

 今の彼女には戦況処か、戦である事も失念しかねない程に苦戦、集中していた。

 

 どのくらい剣戟を交えただろうか。半刻も経っていない、恐らく数分。

 しかし華雄は丸一日戦ったかのように疲労、消耗していた。

 

「……」

 

 対する恋は涼しい顔、今も華雄の動きを待っている。

 

「……フッ」

 

 圧倒的な強者を前に華雄は笑った。

 

 敵わない、その答えは――当の昔に弾き出している。

 武芸大会で辛酸を舐めて以降、血の滲む鍛練を送ってきた華雄。冷静さを欠いていたとはいえ、あの関羽を片手であしらう武力を手に入れた彼女が導き出した答え。それが『敵わない』であった。

 それほどまでに恋の武力は常軌を逸している。

 

「次で――決める!」

 

 日々強敵(呂布)を想いながら鍛練する内に、自分――そして相手に欠けていたものに気がついた。

 

 技だ。

 本来技とは、強敵を破る為に用いられる。強者が己の武を磨くために習得する事もあるが、それは稀だろう。

 生れ落ちた時から強者である華雄には、技は不要だった。

 幼少期から大人顔負けの力。それは武将になっても変わる事無く彼女は強者であり続け、慢心に繋がる。

 

『強者に技など不要、却って武を鈍らせるだけだ!』

 

 強者にとって薙ぎ払いや、振り下ろしこそが技。それ以外は不純物である。

 そしてそれを――圧倒的強者(呂布)が証明した。

 

「ハアアァァッッ!」

 

 呂布の矛は神速、遅れて出しても敵より速く斬りつけられる。

 呂布の力は豪力、右に出る者は居ない。

 自分より強者がいないのであれば――技など不要だ。

 

 ――貴様が切り捨ててきた技で、私は勝つ!

 

「!」

 

 両の手で勢いを付け振り下ろされる戦斧、恋はそれを即座に受ける事で防いだ。

 華雄の持つ相討ちを辞さない気迫が、恋に防御を選択させるのだ。

 

 そして一瞬、ほんの一瞬だが受けた戦斧から圧が消える。

 今までの攻防では無かった――明確な隙。

 

「……フッ」

 

「しまっ!?」

 

 恋は短い呼吸と共に戦斧を弾き返す。両の手で得物を握っていた華雄の体勢は大きく仰け反り、弾いたまま矛を振り上げた姿勢の恋に、無防備な胴体を晒す。

 

「――?」

 

 優位な体勢の恋に疑問が浮かぶ、何かが腑に落ちない。

 華雄とはこの程度の武人だろうか、先程まで自分に喰らいついていた相手が――

 

 呆気ない展開に違和感を覚えるが、この隙を逃すわけにはいかない。

 恋は本能に従い矛を振り下ろした。斜めに一閃『袈裟掛け』

 

「それを待っていた!」

 

「ッ!?」

 

 恋が驚いたのは華雄の言葉ではない。振り下ろした矛の先に突如現れた障害物、柄だ。

 何の柄かは考えるまでも無い、華雄の得物『金剛爆斧』のものだろう。

 華雄はそれを矛が届く前に割り込ませたのだ。

 

 恋は――悪足掻きと捉えた。

 

 弾かれた姿勢で柄を割り込ませたのが、華雄に出来る精一杯。

 せめて致命傷だけは免れようという悪足掻き、そんなもの――自身の矛の前では無力!

 恋が放つ矛の斬撃は尋常ではない、それは一撃で破壊された虎牢関が物語っている。

 鉄製の柄程度では受け止められない、それごと断ち切られ――

 

「ここだ!」

 

 断ち切れない! 

 恋の矛が柄に到達する刹那、華雄は矛の側面に柄を沿わせ――

 

「ハァッッ!」

 

 恋の力そのまま、後方に流した。

 

『受け流し』

 

 これこそ不器用な華雄が恋を打倒する為、習得した唯一の技である。

 本来、大柄な得物で行う技ではない。戦斧でこれが出来るのは、大陸広しと言えど華雄だけだろう。

 多種多様ある技の中で、恋に勝ちうるものとして選んだのだ。

 

 無論成功率は低い。そもそも一撃を受け流した所で、恋には大して効果が無い。

 彼女の持つ戦いの本能が、すぐさま反撃に転じさせるからだ。

 だからこそ華雄は恋の本能による、全力の一撃を引き出した。

 全身全霊の剣戟で自分の動きを刷り込み、致命的な隙を演出してまで――

 

 ――いける!

 

 そのかいあって目に見える勝機。

 全力の一撃が流され空振りに近い感覚の恋は、前のめりに体勢を崩し華雄と肉薄。

 対する華雄は受け流しに柄部分を使用する為、持ち手を戦斧の刃近くまで移動させてある。

 これにより近距離に斬撃を放つ事が出来る、肉薄した今の状況に最適だ。

 

 敵である恋の身体が、次の動作に移行していくのが確認できる。

 この受け流しまでも彼女にとって、一瞬の隙でしか無いらしい。しかし一瞬で――

 

 ――十分だ!

 

 戦斧を振り下ろす――その時だ、華雄の動きが止まった。

 

「ッッ?」

 

 この機を逃せば勝機は無い。この状況に全てを賭けたのだ、仕留められなければ今までの努力が水泡に帰す。

 だというのに――

 

 ――何故動かぬのだッッ!

 

 違和感。

 

 下腹部に感じたソレを確認しようと目線を下げ――激痛と共に理解した。

 

 拳だ、それが華雄に打ち込まれている。

 誰の拳かは確認するまでも無い、相対しているのは一人。

 

「ガッ……ッッ」

 

 短い苦悶の声の後の浮遊感。

 勝機を逃した華雄の耳に、恋の言葉が突き刺さった。

 

「その技……知ってる」

 

「!?」

 

 華雄は全てを理解する――油断し、不覚をとったのは自分だと。

 

 恋は得物を右手だけで振り回し、左手で手綱を握っていた。これを華雄は馬上での戦いに不慣れと捉えたが、無論違う。

 恋は元々片手で得物を振るう、左手は手持ち無沙汰だったので手綱を握っていただけ。

 彼女の左手は『空いていた』のだ。

 

 もう一つ、華雄が失念していた事実がある。

 それは恋の『これまで』だ。華雄が血の滲む鍛練を行ってきた期間、彼女は怠惰に過ごしてきただろうか、答えは否。

 袁紹庇護の中、その下に集った英傑達との鍛練。

 一対一、時には一対多で行われ、華雄の鍛練に勝るとも劣らない濃密な期間は。

 恋の完成された武を、更なる高みへと押し上げた。

 

 恐らくその過程で受け流しを経験、対応出来たのだろう。

 

「グハッ!」

 

 余りの衝撃で地面に倒れた華雄。得物を離さず、受身を取ったあたり流石である。

 しかし――

 

「ッ……」

 

 彼女の意思とは裏腹に意識が薄れていく。力は抜け、五体が利かない。

 

「!?」

 

 そんな華雄の目に恋が映った。得物を構え、警戒を解かず静観している。

 それは――華雄を強者と認めた証。

 

 ――私のこれまで、無駄では無かったのだな……

 

 華雄の心に得体の知れない満足感が広がる。

 戦友(張遼)を、仲間(賈駆)を、そして(董卓)を残して逝くというのに。

 

 ――全力を尽くした、悔いは無い。

 

 その思いを最後に、華雄の意識は闇へと消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




王大人「死亡確認」


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第40話

~前回までのあらすじ~

陳宮「今(左)の彼女でいいんじゃない?」

重騎隊「声かけます?」



華雄「こんなんじゃ戦になんないよ~」

華雄軍「こっちの事情も考えてよ」

呂布「……(何の問題ですか?)」



呂布「……(あん? わいを倒してみぃ、わいを倒してみぃ)」

華雄「じゃあ俺、満足して闇に意識を落とすから」




申レN


 洛陽にある謁見の間。戦が始まったばかりの頃、董卓に連なる文官達で溢れていたそこも、今は閑散としている。

 

「……」

 

「……」

 

 静けさが支配するその場所に居るのは、現在董卓と賈駆の二人のみだ。

 他の者達は汜水関が突破された際に、敗色濃厚として避難させている。董卓に忠誠心を抱いていた彼等は渋っていたものの、敬愛する彼女の言葉が後押しとなり、後ろ髪引かれる思いでこの場を後にした。

 

「詠ちゃん――」

 

「ボクは避難しない」

 

 董卓の言葉を遮る形で賈駆が言葉を発する。

 長い付き合い故に、董卓の考えは手に取るようにわかった。この心優しい娘は連合の刃が喉下に突きつけられても、最後まで誰かを案じ続けるだろう。

 そのどこまでも優しい想いが、今は煩わしい。

 

「戦はまだ終わっていないわ、ボクの迎撃策は正直穴だらけだけど……あの二軍の力なら時間を稼ぐには十分よ!」

 

 言葉を発しながらも、賈駆は地形図を眺め思考を止めない。

 虎牢関の手前で連合を食い止めるという迎撃策、真の狙いは効果的な策を考える為の時間稼ぎだ。

 

 そもそも数に劣る自分達が、平地で連合を相手取るには限界がある。

 即興で作り上げた迎撃策により少しの間圧倒出来るだろうが、連合が形振り構わない形で本腰を上げればお仕舞いだ。

 たとえば、犠牲を省みず人海戦術的な騎馬による突撃を仕掛けてきたら――

 

 ――させない

 

 厳しい表情で兵馬駒を動かし続ける。策を練る者は自分ひとりになってしまったが、諦めるわけにはいかない。

 戦力差、一騎当千の敵将、そして――此方の地の利を無に帰す自動衝車。考えることは山済みだ。

 

 ――これをこう、いやでも……あ、これなら!

 

 賈駆の脳裏に一つの策が思い浮かぶ。今までの如く賭けに近いものだが、敗色濃厚なら一筋の光明に身を委ねるしか生き残る道は無い。

 急いで策の穴を埋めていく、願わくばこれを二軍に託すまでこのまま――

 

「報告! 袁紹軍の騎馬が華雄様の軍を突破!! 迎撃策は――……失敗です」

 

「――ッッ!!?」

 

 手に持っていた駒が零れ落ち、配置させていた董卓軍の駒を薙ぎ倒していく。それは皮肉なことに今の状況と、賈駆の心境を表していた。

 彼女は無神論者だが、この時ばかりは祈ったことすら無い神を心の中で罵る。

 

 自分達が、自分が何をしたというのだろうか。ただ()の隣で采配を振るいたかっただけだ。無欲な主に代わり功を得ながら同士を集め、彼女の徳で疲弊した民に少しでも笑顔を、脅威となる者達は自分達で退け。

 不幸が蔓延するこの大陸で、少しでも幸せに暮らしたかっただけだ。

 

 怒り、憎しみ、悲しみ、自己嫌悪、そして絶望。

 様々な負の感情が、賈駆の意識を刈り取ろうと迫る。ただでさえ疲労困憊な今、伝者の報告は気を失うに十分な内容で――

 

「ッ……」

 

 歯を食いしばり意識を保つ。唇が切れたのか塩気を感じるが、今はそれがありがたい。

 

 並みの女性、否。たとえ男性であっても賈駆の心境には耐えられなかっただろう。

 彼女が自我を保てたのは、背後で悲痛そうに報告を聞く主の存在が大きい。敗戦が決まった地で奮戦する張遼達と同じく、賈駆にはまだやるべき事が残っている。

 

「今、両軍は?」

 

「華雄軍は突破した騎馬隊の将を食い止め、張遼軍は迂回路から現れた孫策軍と交戦中です」

 

「……ありがとう」

 

 賈駆は心の底から華雄に、張遼に、そして董卓軍全員に対し感謝の言葉を呟いた。

 

「詠ちゃん、私が連合に降伏したと全軍に――「駄目よ!」っ!?」

 

「自分の身柄で皆の助命を願うつもりでしょう? そんなことボクが――いえ、皆が許さないわ」

 

「みんな?」

 

 きょとんとした表情で聞き返す董卓。いつもの賈駆なら、その愛らしい姿に悶えていたかもしれない。

 しかし生憎、今は平時には程遠い状況にある。時間も差し迫っている為早く説得しなければならない。

 

「策が成らなかった時点でボク達の敗北は決定したわ、じゃあ何で華雄達が戦い続けていると思う?」

 

「そ、それは」

 

「目を背けないで! 皆貴女の為に戦っているのよ、……わかるでしょう?」

 

「……」

 

 顔を俯かせ、無言で肯定する。

 自分に対する想いに鈍い董卓だが、嫌でも理解していた。

 

 そもそも今回の戦は簡単に回避できたのだ。無条件降伏という形で……

 それを許さなかったのは賈駆を始めとした家臣、そして民達である。

 董卓が相国として洛陽に身を置いていた期間は短い間ではあるが。自身が政治利用される中、彼女はせめて洛陽の民達に報いようと活動した。

 宦官達に搾取され疲弊していた住民を、相国の立場を利用して助け続けたのだ。

 今では洛陽で彼女を知らないものは居ない。道を歩けば誰もが笑顔で挨拶を、子供達は遊んで欲しいとせがむ。

 董卓は――洛陽の民に愛されているのだ。

 

 其処に来て今回の騒動、悪逆董卓を討つべく連合がやって来る。

 洛陽の民たちには青天の霹靂な出来事だ、彼等は相国である董卓の庇護の下、生を謳歌していたのだから。

 そんな民達が董卓を見捨てる筈も無く、今回の戦に発展した。

 

「連合が月の存在を許すはずないわ。命を取られ、汚名を着せられるのがオチよ。

 真実を知る民は、力で抑えつければ良いと考えて……ね。貴女がどれだけ愛されているかも知らずに」

 

「……」

 

「月が本当に皆の事を想っているなら、彼らの気持ちを無下にするはず無い。

 そうでしょう? ……月」

 

「……うん」

 

 短く返事をして玉座から降りる。

 

 わかっていた。

 敗色濃厚なこの戦に新兵達が沢山集ったときから。わかっていながら、董卓は目を背けかけていたのだ。

 心優しい彼女は、皆が自分の為に命を賭している現実、その重責に耐えていた。だからこそ全てを終わらそうと、皆を助ける名目で連合に降ろうとしたのだ。

 しかし、親友の言葉で思い出した。

 

 自分の命を軽んじる事が、皆に対する最大の裏切りであることを――

 

「安心して、月はボクが死なせないわ!」

 

 ――今この時も、時間を稼ぎ続ける皆に誓って。

 

 賈駆は友の手を引き、伝令に来た者を護衛として伴いその場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「急ぐです! 先行させてくれた呂布殿達の為にも、董卓を確保するです!!」

 

 華雄軍を突破した音々音と重騎隊七百の軍勢は、大した抵抗も無く洛陽内部に進行した。

 門前に大勢の敵が配置されていたが、殆ど新兵で構成されていた彼等は、重騎隊の突進力の前に成す術もなく蹴散らされた。

 

「陳宮様! 前方に馬車が、大勢の護衛も伴っております!!」

 

「!?」

 

 隊の言葉に反応し前方へ目を向けると、制止した馬車が確認できた。

 此方の存在を察知したのか、馬車はゆっくりと動き出し――

 

「な!?」

 

 徒歩で追従していた護衛達をその場に残し、重騎隊に向かって走り出した。

 

 音々音は重騎隊を制止させ、馬車を避ける為に隊を道の端に寄せる。

 悪寒がするのだ。大軍の壁を物ともしない重騎隊の力をもってすれば、馬車を正面から受け止める事も出来たかもしれない。

 しかし、脱出しようとする董卓が敵に向かって来るだろうか。それも護衛を残して。

 

 ――何かあるです!

 

 馬車を操る騎手の鬼気迫る表情。それも相まって接触を避けたが――

 

「へ?」

 

 何も無かった。

 馬車は悠々と重騎隊の中を通り抜け、音々音達が来た方向に走り続ける。

 

「に、逃がすなです! 今すぐ反転して――『オオオオオッッッ!』 !?」

 

 後を追おうとした音々音だが、彼女の指示は重騎隊に攻撃を仕掛けた敵に阻まれる。

 いつの間にか接近していた歩兵達は、重騎隊の足元に纏わり付くように動いている。馬車を避けるため停止していた為、重騎隊は反転することも苦しい。

 そこで音々音は敵にしてやられた事に気がついた。

 

 あの馬車に董卓は居たのだ、頼りになる軍師と一緒に。

 重騎隊の詳細を聞いていた賈駆は、数に勝るとはいえ新兵達では相手にならないと考えた。

 ならば――無視すればいい。

 

「ほ、本当にうまくいくなんて」

 

「知ってる? 獅子も自分から向かってくる獲物には手を出さないそうよ」

 

 唖然としている友に、笑顔で知識を披露する賈駆。

 彼女は心理戦で重騎隊に勝利したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

「もう少しよ月、この先に協力者が居るの」

 

「協力者?」

 

「洛陽でも大きな行商の者よ、彼と落ち合って荷馬車に移動するわよ」

 

「う、うん。この馬車は?」

 

「囮よ、流石に相国用の派手な馬車で追手は撒けないもの」

 

 洛陽から脱出を果たした董卓と賈駆。

 向かう先は戦地から少し離れた場所、協力者である商人の荷馬車に移り、荷に紛れてこの地を後にする手筈だ。

 乗り心地は良くないだろう。豪族として生きてきた董卓と、その親友として生活してきた賈駆。

 特に不自由なく生きてきた二人にとって、初めて味わう不便。道程も険しいが、背に腹は変えられない。

 

 馬車が小刻みに揺れ始める、おそらく整備されていない道に差し掛かったのだろう。

 合流地点まであと少し――その時だ。

 

『きゃあ!』

 

 突如強い揺れが発生し、馬車内で二人の悲鳴が上がる。

 気を張っていた賈駆は、董卓の体を押さえ両者の転倒を免れた。

 

「あ、ありがとう詠ちゃん」

 

 董卓の礼に反応せず、賈駆は体をゆっくりと動かす。

 表情から余裕が消え、冷や汗を流していた。

 

 馬車が止まったのだ。先程の揺れは急に止まった事で発生したのだろう。

 今自分達は一刻を争う事態、護衛と騎手を任された男もそれは承知している。その彼が馬車を止めたという事は、異常事態が発生した証だ。

 

「何があったの!?」

 

 騎手へと通じる小窓を開け、状況を確認しようと騎手の背中に尋ねる。

 

「そ、それが前方に……」

 

「……味方?」

 

 道を塞ぐように兵士達が立っている。その数約百人。

 賈駆が困惑していると、兵士達の中から見知った者が顔を出した。

 

「ははは、驚かせて申し訳ない。お迎えにあがりました次第で」

 

 笑顔で杖を突きながら現れたのは初老の男性、この地の脱出を担当する商人だ。

 味方である事に安堵した賈駆は、董卓を伴い馬車から降りた。

 

「……合流地点はまだ先のはずですが?」

 

「ええ、しかし心配で心配で。こうして様子を見に来たわけです」

 

「それは!……いえ、感謝致します」

 

 賈駆個人としては、余程の事が無い限り計画に無い行動は避けるべきだと諭したかった――が。脱出できるかどうかはこの男に掛かっているし、今の話を信じるなら自分達を案じての行動でもある、余計な一言で気分を害する必要はないだろう。

 

 その時だ。商人の方に近づこうとした賈駆の耳に、背後から苦悶の声が聞こえた。

 振り返ると――馬車の騎手だった男が、商人の連れてきた兵士達に槍で突かれている!

 

「な、これは!?」

 

「ははは、彼は用済みなので」

 

「そ、そんな――」

 

「……そういうことね」

 

 大体を理解した賈駆は董卓を庇うように前に出る。武の欠片も無い自分の背ほど無力なものはないが、矢避け程度にはなる。

 

「ははは聡明聡明、実に察しが良い」

 

「詠ちゃん、どういうことなの?」

 

「簡単な話よ、アイツは……大金に目が眩んだ。ボク達を連合に引き渡して、金を得ようっていう算段」

 

「ふむ、当たらずも遠からず――と言った所ですな」

 

「あら、商人のあんたに金以外の目的があるわけ?」

 

 口調自体はいつも通りだが、余裕の無い賈駆は冷や汗を流し続ける。

 状況は絶望的。それでも何とか打開策を生み出そうと、時間稼ぎと情報を共に得ようとしている。

 

「見え透いた時間稼ぎ。乗ってあげましょう」

 

 商人の男は今も笑みを浮かべている。しかしそれは人を欺くとき使う仮面では無く、弱者が見せる必死の抵抗を嘲笑う類の。歪んだ嗤いだ。

 

「儂はある方の密命で動いているのです」

 

「……密命」

 

「董卓様を相国に据えた――あの方ですよ」

 

『!?』

 

 二人の娘は驚きに目を見開き絶句する。この商人の言葉が真実なら、黒幕は張譲だ。

 彼を知る二人は驚きを隠せない。董卓を相国に据えた後の騒動では頭を下げ謝罪し。連合が動き出すと同時に、洛陽から十常侍達が脱出するなか一人残り、董卓軍を裏から支えてくれた人物だ。

 

「その様子では欠片も疑っていなかったようですな。ははは、さすが張譲様だ」

 

『……』

 

 頭が白くなるような衝撃の中、軍師の性なのか、賈駆はある答えに辿りついた。

 

「この……戦……」

 

「む、この戦がどうかしましたか?」

 

「全て……計画されていた」

 

「!? はは、はははは!!」

 

 賈駆の呟くような言葉を聞いて、商人は狂ったように笑い出した。

 余りに笑いすぎて体勢を崩し、杖でそれを支えている。

 

 それが治まると彼は語りだした、その計画を。

 

 以前、十常侍の一人である張譲は現状に不満を抱いていた。

 搾取し続けた大陸の疲弊、賊の増加、漢王朝の失墜とそれに伴う権力の弱化。十常侍が一丸となり漢の復権に動けば変わったかもしれない、しかし彼等は張譲を含め自己中心的。自分の権力の為に誰かを利用する事はあっても、誰かに利のある事の為に動くわけが無い。

 張譲一人の権力では王朝の復権は不可能、協力者を得ようにも諸侯は無能揃い。

 そこで――十常侍の権力を全て吸収することにした。

 

 鍵となるのは董卓(火種)だ。彼女を相国に据えれば、必ず各地から不満が上がる。

 張譲はそれを影で助長させ、反董卓の風を引き起こした。そして連合が結成する。

 戦力差は雲泥の差。十常侍達は泥舟と化した洛陽からすぐさま逃げだした、権力にしがみ付く輩でも命は惜しいのだ。

 連合の規模を知った張譲は、董卓軍の規模を生かさず殺さない程度に維持。

 戦に応じられる程度の戦力に留めた。

 

「そして董卓軍は連合に敗北。民に愛された董卓様は脱出を図るも、偶然現れた賊の凶刃に倒れる。その事態に張譲様は涙を流すも、流され続ける血を止めるため彼女の亡骸と共に連合に降伏。

 勇ある者として連合に遇され、有力な諸侯と交友を結び洛陽の実権を得る。

 董卓様の死に民達は涙を流し。彼女を最後まで支え、自分達を救うために身を差し出した張譲様に忠誠を誓う。

 万が一董卓軍が戦に勝ったとしても、洛陽にある十常侍の権力――最低限の目的は手に入る」

 

「……」

 

「どうです、完璧な計画でしょう? 儂が考えた訳ではありませんがね。ははは!」

 

 賈駆が口を開く前に、男はそれを手で制した。

 

「儂は買収されませんぞ? どちらに付いた方が有益かは一目瞭然ですからな!」

 

 くっ、と賈駆は口を閉じる。話を途切れさせてはいけない、何かふらなければ――

 

「お願いが御座います。私の命は差し上げますので、どうか……どうか詠ちゃんだけは」

 

「月!?」

 

「……ご心配せずとも、賈駆様を傷つける気は一切御座いません」

 

『え』

 

 男の言葉に、二人は同時に声を上げる。ほっとする董卓、訝しむ賈駆。

 彼のそれは――慈悲の類では無かった。

 

「才覚に端正な顔つき、多くの方に需要があるでしょう」

 

「な!?」

 

「実は儂、奴隷業も商いとしておりましてな、むしろそちらが本業で御座います。はは」

 

 男の視線が賈駆の身体を這うように注がれる。肢体を値踏みする目線に短い悲鳴を上げ、体を硬直させた。

 ここまで薄汚い欲を浴びせられるのは、初めての経験である。

 

「……無駄話が過ぎましたな」

 

 ここまでか――賈駆は袖に隠した白刃を強く握る。自分に華雄達のような武力があれば、これで大立ち回り出来たかもしれない。

 無論、素振りすらした事が無い賈駆に、そのような芸当が出るはずも無く。

 

「ごめんね、月」

 

 今にでも泣き出しそうな顔で謝罪する、親友は首を横に振り微笑んだ。

 これから賈駆が何をしようとしているのか、彼女にはわかるのだ。

 

 自害、それも親友を手に掛けた後で。

 

 目の前の敵は外道だ、奴等の手に掛かる位なら自分の手で――楽にする。

 

 怖い。

 人を手に掛けた経験などある筈も無く、親友を苦しませるかもしれない。

 

 怖い。

 自分だけ死に切れず、捕らえられて地獄のような日々が続くかもしれない。

 

 怖い。

 誰か――誰か助けて。

 

 

 

 

 

 

「ではそろそろ――『どっこい脇がガラ空きじゃいッッ!』 な!?」

 

 商人の合図で兵士が二人に近づこうとした瞬間、側面から現れた何かに吹き飛ばされた。

 ソレは董卓達の前に来ると反転、彼女達を守るように正面の兵士達と相対する。

 

「……御輿?」

 

 紛うことなき御輿であった。

 

 

 

 

 

 

 






この話で今章収束とか言ったな、あれは嘘だ。
※予想以上に長くなったので分ける事に……非力な私を許してくれ。


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第41話

~前回までのあらすじ~

賈駆「駄目みたいですね(白目)」ダッシュツー



陳宮「やべぇよやべぇよ、ものすごい、向かってきたから……」

賈駆「成ったぜ(策)」



商人「成ったぜ(計画)」

?「あっ、おい待てぃ」



大体MIKOSHI


『…………』

 

 その地は異様な空気に包まれていた。

 

 連合に追われる董卓と軍師の賈駆。そんな二人を罠に掛け、計画の一部として董卓を誅殺しようとした商人の男、その私兵百人。彼等が動こうとした瞬間、ソレは現れた。

 

 御輿、今の状況には現実離れした代物。

 黄金の宝飾がふんだんに使われソレ一つで小さな領地が賄えそうだ。また、上に乗っている美丈夫も現実離れしている。

 金色の長髪が風に揺れ、太陽を背にしているからか輝いて見える。恐ろしいほど端整な顔つき、口角は上がっているが不快感を感じさせず、鷹のように鋭い瞳。

 

「……ッ」

 

 息が詰まるような緊張感。その地に居た者達の目と耳には、色彩と他の音が消えていた。

 それほどまでに強烈な存在感を放ち続けている。

 

「これは一体、何事ですかな?」

 

 誰もが思考停止している中で流石と言うべきか、言葉を発したのは商人の男だ。

 彼としては不測の事態を、さっさと片付けたいだけだったが……

 

 そんな彼の言葉を受け、御輿に乗っている美丈夫が担ぎ手に何やら合図を送る。

 少しして御輿を担いでいた二人の女性が歩み出た。担ぎ手の人数は減ったが、筋骨隆々の男が六人残っているので問題は無さそうだ。

 改めて歩み出た二人に注目する。一人は大刀を担いで不敵な笑みを浮かべ、二人目は大槌を手に持ち―――悲観的な表情。賈駆は何となく彼女に親近感を抱く。

 

 そして兵士達に近づいた二人が―――口を開いた。

 

「な、なんだかんだと聞かれたら!」

 

「答えてあげるのが世の情けだぜぃ!」

 

「大陸の破壊を防ぐため」

 

「南皮の平和を守るため!」

 

「……愛と真実の正義を貫く」

 

「らぶりー・ちゃーみーな女房役ぅッッ!」

 

「…………顔良」

 

「文醜ッッッ!!!」

 

「………………天下を駆ける二枚看板の二人には」

 

「天の陽光、輝かしい明日が待ってるぜェェェッッッ(イヤッフー↑」

 

「うぅぅ……にゃ、にゃーんてな☆」

 

『…………』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二人と兵士達の間に風が吹いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほ、ほらぁ! やっぱりこんな空気になったじゃないですかぁっ!!」

 

「フハハ! 皆二人の口上に臆したのだ!」

 

「そうだぜ斗詩ぃ特に最後が良かった。あー、もう一回言ってくれ」

 

「絶対に嫌!」

 

 唖然とする者達を尻目に、御輿の集団は騒ぎ始めた。

 盛り上がる袁紹と猪々子を他所に、斗詩は瞳を涙で潤ませる。

 

 簀巻きにした猪々子を誑かし、御輿で飛び出そうとした現場を発見したのは斗詩だ。

 その暴走を止めるべく、彼女は努力したが――

 

『あ、そうだ。斗詩も一緒に来ればいいじゃん!』

 

『おお、それは名案! 行くぞ斗詩、全速前進DA!!』

 

 悪ノリ二人組みにより、半ば強制的に担ぎ手の一人にされてしまった。

 どうせ止められないのなら――と、護衛を兼任する為に付いて来たのだが。

 

「……シクシク」

 

 何か大切な物を失った気がするのだ。

 

 

 

 いち早く意識を取り戻したのは又もや商人の男。目の前の事態に困惑しながらも、聞き捨てなら無い言葉を言及すべく口を開く。

 

「顔良に文醜……あ、あなた方が袁紹様の手の者だとでも言うのですか!?」

 

「本人だ」

 

「……一応お聞きしますが、どなたがですかな?」

 

「我が」

 

『…………』

 

 再び両者の間に風が吹く、その音色は袁紹達以外の心情を表していた。

 その場の誰もが現実逃避しかけたが、疑問をぶつけた男は何とか踏み止まる。大役を前に思考停止などしていられない。

 

「我が身以外に証拠が無い故、信じるかどうかはお主等次第だ」

 

「……いえ、信じましょう。貴方様の纏う尋常ならざる気配の説明が、それでつきます」

 

 頭では理解できませんが、と小さく締め括る。

 

 彼の言葉に袁紹は感心した様子で目を細めた。常人であれば到底信じられないだろう、その証拠に眼前の兵士達はうろたえている。

 対してこの男は笑顔の仮面を貼り付け、心が読まれないよう用心している。

 悪人だが、無能では無いようだ。

 

「して、その袁紹様がこのような所に何用で?」

 

「洛陽に向かう途中、遠目で離脱するこの馬車を見かけてな。追って来てここに行き着いた訳だ」

 

「……それで、どうして我が兵を吹き飛ばしたので?」

 

「知れたこと、いたいけな少女を悪漢から守っただけよ」

 

「これはしたり! 我等は悪逆董卓を討つべく、かの者を義を持って討ち果たす所だったのですぞ!!」

 

 でたらめよ! ――と叫びそうになった賈駆を、袁紹が後ろ手で制す。

 『この場は任せよ』とでも言うのだろうか、賈駆は口を閉じる。その事に驚いたのは当人だ、賈駆は物事を疑って吟味するクセがある。その彼女をして、何がここまで自身を素直にさせるのだろうか。

 考えるまでも無い、袁紹だ。

 威風堂々とした佇まい、纏う暖かな空気、下種の視線を遮る大きな背中。

 全てが自分たちに、言いようの無い安心感をもたらしてくれる――震えすら忘れる程に。

 

「義は自分達にあると申すか、では謝罪せねばなるまい――が、その前に質問して良いか?」

 

「何なりと」

 

「軍属には見えぬ、どの手の者だ?」

 

「勢力には属しておりません、手前の方で勝手に行動した次第です」

 

「洛陽の暴政を憂う、一人の民としてか?」

 

 はい――と、力強く頷く。それを見て袁紹は笑う、意地悪な笑みだ。

 普段は見せない表情に二枚看板の二人が驚く。

 

「暴政など無かったと言うのに、妙な話だ」

 

『!?』

 

 袁紹の言葉に彼を除いた全員が目を見開いた。その中には斗詩達も含まれている。

 それもそのはず、暴政の有無はまだ明らかになっていないのだから。しかし袁紹は確信している。

 

「な、何を申されるのかと思えば……儂は洛陽の民として事実を――」

 

「では説明してもらおうか、何故今も戦が続いているのか」

 

「……儂は軍には疎いので――」

 

「では説明してやろう!」

 

 遮る物言いに商人がたじろぐ、それでも笑顔は崩さない。

 

「虎牢関を抜かれた時点で大局は決した。張遼軍は側面から現れた孫策軍、そして曹操軍の二軍を相手に戦い。華雄軍は我が軍を、さらに後続の連合を相手取っている。このまま戦えば戦力差の前に全滅するのがオチだ。しかし降伏する様子は見せず、今も尚連合に喰らい付いている。……何故だ?」

 

「卑劣な董卓めに家族の命をにぎ――」

 

「否、それをする余裕(人員)など、今の董卓軍には無い」

 

「将に脅され――」

 

「否、それではこれまでの士気に説明がつかぬ。大体、脅しているならとっくに背を刺されている」

 

「ッ……降伏しても死罪にされるとして命欲しさ――」

 

「否、戦い続ければ確実に全滅する。命が惜しいのであれば降伏に希望を託すのが道理」

 

「――ッ……ぐ」

 

「薄ら笑いはどうした? まぁ良い。ここまで説明すれば殆どの者が矛盾に気が付いただろう」

 

「今も戦い続ける理由ですね」

 

 斗詩の補足に満足げに頷く。

 

「そうだ、これは暴虐の徒に出来る事では無い。民に愛され、将兵に好かれる徳人の成せる業だ」

 

『!?』

 

「――ッ」

 

 皆が袁紹の言葉に驚く中、彼の背後からすすり泣く声が聞こえてきた。

 

 董卓だ。思えば彼女の理解者は外部には居なかった。生き延びた所で汚名を着せられ、自分の為に戦った者達は大陸中から非難される。

 しかし彼が――袁紹が現れた。董卓の無実を理解し、兵士達の想いを解ってくれた。

 それが董卓にとってどれほど救いとなるか。例え此処で散ったとしても、彼が皆の誇りを守ってくれる。

 

 絶望的な出来事が続いただけに、この小さな救いには涙を流さずにはいられない。

 

「ははは! いやはや恐ろしい、そして意地が悪い。全てを理解した上で問いかけましたな?」

 

「小悪党如きが大義を語るからだ」

 

「小悪党……ですか、手厳しいですな」

 

「大方、長話で仕損じたのだろう? 絵に描いたような小悪党ではないか」

 

「はは、図星で御座います。ですが――長話が過ぎたのは儂だけではありません」

 

 商人の言葉と同時に、兵士が何かを耳打ちする。

 

「あの問答の間、儂の手の者達に付近を見て回らせました。軍勢は連れていないようですな」

 

「それが?」

 

「おや、袁紹様ともあろう方が物分りの悪い。儂の私兵は百人、かたや貴方様達は――筋骨隆々ですが、御輿から手を離さない丸腰の男達が六人。戦場で剣を振った事が無い名族、その背後に無力を通り越して足手まといな娘が二人。かの高名な二枚看板しか戦える者が居ないとは……哀れでなりませぬ」

 

 仮面を外し、演技ではない嗤いを浮かべる。兵士達もそれに倣うように下品な笑い声を上げた。

 

 彼等を見て袁紹は溜息を吐く、現状が把握出来ていないのはどう考えても――……

 その意に返さない態度に小悪党が眉を吊り上げる。悪事を働く過程、又は奴隷業を営む中で様々な絶望の表情を目の当たりにして来た。しかし、目の前の彼等はどうだ、絶望どころか哀れむような目線。理解できない。

 何より信じ難いのは、董卓達の目から恐怖が消えていることだ。

 つい先程まで悪意を浴びせられ、震え上がっていた彼女達が――

 

 笑い声が止むと同時に袁紹が口を開く。

 

「本当にその程度の戦力で、我が最も信を置く二人を相手取るつもりか?」

 

「それはどう言う――」

 

 小悪党の言葉は突如の横に飛来したモノと、自身の頬に感じた生暖かさに遮られた。

 

「……?」

 

 反射的に頬を拭う、手に付いた真紅は紛れも無く――血。

 

「――ッ!?」

 

 矢? 掠った? いや、痛みも傷も無い。それではこの血は一体。

 そういえば横に何か――

 

「ひっ……ッッ!」

 

 死体だ、それも二つ。

 一つは腰から横に両断され、上半身だけとなったモノ。これはその返り血だろう。

 二つ目は衝車を直接喰らったかのように、身体の一部を陥没させ事切れている。

 

 ――馬鹿な、あの距離から!?

 

 自分と袁紹達には距離がある、その間に私兵達が壁となる形だ。

 にも関わらず死体が飛んできた、どれ程の膂力があればこんな芸当が出来るだろうか。

 

『……』

 

 戦慄せずにはいられない。

 金で外道を働く者達とはいえ、斗詩と猪々子の武の次元を理解できた。

 

「そ、その二人を討てば褒美は思いのままだぞ!」

 

 ――とはいえ、やはり所詮は小物の集まり。

 パトロンである商人の言葉に目を輝かせ、じりじりと距離をつめて行く。

 一人では無理でも複数で同時に仕掛ければ――そう浅はかに考えて。

 

『せーの、いくぞおらあああぁぁぁッッッッ!!』

 

「そうそう、悪党ってのはそうでなくっちゃ―――なッッ!」

 

 猪々子の一閃と共に戦いが――否、袁紹の持つ二つの鉞による蹂躙が始まった。

 

「文ちゃん……すごい」

 

 兵士達をボロ雑巾の如く斬り伏せる猪々子、思わず斗詩も目を見張る。

 胸当てはおろか武器ごと斬り飛ばす。それも複数人を同時にだ。猪々子(相方)の力は知っていたが、まさかここまでとは――

 

「――ッああもう我慢できねぇ! 斗詩、ここは任せた!」

 

「ちょ、文ちゃん!?」

 

 猪々子は敵兵に向かって突貫して行く、斗詩が制止を呼びかけようとしたが間に合わない。

 自分達は主を背にしている。近くで敵を迎撃するのが最善のはず……

 

 ふと、斗詩に疑問が浮かんだ。猪々子が突撃する前だ、彼女は後ろにチラリと視線を送った。

 そこに何か彼女を奮起させるものがあったのか――

 

「――ッ」

 

 確認した斗詩は理解した。袁紹だ、敬愛する主が自分達を静かに見据えている。

 その瞳に宿るのは絶大な信頼。二枚看板(二人)に任せれば心配は要らないと言う、どこまでも純粋な思い。

 

 ――あぁ

 

 斗詩の五体に力が漲っていく、気分は高揚し感覚が研ぎ澄まされる。

 応えたい。彼の信頼、その思いに――

 

 猪々子はこの有り余る高揚感に耐え切れず、前に出たのだ。

 

『もらったぁぁッッ!』

 

 高揚感に頬を染め、一時的に袁紹の瞳に魅入られる。その後ろから数人の兵士が斬りかかった。

 この者達は猪々子に敵わないとみて、斗詩と後ろにいる袁紹に目標を切り替えたのだ。

 

「無駄です!」

 

 振り向きざまに弾き飛ばす。軽い、扱い慣れたとは言え大槌『金光鉄槌』が羽のようだ。

 

 ――いける

 

 現実を見据え慢心とは程遠い斗詩も、この時ばかりは自分の武に絶対の自信が持てた。

 今なら一人で千人を相手取れそうだ。事実、彼女にはその武力がある。

 

「さっすがアタイと麗覇様の嫁だ、愛してるぜーッ斗詩ーッッ!」

 

 敵を屠りながら猪々子が歓声を上げる。彼女が飛び出せたのも背に斗詩がいるからだ。

 猪々子達に比べ一歩退いた印象を持たれがちな斗詩、今の彼女は二枚看板の名に恥じない実力を内包している。

 

「ば、馬鹿な……こんな一方的に!」

 

 敵兵の阿鼻叫喚に紛れ、小悪党の悲痛な声が聞こえてくる。

 彼は戦場を見た事が無い。戦いがある場面では、複数が少数を圧倒する当たり前の光景しか知らなかった。

 初めて見る将の武力、一騎当千を体現する個の極地。数こそが力だと認識していた彼には衝撃的すぎる。

 

 ――しかし勝つのは儂だ

 

 私兵が成す術も無く蹂躙される中、男は嗤う。

 彼の目線は――袁紹達の背後、馬車の物陰に身を隠している兵に注がれていた。

 狙ったのではない、偶然だ。周囲を調べさせた兵は複数居た、あの兵は此方に戻る際に、身を隠し好機を計っていたのだろう。

 

 まさに僥倖。袁紹を人質に取れれば良し。だが無茶する必要は無い、近くには董卓達が居る。

 御輿に乗っている迷族よりは御し易いだろう。

 幸い袁紹は此方の計画を知らないようだ、だから先程の問答が起きた。二人を始末すれば後は撤退するだけ、賈駆の身柄は残念だが……事情を知る彼女をこの場で生かしておくのは危険だ。

 計画では賊による襲撃に見せ掛ける手筈だが―――張譲の名は袁紹に洩れていない。陰謀を感じ取ったところで追及は不可能だ。後は張譲が計画を軌道修正するだろう。

 

 ――勝った。

 商人がそう考えて袁紹に目を戻した時だ。

 

「!?」

 

 彼の姿が消えている、御輿の上から忽然と。

 嫌な予感に従い視線を動かすと直ぐに見つけることが出来た。位置を確認して絶句する。彼は――隠れていた兵の前に立ちはだかっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 身を隠していた兵は雇い主と目配せでやり取りをしていた。周囲の斥候に使われただけあって、この私兵の能力は高い。故にこの状況と商人の意図を把握できた。

 狙うは無防備な娘二人、自分には容易い仕事である。気配を消したまま馬車から姿を出そうとしたその時だ、目の前に腕を組む人影―――袁紹!

 

「馬鹿な、いつの……間に……」

 

 その言葉は袁紹では無く――彼の右手に握られていた剣に対してであった。

 

 そして力無く崩れ落ちる事で理解する。腹部から肩にかけて斜め上に一閃、斬られていることを。兵は美しい刀身を視界に納めながら、この世に別れを告げた。

 

「――ッたまんねぇぜ、麗覇様!」

 

 敵を屠りながら一部始終を見ていた猪々子は身体を震わせる。

 以前袁紹から聞いた事がある、突発的な戦闘に対処するためにある技を習得したと。

 その名も『居合い切り』抜刀をそのまま斬撃に変える奥義。始めに聞いた時は眉唾物だった、そもそも袁紹の剣の持ち味はしなやかさである。技量を持って相手を誘い込み、一撃を捌いた後の返す刃で討ち取る。

 速さに重点を置いた剣技など不要だろう……と、しかしその考えは消えた。

 

 猪々子と同じく状況を見ていた者達が唖然としている。無理も無い、彼女でさえ剣の軌道を見るのがやっとだった。恐らく他の者達には何が起きたのかさえ理解できないだろう。

 まさに奥義。あの剣速であれば納剣したまま奇襲されても遅れは取るまい。

 

「麗覇様!」

 

 歓喜に打ち震える猪々子とは対照的に、斗詩は血相を変えて駆け寄る。

 主を護衛するべく近くに居たのだ。その袁紹が剣を抜くことなど、彼女にしてみれば失態でしかない。

 

 斗詩の心情を感じ取った袁紹は、鞘に剣を納めながら「気にするな」と口にする。

 彼女は前方で戦いながら周囲に気を配っていた。馬車の背後に敵が潜んでいるなど、到底気が付けるものではないだろう。 

 

「し、しかし、良くお気付きに……」

 

「ああ、知らせてくれる者がいたのでな」

 

 斗詩は思わず董卓達に目を向ける、言いたい事を理解した賈駆は静かに首を横に振った。

 

 ――では誰が?

