新・うっかり女エミヤさんの聖杯戦争(完) (EKAWARI)
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第四次聖杯戦争編
プロローグ


 初めましての人は初めまして、久しぶりの方はお久しぶりです、ばんははろEKAWARIです。
 この話はあらすじにも書いている通り、今は無きにじファンで2011年春~2012年7月閉鎖寸前(閉鎖3日前に一部ダイジェスト進行で最終回のエピローグまでこ漕ぎ着けた)まで連載していた作品であり、元々はこの加筆修正おまけ漫画付き完成版? をDL販売で出そうかなーと思ってて、話長い(80話ぐらい)のもあり、移転はしないよと公言してた作品なのですが、絵師様と連絡取れないし(多分俺が十中八九悪いんだと思います)、先日のアニメUBWでイリヤが死ぬところでこうぶわーっと、イリヤに救いを! ていうか、元気に生きているイリヤが見たいっす師匠みたいになって、今回ほぼやけくそにアップする事にした次第です。
 何度も公言を破ってて読者の皆様には迷惑いくつもおかけして申し訳御座いません。
 あと、元々移転しないと言っていた作品でしたので、最後まで上げるかはわかりませんが、それでもきりの良いところまでは少なくともあげるつもりです。
 また第四次聖杯戦争編は第五次聖杯戦争編へ繋げるための「おまけ」として元々考えた話なのもあり、7割ぐらいの展開が原作通りですが、そのあたりはご了承下さい。
 それではどうぞ。


 

  プロローグ

 

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

「答えは得た。大丈夫だよ遠坂、オレも、これから頑張っていくから」

 これまでにない開放された気持ちで、私は、英霊エミヤは笑顔を浮かべた。

 彼女との別れの顔を思う。きっとあの少女がついている限り、衛宮士郎(この世界の私)は大丈夫なのだろう。

 消えていく。

 そして再び私は座に戻るのだ。

 そう、其の筈だった。

 ……本来なら。

 何が悪かったのだろうか。理由は神ではない身ではわからない。

 ただ、折角答えを得たのに座に戻ってその記憶を手放すのは残念だ、とか、やっと初心を思い出せたのだ、切嗣(じいさん)や懐かしい人々に叶うならもう一度会いたい、などと僅かでも思ってしまったのが悪かったのかもしれない。

「む!?」

 本来なら消えていく中、ぐん、と何かに自分の体が引っ張られた。分解されるはずだった魔力で出来た身体は新たに聞こえた詠唱を前に再構成され、そして新たな場所へと向かう。

 その感覚を、間違いなく私は知っていた。

(これは、召喚か!?)

 聖杯戦争に召喚されるのは英霊の座にある本体の分身だ。聖杯戦争に召喚される分霊は座にある本体の情報を元にその都度に作られる。故にこんな風に本体に帰還する途中で他に引っ張られ、連続で召喚されることなどない筈なのだが。

 しかも、今自分の頭の中に流れ込んでくるこの情報はどうしたことか。

 ……どうやら自分はアーチャーのサーヴァントとして呼び出されようとしているらしい。信じられないが、どうやら再びオレは聖杯戦争に呼び出されようとしているようだ。

 何故だ? もう、自分殺しなど企んでいないというのに。不可解な混乱する思考を他所に、しかし時間は待ってくれず出口に差し掛かろうとしている。間もなく召喚主と顔を合わせることになるだろう。

 

(仕方ない。覚悟を決めるか)

 

 サーヴァントとして呼び出されたのなら、呼び出した主君(マスター)の為に今度こそ働いてみるのも悪くないのかもしれない。どうせ望みなど持っていない身だ。それでも、凛のことは裏切ってしまったから、今度こそ忠義を尽くす、それもまた一興だろう。

 ……例え忠義者宜しく次の主に振る舞ったとしても、裏切ってしまった凛への罪滅ぼしぬすらならぬと知ってはいるけれど、それでも……また駆けたいと、そう思った。

 そうして、出口へとたどり着く。

 ……あの日を思い出す。

 月光の元の、土蔵で呼び出した彼女との出会い。地獄に堕ちても尚忘れられないあの鮮烈な出会いの光景を。

『問おう、貴方が私のマスターか』

 その神聖で清浄なる響き。全てが変わった夜。そうだな、あやかるわけではないが、此度の主君への最初の一言はそれにしよう。

 そう思って若干皮肉気に唇の端を吊り上げて、目を見開いた。さて、こんな愚か者を呼び出した馬鹿者はどんな顔をしているのか、そんな風に少しだけ愉快な気分でさえあったが、しかしラインが繋がった相手(マスター)を認識したその瞬間、最初の思惑など忘却して、私は素っ頓狂な声を上げ、叫んだ。

「なんでさ!?」

 懐かしい口癖が、英霊になってからついぞ言うことのなかった、衛宮士郎時代の口癖が零れ落ちる。

 きっと、英霊に……守護者と成り果ててからこれほどに動揺したことなどないのではないだろうか。

 いや、でもわかってほしい。だって、自分を呼び出したのは、くたびれたような黒いコートに身を包んだ黒髪黒目の魔術師の男で……そう、自分が知っている姿よりも若干若い己が養父、衛宮切嗣(えみやきりつぐ)その人だったのだから。

 何故よりにもよって爺さんがオレを呼び出したのか? そんな動揺に駆られるオレは、自分が今どのような状態にあるのかさえ正確に認識してはいなかった。

「ちょっとまて、なんで切嗣(じいさん)がオレを召喚する!? 切嗣(きりつぐ)が召喚したのは確かセイバーの筈だろう!?」

 動揺しながらそんな言葉を並べるオレを見ている男は、呆気にとられた眼で、頭が痛そうに眉根を寄せている。だが、そんなことに気を配れないほどに今のオレは狼狽していたのだ。

「ええと、貴方はアーサー王じゃないのね?」

 ふと、極近くから第三者の女の声がして、私はすばやくそちらをむいた。今まで切嗣にのみ意識が向かっていた故に気付いていなかったが、その女性はどうやらずっと切嗣の隣に立っていたらしい。

 そこにいたのは美しい大人の女性だ。

 柔らかくたおらかそうな体つきと雰囲気を纏っていて、引き締まる所は引き締まっていながら、出るところは出ている体はバランスが良く、髪は雪のような銀髪で瞳は鮮やかな紅色。肌もまた透けるように白く、人外を思わせる美貌はまるで雪の精霊さながら……ん? この特徴は。

「イリヤスフィール? 何故君がここにいる!? いや、それよりその姿はなんだ? 君は確か成長が止まっていたはず……は!?」

 思わず自分の心が思うままにここまで言い切り、オレはそこで漸く己の異変に気付いた。

 確か自分はここまで明け透けに思ったことを口に出す人間ではなかったはずだ。少年だった頃とは既に違うのだ。寧ろ不貞不貞しく食えない男だの、何を考えているのかわからないだのという評価が似合う、そんな人間に自分は成り果てたのだと自覚している。それが何故こんな風に思うままに言葉を紡いだのだ。いくら混乱していたとはいえ、それ自体が何かおかしい。

 もしや、遠坂のうっかりが移ったのか? いや、それよりも、先ほどから自分の声もおかしい。私はこんなに高い声をしていなかったはずだ。それに体にもなにやら違和感が……と、そこで下に目線を落として思わず再び絶句した。

 そこには二つのふくよかな丘が存在していた。

 ふよふよと柔らかそうな双丘は気のせいでなければ胸部に生えているように思える。それは他人で見慣れているといえばそうだが、男である自分の胸にあるはずがないもので、その正体を確かめるため、おそるおそる手を伸ばした。

 ふにゅ、と弾力のある感触は餅にどこか似ている。指で弄えばそれに併せて形を変えるほどに柔らかく大きさもそれなりだ。そしてくすぐったい。その感触をよく知ってはいるが、オレにはあるはずがないもの、としか言えない。

 ええと……これは……?

 私は滝のような汗を額から流しつつ、ぎぎぎっと、首を切嗣と大人になったイリヤスフィールらしき女性に向ける。

 二人ともどう反応するべきなのか迷ったような顔をしている。……心は硝子で出来ている、脈絡もなくそんなことを思った。

「その、つかぬ事を尋ねるが……」

 そう核心を得るための口火を切る合間にも、だらだらと汗が頬を伝いおちる。

 なんとなく、自分がどういう状況に陥っているのかの見当はついてしまっているが、その結論は認めたくない。出来れば気のせいか、夢であって欲しい。嗚呼、クソ、どうしてこうなった。目から汗が吹き出そうだ。

「私は、もしかして女性になってしまっているのだろうか……?」

 そんな泣きたい気持ちに耐えて、出来れば思い違いであって欲しいと願いながらも、荒唐無稽な仮説の真偽を尋ねた私に返ってきたのは無情な言葉だった。

「? 君はどこからどうみても女性だと思うけれど?」

 そう切嗣は答えたのだ。召喚されてからこの方、切嗣が声を放つのを聞くのはこれが最初になるわけだが、ああ、懐かしいなと郷愁に浸る間もなく、其の言葉は私の中の何かを破損した。

 

「は……はは……はは……」

 ばたん。

 そのまま私は卒倒した。ああ、サーヴァントでも気絶って出来るんだなあとか、なんで切嗣に召喚されたんだろうなあとか、考えてたのはそんなこと。これは遠坂を裏切った呪いなんだろうか?

 勝手に人のせいにしないでよと、どこか遠くであかいあくまが吼えたような気がした。

 

 

 

  NEXT?

 

 

 

 



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01.アーチャーの能力を確認しよう

 ばんははろ、EKAWARIです。
 多分話進めば実感出来ると思いますが、この話はギャグを連想させるタイトルとは裏腹にわりと普通にシリアスする流れですので悪しからず。
 尚、矛盾解消の為、一部大まかに旧版「うっかり女エミヤさんの聖杯戦争」と設定が変わっているところもありますので、旧作のほうのファンのかたは赤い宝石の魔女のターンで来る大幅追加シーンなどもお楽しみいただけたらと思います。


 

 

 

 昔から運には見放されているほうだとは思っていた。

 けれどこれはないのではないか?

 何故女になってしまう。何故切嗣(じいさん)にオレが召喚されてしまう。

 しかも、かなりの巨乳……いや、なんでもない。

 余計な争いに巻き込まれたくないのならば、女性の体型の話はするものじゃない。

 ……今はそれがオレの体だっていうのが哀しいが。

 しかし、生涯男として生き男として死んだというのに何故女になってしまったのか。

 神よ、それほどオレが嫌いか。

 

 

 

  アーチャーの能力を確認しよう

 

 

 

 

 side.アイリスフィール

 

 

 その日、私こと、アイリスフィール・フォン・アインツベルンは愛しの旦那様の隣で始まりの時をまっていた。

 そう、今日というこの日にアハトの大爺様が用意した聖遺物を使って、私の夫である衛宮切嗣は冬木の聖杯戦争に参加するためのサーヴァントを召喚する。

 呼び出す英霊は(セイバー)クラスでも最強のカードだろうと目されているかの有名な伝説の騎士王。それと魔術師殺しといわれ、対魔術師戦のエキスパートである切嗣を組み合わせることによって、アインツベルン陣営の勝率を万全なものにする……というのが大爺様の考えだ。

 切嗣と大爺様の考えはまた異なるようだけれど、スポンサーの意向を汲まないわけにはいかないという理由の元、切嗣は今英霊召喚の準備を進めている。

「こんな単純な儀式で構わないの?」

 英霊なんて規格外な存在を呼ぶためのものだというのにも関わらず、夫が水銀を用いて描いたその魔方陣はあまりに構造が単純で、思わずちょっと驚きつつも尋ねる。

「拍子抜けかもしれないけどね、サーヴァントの召喚には、それほど大がかりな降霊は必要ないんだ」

 熱心に魔方陣を検分しながら、私の問いには真摯に答える切嗣。そこにはいつも通りの労りと私への優しさが隠すことなく見て取れる。

 もう間もなく聖杯戦争は始まる。

 待ち受けているのはたった一つの勝者の椅子を取り合う殺し合いで、他者を気遣う余裕なんて無くしてもおかしくないこんな時だというのに、夫はいつだって私を(おもんばか)ってくれる。

 その気遣いがとても嬉しい。この人のこういう側面に触れる度優しい人なのだと思う。この人が自分の旦那様で良かったと再確認するのはこういう時で。でも、だからこそ、この人が魔術師殺しと呼ばれ恐れられている男だということが、妻として9年間連れ添ってきた私にはイマイチピンと来ない。

 切嗣は今まで卑怯とか卑劣と呼ばれるような戦い方で勝利を収めてきたのだという。きっと、サーヴァントを召喚しても尚、おそらくそういう英雄らしい英雄とは真逆の自分らしい戦いを続けるのだろうとそう思う。それが衛宮切嗣という人なのだから。

 と、そんな理解者じみたことを思ってはみても、あくまで私が知っている魔術師殺しという男の恐ろしさなんて、初対面時の記憶を除けばまた聞きでしかない。

 故に実感がないのだ。

 夫がいくら恐ろしい男であると世間一般に貶されようが、夫の素顔はこっちだと私は信じているし、冷酷非道な暗殺者の素顔、それがわかっているから、どんなものを見ることになっても、切嗣のことは信じ続けることが出来るのだと確信している。

 だから、不安があるとするならば、それはこれから。

 だって、聖杯戦争は一人で戦うのではないのですもの。

 身勝手な願いかも知れないけれど、出来るならこれから召喚されるサーヴァントも、私のように夫のそういう冷酷な仮面の裏側の優しさや、彼の掲げる理想を知って、理解し支えてくれたら嬉しいのだけれど。

 そんな事をつらづら考える合間にも、夫の説明は続く。

「……実際にサーヴァントを招き寄せるのは術者ではなく聖杯だからね。僕はマスターとして、現れた英霊をこちら側の世界に繋ぎ止め、実体化できるだけの魔力を供給しさえすればいい」

 そういうものなのか、と理解できぬままに私はなんとなく納得した。所詮門外漢の自分にはよくわからない話だし、わからないものについていつまでも悩んでいても仕方ない。

 切嗣は一つ頷いて立ち上がると、聖堂の奥の祭壇に聖遺物である伝説の聖剣の鞘を置いた。鞘の名前はアヴァロン。持ち主の傷を癒し、老化を停滞させるという、剣以上に重要とされたアーサー王伝説の要。

 大爺様が所望する英霊である、聖剣エクスカリバーの担い手であるアーサー・ペンドラゴンの聖遺物として、これ以上のものは存在しないだろう。

 だから、これで招かれる英霊は最良と名高きセイバーのサーヴァントで、真名はアーサー王。そのことを疑う余地もない。そうこの時まで私も切嗣も信じて疑わなかった

「さあ、これで準備は完璧だ」

 その筈……だったのだけれど。

 

 なのに、どういう手違いでこんなことが起きたのか。

 それは私にはわからない。

 出てきたのは背の高い女性だった。

 淡い褐色の肌に、銀髪である自慢の自分の髪よりも更に白い色をした、短くざっくばらんな白髪。顔立ちは凄く美人というわけではないけれど、それなりに整っており、よく見るとわりと童顔かつ中性的で可愛らしい顔をしている。ちょっと太めの上がり眉が女性ながらに凛々しさを演出しているかのよう。

 年齢は20代半ばくらいだろうか。服装は黒い軽鎧に、紅くて上下に分かれた外套、黒くてベルトが沢山ついたズボンにブーツ。それらが露出は全くといっていいほど少ないにも関わらず彼女の体のラインをくっきりと浮かび上がらせている。

 女性らしさの象徴のようなふくよかな胸に、きゅっと引き締まった印象のウエスト、肉質なヒップのライン。声はちょっとボーイッシュで、声変わり前の少年のようでもあり、発音や言葉遣いが其の印象を助長させている。その瞳は鋼色でどことなく鷹の目を思わせた。

 どこからどうみても、ブリテンの王たるキングアーサーとは結びつかない。

 なにより、彼女が放ったその発言内容。

 一言で印象を述べるならば、‘異質’。

 それは夫である切嗣からみても、自分から見ても見過ごして良いような内容ではなかった。

 

 サーヴァントが出てきてまずはじめにやるのは、マスターとの契約の誓いであることは、ほとんど常識のようなものと言って差し支えがないはず。

 なのに彼女が最初に放ったのは「なんでさ!?」という混乱に満ちた声だった。

 サーヴァントとして呼び出されるのは英霊、つまり英雄と呼ばれた人々が死後に信仰を受けて精霊たちと同格まで霊格を押し上げられた存在の精巧に模された再現存在のはず。だというのに、これが仮にも英雄として奉られている存在が取る言動なのだろうか。

 でも、そこまではまだよかった。問題はこの後。彼女はまだ名前を知らないはずの夫の名前を呼んだのだ。

切嗣(きりつぐ)」と、それはもう言い慣れた感じで。しかも、呼び出したのはセイバーのはずだとも言った。まるでセイバーを呼び出すことをわかっていたかのように。

 おまけに私のことを「イリヤスフィール」と彼女は呼んだ。切嗣との愛娘であるイリヤスフィールのことを何故呼び出されたばかりの英霊が知っているというのだろう?

 おまけにイリヤが成長することがないことまで知っている……いいえ、イリヤ自身に会ったことがありそれもかなり親交深い相手であったかのような反応だった。

 それらの不可解なことの連続に夫の切嗣もぴりぴりしているのを隠しきれていない。

 ただ、目の前の彼女は狼狽が酷すぎてそのことに気付いていないようだったけれど。すると突然何故か彼女は自分の胸をわしづかみにして、信じられないように、泣きそうな子供のような顔で、すがるように私達夫婦へと視線を移してくる。

 そして更に奇怪なことを彼女は尋ねた。

「その、つかぬ事を尋ねるが……私は、もしかして女性になってしまっているのだろうか……?」

 目の前の彼女は、着ているものといい、言葉遣いに振る舞いといい、髪型といい、確かにボーイッシュではあるけれど、その豊満なバストといい、丸みを帯びたボディラインといい、もしかしてもなにも、女以外の性別には見えそうもない。

「? 君はどこからどうみても女性だと思うけれど?」

 見たままに切嗣もそう返す。このサーヴァント、頭おかしいんじゃないだろうな? なんて夫の心の声が聞こえてきそうな雰囲気だった。

(そう、サーヴァント、なのよね)

 確かに、かの騎士王ではなさそうだけど、この魔力と圧倒的な気配は目の前の存在が人間ではないことを示している。だから、英霊のはずなのだけれど。

(なんだか、保護欲が沸くのはどうしてかしら?)

 今までの様子が様子だったせいからかもしれないけれど、私には目の前の女性が小さな子供みたいに思えて仕方なかった。

 まるでイリヤスフィールと相対しているような気分だ。

 そんなことを思考していた時だった。

「は……はは……はは……」

 その褐色肌の女性サーヴァントはそんな乾いた笑い声をあげると、ふっと卒倒した。

「え?」

 夫と二人目を合わせて仰天する。まさか、サーヴァントがこんなやりとりで倒れるなんて誰が想像しただろう。

 とはいっても、本来は睡眠を必要としないのが、魔力で構成された存在であるサーヴァントなわけで、五分もせずに目覚めると、再び私達夫婦の顔と自分の体を見回して、奈落の底に叩き落されたかのように彼女は落ち込んだ。

 

「お、おい?」

 この予想外の展開の連続を前に流石に夫も焦っている。

 彼女は「……体は剣で出来ている、体は剣で出来ている、体は剣で出来ている……」などとぶつぶつ何度か繰り返すと、漸く乾いた笑みを貼り付けたまま、それでもなんとか立ち直れたらしい自分の二本の足で立ち上がり、謝罪の言葉を述べた。

「ああ、その……マスターに心労をかけたようだ、すまない」

 凄く居心地悪そうに視線を斜め下に落として彼女はそんな風に詫びの言葉をかけた。どうやら自分が挙動不審である自覚はあったらしい。そして次の瞬間、スイッチを入れ替えたかのように、彼女の身に纏う空気が変わった。

「サーヴァント、アーチャー。召喚に応じ、参上した。これより我が弓は貴方と共にあり、貴方の運命は私と共にある。ここに契約は完了した」

 頭を垂れ、騎士の誓いそのままに、すっと清涼な声で告げられる祝詞。それはつい先ほどまでの困惑に彩られた迷子の子供のような彼女の姿とは180度違う、厳かで神聖な儀式の形だった。

「アーチャーだって?」

 アーチャーの言葉を受けて、切嗣が眉根を寄せる。

 でもまあ気持ちはよくわかる。

 何故なら切嗣はアーサー王を呼ぶはずだったのだ。アーサー王ならばセイバーで呼ばれるはず。とはいえ、目の前の女性は最初からどうみてもアーサー王には見えなかったので、その疑惑を確信に変えられただけ、全くの無成果でもなかったけれど。

 そんな私たちの疑問をわかっているというように、彼女は嘆息気味に言う。

「そのことについて言いたい事もあるのだろう。アーサー王を呼び出すはずが、私のようなどこの誰とも知れぬサーヴァントを呼んだのだ、無理もない。だが、それはすまないが後回しにしてもらえないだろうか? 私には先にどうしても確認しなければならないことがある」

 そこまで言い切ると、彼女は今度は反転言いづらそうに、その薄めの唇を開く。

「……その、だな。マスターには、確かサーヴァントの能力を確認できる、ほら、力があるだろう?」

「ああ、それがどうかしたのかい?」

 彼女の奇妙な質問に、なんでもないかのように、口元には笑みを浮かべてそう聞き返す切嗣。表面は穏やかだけど目は笑っていない。

 彼の態度の裏側には相手の真意を探ろうとする色がある。でもアーチャーはそんな切嗣の態度に気づいていないかのように、恐縮しながら小声でぽつりと次のようなことを発言した。

「その……私のステータスを、教えてもらえないだろうか?」

「は?」

 思わず素になって、切嗣が聞き返す。すると、そのアーチャーだという女性は頬を真っ赤に染めて「だから、私のステータスを教えて欲しいといったのだ」と言い返した。羞恥の極みにあるとでもいうかのような顔で、それが思いがけず可愛いかったものだから、ぷっと私は思わず噴出していた。

「ふふ、あはは」

「アイリ?」

 夫が訝しそうに私を見ている。アーチャーは何故笑う? と言わんばかりの顔でこれまた私の顔を見ている。そんなよく似た態度の2人がおかしくて、更に笑いながら、私は思うがままの感想を述べた。

「貴女ってまるで、子供みたい。くすくす、可愛い」

 ぱくぱくと口を開いては閉じ、絶句しながら益々顔を紅くしているアーチャーを見て、益々笑いが止まらなくなる。

「いいじゃない。切嗣。それくらい答えてあげても。この子は悪い子じゃないわ。ね?」

 好意的にそう口にしてから彼女に駆け寄り、女性にしてはやや広めのその背中にぎゅっと抱きつくと、アーチャーはあわあわと赤い顔をしたまま慌てて「き、君は一体何を、その、えっとイリヤ……ではないはずだな」なんて、そんな言葉を言った。

 最後のほうはごにょごにょと小さな声だった。おそらく正面にいる切嗣には聞こえてないはずだ。

「アイリスフィールよ。そこにいるあなたのマスター(エミヤ キリツグ)の妻。アイリでいいわ、よろしくね、アーチャー」

「そうか……君が……ああ、よろしく」

 私への返答の最初の声は消え入るような声で、何かをかみ締めているようだった。よろしく、そう言って浮かべた彼女の笑顔は儚いくらい朧ろ気で、見る者にこのまま消えてしまうのではないかと、そんな錯覚を抱かせるような、そういう種類の笑顔だった。

 だから、ぎゅっと私は益々強く彼女を抱きしめた。貴女にそんな顔をしてほしくないのだという、私の気持ちが伝わるように。

 其の様子を見ていた切嗣は観念したようにため息を一つ吐くと、アーチャーのステータスについて説明し始めた。

 

 

 サーヴァント・アーチャー

 身長:174cm

 体重:58kg

 スリーサイズ:93/61/91

 イメージカラー:赤

 属性:中立・中庸

 筋力D  俊敏C

 魔力B  宝具??

 耐久D  耐魔力D

 幸運E  単独行動C

 技能:千里眼(C)、魔術(C-)、真眼(B)うっかり(A)

 

「ん……?」

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 おかしいな、今、奇妙なスキル名が混じっていなかったか? なんというか、凛に似合いそうなスキルが。

「すまない、そのもう一度最後の部分を言ってくれないだろうか?」

 つい、聞き間違いではないかと思い、そう尋ねる。

 耐久と単独行動が凛のサーヴァントだった時よりも落ちているようだったが、元々サーヴァントの能力はマスターの能力にも左右されることを思えば、それは別段不思議でもなんでもなかった。しかし、今聞き捨てがならない単語が混じっていたような……。

「うっかりAだね」

 さらっと、切嗣が告げる。

「がはっ」

 精神的ダメージを前に膝をつく。

 気のせいだろうと流したかったが、どうやら悪い予感は的中していたらしい。

 確かに、召喚されてから私とは思えぬような種類のミスを連発するから変だなとは思っていたが、うっかりAってなんだ、うっかりAって。どこぞのうっかり魔女固有スキルか! 凛じゃあるまいし、何故オレがそんなものをもって召喚されるのだ。おかしいだろう。

 

(それともやはりこれは、彼女を裏切った呪いなのか?)

 

 嗚呼、そうだな。サーヴァントにそんな呪いを付加するなどあり得ないと言いたいところだが、凛ならあり得る。昔っから遠坂はいつもそうだった。滅茶苦茶でデタラメなことさえ凛なら到達してしまえた。うっかりで致命傷なハプニングを起こすのなんて日常茶飯事だ。そして……いつも巻き添えになるのはオレだったな……。

 やはりアカイアクマを敵にまわしてはいけなかったらしい。恐ろしい。もう既にこの身は凛のサーヴァントではないというのにこんな呪いを残すとは。

 多分この世界にもまだ幼い凛はいるのだろう。おそらく、今回呼ばれたのは第四次聖杯戦争だ。切嗣に、イリヤの母親もいるのだ、間違いがない。この世界でもしも凛に会ったら、これ以上の呪いを振り掛けられないようにも気をつけよう。どうやら彼女は自分を真冬のテムズ川に叩き落しただけでは足りないらしいし。

 そんなことを混乱した頭で考えていたが、ふと思い出したように、自分に抱きついている女性を見る。

 大人か子供かの違いはあるけれど、目の前の女性はイリヤによく似ている。その雪の妖精のような雰囲気も、面差しも、無邪気なところさえ、そうだ。彼女(イリヤ)の母親なのだから当たり前なのかもしれないが。

 そして、多分間違いなく彼女は此度の聖杯なのだろう。だからきっとどんな結末を迎えようと、この女性は……イリヤの母親であるアイリスフィールは、助かることはないのだろう。そう、思う。あの原初の光景、黒い太陽が焼き尽くした悪夢を起こした戦争の聖杯なのだから。

 本当になんの因果なのだろうか。昔の自分に答えをもらって、召喚された先は切嗣(じいさん)の元で、おまけにうっかり属性を追加されて女性化してしまうとは。守護者となって以来理不尽にはなれているつもりだったが、これは聊か予想外にもほどがある。

「さて、こちらは君の疑問に答えた。今度は僕の質問に答えてもらえるかな?」

 その言葉にはっとする。切嗣は探るように私を見ていた。機械のような無表情。あれは、自分と一緒にいた頃にはついぞ見なかった、親父の魔術師としての顔だ。

「君は僕を知っているようだ。しかし、僕には生憎、英霊の知り合いなんてものはいない。おまけに娘の存在まで把握している。君の真名は? 君は……一体なんだい?」

 きゅっと眉根を寄せた。ここまでポカを連続して出しておいて誤魔化せるなんて思ってはいない。いつの間にか私に腕を回していたアイリスフィールも、真剣な顔で私を見ている。

「貴女は、未来からきた英霊なんじゃないかしら?」

「アイリ、それは」

「有り得ないことではないわ。聖杯は過去未来現在から英霊を呼ぶんだから」

 ごまかしは駄目よ? と言わんばかりにじっと紅い瞳が私の目を覗き込む。それに誤魔化せないと思った。いや、この曇り無き眼差しを前に、誤魔化したくないとそう思っただけなのかもしれない。

 ああ、そうだな。ならばもう、降参の白旗を振るとしようか。

 すっと口元が皮肉な笑みを描く。そして、気負うこともないまま、私は其れを告げた。

「ああ、その通りだ。私は並行世界の未来から来た英霊だ」

 その私の宣言に、多分そうだろうとは思っていたのだろうが、改めて告げられることでその言葉の内容を実感したのだろう、二人共静かに息を飲む。

 ……もう、半分以上自棄なのだが、何構わないだろう。正体を明かすのが駄目だとしたらそもそもこの時代に私が召喚されるはずがないのだから。既に私の存在は‘世界’より切り離されている。パラドックスなど起こりよう筈もないのだから。

「私の真名はエミヤ。在りし日の名は衛宮士郎。並行世界の未来の、貴方の息子だよ、衛宮切嗣(マスター)

 どこか自嘲するように、ニヒルな笑みを口元に浮かべながら、私はそう2人に向かって言い放つ。

暫し、聖堂を物言わぬ沈黙が支配した。

 

 

 

 NEXT?

 

 

 

 

 



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02.平行世界の話

 ばんははろ、EKAWARIです。
 入念に何度も何度も読み直して加筆修正しているつもりですが、表現が分かりづらい所や誤字脱字がございましたら、お気軽に声をかけていただければ出来るだけ対処させていただきますので、何かあれば一報お願い致します。


 

 

 

 サーヴァントとは、聖杯戦争に勝利するために魔術師(マスター)に与えられた道具だ。

 僕はそれを使ってこの戦いを勝ち抜き、望みをかなえる。

 そのために9年前アインツベルンの陣営に入ったのだから。

 なのに、其の日呼び出したサーヴァントは、呼ぶ予定だったアーサー王ではなく、白髪褐色の肌の女性サーヴァントだった。

 能力値は低いし、一々言うことも本当に英霊なのか疑わしいその女。

 言動から自分となんらかの関わりがあるのだろうと予測できたし、未来からの英霊だというのも、発言内容を考えれば驚くことではなかったのかもしれない。

 それでも、驚いたのは、そのどこからどうみても女性としか思えないサーヴァントが言った次の発言。

 そう、彼女は未来の僕の息子なのだと、そう語ったのだ。

 

 

 

  並行世界の話

 

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 想像していた結果ではあるが、私が放った発言を聞き、並行世界の自分の養父(えみやきりつぐ)その妻(アイリ)は驚きに目を見開き、暫し固りつつ私を凝視していた。

「ええと、確認なのだけれど」

 我に返ったのはアイリスフィールのほうが先だった。それでもその声には動揺が大分混じっている。

「貴女、女の子よね? 息子って今言ったのかしら?」

「ああ、言った」

 やはりか。追求されると思っていた。思わずため息をつく。いきなり女になって何も感じずにいられるほど私は無神経(つよく)はないのだ。

「ひゃ!?」

 その隙をついて、白くて細やかな白魚のような手がいきなり私の胸を掴んだ。

「本物よねえ……」

「ちょ、やめ、え? 何故揉むんだ……!? こら、よさないか」

 感心したように呟きながら、犯人(アイリ)は続いてむにゅむにゅと私の胸を揉みしだき続けているのだが、この現状を前に、正直ちょっとショックが大きすぎて立ち直れそうにないのはどうしたことだろう。

 いや、何故揉む。何故そんなところを触るんだ。

 心は硝子なんだ、やめてくれ。本当。ついでになんだか腰のあたりがもぞもぞしてくるんだが、これは気のせいか。気のせいにしたいが。そんな自分の反応がまたなんだか嫌だ。しかも、次第に指の動きが巧みになっているような……?

「アイリ!」

 がしっ、とその白く女性らしい手を掴んで、それ以上の犯行を止める。今自分は涙目になっているような気がするのだが、多分気のせいだ。そういうことにしておきたい。私の中の男としての名誉のために。そんな私の心に更にダメージを与えるかの如く、アイリの発言が続く。

「あら、ごめんなさい。貴女がとても可愛いから、つい」

 にっこりと慈母のような笑顔で告げるアイリスフィール。どうやらそれが犯行理由であったらしい。その笑顔は可愛らしく、発言内容さえ無視すれば心和む表情ではあったが、いくら、女性化しているとはいえ、私の心は男なのだ。可愛いからなんてことを理由にされては内心複雑過ぎる。

 ついでに、彼女の言動から流石はイリヤの母親に当たる女性だ、なんて筋違いのことを考えてしまう。

 何? それはただの現実逃避ではないのかと? 

 ……否定は出来んな。昨日まで男だったのにいきなり女にされて、現実逃避して何が悪い。

「でも本当にどういうこと? 納得のいく説明はもらえるのかしら?」

「悪いが、女性化については説明できそうもない。私にも説明のつかない現象だからな。が、始めに言っておくがね、私は元々は男だった。だから、その、女性扱いはやめてもらえたら助かる」

 とりあえず釘をさす。

 見れば、切嗣はじっと、私とアイリスフィールとのやりとりを観察している。自分の出方を見極めようとしているようにも見えた。そんな切嗣を見て、次第に自身の中にも冷静さが戻ってきた。

 本当に随分と己は狼狽していたらしい。

 だが、いつまでも馴れ合っているだけで済ますわけにもいくまい。何故なら私は、この聖杯戦争に召喚された道具(サーヴァント)なのだから。

「まあ、私からも言いたいことは沢山ある。おそらくマスターの疑問もそれである程度は解消されるだろう。だが、その前に場所を移動しても構わないかね? このような場所で長々と話すのはあまり建設的とはいえないと思うのだが」

 その私の発言に、ああ、そういえばと言わんばかりにアイリは口元に手を当て、ちらりと周囲に視線を移した。

 この聖堂内に置いてある、すぐ側のステンドグラスに描かれているのは、冬の聖女ユスティーツァと、それを支えるように描かれている遠坂とマキリの絵図だ。これは200年前の大聖杯構築の儀を示している。

 アインツベルンは千年もの聖杯探求を続けてきた一門だ。遠坂とマキリとアインツベルン、御三家の協力で聖杯戦争という儀式を作り上げたわけだが、このステンドグラスが指し示しているのは、あくまでも主はアインツベルンであり、他の御三家はあくまで協力者に過ぎないという、他家を一つ下に見る姿勢と、アインツベルンという家に対する盲目的なまでのプライドの高さだ。そこには他家の力を借りることに対する屈辱も入ってる。

 そんなアインツベルンという一族の妄執を端的に表すかのようなこの場所は、いくら見目こそ聖堂とはいえ、居心地がいいとはいえない。

 それに、もう一つ、ここから移動したい理由があった。

「何より、このような監視の目がある場所ではな、私とて手の内を明かしたくともあかせんよ」

 言いながらすっと虚空を見つめる。そこには、アインツベルの当代頭首であるユーブスタクハイト・フォン・アインツベルンが放った使い魔が紛れ込むようにして存在していた。

 たとえ、遠坂のうっかりの呪いを受けようと、それでもやるべきことを見失うつもりはない。うっかりといっても常時発動するというわけではないのは、あのうっかりスキルがおそらくランクEXであろう遠坂凛が、学校では見事に優等生を演じられていたところからしても明らかだ。常時発動するならそれはうっかりではなく、ただのドジっこだろう。

 まあ、ここまでマスターである切嗣にのみ与えるべき情報のカードをいくつか聞かれてしまっただけで相当ドジを踏んだともいえるのではあるが。

 セイバーの触媒を用意したのはアハト翁なのであろうから、全く違う英霊を呼んだ、しかもそれが未来の切嗣の息子……何故か女の姿になっているが、というだけでも、相手がどう手を討ってくるか警戒せねばなるまい。

 とはいえ、聖杯戦争の主役はマスターとサーヴァントだ。マスターでもなく、日本に行くわけでもないご老人に出る幕はないだろう。そう願いたい。

 切嗣もこちらの意図がわかったのか、一つ頷いて、「こっちだ」と言い部屋を出て行く。

 オレとしては頭の痛い問題だらけだ。それでも、こうして切嗣に会えて嬉しいという気持ちが消しきれないのは、もうどうしようもない。遠い記憶の片隅に焼き付いた習性のようなものだ。

 オレの知っている切嗣は世話の焼けるだらしのない親父であり、オレを救った正義の味方であり、つかみどころのない子供のような不思議な男だった。

 例え記憶が摩耗しようと、あの夜切嗣に呪いを残されたのだとそう一度は断じようと、それでも一度根付いた憧憬が消えることはない。答えを得、自分の生きた道が間違いではなかったと思えるようになった今は尚更だ。

 その憧れた背中をこうして見られるのなら、肩を共に並べられるのなら、それはそれで愉しみなのかもしれない、そんなことを思った。

 ふと、自分をじっと見つめている視線に気付く。振り向けばアイリスフィールが紅い目を細めてほほえましそうに見ていた。

「アイリ?」

「貴女、今凄く良い顔してた」

 そんな顔をしていたのだろうか? ぺたりと自分の頬を、魔術行使の影響で黒く変色した指で触れる。

「うん、貴女はそういう顔のほうがいいわ」

 ぎゅっと腕に再び抱きついてくるアイリ。柔らかい体に、優しい香りがした。

「さあ、行きましょ、アーチャー。あの人がまってるわ」

 ふわふわと舞う白銀の髪、天真爛漫な振る舞い。アイリスフィールのほうが、イリヤよりも落ち着いて淑やかな印象があるが、それでも本当によく似ている。

 もしも、イリヤスフィールが大人になれていたとしたら、彼女もまたこういう風になれていたのだろうか。

 自分の……衛宮士郎の姉である女性は。

「……ああ」

 腕をひかれるままに、かつて憧れた男の背中を、彼の妻と共に追った。

 

 

 

 side.衛宮切嗣

 

 

 かちゃかちゃと、茶器が音を立てる。

 褐色の指が優雅な仕草で、紅く暖かな液体を白く高級なティーカップに満たすと、アイリは子供のように目をきらきらと輝かせて感心したように嘆息をついた。

「美味しい」

 こくりと飲んで、本当に幸せそうにそう告げる妻の言葉と表情に思わず頬が緩みそうに成るが、鋼の心で顔を引き締めて僕は対する。

「気に入ってもらえたのなら何よりだよ」

 そう告げながら微笑み返す僕の未来の息子を名乗る女性も、それは充実した笑みを浮かべていた。こうしてみると、英霊というよりも執事か何かのようだ。

「切嗣も、折角貴方の未来の息子が入れてくれたんだから、一口くらい口をつけたらどう?」

 そんな妻の声に苦笑して口にカップを運ぶ。

 確かにそれは妻の言うとおり美味しかった。正直言うとこんな美味い紅茶など飲んだことがない。だけれど、こんなことをするためにここに来たわけじゃないはずだ。

 ……全く何をやっているのだろうか。僕もこいつも。

 僕の自室に招きいれた時、こいつは「長話になる。どれ、茶でも用意しよう」といいながら慣れた手つきで茶の準備を始めた。それはこの城の使用人用ホムンクルスに比べてみても、全く遜色のない優雅な手つきで、それだけでこれは人に給仕するのに慣れた人間だとわかった。

 全く、接すれば接するほど謎が深まるばかりだ。

 僕の未来の息子だという話だが別にそれを鵜呑みにしたわけじゃない。それでも話してくれるというなら、聞くだけは聞こうかと思っただけだ。

 サーヴァントは聖杯戦争に勝利するためだけの駒。そこに感情を挟んだらこの戦争で生き残れなくなる。だから、情を移すわけにはいかないんだ。

 この女の僕に対する目には確かに懐かしいものを見る色がある。だけど、それは別の僕だ。今の僕ではない。だから、このサーヴァントがどう思っていようと僕とこいつは他人だ。そうでなくてはならない。

 

 ―――……まるで自己暗示のようだ。

 けれどそのことに僕自身は気付いていなかった。そう思う時点で、情がうつり出している萌芽なのだということは、自覚するわけにはいかなかったから。

 

 そして、話が始まる。

「さて。なにから話せばいいものか。ああ、そうだな。私が「並行世界の未来から来た」といったと言った理由からにしたほうがいいか。と、その前に一つ言っておこう。私は、衛宮切嗣、貴方の並行世界の未来の息子と言ったが、私と貴方に血の繋がりはない。私は養子だったからな」

 そう言って苦笑しながら、その紅い外套の女は優雅に紅茶のカップを口に運んだ。

(養子……だって?) 

 その言葉に内心驚く。この聖杯戦争でアイリは死ぬ。それは確定している。それで未来の息子だと名乗ったからには、てっきり後妻との間に生まれた子供かなにかだと思っていたのだ。

 何故なら、自分が子供をわざわざ引き取って育てるとは思えなかったからだ。

 確かに僕には舞弥を拾った例などはある。しかし舞弥とのそれはあくまでも、戦闘機械である僕と、その補助機械である彼女という戦場の相棒たる関係であって、親子関係なんかじゃない。

 でも、アーチャーの言い分や、彼女の僕に対する情の見え方から判断するならば、生前のアーチャーと、彼女の知る僕との関係は、決して舞弥と同じ機械的な関係などではなく、明らかに家族としての色が強く感じられた。

 故にこそ、驚愕する。

 実の娘(イリヤ)の愛し方さえ迷っている僕だ。この血まみれの手にあんな小さな女の子を抱いて良いのか、それにさえ苦悩しているというのに、それが、他人の子を引き取って育てる? 自分の子としてこの僕が? はっきり言って想像が出来なかった。

 そんな僕の驚愕を置き去りにアーチャーの説明は続く。

「私はこの第四次聖杯戦争の後、貴方に引き取られた。その後成長した私は十年後、私自身第五次聖杯戦争に巻き込まれることになった」

「な!?」

 その言葉にまたも驚かされた。

 第五次聖杯戦争だって?

 それが起きたということは第四次は決着を見せなかったということなのか。いや、それよりも驚くのは十年後といった言葉。聖杯戦争は六十年周期のはずだ。それがたった十年で再開するなど前代未聞だといえる。

「切嗣は聖杯を手に入れなかったというの……?」

 アイリも動揺して告げる。それはそうだ。十年後ということは、つまり間違いなく第五次の聖杯は愛娘(イリヤ)がなってしまうということを示しているのだから。

「順番に話す。だから、今は落ち着いて聞いて欲しい」

 宥める様な声で目の前の褐色肌に白髪の女が言う。それに、落ち着かせようと葛藤しているのか、アイリはこくりと紅茶を飲む。

 知らず緊張していたのだろう、口内が気づけばカラカラだ。僕もアイリに習い、湿らす程度に紅茶を口に含んだ。先ほどまでは、あれほど美味く感じた紅茶が酷く味気なかった。

「あくまで、私の知っている歴史の話をしよう。とにかく、私はマスターとなり、セイバーを召喚した。セイバーの真名は騎士王アルトリア・ペンドラゴンという少女だった」

 少女を召喚した? しかしその真名は……かのアーサー王が女だったというのか?

「そして彼女は第四次聖杯戦争にも召喚されていた。衛宮切嗣、貴方の手で。だから、私は第四次聖杯戦争のことも少しは知っている。熾烈な戦いを勝ち抜き、彼女は最後まで残ったそうだ。そして、聖杯は現れた」

 遠い記憶を必死に思い出しているかのような、そんな顔で彼女は言葉を続ける。

「最後彼女は、衛宮切嗣あなたの手で、令呪の命によって聖杯を破壊したんだそうだ」

「そんなはずがないわ!」

 がたん、と音を立ててアイリスフィールが立ち上がる。

そして彼女にしては珍しく、興奮のままに声を荒げた。

「切嗣が、切嗣がそんなことするはずがない。だって、切嗣は」

「アイリ」

 困惑した目で妻が僕を見ている。僕は落ち着かせるように軽く頷いて言う。

「その僕は、僕じゃない」

「あ……」

 何かに気付いたように彼女はうつむき、席に座りなおした。

「ごめんなさい。続けて」

 こくり、サーヴァントは一つ頷いて続きを話し出す。

「聖杯は破壊して正解だったんだ。その理由がわかったのはオレが参加した第五次聖杯戦争だ。無色の願望器であるはずの聖杯は呪いに汚染され、破壊という形でしか願いをかなえない、壊れた玩具箱に成り果てていたからな」

「え?」

 その思わぬ言葉に、刹那息を止めた。

「衛宮切嗣、先ほど不思議そうにしていたな。何故わざわざ自分が養子を引き取ったのかと」

 鋼色の瞳がじっと僕の目を覗き込んでいる。まるで、心のうちまで見透かすように。ざわりと、背中におかしな違和感のような感覚が走り抜ける。警告のように。

「私の知る歴史では、第四次聖杯戦争はセイバーによって聖杯が破壊され終わった。しかし、既に呪われていた聖杯はそれだけでは終わらず、町を飲み込んだ」

「何?」

「死傷者約500名、燃えた建造物は約100にも及ぼうかという大災害、それらは全て聖杯から漏れ出した呪いだ。私はそれの生き残りだったよ」

 その言葉に、凍りついた。

 淡々とした口調ではあったが、透き通った硝子のような鋼色の瞳と、端的に纏めた言葉。それらが今語ったことは事実であると物語っている。出会って間もないというのに、彼女の言葉には真実の重みがあった。

 それは思わず、彼女の言葉を全て鵜呑みにしてしまいそうなほどに。じっとりと嫌な汗が背中を伝った。

「なんで、そんなことになったの? 聖杯はなんで汚染されたの?」

 アイリは震える声で訪ねる。それに、褐色肌赤い外套の女は厭うでもなく、それまでの説明と相変わらず、淡々とした口調と表情で言葉を続ける。

「第三次聖杯戦争でアインツベルンは勝利しようと、呼んではいけないものを呼んだ。この世全ての悪(アンリ・マユ)だ。だが、勿論神霊の類がサーヴァントとして召喚されるわけではない。呼ばれたのはこの世全ての悪(アンリ・マユ)を背負わされ殺された哀れな亡霊だった。史上最弱のその英霊は真っ先に倒されたのだそうだ。その後聖杯の中に吸収されたこの世全ての悪(アンリ・マユ)は、その性質に従い、「悪であれ」という呪いをもっていた。それを聖杯が受け、無色であった聖杯は破壊でしかものを叶えない歪な願望器になりはてたのだ」

 それは聞き流せない話だった。それがもし本当なら、自分がここにいる意味が全て根本からひっくり返されかねない。なんのために聖杯戦争に参加しているのか理由さえ無くしてしまう。

 そんなことは認められない。聖杯が汚染されているなど、認めることは出来ない。

 9年だ。9年間、僕はこの聖杯戦争に参加するためだけに、この城に留まった。

 いつか聖杯を取り、世界を救済するのだからと、そう自分に言い聞かせていたからこそ、自分は幸せになる資格がないことがわかっていながら、アイリやイリヤとの生活も受け入れることが出来たのだ。今更願いは叶わないなどと言われても、はいそうですかと信じられるわけがない。なのに、自分の存在意義を奪いかねないこの女の言葉を信じそうな自分もいて、吐き気がした。

 胃の中が冷たい。

 そんな僕の様子を察したように、アーチャーは小さく一つため息をつくと、少し気怠げな声で淡々と次のように続けた。

「とはいっても、あくまでこれは私の知っている未来の話だ。この世界まで同じとは限らん」

「どういうこと?」

 アイリは青ざめた顔で尋ねる。それに、苦笑しながらアーチャーは「言っただろう、私がやってきたのはあくまでこの世界からすると並行世界にあたる未来なのだと」と答えた。

「私の知る歴史では衛宮切嗣が呼び出すのはセイバーのはずなのだ。しかし、呼ばれたのはこの私だ。その時点で私の知る歴史と食い違っている」

その言葉に、一縷の希望を見て、漸く僕は重く苦しい息を一つ吐き出せた。

 女はそんな僕の様子に気づいているのか、気づいていないのか、変わらぬ調子で言葉を続ける。

「なにより呼ばれたサーヴァントのクラス自体が違うのだ。当然私が知る、第四次聖杯戦争で呼ばれたサーヴァントやマスターにも情報の食い違う点はあるだろう。だから未来からきたからといって情報戦で有利だとは思わないことだ。それに、確かに私の知る歴史の聖杯は汚染されていたが、並行世界であるこの世界の聖杯まで汚染されているかまでは知らん」

 その言葉にアイリはほっとしたように息をついた。僕もそれに倣い、肩の荷を下ろしたかのように、息をつく。

「だが、マスター。これだけは覚えていて欲しい」

 その重い声に、僕の体に再び軽い緊張が走った。

 すっと、姿勢をただし、彼女はまっすぐに僕を見る。まるで鷹の目のそれが僕を射抜いている。

「もし、この世界の聖杯も汚染されていたなら、その時の覚悟だけはつけておいてほしい。そして、最後言峰綺礼と二人っきりで対決するような状況になったのなら、私のほうがどんな状況でもかまわん。迷わず令呪で呼んでほしい」

 お願いだ、と深々と頭を下げながら、そんな言葉を生真面目に告げる赤い外套の女。それに僕は木偶になったかのように凍り付いた。

 ……晒されたそれは白い髪だ。アイリ以上に白い真っ白の砂のような髪。名は衛宮士郎だと名乗った。話に聞く限りでも日本人なのだろう。それがどうしたらこんなに白い髪になるのだろうか。

 がたん、と席を立った。

「切嗣?」

 アイリが不思議そうに僕の名を呼ぶ。でもこたえる余裕もなく、僕は感情のままに駆け出した。

「切嗣!?」

 ぐるぐると色んな考えが頭をまわる。思考がぐちゃぐちゃだ。こんなの、魔術師殺しの衛宮ではない。僕は一個の機械のはずだった。ああ、きっと今の僕はとても見っとも無い顔をしているのだろう。

 出て行く一瞬見た、自分のサーヴァント(アーチヤー)は傷ついた顔をしていた。

 

 サーヴァントは道具だ。聖杯戦争を勝ち抜くための。道具に情はかけてはいけない。

 けど、もしも聖杯が僕の望みを叶えてくれないとしたら? 人を救ってくれないとしたら? 僕はなんのために戦おうとしているのだろう? アイリはなんのために死のうとしているのだろう? 

 もしも、アーチャーの言葉が本当なら、何一つとて救われない。そんなものはあんまりだ。そんな結末はあまりに無情過ぎる。

 聖杯が汚染されている。それがもしも本当だったとしたら、僕の願いが叶わないとしたら、僕が犠牲にしてきた人々は、祈りは、想いは何処に向かえばいい?

 ……僕は、どうすればいい?

 一つの道を信じて走っていけたならよかった。見えているゴールに向かってひた走る。障害物は全て斃す。そうやってシンプルに行けるなら、そうしたら苦悩せずにすんだ。迷わずにすんだんだ。いつもどおり優先順位は変わらず、聖杯で全てを救えるのだからと、少数の犠牲もまた是正していけた。迷いなど無く、冷酷に、冷静に敵を撃つためだけの機械になれたのに。

 でも、願いが叶わない可能性が高いとそう言われてしまえば、僕は少数の犠牲を出すことさえ迷ってしまう。命を摘み取ることに、躊躇を覚えてしまう。それは、あまりに危険だ。戦争に参加しようとしている身に、それはあまりに大きすぎる隙となる。そう、僕という機械は十全に役目を果たせなくなってしまう。

 アイリやイリヤのためにも、僕は負けるわけにはいかないというのに。

 嗚呼、そうだ。呼び出したのがあのアーチャーでなければこんな感情に苦しめられずにすんだ。

 聖杯の汚染など信じたくはないと、信じなどしないと叫んでしまえたら、憎んで、八つ当たりをしてしまえば、少しは楽になれるだろうか。

 サーヴァントを信じてはいけない。彼らは所詮死者だ。どんな高位の存在といっても道具なんだ。

 ああ、でも、だけど、僕の息子だというあの女は、一体この英雄なき世の中でどうやって英霊の座へと上り詰めたというのか。

 騎士(そうしょく)の時代はとっくの昔に終わった。戦争は醜くむごいものだ。戦場はただの地獄で救いなどどこにもない。そんな時代に英雄とまで呼ばれるようなものになりつめたのだとしたら、そんなことが起こるのだとしたら、それは一体どういう奇跡(ミラクル)だ。そんなことを成し遂げることが出来るとしたら、成し遂げたのだとしたら、そいつはきっと怪物と大差ないのではないのか?

 その己の想像に、ぞくりと悪寒が駆け巡る。

 

「……く、……はは、はは」

 脳裏によぎるのは、先ほど見た鷹のような目。あの鋼色の瞳の得体の知れなさに、僕は膝を崩して笑った。

 乾いて力ないそれは、意味など到底有り得無い笑いだった。

 

 

 

 NEXT?

 

 

 



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03.剣の夢と、魔術師殺しの答え

 ばんははろ、EKAWARIです。
 個人的には第四次聖杯戦争編はこの辺ぐらいまでがオープニングかなと思っているので、前話から一気に読んで頂けたらな嬉しく思います。


 

 

 

 我知らず人並みに傷ついていたらしい。

 全く笑わせてくれる。

 そんな感情とうに摩耗して、なくしてしまったと思っていたのに。

 これも全ては答えを得たせいなのだろうか。

 いや、もう別の自分(たにん)のせいにするのはやめよう。

 求めてきた聖杯が汚染されている可能性が高い。

 こんな話をいきなりしても信じる人間などそうはいない。

 それが魔術師殺しと恐れられているあの男なら尚更だ。

 それでも傷ついたのは、あの男、衛宮切嗣が並行世界とはいえ私の父であった男と同一の存在だったからだ。

 誰かに嫌われたり憎まれたりするのは慣れている。

 それでも幼かった自分の全てを形作った男は別勘定らしい。

 存外私も人間らしかったのだな、とそう思った。

 

 

 

  剣の夢と、魔術師殺しの答え

 

 

 

 

 side.アイリスフィール

 

 

 夫が出て行った先を見て、仕方ないと思いつつも、思わずため息をつく。

「ごめんなさいね、切嗣も悪気はないのよ」

「いや……」

 褐色の肌に赤い外套の弓兵は、ちょっと困ったように眉根を寄せて、私を安心させようとだろう、うっすら微笑む。そして自覚的にか無自覚的にか、唇の端が皮肉そうにつりあがった。

「君が気にすることはない。下手な疑いをもたれるよりはよかろうと、私の知っている事実を話したまでではあるが、まあ、普通の人間ならいきなり現れた見知らぬ存在に、「聖杯は汚染されている可能性がある」といってはいそうですかと信じられるものではないからな。まして、未来の息子だと言ってもそれを証明するすべもなければ、今の私は男でもないからな。信じられなくて当然だ、いや、マスターの反応は正しいよ」

 そんな風になんでもないように言い、誤魔化すように紅茶を口につけているけれど、私にはそれが強がりにしか見えなくて、ぽふっと彼女の体を抱きしめた。元は男、とは本人の言だけれど、人間は第一印象に左右される生き物だ。私が会ったときには既に女だったし、私は元の姿を知らない。だから私にとってはなんといってもアーチャーは女の子だ。正確には私自体人間ではないけれど。

「馬鹿ね、切嗣だって本当はわかっているわ。貴女、嘘をつくような人間じゃないでしょ?」

「さてな? 狸だ、と言われたことはあるが?」

「馬鹿ね」

 おどけたように言うから、ぎゅっと更に強く抱きしめる。

「意外だな」

 アーチャーは少し感心したような放心したような声で告げる。

「君は信じたというのか? 私の話を」

「ええ、信じた。信じました。だって貴女切嗣と似てるもの」

 その言葉に、包んだ体が僅かに強張る。

「なんというかね、眼差しとか色々、ほんの些細な部分かもしれないけれど、似ているわ。あの人と」

 そう、この子は切嗣と似ている。その繊細さや、纏っている雰囲気。手先は器用そうなのに人としては不器用そうなところまで、そっくりだった。

「親子だっていうのも納得出来ちゃう。それに貴女、イリヤのこともよく知っているみたいだったもの」

 愛娘の名を出した時、先ほどよりも強く強張りを感じた。

「イリヤは……」

「貴女の世界でどうなったかなんて言わなくていいわ。あの子が長く生きれるように出来ていないのは母親である私がよく知っているから」

 その言葉に、彼女は目線を下に向けて俯く。彼女の歴史では第五次聖杯戦争がおきたといった。なら、次代の聖杯である娘の結末に幸があるとは思えない。そんなことをわざわざ聞くつもりはない。

 第一、彼女の言ったとおり確かに彼女の知る世界とここは並行世界なのだろうから、ここにいる娘まで同じ運命がまっているとは限らない。イリヤは今ここで生きているのだから。

 未来の可能性は一つではない。アーチャーが召喚されたことによって、彼女の知る歴史と変わったというのなら尚更。なら、起きてもいないことに対して、罪悪感をもたれる由縁もない。

「ああ、そんな顔をしないで。でも、そうね」

 ちょっと悪戯を覚えたような顔を作って、彼女の顔を上げさせる。

「ふふ、私のこと、お母さんって呼んでくれてもいいのよ?」

「アイリ?」

 その私の言葉に、驚いたように鋼色の眼が見開かれた。

「だって貴女、あの人の息子なんでしょう? 私は切嗣の妻だもの。あの人の子供なら私の子でもあるわ。まあ、今は息子じゃなくて娘かしらね?」

 最後のほうの台詞に対しては、アーチャーは目に見えて落ち込んだ。「体は剣で出来ている。体は剣で出来ている」と、召喚されて気絶から立ち直った時と同じ台詞を小声でぶつぶつ繰り返しているけれど、一体なんの呪文なのかしらね?

「さて、行きましょう。城の中を案内してあげるわ」

 これからどうなるのかまではわからないけれど、今はこの褐色の手をとって行こうとそう思う。この城で過ごすのもあと数日。まもなく私たちは日本の冬木へと向かう。

 どうせだから、このどこか夫と似た雰囲気をもつ新しい娘をイリヤスフィールと会わせてやりたい。そんなことを思いながら、私は足取り軽く部屋を後にした。

 

 

 

 side.衛宮切嗣

 

 

 夢を見ている。いつもは僕は夢を見ない。夢を見るような眠りはしないからだ。

 この9年は僕とは思えない穏やかな日々だった。それでも、だ。

 なのに、今夢を見ている。墓標のように突き刺さる剣の数々。赤い荒野。そこにいるのはたった一人の男、剣の王。

 真っ赤な外套を纏って、背中を見せて立っている。知らない背中だ。なのに見覚えがあると思ってしまったのは何故か。

 

 

 ――――体は剣で出来ている。

 

 なんだこれは。

 

 ――――血潮は鉄で、心は硝子。

 

 ここは一体なんだ。

 

 ――――幾度の戦場を越えて不敗。

 

  知らない。こんな男の声は知らない。

 

 ――――ただの一度の敗走もなく、ただの一度も理解されない。

 

  なのに何故なのか。

 

 ――――彼の者は常に独り剣の丘で勝利に酔う。

 

  得体がしれないのに、逃げたいとは思えないのは。

 

 ――――故に、生涯に意味はなく、その体はきっと剣で出来ていた。

 

 それは1人の男の歪でありながら真っ直ぐな生き様の詩だった。

 

 

 画面が飛ばされる。

 

 月だ。綺麗な月が出ている。季節は冬だろうか。場所は、武家屋敷……?

 それらを見て、夢の中とはわかっているけれど、僕はギクリと体を強張らせた。

 だって、そこは綺麗にされてはいたけれど、僕がこの聖杯戦争の為に購入した冬木にある屋敷そのものだったからだ。

 男の子が現れる。赤い髪に、くりくりとした琥珀色の目が印象的な、それでも普通の平凡な小さな子供。その視線の先にいる男を見て僕は凍りついた。

 着流しをきた僕がいる。いや、僕そっくりの、けれど僕よりも年上の男。穏やかで疲れたような顔。こんな顔はしらない。毎日鏡で自分の姿は見るけれど、僕はこんな顔をしない。まるで世捨て人のような。

 そも、男の顔色。死の影が纏わりついている。あれは、病におかされているのか? 何故。

 月を見上げながら男は口を開く。男の子は横に座っている。僕によく似た男に対して信頼と愛情と尊敬の眼差しを向けながら、無邪気に見上げている。

「―――――、――――――――」

 男が何か言っている。その声は聞こえない。そうだ、ここは夢の中だ。見えるのは映像だけ。音声はそこにはない。

 男の子はちょっと拗ねたような顔をして男を見上げている。何を言っている。こいつらは何を言っているんだ。

 いや、焦るな、動揺するな。僕は一個の機械。音声は聞こえない。でも映像は所々セピアに覆われているけど鮮明だ。唇を読め。彼らはなんと言っている。

「うん、残念ながらね、正義の味方(ヒーロー)は期間限定で、大人になると名乗るのが難しくなるんだ。そんなこと、もっと早くに気が付けばよかった」

 その言葉に唖然とした。

 自分の幼い頃からの夢を、狂おしいほどの絶望に似た渇望を、こんな風に、こんな小さな子供に明かしたことなんてなかったからだ。

 尚も彼らの言葉は続く。

「そっか。それじゃしょうがないな」

「そうだね、本当にしょうがない」

 どくどくと心臓が早鐘を打っている。夢の中だというのに。喉が渇いて、汗が張り付く。何を、とは上手く説明がつかないけれど、やめろと反射的に叫びたくなる。何を、この子は何を言おうというんだ。

 いつの間にかセピアの世界に鮮やかな声がついていた。

「うん、しょうがないから俺が代わりになってやるよ」

そう語るその瞳はとても純粋で真剣で。故にこそ、傍観者である僕はその言葉に凍り付いた。

 まだ、少年の言葉は続いている。だが、なんと言った? この子供は。かわりになるだって? 正義の味方に? 僕がかつて焦がれ、衝突し、呪って、それでも切望してやまないそれに? 呪いの果ての憧憬、それを、僕の憧れ(りそう)を継ぐとそう言ったのか?

 今もこんなに焦がれて、疎ましくも捨てきれずに抱えている其れを。少年時代の残骸を。継ぐとそう答えたのか。

「……ああ、安心した」

 目を閉じ、本当に安らかに眠る僕らしき男。なんで安心したのかは、きっと辿った歴史が違うだろう今の僕にはわからない。それでも、その言葉を最期に死んだ、とわかった。

 つぅと、静かに本当に静かに男の子の目から涙が一筋落ちる。泣きわめくでもなく、有りの儘に死を悼むそれは、こんな幼い子供のする泣き方じゃない。

 それらの光景は徐々にノイズに蝕まれ、掻き消えていく。僕の目が覚めようとしているのだと唐突に理解した。

 そして夢から覚めるその一瞬、きっと一秒にも満たない瞬間に流れた映像。

 炎が街を飲み込んでいた。黒い禍々しい太陽が呪いを吐きながら笑う。生きとし生けるもの全て絶える死の世界。

 僕は今までの生涯、戦場で過ごしてきたことなど数えられぬほどある。酷い戦ばかり見てきた。戦場の不条理と醜さは身をもって知っている。でも、これは、なんだ? ただの災害? 違う。もっとおぞましいものだ。そう、それは例えようもなく死そのもの。殺意と死が形になったもの。

 手を伸ばす子供。その手をつかんだのは……僕だ。

 救われた顔をした僕がその子供を……。

 

「……!?」

 がばっと身を一気に起こした。体からはびっしりと汗が滲んでいる。

 懐中時計に目をやる。今の時刻は朝の四時過ぎ。寝ているのはこの城に招かれた時に用意された僕の部屋のベットではなく、この城に無数にある客室のひとつのソファーだ。昨日どうしても戻る気になれずここで夜をあかしたことを思い出した。汗を拭いながら立ち上がる。

「今のは……」

 おそらく、間違いなく、あの褐色の肌に白髪のサーヴァントの夢なのだろう。

 マスターとサーヴァントはラインによって繋がる。だから、稀にサーヴァントの過去をマスターが見ることがあるという。繋がりが深ければ深いほどおそらくその可能性はあがるのだろう。

 僕にとっては初対面でも、あのサーヴァントからしたら僕は父親だ。確かにそれは繋がりが深いといえるのだろう。

 最初に見たのは、剣の丘に立つ紅い外套の男だった。後ろ姿しかみていないが、白髪だったように思うし、衣装もあの女と細部が一緒だった。本人いわく元々は男だったという話だから、あれが本当の姿なのだろう。

 しかし、次に見たのは……出てきたのはおそらくアーチャーの世界の僕なんだろうけど、あの赤い髪の男の子は誰なのだろう。

 アーチャーは白髪に褐色の肌で鋼色の目をしている。けれど、あの男の子は赤い髪に琥珀色の瞳で東洋人らしい肌の色をしていた。アーチャーらしき人はその中には見当たらない。

 そこまで考えた時、僕は彼女が昨日言った発言を思い出した。

『死傷者約500名、燃えた建造物は約100にも及ぼうかという大災害、それは全て聖杯から漏れ出した呪いだ。私はそれの生き残りだったよ』

 そう彼女は言った。第四次聖杯戦争後に引き取られたとも、養子だったとも言った。

 そして目覚める寸前に見たあの黒い太陽の死の世界のビジョン。救われた顔をした僕が手をとった子供、あれが……幼少のアーチャーなのか? ではやはり、あの赤い髪の「俺がなってやる」と僕の理想を継ぐと宣言したあの子供がアーチャーの昔の姿なのか。

 そう考えてみれば全く似ていないと思っていた、あの男の子とアーチャーの共通点が見えてくる。

 僕を見る、その眼差し。色も性別も年齢も違うというのに、その表情は確かに同一人物だと語っていた。そこまでつらつら考え、はっと頭を振る。

「僕は何を……」

 余計なことを考えようとしている。

「馬鹿げている」

 僕の力はちっぽけだ。全てを救う正義の味方なんて不可能だ。僕はただ効率のいいように動くだけ。一人でも多く救えるのならそれでいいと、少ない方を切り捨てるだけ。そうして歩み、生きてきたのが僕だ。

 そんな己の冷酷さを憎み、全てを救うことなど出来ないのだと、少数を切り捨ててでも多くを救う自分の正義を正しいと肯定しつつも、全てを救えない己に苛立ち、疎んだ夜さえ数えられないくらいある。間違っても、正義の味方なんて名乗っていい人間じゃないことは、誰よりも僕が自分自身で知っている。あんな風に憧れの目で見られるような立派な人間じゃない。

 そんな僕がこれ以上何を背負えるというのか。あのアーチャーも言ったとおり、先ほど見たのはあくまでアーチャーの世界の顛末で、僕の生きるここも同じになるとは限らないんだから。

 なら、アーチャーのことについて、僕が胸を痛めることは意味がない。感情移入するなんて馬鹿げた話だ。平行世界の衛宮切嗣は彼女の父だったのかもしれないが、ここに生きる僕の娘はイリヤスフィールだけだ。

 あの男の子の影が頭をよぎる。それをイリヤの顔を思い浮かべることで振り払う。

 今日はあの子と遊ぶことになっている。イリヤと過ごせるのはもう残り僅かしかない。あと数日で僕もアイリも日本へと旅立つ。あとは聖杯戦争がおわるまで会えない。

 だから、その数日を娘へ捧げることに決めた。これは僕の、父親としてあの子に唯一してあげれること。幼いあの子から母を奪うせめてもの贖罪。

 感情も理想も世界への渇望も、全てを置き去りにして、今日くらいはただの馬鹿な父親でありたい。

 

『オレガ、カワリニ、ナッテヤルヨ』

 

 声は聞こえない。頭の奥で警報が鳴っていた。

 

 

 

 side.アイリスフィール

 

 

「ふぅ、貴女の手ってまるで魔法みたい」

 私は感心して思わずため息をつく。その視線の先では不思議そうな顔をして首をかしげるアーチャーが、赤いエプロンを身に着けて料理を作っている。

 そもそも戦闘者として召喚されたアーチャーが、こうしてうちの城の厨房に立つことになった切っ掛けは、昨日のこと。

 昨日、あれから私は、アーチャーを連れて城を案内がてら、会話の糸口を掴もうと彼女に好きなこととか趣味とかないのかと尋ねた。

 仲良くなろうと思うなら当然の問いだったと思うのだけど、アーチャーは別だったみたいで、まさかそんな質問をされるとは思ってもいなかったとでもいうかのような、呆気にとられたような顔を見せながら、彼女は「まあ、料理は好きだな」とぽろっと言ってしまったという風情で告白した。

 でもその後我に返ったアーチャーは、慌てて畳みかけるような調子で「いや、でも趣味とかではなくてな、誰もやる人間がいなかったから仕方なく身についただけで! ほら、貴女も切嗣の妻だと言うのなら知っているのだろう? 切嗣(じいさん)はずぼらで、そういうことできなかったし、ああ、何故笑うんだ、アイリスフィール!?」とそんなふうに続けるもんだから、その必死さと、自分の趣味を隠そうとする素直じゃなさが可愛いくて、アーチャーを前に思わず笑いが止まらなくなってしまった。

 ようやく、笑いが止まった頃には、アーチャーはすっかり拗ねていて「ごめんね?」と謝っても「なんの話だ」とかいいながら、つーんといじけてて、そんな子供っぽい仕草があんまりにも可愛かったから、くすくすと笑うのをやめられなくなった。

 そんな私を前にしてアーチャーも諦めたのか、仕方ないなって顔をしてため息をつくものだから、「じゃあ、一度料理を作ってくれる?」と聞いてみたら、「ふむ。頼まれたなら仕方ない」とそわそわとしはじめてて、そんなとこがまたほほえましくて笑い出しそうになったけれど、それは必死で我慢して、「じゃあ、明日の朝お願いね」と頼んだのが寝る前のこと。

 アーチャーがいうには和、洋、中、他にも世界中の色んな国の料理が大抵つくれるということだから、どうせなら切嗣の故郷の料理が食べたいと言って、和食を作ってもらうことにした。

「ふ、和食で私に及ぶものなどそうはおらんよ。何、明日の朝を期待していたまえ」

 なんて、自信満々に言うところが、私にはやっぱり可愛く見えるのだけれど、アーチャー自身は可愛いと言われるのはあまり好きじゃないみたい。 

(でも、我が子を可愛いと思うのは、母親としてはとても真っ当な感情なんじゃないかしら?)

 聖杯戦争が終わる前には「お母さん」と呼ばせてみせるのが密かな目標だ。

 じぃっと、そんなことを彼女が料理している姿をみながら考える。

「アイリ」

 料理からは視線を逸らすことなく、アーチャーが私の名前を呼ぶ。

「見ててそれほど面白いものではなかろう。君は向こうでまっていたほうがいいのではないかね?」

「いえ、とても新鮮よ、退屈しないわ」

 正直な気持ちを告げる。昨日一緒にいて、アーチャーが結構な気遣い屋なことには気付いた。でも、その気遣いは時々的を外れてることがある。

私は一緒にいるだけで楽しいのだけれど、そういうこと、わからないものなのかしらね?

「そういえば、アーチャー」

 そうだ、この機会だから気になっていることを聞いてしまおう。

「なんで貴女が召喚されたのか心当たりってある? 私は貴女が召喚されたことに不満はないけれど、不思議なのよね。アーサー王の剣の鞘を触媒に召喚を行ったのに他の英霊が出てくるなんて」

 そう、聖杯戦争に召喚されるサーヴァントというのは、用意した触媒との縁を最優先に呼ばれる相手が決まる。

 触媒が不確かなものだったり、最後の一クラスという段階で、呼び出そうとしている英霊がそのクラスの特性を持ち合わせていなかったとか、そういうことなら他の英霊が呼び出されるのも納得がいくけれど、大爺様が用意した聖剣の鞘は本物だ。これほどのものを触媒にしておきながら、他の英霊が割り当てられるなど、普通は考えられない。彼女の召喚は、それほどのイレギュラーだと言えた。

「勿論、英霊は召喚者と似た気質のものが召喚されやすいのは知っているわ。その点でいうとアーサー王と切嗣はあまり相性はよく無さそうだし、あの人の未来の子供だっていう貴女のほうが相性がいいのは当然だと思うの。でも、用意した触媒は確かなものなのに、その触媒の英霊が呼ばれないなんて変なんじゃないかしら?」

「まあ、私も聖剣の鞘(アヴァロン)とは浅からぬ縁があるからな。そのせいなのだろう」

 ん? どういうことだろう。

「私は大災害の被災者で、その後切嗣に引き取られた。私がいた地区一角、生き残りは私だけだった」

 淡々とした声でアーチャーは続ける。そこには有りの侭を話す色があるだけで、そのことを話す後ろ暗さとかそういった感情は見えない。

「他が皆死に絶えたのに、1人だけ生き残った子供が全くの無傷なわけがない。切嗣は私を生かすために、鞘を私の体に埋め込んだのだよ」

 その言葉に、驚き、目を見開く。

「その十年後聖杯戦争でセイバーを召喚したのも、私の体にあった鞘が原因だった。その後私は鞘を元の持ち主であったセイバーにかえしたわけだが……何せ、十年も私の体の中にあったのだ。私自身の触媒になりえるのも、まあ確立は低いが、有り得ないわけではないよ」

 それは、どう声をかけていいのだろう。

「さて、おしゃべりはここまでにしよう。料理は出来た。運ぶのを手伝ってもらってもいいかね?」

 

 

 

 side.衛宮切嗣

 

 

 朝食の場に赴いたとき、僕は思わず呆気にとられた。

 何故なら其処に並んでいる食事はいつものアインツベルンの豪華な食事などではなく、純然たる日本食ばかりだったのだから。

 ほかほかの白米に、すまし汁、白菜の浅漬けに、青菜のおひたし、そして肉じゃが。懐かしいまでの日本食のオンパレードだ。誰が一体これを作った。

 そしてもう一つ信じられない光景。

 イリヤスフィールが僕のサーヴァントであるアーチャーの膝の上にのって、嬉しそうにはしゃいでいた。そしてそれをほほえましく見守っているアイリ。一体何がどうなっている。

「あなた、おはよう」

「ああ……おはよう、アイリ」

 とりあえず、動揺したまま妻に挨拶を返す。

 アーチャーはイリヤを膝にのせたまま、僕に視線を合わせて「おはよう、マスター」と言った。その声が感情を押し殺し、サーヴァントとマスターとして、線引きしようとしているように聞こえた。

 それは本来喜ばしいことだ。なのに、ちくりとどこか痛む気がするのは何故なのか。

「もぉー、キリツグったら遅いんだから!」

 そんな僕を前に、ぷくりと可愛らしく頬を膨らませて怒る愛娘。

「ああ、ごめんよ、イリヤ」

 思わずただの父親の顔になってイリヤに謝る。

「せっかく、アーチャーがキリツグのこきょーの料理、つくってくれたのに」

 その言葉に思わず、吃驚して自分のサーヴァントを見やる。アーチャーは困ったように眉根を寄せて、控えめに苦笑した。

「キリツグ?」

 そんな僕に対し、きょとんとした顔でイリヤスフィールが自分を見ている。不審に思われないようにアーチャーからすっと視線をはずした。

「ああ、なんでもないんだ。それよりイリヤ、いつの間にアーチャーと、その、そんなに仲良くなったんだい?」

「んーとね、昨日お母様がお部屋に連れてきてくれたの。あ、アーチャーたらすごいのよ? すごくたくさんのことしってて、いろんなお話してくれたの。それでね、イリヤにすっごくおいしいホットミルクをつくってくれたの!」

 そのときのことを思い出したのだろう。イリヤは目に見えてはしゃぎながら僕に昨夜のことを話した。

「もう、イリヤ。そのあたりにしておかないと、折角のお料理が冷めてしまうわ」

 苦笑しながらアイリがそうたしなめると、イリヤはあっと思い出して口をつぐんだ。

「キリツグ、早く座って」

 娘にせっつかされては仕方ない。席に着く。そして、イリヤが食べようとしたとき、まったをかける声がした。

「イリヤ、食事をするときにはね、言わなきゃいけない言葉があるんだ」

「なあに?」

 アーチャーを信頼しているのだろう。イリヤは無垢に尋ねる。

「いただきます、だ。食べ物に対する感謝の言葉、だよ」

 そう言って本当に優しく、そのサーヴァントは微笑んだ。慈愛の表情と、言葉。彼女のその言葉に、郷愁が胸を焼いた。

 ああ、「いただきます」とは、なんて懐かしい言葉なのか。最後にその言葉を聞いたのはアリマゴ島に住む以前……父と2人で色んな地域を転々としていたときだったように思う。

 短い期間ながら日本に住んでいた時代に、確か近所の人に教えられたんだっけ。生き物の命に感謝して捧げる祈りの言葉。ずっとその言葉を忘れていた気がする。アイリは感心したようにアーチャーの言葉を聞いている。

 まさか、仮にも英霊とされる存在に「いただきます」を教えられるなど思ってもみなかった。

「「いただきます」」

 アイリとイリヤの声が重なる。

「ほら、キリツグも早く!」

「ああ……」

 湯気を立てる料理の数々は、この城で見慣れた高級で豪華絢爛なものではない、だけど、どんな豪華な料理よりもそれらは美味しそうに見えた。

「……いただきます」

 イリヤが小さな口に肉じゃがを頬張る。

「美味しい!」

 ぱぁっと、花のように娘が笑う。アイリも「美味しい」とじっくりとかみ締めるように言う。僕はすまし汁に手を伸ばす。

 美味しかった。

 それは特別高級で豪華じゃないけれど、それでも凄く特別な味がした。暖かで素朴で包み込むような、家庭を象徴する、作った人間の優しさが現れているそんな味がした。

 何より、他の料理にも箸を伸ばしたとき、その事実に気付いた。

 妙に僕の舌に馴染む。初めて食べるはずなのに、まるで食べなれていたかのように。いつも食べていたかのように。僕の好みを熟知して、その上で栄養にまで気遣った食事。それは知らない人間が用意出来るものでもなく、さりげない気遣いと優しさにあふれていた。

「ほら、イリヤ、口についている」

「え、どこどこ?」

「もう、とれた」

 そんな会話を繰り広げながら、イリヤの口元を手に取ったナプキンで拭い取っているアーチャー、その光景を見たこと、それが決定的だった。

 

 サーヴァントはマスターの道具だ。聖杯をとるためだけの。道具に情をかけてはいけないし、情をかけるべきではない。

 なのに、僕は、ああ、本当の家族のようだ。

 そう思ってしまったんだ。

 

 もう無理だ。

 認めよう。

 僕はあのサーヴァント(アーチャー)を使えない。

 

 

 

 NEXT?

