題名のない迷宮会 (カツカレーカツカレーライス抜き)
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いざ逝けや
1話


 唐突でなんだが、気付いたら違う世界に居た。

 

 さて、いきなりこんな事を言われたら、は? と思うに決まっている。俺だって呆然とする。そんな事を言い出した奴の頭は、果たして正常な物かと、脳も人格も疑う事だろう。

 

 が。

 

 事実なんだ。ある日目が覚めたらゲームで見たような薄暗い石畳の――後で知ったが、ダンジョンの下層部でうつ伏せに倒れていた。周囲からは獣の鳴き声や、例える事が非常に困難な雄たけびなんかも聞こえてきた。

 

 その時の俺の気持ちが、分かるだろうか? 恐怖? 驚愕? 混乱? そんなモンじゃなかったね。

 

 まっしろだった。

 

 本当に、ただただ頭の中が真っ白だった。何せ、いつも通り適当に時間潰して、適当に風呂はいって。もそもそといつも通りベッドに潜り込んで目が覚めたら――薄暗くて判然とはしなかったが、壁も、天井も、床も、全部石で作られた廊下の、そのド真ん中だったんだ。

 

 ホラー映画なんかでもあるじゃないか、未知の怪物っての。あんなの未知でもなんでもないと思ったね。人間の恐怖って言うのは、ある程度理解できる範疇の中で出てくる感情だ。実際、ああいったムービーに出てくる化け物ってのは、そういう"不気味な物"ってカテゴライズで創作されてる。

 

 あー……例えば、君はいつも通り会社だとか、学校とか行って、家に帰って来たとしよう。じゃあ、最初にやる事は、扉を開けることだ。鍵がどうだとかこうだとかは、どうでもいい。君は扉をあけた。

 

 そこに死体が在った。

 

 バラバラでもいいし、首がない、足がない、手がない、程度でもいい。それは家族でも、親しい友人や恋人であってもいい。兎に角"死体だと一見して分かる物"があった訳だ。

 

 どうするかって言えば、呆然として、次には泣くだろうし、怒るだろうし、喚くだろう? なにかの感情が爆発するに決まってる。その後冷静になって君は警察なりなんなりを呼ぶ事だろう。でも、だ。

 

 扉を開けたら、まったく、全然、見たことも無い物があったら?

 

 怒るだろうか? 泣くだろうか? 叫ぶだろうか? いや、そんな事ないだろう?  賭けたって良い。君は、呆然としたままだ。だって分からないんだから。誰かを、何かを呼ぶなんて、そんな考えにすら至らないに違いない。

 

 ホラー系のムービーっていうのは、そういう事を踏まえて、常識的に考えて不気味なものをモチーフにして形にする。ゾンビなんか良い例だ。元人間。で、良い感じに形は崩れてくれて、そら、不気味だ。人型であってもいい、虫型であってもいい、なんにせよ、辿り着くのは人が理解できる形なんだ。

 

 なんか話がずれたんで、戻そう。

 

 兎に角、俺は呆然とした。理解できない事態だったからだ。俺の人生の中で、就寝中に誘拐されてこんな石作りの見た事も無い場所に置いて行かれる様なフラグはなかった。その筈だ。

 

 人間だ。誰からも恨まれず綺麗に生きてきました、なんて言わないし、もしそんな事を堂々と言える奴がいたら、それこそ狂人だけだろう。が、俺は狂人じゃない。

 

 呆然としたままだった。だから、気付けなかった訳だ。俺の背後で、今まさに手にした斧を振り下ろさんとする馬鹿みたいにでかい牛の頭を持つ化け物なんかに、まったく気付かなかった。そんな奴がすぐ側に居た事を理解できたのは――

 

「あ、熱ッ!?」

 突如背を舐めた熱さにやられて、振り返ってからだった。

 

 でも、正直そんな事はどうでも良かった。そうだ、どうでも良かったのだ。

 

 何せ俺はそこで――

 

 

 ○      ○      ○

 

 

 その日、彼女らはいつもより長い時間そこを探索していた。先頭を歩む女性の持つカンテラに照らされた薄暗い石畳の、それも黴や苔が生え、場所によっては赤黒い染みや肉片らしき物がこびりついた床は様々な意味で長く歩くに適さず、鉄製の部分鎧に覆われた脚の裏から伝わってくる感触や風景、そして鼻に侵入してくる臭いは進むだけで彼女らの活力と士気を奪っていく。だが、それでも彼女らは足を止める事は無かった。

 

「なぁ、そろそろ戻っても良いんじゃないか?」

「駄目よ。今日のジュディア達の目標は1000Gでしょ? あと……えぇっと、130G、くらいね。たったのそれだけじゃない」

 

 一団の先陣を任された女性は、カンテラを前方に突き出したまま動かさず、首だけで背後に振り返る。そこに居たのは、前から二番目、腰に二振りの剣を携えた小柄な少女だった。その少女が、一度舌で唇を舐めてから言葉を続けた。

 

「お金ってのは大切でしょ? 稼げる時に稼ぐの。あなたが酒場でガバガバ飲むお酒だって、ただじゃないんだから」

 やれやれ、と小柄な少女が首を振って見せると、両サイドでリボンに結われた二つの髪の束も揺れて見せる。ツインテール。そう呼ばれる髪型だ。それを忌々しそうに睨んで、カンテラを持つ女が小さく舌打ちした。

 

 ――気に食わない。

 

 彼女は――エリィはこの小柄な少女が嫌いだ。彼女の自身を指す言葉、ジュディアというのがまず嫌いだ。自分でも、私でも、なんなら僕でもいい。なのに、どうして自分の事を名前で指すのか。

 

 それに、その小柄な体も嫌いだ。ショルダー、ボディ、アーム、レッグ、それぞれを覆う部分鎧はどれも華やかで女性らしいラインを描いた曲線形の物。今は鞘におさめられ腰に在る二振りの剣もショートサイズで、如何にも女性が扱う物だ。それも嫌いだ。だが一番嫌いなのは、顔だ。頭部には一切防具を帯びず、顔はむき出しのままだ。

 

 零れそうな大きな瞳も、つんと上を向いた小さな鼻も、薄い桃色の唇も、少女として理想的な形で、広い額の上にある金色の髪は絹のように煌き滑らかで、おまけに、髪型はツインテールと来たものである。

 

 ――どこにお姫様だ、この水呑み百姓の娘が!

 

 エリィは強く鼻で息を吐き、ジュディアの言葉に応えずカンテラの照らす進行方向へと視線を戻した。我知らず、溜息が零れた。高い天井や、それなりに広い廊下、壁を見ても、それらが苔やら赤黒い染み持つ石造りの無骨な物では、彼女の気が晴れる事は無い。

 

 と、その時不意に視界が狭まる。エリィは特に驚くことも無く、その元凶である物を空いている右手で戻した。

 

 ――くそ、こいつもうボロが来たか。

 

 自身の頭部を覆うそれを、彼女は忌々しく舌打ちする。フルフェイスヘルム。名の通り完全に頭部を覆う物だ。が、その分視界は限られてくる。なにせフルフェイス、の名に恥じず、その防御部分は顔の前面、口や鼻、目にまで及ぶのだ。そうなると自然、ただ歩くだけの場合や防御力を必要としない場合は、フェイスを守る部分はスライドさせてヘルム上部に待機させて置くのが基本だ。それが意図せず落ちてきた。どうやら、スライドさせる部分がへたってきているらしい。

 

「……」

 エリィはまさか他の部分も駄目になっていないだろうな、と自身の体を眺めた。

 腕、脚、胴体、腰、肩、それら全てを隠す金属の光りは、長い冒険を経ても今だ健在で、フルプレートアーマーの確かな安心感を与えてくれる。

 

 だから彼女は、顔を顰めてしまうのだ。

 ――これが、鎧ってもんじゃないか。これが、冒険者ってものだろうが。

 

 後方に控えるもう二人の少女達は良い。彼女達は後衛だ。軽装、大いに結構。それでいい。だが、自身の後ろを歩くジュディアは、エリィと同じ前衛なのだ。最大の弱点である顔を守らないとは、何事だろうか。目に向かって毒を吐くモンスターも居れば、サイト・キルのスキルを持つモンスターだって居る。呼吸器官を侵すキャスト・ジャミングのトラップも、麻痺製のガスを吐き出す小さな毒沼も、有り触れた物だ。それがこの世界の、この街に在る迷宮だ。

 

 ――せめて目を守る為に眼鏡くらいして……。

 

 想像して、それをやめる。ジュディアは小柄で、更に美少女だ。王侯貴族のご令嬢もかくや、といったそんな少女が、幼げなツインテールという髪型な上に眼鏡までかければ、もう駄目だ。

 

 ――くそ……こっちはまた身長も伸びて、筋肉まで分厚くなったってのに……。

 

 六つに分かれた自身の腹筋とまた太くなった二の腕や太ももを思い出して、エリィは小さく首を横に振る。そして、今はそんな場合じゃない、と自身に言い聞かせた。これ以上は気が滅入る、というのもあった。

 

 彼女はカンテラのさす先を注意深く睨んで歩き、その後ろを三人の少女達がついてく。と、エリィは無言で背に預けてあった愛用の得物――ツーハンドソードに手を伸ばした。ガントレット越しに伝わる大振りな両手剣の柄の手触りが、エリィに冷静さを染み込ませて行く。

 

「ジュディア」

「……えぇ」

 

 少しばかり右に脚を進め、そこでエリィは留まる。

 彼女の隣、左側にジュディアが現れ、彼女らの背後に控える二人に少女達もそれぞれの得物を手にして少しばかり腰を落とした。

 

「状況確認」

 エリィが呟くと、ジュディアが腰から剣を抜き、続ける。

「前方……そうね、200メートル以内に大型モンスター……数1……かしら」

 

 その言葉に、エリィが頷いた。エリィはジュディアが嫌いだ。だが、ジュディアが持つ双剣士としての力量と、彼女の持つエネミー・サーチのスキルまで否定しては居ない。エリィが持つパッシブスキル、マイナー・サーチは常備発動する物だが、その範囲は狭く、また詳細なデータを使用者に教える事は無い。が、ジュディアの持つエネミー・サーチはアクティブスキル、選択使用型のスキルではあるが、範囲が広くある程度有効な情報が拾えるのだ。だから先頭はいつもエリィで、エリィが指示を出した場合、こうやってジュディアが動くのである。

 

 幾ら前方に目を凝らしても、エリィの目は何も拾わない。ただ薄暗い先が見えるだけだ。それでも、ジュディアは言ったのだ。この先に居ると。

 

 ――なら。

 すべき事は、一つだ。

 

「……一気に攻めるぞ? 出来るよな?」

「当然。多分ミノタウロス辺りだろうから、亜種が来ても大丈夫でしょ」

「大丈夫です、お構いなく」

「了解」

 エリィの言葉に、ジュディアと、そして後衛二人が応えた。一つ大きく頷き、エリィは持っていたカンテラを後衛の少女に渡してから左手でフェイスを下ろし――大きく息を吸い込む。

 

 三秒、息を止めて。

 

「ぁぁぁ……ぁあああああああああああAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA――ッ!!」

 

 雄たけびを上げた。既に声である事やめた様な、例えようのない音が迷宮の広く長い石畳の廊下に響き渡る。壁が、床が、響き渡る音に叩かれ振動し、天井からは声であった雄たけびに砕かれた石片が落ちてくる。

 

 そんな中を。

 

 エリィは凄まじい速度で駆けていた。彼女の全身を覆うフルプレートアーマーは速度の枷となる事も無く、頭部を――顔を隠すフルフェイスヘルムの視界の狭さも感じさせない、恐ろしい爆走だった。比較的敏捷力の高い双剣士のジュディアもかなりの速度で走るが及ばず、後衛二人にいたっては最早置き去りだ。鈍足で知られる重戦士に出来る芸当ではない。いや、人の身でかなえられる身体の現象ではない。

 

 エリィはそのまま走り、走り、走り。やがて狭い視界に飛び込んできた大型のモンスター――ジュディアの予想通り、牛の頭を持つ筋骨隆々とした大男、ミノタウロス――を一瞥して、大型モンスターに属する中でも、ホープキラーで有名な所謂小者だ、と分かっていながら手に持っていた両手剣を振りあげた。

 

「焼き尽くせ! クリムゾン!!」

 

 そして、ようやっとこちらに気付いたミノタウロスに、トリガーボイス付きでそれを振り下ろす。完全にオーバーキルだ。それも、分かっている。それでも、そうしたいのだ。

 

 紅が、剣身を奔る。仄暗い周囲が紅――炎に照らされて紅く染まった。稀に、武器には魔法が付加された物が在る。永遠に刃零れしない剣、斬った者を呪うナイフ、叩きつけた者を溺死させる大槌。エリィの手の中に在る両手剣は、それらと同類の物だ。

 

 世界創生、その時一度大地を焼き払った紅の炎、今は無きロスト・クリムゾン。その名を冠する宝玉剣ロスト・クリムゾン――それのレプリカである魔法剣ロスト・クリムゾンだ。15振りのみ生産されたそれを、人は多いと言うかも知れないが、世界中でたったの15振り、現存する物に限れば7振りと言えば、その価値は計れるだろう。

 

 トリガー・ボイスによって真の力を顕現した両手剣は、模したとは言えども、世界を焼き尽くした炎の一端を纏いミノタウロスを両断した。ミノタウロスは、断末魔を上げる事も無く、恐らくは自身がどの様に殺されたかも気付かずに、二つに分かれた。

 

 勢いの余り、石畳の床に深々と刺さった、今はもう炎の消えた両手剣を、んぎぎぎぎ、と女性らしからぬ声を上げてエリィは引き抜く。アクティブスキル、ハウリング・アクセラレータによって活性化した筋力と、さらにはトリガーボイスで真価を発揮したロスト・クリムゾンがあったからこそ、ミノタウロス両断を可能としたのだ。流石に常時、あんな馬鹿力を有している訳ではない。

 

「なによ、一撃? ジュディア達が走る理由ないじゃない」

「そうは言うがね、ミノタウロスではなく、上位種であるアステリオスである場合もあっただろう?」

 

 やっとエリィに追いついたジュディアが不満そうな顔で胸の前で腕を組む。それをやんわりと嗜めたのは、後衛の、フードを目深に被った少女だった。それから遅れること数秒、エリィにカンテラを渡された後衛の一人がやって来る。それを見届けてから、エリィは背に両手剣を戻した。

 

 ――あぁ、スッとした。

 

 不必要な火力だと分かっていながら、それでもそこまでやった理由は、イライラしていたから、だ。気の晴れた顔でフルフェイスヘルムの前面部を上部へとスライドさせてから、エリィは――ふと、地面を見た。

 

「……え?」

 

 間の抜けた、そんなエリィの声につられたのか。カンテラを持った少女が、それを腕が許す限り前へと突き出し。照らされたそこには、両断され炎に焼かれ灰へとなって行くミノタウロスの死体と。その死体から五メートル程離れたところに、呆然とした顔の少年が一人いた。

 

 エリィ、そしてジュディアを含めた少女四人の視線が、一人の少年に集中する。だが、誰も口を開かない。エリィは前衛を任せる戦士としては優秀だが、こういった不測の事態にはとことん弱く、後衛二人は男嫌いと人見知りだ。となれば、こういった場合口を動かす役目は、余った者がやるしかない。この少女4人のパーティの交渉役、ジュディアである。彼女は出来るだけ友好的な笑みを浮かべて、今だ腰を上げぬ少年に話しかけた。

 

「えぇっと……大丈夫? あなた、どこのパーティの人? それとも……」

 どこかの冒険者のパーティの一人、または生き残り。そう思うのは自然な事だった。

 

 ここは自由都市ヴァスゲルドにある迷宮の一つだ。更に言えば、その迷宮の下層部である。流石に最下層、とまでも行かないが、ここに辿り着くにはそれなりの力量を要求される。ならば、そこで人間である誰かと出会ったなら、同業者、或いは元同業者と考えるのが自然な事だ。

 

 だが。誰もそうは思わなかった。どこのパーティの人か、と声を掛けたジュディアですら、そんな事は思っていなかった。相は笑みで在ろうとも、彼女の手はいつでも腰にあるショートソードを抜けるように開かれ、腰も落してある。

 

 ――おかしい。

 

 ジュディアはそう思った。エネミー・サーチにこそ掛からないが、瞭然たる異常だ。彼女は少年を注意深く眺める。中肉中背、黒髪に……黒い瞳だろうか。カンテラに頼らなければ50メートル先もまともに見えない薄暗い世界では特定出来ないが、それでも不自然さは一見すれば嫌でも分かる。形がおかしい訳ではない。ただの標準的な人間だ。髪や目がおかしい訳でもない。黒色の色素など、当たり前に有り触れている。

 

 ――じゃあ、なにがおかしい?

 自問に、自答する。

 

 ――こんな装備で、ここまで来れるわけが無い。少年の装備――服装はジュディアが見たことも無い物であったが、異様と言う程の物でも無い。違う都市の、違う大陸ならばあるかもしれない、といった程度のシャツとズボンだ。だが、それはこの迷宮下層部において、絶対にありえない服装だ。

 

 もしこんな服だけで迷宮の下層部まで来られるのであれば、ジュディアはそうしていただろう。彼女は生まれこそ過疎の一途を辿る貧しい村であるが、その容姿はまさに神から与えられた物だった。大きな瞳も、広い額も、どんなに陽の光を浴びても染み一つ出来ない白い肌も、流れる金色の髪も、小柄ながら均整の取れた体も、全てが宝石で出来たように美しく、また愛らしいのだ。そんな彼女が容姿を糧にした職業に就かず冒険者をやるのは、貧乏な実家に原因があるわけだが、その辺りの詳細は今は良いだろう。

 

 彼女は、ジュディアは自身の容姿の価値をよく理解していたし、またそれを損なうことを良しとはしない。だからこそ、彼女は美容に人一倍気をつけ、たとえ冒険者になろうとも美しく在ろうとした。

 

 前衛系冒険者御用達のフルプレートアーマーを嫌い、まだ、どうにか、ぎりぎり美しいかもしれない、といった部分鎧で身を包んだ。当たり前だ。機能優先、無骨さだけの鎧等纏えたものか。部分鎧でさえ、彼女にとっては妥協なのだ。ドレス一つで迷宮を歩めるならば、それだけの実力を有していたなら、彼女は間違いなくそうしただろう。

 

 だが、現実はそれを許さない。ドレス、それも宝石を散りばめた貴族的なドレスを買うだけの蓄えを持ち、冒険者としてそれなりの力を得た現在でさえ、彼女は鎧を脱がない。

 

 迷宮をドレスで歩けば、死ぬからだ。

 

 モンスターの持つ爪、牙、または剣や斧といった武器が振るわれれば、鍛え上げられた戦士の肉体を持ってしても無傷ではすまない。さらには、その爪や牙、武器に毒や麻痺などの効果も持つ物も居る。ならば当たらなければいい、そう思うかもしれない。だが、この迷宮と言う世界は薄暗い世界なのだ。奇襲もあれば、目に付き難い罠もある。それらに対処する為には、どうしても当たった場合、を想定するより他無いのだ。非力な後衛職でも、バックアタックやトラップを恐れて簡単な皮鎧程度は着込む。碌に筋力も無く、重い重いと零しながら、だ。現に、ジュディアのパーティの後衛二人も、そうなのだ。

 

 故に。

 ――在りえない。

 

 そう、在りえない。迷宮下層に、ふらりと、まるでベッドから起きがってトイレに行く程度の服装で、居るわけがないのだ。居られるわけがないのだ。

 

 それでも、ジュディアは笑みを浮かべたままだった。瞳に浮かぶ観察者としての冷静さをどうにか隠し、情報を多く拾おうとする。

 

 ――人型のモンスター?

 

 いない訳ではない。むしろ迷宮には、人の脳に寄生し体を乗っ取り操る蟲型のモンスターが生息しているし、極々稀にではあるが、冒険者を襲う事に味を占めた元冒険者という厄介な存在も居るには居る。が、呆然とジュディア達を見つめる少年の目は、賊に身を落とした冒険者特有の濁った目でもなければ、意志を奪われた人形、といった物でもない。そして彼女は、どうでも良い事に気付いた。

 

 ――一度も目が合っていない。

 

 自身――ジュディアと少年の目が、一度も、だ。では、少年は果たして誰を見て呆然としているのだろうか。二つに裂け、いまや灰となったミノタウロス?

 いや、少年はそもそもそれに気付いてない様子だ。では後衛二人? 確かに後衛の一人――フードを目深に被った少女の顔は酷く特徴的だが、そのフードによって今はその顔も隠されている。

 

 では――

 

 そこまで思考したジュディアを、少年の如く呆然とさせたのは、思考する原因となった存在の発した小さな呟きだった。

 

「……き、綺麗だ」

 

 呆然とした。ジュディアは少年の目を、口をあんぐりとあけて凝視する。少年の目には、美少女として有名な自身ではなく、後衛二人でもなく――

 

 

 ○      ○      ○

 

 

 ――――――

 ――――

 ――

 でも、正直そんな事はどうでも良かった。そうだ、どうでも良かったのだ。

 

 何せ俺はそこで――女神様に出会ったんだ。いや……ごつい鎧を着込んでいたから、戦乙女かな?

 

 それが俺の、"異世界"一日目だったんだ。




 ダンジョンとか冒険者とか題材にしたら僕の中の14歳が問答無用で暴れだしたでござる。


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2話

プロットもないとか見切りにも程がある。


 なんだここ。どこだここ。なんだここ。どこだここ。

 

 なんであんなのが出るんだ。なんでこの子達はあんな風に動けるんだ。

 

 なんだここ。どこだここ。なんだこれ。どこだこれ。

 

 分からない。分かる筈ない。あぁ、けど、これだけは分かった。

 

 ――ここに居たら死ぬ。

 

 それだけは良く分かった。

 

 

 ○      ○      ○

 

 

 これほど慎重に歩いたのはいつ以来だろうか。

 

 ――あぁ、初めの頃かしら。

 

 まだ初心者丸出しで、冒険者とも呼ばれずゴミ漁りと呼ばれていた時以来だ。身に纏う防具もみすぼらしい中古の皮鎧で、分厚いだけのブーツなどは本当に辟易とさせられたし、腰に下げた錆びた剣など、今腰にある二振りに比べたらゴミも同然だと思い知らされる。

 しかしそれ故というべきか。彼女はどこまでも慎重だった。カンテラに照らされた狭い視界の中で息を殺して足を進め、眼前に現われる迷宮のモンスター、怪異、全てを恐れた。

 死にたくない。傷など負いたくない。自身は綺麗であるからジュディアなのだと言い聞かせ、臆病に行き続けた。

 

 が、今はもう昔、だ。体を覆う部分鎧はそれなりの物であるし、ゴミ漁りなどと嘲笑を向けられる事もない。彼女達四人は中堅として、それなりに成功を収めた冒険者なのだ。

 

 それなのに――

 

 ジュディアは自身の二つ前に居る男の背中を一分の隙無く見つめた。

 細い体だ。鍛えて居るようにも見えないし、何かしらの戦闘的技術を修めているようには到底見えない。その癖暢気であった。

 男は先頭に居るエリィに話しかけたり、すぐ前に居るフードを目深に被った少女に笑いかけたり、すぐ後ろにいる少女に振り返って驚かせてしまったりと随分と忙しなかった。

 

 過去形である。

 

 今は身を竦め、落ち着きも無く周囲に視線を走らせ、物音一つで喉から小さな悲鳴を零している。一人の夜を怖がる子供のような姿だ。つい先ほどにあった戦闘のせいだろう。

 

 気概も無い。

 

 ――あんなのただの雑魚じゃない。

 

 ジュディアは脳裏に先ほど斬ったモンスター、フロッグを思い浮かべた。同時にフロッグの情報を思い出す。

 モンスターレベル1。単体対単体撃破難易度1。集団対単体撃破難易度1。集団体対集団撃破難易度1。

 冒険者未満とされるゴミ漁り――スカベンジャーでもどうにかなる相手に過ぎない。そんな物を相手に回して、あぁも怯える迷宮探求者はいないだろう。

 

 だが、だからこそ。だからこそ異常さが目立つ。そんな男がどうしてあんな下層部にいたのか、と。

 

 自由都市ヴァスゲルド南東部迷宮、踏破難易度も比較的低い場所とは言えども、身軽な――と言うよりは一般的な冒険者からすれば男の装備は裸も同然と言えるが――装いで来る事は不可能だ。一流なら或いは、と言ったところだが、男はどう見てもずぶの素人であり、この都市の一般的な男性と見比べても脆弱すぎた。

 

 ――どこかの貴族のバカ息子? そういうのが誘拐されて、ここに置いて行かれた……とか?

 

 思い浮かんだそれは、しかし目を伏せて口元に浮かんだ嘲笑に消される。

 どんな貴族であれ、剣は最低限教えられるし、貴族的な空気と言うものがある筈だ。所謂、貴族の生きる場所は見栄の市場、と言う奴だ。尊大に構えて見栄を張るのが貴族であり、平民や冒険者の前で怯えるような貴族は居ない。

 

 見栄も無い。

 

 では何があるのだろうか。男の背中から感じ取られる物は、ただの怯えと恐怖しかない。

 

 覚悟も無い。技術も無い。

 

 無い、無い、無い、無いばかりだ。大きく、本当に大きくジュディアは溜息を吐いた。彼女の前を歩く少女が、それに気づき目だけを向けてくる。それにジュディアは、笑って見せた。

 

 もうすぐ迷宮の入り口だ。カンテラだけでは不確だった視界は、迷宮入り口から射しこむ日の光によって徐々に確かな物になっていく。ならば。

 

 ――もう関係ないことなんでしょうし?

 

 その筈だ。正体不明の異常な男との関係は、ここまでだ。ここを出れば知った事ではない。これ以上の世話は必要ない。こんな初心者のような慎重な歩みも、お荷物の解放と共に終わる。

 

 その筈だ。

 

 ○      ○      ○

 

 その筈だった。

 

「いや……ここ、どこだよ?」

「はぁ?」

 

 迷宮を出て男が発した言葉に、ジュディアは眉間に皺を寄せて応えた。少なくとも彼女は応えたつもりである。

 

「いや、だからここ、どこ?」

「あのねぇ」

 

 いまだ怯えたように周囲を忙しなく見回す男に、ジュディアは苛立ちも隠さず詰め寄る。と、男は逃げるように一歩下がる。それまで動き回り過ぎていた男の視線が、ジュディアの腰にある二振りの剣に注がれた。

 

 ――そこはまぁ、及第点か。

 

 ジュディアは冒険者的な立場からそんな事を思った。しかしそれは口を止める理由には勿論なり得ない。

 

「優しい優しいジュディア達は、貴方を、ここまで、無償で送ってさし上げたのよ? 感謝の言葉も無いわけ?」

「あ……そか、ごめん」

 男はジュディアが呆れるほど簡単に頭を下げた。

 

「男が簡単に頭を下げるとか……あんたどこの出身なのよ……」

 眉間に寄った皺を揉みながら、ジュディアは肩を落とした。どうにも、この拾った男は男臭さと言うか、らしさがない。

 実際、男が傍に居るのに比較的落ち着いた仲間の一人を見る限り、その辺りの物を持ち合わせては居ないのだろう。暴力的でも粗野でもない。それは一応の美点であるが、過ぎれば――

 

「あと……ありがとう、助かった」

 脆弱にしか見えない。

 

 またしても簡単に頭を下げた男に、ジュディアはもう何を言う気も無くなった。これを放り出すのは、なんというか酷く気が乗らない。だからと言って、面倒を見るのも嫌だ。

 我侭と言われるかも知れないが、これでも随分甘いと彼女は思う。身包みを剥いだわけでも、金銭を要求した訳でもないのだから。一般的な冒険者の常識から見れば、これはもう優しさの大盤振る舞いだ。ジュディア的には一年分くらいを使い切った感じである。これ以上の慈悲は必要ない筈だ。

 

 ただどうにも、これは――この男は、なんというか、保護欲を刺激してくるとでも言うのか、罪悪感を押し付けてくるのが嫌なのだ。

 誰かどうにかしてくれ、と自身の周りを見回すと、少しばかり離れたところに立つ男嫌いの仲間と、憎らしいほどに常通りといった佇まいのフードを目深に被った仲間。そして、何やら普段と違って所在無げな仲間の背中が目に入り――

 

「あぁ、そっか」

 小さく呟いた。そのジュディアの小さな呟きを、開かれたフルフェイスヘルムは遮らなかった。

 

「あなた、これのお気にじゃない」

 今度ははっきりと聞こえる声で。びくり、と震えた仲間――エリィの背中に満足し、彼女は続けた。

 

「じゃあ、任せたからね。ジュディア達は手に入れた素材とかその辺換金していつもの酒場に居るから、終わったら来てよね?」

 そう言って、ひらひらと手を振って歩き出す。

「え、ちょ!!」

「では」

「えーっと……その、頑張ってください?」

 エリィを除く少女達はジュディアに続けと言わんばかりにそう口にして去っていく。去り際、男にちらりと視線を向けた少女は男と目が合い、慌てて顔を背けた。

 

「ちょ! お前らなぁ! これはなんか酷いぞ!? おい!?」

 エリィのそのなんとも言えない叫びに誰も振り返らず、彼女達の背中は小さくなっていった。本当に任せるつもりらしい。

 

 エリィはフルフェイスヘルムを左手で脱ぎ、右手で乱暴に頭を掻いた。それから、弱々しく男の方に目を向ける。

「……えーっと?」

「……あー」

 

 お互い、建設的な言葉は出てこない。出てこないが、まずはだいたい、こういった場合する事は決まっている。

 

「……自己紹介」

「?」

「だからさぁ」

 エリィはもう一度乱暴に頭を掻き、体こと男に向き直った。

 

「私とあんたの、自己紹介!」

「あ、あぁ……そっか」

 

 男はエリィの言葉に頷いた。その素直さが、純な物に見えてエリィは頬を朱に染めた。好みの仕草ではないし、好ましいタイプでもない。それでも、迷宮内で聞いた男の呟きはエリィに気恥ずかしさを抱かせてしまうし、意識させてしまう。緊張だってしてしまう。カンテラだけの光源では見えなかった様々な物が日の光の下では見える。

 黒い髪は珍しいが、それが綺麗な髪となれば少々珍しい。黒い瞳も良く見れば茶色が混じって少し面白いし、怯え居ている色以外にも、奥底に何か強い知性の彩度が見えた。

 

 しかし、それ以上何がある訳でもない。深みを感じさせない、浅いものだ。

 エリィの父親はもっと深い色を持っていた。ただし、その色は酷く濁った光を帯びて、娘の目から見ても気持ちの良い物ではなかったが。

 

 ――いや、もう親父はいい。

 少しばかり日に焼け、常に周囲を睥睨する父の相を頭から追いやり、エリィは一度唾を口内に溜め、嚥下する。

 

「私の名前はエリィ。レスタンフェイルの狼の部族の出で、今は冒険者。で、前衛の重戦士だ」

 

 するり、と縺れることなく言葉は転び出た。緊張していても自己紹介程度は出来る。年頃の少女としてはいいだろうが、冒険者として出来なくては不味い。何事もここから始まるのだから。とはいえ、男は冒険者でも無さそうなのだから必要な事でもない。本当にただ、間を持たせたかっただけの事だ。或いは、取っ掛かり探しか。エリィの言葉に続いて、男が口を開く。

 

「えーっと、日本出身のただの高校生で、名前は……」

 そこで、間が空いた。

「……」

 まだ間が空き、

「――……」

 ずっと間が空く。

 

「いや、ニホンってのは知らないし……コウコウセイ? んー……まぁ、いいけどさ? 自分の名前は?」

 エリィはだから、続きを促した。促したが、男は黙ったままで、その相に先ほど以上の落ち着きの無さが見てとれる。微動だにせず、目だけが檻に閉じ込められ狂乱した鼠のように動き続け、顔色は青に染まり始め……やがて男は大きく息を吐いて――

 

「……ない?」

 

 息と共に吐き出された言葉は、余りに頼りない物だった。




次で若干チートするかも。
この世界的な意味で。


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3話

前々からやりたかった異世界証明方法。
別に珍しい形ではありませんが。


 無いなんて事はない筈だ。

 だってそれは物心つく前からあった物で、無いわけが無いのだから。在ると言うのは、まぁ当たり前だろう。生まれた時に在る物は、その後も大抵ある物だ。

 在って当たり前と言うのは、本当に当たり前に、当然に、瞭然と、在り続けて"当然"だ。

 

 その筈なのに、そうであるべきなのに。

 

「……ない」

 

 それはなんて事なのだろう。当然の物が無いのなら、自分は当然の物ではなく。

 

 慮外ながらと先に言っておこうと思う。

 

「お、おい?」

 俺は綺麗だと褒め称えた彼女の前で、今も俺を心配する彼女――エリィの前で。

「だ、大丈夫か? お前、顔色凄い悪いぞ……?」

 胃の中のものを全て地面にぶちまけた。

 

「お、おい!?」

 

 無い。名前が無い。たったそれだけの事がこれほど気持ち悪いなんて、俺は知らなかった。知りたくも無かった。

 

 

 ○      ○      ○

 

 

 突如嘔吐をし始めた男の背中を叩きながら、エリィは

 

 ――これはもう無理だ。

 

 と思い始めていた。これはもう見捨てられない。そんな思いが心の中で大きく、重くなっていくのをエリィは確かに感じた。

 完全にジュディアの判断ミスである。ジュディアがそのまま残り、罪悪感を覚えようが適当に相手をして放り出せばよかったのに、ジュディアはエリィに任せて背を向けてしまったのだから。

 残されたエリィは、自身を綺麗だと言った男を相手に、冷たい態度で接する事など不可能だ。

 面倒であっても、ジュディアはエリィの性格を鑑みた上で判断すべきであった。

 

「ほ、ほら、大丈夫か? な?」

 男の背を撫でながら、エリィはかつて面倒を見ていた近所の子供の姿を思い出す。思い出の中の自身はまだ細い、女性的な曲線など欠片もない頃であるから、相当に昔の事である。とすれば、面倒を見てあやす子供はそれ以上に子供であり、幼児と言っても差し支えない。

 エリィの中では、男は幼児と同列になった。

 綺麗云々は最早関係なく、ただただ放っておけない者となったのだから、エリィは携帯袋から小さな水筒を取り出して蓋を開け、極々自然にそれを男の口元に運んだ。

 

「落ち着いてきたか? だったら飲めよ? ほら? ゆすぐだけでも全然違うだろ? ほら、な?」

 嘔吐を繰り返す男の口元に、自身の水筒を運ぶ。男はそれを見て、目じりに溜め込まれた大粒の涙を乱暴に拭い、首を横に振った。

 

「……汚れる」

 分かりきった事ではないか。そんな事をすれば、エリィの水筒が汚れる。男の喉から絞り出された弱々しい不確かな呟きは、それでもエリィの耳に瞭と届いた。しかしだからこそ、エリィは笑う。

 

「気にすんなって」

 その言葉に、男は暫く息も忘れてエリィの顔を見つめた。胸から喉へとやって来る吐き気など、その瞬間全く消え去った。

 

 飾りも無い、繕いも偽善もない、純な笑み。その笑みが、男の混乱と恐怖と不安を払拭していく。平然とはなれないでも、それに近い状態へと復調していく。

 

 エリィの笑顔から、視線を差し出されたままの水筒へと移す。数秒ほどそれを眺めて、男はやはり首を横に振った。

 

「汚れる」

 今度は明瞭に言葉を紡いだ。嘔吐する為に曲げていた背を伸ばし、口の中に残っていた胃液を唾と共に地面へと吐き捨てる。

 それから、未だ目じりに残る涙を握り締めた手の甲で拭い、小さく息を吸い、吐いた。そのまま呼吸を整えて、エリィに向き直る。どこか不安げなエリィの相を真っ直ぐに双眸におさめて、男は条件反射ではなく、心から頭を下げた。

 

「ごめん、それと、ありがとう」

 そんな姿に、

 

「あ、あぁ、うん……どういたしまして?」

 エリィは空いている左手で頭を掻きながら応じた。

 

 さて、そうなった。そうなってしまった。

 

 ――じゃあ、どうする?

 右手にある水筒を携帯袋に戻す事も忘れて、エリィは自身に余り向かない策を弄し始めた。放り出せないと、そうなったのだから、仕方ない、と。

 

 

 ○      ○      ○

 

 

 アルコールの匂いと、塩分の効いた肉料理の匂いが鼻を突く。周囲では様々な言葉が喜怒哀楽に染められて飛び交い、静寂なんて一瞬もありはしない。

 そう広くも無い店内には頑丈さが売りの木製テーブルが八個。そして椅子はテーブルの傍に置かれた物で三十七個。店の壁際には六個、奥にはさらに予備として十個の椅子が在る。

 

 それらの殆どが男で埋め尽くされたその店内に、一際目立つ存在があった。ヴァスゲルド中心部にある酒場兼宿屋の四つの内の一つ、最も煩雑として最も過ごし易い『魔王の翼』亭のカウンター席には、今三人の少女達が陣取っていた。

 

「で、素材が500だっけ?」

「あ、はい、そうです」

「そうなると、モンスターの胃袋から出てきた金銭と合わせて……」

 

 店内であっても、フードを目深に被った少女が両の指十本を総動員しつつ口をもごもごと動かす。なんとも気の抜ける姿では在るが、それを店内に居る少なからぬ数の男達が――それも筋骨隆々とした、或いは顔さえも傷塗れな男達も同様の仕草をしていると分かれば、見た者は果たして何と思うだろうか。微笑ましいと思う事だけは無いだろう。

 しかしカウンターの向こうで腕組をしたまま客達を睥睨する大柄な男、『魔王の翼』亭の主は嘲笑も浮かべず、じっと佇むだけだ。

 

「んー……だいたい1400……くらい?」

「あとで数えなおさないと分からないし、硬貨の重さも胃酸で変わっているだろうから、明確には出来ないが……その位だろうね」

 少女の計算が終わるより先に、ジュディアはおおよその金額を口にする。言葉を返した少女は折り曲げていた十本の指を戻し、肩をすくめて口元を歪めた。その位だと自身も思ったからだ。

 

「合計の金額としては、一日分の取り分として少しばかり足りないと思うが……」

「まずまず、でしょうか?」

「そーねぇ……」

 少女達の言葉に、ジュディアはツインテールの一房を中指で弾いて応える。

 

「やっぱり、ギルドの窓口で四人分に分けてもらった方が早いかしらねぇ?」

「ジュディア、しかしそれをやると、だ。ギルドの職員に抜かれる可能性もある。それを嫌だと言って自分達で分けようと言ったのは、他ならぬ君だろう?」

「……よねぇ」

 

 ジュディアは額に手を当て、自身の前に置かれている木製のコップに手を伸ばした。中を満たす果実酒は、その甘ったるい匂いをジュディアの鼻腔まで存分に運び存在を主張する。市販はされていないこの酒場だけの、と言うより、他の酒場でも在る独自のレシピで作られた果実酒の中でも、これがジュディアのお気に入りで、更にはお値段もお手頃という優れものであった。

 それをそこそこに呷り、再びコップをカウンターに戻す。舌で唇を舐めて、変わらぬ好物の味にジュディアは確かな至福を感じた。

 

「それにして、エリィは遅いわねぇ……」

「……まぁ、彼女のあの性分だ。本人同士納得済みで分かれるにも、無理やり振り切って放り出すにも、時間は掛かるだろうね」

「……よねぇ?」

 

 彼女達の前提は、エリィが男を見捨ててここに来る事で一応の一致をしている。甘い性分だとは分かっているが、冒険者だ。自分と仲間の命だけでも一杯の状態で、まさかお荷物にしかならない弱者を拾ってくるとは思っていなかった。

 

 自身達は、少なくともジュディアは、罪悪感に絡まれて冷静さを失ったのに、だ。エリィはどうなった物かと心配と茶化す気持ち半分で口を開きかけたジュディアの耳に、突如店外の音が飛び込んできた。誰かが扉を開けたのだろう。

 少女達三人は、誰も振り返ろうとはしなかった。外から誰が来るも、中から誰か去るも、当然なのだから振り返る必要は無い。

 それが外から来たエリィであれば、声をかけて傍まで来るだけの事だ。

 

 だが。ジュディアの目は、向かいに佇むこの店主の顔が一瞬歪んだのを確かに見た。物事に動じない主が、僅かばかりでも目を剥いたのだ。更には、ジュディアの背後からは、男達の口から零れた戸惑い交じりの呻き声が聞こえた。

 彼女は興味に駆られて背後へと顔を向けて――

 

「はぁ!?」

 小さく叫んだ。それにつられて、仲間の少女達も顔を背後に向け、

「これは驚いた」

「え、えぇえええええ……」

 それぞれ驚きを露にした。

 

 彼女達の視線の先には、エリィと。そして男の姿が在ったのだから。

 

 驚きに目を剥き、或いは口を金魚のようにぱくぱくと動かすだけの少女達をよそにして、エリィは極々自然、といった姿を装って壁際に置かれていた椅子を二つ手に取り、その一つを男に渡した。

 

「ほら、カウンターにあいつらがいるだろう? 行くぞ」

「あー……、うん」

 

 堂々とジュディアに近づいていくエリィに、それで良いものかと戸惑いながらも男が続く。そう広くも無い店内だ。少し歩けばすぐカウンターまでたどり着く。

 エリィは椅子を床に下ろし、よっこらしょ、と椅子に腰を下ろした。男は少しばかり離れた場所に座る。

 

 自身の隣に座ったエリィと、その向こうで所在無げに座る男を睨みつけ、ジュディアは口を開いた。

 

「あ ん た ね ぇ !」

「まぁ待てって、ジュディア」

「なにがよ?」

「こいつさぁ、なんか本当に困ってるみたいでさぁ……」

「じゃああんたは路地裏で困ってる子供全部面倒見るっての!?」

「いやそれは無理だけど」

「じゃあさっさと捨ててきなさいよ! 面倒見れるわけ無いでしょ!?」

「そうは言ってもさぁ……」

 

 結局、ジュディア達を納得させるだけの言葉を考え出せなかったエリィは、出たとこ勝負に賭けた。賭けたが、そんなのは余りに無謀だっただけの話である。

 

「そっちの男なんてもういい年なんだし、放っといても死にゃあしないでしょうが!」

「いい年だけどさぁ、なんていうかこう……ほら、なぁ?」

「……んぐぅ……っとのにもう……!」

 

 エリィの言葉に、ジュディアは呻き声を上げた。その辺りはなんとなく感覚的に分かるからだ。実際彼女は保護欲をくすぐられたし、罪悪感も覚えた。

 しかしだからと言って、中堅どころでその日暮しがやっとこさの冒険者が男一人囲えるわけが無い。

 

 ジュディアはエリィはもう墜ちたと思い、男にロック先を変更した。

 男はカウンターに置かれていたメニュー表を見ながら、うわ、なんで読めるんだよこの全然知らない文字……あれ、そういやなんで言葉も通じてるんだ? 等と呟いていたが。

 

「ちょっとあんた」

「……あ、うん、俺か?」

「そう、あんた」

「うん」

 喧嘩腰丸出しのジュディアの言葉にも、男は素直に頷いた。削がれるやる気をどうにか振り絞り、ジュディアは続ける。

 

「ダンジョンで助けた。ダンジョンから街まで無料で運んだ。ねぇ、もうこれで十分でしょ?」

「うん、まぁ……そうなんだけど、さ?」

「さ? って何よ? えぇ、これ以上何が必要ってのよこの青瓢箪」

 ひょろりとした、頼りない体躯を瓢箪とかけたのだろう。男はジュディアの言葉に、店内に居る、今はこちらを興味深げに、乃至、無遠慮な視線をぶつけてくる男達を眺めた。

 なんともマッスルな連中ばかりである。

 

「確かに、これじゃ青瓢箪だ」

「いやそうじゃなくて……なんかあんた、図太くなってない?」

「……どうかなぁ……まぁ、なんというか、あんだけ派手に無様晒せば、もう居直るしかないと言うか……」

 男は頬をぽりぽりと掻きながらジュディアに返す。

 

 カウンターの向こうで腕を組んだまま泰然と佇む店主は、そんな彼ら、彼女らの口論らしき物を聞き流しながら、釣銭用の硬貨が入った壷を足元から取り上げていた。勘定を払い店から出ようとしている一団――五人組が居たからだ。

 

「面白そうな話だが、俺達この後すぐ仕事があるからなぁ」

「人の事を気にしていられる様なもんか、お前ら」

「明日にゃ死ぬかもしれないからな。面白そうな事は知っておきたいだろ?」

「なるほどな」

 ジュディア達の傍で、また男の傍で、皮鎧やフルプレートアーマーに身を包んだ一団と、鎧を着込んだ彼らよりも一回り大きな筋骨逞しい店主は軽口を叩き合う。

 絵になるなぁ、などと暢気に思っていた男は、しかしすぐに暢気さを吹っ飛ばされた。

 

「お前らが食ったのが、あー……若鶏のから揚げ四皿と、ビール七杯と、オレンジの果実酒二杯と、あぁ、後で注文入って四杯か……くそ、若鶏のからあげ更にもう三皿だと、面倒くせぇ食い方しやがって……」

 一団の男から渡されたメモ――おそらく伝票だろう。それを睨みつけながら、大柄な店主が背を丸めて紙を懐から取り出し、ペンを走らせていた。

 

 ――あぁ、電卓とかレジなんてないもんなぁ……。

 

 男がそんな事を思っている間も、店主はペンを走らせ続けた。一分二分ならそういう事もあるだろう、だが、店主のペンはお湯が注がれたインスタントラーメンが出来上がりそうな頃にも、止まらなかった。

 男が目を大きく開き周囲を見回す。早くしろと野次る者も出てくるのではないかと、はらはらしながら目を動かす。

 

 が、見た限り皆平然としたものだ。睨んでいる者も、早くしろと催促するような空気を放つ者も居ない。清算を待つ男達でさえ、そんな色は一切見せなかった。

 

「くそ、どっかに学校出はいねぇのかよ、毎度ながら面倒だぜ……」

「学校出て冒険者する奴がいるかってんだ。あんただって出てないじゃねぇか。……とは言え、店持ちは最低限の計算は覚えるんだろう?」

「最低限だよ、近所のボケかけの長老さまんとこにいってだな、なんともあやふやな計算を……っておい、話しかけたからまた最初っからだ! なんで俺は、冒険者辞めた後店なんか始めたんだよ」

「いや、しらねぇよ……てか、どっちも俺のせいじゃないだろ?」

「子供のときに覚えりゃ、もっと計算が速くなるって言うけどなぁ……学校に行く金なんかどこにあるんだ」

「んな金ねぇから、学校ってのはお貴族様学校って呼ばれるんだろう?」

「あとあれだな、大富豪とかその辺の子供」

「てかなぁ、簡単な計算ならじっくり時間かけりゃ確かに出来るけど、やっぱめんでぇよなぁー」

「あぁうるせぇうるせぇ! お前ら黙れ! 計算できねぇ!」

 

 アルコールを入れても確りとした一団と、ペンを握り締めた店主が軽く言葉で叩き合う。これが当たり前であるらしい。

 どうした物かと思ったが、学校出を求められているのなら、義務教育卒業者としてなんとなく手を上げるべきかと一人頷き、男はカウンターに置いたメニュー表をもう一度手に取って店主に声をかけた。

 

「若鶏のから揚げ四皿と、ビール六杯と、オレンジの果実酒二杯と、追加注文オレンジの果実酒三杯で、若鶏のからあげ三皿、ですよね?」

「あん? ちげぇよ坊主。若鶏のから揚げ四皿と、ビール七杯と、オレンジの果実酒二杯と、追加で四杯、それから若鶏のからあげ三皿プラスだ。というか、だ。今話しかけるんじゃねぇ、その細い首へし折るぞ」

 

 冗談に聞こえないのは何故だろうか。苛立ちを過分に含くんだ声に若干怯えながら、男はメニュー表をじっと見つめて顔を上げた。

 広くは無い、むしろ狭いといってもいい店内を見て、男はこの店が小規模なのは恐らく捌ききれる上限が、ここに入る人々の数だと気づいた。これ以上の客数は流石に清算が間に合わないのだろう。

 

 流されるまま時間を無為に過ごし判然としなかったが、やはり異世界なのだ。ここはやはり、男の世界ではない。

 それをはっきりと教えたのは、初見のダンジョンとやらでもなく、初めて出会った少女達でも大きな蛙型のモンスターでもなく、ここに来るまでに見た町並みでも人々の生活風景でもなく、見知らぬのに何故か読める文字でもなく、ここで算数にコテンパンにされている店主だった。

 

 ――ここは、多分算数さえも一般的じゃない。

 

 地球と言う世界においてさえ、最低識字率は26.2%である。

 簡単な算数なら生きる為に使う機会も多いのだから、文字よりは少し上かもしれないが、これは全ての国が、人が、当たり前に知ると言う事、覚えると言う事、学ぶと言う事が出来るわけではないという事を知らしめる一つの証拠である。その日を生きる事さえ苦しいのなら、余計な物は必要なく、もっとシンプルに動物的に野生として生かざるを得ない。

 この世界がどこまでそうであるのかは男には判然としないが、それでも近いものなのだろう。更に店主は言っていたではないか。

 

『ボケかけの』『長老に』『あやふやな算数を』

 

 この時点で相当怪しい。老齢の耄碌した人物にあやふやな算数を習い、果たしてどんな生徒が出来上がるかと言えば、結果がこの店主ではないのだろうか。

 

 男は、声を上げた。震えては居ないかと、掠れては居ないかと、そんな事に気を取られながら。

 

「若鶏のからあげが一皿12ゴールドで七皿だから84ゴールド。ビールが一杯14ゴールドで七杯だから、98ゴールド、オレンジの果実酒が一杯13ゴールドで……えっと、六杯で78ゴールドだから……」

 

 そこで男は一旦口を止め、何も無い中空を睨みながら頭の中で計算を続ける。男は気にもしなかったが、五月蝿いはずの店内は静寂につつまれ、まるで閉店後のような姿になっていた。

 そこには確かに、人々が居るのにも関わらず、だ。

 

「あぁ、うん、合計で260ゴールドだ」

 

 男の言葉がしんとした店内に木霊する。と、男は先ほど耳に届いていた音の消失に今頃気づいた。

 視線を正面から徐々に周囲へとスライドさせていくと、その先にはエリィ、ジュディア、フードを目深に被った少女、自身から距離を取りたがっていた少女、大柄な店主、伝票を持ってきた冒険者の一団、そしてテーブルに座ったまま此方を見る男達が居た。

 その全てが、口を大きく開けて呆けている。

 

「……ッ!!」

 一番最初に正気に戻ったのは、フードを目深に被った少女だった。彼女は先ほどの店主よろしく懐からメモとペンを取り出し、メニュー表を引き寄せて乱暴にペンを走らせ始めた。

 

 と。それに続いて倣う者が出始め、殆どの者がメモを広げてペンを走らせると言う奇妙な空間が出来上がった。異様としかいえない風景である。一分、二分、三分、四分、五分。やがてペンの音は止み、再び静寂が舞い降りる。

 

「……」

 

 ある者は自身の書いたメモを見つめ、ある者はメモと男を交互に見つめ……やがて、店内に居る全ての者達の視線が男を貫き。

 

「「「「「お前すげぇな!!」」」」

 

 野太い声の大合唱に、店が揺れた。




子供の頃本当に算数が嫌いでした。
実際作中の程度なら3分以上掛かったような気がします畜生。
あと昔、本当に昔なんですがテレビで見たんです。
清算が面倒でメニューの金額を500円均一にしていた居酒屋を。
退社後のお父さんの道楽みたいな居酒屋で。
奥さんがなんとかしてくれって相談する形の番組で。


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4話

一週間に二話投稿が限界。
この身のなんという脆弱さよ。


「背中が痛い」

「なんだ、見た目通り細っこい奴だな。肉を食え、肉を。あとはビールだな」

「それはマスターの好物でしょ?」

「まぁな」

 

 先ほどまでプロレスラーみたいな男達が屯していた店内も今はもう随分と静かだ。今店内に残っているのは、俺と、この店の店主であるえらく筋肉質な店主と、俺をここまで連れてきたエリィと、その仲間である三人の女の子達。それと、

 

「背中痛いっても、気に入られたんだからいいんでないかい?」

 つばの小さな帽子を被った化粧気の無い女性だけだ。さて、この人が何者であるかと言うと。

 

「そりゃあそうだろう。お前は、タリサは厨房に居たから見てないだろうが、こいつの計算ときたらもう、大したモンだったぜ?」

「店が揺れたもんねぇ? あん時にゃあビックリさせられたさね?」

 この店の料理人なのである。

 

 店主の言葉に、タリサと呼ばれた女性はつばの小さな帽子を脱ぎ、そこから出てきた赤茶色の雀の巣をガリガリと掻き回した。

 ぱっと見十人中八人は美人と思う顔なのに、化粧気の無い顔とその髪型で大分損をしているんじゃないか、なんて事を思いながら俺は自分の前に置かれたコップを手に取り、軽く煽った。ブドウを搾った軽めの果実酒で、アルコールの類が初めての俺でも抵抗無く飲めるのは、素直に凄いもんだと感心させられる。

 

「ったくさぁ……皆手加減しとけよなぁ……ほら、背中痛くないか? 大丈夫か?」

「あ、うん、大丈夫」

 あの後。そう、あの店が揺れたその後、店内に居た男達は俺の傍に寄ってきて、賞賛の言葉と共に一切の遠慮なく背中やら肩やらを叩いた。

 いや、在ったのかもしれない。知れないが、こちとらその辺の一般高校生だ。どこぞの四角いマットで投げたり飛んだり極めたりが似合いそうな連中にぽんぽんと叩かれたら、そりゃもう本当に痛いのだ。勘弁して欲しい。

 まぁだからと言って、

 

「なぁ、打ち身用の塗り薬とかあったっけ?」

「いえ……今はちょっと手持ちが」

 俺に対して過保護なエリィの態度も勘弁して欲しい。

 同じくらいの年頃の少女にそこまで心配されると、自分が駄目男になったような気がしてちょっと気が滅入る。まぁ、気が滅入ると言えば、エリィに話しかけられた控えめな女の子は、俺をチラッと見た後すぐに目を背けることが多いので、それもなんというかやめて欲しいなぁ、なんて思うわけだ。

 

「で、だ。坊主」

 繊細な心に色々と負荷をかけられ、そろそろ領域不足で処理速度が落ちて妙な音でも出てきそうな俺に、店主は真面目な顔で話しかけてくる。

 

「お前、うちで働かないか?」

「お、そいつは豪気だねぇ?」

「茶化すんじゃねぇよ、タリサ。坊主、どうだ? 従業員用の部屋はまだ空きがあるし、住み込みもいけるぜ?」

 店主の言葉に、タリサさんがにやりと笑って口笛を吹いた。さまになるなぁ、この人。いや、そうではなく。

 