 

 猪々子は敵中で戦い続けている、他に味方は担ぎ手の者達だけだ。

 念のため其方にも視線を送ると、寡黙な彼等は筋肉を痙攣させる事で返事した。

 

『ワ・レ・ワ・レ・デ・モ・ナ・イ』

 

 益々誰が――と考えた瞬間、斗詩は筋肉言語を理解できたことに気が付く。

 襲い来る悲壮感、南皮に帰った自分は胸を張って常識人と名乗れるだろうか――

 

「フハ! 情報源は彼奴だ」

 

 袁紹の鋭い視線にその者――商人の男が肩を震わせた。

 二人の距離は離れている、会話が聞こえたわけではない。だがあの視線、全てを見透かすような目に耐え切れず滝のような汗を流した。

 

「彼が?」

 

「あの者は感情を隠すクセがある。だがその仮面も、問答後に敵対する事で剥がれた。必要なければ感情を隠さないということだ。それは二人の武を目の当たりにして蒼ざめた事で確信している」

 

 始めて目にする無双の武、男の仮面を剥ぎ取るには十分な衝撃だったのだ。

 

「そんな奴が突然笑みを浮かべた。強がりは有り得ない、何かしら事態が好転する材料を得たのだ」

 

「そ、それだけで?」

 

「……仮面を剥がした時に奴は言っていた、手の者『達』に辺りを回らせたと。報告に戻った兵は一人、数人離れたままだ。その数人が戻ったことでどう事態が好転するか――援軍は有り得ない、予備兵力がいるなら余裕があるはず、勝利を確信した脅しにも使っただろう。ではどのように好転させるか、背後からの奇襲だ。そして後ろに気を配ってみればこの通り鼠が居たと言う訳だ」

 

「凄いです麗覇様!」

 

 賞賛する斗詩、その近くでは賈駆が目を白黒させている。

 

 御輿で現れた時は愚者だと思った。悪漢達の視線から守るように立ちはだかる姿を頼もしく感じた。音速の剣技には舌を巻いた。そして先程見せた観察眼と論理。

 果たしてどれが彼の正体なのだろうか――……

 

 全てである。

 

 威、武、知、全てを兼ね備え、破天荒なのが袁本初なのだ。

 

 

「アタイも負けてらんねぇぜ、オラオラどうしたぁッッ! 掛かって来いや!!」

 

「ひっ」

 

 戦いが始まって数分、既に半数の兵士達がなで斬りにされていた。

 猪々子は全身に返り血を浴びているが息に乱れは無く、それどころか「漸く身体が温まった」と呟きながら兵士達に近づいていく。

 

 彼女の姿に兵達は一歩、また一歩と後退しだした。

 今居る彼らは、猪々子等の武力を察しその場に残っていた者達だ。『勝てない』と確信しながらも惰性で斬りかかる味方を見守り、あわよくば戦わずして勝利を得ようとした小者。

 

「な、何をしている! 人数はまだまだ儂達の方が上なのだ、囲んで片付けんか!!」

 

「無理だ……殺される」

 

 彼らに猪々子と刃を交じわらせる勇気などあるはずもない。

 

 一人が武器を捨て走り出したのを皮切りに、他の兵士達も我先にと逃げ出した。

 

「ま、待て、せめて儂を―――ッ」

 

 最早彼の声は届かない。私兵達にとって大事な金づるだが、それも命あっての話。

 兵が逃げ出した途端、猪々子が走り出したのだ。杖が無ければ歩けない老人に手を貸す余裕は無い。

 

「貴様等、これまでどれだけ儂に……う!?」

 

 遂には肩をぶつけ倒されてしまう。彼は失念している。

 金で外道を働く者達に忠義など無い事を、金でしか人を動かしてこなかった自分に、忠誠を誓う者が居ない事を――

 

 

 

 

 

 

 

「こ、こんなはずでは」

 

 哀れ、ひとり残された商人の男は地面を這いながら杖を探す。

 

「探しているのはこれか?」

 

「あ、あぁ……」

 

 杖は袁紹が手にしていた、近づく際に拾ったのだ。

 それを見て顔面蒼白になる商人。杖を失った事では無い、敵の手にある事が問題である。

 

「む? ほぉ、面白い仕掛けだ」

 

 持ち手を軽く捻り手前に引く、中から現れたのは白刃、仕込み杖だ。

 それこそが商人の切り札、口八丁で近づき董卓と賈駆の両名だけでも――と狙っていた。

 

「うげ、この期に及んで良い度胸だなぁ」

 

「そうでは無い、単に後が無いだけだ」

 

 

 

「どういうことです?」

 

「……裏家業が在るとはいえ一介の商人如きに、このような手回しが出来るとは思えぬ。裏で大物が手を引いている可能性が高い」

 

 袁紹の言葉に商人が身体を震わせる。

 

「成功すれば報酬を、そして失敗すれば―――家族の命が無いのだろう」

 

 その推察は当たっている。失敗などありえない、それほどまでに手回しされた計画だったのだ。

 ましてや自身の長話が原因で仕損じたなど……。是が非でも二人の命だけは奪わなければならない、このまま失敗に終われば家族がその責を負う。

 

 だが頼みの仕込み杖は袁紹の手にある、斯くなる上は――

 

「袁紹殿、あの二人を討ち果たせば貴方様は英雄に……」

 

 懐柔(これ)しかない。

 清廉潔白で有名な袁紹だが、連合の総大将として両名を見逃す事は出来ない。

 

「我に外道を犯せと? 暴政は無かったのだ、彼女等を討つ理由が無い」

 

「いいえ在ります、貴方は連合の総大将です」

 

 袁紹の顔が僅かに歪み、確認した商人は口角を上げた。

 言わんとしている事を理解しているようだ、だからこそ畳み掛ける。

 

「此度連合は董卓の暴政を止めるべく出兵、戦に臨みました」

 

 大半が私欲に駆られてだが、大義名分の下であることに変わりは無い。

 

「今、暴政の有無を白日の下に晒せば連合に非が生まれる。袁紹殿がそれで良しとして――他が納得しますかな?」

 

「……」

 

「ありませぬ。皆が口々に事実の隠蔽、董卓の処断を訴えるでしょう」

 

 それを前提に集まっている諸侯が居るくらいだ。間違いなく董卓に汚名を着せたがるだろう。

 洛陽で緘口令を敷き、あくまで連合は正義で在り続ける……

 

「それには総大将たる袁紹殿の力が――」

 

「もう良い」

 

 言葉を遮られるも商人は満足そうに口を閉じる。

 此処まで説明すれば理解しただろう、後は目障りな娘二人を――

 

「何と言われようとも、二人を害する気は毛頭無い!!」

 

「な!?」

 

 その場に居た全員が耳を疑う、中でも商人の狼狽が大きいが無理も無い。

 董卓を助命すると言うことはつまり――

 

「他の諸侯全員を敵に回すおつもりか!!」

 

 董卓を助ければ真実が暴かれる、袁紹だけで無く連合に参加した全員の名が傷つくだろう。

 何とかその場を収めたとしても禍根が残るはずだ。漢王朝の権威が落ち、浮き足立った大陸で孤立するのは致命的だろう。

 

「構わぬ、いずれ戦乱となり皆が敵と化すのだ。遅いか早いかの違いだけよ」

 

「な、何を言って……」

 

「わからんか? 王朝の意向を介さず、連合が成った時点で漢は終わっている。後はきっかけ次第で戦乱の時代へと突入するだろう」

 

「……」

 

 黄巾の乱から漢王朝には見る影も無い。其処に来て今回の騒動、漢に諸侯の手綱を握る力は残っていない。煩わしい操り手が居なくなれば、後は走り出すだけだ。 

 

「遅かれ早かれ敵対するのなら、大儀を成す事に躊躇する必要は無い」

 

 何とか立ち上がっていた商人はその場に崩れ落ちる。最早手立ては無い。

 

「まずはこの場の始末か」

 

「ひっ」

 

 ゆっくりと近づいてくる袁紹に対して悲鳴を上げた。彼の手には自身の仕込み杖、抜き身の白刃が握られている。

 

「ど、どうかお情けを、金なら幾らでも――」

 

「我を金で釣れると?」

 

「それは……」

 

 腐っても商人だ、袁家の資産がどれほどの規模かは理解している。

 自分の財など足元にも及ばないだろう。

 

「で、では奴隷はどうです? 選りすぐりの美女を宛がいましょう!!」

 

「……」

 

 その言葉に袁紹から表情が消えた。商人はそれを好感触と捕らえ捲くし立てる。

 

「もちろん全員初物で御座います。粒揃いゆえ、袁紹殿も気に入るでしょう」

 

 そうだ、男であれば男色でない限り抗えぬ誘惑。それが女。

 かの名族も例に洩れない、その証拠に儂の言葉を思案して――

 

「あ~あ、やっちまったな」

 

「あの人の経歴を考えると、同情は出来ないけどね」

 

 気を良くした商人の耳に斗詩達の哀れむような声が聞こえてくる。

 

「……?」

 

 何をやらかしたと言うのか、奴隷など珍しいものではない。

 名家ほどそれを好む。女が活躍する大陸にあって、従順な奴隷は彼らの大好物だ。

 目の前の袁紹だって嬉しそうに拳を振り上げ――……?

 

「この、畜生めがッッッ!!」

 

「メメタァ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まずは助けて頂いたことにお礼を、有難う御座いました」

 

「フハハ! 礼には及ばぬ――と言いたい所だが、素直に受け取ろう!!」

 

「あ、あの……彼をどうするのですか?」

 

 董卓の視線の先には、名族の鉄拳により白目を向いた商人が一人。

 簀巻きにされた状態で猪々子に担がれている。

 

「聞きたい事が山ほどある。捕らえられている奴隷達も解放せねばなるまい。

 その後は生きて罪を償わせよう。悪事で培った能を世の為人の為に……な」

 

 改心しないようなら袁家に伝わる拷問術『悶絶百年殺し』が猛威を振るうだろう。

 

 商人の処遇を聞いた董卓はホッと溜息を吐く、つい先程まで自分の命を狙った者を案じるとは。

 どこまでもお人好しで、優しい娘だ。民に愛されるのも納得がいく。

 

「えっと、順序が逆になりましたが董仲穎です。こちらは友達の――」

 

「董卓様の軍師、賈文和よ」

 

「…………」

 

 肩書きを強調した自己紹介に対し、董卓が悲しそうに俯く。

 賈駆はすぐにでも言い直したい衝動に駆られたが、何とか思いとどまる。

 

 袁紹の様子とこれまでの言動を顧みるに、自分達を傷つける気は無いだろう。

 しかし、彼の目的が見えていない以上、油断は禁物である。

 あるかもしれない交渉を前に、董卓の存在が小さく見られるわけにはいかない。

 

「……ふむ?」

 

 気丈に振舞う賈駆を袁紹は面白そうに見つめる。

 意志の強そうな吊りあがった瞳、小さな身体で主の前に出る根性。

 気が強く激情家、それが袁紹の見立てだ。

 

「意外だな、我はこう『連合軍の分際で私たちを助ける? 何様よ!』って感じなのを予想していたぞ」

 

「麗覇様女言葉うめーな!」

 

「フハハ! 名族であれば声帯さえも超越するのだ!!」

 

 自身の奥に仕舞い込んだ激情、それを言い当てられ賈駆の瞳が揺れる。

 

 叫びたい、声を大にして(連合)を罵倒したい。お前達さえ来なければ――と。

 しかし、それをすれば董卓の立場が無くなる。忘れてはならない、生殺与奪の権は彼らが握っているのだ。

 

「ボクも馬鹿じゃない。貴方達が味方出来なかった理由はわかるわ」

 

「しかし、納得出来ない、違うか?」

 

 その通りだ、納得できるわけがない。

 この戦は張譲の計画によるもの、自分達は負けるべくして負けた。

 ではその茶番で流れた仲間の血は? 皆の想いは?

 

 頭では理解しているが、感情が納得出来ないのだ。

 

「――――ッッッ!!」

 

「…………」

 

 気が付くとソレを言葉にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……それで全部か?」

 

「あ、あ……ボクは……」 

 

「良い、我がそう仕向けたのだ。お主に非は無い」

 

「あんた、わざと……」

 

 言って賈駆は慌てて口を押さえる。口汚く罵倒した後で今更遅いが……

 

「それが素か。良いぞ、仮面越しに話されるよりずっと良い」

 

 袁紹は賈駆の溜まっていたものを吐き出させた、本心を聞く為でもあるが――

 何より弱っている女子を見過ごせない。紳士たる者の当然の嗜み。

 

 『YESロリータNOタッチ』である。紳士違い? 何のこったよ。

 

「詠ちゃん、大丈夫?」

 

「大丈夫よ月、ありがとう」

 

 賈駆は改めて袁紹と対面する、その瞳からは幾らか憂いが消えたようだ。

 

「見苦しい所を見せたわ……話を戻しましょう」

 

「うむ、我等の情勢をどの程度理解している?」

 

「……袁家と漢王朝の間には埋められない溝があった。だからボク達、と言うより王朝側に味方しなかった」

 

 黄巾の乱にて大計略を駆使し、広宗の地で漢の意向を無視した行動。

 中央が力を失っていたため黙認されたが、民に見えない形で不満を露にしていた。

 その一つに恩賞がある。黄巾鎮圧で功を挙げた者達にはすべからく、華琳でさえ土地を与えられたが袁紹には何も無かった。

 その代わり『南皮に集った難民を認める』と御触れを出したが、認めずとも関われるほどの力は無いのなら、公認など在って無いようなものだ。

 大体、後付けで如何様にも撤回できる。大陸の民達が心置きなく南皮に移れると歓喜したのが、せめてもの救い。大多数の諸侯達が、袁家と漢の不和をほくそ笑んでいた。

 

「それだけでは半分だな」

 

「……あんた達は、いえあんたは、漢王朝を延命させたくなかった」

 

「フハ! 流石だ」

 

「正気? 戦乱の世に近づくのよ?」

 

「惚けるな賈文和、延命した所で手遅れだ。違うか?」

 

「……」

 

 その通りだ。

 連合が成った時点で終わっている。ここから漢王朝を立て直すのは不可能に近い。

 死人を生き返らせるようなものだ。

 

「……それで、ボク達をどうするつ――「あ、とりあえず簀巻きで」 へ?」

 

「猪々子」

 

「かしこまり!」

 

「きゃあ!?」

 

「月!? ちょっ、袁紹これはどういう――」

 

 抗議する賈駆を問答無用で担ぐ、不恰好だが仕方ない。

 

「話は後だ、今も続いている戦を止める」

 

「それと簀巻きに何の関係があるのよ!?」

 

「とりあえずは捕虜という名目で連れて行くためだ、仮にも連合の総大将と、敵方の董卓が仲良く戦場に現れるわけにはいくまい?」

 

「そ、それはそうだけど……」

 

 会話しながらも簀巻きにした二人を御輿に乗せていく、商人と合わせて三人の簀巻き。

 シュールな光景だ。

 

「ちょっと、馬車があるのに……だいたい何で御輿なのよ!?」

 

「唐突な御輿は名族の特権である」

 

「意味がわからないわ!?」

 

「麗覇様の言葉の半分は脳を通さずに発せられます。気にしなくて良いですよ」

 

「きょ、今日は何時に無く辛辣だな斗詩」

 

 袁紹の言葉にそっぽを向く、どうやら口上を強要したことが災いしたようだ。

 ……後が怖いかもしれない。

 

 準備を終えた御輿は走り出す。その速度は馬を遥かに凌ぎ、うら若き乙女の叫び声が木霊した。

 

 

 

 

 

 

 

 その後、袁紹の声明により張遼軍が降伏。孤軍奮闘していた華雄軍も張遼の説得により矛を収めた。

 

 

 

 

 

 

 




「これにて一件落着!」

「お帰りなさいませ麗覇様、さっそくお話しが」

「あるのですよー」

『覚悟しナ』

「……」

オミコシは にげだした!

しかしかつぎてのトシが うごかない!

………
……





「ぬわーーっっ!!」



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閑話―呂布―

 南皮にある袁家の屋敷、その中庭に位置する修練場で二人の武人が対峙していた。

 

「悪いな、私の鍛練に付き合わせて」

 

 一人は趙雲、真名を星。袁紹に仕える事になってから、彼女は今まで以上に鍛練に力を注いだ。

 そんな彼女が好むのは試合、実戦形式の鍛練である。

 

「……」

 

 相対するは袁家最強戦力の呂布、真名を恋。悪びれる星に対して首を横に振る。

 

 以前の試合で星を軽くあしらった後、彼女はことあるごとに鍛練をせがむようになった。

 顔を合わせる度に鍛練に誘うのは、客観的にどうかと思うが――煩わしいと思ったことは無い。

 

 恋は孤独の中で生きてきた。強すぎる力は敵に恐怖を、味方には畏怖を与える。

 畏怖、そう言えば聞こえは良いが、自分を避ける点では敵と何ら変わりは無い。

 自分自身、感情を表に出すのが苦手なのも相まって、他者との距離は開くばかりであった。

 だが、自分には家族達が居た。恋の上辺、脅威的な武力にばかり目がいく人間達とは違い。

 彼等は恋の内面、その奥にある暖かさを好いて共に在ってくれた。

 やがて音々音とも出会い、恋が孤独を感じる事は無くなった。

 

 それでも――酒を飲み交わしながら騒ぎ合う者達を遠目に羨ましいと思ったものだ。

 

 ここ南皮に来た頃は不安が多かった。果たして自分は、家族達は受け入れられるだろうか。

 そして……自分を恐れない理解者が現れるか。

 

 恋の不安は、袁紹を始めとした南皮の住民に一蹴された。

 そもそも規格外が集まりつつある袁家だ、その筆頭が当主なのだから驚きである。

 彼らの目からすれば恋の規格外の武力も、袁紹の御輿も似たような物。拍手喝采しこそすれ、恐れるものでは無いのだ。

 南皮の住民、袁家の家臣達は恋が戸惑うほど無防備に近づいてきた。

 そうなれば話は早い、元々誰とでも打ち解ける暖かさを持った女性である。

 一月もする頃には家族と音々音を含め、すっかり袁家の一員と化していた。

 

 

 

 だからこそ悪意も無く鍛練に誘う星を、歓迎こそすれ邪険にする気にはならないのだ。

 

「ハッ!!」

 

「!?」

 

 過去を思い出していると、恋の胸に向かって何かが伸びてきた。

 

 鍛練用の槍だ。怪我をしないように刃が外され、先端に丸みを持たせている。

 それが直ぐそこまで迫っていた。恋は瞬時に後方に飛び退くことでこれを回避、数瞬でも遅れれば容赦なく叩き込まれていただろう。

 

「我が槍を前に考え事とは、ずいぶん余裕だな恋」

 

 突きを放った星は犬歯を見せながら苦言を呈する。

 

 どうやら先程の突きは、恋の意識を向かせる為のものだったようだ。

 そこまで理解して恋は自己嫌悪に陥った。今は試合の真っ最中、普段は飄々としている星も、鍛練や試合に関しては真摯(しんし)な姿勢で臨んでいる。そんな彼女と相対して上の空でいるなど、星の誇りに対する侮辱である。

 

「……ごめん」

 

「あ、いや、責めている訳では……まいったな」

 

 目尻を下げ謝罪する恋。その悲壮感漂う姿に星は困惑する。

 彼女としては言葉通り責める気は無い。無理矢理つき合わせている形でもあるし、恋の武が自身の数段上をいく事も把握している。事実、不意を付く形となった突きを避けられたのだ。

 自分に意識を向かわせようと躍起になりこそすれ、責める気は毛頭無い。

 

 しかし、恋は素直で純粋な娘だ。

 星が気にしていなかろうと自分に非があると考えれば、納得いくまで反省するだろう。

 『しゅん』と項垂れる姿はどこか痛々しい。犬耳があれば垂れ下がり、尻尾があれば丸めているに違いない。

 

「では今から全力で手合わせしてくれ、それで不問にしよう」

 

「!」

 

 その提案に喜色を込めて頷く恋、『やれやれ』といった様子で星は構え直した。

 納得できないのなら、納得できる条件を与えれば良い。この展開は予想していなかったが、全力の恋を相手とれるなら文句は無い。

 

『…………』

 

 両者の間に沈黙が流れる。息苦しさを感じるほどに空気が張り詰め、試合であることも忘れそうな緊張感が漂った。

 

「……」

 

 恋は距離を詰めかねていた、原因は星の構えだ。

 柄の末端を握り、槍の間合いを最長に維持している。迂闊に近づけば、自身の間合いの外から神速の突きが放たれる。

 

「……」

 

 とはいえ、このまま硬直していても仕方ない。星が待ちに徹するなら此方から攻めるまで。

 もともと自分は攻めの武人だ、神速の突きであろうと、それを弾き自身の間合いに持ち込めば――

 

「!?」

 

 一歩前に出ようとした瞬間事が起きた、星が仕掛けたのだ!

 恋が足を動かすとほぼ同時に距離を縮め、突きを放つ。

 

 三連突き、星は一呼吸に三つの突きを放つことが出来る。

 狙うは顔面、喉、水月、人体の急所を的確に穿つ。無論、寸止めに留める所存だ。

 

「――ッ」

 

 恋は得物を縦に持ち替え辛うじて防ぐ、突きが正確であることが幸いした。

 

「フッ、流石だ恋」

 

 星は追撃せず後退、再び距離を取り間合いを開けた。

 

 ――完全に虚を突いたのだがな

 

 余裕が無い事を隠すため、辛うじて笑みを浮かべる。

 最初の構えから彼女の作戦だった。間合いを開き待ち構え、焦れて接近した瞬間を狙う。

 虚を突くため相手の挙動が一歩遅れ、奇襲に近い先制が取れる。そこに自身の三連突き。

 並みの将なら成す術も無く、たとえ猪々子等でも反応が遅れ喉下に槍を突き出されたはずだ。

 

 冷や汗が頬を伝う。

 恋は反応どころか防いで見せた、彼女の規格外は幾度と無く体験してきたが改めて思う。

 呂奉先こそが大陸最強であると。

 

『……』

 

 再び両者の間に沈黙が流れる。

 恋の苛烈な攻めを受けきる自信は星に無い。常に自分が仕掛ける、そこに勝機があるはずだ。

 

「ハァッ!」

 

 再び三連突き、虚を突く事無く正面から放たれたソレを恋は難なく防いだ。

 

「!」

 

 防ぎきった瞬間、星との距離が縮んでいる。

 間合いに入れるべく一歩踏み出したが、星も自分から接近してきた。

 恋が驚いたのは星の構え、先程まで末端を握っていたソレが中央に戻っている。

 あの三連突きの後、槍を引きながら瞬時に持ち替えたのだ。

 持ち手を変えた事により間合いが狭まる、近接した状態で再び三連突きが放てるのだ。

 

 これが星の秘策、恋を破るために編み出した『詰みの三連』その前準備である。

 先手を取れれば必ず勝てる技、前提条件として中段の構え、そして相手の間合いで先制する必要がある。

 最初に放った突きは牽制、接近と同時に今の状況に持ち込むための布石だ。

 

 一の突きを放つ、狙うは右肩。恋は肩を反らし辛うじて避ける。

 二の突きは水月、胸に向かってくるソレを恋は得物で防ぐ。

 

 ――成った

 

 一で体勢を崩し、二で得物を縛る。相手が強者だからこそ通用する奥義。

 星の神速の突きも、ある程度強者が相手になると防がれる。しかし三連の間に反撃は出来ない。

 だからこその詰みの三連。目の前には確実な成果、左半身が隙だらけな恋。

 

 三の突き、左脇腹―――

 

「!?」

 

 次の瞬間、星は弾かれるように飛び退いた。

 彼女自身、何故後退したか理解していない。武人としての直感が危険を感じたのだ。

 

「……残念」

 

「――ッ」

 

 星はすぐに言葉の意味と、自身が感じた危険を理解した。

 左脇腹、突きを入れるはずだったその直線上に恋の左手が在る―――掴もうとしたのだ!

 直感に従い後退したため事なきを得たが、あのまま突きを放ったらどうなっていたか……。

 

 ――掴まれたと見るべきだ。

 

 握力と反射神経に絶対の自信があって成せる業。恋は詰みの三連さえも本能で破ってみせた。

 観戦者が居ないことが惜しまれる名試合。否、仮にいたとしても何が起きたのか……。

 説明を求めたところで、「二人が接近した瞬間弾かれるように距離が開いた」と言うしかあるまい。

 それほど刹那の瞬間、技と本能の極地がぶつかり合ったのだ。

 

「堪らんな」

 

 三度、距離を開け相対する両者。星の口元にはまだ微笑みがあった。

 強がり……かもしれない。不意を衝いた三連も、対呂布用に編み出した詰みの三連も通じなかった。

 

 ――だと言うのに、私は嬉しくて仕方が無い!

 

 南皮で暮らし始めた頃から、星は恋を目指して鍛練してきた。

 幾度と無く辛酸を舐め、その度に立ち上がり更なる鍛練に取り組む。感じるのは確かな成果、武が研ぎ澄まされていく感覚。

 遥か遠く、霞んで見えた恋の背中はすぐそこに――……。

 しかし、先程の攻防で認識を改める。自分が追い縋った背は以前のもの、今の恋は更に進んだ先に居る。

 星はそのことに幸福を感じた、何故なら恋の武力に比例して自身の伸び代を感じるから。

 思えば詰みの三連も、恋という強敵がいたからこそ完成した。

 

 彼女と出会う事無く生きていたらどうか――……そこそこの相手に勝利し満足していただろう。

 良くて神速止まり、その先は無い。

 

「……」

 

 柄の末端を握っていた手を中央に持っていく、いつもの星の構えだ。

 もう小細工は必要ない、正面から己の全てをぶつける以外に勝機は無いだろう。

 これまでの全て、『一点を突く正確さ』だ。神速はその過程で得た副産物にすぎない。

 今の星は文字通り、針の穴を突く正確さを持っていた。

 

「……」

 

 星から笑顔が消え空気が変わる、彼女の狙いを悟った恋は冷や汗を浮かべた。

 次の一撃、三連さえ捨てた最高の一突きで勝負にくる。防御を捨てたソレは相打ちを辞さない一撃になるはずだ。

 

 まるで死合のような緊張感、沈黙を破ったのは恋だった。 

 

「……フッ」

 

「!?」

 

 二つの驚きが星を襲う。一つは恋の掛声、恋が矛を振るう時、彼女が声を上げた事など一度も無い。

 二つ目は恋の放った間合い外の一撃、鉄球さえ両断する勢いの振り上げは、星はおろか槍にさえ触れる事無く大きく空振り、無防備な胴体を晒した。

 

 無論、この致命的な隙を見逃すほど星は甘くない。全身全霊の一突きをその胴体めがけ――

 

「な!?」

 

 放った突きは大きく右に反れ、空振りに終わる。何故、どうして、混乱する星を次の瞬間、目を開いていられないほどの風が襲った。

 

「――ッ」

 

 ありえない、此処は室内だ。だが自分が感じたのは屋外のような突風。

 換気用の小窓はあるが、今ほどの風が進入してくることは有り得ない。

 

 突きを空振りしたことにより星に明確な隙ができ、彼女の首筋に恋の得物が宛てがえられ勝敗が決した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「恋、まさかあの風圧は……」

 

「ん」

 

 星の疑問は直ぐに晴れた。恋が最初に放った一撃、あれこそが風圧の正体。

 一撃に賭けると看破した恋は、突きの軌道を反らすべく全力の振り上げ、掛声を用いた一撃で風圧を引き起こしたのだ。

 

「真持って、出鱈目であるな」

 

 星は半ば呆れた様子で溜息を洩らす。

 得物を振るえば風圧は起きる、正しあくまで頬を撫でる程度の柔らかなもの。断じて突きの軌道を反らせるほどの突風ではない。刃渡りの大きい猪々子でも不可能だろう。

 

「それで、あれは何という技なのだ?」

 

「……技?」

 

 返って来た答えに頬をひくつかせた。

 あの局面、恋は土壇場で思いつき実践したのだ。驚くべきは己の勘に全てを委ねられる心意気。

 完成され尽くした武技にも関わらず、成長し続ける至高。彼女とだけは敵対したくないと、心底思った。その後、幾度か試合を重ねたが後一歩及ばない結果に終わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 袁家の屋敷には、当家の人間であれば皆が知っている癒しスポットが存在する。

 

 中庭、その中央に位置する一際大きな木の根元に、恋と音々音を含めた家族(動物)達が寝息を立てていた。恋を中心に、彼女の膝を枕代わりに音々音が、その周囲を家族が寄り添っている。

 互いの体温、風のせせらぎ、木の葉が擦れ合う音色、何とも気持ち良さそうである。

 

「いつ見ても癒されますね~」

 

「アタイも眠くなってきたぜ……」

 

「今日ばかりは、鍛練に誘えそうに無いな」

 

 その癒しスポットは一部の通路から見ることが出来るため、発見した者達は皆が足を止め頬を綻ばせながら溜息を洩らす。

 一人が足を止め、二人目が足を止め、やがて大人数が集まり人の気配を感知した恋がむずがりだし、それを確認した者達が慌てて散会していくのが、お決まりの光景だ。

 

 その通路にガラガラと音を立てながら風がやって来た。

 

「おやおや、また恋さんを視姦ですかぁ。皆さんお好きですね~」

 

「これ、人聞きの悪い。ところでその引いて来た物は……?」

 

「これですか? 直ぐに政務を抜け出す、いけない名族さんを乗せる為の物です~」

 

『……』

 

 音の正体は木馬。風は袁紹を乗せる為と言ったが、木馬の背は三角に角ばっており、とても人を乗せる代物には見えない。そして宝譿の『乗せた後は重しを追加するんだゼ』という言葉で、ソレが改めて拷問器具の類であると理解した星、斗詩、猪々子の三人が頬を引き攣らせた。

 

「……馬」

 

「うぉ!? 恋!!」

 

「あらら、起こしてしまいましたか?」

 

いつの間にか側で木馬を眺めていた恋。風の謝罪を込めた言葉に首を振り、起きた理由を口にする。

 

「……呼ばれた」

 

「ああ、桂花さんがあの笛を吹いたですね?」

 

 寝ぼけ眼で頷く。

 

「馬、乗っていい?」

 

『!』

 

「……残念なことに、これはお兄さん専用なのです~」

 

「残念……」

 

 表情は変わらないが余程乗りたかったのか、恋は長く飛び出している髪の毛、所謂『アホ毛』をしょんぼりとさせその場を後にした。

 

「まさか乗りたがるとは、恋さんにそっちの趣味が?」

 

「いや、純粋に童心からだろう」

 

『焦ったゼ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「桂花」

 

「きゃっ!? ちょっと恋、気配を消して来ないでよ! ……セキト達は?」

 

「お昼寝」

 

「お昼寝中だったの!? ご、ごめんなさい」

 

 猫耳をしょんぼりとさせて謝る桂花。恋は衝動的に彼女の頭を撫でたかったが、以前微妙な顔をされたことを思い出し、踏み止まった。

 

 昼寝は恋やその家族たちにとって大事な時間である。余程の事が無い限り欠かしたことは無い。

 桂花が吹く笛の合図が、その数少ない緊急事態の一つである。

 

「じゃあ、今日もお願い恋」

 

「ん」

 

 目を閉じ、鼻をスンスンと澄ませる。少しして、ご馳走の匂いでも感じ取ったようにふらふらと歩き出す恋。

 桂花は十数人の兵士を伴い、彼女の後を追った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 南皮郊外。元難民達による都市開発が推し進められており、一部の地域に一際輝きを放つ人物が居た。

 

「か~ちゃんのため~な~ら、え~んやこら」

 

『か~ちゃんのため~な~ら、え~んやこら♪』

 

「かぞ~く~のため~な~ら、え~んやこら」

 

『かぞ~く~のため~な~ら、え~んやこら♪』

 

 名族(袁紹)である、彼の唄を皆で口ずさみながら作業していく。

 

 南皮の開発が始まって以来、袁紹は度々屋敷を抜け出し作業に参加していた。

 作業員達は雲の上の人物の到来に、当初怯えに近い恐縮状態になったが、袁紹の人となりに触れ、あっという間に打ち解けた。今では棟梁と呼び慕っている。

 

「棟梁ぉぉ、てぇへんだぁぁッッッ!!」

 

「どうしたサブ吉!」

 

「いやオラの名は――「サブ吉!」……猫耳が接近中だよ」

 

 サブ吉の報告に作業員達が騒然としだした。猫耳とは天敵の俗称である。

 

「あー! いた!!」

 

「げぇっ桂花!」 

 

「『げぇっ桂花』じゃありません! また屋敷を抜け出して、何を考えているのですか!!」

 

 早過ぎる猫耳の到着に目を白黒させていると、彼女の近くに見知った影が一つ、恋である。

 知人に挨拶でもするかのように手を振っていた。

 

「ぬぅ、またしても特別捜索隊か」

 

 相次ぐ袁紹の脱走により設立された『特別捜索隊』 恋とその家族で構成された彼らの任務は、優れた嗅覚を使った名族の追跡である。

 恋ひとりでも、その役割をこなせると言うのだから驚きだ。彼女曰く『お日様の香り』を追っていくと袁紹に行き着くのだそうだ。

 桂花が羨ましがり、その極意を伝授してもらおうと躍起になっているのは――……。

 師匠である恋のみぞ知る。

 

「フハハ! だが我には――「御輿は既に確保済みです」なん……だと」

 

 桂花が注目を引き付けている内に、彼女の兵士達が隠されている御輿を取り押さえていた。

 将を射んと欲すれば先ず馬を射よ、王佐の才に違わない手腕である。

 

 しかし――。

 

「いつから御輿が一つだと錯覚していた」

 

「なん……ですって!?」

 

 いつの間にか第二の御輿が袁紹の背後から現れ、桂花達の目が大きく見開かれた。

 

 袁紹とて凡愚では無い、御輿による逃亡には限界があることを理解していた。

 一番の危険は御輿を封じられること、王佐の才(桂花)であれば必ず手を打ってくる。それを読んでいた袁紹は、作業の合間に即席の御輿を作らせていたのだ。

 

「フハハ! あばよ~とっつぁ~ん」

 

「今よ、恋!」

 

「……」

 

「む!?」

 

 御輿に乗ろうとした袁紹の袖をいつの間にか恋が掴んでいる。否、摘んでいる、指先二本で軽く……。

 いくら恋が剛力とはいえ、袁紹がその気になれば振り払える力加減。

 

「恋、すまぬが――……ッ!?」

 

 無理矢理外す気にはなれず、穏便に離してもらうため声をかけ―――絶句。

 

 恋は離したのだ、捨てられた子犬のような顔で。

 襲い来る罪悪感。めいぞくのココロに、999のダメージ!

 

 これぞ桂花が仕掛けた、(御輿)では無く心を縛る策。

 結果名族は、恋の愛らしさの前に大敗。作業員達との大義(酒盛り)を捨て、家臣の元に降った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日が沈み、南皮の食事処を渡り歩いていた恋は屋敷に帰って来た。

 ある日は星達との鍛練、ある日は家族とお昼寝、今日は袁紹達との戯れ。恋の毎日は大体これの繰り返しであるが、飽きる間などあるはずもない。

 鍛練にせよ、騒動にせよ、日々目新しい発見ばかりだ。そして今も――。

 

「……?」

 

 自分の部屋に向かう途中、中庭が一望できる通路から不自然な明かりを発見した。

 修練場の方だ、今の刻限に鍛練する者を恋は知らない。彼女は好奇心の赴くまま、そこに向かった。

 

「誰だ! りょ、呂布様!?」

 

「呂布様、何か御用で?」

 

 修練場の前には兵士が控えていた。ただの見張りではない、鎧を纏っていないが重騎隊の者達だ。

 厳重な警備、仮に恋が突破を試みても時間が掛かるだろう。

 

「……?」

 

「ああ、この中ですか……恥ずかしがりやが居るのですよ」

 

 言って、顔を見合わせながら笑い出す兵士達。

 恋の疑問は益々深くなるばかりだ。そんな彼女の様子を感じ取ったのか、兵士が修練場の扉を開け入室を促す。

“いいの?”と目で語りかけると、“呂布様であれば問題ありません”と答えが返って来た。 

 

 

 

 修練場に入った恋、彼女が始めに感じたのは熱気だった。窓が締め切られており、外の程よい風は一切無い。

 壁を隔てた中央からは規律的な風切り音が聞こえてくる。聞きなれたその音色は素振りの音だ、猪々子の大刀よりも小振りな音。

 

「……!」

 

「む、恋ではないか」

 

 素振りをしていたのは袁紹だった。恋の来訪にも止まる事無く、正眼に構えた剣を振り上げて下ろす。驚くべきはその完成度。剣筋には一切の乱れが無く、振り下ろした刃は同じ位置で静止している。

 恋ですらここまで正確には振れない。いったい幾千、幾万振ればその域に達するのだろうか……。

 

「……」

 

 邪魔をすまいと壁に背を預けて座る。やがて疲れもあってか、規律の良い風切り音を音色に目蓋が閉じていった。

 

 

 

 

 

 

「そういえば――」

 

 一頻り素振りし終わった袁紹が突然口を開き、恋に話しかける。

 寝惚け眼で袁紹の言葉に意識を向けたが――……。

 

 彼女の睡魔は次の一言で完全に吹き飛んだ。

 

「――恋とは試合った事が無いな」

  

  

 

 

 

 

 

 

 




試合で御輿の出番はありません(重要)


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閑話―恋―

今更だけど時系列的には連合出兵前。


「恋とは試合った事が無いな」

 

「!」

 

 袁紹の一言に反応し、飛び起きるように上体を正す恋。

 一見何気ない言葉に思えるが、恋は武人、そして袁紹も曲りなりにも武人だとすれば、その言葉の意味する事は――

 

「やるか?」

 

「ッ……ッッ!」

 

 勢い良く立ち上がり、残像を生み出す速度で何度も頷く。

 呆気にとられている袁紹を他所に、壁に掛けてあった鍛錬用の矛を手に取った。

 

「そ、そんなにやる気を出さずとも良いと思う……ぞ?」

 

 刃引きされた得物の調子を確かめるべく何度か振るう。誰かの素振りよりも大きな風切り音を発生させるソレに、さしもの名族も頬を引き攣らせた。

 

 恋を突き動かす原動力は、単純な好奇心。

 彼女にとって、袁紹の武を一言にするなら「未知数」だ。

 飄々としているようで、戦場にあっては武人の空気を纏う。感じるは強者のソレ。

 前線に立つ事の無い彼は、猪々子等に比べれば格段に劣るはずだ。しかし影で研鑽しこうして相対する袁紹の気配は、今まで矛を交えてきた強敵達と遜色ない。

 自分達より劣ると推察する一方で、“もしかしたら”と思わせる何かを感じる。

 早い話、底が知れないのだ。

 

「……」

 

 準備万端で対極に立つ恋に対し、袁紹は手拭で汗を拭き始める。

 直ぐにでも始めたかった恋としては拍子抜けだ、一度構えを解き得物を下げ―――

 

 恋の視界が闇に染まった。

 

「!?」

 

 顔に感じる異物感、ソレが自身の視界を塞ぐべく投擲されたものと理解した恋は、己の本能が打ち鳴らす警鐘に従い得物を前に押し出した。

 

 鈍い衝撃音、誰の仕業かは考えるまでも無い。

 

「むぅ、これを防ぐか」

 

 視界を塞いでいた手拭が下に落ち、犯人の顔が映る。

 袁紹だ。先程まで納剣されていたソレをいつの間にか抜き放ち、抜刀と共に斬撃を繰り出した。

 

「……」

 

 恋は改めて構える。合図など無い、既に始まっていたのだ。

 恐らく手拭を出し始めた頃から袁紹の作戦、汗を拭く素振りで場を白けさせ、油断し得物を下げた瞬間仕掛ける。

 

 卑怯だ。星あたりがこの場に居たら激怒したかもしれない。

 恋は―――卑怯とは思わなかった。一瞬の攻防ではあるが、袁紹の武の本質を垣間見たからだ。

 勝つのでは無く生き残る為の武。自分にある手札を限りなく使い、最も勝率が高い方法で仕掛けてくる。例えそれが、卑怯と呼ばれる戦法であっても……

 

 厄介、限りなく厄介な相手だ。恋も“彼ら”には幾度か辛酸を舐めさせられている。

 戦場にあって生き残る事が第一目的の彼等は、殆どが恋と戦う前に逃走を図る。

 しかし、勝利以外に生き残る活路が無ければ―――彼等は悪鬼となる。

 相対すれば砂を投げ石を投げ。視界の外では死体に化け、味方の鎧を纏い背後から躊躇無く斬りかかる。恋が最も恐れる生き残る(勝つ)ために手段を選ばない人間、それが彼ら(袁紹)の正体。

 

「流石だな、だが勝負はこ――」

 

 言い終わるのを待たずして恋が仕掛ける。

 

 戦場で苦戦してきただけあって、彼等に対する有効打を知っている。

 攻勢に出る事だ。奇策を弄する間を与えず、武を持って叩き潰す。

 

「!?」

 

 再び袁紹が何かを投擲した――鞘だ!

 視界を遮るのが目的なのだろう、恋の顔に向かって飛んでくる。

 

 煩わしい。

 

 飛んできたソレを右に避ける。

 

「――ッ」

 

 避けた先に袁紹の突きが待ち受けていた、模造刀の先端が自身に向かって迫り来ている。

 

 彼女の行動は全て袁紹の予測通りであった。袁紹の武の危険性を理解した彼女は必ず攻勢に出る、恋が近づこうと右足を出した瞬間に鞘を投擲、同時に突きを放つ。

 恋が鞘を弾かず避けようとする事は計算済み、一瞬でも隙が生じるソレを回避するはずだ。

 そして―――右足が出た時点で避ける方向も……。

 

 袁紹は恋では無く、彼女の避ける先に突きを放った。

 

「!」

 

 咄嗟に突きを弾こうとした恋が驚愕に目を見開く。

 

 空振りに終わったのだ、突きの軌道と速度を理解したうえで振った得物が。

 

「隙ありだッ!」

 

 袁紹は、恋の動きを見越して得物を引いていた。

 目論見が外れた恋は無防備な胴体を晒し、其処に再び袁紹の突きが――

 

「むッ!?」

 

 そこで終わらないのが呂奉先である。

 空振りに終わった得物を握る右手に力を入れ、人体の限界を無視して振り下ろした。

 瞬きをするような刹那、弾くため振り上げ空振りに終わった矛を振り下ろす。

 最早人間業ではない。星の三連突きが可愛く見えてくるその離れ業を――

 

「ここだ」

 

 袁紹は待っていた。

 剣を横に構え、迫り来る矛の柄に添え―――模造刀のしなりを利用し受け流した。

 

 恋の体勢が崩れ、肉薄する。

 

「!」

 

 再び空振ったかのような感触に困惑する間も無く、恋は首に冷たい物を感じた。

 袁紹が受け流しの体勢のまま、肉薄した自身に模造刀を宛がえたのだ!