 

 

 



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04.誓いと、開始

 ばんははろ、EKAWARIです。
 ZEROのアーチャーはギル様。しかしこの世界には既に『アーチャー』が存在している。では果たしてこの世界の時臣のサーヴァントは!? 
 鮮やかに、華やかに、今ここに、‘彼女’が参戦する……!!


 

 

 ――――暗躍――――。

 

 

 其れは、始まる前から目論見は破綻していた。

 屈辱に塗れながら、それでも我らの悲願を叶えるために呼んだ男に与えた触媒。最優名高きセイバーの中でもおそらく最強に類するだろうカード。

 今度こそ悲願を。第三魔法をこの手に。

 なのに召喚されたのは、あの男の未来の子を名乗る得体の知れぬ、いかにも弱げなサーヴァント。

 落胆した。

 この度の聖杯戦争も望みを叶えられる可能性は僅か、塵芥だろう。

 イレギュラーがその結果を呼んだ。

 ならもう良い。捨て鉢にしてしまえばよい。

 トオサカの若造が面白き触媒を手にいれたという。

 身には過ぎたる英霊の触媒を。

 そうだ、第四次にもう期待はかけられん。

 第五次、そのときこそ、我らが悲願を果たそうぞ。

 

 

 

  誓いと、開始

 

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 こんな風に飛行機にのるという経験は、一体どれくらいぶりになるのだろうか。摩耗し果て、死したのち世界の掃除屋として数え切れないほど永い時を過ごしてきた我が身には既にわからない。

 高度が落ちた。懐かしい風景が広がる。まもなく、日本には着くだろう。否、領域という意味においては既に日本には着いているのだが。

「何を考えているの?」

 ふいに隣から柔らかな声がして振り向く。そこにいるのは、マスターであり、私の養父だった男と同一の起源をもつ魔術使い、衛宮切嗣の妻、アイリスフィールだ。切嗣はここにはいない。

「いや、大したことではないのだが……そうだな。ちょっとした疑問というやつだよ。何も私が君の供にならずともよかったのではないかね? 霊体化して乗り込めば、わざわざ服を用意する手間も省けただろうし、飛行機代とて浮いただろう? なのに何故わざわざ私に実体化させたまま君の同行者としたのか、その辺りがどうにも解せなくてね。いや、君を責めているわけではないのだが」

 そう言うと、アイリはくすっと笑いながら胸のうちを明かす。

「それ、私が切嗣に頼んだのよ。女の一人旅なんて傍目にも物騒でしょう? それに、服を用意する手間とか、飛行機代とか、貴女おかしなことを気にするのね」

 そんなことをくすくすと笑いながら言うアイリスフィール。それに少しだけ自分が恥ずかしくなる。

 ……仕方ないではないか。私は昔からしがない凡人だったし、これは性分というものだ。それに倹約は日本人の美徳だ。節約は得意なんだ。

「それとも何、私の隣は嫌?」

「まさか。君ほど美しい女性と連れ立って歩けるなど、光栄の至りだよ」

 そう切り返すと、目の前の貴婦人はにっこりと品のある微笑を浮かべて「ありがとう。でもアーチャー、貴女は今は女の子なんだから、その台詞はなんだかちょっと変よ?」という言葉をのべ、その台詞にそういえば今は女だった我が身の不幸を思い出して凹んだ。

 体は剣で出来ている……私は大丈夫だ。

 ふと、じっとこちらを見つめるアイリの視線に顔を上げる。

「やっぱり、切嗣のこと、怒ってる?」

「何故私がマスターのことを怒るというのだね?」

 いつも通りの調子で返すと、アイリは少しだけ心配気のような寂しそうな顔でぽつりと、つぶやくような声で言った。

「1人で先に日本に行ったこと」

 確かに其れに対して思うところは色々ある。だが、この感情は怒りなどではない。

「怒ってない」

「そうね。貴女はそういう人みたいだもの」

 その私の返答が気に入らないのか、アイリは一つため息をつく。

「確かに、聖杯戦争のマスターでありながら、私と別行動をし、1人で走るその姿勢には思うところはあるが……」

「そういうことじゃ、ないでしょう?」

 たしなめるように言う声。まるっきり母親に怒られる子供の気分だ。

 私に母の思い出など既に存在していないが。

「怒ってないのは本当だ。だがそうだな……心配事になるが、切嗣(じいさん)の食生活が不安だ。あの人のことだ、1人なのをいいことに、片手間で便利だからとファーストフードばかり食べるに決まっている。体は資本だというのに、あの人は昔から食の大切さを認識していないからな」

 アイリが何を心配しているのかはわかっていながら、敢えて話を横にずらして、そんな言葉を言う。が、だからといって、告げた心配ごとの内容自体は冗談でもなんでもなく、切嗣に対する不安の一つでもある。

「いえ、その発言、あなたまるで切嗣の母親みたいよ? じゃなくてね、アーチャー……もしかしてわざと言ってるのかしら?」

 嘘は許さなくてよ? と紅い目がきらりと輝く。全く、昔から私と関わる女性は強い人ばかりだな。これ以上の誤魔化しはやめようか。心配してくれているのだろうし。

「そう、だな。正直に言えば、少々落ち込んでいるのかもしれないな」

 衛宮切嗣(マスター)は自分と共に戦えとは決して言わなかった。あの男(じいさん)が私に下した命令はたった一つ。「アイリの傍にいて、その身を守れ」それだけだ。

 これがただの戦場なら、妻を託した男の言葉に信頼を感じ取れたかもしれない。しかし、これから参加するのは魔術師同士の殺し合いの儀式である聖杯戦争だ。

 どんな優秀なマスターでもサーヴァント相手には太刀打ち出来得るものではない。そんな世界の中、切嗣はサーヴァントとの別行動を選択したのだ。

 おそらく、切嗣は自分の手で事を成し遂げようとしているのだろう。なにせあの男は魔術師殺しに特化した暗殺者だ。だが、私と別行動をとる理由については魔術師殺しとして腕に自信があったから、とかそういうこととは別の次元に問題があるのではないかというのが私の推測だ。あくまで勘だが。

 危険を犯し、マスターとサーヴァントが別々に行動する、それはセイバーが相棒(あいて)の時の戦略だったなら、わからなくもないのだ。

 彼女は本当に真っ直ぐな英霊で、切嗣(じいさん)とは相性がさぞかし悪かったであろうし、セイバーが敵を惹きつけている隙に敵マスターを討つ。切嗣がそういう戦法をとるだろうことは容易に想像がつくし、彼女相手ならそのほうが向いているぐらいだ。

 だが、この身は弓兵だ。

 視認出来得る限り半径4㎞が攻撃範囲という、人間には真似が出来ない超遠距離狙撃能力を有し、お世辞にも彼女のように目立つ派手さもなく、隠密行動もそれなりにこなせる私なら、そう切嗣との相性も悪くないはずなのだが。やはり、信用されていないのだろうか。いや、信用されていないのだろう。

 思わず落胆する。今は女の体に何故かなってしまったとはいえ、私は男だ。かつて憧れその背を追った相手に認められたい、共に肩を並べて戦いたいという欲求は当然のように存在する。まして、今の私は英霊となり、切嗣よりも強い力をもつのだから尚更だ。なのにこうも見事に置いていく選択をされるというのは、前提で拒絶されていると感じても仕方ないだろう。

 やはり私の得体の知れなさが元凶か。それとも、今の見目が女だからか。

 思えば爺さんは昔から女に甘かった。「女の子を泣かせちゃ駄目だよ」と何度も言われて育った。流石にサーヴァントを相手に守るべき女の子……なんて、私が衛宮士郎と呼ばれていた少年時代のようなことは思ってはいないだろうが、それでも女の身ということで多少侮られている面はあるのかもしれない。

 マスターが一言命令すれば、私は敵を斬る剣にもなり、敵を討つ矢にもなろう。ただ、一言命じてくれれば私はいくらでも最強の自分になれるのに。その面に関して言えば確かに、凛は最強のマスターだった。

 眩しく鮮やかで、誰よりもかっこよくて、魔術師らしからぬ甘さを心の贅肉といいながら大事に抱えていた元、主。私が裏切ってしまったあの少女は今もあの世界の衛宮士郎と一緒にいるのだろうか。

 そんなことをつらつら考えていると、私の顔を覗き込むアイリの姿に気付いた。優しく髪を梳くように頭を撫でられる。

 もしかして、これは慰められているのだろうか? なんというか、この姿になってから情けない面ばかりをさらしている気がする。

「大丈夫。切嗣だって、別に貴女のことを認めてない、とかそういうことじゃないわ」

「そうだったら、いいのだがな」

 ちょっとおどけたような声で言う。出来るだけ皮肉そうな顔を意識した。

「切嗣は、多分ちょっと迷っているだけなのよ。貴女こそ、大丈夫なの?」

「それはどういう意味の問いかね?」

「この戦いで叶えたい願いはないんでしょう?」

 言外に戦う意義はあるのかと尋ねられて苦笑した。

「何、心配無用だよ。昨日の誓いを果たす。それだけで私には十分だ」

 そして、その誓いをした昨日のイリヤとの別れを思い出す。

 

 

* * *

 

 

「行っちゃうの?」

 不安そうに、紅くて大きな瞳がじぃっと私を見上げている。無垢な子供の目。私が知るイリヤよりも更に幼いその子は、年相応以上に子供らしく、それでもやっぱり私の知っているイリヤと同じだった。

「早く帰ってきてね。レディをまたせたら駄目なんだから」

 帰ってくるのが当然と信じるその台詞にちくりと胸が痛む。私の知る世界のイリヤ、彼女の元には最期まで切嗣(ちちおや)が帰ってくることはなかった。

 衛宮士郎(わたし)を恨んで、帰ってこなかった父を恨んで、復讐を胸に冬木へとやってきた雪の妖精のような少女。きっとずっと父親が帰ってくるのを待っていて、待って待って待ち続けて傷ついたあの子。

 もしも、帰ってこなければ、この世界のイリヤスフィールもまた同じ運命を辿るのだろう。

「イリヤ」

 そっと、その雪の色をした髪に手をのばし、壊れ物を扱うように細心の注意を払って撫でた。

「アーチャー?」

 きょとんと私を見上げるあどけない顔。嗚呼、この顔を守らなければいけないと強く想う。

「イリヤ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。君に誓おう」

 すっと、膝を折り、彼女と視線をあわせ、恭しく姫君にするようにその白い右手をとり、そっと触れるだけの口付けを手の甲へ落とす。

「我が身は弓と成り矢となり敵を貫こう。我は衛宮切嗣の盾となり、剣となろう。そして再び君の父を君の元へと帰そう。サーヴァント、アーチャーの名において誓う。約束しよう。イリヤ、君の父親は必ず君の元へ帰す」

 そう、父親を娘から取り上げてはいけない。もう二度とイリヤに復讐を誓わせてはいけない。この誓いはきっと果たす。絶対の約定。

 その願いを込めて、今誓約を交わす。

「アーチャーも」

 その私の誓いを前に、むぅと、ちょっと拗ねたような顔をしたお姫様(イリヤ)が私を見ながら言う。

「アーチャーも戻ってきなさい」

 その言葉に一瞬、私は時を忘れて呆けた。

「ああ……」

 必要とされているのか、私は。このイリヤと共にいたのはほんの短い時間だった。彼女に好かれたのだろう。

 正直言うと、私まで帰って来られる可能性というのはとても小さい。いや、ほぼ不可能といっていい。この身は聖杯に招かれた仮初めの存在なのだから。それでも、ああ、人に好かれるというものは嬉しいものだったな、と、忘れていた感情が揺れる、跳ねる、息を吹き返す。

 小さく白いお姫様、イリヤ、イリヤスフィール。私の妹であり姉である少女。絶対の約定は出来ない、それでも彼女の願いは出来る限り叶えてやりたい。

「そうだな。イリヤ。……いってきます」

「うん、行ってらっしゃい」

 世界の奴隷たる私には過ぎたる望みかもしれないけれど、笑顔で手を振る彼女に、応えたいと思った。

 

 

* * *

 

 

「さて、と」

 空港に着いた。アイリスフィールは伸びを一つすると私に振り返る。

「さ、行きましょ」

 にっこりと微笑む気品ある美貌。私は一つ頷くと、彼女の荷物を手に従者よろしく連れ添う。

 本当は荷物持ちにメイドが二人ほどつき従う予定だったのだが、私が実体化してアイリの供になるということが決まった時点で、彼女たちはお役御免になった。

 聖杯戦争に関係ない人間がわざわざ危険に身をさらすことはないし、正直女性に荷物をもたせるのは気がひけた。それに元々荷物を届けたら彼女たちは帰還させる予定だったと聞くし、問題はないだろう。

 まあ、付き人がいるのが当たり前で育ったアイリスフィールが、メイド無しに生活をするというのは苦労をしそうな話だが、幸いにも私は家事が不得手ではない。何、マスターの命は彼女を守り共にいろとのことなのだから、身の回りの世話を私が焼いていても構わんだろう。

 思わず苦笑する。全く私も現金なものだ。つい先ほどまで切嗣(マスター)と肩を並べて戦えないことに落胆していたというのに、今度は彼女との生活を愉しみにしているとは。

 気付いたら思い出し笑いをしていたらしい。そんな私を見て、彼女は満足したように一つ笑うと、足取り軽く市井へと向かう。人々の視線が集まるのがわかる。

 アイリスフィールは美人だ。白く透けるような肌に、汚れ仕事一つ知らないかのような白魚の如き繊細な指、魅力的で紅く大きな瞳に小さな唇、髪は雪のような白銀で、枝毛ひとつ見つからぬほど優美に長く、その体型も女性として出るところは出た、バランスの良い理想的な体付きをしているといえるだろう。

 更にその雰囲気。

 ホムンクルスとはいえ、貴族である彼女は文字通り深窓の姫君である。今はアインツベルンの城で身に着けていたドレスではないが、それでも纏っている衣装は庶民には手の届かないブランド品で、それが嫌味なく彼女の体を飾り立てて、魅力を引き出している。

 これで人目を惹かないはずがないのだ。なのに彼女は自覚がないのだろう。きょとんと困惑した顔で一つ首をかしげながら私にこう尋ねた。

「私、何か変かしら?」

 人里から隔離され、庶民には目の届かない場所で生きてきたアイリスフィールに、一般人の道理がわかろう筈がない。どうやら、彼女は自分が目立っているのはその美貌のせいだとは認識出来ないらしい。

「いや、そういうわけではない。皆が私達を注目しているのは、アイリスフィール、君が美しい女性だからだよ。気にすることはない」

「そういうものなの?」

「まあ、目立っている原因の半分は、私にもあるのかもしれないがね……」

 言いながら思わず自嘲の笑みが出た。私は自分の着ている今の衣装に視線を落とす。

 執事服だった。

 なんでそのチョイスかというと、アイリスフィールに渡されたのがこれだったからだ。他に理由はない。

 今は女の体になっているから、浮くのではないかと危惧したが、鏡で見るとそこまで浮いてはいなかった。寧ろしっくり来るぐらいだ。だが、普通の街の往来でそもそも執事服を着るという時点で浮いているといえば浮いているのだ。コスプレと思われても仕方ないだろう。

 まあ、女になってまで、この手の服を着ることになるとは思わなかったのだが。

「似合っているわよ?」

 アイリは釈然としないといった顔でそんな感想を漏らす。思わずため息をこぼした。

「アイリ、君は知らないのかもしれないがね、普通の人間は執事服を着て街を練り歩いたりなどしないのだよ」

「あら、だって貴女、私とお揃いの服は嫌なんでしょ」

 いや、まあ、それは拒絶する。たとえ今の我が身は女でも、心は男なのだ。女性物の服などハードルが高すぎる。多分身に着けるとき、自分が変態になった気分に襲われることは想像に難くない。

「私としては、アーチャーにもっと可愛い服も着て欲しいんだけど。そうね、貴女は元々は男の子だったって話だもの、流石に可哀想かなと思ったのよ?」

 で、その結果がこの執事服か。

「でもその格好を見たときは驚いた。よく似合ってるんだもの」

「なんにせよ、そろそろ移動しないかね?」

 とりあえず話題を変えて凌ぐことにする。

「そうね、行きましょう。アーチャー。私、外の世界に出るの初めてなの。ふふ、今から楽しみだわ」

「それは頑張ってエスコートせねばな」

 そうして二人で笑いあった。

 

 

 

 side.遠坂時臣

 

 

 私こと、冬木のセカンドオーナーである遠坂家五代目当主、遠坂時臣は、ソファーに腰掛けながら、知らず重いため息をこぼしていた。

 その理由は先日やってしまった、あまりに痛すぎるミスについてだ。

 遠坂家には代々伝わる呪いがある。それは「ここぞという時にうっかりをやらかす」というもので、有体にいえばその呪いが発動してしまったのだ。

 聖杯戦争に勝利するために手にいれた最強の切り札、聖遺物である「この世で初めて脱皮した蛇の抜け殻」の化石が何者かに盗まれてしまったのである。

 変わりに手に入れた間に合わせの聖遺物で急いで別の英霊を召喚したのはいいが、なんとも惜しいことをした。あの盗まれた聖遺物から召喚されるであろう英霊はおそらく何者も太刀打ち出来ぬほどのカードだったというのに。

 やはり手に入れたその日に召喚を行わなかったのが悪かったのか、一時的とはいえ、工房の外に出してしまったのが悪かったのか。過ぎたことを言っててもしょうがないとはいえ、それでも言わずにはおれない。

「何を辛気臭い顔をしておる」

 ふいに、自分の呼び出したサーヴァントの声がして、そちらを見やる。

「セイバー」

 そこにはけぶるような金髪を紅いリボンで結い、緑の瞳に白磁の肌の、美しい紅いドレスの少女が、優雅に茶を飲みながら座っていた。

奏者(マスター)よ、そのような顔ばかりするでない。余まで気分が悪くなるではないか」

その言葉から溢れる自信と気品。

 この召喚されたサーヴァントは色んな意味で私の予想を裏切る人物だった。

「君がセイバーであることが少し不思議でね」

 そう言いながら苦笑する。

 余裕をもって優雅たれ。遠坂家の家訓だ。

 そこには目当ての英霊が召喚出来なかった落胆をおくびにも出さない完璧な作り顔が存在していた。

「ふん、余が最優のサーヴァントであることに、なんの不服があるというのだ、奏者(そうしゃ)よ」

 そうだ、一番の予想外で、嬉しい誤算だったのはこの呼び出された英霊が最優と名高きセイバーのクラスで呼ばれたことだ。

 この人物の伝承のどこにもセイバーを彷彿とさせるところは存在していない。いや、有名な人物ではあるが、英霊であるということですら驚かざるを得ない人物というべきか。でも、理由はどうあれセイバーとして呼ばれた彼女のステータスは軒並み高い水準を誇っている。

 まあ、対魔力がセイバーとは思えないくらいには低めなのが気がかりだが、予想よりも使えそうな人物だったというのは、素直に喜ぶべき点だろう。

 女性だったということも驚くべき点なのかもしれないが、元の伝説からして、女装して男の嫁になっただの、男を去勢して妻に娶っただのという伝説の持ち主である、この人物を相手に性別をどうのこうのというのは触れずにいるのがベストだろう。それに彼女のもつ宝具とスキルは、使いどころさえ誤らなければ十分最強と呼べた。

 確かに目論見の英霊は召喚出来なかった。だが、私は遠坂の当主として優雅にこの戦いを勝ってみせよう。遠坂の悲願を背負う私はこの戦いに勝ち抜かなければならないのだから。

 聖杯は私が手にする。

「まさか、不服などないよ。勝ちに行く。いけるね? セイバー」

「ふん、誰にいっておる。余は皇帝ぞ、奏者は大船にのったつもりでおればよい」

 そう、暴君と名高きローマ帝国の第五代目皇帝、ネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス。それがセイバーの真名。

 彼女は不敵に笑う。その顔に気負いなどない。

 ふいに部屋においた魔力の振り子が反応したのに気付きそちらを見やる。

 教会からの連絡だ。どうやら七人目のサーヴァントが召喚されたらしい。

「セイバー。七人目だ。これより聖杯戦争は開始される」

「ほぉ、ようやくか。ふふん、奏者よ、そなたは余の後ろを見ているがよい。ああ、愉しみよな。まだ見知らぬ猛者よ、余と死の舞踏を踊ろうぞ」

 からからと少女が笑う。

 そう、今夜、この少女の笑いを引き金に聖杯戦争はここに始まった。

 

 

 

 NEXT?

 

 

 

 



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閑話・冬木の街で

ばんははろ、EKAWARIです。
今回は4話と5話の間の話というわけで番外編です。


 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 夕暮れで赤く染まる冬木の街を、こんな風にアイリスフィールと歩くというのは不思議なものだ。

 ここはとても懐かしく、同時に全く知らない街でもある。

 凛と参加し、もう1人の自分に答えをもらったあの第五次聖杯戦争の時も、霊体になっていたとはいえ、凛と共にこうして街を歩いた。体感的にはあれから一月(ひとつき)も経ってはいまい。

 だが、あの冬木の街とここは別だ。ここは並行世界とはいえ、凛と歩いた街の十年前の姿だし、この時代にいる私はエミヤシロウではない、両親の庇護の元にいるだろうおそらくは平凡な普通の子供だろう。

 私は、かの聖杯の泥によって引き起こされたあの大災害以前の記憶がない。正確には自分で記憶を封印して生きていくうちに、永い時の果てに磨耗しそれ以前を忘れてしまった。生前のことで私が覚えていることなどたかが知れていると言っていいだろう。だから、地獄の具現たるアレが起きていない時点でここはまだ私の故郷ではないのだ。

 そんな街を、自分を引き取った男の並行世界の妻である女性と二人で歩く。

「凄い活気ねぇ……」

 美しい顔に感嘆の情を乗せて、夕日よりも尚紅い瞳をキラキラと輝かせながら、アイリスフィールはしみじみと呟いた。

 その姿は子持ちの人妻というよりも、無邪気な子供を連想させる。そんな少女のようなアイリを前に自分の頬が自然と緩むのが解る。

「なんなら、少し見ていくかね? 何、聖杯戦争のメインは夜だ。少しくらいなら構わんだろう」

 本当はこんな提案をするべきではないことはわかっている。

 確かに聖杯戦争のメインとなるのは夜とはいえ、第四次聖杯戦争が既に始まっている以上、昼間でも堂々とサーヴァントを実体化させて連れ歩かせるというのは、危険なことだし、本当は止めるべきなのだ。

 だが、危険だとわかっていてもそう提案したのは、おそらくは生涯をあの冬の城で過ごしてきただろう彼女にとって、これが正真正銘の初めての本当に自由な自分の時間というものだったからだ。

 聖杯戦争の為に生まれ、聖杯戦争の為に死んでいこうとしている彼女。その真意を尋ねた時に感じたのは、自分の代で終わらせたいという強い想いだった。きっとそれは切嗣の為もあるのだろうが、それ以上に娘であるイリヤスフィールを守りたいという想いから来ているのだろうことは、悟るのも容易かった。

 それほどに彼女は、切嗣の妻として、イリヤスフィールという娘の母親として‘生きていた’のだ。

 例え自分の命が失われることになろうと、それでも守りたいものがあるからこそアイリはこれほどに強いのだろう。けれど、役割の侭にそれを果たすというのなら、それは彼女の死へのリミットをも意味する。

 此度の聖杯である彼女もやはり、敗退したサーヴァントを取り込めば取り込むほど人間から機能が離れていくのだろう。最高傑作と言われていたイリヤが、それでも長く生きられなかったように。

 既に衛宮士郎(しょうねん)ではない私は、アイリがこの聖杯戦争後も生きているなんて楽観視することは出来ない。私に出来ることなどたかがしれている。それでも、この血まみれの手で救えるものがあるとするなら、せめて、死に逝くその時まで彼女の心だけでも守りたい。

 これはイリヤと交わした誓いのように口に出して交わしたものではないけれど、これも私が此度の聖杯戦争で決めた誓いである。

「いいの?」

 そんな想いから街歩きを勧めた私に対し、アイリはまるでいつかのイリヤのようのような顔をしてそんな言葉を放った。

 私がこくりと頷くと、彼女は本当に嬉しそうな笑顔を浮かべる。思わず私まで嬉しくなるような笑顔だ。たとえ敵が現れても恐れることはない。こんな風に彼女の笑顔を見れただけで、私には十分過ぎる対価だ。どんな相手だろうと戦えるさ。

「その前に、少し寄り道をしてもいいかね? いつまでも荷物を抱えたままでは観光も気分がのらなかろう」

 茶目っ気を出して片目をつぶり、いつもの皮肉気な口調でそう告げると、アイリは不思議そうな顔をして私の後をついてくる。行き先は宅配業者だ。

 絶世の美姫である西洋美人のアイリスフィールと、一見日本人には見えないだろう、白髪褐色の肌の執事服に身を包んだ私という組み合わせを前に最初業者は驚いていたようだったが、私が日本語を問題なく使えることに気付くと、ほっとしたような顔を浮かべて用件に応じ始める。交渉は五分も経たずに終了した。

 その私と業者のやり取りをアイリは感心したように見つめていた。

「……と、ではそのように。さて、行こうか。……アイリ?」

「え? 何?」

「どうしたのかね? そんなにぼーとして」

「いえ、貴女、アーチャー、随分手馴れているのね、と思って」

 まあ、冬の城で人里から隔離されて育ったアイリには珍しく映ったのだろう。

「何、大したことではないよ」

「前から思っていたのだけれど」

 アイリはじっと私の顔を見ながら「もしかして貴女って生前は家政婦(ハウスキーパー)だったとか?」とそんな言葉を言った。

「む。何故君はそう思う」

「だって貴女、色々手馴れすぎよ。紅茶を入れる所作だって、まるで一流のメイドか執事のそれだった……」

 と、そこまで言った所で彼女はぴたりと私に視線を合わせて、私を凝視した。

「え? その顔、もしかして貴女本当にメイドだったの?」

 ……彼女(アイリ)は、私が本来は男だったということを忘れているのだろうか。

「アイリ、君は私が生前は男だったことを忘れているのではないかね? その私がメイドであるはずがない……が、全く、君には敵わんな。ああ、その通りだ。確かに私はメイドではなかったが、一時とはいえ、フィンランドの貴族に仕える執事であったことはあるよ」

 今はもう摩擦して擦り切れた記憶。思い出そうとしてもノイズがかかって詳細はわからない。ただ、金髪の青いドレスをきた少女の面影がぼんやりと浮かんでは消えていく。

 ふと見ると、アイリはなにやら納得がいったような顔で頷いている。

「……なにかね?」

「貴女にその服がよく似合うわけがわかったわ」

 正直、その賛辞はあまり嬉しくない。

「それより、そろそろ移動しよう。時間が私たちにはないのだからな。そうだろう?」

 言いながら、手を差し出す。くすりと、それを見ながら白の姫君は微笑んだ。

「ええ、そうね。行きましょう、アーチャー。私、見たいものがいっぱいあるの」

 

 

 

 side.アイリスフィール

 

 

 楽しい時はあっという間だというけれど、それは本当で、だからこそそこが本当に残念だと思う。

 つい最近出来た可愛い私の娘(アーチャー)と、初めて見た異国の繁華街を歩く。

 夕陽に赤く染まったビルに、煌びやかなショーウィンドウ。どれも新鮮で、どれも綺麗で、この世界というのは本当に美しく出来ていたのだと思った。

 連れ添った長身を見上げる。自分よりも尚白い髪に、鋼色の瞳と褐色色の肌。あまり見ない印象的な組み合わせの異彩。アーチャーは私が美しいから皆が見ているというのだけれど、アーチャーこそ自分をわかっていないんじゃないかなと思う。

 きりっとした雰囲気の目元と眉に、案外童顔な面差し。女性的な肉感のある体躯を赤と黒仕立てのフォーマルな執事服に包んでいる。肉体の女性性と男性的な雰囲気のアンバランス、それが、ストイックで倒錯的な色気をかもし出しているというのが私の見立てだ。

 薄い口元と、背の高さがより大人の女を強調する体躯でいながら、元が男なのだというアーチャーは自分が今は女なのだという意識が薄く、そのせいか雰囲気は体つきなどの女性性とは裏腹にどこか無垢であどけない、少年染みたものとなっている。

 アーチャーには不思議な魅力がある。皮肉っぽい言い回しが好きみたいだけど、中身は凄く良い子だ。そう確信している。そんな彼女の隣にいるのは私にとっても心地が良い。

「ねえ」

「アイリ?」

 腕をぎゅっと抱きしめる。

「貴女の知っている切嗣について教えて」

 言うと、彼女の体が僅かに強張った。だから「ごめんなさい、冗談だから気にしないで」と笑って告げた。アーチャーを困らせるのは嫌だ。彼女は切嗣の死も見てきたのだろう。不躾な質問をしてしまったのかもしれない。

 そんな私を見て、アーチャーは少しだけ困ったように眉を寄せた。

「いや。心配は無用だ。ただ……私はあまり君の期待に応えられそうになくてな、それで少し困った、それだけだよ」

 アーチャーは皮肉そうな顔を浮かべてそんなことを言う。この顔はそんなに好きじゃない。強がって、偽悪的に振る舞っている、そんな感じがする。

「正直言うと、私が切嗣のことで覚えていることはそう、多くないんだ」

 なんとなく、その言葉の意味は凄く重い気がした。

「つまらない話になってしまったな。行こう、此処は場所が悪い」

 その言葉に違和感をもつ。だけど、私がこの街のことを知っているわけでもなく、またアーチャーが明確な目的をもって歩き出したように見えたから、私はその後をついていくことにした。

 どんどんと、アーチャーは人ごみにむかう。そして少し経った時、ぴたりと足を止めて、遠方を鋭い鷹のような視線で見据えた。

 もしかして……。

「…………敵のサーヴァント?」

「アイリ、すまないが観光はここまでのようだ。あとは本分に戻ることになる」

 本分。そう、この子は聖杯戦争の為に呼ばれたサーヴァント(アーチャー)。それは出来れば忘れていたかった事実だった。

「相手は誘いをかけてきているだけで、どうやら私たちを直接襲う気はないようだ。おそらく他のものにも同じような誘いをかけていることだろう。上手くすれば誘いにのった別のものとの戦闘が見れるかもしれない。遠巻きに追跡することとしよう。構わないかね?」

 頷いて返事にかえる。アーチャーはその顔にもう微笑を浮かべてはいなかった。

 こうして私の冬木の観光は終わった。

 楽しかった時はあっという間というけれど、それが本当すぎて涙すら出ないくらい寂しい。

 アーチャーは私を抱えて夜の街を飛ぶ。

 これからの聖杯戦争、サーヴァントが敗退すればそれを取り込み、人間から遠ざかる私はいつまでこの褐色の肌に白髪のサーヴァントの隣に立っていられるのだろうか。

 願わくばこの子が出来るだけ悲しまない終わりになればいいのに。

 そんなことを考えながら私は、アーチャーに抱えられたまま、冬木の街を見下ろしていた。

 

 

 

 了

 

 



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05.うっかりスキル連発 前編

 ばんははろ、EKAWARIです。
 5話はちょっと長いので前後編にわけることにしましたが、キリが良いところが他になかったので、前編が短く、後編は長い構成となっています。まあ、次話とワンセットで一つの話ということで宜しくお願いします。
 因みにこの話の原型が出来た頃はまだアニメFate/zeroも放送前だったし、CCCも発売前だったので、赤セイバーのイメージは無印EXだけで構成されているし、ZEROキャラの性格やら喋りのイメージも原作読んだ自分のイメージで出来ているのでその辺はご了承下さい。
 ちなみに俺はアニメのやたら美化された雁夜さんよりも、原作の雁夜さんのほうが好きなんだぜ。


 

 

 

 運命(フェイト)は動き出そうとしている。

 正史とは異なる時間を歩もうとも、それでも変わらぬ流れもある。

 カラカラ、カラカラと音を立て歯車が廻る音が聞こえるだろうか。

 答えを得た赤い弓兵という異物があろうとも、それでも変わらぬ流れはある。

 それは二槍の槍の使い手たる魔貌の槍兵が、海辺の近くの倉庫街で他のサーヴァントに誘いをかけることや、やはり最後のサーヴァントとマスターに選ばれたのは、本来ならこの聖杯戦争に呼ばれる筈がない殺人鬼と、魔術師ともいえぬキャスターであること。

 カラカラ、カラカラと輪廻は巡る。

 ただ、確かなのは今夜、遠くから覗く姿見まで合わせたなら、ここに第四次聖杯戦争のサーヴァントが全て揃ったということ。

 何よりも優美で醜悪な、魔術師による自己中心(エゴイズム)によって起こされる最小で雄大な、稀代の大戦争はここに始まった。

 

 

 

  うっかりスキル連発

 

 

 

 

 side.遠坂時臣

 

 

 遠坂の使い魔を通して、私は海辺近くの倉庫街の様子を見ていた。

 サーヴァントのたっての願いで、経路(パス)を繋ぎ、倉庫街で起こっている出来事の音声も映像もセイバーと共用で見ている現在、剣の英霊として呼ばれた暴君は不敵な笑みを浮かべながらゆったりとそれを眺めていた。

「いやはや、なんとも美しい男よの」

 その感想にこっそりとため息をつく。

 美しい男、確かに同性である私から見てもその男の顔の造詣は美しいと認めて良いほどではあるが、果たしてこれが聖杯戦争に呼び出された敵サーヴァントに対する感想として適切といえるだろうか?

 いや、そもそも本当は私はこんな風に使い魔を通して様子を眺めるなんて作戦をとる気はなかった。綺礼のサーヴァントであるアサシンを通して、情報は流れてくるのだ。それが、いつ撃ち落されるとも限らない使い魔を通してまでもわざわざ視ているのは、彼女の我侭に付き合っている結果に過ぎない。だというのに、このサーヴァントは全く私の感情もお構い無しに思うがままに振る舞う。全く、やりづらい相手だ。

「ここまでの美男子となると、余の時代にもそうはおらなかったぞ? 眼福よな」

「セイバー」

 たしなめるようにクラス名を呼ぶと、彼女はくっと不遜に笑いながら私の顔を静かに見た。

「余の奏者(マスター)たるものがそう揺らぐでない。そなた、家訓の常に優雅たれとやらはどうした? それに奏者のその心配はいささか的外れであるぞ? 余はちゃんと考えておる。見くびるでないわ」

 そう言われると、私に返すべき言葉などない。だから、私は使い魔を通して倉庫街の映像に集中することにした。

 そこには、癖のある黒髪を後ろに撫で付けた、左目の黒子と、匂う様な色香が印象的な優男が1人立っていた。

 長身に引き締まったしなやかな体つきの男で、体のラインを余すことなく映す緑色の軽鎧に、両手にはそれぞれ各自一本ずつの長物を持っている。

 呪符に包まれているがその形状といい、自ら敵に身をさらす自信家かつ、正々堂々とした勝負を好むといわんばかりのその有り様といい、ほぼ間違いなく、相手はサーヴァント三騎士が一角、槍兵(ランサー)のサーヴァントなのだろう。

「誘っているようだ。でも、誰もその誘いには乗らないか、それはそうだろうね」

 と、冷静に分析しながら口にするが、正直面白くはない。ここで愚かにも誘いに乗るものが出れば、こちらは何の手も下さずとも情報は手に入るし、あのサーヴァントと誘いに乗った敵、どちらも疲弊するような事態になればそこでセイバーをぶつけて倒せばいい。だが、誰も誘いにのらず、このサーヴァントが存在を主張し続けてもうかれこれ20分は経過する。

 これ以上見続けたところで無駄か……と、そこまで思ったとき、自身のサーヴァントが立ち上がったので、私は驚いて彼女を見上げた。

「セイバー」

「行くぞ」

 美しい唇から紡がれた簡潔な言葉。言ってる意味を理解して、目を見開く。

 そんな私の心の動きをじれったそうに見ながら、セイバーはあっさりと次のようなことを口にした。

「あれほどの美丈夫が誘いをかけておるのだ。乗らねば女が廃るというものよ」

「セイバー。君は先ほど『考えている』と答えたように思うのだが、それはどういう思考の元出た結論なのかな?」

 まさか、言葉通りではないだろうな? というセイバーへの不審を胸にもったまま、出来るだけ平静を心がけて尋ねる。そんな私に寧ろ呆れたとでも言わんばかりのため息を1つ落として、いつも通りの自信に満ちた声で彼女は言葉を吐き出した。

「奏者よ、そなたは誰のマスターだと思っておる?」

 私に背をむけたまま、セイバーはそんな言葉を放つ。

「余は最優のサーヴァント、セイバーなるぞ? 何を畏れておる。これはの、チャンスなのだ」

 そんなことを口にすると同時に、セイバーはばっとその腕を広げた。

 彼女の口上に合わせてひらひらと赤いドレスの袖が揺れる。その姿はどうにも芝居がかっていて、見るものにどこぞの舞台の演劇でも鑑賞させているかのような錯覚を覚えさせる。そして主演を演じる少女は美しい笑みを浮かべて、観客たる私に向かい其の熱弁を奮った。

「わかるか、奏者よ。余の力を示すまたとない機会だ。見られているなら結構。観客がいるほうが余の興も乗るというものよ。ついてこぬならそれで構わぬぞ? そなたはここで、余の勇姿を見ているがよい」

 そう告げるやいなや、こうしている暇も惜しいとばかりに、止める間も無くセイバーは去っていく。

 そんな彼女の在りようを前にして、思わず重いため息を零す。令呪を使うか? いや、こんなところで貴重な切り札(れいじゅ)を一角失うなどそれこそ馬鹿げている。

 ……セイバーが、先日の演技を不満に思っていることは知っていた。

 弟子である言峰綺礼が脱落したと思わせるためと、セイバーの力を見せるのを目的でやった自演の襲撃事件。

 綺礼のサーヴァントは、複数に分裂するアサシン(ハサン・サツバーハ)という奇怪な能力をもった英霊で、それを利用して、中でも一番弱いだろうアサシンの人格の一人にわざとセイバーを襲わせ、一撃で葬り去らせた。

 綺礼はサーヴァントを失ったという誤情報を他マスター達に植え付け、その影で存命のアサシンたちが情報を集め、私が勝利するための礎へするため暗躍する。そういうプランの元実行されたのが昨夜の催し物だ。

 綺礼とは表向き敵対することになるが、その実彼は私の陣営の人間である。それに80に分裂できる人格の内の一つを失ったところで、影響などさほど無いに等しく、またアサシンの気配遮断スキルを利用して情報を集めるにしても敵陣営には「アサシンは脱落した」と思われていたほうが何かと便利だ。元よりアサシンに勝利を預ける予定などないのだ。彼らには黒子として徹してもらえればいい。その辺りの事情を鑑みても私には全く損のない作戦だった。

 だが、それがセイバーには酷く不満だったらしく、「余が華々しく戦う舞台を用意せよ!」と煩く騒いであの後は大変だった。だから、おそらく今回の誘いにのったのも、その鬱憤を晴らすという意味合いのほうが強いのだろう。

 全く仕方ない。サーヴァントは聖杯が与えたマスターへの手駒ではあるが、彼女達にも人格がある以上、制限ばかりかけていては反発や裏切りを招きかねないのだ。ここは適度にセイバーの欲求も聞き入れ、息抜きをさせるか。それにいざとなれば令呪で呼び戻すという手もある。ここは彼女の言うとおり、ひとまずはランサーとセイバーの戦いという名の舞台を鑑賞させてもらうことにしよう。

 使い魔を通して情景に再び集中する。緑の鎧の優男の映像。その向こうで赤い衣が風にたなびいて目に映った。

 

 

 

 side.ランサー

 

 

 俺は落胆していた。

 生前の人生に不満があったわけではないが、次があるなら今度こそ主君の為に仕えて、騎士としての本懐を遂げたい。

 そんな想いを抱く中召喚されたこの度の聖杯戦争。主君であるケイネス・エルメロイ・アーチボルトに聖杯を捧げると誓い、戦いに参戦したはいいものの、誰一人として自分の誘いに乗ろうともしないこの現状。主君に大口を叩いた以上、敵の首級の一つも持ち帰らねばと意気込むも、誰も現れぬのなら話にもならない。

 英霊とは英雄が神格化するまで祭り上げられ、人々の信仰により魂としての格が精霊と同格となった存在だ。

 一人ひとりが猛者としての伝説をもっている一騎当千の強者ばかりであり、それが冬木の聖杯戦争に召喚されるサーヴァントという存在の筈だ。そんな相手なら俺の誘いにも、1人くらいは乗ると踏んでいたのだが……これほど誘っても誰も出てこないとなれば、敵は腰抜けばかりだったということか。そう思い、痺れをきらした主にパスを通して話しかけられ、一度帰還しようとした矢先だった。その女が現れたのは。

 小柄な体に、赤いドレスを身に纏い、同色のリボンで黄金の髪を結い上げ、これまた赤く禍々しい形状の大剣を手に抱いた少女。

 華奢で美しい見目をしていたが、この気配、この魔力、この存在感。間違いがない、あれは俺の敵(サーヴァント)だ。

 自分の望んでいた相手が目前に漸く姿を見せたという事実に、にやりと自分の口元が釣り上がるのが解った。

 そして宿る歓喜のままに言葉を投げかける。

「よくぞ来た。今日一日、この街を練り歩いて過ごしたものの、どいつもこいつも穴熊を決め込む腰抜けばかり。……俺の誘いに応じた猛者(モサ)は、お前だけだ」

「何、そなたほどの色男に誘われて断るのは、余の名折れというものよ」

 言いながら、女もにやりと笑った。

 それは傲慢さが板についたような笑いだった。その瞳には好色そうな色が見えて、少しだけ眉を顰めたくなる。

 俺には生まれ持った呪いがある。左目のすぐ下にある「愛の黒子」だ。

 これは並みの女なら一目で虜にしてしまうほどの魅了の力を秘めた代物で、異性に絶大な効果をもつ。俺の意思ではどうにもならない力故に呪いと呼んでいる。

 これに抗える女というのは、一定以上の対魔力をもつ者だけであり、剣を手にしている以上、この赤いドレスの少女はセイバーであろうし、セイバーのクラスには高い対魔力が備わっているはずなのだが……もしもあの女の瞳に映る色が、この魔貌に魅了されてのものならば、とんだ興ざめだとしか言えない。

 腰の抜けた女を斬る程くだらないものはないし、俺の名誉にも関わる。たとえこの女が如何ほどの英霊であろうと、己に魅了されている女を斃したところで、なんの自慢にもならない。

「セイバーだな?」

 だからクラス名を呼んだ。お前に俺の魅了の呪いは効いていない筈だな、と確認するために。

 それに女は優美に笑いながら答えた。

「いかにも。余こそが最優のサーヴァント、セイバーよ。そういうそなたはランサーだな。ふむ、二槍使いとは面白い」

 少女が口にしたのは戦いに言及する言葉だった。そこで漸く俺は己の心配が杞憂であったかと思い直し、これから行う殺し合いに思いを馳せて気を昂ぶらせた。

 そんな俺につられるように女もまた瞳と唇の端に好戦的な色を湛え、告げる。

「さて、そなたは美しいゆえ、余としてはこうして鑑賞しているのも悪くはないのだが、いつまでもこのままでいるわけにもゆくまい?」

 言いながら女はゆらりと、その赤く特徴的な剣を構えた。

「全くだな。さて、では尋常に死合うとしよう。……ゆくぞ、剣使い(セイバー)

「美貌なる槍使いよ、今宵、余と死の舞踏(ロンド)を踊ろうぞ!」

 

 そうして赤いドレスを身に纏った暴君の剣と、緑の鎧の騎士の槍が迸ったのは同時だった。

 

 

 

 side.ライダー

 

 

「ほほう、これは中々」

 眼下に見えるその光景を前に、余はワインを片手に、嘆息を一つ漏らす。

 視線の先は海沿いにある倉庫街。そこには傍目には幼く見える赤いドレス姿の少女と、4時間程自分達で追跡していた緑の鎧の優男が、槍と剣を手に優美に剣舞を踊っていた。

 否、実際に踊っているわけではない。彼らは死合いをしているのだ。

「おい、それで……どうなって、るんだよ。状況は。お、まえ、ぼ……くにも、少しは、説明しろよ」

 と、隣から主君(マスター)のそんな声が聞こえ、ゆっくりと余、こと、この度の聖杯戦争において騎兵(ライダー)クラスで召喚されたサーヴァントたる、征服王イスカンダルはそちらを振り向いた。

 そこには此度自分を呼び出した魔術師である、ウェイバー・ベルベットが、必死の青い顔をしたまま鉄骨にしがみついている姿があった。

「セイバーとランサーの実力はほぼ拮抗しておるとみて間違いないだろう。力のセイバー、速さのランサーというところだな。しかしまあ、なんとも華のある戦いよ。これほど見事な演舞はそうはあるまいて」

 そう感心したような声で余はしみじみと呟いた。それに合わせ目尻が弛む。

 戦闘というものはいいものだ。自ら参加するのも、こうして鑑賞対象として見るのも、どちらも余の胸を熱くさせる。

 そして、今目前で繰り広げられている戦いは十分に余の眼鏡に適うもので、想像以上の極上の酒の肴を前ににんまりと笑う。

 と、そのときランサーの様子が変わった。どうも、宝具を解禁したらしい。続いてセイバーも、不敵な笑みを浮かべて……。

「……いかんなぁ。これはいかん」

 酒の肴としてこうして2人の戦いを眺めるのは悪くはなかったが、それでもこれほど早くに決着がつけられるのは、余の目的を思えば望むところではない。

 故に観賞はそれまでとして、よっと軽いかけ声をあげながら、冬木大橋のアーチの上から余は身を起こす。

 一方マスターであるウェイバー・ベルベットは状況がわからんらしい。なにくれと喚いてくるため、そんな坊主を相手にあれこれと適当に説明しながら腰の剣を抜き払い、虚空を一閃させて、余がライダーたる所以の騎乗用宝具を取り出した。

「見物はここまでだ。我らも参じるぞ、坊主」

 そして、主君である坊主共々、余の愛車である神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)に乗り込み、赤き剣使いと、緑の槍兵の下へ向かおうとした、まさにそのときだった。それが2人の空気を穿ったのは。余より一足早く2人を牽制するように、それは空の彼方より飛翔した。

 

「そこまでにしたほうがいい。これ以上手の内を明かしたくなければ双方得物をおさめろ」

 幻想と幻想の戦い。そんな中、声変わり前の少年を連想させる声が凛と月夜に響いて、その場を支配した。

 

 

 

 続く

 

 

 



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05.うっかりスキル連発 後編

 ばんははろ、EKAWARIです。
 今回はアニメZEROの5話に当たるだろう話まで話進めました。
 因みに第四次聖杯戦争編は(いくつか前後編に分かれている話もあるので実質16~18話ぐらいありますけど)全部で10話完結スタイルです。



 

 

 side.エミヤ

 

 

 その気配には随分前から気付いていた。

 夕暮れの冬木市で、私はアイリスフィールの願いを叶えるため、霊体化もせず、実体を保ったまま市井を廻っていた。

 聖杯戦争で実体化したまま街をうろつくなど、見つけてくださいと言っているようなものだ。聖杯戦争が既に始まっている以上、昼間だからといって気を抜いていいわけがない。案の定、敵サーヴァントの気配に接触するはめになった。だが、相手は仕掛けてくることもなく、ただ強く気配を発して誘いをかけるばかり。

 私が今切嗣(マスター)に与えられている命はアイリの傍にいて、その身を守るということだけだ。

 だから、敢えて私はその気配を無視して、なんでもないかのように振る舞うことにした。

 大体、聖杯戦争はまだ始まったばかりなのだ。こんな序盤にわざわざ手の内を明かす程私とて馬鹿ではないし、私の売りは戦略の幅の広さと手数の多さだけだ。わざわざ誘いに乗って利点を放棄することもない。

 それに、これほどあからさまな挑発をするサーヴァントだ。他の者にも同じ事を繰り返すことだろう。ここまで正々堂々と気配を晒しているとなると、クラスはセイバーか、ランサーか。どちらにせよ、それも含めて見極めてからでも遅くはない。故に此処は敢えて誘いに乗らず、他のものとの戦いを見聞し、どういう手合いなのか解析したほうがいい。そう判断した。

 そもそも負ける気はないとはいえ、私はあまり接近戦に長けてはいないのだ。勝てないならば、勝てる状況を作ってから戦うべきだろう。

 痺れを切らしたのか、その気配の持ち主はやがて私からは遠ざかった。そして、私の目からは見えるけれど、普通の英霊さえ確認が難しいほどそれが遠ざかった時点で、アイリにはサーヴァントがいたことを告げた。

 ここで、彼女との街の探索は終わりを告げ、私は普通の人間どころか並みの英霊にすら視認の難しいkm範囲で離れた建造物の上で、その件の私を挑発していたサーヴァントの動向を見張った。

 人気の無い倉庫街で、実体化をして誘いをかけるその男。

 あれほどあからさまな挑発をしていた男だ。気付いているのが私だけなはずがなく、他にも見物人がいると推測した。やがて赤いドレスの真っ赤な剣をもった少女がやってきて、戦いをはじめる。

 間違いなく男はランサーで、少女はセイバーだろう。クラスは確認した。決着がつくには時間がかかりそうだ。おそらく他の観客はあの二人の戦いに見入っていることだろう。その隙に、他の集まった同類の確認するために、私だったら潜むだろうポイントを重点的に考え、周囲を探り、そしてその最中に思わぬ人の姿も見つけて、ぎょっとした。

 橋の上には大男の姿をしたサーヴァントと小柄な、おそらくそのマスターであろう魔術師がいたが、それは別に驚くべきところではない。

 驚いたのは別の観客だ。そしてそれは千里眼のスキルを持つ私だからこそ見えたのだろう。

 岩壁間際にあるコンテナの山の隙間から暗視スコープを取り付けた狙撃銃を手に潜んでいる人間、見たのは一瞬だが間違いが無い。あれは衛宮切嗣(マスター)だ。

 やはり、切嗣は自分の手で敵を獲ろうと潜んでいた。それを否定はしない。それに驚きもしない。

 だが、その目と鼻の先……少なくとも自分にとってはそうだ、デリッククレーンの上、そこに漆黒のローブに髑髏の仮面を身につけたサーヴァント……まず、間違いないだろう、アサシンが霊体化もせずに、倉庫街の成り行きを見張っていた。

 アイリごしに聞いた情報によると、アサシンは確かセイバーに倒されていたはずだ。話を聞いて、あまりにあっさりと倒されたので不審には思ってはいたが、もしや今代のアサシンは複数いるということなのか? それとも死を偽装する幻影の類のスキルを持ち合わせているアサシンなのだろうか。どちらかなど現段階では断言しようがないが、今はそこは問題ではないだろう。

 対決しているサーヴァント二騎がデリッククレーンの上から対決を見守っているアサシンに気付いた様子は無い。当たり前だ。アサシンには気配遮断のスキルがある。それを発動しているとなると、戦闘時以外にアサシンの気配を掴むことは同じサーヴァントをしても困難なのだ。

 私がアサシンを見つけることが出来たのは、アサシン自身が実体化していたことと、襲撃ポイントを私が目視で探していたこと、それにプラスして単純に私の目の良さが功を奏した結果に過ぎない。

 ここに集まった人間や英霊で、アサシンの存在に気付いているものなど、私と、アサシンを放ったものと、あとはアサシンのいる位置を見張れる切嗣くらいのものだろう。

 ……これはまずいのではないか?

 切嗣(じいさん)がアサシンに見つかるへまを犯すとは思えない。思えないが、万が一ということもあるし、昔から私は運には恵まれていなかった。最低の顛末を予測してしまうのは当然の習い性ともいえる。

 衛宮切嗣は魔術師殺しの異名で呼ばれる暗殺者ではあるが、あくまでも人間であり、この聖杯戦争に参加するマスターである。

 当然、暗殺者の英霊であるアサシンに敵うとは思えないし、暗殺者としてアサシンのほうが格上でもそれは当然の結末といえる。今は切嗣がアサシンに見つかっている様子はないようだが、それでも見つかったときは……そう思考すると同時にアイリに一言アサシンの存在と、その近くに切嗣がいることを告げ、許可を掠め取るなり行動し始めていた。

 アサシンは、セイバーに倒された。情報上そういうことになっているが、他にもアサシンがいた。それを他のサーヴァント達にもバラす。バラすことによってこの場からアサシンを撤退させ、切嗣から危険を遠ざける。

 綱渡りの作戦だっていうことは自分自身承知している。アイリとて危険に晒すだろう。だが、幸か不幸か、あの二人の対決を邪魔しようとしているのはどうやら、私だけではなかったらしい。橋の上からあの大男のサーヴァントが動き出そうとしている。なら、やるタイミングは今だ。

 黒い洋弓を手に取る。投影した矢は何の神秘も纏っていないただの矢。威嚇射撃ならこれで上々。八連の矢を番え、あとはただ想像(イメージ)通りに放てばいい。

 槍兵と剣使いの気が高まる、その注目がかかるだろう最良のタイミングを狙って私はそれを放った。

「「!?」」

 八連の矢は私の想像通りに二人の足元に突き刺さり、その進軍を止める。

 さて、では行くとしようか。

「アイリ、君はここでまっていたまえ」

 そう言って彼女を置いたまま二人に私の姿が見えるまで近づこうと考えたのだが、その考えは置いていこうとしたその人自身に止められた。

「あら、駄目よ。だってアサシンがいるんでしょ? なら貴女の傍が一番安全だわ」

 そう言われると確かに、危険度としてはここに置いていったところで変わりが無いのか。先ほどの街の件で彼女が私のマスターと誤認されている可能性もあるし、それに彼女の傍にいろというマスターの命令もある。迷っている時間もない。時間を置けば不信を募らせる結果になるだろうことは、想像するまでもない。

 仕方ない。内心葛藤しつつも、私は頷いて彼女を姫抱きに抱え、セイバーやランサーにもなんとか見える距離まで跳躍した。

「そこまでにしたほうがいい。これ以上手の内を明かしたくなければ双方得物をおさめろ」

 そう言いながら、アイリスフィールを地面におろし、そして正面からランサーの姿を真っ直ぐに見た。それがどれくらい私にはまずいことなのか、そのときは勿論知る由もなかった。

 直後に、硬直。

 

(なんだ、これは)

 そこにいたのは、見たこともないような美男子だった。きりっとした中に艶然さが見え隠れするとろけるような美貌の。

(なんだ、これは)

 顔が熱かった。かぁっと、自分の頬が火照るのがわかる。おそらく見るからに今の自分の顔色は真っ赤なのだろう。そんな自身の反応に強く動揺する。一体これはどういうことだ。

(いやいや、なんでさ? 確かに今のこの身は女だし、相手は絶世の美丈夫といって差し支えない人間かもしれないが、心まで女になった覚えは無い! なのに何故先ほどから心臓がバクバク鳴るのだ? ときめいているというのか? 男相手に? このオレが!? いやいやいや、それはおかしいだろう。だから、何故顔が熱くなるのだ! 静まれ、心臓)

「貴様……」

 そんな動揺を抱えているオレを前に、涼しげな目元を引き締めて、男が言葉を発する。その美声にうっとりとしそうになる。まるで甘い魔力を取り込んだかのように、言葉が全身に染み渡る。とろける。ドキドキと心臓が高鳴る。目の前の優男、その一動、一動に目が離せない自分を自覚してしまう。

 既に誰かに対する恋情など抱くにはこの身は磨耗し過ぎていて、乾き消え去ってしまっていた筈だ。それも男を相手にそんなものを覚える筈がなかったというのに、これではまるで、まるでどこかの生娘のようではないか。

 一体これはなんだというのだ。

「アーチャーか。何ゆえ我らの戦いに介入した? ……おい、聞いているのか?」

 男が声を発するたびに、甘い魔力を取り込んだかのような陶酔感は益々酷くなっていく。

 ……あれ? 何故こんなに頭がボォっとするのだろうか? そうなけなしの思考で考えていたそのときだった。

「アーチャー! 落ち着いて、魅了(チャーム)の魔術よ! 気を強くもって」

「……は!? オレは今何を」

 そのアイリスフィールの言葉で正気を取り戻した。

 同時に冷静な思考も戻ってくる。元より魅了(チャーム)は、それほど高位の魔術ではないのだ。術の正体さえわかれば、私でも防ぐのはそれほど難しく無い。

 しかしそうか、魅了の魔術か。考えてみれば、男としてこの世に生を受け、その生涯を終えた私が、男に魅了の魔術をかけられる状況を想定しているはずがなく、見事にかかってしまったらしい。

 急いで武装概念の赤源礼装を身に纏う。これで私の対魔力は大分上がったはずだ。もう先ほどまであったドキドキとときめくような感情はない。

 ついでに、ランサーに見惚れてしまった理由が、女になった体に引きずられて男を好むようになったとかではなかったことに、少しだけ安心する。だが……。

(ク……いくら魅了の魔術にかけられたとはいえ、男にときめくとは!)

 いや、寧ろ不意打ちとはいえ、そんな魔術にかかってしまう自分の対魔力の低さに涙が出そうだ。

 男に魅了されるなど、一生物の不覚だろう。それにしても私だって低めだとはいえ、対魔力は備わっているというのに、なんでここまで見事にかかって……いや、その前に、いくら焦っていたとはいえ、なんで私は武装もせずに敵の前に姿を晒すなんて初歩的なミスを……あれ……? これってもしかして……。

 ふと、嫌な予感がした。この体になってから追加された呪いのスキルが頭をよぎる。

 ランクAだというそれ。これが本当に遠坂の呪いであるならば、肝心な時に発動するのが当然で、それを思えば今のタイミングで発動するのは当たり前とでもいうべきことで……つまり。

(これがうっかりスキルか!?)

 気付くと同時にガクリと肩を落とす。

(……凛、君を恨むぞ)

 思わず元主の少女を相手に内心で愚痴り、自分の傷ついた男心を慰めた。

 

「それで、アーチャー? 先ほどは正気でなかったようだからな。もう一度尋ねよう。何ゆえ、我らの戦いに介入した? 納得のいく説明がないというのなら、貴様から屠らせてもらうことにするが?」

「私としても本当は君たちの戦いに介入する気などなかったのだがね。だが……まあ」

 刹那の早業で私は再び弓を創り出し、まっすぐにアサシンにむけた。仮面越しに視線が交わる。霊体化して逃げられるより早く、我が矢は敵を射抜いていた。

「敗退したはずの亡霊(アサシン)に漁夫の利を与えることは私としても気に食わなかったものでね」

 想像通りアサシンの存在については気付いていなかったらしい。私の矢がアサシンを貫いたことによって、その事実に気付いたようだ。

「アサシン……だと?」

 少々の驚きに軽く目を見開くランサーの相貌に、こくりと頷いて私は返事とかえす。

「あのような亡霊まがいの連中に君たちの貴重な情報を明け渡すこともあるまい?」

 にやりと皮肉気に笑って見せると、この美貌の槍兵も納得がいったらしい、すっと槍を下げ話を聞く姿勢となる。

「その様子では君も知っている情報だろうが、アサシンは先日セイバーによって倒されたはずなのだがな、いまだ現世に未練があったらしい。いや、これはどういうことだと思う? どうやら私たちは揃って誰かの掌の上で踊らされていたらしい。君は何か知っているのではないかね? セイバー………………………………………ん?」

 そこまで言って、初めて面とむかって今回召喚されたセイバーだろう少女を見て、私は思わずびしりと固まった。

「え?」

 顔立ちは、アルトリア(セイバー)によく似ている。その髪型も青いリボンか赤いリボンかの違いだけで同じだが、世の中には同じ顔の人間が三人はいるという話だから、そこはまあ、さしたる問題ではないだろう。

 そもそも髪の色はともかく、目の色は微妙に違うし、この少女が使う赤く禍々しい剣は、アルトリア(セイバー)のもつ聖剣エクスカリバーとは似ても似つかない。その時点で全くの別人だろうと遠目でもわかっていたし、そこはまあいい。だが、なんだ、この格好。

 セイバーは優美でレースがふんだんに使われた、ひらひらとした赤いドレスを纏っている。その前方スカート部分が透けていた。ええと、これはシースルーってやつか? そう、透けている。半透明のスカート。足の形がくっきりと見えて、そして……ごしごしと目を擦る。見間違いではない。あー、なんだ、一言有体にいうなら、その赤いドレスを身に着けた、剣の英霊である彼女は、パンツが丸見えだった。

 え? なんでさ?

「……な、な、な、な、君はなんて格好をしているんだ!?」

「おい、アーチャー?」

「君は自分がどれほどはしたない格好をしているのかわかっているのか!? ドレスで戦うなとは言わんが、パンツくらい隠すべきだろう! いや、それより何故その格好で出歩けるのだね? 君に羞恥心というものはないのか!? 仮にも君は女性だろう、身だしなみをもってだな」

怒濤の言葉を続ける私に向かい、必死の美しい声が私の服の裾を掴むと同時にかけられる。

「アーチャー、落ち着いて! 今はそんなこと言ってるときじゃないから!」

「……は!?」

 またもアイリの言葉で正気に戻る。確かに今はアサシンのことを話にきていたんだ。少なくとも、敵サーヴァントの服装に云々言いにきたわけではない。

 そもそも敵がどんな格好をしていようと私には関係ないはずだ。少なくとも切嗣に召喚される前の私ならばそんなことを戦闘中にわざわざ指摘したりはしなかった。

 またか、またうっかりか!? どれだけ私の邪魔をすれば気が済むんだ、このスキルは!

 見れば、セイバーとして今回の聖杯戦争に呼ばれた少女は肩を震わせ、俯いていた。

「く……くく」

「お……おい、セイバー?」

 セイバーは奥歯で噛み締めるように笑っていた。魅了の魔術なんてふざけたものを私にかけてくれた槍兵は案外真面目な性格をしていたらしい、生真面目な声で動揺したように笑うセイバーに声をかける。

「そ、そなた、そんなイイ体をしておいて……、余にはしたないと申すか。なんともまあ、見た目にそぐわぬ初心さよな。くくっ」

 ……は?

 ……今、この女は何を言った?

「アーチャーであったか? いや、先ほどの槍兵を前にしたそなたの態度、男慣れしておらん様子がまるで生娘のようでなんとも愛らしかったぞ。いや、もしかして本当に処女か? そなたの時代の男共は人を見る目がなかったと見える。これほどの逸材を放っておくとはの」

 いや、まあ女になったのは、こっちに召喚されてからだし、この姿になってから情事とは無縁なのだから、それは処女なんだろうなとは思うが……初心? 生娘? いや、本気で何を言ってる、この女。

「……君は何を言っているのかね? どうにも、私にはよくわからなかったのだが」

 セイバーは、にやりと美しい顔に、かの英雄王がよく浮かべていた傲慢染みた表情を浮かべて、私を見上げた。

「良い。良い。許す。寧ろ余はそなたが気に入った」

 そう告げる緑の瞳には情欲の色が滲んでいて……あれ、もしやこの女……。

 嫌な予感を覚えながら、それでもそろりと私はそれを訊ねた。出来ればあっていませんようにと祈りながら。

「あー……その、なんだ、君は同性愛者ということでいいのか?」

「余は美しいものが好きだ。美少年も美少女もどちらも余の愛でるところよ」

 言い切る姿には事実だけを告げているといわんばかりで、なんの気負いもなかった。……予感は的中したらしい。そんな風に遠い眼になるオレに対して、セイバーは相変わらずの好色そうな色を宿した眼で、にやりと笑いながらそれを言う。

「で、アーチャーよ。余としてはそなたをいずれ手にかけるのは忍びない。故に選択権をやろうぞ。そなた、余のものになれ! そうすれば合い争わずにもすむ。名案であろう?」

 ……名案? どこが? いや、それよりこれはもしかしてとは思うが口説かれていたりするのか? こんな時に、こんな傲慢な言い草で? お前はどこの暴君だ。ああ、もしかしてアルトリア(セイバー)、君があの金ピカ慢心王に言い寄られた時の気持ちとはこんな感じだったんだろうか。

 そんな風に現実逃避しつつも、ちらりと一瞬周囲を見回す。

 ランサーは槍を中途半端に上下させながら、何か言おうとして葛藤しているような顔をしている。先ほどの、私に魅了の魔術をかけたことは水に流しても良いから、この場をなんとかしてくれないだろうか。

 ……いや、無理か。

 アイリスフィールは呆れ、苦みばしった顔で目をぱちくりさせている。うん、その反応は正しいだろうよ。いや、全く。これが他人事だったらいいのに。

 目の前の少女を見る。自信満々に反論を許さぬとばかりに私を見上げている少女。その表情(かお)は、清廉潔白にして、殉教者のようでさえあったかの騎士王とは似ても似つかないだろう。寧ろ真逆といっていい。アルトリア(セイバー)、この少女が君に一瞬でも似ていると思ったオレを許して欲しい。

 さて、現実逃避もここまでにして、わかりきった返事をかえそう。

「断る」

 ガーン、そんな擬音が聞こえてきそうな形相で、セイバーだろう赤の少女は私を見上げた。断られるとは欠片も思っていなかったらしいその顔。それに私こそ吃驚だ。

「何故だ!? 余がたっぷり可愛がってやろうというのに。それともそこなランサーのほうが良いと申すか!? いや、確かにランサーも美しい! しかしそれも戦場の華として愛でるべき美しさでな」

「ええい! 少しは落ち着かんか、たわけ! そもそも私はアサシンの件でここにきたのであってだな」

「ふむ、余は哀しいが仕方が無い。そなたが余のものにならぬというのなら、力づくでいうことを聞かせるまでよ。何、暴れるじゃじゃ馬を飼いならすというのはそれなりに慣れておる」

「話を聞け!」

 あ、ランサーが同情の目で見てる。く、そんな顔で見るな。というか、そんな顔で見るくらいならセイバーを止めてくれ。あと、アイリ、君は危険だから離れていろ。何故私の外套を掴む!?

「ふふ、此度のしおきは少々キツイかもしれぬが、まあ、それもそなたを想うが故よ。あとで存分に労わってやるゆえ、安心するが良い」

 いいながら、セイバーは赤く特徴的な剣を私に向けて構える。

 く、投影開始(トレース・オン)。仕方ない、ここは一戦交えるか。そう覚悟を決めて白と黒の双剣を両手に構えたそのときだった。

 響く轟音、雷鳴の響き。ああ、やっと来たのか、あの時動き出そうとしていた巨漢のサーヴァントが。おそらく、今までタイミングを見計らっていたのだろう。その男は、古風な二頭立ての空飛ぶ戦車に乗ってやってきた。

「……戦車(チャリオット)……?」

 アイリスフィールが唖然とそれを口にする。

「……ッ」

 ランサーは緊迫の面持ちで頭上を見上げ、セイバーはいかにも面白いものを見たという顔をしてそれを見上げている。セイバーの意識が自分から離れた隙に、私はアイリを連れてセイバーから距離を離す。

 それにしても雷鳴を纏った戦車を駆る英霊とは、此度の聖杯戦争も中々一筋縄ではいかん連中が揃っているらしい。これだけのものを使えるということは雷神所縁の英霊か。第五次聖杯戦争でも神性適正をもつものは珍しくなかった。その類といったところか。

 その戦車の主たる巨漢の男は、御者台の上に立ち上がり、赤いマントを靡かせながら威風堂々たる姿を晒した。

「双方、武器を収めよ。王の御前である!」

 それこそ声や姿に負けぬ、その身にふさわしい大音量である。炯々たるその眼光といい気迫といい、並みの人間だったら気圧されんばかりの迫力がある。これは大物そうだ。そう思った次の瞬間には、その男は、聖杯戦争ならば秘めるべき筈の真名を名乗っていた。

「我が名は征服王イスカンダル。此度の聖杯戦争においてはライダーのクラスを得て現界した」

 その男の言葉に呆気にとられる。推測通り相手が大物だったことも理由の1つではあるが……それにしてもイスカンダルだと? つまりはアレクサンドロス大王がその正体というのか。世界史に残る有名人ではないか。

 いや、それよりもこの男、自ら真名をバラすとは、大胆不敵というべきか、自信家というべきか。見れば全員が呆気にとられている現状、ライダーの隣にいた小柄な魔術師が慌てて叫び、自分のサーヴァントのマントに掴みかかって怒鳴りつけている。

「何を……考えてやがりますかこの馬ッ鹿はあああ!?」

 直後、ライダーによってデコピンを食らったそのマスターらしき男は、声にならぬ悲鳴を上げて沈んだ。なんというか、その姿は酷く哀れだ。いや、心底同情する。

 そしてそんな自分のマスターを気にするでもなく、イスカンダルを名乗った男は豪快に笑いながら、王の威厳を纏って言葉を下した。

「セイバー、ランサー、どちらも見事な腕であった。そしてそれを止め、余を含め、誰も気付いておらなんだアサシンの存在に気付き、それを撃ち落したアーチャーの腕も弓の英霊の名に恥じぬ豪傑っぷり。いや、全く、聖杯戦争とは大したものよ!」

「手傷を負わせただけだ」

 苦笑しながらそう洩らすと、耳ざとく聞いていたらしい。ライダーは目を細めながら、軽快に笑いつつ言う。

「そう、謙遜することもあるまい。あれほど正確無比な腕をもっていながら、姿を見せた上でアサシンのことを言及したのは、お主もセイバーとランサーの戦いに感銘を受けていたからであろう?」

 まさか、かの征服王に褒められる日がくるとはな。

 いや、これは本当に賛辞か? 私が姿を見せたのは別に二人の戦いに感動したから、なんて理由ではないのだが、誤解するならしてもらっているほうが都合がいいので黙っておく。

 ライダーは、ごほんと一つ咳払いをすると、声高に本題だろう言葉に入る。

「うぬらとは聖杯を求めて相争う巡りあわせだが……矛を交えるより先に、まずは問うておくことがある。うぬら各々が聖杯に何を期するのかは知らぬ。だが今一度考えてみよ。その願望、天地を食らう大望に比してもなお、まだ重いものであるのかどうか」

「それで、そなたは結局何がいいたいのだ?」

 セイバーがなにやら面白いものを見るような、相手を秤にかけているような顔をしてそう聞くと、それを全く気にしていないのか、この巨漢のサーヴァントは「うむ、噛み砕いて言うとだな、ひとつ我が軍門に降り、聖杯を余に譲る気はないか? さすれば余は貴様らを朋友(とも)として遇し、世界を征する快悦を共に分かち合う所存でおる」なんてとんでもないことを言い出した。

 いやいや、全く。これまで色んな王に会ってはきたが、ここまで自由な王というのは流石に初めてだな。

 その豪快な気性といい、嫌いではない、が、言ってることは言語道断だ。

「先に名乗った心意気には、まぁ感服せんではないが……その提案は承諾しかねる。俺が聖杯を捧げるのは、今生にて誓いを交わした新たなる君主ただ一人だけ。断じて貴様ではないぞ、ライダー」

 苦笑交じりに、瞳だけは鋭くライダーを見据えて、そんな言葉を吐くランサー。感服せんでもない……か。さては、今代のランサーは、真名を名乗ってしまいたいとでも思っているというところか。

 だろうな。このランサーは騎士でありたいという想いが強いタイプだろう。騎士は自分の名をかけての誇りある戦いが好きだからな。

 魅了の魔術なんてふざけたものを使われた立場としてはそういうタイプだと考えもしなかったが、このランサーの槍を解析した結果、槍の正体は「破魔の紅薔薇(ゲイ・ジヤルク)」と「必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)」だとわかった。自然、この男の正体も判明する。

 クー・フーリン(ランサー)と同じくケルト神話に名を連ねる英雄、ディルムッド・オディナだ。悲恋の伝承をもつこの英霊の左目の黒子は、異性を虜にする力をもっていたという。魅了の魔術の正体はそれだろう。

 どうやらこの男自体は真面目なタイプのようだし、魅了の力を使われたのは癪でしょうがないが、本人にどうしようも出来ない力だというのなら仕方ない。馬に噛まれたと思って忘却しようじゃないか。ああ、そうとも、私の名誉のためにも。

「戯れ事が過ぎたな征服王。騎士として許し難い侮辱だ」

 じろりとランサーに睨まれ、小さくうなりながらいかつい拳でごりごりと自分のこめかみをかいているライダー。その姿は威風堂々としているのに愛嬌がある、なんとも形容しがたい存在感を持った男だった。

 人に愛される人間とはこういう男のことを言うのだろう。

「……待遇は応相談だが?」

「くどい!」

 ランサーはどうにもならないと思ったのか、ライダーは私とセイバーに矛先を代えるようにくるりと視線を回し、向き合う。

「先ほどから黙ったままだが、おぬしら二人はどうだ?」

「……かの高名な征服王に私のような人間にまで声をかけられるとは光栄の至りだが……そうだな。君の冗談はあまり面白いとは思えん。気をつけたほうが良い」

「アーチャーの言うとおりよ」

 意外にも赤のドレスの少女が私の言葉にのってきた。

「この余に向かって軍門に降れ……とな? つまらぬ冗談を口にするものよ。呆れて開いた口が塞がらぬわ。そもそも、王、王と汝は図が高い!」

 ぴりぴりと空気が震える。どうやら、ライダーの言葉は彼女の逆鱗に触れていたらしい。

「そなたが王というのなら、余は皇帝よ! 控えおれ、下郎!」

 皇帝……? 今、皇帝と言ったのか、セイバーは。解析開始(トレース・オン)。思わぬところで手に入った敵サーヴァントの情報を参考に、例の赤く禍々しい剣を解析する。見たことの無い剣だ。銘は「原初の火(アエストゥス・エストゥス)」? 名前から判断するならローマ系のような気がするが、皇帝なんて立場にいた人間にそんな剣の伝承がある人物なんていただろうか? そう私が思考する間にも2人の会話は続く。

「こりゃ驚いた。皇帝とな?」

「そう、余こそ王の中の王よ」

 ふんと鼻をならして少女はそう告げる。どうやらイスカンダルの驚いた顔を見て大分気分が晴れたらしい。セイバーはやや満足げな笑みを浮かべて胸を張っていた。

「こりゃー交渉決裂かぁ。勿体ないなぁ。残念だなぁ」

 そんなことをぼやく征服王に、恨みに満ちた視線と声が隣から上がった。

「ら、い、だぁぁぁ……」

 発生源は彼のマスターの少年だ。

「ど~すんだよぉ。征服とか何とか言いながら、けっきょく総スカンじゃないかよぉ……オマエ本気であいつらを手下に出来ると思ってたのか?」

「いや、まぁ、“ものは試し”と言うではないか」

「“ものは試し”で真名をバラしたンかい!?」

 ……ああ、仲睦まじい主従なんだな。こんなことをいうのもなんだが、これが平素なら非常に和んだのだが。しかし、今は聖杯戦争の真っ只中、彼らのやりとりは非常識なまでに、場からは浮いている。

 そのとき、二つの気配に私は目を見開いた。

『そうか、よりによって貴様か』

 憎悪の念をむき出しにしたその声は、魔術で隠蔽されているのかどこから発生しているのかわからない上に、性別すら不明だ。そんな声があたりに響いて、皆の意識がそちらに集中する。そんな中、私は確かにそれとは別の視線を感じ取った。それは、この声の主ではなく……。

 謎の声の主がライダーのマスターを責め、ライダーが反論をする……どうやら、ライダーのマスターである少年が謎の声の持ち主の聖遺物を盗んだ犯人で、謎の声の主の弟子であるらしい。ライダーが謎の声の主に反論などをしていたりする中、私は先ほど感じた視線の主を目視で探して、そして。

「セイバー」

 無意識に彼女を庇うように私が前に出ていた。

 

 

 

 side.間桐雁夜

 

 

 一年間ずっとこの時をまっていた。どんな痛みも苦しみも、己の身を食われる恐怖さえも、遠坂時臣への憎しみ、それだけを糧に耐えてきた。

 たとえ余命1ヶ月を宣告された身であろうと目的さえ果たせるならば構うものか。

 あの、赤いドレスをきたサーヴァント。あれだ。あれが遠坂時臣のサーヴァントだ。時臣より先に八つ裂きにしてしまえばいい。

「はは、はははは」

 笑いがこみ上げる。皮膚が引きつりながらも、あれが引き裂かれる瞬間を想像しただけで開放されたように気持ちがいい。昏い感情が俺に力を与えるかのように沸き上がる。それに身を任せ、この体の代償に手に入れた「力」に命じる。

「殺せ……」

 自分は出遅れた。けれど、あれはまだ残っている。それに心から感謝をする。

 使いこなすには難しくても我がサーヴァントは絶大な力を保持している。あのような幼い少女の英霊などひとたまりもないことだろう。

 サーヴァントもなしではあの遠坂時臣とて、ひとたまりもあるまい。だから、今あのサーヴァントを俺は葬るのだ。そして、いずれは遠坂時臣をもこの手で……。

 桜ちゃんをあんな目に合わせ、凛ちゃんに寂しい思いをさせて、葵さんを悲しませたあの男に今こそ復讐を! この世で一番憎い男をこの手で引き裂いてやるのだ。

「殺すんだバーサーカー! あのセイバーを殺し潰せッ!」

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 吹き荒れた魔力の奔流、それはやがて形を作り、実体と化して我らの前へと現れた。

 それはなんとも形容し難い異形だった。

 長身で、骨格がしっかりしたそれはどうやら男であるらしかったが、余すところなく闇のような黒い靄と鎧に包まれているため、実像がどうにもはっきりしない。その禍々しくもおどろおどろしい幽鬼を思わせるそれは、とてもマトモな英霊とは思えなかった。その有様。まるで英雄と言うより怨霊のようだ。

 それがヘルメットの隙間から覗く爛々と燃える目でセイバーを視ている。

「……なぁ征服王。アイツには誘いをかけんのか?」

 口調だけは軽やかに緑の槍兵が豪胆な古代の大王を揶揄する。その瞳はかけらの油断もない。

「誘おうにもなぁ。ありゃあ、のっけから交渉の余地なさそうだわなぁ」

 黒い騎士から放たれるのは純然たる殺気のみだ。おそらく、あれはバーサーカーなのだろう。解せないのはあれには私の解析の魔術が全く通らないことだが、ライダーのマスターであるウェイバー・ベルベットによると、正規のマスターにもステータスが視えないという話だから、おそらく、私の解析が効かないのも、あのバーサーカーが所持するスキルか宝具がそういう能力なのだろう。

「――、――――!」

 バーサーカーは最初からセイバーしか見ていないかのように、まっすぐ迷うことなく剣の英霊の少女に襲い掛かる。

「ぬぉ」

 少女は冷や汗をかきつつも、手にもった赤い大剣で黒騎士の攻撃を受け止める。

 黒騎士のもつ武器は……黒い鉄パイプ……だと? しかし、驚く暇があるのなら、行動をおこすべきだ。私はすぐさまアイリを抱えて後方に移動する。

 あれはあまりに異常だ。どういう能力をもっているか確認くらいはしておきたい。まあ、目的上セイバーを手助けするような形になるだろうが、この際は仕方ないだろう。あれの能力確認が先だ。

 それにアイリを連れているこの状況で、誰かが聖杯に取り込まれる状況はあまり歓迎できたものではない。なにせ、一人を取り込むことで彼女の人間としての機能がどこまで失われるのか私にはわからないのだから。私にとってこの場での優先事項は、マスターの命でもあるアイリの守護だ。

 思考と並行し矢を五連放つ。バーサーカーは狂化しているとは思えない精練された動きで私の矢を破った。それについても考える。あれはバーサーカーで呼び出されてはいるけれど、相当な使い手なのではないか? それでも現時点では正体が誰なのか候補すら選別出来やしない。

 まだだ。まだ情報は足りない。今度は先ほどのなんの神秘もこめてない矢ではなく、少しは神秘の篭った剣を矢に変えて番え、打ち込む。

「おぬし、中々お人よしじゃの」

 そんなライダーの声が聞こえた気がするが、気のせいということにした。

 バーサーカーは、飛んで来る私が放った矢をその手に掴んだ。見る間に驚きの現象。私の放った矢が、彼が手にもっている鉄パイプのように黒く変色して、それでもってその武装を手にセイバーへと迫っている。

 これはまさか、手にとったものを自分の武器に出来る宝具ということなのか?