 その話は随分と助かる。なにせ俺は、ここではなんの自己証明手段も持たない異邦人だ。雨風を凌げる場所があって、仕事もあるとなれば随分助かる。

 幸い、酒場じゃないが、ファミレスでのバイト経験もあるから、接客系の技能がそこそこには生かせるだろうこの職場は、何も持っていない俺が生きていくには比較的易しい場所になるはずだ。

 

「俺で……じゃない、僕でよければ、お願いします」

「おう、頼むぜ。あと、僕なんて言うんじゃねぇ。男なら、俺、だ」

「は、はい」

「ん。あんだけの計算が出来るんなら、こっちも大助かりだからな。期待してるぜ」

 俺の言葉に、店主はからりと笑った。俺の周りには今まで居なかったタイプの人で、その笑顔もなんとも男臭く、俺は圧されたように上体をのけぞらせた。でも、嬉しかった。必要とされるのは、なんとなく嬉しい。

 

「となりゃあ、まずは自己紹介だな」

 店主の言葉に、俺は心臓をわしづかみされたような錯覚に陥った。俺の仕事兼住居獲得を我が事のように喜んでいた隣のエリィも、俺と同じ様に表情が固まっているのが分かる。見なくても、一日に満たない短い付き合いでも、その程度は分かってしまう。エリィは、そういう奴だ。

 

「俺はここ『魔王の翼』亭の店主、バズだ。こっちの爆発したコケみたいな髪の女は、俺の兄貴の娘の――まぁ姪っ子って奴だな。タリサだ」

「癖毛でまとまりゃあしないんだよ、あー……タリサだ。よろしく頼むよ?」

 腕を組んで分厚い胸を張るバズさんと、その隣で自分の胸の前で手をひらひらと振るタリサさんに、俺は頭を掻きながら、目を伏せて口を開いた。

 

「えーっと……その、すいません、俺……名前が無いみたいで……」

 

 どこか和やかだった雰囲気に、この瞬間確かに亀裂が入った。バズさんは目を細め、タリサさんは反対に目を見開いた。ジュディアは唖然としたし、俺を避け気味な女の子は悲しそうな顔をしていた。エリィは俺と同じ様に目を伏せて、そして。

 

 そしてフードを目深に被った女の子は、俺を食い入るように見つめていた。いや、実際には分からない。フードの奥に隠された瞳の向かう先なんて分かるわけがないのに、確かに俺は感じたのだ。彼女の視線を。

 

 

  ○      ○      ○

 

 

「いやまぁ、ビックリしたねぇ?」

「はぁ……すいません」

 自身の後ろを歩く男の弱々しい声にタリサは存在を掴み損ねた。本当にこの男は今自身の後ろに居るのかと言う不安に駆られ、躊躇無く振り返る。

 

「……えっと?」

「あぁ、なんでもないさ? ごめんよ?」

「……はい」

 後ろには確かに男が居る。

 薄暗く狭い、年季の入った木造の天井と廊下、男は影を伴ってそこに居るのだから、存在を掴み損ねるような事があっていい物ではない。男はここに居るのだから、居ないという錯覚を感じさせる原因があるとすればそれは。

 

「名前がないなんて、そりゃあなんというか、ちょっと凄い事だよ、あんた?」

「でしょうね……でも、確かに無いんです」

 再び歩き出したタリサに続きながら、男は応じた。

 

「なんかあって記憶が飛んだとか?」

「だとすれば、明日にでも思い出したいんですけれど」

「ないってのが分からないから、私にはなんとも言えないけどねぇ?」

「そりゃ、普通はあって当たり前の物でしょうしね」

 

 無い、と言う事が無いわけでもないだろう。生まれた時に両親が居ない、という事もそれなりにある事だ。それでもやはり、名前と言うのはどこかから生じる。身体的特徴、行動、それらによって誰かが名を着ける。

 男にはそういった物もなく、ただ名前があった事だけは確りと覚えているのだから、無くしたと言う事に対して耐性を持つ事が出来ない。

 

 ――まるで利き手をなくした冒険者だよ。

 

 タリサはそう思った。

 在った物を失った冒険者は自身も自信も喪失する。自らを語るに足る力の源を奪われた時、人は確固たる欠落に囚われ身動きも出来ず、混濁のまま自己の死を弥が上にも受け入れさせられる。混濁の時、どれほど泣こうと、喚こうと、怒ろうと、生きようとしても、喪失は覆らない。過日の自身は消え去り、今日から逝かねばならぬと諦めるその時、やはり覆らずに絶望を自身の受け皿に満たさねばならないのだと悟った冒険者は、皿から滴り落ちる切望から転じた絶望の余りの多さに自らの器の小ささを思い知らされ、また嘆く。

 

 あぁ、この街に伏せるその者達のなんという多さか。

 

 路地裏を歩けば、垢に塗れた片腕の無い者、足の無い者、そんな者達を簡単に目にする事が出来る。彼らの喉の奥からきしみ出るひび割れた声は、この男と大差ない。若い男だとタリサは思う。

 この世界の成人は15だ。それから一つ二つは年経ているのだろうが、まだこんな不確かな声を出していい歳ではない。あってはならない。

 少なくとも、タリサの世界にあっては。

 

「さておまえさん?」

「はい?」

「ここが従業員用のお部屋ってわけさね?」

 タリサは辿り着いた、廊下の奥にある木製の分厚い扉を親指でさしてチェシャ猫の笑みを浮かべた。

 

 ――さぞ生き難い事だよ。あぁ生き辛いだろうさ。だったらそうだ。そう、そうだ。

 

「ほら、見てみなって?」

 ドアを開け、ポケットから火打石を取り出す。それで天井から釣り下がった小さなランプに火を灯してから男を手招く。男は興味深そうに部屋へと足を踏み入れ、室内を見回し始めた。

 この世界においては一般的な従業員用の部屋だ。天井からは小さなランプがぶら下がり、窓が一つと、壁際にベッドが二つ。そのベッドの傍には小さなタンスが置かれている。椅子も机も、勿論本棚も無いのは、この世界は勉学と言うものが本当に遠い所にある物なのだと男に実感させる。

 と、男はある事に気づいた。

 

「……あっちのベッド、服とか脱ぎっぱの置きっぱなんですけど?」

「そりゃあそうだ? 私のベッドだもんよ?」

「は?」

 片方のベッド――男の言った通り、服を、それも女物らしき物が乱雑に置きっ放しになっている――を指差したまま、男はタリサの顔を凝視した。

 

「なんだいなんだい? おまえさんはあれかい? 言葉を聴いちゃいないのかねぇ? 言ったろう? 言っただろう? 言ったんだよ?」

 先ほど浮かべていたチェシャ猫の笑みをその相に再び作り上げ、タリサは楽しくて楽しくてしょうがないと肩を揺すり始める。

 

「ここは従業員用の部屋さ?」

「チェンジで」

 男は即答した。無理だ。それは無理だ、と首を横に何度も振る。だが、その姿がまたタリサの笑みを深くするのだと、男は分かっているのだろうか。

 

「じゃああれだ? 二階の客室で寝てるエリィ達の所に逃げ込む?」

「いや、流石にこれ以上は迷惑かけられないし……さっき分かれたばっかだし……悪いし……なんか怖がられてるっぽいし……」

「じゃああれだ? 一階の自室に居る叔父さんのベッドに転がり込む?」

「絵的に絶対嫌だ」

 筋肉で覆われた店主の体を思い浮かべ、男はそれも即答した。何かの間違いであのマッチョな店主が特殊な性癖の持ち主ではないと断じるだけの材料が、男には無いのだ。

 助けを求めて飛び込んだ先がこれ以上の苦界であっては意味が無い。

 

「まぁまぁ、今からここでおまえさんのためだけにストリップショウしてやるから、上手に出来たらちゃんと脱いだ服のポケットにチップをねじ込むんだよ?」

「仕事を始める前からセクハラとか凄い斬新ッ」

「あんま胸とか無いけど、尻なら良い線いってると思うんだがねぇ、私?」

「こんなピンチはちょっと想像してなかったなぁッ」

「まぁ冗談はここまでで?」

「あ、うん、はい」

 

 タリサは脱ぐ素振りだけしていたシャツから手を放し、服の置かれたベッドに腰掛けて右手で左肩を揉みながら左腕をぐるぐると回し始める。男はあれはタリサの冗談だったのだと気づいて安堵の溜息を零した。そして、タリサは笑みを引っ込めて真顔でぼそりと呟いた。

 

「なんかしたら潰すし?」

 真顔であった。

「えッ?」

 真顔だった。

 

 固まった男の、深刻な相を視界の端におさめながら、タリサは胸中で零す。

 

 ――ようは掻き回して揉み回して、悲嘆に暮れる暇なんか与えなけりゃあいいんだ。

 

 その程度に思いやれる位には、タリサは男を気に入った。気に入ったと言う事にしておいた。そうしなければ、優しくしてやる理由がなくなるからだ。

 多分彼女は。化粧気のない、雀の巣のような赤茶色の髪を持つ彼女は。

 

 ――我ながら、大馬鹿モンのお人よしなこってさ。

 

 この世界では生き難い、生き辛い者の一人なのだ。




類友的な。
ハーレム的環境にはしますが、誰も男に恋愛感情を抱かないと言う方向で頑張ります。恋愛モンとか苦手なんでッ


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5話

 目が覚めたらいつも通りの天井だった。

 むくりと上体だけをベッドから起こして、寝ぼけ眼で辺りを見渡す。見慣れた壁紙、箪笥、殆どゲーム用になった中古のテレビ。そのテレビの前に置かれたゲーム機と、まるで投げ捨てられたようなコントローラーがある。

 

「あぁそっか、寝る前にやったゲーム……最後の所で躓いたんだっけ……」

 自分の意思とは関係なく勝手に出てくる欠伸をかみ殺して、俺は腰の辺りに纏わりつく掛け布団を払いのけてベッドから降りた。箪笥の前まで行き、三段目からシャツと靴下を取り出す。壁に掛かった黒一色の面白味も何も無い学ランを流し見、

 

 ――今日の朝飯はなんだろうなぁ。

 気楽にぼけっと胸中で呟いて。

 

「おはよー?」

「……へ?」

 目が覚めた。

 

「起きたかねぇ? 今日は初日なんだから、さぁ、さっさとぱぱっと着替えて、ちゃちゃっと顔洗って、下に降りるよ?」

 視界一杯に映りこんだ女の人は、そう言ってからにんまりと笑った。

 

「おまえさんが私と一緒に着替えたいってのなら、そりゃあゆっくりとして貰っていいけどねぇ?」

「ちょッ……」

 目の前の顔をよけるようにして上体を慌てて起こし、室内に目を走らせる。そこはさっきまで在った見慣れた自分の部屋なんかじゃなく、昨日案内された従業員用の部屋だった。

 

「はいはい、起きたらこれに着替えて部屋から出るこったさ? 顔は一階の厨房の流しで洗うんだよ? あぁ、ちゃんと歯ブラシもおまえさんの用意してあるから? 黒いのさ? 赤いのは私のだから、使うんなら丁寧に使いなよ?」

「使いません」

「寝ぼけてました、って言やあ誰もおまえさんの可笑しな性癖に文句もつけやしないけどねぇ?」

「そんな性癖ないしッ」

 俺は目の前の女性――タリサさんが手に持っている衣類を奪うようにして手に取り、ベッドから転がり出た。昨日から着っぱなしの服の、シャツのボタンに指をかけて、それから気づいた。

 

「いや、なんでそんなじっと見るし」

「うん、やっぱ脱いだ服のポケットにチップをねじ込まなけりゃいけないかとさ?」

「ストリップショウじゃねぇ」

「なるほど……? じゃあ舞台の踊り子にも触っていいわけだ?」

「寝起きからなんでこんなハードモードッ」

「ようし、イージーモードならこっちが脱ぐよ?」

「なんで」

 

 

  ○      ○      ○

 

 

「おお、起きたか坊主」

「おはようございます、バズさん」

 

 タリサを一時的に部屋から追い出し、渡された服に着替えて顔を洗い歯も磨いた男は、着慣れぬ異邦の服に言葉にならない気恥ずかしさを覚えながら、これから自身の職場となる一階のフロアに足を向けた。

 フロアでは既に、この宿屋兼酒場の主、バズが木製のテーブルを磨いている。丈夫そうなテーブルも、バズが寄りかかっていると今にも割れてしまいそうに思えるのは何故だろうか。

 自分も仕事をするべきだと思った男は、床にある布のかけられたバケツを見つけるとそれに近づき、布を手にとって適度にぬらして絞った。

 

 ――冷たい。

 

 顔を洗ったときにも男はそう思った。窓から見える風景に目を移しても、どこかボケた様な日の光が町並みを照らすだけで、今が何時ごろなのか判然としない。ただ水がこうも冷たいのだから、今は、或いは常に、温暖な季節ではなく、かなり早い時間だという事だけは男にも理解できた。

 

「こっちの方はまだですか?」

「あぁ、俺はまだこっち側しかやってねぇ。坊主はそっちをやってくれ」

「はい」

 男がテーブルを二つ磨き上げ、三つ目のテーブルに取り掛かろうとしていると、つばの狭い帽子を被ったタリサがメモを片手に厨房から出てきて、バズに声をかけてきた。

 

「叔父さん、鶏肉の在庫がちょっと不安なんだけど、どうするね?」

「豚と牛がまだあったろ?」

「んー……じゃあ今日はそっちで攻めてみるかね?」

「おう。オレンジとブドウはまだあったか?」

「うん? あんだけありゃ今日にも二樽分は仕込めるさね?」

 

 しっかりと仕事はしているらしい。男がじっと自分を見ている事を分かっているのか、タリサは厨房に戻る間際、男へとニンマリ笑って見せた。そんな姿に、バズは顎を撫でながら男を睨む。

 いや、当人に睨んだと言う気は無いだろう。だが男には睨んだようにしか見えないのだから、身を縮こませるには十分だ。

 

「んー……随分気に入られたみたいだなぁ」

「いいように遊ばれてるんですが。この短い間に」

「まぁ、坊主のその細腕じゃあ、なんも出来ないだろうが……」

 そんなバズの言葉に、男は思っていたことを口にした。

 

「いくらなんでも、男と女が一緒ってのはどうなんです?」

「どうなんですも何も……坊主、おまえタリサをどうにか出来るのか?」

「無理です」

「だろう?」

 バズはさも当然と返すが、それが兄の子を預かる人間として正しい姿であるかと言えば否だ。だから男の口はついつい滑る。

 

「でも倫理的な問題がある訳で」

「金銭的に見てくれ。俺の店はそんな広かねぇんだぜ?」

「あー……」

「まぁ坊主がタリサをどうにか出来ても、責任取るってんなら、俺はかまわねぇ。兄貴も花嫁修行と婿探しでこっちに来させたからな。……ただ」

 バズはそこで言葉を区切って、自身の右手を握り締め、それを左手で包み込んだ。何やら威圧的なオーラと共に痛覚を刺激するような音が男の耳に入ってくる。

 

「責任とれねぇってんなら……分かるな?」

「……はい」

 

 拳が飛んでくるのだろう。そうなったら自身はどこまで飛ぶのだろう。相当吹っ飛ばされるのは確かだ。それも一発二発のパンチで済むかどうか、怪しい物である。

 男は絶対に手を出す事はしまいと心に決め、磨きかけのテーブルに意識を戻した。

 と、階段から数人の足音が聞こえて来る。ちらりと見ると、そこには昨日酒場に居た四人組の冒険者達が居た。彼らはバズと、そして新しい従業員である男に手を上げ、笑いかけてくる。

 

「あぁ、やっぱマスターに言いくるめられて仕事する事になったのかよ」

「言いくるめってか、脅してじゃないのか?」

「バズさん、やめてやれよ? こいつにも選ぶ権利ってのあるだろ」

「うるせぇ。なんとも平和的に雇ったてんだ」

 そりゃそうか、などと笑いながら、男達は朝の早くだと言うのに、既に鎧を着こんで磨かれたテーブルに腰を下ろし注文を始める。

 

「俺コーヒー」

「オレンジジュース」

「大和の濁り茶」

「俺は……たまにはエールでいいか」

「おう」

 冒険者達の注文を聞いて、バズは厨房に入っていく。タリサに伝えに行ったのだろう。男はテーブルを磨き終え、そのままカウンターへと近づき、今度はその辺りを磨き始めた。ただ、意識は冒険者に向いたままだ。

 

「さて……じゃあ今日の仕事の確認だな」

 四人組の一人、銀色のプレートアーマーを着込んだ男が懐から紙を取り出し、他の三人に目配せした。

 

「ギルドからの仕事だが、どうにも北部迷宮の下層辺りで見慣れないモンスターがでたらしい。多分ミックスだろうな」

「あそこは類似系のモンスター多いからなぁ。で、それは捕獲か? それとも証拠だけでいいのか?」

「あー……待て。書いてあるな。捕獲が望ましいそうだ。死体だと報酬が八割まで下がるとさ」

「なら、捕獲の方向で頑張らんとな」

「俺達以外には他の誰がこの仕事貰ってたんだ?」

「確か……」

 

 冒険者達の、それもまだ若く見える彼らの交わす言葉に、男は畏敬の念を抱いた。見たところ二十になったばかりの、男より少しばかり年上でしかない彼らが、あぁも真面目に仕事に取り組んでいる。それもベテランのような雰囲気を持って、だ。

 ミスをすれば死に近づくと言う事をある程度理解はしても、実感できない男には、彼らのその仕事に対する姿勢が眩しく見えた。何せ自身の世界のあれくらいの年頃の連中なら、適当に日々を過ごす者が多いのだから。

 

 そして彼らは、バズの持ってきた飲み物をそれぞれ口にして、軽く冗談を交わしてから腰を上げ、カウンターまでやって来た。

「坊主、仕事だ」

「あー……はい」

 メニューを片手に持って、伝票を受け取り計算する。手早くそれをやって見せると、冒険者達は昨日同様の笑顔を見せた。

 

「いいのを雇ったよな、マスター」

「そう思うなら長く贔屓にしろよ、おまえら」

「おうよ」

 バズは彼らの出した数枚の硬貨を受け取り、自然な仕草で拳を突き出した。それに、リーダー格の男が自身の拳をぶつける。

 

「帰ってきたら美味いの頼む!」

「食える口があるならな」

 男臭い笑みを浮かべ、彼らは店から出て行った。男は彼らの背中を見送ってから、隣にいるバズに眉を顰めて、

 

「文字読めるんですよね?」

「あん? 当たり前だろうが。冒険者が文字読めないでどうする」

「いやでも、計算できないですよね?」

「そりゃあ坊主、算術なんざ得物振り回すのに役立たねぇだろ」

「え、えぇー……」

 逆ではないのか。男は自身の世界に居た大陸の英雄の逸話を思い出しながら、眉間を揉んだ。

 

 大陸において初めて統一を成し遂げた英傑の死後、巨大なカリスマを失った覇者の国は麻のように乱れた。その混乱の中名乗りをあげ、歴史に名を残した英雄達が居る。

 二人の農夫、犯罪者上がりの刺青者、滅ぼされた国の貴族。しがない下級役人。

 そして、その力山を抜き、その気天を覆う、と謳われた英雄。

 彼は戦略にも外交にも特に力を入れず、ただ戦場の中でその力を発揮し、従う者を率い逆らう者を潰し、文字通り埋めた。そんな彼の言った言葉で、有名な言葉がある。

 

『文字などは名前を書ける程度でいい』

 

 力、武の信奉者らしい言葉である。であるから、当然冒険者もそういった傾向が強いのだと男は思っていたのだが。

 

「金なんてな、重さがちょっと違うだけで半分の価値になったり、通用しない国があったりで面倒だろ? その辺の狩人ともなりゃあよ、あいつら仕留めた獲物の毛皮と肉と骨で物々交換したりもするから、金ってモンを使った事のない奴だっているんだぜ」

 軽く息を吐いて、バズは続ける。

 

「それに俺も冒険者時代散々思ったがよ、できる奴に任せりゃいいんだ、計算なんてな。武器の手入れやビール一杯、肉一つの計算ならまだしも、てめぇが走りきった分を金額にして見ちまうと、色々つぶれそうになるぜ、ありゃあ」

 バスはその金額とやらを見たのだろう。いや、見た筈だ。この店を用意する時、この筋肉に覆われた大男は自身の現役を通しての財を見てしまったのだろう。

 その時、この男らしいからりとした人物がどのような相を浮かべたかなど、男は知りたくなかった。

 

 しかし、それはそれ、これはこれ。疑問は疑問なのだ。

「じゃ、じゃあ、なんで文字は読めるんです?」

「あとで条件が違うとか、契約ではこうなってた、なんて言われねぇ為だ」

「あぁー」

 それで男は納得した。確かに先ほどの冒険者達も何度も紙に目を通し、お互いに見落としはないかと確認しあっていたのだから。ただ、納得した男の相を見たバズは、一度厨房に目を向けてから、男に聞こえる程度の呟きを発した。

 

「それから、読めるだけの奴と、読み書きできる奴が居る」

「なんとなく分かります」

 読めるが書けない、というのは男の世界でも良くあった事だ。殊に男の居た日本は文字に関しては他国より余程酷い。文法だって世界的に見れば特殊なのである。ただ、どうしてバズが声を落としているのか、それが男には分からない。

 

「が、まぁおかしな事に男の冒険者は読み書きできる奴が多いんだ……こりゃ男の冒険者だけだが、良い娼館の女ってのはよ、何度か手紙でやり取りして気に入ってもらえないとやれないってルールがあってな」

「……」

 そりゃ文字も覚えるわけである。さぞ必死に覚える事だろう。

 

「叔父さーん?」

「お、おう!」

 厨房から聞こえてくるタリサの声に、バズはギョッとした。応じた声にも何か虚勢が見える。

 

「その子を染めるのは私の仕事だから、叔父さんは叔父さんの仕事しておくれよー?」

「お、おう……?」

 何やら疑うような視線を向けてくるバズに背を向けて、男はカウンターを磨く仕事に戻ることにした。

 

「……責任取れなかったら、ぶっ飛ばすぞ?」

「いや、大丈夫ですって」

 男の、異なる世界に来て初めての仕事は、店主の拳を気にして他の事が疎かになる、そんな幕開けだった。

 

 

 ○      ○      ○

 

 

 迷宮の、ダンジョンの、深い深いそこで、底で、影さえも無い未踏の森閑の中、何かが蠢く。それは球体にも見え、六面体にも見え、人にも見え、獣にも見えた。

 

 剣の様な鋭さがあり、盾の様な堅さがあり、息吹の様な揺らめきがあり、終の様な玲瓏たる静寂があった。その何かの中に、文字がある。ただの四文字だ。見慣れた、どこかで見ても特に気にする様なモノではない。

 

 それはただ、漢字四文字で書かれただけの文字だった。ただの、そう、それだけのモノだ。




これにて序章終了という事で。


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剣と盾を率いて
6話


 ――遥か古の時代。まだ神代の頃である。絶大な力を誇り、万物を統べる種族があった。残念ながら彼等が何者であったか、後世には伝わっていない。伝わっているのは、その力と酷薄な性質のみだ。声の一つで雷を呼び、腕の一振りで津波を起こし、享楽の為だけに我等の先祖である人間を殺したと言う。

 

 だが、その暗黒時代は突如砕かれた。曇りない中天の刻、雷鳴と共に突然空が裂け、焔が奔り、9匹の竜と9人の騎手が現れ絶望の中で嘆き苦しむ人々に味方した。彼らと"何か達"の戦いは千夜を数え、流れた血で大地は真紅に染まった。

 

 そして千と一夜を数えた時…人は自由を勝ち得た。戦いの後、9人は何処かへと去った。9匹の竜を残して……

 

「こりゃまた、なんとも……」

 俺はそう呟いて、本を閉じ机の上に置いた。意図せず零れ出た声に、はっとしながら周りを窺う。周囲に人影はあるが、こっちを気にしたような気配はない……多分ない筈だ。なんとなく安堵の溜息を吐いてから、今度は声に出さずに呟いた。

 

 ――なんとも、ベタな。

 

 椅子を引き腰を上げる。それから机に置いたままの本を手に取り、持ってきた場所に戻す。本なのだから戻す先は当然本棚だ。

 学校にあった図書室で見たような綺麗な本棚じゃなくて、なんともみすぼらしい木製のものだけど、それはそれでなんとなく風情がある。さて、次は何を読もうか、なんて気持ちになれなかった俺は、出入り口の傍にある机に噛り付き、本を熱心に読み耽っている俺の親父より少しばかり年上といった感じの男性を一瞥して、出て行くことにした。

 

 扉の向こうは、太陽の光に照らされた見慣れぬ町並みがある。映画で見たような、煉瓦と木と土壁で出来た中世ヨーロッパ辺りの田舎みたいだ。偶に驚くほど機械的な物を見ることもあるけども、それが何であるかはさっぱり分からない。

 碌に舗装されていない道を歩く人達はやっぱりこれも映画で見たような服装で、ジーパンだのサングラスだのといった物は一切無い。俺は今着ている、街行く人と同じ様な服を手のひらで撫でた。堅いし、重い。用意してくれたタリサさんが言うには、ナイフで切られても何とかなる程度が当たり前で、俺がこっちに来た時に着ていた服なんて、論外なんだそうだ。

 なんだナイフで切られるって。

 あと刺されたら貫通するとかさらりと言われたのも地味に怖かった。刺されるってなに?

 

 さて、俺がさっきまで居た場所はどこかと言うと、図書館……いや、まぁ、館と言えるほど大きなモンじゃないし、品揃えもなんというか、個人営業の小さな古本屋、程度なんだけども、これでもここほど本がある場所は多くは無いらしい。

 紹介してくれた知人曰く、ここの辺りなら一番、なそうだが、本なんてその辺にあって当たり前に育った俺からすると、少しばかり物足りないと言うのが正直な気持ちだ。まぁ、紹介してくれた知人の顔もあるんで、勿論そんな不満を前面に出すような真似はして居ない。

 

 ここに、自由都市ヴァスゲルドとかいう場所に来て、一週間が過ぎた。

 ちょっとした旅行って言うのなら、高校生にしたら長い旅だろう。一所に滞在するなら一週間は長い。しかもだ。これは旅行でもなんでもない。

 信じられないことなんだが、俺はある日、寝て起きたら全く違う場所に居た。下手人不明、意味不明、そんなこの誘拐劇は、今もって解決の目処もなく、哀れな被害者である俺はなんでか名前まで失って今もここにこうやってふらふらとしたまま、なんとなく生きているのである。

 

 そう、ふらふら、だ。

 

 こんな場合、誘拐された哀れな被害者はどんな風に日々を過ごすのだろうか。俺が知っている漫画や古いアニメの主人公は、能動的に世界を回ったり冒険を繰り広げたりしていた。ロボットに乗ったり剣を振り回したり魔法を使ったり、世界を闇に覆わんとする巨悪を打ち滅ぼして英雄になったり、お姫様を助け出してイチャイチャしたりハーレムしたり、だ。

 傭兵やってSランク並の凄腕になって喋る魔剣を相棒として悪魔相手に血煙の中を舞う、なんてのも在った。

 

 残念ながら、俺にその素養はない。魔法と言うのを見た事は無いけども、この世界にはあるらしい。ただ、俺には使えない。剣も盾もある。けど俺にはそれを振り回す力が無いらしい。ダンジョンにもぐる度胸もないし、命を懸けて何かに打ち込む、ってのもないらしい。

 

 らしい、のだ。

 

 記憶がある。一週間前まで居た世界の記憶は、確かにある。けれども、俺には名前が無い。そのせいなのだろうか……どうもこう、根っこが無い感じで、何が自分らしいのか分からないのだ、俺は。

 図書館とは名ばかりのちっさい座り読みOKな書店で歴史書なんかをあぁして読んでいたのは、何も出来ないならせめて、と思ってやったことだし、多分、俺以外の……そう、俺以外の誰かが、名前を無くし、特別な力も与えられず異世界とやらに放り込まれたら、こうするんじゃないかと思ってやった事にすぎない。

 誰かのトレースみたいな、そんな実に意味の無い行為だ。

 

 それでも、少しばかりは意味があったと思うべきだろうか。知る事は出来た。例えば、ついさっき読んだ神話よりも前に読んだ本には、その後の事が書かれていた。9匹の竜の騎手達の本当のその後の話だ。別にどっかに去った訳でもなく。

 

 人間達に殺されたとさ。

 

 この説が出たときには相当揉めたと注意書きに書いてあったけど、今ではこれが一般的な説なんだそうだ。殺されたという点に関して、そりゃそうだよなぁ、と普通に思う自分が居る。違う存在が傍にいるのだから、怖いはずだ。だったら簡単にそうするに決まっている。

 強かろうが逞しかろうが注意深かろうが、殺しようは幾らでもあるのだろうし。毒とか罠とか人質とか。

 ある意味で、酷い種族である"何か"に虐げられていた人間達も逞しかったのだろう。それを逞しいと言って正しいのかどうか、俺には分からないが。

 

 その後は9匹の竜が人間に復讐を果たそうとしたり、それでも人間を信じる新たな騎手が生まれたり、後々生まれた国の守護者となった竜同士で争ったりと、まぁご苦労様な歴史があった。

 しかも物によっては、実は歴史の闇に秘された十匹目の竜が居て、なんてのもある。おまけにその十匹目の竜がここ――ヴァスゲルドの守護者で、更に『魔王の翼』なんて名前なのだから、俺は笑っていいのか、それともバズさんに中二病乙と言えばいいのか、ほとほと困ったモンなのだ。

 まぁ言ったら首傾げるだろうけど。意味教えたら首へし折られるだろうけども。

 

 なにはともあれ、争い、争い、争いだ。人が居るとどうにもそっちに偏りがちになるらしい。で、だ。こうやって本を読み漁って、俺は一つの解答を得たのだ。うん。

 

『ど う に も な ら ね ぇ よ』

 

 この世界の過去に、異邦人らしき人物が現れたのは神話のあの行だけだ。いや、他にもそれらしき者が居たかもしれないけども、書かれては居ないのだから、それは居ないの同義だ。

 

 俺は頭上で燦々と輝く太陽を仰ぎ見て、未だ着慣れぬ服の重さを感じながら肩を落とした。本当に、どうにもならない。なっていない。

 なら、ほら、おい、次は何をすれば、誰をトレースすればいいのだろうか。この自問はきっと惨めで、あぁ、誰かこれだという物を用意してくれと泣きたくなる。

 そんな感情だけは根っこが無くても本物なのだから、尚更痛い。

 

 視線を正面に戻すと、当たり前に歩く人達が居る。ただ当たり前に、だ。では何をすれば当たり前なのだろう。何が俺の当たり前なのだろう。皆と同じ様に道を歩けばいいのだろうか。

 舗装もされていない道は足の裏が痛いのに、足首がじんじんと熱を帯びるのに、当たり前に歩けばいいのだろうか。そうすれば俺は、少なくとも帰る手段もないままの俺は、ここに在って当然のモノになれるのだろうか。

 

 根っこが無いくせに、このままでは根腐れする事だけが分かりきった俺は、何をすればいいのだろう。せめて剣が、盾があれば良かった。そう言ったものを扱う才能やら覚悟があれば、アニメや本の主人公をトレースして、とりあえずの満足は得られたのに。

 

「はぁ……」

 溜息が出る。盛大に出る。どっと出て、どっと疲れる。違う違うと思うことが、違うと言う自分を作り上げるなんて分かっていても、これはどうにも出来ない。……帰ろう。今日はもう帰って、仕事に専念しよう。そうすれば、こんな物を忘れる事が出来る。

 暫定的な自分の家である酒場兼宿屋に足を向け、

 

「おや、奇遇だね」

「……あぁ、どうも」

 

 知人と出くわした。さっきまで居た本屋を教えてくれた、いつもフードを目深に被った、そんな知人だ。

 

 

 ○      ○      ○

 

 

 フードを目深に被った少女は、この町での迷宮探索の拠点にしている『魔王の翼』亭の新人に気安く声をかけた。道で出会ったのだからその程度当たり前の事だと思い。だが、声を掛けられた男の方はと言うと、迷惑だと言うほどではないが、戸惑いの色が過分に含まれた相で返事をしてくる。

 

「今日も本を読みに行っていたのかな?」

「まぁ、そんなもんです」

 会話を続けようとする少女と、それを無難に合わせるだけの男。そこには確かな温度の差がある。少女はそんな事に気づけぬほど愚鈍ではない。気付いている上で平然と話しかけているのである。

 

「君は読書家なんだね……算術も飛びぬけているし、文官でも目指すのかい?」

「いえ、そういうのは特には」

「私にももっと砕けた話し方でいいんだよ? 僕らはなんと言うか……そうだね、一度は一緒にダンジョンを歩いた仲じゃないか」

 少女のその言葉に、男は軽く呻いた。威嚇的な呻きではない。怯んだ事であがった物だ。

 

「あんなの、それこそただ歩いただけじゃないですか」

「ないですか、じゃなくて?」

「いえ、だから」

「いえ、だから?」

 少女はフードから覗き見える唇をへの字に曲げて一歩男に近づいた。それに合わせて、男は腰を落として一歩下がる。

 

「……分かったよ。分かった。あんなの、ただ一緒に歩いただけだろ?」

「まだ声に堅さがあるけど……まぁ、それでいい」

 男には男なりに、この少女と親しくなりたくない理由がある。どうにも距離を取りたいと思わせるだけの物が、この少女には確かに在るのだ。

 

「ところで、あれから何かあったかい?」

「なにも、まったく、何も無い」

「そんな筈はないんだが……おかしいね」

 そう言って、少女は男の頭の天辺から足の爪先まで遠慮会釈の欠片も無くじろじろと見た。被ったフードに隠された視線、等と言っても、顔が露骨に上から下へと動けば誰でも分かる。

 これが嫌なのだ。男にとっては。

 

「君がそれほどの物を失ったのなら、絶対に何かを得た筈だ。名前なんて代償は聞いた事こそ無いが相当の供物だよ。それが君、何も無いなんてある物かよ」

「何言っているのかさっぱり分からない……」

「前々から思っていたけれど、君は意外と物が足りないね。言葉の外にも意味はある。それを拾い上げる事こそ本当の慧敏だと言うのさ。君は知識だけの徒になってしまって満足かい? それは良くない事だと私は思うのだけれどね」

「分かる言葉で喋れ。いや、なんとなくは分かるけどさ……」

 

 ホルマリン漬けの貴重なサンプルを眺める研究員の双眸とは、例えばこんな物なのだろうと男は思った。フードを目深に被った少女の相は殆ど隠された物だが、こんな時に出す空気はまさにそれを感じさせる気味の悪い物なのだ。サンプルに成った覚えの無い男にすれば、殊更に。

 

「ふむ……変調があればすぐにでも報告して欲しい」

「あぁー……うん、多分するんじゃ……ないか?」

「はっきりとしないね。いや、仕方ないか、私は君とエリィほど親密でもないからね」

 少女の口元に笑みが広がる。顔を半分以上隠したその相は、花の様なと見立てる事は出来ないが、仮にもうら若き娘だ。それなりに穏やかな彩があった。そんな相のまま、彼女は続ける。

 

「変調をきたして困るような事があれば、言ってくれれば良い。私でも出来る事があるだろうしね」

 優しい言葉が出てきた。男はそれを意外だと少しばかり感じたが、それこそが意外だと笑いそうになる。あのエリィの仲間なのだ。

 

「その人を知りたければ、その友を見よ、か」

 小さく呟かれた男の言葉に、少女が頷いた。

「良い言葉だ。そこに真理がある。君はやはりもう少し慧敏である事に拘るべきだね。きっといい学者様になれるよ」

「俺の言葉じゃない」

 男が居た世界、その中国の諺だ。

 

 なんとなく、そこから気が晴れた。距離を取っておきたいと言う男の心情に格別の変化は無いが、ある程度までなら、という譲歩の気が芽生えた。実験動物の様に眺められないのなら、世間話をする位はいい。

 二人はなんとなく歩き出し、道を行くことにした。

 

「で、今日は一人でどこに?」

「うん、素材をギルドで換金してもらおうとね。今日は私の番だったんだ」

 そう言って、少女は腰につけた迷宮探索用の携帯袋を軽く叩く。中の素材でどこか角ばった形に成った皮製の袋が小さく揺れた。

 

「換金は、ギルドなんだよな?」

「そうだよ」

「……じゃあ、その時ギルドの人に今日の収入分を人数分に割って貰ったりしないのか?」

「無茶を言う」

「無茶?」

 分からない、と言った表情で自身をじっと見つめる男に、少女は一度立ち止まって人差し指を突きつける。

 

「私達の収入を、そのまま人数分に分けて渡してくれる保障がどこにあるんだい?」

「でも、それは」

 と、男は少女の腰にある携帯袋を指差して

「そこで金に換えるんだろう?」

「当たり前じゃないか」

 

 それが男には分からない。換金はする。しかし人数分に分けてもらうのは嫌。どちらも金だ。換金でも魔がさしてごまかしポケットに入れるようなギルド職員もいるのではないだろうか。それなのに何故換金だけはするのか。

 その疑問が顔に書いてあったのだろう。少女は突きつけた人差し指で男を軽く突いて口を動かす。

 

「換金はね、いざとなれば私達が道具屋なり鍛冶屋なりに直接交渉しても良いんだよ。実際、一流どころの冒険者は、そう言ったお抱えが居るんだ」

「……なるほど。でも、換金っても素材の値段はギルドが決めてるんだろう? その辺りは?」

「換金はギルドの仕事で、そこには信頼がある。君が言っている人数分に割る、はギルドへのお願いになるから、信用がないのさ。仕事ではないのだから、信じて用いれないんだね」

「めんどくせぇ」

「そうやって僕らは面倒くさく歩いていくんだよ、今ここでもね」

 そう言って締めくくり、彼女は肩をすくめて歩き出した。少しばかり華奢で小柄な少女がやった先程の仕草は不似合いではあったが、おかしな事に貫禄があった。男にはない物だ。

 歩き出した彼女の背を、なんとなく追いかける男には。

 

「それにしたって、君はおもしろい」

「ん?」

 背後に振り返ることも無く、彼女は男へとまだ話しかける。

 

「普通君くらいの年頃なら、酒場の雑用や計算役より冒険に目が行くものだからさ」

「……なんも無いからな、俺」

「剣を持ってみたらどうだい?」

「……見ただろう、あんたはさ」

 男の声に棘が生じる。誰かを刺す様な棘ではなく、発した男の喉をこそ刺す自虐の棘だ。

 

「でっかい蛙にびびった俺の姿だよ。無理だ。それこそ、無茶だ。俺は……死にたくない」

 しかし、それでも羨望はある。

 どこかの本やアニメの登場人物のように、剣を振り、盾を構え、眼前の巨大な壁をいとも容易く踏破して、皆に認めてもらう。本来の世界に居た時には出来なかったような事をやってみたいと言う、それ。

 平凡な自身への強烈な劣等感。

 例えそれが根っこの無い、誰かならこうするのではないかと言う、なぞっただけの望みでも。

 

 

 ○      ○      ○

 

 

《――剣》

 静かな暗い恐い底で。

 

《――盾》

 静かな暗い怖いそこで。

 

 音が木霊した。それが望みならばと、何かは揺らめいた。供物を糧に、揺らめいた。




これからも適度にもんにょり更新してきますんで、お暇な時にはどうぞ。


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7話

 外食産業の昼時となれば、それはもう大層な稼ぎ時だ。

 と言うのは上の考えで、下の方――つまり現場はと言うと、軽く地獄に入る。フロアでは客が腹を空かせて唸り、カウンターの向こうの厨房ではキッチンスタッフが作っても作っても減らぬ仕事に唸り、そしてフロアスタッフは笑顔の下で唸る。新人がテーブルの番号を忘れる、皿を割る、落とす、新人があっちのお客様です、なんて指差す。落ちる拳骨と罵声。テーブル番号で言え。盛り付け間違えました。死ねお前。

 そんな世界が、そこに在る。

 

 そしてこの俺の新しい職場であり、仮の住まいである『魔王の翼』亭のお昼時はと言うと。

 

「叔父さんのまかないは、やっぱり大雑把な味付けさねぇ?」

「男の料理って感じですよね。こう、うん、大雑把で」

「うるせぇ。文句があるなら食うな」

 実にまったりしていた。

 

 どうでもいい話だが、バズさんのまかないは実に男らしい大雑把な感じで、タリサさんのまかないはなんとも男らしい手抜きな感じで、俺のまかないはそれの中間くらいな感じのモノになる。

 

 さて。冒険者御用達のこの店は、この時間が一番暇になる。冒険者である彼らは朝から迷宮、或いはギルドのクエストで休む暇も無く走り回っている最中で、昼なんてのは携帯食で済ませるのが殆どだ。

 偶に早くに仕事が終わった時に顔を出す連中もいるにはいるけども、彼らは夕食で腹を満たすつもりだから昼はさほど食べない。一日の終わりに、一日の仕事で得た金で喉を潤し、胃を満たすのが彼らの流儀なんだそうな。

 

 ちなみに、朝も腹に溜め込むほど食べる冒険者は少ない。

 動きが鈍るのを嫌うのと、腹を斬られ、或いは刺された場合、胃から消化不良の内容物が流れ出て、傷口を汚して傷の治りを遅くするから、それを避ける為だとバズさんは言っていた。

 その話を聞いた時、感染症対策に俺は吃驚した訳で、タリサさんにもちょっと聞いてみたんだが、その辺は医学的な根拠でそう言ったものを発見したのではなく、経験則上の範囲で、冒険者の常識になっているらしい、と彼女は俺に教えてくれた。飽く迄先人達の教え、でしかないのだ。

 

 とは言え、そこはそれぞれ、十人十色だ。朝にしっかり食わないと動けないという冒険者も居る。結局最後は、個人の自由でしかない。

 その日失うかもしれない自分の命なら、自分の価値観で全て決めてしまうのも良いんだろう。

 で、俺はと言うと朝もそれなりに食べる。三食それなりに食べないと動けないんだから、これは仕方ない事だ。

 それに俺は、冒険者じゃない。なれそうにもないし、なった所でどうなるか、分かりきっているじゃないか。

 

 俺はバズさんの作った肉と野菜を混ぜ込んで塩を振って炒めただけのものと、堅い黒色のパンを口の中に放り込んで咀嚼し、隣においてある木のコップに入った水で胃に流し込む。そんな俺をいつから見ていたのか、タリサさんがスプーンを持ったまま頬杖をついて眺めていた。

 

「……なんです?」

「いんやぁ……おまえさん、変わってるねぇ?」

「それ、昨日エリィの仲間にも言われたんですけど」

「ジュディアかい?」

「いえ、名前は知りませんけど、ほら、フードの」

「あぁ……そうか、普通は冒険者同士、気が合うか、一緒に仕事する時にしか名前は名乗らないからねぇ?」

 

 そんなモンか、と思い納得する。なにせ俺は、この店の客の名前なんてエリィとジュディアしか知らないのだ。エリィは最初の自己紹介で知ったけど、ジュディアはまぁ……いつも自分の事ジュディアって言ってるから覚えた。教えてもらったわけではない。

 そうなると、エリィと俺は、自分の中でも、相手の中でもちょっと特別なモノなのかも知れないなんて思うのは、自意識過剰なんだろうか。……それはそれとして。

 

「何が変わってるんです?」

「普通ねぇ、おまえさん? あれだけぱぱっと計算出来るなら、もっと稼げるところにいくもんだよ?」

 そう言ってから、タリサさんはスプーンの先を軽く振りながらバズさんに向け、口元を愉快気に歪めた。

「ねぇ、叔父さん?」

「うるせぇぞ、タリサ。また俺に計算で唸る毎日を送れってのか?」

「いやいや、んなこたぁ言って言ってないさね? ただ、なんも分かってない無垢な坊やを騙したまま使っていい気になってる叔父さんを見てるのは、姪として辛いって言いたいのさ?」

「……ふん」

 

 バズさんは鼻で息を吐き、自分の前にあるまかないの盛られた皿を左手で口元まで運ぶと、それを一気に掻っ込んだ。次いで、右手でコップを掴み、それを先程同様に口元まで運び、一気に煽る。三秒ほどしてから、バズさんはテーブルへコップを乱暴に戻した。

 そして、タリサさんを一瞥して、俺を睨んだ。

 

「おまえの、坊主の計算速度はその辺の学校出の奴より早いだろうな。そういう奴はな、普通こんなちっせぇ店じゃなくて、もっと客の来る……まぁ所謂一流って店に行くもんだ。王都のレストラン、帝国の皇族御用達のアクセサリーだのドレスだのと置いてある様な、そんな所だ」

「へー」

「いや、坊主、へぇーっておまえ……」

 

 俺の気の無い返事に、バズさんは心底驚いたのだろう。余り表情を動かさないこの人が、呆れたといった顔で俺をじっと見ている。隣を見ると、タリサさんなんかは面白いといった顔で俺を見ていた。

 

「変わってる、本当に変わってるよ、おまえさん? 一週間経っても、隣で寝てる私に何をする気配もないしねぇ?」

「いや、潰すとかいいましたよね?」

「んー……今なら、優しく潰すくらいにしとくよ?」

 なんとも加虐的な背筋にぶるりと来る笑顔を浮かべたタリサさんは、それはもうマジ怖かった。俺がその手のモノをご褒美と言える人間だったら惚れてしまいそうな笑みだ。

 

「仲がいいな、おまえらは」

「妬きなさんなよ、叔父さん? 飽きたらあげるから?」

「勘弁してください。マッチョは趣味じゃないんです」

「おまえらなぁ」

 呆れた顔で、しみじみと溜息をつくバズさんのその向こう――店の入り口で、扉の開く音がした。

 

「……さて、仕事だ。食い終わった奴から出ろ」

「はい」

「はいよー?」

 

 

 ○      ○      ○

 

 

「一週間掛かって、やって仕事終了かよ……たまらねぇなぁ」

「仕方ねぇだろ。ミックスの数が多すぎたんだよ、あれは」

「おぉーいー……エールくれー……」

 入ってきた男達は、適当な場所に座って項垂れ、或いは肩を落とし、頬杖をつきながら注文を始める。そんな彼らに男は近づき、オーダーをメモする為のペンとメモをポケットから取り出した。

 

「いつもの、ですかね?」

「ん? あぁ、いつもので分かるか、坊主?」

「いや、坊主て」

 銀色のプレートアーマーに身を包んだ若い冒険者の言葉に、男は軽く呻いた。

 

 男は、この店の客からはそう呼ばれる。バズがそう呼んでいると言うのも大きいが、一番の理由は男の物腰と体格のせいだ。

 一般的なこの世界の基準から見れば、男は細すぎる。おまけに全体的に稚気が富み過ぎている。ここは15歳で成人であるから、普通男位の年頃なら親元からはなれ、早ければ二人目の子供がいる頃だ。一個人の大人として社会に扱われれば、当然、考え方も落ち着きも相応の物になる。

 だと言うのに、男は"この歳になってもまだ"子供のような甘さが在るので、皆坊主扱いが順当だと思っているのだ。

 

しかし、それとは相反して。

 

「コーヒー、オレンジジュース、大和の濁り茶、あとたまにはエール、ですよね?」

「……何気にすげぇな、坊主」

「……まぁ、坊主でもいいですけれどね?」

 男にはこんな部分がある。聡いというか、順応能力が高いとでもいうか……立ち回り方に妙な慧敏さがある。

 自身のその場その場での役割を果たそうとするところは、この世界にはない空気を読む上手さ、とでも言うのかもしれない。自身の力量と、少数の集団を頼みに生きる冒険者の世界に身を置く彼らには、大きな集団――社会にあわせる事で無難に生きていく能力を伸ばすのは難しく、また思いもつかない事なのだろう。

 だからこそ、彼らには自身にない男のそれが、慧敏に見えたのだ。

 

「で……飲み物はそれで良いとして。食べ物はなんにします?」

「そうだなぁ……お勧めは?」

「バズさんとタリサさんが、今日は牛が余っていると言ってました」

「ならその辺でいいか……適当に四つほど頼む」

「はい」

 

 この冒険者達のリーダー格の言葉に、男は軽く頷いてメモにペンを走らせる。そのまま、少しばかり中空を睨み二三度一人で相槌を打ち、メモを彼らの居るテーブルに置いて厨房に入っていった。

 冒険者の一人が、男の置いていったメモを摘み上げ、目を細める。

 

「……どんな頭してんだよ、あの坊主」

「あぁ、今日もか?」

 八つの目が集まる先には、牛肉を使った料理が四人分、それからそれぞれの飲み物と、それらの合計金額が書かれていた。

 

「マスターも喜んでるから、いいんだろうがなぁ……これ、王都のレストランより計算速いよな?」

「……だな」

 彼らは驚嘆の隠しきれない声で、口々に囁いた。このヴァスゲルドの冒険者の中でも、彼らは中堅層で見ればトップクラスだ。この都市以外でも仕事を重ね、それなりの知名度を誇る有望株である。

 彼らは王都などに出向いた際には、一流程ではないが、それなりの食堂で食事をするわけだが、そこで雇われていた会計役よりも、男の清算の方が余程早く、ごく自然な仕草で見せた妙技に毎度舌を巻かされる。

 

「でも、坊主なんだよなぁ」

「不思議だよなぁー」

 通常、学校出は貴族か大富豪の息子だ。貴族の子息達、富豪の跡取り息子である長男等は他所へは出ないのだから、一流と言われる職場が招くのは次男、三男である。雇われた、と言うよりも請われて招かれた彼らは、職場での態度が酷く横柄であるのが常だ。

 清算に伝票をもってきた者を、計算も出来ない奴だと侮蔑の目で見る者もいる。本当の一流処となれば客も相応であるから、教育も確りと成されるが、冒険者風情が足を運べるそれなりの店程度では横柄者ばかりが目に付く。

 であるから、彼らにとって男は相当珍妙な生き物になる。

 

「普通に見るよな」

「少なくとも馬鹿にした様な目は無い」

「っていうか、どっちかって言うと尊敬されてるような気がしないでもない」

 彼らは、男が雇われた最初の日の朝に、一番最初に二階の宿屋部分から降りてきた連中だ。男が彼らを見ていた眼差しにも気付いていたし、その後も変わらぬ男の目の色には、気恥ずかしさを覚える位だ。

 それ以上に嬉しいのも確かではあるが。

 そんな会話の中、リーダー格の冒険者が軽く手を叩いた。

 

「ま、その辺でいいだろ。今日の稼ぎの分、四人分に割るぞ」

「うわ……めんでぇー」

「四人で割るってのも、難しいよなぁ……」

「また3ゴールド余ったらどうする?」

 共同用の硬貨袋を取り出し、テーブルの上に載せてひっくり返す。一斉に零れ出た硬貨の数に、彼らは眉を顰めた。少なくは無い。いや、寧ろ多い。その硬貨の山を、今から彼らは均等に分けなければならないのだ。

 毎度の事ではあるが、これは彼ら的に仕事よりも面倒な事なのだ。難しい、ではなく、時間をかければどうにか解決できる事だから、面倒なのだ。

 

「……坊主呼ぶか?」

 誰かの言葉に、リーダー格の冒険者は首を横に振った。

「それは酒場の人間の仕事じゃない」

 明確な言葉だった。仕事ではない事を頼むべきではない。当たり前に出た言葉に、それもそうかと皆が得心して頷く。仕事に文字通り命を賭けた彼らだからこその、瞭たる区別なのだ。だが、

 

「あ、手伝いましょうか?」

 そんな物、異世界出身の男にはなんら関係ないことだ。

 

「……は?」

 冒険者達は、いつの間にかトレーを持って傍にいた男の言葉に間抜けな声を返した。思考は完全に止まっている。今この男は、平然とした顔でこちらを窺う男は、何を言ったのだろう、と彼らは漠然としたまま調子はずれな声で問い返した。

 

「お、おま……いま、なんてった?」

「……面倒なら、手伝いましょうか?」

 男の言葉は、相は、やはり変わらない。常の、いつも通りの物でしかない。

 

「いやおまえ、坊主な。これは仕事じゃねぇから金で無いぞ?」

「まぁ、今暇なんで。それくらいは別にお金貰わなくても」

 十分金が取れる行為である。時間を金で買うとすれば、相当の無駄を省ける男の計算能力はかなりの金額になる筈だ。それをこうも簡単に、ぽんと無償で出すという男の姿に、彼らはもう返す言葉が無かった。

 彼らは一斉にバズに目を向けた。視線を受けたバズは、何も言わず、ただ腕を組んだまま頭を横に振るだけだ。何も言うつもりは無いらしい。

 

 ――それで良いのか雇い主。

 等と彼らが思っている間にも、男はトレーの上にある皿をテーブルに置き、それを置き終わると、

 

「……あー、じゃあ、目の前でやるんで。がめたりしないかちゃんと見といて下さいよ」

 そう言って計算を始めた。

「じゃあ、まず合計金額から出して――」

 

 そして。いつもなら大の大人四人が頭を突き合わせ、十本の指をフル稼働し唸りながら行う四分割を、男はあっさりと終わらせた。

 

「えっと、あとでちゃんと見直して下さいね? もしかしたら間違ってるかもしれないんで」

 結局は人の手だ。ミスと言うのは無くなる事はない。それを危惧して発せられた男の言葉にも、彼らは

「お、おう……」

 と応えるだけで精一杯だった。

「あと、四で割れなかったんで、3ゴールド余りましたけど……まぁ、これは皆で相談してください」

 恩着せがましくも無く、ただ当たり前にやったと言わんばかりの男の相に、リーダー格の冒険者は目を伏せた。それから、浅く呼吸をしてから、再び目を開ける。

 

「おい、お前ら」

「おう」

「あぁ……だいたいわかった」

「いい格好しいめ……」

「付き合うお前らも一緒だろうが……出せ」

「?」

 

 きょとん、とした男を置いてけぼりにして、彼らニヒルな笑みを頬に貼り付け、そのテーブルの上に残った3ゴールドに、それぞれ分けて置かれた自身の前にある硬貨の山から数枚を取り、足していく。皆が同時に頷き、リーダー格の冒険者は男に向かって強い口調で言葉を発した。

 

「おまえの取り分だ」

「……いや、でも、仕事じゃないんで」

「いいか、坊主」

 銀色のプレートアーマーを着込んだ、二十に成ったばかりに見える冒険者は、男の目をじっと見つめて、テーブルを軽く叩いた。

 

「おまえのそれは、十分仕事の範疇に入る物なんだよ。それから、な。俺達に都合よく使われたくないなら、これを貰わなきゃ駄目だ。線引きって言ってもいい。あと……俺達はお前の仕事に報いただけだ。誰かの仕事に相応の報酬も払えないような恥知らずに、俺達をしてくれるな」

 瞳の奥に、真剣な熱が在る。男は圧され、何も言えずただ立ち尽くし、冒険者達を見つめた。

 

「それと……」

 そこで、冒険者は頬を緩めて微笑んだ。

 

「俺はヒュームだ。お前の仕事に、感謝する」

「あ、俺ディスタってんだ」

「俺はブレイスト。また今度も頼むぜ?」

「あー……俺、ベルージ」

 