 

「我の勝ちだ、恋」

 

 初めての敗北であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうだ恋、我が武は卑劣だろう」

 

「……」

 

 袁紹の言葉を、首を横に振って否定する。

 文字通り常在戦場の中で生きてきた恋にとって、袁紹の戦法は戦場の武そのもの。手段を選ばない柔軟さに、本人の技量も加味された先程の戦いを思い出し、感心すらしている。

 

「フハハ! 気を使わずとも良い、我自身この戦い方に嫌悪している。

 だが……卑怯である事に意味があるのだ」

 

「?」

 

「総大将たる我は前線に出ることは無い。それは即ち実戦の機会が無いという事だ、ここまでは良いな?」

 

 恋が頷く。

 

「そんな我が剣を抜く場面があるとしたら……暗殺者、刺客の類との突発的な場だろう。

 恋も知っている通り、我が陣営の防備は尋常ではない」

 

 屋敷、遠征先、そして街の中までも警備が行き届いている。

 袁紹が気軽に屋敷から脱走できるのも、常に追従する手練れが居るからだ。

 

「その警備を掻い潜り我の元に届く刺客、恐ろしいほどの手練れだ、道場剣術の我が武では心もとない。故に先程の戦法だ。地形、装備、状況、あらゆる物を駆使して“生き残る”」

 

 袁紹は自分の存在があるからこそ、今の陣営が成り立っていると自負している。

 決して自惚れでは無い。事実、癖の強い人材は彼を中心に集っている。

 もしも袁紹の身に何かあれば――……今の勢力は維持できないだろう。隠居した袁逢を中心に一時的に纏まるかもしれないが、袁紹の理想を実現させようとする者達と、支柱亡き今、富国強兵に勤めるべきとした保守派に割れるはずだ。

 

 もしそうなれば、幾らでも袁家を弱体化させる策が思いつく。

 覇を唱える華琳、彼女は容赦しないだろう。

 

「我は自分の理想に向かって多くの者を巻き込み、数多を救い、又は犠牲にして来た。

 彼らに報いるためにも我が理想、満たされる世は実現せねばならぬ。

 その為に何としても生き残る、これこそが我が覚悟だ!」

 

「!」

 

「――と言えば聞こえは良いのだがな。なに、ただこの戦い方が骨身に沁みているだけだ」

 

 “覚悟”を口にした後で、自嘲気味に呟く袁紹。

 目を皿にしている恋に苦笑しながら、そこに至った経緯を話した。

 

 思い出されるのは私塾から戻った頃、当主就任後の地獄の日々だ。

 父、袁逢の働きにより反袁紹派を荊州へと追いやったが、その中には本性を隠し南皮に残る者達も少なからず居た。

 彼らの目的は若い当主を傀儡にすること。娯楽の味を覚えさせ、自分達の権力拡大と不正に目を瞑らせるのが狙いだ。無論失敗に終わった。

 私塾の生活を経て一回り大きくなった袁紹は、甘美な誘惑には耳を貸さず様々な改革を促進した。その中の一つが不正を罰し、禁止する事。

 

 叩けば埃が幾らでも出てくる彼等は焦った。それと同時に袁紹を傀儡に出来無い事を理解し――

 彼の暗殺を決意した。

 

 清廉潔白な当主が居なくなれば、後任はその妹である袁術が勤める。

 物心付く前の幼子なら左程苦労せずに教育を施せるだろう。幸い彼女は反袁紹派の手の内に居る。後は邪魔な現当主を退けるだけ――……。

 

 ある時は食事に毒を、ある時はすれ違う女中に、ある時は湯浴みの最中に襲われた。

 その熾烈な過去を袁紹は生き抜いた。

 

 料理人の顔色で毒を看破し、追従していた猪々子と斗詩に女中を取り押さえさせ、丸裸で対峙せざるを得なかった湯浴みでは、身体を幾度か斬られながらも致命傷を避け、刺客を組み伏せその頭を湯船に沈め――……。

 観察眼、懐刀、機転、上記の苦い過去が今の袁紹の武技を形作った。

 不意を打って来る刺客を相手に、正面から武で挑む事は出来ない。袁紹は常に周りにある物と、状況を利用して切り抜けてきたのだ。

 彼の言う“覚悟”の真意を突き詰めれば、生き残る為に嫌悪して止まない戦い方を受け入れる事でもあった。

 

「……」

 

 恋の胸の中に熱い何かが宿る。

 

 袁紹はその見た目と言動に反して、色々な物を抱えている。

 それは責任感だったり名族としての自負だったりと、多種多様だ。

 恋が見てきた今までの彼は、周りに悩みや不満を洩らす事無く眩い道標として在り続けた。

 恐らく余計な心配をかけまいとする、彼なりの心配りだろう。

 温かいと思うと同時に、もっと頼って欲しいと不満にも思う。

 

 袁紹としては、これ以上無いくらいに周りを頼っているつもりだ。

 武に関しても、知に関しても、皆の助けで今の勢力があると自覚している。

 しかし、彼の願いはどれも南皮と民に対するものであり、自分自身に使うことは無かった。

 

 そんな袁紹が胸中をさらけ出している、紛れも無い信頼の証。

 彼が―――堪らなく愛おしかった。

 

「大丈夫、恋が護る」

 

「む、恋が刺客を退けてくれるのか?」

 

 意図を解した袁紹の返事に嬉しそうに頷く。

 

「フハハ! 刺客が気の毒であるな、我も枕を高くして眠れると言うものだ!!」

 

 袁紹は自分を安心させる方便と解釈し――……

 恋の瞳に宿る熱を見逃した。

 

 

 

 

 

 

 ――どうしてこうなった!?

 

 場所を移って袁紹の寝所、寝台の上には恋が抱きつく様な形で添い寝していた。

 

 鍛練を終えた袁紹は軽く湯浴みで汗を流し、自室に戻ろうとしたのだが――何故か恋が追従してくる。

 とりあえず解散しようという提案を聞かず、そのまま袁紹の部屋に到着。

 寝台で横になる袁紹を何故か見続けていた。訳を聞くと、護衛としての役目を果たすとの事。

 まさか夜通し、それも部屋の中に入ってまで護衛してくれるとは考えていなかった袁紹。

 明日からで――と言った説得にも首を横に振られ、仕方なく寝台を譲ろうとしたがそれを拒否。

 

 袁紹が名族として、女性を床に寝させないのであれば。

 恋は家臣として、主の寝具を奪う訳にはいかない。

 

 堂々巡りのやり取りの末、二人で寝台を共にする事で妥協しあった。

 

 ――どうしてこうなった!?

 

 そこで話は現在へと戻る。

 恋は寝惚けているのか、袁紹の背に抱き付き豊満な身体を押し付けている。

 手は逃がさないようにきつく回され、そのまま筋肉質な主の肢体をまさぐり――

 

「!?」

 

 淫靡な情婦のような手つき、寝惚けて成せるわけがない。

 背後を振り返ると予想通り、恋の頬を上気させた顔が映った。

 

「恋、これは一体」

 

「……子作り?」

 

「な、あの純粋な恋が!? 誰がそれを」

 

「星」

 

 脳裏に浮かんだのはドヤ顔でサムズアップする星の姿。

 次にあった時はデコピン乱舞の刑に処そう。

 

「落ち着け恋、それは好いた者と――「好き」 !」

 

 袁紹も鈍感なわけではない、恋の好意を理解している。

 しかし、彼女が今まで自身に向けていた感情は親族に対するよなもの。

 今朝方までそれだったものが、急に異性に対する好意に変わるなど――

 

「もう辛抱たまらん! ウオオォォォッッッ!」

 

 ――とはいえ袁紹も健全な雄。目の前で雌の香りを嗅がされて我慢出来るほど枯れてはいない。

 据え膳食わぬは名族の恥、その日彼は野獣と化した。

 

 

 

 

 

 

 その日以降、恋は護衛と称して袁紹と行動を共にし。寂しさから音々音が大泣きするまで二人の蜜月は続いた。

 

 

 




袁家の大炎 恋

好感度 120%

犬度 クゥーン

状態 親愛

備考 食べ物には目もくれず駆け寄る(空腹時を除く)
   最近猫耳の視線が気になる。
   対MIKOSHI最終兵器


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閑話―桂花―

微糖


 袁家の頭脳と呼ばれる才女が居る。彼女の名は荀彧、真名を桂花。

 袁紹に忠誠を誓ってから数年、南皮でその才能を遺憾なく発揮してきた。

 

 財政、人事、戦。袁紹の信頼も厚く王佐の才とまで称される彼女は、政務のみならず様々な方面で活躍している。

 

 そんな袁家に欠かせない人材である彼女は―――現在、街中を疾走していた。

 理由は語るまでも無い。いつも(袁紹)のである。桂花は主の暴走を止められる限られた人材なのだ。

 

「あそこを右に曲がれば現場です!」

 

 迷族の下まで斗詩と共に向かっている。常識人な彼女は頼れる味方だ。

 桂花が来る以前は斗詩が袁紹を止めていたらしいが、その殆どは失敗に終わっている。

 押しに弱い彼女は、事あるごとに言いくるめられていたらしい。

 

 ――やっぱり私がしっかりしないと、特に今回は!

 

 今日の案件は一味違う。何と、猪々子や星達も一緒に騒いでいるというのだ!

 本来なら諌めるべき立場の者達が便乗している。何でも暴漢を相手取って大立ち回りしているらしいのだが――……。嫌な予感が止まらない。

 

「こ、これは!?」

 

 現場に着いた桂花達はその光景に絶句した。

 袁紹らしき人物と見知った者達、そこを沢山の見物人達が囲み――……。

 足元には十数名の男達が倒れ伏している。

 

 聞いた話によると、この倒れている男達は他所から流れてきた無法者らしい。

 住民に絡んでいるところに袁紹“達”が出くわし、懲らしめた。

 一件問題は無いように感じる。寧ろ住民を守ったことを褒めるべきかもしれない。

 しかし彼は袁家の当主だ、本来なら荒事は警邏隊か護衛の者達に任せるべきであり。

 護られるべき本人が前に出るなど言語道断である。

 

「ちょっと! これは一体何事ですか!!」

 

 いつになく目くじらを立て、足早に近づいていく桂花。

 その対象は袁紹だけではない、彼の近くに居る見覚えのある者達にも向けられている。

 桂花と同じく家臣として仕える身、自分と同じく主を諌めなければならない立場。

 常日頃から彼女達の家臣としての意識の低さには不満がある。丁度良い機会だ。ここでその性根を正してやろう。

 

 桂花が声を張り上げようとしたその時―――彼女の声は振り返った袁紹らしき人物と、謎の口上に遮られた。

 

「何事かと問われたならば――」

 

「――教えてやるのも(やぶさ)かじゃないぜ!」

 

 言い終わるのと同時に別の影が躍り出る。どれも見覚えのある背格好だ。

 何故か色違いの仮面をしているが……。

 

「神算鬼謀、華蝶ぶらっく(音々音)です!」

 

「……豪力無双、華蝶れっど()

 

「猪突猛進、華蝶ぐりーん(猪々子)だぜぃ!」

 

「威風堂々、華蝶イエロー(袁紹)!」

 

 一人ひとりが自分の持ち味を含めて名乗りを上げる。約一名間違っているが……。

 

 そして四人が言い終わると同時に、影がもう一つ宙を舞う。

 影は空中で器用に回転しながら四人の前に降り立ち、瞬時に手に持っていた槍を構え直した。

 

「英雄豪傑、華蝶ぶるー()、又の名を華蝶仮面――此処に見・参!!」

 

「五人揃って――」

 

『五蝶仮面!!』

 

 ババーン、と密集しポージングをとる。次の瞬間、割れんばかりの歓声が見物客から響いた。

 何故かおひねりまで飛んでいる。

 

「ぐりーん! ぽーじんぐを乱すな!!」

 

「いけねっ、つい、いやぁ最近金欠でさぁ……」

 

「十分給金を与えていると言うのに、我は情けなく思うぞグリーン」

 

 やりとりを見ていた桂花は眩暈に襲われる。袁紹だけでも厄介だと言うのに今日は五人。

 後の始末や残った仕事を考えると、長居は出来ないというのに――……。

 

 華蝶仮面が悪を懲らしめるたび、仕事を取られた警邏隊の肩身が狭くなる。

 それを危惧して何度も苦言を呈したが、飄々と避けられ効果が無かった。故に彼女の活動は事実上黙認されている。

 “黙認”しているが認めたわけではない。その厄介者が五人に増えている。

 桂花にとっては正に悪夢だ。

 

「け、桂花さん。どうしましょう……」

 

「正面からでは駄目ね。搦め手で行くわよ」

 

 気を取り直して変質者集団に近づいていく、兵も連れているが彼らの出番は無いだろう。

 

「む、れっど!」

 

 桂花の只ならぬ気配を察知して、ブルーがレッドに先鋒を託す。

 唐突な最強の投入に兵士達は目に見えて動揺している。袁家の兵で彼女の実力を知らない者など居ない。鍛練と称して、精鋭千人に地面の味を覚えさせていた光景は記憶に新しく、彼女が近づいてくるにつれ血の気が引いていった。

 

「恋、いえ今はれっどかしら? 大人しく従ってくれたら来来亭でご馳走するわ」

 

「!?」

 

 桂花の提案にレッドは歩みを止める。来来亭とは南皮でも有数の高級料亭だ。

 味が絶品であることは勿論だが、それに比例するように高額な料金が特徴的だ。

 

 レッドはめったに訪れない。最終的に質より量を優先するからだ。

 そんな料亭の料理をご馳走すると言っている、桂花に限ってレッドの食欲を甘く見ることなど無いだろう。間違いなく彼女の胃袋を想定した提案、即ち―――あの高級料理が食べ放題なのだ!

 

「……」

 

 しかしレッドは―――背後にいるイエローをチラリと見た後、首を横に振った。

 

 その反応に彼女を知る者達が目を見開く。

 特にブラックの狼狽ぶりが酷い。レッドのおでこに触り熱を測ったり、拾い食いでもしたのかと問いただしている。そして最後には『天変地異の前触れです!!』などと言い出す始末。

 

 そんなブラックを皆がなだめている中、桂花は一人冷静に思考していた。

 桂花の驚きが少なかったのは、先程の提案が蹴られることを想定していたから。

 レッドは一時期、護衛と称して珍妙な行動をとっていた。その日から彼女の中で何かが変わった、若しくは芽生えたか、桂花は女特有の勘で気がついていたのだ。

 

 故に、この事態に対する対策も用意してある。

 

「荀彧様、例の物が到着致しました」

 

「そう、ここまで運んで頂戴」

 

「ハッ」

 

 ガラガラと音を立てて例の物が姿を現す、それは―――

 

「!?」

 

 以前レッドが乗りたがっていた木馬だ。迷族のお仕置き用に角ばっていた背は丸みを帯びていて、知らない者の目からは大きな玩具にしか見えない。

 これが対レッド用の秘策だ。彼女が木馬に乗りたがったその日、風によりこの玩具用が作成されていたことを知っていた桂花は、人一倍好奇心旺盛なレッドに与えるべく持って来たのだ。

 

「……」

 

 レッドはしきりに木馬を気にしていた。今はイエローと木馬を交互に見ながらそわそわしている。

 恐らく己の中の葛藤と戦っているのだろう。その様子にイエローは苦笑しながら、目を輝かせている彼女に頷いた。

 

「!」

 

 それを見たレッド―――恋は、目元を隠していた仮面を取り払い、目に見えぬ速さで木馬に跨った。

 余程気に入ったのか頭上のアホ毛が左右に揺れている。犬の尻尾か何か?

 

「ふふ、良い娘ね。……連れて行きなさい」

 

 桂花が恋の愛らしさに顔を数瞬惚けさせ合図を出すと、武神を乗せた木馬が動き出した。

 どうやら複数人の兵士に引かせているらしい。その周りを子供達がついて行く。

 武装も無く、大陸一平和な戦車だ。跨っている武人が規格外だが……。

 

「く、れっどが……」

 

「だがレッドは我ら五蝶仮面の中でも最弱――」

 

「いや、最強じゃね?」

 

 したり顔で呟くイエローに、グリーンの鋭い言葉が突き刺さる。

 役者が居なければツッコミをこなせるらしい。意外な発見だ。

 

「む、ぶらっくの姿が見当たらぬ」

 

「……想像は付くであろう」

 

「まさか!?」

 

 そのまさかである。遠のいて行く木馬を良く見ると、恋の膝上に音々音が収まっていた。

 桂花に師事してから依存度が落ち着いたとは言え、恋が大好きな事に変わりは無い。

 音々音にとって、華蝶仮面ごっこより恋と木馬の方が魅力的だった。

 ただそれだけのことである。

 

「我々が此処まで後手に回らされるとは、頼むぞぐりーん!」

 

「応さぁッッ!!」

 

 リーダーであるブルーの指示を受け、三番手に飛び出してきたのはグリーン。

 大刀を肩に掛け、不敵な笑みを浮かべながら桂花達に近づいていく。

 

 それを見た兵士達は再び蒼褪めた、恋でさえ武器を手にしていなかったというのに……。

 遊びや余興で命の危機など堪ったものではない。

 イエローも同じ考えなのか苦言を呈しているが、『峰打ちだから大丈夫だって!』というグリーンの言葉に矛先を納めた。

 

 因みに斬山刀に峰は無い。

 

「こっちも選手交代よ」

 

「ヘヘっ、誰が相手でも負ける気がしな―――」

 

 その言葉は対峙した相手を見て止まった。桂花と代わるように前に出たのは、何を隠そうグリーンの愛しい人、斗詩である。

 

「文ちゃん……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「オラオラァッッ! 大人しくお縄を頂戴しやがれ!!」

 

 気が付いた時には反転。仮面を取っ払い、残った二人に剣先を向け投降を呼びかけていた。

 

『……』

 

「すまねぇ二人とも、アタイは常に斗詩の味方なんだ……」

 

 どこか哀愁を感じさせる響きだが、周りは観客を含め白い目を向けている。

 残念な事に猪々子は色々鈍いので、意に介さないが。

 

「な、何はともあれ後二人よ。勝ったも同然だわ!」

 

 ――ここまでか

 

 不利を悟ったブルーの肩に手が置かれる。

 

「いえろー?」

 

「悲観するなブルー。まだ我が残っている」

 

「……あ」

 

 何かを言おうとした彼女を背に前に出る。腕を組みながら桂花達と対峙するその背は大きく、頼もしく――……。

 

 

 

 

 

「ついに貴方様が……」

 

「はて、誰のことやら。我は華蝶イエローだ、それ以上でも以下でも――」

 

「あ、袁紹様だ! お母さん袁紹様が居るよ!!」

 

「……」

 

「……」

 

 盲点、溢れ出る名族オーラは隠し切れない!

 

 イエローが作り上げた雰囲気は無垢な言葉を前に四散。

 しかし彼はめげなかった。

 

「カモン! omikoⅥ!」

 

 イエローの言葉と共に金色の御輿が人ごみを飛び越えてやって来た。

 

「お、おみこしっくす?」

 

「違う! omikoⅥだ!」

 

 細かい発音の違いを指摘され顔を顰める桂花。大体、今までの御輿と何が違うのか。

 その場に居た全員の胸中が重なった所で、いつの間にか御輿の上に移動していたイエローが声を張り上げた。

 

「これは長年の努力と改良を重ね先日完成した……。

 耐久性と操作性を維持して軽量化に成功した、御輿の最終進化系である!

 そして一度我が乗れば最後、万の兵でも触れることは敵わぬだろう。

 フフフ、ハハハ、フハハのハーーッッ!!」

 

 余程自信があるのだろう。いつもは豪快な彼の笑い声が今日は妙に鼻に付く。

 

 あの態度だ。もはや人知の及ばない性能を持っているかもしれない。

 にも関わらず桂花に慌てるような様子は無かった。幾度と無く御輿を止めてきたからこそ、その理不尽さと弱点を把握していたから。

 

「事を始める前にお伝えしたいことが、この文を受け取りください」

 

「む」

 

「まて、罠かもしれない。私が受け取ろう」

 

 ブルーは策略を恐れ、イエローの代わりに文を受け取る。

 もしも彼に取りに行かせていたら一時的に御輿を降りる事になる、それを危惧したのだ。

 

 ややあって、文がブルーから手渡され――

 

「!?」

 

 中を検めたイエローが震え出した。

 彼の唯なら無い様子にブルーも横から文を覗き込む。

 

『休暇届』

 

 現在、南皮の政務は桂花と風が大部分を担っている。袁紹は纏められた内容に目を通し判を押すだけだ。二人のおかげで袁紹には自由時間が存在している。こうして馬鹿出来るのも彼女達在ってこそだ。その筆頭である桂花が、政務の八割をこなしている彼女が休暇を取る。

 

 イエローの脳裏には過労死寸前の自分の姿が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

『お主は既に包囲されている。無駄な抵抗は止めなさーい』

 

「……」

 

 桂花達の前で御輿は反転。素顔の袁紹が懐から取り出した拡声器を使い、残った華蝶ブルーに投降を呼びかける。

 先程見たような光景だ。迷族の形振り構わない保身の行動に白い目が向けられるが――

 有無を言わせない佇まいでその場を制した。実に無駄な威光である。

 

「おのれいえろー! メンマの誓いを忘れたか!!」

 

「メンマの良さを延々語り続けたあれか? おかげで食傷気味である。

 しばらくメンマは見たくない」

 

 馬鹿な……。と唖然とする華蝶ブルーだが、袁紹が顔を顰めるのも無理は無い。

 五蝶仮面結成に辺り、呼び出された四人はブルーから“メンマの誓い”に無理矢理付き合わされ。量にして数キロには届くであろうメンマを口に放り込まれている。

 大食いな猪々子や恋も一品物を食べ続けるのは苦痛だったはずだ。終始無表情だった……。

 そんな過程を経て結成された組織の絆など、脆くて当たり前だ。

 

「勝負有ったようね華蝶仮面。いえ、星!」

 

「いや、勝負はここからだ。それから私は趙雲という美女では無い」

 

 此処に及んで尚も正体を隠そうとする華蝶仮面。桂花は無駄な悪足掻きと捉えた。

 周りを兵士で囲み、猪々子も御輿(袁紹)も此方の味方、後は星の嗜好品(しこうひん)であるメンマを引き合いに出して、彼女を大人しくさせるだけ――

 

 そんな勝利を確信した桂花の前で、華蝶仮面は懐から一枚の紙を取り出した。

 先程自分が使った手の物だろうか、不審に思うも焦りは無い。この王佐の才に弱点など無いのだ。

 

「!?」

 

 しかし開かれた紙を見て絶句。そこに書かれて、いや、描かれていたのは――

 

「麗覇様!?」

 

 敬愛してやまない袁紹の姿だった。それも抽象画では無く写実的な絵だ。

 桂花の中に抑えがたい欲求が湧き上がる。欲しい、どうしてもあれが欲しい。

 もしも手に入ったなら家宝となるだろう。華蝶仮面のように懐に入れて置く事は絶対にしない。

 様々な保護処理を施し自室に飾る。目が覚めて最初に視界に入るのが主だなんて、それだけで一日が有意義なものに――

 

「盛り上がっているところ悪いが、渡すとは言っていないぞ」

 

「そ、そんな! だいたい何故あなたがソレを――」

 

 どうやら途中から口に出していたらしい。そして入手経緯を聞こうとした桂花だが、一つ心当たりがあった。

 

 以前の事だ。政務で鬱憤が溜まり、いつもの乱心状態に陥った袁紹が自室に引き篭もる事件があった。

 

 今まで外に飛び出して鬱憤を晴らすまで遊び惚ける袁紹が、自室で大人しくしている。

 桂花を含む家臣達が戦慄したのは言うまでもあるまい。一体中で何が行われているか……。

 室内を調査する者として星に白羽の矢が立った。彼女であれば何事にも臨機応変に対応できるだろうと、皆の意見が一致したのだ。

 

 ややあって部屋から出てきた星は、縄やら鎖やらを用意して顔が強張っている家臣達に苦笑しながら口を開いた。

 

『心配はいらない。ただ、主殿は激務で疲れているようだ。しばらくそっとしておこう』

 

 その言葉に皆でほっと胸を撫で下ろしたのを覚えている。

 今思えば、一言も袁紹が寝ているなどとは言っていない。つまり――

 

「麗覇様が自室に篭ったあの時!」

 

「さすがだな桂花。そう、あの時主殿は寝ていたわけではない。自画像を描いていたのだ!」

 

「それを知った貴方は、その絵を譲ってもらえるように交渉を……」

 

 気が付けば唇を噛んでいた。何たる不覚!

 こんな事なら、あの時自分が入室していれば……。

 

「……要求は何かしら?」

 

 搾り出すような桂花の言葉を聞き、華蝶仮面の口角が上がる。

 

 極端な話、共に仕えている限り華蝶仮面()に仕置きする事などいつでも出来る。

 それに対して絵は一枚しか無く、喉から手が出るほどの完成度だ。

 彼女が交渉に持っていくこと自体想定済み、計画通りである。

 

 だが―――この華蝶仮面は後顧の憂いを残すほど甘くは無い。

 

「まず、この場を見逃してもらうのが一つ。そして――

 今後一切、華蝶仮面の活動に目を瞑ってもらおう」

 

「な!? そんな事出来るわけないじゃない!」

 

「そうか、では交渉決れ――」

 

「ちょ、待ちなさい」

 

「我がもう一枚描けば万事解決ではないか」

 

「……」

 

「……」

 

 空気の読めない男の発言は強かった。

 

「く、覚えていろ!」

 

 立場が逆転し旗色の悪くなった華蝶仮面は、皆が硬直している隙に民家の屋根に飛び乗り。悪党のような捨て台詞を残して走り出した。

  

「あ、待ちなさい! 衛兵!」

 

 屋根伝いに逃げていく彼女を警邏隊の面々に追跡させる。捕縛は難しいだろう。

 逃走劇を繰り返している内に隠密の技を会得したようで、今までも逃走を許している。

 だが、今回は心強い味方が居た。

 

「ワン!」

 

 特別捜索隊だ。匂いに敏感な彼らの嗅覚を以ってすれば、メンマ臭い偏食家の捕縛など時間の問題だろう。

 

 

 

 

 

 

「あの、麗覇様。……先程の」

 

「絵か? 描いても良いのだが、自画像は思いのほか詰まらなくてな」

 

 袁紹が自画像を描いた時を振り返る――……。

 

 何となく絵が描きたい気分になり、政務を抜け出して自室に篭ったが。

 いざ自画像を描き出すと物足りない気分に陥った。自分の顔など鏡で見飽きている。

 星に譲った絵はラフ画止まりだ。それでも十分完成度が高いのだが――

 

「そうだ、どうせなら桂花を描かせてくれないか?」

 

「わ、私をですか」

 

「うむ、まずはラフ画から――」

 

「らふ画!?」

 

「……駄目か?」

 

 残念そうな顔、悲しそうな声。

 その言い方は……ずるい。

 

「………………いえ」

 

「おお、受けてくれるか! では準備をしたのち取り掛かるぞ、今夜だ!!」

 

「こ、今夜」

 

「鉄は熱いうちに打てというだろう、思い立ったが吉事だ!」

 

「……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――どうしてこうなった!?

 

 袁紹の自室。そこで彼は、何時ぞやも脳内で叫んだ台詞を繰り返していた。

 その目の前には―――桂花の一糸纏わぬ裸身が晒されている。

 

 ――落ちつけ、順番に思い出すんだ。

 

 無駄に本格的な器材を用意し待ち受けていた袁紹。少しして桂花を部屋に招き入れた。

 その際に、布のような物を持参していたのに疑問を持ったが、特に追及はしなかった。

 彼女は寝台に座らせ、絵を描く為に何かポーズをとってくれと頼んだ。

 すると、布の擦れる音が聞こえてきて――……、顔を上げた袁紹の目に桂花の裸体が映り現在に至る。

 

 ――まるで意味がわからんぞ!

 

 桂花はここまで積極的な女性だっただろうか。いや、彼女は人並みに羞恥心を持っている。

 どこぞの娘みたいに、からかう目的で肌を晒す様な事は出来ない。

 ではこれは、モデルとしての本懐を果たそうとしているだけなのか?

 そもそも何故裸なのだ。たかがラフ画にそこまで気合を―――ラフ画?

 

 ラフ画→らふ画→裸婦画

 

「!?」

 

 合点が行った袁紹は頭を押さえた。自分でも指差しで笑いたい大失敗である。

 思えば、五華蝶仮面の各名称に始まり、omikoⅥ、今日は時代錯誤な発言が多かった。

 だからだろう、何の疑問も無くラフ画などと口にして誤解を生んだ。

 

 何故気が付かなかったのか。ラフ画と聞いてから桂花は顔を赤くして俯き、周りの者達は猪々子を筆頭に口笛を吹いてからかっていたと言うのに――

 

 

 

 

 

 

 

「緊急招集緊急招集、事態は一刻を争う!」

 

 袁紹の呼びかけに()()()が集まってくる。無論現実ではない。

 此処は袁紹の脳内。事態の最善となる行動を模索するべく、名族の名族による名族のための脳内緊急会議だ。

 

「現在、ラフ画を勘違いした桂花が裸体を晒している状態。

 彼女の尊厳を傷つける事無くこの場を乗り切らねばならない」

 

「ハッ!」

 

 総司令袁紹の言葉に反応したのはフル装備の袁紹だ。少々厳つい顔つき、歴戦の勇士を思わせる。

 

「軍人袁紹。発言を許可する」

 

「正直に話し、誠意を持って謝罪すべきだと進言致します。

 悪戯に傷口が広がる前に、被害を最小に止めるべきかと」

 

「却下だ。正直に話せば桂花は勘違いで裸体を晒した事を知る。

 事態は収束するが彼女の尊厳が守れん」

 

「僕は彼の意見に賛成だ」

 

「……委員長袁紹か」

 

 軍人の意見に賛同したのは、七三で眼鏡の袁紹。

 生真面目が服を着て歩いているような二人だけに、気が合うようだ。

 

「ごちゃごちゃウルセェ、下半身で考えればル○ンダイブ一択だろうが!

 ヒャッハーッッ、暴れん棒様のお披露目じゃァァァッッッ!!」

 

「世紀末袁紹を追い出せ」

 

 総司令官の指示に、軍人と委員長の二人がモヒカン肩パッド袁紹を連れて行く。

 何をするだァーッという言葉と共に会議室から世紀末が追い出された。

 

「我に言わせれば、世紀末の言い分も一理あると思うんだけどねェ」

 

「……遊び人」

 

 気だるそうな声を上げたのは遊び人袁紹。普段は纏めている髪を解き、服を着崩している。

 中性的な容姿に、露出した肩が淫靡な姿を際立たせている。上半身は鍛えぬかれ筋肉質だが、そのアンバランスさが何とも言えない色気を発していた。

 

「皆も桂花の好意には気が付いているのだろう? 相思相愛なら迷う事はあるまい」

 

(わたくし)も賛成ですわ!」

 

『……誰?』

 

「んまぁ! この私をご存じないなんて、貴方達は本当に名族なんですの!?」

 

「う、うーむ。初対面のはずだが……」

 

「小官は初対面な気がしないであります」

 

「僕もだ、何となくだけど他人な気はしない」

 

「美人なのに我の食指が動かない。不思議だねェ」

 

 突如発言した謎の乱入者、目を見張る美女だ。

 美しく長い金髪は腰まで伸ばされ、毛先がどこぞの覇王のようにカールしている。

 顔は端正で目はやや吊り目、自尊心の高さが容姿に現れている。

 胸は大きく自己主張しており、腰はしっかり括れている。

 まさに美を体現したような女性だ。どことなく袁紹に――……

 

「私のことより、桂花さんの事ですわ! 良いこと、彼女は相当な覚悟を持って訪れ、肌を晒したのです。その想いを無下にすることがあっては名族失格ですわ!」

 

「だが、この事態の解決には――」

 

「で・す・か・ら! このまま絵をお描きになって、彼女と添い遂げるのです。

 そうすれば桂花さんの尊厳も守られ、万事解決ですわ!」

 

「その心は?」

 

「勿論、それらしい提案に託けて、可愛らしい猫耳を愛でる事で――……」

 

「……」

 

「……」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 意識を現実に戻した袁紹は筆を走らせる。この間わずか一秒。

 脳内会議に現れた謎の美女の意見は可決、変更を入れ実行する事になった。

 

 このまま桂花を描き、完成まで後は一人で十分だと部屋へ帰す。

 これだけ聞けば袁紹らしからぬ決定かもしれない、恋の据え膳を喰らった彼ならば――

 

 ――よし、一先ず出来た。

 

 ややあってラフ画は完成。桂花に声をかけようとしたその時、袁紹の思考は止まり性欲が湧き上がった。

 

 今まで彼を冷静にさせて来たものの正体、それは使命感。

 桂花に恥をかかせまいとする心遣いが性欲を凌駕し、雄としての本能を抑え付けていた。

 しかし、ラフ画が完成して場を取り持つ理由が出来た途端、袁紹の中の使命感が欠如。

 素の状態で桂花の裸体を目にしてしまった。

 

 恥ずかしさからか顔を背けて寝台に座り、事前に持ってきていた布で恥部を隠している。

 上半身を晒した状態だが胸の辺りで布を握り締めており、その姿はさながらヴィーナス(女神)

 ラフ画に描かれた蠱惑な女性がそこに居た。

 

「……」

 

 理性の扉を御輿に乗った世紀末袁紹が叩いている。長居は危険だ。

 

「桂花、下書きが完成したぞ」

 

「見ても宜しいですか?」

 

「うむ、是非評価してくれ」

 

 モデルとしての役目を終えた桂花は、布で大事な部位を隠し袁紹の傍らに移動する。

 

 そして描かれた自身の姿を見て息を呑んだ。まず驚いたのはその完成度。

 今にでも動き出しそうな桂花が色っぽく月を眺めている。

 忠実に再現しすぎて胸部装甲が薄い点は不満だが、変に美化されるよりずっと良い。

 売りに出せば大陸中の金持ちが欲しがるだろう。袁紹と桂花にこの絵を表に出す気はさらさら無いが……。

 

「後は我一人で完成させられる故、今日はもう休むと良い」

 

「……やっぱり、私では駄目なのですか」

 

「何を言って――」

 

「斗詩や猪々子、そして恋が相手であれば麗覇様はこの後……」

 

「いやいや、誰が相手でも同じはず」

 

「嘘です!!」

 

 思いのほか強い言葉に袁紹の目が丸くなる。桂花は罪悪感やら羞恥心から俯いてしまった。

 

「私に……魅力が無い…………から」

 

「そんな事は無い」

 

「では何故、私には手を出して下さらないのです!?」

 

 桂花の瞳に涙が浮かび、袁紹の決心が揺らぐ。

 だが彼女を思えばこそ、今は手を出すわけにはいかない。

 

「桂花の身体が心配なのだ」

 

「わ、私の身体?」

 

 袁紹の考え、それは疲労困憊な桂花に無理をさせられないというもの。

 特に今日は不味い。朝から昼にかけての政務、五蝶仮面との対決、現場の処理後屋敷に戻って再び政務、その他雑事、そして絵のモデル。

 成り行きとは言え小さな身体でこれだけの事をこなしてきた。疲れが溜まっているはず……

 ましてや桂花は生娘だ。彼女の身体に負担をかける事は一人の紳士として許されない。

 

「わかってくれ桂花。我はお前を壊したくないのだ」

 

 負担をかけている張本人が何を言っているのだろうか、自身でさえ嘲笑ものだ。

 しかしこれは偽りなき本心。今の桂花に袁紹の相手は荷が重い。

 あの猪々子や恋でさえ、足腰が立たなくなるほどの絶倫なのだ。

 肉体的にも盛りがつく年齢であり、未だに自分でも制御が効かない。

 このような獣が桂花を求めるなど……。

 

「――してほしいです」

 

「……?」

 

「壊して欲しいです!」

 

「!?」

 

「私を労わってくれるのは嬉しいです。でも、私の想いを考えていません!

 このまま燻り続けるくらいなら…………私を壊して下さい」

 

 前言撤回。袁紹は桂花を抱き締めた。変わり身が早過ぎる、そう思われても仕方が無い。

 だが男は本心を伝え、女はそれに勝る想いを口にした。これ以上の言葉は無粋だろう。

 この期に及んで尚も足踏みするのであれば、以後、男を名乗る事は許されない。

 中の美女もそう言っている。

 

 羽のように軽い桂花を持ち上げ寝台に移動させる。自分でも驚くほど袁紹は冷静だった。

 恥ずかしがる桂花の心を汲んで明かりを消す。震える彼女を安心させるように撫でる。

 やがて、月明かりに照らされた影は一つに重なり、闇に溶け込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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建国 そして乱世へ~
第42話


~前回までのあらすじ~

商人「騎馬か!?」

賈駆「戦車か!?」

名族「omikoⅥである」





わ け が わ か ら な い よ


 反董卓連合軍の戦いが始まってから五日目、激戦を制して董卓軍を降伏させることに成功。

 開戦当初は初日で陥落することも視野に入れられるほどの戦力差だったが、蓋を開けてみれば董卓軍の健闘が目覚しい結果となった。

 

 董卓を捕らえ、降伏を呼び掛けた袁紹は洛陽制圧前に諸侯達と話し合いの場を設けた。

 狙いは董卓とその一派の助命。暴政が無かった為に彼女等を廃する必要が無いからだ。

 

 しかし、事は彼の御輿ほど単純では無かった。

 暴政が無かったことを認めるということは、自分達連合が掲げていた大義名分の否定。

 この事実が明るみになれば、連合は大陸中から批判されることになる。

 それならばいっそ董卓に汚名を着せ処断し、洛陽で緘口令を敷き真実を闇に葬れば良い。

 

 袁紹には彼らの考えが手に取るようにわかっていた。伊達に薄暗い政戦を生き残ってきたわけではないのだ。

 故に諸侯の目を別の者に向けるよう誘導した。その対象は張譲である。

 捕らえた商人から、身の安全を保障して聞き出した陰謀を諸侯の前で暴露したのだ。

 

 皆、半信半疑だったが。 

 

『罪は張譲にあり、董卓にはない』

 

 総大将の言葉で矛先を張譲に変えた。確信があるわけではない。彼らにとって真実など二の次、大事なのは連合が正義であることだった。

 

 そして洛陽を制圧後、屋敷に居た張譲を捕縛。

 此度の首謀者として処刑した。大変だったのはその後だ。

 

 帝は、連合を恐れた他の十常侍の手により既に脱出していた。洛陽の統治は十常侍達が担っていたが、最後に残っていた張譲はこの世に居ない。洛陽は無政府状態の危機に瀕していた。

 暴政が無かった為、相国である董卓に任せるのが無難なはずだったのだが――……。

 諸侯が良い顔をしない。彼らの中には嫉妬から董卓を排除しようと考えていた者もいる。

 それに、今までの話を信じるなら董卓は陰謀により相国に据えられたのだ。

 そんな彼女を、実質大陸№2である相国になど……と、言うのが彼らの主張だ。

 

 又、董卓本人も相国を辞退した。自分が相国を続ければ角が立つ。

 いずれ第二、第三の連合が出来るかもしれないとして引き下がった。

 

 さあ、そうなると問題は洛陽と周りの土地の管理なのだが。  

 話し合いの末、連合の各軍の規模に合わせた土地を割譲する事になった。

 最大数を率いていた袁紹が洛陽を統治する事になり、その過程で董卓達を保護する名目を得ることに成功した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 終戦から早数週間。信頼できる人材に洛陽の統治を任せ、袁紹達は南皮に戻って来ていた。

 洛陽の民達は董卓に統治し続けて欲しいと懇願したが、上記で語られた理由を董卓自らが説明。

 後ろ髪を引かれながらも洛陽を後にした。

 

 

 ―南皮 謁見の間―

 

 現在、袁紹の屋敷にある謁見の間にはそうそうたる顔ぶれが揃っていた。

 主である袁紹は勿論のこと、斗詩、猪々子、星、恋といった武官達。桂花、風、音々音を中心にした文官達。

 各軍の副長から小隊長、雑務を任される文官達までもが集結している。

 その中に含まれていた董卓と賈駆の両名は、自分達の場違い感に肩身の狭い思いをしていた。

 

 謁見の間が大所帯なのには三つ理由がある。

 

 一つは論功行賞、今回の戦で目覚しい働きをした者達に褒美を与える場だ。

 この中で恋が率いる重騎隊が勲功第一功に当たり、彼女とその部隊はそれぞれ爵位の繰上げと土地、金を受け取った。

 又、烈火の如く敵軍を蹂躙していく様から“大炎”の名を袁紹から授かり。

 恋の部隊は今日この日をもって、“特殊重装騎兵隊・大炎”と名乗る事になった。

 

 二つ目は董卓達の処遇に関してだ。現在彼女達は保護という名目で南皮に静養してもらっていたが、周りの目もあるし、いつまでもただ飯を食わせておくわけにはいかない。

 このまま放置し続ければあらぬ噂が蔓延する、ただでさえ袁紹は好色家として有名なのだ。

 袁紹自身は否定しているが、自業自得である。

 

 最後の理由は今後の方針について。王朝も落ちぶれ、事実上無法地帯と化した大陸でどのように動くか。その方針の発表が袁紹からあるのだ。

 

「さて、論功行賞が終わったところで次はお主達の番だ」

 

 その一声で袁紹と董卓達を挟むように座していた人間が左右に割れ、玉座までの道が開いた。

 

「オープンセサミィ……」

 

「麗覇様、ここは真面目に」

 

「開けえーーッ ゴマッッ!」

 

「そういう意味じゃありません!!」

 

 袁紹と斗詩のやりとりで笑いが起き、先程まで場を支配していた緊張は霧散していた。

 

「……」

 

「……」

 

 道の途中で止まっていた董卓と賈駆は唖然としている。

 このような場は威厳が満ちていて当たり前だ。事実、先程まで息の詰まるような威を感じていた。

 生み出すのはその場で最上の人、つまり袁紹である。

 

 では今の空気はどうか? 威厳による圧など微塵も感じられない。

 このような弛緩した空気を作り出す人間が、先程まで感じていた威圧の正体。

 そして信じられないことに、常識外れな状態にも関わらず違和感が無く、最上から末端に至るまで自然体だった……。

 

「震えは止まったようだな」

 

「!?」

 

 賈駆は息を呑んだ。今の言葉の真意を考えるならば、この空気は自分達の為に作り出した事になる。そして気付いた、自分の肩の力が抜けていることに――……。

 

「――ッ」

 

 この空気に身を委ねては駄目だ。隣に居る親友の為、自分達の処遇を希望のそえるものにしたい。その交渉の前に緊張を解くわけにはいかない。賈駆は唇を噛み袁紹を睨んだ。

 

 それを受けて袁紹は苦笑する。本心から彼女達の緊張を緩めようとしただけで他意は無い。

 半分あの台詞言いたさの発言と流れだったが、それで警戒度を上げる事になるとは思っていなかった。

 

「話を始める前に会わせたい者がいる。おう、入れ!」

 

 袁紹の合図で謁見の間にある扉が開かれる。何故このタイミングなのかと賈駆は訝しんだが――

 入ってきた人物を見て、交渉の為に用意していた言葉が全て吹き飛んだ。

 

「華雄!?」

 

「華雄さん!?」

 

 華雄だ。敗れてから消息を絶っていた彼女がそこに立っている。

 

 激闘で気を失っていた彼女は恋により回収。

 袁家が誇る医療超人、王大人により治療を施され回復していた。

 董卓達はそれを知らなかったが、別に隠していた訳ではない。

 

 回収した華雄を見て王大人は何故か『死亡確認』と発言。袁紹までも彼女が生きていることを知らなかった。

 事実を知ったのはつい昨日の事だ。王大人に詰め寄ると彼は、『大変危険な状態故、希望的観測を言葉に出来なかった……』などと口にしたが、五体満足どころか傷一つ無い段階まで回復している華雄を見ると、到底理解出来ない。

 最終的には王大人の有無を言わせない大物感で納得させられたのだ。

 

「うむうむ、感動の再会であるな」

 

 抱き合いながら喜びを表している董卓達を見て、袁紹が涙ぐむ。

 涙を拭こうと懐をまさぐるが、どうやら手布を忘れたようだ。

 

「はい麗覇様」

 

「グスッ……すまぬ…………」

 

 チーン! 場違いな雑音で董卓達は我に返った。

 

「そういえば霞は何処に? 見当たらないが」

 

「霞は……曹操に帰順したわ」

 

「な!? 月様が居ると言うのにアイツ――ッッ」

 

「落ち着いて下さい華雄さん、私が許可したんです」

 

「月様が……?」

 

 張遼が曹操に降ったのには理由があった。

 

 董卓を捕縛した袁紹の呼びかけにより降伏した張遼軍だったが、功を欲しがった連合の一軍が暴走し攻撃を続けた。

 それを防ぎ張遼達を救ったのが、他ならぬ曹操軍である。

 かの軍が割って入り攻撃を続ける一軍を一喝した。虚仮威(こけおど)しと取った暴走軍は矢を放ち――

 曹操軍の盾隊が前に出ると、文字通り身体を盾にして張遼軍に放たれた矢を防いだ。

 

 そして―――

 

 

 