 そうなれば中々に厄介だ。神秘を具現化する私の投影魔術も逆効果になりかねない。

 

『アーチャー』

 そんな時に届いた声にはっとした。頭の中で郷愁を感じざるを得ない人の、緊迫した声が響く。今日、こちらから呼びかけても返事もしなかった男の声だ。

『アーチャー、聞こえるか』

『マスター。ああ、聞こえている』

『命令だ。撤退しろ』

 その命を不思議には思わない。確かに今のタイミングは退くには調度いいだろう。

 結局アサシンの件があやふやなのは残念だが、何、この人がその存在を忘れたわけでもあるまい。

『了解した』

 念話を終えると、アイリスフィールを抱えたままセイバーとバーサーカーの戦いの続きも視ずにそのまま立ち去った。

 あとの顛末はしらないが、完全に離れる前に途中でセイバーの気配が不自然に途切れたことを思えば、おそらくは令呪でマスターに引き戻されたのだろう。とはいえ、希望的観測は危険なものなのだが。

 全く、まだ一日目だというのにキャスター以外全て揃うとはな。バトルロイヤル戦が基本となる戦いだろうに、おかしな聖杯戦争もあったものだ。

 思わぬ展開に苦笑がこみ上げる。

 情報は色々と集まった。あとで切嗣(マスター)と今後の対策を話し合わねば。

 私は切嗣が私をどう思って、また、どう対応するのかもしらず、そんなことを考えていた。

 

 

 

 side.キャスター

 

 

 私はうっとり水晶玉を眺める。そこに映るのは一人の少女の姿だ。

「叶った」

 金色の少女。あの日失われ、求め続けていた彼女と、ずっと、ずっと、また会う日を夢見ていた。

「全て、叶った。まさか……或いは、とは思っていたが……聖杯は、まさしく本当に万能であった……」

「叶ったっ……ってぇ? ええと?」

 私のマスターの龍之介には、何に私がそんなに感動しているのかわからないらしい。なんて勿体ないのだろうと思った。だから、私は喜びもそのままにこの興奮を伝える。

「聖杯は私を選んだのですよ!」

 私が彼女のことを説明すると、龍之介も我がことの様に喜び賛同してくれる。それが私にはとても嬉しい。

 ああ、私は本当に良いマスターを引き当てた。

 あとは、彼女がここにいればいい。それだけで全ては満ちるのだから。

「嗚呼、“乙女”よ、我が聖処女よ……すぐにもお迎えに馳参じまするぞ。どうか、しばらくお待ちを……」

 金の髪の気高き乙女。ああ、ジャンヌ。私の聖処女よ。今、貴女のジル・ド・レェが迎えに行きます。

 

 贄を。もっと贄を。

 宴はまだ始まったばかり。

 

 

 

 NEXT?

 

 

 

 




 当作をご覧頂き有難う御座います。
 感想のほうで「赤セイバーを見てもジルはジャンヌと間違えない事は公式で明言されてます」との指摘を受けていますが、この話を書いていた2011年6月頃にはまだその設定はこの世に存在していませんでしたので、本作ではこのような展開になっておりますが、都合の良いことに(?)型月世界には平行世界という概念が存在しておりますので、何故ジルが赤セイバーをジャンヌと間違えたかにつきましては、「原作のジルよりもこの世界で召喚されたジルの精神錯乱スキルのほうがレベルが上だった」という方向で宜しくお願いします。


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06.夢の接触と、新たな呪い 前編

ばんははろ、EKAWARIです。
今回の話はにじファンで掲載していた元のほうでは1万文字前後で収まっていた話なんですが、加筆修正あれこれしていたら気付いたら1万6000文字ぐらいになっていたので、これまた前後編に別ける事にしました話です。
ていうわけでこの話も次回の話とワンセットということで宜しく。


 

 

 

 まだだ、このままでは終われない。終わろう筈がない。

 奴はどこだ? どこに消えた。いや、(オレ)の身はどうなっている。

 おのれ、おのれ、おのれ。

 こんなことがあっていい筈が無い。

 忌まわしい影め。

 なんだ、あれは?

 知っている、嗚呼そうともあれは知っているぞ。

 なんとも、面妖なものよ。再びここへ戻ってくるとは。

 なんだ? (オレ)の存在に気付いていないというのか。

 甚だ不快だが、今は良い。許す。

 さあ、(オレ)の声を聞くがいい。

 

 

    

  夢の接触と、新たな呪い

 

 

        

 

 side.衛宮切嗣

 

 

 ……何度も(きおく)を見た。

 本当はラインを切って眠れば見ずに済むだろうそれを、まるで義務であるかのように僕は見ていた。

 残像のように通り過ぎていく剣の夢。

 剣の王の夢。

 ―――……彼は殺していた。

(どうして)

 彼は少しでも多くの人を救おうと駆け抜けて、でも結局は手を赤く染め、殺した。まるで9年前の自分のように。いや、それよりもずっと必死に。容赦なく。

(なんで)

 誰よりも笑顔が好きだったのに。多くの人の笑顔が好きだったのに、その手が為したことは殺戮。

(やめてくれ)

 機械のように、歯車のように、乾いた顔をして、心で血の涙を流しながらその男は人を殺した。

(僕は)

 平和が欲しい。全ての人間が争わずにすむ、そんな世界を作れるなら、自分がどうなってもいいのだと。例えそれを成し遂げる己自身を信じられなくても、その理想は美しいものと信じているから、だからその夢を自分が叶えるのだと。そのためなら己がどうなろうと、そんなことは全て些細なことだと。

 そんな切実な願いを嘲笑うように、彼は一身に憎悪と恐怖を受け、幾度も裏切られ、それすら許容し、その体を剣とかえながらも、赤い丘に居座った。

(僕は、こんなこと)

 正義の味方に、あの時の約束を果たす、それが存在理由。それがなくなれば自分が自分でなくなってしまう。

(望んでなんて、いない)

 わかっている。既に理解している。永劫の平和なんて世界中どこを探しても有り得ない夢物語。人間は醜い生き物で争うことをやめることなんて出来ない。

(僕の、せいなのか?)

 それでも、やっぱり人間が好きで、愛おしい。この身の死を願うというのならば、それで救われる人間がいるというのなら、嗚呼、喜んでこの身を差し出そう。

(そんなこと、しなくていい)

 既に世界との契約は成立しているのだから。

(やめてくれ)

 ギィギィ、ギィギィ。軋む音がする。

 十三階段を、男はやせ衰えた足で登っていく。

 白髪、褐色の肌、鋼色の瞳。まわりの観客は次々に男に罵声を浴びせる。石を投げる。

(やめてくれ!)

 男はにっこりと、幼い、まるで少年のような純粋無垢な微笑みを浮かべて、世界平和を願いながら絞首刑を受け入れた。それはあの時、養父に向かって「正義の味方になる」と誓言した赤毛の少年と同じ、どこまでも無垢で幼い顔だった。

 ギィギィ、ギィギィ。

(これは、僕の、罪の形なのか?)

 赤い、赤い、真っ赤な背中。剣の王。その体を無数の剣に貫かれて、一人赤い丘に佇む。

(僕は、我が子すら不幸に落とすことしか、出来ないのか?)

 白髪褐色肌の女の姿を思い浮かべる。これが彼女の過去だというなら、何故自分を糾弾しないのだろう。何故懐かしいものを見る目で僕を見る。自分に呪いを残した男を相手に、何故ただのサーヴァントとマスターの関係になろうとする。

 彼女にこんな人生を強いたのは、たとえ並行世界の存在とはいえ、僕だろうに。何故。

 恨んでくれればいいのに。ああ、でもきっと、最期まで自分を犠牲にする道しかとらなかった彼女は、僕を恨むことなんて出来ないのだろうと、わかってはいるんだ。

 ギィギィ、ギィギィ。

 死体が揺れる。人々の罵倒と共に。

 もう、いい。

 君は、もう□□□なくていいんだ。親の罪を君が背負う事なんてないんだ。

 これは、僕が始めた戦いなんだから。

 僕が決着をつける。

 ごぽりと、泡がたつように画面が歪む。目が覚めようとしている。

 さあ、現実に還ろう。

 

 

 

 side.言峰綺礼

 

 

 夢を見ていた。この聖杯戦争が始まってから、いや、始まる以前から、何度か夢の中で見知らぬ誰かに名を呼ばれているような、そんな感じがしている。

 そして今、暗い闇の中で、私は一人そこに立っていた。

『誰だ?』

 後方に気配がする。しかし、姿は見えない。ただ、にたりとその何者かが笑っているような気がするだけだ。

『誰だ?』

 再び問いかける。何者だろうか。黄金の圧倒的な気配。ゆっくりと後ろを振り返る。

 そこにあったのは形になっていない影だ。それが私に話しかけようとしている。いや、話しかけている。が、その声を聞き取ることは出来ない。

 これが今のこの影との接触の限界だと、何故か理由もなく理解した。

 いずれ、また。そう、またコレに会う日は来るのだと。

 

 そんな昨日の夢を何故か私は今思い出している。理由はわからない。

 建設途中の高層ビルで、爆破され崩落していくホテルを眺めながら、これからあの魔術師殺しと会うのだという興奮も胸に宿したまま、白昼夢のように昨日の夢が脳裏を占める。

 なんとも、私にしては珍しいことだ。

「馬鹿らしい」

 夢の残照を頭を振ることで追い出し、そのまま階段を上っていった。その先で、人の気配を感じ、柱に身を寄せる。

 そこには拳銃を握り締め、こちらを警戒している黒い女が一人立っていた。それが衛宮切嗣ではないことに、僅かに落胆する。

「察しがいいな。女」

 こちらの居場所には気付いていないようだったが、女は明らかに私を射殺対象として、グロック拳銃を構えている。

「フン、それに覚悟もいい、か」

 間違いが無い。この女は衛宮切嗣の陣営の人間だ。私が住んでいる教会の付近をうろついていた、CCDカメラをくくりつけられた蝙蝠……おそらく間違いなく使い魔だ、の死骸を女に向かって放り投げる。

 それからことさらゆっくりと、柱の陰から姿を晒すと、女の顔色は僅かに変化した。

「言峰、綺礼……」

「ほう? 君とは初対面なはずだが。それとも私を知るだけの理由があったか? ならば君の素性にも予想がつくが」

 その私のブラフを前に、女は動かない。

「そうだとすれば、君は他にも色々と知っていただろうな。ここが冬木ハイアットの三二階を見張るには絶好の位置だったことも、あのホテルに誰が逗留していたかも」

 そう、爆破されたホテルの三二階、そこにはランサーのマスターである、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトが婚約者共々滞在していた。それが、キャスター以外の全サーヴァントが揃った倉庫街からの戦いから時間をさほど置くこともなく、襲撃されたのだ。全く恐るべき行動の早さといえる。

「それにしても……建物もろともに爆破するとは。ここまで手段を選ばぬ輩が魔術師とは到底思えんな。或いは、よほど魔術師の裏をかくのに長けている、ということか?」

「……」

「私にばかり喋らせるな、女。返答はひとつだけでいい。おまえの代わりにここに来るはずだった男はどこにいる?」

 

 結果を言うなら、私は目的である魔術師殺し、衛宮切嗣に出会うことは出来なかった。

 第三者による煙幕によって、女は私からまんまと逃走を果たしたためだ。

 落胆の息を僅かに吐き出す。そんな私に向かい、此度私が呼び出した英霊の1人が近寄ってきた。

「アサシンか?」

「は。恐れながら」

 アサシンといえば、衛宮切嗣のサーヴァントによってまだ存命であることを知らされた今、彼らが姿を隠す理由も半分ほど消えてしまった。

「何用だ?」

「早急にお耳に入れておかねばならぬことが出来まして」

 

 そうしてアサシンの報告によって判明した事実。

 それは魔術師(キヤスター)として召喚された英霊と、そのマスターについてのことだった。

 キャスターのマスターは雨生龍之介という人物で、ここのところ世間を騒がせていた、冬木の児童誘拐連続殺人事件の犯人そのものであり、キャスターのほうも錯乱して既に聖杯戦争すら眼中にない、狂ったサーヴァントであるという。

 この二人は魔術の秘匿を行わないどころか、就寝中の児童を次々誘拐していき、その被害は増えるばかりで、その所業を改める気もなく、このままでは聖杯戦争の存続自体も危ぶまれるという。

 だから、父と、冬木のセカンドオーナーであり、魔術の師である遠坂時臣は異例の措置を取ることに決めたようだ。

 キャスターを仕留めるための一時的な聖杯戦争の休戦。その教会の指示に従う報酬として、キャスターを討ち取ったものには令呪を一画進呈するというもの。

 教会に使い魔を集め、それを説明する運びとなったが、ここで一つ問題が発生した。

 私だ。

 サーヴァントを失ったとして保護された私だが、アサシンが存命であることがアーチャーによって既に判明してしまっている。これで私という不正がバレてしまったわけだ。当然元よりあまり高くなかった教会の信用度も更に落としたといえるだろう。

 故に父の決定としては、私が今後本当に聖杯戦争から脱落しても保護することはしないし、今回のキャスター討伐を果たしても、私にだけは令呪を配ることはない。という方向で話はまとまった。それでも他の陣営からしてみればその程度の措置では不満もあったのだろうが、そこは監督権限をもつ父の強みで押し切った。

 ふと、そこまでの現状を纏めてみて、この流れに既視感を覚える。

「?」

 その既視感の正体がわからず、私は頭をふってその考えを追い払った。

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 そこに現れたのは、黒髪黒目の、国籍不明な黒衣に身を包んだすっきりした面立ちの美女だった。

 久宇舞弥と名乗り、切嗣の右手なのだと告げた彼女からは、血と硝煙の匂いがする。鋼鉄のような印象の瞳と雰囲気は、目の前の女が歴戦の戦士だと物語っていた。

衛宮切嗣(マスター)は?」

「暫く、奥方(マダム)と二人きりで話したいことがあるとのことです」

 硬質な声で紡がれたその返答に、小さくため息をつく。やはり切嗣に私は信用されていないらしい。参ったな、色々と話したいことがあったというのに。まあ、しかし、夫婦の時間を邪魔するというのも悪いか。アイリの命はこの戦いで失われる。それはほぼ確定しているだろうこと。ならば、邪魔をするほうが野暮というものだ。

 寧ろ、喜ばしいことだろう。切嗣はイリヤの母親である女性をとても大切に思っているということなのだから。夫婦が共にいれる時間は残り少ない。その少ない時間をどうか大切にしてほしい。

 ならば、私に出来ることは影ながら支えることだろう。思いながら立ち上がり、台所があるほうの部屋へ向かい歩き出すと、その硬質な美女は私の行動を見咎め、真面目な声音で尋ねた。

「どこへ」

「夜食を作ろうかと思ってね」

 無表情染みた顔の中、彼女はそれでも不思議そうな色を見せる。

「サーヴァントは、食事を摂らないと聞きましたが」

「無論、マスターや君たちの分だ。今夜は色々あった……が、君たちはまだ食事をとっていないのではないかね? 食事は体の資本だ。疎かにするべきではない。どうせ切嗣(あのひと)のことだ。ファーストフードか携帯食料くらいしか摂っていないのだろう?」

 その私の指摘が当たっていたのだろう、彼女は無表情のまま、目に見えて動揺した。

「それに、腹が減っては戦は出来んという諺もある」

 茶目っ気を出して口元に笑みを浮かべつつ言うと、彼女は、唖然としながらも私の行動を止めようとはしなかった。そのまま、私の後についてくる。

 それは私の行動に興味があるのか、それともただたんに見張りたいだけなのか、そのあたりはどうも判然としないが構わない。

 とりあえず、簡単に腹におさめられるものを、と思って、甘い卵焼きと、色々な具を使用したおにぎりを作ることにした。私自身は甘いものは得意ではないが、疲れている時は糖分に限るというし、切嗣(あのひと)はあれでいて子供のような味覚をしている。それと、女性は大抵甘いものが好きだろう。と、そんな理由で選んだチョイスだった。

 そんな風に調理に取りかかる私を、隣で見学している舞弥は、特に卵焼きに興味を示しているように見えたから、「味見をしてくれないか?」と呼びかけ、一切れ差し出した。無表情のままぱくりと食べているようだったが、同じく黙々と食事を摂り続けるタイプである某腹ペコ王に慣れている私には、彼女が美味しいと思って満足して食べてくれたのだとわかった。

 ちょっと甘くしすぎたかもしれないと自己評価してたんだが……これだけ気に入ってくれたということは、もしかしたら舞弥は案外甘党なのかもしれない。彼女は次々に私が差し出した分の卵焼きを黙々と食べ続ける。

「あら? 二人で何をしているの?」

 がちゃりと音を立てて、ひょこりと扉の向こうから長い銀髪が姿を現す。アイリスフィールだ。どうやら切嗣との話は終わったらしい。

「夜食を作った。彼女に味見をしてもらっていたところだよ。これから差し入れにいこうかと思ってたところだったのだが……マスターと、話は終わったのか?」

 そう尋ねると、アイリは苦笑しながら、とすんと可愛いらしい音を立てて椅子に体を預けた。

「私は終わったけど、今度は舞弥さんと話したいことがあるらしくて、呼んできてと言われたの。差し入れは、今はやめたほうがいいと思うわ」

 折角だから私はいただくけど。そういいながらおにぎりに手をのばすアイリスフィール。それを見ながら、舞弥はきりっと表情を引き締めて「マダム、感謝します」と言い、部屋を出て行った。

 その後姿を見送りながら、複雑な心境になる。私は、マスターの手足となるサーヴァントだというのに、生身の女性である彼女のほうが信頼され、切嗣の手足として動いている。

「貴女は、気にしないでいいわ」

 そんな複雑な心中の私に対して、労わる様な口調でアイリが言うものだから、反論も碌に出来なくなる。

「切嗣は、あの人なりに考えているはずだから。それよりも、私一人で食事ってのも味気ないわ。一緒に同伴してくれる? 食べれないわけじゃないんでしょ」

 可愛らしく上目遣いで微笑まれながらそう言われると、私に否やと言えるだろうか。いや、言えるわけがない。大人しくこくりと首を縦に振ると、彼女は満足したように「よし」と言って朗らかな微笑みを浮かべ言った。

「それにしても、これ美味しいわ。なんていうの?」

「おにぎりという、まあ、日本ではポピュラーな料理だよ」

 その言葉に感心したように頷いてから、優雅な仕草でコップに手を伸ばし、アイリは言った。

「へえ。アーチャーは本当に料理上手ね。ふふ、良いお嫁さんになるわよ? あ、でも駄目ね。こんな良い子をどこかの馬の骨に渡すなんて嫌だわ」

 いや、良い子って……見た目だけなら私は君と同じくらいな見目の上、元男としては良い嫁になるといわれても全然嬉しくないとか、いや、根本はそういうことじゃなくて。

「アイリ、君は私が本当は男なのを忘れているのではないか? それに、私は英霊だぞ。誰かに渡すだの渡さないだの何を言っている」

 その呆れ交じりの私の言葉に、しかしこの美しい貴婦人は想像もしていなかった答えで返した。

「あら、私はアーチャーのこと実の子供も同然だと思ってるのに」

 アイリは美しい声でさらっとそんな言葉を吐く。それに思わず体が硬直した。流すように言ったけれど、彼女の目はどこまでも本気で、自分の発言は冗談ではないと物語っている。

「私のことお母さんって呼んでくれてもいいって以前言ったの、本気だったのよ? それにね、切嗣のことだって、他人行儀にマスターなんて言わず、貴女本来の呼び方で呼んであげて。きっとあの人だって本当は、そのほうが嬉しい筈よ」

「馬鹿を……言うな」

 声が強張る。どんな顔をすればいいのかわからなくて、顔を背けた。

「私は、サーヴァントだ。この聖杯戦争に勝つためだけに召喚された、マスターの道具。そんな私が」

 そんなこと、許されるはずがないだろう、と声になっていない声で私は告げた。

「ごめんなさいね」

 そっと、白い手が私の首の後ろにかかる。アイリスフィールに抱擁されているのだと、一拍遅れて理解する。その仕草や表情はどこかでみた宗教画の聖母のように、慈愛に満ちていた。

「これは私の我侭よ。だけど」

 貴女のそんな顔は見たくないの、そう囁くように、祈るように彼女は言った。

 暫し沈黙が場を支配した。

 それから何分たったのか。彼女はにこりと、いつもの笑顔を浮かべると、「そういえば、貴女」と先ほどの声と切り替えて、別件についての話をし出した。

 そのことに内心ほっとした。

「今日の戦いは吃驚したわ。本当にアーチャーの視力って凄いのね。私何がなんだかわからなかった」

 そんな彼女の言葉に微笑を口の端に浮かべつつ、私はやや得意げに言葉を返す。

「まあ、弓兵は視力がよくなければ務まらんからな」

「でもね」

 そこでアイリは言葉を止めると、むっとした顔になる。そんな仕草が妙に子供っぽくて、イリヤをつい思い出した。

「もうランサーとセイバーに近づいちゃ駄目よ。私、凄く心配したんだから」

 は?

 思わぬことを言われて目を丸くする。

 次いで私はやや不機嫌になりながらアイリに先の言葉の真意を尋ねた。

「……それは私があの二人に負ける、とでもいいたいのかね? だとしたら、今の発言は流石に私でも聞き流せないな。ああ、そうとも。もし本当にそう思っているのだとしたら、君はその認識を改める必要がある」

 この身に敗北はただ一度のみだ。私がこれまで戦ってきた相手は格上ばかりだった。劣勢で戦うのは慣れている。基礎能力とて、私よりも余程あの2人の方が優れていることだろう。それでもいざ戦いとなれば、負ける気など更々ない。十に一つの可能性だろうと、勝利を引き寄せて見せる。

「違うの。そうじゃなくて、貴女を弱いなんて思ってるわけじゃないわ。ただ、ランサーは魅惑の魔術なんてものを使うのよ? 危険だわ。次も同じ目にあうかもしれない。近付くのは絶対反対」

 ああ、そっちの心配か。まあ、あんな状態になったのだ、これは言い訳出来ないな。

「アイリ、大丈夫だ。もう油断などしない」

「そうね。気をつけて。男は狼よ」

 ……だから、オレも男だったんだって。

「男じゃないけど、セイバーもね。凄く危険だわ。だってあの子、貴女を自分のものにしようとしたのよ!? 何をしてくるかわかるものですか。いい、絶対に駄目ですからね!?」

 びし、っと私に指をむけて、そう啖呵を切るアイリスフィールはまるっきり1人の母親の顔をしていた。心配してくれているのは嬉しいのだが、私はこれでも英霊だぞ? そこまで心配しなくても大丈夫だと思うのだがな。とかも思うが、多分ここで口を出すと、彼女の話が長くなりそうなので黙ってこくこくと頷いておく。

 なんというか、今の彼女には勝てる気がしない。母は強し、だ。

 

 それからアイリと色んな話をして時を過ごしていた。そんなとき、一台の車が出て行った音を聞いてぎょっとする。遠ざかっていく気配は衛宮切嗣(マスター)だ。

 色々報告すべきことがあるというのに、私とは全く話もせずに出て行った。思わずそんな動揺を前に、がたん、と音を立てて立ち上がると、それにタイミングを合わせたかのように、切嗣の右腕である女性がノックをして部屋に入室してくる。

「貴女に伝言を預かってきました」

 相変わらず無表情のまま、久宇舞弥はまっすぐに私を見て話を切り出した。其の顔に感慨や何かを思わせる色は一切浮かんでいない。鋼鉄の戦士の瞳。

「マダムと共に待機し、暫く動かないように、だそうです。特に今夜と明日の外出はならないと」

 その言葉に衝撃を受ける。それは事実上、私を不要といっているのと同じではないのか?

「マスターは……」

「私はそれを告げることを許可されてません」

 硝煙の匂いがする女は淡々と言葉を吐く。

「しかし、君はマスターと共に行動するのだろう?」

 私の言葉に普通の人間なら見逃すほど僅か、女が目を見開く。だが、答える気はないようだ。多分何を言っても無駄なのだろう。これはそういう種類の女だ。

「マスターに」

 重い溜息を吐きながら言葉を紡ぐ。

「マスターに伝えてくれ。ランサーの武器は魔力を無効化する能力の『破魔の紅薔薇(ゲイ・ジヤルグ)』と、回復不能の手傷を負わせる『必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)』、真名はケルト神話の英雄、ディルムッド・オディナだ」

 その私の言葉に、アイリと舞弥が目を見開き驚きを露わにした。

「何故それがわかったのですか?」

 舞弥はきりっとした表情と真剣な声でそう詰問する。そういえば、今思い出してみれば、あの倉庫街の戦い、あそこにこの女らしき人間も潜んでいたな。なんてそんなことを思い出しながら、私は彼女が望んでいるだろう答えを、出来るだけ不敵な笑みで持って返した。

「私は私の魔術の関係でね、武器の解析は得意なんだ。まず、間違いが無い」

 その私の言葉に真っ先に反応したのは、質問をした舞弥ではなく、銀の髪の貴婦人だ。

「え、アーチャー、貴女、アーチャーなのに魔術師なの!?」

 と、驚きと共にそう声を上げたアイリであったが、そこまで言ってから何かに気付いたように彼女はぽんと手を打ち、今度は落ち着いた声で言葉を続けた。。

「あ、それはそうか。貴女はあの人に育てられたのだものね。それにパラメーターも魔力の数値が一番高かったし……あれ? でもそれじゃあなんでキャスターのクラスじゃないのかしら?」

 そのアイリの疑問に、思わず苦笑する。何故私がキャスターではなく、アーチャーとして召喚されたのか、か……理由を思えば、赤い少女のへっぽこと自分を罵る声が聞こえてくるようだ。

「残念ながら私は魔術師としては半人前でね。私の魔術は一点に特化しすぎている。そのためだろう。私にキャスターの適性はないよ。あるのはアーチャーの適性のみだ」

 そう、私に魔術師としての才能なんてものはない。あるのはただひとつの異能だけだ。

 いや、話が逸れたか。舞弥は話は終わったと判断したらしい、出て行こうとしている。それに向かって呼び止めた。

「待ちたまえ」

「まだ、何か?」

 私の言葉に対し、こちらの出方を確認するように硬質な黒い目がじっと私を見据える。

「マスターの元に行くのだろう。なら、これを、マスターに届けてくれ」

 そこで私は、もしもの為に用意していたランチボックスを彼女に差し出した。中身は先ほど夜食に用意したおにぎりと卵焼きだ。

「ファーストフードよりは、ずっといいはずだ。……折角作ったんだ、これくらいさせてくれ」

 つい斜め下を向きながらそういうと、彼女、久宇舞弥はその硬質な美貌の口元に、一瞬だけ笑み染みたものを乗せて、「はい」と答えた。それが初めて見た彼女の素の表情だった。

 

 素の表情を見せてくれたことは嬉しい。しかし、こうして窓から舞弥が出て行く様子を見送っても一向にこの気持ちが晴れることはなかった。

 何故なら、サーヴァントはマスターの為にいるものだ。マスターの刃になり、盾になるもの、それが我らサーヴァントという存在なのだ。それが全てではなく、サーヴァントとて自分の意志こそ持ってはいるが、それでも私はそのつもりで切嗣の召喚に応じたつもりだ。なのに必要とされないとは、私は何故ここにいるのだろうか。あの時、冬木に来る前に誓ったのに。

 イリヤに、衛宮切嗣(ちちおや)は私が守り、必ず彼女の元へ返すと誓ったのに。

 でも、アイリスフィールを放ってまで、マスターの命令に逆らうこともまた出来なかった。彼女は今回の聖杯だ。敵に渡すわけにはいかない。

 だから私は、切嗣の言いつけ通り、アイリと共に、このアインツベルンの森の奥にある冬木の出城で、他の闘争に関わることなく数日を過ごした。

 その間、キャスターがセイバーをジャンヌ・ダルクと誤解して襲い掛かっていたことや、ランサーやアサシンもセイバーと共にキャスター相手に戦っていたことも、衛宮切嗣(じいさん)がサーヴァント達の戦いの隙をついて、ランサーのマスターに再起不能の傷を負わせて逃走していたことも、言峰綺礼が切嗣を求めて徘徊していたことも、それら全てを私が知ることはなかった。

 

 

 続く

 

 



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06.夢の接触と、新たな呪い 後編

ばんははろ、EKAWARIです。
今回は‘彼女’回です。
ところでうっかりシリーズ内ではジルと龍ちゃんの扱いがあれですが、俺はあの二人ふつーに大好きだったりします。まあ、なんだ。好きだからって出番が多いとは限らないのさ。


 

 

 side.衛宮切嗣

 

 

 一仕事を終え、アーチャーが作ったという握り飯を口にする。

「…………」

 時間を置いたというのに、それは馬鹿みたいに美味くて泣きそうになる。食べ手のことを考えて作られたそれはあの日の朝飯と同じように、暖かくて、作り手の優しさや人間性が言葉にしなくても伝わってくるようだ。

 英雄なんてものは所詮は殺人者だ。わざわざ崇め奉るような存在じゃない。ただお綺麗なお題目で衆人を惑わして、誰よりも数多くの人間を殺してきた存在、それが英雄なんだから。僕からしてみれば、英雄なんて存在は忌々しいだけだ。

 けれど、あの子、あの白髪褐色肌のサーヴァントを英雄にしてしまったのは他ならぬ僕なのだ。それが重く胸を圧迫するようだった。

 こんなに暖かくて優しいものを作れるあの子を、血塗れの道に引きずり込んだ。

 あの冬の城で、イリヤといた姿を思い出す。

 普通の家族のように、イリヤを優しく諭して、世話を焼きながら見守っていた姿。まるで本当の姉妹のようだった。あれが本当のあの子なんだろう。なら、あれを歪めたのは僕だ。

 きっと僕が子供の頃に夢見た幻想(りそう)を話さなかったら、彼女は英雄(ひとごろし)になどならずに済んだのだろうに。正義の味方の現実を話していたのなら、全ての人から蔑まれ、裏切られ、殺されるなんて結末を迎えることはなかったはずなのに。

 それをした僕は平行世界の別人かもしれない。彼女の養父で、正義の味方という夢を語った僕は厳密には此所で生きている「僕」とは他人だろう。だが、それがどうしたんだ。例えそうだとしてもそいつも、僕も同じ「衛宮切嗣」であることには何も変わらないというのに。

 卵焼きを咀嚼する。甘い卵焼き。彼女の人間性そのもののようだ。そんな自分の想像に、涙ぐみそうになる己を自覚する。

 もし、ここで何もかも投げ捨てて逃げ出せたなら、それはどんなに甘美な誘惑か。

 アイリスフィールと共に逃げ出して、イリヤスフィールも連れ出して、アーチャーもそこに、普通の家族のように……。

 わかっている。色んなものを踏み躙り、代償にして生きてきた自分がそんな選択をするなんて無理だ。

 そもそも、たとえ未来の我が子であろうとも、英霊でサーヴァントであるアーチャーは聖杯が貸し与えた道具に過ぎないのだから。聖杯のバックアップがない限り、魔力で体を構成されているアーチャーはこの世に留まることなんて出来ない。

 この感傷はあまりにもそぐわないものだ。

「…………」

 怖い。怖いんだ。

 聖杯がもし本当に汚染されていたなら、その時僕はどうすればいい? 僕は何を選択すればいい?

 それでも僕はやはり戦うのだろうけれど。

 しかし、その時戦う相手とは誰だ?

 僕のこの手で守れるものはあるのだろうか?

 衛宮切嗣、その魔術の起源は『切断』と『結合』。切って嗣ぐことによって変質をもたらす者。その僕が、一体何を守れるだろうか。殺すことしか出来ないこの僕が。

 それでも僕はやらなければいけない。親の罪を子供に残すわけにはいかないんだ。

 ぎりっと自分の武装概念(きりふだ)である手元のコンテンダーを握り締める。ロード・エルメロイ。あの男はもう魔術師としては終わりだ。今の僕に出来るのは少しでも早く聖杯戦争を終わらせること。そう、それだけ。

 聖杯が汚染されているにせよ、そうでないにせよ、最後には全てがはっきりする。

 かちりと音を立てて僕は煙草に火をつける。先ほどまで口にしていた自らのサーヴァントの心遣いの味を誤魔化すように。

 

 そして数日が過ぎた。キャスターによる誘拐事件は未だ終わらない。

 

 

 

 

 side.遠坂凛

 

 

 その日、隣町に預けられていたわたしは、決意を胸に勢い込んで、自分が育った街に戻ってきた。

 この街は戦場だ。今現在冬木市では、敬愛する父も参加している7人の魔術師による争いが行われている。そんな街によりにもよって1人で夜訪れるだなんて、危険だってことはわかっている。散々言い聞かされてきたし、だからこそお母様と二人で、聖杯戦争期間中は禅城のおうちに預けられたんだってことだって理解している。

 だけど、友達のコトネが戻ってこないことを見過ごすなんてわたしには出来ない。

 今TVを騒がせている冬木市の児童誘拐事件。その原因は聖杯戦争だと自分は知ってる。わたしの他は誰も知らないことをわたしは知っているんだ。なら、原因を知っている自分こそが、巻き込まれた彼女(コトネ)を連れ戻すべきじゃないの? いつだって泣き虫だった彼女を危険から助けるのはわたしの役目だったのだから。そうわたしは思って冬木に帰ってきた。

 コトネ、コトネ。わたしの大切なお友達。いつもわたしに頼りきりで泣き虫で怖がりで、でも優しかったコトネ。きっと今もわたしが迎えにくるのを待って、泣いてるわ。

 だから、ごめんなさいお母様。どんなに危険だとしても、やっぱりわたしは友達のコトネを助けてあげたいの。

 少しの良心の呵責、それに従って書置きだけは残してきた。そうして、今わたしは冬木駅の出口に立っている。

 閑散とした街。今の時刻が夜とはいえ、果たして、この街はこんなに活気がなかっただろうか。

 そんな疑問を振り払い、冬の刺すような冷たさに立ち向かうように、よしと顔を上げて、わたしは探索の為の魔力針の蓋を開く。そしてその結果に思わず眼を見開いた。

「……なにこれ?」

 普段ならぼんやりと揺らぎながら震えているはずの針が、いつもと違ってせわしなくぐるぐると回転していて、薄気味悪くなる。こんなに色んなところに魔力の残滓があるというの?

 でもこのままじゃいけない。立ち止まっていたところで何も変わらないんだから、とそう自分に言い聞かせてわたしは無理矢理歩き出した。けれど、そうして歩き出した先で人影がどんどん減っていくことに、わたしは間もなく気付かされることになる。

 本当にこれはどういうことなんだろう。まるで知らない街を歩いているみたいで、すごく気持ち悪い。ここは本当に見慣れた冬木の街なんだろうか?

(あ、やばっ)

 パトカーの赤い閃光を目にして、咄嗟にわたしは路地裏に隠れた。今ここで見つかったら、保護者をつれていない自分は連れ戻されてしまうことくらいわたしにだってわかる。だけどそれじゃあ困るのよ。

 だってわたしはまだ何も成し遂げていない。連れ戻されたらコトネを探せない。わたしはあの子を探して、連れて帰らなきゃいけないんだから。だからまだ連れ戻されるわけにはいかないんだ。

 やがて、パトカーは遠ざかって、ほっとして息を一つ吐いた。けれどその途端、大きな物音が聞こえて息を飲み込んだ。

 発生源は路地の奥、魔力針もまた、そちらの方向を示したまま、ぴたりと静止している。それに、嫌な予感が胸を締めて、苦しいほどに息がし難い。

「…………」

 何かがいる。それはもう殆ど確信といえた。じっとりと汗が肌に滲む。だってわたしはまだ幼いのかも知れないけど、それでもわたしだって魔術師の端くれだし、お父様の娘で、遠坂の後継者だ。だから、わからないはずがなかった。そこにいたのは魔力だ。異常な魔力を放つ何か、それがわたしを見ている。コトネが消えた元凶かもしれない何か。

 正体を知らなきゃいけない。わたしは責任をもってそれの正体を確かめなきゃ……。

(嫌だ)

 そんな理性をかき消すように、本能的な恐怖が腹の内から湧き上がる。振り向いてはいけないと、あれは決して見てはいけないものなのだと、自分の中の魔術師としての血が騒いでいる。訴えている。

(絶対に嫌だ)

 ピチャピチャと、ナニかが音を立てている。その音の意味を知りたくない。でも、わかってしまった。それだけで理解してしまった。さらわれた子供達の末路が。本能的にわたしはそれを悟ってしまった。そして、自分もこのままではどうなるのかも。

(怖い……怖い、怖い!)

 わかっていて尚、いやわかっているからこそ、恐怖で頭がおかしくなりそうだった。

(やめて、怖いの、知りたくない)

 ごめんなさい、お父様。言いつけを破ってごめんなさい。もうしないから許して。嫌だ、耐えられないの、あれが側にいることも、自分が辿るだろう末路も、もうこれ以上は……恐怖とパニックにとらわれながら、そう思ったその時だった。

「こら、凛、君は一体こんなところで何をしているんだ!?」

 見知らぬ赤い外套の女性が、何故か自分の名前を呼びながら怒鳴っていた。

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 あれから数日たったが、いまだ衛宮切嗣(マスター)とは連絡もまともにかわせていない状況に私はいた。とりあえず、全く何もせずに暇を持て余している現状はいただけない。なので私はアイリに許可をとって、一時間だけ冬木の街の見回りをすることにした。

 ここのところ起きている幼児誘拐事件がキャスターの犯行であることは既にわかっている。それに苦い思いを感じてもいる。本当は今すぐにでもキャスターのような外道は滅ぼしてしまいたい。というのが偽らざる私の本心といえよう。だが、マスターの意向に従うのがサーヴァントというものだ。あまり勝手な行動も出来ない。

 戦闘は行わないという条件の元の見回りではあるが、それでも誘拐される子供達を一人でも多く助けられたなら、目的としては達成だ。牽制くらいにはなるだろう。そう思って高所に立ち、鷹の目で周辺をチェックしていた。私が彼女を見つけたのもその時だった。

 白いシャツに可愛らしい胸元のリボン、真っ赤なスカートに蘇芳色のコート。黒いハイソックスに、ツインテールの黒髪。幼いながらも整った勝ち気な面差し。これだけわかれば間違いようもない。

 あの子は子供の頃の遠坂凛だ。そして、彼女のすぐ傍にはキャスターの手のものの姿があった。

 それらを見た瞬間、既に私の中からは戦闘を行わないというアイリとの制約など消えうせていた。考えるよりも早く矢を一閃させて海魔を消すと、赤い外套を翻しながら彼女のすぐ隣に着地する。

 そして私は呆れと安堵と苛立ちの混ざった声で、幼い遠坂凛を相手に説教を開始した。

「全く、君という人は、今の冬木の街は危険だと親に教えられなかったのかね!?」

 そう叱ると、幼い凛はむぅーっと頬を膨らませて、私をじろじろ見ていたが、私は構わず説教を続ける。

「大体、私が見つけたからいいものの、あのままでは君がどうなったことか……と、聞いているのか? 凛」

「……あんた、誰よ」

(しまった)

 ここで、漸く私は致命的なミスに気付いた。

 そうだ、私が凛の名前を知っているはずがないのだ。彼女と私が出会うのは十年後なのだから。今の私が知っているのはおかしい。

 その証拠に凛は不審者を見るような目で私を見ている。く……! またか、また原因はうっかりスキルか!? 私はだらだらと内心冷や汗をかきながら、「あー……まあ、その、なんだ」と口ごもった。困ったことに、こういうときに限っていい言い訳が思いつかない。

 しかしもしかしたら珍しく其の日私は運に恵まれていたのかも知れなかった。

「ひょっとして、お父様の知り合い?」

 少しだけ訝しげな顔を緩めて凛はそう問うた。思わぬ所から来た助け船だ。どうやら私が聖杯戦争に参加している、彼女の父親の敵サーヴァントであることには気付いていないらしい。

 けれどそれを丁度良いとばかりに、わたしは誤魔化しの文句として使うことにした。アイリから教授された情報くらいでしか知らぬとはいえ、遠坂時臣を私が知っているのは、全くの嘘でもないし。

「まあ、その、似たようなものだ」

「そっか」

 言うと、凛は途端にしおらしく、しゅんとした顔になった。

「心配かけちゃったわね」

「全くだ。君はもう少し自分の立場とか色々と自覚したまえ。そんなことではこちらの心臓がもたんではないか」

 その私の言葉に、凛は私を見上げつつ、むっと不服そうな表情を見せる。

「あんた、お父様の知り合いってことは魔術師なんでしょ」

「む?」

 まあ、魔術師としては最期まで半人前だったが、一応の分類としては間違ってはいないな。

「口調も変だし、魔術師の女なのに髪の毛だって短いし、髪は魔術師(おんな)の命なのよ? あなた、変」

「……凛?」

 いや、そんなこと言われても。

「見た目だけでも女らしくしたらどうなの?」

 ……ついさっき救った相手に、何故私はそんなことを責められなくてはならないのだろう?

「凛、あのな、私は」

「ああ、もう煩い!! あんたなんか髪の毛のばしてちょっとは女らしくしなさーい!!」

 そう幼い凛が叫んだ時だった。それは一体どういう魔法だったというのだろうか。かっと、光が私を包んだのだ。そう、まるで令呪で命令を受けたときのように。

 全ては一瞬のことだった。そう言える。しかし、其の一瞬である一点においては劇的に私は変わってしまった。

 それが晴れたあとも、見た目は私は変わっていなかっただろう。だが、私は自分で自分を解析することによって何が起きたのかを理解することが出来た。だからわかった。

 そう、何故か私は、既に完成された存在であるはずの英霊でありながら、普通の人間のように髪の毛が伸びる体質に変化していたのだ。

 ……いや、なんでさ。

 

 まあ、新たな呪いを受けて、内心泣きたい気持ちになりながらも、一般人になじむようような普通の上着を投影し、不審者に見えないようそれを羽織りながら、駅までの距離を凛と手を繋いで歩く。そうして、あとちょっとで駅につくというところで、凛はそっぽを向きながら「その……」と言い辛そうに口を開いた。

「なにかね?」

「今日はありがとう。その、助かったわ」

 僅かに凛の頬は赤い。先ほど海魔から救われた事に対して礼をいうことが気恥ずかしいらしい。そんな凛を見て、思わず暖かい気持ちになり、笑いながら「どういたしまして。小さなお嬢さん(リトル・レディ)」と返すと、凛は口をもごもごさせながら、「なんていうか、あんた、ひきょう」と更に顔を赤くした。思わず首をかしげる。

 そのとき、品のよさそうな女性が、慌てて車から飛び出し、血相をかえてこちらへと走りよってきた。

「凛!」

「お母様っ」

 ぱっと、顔を上げて凛が母親らしい女性に駆け寄る。目元を除けば凛とよく似た面立ちの品のある女性は、ひっしと娘を抱き上げると、次いで私の存在に気付いたらしく、はっと顔を上げ、強張った表情を私に向けた。

「貴女は……」

 どうやら私がサーヴァントであることに気付いたらしい。ぎゅっと緊張に体を堅くしながら、娘を抱き寄せる。

「遠坂の奥方かね? 私はここで帰らせてもらうが、そうだな。娘の動向にはもう少し気をつけたほうがいい。今この街で何が起こっているか、貴女もよくご存知だろう」

「貴女は……」

 凛の母親の女性は葛藤にかられた顔をしている。おそらく、私に対して投げたい質問が、(りん)の前で出していい話題なのかを測りかねているのだろう。

「大丈夫だ」

 だから私は、安心させるように出来るだけ皮肉じゃない笑みを浮かべながら、それを言った。

「無駄な殺生は苦手でね。それにそんなことは命じられていないし、関係のない人間を巻き込む気もない」

 そんなこと、とは凛に危害を加えるかどうか、ということであることは、頭の良さそうな女性だ、気付いただろう。

「お母様?」

 凛は不思議そうに母親を見上げている。自分の母親の反応が理解出来なかったらしい。そんな彼女を見て思わず苦笑した。どちらにせよ、保護者と再会したのだ。私の役目はここまでだろう。

「凛、達者でな」

 そう声をかけて、彼女達に背を向ける。

「ちょっと、待ちなさい! あんた、名前は!?」

 闊達で気の強いその声に、懐かしさを覚え、思わずふっと笑みがこぼれた。そこにいるのはいつかの師匠と己のマスターだった少女に至るかもしれない、今は何も知らないあどけない子供の姿だ。けれど、その存在の鮮やかさだけはどれほど幼くなろうと変わらない。愛おしく懐かしいいつかの御主人様。

「……また会えたら、その時にな」

 次なんてない。なのに約束してしまったのは何故だろうか。まだアカイアクマと呼ばれていない彼女は、私の返事を前に、無邪気に手をふって私を見送った。

 これを嬉しいと思ってしまったのは何故だろう。

 夜は明けない。今はただ、居住のアインツベルンの城を目指して、私は夜闇を駆け抜けた。

 

 

 

 NEXT?

 

 

 

 



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閑話・イリヤ

ばんははろ、EKAWARIです。
今回の話は閑話というわけで冬の城に取り残されたイリヤの話です。
好きなキャラではイリヤより好きなキャラも沢山いるのですが、イリヤはアーチャーとツートップで自分の中では救われて欲しい域のキャラというか、幸福であって欲しいと思ってしまうキャラなので、アニメUBWと原作桜ルートは堪えたなあ。


 

 

 

 ふわふわと、雪が舞い降りる中、わたしはじぃっと空を見上げた。

 ここからずっと遠く、ニホンという国にお母様とキリツグがいる。

 はぁ、と息を吐き出す。それが白い輪になってふわふわと舞う。

 寒いのは嫌いだ。でも、雪のように自分の髪は綺麗だと、母譲りの銀髪をいつもキリツグが褒めてくれるから雪は好き。

「まだかなあ……」

 母と父とその従者が旅立ってまだ一週間も経っていない。

 だけど、初めての独りは想像していたよりもずっと長く感じてちょっと苦しい。

 大おじいさまや、他のホムンクルス達もここにはいるけれど、それでも彼らはわたしの『家族』じゃないもの。

 出発する前、お母様はこれからずっとイリヤの傍にいるんだっていってた。でも、だけど肉体を失ったお母様はもうわたしを抱いてくれるわけでもないし、頭を撫でてくれるわけでもない、それが少し寂しくて哀しい。口にしたら困らせるから言わないけど。

 そこで、ふと、自分の頭を優しく撫でる褐色の手の感触を思い出す。

 アーチャー。

 キリツグが呼び出したサーヴァント。

 初めて会ったのに、何故か懐かしくて、ずっと前から知っているようなそんな気がする不思議な人。

 自分の白銀の髪よりも白い、真っ白な髪に、鋼鉄みたいな色をしているのに優しく穏やかな瞳。傍にいるのは凄く心地よくて、一緒にいたのはたった数日だったけど、もっと昔から一緒にいたみたいな気がしていた。

 アーチャーは優しい。優しい人は好き。わたしがねだると色んな不思議なお話を聞かせてくれて、おいしいお料理とホットミルクを作ってくれるアーチャー。穏やかで優しい目でわたしを見るのに、時々哀しそうな顔をするのがくやしくて、そういう時はわざとわがままに振る舞ってアーチャーを連れまわした。そうしたら、アーチャーは仕方ないなって顔をして、それでも嬉しそうに笑うからわたしもうれしくなって、二人で笑った。それを後ろから見守るお母様の視線が居心地良かった。

 アーチャーは不思議な人。大人の女性なのに凄くあどけなくて、時々わたしより子供みたいに見える。

 ……というよりも、なんだろう? 知らないはずの男の子の姿に形がかぶる。彼女を見ていると、赤い髪の少年の姿を時々幻視する。それはアーチャーに対するよくわからないものの一つだ。

 あと、もうひとつよくわからない事もあるのだけど、アーチャーはキリツグとどこか似ている。性格とか見た目とかそういうのは全然似てないと思うのに、不思議。なんでだろう。お母様もアーチャーとキリツグは似ていると感じているみたいだから気のせいじゃないと思う。

 だからかな。アーチャーは本当の家族みたい。

 ううん、本当の家族だと思ってる。アーチャーもそう思ってくれてたら嬉しいな。

 

「…………」

 そっと、アーチャーとお別れしたときのことを思い出す。

 アーチャーは言った。わたしの名前に誓うと。

『サーヴァント、アーチャーの名において誓う。約束しよう。イリヤ、君の父親は必ず君の元へ帰す』

 それはまるで神聖な儀式のようだった。

 アーチャーはまるで御伽噺の騎士のように、わたしに膝を折り、頭を垂れて、わたしの右手にそっと口付けながら、まるで詠うように、厳かに、硬質な声音で誓いの言葉を放った。悲痛なまでの決意を宿した口上。

 アーチャーがキリツグを守ってわたしの元に帰すって言ってくれていることは嬉しい。だけど、そこに『アーチャー』のことは入ってなくて、それがたまらなく不愉快で、腹が立って、すごく悔しかった。

『アーチャーも戻ってきなさい』

 だからわたしはその感情を隠そうともせずに口にした。そうしたらアーチャーったら、すごく吃驚した顔で目を見開くんだもの、失礼しちゃう。思わず怒りたくなったけど、その後アーチャーは、あんまりにも嬉しそうな顔で、今にも泣きそうな笑顔で微笑むものだから、わたしはその怒りも忘れて彼女に見惚れた。

『そうだな。イリヤ。……いってきます』

 いってきます。それはまた帰ってくるということ。彼女が帰る場所はわたしのところなんだ。そう思うと今までの怒りとかどうでもよくなって、わたしもえがおで手を振って見送った。

『うん、行ってらっしゃい』

 

「早く帰ってこないかなあ」

 キリツグは二週間くらいで帰ってくるって言ってた。独りでまつ二週間は長い。それでも、キリツグも、アーチャーも、わたしの元へ帰ってくるって、そう約束したから、わたしはずっといい子で二人をまつんだ。

 帰ってきたら何をしようか?

 やっぱり最初は怒ってもいいかな。「レディをこれだけ待たせたんだから、その罪は重くてよ?」とお母様の真似をして、指でびしっと二人をさしながら言ったらどんな顔をするだろう。

 そして、いっぱいお話しよう。

 キリツグとはまたクルミの冬芽探しで勝負をして、二人して体を冷やして城に戻ったところで、あったかいアーチャーのホットミルクを飲むの。

 やりたいことはたくさんある。

 いろんなことをしたいな。

 そうして家族みんなで笑って過ごすの。

 それはきっと、すごくあたたかい。

「早く帰ってきてね」

 寒いのは嫌い、なんだから。

 

 

 遠い、遠い、異国の空の下にいる両親と、紅い外套の女騎士を想って、イリヤスフィールは空をただじっと見つめていた。

 

 

 了

 

 



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07.脱落の夜 前編

ばんははろ、EKAWARIです。
今回の話は元々の加筆修正前版のほうでは前後編2話で収まった話だったのですが、加筆修正しまくった結果何故か前中後編3部作に膨れあがった罠。
内容は同じなのに不思議!


 

 

 今でも悔やまれる。

 俺は今生の主に勝利を捧げると誓ったのに、あのような海魔に阻まれて、主の危機にも間に合わなかった。

 駆けつけた時には、主は血塗れで、一刻を争う状態で倒れていた。

 主君の婚約者が自分に好意を抱いていることは知っていた。それが俺の魅了(チヤーム)の呪いによるものだろうことも。

 だから、主を代行すると聞いた時も俺は渋った。

 それでも主と誓った人の体を治すためには聖杯が必要で、他意はないと、彼の伴侶としての決定なのだと彼女がいうから、己の意思を曲げ、それを受け入れたのに。

 なのに、何故。

 何故俺は、たった一つの祈りさえ成就させることは叶わない?

 ただ、俺は騎士として生きて死にたかっただけなのに。

 ……結末はいつだって変わらない。

 

 

 

  脱落の夜

 

 

 

 

 side.アイリスフィール

 

 

 冬木に用意されたアインツベルンの城で、私はアーチャーが入れてくれた紅茶の味と香りを楽しむ。

 ゴールデンルールを知っているものだけが入れられるその味と香りは、その素材を余すところなく最大まで引き出しており、これ以上はないというほどの極上のハーモニーを奏でている。

 給仕するアーチャーはといえば、私から三歩下がって、茶器と茶菓子を置いたトレーを片手に立っていた。

 どうやらアーチャーは自分がティータイムを楽しむよりも、私が楽しむ姿を見るほうが好きらしい。そうやって給仕に徹している彼女はまるで本物の執事みたいだ。

「今日はスコーンを焼いてみた。こっちのクロステッドクリームとレモンジャムをつけながら食べてみてくれ」

 そんな風に甲斐甲斐しくする姿は微笑ましくて、可愛らしいなと思う。給仕をしている時のアーチャーはなんだかどことなく楽しそうで、私も嬉しい。

「……と、どうした? 何か言いたいことがあるように見えるが」

 と、いつの間にか知らずアーチャーを眺めていたらしい。彼女は心配そうに私の顔を覗き込んでいた。もしかしたら自分に何か落ち度があったんじゃないかと、そんなことを思ったのかも知れない。

「ちょっとね」

 だから、心配することはないと、なんでもないというニュアンスで告げるけれど、彼女はそうは思わなかったのだろう。眉をきゅっと寄せながら、生真面目な顔でアーチャーはこう言った。

「アイリ、私でよければ話を聞くくらいは出来る。それに言ってくれなければわからないこともある。私は何か君に粗相をしてしまったか?」

「ううん、そういうのじゃないの」

 私は口元に手を当てながら苦笑する。この子は口調は皮肉気なのに、心配性なところがちょっとおかしくて可愛い。そういうところ、少し切嗣に似ているのかも知れない。流石あの人と親子なだけあるわと、そんな風に感心する気持ちを持て余しながら、けれど私は別の憂慮点についてポロリと零していた。

「ただね。聖杯戦争の只中なのに、こんなに平和でいいのかしらって、ね」

「アイリ……」

 アーチャーはきゅっと、眉間に皺を寄せて俯く。

「わかってる。平和と感じているのは私だけ。キャスターによる被害者はどんどん増えているし、私が見ていないところでも戦いは起こっている。貴女が今日遅かったのだって、誰かを救うために行動した結果なんでしょ?」

 言いながら、彼女の顔を見つめると、アーチャーは、はぁと大きなため息を一つついて言った。

「確かにその側面はあるだろうがね、本来私が命じられているのは君の傍にいて君を守ることだけだ。誰かを救えなど言われていない。君に我侭を言って街まで行って来たのはあくまで私のエゴだ。そして、いかなる理由があろうと、私が約束の時間に遅れたのも事実。この場合君が行うべき行動は、勝手な私の行動を叱責することだと思うんだがね」

 そこまで一息にいって、アーチャーは再び重いため息を吐き出し、困ったような顔をして私を見た。

「何故遅れたことを追求されなかったのかと思っていたが……アイリ、君は前から思っていたことだが、私を過大評価しすぎているぞ。私は君が思うほど大した人間じゃない」

 そうやって自分には価値がないのだと、己を卑下する瞳で言い切るアーチャーのその顔が、その声が、本気でそう思っているのだと物語っていたから、私は思わず我慢できなくなって、勢いだけでそこから立ち上がった。

「そんなこと……」

 そんなことない。自分でそんな風に卑下しないでと言おうとしたそのときだった。

 耳を劈く轟音が夜のしじまを切り裂き、そのダメージはそのまま自分の体の中の魔術回路へとのしかかり私を圧迫する。

 全身に染み渡るような魔術回路への負担と軋みからきた眩暈に、私は自分の体を支えることも叶わず倒れかけ、即座にかけつけたアーチャーによって、崩れ落ちる前に支えられた。

 轟音の正体は雷鳴で、そこから侵入者の正体も芋蔓式に判明する。こんな真似をする相手なんて1人しかいない。敵サーヴァント(ライダー)だ。この結界の術者であるからこそ私には分かる。彼が結界を力業で壊し入ってきたのだと。

 今まで戦場となることがなかったから森の結界は万全な状態で、生半可な術では壊せないように出来ていたし、この術が強力なものだという自信も私にはあった。それにも関わらず術式の半分以上が強引に無理矢理破壊され、その上ライダーの気配は自分達のほうへと真っ直ぐに向かってきている。そのやり口に思わず驚く。

「なんてこと……正面突破ってわけ?」

「十中八九ライダーの仕業だろうな。ところで、立てるかね?」

 やっぱりアーチャーも犯人がライダーだってわかったのね。サーヴァント同士には相手を知覚する能力があるから当たり前と言えば当たり前だけど、この状態で1人でないことがとても心強く、それだけで不安など吹き飛んでしまいそうだった。

 それに冷静を装って声をかけているようだけど、アーチャーの声には真摯な心配の色も見えたから、私は安心させるように彼女に笑ってみせた。

「ええ。ちょっと不意を討たれただけ。まさか、ここまで無茶なお客様をもてなすとは思ってなかったから」

「全くだ。これ以上破壊されてもかなわん。私が行こう。アイリ、君はここで待機していたまえ。あの豪気な男のことだ。私が前に出れば君にまで手を出すことはないだろうよ……アイリ?」

 瞬時に武装し、颯爽と背中を向けて去ろうとするアーチャーを、その赤い外套を掴むことで押しとどめる。

「まって。私も行きます」

「しかし……」

 困ったように眉根を寄せるアーチャーだったが、意地でも引かないと目で訴える私を前に思案し、思いなおしたのだろう。ため息をひとつつくと、私を横抱きに抱き上げて、玄関へと駆け抜けた。

 そして正面玄関前のホール、階段の上で立ち止まると、威嚇射撃のためだろう、黒い弓を取り出す。けれど、アーチャーが矢を放つより僅かに早く、征服王の大音声が城中へと鳴り響いた。

「おぉい、アーチャー。わざわざ出向いてやったぞぉ。さっさと顔を出さぬか、あん?」

 その声は想像に反してというべきか、むしろ想像通りだったというべきなのか、戦意の欠片も無い非常に暢気な口調で、アーチャーは頭が痛そうな顔をしてこめかみに手をあてると、気を取り直したのだろう、弓を消して玄関へとそのまま向かった。

「そんな大声で言わなくても聞こえている。それに生憎、こんな乱暴な客人を迎えることになろうとは思ってもみなかったものでね。全く、君はマナーというものがなっていないな? アポイントメントも取らない招かざる客には、早々にお引取り願いたいものだ」

「がっはっは。おぬしも中々言うのぉ」

 豪快に笑うライダーは、アーチャーの言葉に気を悪くするでもなく、寧ろ気に入ったとばかりにカラカラと笑っている。その姿はとても戦いにきたようには見えない。

 そして私は、月明かりの下で胸を張って立っているそのサーヴァントの姿を正面から捉えて、その思わぬ姿に、困惑と苦い気持ちを覚えた。

 今現在のライダーの格好は、サーヴァントとしての戦装束などではなく、ウォッシュジーンズによくわからないデザインのTシャツ一枚という現代人の真似をしたかのような格好で、とてもじゃないけれど、征服王としての威厳も英霊としての霊威も感じさせないラフ過ぎる程にラフな格好だったから、一体何をしに彼が現れたのか余計にわからなくて内心私は動揺する。

「それにしても、城を構えてると聞いて来てみたが……何ともシケた所だのぉ、ん? こう庭木が多くっちゃ出入りに不自由であろうに。城門に着くまでに迷子になりかかったんでな。余が伐採しておいたから有り難く思うがいい。かな~り見晴らしがよくなってるぞ」

 良いことをしたとばかりの笑顔で、とんでもないことを宣言するライダー。それに負けじと、アーチャーもまた営業スマイルでもって、皮肉を返す。

「そうか。かの名高き大王に庭師の真似事をさせてしまったとは、これは畏れ多すぎて涙が出てくるな。ところで君は有り難迷惑という言葉を知っているか?」

「むほォ、そんなに褒めんでもいいわい。あまり持ち上げられるとなんちゅうか、こう痒くなるってもんだ」

「参ったな、褒めたように聞こえたのか」

 ……ええと、とりあえず、戦闘にきたわけじゃなさそうだけど、私はどう対応すればいいのかしら。

「それより、おいこらアーチャー、今夜は当世風の格好(ファッション)はしとらんのか。何だ、のっけからその無粋な戦支度は?」

「……帰ってもらってかまわんかね?」

「ほう? 客人も持て成さずにつき返すとな? そんなことではおぬしの器量も知れるぞ。こちとら手土産もほれ、この通りもってきたというのに」

 そう言ってライダーが存在を強調したのは、オーク製のワイン樽だった。……何しに現れたのかしら、この人。

 ……私の認識が間違っていないなら、今って聖杯戦争のまっただ中じゃなかったかしら? 変わったサーヴァントだとは思っていたけど、これほどだとは思っていなかった。何故この敵サーヴァントは当たり前の顔をして、酒樽を抱えて敵陣(ここ)まで来たの。

 そんな風に思うのは私だけじゃなかったということだろう。アーチャーは引き攣った笑みを浮かべながら、声音だけは余裕そうに目前の大男にこう問うた。

「君はまさかとは思うが、酒宴にきたというのではあるまいな?」

「そのまさかよ! なんだ、おぬしちゃんとわかっておるではないか。なら話は早い。ほれ、そんな所に突っ立ってないで案内せい。どこぞ宴に誂え向きの庭園でもないのか?」

 アーチャーは、はぁと大きく重いため息を一つつくと、静かな声で言った。

「……こっちだ」

「アーチャー?」

 それに慌ててアーチャーに近づくと、彼女は苦笑して、小声でこんなことを言う。

「この手の輩には何を言ったところで無駄だ。どうも戦いにきたわけではないらしいし、この正々堂々とした男が不意打ちをするとも思えない。ここは適当に付き合って、早々にお帰り願おう」

 そう口にするアーチャーは、妙に手馴れている雰囲気も合いまり、どことなく熟練の執事を思わせた。

「罠、とか……そういうタイプじゃないものね、彼」

 知り合ってそれほど時が立っていないし、敵サーヴァントだけど、そういう面においては信頼がおける、そう思わせるだけのものがライダーにはあった。人はそれをカリスマと呼ぶのかもしれない。

「それに……だ」

 そこでアーチャーはくっと、唇の端を吊り上げて、獲物を前にした鷹のように、すっと目を細めながら笑い言う。

「上手くいくと、何もせずとも勝手に情報を吐き出してくれるかもしれん。何、せいぜい利用させてもらうさ」

 冷静で機械的なその顔と、その雰囲気に、外見は全く似ていない筈なのに、私は9年前の出会ったばかりの頃の切嗣(おっと)の姿をダブらせて……。

「アーチ……」

「おーい、何をしとるか。置いてゆくぞ?」

 言いかけた声は、こちらの思惑など欠片も気にしていないだろう征服王の単純明瞭な声にかき消された。

「今行く」

 アーチャーは後ろを振り向くでもなく、乾いた機械のような声でそう答える。私が話しかけるタイミングは失われた。だからそうして一度は言おうと思った続きの言葉を言うでもなく、二人で、豪快でひたすらに巨大な騎乗兵の英霊のあとを追った。

 

 

 

 side.ライダー

 

 

「美味い!!」

 口に入れた瞬間、頬がほころび自然と満面の笑みとなる。目の前に並んだ料理は地味な見た目に反しそれほどの逸品だった。故にその心のままに、余は目の前の料理の作り手に対して、偽らざる本心での感想を漏らす。

「それは何よりだ。私のようなものの手料理が、かの高名な征服王の口に合うのかと思ったものだが、いやはやその心配は杞憂だったようだな」

 そう答えるアーチャーは、初めて会ったときの現代服に身を包んで、からかうような口調で給仕に身をやつしておった。その仕草は手馴れていて、それらが一朝一夕で身についたものじゃないことは、精練された身のこなしからも明白な事実だったと言えよう。

「むむ、これほどの逸品を手がけておいてよく言うわい」

 食事を進めながらも余がそう告げると、アーチャーは苦笑しながらも、追加のつまみでも作ってこようといって立ち上がった。その顔は満更でもなく、本人も口ほど今の状況を悪く思ってはいなさそうだ。全く素直じゃないやつだのぉ。

 アーチャーは最初から余の思っておった通り、相当にお人よしな人間であるらしかった。

『いささか珍妙な形だが、これがこの国の由緒正しい酒器だそうだ』と、余が竹の柄杓を取り出すと『ライダー、君のその知識は正しくない。由緒正しい酒器とはこういうものを言う』というなり、どこからともなく黒く艶やかな杯を人数分用意したり、『酒にはつまみがいるだろう』と口にするやいなや、見たことの無い料理を次々と運んできたり、これで人が良くない筈が無い。

 おまけに、アーチャーの手料理だというそれらの品々は、驚くほど美味しく、それらを口にするだけで、この白髪褐色肌の女サーヴァントの人間性が伝わってくるというものだ。

 スタイルもいいし、美女とまでは言わんが顔も悪くない。その上料理上手で、甲斐甲斐しく世話焼きで接待も上手い。ここまで良い女の条件が揃っといて、こやつが戦で名を上げた英霊ちゅうのも不思議なもんだ。着飾らない衣装と、可愛げのない喋り口調が正直勿体無い。これで愛想が良ければ落ちぬ男もそうおらんだろうに。

「……なにかね? そうじろじろ見られるのはあまり気分のいいものではないのだが」

 アーチャーは余の視線に気づいたのだろう、怪訝気な表情で、素っ気なくそんなことをいう。

「おぬし、その喋り方、もう少しなんとかならんのか?」

「は?」

「折角可愛い顔をしておるというのに、勿体無いぞ」

 言うと、あからさまにアーチャーの体が固まった。ついで、とてつもなく重たいため息をひとつ吐くと、この白髪の女サーヴァントは、頭が痛いといわんばかりにこめかみのあたりを手で押さえながら、不機嫌そうな声でこんなことを言う。

「……私がどんな喋り方をしていようと、君には関係なかろう。あと可愛いとはなんだ、可愛いとは」

「何を言うか。勿体無い。そもそも」

「ええい! そこまでにせよ!!」

 そんなまるで自分の価値に対して無理解な女に対し、まだも言い募ろうとした時、余の声は第三者の声にはばまられた。声高に告げられた可愛らしい少女の声に、どうやら街のほうで声をかけた件の人物が到着したらしいと悟る。

「な、セイバー?」

 セイバーと呼ばれるその少女は、怒りに眦をつり上げ、仁王立ちで我らを見ながらこんな言葉を言う。

「ライダー、貴様勝手に余のアーチャーを口説くでないわ!! アーチャー、無事であったか? このような巨大漢の相手などせずともよいぞ。ふふ、ここのところ気色の悪い、芸術性の欠片も無いキチガイの相手ばかりしておったからの。うむ、そなたにまた会えて余は嬉しいぞ!」

 言いながら最後、金髪に赤いドレスを身に着けた少女はアーチャーに向かって突進していった。その顔は全身で喜びを露わにしており、今にも飛び掛らんばかりの形相だ。

 それを受けて、アーチャーは、おっかな吃驚しながら、二、三歩後ろに下がった。が、根がお人好しであるからか、拒絶しきれなかったせいだろう。戸惑いつつも、自分の胸に飛び込んできた少女を避けそこない、セイバーを受け止めて言う。

「いつ私が君のものになったのか、聞いてもいいかね?」

 今にも押し倒されんばかりの現状を、足に力をこめて踏みとどまったアーチャーは、汗を一筋流しながら、困ったような、苦虫を噛んだような顔で件の犯人に問いかける。それに対しセイバーは悪びれることもなく、元気で闊達な声と調子で言葉を返す。

「無論、余がそう決めたからに決まっておろう! 全く、それにしても余がまだ来てもおらなんだのに宴を始めるとは、ひどいではないか。それとも、そなた、余の仕置きが望みか? それなら邪魔者がいなくなったあと、存分にかわいがってやるゆえ、感謝せよ」

「ライダー」

 じろりと、アーチャーが不審げな目で余を見る。どういうことだ、説明しろとその目は雄弁に語っており、余はボリボリと頭の後ろのほうを掻きながら答える。

「いや、な。街の方でこいつの姿を見かけたんで、誘うだけは誘っておいたのさ。遅かったではないか、セイバー。まぁ余と違って歩行(かち)なのだから無理もないか」

「ふん、そう思うのなら余もそなたの戦車に乗せれば良かったのだ。言い捨てるだけ言い捨てていったのはそなたのほうであろう?」

 セイバーはアーチャーに抱きついた姿勢のまま、余のほうを振り向いて眦を吊り上げながら言う。見目麗しい金髪緑眼の美少女が、白髪褐色肌の肉質的な美女(と断言するには、多少贔屓目がある気もするが)にしな垂れかかっている絵図は美しくはあるが、主に赤いドレスの少女の雰囲気が原因で妖しさをも醸し出している。

 花が二人、その絵をこうして観賞しておるのも悪くはないんだが、余がのけ者にされているというのは正直面白くない話だぁな。

「まぁ固いことを言うでない。ほれ、駆けつけ一杯」

 そういって杯になみなみと満たしたワインを渡すと、セイバーは見た目の幼さにそぐわぬ豪胆さでその杯の中身を飲み干した。

「ふむ。悪くはないが、よくもない」

 ありゃ。案外厳しい評価だの。ここらの市場で仕入れた中ではこのワインは中々の一品なのだがなぁ。

 アーチャーはもうセイバーの件は諦めたのか、それとも気を取り直したのか、再び給仕に徹しようとしている。

「つまみでも食べるかね?」

「おお、気がきくではないか」

 いいながらセイバーは、おそらくこの国の料理であろう、見たことのない品々に興味津々に手を伸ばす。

 そしてパクリと、最初の一品を口の中に放り込んだ途端、金紗髪の少女は、その美しき緑眼を見開いて驚きを顕わにした。

「む、こ、これは。アーチャー、今すぐこれを作った者を呼んで参れっ!」

 興奮の体で声を上げる赤いドレスの少女、それを前に白髪の女はむっすりとした表情で口を開く。

「これを作ったのは私だ。……なんだ。君の口には合わなかったか?」

「なんと! そなたがこれを!?」

 セイバーは心底驚いたとばかりに目を見開く。それに、アーチャーは益々不機嫌そうな……というより、ありゃあ拗ねとるのか? そんな顔をして「私が料理を作っては悪いのか」などとぶつくさ言っている。

「いや、悪くなどない! 寧ろ、いい。余は皇帝ゆえ、色んな珍味をも食してきたが、これほどの美味なる料理など初めてよ。これほどのものを作れるとはさぞや高名な料理人かと思うたのだが、よもやそなたの手料理であったとは。感動した。余は嬉しいぞ」

 いいながら本当に満悦な笑みを浮かべ、ニコニコ笑いながら食事を始めた赤いドレスの少女を前にして、アーチャーも機嫌を直したらしい。「お褒めに預かり光栄だ」といいながら、セイバーの杯にワインを注いだ。

 なんというか、アーチャーはどうも素直でないわりにわかりやすいな。あー、なんだ。どこぞで読んだ雑誌にのっておったの。こういうのを確か「つんでれ」というのだったか?

 むぅ……その料理上手なところといい、接待上手なところといい、弁が立つところといい、戦力とか抜きにしてもほしい人材だの。よし、そうと決まれば声をかけるか。余は征服王ゆえな。欲しいと思えばそれに従うが我が王道であるが、やはりまずはストレートに勧誘と洒落込むか?