 突如教えられた彼らの名に、男は胸の奥から来る痛みをはっきりと感じた。名乗られても、返せる名前は無いのだ。

 それでも、痛みの中には確かな喜びがあるのも事実だ。認められたと言うそれが、痛みを越えて、男に笑みを浮かばせる事を良しとさせる。だから、彼は頭を下げた。

 言うべき事がある。名前が無いと伝え、そして、

 

「あ……ありがとう」

 知っている人の名前が増えた事の、この喜びを。言葉にしなければならない。

 例えたどたどしく、それを笑われようとも。




ハーレム的環境なのに男臭いッ
ラブコメ要素を対岸へと投げ捨てた拙作を、来年もよろしくお願いいたします。
はい、流石に今年はこれ以上の更新は無理です。

皆様、良いお年を。


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8話

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

で。
この章のターニングポイント。正直難産過ぎて色々予定が狂った……


 その傭兵は言いました。

「未来の商売敵を育てるってのは、どんな気分なんだ?」

 言われた冒険者はこう返しました。

「新人を殺すってのは、どんな気分なんだ?」

 

 

 ○      ○      ○

 

 

 つまり、そんな事であるらしい。

「おい坊主ー! さっさと動けよ無駄飯食ってんじゃねぇぞ! キャン言わすぞてめぇ!!」

 ――お前に坊主呼ばわれされたくねぇよ。

 俺の背後で包丁を持った右手をぐるんぐるんと振り回す物騒極まりない少女に、俺はそう返した。うん、怖いから心の中で。

 

 さて、どんな場所でも、稼ぎ処と言うべき時間がある。

 一般の旅人が主な客層である宿屋なら、日が落ちる前の時間帯が呼び込みのもっとも盛んな時間で、それ以降の夜が一番賑やかな頃になり、早朝のランチメニューが出た後は、旅人達は宿を後にし、昼時は少々暇な物なんだそうだ。

 フロア部分を食堂として使っている宿なんかは、昼時もまたそれなりに稼げる時間になるけど、満遍なく儲ける、なんてのは中々に難しい。

 

 で、冒険者を相手にする宿屋兼酒場であるここ『魔王の翼』亭になると、朝はとんとん、昼は閑古鳥、夜が本番、になる。そんな本番を、店主、料理人、雑用、のたった三人で回せるかと言うと、それは無理だ、と当然なる。うん、絶対無理。

 で、あるから、こう言った時には助っ人が必要となるわけだ。

 それが、

 

「おい坊主豚串十本出来たから持ってけよー!!」

「分かったから、少し落ち着いて喋れよ」

「これが普通だってんだよ! ってか仕事中に客と喋くるなてめぇ!」

 この早口でまくし立てる少女だった。隣でフライパンを振るうタリサさんなんかは苦笑を浮かべて、お客さんである冒険者達に料理を運ぶバズさんはいつも通りの無愛想な顔で、年下の少女に坊主呼ばわりされる俺を見ている。

 ついでに、テーブルに座ってる皆も似たり寄ったりの苦笑だ。さっきまで俺と話していたジュディアなんて、それ見た事かといった呆れ顔だけども。

 

「ほら、リーヤもあぁ言ってるし、さっさと仕事しなさいよ、あんた」

「分かってるって」

 お気に入りの果実酒がなみなみと注がれたコップを片手に、気だるげな感じで手を振って俺を追い払うジュディアの姿を視界の隅に納めながら、俺は助っ人――リーヤが作った豚串十本を注文した冒険者のテーブルまで運ぶ。

 今日もいつも通りだ。

 

 テーブルに皿を置き、また新しい注文を聞いて、メモをとる。厨房に戻る途中で、手を上げて俺に声をかけてくる人に気付いた。

 

「坊主ー……今日のお勧めはなんだー?」

「そうですねー……たまにはエールでいいんじゃないですか?」

「そうだな……たまにはエールでいいか」

 エールしか飲まないベルージさんにそう返して、やっぱりいつも通りだと思った。

 

 いつも通り、俺はまだここに居る。この店の雑用で、名前の無い異邦人の俺は、立ち位置もはっきりしないまま、まだここに居る。

 

 

 ○      ○      ○

 

 

「リーヤ、今日の取り分だ」

「どもです!」

 バズが差し出した小さな袋を、リーヤと呼ばれた少女は両手で受け取り、すぐ懐に仕舞った。

 先程まで喧騒が支配していたフロアも、人影が五つだけになれば静かなもので、天井から吊るされた五つのランプだけが灯るそこは、酷く場違いな世界に男には見えた。テーブルの上に散乱する皿やコップを片して洗い、テーブルと椅子を軽く拭えばもう後は仕込みだけだ。一週間以上も繰り返した日常が、まだ男には馴染めない。

 それが良い事であるのか、悪い事であるのか、男には判然としない。

 

「で、リーヤ……次は中層だっけ?」

「そうですジュディアさんあっこは中々厳しくて遣り甲斐ありますですよ」

「そう……頑張りなさいよ?」

「はい私もさっさとゴミ漁り卒業して見せますんで!」

 閑散とした店内を眺めていた男の向こうで、未だカウンター席に座るジュディアがリーヤと話をしていた。その内容に、男は少しばかり興味を惹かれ、口を挟む事にした。

 

「なぁ、ゴミ漁りってなんだ?」

「坊主はそんなのも知らないでここにいんのか?」

「……年下に坊主呼ばわりされるのがデフォとかどうなんだよ」

「坊主じゃない、あんた」

 項垂れて零す男に、ジュディアの断定が止めを刺す。タリサはフライパンを磨きながら軽く吹き、バズはやはり常通りの相でそれを見ているだけだ。

 

「ゴミ漁りって言うのはね……」

 男の言葉に応えるつもりがあるらしいジュディアは、そこまで口にし、僅かばかりリーヤを流し見て続ける。

「ダンジョン未踏破冒険者の事よ。上がりが少ない、信頼もまだ無い、実力も無い、モンスターを倒して素材をまともに集められず、モンスターの死体を漁って金目の物を物色する。そんな連中と、ジュディア達冒険者を区別する為の物ね」

 辛らつな言葉を、ジュディアははっきりと口にした。男は慌ててリーヤに目を向けたが、そこまで言われたリーヤは悔しげな貌を見せてはいるが、そこに怒りや反発の色は無く、悔しくとも事実として受けれている、そんな相があった。

 

 冒険者は中堅どころでやっと一日の暮らしがどうにかなり、ベテランになって安定し余裕が出来始める。一流とも成れば富豪や貴族並、とはいかなくとも裕福な暮らしが約束される。

 リーヤはジュディアが言うとおりのゴミ漁りであるから、その生活は苦しいだけの毎日だ。だから、彼ら、彼女らはこうやってギルドの仕事や迷宮探索以外にも、金になる仕事をしなければならない。

 

「大変なんだなぁ」

「大変なんてもんじゃないっての……こうもっと金になる仕事ってないもんかなぁ……」

 男の言葉に反射的にそう返してしまったリーヤは、ぎょっとした相でバズを見て、勢いよく腕を振り回し始めた。

 

「い、いや違うんですよバズさんこれは別にここでの仕事に不満があるって訳じゃなくてですねって坊主てめぇなんて事言わせてんだよ!?」

「俺のせいじゃないだろ」

「どう見たっててめぇのせいだよ!」

 唾を飛ばして早口に言い放つリーヤに、男は身を引いて距離を取る。そんな男を、リーヤは一転して温度の下がった冷淡な目で見て、首を横に振る。

 

「どんだけ軟弱なんだてめぇはよぅ……」

 ――初対面でそこまで喧嘩腰なのもどうなんだ。

 男は胸中でそう呟くだけで、やはり言葉にする事はなかった。が、金策云々に関しては、少しばかり男には思う事がある。

 

「女なんだから、その辺売り物にしたらどうなんだ?」

「死ねてめぇ」

「最低ね、あんた」

 男が口にした内容に、リーヤとジュディアは冷え切った双眸で応じた。自身の言葉が何か違った意味で取られたと悟った男は、全力で首を横に振り過ちを正さねばと意味も無く両の手のひらを胸の前辺りで振った。

 

「あぁいやそうじゃなくてさ。せっかく可愛いんだし、それなりの格好で女給でもすればチップとか貰えるんじゃないかって言いたかったんだって」

「……可愛い、か?」

「あ、うん?」

「おいてめぇいまなんか最後発音おかしかっただろ?」

「そんなことないよ?」

 

 男を睨むリーヤを眺めながら、ジュディアはなるほどと頷く。

 確かに、リーヤは愛らしい容貌の少女だ。ジュディア程ではないが、顔はそれなりに整っているし、スタイルもそれなりだ。着飾り、黙って立っていれば十人中七人は可愛いと思うだろう。

 自身ではなく、エリィを綺麗だと言った男の審美眼がそこそこに機能していた事にジュディアは軽い驚きを覚えたが。更に言えば、その上で、エリィより自分が下か、と怒りも覚えた訳だが、今は男の美的感覚を是正する時でもない。話題はリーヤの金策なのだ。

 

「で、あんたはリーヤがどんな格好すれば馬鹿が金落とすって思うの?」

「なんでそんなばっさり来た」

「女の外面だけで金を出す奴はね、馬鹿って相場が決まってるの」

 ジュディアの言葉に、リーヤは頷きタリサは目を閉じた。バズは無言のままである。こういった話題には触れたくないらしく、その筋肉に覆われた巨体からは、明確な拒絶のオーラが漂っていた。

 

「あぁー……うん、そうだなぁ……」

 男は、リーヤの姿を正面から視界におさめ、額を二度、三度と右手の中指で叩く。値踏みされたと感じたリーヤは、眦を決して一歩男に近づいた。彼女が一歩踏み込んだ時にきしんだ床の音は、今まで男が聞いた事が無い様な悲鳴じみた音で、男は自身の背を蛇に舐められたような錯覚に、悲鳴を零しそうになった。

 

「待て、待って。違う、決していやらしい目では見てない」

「じゃあさっさと似合いそうなの言ってみろよ」

 眦を危険な角度のままに保つリーヤに、男は何度も頷き、自身の世界で数度テレビ越しに見た衣装を口にした。恐怖からまともな思考を放棄したとも言える。

 

「め、メイド服!!」

「……」

 周囲を、静寂が包み込んだ。

 

 ジュディアは額に手を当て、タリサはつばの狭い帽子を目深に被り、バズは腕を組んだまま天井を見上げ、リーヤは一変して淡然とした物で、ともすればそのまま悟りでも啓くのではないかといった相で口を開いた。

 

「てめぇさては馬鹿だな」

「いや……俺の故郷じゃちょっとしたもんで……」

 日本が誇るサブカル随一の衣装でありジャンルであり世界であり神である。その装いは場所を選ばず展開したのであるから、確かにちょっとした物ではあるが、逆に言えばちょっとした物でしかない。

 

「もう死ねよてめぇ」

 リーヤの冷たい声に、男は何でメイド服をチョイスした、と十秒ほど前に叫んだ自身を非難する。非難しても時は既に遅し。覆水不返である。

 

 ――太公望は偉かったなぁ。

 男は何故かそんな事を思いながら、天井を眺めた。零れ出そうに成る涙を精一杯堰き止めるには、上を向くしか方法が無いからだ。

 どうでもいいが、太公望の覆水不返は後世の創作である。

 

 男のそんな無様な姿を目に映す事なく、ジュディアは溜息混じりに、

「で……なんでメイド服なのよ?」

 どでかいナイフを男の心臓に一刺しした。容赦など微塵も無い。

 

「……こう、さ。普段身近に無い物が、いきなり傍に来るとさ……来る物無い?」

「……いや、ないわよ」

「……うん、そうか」

 このまま死ぬ、みたいな顔の男を放って、ジュディアはメイドを脳裏に描いた。

 

 白と黒。貴族の屋敷で良く見る、街中などでも急ぎの仕事で買出しに出てくるメイドを、数度見た事はある。仕える者として教育された彼女達の所作は、洗練された貴族達とはまた違った美しさを持っているが、メイド達の放つ堅苦しい空気は、なんの教育も受けていない人種からすれば威圧感すら伴う。

 それが一日の終わりを気楽に求める酒場で給仕をしたとして、男と言う生き物は喜ぶのだろうか。女であるジュディアにはいまいち分からない物だ。

 もっともこの辺りは、

 

「もっと露出多目とか、そういうの好きじゃないの、男って?」

「あぁ……ジュディアは似非じゃなくて本物志向なんだな……」

「……は?」

 男とジュディアのメイドに対するイメージの差が大きい。

 男が思い浮かべたのは、若い少女がサブカルに汚染された所作で外面だけを偽装した、所謂似非メイドだ。ジュディアの思い浮かべたそれは、まさしく職業的なメイドである。

 当然ミニスカフリフリなど存在しない。メイド服とは、肌を多く見せない淑女の佇まいを感じさせる、女の鎧なのだ。

 

「うん、それもありだ」

「おい、戻って来い。戻ってきて、お願い」

 解脱しかねない男の表情に、ジュディアは怯えも隠さぬ相で男の両の肩を掴み、強く揺すった。

 

「……まぁ、あれは置いといてだ。リーヤ」

「は、はい!」

 今まで会話に参加しなかったバズが、リーヤに声をかけた。バズは腕を組んだまま顔で厨房を示し、

「豚が余ってんだ。ちょっと持っていけ」

「え、でも……」

「持っていけ」

 有無を言わせぬその声に、リーヤは数秒ほど固まり、やがておずおずと頷いた。それを見て、バズは大きく頷き、自身の姪の名を口にする。

 

「へいへい? ほらリーヤ、これさね?」

「……こ、これ」

 リーヤの手に渡されたのは、豚串六本の入った紙袋だった。匂いも、その紙袋から伝わる暖かさも、今しがた調理された事を瞭と語っている。ならばこれは。

 

「余りモンだ。持っていけ」

 余り物ではない、余り物だ。リーヤは受け取った紙袋を抱き、頬を朱色に染め、

「ありがとうございます!!」

 大きな声でそう返した。

 

 

 ○      ○      ○

 

 

「あんなでかい声出されたら、上で寝てる連中の目がさめちまうってんだ」

「筋肉の塊が照れてもねぇ?」

「うるせぇ」

 リーヤが帰ったあと、バズは閉ざされた扉をじっと見つめながら口元を歪めて呟いた。その小さな呟きを拾い上げ、茶化したのはタリサである。もっとも、そのタリサの目は未だ男と、男を揺さぶるジュディアに向いたままだ。

 姪に付き合う形でジュディア達を見る事になったバズは、ふと思った事をタリサに問うてみた。

 

「あいつ、リーヤに怒鳴られた時、ジュディアとなんの話をしてやがったんだ?」

「んー? 遠くからだからねぇ、全部は分からないけど、冒険者には荒くれ者が少ないな、って話だったかねぇ?」

「そりゃお前、傭兵のほうだろ」

「そうさね? だからジュディアも、そう返してたよ?」

 バズは力強く頷いた。

 

「あいつらは馬鹿だ。食い扶持が少なくなるとか抜かして、仕事が終わりに近づいたら、自分とこの新人殺しまでやりやがる」

「そんな連中ばっかじゃないって思いたいけどねぇ……?」

 バズが知る限り、それを本当にやった傭兵団がある。自分達冒険者と、傭兵には明確な違いが在るのだと分かった時の彼の驚きは、今もまだ胸の中で息づいている。バズには、忘れる事等できない。

 新人は、守るべきものだ。それが冒険者のルールだからだ。

 

 自分達がまだひよっこのゴミ漁りだった頃、助けてくれた男達が居た事をバスは忘れられない。迷宮から逃げるように這い出て、その癖上がりも無く、食うにも困った時、見知らぬ冒険者達が奢ってくれた肉と酒の美味さを忘れられず、将来これを作るのだと、これをやるのだと彼は決心した。

 広くは無い自身の城の、壁と、天井と、床と、そこに置かれたテーブルと椅子を見る。ここでどれだけの新人を助けてやれるのか、バズには分からない。

 

 ゴミ漁りを立派な冒険者に育てること。

 

 いつから、どこで、誰が作ったルールなのか。バズがゴミ漁りだった頃には、もう古いルールだと笑われていたから、相当昔からある物なのだろう。

 そんな古臭い物知った事かと言う者も少なくは無いが、古きを守ろうとする者もまた決して少なくは無い。冒険者も様々だ。他者よりも自身に重きを置くのは当然の事だと理解も出来る。

 それでも、そのルールを守る自身に迷いが無い以上、彼はそれを続けると決めたのだから。

 

 あの時――遠いあの日、戦場で、泥に汚れたアーミージャケットに身をまとい、恐怖を乗り越え成し遂げた初めての任務の、その成功を無邪気に喜ぶ歳若い男を、あっさりと後ろから撃ち殺した傭兵の姿が、その時睨み合いながら交わした言葉が、バズの脳裏を過ぎる。

 それもまた、この誓いの起点の一つだからだ。

 

「バズ。なぁおい、未来の商売敵を育てるってのは、どんな気分なんだ?」

「新人を殺すってのは、どんな気分なんだ? えぇ、ハイフリート」

 

 一生、忘れる事などないだろう。

 傭兵の――対人戦闘のエキスパートの、酷く濁った光をたたえ、全てを睥睨するような双眸を。自身の宿に身を置く誰かに、良く似たその顔を。




※冒険者のルール云々に違和感があったので『もう古いルール』に修正をしました。

ちなみに僕は、メイド喫茶が大嫌いです。友人に騙されて入ったあの日のことを、忘れることなどないでしょう……高いよ……味のわりに高すぎるよ……


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9話

設定だけとか言いながら大分流用することを前提としてました。
正直すまんかった。
未プレイでも問題ないよう、頑張ります。


 ハイフリート・シーヴァルド

 

 レスタンフェイルの部族の一つ、狼の部族の長が代々名乗るハイフリートの名を受け継いだ奴隷解放戦争の英雄。エルネスト聖教州の教皇と、その奴隷であった女性から生まれた。後に腹違いの兄であり、9匹の竜が一尾、天空竜『ヘヴンランサー』の騎士であるファッツ・ハルモンドに誘われ第二次創生戦争に参戦。終戦後、エルネスト、アーデルハイド公国、更に他の周辺各国に奴隷解放を唱え新たな戦争に身を投じる。解放戦争が終わる前日、暗殺者の凶弾に倒れ、五十歳の生涯に幕を閉じた。今も奴隷達を祖を持つ人々や、事実上その階級に在る者達、或いは戦いに身を置く傭兵達からは守護者として慕われている。

 

 

 ○      ○      ○

 

 

 町並みを、ふらりと歩けば、そこにはただの風景がある。珍しい物なんて何も無く、変わった物なんて何も無く、面白いものなんてやっぱりなく、あぁ、退屈退屈、なんとまぁ退屈なんだ。でも分かっている。俺が一番分かっている。

 この町並みで一番珍しいのは、変わっているのは、俺自身なんだ。

 別に面白くなんてないけれど。

 

「はぁ……」

 

 大きく溜息を吐いて、いつも通り篭っていた中古の本屋みたいな場所から、いつもの道を歩く。一週間以上、そろそろ二週間だろうか。これだけ経てば、もうこの辺りの通りは自分の庭みたいなもんだ。庭といえるほど親しみは持っていないけれど、馴染んだとも思えないけども。

 あぁ、それにしても。

 

 ――絶対あれ、異邦人だろ。

 

 先程まで読んでいた本、英雄武将録等といったモンの内容を思い出して、俺は頭を抱えたくなった。なんだよ、天空竜『ヘヴンランサー』って。他にも火焔竜『クリムゾンソード』に大地竜『ガイアヴォルフ』だぞ? おかしいだろ、特に最後。ガイアって何語だ? ギリシャ語か? 英語でもガイアでよかったっけ? でもな、ヴォルフはお前、ドイツ語だろうが。しかもそれ狼だろう。竜じゃねぇよ。絶対居ただろ、空を割って降りてきたって奴、絶対中学二年生辺りで頭とまってた奴だろ。まぁなんにせよ、とりあえず。

 

「一つ前進、なんだろうけれどなぁ……」

 それで、どうなる。と思わないでもない。何かヒントらしき物が出てきても、それを生かす方法がさっぱり分からない。

 しかもヒントと言っても、それだけのちっぽけな物で、取っ掛かりにはなってくれそうにない。それに足をかけて、手で掴んで、上に行く為の梯子というよりも、何かスコップで掘り下げてしまった感じで、出てきた土偶にちょっとばかり感動した程度の感じだ。

 何かと向かい合えたと言う実感は、驚くほど無い。

 

 ――出来る事がない。

 

 いや、在るのだろう。あぁいや、だろうじゃなく、在る。一番最初に居た、あの場所だ。あそこには、何かが在るのかも知れない。少なくとも、何もあてが無いのなら行ってみるべきだと理解はしている。

 けれど、それは、無理で無茶だ。

 

 足を止めて、周りを見回す。歩く子連れの母親、荷物を肩に乗せ、調子の良さそうな口笛を吹くでっぷりとした中年男性。友達と思しき少年と走り行く少女。

 そこに居る人間達には、当たり前がある。あぁ、なんてうらやましい事なのだろう。

 俺だって前まで居た場所じゃ当たり前があったのに、悩む必要も無く、当たり前だったのに。

 

「あぁ、畜生」

 

 肯定する何かが欲しい。そんな自分の思いに、何ともいえない悔しさが滲み出てくる。それなのに、一度でもそう思うと止まらない。止められない。

 異邦人だとしても、それをただ単純に、そうか、と言ってくれる人が欲しい。仲間外れになりたくないから、誰にも異邦人だと打ち明けられないこの立ち位置の脆さを、固めて守ってくれる誰かが欲しい。

 それが無理なら、英雄にでもなりたい。人に褒められる自分なら、今の自分よりきっと好きになれる。

 名前が無いのなら、せめて何かをくれてもいいじゃないか、なんて言うのは我が儘なんだろうか。

 

 でもなぁ。

 

「……名無しの英雄か、なんだそれ、ガイアヴォルフとタメ張るぞ」

「あぁ、大和の芥川蒼夜かい?」

「あぁ、そんな名前の英雄も居たよなぁ、うん、見た。これもしかして漢字か? って意識した瞬間漢字として読めるようになったから、めっちゃびびって――」

 

 極々自然に返してしまった言葉に、さて、では誰が声を掛けたのだろう、と間抜けにも今気付き、声のしただろう背後に振り返ると。

 

「やぁ、独り言とは中々に優雅な事だね」

 フードを目深に被った少女がいた。

 

「奇遇だね」

「いや、前もこの辺で会ったよな?」

 

 

 ○      ○      ○

 

 

「ふむ」

 男の言葉に、少女は腕を組んで自身の顎、フードの下から見えるその尖った顎を、染み一つ無い肌を、細く小さな指が蓮の葉を滑る露の様に撫でた。そこに妙な艶がある。女性としての豊かさに乏しい、細く小柄な少女に見ていい艶ではない。

 男は俯きうなじの辺りを数度叩き、息を吐く。その様に少女は男が何を思ったのか理解したのだろう。

 彼女は一歩下がって、

 

「おぉ、怖い怖い。余り熱い目で見られると、私なんかは溶けてしまうのだけれどね?」

「いや、そんなんじゃ……ない……んじゃないかなぁ」

「自分の事だろうに」

「自分の事ほど分からないモンはないんだぞ?」

 男の言葉に、彼女は一瞬きょとんとし、身を曲げて小さく笑い出す。

 

「なるほど、それもまた真理だ。自身が自身を理解しているのなら、誰も彼も一人で生きていられる」

「そんな話はしてねぇよ」

 どうにも自身の言葉を難解な方向に持って行きたがる少女に、男は話を戻す事にした。

 

「で、芥川がなんだって?」

「あぁ、うん」

 涙でも浮かんのだのか、彼女はフードの奥にある目じりに人差し指を近づけ、ふいに動きを止めた。

 

「……駄目だね。前までの習慣と言うのは、中々に消えないものだよ……必要の無いことでも、やってしまう」

「?」

「なんでもないさ」

 目で問うた男に、少女は素っ気無く応え、途中で動作を止めた手を腰に当て直し、肩をすくめた。

 

「で……あぁ、名無しの英雄だね。やっぱり同郷の英雄は気になるかい」

「……まぁ、な」

 その言葉に、あぁなるほどと男は胸の中だけで頷いた。

 

 ヤマト――大和という島国がこの世界にはある。日本的な文化を持つこの国は、実際驚くほど日本に近い。黒髪、黒い瞳、刀と呼ばれる特殊剣と、それを扱う剣術や作法、食文化の基本が米、命名方法など、近い、と言うよりも殆ど日本だ。

 

 ――ニッチ、か? いや、あれは……違うか。

 

 適材適所産業、隙間産業という意味ではなく、生物学上での生態的地位――ニッチだ。土地や環境が違えばその生態は変わる筈である。生命の種は多様にして多彩だ。しかし大きな意味での生態図式には殆ど差が無く、植物があれば草食動物がそこに生き、草食動物が居れば肉食動物が闊歩する。

 種に大きな違いが生じても、食物連鎖に大きな違いは生じないのだ。

 さらに、人でもこれを見る事が出来る。

 川があり、人が寄り、文明が生まれ、命の源である水源を制する王が出て、それに従う人々が生まれる。古代文明の発祥には、大陸を、人種を関係なく、そこに豊かな水が在った事を歴史は確かに物語っている。

 

 酷く大雑把ではあるが、そういった物が土地を、大陸を、星を越えても、生態、及び文明図式に大きな変化を見せない理由なのだろう。欧米人的な人種が居れば、東洋人的な人種が居る。

 どちらが上位で、どっちが草食獣でどっちが肉食獣か、等と考える必要は無いだろうが。

 

「まぁあの名前は、歴史に名を残せなかった英雄もどき達全員を無理矢理詰め込んだ、そんな物だからね、君からしたらやっぱり、ヴァスゲルドというこの場所も考慮して、■■■■の方が良いんじゃないかい? 実際こっちに来た大和の人は大抵彼の名前を挙げるしね」

 男が考え込んでいる間も、彼女は口を動かしていたらしい。何か途中でノイズが走ってよく聞こえない部分が在ったが、男は特に気にせず、

 

「ま、まぁそうだな、うん」

 聞き慣れていた何かを"気にも出来ず"、曖昧に頷いて同意する事で無難に事を済ました。

 

「あー……」

 聞いても居なかった内容を聞き返されれば面倒だと思った男は、何かないかと少女を眺め、その常には無い変化に気付いた。少女の背にある、大きなリュックだ。少女は聡く、男の目の先がどこに在るかを察して背負っていたリュックを軽く叩く。

 

「今日の昼から、前のダンジョンの最下層に行くんだよ。その準備さ」

 そこで一旦言葉を止め、フードから見える口元をにんまりと歪める。

「誰かを拾ってから、少々仕事が遅れ気味だったんでね、今日からまた本調子に戻すんだよ」

 意地の悪い声なのだろう、それは。ただ、少女が持つ独特の透明感がそれを男に感じさせない。男は困った様な笑みを浮かべて、首を弱々しく横に振る。

 

「ごめんな、俺が可愛すぎて放っておけなかったんだろう?」

「エリィに関しては、それが冗談でもなさそうなんだけれどね?」

 冗談に真顔で返される結果だった。

 

「……エリィはなんで、あんな過保護なんだろうなぁ」

「どう見ても、弟をあやす姉だよ、あれは。君はいったいエリィに何をしたんだ?」

「こっちが知りてぇよ」

「ふむ……」

 呟き、少女は男をまじまじと見つめる。フード越しでもそれが分かるのは、少しばかりの付き合いでも男に浸透した少女の人間性の濃さが原因だ。

 個性の強い人間は、ちょっとした仕草で他人に意図するところを把握されてしまう。思考の奥までは見えなくとも、表面上で何か得られれば経験則である程度の憶測が立つからだ。

 

「確かに、保護欲を刺激する稚気と言うか、ひ弱さと言うか、頼り無さが在るには在るが……うーん」

「おい、無神経に人を刺すな。お前らの持ってるナイフは、自分が思ってる以上にぶっといぞ」

「君の盾が小さすぎるんだ、それは」

 その通りである。男はこれ以上は御免だと舌打ちし、歩き出す。

 

「あぁ、君の向かうその先に、丁度今から買い物をする場所があってね」

「……で?」

「で?」

 男は立ち止まり、肩を落とす。そうさせられていると分かった上で、尚そうしてしまうというのはどこか不快を伴う。だと言うのに、それが今は自分の不確かさを払拭していると言う事実に、男は不思議でしょうがなかった。

 

 ――そら見ろ。やっぱり自分の事が一番分からないじゃないか。

 

「これから買い込む荷物を持てって?」

「そう、正解だ」

 気安くしろと言い、自身を実験サンプルの様に眺める癖がある少女の前で、その意に沿った行動を取ってしまう。なんとなく、男はそれ以上口を開かず無言で足を動かした。

 向かう先は少女の言う店。一歩前を歩くのは自身であるのに、男は少女の背が前に在る様な幻影を見た。

 

 何も会話が無いその間を嫌ったのだろうか。少女は男の背に声を掛ける。

 

「あぁ、それはそうと、君」

 気軽な、明日は晴れるのかい、とでも言いそうな口調に男は顔だけ振り返り。

 

「大和の人でもないんだね、名無しの君は」

 相から全てが落ちた。

 

「あぁ、やっぱり。大和の人間的な顔立ちだけでそう思っていたんだけどね、君は別に大和の濁り茶を見ても特に何の表情も出していなかったし、確かめたかったんだ」

 幾度目だろう。男はまたも立ち止まる。今日の男の足は自分の役割を放棄しがちだ。

 少女は呆然と立ち止まった男を置いて歩みを続け、やがて追い抜き、振り返って足を止めた。どうした事か人通りの絶えたその路で、ふわりと舞ったロングスカートから幽かに見えたふくらはぎは細く、柳の下の首吊り死体を思わせる倒錯的なおぞましさを男にまざまざと見せ付けた。

 そこに、艶は無い。

 

「さっき言った英雄――■■■■は、彼が一時名乗っていた名前で、別に大和の人と言う訳じゃないんだ」

 少女の口からボロボロと零れ出る言葉が、男の耳を侵していく。だが、やはり男には雑音交じりで一部が欠落してしまう。

 

「算術はあれだけできるのに、一生懸命ここに合せようと、理解しようと本を読む」

 言葉は続く。分かっていたのだろう。思いを。願いを。

「どこにでも居る顔の癖に、どこにも居場所が無い顔で町に居る」

 言葉は続く。見ていたのだろう。相を。姿を。

「名前も無い、迷子の迷子の、ねぇ君」

 呪詛の様に、言葉は続く。続き、続き、そしてここで一度終える。

 

「"ここ"以外のどこかから来た様な、ねぇ、君?」

 

 男は、その言葉に応えられず、応えられるわけも無く、ただ黙った。肯定者が欲しいと願った。ただ、この少女は嫌だった。

 自身をサンプルとして見るそのフードの奥の瞳が、男に答えを紡がせない。

 

「とは言え」

 少女は肩をすくめた。常通りの癖であるのに、男にはそれが許容できない。これが別物で在ってくれと願うその心さえ見透かすような見えない視線が、殊更男には許容できない。

 そんな男を気にもしないで、少女は歌うように唇の形を変えていく。

 

「君にだけ言えというのは、おかしいのだろうね。まぁ、私としても君ならいいと思うから」

 少女はフードに手をかけ、

 

「いつぞや言ったね? 供物を捧げれば、得られる物がある筈だと。その結果を見てもらおうと思うんだ」

 払いのけた。

 

「――……」

 言葉は無い。男の口から漏れたのは、小さな吐息だけだ。受け入れがたい物がある。許容できない何かがある。

 あるのに、しかし、そこには無い。

「私はね」

 少女は唇を小さな舌で舐めて消えたはずの艶然さで微笑んだ。

 

「これを供物としたんだ」

 目が無かった。

 あれだけ男が感じてきた、嫌だと思った観察者の瞳は、そこには無かった。

 

 瞳が無い、ではない。目が無いのだ。

 聡さを感じさせる広い額の下に眉はあるのに、眼孔らしきくぼみは無く、目が在ったと思わせる全てが、何もかもが無かった。まるで最初からそんな物は無かったと主張するそれは。それが。

 

「さぞ奇異な物だろうね、これは」

 全ての音が絶えた。人が絶えた路で、風の音さえ消えた。そんな世界で微笑む少女のその目が在っただろう場所に――男は指を這わせた。

 

「……は?」

 全ての相を落としたまま、遠慮の欠片も無く、そうしたいからそうしたと言わんばかりに。その男の行動がいかに奇矯であるか。少女の相から消えた笑みがそれを物語っていた。

 

「いや……君、なんというかこれは予想してなかったというか?」

 かつてない反応に戸惑う少女を一切意に介さずと男は撫で続け、やがてゆっくりと這わせていた指を離し、ぽつりと呟いた。

 

「気持ち悪いくらい……綺麗だ」

 馬鹿げた言葉は少女の耳を打った。男の顔には変わらず相は無い。それが少女に、男の言に嘘がない事を教える。

 耳を打った言葉に、いや、奥に在る脳さえ打っただろうその言葉に、少女は呆然と口を開き、そして小さく肩を震わせ、口元を手で覆い腰を曲げ……一気に仰け反った。

 

「は、は、ははははははははははッ! き、気持ち悪いのに、綺麗か!」

 天を突く程の大きな笑い声が少女の口から溢れ出る。

 

「あははははは、はははははッ! 目さえ無くして、その癖、確かに外が、見えている私が、綺麗……だって!?」

 狂ったように笑い続け、少女は首を横に振り、喉に手を当てて、目も無いくせに目じりを拭う仕草を男に見せた。零れるものも、零れる場所もありはしないのに。

 苦しそうに何度も咳き込みながら、それでも笑貌を作り少女は男を指差して言う。

 

「君は多分、私みたいに才能なんてちっぽけな物の為に、名前を供物にしたんじゃないね。きっと、もっと酷い物を得たんだ。でなけりゃ、君、これは無いよ。うん、こんな酷い言葉は無い、君は、気が違っている」

 けなす彼女は、その言葉とは裏腹に男に親しみを感じさせた。少女は笑って背からずり落ちたリュックを背負いなおし、フードを戻して男と向かい合う。

 

「なにか、どうでも良くなったよ。多分君は君なんだな。覚えておくよ、こんな風になった私にも、そんな事を言ってくれる人が居るって言うのを。あと……」

 少女は男の手を無造作に掴んだ。

「お、おい?」

「エリィの気持ちが分かったよ。君は放っておくと墜ちる。多分深淵だ。君はそんな存在なんだ」

 そう言って、男を引っ張って歩き出す。

 

「いや、なんだろう、こう、色々在って俺自身よく分からないんだけどもッ」

「ならいつも通り、合せようとして、分かろうとして、流されるんだね」

 少女の言葉に、男は呻いた。攻撃色の無い、ただの戸惑いだけの声音。少女の背を見るしかない男に、少女は楽しげに

 

「それに、供物を捧げた者同士、こうやって手を繋いでいれば寂しくはないだろう?」

 そう言った。男は思う。気が違ったと少女は言った。でもそれは多分、お互い様なのだと。だから気軽に、まぁいいかと男は聞いた。

 

「なぁ、名前なんて言うんだ?」

「あぁ、エリザヴェータだよ」

「……」

「なんだい、その沈黙は。あぁどうせ似合わないとでも言いたいんだろう。いいさ、いつか似合うような女になるんだよ、私は」

 男の手を強く握り締めて、少女は。エリザヴェータは、にやりと笑った。

 

「なにせ私は、綺麗なんだろう?」

 これもいつか消えるのだと、男は何故か思った。問われても、綺麗と思っても、気を許そうとしても、エリザヴェータを自身の肯定者として見れなかったというその事実が、共に残るモノとして受け入れられないと、明確な拒絶として男の心の中に残った。

 なんとなく、男には何かが見え始めたのだ。

 

 この先が。

 失って、何かを詰め込まれた、気が違った者の行き先が。




ちょっと急ぎ足で。
エリィの過保護っぷりは次でちょろっと。

それはそうとして、9匹の竜の名前――……! なんという……ッ なんというこの背中のぞわぞわ感……ッ! これが……! これがバオー!!

あとこれだけは。
男の名前に、あッ、と思った方は、そのまま胸に仕舞っておいて下さい。

※ニッチ辺りの説明に不足を感じたので、文章を追加しました。


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10話

 ――嫌な場所だ。

 

 まず何より先に、そんな風に俺は思った。向かう先、迷宮の入り口は二週間ほど前に見たままで、自分がエリィの前でやらかした事を思い出せて嫌な気分になるからだ。

 なら来なければいいと思うかもしれないけれど、それは無理で、まぁ、無茶ではなかったけど。

 

「あ、ほら、エリィがこっちに気付いたよ」

「そうですねー」

 テンション低めの俺とは逆に、フードを目深に被った彼女――エリザヴェータはなんとも機嫌良さ気だ。あぁそりゃそうだろうさ。本当なら自分で持つ筈だった荷物とリュック全部俺に持たせて、本人は手ぶらだ。

 いや、左手だけは塞がっている。

 

「なんだ、見送りに来てくれたのか?」

 そう言って、ジュディアともう一人の仲間である名前も知らない少女を置いてこっちに小走りで寄ってきたエリィは、俺とエリザヴェータを見た後、俺たちの真ん中で目をとめた。その視線の先には、俺の右手と、それを握るエリザヴェータの左手がある。

 

「途中で出会ってね。買出しの途中だと伝えたら、手伝ってくれると言ってくれてね、彼の優しさに甘えたんだよ」

 盛大な嘘をさらっと口にするエリザヴェータには、エリィの目がどこで留まっているのか見えていないのかもしれない。そんな筈はないんだろうけど。なんというか、居心地が悪いってのとは違う座りの悪さを感じた俺は、強引に右手を引き抜いた。

 案外簡単に離れた右手をなんとなく二度三度と開き、握り、もっと早くにこうすれば良かったんだと思わせる。人の温もりが恋しいなんて思いたくは無い。いくらなんでも、自分より年下にしか見えない小柄な少女に甘えたくは無いんだ。

 ……逞しいのは、彼女達ではあるんだけれどさ。

 

「そっか、友達が増えたんだな。私も嬉しいな」

「……あぁ、うん、まぁ」

 含む物の無いエリィの笑顔が、俺とエリザヴェータに向けられる。なんだろうか、このぼっちな弟に初めて友達が出来ました、的な空気は。

 あれか、これは死亡フラグか。俺の。不幸なキャラはいきなり幸せになったら危ないんだよな、確か。

 ……いや、俺別に今幸せにはなっちゃいねぇよ。意味不明な不幸の最中ではあるけども。

 

「あ、ほら」

「え?」

 エリィが俺に近づいてくる。手にはハンカチが一つ。さて、それで何をするつもりなんだろうか。

 

「目やにがちょっと残ってんじゃないか。こっち向けって。ほら」

「いや、おま、ちょッ」

 いつか、子供の頃、母親にされた様にハンカチで目やにを取られている俺を、エリザヴェータはにやにやと眺めていた。いや、もうフード越しだろうが実際には見てなかろうが、こいつの性格はある程度把握できてる。あいつはこんな俺の姿を見て、嫌らしく笑う奴だ。

 

「お前、ちゃんとご飯食べたか? ここからの帰り道分かるか? 私が送っていこうか?」

「いや、エリィ。もう迷宮にもぐるんだから、送っていったら駄目だろう」

「ちょっと待ってて」

「あんた馬鹿でしょ」

 実際馬鹿みたいな会話に入り込んできたジュディアが、エリィの頭を軽く叩いた。剣の柄で。

 

「……ってぇなぁ! 何するんだよ! 割れたらどうすんだ!」

「あんたの石頭がこの程度で割れるなら、もっと簡単にモンスター倒せるっての」

 ふん、といった感じでエリィを睨んだジュディアは、その後俺を見て、

 

「これから私達は仕事だから、あんたも早く店に戻りなさいよ? それと……荷物、ありがとう」

「あ、うん」

 言われた礼の言葉に、ちょっとだけ意外だなんて思って、俺は頷いた。

 

「じゃあ、迷宮から上がったら、また」

「あぁ、エリザヴェータも気をつけてな」

 お互いに軽く手を上げて離れていく。エリィとジュディアが何かぎょっとした顔で俺を見ていたけれど、多分エリザヴェータと俺の事で何か驚くような事が在ったんだろう。俺自身驚いてるし。

 

「終わったらすぐ行くから、待ってろよー! お腹壊すなよ! 変なモン食べんなよー!」

「……へいへい」

 ジュディアに引き摺られて迷宮へと消えてゆくエリィの姿を視界におさめて……それから、最後に残った人影に気付いた。

 皆が迷宮の中に消えていくのに、一人残った少女は、俺をなんとも言えない様な表情で眺めた後、ぺこりと一礼してから逃げるように迷宮の入り口へと駆け込んでいった。

 

「……過保護に、美少女に、同類の観察者で、最後がおっかなびっくり、かよ」

 ぽつりと呟いて、空を仰いだ。

 

 やっぱり、言えない。ここまで来て、ここまで近づいて、それでも、無理だ。連れて行ってくれなんて、迷惑だろうし、でもそれ以上に、怖くて言えない。

 俺は剣だってろくに振れない弱者なんだから。

 

 

 ○      ○      ○

 

 

 薄暗い迷宮に、カンテラの光が差し込む。

 狭い視界はこの地下世界を歩く事を許しても、知る事を許さない。日々位置の変わるトラップとモンスターの生息範囲が、冒険者達に余裕を与える事はない。事実、エリィ達は迷宮に入ってまだ下層のフロアで、ここでは出会わない筈のモンスターと遭遇した。

 

「こ……のぉ!」

 集団から離れて飛び掛るリッパーマンティスを、エリィは得物で迎え撃つ。自身の体を軸にして、巨大な両手剣を遠心力で振り抜き、両断したという確かな感触を覚えてから、床に剣先を叩きつけてバランスを取る。

 そのまま回せば振り抜いた後に隙が生じるからだ。しかし、集団戦を得意とするリッパーマンティスが一匹、羽を広げて彼女の脇をすり抜け、後衛へとその鎌を振りかぶった。

 どす黒く変色した鎌は、そうなるまでに一体どれだけの血を吸ったのか。

 

「ジュディア!」

「駄目! エリー! 行ける!?」

 エリィに後衛の援護を願われたジュディアも、しかし今はリッパーマンティス三匹を相手に両手の双剣を縦に横にと走らせている最中だ。額に浮かぶ汗もそのままに、余裕の無い声でジュディアはエリーと呼んだ少女、エリザヴェータに目も向けることなく、叫ぶ。

 

「十分だよ」

 後衛――つまりは自身に向かって飛んでくる中型犬並みの大きさを持つ蟷螂に、手にしたロッドを突きつけてエリザヴェータは笑った。男や仲間達に見せる、にやりとした笑いではない。もっと残酷な、処分者の笑みだ。

 

「切り――裂けッ!」

 魔力を有した言葉が、迷宮の中を走る。一瞬ハウリング音を発したロッドが僅かに発光し、ローブがはためきフードが翻った。二つの刃が交差する様にエリザヴェータの前で停滞し、そして消えた。何事であろうか。

 そんな不可思議な現象の後、羽を広げて飛び掛り、鎌を振り落とさんとするリッパーマンティスが四つに分かれたのだ。そしてそれは、呆気なく地に落ちた。

 その切り口は、鋭利な刃物で分断された物だった。

 

 マジックユーザー。大別してそう呼ばれる者達は現在三職ある。

 

 キャスター。詠唱魔術師。世界に散らばる不可視にして魔力の欠片、エーテルを呪言、詠唱によって集め、大火力の魔法を行使するマジックユーザー最強の名も高い者達。中には歌う様に詠唱を唱える者達も在り、その者達はシンガーとも呼ばれる。

 

 リーダー。図式魔術師。感知できるエーテルを前もって自身の肉体に取り込み、それを読み込み必要に応じて使い分ける一般的なマジックユーザーだ。

 

 そして。

 今や数も少ない、正規のマジックユーザー達からは邪術使いとまで呼ばれ忌み嫌われる、プリズナー。

 捧げし者、供物代償者、ブーストスペルジャンキー、監獄契約魔術師。自身の何かを邪術を用い供物とし、代償としてエーテル感知、行使能力を大幅に引き上げた異端の魔術師だ。彼ら、彼女らはその代償の上に、更に死後、永久に抜け出せない監獄にとらえられ、世界が終わるまで苦しみ続けなればならない。と言われている。誰も死後の世界など知らないのだから、これはただの風評だ。邪術を用いるな、という戒めでもあるのだろう。

 

 ロッドを下げ、小さく息を吐くエリザヴェータは、当然その異端の監獄契約魔術師だ。煌いた一瞬の刃の風によってずり落ちたフードを被りなおし、彼女は、殲滅を終えモンスターの死体を剥ぐエリィとジュディアの傍まで歩いていく。

 その後を、カンテラを持った少女が続く。

 

「……リッパーって、ここで出たっけ?」

「出ないわね。大分生息域広げてきたわね、こいつも……今度ギルドに頼んで討伐の仕事出してもらう?」

「あんま金でなさそうだから、パス」

「……よねぇ」

 言葉を交わす少女達の姿は、街中で世間話をする街娘達の顔と大差無い。だが、その手が休むことなく今しがた仕留めた獲物達を解体している姿は、冒険者そのものだ。

 

 鎌を切り取り、羽をむしり、それからジュディアは解体用のナイフをリッパーマンティスの腹部へと突き刺した。肉に刃物が食い込む、生々しい音とは別に、金属同士のぶつかり合った音がフロアに響く。

 

「やった、こいつ当たりだ!」

「へぇ、どれくらいだい?」

「えーっとね……うん、結構食ってる」

 覗き込むエリザヴェータに、ジュディアは満面の笑みで返す。

 

 リッパーマンティス。モンスターレベル6。単体対単体撃破難易度6。集団対単体撃破難易度4。集団体対集団撃破難易度8。

 ゴミ漁りでは少々厳しいモンスターであり、中堅の冒険者なら相手に回して戦うのに特に注意も警戒も必要ない相手だ。そして、こうした蟲系モンスターは雑食である。

 迷宮にあるモノなら何でも口にするこの生物達は、共食いもすれば、倒した冒険者、ゴミ漁りを食い散らす。身に着けた小さな貴金属を気にもせず、だ。そうなれば当たり前の事だが、彼らの持っていた硬貨もろとも、となる。

 

「んー……指輪一個、あとは……30ゴールドくらいね。でもこれ、溶けてるから実質20くらいかしら……」

「はー。前みたいに古代硬貨とか出てきたらなぁ」

 また稀にではあるが、フロアや通路に落ちている硬貨まで飲み込み、それが胃袋から出てくる事も少なくない。しかも古代硬貨はどうした訳か胃酸で解ける事もないので、冒険者からすれば素材を剥ぎ終わった死体さえも一種の宝箱なのだ。

 

 ジュディアは、すっと立ち上がり剥ぎ取り用のナイフを携帯袋に戻して手を叩いた。

「ま、この調子でどんどん行けばいいんじゃないかしら。幸先はそう悪くないわ、きっと」

 その言葉に、皆が真剣な相で頷き、歩き出す。目指すはここ、南東部迷宮の踏破だ。

 ヴァスゲルドに全部で九つある迷宮の、下から数えて四つ目程度の難易度でしかない迷宮で、いつまでもまごついてはいられないのだから。が。だがしかし。彼女達はうら若き乙女達である。 その迷宮の探索が静々と行われる訳も無く、話題は尽きない。

 

「そう言えばエリー。あんた名前教えたの?」

「つい先程だけれどね。いや、彼は中々キているよ」

「キてるって……あんた」

 

 エリザヴェータの言葉に、ジュディアは嫌な汗が額に浮かびあがったのを感じた。この少女は、魔術を底上げする為に目さえ捧げたような少女だ。ジュディアから見ても、エリザヴェータは美少女だった。

 肌は白く、貌は小さく可憐で、鼻筋は通って高く、唇は柔らかげで艶やかに、眉は細く美しい。しかし、目が無いというその一点が全てを壊している。目さえ在れば自身と並んでもなんら遜色ないと思わせる少女が、魔術一つの為にそこまでやったのである。まともな神経をしているとは、ジュディアには思えない。

 そんなエリザヴェータが、キているとまで言ったのだ。それは相当な物である筈だ。

 

 ふとジュディアが前を見てみると、一番前を歩くエリィがフルフェイスヘルムの前面部を上げ、聞き耳を立てている姿が見えた。そう言えば、とジュディアは胸中で呟く。あの男があの宿で働くようになってから、エリィと自身の小さな諍いの回数は大分減ったな、と。エリィの意識がジュディアよりも男に向いた事による恩恵だろう。

 では、あの男には何かあるのだろうか。少しばかり興味を覚えたジュディアは、エリザヴェータに問うてみた。

 

「えーっと、あいつが何をしたの?」

「私の顔を見て、綺麗だと言ったよ」

「あいたッ!?」

 前から二人目の少女が、小さな悲鳴を上げた。ジュディアは何事かと腰に在る二振りの剣に手を伸ばし、前へと注意を向ける。そこにはただ立ち止まったエリィと、その後ろで自身の額をさする仲間が居るだけだ。

 

「なんで立ち止まってるのよ、あんた」

「いや、だって、え、えぇええええ? これ、私が悪いか?」

 なんとも言えない表情で返すエリィに、ジュディアは、確かにそうかも、と思わないでもない。自身が最前列を歩いていれば、先程のエリザヴェータの言葉で思わず立ち止まってしまうだろう。

 

「んー……そりゃ、これは仕方ないだろうけど」

「だろ? あ、ごめんな、ごめんな?」

「いえ、大丈夫です」

 背、とは言っても鎧を着込んだそこに額をぶつけた仲間に謝りながら、エリィはまたカンテラで通路を照らして歩き出す。

 

「あー……で、あいつが、エリザヴェータの何を綺麗って?」

「顔だよ」

「あぁ、唇とか顎のラインとかよね?」

「顔だよ」

 聞き出せ、と語るエリィの雄弁な背に押され、ジュディアがエリザヴェータから聴いた言葉は、常識の範疇にはない物だった。

 

 ――き、綺麗? また、綺麗?