 張遼本人を守った春蘭が負傷、左目を失ったのだ

 その場に居た全軍が動揺するなか彼女は刺さった矢を目玉ごと引き抜き――喰らった。

 

『父母からもらったもの、どうして捨てることができようか!!』

 

 春蘭の気迫に暴走した軍は事の重大さを思い出し、攻撃を中止。

 曹操軍が居なければ張遼軍は無抵抗のまま手痛い犠牲をだしていた。

 

 理非を正す為なら敵をも守る曹操軍に惚れ、武人の資本である身体を敵の為に投げ出した春蘭に惚れ、それを『良くやった』と褒める覇王の器に張遼は惚れた。

 

 心ならずも二心を抱く事になった張遼は洛陽の復興作業中に決意。

 その日の夜に董卓に頭を下げ、主従の関係を切り曹操の下に向かったのだ。 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、戦後処理で紆余曲折あったが、ようやく落ち着いて顔合わせできたな。

 改めて名乗ろう、我こそが袁本初。袁家の現当主にして連合の総大将を務めた男である」

 

 袁紹の名乗りと同時に、弛緩していた空気に緊張が蘇った。

 董卓は恐縮した様子だが、賈駆と華雄の二人は一語一句聞きのがすまいと耳を澄ませる。

 

「お主達三人の処遇を決める前に、道を提示しなければな」

 

「……ボク達に選択肢があるの?」

 

「当然だ」

 

 賈駆が考えているよりも、袁紹は三人の気持ちを遵守したいと考えている。

 袁紹の考えでは三人は被害者だ。あの善戦を加味して褒め称えることはあっても、無下にする気は一切ない。

 

「提示できる道は三つだ。一つは我が家臣となる事。お前達程の人材を野に放つのは惜しい。

 是非、我が軍で重宝したい」

 

「敗戦の将には過分すぎる言葉だな」

 

「謙遜するな華雄。大陸中の誰もが初日で終わると予想していた戦。

 それを四日も守り抜いたのだ、十分賞賛に値するぞ」

 

 惜しみない褒め言葉だったが華雄は顔を顰め、賈駆も複雑な胸中だ。

 

 確かに連合から見れば董卓軍は善戦したように見えるかもしれない。

 しかし、董卓軍から見れば違った結論が浮かんでくる。

 自動衝車なるもので門を破壊した曹操軍、曹操の一軍がやってのけた事を一部隊で成し遂げた袁紹軍。この二軍が初日から仕掛けてきていたら結果は――……

 

 二人は神妙な顔つきだが、ただの過小評価である。

 袁紹と曹操の二軍を抜きにしても連合は強大な力を持っていた。それも黄巾のような雑兵ではない。正規軍を相手に互角の戦いを繰り広げてきたのだ。

 

 二軍の存在が規格外だっただけで……。

 

「二つ目だが、ここ南皮の民になることだ」

 

「民に……。それは一つ目と何が違うのかしら?」

 

「そのままの意味だ。我に忠を誓うのではなく、一人の民として生きていく。

 お主達の立場は少々特殊だ、野に居ては悪意ある者に利用されかねない。

 故に我が庇護下の元、生を謳歌してもらうのがこの選択肢だ。

 自慢ではないが、ここ南皮の安全性は他地域の追随を許さんぞ?」

 

「……」

 

 袁紹の言葉は事実である。南皮の街ほど安全な場所を董卓達は見た事が無い。

 絶え間なく人が行き来するほどの人口にも関わらず、物乞いや宿無しは一人も見当たらない。

 警邏が隅々まで行き届いており、軽犯罪がたまに発生する程度だ。

 

 民として生きていくにはこの上ない場所だろう。

 

「最後は――……。おすすめ出来んが、此処を離れて何処かの地域に行くことだ」

 

「一つ目を聞いた限り、ボク達の腕を欲しがっていると思うのだけど……?」

 

「だからおすすめ出来ないと言ったであろう。だが、家臣も民も嫌と言うならこれしかあるまい」

 

 どうやら袁紹としても不服な選択肢のようだ。

 

 ならば最初から提示しなければいいのに……。呆れるほど公正な考え方である。

 董卓達の選択を遵守すると言うのは本当のようだ。

 

「どれを選んでも咎めはせん、我としては家臣になって欲しいが……。

 仮にも連合の総大将であった我に対して思うところもあるだろう。

 他二つを選んだ場合は、資金や物資など必要な物を与える」

 

「……詠ちゃんは」

 

「聞くまでも無いでしょ、ボクは月に付いて行くわ」

 

「えっと、華雄さんは――」

 

「私の主は後にも先にも月様お一人。どこまでも付いて行きます」

 

「へううー」

 

 わかってはいたが、改めて正面から言われると照れるものである。

 

 

 

 

「……」

 

 中途半端な選択は許されない。自分の選んだ道にはこの二人を巻き込む事になる。

 とはいえ、董卓の心は九割決まっている。袁紹も勧めた一つ目の選択肢、家臣になる事だ。

 賈駆と華雄の能力は誰よりも董卓が認めている。そんな二人を民として埋もれさせるのは余りにも惜しい。

 

 では三番目の選択肢は? ……論外だ。

 袁紹の言うとおり、自分達の立場は特殊である。元相国として利用したがる輩も居れば。

 敗戦の将として辱めたいと考える愚か者も居た。

 今は袁紹の庇護の下、他諸侯の手が届くことは無いが、いちど南皮を離れれば彼等は容赦しないだろう。

 

 家臣として袁紹に仕える、それが最善だ。

 だが董卓には―――その選択肢を思いとどまらせる一割の懸念があった。

 

「一つ、私の願いを聞いて頂けませんか?」

 

「聞こう、何でも言うがいい」

 

「ありがとうございます。……決める前に今後の方針をお聞かせ下さい」

 

「む、なるほどな……」

 

 上目遣いで袁紹を見つめる董卓。彼女は見極めたいのだ。

 安心して二人の腹心を任せられる場所なのかどうか……。

 

 董卓の言葉を受け、袁紹は彼女から周りに視線を移す。

 これから放つ言葉は大きな分岐点となるものだ。袁紹達だけではない、この大陸にとっても――

 袁紹は息を吸い込んで口を開いた。

 

「我 等 は こ れ よ り、 こ の 地 で 建 国 す る ! !」

 

『!?』

 

 いつかは来るとわかっていた。覚悟もしていた。だが早すぎるのではないか。

 漢の権威は地に落ちているとは言え、未だ存在している。

 このタイミングで建国すれば、大陸で孤立して他から攻められるのではないか……。

 

「帝と呼ばれる騎手は姿を消し、漢と呼ばれる手綱からは力が無くなった。

 操り手が居ない駄馬達は浮き足立ち、民草を踏みつけ不幸を蔓延させている。

 我等は新たな騎手として駄馬を纏め上げ、民草の“満たされる世”を作りだすのだ!!」

 

『オオオオオォォォーーーッッ!!』

 

 これは産声だ。いずれこの大陸を統べる国の産声。

 袁紹が満足そうに続きを口にしようとした、その時だった。

 

「お兄さん、一つ確認したい事があるのです~」

 

 風だ。今まで静観していた彼女が突然話しかけてきた。

 それもこれから更に盛り上げる場面でだ。袁紹は少しふてくされる。

 

「お兄さんは名族として袁家であることを誇っている。今もそれは変わりませんね」

 

「無論だ」

 

「その袁家を名族たらしめていた漢王朝に、反旗を翻すその心は?」

 

 謁見の間から音が消えた。風の疑問には何人か思うところがある。

 だが、何もそれを新たな門出で言うことはあるまい。その証拠に皆が白けている。

 中には風に白い目を向けるものもいたが、彼女は意に返さず袁紹を真っ直ぐ見据えていた。

 

 風にとって、この質問は答えられて当たり前。

 もしこの時、袁紹が答えに詰まるような事があれば――……所詮その程度の覚悟だったのかと、見限っていたかもしれない。

 

「風の言うとおり、我が袁家は漢の下にあって名族として存続してきた」

 

 袁紹は目を閉じる。思い返すのは袁家の英霊達。

 

「その漢王朝に報い、支えることこそが袁家の役目。

 かつてのご先祖様達が担ってきた仕事である」

 

 静かに目を開ける。開けた視界には不安げな家臣達の顔が映った。

 無理も無い。袁紹の顔からいつもの笑みが消え、弱弱しいともとれる声色が響いたのだから。

 

「だがこうも思うのだ。民あっての王朝だと」

 

 ゆっくり、声色に力を入れていく。

 

「民が無ければ漢は存続できない。なれば民を守護し、生活を支える事こそが漢の忠臣袁家の仕事である。しかしいつしか漢は民を虐げ始め、それに倣う様に他の太守達も民から搾取してきた。

 本来それを正すべき王朝は腐敗し、富に目を眩ませる始末……」

 

 声が震える、これは怒りだ。

 

「我が英霊達が支えてきたのはそんな王朝に在らず! これ以上民を虐げる大陸を放置し続ける事こそが、我が英霊達に対する最大の裏切り、彼らの功績に対する侮辱である!!

 故に我等は、この腐りきった土台から作り直し。大陸としてあるべき姿を取り戻す。

 それこそが漢の忠臣、名族袁家の―――いや、照らす国“(よう)”の役目である!!」

 

「陽? 太陽の陽ですか?」

 

「そうだ。“我等はこれより袁陽となりて、大陸を照らす光となる”」

 

『オオオオオォォォーーーッッ!!』

 

 謁見の間は再び興奮に包まれた。風は袁紹の答えに満足したのか、静かに一礼して下がる。

 ふと、目を下に向けると―――董卓が跪き拝手していた。

 それを見て残った二人も慌てながら董卓に倣う。

 

「袁紹様の臣下になると言うご提案。条件付きでお受け致します」

 

「条件を聞こう」

 

「……もしも袁陽に影が差すことがあれば、私達は離反致します」

 

 ざわっ。三度みなの興奮が冷め、騒然としだす。

 董卓も自分の言葉の大胆さに驚いていた。袁紹の気が移ったのだろうか――……。

 だが、この条件だけは口にしなければならない。例えこの場で―――死罪になろうとも。

 

 様々な感情で顔を伏せ震えている董卓の耳に、金属が落ちたような音が聞こえた。

 音の正体を確認しようと顔を上げると―――

 

 

 

 

 

 

 自分の足元、その少し先に短刀が転がっていた。

 

 

 

 

 

 



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第43話

~今話の文字数~


本来、前話とあわせて一つの話になる予定だったので短いです。
お兄さん許して


 あの敗戦。董卓軍と連合軍の戦いからずっと、董卓は後悔していた。

 洛陽内の政治、人間関係や面倒を賈駆に押し付けてしまった事を。

 

 豪族の娘として董卓には確かな教養がある。しかし箱入り娘同然に育ってきた。

 世間知らずとまでは言えないものの、周りの人とはズレた考えがあるのも否めない。

 そんな彼女に政戦は無謀だとして賈駆が担い、董卓は流されるままそれを任せた。

 恥る事かもしれない。だがむしろ彼女が面倒事を請け負ってくれるおかげで、民達の為に色々できると感謝していた。

 

 

 そして―――連合軍が攻め込んで来る。

 民衆だけで無く、董卓にとっても晴天の霹靂だった。

 彼女は知らなかったのだ、自分達がそこまで追い詰められていたと言うことを。

 無論、賈駆に問い詰めた。何故こんな事になったのか、何故自分に教えてくれなかったのか。

 

 彼女は小さく『ごめん』と答え顔を伏せ、董卓は全てを察した。

 彼女は力の無い自分に代わり働き続け、心労をかけないように黙っていた事を―――……。

 

 賈駆の立場で考えれば理解出来る。確かに董卓に教えたところでどうにもならない。

 仮にも帝の認可を得て相国になったのだ、此方の一存で無下に出来るわけが無い。

 張譲から推挙された事も考えれば、周りと余計な軋轢を生むだけだ。

 

 董卓が政治に長けた、いや、積極的に問題に取り組む人間だったら何かが変わっていたかもしれない。賈駆と二人、目の前の難題を話し合い。良識ある者達を味方に取り込み。

 不満を持つであろう諸侯に、一時的でも下手にでていれば――……。

 

 だが、当時の董卓は政治に無関心。彼女の目は、現実逃避するように民にしか向けられていなかった。 もしも賈駆が事前に知らせていたらどうだっただろうか、何も変わらない。

 董卓は己の無力さに涙するだけで精一杯だったはずだ。

 それが分かっていたからこそ、賈駆は一人で戦い続けたのだろう。 

 

 

 董卓は―――後悔した。

 だからこそ彼女は、もう二度と後悔しないように行動することを誓ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 反射的に目の前の短刀を拾う。鞘に豪華な宝飾が施され、高価な物だと分かる。

 そのまま袁紹に目線を移すと―――彼は右手を差し出した格好で制止していた。

 

 状況を顧みるに、この短刀は彼が投擲したのだろう。

 

「っ!?」

 

 息を呑む。この状況は想定していなかった。

 

 董卓が袁紹に投げ掛けた言葉、その真意は彼の徳に確信を持つためのもの。

 袁紹が徳のある人物だという事は、先程彼が語った方針と思想で理解出来る。

 だが、確信が持てないのだ。

 

 今思えば、董卓達を利用したあの張譲も好感の持てる老人だった。

 民を案じる董卓に賛同し、何かと助けてくれたものだ。

 人を見る目には自信のある董卓でさえ彼の企みがわからなかった。

 ましてや袁紹は袁家の当主にして、今や大陸最大の強国“陽”の君主だ。

 本心を隠す術を心得ていても不思議では無い。

 

 だからこそあの言葉を投げ掛けた。臆する事無く了承したらそれで良し。

 言い淀んだり、目を逸らすような事があれば……。

 

 以前の董卓なら、このような大胆発言をしなかっただろう。

 彼女を突き動かしたのは、直ぐ後ろに控えている二人の存在だ。

 あの洛陽の地では、流れに身を委ねた事で大事になった。此処でもそれをくり返すのか?

 

 嫌だ。

 

 もしも袁紹が張譲のように私欲を隠し、綺麗ごとで大陸を荒らすようなら……。

 自分はまだ良い、それに巻き込む二人が哀れでならない。

 

 この人に確信を持ちたい。どこまでも付いて行けると、後悔する事はないと。

 例え、不敬罪で死罪になろうとも――……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「その短刀が我が答えである」

 

「自害せよ……と?」

 

「違う、それは暗愚と化した我の命を絶つための刃だ」

 

「麗覇様なにを……!?」

 

 慌てて駆け寄ろうとする桂花を手で制する。これだけは譲れない。

 

「董卓の懸念は、我にも思う所がある」

 

 袁紹の懸念、それは今以上の(権力)を手にして自分が変わるのではないかと言う物。

 ありえない話だ、彼を知る者ならば鼻で笑うだろう。袁紹にもその気はさらさら無い。

 

 しかし、手放しで自分を信じるには、袁紹は人の闇を見すぎた。

 名族袁家の次期当主として、幼い頃から各地の名士と顔を合わせる機会が多い彼は、出世、金、肉欲で人格を変えていく人々を見続けてきた。

 先日まで好青年だった者が、数年後には醜い肥満体で女を侍らせている。

 そんな光景などざらだった。だからこそ――

 

 

「だからこそ、私にこの短刀を授ける……と?」

 

 必死に言葉を紡ぐ董卓に向かって、袁紹が頷く。

 

「この者はあの洛陽で、絶望的な戦力差にも関わらず民を奮い立たせた徳の人だ。

 董卓が短刀を抜く事があれば、その時こそ我が暗愚になった証。

 胸に刺さった短刀を見ながら暗愚として醜く朽ち果て。

 理想を抱いていた頃の我は、納得して死んでいけるだろう」

 

 皆が複雑な表情で聞いている。董卓が徳のある人物だという事は周知の事実だ。

 だがそれよりも、袁紹が暗愚になる可能性が想像できない。そんな胸中だ。

 

「皆に告げる! 董卓がこの短刀で我を害した場合。

 それがいかなる時、状況であっても罪に咎める事は許さん!」

 

 我慢出来ず、桂花と風の二人が足早に近づいてくる。

 斗詩や猪々子達は静観して事の成り行きを見守っているが、顔は険しい。

 

「こ れ は 王 命 で あ る ! !」

 

 大地を震わせるような声量が響き渡り、袁紹に伸びかけていた手が止まる。

 

 拡声器を使っていないにも関わらず凄い声量だ。

 その場にいた全員は、心の奥を身体ごと震わされた。

 

 ありえない事が起きている。

 

 どこの国に、初めての王命が生殺与奪の譲渡である王が居るのだろうか。

 それも古株ではない、新参者に短刀を託した。

 大陸広し、いや、世界広しと言えど袁本初ただ一人だろう。

 

「董 仲穎、真名は月です。今この時より袁紹様に帰順致します」

 

 確信を得た。これ以上の問答など無意味だ。

 量るには彼の器は大きすぎる。自分とは比較にならないほどの王者だ。

 

「賈 文和、真名は詠よ。主である董卓と共に忠誠を誓うわ」

 

「ただの華雄だ、真名は無い。私の戦斧で袁陽の障害を退けて見せよう」

 

 勝鬨のような歓声が起きた。

 新たな国、新たな王、新たな同士、骨を折るには十分な目標。

 歴史的な瞬間だ。この場に居る全員が忘れることは無いだろう。

 

「我が背に続け! その道こそが理想に近づく一番の近道である!!」

 

 皆の興奮は最高潮に達した。新参者である董卓達も高揚している。

 しかし、袁紹が次に放った一言で――

 

 

 

「手始めに幽州を獲る」

 

 

 何度目かわからない閑寂が訪れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第44話

~前回までのあらすじ~

袁紹「暗愚と化したらこの短刀使ってプスーで」

董卓「かしこまり」





袁紹「この辺にぃ、幽州あるらしいっすよ」

公孫賛「止めてくれよ(白目)」


 ―遼西郡 幽州領主公孫賛の屋敷―

 

 大事が起こると、それに対する行動を決める為の話し合いが一室で行われる。

 白蓮の家臣は基本的に温厚な者達が多いのだが――……。

 現在、会議の部屋では怒号が飛び交い、机を叩く音が響いていた。

 彼等を白熱させているのは、袁陽から届いた文の内容が原因だ。

 

 つい先日白蓮宛に届いたそれには“陽”の建国と、大陸統一の手始めに幽州を獲る旨が書かれていた。それを受けて幽州の重鎮達は、陽の提案通り降伏する事が最善とした者達と、徹底抗戦すべきだとする二つに別れた。

 

「武威を示す事無く降伏などすれば、我等は一生奴等の傀儡となるぞ!」

「だからと言って、少なく見積もっても三十万の兵力に立ち向かえるものか」

「兵だけでは在りません。陽国には無双の将も居ります」

「何よりあの呂奉先が居る。かの者が洛陽で見せた力を忘れたわけではあるまい」

「では何もせず降伏すると言うのか!」

 

 意見自体は二つに別れているが、人数の差が明らかに違う。

 保守派な意見を持つ者達が全体の九割居るのに対し、抗戦を説く者は一割しか居ない。

 その人数差が袁紹と自分達の戦力を表している様で、白蓮は思わず苦笑した。

 

「公孫賛様、袁陽と同盟を結ぶのは如何でしょうか?」

 

 保守派の一人が挙げた提案に、他の者達が賛同するように主を見やる。

 皆が神妙な顔つきだが、袁紹と公孫賛が知己の間柄であることは知っている。

 それだけに、同盟を打診する事に対する期待も大きかった。しかし―――

 

「無理だろうな」

 

 捲くし立てようした重鎮を手で制し、白蓮は理由を説明する。

 

「基本的に同盟は対等、互いに利益があって結ぶものだ」

 

「……我等と袁陽で対等は無理と?」

 

「国力が違いすぎる。それに、同盟を結べば私たちに利はあるだろうが、袁陽には利益が無い」

 

「後方の安全は大きいはずです!」

 

「それなら併合した方が、いつまで続くかわからない同盟よりも確実だ」

 

「で、では、それ以外にも利を作れば……」

 

 白蓮が静かに首を振る。

 

「他国に与える程の財は無い。食料も寧ろ融通してもらう立場にある。物資も同様だ。

 となると兵力くらいしかないけど……。異民族の来襲に備えるため大軍は動かせない。

 指揮系統の違う寡兵を貸し出した所で邪魔なだけさ、私達が陽に与えられる利が無いんだ」

 

『……』

 

「では、戦う他ありませんな」

 

 ここぞとばかりに抗戦を唱える男に、皆が白目を向けた。

 それを受けて彼は鼻を鳴らす。何も考えなしに言っている訳ではないのだ。

 

「儂とて勝てるとは思っていない。しかしある程度武威を示さねば……」

 

「どうなると言うのだ?」

 

「我らが陽の傀儡になる以上、幽州の兵が異民族に舐められるでしょう。

 今まで消極的だった彼奴等が攻勢に出るかもしれん」

 

「袁陽に併合されれば、異民族の侵攻に対して兵を出してくれるのではないか」

 

「公孫賛様から聞いた袁紹の理想、満たされる世を実現させるためには大陸の統一が必要だ。

 苛烈する乱世の戦いに兵を割くことは、袁陽としても避けたいだろう。

 仮に兵を配備してもらえたとしても、それは精鋭では無く予備軍だろうな。

 結局の所、異民族共に対処するのは我々幽州人だ。此処で舐められる訳にはいかん。

 併合に甘んじるにしても武威を示さねば」

 

 抗戦派の理を聞いて、興奮から立ち上がっていた者達が席に座る。

 袁陽が大国であるがために、どこか異民族の侵攻を楽観視していた。

 異民族との戦いに長けているのは幽州人だ。併合される事になったとしても迎撃は自分達がする事になるだろう。

 その時、何もせず大国に頭を垂れたなどと思われたら――……。

 幽州に力無しとして攻めて来る可能性が高い。今までに無い大軍でだ。

 

 とはいえ、占領された所で袁陽がだまっているわけが無い。

 彼らも大軍を持って異民族を撃破し退けるはず。問題は其処に至るまでの被害だ。

 略奪の限りを尽くされ、幽州は見るも無残な姿に成り果てるだろう。

 そんな事は幽州人として許せない。その為にも武威を示し、“白馬将軍”健在と恐れさせなければ――……。

 

「武威を示す……か。それが一番難しいなぁ」

 

 袁陽の兵力は解っているだけでも三十万。勿論、全軍を動員してくるとは思えない。

 しかしそれでも最低五万、万全を期すなら十万で侵攻してくるだろう。

 

 それに対して白蓮の軍はどう見積もっても二万が限度。それ以上は鼻血も出ない。

 

 加えて将兵の質も陽が上だ。顔良、文醜と言った二枚看板に始まり、人中の呂布。

 攻守優れる趙雲。新加入した猛将、華雄。荀彧、程立、陳宮、賈駆と言った軍師達。

 兵はあの大炎を始め精鋭揃い。乱世に備えて黄巾前から鍛練が施され錬度が高い。

 

 対して白蓮達は――……。お世辞にも袁陽の将に匹敵する英傑は居ない。

 軍師を兼任する白蓮が唯一対抗出来る人物だが……。彼女一人には荷が重いだろう。

 劉備達が居れば話が違ったが、彼女達とは洛陽以降、別行動をとっている。

 兵の錬度で言えば幽州兵も遅れを取っている訳ではないが、それだけに人数差が重く圧し掛かる。自軍の利を挙げるとしたら地の利くらいだろう。

 しかしその利点も、圧倒的な戦力差を前に押し潰される。

 

「申し訳ありません公孫賛様。我らが不甲斐無いばかりに……」

 

「馬鹿を言うな!」

 

 無力さに苛まされ、顔を俯かせる重鎮達に白蓮の叱咤が飛ぶ。

 

 私塾から戻ってきて太守となり、不慣れで右往左往していた白蓮を助けてくれたのは彼らだ。

 異民族の襲来、黄巾の乱、反董卓連合軍の時だって常に力を尽くしてくれた。

 

 袁陽の人材に比べ劣っているなどと思ったことは―――一度も無い!

 

「何か皆、難しく考えすぎじゃな~い?」

 

「睡蓮……?」

 

 重苦しい空気の中。沈黙(居眠り)していた公孫越(こうそんえつ)、真名を睡蓮(すいれん)と呼ぶ白蓮の従妹が声を上げた。

 

「利が無いなら作ればいいじゃ~ん。お姉ちゃんの頭でっかち!」

 

「誰が頭でっか――……。ちょっと待て、作れるのか!?」

 

 白蓮の言及に従妹は微笑む。普段はやる気が無く、居眠りの常習犯である彼女がやる気を出すとは……。

 従姉としてその能力を見出し、教育してきた甲斐があった――などと感激している白蓮に、特大の爆弾が落とされた。

 

「お姉ちゃんの嫁入りで万事解決! 婚姻同盟だよ!!」

 

『おおおおーーーっっ!?』

 

「…………………………へ?」

 

 嫁入り? 誰が? 誰と? 何時(いつ)何秒何刻御輿が何回大陸を周った頃?

 

「袁紹殿は未だお一人。今なら間に合いますな!」

 

「公孫賛様とも仲が良い。試す価値は十分あるかと」

 

「美男美……女同士ですしな!」

 

「左様。大陸中が羨む、おしどり夫婦となろう」

 

 目を丸くしている白蓮を他所に、話が進められていく。

 

「ちょ、ちょちょちょちょっと待て! 待ってくれ!」

 

「何よも~。今大事な話中だよお姉ちゃん」

 

「本人を無視して進めるなぁッッ!」

 

「大丈夫だって、こっちは任せて袁紹様との夫婦生活でも想像しててよ」

 

「ふ、夫婦生活?」

 

 不服だが、睡蓮の思惑通り思い描いてしまう。

 

 大国の君主、袁紹と婚姻となれば住居を移す必要があるだろう。

 

 南皮での自分は政務を手伝う事になる筈。袁紹の補佐として腕を奮い。

 時には私塾に居た頃のように彼の暴走を止める。平時であれば食事や茶を楽しみ。

 稀に猪々子や斗詩達と鍛練に励む。

 

 なんだ、私塾に居た頃とそんなに――……と、どこか安堵した所で場面が夜に変わる。

 

 寝室に二つの影、言うまでも無く袁紹と白蓮だ。

 夫婦になったからには子作りは大事な役目となる。言わば義務だ。

 では袁紹は義務的に白蓮を抱くだろうか? ありえない。

 初夜の緊張で震える白蓮を、彼はどこか馴れた手つきで優しく―――……。

 

「うわあああああああああああ!!」

 

 思わず大声を上げながら立ち上がり、頭を掻き毟る。

 恥ずかしいやら嬉しいやら、今すぐ想像したものを消さなければ倒れてしまいそうだ。

 

「じゃ、善は急げってことで使者を送るよ~」

 

『おおーーっっ』

 

「待て待て、私が直接行く!」

 

 これ以上、話をややこしくされてたまるか!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか白蓮自ら使者として来るとはな。仮想敵国だというのに大胆な事だ」

 

「ははは……」

 

 数週間後、袁紹の下に白蓮が使者として訪れた。

 余程疲れたのだろう。昨日はよく眠れなかったのか目に隈ができている。

 

「さて、こうして訪れたと言う事は返事を聞かせてくれるのだろう?」

 

「……ああ」

 

 謁見の間には弛緩した空気が流れていた。それもそのはず。

 宣戦布告する国に太守自ら訪れるはずが無い。公孫賛が現れたのは併合を受け入れる為。

 こうして誠意を見せることで少しでも待遇を良くしたいのだろう……と、袁陽の皆は考えていた。

 

「私は同盟を結びに来た」

 

 故に、彼女の口から出だ言葉に呆気に取られた、

 しばらく唖然としていたが、いち早く意識を取り戻した袁紹が目を細める。

 

「それで、同盟に対して我が国に何の利がある?」

 

「ただの同盟じゃない。~~~だ」

 

「?」

 

「婚姻同盟だ!」

 

 半ばやけくそ気味に叫ばれ激震が走る。特に、袁紹の周りに居た女性陣の受けた衝撃は――

 

「なるほど、考えたな。それなら確かに我が国に利がある」

 

 この婚姻同盟が成功すれば、両者の間に出来た子を幽州の太守に据え、自然と併合出来る。

 無血で幽州が手に入るばかりか、両陣営の間に蟠りも生まれない。

 袁紹としても独り身のままなのは体裁が悪く、ここらで身を固めるのも良い。

 そして何より――

 

「相手は白蓮か。我が伴侶としても申し分ない」

 

「ななな、何言ってんだよ!」

 

 勢いでここまできた白蓮であったが、ここまで好感触に捕らえられるとは思ってもおらず、目を白黒させていた。

 

「―――と、言いたいところだが困ったな」

 

「な、何だよ……やっぱり―――」

 

 私じゃ駄目なのか?

 

「我は白蓮を武将として登用したかったのだ」

 

「へ? 私をか??」

 

「うむ、新設する部隊の指揮を任せたくてな」

 

 妻となれば戦場に連れて行くわけには行かない。前線に出すなど夢のまた夢である。

 袁紹が難儀していると、白蓮の中に天啓がひらめいた。

 

「だったらさ、婚約って形でどうだ? 保留なら私も武将として動けるし、同盟にも支障は無いはずだ」

 

「我としても助かる提案だが……良いのか?」

 

 袁紹の問いかけに目を瞑る。勢いのままここまで来たが、白蓮とて流れに身を任せるだけの考えなしでは無い。

 

「乱世、袁陽に続いて各地が独立する」

 

 脳裏に浮かぶのはもう一人の友、華琳。彼女は間違いなく立ち上がるだろう。

 

「私たちも建国するという選択はあったけど、こんな強国が近所に居て大成するわけないだろ」

 

 拗ねたように口を尖らせ、袁紹が苦笑した。

 

「どうせ何処かに取り込まれるなら――麗覇。お前が居る袁陽が良い。

 婚姻に関しても心が決まっていたわけじゃないし。そしてなにより――」

 

 不安そうに静観している女性陣に目を向ける。

 

「こんな形で、横から奪うような真似はしたくないからな!」

 

 伴侶となるなら正式に、周りの者達にも認められる形で結ばれたい。

 ……睡蓮は甘いとか言いそうだけど。

 

 白い歯を見せ、爽やかな笑顔で口にする。

 その余りにも邪気の無い、純粋な笑みに女性陣はハッとさせられた。

 

 

 

 

 

 ずるいと思った。こんな形で伴侶の座を取られるのは嫌だと……。

 だが彼女、白蓮は目先の私欲から目を背け、周りを見渡して心を汲んでくれた。

 女性として負けたと思う。だがこれで終わりじゃない。白蓮の婚姻保留は宣戦布告でもある。

 

 誰が伴侶として袁紹に求められ、周りからも認められる存在になれるか。

 どこか現状に満足していた彼女達が、本気で袁紹の隣を目指しだした瞬間だった。

 

 

 

 

 

 



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閑話 ―乙女の受難―

(今更の投稿再開)許し停。


袁陽が建国してから早一ヶ月。華琳もまた、反乱を起こした黒山軍を破り“魏”という名の国を建国していた。

 

 遅れをとったのには理由がある。漢王朝の権威が落ち、浮き足立っていた各地を繋ぎ止めていた袁紹の存在が原因だ。

 力を失ったとは言え王朝はまだ存在している。袁紹を含めた各地の諸侯達は未だにその臣下だ。

 そんな中で建国などすれば―――たちまち袁紹率いる連合軍に攻め滅ぼされるだろう。

 それを恐れ、大陸中が袁紹の行動を静観していたのだ。

 

 ではいち早く建国した袁陽を攻め滅ぼすために結託すれば――……。

 事はそこまで単純では無かった。

 

 袁陽と敵対するには彼らは余りにも強大すぎたのだ。その力は黄巾と連合軍で知れ渡っている。

 果たして徒党を組んだところで袁陽に勝てるだろうか……?

 

 浮き足立っている現状で最善の行動は、袁陽を味方に付ける事である。

 それが大多数の太守達の認識だ。反袁陽連合軍を組織した所で離反者が出ないとは限らない。

 寧ろそれを機に袁陽の信用を買うことが出来る。底が知れない袁陽と敵対するよりも建設的だ。

 

 それでも彼女達、華琳率いる曹操軍が居る。

 兵数では袁陽に劣るかもしれないが、将兵の能力は決して後れてはいない。

 彼女が連合を率いて袁陽を攻め立てれば――。

 そこまで考えたところで、各地の名士達は袁紹と曹操が知己の間柄である事を思い出した。

 大陸でも一二を争う勢力が結託しない保証は無い。魏国が建国した後もその不安が消える事はなかった。

 

 建国したことで油断させ、反袁陽派の者達を一網打尽にする策かもしれない。

 袁陽が大国故に、慎重に静観していた彼らの猜疑心が止まらず。

 袁陽は堂々と建国し、それに続く形で曹魏が誕生したのだ。

 

 

 

 

 

 

 そんな新国の君主である華琳は現在、眉間に皺を寄せながら淡々と政務をこなしていた。

 眭固や匈奴の10余万の軍勢に大勝し、領地はおろか周辺地域の羨望を浴びた中での建国。

 順調なすべり出しの筈であった。そう、いま現在部屋に侵入してきたソレさえ無ければ。

 

「秋蘭」

 

「ハッ」

 

 華琳の意思を汲み取り、同室で政務の補佐を行っていた秋蘭が弓矢を取り出す。

 室内にも関わらず弦を引き、小さなソレに向かって矢を放った。

 矢は吸い込まれるように刺さり、着弾の衝撃でソレは四散した。

 

「……」

 

 ソレの無残な姿を確認した華琳は、いくらか溜飲が下りたのか書簡に目を戻した。

 主の様子に秋蘭は溜息と共に緊張を緩め、弓をしまう。

 

 ソレとは即ち飛蝗(バッタ)であった。

 

 その才覚故に忘れがちだが華琳も乙女である。町娘のように騒ぎ立てたりはしないものの、目に付けば嫌悪感を現し、寝所で見かければ寝床を移す程度には虫が苦手だ。

 とはいえ、覇王の呼び名を持つ彼女が虫一匹にここまで機嫌を損ねることがあるだろうか、答えは否。

 

 怒りの対象は今進入した固体に対してでは無い。その数だ。

 

 屋敷の外は、まるで大雨にでも見舞われたかのような音が鳴り響いている。

 この雑音“全て”がバッタなのだ!

 

 

 

 

 

 

 

 蝗害(こうがい)である。

 

 袁紹がこの場に居れば『HI華琳! 飛蝗は虫の皇って書くんだぜHAHAHA』

 などと、小粋な知識で場を盛り上げようとしたかもしれない。

 最も、それをすれば華琳の逆鱗に触れ大変な事になるのだが……。

 

 蝗害による被害は、理知的な覇王の血管を浮かび上がらせるほどに凄惨を極めていた。

 まず目に付く問題が経済の停滞である。普段は人で溢れかえる城下町は現在無人。

 無理も無い、外は視界不良なまでにバッタがいるのだ。

 今は住人の殆どが家に篭り、この災害が過ぎるのを待っている。

 その為ほぼ全ての仕事が手に付かず、魏国の経済は停止していた。

 

 そして、経済の停滞よりも重い問題が食糧難である。

 餌が無ければバッタも異常発生はしない。この数は暴食を繰り返してきた証。

 傍迷惑な事に、バッタ達はここ魏国の作物を食い荒らしに来たのだ。

 

 しかし餓死者は出ていなかった。事態を重く見た華琳達は早々に軍を各地に派遣、可能な限り食料を輸入して住人に無償で配給したのだ。

 だがそれも限界が見えてきていた。住民を食べさせていくのは数日でも莫大な費用が掛かる。

 このままでは国庫が先に尽きるか、蝗害が止んだとしても軍を縮小せざる得ない。

 覇道を歩む国としては致命的だろう。

 

 

 

 

「華琳様、そろそろ昼食に致しましょう」

 

「……そうね」

 

 秋蘭の言葉で小腹がすいている事を感じ、昼時であると理解した華琳は筆を置いた。

 ややあって執務室に昼食が運ばれてくると、華琳は政務の時みたいに黙々と食べ始める。

 

「……」

 

 そんな主を秋蘭は尊敬の眼差しで見つめていた。

 

 華琳が今食べている食事は極めて質素なもの、蝗害が起きた次の日から彼女の指示で調理された精進料理だ。

 食材の種類、量共に少なく、香辛料や調味料の類も一切使用していない。

 美食家で知られるあの華琳が、贅沢の限りを尽くしても咎められない魏国の君主が、領民にのみ不自由な生活を強いてはならないとして、自ら倹約に努めている。

 

「……」

 

 今の大陸では、袁紹こそ理想の名君であるとした風潮が流れているが、秋蘭はそれを否定する。

 曹孟徳こそ、大陸を統べるに相応しい王だ!

 

 

 

 

「失礼致します」

 

「あら、何かあったの?」

 

 昼食を済ませ政務を再開してすぐ、雑事を任せていた郭嘉が訪ねてきた。

 華琳は目を書簡から移し応対する。

 

「三度目の食料が今しがた届きました」

 

「それは重畳。値はいくら程掛かったのかしら」

 

「それが……」

 

「その様子だと予想通り、吊り上げられたようね」

 

 思わず溜息を洩らす。食料の高騰化は頭の痛い問題だ。

 各地の農家や商人達だって慈善事業では無い、価格を上げても需要があるなら高く売るだけだ。

 華琳に彼らを攻める事は出来ないが、どうにか価格を抑えられないかと頭を悩ませていた。

 

「このままでは我が国の財が底を尽きてしまいます」

 

「とは言え、領民を見殺しにするわけにはいかないわ。足りない分は屋敷の備蓄で埋めなさい」

 

「華琳様、それでは何かあったときに……!」

 

「その“何か”が今なのよ。躊躇していては手遅れになるわ」

 

 華琳の考えは間違っていない。事実、領民達が飢えてきているのだ。

 彼等は一日一食で耐え忍んでいる。更に食を減らすことになれば、体力の低い者達から犠牲者が出始めるだろう。

 

 領民達には食料を求めて魏国から離れると言う選択肢もあったが、一人として動こうとしない。

 黄巾発足以前から領地改革に臨み、幾度も外敵から守ってきた太守。

 建国後もこうして手を差し伸べてくれる。そんな国を見捨てる訳にはいかない。

 今の時代、収めた税を還元するという“当たり前”が出来る君主が何人いるだろうか。

 華琳とその家臣達、そして建国して間もない魏国は、領民達に愛され信頼されているのだ。

 

「あ、それから陽国より書簡が届きました。袁紹殿からです」

 

「……随分早いわね」

 

 暗い空気を何とかしようと、郭嘉が話題を変えるように文を差し出した。

 

 

 

 蝗害が起きた時から色んな対策を魏国と華琳は行ってきた。

 その中の一つに袁陽に向けた文がある。内容は事態を打開する知恵を貸して欲しいというもの。

 とはいえ、様々な対策を労した挙句、現状が過ぎるまで耐え忍ぶしかないと結論に至った為。

 袁紹に宛てた文は、文字通り“御輿にも縋る思い”で書かれたものだ。

 その中には少なからず『最低でも食料や物資を融通してくれるだろう』といった打算も含まれていた。

 勿論そうなれば相応の財を送る手筈である。これから覇を競う相手に一方的な借りを作るなど、曹孟徳の名が許さないのだ。

 

「我が国の賢人達をして不可能とされた現状の打開。流石の名族もお手上げかしら?」

 

 文の封を解きながら自分に言い聞かせるように呟く、それでも湧き上がる高揚感は押さえ切れなかった。

 華琳の友、袁紹は実に変わった人物だ。その特徴の一つに異国の知識がある。

 大陸の常識を覆しかねない発想とその知識で、私塾に居た頃なんども舌を巻いてきた。

 だからなのか、無理だろうと思う心の隅で、彼ならもしかしたらと思わせ――

 

「……」

 

「か、華琳様?」

 

 文に目を通した主の表情が消え、秋蘭が何事かと問いかける。

 

「袁陽が幽州と同盟を結んだわ」

 

「……意外ですね」 

 

 返事をしたのは郭嘉だ。華琳達の予想では陽の初動として幽州を攻める事を予期していた。

 そして白蓮が懸念していた通り、同盟や協定といった類の交渉が難しいことも。

 果たして幽州はどのような利を用意したのか、異民族の事を考えれば兵も物資も惜しいだろうに。

 

「……」

 

 思案に暮れる郭嘉の横で、秋蘭は冷や汗を流し続けていた。

 

 同盟の話は確かに意外だ、主である華琳が驚くのも理解出来る。

 しかし主が見せている無表情には、驚き以上に怒りの感情が含まれていた。

 それほどまでにこの同盟が気に入らなかったのだろうか……。

 

 確認しようと、主が乱暴に置いた文に目を通し――絶句。

 

 そこには『我達、婚約同盟しました!』と言う一文と共に、精巧な男女の絵が描かれている。

 顔の特徴からこの男女は袁紹と白蓮だろう。二人は幻想的な衣装を身に纏い。

 口付けでも交わしそうな距離で見つめ合っている。

 

 秋蘭は思わず天を仰いだ。

 清涼剤にでもなればと郭嘉が見せたと言うのに、これでは火に油もいい所。

 華琳が袁紹に友として以上の感情を持っていると言う事は、察しのいい秋蘭と郭嘉は知っている。

 その恋慕に近い感情を抱いている相手に、自分達が蝗害で苦しむなか惚気同然の報告をされる。

 

 目を通す直前まで上策を期待していただけに、華琳の胸中は穏やかでは無いはずだ。

 きっと彼女の中で、袁紹の株が絶賛下落中に違いない。

 

「あ、秋蘭さん。二枚目が重なっていませんか?」

 

「おお、良く見れば確かに。……華琳様」

 

「……」

 

 文に続きがある事を確認した秋蘭は、主より先に読むわけにはいかず、恐る恐る華琳に手渡す。

 これ以上の爆弾が落ちないことを願いながら――

 

「ッ――これは!?」

 

 秋蘭の願いは主の声と共に爆散した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 袁紹の文が届いてから数日後、結果から語ると蝗害による食糧危機は解決した。

 

「コレが、そうなのね」

 

「はい、コレがそうです」

 

 現在華琳は、食糧難を解決した料理を前にして息を呑んでいた。

 二枚目の文に書かれていた調理法に則り作られたコレ。領民達に強いているコレを食すため、周囲の反対を押し切って昼食としたが―――

 

「……」

 

 コレとは即ち飛蝗であった。

 

 袁紹が寄越した二枚目の文には、どこぞの王妃様よろしく『稲穂がバッタに食べられるなら、バッタを食べればいいじゃない』と、解釈を間違えれば革命でも起こされかねない一文と共に、調理法が記載されていた。

 

 バッタを非常食とする事は、飢えた民達が食べていると報告を受けた時に禁じた行為だ。

 理由は、不衛生で体調を崩す者達が後を断たなかったからである。寄生虫や菌の概念が無い時代では原因の特定も難しく、食用とする研究を行うには時間が足りないと判断したのだ。

 しかし、記載されていた調理法がその難題を解決した。

 

 バッタを食用とするにはまず、一日絶食させて体液や糞を放出する必要があった。

 その手順を飛ばして食していたから、食べた者達が体調を崩したのだ。

 これを知った華琳は、直ちに秋蘭や典韋を始めとする料理人たちに試させ。

 十分に安全性を確認した後、領民達に調理法を広めた。

 その結果、魏国の食料事情は劇的に改善したのだ。

 

「コレが袁紹殿の文に記載されていた『バッタ炒め』です」

 

 秋蘭の簡潔な説明を聞きながら、改めて目の前のソレに目を向ける。

 体液を絶食にて無くし、豊富なタンパク元となる飛蝗を油を引いた中華鍋で炒め揚げる。

 味付けは塩を少し。簡素な調理法で作られたコレは栄養満点で食べ応えがある。

 何より、外に出れば幾らでも材料がある事が大きかった。

 

 領民にも絶賛された料理(?)だが―――

 

「……」

 

 やはり食べる気が起きない! 