「アーチャーよ、ものは相談なんじゃが、おぬし、余のメイドにならんか?」

「たわけ」

 しかし余の心を込めた勧誘台詞は、無情な女の一言で切って捨てられた。

「待遇は応相談だぞ?」

「興味がないな」

 それはつけいる隙がないほどの即答だった。

 むむ、こやつ中々に手強いな。

 そんな余とアーチャーのやりとりを見て、自分がのけ者にされたように感じたのだろう、セイバーはアーチャーの腕を右手で引っ張りながら、牽制するように、勢いよく余に向かって吠え出す。

「ライダー! アーチャーは余の花嫁になることが決定しておる!! 余のものに手を出すのならば許さぬぞ」

「私にそんな予定はない」

「いや、そもそも女同士じゃ結婚出来んのではないか?」

 その余のツッコミは全力でスルーされた。そもそも当然のツッコミだろうに、2人そろって無視しなくてもよいのではないか? むむ、世知辛いのぉ。

 だが話題を変えるには丁度良いタイミングだったのかもしれぬ。

「さて、戯れはこの辺りにしておいて、そろそろ本題にでも入るとでもしようか?」

 そう余が口にすると、一斉に弓兵(アーチャー)剣使い(セイバー)たるサーヴァント2人は余へと意識を傾けた。

「冬木の聖杯は万能の願望器と聞くが、さて、おぬしらは聖杯に何を望む?」

 

 

 

 続く

 

 



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07.脱落の夜 中編

ばんははろ、EKAWARIです。
ところでお気づきかもしれませんが、衛宮親子は互いに互いの事を美化してて見ており、互いの『実像』とは向き合っていないように書いていますが、それは仕様です。
つか、結局、正義の味方を呪いと言い自分殺しを望んだアーチャーですけど、憎めるのは自分自身だけで切嗣のことは恨んじゃいねえだろうし、切嗣を恨めるような人間ならああはならなかったわけで、また切嗣もなんだかんだで情深いから、アーチャーの正体のこと最初っからわかっていたらそれはそれで普通には接っせないだろうわけで、だからどうあっても互いの事を美化して実像から目を外すのは避けられないと思うんだな。


 

 

 

 side.遠坂時臣

 

 

「よりにもよって、酒盛りとはな……」

 独り、自宅の地下工房に座したまま、私はライダーの奇行に幾度目かわからぬため息を吐いた。

『セイバーを放置しておいて構わぬのでしょうか』

 通信機ごしに弟子の綺礼のやや硬い声が聞こえ、「仕方あるまい」と苦み走った声で私は返事を返す。

「あのセイバーに何を言ったところで無駄だろうからな……」

 セイバーが私の言うことを聞かず、好き放題奔放に振る舞うのなど今更だ。正直に言えば彼女といるのは疲れるし、放っておいても簡単に討たれるサーヴァントではないので、基本的に好きにさせている。今回の件も元を正せば、それが原因で起きたようなものだ。

 おまけに彼女の真名が故に、いくら味方とはいえ、もう1人の父にも等しき言峰神父にさえ彼女の正体を告げることは出来ない。つまりローマ帝国縁の聖遺物からあの人物が召喚されてしまった時点で、相談しようにもあのサーヴァントのことでは誰にも相談を持ちかける事は出来ないのだ。

 何故なら暴君ネロとは、キリスト教徒にとっては悪魔にも等しき存在であるのだから。

 ……もっとも、あのセイバーがそのことを認識しているかと聞かれれば怪しいとしか言えないのだが。

 まあ、起きてしまったことはしょうがない。元々は目当ての英霊の聖遺物を消失してしまった私が悪かったのだから、それぐらいのデメリットは甘んじて受けよう。それより大事なのは如何に失態を取り返し、やるべきことを為せるかということだ。一見無意味で不利でさえあるあのように見えるこんな状況でも、こっちのメリットとてないわけではないのだから。

 そうそのメリットとは、ライダーがアインツベルンの森の結界を破壊してくれたおかげで、労せず、気配遮断のスキルを保ったまま、アサシンが城の内部まで侵入できるようになったということが、一つとしてあげられた。

 そしてあの場にはなんとしても調べたいと思っていた対象が皆揃っている。

 まず、此度のライダーであるイスカンダルと、そのマスターのウェイバー・ベルベット。未だ他のサーヴァントとも交戦せず手の内がしれない不気味な存在だ。

 征服王イスカンダルといえば、その真名の有名さから考えても破格の英霊といえるだろう。もしも奴に『神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)』を上回る宝具があったりしたら厄介だ。

 そして、アーチャー。気配遮断を用いて誰にも気付かれなかったはずのアサシンの存在に気付き、あまつさえ他のサーヴァントの眼前でその姿を射抜き、アサシンが存命であることを周囲に知らしめた忌まわしい存在。能力値はさほど高くないが、この白髪褐色肌の女サーヴァントも、ライダー同様に交戦らしい交戦をしてはおらず、わかっているのは正確な射撃能力をもっているということと、剣らしき矢を使ったということくらいか。

 おまけに、ここのところはずっとアインツベルンの城に閉じこもったままだから、余計に実際はどんな能力の持ち主か伺えない。なのに、頭が痛いことに、自身のサーヴァントであるセイバーは、アーチャーを自分のものにすると息巻いているのだから始末に終えなかった。

「……この辺りでひとつ、仕掛けてみる手もあるかもな。綺礼」

『成る程。異存はありません』

 他のサーヴァントに対する情報収集は終わった。なら、ここでアサシンを使い潰しても大きな問題はないだろう。

『すべてのアサシンを現地に集合させるのに、おそらく十分ばかりかかるかと思われますが』

「良し。号令を発したまえ。大博打ではあるが、幸いにして我々が失うものはない」

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 ライダー主催の酒宴は緊張感を孕みながら進んでいった。それを私は他人事のようにこうして見ている。

 大王と皇帝による王道問答、それがどうもこの宴の最大の目的だったらしい。全く、王どころか騎士ですらない私には関わりのない話題だといえる。

 正直余所でやってくれとしか言えないのだが、そこを突っ込めば更に面倒なことになりそうな予感がしているのでそこまで口を出す気はない。どうせこの男の事だ、多分「城があると聞いたから来た」という返答も充分有り得ることだろう。それとも客観的な立場で見てくれる第三者が欲しかっただけか。

 まあ、そんな思惑はどうでもいい。

 セイバーとライダーがなにやら言い合っているが、興味はない。そもそも私のようなものが口を出すような問題でもなかろうよ。二人の言葉は平行線を描いて進んでいく。

「アイリ、疲れたなら君は下がっていたほうがいい」

 私は、英霊同士の会話に口を挟む隙もなく、また口を挟むの躊躇していたのだろう、アイリと、イスカンダルのマスターである少年の前にそっと紅茶を置く。

「ええ、ありがとう、でも大丈夫よ、心配しないで」

 アイリスフィールは気丈にそう言うが、神経をぴりぴりさせており、とくにセイバーを警戒しているのが丸わかりだ。無理をしていないといいのだが、無理をしていたとしても私が言ったところで聞いてくれたりはしないだろう。その己の推測に、ため息をひとつつく。

「なら、いいんだがね。それと、君はウェイバー君だったかな? 毒は入っていないから安心して飲むがいい」

 そういうと、どこか少女染みた面差しの小柄な少年はじっと、胡散臭げに私の顔を凝視する。

「何、他意はないさ。それより、君も大変だな。サーヴァントがああも自由な男では君も苦労しているのではないか?」

「おーい、アーチャー! 何を他人事みたいな顔をしておる。おぬしはこっちに来んかっ」

 セイバーとの議論に白熱していたライダーは、どうも私の不在に気付いたらしい。やれやれ、と重い腰をあげて二人の元へと戻る。気づけばセイバーがむぅ、と頬をふくらませて不満げに私を見ていた。

「そなた、何ゆえ抜け出したのだ。怒らんからいうてみよ」

 ふんっと鼻をならしながら言われても、説得力がない。

 まるでこれでは拗ねた子供の反応だな。そのことに苦笑を覚えながらも、私はいつも通りを装いながら答える。

「なに、王と王の会話に踏み入るのは不敬だと思ってね。私なりに気をつかったんだがな」

「そのような些事気にするでないわ。仮にもそなたは余が見込んだ者であるぞ?」

「全く、変なところで律儀な奴だのう。それで、結局聞けなんだが、アーチャー、おぬしの聖杯に対する望みは何か? おぬしは聖杯に何を求めておる?」

 そういいながら私を見つめる赤い瞳にも、緑の瞳にも、私の真意を知ろうとする真剣な色があった。

 征服王の言葉に数週間前のことを思い出す。私の聖杯に対する願いはなんだと、あの時私に尋ねたのは、私と道を違えたもう一人の私えみやしろうだったか。

 まあ、別段黙っているようなことでもないだろう。本音をいったところで、私に損はない。

「聖杯に願うような望みなど、私はもってはおらんよ」

 その言葉は硬質な声音を意識していたのに、自分でも驚くほど柔らかな語調になって付近に響いた。

「……は? 無い、と? 万能の願望器に対する望みがないとな?」

 困惑する赤毛の大男とは対称的に、赤いドレスの少女はゆっくりと見定めるような目で私を眺めている。

「私には、叶えられない願いなどなかった。他の連中とは違う。私は望みを叶えて死に、英霊となった。故に叶えたい望みなどないし、人としてここに留まる事にも興味はない」

 いつか衛宮士郎に自嘲気味に語ったそれと同じ内容を、あの時とは明らかに違う、穏やかで満ち足りたような声音で並べ立てる。その己の心境の変化に、少しだけくすぐったいような感覚が沸き上がった。

 ……そうだ。美しいからこそそれに憧れたのだ。

 この手は取りこぼしてきたものばかりを見ていた。それでも確かに救えたものはあった。だから、私の人生は間違ってなどいなかったのだ。ならばもう悔やむ必要もない。私は私の人生を生き抜いたのだから。嗚呼そうだ……そうして思うのなら悪くない人生だった。

 そんな単純なことに気付くのは遅すぎたのかもしれない。

 それでも、答えはここにある。

 そうだな。望みを叶えられずに死んだ英雄などそれこそごまんといるだろう。でも私は最期まで貫けたのだ。

 黄金の夜明け、愛した少女との別れの風景、あれに恥じぬものは私の人生にもちゃんとあった。それに気づけなかったから、自己嫌悪と絶望の果てに自分殺しを望み、マスターすら裏切ってしまったけれど、それでも確かに救えたものはこの手にあったのだ。

 なんだ、私は幸せ者じゃないか。後悔し、絶望しても、それを諌めるものがいた。私の行く末を気にかけてくれた少女がいた。もう一人の自分に答えももらった。そして思わぬ形だったが、自分を育て、理想をくれた、かつて憧れた人にまた会うことが出来た。

 まあ、受肉して人として留まりたいというのが、望みだというイスカンダルライダーには、私の在り方自体が理解出来ないのかもしれないが、それでも、ああ、悪くないのだ。こうしてここにあることは。

「私は既に満たされている。これ以上は十分だ。しかし、まあ、この度の戦いにおける私の目的はといえば……」

 言いながら、ふと、自分の口元が笑みの形を描いているのに気づいた。酔っているのか? 私は。サーヴァントだというのに。ああ、でもたまにはこういうのも悪くはないのかもしれない。

「マスターを守り抜き、家族の下へ無事帰すこと。それさえ果たせばそれでいいさ」

 ふと顔を上げると、呆けたような目が私に集まるのがわかった。なんだ? 何故皆して私を見る?

 はぁー、と大きな息を吐き出す音が聞こえる。発生源は赤毛の王様だ。

「おぬし、信じられんほど無欲じゃの。なんちゅうか、もっと、こう……」

 大仰な身振り手振りを交えて、まだライダーは私に何か言い募ろうとしていたが、突如おきた周囲の異変が大王の言葉を遮った。

 アイリもウェイバーも、それに気付き、アイリは私に、小柄な少年魔術師は己のサーヴァントの元に駆け寄る。

 いつの間にか月明かりの照らす中庭に白い怪異が浮かんでいた。黒いローブに髑髏の仮面をかぶったそれ、間違いなくアサシン。それがぞろぞろと集団になって我ら5人を囲んでいる。

 セイバーに倒されたはずなのに、倉庫街に現れたことから、当代のアサシンは複数いるのではないかと推測してはいたが、それがここにおいて確信へと変わった。ぞろぞろと現れたアサシンたちは、十、二十などという数では収まらない。

「……これは貴様の計らいか? セイバーよ」

 憮然とした表情で、赤いドレスの少女に声を投げかけるライダー。それに少女は不機嫌そうなオーラを纏いながら、嫌そうに顔をしかめて言った。

「ふん、奏者の考えなど、余の知ったことではないわ。大体、余が暗殺をするのならもっと……ともかく、このような芸術性の欠片も無い、趣味の悪い影など、余にとっても不快だ」

 心底そう思っているのだろう。ぷいっとそっぽをむいた剣使いの少女は、むくれた顔のまま、手近な料理に手をのばす。

 その間も、周囲を囲む影の集団は数を増やしていく。

「む……無茶苦茶だッ!」

 そう悲鳴をあげたのはライダーのマスターの少年だった。

「どういうことだよ!? 何でアサシンばっかり、次から次へと……だいたい、どんなサーヴァントでも一つのクラスに一体ぶんしか枠はないはずだろ!?」

「全くだ。これは一体どういう手品をつかったのかね? 是非とも教示してもらいたいものだな」

 アイリスフィールより一歩前を陣取り、私は悠々と腕を組みながら、不敵に尋ねる。その間にも、頭の中で設計図を描く。群れをなすアサシンたちはそんな私の様子に気づいた風もなく、口々に忍び笑いをもらす。

「我らは群れにして個のサーヴァント。されど個にして群の影」

 ああ、納得がいった。つまりはこのサーヴァントの宝具とは分裂に類するものか。アサシンたちを解析する。その能力は分散されている。魔力がサーヴァントとしては一体一体の値があまりに低すぎる。おそらく全部集めて初めて、並みのサーヴァントと同じだけの霊力量となるのだろう。

 気配遮断のスキルを放棄してこうして姿を見せたということは、勝負に出るつもりなのだろう。英霊としてはいくら弱くなっていても、それでもアサシンは英霊なのだ。マスターであるあの少年やアイリスフィールには太刀打ち出来まい。

 だが……くっと笑みが知らず漏れる。何、多対一の戦いには慣れている。見たところセイバーはあちらの陣営の人間だが、彼らに手を貸す気はなさそうだ。障害にはならんだろう。

 設計図を描く。さあ、最強の自分を幻視しろ。

 

「……ラ、ライダー、なぁ、おい……」

 ウェイバー・ベルベットは不安げに自分の従者に声をかけている。けれど、そんな主の動揺を余所に、ライダーはアサシンたちを睥睨したまま不動の如く居座っていた。

「こらこら坊主、そう狼狽えるでない。宴の客を遇する度量でも、王の器は問われるのだぞ」

 こんな時まで全く、大きな男だ。その発言や態度を前に共にいるだけで毒気を抜かれそうになる。

「あれが客に見えるってのかぁ!?」

 悲鳴をあげる小柄な少年ライダーのマスターの言葉には同意したいところだが、ライダーとて何か考えていそうだ。私は設計図を維持したまま、とりあえずライダーの動向を見守る。

「なぁ皆の衆、いい加減、その剣呑な鬼気を放ちまくるのは控えてくれんか? 見ての通り、連れが落ち着かなくて困る」

 そのライダーの言葉に、赤いドレスの少女が、傲慢に笑いながら言う。

「あのような影まで宴に加えようとは、なんとも酔狂なものよな? 征服王?」

「おうおう、酔狂で結構だわい。王の言葉は万人に向けて発するもの。わざわざ傾聴しに来た者ならば、敵も味方もありはせぬ」

 言いながらライダーは、樽のワインを私が投影した杯で汲み上げ、アサシンたちの前に掲げた。

「さぁ、遠慮はいらぬ。共に語ろうという者はここにきて杯を取れ。この酒は貴様らの血と共にある」

 そのライダーの言葉を前にして、ひゅん、と風を切りながら短刀ダークが飛翔し、杯を射抜いた。射抜かれた杯は幻想を保てなくなり、軽快な音を立てながら霧散した。その有様に、ライダー以外の人間がぎょっと息を飲んだ。

 ライダーはじっと、零れ落ちた酒を見ている。杯におきた怪異など気にも留めていない。彼にとっては、そのこぼれた酒と、アサシンたちの返答のほうが余程重大事であり、杯の変化については些事でしかなかったのだろう。

「余の言葉、聞き間違えたとは言わさんぞ?」

 この明瞭な英霊には珍しいほどの、静かな声音だった。

「『この酒』は『貴様らの血』と言った筈……そうか。敢えて地べたにブチ撒けたいというならば、是非もない……」

 その言葉を合図にして、熱砂が吹き込んだ。この場にあろう筈の無いそれが、大王の気の昂ぶりと共に渦巻き、荒ぶっていく。

「さて、貴様らには余が今ここで、真の王たる者の姿を見せ付けてやらねばなるまいて!」

 最初の異変から、まさかとは思いつつも私はこの現象の正体を理解していた。だが、これは普通の魔術師ならば驚愕と共にある現象。これは、最も魔法に近いとされる魔術だ。

「そ、そんな……ッ!」

 驚きの声はアイリと、ライダーのマスターの声。

「固有結界……ですって!?」

 あり得ないものを見たといわんばかりのアイリの声を前に思わず苦笑する。ああ、アイリ、君は私の宝具(きりふだ)も固有結界だと知ったら、どう思うのだろうな? そんなことを他人事のように思いながら、その出現した異界を眺める。

 照りつけるのは灼熱の太陽だ。晴れ渡る蒼穹の彼方、吹き荒れる砂塵に霞む地平線まで、視野を遮るものは何もない。見渡す限りの荒野。これが彼の高名な古の大王イスカンダルの心に秘めた世界。

「そんな馬鹿な……心象風景の具現化だなんて……あなた、魔術師でもないのに!?」

「もちろん違う。余一人で出来ることではないさ。これはかつて、我が軍勢が駈け抜けた大地。余と苦楽を共にした勇者たちが、等しく心に焼き付けた景色だ」

「ふむ、中々面白い見世物ではないか」

 赤いドレスの少女はいつもの不敵な微笑みを湛えたまま、そんな言葉で茶化す。だがそれでもこれがどれほどの大事なのか、理解出来ていないわけではないのだろう。

 そうこのライダーの固有結界の世界、そこに放り込まれてから、世界の転換に伴い我ら全員の位置関係すら全てが覆されていた。

 アサシンたちは揃って荒野の彼方に追いやられ、中央にライダー、私や他の者はライダーの後方に配置させられている。そして辺りに漂う蜃気楼のような影、それがどんどん色彩と厚みをもって正体を顕わにしていく。

「この世界、この景観をカタチにできるのは、これが我ら全員の心象であるからさ」

 そうしてついに現れたのは無数の騎兵達。こうして眺めているだけでわかる。彼らは一人一人が一騎当千の伝説を持つ勇者達なのだと。

「こいつら……一騎一騎がサーヴァントだ……」

 皆の心を代弁するかのように、呆然と呟いたのはライダーのマスターであるウェイバー・ベルベットだった。

「見よ、我が無双の軍勢を!」

 誇らしく、数多の騎兵達を従えながら、征服王の大音声がカリスマ性を放ちながら周辺へと響く。

「肉体は滅び、その魂は英霊として『世界』に召し上げられて、それでもなお余に忠義する伝説の勇者たち。時空を越えて我が召喚に応じる永遠の朋友たち。彼らとの絆こそが我が至宝! 我が王道! イスカンダルたる余が誇る最強宝具……『王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)』なり!!」

 

 結果をいうなら、アサシンたちは千を越えるだろう勇者達によって蹂躙され、痕跡すら残すことはなく消え去った。それがこの宴の幕切れ。

 セイバーとライダーも帰還し静かになった城で、破壊の後を修復しながら、私はライダーが見せた固有結界のことを考えていた。

 あれは、厄介だ。おそらくは、私の『無限の剣製(アンリミテツド・ブレイドワークス)』との相性はあまりよくないだろう。かの慢心王となら相性は悪くないのだが……と、そこまで考えてそういえば此度の聖杯戦争にはギルガメッシュが存在していないことに考えを馳せる。やはり、私がアーチャーとしてこの戦いに召喚されたことで変わった歴史の一つなのだろう。

 聖杯はおそらくこの世界でも汚染されている。私は召喚されてすぐに、召喚者である切嗣に対して、『あくまで私の知る歴史の話だ。並行世界であるこの世界も同じとは限らん』と、聖杯が汚染されているのは可能性の一つとしてしか提示していなかったが、今は確信をもって言える。やはりこの世界の聖杯も汚染されている、その可能性は十中八九間違いがないだろう。

 一番の理由は、キャスターとそのマスターだ。快楽殺人鬼がマスターに選ばれるなど、無色の願望器なら考えられないことだろう。まあ、元からこの街の聖杯の成り立ちを考えるに、血に塗れた醜悪な玩具箱に過ぎないわけだが、それでも度が過ぎている。

 とはいえ、現段階で私に出来ることなどない。聖杯が顕現するのは、サーヴァントが残り少なくなってからだし、今大聖杯を破壊したところで、アンリ・マユの呪いが漏れ出さないという保証は無い。

 それに、大聖杯の正式な配置場所については、私は知らないのだ。アインツベルン陣営として参戦した切嗣は知っているのかも知れないが、この世界でも聖杯は汚染されているから、街に被害が出る前にアレを破壊したいと正直に告げたところで、許可が下りるかどうか。

 実際に自分の目で見て汚染を確かめたのなら別だろうが、そうでないなら難しいところだろう。最悪、破壊したいから大聖杯の場所を教えてくれと言った私を、聖杯を破壊しようとする危険人物として令呪を使ってでも拘束してくる可能性も否定出来ない。そもそもとして、私は切嗣に信用されていないのだから。

 なんだ、本当に問題だらけじゃないか。私は思わずため息をつく。

 今夜のことについては、切嗣マスターにも連絡をつけてある。叱責を受けるのは覚悟の上……ではあるが、正直今の爺さんの気持ちは私にはわからない。どうにも避けられているようだし、信用されていないだけでなく、私を不必要なものとすら思っているように見える。全くどうしたものか。

 叱責してくれたらいい。そのほうが余程私だって気が楽だ。

 サーヴァントはマスターの道具、それを魔術師殺しといわれたあの男がわからないはずがないというのに。道具としてすら見てもらえないのなら、サーヴァントとしてこれほど辛いことがあるだろうか?

 星空を見上げる。脱落したサーヴァントはまだ1人。

 

 

 

 続く

 

 



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07.脱落の夜 後編

ばんははろ、EKAWARIです。
ところで今更ですが、何故うっかりシリーズに「ボーイズラブ」と「ガールズラブ」タグがあるのかと言ったら、この作品の主人公である女エミヤさんは、所謂後天的なTSであるため、心は男、体は女なわけで、どっちに口説かれようが「精神的にはBL」「肉体的にはGL」になってしまうから保険のためにつけているので悪しからず。
といっても、明確なカップリングがあるわけでもないし、そういう作品でもないのですが、まあなんだ。エミヤさんはこの物語のヒーローでありヒロインであり、やっぱりヒーローでヒロインな立ち位置なのだよ。


 

 

 side.言峰綺礼

 

 

 最初は暗闇の中で誰かの気配を感じているだけだったその夢は、日が経つにつれどんどんと鮮明に進化していった。それに伴い、たった五分目を閉じただけでもその世界が私の前に広がるようになった。

 ぼんやりと影が揺れる。はっきりした姿とはいえないが、それでもその正体が黄金のアーマーに包まれた男の姿をしているところまでは見て取れるようになった。

 今ならもう言葉を交わせるだろう。根拠がないにも関わらずそう確信さえ出来た。

『お前は誰だ』

(オレ)に名を尋ねるか? とんだ無礼だな、綺礼’

 くつくつと鼻につくような笑い声。そうその男は笑っているのだと確かにわかる。何を言っているのかもわかるというのに、肝心の声がわからない。どんな声で喋っているのかは、その表情が輪郭しかわからないのと同様に不鮮明なものだ。

『私のことをお前は知っているのか』

 その私の質問に、相変わらずカラカラと笑いながら男は言う。

‘ああ、そうとも。知っている。(オレ)ほどお前のことを知っているものなど他におらんだろうよ’

 その笑みと言葉に滲む傲慢の気配。こんなものが只人であるわけがない。嗚呼、これは超越者だ。

『それは私よりも、という意味か?』

 けらけらと、男の笑いがより大きく膨れ上がる。それは是。当たり前なのだという肯定。

‘二度目だからな。茶番は嗚呼、いらんだろう? なあ、言峰綺礼。自分の愉悦を認められない歪んだ魂よ。貴様は今日アサシンを使い潰しただろう? 正式に聖杯戦争を脱落できたとでも思ったか?’

『……何を言いたい?』

‘お前は何故聖杯にマスターとして選ばれたかわかるか?’

 その男が放った言葉を前に、私は沈黙した。

 ……判る筈が無い。父と時臣氏は、私がマスターとして選ばれたのは、遠坂陣営を助けるためだと言った。私自身には望みなど何も無い。ならば、半信半疑ながらもそうなのだろうと思った。アサシンが脱落して、ああようやく私も肩の荷がおりたと思ったがそれだけだ。

 強いて望みをいうならば、おそらく私が求める答えをもっているだろう衛宮切嗣に問いかけを放ちたい、私と同じ虚無の苦しみを抱えていただろう衛宮切嗣が得たものを知りたいという欲求くらいのものだ。

 そんな私を嘲笑い超越者たる魂は言う。

‘綺礼よ。王の言葉だ、よく聞け。お前はな、聖杯に願う望みを既にもっておるのよ。そこから目を逸らし続けているだけに過ぎん’

 既にもっている、だと?

‘自分の悦楽に目を背けるな。答えは既にお前の中にこそあるのだからな’

 にたりと、影が笑う。私の全てを見透かすような言葉に、ぞっと背筋が凍える。

『お前は……』

‘そら、証拠だ。左の上腕を見よ’

 その、声ならざぬ超越者の声を合図に、ずきりといつかも味わった痛みが走って……奇妙な暗闇に意識が覚める直前、私が自分の腕に見たものは失くしたはずの二画の聖痕が浮かび上がっていく姿だった。

 カラカラ、カラカラと歯車は廻る。

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 元が現代人だというのなら、騎乗スキルをもっていなくても車の運転は出来ると考えていいですか、と黒づくめの女に尋ねられて私は是と答えた。

 昨夜の酒宴の件について、切嗣(マスター)はただ、一言。『拠点を変えたほうがいい』とそれだけを言った。自分が昨晩予想した嫌な想像通り、叱り付ける言葉の一つすら飛んでこないことに内心落胆しながら、『そうか』とそんな一言だけをなんとか返したが、叱られもしなかったことに自分は不要だと言われたようで気持ちは沈む一方だった。

 そして今、貸し与えられた外車(メルセデス)にアイリスフィール共々乗り込み、先導として前を行く久宇舞弥の車の後についていっているわけだが……冬木市の内部へ入ったときには彼女がどこに向かっているのか理解してしまい、その思わぬ形で訪れることとなった行き先を前に思わずため息を漏らす。

(まいったな)

「どうしたの?」

「いや、なんでもない」

 そう、とだけ口にすると彼女はそれ以上追及してはこなかった。気を使わせてしまったか、それとも……追求する元気がないほどに消耗しているのか。

 そして私の想像通りの場所こそが、この拠点変えの終着地だった。

「ここが……ふぅん。また随分と不思議な建物ねぇ」

 アイリスフィールが素直な感想をもらす。しかし、その言葉もするりと右から左へ私の耳から抜け出していくようだ。

 体感としては、たった数週間。

 数週間前にも来た筈の建造物、後の衛宮邸の前に私は立っていた。

 切嗣に引き取られてから、冬木の街を出て行くまで自分が育った家。

 馬鹿な感傷だ。

 荒れ放題の前庭、寂れた雰囲気の武家屋敷。これは人が住まないようになってから長い月日を重ねてきた建物だ。決して私が育ったあの家と同じとは言えない。それでも、目を閉じればかつての姿が鮮明に浮かび上がるだろう。

『士郎、いつでも帰ってきていいんだからね。おねえちゃんは待っているから』

 そう言ったのは誰だったか。

 前回参加した聖杯戦争のせいでというべきか、お陰というべきなのか、顔こそ思い出す事が出来たが、私の記憶は既に摩耗していて、衛宮士郎時代のことはいくつかの事柄を除けばうすらぼんやりとしか思い出せない。けれど、あれはいつもこの家にいた人だったような気がする。そう、きっと衛宮士郎にとっては大切な人だったはずだ。オレが切り捨てた一。

 ふと、視線を感じて隣の女性の姿を伺う。アイリはその紅い目で観察するようにじっと私を見ていた。

「アイリ?」

「そっか……ここがそうなのね?」

 その悟ったような声に、どきりと、心臓が早鐘を打った気がした。無論、錯覚だ。

「さて、何の話か……」

「とぼけなくても結構よ。ここが、貴女の育った家なんでしょう?」

 私は、そんなにわかりやすい反応をしていただろうか。それとも、彼女(アイリ)を誤魔化せると思ったほうが愚かだったのか。苦笑しながら首を縦にふり、それを答えにかえた。

「やっぱり! 懐かしいって顔してたもの。でも、ウフフ。なんだか嬉しいわ。私、むかし日本のお屋敷を見て見たいって切嗣に話したことがあったのよ。それで用意してくれたのかしらって思ってたのだけれど、ここが貴女の育った家だなんて、感動が二倍だわ」

 そう言いながら彼女は物珍しそうに屋敷中を見て廻った。私はそのあとを三歩分ほど離れてついていく。やがて、一通り見終わると、今度は真剣な顔をしてアイリは何かを思案しはじめた。

「どうかしたのかね?」

「ああ、うん。この家で育って魔術師でもあった貴女ならわかると思うんだけど……、ここ結界の敷設はいいんだけど、工房の設置がね……」

「ああ、それなら庭にある土蔵を使うがいい。私がこの家に住んでいたときは、工房……とまでいえる代物ではなかったが、工房としてあそこを使っていた」

「そっか。なら、案内してくれる?」

 

 ぎぃと、古めかしい鍵を使い土蔵を開く。

 長い事誰にも使われていない蔵からは埃と湿った匂いがした。

「ああ、ここなら理想的!」

 城の中で育てられた彼女にとってそこは決して快適な場所とは言えないだろうに、アイリは土蔵の中に一歩踏み込むなり、パァと顔を輝かせながらそんな風に満足そうに感想を口にした。

「ちょっと手狭だけれど、ここならお城と同じ要領で術式を組んでも大丈夫ね。とりあえず魔方陣を敷いておくだけで、私の領域として固定化できそう」

 魔方陣、とその言葉で私が思い出したのはアルトリア(セイバー)との出会いだ。描いた覚えのない古い魔法陣が光を放って出てきた彼女。そうか、あの魔法陣はアイリが描いたものだったのか。

「じゃあ、さっそく準備に取り掛かりましょうか。アーチャー、悪いんだけれど車に積んである資材をもってきてくれる?」

「了解だ。と……その前に尋ねたい」

「何?」

「アイリ、君は今、どこまで人としての機能を失っている?」

 その私の言葉を前に、ばつの悪そうな顔をしてみせる白皙の麗人。

 私の参加したときの聖杯戦争、聖杯であるイリヤは終盤にむかっていくにつれ彼女も人としての機能を失っていった。それでもその身に取り込んだ英霊の数が少ないうちはまだ元気にはしゃいでいたわけだが、人間とホムンクルスのハーフであり、普通のホムンクルスよりはまだ丈夫な上に生まれつき調整を受けていたイリヤと比べるとなると、純粋なホムンクルスであり、彼女(イリヤ)のプロトタイプであろう母親のアイリスフィールがどこまでなら平気なのか、それは私には判断がつかない事柄だった。

「……そっか。やっぱりアーチャーは知ってるのね」

 決まり悪そうに苦笑しながら、アイリは私の手をとった。美しく細く滑らかな指がゆるく私の腕を掴みこんだまま、か弱い痙攣だけを繰り返す。

「今の私は全力で掴んで、これが精一杯なの」

 ……なんてことだ。イリヤよりも人としての機能を失うスピードが早いだろうと予測は立てていたが、一騎取り込んだだけでこれとは、想像以上の早さだ。

「指先に引っ掛けたりするのが精一杯で、握ったり摘んだりするのはとても無理。壊れ物や機械の類の操作は出来ないわ。朝、着替えるのにもかなり苦労しちゃった」

「そうか」

 なのに君は、なんでもないかのような顔で私の隣に立っていたのか。

「……そうか」

 私は彼女の指示を受けて魔法陣を描きながら、これからの聖杯戦争の行方に思いを馳せていた。

 そして、戦局が大いに動き出したのはこの約7時間後だった。

 

 

 

 side.ランサー

 

 

 その気配が突如として現れたのは未遠川付近だった。数十人がかりの多重詠唱儀式と変わらぬその気配に、おそらくは全ての魔術師とサーヴァントは気付いただろう。その外道は川幅の真ん中に悠然と佇んでいた。

 おぞましき海魔を足場に、水面の上に立っているその男は魔術師(キャスター)のサーヴァントだ。聖杯戦争に何の関係もない子供達を襲い、非道を繰り返す、俺たちの拠点を襲撃し、主を瀕死に追い込んだ何者かの次に許せない醜悪な召喚師(サモナー)

「ランサー、そなたも来ておったか!」

 そう言いながら、駆け寄ってきたのは赤いドレスに歪な大剣を携えた少女、剣使い(セイバー)の英霊の少女だ。いつも傲慢そうな微笑を浮かべているその顔には、今は真剣な色を浮かべており、この女もキャスターの尋常ならざる様子は理解しているらしい、とそれで判別した。

 そういえば、この女ともおかしな縁だ。最初に斬り結んだ相手だというのに、対キャスター戦で協力し、共に戦っている回数のほうが多い。だからといって、いざ死合いをするとなれば容赦など互いにしないだろうが。

 キャスターは、そのぎょろりと大きな目でセイバーの姿を捉えたからだろう、にたりと表情だけは綺麗に破顔し、どこかうっとりとしたような、酔っているような声で言葉を紡ぎ出す。

「ようこそ聖処女よ。ふたたびお目にかかれたのは恐悦の至り」

「余は貴様などには二度と会いたくはなかったがな!」

 セイバーは心底嫌そうな顔でそう吐き捨てる。それをキャスターは気にも止めずに自分の言いたいことだけを言い続ける。先日の戦闘の焼きなおしのようだ。違うことといえばキャスターの危険度が今夜は大幅に上がっているということか。

「申し訳ないがジャンヌ、今宵の宴の主賓は貴女ではない」

「ええい! だから余はジャンヌなどというどこぞの小娘などではないと言っておろうが!! 貴様、見るに耐えぬ醜悪な姿だけでは飽き足らず、余の言葉すら聞かぬとは万死に値するぞ!」

 ……あの異常な魔力を迸らせている相手に対して、いつも通り上から目線の言いたい放題を貫くとは、いい加減このセイバーも大したタマだな。

 まあ、人違いを起こされている上に、あのようなイカレた男に固執されている事を思えば、その怒りもわからんでもないのだが。

 しかし肝心のキャスターといえば、人違いを起こして固執しているわりには、こんな風に怒りを見せるセイバーの反応自体には興味がないらしく、こちらもこちらで人の話を聞かず自分の言いたいことだけを思うがままに貫いていた。

「ですが、貴女もまた列席していただけるというのなら、私としては至上の喜びですとも。不肖ジル・ド・レェめが催す死と退廃の饗宴を、どうか心ゆくまで満喫されますよう」

「ふふふ、殺す。今すぐ殺す。このような蒙昧なる汚物、我慢ならぬ」

 そんな低く唸るようなセイバーの声の傍から、キャスターは無数の海魔に飲み込まれていく。その光景に思わず俺は目を見開いた。笑いながら、狂人の言葉を吐きながら、キャスターは自身が呼び出した海魔どもに吸収されていき、もはやひとつの肉塊となりながら、巨大に不気味な成長を遂げていった。

「……なんてやつだ」

 聖杯戦争の秘匿性など度外視した暴挙。住人のパニックの声がここまで聞こえてきそうだ。

 そのとき、聞き覚えのある雷鳴が耳に響き、そちらを振り向く。

「よぉランサー、それにセイバー。良い夜だ……と言いたいところだが、どうやら気取った挨拶を交わしておる場合じゃなさそうだな」

「そうだな。あのような怪物はさっさと退治するに限る」

「ぬ? ライダーよ、そなただけか? アーチャーはおらんのか?」

 そんな風に何かを期待するかのような少女の言葉に対し、少しだけため息交じりの困った顔をしながらライダーが回答する。

「余もあのデカブツは放ってはおけんからな。呼びかけてまわろうかと思ったのだが、アーチャーがどこにおるのかはわからんかった。だが何、あのお人よしがこの状況を見過ごすとも思えん。そのうち来るんじゃないか?」

 なんとも楽天的な考え方だった。それより、あの夜以来表に出てきていないはずのアーチャーのことをよく知ったような口ぶりだったが、会ったのか?

 いや、今の問題はあの怪物だ。忠誠を誓った主君・ケイネス・エルメロイの容態はこれ以上となく悪い。あれ以上悪化する前にさっさとこの化け物を倒して、ソラウ様をつれて拠点へと戻りたい。

「あんたたちは、キャスターと戦ったことはあるのか?」

 と、そう訊ねてきたのはライダーのマスターの少年だった。軽く頷いて返事とかえす。

「ともかく速攻で倒すしかないだろうな。今はあのキャスターの奴が手にもっている宝具だろう魔術書で現界を保っているのだろうが、あれが独自に自給自足を始めたら、手に負えなくなるだろう」

「成程な。奴が岸に上がって食事をおっ始める前にケリをつけなきゃならんわけだ。しかし……」

 そこでライダーが嫌そうな顔をして一旦言葉を止める、ここにいるものならその意味は皆わかって然りだ。

「当のあの汚物めは穢らわしい肉塊の奥底ときておる。正直余も本当は気が進まぬが、主な方法としては一つだけであろうな」

「引きずり出す。それしかあるまい」

 その征服王の言葉を合図に戦闘は開始された。

 

 戦闘方針としては、無限再生を繰り返す巨大な海魔を相手にして、先陣をライダーとセイバーが務め、俺が後方待機。その後キャスターを引きずり出したら、俺のもつ破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)で奴の宝具の術式を破壊するというものだったが、浅瀬までやつが近づいたこと此処に至ってはそうも言ってられない。

 このままではこの騒動に集まった一般人が、いつあの巨大海魔に捕食され、犠牲になるかわからない。そうなるくらいならと、俺も参戦を考え始めたそのとき光の束のようにそれは遥か彼方からやってきた。

 化け物の手足急所など重要な箇所全てに、普通の人間なら目視すら適わぬ速度で飛んで来た36連撃が貫く。即座に再生されるとはいえ、それは確かに海魔の動きを数瞬止めた。

「何?」

 矢が飛んで来たであろう方向を一瞥する。そこに矢を射掛けた存在の姿は見えない。これほどの正確射撃を、サーヴァントの視力でもっても捕らえきれない彼方から果たすとは、間違いがない。射手の正体は疑うまでもなく、アーチャーだろう。

 しかし、ここまで正確な射撃を果たすとは、厄介な敵となるな、あの女。まあいい。今は一時的とはいえ味方だ。あの外道を相手にするには弓兵の援助は正直頼もしい。

 アーチャーの矢は前に出て戦う二人を綺麗に避けて、海魔の動きを止めるように貫き続ける。アーチャーの援護はありがたいが、しかし、このままでは埒が明かないことにも気付かずにはいられなかった。

 俺と同じことを考えたのだろう、ライダーとセイバーは揃って戻ってくると、時間がないとばかりに征服王が早急に言葉を切り出す。その間の海魔の侵攻はどこにいるのかも知らぬアーチャー1人で食い止めていた。

「いいか皆の衆、この先どういう策を講じるにしろ、まずは時間稼ぎが必要だ」

「そなた、あれを使う気か?」

 そのセイバーの言葉に、是とばかりに赤毛の大男は緊張感を孕んだ顔でにっと笑みを浮かべる。

「ひとまず余が『王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)』に奴を引きずりこむ。とはいえ余の精鋭たちが総出でも、アレを殺し尽くすのは無理であろう。せいぜい固有結界の中で足止めするのが関の山だ」

「その後は、どうする?」

「わからん」

 あっけらかんとそんな言葉を放ちつも、その顔はあくまでも真剣だ。事実どう対応していいのかわかっていない中、それでもそれが最善策だと思って口にしたのだろう。

「あんなデカブツを取り込むとなれば、余の軍勢の結界が持つのはせいぜい数分が限度。その間にどうにかして……英霊たちよ、勝機を掴みうる策を見出してほしい。坊主、貴様もこっちに残れ」

 言うなり、己が主の少年を御台からライダーはつまみ出した。

「お、おい!?」

「いざ結界を展開したら、余には外の状況が解らなくなる。坊主、何かあったら強く念じて余を呼べ。伝令を差し遣わす」

 そして一言二言言葉を交わし終えるとライダーは立ち去り、そして先の話通り固有結界を展開して、海魔共々この世界から姿を消した。さて、任されたはいいが、あまり時間はない。これからの方針をどうするか話し合おうとした矢先、それを遮るように一匹の蝙蝠がこちらへとやってきた。

『聞こえるか?』

 その蝙蝠から響いた声、それは間違いなく、以前俺とセイバーの戦いにわって入った白髪の女(アーチャー)の、声変わり前の少年を連想させる凛とした声だった。

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 巨大な海魔が出現した未遠川よりkm単位で離れた、建設途中の高層ビルの屋上部にあたる鉄骨の上、そこが弓兵(アーチャー)たる私の戦場だった。

 異変に気づいたあの時、まっさきに伝わってきたのは明らかに異常な魔力だった。

 それはどう考えてもキャスターが原因であり、なにをしようとしているのかは知らないが、これまでの経緯から考えてあのキャスターが魔術の秘匿や住民への配慮など考えているはずはないこともまたわかっていた。そして、奴の目的が多くの人を犠牲にしようとしているような内容であることは、これまでの経緯から考えて想像に難くないことでもある。

 正義の味方……という言葉には未だに抵抗が残っている私であるが、それでも正義の味方になりたかったのだとかつて私に語ったあの男が、いくら平行世界存在とはいえ、大勢の人間が犠牲になるようなことを黙認するはずがない。きっと私にもキャスターを止めるよう今度ばかりは命じるだろう。と、私は直前まで信じていた。

 しかし切嗣(じいさん)はやはり私に何も命じない。あの男が、住民の犠牲を是としているはずがないのに。

 だから私はしびれを切らして、「これは流石に放っておくわけにはいかないだろう。マスター、戦闘への許可を」と機械越しに詰め寄り、マスター(きりつぐ)が出した条件を了承し、遵守する代わりに、今回の戦いに参入することをなんとかこじつけたのだ。

 この一刻の猶予すらない状況でも私を動かそうとしないとは本当に何を考えているのか。

 あの人が異常者のサーヴァントを相手に自分ひとりでどうにかできる……などと論外なことは流石に思ってはいないと信じたいのだが。

 通信機ごしの切嗣への説得にかかったロスタイムもあり、他の者より出遅れたがまだあの海魔が浅瀬の内側に留まっていたことに内心ほっとする。

 そして、私は矢を放った。

 放たれた矢でおった傷はすぐさま塞がられるが、足止めくらいにはなる。

 目の前には海魔と戦うライダーとセイバーの姿と、後方で槍を構えて待機するランサーの姿があった。思わずため息を吐きたくなる。後方支援の重要性は承知していても、気分としては自分も今すぐあそこに乗り込んで、直接戦いたいぐらいだ。それは叶わないことだが。

 切嗣が私が参戦するにあたって言い渡した条件は二つある。

 一つは、あくまで遠距離攻撃にのみ徹して敵とは1km以上距離を離して戦うこと。二つ目は、その間私と視力の共有をするということ。

 まあ、どちらも納得できる条件といえば条件だ。

 凛と共に行動していたときは、白兵戦を行うことのほうが弓で戦うよりも多いくらいだったが、本来アーチャーのクラスの正しい運用法としては敵の反撃も届かぬ超遠距離射撃にのみ徹するほうが賢明なのである。

 その意味では凛よりずっと真っ当な使い方だろうよ。それに視力を共有するのも、戦局を私の千里眼を使ってくまなく見渡せるのだから、戦場を正確に把握するのには一番確かな方法だ。ああ、全くもって正しい判断だとも。

 それでも不満に思ってしまうのは、最終的に戦闘を許可されたとはいえ、あのような巨悪そのものの存在が住民を食らおうとしているのに、私を使うという選択肢を最後まで渋っていたあの男の態度そのものだ。いくら私のことを信用出来ないからってこんな時まで何を考えているんだ。

 そんなことを思いながら弓を射掛けていると、セイバーとライダーが一度ランサーの元まで戻り、何事かを言い合っている。ここからじゃ顔や姿はわかっても声までは流石に聞こえない。だが、マスターである小柄な少年をおろし、ライダー一人だけであの海魔に向かった時点で何をしようとしているのかはわかった。

 私は久宇舞弥に先日借りた使い魔たる蝙蝠を彼ら三人の元に飛ばす。蝙蝠が彼らの元についたと同時にライダーと海魔は姿をこの世界より消した。

「聞こえるか?」

 使い魔を通して声をかけると一部で驚いたような声と息を呑むような音が聞こえた。

 全く、弓兵(アーチャー)のサーヴァントである私が魔術を使えるというのはそんなにおかしいことなのか。世の中にはいくつものクラス適正を持つ英霊もいるというのに。

 とはいってもこの身はただ一点に特化した魔術回路。オーソドックスな魔術は一応習得しているとはいえ、こういうことが不得手なのもまた確かなんだが。

『アーチャーよ、そなた今どこにおるのだ?』

「君たち全ての姿を見れる場所にいるのは確かだがね、今はそんなことを悠長に話している時ではなかろう。ライダーの作戦は固有結界で足止めをし、その間になんらかの策を講じる……というもののようだが、固有結界ほどの大魔術ともなれば精々もつのは数分というところだな。率直に聞こう。君たちに策はあるのかね?」

『それを今から考えようとしていたところだ』

 そう答えたのは魔貌の槍兵だ。

「なら、私のプランで進めさせてもらう」

『方法があるのか?』

 少年の驚いたような声に、そんなときでもないのに苦笑染みたものが浮かぶ。

「先ほどまでの戦いで、キャスターのいる大凡の位置は把握した。今から私は私のとっておきを使う。魔力を充填するのに少し時間をとらせてもらうことになるが、準備が出来次第合図を送る。そうしたら、消えたときと寸分たがわぬ位置で固有結界を解くようにライダーに伝えてくれ、ライダーのマスター」

『わかったけど、大丈夫なのか?』

 まあ、あれだけ何度も敵の超再生をする様子を見てきたのだから、その心配は当然だろう。

「何、他に手をもてあましている英霊が二人もいるのだ。心配いらんだろう。セイバー、私が奴を狙撃した後、キャスターを薙ぎ払うのを任せてもかまわんかね?」

『うむ、任せよ』

 えっへん、とそんな擬音が聞こえてきそうなくらい自信満々に赤いドレスの少女は言った。

「ランサーはセイバーがキャスター本体を攻撃している隙に、あの馬鹿でかい怪物を召喚した奴の宝具の破壊を頼みたい。出来るだろう?」

『ああ、任せておけ。俺はあのキャスターを許せない。いずれお前とも敵になるのだろうが、今はあの外道を倒すための同士だ。奴を倒す術があるというのなら、喜んでその策受け入れよう』

 

 魔力を充填する。自己に埋没する。世界ではなく自分に問いかける言霊を紡ぐ。

I am the bone of my sword(我が骨子は捩れ狂う)

 その言葉と共に捩れた剣を弓に番える。

『まだか、まだなのか!?』

 少年の焦る声が遠く響く。今はライダーのマスターの肩にのっている蝙蝠(つかいま)、それが飛び立ったときが私が伝えた合図だ。些細な声を無視し、私は魔力を高めていく。そして私は、キャスターを射抜く姿を視た(・・・・・・・・・・・・・)

偽・螺旋剣(ガラドボルグ)―――……!!」

 

 蝙蝠が飛び立ち、手はず通り現れたのはライダーと醜悪なる怪物。放った矢は私が「視た」通りに真っ直ぐキャスターのいる肉塊の奥底へと向かう。

 しかし、いくら真名開放した偽・螺旋剣(ガラド・ボルグ)といえど、あの超再生能力をもつキャスターの巨大海魔が相手ではこれだけでは心もとない。だからこそもう一策を講じる。

壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)

 瞬間、魔術師のサーヴァントを包み込んでいた周囲の肉塊が爆破した。直後、赤い衣が舞うように走る。

花散る天幕(ロサ・イクトゥス)!!』

 金糸髪の少女のその言葉と同時に、キャスターの体は真っ二つに切り裂かれた。

 

 

 

 side.ランサー

 

 

 どこにいるのかも知らぬ弓兵の女の言葉に従い、俺は赤き愛槍をいつでも放てるよう構えて待機していた。

「まだか、まだなのか!?」

 ライダーのマスターの少年が焦った声を上げる。固有結界の足止めも限界なのだろう。赤いドレスの少女は対照的に自信満々に不敵な笑みを携えて、赤い大剣を構えている。

「随分余裕だな」

「ふん、惚れた女子(おなご)が見ておるのだ。当然よ」

 てらいもなく返される。惚れた女、か。そういえば初めてアーチャーに会ったときに「気に入った」だの「余のものになれ」だのと言っていたな。

 聖杯戦争に召喚される英霊は互いに互いが敵同士であり、それが常識だ。にも関わらず、敵サーヴァントを相手にして惚れただのなんだのと言い出すとは俺にはこの女の考えは理解し難いが。

 そういえば、理解し難いといえばあの白髪の女弓兵もそうだ。

 出会った当初、アーチャーは俺の生まれ持った呪いである愛の黒子に魅了され、この俺を相手にまるでそこらの普通の小娘のように赤面しながら狼狽えた姿をさらしていた。

 だが、それを最後にまるであの時の姿は幻か嘘だったかのように、あの女は冷静に戦局を把握する。

 こうして使い魔ごしに声のみを聞いていると、少年のような印象の声質もあいまってその女らしからぬ喋り方や物言いといい、凛とした雰囲気といい、女というよりは男と話しているような気分になってくる。

 おまけにこんな短時間で敵を仕留める方法を的確に指示し、弓の腕は百発百中ときている。正直あの女に内心舌を巻く思いだ。

 今は味方だからこそありがたいが、敵としてはこの最優と名高き剣使いの少女よりも、計算高い分戦うには厄介な相手だ。それだけの腕をもつのに一番解せないことは、ずっと閉じこもったままあの夜と今日以外全く表に出てきていないということだが。

 臆病風に吹かれた……とかそういう手合いでもあるまい。

 弓兵のクラスといえば、こそこそ隠れて陰から狙い打つしか能がないイメージもなくもないが、あの白髪赤い外套の女戦士はあまりに堂々とし過ぎている。

 そういえばセイバーに剣を向けられた時には、あの女も弓ではなく黒と白の双剣を手にしていたな。いかにも握りなれたような立ち姿といい、堂に入っていた。近接戦の心得もあるのか。一体どこの英霊だ。

 そんなことを考えているとライダーのマスターの少年の肩から蝙蝠が飛び立ち、そしてそれと入れ替わるように固有結界に消えていたライダーと巨大海魔が現れた。

 ゴゥッ! と、そんな物騒な音を立てて遥か彼方から飛翔する巨大な光の塊。おそらくはアーチャーが言っていたとっておき……奴の宝具なのだろう。が、海魔の足元を抉るようにして斬り進み、その後轟音を立てながら爆発した。

 思わず目を見開く。

 なんて威力だ。あれならいくら超再生能力をもっていようとも即座には回復出来まい。それと入れ替わるように赤い衣を靡かせながら少女が駆ける。

花散る天幕(ロサ・イクトゥス)!!」

 セイバーの放つ高速剣戟、それはアーチャーの攻撃によって衰弱し、全身血まみれになっていたキャスターの体を両断するには十分な代物だった。

 すかさず奴の手を離れた人皮製の邪悪なる魔道書を破魔の紅薔薇(ゲイ・ジヤルグ)の投擲で貫く。本は悲鳴を上げるようにして力を失った。それに伴い、巨大な海魔も自身に魔力を提供していた依り代をなくし、数秒足らずで魔力を枯渇させ、その体を粒子に換え霧散させた。

 ああ、終わったな。そう思い満身創痍な征服王のほうへと視線を向けた、まさしくその刹那だった。

「……ぁ?」

 ぬるりと血が手に伝い落ちる。ぽたぽたと紅い血が止め処なく流れて、命の息吹が失われていく。

 己の胸には黄色い見慣れた何かが突き刺さっている。

 なにか? 正体など考えるまでもないではないか。これは必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)だ。決して癒えぬ傷を与える呪いの魔槍。其れを握りこんで、俺の心の臓に突き刺しているのは誰の手か? そうだ、考えるまでもない。この手の感触、この指の形、間違いなくこれは俺の手だ。

「ランサー!?」

 誰かの声が聞こえる。見れば呆然と自分を凝視している4対の瞳。だけど、そんなことはどうでもいい。俺はどうして自分の心臓を貫いているのか。何故なんだ。何故、何故、何故。

 それが俺の意志によるものでないのなら、答えは一つしかない。

 この聖杯戦争における最大の要、三度限りの絶対命令権、令呪はサーヴァントが望んでいない命令だろうと、その膨大な魔力でもって実行してしまうのだから……。

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 異変が起きたのは海魔が消滅したすぐ後だった。

 ああ、終わった。そう思いやれやれと肩を竦めたそのときに起きた衝撃の瞬間。

 邪悪なる魔道書を槍の投擲で貫いた魔貌なる槍兵は、突然何の前触れもなく自分の胸をその呪われた黄槍で貫いていた。

「何?」

 驚き、急いで川辺へと向かう。

 一瞥すれば、全員が予想外の事態に呆然としながら、信じられないような顔をして自分の胸に刺さった槍を見つめている美貌の槍兵を見ていた。

「……ぜ……だ……」

 がは、と血を吐き出しながら、幽鬼のように男が目を見開いて、わなわなと全身を痙攣させながら言う。

「……何……故、……俺は……俺は……!!」

 ランサーは壮絶な形相で必死に言葉を紡ぎながらも、それでも彼が黄槍を握った左手は、無情にもランサー自身の想いを無視して、より体の奥へと愛用の得物を飲み込ませていく。此度の聖杯戦争でランサーのクラスとして呼び出された英霊である、ディルムッド。

 それ以外の誰もが声を出せない。声をかけられない。

「主、よ……何故こん、な………何故……なぜ、何故だあぁあああ!!」

 狂おしいほどの絶望の声。それを最期に、深緑を纏った美貌の槍兵は完全に姿を消滅させた。

 

 

 

 NEXT?

 

 

 



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08.慟哭1

ばんははろ、EKAWARIです。
今回の話、「慟哭」はにじファン時代に乗せていた旧作でも前中後編の三部作だったのですが、例によって加筆修正しまくった結果、4~5部作に膨らみ上がりました。
なので、長い話ですが、「慟哭」というタイトルがついている話は全部併せて一つの話として宜しくお願いします。
ついでに今回から本格的に薄ら暗い内容に入っていきますが、それでも第五次聖杯戦争編に比べるとこれでもまだ全然マシだったりしなくもない。
それと何故かはっきり宣言しているのに誤解が絶えないので、もう一度述べますが、あくまでも「第四次聖杯戦争編」とは、第五次聖杯戦争編に対するプロローグであり、丸ごと伏線回であり、ただの前日談でしかありませんから、本筋は第五次聖杯戦争であるSNのほうがメイン原作であり、あくまでもZEROはサブですからその辺は間違え無きよう改めて宜しくお願いします。


 

 

 

 お願い、泣かないで。

 そんな顔をしないで。

 傷ついて、必死に私の名前を呼ぶ貴女。

 今はもう朧気にしか見えないけれど。

 やっぱり貴女はあの人と似ている。

 不安で傷ついて揺れる時のあの人と同じ顔をしている。

 冷酷なフリをしていても、本当はどうしようもなく弱くて、とても優しいのよ。

 数日間だけ共に過ごした私の愛しい娘。

 あら、そういえば私どうなったのかしら。

 必死に伸ばされる褐色の手、赤い血が滲んでいる。

 駄目よ、怪我をしたのならちゃんと手当てをしなくちゃ。

 叫んでる喉、ああ、女の子がそんな大声出しちゃ駄目。

 

「……かあさんっ……」

 

 いつか、私が彼女に呼んで欲しいと望んだ呼び名、その名で呼ばれた気がした。

 

 

 

  慟哭

 

 

 

 

 side.衛宮切嗣

 

 

 アーチャーやセイバー、ランサー達がキャスターと巨大海魔に相対しているその頃、僕は人除けの結界が申し訳程度に張られた薄汚れた廃墟へとやってきていた。

 そしてそこで僕は、目当ての人物でもあったベッドの上に横たわっている金髪の男を機械的な瞳で見下ろす。

 そんな僕を前にその男は、ひゅうひゅうと苦しげに喉を鳴らしながら僕を見上げていた。その青い瞳に映っているのは不安と縋るような色、それとまるで死神のような顔をした僕そのものだ。やがて自由にならない喉を通して男は言葉を紡いだ。

「……これ……で、ソ……ラウは……」

「ああ、大丈夫だ、問題ない」

 懐からたばこを取り出し、かちりと火をつける。

「そう……か」

 僕の言葉を聞いて安心したからだろう。自己強制証文(セルフギアス・スクロール)を握り締め、瀕死の男……かつて時計台で栄誉を一身に受けていた魔術師、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトは気絶するように眠った。

 

 この男と僕が交戦したのは、約2日前のことだった。

 セイバー、ランサー、アサシンの三名の英霊がキャスターを相手に激しい戦いを繰り広げていたその日は、マスター殺しには打って付けの夜だったといえよう。

 傲慢を胸に油断しているエリート魔術師を狩るなど、魔術師殺しの異名をもつ僕にはさほど難しいことでもない。

 それはロード・エルメロイと天才の呼び声高く言われていたケイネスが相手とて例外ではなく、対峙した際に僕の持つ切り札の1つである、当たれば「切って繋ぐ」という僕自身の起源に基づいて敵の魔術回路をショートさせる弾丸……起源弾をその身に打ち込んだ結果、男は瀕死の重傷を負って倒れこんだ。

 本来ならそこで命も即座に刈り取るのが常のやり方だったが、いくら交戦中とはいえ、主君の命の危機にサーヴァントが反応しないはずがない。つまり重傷を負わせた時点で時間など無いに等しかったのだ。

 そう、サーヴァントを連れていないし頼るつもりもない生身の僕が、サーヴァント相手に太刀打ちできるはずがないことは痛いほどわかっていたことだ。なので、その場では特別性の発信機を男に仕込んだだけで去ることにしたのだ。いずれ来るチャンスで仕留めるために。

 そして今日こそがそのチャンスだったといえよう。

 彼のキャスターが起こした蛮行を止める為に殆どのサーヴァントが出払っている今、各々のマスター達の守りが手薄となっている事は想像に難くない。それは僕の願ってもみない好機だ。

 誤算といえば僕のサーヴァントとして呼び出された彼女……アーチャーも戦闘に参加すると言い出したことだったけれど、考えてみれば彼女がそう言い出すのは当たり前の事だったのだ。

 彼女がどれほどいっそ歪に真っ直ぐで、他人の犠牲を厭う人間なのかなど、夢を通して痛いくらいに知っている。自分の命すら進んで捧げる様子はまるで殉教だ。いっそ完全な他人であるのならここまで感じなかったのかもしれないが、これがもう一人(べつせかい)の僕が育てた我が子が至った末の姿なのだと思うと、胸が痛くなる。

 その真っ直ぐな声に、在り方に、自分の醜さを思い知らされるようで苦しくなるのだ。

 子供の頃、僕は正義の味方になりたいと思っていたし、そう在ろうとした。それは本当だ。だけど、知った現実を前に僕は彼女ほど純粋になどなれなかったし、あそこまでひたむきでもない。

 僕のこの感情はもっと後ろ向きで、今まで犠牲にしてきた人々の為にも止まってはいけないという、そんな強迫観念にも似た思いでしかないのだから。正直に言えば、かつて焦がれた己の理想を呪ってさえいるのだ。失うばかりの人生と、それでも捨てきれずここまで抱え続けた憧れを憎んだことさえある。そんな僕は、もう彼女のように、子供の頃の憧れをただ綺麗なものとして見ることなんて出来ない。あんなふうには僕は生きられない。生きることが出来なかった。それが僕という人間だ。

 ……いっそ、彼女がもう少し汚い人間であるならばよかったとそう思う。

 人として当たり前の幸せを望めるような、そんな人間であったのなら。

 親のエゴだとはわかっている。

 相手が英霊にまで昇華された存在である以上、今更僕が何をしたところで、その過去が変わることはないだろうことも。それでも、他の誰でもない彼女にだけは戦ってほしくないと思った。あんなふうに想い報われず、それでも誰を恨むこともなくズタズタにされて殺された彼女が、これ以上苦しむのは何かが間違っている。そう思う一方でもう一人の自分が冷静に彼女を使うことを検討する。

 そうしてつけた条件が視力の共有と、1km以上離れた位置からの射撃許可だった。

 アーチャーの射撃範囲は半径4kmにも渡るという。1km以上離れた位置からならば、敵の反撃を食らうこともないだろうという計算。そして同時に彼女の千里眼のスキルで戦場を把握することは、僕にとって随分と大きなメリットを生み出すこととなる。

 舞弥にまずはキャスターのマスターである存在を見つけ出し、射殺するように命じ、自分は発信機を元にロード・エルメロイの元に向かう。間も無く無事目標を狙撃したことを無線で受け、続いてエルメロイの婚約者であるソラウ・ヌァザレの確保に向かってもらった。

 奇しくも、アーチャーが陣取っているビルの真下の階にいたのが予想外といえば予想外だったが、居場所がわかっている分探し回る手間が省けて好都合だった。(実は先にソラウが屋上を拠点としていたのだが、アーチャーが近づいた気配に慌てて階下に潜んだのだということは知らない。また、余談ではあるが、川にいたランサーからアーチャーの姿が見れなかったのは、見たのは一瞬だったのと、たまたま互いのいた位置が悪かったが故の偶然である)

 そして、舞弥がソラウを捕らえたと同時に僕は、ケイネスの元へとたどり着いた。

 あとは舞弥が男の婚約者をいつでも殺せる状態にいるという証拠映像を瀕死のこの男に見せ、婚約者を無事帰し殺さない代わりに、令呪全画を使ってランサーをこちらの指示したタイミングで自害させろと、そう要求すれば事は終わった。銃を突きつけ婚約者を餌にすれば、指一本さえ動かす力の残っていない男が陥落するのは簡単だった。

 タイミングを指示したのは、キャスターとの総力戦を行っている最中にランサーを倒すのは得策ではないとわかっていたからだ。あの二槍の槍兵がもつ破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)が、キャスターのもつ宝具に有効なのは僕とて理解している。

 あれほどのことをやらかしたキャスターだ。僕がやらずとも誰かが斃すだろうという判断でマスター狩りこそ優先したが、僕だってあのキャスターの危険性は重々承知している。

 あれを放っておくということは多くの犠牲を生み出すということだ。聖杯が願いを叶えられない可能性があると知った今の僕に容認できる存在ではない。だから、アーチャーの目を通して、ランサーがその役を果たしたのを確認してから、目の前の男に令呪を発動させた。

 そして、あの美貌と悲恋の伝説に彩られた男がしっかと消えた様子も、アーチャーの目を通して確かに視ていた。

 もう、ここにいる理由もない。僕は男を置き去りにしてこの廃墟を去る。

 同時に舞弥に連絡をいれて、ソラウ嬢をこの男の元に約束通りかえすように指示する。ただし、仮にも魔術師の女をただで返すほど僕もお人よしではない。僕の事について実家に報告でもされたら面倒だ。肉体に損害は与えない代わりに、その記憶は奪わせてもらう事にするが。

 舞弥と合流して、彼女の運転する車に乗り込む。

「どうしたのですか」

「何がだい?」

 舞弥とは長い付き合いだ。その付き合いはアイリよりも古い。この手で育て右腕とした女。例えいつも通りの無表情でも彼女が何を言いたいのかはわかっていながら、僕はとぼけた返事を返す。

「殺さず記憶だけを奪う、など。貴方とも思えない」

「何……思うところがあっただけさ」

 おそらく、今回召喚したのがあのアーチャーでなかったのなら、いや、他人だったのなら、決して僕は今回のこんな選択を選ばなかった。容赦なくソラウもエルメロイの命も奪っていたことだろう。

 それが僕という人間……衛宮切嗣という名の戦闘機械の行いだからだ。

 けれど、それを躊躇した理由。

 それは並行世界の自分がアーチャーを拾い我が子として育てた世界では、聖杯は呪いに汚染されていたという紅い弓兵が以前口にした言葉だ。そして僕は彼女の夢を通して、本当に聖杯が汚染されていた場合それがどのような悲劇をおこすのかも見ている。

 聖杯が全てを救うと、この世から争いを無くせると信じたからこそ、僕は躊躇なく誰をも切り捨てられると思って今日までの9年の月日を過ごしてきた。

 やがて全てを救えるのだから、どんなことでも僅かな犠牲なのだと自分に言い聞かせることが出来た。例えその失う対象に最愛の女性(ひと)がいたとしても迷いなく進んでいけるのだと。

 いわば、聖杯で願いを叶えると言うことは、自身の外道行為に対する免罪符であったのだ。

 今でも聖杯に縋る気持ちはある。それでも、本当にアーチャーの言葉通り聖杯が汚染されていたのなら、僕が始める行いはただ犠牲を増やすことになる。それは、そんなのは天秤が釣り合わない。

 それでもあくまでも『聖杯が汚染されていた』というそれは平行世界の話なのだからと、この世界でまで同じ筈がないなんて想いも消しきれないし、一体どちらが正しいかなんて今の僕にはわからない。

 無色の願望器であると信じたい気持ちと、汚染されていたのなら、呪いが噴出す前に僕の手で止めなければならないという気持ちの狭間で揺れる自分を自覚する。

 時間が経てば経つほど、彼女(アーチャー)の夢の記憶も合いまり、聖杯は汚染されているのではないかと、アイリは無意味な犠牲になろうとしているだけなのではないかと、そう無色の願望器を信じる気持ちよりも疑う気持ちのほうが徐々に比重が大きくなりつつある。

 嗚呼でもどんな結果になるにせよ、僕のこの手で一体何をどこまで守れるというのだろうか。

 いや、僕はこの手で「何か」を守ることが出来るのか? 経験はない。わからない。分かるはずがない。全てがグチャグチャだ。ただ、そのとき脳裏を過ぎったのは、初めて彼女を見たとき……羊水槽の中にいた銀髪の美女と出会ったときの記憶だった。

「……舞弥」

「はい」

「明日の朝になったら、アイリたちの元へ向かってくれ」

 舞弥は僅かに躊躇らしきものを見せて、小さな声でそっと「それでいいのですか」と尋ねた。

「ああ、構わない」

 今は無性にアイリの顔が見たかった。たとえ、それが妻との最後の語らいになるとしても、だからこそ愛しい女性の体温を身近に感じたかった。

 ……怪物が倒れた後の静かな夜に、車の排気音だけが音を立てて街を彩っている。

 

 

 

 side.言峰綺礼

 

 

 ぽたりぽたりと、血が私の腕を紅く染め上げている。

(私は何をしている?)

 眼下にいるのは、自分が生まれてから今まで、自分という存在を誤解し続けてきた父親の姿。そう、自分の右手に心臓を貫かれて絶命している聖杯戦争の監督役、言峰璃正の姿があった。

‘どうした、綺礼。もっと悦んでみせよ’

 その声ならざぬ声が耳元で囁く。うっとりと、唇が笑みの形を作る。喪失感に震える。震えている、なのに、こんな満ち足りた気持ちは初めてだった。

(これが、悦びだと?)

 このようなものが悦びであっていいはずがない。聖職者である自分が他人を傷つけることを愉悦に感じるなどあってたまるだろうか。でも、この超越者の声のまま父を手にかけた自分は認めるしかなかった。

 これは甘美な(つみ)の味だ。けれど、なんと抗いがたい味がするのだろうか。その、信じられないと目を見開いた姿。最期まで息子を信じていたであろうその死相は。

(嗚呼、なんて穢らわしい)

 しかしどうして……どうしてこんなにも、空洞であった筈の心を満たしていくのだろう?

(まるで動物以下だ)

 獣だってもっとマシだろう。

 敬愛する父を己の手で葬り、覚える感情が悦であるなどと。

 なんだ、我が父は狗にでも私を産ませたというのか。

 嗚呼、なんて…………有り得ない。

(気持ちが良い)

 誰よりも正しかった父、言峰璃正。そこに落ち度があったとすれば、きっとそれは私という生みだしてはいけない者をこの世に生みだしてしまったことだろう。

(だから、これは貴方の罪であり、私の罪だ。父上)

 

 そんな風に感傷に浸る私に、超越者の声が脳内で響く。

‘もう、いいだろう? さあ、綺礼。神父の腕から令呪を剥ぎ取れ’

「ああ……」

 その言葉に従うように、死の直前に父から読み取り出した、聖言を諳んじる。

「神は御霊なり。故に神を崇める者は、魂と真理をもって拝むべし」

 それを合図に、父の腕で光る令呪の数々がするすると自分の腕に移植されていく。父の腕に収まっていた時は美しく左右対称だった文様が、自分の腕に宿主を変えた途端歪み左右不対象の文様を描き出す。それが、自分と父の隔絶のような気すらした。

 そんな光景を前にぽたりと、涙が伝った。それはどういう種類の涙だったか。父を殺した悔恨……ではないことだけは確かだ。かつての恐怖に答えを見出した喜びなのか? それとも、父を自分の手で殺したことによる嬉し涙か。

 

 父殺しを果たしながら、未だ私の心は揺れ続けていた。

 

 

 

 side.遠坂時臣

 

 

 その連絡を受けた時、まさかと思った。

「言峰神父が……死んだって? はは、何の冗談かな。君でも冗談を言うことがあるんだね」

 遠坂の魔術で弟子である青年と連絡をとりつつ、それでも私は出来るだけ冷静になろうと心がけていた。けれど、そのあまりに突飛過ぎる弟子の言葉を前に、声音からは動揺が隠せず声が震えていた。

 そんな私とは対照的な声音で綺礼は言葉を吐き出す。

『いえ、事実です。昨夜のキャスター討伐のドサクサに紛れた何者かに襲われ、父は死にました』

 その淡々と紡がれた報告を前に、ぐわんと、頭をハンマーで叩かれたような衝撃が脳裏を走った。死んだ? あの言峰璃正が? あの老練にして屈強な神父が?

「……本当に?」

『ええ。知っての通り、私は教会の保護を受けられない立場にいましたので、容易に近づくことも出来ず、発見が遅れました』

「そう、か」

 言峰神父の死は私にとってもショックだが、弟子の綺礼にとっては尚更だろう。何せ実の父親なのだ。きっと、発見が遅れたことで一番辛い思いをしているのは綺礼に違いない。そう思えば、こんな風に冷静な声で報告をしてくれている弟子のことが哀れな気持ちになり、私は労うような言葉を彼にかけた。

「わざわざ連絡すまなかったね。色々と君もこれからが大変だろうが頑張りたまえ」

『いえ。では』

 切れた通信を見つめる。

「セイバー」

 そうして数秒の沈黙の後、静かな声で呼びかけると、すっとどこからともなく赤いドレスの少女が姿を現した。

「何用だ、奏者(マスター)よ」

「これから、出かける。護衛を頼む」

「ほう」

 その私の言葉を前に、にやりと美しい少女の顔に傲慢な笑みが貼り付いた。

「ずっと閉じこもってばかりだと思っておったが、閉じこもるのはやめたのか? どこにいくというのだ。奏者よ」

「隣町だ」

 その言葉にセイバーが否やを言うことは無かった。

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 眠っている白皙の美女の顔をそっと見つめる。

 土蔵に設置した魔方陣の上で彼女はまるで眠り姫のように、昏々と長い眠りについている。

 昨夜のキャスターとの戦闘から帰ってきた時から、既に彼女、今回の聖杯たるアイリスフィールは眠りについていた。その顔を見ながら様々な想いが胸に押し寄せる。

 悪戯っぽい顔に、少女染みた可憐さ。そして母親としての一面と、アイリは実に色鮮やかにそのときによって顔をころころと変える。だが、もう彼女に私が紅茶を淹れることもないだろう。これは、彼女が今回の聖杯であるということから、わかりきっていた結末だ。

『ふふ、私のこと、お母さんって呼んでくれてもいいのよ?』

 何故か会ったばかりの頃に言われたその言葉を思い出す。

 私と切嗣(じいさん)は似ていると、だから親子だっていうのも信じるのだと、あの人にとっての子供なら自分にとっても子供なんだと、そう言ってのけたアイリ。

 私には母との記憶なんてものはない。何故なら私は切嗣に拾われたあの大災害以前の記憶がないからだ。……正確には膨大な時の流れを前に忘れてしまった、というのが正しい表現なのだが。

 生前は覚えていたのかも知れなくとも、それでも生みの母との思い出など既に守護者に成り果てた私には欠片も残っていない。私を引き取った切嗣はその頃には独り者で、養母(はは)と呼べるような人はいなかったし、だから母親とはどういうものかなど、他者ほどわかっているわけではないのだろう。

 それでも、母親とはアイリのような女性のことをいうのだろうとそう思う。

 彼女は私に母と思って欲しいという。そうして慈母の愛をいくつも私に示した。それはとてもくすぐったい経験だった。けれど……そうだな。たった数日間だったかもしれないけれど、それでも接した彼女は誰より母親だった。

 だけど私は英霊だ。既に死んでいる存在。

 それが、この時代を生きている彼女を母親と思うなんておかしいだろう? 許されることじゃない。私はこの聖杯戦争のためだけに呼び出された道具なのだから。

 そんな風にとりとめのない思考に陥っていると、キィと、車のブレーキ音が聞こえてはっと顔を上げる。この気配は切嗣(マスター)だ。

 実体化し、すぐさま玄関に赴き主人を出迎える。

 くたびれた黒いコートにぼさぼさの黒髪、ぞんざいに伸びた無精髭。僅かに香る煙草と硝煙の匂い。そのどれもが魔術師殺し衛宮切嗣を代表するものだろう。主人(マスター)従者(サーヴァント)という関係だというのに、こうして顔をマトモに突き合わせるのは一体何日ぶりか。そのことに、どれだけ自分が長いこと避けられてきたのかを痛感する。

 けれどそんな自分の感情を殺し、私はあくまでも1人のサーヴァントとしての態度で、言葉を放った。

「アイリなら、土蔵で眠っている」

「……そうか」

(……?)

 私の回答を前に、切嗣はどこかほっとしたような顔をしている。珍しい。今の私の前でそんな顔をするなんて。

「夫婦で語らいたいこともあるだろう。私は消えていよう」

 そう言ってすっと霊体に戻り、屋根の上へと飛ぶと、切嗣は僅か手を彷徨わせて私が消えたほうを見、きゅっと口を引き結んで土蔵へと向かった。

 本当にどうしたというのだろうか。なんだか様子がおかしい。変だ。

 噂に聞いた魔術師殺しとはもっと機械のような男なのではなかったのか? まさか、体調不良ではあるまいな? それはいけない。どうせあの人のことだ、食事も睡眠も碌にとってなかったのだろう。その無理が生じたというところか。ならば、霊体化して周囲の見張りをするよりも、粥とかちょっとした食事を用意したほうがいいのだろうか。なにせ私と違ってあの人は生身の人間なのだから。

 すっと、霊体のまま下に降り台所に立つと、魔力で身体を形作り投影した赤いエプロンを身に着ける。材料はそれほどあるわけではないが、全く無いわけではない。その少しで十分だ。水を沸かしながら、トントンとリズム良く野菜を切る。

 本当は色々マスターに尋ねるべきなのだろうとそう思ってはいる。

 例えば、昨夜のランサーの急変。あれをやったのはマスターなのか? とか。

 でも、わざわざ聞くまでもなく、私は原因があの男であると確信していた。そして、それを咎めるつもりもない。おそらく、爺さんが本来呼び出すはずのアルトリア(セイバー)ならば、激昂しながらも昨夜の顛末について詰め寄るのだろう。

 彼女はそういう人だ。真っ当な勝負の果ての消滅であるのならば文句はないかもしれんが、あんな風な結末は騎士として見過ごすわけにはいかないとそう思うことだろう。あまりにも卑怯だと。でも、別にアイリが言った言葉に乗っかるつもりはないが、基本的に私と切嗣は同類なのだ。一体私に何を責められるというのだろうか。

 だが、まあ、この時代にきてから私は色んな人に色んな誤解をされているような気もする。

 別にそれで損をするわけでもないから放っておいているが、現状、どうも私は騙まし討ちや相手を策略に嵌めるタイプだとは思われていないらしい。ライダーなんかは完璧に私をお人よし呼ばわりだ。必要がないから今の所その手の事を行っていないだけで、私はそんな上等な人間ではないのだがな。

 そう、昨夜のランサーが突如自害した件についても、ライダーもセイバーもあんな倒れ方をしたランサーのことを不憫に思ったらしく、ランサーに自害を命じたであろうランサーの主君に対して大なり小なり怒りを覚えていた様子だったわけだが、私にとっては決してランサーが倒れた件は怒りを覚えるようなものではなかった。

 それは当然だといえよう。なにせこの身は由緒正しき正英霊などではなく、薄汚い守護者の反英雄でしかないのだから。世界の掃除屋。それが本来の私だ。

 誇りのある戦いよりも、目的を達成するためには何をも犠牲にするし、誇りなんて自ら投げ捨てる。それが私の戦いにおけるスタンスだった。

 正規の英雄連中とは違う。三騎士のクラスで召喚されていようとも、私は騎士などではないのだ。大事なのは過程ではなく結果だ。ランサーの件についても、敵サーヴァントが一人脱落した。私にとって価値ある事実はそれだけだ。

 私は、私の目的さえ遂げれればそれでいい。

 銀髪紅眼の少女の、幼く純粋な顔を思い出す。

 イリヤスフィール。私の妹であり姉の少女。

 彼女との誓いはここにある。約束を違えるつもりはない。もう二度と私は主を裏切らない。今生は私を呼び出したマスター……衛宮切嗣の為に捧ぐ。其れが私の戒めと望みだった。

 

 

 

 side.衛宮切嗣

 

 

 玄関で出迎える白髪の女の姿を見たとき、僕はどう反応すればいいのかわからなくて僅かに戸惑った。

 そんな僕に対し、彼女は硬質な声音で言葉を紡ぐ。

「アイリなら、土蔵で眠っている」

「……そうか」

 なんだ、僕の戸惑いに気付いたわけじゃないのか。そんなことに少しほっとする。

 こうしてアーチャーと顔を正面から突き合わせるのは日本にきてからは初めてのことだったと思うが、彼女の記憶を見てきた事に気付かれていないならそれでいい。やはり、自分の記憶が勝手に見られていた事を知るのはいい気分ではないだろう。

 そう思っていると、アーチャーは仏頂面ながらも僅かに眉根を寄せ、不思議そうな顔を浮かべたあと、元の従者としてのスタンスに戻してこう言った。

「夫婦で語らいたいこともあるだろう。私は消えていよう」

 そういって霊体化して消えていく様を見て、思わず呼び止めそうになる自分を自覚する。馬鹿馬鹿しい。こんなところでボロを出してどうする。僕は葛藤を押し殺して、当初の予定通りアイリの元へと向かった。

 

 暗い土蔵の片隅で、魔方陣の中に横たわる眠り姫。

 その姿に羊水槽の中で眠っていた彼女との出会いを思い出す。

 思えばあの最初の出会いの時、アイリの緋色の瞳に魅入られ僕は彼女を深く愛するようになっていったのだ。あの光景をきっと僕が忘れる日はないだろう。そんな風に思いながら妻の顔を見下ろす。

 そんな僕の気配に気付いたのだろう。覗きこむ僕の目の前で彼女はゆっくりと目を開いて、それから嬉しそうに柔らかく微笑んだ。

「あ……キリツグ、だ……」

 冷え切った弱々しい指が、僕の頬を緩く包む。

 そして彼女は夢見心地の優しく柔らかい声で言葉を紡いだ。

「……夢じゃないのね。本当に……また、逢いに来てくれたのね……」

「ああ。そうだよ」

 出来るだけ優しい声音を意識して妻の声に応える。

 そんな僕を前に、アイリスフィールは紅い瞳に透明な雫をためて、ぼろぼろと溢していく。それはまるで真珠のように彼女の白い肌を彩っていた。

「私ね……ずっと……これで満足だと思っていたの……」

 しゃくりあげる元気すらなく、体を動かすことも出来ず、それでも妻は健気に言葉を吐き続けた。

「……人、じゃない私が……人みたいに恋をして……愛されて……夫と、娘と、九年も……あなたは、全てを与えてくれた……私はなんて幸せ者……なんだろうって……ずっと、そう……思ってた」

 でも、と言葉を切って、妻は目を細めて僕を見上げる。

「今は……怖い。……本当に、アーチャーの……言うとおり、聖杯が……汚染されていたら、そうしたら……私はどうなるの……? あなたは……どうなるの? ……あの子やイリヤは……私、私……」

「アイリ」

 ぎゅっと彼女の白い手を両手で握り締める。僕の体温が伝わったのか、アイリは涙はそのままにどこかほっとしたような顔をして再び僕を見つめる。

「ねえ……キリツグ……約束して。生きて、イリヤの元に帰る……って。イリヤをいつか……この国に連れてきて、私が見れなかったものを全部……見せて……一つでも多くの幸せを……あの子にあげて……」

 今朝仮眠中に見た夢を思い出す。

 アーチャーの記憶。

 僕の息子(えみやしろう)に復讐するためにやってきた、雪の妖精。巨大な狂戦士を侍らしながら、美しくも残酷な微笑を浮かべたその姿。僕の行動次第においては、この世界の未来でもおそらくはなるだろう、愛娘(イリヤ)の姿。たとえこの戦いの結末がどうなろうと、絶対にそんな未来を繰り返すわけにはいかない。

「ああ、約束する」

 我が子を守るのは親の役目だ。並行世界の僕が果たせなかったというなら、その分も僕が果たしたい。

「聖杯が、ね……本当に、汚染されていたら……あなたの手で私を終わらせて……私、あなたがいい…………」

「わかっているよ」

 他の誰でもなく僕の手で引導を渡す。愛しているからこそ、それは僕の役目だった。

「あと……ね」

 これが最期だとわかっているからだろう、妻は言葉をやめることなく続ける。その姿に胸が軋む。

「アーチャー……のこと、まもってあげて。……あの子を、残していくのが……一番心配……あの子は、だって……もっと幸せになるべきだもの……」

 報われない人生、剣の丘に佇む赤い背中の剣の王。その光景をアイリは知らないはずだ。

 裏切られ、傷つきながらも正義の味方たろうとして生きてきたことも、自らを差し出して死んだことも。だけど、そう言葉を紡ぐ彼女(アイリ)は、僕みたいに夢を通して見てきたわけでもないのに、全てをまるで知っているかのようだった。

「ねえ……お願いよ、キリツグ……アーチャーを、私たちのもう一人の娘を……守ってあげて」

「……ああ」

 そうだ、彼女はもう一人の僕の娘だ。

「わかってる」

 血の繋がりなんて関係ない。僕はあの子の父親なんだ。娘を守るのに他に理由がいるだろうか。

「わかっているよ」

 全てに裏切られ、無数の剣に刺し貫かれ息絶える。もう二度とあんな終わりを迎えさせたくない。

「僕にとっても彼女は……アーチャーは大切な、娘だ」

 初めて言葉に出して、そう、かの紅き弓兵のことを認めた。

 何を守れるのか、僕のこの手で守れるものなどあるのだろうか、そうずっと自問自答してきたことの答えがもたらされたような気がした。

(守れるか、ではなく、守る。そうか、それでよかったんだ)

 僕は今、果たして笑えているだろうか?