 ジュディアからすれば、また、だ。自身を差し置いて、エリィがそう称され、今またエリザヴェータが男にそう称えられたらしい。ジュディアの脳裏では、エリザヴェータを抱きしめ、気障な顔を耳元に寄せ綺麗だ、と囁く男の姿が再生された。

 周囲には薔薇やら食虫花が咲き誇っていた。何故かエリザヴェータも頬を染め、そ、そんな、エリィに悪いわ……とか呟いていた。

 なんという破壊力の高い映像だろうか。頭を強く振り、ジュディアはその脳内映像を脳内ドーンスターで粉砕していく。

 

「それはなんというか、確かにキてるわね……」

「だろう?」

 疲れきった相と声も隠さず、げんなりと呟くジュディアに、エリザヴェータは笑い声交りで応える。少女だ。何をしてみても結局自分達は乙女だ。綺麗だと言われれば、それが意中にない異性であっても嬉しいのはジュディアにも良く分かる。

 ましてそれが、純粋な物であれば尚の事だ。無垢な言葉は華を咲かせる水だ。

 だが、華に泥水の詰まった如雨露を傾ける人間が居る事を、ジュディアはよく理解していた。

 

 ――うるさい、うるさい。

 思考の片隅に、ちらりとジュディアの過ごしたそれが映る。田舎の、寒村の、親や、近しい者達。舐めるような視線で自身を見つめ、何事かを呟き、囁き、腐った笑いを上げる者達。

 ジュディアは、もう一度強く頭を振った。だが、こびり付いた映像は中々消えてはくれない。

 

『この子は金になる。この子は金になる。この子は金になる。このこは金になるこのこは金になるかねになる』

 

 死ねと、ジュディアは思った。

 

 

 ○      ○      ○

 

 

 歩き、殲滅し、進み。歩み、潰し、進む。そうやって少女達がたどり着いた先は、そう広くもないフロアだった。

「で、毎度これを見ると、なるほどなぁ、って思うわけよね」

「だよなぁ」

 そのフロアの中心に、彫像が在った。カンテラに照らされた彫像は竜を模し、その色は薄い黒に塗られている。

 

「で、ここがナイトシェイドか?」

「でしょうね。影竜ナイトシェイドの迷宮、でしょ、これ?」

 問うエリィに応えては見たが、いまいち自身の言葉に自信を持てないジュディアは、隣で竜の彫像を眺める少女に聞いてみた。

 少女はゆっくりと頷き、口を開く。

 

「この黒の薄さから、影竜ナイトシェイドだと思います。闇竜ハーデスは真っ黒だと聞いた事がありますし、もう一尾の黒竜……魔王の翼は、紅の混じった黒だと、神話では語っていますから」

 その言葉に、フロアを眺めていたエリザヴェータが肩をすくめた。

 

「9匹の竜、九つの迷宮。ならば、もう一つどこかに迷宮が在る筈だ。だったかな?」

 ジュディアが頷き、エリィが目を細め、少女が顎に手を当て俯く。

 誰が言い出したのかは分からない。だが、この都市で仕事をする冒険者達の噂話に、そんな話があるのだ。迷宮一つ一つの最深部に置かれた竜の彫像と、その色。

 そこから導き出された物は、隠された迷宮の存在だ、と。居ないはずの十番目の竜。魔王の翼を冠した迷宮が、どこかに。

 

「私たちの職業って、夢が必要って事かしら」

「夢って言うか、あれじゃないか。ほら、もう一個くらい稼げる場所欲しいって」

「あはははは、言えてる。エリィあんた言うわねー」

 朗らかに笑いあうジュディアとエリィから、前まで在ったお互いへの堅さが抜け落ちていた。それを眺める少女とエリザヴェータもまた、穏やかな顔だ。

 迷宮踏破。特に事件もなく、事故もなく無事に済んだ事による気の緩みもあっただろう。

 そんな彼女達の背後で、音が響いた。

 

「――ッ!」

 咄嗟に、全員が戦闘状態へと切り替わる。冒険者として見事と言えるほどではないが、生き抜いてきたという事実を感じさせる素早い切り替えだった。

 

 竜の彫像が置かれたこのフロアは行き止まりだ。この先に道はない。

 ならば、見つめる場所は唯一つ。自身達が入ってきた通路だけだ。ジュディアは息を殺し、サーチスキルを発動させる。エリィが感知出来なかった以上、アンチサーチ系の、或いは非生命体だ。命の灯火を持たない物はエリィのサーチスキルには引っかからない。そして彼女は自身のスキルに掛かった、脳の奥で灯る赤い光に鼻の奥がつんと痛み――目を見開き、叫んだ。

 

「やばい! ゴーレム系! しかもこれ……多分亜種かレアよ!!」

 

 その逼迫したジュディアの声に、全員が体を強張らせた。

 亜種、レア、どちらも既存のモンスターの突然変異体であり、その能力は完全に固体によって左右される。しかもその中でも、ゴーレム種はデータが判然としていない個体だ。逃げ道がない以上、得物を手に戦うしかない事はわかっているが、ジュディアは自分の二振りの剣が酷く頼りなく見え、奥歯をかみ締めた。

 彼女は一発の攻撃力よりも、手数で押し切り相手を翻弄し追い込むタイプだ。その一撃は非常に軽い。堅い装甲を持つ相手には、双剣使いは無力になる。相性が悪すぎるのだ。

 こうなると、頼みはエリィの両手剣だけだ。エリザヴェータの魔法も、最悪耐魔術コーティング装甲で削がれる。

 冒険者を潰す事を目的としたようなゴーレム系は、だからこうも嫌われ恐れられる。

 

 彼女達の視線の先にある、薄暗いその向こうから、徐々にゴーレムの足音がはっきりと聞こえてくる。だがそれは、だとしたらそれは、酷く場違いで、残酷な物だった。

 

 ごろ、ごろ。ごろごろ、ごろ。ごろ、ごろろろ、ごろろごろごろ。

 

 球が、道を転がるその音を。球が、道を転がるだけのその音に、ジュディアは、エリィは、エリザヴェータは、少女は、自身の死を理解した。

 

「お、おかしいだろ……! ありえないだろ!!」

「黙ってよ! 黙りなさいよ!」

 前衛二人は武器を構えたまま取り乱し、

 

「……参ったね」

「……」

 後衛二人は諦めを相に浮かべ佇む。

 

 やがて、音を引き連れてそれは彼女達に姿を見せた。フロアの前、通路で立ち止まったそれは、ゴーレムと聞いて想像するような、大型の人形ではなく。

 

「――キャノン、ボール」

 巨大な球体だった。

 

 足など無い。腕などない。首などない。唯一つ、丸い球体が在る。

 誰がそんな物を作り出したのだろう。

 間接部をなくし、駆動部へのダメージを消し、完全に守る為の球体。予測できる予備動作を消し、リーチよりも突撃力を求めた、完全に攻める為の球体。

 間接部への攻撃を不可能とさせる、あぁその丸い姿。盾による防御さえもつき抜け、一瞬で相手をひき肉へと変える、あぁその丸い姿。

 

 キャノンボール。モンスターレベル不明。単体対単体撃破難易度不明。集団対単体撃破難易度不明。集団体対集団撃破難易度不明。

 何もかもが不明で潰されたゴーレム、キャノンボールに関するギルドからのデータには、しかしこうある。

 

 一流の冒険者六チーム、アステリオスを単独撃破できる冒険者三十名以下で出会った場合、諦めてください。

 

 諦めるしかない。

「なんだよ……お前、もっと上の、ムーンシェイドクラスの迷宮のモンスターだろうが!!」

 諦めるしかない。それでも、叫ぶ声がある。

「なんだよ、なんだよ! なんだよ!!」

 目じりに浮かんだそのエリィの涙に、ジュディアは笑いそうになる。

 

 ――聞き分けのない子供みたい。

 

 男の前で姉ぶる彼女は、こちらが本性だ。いや、こちらも、というべきか。では諦めた自身は大人か、と言えばそんな気は全くしない。

 綺麗なまま、せめて綺麗なままで死にたい彼女からすれば、伝え聞くキャノンボールの虐殺方法は受け入れられない。あの球体で突っ込んできて、一気に、一瞬で、知覚さえ出来ずひき殺される。

 いやだ、ミンチはいやだ。自身は綺麗だからジュディアなのだ。綺麗で居なければ、嫌なのだ。

 

 キャノンボールは、どうした事か、その場でふわりと浮かび回り始めた。ぎゅるぎゅると、ぎゅるぎゅるとそれは早く、鋭くなり、鳴り響く音は迷宮の深層を蹂躙し、全てを飲み込んだ。

 エリィの叫びも、ジュディアの、畜生という小さな呟きもそれに潰され、やがて彼女達はあの球体によってミンチにされるのだ。

 

 だが、世界は常に不可思議だ。

 

 例えば、それはここの下層部で出会った男だ。

 彼は何の装備もないままここに居た。

 例えばこの行き止まりのフロアの、その道など一つしかない、ジュディア達の背後には壁しかないそこから、

 

「おや、これはこれは」

 声があがったとしても。

 それは不思議な事なのだから、しょうがないのかもしれない。

 

 全てを飲み込むキャノンボールの回転音の中で、はっきりと聞こえた背後の声に、ジュディアは振り返った。敵が前にあってやって良い行為ではないが、結果の見えた終わりなら許される事だろう。

 

 そしてジュディアが目を向けた先に、白と黒が居た。

 

「旦那様に会う前に、手荒い歓迎でございますか。どうしますか、姉さん?」

 悠然と言葉をつむぐ、未踏の雪山に敷かれた雪の様な肌を持つ美しすぎる女と。

 

「……」

 赤黒い光沢を艶然と煌かせる、褐色の肌を持つ美しすぎる女が。

 

 メイド服に身を包んで、立っていた。




前の前の話のメイド服はこの為のフラグだったんですね分かります。
と本当に分かってた人、挙手。

メイドはね、絶対必要なんだ、うん、絶対だよ。


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11話

「だ か ら ぁ!! 嘘じゃないんだってば!!」

 アルコール臭い息を撒き散らしながらジュディアが叫んだ。ジュディアの隣に座る仲間達は一同、合わせたように頷くけど、バズさんを始め、俺でさえ怪訝な顔だ。或いは、

 

「いや、ジュディア、そりゃな、俺だって何もかも否定してる訳じゃない。……ただ、無理が在るって自分でも分かるだろう?」

 困った顔で諭すヒュームさんみたいな人や、

 

「ははははは! 愉快じゃないか! そりゃあすげぇや!!」

 ディスタさんみたいに、出来上がって面白がる人と、色々だ。

 

 そんな、『魔王の翼』亭に居る全員に向かって、ジュディアはお気に入りらしい果実酒を片手に、顔を真っ赤にしてさっきよりも勢い良く――そう、まさに気炎を吐くって感じで、

 

「うるさいこの酔っ払い共! 私達は嘘なんて言ってないのよ! バズさんも! こう、なんか言ってよ!!」

 話を振られたバズさんはなんとも言えぬ、と顔に書いたまま腕を組んで、首を横に振る。

「お前も酔っ払いだろうが」

 

 事実だ。ジュディアの顔が真っ赤なのは、勢い込んだだけのモンじゃなくて、アルコールによる所が大きい。ジュディア達のいつも座る指定席、カウンター席のテーブルには、食べ物なんて殆どない。最初に鶏肉のから揚げを頼んでから、一切追加はない。飲んで、ああも叫び続ければアルコールの回り方だって普通じゃすまない。

 ジュディアの体格はその辺の街娘とそう差はないから、あれだけ勢い良くやって居れば、そのまま倒れてしまうんじゃないかと心配になるが、誰も止める気配はない。

 祝いの席なんだから、もう少し、こう……と思う俺がおかしいんだろうか?

 

「なによなによなによぅ! あんたらねぇ! 私達の迷宮踏破記念とか言いながら、馬鹿にすんじゃないわよー!」

 腕を振り回し、いつのまにか空になっていたコップを感情のままに任せて、テーブルに叩きつけるように置いたジュディアは、カウンターに突っ伏して、今度は一転、ぶつぶつと呻き始めた。すぐ前に居る俺や、バズさん、それから隣に座る仲間達にしか聞こえないような声だ。

 

「見たのよー……確かに見たのよー……」

 空になったコップを恨めしげに見て、それを俺に弱々しく突きつけ、続ける。

 

「見たのよ、最下層で、メイドを二人……見たのよぅ」

 これがつまり、皆を怪訝に、困らせ、馬鹿笑いさせる原因だった。

 

 

 ○      ○      ○

 

 

「旦那様に会う前に、手荒い歓迎でございますか。どうしますか、姉さん?」

「……」

 自身達を置いて、その美しい容姿に適した美声で語るメイド姿の女性二人に、ジュディアは場所も、状況も忘れて呆然とした。彼女は、ジュディアは誰もが認める美少女だ。その容姿は天が与えたと言っても過言ではない。歳相応の完成を前にした美ではあるが、だからこそそれがまた美しいのだと人に称えられ、また自身もそう思い、自負してきた。

 だが、これはどうだ。

 身にまとった服はただのメイド服だ。手首から先、首から上しか見せない在り来たりのメイド服でしかない。いや、だからこそ弥が上にも目を惹く。

 

 波さえ立たぬ湖面を思わせる淡い蒼の髪が、黄昏の沈む太陽を思わせる赤い髪が、地下世界を照らすカンテラの灯りだけで宝石の様に煌き。霊峰につもる雪の如き白い肌は清艶に、紅玉を星として浮かべる夜空の如き褐色の肌は艶然と輝き。細く鋭い輪郭の中に全てが名工、いや、神々の中でも一流と称される細工師達がそれぞれに魂を込めて創り上げたような唇が、鼻が、眉がある。

 何よりも瞳だ。全てを焼き尽くさんと、火焔竜が咆哮と共に吐き出した創生破壊の炎が、瞳に宿ったかの如く紅に染まったそれは、もう宝玉そのものだ。

 

 美しいとは、つまりこれなのだ、とジュディアは理解させられた。

 自身などただの美少女でしかない。しかし、それ以上にジュディア達を呆然とさせたのが、二人のその顔だ。全く同じ、違うところなどどう見ても見当たらないのだ。肌の色が違う以上、双子という事はないだろう。そんな双子を、彼女達は聞いた事も、まして見た事もない。しかし、どう見ても同じである。

 ならばこれはそう、この二人は自身達の常識から大きく外れた何かなのだと、得心した。得心する以外ない。現実は、目の前にあるのだ。

 

 その二人が、やはりジュディア達、そしてフロアの前で宙に浮き回転を続ける球体型ゴーレムにさして関心を持たず会話を続けていた。だが、果たしてこれを会話とは言って良い物なのだろうか。

 

「……そうですか、姉さんは優しい方です。では、そう致しましょうか」

「……」

 白い肌の女はその美しい声をつむぐが、褐色の肌の女は無言で佇むだけだ。その水に濡れた様な唇は僅かたりとも動いてはいない。

 彼女達は現れたとき同様、悠然と足を進めた。その歩き方まで"らしい"物であったから、ジュディアは唇を強くかみ締める。何もかもが及ばない。嫉妬、羨望。それらの渦巻く自身の心情そのままの鋭い双眸で、彼女達の歩みを追い、背を追い――やがてジュディアは我に返った。

 

「ば、ばか!!」

 エリィが、エリザヴェータが、少女がその言葉に肩を震わせた。今がどういった事態か思い出したのだ。いや、幾らなんでも我を忘れたという事実に、大きな失態がある。

 自身達の力では及ばぬ敵に相対したからといって、これは余りに無様だ。いち早く我を取り戻したジュディアが叫び、半歩足を動かした所で、事態は動いた。

 

 巨大な何かが迫りくるという幻覚をジュディア達は見た。その、褐色の肌の女の背の向こう、夕焼けを思わせる髪の向こうだ。女達二人は、そこまで進んでいたのだ。ジュディア達が呆然としている、その間に。潰される。挽き肉になる。終わる。だと言うのに。

 

 ――走馬灯なんて、ないじゃない。

 

 場違いにも、ジュディアはそう思った。冒険者の最後に良くある事として耳にしていたそれは彼女には起こらなかった。ただ、これはいったいなんなのだ、という困惑がある。

 一瞬の思考としては、相当余裕のある、また異常なほど引き伸ばされた時間である。それを理解した時、ジュディアは鼓膜を破るような音と。全てを焼き尽くす熱と。

 そして迷宮を紅に染める炎を見た。

 

 全ては一瞬。そう、ただの一瞬だった。全ては幻覚に等しく、実在を確かめる術など無い以上、幻と言うより他ない、ただの幻覚だった。

 だが、そこに在る光景は、ただの現実だ。

 

 誰が、その光景を肯定できるのだろうか。誰が、その光景を予想できただろうか。誰が、それを。

 

「……」

 止められると、思っただろうか。

 

 巨大な球体型のゴーレムが、褐色の女の前で、止まっている。ぎゅるぎゅると、ぎゅるぎゅると回転を続けたまま、石造りの床から煙と火花を散らしながら、止まっている。

 

「――は?」

 この間抜けな声は誰の物だ、とジュディアは周囲に目を走らせ、そしてそれが自身の声であったと気付いた。目を瞬き、眼前に在るこれはなんだ、と彼女は飲み込もうとし、あぁ、と声を漏らした。

 

 褐色の女とゴーレムの間に、大きな壁が二つある。目を凝らして良く見れば、それはタワーシールドと呼ばれる物に良く似た、真っ黒な物であった。

 

 ――あぁ、なるほど。

 などと一瞬頷きかけた彼女は、慌てて首を横に振った。理屈は分かる。止めたのだから、止まるのだろう。しかしそれは、止められる物ではない。

 巨大な球体のゴーレムが繰り出す体当たりを、人間が、女が、美しい女が、メイド服の下に在るだろう細腕で、タワーシールドクラスの物を、それも二つも、どこからとも無く取り出し、腰も落とさず棒立ちの姿勢を美しく垂直に保ったままに止めていい物ではない。

 ジュディアは目の前の光景に、皹が入ったような錯覚を感じた。現実なのだろうが、現実としては余りに荒唐無稽だ。いっそこのままバラバラに散らばれば理解できるのに、とさえ思った。そうなれば、自身の死は覆らないと、分かっていながら。

 

 だが、そのおかしな光景はジュディアの、ジュディア達の意に反してまだ続く。キャノンボールの体当たりを二つの盾で受け止めた褐色の女は、右手で持った盾を僅かばかり斜めにずらし――キャノンボールを掬い上げ、浮かせたのだ。

 少し、ではない。それはまるで鞠のように、ぽん、とでも軽やかな音と共に上がるように、浮いたのだ。

 

 誰も語らず、もはや声もなく目を見開いて食い入るように見守るだけの迷宮に、声が一つ。

「お見事……では今度は私が」

 

 その声と共に、ジュディアの見開かれた視界に白と黒のメイド服が、湖面の様に美しい蒼い髪を靡かせて映りこんだ。

 飛翔とは、つまりこれだ。優雅に、舞うように、枷も無く。それは飛んだからただ飛んだと主張するように軽やかに飛翔した。ならばそれは鳥なのだろう。実際、そのメイドの女に羽が在った。

 巨大な、いや、長大な羽だ。その羽が、宙に浮かぶキャノンボールを音も無く薙ぎ。飛翔した白い肌の女は、何事もなかったかのように、飛んだという事実さえ無かったかの様に着地し、手にした黒く長大な剣を二振り、両の手に携えたまま淡く佇む。

 時間にして僅か五秒ばかり、肌の白い女と褐色の女は同時に目を閉じ、軽く手を振る。と、どうした事なのか。彼女達の両の手に在った、巨大な二つの黒い盾と、長大な二つの黒い剣は影も形も無く消え失せた。

 

 そして、彼女の手からそれが消えたと同時に、迷宮が揺れた。黒いメイドによって鞠が如く浮かされ、白いメイドによって薙がれたキャノンボールが、八つに分かれて落ちて来たのだ。

 響き渡る八つの巨大な石の落下音と、その重さを伝える揺れの中で、ジュディアはこれがキャノンボールの断末魔なのだと、理解した。ただ、これを目の前のメイド二人がやったのだと言う事だけが、どうしても理解できなかった。

 

 ――理解したら、おかしくなる……。

 

 故に、だ。

 

 その理解できないモノ二人が、ジュディア達の前までやって来る。身構えようとしたが、ジュディアはそれが無駄だと分かり肩から力を抜いた。ここまでやった相手が敵になれば、どうしてみた所で無理だ。

 キャノンボール相手ならば、ゴーレム対人間の括りで絶望できるが、このメイド二人相手では、竜対虫でしかない。絶望するほどの余裕も無いのだ。

 

「申し訳ありませんが、暫時ここを離れて頂けませんか」

「は?」

 肌の白い――白いメイドの言葉に、ジュディアはまたも間抜けな声を出した。恥じたジュディアは少しばかり俯き、肌を三度ほど軽く叩いて、口を開く。

 

「離れろって……なんでよ……あぁ、じゃなくて。なんでですか?」

 目上、なのだろうし、今のところ恩人である。彼女は相応の言葉で問うたが、白いメイドは相に何も浮かべぬままで

「いつもの言葉で結構でございます。メイドたる者、人の在り方を歪める事など、在ってはなりませんので」

「あー……そ、そう?」

「はい」

 意外と話せる方なのだろうか、とジュディアは白いメイドを見た後、その隣に佇む黒いメイドを見た。こちらはジュディア達を、やはり相に何も浮かべぬまま見つめるだけで一切口を開かない。

 おかしな二人だ、と思わないでもなかった。

 

「姉が申しますには、先程の球体型ゴーレム――キャノンボールですが、本来ならこの迷宮で転がっている物ではないとか」

「え、えぇ、ここじゃまず見ないわね」

 居たら大問題だ。ホープキラーのミノタウロスどころではない。完全に虐殺領域の出来上がりだ。一流の冒険者達を数グループ呼んで事に当たらなければならない。本来なら、だ。

 ジュディアの言葉に白いメイドは頷き、その艶やかな唇を動かす。

 

「どうやらこちらの手違いで、開くべきではないモノまで開けてしまった様です。申し訳ありません。責任を取って確りと戸締りして行きますので、暫時ここから離れて頂ければ、と」

 まったく動かぬ目の前の女の相にジュディアは目を走らせてから、浅く息を吐いて頷いた。

 

「よく分からないけれど、分かったって言えばいいのね?」

「賢明でございます。きっと長生きできる事で御座いましょう」

「ありがとう」

 頬をひくつかせながらジュディアはそう返して、今まで一切口を開いていないエリィ達に振り返り、

「じゃあ、帰るわよ」

 フロアの、入ってきた路を指差した。色々と聞きたい事はあるが、肉体的にはともかく、精神はもうピークだ。これ以上は御免だ、と声を大にしてジュディアは叫びたかった。

 

 ぞろぞろと、いや、くたくたと来た道へと戻っていくジュディアは、最後尾に居るという事もあって、最後に一度竜の彫像が置かれた最下層の一室へと振り返った。そこにはもう、二人のメイドは居なかった。

 

 どうして、などとは思わない。むしろ、あぁやっぱり、と彼女は納得した。同じ様に仲間達も振り返ったのだろう。

「ど、どういう事だよ!? い、いないぞさっきの人達!?」

「……人の世界は、色々あるものだねぇ」

「……もしかして、夢?」

 口々に叫ぶ仲間達に、ジュディアは目を吊り上げて叫んだ。

 

「っていうかあんたら! 私がこのメンバーの交渉役っていってもね、これ限度あるでしょ!? 口が動くならさっき動かしなさいよ!!」

「いやー……あれはなんていうか……なぁ?」

「うん、無理だ」

「ご、ごめんなさい……無理です……」

「あぁもう! あぁもう! あんたら、奢りなさいよ!? 絶対今日奢りなさいよ!? ぱーっとやるからね!!」

 皆が皆、それぞれに悲鳴を上げる。それは生きている証だ。死を前にして、分からないままながらもそれを乗り越え、彼女達は迷宮を踏破した。今はそれで良い、とジュディアは小さく呟く。

 誰にも聞かれなかったその呟きを、胸の中で続け、

 

 ――早く帰って、果実酒を思いっきり呷りたい。

 

 天井を仰ぎ見た。そこには常の石で組まれた無骨な物が在った。

 

 

 ○      ○      ○

 

 

 とは言え。

「なんでみんなしんじないのよー……わたし、うそいってないもん……ないんだからー……」

 帰ってきて、酒を飲めば色々と噴出する。あんな強烈な物を四人だけで抱え込めというのが土台無理な話だ。

 

「しかしなぁ……メイド服で、えらいデカイ盾を腕に一個ずつ、もう一人がエリィの両手剣よりでかいのを、これも両手に一本ずつ……ってのは、無理があるだろ」

 バズの言葉に、ジュディアは頬を膨らませて、むすっとしたまま男に目をやる。

 

「ねぇ、あんたー、きいてんのー」

「聞いてるから、離せよ」

 カウンターの向こうで、困った、と言った相を隠そうともしない男の袖を引っ張り、ジュディアは潤んだ目で男を見上げた。どうみても男殺しのその嘆貌は、しかし男にはどうした事か届かない。

 素っ気無く、離せ、とは何事かとジュディアは眉を危険な角度に吊り上げた。

 

「あんたねぇ、私、美少女よ! びしょうじょよ! その態度なに! あれか、あんたあれか! あれか!!」

 ジュディアは明言を避け、と言うよりは言葉が追いついてない様子で、男を見たままバズを何度も指差しながら唾を飛ばす。

 

「言いたい事は分かるけども、不名誉な方向に俺の性癖を持っていくつもりなら断固拒否するぞ」

「わかんない! 分かりやすいことばで!!」

「次言ったら水ぶっかける」

「わかった!」

 

 そう言って、ジュディアはけらけら笑う。袖を掴んだままで、だ。完全に出来上がった状態である。明日はどうするのか、など彼女は考えていない。考えられない。とりあえず、なんとももやもやするこの胸のうちをアルコールで吐き出したいだけの事だ。

 物理的に吐き出すのは乙女としてどうかと思うが、こうなると思うだけだ。やるときはやるだろう。乙女などといっても、所詮人間だ。出す、吐く、と言った行為は仕方ない。

 

「はぁ……どうすんだよ、これ」

「どうと言われてもね……いや、申し訳なくは思うけれど」

 男の言葉に、エリザヴェータが酒を舐めるように飲みながら返す。ジュディアはそのエリザヴェータの肩を掴んで揺すぶった。

 

「そんなちびちびのむなよぅー。もっとがばーっていけよー」

「君は私達の奢りで飲むからいいんだろうけれどね……それと、がばーと行かせたその結果が、今君の隣に居るわけなんだ」

「んー……?」

 ジュディアは座った目で自身の隣、エリザヴェータとは逆の方を見た。そこにはエリィが青い顔で突っ伏している。

「むり……もう、やめて……むり……」

 一応意識はあるらしい。

 が、魂の抜けかけた顔で呟くその様は、一種悲壮感さえ漂わせている。とは言え、そんな物酔っ払いには関係ないことである。ジュディアはエリィの背中を容赦なく何度も叩いた。

 

「ねんなー! ねんなー! 私をおいてさきにねるとかあんた! なにさまだ!!」

「おまえがなにさまだ……ころすぞ……てめぇ」

 呪詛じみた言葉が転がってきた。そんな彼女達の姿に、バズは頭を横に振る。

 

「お前らの迷宮踏破記念で、全員でやったってのになぁ……まぁ、これもまた良し、と言えなくもねぇが」

「むずかしいこというなー! もっとわかりやすくー!」

 ジュディアのその言葉に、周囲に居る冒険者達はげらげらと笑い、或いは心配そうな相を見せ、男とバズとタリサは、この後の片づけが大変だと思い。そして、誰かが呟いた。

 

「あ」

 

 誰の呟きであったのか、判然としない。いや、誰であるかなど、どうでもいい事だ。皆がその呟きを聞いた半瞬後、扉の開く音が響いた。ほぼ同時であるが、それは決定的な差であった。

 

 その時、扉から入ってきた二人を思えば、それは確かに決定的な差であった。

 

 店を覆っていた喧騒は失せ、冒険者達は皆一様に黙り込み、唾を飲み込んだ。嚥下の音が響くほど、となれば相当の静寂だ。

 ジュディアの目の前で、バズがまずその異変に気付き、静寂の中心に目を運び――目と口を大きく開いた。その相にタリサが驚き、バズの視線の先へと目を動かし、唖然と口と目を開いた。親族である。その表情はなんとなく似通った物が在った。

 そして、エリザヴェータが、少女が、死に体であったエリィまでもが目を動かし、固まっていく。なんなんだ、とジュディアはコップを振り回した。

 

「なによ、なによー……なんかうしろであん……の――ッ」

 座ったままの目で、後ろに椅子ごと振り返り、彼女は手に持っていたコップを床に落とした。誰もが、言葉を失い、誰もが同じ相で同じ場所を見た。ジュディアも、それに逆らえなかった。『魔王の翼』亭の、その出入り口。簡素な木作りの扉の、その前。

 そこに

 

「おや、これは中々片付け甲斐のある佇まいで御座いますね」

「……」

 恐ろしいほどに美しい、白と黒のメイド達が立っていた。

 

 彼女達は静寂の中、自身達に向けられる視線に物怖じせず、ジュディア達の前まで楚々と進み、そこで立ち止まり、片膝をついて頭を垂れた。王に忠誠を誓う騎士の如く。

 ジュディアの頭は真っ白になった。何故、と、どうして、がぐるぐると頭の中で駆けずり回り、混乱が混乱を呼んだ。その癖、言葉にも音にも声にもならない。全ては外へと出ていかない。

 

「お呼びにより、私ミレット、姉ウィルナの二名、まかり越しまして御座います。どうぞ一生、お傍に置いてお使い下さいませ」

 そう言ってから、二人は頭を上げ、ジュディアの――ジュディアの先に居る、袖を引かれたまま、目を顰める男だけを見つめ、

 

「旦那様」

 そう言った。

 

 誰もが息さえ忘れたその中で、ジュディアははっきりと見た。見てしまった。男が面倒くさそうに、

 

「気持ち悪いな、お前ら」

 そうはっきりと言ったその時の相を。

 

 ――キている。

 

 エリザヴェータの言は正しい。確かにそうだ。

 この男は完全にキている。

 気持ち悪いと言った時の男の相は、本心からのものだった。虫を見るような、そんな相だった。美しい、ジュディアすらも嫉妬を抱く女達に向ける相ではない。

 

 この男にとって、綺麗なモノとはなんなのだろうか。ジュディアは、誰もが微動だにせぬ静寂の中でそんな事を思った。明日になればどうせ忘れるのに、とも思った。

 

 

 ○      ○      ○

 

 

 どうでもいい事だろうが。本当にどうでもいい事だろうが。

 

 男にそう言われた時、二人のメイドは、男に虫を見るような目で見られた時、二人のメイドは。嬉しそうに微笑んだのだ。

 心底、と華の様に微笑んだのだ。

 

 どうでもいい事だろうが。




これにて一章終了。

次は日常編に戻ります。
ダンジョンのタグ、これタグ詐欺じゃねぇかと思わなくも無いこの拙作、お暇でしたらまた見に来て下さいませ。


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いくたりがふれようか
12話


日常編、開始です。


 目が覚めると、いつも彼は――

 

「あぁ、くそったれ、今日もしけた面ぁしてやがる」

 バズはそう言う。短く刈り上げた茶色の髪を乱暴に掻き回しながら見るその先は、布に包まれた巨大な何かだ。シーツを払いのけ、寝巻きを脱ぎ、ベッドを降りる。ギシギシと音が鳴るのは、木製のベッドが古いからではなく、バズの体が単純に重いからだ。

 朝の冷たい空気に傷だらけの体をさらし、筋肉に覆われた体に常の地味な普段着を着込みながら、バズはゆっくりと歩み、その布に包まれた巨大な物に近づいていく。そして。

 

「あぁ、そろそろおやっさんに見せねぇとな、おまえ」

 軽く、拳で叩いた。

 

 

  ○      ○      ○

 

 

「おはよう、おじさん?」

「おはようございます」

「おう」

 

 タオルを首に巻き、厨房に置かれた小さなテーブルに朝食を並べる自身の姪、タリサと、椅子に座って眠そうな顔のまま朝の挨拶をしてくる男に、バズは手を上げて応える。そのまま流し台で顔を洗おうとする彼に、

 

「おはようございます、バズ様」

「……」

 タリサを手伝いながらテーブルに皿やコップを置くメイドが二人、見事な一礼を見せた。

 

「お、おう……」

 場違いな、小さな宿屋兼酒場にはまず不似合いなその二人に、バズは僅かばかり頬を引き攣らせて先程と同様に応じる。バズの雑な返事に、メイド達は何を思う様子も無く、タリサを手伝い、それを終えるとそれが自然、と言わんばかりに男の背後に歩を進め、両人共に目を伏せ、静かに佇む。

 メイド姿の麗人二人が、場所は宿屋兼酒場、佇むは厨房の小さなテーブル、そこに座る男の二歩後ろだ。どう見ても、考えても、場違いである。まず無理が在る風景だ。

 

 ――どこのお貴族様だ、坊主。

 

 そう声を掛けそうになる度、バズはその言葉を飲み込んだ。軽い冗談で言うにしては、場所はともかく、メイド達は余りに"それらしく在りすぎる"し、何よりメイド達を傍に置く男が、目で何も言ってくれるなと語っているのだ。

 自身の城がどう変化しようと、それが悪い方向ではない限り、バズとしても特に言う事はないのだから、まぁいいか、程度に思う事にした。受け入れ難い、という事実は分からないが。

 だが、それでもやはり言うべき事はある。

 

「なぁ、おまえら。本当にいいのか?」

「……いつもの話でしたら、いつも通りの返答で御座います」

 バズの言葉に、白いメイド――ミレットは目を伏せたまま返し、隣に佇む黒いメイド――ウィルナも同じ様に、目を伏せたまま小さく頷くだけだ。その二人の態度に、バズは口をへの字に曲げ、指で頬をかきながら男を見た。

 どうなんだ、それは。といった意味を乗せた視線に、男も気付いたのだろう。

 

「良いんじゃないんですか、本人達も、そう言ってますし」

 バズに目で問われた男は、素っ気無く言い放つだけで、特に何をするという素振りも見せない。他人に対して迎合的な、或いは弱腰で受け入れがちな男にしては、冷たい対応である。

 

「まぁ……お前らがそれでいい、ってんなら、俺としても……良くはねぇが、納得はしとくがな」

 などと言っては見ても、バズが納得していないのは明白だ。彼女達、メイド達二人がここに来て以来、一週間近い間、毎朝口にしているのだから。

 

 バズは軽く溜息を吐き、流しに置かれた桶から水を掬い取り、顔にぶつけた。冷たい水が意識を覚まし、眠気を飛ばしていく。さぁ、今日もまた、命をかけて迷宮にもぐる冒険者達の面倒を見る、そんな一日の始まりだ。

 そんな事をバズが考えたと同時に、厨房の向こう、客、つまりは冒険者達が屯するフロアから物音が聞こえた。今は早朝だ。そこにはまだ誰も居ない筈であったが、どうやらいつもより早くに出てきた者が居たらしい。

 

「おーい、いつもの頼むー」

 バズの店で一番の腕利きグループ、そのリーダー、ヒュームの声だ。

 

「なんだ、いつもより早いじゃねぇか」

「今日も朝の早くから仕事だ。ミックスのミックスが出たって話が在ってな。しかもそいつ、早朝が活動時間らしいんだよ」

 カウンターからバズが顔を出すと、フロアのテーブルに一組、四人がテーブルに座っていた。彼らはメニュー表を見るでもなく、鎧を着込んだまま椅子に腰掛け、各々、頭を下げたり、手を上げたりとバズに挨拶する。その姿に、バズは鼻から小さく息を吐き、

 

「面倒な仕事ばっかりやりやがる」

「それが仕事ってもんさ、だろう?」

「言いやがる」

 目を細めて笑った。事実、そうだ。冒険者の中でも、特に成功するタイプが、このヒュームの様な者達だ。面倒な仕事を率先してやる冒険者は、挫折に対して強くなる。苦しい、という事を良く理解し、経験した者ほど上へとのぼり易い。

 

 自身はどうだったか、等と過去に思いを馳せ掛けたが、視界の端で動いた白と黒がそれを遮った。

 

「コーヒー、オレンジジュース、大和の濁り茶、エール、で宜しかったで御座いましょうか」

「あ、あぁ……」

 一瞬の隙をついて、というのも可笑しいのだろうが、まさにそう思わせるほどの早業で、メイド二人がヒューム達に給仕を始め、あっさりと終えた。楚々と一礼してから、持ってきたトレイからコップを取り、優雅にそれぞれの前に置き、最後にまた一礼して去っていく。

 戻る先は、やはり男の二歩後ろだった。

 

 バズはその一連の動きに胸中で感嘆の溜息を零し、ヒューム達は目を白黒させて身動ぎ一つしない。美人に給仕をされれば、鼻の下を伸ばしただらしない笑顔でも零れそうなモノだが、接するそれが人の範疇に無いほどの麗人となれば、固まってしまう物らしい。

 一週間近く、これが為されているというのに、未だ誰も馴染めず、未だにバズは驚嘆し、故に口から出るのだ。

 

「いや、おまえら。これはやっぱり給金いるだろう」

「必要御座いません」

「御座いません、ってなぁ、使っといて金は出してません、じゃ通らねぇだろうがよ?」

 バズのその毎度の言葉に、メイド達は目を伏せたまま、こちらも毎度の言葉で応じる。

 

「私達の主は旦那様ただお一人。旦那様以外から手当てを頂くなど、どうして出来ましょうか」

 

 ――あぁ、また毎度の通りか、これは。

 そう胸中で呟けど、この店の主として譲れぬ所がバズにはある。この流れが、メイド達がここに来て以来繰り返される、毎朝毎度のそれだとしても、彼は口を動かさなければならなかった。

 

「じゃあ坊主。給金を受け取るように、こいつらに言え」

「……ウィルナ、ミレット、ちゃんと貰っとけ」

「旦那様のそのお言葉こそが、私達の糧。これを手当てと頂きましたる以上、何ほどを望みましょう」

 メイド二人は、男の背後で恭しく頭を垂れた。常々、表情筋が息をしていないのではないかと言うほど無表情なメイド、ウィルナとミレットが、こういった時だけは頬を紅潮させて、僅かばかり開いた両の目が歓喜で潤むのである。

 これが毎度毎度のやりとりの中で見られる相だと言うのに、バズには酷く心臓に悪かった。

 

 メイド二人の過ぎたる艶に当てられた貌を、姪に冷たい目で見られるという羞恥以上に、そのメイド二人を背後に侍る男の相が、

 

「……勝手にしろ」

 苦々しく歪んでいるからだ。照れ隠しでもなんでもない。心底から出た真情の言葉だ。バズとしては、その相の方が酷く心臓に悪い。

 何か欠陥を抱えた人間だと、どこか違った人間だと主張してしまうその部分が、バズの中の在る男の姿を歪にしてしまうからだ。健やかにあってほしい、などと思うのは、男親の気持ちなのだろうが、バズは間違いなくその気持ちを有している。

 

 ならば憂いを排除すればいいのか。では憂いとはなんだ。

 

 自問自答は、しかし男の背後で目を伏せたまま立つメイド二人の姿にかき消される。無理だからだ。それが無理だからだ。例えば、バズの手に得物があり、現役当時の、それも最高のコンディションだったとしても、先にやられると彼には理解できた。いやと言う程理解できた。

 ジュディアの言葉がどこまで本当か等、どうでもいい事だ。メイド二人の細腕も、どうでもいい事だ。優雅、楚々、艶然。

 全てが全て、どうでもいい事だ。

 

 バズの中に在る、冒険者として培った本能が警鐘を五月蝿いほどに鳴らす。相対すれば、死ぬ。構えれば、死ぬ。得物を手にした瞬間、死ぬ。何もかもが、無意味だ。

 死ぬという事だけが、事実だ。

 

 未だ固まったままのヒューム達を一瞥し、バズは腕を組んだ。

 バズの酒場に居る中で、一流に一番近い連中だ。超二流、とでも言うべきか。そんな連中でさえ、苦しいという事を経験し、理解している連中でさえこのざまだ。

 メイドとして、女として完璧なそれが、

 

「旦那様、頬に汚れが御座います」

「近寄るなハンカチを近づけるなにじり寄るな這い寄るなっていうかウィルナッ」

 或いは男にハンカチを持ってガバディガバディと言いながら這いより、或いは男の背に回って押さえつけている。眩暈を覚えそうな絵面だ。

 いや、バズは実際自身の視界が歪むのを自覚した。

 

 ――俺はこれを警戒したのか。

 

 冒険者として培った本能も警鐘鳴らしまくりであった。その珍態を露にするメイド二人相手に。

 バズはゆっくりと組んでいた腕を解き、肩を落としながら自身がいつも座る椅子に腰を下ろし、目の前に置かれたコップに手を伸ばす。と、隣に座るタリサが、くわえたままのスプーンを数度揺らし、それを右手で掴んでバズに突きつけた。

 

「行儀が悪いぞ、タリサ。兄貴に言いつけてやろうか?」

「叔父さん、そりゃかっこ悪いさ?」

 この歳になって言いつける、は確かにそうだが、この姪は叔父の言う事などどこ吹く風だ。飄々とした部分は、間違いなく母親似である。そりゃあ兄貴も俺に放り出すわなぁ、とバズは胸中で笑った。何せバズの兄は、嫁にはとことん弱かったのだ。当然タリサにも相当弱く、そのせいでこうなってしまったのだろう。

 どうでもいい事を納得して、一人なるほどと頷くバズに、タリサはスプーンを突きつけたまま口を開いた。

 

「あの子の事だけどね?」

 小さな声で囁くタリサの、あの子、という言葉に、バズは一瞬誰だ、と迷ったが、話の流れから多分男の事だろうとあたりをつけた。だとしたら、あの子呼ばわりするほど、タリサの中では男は幼いという事になる。いや、タリサの中でも、だろうか。

 バズが知る限り、幼児扱いはこれでエリィを含めて二人目だ。案外ヒモなど似合っているのかもしれない。

 

「ウィルナさんとミレットさんは、丁度良いと思うんだ、私はさ?」

「……どういうこった、そりゃ?」

 バズの想像は正しかったらしく、あの子とは男の事だった。ウィルナ、ミレット、思うところは同じだったらしく、バズは姪っ子の目をじっと見つめる。

 

「あの子の欠けた部分は、きっとあの二人なんだよ……だから叔父さん、あんまりさっきみたいな目で見ないでおくれよ?」

「……」

 タリサの言葉に、バズは目を細め、手にしていたコップを口元まで運んだ。口に含み、嚥下するコーヒーは苦い。冒険者時代の癖だろう、未だに朝は多く食べない彼の前に置かれた皿には、少量の料理しか盛られていない。

 本能の警鐘のままに人を見れば、それは当然鋭い、観察する目となるに決まっている。それを日常に、男の前に持ってくるなと、タリサは言う。バズはコップをテーブルに置き、頬を拭き満足げに、それでも無表情なまま頷くミレットと、男の身を離して再び背後に何事も無く佇もうとしているウィルナと。

 

「あぁくそ……どいつもこいつも、なんで俺にハンカチで襲い掛かる……エリィといいお前らといい……」

 愚痴を零す男を見た。らしい相だ。歳相応、とはいえない、稚気を含んだ貌だ。そこにはいつもの男の顔が在る。いつぞや、気持ち悪いと冷たく言い放った、その時の表情とは大きく違った物だ。

 

「……なれりゃ、いいんだろう、タリサ?」

 バズの言葉に、タリサは頷いた。男だ。男親は、感情の機微にはどこか鈍い。

 反面、女というのは早くから母性を持ち、感情の機微に鋭くなる。欠陥があると悟れても、なにが、どこが男の欠けた部分であるのか、バズには判然としないが、タリサには分かる事なのだろう。

 だからバズは、もう一度呟いた。

 

「あぁ、馴れるなら、為ってやるさ」

「あぁ、それはそうとバズ様。このお店ですが、殺風景ですので多少装いを変えてしまっても宜しいでしょうか。サンプルとして、レースのカーテンや白い花柄のテーブルセット等を既に用意させて頂きましたが」

「……」

 馴れるのだろうか。いや、無理ではないだろうか。

 ミレットとウィルナが広げる、どこから取り出したのか分からない花柄のそれを目に映し、バズは唸りながらタリサをもう一度見た。

 彼の姪っ子は、知らぬといった相でスプーンをくわえて揺らしていた。




なろうにも連載したらどうですか、と言ってくれた方が居られましたが、ハーメルンだけと決めておりましたので、お言葉とお気持ちだけ、ありがたく頂きます。このサイトが好きなので、こちらだけで頑張りたいと思います。申し訳ありません。


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13話

感想で多く触れられていた点について。
まぁここでやっても予定に変化は無いかなぁ、と思ったので。


 欠伸を一つ。それから、背伸びを少し。数度自身の額を叩き、ジュディアは周囲を見回した。

 

「あー……いないかぁ」

 自身の居る部屋、狭い四人部屋に人数分置かれたベッドのうち、三つは既に空になっていた。室内は常より少し明るく、窓を眺めると、そこにはいつもより高い場所にある陽が見える。

 

「……だれてるなぁ」

 自身でも、そう思う。迷宮を一つ踏破して以来、どうも彼女達は立ち止まりがちだ。規格外のゴーレム一体、そしてそれ以上の規格外二人に遭遇し、彼女達の自信や常識に皹が入ったと言うのもあるが、それ以上に蓄積された疲労がある。

 早く進みすぎたのだ。

 

 ――まぁ、一応の出世頭だもんね。

 

 少女だけで構成された彼女のグループは、つい二年ほど前に結成されたいわゆる新参だ。普通二年と言えば、やっとゴミ漁りを卒業して、どうにか冒険者を名乗り、武器や鎧を新調し、脱落や事故で失われた欠員を補い、今後はどうするかと考え始める頃である。

 彼女達の後輩にあたるリーヤも早い方だが、彼女は成人を前にゴミ漁りになったくちであるから、その進行速度は常識内のものだ。規格外、という事はない。

 

 では、何故ジュディア達が早くに中堅までなったかというと、それは今ここに居ない少女のお陰だ。ジュディアはその少女のベッド、その脇に置かれたプレートアーマーをぼうっと見つめる。

 

 恒常的な火力を持つ冒険者を有するグループは、他より進みが速くなりやすい。詠唱魔術師、キャスターやシンガーの様に、発動までの短くは無い時間や、詠唱の間護衛を必要としない攻撃力は驚異的だ。ジュディアの脳裏に、年頃の少女にしては少し――いや、大分逞しい姿が過ぎる。

 

「レスタンフェイルの、お嬢様、ねぇ?」

 実質的な奴隷階級、またそれから解放された者達、そして傭兵達の守護者を祭る土地の、狼の部族が娘。世界に数振りしかない貴重な魔法剣が得物、となればどういった家柄の少女か、ジュディアでもおおよその見当はつく。

 敵対する者を言葉通り一刀両断していく、なかなかの腕利きだが、その辺は脳筋らしく気が回っていない様だ。或いは、気にもしていないのかも知れない。冒険者となれば出自などほとんど関係ない。

 

 また体重が増えた、と嘆く仲間の相を思い浮かべ、くすりとジュディアは笑う。筋肉は脂肪より重いのだから、仕方ないのだろうが。

 

「んー……まぁ、いうほどごついわけでもなく、健康的な体ではあるんだろうけど」

 水浴びの際等で目にする仲間の体は、実際鍛えられた健康的な肢体だ。腕が太くなった、腹筋がまた割れた、と歳相応に嘆く事もあるようだが、無駄の無い体は見る分にはそう悪いものではない。

 が、ジュディアはそんな体になりたいかと言われれば、絶対に首を横に振る。勢い良く首を横に振る。彼女の目指す美と、それはまた別なのだ。

 

 普段着を手に取り、手早く着替える。一階のフロアからはざわめきなど感じられず、常通りの暇な朝なんだろうと彼女は思った。そして、木製の分厚いドアを押して廊下へ出ると。

 

「おはよう御座います、ジュディア様」

「あ、うん……おはよう、ございます」

 白い肌のメイド、自身が目指す美を持つ一人、ミレットがはたきを手に天井の埃を払っていた。

 

 

 ○      ○      ○

 

 

「いやそれ、どうなのよ?」

「なにが?」

「いや、なにがってあんた」

 いつものカウンター席、その自身がそこ、と決めた特等席に腰を下ろして、ジュディアはカウンターの向こうで皿を洗う、暢気な男に剣呑な様で問うていた。問われた男は、何が何やら、ときょとんとしていたが。

 

「あんたねぇ、私あの時話したでしょ……? あの人、あぁ見えてゴーレム八つに分ける様な……その、あれなのよ?」

 今は珍しく男の傍に居ない二人のメイドを警戒しながら、ジュディアは声を落として続ける。

 

「それをあんた、こんなちっさい店で掃除に使うとか……」

「メイドなんだから、掃除は仕事だろう?」

「間違ってはいないけども……ッ!」

 確かにそうだが、しかし何故あれがメイドだと誰も認めてしまうのだろうか。と思ってはみても、彼女自身確かにあれはメイドだと認めてしまっているところがある。

 服装がそうであるから、などという理由ではない。

 在り方だ。主人に仕え、所作に無駄が無く、無理も無い。経験の無い者がメイドを装っている、といったところは一つも無く、言葉遣いも動作も、その全てが一流のメイドなのだ。

 

 例えそれが、迷宮でゴーレムを軽くぽんと浮かせ、挙句八つに分けた人外じみた強さと、ジュディアさえ呆然とさせた美を持つモノだとしても。

 

 そして頭を抱えて呻きだしたジュディアは、ふとどうでも言い事に気付いて頭を上げた。男の後ろに常に居るメイド二人が、掃除という仕事で傍にいないのは分かるが、だとしたらもう一人、常にこの店に居る人影がない。

 この時間帯はジュディアには馴染みの無い時間ではあるが、気になると聞いてみたくなる。

 

「……バズさんは?」

「あぁ、でっかい荷物を持って、外に出て行った」

 洗い終えた皿を脇に置き、男はまた別の皿を手に取り洗いはじめる。そのまま、何気ない顔で男は、

 

「で、タリサさんは裏で誰かの大好きな果実酒を仕込んでる最中」

「うむ、実に結構。今日も期待しているわ」

 とは言え、今日仕込んだ果実酒なら、飲むのは最低でも三日後だ。酒はある程度寝かせなければ旨みが出てこない。

 そして、どうでもいい事が気になると、もう一つ二つ、そういったモノがあると彼女は思い至り、目の前の男にこの際それを問いただしてみる事にした。

 

「あんた、エリー……あぁ、エリザヴェータを綺麗って言ったんだっけ?」

「ん? エリザヴェータから聞いたのか?」

「うん、偉く喜んでたわよ」

 

 ついでに、キていたと、同類を歓迎していた事を伝えようかと思い、やめた。同類同士で話し合えば良い事で、普通の感性しか持たない自身が踏み込むべき場所ではないと思ったからだ。

 

「まぁ、個人同士の事だから、応えたくないならいいわ。私も別に、踏み込みたい訳じゃないから」

 興味で聞くそれと、踏み込んで暴く事は似て非なる物なのだから。ジュディアの問う声に、気遣いのような色を見た男は、苦笑を浮かべて首を横に振った。

 

「そんな大それたモンじゃない。ただ、綺麗だって言っただけだし、それに、全面的に綺麗だと断定した訳じゃないし」

「そうなの?」

 エリザヴェータからは、綺麗といわれた、としか聞いていないジュディアには、寝耳に水だ。どうにもエリザヴェータは、口にしていない部分があったらしい。

 

「えーっと、確か……うん、気持ち悪いくらい、綺麗だって言ったはずだ、確か」

「……気持ち悪いのに、綺麗なの?」

 眉を顰めて男の相を見る。なんとも分かるような、分からないような言葉だ。

 

「言葉は悪いけど、気持ち悪いだろう、やっぱり。目が無いなんて、普通じゃない」

「そうよね……でも、綺麗なんでしょ?」

「……そう、だな。深い洞窟にいる、日に当たらない動物ってな、肌が病的に白くて、目が無いんだ。俺はそういう単一の方向に尖った生物、嫌いじゃない」

 

 稀に、男のいた世界ではそういった生物がひょこりと顔を出す事がある。洞窟の奥に住まうそれは、大量の雨が降った後など、流されて原野に出てしまい、人に見つかり珍種だと重宝され、または新種だと喜ばれ捕獲される。

 場所によっては、竜の子供だといわれ、食すれば不老を得るとさえ言われていた。

 そういった生物と、エリザヴェータを、男は同列に扱い、綺麗だと言ったのだ。

 

「……それ、女に向かって言う事?」

「でも、綺麗だと思ったんだから、仕方ないだろう? それに、その方向に尖るまで、そこにはきっと努力があったんだ。それは、やっぱり綺麗だろ?」

「あんた、エリィもそういった感じで綺麗って言ったの?」

「いや、あれは正真正銘、女性として綺麗だと思ったんだけど?」

 

 と、簡単に口にするあたり、それは色恋沙汰のそれではない。愛情や恋慕が言葉に含まれるのなら、らしい言い方がある。男はジュディアの問いに、常通りの相で応じた。

 とすれば、これは単純に愛しい女として見た発言ではないという事だ。

 

「目が無い女に向かって、綺麗で……エリィはエリィで、ぽろっと簡単に綺麗って……あんた、分からないわよ……」

「難しく考えるからだろ? というかな、目が無い、なんて言うけど、そんながどの程度の物なんだよ」

 男は目を閉じて軽く鼻から息を吐いた。中で渦巻く少量の火を逃すかの様な仕草に見えたのは、ジュディアの気のせいだろうか。

 

「目が無いって、女としては十分なハンデじゃない」

 そうだろう。相貌の大半は、目にある。瞳は口よりも雄弁だ。相を語り、物を請い、事を促す。宝石のような、とさえ称される事も在る瞳がないというそれは、女性として覆しがたい完全なハンデだ。だが、男はせせら笑った。それがどうした、と。

 

「名前も無い人間が、ここに居るんだけどな」

 冷たい声だ。誰もが持つ、当たり前の物が男にはない。生まれた子でも、大抵その日に名がつけられる。親も無い孤児だとしても、誰かがその孤児に通り名、或いは個別する為の皮肉めいた名をつける。

 名前が無い、というのは、どんな気分なのだろうか。ジュディアには、名を当たり前に持つジュディアには分からない。

 

 名前が無いと、いつかの自己紹介でこの男は言った。では、それを捨てたのだろうか、過去と共にその名前を。

 だとしたら、それはおかしいのではないか。ジュディアは男をじっと見つめる。そこに自身で、選択して、或いは迫られて、名を捨てたという色は見えない。むしろ、自身の荷物を奪われて戸惑う子供の姿をジュディアに連想させる。

 稚気を多く漂わせる男は、確かに子供だったのだ。

 

「いじめるな、って事?」

「……いや、何が?」

「なんでもない」

 ジュディアはそう呟くと、自身の結われた髪の一房を指ではじいた。弱い者虐めは趣味ではない。泣きそうな子供を叩いて、早く続きを言えと強引に促すような悪癖はない。

 しかし、それでもまだ男に聞きたい事がある自身は、どこか男に魅かれているのではないか、とジュディアは思わないでもない。

 

 どこにでも居る相に、ひ弱そうな体躯。子供的な雰囲気は、好みそうな者ならば受け入れるだろうが、大半は脆弱だとなじってしまうだけだ。異性として見るには大分双方に努力が必要な、無理の在る存在だ。が、だからこそ、とも言える。

 そんな男が、確かに違っているのだ。大きく、どこかが。

 歯車だけの機械に、釘を打ち込んで完成した、といえばこんな物なのかも知れない。それがどんな用途で使われるのか、想像したジュディアにもさっぱりだが。

 

「で、まぁ、最後なんだけどさ」

「言うけどさ……そっちもよく分からないなぁ」

「うっさい」

 歯を剥き威嚇して黙らせる。ジュディア必殺の、お願い、的な顔をしても、気のない男には意味が無い。こういった相しか効果が無いからだ。

 

「ミレットさんと、ウィルナさん……」

 そう声に出して、ジュディアは左右と、そして後ろを見た。そこに名を上げた二人のメイドの姿は見えない。彼女は仲間の、エリザヴェータの様に軽く肩をすくめて、男に顔を向けなおし、

 

「何が気持ち悪いの?」

「自分の理想像の異性が目の前に出てきたら、どう思う?」

 問うたのはジュディアだ。しかし問われたのもジュディアだ。唖然、としたジュディアに、男は意地の悪い笑みを浮かべ、洗っていた皿を脇に置き、また新しい皿を手に取る。

 

 ジュディアは、男が言う理想の異性像を脳裏に浮かべ、明確な形にした。なるほど、我ながら高望みだ、という姿が出来上がったが、それが突然自身の前に出てきたら、どうするだろうか。

 一も二も無くその腕に飛び込むだろうか。それとも笑顔で迎え入れるだろうか。何かが違うような、そんな気がジュディアはした。おそらく、いや、きっと、自身はそれを警戒する。何事か、と。自身の為にあつらえられた様な存在を、あぁそうですかと喜んで受け入れられるほど、彼女はお目出度い頭をしていない。

 

「剣が欲しい、盾が欲しい、自分を認めてくれる人が欲しい。メイド服もなかなかじゃん、だ。あぁ、思った、思いはした。誰が、それが形になるって思う?」

 自嘲を頬にはりつけて、男は腕を止めることなく、吐き捨てる様に口を動かし続けた。

 

「エリザヴェータの言う供物だなんだ、なんてのは興味ない。でもな、多分、勝手に使われたんだ。誰かに。勝手に奪われて、奪われたモンでそんな事されたら、こっちだって頭には来るんだよ。使ったら、多分減るだろうが、奪われたそれが。なぁ、願ってみたって、それは願い事なんだ、ジュディア」

 はっきりと自身の名を口にする男には、相がなかった。在ったはずの自嘲も、今はどこか遠い。何かを理解してしまった男の相は、酷く、遠い。

 

「あれはな、つまりどっちかって言うと、ミレットとウィルナの向こう側に居る、あんな二人を俺に差し向けた誰かに対して、唾吐いただけなんだよ」

 それは本心からの言葉だろうか。じっと見つめても、ジュディアには分からない。踏み込むつもりのないジュディアには、判然としない。あと半歩前、そこまでは近づいていた。

 だが、これ以上は引き返すべきだ。ジュディアの中にいる、冷静なジュディアが呟く。

 

「俺のいた国の隣にある大きな国の古い言葉じゃ、望むってのはまじないの……まぁ、呪いを含んだ言葉だったんだ」

 古代中国の古代文字である。その頃望という字は目の様な形であり、目で見る、という事は呪術的な意味を多く持っていた。故に人は頭をたれ、主を、后を、伯を、王をみだりに直視しなかった。そして頭を垂れれば、無造作に首を見せる事になる。非礼があればいつでも斬って頂きたいと無言で表していたのが、それだ。

 

「俺は……まぁ、なんだろうな……あの二人に、呪いをみたんだろうなぁ」

 だから、気持ち悪いのだろう。男はそこで口つぐみ、やはり洗い終えた皿を脇に置き、新しい皿に手を伸ばした。だが、それは空しく宙を切った。もう洗うべき皿は無い。

 それを、宙を切った自身の手を寂しそうに眺めて、男は自身のうなじを軽く叩く。

 