 

 周知の通り、華琳は大層な美食家である。彼女は料理人の選別にも余念が無い。

 そんな彼女が集めた高水準の料理人達により、飛蝗は形を崩す事無く炒め揚げられている。

 今にも動き出しそうな姿で皿に乗っている光景は、夢に出てきそうだ。

 

「あれ~、華琳様食べないんですか?」

 

「華琳様! この虫共なかなかいけますね!!」

 

 そんな彼女の心情を知ってか知らずか、魏国が誇る大食い娘二人組(春蘭・許緒)が飛蝗を食している。

 愛しい春蘭の口元から飛蝗の足が飛び出ているのを目撃し、しばらく彼女との口付けは控えようと心に決めた。

 

「では華琳様、まず私が」

 

「秋蘭!?」

 

 恐らくは魏国一の常識人である秋蘭が飛蝗を口に運ぶ。彼女も乙女の例に洩れず虫が苦手だが、これ以上足踏みしている主を見ていられなかった。

 

 大食い娘達は食の感性においてどこかずれている。ここは主の味覚に近い自分が様子を見るべきだ。

 自分の犠牲で少しでも主の助けになれば――と、意を決して飛蝗を口に含んだ秋蘭だったが……。

 

「……む?」

 

「ちょ、秋蘭」

 

「あ、いや。今しばらくお待ちを」

 

 何のリアクションも無く二口目を口に放り込む秋蘭に、華琳が目を丸くして驚く。

 

「うむ、やはり……。華琳様、この料理悪くはありません」

 

「ほ、ほんと?」

 

「はい」

 

「……」

 

 俄かには信じがたいが秋蘭のお墨付きである。彼女に案内された料亭はどこも一流だったし、手作りの料理はどれも絶品な彼女。

 そんな秋蘭が真顔で“悪くない”と口にしたのだ。退く理由はもう無い。

 彼女の忠臣ぶりに報いるためにも――と、自分に言って聞かせ。華琳は意を決して飛蝗を口にした。

 

「……?」

 

 そんな華琳も秋蘭と同様、口にした瞬間呆気にとられる。

 想像していたような味ではないのだ。サクサクとした食感にほのかな塩気。確かに悪くない。

 見た目の醜悪さを除けばだが……。

 

 バッタ炒めと覇王の半刻にも及ぶ死闘は、あっけない形で決着が付いた。

 

「しかし、袁紹殿はどこでこの調理法を?」

 

「さぁね。聞いた所で、異国の文献を見たとはぐらかされるだけよ」

 

「……益々、掴み所が無い御仁ですね」

 

「そうね、だからこそ――」

 

 ――倒し甲斐がある。

 

 食後の雑談で改めて闘志を燃やしていると。通路の方から乙女の悲鳴が聞こえてきた。

 

 異変を察知した秋蘭がすぐさま弓矢を手にして現場に向かうと、李典に羽交い絞めにされている于禁と、その于禁にじりじりと近寄っていく楽進の姿を見つけた。

 

「一体これは、どう言う状況なのだ……」

 

「あ、秋蘭様! 助けて欲しいの!!」

 

「秋蘭様からも沙和に言ってやって下さい!」

 

「……とりあえず説明してくれ」

 

 その場で比較的冷静だった李典によると、華琳により昼食になったバッタ炒めを于禁が頑として口にしないらしい。

 規律に厳しい楽進がそれを良しとせず、主の命でもある故、李典も協力して食べさせようとしているのだが――……。

 

「それでこの状況か、羽交い絞めはやりすぎだろう」

 

「しかし、こうでもしないと逃げ出すので……。捕まえたのも四回目です」

 

「ほう、凪や真桜から三回も逃げ出せたのか」

 

「いやいや、そこ感心するとこちゃうで」

 

 真桜が鋭くつっこむが、秋蘭が感心するのも無理は無い。

 

 三羽鳥として知られるこの三人娘は、各人が得意な事に関して特化している。

 武の楽進、カラクリの李典、しかし于禁は未だ何も開花していない。

 そんな彼女が身体能力において、格上である楽進から三回も逃げ切れたのだから驚きだ。

 

「ぜぇぇぇっっったい、嫌なの!」

 

 于禁は魏の誰よりもオシャレに敏感な女性である。誰よりも女らしく生きようとする彼女は、誰よりも虫が苦手であった。

 

「沙和」

 

「!?」

 

 そんな于禁の前に、騒ぎを聞きつけた華琳が姿を現した。

 雲の上の存在である主の登場に、緊張から震えが止まらない于禁だったが。

 彼女を安心させるように華琳は微笑を浮かべながら、優しく語りかけ――

 

「主命よ、食べなさい」

 

 屋敷内にうら若き乙女の悲鳴が響き渡った。今日も魏国は比較的平和である。



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第45話

~前回までのあらすじ~

公孫越「もうさ、婚姻同盟結んで、終わりでいいんじゃない?」

家臣「ええぞ!ええぞ!」

公孫賛「えぇ……(困惑)」







ハム「同盟結んで下さい、婚約でいいですから!」

袁しょ「ん? 今、将になるって言ったよね(言ってない)」


大体あってる


 魏国を蝗害が襲い、解決してから約半年の時が流れた。

 

 陽と魏の建国により浮き足立っていた諸侯は、未曾有の乱世へと身を投じた。

 ある者達は領地拡大の為、ある者達は自国を守る為、各自が掲げる義の為に戦いに明け暮れた。

 

 そして、今も――

 

「進め進めぇッッ! 踏みしだけぇッッッ!!」

 

『オオオオオォォォォォ――――ッッッッッ』

 

 次の戦地へと向かう大軍が吼える。奇襲に近い形で幾つもの砦を落として来た為に士気も高い。

 しかし、彼らの今までの戦いはあくまで前哨戦であり、本番は次にあった。

 

「陽国など恐るるに足らず、我等の武勇を刻み付けるぞ!」

 

 彼等の次戦の相手は、あろう事か大陸最大勢力を誇る袁陽である。

 兵力は約一万。大国を相手獲るには心もとない数字だ。

 

 だが問題は無かった。彼等はまともに戦う気など無かったのだから――……。

 

 

 

 

 

 陽の建国。これに反感を持った者は少なくない。

 いくら王朝の権威が失墜しているとはいえ、諸侯はその臣下である。

 袁紹が漢王朝に見切りをつけ建国した時、彼の勢力を疎ましく思っていた者達はそれを批判した。

 民を虐げ続け、漢王朝の寿命を縮めた一員でありながら厚顔無恥にも、袁紹を“不義理”と非難したのである。

 

 そんな中、反袁陽筆頭とされる男の一人が戦を仕掛けた。

 彼の狙いは袁陽を倒す“力”を手に入れること、その為の進軍だ。

 

 いくら陽国を非難し、陰口を叩こうとも、かの国が大国である事は変わりない。

 戦いを仕掛けることは余りにも無謀であり、徒党を組むことすら出来ず尻込みしていた。

 皆が恐れているのは袁陽の“多数精鋭”とまで呼ばれる兵士である。だからこそ男は戦を仕掛けた。

 

 少数精鋭こそ兵の常、多数で精鋭など幻想である。それを証明できれば他の者達も重い腰を上げるはずだ。

 そうなった時は自分が反袁陽連合を率いる。かの大国を滅ぼし、歴史に名を刻むのだ!

 

 

 

 

 

 

 

「物見より報告、この先に袁陽軍の姿を確認!」

 

「待ちわびたぞ、くくく……! して、兵力は如何程だ?」

 

 三万? 五万? 男の口角がつり上がる。

 何も考えなしに戦を仕掛けたわけではない。単純だか必勝の策が彼にはあった。

 

 それは――緒戦で全力を出し尽くす事。

 相手は大軍だ、ならば余力を残しながら戦うはず。それに対して自分達は緒戦だけ考えればいい。

 大局での勝利など考えていない、緒戦の一勝だけ獲ればいいのだ。

 後は兵力差を言い訳に撤退。自軍が緒戦を制した事を流布すれば、多数精鋭など幻想であったとして、各地で燻っていた諸侯が立ち上がるだろう。

 

 しかし――耳を疑うような報告が男を待っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 男の怒号が響いた頃、その怒りの対象である袁陽軍の軍中で、一人の童女が項垂れていた。

 

「はぁ~、とっても憂鬱なのです……」

 

 音々音だ。未熟ではあるが常に懸命な彼女が、此処までやる気が出ないのは珍しい。

 

「……ねね」

 

「! 『恐れず、且つ油断するな』です!!」

 

「わかっているなら実践なさい!」

 

「は、はいです!」

 

 そんな音々音を叱ったのは、お目付け役として付いて来た桂花だ。

 

「……」

 

 とは言え、音々音の気持ちもわからんでもない。

 今回の戦に用意された兵力は騎兵千騎。そう、重装騎兵隊“大炎”である。

 数だけ見れば少数だが、正規軍十万に相当するとまで言われている、袁陽が誇る武の結晶だ。

 

 今回の相手は正規軍とはいえ、たかが一万。役者不足もいい所である。

 ……恋が追従していない事も、やる気が削がれている一因だろう。

 

「ほら、敵軍が見えたわよ。精々派手に歓迎して、私達に刃を向けたことを後悔させなさい」

 

「はいです、出陣!」

 

『応!』

 

 音々音の言葉に呼応して千の黒炎が動き出す。その馬脚が踏み鳴らす音は、とてもではないが千騎が出すような音ではなかった。

 

 

 

 

 

 

 音々音達の背を見送った後、桂花は後方に設置した物見の高台から全体を見渡していた。

 今回、恋を欠いた大炎と音々音が迎撃に抜擢されたのには勿論理由がある。

 敵軍の撃退は二の次、真の狙いは音々音が考案した新戦術の実験だ。

 

「いよいよですな」

 

「キャッ!?」

 

 戦地を見渡していた桂花の背後から、聞きなれた声が届く。

 星だ。桂花と同じく今回の戦場へ追従してきた彼女が、いつの間にか背後に立っている。

 

 少し話が逸れるが、桂花は袁陽の中でも重要な人材である。

 その才は政務だけに留まらず、財政、軍事と、袁陽のあらゆる分野を担っているため。

 国としてだけでなく、袁紹個人からの依存度も高い。

 彼女がいなければ今頃、袁紹は書簡の山に埋もれていただろう。

 

 それほどの重要人物であるだけに、桂花の護衛には一般兵士とは比べ物にならない精鋭が付いている。

 現在も。彼女が居る高台を中心に厳重な見張りが張り巡らされていた。

 そんな文字通り蟻の入る隙間も無い中、星は音も無く桂花に忍び寄ったのだ。

 

「ちょっと星。味方なんだから正面から堂々と来なさいよ!」

 

「はっはっは、それでは面白み――あ、いや。護衛共の訓練になるまい」

 

「……」

 

 ちらりと護衛に目を向けると、彼らはバツが悪そうに目を逸らした。

 その様子に桂花は溜息を洩らす。別に失望したわけではない、彼らには何度も刺客から命を救ってもらっている。その働きぶりからしても護衛達の能力は確かだ。

 問題なのは星の隠密能力である。

 

 かつて黄巾と対峙し、三姉妹を救うため単身潜入行動をとっていた星。

 彼女はその時、本業の隠密を見たと公言しており、それで気配を消すコツを掴んだらしい。

 桂花からしてみれば傍迷惑な話である。

 

 将である星は基本的に戦地で単独行動をしない。それでなくとも彼女は正面から堂々と戦うことを好む。

 斥候は兎も角、要人暗殺といった裏仕事は夢のまた夢だろう。

 故に、その高い隠密能力は悪戯か、華蝶仮面として警邏から逃げ回る時にしか使われていなかった。宝の持ち腐れもいいところである。

 

「持ち場を離れるなんて、感心できないわね趙雲将軍?」

 

「おっと手厳しい。しかし問題はありませぬ、我が隊は優秀な者が多いのでな」

 

 あっけらかんと言ってのける星に、桂花は再度溜息を洩らす。

 

 彼女の言葉通り、趙雲隊は袁陽でも一二を争う精鋭部隊だ。

 攻に傾倒している部隊が多いだけに、攻守共に臨機応変に動ける趙雲隊は稀有な存在である。

 兵達は将である星の性質を色濃く継いでおり、普段だらけているぶん本番で必ず仕事をこなす。

 仮に星が離れたとしても、副将が上手くまとめているだろう。その優秀さを疑ったことは無い。

 だからこそ、軍の模範として規律を重んじてもらいたいのだが……。

 

「む、私の顔に何か?」

 

 どこからか取り出したメンマを食している星を見て、桂花は再三溜息を洩らす。

 結果を出しているだけに強く出れない。非常にもどかしい話だ。

 

「それにしても楽しみですなぁ、大炎専用戦術“大炎開花”」

 

 メンマで頬を綻ばせた星が、話題を変えるように口にする。

 此処に足を運んだのは見物するのが目的だ。桂花への悪戯はついでである。

 

 今回の新戦術“大炎開花”は殆どの武官達には伝わっていない。

 概要を知るのは袁紹と軍師達だけである。賈駆は新参であるため席を外そうとしたが、袁紹の好意により知ることを許された。

 

「秘匿としたのは流出を防ぐためですかな?」

 

「そうよ。この戦術は強力だけど、その分対策しやすいわ。でも、一度嵌れば――」

 

「嵌れば?」

 

「……殆どの軍は成す術も無いわね」

 

「それほどに……!」

 

 星は反射的に戦場へと目を向けた。これから繰り広げられるのは、音々音が心血を注いで編み出した大戦術である。

 

 

 

 反董卓連合軍。あの戦で音々音は苦い敗北を経験した。

 

 南皮に帰還し、改めて報告をした彼女を待っていたのは労いの言葉だった。

 それもそのはず。結果的には賈駆との心理戦に敗北した音々音だが、その行動は最善だったのだ。

 

 人馬を吹き飛ばし、矢も刃も弾き返す重騎隊。そんな規格外の騎馬に突進してくる一台の馬車。

 何も無いと高をくくれる方がおかしい。数に限りある駒を守ろうとした音々音の行動は理に適っており、師である桂花もその判断を褒めた。

 そんな温い評価を良しとしなかったのが、音々音当人である。

 大炎の専属軍師となって日は浅いが彼女には、大陸をまたにかける大将軍とその部隊の軍師であるという大きな自負があった。

 

 その軍師が心理戦で遅れを取る。被害は出ていないものの、目標を逃していれば意味が無い。

 そして、自分に課した汚名を返上すべく今回の戦術を編み出したのだ。

 

 

 

 

 

 桂花と星が見守る中、ついに戦が始まった。

 

「大炎の初手は魚鱗の陣による騎突か、単純だが強力な戦法だ」

 

「今の大陸で、大炎以上の突破力は存在しないわ。対応を誤れば相手はお仕舞いよ」

 

 敵軍は兵をV字のような形で配置、迎撃する構えだ。

 

「鶴翼か、しかしあれでは……」

 

「良く見て、広げた兵は少数にして中央を固めているわ」

 

「ふむ、大炎の足を止め包囲殲滅が狙いか」

 

 重装兵で固められている中央に大炎が構わず切り込んでいく、その突破力に星は引き攣った笑みを浮かべた。

 正面から迎えうった敵兵は殆どが大盾を装備していた。大炎の装甲とは比べるまでも無いが。

 突撃する騎馬にとって厄介な障害物であることに変わりは無い。

 それを呂奉先の矛無しに、速度を緩める事無く吹き飛ばす部隊が眼下にいる。

 相対している敵軍からすれば、悪夢もいい所だろう。

 

「!? 大炎の勢いが中央で止まった!」

 

「違うわ、あれは止めたのよ」

 

 突然のことに面食らう敵軍だったが、図らずも大炎を包囲する事に成功。

 その馬脚に歩兵を群がらせ、騎突による突破を封じた。

 

 その事態を受けて、大炎は群がる歩兵に対処しながら円陣を組む。

 

「方円の陣。あれでは防戦一方に……」

 

「それは違うわ」

 

 星の分析に異を唱えた桂花は、頭上に疑問符を浮かべている昇り竜に――

 

「大炎の方円は攻めの前段階よ」

 

 常識を覆す言葉を落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――なんだ、何が起きている!?

 

 敵軍の指揮官である男は目の前の事態が理解出来ない。

 

 相手は自軍の十分の一である千騎。それでも油断はしなかった。

 反董卓連合軍には参加していなかったが、目の前に居る漆黒の重装騎兵が大炎であることは知っている。

 かの部隊一つで、反董卓連合軍を制することが可能だったという過大評価には鼻で笑ったが。

 その突破力の高さは見て取れた。だからこそ、包囲殲滅するため工夫を凝らしたが――

 

 待っていたのは規格外の突破力、男は目を疑った。

 一騎当百の評価など誇張したものだと思っていた。そうでなくとも今の時代。

 自軍の兵力、討ち取った敵軍の数は、脚色して多く大きく見せるのが常だ。

 眼前の騎馬隊はどうだ? まるで一騎当百を証明せんとばかりに突撃してくるではないか!

 

 その勢いは何故か中央で止まった。近くに居た味方が歓声を上げる中、嫌な予感が男をよぎったが、この好機をみすみす逃すわけにはいかない。

 指揮官である男は、大炎を包囲する事を選択した。

 

 それが、煉獄の入り口であるとは気がつかずに―― 

 

 

 

 

 

 変化は、大炎が方円の陣を築いてからすぐに訪れた。

 

「しょ、将軍。あれは一体!?」

 

 砂埃だ。それが、大炎が居た場所を中心に大きく舞っている。

 部下の一人が驚いたのは、その砂塵が自軍に及ぼした異変に関してだ。

 

「兵が、吹き飛ばされていく……!」

 

 砂埃の正体は、方円のまま回転する大炎であった。

 車掛の陣。日ノ本の軍神、上杉謙信が用いた陣形である。

 本来の車掛は外からぶつけるのに対し、大炎は敵軍中央でこれを用いた。

 そして明確に違うのは―――()が徐々に広がっていく事である。

 

 

 

 

 

「凄まじい……!」

 

 さしもの星も驚きが隠せない。敵に包囲されると言う事は危機的状況である事が当たり前だ。

 にも関わらず、眼下では包囲された側が一方的に攻め立てている。

 大炎の周りは阿鼻叫喚の地獄絵図だ。矢は弾かれ、刃を通さない。

 そうでなくとも大炎は長槍を得物にしている為、間合いに入った者は即座に風穴を開けられる。

 苛烈な攻撃を潜り抜け、やっとの思いで槍を突き出しても小楯で弾かれる。

 そして大炎の槍を免れた者達は、彼らが作り出す濁流に飲まれ果てていくのだ。

 

 最早、蹂躙であった。

 

「成るほど。敵中で大炎が広がっていく様から“大炎開花”か」

 

「はずれ、開花するのはこの先よ」

 

「!?」

 

 

 

 

 

 

「被害は約二千! 将軍、このままでは……!!」

 

「馬鹿な、何故逃れられぬのだ」

 

 大炎の戦術の恐ろしさ、破壊力を早々に理解した敵軍の将は包囲を解こうとした。

 しかし、下がっても進んでも、右に左に動いても、回転し続ける大炎がぴったりと付いてくる。

 

 それを可能にしたのは回転の中央、空地と化した場所で全軍を見渡していた音々音だ。

 

「敵がまた東に動いたです、旗隊!」

 

「応!」

 

 彼女は専属の護衛の中で最も体躯が良い男の肩に乗り、仮の高台から敵軍を見渡していた。

 時折矢が降って来ることもあるが、それは他の護衛達により防がれる。

 そして敵軍が移動したのを確認した後、目印となる旗兵と共にその方向へとゆっくり進む。

 円は音々音を中心に形成されているため、彼女が動けば円もまた連動する仕掛けだ。

 こうして大炎はまるで敵を焼く煉獄の炎かの如く、敵軍を追いつめる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「大炎の炎から逃れる術は一つ、そろそろよ」

 

「――これは!?」

 

「そう、陣を崩してバラバラに散る事。これ以外には無いわ」

 

「その散っていく敵兵の様が、まるで花開いていくことから……」

 

「大炎開花。美しく残酷な、大炎が咲かせる戦場の華よ」

 

「……」

 

 華、などいう生易しいものではない。確かに周囲に散ることで被害は止まったが。

 半狂乱になりながら敵兵が逃げ出していく光景は、さながら、大火事に巻き込まれた女子供だ。

 陣は解け、隊は乱れ、もはや士気がどうこうの話ではない。

 正規軍にも関わらず、一人、また一人と武器を投げ逃げ出したのだ。

 隊を纏める者がそれを止めようと奮起するが、それが同士討ちにまで発展した。

 

「!?」

 

 そんな中、星は大炎を見て目を見開く。

 

 狙い通り敵兵が散ったのを確認した彼等は、音々音を中心に再び魚鱗の陣を築いていた。

 狙いは勿論。陣を崩し、直属の部隊しか連れていない敵総大将である。

 

 それを察知した敵将が白旗を掲げたことにより、今回の戦は大勝利に終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦は終わり、自分の手勢が戦後処理に動いているのを見下ろしながら、星は感慨深そうに呟く。 

 

「何とも、凄いものを目撃したな……」

 

 嘘偽りの無い感想だ。初めは物見遊山だった彼女も、今はすっかり将の顔をしている。

 星は頭の中で、仮に自分とその隊にあの“大炎開花”が使われた場合、対処できるか模索していた。

 

「……」

 

 無理だ。一度内に入られたら最後。先程の敵軍のような結末を迎える。

 対策としては大炎の騎突をどうにか封じて、内に入られないようにするくらいしか……。

 最悪、散った後に体勢を即座に立て直せるようにすれば――

 

 星がいつになく難しい顔で思案に暮れていると。

 桂花が悪戯な笑みを浮かべながら、とてつもない爆弾を落とした。

 

「“大炎開花”には、今回見せていない先があるわよ」

 

「――ッ」

 

 何度目かわからない驚愕。その表情を見て桂花が満足そうに笑う。

 普段してやられているのだ、このくらいの報いは可愛いものだろう。

 先があるというのも嘘ではないし。

 

 

 

 

 

 

 少しして、二人の立場が逆転しかけていたその高台に本国から報せが届いた。

 内容は魏国が袁陽に宣戦布告したというもの。それは新たな戦いの幕開けであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




覚醒軍師 陳宮

好感度 80%

猫度 ニャニャニャーンです!!

状態 主君<呂布

備考 苦い敗戦から覚醒何かに目覚める
   呂布と袁紹なら半刻迷ったあと呂布に抱きつく



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第46話

~前回のあらすじ~

モブ軍「調子に乗ってんじゃねぇぞこの野郎(瀕死)」

ねねねのね「お~激しい(^ω^)」





モブ壊滅軍「集団重騎兵に襲われています! 助けて!」

覚醒のね「けっこうすぐ脱げるんだね」

魏国のはおー「私も仲間に入れてくれよー」

御輿「なんだこの新国!?」



大体……これもうわかんねぇな


 魏の宣戦布告から半月、各地の文官達がその行動を疑問視する中、ついに魏軍は袁陽領へと進軍を開始した。

 

 陽軍は予め編成してあった迎撃部隊を派遣。魏軍を撃退すべく息巻いた彼らだが――

 その動きを察知した魏軍は、突然軍を後退させ始めた。

 これを受けて陽軍は追撃を選択、魏軍の後を追う形で魏領へと侵攻した。

 

 用心深い袁紹が追撃を決定したのには幾つか理由がある。

 

 一つは自軍の規模。相手を圧倒する為に用意された大軍は、数日の移動だけでも莫大な費用が掛かる。それを用いて戦果なしでは骨折り損だ。兵達の士気にも大きく関わるだろう。

 

 二つ目は大国としての体裁。魏国は陽国に次いでの大国だが、今回の件に目を瞑るのは沽券に関わる。大陸一を誇る強国として、他に舐められるようではお仕舞いだ。

 

 三つ目は魏国の軍事力。陽国に次ぐ形で建国した魏だが、その発展は目覚しいものがある。

 年ではなく月単位で国力を増加させ続け、大陸中の注目を集めている。

 これを放っておいては、かの国の強大さは増すばかりだ。

 故に発展途上の今が叩き時であると、陽軍の軍師達による満場一致で追撃が決まった。

 

 袁紹個人としては、もう少し地盤を固めてから魏と決戦に臨みたかったが……。

 

 

 

 

 

 

 現在、両軍は大河を挟んで睨み合っていた。

 

 魏軍は官渡から河を三つ渡った先にある白馬を拠点に横陣を組み、少しでも陽軍に動きがあれば迎撃する構えだ。

 両軍共に士気は上々、しかし戦は始まらなかった。

 大河を渡る橋が一つしかないのも原因だが。何より、既に日が沈みかけていた事。

 暗闇の中での戦は同士討ちが多発する。それを嫌った両軍の、本番は明日という暗黙の睨みあいであった。

 

 そんな中、魏軍から三騎飛び出し河の岸で静止した。

 華琳だ。夏侯姉妹を連れ、静かに陽軍を見据えている。

 

 少し遅れて陽軍からも三騎飛び出した。無論、袁紹と二枚看板である。

 対岸で見つめ合い。張り詰めた空気のなか袁紹が口を開いた。

 

「華琳ーッ! 我だーッ! 降伏してくれー!」

 

「………………は?」

 

 迷族、両軍の中央で降伏勧告を叫ぶ。

 

 突然の言葉に目を丸くしていた華琳だが、数瞬の間を置いて重々しい溜息を吐く。

 明日自分達が何をするのかわかっているのだろうか、せっかくの緊張感が台無しである。

 

「貴方が降伏しなさい」

 

「ファッ!?」

 

「わりと本気の提案よ。私たちの野望に対して、この両軍の戦ほど無駄なものは無いわ。そうでしょう?」

 

「……」

 

 仮に魏軍が敗北し陽国に併合されたとしても、華琳の野望である覇は成せる。

 その逆も然り、魏国が覇を成した大陸で袁紹は満たされる世を作れる。華琳の配下として。

 なるほど確かに、互いの“野望”のみを顧みれば、両軍の戦ほど無駄なものは無い。

 

 しかし――

 

「戯け! 我が袁陽の頭を垂れさせるなど壱万光年早いわ!!」

 

「あら、交渉決裂ね」

 

 お互いが持つ、上に立つ者としての気質がそれを許さない。許すはずも無い。

 第一、下の者達が納得しないだろう。

 我が主君こそが――と、この場に居る彼らだ。

 こんな形で決着がついては、主を中心に巨大な派閥を作り、内乱の種になる筈だ。

 

 結局の所、相手を納得させるには力を示すほか無かった。

 華琳の提案は、袁紹のふざけた第一声に対する返しだ。

 

 

 

 

「だが、我が提案は冗談ではない。降伏せよ華琳、勝負は既についている」

 

 

 

 真面目な声色で聞こえてきた二度目の降伏勧告には、さしもの華琳も耳を疑った。

 相手を取り込むには力を示すしかない。そうお互いに認識していたものと思っていたからこその驚きであった。

 

 だがその認識も、袁紹側から見れば少し変わってくる。

 相手は陽に次ぐ大国の魏。戦う事無く降伏などすれば確かに下の者達は納得しないだろう。

 華琳を中心に派閥を作り、機を見て彼女を立てようとするはずだ。

 その行動を華琳が良しとするだろうか。彼女であれば部下を纏め、制御するはずだ。

 

 大体、袁陽はこれまでにも幾つか無血併合に成功している。

 その経験を元に、華琳を含め魏軍を御す自信があった。

 

「もう一度言うぞ華琳、勝負は既についている」

 

 袁紹の自信満々な言葉に、華琳は私塾での出来事を思い出した。

 

『袁紹殿は戦術に興味が無いのですか?』

 

 ある日、塾生の一人が袁紹に浴びせた言葉だ。

 

 彼の疑問はもっともである。華琳を含め、塾生の殆どが戦術論に花を咲かせる中。

 袁紹は相槌を打つ程度で、会話には積極的に参加しなかった。

 

『興味が無いわけではない。我にとって優先度が低いだけだ』

 

 そんな袁紹の返しに塾生達は顔を見合わせた。当時から賊が活発に活動していただけあって、戦術の有用性が見直されたばかり。

 仕官、あるいは太守に任命した場合、賊共をどのように蹴散らすか。

 既存の、もしくは自身で考えた戦術を使い華々しく戦果を挙げる。

 塾生達は若いだけに、戦術での圧倒的勝利にあこがれていた。

 特に、大軍を率いての戦を想定した議論には目が無い。

 そんな大戦術を実現してのける大勢力、袁家の次期当主が戦術に興味が無いなんて――

 

 彼らの表情を見て袁紹は苦笑する。別に興味が無いわけではない。

 戦術よりも優先すべき前提に着目しているだけだ。

 

『我は兵力と補給の確保、戦略的勝利こそ最善であると考えている』

 

『つまり、多数を率いて少数に……ですか?』

 

『うむ、戦の基本ぞ!』

 

 ドヤ顔で腰に手を当てている袁紹を他所に、塾生達は再び顔を見合わせた。

 多を持って少に当たることが基本であることくらい、彼らも承知している。

 だからこそ、その少を相手にどれだけ被害を抑えられるか。 

 あるいは多を相手に、どのような戦術を用いて対抗するかを話し合って――

 

『十倍の戦力差を、戦術で覆すことが出来るか?』

 

『!?』

 

 唐突に明確化された仮想敵の数字に、塾生達は息を呑む。

 無理も無い。彼らが想定する多は精々三倍までが限度、それ以上はまともな戦にならない。

 いくら善戦した所で、数の暴力に飲み込まれるだけである。

 

『十倍の戦力差に兵の錬度、士気、補給、将の質を揃えれば負けは無い。

 そこに戦術も織り交ぜ、勝率を上げるのだ』

 

 

 

 ――つまり貴方は、戦略的勝利を確信しているわけね。

 

 言って、華琳は高台に配置させていた物見からの報告を思い出した。

 彼によると、大河の向こう側は数十里に渡って陽軍で埋め尽くされているそうだ。

 間違いなく袁紹は全力で魏国を潰しに来ている。

 

 

 

 

 

 

 

「我が軍の将兵は“ごうけつ”!」

 

 各名将や軍師に始まり、黄巾以前から乱世に備えて鍛練を施された兵士達。

 棄鉄蒐草の計や広宗で降伏させた元黄巾賊達を取り込み、動員戦力は五十三万。

 さらに本国にも一国と同等の兵力を残してある。

 

「我が軍の補給路は“いのちをだいじに”!」

 

 補給拠点には攻守優れた星とその隊、約三万の兵力が宛がわれている。

 補給の護衛にも大軍が使われ、道中には斥候を惜しみなく配置した。

 

「我が軍の戦法は“いろいろやろうぜ”!」

 

 人海戦術による正攻法から、奇策を入れた十六通りの戦術を臨機応変に選ぶ事が出来る。

 

「そして後詰めは……“ガンガンいこうぜ”だ」

 

 始め魏軍に当てる兵力は二十五万、残る半分は予備戦力として待機させる。

 そしてこの地での勝利を決定付けた後、先陣部隊にこの場の制圧を任せて彼等は進軍。

 一気に魏国の首都を攻め落とす手筈だ。 

 

「何度でも言うぞ華琳。我が軍の勝利は既に決定している」

 

「……」

 

 そんな彼の声明を受け、魏軍の軍師である郭嘉が険しい表情を作る。

 

 ――嫌な士気の下げ方を……。

 

 魏軍の兵力は五万。眼前の陽軍を相手取るには心許ない数字だ。

 彼らをこの場に留ませているのは、地形の有利よりも華琳に対する忠義による所が大きい。

 要は主に対する忠義で恐怖をかき消しているのだ。

 そんな彼らに袁紹は陽軍の有利を言って聞かせ、兵を数十里横陣に敷いて視覚的に見せ付けた。

 これでは流石の魏軍にも影響が出る。精鋭達は問題ないが、歩兵を始めとした新兵達には堪えられないだろう。

 

 並みの兵や将なら、即座に白旗を掲げるほどの戦力差に圧力。

 それを受けて華琳は――笑った。

 

「冗談は御輿だけにしなさい。麗覇!」

 

 降伏など冗談ではない。

 陽軍が圧勝出来る兵力を揃えた様に、魏軍も勝利出来るだけの準備をしてきた。 

 

「我が軍の将兵は“百戦錬磨”!」

 

 夏侯姉妹を始めに名将なら此方にも揃っている。兵達は黄巾以降、実戦で幾度も叩き上げられてきた。大炎には及ばないものの、一人ひとりの錬度ではこちらが数段上だ。

 

「我が軍の補給路は“要害堅固”!」

 

 白馬を攻撃と補給の両方を目的とした拠点に改造。

 河に囲まれていることから、背後を取られることもまず無い。

 

「我が軍の戦術は“随機応変”!」

 

 地形を最大限に利用し、一度に相手とる敵戦力を制限。

 人海戦術など用いれば、ここぞとばかりに迎撃して勢いを削ぐ。

 万が一、陽軍が渡河に成功したとしても、後方に下がり新たな河を隔てて対岸で迎えうつ。

 それも、官渡に近づけば近づくほど大軍には険しい地形になる。

 

「私も宣言するわ――我が軍に負けは無い!」

 

『オオオオオォォォーーーーッッッ!!』

 

 それだけの準備、それだけのモノを用意してきたのだから。

 

 覇王の声明により、先程まで場を制していた名族の圧が音を立てて崩れた。

 魏軍の兵士達の目に恐怖は無い。あるのは主に対する絶対的な信頼と戦意だけ。

 彼らの咆哮を受け、数で勝っているはずの陽軍が肩を震わせた。

 

「吼えたな“曹操”吐いた唾は飲み込めないぞ」

 

「もとより承知の上よ“袁紹”」

 

 真名呼びを止めた事で、お互いに対する認識を変える。

 

 友としてではなく強敵として。

 また真名で呼び合う、それはどちらかが敗北し吸収された時である。

 

 

 

 

 




導入だから文字数はお兄さん許して


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第47話

~前回までのあらすじ~

魏軍「114514!!」

 大       河

陽軍「なんだぁテメエ……」



そーそ「決着を――」

 大       河

えんしょ「――つける時!」



ハム「……」

大体空気


 大河を挟んだ両軍の睨み合いのあと、袁紹は軍師達と共に軍議を開いた。

 内容は明日の作戦についてである。

 

「大河と私達がいる地を結んでいる橋は一つ。大き目ですが、送り込める人数が限られています」

 

「恐らく魏軍は自陣側の橋の手前で横陣を組むわ。渡る陽軍を狙って迎撃するなら、橋での戦に限り数の優位性が逆転するもの」

 

「芸の無い迎撃策ですが、それだけに一定の戦果を望めますね~」

 

「正攻法での突破は被害が大きいのです! 後、気になるのは――」

 

「大炎に対してどんな対策を用意してあるか……だな」

 

 袁紹の言葉に軍師達が頷く。

 

「たとえ橋の先で数の優位性を得ようとも、大炎に騎突を許せば――」

 

「横陣は崩れ、我が軍が殺到するな」

 

「魏軍もそれは承知のはず。大炎を封じる何かを用意していると見て、間違いないでしょう」

 

「いずれにしろ、明日は様子見からか」

 

 言って、袁紹は先鋒を任せる将を思い浮かべる。

 何が待ち受けているかわからない危険な任務だが、彼女であれば問題ないはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで私ですか。う~、大役にも程がありますよう……」

 

 明朝、日が昇り始めた頃。先鋒を託された斗詩が半べそで馬に跨っていた。

 袁陽は人材の宝庫である。そんな名将揃いの中なぜ自分なのか……。

 緊張から手綱を握る手が震える斗詩だったが、袁紹の選別に間違いは無い。

 

 陽軍の武将は、恋や猪々子を始め攻めに傾倒した者が多い。

 攻守優れる星は補給地点の防衛にあたっている。今回は様子見の為、臨機応変に動ける将が理想なのだ。

 そう言った意味では白蓮に任せる手もあったが、彼女の新兵科はこの任に向かない。

 故に斗詩へ白羽の矢が立ったのだ。

 

 斗詩の用兵術は堅実で理に適っている。兵に無理をさせないため被害も少ない。

 爆発的な力は無いが、一定の戦果を生み出すことが出来る。

 今回のような様子見にはうってつけな将だ。

 

 断じて消去法で選別したわけではない。消去法で選別したわけではないのだ!

 

「……よし!」

 

 斗詩は覚悟を決め、並ばせた歩兵達の前に出る。

 

 ――いけない、みんな萎縮しちゃってる!

 

 橋攻略を任された歩兵達は自ずと勘付いていた。自分達が、罠の有無を確かめる隊であると。

 橋を落とせば渡河は困難になる。魏軍としては橋が無いほうが守り易いはずだ。

 それなのに橋は健在。罠の類を疑わない方がどうかしている。

 

 行軍中に橋を落とされるか。そうでなくとも、渡った先には敵の大群が控えている。

 飛来する数千、数万の矢。騎馬隊による容赦ない波状攻撃。

 それらに晒されながら、後に続く隊の為に拠点を構築する。

 

「無理だ……渡れたとしても壊滅する」

 

「クソッ、数で勝っていると言っても橋の先じゃあ……」

 

「ああ、俺達は不利な地で戦う事になる」

 

 陽軍と魏軍の戦力差が圧倒的なだけに、陽軍の一般歩兵達はどこか浮き足立っていた。

 彼らにとってこの戦は勝ち戦。生きる死ぬを考えず、どこまで戦果を――と、楽観視していたのだ。

 そんな胸中の彼等に危険な任が降りた。顔良軍に配属された者達は貧乏くじを引かされた気分だ。

 

 その気持ちは斗詩にも痛いほど良くわかる。だからこそ、その解決方法も。

 

「それでは皆さん。これから橋を渡って拠点構築及び防衛を行います。

 私に付いて来て下さい、出陣!」

 

『へ?』

 

 あっけにとられている歩兵達を他所に、斗詩は馬を下りて走り出す。

 罠の事を考慮して、後方で指揮を取るよう言われているというのに――

 

「しょ、将軍に続けぇぇッッ!」

 

 

 慌てて歩兵達が走り出す、その顔に恐怖は無かった。

 

「……フフ」

 

 それを見て斗詩は、考えがあたったことを確信した。

 思い出すのは親友、猪々子のこと。

 

 いじめっ子に泣かされたとき。

 乱暴者に絡まれたとき。

 賊に襲われたとき。

 

 親友である彼女は、いつも震える(斗詩)の前に出て戦ってくれた。

 それに手を引かれ鼓舞されるように、私も前に出ることが出来た。

 その時の私は―――震えることすら忘れていた。

 

 

 

 そう、萎縮した歩兵達に必要なのは将の背中だった。

 安全圏で一方的に命令するのではなく、同じ視点で前線に臨む将。

 彼女一人いるだけで―――

 

『オオオオオォォォォーーーーーッッッッ!!』

 

 どこまでも戦意が上がるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「あわわ、大丈夫かな斗詩ぃ……」

 

「……」

 

 橋を疾走していく斗詩を見て、猪々子はわかり易く慌て。

 袁紹は口を閉ざし静観していた。

 

 表情はいつも通りだが、その心中は穏やかではない。

 拳に力をこめ、御輿に飛び乗るのを我慢している。

 これがどこぞの覇王であれば、涼しい顔で将の雄姿を見届けるだろう。

 総大将としてまだまだ彼女に及ばない――と、血の滲む拳を見ながら袁紹は自嘲した。

 

 

 

 

 

 

 袁紹達が心配そうに見守る中、斗詩達は橋の中腹を通り過ぎた。

 

「! 矢が来ます、密集陣形!!」

 

『応!』

 

 そんな彼女達に、数千にも届くであろう矢の雨が降り注ぐ。

 斗詩達は身体を寄り添って密集し、円盤の鉄盾を頭上に掲げ大きな傘を作り衝撃に備える。

 一方向の防御にのみ特化させた、擬似ファランクスだ。

 

「うおお、豪雨だぜ豪雨。なかなか降り止まねぇ!」

 

「だがさすが袁陽製の鉄盾だ。びくともしない」

 

 大炎にも採用されている鉄盾だけに、魏軍の矢ではびくともしない。

 そのまま斗詩達は矢の雨が途絶えるのを見計らい、徐々に橋を進んでいく。

 

 しかし――橋の終わりに差し掛かったところで、彼らの足は止まった。

 正面から矢が飛んできたのだ。先程の高台による降り注ぐような射撃に加えて……。

 密集陣形による防御は一方向に特化しているため、二方向での攻撃には対応しきれない。

 それでも、陣形の外側に居る者たちが正面の矢を防ごうと奮闘したが――

 頭上と身体の正面とでは面積が違う。どこぞのスパルタン兵のようにファランクスを使いこなせれば話は変わってくるが、あいにく、そのような訓練は施していない。

 

 もう一つ大きな問題がある。魏軍により橋を渡る陽軍との間に設けられた柵だ。

 この柵が進軍を阻む致命的な障害となった。

 その作り自体は単純な物、材木を縄で縛り合わせ並べただけだ。

 しかし、使われている材木の一つ一つが頑丈な素材を使用しているらしく。

 接近に成功して大斧の類を振るっても中々壊れない。水を含ませているらしく、火矢の効果もいまいちだ。

 偶然かわいた部位を燃やせたとしても、消火用の水で消されてしまう。

 最早、破壊するより縄を解いていったほうが早いという状態だが、その間に矢の的になってしまう。

 

「……」

 

 斗詩には複数の選択肢がある。

 

 一つ、人海戦術による突破。

 犠牲は多いだろう。しかしそれでも、潤沢な兵力が自軍にはある。

 形振り構わなければ突破は容易だ。

 

 ――駄目。こんな方法では、無駄に多くの血が流れるだけ。

 

 二つ、一時退却し突破力の高い他の軍に任せる。

 猪々子、恋、華雄、単純な突破力ならこの三軍に値する軍は少ない。

 彼女達とその隊の力を持ってすれば、目の前の柵など廃材と化すだろう。 

 

 ――これも駄目。他の誰かに任せられるのなら、麗覇様は私に託しはしない!