 アイリがそっと目を細める。起きてこうして人のように話す、その限界が近いのかもしれない。

「これを……返さないと、ね……」

 アイリスフィールは、震える手で自らの胸に精一杯の魔力を紡ぐ。すると、彼女の手の中から黄金の鞘が具現化され、その白い貴婦人の手に収まった。

「アイリ……!?」

 本当はアーサー王を呼ぶ為の媒介だったそれは、所有者を不老不死にするとされ、あらゆる病や傷から身を守るとされるアーサー王の失われし宝具。聖剣エクスカリバーの鞘だ。

 アーサー王の魔力さえあれば、どんな傷もたちどころに治すというそれは、持ち主が召喚されなかったことによって、本来の能力が引き出されることはないが、それでも一級品の武装概念ではある。人としての機能を失っていくアイリの進行を僅かでも止める力くらいならあるはずだった。だからこそ彼女の体内に封じていたのだ。

 なのに何故自ら取り出す真似をしたのか。

「なんで……」

「……あなたは、アーチャーから……きいてなかったかしら……?」

 聞いてなかったか、とは一体何の話だ。

「アーチャーが召喚されたのは……聖剣の鞘と縁があったからよ……彼女の歴史で、聖杯が引き起こした大災害で……彼女の命を救ったのは、キリツグ、あなたが……埋め込んだ……聖剣の鞘だった……そう言ってたわ……」

 はっとした。以前見た、聖杯の泥が引き起こす大災害の情景を思い出す。そうだ、あんな中、普通の子供が五体満足で生き延びれるものだろうか?

「……十年、彼女は鞘と……共にあったらしいわ。……だから、きっとこれは……アーチャーの助けになってくれる筈……今は意味がないかもしれないけど……でも、もっていって」

 そう言って無理に笑う妻の姿を見て、その細い身体をそっと抱きしめた。

「ああ……必ず」

 当初、僕はこの戦いで、9年前の魔術師殺しと呼ばれた頃に戻るつもりだった。

「必ず……君との約束は、守る」

 だけど、おそらく、あのアーチャーを召喚したときからそんなこと土台無理だったのだろう。そう痛感する。

「じゃあ、行ってくるよ」

「はい……お気をつけて、あなた」

 そう言って妻は優しく微笑む。

 そうして僕は土蔵に背を向けた。

 

 外に出ると、そこにはタイミングを読んだかのように白髪褐色肌の弓兵が立っていた。その顔を見た途端、先ほどまでの誓いはどこにいったのか、どう対応していいのかわからなくなって僕の頭は軽く混乱した。

「マスター、もういいのか?」

 そう言って近づいてきたアーチャーを、反射的に避けるようにしてつかつかと歩く。

「ちょっと、待ちたまえ」

「?」

 その言葉に、こんな風にアーチャーに呼び止められるなんて初めてじゃないのかと思い、思わず足をとめる。

 一体どうしたのか。そうして彼女の口から飛び出したのは、僕にして見れば思いがけない言葉だった。

「顔色が悪い。体調管理もマスターとしての仕事だぞ。食事や睡眠はちゃんと採っているのか?」

 今更のことだけど……僕のことをマスターと呼ぶわりに、アーチャーの言動や行動はあまりサーヴァントらしくはないな。それはきっと親愛の情からきているのだろうが……。

 アイリにはああ約束したし、僕自身彼女を守ると誓いはしたものの、それでも彼女(アーチャー)との距離の取り方がわからなくて、惑う。一体どんな顔と態度を取るのが適切なのかてんでわからない。

 ここまで取るべき態度がわからない相手は初めてだった。

 そんな僕の心境には気付いていないのだろう。アーチャーはどことなく遠慮がちにも聞こえる声音と少し恥じらうような態度を見せながら、次のような提案を僕に示す。

「その、粥を作ってみた。少しくらいなら時間はあるだろう。だから……」

「結構だ」

 その言葉は、自分でも少し予想外なくらい冷たい声になってしまって内心驚く。

「そう、か」

 そうやって自分の言葉を元凶にして肩を落とし、落ち込んだ様子を見せた彼女の姿に、罪悪感がじわじわと胸に押し寄せた。いや、今のは違うんだ、と笑いながら言えばいいものの、僕の頬の筋肉は依然張り付いたままだ。喉がからからと渇く。

「余計な気をまわして悪かった」

 言うなり、アーチャーは霊体となって消えた。

 確かに守りたいと思っているのに、上手く接することも出来ず、心に澱みを抱えたまま僕はその家を立ち去った。

 

 

 

 続く

 

 



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08.慟哭2

ばんははろ、EKAWARIです。
そういえば、うっかりシリーズの本編は第五次聖杯戦争編であり、つまり第四次編は丸ごと伏線回&前日談なわけですが、となると当然構成上ZERO英霊達は脇役なわけで、本来イスカンダルの出番も「メイドにならんか?」シーンぐらいしか初期構想では無かったりしたのですが、イスカの出番はなんていうか勝手に増えていったというか、勝手に出番ぶんどっていって気付いたらメッチャ見せ場も増えていた辺り、イスカは本当マジ征服王だな~って思います。……作中内では脇役の筈なんだけどなあ。

あと、自分が女エミヤさん描写している時脳内再生させている音声はボカロの猫村いろはさん(特に根気Pカバーのエリザベート闇の帝王トート役やっている時の声音)だったりするのですが、それで想像しにくい人は幼少期の士郎演じている野田○子さんの低めの声でもイメージしたらいいと思います。
決して諏訪部声で脳内再生しないように。あんな声の女とか居たら怖いからw


 

 

 

 side.遠坂時臣

 

 

 遠坂の自室で、私は自分が(したた)めた書類の数々を点検し直しながら、これまでのことについて回想していた。

 聖杯戦争は、折り返し時点にとっくに入っているといっていいのだろう。

 少なくともアサシン、キャスター、ランサーの3騎のサーヴァントが脱落した今、腹の探り合いである期間(モラトリウム)は終わったといえた。

 あとは互いの駒を取り合うだけだ。

 だが一気に二騎のサーヴァントが脱落した3日前が嘘のように、この2日間というもの大きな変動はなく聖杯戦争は静寂を記しており、故に私が思い出すのは昨日、次代の後継者たる我が娘の中に見いだした希望ともいえる大いなる光だ。

 幼い少女が持つ意志の強い眼差しは、彼女が凡俗とは異なる存在であると強く私に思い知らせた。

 そのことに酷く私は安堵したのだ。

 正直な話をすれば、言峰神父が死んだと知らされるまで、私は聖杯戦争など勝って当然のものだと思っていたのだ。

 そう自負して、自分にはそれを為せる力があると疑わずにここまで来た。

 そう、それはたとえ、英霊が当初望んだ相手とは違うものだったとしても、だ。

 それでも尚勝つのは私だと思い確信していた。私以外の一体誰が聖杯を手に出来るというのか、最もその資格があるのは間違いなく私だとさえも思っていた。

 人はそれを驕りと呼ぶのかもしれない。だが、親交の深かった神父の死を前に私は漸く自分の死の可能性について考えるようになったのだといえよう。

 人は死ぬのだ。呆気なく。

 どれほど死のイメージと遠いものだろうと、死ぬはずのない人物と思っていた相手だろうと、それでも死神の鎌は平等に訪れる。そのことを言峰神父の死をもって私は学んだ。

 だから、もし私が死んだとしても後世には何の不都合もおこらないように、私は手短に出来るだけの用意をした上で、妻の実家に預けた娘へと会いに行った。そう、次代の後継者である凛に。

 語るべきことを語り、別れを告げた。やれるだけのことをしたと私は思う。

 私が凛にとって良き父であれたかについては正直分からない。

 なにせ昨日に至るまで、7歳になる娘の頭を撫でてやったことすらなかったという事に気付いていなかったような、私はそんな父親なのだから。

 考えてみれば、あくまで私は凛にとって父というよりも魔術の師でしかなかったのだろう。

 そんな私が凛の父を堂々と名乗っていいものか。

 しかし少しだけ胸に巣くった不安の種など、名に恥じぬように成長した娘の瞳を見るなり消し飛んだ。

 幼いながらも、家訓に恥じない誇り高き遠坂の娘としての矜持を胸に、自分が遠坂の後継者であるということを正面から受け止め当たり前だと語るその碧い瞳は、自分が如何なるものであるかという自信と自負に満ちあふれていた。

 だからこそ私は何より安心したのだ。

 この子がいる限り遠坂家は大丈夫なのだと。

 遠坂凛、我が最愛の娘、彼女こそが私の一番の誇りなのだと、そう実感せずにはいられなかった。

 ああ、この子が私の子でよかった。

 あの子を授かったこと、それこそが一番の天恵だと断言出来るだろう。

 その記憶を前に、ふっと顔を綻ばせる。

 が……。

「奏者よ」

 もう暫く余韻に浸りたいという私の思いは、ここ数日ですっかり聞きなれた少女の声に邪魔されることとなった。

「なんだい、セイバー」

 思わず不機嫌な気分になるが、感情のままに他者に当たるなど優雅な振る舞いとはとてもいえない。そのため、無理矢理に平素の声を作って返す。

 そんな私の心の動きになど興味がないのだろう。セイバーは相変わらず傲慢そうな美しい顔の中に、僅かに真面目な色を宿しながら何気ない風にこう告げた。

「サーヴァントが近づいておる」

「何?」

 言われて、遠坂の使い魔を近くに放つ。

 そうして最初に確認したのは雷鳴と共に走る車輪であり、その上に乗っているのは赤毛の大男と小柄な魔術師……間違いなくライダーのサーヴァントとそのマスターだ。

「ふん、目的は余との戦いであろう。客をもてなすは家主の役目であるが、さてどうするのだ、奏者(マスター)よ」

 その言葉に、表情には出さずとも私は内心驚いていた。

 今までは好き勝手にこちらの指示も聞かず戦ってきたセイバーだったのだが、まさか私に意志を尋ねてくる日が来るとは思っても見なかったからだ。

 だが、先日のランサーの急変、あれを思えばこの態度も無理がないのかもしれない。

 あのタイミングを合わせたかのような、不要となったものを切り捨てるかの如き自害……ランサーのマスターが自らの意志でランサーに令呪で命じたとも考えがたいし、「する」としても早すぎる。

 故に誰にでもわかるこの方程式で出される答えは1つだけだろう。

 そう……何者かが暗躍している、とあの自害は示唆していた。

 そのことをセイバーも自覚しているからこそのこの言葉なのだろう。

 まあ、その候補として最も可能性が高いのは魔術師殺しである衛宮切嗣だろうが……しかし、確信に至ほどの情報が揃っているかといえばそれはなく、故に今回のランサー自決事件の犯人候補を彼女に教えたこともないのだが……それでももしかしたら私の事をセイバーなりに気遣ってくれているのかもしれないと、その傲慢気な色の中に僅かに見えた真摯さを前に私は考えた。

「そうだな」

 ふむ、と暫し思案する。

 まずは表だって立ちはだかった敵である、あのマケドニアの大王のことについて考える。

 ライダーの宝具について述べるなら、あの戦車といい固有結界といい、どちらもひたすらに派手で破壊力がありすぎるのが特徴といえるだろう。

 他者を迎え撃つにあたり魔術師の工房としての自宅の備えに、多くの魔術師の例に漏れず私も多大な自信はあるのだが、あの戦車で乗り込まれたら流石にアインツベルンの森の結界の二の舞になりかねない。

 だからといってセイバーと別々に対応する場合、上げられるリスクとして第三者のサーヴァントが出現した時、果たしてどうするかという問題が待ち構えているといっていいのだろう。

 初日のバーサーカーによるセイバーへの襲撃や、あの弓兵のサーヴァントが持つ遠距離射撃の数々について、忘れたわけではないのだ。

 魔術師同士の戦いには勝つ自信があっても、流石にサーヴァント相手に勝てる自信は私にはない。故にこそ数々の思考の結果、セイバーにはこう指示を下すこととした。

「外で向かい撃ちたまえ。ただし、あまり此処から遠く離れすぎるな。いざというときは宝具の使用も許可しよう」

「なんだ、大判振る舞いではないか。よいよい。漸く奏者も少しは乗り気になってきたというだけで此度は満足しようぞ」

 そんな言葉を不敵な顔で笑いながら言い、セイバーは外へと駆けていった。

 相変わらず傲慢な少女だ。

 そんな呆れにも似た感想も浮かぶが、ただで時をこまねくつもりもなく、私は彼女が駆けると同時に使い魔をセイバーとライダーの下に複数飛ばす。

 ライダーは今回はどうやらやる気満々という事らしい。

 セイバーと二言、三言言葉を交わすと、騎乗宝具『神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)』に乗ったまま、セイバーへと突進していった。セイバーはひらりと赤い衣をなびかせながら、剣を手に踊りかかる。そんな攻防を5分ほど見続けた時だっただろうか。

 ふいに遠坂家の呼び鈴を鳴らす音が聞こえて、私は精神同調の術を一旦解く事とした。

(誰だ? こんな時に)

 そう眉を顰めつつも来客について確認を取る。

 見れば、玄関の外にいたのは今回の聖杯戦争の協力者でもある言峰綺礼だった。

 何者かの来訪。それが敵の襲来ではないことに思わずほっとしながらも私は玄関に出て応対をする。

 言峰綺礼。故・言峰璃正神父が年老いて授かった一人息子。

 私にとって良き弟子であり、3年間私の門下生だった男。この聖杯戦争に置いて亡くなった老言峰神父を除けば最も信頼を置いている相手だ。

 ……それでも相手がただの魔術師だったのなら、弟子とはいえここまで信用はしなかったかもしれないが、幸いというべきなのか綺礼の本職は聖職者であり、神に仕える敬虔な信徒だ。

 魔術師ではない彼が私と敵対する理由もなく、また彼自身の真面目で愚直なまでにひたむきな姿勢と人となりが、信頼に値する人物なのだと私に思わせていた。

 故に身内相手に見せる顔と声音で私は彼に言葉をかける。

「どうしたんだい、綺礼。こんな時に」

導師(マスター)と早急に話したいことがありまして」

 久しぶりに直接顔を合わせることになった魔術の弟子である青年は、師弟の礼に則って深々と頭を下げながらもそんな言葉を吐いた。

 綺礼とはこれまでもそうしてきたように、連絡を取ろうと思えば魔術でいくらでも取れる。

 であるにも関わらず、聖杯戦争中にわざわざ来訪するなんて、周囲に連携している事を告げているようものだ。それを、この慎重な所もある弟子がわからない筈がない。

 私にとって、今がどんなに大事な時なのかは彼とて重々承知しているはずなのに。

 なのにこうして直接顔を合わせて話したい事があるとは、それだけ重要な用件があるということなのだろうか。

 ……綺礼の実父である言峰神父が亡くなったのはつい先日のことだ。もしかしたらそのことについての話なのかもしれないな。

「そうか……君がいうからには相当重要な話なんだろうね。入りたまえ。調度私からも君に話がある」

 そういって私は彼を招き入れた。

 今にして思えばその時綺礼がどんな顔をしていたのか、もっとじっくりと見ておくべきだったのかもしれなかった。

 だがそれに思い至ることもなく私は彼をあっさりと家の中に招いた。

 そのこと自体が驕りだったのだということも、この時の選択がどれほど重要だったのかさえ、思考の外側だった私はこの時犯した最大のミスの存在について、遂にその(キワ)まで理解することはなかったのだから。

 既に全てが遅い。

 

 

 

 

 side.ウェイバー

 

 

 今から3日前、2騎のサーヴァントが脱落した。

 その時の戦いでライダーは宝具「王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)」を使った。

 これはライダーの持つ宝具の中でもとっておきの切り札といっていい代物だった。

 そう信じていた。

 ……だってなにせ王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)っていう宝具は、王と家臣の絆の力を利用して荒野の平原とライダーの配下である歴戦の勇者達をサーヴァントとして召喚するっていう、とんでもなく魔法に近い大魔術……心象世界の現実への具現、固有結界こそがその宝具の全容だったのだから。

 魔術師だって出来る奴はほぼいないに等しいのに、本当とんでもない代物だ。

 魔術師でもなんでもないのにこんなものを呼び出せるなんて、数々の宝具の中でもこれは破格の代物と呼んだっていいだろう。

 数の利は時としてなににも代え難い暴力だ。

 それも召喚する相手が雑兵ではなく、一騎一騎がそれぞれの伝承を持つ英雄だっていうんだから、敵にしてみれば堪らない。

 ライダーの持つ能力は聖杯戦争において反則とさえ言える能力だろう。

 こんなものがある時点で、7騎によるバトルロイヤルである聖杯戦争をどれだけ有利に進められるかなど、想像に難くなかった。

 あれを見て、嗚呼勝つのはきっとこいつだとボクは確信したものだ。

 まあ反面だからこそボク個人の能力の至らなさに臍を噛む想いを受けたし、劣等感をより一層刺激されることにもなったけれど。

 そうやって1人で拗ねていじけて……そんな自分の小ささをこの大王の隣だからこそ余計に実感し凹んだ。

 きっとボクがそんな有様だったからこそ、こいつは言い出せなかったのだろう。その失点と見誤りにも気付かぬ侭。 

 悔しいことに、ボクはその宝具の正確な効力……デメリット部分については、今朝になるまで誤解をし続けていたんだ。

 そんなに都合が良い物なんてこの世にある筈がないのに。

 ライダーだって、元は人間なんだから間違いだって犯す事もあれば、出来ない事だってあった筈で、そのことをこいつの記憶(ゆめ)を通して確かにボクは見てきた筈なのに。

 それがボクがライダーのマスターとして犯した最大のミスだった。

 ライダーは完璧なんだと、完璧な王で出来ないものはないんだと、そうどこかで楽観していたんだろう。

 サーヴァントの仕組みを知ればそんな馬鹿な話があるわけがないのに。

 だってライダーは……サーヴァントは魂喰いだ。

 其処にいるだけで魔力や生命力を消費する存在なんだ。

 それも宝具クラスの能力を使うとなれば消費量も馬鹿にならないし、いくらこいつが破格クラスのサーヴァントといっても貯蔵魔力量には限りがあり、だからこそマスターは存在しているんだ。サーヴァントに魔力を与えるために。

 けど川原の戦いで使った時も、その前日にアサシン相手に使った時も、ボクからもっていかれた魔力はあまりに少なすぎて、だからボクは誤解した。能力の割に燃費の良い必殺技なんだなと、そんな風に。

 だけど考えてみれば当たり前な話、大禁術である固有結界がそんなに燃費がいい能力である筈がなかったんだ。

 ライダーは、展開する魔力は呼んだみんなで分担するから必要なのは呼ぶ時だけだ、結界の維持にはさほど魔力を消費しないなんて言って誤魔化してたけど、思えば其の時点で怪しむべきだったんだ。

 現世から異次元にある英霊の座に呼びかけるだけでも相当な魔力を必要とするのだって。

 この対軍宝具はどんなに誤魔化したところで、実際は莫大な魔力を必要とするもので、ライダーはあんなに生身の身体にこだわっていたのにも関わらず、2度の固有結界使用が原因で霊体化して魔力の回復に努めるしかないほどに消耗した。

 これが現実であり、二度の大技を使った際に起きたボクらの陣営の顛末だ。

 でもまあこれはボクのミスだ。ボクが未熟だったから起きた事だ。

 しょうがないから、アイツを召喚した場所で魔力の回復に努めた。

 結果、あいつは夕方になって漸く戦闘が出来るくらいには力を回復させることが出来たという。それでも、アイツ曰く「王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)」を展開するのはあと1回が限度らしい。

 ったく、まだ敵サーヴァントがあと3人も残っているってのに、なんでコイツはそういう大事なことを言わないんだ。本当腹が立つ。

 そりゃボクは頼りないかもしれないけど、マスターなのにお前に碌に魔力すら提供出来てないようなそんな三流魔術師かもしれないけど、それでもボクはお前のマスターなんだぞ。

 ……いつもは尊大で自分勝手なくせに、変なところで気を遣うなよな、バカライダー。

「それで、誰と戦いに行くんだ?」

 そんな風にやや不機嫌な気持ちと、自分への情けなさや悔しさといった感情を捨てきれないながらも、それでも気持ちを切り替えるため、ボクはそんな問いかけをこの聖杯戦争に置ける相棒相手に投げかける。

「そうさなぁ……今夜は、セイバーの奴の相手でもしてやるか」

 漸く3日ぶりに実体に戻れたライダー……こと、征服王イスカンダルは、ボクへの返答にそんな言葉を顎をぽりぽりとかきながら、散歩にでもいくかのような口調で口にした。

 それに少し呆れたような気持ちで冷やかすようにボクは言う。

「また酒の誘いとかじゃないだろうな?」

「当然だ。奴とは語るだけのことは語り尽くした。あとは矛を交えるまでよ」

 そう気負う事もなく王者の風格すら纏って古代の征服王は言ってのけた。

 それは飄々といってるようでいて、どこか獰猛さを秘めた声で。

 セイバーとの戦いを至極当たり前だと肯定する自信に満ちあふれたその声は、マスターとしてなら心強い類のものなんだろうけれど……ふと、酒盛りの時のことを思い出しながら、ボクは疑問を1つこの赤毛の大王に向かって投げかけていた。

「アーチャーのやつは?」

「うん? なんだ、坊主? 藪から棒に」

 ライダーは意外なことを尋ねられたって顔でボクを見ている。それに少しむっとしながらもボクは言葉を続ける。

「オマエだって見ただろ。川原の戦いで。アイツの宝具の破壊力は危険だ。それにかなり遠くから放てるみたいだし、セイバーと戦っている途中にアレを使われたらどうするんだよ。語ること語りつくしたのはアイツも同じ条件だろ? だったら先にアーチャーのほうを片付けたほうがいいんじゃないか?」

 幸いにも、アーチャー自体のステータスはキャスターに次いで低いことはこの目で確認済みだ。まぁ、奇襲と多彩なスキルが十八番の弓兵クラスなんだから、そのステータスは当然と言えば当然なんだろうけど。

 でも裏を返せば、遠距離戦は危険な相手でも、近接戦闘に徹したら勝つのは難しい相手とも思えなかった。

 そんな風に各々の能力を分析した上で言えば、ライダーはほけっと奇妙なものを見たような目でじろじろとボクを眺める。

 ……至極当たり前のことを言っただけのはずなのに、なんでそんな呆れたような目で人をみてやがるんですかね、このバカサーヴァントは。

 そして咳払いを1つした後、ライダーは呆れたようなどこか諭すような声でこんな言葉を放った。

「あのな、坊主……何も全ての英霊と戦う必要なんてなかろう? なにせ、まだ聖杯が本当にあるのかすらわからないんだからな」

「ん? どういうことだよ」

 確かに他にもサーヴァントはいるんだから、潰しあうのを待つ手もあるけどさ。

 でもそういうことを言いたいわけでもないみたいだけど。

 そう思いつつもボクが耳を傾ける姿勢になったことを悟ったのだろう。ライダーはこう言葉を続けた。

「冬木の聖杯とやらが本当に噂どおりのシロモノだってぇ保障はどこにもない。違うか?」

 そうしてライダーが語ったのは自分の生前の話だった。

 『最果ての海(オケアノス)』を目指して世界を荒らし、自分を信じてついてきた者達を随分死なせたこと。現代に召喚されて、地球は丸いことを知り、自分がかつて目指したものなど、この世にはなかったということを知ったこと。

 自分の理想はただの妄想でしかなかったという、そんな話をだ。

「余はなぁ、もう、その手の与太話で誰かを死なせるのは嫌なんだ。丸い大地と同じぐらいに途方もない裏切りが、潜んでいないとも限らぬからな。そんな、あるともないともわからんもののために、あんな無欲でお人よしの小娘を手にかけるとなると、どうも夢見が悪くなりそうでなぁ」

 いやいや、敵サーヴァント相手に無欲でお人よしの小娘扱いって……何考えてんだコイツはと、そこまで思って思い出したのは、アインツベルンの城で給仕に励んでいたかの白髪の弓兵の姿だった。

 あ、うん……あの姿はちょっととてもじゃないけど聖杯戦争のサーヴァントには見えなかったというか、本来の意味の従者(サーヴァント)にしか見えなかったけどね……紅茶美味かったな。

 まぁ、願いは何かと尋ねられて、「マスターを守り抜き、家族の下へ無事返すこと」なんて自然体で微笑みながら言ってる時点で、確かに無欲なお人よしにしか見えなかった気もするけど。

 それでもあれは敵サーヴァントなんだぞ。

 もしかしたら、あれも全部演技だったのかもしれないじゃないか。

 そんなことをあの女(アーチャー)を全く警戒していない自分の従者を前にして、ぐるぐる考えた。

「……んで、アーチャーとは戦う気ないのに、セイバーとは戦うのかよ、オマエ」

 それって矛盾しているんじゃないのか、と思いつつのボクの質問だったが、それに対してこの大男はこう返答した。

「当然よ。あやつは王の中の王、皇帝を名乗っておるのだぞ? 余は数々の国を征服せし大王、征服王イスカンダルぞ。王は二人といらぬ。それにあやつは臣下となる器でも無しとなれば尚更よ。故に出会えば戦うのは必然のことであろうが」

 そう言い切る姿は、あまりにも威風に満ちていて……ムカツクことに、ボクはそんな言葉を吐くこいつの存在に魅せられていたのだ。

「わかったよ」

 だから、そう返事をかえすしかなかった。

 

 ライダーの宝具「神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)」に乗って、トオサカの家があるだろう深山町のほうに2人で向かう。

 まもなくこちらの魔力に気付いたのだろう、紅いドレスを身に纏った金髪の小柄な少女が現れ、裏山のほうへとこちらを誘った。

 そして決戦前の前口上へと剣士と騎乗兵のサーヴァントは流れ込む。

「よぉ、セイバー。3日ぶりだな」

「そうよの。ところで、今宵は酒盛りの誘いではあるまいな?」

 歪な紅い大剣を携えた少女は、いつもの傲慢そうな微笑を浮かべながら揶揄るような言葉を放つ。

 そんな相手に笑う余裕さえ見せつけて、マケドニアの大王は豪快な声音でその宣言を行う。

「まさか。もう、貴様とは必要がなかろう」

「ふむ。全くもってその通りよ。わかっておるではないか、稀代の大王(イスカンダル)よ。余とそなたは所詮、合い争うのが定め。さあ、今宵は余と踊ってもらうぞ!」

 そのにやりと吊り上げられた口角、不遜に告げられた紅き少女の宣言、それがこの戦いの口火だった。

 

 紅い大剣を携えた小柄な少女が、己が言葉どおりクルクルと踊るように斬りかかってくる。それをライダーは戦車(チヤリオツト)にのったまま躱し、いなす。

 まずは動き回る足を絶とうというのだろう。

 少女の目線と動きは戦車を引く神牛に狙いをつけている。

 ライダーもそれがわかっているからだろう。縦横無尽に手綱を引きながら、逆に少女を轢き殺そうと進撃を繰り返す。

 金髪緑眼の女剣士はそれに対し、軽快なバックステップを踏みながら軌道から逃れて見せた。

 そんな風に攻防を繰り返す度、紅い衣がひらひらと舞って戦場に華を添えていた。

 いかに障害物が多い場所を戦場に選ぼうとも、この征服王の駆る神の戦車を前にしては全てが無駄に見える。

 神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)は、土を削り、木を薙ぎ倒し、石つぶてを撒き散らしながら、目前の紅き少女を蹂躙しようと唸りを上げて突き進んでいく。

 まるでその姿は死神(さなが)らだ。

 だけど、一見絶体絶命な状況に置かれている剣使いの少女は、それでも不敵な笑みを絶やすことはなく、こちらを翻弄するように自由な動きで紅の大剣を振る舞い続ける。

喝采は剣戟の如く(グラディサヌス・ブラウセルン)!」

「いかん!」

 そう少女が叫んだかと思うと、戦車を引く神の牛は悲鳴を一つ上げ……ライダーは雷を纏わせながら空中へと強引に手綱を切り、逃れさせる。

 ぎりぎりで回避が間に合ったのか、神牛のうち一匹は片足に重傷を負っていた。

 それでも死んでいないのならば、時間と共に回復するだろう。

 けどこれだけ戦車の要である神牛に傷がついてしまっては、神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)の真名開放技である遥かなる蹂躙制覇(ヴィア・エクスプグナティオ)の使用は諦めるほか無くなった。

 それは切り札の1つを失った事を意味しているみたいなものだ。

 だけどそんな状況にもかかわらず、ライダーは「あやつめ、中々やりおるわい」と感心したような声で呟いて、戦の高揚感を前に爛々と瞳を輝かせていた。

 全くこの男は、どこでも変わらない。

 そのことがマスターとして少し誇らしい。

「何をごちゃごちゃ言っておる。さっさと降りてこぬか」

 セイバーは苛立たしげにそう怒鳴ると、ちゃきっと大剣を構えなおしながら不敵にこう告げる。

「そちらが来ぬなら余がゆくぞ」

「ほう? こちらに対抗する術があったのか? 余が見たところ、貴様には制空権をもつ相手に対抗する術はないように思っておったがな」

「ふ……余を見縊るでないわ。そのようなもの……余は持っておる(・・・・・・・)!」

 そう金紗髪の少女が宣言した時だった。

 それは一体どういうからくりなのか、ボクにはさっぱりわからないけれど、空中を足場に変え、少女は空を駆け上がってきたんだ。

 思わず驚きに目を見開くが、バカみたいだけどこれは現実だった。

「なんと」

 そのあまりにも突飛極まりない光景を前に、ライダーすら感嘆の息を漏らす。

「覚悟せい!」

 その言葉と同時に、少女の足が神牛の頭を踏み台にして、戦車内にいるライダーへと踊りかかってきた。

 ライダーは手に持った愛剣を片手に彼女の剣を受け止めた。

 そしてそのまま間髪入れずに、ざっと手綱を引いて一気に距離を離す。少女は空中が地面であるかのように、はじき飛ばされた先の空中で体制を整えた。

 かと思えば、次の刹那には再び軽やかに飛んで、紅いドレスを風にはためかせながらライダーへと迫り来る。それをライダーは手綱と剣を巧みに操って少女をその度いなし弾いた。

 

 そんな斬り合いを幾度結んだ時だっただろうか。十は下らない数だったと思う。

「ふふ……」

「ははは……」

 暴君たる風情をもつ紅いドレスの女が、突如そんな風に如何にも楽しげに笑い出した。

 自分の従者もそれに倣って高らかに笑う。

 そして剣士の英霊として呼ばれた少女は、益々甲高くも傲慢で豪快な笑い声を上げながら、華やいだ声でこう告げた。

「あはははは! なんとも愉快、痛烈なものよな! 余は楽しい! 楽しいぞ!」

 そなたもであろう、と、その緑の瞳は問うような色を混ぜてライダーを見返す。

 それに対し是と肯定するように、この赤毛の大男もまた言葉と表情を返した。

「がっはっは。全くだ。うむ、貴様を我が軍勢に加えられぬとは全く持って残念よ!」

 口ではそうは言うけど、実際横で見ていると言うほど残念そうでもなく、ライダーは手綱にこめる力を上げながら晴れやかでいて猛々しい気を放ちつつ、赤いドレスの少女に相対する。

 女も油断なく紅い剣を構えて、獰猛な瞳で己の敵(ライダー)を見据えながら、コロコロと鈴を転がすような声で言葉を続けた。

「ふふ、まだそのような戯言を言うか。よいよい。そなたと遊ぶのも中々楽しかったがそろそろ終わりに……」

 そこまでセイバーが口にした時だった。

 突如女の表情が、何か重大な事があったかのように変化を記したのは。

 自然、それに伴いどんな状況でも形作られていたあの傲慢な笑みも失われる。次いで隙を見せる事も疎わず、少女が視線をやったのはトオサカの屋敷がある方角だった。

 そしてその態度の変化を合図に、セイバーはもうライダーには興味が失せたといわんばかりのスピードで、主の館をめざし一目散に駆けてゆく。

 それを見てボクは思う。セイバーのマスターになにかあったのか? と。

 いや、あったからこそのこの反応なのだろうけど。

 しかし、それはあくまでセイバーサイドの事情だ。これまで存分にやりあっていたというのに、いきなり無視されたことに、ライダーは不服そうに小さな唸りを上げながら不満の言葉を述べる。

「おいおい、セイバーよ。ここまで来て、貴様どこに行くつもりだ? ちぃ~と、虫がいいんじゃないか?」

 ライダーが立ち塞がるように女の行く方角へ戦車を滑らせると、目前の紅いドレスの少女は、余裕が無い搾り出すような声をあげて言った。

「…………退()け」

「むぅ?」

 何を都合の良い事を言ってるんだとばかりにセイバーを見るライダーだったが、そんな赤毛の大男の反応を前に、苛立たしげに少女は舌打ちをして、鬼気迫る声音で大音声を張り上げた。

「ええい! 余が退けと言うたのだ、さっさと退かぬか!」

 

 

 続く

 

 



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08.慟哭3

ばんははろ、EKAWARIです。
今回の話は第四次聖杯戦争編の山場の一つではないでしょうか。
にじファンで連載していた当時、約2ヶ月ほどで全10章仕立てのこの第四次編を書き上げたわけですが、当時の中でも1,2を争う程第四次編の中では思い入れ深い話となっているかなとそう思います。
ではどうぞ。


 

 

 

 side.言峰綺礼

 

 

 この3年、自分に魔術の手解きをした己の師でもあり、亡き父の年若い友だった男を見ながら私はいくつかのことについて回想し、思考をする。

 赤いスーツに身を包んだ男は、私が己を害する存在である可能性など欠片も考慮していないかのような無防備さで、私を魔術師の要たる工房(いえ)の中へと招き入れた。

 まず人を疑ってかかるのが魔術師という生き物の(さが)だろうに、この男がそんな風に私の事を信用しているらしいことが少しおかしかった。

 時臣以外の家人が退去してから数週間が経つ遠坂邸ではあるが、私が通された居間は戦争中とも思えぬ遠坂家当主の気配りから、埃一つ落ちていない清潔な姿そのままに私という人間を迎え入れる。

 完璧なまでに調和された美。

 本当に聖杯を取ろうというのならそんな時でもなかろうに。これだけ見ればなんとも平和なものだ。

 そんな風に呆れにも似た感想を胸に宿しつつも、私は勧められるがままにソファに腰かけて、3年間私の本質を見抜くことなど終ぞなかった師・遠坂時臣と二言、三言と会話を交わしていく。

 そして次々に私へとかけられる言葉の数々を、私は微笑を浮かべながらも全て肯定してみせた。

 師に取ってはそれだけで私を味方と判ずるのは易かったという事なのだろう。

 この完璧を取り繕った男は、私の本心を余所に如何にも喜ばしそうに笑んで見せると、信頼と親愛の籠もった眼差しのまま1つの書簡を私へと差し出した。

「…………導師(マスター)、これは?」

「まぁ簡略なものではあるが、遺言状のようなものだ」

 その言葉を皮切りに、男は私に頼みたいらしい事を次々と語りだしていった。

 自分が死んだ場合、家督は娘の凛に譲ることや、凛の後見人に私を指名していることなどが主な内容だ。

 自分がこの家を訪れた目的を思えば、それは皮肉な頼みといえる代物だったのだが……それでも私は聖職者だ。頼まれたことについては責務を果たそう。

 例え私の本質がどうであろうと、それでも神の使徒たることに違いはないのだから。

 だからこそ、一人の聖職者としての責任感から、誠意のある声音と態度で私は時臣師にこう返した。

「お任せください。不肖ながらも、御息女については責任を持って見届けさせていただきます」

「ありがとう。綺礼」

 師は信頼すら込めて私に感謝の言葉を送る。

‘何度見ても、酷い道化だな。そうは思わぬか? 綺礼’

 そんな声が頭の中で響くも、私は無視して遠坂師との会話を続けた。

 続いて、宝石細工のアゾット剣を一つ、師は私へと手渡してくる。そのことに呆れにも似た感情が沸き上がる。

 本当に、この男は……父と同類に過ぎる。

 一方は聖職者として、もう一方は魔術師としてとの違いはあるとはいえ、その枠の中でとても正しく善良で……私とはどこまで行っても正反対なその姿と本質が苛立たしくも愛おしい。

 これはそう、憧れと共に嫉妬にも似た憎しみすら、私が抱かずにいられない愚かで正しき人間、そういう人種なのだ。とてもよく似た2人。魔術師と聖職者という垣根を越え友情を育めたのも当然のことなのだろう。

 そんな師の態度を前に、父上の最期の顔を思い出す。

 私という人間を見誤り、その最期の瞬間まで信じられないと目を見開いたまま死んでいったその姿。

 思い出すだけで震えるくらいに甘美な感覚が背筋を通り抜けた。

 思い出という名の誘惑に駆られている私を前に、客人である私に茶を用意してないだろうことに気付いたのだろう、男は立ち上がり、くるりとその無防備な背を向けた。

 そしてそのまま私に振り向くこともなく師は言う。

「ああ、そういえば、君が私に話したいこととはなんだったんだい? 聖杯戦争に関係することなんだろう?」

「はい、そのことですが」

 言いながらその時には既に私は行動に移っていた。

 それは油断しきっていた男に悟らせる事も難しい、僅か一瞬の出来事で。

 ぶしゅっと鈍い音を立てて真っ赤な血がぴかぴかに磨かれた床に飛び散るその様を、綺麗だなと思い眺めた。

「……あ?」

「私に、導師(マスター)のサーヴァントを譲ってもらえないかと、そうお願いにきたのですよ」

 言われた男は未だ何をされたのかわかっていないらしい。

 己が自慢の魔術工房(ようさい)で、よりにもよって信頼している弟子に襲われたのだから無理がないのかも知れないが、師は常らしからぬ間の抜けた声を上げて私と自分の腕を交互に凝視する。

 其の様は、突如自分の身を襲った予想外の出来事を前に、痛みさえ麻痺しているかのようだった。

 そう、私は男の令呪を宿した腕を、今しがた手に入れたアゾット剣で両断したのだ。

 その切り離された腕を掴む。

 そして見せ付けるように殊更ゆっくりと、血の滴る師の腕の切断面を舐め上げた。

「……綺……礼?」

 このような事態を欠片も想定していなかったらしい男は、へたりこみ、欠けた腕を抱えて呆然と私を見上げている。その顔を見た途端背筋に愉悦の情が走り、私は無意識のうちに笑っていた。

「さて、この舞台を見に観客がやってくるまで、それほど時間があるわけではないでしょう。最期の懺悔はありますか? 導師(マスター)

 

 どたどたと、少女が立てるには荒々しい音と共に、膨大な魔力の塊が部屋へと近づく。

 間違いなくかの最優と名高きサーヴァントだ。

 彼女が部屋に到着するまで、3、2、1。頭の中でカウントをとる。

奏者(マスター)!」

 バンと豪勢な音を立てて、師のサーヴァントが部屋に駆け込んでくるそのタイミングにあわせ、私は少女の目の前で男の首を斬り飛ばした。

 それに合わせ、ぶしゃっと、赤い血がまるで新鮮なトマトジュースのように部屋中に散らばる。

 錆びた鉄のような匂いさえ今の私には愛おしく、それを悪しき事だと認識していながらも、その背徳が余計に心を高揚へと導いていく。

 そうしてゴロゴロと時臣氏の首は転がっていって少女の足元に辿りついた。

 セイバーは緑の目を益々大きく見開いて、その滑稽ともいえる死相を目に焼き付けている。

「ッ……! 綺礼、貴様!」

 ギッと私を睨みつけて、少女はすぐさまに紅い大剣を手に私に飛びかかろうと迫ってきた。

「令呪に命ずる」

 想像以上にその様子を眺めるのは楽しい。

 心が知らぬ侭に躍り出す。嗚呼これほどまでに楽しいものがこの世にあったとは。

 そんな感嘆じみた感想を前に、自分の口元が昏い悦びに笑み歪むのを自覚しながら、私は言の葉を紡いだ。

「主変えに賛同せよ」

 そう私が告げるなり、少女は顔面を蒼白にして己の胸元を抱きしめた。

 自分のレイラインが今どこに繋がっているのかわかったらしい。その屈辱に満ちた目。

 いつも傲岸不遜な顔で余裕綽々といった態度をしていたこの美しき少女が、感情を押し殺すようにして唇を噛み締め、視線だけで私を射殺さんとばかりに睨みつけている。

 それが酷くたまらない気持ちに私をさせる。

 嗚呼、なんてキモチがイイのか。

 この憎悪と屈辱に満ちた視線は。

 これほどの悦楽がこの世にあったというのか。今すぐにでもイってしまいそうだ。

 ぶるぶると、小さな口が震えている。こめかみは引き攣り、青筋すら浮かんでいる。

 そんな中で少女は憎しみすら込めて私に言葉を放った。

「……承知した。奏者(マスター)

「くく……あははははっ」

 殺意も敵意も隠そうともせず、しかしその少女の態度こそが私には一番の馳走だ。

 ついに耐え切れなくなって、私は大きな声を上げ笑った。

 笑いすぎて涙さえ出てくる様だ。こんなにおかしく思えて笑えたのは生まれて初めてに違いなかった。

 

 

 

 side.衛宮切嗣

 

 

 聖杯戦争も3騎が脱落し、佳境に入ったといっていいのだろう。

 けれど、あのアーチャーを召喚したあの日から僕はずっと迷い続けている。

 それでも歩む足だけは止めないけれど。けれどそれも習い性のようなもので、僕個人の感情とはまた別の問題だ。

 僕の目的を達するには大聖杯までいかずともいい。

 そう、アイリが有する小聖杯で事足りる願いだ。

 そう思ってアインツベルンの陣営に招かれてからの9年間、大聖杯の事まで僕が気を回す事はなかった。

 しかし、聖杯が彼女の宣言通りこの世界でも汚染されていたとしたら、その原因があるのなら小聖杯じゃない、冬木に眠る大聖杯のほうだろう。

 そんな風に考えながら、今朝舞弥から仕入れた情報も同時に並行して思考を続ける。

 今朝方、漸くこの段になってライダーのマスターの住居が判明した。

 なんと、あのイギリス出身の魔術師の青年は、一般人に暗示をかけて極普通の家に紛れ込み堂々と市井で暮らしていたのだ。魔術師らしく結界を張ることや工房の設置といった当然の備えすら度外視して。

 その魔術師らしからぬやり口には正直賞賛を覚えたものだ。

 聖杯戦争に置いては、それが相手の裏をかく有効な手だと確かに思ったからだ。

 しかしいくら住所がわかったところで、サーヴァントを連れていない自分に常にライダーと共に行動している男相手への対抗手段があるわけでもないし、ウェイバー・ベルベットを匿っている老夫婦が、ウェイバーにとって己を孫と思い込ませて利用しているだけの赤の他人であることを考えれば、人質の価値もないだろう。

 それに、大聖杯の様子を一度確認したほうがいいのではないかという気持ちもある。

 だから、自分の右腕たる久宇舞弥に、そのライダーのマスターが寄生している家を遠くのマンションの屋上から見張らせるだけ見晴らせて、僕自身は大聖杯があるだろう場所を目指して歩を進めていた。

 舞弥をわざと窮地に追い込むつもりもないから、ライダーと鉢合わせしても詳細を報告するだけで攻撃はしなくていいと指示を下している。

 まぁ、舞弥は僕の右腕でこそあるがマスターでもなんでもない人間だ。

 たとえ魔術師であることはばれたとしても、あのサーヴァントの性格を考えればそうそう危険に陥いることもそうないだろう。

 それにしても……ライダーのマスターは他の魔術師に比べると利口だな、と思う。

 なにせなにをするにもずっとサーヴァントと一緒に行動し、空駆ける戦車にのって移動し続けているのだ。

 寄生する先の選択にしても、全くの他人の一般人の家を選んでいる。

 その時点でいつだってねぐらに見切りをつけて逃げ出せる足軽さを持っていることに等しく、その見栄より実利を取る有様は他の頭の硬い魔術師連中にも見習わせてやりたいぐらいの手際だ。

 はっきりいって魔術師殺し(ぼく)が付け込む隙がないに等しい。

 そんなことを思っていると、ざっと、突如念話が僕の脳裏に飛び込んできた。

『…………スタ』

 遠く離れているが故に、声はノイズがかかったようにかすれる。

 そのどこか少年じみた女の声は、間違いなく自分のサーヴァントであるアーチャーの声だ。

 それが、緊迫した硬い声音で僕を呼んでいる。

 その只ならぬ雰囲気に、僕は今まで目的地としていたはずの山に背を向け、ばっとくたびれた黒い外套を翻し、車に乗り込んで彼女達がいる武家屋敷へと照準を合わせ、エンジンをかけた。

 そして手短に問う。

「何があった!?」

『……襲撃だ。相手は……あれは』

 響く声には余裕がない。

 襲撃だって?

 応戦しながら語りかけているのだろうアーチャーに僕からも許可を取るための念話を飛ばす。

「知覚共有の術を使う! いいな!?」

 そうして目に映ったのは……赤毛の大男?

 あれは、ライダーか。

 天までつかんばかりの大男が、アーチャー相手に斬りかかっている。

 アーチャーはいつかも見た、黒と白の双剣を手に応戦しているが、膂力その他において明らかに下回る彼女がいつまでも地力で勝る相手を前に持つはずがない。

 大男が技を一つ振るうたび、致命傷を避けていても浅い傷が無数に刻まれていく。

 そして巨大なその手は、アーチャーよりも、寧ろ彼女が後ろで守るアイリスフィールを狙っているように見えた。

『マスター、これは……ライダーではない。狂化した目……これはバーサー……ぐっ!』

 ついに大男に捕らわれ、アーチャーは土蔵の壁へと放り投げられる。

 がらがらと壁が崩れ、彼女の体の上に瓦礫が大小問わずに降りかかった。

『……ッ』

 体中血塗れになってなお、双剣使いの弓兵はしっかと己の足で立ち上がり、今まさにアイリを連れて去ろうとするライダー、いやアーチャーがいうにはバーサーカーか、にむかって双剣を手に駆け出す。

 それを男は、アーチャーに一蹴り、腹部を蹴っ飛ばして壁へ逆戻りさせた。

 それでも尚、追いすがるアーチャーだったが、狂った男の眼には最初から彼女は映っていない。

 ただ目的を果たさんばかりに、狂人は僕の妻を連れ、この家から自分の主の元へ立ち去ろうとするのみだ。

 そのでかく太い足を確かに、血塗れの弓兵は掴んだ。

『……させ……ん』

 息を乱しながら、それでもアイリスフィールを取り戻さんとする、白髪の女。

 それに、容赦なく男のもつ剣が降りかかろうとしていて……それはまるで死神の鎌のように妙にスローモーションに僕の目に映った。

 ドクリ、と知らず心臓が脈打つ。

 死ぬ? このままでは、この紅い弓兵は……消滅する。

(……駄目だ! そんなこと、絶対に)

 嫌な汗がじっとりと伝う。

 もう、時間がない。このままでは、彼女が死んでしまう。

 でも、アイリが。

 だけど、アーチャーは、僕は……僕は! 何故、僕はここにいる。

 どうしてこんな時に二人の傍に僕はいない。2人の側にいないこの身が今は酷く呪わしい。

 アイリを連れて行かれるわけにはいかない。

 でも、だけど!

『ねえ……お願いよ、キリツグ……アーチャーを、私たちのもう一人の娘を……守ってあげて』

 白い(かんばせ)の最愛の妻がつい先日僕に向かって放った言葉が、僕の脳裏を過ぎった。

 そして、命を奪う凶器が獰猛な口を開けて、僕の娘(アーチヤー)を屠ろうとしたその刹那、僕は叫んでいた。

「令呪に命じる!」

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 昨日も今日も、私は昏々と眠り続けている彼女を見守りながら霊体で傍に控えていた。

 こうして眠っている姿はまるで白磁の陶器人形のようだ。

 その印象もあながち間違ってはいないのだろう。彼女は人工の生命体、アインツベルンの錬金術で生み出されたホムンクルスなのだから。

 だけど、ホムンクルスとわかっていても私にとってのアイリスフィールとは、イリヤの母親で、切嗣の伴侶で、無邪気さと母性を併せ持つ一人の人間でしかない。むしろ彼女を本当に人形のように扱うことは許せない、といっていい。

 だって彼女は誰よりも人間じゃないか。

 どこか壊れ歪んだ生を歩んで一生を終えた自分よりも、よっぽど人間としての生を全うしていた。

 冬木の街にたどり着いた時の彼女とのウィンドゥショッピングを思い出す。

 見たいものがいっぱいあるのだといって、私の知る切嗣が知りたいのだと語ったその顔。

 好奇心に満ち溢れた冬の姫君。現世と人々を愛おしんでいた白皙の貴婦人。

 だけど、それももう終わりだ。

 まだ、話すくらいなら出来るだろう。アイリスフィールという人格は辛うじてこの世に留められている。

 けど、もう彼女があんな風に笑いながら日の下を歩く日は永久にこない。

 それ程にサーヴァントを取り込んだアイリの人としての機能は壊れてしまった。

 ふっと、銀色の睫毛が震える。

 目が覚めようとしているのか。

 私はそれを合図に、目覚めた彼女が寂しさを覚えないよう、実体を形作って彼女の傍に寄り添う。

 同時にアイリの印象的な紅色の瞳が、微睡むように微笑んで私を見つめた。

 出来るだけ優しげな声音と表情を意識して、私はそんな彼女に少しだけからかうような言葉をかける。

「よく、眠れたかね?」

「ねえ、アーチャー。私、どれくらい眠ってた?」

 時間の感覚もわからなくなっているのだろう。無理もない。

 それほど、彼女の人としての機能は削ぎ落とされ続けているのだ、アサシンが脱落したあの日を皮切りに、小聖杯として機能し始めてからずっと。

「1日半といったところかな」

「……そっか。動きとか……その様子じゃなかったみたいね」

 頷いて返事と代えた。

 そんな私の様子を悉に確認した白皙銀髪の美女は、抜けるような色をした形の良い指をそっと私の褐色の腕に重ねる。彼女には既に感覚などないのだろうが、それでも私はその白いたおやかな手を自分の手で包み返した。

 私はここにいるから、安心しろというように。

 そうしてアイリスフィールはややあってから言葉を紡いだ。

「ねえ、アーチャー……私の、最期のお願い聞いてくれる?」

 愁いを帯びた紅色の瞳が私の姿を捉えて、懇願するように細められる。

「……聞こう」

「一度だけでいいの……私をお母さんと呼んで」

 そう慈愛に満ちた母の瞳でアイリは言った。

 思わず唾を飲み込む。

 その衝撃をなんと名づけたらいいのだろう。

 嗚呼、これまでも彼女は何度か私に言ってきたことじゃないか。

 だけど、からからと、喉が渇く。言葉を失う。息が苦しいような錯覚を覚える。

「アイリ、それは……」

 オレに許されることじゃないんだ、とそう言ってしまえば、彼女はきっと傷つくのだろう。

 でも、だけど、拒絶も肯定もどちらも選べない。

 彼女の願いは叶えてやりたいと、そう思う気持ちは嘘じゃない。

 だが、それはその名称はイリヤにだけ許されたものだ。私にはふさわしくない。

 そんな資格、私には有り得ない。

「どうしても駄目?」

「……」

 アイリスフィールの言葉を前に、下唇をぎゅっと噛み締める。

「そんな顔をしないで……貴女にそんな顔をさせたいわけじゃないのよ」

 そう困ったような悲しげな声で言葉を紡ぎ、彼女の白い手が彷徨う。

「私ね……アーチャー……貴女が私の子で……」

 そんな風な語らいの最中だった。

 膨大な、暴力的ともいえる魔力の塊が屋敷の結界を破って侵入してきたのは。

 確信と同時に続きの言葉を聞く事もなく、私は瞬時に白と黒の夫婦剣、干将莫耶を投影して土蔵の外へと駆け出す。しかし敵のもつ武器を防いだ瞬間、その来訪者が放った攻撃の重圧に耐え切れず、ガッと鈍い音を立てて幻想は霧散した。

 土蔵にむかってきた敵の姿を真っ直ぐ見上げると同時に、切嗣(マスター)へと念話を飛ばす。

『聞こえるか、マスター』

 ガギリと、再び男の剛剣が唸りを上げて私に迫り来る、それを新たに投影した双剣で防ぐ。

 が、その重さゆえに私の身体は土蔵の中へと後進する羽目となった。

 こっちの事情を察したのだろう、切嗣は感情そのままの声で『何があった!?』と問うてくる。

 それを男の攻撃を受け流しながら、念を飛ばして返事を返す。

『……襲撃だ。相手は……あれは』

 それは赤毛の大男の姿をしていた。

 その屈強な身体も、真っ赤なマントも、同じく赤い剛毛そうな髭も、どれもが寸分違わずライダー(イスカンダル)と同じ姿。だが、これはライダーなどでは決してないと、私にはわかった。

 だから告げるべき敵の名に戸惑う。

『知覚共有の術を使う! いいな!?』

 焦るような声と同時に、私の目と主君(きりつぐ)の目線がリンクする。

 その間も、干将莫耶を手に私はこのライダーの姿をとった何者かの攻撃を受け流していく。

 が、致命傷をいくら避けていても、元来の埋められない実力の差が故か、逃れきれぬ浅い傷が無数に我が身に刻まれていくことまでは避ける事は出来なかった。

 これは、この相手は相当な手練だ。

 思わず舌打ちをしそうになる。

 こんな化け物染みた剣の達人を前に、私はこの時代に召喚されてから今まで気づいてなかった不都合に、うかつにも今、気付かされていた。

 この世界の切嗣に召喚された時から、私は男から女へと肉体性別が変更された状態でこれまでを過ごしてきた。

 その性の変更による最たる弊害について、風呂も排泄も必要としない性別も関係ないサーヴァントだからこそ見逃してしまっていたのだ。

 当然ながら性別が変わったということは、体格その他も変更された事を示す。

 腕の長さも足の長さも、私が感覚として知っているその間合いとは異なるし、目線も男であった本来より10cm強程低い。

 それでも第五次聖杯戦争に参加した衛宮士郎時代の自分よりは、この体のほうが背が高いわけだが、既に守護者へと至り、全盛期の姿としてあの体格の侭数えきれぬ永劫の刻を過ごしてきた身には、そんなもの慰めにもならない。

 おまけに戦闘ではこのやたらでかいだけの胸は邪魔だし、男のときの感覚のまま剣を振るうとイメージとのズレが酷くなるという体たらくだ。

 幸いにも腕力その他は英霊だからか、あまりさしたる変化は記していないわけだが、凛がマスターであったときに比べて、今の私は耐久力がワンランクばかり落ちている。

 つまりは男として凛をマスターに召喚されていた時程、長くはもたないということだ。

 こちらに召喚されてからは、弓ばかりを使い、剣を振るう機会がなかったが故に気づかなかった盲点ともいえるのだが、体格が違う故に男時と動きに齟齬があるなど、そもそもそんな考えればすぐにわかるような問題点の数々について、今まで気付かずにここまできた時点で自分がどうかしていたとしか言えない。

 しかし、なにもかも今更だ。

 これもまた遠坂のうっかりの呪いだといえばそこまでかもしれないが、戦場でそんな甘えが許されるわけがない。だからこそ間違いなくこれは私の落ち度だ。

 故に己を呪わしく思いつつも、知らず荒い息を吐きながら眼前の大男をぎっと睨みつけ、剣を休む間もなく振る舞い続ける。そしてその間も相手の隙を探りつつ観察を続けた。

 赤く燃える怨念を孕んだこの不気味な双眸、これは以前も見た覚えがある。

 あれは確か、キャスター以外のサーヴァントが全て揃った夜。私の解析魔術でも一切がわからなかった相手。

 ……そうか。この英霊は。

『マスター、これは……ライダーではない。狂化した目……これはバーサー……』

「ぐっ!」

 大男の姿をした狂人に首下を捉えられ、渾身の力で壁へとぶん投げられる。

 がらがらと壁が崩れて私の上へと大小さまざまな瓦礫が降りかかった。

「……ッ」

 身体はその衝撃とダメージを前に悲鳴を上げている。

 だがそれらを無視して即座に立ち上がる。

 赤い大男の姿をしたバーサーカーは今まさにアイリスフィールを連れ去ろうとしている。

 それは何があろうとさせるわけにはいかない。

 夫婦剣を再度投影、我武者羅に狂人へと立ち向かう。

 けれど奮戦虚しく男は私の腹部へと正確無慈悲な一蹴りを食らわし、私の身体は再び壁まで吹き飛ばされた。

 だが、こんな痛みがどうした。

 あの男の目的はアイリだ。

 たとえ片足がもげ、片腕がとられる羽目になろうと構うものか。もとよりこの身は主の為の道具(サーヴァント)。ならば、何を恐れることがある。

「……させ……ん」

 男の太い足首を掴みこむ。

 男は私など眼中になく、ただ邪魔者とだけ認識して剣を振り上げる。

(たわけ。私がただで、死ぬと思うな)

 身体は剣で出来ている。

 男が切り込むその刹那に、この身の剣製でもって男を諸共滅ぼす。

 それは一か八かの賭けでしかない。だが、勝率がたとえ一割でもあるのだとしたら、その勝利を見事引き寄せて見せよう。

 男の黒い剣が私に迫る。

 ぎっとライダーを模った狂戦士を鷹の目で見据える。

(今か……!)

 そう剣製を繰り出そうとしたその時だった。

『令呪に命じる!』

 ラインを通じて流れ込む声に、びくりと、身体が固まった。

『この場において自分の命を最優先せよ!』

 何を……。

(この男は何を命令した!?)

 次の瞬間令呪の命を受けて、ぐん、と強制的に霊体に戻らされた。

 男の黒い凶器は空を切り、それきり私への興味を失って、アイリを抱えたまま土蔵から去っていく。

「待っ……」

 我が身の緊縛が解けるや否や即座に実体に戻った。

 だけど、もう遅い。

 伸ばした手が掴む先に何者もない。

 全てが遅すぎる。

 元よりスピード勝負に出たら私に勝ち目などない。

 この手はアイリに届かない。

 結界から連れ去られた姫君は元の人形に戻ったかのように狂人の腕の中で昏睡に落ちる。

 それを、目の前で連れ去られていくのを、何も出来ずただ指を銜えて見つめるしかないということなのか?

 ふざけるな。

 だけど、令呪は絶対だ。今男を追えば私が返り討ちになる可能性が高い。

 そのことを指摘するかのように、身体は重く私を縛り、動けない。動かない。

 ぎちぎちと剣が蠢く、足は縫い付けられたように止まったままだ。

「……アイリ!」

 待ってくれ。

 行くな。

 銀色の髪が空を揺れる。

 イリヤと同じ髪。

 衛宮士郎の、義姉であった少女とそっくりの……。

 あの人はイリヤの母親なんだ。たった一人の母親なんだ。

 此度の聖杯、だからなんだ。

 人間だ。

 生きた。誰よりも人間だった!

 夫を愛して、娘を慈しんで、こんな私さえ我が子のように扱った。

「アイリスフィール!」

 無邪気な顔、母親としての顔。気品とお淑やかさと柔らかさ、全て内包しながら、市井の人々の営みを物珍しげに愛しんでいた。そんな女性だった。

 たとえこの聖杯戦争で失われる命だろうと、それまでは私がきっと守り抜いて見せるのだと、そう誓っていた。

 どうして、この手は彼女に届かない。

 どうしてこの手は何も守れない。

 こんな時に何も出来なくて、何が英雄だ。

 何故オレは肝心な時にいつだって無力なんだ。

 動け、動け、動け。

 何故だ、どうして。魔術師殺しと呼ばれた貴方が、誰よりも冷酷無比な魔術師だったと称される貴方が、何故オレにあんな命を下した。なんでだ、切嗣(おやじ)

 貴方なら、優先順位はわかっている筈だろう!?

 なのに何故、どうして、よりにもよって貴方が私から戦う術を奪う!?

 貴方はアイリスフィールを愛していたはずじゃなかったのか。

 慈しんでいたあの姿は嘘だったのか。

 そんなはずがないだろう、大切にしていた、あの姿こそが素の貴方だったはずだ。

 だというのに何故だ、どうして。何故オレから、オレは、オレは……たった一人の女すら守ってやれないんだ!?

 何故、他の誰でもない衛宮(あなた)がオレからその手段を奪う。何故だ。

 遠い。

 もう追いつけない。

 行ってしまう。

 彼女が、自分を私の子供だと呼んだ女性が。

『一度だけでいいの……私をお母さんと呼んで』

 何故私は躊躇したのか。

 

「……かあさんっ……」

 

 禁忌を破って叫んだ声、それに返事が返ることなんてありえないのだと、知ってて頬が熱く濡れた。

 自分が泣いていることにすら気付かず、ただ私は令呪に縛られたまま、案山子のように地面に足を縫い付けていた。

 

 

 続く

 

 

 

 



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08.慟哭4

ばんははろ、EKAWARIです。
とりあえず次回の話までがワンセットで一つの第四時聖杯戦争編8話『慟哭』になるわけですが、ワンセットの癖に長かったなと思いますが、流石にこれより長い話はないと思いますので、そこはご安心(?)下さい。
ではどうぞ。

 ……嗚呼、なんて哀れなマリーちゃん。
 母の罪を偏に自分に押しつけられて、兄を殺したのは自分と思い込まされた。
 しかしこの哀れな少女の元には、還ってきて欲しいものは最後に戻ってくるのです。
 けれど、さて、童話と違うこの物語の哀れな子羊(マリーちゃん)に、還ってくるものなど有り得るのでしょうか?
 その答えは第五次編で。


 

 

 

 母さんが僕を殺して

 父さんが僕を食べた

 妹のマリーちゃんは

 僕の骨を絹のハンカチに包んで

 杜松(ねず)の木の下に埋めた

 キウェット キウェット

 何て美しい鳥なんだ僕は

                        

             【グリム童話《杜松の木》より】

 

 

 

 

 side.間桐雁夜

 

 

「神父…………こんな小細工に、本当に令呪を二つも費やすだけの意味があったのか?」

 眼下にそびえている冬木の街並みを見下ろしながら、俺は隣に立つ僧衣を纏った男へと胡乱気に視線をやり、そう覚えた疑問を口にした。

 ……底が知れない不気味な男だな、と考えながら。

 それに対し自分よりも年少の、憎き天敵の弟子でもあった男は、見ている方がどこか不安を覚えるような笑みを浮かべながら、ゆったりとした口調でこんな風に返答を返した。

「案ずる必要はないのだ」

 本当にそうなのだろうか……?

「雁夜、私に協力する限り、君は惜しむことなく令呪を浪費して構わない。……さぁ、手を出したまえ」

 その言葉を前に、すっかり一年前と変貌した、干からびた老人のような枯れ木の如き己が右手を男に差し出す。

 すると、男の低い聖言と共に失われた二画の令呪は元の輝きを取り戻した。

 ……そのことにより、この神父に協力することと引き替えに提示されていた交換条件が本物である事が示されたわけだが、まさか本当に果たされるとは思わず、息を飲み込み、俺は驚きがちに言葉を漏らす。

「あんた、本当に……」

 父の死により監督役の権限を引き継ぎ、故に令呪の補充すら可能になったことは事前に教えられていたとはいえ、敵だった男の言葉をそのまま信じるほど俺はお人好しでもなく、だからこそこいつの言い分に関しちゃ半信半疑だったんだが、それでもこの神父が示した情報に嘘は無かったらしい。

「言ったとおりだ。雁夜。監督役の任を受け継いだ私には、教会の保管する令呪を任意に再配分する権利がある」

「…………」

 確かにそう聞いてはいたが、そのことを除いても本当に何を考えているのかさっぱりわからない。

 あの深淵みたいな、光を宿していない黒い瞳はひたすらに不気味だ。

 現状では俺にとって唯一の協力者ではあるんだけど、出来れば近寄りたくない人種だなとそう思う。

 ……まあ、協力者といっても上辺だけの付き合いなのだから、こんなものなのかもしれないけど。

 贅沢を言える立場じゃないことがわかっていても、それでも思わず出てくるため息を一つ漏らすと、俺は背後に聳え立つ自分のサーヴァントへと視線をやった。

 その赤毛の巨体に風格……バーサーカーを示す瞳の怨念が滲んだ様さえ除けば、その姿は此度のライダー、征服王イスカンダルに瓜二つだ。その腕には意識の無い1人の白人女が抱えられている。

「…………もういいぞ。バーサーカー」

 その自分の言葉を合図に、狂戦士のサーヴァントは本来の黒く禍々しい甲冑姿に戻っていく。それから世間話のようにバーサーカーのことについて、神父と一言、二言、言葉を交わす。

 それを煩わしい会話だなとそう思った。

 狂戦士というクラスは、維持するだけでも疲労度は他のサーヴァントと比べ物にはならないのだと聞く。

 他のクラスのサーヴァントを従えた経験などないけれど、実際の所、それは事実なんだろう。

 こいつが暴れる度、いや実体化されるだけでもというべきなのか、それだけで体中を蠢く蟲共に俺の命は蝕まれ食われていくわけだから、その際俺が受ける痛みは尋常なものじゃない。

 いくら力を得ることと引き替えとはいえ、そう何度も経験したいものとはいえないだろう。

 そもそも俺はそんなに魔力が潤沢なほうじゃないんだ。

 あまり体に負担が来るのは勘弁して欲しい。

 そう思い、魔力供給を一方的に断ち切ると、バーサーカーは肉体を維持できなくなり、霊体へと戻った。

 同時、どさりとバーサーカーが抱えていた銀髪の女もまた屋上の床へと落ちた。

 それを見やりながら不審げに俺は問う。

「この女が本当に『聖杯の器』なのか?」

 その女は美しい白人女の姿をしていた。

 酷く整った容貌は人間離れしているといって良いのかもしれないし、銀髪赤眼と一風変わった色合いをしてはいるけど、それでも俺の目には普通のどこにでもいるか弱い女にしか見えない。

 強いて言うならこれほどの美女はそういないんだろうなという程度で、それでも俺にとっては葵さんと比べれば霞んでしまう。けどどちらにせよ、とてもじゃないが、男の言うようにこれが聖杯を容れる入れ物であるようには思えなかった。

 そんな俺を前に、クツクツと笑いながら神に仕えている筈の男は言う。

「正しくはこの人形の“中身”が、だがな。あと一人か二人のサーヴァントが脱落すれば、正体を現すことだろう」

 だと良いんだがな。

 ……いくら聖杯を取るためだからって、流石に一般人に手を出すのは俺の心が引ける。

 人間じゃないっていうのなら、良心だって痛まなくて済むんだ。

 なら、そのほうがいい。

「…………聖杯を降ろす儀式の準備は、こちらで引き受ける。その間、この女の身柄は私が預かろう」

 意識の無い女の身体を担ぎ上げる神父の真意を詰問するための視線をくれても、男はただなんでもないかのように微笑を返すばかりだ。

 きっと答える気なんてないんじゃないか。

「心配するな。聖杯は、約束通り君に譲り渡す。私には、願望機など求める理由が無いのでね」

 胡散臭い微笑みだ。

「それ以前にもうひとつ、あんたは俺に約束したはずだ。神父」

「ああ、その件か。……問題ないとも。今夜零時に教会を訪れるがいい。そこで遠坂時臣と対面できるよう、既に段取りは整えてある」

「…………」

 本当に食えない男だと思う。

 元は遠坂時臣に師事しておきながらも聖杯戦争に参加したこの男が、間桐邸の門を叩いたのは今から2時間ばかり前のことだ。

 敵という立場からのいきなりの協力申し込み。

 疑う俺にこの元代行者が放った言葉は、監督役である自分の父が死んだのは遠坂に責任があり、間桐(おれ)の力を借りて、父の仇を討ちたいのだという、本当なのか嘘なのかよくわからない話だった。

 だが、あの妖怪ジジイによると、監督役の老神父が死んだことは本当の事らしい。

 それでも信用出来ないこの男と組んだのは、デメリット以上にメリットが魅力的だったからだ。

 男は遠坂時臣を罠にかける算段、聖杯の器の潜伏場所の情報、任意譲渡可能な保管令呪の数々を所持しており、協力する限りではその恩恵を譲るのだという。

 現にこうして聖杯の器を手元に置き、無くした令呪は元に戻ったわけだけど、それでもこの男は信用してはいけない、そう思えてならなかった。

 それは本能が発する警告だったのかもしれない。

 だけど……。

(桜ちゃん、もう少しだ、まっていてくれ)

 それでも、そんな信用が置けない相手に縋る他無いほど、俺には時間がなかった。

 間桐の家にいる幼い少女を思い出す。

 頭のつま先まで蟲に犯され抜いて絶望に堕ちた少女。俺の想い人の娘。

 ……俺が死ぬことは時間の問題だ。

 けれどそれでもその前になんとしても彼女だけは救わないといけない。

 そんなものは贖罪にすらならないのかもしれないけど、それでもそれが俺の務めなんだ。

 彼女を凛ちゃんや葵さんの元へと返す。いつかまた、あの母娘3人が笑って暮らせる日が来るように。そのためなら、何者をも利用し、この戦いに勝ち抜かなければならないんだ。

 そして、実の娘の将来を奪い、葵さんを泣かせたあの男に今こそ報復と復讐を……。

 

 そんな雁夜(おれ)の様子を愉悦に嗤いながら、二人の男が見ていた。

 そのことに、ただ目の前の暗い感情に身を委ねているだけの俺が気付く事はなかった。

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 ―――――――……剣が蠢く音がする。

 まるで自身が剣になったかのように。

 いや、初めから私は一振りの剣でしかなかった。

 ぎちぎちぎちぎちと、剣の鍔競り合う音がする。

 それは私にとって、心の臓の音と同義だった。

 

 ……漸く身体の束縛が解けたのは、どれくらいの時が過ぎてからだったか。

 すっかり暗くなった空を見れば、多分1時間か2時間は過ぎている筈だが。

 だけど、それらは酷く現実感が無く、全ての感覚が遠く曖昧で、上手く現状が認識出来ていないことを自覚する。

「アイリ……」

 ぎりっと奥歯を噛み締める。

 連れ去ったのはバーサーカーだった。

 それを思えばバーサーカーのマスターたる人間が犯人と疑うのが定石だ。

 しかし……裏で誰が手をひいているのか、過去に生前と死後の二度、第五次聖杯戦争を経験した私には容易に想像がついていた。

 あのやり口、誰にも知られていない筈の場所を正確に知っていた情報力、その他併せて考えて、おそらく犯人はあの男、言峰綺礼だ。これはあの神父のやり口だと、証拠はなくとも確信している。

 だが、今私の胸の内をざわめく感情は、あの神父に対するものではない。

 衛宮切嗣。

 正義の味方に焦がれた魔術使いの男。

 私の義父で、私をかつて救った男で、英霊エミヤ(わたし)の全てを形作った元祖と呼ぶべき存在で、そして今の私の主君(マスター)

 あの背中にかつて憧れた。

 爺さんみたいになりたくて、正義の味方の夢を引き継いだ。

 成長してから聞いた爺さんの噂は、かつて魔術師殺しと呼ばれた凄腕の殺し屋で、誰よりも冷酷な魔術師だったという、実際の彼を知っている身からしたらイメージと相反したそんな噂ばかりだったが、それでも直に本人に触れて育った私は誰よりも切嗣(おやじ)のことを尊敬していたのだ。

 切嗣と暮らしていた5年間、実際に共に過ごした期間は短かったけれど、それでもオレは確かに「楽しかった」のだ。彼が生きている間は、楽しいと、そう思う事が出来た。

 時には子供のように無邪気で、寂れ老いたような風情の、あの朽ちた正義の味方が好きだった。

 憧憬と羨望の対象。

 それが私にとっての衛宮切嗣という男だった。

 それは世界の掃除屋という名の、地獄の日々に堕ちても変わりなく。

 最も美しい想い出の一つとして、様々な記憶が磨耗していく中でも切嗣とあの夜の事が残り続けた。

 だが……。

 ぎりと歯をかみ締め、血がぽたりと落ちる。

 そう、今私は確かに、今生にて守ると誓った男に対して、怒りを覚えていた。

 

 アレは、オレに戦う手段を与えた男だった。

 私の行く末を決定した男だった。

 愛情と名を与えた男だった。

 私の全てを作った男だった。

 どこか歪で我武者羅な人生を、自分が間違っているとすら思わず終えて、守護者に成り果てた私は、救われぬ戦場に召喚され続けて次第に摩擦し、自分を殺すことを夢想するほどの絶望に堕ちた。

 だがしかし、正義の味方というものを忌々しく思うようになってさえ、それでも私にとって衛宮切嗣とは自分を救ってくれたヒーローで、セイバーと同じく、穢せない憧憬だった。

 憧憬であり続けたのだ。

 わかっている。今のマスターであるあの男は、私を育てたあの男(きりつぐ)とは同一人物と同時に別人だ。

 並行世界の人間なのだ。自分を育ててくれた養父とは違う。オレにとっては父でも、あの男にとっては私は他人で、それ以前にただの聖杯戦争の道具(サーヴァント)だ。

 それでも、その根っこの部分までは変わらない筈。

 それが、どうして、よりによって私から戦う手段を奪う……?