「子供なんだろうな、これ」

 自覚して、尚子供である。男の世界なら、この年頃は実際子供だ。だが、ここは違う。

 この世界では、男は大人として生きなければならない。

 

 ジュディアに、男の語った言葉の意味は半分以上分からない。供物だなんだといわれても、分からない。ただ、男は多分、自身を認めてくれる人を得た今でさえ、孤独なのだという事だけは、分かった。

 

 名も無い、奪われた、それを供物にして用意された剣と盾を率いてただ、ずっと孤独に。

 

 ジュディアは、昔見た文字を思い出した。意味は違うが、文字だけ見れば同じ言葉だ。

 

 ――いくたりがふれようか。

 

 ジュディアの背後で、人の気配が動いた。彼女は振り返らなかった。それはやがて、男の背後まで歩み寄り、そこで影の様にひっそりと佇むだけだと分かっていたからだ。

 

 自身の理想とする異性が完璧な物として形に成ったとき、それまでの自身が遠くに行くかもしれない。ジュディアはそれを、悲しいとも苦しいとも思わない。

 なにせそれは、無意味な問いなのだ。人の理想は、願望の中にしかない。それは決して、形には成らない。願いは願いだ。

 完全な壁などない。どこかに、僅かばかりでも圭角は必ず在る。完璧な願望が現実を侵す事はほぼ――いや、無い。形として見てしまったものだけが、あぁなるのだ。

 

 ――幾人が、触れようか。

 

 触れてはならない物が、きっと在る。




一応、自分はド素人とは言え創作家です。ですので、本編以外での解答はやはり形に出来かねます。感想で、あれはこうでね、これはあぁでね、等と詳細に書きたくは無いのです。
どうしても疑問に思われたこと以外は、ある程度察していただければ、と思います。
こちらも、脳内とはいえ、プロットにしたがって書いておりますので。
とは言え、もやもやするなぁ、と思ったら是非どうぞ。ウェルカムで御座います。大歓迎です。僕個人では、見落とす事もありますので。

が、脳内は所詮脳内です。おいここなんか設定ちげぇ、かわってるじゃねぇか、まだあそこかゆいの? ってのがありましたら、どうぞご一報下さい。

追記
これだけでは文字が足りないと思いましたので。
まかべ様、土蜘蛛様、玉露3様、僕の至らない文章力、また遅々とした話の進め方で大変ご迷惑をおかけしました。今後もまた、お暇な時に眺めて、おや、と思った事等がございましたら、感想などでお願いいたします。ありがとうございました。


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14話

 軽くなった肩を揉みながら道を歩くと、所々で声が上がる。

 

「おや、バズさん。いい果物が入ったんだよ。今度持って行こうか?」

「いや、こっちから行かせて貰うよ」

「あぁ、バズ。おまえんとこの、ブレイスト。この前ギルドの受付嬢ナンパして、見事に玉砕してたぞ」

「またか、あいつは」

「お、久しぶりだな。今度また飲みに行くから、美味いの用意しておいてくれよ?」

「お前も、しっかり稼いでこいよ」

 

 掛けられる老若男女、それぞれの声にバズは無愛想な相ながら、どこか人好きする顔で応じていく。軽く手を挙げ、或いは肩を揺らし、ゆっくりと歩いていく彼に皆が好意的に接する。

 それを人柄、と言えば呆気ない物だが、その人柄が練られるまで、また人々に浸透するまでの時間や経緯を思えば、呆気なく済まされるべき物ではない。

 

 ――あぁ、昔は馬鹿ばっかやったもんだ。

 

 経験者が良く酒の席などで後輩達に語る、昔の悪い事自慢、等を、バズは好まない。結局それは自慢であり、自己満足だ。かつてあったそれを、その程度に語ってしまえるほどバズはまだ馬鹿話を過去の物にしたくはないのだ。

 

 ――もう現役を引いて何年にもなるってのになぁ。

 ただ、それも条件次第だ。例えば、昔の冒険者仲間達に会えば、やはり話の中心はそれになってしまうし、

 

「おー、バズじゃねーか。ひっさしぶりだなー、おい」

「……おぉ、なんだホイザー。また生きてやがったのか」

「おまえもな。んで、こんなとこでどうしたんだ?」

「あぁ、おやっさんとこに、ちょっと用事があってなぁ」

 昔の競争相手、そして現在の同業者に会えば。

 

 

  ○      ○      ○

 

 

「で、お前がよー、斧片手にアス公に一人で突っ込んだって聞いて、もう俺たちは大笑いしちまってよー。馬鹿じゃねーかって」

「あれはお前、新調した斧の調子みたくて突っ込んだら、誰も付いて来てなくて、一人になっちまってたんだよ」

「馬鹿やろー、ちゃんとその辺の事聞いてんだぞ、こっちはよー」

「……けッ。くだらねぇ事を耳に入れてやがるじゃねぇか」

 そうなってしまう。

 

 ホイザー。そうバズが呼んだ同じ年頃の男と、適当にあった飲食店に足を運び、二人は昼食を共にしていた。周囲にいる他の客達、特に鎧などに身を包んだ連中は、二人を見て驚き、そして遠巻きに黙って見つめている。

 そんな中、怪訝な相を浮かべた客の一人が、小声で同席に座る仲間に問いかけた。

 

「な、なぁ……なんでそんなにおっさん二人を見てるんだよ……誰なんだよ、あれ?」

「お、お前、知らないのかよ……?」

「……ゆ、有名な奴らなのか?」

「有名って言うか……お前、あの二人……鉄槌と疾風だぞ?」

 

 うぇッ。と上がった奇妙な声と、そのしっかりと聞こえていた会話に、バズとホイザーは苦笑いを浮かべた。昔、まだ冒険者として第一線に居た頃つけられた、懐かしい名だ。その馬鹿げた、今聞けば苦笑が相を覆う名に、あの頃の全てが詰まっているからだ。

 

「懐かしいな……俺が鉄槌で、お前が」

「疾風だったなー、まぁ、お前は確かに鉄槌だったよ。全力振りつーか」

 冒険者につく名は、大抵そのままの物が多い。全身を特注のフルプレートアーマーで覆った者等は城砦と呼ばれ、剣に優れた者は、戦い方で剣鬼、剣聖と呼ばれた。そんな一流の証である名を求める者が多い中、バズとホイザーはある共通点を有していた事から、特に有名である。

 

「別にほしかなかったけどなぁ」

「しらねーうちについてたな、そーいや」

 

 名を求めなかったのだ。そんな物はどうでも良かった。自身の成功を称える名など放って、彼らはただ走り、ただ戦い、ただ競い合った。同じチームに属する事も無かった二人は、鉄槌――前衛重戦士であるバズと、疾風――前衛双剣士であるホイザーは、その戦い方もチームも違うまま、何故か競い合うという仲になっていた。

 彼らのその戦闘スタイルに、いつしか名がつき誰もが称えたが、彼らは変わらぬままだった。

 前へ、前へ。相手より前へ。

 

 ホイザーがミノタウロスの上位種、アステリオス、さらにはその亜種、伝え聞いただけで相当の大物と分かるそれを単独撃破したと知った時など、バズは新調した片手斧を手に仲間の制止を振り切って迷宮へと突っ込んでいったほどだ。走りこんだところで、その亜種に優る亜種がそうそう居ないと分かっていながら、彼は気炎を吐いて突っ込んだのであるから、本当に馬鹿げた事だ。

 おまけにその新調した斧は、結局アステリオス亜種に出会えず、悔しさの余り何度も壁に向かって振り続け、折ってしまった。どうしょうもなく馬鹿であるが、そこにはやはり譲れない何かがあったのだ。

 とは言え。

 

「……しかしまさか、冒険者やめたあとも、競い合う事になるとは思わなかったな」

「あー……確かになぁー……」

 バズが今、『魔王の翼』亭の主であるように、ホイザーもまた宿屋兼酒場の主だ。この縁は、切れそうで切れない物なのだろう。バズはコップを手に取り、軽く呷る。ホイザーもそれに続く。

 同時にコップをテーブルに戻して、バズは今も競う相手に、聞いてみた。

 

「お前のところ、どうなんだ?」

「んー……まぁなんだ。おまえのとこに居たガイラムのチームが、ゴミ漁り共の面倒見てるなー」

「そうか」

 バズは腕を組んで頷き、ホイザーはそれを見て、悔しそうに顔を歪めた。

 

「俺は結局、お前にかてねーのかもなー……」

「なんでだ? ガイラムのチームは、今のトップだろうが」

「そのガイラムが元々居たのは、おまえのところじゃねーかよ」

 ガイラム、と呼ばれる冒険者は、現在の冒険者達の中でもトップクラスに座する一流だ。その冒険者は元バズの『魔王の翼』亭の客であり、言わばバズの弟子に近い。実際、バズはあれやこれやと教えたのものだ。

 

「……それでも、今はお前のところにいるんだろう? それは、勝ち負けじゃねぇだろ?」

「お前のそーゆーところがまた、勝ちたくなるところだっつーによ」

 ホイザーは言う口程には辛らつな顔もせず、苦笑交じりで返した。

 

 現在、ヴァスゲルドの中央部には四つの宿屋兼酒場がある。ホイザーの店はその四つの中では上から二つ目であり、一流と呼ばれるガイラムのチームを擁し、客層は親ガイラム派、そしてそれに教えを請うゴミ漁りだ。

 バズの店は四つの中では一番の小規模、一番の腕利きはヒューム達のチームであり、客層は中堅どころの冒険者達だ。

 共通点といえば、客が古い考え、『新人は育てる』というルールを守る者達であるという事だろう。ホイザーにしても、バズにしても、現役時代その教えを守り続けた者達だ。自然、通う客はその考え方に染まってしまうし、またその考え方に共感を覚えるからこそ、彼らはバズ達の店を選ぶ。

 そういった人間が集まる事から、一番過ごしやすいのがバズの店、二番目に過ごしやすいのがホイザーの店、となってしまった。だからこそ、バズの店には少女だけのチーム、おまけに男が苦手、等という変り種の冒険者も寄ってくる訳である。

 

「ってもなぁ……ホイザー、そろそろヒューム達もそっちに行くかもしれないから、その時は頼むぜ?」

「おまえなー……」

 現役時代に比べ、広くなった額に手をあて、嘆いて見せるホイザーにバズは笑った。バズにしても、ホイザーにしても、それは分かっていた事なのだから、これはじゃれあいだ。

 

 一流と呼ばれる冒険者は、大抵その冒険の中で自分の学んだ事に意味を持たせたがる。戦い方、迷宮へのもぐり方、武器の手入れ一つにしても、それは立派な知識だ。それらを、彼らは次に繋がねば、という意思を強く持つ。

 一流となれば、与えられる仕事は生半可なものではない。第一線の激戦区で戦い続ける事になったが故に、更に死へと近づく。せめて死ぬ前に、彼らは自身の学んだそれらを残さねばならない。義務ではない。それはただのルールだ。

 バズとホイザーが育てた彼らは、次へと続くまだ弱い新人達を、守りたいのだ。自分達が経験で覚えたそれらで。それ以上に、教えを与えてくれた偉大な先達と同じ場所に、自身の身を置きたいのだ。誇りたいのだ。在り方を。

 昔、バズ達にそれを教えてくれた冒険者達が居た。そしてバズ達は、それを後輩達に教えた。親と子、そんな血縁による繋がりではないそれは、文字通り命で繋がり、巡っていくこれこそが、古いルールを今も守る冒険者達の中に脈々と流れ続ける絆だ。誇りなのだ。

 

 覚えた事、学んだ事、意味を持たせたそれらを新人達に伝える為、一流となった彼らは新人達の屯する場所に向かっていく。その先が、つまりゴミ漁りの多く居るホイザーの店だ。

 

「しかし、ヒュームもそろそろ、か……じゃあ、次のお前のところの稼ぎ頭は、あのお嬢ちゃん達か?」

「ホイザー、分かってて聞いてるな?」

「まぁ、無理だわなー……」

 二人の脳裏に、お嬢ちゃん達、と呼ばれた少女達四人の姿が浮かぶ。

 

「武器に頼りすぎだ。エリィが崩れたら、全滅に近いだろう」

「あと、経験がなさ過ぎるか……ちょっとデカイのが来たら、固まって潰されるなー」

 

 ホイザーの言は、まさに事実である。彼女達は迷宮でキャノンボールに出会った際、固まった。絶望で思考を放棄し、喚き、諦めたのだ。ミレットとウィルナが現れなければ、まず間違いなく全滅――死んでいただろう。

 これがヒューム達なら、また違った筈だ。全滅という事実は覆らなくとも、彼らは生きる事を諦めず、全ての可能性を視野に入れて、あらゆる全てと戦い続けた筈だ。それが、彼女達とヒューム達の決定的な差でも在る。

 恵まれたが故に、彼女達は苦しむという経験を、自身達が苦しんだ、と思う程には積んでいない。

 

 バズとホイザーは、その後もなんとなく自分達の店にいる連中を、あぁだ、こうだ、等と冗談交じりで寸評し合い、ふと、ホイザーが思い出したような顔でバズに問うた。

 

「そーいやバズ。おまえのとこ、面白い新人雇ったって?」

「あー……」

 くるか、と思っていた言葉に、分かっていながらバズはこめかみを中指で掻きながら顔を顰めた。

 

「……なんだ、妙に気になる顔だなー、おい。なんか面倒な奴なのか?」

「ホイザー、お前どこまで知ってる?」

 バズの言葉に、ホイザーは軽く頷いてから応えた。

 

「妙に算術に強い、細い男だってのは聞いた。あとなんだ……リーヤが、なー」

 バズの店で偶に働く、そしてホイザーの店で宿をとる少女の名を口にして、続ける。

 

「えらくこう、ひ弱いって聞いたがよー? あとなんだ、名前がねーんだって?」

「まぁ、そんなもんだ」

「そんなもんかよ……お前はなんというか、現役引いても貧乏くじひくなぁー。んなモン拾い上げて、どうすんだよ? 雑用以外じゃ能無しじゃねーか」

 

 そのホイザーの、若干馬鹿にしたかのような声色に、バズは目を細めた。力を信奉する冒険者ならば、重視するのはどうしても強さだ。体力、精神、忍耐、そして生きて行くという強さを持たない人間に対して、侮蔑的に見てしまう事は、仕方ないのだろう。

 事実、バズの目から見ても男は脆弱すぎる。それでも、とバズは思うのだ。それだけで全てを決めてしまうには、あの男は余りに違いすぎるのだ、と。まるで違う生物だと言わんばかりの弱さと。必死に本を漁り、何かを探す姿に。美しいメイド二人に対して、拒絶的な態度で接する在り方と。

 だが、それとはまた別に、彼には我慢できない物が在る。目を細め、相手を射抜くように見てしまうほどに、我慢出来かねる物が、心の奥底にあるのだ。

 

「……かわんねーな。お前は。自分が馬鹿にされるより、誰かが馬鹿にされるのが、そんな嫌か?」

「分かってるなら、やるんじゃねぇよ。趣味が悪いぜ、それは」

 ふん、とそっぽ向くバズに、ホイザーは朗らかに笑った。肩を揺すって、面白くて仕方ない、といった感じで、だ。

「そーゆーお前だから、ガイラム達もお前の言うことを全部覚えて、おれんとこに来てゴミ漁りに物教えてるんだろうなー……こりゃ、現役通して、俺の負け越しかもしれねぇーや」

 

 目じりに浮かんだ涙を乱暴に手の甲で拭いながら、ホイザーは軽く言う。だが、その言葉は決して軽い物ではない。競い合った仲だ。共に、同じ時代を苦しみ、時に助け合った仲だ。次々と仲間を失っていく中、運よく残った同期だからこそ、嫌でも分かる。それは本当に敵わないと、心底から出た言葉だと、バズには分かってしまう。

 だから、彼は言うのだ。元競争相手で、現同業者に。

 

「だとしても、俺のとこから出てった奴らが、今もそうやって変わらないのは、お前のとこに居るからだろうが」

 ホイザーのそれが心底からの物なら、バズのこれも心底からの物だ。ホイザーはバズをじっと見つめ、自身の肩を二度三度叩いてバズから視線をずらし、軽く首を横に振って、広い額を叩いた。

 落ち着きの無いそんな仕草を終えてから、ホイザーはゆっくりとコップを掴み、バズの前まで持っていく。

 

「まー……なんだ、あいつらと、そのおまえんとこの新人に」

「……」

 バズは無言で、コップを掴みそれをホイザーのコップに軽くぶつけた。

 

「乾杯だ」

「お互いになー」

 

 コップの中を飲み干しながら、バズは思う。男にもこんな風に過去を語り合い、心底をぶつけ合ってもいい相手が傍に居れば良いと。

 だが、そのバズの思いはまったく無駄だ。

 

 彼は、男はただの異邦人だ。ここに、男の過去はない。奪われたのが名前なら、失ったのは男の傍にあった"当たり前"という全てだ。

 ここには、男の何もない。男が動いて創り上げない限り、何も無い。

 

 そして。

 創り上げても、潰され、奪われるのだ。迷宮の奥底で蠢く、何かに。



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15話

今回、特に残酷な描写があります。ご注意下さい。


「あぁ、ありゃない」

 ヒュームは疲労に侵された相を隠そうともせず、テーブルに突っ伏した。彼の仲間達も同様の相で、同じ様に突っ伏し、或いは肩を落としてだらしなく椅子の背にもたれ掛かる。

 

「なんだよ、あれはよ。情報じゃ朝型だったのに、昼になっても動き落ちなかったぞ?」

 銀色のプレートアーマーを着込んだまま突っ伏すヒュームの隣で、このチームにおけるサブリーダー役、中衛弓士のディスタが乱暴に頭を掻きながら零した。

 その言に、後衛図式魔術師のブレイストが続く。

「しかもあれ、モンスターじゃなかっただろ」

「あぁー……ありゃもうその辺の害獣だ。冒険者が狩るもんじゃねぇわー……」

 最後に、後衛治癒士ベルージが応え、皆黙り込んだ。

 

 場所は彼らがいつも屯する『魔王の翼』亭、なんとなくいつも囲むテーブルである。周囲には人影はなく、まだ他の冒険者達が迷宮で仕事中だということが分かる。

 それもその筈だ。今は陽も高い昼を少し過ぎた程度の時間であるのだから、普通の冒険者達なら罠やモンスターを警戒しながら、カンテラの光を頼りに薄暗い地下世界をゆっくりと歩いている頃である。

 朝の早くから出かけたが故に、ヒューム達は皆より早くに宿に戻った訳だが、それでもこれは大分早い帰還だ。予定なら、陽が沈むくらいに戻ってくる筈だったのだが――

 

「あぁくそ、ミックスのミックスって時点で、考慮すべきだったんだよなぁ」

「だな」

 ヒュームの愚痴に、ディスタが頷く。と、その彼らの耳に、近づいてくる足音が一つ。

 彼らは一瞬肩を震わせて、同時に同じ場所を見た。視線の先はカウンターの入り口。

 そこから出て、こちらに寄ってくる男の姿を、男一人だけの姿を見て、ヒュームは溜息を吐いた。

 失意、ではない。安堵の、だ。

 

「なんだよ……坊主か」

「……す、すいません? えーっと……ミレットとウィルナに代わりましょうか?」

 手にはトレイと、そこに置かれたコップ四つ。それを持ったままカウンターの奥に引き返そうとする男に、ベルージが慌てて待ったをかける。

 

「い、いや、いいって。いいから、いいからそのまま坊主が持ってきてくれって、な?」

「……あぁ、はい」

 その様子に、男は得心がいった様子で頷き、彼らのテーブルに近づいていく。

 手に持っていたトレイからコップを一つ一つ取り、彼らの前に置いて行く。今や聞かれる前に出てくるいつも通りのオーダー、今朝も頼んだそれらが、ヒューム達の前に置かれた。

 

 ヒュームは甘みの少ない苦いコーヒーを軽く口に含み、舌の上で数度転がしてから嚥下した。喉を少しばかり焼いて通っていくコーヒーは、彼好みのものだ。それが、疲労を払拭していく。

 ディスタも、ブレイストも、ベルージも。それぞれの飲料を嚥下してヒュームと同様の相を浮かべていた。

 人心地ついた、と思ったその時、男の声が彼らの耳を打った。

 

「ミックスってなんです?」

 好奇心と言うよりも、何かを知らねば生きていけない、といったゴミ漁りに似た表情で問う男の目を一瞥して、ヒュームはコップを手にしたまま目で笑いかけた。

 

「坊主は知りたがりだな」

「知りたがりっていうか……あぁ、まぁ、そんなもんです」

「勉強なんて俺はまったく興味なかったけどなぁ……まぁいいや、ミックスってのは――」

 

 迷宮には様々な種が存在する。虫型、獣型、半人型、ゴーレム型、死人型、そしてそれ以外。

 それらは実に多種多様に迷宮に散らばり、冒険者の前に立ちふさがり、そして彼らの生活の糧となる素材を落としていく。ゴーレム等は胃袋が無い為、中を割いても硬貨は出てこないが、それでも石人形である。素材が石、となれば、その石は鉱石を含んでいたり貴重石の原石、という事もあって、十分糧になる。

 その糧になる、一括りにモンスターと呼ばれるモノには、種が近い存在がそれなりに多く居る。普通はばらけて迷宮に点在するそれが、何故か固まっている場所などがあると、そこには混血種が生まれる。

 

「で、普通はその混血――ミックスは、なんでかその代で終わるんだよ」

 ヒュームの言葉を継いだディスタに、男はなるほどと頷いた。男が居た世界で見た、虎と獅子の属間雑種、ライガーなどは繁殖力のない一代限りの生き物だ。メスのライガー等は繁殖能力を持つ事もあるようだが、その子はやはり一代限りだった。基本的に続かない命なのだ、それは。

 

「けど、たまにやらかすんだよなぁ」

 ベルージが右手で顔を覆って天井を仰ぎ見る。

 

 それが、ミックスのミックス。新種の誕生だ。こうなると、親の情報などなんの意味もなさない。それは新しいモンスターなのだから、ミックスである親のように、どちらかの行動を真似ると言った事は少なく、独自の動きを見せる。集団戦を得意とするモノから、単独戦闘を得意とするモノが生まれれば、見た目こそ既存のモンスターに近いが、まったく別の動きを見せると言う初見殺しの誕生となってしまう。チーム編成、モンスターとの戦闘経験、それらが噛み合えば、全滅や脱落者を防げるかもしれないが、経験が不足した者達や、ゴミ漁りがそれにあたってしまえば、もうどうしようもない。

 それを防ぐ為に、それなりの腕を持つチームがまず情報を集める、というのがギルドの規定なのだが、

 

「まず大前提の情報が違いやがった」

 ヒュームは一旦そこで言葉を切り、手に持っていたコップを口元に運んだ。ゆっくりと、味わうようにコーヒーを嚥下してから、彼は続ける。

「ギルドの話じゃ、朝型って話だったんだ。だから朝に追い込んで、昼あたりに捕獲しようって話だったのに、あいつら昼でもピンピンしてやがってな」

「挙句なぁ……、坊主、信じられるかー? あいつら、逃げる際にダンジョンから出ようとしたんだぜー……?」

 未だ天井を仰ぎ見たままのベルージの言葉に、男は首を傾げる。

 

「……出ようとすることも、あるんじゃ――」

「いや、ねぇよ。出るわけがねぇんだよ」

 男の言葉を、ブレイストが強い口調で遮った。彼は口調そのままの勢いで大和の濁り茶が入ったコップを呷り、飲み終えてから長い息を吐いた。

 

「モンスターは迷宮を生息地にするからモンスターなんだよ。外に出たらそれは害獣だ。狩人の獲物なんだよ、それは」

 定義、なのだ。

 

 モンスターと呼ばれるそれは、ダンジョンの中で巡り回る生物であり、外に出るべきモノではない。人に害為すといっても、モンスターは怪物と呼ばれ害獣とは決して呼ばれない。

 逆に、外に住まう害獣はどれだけ人を襲おうが、食らおうが、怪物とは呼ばれない。いかにその爪が鋭かろうが、その牙が何者をも噛み砕こうが、ただの害獣だ。

 地下世界の中で巡り、冒険者の糧となり、迷宮で完結した命こそが怪物であり、陽の下で生息するモノは獣なのだ。そこには明確な差があるのだろうか。いや、迷宮の中だけで終わろうとする生物は、確かに獣とはまた違ったモノなのだろう。出られる筈の、出ても良い筈のそこから出てこないのだから、怪物達には怪物達の本能で定められたルールがあるのだ。

 

「あれはもう、モンスターじゃねぇ……ただの害獣だ」

 ヒュームは呟き、男を見た。そこには疲れたと語る相がある。

 彼らの言葉が正しいのであれば、それは彼らが命を賭けて戦う意味の無い存在だからだろう。

 それでも、彼らは、

 

「ま、なんだ。それはそれ、これはこれ、だな。また明日にでも潜って、調べて、捕獲して、んでギルドに報告だ」

「めんでー」

「言うなって。肩が重くなっちまう」

「まったくだ」

 笑った。命を賭けるべき存在ではないとしても、一度受けた仕事だ。敵の動きが予想の範疇に在ろうと無かろうと、彼らはやると決めたのだから、やるだけだ。

 放棄して誰かに任せようとは、思わない。

 そんな彼らを、眺める目が一つ。男だ。彼は笑貌の彼らを眩しそうに見ていた。

 ヒュームには、そんな相に思い当たるモノがある。迷宮からの帰り道、仲間達と馬鹿話をしながら歩く彼らの前で、ボールを蹴って遊んでいた子供達が、その動きを止めてじっとヒューム達を見つめていた時に浮かべていた相は、今男の顔にあるモノと同じだ。

 

 憧憬。羨望。

 

 ヒュームはだから、自身の顔の前で軽く手を振った。

「俺達なんてたいしたモンじゃない。そんな顔はな、坊主。バズさんにでも見せとけ。あの人はな、今じゃこんなちっさい店の主だが、昔はそりゃあ、馬鹿みたいにでっかい槌を振ってモンスターを文字通りぶっ飛ばしてたんだぜ?」

「あぁ、一回見たけど、あれすげーよなぁ」

「あの、なんか文字の書かれたあれだろ? あれなんて読むんだ?」

「お前は、娼婦口説く文字はかけても、他のはよめねーのかよ」

 げたげた、げらげらと笑う彼らは、しかし僅か一瞬で動きを止めた。

 

「こちら、タリサ様からで御座います」

「……」

 麗人のメイド二人が、豚串が十本ほど乗った皿を持ってきたからだ。

 迷宮で苦しい経験を積み重ね、情報もないモンスターもどきを相手に回して得物を振るう彼らとしても、このメイド達は未だに馴れない。

 おまけに、彼女達がやって来る気配を一切読めなった。中堅最強の一角としては、大失態である。そのうえ、話していた内容が内容だ。

 娼婦云々等という話を、この美しすぎるが故に人間的匂いの少ない、と言うよりは一切無い、無表情なメイド二人に聞かれた、と言うのは、彼らとしては酷く辛い。胃にずっしりと来るモノがある。二日酔いの後、無理矢理肉料理を詰め込んだ、位には重い。

 

 だが。だが、である。

 彼らは一流を前にした、中堅の中でも最も力を持つ冒険者チームだ。いつまでも、一週間の時を経て尚、ただ固まっている訳にはいかないのだ。

 斬らねばならぬ。斬って路を拓かねばならぬ。目の前の敵を斬って捨てれず、何が冒険者か。

 

「み、ミレットさん! 疲れた俺達になんかサービスを!!」

 いったった。

 椅子から腰を上げ、拳を握りこみ、いったった。的な顔で、鼻の穴を大きくひらいてむふー、と息を吐くブレイストを、ヒューム達は、なんでそんなこといったし、的な表情で冷たく見ていた。

 ブレイストの相は、実際ひどいドヤ顔である。こんなドヤ顔、そうないだろう。

 男はサービスってなんぞ、的な顔であったが、その背後に佇むメイド二人は、やはり表情筋が息をしていない常通りの相であった。

 しかし、ヒューム達には常通りの相に見えても、男から見れば少々違う。そこに思案の色が見えるのだ。

 ミレットは恭しく一礼してから男を真っ直ぐと見つめ、

 

「皆様がメイド的なサービスをお求めですが、よろしいでしょうか、旦那様」

 問うた。

 男は逡巡し、だからメイド的なサービスって何、といった顔のまま頷いた。

 頷いてしまった。まさに、しまった、だ。

「では、旦那様のお許しも得ましたので」

「……」

 メイド二人は男の背後から歩み出て、ヒューム達の前まで寄る。いつ間にか口内に溜まった唾を嚥下し、身を堅くして構える彼らの前で、荘厳にメイド二人が

 

「おいしくな~れ、おいしくな~れ、萌え萌えきゅきゅ~ん」

 

 少しばかり腰を曲げ、その腰の辺りで両の手をハート型に模し、佇んでいた。

 その前に、一回転したのは何故だろうか。少しばかり逸らし気味な貌はなんだろうか。しかも何故、それを表情筋を一切動かさぬままやったのだろうか。

 

 驚愕すべきその一連の意味不明な舞いに、ヒューム達は目を点にし、口を大きく開けて、唖然としたまま動かない。その姿に、男はさもあらんと重々しく頷いた。

 目の前でいきなりあんな、腐った動きをされれば、普通そうなる。かつてパソコンのモニター越しにそれを見た男も、彼らと同じ顔でポカーンとさせられたのだから。

 

「とりあえず、今後それ禁止な」

「如何様、今後は俺の前だけでやれという遠まわしな命令で御座いますね」

「違うに決まってるだろ。あとなんだ、そのいかさまって」

「なるほど、また、同意、の意で御座いますが」

 ちなみに、どうでも良いことであるが、この会話の最中もミレットとウィルナはポーズを取り続けていた。

 

 

  ○      ○      ○

 

 

 頭が痛い。頭が痛い。ただでさえ息苦しいというのに、あぁ、頭が痛い。

 

「旦那様、お薬を用意いたしますか? 生憎と、優しさが半分を占めている薬はご用意できませんが」

「……頭痛の原因が用意する薬ってのも、怖いな」

「旦那様にそこまで思われて居ようとは、このミレットの目をもってしても見抜けませなんだわで御座います」

「凄い無理矢理感」

 あぁ、息苦しい。息苦しい。せめて夜なら、せめていつもの眠る部屋なら、狭いあそこならこの息苦しさも、頭の痛さも消えるのに、まだ時間は昼だ。まだ、まだまだ昼だ。

 

 結局、あのままいらん場所をずっぱり切り開いて、意味不明な舞踊を見せられ再起動しないヒュームさん達を置いて、俺達はカウンターの奥、厨房に戻った。料理を作っていたタリサさんも、今はまた果実酒の仕込みに戻っている。あの人はあれを見ずに済んだのだろうか。いや、済んだと思いたい。思わせてくれ。

 

 ここには今、俺とあの酷い台詞とポーズを見せたメイド二人しか居ない。

 しかし、それにしたって、あれは酷い。本当に酷い。

 

「あぁ、畜生……これではっきりした」

 はっきりしてしまった。してしまったのだ。確実なモノとして。確固たる事実として。

 思えば、俺はおかしな事ばっかりで気付いてしまう。バズさんの計算に戸惑う姿で、ここが異世界だとはっきり理解できた。目も無い少女を、気持ち悪くとも、それ以上に綺麗だと感じた事で自分の違った所を認識させられた。

 そして今度はこれだ。

 

「お前ら……やっぱり俺のために用意されたんだな?」

 俺の言葉に、ウィルナとミレットは一礼してから応える。

「初めてお会いした際、お呼びによりまかり越しまして御座います、と」

 呼んだ覚えは無い。けれど、願ったのは事実だ。それでも、もしかしたらと思いたかった。それも、砕け散った。

 

「あんな馬鹿なサブカルメイドの真似、どこで覚えた?」

「旦那様に願われ、この形となった時、情報としてここに」

 ミレットは自身の、薄めの胸に手を当てて応える。大きすぎるのは趣味じゃない。小さすぎるのも趣味じゃない。が、細身が好みの俺は、この位が一番好きだ。大好きだ。

 

 あぁ、馬鹿め。あぁ、馬鹿め。何を供物に、何を願ったのか。あぁ、大馬鹿者め。

 それでも、これは剣と盾だ。どんな姿であろうと、どんな奇矯な言動をとろうと。

 

「お前らは、俺が元の場所に戻るための……そういったモノか?」

「……旦那様、剣と盾があれば、どの様にされると願ったので御座いましょうか?」

「……あぁ、馬鹿だ」

 それがあれば、今の俺より好きになれる。それがあれば、と、願ってしまった。本当にしまった、だ。俺は帰るために、それを願った訳じゃない。違うことを願ってしまった。

 

 しまった、だ。畜生。

 

 泣きそうな俺を、二人のメイドがどんな顔で見ていたかなんて、俺は知らない。いつも通りの無表情であればいいんだ。だから。だから頼む。

 二人の悲しそうな顔なんて、俺は見てないんだ。知らないんだ。

 

 それでも多分。いつか受け入れなくてはならない。俺の願いが、わがままが二人を作ってしまったのなら。大人になれなくても、子供をやめなくてはいけない。




いやぁ、残酷な描写()でしたね。


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16話

 ヴァスゲルド中央区の奥、狭く煩雑とした路の先に年季の入った建物がある。

 木造の一軒家。看板はどこにも無く、それがなんであるのか判然とさせない。朽ち果てた廃墟にしか見えないそこからは、しかし確かに音が響き、声が漏れている。

 それは鉄が鉄を打つ音と、鋼の様な声だ。そして、

 

「……なんだ、リーヤか」

「どもですおやっさん!」

 

 稀に若い少女の声も混じる。

 

 

  ○      ○      ○

 

 

 冒険者未満の冒険者、ゴミ漁りのリーヤはその日、この知る人ぞ知る、と言う店に顔を見せた。身に纏うはただのシャツ、皮製のベスト、同じく皮製のズボンだ。スカートを好まない彼女は、中古の安鎧を着込まない日は、大抵こんな服装である。

 

「今日はなんの用だ?」

「あぁいつものこれお願いします」

 リーヤは手に持っていた片手剣を鋼のような声の主に渡し、ポケットから小さな袋を取り出した。それも、と渡そうとする前に、おやっさんと呼ばれた男――いや、老人は首を横に振った。

「仕事が終わってからだ。待ってろ」

 声同様、余計な物等削ぎ落とした、と言わんばかりの態度だ。喧嘩っ早いリーヤにしてみれば、こんな態度を取られれば拳の一つでも見舞いしてやるのだが、流石に相手が相手である以上、大人しいものだ。なにせ相手は、

 

「すぐにやった方が良さそうだな」

「はい明日にも潜る予定なんで早めにお願いします!」

「……ふん。そこに座って待ってろ。すぐ打ち直してやる」

 

 バズに紹介された鍛冶屋だ。

 おやっさん、と呼ばれた老人は、リーヤが粗末な木製の椅子に座ったのを見てから、壁に立てかけてあった槌を手に取り、二度三度と振ってリーヤの剣を目を細めて眺める。

 

「……壁に何度かぶつけたな? 反りが無茶苦茶になっとるぞ」

「えー……そのなんといいますかわかるもんですか?」

「……ふん」

 

 リーヤの言葉に応えず、老人は確りと伸ばした背をゴミ漁りの少女の目に見せて、隣の部屋へと消えていった。

 老人とは言っても、その姿は実に矍鑠たる物だ。髪と髭はすべて白く、貌に刻まれた皺は亀裂のように深いが、腰はまったく曲がっておらず、腕などは丸太のように太い。流石にバズより二回り程小さい体格だが、それでもこの老人の顔から見る年齢を考慮すれば、十分すぎる体躯である。

 

 立て付けの悪い扉が閉じられ、数秒後、そこから聞こえてきたのは鉄が鉄を打つ音だ。

 リーヤは老人に渡す予定の小さな皮袋、中に入った硬貨の重さを確かめながら、溜息を吐いた。 少なくは無い金額だ。これだけの金額があれば、やり方によっては一日遊べる。洒落た服に興味などなくとも、彼女は結局未だ歳若い少女でしかない。剣を打ち直すよりも、遊びに時間と金銭を消費したいのは、仕方ない事だ。

 だが、打ち直す事に金銭を使う事もまた、冒険者として仕方ない事だった。

 

 武器――得物は冒険者の命だ。

 文字通り、命なのだ。迷宮を潜る際、何が彼ら彼女らを守るかといえば、仲間と得物だけだ。背を任せるに足る仲間は必要不可欠であり、その仲間と自身を守る為に必要な物は、信頼に足る得物である。

 手入れを怠ったが為に切れ味が落ち、それが故に仕留められたモンスターから反撃を受け、利き手や仲間を失うなど、決して在ってはならない。

 鎧等は自身でも油をさし、螺子を巻き凹みを叩けばどうにか出来るものだが、武器だけは自身の手だけでは不完全だ。それに自分の命、そして仲間の命を任せる事が出来るか、と自問すれば、諾と容易に頷ける筈も無い。まっとうな冒険者なら、頷ける筈が無い。

 だからこそ、リーヤの様な一日の上がりが少ないゴミ漁りであっても、少なくは無い金銭の消費は、仕方が無い事なのだ。

 

「とはいえこれがあれば美味い飯が食えるのになぁ」

 リーヤは額に手を当て、小さく息を吐いて周囲を見回した。ぼろい上に、広くは無い。むしろ狭い一室だ。

 その室内の壁に立てかけられた、また無造作に床へと置かれた、また棚に仕舞われたそれを目にして、

 

「……すげぇなぁやっぱ」

 目を輝かした。

 そこに在るのは、あの老人の手によって生み出された武器達、そして打ち直された得物達だ。冒険者の数だけそれがあるのなら、この一室にあるそれらは氷山の一角に過ぎない。

 それでも、ここには数多の武器が在り、その武器達に刻まれた多くの冒険者の日々が見えてくる。

 大振りの両手剣、豪快な片手斧、簡素な槍、美麗な片手剣。様々な得物達がそこにある。その中にぽつんと座る自身を、リーヤは恥じた。

 その得物を手にした冒険者達の日々――歴史を見たのなら、当然だろう。見たと勘違いしただけだとしても、見たと感じた事は事実だ。それらに囲まれ、美味いものが食いたいと言った自身は、その時点で恥ずべき存在だと彼女は思ったのだ。

 

 老人に手渡した片手剣を脳裏に浮かべ、リーヤは俯く。

 この中のどんな得物よりはっきりと劣る、その程度の物だ。だが、最初は誰もがその程度を手に持って冒険者になる。稀に、彼女の先輩であるエリィの様に、実家から優れた逸品を持ってくる者も居るが、やはり殆どは粗悪品から始まる。

 そして粗悪品はいつか折れ、次の得物を探す日がやって来る。その時、

 

 ――私はどんな武器を持つのかなぁ。あぁいやもしかしたら更に悪い物しか買えねーかも……でもやっぱ手にするなら……

 

 いつか自身も、こんな優れた得物を手にして迷宮へと赴くのか、と目を輝かせたまま周囲を見回してたリーヤの耳を、音が打った。扉の開く音だ。先程まで鳴り響いていた鉄の音も絶えている。

 もう終わったのか、と思い椅子から腰を上げた彼女の目に飛び込んできたのは、老人ではなく

 

「あら、リーヤじゃない」

「あジュディアさんどもです」

 この鍛冶屋の入り口で、少しばかり目を丸くして自身を見るジュディアに、リーヤは軽く会釈をした。

 周囲を見回しながら狭い一室へと入ってくるジュディアの姿を、彼女はなんとなく眺める。いつも通りのツインテールに、美少女然とした貌、そしてそれに良く似合った白いワンピースと、洒落た服装だ。腰にある小振りのナイフは護身用だろう。

 この町を歩く姿としては少々心許ない姿であるが、良く見ればワンピースの下は薄い皮製の肌着だ。美しく在りたい、と思うジュディアなりの装いなのだろう。

 

 しかし、得物も持たずに鍛冶屋になんの用事なのだろうか。リーヤは、まさか護身用のナイフを研ぎに来たのかと思いながら、口にして見る事にした。

「えーっと……ジュディアさんもおやっさんとこに武器の打ち直しをしに来たんですか?」

「私? あぁ違う違う」

 小さな顔の前で手を振るジュディアの姿を見て、リーヤは、おや、っと首を傾げた。そのリーヤのなんとも少女らしい姿に気付かず、ジュディアは苦笑を浮かべながら、

 

「なんか色々あったからさ、私もそろそろ武器を新調しようと思ってぶらぶらしてたんだけど、良いのが無くてねぇー、おやっさんに打って貰おうかなって――いや、あんたなんて顔してるのよ」

 やっと彼女の相に気付けたのだろう。きょとん、とした相から一変し、なんとも言えぬ、苦い物を口にしたようなリーヤの表情を双眸に映しながら、今度はジュディアが首を傾げる。

「あのジュディアさん気付いてますですか?」

「なによ? あとあんた、偶に言葉おかしいわよ?」

「いや私の事は兎も角として……ジュディアさん私って言ってますですよね?」

「……? 私の事なんだから私でしょ……? ん……あれ?」

 それがなんだ、と言った顔で応えるも、一転しておや? っとジュディアは腕を組んで俯き、自身の下唇を親指と人差し指で軽く掴んだ。

 ジュディアは、自身の事をジュディアと呼んでいた。リーヤはそう記憶している。しかし、今リーヤの前に居るジュディアは、自身を私と呼んでいた。

 リーヤの目の前でジュディアは数度下唇を揉み、小さく呻ってから顔を上げて口を開いた。

 

「……いつから?」

「いや私ここ一週間近くジュディアさんと会ってなかったんで知りませんけどもですね」

「……あぁ、最後に会ったの、もうそんな前かぁ」

 再び俯き、人差し指で額を叩き出したジュディアを、リーヤはただ眺める。二人が最後に会ったのは、バズの店でリーヤが仕事をした、名無しの男とリーヤが出会ったその日である。それ以降会っていないのだから、ジュディアの変化など分かる筈もない。

 

「まぁ、良いじゃない。私は私だし」

「まぁそうですよね」

 実際、どうにもならない話だ。気が向いたらエリー達に聞いてみれば良い事だし、と小さく零したジュディアは、首を軽く揉みながら周囲を見て、溜息を吐いた。何か疲れたような姿に、リーヤはなんとなく居心地の悪さを感じ、どうにかこの空気を払拭しようと試みた。

 

「あー……武器新調するってなにかあったんですですかね?」

「ですですってあんた……いや、なんて言うか、そのまぁ、ちょっと迷宮で変な事があって、多少無理しても良いの持ったほうがいいかなぁーって」

「なるほど……そういえば最近迷宮おかしいって話がありますよミックスのミックスが増えたとか私が泊まってるとこにいる……ガイラムさん達もなんかそこじゃ出会わない筈のモンスターを見たとか」

「……あれといいそれといい……どうなってるのよ、迷宮」

 リーヤの言葉に、ジュディアは心当たりがあるらしく、目を伏せて深い溜息を零した。

「……なんかありました?」

 リーヤのそれに、ジュディアは応えず、首を弱々しく横に振り、無理矢理常通りの相を作り、

 

「おやっさんは?」

「あっちです」

 未だ返答待ち、といった相のリーヤが指差した方向へと目を向けて、ジュディアは口をへの字に曲げた。次いで、鉄が鉄を打つ音が彼女達の耳に飛び込んでくる。先程まで、ジュディアが入ってきた辺りから鳴って居なかった音だ。恐らく、片手剣の様子を見ながら打っているのだろう。

 

「仕事中かぁ……長そう?」

「んー……私の片手剣を打ち直してる所ですからそう長くは無いんじゃないですかね? 正直数打ち以下の得物だから手間隙かからんでしょあれ」

「みんな最初はそんなモンよ。私だって最初はもう、酷いの持って迷宮に行ってたんだから」

 ジュディアがシニカルな笑みを浮かべて言い終わると同時に、音が再び止み、そして奥の一室へと続く扉が開かれた。

 当然、出てきたのは老人だ。彼はリーヤに歩み寄り、手に持っていた片手剣を無造作に突き出した。

 

「悪いモンでも、大事に使え。これはお前の今を語るモンだ」

「は、はい!!」

 恐縮して何度も頷き、突き出された片手剣を受け取るリーヤを一瞥してから、老人は肩を叩きながらジュディアを睨みつけた。

「で、お嬢ちゃんはなんの用だ?」

「相変わらず、私には冷たいわよね……おやっさん」

「ふん」

 老人は鼻で息を吐いて、ジュディアの腰辺りを見て舌打ちした。

 

「お嬢ちゃん、俺は鍛冶屋だ。得物を持つに相応しい者とそうでない者を区別するのは、仕方ない事だ」

 鋼のような声で、老人はそう言った。

 

 

  ○      ○      ○

 

 

 適当にあしらい、結局武器など売らず、頬を膨らませて大きく足を鳴らしながら出て行ったジュディアと、それを宥め、こちらに頭を下げて出て行ったリーヤを思い出しながら、老人は息を吐いた。

 時代が変わったのか、それとも自身が古いのか。

 ――あぁ、後者だ。

 

 自覚はあれど、それを変えようと老人は思わない。こうやって続けてきた。こうやって受け継いできた。その技術が、信念が、ジュディアの様な存在を認めさせない。

 昔、自身の師匠を、偏屈な頑固爺そのままだと笑った日々が、遠く懐かしい。

 過去を懐かしむほど老いてはいない、と老人は首を横に振り、気分を変えようと自身のお気に入りである銀製のパイプを懐から取り出し、くわえた。

 老いては居ないも何も、どう見ても老人である。あるが、老人であると自身ではまったく思っていないのがこの老人だ。いや、世の老人は殆どこれだ。

 自分で爺だ、なんだと言いながら、他人がそれを言うと顔を真っ赤にして怒る、またはへそ曲げる。扱いにくい事この上ない。だが、それも一種の愛嬌だろう。

 愛すべき老人が世に多く居ると思えば、偏屈も頑固もなんとか我慢できるものだ。

 

 そして、そのなんとか我慢している男が、パイプをくわえたばかりの老人が構える、廃墟同然の鍛冶屋へと入ってきた。

 

「おやっさん、生きてるか」

「……なんだ、馬鹿坊主」

 バズである。

 そのバズをして、筋骨隆々とした大男をして、この老人は馬鹿坊主と呼んだ。心底、そう思っているといった声音だ。

 

「馬鹿坊主ってな、おやっさん……俺ももういい歳なんだが」

「馬鹿は馬鹿だ。俺が新調してやった片手斧、お前どうした?」

「……」

 それを言われると、バズも弱い。なにせバズはそれを折ったのだ。しかも、新調したその日に。

「まぁ、んな事もあるさ」

「この馬鹿坊主が」

 老人からすれば、バズも坊主なのだろう。ゴミ漁りの頃から知っているのだから、いつまで経っても坊主扱いだ。もっとも、この老人からすれば、

 

「粗悪品の斧は嫌だ、もっと良いのが振りてぇ、ぴーぴー泣いてた馬鹿坊主が、今じゃ冒険者に教える立場か。ホイザーといい、お前といい……時代だな」

 この都市にいる冒険者、また元冒険者の殆どは坊主で小娘だ。

 

「いいじゃねぇか、時代。流れていくなら、進むんだろうさ」

「下がっていく馬鹿も居る」

 老人は、バズの腰を見た。そこには、大振りの片手斧がある。それを見て、老人はくわえていたパイプにポケットから取り出した煙草を詰め込み、火打石を近づけて数度打った。

 散った火花で火が灯り、パイプから煙が立ち上がっていく。

 天井へと消えていく煙を見届けて、老人はパイプを口から離した。

 

「最近じゃ、腰にまっとうな得物を帯びない馬鹿がいやがる。お前は、そんな風に教えてるのか?」

「昔ほど物騒じゃねぇさ、おやっさん。それぞれ、だ」

 そう言うバズの相は、口ほどに肯定的な物ではない。彼自身、思う事は在るのだろう。

 

「大和の剣士ほど、魂ってもん扱いで得物を大事にしろと言わん。だがな、馬鹿坊主」

 老人はバズを睨んだ。亀裂の入った相貌の奥で光る眼光は、かつて一流と称えられたバズでも身構えさせるほど強烈だ。

 

「信頼、信用、命、だ。そういった物の上に置いて、尚、得物だ。できねぇ奴は、冒険者じゃない」

 その言葉に、バズは頷く事しかできない。一つの武器に拘るのも良いだろう。だが、それが失われてもまた新しい武器を手に持って走ることが出来て当たり前だ。それが出来ないのなら、冒険者を続けるべきではない。

 そしてそれ以上に、

 

「馴染ませる事を怠るなんざ、ないぞ」

 手に、体に。日常を通じて、それは行うべき事だ。得物を腰に下げて歩くだけでも、身体の均衡は変わっていく。爪先から頭の天辺まで、武器と一体化してこそ見える世界がある。例え見えずとも、そうあろうとする事が行う者に自信を与えるのだ。安全かどうかなどは、一切問題ではない。そんな話ではないのだ。

 

「……とは言え、あんなモン得物にした馬鹿なお前には、関係ない話だな。忘れろ」

 パイプをくわえ、老人は大きく息を吸って、煙を吐き出す。バズはそんな老人を見ながら、頭をかいた。

「それと、お前のあれなら、もう終わってるから持って帰れ。やめてもまだ得物の面倒みるってのは……なんだ、相思相愛……か? ふん、俺は悪いとは思わんぞ」

 にやり、と笑う老人の相に、ますます弱った、と目を逸らして頭をかくバズを見て、

 

「そら、馬鹿坊主丸出しだ」

 呵々大笑した。



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17話

超難産でした。
何回書いては消して、書いては消して、を繰り返したか。


 ここじゃない。ここではない。

 

 毛づくろいしてくる"それ"を煩わしげに押しのけて、その影は立ち上がり、辺りを見回した。石造りの、薄暗い場所。じめじめとした空気が、毛に張り付いて気持ち悪いらしく、影は体を振った。毛づくろいされた毛はまた乱れたが、影は特に気にしなかった。

 再び近づき、毛づくろいしようとするそれを威嚇し、そして、石造りのそこに自身と同じ様な目をした者達を瞳に映し、影はなんとなく頷いた。

 

 行くべきだ。語る瞳に、問う瞳。どこへ?

 影は少しばかり逡巡し、ここではない場所へ。

 と唸った。

 

 ここじゃない。ここではない。

 ここは、そこは、違うのだ。

 

 

  ○      ○      ○

 

 

「いやぁこりゃ毎度ながらしんどいもんさね? で、おまえさん?」

 タリサは、仕込んでいた果実酒の匂いがしみ込んだ手のひらを、桶に張られた水で洗いながら、厨房で洗った皿を仕舞う男にいつも通りの口調で話しかけた。

 

「……はい?」

「随分とジュディアと仲良くなったもんさね? いや、ジュディアとも、かい?」

 狭い店で、狭い庭だ。窓なども開けっ放しなのだから、声はどうしたって漏れる。聞き耳を立てずとも、それなりの音量で言葉を交わせば、耳を塞ぎでもしない限りは簡単に聞き取れる。

 タリサは桶から手を離し、エプロンのポケットに入れていた小タオルを取り出して手を拭いながら、

 

「美少女だろう、ジュディア?」

 微笑んだ。

 

「……はぁ、まぁ」

 なんとも言えない、といった相の男を眺めて、タリサは小タオルをポケットに戻してからつばの狭い帽子を無造作に取って、頭をガリガリと掻いた。

「?」

 タリサの行動が、男にはさっぱり分からない。目で問う男を無視して、タリサは男の背の向こう、背後に在る者達を探る様に見つめた。

 男の背後に佇む麗人のメイド二人は、いつも通り無表情だ。その筈だ。その筈であるが――

 

「いや、ミレットさんもウィルナさんも、睨まないでほしいもんさね?」

「……これは失礼を」

 ミレットとウィルナ。男の背後二歩後ろに当然と侍るメイド二人は、目を伏せて一礼して見せる。男は何事かと思い振り返り、二人の顔を覗き込んだ。その双眸に攻撃的思惟は感じられない。

 だが、タリサは睨むな、と言い、メイド二人は頭を下げて謝罪した。

 つまり、この三人だけは理解していると言う事だ。

 

「えーっと?」

「いや、なんでもないさ? おまえさんが気にする事じゃないよ?」

「いや、でも」

 気になるのだろう。実際、男はこれまでメイド達二人の感情をある程度読む事が出来ていたのだ。それが今回に限り、読めない上に置いてけ堀だ。何か言い続けようとする男を再び無視して、タリサは厨房の棚を漁り始めた。

 

「……なにこの疎外感」

「ちやほやされたいのかい? だったらまず、私に手紙でも書いてみる事さね?」

「いや、それ前に聞いた娼婦の人との逢引方法ですよね?」

 チェシャ猫の笑みを男に見せて、タリサは頬に手を当ててしなを作った。髪はぼさぼさ、化粧っ気もないとは言えど、素材は十分美人の範疇にある女性である。その媚態はなかなかの物であったが、男の視界は、ばさり、と言う音と共に突如として暗転した。

 

「タリサ様、旦那様にはまだ早いと存じます。ご考慮頂ければ」

「ありゃー……だそうだよ、おまえさん?」

「いや、それ以前になにこの真っ暗な世界」

「ただいま姉さんがスカートを旦那様の頭部に引っ掛けて御座います」

「早いだろ、そのフェチズム溢れる世界は」

「因みに現在、姉さんが至極至福といった顔で旦那様の後ろに佇んで御座います」

「お前ら本当に気持ち悪いな?」

「いや、おまえさんも早くそれ払いのけなよ?」

 呆れを隠さぬタリサの声に、こうなったのは誰のせいだ、と胸中で愚痴りながら男が頭に掛かっていたメイド服のスカート部分を払いのけた。その行為によって乱れた髪を手ぐしで直すのは、その払いのけられたスカートの持ち主、ウィルナである。

 後ろからそれを為すウィルナの手を、男は先程のスカートと同じく払いのけようとして……やめた。

 

 ――まぁ、小さな事から受け入れていけば良いよなぁ。

 

 子供を止めると決めた。大人になれなくとも、近づこうと決めた。小さな一歩でも、歩く事に意味がある。しかし、一人頷く男のうなじに、熱い吐息が何度も、何度もかかる。

 誰の吐息であるかなど、問うまでもない。ミレットは今、タリサと男を遮るように前に出ているのだから、今後ろにいるには手ぐしで男の髪を整えているウィルナだけだ。

 振り返ろうとして、男はやめた。それには近づきたくないと決めた。

 

「こう言うのもマッチポンプと言うんだろうか」

「流石旦那様、博識で御座います」

「それが本気だから怖い」

 無表情、そしてしかめっ面。メイドと男の顔に浮かぶ相を見比べながら、タリサは棚をあさり続け

 

「あぁ、やっぱりさね?」

 動きを止めて口から零れた小さな呟きは、しかし誰の耳にも容易に届く。

「どうしたんです?」

「うーん……調理用の油が無いんだねぇ、これが?」

 脱いでいた帽子を被りなおし、小刻みに動かしながら丁度良いポジションはどこかと調整するタリサは、男を見つめてから、一つ頷きテーブルに足を向けた。そこでメモを一つ取り出し、ペンを走らせて、書き終えたそれを男へ向かって突き出す。

 

「お買い物、頼めるかい?」

「いや、まぁ良いですけれど」

 自身に突きつけられたメモを手にとって、男はそれを無造作に見て

「油だけじゃ?」

 そのびっしりと書かれた内容に少しばかり驚き、タリサへと諮る様な視線を向ける。

 

「ついでだよ? 一度に買い込んだ方が、安くなるもんさね?」

「……はぁ。いや、でもこれ」

 紙面一杯に書かれた内容である。それら全てを一人で運べるかと言えば、まず無理だ。なにせ男は非力である。目の前に居るタリサよりも、そして言うまでもなく、メイド二人よりも、だ。

 男手は今ここには自身しかいないのに、何故こうも肩身が狭いのかと男は嘆きそうになるが、そんな事をしても事態は好転しない。

 しないのであれば、認めるしかないのだが、このメイド達を外に出すのは、これが初めてだ。

 この店に人外的美貌のメイド二人が初めて来た時には、既に時間は遅かったのだから、外の人間に多く見られたという事はない筈である。だが、今回のこれは昼日中の行動だ。どうなってしまうか等、考えるまでも無く分かる事だ。

 見慣れた冒険者でさえ、固まり、これでは駄目だ、なんとかせねば、と考えた挙句、先程の萌え萌えきゅきゅ~ん、となった。いや、実際に馬鹿げた事を仕出かしたのはメイド二人であるのだが。

 

「とは言え、私はほら、果実酒は終わったけど、他の仕込みがまだ終わってないし?」

 それを言われると、男には返せる言葉がない。ファミレス経験者、と言えど、ファミレスの調理は基本的に本社から取り寄せたレトルトを袋から出して、焼く、煮る、炊く、あとはそれを添える、盛る、並べる、だけだ。この店の様に一から仕込むとなれば、男にはまだまだ無理な話である。味が変わった、落ちた、と非難されるのはタリサとバズなのだから、男にはどうする事も出来ない。

 だが、そうなると……

 

「まぁ、そういうこったねぇ? あぁ、それと、一応急な客も考えて一人は残しておいとくれよ?」

「……え、えぇー」

 男は、自身の前に佇むミレットと、ウィルナを強く意識した。こうなると、つまりこれしかない。背後に居たはずのウィルナが、ミレットの隣まで足を動かし、二人が並ぶ。

 

「さぁ、どっち」

「……」

 二人のメイドは、自身の慎ましい胸に手を置き、男に選択を迫る。どっちのメイドショーなどと言う言葉を脳裏に浮かべながら、男は額に手を当てて俯き、

「一週間……ここに篭らせとくってのが、まず無理だったんだよなぁ」

 いつかはそうなる。

 ならば、今日でも仕方ない。仕方ない事だ。

 男は自分にそう言い聞かせて、弱々しく頷いた。

 

「じゃあ――」

 

 顔を上げ、口を開き自身を映す男の双眸をじっと見つめながら、ウィルナとミレットは淡い相のまま佇んでいた。少なくとも、傍目にはその様に見えただろう。

 

 スカートを不安げに掴み、僅かばかり震える彼女達の手さえ見なければ。

 

 

  ○      ○      ○

 

 

「いやぁ、すまないねぇ?」

「いえ、ご配慮は結構で御座います」

 タリサの言葉に、残されたミレットは常通りの相で返す。そこには何も不満げな物は感じられない。だが、タリサはやはり、先程の言葉通りの申し訳なさそうな表情で、

 

「まさか、声が出せるって点で、ミレットさんを置いていくとはねぇ……?」

「流石旦那様で御座います」

 ミレットは湯の張った鍋に、適度に切り分けたジャガイモやニンジンを丁寧に落としながら応える。

 彼女は残された理由は、その声だ。

 美貌に相応しいだけの声を持つ彼女よりも、常に無口な

 

 ――と言うよりは、多分喋れないんだろうねぇ?