 

 三……。

 

「……」

 

 斗詩は何時の日か、袁紹に聞いたことがある。任せる人選の基準はどんなものなのかと。

 彼曰く、能力や性格が大きな判断基準らしいのだが――……。

 

『我が人に何かを頼む時は、それが“出来る”と確信した者にしか頼まぬ』

 

 

 

 

 

 気が着いた時には一人、密集陣形から飛び出していた。

 

 二枚看板の一人、顔良。相方に比べて地味な立ち位置に甘んじている彼女だが。

 既に英傑たるだけの能力は持ち合わせていた。

 では、英傑となるのに何が足りないか。鍛練、才能、地位、違う、勇気だ。

 己の力を信じ、前に出る勇気が“今まで”の彼女には足りなかった。

 

 その勇気を“今の”彼女は手にしていた。

 

 この大橋に挑む時だ。昔の自分のように震え、萎縮している兵士達を鼓舞せんと先行する。

 あの時、斗詩は勇気の欠片を手にし、袁紹の言葉が背を押した。

 

 そして、一度それが開花すれば――

 

「いけぇぇッッ! 斗詩!」

 

「――ッ、えーーーいッッ!!」

 

 柵程度では彼女を止められない。

 

 飛び出した彼女を狙い飛来する矢を、盾で受け大槌で掃いのける。

 そして柵の前に到着すると、場違いな可愛らしい掛声と共に柵が吹き飛んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「よっしゃぁッッ。さすが斗詩、あたいと麗覇様の嫁!」

 

「……」

 

「複雑そうな表情ですね、お兄さん。嬉しさ半分、寂しさ半分といったところでしょうか~?」

 

「バ、バーロー。ちがわい!」

 

 図星である。

 

 今までの袁紹は、斗詩に対してどこか過保護な側面があった。

 無理も無い。この世界に生を受けてから、彼の女性に対する認識が“武人”となったのだから。

 そんな中で一歩引いた立ち位置を良しとし、女性らしい仕草の斗詩に出会ったのだ。

 言わば彼女は“守ってあげたくなる系女子”である。庇護欲に駆られるのも当然と言えた。

 

 今回の任に対してもそうだ。袁紹は斗詩に橋攻略の力があると確信しておきながら、指揮を後方で執るようにと命じた。言葉で背を押した当人が、庇護欲で彼女の成長を妨げていたのである。

 

 そんな斗詩が、袁紹の庇護()から飛び出し英傑として開花する。

 君主として喜ぶ以上に、男として寂しさを感じるのだ。

 

「その成長を偽り無く祝うことも、男としての器量かと」

 

「……で、あるな!」

 

 彼の中に生まれた寂しさは瞬時に霧散した。

 

 そもそも、斗詩が成長した所で二人の関係が変わるわけではない。

 寧ろ一歩退いていた彼女が前に出たおかげで、二人の距離はより近くなったのだ。

 これを祝う事が出来ないのであれば、君主である以前に男として失格だ。

 そう悟った袁紹は、曇りの無い瞳で斗詩の雄姿を視界に納め続けた。

 

 

 

 

 魏軍では、物見の高台から郭嘉が全体の指揮を執っていた。

 

「柵は全て破壊されました。現在、我が軍の歩兵部隊と交戦中!」

 

「陽軍が拠点を構築中です。敵歩兵が邪魔で阻止できません!」

 

「郭嘉様、大橋から敵軍が殺到してきます!」

 

「橋防衛に付いていた弓兵を下がらせてください。騎馬隊はその援護を、それから――」

 

 橋を攻略されること事態は予定調和。予め用意された策の進行段階の一つにすぎない。

 しかし、郭嘉の表情は晴れなかった。

 

「少し予定が狂ったわね、稟」

 

「はい、まさか顔良さんで来るとは……。そして、彼女がこんなに早く橋を攻略するとは思いもしませんでした」

 

 郭嘉の予定では、大炎を温存して猪々子とその隊で攻めて来ることを予期していた。

 攻めに特化した将は御し易い。最終的に橋を攻略されたとしても、相応の痛手を与えられたはずだ。

 

 だが、陽軍はその予想に反して顔良を投入した。

 堅実な用兵術で知られる彼女は、橋で陽軍に少しでも多く被害を与えようとした魏軍にとって、厄介な存在だ。

 しかし、堅実とは裏を返せば瞬発力の低さを意味している。

 そこを突いて、堅牢な防衛線を構築し徐々に被害を与えようとしたのだが――……。

 

「この場面で、将として一皮剥けるとは……」

 

「時として人というのは、小さな理由から才に目覚めるものよ。

 現に顔良には才も、その才を開花させるだけの努力もあった。

 私達は偶然、英傑誕生の場に居合わせただけ。拍手くらいなら送ってもいいわ」

 

「……」

 

 敵将の成長に動揺しないばかりか、口角を上げて賞賛する華琳。

 その主の器量の大きさ、度量の広さを改めて間近で感じ、郭嘉は頬を紅く染める。

 

「陽軍に新たな英傑が生まれようとも、盤面に狂いはありません。

 次なる一手でさらに磐石に仕上げて見せましょう!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 斗詩とその兵が橋を攻略、兵を安全に送り込むための拠点を幾つか構築した時それは起きた。

 

「きゃあ!」

 

 後方の安全を確保し、このまま魏軍に攻撃を仕掛けようと歩を進めた斗詩達を、突如強い揺れが襲った。斗詩は慌てて大槌を杖代わりに体を支える。

 

「た、大変です顔良様! 我が歩兵隊の中心地に巨岩が!」

 

「な!? そんなまさか――」

 

 恐る恐る前方の魏軍を見渡してみると、ソレが確認できた。

 

「投石機! ありえません!!」

 

 魏軍の軍中、その中央付近に巨大な建造物が三つ、投石機だ。

 それを見た陽軍は上から下まで、全ての人間が目を見開いた。

 

 陽軍が橋落としの次に警戒していたのが投石機だ。

 いくら大炎とは言え、自身の数倍もある巨石を受けて無事で居られるわけが無い。

 虎の子の殲滅を避ける為、それを建造し運用できるであろう魏軍を見張らせたのだ。

 しかし、陽軍が誇る数百人の物見達からは投石機の類を確認できなかった。

 投石機は巨大な兵器だ。見晴らしの良い軍中に隠す術は無い。

 

 だが、どこからともなく投石機は現れ、陽軍への奇襲に成功した。

 

 

 

 

 

 

 

「フフフ、彼の慌てる姿が目に浮かぶわ」

 

「流石の陽国も、これを察知する事は叶わなかったようですね」

 

 これとは即ち、カラクリ式折り畳み投石機“なげるんデス”二号、三号、四号の事だ。

 郭嘉から、敵軍から投石機を隠蔽する方法を相談されたカラクリに目が無い李典が、袁紹と顔合わせをした時に見かけた“折りたたみ式御輿”を参考に作り上げた物だ。

 未使用時は広げて小さく畳む事ができる為。投石機を兵で取り囲むことにより隠蔽に成功した。

 

 これこそ魏軍が今回の戦にあたり、必殺の矛として用意したものだ。

 陽軍が橋から戦力を送り込めば込むほど、その被害は甚大なものになる。

 空から降ってくる巨石に、一般兵達の士気もガタ落ちするだろう。

 

 そして陽軍の出血をさらに広げようと、工作部隊にさらなる投石の合図を送る郭嘉だったが――

 

「急報! 陽軍が船での渡河を開始しました!」

 

「ふむ、いったい何隻―――ッッ!?」

 

 今度は魏軍全体が目を見開いた。

 

 陽軍の小型船だ。それが数千隻、大河を埋め尽くすかの如く此方を目指している!

 

「小型とは言え、この数を用意するにはかなりの時を要するはず。

 陽軍は、この地での戦を予測していた!?」

 

「まさか彼が、短期決戦を選択するとはね……」

 

 華琳が目を細め、陽軍の大船団を静かに見据える。

 この陽軍の攻勢が、魏軍の用意した盤面にどう影響するか予想しながら。

 

 

 

 

 持久戦でも圧倒的有利である袁陽が、開戦初日から曹魏に王手を掛けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




一号は(ry


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第48話

~前回までのあらすじ~

としちゃん「(大役)やべぇよやべぇよ……」



としさん「(柵破壊)やったぜ」

きんぱつどりる「やりますねぇ!」

きちくめがね「じゃけん投石開始しましょうね~」

陽軍「ファッ!?」



おかねもち「船ゾ」

魏軍「ファッ!?」



大体あってる


 開戦初日から戦は佳境に入っていた。地形的有利を得ていた魏軍に苦しい状況だ。

 原因は陽軍の大船団にある。小型船が横一列、大河を埋め尽くす勢いの数で迫ってくるのだ。

 これを迎撃するため魏軍は河に沿って兵を配置せざるを得ず。戦力の分散を余儀なくされた。

 

 頭の痛い問題は他にもある、守り手の数が足りないことだ。

 大橋を渡ってきた陽軍とならいざしらず、小型船で向かってくる相手とは弓矢による遠距離戦が主体となる。

 これにより騎兵や重装歩兵と言った、接近主体の者達が戦闘に参加できない。

 

 夏侯惇の大剣、許緒の鉄球、典韋の巨大ヨーヨー、楽進の拳、李典のドリル槍、于禁の双剣。

 弓を得物とする夏侯淵を除いて、これらの名将達が前線で戦う事が出来ないのだ。

 大橋での戦いに限り武勇を振ることはできるが、それでは横に広げた兵達の指揮が乱れる。

 陽軍は兵を広げる事で一時的に魏軍の個を封じた。

 

 そして、単純な数による力押しでは陽軍に分がある。彼等は間を置かずに殺到してくるのだ。

 魏軍は射手の足りなさを少しでも補うため、騎馬隊を馬から下ろし弓を引かせた。

 弓を引けない者達には弩を使わせた。ついには弩が不足した故に――

 

「か、夏侯惇将軍すげぇ! 投石で敵船を粉砕した!!」

 

「俺たちもやるぞォ!」

 

『オォッ!』

 

 石を投げることで応戦した。この様子からも、兵力差による事情が見て取れる。

 

 懸命に迎撃する魏軍。焼け石に水と言わんばかりに、殺到する陽軍。

 陽軍の用意した小型船にはそれぞれ、矢避けの木盾が設置してある。

 その後ろで矢をやり過ごしたあと姿を現して弓を引く。船頭を狙おうにも盾で守られている。

 火矢も効果が無い。なにせ河を渡っているのだ、消化用の水には事欠かない。

 

「陽軍が上陸、次々に歩兵隊と交戦開始!」

 

「攻撃が消極的な辺り、拠点設置を優先しているようです」

 

「各将が迎撃していますが敵軍の数が多すぎます! このままでは……」

 

「郭嘉様。一度投石機の目標を――」

 

「駄目です!」

 

 郭嘉は唇を噛みながら部下の進言を一蹴した。

 彼の考えはわかる。投石機の射程を見切った顔良が一進一退の攻防に切り替えたのだ。

 故に始めの奇襲以降、まともに巨石をぶつけられないでいる。

 であれば、投石機の射程範囲内にいる船団に向ける。しかしそれをすれば――

 

「魏軍はあっという間に大炎に焼かれることになります!」

 

『!?』

 

 そう、忘れてはならないのが大炎の存在である。

 彼等は大橋で騎乗したまま静観している。もしも投石機による攻撃を一基でも緩めれば……。

 語るまでも無い。その先に待つ魏軍の被害は、顔を青くした部下の表情が物語っている。

 

 魏軍は投石機を用いて大炎を封じようとした。それが今は、陽軍が大炎を用いて投石機に制限を掛けている。

 

 このまま放っておけば数に圧されて岸を制圧される。投石機を動かせば大炎が向かってくる。

 大炎のみを止めるのであれば、幾つか手段がある。しかし――

 

「……くっ」

 

 多では無く個に接近を許してもまずい。その身一つで勝敗を決定付ける規格外が居るのだ。

 郭嘉は大炎の先頭に居る、燃え盛るような赤毛を憎らしげに睨んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……スー」

 

「りょ、呂布殿ぉ。いくらなんでも居眠りはまずいのです!」

 

 色んな意味で熱い視線を受けているとは露とも知らず、恋は器用にも馬上で眠りこけていた。

 そんな彼女の背後に得物の柄が近づいていき―――軽く後頭部を打った。

 

「華雄殿!?」

 

「……イタイ」

 

「生きている証拠だ。私が敵であれば命は無いぞ?」

 

「殺気で……わかる」

 

「裏を返せば、殺気が無い流れ矢の類には対応できないと言うことか。柄で良かったな」

 

 恋を諌めたのは大炎の“副将”華雄だ。彼女と元華雄軍の精鋭三百人を新たに加え、大炎はさらに力を増した。

 

「…………シュン」

 

 ぐぅの音も出ない正論で言い負かされた恋は素直に反省。犬耳を垂れ下げた。

 華雄を副将に任命した理由の一つには、恋を将として律する目的もある。

 華雄は乱暴な言動に反して、将として規律を重んじる特徴があった。

 粗野な者とはそりが合わないと豪語する桂花でさえ、彼女の指揮には一目置いている。

  

 唯我独尊を地で行く恋には丁度いい副官だ。

 彼女が居れば個としてだけではなく、将としても成長を期待できるだろう。

 

「まぁ、恋の気持ちもわからんでもない」

 

 言って、前線に目を向ける華雄。その目は貪欲に光っている。

 攻撃こそが最大の防御とする彼女のことだ。頭でわかっていても、威圧の為に待機するのはもどかしいのだろう。

 馬上にも関わらず、器用に貧乏揺すりをしているのがいい証拠だ。

 

「それにしても、何て数の船だ」

 

「主殿を含め、ねね達はこの地での戦を想定していたのです。

 数は少ないですが、中型の用意もあるのですぞ」

 

 対岸という地の利に対して、陽軍は軍資金に糸目をつけず船を製造、輸送していた。

 数千という数を動かすだけでも莫大な費用が掛かる。大河での戦闘が無ければ骨折り損だ。

 にも関わらず、迷う事無く持って行く事を決定した。

 

 潤沢な軍資金を持つ袁陽だからこそ、出来る準備である。

 

「……時が進むにつれ、岸での戦闘は魏軍が優位になったな」

 

「はい、将兵の使い方が上手いのです」

 

 河から魏軍側の陸にかけて、人ひとり分の段差がある。

 魏軍はその岸に重装歩兵を並べ、上陸してくる陽軍を盾で押し返す戦法だ。

 苦労して上陸に成功したとしても、後列に待機させていた歩兵達の槍で突かれる。

 

 それでも陽軍は数を力に上陸。次々に、後に続く味方の為の上陸拠点の構築に成功した。

 問題はそこからである。拠点を確認した魏将達は、指揮を副官に一時譲渡して突貫、溜め込んでいた力を爆発させるが如く、瞬く間に拠点を潰していった。

 その後、穴の開いた箇所に戦力を補充して後退。自軍の指揮に戻るのだ。

 

「あの敵将達を何とかしない限り、渡河は難しい。いま陽側で動ける将は私と猪々子だけだ。

 それに仮に乗り込めたとしても、素直に一騎打ちに応じてくれるとは思えん。

 今日は痛み分けだな」

 

「さて、それはどうでしょうか」

 

「……? この期に及んで打開する何かが?」

 

「ねねにはわかりません――が、師匠(桂花)達がこの状況を想定していないはず無いのです」

 

「だが、余程の物を用意しない限りこの状況は……――ッッ!?」

 

 

 

 

 

 

 

「急報! 陽軍の船が橋に変わりました!」

 

「そんな……!?」

 

 物見の報告で河に目をやると、いつの間にか橋が架けてあった。

 

「……ッ、小船の盾を!」

 

 その正体は、小船に添え付けられていた矢避けの木板である。この橋こそが船団の目的だ。

 

 上陸を開始し、拠点を設置したのは囮。その影で、小船に残っていた人員が木盾を外していき、板として繋ぎ合わせ、数千の小船を土台に橋として作り上げたのだ。

 

「この発想、貴方のお友達かしら?」

 

「……恐らくは」

 

 華琳に返事を返しながらも、郭嘉は橋について思案する。

 

 矢で貫けない辺り強度は確かなようだ。足場の安定感は悪い、騎馬で渡る事は出来ないだろう。

 橋設置にあたり、陽軍の攻めを難しくしていた段差が無くなったのも大きい。

 そしてなにより――

 

『オオオオォォーーーーッッ!』

 

「敵、猛攻、来ます!」

 

 戦力差が発揮出る攻めを可能にした。

 

「止むを得ません。投石機を一基、あの橋に――」

 

「大炎に動きあり! 大橋を渡り始めました!!」

 

「ッ!? 全ての投石機で動きを止めて下さい」

 

 郭嘉は橋を渡る大炎を睨んだ。彼等は投石機の動きを察知して進んだに違いない。

 事実、大炎の進行速度は非常にゆるやか、わかりやすい脅しである。

 

 投石の目標を変えるには、折りたたみ式により落ちた射程を補うため、投石機自体を動かす必要がある。それをすれば大橋側の投石が弱まり、大炎に突破する隙を与えてしまうだろう。

 

「……」

 

 未だかつて、これほど鶏冠に来る牛歩戦術があっただろうか。

 このまま岸を放っておけば、人数差で押し切られることは明白。

 だからこそ、窮鼠が猫を噛むかの如く、投石機にて一矢報いたかったが――

 

 大炎の存在が、噛み付く事すら許さない。

 

「仕方ありません、ここは官渡まで下がり体勢を――「待って、稟」華琳様?」

 

「天は、私達に味方するみたいよ」

 

 

 

 

 

 

 

「……馬鹿な、ここまできて!」

 

 怒鳴ったのは袁紹だ。さしもの彼も、体裁を忘れてソレに憤怒した。

 雨だ。ぽつりぽつりと、小雨がその地全体に降り始めている。

 

「開戦したての時は快晴だったのに……!?」

 

「小船での攻略を始めた頃から、雲が厚くなりましたね~」

 

「にしたって、こんな早く降り始めるなんて!」

 

「……」

 

 袁紹が怒るのも当然だ。

 

 犠牲を払いながらも、ようやく、本格的な攻勢に入れる段階に差し掛かったばかり。

 だが、このまま強行すれば――

 

「後退を進言致します。雨脚が強くなれば河の増水は必至、橋は流され前線の兵が取り残されます!」

 

「ボクも後退に賛成よ。築き上げたものを崩すのは惜しいけど。兵達の命には代えられないわ」

 

「風は作戦進行を提案します~」

 

「危険だわ!」

 

「だからこそ活路があるのですよ。幸い今は小雨、増水まで時間があります。

 その間に魏軍を上回る戦力を送り込み、大橋と連動して攻撃を加えられるです~」

  

「博打が過ぎるわ。止む可能性もあれば、予想外の豪雨になる可能性もあるのよ。

 そうなれば、大橋での渡河も難しくなるわ」

 

「どちらを選択するにせよ、早急な決断が必要ね」

 

「…………」

 

 選択を迫られた袁紹は、天を睨みつけるように見やる。

 そのまま少し考え込み――やがて、溜息と共に力を抜いて、口を開いた。

 

「全ての兵を下げよ。念のため、陣も河から離せ」

 

『ハッ!』

 

 袁紹の判断は正しかった。

 

 陽軍が後退を完了させてから半刻後、凄まじい豪雨が降り注いだのだ。

 河はあっという間に増水し、陽軍が作り上げた橋は、土台の小船ごと押し流された。

 

『……』

 

 その光景を見て、陽軍は唖然としていた。

 

 濁流に飲まれなかった安堵感。天災には成す術も無い無力感。

 流した血が無駄に終わった徒労感。多種多様な感情が兵士達の間を駆け巡る。

 

 

 

 

 

 

 

 無力感に苛まされながら後退して行く陽軍。そんな中、武官の一人が大河を挟んだ魏軍を見つめている。彼女は目をギラつかせ、口角を上げながら自陣に戻って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




駆け足気味です。文字数も駆け足です。
でもワイの生え際だけはこれ以上駆け足しないでください何でもしますから!


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第49話

~前回までのあらすじ~

魏軍「馬鹿野郎お前、岸辺なら俺は勝つぞお前!!(天下無双)
   どけお前!コラ!」

陽軍「繰り出すぞ!(切り札)」




魏軍「誰ぞ、この状況を覆せる者はいないのか!?」

天「ここにいるぞーッ!」

陽軍「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛(ひで)」


大体あってる


 豪雨により後退した陽軍。その主たる者達は、陣の指揮もそこそこに軍儀を開いていた。

 この天候では次の戦は明日以降になる。故に、本来なら日が沈んだ後行われるべき軍儀。

 その場を要請したのは華雄だ。渋る面々に重要な提案があるとして開かせた。

 

 そして――

 

「危険よ!」

 

「無謀です~」

 

「……馬鹿じゃないの?」

 

 華雄の提案を聞いた軍師達は、にべも無くそれを否定した。

 

「危険だからこそ活路がある」

 

「にしたって、この天候の中を船で奇襲だなんて……!」

 

 華雄が説いた案は、この豪雨に紛れての少数精鋭を使った奇襲だった。

 両軍共に次戦は明日以降という、暗黙の了解を突いた作戦だ。

 

 しかし、両軍に一時停戦を強制した、悪天候の影響は伊達ではない。

 河の増水は元より、水かさが大橋に迫る勢いで増えている。風も強い。

 激しい雨により視界不良で、大橋を使って渡る事も難しい。

 

 仮に渡河に成功したとしても、敵は五万近い大軍だ。

 雨天で火付けの類が使えないとあれば、少数精鋭で与えられる被害などたかが知れている。

 ハイリスク、ローリターンだ。余りにも割に合わない。

 

「このまま指を咥えていると? 天が向こうについていると認めるのか?」

 

「私達が優位であることに変わりは無いわ!」

 

「だが、下がった士気は回復しない。そうだろう?」

 

『!』

 

 士気の低下、それはこの場に居た誰もが危惧した問題だった。

 無理も無い。後一歩で勝負を決定付ける手前で、雨が降り出すという、文字通り天に見放された形で後退したのだから……。

 

 天に祝福された豊かな国、袁陽。君主である袁紹はさしずめ、天下を約束された人間だ。

 その袁紹率いる陽軍の策が、天の変化により破綻する。

 なまじ信心深い者が多い時代だけに、予想外な程、陽軍全体の士気が下がった。

 

「だからこそ、その天を味方につけて奇襲するのだ!」

 

『……』

 

 華雄の策は、魏軍に被害を与えるだけでなく、自軍の士気を回復させる目的もあった。

 彼女の言い分はもっともだ。士気の低下は見過ごせない問題であるし。仮に奇襲が成功すれば、雨天に紛れたことで、天を味方にしたと言い換えることが出来る。

 

 しかしそれでも――

 

「無謀であることに変わりは無いわ。

 虎穴どころか、貴方は谷底に飛び込もうとしているのよ!」

 

「落ちつ桂花」

 

「きゃん!?」

 

 ヒートアップした猫耳を持ち上げ、膝の上に乗せて頭を撫でる。

 突然の事に桂花は目を白黒させていたが、しばらくして、喉をゴロゴロと鳴らしだした。

 調教は順調である。周りの目が痛いが、それで止まるようでは名族は務まらない。

 

「何も考えなしに提案したとは思えん、展望があるのだろう?」

 

「……さすがだ、袁紹殿」

 

 ニヤリと犬歯を見せた華雄は、背後の部下に言伝を頼んで送り出す。

 少しして、彼女の部下は見知らぬ男を数人連れてきた。身格好からして軍属ではないようだ。

 

「紹介する、彼等はこの地で漁師を営む水夫達だ。

 あの大河で船を繰らせて、この者達の右に出る者は居ない」

 

「ほう、真か?」

 

「へ、へぇ……」

 

 突然連れて来られた軍儀の場。そして雲の上の存在から言葉を掛けられ、水夫達は完全に萎縮していた。

 

「彼の力を持ってすれば、あの河を渡れるはずだ」

 

「ま、待ってくだせぇ! 俺達は聞きたい事があると連れて来られただけでさあ!

 この天候の中、船頭をやらされるなんて聞いてねぇです!!」

 

 水夫達の代表者である男が、搾り出すように口にする。一般人は発言すら憚れる軍儀の場ではあるが、なぁなぁで決定される事を恐れたのだろう。彼らだって命は惜しいのだ。

 華雄が舌打ちしている所を見ると、その言は事実らしい。

 

「華雄が推した、お主達でも難しいのか?」

 

「む、難しいどころじゃ……。こんな急流の中で船を使うなんて、正気の沙汰じゃねぇ。

 ましてやあんな小船じゃ……」

 

「船ならある、ですな袁紹殿」

 

「……どこでそれを?」

 

「小さな軍師様が教えてくれた」

 

 目を向けられた音々音は、反射的に目を逸らす。別に彼女を攻める気は無い。

 中型の存在を隠蔽していた訳でもなし、教えたのも味方である華雄だ。

 このような展開になるとは、露にも思わなかっただろう。音々音に非は無い。

 

 袁紹は音々音を呼び寄せ、桂花同様、膝の上に乗せて頭を撫でた。

 連合軍の遠征時に身に付けた、片膝一人乗せだ。両手に花で実にすんばらしい。

 

 それを見ていた水夫の数人が拳を震わせていたが、華麗にスルーする。

 

『おうおう兄ちゃんよ、軍議の場でイチャつくとはいい度胸だぜ』

 

「妬いているのか? 風」

 

「……今のは宝譿ですよ」

 

「そうか、なら宝譿を愛でてやる」

 

「あっ……、むー!!」

 

「フハハハハハ! こそばゆいぞ」

 

 風に背中をポカポカと叩かれ、袁紹は楽しそうに笑い声を上げる。

 その羨まけしからん光景に、水夫が数人天幕外へ走って出て行く。世の中不公平にも程がある。

 

 彼らのやりとりで、天幕内は弛緩した空気が流れ出したが、次の華雄の一声で引き締まった。

 

「私が狙うは将兵では無く、あの目障りな投石機だ」

 

「! ……なるほど」

 

 華雄の目的に合点がいく。確かに、投石機さえ退けることが出来るなら、大炎を使って敵陣を切り崩し、数を持って圧殺すればそれで終わりだ。

 次戦は恐ろしく簡単に決着が付くだろう。ハイリスク、ハイリターンになったわけだ。

 

「だが、恐ろしく分の悪い賭けになる」

 

 空は分厚い雨雲で覆われ月明かりは無く、刷り炭をまぶしたかのような真っ暗闇。

 この作戦は隠密性が重要になる。船で渡る際は、敵に悟られぬよう明かりの類は使えない。

 暗闇と急流の中を、水夫達の腕のみを頼りに渡る。

 

 仮に渡れたとしても問題は山積みだ。少数で奇襲する為、ギリギリまで気付かれずに敵陣に潜入する必要がある。この雨の中で視界不良とはいえ、そう簡単には見張り達を出し抜けないだろう。

 苦労して魏陣に接近した後は、軍勢約五万の中を少数で進み、投石機を見つけ出す必要がある。

 投石機は魏軍の要となる兵器だ。手練れの護衛が居ることも容易に想像できる。

 それらを退けて投石機を破壊した後、速やかに自陣まで撤退する。

 

「……」

 

 華雄達の動きを頭の中でシミュレーションしていた袁紹は、嫌な汗を額に滲まながら続けた。

 

 旨い事、投石機まで魏軍に悟られなかったとしても、破壊に動けば気付かれる。

 魏軍は必死に阻止しようとするはずだ、郭嘉なら万一に備えて包囲網も作るだろう。

 約五万の魏軍が、僅か数百の華雄達に牙を剥く。そうなれば突破は――

 

「頼む、この好機、どうしてもモノにしたいんだ!」

 

「何故そこまで、武功を欲する」

 

「……我ら元董卓軍は、どう取り繕ったところで外様の武官に過ぎない」

 

 華雄は大炎の副将、元華雄軍の精鋭は大炎に取り込まれ。

 大炎入りを逃した者達も、準大炎要員として切磋琢磨している。

 敵対した間柄にもかかわらず、陽国は元董卓軍を重宝してくれた。その事に不満は無い。

 だが心の片隅で、後ろめたさがあるのも事実だ。

 

 突然合流し大炎要員となる自分達を、古株の陽軍達はどう見るだろうか。

 大炎は陽軍の花形、言わばエリート部隊だ。そこに横から割ってはいる元敵兵。

 面白くないに違いない。事実、一部の者達から向けられる目には、厳しいものがある。

 

 だからこそ――

 

「だからこそ私には、私たちには、自分達が陽軍の一員であると胸を張れる何かが必要なんだ!」

 

「それが、この危険を伴った策による武功か」

 

「そうだ。いくら腕に自信があろうとも、結果が伴わなければ誰も認めてはくれない。

 我ら元董卓軍が上を目指すには、周りに認められる結果と、胸を張れる武功が必要だ!

 陽軍として生きる為に、袁陽に骨を埋める覚悟を得るために……!

 頼む、袁紹殿、私達に名誉返上の好機を授けてくれ!!」

 

 華雄の熱意、決意からくる覚悟に、その場に居た者達が思わず涙ぐむ。

 彼女とは犬猿の仲である詠でさえ、目頭を押さえていた。

 

「く……、将軍様にここまで言わせて、腰を抜かしているようじゃ男じゃねぇ!

 俺らは乗るぜ華雄将軍! あんたらの命、無事に向こう岸まで運んでみせらぁ!!」

 

「お前達……!?」

 

 熱に当てられた水夫の代表者が豪語する。

 他の水夫達が頷いているのを見ると、彼らの総意に間違いないようだ。

 

「では、後は麗覇様次第です」

 

『!』

 

 桂花の一言で、その場に居た全員の視線が、瞑目したまま動かない袁紹に向けられた。

 決行の空気が流れているが、それを決めるのは総大将である彼だ。

 いくら他の者達の総意でも、彼が否と言えば否、是と言えば是である。

 とりわけ、袁本初と呼ばれる男は、見た目と言動に反して慎重に事を進める特徴がある。

 

 皆が息を呑み言葉を待つ中、袁紹は静かに口を開いた。

 

「名誉を返上したらいかんでしょ」

 

「……………………わざとだ」

 

「ダウト!」

 

 結局、 華雄の熱意に負けた袁紹は、条件付で作戦の決行を許可した。

 

 

 

 

 

 

 その夜、未だ豪雨が降り注ぐ中、華雄とその兵士三百人、船頭である水夫達が河岸に集結、荒れ狂う河の流れに戦慄していた。

 

「す、すげぇ水流だ」

 

「流れに身を任せたら遠くまで行けそうやんけ!」

 

「そうだね、二度と帰って来れないね……」

 

「えっ!! この大雨の中で船頭を!?」

 

 合流したての水夫も居るようだ。有無を言わさず船に乗せられている、哀れ。

 

 

「どうしたお前達、まさか怖気づいた訳ではあるまい?」

 

「べらぼうめぇ! 武者震いでぃ!」

 

「あ、こら、姉御に何て口を利くんだ!」

 

「そんな口利くのはこれか? ん?」

 

「やめろぉ! ……やめて」

 

 士気は上々、怖気づいている者はいない。つくづく頼りになる者達だ。

 華雄はさらに彼らの士気を上げるべく、部下の槍を取りあげ、前に出る。

 思い出すのは、袁紹に聞かされ感心した逸話。

 

「皆見ろ! この槍一つではこのように、(ベキッ!)簡単にへし折る事ができるが――」

 

「それが出来るのは、将軍含め少数かと……」

 

「鉄芯入りの柄が……さすが華雄様!」

 

「……………俺の愛槍」

 

 想像していた反応とは少し違うが、華雄は構わず続ける。

 

「そんな槍もこうして、三本束ねれば――」

 

 ベキベキベキィッ!!

 

「……」

 

『……』

 

「黙って私に付いて来い!」

 

『オオオオォォーーーーッッ!!』

 

 檄は大成功だ。

 それから少しして、陽軍の中型船六隻は闇夜に紛れて出立、対岸を目指した。

 

 

 

 

 

 

 

 



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第50話

~前回までのあらすじ~

軍師ーず「死ゾ」

脳筋「へーきへーき、(生物)兵器だから」

おかねもち「しょうがねぇな(悟空)」





脳筋「ぱぱっと鉄槍折って、檄成功!」

脳金玉『ウオオオオォォォォォ!』

水夫「えぇ……(ドン引き」



大体あってる?


「初日は、何とか持ち堪えたわね」

 

「はい、この雨こそ魏国の天運でしょう」

 

 魏陣営の天幕内、その中で華琳と郭嘉が、現状と今後の展望について話し合っていた。

 

「陽軍の様子は?」

 

「陣に引いた後は特に動きを見せません、月明かりも無いので視認は不可能ですが、

 この雨天の中、行動をとる可能性は限りなく低いでしょう」

 

「低いだけで、無いわけではないのね」

 

「はい、ですので橋を重点的に警戒させています。

 一番怖いのは大炎での夜襲ですが、あの仕掛けさえあれば……」

 

「大炎の足を止め、予めそこへ座標を設定してあった投石機が猛威を振るう」

 

「その通りです」

 

「相手は今までに無い強敵、警戒しておいて損は無いわ。

 他も抜かりは無いでしょうね」

 

「無論」

 

 辺りを模した地形図、その岸辺に兵士駒を置く。

 

「大橋を使わず河を越えてくる“万が一”に備え、岸に見張りを配置させました。

 異常があれば知らせが届き、待機させている常備兵三千が出向きます」

 

 

 

 

 

 

 

 同日同時刻。郭嘉により岸辺に配置されていた見張りは、既に物言えぬ姿に成り果てていた。

 

「この悪天候の中じゃ、見張りも形無しだな」

 

「無駄口を叩くな、行くぞ」

 

 見張りを片付けたのは華雄兵だ。船から先行した数人が、周囲を注意深く探っている。

 

 見張り達が彼らを察知できなかったのは、暗闇と豪雨による視界不良以上に、油断していた面が大きいだろう。

 無理も無い。岸辺に配置された彼らの目に映ったのは、一寸先さえ視認できない暗闇と、激しい豪雨、増水により激流と化した大河だけだ。

 そんな中を船で、ましてや泳いで来る者が居るなど、夢にも思わなかっただろう。

 故に、見張りは貧乏くじを引かされた自分達を少しでも労おうと、暖を取るための火をつけた。

 

 華雄達は遠目でその灯りを確認、見張りの存在を確信し、泳ぎが得意な者達を先行させたのだ。

 

 華琳や郭嘉の危惧は。

 初戦の奇跡、疲れ、安堵といった様々なものが絡まり、末端の兵士まで届く事は無かった……。

 

「報告しろ」

 

「ハッ! 周辺に敵兵の姿はありません、隊を陸に移す好機かと」

 

「うむ、そっちは?」

 

「魏陣へと続く道に見張りが数名。ここに居た連中と同様、暖をとって油断しきってます」

 

「上々だ。手筈通り行くぞ!」

 

『ハッ!』

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前、岸辺の見張りはどうした? 何故ここに居る!」

 

「あ、相方が足を滑らせて河に落ちたんだ。手を貸してくれ!」

 

「おいおい、急がないとまずいんじゃ……」

 

「チッ、わかった。さっさと案内しろ」

 

「いやぁ、案内せずとも――遭えるぜ」

 

「何を貴様――ガッ!?」

 

「な!? いきなり……何故…………」

 

「へっ、近づければこっちのもんだぜ」

 

 魏軍の鎧を纏った兵士が、同色の兵を手に掛けた。

 言うまでも無く、彼の正体は華雄兵の一人である。

 

 見張りの装備一式を拝借し、目端が利く者に着せて先行させ、隊がそれに続く。

 敵兵を確認したら合図で隊を止め、魏兵に扮して近づき、不意を打って片付ける。

 華雄達はこの方法で、少しずつ魏本陣を目指した。

 

 少数精鋭とは言え、通常なら勘付かれても不思議ではない程の大胆な動き。

 暗闇が集団の姿を隠し、豪雨が足音や雑音を消し、先の奇跡が魏軍の油断を生んだ。

 まさに、陽軍を襲った天災を味方に引き込むかの如く、華雄達は進み続けた。

 

「着いたぞ、あれが魏軍の本陣だ」

 

「この天候だからか、見張りは少ないですね」

 

「殆どの天幕は明かりをつけていない、寝入ってるな」

 

「にしたって広大すぎる。この中から投石機を探すなんて……」

 

 不可能だ。その言葉を、華雄兵は何とか飲み込んだ。

 

 日中の戦いで犠牲を出しているとは言え、魏軍の戦力は未だ五万近い人数が居る。

 それらの兵力で形成された本陣、広大なのは当たり前だ。

 その中に、三百人程度の人数で飛び込み、投石機を探し出して破壊。

 魏軍の追走を掻い潜って脱出する。

 

 ごくりと、兵士の一人が喉を鳴らした。

 此処に来る前は勇んでいた彼らも、魏軍の本陣を前にして顔を蒼くした。

 それでも立っていられるのは、逃げ出そうとするものが居ないのは、やはり華雄のおかげだろう。

 百戦錬磨の兵士達が縮みあがる光景を前にして、獰猛な笑みを浮かべていられるのは彼女くらいだ。

 少なくとも、華雄以上に勇敢な武人を彼等は知らない。

 彼女と共に居ると――戦意が湧き上がるのだ。

 

「行くぞ、手筈通り動けば問題ない」

 

『応!』

 

 

 

 

 

 

 

 

「きゅ、急報! 敵の夜襲です!」

 

「な!? 大橋に仕掛けて来たの!?」

 

「いえ、大橋からの連絡はありません。敵は我が本陣に突然現れました!」

 

「!」

 

「……大橋からでは無いとすると、大河を越えてきたようですね」

 

「見張りがいたはずでしょう」

 

「信じられませんが、それを掻い潜って近づいて来たと言う事に……。

 損害と敵の規模はどのくらいです?」

 

「すぐに常備軍が迎撃にでたため被害は軽微です。敵の数は多くて三百程度かと……しかし」

 

「しかし?」

 

「敵の中に、我が軍の鎧を身に着けて居る者が居ると。激しい豪雨と乱戦で敵味方の区別が難航。

 さらに、攻撃を受けた天幕の兵達も戦線に加わり、現場は大混乱です!」

 

「……常備兵以外の者達を下がらせてください。それから、敵に当たる時は常に五人一組の隊を。

 隊が欠け、補充も利かない場合は下がらせ、二人以下で戦線に留まっている者達を討って下さい」

 

「ハッ!」

 

 指示を受けて兵士が出て行くのを確認し、華琳が口を開く。

 

「悪くない方法だけど、同士討ちは発生するわね」

 

「はい、全ては救えません」

 

「それならいっその事、被害を最小限に……か。仕方ないとは言え、頭にくるわ」

 

「同感です」

 

「敵の狙いは我が軍を疲弊させること……では無いわね」

 

「はい、おそらく――」 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「見つけたぞ、投石機だ」

 

 華琳達に知らせが届くのと同じ頃。華雄とその手勢十人は、魏軍の郡中にあった投石機を発見した。

 

 魏軍に攻撃を仕掛けた者達は囮。遅かれ早かればれてしまうなら、いっそのこと現場を混乱させれば良い。そのほうが、本命である華雄達も動きやすい。

 無論、攻撃を仕掛けることで、敵の首脳陣が対応に出ることも想定済み。

 要は混乱に乗じ、本格的に対応される前に投石機を見つけ出して破壊、脱出するという算段だ。

 

「し、しかし、あの膨大な天幕数から、良く投石機がある場所を探せ出せましたね」

 

「それも、武人の勘ですかい?」

 

「まさか」

 

 一見、博打にしか見えない方法だったが、そこには華雄なりの理があった。

 

 魏軍は明日の激戦に備えるため、少しでも身体を休めなくてはならない。

 膨大な天幕の内、一般兵達の天幕は既に明かりが無く寝入っている。

 明かりが確認できるのは、明日に備え策を練っている首脳陣と、万が一に備えて動くことが出る兵士達、そして投石機だけだ。

 

 この悪天候と暗闇の中、陽軍の夜襲がある可能性は限りなく低い。

 しかし、ゼロではないとすれば、魏軍はソレを想定した対策を強いられる。

 

「万が一に備え、投石機をすぐにでも動かせる準備をしているはずだ。

 それこそ、明かりを絶やす事無く……な」

 

「な、なるほど。だから殆どの天幕を無視して――」

 

「いや姉さん。明かりがついている天幕も相当ありましたぜ」

 

「どうやって投石機の有無を見極めたのです?」

 

「……他はしっかり設置してあったのに対し、この天幕だけは歪だ。

 まるで、すぐにでも天幕を取り払うためのように」

 

「! 敵襲の知らせで、すぐさま使用するために!?」

 

「そう言うことだ」

 

『……』

 

 兵達の尊敬の眼差しを受けながら、華雄は投石機がある天幕内へと足を踏み入れる。

 

 彼女を脳筋として認識している者達からすれば、驚愕すること請け合いの推察だが。

 なんてことはない、ただ今まで通り“相手の立場”で考えただけだ。

 

 戦力差は圧倒的、一度主権を陽軍に渡せば、魏軍はあっというまに蹂躙されるだろう。

 数に劣る魏軍は、石橋を叩いて渡る必要がある。

 そんな彼らがこの状況で恐れるのは――大炎による夜襲。

 それを抑止するのに投石機は必要不可欠、動かせる状態で無いといけない。

 しかし、雨風にさらして不具合が起きるのもまずい。故に歪な天幕。

 何事も無ければ雨風をしのげ、異常があればすぐさま使える。迅速に動かす為の明かりも絶やせない。

 

「警備の類が少ないのは、想定外だったがな」

 

「おお!」

 

 天幕内にいた数人の魏兵を倒し、華雄兵は中の光景に目を光らせる。

 

 投石機だ。自分達の目標であるソレが、大岩を設置した状態で鎮座している。

 それは紛れも無く、直ぐに使える為の形。華雄の推察通りだ。

 

「まだ鼠が隠れているな、出て来い!」

 

「……バレとったか、てか鼠はそっちやろ!」

 

 華雄の言葉で、投石機の陰から一人歩み出てきた。

 その姿を見て華雄達は目を見開く。彼女には見覚えがあった。

 

「あの爆乳」

 

「形」

 

「揺れ具合」

 

『間違いない。李典だ』

 

「あんたらどこで人を判別しとるんやァァッッッ!」

 

 華雄兵達の呟いた言葉に、李典は慌てて胸を隠すように腕を組んだ。

 それが意図せず果実を押し上げ、男共が中腰になる。

 

 その光景に華雄は頭を抱えそうになった。重要な任務の最中だというのに……。

 

「フン、投石機だけが目的だったが。文字通り、大きなおまけが付いたな」

 

「――ッ、く」

 

「……ほう?」

 

 得物を構えた李典を見て、華雄は意外そうに声を上げた。

 両者の武力には天と地ほどの差がある。それは対峙した時点で察しが付いていた。

 武をかじっている李典も重々承知のはず、彼女がこの場で取るべき行動は応戦では無く逃走だ。

 華雄達に背を向け手に持つ得物で天幕を引き裂き、闇と雨に紛れての逃走。

 第一目標が投石機である華雄達に、それを追う暇は無い。

 

 三羽鳥の一羽にして魏将の一人に数えられる李典が、その事に気がつかないとは思えないが。

 

 

 

 

「……」

 

 それも所詮、華雄から見た理屈。李典の心情はもっと複雑だ。

 

 彼女が此処で華雄達に出くわした事、それ自体はただの偶然である。

 明日以降に備えるため、今日は休息をとるようにと指示を受けていたが。

 李典はその言葉に反し、投石機の整備と点検を徹夜で行う心算でいた。

 それも無理からぬ事、この投石機は魏軍の要にして生命線だ。

 

 であれば、それを手掛けたカラクリ技師として整備は怠れない。

 日が沈んだ後簡単な点検を行い、問題は無いと判断したが李典の不安は尽きなかった。

 春蘭による通過儀礼は済ませているが、雨天での運用は考慮してないのだ。

 カラクリとは複雑で繊細なもの、本番中にどのような不具合が起きるかわからない。

 故に李典は、その万が一、億が一を無くすため、夜通しで整備に当たることを決定していた。

 そもそも自分達工作兵は、戦において非戦闘要員。

 前線に出ることが無いのであれば、多少の徹夜は問題無い――はずだった。

 

 アレ(華雄)が来るまでは。

 

 天幕内に入ってきた兵士達を確認し、李典は思わず整備中の投石機に隠れた。

 他意はない。ただ、主のお仕置きが怖かっただけだ。

 主の熱望するナニかを持っているからか、自分に対する仕置きだけは厳しいものがある。

 指示に反してこの場に居ることがばれれば、規律を重んじる華琳から仕置きがあることは必須。

 未だに、胸に受けた平手打ちの手形が残っている……。

 

 そうして物陰から様子を窺っていた李典の目に映ったのは、同色の兵に斬りつけられる部下達の姿。李典の工作隊は職人気質な者達の集まりだ。剣を帯びてはいるものの、それを振るうことは無い。技師としての能力に特化した彼らに、味方だと思い込んだ者達からの凶刃に反応できるはずも無く――。

 

『!?』

 

 突然の事に目を白黒させながらも、李典は気配を消して事態を見極めようと務めた。

 そして見つけた。忘れられない、忘れるはずも無い仇討ちの顔。華雄。

 

『まだ鼠が隠れているな、出て来い!』

 

 しまった! と、思う間もなく。僅かに放ってしまった殺気を気取られた。

 あのまま潜んでいれば、不意を打てたかも知れないと言うのに……。

 

『……バレとったか、てか鼠はそっちやろ!』

 

 気丈に振舞いながらも、震えが止まらない。圧倒的強者の気を感じ、絶望感で満たされていく。

 兎が獅子の前に姿を現すようなものだ。我ながら、無謀にも程がある。

 

「フン、投石機だけが目的だったが。文字通り、大きなおまけが付いたな」

 

「――ッ、く」

 

 茶番を挟んで弛緩しかけた空気は、華雄の仕切り直しにより緊張状態に戻った。

 

「……ほう?」

 

 反射的に得物を構えたのを見て、華雄が意外そうに声を上げる。

 大方、逃走すると踏んでいたのだろう。李典としても、逃げ出したいのは山々だ。

 だが、ここには投石機がある。此度の戦の要にして、李典の作品である投石機が。

 自らの手で設計し、組み上げ、整備、修繕、改良を行ってきたのだ。

 最早それは、親が子を生み育て上げると同義。ならば――

 

「子を見捨てて、親が逃げ出すわけ無いやろッッ!」

 

 吐き出すように叫び、己の得物を作動させる。

 すぐさま先端にある螺旋状の刃(ドリル)が高速回転し、威嚇するような回転音が天幕内に響いた。

 

「な、何だアレは!?」

 

「回転……しているのか、速すぎてよくわからんぞ」

 

「独りでに動いている、妖術だ!」

 

 未知の技術を目の当たりにし、兵士達が動揺する。

 これこそ、李典が長い歳月を経て生み出した最高傑作“螺旋槍”である。

 本来は掘削機として開発したものだが、この物騒な時代、武器としての用途もあるのだ。

 

 動力は――企業秘密である。 

 

『……』

 

 原理は不明だが、ソレを回転する刃と確認した華雄兵達は警戒心を露にした。

 彼らとて唯の脳筋ではない。回転が及ぼす力を理解している。

 例えば矢。添え付けてある羽は、矢を直進させる回転を生み出す為の物だが、それが矢の貫通力に一役買っていることを彼等は知っている。

 その貫通力を高める回転が、突く事に特化した槍に用いられる、確かに脅威だ。

 

「無駄だ、私に虚仮威しは通用せん」

 

「ちょ、姉御!?」

 

 ――よし!