 何故、自分の妻である存在が目の前で奪われるのをみすみす許すというのだ。

 今までも言いたいことは色々あったが、もう限界だ。

 あの男に会わなければ……。

 

「何をしておる?」

 その言葉に、はっと顔を上げた。

 そこには天駆ける戦車(チヤリオツト)に乗ったライダーと、そのマスターである少年が揃って私を見ていた。

 こんな近くに敵サーヴァントがいるというのに気付いていなかったというのか、私は。

 自分のあまりの迂闊さに思わず舌打ちをする。

 ライダーはそんな私の様子を知ってか知らずか、まあおそらくはなにも気にしていないのだろうが、よっと掛け声を一つあげると、私の隣に降り立った。

 それと同時に、私は一般人に見られる危険性も考えて簡易な結界をしょうがなく張る。

 それにしても一体、何用なのか。

 そう思う私を前にライダーは僅かに気遣うような色を、神性を示す赤く穏やかな目に乗せてこう言った。

「おぬし、酷い顔をしておるぞ? 全く、若い娘がそんな顔をするもんじゃない。別嬪が台無しというもんだ」

「…………」

 そう告げて、ほら、と自身の主君(ウェイバー)から奪ったハンカチをライダーは私に差し出した。

 それを受け取ることをもせず、じっと真意を尋ねる視線で見続けると、この大きな男は肩を一つ竦ませて「ありゃ、まるで懐かない猫みたいだの」なんてことを、顎をぼりぼり掻きながらぼやいた。

「大分魔力を消費しとるようだし、どこぞの誰かと戦闘でも交わした後か? ん?」

「……だから、どうした」

 そんな征服王の気遣いに、思わず苛立ちが声に滲んだ。

「あん?」

(わたし)が弱っているというのならば、倒せば良かろう。今の私を倒すのなど、君には造作もない。違うか、征服王よ? 全く君も物好きなものだ。敵は倒せるときに倒せ。情けなどかけるな。窮鼠猫を噛むという諺もあるぞ」

 出来るだけ皮肉に聞こえるように言った筈の台詞は、自然と自嘲するような響きを宿して辺りに届いた。

 ……本当に、馬鹿かオレは。これでは挑発にすらなっていないではないか。

 なんて……情けない。

 そんな風にどんどん自虐的な思考を膨らませていく私に対して、この赤毛の大王はふむとなんでもないように顎を1つしゃくると、次いで私の額にひとつデコピンを食らわせた。

 ……地味に痛いな。これを生身で食らっているこの男のマスターについ同情する。

 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、赤毛の大王は明るい声音でこんな言葉を続けた。

「な~に、自棄になっとる。それに前にも言った筈だろうが。おぬしをメイドに欲しいとな。殺めたらそれが叶わんではないか」

「って、オマエ、それ本気で言ってたのかよ!」

「当然よ! 余は征服王ぞ。欲しいものは欲しいと言うが我が信条よ」

 そうライダーはがっはっはと豪快に笑いながら告げた。

 そんな自身のサーヴァントの豪放過ぎる発言に、今まで口を挟まなかったウェイバー少年が思わず突っ込みを入れているが、まあ概ね私も同意見である。敵サーヴァントに対しメイドに欲しいなどというふざけた発言を、本気だとどうやって誤解出来るのか、寧ろ逆に教えて欲しいぐらいだ。

 しかし何故かわからないが、この少年を見ていると懐かしいものを感じる気がするのはどうしてなのだろうか。もしや生前に会ったことでもある相手なのか。

 まあ、私の生前に対する記憶は非常に曖昧だ。この少年の歳も歳な事だし、会った事がないとは言い切れないわけだが。

 だが、まあそれは今はどうでもいい問題だ。今の私は衛宮切嗣のサーヴァントなのだから。

「……本当に物好きなことだ。君の考えてることは私にはさっぱりわからんよ。君には私と戦う気はないのか?」

「そもそも、おぬしのような娘がなんで戦いなどに身を投じておるのかのほうが、余にはわからん」

 ふと、真面目な語調になってライダーはそんなことをぽつりと言い出した。

 いきなり何を言い出すのか。読めない男だ。

 本意を確かめる為に、じっとそのまま静かな赤い目を見上げる。

「おぬしは器量もいいし、家庭的だ。料理上手で気配りも上手い。性格とて、物言いこそあれだが、好戦的とは程遠いし、お人よしで善良だ。確かに技量は戦士として申し分ないものを具えているだろうよ。だがなあ、生前何があったかしらぬが、おぬしのような娘っ子が何故戦場に出るようなことを選択したのか余にはさっぱりわからん。既に英霊となった以上過去は変わらんだろうが、おぬしには優しい夫に守られて家庭を築く姿のほうが似合うと、思うのだがなあ」

 そんなことをこの古の大王はしみじみと語ってきた。

 ……意外すぎる答えに思わず脱力しそうになる。

 しかし同時にその征服王の発言に、今の自分が女の姿形をしているという事を厭でも自覚させられて、頭が段々痛くなってきた。

 私がきちんと男の姿で召喚されていたのなら、例え今と言動や行動が同じだったとしても、この男はこんな言葉を私にかけたりしなかった筈だ。いや、そうに違いない。言われて堪るか。

 とは思うものの、私が本来は男であることをこの世界で知っているのはアイリと切嗣の2人だけだし、その2人にしても私の本来の姿を見たことがあるわけではない。

 彼らが知っているのはあくまでも、女の見た目をしたこの姿だけなのだ。

 つまりこの世界で私の性別が男だと真の意味で自覚しているのは、正真正銘私だけであり、周囲から見たら私はただの女に過ぎず、そうとしか目に映ってないのだ。

 今並べられた征服王の言葉は考えたくないと思ってきたそのことについて、指摘するも同然の台詞だった。

 お前は男などではないのだと、言われたようで歯痒い気持ちも少しはある。

 だが、元男だと知られ、今は何故か女になってしまったこの身の不幸を告げて、それで同情でもされてしまえばより一層惨めな気分になるだろうし、本来の性別を信じられず笑い飛ばされたりなどしたら、屈辱のあまり死にたくなるだろう。

 だから、女として扱われることは不愉快にせよ、そもそも切嗣達以外の人間に本来は男なのだと告げる気すらないわけで、だから私の生前もまた女であったと誤解されても、今の私の姿を考えれば文句の言えない誤解なのかも知れないのだが。

 しかし、それでもこうも完全に女だと認識され、扱われるとなるとそれはそれで……なんというか、腹の中に気持ち悪いものがあるな。

 割り切れれば楽なのかもしれんが、何十年も男として生きて死んで、その後も守護者として記憶が磨耗するほどの日々を生前と同じ姿のまま過ごしてきたというのに、今更性別が変わったからといって、女のように振る舞えとか言われても、勘弁しろとしか言えないわけだし。心まで女になりきるなど、とてもじゃないが耐えられん。

 そんなことをぐるぐると考えるが、征服王はそんな風に考え込む私の様子に気付いていないかのように、こう言葉を続けた。

「余としては、セイバーのような輩ならいざ知らず、おぬしのような小娘とは矛を交えたいとも思えんわい。正直言えば、戦場にも出てほしくないぞ」

 ……しかし、そうか。

 今の私は征服王(たにん)にはそう見えているのか。

 意外な発見だ。

 先も思ったが男であった本来の姿ではまず言われないような感想ばかりだな。

 だが、今の自分の消耗具合を併せて考える。

 先ほどはああこの男に言ったが、戦う気がないというのなら、私が助かるのもまた事実なのだ。

 ここで出会ったのがこの男(ライダー)でよかったと、そう思うべきなのだろう。この遠慮のない小娘扱いといい、敵とも見られていないこの態度といい、若干癪ではあるんだがな。

「まあ、とは言うても、おぬしが仮に男だったのなら、話はまた別なのだがな」

 そこまで思いを馳せていた時に、そんな言葉も小さく聞こえてきて、自分が今は女で助かったと思うべきか、それとも本来は男なのに女になったことで情けをかけられたと憤慨するべきなのか、若干悩みそうになったのは、ここだけの話だ。

 ……とりあえず、聞かなかったことにするか。

 詳しく追求して思考を働かせたりすれば、我が身におきた不幸具合に落ち込みそうだからな。

「……見逃してくれるというのなら、素直にありがたく受け止めておこう。先ほどはつい、ああ言ったが、私としても戦闘にならぬというのならそれに越したことはない。なにせ、先を急ぐ身なのでね」

 本当はこの男とこうして話している時間も惜しいくらいだ。

「む? そのようなふらふらの体でどこに行く気だ?」

「君には関係あるまい」

「もしやと思うが……マスターを連れ去られたか?」

 その言葉に、ばっと視線を赤毛の大王に向ける。

 我知らず殺意が滲んだ。

「図星か。なら、しょうがないなぁ。なんなら送ってやっても構わんぞ」

 いいながら、御車台の横をぽんぽんと大きな手で指し示すライダー。

 その邪気のない様子に思わず毒気を抜かれそうになる。油断させて首を掻ききる可能性を考えてはいないのだろうか。なんてことを考えると同時に、この男に怒りを向けたところで全部無駄かもしれないなとも思う。

 それくらいこの男の器は底知らずにでかい。

「結構だ。だが……そうだな。見逃してくれた礼だ。情報を一つやろう」

「ほう?」

 そんな私の言葉に、興味津々な赤茶色い目がこの身ををじっと捉えた。それに対し、私は習い性の皮肉った笑みを口元に乗せてこう告げた。

「バーサーカーには気をつけろ。奴はどうやら他人に変身する能力をもっている。私の前にはライダー、君の姿で現れた。君の前にももしかしたら、君の知っている誰かに化けて現れるかもしれんぞ?」

 

 

 

 side.衛宮切嗣

 

 

 アイリスフィールが連れ去られてから早数時間が経とうとしていた。

 使った令呪、消えたアイリの行方。

 思うところは多く、それらは黒い膿となって僕の感情を圧迫する。心が冷えていく。

 この感情に名をつけるとしたら憎悪となるだろう。

 バーサーカーは間桐家が呼び出したサーヴァントだ。ならば、と思い、間桐家の防護結界を突破して、500年の歴史をもつ御三家の一角へと進入を果たした。

 そこにいたのは、部屋着姿でアルコールを過剰摂取する中年の男だけだった。

「…………アイリスフィールは、どこだ?」

 その濁った目は、質問の意味がわからぬとばかりに見開かれる。

 その仕草にすら苛立った。

「わ、私は、私は…………」

 呂律のまわらない口調でうろたえる男の右手を、その背に乗り上げたまま愛銃で打ち抜く。轟音と共にそれは四散した。そのことに対し、男はヒステリックに叫びながらのた打ち回る。

「し、しししし知らない知らない知らない私は何も知らないッ! あああぁぁッ! 手がッ! ぎゃああああッ!」

「…………」

 とぼけているわけではなさそうだ。

 真実、この男は「何も知らない」のだろう。

 これでも僕は色んな人間を見てきた。だからこそ確信を持って言える事だ。

 そう、僕が追い詰めるその前からこの男の心は折れている。

 この状態の人間が嘘をつける筈もない。

 その事から導き出された答えに思わず舌打ちをもらす。アイリを連れ去ったのは確実に間桐の陣営だろうに、彼女が連れ込まれたのは間桐邸ではなかったのだ。

 もう足元に転がっている人間への興味などなく、そのまま僕は間桐の家を去った。

「舞弥、聞こえるか」

 そのまま無線をオンにして、ザッと相方である女に語りかける。

『はい』

「間桐邸ではなかった。次は…………」

 そうやって次の指示を下そうとしたその時、ぞっとするほどの凍り付いた感情が僕の中へと流れ込み、思わず足を止め耳を(そばだ)てた。

「そこで、何をしている?」

 絶対零度の、聞き慣れたようで聞きなれない女の擦れた低音が、脳に直接叩き込まれるように響く。

 どくり、と心臓が脈打つ。

 反射的に振り返るのと同時に、女はもう僕の目前にいた。

「アー……」

「何を、無駄なことをしている」

 鋼の色の瞳が、嘲笑うような、冷ややかな色を孕んで僕を突き刺す。

「アイリを連れ去った輩を陰から操っているのは、言峰綺礼だ。あんただって本当はわかっているはずだ。それを、こんなところで何をしている」

 意外な名が出たことに内心目を見開く。

 言峰綺礼、この聖杯戦争で一番僕が危険だと思った男。

 だが……あの男は既にサーヴァントを失っていた筈だ。

「わからんとは言わせん。他ならぬ衛宮切嗣がわからぬ筈が無い」

 確信なんてものではない断言。

 女の声は鋭い刃のように重々しく僕の耳に浸透する。

 その次の刹那、白髪長身の女……アーチャーは僕の胸倉を掴み上げて、道路の壁へと押し付けた。

 肺が圧迫され、苦しい。

 だが、それ以上に、その色んな感情が混ざり合って冷え切った、この目の前の女の瞳のほうがずっと痛かった。

 絞り出すような声で女は言葉を紡ぎ出す。

「言え」

 冷え切っていた筈の瞳に感情の焔が燈る。

「何故、私にあんな命を下した!? それほどまでに、我武者羅に探すほどアイリが大事だというのなら、何故みすみす奪われるのを黙認した!? 答えろよ、切嗣(じいさん)!!」

 

 

 

 続く

 

 



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08.慟哭5

ばんははろ、EKAWARIです。
というわけでここまでの5話で一つの慟哭、これにて終了です。
次回第四次聖杯戦争編9話は『暴君の矜持』、お楽しみに!

PS、因みに今回の話、当初はエミヤさんとケリィは大喧嘩させようと思っていたのですが、実際に書いてみたらそうならない辺り、エミヤさんはエミヤさんだなあとエミヤさんの業の深さを思い知った話でもあったりします。
所詮奴など衛宮士郎の成れの果てよ……。
因みにケリィのマダオっぷりはまだまだ続く。



 

 

 

 side.間桐雁夜

 

 

 約束の時間が来た。

 これから俺は遠坂時臣へと会いに行く。あの男へと引導をくれてやる。

 既に機能を止めたも同然の左半身を庇いながら、この一年間、溜めに溜め込んだ狂おしいほどの殺意を胸に足を進め続ける。既に感覚すら危うい身だが、動くならそれだけでいい、充分だ。

 自分の身体は既に死に体だ。

 聖杯戦争が終了するのと、体中を蠢く蟲共に嬲り喰われ果てるのは一体どちらが早いだろうか。詮無い考えだ。

 嗚呼、そうとも自分の命なんてこの際どうでもいい。

 神父は言った。今宵12時に教会で、あの憎き遠坂時臣と対面させる場を用意すると。

 自分が死ぬのはいい。もう、わかりきっていることだ。

 それでも、今も間桐の家で蟲に犯され続けるあの少女を開放することが出来るのならば、かの魔術師を打ち殺し、聖杯を掴み取ってみせる。其れがこの一年の苦痛に耐えてきた俺にとっての何よりも優先する願いだった。

(もう少しだ、あと少しで……)

 きっと、桜ちゃんは解放される。

 あの理想の母子は本来の形を取り戻せる。

 それを邪魔する奴は何人(なにびと)も殺してやる。

 

 ぎぃ、と軋んだ音を立て、神の家の戸を開ける。

 厳かな礼拝堂の中は淡い燭台の灯が飾っている。

 どこか幻想的な光景の中、信徒席の最前列に座る後頭部を見咎めた。あの頭の形は間違いなく、夢想するほどに引き裂きたいと思っていた男のものだった。

 認識すると同時にぞわりと怒りが鎌を擡げ、男に向かって俺は走り寄った。

「遠坂、時臣…………ッ!」

 持てる限りの憎悪を秘めてあらん限りの大声で名を呼んだというのに返事はかえってこない。

 そのことに益々憎悪を募らせ、俺は叫んだ。

「俺など眼中にないというつもりか!? 貴様を殺すためだけに、俺は今まで生きてきた! こちらを向け、時臣! 答えろ!! 貴様は何故、桜ちゃんを臓硯の手に渡した!!?」

 そうして、引き攣った俺の老人の如き手が、その見慣れた肩の辺りに到達した時、それは、ごろん、と、まるで熟れ過ぎた林檎のように取れて、落ちた。

「……え?」

 理解の出来ない光景を目にした。

 思考が未だ追いつかない。

 ごろごろと転がっていった頭。

 それはまるでどこかでいつか読んだ童話のように、男の首は転がった。

 林檎を入れた木の蓋ではじき飛ばして、継母は継子を殺して首を飛ばし、その罪を我が子になすりつけたそんな童話。哀れ何も知らない父親は我が子を煮込んだシチューを「美味い、美味い」と食わされた。

 どうして今そんなものを思い出しているのだろうか? あれはただの童話だ。作り話だ。

 嗚呼、でも……。

 転がった男の首は俺の目の前で止まり、生気の宿さない目が虚空を見つめている。

 その丹念に整髪された巻き髪、耳の形、形良く整えられた顎鬚、全てがこの男は遠坂時臣と語っている。

 鞠球のように転がったそれを、おそるおそる自分の顔の高さまで持ち上げる。人形などではない。冷たい肌、見開かれた瞳孔、間違いなく死んでいる、自分が殺すはずだった男。

 ……死んでいるんだ、遠坂、時臣が。

 あの、完璧だった憎くも妬ましかった男、が。

(死んでいる? 本当に? どうして?)

 その男を自分の手で殺す瞬間をずっと夢見てきた。

 その後のことなんて考えたこともなかった。

 足が、がくがくと揺れる。

 自分が今立っているのか座っているのかすら曖昧で、全てのものから現実感が失われていく。

(遠坂時臣が……死んだ?)

 そんなのあり得ないのに……!

 だって、そうだろう。だって、あの男は、俺の目の前で葵さんを掻っ攫っていったあの男は、誰より完璧で、こんな……こんな風に惨めに首を落とされて死ぬはずがない(・・・・・・・)んだから……!

 

「な……何……何故…………?」

 冷たい、首だった。

 林檎のようにごろりと、転がって、でも身体はアソコにある。

 いつも通りの、綺麗に整えられた洒脱なスーツ姿。

 首だけがなく、優雅に足を組んで座っている。

 でもその頭がない。

 コレはナニ?

 一体これはなんの冗談……?

 この、俺の手に、ある、この物言わぬ憎らしい男の顔をしたモノは。その薄く開いた口から言葉が漏れることはない。呼吸さえしていやしない。

 もう遠坂時臣が言葉を発することは、ない。

(だって、もう死んでいるんだから)

 ぶるぶると、指が震える。

 本当に、コレは、コレは……遠坂時臣の生首……?

 顔に手を沿わす。冷たくて、生きている人間とは程遠い。死後、何時間も経っている。

 こんなこと有り得ないのに。

 有り得ちゃいけないのに。

 何もかもが考えられなくなっていく。

 思考が乱れる。

 混乱に陥る。

 何故自分がここにいるのかすら、曖昧で、混濁していく。

 俺の目は、一体ナニをミテいるんだろう?

 わからない、わかれない。

 全てが、意味を失っていく。

 崖から突き落とされたように、意識が濁る。

「……雁夜、くん?」

 だから、その声の主が一体誰なのかすら、俺には認識できていなかった。

 

 

 

 side.衛宮切嗣

 

 

「何故、黙っている。何故、何も答えてくれない」

 僕の胸ぐらを掴み、壁に押しつけた侭、冷ややかに女の声が響く。苛立ちが滲んだそれに答える言葉を失って、僕はされるがままに立ち尽くしていた。

 そんな僕の様子に気付いたように、彼女はそこで視線を落とした。

「ああ、そうか……」

 ふと、女の声が重々しく沈んでいく。

 それに嫌な予感染みた感覚が僕の背を走った。

「私になど、答える価値もないか?」

 口元だけは皮肉気な笑みを浮かべて、泣きそうな目で女は言葉を放った。

「ああ、そうだ、所詮私など、ただの道具だ。あんたが望んでいたカードでもなければ、女1人守り抜くさえ出来なかった役立たずだ! さぞかし、私のようなカードを掴まされて落胆したんだろうよ!!」

 自虐的なそれは、しかしこの白髪赤い外套の女騎士の、心の底からの叫びだった。

 けれど、僕はアーチャーが何を言っているのか一瞬その言葉の意味を理解出来ず、目を見開く。

(馬鹿な、そんな風に思ったことなんてない)

 どうして、自分をそんな言葉で形容する。

 君が手を止めたのは僕の令呪によるものだ。決して君のせいじゃない。

 何故、自分を傷つけ責めるような事を言うんだ。

 でも、彼女は、アーチャーはずっとそんな風に僕に思われていると思って過ごしてきたというのか。

 呆然とする僕に気付いた様子もなく、彼女は言葉を続ける。

 ぐっと、胸倉をより強く掴まれた。

 苦痛に歪んだ鋼色の瞳は涙こそ流していないが、それはまるで小さな子供が泣き叫んでいるかのような貌だった。

「でもだからって、妻が浚われようとしている場面ですら、使う価値がないほどか!? 私はそんなにも要らないか!? あんたはアイリを愛していたはずだろう、それでも、敵に浚われるのを黙認するほど、それほどに……」

 激昂する声、最初は僕を問い詰めていたはずの声が自嘲を帯びる。

 苦痛に耐えるように歪む顔。

 確かに僕に対して最初は怒りを向けていた筈なのに、ずるりと、力を失い肩が落ちる。

 女にしては低く、男にしては高いその声は、震えていた。

「オレは、あんたにとって信用がならなかったのか……?」

 まるで、迷子になった子供のような顔で、ぼろりと溢された言葉。

 虚ろな瞳は消えてしまいそうなぐらいに、儚く脆かった。

 その顔と声に、ぐわんと、ハンマーで頭を撃ち抜かれたような衝動が、僕を襲った。

(違う、違う、違う!)

 こんな顔をさせたかったんじゃない。

 そんな言葉を言わせたかったんじゃない。

 どうしてこんな場面になってすら、自分を責める。何故、そんなことを言うんだ。

 自分をどれだけ傷つけたら気が済むんだ。自分をそんな風に迫害するのはもう止めろ。

 でも嗚呼……僕は、馬鹿だ。僕は何も見てなんていなかった。

 アイリスフィールは言っていた。

 あの子を残して逝くのが1番心配だって。もっと幸せになるべきだって。そう言っていた妻の本当の意味を今まで僕は理解したつもりで出来ていなかった。

 ただ、記憶を見て、それでわかったつもりになって。

 アーチャーが自分をどれだけ慕ってくれているのか、あからさまだったからこそ自惚れて、後回しにして。

 目の前を見ればこの子はいつでも傍にいたのに、向き合わない僕の言動と行動が彼女をここまで追い詰めた。

 

「アイリスフィールを全力で守れ、とそう令呪を使うことも出来たはずだ。そんな命令にも値しないほど私は……貴方にとっては、命を使い捨てる価値すらないのか」

 ぎゅっと寄せられた眉根と自虐に歪んだ口元。

 僕の胸倉を掴む力は弱々しく、まるで縋るような力に堕ちる。

「……ごめん」

 ねっとりと唾液が張り付いて、上手く喋れない口を開き僕がやっと放った言葉は、そんなありふれた謝罪の台詞だけだった。そんな言葉しか思い浮かばなかった自分の愚かさに、歯噛みする。

 そんな僕の乾ききった謝罪の言葉を前に、見上げてくる焦燥した鋼の瞳。

 その目元が薄っすらと赤く腫れており、きっと自分に会うまでに泣いて苦しんできたのだろう事を理解する。そんなことにすら今まで気付いていなかった。

 本当に、どうして僕は守ると誓っておきながら、この子とちゃんと向き合わずにきたのか。

 ここまで、彼女の心を追い詰めたのは僕だっていうのに。

 言わなきゃわからない事だってあるだろう。

 本当は大事に思っているのだとしても、想いは伝えなければ意味がない。

 だから、あの行為は「守った」つもりなだけの独善でしかなかったんだ。

 それに漸く気付けた。

 ……本当に僕は父親失格だ。

 ふと、8年前の事を思い出す。

 愛しい女との間に生まれた小さな命。それを多くの人の血で汚れた自分には抱く資格などないのだと、アイリを前に泣いた夜。あの時アイリは、理想を遂げ聖杯を手に入れたあと、その時は魔術師殺しなんて忘れて、普通の父親に戻ってイリヤスフィールを抱いてくれ、とそう言った。

 だけど、今はそれがどんな夢物語に近い奇跡なのか知っている。

 聖杯が汚染されていたとしたら、僕がやっていることはただの殺戮で、被害を大きくするだけの行為でしかない。聖杯を取ったところで救われる者なんていないんだ。殺した果てに何も救えないなんてそんなの天秤が釣り合わない。そんな行為認めるわけにはいかない。

 そしてアーチャーの記憶どおりにもしも歴史が進めば、僕がイリヤをただの父親として抱く日なんてくるはずがない。きっとイリヤと再会することさえ、叶う日は来なくなるだろう。

 ……そうしてあの子は、僕と、僕の引き取った子を恨み次の聖杯に成り果てる。

(そうだ、僕は何度間違えるつもりなんだ)

 終わってから、なんて言い訳だ。

 確かに今アーチャーは涙を流していないかもしれない。それでも確かにその心は泣いている。

 苦しみと悲しみに暮れる我が子が目の前にいるのに、今伸ばさないのなら、これは一体何の為の腕なんだ。

 有りっ丈の勇気を振り絞って、ぎゅっと、その自分と背丈の然程変わらぬ身体を抱きしめた。

 きっと、僕がこんな行動に出るなんて予測すらしていなかったということなんだろう、腕の中の、鍛えていながらも丸みを帯びた女の身体は動揺に震えていた。

「何を、あんたは、何をしているんだ」

 うろたえ、混乱に揺れる声と、ガラス玉のような鋼の瞳。

 それはまるで行き場を失った幼子のような顔だ。

 嗚呼……いつかも夢で見た、僕の理想(ゆめ)を継ぐと答えた少年の顔に、性差はあれど、成る程よく似ている。確かに彼女は血は繋がっていなかろうと僕の娘だ。僕の夢を継いで、ここまで来た。

 英雄なんてものは嫌いだ。あれは所詮、人々を殺し合いに立たせる為の偶像に過ぎない。

 でも正義の味方も、英雄も結局は裏返せば似たような存在だったのだ。

 そうして、それを目指して、彼女は至った。

 いくつもの傷を抱えながら。

 死んでさえ、在り方を変える事はなかった。

 そして今もまた救えなかったと傷を負い涙している。

 でも、いい加減彼女は知るべきだ。

 だから、その身を離すまいとより一層強く抱きしめる。

 そしてポツリと呟くような声で小さく僕は言葉を吐きだした。

 

「……大事なんだ」

「何を、言ってる」

 言われた言葉を理解出来ないというように、女の声が揺れる。

 だから僕は今度こそはっきりとそれを言葉に乗せた。

「君が大事なんだ」

 静かに、息を飲む音がした。

「僕は、君を守りたかったんだ」

 今までずっと逃げてきた。でも、もう逃げるのは止めだ。

 困惑したような声がすぐ傍で響く、心臓がばくばくとなる。自分の行動に内心不安が渦巻いている。

 だけど、今逃げたら、きっともうアーチャーは僕の言葉を聞いてくれなくなる、今度こそ心を閉ざしてしまう。

 それは確証の無い確信だった。

「私はサーヴァントだぞ」

「君を失いたくなかったんだ!」

 白髪の女は泣きそうな声で叫ぶ。

 負けじと僕も叫び返した。

「たわけ! 私は死者だ! 何を考えている!? まさか……生者のアイリよりも、私を優先したという気か!? そんな、馬鹿な……馬鹿なことを。貴方は自分が何をやったのかわかっているのか!?」

 信じられない、と、アーチャーの声が揺れる。

 嗚呼、そうだ。僕自身信じられない。こんな選択をする日が来るなんて、日本に来る前は思っても見なかった。

「アイリは聖杯だ、すぐに殺される危険性は低い」

「それが甘い考えだってことは、私が言わなくてもわかっているはずだろう!?」

「君が死ぬと思ったんだ!」

 ぎゅうと、万感の想いをこめて、その身体を抱きしめる。

 腕の中の体だけ大きな子供は、泣きそうな目をして、唇を戦慄かせながら、それでも僕の言葉に耳を傾けていた。

「馬鹿なことを、貴方は……馬鹿じゃないのか。大たわけだ! 私なんかをアイリより優先してどうする気だ、私は貴方の子供(イリヤスフィール)じゃないんだぞッ!」

「僕の娘だ!!」

 僕の宣言に息を呑みこんだアーチャー。

 その、真っ白な髪に手を伸ばし、ぐしゃぐしゃとかき混ぜた。

「誰がなんと言おうと君は僕の娘だ。親が我が子を守ろうとして、何が悪い!」

「馬鹿だ!!」

 堪らず、彼女は叫んだ。泣くような声だった。

「貴方は、馬鹿だ。大戯け者だ!!」

「うん、そうかもしれない」

 気付けば、口元が笑いを模っていた。

 でも、父親なんていつだってそんなものだ。娘の前ではいくらでも馬鹿になってしまう生き物なんだよ。

 今の僕は今までになくそのことを素直に受け止めれていた。

 聖杯は願いを叶えない可能性があるとわかっている今だからこそ、これでいいんだと、自然に思えた。

「私は、死者だ! サーヴァントなんだぞ、それを……ッ」

「関係ないよ」

 葛藤に揺れる声。それをぽんぽんと、落ち着かせるように背中を叩いて告げた。

「貴方は……」

シロウ(・・・)

 初めて真名で名を呼ぶ。はっと、彼女は目を見開いた。

「今まで、ごめんね」

「…………たわけ」

 鋼色の瞳から一滴、涙が零れ落ちた。

 初めて見た、本当の涙だった。

 

 

 

 side.間桐雁夜

 

 

「…………雁夜、くん?」

 それは自分がこれまでの生涯、最も恋焦がれてきた女性の声だった。

 立ち尽くしている女性は、自分の幼馴染で、この、自分の腕の中で骸になっている男の妻の……遠坂葵。

 この世で最も幸せになって欲しかった存在で、現在最もこの場に居てはならない(・・・・・・・)筈の存在だった。

「あ……う……」

 彼女の言葉に俺が言葉を返すことはない。

 寧ろ、返せる返事なんて俺はもっていない。知らない。わからない。

 どうして彼女が現れたのか、意味が分からない。

(何故、ココに葵サンが……イル?)

 葵さんが俺を見ている。

 いや、俺の手の中にある、ナニカを、変わり果てたナニカを凝視している。

 見てはならないナニカを。

「葵、さん…………俺は…………」

 何を言っていいのかわからず、それでも言葉をかけようとした。

 しかし彼女は俺の続きの言葉を気に掛けることもなく、俺に興味を示す事もなく、するりと俺を通り越して、真っ直ぐに遠坂時臣の物言わぬ死骸へと歩み寄る。何が起きているのかワカラナイ。

 ただその場に気圧されて、俺は彼女が涙を流して嗚咽を上げる姿を、逃げ場を失ったまま見ているだけだ。

 この状況のなにもかもが俺には理解出来ない。

 いや、理解したら自分が崩壊すると、そんな予感が理解することを拒んでいた。

 やがて顔を上げた葵さんは、こんな言葉を俺に投げかけた。

「…………これで聖杯は間桐の手に渡ったも同然ね。満足してる? 雁夜くん」

 その憎悪に満ちた声。

 知らない。何故、葵さんがそんな声で俺を呼ぶ?

 そんな憎らしくって堪らないって顔で俺を見るんだ。

 俺が知っている葵さんは、優しくて……だって、なんで。

「俺は……だって、俺は……」

 何もかもわからない。

 なんで遠坂時臣が死んで咎められなければならない?

 そもそもなんでこの男はこんなところで死んでいたんだ?

 幼馴染の自分を見る目も、この状況も何もかもがわからない。

「どうして、よ…………間桐は、私から桜を奪っただけじゃ物足りなかったの? よりにもよって、この人を、私の目の前で殺すだなんて…………それも、こんな酷い殺し方……で、どうして? そんなにもあなたは私たち(とおさか)が憎かったの?」

 ……彼女は一体何を言ってるんだ?

 いや、その前にこの人は誰だ?

 葵さんそっくりの、憎悪を自分にむけてくるこの女は。

 ワカラナイ、ワカレナイ。

 だけど、だけど……!

「そいつが……そいつの、せいで……」

 震える指で時臣の首が切断された死体を指差して、俺は精一杯の声を上げた。

「その男さえ、いなければ……誰も不幸にならずに済んだ。葵さんだって、桜ちゃんだって……幸せに、なれた筈……」

「ふざけないでよ!」

 そうだ、そもそもなんでこんな外道じみた男が死んだ事で俺が責められなきゃいけないんだ!?

 そう思っての俺の弁明は、けれど憎悪に満ちた愛しい人そっくりの女の声に遮られた。

「あんたなんかに、何が解るっていうのよ! あんたなんか…………誰かを好きになった(、、、、、、、、、)ことさえない(、、、、、、)くせにッ!」

「……あ……」

 その言葉に、俺の中のナニカが、ぴしりと罅割れていく。

「俺、に、は……」

 ……好きなヒトがいた。

 彼女の為なら命さえ惜しくないと、ずっとだから、どんな痛みにも、あのジジイの仕打ちにも耐えて、耐えて、耐えて、耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えてタエテキタノニ。なんで否定、ドウシテ、されなきゃいけない、認めない、イヤだ、オレは、俺は。

「俺には…………好きな…………人が…………」

 駄目だ。

 早く。

 早く、あの口をふさがないといけない。

 だって、耐えて、嘘が、駄目だ。俺は、否定しないでくれ。貴女だけは否定しないで、葵さんと同じ顔をして、やめて、嘘だ。黙って黙って黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ。

 ぐっと、両手に力をこめた。細い首。

 ぱくぱくと閉口する口は尚も俺を罵倒しているかのようで、更に力をこめた。

 そうして土気色に変わっていく女の風貌、けれどそれは確かに今まで秘めてきた最愛の女性と同じものだったんだ。

「…………あ」

 どさりと崩れ落ちる女の身体は、それきり昏倒して身じろぎすらしやしない。

「あ、あ…………」

 死んでいる……?

 誰よりも大切だったヒトが?

 彼女を守れるのなら命すら惜しくないと……そう思ってきたヒトを……。

(俺が殺した……?)

 

 ぎぃ、と礼拝堂の扉を開ける音が聞こえて、はっと振り向いた。

 そこにいたのは、赤毛の天まで届かん程の大男。真っ赤なマントを身に着けた、膨大な魔力の塊。

 ライダーのサーヴァント。

「なんだ、辛気臭いところだわな。本当にここは神の家か?」

 それがナニカを言ってる。

 わからない。なにが。なにを。

 あの男は、俺ハ……俺って、ダレ?

「さて、余の許可も得ず、王の姿を騙った不届き者は貴様の連れか?」

 ぎらりと光る眼孔の意味も、その気圧される膨大な力の主の意味も、何故ここに其れが現れたのかも、全てが理解の外にあった。

 この目に映るのは、倒れた葵さんと、首の無い時臣の死体と、入ってきた第三者。

「あああぁああアアアァあああァあああ…………!!」

 頬を掻き毟り、蟲に犯された体中を憎悪しながら、俺は、気付けば黒き甲冑の自分の従者を目の前の男に差し向けていた。

 

 

 一人の男の慟哭の声だけが冬木の街を木霊する。

 からから、からからと運命(フェイト)の歯車は未だ途切れることなく廻り続けていた。

 

 

 

  NEXT?

 

 



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09.暴君の矜持 前編

ばんははろ、EKAWARIです。

おまたせしました、赤セイバー・ヒーロー回、暴君の矜持です。
主にこの回の為に赤セイバーはいたようなものなんだな。
ではどうぞ。

PS、因みにうっかりシリーズには韓国語翻訳版とかも存在していますが、一応俺が許可出していますので、無許可じゃありませんよ、とか言ってみる。


 

 

 

 正直な話をすれば、余は当初、言葉ほどアーチャーの奴を気に入っていたというわけではない。

 容姿とて、整ってはおっても、取り立てて美人と呼ぶほどでもないし、女らしからぬ長身に少しの妬みもある。

 なによりそんなものより、戦いに水を差されたという事実が不快さを覚える要因となって、不機嫌な気持ちでその矢を放ってランサーとの死合いを止めた犯人に対し、さぞや無粋な輩であろうな、とそんな風に考え我らの前に降り立つのを見ていたのだ。

 現れたのは現代衣装に身を包んだ、鋼のような目をした女戦士だった。

 それがランサーの美貌を前に、真っ赤になってうろたえている姿を見せたのが愉快で、先ほどの意趣返しも含めて可愛がってやろう、と、まるで愛玩動物に対するかのようにそう思いついた。

 始めはそれだけだったのだ。

 余と戦うほどの価値もないと。

 花は花らしく、大人しくしておればいいのだとそう思った。

 なのに、余を狙う黒甲冑が現れた時、それにいの一番に気づいたのはアーチャーで、あまつさえ余の申し出を拒絶しておきながら、アーチャーは黒甲冑から余を守るように前に出ていた。

 衝撃だった。

 余を庇うというのか? 会ったばかりで、よくも知らないというのに? 奏者の命があればいつでも敵対するであろう余を?

 アレの存在に気付けなかった自分を恥じる気持ちもある、アーチャーを侮っていたことに対する自分の迂闊さを呪うような気持ちも少しはあるのだ。

 けれど……人に庇われるとは、なんとも面映ゆいものよ。

 舐められている、とも違うのだろうと思う。

 アーチャーは驚くほど自然体で、まるで当たり前のように余を庇っていた。

 その紅い背中が、まるで一振りの真っ直ぐな剣のように余の目には映った。

 そう、それが余には、嬉しかったのだ。

 最初の、アーチャーに対して抱いた不愉快な気持ちはただそれだけでさっぱり消えた。

 そして、あの日、アーチャーの城で行われたあの宴、マスターを守り抜ければそれでいいと、今までついぞ見せなかった柔らかな微笑みを湛えて、そんな言葉を吐いたその姿。

 邪気が欠片もないその姿は、まるで敬虔な聖者のようで、ただ、その笑顔を綺麗だと、嗚呼コレはとても尊いものなのだと、そんな風に余が一方的に思っただけだ。

 そうよの……それを余は、守りたい、と思ったということなのかもしれぬ。

 のぅ、アーチャー。

 余は、己の民を愛していたぞ。

 民に糾弾され、死した身なれど、それでも余は民を守りたかったし、愛おしかった。

 それもな、一つの事実なのだ。

 そなたに対する想いも同じこと。

 暴君と呼ばれて死んだ身空なれど、それでも、暴君には暴君の矜持(プライド)がある。

 

 

 

 

 

  暴君の矜持

 

 

 

 

 side.間桐雁夜

 

 

「はぁ、はぁ……はぁ」

 あらん限りの力で夜闇を走った。

 肺の中が凍てつくように痛い。

 酸素が欠乏している。

 刻印蟲が体中の神経という神経を食い荒らす。

「はぁ、はぁ……はぁ、は…………はは」

 ぐしゃりと、無様に転びながら、意味のない笑い声が自分の引き攣った口から漏れ出した。

 ぐちゃぐちゃの思考は取り留めもなく、誰もいない無人の墓地は俺の声以外響かず静寂を保っている。

 あの時現れた大男、そして信じられないあの光景から、俺は逃げた。

 逃げ出した。

 自分が何を見たのかさえ、今では曖昧で、ただ全てのものが、世界すら痛い。

 バーサーカーの暴れる様に体中の刻印蟲が悲鳴を上げている。もういい。

 供給を切って、身体の疼きを治める。

 そんな俺の前に、そいつは現れた。

「まったく。随分なザマに成り果てたのぅ、雁夜よ」

 その言葉にぞわりと、全身が総毛だつのがわかる。

 そこに現れたのは小柄な老魔術師の姿をした、醜悪な間桐の妄執だ。

 人ならざるそれが人の言葉を操って、俺に何事かを語りかける。

「これだけ命を蝕まれて尚、よくもまあ、ここまで生き延びたものよ。既に三人のサーヴァントが果て、残るは四人。正直なところ、まさか貴様がここまで食い下がるとは予想しておらなんだ」

 妖怪ジジイが何かを言ってる。

(煩い)

 蟲たちがぎちぎちと飼い主の来訪を喜んで軋みをあげている。

(黙れ)

「改めてひとつ、掛け金を上乗せしてみるのも悪くない。雁夜よ、貴様にはワシがここ一番の局面に備えて秘蔵しておいた切り札を授けてやる。さあ……」

 ぐい、と口を無理矢理開かされた。

 次の瞬間、その口内にずるりと鼠のような俊敏なナニカが喉の奥へと飛び込んできた。

「が、ぐふぅッ…………ッ!?」

 おぞましさと苦痛を湛えながら、それは腹の中にまで納まり、次の刹那、焼き鏝を押し当てられたような灼熱が俺を襲い、巡った。

「ぐあぁぁぁぁッ…………があぁッ!?」

 あまりの熱さにのた打ち回る。

 夜の墓場の冷たさなど既に微塵も認識出来ない。

 これは圧縮された魔力の塊だ。

 其れが暴れる、活性化した刻印蟲が俺の身体を食い荒らす、歓喜の声を上げる。

 麻痺し果てた筈の痛覚が蘇る。

 それは、まるで拷問と大差がなかった。

「呵々々々ッ、覿面じゃのう。いま貴様に呑ませた淫虫はな、桜の純潔を最初に啜った一匹よ。どうだ雁夜よ? この一年、じっくりと喰らいに喰らった娘の精気……極上の魔力であろう?」

 擦れる耳と思考の中拾い上げたその言葉に、桜のことを漸く思い出すことが出来た。

 そうだ、あの子、桜、あの子だけは、サクラダケハ、俺ガ、助けなケれバ。

 思い出せない痛みなんてどうでもいい。

 それはきっと思い出してはいけないことなのだから。

 思い出してしまったが最後、きっと俺はもう動けなくなる。

 俺はそう、笑顔が消えたあの子だけでも、桜だけでも救出しなければいけないんだ。

 だから、ダカラ、俺はオレハ聖杯を掴マナケレバ。

 聖杯を、モライにいこう。

 あの神父はヤクソクした。

 でも、今は、今だけは……。

 ずずっと、鼻を啜る。夜の墓地で、魔力の熱にうなされながら、俺はただ噛み殺すように咽び泣いた。

 

 

 

 side.ライダー

 

 

「むっ!?」

 キュプリオトの剣が虚空を切る。

 気配だけは相変わらず存在しているにも関わらず、先ほどまで猛々しく奇妙な現代兵器を振り回しながら暴れまわっていた黒い甲冑の輩は、跡形もなく姿を消していた。

「何が、どうなったんだよ!?」

 敵の弾丸が届かぬよう、離れたところで様子を見ていた余のマスターたる坊主は、おっかな吃驚そんなことを尋ねる。それに拍子抜けしたような呆れたような声で余は返答を返した。

「霊体化して逃げられた、というところだろう」

 言いながら、検めて余は惨状を見回した。

 そこには首のない男の死体が一つと、そして、先ほどまで生きていた(・・・・・)まだ暖かい女の死体が一つ、寄り添うように横たわっていた。

 あの黒甲冑のマスターらしき男は、女の生死も確認せずに出て行ったのだが、男が出て行った時点ではまだ女は生きていた。それの息の根を止めたのは、黒甲冑が放った短機関銃(サブマシンガン)による流れ矢であった。

 崩れ落ちる女の顔を見ていた時の、あの錯乱した相貌を思い出す。

 おそらく、このどこの誰とも知らぬ哀れな女と顔見知りであったであろうあの男。

 その、知り合いの息の根を止めたのは、自身のサーヴァントであったのだ。

 其れを知らずに去ったことは不幸なのか幸いなのか。

 ただ……余が思うには。

(気に食わん)

 それだけだ。あの、黒甲冑、あれは余が叩く。

「坊主、一旦帰るぞ」

「はぁ? 追うんじゃないのかよ」

「これは余の勘だが……次が最後の戦場となろう。マッケンジー夫妻に別れを済ませてやれ」

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 其れは、話せば話すほどに馬鹿な男だった。

 聖杯戦争も終盤に当たる現在、聖杯(アイリ)が連れ去られた今、本当は一刻の猶予もないのだろう。

 こうしている今も、聖杯戦争は続いている。

 されど、その状況だからこそ、オレも、切嗣(じいさん)も対話を続ける事を選んだ。

 アイリが連れ去られた家で、一晩中互いに話し続けた。

 お互いに馬鹿だと言い合った。

 取りとめのない話から、果ては切嗣が私の記憶を見ていたということまで。

 血が繋がっていなくても、やはりエミヤ(わたし)と衛宮切嗣はどこまでも父子だった。

 ここまで似たもの親子というのもそうはいるまい。

 互いに互いを崇高なものだと、そんな風に見間違えて、空回りして、遠回りして、二人とも揃ってどうしようもなく大莫迦者だった。

 互いに間違って、間違えて、罵りあって、でも最後におかしくなってどちらとも付かず笑った。

 そんな時でもあるまいに、妙に清々しい気分だった。

 そうして、朝日が昇る。

 暁に染まった空、その様を二人で並んで見上げた。

 

 今日こそが最終決戦の日なのだと、どちらが言うこともなく理解している。確信している。

 朝焼けに染まる、その横顔を眺める。

 マスターと呼ぶ養父の目元には、薄い隈が出来ていた。おそらくは、二日は眠っていないはずだ。

切嗣(マスター)

「何だい」

 私へと向けられたその視線と顔、それは幼少期に見ていた切嗣の表情によく似ている。

 魔術師殺し衛宮切嗣としてではなく、1人の人間として、1人の親として、今、切嗣は私に接していた。

 それに嬉しいような、サーヴァントとしてはあまり喜ばしくはないことのような複雑な心境になる。

 でもそういう弱さを含めての衛宮切嗣という人なのだろう。そう、私は思った。

 ふと、私の口元が笑みを描いた。

「少しでいい。睡眠はとるべきだ。あまり寝ていないのだろう。寝れるときに寝るのも戦の定石だ。そんなこと貴方はわかっている筈だが」

「でもね……」

「まだその時(・・・)ではない。大丈夫だ、私がついている」

 渋る様子にそういうと、切嗣は、「じゃあ、5分だけ頼むよ」とそう告げて、身体を横たえた。

「了解した」

 そして眠りにつくその顔を見る。

 やはりというべきか、当たり前だというべきなのか、その顔は自分もよく知る「衛宮切嗣」そのものだった。

 生前噂で散々聞いてきた「魔術師殺し」などどこにもない。

 昨日の話し合いの内容を思い出す。

 私も、切嗣もアイリスフィールの生存についてはもう諦めた。

 元よりそういう風に造られた存在であり、イリヤと違って完璧なホムンクルスである彼女が、この第四次聖杯戦争が終わったあとも生きているなど始めから思ってなどいなかったのだ。

 だから、彼女の探索はもう行わない。

 今回の聖杯の降臨場所は既にわかっている。

 歴史が大きく変わったりしない限り、おそらく、今回も其処に配置されるだろう。

 それを先回りして乗り込んでいれば或いは道が拓けるのではないか。

 だが、それがどういう結果をもたらすのかは不明だ。

 今回の聖杯戦争は、私の知る歴史とは違うものなのだから。

 だから、万が一の可能性も考えて、他の聖地……遠坂邸と教会には使い魔を、一番の霊地である円蔵山には久宇舞弥が向かい、待機することになっている。

 ふと、自分が衛宮士郎とよばれていた時に言った言葉を思い出す。

 私が昔のことで覚えていることは数少ないけれど、こんな風に類似状況に会えばふいに思い出すこともある。

 かつての自身が参加した第五次聖杯戦争で、聖杯であの大災害をなかったことにしないかと、そう問われて、私は「やり直しなど望まない。そんなおかしな願いはもてない」とそのようなことを言った。

 そんな私が自分殺しを望んで聖杯に召喚される死後を送るなど、まあ皮肉な話だが。

 今私は衛宮切嗣(じいさん)に召喚されて此処に……衛宮士郎が誕生する以前の過去にいる。

 そしてそれに当事者として関わっている。

 これは、果たしてやり直しになるのだろうか。

 いや、答えは否だ。

 私の知る歴史では、爺さんに召喚されるのはアルトリアでなくてはならず、英霊エミヤがアーチャーとして此処に召喚されるのも有り得るはずがない事だからだ。何故なら前提が間違えている。

 ギルガメッシュもおらず、あの赤いドレスのセイバーがいるこの世界は、確実に私には繋がらない世界だ。

 だから、私が何をやろうと私の世界の歴史と同じになることはないだろうし、私がどういう行動をとったところで、それは「過去の改竄」にはなりえない。並行世界とは、つまりそういうものだ。

 何故なら、私という存在は既に存在しており、座という記録に残されているのだから。

 ならば、答えを得た英霊エミヤ(わたし)のとる行動など決まっている。

 何をやったところで過去の改竄にならない別世界であるなら、一人でも多くのものが助かる道を模索し、それを果たす。それが正義の味方というものだろう。

 そんなことを考えていると、目の前の男がぱちりと、その黒い眼を開く。

 5分など瞬きに等しい時間というものだろう。

 

「さて、行こうか」

 僅かに少し無理をしたぎこちない笑顔を浮かべた男は、そんな言葉を言いながら、右手を私のほうへと差し出した。

「その前に、やるべきことがあるだろう」

 私がそういうと、切嗣は、少し嫌そうに眉根を寄せる。

「どうしても……かい?」

「先日の令呪の件でなんでも私の言うことを一つ聞くと、そう言ったのは貴方だ」

「でもね……」

「爺さん」

 まだも渋る男に私は嘆息を一つ、言い聞かせるような声で言葉を続けた。

「オレを信じろよ。……私は、貴方の子供だ。そうだろう? なら、何も心配などいらないさ」

 言いながら、笑った。

 養父でありマスターでもある男は私の発言を前に、瞠目に目を見開く。

 そういえば、この切嗣に自分が貴方の子供であるなんて言葉を使うのは、召喚された日以来だったな。そう意識すると、急に頬の周りが熱を持ちだしたような熱さを覚え、羞恥に耳まで赤らんでいくのを感じた。

 なんだこれは、我ながらこの年でこれは恥ずかしいぞ。……英霊に年は関係ないかもしれないが。

 ああ、上手く言えんが……何か、これは照れくさいものだな。

「そっか。なら、しょうがない」

 そう言って、切嗣も笑った。困ったような、少しの悲しみをない混ぜにしたような笑みだった。

 自分の中に通っているラインが、熱を持つ。

「令呪でもって命じる」

 

 

 

 side.セイバー

 

 

 醜悪だ。目の前の男は何よりも醜悪なもので出来ている。

 薄汚い地下空洞で、余はただ、目の前で起こる其れを見ていた。

(おぞましい)

 アーチャーのマスターの女だとそう認識していた女が、この悪臭と妄念が篭る貯水槽に描かれた魔方陣の上で仰臥し、望まず新しい奏者(マスター)となった男に、呪いの言葉を吐いている。

(醜い)

 余がこの世で最も嫌いなものは、『倹約』『没落』『反逆』の3点だ。

 だというにも関わらず、聖職者の仮面をかぶりながら師を裏切り、他人を陥れるばかりのこんな男が余の奏者であるなど、悪い冗談だとしか思えない。不愉快にも程がある。

 だが、あやつが下した令呪の命は確実に余の身体を縛り、認めたく等なくとも認めずにはいられない。

 この屈辱、それすら酒の肴にするこの男ほどの悪党も、そうはおらぬだろうぞ。

 侮蔑と嫌悪。

 凡そマスターたるべき存在に向けるべきではないそれらの感情を向けようと、あの男は逆に心地よさそうにするだけだ。それがわかっていても、果たして憎まずにはいられようか。

 余の奏者を殺したこの男を。

 そして幾許かの問答のあと、余の新しき奏者(マスター)、元アサシンのマスターであるところの黒衣の大男、言峰綺礼はその女の命を奪った。

 美しい(かんばせ)を苦痛に歪めながら、女の細い首が花を散らすように手折られる。

 それに思わず目を逸らす。

 其れがせめてもの慈悲だった。それ以外に余に出来る事などない。

 アーチャーはきっと、この女の死を悲しむだろう。それに遣る瀬無い気持ちもある。

「セイバー」

 男の声が余のクラス名を呼ぶ。それすら耐え難いほど不愉快な出来事だ。

「私は聖杯を降臨させる準備に取り掛かる。近づくものは、衛宮切嗣を除いて全て始末しろ」

「…………」

 貴様が、降ろすというのか。貴様のような害悪たる存在が。

「どうした? それとも、令呪で命じられなければ動けないという気か?」

 男が薄っすらと笑う。おぞましい。

 こんなものが聖杯に選ばれる……と?

 世の中とはとことん狂ったものよと、そんな風に言うしかないではないか。

「セイバー」

 返事を返さぬ余に対し、咎めるような声で付けられた名に相反した男が余のクラス名を呼ぶ。

「わかっておる」

 感情のない声が出る。その声で、吐き捨てるように続けた。

「余は貴様に近づく輩を足止めすればいいのだろう」

 

 

 

 side.ウェイバー

 

 

 ボクは馬鹿だ。

 かつての自惚れを捨てて、どうしようもなく、今そう痛感している。

 あの後、深夜に寄生しているマッケンジー夫妻の家に戻ると、夫妻は当たり前のようにやはり自分を暖かく迎えてくれた。暗示で孫と思い込んでいるのだ、当然だとボクは思った。

 そんな中、明け方に、家主であるグレン老に「一緒に屋根の上で星を見よう」そういわれて、ライダーに背中を押されたのもあり、一緒に並んで座った。

 勝手に家と身分を借りているのだ、しょうがない。付き合ってやるか。そう思って。

 その時知った衝撃の事実。

 グレン老はボクが「孫」なんかじゃないことに気付いていた。

 暗示なんて、魔術の初歩の初歩だ。それが一般人の、自分から「騙してくれ」と言い出してくるようなお人よしの老人にすら破られるような出来でしかなかった。それほどにボクの魔術は稚拙だったんだ。

 時計台にいた頃、ボクには才能があると思っていた。そう、自惚れていた。

 だけど、結果は……はは、なんだ、ボクは道化なんじゃないか。

「さて、坊主行くか」

 最終決戦へと赴こうとしている、隣に立つ大男を見上げる。

 この十日余りの日々をずっと共に過ごしてきた、古代の征服王。本物の英雄。

 いつも通り、戦車(チャリオット)の身車台の横を、ボクの為に空けてくれている。だけど、ボクは苦笑しながら、その申し出にかぶりを振った。

 イスカンダルの為のその豪奢な騎乗宝具は、凡俗で卑小な自分にはふさわしくない。

 征服王の覇道への道を穢していいわけがない。

 ボクは確かに負け犬かもしれないけれど、負け犬には負け犬なりのプライドがある。

「我がサーヴァントよ、ウェイバー・ベルベットが令呪をもって命ずる」

 ライダーが僅かに目を瞬く様子を出来るだけ見ないように、右手の令呪に集中した。

「ライダーよ、必ずや、最後までオマエが勝ち抜け」

 元より相手は征服王なのだ、それは当たり前の約定。

「重ねて令呪をもって命ずる。……ライダーよ、必ずやオマエが聖杯を掴め」

 消えていく二画目の令呪に、未練が心を過ぎる。

 それを無視して三度目の命令を下す。

「さらに重ねて、令呪で命ずる」

 自分は彼のマスターだった。

 それを最後の意地として、怯むことなく彼と対峙していたい。

 だから、真っ直ぐにその大きすぎる男を見上げた。

「ライダーよ、必ずや世界を掴め。失敗なんて許さない」

 最後の令呪が消えていく。

 これで名実共にボクはライダーのマスターではなくなった。

 どうしてだろう、やっと対等に立てた気がする。

 きっと錯覚だろうけど。

 でも妙に清々しい気持ちを抱えたまま、ボクは正面に立つ男を見上げた。

「…………さあ、これでボクはもう、オマエのマスターでも何でもない。さあ、もう行けよ。どこへなりとも行っちまえ。オマエなんか、もう…………」

 うむ、と頷く声がした。

 何度も苛立たされて、でも憧れ、何度も魅せられた男の声だった。

 それでほっとして、肩の力を抜いたその時、ライダーはいつものいかつい手でボクの首根っこを掴んで、身車台の横へと押し込んだ。

「もちろん、すぐにも征かせてもらうが。……あれだけ口喧しく命じた以上は、もちろん貴様も見届ける覚悟であろう? すべての命令が遂げられるまでを」

 え、と口が勝手に開く。

 何を言ってるんだ、こいつは。

 だってボクは……。

「ば、ば、馬鹿バカ馬鹿ッ! あ、あのなぁ、おいこらッ、令呪ないんだぞ! マスター辞めたんだぞ! 何でまだボクを連れて行く!? ボクは……」

 連れて行くような価値なんてないだろう、そう続ける前にボクの言葉は遮られた。

 認めたくなくても、大好きだったその声で。

「マスターじゃないにせよ、余の朋友(とも)であることに違いはあるまい」

 うろたえ狼狽するボクを前に、その男は至極当然といった口調で呑気な笑顔を浮かべながら、そんなことを言い切った。

(あ、駄目だ)

 涙腺が崩壊する。

 鼻水が混じってぐちゃぐちゃだ。

 誰に言われるでもなく、自分が酷い顔で泣き崩れていることがわかる。

 でも止められそうにもない。

 嗚咽交じりの酷い声で、それでも聞きたい言葉を問いかけた。

「…………ボ……ボクが…………ボクなんか、…………で本当に、いいのか…………オマエなんかの隣で、ボクが…………」

「あれだけ余と共に戦場に臨んでおきながら、今さら何を言うのだ。馬鹿者」

 そんなボクの言葉を笑い飛ばしながら、イスカンダルは、ボクの肩をバンバンと叩いた。

「貴様は今日まで、余と同じ敵に立ち向かってきた男ではないか。ならば、朋友(とも)だ。胸を張って堂々と余に比肩せよ」

「…………ッ」

 この日のことを、ボクはきっと一生忘れないだろう。

 目の前にあるのは、夜の冬木市の街並み。

 第四次聖杯戦争最後の夜が始まったんだ。

 敗北も恥辱もない。今、自分は王と共にある。

 この男さえ信じていれば、きっとこの頼りない足でだって世界に届くだろう。

 

 

 

 side.間桐雁夜

 

 

 嗚呼……聖杯ハどこにあるノだろう。

 まどろみかラ目が覚める。

 あたリは暗闇。

 冬木の街に、聖杯ヲ降ろす聖地は4つある。そウじじいは言ってイた。

 だカら、きっと4カ所のどこカにある筈。

 アの神父は聖杯を俺ニ譲るといってイた。

 急がなければイケない。

 蟲に喰われル前に、終わらせなけれバいけない。

 ふらふらト、身体が動く。

 ふらふら、ふらふら。

 動く、動ク。

 コの体ハまだ動ク。

 確か……この冬木デ一番の霊地は……円蔵山。

 ソウダ、きっとお山だ。そこに違いナい。そコに行けば、俺の願イは叶う。

 長い長イ、階段。

 息を切らしナがら、ふらふら、ふらふらと山を登る。

 何かの嗤い声ガする。

 何の音だろう。

 いや、今俺ハ何カを視得ているのだろうカ?

(思考停止)

 人はイナい。いつから?

 確かここニは僧侶たちがイタはずだったのに。でも、いないならそのほうが都合がイイ。どうでもイい。

 聖杯は、どこダ。

「神父……いないのか」

 外した、ノか?

 聖杯ノ降臨場所はコこじゃナかった?

 そノ時、雷鳴が響いタ。

 思わずばっと、空を見上ゲる。

「さて、賊よ。昨日ぶりだのぉ。今度は逃げんのか?」

 イたのは天駆ける戦車にのった大男。

 そうダ、あれはサーヴァントだ。

 迸る怨念に眼を吊り上ゲる。サーヴァントはスベて滅しなければ。

 あれが、どれホどの英霊カなどどうでモいい。今の俺は、力が漲ってイる。

「まあ、どちらにせよ、逃がす気もないがな」

 大男がナニか言っている。アレを見てイると気分が悪くなる。思い出してはイけないことを思い出しそうになル。頭がガンガンと響く。すっと、引き攣った右手を掲げル。

「殺せ」

 怨念、憎悪、それガ原動力になって、自身の従者にラインを通じて流れてイく。

「殺し潰せッ!バーサーカーッ!!」

 黒い甲冑の狂戦士が、声ならヌ叫びを上げながら、赤毛の大王へと斬りかカった。

 

 

 

 side.衛宮切嗣

 

 

 冬木市市民会館。

 それが今回の聖杯降臨の舞台の名だ。

 十中八九此処が言峰綺礼との決着場所となる。

 だから、僕は昼間からこの場所に潜伏し、数々のトラップを仕掛けていった。

 とはいっても、ここは元よりあまりに防御に向かない土地だ。故に攻撃こそが最大の防御。仕掛けたトラップは全てあの神父を倒す為の迎撃装置だ。

 夜半が近づく。

 朝、アーチャーが用意した一口サイズのサンドイッチを口に収める。

『切嗣』

 無線から、右腕である女の冷徹な声が響く。

「どうした、舞弥」

『サーヴァントの戦闘が始まりました。相手はバーサーカーとライダーです。今のところ私に気付いている様子はありませんが、どうしますか』

 少し思考の波へと落ちる。

 それから慎重な声で部下へと返答を返した。

「様子を見ていてくれ。自分の命を最優先に、介入できそうなら介入してくれ。そこは君の判断に任せる」

『了解しました』

 その時トラップが作動し、誰かが来た事を僕に伝え、それを合図に即座に意識を切り替える。

 コツコツと靴音を鳴らしながら現れたのは、教会の代行者、言峰綺礼。

 間違いなくこの戦いでもっとも危険であろう男。その腕には、アイリの物言わぬ亡骸を抱えている。

「……ッ」

「驚いたな」

 地下で刃と刃が衝突する音が響いている。ラインからも、戦闘中である気配が流れ込んでくる。

 つまりはもう一方の戦闘も始まったというわけだ。

 油断無く構える。

 そんな僕を前に、口元に嘲笑じみた笑みをこぼしながら言峰綺礼はその低い声で言葉を洩らした。

「よく、私が此処を選ぶとわかったものだ」

 どさりと、綺礼は物のようにアイリスフィールだった身体を背後に投げた。

 其れを合図に、僕は9mm軍用弾(パラペラム)による一撃を放った。

 

 

 

 side.セイバー

 

 

 あの時から、こうなるとは分かっていた。

 地下駐車場に向かう我らを、閃光のような矢が狙い打つ。

 見るのが初めてであればおそらく対処が難しかったであろう、それを、余の愛剣で撃ち落していく。

 その矢を一言で申すなら正確。

 一見するならば、どこから飛んできたのかわからぬそれは死神の鎌さながらでもある。きっと下位のサーヴァントであればどうしようも出来なかったであろう。それほどの技巧を秘めた攻撃であった。

「セイバー」

「…………」

「アーチャーの相手をしろ」

 言いながら、僧衣の男は一人階段を上ってその地に……おそらくは奴が言うておった、衛宮切嗣とかいう男の元へと向かう。

 狭い地下空間での弓の不利を悟っているのだろう、余がどこにその姿を潜めているのか中りをつけると同時に、アーチャーはいつかも見た黒と白の双剣を手に余の前へと躍り出た。

 その凛とした鋼鉄の如き立ち姿。

 ほんの数日ぶりなのに、酷く懐かしい気分だった。

「久しいのぅ、アーチャー」

 そう余がゆるゆると問いかけると、弓兵を名乗る赤い女騎士はこれまでと変わらぬ調子で淡々と言葉を返す。

「まだ、四日ほどしか経っていないと思うがね」

「そうであったか? 余にはもっと、永く感じたぞ」

 ふと、アーチャーが戦闘中に被る鉄面皮を曇らせる。

 眉根を寄せて何事かを考えたかと思えば、すぐに「ああ」となにやら納得して、再び剣を構えた。

「君もついていないな」

 余の本来のマスターのことについては、アーチャーは知らないはずだ。

 あれは最後まで表に出ようとしなかった男であった、知りよう筈もない。けれど、その言葉だけで、アーチャーは全てを知っているのだとそんな風に感じた。

「全くよ。のぅ、アーチャー……剣を収める気はないか? そなたが手を出さぬというのなら、余とてそなたを手にかけはしない」

「愚問だな」

 アーチャーはまっすぐな声で、口元に笑みさえ浮かべて告げる。

「私の望みはマスターを無事に守り抜くこと。ならば、マスターの障害である君を前に、おめおめ逃げ帰るはずがなかろう?」

 その言葉に、例の衛宮切嗣とかいう男こそがアーチャーの本当のマスターなのだと気付く。

 かつて、アーチャーが「守り抜いて家族の元に帰す」と宣言した男。

 今もそう誓っているという男。

 見えるのは親愛と信頼。

 ……酷く羨ましい感情だ。

 今の余の奏者(マスター)は、一応とはいえあの男、言峰綺礼となっておる。

 あの聖職者の皮を被った醜悪なる裏切り者の目的が衛宮切嗣という男である限り、あの男のサーヴァントである余が障害であるのは、成程道理であったか。

 目の前の白髪長身の女弓兵を見上げる。

 其処にいたのは、忙しなく給仕に励んでいた娘でも、敬虔な聖者の如き微笑みを讃えた女でもなく、主君の為の一振りの剣だった。

「そうか」

 その姿を、ただ欲しいのだとそう思った。

 かつて、「聖杯に願うような望みなどない」と言ったその口で、余を欲しいと言わしてみせるとそう思ったときもあった。でも、今はその剣を思わせる生き様諸共に、この紅い女戦士の全てが欲しい。

 器量は、整ってはおっても十人並みだ。変わった色合いをしてはいるが、並外れて美しいとは呼べぬ。

 されど、その鋼の一振りの剣のような鋼鉄の意志と心根は、充分に魅力的で、紅玉よりも尚美しい。

 無骨で愚直な、宝飾剣には有り得ぬ美しさ。

 ああ、アレが欲しい。

(けれど、今の余は……)

 自分の今の境遇に自嘲がもれる。

 アーチャーに対して抱いた欲望も、憧憬も、それが果たされることはない。

 ならば、この闘争に全てを賭けようぞ。

「覚悟、せいよ」

 そして、アーチャーと余が斬り込んだのは、ほぼ同時だった。

 

 

 続く

 

 

 



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09.暴君の矜持 後編

ばんははろ、EKAWARIです。
次回で第四時聖杯戦争編は終結します。

それと余談ですが、前回評価欄で何故sideを使用しているのかわからない。この内容が書けるならわざわざsideを使う必要がないのでは……系の質問がありましたので、アンサーしておくと、ただ単にこの物語にはこの形式が1番合っていると判断したから採用しただけですと返答しておきます。
というのも、この話では元が男だったキャラの女へのTSから来た勘違いもの要素があり、その辺りの個々人から見た誤解を含むそれぞれの像を描くのと、群衆劇的な多角的視点を取り入れるには一人称切り替え形式のほうが三人称文よりも都合が良かったというのが第一の理由。
が、これだけなら空白を空けることによって視点の切り替えで対処出来るわけなので、次に第二の理由があり、まあこれがside方式を採用することにした1番でかい理由なのですが。
ぶっちゃけ第五次聖杯戦争編に突入すると同一人物の別人が何人も何人も登場するんですよね。うっかりシリーズって。衛宮士郎とかエミヤさん含めて何人いるんだっけな、レベルで。
なので当然基盤が同じキャラは地の文の言葉遣いとかも同じになるわけで、正直ややこしいというか、多分読んでるほうも空行だけの切り替えだと、「あれ? これ今誰の視点?」とややこしくなってくると思うんですよ。ていうか、多分混乱する人、確実に出るんじゃないかなーと。
だから冒頭で誰視点か入れといたほうが最初っから混乱しないで済むかなと思ったのが、side方式を採用した理由です。


 

 

 

side.エミヤ

 

 

 ……その剣技は、どこか暴風に似ていた。

 見た目こそ可憐で小柄な少女が歪な形の赤き大剣を振るえば、轟音を響かせながらコンクリートが抉れ飛ぶ。

 かわし切れない飛礫を無視して、私は確実に致命傷になろう技だけをいなし、避けながら、鷹の目のスキルと千里眼を十全に発揮して機を伺い続けた。

「はぁあああッ!」

 気合の声を上げて躍り掛かる少女。

 ひらひらと揺れるドレスがまるで花が舞うかのようであるのは、以前も見た通りなのに、確実にその姿は以前とは異なっていた。

 戦いに望むとき、楽しげに笑みさえ浮かべていた顔に今浮かべるは焦燥。

 剣も粗く、少女の拘りでもあっただろう雅さが欠けている。

 それでも、小柄な女の細腕で扱う代物としてはあまりに異形な大剣による一撃は、一つ一つが致命傷であることは明白だ。たとえ、剣筋がいつもよりも荒れていようと、油断が出来る相手ではないことは確かだろう。そもそも基礎ステータスの時点で私とこの少女との間には天地ほどの差異があるのだから。

 だが、当初の想定以上に私が負う傷は少ない。

 剣使い(セイバー)の英霊を相手に弓使い(アーチャー)が剣で競って勝てるわけがない。

 それが聖杯戦争の常識だ。

 なのに、ここまで傷が少ないのは、私の実力と言うよりも、セイバーの側に問題があるからだ。

 セイバーは、この赤いドレスの少女は、私に致命傷を与えようとする時、おそらくは本人にも自覚がないのであろうほどの数瞬、動きを鈍らせる。私がその攻撃に対処するには充分な隙だ。

 とはいえ、腐っても相手は剣の英霊。反撃するほどの隙は流石に貰えてはいない。

 ゆえに、戦況は膠着する。

 

 ギン、と幾度目か、私の手から干将莫耶が弾き飛ばされる。其れを見ながら、少女は感情を押し消した目でぽつりと言った。

「そなたは、まこと不思議よな」

「…………」

 言葉を交わしながらも、少女は剣を振るうのはやめない。

「性格は凡そ戦場には向いておらんだろうに、誰よりも戦士だ」

 ヒュッと、風を切って赤き大剣が私の顔の横に向かう。

(!?)

 殺意が欠片も滲んでいない、あてるつもりで放った攻撃ではなかったが故の、少しの油断。

 少女の歪な形の大剣の調度腕が入るほどの(くぼ)みに首を捉えられ、後ろの壁へとそのまま縫いとめられる。首の左側は少女の剣、右側は少女の左手が、逃がさないとでも言いた気に囲んだ。

「剣才も容姿も凡百なのに、それでもそなたは誰より美しい。ふふ、真に惜しい話よ。何故今の我が身はサーヴァントなのであろうな……」

 もしも、生身であれば、このままそなたを浚って逃げられるのに。

 蚊の鳴くような声で、この赤いドレスの少女はそんな言葉を続けた。

「君は、何を言ってる?」

「そうよの……恨み言……いや、ただの独り言よ」

 自嘲するかのような表情と、乾いた声で少女は笑った。

「私から見たら、君のほうが余程不思議だ」

 言いながら、私は少女の腹部に右足を打ち込み、怯んだ隙に逃れ、再び距離をとった。

「アレがマスターとは、同情はするがね、それでも我らはサーヴァントだ。ならば、やることは一つだけだろう?」

 

 

 

 side.言峰綺礼

 

 

 待ち望んでいた男との対峙を前に、私の胸は狂喜に震えた。

 嗚呼、あれこそが私が待ち望んだ天敵だ。

 私の生きている意味だ。

 最も許せない男だ。

 決して赦してはならない存在だ。

 私の欲しいもの、欲しかったものを全て持ちながらにして、ゴミクズのように捨てる、度し難い愚か者。

 それを……人として当然の正しい感情をどれだけ私が欲してきたと思っている。

 私は、私は妻の死に際までそれを、持つ事が出来なかったのに。

 私は妻を、普通に「愛する」ことが出来なかったのに。

 当たり前の幸福を、「幸福」とは決して感じる事が出来なかったのに。

 出来るものが何故「捨てる」。

 どれだけ私がそれを求め続けて来たと思っているんだ。

 何が正義だ。

 何が世界平和だ。

 貴様など赦すものか。 

 衛宮切嗣。

 それを前に心が震える。

 自分への辛苦、惨めさ呪わしさが堪らなく愛しい甘い蜜となってこの身へと還る。還っていく。

 嗚呼、憎い。とても憎い。

 そんな風に思える存在に出会えた事が堪らなく、嬉しかった。

 この感情がとても愛おしかった。

 もうかつてこの身を苛んだ空虚はどこにもない。

 皮肉にも、それは衛宮切嗣のお陰とも言えた。

 滑稽な話かもしれない。

 だが、神よ……そのような存在を私へと与えてくれた事を感謝します。

 心の中で神への感謝の祈りを捧げる。

 そして戦いの火蓋は落とされた。

 

 衛宮切嗣が光を灯さぬ黒い眼で私を捉え、黒塗りの銃を構えながら引き金へと手をかける。

 放たれた弾丸を苦もなくかわし、黒鍵を二本、目の前の男に向けて放った。

固有時制御(Time alter)(---)二倍速(double accel!)

 男が放ったのだろう言の葉を合図に、突如として男の動きは明らかに不自然なほど早まり、私が放った黒鍵を銃弾で叩き落す。その隙に衛宮切嗣に接近しようとした私の足元で爆破が起こる。

 それに対処しようとすれば、その隙を狙って再び男の銃弾が火を噴く。

 仕方無しに後ろに僅か下がって手にもった黒鍵を刀身を倍化させて、銃弾を凌いだ。

 そこでまたもトラップ。

 私の身体を拘束しようとする魔術が発動しかけるが、それを力技で破った。

 同時、9mm弾の雨が怒涛のように押し寄せる。それを両腕でガードして、今度こそ切嗣に迫ろうとすると、連続で様々な仕掛けを施されたトラップがこの身を阻んだ。

 最早、科学も魔術もごちゃ混ぜで作られた罠の数々は、連鎖反応を起こしながら私を追い詰めようとする。

 爆破と拘束をメインに仕掛けられたそれらは中々にえげつない。

 近づかれたら終わりだと知っているのだろう男は、遠距離を保ったまま、徹底的に自分を引き寄せようとはしなかった。

(解せんな)

 まるで、衛宮切嗣は私の戦い方を知っているかのようだ。

 これが初の接触であるにも関わらず。

 頭の中では変わらず、男なのか女なのかすらわからぬ声の主が何かを囁いている。

 だが、それに耳を傾けるほどの余裕はここではない。

 男のコンテンダーが唸りを上げて30-06弾を私に向かって吐き出す。それを予備令呪2個分の魔力を使って右手でもって打ち払う。

 流石に令呪をつかったとはいえ無理をしたか、右手は激痛と夥しい血が滴っている。

 だが、それは些細なことだ。

 コンテンダーで再び攻撃しようとすれば、装填する時間がいる。ならば、勝機はそこにある。

 ぐん、と踏み込み接近する。足元で爆破がおきるが、先ほど威力は見て取った。構わない、そのまま走り続ける。ぎょっと、男が先ほども唱えた呪文を使い、私から距離を離そうとする。

 させるわけがない。

‘そうだ、それでいい’

 何かが笑う。

 八極拳が最大の効果を発揮する間合い。予備令呪で強化し、踏み込んだ震脚で男に心臓をも破壊する必殺の一撃を……放ったはずだった。

 

「全く、本当に人間とは思えないな、貴様は」

 短く切られた白髪、皮肉気に吊り上げられた口元から流れる一滴の血、私の一撃を喰らって皹が入っている黒い鎧に、紅い外套。今までいなかったはずの存在がそこにいた。

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 今日の朝、切嗣は二度目の令呪を使った。

 私は、若かりし頃の言峰がどれほどのものかは知らない。

 だが、あの男の現役時代というだけで、どれほど危険かは考えずともわかるだろう。

 それに加えて、私の知る歴史では爺さんはアヴァロンをもっていた上で、セイバーを召喚したわけであり、セイバー自身はそのことを知らなかったわけなのだから、爺さんはアヴァロンの加護を得て戦ったからこそあの男に勝てたのだという可能性が高いように思われた。

 しかし、今回の聖杯戦争でよばれた切嗣のサーヴァントは私だ。

 アーサー王であるところのアルトリア・ペンドラゴンという少女ではない。

 いくら、第一級武装概念である全て遠き理想郷(アヴァロン)が此処に存在していようと、アーサー王の為の鞘が、本来の持ち主の魔力も無しに発動しようはずがない。セイバー無しではせいぜいが傷の治りが早くなる程度だろう。

 それだけでも、私が知識として知っている第四次聖杯戦争より、この世界の戦いのほうが大分不利だろうことは想像に難くはなかった。

 しかし、だからこその令呪だ。

「次に僕がサーヴァントの真名を呼んだ時、如何なる状況でもマスターの眼前に必ず召喚されろ」

 それが今朝に使った切嗣の令呪の内容だった。

 令呪は曖昧な命令には効きが弱いが、はっきりとした内容には強い。

 その特性を踏まえて、「次に」といつなのかを限定させた。

 それならそのときに令呪を使って呼べばいいというふうに思えるかもしれないが、切嗣の場合、アイリが浚われた時の前科がある。

 最後まで私を呼ばずに自力でなんとかしようとする可能性がある為、事前に仕込んでおけば否が応でも使わねばならないことを意識するだろうし、土壇場で令呪など使ってしまえば、令呪を使ったということを言峰綺礼に気付かれ、不意がつけなくなる可能性がある。だからこその事前の令呪だった。

 そしてその思惑は成功した。

 

 腹部に受けた攻撃は、生身の人間が放ったものとは思えないほど重かった。

 だが、霊核が傷つかない限り、魔力さえあればサーヴァントの傷などそのうち回復するし、10年間アヴァロンと共にあった影響なのか、私の傷の回復力は人一倍早い。驚き硬直している男の隙をついて、お返しとばかりに今度は私がその腹部に有りっ丈の力をこめて蹴っ飛ばした。

 これが普通の人間ならその時点で四散して果てている事だろう。

 だがしかし、元々強化してあったのか、サーヴァントの一撃を受けても腹に穴一つ開くことなく、大した怪我もないまま、僧衣の男は頭を守りながら派手に転がっていった。

 それらの光景を見届け、油断無く言峰綺礼の動向へと意識を傾けつつも、後ろにいるだろう養父兼マスターへと軽口を飛ばす。

切嗣(マスター)無事でなによりだ、ひやひやしたぞ」

「本当は僕一人でなんとかする気だったんだけどね」

「やはりか。そう言うと思ったよ」

 むっすりと、不機嫌な顔を隠そうともせずにそう返すと、わずかに苦笑するような響きが聞こえる。

 私は、ぐいと口元から流れる血を拭うと、愛用の弓を構え矢を番えた。

(参ったな)

 ダメージは想像よりも酷かった。

 きっと、魔力で威力を底上げしていたのだろう。体の中身をぐちゃぐちゃにされたような感じがしている。

 いくらガードもせず直撃を受けたとはいえ、仮にもサーヴァント相手にここまでダメージを与えられるなど、本当にあの男は人間なのか。

 これを受けたのがもしも切嗣のほうだったら、アヴァロンの加護がないんだ、おそらく即死だっただろう。万が一に備えていてよかったと思う。

 矢を放つ際に腹部が軋んだ。そんな自身の状態に構わず、反撃を与えないように矢を連続で放った。傷自体はもうすぐ消えるだろうしそう大したものではないが、この状況でセイバーを呼ばれたらどうしようもない。

 おそらくは、令呪を奪ってマスター権を得たのであろうが、確か彼女への令呪は、最初の戦いのときに一回、あのセイバーにマスター換えを了承させるのに一回使っているはずだ。ならば、残る令呪は一画。

 それを使って呼んだ場合、セイバーに己が殺される可能性のほうが高いことは理解しているだろうから、やるとも思えないが、楽観視するわけにもいかない。

 煙が晴れる、そこには倍化させた黒鍵を携えて、なんでもないかのような姿で立ち上がる神父の姿があった。

(化け物か……!)

 あれだけサーヴァントの矢を受けながら全て撃ち落としたなどと、人ではないこの身が言うのも憚られることだろうが、既にこの男、人の領域を凌駕している。

「全く、セイバーの奴も役に立たんな。足止めもまともに出来ぬとは」

 嘲笑うように吐き捨て、私が見慣れた姿よりも年若い言峰が腕を掲げる。

「ッ!」

 そこには、びっしりと数多くの令呪が浮かんでいた。

(この男……そういうことか)

 緊張が走った。

 しかしその中にも漂う異常の空気。それは言峰ではなく、その背後で。

 それが一体『何』なのか気付いた時、はっと、目を見開いた。

『マスター! あそこに何がある!?』

『そうか、あそこはアイリの……』

「貴様がサーヴァントに頼るというのなら、こちらも相応に……!?」

 どろりと、突如膨らんだ黒い泥が、言峰綺礼を襲い、飲み込んだ。

 

 

 

 side.ウェイバー

 

 

 その戦いをボクは最初から最後まで見続けていた。

 異国の寺社境内は、ライダーによる固有結界『王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)』によって塗り替えられていく。どこまでも続く平原と蒼穹の空。ライダー……征服王イスカンダルと、その配下達が生涯胸に宿し続けたというその光景。それぞれがそれぞれの伝説を持つ無双の勇者達。

 砂煙を上げて、その一騎当千の兵達が、ただ一人の男にのみ群がる。

「蹂躙せよ!」

「AAAAALaLaLaLaie!!」

 王の命を受けた男達は、雄叫びを上げて返事と返し、各々の武器を手に黒い甲冑へと斬りかかる。それを黒い甲冑の男は逆に斬り伏せていっていた。

(なんて、やつだよ)

 ゾクリと背に震えが走る。

 千を数える敵を前にしても、狂戦士の武勇に比類なし。狂ってもうマトモな判断力すらないというのに、男は敵の武装を奪い、蹴散らし、同士討ちまでさせ、縦横無尽に戦場を駆け抜けていく。

「―――、――ッ!」

 声にならない唸り、怨嗟の声を上げて男は、愛馬ブケファラスに乗っているライダーに向かって剣を手に躍り掛かった。

「むぅっ!?」

 手綱を引き、キュプリオトの剣を手に男の攻撃を受け止めるライダー。

 細身の黒甲冑の一撃は体格の印象以上に重いのだろう。ライダーの足元が陥没する。

 王の危機に駆けつけた兵士達が、左右からバーサーカーへと追撃にかかる。

 黒き狂戦士は、しなやかで空気抵抗すらないかのような動きで後ろへと跳躍、そこに群がる兵士どもを切り伏せていった。まるでそれは演舞であるかのような見事な動きで。どれほどの兵士が屠られたのか、数を失い、幻想を保てなくなってきた大地がぐにゃりと曲がる。

「坊主」

 いつの間にいたのか、ライダーが、愛馬からボクがいる戦車の御車台まで戻ってきていた。そのまま、どかりと神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)へと座り込む。

「ひとつ訊いておかねばならないことがあった」

「え……?」

 いつも朗らかな笑みを浮かべている古の征服王の目は、真剣な色を湛えていた。目の前の敵から目を逸らすこともなく真っ直ぐに見上げている。自分の配下が黒甲冑に逆に蹂躙されていく、その様子をだ。

 もう、結界は、征服王イスカンダルを象徴するこのライダーの世界は数秒と保たないだろう。

「ウェイバー・ベルベットよ。臣として余に仕える気はあるか?」

 はじめは何を言われたのかわからなかった。

 続いて、意味を理解した。

 つまりはボクも……。

(あの中の一員に加えてもいいと……?)