 

 ウィルナを男は選んだ。或いは、とタリサは思う。

 今回は姉であるウィルナを選んだだけだろう、と。ミレットも男を別とすれば、姉の顔を立てている様にタリサには思えたのだから、この選択は不味い物ではない。

 ……筈だったのだが。

 

「あぁ、これは酷く硬いニンジンで御座います」

 常より強く響く包丁の音は、なんであろうか。相も瞳も声も、全ていつも通りにしか見えなくとも、何かは強く訴えている。

 

 不満だ、と。

 

 しかし、これはタリサにとっても一つの機会だ。聞きたい事は山ほどあるが、特にこれだけは、と言う物がタリサには一つ在る。

 

「で、ミレットさん?」

「はい、なんで御座いましょう?」

「ミレットさんは、あの子をあのままでいさせてくれるんだろう?」

 理解できない言葉だろう。普通ならば。

 しかし、今タリサが問うた相手、ミレットは普通ではない。どう見ても、常識の範疇外の存在だ。

 彼女はゆっくりと、手に持っていた包丁をまな板に置き、タリサを双眸におさめた。そこに映り込んだタリサは、いつも通りの帽子姿で、化粧もしないずぼらなものだ。

 その瞳に、余りに鮮明と映る自身を、鏡を見つめているような気分になりながら、タリサは言葉を続けた。

 

「あの子が馬鹿やって、偶に愚痴って……ひび割れた声なんて出さない様に、してくれるんだろう?」

 初めてタリサが男と出会い、部屋まで案内する時に聞いたあの声を、タリサはもう二度と聞きたくは無い。まだ若い男が、出すべき軋みではないと、心底思ったのだ。

 その為に、必要な物をタリサはウィルナとミレットに見た。見たつもりだ。男の傍に常にある違和感、それを埋める何かを。

 

 ミレットは、タリサのその言葉に目を閉じ、一礼した。

 

「この身は剣。旦那様の為ならば、あらゆる全てを斬るだけで御座います」

 回答は、得られない。いや、これもミレットなりの回答だったのだろう。

 ただ、タリサには分からないだけだ。不思議と、はぐらかされたとも、見当違いの回答をされたとも、彼女は思わなかった。

 いつか理解できるかもしれない、と敢えて楽観的に考え、タリサは帽子を脱いで頭を掻いた。




……あ、あれ? 一話伸びた……


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18話

前回区切りが良いからここで区切ろう、とかやったら今回泣き入ったでござる。
流石俺。


 戦後、もっとも復興の早かった場所といえば、マーケットと呼ばれた物である。

 闇市、と言っても良いだろう。それは人の集まりが多そうな拓かれた場所で勝手に生まれた。誰が認可したわけでもない。無許可に、無認可のまま、広がった。

 何せあの時代、この土地は俺の土地でした、といえばある程度通ってしまった無茶な時代だ。

誰の土地だとか、どこの土地だとかは一切関係ない。本当に勝手にやって勝手に生まれたらしい。

 一人が露店を広げれば、誰かも真似し、その露店はいつしか薄い板で区切り店となり、そこを占領してまた客を呼び……そうした事を皆が繰り返すうちに、マーケットが出来たがったのである。

 戦後の混乱期だ。警察や国は碌に動けず、また一般市民は見てみぬ振りをして、結局は物が集まるそこを利用した。そうなれば、当然拡大の一途を辿り、出来上がったマーケットは更に無秩序に広がって迷宮の様な物になってしまったのである。

 数年後、警察が踏み込んだ際には、本当に道に迷ったと言うのだから、相当ひどかったのだろう。

 さて、何故今、戦後日本のマーケット――その中でも特に酷かった闇市を語っているかと言うと。

 

「……」

「いや、なんで俺の手を握るんだよ」

「……」

「迷子になりそうだから? 大丈夫だって。俺ここには何度も来てるから、お前が迷っても」

 言葉を待たず、首を横に振るウィルナに、あぁこの野郎とこめかみを刺激された。

「俺が迷子になるのか?」

「……」

 頷かれた。

 

 あぁ、さて。つまりマーケットの話なんぞを出したのは、こういう事なのだ。現在、俺とウィルナは、そのマーケットに優るとも劣らない場所に居る。

 そういう事なのだ。

 

 ヴァスゲルド中央区。その中央区の外れ、一つの迷宮の近くに在る商店地区だ。

 どこか混沌とした狭い路、立ち並ぶ店で値切る客、値切らせまいとする店員。道の端で近況を面白おかしく口にする中年のおばさん、それを聞きながら一喜一憂する老婆。退屈そうな子供と、店に並ぶ果実を物欲しそうに眺める幼児。引退して店を子に任し、自身は店の前に置かれた椅子に座り路行く人々を見ながら欠伸をする老人。

 

 それが、俺の良く知るここだった。買出しに何度か出ているのだから、庭とは呼べないまでも馴染みのある場所だと胸を張って言える。言えるのだが、なんだろうか、この違和感は。

 あぁいや、いい。やっぱり無理だ。無茶だ。分かっていた事じゃないか。

 俺は手を握ったままのウィルナを無視して、周辺に目を走らせた。構えず、さらっと、だ。

 

 皆が皆、黙ったまま一点――ウィルナを見つめている。でっかい口をあけて、目を点にして。

 

 あぁ畜生と思いながら、今度は耳を澄ましてみる。

 いつもの喧騒なんて、どこにもありはしない。まったくの無音で、無声だ。人の絶えたゴーストタウンだって、もっと何か音がする筈だ、きっと。

 肩を落として、俺は左手を優しく包み込む手の持ち主、ウィルナを恨めがましくちょっと上目遣いで睨んでみた。

 

「……」

 お返しとばかりに上目遣いで見つめられた。頬がちょっと上気しててかなり疲れる光景だったいやなんでこんな場所で、衆人環視の中でニッチな睨めっこをするんだこの野郎。

「……」

 先にやったのは俺だと? お前それはいやなんでこんな意思の疎通が、っていうかこれ意思の疎通ってレベルか?

 

 ……いかん。駄目だ、やっぱこっちも駄目だ。ミレットも大概駄目だと思ったが、姉の方も大概あれだ。まぁスカートで目を隠してくる時点で相当あれなんだが。

 望んで、願って。その結果生まれた物だと分かっていても、目の前に居るのは者だ。

 物じゃない。盾じゃない。ウィルナと言う名のメイドだ。俺の理想を正確に形にした女性だ。どうしたって、直視するときついものがある。

 

 俺はウィルナから強引に目を離し、空いている手でメモを懐から取り出して見た。

 最初の買い物は、一番最初に無いとタリサさんが口にしていた油にしよう。そう思って、未だ離せないままの手に、力を込めた。

「……」

 ウィルナは、黙って付いてくる。エリザヴェータの時は、どうだっただろうか。その手のぬくもりに甘え切れないと、小柄で、実際は兎も角、自身よりか弱く見える姿に寄りかかれないと感じた。

 けれど、どうだろうか。ウィルナなら、どうなのだろうか。

 子供なら、甘えても良いのだろうか。大人なら、逆に支えてやるべきなのだろうか。

 でも、それは何か違う、どちらも、何かが違う。俺が中途半端って事を踏まえても、それは何か違う。絶対に。でも、分からない。

 

「わかんねぇー……」

 空で燦々と輝く太陽を仰ぎ見ながら、勝手に零れた呟きはどうにも自分の声らしくない。他人の声のようだ。

 

「あぁ、なるほど……それでここが静かなのか」

 声が一つ、耳を打った。聞きなれた太い声だ。正面に視線を戻すと、そこには店を出た時と同じで、やたらとでかい荷物を担いだバズさんが居た。

 

 

  ○      ○      ○

 

 

 道に足を向けると、常にある喧騒が無かった。

 そこは商店区画である。いつもなら耳を塞ぎたいほどのざわめきが在るのだが、今日に限ってそれが綺麗さっぱりないのだ。

 バズは鍛冶屋の老人に一時預け、今また自身の手元に戻ってきたそれを抱えたまま、道を進んでいく。

 道行く人々をなんとはなしに眺めていると、ある事に彼は気付いた。

 

 ――全員、同じ方向に向いて、間抜け面してやがるな。

 

 ならばそれを見るのも一興だ、と彼は足を進め……そして視界にそれを拾った。拾った瞬間、あぁ、と納得した。であれば、こうなるだろうと。

 彼は歩を少しばかり早め、この静寂の元凶の傍へと寄っていく。厳密には元凶の横に居る、ひ弱そうな男の方に、だ。

 そして陽を仰ぎ見ている男に、バズは声を掛けた。

 

「あぁ、なるほど……それでここが静かなのか」

「……バズさん?」

「おう」

 バズは鷹揚に頷くと、次いで、にやりと笑った。常通りの男臭い笑みだ。つい先程、鍛冶屋の老人に見せた困惑の相とは似ても似つかない物である。

 

「なんだ、店をタリサとミレットに任せて、坊主、ウィルナと逢引か?」

 小指を立てて楽しげに笑うバズに、男は頭を抱えて項垂れた。

「いや、違いますし……っていうか、なんでジェスチャーまで共通なんだよ……」

「なんだ、違うのか。楽しげに手を繋いでるから、俺はてっきり」

 バズのその言葉に、男は瞼をしぱたかせた。それから、ゆっくりと自身の手に視線を落として、十秒ほど固まり、肩を落としてゆっくりと手を離した。

 手を離されたウィルナは、暫くの間自身の手のひらと、離された男の手のひらをじっと見つめ、手を前で組んで、いつも通り男の背後に佇む。影を踏まぬよう、少しばかり離れた所に立ったウィルナを見て、バズは、

 

 ――こいつらのこう言う所が、よく分からん。

 と胸の中だけで呟いた。

 バズ自身、若い頃はそれなりに女性との関係があった。今は完全にフリーだが、その気になれば引く手数多だ。何せ彼は元一流の冒険者で、一応の店持ちである。結婚を前提として付き合うとしても、悪い物件ではない。

 この年頃であれば、触れたのなんだのでまだ騒げる頃だ。プラトニックに行くにしても、貪欲に行くにしても、もっと色々あるとバズは自身の経験から思うのだが、この男はどうも無関心な部分がある。

 高い算術を持つ自分自身の価値や、女性に対しての態度が、酷く淡白ではないか。

 バズは一旦担いでいた荷物を地面に置き、男の肩に手を置いた。そのまま、ウィルナに来るな、と目で訴え少しはなれたところに男を引っ張り込んだ。

 

「止めてください、マッチョは趣味じゃないんです」

「このまま首絞めるぞお前」

 なにやら本気でそう言ってくる男にバズは割りと本気で脅し、随分と馴染んだもんだ、と思いながら一つ溜息を零して小さな声で呟いた。

 

「お前はあれか……その、男の部分が不能なのか?」

「いきなり直球ですかそうですか」

「いやお前……タリサと一緒の部屋で寝てても、あれなんだろう?」

「手出したら大変な目にあうって脅しましたよねバズさん?」

 確かにそうだ。もっとも、そんな事を仕出かせばバズが殴り飛ばすより先に、タリサが男の急所を握りつぶしてしまうだろう。

 が、若い男のあれは理性と別の場所にある物だ。感情さえ飲み込んでしまう事もある厄介な物であるというのに、いったいぜんたい、この男はどうなっているのかとバズは不安を覚える。

 

 だが、それはバズから見れば、だ。

 帰る事を諦めていない男からすれば、ここに多くを残すつもりは最初から無い。理不尽に、気付けば男はここに居た。名前さえ奪われて。根っこが無い時点で人として不完全な上に、残るつもりなどさらさら無いのだから、残していく物を多く作るつもりは男に無い。今はまだ、帰る術が無いだけだ。今は。

 それだけの事だ。

 事情を知らぬバズからすれば、男のこれは酷く奇異だろう。だが、両者の視点で見ていれば然程に奇異な物ではない。

 

 この世界だけで生きるバズに、それを分かれというのは酷な事だろう。この世界以外、もう一つ世界を見て行動しろなどと、常識で見れば狂人の言い分だ。

 が、それはそれとして、バズにはもう一つ言いたい事が在る。

 

「お前、マッチョが嫌いなんだな?」

「はい」

「……じゃあ、なんでエリィが好きなんだ?」

 狭い店だ。そこそこの時間を共に過ごすだけでも、情報と言うのは耳に入ってくる。当然、男の言動もだ。

 バズの目から見れば、エリィは確かにそれなりの物だが、例えば同じ宿にいるジュディアや、更に言えば今バズと男をじっと見つめる赤い瞳のメイド――ウィルナと、その妹であるミレットと比べられるだけの美貌は持ち得ていない。

 

 バズの問いに、男は特に迷うことも無く、あっさりと応えた。

「いや、綺麗でしょ?」

「……好きじゃなく?」

「綺麗でしょ?」

「お前……」

 バズは男の肩から手を離して地に置いた荷物へと近づき、それを拾い上げ担ぎなおした。バズの中で一つの、もしや、という思いが生まれる。だから彼は、担いだ荷物、それを巻く布を片手で器用に剥ぎ取り、男に見せようとして――

 

 悲鳴にならぬ悲鳴を聞いた。

 

 

  ○      ○      ○

 

 

 ここだ。ここだ。

 ここだ。これだ。

 

 暗い石畳は前と後ろの足があれ程痛かったのに、ここは違うとそれは喜んだ。

 全力で駆け、明るい世界がある事にそれは喜んだ。

 それは得た。得たのだ。ならば次は、この空腹だ。

 自身について来る仲間達に唸りながら命令を下し、それは餌を求めて――商店区画へと入った。

 

  ○      ○      ○

 

 

 その狭い道に居た人々が、我先にと逃げ惑い、残されたのは数人だけだ。

 踏み荒らされた地面から立ち上る土煙の向こう、バズの目に飛び込むは疾走する獣達だ。彼が現役時代蹴散らしたモンスターとの類似点が多々散見される獣だ。

 大型犬よりも遥かに大きく、虎や獅子ほどの体躯を持つとなれば、ただの獣だと黙って見ていられる訳が無い。太陽の下を駆けるなら、その存在は害獣だ。モンスター退治のエキスパートである冒険者、いや、元冒険者の出番ではない。しかし、だがしかし。

 

「お前らは、何と言うか……不運だな、おい」

 バズのその言葉を待っていたわけでは無いだろう。だが、残っていた数人のうち、何人かはその言葉と共に踏み出した。腰に帯びた得物を抜き払い、獣達に向かっていくのは、偶然ここに居た冒険者達だ。彼らの初撃を見届けてから、バズはゆっくりと男の居た方向へと目だけ動かした。どうせ腰を抜かしているのだろう、と思ったが、

 

「……ウィルナ」

 男は震える体を自身の両手で抱きしめて、どうにか立っていた。青い顔をしたまま、いつの間にか自身の傍に佇むウィルナを真っ直ぐに、その瞳だけは震わせず見つめ、彼女の名を口にしていた。

 名を呼ばれたウィルナが無言のまま頷き、軽く両の手を振った時――バズは見てしまった。赤の奔流を、朱の瀑布を。一瞬だけバズの網膜を焼いた、その破滅の煌きを。

 バズが驚きに瞬きした瞬間、それは消えて黒く巨大な二つの盾と化しウィルナの手に在った。なるほどと彼は唾を飲み込んだ。ジュディア達は正しかったのだろう。

 だが、とバズは思う。巨大な黒い盾と言うが、ただの黒か、と。

 その盾には、亀裂の様な模様が幾つも走っている。人の動脈が如く、太く、細く、短く、長く、だ。その亀裂は紅で、時折金に紅にと明滅しているのだから、ただの巨大で黒い盾である訳が無い。

 

 魔法を付与された武具を、彼は多く知っている。見ている。触れさえした。だが、あれほどに、あぁも禍々しい物を、バズは見た事が無い。すでに終えた冒険者時代を通じて、聞いた事すらない。

 ウィルナの盾から目を離さぬバズの視界に、男へと牙を剥いて走ってゆく獣が二匹、入った。この場に置いて一番弱い者を的確に見抜いたのだ。所詮、所詮は盾だ。それは守る物で、いかに禍々しかろうと得物ではない。青い顔の男は怯えた顔のまま、それでも逃げ出さずその場に立つだけだ。いや、逃げるという選択肢すら恐怖が奪ったのか。布を剥ぎ取った自身の得物を掴みなおし、バズが男へと駆け寄るよりも先に――

 

 獣が二匹、宙へと浮いた。

 

 応戦する冒険者達が、そしてバズが、牙を剥き、爪を立てる獣達さえもが、それを見てしまった。左手の巨大な盾を突き出したウィルナが、音も無く飛び上がり。

 そして、右手の盾を音も無く一瞬で突き出して、宙に浮いていた獣達を肉片へと変えた。殴って浮かし、飛び上がりもう一度殴った。振り回すのも困難だろう、巨大な盾二つで。

 それを為した褐色のメイドは、巨大な盾を二つ持っていると言うのに、なんら動作に異常なく悠然と地に降り、返り血一つ滴らぬ美貌になんの相も浮かべず、男の傍で周囲を見るだけだ。次は誰だ、と。

 そんな物を見て、バズは身を震わせた。

 

 馬鹿馬鹿しい。幾らなんでも限度がある。大概にしろ。完璧にも程がある。

 怒鳴りだしたい筈の感情は、しかし全く違った感情で口から出た。

 

「は……ッ! はははは――ははははははははははッ!!」

 今しがた獣を肉片へと変えたばかりの場にそぐわぬ、野太い笑い声だ。残った冒険者達が防具もまとわず、得物だけを手に戦う一種の戦場だ。

 その中で、バズは大きな声で笑い、笑い続けて――それを振った。

 

 肉の潰れる音と共に文字通り散った仲間の死に理解が追いつかず、呆然としていた獣が二匹、吹き飛んだ。

 ウィルナ程ではない。それは人外の力ではない。それでも、一際輝いた力だった。

 振ったそれを再び肩に担ぎなおし、バズは叫んだ。

「よぉーし! 残った馬鹿共! 全員突撃だ!! メイドのお嬢ちゃんに負けるんじゃねぇぞ!!」

 バズの声に冒険者達が力強く頷き、手に持っていた得物を振り上げた。

 その姿を見ながら、男はウィルナに頷いた。ウィルナは一礼してから、腕をゆっくりと振り、盾を跡形も無く消した。

 そうだ、ここからは彼らの時間だ。彼らの戦場だ。そこが狭い道だろうと、戦うべき相手が本来の者で無いとしても、ここから先は部外者が汚すべき場所ではない。

 

 そして獣達は。

 獣達は、何故、どうして、自分達はここにきたのだろうか、と考えながら。確実に潰されていった。

 外はこんなに明るいのに、あそことは違って、確かに生き易いと思ったのに、何故だろうと思いながら。

 遠くで、母と父があの暗いじめじめとした場所で遠吠えしているような、そんな錯覚を感じ、自身も吼えねばと頭を上げ――モンスターになれなかった混血の混血は、振り下ろされた巨大な鉄槌によって地面にこびり付いた。

 

 

  ○      ○      ○

 

 

 遠い昔、いや、さほど昔ではないかもしれない。兎に角昔だ。ある男が、迷宮で一つに武器に出会った。馬鹿みたいに大きい、馬鹿みたいに重い鉄槌だった。迷宮であれば珍しい物ではない。人に適さぬ大きさならば、それは死したモンスターの得物がそこに転がっているだけのことだ。だが、男はそこに見てしまった。薄暗い世界を、カンテラで照らし、見てしまった。

 鉄槌には、言葉が一つ彫り込まれていた。

 

『いくたりがふれようか』

 

 馬鹿にするなと、男は憤った。馬鹿にするなと、男は叫んだ。その日から、男はそれを振る毎日だった。碌に振れた物ではない得物だ。巨大すぎるが故に目測を誤り、仲間を殺しそうになった。一度振るたびに均衡を崩し、転がりそうになった。持って歩くだけで、息が切れた。

 それでも男は――バズは振り続けた。自身についた名は『鉄槌』。

 ならばこれこそ振るべきだと言い聞かせて、振り続けた。振れると信じ続けた。いい加減諦めろという競争相手や、仲間を無視して彼は振り続けて、そして――

 

 彼は誰からも『鉄槌』と呼ばれる男になった。

 

 

  ○      ○      ○

 

 

 血に塗れ、肉片がこびり付いた巨大な鉄槌を手に、バズは笑った。もはや周囲に生きた獣はなく、全てが処理された後だ。

 獣達が迷い込み、それを冒険者達が退治した商店区画の一画は狭いと思えた路であったが、人々の少なくなった今、それなりに広く見える。普段、いかに多くの人が屯しているか、という事だ。そして、周囲にある多くの店は――破壊されていた。

 当然だ。人と獣が得物を手にして戦ったのだ。戦場と化したそこが、形も変わらず残るわけが無い。店の主達は己が店の惨状に立ち竦み、或いは肩を震わせて嘆くかもしれないが、自身は無事だったのだから、それで良しと思うより他ない。獣を退治した冒険者達やバズには、殲滅した功こそあれ、責められる謂れは無い。

 その中心部で得物を手にして立つバズの笑みは。

 凄惨に見えてもおかしくないその相は、どこか子供の様な無垢な彩がある。

 腕を上げ、残っていた冒険者達が互いの手を打ち鳴らし、背を叩く。そんな中、バズに近づく人影が二つあった。

 男と、ウィルナだ。

 男はバズ、と言うよりは、バズの手に在る鉄槌だけをじっと見つめて、足を進めていた。その姿に、バズはやっぱりか、と頷いた。だとしたら、バズにはある程度理解できる。その思考は除外して、だが。

 バズは近づいてくる男に、

 

「お前は、まっとうな冒険者ってのが綺麗に見えるんだな?」

「……」

 男はそれに応えない。だが、それは一つの応えだ。

 

 思えば、男がエリィ達を別とすれば一早く馴染んだヒューム達は、その手の人間達だ。他にも、ジュディアに対して特に興味を抱かないのは、彼女が冒険者であるよりも、美貌を維持しようとして冒険者の枠から外れているからだ。そして最後に……エリィは典型的な、迷宮を行くまっとうな冒険者だ。鎧も、武器も、妥協しない。見栄えなんて後で、性能重視だ。その結果、細くは在れど、年頃の少女らしからぬ鍛えられた体を得る事になってしまったが、それはさぞ、男にとって価値在る物に見えた事だろう。

 

 男の目には、迷宮と冒険者、それらがバズとはまた違った見え方をしているのかもしれない。

 その思考回路がどの様にしてそれらの区別を行っているのか、バズにはさっぱり分からないが、それだけは理解できた。

 名前が無い事が原因のだろうか。それとも、それ以外だろうか。

 バズには分からない。そして、これはバズが出しただけの答えだ。理解したと勘違いしているだけの可能性もある。

 結局は、そうなのだ。

 バズは男から自身の得物へと視線を移し、目を伏せて小さく笑った。

 振るしかない。思えば、それさえ勘違いだ。いくたりがふれようか、などと彫られていても、それはまた別の意味であったかもしれないのに、バズは振り続けた。

 

 触れなければ、分からない。触れ続けて、やっと見える何かが在る。得物も、人も。

 

 バズは得物を担ぎ、足を自身の店へと向けた。振り返らず、

「さて、帰るか」

「あー……いや、バズさん」

 バズのその言葉に、未だ顔色の悪い男は首を小さく横に振った。その手には、メモが在る。

 

「買い物、まだ全然で」

「……しまらねぇな」

 バズの言葉に、ウィルナが一礼した。

 

 

 ■ おまけ

 

 

 そして、買い物を終えた男達を待っていたのは、場末の酒場的なバズの店であり、その従業員である何やら疲れた顔のタリサと、淡い相のミレットと――

 

「今朝方見せましたテーブルセット、試作としてテーブルの一つに施して御座います」

「……」

「……」

「……」

 上品な花柄のテーブルクロスをまとい、洒落たティーカップ等が置かれた一つのテーブルだった。言うまでも無いだろうが、他のテーブルはいつも通りである。

 ウィルナは兎も角、男もバズも無言である。

 

「ここに座った方には、メイド的なサービスも思案中で御座いますが。ちなみに今回はツンデレ喫茶風にやらかしてみたいと思っております」

「いや、誰得なんだ」

「ミレットさん! 俺そこに座るよ!! つんでれとか分かんないけど、座るよッ!!」

「ブレイストさんェ……」

「ごめんな……うちの仲間が、ほんとごめんな……」

 謝りたおす涙目のヒュームの姿が、そこにあった。




商店区画は犠牲になったのだ。

それはそうと、実は今回はじめての予約投稿でした。

と、"いくたりがふれよう"かはこの世界の、解釈が変われば違った意味になる言葉、だと思っていただければ。英語とかにもそんなのありましたっけかね?
古代中国の詩文で、そんなのは目にした覚えはあるんですが……英語圏はさっぱりです。日本語圏もさっぱりですが。えぇ、生まれも育ちも日本ですがなにか?

次の章は、少し時間が空くかもしれません。
飽く迄、かも、ですが。

追記
書いてた筈の文章が抜けてたんで、追加。戦った後の店の惨状等。


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紅は染まって
19話


「……ん」

 唇から枯れた声が漏れた。眠っていた間に失われた水分が、声から潤いを奪ったのだ。

 タリサはゆっくりとシーツを払い、軽く背伸びをしてうなじを手の甲で叩いた。窓へと目を移し、まだ陽が出ていない事を確認して、欠伸を零す。次いで、ベッドの横に在る、寝る前に用意した服に手を伸ばして……隣のベッドを見た。

 早朝の薄暗い室内でも、シーツに包まり未だ起きる気配を見せない男の、そののんきな……いや、幸せそうな顔はよく見える。

 常はどこか思考に埋もれがちで、腰の定まらない気弱な相ばかり見せるのに、寝顔はこうも安穏とした物だ。

 

 ――それにしたって、ねぇ?

 

 すぐ傍に女が居るのに、この男は安穏とした寝顔を浮かべている。それはどうなのだ、とタリサは思わないでもない。ないが、手を出したら、と脅したのも彼女だ。

 それでも、歳若い男がこれでは、タリサの自信が少々崩れそうになる。

 

 ――あぁ、それがそもそもの間違いかね?

 女と言う自信越しに見て良い存在はないのだろう、この男は。

 

 そう結論付けて、さて、今日はどうやってからかってみようか、等と考えながら服を着替え、終えてから寝巻きを畳み出すと、彼女の耳を小さな音がくすぐった。まさしく、その程度の些細な音である。

 タリサは毎朝の事ではあるが、よくもその木製の頑丈な扉を、そうも静かに開けられる物だ、と感心しながら、扉を開け、部屋に静々と入ってきた人影達を見る。

 未だ日の上がり切らぬ仄かに暗い部屋で、篝火の様に灯る四つの赤い瞳が強く映えた。

 

「おはよう御座います、タリサ様」

「おはよう、ミレットさん、ウィルナさん?」

 挨拶を返された二人――ミレットとウィルナは従者らしい一礼を見せ、畳み終えた服を片したタリサの隣で、今もってのんきな顔で眠っている男の傍へと、足音一つ立てず近づいていく。

 そしてウィルナが男の耳元に唇を寄せ――ふぅー、と優しく息を吐いた。耳かきが終わった後、最後に行うあれである。

 

「なんぞッ」

 それをされた男が勢い良く上半身を起し、息をかけられた耳を押さえながら、目の前に居るメイド二人を睥睨する。寝起き特有のきつい目つきが、珍奇な起し方によって更にきつい物になっていた。

 眠っていた時とは打って変わって、眦を危険な角度に変えた男に、メイド達は表情筋が死んだ様な無表情のまま深々と一礼し、

 

「おはよう御座います、旦那様」

「おはよう御座います、じゃないだろう」

「今日のお召し物はこちらで御座います」

「いや、お前ら……」

 平然と言葉を紡ぐミレットと、恭しく服を渡してくるウィルナの顔を見ながら、男は溜息を吐いた。首を横に振りながら、男は差し出された服を受け取り、肩を落とした。

 

「あのなぁ……普通に起せば良いんだ。声を掛ければいいし、それでも駄目なら、揺すればいいだろう?」

「申し訳ありません、姉さんが今日はこの方法で起したいと申しましたので、私といたしましても、旦那様のお体に無断で触れるよりは良いかと思いましたので」

「普段も無断で触るだろうが、お前らは」

「恐れながら、無防備な姿と、起きておられる時は、また別かと存じます」

「……」

 ミレットの言い分に、男は苦虫を噛み潰したような相を見せ、頭を一度手のひらで打ってから、乱暴に髪を掻いた。

「とりあえず、さっきのは禁止だ。心臓に悪い」

「如何様。旦那様は流石、お綺麗な体のままで御座います」

「でっかいナイフで刺しに来るな」

 男は半眼でそう返した後、シーツを払い受け取った服を広げて、動く気配を見せないタリサとメイド二人に向かって口を開く。

 

「いや、着替えるんだけど?」

「チップなら弾むさね?」

「退室を命令されておりませんので」

「……」

 男は、長く深い溜息を吐いて、扉を指差した。

 

「朝からしんどい」

 

 部屋から出されたタリサとミレット、ウィルナは時間が過ぎるのを閉ざされた扉の前で待った。が、ただ待つ様な事は無い。

「いやはや、あの子はいつまで経っても初心さねぇ?」

「それが旦那様の良い所で御座います」

「……ふむ? じゃあミレットさん?」

「なんで御座いましょう?」

 タリサは、真っ直ぐとミレットを見て呟いた。

 

「悪いところは?」

「お着替えを手伝わせてくれないところ、で御座いましょうか」

「そっか、そっか?」

 ミレットから目を離し、狭い廊下の、その壁にある染みをなんとなく見ながら、彼女は笑う。

 

 そして、扉が開いた。

「あぁー……眠たい……」

 着替え終えた男が部屋から出てくると、メイド二人が男へと近づき、襟元と髪を正し始めた。まったく淀みなく、だ。

「少々歪んで御座います」

「それなおす前に、お前の人格も正せ」

「あぁ旦那様、動かれては困ります。どうぞ泰然となさって下さいませ」

 ミレットは、何も聞こえません、と言った相で――いや、無表情にしか見えない筈の相で襟元を直し続ける。

 男の背後に回り、髪を手に持った櫛ですくウィルナの相も、ミレットと同じだ。これも、傍目には、だが。

 

 そんな朝だった。タリサからすれば、彼女達がここに来て以来、いつも通りの朝だった。いつまでも続くのだと、彼女は信じた。なんの確証もないままに。

 

 

 ○      ○      ○

 

 

 いつも通りの時間にバズが厨房へ顔を出すと、男がテーブルに突っ伏していた。男はバズの顔を見ると、軽く手だけを上げ、ぐったりとした相に相応しい声で言葉をかけて来た。

「……おはようございます」

「おう」

 が、バズはいつも通りだと言わんばかりの顔でそれに応じただけで、心配もしない。事実としていつも通りだからだ。

 メイドが来てから今日まで、男がぐったりと、また眠そうな顔をしていない朝は無い。メイド達が来る以前も、欠伸交じりで寝ぼけた顔であったから、朝は弱いのだろう、程度にしか彼は思わなかった。

 バズには、当然この時間が早すぎる起床だと思う事は無い。一応の飲食店であるから、多少は早いと感じるが、まさか男にとってこれが馴れぬ起床時間だとは思いもしない。日が昇れば起き、陽が沈めば家に帰る。というのは、男が居た場所では百年前程の生活サイクルだが、ここではこれが当たり前なのだ。

 

 バズは突っ伏した男の背後で、朝食の準備をするタリサと、それを手伝うメイド二人を眺めつつ、前もって置かれていた木製のコップを手に取った。湯気がゆらゆらと立ち上り、彼の鼻腔にコーヒーの苦い匂いが運ばれてくる。

 それを一口程口内に含み、ゆっくりと嚥下してから、バズは男に問うた。

 

「お前、今日の昼はどうするんだ?」

「いつも通り、暇なら図書館に行こうかと思ってます。忙しいなら、手伝いますけど」

「いや、どうせ今日も暇だろう。好きにしろ」

 何故聞いたのだ、と男が問うよりも早く、バズはポケットから取り出した皮袋を男の前に置いた。

 

「……あぁ、もう給金の日でしたっけ?」

 男がさらっと発した言葉に、バズは目を細めた。労働を行えば、報酬が与えられる。バズの店では一週間に一度、またリーヤのような急働きはその日の内に給金が出るのだが、いつも男はこれだ。催促などした事もなく、その上給金がどれほどかも聞きはしない。

 若い頃、金銭に嫌と言うほど苦労したバズからすれば、

「お前は、どれだけ無欲なんだ」

 それも、度を越えた、である。

「無欲って事は無いんですけど……いや、でもこれ」

 男は目の前に置かれた皮袋を手にして、やっぱり、と呟いた。男の記憶にある、前までに貰っていた給金袋はもっと小さかった筈だ。それが今、男の目の前にある物は三倍近い大きさに変わっている。

 

 男の寝ぼけた頭でも、それは分かる事だ。男以外からは報酬を受け取れないと言ったのは、果たして誰だったか。であれば、どうすれば報酬が渡せるのか。つまり、これがバズなりのやり方だ。

 

「あー……すいません。気を使って貰ったみたいで」

「何も使っちゃいねぇ。ただで人を使うなんざ、店の主がするこっちゃねぇ、ってだけだ」

 頭を下げる男を無視して、バズは手に持っていたコップを呷った。そして、男から視線をはずした事により、頭を下げている男の背後で、同じ様に頭を下げているメイド達二人を見てしまった。

 バズは少々強めにコップをテーブルに戻し、目を閉じて口を曲げながら早口に

 

「やった分、出たってだけだろうが。簡単に頭を下げるんじゃねぇ」

「いや叔父さん、頬染めちまってかわいーやねぇー、もう?」

「お前の見間違いだ。おい、コーヒーもう一杯入れろ」

 コップをタリサに突き出し、バズは、ふん、と強く鼻から息を吐いた。

 タリサは楽しそうに笑い、男は少しばかり目尻を下げ、そしてメイド達は常の無表情だ。バズは腕を組み、早くコーヒーが来ないものかとひたすら願い、自身の太い腕を何度も指で叩いた。

 

「おや、やっぱり少し早かったね」

 そんな彼らの耳に、少女特有の高い声が飛び込んできた。バズが腰を上げるより先に、男が腰を上げ厨房からカウンターに寄り、フロアの様子を見、

 

「あ、エリザヴェー――……どうする、俺下がる?」

「あぁいや、今日はまぁ、なんだろうね、大丈夫……だよね?」

「は、はい」

 何やら戸惑った男の声に、先程の声の主、エリザヴェータが続き、その後をまたもう一人の少女の声が続いた。バズはもう少し声が続くのではないかと思ったのだが、それ以上声は上がらない。恐らく、フロアにジュディア達の仲間の二人だけが降りてきたのだろう、とあたりをつけた彼は、珍しい事もあったもんだ、と呟きながら、ゆっくりと腰を上げ男の隣まで足を運んだ。

 

「今日は早いな……仕事じゃないんだろう?」

「はい、今日はまぁ、私はただのおまけですよ、バズさん」

 応えるエリザヴェータの隣で、いつも仲間の影に隠れる少女が、おずおずと頭を下げた。

 この少女は、いつもそうだ。人が――と言うよりは、男が苦手らしく、この店の客の中で一番浮いてしまっている。流石に主であるバズにはそれなりに馴れている様だが、一度ブレイストが声を掛けた時など、一緒に居たジュディアの背にすぐ隠れたものだ。

 

 そんな少女が、仲間が一人いるとは言え、こんな朝の早くからフロアに顔を出し、バズ以外の男が居るのに誰の背にも隠れようとはしてない。小柄なエリザヴェータより頭半分程高いだけの、一般的に見れば小さく細い体からは、恐る恐るといった感じは消せていないが、それでも確りと隠れず立っている少女の姿に、バズは妙な感動さえ覚えた。

 

「しかし、お前らが朝一番から顔を出すか……」

 バズの記憶が確かなら、これははじめての事だ。エリィ達の冒険者グループは、もっと遅くから仕事をする。ジュディアの、早起きは美容に悪い、等と言うバズからすれば意味不明な理由からだ。だが、そうなると、どうでも良い事が気になる。

 

「あいつら……ヒューム達は、どうしたんだ?」

「一度二階の廊下で会ったんですけれどね……何やら、バズさんに会わせる顔が無い、とかで。また部屋に戻っていきましたよ」

「……そのうち顔をあわせるってのに、何を言ってるんだあいつらは」

 早朝、一番早くに顔を出すのは殆どヒューム達だ。その彼らが、今ここに居ない理由を知って、バズは首を横に振った。

 

「本来なら自分達が受けた仕事なのに、バズさんに迷惑をかけたと思っているんでしょう」

「そんな考え、百年早いんだ」

 先日、ミックスのミックスがこの都市の商店区画を襲うという事件があった。その事件はそこに居合わせたバズ、そして冒険者達、ウィルナによって解決されたが、そのミックスのミックスの情報を集め、捕獲するというのがヒューム達の仕事だった訳である。

 彼らからすれば、恩人に自身達の仕事から生じた穴を埋めてもらった形であるから、顔を出せないという気持ちは分からないでもない。ないが、それはある意味で仕方の無い事でもあった。

 

「あぁいうタイプの襲撃なんざ、久方ぶりの物だ。迷宮から出そうになった、だから今日出てくる、とは普通思わん」

 実際、想定しろと言われても無理だ。いつか出て来るとしても、それがいつか等分かり得ない。まして、その日の内に出て来る等、誰が思うだろうか。一度冒険者と交戦したのだから、普通は暫く警戒して身を隠すものだ。

 そこまで考えて、バズは嫌な事に気付いた。

 それはつまり、普通ではないと言う事だ。何かが違ってきていると言う事だ。

 

 会話を切って、何事か考え込み始めたバズに、エリザヴェータは肩をすくめ男に笑いかけた。フードに閉ざされていない口元は穏やかに笑っているのだから、それは笑貌だ。

「で、だ。君に用事があるんだ」

「俺か?」

 男は自身を指差し、きょとんと首を傾げた。幼い仕草だが、どこかそれがらしく見える。

「少し付き合って欲しいんだ。今日は……時間は大丈夫かい?」

「今日は……昼が暇なら、図書館まで足を伸ばそうかと思ってるけど……」

 探ってくるエリザヴェータに、男は特に考えず応じた。

 

「しかし、君は本当にあの場所が好きだね。紹介した甲斐があるよ。でも、あの図書館だと……もう読む本なんて殆どないんじゃないのかい?」

「まぁ、大抵は読んだけど。でも、まだ知りたい事もあるし、もしかしたら、何か出てくる事もあるだろうしれないだろ? それに、狭くて暗い場所は、落ち着くしなぁ」

「ほぅ……となると、君はますます本当の学者様みたいだね」

「いや、学者ってのが全員暗くて狭い場所好きって事もないだろう」

「なるほど、偏見で物を見た私が悪い。人の在り方を職業なんて一つの肩書きだけで決め付けてしまう……私は、恥じるべき愚か者だ」

「なんでお前はそんな難しい方向にばっかり持っていくの?」

 呆れた顔の男に、エリザヴェータは肩をすくめ、そして隣に居る少女の肩を小さく叩いた。

 

「ほら、こんな人間だよ。君も大丈夫だ」

「……は、はい」

 エリザヴェータの隣に佇む少女は、男の顔を見上げて――一旦俯き手のひらに文字を書き、それを飲み込むような仕草を見せた。

 

 ――いや、だからなんでそんなジェスチャーとか仕草が共通なんだよ。

 頭を抱えた。未だに考え込むバズと、その隣で頭を抱え始めた男を双眸に映しこみ、エリザヴェータの隣に立つ少女は、

 

「あ、あの……! 今日、図書館にご一緒してもいいでしょうか!!」

 

 大きな声でそう言った。

 思考に沈んでいた筈のバズは、その言葉に、大きな声に、目を細めてじっと少女を見つめ。

 厨房の奥に居たタリサは口元に微笑を浮かべて少女を見守り。

 タリサを手伝っていた二人のメイドは常通りの淡い相で少女を見据え。

 

 そして男は。

 

「あ、あぁ……うん。暇だったら」

 やはり何も考えず、頷いた。




流石に今回の章ではダンジョン行かせます。主人公以外が、ですが。


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20話

 目が覚めると、まだ暗かった。

 眠いと思ったが、彼女は目をこすり、不明瞭な呟きを零しつつベッドから身を起した。最近迷宮に行かない彼女の体は、どうにも不規則になりがちだ。

 口を手で覆い、欠伸をかみ殺して周囲を見回す彼女の瞳に、一人、自分と同じ様にゆっくりとベッドから身を起す少女が見えた。

 常に被っているフードはなく、白に近い美しい銀色の髪が肩の辺りで切り揃えられたその少女――エリザヴェータは、瞳も無いというのに、目の辺りをこすり片手を挙げて背を伸ばしている。

 

「……おや、おはよう」

「おはようございます」

 起きていたことに気付き、挨拶の言葉をかけてくるエリザヴェータに、彼女は頭を下げた。

 ベッドの隣に置いてある荷物袋から、適当な衣類を取り出して、彼女達は着替えを始める。ジュディアの様に、あれとこれは駄目だ、これとこれは組み合わせが悪い、等と試行錯誤する事は一切無い。袋の中にある服は、二人とも同じ様な物ばかりだ。

 軽いローブ、スカート、シャツ。下着は年頃らしく少々凝った物も無い訳ではないが、特に着飾る必要も無いので持っているだけだ。

 

 間単に、あっさりと着替えた彼女達は、未だ眠り続けるジュディアとエリィに気を配り、小さな声で話を始めた。

 

「さて……今日はどうしたものかな?」

「今日も、まだ仕事の予定はありませんよね?」

「私は何も聞いてないよ。まぁ、少々の貯えはあるのだし、急ぐ事もないのだろうけれど」

「ですね……今までが迷宮潜りばかりでしたし、これも良いですよね?」

 と彼女は口を閉ざした。エリザヴェータはそれを見て、肩をすくめた。

 

「私達は兎も角、君は迷宮その物に興味はないからね。仕事ばかりでも嫌だろうし……そうだね、偶には一緒に図書館でもいくかい?」

 エリザヴェータの提案に、彼女は頷きかけて――動きを止めた。

 図書館に行くのは良い。彼女が知っている図書館からすれば、少々規模の小さな場所であるが、知識の置かれた場所である。小さな場所だからといって、見ていない書物がないとは言い切れない。それは良いのだが、しかしそうなると問題がある。

 

「あぁ……なるほど。彼だね?」

「……はい」

 エリザヴェータにそこを紹介され、暇があれば足を向けている男の存在だ。

 

 彼女は、知識の徒である。学術都市と呼ばれる場所で生を受けた彼女は、知識を溜め込み、またそれを生かす事を当然と受け止めて育った。特にその知識の中でも、竜伝承の類は彼女の専攻であり、人生をかけて学び、解き明かさねば成らないと決めた物である。

 だからこそ、彼女は女性だらけであった光竜信仰の神殿から出て、この時代特に竜の痕跡が残っている迷宮へと足を進めたのだ。

 男ばかりの世界であるそこは、当初彼女には苦痛ばかりで、野卑で無骨な男達からからかわれ、どこか下卑た視線で無遠慮に眺められる度、彼女は女性としての尊厳を犯されている様に思えて仕方なかった。

 もう国に帰ろうかと嘆き、男は嫌だとつくづく思ったものだ。女手一つで娘を育て、女性の多い神殿へと彼女を入れる時母が言った、「男なんて碌なものじゃない」という言葉が真実だったとさえ、感じたのである。そんな時、女ばかりの三人組が声をかけてきたのは、まさしく光竜ホワイトシナーズのご加護だ、と彼女は泣いて喜んだ。

 

「大丈夫だよ。彼は……というか、ここに居る皆は、君が知っている男達とは違うだろう?」

「……そう、なんですが」

 運が無かった。それだけだ。

 

 彼女が最初、迷宮に向かう為に利用した宿は、今の宿ではない。ヴァスゲルド中央区の一番大きな宿で、良質の冒険者が揃うという理由だけで利用してみたら、冒険者としての質は兎も角、礼儀の面ではさほど良くなかっただけの事だ。仲間探しの第一歩から大きく踏み誤ったのは、彼女にとって余りに痛い思い出である。

 ただ、これは宿や利用していた冒険者だけを責める事はできない。

 ジュディアや、更にはリーヤにも届かないが、彼女もまたそれなりの容姿だ。その上、女手一つで育てられ、女ばかりの神殿で教育を受けた、所謂純粋培養されたお嬢様の様な雰囲気をもった少女である。

 周囲の冒険者からすれば、まず見ない類の女であるから、声の一つも掛けたくなる。が、彼らはそういった人種とはとことん縁がなく、また話しかける為の作法が不足していた。中にはそうでない者もいただろうが、そういった者達はそもそも彼女に話しかけなかった。話しかけない事が一番無難であると理解していたからだ。お嬢様然とした少女と冒険者、合う筈がない組み合わせだ、と分かっていたのだから。戦力として期待できそうに無い彼女の風貌もあって、分かっていた者に限って近寄らなかった。

 それを分からない、物珍しげに寄っていく連中だけが、そこそこの下心、そこそこの善意で距離を縮めようと試み、自分達の乏しい語彙で声を掛け、それが更に彼女の苦手意識に拍車を駆けて、男嫌いにしてしまったと言うのだから、これはなんとも救われない。

 彼女がもう少し世慣れていれば、なんとか歩み寄ろうとする冒険者達を可愛いものだと思えたかもしれないが、神殿育ちのお嬢様にそれは無理な話である。

 

 だが、今の宿は彼女にとってさほど苦痛ではない。

 馬鹿な事を言う客は、バズが文字通り叩き、偶にちょっかいをかけてくるブレイストにしても、エリザヴェータなどが傍に居ると全く寄ってこない。一般的な図式魔術師である彼は、エリザヴェータの存在、監獄契約魔術師を見ない事にしているので、これはありがたい事である。

 神殿育ちからすれば、ここの男達は礼儀作法に足らぬものも見えるが、それでも随分ましだ。そして、件の男はと言うと。

 

「随分、奥ゆかしい方だとは思うんですが……」

「まぁ、おとなしい方だね。いや、この場所で目にする男と限定すれば、確かに奥ゆかしい、か」 言の通りだ。

 粗野ではない。下卑ても居ない。体の線も細く、男としての匂いが薄い彼は、彼女が目を合わせまいと目を伏せても、怯えて身を避けようとしても、僅かばかり悲しげな相を浮かべ、それでも理解した形で下がっている。今もって、声を掛けるでもなく、距離を詰めるでもなく、だ。それは在りのままを受け入れているように見えた。実際は、男からすれば彼女の存在が"そんなモンなんだろう"で固まっただけなのだが。

 彼女にとって、男に対しての興味がないわけではない。いや、むしろ大きくなっている。

 原因は単純だ。

 

「しかしね、彼はなかなかに知識人だよ? 図書館に入りびたり、という時点でも、分かるだろう?」

 これだ。

 エリザヴェータから偶に聞く男の話には、興味をそそられる部分が多い。また、簡単に計算を行うところを見ても、相当の教育を受けたと彼女に思わせる。

 彼女は俯き、頬を人差し指で数度軽く叩いてから、目を上げた。自身の顔をじっと見つめる――様な素振りのエリザヴェータの、その瞳が在っただろうそこに真っ直ぐと目を向けて

 

「じゃ、じゃあ……さ、誘ってみます!」

「ほぅ……大胆だね。いや、流石、かな?」

 迷宮へ、竜の痕跡を確かめると言うだけでやってきた少女だ。その意気の方向が定まれば、その程度難しい話ではない。だからエリザヴェータは満足気に頷き。

 

「じゃ、じゃあ今からお、お誘いの言葉を!」

「いや、君早いな?」

 呆れた。

 

 

  ○      ○      ○

 

 

 ジュディアが少し大きな皮袋を手に、エリィと共に一階に降りると、常に利用しているカウンター席は既に二つ埋まっていた。ジュディアに気付いたエリザヴェータが軽く手を上げ、ジュディアはそれに同様の仕草で挨拶を返し、もう一人の姿を見た。

 なにやら緊張した面持ちで前をじっと見つめ、両の手で握ったコップが口元にある。が、幾らそれを眺めてもコップは微動だにせず、飲んでいる様子は無い。ただ、両手で持っているだけだ。

 おまけに、あぁ早まったかもしれません、いやでもいずれ通る道なら今……、等と、小さく首を横に振り、コップを置き頭を抱えてぶつぶつと呟く姿は、なにかきめたのかと思うほど怪しい物だった。

 しかし、ジュディアは空気が読める女である。踏み込むべきではないと思った不気味な物は、視界に入れても見なかった事にする。それがたとえ、一緒に迷宮を潜る仲間の奇矯な姿だったとしても、だ。

 だがしかし、

 

「どうしたんだ?」

 エリザヴェータにそう問うエリィは、あまり空気が読めない方だった。

「いや、この後図書館に行くんでね。一緒に彼もどうかと誘ったんだ」

「……彼って……あの子?」

「そう、彼」

 再び顔を上げ、今度はカウンターテーブルにのの字を書き出した少女を一先ず放置し、二人の会話を耳にしたジュディアは目を細めてエリザヴェータを見つめた。

 

「エリー……幾らあんたがあいつを気に入ってるからって」

「いや、誘ったのは私じゃない」

 そう口にして、エリザヴェータは、光が消えた瞳でコップに話しかけ始めた少女を指差した。仲間で無ければそのまま見捨てたくなる、きめてんのかこいつ、的な姿である。

 

「……決めた事なら、仕方ないけれど……エリー、ちゃんとついて行ってあげてよ? 放り投げちゃ駄目よ?」

「うん、今もう放り投げたい段階なんだがね?」

 コップに向かって話しかける少女の姿は、エリザヴェータにそう言わせるだけの間違った凄みがあった。

「ま、そっちがそれなら丁度いいわね……私はちょっと街に出るから」

「了解したよ」

 ジュディアのそんな言葉に、エリィは少し考え込む素振りを見せた。実際には何も考えて居ないんだろうな、とジュディアが思っていると、そのエリィがジュディアを見て口を開いた。

 

「私今日暇だから、ジュディアについて行っていいか?」

「……あんたも図書館行きなさいよ」

「死ぬ」

「いやあんた死ぬってなに?」

「超、死ぬ」

「誰もそのランクっぷりの話は聞いてないわよ」

「図書館とかお前、まじ死ぬぞあれ?」

「……分からないでもないけれど」

 普通の冒険者をやっていれば、図書館などまず縁の無い施設だ。モンスターの情報が書かれた書物などはギルドに保管されているし、迷宮にランダムで設置された罠の種類や解除方法も同様だ。であれば、図書館などは、まっとうな冒険者で、しかも脳筋気味のエリィからすれば、息苦しくて窒息死するほどの苦行場でしかない。

 図書館に縁がない、という点では、基本美貌維持に興味しかないジュディアも大差ないので分からないでもないのだが。

 