 

 戦斧を肩に掛け悠々と近づいてくる鬼神に、李典は内心歓喜した。

 

 遥か各上である華雄に勝利する為、必要なものが三つある。

 一つは、自身の得物である螺旋槍。

 カラクリに時間を費やし、鍛練を怠ってきた李典の武は、武器の性能に大きく依存している。

 

 二つ目に相手の油断。

 華雄が兵達と同様、未知の武器に警戒心を抱いていたら李典に勝機は無い。

 どのような奇策、奇襲も、細心の注意で臨んだ華雄の前では無駄に終わるだろう。

 しかし華雄は警戒するどころか、笑みを浮かべながら大股で近づいてくる。

 取るに足らない相手と評されるのは癪だが、今回ばかりはそれを望んだ。

 

 三つ目は運。元より分の悪い賭け、最後に頼るのはこれだけだ。

 

 

 

 

「どうした、来ないならこっちから――!?」

 

 もう四五歩で間合いに入るかという時に、華雄は相手の奇行に動きを止めた。

 李典が突然、得物を地面に突き刺したのだ。戦闘放棄とも取れる行動。

 無論、彼女の闘争心は些かも衰えていない。これは勝つための布石。

 面食らった華雄の顔を確認するまでも無く、李典は仕掛けた。

 

「ドリヤアアァァッッ!」

 

 本来の用途、掘削機として地面を抉った螺旋槍を華雄に向かって振るう。

 すると――大小様々な形の石や土が華雄に放たれた。

 

「!?」

 

「もらったァァァッッ!」

 

 すぐさま間合いを詰めて螺旋槍を“横薙ぎ”に振るう。

 予測不能な奇行で間を作り、視界を遮り、突きに特化したソレで横から仕掛ける。

 螺旋の刃は常に回転している。突きが一番効果的だが、ソレに触れただけでも無事ではすまない。

 服を、肉を巻き込み、削る要領で引き裂く。致命傷は免れても、戦闘力は大きく低下するはずだ。

 そこへ、渾身の突きを――

 

「!?」

 

 ――入れるはずの槍が空を切った。何が起きたのか理解出来ない李典の目に映ったのは。

 踏み込んで縮まったはずの間合いが、開いていたことだった。

 

 華雄は間合いを完全に見切り、後ろに退いていた。油断していればとれない行動だ。

 視界を遮った石の類も、螺旋槍による突きも、横に動けば簡単に回避できたはずだ。

 そう考えると、そう動くと想定して李典は横薙ぎで仕掛けたのに――

 

「悪くなかった……が」

 

「――ッ」

 

 その一言で、李典は全て察した。華雄に油断や慢心は無かったのだ――と。

 むしろ、華雄をその程度の武人と過小評価したのは自分の方だ――と。

 

 全ては華雄の演技だった。格下の人間が強者に挑む場合、無意識に相手の油断を期待する。

 その心理を逆手にとり、油断していると見せかけ後の先を取る戦法だ。

 

 実は言うと、この戦法は張遼との模擬戦で使われ、煮え湯を飲まされたものだったりする。

 大会で破れ、修行の山篭りから一時帰省し、腕試しに張遼に挑んだ時だ。

 彼女は構えもせず、悠々と間合いを詰めてきた。華雄はその慢心を侮辱ととり、性根を正そうと無警戒に仕掛けてしまった。

 気が着いた時には自分の首元に、張遼の得物が宛がわれていた。

 目からうろこが落ちる思いだった。こういう戦い方もあるのか――と。

 華雄はその苦い敗戦を糧に、張遼の戦法を己のモノにした。

 

 恋に破れ、陽国の傘下に降った後も、猛将華雄の成長は留まる事を知らない!

 

「終わりだ」

 

 

 

 

 

 




ペルソナ5がさぁ…

周回プレイとかさぁ…

新難易度とかさぁ…

あ、そうだ(唐突) ダクソDLCまだやってないゾ

次話更新日は……ナオキです。


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第51話

~前回までのあらすじ~

金髪ドリル「大丈夫ですかね」

鼻血眼鏡「大丈夫でしょ、ま、多少はね?」



見張り「グェー死んだンゴ」

脳筋S「それじゃあいただくとするか、うぇっへっへっへ」



華雄兵「おっぱいおっぱい!」

おっぱい「」

華雄「すまんな」


大体あってる


 豪雨の音に紛れ、魏兵と華雄兵達が刃を交わしている中、一人の武人が魏本陣を疾走していた。

 

 ――間に合え、間におうてくれ!

 

 彼女の名は張遼、真名を(しあ)

 片目の損失をも厭わず敵である自分達を庇った春蘭と、それを良くやったと賞賛した華琳の器に惚れ、反董卓連合の戦い後、元主である月に許可を貰って魏軍に身を寄せていた。

 その腕を買われ今回の大戦に追従。日中の戦いでは用兵術と武力を用いて岸に群がる袁陽軍を跳ね除けた。

 

 そんな今の彼女の頭に浮かぶのは、魏将となってから新しく出来た妹分、李典の顔。

 言葉の訛りが同じだからか、初対面の時から李典は自分を“姐さん”と呼び慕ってくれた。

 少し前も言葉を交わしたばかりだ。

 

 

 

 

 一刻ほど遡り、次戦に備え、休息をとる前に日課である矛の型を確認していた時。

 自身の天幕の近くに人の気配を感じた、見張りが巡回している事を考慮すれば何の違和感も無いが、問題なのは、感じた気配が忍び足で移動していることである。

 

 無論、張遼は矛を手に不自然な気配を追ったのだが――

 

『……何してんねん、真桜』

 

『ギャーーお許し――って あ、姐さんやないですか、驚かせんで下さい!』

 

 忍び足の正体は妹分だった。

 

『驚いたのはこっちや、こんな夜更けに……ははーん、男やな?』

 

『だっはっは、こんなカラクリ女に惚れる男が居るなら紹介してほしいですわ』

 

 いや、めっちゃおるで――と、妹分を見ながら思う。

 可愛らしい顔立ち、明るく前向きな性格、そして何よりこの爆乳。

 彼女が歩くだけで兵士達が中腰になる為、単身で敵軍に放り込む作戦が立案されたほどだ。

 ちなみに立案者は薄く笑みを浮かべた華琳の手により――いや、考えるまい考えるまい。

 

『で、ほんまに何の用があるんや? 待機命令が出されとるやろうに、命令違反は重罪やで』

 

『姐さん、姐さん、同罪でっせ』

 

『アホ! 忍び足で動き回る誰かさんがおらんかったら、天幕から動かんかったわ』

 

『んな殺生な~』

 

 ノリで見逃して貰おうとした李典だが、真顔の姐貴分を見て諦めた。

 普段は飄々としている分、真面目になった張遼の凄みは主である華琳に通じるモノがある。

 

『うちの子達を確認したくて』

 

『子てあんた……ああ、投石機のことな。そんなん軍議前に済ませたはずやろ』

 

『せやかて姐さん!』

 

 珍しく駄々をこねる妹分に張遼は驚く。彼女の知る李典は融通が効かない面もあるが、基本的には上の者に従順だ。今回の件にしても、待機命令は郭嘉を通して華琳から与えられたようなものだ。

 にも関わらずここまで食い下がる辺り、相当意思は固い。

 

『カラクリは繊細なものなんです。こうしている間にも、どんな不備が発生するか……。

 それを考えると寝られはしません!』

 

 折りたたみ式は、官渡の戦を前提に急遽作成したものである為、十分な試運転を行えていない。

 脳筋式耐久テストをクリアしてはいるものの、雨天での運用は想定外であった。

 それでも張遼の言葉通り、陣に引いたあと点検を行っていた。その時は何も問題なかった。

 今では大事に備え、天幕で覆い保護している。しかしそれでも――李典の不安が解消されることはなかった。

 

 初日の攻防で魏軍の要となっていたのは紛れもなく投石機だ。

 大橋からの敵を防ぎ、あの大炎の騎突を間接的に封じた。言わば、魏軍の生命線である。

 その製作者である李典にかかる責任は、他者が思うよりもずっと重い。

 

 戦力で劣る魏軍に余裕は無い。石橋を叩くどころか、修繕して渡る慎重さが要求される。

 万が一、億が一の不安の種があるなら、それを見過ごすわけには行かないのだ。

 事が起きてからでは遅いのだから。

 

『そこまで言うなら好きにしぃ』

 

『姐さ――『ただし』』

 

『あんまり時間掛けんなや』

 

『感謝感激雨あられ! もつべきは理解ある姉貴分や~』

 

 走り去っていく李典の背を、呆れながら、それでいて優しい眼差しで見送った。

 問題無いはずだ。この天候と暗闇のなか夜襲を仕掛けるなど馬鹿げているし、陽軍の君主、袁紹は物事を慎重に進めるきらいがある。

 それで無くとも郭嘉により、万が一(大橋)億が一(大河)に備えて見張りを配置させてある。

 たとえ夜襲があったとしても、待機している常備兵で十分対応できる。

 大炎で来ることがあればそれこそ飛んで火に入る夏の虫、大橋から魏本陣の間に設けた罠で足を止め、そこへ巨石が降り注ぐだろう。

 

 肩の力を抜いた張遼は天幕に戻った。

 変化があったのはその一刻後、日課を終えて就寝しようとした矢先のことである。

 何やら慌しい気配を感じ外にでると――巡回兵達が走り回っている。

 張遼はすぐさま一人捕まえ事情を聞き――走りだした。

 

 本陣に少数での夜襲。本来ならありえないことである。

 郭嘉が配置させた見張りの目を掻い潜った辺り、敵は少数精鋭。

 人員の多い大橋から身を隠す事は不可能、大河を越えてきたのだ。

 

 ――むちゃくちゃや、相当頭いかれてるで!

 

 危険を犯しての夜襲、それなりの目的があるはず。

 将の首? 違う。少数の奇襲で討てるほど魏軍は甘く無い。

 休息の妨害? 違う。それなら危険を冒さずとも、大橋に兵を集結させるなど、いろいろ方法がある。となると敵の目的は一つ、投石機だ!

 

 ――間に合え、間におうてくれ!

 

 仕掛けた者に心当たりがある、かつては背を預けあった武人だ。

 

 誰かに仕える兵とは、意向や方針により自然と主の色に染まるものだ。

 粗野な主に盗賊紛いのあらくれ達が、公正な主に規律ある兵達が集るように、慎重さを重んじる袁紹の周りには同色の家臣達が多いはず、自然と主の意向を汲み取り、行動や策に反映される。

 長く仕えて居る者であれば尚更だ。しかし、その理屈が通らない者が今の陽軍にいる。

 

 功を欲し、攻撃に特化し、蛮勇とも呼べる行動も行える将。

 すなわち華雄である。

 

「……」

 

 もしも、襲撃犯が華雄一味であったら。もしも、投石機の場所を探し当てたら。

 そしてそこに居る製作者を見つけ出したなら――。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「オラァァァァッッッ!」

 

「!?」

 

「グァ!?」

 

 入り口に回る事無く天幕を切り裂いて進入。近くに居た兵を切り伏せる。

 魏軍の鎧を着込んでいるが、彼らが敵である事は即座に理解した。

 

 場所は投石機がある天幕内、魏兵がいても不思議ではない。

 ましてや夜襲に遭っている。優秀な兵達が自主的に投石機を警護していた可能性も否めない。

 だがその期待は、天幕内の兵達が手に持っていた斧や槌で掻き消えた。

 

 敵に備える兵達が、槍や腰の剣を差し置いてその二つを使うはずが無い!

 

「やっぱあんたか華雄。こんな状況やなかったら嬉しい再会やったわ」

 

「そうだな、私も今はお前に会いたくなかった」

 

「……せやろな」

 

 張遼の目に映ったのは、投石機だったであろう残骸と倒れ伏す妹分の姿。

 

「……」

 

『!?』

 

 漏れ出た怒気に兵士達が後ずさりする。華雄が間に居なければ尻餅をついていたに違いない。

 濃い闘気が天幕内を満した。勝てない――と、華雄に思わせる程に。

 

「李典は生きている」

 

 突然の言葉に張遼は警戒心を露にした。当然だ、華雄達が李典を生かしておく必要はない。

 此方の気を散らし、不意を突くためと考えるほうが自然である。

 だが――張遼は仄かな期待を胸に倒れている李典を見た。

 

「!」

 

 か細いが呼吸している。生きているのだ!

 

 

 それは偶然だった。李典の攻撃を避け、戦斧を振り下ろすだけだった華雄。

 まさに振り下ろそうとしたその瞬間、彼女の目に埃が入ったのだ。その正体は、李典が抉り出した地面の一部。

 そこに一瞬の間が生じ、李典はすかさず得物を手放し後方に跳んだ。致命傷を免れたのだ。

 しかし、浅いとは言え受けた斬撃の痛みと、受身を取る間も無く地面に倒れた衝撃から気を失ってしまった。

 

 無論、華雄は止めを刺すべく戦斧を振り上げ――――。止めた。

 

『止血してやれ』

 

『え、いいんですかい?』

 

『ああ、こいつは生かして手土産にする』

 

 惜しんだのは李典の才能、カラクリ技術。

 戦で猛威を振るってはいるが、それが民間に転用可能な技術である事は、華雄でもわかった。

 自動衝車や、李典の得物である螺旋槍はその筆頭だろう。

 ならば首にするよりも、身柄を確保して連れ帰ったほうが手柄になるというものだ。

 

 

 

 

 

 

 ――まさか、あの時の気まぐれに助けられるとは。

 

 関羽が怒りに我を忘れたのに対し、張遼は怒りを力に変える。

 心は炎のように燃え滾りつつ、頭は凍てつく氷のように冷静。

 矛は鋭さを増し、感覚が研ぎ澄まされ、相手を倒す事にのみ全神経を使う。

 華雄も恐れる、鬼炎を背負った張遼の姿である。

 

 しかし、李典の無事を知った張遼は安堵の溜息を吐いた。

 目に見えて殺気が小さくなっていく。彼女が強敵である事に変わりは無いが、大分ましだ。

 

「まぁ、真桜が無事やったとしても、見逃す理由にはならへんな」

 

「そうだろうな。だが、時間切れだ」

 

「あん? 何言って――どわあああああ!?」

 

 後方から猛スピードで乱入した気配を感じ、張遼は慌てて真横に跳ぶ。

 転がりながらも確認すると、それが騎馬である事がわかった。

 

「遅れて申し訳御座いません!」

 

「首尾は」

 

「ハ、かく乱隊は撤退済み。残るは我々だけです」

 

「よし、退くぞ!」

 

『ハッ!!』

 

「ちょ、待たんかい!」

 

 騎馬が引き連れてきた馬に次々と華雄達が跨っていくのを見て、張遼は慌てて立ち上がった。

 

「あんたらその馬……うちらのか!?」

 

「む、流石だな」

 

「わからいでか!」

 

 投石機破壊の為に、華雄は奇襲隊を三つに分けた。

 一つは華雄達の実行部隊、二つ目は魏軍の目を集めるかく乱隊、そして三つ目が逃走経路と()を確保する“火事場泥棒がし隊”である。派手にやるじゃねぇか、これから毎日馬を盗もうぜェ?

 

「逃がすか!」

 

「おっといいのか? 簡単な止血をしただけで李典には治療が必要だぞ」

 

「んなぁ!?」

 

「すまんな、私が不器用なばかりに」

 

 止血を命じた兵が、手を無駄にわきわきさせながら李典に近づいたのだ。

 すぐさまその兵を蹴飛ばし、華雄は仕方なく自分の手で止血を施していた。

 

「またな霞! 次は決着をつけよう!!」

 

「く、覚えとれよォッッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「よかったんですか? 華雄様」

 

「どっちだ、李典か、張遼か」

 

「両方です!」

 

「奴は強い。李典を捕獲できる隙など無かった」

 

「で、ですがそれなら……」

 

「いっそ止めを刺すか? それこそ薮蛇だ」

 

 大事な妹分を、あろう事か目の前で……その時の張遼など考えたくも無い。

 

「しかしよぉ、姉御なら勝てたんじゃねぇか?」

 

「……さぁな、負けるとは思わんが、勝てるとも断言出来ない。

 激闘になったはずだ。それに、(めい)を忘れたのか?」

 

『あっ』

 

 今回の奇襲決行に辺り、二つほど袁紹から条件が出されている。

 一つは、実行不可能と判断したら即時撤退する事。それは船での大河越えも含まれ、運行の判断は船頭達に委ねられている。

 そして二つ目が、深追いの禁止。

 投石機を破壊したら即撤退、功名心からくる敵将との接触は厳禁だ。

 

「偶然居合わせた李典の身柄なら問題ないが、張遼の首はどう考えても過分な戦果だ。

 誰が見ても命を無視した行動になる、大目玉間違いなしといった所か」

 

 これではいくら功績を立てても意味が無い。

 下の者達に一目置かれても、上から睨まれるなど本末転倒である。

 

「もうすぐ合流地点だ。気を抜くな!」

 

『ハッ!』

 

 実はこの約定、影で華雄達の命を救っていたりする。

 

 敵襲の知らせを受けた郭嘉は、すぐさま投石機に向けて兵を派遣していた。

 華雄が張遼と矛を交じわらせていた場合、数百に及ぶ精鋭達に追い詰められたはずだ。

 たとえ何とか脱したとしても、魏本陣を中心に敷かれた包囲網で詰んでいた。

 

 撤退が迅速だったおかげで、構築中の包囲網を強引に突破できた。

 これを知った華雄達は心の中で袁紹に感謝すると共に、彼の命には逆らわないほうが長生きできるという教訓が生まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 魏本陣から脱出した華雄達は、大橋の前に集結していた。

 

「多いな」

 

「ちっ、すんなり帰しちゃくれねぇか」

 

 船は既に戻っている、帰りは大橋から戻る手筈だった。

 馬は本陣から逃げ出すよりも、大橋にいる魏軍を突破するために奪ったようなものだ。

 しかし、ここで華雄の予定が狂った。予想の数倍厳重な警備なのだ。

 兵は視認できるだけでも千人。さらに、日中の戦いで破壊された柵が復活している。

 兵だけなら華雄を先頭に突破出来るが、柵は厳しい。破壊する為に一々立ち止まり、そこへ矢の集中砲火が来ることは目に見えている。

 

 さてどうしたものか――と、華雄が頭を捻っている時。

 

「姉御、騎馬が五騎」

 

「む」

 

 大橋の魏軍から騎馬が飛び足してきた。華雄達はそれに悟られないように襲い掛かり捕縛。

 情報を聞き出そうとしたが――。

 

「な、なんで敵がここにも!?」

 

「ここにも?」

 

 痛めつけるまでも無く、魏兵は重要な情報を口にした。

 その言葉を聞いた華雄達が大橋に目を向けると、魏兵が吹き飛ばされていた。

 

『!?』

 

 大炎だ。それが横陣で迎撃を試みる魏兵を吹き飛ばしている。

 彼らが通った後を視線で辿ってみると、柵も破壊されていた。

 歩兵を遮った硬木の柵も、大炎の騎突の前では形無しである。

 

「華雄副将、主の命によりお迎えに上がりました」

 

「主の……?」

 

「ハッ、我らが主、袁紹様です。機を見て大橋の魏軍を蹴散らすように仰せ仕りました」

 

「そうか、正直助かった。兵の壁と柵を前に難儀していた所だ」

 

「力になれた事、光栄に思います。後は我々にお任せ下さい」

 

「……? 一緒に下がるのではないのか?」

 

「いえ、大炎はこのまま魏本陣に夜襲を仕掛けますので」

 

「な!?」

 

「ご安心を、本格的な攻撃はしません。狙いは敵軍の疲労です。

 程ほどに荒らして帰還しますよ」

 

 それを聞いて華雄は溜息をつく、自分達が行った奇襲で魏本陣の警戒度は上がっている。

 いくら大炎といっても、そこに突っ込んでは唯ではすまないはずだ。

 彼の言葉通りなら、本陣の外周に攻撃を加え緊張状態にするのが目的だろう。

 投石機が破壊され、大炎の夜襲にも怯えなくてはならない。泣きっ面にハチとはこの事だ。

 

「所で、(れん)や音々音の姿が見当たらないが?」

 

「……お察し下さい」

 

 時刻は深夜、音々音はお寝むの時間である。恋に至っては方向音痴だ。

 暗闇のなか馬で走らせるなど、どこに行くかわからない。下手をすれば魏本陣の中心に行きかねない。それはそれで戦果をたてそうなものだが、万が一を考え、今回はお留守番である。

 

「最後にもう一つ、魏本陣に続く道に大きな落とし穴がある、注意しろ」

 

「良くお気づきに……」

 

「命をとして手に入れた情報だ」

 

「……感謝を!」

 

 大炎一同、華雄達に向かってしっかり拝手すると馬を走らせた。

 そんな彼らを見守る華雄の隣に兵士が一人、こっそりと耳打ちするように呟く。

 

「姉御、あれ絶対誤解してますぜ」

 

「何も間違った事は言っていない。それに、あの方が燃えるだろ?」

 

 対大炎用に魏軍が設けた落とし穴、発見は偶然だった。

 先に撤退し合流地点に向かっていた華雄兵の一人が、馬を一頭、先頭を走らせていたのだ。

 別に罠の類を疑った訳ではない。ただ、暗がりで地形の把握が難しかった為、転倒を恐れたのだ。

 

 その馬が突然視界から消えた。何事かと止まった兵達の目に映ったのは巨大な落とし穴。

 それもご丁寧に、薄い木の板に土をかけてカモフラージュしてある。

 あのまま走っていたら皆落ちていた。魏軍の馬に感謝だ。

 

「今回ばかりは、魏軍が哀れでなりません」

 

 周りの風景が歪んで見えるほどの気を発しながら疾走する大炎。

 魏軍の地獄は始まったばかりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




富樫先生が仕事(他漫画の帯)したので初投稿です。


あ、そうだ(唐突) 次話はかなり急展開だゾ、備えてくり~


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第52話

~前回までのあらすじ~

かゆー「あ、そうだ(唐突)。投石機破壊するゾ」

りてん「やめてくれよ……(絶望)」



りてん「クゥーン(気絶)」

かゆー「やったぜ」

超来来「あっ、おい待てぃ(江戸っ子)」

かゆー「やべぇよやべぇよ。患者が死ぬねんこのままじゃ!」

ちょうりょ「えぇ……(戦意喪失)」



かゆー「穴は一つしかないから」

たいえん「かしこまり!」



大体淫夢覚えたてのホモガキみたいな前書きしてんな、お前どう?


 華雄達の奇襲による投石機破壊から始まった夜戦は、後続の大炎が唖然とする結果に終わった。

 

「何だ奴ら、妙に慌しいから迎撃にでも動くかと思えば……」

 

「陣を引き払っている、官渡まで下がるつもりか?」

 

「馬鹿な……! これだけの要所をあっさり捨てるだと!?」

 

「いや間違いない。見ろ、白馬からも兵と物資が大量に出てきている」

 

『!?』

 

 白馬は魏軍の補給兼攻撃拠点だ。そこから人員と物資を放出するということは、魏軍がこの地を、陽軍を苦しめた天然要塞であるこの地一帯を放棄したことに他ならない。

 

「投石機無き今、我等大炎を恐れたか……にしても対応が早すぎる」

 

「恐らく始めから撤退の準備はしてあったに違いない。しかし、奇妙だ」

 

「うむ、我等の戦力を確認するまでも無く引き下がった。作為的なモノを感じる」

 

「して、どうする?」

 

「どうする、とは?」

 

「攻撃を加えるか否かだ。そもそも我等の目的はそれであろう」

 

「焼け石に水だ。撤退を開始した相手に大炎の圧力は効果が薄い。

 下手に動けば包囲殲滅の憂き目に遭うだけよ」

 

「本陣に使いを出そう。他の騎馬を含めて追撃すれば――」

 

「無駄だ。この悪天候と闇、動員できるのは精々三千騎程度。全軍で動いている魏軍には敵わん」

 

「左様。我らがすべき事は、一刻も早く仔細を本陣に届ける事だ」

 

 大炎は一人ひとりが武の達人であるだけではなく、百から千を率いる事の出来る隊長格で構成されている。

 普段は突破力にばかり注目されがちだが、全員が冷静に場を分析し、指示するまでも無く次の行動に移せるのも強みである。

 そんな大炎達だからこそ、この不測の事態にも最善の選択ができた。

 

 もしも、功に逸り攻撃を加えていたら――

 輸送隊に扮した魏軍の精鋭に包囲されただろう。敵中での奮戦も虚しく、合流してきた魏将達に狩られていたはずだ。

 事実、立ち去っていく大炎の後姿に魏軍は舌打ちした。

 魏軍が本陣を引き払ったのは事実だが、敵地で孤立する大炎を潰す為の罠でもあったのだ。

 

「うっそだろお前!?」

 

「麗覇様、口調が」

 

 知らせを聞いた袁紹達も驚いた。大炎達の見解と同じく、魏軍は白馬一帯を易々と手放さないだろうと見ていたための驚きだ。

 結局その夜は、陽軍による侵攻は行わなかった。

 魏軍の不可解な動きに不気味さを感じ、夜明けまで様子を見る事にしたのだ。

 

 

 

 

 

 

 そして翌朝、晴天となった戦場で――

 

「うっそだろお前!?」

 

「麗覇様……」

 

 すっかり引き払った魏軍の陣を見て袁紹が驚きの声を上げた。

 半信半疑だった。大炎の知らせを聞いても、それが真実であると信じられなかった。

 投石機が破壊された事は大きな痛手だが、大河に囲まれたこの地、いくらでも利用できる。

 報告に有ったような落とし穴で大炎の足を遅らせても良いし、いっそ大橋を落としても良い。

 橋さえなければ陽軍の侵攻は難しくなり、魏軍は大橋に使っていた戦力を他に向けられる。

 

 この方法さえ数ある戦法の一つに過ぎない。郭嘉の頭脳を持ってすれば、より効果的な策も生み出せたはずだ。

 にも関わらず後退。物見の報告によれば魏軍は官渡に入ったらしい。

 

「……むぅ」

 

 相手はあの曹操率いる魏軍だ、これで終わりとは思えない。

 

「麗覇様。兵達が進軍の号令を今かいまかと待っております」

 

「ならぬ、桂花」

 

「ハッ」

 

「兵を三千程見繕って白馬に送れ。罠や伏兵の類が無いか徹底的に調べるのだ」

 

 桂花は直ちに斥候隊を編成、白馬に送った。

 迅速に動いた辺り、袁紹が様子見に動く事を見越していたようだ。

 この消極的な行動に兵達から不満の声が上がったが、各将がなだめた。

 

 数刻後。戻った斥候隊の報告により白馬が安全とわかると、陽軍は橋を渡り魏軍が布陣していた場所に拠点を移した。

 さらに、もぬけの殻となった白馬に各種物資や食料を移送、補給拠点とした。

 

 

 

 

 

「さて、これからの展望だが――」

 

 官渡に篭る魏軍をどう相手取るか、或いは官渡へと続く橋で魏軍が布陣していた場合、どのように攻撃を仕掛けるか。袁紹と軍師達で話し合いを始めたその時、驚きの知らせが物見により届いた。

 

「魏軍が敗走を始めただと?」

 

「はい、官渡から出て行く軍勢の中に民衆の姿が見られました。

 現在は許都方面に向けて移動中です」

 

「麗覇様、これは……」

 

「追うぞ! 全軍で追撃だ!!」

 

「待って。追撃は官渡の制圧後じゃないと挟撃される恐れがあるわ」

 

「ならば追撃に並行して官渡も攻め立てる。者共、我に続けーーッッ」

 

『オオオオオオ!』

 

 呼び止める間も無く御輿が走り出す。その光景を唖然と見ていた詠の肩を、風が叩いた。

 

「陽軍には二面作戦が決行できる兵も将も、十分にいるのですよ~」

 

 にぱー☆ と告げられた言葉に対し、詠は天を仰ぐ。

 

 とんでもない軍容だ――と改めて思った。しかもこれで全力では無い。

 今回の戦に動員した兵力は全陽軍の半数以下、本国に残した兵とあわせれば百万を優に超える。

 魏軍との兵力差を考えれば、五十万ですら兵力過多だと言うのに――。

 一時的とは言え、こんな軍が総大将を務めた連合と渡り合えた自分達を褒めてやりたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、陽軍は官渡へ進軍。特に妨害も無く魏軍の背が見渡せる場所に布陣した。

 

 魏軍があっさり追いつかれたのには理由がある。民だ。

 官渡で暮らしていた魏民達が軍主導の下、許都に向けて移動している。

 その足は余りにも鈍足で、彼らが持っている荷物がさらに進行速度を遅くしていた。

 

 袁紹達は初め、この敗走を罠だと考えていた。

 相手はあの曹操率いる魏軍、投石機の破壊だけで勝てる相手だとは思えなかったのだ。

 つまり罠の類、敗走に見立て陽軍を釣り出す策である可能性が高いという結論に至った。

 しかしどうだ、魏軍が連れている住人達がその嫌疑をかき消している。

 兵が民に扮している可能性も考慮したが、多くの老人や子供、女が追従している。

 その事実が魏軍の敗走を決定付けた。

 

「……」

 

 少しずつ遠のいて行く魏軍を見ながら、袁紹は動けずにいた。

 あまりに“あっけない”のだ。それと同時に、手応えが感じられずにいる。

 確かに自分達は勝てる準備をして戦に望んでいる。兵力も、策も、勝って当然の規模だ。

 だが何だこの違和感は。まるで、この状況が誰かに仕向けられたかのような――。

 

 ――ありえない。

 

 袁紹は自身の中に生まれた違和感を、頭を振ってかき消した。

 もしも今の状況が魏軍にとって想定内だったとしたら、その誰かは陽軍の動きを予測しきった事になる。

 悪天候の中、少数で敵陣に乗り込み投石機を破壊した華雄(イレギュラー)を含めてだ。

 彼女の活躍は陽軍としても想定外のもの、それを外部の魏軍が想定して策を……?

 

「麗覇様、兵達が逸っています」

 

 令を出さない袁紹に桂花が声を掛け、風と詠も頷く。

 彼女達軍師も袁紹と同様に違和感は感じていたが、それを踏まえた上で吟味、追撃を進言していた。

 一番怖いのは投石機だが、余分にあるなら戦略的に考えて白馬で運用したはず。

 軍中に隠す事の出来る隠匿性は確かに脅威だが、官渡から出てきた物資の中にそれらしいものが無い事は、物見達の報告で明らかになっている。

 次点で警戒すべき落とし穴のような罠だが、陽軍に被害を与えられるものが僅かな時間で作れるはずも無し。

 何より、魏軍へと続く地は彼らが踏み荒らした後だ。あるはずもない。

 

「追撃開始だ!」

 

『オオオオオオオオオオオォォォーーーッッ』

 

 結局袁紹は、自身の中にある違和感を拭いきれないまま軍を動かした。

 今も頭の中で警鐘が鳴り響いているが、慎重過ぎても駄目だ。

 石橋を叩いている間に好機を逃し、問題を先送りにしていては意味が無い。

 反袁紹派と張勲の件が良い例だ。後回しにせず行動していれば面倒は無かった。

 それを思い出し、無理矢理に意識を切り替えた。

 

 

 

 

 逃げる魏軍に対して横一列、横陣で足並みをそろえて追いかける。

 相手の恐怖を煽る為だ、数の優劣を明確に見せ付けることで士気を下げる。

 事実、陽軍が動き出した瞬間、魏軍が慌しくなった。悲鳴のような声は民だろう。

 慌て逃げる速度が増したものの、少しして動きが鈍くなった。

 恐怖に駆られた民衆が足並みを乱したのだ。魏軍は懸命に落ち着かせようと奮闘している。

 

「……」

 

 袁紹の額に冷や汗が浮かぶ。

 

 このまま交戦すれば民衆に多くの被害が出る。余計な殺生は避けたいのだ。

 もしも魏軍がこのまま民と離れず退いていった場合、袁紹は追撃を中断したかもしれない。

 しかし――

 

「魏軍が動きました!」

 

 彼の知る曹孟徳が、民を盾に逃げ出すはずもない!

 

 民衆を誘導していた隊列から続々と魏軍が出てくる。彼等はそのまま隊を作り、騎馬隊を前に並べて横陣を敷いた。その後ろに歩兵が続く、迎撃の構えだ。

 

 ――これを待っていた!

 

 自軍の十倍近い相手を前に、民を守るように布陣する。通常なら有り得ない光景だ。

 これができるのは大陸中を探しても曹操と、劉備、孫策ぐらいだろう。

 個人の問題だけではない。あの死地に軍を従わせる事が難しいのだ。

 

「大炎に伝令! 敵陣中央で華を咲かせよ!」

 

「ハッ!」

 

 最も、相手が天晴れな行動にでたとして手加減をする必要は無い。

 むしろ袁紹は容赦なく、攻めを苛烈化させるため大炎を先行させる。

 以前に実戦投入された戦術“大炎開花”を使うためだ。

 今回は恋や華雄を交えたフルメンバーの大炎。とんでもない戦果を挙げるだろう。

  

 そして、大炎開花を受けた魏軍に猪々子、斗詩の主攻を交えた陽軍本隊をぶつける。

 中央を大炎に荒らされ、陣がめちゃくちゃにされた所を攻撃されるのだ。

 泣きっ面にハチどころの騒ぎではない。上手くいけば此処で魏と決着をつけられるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「袁紹殿からの出撃命令ですぅ! ネネ達の出番ですよ!」

 

「やっとか、待ちくびれたぞ」

 

「……」

 

 知らせを受けた大炎が速度を上げる。目指すは敵軍中央、曹操が居る本隊はその後列だ。

 

「ネネ達の役目はかく乱です、欲をかかず役目を全うするです」

 

「わかっているさ、だが……別に倒してしまっても構わんのだろう?」

 

「……」

 

「……」

 

『……』

 

「皆、どうしたのだ」

 

「あ、いえ」

 

 何か言いたげな彼らを一瞥し、華雄は騎突の準備に入る。

 中心が前方に張り出し両翼が後退した形、魚燐の陣だ。

 突破力を上げるため先頭に恋と華雄の両名が、指示を行き渡らせるため中央に音々音が居る。

 これが大炎本来の騎突の形、魏軍はその破壊力を活目する――はずだった。

 

「……?」

 

 最初に気がついたのは(呂布)だ。

 魏軍の騎馬隊が陣形を変えようとしている、それ自体は問題ないのだが。

 

 騎馬の後列からソレが現れた。

 

「! 皆、逃げ――」

 

 恋らしからぬ大声は、突如鳴り響いた轟音と衝撃にかき消された。

 

 

 

 

 

 

 

 

「何が起きた!?」

 

 突然の出来事に袁紹率いる陽軍の本隊は足を止めていた。

 そのまま先行していた大炎に目を向ける、立ちこめていた土埃が薄くなっていき――。

 

「……馬鹿な」

 

 袁紹達の目に移ったのは、あの大炎の()()が消し飛んでいる光景だった。

 

 

 

 

 

 

 

 




あけましておめでとう御座います(檄遅)


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閑話―覇道―

大きな音の比喩で爆音って使う、使わない?

超兵器も爆発物も登場しません。誤解するような表現センセンシャル。
(投稿速度上げるから)お兄さん許して。


 時を遡り魏が宣戦布告する前、日が沈んだ華琳の私室で重々しい空気が流れていた。

 

「……」

 

「……」

 

 それを作り出しているのは華琳とその軍師郭嘉の両名。

 二人だけの空間、普段であれば艶っぽい展開もあったが今回ばかりは在りえない。

 なぜなら――。

 

「もう一度言います華琳様。我が魏軍は陽軍に勝てません」

 

 郭嘉が開口一番に爆弾を落としたから。

 

 自国は勝てない。およそ覇道を志す国の軍師とは思えない言動。

 並の君主、もしくは未熟な私塾時代の華琳であれば激高しただろう。

 今の彼女にそのような心配はいらない。不愉快そうに顔を顰めてはいるが、話を聞く度量はある。

 

「稟、私は貴方に陽軍を打倒する策を考えるように言ったわ」

 

「はい」

 

「……貴方は策が出来たと言って私の部屋に入った。間違いないわね?」

 

「はい。虚偽の類はありません」

 

「なら、“勝てない”とはどう言う事かしら」

 

 華琳の言葉に郭嘉の瞳が揺れる。その光に感じるのは迷いと微かな怯え。

 

「なるほど。策の成否以前に、私が容認出来る様なモノではないのね」

 

「……お察しの通りです」

 

「まずは説明なさい。話はそれからよ」

 

 主の慧眼(けいがん)に改めて舌を巻きつつ、郭嘉は陽軍との戦の場になる官渡一帯の地形図を取り出した。

 そして模擬駒を並べながら口を開く。

 

「私の策を御話しする前に、認識すべき前提の確認をします。

 此度の戦、我が魏軍五万に対し、陽軍はどれほどの戦力で対峙すると思われますか?」

 

「地形の優劣を考慮して二十万は固いはね。万全を期す麗覇ならさらに五万かしら」

 

「それは楽観視しすぎです」

 

「……!」

 

 あっさりと華琳の予想を切り捨てた言葉に目を見開く。

 それもそのはず、倍以上の敵戦力予測を楽観視と一蹴出来る者など普通は居ない。

 

「問題は華琳様と袁紹殿の間柄と、大陸の現状にあります」

 

 そこまで言って郭嘉は地形図がある台から離れ、近くにある勢力図の前に移動した。

 

「この勢力図が現している通り、現在の中華は袁陽一強です。

 しかしそれに喰らい突く勢力、曹魏があります。

 陽国ばかり目立ちますが、私達魏国はそれに次ぐ強国なのです」

 

 強国、その言葉に華琳は笑みを浮かべる。

 対して郭嘉は苦笑した。主が誇る強国であることこそが陽国との戦を難しくしているのだ。

 

「華琳様が覇道を成す最大の壁が陽であるように、陽の壁は私達魏国です。

 仮に敗れ、魏が併合されれば、袁陽は驚くほどあっさりと全国を平定するでしょう」

 

「そうね。今の大陸に、私達以上に陽国と渡り合える軍は居ないわ」

 

「……本来であれば戦力差を利用し陽軍の油断を誘いたいところですが――」

 

「私と彼の間柄がそれを不可能にしていると」

 

「はい。華琳様が袁紹殿を理解しているのと同じく、袁紹殿も華琳様を良く知っている。

 また、高く買っているでしょう。私塾で嫌というほどに華琳様の才を見てきたのですから」

 

「……」

 

「その華琳様と魏軍に対して倍程度の戦力では心もとありません。

 確実に十倍以上の兵力五十万と、陽軍の主たる将兵を集結させます」

 

 顔良、文醜の二枚看板。人中の呂布、神槍の趙雲、猛将華雄に器用万能な公孫賛。

 荀彧、程昱、賈駆、陳宮といった豊富な軍師陣。大陸最強の騎馬隊大炎。

 魏軍に勝るとも劣らない練度を誇る五十万の兵、それを率いるは天運に恵まれた袁紹。

 冗談のような戦力だ、敵対する事すら馬鹿馬鹿しく感じる。

 

「その陽軍を相手に、白馬一帯の攻防では勝ち目はありません。

 たとえ、切り札である投石機を使ったとしてもです」

 

「なら、地形の優位を利用する以外にあるのね。“勝てる”策が」

 

「――あります」

 

 特殊な駒を手に取り地形図の方へ戻ると、その駒を白馬の対岸に居る陽軍の場に置いた。

 魏軍が蒼、陽軍が黄で表されている模擬駒の中で異質の黒。

 その見た目の特色から作られた大炎の駒だ。

 

「私の策を実現させる前に、邪魔になる部隊が居ます」

 

「大炎ね」

 

 呂布が率いる千からなる騎馬隊。数だけ見れば唯の一部隊だが、その尋常ではない戦力を皆が知っている。

 

 矢を弾き、刃を通さず、重装で固めた兵の壁すら吹き飛ばす突破力。

 阿吽の呼吸で行われる連携に、一騎当千の将。一部隊で戦局を左右出来る怪物共だ。

 陽軍と敵対する者達はまず、大炎に対して対抗策を講じなければならない。

 すでに、兵力差で圧倒しているというのに――。

 

「第一段階として、この大炎の殲滅に全力を注ぎます。……白馬一帯を囮にして」

 

「それは、あの地を放棄するということかしら? だとしたら正気の沙汰じゃないわよ」

 

「ご指摘は最もです。しかし、白馬では大炎は討てません」

 

 そこまで説明し、地形図上の駒を動かす。魏軍が防衛線を築き、陽軍が攻め立てる形だ。

 

「大炎は陽軍の宝にして鬼札です。強力無比な分、慎重に動かす必要があります。

 大河に邪魔され橋での渡河を強要されたこの戦地、大炎がてでくることはまず無いでしょう。

 橋落としや、連合戦で見せたカラクリ兵器を警戒するはずです。

 たとえ折り畳み投石機を使わなかったとしても、警戒心の強い袁紹殿が大炎を投入することはありません。

 そこで――投石機をわざと陽軍に晒します」

 

「!?」

 

「陽軍は大炎を使わなかった事に安堵するでしょう。やはりソレがあったかと笑みも浮かべます。

 彼らには投石機が大炎の足止めの為だと思わせるのです。大炎が投入できず、陽軍は焦れるでしよう。方法はわかりませんが投石機の破壊に動きます」

 

「わざと破壊させる気?」

 

「いえ、私達は策を悟られないために全力で防ぎます。

 これは賭けです。私たちの予想を陽軍が越え、投石機を破壊できるかが最大の山場でしょう」

 

「呆れた。自軍ではなく敵軍の手腕に期待するのね。……続けなさい」

 

 促され、駒を動かす。陽軍が白馬一帯を占領し、魏軍が官渡まで下がった形だ。

 

「あっさり退いた我々を陽軍は警戒します。すぐに攻めては来ないでしょう、――そこで。

 軍の立て直しと、官渡の住民を逃がす名目で敗走を演じます」

 

「!」

 

「陽軍は慌てて追いかけるでしょう。そして罠を疑います。

 しかし連れている民衆が敗走の演技であるという嫌疑を晴らし、白馬という絶対優位な地形で投石機を破壊したという事実が、彼らを追撃へと駆り立てる」

 

「……それを天性の勘で見抜きかねない男がいるわよ?」

 

「そうですね。今まで華琳様から聞いた彼の逸話、これまでの実績を考えれば危険を察知するかもしれません。その瞬間こそ、彼の長所が短所になる場面です」

 

「……」

 

「袁紹殿は見た目と言動で誤解されがちですが、戦や政に対して非常に理知的です。

 また、周囲の意見に耳を傾け取り入れられる器量がある。

 そんな彼が大陸統一最大の壁となる魏軍に大打撃を与える好機を前にして、自身の不確かな勘に頼ると思いますか?