 王と共に歩むのを、その夢を見てもいいんだと、そう言ったのか?

 思わず、涙が溢れ出てくる。

「あなたこそ……」

 遂に結界が瓦解する。

 元の冬木にある異国の寺院へと景観が戻っていく中、涙もそのままに続けた。

「……あなたこそ、ボクの王だ。あなたに仕える。あなたに尽くす。どうかボクを導いてほしい。同じ夢を見させて欲しい」

「うむ、良かろう」

 征服王が微笑んだ。

「―――、――――!!」

 数多の標的を失ったバーサーカーが、僕らを狙って襲い掛かる。それを車輪を走らせ、弾き飛ばす。

 このまま、王と一緒に歩める。そんな風に浮き立つボクを見て、ライダーは、物陰でボクの身体を其処に降ろした。

「え?」

「夢を示すのが王たる余の務め。そして王の示した夢を見極め、後世に語り継ぐのが、臣たる貴様の務めである」

 王の背中が遠ざかる。再び踊りかかってくる狂戦士の一撃を王は、手にした剣で受け止めていた。

「ウェイバー。全てを見届けよ。この征服王イスカンダルの勇姿を!」

 流れる涙のまま、ボクは頷いた。それが王の意思ならば成し遂げようと思った。

彼方にこそ栄え在り(ト・フィロティモ)……いざ征かん! 遥かなる蹂躙制覇(ヴィア・エクスプグナティオ)!!」

 真名開放を前に、雷を背負った神牛が、強壮なる嘶きをあげて猛然と目の前の男を轢き殺さんと走る。

「AAAALaLaLaLaLaLaie!!」

 最大出力で放たれたその蹂躙に、耐えられる者などいるだろうか。

 征服王の咆哮と共に、黒い甲冑の男はついに、敗北した。

 がしゃんと、今まで男の姿を隠していた黒い兜が剥がれ落ちる。

 その中から現れたのは、かつては美丈夫だっただろうことを連想させる顔だった。狂気を湛えていた目からは、すっと憑き物が落ちたようにそれらの痕跡が消えていく。

「礼を言ったほうがいいのだろうか……」

 今までの、声ならぬ唸りとは打って変わった哀愁を帯びた声で、男は言った。

「私は我が王に裁かれたかった。貴方は我が王とは真逆の王でしたが、それでも王によって終わることが出来たのは私にとっては天恵でした」

 さらさらと、男の涼しげな顔が、体が崩れていく。

 ライダーはそれをただ聞いて、見ていた。

「手間をかけさせました、古の征服王よ」

「うむ。貴様のような猛者にそこまで思われるとは、おぬしの王とやらも、果報者よ」

「はは……そうだったら、よかったのですがね……」

 その言葉と、哀愁を帯びた微笑みだけを残して、男は完全に消滅した。

「終わった、のか?」

 緊張の糸が解ける。

 一時は危なくとも、それでも勝ったのはライダーだ。

 たとえ当たり前だと思っていても、その事が嬉しかった。

 けれど、ボクが安堵の息を吐いたタイミングをまるで狙ったかのように、今度はライダーの体がさらさらと、指から順に光に解け始めた。

 

「!? ライダー!?」

 驚き、走りよる。

「む……これは、いかんな」

 いつもの笑顔で征服王イスカンダルは、そんなことをこともなげに言った。

 思わず、ボクの顔がざぁーっと青くなる。

「どういうことだよ、これっ。オマエ勝ったんじゃないのかよっ」

「ああー……うむ、どうやら予備魔力まで使い潰してしまったようだわい」

 あはは、と豪快に笑いながらそうボクの王は言った。

(そうだ、なんで気付かなかったんだよ、くそ)

 固有結界を使うのはあと一回が限度とは、最初からライダーが言っていたことだ。それに加えて、戦車の真名開放技まで連続で使用したんだ、ボクの供給魔力程度でなんとかなるはずがないじゃないか。

 悔しい。

 ボクが、魔術師としてもっと力があったら、こんな結末を迎えたりしなかった筈なのに。

 そうしたら、ライダーは、ライダーだって……。

「そんな顔をするでない」

 諭す様な声と父性に溢れる瞳で王はそんな風にボクに言葉をかける。

 そこで、またボクは泣いているのだと気付いた。

「二度目があったのだ。なら三度目がないとは限らんだろう?」

 ぐしゃりと、ライダーの大きすぎる手がボクの頭を撫でる。

「しかし、まぁ……此度の遠征も、存分に心躍ったのぅ……」

 まるで夢見心地な声音でそんなことを言って、やっぱり最後まで笑顔を浮かべながら、ボクの王はそのまま消えていった。

 

 

 

 side.間桐雁夜

 

 

 体内カら刻印蟲が消えてイく。バーサーカーへの過剰魔力供給ニよる死滅だ。そのバーサーカーモ先ほど消えタ。令呪が消失しタのだ、間違いがナい。

 殆ど俺の身体ハ死に体だ。

 だが、それでも俺ハ生きてイる。

(勝った……!)

 俺は、アの蟲共に勝ったのだ。

 今なら、体内かラ見張るあいつらがイない今なら、桜を救イに戻ってもジジイには気付かレない。

(桜ちゃん、あと、少し、あと少しだ)

 ぐっと、身体を起こす。荒い息ガ漏れる。ハァハァと、それはマるで獣の唸り声のようダった。

(桜ちゃん、おじさんが、今から行くから。君を助けに行くから)

 だから、待っていてくれ……その思考は途中で途切れた。

 パンと、何かが弾ける音がした。それが最期。

 目の前には、闇よりいっそ闇めいた黒衣に黒髪黒目の女が銃を構えて立っている。

 それだけだった。それが全てだった。

 

 

 

 side.久宇舞弥

 

 

「…………」

 目の前に転がる遺体を見る。

 それはなんとも奇妙なニンゲンだった。

 左の顔は人間とも思えぬ異相で、既に見つけたときから瀕死の身体だった。

 とても、サーヴァントを……それも、最も魔力を喰らうバーサーカーのクラスを使役するマスターとも思えない肉体でありながら、それでも男はマスターとして戦い、バーサーカーが斃れた後も、地を這いながらどこぞへと必死に向かっていた。

 その姿が憐れで、銃弾を一つ、その男の額へと放っていた。

 びくりびくり、と身体を揺らしながら、信じられないような目をして男は死んでいった。

 そう、最期に誰かの名前らしき単語を呟きながら。

 一体この男が何を考えて聖杯戦争に参加したのかなど、私は知らない。

 こんなに憐れな姿になりながら、どうしてそこまで命を繋ごうとしていたのか私にはわからない。男の身体や顔から滲む感情はどれも私には理解が出来ない代物ばかりだ。

 こんな、人とも言えぬ姿に成り果てながら、ここまでボロボロになりながら、どうしてそこまでして生きようとしたのだろう。

 わからない。

 だけど。

(羨ましいのだろうか)

 身体だけは切嗣に救われた私。けれど、心は遠い昔に死んでいる。

 久宇舞弥と、この名前さえ、私が渡された偽造パスポートに書かれていた名前で私のものじゃない。

 自らの望みもない。

 ほら、やはり私の心は死んでいる。

 死人に生者の気持ちなどわかろう筈がない。それでも、死人は生きている者が妬ましいのだ。

 とりとめのない思考。機械にはふさわしくない。

 任務完了。自分の命を最優先に、介入できる分は介入をした。そう、それだけでいい。

 すっと、男の死体の前で膝をおり、まともな右目だけでも閉じさせた。これもまた、機械らしくない感傷だった。

 

 

 

 side.セイバー

 

 

「なんだ、これは……」

 呆然と呟いて空を見上げる。

 黒い太陽、それがこの、市民会館の真上に昇っていた。

「まさか……」

 自身でも信じられないくらい目を見開いて其れを見つめる。

「まさか……コレが聖杯の正体というのか?」

 

 ……先ほどの戦い、突如としてアーチャーは余の目の前から姿を消した。

 霊体化したというわけではない。

 あれはマスターによる強制召喚だ。

 それに安堵の吐息をついて、余はそれきり戦いを放棄した。

 もとより、あのマスターを相手に尽くす気などさらさらない。

 アーチャーとの戦いを請け負ったのも、それを拒絶することによって、厄介な令呪を課せられるのを避けたかったが故だ。

 余が命令を拒否した時、あの男が何を言い出すのかはわからぬが、どちらにしろ碌でもないことしか言わぬに決まっておる。むしろ、こうしてあの男が目の前にいないこの状況に出くわすとは、余にとって願ってもない展開だ。

 先ほどから胸騒ぎもする。

 この陰鬱な建物にいつまでも留まっていたくもない。そう思って、地下駐車場を出て、外に出てみた。

 そうして、見上げたそのときは普通の空だった其れが、一瞬後には黒い太陽に覆われた。

 酷く禍々しい。なんだ、あれは。

 ぞっと、背筋が凍る。

 アレは、英霊にとってよくないものだ。いや、生身の人でもあんなもの(・・・・・)に触れて正気でいれるかどうか。

 この尋常ではないものが突如生まれるはずがない。生まれたのには理由がいるはずだ。

 そう、そしてこれくらい途方もない力を発揮するものなど、答えは一つではないか。

「ッ! アーチャー!」

 余は踵を返して、焔に包まれていく建物の中へと飛び込んでいった。

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 突如として膨らんだ黒い泥に、言峰綺礼が捕食される。

 其れを認識した瞬間、私は切嗣(マスター)を抱えて、泥からざっと距離を取ろうとして……黒鍵に撃ち抜かれた。

「……ッ」

 右足太ももと右腕に突き刺さった黒鍵は腱を切断するように伸びた。それを身体をひねって避けようとするが、体制が悪く、僅か逸れただけで、深々と肉を抉られる。

 それを目前で捉え、私への攻撃があったと認識した切嗣の指は速やかに次の動作を放ち、私が地面に着地をするのと、切嗣のコンテンダーが、言峰綺礼の心の臓を打ち抜いたのは同時だった。

「……マスター、助かった」

「君は……」

 切嗣が怒りの混じった声音で呟く。

「言いたいことはわかる。だが、話は後だ……あれを破壊する」

 だが、それが言葉ほど簡単ではないことは自分でもわかっていた。

 最期の足掻きとはいえ、現役時代の言峰綺礼の其れは人間の技を凌駕していた。先の今だ、右手は碌に動かない。腹に受けた傷も漸く回復したばかりだし、また、切嗣が抱えている今の装備では、聖杯を消し去るには心許ない。

 その時、がしゃんと、思わぬほうから音が聞こえ、反射的にそちらを振り返った。

 そこに現れたのは、今しがた心臓を撃ちぬかれた男の、サーヴァントである剣使いの少女だった。

 

 

 

 side.セイバー

 

 

 気配を追い、アーチャー等がいるであろう部屋へと駆け込む。

 そこで余が見たのは、遠くで黒い泥を滴らせながら黄金に輝く杯と、怪我を負ったアーチャーと、そのマスターらしき銃を構えた男と、そして……心臓を撃ちぬかれて死亡している余の汚らわしき奏者の姿だった。

「……綺礼、死んだのか」

 ぼそり、と呟く。

 全く、あれほど憎らしい男であったのに、死ぬのは呆気がない。

「それで……セイバー? ここまで追いかけてきたということは、やる気と判断してかまわんのかね? 私としては今は勘弁してほしいのだが」

 アーチャーは無骨な黒と白の双剣を構えて、そんな言葉を放つ。

 全く可愛くない事を言う。

 ふん、と鼻で笑って余は高らかに宣言する。

「所詮こやつは余の本来のマスターを殺した不届きなる賊ぞ。死んだとなれば余が従う道理など、どこにもないわ」

 言うと、アーチャーは僅かに眉を伏せた。

「それより、そなた、今から何をするつもりでおった?」

 いつも通りの不敵な笑いを心がけて表情を作る。

「…………」

 答えない、けれどその鋼の目が、言葉よりも雄弁に意思を物語っていた。

 ゆるり、口を開く。

「やはりな。そなた、あれを破壊するつもりであろう?」

「君は、邪魔をするかね?」

 皮肉そうな表情を浮かべて、女らしくない口調でアーチャーはそんな言葉を吐く。

 ほんに無骨な一振りの剣の如きおなごよな。

 そういう可愛げのない仕草さえ、余には愛い。

「いや、余が代わろう」

「何?」

 余の言葉が意外だったのだろう。

 驚いたその顔が、意外にも幼くて愛らしかった。

「あれはこの世の害悪よ。あってはならんものだ。そうそなたも思っていたのであろう?」

 アーチャーは目を白黒させて、言葉につまっておる。

 くくと、思わず意地の悪い笑みが漏れる。

 そして少しの郷愁の想いと僅かな自嘲を秘めながら、余は言葉を綴った。

「余はなぁ……生前、暴君よ、バビロンの妖婦よとそう称され、悪名の限りを受けたし、終には己が民に追われて……今思ってもなんとも惨めな末期を送ったものだ。だがな……それでも余は民を愛していた。市民の幸せをいつでも願っていたぞ。それもな、一つの事実なのだ」

「まさか、君は……」

 ふふ、ここまで言えば、流石に余の正体には気付くか。

 悪名と汚名をこの身は拭いきれぬほど受けてきた。だが、それでも尚、余は自分の人生を誇っておる。

 たとえ、暴君とよばれようと暴君には暴君の矜持がある。

 胸を張っていえる。

 暴君でも構わぬ。余は余の人生を生き抜いた。

 そして余は民草を愛している。愛しているのだ。

 それは消せぬ事実だ。

 誰にも否定はさせぬ。

「アレは、無辜の民を飲み込むものだ。ならば、あれを始末するのは、王の中の王である皇帝の余の役目よ、たとえそなたでも邪魔は許さぬ」

 アーチャーの前へと出ながら、愛剣を構える。

 きっとこの赤い弓兵に見えるのは余の背中だけであろう。今、アーチャーはどのような顔をしておるのであろうか。

「それにな」

 ふと顔を綻ばせて、後ろを振り返った。

 ああ、やっと見れた。全く、なんて顔をしておるのか。抱きしめたくなるではないか。

 でも、それは我慢してやろう。仕方ない、本当~に仕方ない。残念だが、それは諦めてやろう。余にここまで我慢させるとは、本当、そなたは罪な女よな。のう、アーチャー。

 今だけだ。

 今だけ余は、私に戻る。

「余はそなたが好きだ」

 笑って、言った。其れを見て、アーチャーがまた目を見開いた。

 全く、失礼な奴よな。

 もしや、余の言葉を今まで信じておらなんだというのか? ええい、余とて傷つくのだぞ? 本当はな、そなたのつれない態度にだって、いつも辛い思いをしていたのだぞ。全く、鈍感もいい加減にせいよ。

 でも、構わぬ。

 わからぬのなら何度でも言葉を重ねてやる。

「余はそなたのことが大好きだぞ!」

 哀し気な顔をしてくれるな。

 そうだな、うん、どうせなら笑って欲しい。

 でも、これ以上は時間切れだ。

 むぅ、仕方ないことであろうが、残念なものだな、うん。

「築かれよ、我が御殿、黄金の劇場よ!」

 前を見据えて宝具を解放する。

招き蕩う黄金劇場(アエストゥス・ドムス・アウレア)!!」

 余の為の舞台が此処に降臨する。

 黄金の劇場に浮かぶ黄金の杯という光景は、見た目だけならば美しいのに、どうしてもこうも禍々しいのであろうか。それでもあれが害悪ならば、余のこの手で消し去る。

 奏者のおらぬ状態での宝具の解禁、加えあれの破壊までこなせば、余のこの身が保たないのは明白。

 だがな……。

(惚れた女を守り抜いて逝けるなら、それも些細なことよな)

「アーチャー」

 ふと、笑いながら、もう一度だけ振り向く。最期まで名前も知らない女だった。

 でも、今はそれすら構わない。

「今更惚れろとは言わぬ。今からではそなたも辛いだけであろうからな。だがな、余を忘れるでないぞ。よいか。絶対だぞ? 忘れなどしたら、余はそなたを許さぬからな!」

 わざと明るい口調で、最期の強がりを言った。

「……達者でな」

 そして、自分の残存魔力を使い果たす程の、有りっ丈の魔力をこめる。

童女謳う華の帝政(ラウス・セント・クラウディウス)!」

 

 

 

 

 

 side.衛宮切嗣

 

 

 目の前の少女によって聖杯が破壊されていく。

 それに伴い、少女も、辺りを包んでいた黄金の劇場も露霞のように消えていった。

(終わったの、か?)

 そう思い、息をついた。

 その油断を狙っていたかのように、その泥は何かの意思(・・・・・)を帯びて蠢いた。

「マスター!!」

 そして、最後に見たのは、迫りくる泥の軍勢と、右足を引きずりながら僕を庇うように伸ばされた彼女(アーチャー)の手と、そして、泥の奥で心臓を穿たれたまま、哂う言峰綺礼の、確かにつり上がった口元、それだけだった。

 

 泥に飲まれる。

 

 

 

  NEXT?

 

 

 



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10.闇の中伸ばされた手

ばんははろ、EKAWARIです。
お待たせしました。今回で第四次聖杯戦争編は完結です。
尚、今回の話の冒頭部分の種明かしについては、第五次聖杯戦争編0話「と或る世界の魔法使いの話」までお待ち下さい。
次回からは暫く、第四次~第五次の間の話である、「束の間の休息編」がスタートします。

因みに、今回で第四次聖杯戦争編完結ということで、後書きのほうで「第四次聖杯戦争編完結記念・衛宮士郎が頭の悪そうなアーチャーを召喚したようです×うっかり女エミヤさんの聖杯戦争クロス的座談会」のほうを再録しました。
座談会とか興味ねえよって人は後書きは読み飛ばしてくれていいと思います。
余談ですが、俺はアーチャー絡みのCPなら剣弓が1番好きです。
それではどうぞ。


 

 

 

 ―――ザー……ザー……。

 

(接続エラー、接続エラー)

 

 ねえ、□□□□聞こえる?

 

 て……ちょっと、馬鹿□□何言ってるのよ。

 

 あー、もう、煩い! アンタはそこで黙ってなさい!

 

 これが正真正銘、○○のチャンスなんだから。

 

 □□□□を△う機会は○○○○○なんだから。

 

(リンクは蜘蛛の糸のように頼りない)

 

 ―――ザー……ザー……。

 

 ねえ、お願い返事をして。

 

 私、あなたに繋がっている?

 

(接続エラー、接続エラー。次の機会は十年後)

 

 

 

 

 

  闇の中伸ばされた手

 

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 伸ばした左手は確かに、養父(ちち)へと届いた。

 そして、その自分とさして背丈の変わらぬ身体を、黒いコートで武装した男を自分の腕と体で包み込む。

 視界が黒に染まる。

(守ると、そう誓った)

 泥に飲まれる。そうやって、いつかと同じ呪いを全身に浴びた。

 

 死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死殺死殺死死死殺殺殺死殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺死殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺……。

 

 その殺意と憎悪の呪い、この世全ての悪(アンリ・マユ)の願いを受けて変質した願望器の中身、それが私という存在を分解しようとしている。

 いや、今も分解を繰り返していた。

 実体を持たないエーテル体は、呪いをダイレクトに受け、その魂を直接犯されていく。

 英霊(サーヴァント)でありながら、それに正気で耐え切れた実例は最古の英雄王、ただ一人だ。

 もはや、感覚すらない手で、腕の中にいるであろう人を抱きしめる。

 呪いが侵食する。

 殺意と憎悪が私を包んでいく。

 雄叫びのような怨嗟の声が『何故お前は生きているのだ』と糾弾する。追い立てる。嘲笑う。

 穴という穴全てから、全てを余すところなく喰らおうと、獲物(わたし)が自我を手放すのをまっている。恐喝している。

 意思の強さ、それこそがこの泥に対する、最後の砦だ。

 慟哭、憎悪、殺意、あらゆる負の感情が唸りをあげて、直接頭の奥へとそれらを叩きつけられる。

 常人なら疾うに狂っている。

 真っ当な英霊ならとっくに有様を変え反転している。

 それほどの悪意と、膨大すぎる力の波だった。

(駄目だ、私はここで終わるわけにはいかない)

 ここで、諦めれば、この腕の中の人はどうなる?

 ぎしぎしと、体中が悲鳴を上げる。

 脳髄まで犯す呪いに抗う。

 抗い続ける。

 

「が……は……ッ」

 

 呪いが蝕む。

 この身を喰らおうと口を開けている。

 纏わり付く。

 私が堕ちるのをまっている。

 目の前が暗く沈んでいく。

 目が見えない。

 真っ暗だ。

 私は……私は、この手に本当にあの人を掴んでいるのだろうか?

 指の感覚がない。

 身体があるのかないのかさえ、不明、不明、不明。

 だが、なんだ。

 だから、なんだ。

 それが、どうしたというのだ。

 

「は……ぐっ」

 

 そう、守り抜くと約束した。

 彼女に誓った。

 それだけがこの聖杯戦争における私の望みだった。

 ならば、切嗣(じいさん)だけでも、この身にかえて……!

 そこまで思いを馳せたその時、その私の決意をたしなめるような、幼い声を思い出した。

『アーチャーも』

 脳裏に過ぎる。

 それは、10日以上前のこと。その時の記憶。

『アーチャーも戻ってきなさい』

 私の誓いを前に、雪の妖精の少女はそんな言葉を返した。

 …………ああ、そうだった。

 そうだったな、イリヤ。オレも戻らないといけないのだったな。

 君と約束した。君の名にかけて誓いを立てた。

 果たすよ、きっと君との誓いは果たすから。姉さん。

 

「……っ」

 

(体は……)

 そも、この身は正規の英霊とはわけが違う。

 人々が忌み嫌い、畏れ、侮蔑する。それによって信仰を受ける反英霊。

 英雄とも呼べぬ世界の掃除屋、それが私だ。

 呪いなど、こんな怨嗟の声など、聞きすぎるくらい、聴いてきた。

 それに、まだ私が衛宮士郎と呼ばれていた時代、あの時も、セイバーと参加したあの戦いで、私は聖杯の呪いを受けて、それに打ち勝ったのだ。

 ならば、いくらサーヴァントに……呪いへの抵抗が低いエーテル体になったからといって、易々とこんな呪いに屈していいはずがない。

 そうだ、いまだ未熟だったあの時でさえ、耐え切れたのだ。

 敗北はただ一度のみ、それは自分が相手でも例外はない。

 

「……ァ、ぐ……ッ」

 

(体は、剣で出来ている)

 自己を埋没させる呪文を口内で唱える。それだけで随分と楽になった。

 還ろう。

 帰ろう、あの場所へ。

 雪の少女が待つ場所へ。

(約束を……したからな)

 父親を連れて、君の元へ帰る。

 パキパキと、暗闇に、皹が入っていく。

 その向こうには誰かの人影が見える。

 そして私は其処に手を伸ばした。

 

 パキンと、何かの幻想が壊れるような錯覚。

 突如訪れた、呪いや怨嗟の声とも無縁な暗闇空間。

 そこで私が視たものは……誰かの名前を呼んでいる一人の……女……?

 ドクン、と心臓が脈打った。

 誰だ、あれは。

(懐かしい)

 ぼんやりと、輪郭すらおぼろげで、まるですぐに消え去る幻のような。

(ああ、彼女こそが私の……)

 

「……は……ッ!?」

 白昼夢より目覚め、視力を取り戻す。現実に引き戻される。

 何を見たのかすら、こうしている間にぼろりと腕をすり抜け、失われていく。

 目の前には、私の腕に包まれたまま、泥の攻撃を受けて昏倒している衛宮切嗣(マスター)の姿。

 既にこの場所は市民会館ではない。

 泥に飲まれたまま、大分押し流されていたようだった。

「……爺さんッ」

 呼びながら、頬に触れた。

 死んではいない。

 その時、爺さんの頬に触れた時、自分の身体の異変に気付いた。

 この、肉が触れ合う違和感は……そうか。

「受肉……している?」

 呪いの力の影響なのか、身体機能は大分弱体化しているが、間違いなく、この体は生身のものだ。

 その証拠に霊体になろうと意識しても変化は欠片も訪れない。

 聖杯の泥を飲んだから……か。

 自分の迂闊さに舌打ちする。気を抜くと呪いに飲まれそうな肉をもって身体を得ている。それはオレが反英霊に連なる存在の証明でもあるのだろうが、吐き出したいほどに醜悪だ。

 だが、そんな嘆きなどどうでもいい。

 オレの知っている爺さんは、切嗣は、聖杯の呪いを受けて5年後死んだ。このままでは同じ結末を辿るだろう。

(守りきると誓ったのに、なんてザマだ)

 自虐に浸っている場合じゃないのに、胸の奥に苦いものがこみ上げてくる。

 だが、それは今必要なことではない。

(何か、爺さんを救う方法があったはずだ……)

 そうだ、思い出せ、それをオレは知っているはずだ。

 そうだ、聖杯の泥を浴びたのはあの時も一緒だ。衛宮士郎とオレがよばれていたあの時と。

 あの時、オレは、どうやって助かった。

(思い出せ、思い出せ、思い出せ)

 

「……あ」

 そうだ、あの時は……。

「セイバー……」

 ぐっと、息を吐き出した。地獄に落ちても忘れない1秒にも満たない邂逅を思い出す。

 月光に照らされた金紗の髪と、碧と白銀の鎧の少女。オレの騎士王。

「セイバー、力を貸してくれ」

 何故、こんな単純なことさえ、オレは忘れていたんだろう。

 大火災からの10年間、私は聖剣の鞘と共にいた。私の属性は剣だ。投影魔術もそれに特化している。だが、その中の唯一の例外。永い月日で、世界の掃除屋として過ごした日々の中で、忘れ去っていたソレ。

(10年共にあった私が、それを投影出来ないはずがなかったな)

 そんなことすら忘れていた。

 彼女の鞘とは、10年共に生きた相棒だった。だが、今では漠然としたイメージしか覚えていない。あんなに未熟だったのに何故あの時は出来たのかさえわからない。

 けれど、それでは造れない。

 本物には迫れない。

 爺さんを助けることなど夢の又夢だ。

 しかし、ここには、本物の聖剣の鞘(アヴァロン)がある。切嗣の体内(なか)に、其れはあるんだ。掌を切嗣の胸の上にあてる。聖剣の鞘の息吹を感じる。

(嗚呼、そうだった。オマエはそんな形をしていた)

 すまなかったな。オマエは触媒として、主ではなく、私を呼ぶほどに私のことを覚えていたというのに、オレはそうではなかった。

(もう、大丈夫だ)

 オマエの息吹も、形ももう知っている。

 思い出した。思い出せた。思い出すことが出来たんだ。

(力を貸してくれ)

 持ち主に不老不死さえ与える黄金の鞘、そのイメージを丸ごと写す。

投影、開始(トレース・オン)

 此処に本物の聖剣の鞘があるのなら、ならば、私がそれを写しきれない筈がない。

 この身はそれだけに特化した魔術回路なのだから。

 

全て遠き理想郷(アヴァロン)

 

 投影された、男の中にある聖遺物と変わらぬ姿の黄金の鞘が降臨する。

 光が溢れる。

 本物の力には及ばないながらも、泥が浄化されていくのを確かに見た。

 ごふ、と黒い血を吐き出す。聖剣の鞘の模造品は、切嗣の体から泥を浄化するだけではなく、私の身体からも呪いの半分を浄化して、それから幻想に戻って消えた。切嗣の顔色が戻っていく。

 その黒い眼がゆっくりと開かれていく、その様子をただ見ていた。

 

 

 

 side.衛宮切嗣

 

 

「ようこそ、切嗣」

 暗闇の中、白銀の髪の女を見た。

「アイリ……」

 懐かしい顔だった。

 愛おしい顔だった。

 9年間愛し共に過ごした僕の妻。アイリスフィール。

 だけど、目の前のアイリはどこか、違う。

 初めて見た黒いドレスのせいか、いや、もっと根本的な何かが決定的に違う。

「きっと来てくれると思ってた。あなたなら、ここに辿り着けると信じてた」

 微笑んでいる見慣れた美貌。だけど、違う。アイリはこんな貌では笑わない。こんな悪意が滲んだ瞳では。

 もっと暖かみのある眼で世界を俯瞰する、そんな女だった。

 だからこれは、そう。コレはアイリではない。

 その証拠に周りにあるのは屍ばかりだ。この光景はまるで、いつか夢で見たアーチャーの過去そのものじゃないか。

「…………お前は、誰だ?」

 銃口をむけながら、気付けばそんな言葉が自分の口から漏れていた。

 いや、正体に察しはついている。

 だから、今度はそれをはっきり口に出す。

「お前が、この世全ての悪(アンリ・マユ)なのか?」

 是というように、にたり、と女の口が笑いを模った。

「ええ、そうよ、その通りよ」

 アイリと同じ容姿をして、それは言った。

「さあ、願いを、祈りを捧げて。人を殺す事でしか人を救う術を知らない。そんなあなたこそ、この世全ての悪(アンリ・マユ)にはふさわしい」

「断る」

 パン、と、女を射抜く乾いた音がした。

「僕には守るものがある。僕はお前を破壊するために此処にきたんだ」

 それは何にも勝る侮辱だった。

 愛しい女(アイリスフィール)の姿をして、破壊を望めと言ったのだ、この存在は。

 ふざけるな。

 アイリはお前のように他者の破滅を望む存在じゃない。

 その想いを、願いをねじ曲げ、彼女(アイリ)の一面だけを映し込んでアイリを演じるこの存在が許せなかった。

 銃弾を放つ。

 何度も、何度も、否定を連ねる。

 この世全ての悪(アンリ・マユ)を拒絶する。

 

「……呪ってやる」

 やがて、アイリの顔をしたそれが、アイリの声でもって呪詛を張り上げる。

「衛宮切嗣…………オマエを呪う…………苦しめ…………死ぬまで悔やめ……絶対にオマエを赦さな……!?」

 憎しみの泥が、僕の血管を通り、心臓に流れ込んできた。

 それが、突如黄金の光に遮られた。

「ぎ……ぁ、ぁぁあアアァあああああ……!」

 目の前の妻の姿をしたナニかが苦しむ。

 僕に侵食していた呪いが突如勢いを止める。

 体内から浄化されていく。

 暖かくどこか懐かしい、そんな光だった。

 呪いの声が衰える。

 瀕死の女は、びくびくと、身体を小刻みに震わせながら、「は、はははっ」そんな感じの心底おかしげな笑い声をあげていた。

「衛宮切嗣、これで終わりだとは思うな……確かに呪いは多くは打ち消されただろう。だが、オマエはどれだけの時間(・・・・・・・)私の呪いを受けていたと思う? 少しずつ、少しずつ、真綿で首を絞められるように、オマエは苦しみ、そうして死んでいくのだ」

「だから、なんだ」

 すっと、愛銃のグリップを握り締めた。

マトモに泥を浴びた(・・・・・・・・・)僕でも5年もった。なら、その殆どを浄化されたこの僕なら、倍以上生きられるとは思わないか? それだけの時間があるのなら充分だよ」

 そうして笑って、女の額を撃ち抜いた。

 

 目を開ける。

 其処には、泣き笑いのような表情を浮かべた、褐色の肌の女が僕の顔を覗き込んでいた。

「…………シロウ」

「全く、いつまで寝ているつもりだ、この馬鹿者。心配をかけさせるな」

 視線を斜め下に落としながら言った、彼女の最初の一言は、ちょっと呆気に取られるくらいに可愛気がない言葉で、でもその言葉がただの彼女流の強がりでしかないことは、その表情(かお)を見れば一目瞭然だった。

「うん……ごめんよ」

 言いながら、上半身を起こす。

 その時、はたと気付いて、慌てて言った。

「シロウ、服、服着てない」

「うん……? あ」

 どうやら、本人も気付いていなかったらしい。

 素っ裸としか言いようのない自分の身体を見てしまって、慌てて己の体から目を逸らしながら、どこかから簡易の衣服を出して着込んだ。その間、10秒もかかっていないあたりが、ある意味凄い。

「……爺さん」

 落ち着いた頃を見計らって、僕の娘(シロウ)は抑えた声を出した。

 現状を把握する。

「…………」

 そこには、いつかも夢を通してみた地獄があった。

 阿鼻叫喚の声、舞い踊る炎が街を焼いていく。僕らの周囲のみ何もないのは、おそらくは彼女が結界か何かを張っているかなにかというだけだろう。

「僕のせいだ……」

 自分の筋張った右手を見つめる。数え切れない人を殺してきた手。

「僕が、君の話を信じなかったから……。聖杯は呪いに犯されていないと、信じたがったりなんかしたから……僕が、決断するのが遅かったから……だから……」

 ぱん、と乾いた音がした。

 右頬が熱い。数瞬後に、彼女にぶたれたのだと理解する。

 見れば、眉を吊り上げ、唇を噛み締めたシロウが、低く声を張り上げていた。

「ふざけるな」

 がっと、胸倉を掴まれる。

「今、そんなことを言っている場合か!? こんな時に、貴方がそんなことを言うのか!? 私の言葉を信じられなかった? それは、人として当たり前のことだ! 誰も初対面だった人間の言い分をそう、易々と信じられるものか! 私は言ったぞ! 覚悟だけはつけておけと。この状況を想定してなかったと、だから、どう動くのかも考えられないと、貴方だけは言うな!!」

 怒鳴り声。

 だけど、それは紛れもなく、懇願だった。

「貴方は、『正義の味方』なんだろう……?」

 ああ、そうか。

(彼女にとっては、僕はそうだった)

 望みと目的がどうであれ、衛宮切嗣という男の実態は、ただの薄汚い暗殺者でしかないのだろう。

 だけど、第四次聖杯戦争のこの大火災で、彼女は『僕』に救われたんだ。

 だから、その憧憬を胸に呪い(りそう)を受け継いだ。

 つまりこの火災現場のどこかには、彼女になる可能性を秘めている子供が生きていて、今も救いの手をまっているということだ。

 例え多くのものが失われたのだとしても、誰も救えない(・・・・)なんて事もまた有り得ない。

「うん、そうだね、ごめん」

 ぐしゃりと、シロウの真っ白な髪を撫で付ける。

「生存者を探そう。それが、今出来る最善だ」

 口調を、魔術師殺しのものに切り替える。それを見てシロウは、一拍ほど置いてから、淡く笑った。

「了解だ、マスター」

「シロウ」

 右手を差し出す。きょとんと、鋼色の目が子供のような表情を作って僕を見る。

「もう、僕は君の『マスター』じゃない」

「…………うん、父さん」

 

 

 

 side.■■士郎

 

 

 ……気がついた時には、既にそこは一面焼け野原だった。

 痛い、遺体、いたい。

 どうして、おれは歩き続けているんだろう。

 熱くて、苦しくて、何が痛いのかさえもうわからないけれど。

 父さんや母さんは、どうしたっけ。

 おれの家族は、その結末は……。

 思い出す事さえ蓋をして、歩いた。

 足を止めたときに自分が死ぬ事には、きっと気付いていた。

 だから……。

『助けてくれ』

『この子だけでも連れて行ってくれ』

 そんな、道中聞こえる声を無視して歩き続けた。

(ごめんなさい)

 おれにはひとを助ける力なんてない。

(ごめんなさい)

 自分が助かることだけで精一杯だ。

(ごめんなさい)

 きっと、本当はもうとっくにわかってる。

 父さんは、母さんは……死んだんだ。

 でも、おれは生き延びた。

 生き延びたからには生きなくちゃとそれだけを思って、ひたすら歩いた。

 生きているのは、動いているのは自分だけ。

 それでも、こんな状況で助かるわけがないとわかっていた。

 そして力尽きて、倒れた。

 ああ……でも、雨が降りそうだ。なら、この火事もきっともう終わる。

 黒い太陽はいつからか、姿が見えなくなっていた。

 朦朧とした頭で手をのばして、そして、その手を掴む人の姿を確かにみた。

 それは、ひょっとすると『奇跡』ってやつだったのかもしれない。

 泣きそうな顔で、笑いながら自分の手を包む黒髪の男と、眉をぎゅっと引き締めて、必死に目を逸らすまいとしているかのような白髪の女性。

 その二人組みに、初めて見た顔のはずなのに、わけのわからない安堵を覚えて、そうしておれは意識を手放した。たった今目にしたこの黒髪の男のように、口元に笑みさえ浮かべながら。

 

 

 

 side.イリヤスフィール

 

 

 あの時、キリツグは二週間もすれば帰ってくる、ってそういった。アーチャーも、キリツグと一緒に戻ってくるってそういった。

 でも、約束の二週間が経っても、二人は戻ってこなかった。

 どうしたのかな。お仕事、そんなに大変なのかな。

 ある日、大おじいさまは言った。

「あいつらは裏切り者だ」

 って。

 嘘だって、わたしは思った、答えた。

(だって、誓ってくれたんだもん)

 必ず、戻ってくるって。いってきますって。キリツグとアーチャーが帰ってくるのはわたしのもとなんだから。だから、わたしは待ち続ける。

 一ヶ月が経った。

 まだ、二人は帰ってこない。

 二ヶ月が経った。

 大おじいさまはいい加減諦めろ、あいつらを赦すなってそう言う。

(だって……約束したんだもん)

 帰ってくるって。

(なのに、どうして、戻って来てくれないの?)

 寒い。

 寒いよ。一人でまつのはとても寒い。

 寒いのは嫌いなの。

 早く、こんな悪夢は終わらせて。

 帰ってきて、抱きしめて。

 また、ホットミルクをいれて。

 遊んで。お話をきかせて。

 この城はひとりで過ごすにはあまりに広くて、寒すぎる。

 やだよぅ。なんで、まだ帰ってきてくれないの? イリヤ、良い子だよね? 良い子にまっているよ。ねえ、なんで、どうして。

(お母様の亡霊が憎みなさいと囁くの)

 早く、帰ってきてよ。ねえ、早く……。

 

 がらん、と何かが音を立てた。

 はっと、自分の部屋で、顔を上げる。

(侵入者だ)

 そうだ、これは結界が破られた合図だ。

 ばたばたと、外から音が聞こえる。重々しい響きで、『何か』と、戦闘用に造られたホムンクルスが戦っている。

(何? 何? 何?)

 ガシャン、と硝子が割れる音までしている。

 音から判断したら、戦闘が行われているのは多分わたしの部屋からそう遠くないところ。

(こわい)

 ぎゅっと、ぬいぐるみを抱きしめて縮こまる。シーツを被る。

 バン、と扉が開けられる音がした。

(こわい、こわい、こわい)

 戦闘用ホムンクルスがどれくらいの強さかなんて知っている。彼女達は制限も多いけれど、でも下級の英霊(サーヴァント)にだって引けを取らない。そういう風に設定されている。それが破られた。殺されるかもしれないと、恐怖に心が震える。

 その心は、「イリヤ」と次の一声で溶かされた。

「え……?」

 幻聴じゃないよね、と目を見開いてかぶりを振る。

「イリヤスフィール」

「……アーチャー?」

 聞き間違いじゃない。

 その、少年にも似た印象のハスキーな女の声。それは、会いたいと思っていたその片割れで。

 シーツを振り払って、扉のほうに顔を向けた。

「イリヤ、遅くなってすまない。約束通り、帰ってきた」

 あちこちに大小の傷を受けながら、それでもいつかのように優しく微笑む顔。以前見たときよりも伸びて肩口まで届く真っ白な髪、褐色の肌、紅い外套。夢幻じゃなく、彼女はそこに立っていた。

「さあ、行こう。切嗣が……君のお父さんが待っている」

 また会えたら色々と話したいことがあった。

 だけど、頭の中がまっしろでなにも思いつかない。頬が熱い。目元がじんわりと、涙に滲む。

「イリヤスフィール」

 差し伸べられた右手。

 わたしの名前を呼ぶその柔らかい響きを、ずっとまた聞きたいと思っていた。

「アーチャー……!」

 走りよってその右手に飛びつく。

 アーチャーはわたしの身体をしっかりと抱きしめて、窓から飛び出し、夜の冬の城を後にした。

 ずっと、この城で育ってきた。外の世界なんてわたしは知らない。

 だけど、そこを出ることに躊躇いなんてない。

 彼女(アーチャー)とキリツグたちと生きていけるなら、どこにだって行けるだろう。

 さあ、行こう。この手に未来を掴もう。

 そして家族みんなで、笑って生きていくんだ。

 

 

 

  第四次聖杯戦争編・完。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ごぽ、ごぽと、まるでそれは暗闇の海の中を泳ぐようなものだった。

 

(見つけた)

 

 にたり、と哂う。

 

(やっと、繋がったぞ)

 

 (オレ)は、嗚呼、漸くこの舞台へと、出れるのだ。

 

 

 

 そう、これは、衛宮切嗣と英霊エミヤが泥に飲まれたすぐ後にあった出来事。

 

 

 

 

 

 side.言峰綺礼

 

 

 心臓の鼓動がない。

 死んでいる。

 私は間違いなく死んでいる。

 そのはずなのに、動いている。まるでリビング・デッドだ。

 衛宮切嗣と、そのサーヴァントが泥に飲み込まれていくのを私は見届けていた。

 市民会館だった建物は既に見る影もない。

 そんな中、私のすぐ目の前で、ゆっくりと小さな黒い穴が開いていくのをみていた。

 ずるりと、闇の中から男の片手が伸ばされる。何故そんなことをしたのか、自分でも定かではないが、確かに私はその手をとった。

 その途端、軽く電流が流されたような痺れが走る。唐突なことだったが、契約が繋がったのだと、漠然と思った。ずるずると、私に手をとられた男の身体は穴から這い出て、地面へと投げ出され、男がそこから出た後、黒い穴は収縮し、閉ざされていった。

 金の髪の男だった。

 王者としての風格を放つ美貌、それが血に汚れている。その額には何かの剣が突き刺さったあとがあった。片腕も一度切り取られて、また付け直されたかのような有様だ。

「……」

 男は動かない。その身体は瀕死だ。足りない魔力を補うように男は眠りについていた。

 その顔も、造形も初めて見たはずだった、でも私は知っていた。

(ああ、そうか、これが)

 片膝をついて、男の顔を観察する。

(これが、あの声の主か)

 そうして、私はその男を背負って、その場を後にした。

 第四次聖杯戦争は終わった。だが……。

 

(ここから、全ては始まる)

 

 それは予感とも違う、確信。

 飲み込まれていく人々の嘆きと叫び、それらを肴にしながら、私は高らかに、生まれてはじめての大いなる愉悦を前に笑い声を張り上げて、愛おしい黒い太陽を見つめていた。

 

 

 

 NEXT?

 

 

 






 第四次聖杯戦争編完結記念、衛宮士郎が頭の悪そうなアーチャーを召喚したようです
                          ×
                うっかり女エミヤさんの聖杯戦争クロス的座談会



【挿絵表示】




  登場メンバー



 衛宮士郎が頭の悪そうなアーチャーを召喚したようです。(以下『頭悪組』)



 衛宮士郎:半人前の魔術使い。聖杯戦争でセイバーではなく、原作より頭悪そうなアーチャーを召喚してしまった、多分主人公の少年。何かとよくキレる。『正義の味方』ならぬ『正義の料理人』を目指した為か、おそらく並行世界1戦闘能力がショボイ士郎。うっかり組の士郎との区別の為、ここでは漢字で『士郎』表記。


 アーチャー:なんか、原作よりも頭悪そうっていうか、ポジティブ? で、趣味全開(人助け&家事全般)で、趣味を自重しない英霊エミヤ。基本的に士郎のことは『駄マスター』と呼んでいる。セイバーの餌付けが特に趣味。基本的には士郎相手にのみ辛辣。


 遠坂 凛:おそらく、このメンバーの中で最も苦労する、元祖うっかり魔女。士郎とアーチャーがアレなため、原作以上に苦労している。いい加減キレてもいいかなあとか思ってる。セイバーがアーチャーに餌付けされたことには苦い思いがあるっぽい。


 セイバー:みんなお馴染み腹ぺこ王。んでもって凛のサーヴァント。ブリテンの赤き龍? 何それ、食べられるんですか? ってくらい、ひたすら飯食ってる。アーチャーの料理に感動して、すっかり餌付けされている。セイバーいわく、「理想郷(アヴァロン)はここにあったのですね!!」そんな感じ。




  うっかり女エミヤさんの聖杯戦争。(以下『うっかり組』)



 エミヤ・(シロウ)・アーチェ:原作UBWルートで答えを得たまま、座に帰ることもなく、なんか女性化とうっかり属性のおまけ付きで衛宮切嗣(ちちおや)に呼び出されてしまった英霊エミヤその人。第四次聖杯戦争終盤で不本意ながらも受肉してしまったため、現在は人間として暮らしているようだ。身体は女になったが、心まで女になったわけではないとは本人談。基本『シロ』と呼ばれてる。


 衛宮士郎:イリヤとエミヤさんの教育によって大分歪みを矯正されたこの話の準主人公。原作より基本的に気が長くて常識人? だが、家事の腕はおそらく並行世界1駄目な士郎でもある。その代わり、戦闘能力は原作開始時の士郎の五倍はある。あと、幸運も多分B~Cくらいある。このメンバーの中で唯一、エミヤさんがアーチャーや自分と同一人物だということを知らず、また夢にも思っていない。頭悪組士郎との区別の為、ここでは『シロウ』表記。


 衛宮イリヤスフィール:第四次聖杯戦争のあと、エミヤさんや切嗣に冬の城から連れ出され、士郎の血の繋がらない姉として育ったイリヤ。今は青崎製の人形の体で生活している為、外見年齢は年相応になっている。そのため、妹ぶらないかわりに、よく姉ぶる。シロウとエミヤさんが同一人物なことは知っているが、もしもシロウにそのことを教えようとするものがいるなら、全力で阻止します。そして制裁します。




 座談会・本編


 アーチャー:ふ……。というわけで、『うっかり女エミヤさんの聖杯戦争』第四次聖杯戦争編完結記念、頭悪組×うっかり組座談会だ。

 士郎:ちょっと、まてえええええ~~~!!

 アーチャー:なんだ、駄マスター。騒々しい。少しは静かに出来んのか、この駄マスター。どこまで貴様は頭が悪いのだ。

 士郎:駄マスター、駄マスター、呼ぶんじゃねえ。それより、オマエ、なんで俺だけ座布団がねえんだよ!!

 アーチャー:む? 貴様にそんなもの、必要なかろう。

 凛:……しょっぱなからこのやり取り? 勘弁してよね。

 セイバー:むむ、アーチャー。これもまた中々の味……素晴らしい。これはなんという料理なのですか?(もぐもぐ)
 
 アーチャー:ああ、それはイチゴ大福というものだ。(にっこり(←最上のスマイル))

 士郎:無視か!?

 アーチャー:煩いぞ、駄マスター。

 イリヤ:ふーん? そっちの士郎はなんだか怒りっぽいのねえ。(くすくす)

 エミヤ:…………。(オレは、あんなに露骨に酷かっただろうか?)

 シロウ:なあ、シロねえ、助けに入らなくていいのか?

 エミヤ:放っておけ。あれくらい、なんとか出来んようでは話にならん。

 イリヤ:あら? シロ、いつもはこういう場面に出くわしたら真っ先に止めにいくのに珍しいわね。やっぱ相手があの士郎だからなのかしら?(意味深な笑み)

 エミヤ:……イリヤ。

 イリヤ:やっぱり、あの士郎は過去を思い出しちゃうから?

 シロウ:なあ、イリヤもシロねえも、さっきから何の話してんだ?
 
 イリヤ:ううん、なんでもないわ。シロウは知らなくていい話。(にっこり)

 凛:あんたたち、呑気ね……。あいつら、凄くヒートアップしてるっていうのに。(ちらり(喚くアーチャーと士郎に視線を一瞥))

 イリヤ:あら? だったら凛が止めたらいいんじゃない?

 凛:イリヤスフィール、冗談はやめてよね。あんな奴らに割って入るほどわたしは酔狂じゃないの。

 セイバー:……(もぐもぐ)素晴らしい。(ごくん(三つ目の大福口に含んでほわんとした笑顔)

 士郎:そっちの『衛宮士郎』にだって座布団を用意してるのに、なんで俺だけいつもこうなんだ、アンタは!

 アーチャー:ふん、貴様とあっちの小僧は大本が同じでも全然違う。そんなこともわからんのか、このたわけ。大体貴様みたいな駄マスターに茶を用意してやっただけありがたく思うのだな。

 士郎:……ッ、テメエ。

 シロウ:俺、そろそろあれ止めてくるよ。

 凛:……平然とした顔でよくいえるわね、貴方。大物?

 イリヤ:ふっふ~ん。シロウはわたしが育てたからね。ちょっとやそっとのことじゃ動じないわよ?(にこ)

 士郎:投影(トレース)……。


 思わず投影しようとした士郎の手をシロウが止める。


 アーチャー:ほう……。(感心したように呟き)

 シロウ:もう、その辺にしとけよ。これ以上やったら近所迷惑だぞ。それに、暴れたら食事中のセイバーの料理に埃が入るし、よくないぞ。

 士郎:あ……(近所迷惑という単語に反応)悪い……。

 シロウ:まあ、あんなふうに言われたら、腹が立つのもわかるけど、ここは一つ抑えてくれ。座布団なら、俺の分使えばいいし。

 士郎:いや、そこまではいいからさ。あー……俺も大人気なかったかなって、思うし。あー……そうだな。うん。(食事中のセイバーちらりと見)ええと、止めてくれてサンキュ……(羞恥照れ)

 シロウ:うん、どういたしまして(にっこり)。

 凛:……あっちの衛宮君随分大物ねえ。

 セイバー:そうですね。私への食事への配慮、感服しました。(ぱくぱく(パフェ食べだし))

 イリヤ:うーん……士郎×シロウかあ。ふふ、こういうのも悪くないわね。

 凛:って、あんたは何を言ってるのよ。

 イリヤ:シロウ同士っていいと思わない? うーん、新しい発見だわ(くす)

 エミヤ:……ぶつぶつ。(体は剣で出来ている、体は剣で出来ている……私は何も聞いていない)

 セイバー:ああ……それは所謂「腐女子」というものでしょうか。(ズズッ(茶啜り))

 イリヤ:あら? でも、わたし、シロウ以外には興味ないわよ? それに、シロウも士郎も「衛宮士郎」である限り、姉のわたしのものだし?(にっこり)あ、当然アーチャーやシロもね?

 士郎:……なあ、そういや、ずっと気になっていたんだけど。……イリヤなんだよな?

 イリヤ:あら? いきなりね。士郎にはわたしが他の誰に見えるの?

 士郎:あ、だよな。でも、その……。

 エミヤ:言いたいことはわかる。オマエの知っているイリヤはもっと小さいのに、何故こんなに成長しているのだろう、だろう?

 士郎:あ、うん。そうなんだけど。

 イリヤ:あら、だってわたしは確かにイリヤだけど、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンじゃなくて、衛宮イリヤスフィールなんだもの。士郎の知っているわたしはイリヤスフィール・フォン・アインツベルンなんでしょ? なら、違ってて当然だわ。
 
 士郎:……? それってどういう?

 シロウ:? イリヤ、さっきから何の話をしてるんだ?

 イリヤ:んー……シロウは知らなくて、いい話。

 エミヤ:……シロウ、茶の追加を用意してくる。手伝いにきてくれないか?

 シロウ:あ、うん。シロねえ、わかった。(台所に引っ込み)

 凛:へー……あっちのシロウは、シロさんだっけ? 懐いているのねえ。

 セイバー:シロは確か、アーチャーと元は同一人物と伺っておりましたが(ぱくぱく(大判焼き食い))

 イリヤ:それ、シロウの前で口に出したら、わたし、許さないわよ?(にっこり)

 士郎:なあ……本当にアイツ、アーチャーと同一人物なのか? いや……ていうか、その……本当に未来の……ごにょごにょ……なのか?

 アーチャー:まあ、あの私は大分英霊エミヤとして変質しているような感じがするがな。セイバー、追加でフォルダン・ショコラを用意してみた。これも食すがいい(にっこり)

 セイバー:おお、素晴らしい。

 エミヤ:……人がいない間に好き勝手言ってくれるな。(はぁ(ため息))それに、変質しているのは、オマエも同じだと私は思うのだがね。

 シロウ:? 何の話してたんだ?

 士郎:アーチャーの奴と、シロさん? が同一人物には見えな……(凍りつき)


 シロウの耳を両手で塞いでいるイリヤから、笑顔のまま憤怒のオーラーが立ち上っている。


 イリヤ:士・郎? わたし、言ったわよね? シロウの前でそのことをいうのは許さないって。それは士郎が相手でも同じだって、ねえ、わかってる?

 士郎:……!(がくがくがくがく(高速で頭縦に振り))

 シロウ:こら、イリヤ。人をいじめるのはよくないぞ。(こつんと、頭を軽く小突き)

 イリヤ:むぅ。でも今のは士郎が悪かったのよ?

 シロウ:イリヤ。

 イリヤ:……ごめんなさい。

 凛:へー。向こうの衛宮君にはあんた頭上がらないんだ?(にやにや)

 エミヤ:凛、それ以上つっつくと、危険だ。やめておいたほうがいい。

 凛:…………。(じろじろ(エミヤの身体を上から下まで見))

 エミヤ:……何かね?

 凛:ちょっと、こっちきて、しゃがみなさい。

 エミヤ:……? ああ。(言われたとおりにする)

 セイバー:ふう、ご馳走様でした。(満足そうな微笑み)

 アーチャー:もう、いいのかね?

 セイバー:ええ、今夜は豪華な夕食と聞いていますからね。ふふ、これ以上食べればその愉しみも半減してしまいますから。

 凛:……。(セイバー、空気読みなさいよ)

 エミヤ:? 凛?

 凛:あなた、元男のくせに、随分と豊満な体しているのね?(耳元でぼそりと囁き)。

 エミヤ:……は?(固まり)

 凛:この胸とか、反則なんじゃない?(むにゅむにゅ(胸揉み))

 エミヤ:ひゃ……え? ちょ、こら、凛、やめないかっ。(本気でアセアセ)

 凛:ふふ、随分可愛いらしい声出すのねー?(いじめっ子スイッチオン(胸とか腰とか触りまくり))

 士郎:……///(思わず目をぱちくりさせながら顔赤面)

 シロウ:……遠坂って、百合趣味だったのか?(首かしげ)

 イリヤ:リ~ン? そこまでよ。それ以上するのなら、わたし許さないから。(魔術を発動する直前)

 エミヤ:……はぁ……はぁ(助かった……!)

 凛:はいはい。(エミヤの上から退き)うーん。でも惜しいわね。ねえ、そっちの筋肉達磨と交換(トレード)される気ない?

 エミヤ:散々人を弄んで言う台詞が、それか! たわけ!!(顔真っ赤で怒鳴り)

 士郎:いやいや……やっぱ……アイツと同じとかないだろ。

 シロウ:あいつ?

 士郎:アレと同じとか、嘘だろ。あいつと同じで、こんなイイ女になるわけがな……。(ダンッ!(という音と共に投影された包丁が飛んできて頬の横に突き刺さり))

 エミヤ:……ほう? 私が誰か知ってて「イイ女」だと? いい度胸だな、衛宮士郎? 何、そんな命知らずな言葉を吐いたのだ……三枚に下ろしても構わんのだろう?(にっこり)

 シロウ:シロねえ、落ち着け!! それくらいでそんなに激怒するなんてらしくないぞ! それに、シロねえがイイ女なのは、客観的な事実だって!(エミヤの腰を掴んで引き止め)

 エミヤ:ええい、離せ、シロウ! 知らない奴が言うのと、知っている奴が言うのが同じでたまるか! それと、どさくさに紛れてオマエまでイイ女とか言うんじゃない!!

 凛:あ、今やっとシロさんがアレと同じだって納得した。

 セイバー:そうですね。あれはアーチャーのキレた時の笑顔です。

 アーチャー:さて、私は夕食の仕込みでもしてくるか。(うきうきそわそわ)


 (エミヤ暴走中、10分ほどお待ちください)


 エミヤ:その……色々とすまなかった。

 イリヤ:いいの。あれはシロは悪くないわ。それに、暴走するシロは可愛かったわよ?(にこ)

 エミヤ:…………。

 凛:はいはい。その話はここで終わり。次、いきましょ。

 シロウ:そういえば、俺結構前から気になってたんだけど、これって俺たちの話の第四次聖杯戦争編完結記念企画なんだよな?

 イリヤ:それがどうしたの?

 シロウ:第四次聖杯戦争完結とかなんか関係なくないか?

 凛:凄く今更じゃない?

 セイバー:まあ、所詮はお祭り企画ですからね。(ズズッ(茶飲み))むむ、茶もきれてしまいました。

 エミヤ:ほら、セイバー。調度紅茶が入ったところだ。飲むがいい。

 セイバー:ありがとうございます、シロ(にっこり)

 エミヤ:///……別に、礼を言われるほどのことでもない。(不意打ち赤面(ぷい(顔を横に逸らし)))

 凛:うーん、和むわねえ。

 イリヤ:シロは可愛いものね。(にこにこ)

 士郎:……うーん……うーん。(ダウン中)

 シロウ:大丈夫か?

 イリヤ:シロウ、士郎は自業自得なんだから、ほっときなさい。

 シロウ:そういうわけにもいかないだろ。

 凛:そういえばあんた、士郎と同じくらいは動いていたはずなのに、元気そうね。

 アーチャー:うちの駄マスターとは違って、良い師がついているのだから、当然なのだろうな。(ひょこ(手を手ぬぐいで拭きながら登場))

 凛:って、あんたどこ行ってたのよ。

 アーチャー:夕食の仕込みだ。

 セイバー:夕食……。(じゅるり(思いを馳せてほわんと幸せそうな顔))

 凛:はいはい。話戻すわよ。つまり、アーチャー? 向こうの衛宮君は士郎よりも強いってこと?

 アーチャー:そうなるな。

 セイバー:ええ、それは間違いがないでしょう。最初のアーチャーと士郎の諍い、それを止めに入ったときの足運びや動き、我らサーヴァントには及びませんが、どれも素人とは呼べないほどには昇華されている。間違いなく、こちらの士郎の3倍……いえ、5倍は格が上だといえるでしょう。

 イリヤ:ええ、あたりよ。まあ、シロが教えているんだから当然よね。

 凛:で、師匠として、本当のところはどうなのよ?

 エミヤ:セイバーの言うとおりだよ。シロウの戦力値は、おそらくあっちの今気絶している小僧の5倍前後といったところだ。サーヴァントと戦えるほどではないが、それでもサーヴァントが来るまで時間を稼げるくらいには仕立て上げている。

 凛:へえー……。何々? 向こうの衛宮君に士郎は勝てないってこと。

 エミヤ:まあ、こっちの小僧のほうが勝っている部分もないわけではない。

 凛:と、いうと?

 エミヤ:あっちの小僧は「正義の料理人」とやらを目指しているのだろう。残念ながら、うちのシロウは普段から家事をやっているわけではなくてな……まあ、家事の腕ではとてもじゃないが、そっちの小僧には勝てないだろうな。

 凛:……なんていうか、それ微妙なんだけど。

 セイバー:むむ、それは由々しき問題ですね。シロウは家事が不得手なのですか。

 エミヤ:不得手というわけではないが……まあ、人間何に時間をかけてきたか、ということだ。あれの成長を見るたびに、塵も積もれば山となるという言葉の意味を実感せずにはおれんよ。

 イリヤ:別にシロウも家事が下手ってわけじゃないわ。家事代行サービス会社でバイトしているし。ただ、『衛宮士郎』の中では下手ってだけよ。

 アーチャー:……。(コペンハーゲンではないのか)

 凛:……あれ? もうこんな時間?

 イリヤ:んー……向こうの士郎はまだ眠っているみたいだけど、そろそろお別れにしましょうか。

 セイバー:夕食は食べていかないのですか? アーチャーが折角腕によりをかけて用意しているというのに。

 エミヤ:悪いがうちでは切嗣(じいさん)がまっているのでな。シロウ、帰るぞ。

 シロウ:え? こいつが目覚ますまでまたなくていいのか?

 エミヤ:どうせすぐに目を覚ます。長居しては迷惑だろう。それに……これ以上長引かせれば、爺さんがファーストフードを買い込んでいるかもしれん。台所を預かるものとしては、断じてそんなことは許せん。

 凛:そこまで、ファーストフードって目の仇にするものなのかしら?

 イリヤ:キリツグも困ったものよねー。あんなのの何が美味しいのかしら。

 凛:まあ、いいわ。最後だし、みんな一言ずつ読者にメッセージを送って終わりにしましょうか。

 セイバー:あなた方はこれから帰るとのことですから、あなた方からどうぞ、お先にメッセージをお納めください。

 エミヤ:あー……うん。その、なんだ、良い言葉は思いつかないが、いきなりの企画に付き合いこんなところまで読んでいただき、感謝する……でいいのか? まあ、その、第四次聖杯戦争編こそ完結したが、これからも「うっかり女エミヤさんの聖杯戦争」は続いていく。引き続き愛読していただけたら幸いだ。

 イリヤ:もう、シロったら難いんだから。わたしの出番も、シロウの出番もこれからが本番なんだから、みんなこれからもよろしくね。途中で切ったりしたら許さないんだから。

 シロウ:俺は第四次編のことはよくしらないけど、俺が出るっていう第五次聖杯戦争編のほうがメインだって話だし、伏線も色々回収していくらしいから、気になるんなら見たほうがいいんじゃないかと思うぞ。

 セイバー:僭越ながら私が。また、皆さんにお会い出来て光栄です。もう、出番などないものと思っていましたから、今日は思わぬ楽しい時間を得ることが出来ました。ここまで読んでくれた皆さんに感謝を。

 凛:そうね。もう出番なんてないと思ってたから……その、悪くはなかったわ。

 アーチャー:ふ……まさか、複数のエミヤシロウが集う場所に顔を出すことになるとは、思いもしなかったが……そうだな。案外、悪くはないものなのだな。また、セイバーに食事を振る舞うことが出来る日が来るとは思ってもみなかった。む、いや、こうしてみると「楽しかった」と形容してみてもいいのかもしれんな。……まあ、うちの駄マスターと再び顔をあわせるはめになったことを除けば、だが?

 凛:あんた、相変わらず素直じゃないわね。

 アーチャー:さて? なんのことやら。

 凛:士郎に最後までついていったクセによくいうわ、って感心しただけよ。

 イリヤ:それじゃあみんな、またねー。



 (3時間後)


 士郎:……は? ………………あれ? なんで誰もいないんだよーーー!!


 ……その後、少年の遠吠えが暫く控え室に響いたとかなんとか。


  おしまい。


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束の間の休息編
01.新しい家族


ばんははろ、EKAWARIです。
おまたせしました。今回より第四次終了後~第五次開始前の出来事メインの閑話集『束の間の休息編』がスタートします。
束の間の休息編は、第四次編よりもシリアスダーク陰鬱街道つっぱしる第五次編に入る前の最後の箸休めであり、いかに彼らが原作から乖離していったのかや、衛宮一家の絆に関する話をメインにお送りします。
とりあえず15話ぐらい続く予定ですので、宜しくお願いします。

PS,因みにおまけ漫画は内容自体はにじファン連載時と同じですが、こっちも手直しと一部描き直ししています。


 

 

 

 side.■■士郎

 

 

 目覚めたらおれは病院のベットの上にいた。

 あとで聞いたところによると、おれがいた地域で生き残ったのはおれ1人だけだったらしい。そうまわりは話していた。

 部屋にはおれのほかにも入院している子供が何人かいたけれど、おれがここにいる理由とはまた別だったらしい。自分だけ違うということが、少しだけ寂しかった。

 体はまだ碌に動かない。

 だからベットから抜け出せるわけでもなく、ぼんやりと日々を過ごした。

 そんなある日、おれを訊ねていつかも見た黒と白の2人組がやってきた。

 

「こんにちは、君が士郎くんだね?」

 どこか悲しいような、嬉しいような、切ないような不思議な声音でおれは声をかけられる。

 おれは声の主のほうへと視線をやり、ゆっくりと頷いた。

 そして……。

「君は知らないおじさんに引き取られるのと、孤児院に引き取られるの、どっちがいいかな」

 そう、そんな唐突な事を黒いコートの男に言われ、突きつけられた。

 思わず、目をぱちくりすると、その黒いコートの男と同じくらい背の高い白髪の女の人が「切嗣、その物言いはいきなり過ぎるだろう」といいながらため息をついて、それからそっとおれの頭を撫でる。

 慈しみの籠もった所作。細められた目。

 まるで鋼みたいな色をしているのに、その眼は凄く温かくて優しかった。

「私たちのことは覚えているか?」

 少しハスキーで力強くてよく通る、凛とした女の人の声。

 その質問に、こくりと頷く。

 寧ろ、病院(ここ)に来てから忘れたことなんてない。

 あの全てを失った大火災の日、おれがのばした手を掴んだのがこの二人だった。

 大火災(あの日)より前のことは、まるで夢か幻だったみたいにぼんやりとしか覚えていない。多分、おれが思い出したくないから上手く思い出せないんだろうと、そう思う。

 でも、朦朧とした頭だったにも関わらず、この二人に会った時のことは、あれだけは本当に鮮明に覚えている。

 その安堵に満ちた男の顔と、泣きそうなのに目を反らすまいとしていた女の人の顔。

 救われたのはおれの筈なのに、まるで本当に救われたのは救ったほうなんじゃないかと、そんな風に思えるような、そんな光景だった。

 きっと、あれを忘れる日は来ないんじゃないかと思う。

「そうか。それは、結構。こちらの男は衛宮切嗣、私は……そうだな、シロとでも呼んでくれ」

 へえ……シロさんっていうのか。おれと少し名前が似ているんだな。

「切嗣は……いや、私たちは、まあ、なんだ。孤児になった君を引き取りたいと思っている」

 引き取りたいって……おれを?

「だが、それはあくまで私たち側の事情だ。嫌なら断ってくれてもかまわん。よく考えて返事をするのだな」

 口調は厳しいけど、優しい目をして、そうシロと名乗った女の人はそんな言葉を言った。髪を撫でる手は繊細でその眼差し同様に優しい。

 だから、多分おれのことを真剣に考えて言ってくれているんだろう、と思った。

 隣の黒いコートの男の人はなんだかそわそわとしている。

 そこでふと、この二人はどういう関係なんだろう、と思った。

 黒い髪に黒い目の男の人は多分名前からしても日本人なんだと思う。でも、このシロと名乗った人は、髪は真っ白だし、肌は黒いし、変わった目の色をしている。日本人でこんな色をした人なんて見た事がない。でも日本語はぺらぺらだし、違和感ないし、なんだろう。

「あの……」

「なんだ、どうした。もう、決めたのか?」

 シロという人は、片眉をあげて、窘めるような声でそんなことを聞く。それに違うと横に一つ首をふると、真っ直ぐに二人を見上げて、おれが持つ疑問を口にした。

「もしかして、夫婦……なのか?」

 その言葉に、なんでか知らないけれど、シロという人はずるっとこけた。黒いコートの男はちょっと照れたような顔で、頬をぽりぽりかいている。

「違う」

 苦虫を噛み潰したような顔で白い髪の女の人はそういった。

 思わず不思議に思って、首をかしげる。

「私も、この男の養子なんだ。つまり、夫婦ではなく親子だ」

 ちょっと吃驚した。

 だって、確かに黒いコートの男の人とシロって人は年が離れているみたいだけど、親子ほど離れているようには見えなかったから。外見特徴が1つも一致していないから尚更、歳が離れた夫婦なのかと思った。

「まあ、だから、おじさんに引き取られたら、シロは君のお姉さんになるってことだね」

 そんなことを嬉しそうに笑いながら、全身真っ黒な男の人は言って、隣の白い髪をくしゃりと撫でた。

(お姉さん)

 おれはじっと、白い髪の女の人の顔を見上げる。

 会うのは二度目だ。でもなんでだろう。ずっと前から知っているような気がする。

 よく知っている人のような気がするんだ。

 この2人を見ていると、何故か、胸の奥がぽかぽかと暖かい。

 そんな気持ちになるのが、自分でも不思議だった。

「……なんだ?」

 あまりにおれがじっと見すぎたからか、褐色の肌のお姉さんは居心地悪そうな顔をして眉を顰めた。

「それで、どうするか決まったかい」

 優しい声で、男の人がそう語りかける。

「うん」

 気付いたらおれは笑ってた。

 笑って言った。

「いいよ。おれ、おじさんたちのところに行く」

 

 そして、その日、おれは■■士郎から衛宮士郎になった。

 

 

 

 side.イリヤスフィール

 

 

 初めての飛行機、初めての日本。そう、生まれて初めての外の世界。

 見るもの全てが物珍しくて、でもそれ以上に向こうで待っているっていう新しい家族に会えるのが楽しみで、わたしはそわそわしながら、隣の席にいるアーチャーの腕にぎゅっと抱きついた。

「えへへ」

「イリヤ、のどは渇いていないか?」

 アーチャーは出会った頃からちっとも変わらない、慈しみと優しさの籠もった鋼色の瞳でわたしを見ながら、そんな風にわたしに気遣う言葉をかけてくる。

「ううん、大丈夫。それより、わたし、「お姉ちゃん」になるのよね?」

 上目遣いにそう聞くと、アーチャーはこくりと一つ頷いて返事を返してくれる。

「士郎とは仲良くするんだよ?」

 通路をはさんだ向こう側のキリツグがそんな言葉をいう。シロウ、それがわたしの弟の名前らしい。

 そう、わたしの弟。

 ずっと兄弟が欲しいなってそう思ってた。

 でもわたしは普通の人間じゃないから、それが叶えられるかっていったら無理な可能性のほうが高い事も気付いていた。だけど、とうとうわたしにも本当に兄弟が出来るんだ。

 血は繋がっていないかもしれないけれど、それでも嬉しい。

 シロウかぁ……わたしの弟になるっていう子はどんな子なんだろう?

 わたしは甘えるのが好きだし、本当はお兄ちゃんのほうが欲しかったけど、でもそれは贅沢っていうものよね。

「言われなくてもわかっているわ。わたし、お姉さんだもの、うんと可愛がってあげるんだ」

 そしてまだ見ぬ弟に思いを馳せるわたしを前に、アーチャーは優しくわたしの髪を撫でた。

 

 

 

 side.衛宮士郎。

 

 

 おれがこの家にきてから、一ヶ月が経ったある日、切嗣(じいさん)とシロねえは海外へと旅立った。

 なんでも、爺さんにはシロねえの他に娘がもうひとりいて、とある事情で今まで別々に暮らしていたけど、おれがこの家に慣れたのを見て、そろそろ頃合だと引き取りにいくことにしたらしい。

 今は、爺さんの知り合いだという藤村組の孫娘の、藤村大河(タイガーって言ったら怒るから、藤ねえって呼んでる)と、藤村組の人たちが交代でおれの様子を見に来てる。

 1人は少し寂しいけど、きっと、もう1人の爺さんの娘だっていうその子も爺さんが迎えに行くまで1人で寂しかったんだろうから、我慢だ。

 そして今日、その娘を連れて切嗣(じいさん)たちは帰ってくる。

 藤ねえはシロねえだけじゃなく、それとは別に切嗣に実の娘がいたってことになんだかふてくされているけど、おれは新しい家族がもう一人増えることに内心、ちょっとどきどきしてる。

 どんな子かわからないけれど、仲良く出来たら嬉しい。

 そして、つい先ほど連絡が来て、ついにその新しい家族を迎えるときが来た。

 

 現れたのは、まるで人形みたいな白い肌に、綺麗な銀髪の、これまた人形みたいに綺麗な女の子だった。

「士郎、この子がイリヤスフィールだよ」

 にこにこと、爺さんが笑いながら告げる。

(……嘘だ)

 確か、爺さんが迎えに行ったのって実の娘って言ってなかったっけ? でも、この目の前の同い年か少し年下くらいの女の子はどこからどう見ても爺さんには欠片も似ていない。

 そのおれの様子を見て、シロねえはため息を一つ、フォローするように口を開く。

「イリヤは母親似なんだ」

 いや、いくら母親似だからってここまで爺さんと似てないなんて詐欺みたいだぞ。

 あ、でも、シロねえと姉妹っていうのは納得できるかもしれない。肌の色や目の色は全然違うけど、髪の色は似ているし、二人共見てても凄く仲がいい。

 にっこりと、人形のような女の子が笑って手を差し出す。すごく可愛い。

 思わず、頬が火照って赤面する。

「あなたが、シロウね? わたしが、今日からあなたの姉になるイリヤスフィールよ。よろしくね」

(……姉?)

 じっと、目の前の女の子を見る。同い年くらいかと思うその子はおれよりも明らかに小さかった。

「シロウ~? レディが握手を求めているんだから、ちゃんとそれに応えなきゃ駄目でしょ」

 むぅと、頬を膨らませてそういうイリヤは年下みたいで、とても可愛かった。益々姉には見えない。

「わたしはシロウのおねえちゃんで、シロウはわたしの弟なんだから、今日からシロウはわたしに絶対服従! わかった」

「いや、イリヤ、それは横暴だ」

 思わず、シロねえが突っ込みをいれている。

「嫌だ」

 思わず、おれはそう言っていた。

 そんなおれに対し、むっとした顔でイリヤがいう。

「嫌ってなに? わたしがおねえちゃんなのが嫌っていったの?」

 いかにも不機嫌ですと言わんばかりの顔。

 でもそんな顔をしていても、やっぱりイリヤはすごくすっごく可愛かった。

「おれ、イリヤのこと姉には思えないぞ」

「……キ~リ~ツ~グ~!」

 イリヤが視線できっと、親父を睨みつけている。どういう教育してんのよ、と言いたげな目だった。

「だって、イリヤ、おれより小さいじゃないか」

 そういうと、イリヤはきょとんと、紅くて大きな目を見開いて、それからまだ不満げに「でもわたしが、おねえちゃんなんだからね」とそういった。

「イリヤ」

「おねえちゃん」

「イリヤ」

「おねえちゃん」

「イリヤ」

「おねえちゃん」

「うん、イリヤはイリヤだ」

「もう、シロウのばかばかばか~!」

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 子供達のほほえましいじゃれ合いを背後に、私は茶を沸かす為に台所へと移動し、コンロに火をかける。

 どうやら、あの二人は上手くいきそうだ。

 今の今までのほほえましいやり取りを思い出して、ふっと笑みを溢す。

(そういえば……)

 あれも、衛宮士郎だというのに、驚くほど憎しみの感情はわいてこなかった。

 答えを得たから、というだけではないだろう。そもそも、英霊と人にわかれようと同一の存在が其処にあるのなら沸いて当然の、世界の修正による反発心自体が沸いていない。

(もしかして……私の性別が女に変わったからか?)

 その可能性はわりと高いような気がしている。

 男と女、性別自体が全然違うのだ。いくら元が同一の存在といえど、ここまで違えば、全くの異物である。世界の修正自体が機能を停止している。そう考えたほうが自然な気がした。

「アーチャー」

 耳に馴染んだ品のある幼子の声が聞こえ、思わず振り向く。落ち着きをもって、イリヤは其処に佇んでいた。

「どうしたんだ、イリヤ。茶はまだだぞ」

「そういえば、ここでは貴女は「シロ」とよばれているのよね」

 先ほどまで士郎相手にあった無邪気で年相応な女の子はなりを潜めて、一人の淑女さながらの雰囲気を纏い彼女はそこに立っていた。

 そして神秘的な紅の瞳に理知的な色を湛えて、イリヤは言った。

「ねえ、アーチャー。率直に聞くわ。貴女って、「シロウ」と同じなの?」

 思わず、息を飲み込んだ。

「やっぱり。同じなのね。ううん、安心して、誰にも言わないから」

「イリヤ、何故気付いた?」

 見た目だけではない。

 色も物言いも性別すら違う。なのに気付かれるなど思っても見なかった。

「そうね……。上手くいえないわ。うーん、女の勘ってことにしといて」

 言いながら、イリヤは、唄うような声で告げた。

「時々ね、貴女の向こうに見えてたの。赤い髪の男の子。今日、シロウと会って確信したわ。あ、シロウとアーチャーって同じなんだ、って」

 その言葉に衝撃が走る。見えていた……?