「肌に良い水とか、化粧方法とか載ってれば、私も行くけどねぇ?」

「見つけたら教えてあげるよ」

「期待しないで待っとく。ほらエリィ、行くわよ」

 手をひらひらと振って、ジュディアは扉へと向かっていく。それをエリィは追い、エリザヴェータは二人の背に声を掛けた。

 

「朝食は?」

「偶には違う場所で食べるわよ」

「そうかい……エリィ、彼に会わないで良いのかい?」

「仕事の邪魔はしないって」

 背を向けたまま去っていくジュディアとは違い、顔を向け、無垢な笑みを見せるエリィに、エリザヴェータは頷いた。

 二人の溝が小さくなった物だ、と。

 

 このグループが出来上がった当初、まだ隣で何事か一人呟く少女が居なかった、三人だけの頃から、ジュディアとエリィにはどこか大きな溝があった。

 エリィは、顔に防具も帯びず、見目優先の部分鎧だけをまとい、その癖人一倍怪我に臆病なジュディアに対して苛立ちを覚えている節が在った。

 ジュディアは、良質の魔法剣を持ち、なんでも機能を優先するエリィに対して冷たい目を向けていた。

 お世辞にも良好とは言えず、美少女然とし過ぎ、気の強さもあって遠巻きにされてばかりのジュディア、強力な魔法剣を有し、有力な冒険者グループが取り込みの為牽制しあい、結局空白地点にぽつんと置かれた脳筋気味のエリィ、監獄契約魔術師であり、外貌に難の在ったエリザヴェータ、その余った女性だけで作られたこのグループは、いつか瓦解するとエリザヴェータは思っていたのだが、今は斯くの如し、だ。

 

 かつての彼女達であれば、ジュディアはエリィの言葉に決して頷かなかっただろう。そもエリィがジュディアに、ついて行って良いか、等と口にする事は絶対に無かった。

 人は変わっていく。陽のようだ、とエリザヴェータは心の中で呟いた。

 常に頭上にある事はない。陽はいつか紅に染まり、沈む。新しく浮かぶのは、まったく違う光を放つ月だ。

 誰も彼もが強い光を放つままでは、誰も傍へと近寄れない。互いに焼いてしまう事も在るだろう。黄昏時の優しく、どこか悲しい茜色になって貰わなければ困る。

 

 ――もっとも、それでも近づけない人間も居るんだけれどね。

 陽の光は確かに生命を感じさせる物だが、月の様に優しく、朧に輝く不確かな輪郭にしか近づけない臆病な人間は、多く居るのだ。

 それは、エリザヴェータ自身であったり、

 

「あぁどうしましょう……私凄い不躾な娘だと思われているのかも……でもお互いに知識の交換が出来るならやっぱりそうすべきだし……あぁでも私今まで散々避けてきたのに、こいつとんでもない焦らし魔だな、なんて勘違いされて迫られたら……ど、どうするべきなんでしょうか? ねぇ?」

 今もコップ相手におかしな事を呟いている彼女も、そうだ。

 エリザヴェータは少し肩をすくめて、カウンターの奥で簡単な仕込みを手伝う男を見た。

 

「どうしよう。仲間がかつてない勢いで壊れたんだ」

「叩けば直る」

「旦那様、それは家電製品の都市伝説です」

「俺は叩いてうちの現役MCDを復活させた」

「流石旦那様。それが現役と言う時点で相当で御座います」

 何か意味不明な言葉で返してきた男と、その隣で大きな木製のへらで鍋をかき回すミレット、まな板の上で具材をリズム良く切っているウィルナを目にしたまま、エリザヴェータは手を上げた。

 

 とりあえずやってみよう、と。




掘り下げ掘り下げ。
MCDとか普通現役ですよね?
シルキーリップPC版で出す暇あったら、Aランクサンダーの逆襲編を出すべき。


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21話

 朝の早くから開いている、いつも使う店から出て、彼女――ジュディアは道を走っていく馬車を見送った。土煙が上がり、馬の蹄の音と共に車輪の音は遠くなっていく。

 荷物のなくなった体は軽く、ジュディアは背を伸ばして腰を叩いた。

 少しばかり空腹を感じ、頭上を仰いで空を見てみる。そこには常通り輝く太陽が在り、位置からすれば

「あぁ、もう昼前くらい?」

「だよー……はらへったぁ」

 大人しくついてきた仲間、エリィの、舌足らずな口調にジュディアはにやりと笑い頷く。こういった相の方が似合うのが、エリィだ。

「んじゃ、近くのカフェにでも入りましょうか?」

「カフェー? カフェってあんまりがっつり行けないじゃんか」

「がっつりいくな……あぁ、いや、今日は仕事ないし、がっつりでいいのよね」

 

 冒険者らしくない、と言われるジュディアでも、冒険者として守っている事はある。そのうちの一つが、仕事の前は腹に物を詰めない、だ。一撃も貰うつもりはないが、もし腹に一発貰えば目も当てられない。故に普段は軽く済ませるのだが、今日は――いや、最近は仕事の無い日ばかりだ。 こんな時くらいは、確り食べても良いだろうと思うが――

「でもねぇ……やっぱりカフェ」

「えぇー……軽い上に高いって、カフェ」

「あんたも乙女でしょうが。偶にはそーゆーの食べなさい」

「んー……」

 ぼりぼりと頭を掻きながら、背に魔法剣を携えたエリィは、仕方ない、といった相で首を縦に振った。

「まぁ、詰め込めるなら、いいか」

 

 一応の納得を見せたエリィを一瞥して、ジュディアは周りを見回す。

 このくらいの時間ともなると、道を歩く人々は皆しっかりとした物だ。欠伸をしている者など無く、荷物や道具を手に歩き、鎧をまとって迷宮へと向かっていく者達もちらほらと見える。

 

 そしてジュディアは、近場にあった適当な、そこそこ洒落たカフェへと入り、空いていた席に座って女給を呼んだ。

「モーニングセット二つと……」

「肉があればそれ」

 割り込んできたエリィの言葉に、呼ばれた女給は仕事用の笑みで応じる。

「それでしたら、合わせ肉のハンバーグがありますが?」

「……ん、じゃそれで」

「はい、以上で?」

「うん、それで」

 頷き、去っていく女給の背を見ながら、ジュディアはテーブルに置かれていたメニューを手にとって、特に見るでもなく、なんとなくぼうっと眺めた。

 

 ――別にレベルの低い接客って訳でもないんだろうけれど。

 けれど、しかし。明らかに下だと思ってしまう。自身の冒険者としての拠点、『魔王の翼』亭の、メイド二人に比べて、だ。

 明らかに比べる対象が間違っている事は、ジュディアも理解しているのだが、それでも同じ様な職種につく存在を比較してしまうのは、仕方のない事であった。

 

「げ、やっぱ高いぞこれ」

 自身の正面で、同じくメニューを手にしたエリィが、目を見開いてあげた声に、ジュディアは溜息をついて反論しようとしたが、

「あ、マジで高い」

 メニューの上を走った目に入ってきた数字に、思わず同意してしまった。

 

「……あぁもう、仕方ない。頼んだ後だし、良いわよ」

「……そうか?」

「そうよ」

 何か探る様な目で自身を見るエリィに、ジュディアは目を細めて指を突きつけた。

「何?」

「んー……」

 その目同様、鋭い語気にもさして怯まず、エリィは真っ直ぐにジュディアを見たまま続けた。

「さっきの、あれ金だろ?」

「……えぇ、そうね」

 先程、ジュディア達が出た店は、ヴァスゲルド中央区にある荷物の集合場所である。

 中央区に届けられる一般的な荷物の全ては一度ここに預けられるのだが、特別運搬料金が支払われた荷物だけは更にそれぞれ記された住所まで運ばれる。

 それを取りに行く事も彼女達には稀にあるが、今日の用事はそれと逆だ。

 荷物を取りに行ったのではない。ジュディアの手には、バズの店を出た時に持っていた荷物は無いのだから、それを運んで貰いに行ったのだ。

 

「……仕送りくらい、普通でしょ」

「うん、まぁ、そうだけど」

 エリィは、ジュディアが貧しい村の生まれだと知っている。水のみ百姓の娘だとも、知っている。かつてそれを心の中でせせら笑っていた黒い部分があったのも、どうしようもない事実だ。

 だが、接し方が変われば感じ方も考え方も変わってしまう。今のエリィは、それを笑おうとも蔑もうとも思わない。人の心と言うのは、ある意味で簡単で単純だ。

 

「この店の分、出そうか?」

「お嬢様、それはどういう意味かしら?」

 だからこそ、簡単にやってしまう。大きなミスを。

「馬鹿しようと笑おうと、そんなのあんた達の勝手だけど、安い同情はやめてくれる?」

 冷たい声で正面のエリィを睨むジュディアの相は、全てを拒絶していた。触れるなと、入るなと鋭く細められた目が如実に語っていた。

 

「ご、ごめん……」

 俯き、体を縮こませるエリィの姿に、ジュディアは息を大きく吐いて目を閉じ、瞼の上から目を揉んだ。そして、目を開いて肩から力を抜き、相を常の物に戻した。

「……謝らないわよ。でも、言い過ぎたかもね」

 もう一度、何もするでもなくメニューに目を走らせ、ジュディアは視界の端でちらりとエリィを見た。叱られた大型犬の様なその姿が、黒い感情を未だ腹の底から払拭できない自身を馬鹿馬鹿しく思わせる。

 ジュディアはまだ注文は届かないのかと小さく舌打ちし、その舌打ちの音でエリィの肩が小さく跳ねたのを見て、再び溜息を零した。

 

「決まった日に送らないとね」

 目を上げたエリィに、ジュディアはモンスターにも果敢に切って掛かる人間が、どうして少女一人の言葉にそうも怯えるのだと思いながら、口を動かし続けた。

「あいつら、こっちまで来るのよ」

 そのジュディアの言葉に、エリィは目を見開いた。

 

 かつて、一度。ジュディアの収入が安定しなかった頃、仕送りが滞った事があった。彼女がまだゴミ漁り時代の事だ。一日二日、一週間程度大丈夫だろうと考えていたのだが、痩せこけた貧相な父親は、村から中央区までやってきて、催促したのだ。早く金を出せ、と。

 なんだそれは、と目を見開いたままのエリィに、ジュディアは笑った。笑うしかない。世界はこうも不平等だ、と。思いは声にならず、ジュディアは首を横に振りながら続けた。

 

「仕送りは確りする、って言うのが、私が村を出る時の約束でね。しかもあいつ、私が貧相な安鎧を着てたもんだから、娼婦をやってるんじゃないのかって目を剥いて怒り出してさ。普通娘にそれをやれって言う?」

 けらけらと笑うジュディアの口から零れる声は、何か淀んだ死水にさえ似て、エリィはまた目を伏せた。そして、口を開いた。開くしかなかった。

「私、お嬢様だからその辺分からない」

 すねた様な声で、何かを誘発させる様な声だ。

 ジュディアは耳に届いたその言葉に、一瞬全ての相を失い。また笑った。

 

「あんたに気遣われるとか、今の私、相当酷いわね」

 ぶつけても良いとエリィは言外で語ったのだろう。甘えろと言われたが、ジュディアはそれに甘えられるほど幼くは無い。稚拙過ぎて、素直すぎて、ジュディアは笑ったのだ。

 それでも、それを嬉しく感じた自身が居た事を、ジュディアは無視できない。

 

「あんただって、何一つ不自由の無いお嬢様の生活捨ててここに来たんでしょう? あんま、いつまでもそんな顔してるんじゃないわよ」

「う、うるせぇーなぁ」

 顔を伏せたまま、目だけを上げて睨むエリィの姿が、ジュディアにはなんとも可愛く思えた。あぁ、と胸中で呟く。

 

 ――こいつが男だったら、私の好みに大分近いかもしれない。

 馬鹿で、単純で、脳筋で、どこか抜けたところがあるが、性格は腐っていない。単純だが素直で、馬鹿であっても愚かではない。実家は名家の様であるし、体つきも少女として見ればマイナス点に近いが、異性として見れば魅力的だ。

 ジュディアはエリィを遠慮なくじろじろと見つめた後、大きく頷いた。

 

「ねぇ、あんたを男に出来るようなアイテム、迷宮にあるかしら?」

「いきなりなんで?」

「あんたもその方が幸せじゃない?」

「やだよ!」

 女給が注文した物を持ってくるまで、二人は話し続けた。今までの不足分を補うかのように。

 

 

  ○      ○      ○

 

 

「さて、では参りましょうか」

「……」

 いつも通り、昼頃になると暇になった店内で、カウンターを挟んで男一人と女達四人が向かい合っていた。男、エリザヴェータ、少女、そして、ミレットとウィルナである。

 バズは前に買出ししたばかりだと言うのに、買出しに出ると行って出かけ、タリサは厨房に置かれた小さなテーブルに頬杖をついて座り、彼と彼女達を楽しげに眺めていた。

 

「何か問題がありますか? 前は姉さんに譲ったのです。今回は私だと思うのですが?」

「……」

 常通り、表情筋など元々ないといわんばかりの無表情で口を動かすミレットと、こちらも同じく、一切表情を動かさないウィルナが見詰め合っていた。傍目にはそう見えるだろう。傍目には。

 が、男からすれば、二人の様子が危険領域一歩前だと嫌でも理解できた。

 

 ――なんでこうなった。

 と、額に手を当てて天を仰いだ。男の視界に映るのは木造の天井と、吊り下げられたランプだけだ。そんな男と、隣に立つエリザヴェータ、少女を置いてけ堀で、ミレットとウィルナ二人は、会話、なのだろうそれを止めない。

 

「前は前、と? 姉さん、なんという事を言うのでしょう。妹に、常に、耐えろ等と……姉さんはなと残酷な女性なのでしょう、ねぇ旦那様?」

「……」

「俺に振るな」

 言葉を区切り、同時に自身を見つめてきた二人に、男は一歩下がって距離を取った。巻き込まれるのは御免だからである。

 そんな彼に、助け舟が出された。隣に立っていたフードを被った少女、エリザヴェータだ。

「ふむ……お二人の言い分がなんであるのか、ウィルナさんの意図するところを感じられない私達には分からないのだけれども、時間は有限だと私は思うんだ。どうだろう、そろそろ結論を出さないかい?」

 肩をすくめて言い放つ、この店で一番小柄な少女の言葉に、ミレットとウィルナはなるほどと頷き、男は、やっとか、と安堵の溜息を零した。

 

 暇になったら図書館に行く。

 

 と決めてはいた。暇になったのだから、行けば良い。何かそれまでに壊れた少女は、エリザヴェータの軽い拳骨で修理されたのだし、さぁ行くかと皆が足を動かすと、ミレットとウィルナが当たり前の様について来たのだ。それを止めたのは、タリサである。

 

「いや、私一人で店を見ろってのは、流石に無理さね?」

 

 当然の言葉である。ある冒険者達を気遣い、店から出たバズ以外、残っているのは男とメイド二人とタリサだけだ。その四人から三人も出てしまえば、流石に暇な店でも、急な来客に対応出来ない。

 

 さて、ではどうするかと言う事になったのだが、男はまず決定である。男がエリザヴェータと少女、この三人で出る事は約束されていた事だ。となれば、残るのはミレットとウィルナ、どちらかだが。

「姉さん」

「……」

 二人とも自身が、と譲らなかった。勿論、ついて行く事を、だ。

 男は未だ見つめあう、と言うよりは、男の目には睨みあう様にしか見えない二人に向かって、溜息混じりの声をかけた。

 

「ウィルナ」

 呼ばれたウィルナは楚々と男の傍に寄ろうとし、呼ばれなかったミレットは黙って男を見つめる。しかし、寄ってこようとしたウィルナに、男は手のひらを見せてその場に留めた。

「今回はお前が残ってくれ」

 黙って男を見ていたミレットが楚々と男の背後に立ち、ウィルナは男を見つめたまま動かない。「早くにこうしていれば良かったんじゃないのかい?」

「……言うなよ」

 分かっていても、今現在感じている居心地の悪さを経験したくなかった男からすれば、拗れない限り自身が前に出たくはなかったのだ。

 空気を読む事をまず大前提として生活してきた男である。場が悪くなる様な空気を、自分から作りたくは無かったのだ。結局そうなるだろうと諦めてはいても、可能な限りは。

 

 そして、店を出ようとする彼らの目に、階段からゆっくりと降りてくる冒険者達が見えた。

「あ、おはようございます」

「……おう、おはよう坊主……と、エリザヴェータ達とミレットさんも、おはようだな」

「おはよう御座います」

「どうも」

 男の背後で優雅に一礼するミレットと、男の隣で軽く頭を下げるエリザヴェータ、そしておずおずと頭を下げる少女に、ヒューム達はらしかぬ、おずおずとした仕草で近寄ってくる。

 いや、その中でも一人、ブレイストだけは、エリザヴェータを目にせぬようにそっぽ向いていたが。

 とにかく、男の傍まで来た彼らは、ゆっくりと周囲を見回し、

「……ば、バズさんは?」

「買出しに出かけましたよ」

「……買出しって、前に行ったよな?」

「はい……まぁ、そういう事みたいです」

 バズとエリザヴェータの会話は、男の隣でなされたのだから、当然男の耳にもはいっている。つまり、バズの買出しはただの気遣いだ。もっとも、その気遣いはヒューム達にとって更に痛い一撃にすぎない。

 

「……うわぁ……餓鬼か、俺達は」

「まじで会わせる顔ねーなぁー……これ」

 しまった、と言った顔のヒュームの隣で、ディスタとベルージが肩を落として呟き、ブレイストは無言のまま天を仰いでいた。

 自分達の感情が落ち着くのを待ってから、意を決して降りてきたのだろう。怒鳴られてもいいだけの覚悟で降りてきた筈の彼らに、しかしバズは気遣った。

 それが、ヒューム達を更に惨めな思いにさせてしまったらしい。。

 完全に落ち込んでしまった彼らに、敢えて声をかけず男達は素通りしていく。この場合、これ以上気遣う方が失礼で、滅入らせてしまうからだ。

 

 店を出て、扉が閉まる音を耳にしてから、少女が一度振り返った。

「……大丈夫、でしょうか?」

「大丈夫だよ。私達が心配できる様な、柔な人達じゃない」

 エリザヴェータの言葉に、少女は小さく頷いた。

 そんな二人の様子をなんとなく眺めた後、男は肩を落として空を仰いだ。

 

 ――あぁ、きつい。

 陽の光は肌を焼く様で、碌に舗装されて居ない路は相も変わらず歩くたびに嫌気がさす。広い場所は落ち着かず、たった一人だけの男は、いつも外に出る度疎外感を覚えていたが、ここ最近はそれが特に酷い。

 

 それでも、向かう先は図書館、静かな、狭く暗い場所である。男は気を取り直して歩き出し――ふと周囲の音のなさに気付いた。見慣れた道を視界に映すと、そこには唖然とした人々が居た。

 

「あ」

 背後から聞こえた小さな呟きが、やけに大きく聞こえたのは果たして気のせいだろうか。聞きなれない、恐らく声の主であろう少女に視線を向けるため振り返ると、案の定そこには小さく口をあけたままの少女が居た。男に視線を向けられた少女の目は、一点を見つめている。

 男の後ろに影が如く控えている麗人のメイド、ミレットだ。

 

「あぁもう、出る度これかよ……ミレット、やっぱり戻れ」

「申し訳ありませんが、その命令だけは承諾しかねます、旦那様」

 呻く男と、手を前に組んで一礼する女。その会話にようやっと我に返ったのだろう。少女が小さく口を開いた。

「あの……」

「ん?」

 男が返事をすると、少女はエリザヴェータの背後に隠れてしまった。これから図書館まで一緒に歩き、そこでも同じ空間にいる予定なのだが、これで大丈夫かと思う男をよそに、少女はエリザヴェータの背に隠れたまま、

 

「あの……フードを……ミレットさんに」

「……あぁッ」

 納得、と頷く男の声の大きさに、首をすくめる少女へ男は慌てて頭を下げた。

「ご、ごめん……じゃなかった、すいません」

「あの、いえ……その、いつも通りの喋り方で」

「あ、うん……じゃあ、そうする」

 社交辞令的な物が多く含まれた会話の後、男は通りに目を走らせながらミレットに向かって口を開いた。

 

「フードだ。お前もエリザヴェータみたいに」

「お断りいたします」

「……じゃあ、命令だ」

 男の有無を言わせぬそれに、ミレットは自身の胸に手を当てて応じた。

 

「旦那様、私はメイドで御座います。フードなど被れば、それはもうメイドの皮を被ったフードで御座います。」

「何がそこまでフードを大きな存在にさせたんだ」

「何よりも旦那様、旦那様もご愛用のDVDなどでもコスチュームプレイ系の物でコスチュームを脱がしに掛かる男優を旦那様はどう思われますか」

「お前も男優も死ね。特にそんな駄目男優死ね。それお前ただの裸のねーちゃんじゃねぇか。コスチュームってのは脱がしちゃ駄目だろ。ナースならキャップ、バニーならタイツとウサギ耳カチューシャ、メイドならドレスとヘッドドレスは最低残していやそうじゃなくて、なんでこの面子でそんな例え出した」

 と、言い終えてから男は、しまった、と眉を顰めた。どう考えても若い女性達の前ですべき話ではない。DVD、などと言ってもエリザヴェータと少女にはとんと分からぬ言葉である。あるのだろうが……男がそろりと少女二人を見ると、

 

「そんなにんまりとした口で俺を見るな。だからといってそんな距離を取ろうとするな」

 そういった物に敏感な年頃だ。分からないものがあれど、なんとなく理解できたのだろう。エリザヴェータはフードから見える口元をにやりと歪ませ、少女は男から更に距離をとって警戒心むき出しの相で腰を落としてしまっている。

 

 ――あぁ、くそ。

 舌打ちしながら、男は少女達から目を離して周囲を見回す。どこかに目的のものが在った筈だと目を動かす男の視界には、ミレットを見て呆然と立ち尽くす人々だけが入ってくる。いや……そんな棒立ちの人々の中、やけに平凡な、まったく特徴の無い中年男性が、慌てて去る姿も見えたが、男は特に気にしなかった。

 何かを探す男の耳を、玲瓏な声が打つ。

 

「猫耳フードや猫耳カチューシャなら起源的にいざ知らず、ただのフードなどメイドとして断固拒否する所存に御座います」

「お前の価値観は本当に分からん」

 内容は非常に馬鹿げていたが、その分声の美しさは尚際立つ。

 と、きょろきょろと動かしていた目が目的の物を見つけた。男の目に映るのは、ドレスが描かれた古ぼけた看板である。男はウィルナにしたように、ミレットに手のひらを見せた。

「そこで待ってろ、すぐ戻ってくる」

 猛ダッシュでその目的の場所――店に走りより、勢い良く扉を開けて店内に転がり込んだ。広くも無い店内は静まり返っており、客も全くいない。カウンターでこちらを唖然と見つめてくる中年の店主に、男は早口で、一秒でも惜しむが如く問うた。

 

「フードつきのコートとかありますか?」

「……ん、ん? あぁ、あんちゃんのかい? じゃあ、それなんてどうだ?」

 突如転がり込んできた客に戸惑い気味な店主の、その指差した先にあるコートを碌に確かめもせず、男は無造作に掴み、ポケットから取り出した数枚の硬貨と共にカウンターに置いた。

「これで足りますか?」

「あ、あぁ、多分十分だろうが……」

「じゃあ、もし足りなかったら魔王の翼亭まで来てください、足りなかった分払いますからッ」

 やはり、これも早口に言い放ち、男は来た時同様勢い良く扉を開けて店から去って行った。

 後に残されたのは中年の店主と、カウンターに置かれた硬貨である。店主は自身の前、カウンターにある硬貨の枚数を見て、

「いや……これ多分多いぞ?」

 ぼそりと呟いた。

 

 男が息を切らして店から出ると、ミレットが一礼して男を迎えた。立っている場所は、男が待っていろと言った、そこである。一歩も動いては居ない。

 男は先程買い取った、手に無造作に掴まれたコート、外套をミレットに突き出した。

「とりあえず、これを着ろ」

「……これ、で御座いますか」

 男性用の無骨な藍色のそれは、ミレットの手には酷く不似合いであった。

「……これは、旦那様が選ばれたので御座いますか」

「俺の分の給金で、買った」

 選んだわけではないので、男はその質問には答えず、ただ身銭を切ったと言う事だけを強調しておいた。卑怯かもしれないが、これなら命令を聞く筈だと男は考えたのである。

 ミレットは手渡された外套を広げて見つめ、次いで男を見た。

 

「旦那様、どの様になるかを見たいので、少しわがままをよろしいで御座いましょうか?」

「ん、なにが?」

「よろしいで御座いましょうか?」

「……まぁ、いいけど?」

 ぞんざいな返事をした男の前まで歩み寄り、ミレットはフードつきの外套を一瞬で男に羽織らせた。フード部分を男の頭部に掛け、ミレットは一歩引いてそれをゆっくりと眺める。居心地が悪い、と身を僅かに竦める男の姿に、ミレットは頷き。着せた時同様の速さでそれを脱がせ、今度は自身へと外套を掛け、最後にフードを被った。

 一瞬、とはいかぬが、それなりの速さで行われた奇矯に、男は外套のフードによって相の隠れたミレットをただじっと見つめた。

 秘された貌は何も語らず、ただ時間だけが過ぎていく。

 そんな奇妙な沈黙の中、見つめられている当人、外套を羽織ったミレットは男の背後三歩後ろまで音も無く静々と歩み、影を踏まぬように佇むそこで、

 

「時間は有限なのでは御座いませんか?」

「……お前が言うな」

「これは失礼を致しました」

 男の背後で恭しく一礼するミレットに、疲れた相の男は肩を落とした。男にとっては見えぬ背後の出来事である。恭しく一礼したかどうか、実際のところは分からない。ただ、やったのだろうと感じた事だけは確かだ。男は疲労と困惑の相でエリザヴェータと少女に目配せする。少女二人はなんとも言えぬ雰囲気で、ただただ黙ったままであった。

 

 ――なんだこれ?

 目的の場所である図書館に行く前から、男はもう疲労感に苛まれていた。それは、エリザヴェータと少女も同様で在ったのだが。

 それはそうとして。男には気になる言葉があった。どうでもいい筈である。しかし、どうしても無視できない言葉だ。

 

「ミレット」

「はい」

「起源的に、ってなんだ?」

 ミレットは確かにそう言った。猫耳フードだの、猫耳カチューシャだの、珍妙なインパクトに隠れる筈の言葉は、それでも男の中に楔を打ち込んだ。そこに何かがあると。

 

「……」

「なんなんだ」

 ミレットは応えず、ただ無言のまま一礼した。

 我侭で、勝手な事をして、応えない、と男は思い。どうしようもない程、安心した。

 

 ――剣じゃない。こいつはやっぱり、人間だ。

 と。




20130213 後半部分を修正。


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第22話(大幅修正版)

かなりの文章が足りていなかった、また唐突過ぎたと仕事中に気付き、帰宅と同時に文章の修正、追加いたしました。
今後はこんな事が無いよう、注意いたします。


 人々が行き交う通路で、一人の少女が所在無げに佇んでいた。

 少女は、足元に在った石を蹴って、短く息を吐く。ついていない、と少女は肩を落とした。

 その姿は、少女特有の愛らしさを多分に含んでおり、道行く人々はなんとなく目で追ってしまう。少女の身を包む貧相な鎧と、腰にある片手剣が、その少女が冒険者、それもまだ新人のそれである事を物語っている。

 仕事を取り損ねたのか、それとも失敗でもしたのか、等と思い彼らが歩きながら眺めていると、その少女に近づいていく四人、これもまた継ぎ接ぎだらけの皮鎧を身にまとった、一見して冒険者達と分かる姿が見えた。

 

 そして、少女と四人組は少しばかり話を交え、やがてお互いに頷き。

 ゆっくりと道行く人々の視界から去っていった。誰も止めようとは思わない。危ないとも思わない。道を歩いていた皆は、そのまま各々が目的とする場所まで何事もなく進んでいく。十歩も歩けば、大抵の者は少女と四人組の事など忘れ、これからの仕事、用意しなければならない家族への料理等へと思いを馳せた。

 今しがた彼ら、彼女らが見た物は、この都市、ヴァスゲルドでは良くある風景なのだから。

 

 

  ○      ○      ○

 

 

 薄暗く狭い室内で、彼らは食料を探していた。

 陽のあたらぬ世界であれど、目は機能を失っていない。目をぎょろぎょろと小刻みに動かし辺りを見回すと、苔があった。彼らは四つの足を使って跳ねながらそれに近づき、口をあけて長い舌を伸ばした。

 彼らの食事は、大抵そんな粗末なものだ。迷宮、それもゴミ漁り御用達と呼ばれる最低難易度の場所でさえ、彼らは食物連鎖の最下層に位置するモンスターでしかない。

 故に、飢えを凌ぐ為なら彼らはなんでも食べた。今口にしている苔などは常から食すもので、ゴミ漁りの死体、それにわいた虫などは彼らからすれば偶のご馳走である。

 どれだけ知能が低かろうと、糧となれば本能は忠実だ。美味い物を口にしたい、という欲求は強く、あぁどこかにご馳走はない物か、と不満げに苔を貪る彼らの耳を、音が打った。

 

 一斉に動きを止め、彼らは音がしたであろう場所を、ぎょろりと見る。こつこつと鳴る音は、迷宮でよく見かける、二本足の生き物の足音だ。

 どうするか、と目で合図をしあい、彼らは最後にリーダー格の一回り体の大きな存在を見た。

 瞳孔が開き、舌を伸ばして振るっていた。やる気だ。

 そう感じた彼らは、もう苔など見向きもせず、ただじっと足音がした方向を睨みつけ、そして二本足の影が狭い室内に入ってきた瞬間後ろ足に大きく力を入れて飛び掛った。

 

 上手くいけば、ご馳走が食べられる、と。そう信じて飛び掛り。

 彼らは全員、死に絶えた。

 

 

  ○      ○      ○

 

 

「ヒューム、そっちに――って、終わってるか」

「当たり前だ」

 名を呼ばれた冒険者、ヒュームは、自身の名を呼んだ中衛弓士ディスタに振り返り、手に持っている片手剣を軽く振ってこびり付いた血を払った。

 床に散乱したモンスター――フロッグの死体、今しがた殆ど自身一人で倒したそれらを一瞥して、肩を落とす。

「……なんだってんだ、こりゃあ」

「ま、仕方ねーよなぁー」

 零れ出た力ない呟きに、カンテラを持って立つベルージが応じる。先程ヒュームの名を呼んだディスタも同じ様な姿であるし、ブレイストも言わずもがな、だ。

 そのなんとも、力の抜け切った仲間達の態度にヒュームは眉を顰めて

「いや、お前らちょっとは警戒しろよ」

 と言っては見ても、彼自身警戒など全くしてない自然体だ。片手剣を下げた姿は力みなど一切無く、達人ゆえの無駄な力を行使しない姿と言うよりは……

「お前が言えるか、それ?」

「……まぁ、な」

 仲間達と同じ、無警戒が為だ。

 

 あの後、彼らは『魔王の翼』亭に居辛くなった為、店を出て四人で適当に道を歩いていると、何故かとある迷宮の中に入ってしまっていた。

 そこは彼らが普段攻略しているような難易度の高い場所ではない。

 では、どうしてそんな場所に、と思えど、ヒューム達には思い当たる節がある。在りすぎた。

 

「こんな気分で歩けば、そりゃここに来るか……」

 ヒュームの声に、他の仲間達は何とも言えない相で辺りに目を這わせた。

 石造りの薄暗い地下迷宮。そこそこに広く長い通路。罠など殆ど無く、偶に出てくるモンスターも貧弱で脅威足りえない温い空間。

 そこはかつて、彼らが何度も潜った場所であり、一番苦戦した場所であった。

 

「信じられねぇよな。俺達、こんなのにまごついてたんだぜ?」

 自身達の居る、狭いフロアの天井を見上げてシニカルな笑みを浮かべるブレイストに、ディスタが頷く。

「あの頃は失敗ばっかで、バズさんによく怒られたよなぁ」

 あの頃、と言うのはゴミ漁り時代の事だ。彼らとて最初から強かった訳ではない。むしろスタートは遅かった方だろう。純粋な前衛はヒューム一人で、中衛のディスタは弓が仲間に当たるのではないかと常に弱腰で、ブレイストも魔法を冷静に行使出来ずにまごつき、ベルージは効果的なサポートスキルの使い方も分からず、上がりの無い日が何日も続いた、そんな頃だ。

 

 ぼろぼろになってバズの店に戻り、彼らは店主に怒鳴られ、そして余り物だと言われた食べ物をよく貰った。

 嬉しくて、情けなくて、傍目も気にせず何度泣いただろうか。ヒュームにはもう、そんな事は多すぎて分からない。

 首を横に振り、長大息を漏らした。

 そんな気分であるから、気持ちであるから。かつてを、苦しい時間を長く味わったこんな場所に来てしまったのだ。

 

 冒険者、または傭兵という生き方を選んだ人間は、どこか偏った人間が多い。生来そうであったのか、環境がそうさせたのか、偏屈で不器用で、どうにも一般的な枠に入れない人間ばかりだ。

 それも当然と言えるかもしれない。普通に生きられるなら、普通に生きていける。

 それを態々冒険者、傭兵、そんな生き方を選んだ時点で違っているのだ。それ以外生きる道が無かったと苦しみ、嘆き、後悔の果てに受け入れたのだとしても、命を糧に金を得ようとする事は、普通ではない。間違いなく偏りが在るのだ。

 感情を上手く処理できず、謝罪する機会を逸し、かつて散々苦しめられた迷宮に呆っと入ってしまうなど、まず普通の人間はやらない。そしてそれは、元冒険者、彼らの恩人であるバズも同じである。なにせバズは、若い頃競争相手に抜かれたと言う理由だけで、仲間達の制止を振り切り一人迷宮へと転がり込み、結局新調したばかりの斧を駄目にしたのだ。

 もっともこの辺りの話は、どんな冒険者にも大なり小なりある馬鹿話だ。ヒュームやバズだけがおかしいという訳でもない。前述の通り、彼らは大抵馬鹿か不器用、どちらかに振り切って、偏っているのだから。

 

「馬鹿だよなぁ」

「いや、もう言うな」

 ディスタの言葉に、ヒュームはまた首を横に振る。言わねば気がすまないとばかりに。

「朝、さっさと降りてすいませんでした、って頭下げりゃ、良かったんだ。それを俺達は、下手にプライドなんて持ったから言い訳なんて考えて、時間を無駄にした挙句、これだ」

 周囲に散乱したモンスターの、その真っ二つに分かれた死体の一つを片手剣で軽く叩いて、ヒュームは鼻で笑った。モンスターに対する嘲笑ではない。

「結局俺達は、ゴミ漁りのままだ」

 自身に対する物だ。

 

 その言葉に、ディスタは片眉を跳ね上げたが、結局何も言わなかった。リーダーがこうなった以上、サブリーダー格である彼がヒュームの気持ちを切り替えさせなくてはいけないが、その彼自身ヒュームの言葉に否定的な感情を抱けない。

 何より、結局何も考えないまま、体の動くままにゴミ漁り御用達と言われる迷宮に入ってしまったのだから、何も言う権利は無い。それは皆、同じだ。

 それでも、こんな場合誰かが動く。

 

「ま、それはいーからさ」

 いつだってエールを飲むベルージが、軽く手を叩いて皆の視線を集める。

「来ちまったもんは、仕方ねーからよー……、久しぶりに歩こうや。今の俺達には、多分ここがお似合いって事だろうし、な?」

 片目を瞑って不器用にウィンクするベルージの顔を、ヒューム達は凝視し――大笑いした。

 

「どこの色男だ、お前」

「えー……」

「いや、今のは良かったぞ。あれなら娼婦も落とせるぜ?」

「えぇー……」

「それミレットさん達にやってくれよ。反応確かめさせろ。で、良い方向に行くなら今度俺がやる」

「ええぇー……」

 ヒューム、ディスタ、ブレイスト、仲間達の言葉に一々応えるベルージの相は、げんなりとした物であったが、そこには笑いを誘う愛嬌があった。

 それにまた彼らは大笑いし、ヒュームが目じりに浮かんだ涙を乱暴に手の甲で拭い口を開く。

 

「そうだな、歩くか」

 彼らは頷き、そして歩き出した。が、その足はすぐに動きを止めた。

 ヒュームは僅かに腰を落とし、体を半身に構え、ディスタは前方を睨みつけ、弓に矢を番え。ブレイストはロッドを前に突き出し、ベルージは左手のカンテラを床に置き、メイスを右手に後方へ下がった。通常であればカンテラは必要だが、弓士であるディスタの一撃から始まる彼らには、光は必要なかったからだ。

 

 足音だ。

 まとまりも無い、ただ全力で走っていると一聴して分かる物だ。それが、彼らの前方、長く暗いみすぼらしい石造りの廊下、その光も届かない向こうから迫ってくる。

 小さかった音はやがて瞭然と彼らの鼓膜を振るわせ始め、目に飛び込んできた人影は――

 

 去っていった。

 

 振り返りもしない。全力で、怯えきった表情が、四人。

 一目で安い鎧だと分かる物を着込んだ四人が、恐怖に貌を引き攣らせてヒューム達の隣を我先にと通り抜け、去っていったのだ。

 一番最初に肩から力を抜いたディスタは、体を前に向けたまま目だけ後ろへ向け、耳に神経を集中させる。

 足音は小さくなっていくだけだ。戻ってくる気配が無い事を確認してから、ディスタは肩を落とした。

「ゴミ漁りだな」

「うん……あれは、逃げたな」

 ベルージの言葉に、何から、と返す者は無い。ここは迷宮で、今しがた必死の形相で去って行ったのはゴミ漁りだ。であれば、判然とさせるにさしたる思考は必要ない。

 

「この先だな……行くか」

 ブレイストの声に、ヒュームは、おや、と相を崩した。声に妙な緊張が含まれていたからだ。

 ヒュームの相を見たブレイストは、神妙な相を態々創り上げ、声を落とし

「おいおい、俺達は今、なんだ? ゴミ漁りのグループなんだぜ?」

 なんだそれは、とヒュームは口を開きかけたが、あぁ、なるほどとすぐに思い直し頷いた。

 その程度が相応しいと言ったのは、他ならぬ彼自身だ。

「よし、じゃあ行くぞゴミ漁り共!」

「お前もだよ、ゴミ漁りのヒューム」

「あぁ、そうさ」

 ヒュームはベルージを一度見てから、にやりと笑って片目を閉じた。

 馴れていないヒュームのウィンクを見て、彼らがどうなったか等、言うまでもないだろう。

 

 

  ○      ○      ○

 

 

 冒険者未満の冒険者、と呼ばれるゴミ漁りは、所謂お試し期間だ。

 どこまでやれそうか、どこまで行けそうか。それを確かめる為の見習い時代である。

 そんな見習いの間にやはり無理だ、と辞めてしまう者も少なくはなく、また続けるつもりであっても、怪我や実家の都合で抜けてしまう者も居る。

 そうなると、そのゴミ漁りが抜けた分を補わなければ成らない。時には喧嘩別れや、パーティバランスの為に再編成を余儀なくされたグループもあるので、この頃が一番面子が変わりやすい。同じ宿に居るゴミ漁り、町で見かけた少数だけのゴミ漁り等に声をかけ、彼らは再び頭数を補充し迷宮へと向かっていく。とりあえず、一回組んで様子を見るのだ。一回だけの補充要員、と言うのもある。

 それもまた、お試し期間と言われる所以であろう。

 そして、今長く貧相な廊下を走るリーヤも、再編成を迫られたグループに声を掛けられ、とりあえず今回だけでも、と補填された頭数の一人であった。

 

「あぁもうこれはねぇだろ! あいつらもう二度と組まねぇ!!」

 酸素が必要な走行中に、怒りの余り大声が出てしまう程度に彼女は憤慨していた。

 これでまた、生存時間が短くなったと理解は出来ても、感情が爆発せぬ事をよしとしなかったのである。短気な性分は本当に損だ、とリーヤは走りながら毒づき、背後に目をちらりと動かした。

 迫ってくる影は三つ。四本足で硬い石造りの廊下を軽快に走るのは、灰色の狼だ。

 グレイウルフ。モンスターレベル7。単体対単体撃破難易度7。集団対単体撃破難易度5。集団体対集団撃破難易度9。

 狭い範囲での集団戦を得意とする、見た目通りの名を持つモンスターである。

 だが、そんなデータはどうでも良い事だ。そんなデータ以上に、出会った瞬間彼女を置いて逃げ出した、今日組んだばかりのゴミ漁り達よりも、まず彼女には納得のいかない事がある。

 

「なんで! お前らがここに居るんだよ!!」

 またも口からでた声と酸素が、彼女の顔を更に赤くさせ、肺を締め付ける。

 

 グレイウルフは本来ここに居ない存在だ。モンスターレベル7と言えば、中堅冒険者なら軽く、といった物で、ゴミ漁り卒業後の新米なら、同数同士でなんとか、といったところだ。

 どう考えてもゴミ漁りには荷が重い。そんな存在が居るなら、ここはゴミ漁り御用達迷宮とは呼ばれていないだろう。

 だからこそ、リーヤを誘った者達は一目散で逃げ出した。そしてそれを、リーヤは分からないでもない、と冷静な部分で感じていた。

 

 まずは生き残る事。それがルールだ。初心者だろうが、ベテランだろうが、一流だろうが、死ねばそこまでだ。敵わない相手を向こうに回したとき、兎に角逃げる、と言う事は冒険者として間違った事ではない。むしろ発見に遅れた自身が悪い、とさえ思う。だがそれとは別に、冒険者ではない、一人の少女としての部分が、納得いかぬと吼えさせている。

 

 何よりも、甘く見ていた自身に彼女は怒りを覚えた。

 最近の迷宮はおかしい、と知っていた筈であるのに、対岸の火事と考え、自身の身を焼く事は在り得ないと、なんの確証もなく決め付けていた。

 

 走りながら、リーヤは自身の手に在る片手剣に目を落とした。

 研ぎ直されたそれは、リーヤの纏まらぬ感情とは違い、無骨に一つの為だけに鈍く輝いている。敵を倒す為に、と。

 では足を止めて剣を振るうのか、と問われれば、リーヤは否と首を横に振る。それが出来るなら、逃げては居ない。噛み切られて死にたくは無い。爪で切り裂かれて死にたくは無い。

 ――死にたくなんか! ねぇ!!

 

 偶然、いつも組む仲間達が宿屋や店の仕事で体があかず、一人で暇をしていた所に声を掛けられ、これだ。簡単な気持ちで頷いた自身を、彼女は恨んだ。死ぬに死ねない。死に切れない。

 気心のしれた仲間達に詫びながら、彼女は奥歯が砕けるかと言うほどに強く噛み締め、ただ前を見た。暗い、代わり映えのしない通路が、ただそこに在るだけだ。

 ――前髪だけなら! 今触れさせろよ!!

 

 遠い昔、どこかで聞いた勝利の女神の話を思い出しながら彼女は走り続け、ただ走り続け――やがて手足は痺れ、顔は上がり、肺と心臓は限界だと脳に信号を送り。

 目を閉じた。リーヤは、確かに目を閉じたのだ。

 ――もう、無理だ、畜生。

 声にならぬそれを、胸中だけで呟き。ならばせめて、と手に最後の力全てをつぎ込み、片手剣を強く握り締めた。

 目を開き、足を止め。ゆっくりと振り返り、口を真一文字に閉ざして、迫ってくるグレイウルフを睨みつけた彼女は。

 

「は?」

 自身の隣を走った風切り音と、それに少しばかり遅れて奔った銀色の影を目にした。

 一瞬であった。ディスタの放った矢がグレイウルフ一体の額に深々と刺さり、未だ駆ける二体の灰色狼の首と胴体を、鈍い光を放つ片手剣が切り裂いた。

 息をしていない事を確認してから、リーヤの隣を走りぬけ一瞬で二体仕留めた人影、ヒュームは、血が付いた片手剣を軽く振るって鞘に戻した。

「よう、大丈夫か?」

「あ、あ、あ、あれー? ヒュームさんが居る……あれこれもしかして最後に見る走馬灯とかいう奴?」

 だとしたら、歳若い乙女としては納得出来ぬ最後であれど、満足だ。リーヤの冒険者としての憧れは、ヒュームだ。特に強力な火力を有したわけでもなく、強力なスキルを持つでもなく、冒険者として凡庸であるヒュームは、中堅最強の一人として一つの頂に立っているのだ。

 そこが小さな山であろうとも、リーヤからすれば見上げても尚見えぬ雲の向こう、果てである。そんな風になれるのなら、と何度リーヤは胸を高鳴らせ、頬を紅く染め思った事だろう。

「くそ……最後になんてもん見せるんだよ……死に切れねぇじゃねぇか……こんなの」

 俯いて、涙をボロボロと零すリーヤに、ヒュームは怪訝な相を浮かべて近づいた。

 

「おい、本当に大丈夫か?」

 頭をぺしぺしと叩くヒュームを、涙の浮かんだ瞳で呆然と見上げたまま、リーヤは叩かれた頭を数度撫で、

「ほ、本物だー!?」

 顔を赤く染めて勢い良く後ろに跳び退いた。

「当たり前だろうが」

「いやここに居るのがおかしいっていうかなんでここにヒュームさん!?」

「俺達も居るんだけれどな?」

 リーヤとヒュームの背後から、弓を持ったディスタ、にやけ顔のブレイスト、カンテラを持ったベルージが現れる。

 リーヤは目を見開き、自身の頬を捻った。

 

「本物だって」

 ヒュームの言葉に、リーヤは涙の浮かんだ目を、乱暴に手の甲で何度も拭いながら頷いた。

「いやまぁ、お邪魔でしたかなぁ」

「う、うっせーなぁブレイストさん!」

 にやにやと笑うブレイストに、リーヤは鋭い目を向けて迫力無い一喝をした。本気で怒鳴ったところで、ヒューム達の身を竦ませる事など不可能ではあるのだが。

 

「どういう事情かは、お互い道々しよう。まだ進むなら手伝うが?」

 ヒュームから掛けられた言葉に、リーヤはすぐに応えず、暗い通路の向こうを黙って見つめた。 小さく息を吐き、リーヤはヒュームの顔を見上げた。熱くなる頬を意識せず、出来る限りゆっくりと、落ち着いて声を出す。

「ここは。仲間達と一緒に進みますです」

 おかしな言葉遣いに触れず、ヒュームと仲間達は軽く頷き、そうか、とだけ零した。

 さて、じゃあ帰るか、と呟いたディスタは、振り返ろうとして動きを止めた。

 一瞬で腰を落とし、背に担いだ矢筒から矢を一本抜き取り、弓に番える。まさに一瞬だ。

「どうしたッ!」

 小さな声で叫び、腰を落として片手剣の柄に手を置いたヒュームに、ディスタは短く応える。

「何か居た」

 ブレイストがロッドを手に持って使う図式をイメージし始め、ベルージは後退する。リーヤは足手まといになるだろうと、ベルージの傍まで下がり、全員が息を殺した。

 数秒、じっと前方を睨みつけ、ディスタは首を伸ばして視界に広がる闇の世界を凝視し続ける。目と耳に全神経を集中させ――彼は引き絞っていた弓の弦を緩めた。

 

「くそ……なんだ、これ」

 首を伝う、やけに温い汗を慌てて拭い、矢を矢筒へと戻し立ち上がる。

「何が居た?」

 未だ闇を睨み続けてたまま問うヒュームに、ディスタは首を横に振った。

「何か嫌な感じだった……一瞬だけ視界にはいったのは……そうだな、白一つと……黒二つだった」

 中衛弓士が持つパッシブスキル、ナイトビジョンを持つディスタの言葉だ。ヒューム達は疑いをも持たない。

「白と黒のモンスターか」

「……」

 ブレイストの漏らした溜息交じりのそれに、ディスタは応えなかった。応えれば、妙な事を口にしなければならなくなるからだ。

 

 ――なんだ、あれは。

 

 一瞥、一瞬だけの捕捉だった。それはモンスターではなく、白い服を着た一人と、黒い服を着た二人だった。

 そう、彼の目には、確かに人が見えたのだ。それだけなら、同業者が居たと思うだけで済むはずだ。だと言うのに、ディスタの経験が、勘が、警鐘を嫌と言うほど鳴らしている。深く触れるなと、多くを語るなと。

 それ以上に、彼は自身の深い場所へと侵食する恐怖に怯えた。日常が音を立てて崩れて行く様な錯覚が眩暈さえ感じさせる。

 何か、一瞬見ただけでも忘れる事が出来ないような、最近どこかで見ている何かの様な、そんな物が。

 確かに、見えたのだ。

 

 

  ○      ○      ○

 

 

 迷宮から出て、中央区へ出る道を歩む。

 そこには草臥れた様子の冒険者や、意気揚々とした冒険者達が歩き、それぞれの成果などを大きな声で、また小さな声で語り合っていた。

 そんな中、リーヤ達はというと。

 

「なんですそれ」

「まぁ、なんだ。あんまり突っ込んでくれるな。ちょっと自分が今情けない」

「そんなの最初に頭下げてりゃあバズさんならあぁそうかですませてますってばです」

「それが分からないほど、こっちも馬鹿になっててな。中途半端なプライドが、邪魔した……あぁいや、もう言い訳はやめよう」

「……はい。そっちの方がヒュームさんらしいですよ」

「そうか」

「はい」

 会話を交わしていた。

 といっても、交わしているのは二人だけだ。他の三人、ディスタ達は少しばかり後ろを歩き、黙ってヒュームとリーヤを見ている。

 いや、黙っては居なかった。彼らは小さな声で

 

「で、あれいつくっつく?」

「うちのリーダーはあぁいうのとことん駄目だからなぁ……この前娼婦に出す手紙の内容相談したら、天気の話でもしたらどうだ、で返した男だぜ?」

「それはひどい」

 そんな言葉を交わしていた。

 幸いヒュームの耳には届いていない。が、リーヤの耳にはしっかりと届いていた。

 ――ブレイストさんはほんとに碌な事しねぇ。

 

 と、胸中で苦く零す彼女の耳に、聞きなれぬ声が届いた。

 

「よう、ヒューム」

「あぁ、ジータ。久しぶりだな」

 目を声がした方向に動かすと、様々な迷宮へと向かうための道、その交差点となる場所に置かれた道しるべの傍に、冒険者達が四人居た。

 一見して高級品と分かる装備で身を纏った冒険者達だ。その彼らは、ヒュームの隣にいるリーヤを一瞥し、笑みを浮かべた。

 

「相変わらず、古いルール守ってるのか? そんなだから、出遅れるんだぜ?」

「誰かに回してる時間を自分達の為に使うのが、そんなに嫌か?」

 ジータ、と呼ばれた男と、その隣にいる男の言葉に、ヒュームは首を横に振る。

「こっちの方が、誰かの役に立ってるって実感できるんだ。馬鹿にするか?」

「いや」

 ジータは、意外にも否定せずヒュームの言葉に頷いた。

「むきにならないっていうのは、お前らが無理をしてない証拠だからな。迷宮の潜り方も、やり方も、ルールも色々だな。ただ……」

 ただ、とジータは空を仰いだ。

 

「お前らなら、もっと先に、もっと早く行けるんだ。それも忘れるなよ?」

「これくらいで丁度良い、って事だ。潜る速度もそれぞれ、だろ?」

「そうか」

 ジータはヒュームににやりと笑いかけ、歩き始めた。続いていく仲間達を引き連れて去っていく彼の背中、そこに背負われたいかつい斧を見つめ、リーヤはヒュームに問うた。バズの店、彼女が使っているホイザーの店に居ない顔故に、だ。

 

「あれは?」

「俺達の二つほど先輩、かな。一流って呼ばれてる冒険者だぞ?」

「んー……二つ名とかは?」

「戦斧だ」

「あぁあれか」

 リーヤでも聞いた事がある名だ。ただ、会った事もなかったので、流石に分からなかった。ピンきりで、おまけに減ってもまた増える冒険者社会だ。人の顔と名を一致させるのは難しい。

「今時の冒険者って奴でな。まぁ何度か一緒に仕事もしたし、悪い奴じゃない」

 すこしばかり離れた所に立っているディスタからの言葉に、リーヤはなるほどと頷く。リーヤを一瞥してきた時、彼らの目に侮蔑や嘲笑の色は無かった。ただ、ゴミ漁りを助けてどうするんだ、と純粋に思っていただけなのだろう。

 見返りなど無い事であるのだから、迷宮攻略や収入の安定をまず第一に考える今時の冒険者からすれば、古いルール等守る必要はそうない物だ。

 

 リーヤ達に背を向けていたジータは、何か言い忘れていた事でもあったのか。立ち止まって振り返った。大きな声をあげ、ジータは口を動かす。

「そうだ、ヒューム」

「ん?」

「お前、火焔竜の迷宮の話、知ってるか?」

「火焔竜……? あぁ、あれか」

 冒険者の間には、都市伝説的な話は多い。隠された十番目の迷宮、迷宮の王、徘徊する不死の騎士、そして火焔竜の迷宮と言えば。

 

「そうだ、一流殺し、だ」

 そんな場所がある。比較的踏破難易度の低い、火焔竜クリムゾンソードの迷宮、そこの最深部には、他と同じ様に竜の彫像が置かれている。その真紅に染められた竜の彫像が在るフロアには、一つの扉があるのだが、そこが妙なのだ。

 

「大抵の冒険者が入っても何も無い。が……」

「一流と呼ばれる冒険者が入ると、生きて出て来れない」

 そんな間だ。それの何が恐ろしいかと言えば、それが真実だからだ。

 かつて、武器を強化する為の素材集めにその迷宮へと向かった一流どころが、いつまで経っても迷宮から帰ってこないと言う事があった。帰ってこれない訳が無い。迷宮へと潜ったのは名うての者達なのだ。

 それを不審に思ったギルド役員が、他の冒険者に探索を依頼したのだが、仕事を請けた者達は、最下層のフロア、その扉の奥に転がっていた、真っ二つに両断され、或いは壁や床に押し潰れてこびり付いていた一流冒険者達の死体を発見してしまったのである。

 

 それ以来、ならば自分達がそのフロアを踏破してやろうと多くの者達が向かって行ったが、帰ってこなかったのは全て一流と呼ばれた冒険者達だけであった。

 故に、一流殺し、と安直に呼ばれる様になったのである。

 

「で、それが?」

「……いや。ただ、最強は誰か、ってのをそろそろ証明したくてな」

「やめとけよ。あれは噂話の類じゃない。一流の冒険者が帰ってこないってのは、事実なんだぞ」

「潜り方はそれぞれ、だ」

 もう言い残した事はないのだろう。ジータは、今度は振り返る素振りも無く、去っていった。

 小さくなっていく背に、ヒュームは何か声を掛けようとして、首を横に振った。決めたのだろう。一流と呼ばれて尚足りぬと、それを。ならばもう、言うべき事は彼にはなにもない。ヒュームはジータが先程見せたように空を仰いだ。