 確かに、彼一人で軍を率いているならそれもあるかもしれません――が。

 陽国自慢の軍師達が追撃を進言するでしょう。情報と状況こそが軍師の全てですから。

 ……袁紹殿の勘が鳴らす警鐘は彼女達には響かない」

 

「理知的な彼は追撃か否かを迷い、臣下の進言が背を押す――なるほどね。

 でも、警戒して大炎を使うことは無いでしょう?」

 

「いいえ、必ず使います。何故なら陽軍の戦に半端はありませんから」

 

 黄巾、連合、その他小競り合い。袁紹は常に最善を尽くしてきた。

 そんな彼が迷いを振り払い追撃を行うのだ、必ず最善、大炎の騎突を選択する。

 

「そうして先行した大炎を、予めこの地に伏せたコレを使い殲滅します。

 陽軍は混乱するでしょう、何故ソレがあるのか――と。

 余りにも不合理で博打的、魏軍の性質と正反対をいく策。だからこそ陽軍を騙せる!」

 

 ――そして。

 

「大炎を退けた後に続く戦いの為……官渡の男を中心に武装させ、民兵として戦力にします」

 

「――ッ!?」

 

 ここにきて郭嘉の“勝てない”という言葉が理解できた。

 

 戦など、突き詰めれば領地や覇権を望んだ国同士のエゴだ。

 その中において日々を生きる民衆は被害者でしかない。その民衆を巻き込み敗走に見せかけるのはまだ理解出来る。民が被った被害は金銭や物品で保証できるはずだ。しかし命は違う。

 ただ生を謳歌したいだけの彼らを、逃げ往く家族を守るという名目で矢面に立たせ利用する。

 とてもではないが許可を出せるような策ではない。

 

 しかし――

 

「……」

 

 郭嘉は静かに華琳を見つめる。その瞳は何かを量っているようだ。

 それもそのはず、郭嘉が知りたいのは策の成否ではない、主の覇道に対する覚悟だ。

 

「……彼らを利用せずには勝てないというのね?」

 

「元々が詰んでいる盤面、尋常ならざる策を用いなければ勝機はありません」

 

 華琳は目を閉じる、思い浮かべるは郭嘉の策を拒否した戦場。

 

 白馬一帯と投石機で序盤は優位に進められる。しかし、討てども討てども陽軍の脅威が揺るがない。

 ついには大河を越えて攻めてくる、別働隊を派遣して官渡側にまで回り込んできた。

 魏軍の防衛線が瓦解、白馬での篭城戦に移行した。陽軍は魏軍を完全に包囲。

 魏軍は善戦するも、砦内に突入した大炎の前に敗北した――。

 

 場面が切り替わる。陽国の首都南皮で袁紹と華琳が謁見していた。

 『陽軍として、我が国の将として、華琳の夢を叶えようではないか!』

 彼は手を差し伸ばす、華琳はそれを手に取った。

 

 また場面がが切り替わる。どこかの戦場だ。御輿の上で高笑いする彼の横で、少し不機嫌そうに華琳が指示を出している。良く見ると近くには白蓮も居た、どこか同情するような目で此方を見ている。

 それが何となく気に入らず、彼女をからかう。白蓮は真面目に反応し返す。

 程なくして敵軍が降伏する。当然だ、私()に敵う相手などいるわけがない。

 戦勝処理を有能な者達にまかせて夜は――

 

 そこまで想像して華琳は目を開く。在りえた未来、悪くないと思う自分がいた。

 

 それが気に入らない。 

 

 彼女の名は曹孟徳、大陸に覇を成すべく生まれた唯一無二の存在。

 今までに培った軌跡、歩んできた道、賛同し付いて来てくれた家臣達。

 華琳の目指す覇道は――一人の男に揺らぐほど軽くは無いのだ。

 

 大体彼の下に付く事が気に入らない。私は覇者だ、必ずやこの戦に勝ち、“全てを”手にする。

 

 

 

 

 

 水を打ったような静寂の中、意を決して口を開いた――

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第53話

~前回までのあらすじ~

魏軍「やべぇよやべぇよ……(棒)」

陽軍「あっ、おい待てぃ(南皮っ子)」





ぐんしーズ「相手ぶっ倒すくらいでikea」

めいぞく「お、そうだな」

たいえん「おかのした」

ドッカーン(紛らわしい擬音)


読者「え、何それは(困惑)」

大体作者のせい


 袁紹が曹孟徳という人物に対して最初に抱いた感情は、恐れだった。

 宦官の孫、覇王の器、絶世の美女、そのような人伝の噂話ではなく、関心を持っていたのは正史での活躍だ。

 才ある人物を身分問わず重宝し、兵法に長け、詩人としての顔も併せ持つ。文武両道を体現した英雄。

 性に奔放で無類の人妻好き、それ故に窮地に陥る事もあったようだが、絶体絶命の危機を幾度も生き残り天運も持ち合わせている。大国、魏を建国し強大な勢力に育て上げた第一人者。

 そして――正史において、自身(袁紹)を破る袁家の死神である。

 官渡の戦いにて、当時最大勢力であった袁紹軍の河南侵攻を阻んだ。その戦い以降、袁紹の勢いは下火になり、ついには病に倒れ後継者問題で袁家は二分。機を見て河北に攻め上がり袁尚、袁煕を滅ぼした。

 

 袁紹が覇を称えるならば、曹操こそが最大の壁になるだろう。

 しかし、曹操の存在を危険視すると同時に、淡い期待を袁紹は抱いていた。

 それは――“彼女”が袁紹の理想に共感し、協力してくれるのではないかというもの。

 この世界は袁紹の知る知識とは似て非なる。英傑が女性なのが一番の特異点だ。

 そんな世界であれば、曹操を説得し盟が得られるかもしれない。そうなれば正に袁紹にお御輿。

 乱世となった中華を二大勢力が瞬く間に平定。やがて両者の合意、または婚姻により統一。

 両名とその臣下達の手腕を持って、満たされる世の実現……私塾ではそのように働きかけるつもりだった。

 

 

 

 

 当人に会うまでは。

 その日感じた雷鳴のような衝撃を袁紹は忘れていない、忘れる事ができない。

 私塾の中央、円形の空席の真ん中にポツンと座っていた彼女、曹孟徳。

 彼女の自己主張が激しい気配が全てを語っていた。誰かと並ぶ事も、ましてや下に付く事も無い、私こそが支配者だ――と。

 彼女に盟を持ちかけても一蹴されるだろう、もしくは体よく勢力拡大に利用されるだけだ。

 そして自身の力が袁紹を越えたときこう言う、『私の下で理想を実現なさい』と。 

 だが袁紹の内から溢れてくる感情が、曹操の傘下に甘んじるという選択肢をかき消した。

 

 その感情とは――一目惚れ? 憧れ? 恐怖? 否、“圧倒的対抗心”である。

 

 握力測定で、イケメンがドヤ顔で出した記録を意地でも越えてやろうと思ったあの時。○

 サウナにほぼ同時に入ったおじさんと、アイコンタクトで脳内のゴングが鳴り響いたあの時。●

 馬鹿野郎お前俺は勝つぞお前!! と、一対三にもかかわらず勝利を疑わなかったあの時。●

 

 過去感じてきたソレらとは比較にならない、怒りにすら近い対抗心。

 言葉にするなら「あんな小娘に、負けるわけにはいきませんわ!」といった感じだ。

 何故お嬢様口調なのかはわからない、曹操を見た瞬間浮かんだのだ。

 

 それからというもの、袁紹はことあるごとに曹操の上に立とうとして来た。

 文学で、算術で、兵法で、だが相手は生粋の天才。どれもあと一歩及ばない。

 唯一勝ったのは武芸。座学に比べ自身の武を重要視しなかった曹操は、幼少期から鍛えてきた袁紹に容易く武器を弾かれた。

 その時見せた悔しそうな彼女の表情。袁紹の心に何とも言えない満足感が広がる。

 あの甘美な味が忘れられず、袁紹はさらなる研鑽に励んだ。

 曹操も同様。言わずもがな、彼女も相当な負けず嫌い。模擬戦の敗北以降は春蘭達の武稽古に混ざり、擦り傷をつけながら私塾に通っていた。座学の方も今まで以上に励んだ。

 

 打算を持って接触した二人だが、気が付いた時には互いを高めあう好敵手()になっていた。

 

 

 

 

 

 

 そんな曹操(好敵手)が、背を見せ敗走している。勝ち、手の内に納めたいと渇望した彼女が。

 

 何を迷う必要があるのか。兵は逸り、軍師達は追撃を進言している。

 脅威だった投石機は華雄達により破壊済み。官渡城は魏軍が移動した頃から監視しており、投石機に次ぐ、兵器のような建造品が運ばれていない事も確認している。

 魏軍は民を連れ立っての強行軍、道中に仕掛けを施す暇は無い。

 第一、このまま魏軍を見逃してどうするのだ。この機を逃せば戦場は許都方面の道中になる、今居る平地とは異なり道幅は狭く、大軍である陽の持ち味が活かせない。

 険路を主眼に入れた戦略的撤退だとしたら、道中に罠を張り巡らせられる可能性もある。

 事実、魏軍から数百ほどの騎兵が先行して行ったとの報告を受けた。ただの伝令にしては数が多すぎる。

 

(早く追撃の令を出しなさい。間に合わなくなってしまいますわよ!)

 

「……」

 

 袁紹の顔に、余裕が無い。

 表情は強張り、目は血走っている。

 

 この時、誰か一人でも彼の様子を気に掛ける人間がいたのなら、結果は変わったかもしれない。

 しかし、袁紹を含め、陽軍全員の視線は離れていく魏に向けられていた。

 

 桂花にとって曹操は憧れの存在、袁紹に心酔している今でもそれは変わらない。

 だからこそ陽国の軍師として、魏軍は最も警戒し、倒さねばならない難敵。

 

 風にとっては(郭嘉)が軍師を務める軍。打破することに熱を上げるのも当然。

 

 賈駆にとっても魏軍とは因縁、泥水関を突破された過去がある。

 とは言え、三軍師の中で最も冷静だったのは彼女だ。

 だがしかし、総大将の変化に気が付くほど、彼との付き合いは長くなかった……。 

 

 袁紹の意思は、危うい均衡で追撃に大きく揺らいでいた。そして――

 

「麗覇様」

 

「――ッ追撃開始だ!」

 

 信頼する軍師の、決定を促す呼びかけがその背を押した。

 

 

 

 

 

「着弾確認、成功です」

 

『オオオオオォォーーーッッ!』

 

 場所変わって魏軍。兵たちは郭嘉の報告で沸いた。

 

「フフフ。今頃、陽軍は目を白黒させているでしょうね。何故、“それ”があるのか――と」

 

「はい、思考が停止している内に次弾装填を急ぎます」

 

 それとは即ち投石機であった。それが二台。魏軍が保有する投石機は三台ではない、五台だ。

 この事は魏軍内でも曹操と郭嘉、李典とその直属である工作隊しか知らない。

 官渡に隠し、運び出したのではない。投石機は予め、この場に畳まれ置かれていたのだ。

 全ては大炎を殲滅するための策。白馬一帯の攻防も、民を連れ立っての撤退も、大炎を誘き出す為の罠だった。

 

 大炎が居た場所を巻き上げられた砂塵が舞う。轟音と共に巻き上げられたのだ。

 巨石ではない。今回使ったのは礫石――人の頭ほどの大きさで角ばっている石だ。それが無数に、大炎を中心に広範囲に亘って降り注いだ。

 巨石が点だとすれば、礫石は面。散弾である。李典が作り上げた投石機は、二種の投石が可能だった。

 

 これを白馬で使えば、一帯を難攻不落の要塞と化すことは簡単だったが、それは悪手であると曹操、郭嘉の両名は看破していた。

 投石機五台で礫石と巨石。大橋の大炎だけでは無く、渡河してきた陽軍すら蹴散らせただろう。

 だが駄目なのだ。それでは袁紹が“興奮”から覚める。

 袁紹も曹操同様、相手軍の力を欲している。正面から力を示すことで屈服させてくる。

 決戦のち勝利を熱望する彼だが、兵の被害が割に合わないのでは話が変わってくる。

 己が願望の為に、無駄な命を使うほど愚かな事はない。

 要塞化した白馬攻防での戦果が、自軍の等価と合わないのであれば、彼は必ず戦い方を変えてくる。

 つまり――白馬を迂回しての侵攻だ。

 

 本国に陽の侵攻を耐えきれるほどの兵は居ない。魏軍は白馬を放棄して追撃せざるを得なくなる。

 それを確認した陽軍は反転、魏軍の備えがない平地での戦に持ち込むのだろう。

 故に、絶妙な力加減を演出してきた。投石機を隠し、礫石を封じてまで。

 策は概ね成功、白馬の攻防に持ち込むことができた。予想外なのは華雄の存在だ。

 郭嘉の予定では、白馬で数日攻防戦を広げる事になっていた。投石機を絡ませ、陽軍の戦力を少しでも削るはずだったのだ。

 それがまさか、初日で、悪天候のなか夜襲を仕掛けてくるとは……。

 だが盤面に狂いはない。予定が少し早まっただけだ。

 

 そしてついにやり遂げた。あらゆる策、軍、戦術を蹴散らしうる大炎の――

 

「!? 投石を免れた者達が!」

 

「……少し狙いが逸れたようですね。問題ありません、次弾で終わりです」 

 

 晴れた砂塵の中から騎乗した大炎が見える。数は三百といった所だろうか。

 無傷なところを見るに、礫石の射程から外れたようだ。

 問題ない。すでに次弾礫石の装填を開始している。確実に仕留める為に引き付けたのだ、後は逃げる背に撃って終わりだろう。

 そして、次戦こそが自分たちにとって本番だ。陽軍五十万、大炎を欠いたとて脅威に変わりない。

 

 

 

 

 無論、策は打ってある。

 

 

 

 

 

「――ッ やってくれたな曹操、郭嘉」

 

 袁紹の周りの空間が歪む。それほどの怒気。

 魏軍に対してではない、策を看破出来なかった軍師達に対してでもない、己だ。

 まんまと乗せられ、大炎の犠牲を出した自分自身に対する憎悪にも近い怒り。

 余りの変わり様に、近くの兵たちが数歩後ずさる。

 

「麗覇様、申し訳――」

 

「後だ」

 

 桂花を筆頭にした軍師陣の謝罪を遮る。

 これ以上、間違える訳にはいかない。己に憎悪するのも、反省をするのも後でいい。

 事態は刻一刻と変化している。ここで手を打たなければ後手に回ってしまう。

 士気も最悪だ。何とか別動隊を大きく迂回させ投石機を――

 

「袁紹様! 大炎に無事な者たちが!?」

 

「撤退の銅鑼を鳴らせぇッ!」

 

 隊の先頭として突出していたことで、かろうじて投石を免れたようだ。

 その者たちの中に、恋や音々音、華雄の姿が確認できる。陽軍の士気に僅かな光明が差した。

 しかし次の瞬間、生き残った大炎は予想外の行動に出た。

 

 

 

 

「た、大炎が寡兵で魏軍に突撃を――!?」

 

 

 




MHWでやる事がなくなったので初投稿です。ベヒーモスあくしろよ(せっかち)

完全に失踪体勢に入っている作品に応援メッセージが、なんかこう、あったかい。
涙ちょちょぎれてあーもうめちゃくちゃだよ。
じゃけん完結目指して再出発しましょうね~。ブランクのせいで執筆能力が……(予防線)


もともと無いって? やかましいわ!


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第54話

~前回までのあらすじ~

鼻血美乳妄想癖軍師「(策が)成ったぜ」

ちっぱいはおー「やりますねぇ!」



ぐんしーズ「あ、すいませ(素)」

してやられイエロー「あったまきた……(冷静」

モブ「(寡兵の大炎が敵に)自分から入っていくのか……」


大体あっ




 事態は刻一刻と変化している。

 魏軍による投石が成功し、陽軍が呆気に取られている間、渦中にいた大炎達の時も流れていた。

 

「……」

 

 隊の長である恋は決断を迫られている。隊から僅かに先行していたことで、自分たちは投石を免れた。

 数は三百弱、他の者達は礫石の濁流に呑まれてしまった。

 

 撤退すべきだ。

 再び投石が来れば、間違いなく全滅する。少しでも被害を抑える為に散開して撤退。

 本隊に合流して体勢を整えるのが最善だろう。だが、撤退の令が出せないでいる。

 

 理由は、地に倒れ伏す大炎達だ。

 彼らは――生きている! 重装甲と恋が課してきた鍛錬が功をなしたのか、礫石の隙間からのぞく体に呼吸があることが確認できた。

 陽軍屈指の武力と耐久力を持つ彼らだからこそ、咄嗟の投石を防御し、受け身をとることが出来たのだ。

 

 だがら――撤退を決断できずにいる。

 奇跡的に防げてもそれは初撃まで。落馬の衝撃も相まって重軽傷を負っている彼らは、その殆どが気を失っている。

 恋達が撤退した後、誰が彼らを助けるのだ。

 本隊か? 不可能だ。投石機の射程内に入ってくる敵軍を見逃すほど、魏軍は甘くない。

 とはいえ、このまま手を拱いていても全滅の憂き目にあうだけだ。

 自分達は兎も角、意識のない者は礫石の二撃目を耐えられないだろう。

 

 恋の中で、彼らと過ごした日々が流れていく。

 平時の鍛錬や食事、戦のあとに囲った鍋、酒盛りからの飲み比べ。

 今までは音々音や家族(どうぶつ)達と、簡素ながらも楽しい食事をしてきた。いつのまにかソレは、騒がしく、賑やかなものに変化している。

 

 恋は、孤独だった時間が長すぎた。

 戦地において、鬼神の如く敵兵を屠り続けてきた彼女は、敵味方双方に恐れられてきた。

 どれだけ言葉で誤魔化そうとも、常に一定の距離があった。

 大炎の隊士達は、そんな恋を慕って集った。元々は優秀な武官の集まりだが、その実態は恋の武に憧れを抱いた武芸者の集まりだった。

 やがて武だけでなく、その人となりにも惹かれ、隊士達は忠以上の親愛すら抱いている。そしてそれは、恋や音々音も同様だ。

 

「!」

 

 礫石に巻き込まれた大炎の中から、辛うじて動いている者たちが居た。

 彼らは折れた槍を杖代わりに、何とか立ち上がろうとしている。

 

 駄目だ、駄目だ、見捨てない、見捨てられない、彼らは――家族だ!

 

「しっかりしろ! 呂奉先!!」

 

 恋の頬に鈍い痛みが走る。完全に意識外から放たれた拳に、反応できなかった。

 拳の正体は言わずもがな、華雄だ。

 

「撤退の令を出せ、このままでは全滅する!」

 

「でも、皆が」

 

「この状況では最早、全ては救えぬ。判断を間違えるな!」

 

 全滅。恋が無意識に背けていた言葉を使われ、顔がゆがむ。

 今にも泣きだしそうな表情は、まるで迷子の童子だ。隊の長として余りにも無様。

 その表情は、恋を誰よりも認めていると自負している、華雄の心をざわつかせた。

 

「今のお前の判断を、倒れ伏す皆は喜ぶのか?」

 

「!」

 

 喜ぶはずがない。恋達をその場に縛っているのが自分たちと解れば、自害してでも撤退を促すだろう。

 それは――自分が同じ立場でも同様だ。

 

 恋が華雄に目を向けると、右手から血が滴っているのが見えた。

 殴った時に傷つけたのではない。得物を握る力が入りすぎて皮が破れたのだ。

 大炎を見捨てる事は、言うまでもなく華雄にとっても不本意。

 彼女の隊からも、多くの者が大炎に合流している。中には、恋達よりも長い付き合いの古株もいるだろう。

 

 恋の脳裏に、反董卓連合戦での華雄の姿が蘇る。

 圧倒的劣勢の中において、常に最善を選択、奮戦し続けた。

 味方に多大な犠牲を出しながらも、勝利を諦めず戦斧を振り。

 汜水関が破られると見るや、味方を鼓舞しながら虎牢関に下がった。

 遠目に眺めて思ったものだ、あの姿勢こそ大炎の長が目指すべき将の姿だと。

 

「皆、撤退――」

 

「前進です!」

 

 意を決した恋の言葉を遮ったのは音々音だ。彼女専属の護衛隊を引き連れて中央からやってきた。

 音々音も礫石に巻き込まれたはずだが、彼女の護衛隊は大炎随一の防御力を持つ。

 恋の矛さえ数撃防ぎきれる彼らは、数人の戦闘不能者を出しながらも軍師を守り抜いた。

 

「活路は後ろではなく、前にあるです! ねねを信じてくだされ、呂布殿」

 

 撤退を促した華雄の視線を感じ、音々音はピクリと震える。

 誤解だ。眼光の鋭さはともかく、華雄に彼女の意見を反対する意思はない。

 反董卓連合戦にて、その戦術眼の高さは痛感している。そんな彼女が進言したのだ、勝算はあるのだろう。

 それに、最終的な判断権は長にある。

 

「即決しろ、恋」

 

「……前進」

 

「呂布殿ぉ!」

 

「く、どうなっても知らんぞ!」

 

 

 

 

 

 

 

「投石を免れた大炎が突っ込んできます!」

 

「馬鹿な……正気か?」

 

「……チッ」

 

 舌打ちしたのは工兵隊の副長。彼は大きなミスを犯し、小さな軍師にそれを見抜かれていた。

 

 予めこの地に伏せてあった二台の投石機。礫石を面で飛ばす為、狙いは大雑把でも問題ない。

 だが、もしも狙いが逸れた場合を想定していた李典は、発射に手順を設けて解決するはずだった。一台目で敵の足を止め、微調整した二台目で仕留める。副長は二台を同時に使ってしまったのだ。

 

 とはいえ、手順を聞かされていなかった彼を責めるのは酷だろう。

 李典は工兵隊の長だ。この戦はもっぱら後方支援であって、前線での出番はない。

 だからこそ彼女は、自分が全ての投石を指揮するものだと考えていた。

 

 李典は現在、意識不明の重体で民に紛れ搬送されている。

 副長が発射の手順を知る手段はなかった。

 

「――ッ、一台、礫石の装填を中断! 巨石に切り替えろ!」

 

 礫石は無数の石を面で飛ばす。故に、再装填に時間がかかるのだ。

 大炎の速度から、装填前に肉薄されるとした副長の判断は鋭い。

 

 当たらなくてもいい。巨石で怯ませ礫石で討つ!

 

 

 

 

 

 

「……華雄、武器交換」

 

「?」

 

「いいから」

 

「説明ぐらいしろ、まったく」

 

 言って、恋に自身の得物である金剛爆斧を渡す。

 それから少しして、代わりに持っていろと言わんばかりに方天画戟が飛んできた。

 危なげなく受け取れたとはいえ、扱いがぞんざいすぎる。後で説教だ。

 

「……」

 

 恋は手に持った金剛爆斧にチラリと目を向けた。重い、そして熱い。

 まるで華雄の想いが、熱となってこもっているようだ。

 恋の方天画戟に、このような熱は無い。そもそも、戦場に対する想いすら持ち合わせていなかった。

 

 戦うことは手段でしか無い。それも目的は、食い扶持を稼ぐ為だけである。

 こんな時代だし、戦場に欠いたことはない。恋はただ求められるがまま敵を屠り続けてきた。

 

 だが、そんな考えも袁紹を主としてから変化してきた。

 彼は言った。自国のような発展と安定した暮らしを、大陸中に広めるのが夢だと。

 小難しい話はわからない。初めて聞いた時も漠然としていた“夢”は、少しずつ、だが確実に実現に向かっている。

 

 この地に至るまで、いくつもの地方を併合、陽国の領地としてきた。

 どの場所も民は疲弊しきり、陽国はその地の再建に全力を注いだ。

 食料や資材を安価で分け与え。生活が安定するまでの間、税を免除。

 教育機関にも力を入れ、子供たちの未来を照らした。

 恐怖や暴力ではなく、豊かさという名の(ぬく)もりで包み込む。

 いつしか、彼が作る未来を共に見たくなった。

 

「! 巨石が来ます!!」

 

「回避――いかん、間に合わん!?」

 

「大丈夫。このまま前進」

 

 陽国(袁紹)と恋の夢は、実現への道を順調に歩んできている。

 それを、たかが道端の()()程度で――

 

「――邪魔するな!」

 

『!?』

 

 普段から物静かな恋らしからぬ声量。

 それと共に放たれた戦斧の一撃は、眼前まで迫った巨石を砕いた。

 

『おおおおぉぉぉぉーーーッッ』

 

 砕かれた巨石は無数の拳大くらいになって大炎に降り注いだが、勢いすら失ったソレでは傷一つつかない。

 唯一懸念されたのは音々音だが、彼女の護衛が全ての小石を弾いた。

 こうなればもう憂いはない。後はアレを破壊するだけだ。

 

「ん、返す」

 

「まったく……お前という奴は…………」

 

「?」

 

「頼りになる。そう言った!」

 

 投石機から護衛の騎馬隊が向かってくる。数は三千程度。

 決死の時間稼ぎだろう。大炎もろとも礫石を使うつもりだ。

 

「無駄だ、今の我々は誰にも止められん!」

 

 華雄の咆哮に呼応するかの如く、十倍の精鋭を弾き飛ばしながら進軍していく。

 まるで素通りだ。曹操や郭嘉の両名が、大炎を恐れ、大計を持って屠りたがった理由がこれだ。

 戦術や策の常識を正面から食い破る。ただ単純な武力で……。

 

「魏軍が退いていく!?」

 

「今です、投石機を確保するです!」

 

 適わないとみるや魏軍はすぐに退いた。騎馬を中心に工兵達を護衛しながら下がっていく。

 

「矢が来るぞーッ」

 

「無駄だ。我々に矢は――」

 

「火矢だ。奴らの狙いは投石機だ!」

 

「しまった。投石機を守れ」

 

 巨大な建造物である投石機は守り切れず、下がりながら魏軍に放たれた火矢を浴びる。

 燃え広がりが早い。どうやら、退く前に油を掛けたようだ。

 

「うぬぬ~。これでは復元も出来ないのです!」

 

「構うものか、十分な戦果だ」

 

「そうですぞ陳宮殿。戦況はわが軍に大きく傾きました!」

 

「ん、ねねえらい」

 

 皆が口々に音々音を褒め称える。それもそのはず、退いていれば高確率で礫石の追撃を受けた。

 たとえ免れたとしても、動けない者たちは助からず、その後の戦いでも陽軍を苦しめただろう。

 

「そうだ。早く皆の救出に――」

 

 礫石を受けた地に振り向いて動きを止める。もうすでに陽軍の本隊が救出作業に移っていた。

 

 寡兵で敵に突撃した理由を袁紹達はすぐに察知した。ならば、行動は早い方がいい。

 陽軍本隊の誰もが、大炎が投石機を無効化することを疑わず。迅速に動けたのだ。

 

「おー、皆。さすがの活躍だったな」

 

「猪々子……」

 

「麗覇様の伝言だぜ。大炎は後方にて待機、治療にあたれってさ」

 

「だが」

 

「後は、任せな」

 

 犬歯を覗かせる猪々子の姿に、皆が口を閉じる。

 目が笑っていない。大炎に対する所業には彼女も腹が立っているのだ。

 大剣を担ぎ、魏軍に向かっていくその背は、強い存在感を放っていた。

 

「いくぜ野郎ども! 倍返しだ!!」

 

『うおおおおぉぉぉぉぉ―――――――ッッ』

 

 

 陽の二枚看板。十万の兵を連れ主攻として進軍開始。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第55話

~前回までのあらすじ~

アホ毛「やべぇよ……やべぇよ……。ものすごい、礫石降ってきたから……」

真名なし子さん「将なら、背負わにゃいかん時はどない辛くても背負わにゃいかんぞ!」

ちん〇ゅー「この辺にぃ、投石の屋台、来てるらしいっすよ」



天下無敵「カスが効かねぇんだよ!(巨石)」

イノシシ「じゃあアタイ、ギャラ貰って突撃するから」


大体あってる




「オラオラどきやがれ! 雑魚じゃアタイ達は止められねぇぜ!!」

 

『オオオオォォーーッッ』

 

 文醜隊、爆進。

 

「止めろ止めろ、これ以上進ませるな!」

 

「くそ、なんて奴らだ」

 

 大炎が有名になったことで影が薄れたが、袁紹が台頭した当時から主攻を担ってきたのは、言うまでもなく二枚看板の二人である。

 攻守優れた安定感のある武将が斗詩ならば、猪々子とその兵は何処までも攻撃特化だ。

 攻めこそが最大の戦術と言わんばかりに、将を先頭に騎突を仕掛ける。

 猪々子の桁違いな剣力に兵が続き、敵陣に切り込めばこむほど士気が向上していく。

 対する敵軍はその勢いに押され、士気が下がっていくのだ。

 破壊力は大炎に勝るとも劣らず。陽の大刀の名に恥じない部隊である。

 

「重装歩兵隊、前へ!」

 

『応』

 

 その進撃を止める為、魏軍の重装歩兵隊が躍り出る。

 彼らは文醜隊の進路上に横陣を敷き、左手に盾を、右手に槍を突き出した構えで密集した。

 装甲は大炎には及ばないが、錬度も相まって、魏軍の重装歩兵の防御力は大陸五指に入る。

 

 指揮は楽進。魏軍の出世株だ。

 

「来るぞ、備えろ!」

 

『オオォッッ!』

 

 文醜隊の勢いは想定以上だ。手塩にかけて育てた兵達に、多大な犠牲を強いるだろう。

 だがそれだけの価値はある。討つ必要はない、動きさえ止められれば良い。

 陣形の中に深く入り込み、動きを止めた騎馬など弓の的だ。

 

「……やっかいなのが出てきましたね」

 

「文醜様、ここは一旦兵を分けて側面に――」

 

「しゃらくせぇッ!」

 

「文醜様!?」

 

 騎馬が一騎飛び出して来る。文醜(猪々子)だ。

 重装歩兵の壁に向かって一騎駆け。舐められたものだと、楽進とその兵が歯噛みする。

 

「楽進様」

 

「ああ、厚くしろ」

 

 自信はあるが、過信はしない。

 堅実を絵に描いたような楽進と、彼女に訓練を施された兵達に油断は無かった。

 (イノシシ)の進路上にある重装歩兵の数を増やす。厚みは通常の三倍、騎突の衝撃でもびくともしないだろう。

 馬から跳んで、斬り込んでくるという奇襲にも対応できるように、(重兵)の内側に槍兵を配置。

 止まれば弓矢、跳べば串刺し。王手飛車取り、この布陣に隙はない。

 

 

 

 

「――ッ、たくよぉ」

 

 舌打ち。舐められたものだという感覚、それは猪々子にもあった。

 この戦からしてそうだ。魏軍の動きはどこまでも大炎を意識したもので、回りくどい策を使ってまで誘い出した。

 白馬一帯の要所、官渡や投石機すら犠牲にした。大炎に対する評価の高さが伺える。

 だが、目の前の重装歩兵はどうだ? 仮に大炎が向かってきているとすれば、彼らは同じように壁を作るだろうか? 否、別の手段を講じるだろう。

 

 猪々子は斬山刀を、肩に掛けるようにして構えなおす。

 目の前のソレ()は文醜隊を、それを率いる将の力量を馬鹿にしている!

 

「アタイを止めるには、()の桁が違うだろうがァァーーッッ」

 

 一閃

 

「――ッ、出鱈目な!?」

 

 楽進が叫んだ。無理もない。猪々子より放たれた斬撃は重兵の装甲を、構えた鋼鉄の盾ごと切り裂き、一撃で十数人を吹き飛ばしたのだ。

 

 

「続け、おめぇら!」

 

『オオオオォォーーッッ』

 

 猪々子によって壁に空いた穴に、彼女の兵たちが雪崩れ込んでいく。

 重兵は正面の防御に優れる一方で、側面と背後に弱い。

 魏兵が穴を埋めようと殺到するが。猪々子が次々に穴を構築、広げていく。

 

「うっし、こんなもんか。次は――」

 

 攻め場を作り、次の行動を決めようとしたその時である。

 猪々子に向かって“何か”が飛んできた。正体はわからないが、本能から危機感を感じ取り回避する。しかし、馬上で無理な体勢をとったため落馬。受け身に失敗し「ぐえっ」と、乙女らしからぬ声を上げた。

 

 先程までの雄姿が台無しである。彼女をよく知る者たちからすれば、愛嬌の一つだが……。

 相対する楽進は少し呆けてしまった。

 

「いってぇ、よくも……あー!? ネェチャン確か――そう、楽ちゃん!」

 

 ずるり、と楽進の構えが崩れる。

 

「……敵同士ではありますが、覚えていて頂けた事は光栄です」

 

「そりゃ忘れようがねぇよ。ほらその傷――」

 

 楽進の顔が歪む。彼女の全身にある傷は、武人の誉であると同時に乙女として汚点でもある。

 年頃である楽進にとっては後者に近い。そんな乙女にとって気にしている所を……。

 彼女(猪々子)の辞書に、気遣いという文字はないのだろうか? 

 

「――スッゲェカッコいいじゃん!」

 

 ずるり、ドサッ。今度は耐えきれずに倒れてしまった。

 

 傷の話題に触れない者。鍛錬の証として誉める者。

 様々な言葉を投げかけられてきたが、目を光らせて羨む反応は初めてだ。

 それも戦の真っ最中、両軍の矢が頭上を行き来する場での言葉である。

 

「!」

 

 楽進は慌てて飛び起き、構え直す。

 相手の術中に嵌まってはいけない。これはきっと、こちらの戦意を削ぐための策略だ!

 

「お?」

 

 楽進の闘志を感じ取り、猪々子も体勢を整えた。

 大刀を肩に担ぎ、口元には不敵な笑みを浮かべている。

 あるのは強者としての余裕。いや、慢心か。

 だがそれだけの実力差はあるだろう。三羽鳥の中で一番、武を磨いてきた楽進だからこそ、嫌というほど理解できる。

 

「よせよせ、そういうのって確か“漫遊”っていうんだぜ」

 

「……?」

 

 蛮勇、だろうか。尚も戦意を削ごうとするとは、念の入ったことだ。

 

「確かに、私では敵いそうにありません。ですが――」

 

「二人ならどうなの!」

 

 ――殺気。猪々子は己が防衛本能に従い、右に飛び退く。

 次の瞬間、彼女が立っていた地点を二つの刃が通り過ぎた。

 三羽鳥の一人、于禁の双剣だ。躱されると思わなかったのか、勢い余って楽進の傍に倒れた。

 

「ば、バカ! 声を上げながら奇襲を仕掛けるな!!」

 

「あたた。つい……なの」

 

「にしても折角の好機をお前は――」

 

「えーでも。沙和が声を出す前にあの人反応してたの」

 

「……だから?」

 

「どのみち避けられてたの!」

 

 どや顔ウィンク&横ピース。

 

「――ッ 胸を張って言うなァーッ」

 

「いったーーッ。同士討ちは軍法会議ものなの!」

 

 戦場のど真ん中でいい度胸してんなぁ。などと、猪々子は自分を棚に上げて思う。

 于禁が合流したが、余裕が崩れない。負けるイメージが思い浮かばないのだ。

 

「あのよぉ、漫才し続けるならアタイ行くけど」

 

「ま、漫才なんてしていません!」

 

「じゃあ、戦るんだな?」

 

 ゾクリと、楽進と于禁の肩が跳ねる。

 濃密な闘気。先程までの弛緩した空気が、嘘のようだ。

 楽進が息を吸い込む、右手を引き、密かに力を込めていく。

 于禁は震えを誤魔化すように、得物を強く握った。武者震いではない、恐怖からくる震え。

 それでも彼女に、逃げという選択肢はなかった。心ならずも倒れた親友(李典)と、強大な相手に向かっていく親友(楽進)の為に。背を向ける訳にはいかないのだ。

 

「合わせろ、沙和!」

 

「合点承知なの!」

 

 楽進の突き出された右手から、淡い光を放つ何かが飛んでくる。気弾だ。

 弛まぬ鍛錬の果てに会得した奥義。先程、猪々子を落馬させたものもそれだろう。

 猪々子は大刀を盾にして気弾を受けた。思ったより衝撃が少ない。

 これは、囮だ!

 

「もらった」

 

「なの!」

 

「――ッ」

 

 猪々子は、二人の狙いに気が付くと同時に、術中に嵌まっていた。

 気弾で意識を逸らしたところで、接近して猛攻を仕掛ける。超近距離戦。

 斬山刀は刃渡りも大きい長刀だ。切れ味を最大限発揮させるには、相応の間合いを必要とする。

 大きく振る必要があるのだ。

 

 それに対して、二人の得物は近距離戦に向いている。

 楽進の得物を己の体、四肢を活かした徒手空拳。

 于禁の双剣も小回りが利く。なにより、巧い。

 背後に回り込み、楽進の猛攻から逃れられないように牽制してくる。

 

 避ける、避ける、受け、避ける。

 前の拳を体術、背後の刃を大刀で弾き、いずれ来る好機を待つ。

 

 仕掛ける二人はそんな彼女に舌を巻いていた。不得手とされる間合いで、二人の攻撃に対処できるとは……。

 猪々子の武才は、周りの想像を遥かに超えている。

 

「――ちぃッッ」

 

 顔の横に拳が通る。猪々子の頬に掠り、血が流れた。

 ここにきて楽進が猪々子を捉え始める。というより、猪々子が避け損なった。

 楽進の攻撃パターンが変わったのだ。只でさえ多彩な拳法にフェイント、于禁もそれに合わせて来た。

 猪々子の身体を、次々と掠めていく。フェイントを織り交ぜられては、避け続けるのは不可能だ。

 

 勝てる。

 強者を挟んで猛攻を仕掛けていた二人に、希望が湧いた。

 相手が本来の力を発揮できていれば、勝機は無かったはずだ。それほどに実力が離れている。

 二度と通用しないであろう、気弾による奇襲が生んだ好機。必ずものにして見せる……!

 

 そんな二人の気概を感じ取ってか。はたまた、攻め続けられたことによる苛立ちか。

 猪々子の額に血管が浮き上がる。図に乗るな。この程度、窮地ですら無い!

 

「なっ――ッ!?」

 

 猪々子による頭突き。突然受けた衝撃に楽進が立ち眩む。

 

 楽進と于禁の連携は巧い。いや、上手過ぎる。

 だからこそ生じる隙があった。二人のフェイントが重なった時だ。

 

「オ、ラアアァァッッッ」

 

 一閃

 

「きゃあ!?」

 

 于禁は脇に迫った凶刃に、辛うじて双剣を滑り込ませて受け止めた。

 だが、受けきれない。強すぎる衝撃に彼女の身体が浮き上がり、猪々子は構わず于禁ごと大刀を回転させて、楽進めがけ振りぬいた。

 

「ぐッ!」

 

 楽進も于禁同様、両の手甲を交差させ防御する。

 そして于禁と同じく浮き上がり、二人して大きく弾き飛ばされた。

 地面を転がり、楽進は即座に立ち上がった――が。

 

「沙和、無事か!?」

 

 于禁が気を失っている。額から血を流している所を見ると、受け身に失敗して頭を打ったようだ。楽進は自分達の勝率が、顕著に下がったことを自覚した。

 不幸中の幸いは、先程の一振りが全力で無かった事だろう。

 猪々子の間合いで腰の入った一振りなら、二人の胴ごと両断されていた。

 斬撃というより、鈍器に近い一撃。目的は距離を離す為だろう。

 

「勝負あり――ってか。ここらで降伏したらどうだい?」

 

 猪々子個人としては、二人を殺めたくない。

 強者と認めたこともあり、是非とも肩を並べて戦場に立ちたい。

 陽が魏を打ち破り吸収すれば、それも叶うだろう。

 そして何より、見知った者の死を悲しむ(袁紹 斗詩 曹操)を、見たくないと思った。

 

「こう……ふく?」

 

 両の腕に激痛が走る。チラリと目を向けると、手甲が砕けていた。

 痛みは、骨に異常をきたしたのだろう。

 

 絶体絶命。そんな言葉が浮かんだ自分を、楽進は嘲笑した。

 まだだ、自分には出来ることがある。

 

「――そうか」

 

 楽進が全身の気を練り上げているのを確認して、猪々子が呟く。

 討ちたくないだけで、討てないわけではない。

 最早、是非に及ばず。これ以上の言葉は互いの、武人としての魂に傷をつけるだけだ。

 

 楽進を中心に、波紋のように静寂が広がった。

 

 決死。

 

 相方が倒れ、手甲が砕け、身体が満足に動かせず、相対するは格上の強者。

 猪々子が強者と認めた武人が、人生の終焉に牙を立てようとしている。

 彼女は敬意を言葉にせず、獅子博兎であることでソレを伝える。

 

 大刀一閃。

 

 十数人の重装歩兵すら撫で斬りにする、猪々子がもつ最強の斬撃。

 ソレが来ると、楽進は悟った。

 右手を引き、腰を落とす。奇しくもソレは、猪々子に奇襲を仕掛けた時と同じ構えになった。

 

「いっっくぜぇぇぇーーッッ」

 

 瞬時に間合いを詰める大刀。楽進に焦りはない。

 後は、尽くすだけだ。

 

「ウオオオオォォーーーッッ」

 

 全身に満ちていた気が、突き出した右手に収束していく。

 目がくらむ程の眩い光と共に、全力の気弾が放たれた。

 先程放った気弾の比ではない。猪々子を丸ごと包み込むような大きさ。

 破壊力も言わずもがな、巨石すら砕くだろう。

 

 猪々子はそれを正面から――

 

「オラァッ!」

 

 ――斬った!

 

「!?」

 

 目を見開いた楽進がその場にへたり込む。絶望したのではない、出し尽くして脱力したのだ。

 頭上を大刀が通り過ぎる。偶然だが、避ける形になった。

 だが、それで止まる大刀ではない。猪々子は振りぬいた得物を切り返し、再び楽進を捉えた。

 刃を引くことは簡単だ。楽進達の命を惜しむなら、終いにして捕縛すればいい。

 だが、それでは楽進の武人としての魂が死んでしまう。

 降伏を受け入れず全力で牙を突き立て、相手の裁量で生き延びる。

 冗談ではない。生き恥だ。

 猪々子は武人としての楽進を救うため、個に向けて斬撃を繰り出した。

 

 そんな不器用な気遣いを感じてか、楽進が苦笑する。

 悔いはない。全力を出し尽くして敗れたのだ。武人としての本懐といった所だろう。

 そう“武人”としては。

 

 目を瞑る楽進の脳裏に、魏の面々が浮かぶ。

 村を救われ、軍人として取りててもらい、変わり者で知られる幼馴染達を重宝してくれた。

 全身の傷にも嫌悪感を見せず。武人として高みを目指す事まで、手助けしてもらった。

 

 だからこそ個人(楽進)として無念だ。恩を、返しきれなかった。

 

「……?」

 

 妙だ。目を瞑ってから暫く経つが、来るはずの斬撃が無い。

 恐る恐る目を見開いていく。

 

 大刀が、自分の首元で止まっている。

 寸止めだろうか。いや、ありえない。最後に見た斬り返しは振りぬく勢いだった。

 では、幻を見ているのだろうか。嗚呼、幻だ。でなければ、眼前の背に説明がつかない。

 

「なんとか、間に合ったな……!」

 

「春蘭様!?」

 

 幻ではなかった! 二度と見ることは叶わないはずの、頼もしい背が目の前にある。

 視線を動かすと、寸での所で七星餓狼が大刀を止めている。

 

「よぉ、遅かったじゃんか」

 

「こう見えても忙しくてな。なぁに心配はいらん、埋め合わせは――するさッ!」

 

 大剣と大刀。戦場に大きな金属音が響き渡った。

 

 

 

 




「武力、容姿、人気、忠誠度、主の器。
 結局のところ、勝つのは私では?」

「なんだァ? てめェ……」

 



 猪々子、キレたッ!


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