 

 沈みかけの陽は紅く、ヒュームはそれが血の様に見えた。




結局今日更新みたいなもんなわけで。
更新スピード落として、もっと見直すようにしないとなぁ、と思う次第です。
……本当に申し訳ありません。


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23話

今日は書かないつもりでしたが、ついこう……手が。


 見慣れた道を歩きながら、バズは腕を組んで沈思していた。

 かつて世話になった、今は亡き先輩冒険者達の言葉を一つ一つ思い出しながら、彼は思考に沈んだまま、それでも淀みなく道を歩んでいく。

 横を通り過ぎて行く人々は、あぁバズさんじゃないか、と声をかけようとし、またある者は軽く手を上げようとして、バズの沈思するその姿に口を閉ざし、またあげ掛けていた手を下ろして、苦笑いを浮かべて素通りしていく。バズは当然、そんな彼らも目には入っていない。それほどに、何かに思い耽っているのだ。

 何度も通った歩きなれた道である。考え事をしながらでも彼には悠と歩けた。

 やがて、バズの目に一つの建物が映った。バズが自身の店を出て、目的とした場所である。道行く人は目に入らなくとも、そこが目的地となれば流石に気が付く。彼は組んでいた腕を解き、

 

「邪魔するぞ」

 そう言って、目の前にある大きな扉を開けた。空けた瞬間鼻に届いたアルコール臭に、彼はなんとなく笑った。どこも同じだ、と。

 次いで、彼の視界に飛び込んできたのは広い店内と多くのテーブル、僅かばかりに屯する冒険者達だ。

 時間は昼頃である。この時間であればこの程度だろう、とバズは頷き、目当ての人物が居るであろうカウンターへと向かっていく。

「あぁ、バズさん、お久しぶりっす」

「おう、お前まだ生きてたのか」

「あ、ご無沙汰しております」

「お前、相変わらず冒険者らしくねぇな」

 カウンターに辿りつくまでの間、テーブルに集まり硬貨を広げる者達、木製のコップを手に持っている者達、様々な冒険者達がバズに声をかけ、それらに全て言葉を返していく。

 

 そしてバズは、カウンターに着くと目当ての人物を探し……その姿が見えない事に、外れか、と胸中で舌打ちしながら、中の厨房で忙しなく動き回り、仕込みを行っているのだろう従業員達の一人、顔なじみに声をかけた。

「すまねぇが……ホイザーはどうした?」

「あ、こりゃあ、バズさん……どうも」

 バスが来店していた事に今気付いたのだろう。まだ若く見える従業員はバズに向かって慌てて頭を下げ、手をエプロンで拭きながらカウンターに走り寄ってきた。

「今ホイザーさんはちょっと用事で出てまして……なにか連絡なら、自分が聞いておきますが?」「そうか……いや、特に急ぐ話でもねぇ。また来るって伝えといてくれ」

 へい、と答え頷く従業員を見てから、踵を返そうとしていたバズに、声をかけた者が居た。

 

「お師匠。良かったらどうですかな?」

「……お前、居たのか?」

 店の奥、自身の店とは違い広い店内の奥の一角で、一人テーブルに座り、今しがた自身に声をかけてきた、美しく流れる黒髪をポニーテールに整えた冒険者を見て、バズはにやりと笑った。

「暇そうだな……それでも一流か、ガイラム?」

「休む時は休む。お師匠の教えでしょう」

 ガイラムと呼ばれた冒険者は、にこりと笑って返した。

 

 バズが足を向けた先は、かつての同業者、そして何の因果か今も同業者であるホイザーの店だ。中央区で二番目に大きな店、というだけあってその店の規模は中々のものである。

 当然、ホイザーの店は多くの冒険者や関係者が出入りし、情報も集まりやすい。ただ、ホイザーの店の客はゴミ漁りが半数以上で、単純に冒険者の質を追求した場合少々不安を覚えるが、ゴミ漁りはゴミ漁りで情報集めに必死だ。たった情報一つ、それだけが生死を分かつ事もある。

 更に言えば、今バズの前で木製のコップを傾ける一流と呼ばれる冒険者も数名居る。

 そういった場所で交わされる噂話、情報というのは真偽は別として、バズの経験上決して馬鹿に出来ない。殊迷宮の話に関しては。

 

「で、少し聞きたんだが」

「ほぅ……なんですかな?」

 ガイラムが座っていたテーブルに椅子を寄せ、腰を下ろしたバズに、ガイラムは手に持っていたコップをテーブルに戻し、バズをじっと見つめた。バズは対の相手の彫りの浅い貌にある、切れ長の眼の中で濡れて輝く黒い瞳に映った自身を眺めながら、鼻から大きく息を吐いて続けた。

「最近の迷宮は、どっかおかしいようだな?」

 確証のない事だ。ただ、何か違和感はある。元冒険者と言えど、迷宮に関わった時間が、経験が、先程の事件、ミックスのミックスの襲撃を通じて何かをバズに訴えている。そう思えてならないのだ。

 

 バズの言葉に、ガイラムはゆっくりと頷いた。

「最近、拙者も迷宮に潜った際、出くわす筈が無いモンスターから奇襲を受け、慌てふためいた物ですよ」

 時折混じる酷いヤマト訛りのガイラムに、バズはこめかみをぽりぽりとかいた。

「真面目な話のときは、ここの標準語で喋れ。笑っていいのか嘆いていいのか、分からん」

「これは異な事を申されます。拙者は到って真面目も真面目。大真面目ですよ。それをお師匠、無体な言葉で辱めるとは……悲しい事で御座るよ」

「いや、最後は明らかに意図したな?」

「さて?」

 目を細め、口元に弧を描き、ガイラムは髭の全く生えていない尖った顎をつるりと撫でた。中性的で、バズの店に居るメイド二人に僅か一歩及ばぬ、といった貌を持つガイラムだ。実に様になる仕草であった。今は昼時、広い店内に僅かばかりの筈の客であるのに、どこかから漏れた感嘆の溜息がバズの耳に届いた。周囲の冒険者達のうち、数人がガイラムの仕草を目にしたが故だろう。が、バズには見慣れた物である。

 

 ガイラムのゴミ漁り時代、散々面倒を見、世話をした。大陸も言葉も違う異国からこのヴァスゲルドにやって来たガイラムは、特にバズにとって手の掛かった後輩である。その間散々見る羽目になった仕草なのだから、免疫が無い方がおかしい。

「まったく……お前は」

 とは言え、完全に遮断出来る訳でもない。バズは少々内に篭った熱を溜息と共に吐き出し、首を横に振った。

 

「まぁ、いいさ。兎に角、なにか狂ってるんだな?」

「でしょう。どうにも迷宮の均衡が崩れたような気がしますよ、お師匠」

 他の誰が言うでもない。バズの一番弟子、の様な存在である冒険者の言だ。バズには疑う理由も無い。

「しかし、迷宮の様子がおかしくなるなど……過去に在った事はありますので?」

 ガイラムの問う声に、バズは適当に応えようとして――俯いた。適当に返すにも、自分だけが欲しい情報を得るのは、何か違うと思ったからだ。

 

「随分昔の事だが……いや、本当に昔なんだがな? あぁ、だがこりゃなぁ……」

「勿体ぶりますなぁ……早く先を聞きたいのですが?」

「んー……まぁ、いいか」

 バズは腕を組んで片目を閉じ、開かれた片目だけでガイラムをじっと見つめ、続ける。

 彼がここに来てまで欲した情報の根には、かつて聞いた話があったからだ。それを誰かに話すに、否とする物もない。ただ、話したところでどうなるものか、と思うのだが……バズは一度、自身の脳袋にこびり付いたそれを、外に出して冷静に考えみる事にした。

 その相手とすれば、ガイラムは持って来いの相手である。

 

「もう随分と前の話だ。俺の先輩達の先輩……まぁ相当昔、百年は行くって昔だ。一度、大きく迷宮がずれた事があったらしい」

「……ずれた、とは?」

「多分、いつもの様子とは違ったって事だろうな。モンスターがいきなり強くなったやら、弱いくせに、斬っても叩き潰しても死なない人型のモンスターが出たやら、だ」

「ほぅ……まるで不死の騎士だ」

 愉快そうに微笑むガイラムに、バズは頷いた。

「その噂話の原型が、それだ」

 冒険者の間で語り継がれる都市――いや、迷宮伝説の一つである。今も迷宮を彷徨い、出会う者全てを斬ると伝えれる不死の騎士の話だ。

 

「それは……また」

 一変、神妙に呟くガイラムに、バズは溜息をついた。

「俺はまったく出会わなかったからな……所詮噂としか思わんがな。まぁ、クリムゾンソードの一流殺し、程本物となれば、また違うんだろうが」

 最後に口にした一流殺しを別とすれば、迷宮伝説の多くは冒険者への戒めだ。無茶をするな、過信するな、驕るな、そんな事を伝える為に用意されたものが、それらなのだ。長く冒険者をやっていたからこそ、バズはその程度にしか受け取れなかった。たとえそれが今も尊敬する先輩冒険者の口から出た話だとしても、実体験を得ていない身では、その程度にしか思えない。

 

 ――とは言え、もう一つ聞いた話はあるんだが……あれは戒めでもなんでもねぇからなぁ。

 故に、口に出来なかった。馬鹿馬鹿しかったからだ。流石にそれは違うだろう、と彼は大きくかぶりを振って、結局冷静に考える事は無理だ、と諦めズボンのポケットから数枚の硬貨を出しテーブルの上に置いた。

 

「悪いな。大した物も飲めねぇだろうが、これで一杯やってくれ」

「いや、それはおかしい」

 椅子に座ったままではあるが、ガイラムは背筋を伸ばして、今は椅子から腰を上げたバズを見上げた。

「問われたから応えた。そして拙者もお師匠に問い、お師匠は応えましたよ。それ以上の事は無かったはずでしょう、お師匠?」

「俺が聞いたんだ。俺の勝手にさせろ」

「まったく、あなたと言う人は……」

 口から呆れの声音が漏れようと、ガイラムの相は楽しげである。そんなガイラムを視界の端に追いやり、バズは背を向けて歩き出した。

 と、去ろうとするバズの背を、ガイラムの声が引きとめた。

 

「おかしな事と言えば、お師匠」

「あん?」

 バズは振り返り、自身を真っ直ぐに見つめるガイラムを眺めた。

「余りに荒唐無稽なので、記憶の片隅にあったのですが……迷宮で奇天烈な者達を見ましたよ」

「奇天烈ってな、お前……お前が言って良い言葉じゃねぇな」

 額に手を当て、何か言いたげに自身を睨むバズを無視して、ガイラムは口を動かした。

 

「一瞬の事でしたが、白い服の女と、黒い服の女……それと黒い服を着た男を見たのですよ。いや、余りに奇妙奇天烈な服装でしたので、あれは幻覚だと思っていましたが」

「どんな服だってんだ?」

「えぇ、診療所や一般向けの夜の酒場……あとは、娼館などで偶に見る、あれです。いや、男が着ていたのはただの黒一色の服でしたが……」

「もったいぶるなよ」

 バズが目で先を促すと、ガイラムは目を細めて軽き頷き、ぽつりと呟いた。

 

「看護師服とバニースーツでしたな、あれは」

 バズはもう、何も言わずに店から去っていった。

 

 扉の閉まる音を背で聞き、乱暴に頭を掻く。息を吸って、大きく吐いた。最後に馬鹿げた事を口にしたガイラムの顔を脳裏に浮かべ、バズは肩を落とした。

 思えば長い付き合いで在るが、彼はガイラムが男か女か、それさえも知らない。まさに奇天烈な存在だ、ガイラムと言う冒険者は。名前は明らかに偽名。顔立ちはヤマト民族そのものだが、出身は海を隔てた遠い異国と口にしたのみ。年齢も不明。細身の体に黒い薄鎧だけをまとい、手に反った片刃の細剣を持って迷宮を進む一流冒険者だ。ガイラムの一撃を偶然目にした他チームの一流冒険者は、余りに鮮やかな一閃を、まるで時間が止まったかの様な美しい一撃だった、と酒場の席で賞賛した程だ。

 現役最強と称えられ、その人気は一般の街娘にまで及ぶが、その辺りは性別不明な美貌もあってだろう。

 そんなガイラムから最後に聞いたのは馬鹿げた話だが、彼もそれに並ぶ様な馬鹿げた話を口から出そうとしていた。

 

 昔、バズが世話になった冒険者が、更にその先輩達から噂として聞いたと言う話だ。相当に古い話で、軽く見積もっても二百年ほど前の噂話になる、遠い昔の話だ。

 ただ、その話自体は大抵の人間は知っている。冒険者以外でも知っているような類の話だ。

 ヴァスゲルド、迷宮、その根底に潜む一人の小さな英雄の話。

 

「三人目のカイン・フレイビット……迷宮の王様、か」

 迷宮の王。

 それはただの迷宮伝説の一つで、それ以上に……御伽噺だ。




じかんをあやつったようないちげきかー、うわー、だれのしそんだろうなぁー

まぁ今後物語に関わるキャラクターでもないので、遊びました。
後キャラクター設定を脳内で練っていた頃から、ストレイトジャケットの某中性的美人戦術魔法士を思い出してました。
あれ最終巻がなぁ……最終巻がなぁ……なんであの幕引きなの……


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24話

風邪で頭が痛い中投下……いえ、この速度を一回でも落とすと、ずるずると更新速度が落ちて、怠けていく自分が見えたので……


 男が扉を開けると、いつも通り扉の傍にある机に座り、熱心に本を読んでいる中年の男性がいた。少々痩せ気味な体はこのヴァスゲルド中央区では珍しい物で、男とこの中年男性――図書館の主を別とすれば、男が知る限りでは数人と居ない。

 男が自らの城に入ってきた事に気付いたのか。男性は僅かに本から目を上げ、男と、その後ろに居る数人を一瞥した後、また目を本へと落とした。

 他人に興味などないのか、それとも今手にしている本がいい所であるのか。

 深々とフードを被った二人、エリザヴェータとミレットがいてそんな態度なのだから、元々他人に興味が無いだけだろう。

 

 男は軽く一礼してから、男性の横を過ぎていく。続く皆もそれに習い一礼し、そして男は、いつも座る奥のテーブル、そこに誰も座っていない事を確かめ本棚の一角に近づいていく。

 狭い図書館である。時間があれば入り浸り、手当たり次第読み漁っていれば、目を通していない本などもう僅かだ。今や数少ない未読書物を三つほど手に取り、男はエリザヴェータと少女の姿を探した。

 

「んー……私は化粧品関係でも探してみるかな」

「え……エリザヴェータが?」

「そこまで驚くような事かい? ……まぁ、いいさ。私の為じゃないよ。ジュディアに頼まれてね」

 口元に手を当て驚きの相も隠さない少女に、肩をすくめて返すエリザヴェータ。そんな二人の姿に男は溜息を吐き、先程誰も居なかった事を確認した机へと歩み寄ろうとし、立ち止まった。

 男の視線の先には、椅子を引いて待機するミレットがいた。おまけに椅子には、ハンカチらしき物まで敷かれていた。白いそれは、ミレットの物なのだろう。

 

「……そこまでしなくても」

「ここは少々埃が多い様で御座いますので」

「それが良いんだろうが」

「如何様。流石で御座います」

 男は持っていた本の背で軽く肩を叩き、椅子に腰を下ろした。

 さて、と男は本を正面に置き、ページをめくろうと手を伸ばし……視線を感じた。何かと思いながら正面に目を向けると、そこにはいつの間にか椅子にちょこなんといった様子で座る、二人の少女が居る。元々小柄な少女二人である。小さくなって佇む姿は愛らしい物であるが、そうなってしまう要因はどこにあるのだ、と男に首を傾げさせた。

 その男の様を見て、エリザヴェータが小さく声を発した。

「いや君、私達は冒険者と言えどもただの一般市民だよ。メイドを侍らせて、こうも当たり前と言った姿を見せられれば、少々気後れもするさ」

 そうなのだろうか、と男はエリザヴェータの隣に座る少女を見えると、こちらは男の前に置かれた本をじっと見ていた。

 つられる形で男は自身の持ってきた本に目を落とす。そこにはこう書かれていた。

 

『めいきゅうのおうさま』

 

 シンプルな表紙に、シンプルな文字。それに合わせる様に、淡いイラストが描かれた本だ。

「あの、それ……御伽噺ですよ?」

「もうこれくらいしか、読むのがないんだ」

「……君は何気に凄いな」

 戸惑いがちな少女と、呆れの含まれたエリザヴェータの視線に晒され、男は苦笑を浮かべる。計算速度もそうだが、男は本を読む速度も早い。

 例えば、この図書館の主である中年男性が一冊読む間に、男なら三冊は読めてしまう。識字率も低い世界である。一単語、一文、一頁、それらに要する時間が、男とこの世界の一般的な読書人では相当違うらしい。

 さて、それはそうと。男には言いたい事がある。

「で……えーっと、それ、全部読むのか?」

 男は少女、その前に置かれた二十冊ほどの本を指差した。

 

「あぁ、こんなの一時間持ちませんからね……やっぱりこれじゃ少ないですよね?」

「ううん」

「ううん」

 男とエリザヴェータ、二人が同時に首を横に振った。どうやらこの少女、一般的な読書人ではないらしい。

「でも……あの、普通図書館に来たらこれくらいは読みますよね?」

「エリザヴェータ、この人何気に凄いぞ」

「いや、普段は君も知っての通りなんだが、本が多くある場所ではこう、テンションが、ね?」

 エリザヴェータは詳細に語らなかった。目を爛々と輝かせる少女の瞳からなんとなく目を逸らし、男は自身の前に置かれた本を数ページめくり……閉じた。次いで、男は天井を仰ぎ目を瞑った。

 

 ――あぁくそ、まただ。

 口に出さず、ただ心中で舌打ちする。

「あの……どうかしましたか?」

 耳に届いた少女の声に、男は目を開けて声の主に目を向けた。少女は首を傾げ、男をただ見つめている。そこに男の知る臆病な少女の姿は無い。

 だから男は、真っ直ぐに見つめて声をだしてみた。

 

「質問」

「はい?」

「この本、文字に抜けがあったりする?」

 男が差し出してきたページに顔を寄せ、少女は眉を顰め首を横に振った。

「いえ……普通です。何もおかしな所はありませんよ? ねぇ?」

 同じ様に、開かれたページに顔を寄せていたエリザヴェータに少女は目を向け、同意を求めた。少女、そして男から見つめられたエリザヴェータは、顎に手を当て、ふむ、と呟いた後小さく頷いた。

「あぁ、いや、じゃあいい」

 男のおかしな言葉にも、少女は首を傾げるだけで踏み込まない。エリザヴェータは男を観察者の態で眺めるだけで、男の背後に佇むミレットは置物が如くただ在るだけだ。

 

 男には、本を読んでいると稀に全く読めない文字が出てくる。ニュアンスが分からない、読み取れない、そんな物ではなく、本当に読めないのだ。真っ黒に潰された何かが視界に映るだけで、凝視してもノイズが入りだし、脳の奥が痛くなる。しかもそれを、男は長く意識できない。

 それは以前、エリザヴェータとの会話中にも在った事なのだが、男はそれを覚えていない。いや、覚えられない。そうなってしまったのだ。相談しようかと思う度、誰かに聞こうかと考える度、返った頃にはもう忘れている。

 時折思い出すことも出来るが、それは読めない文字にぶつかった時だけだ。

 このまま、また読めない文字が出た、と言うだけで諦め、男の記憶から消えるはずだった出来事は、しかし常と違うこの状況――他者が居ると言う事によって、大きく動いた。

 

「でも、めいきゅうのおうさま……カイン・フレイビットですか」

「三番目のカイン、瓦礫の王、の方で有名な王子様だね。あれは中々、夢がある」

 目の前、二人の会話に男は目を細めた。その名は、英雄や武将が書き記された本で数度見ている。見ているが……何故か読めない部分が多いのだ。そこに元の世界に帰る為の情報があるとまでは男も思わないが、見えない情報への興味が無い訳ではない。

 こうやって、見たときだけ読めないと思い出せる情報である。今、彼は知りたかった。

 鋭い光が宿った男の瞳に興味を覚えたのか。エリザヴェータは肩をすくめて、隣に居る少女へ

「さて、彼はカイン・フレイビットの話をご所望の様子だよ。君に任せたいが、どうだろう?」

「えー……っと?」

 少女は男の手元にある本を一瞥してから、困惑の相で男を見た。当然だ、と男は思った。話を所望だ、と言われても、その情報の一つは今自身の前に在るではないか。何故自分に、と少女が思うのは当然である。

 しかし、自身だけでは無理なのだ。ノイズが、痛みが、邪魔をして無理で無茶なのだ。その意が通じたのだろうか。少女は口元に握った拳を当て、軽く咳払いしてから背を正した。

 

「で、では、光竜神殿三等神官、治癒士カリン……語らせて頂きますッ」

 何やらおかしな調子で、聞かれていない自己紹介まで始めてしまった少女――カリンをじっと見つめながら、男は耳を澄ませた。

 

 

  ○      ○      ○

 

 

 歴史上、カイン・フレイビットと呼ばれる人物は三人居る。

 フレイビット、と言う姓は第二次創生戦争で火焔竜の騎手として登場したグレン・フレイビットの物である。当然、彼らはその英雄を祖にもつ子孫達であり、生まれた時代には大きな差がある。

 だが、ここがおかしな所なのだが、彼ら三人のカイン・フレイビットは、時代の差こそあれ、伝承上では血と肉に大差はないのだ。

 

 まず、一人目のカイン・フレイビット。白の炎使い。血狂い。覇王。竜殺し。

 彼は祖であるグレンと同等の炎の力を身に宿し、グレンの興した国に妾腹の子として生まれた。生まれの低さ、末子と言う立場から、彼に王位継承の機会はまず無いと思われていたが、彼は自身より才覚の劣った兄達をあらゆる手段で殺害し、王位に就いている。王となったのがまだ十代の頃であったと言うから、彼が手に掛けたのは兄達だけではなく、父も含まれていただろう。

 同様、血縁関係にあった大貴族なども一切の容赦なく粛清し、最初に他国からつけられた名は、血狂い、であった。

 王位に就いて彼がまず成した事は、大貴族達の粛清、そして他の国家を守る竜達を殺す事だった。竜とは人の手に余る物である。故に彼はそれを恐れ、忌避した。人の世は人の手に在るべきだと彼は叫び、生まれ持った才能全てを戦乱へとつぎ込み、十数年の歳月を経てようやっと九匹の竜を殺し尽くし、国に凱旋しようとしていた時、居ないはずの十匹目の竜、魔王の翼に襲われた。

 国を出た時には十万以上居た兵は千にまで崩れ、彼は満身創痍で城へと戻り……自身の娘に毒殺されている。

 信じられない話だが、最盛期には世界の半分を手中に収めた、と伝えられている。

 

 さて、次は二人目のカイン・フレイビット。黒の炎使い。災厄の王子。

 彼の生誕には伝承が多く、正確な事は分かっていない。ただ、一般的に伝えられている話では――禁忌の人間なのだ、彼は。

 

 カイン・フレイビット亡き後、後継に恵まれなかった大国は乱れ治まらず、結局大小様々な国へと分かれて行った。

 それから百年ほど後の事である。フレイビット王家嫡流である、と称する小国に奇妙な魔術師が現れ、自らの国の領土の狭さに嘆く王にこう囁いた。

『世界の半分を手にした、貴方の祖の様になりたくないか』

 と。成れる物ならと返す王に、魔術師は笑って懐から骨を一つ取り出した。

『魂と肉とは、決して離れぬ物。であれば、肉があれば魂は戻る』

 今や失伝し、禁忌の中でも最大の禁忌される邪法を用い、カイン・フレイビットの肉体を再生させれば、魂は、才能は、肉体に戻ると魔術師は狂笑の中で語ったのだ。

 それを王は、飲み込んだ。何を馬鹿な、と返す事も無く、王はただ頷いたのだ。

 そして生まれたのが、二人目のカイン・フレイビットである。

 才高く、在るだけで人を惹きよせる彼は、しかし驚くほど穏やかな人物であった。争いを、と求められる度、彼は首を横に振り続け、王宮からは遠ざかり、権柄を手中に置こうとは決してしなかった。

 

 だが、世とは皮肉な物である。彼は最後、自身を慕う者達を率いて他国へと亡命しようとしていたのだが、それを王に察知され、自身最初で最後の争いを起こしてしまった。

 亡命への途上、王命によって追ってきた軍を相手に、自身に従う者達を守るため、彼は身に在った才全てを使い兵を斬り、焼き払い、そして最後は自らの力の暴走により、自身の生まれた国一つを巻き込んで消滅した。

 

 そして、三人目のカイン・フレイビット。瓦礫の王、迷宮の王、紅の審判、白と黒の炎使い。

 彼もまた、伝承では二人目と同じ生まれである。

 つまり、人の腹から生まれた存在ではない。しかも彼は、一人目のカインの肉と、二人目のカインの魂で作られたと伝えられている。どうやってカインの肉を用意し、消滅した二人目のカインの魂を再生させたのか、その辺りは書によって全く違い、正確な事はわかっていない。

 いや、そもその生まれもただの伝承であり、二人目も、そして三人目の彼も低い身分の生母を持つが故、またその後の物語が在るが為、何がしかの伝説を必要としただけだろう。凄惨な過去、または神秘。それらがなければただの人だ。英雄には人と違う生まれや物語が必要なのだ。

 

 兎に角、彼は小フレイビット、と呼ばれた場所に生を受けた。フレイビット王家を祖にもつ傍流、その分家の生まれである。彼の父は第二子であるという理由だけで、分家を継ぐ事になった人物である。その不遇を呪ったカインの父は、巨大な力を宿すカインを使い、兄の継いだ本家へと矛を向け、その争いは世界を巻き込んだ。癌細胞の如く広がる争いの中、カインはそのつけられた名に恥じぬ活躍を見せた。白と黒、二色の炎で戦場を焼き、真紅に光る双眸は、映る全てを塵と冷たく見据え、淡々と命を処理していった。

 だが、突如として戦乱に幕が下ろされた。小フレイビットの主、カインの父が名も無き傭兵に、戦場で殺されたのである。巨大な力は持てど、戦略も戦術も知らず、ただ戦闘しか知らぬカインでは戦線も維持できる筈も無く、敗戦に敗戦を重ね、いつしか彼の名は歴史の中に埋もれていった。

 

 その筈であった。

 

 歴史に埋もれ、また、小さな戦場で死んだとされていたカインは名を変え、ある都市で生活していた。歴史はその時、彼が何をしていたのか黙して語らない。

 ただ、彼が最後に向かい、そして戻ってこなかった場所だけを記している。

 都市ヴァスゲルド、その地下世界。

 

 迷宮である。

 

 書はまた、こうも続ける。

 三人目のカイン・フレイビットは冷酷な戦場の処刑者であった。王にはなれぬただの炎使いであった。だが、それは人の世の話ではないか。

 彼は、地下世界でならば名君となるだろう。薄暗く狂った迷宮の中で蠢く異形の者達の王として、彼以上に相応しい者等いないのだから。

 

 

  ○      ○      ○

 

 

「そしていつか彼は、モンスターを率いて地上世界へ戻り、再び炎で焼き尽くすのだ、と」

 語り終えたカリンは、紅潮した頬の熱を逃す為か、小さく息を吐いた。

「で、その後の話が、君の手元に在る御伽噺なんだよ」

 カリンの後を継ぎ、肩をすくめるエリザヴェータに、男は自身の前にある本を見た。カリンが話をしている間、読める部分だけはなんとなく目にしていたので、話としては男も理解できる。

 

「その数百年後……今から二百年程前、だったか? 赤い目と黒い髪を持つ男がモンスターを引き連れて迷宮から出てきて……」

「時のヴァスゲルド伯の軍勢と衝突、その後迷宮に戻ってまた音沙汰なし、だよ。ただの噂話で、いまや御伽噺だけれどね」

 何故それが御伽噺になったのか、と言えば簡単だ。悪い事をしていると迷宮の王様がまた来るよ、と子供に言い聞かせる為の物である。どこの世界でも、こういった話はある。

 

 男は、なにやら満足気な相で微笑むカリンと、観察者の視線を隠さないエリザヴェータ、そして扉の前にある机の上で、本から目を離し非難がましい視線で睨んでくる中年男性を順番に見てから、最後に背後へ振り返った。

 

「一地方都市の貴族が率いる軍に負ける程度の王様が世界に戻ってきたとして、それは怖いって程のモンか?」

「王様がモンスターを率いてご出陣なされば、最初の犠牲者を出すのはこの都市の一般層で御座いますが」

「あぁ、なるほどな……一般層には御伽噺、上の層だと一応の軍備の言い訳、とかか?」

 ミレットに問うた声は、しかしカリンとエリザヴェータを驚かせた。

「冷静に見ますね……」

「だろう? 彼は前提となる歴史的な背景を理解した上で排除して、その部分だけを見たからね」

 人々が恐れているのはカインの伝承であり、実際に出てきたとされる王様ではない。それらを切り離して見る事が出来る男は、この世界の基準で見れば冷静に過ぎる。

 

 ――で、もしかすると。

 市民層には噂や御伽噺でも、実際に矛を交えたかもしれない貴族連中の間では、また違った話が残っている可能性もある、と男は考えた。

 

 男は二人の少女の声にはなんら反応を示さず、ただ黙ってミレットを見つめた。カインの話でも出てきた紅い瞳。

 今はフードの奥に隠れた紅い瞳を持つメイドを、男はいつまでも見つめ続けた。




この辺りで、どうしても説明する必要があったのでここで。
そして、ここで物語全体のターニングポイントです。

因みに、初代カインはどうやって竜を殺したかと言いますと……まぁ、書いてますよね、竜の騎手だったご先祖様、グレンと同等の炎の力を宿してる訳でして……あぁこれヒントどころじゃないぞ。まぁ本編には特に関係無い事ではありますが。


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25話

 彼がいつも座る席で、手に在る斧を磨いていると、朝には似合わぬ匂いが鼻に届いた。

 彼――ジータは、自身の鼻に届いた匂いがどこから来たのか、と目を動かした。すぐ隣、数度見かけた事がある、同じ宿に泊まっている冒険者達が、軽口を叩きあいながら運ばれた肉料理に手を伸ばしている。

 それが匂いの元だと分かると、ジータは再び視線を斧に戻し、また磨き始める。自身の顔が映るほどに磨くと、ジータは満足気に頷き、斧をゆっくりと足元に置いた。

 そして再び周囲を見回す。

 いつも通り、彼がここに来て以来変わらぬ景色だ。広いフロアに多くのテーブルが並び、そこに多くの冒険者達が屯し、それぞれ好き勝手に口を動かして、時に身振り手振りも交え、各々が時間を潰していく。

 誰も彼らに干渉せず、また彼らも誰にも干渉しない。いや、先程の肉を頼んだ冒険者達に、蔑みを宿した冷たい視線を向ける者が居た。ジータの正面に座る冒険者仲間、青色のフルプレートアーマーを着込んだ大男、リックだ。

 

「朝から肉かよ……腹に一撃貰ったらどうすんだ」

 リックの口から漏れた言葉に、ジータは頷かなかった。それもまた自由だからだ。

 今日死ぬかもしれない、明日をも知れぬ我が身である。好物、または食べたいと思った物を口にするのは、仕方のない事である。

「人はそれぞれ、だ。何事もな」

 頬杖をつき、隣の冒険者達を睨み始めたリックに、ジータは首を軽く横に振ってそう呟いた。

 彼らとジータ達は違うと言うだけの話だ。一撃を貰い胃の中の内容物が傷口に触れ、治りが遅くなる、という事もあるが、迷宮から戻って来た時、一日の最後に食べたかった物、飲みたかった物を口にした方が、生きて返ってきたという実感を得られる。

 多くの冒険者が朝、そして昼食べない理由には、これも多く含まれている。いや、命を糧に金銭を得る職業に就く者は、こういった習慣を持つものは多い。

 兵士や傭兵の中にも、小さな用事を残したり、帰って来たらこれをやろう、と決め何かを残していく習慣がある。

 そのやり残した何かが、彼らの生還確率を大きく上げるからだ。些細な事であっても、帰らなければならないと思えれば、得物を持つ手に力は戻り、足はまた動き出す。

 故に、ジータ達は朝と昼は大して口に物を入れない。そしてそれは、今日も同じであった。彼らは自身の前に置かれた木製のコップを傾け、それが空になると各々の得物を手に腰を上げた。

 

 これがバズの店であれば、誰かが彼らに声を掛けたかもしれない。いや、バズが間違いなく声を掛けただろう。

 腰を上げ、得物を手にした彼らの相には、そうさせるだけの物が宿ってしまっていた。尋常の覚悟ではない、もっと深く強い、決死の相だ。

 そんな相を、一流と呼ばれる冒険者達が浮かべていれば、バズ辺りならば間違いなく声をかけ引止め、何事かと問いただしただろう。だが、ここはバズの店ではない。

 古いルールなど見向きもしない、自分達だけで進む事を決めた冒険者達が屯する、ヴァスゲルド中央区で一番大きな宿屋兼酒場である。

 ここに居る者達は、殆どがゴミ漁り時代に先輩冒険者達から助けられなかった者達だ。運が悪かったのか、それとも彼ら自身に問題があったのか、それは分からない。

 ただ、彼らは助けられなかった。為に、彼らは誰かを助けるという事に意味も興味も持てなかった。

 それだけが事実であり、全てだ。

 

 常以上に気負い、力強く歩くジータ達の相など誰も見ず、店の主もまた、カウンターに硬貨を置いて出て行く彼らになんの興味も持たなかった。いや、彼らの去ってゆく背を眺め、戻って来ないかもしれない、程度は思っただろう。だが、それだけだ。

 帰ってこない、と思っても、また誰かが空いた部屋に入るだけだ、としか考えなかった。

 

 

  ○      ○      ○

 

 

 夢を見ていた。彼は夢を見ていた。

 何も無い暗闇の中で、白い炎と黒い炎が音も無く爆ぜ、火に寄って来た羽虫達を燃やし、潰していく。

 たったそれだけの、なんの意味もない夢だ。ただ、少しばかり彼は気になった。火に飛び込んで消えた羽虫の一匹が、何かを持っていたような気がしたからだ。

 それは、大きな斧であったように彼には見えた。一瞬の事であったから、はっきりとは分からない。

 しかし、これは夢である。彼はそれ以上なにも考えず、考えられるわけも無く、ただ脳が見せる幻影に瞳を湿らせた。

 頬を伝う涙に、誰も気付かず、自身もまた気付かず。彼はただ眠り続けた。

 

 どこかで、乾いた笑い声が響いた。

 

 

  ○      ○      ○

 

 

 迫りくる異形を、斧が割いた。両断された異形は断末魔も上げず地に伏せ、それを避けるようにまた数匹の異形が、黒い鎧を着た、今しがた斧を振るった者へと群がっていく。

 異形――火を口元からちろちろと零す虫型モンスター、トーチスパイダーは、八本の足を器用に使い、壁を伝い、または天井を走り、床を這い、俊敏に迫っていく。

 モンスターと言えど知能はある。集団戦を得意とするトーチスパイダー達は、斧と言う武器が一撃に特化し、連続で振る事に向いた武器でない事を良く理解していた。

 故に、仲間が斬られた今こそが機会だ、と斧を振り終えた黒い鎧に牙をむいたのだ。

 だがしかし、彼らの歪な八つの単眼は、黒い鎧の口元を見たのだろうか。いや、見ては居ないのだ。見ていないからこそ、簡単に、いつも通り、迫ってしまったのだ。

 我先に、と飛び込んでいく異形の蜘蛛達を、黒い鎧をまとった者は――ジータは。

 

「馬鹿め」

 嘲笑した。

 

 振り抜いた斧と、伸びきった右手。彼は空いていた左手をひらき、その手のひらに――右手の斧を投げた。

 

 瞬間、風を切る音と共に、二匹のトーチスパイダーが切り裂かれた。何事かと驚愕するだけの知能を虫型のモンスターに求めるのは酷だろう。だが、トーチスパイダー達は僅かに浮き足立った。 その間を逃すジータではない。彼は再び右手を開き、左手にあった斧を投げた。肉と金属が軽くぶつかる音が響き、再び風を切る音とモンスターを割く音が迷宮で木霊した。

 

 斧が重武器に属し、手数を求められる場面では不利な得物である、というトーチスパイダー達の認識はなんら間違っていない。ただ、この場合使っている者にこそ注意すべきであった。

 ジータ。重厚な黒い鎧をまとう一流の冒険者であり、ついた名は『戦斧』。

 彼は八本足の異形達の、どこか浮ついた攻撃を難なく、その重い鎧と巨体からは想像もできぬ俊敏さで回避し、右手、左手、両手で交互に斧を持ち替えて振り続けた。

 音と共に命は消え、そして最後の一匹も当然の如く散った。

 

 トーチスパイダーの亡骸が散乱する狭いフロアで、左手に在る斧を眺めジータは頷く。

「まぁ、こんな物か……」

「こんな物か、じゃねぇよ、お頭」

 そこそこに満足した、と相に浮かべるジータに、フロアの入り口辺りから声が掛かった。声の主は青いフルプレートアーマーを着込んだ、ジータと比べてもなんら遜色ない大男、リックである。 彼は自分の隣に立っている黒いローブ姿の男性の肩に手を置き、唾を飛ばすほどの勢いで続ける。

「どーう思うよ、なぁフェルグ! お頭が調子を整えたいとか言うから、俺達ここまで出番なしだ! これで一流殺しのとこも暇だったら、俺はどうすりゃいいんだ!」

 リックの背負った両手剣が鎧とぶつかり、存在を主張するように音を鳴らした。自身も思いっきり振りたい、と言うことだろう。

 ジータは口元に苦笑浮かべ、リックに向かって大きく頷いた。

「安心しろ。うちの切り込み隊長はお前だ。当然、そこでの一撃目はお前に譲る」

「マジか! 嘘だったらお頭、今日の飯全部奢りだぞ!」

「わかったわかった」

 喜ぶリックから目を離し、ジータは背を向けて歩いていく。向かう先は当然彼らの目的地、火焔竜クリムゾンソードの彫像が置かれた最深部、一流殺しの部屋だ。

 

 歩き出したジータに続け、とリックやフェルグ達が小走りに寄って行く。自身の隣に、息を切らして寄って来た白いローブに身を包んだ冒険者が、ジータの相を見ながら口を開いた。

「で、実際どうなのですか、ジータ?」

 体の温まり具合を問うてきた相手に、ジータは頷いた。

「悪くないさ、ザシュフォード」

 彼のチームが誇る詠唱魔術師にして瞬間最大火力保有者にそう返し、ジータは自身の手を開き、また閉じる。

 

 スキル、デミスイッチウェポン。

 それが彼の持つ、いや、現役冒険者では彼だけが持つスキルだ。本来は主装備の武器と、補助装備の武器を瞬時に持ち替えるだけのスキル、スイッチウェポンなのだが、偶然これをゴミ漁り時代に体得した彼は、二つも武器を持つ事が出来ないと言う金銭的な理由もあって、それを斧一本でどうにか出来ないかと試行錯誤し、なんとか今の形にしたのである。

 そういった意味では、純粋なスイッチウェポンとは言えない物だ。だが、態々大層な名に変える理由無かったので、彼はそれをデミスイッチウェポンと自身の中で呼んでいた。

 亜流、という安直なネーミングである。

 安直に名付けはしたが、それがもたらす利は実に多大であった。それこそ、一流と呼ばれるまでに利をもたらしたのだ。

 

 が、一つ山を登りきり、そこから新しい景色が見えれば、また次の山の向こうに新しい景色があると思うのが人間だ。ジータも当然そう思っていた。人より早く山を登ったのなら、次は一番高い山の頂上から見える景色が見たくなった。殊、目指した山頂に、既に誰かが居ると分かっていれば、その感情は強くなる。

 

 ジータは、閉じた拳を強く握り締め、鼻から小さく息を吐いた。

 

 ――最強は俺だ。お前じゃない、ガイラム。

 彼の目の前に広がるのは、薄暗く辛気臭い迷宮の通路だ。だが、彼の目は確かにこの時、その場に居ない冒険者の姿を見ていた。

 

 そして彼は、彼らは。迷宮の奥に足を進め――闇に飲まれた。

 

 

  ○      ○      ○

 

 

 その朝、ヒュームは常とは違った朝の始まりに戸惑いを覚えた。

 常はもっと、混濁した思考の中で、眠い、だるい、体が重い、等とくだらない思考で埋まる筈の頭が、全くのクリアだったのだ。

 彼は慌てて周囲を見回し、何が常と違うのだ、と探し始めた。

 だが、そんな事は全くの無意味である。何かが違うと言うのなら、それは周囲の何かではなく彼自身だ。実際、彼の周囲はいつも通りだ。窓から見える空はまだ暗く、狭い部屋にある四つのベッドは全て埋まっている。

 彼はシーツを払いのけ、自身の頬を軽く打った。乾いた音が僅かに響き、部屋はまた静寂を取り戻す。

 瞼を閉じ、ヒュームは顔を手で覆った。

 何かを見た。そんな気がした。寝ている間に見るのなら、それは夢だ。

 だが、その夢には何か嫌な物があったような気がしてならない。その癖、こうやって思い出そうとしても、彼の脳はそれを確りと再生しない。脳裏を過ぎる映像――夢の断片だけでは意味をなさず、なんであったのか判然としない。

 肩から力を抜き、ヒュームは顔を覆っていた手で頭を掻いた。

 

 ――謝ろう。今日一番で、いや今すぐにでも。

 唐突に、そう思った。結局バズは遅くまで自身の店に戻らず、謝罪する機会を逃したままで、苦い物を腹の奥に残したままだから、こうも妙な気持ちになるのだ、と。

 

 彼はまだ眠ったままの仲間達を叩き起こす為、ベッドから降りた。冷たい床は足の裏を斬る様で、痛みさえ伴う。

 それでも、彼は気にしなかった。今すぐ何かしなくては、おかしくなりそうだった。

 結局、彼が夢の一場面を確りと思い出し、羽虫が持っていた得物がなんであったのかを思い出したのは、ある冒険者達が迷宮の闇に飲まれてから随分後の事だった。

 

 いや、もっと前に思い出していたとしても、彼にはどうする事も出来なかっただろう。引き止めようにも、引き止めるべき相手達は決めてしまっていた。

 ヒュームとて冒険者だ。命を糧に冒険しようとする相手を止めるだけの言葉も力も、権利も持っていない。同じ穴のなんとやら、だからだ。

 

 そして、冒険するからこそ、冒険者なのだ。

 

 

  ○      ○      ○

 

 

 ジータは目の前にある扉を凝視した。迷宮最深部、深紅に塗れた竜の彫像が置かれた、狭いフロアである。そこにある、という事以外を除けば、そう珍しい扉でもない。

 鉄製の分厚い物であるが、その程度は街中でも探せば在る。そんな物でしかない。

 その癖、ジータは目の前の扉に気圧されている自身が居る事を自覚していた。扉を開けようとして伸ばした手は、僅かに、小さく震えている。

 

 ――何故だ?

 今まで何度もジータを助けた、自身の勘が囁いている。やめておけ、と。触れてはいけない、と。

 それでも、彼は冒険者だ。冒険をする者だ。父と母が突如失せ、自身だけで生きて行かねばならないと決断を迫られたとき、彼は糊口を凌ぐ為、命を糧に冒険者となった。

 その時、同じ様な職であり、全く違う傭兵を選ばなかったのは単純な事だ。

 傭兵は、先がない。いや、食いつないで行くという意味では先はあるだろう。だが、人としての先、夢がないのだ。

 傭兵は戦場を歩き、人を殺して金を得る。幾つもの戦場を越え、その度人を殺し、その中で精神に異常を来たす人間は多く、真っ当に在る事が出来る人間はごく僅かだ。

 同じ様に、命を天秤にかける冒険者は、その点が傭兵と大きく違う。冒険者は、文字通り冒険する者だ。まだ見ぬ財宝、モンスターの素材、稀に出る旧時代の遺産、と、殺伐とした生活の中にも、そこには人が人のままである事が出来る何かがある。

 殺傷する相手もモンスターである為、傭兵ほど精神が歪む事もなく、命の危険は同列でも、傭兵と冒険者では進む道がどこかで分かれ、たどり着いた先が大きく違ってしまうのだ。

 

 だからこそ、ジータは冒険者となった。苦しい生活の中でも、せめて救いを、と。

 望みを断ち切れなかった半端者、でっかい子供、等と傭兵から馬鹿にされる冒険者であるが、冒険者であるジータに言わせれば、傭兵など簡単に世を諦めきった破綻者だ。

 一般的な冒険者と傭兵は、俺はお前らとは違う、と唾を吐き、互いを否定する。それはジータも同じだった。

 

 ――そうだ、俺は冒険者だ。未踏未還の場所なんて、俺がッ!!

 自身に言い聞かせ、彼は扉にもう一度手を伸ばそうとして

「迷ってるなら、俺が一番に行くぜ!」

 乱暴に押しのけられた。

 大男、リックだ。彼はジータを押しのけた勢いのまま、なんら躊躇わず扉を開き、背から両手剣を抜いて開かれた向こうへと入っていった。

「おい!」

 慌てたのは残されたジータ達だ。彼らは警戒しつつ、それでもリックを追う様に開かれた扉を潜り――絶句した。

 

「……なんだ、これは?」

 呟いたのはフェルグだ。ジータの耳はフェルグの声だけは、しっかりと届いた。声以外、何も届かないからだ。

 ジータは周囲を警戒しながら、カンテラを持っているザシュフォードに大声で問うた。

「カンテラはどうした!?」

「あ、あります! あるのに……手に在るのに!!」

 落ち着きのない様子で返すザシュフォードに、ジータは舌打ちし、今度は先行したリックを探した。

「リック! どこだ!」

 だが、返事はない。ジータはもう一度声を上げようとして、それを辞めた。彼は口内に唾を溜め、それで舌を湿らせてから唇を舐めた。

 いつの間にか、喉が渇いていたのだ。一流と呼ばれるジータをして、そうもさせるだけの威圧感が、その一寸先も見えない闇の世界には在った。

 ジータは得物を手に、腰を落としてすり足で闇を進み――

 

「……ん?」

 つま先に何かがぶつかった。硬い何かだ。そしてそれは、動く気配がない。

 小型のモンスターではないのだろう。

 ジータは何も持っていない、空の左手を地面に伸ばし、つま先にぶつかった何かを掴み上げ、顔を引き攣らせた。

「……」

 言葉も出ない。出るわけがない。良く見えるようにと目の前まで持ってきたそれは、彼が良く知る人間の顔だった。

 青いフルプレートアーマーをまとい、両手剣を豪快に振る大男、彼のチームに所属する、ジータと同じ前衛重戦士、リックの、呆然とした顔だ。

 

 ジータは目を見開き、左手にあったリックの頭を投げ捨てた。同じ釜の飯を食った仲間の死体の一部である。丁重に扱うべきだと頭では分かっていても、喉の奥から悲鳴と共に出てこようとする恐怖が、リックの頭を投げ捨てさせた。

 半身で構え、腰を落とし、息を殺して血眼になって周囲を忙しなく見回した。

 音はない、動く気配もない。何も無い闇の世界だ。

 

 ――おかしいじゃないか!

 ジータは心中で叫んだ。リックはジータも認めるほどの冒険者だ。少々考えが足りない部分も在るが、戦士として肩を並べるになんら不安も不満もない男だ。男だった。

 それがあの僅かな間、リックが部屋へ入り、ジータ達が後を追った、たったそれだけの間に、あぁも、何をされたかも分からない、といった相を浮かべて、死ぬわけがない。

 そんな事を、ジータは認められない。

 それでも、冒険者として過ごしてきた間に培われた冷静な部分が、残った戦力でどうするべきかと自身に問うてきた。

 ジータは息を殺す事をやめ、一点集中しかないと決めてその要となる仲間の名を呼んだ。

 

「ザシュフォード! 詠唱を始めろ! 俺が敵を引き寄せる! フェルグ! サポートスキルで俺の運動能力を上げろ!」

 これだけの暗闇だ。ザシュフォードが隠れ、その間、こうやって大声を出して敵を自身にひきつければ、最悪でもザシュフォードとフェルグは助かると信じたかった。

 ジータは彼らのリーダーだ。せめて一人でも多く生かすべく、彼は斧を強く握り締めた。

 

 しかし、その大きな声に応える者は居なかった。深淵の闇を思わせるそこは、ただ静かに在るだけでジータ以外の存在を伝えてこない。

「ど……どうした!」

 もう一度上げた彼の大声に、誰も応じない。ジータは唾を飛ばして叫んだ。せめて、と。強く願いながら。

「逃げろ! 扉の向こうに逃げろ! 一人でも多くだ! いいか! これは――」

 叫び続ける彼は、しかし分かっていた。

 何故ここが闇だけなのか。逃げられない為の闇だとすれば、当然扉はもう開いていないだろう。ここはつまり、誰かが用意した、

 

「罠だ!!」

 だとしても、もう遅い。理解しても、入った後だ。暗闇だけの世界は人間の目では一向に馴染まず、ジータの双眸にいまだなんの情報も映さない。リックの死、以外は。

 それでも、ジータは諦めなかった。諦めたくはなかった。全滅だけは、絶対に認められなかった。

「逃げろ! 逃げろ! フェルグ! ザシュフォード! 逃げてくれ! 頼む! お願いだ……ッ」

 瞳が湿り、徐々に声は枯れて小さくなっていく。嘆願の声は、この闇の世界でいったい何に、誰に届くというのだろうか。

 ジータの頬を涙が一筋伝った時……何かが闇で動いた。

 風を切る音と共に、何かが彼に勢い良くぶつかり、ジータはたたらを踏んで後退した。斧を持っていない左手で、ぶつかってきた何かを手にし、彼は小さな声で呟いた。

「ザシュフォード……」

 ジータにぶつかってきたのは、へしゃげ、四肢をあらぬ方向に曲げたザシュフォードだった。顔は見る影もない程に潰れている。それでも、紅に染まった白いローブは、ザシュフォードの愛用していた物だ。どんな暗闇の中であっても、彼が見間違えるはずがない。

 この様子では、フェルグももう駄目だろう。ジータは喉を震わせながら小さく溜息を吐き、ザシュフォードだった死体を押しのけ、ゆっくりと正面を睨んだ。

 

「……来いよ。戦斧が、相手だ」

 闇は何も応えない。

「来い」

 何も応えない。

「……来い」

 応えない。

 

「来いと言っている! 来いと! そう言っているんだこっちは!!」

 だから叫んだ。あらん限りの力で叫んだ。冒険者だ。彼は冒険者なのだ。だからこそ、彼はそこを踏破すると決めたのだ。最強などの為ではない。山頂からの景色が見たいからではない。

 

「この糞がぁ嗚呼あああああああああああああああああ!!」

 ただ一人の冒険者、ジータとして。仲間達のリーダーとして。彼は闇に向かって斧を振りかぶり、走っていった。

 駆けるジータの鼻の奥が、一瞬火薬のような匂いを嗅ぎ取った。直感だ。何かが来ると感じた彼は、考える事もなく身を捩って横に飛んだ。

 まさにその直後、ジータが駆けていたその場に一陣の風が吹いた。切り裂くような音を伴って吹いた風に、ジータは目を見開き――

 

「そこかぁあああああああああ!!」

 全力で斧を振り下ろした。

 風がどこから吹いたのか、それさえ分かれば、不確かであっても、それさえ分かれば後は得物を走らせるだけだ。

 ジータが生きてきた中で、かつてない程に鋭い一撃が繰り出され、それは何かとぶつかり火花を散らした。

「もう一撃……か……ッ!?」

 防がれた為、もう一度斧を振りかぶろうと左手をあけたジータの目が、闇の中で僅かに咲き狂った火花の残照の向こうで、朧に映った紅い何かに奪われた。

 見てしまったのだ。彼は、見てしまったのだ。

 

 右手から左手へ。瞬間に行われるはずだった、彼言うところのデミスイッチウェポンは、なされなかった。

 ジータの右手から斧が零れ落ち、彼は先程見たばかりのリックと同じ相でただじっと正面を見つめ続けた。

 ふと、彼はどうでも良い事を思い出した。

 この場では、本当にどうでも良い事だ。

 

 何故冒険者になったのだろう。せめて夢が欲しかった。

 何故冒険者になったのだろう。せめて共に進む仲間が傍に居ればと。

 何故冒険者になったのだろう。中途半端な自分を、誇れる自分にしたかった。

 どうして、最強になりたかったのだろう。それは、自分が冒険者だからだ。

 

 そんな事を思い出しながら、彼は頭上から吹く風の音と共に、真っ二つにされた。左右に別れ、床に崩れ落ちるまでの間、その左右の目には奇妙な女達の姿が映っていた。

 白と、黒。それは、こんな場所ではまず目にしない服装だった。

 

 そして、二つにわかれ、もはや物言わぬ骸となったジータの死体が照らされた。そう、何も光がなく、カンテラの光さえ遮断したその場に、白と黒の炎が灯ったのだ。

 それと同時に、女達が片膝をつき頭を垂れた。僅か後、こつこつと言う音と共に、その部屋に誰かが入ってきた。

 部屋に入ってきた者は、周囲に散乱するジータ達に死体を一瞥して面倒くさそうに口を開いた。「最近は妙なことばっかりだ。お前らにしては時間を食うし」

 そこで一旦区切り、首を横に振って続ける。

「あいつを助けようかと思えば、他の冒険者が助けるし、呼んだ筈のあいつはいつまで経っても見つからないし……奥にあれはあるし、一回使った後もあるから、居ないわけが無いんだけどなぁ」

 溜息を零し、肩を竦める。

「モンスターの制御は落ちるし、本当に妙な事が続く……これも、持っていかれた事が原因だろうなぁ……あぁ、あいつ、まさか外に居る……わけないよなぁ。きついからなぁ、外は……」

 一人、女達を放ってそれだけ呟き、入ってきた者は踵を返した。が、立ち止まり未だに頭を垂れる女二人を見て、

「ん、血まみれのお前らは、悪くないな。やっぱり、いっこ尖ってないと駄目だな、うん」

 そう言って、微笑んだ。

 女達は顔をあげ、無垢な笑みを浮かべた。そこには艶があった。

「じゃあ、帰るか」

 音が鳴る。手のひらを打った音だ。それが鳴り響くと同時に、白と黒の炎は消え去り、あとはただ闇だけが在る。

 

 その中で何かが仄かに灯っていた。

 篝火が如き紅い瞳が五つ。闇を紅に染めていた。




分かった。僕迷宮に入った回と戦闘回で文章量増える。
戦闘なんてこの拙作まで碌に書いた事なかったんで、どの位がいいのか全く分かりませんが。
っていうか、これ戦闘……なんでしょうか?


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