 ヤカンが沸騰した音で、はっと我に返り、火を止めた。

「ねえ」

 にっこりとイリヤは微笑む。

 神秘的で、まるで本当に童話の中から抜け出してきた妖精かなにかのような微笑みで。

「シロウはわたしの弟なんだから、アーチャーはわたしの妹よね?」

「……は?」

 思わず、耳を疑った。

 イリヤはいつの間にか、元の年相応の子供に戻って、ふふんと鼻をならして、意地悪気に笑っている。

「アーチャー……ううん、シロ。貴女も今日からわたしの妹なんだから。だから、おねえちゃんに甘えてもいいんだからね!」

 そうして満面の笑みで、雪の少女は笑った。

(参った……)

 全く、君には昔から勝てたためしがない。

「全く、君には敵わないよ、姉さん」

 

 そして人数分の茶をお盆にのせながら、イリヤと手を繋いで、居間へと戻った。

 新しい家族、新しい生活、受肉した体。同一の存在がそこにありながら起きない世界の矛盾の修正。

 納得出来ない事も多いけれど、それでもこの小さな手を守れたのなら、きっとこれは悪くないことだった。

 いつかの『姉』。

 彼女はこうしてここで生きている。 

 

 さあ、新しい『衛宮家』を始めよう。

 

 

 了

 

 

 

 

 

 

 

 おまけ、「再会の約束」

 

 

 

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02.名前を君に

ばんははろ、EKAWARIです。
今回は名前とエミヤさんの現在の状況に関する話です。

尚、今回のおまけ4コマはあまり描き直しの必要感じなかったので、にじファン連載時代に描いた奴をそのまま流用しております。
エミヤさんはエプロン姿も捨てがたいけど、やはり三角巾に割烹着姿がジャスティスだと思うんだ!
次CCCの続編があるのなら、是非、アーチャーには割烹着と三角巾装備か執事装備のコスチュームが増えてほしいなと切実に祈っています。


 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 士郎、切嗣、イリヤ。そして私の4人で、冬木で暮らし始めてから3ヶ月ほどが過ぎた。今では、士郎もイリヤも大分あの家での生活に大分慣れてきたと言っていいのだろう。

 2週間程前に、とある高名な人形師の力を借り、イリヤも既に聖杯の器ではなくなった。

 なにせ、本人そのものの人形すら作れる封印指定の持ち主の作だ。

 元の体では第二次成長期を前にして、肉体の成長が止まることが確定していたイリヤだったが、今の人形師によって造られたこの体ならば、年相応に、普通の子供のように成長していくことも出来るだろう。

 普通の人間そのもの……とまではいかなくとも、人としての生を歩む事が出来る。

 もう彼女が、短い寿命と逃れられない運命に苦しむ事もない。

 母は無くとも、今のイリヤには父がいて、弟がいて……私もいる。

 驚くほど穏やかな生活。 

 まるで理想の家族だな、と思う。

 戦争犯罪人として絞首刑を受けるといった形で人としての最期を迎え、反英霊の守護者へと死後成り果てたこの私が、いくら受肉したとはいえ、こんな風に人間として暮らす羽目になるとは思いもしなかった。

 全く、一度死んだというのに、人生とは何が起こるかわからないものだ。

 

 …………いつかも言った。

 衛宮士郎と、そして王達が集う酒宴の場で。

『人としてここに留まる事にも興味がない』

 あの時の言葉、それは決して嘘ではない。

 現に、私は今すぐ座に帰ってしまってもそれはそれでかまわないと思っている。

 それが、こうして人として暮らすことにした、その理由は色々とある。だが、一番大きな理由は……多分、切嗣とイリヤが哀しむ顔が見たくなかった、それだけなのだろう。

 この世界は既に私の知っている歴史と違う未来(かこ)を歩んでいる。

 イリヤがいて、切嗣が生きているこの世界ではきっと、衛宮士郎が「正義の味方になる」という呪いを受け継ぐことはないだろうが、それでもあれは衛宮士郎だ。断言は出来ないし、なにより……この世界は私から見たら、私の知る歴史よりも理想的ではあるけれど、其れゆえの警報が頭の片隅で鳴り続けている。

 等価交換。

 私の知っている歴史とこの世界の歴史の違いはなにかの歪を生むのではないかと、漠然とした不安が寄り添っている。そこがどこ由来のものかはわからない。

 ふと、泥の中で見た光景を思い出す。

 顔など既に忘れた。

 だが、あれは、暗闇の中で見たあの白昼夢で、確かに私は誰かに呼ばれたのだ。リンクが細くて切れそうだったけれど、今ならはっきりと自覚できる。

 私は、この世界に召喚されて(・・・・・・・・・・)からずっと、誰かと細いラインで繋がっている。

 召喚主ではない、切嗣以外の人間と。

 本能のようにそれを確かめなければいけない気がしている。

 そして、それに次に接触できるのはこのままなら10年後おこるだろう、聖杯戦争しかないと、自分でも理解出来ない部分で何故か確信している。

 だから、残るとしたらその時までだ。

(10年後の……聖杯戦争か)

 起こるのがわかっているのなら、それを止めるべきだろう。

 理屈としてそれはわかっている。

 だが……。

(力が足りない)

 この身に受けた呪いの多くは、聖剣の鞘(アヴァロン)の投影によって殆ど浄化されたというのに、依然この体は受肉した時のまま、弱体化したままだ。

 切嗣もはっきりとはいわないが、流れてくる魔力量から見れば、魔術師としては大分衰退していることがわかる。

 それでも、普通の人間には今更負けはしないが、トドメはイリヤを浚いにアインツベルンの城に乗り込んだあの時。戦闘は得意ではないとはいえ、流石は御三家の一角というわけか……そう、あの戦闘で私は遅延性の呪いをかけられた。

 それは私の身体から大量の魔力を奪い、衰弱させるといった代物だ。

 今の私の魔力量など、たかが知れている。

 正直言えば、いくら受肉しているとはいえ、現界するだけで精一杯な量の魔力しかこの身には残されていない。

 きっと、現界しているだけなら支障ない事を除けば、前の『第五次聖杯戦争』で凛との契約を切り、単独行動スキルを頼りに1人で動いていた時の更に半分ほどの力しか発揮出来ないだろう。

 チャリと、人形師蒼崎にもらった髪留めに手を伸ばす。

 特別製の魔術礼装であるこの髪留めは、私が身につけることによって大気中の魔力を少しずつ集めて貯蔵することが出来、また、貯蔵した魔力量がいかほどのものなのかは一流の魔術師にも看破されることはないという優れものだが、一年、二年ではたいした魔力が集まるとも思えない。

 だが、時を経ればやがてここ一番の切り札にはなるだろう。

 右手の小指につけているこの指輪もまた、魔術礼装だ。

 これがある限り、私の気配は限りなく人間に近づく。元々英霊としての霊格が低かった事や、受肉している身体も合いまり、まず元英霊だと気付かれることはないだろう。

 故に滅多な事では協会の魔術師に正体を看破される怖れはない。

 今は大人しく人間のフリをして力を蓄えておけばいい。それが今出来る最大の、その時に対する備えだった。

 そこまで考えて、ふと、先日切嗣に言われた言葉を思い出す。

「戸籍……か」

 そう、切嗣は、必要だろうといって、偽装書類を元に私の戸籍を作るとそういった。

 私の真名は「エミヤ」であり、かつて人であった頃の名は「衛宮士郎」だ。

 だが、ここには衛宮士郎が別にいるし、そもそも今の私は女の姿になっている。士郎などという男名を名乗るわけにもいかないだろうし、そもそもとして色からしても、私を日本人と見抜ける者もいないだろう。

 切嗣は好きな名前を名乗ればいいと言っていたが、さてどうするか。

 まあ、いい。商店街で夕食の買い物が終わった後、改めて考えよう。

 そう思って商店街に入ったとき、その姿を見つけた。

 黒いツインテールに、赤いスカートの女の子が、重そうな買い物籠を抱えて歩いている。

 連れもいずに一人で。

 

(全く、何をしているのか)

 私は思わずため息をもらすと、その少女に「凛」と呼びかけながら、ひょいと、その小さな身体には聊か大きすぎる荷物を取り上げた。

「え? わぁ、何するのよ……って、あんた」

 吃驚した顔の、幼い遠坂凛が私を見上げていた。

 気の強そうな碧の瞳は相変わらずで、顔色も悪くない事に僅かに安堵しつつも、明らかに自分の手に余る荷物を己でなんとかしようとしていた姿に少しの呆れ交じりの感慨を抱く。

 まあ、これでこそ、遠坂凛は、遠坂凛なのかもしれないが。

 それでもあれほどの家に住んでいるのだ、お手伝いさんの1人や2人いるだろうに。

「全く、この荷物は君には手に余るだろう。何故手伝いをよばなかったのかね?」

「あんた、あの時の。って、いいわよ、私、自分ひとりで運べます!」

 キッと意思の強い大きな目を私に向けて、一生懸命荷物を取り返そうとからまわる小さな紅葉のような手。

 荷物をひょいと上にあげたまま、いつかの日々を思い返して懐かしい気分になる。

「人の好意を無碍にするのは感心せんな。まあ、いい。君の家までこのまま私が運ぼう」

 言いながら、凛の家の方角へとゆっくり歩みだすと、凛は慌てて私を追いかけた。黒いウェーブを描いたツインテールがふわふわと風に揺れる。それがまるで動物の尻尾のようでほほえましい。

「あのね、貴女ね、人の好意云々の前に、わたし、貴女と一回しか会った事ないんですけど」

 じとりと、私を睨みながら恨みがましい声でツインテールの少女が言う。

「む、そうだったか?」

 これはいけない。

 凛が相手ということで、ついついそういうことを失念していたらしい。

「おまけに会うのは4~5ヶ月ぶりなんですけど? あんた、馴れ馴れし過ぎ!」

「む……」

 しまった、言われてみればそうだった。それなら先に久しぶりと声をかけるべきだったか。

 その辺りうっかりしていた。

「……それは、すまなかった」

 思わず頭を下げて謝罪する。

「それにね……って、わかったならいいのよ、わかったなら」

 まだ何かを言い募ろうとしていた凛は、だが私の謝罪を聞くなり今度は口をもごもごさせ、焦ったようにぷいと視線を逸らした。

 その頬は赤く熟れた林檎のように真っ赤だった。思わず微笑ましくなる。

「何、何よ、その目」

「いや、ついな。君が気にするほどでもない」

 どうも、我知らず笑っていたらしい。

「わかったんなら、荷物返してくれないかしら?」

 むぅと、立腹しながら凛は、小さな手を私に差し出している。

「いや、やはりこれは私が運ぼう」

「はい?」

小さなお嬢さん(リトル・レディ)に恥をかかせたお詫びだ」

 しれっと、そういうと、凛は暫くぽかんと口を開けて、ついで、茹で蛸のように耳まで真っ赤にしながら、「だから、なんで、あんたはそういうこというのよ。女なのに」とかぶつぶつと小さな声で呟いていた。

 む? それほど私はおかしなことを言っただろうか? と思わず首をかしげる。

「それにしても、あんた、ね」

 凛はいっそ挙動不審なくらいに焦った声で、私に語りかける。

 無理矢理話題を変えようとする意図が目に見えるようだ。

「わたしのいうこと、覚えていたわけ? 髪、のばしてるみたいだけど」

 言われて思わず自分の髪に手をやる。

 あの時は肩口にかかるかどうかぐらいだった髪は、風呂上がりの髪を下ろしたセイバー(アルトリア)ぐらいには伸びていた。

「……まあ、そうなるな」

「あんた、どうしようもなく男女だけど、ふん、長いの似合うじゃない。うん、そっちのほうがいいわよ。やっぱり口調とか変だけど、あんたも女なんだし」

 むすっとした顔でそんな言葉を吐く凛。

 ……女なんだし……か。ごめん、内心泣きたいよ、遠坂。悪いが全然嬉しくないぞ。

 む、いかん、昔の口調が表に出た。気をつけよう。

 まあ、実際髪を伸ばしている理由は女らしくするためではなく、蒼崎に貰った礼装の髪留めをつけるために伸ばしているだけ、というのが実の所だが、そこまで話す義理もないしな。

 

 そんなことを考えながら、色々話を交えて歩いていると、気付けばもう遠坂邸は目と鼻の先にあった。

 さて、では別れるか。

 そう思い、荷物を返却して背中を向けたその時、凛は「あのね!」と呼び止めの言葉を叫んだ。

「あんた、約束は?」

 ……約束? 

 はて、そんなものしただろうか?

「ああ、もう、こっちはいつあんたが言うのかわざわざまってたっていうのに」

 凛は、ぐしゃぐしゃと自分の髪を乱しながら、憤慨したようにそんな言葉を吐く。

 いや、それは凛、折角の綺麗な髪が台無しになるからやめたほうがいいぞ、と思うが、逆燐に触れそうなので黙っておく。

「名前! 次に会ったら名乗るって言ったでしょうが!」

「あ……」

 そういえば、もう会うことはないだろうなと思いながら、そうだった。そんなこといって別れたのだったな。

 すまない、凛。すっぱりうっかり忘れていた。

「何よ、その顔。忘れてたってわけ?」

 むぅと、唸りをあげる小さなあかいあくま。

「……すまなかった」

 とりあえず素直に謝罪した。なんだか、今日のオレは謝ってばかりだな。

「もう、いいわ。あんたが天然だってのはよくわかったから」

 はあ、とため息をつきながらそんな言葉を吐く凛。

 ……天然ってなんだ。天然とは。

「それで、名前は」

 そうだな……なんと名乗ろう。

 じっと自分を見上げる碧い瞳。黒いツインテールの未だ幼い少女。

 遠坂凛。かつて自分の憧れだった存在で、魔術の師匠だった存在。そしてマスターであった少女と変わらぬ起源をもつ、彼女達の同一の別人。

「私の名前は……」

 衛宮士郎はここでは、もう私の名前ではない。

 普段よばせている名前の……シロと名乗るか?

 いや、それもあまり気がのらない。

 そう、つまらない見栄かもしれないけれど、彼女には、彼女だけには私は特別でありたい。

 私にとって彼女が特別であるように。

「……アーチェ」

 サーヴァントでは既にない私が「アーチャー」を名乗るのはおこがましい。それはわかっている。それに、いくら幼い彼女でもアーチャーと私が名乗ればきっと、聖杯戦争のサーヴァントであることに気付いてしまうだろう。そんなことはするわけにはいかない。それでも。

(それでも、(よすが)に少しくらい浸っても構わんだろう?)

 アーチェは洋弓(アーチェリー)。裏切ってしまったとはいえ、それでも私は彼女の弓となることを誓ったのだ。消え行く寸前に、契約を持ちかけてきた少女の顔を思い出す。彼女と目の前の凛が重なる。だから、そう、これは新たな誓いだ。きっと。

「衛宮・S・アーチェだ」

 未だ小さな君に、この時代、出会うはずがなかった君に、君だけに呼ばれる為だけの名を送ろう。

 そして私は、心の底から暖かい気持ちに包まれて、君に向かって笑った。

 

 

 了

 

 

 

 

 

 

 おまけ、「シロねえと料理教室」

 

 

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03.授業参観

ばんははろ、EKAWARIです。
今回の話は士郎視点から見た衛宮一家な感じです。

因みに次回の話はにじファン連載時代未収録の完全書き下ろしSSとなります。


 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

 俺が衛宮の家に迎えられてから、あっという間に月日が経った。

 今年で俺も小学5年生。

 1つ年上のイリヤと同じ小学校に通うのは今年度で最後だ。そう思うとなんだか少し不思議でくすぐったい。

 あの日、あの大火災の日、全てが燃え尽きて、両親も隣人も帰る場所も何もかも全て失ったと思ったのに、俺は新たな家族の元で穏やかな生活を送っている。

 

 衛宮切嗣。

 俺の今の父親。いつもにこにこ俺たちを見守っている一家の大黒柱。

 家事も仕事もシロねえにまかせっきりっぽいのに、普通の邸宅というにはバカでかいこの屋敷を購入したのはこの人だと聞いた。他にも昔、仕事で溜め込んだんだとかで、働かなくても金はもっているらしい。

 シロねえが言うには、切嗣が今働いていないのは理由があるんだって。

 でも、爺さんに理由を聞いてもはぐらかされるんだよな。

 他にも藤村のじいさんと親交が深いらしく、時々話し合っているのを見かける。そういう時の爺さん(きりつぐ)はキリリとした鋭い目つきもあって、のほほんとした隠居人みたいな家での姿が嘘みたいにかっこいいと思う。

 あの、大火災の日、伸ばした手を包んでくれた大きな手の暖かい感触を思い出す。

 イリヤは爺さんのことを「キリツグは本当だらしないんだから。士郎はあんな大人になっちゃ駄目なんだからね?」っていうけど、それでも俺にとっては、あの火災の記憶のせいもあるかもしれないけど、やっぱり切嗣はヒーローで、憧れの人だなって思う。

 うん、俺は爺さんのこと好きだ。「父さん」とか「親父」とか呼ぶのは照れくさくて中々言えないけど。

 

 シロねえ。

 フルネームは衛宮・S(エス)・アーチェっていうんだって、一緒に暮らし始めてから半年以上経って知った、義理の姉。Sは何の略か教えてもらえなかったけど、「シロ」って本人は名乗ったから、多分シロがつく名前なんだと思う。

 引き取られた日、「なんかおれの名前と似てるんだな」と嬉しくなってそう言うと、シロねえは「そうだな」と複雑そうな顔をして返事をした。理由はわからないけど、悪いことを聞いたのかなと思う。

 シロねえは、一言で言うなら凄い人だ。

 料理なんかもそうだけど、家事全般が得意で、繊細で、いつも家の中はピカピカで、だけどいつ掃除をしたのかとかがちっともわからない。気付いたときには終わってるみたいで、だからいつも手伝おうとしてもタイミングを逃すんだ。

 でも、去年あたりになって、食後の皿洗いを任されたときは、ちょっと認められたみたいで嬉しかった。

 はっきりいって、うちで一番忙しいのはシロねえだと思う。

 色んなところで仕事していて、しかも人に頼まれたらほいほいと引き受けて、しかも完璧にこなすんだ。

 その姿は俺から見ても凄いと思うけど、無心に真摯に何事も取り組む姿は、ちょっと憧れを覚えなくもないけど。自分の時間とか度外視して頼まれごとを引き受けたりするのは、なんだか納得がいかない。もう少し自分を大事にして欲しいとも思う。

 だって、シロねえは、女の人だ。

 地味な格好ばかりいつもしているけど。言葉遣いだってちっとも女性らしくはないけど。

 でも笑顔が綺麗で、気立てもよくて、心配性で、ちょっとわかりづらいけど凄く優しい、女らしい人じゃないか。

 なのに、自分は幸せになっちゃいけない存在だって思っているみたいな顔をしたり、人に利用されるのもまたよしみたいな態度を取るのを見ると、なんだか腹が立ってくる。

 シロねえはもっと、女としての幸せを追求するべきだと思う。恋人の一人でもつくればいいのに。

 でも、男とも普通に話すし、警戒心とかないわりに、この人男にモテるのは嫌がるんだよな。男嫌いでもないっぽいのに、なんでそんなに嫌なのか見ていて結構不思議だ。

 あ、でも恋人を作ればいいとは思うけど、誰でもいいってわけじゃないぞ。

 シロねえにはやっぱりちゃんとした人と付き合って欲しいと思ってる。

 そもそもシロねえって、基本的に凄くしっかりしているし、家事も仕事もなんでも出来るっぽいけど、たまに、変なところでうっかりしているんだよな。包丁と間違えて夫婦剣投影したりとか。

 おまけに美人でスタイルもいいのに、男にモテるのとか嫌がっているわりに、男への警戒心とかないし。

 むぅ、その辺りどうなんだろう。

 弟としては、いつか変な男に騙されないか見ててすごく心配になるんだけどな。だから、いっそきちんとした恋人とか作ってくれたほうが安心するんだけど。でも、シロねえ、そういうの話題に出すだけでも嫌がるんだよな。

 まあ、それで「うちの娘に手を出そうなんて不届き者は僕が仕留めるよ?」「シロはわたしのなんだから、恋人とか作らなくていいの」とか言っちゃううちの家族も別の意味で心配だけど。

 でも、それもみんなシロねえが好きだからなんだと思う。

 うん、俺もシロねえが大好きだ。

 

 俺より1つ年上の姉イリヤ……イリヤスフィールは、ちょっと吃驚するくらいの美人で、うちの小学校で多分一番の有名人じゃないかなと思う。

 まるで雪みたいな白銀の綺麗な長い髪に、紅色の大きな瞳に、透き通るような白い肌で、浮世離れした雰囲気も相俟って、その姿はまるで絵本に出てくる冬の妖精みたいだ。

 今では大分慣れたけど、最初の1年くらいはイリヤのちょっと過剰なスキンシップにいつもドキドキしてた。

 無邪気な笑顔は素直に可愛いと思うし、イリヤは俺より小さいから、姉には見えないんだよな。

 だから、未だにイリヤって呼んでいるけど、今では大切な姉だと思っている。うん、姉だって認めているんだ。でも、今更呼び方を変えるのも照れくさいし、なんだかんだでイリヤって呼び方に愛着をもっているんだと思う。だから、「姉さん」とは呼ばない。

 でも、イリヤはいつも「士郎はお姉ちゃんが守ってあげるんだから」って言ってるくらい、俺の姉だってことに誇りをもっているみたいだから、多分姉さんって呼んだらすっごく喜ぶんだろうなあって思うけど、そんな満面の笑顔を浮かべたイリヤとか見た日には、気恥ずかしさのあまり死ねそうだから、やっぱり呼ばない。

 うん、イリヤはイリヤだ。

 でも、イリヤ、シロねえ相手にまで姉ぶるのは見ていて変だからやめたほうがいいと思うぞ。

 今の俺の家族は、まあ以上、俺を含めての4人になる。

 あ……と、家族じゃないけど、半分家族みたいなものかなって人を忘れてた。

 

 藤ねえ。

 本名は藤村大河っていうんだけど、名前で呼んだら怒られるから、藤ねえって呼んでいる。

 ……でも、切嗣(じいさん)が「大河ちゃん」、シロねえが「大河」、イリヤが「タイガ」って呼ぶのは許してるんだよな。なんで俺だけ怒るんだろう。不公平だ。

 藤ねえは、爺さんと親交の深い、藤村組の孫娘とかで、「冬木の虎」とかよばれてて、まあ実際本人もなんか虎みたいな人だ。

 3日に1回くらいの確率で家へと嵐みたいにやってきて、夕食を平らげては去っていく。うん、あまりにハイテンション過ぎて全然ついていけないぞ。

 藤ねえは爺さんのことが好きらしく、「切嗣さん、切嗣さん」と爺さんによく尻尾をふっている。

 爺さんもそこでにこにこと藤ねえの相手をするから付け上がるんだけど、藤ねえはイリヤが苦手らしくて、しょっちゅう言い負かされている姿を見かけるし、その姿は自分達より一回り年上には見えないし、あれを見ると俺は藤ねえを「女の人」にあまりカウントしたくないなあって思ってしまったりする。

 多分イリヤがいなかったらもっと今以上に頻繁にうちにきていたんじゃないのか? あれ。

 そういえば、藤ねえはこの家に通い始めた最初の頃は、シロねえのことを「本当は切嗣さんの愛人なんじゃないの?」とか疑っていたらしくて、結構つっかかっていたのに、いつの間にかシロねえにも懐いていた。

 俺はそれを餌付けされたんじゃないかと思っている。

 今では藤ねえもシロねえのことが大好きみたいだ。

 なんだかんだいって、俺も藤ねえのことは嫌いじゃない。うん、寧ろ好きなんだと思う。絶対本人には言いたくないけど。だから、こうやって頻繁にうちに来るのは、家族が増えたみたいで嬉しい。

 

「授業参観……か」

 じっと、学校で渡されたプリントを見つめて、俺は思わずため息を一つ吐きだした。

 もうそんな時期が来たのかと思うと、ちょっと憂鬱だ。

 去年も一昨年も、俺はプリントを『家族』の誰にも渡さなかった。

 俺は爺さんも、シロねえも、イリヤもみんな好きだ。大好きで、大切な家族だと思っている。だけど、こういうことは別だなと感じてしまうんだ。

 イリヤは爺さんの実の娘だ。

 イリヤの授業参観があれば、爺さんが行くべきだと思うし、シロねえはいつも忙しい。だから頼みたくない。

 だってシロねえは頼みごとを断らない。自分より他人を優先してしまうそういう人なんだ。

 俺の授業参観なんかに手を患って欲しくない。

 だけど、去年プリントを隠していたことを知ったイリヤに散々怒られたんだよな。「シロウの馬鹿! なんで、そんな大事なことを言わないの! そんなことしていると、シロみたいになっちゃうんだから!!」とか、なんとか。そんなことを言われ叱られたような。

 多分今年も隠したりしたら、イリヤは去年よりも怒るんだろうけど、どうしよう。

 来てほしいか、来て欲しくないかなら、そりゃ来てほしいけど……でも、やっぱり言いづらい。

 だって、授業参観にくるのは、殆どが母親達だ。たまに父親もいるけど、そうだ。

 俺は爺さんもシロねえもイリヤもみんな大事な家族だと思っているけど、でも切嗣もシロねえも俺とは似ていないし、来てくれたところで家族だって理解してくれないかもしれない。シロねえなんて、見た目どう見ても日本人じゃないし、変な噂とか立てられるかもしれない。

 俺のせいで切嗣やシロねえが無責任に色々言われるのは嫌だ。

 うん、イリヤには悪いけど、やっぱり授業参観のことは黙っておこう。

 そう思って、プリントを隠したまま、授業参観の日を迎えた。

 

 クラスメイトの母親たちが揃う教室の風景は、いつもの授業風景とは違っていて、気付いたら軽く緊張して、強張っている自分がいた。

 他のクラスメイトも浮き足立っている。

 先生がパンパンと手を叩いて「はいはい、皆さん静かにしましょう」と声をかける。それでもざわめく教室。多分親に良い所を見せたいんだろうなあってそう思う。俺には見てもらう相手なんていないけど。

 ああ、今年も始まった。

 そう思い、肩の力を抜いたその時、がらりと、扉を開ける音がした。

「すまないが、隣に失礼しても構わないかな」

 小声で、扉の前の誰かの母親に断りを入れる、どこか少年じみたハスキーな女の人の声。

 クラスメイトの視線が、母親達の視線すら、その入ってきた人物へと集まる。

 イリヤの銀髪ともまた違った真っ白な髪を一つに束ね、日本人離れした鋼色の瞳に褐色の肌を、黒いダークスーツに包んでいる一振りの剣のような美しさを持った女性。

 もしネクタイをしていたら、完璧に男装だと思っただろう格好だ。だけど、スーツに包まれてなお、その体躯は隠し切れぬ女の丸みを帯びていて、一種独特の雰囲気がある、長身の若い女。間違いなく、シロねえだ。どこからどう見てもシロねえだ。

 え、なんでさ? なんできてるのさ。

 あまりの周囲との浮きっぷりに、先生も戸惑いながら「失礼ながら、貴女は……? えーと、あ、日本語わかるのかしら?」とか、声を半分裏返しながらそんなことを言ってる。

 シロねえは、周囲の奇異の眼差しに不思議そうな顔をして首を傾げたかと思うと、ついで何かに納得したような顔をして、先生を見て、にこり。男も女も魅了してしまわんばかりの中性的な笑顔を浮かべて、「先生の生徒の衛宮の姉ですよ。私のことはお気になさらず、どうぞ授業の続きを」そんな言葉を放った。

 思わず頬が火照る。

 普段、シロねえは、俺の姉だなんて名乗らないし口にすることもない。どうしよう。なんだか、嬉しいんだか、恥ずかしいんだか、よくわからなくなってきたぞ。

「すげー、衛宮のねえちゃん外人かよ」

「イリヤ先輩ともタイプが違うね」

「衛宮君のお姉さんかっこいい~」

 とか、そんな声は、あー、あー、聞こえてない。聞こえてないったら聞こえてないぞ。

 その日、その時の授業内容のことは、ちっとも頭に残らなかった。

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

「明日ね、授業参観なの」

 と、イリヤが言い出したのは昨日の夜のことだった。

「切嗣が行くといっていたからな、知ってはいるが。なんだ? 私も行った方がいいのか?」

 と、イリヤの服を作りながらそう尋ねると、イリヤはむぅ~……と可愛らしく唸りながら、「違う」と苦々しく言った。

「そりゃ、シロが来てくれたら嬉しいけど。あのね、わかっていると思うけど、士郎も明日が授業参観なのよ?」

 真剣な目でそう抗議する白いお姫様。

 とりあえず、作り掛けの衣服を横において、真っ直ぐにイリヤに視線を合わせ「それで?」と尋ねた。

「あいつは私たちに来て欲しくないと思ったから、プリントを渡さなかったのだろう。なら、行くのは却って迷惑だと思うが」

「シ~ロ~!」

 む、イリヤが無敵の姉モードに入っている。

 なんだ? 私は間違ったことは言ってないはずだぞ。

「もう、シロウはね、遠慮してるのよ。きてもらうのは迷惑とか筋違いのこと考えてるの! なんでシロはシロウと同じだったのに、そこがわからないのかしら……」

 ……私にそういわれてもな。

 生前の記憶など、それも小学生時代の記憶など殆ど磨耗して風化しているも同然なんだが。

 だが、ふむ、そうか。遠慮か。自分とは違う衛宮士郎とはいえ、やはり衛宮士郎は衛宮士郎か。

 いかんな。答えを得たからにはそれまでの人生を否定するつもりはもうないが、それでも他の何者にも私と同じ道を辿らせるのだけは御免だ。そういうところも、早期に修正しておかねば。

「シロ、お姉ちゃん命令です。明日の授業参観、シロウのところに行ってきなさい」

 びしり、と指をさして毅然と言い放つイリヤスフィール。

「了解した」

 ちょっと皮肉気な笑顔を浮かべて返答した。

 

 そうして、当日を迎えたわけだが……。

 なんというか、当たり前というか、わかりきっていたことというか……授業参観の参加者は殆どが子供達の母親だ。ここまで大量に子持ちのご婦人方が集まっている光景というのは圧巻だ。

 見た目は私も女とはいえ、精神は未だに男のつもりである身としては、中々に入っていきづらいオーラが漂っている。

 落ち着け、体は剣で出来ている、体は剣で出来ている。うん、大丈夫だ。

 そして、さあ士郎の教室に向かうか、と思ったその時「あら、エミヤさん」と呼び止められた。

 見れば、そこには週2で私が開いている料理教室に通う奥様方の姿が。「こんなところでお会いするなんて」と一人の奥様が言い出した事がきっかけで、私のことを知っている人間が沸いてくる、沸いてくる。

 なんだこの状況?

 そのまま気付いたら10分以上、ご婦人方に取り囲まれて世間話をして過ごす羽目になった。

「すまないが、私も行くところがあってね、ここらで失礼するよ」

 そういって、なんとか囲みを抜け出るのに更に5分かかる事になり、思わぬ所で15分のロスタイムを得る事に……なんでこんなに時間かかっているんだろう、とか思ったりなんてしてないぞ。うん、そうだ。ご婦人方のパワーを侮るなかれ。元英霊でも太刀打ち出来ないものはあるのです。

 そうして、出来るだけ急いで士郎の教室へと入っていった。

 

(全く、なんて顔をしているのだか)

 授業も終わり、こうして今は士郎と二人で歩いているのだが、先ほどから士郎は顔を俯かせたまま、がちごちに緊張したままだ。思わずため息を吐く。

 授業後は、保護者と共に帰宅していいらしいので一緒に自宅に向かって歩いているものの、いつもとの違いようにどう反応していいのやら、何気に困る。

 イリヤは、今日は士郎と一緒に帰って。と、そう言った。

 まあ、たまにはイリヤと切嗣を二人っきりにさせるのも悪くなかろうと思って了承したわけではあるが、なんというか、この空気はどうしたものか。これが他人であればまだ割り切りようがあるのだが、この空気は困る。

 この衛宮士郎は、衛宮士郎であるけれど、私に繋がる衛宮士郎ではないのだから。

「あー……その、なんだ」

 意を決してとりあえず声をかける。

「急に、悪かったな。頼まれてもいないのに行ったりして」

 その私の言葉に、士郎がぴたりと足を止める。

「迷惑だったのならはっきり言え。次からは行かん」

 ぼそり、と小さな声で、士郎が何かを呟いた。

 ん?

「士郎?」

「……ワクなんかじゃない」

 赤い髪が震えている。

「迷惑なんかじゃない」

 そういって、キッと眦を吊り上げながら言葉を続ける士郎の顔は、髪に負けないくらい真っ赤だった。

「シロねえがきてくれて、嬉しかった」

 おい…………私の得意な鉄面皮はどこに行った。

 あれか、これが遠坂の呪いか。発動しないように気をつけてても、変な所で発動するように出来ているのか。

 なんで、私は……顔を赤らめているんだ? ちょっとまて、私のキャラじゃないだろ。なんで顔が火照る!? 士郎の照れ顔は感染するものなのか。いや、普通は感染などしないだろう。

 いかん、自分で自分の思考がわからなくなってきた。心眼スキルはどこ行った。

 いや、落ち着け。いつも通りに振る舞うんだ。いつもの私に戻れ。

「…………そうか」

 とりあえず、返事をかえしてなんでもないように……出来なかった。

 何故、声が上擦る。

 何故、頬の赤みがひかない。

「なら、次からは遠慮するな」

 顔を合わせるのはなんとも気恥ずかしい。

 そっぽを向いて、戸惑ったまま、気付いたらそんな言葉を吐いていた。

「オマエが遠慮をすると、皆が気にする」

「シロねえも?」

 ……何を言った、この子供は。

「シロねえも、俺が遠慮していると気にする?」

 何故、そんな嬉しそうな、期待に満ちた瞳でそんなことを言うんだ?

 私はそんなことを聞く子供じゃなかったはず……うん、そう、磨耗してよく覚えていないがそのはず。

 いや、この衛宮士郎は私にならない私だからそれでよくて、あれ、うん? 自分で自分が本当によくわからなくなってきた。

「なあ、シロねえ。どうなんだよ」

 ああ、もう、そんな眼で見るんじゃない。

 というか、そんなものを一々聞くな。顔から火が吹きそうだ。

「ああ、気にするとも。だから、もうオマエは遠慮なんかするな。満足したか? なら、これでこの話は終いだ、いいな?」

 早口で追い立てるようにそう言って、無理矢理話を打ち切った。

 そもそも、ああ、なんで私はこんな小さな子供相手に(しかも、元は同一人物といえる子供だ)こんな風に心乱されているんだ? 

「うん」

 頷いた少年は、にっこりと、太陽みたいな顔で笑った。

 ……それは今の私にはとても出来ない微笑みで。

「へへっ、シロねえ帰ろうぜ」

 照れ交じりの満面の笑みを浮かべて、士郎はぐいと私の手を引いて家へと歩む。

「ああ、そうだな。帰るか」

 手を繋いで家まで帰って、そしてああ、そういえば士郎から私と手を繋いできたのはこれが初めてだったな、とそんなことを思った。

 夕陽の綺麗な日のことだった。

 

 

 了

 

 

 

 

 

 

 おまけ、「姉というより母親」

 

 

【挿絵表示】

 

 



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04.今は遠い未来(かこ)

ばんははろ、EKAWARIです。

今回の話は、前回も言ったとおり、にじファン連載時代未収録の完全書き下ろしSSとなっております。
つきましてはエミヤさんの生前についての捏造要素がありますので、ご了承下さい。
では、どうぞ。


 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 最近日差しが暖かくなった。

 元より冬木は温暖で長い冬になる事が特徴ではあったが、梅の花も蕾を付け、鳥の鳴き声が通るようになると、嗚呼春が近いんだな、とそう実感を覚える。

 少し肌寒くて、それでも爽やかな朝。

 月に一度の大掃除は想定以上に順々に進んでいる。

 自らの手でこの武家屋敷と呼ぶに相応しい我が家を徹底的に磨き上げていく、この感覚の充実感は中々のもので、何事にも代え難い。

「ねえ、シロこれでいいの?」

 ひょこりとイリヤが顔を出す。

「ああ、ありがとう。そこに置いておいてくれ」

 そう言って、私は雑巾を絞りながら彼女へと声をかける。

 イリヤの手には私が頼んでおいた、ガラスクリーナーが握られていた。

 本当はイリヤに手伝って貰うつもりはなかった。この家の掃除など私1人で充分だからだ。清々しい土曜日の朝、士郎は留守にしているため私の掃除ライフを邪魔するものもいない。というのも、士郎は今日切嗣(じいさん)と一緒に用事ついでに新都まで買い物に行っているからだ。

 つまり、今日は久しぶりにイリヤと二人っきりという事になる。

 そんな中、朝っぱらから掃除を始めた私に、興味津々という目を向けて、珍しくイリヤは手伝いを申し込んだ。

 気持ちは嬉しいが、正直彼女の手を患わせるのは気が乗らない。というか、この家の家事全般は私の仕事だ。あまり人に譲りたくはない。とはいえ、折角のイリヤスフィールの気持ちを無碍にするのもどうか。それで、道具を取ってきて貰う事だけをお願いすることにした。

 とはいえ、折角イリヤと2人きりだ。掃除は昼前には切り上げて、彼女には礼を兼ねて馳走を振る舞わなければなるまいと、キュッキュと柱を磨き上げながらに冷蔵庫の中身を頭に浮かべる。

 さて、今日の昼餉は何にするか。

「シロ」

 そんな事を考えているとにっこりとした笑顔を浮かべたイリヤに声をかけられた。

 なので、一旦手を止めて彼女のほうへと視線を向ける。

「えいっ」

 私が彼女に振り向いた事を確認すると、そういってイリヤは私をその紅葉のような愛くるしい手で叩いた。

 それから呆れたような、仕方ないなあと思っているような顔をしながら彼女はこう言った。

「もう、いつまで続けるつもりなの? もう3時間よ。楽しそうなのは良いけど、少しは休憩ぐらいしなさい」

「いや、しかしもう少し……」

「シ~ロ~」

 もうちょっとでこの部屋の掃除が終わる。そう思っての私の発言はむぅう~と愛らしく頬を膨らませて抗議の視線を投げかけるイリヤの言葉に遮られた。

「そんなこと言って、本当に少しで終わったりしないことぐらい、ちゃんとわかっているんだからね。とにかく、駄目、一旦休憩しなさーい!」

 お姉ちゃん命令なんだからね! そうびしっと指を突きつけられて言われて、私に拒否など出来るだろうか。

 いや、出来るわけがない。

 私は苦笑しながら、「わかった、わかった」と降参だと示すように手をひらひらとさせながら答えると、イリヤは満足そうに「うん、よろしい」と頷いて私の手を取りながら居間へと誘った。

「ほら、シロ、早く早く」

 そういって雪のような銀髪を靡かせながら駆ける姿は、とても愛くるしい。

 さて、今日の我が家のお姫様へのお茶請けは何にしようか?

 

 結局、本日のお茶請けは先日作っておいたくず餅とほうじ茶で無難に纏める事にした。

「うん、美味しい。相変わらずシロの作るお菓子は絶品ね」

 そういってふにゃりと弛んだ顔で笑うイリヤはとても可愛らしい。

「光栄だ、お姫様」

 そう言って答えながら私もまたくず餅へと手を伸ばす。

 ふむ……自画自賛になるが、甘さが控えめでまろやかな舌触りに出来上がったくず餅は、確かに美味といって差し支えがないだろう。正直に言えば、店で買ってきたと偽って来客に供しても手作りとは気付かれない自信がある。

 ……とはいえ、3時ならぬ11時のおやつとなってしまった以上、昼ご飯は控えめにしてバランスを取らなければならないな、と考えながらテレビをつけてニュース番組へとチャンネルを回す。嗚呼、今日も明日も天気が良くなりそうだ。そうだな、ならば明日は普段使わない予備の布団でも干すとしようか。

 そんな風に明日のプランを考えていると、ふとイリヤは静かな紅色の瞳で、机に肘を付きながら、ぽつりと大人びた声で呟いた。

 

「もうすぐ春ね」

‘もうすぐ春ね’

 古い、旧い記憶だ。

 その表情が、その台詞があまりにも似すぎていて……はるか昔に亡くした『姉』を思い出した。

 

 

 * * *

 

 

「もうすぐ春ね」

 

 そう言って彼女は遠くを見るような目をして呟いた。

 白い肌、雪のような銀色の髪、紅い瞳。

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンという名の少女。

 初めて彼女と会ったのはランサーに一度(オレ)が殺される前日のこと。

 その頃、オレは彼女という存在をまだ知らなかった。

 そして次に会ったときには聖杯戦争の敵マスターとして立ちふさがって、やがてイリヤが衛宮切嗣(おやじ)の実の娘だということを知った。

 知ったから、余計に守らないといけないと、そう思ったんだ。

 ……イリヤは変わらない。

 あどけなく、時に大人びていて愛くるしい、雪の妖精のような少女。

 聖杯戦争を終えて聖杯として機能しながらも命は紡いだ後、彼女は実家に勘当され藤村家がイリヤを引き取る事となった。

 その頃オレはイリヤのことを妹だと思っていた。

 やがて、穂群原学園を卒業して遠坂凛と共に彼女を師匠としてロンドンに渡って……久しぶりにオレが帰ってきたその時も、イリヤは変わらなかった。

 何も変わらなかった(・・・・・・・)のだ。

 出会った頃と変わらない、あどけなくて可愛らしくて、まるで……10歳前後の子供のような姿で。そこから少女が成長することはなかった。

 子供のようにしか見えない外見。

 綺麗な銀髪、神秘的な紅の瞳、抜けるような白い肌。愛くるしい冬の少女。

『おかえり、シロウ』

 そうオレの名を呼んで、嬉しそうに笑って、だけど、どこか生命力が抜け落ちていた。

 もうオレに抱きつくことさえままならなくなっていたんだ。

 見た目はそのままに、まるで迎えを待つ老人のそれのように生気が抜けて、衰えて……誰が見ても先は長くなかった。

 オレは、気付けなかった。

 イリヤは第五次聖杯戦争の聖杯だ。そういう風に生まれ、そういう風に調整され、そういう風に育てられた。

 その身に流れる血の半分は人間だったけど、もう半分はホムンクルスで、その事をその時まで本当の意味では理解していなかった。

 ……本当に愚かしい話だ。愚昧にも程がある。

 本当は、気付くための信号(シグナル)などいくらでもあったのに。

 

 出会ってから3年。オレが結局彼女と共に同じ家で兄妹として暮らしたのは、最後の1ヶ月ほどだった。

 

 

「もうすぐ春ね」

 

 そう言ってイリヤは遠い目で外を眺める。

 その肌は白く、いっそ青白いといっていいほどに痛々しい色をしていた。

 あんなに無邪気で活発だったのに、日の光で焼ける事さえ忘れた肌。それはイリヤがずっと伏せっていた事を示す。もう公園への外出さえままならないほどにイリヤの身体機能は衰えていた。

「イリヤ、風邪を引くぞ」

 そういって、当時まだ赤茶色の髪に琥珀の瞳だったオレは、イリヤの肩へと毛布をかける。

 そうすると、ふわり。透明な微笑みを乗せて「ありがとう、シロウ」と少女は笑った。

 そうやって日々を過ごした。

 そんな日々を1ヶ月ほど送った。

 遠坂はイリヤの体に何が起きていたのか気付いていた。

 だから、その間走り回ってくれた。

 何度もイリヤの体を点検して、何度もイリヤに魔術を施して、でもイリヤの症状がよくなることは無かった。

 そうやって衰弱していくイリヤを、オレは見守る事しか出来なかった。

 

「シロウは良い子ね」

 

 そういって雪の少女は微笑む。

 出会った頃と変わらぬ姿で、外見年齢にそぐわぬほどの慈母の愛を瞳に宿しながら。

 こちらが泣きそうなぐらいにイリヤの心は強かった。

 それは梅の花が咲き誇る季節。庭をボンヤリと見ながら、イリヤは独り言のような声で、オレにこう言った。

 

「嗚呼、本当に今日は気分が良いわ……」

 オレは声をかける事が出来なかった。

 ただ、彼女のためのお茶を入れた盆を持って、イリヤの言葉に耳を傾ける……それぐらいしか出来なかった。

「本当に、気分が良いから、今まで秘密にしてたこと、話しちゃおうかな」

 そうしてイリヤは、大人びた色を紅の瞳に宿して、本当に淡々と静かに、少しだけ悲しむような自嘲するような、そんな本当の子供には出来ないだろう色を表情に載せながら、こう語った。

「あのね、シロウ。わたしずっとシロウのことお兄ちゃんって、そう呼んでいたけど……本当はね、シロウがお兄ちゃんなんじゃなくて、わたしがお姉ちゃんなんだよ」

「…………」

「ずっと言えなかったけど……わたし、本当はシロウより年上なんだ」

 

 イリヤの見た目は、実年齢とは違い、本当は見た目よりもずっと歳を重ねている。

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは決して幼い子供じゃない。

 ……その事には薄々気づいていた。

 だって、イリヤの外見年齢は出会った時からこの3年間、全く変わる事がなかったのだから。

 

「わたしが生まれたのは第四次聖杯戦争が始まる8年前だった」

 そうしてイリヤは淡々と自分の過去を語っていった。

 アインツベルンに迎えられた魔術師殺し、衛宮切嗣と、自分の母親と過ごした幼少期の生活や、何を思って衛宮士郎(オレ)を殺そうとしていたのかを。両親が去ってから置かれた自らの境遇を。

 年下で、血の繋がらない妹だと思っていた存在は、その実外見年齢とは異なり自分よりも年上の存在だった。

 それは、考えればわかる話だった。

 だって、イリヤはまるで見た目通りの幼い子供であるかのような振る舞いをすることがあったけど、時々見せる顔は大人の淑女(レディ)のそれだった。妹のように普段は振る舞うくせに、まるで姉か母のような包容力と慈愛を見せながらオレに接していた。

 なにより、見た目通りの年齢だったのなら、彼女は赤子の時に衛宮切嗣(ちちおや)と別れた事になる。なのにイリヤにはあまりにも、親父との思い出がありすぎた。鮮明過ぎたのだ。

 そして初めて会った日から3年経っても彼女の外見が変わることはなかった。

 つまり、イリヤは成人しているのに、子供の姿でしかあれなかったのだ。そういう体だった。

 時々見せた大人びた一面を、マセているだけだとそう思って思い過ごしていた。

 なんてことはない。そちらこそが、本当のイリヤの姿だったのだ。イリヤはマセていたわけではなく、実年齢相応に振る舞っていたんだ。どちらかといえばあの子供みたいな振る舞いのほうこそが偽装だった。

 それに、こんな寸前になるまでオレは気付く事が出来なかった。

 

「もうすぐ春ね」

 

 そう言ってイリヤは遠くを見つめる。

 話し疲れたのか、疲労が目に浮かんでいる。背中は頼りなく細い。一回り以上小さな、身体。

 そんな体に重すぎるものを背負い続けていた。

 

「ねえ、シロウ」

 

 まるで、それは本当に雪の精のように。

 

「春になったら、わたし、みんなとお花見に行きたいな。行けるかしら」

 

 儚げにイリヤはそう呟いた。

 オレは、「行ける」とそう約束してやることが出来なかった。

 

 

 ――――――……終わりなんていつだって呆気ない。

 

 雪が降らなくなり、草木が萌え息吹く季節、桜の開花を前にして、沢山の花々に囲まれながら、イリヤは眠るように静かに息を引き取った。

 

 もう彼女が目を開けることはない。

 

 もう彼女がオレの名を呼ぶこともない。

 

 もう、イリヤが失った両親について語る日は永遠に来なくなった。

 

 

 ―――――花を捧げよう、君のための花を。

 君を弔う為の花を。

 沢山の花に囲まれて、君はほら、こんなに美しい。

 

 ……式は藤村組が率先して行った。

 その時の事について私が覚えていることは少ない。

 覚えているのは、棺に収められたイリヤの小さな体と、彼女を埋め尽くすように捧げられた花たち、それだけで……どうやって其の日の夜を迎えたのかすら覚えていない。

 

「姉さん……」

 

 結局(オレ)は。

 

「……姉さん」

 

 彼女が生きているうちに、一度もその名称でイリヤ(ねえさん)を呼んでやった事はなかった。

 

 

 * * *

 

 

「シロ?」

 白昼夢に浮かされていたように、唐突にはっと我に返った。

 目の前では不思議そうな顔をして、マジマジと私の顔を覗き込む紅色の瞳が一対。

「どうしたの?」

「……イリヤ」

 思わず、呟いて息を飲み込む。

 そんな私を見て、イリヤは「変なシロ」そう言って笑った。

 ふわりと、子供の瞳で。

 そこで漸く気付く。

(嗚呼、違う)

 確かに似ている。

 起源は同じで同一存在だ。

 だけど、例え見た目があの時の『姉さん』と同じでも、このイリヤは見た目相応の年齢で、未来を約束された『子供』で、そして此処で『生きている』。

 

「ただいまー!」

「あ、おかえりー、士郎ーっ!」

 そういってパタパタとイリヤは走っていく。

 やがて、赤毛の少年と雪の少女は仲睦まじく手を繋いで私がいる居間へと現れた。その手には大判焼きの入った袋が握られており、2人は嬉しそうに笑いあっている。

 それは、仲睦まじい『姉弟』の姿だった。

 その後ろには、ぼさぼさの黒髪に優しげな笑みを浮かべた着物の男が寄り添っている。

 そして彼は言った。

「ただいま、シロ」

 

『おかえり、シロウ』

 ……白昼夢を見た。

「ああ、おかえり」

 

 かつて、幼い子供の言葉を信じて幸せそうに逝った男がいた。

 姉と呼ぶ機会もないままに短い寿命を散らした姉が居た。

 けれど、ここでは彼らは生きている。

 彼らは、自分が亡くした『彼ら』と厳密には同じじゃないし、同一の別人で、彼らを救ったところで過去の自分の大切だった人達まで助かるわけではないけれど……それでも、『彼ら』の分も彼らが幸せであればそれでいいと思う。

 

 彼らの人生が憂い無きものであるように。

 そう祈ることはきっと罪ではないと思いたいから。

 

 ―――――……今は遠い未来(かこ)

 

 

 了

 

 



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05.そうだ、お山に行こう

ばんははろ、EKAWARIです。
今回の話はちょっとした衛宮一家のプチ家族旅行(?)的な話になっています。
あと切嗣の方針に関わる話かな?

因みに次回の話は前回同様にじファン時代未収録の書き下ろしSSになります。


 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

 それは何気ないある日の午後の事。

「春休みなんてあっという間ね~」

 机に肘を付きながら、俺の隣でテレビを見ている小柄な白銀の髪の美少女……ひとつ年上の義姉のイリヤだ、がそんなことをぼやいた。

「とうとう、シロウと別の学校か~」

 軽い口調で言っているけど、その言葉には残念そうな響きがあった。

 今の日付は4月2日。

 あと数日で俺は小学校の最上級学年へ上がり、イリヤは近隣の中学校へと入学する。

 そう、来年からはイリヤは中学生で、俺は引き続き小学生。

 つまり同じ学校にまた通おうと思えば、あと1年またなければいけないことになる。それがイリヤには不服らしくて、春休みが始まる前からこの手の愚痴をよくこぼすようになった。

 要はイリヤは俺と一緒じゃないことが不満なんだ。それはちょっと嬉しいけど、恥ずかしくもある。

 有体にいえば照れ臭い。

 イリヤの名前や容姿からして、俺と「実の姉弟」だと素直に信じるやつはいなかったし、実際血は繋がっていないわけだけど、それでも俺たちは姉弟として上手くやっていると思う。

 先生には衛宮くんちのご姉弟はいつも仲良しね、といわれてきたけど、イリヤは凄く美人で天真爛漫で本当に可愛いから、よくやっかみも受けたし、「オマエなんかがイリヤ先輩の弟なわけない」なんてことを言われることも結構多かった。

 そして、そういう言葉を俺が他人から受ける度、誰よりも激怒して、俺と姉弟だということを全力で肯定してくくるのも、またイリヤだった。「シロウはわたしの弟なんだからね」とはイリヤの口癖だ。

 それを嬉しいと思う。俺もイリヤのことが大好きだ。

 だけど、小さい頃は俺とイリヤの仲が良い事を微笑ましく見られることが多くても、大きくなってくると、勝手もまた違ってくる。元々血は繋がっていないのもあり、俺とイリヤじゃ似ても似つかないからカップルだと間違われる事も多いし、いくら俺達の仲が良くても姉弟に見られる事はあまり無い。

 それに……イリヤの過剰なスキンシップには正直ドキドキしてしまうんだ。

 イリヤに好かれているのは嬉しいけど、こうやって別の学校になることを惜しまれるのも嬉しいけど、でも一旦距離を開けられるのは、お年頃といっていい俺にはありがたかったりもする。

 俺もいつまでも子供でいられないんだし。

 なんてことを考えながら、お茶を啜っていると、シロねえがひょっこり、お茶請けのマドレーヌを盆に載せて入ってきた。人数の中にシロねえの分や爺さんの分もあるのを見ると、どうやらシロねえもこれから休憩らしい。

 因みに当然、マドレーヌはシロねえの自作だ。

「随分と盛り上がっていたようだが、なんの話をしていたのだね?」

 そんなことを訊ねながら、シロねえもまた、イリヤの隣へと腰を降ろして茶を啜った。

 因みにマドレーヌは相変わらず凄く美味しい。

「あ、ねえ、シロ」

 ぱっと顔をあげて、イリヤはシロねえに視線をあわせ話を切り出す。

「お花見とか、温泉とかなんでもいいから、どこか今から行けない?」

 って、イリヤ、そんなこと考えてたのか。

 確かに桜は今が見頃かもしれないけど、そんな急に言って急に実現は難しい気がするぞ。

 ……と思ったんだけど。

「……別にかまわないが、中学校に入学する準備は全部終わったのか?」

 シロねえ的には出かけるの自体は良いのか。年中忙しいくせに。

「そんなの、とっくに終わってます」

 心外だわ、と言わんばかりのむくれ面でそう返答するイリヤ。

 そういうツーンとした顔をしていても可愛いのが美少女の特権なのかもしれない。

 そこへ、後ろからひょっこりと爺さんが現れて「ああ、それなら……」と、手元の紙を見ながら「お山に行こう」と、そう、言い出した。

 

 こうして、イリヤの思いつきを切欠に、俺は1泊2日のぷち家族旅行へと出かけることになった。

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

「それで、どういうつもりかね?」

 切嗣の部屋にて、向かい合わせに座りながら、私は子供達の居ない場で今回の突然の柳桐寺行きについて真意を尋ねる事にした。

 4月3日から4日の1泊2日で、既に住職とは話をつけているという。

 イリヤの思いつきが発端にしてはあまりに準備が良すぎる。

 衛宮切嗣(このひと)相手に、これで裏がないと思う方がおかしいだろう。

 しかしあくまでも切嗣は、隠居人めいた好々爺の顔と声でこう話した。

「まあ、お寺での生活もいい社会勉強になるんじゃないかと思ってね。それに、零観くんたちにも一度ご家族を連れて来ないかと誘われていたし、たまたまだよ」

「爺さん」

 じろりと、見据える。

「はぐらかすな」

 それに、切嗣(じいさん)はばつの悪そうな顔を一瞬浮かべると、ため息を一つついて、それから「うん、これは表向きの用事」とそう答えた。

「目的としては、大聖杯の状況の再確認がまず1つだね。流石にあれを破壊するほどの力となると、今は持っていないし、そうでなくても、不審な動きをやって魔術協会に目をつけられるわけにもいかない。まだ、今は、ね。まあ、それでも、色々と準備くらいは出来るだろうから」

 ……一体どこまでが本心なのだか。

 今更だ……そんなこと数年前に決めていたはずだ。

 あの日、話し合いで決めた事だ。次回の10年後の聖杯戦争に自分達は関わる。それまで力を蓄えていると。

 本当はあれを破壊しようとすれば、手段を選ばなければ方法はないわけではない。だが、それを……その手段を認めなかったのは他ならぬ切嗣だ。

 弱体化が進んでいた第四次聖杯戦争直後ならともかく、ある程度の力が戻った今の私の力を持ってすれば、現界魔力全てをつぎ込み、令呪のブーストを重ねれば……という前提がつくが、大聖杯の破壊も不可能ではないだろう。だが、私の消滅を切嗣は拒否した。だから、私からあれをどうにかするという選択肢は今のところはない。

 とはいえ、だからといって手段がないかといえばそうも言い切れず、切嗣(じいさん)があれを破壊するのならば、いつものように、魔術師らしからぬ手段で、金にものを言わせて爆薬でも仕掛ければ不可能ではないだろう。

 だが、そんな派手な手段を取れば当然目をつけられるのは自明の理だ。

 そもそも、御三家のうち二家が冬木の土地にあるわけで、聖杯戦争中のどさくさでもないのに、大聖杯の破壊なんてド派手な真似をすれば、私達を見逃すはずがないだろう。それに、聖杯戦争は最早御三家だけの行事ではないのだ。かかる追っ手の数は想像に難くない。

 まあ、それだけなら切嗣にとって問題ではないのだろうが、それでも問題なのは、私と士郎、そしてイリヤの存在だ。

 切嗣は魔術師殺しとしてもう死んだも同然の存在といっていい。全盛期の半分の実力も残っていないだろうし身体能力や生命力自体が衰えている。そんな状態で、大聖杯を破壊して、未だ幼い士郎やイリヤたちを守れるかといったら、絶望的としか答えようがないし、2人とてただの子供というわけでもない。

 2人には、とくにイリヤには単体で狙われる理由が充分にある。

 だからこそ、まずい。

 おまけに、私が受肉した英霊だなどということが協会の耳に入れば、モルモットとしてこぞって狙われよう。爺さんはそれを一番恐れているようにも見えた。

 そしてなにより、既に正義の味方という夢に折れたこの男は、この、穏やかな日常を守りたいと、そう思っているのだ。

 他にも今すぐ大聖杯の破壊に乗り出さない理由はいくつもあるわけだが、大まかな理由は上記が大きい。 

 

 故に、悲劇のシナリオに蓋をする。

 自分達がかかわるのは次回の聖杯戦争だと、脅威を前に蓋をする。

 そこに『悪』そのものの災いが眠っている事を知りながら。

 だが、それは果たして悪いことなのか。

 悪だと言い切れるのか。

 切嗣は夢を通して私が知っている第五次聖杯戦争の内容を知っている。

 私の歴史のイリヤや士郎の行く末を知っている。

 親として子を愛し、子供達に同じ悲劇を与えたくないと、慈しみ今は平和な日常を与えたいと、士郎に「自分は幸せになってはいけない」なんて考えをさせないようにさせたいと、その為の時間が欲しいのだと、そう思うことは罪なのか。

 自分が胸に抱いた「正義の味方(りそう)」を理由に愛するものを切り捨てて生きてきたこの人が、家族を守るために今、少ない余生を注ぎ込もうとしている事を、それを罪と言い切っていいものなのか。

 思考停止と試行錯誤の連続。それが第四次聖杯戦争が終わってから、今までのこの男の全てだ。

 そしてそれはそのまま私の全てでもある。

 なんといっても、本人が否定するし、私ももう口には出さないけれど、それでも私は本来サーヴァントで、この衛宮切嗣こそが今のマスターなのである。

 本当は、必要以上にこの世界に関わるべき存在ではないのだ。

 受肉していようと、本来私は死者で、この世界の存在ではないのだから。

 なら、マスターの意向に従うのが筋というものだろう? とは言っても、これは言い訳だ。

 それを言い訳にして、この、夢のような生活を享受している。それが私の現実だった。

 私ではない、私に決してならないだろう衛宮士郎と、天真爛漫なイリヤ、かつて憧れた父と同一の起源をもつ衛宮切嗣という男。本来なら交わらないだろう存在であるはずの私が、彼らに家族として受け入れられ、人間のフリをして生きている。

 本当はいつか(本当は今すぐにでも)切り捨てなければいけないことを知っておきながら、それでも此処にいる。

 この生活に、身も心もまるで麻痺していくかのようだ。

 そう、これは私を溶かす甘い毒薬なのだ。それにもう、膝まで漬かりきってしまっている。

(未熟だな、オレは)

 マスターの方針を言い訳に、この生活を一番終わらせたくないとか願ってしまっているのは、きっとオレのほうなんだろうよ。

「シロ……?」

 はっと、我に返る。爺さんは不思議そうな顔をして私を見ていた。

「いや、なんでもない。しかし、準備といっても、今更何をする気なのか詳しく話して貰いたいものだな」

「うん、ここ数年で地脈のあちこちに円蔵山へ流れ込むレイラインに瘤が発生するように仕組んでおいたんだけど、その仕上げと微調整というところかな」

 そこで、切嗣は、ふと自嘲気味な笑みを一瞬浮かべ、それからこう言葉を続けた。

「次の戦いで、万が一僕達がしくじった場合の……まあ、ただの保険なんだけどね」

 そういって乾いた笑みを浮かべる爺さんの表情は、まるでいつか鏡で見た自分の顔にそっくりで……。

「万が一なんて、ないさ」

 ぎゅっと、その痩せた手を掴んで、不敵な表情を作って見せて言った。

「私がついている。大丈夫だ」

 

 

 

 side.イリヤスフィール

 

 

(うう、足いた~い)

 長い石段を憂鬱な気分になりながらわたしは一段一段上がっていく。

 けれど、わたしの中に積もっていくのは不満ばかりで、思わずその原因になった男をジトリと睨みながら、控えめにため息を一つこぼした。

 全く、キリツグはわかっていないんだから。

 確かにみんなでどこかに行きたいと提案したのはわたしだけど、誰が好き好んで、こんな山の上のお寺なんかに行きたがると思うのかしら? こういう時は普通遊園地とか動物園とかに連れて行ってくれるものなんじゃないの? 本当ずれているんだから。

 そう内心でキリツグへの愚痴をこぼしていると、隣を歩くシロウに「大丈夫か?」と心配そうな顔で言われた。

 どうやらわたしの気持ちは顔に出ていたらしい。

 でも弟の前であんまりかっこ悪いところとか見せられないわよね。

「大丈夫よ、シロウ、こんなのなんでもないんだから」

 と、意気込んで返答したわたしだったが、痩せ我慢なのを見破られていたのか、呆れられたような言葉をかけられると同時に、私の体は褐色の腕に抱え上げられていた。

「だから、もう少し動きやすい靴をと言ったんだが……それは自業自得だぞ」

「だって、ここまでキツイなんて思わなかったんだもの」

 むぅ~と、拗ねながらじぃっと、私をお姫様抱っこで抱えた人物を見上げる。

 犯人であるシロは、仕方ないなと、まるっきり子供をあやすような顔をして、「じっとしていろ。上についたら、マメが出来ていないか診るから」とそんなことを言って、私を腕に抱きかかえたまま、なんでもないかのように残りの石段を上がっていく。

 当然、ふらついたりといったヘマをすることはない。

 それは当然なのかも知れないけど、完璧過ぎて少しだけ腹が立つ。

「私がお姉ちゃんなのに」

「年は今の私のほうが上だ。こういう時くらい素直に甘えててくれ、イリヤスフィール」

 ……なんでこういうときのシロはかっこいいのかな。

「シロねえすげえな……」

 と、後ろからシロウの感心したような声が響くけど、どことなく複雑そう。

 そうよね、シロウも男の子だもんね。ひょっとしてシロに妬いちゃってる?

 ふふ、本当に可愛いんだから、シロウは。

「みんなー、おっそいぞー! とくに士郎! あんた若いんだからもっとちゃっちゃと上ってきなさいよね」

 石段の上に仁王立ちした虎がなにかを叫んでいる。

「なんで、タイガがいるのかしらね」

 人の家族の団欒に飛び込んでくるとか、あまりの厚顔無恥っぷりにわたしは思わずため息を吐いた。

 ……楽しい思い出作れるかと思ったんだけどな。

 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

「よしっ」

 言われたとおりに廊下を拭いて、ぱんと、雑巾を絞って広げる。廊下は広くて、木の香りがして、掃除のし甲斐があり、なんとなく充実感のようなものを覚える。

 結構楽しい、かもしれない。

 とか思っている矢先に声をかけられる。

「随分と慣れているのだな」

「そうでもないぞ? 学校と自分の部屋くらいしか普段はしないし。シロねえに比べたら俺なんてまだまだだ。それに、同い年なんだろ、そんなに固くならなくてもいいぞ?」

 そうやって声をかけられた先に振り返れば、そこに立っていたのは、眼鏡をかけた秀麗な顔立ちの、先ほど大人達に紹介されたばかりの同い年の少年だった。

「む……これは習性のようなものだ。気にするな、衛宮」

「士郎でいいって」

 そんな同い年である筈の男子の反応に苦笑する。

 少年の名前は柳洞一成、この寺の息子らしい。

「二人とも、ここにいたか」

 そんな風に掃除の傍ら談笑をして過ごしていると、ひょこりと厨房に行っていた筈のシロねえが現れた。

「夕食の準備が整った。手を洗ってきたまえ」

 シロねえの今の格好は、家で普段つけている赤いエプロン姿じゃなくて、料理教室の時身につけている割烹着と三角巾姿だ。そこから、今日の夕食はシロねえが用意したんだとわかる。

「行こうぜ、一成」

 いつもと違うシチュエーション。新しく知り合った少年。爽やかな木々の香り。穏やかな午後の日差し。ただなんとなく嬉しくて、笑顔で少年の手をとって歩く。一成はそれに顔を赤らめてもごもごといっていたが、大人しくついてきた。

(? なんだ?)

 細かいことを考えるのはやめて、今日の夕食に思いを馳せた。

 

「ほう、これは凄い」

 出された料理を前に、寺のみんなが感動のため息をついている。

「たいしたものではありませんが、ささやかな一泊の礼です」

 にこりと、笑いながらそうシロねえがいう。

 机に並んでいるのは見事なまでの精進料理の数々だ。季節の山菜や大豆などの類がふんだんに使われており、肉っ気はゼロ。それにも関わらず、なんとも食欲をそそるこの香りや見た目といい、料理人の腕の凄さを見せ付けている。どれもこれもプロの料理人顔負けの品々ばかりだった。

「ご謙遜を」

 言いながら、一成の兄だっていう零観さんが苦笑する。

「うわあ……精進料理とかあまり美味しくなさそ~とか思ってたけど、シロさんが作るとこんなにおいしそうになるのね~」

 何故かついてきてた藤ねえも、ちゃっかり座って瞳を輝かせながらそんな言葉を言う。

「いただきます」

 その言葉と共に食事は始まった。

 その味は、見た目や匂いに恥じずに絶品で、精進料理ってこんなに美味しいのかと思わせるには十分な出来だった。

 そして皆が食事を終えたタイミングを計って、シロねえが各自に食後の茶を配っていく。イリヤも、シロねえのあとについていってるようだ。その様子がなんだかほほえましい。

 一成も恐縮しながら茶を受け取り「やや、かたじけない」と、やはり年齢に似合わない堅い口調で返答してずずっと茶を啜った。その様がやけに似合ってて、なんだかおかしかった。

「衛宮は、良い姉君をもたれたな」

 しみじみと一成はそう呟く。

「シロさんのようによく出来た婦人はそうはいまい」

 なんだか、時代劇かかっている言い回しだ。でも本人は真剣なんだよな。それがちょっとおかしくてほほえましい。思わず笑ってしまう。そんな俺の反応に気付いて一成は訝しげに首を傾げながら俺に訊ねる。

「む? 俺はおかしなことを言ったか?」

「いや、そんなことはない」

 はにかみながら俺は、「うん、シロねえは自慢の姉だよ」そう言ってもう一度笑った。

 

 用意された部屋に向かって歩いていると、聞き慣れない男の人の声が俺を呼び止めた。

「や、士郎君」

「零観さん」

 にこにこと陽気な顔をしたその人の名前は零観さん。一成の兄ちゃんだ。

 零観さんは豪快に笑いながら爽やかに、かつ感心したように俺にこう話しかけた。

「いやあ、君のお姉さんは凄いね。あんなよく出来た人はそうはいないよ」

「一成も同じこと言ってましたよ」

 使い慣れない敬語を意識して、苦笑しながらそんなことを言う。

 陽気な零観さんに、堅くて真面目な一成は一見正反対タイプに見えて、その実こういうこと言うところが似ていて、兄弟なんだなあって思う。

「おや? 一成が。はは、あの子は見てのとおりの子でね。人望はあるんだけど、友達は少なくて。よければこれからも一成と仲良くしてやってくれないかな?」

「はい。喜んで」

 実際、ここにきて、一成という友人が出来たことは俺にとって1番の収穫だ。俺には同性の友達というのは少ない。

 それはまあ、いつもイリヤといるからってのも大きいだろうし、イリヤの血の繋がらない弟ってことで、やっかみをむけられることも多いからかもしれないし、それでも俺はイリヤが好きだけど、こうやって同い年の男友達が出来るってのいうは、嬉しいものだなって思う。

「うん、良い笑顔だ」

 零観さんは陽だまりみたいな顔で、くしゃりと、俺の頭を撫でる。

 それがくすぐったくて、ちょっとだけ恥ずかしい。

「今日はどうだった? 初めてのお山はやはり大変だったかい?」

「そうですね。確かに慣れないことばかりでしたけど、楽しかったですよ」

「うん。君は若いんだ。色んな経験を積みなさい。でも、その楽しかったという心を忘れないようにな」

 そう言って零観さんは、もう一度くしゃりと俺の頭を撫でて去っていった。

 

 それから、時間が過ぎるのはあっという間だった。俺が風呂に入るのにイリヤが突撃してきたり。そのイリヤの行動に一成が慌てふためいたり、イリヤが一成をからかったり。夜、やっぱりイリヤが忍び込んできて一緒に寝て、次の日の朝、一成に驚かれたりとか。

 爺さんはただそれをにこにこと眺めていた。シロねえはみんなを見守りながら、それでもさり気なくみんなの手助けをしていた。

 そんな風にしているうちに帰る時間になった。

「じゃあ、士郎君もイリヤちゃんもまたおいでね」

 にこにこと零観さんが笑いながらそう言う。

「まあ、気がむいたら、またいってあげてもいいわ」

 まんざらでもない顔でイリヤが答える。

 一成は、じっと下を見て静かだった。思わず苦笑する。

「士郎?」

 不思議そうにシロねえが俺の顔を見る。

 俺は、すっと、一成にむかって右手を掲げて、「一成、またな」と言った。

 同い年の秀麗な顔立ちの少年は驚きながら顔をあげる。その後、照れ臭そうに「うむ。またな、士郎」そう言って俺の名前を呼んで、ハイタッチをして別れた。

 

 小学校六年に上がる年の春、俺に新しい友達が出来ました。

 

 

 了

 

 

 

 

 

 

 

 おまけ、「父親なんて・・・・・」

 

 

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06.藤村大河

ばんははろ、EKAWARIです。
今回の話は、元々DL販売版を出す時におまけとして、「藤ねえがエミヤさんに懐くまで」8ページ漫画という形で本来収録する予定だった話の小説変換バージョンになります。

まあ、元々は8ページ漫画が元ネタなので、話も短くこれまで以上に番外編臭がしますがご了承下さい。というか、元は漫画媒体で考えた話だったもんだから、予想以上に小説という媒体に転換するの大変だったです。4コマ漫画を小説転換してもなんか微妙なのと同じ同じ。漫画と小説じゃ長所や魅せ方が違うから仕方ないね。

因みに次回の話は、にじファン連載時代に1,2を争う反響(?)だった、水着回です。


 

 

 

 side.藤村大河

 

 

 どうも、初めましてもそうでないかたもこんにちは。冬木の虎でお馴染みの美少女女子高生藤村大河です。

 って、虎っていうなー。

 え? がおーって咆吼する姿は虎以外の何者でもないって? むむむ、そういうこという不届き者はあたしの竹刀でこてんぱんなんだからね!

 そんなあたしですが、ある日お隣の坂の上のお屋敷を購入した笑顔が素敵で危険な臭いのする優男、衛宮切嗣さんに一目惚れ致しました。いやもう、一目見た瞬間ドッキュンラブといっちゃいました。ッショイ!

 あわよくばおつきあい出来たらなーなんて思ってたら、「僕の家族を紹介するよ」だって? なんと切嗣さんは子持ちのこぶつきパパさんなのでした!

 く、憎いぜ。それでも眩しいあなたの笑顔が憎いぜ、ダーリン。

 でも、くじけない。あきらめない。逆境でこそ輝いてなんぼですよね!

 それに子供はいても、切嗣さんに奥さんはいないみたいだし、後妻ポジならまだ望みはないとは言い切れない筈よね。そうだ、くじけるな、あたし。頑張れ、あたし。こぶつきがなんぼのもんじゃい、受けて立つわ、ゴラァッ!

 そんなあたしですが、最近とても気になることがあります。

 

「それじゃあ行ってくるよ、シロ」

「ああ、気をつけてな。いってらっしゃい」

 そう、あそこで切嗣さんに挨拶している、切嗣さんと同じぐらい背が高い女の人。シロさんっていって、切嗣さんの子供さんの1人って話なんだけど……シロさんって、どう考えても、『娘』って年齢じゃないですよね?

 ぶっちゃけあたしより年上だし、ていうか、切嗣さんと聞くところによると11歳しか離れていないって話だし! 11歳差で親子とか普通有り得ないでしょ!? いくら養子でもないない、普通有り得ない。

 しかも、その上……。

「……」

 ニコッって。あまり普段は表情変えないくせに、あたしに気付くとニコッって笑って、手を振ってきたりとか……! 何、あの態度。切嗣さんがあたしに靡かないという余裕の現れ?

 本当、なんなの? なんでそんなにフレンドリーなの? あたしを懐柔する気なの?

 しかも、遊びに行くたびに、美味しいお菓子とお茶用意してくれるし! 御夕飯は美味しいし、ていうか至れり尽くせりだし!! だが、女・藤村大河、敵の情けなど受けーん!

「あー、もう面白くない。面白くない。面白くない」

 いくらご飯が美味しくても、そんなんであたしを懐柔しようだなんて、そうは思い通りにいかないんだから。

(ていうか、本当は娘じゃなくて『愛人』なんじゃないの?)

 だって、本当にシロさんはあたしと違って大人の女の人で、しかも家事全般万能で、スタイルだって良くってさ、悔しいけどあたしよりもよっぽど切嗣さんとは『お似合い』なんじゃないかと思うもの。

 だけど、そんなことを理由に切嗣さん(はつこい)を諦めるなんて、あたしは嫌だった。

 ふと、自分の手を見る。

 そして1週間ほど前の事をあたしは思い出していた。 

 

 

 * * *

 

 

 それは日曜日の午後。切嗣さんの家の道場での事。

「驚いたよ、大河ちゃんは強いんだね」

 そういって、切嗣さんは優しく笑って手を差し伸べた。

 優しい黒い眼差し。その顔が凄く、『好きだな』ってそう思って、あたしは顔を赤らめながらも切嗣さんの手を取りながら立ち上がる。

「そんなことはないです、切嗣さんに比べたら、あたしなんてまだまだ」

 それは謙遜でもなんでもない事実だった。

 実際、学校では剣道にかけては負け無しのあたしだったけど、先ほどの切嗣さんとの勝負の結果は0勝2敗。

 あたしの剣は切嗣さんに擦らせもしなかった。

 でも、胴衣姿で竹刀を構える切嗣さんは様になってて凄く格好良くて、だから負けたのは悔しいけど、自分の好きになった人が自分よりも格上であるということが、とても嬉しかった。

「いやいや、十分強いよ。でもね、君は女の子なんだから、どうしようもなくなった時は自分でなんとかしようとせず、僕でも誰でも呼ぶんだよ」

 そういって切嗣さんは優しくあたしの頭をぽんと撫でて微笑んだ。

 ああ、本当好きだなあって、あたしはそれを見て思ったのです。

 ヒーローを信じるような年じゃないかもしれないけど、それでも本当にあたしがピンチに陥った時、切嗣さんなら来てくれるんじゃないかってそんなことも思った。

 きっとあたしにとっての白馬の王子様は切嗣さんだ。

 だから、切嗣さんのそんな仕草や言動の一つ一つがあたしには大きな宝物。

 奥さんがいるならともかく、そうでないのなら、諦めるなんて選択肢を選べるわけがなかった。

 

 

 * * *

 

 

(切嗣さん……)

 

 暖かい記憶を前に頬が思わず弛みだす。

 切嗣さんのことを考えると、胸の奥底からポワリと暖かいものが浮かんできて、あたしの心を満たす。

 それが凄くたまらなく嬉しくて。

 けど、思えば、そうやって想い出に浸っていたのが悪かったんだろうと思う。

 何故なら……。

「藤村組の娘だな」

 その言葉に気付き構えるのが、一瞬遅れたから。

「誰!?」

 そこにいたのは、見知らぬ黒服の男が2人。明らかにうちの家業(ヤクザ)の同類というのが明らかで、あたしはとっさに背中に背負った竹刀袋から竹刀を取り出すと、正眼に構え、鋭く相手を睨む。

 そんなあたしを前に、小娘の抵抗だと嘲笑ったのか、男達は「大人しく来てもらおう」そんな言葉をかけ、あたしを捕まえようとするけれど、むざむざとやられるのを待つほどあたしはお人好しじゃない!

「ハァッ!」

 気合いと共に一閃、振るった一撃は確実に1人目の黒服の顎を捕らえ、2人目の銅へと綺麗にヒットを記録。

「ぐぁっ!」 

(大丈夫、行ける)

 そう確信しながら、更に竹刀を構えて2撃目を繰り出そうとした時だった。

 後ろから気配もなく近寄る手が視界の端に移った。そう、それは3人目の黒服の男のもので。

(しまった……!)

 前の2人だけで、もう他に仲間が居ないと油断した。でも今からじゃ防御態勢も間に合わない。

 きっと、あたしはこいつに捕まる。

(おじいちゃん、切嗣さん!)

 そう思い、目を瞑った次の瞬間だった。

「がああ!?」

 そんな男の声と共に、目の前で誰かが蹴り飛ばされる音がしたのは。続いて、派手な音と共に、残りの黒服も吹っ飛ぶ音が耳に届いた。

 そろりと目を見開く。

 そこにいたのは……。 

「ち、失敗だ。今日は退け」

 そんな言葉と共に逃げていく男達。

 そして。

「大丈夫か」

 そういって、くるりと振り向いたその人の横顔は、『切嗣さん』に酷似して見えた。

「なんで」

 それは有り得ない話だった。

 3人の大男をたった数秒で蹴散らせたその女性の姿。

 乾いた砂のような白い髪、鋼の瞳、褐色の肌。武道の心得でもあるのか、引き締まっていながらも女性らしい体付きに、凛と伸びた背筋と表情。黒髪黒目のモンゴロイドと、如何にも日本人の身体的特徴を持つ切嗣さんとは決して似ていない筈だった。

「なんでとは、おかしな質問だな。君が危険だと判断したから助けたまでだったが、いけなかったか?」

 性格も違う。性別も違う。外見的特徴だって1つも一致しない。

 これで切嗣さんと父娘を名乗るなんて、ふざけているって。

 シロさんと切嗣さんじゃ何1つ似ていない……そのはずだった。

「いけなくは…ないけど、でもその」

 だけど、その日。

「そうか、良かった」

 そう言ってあたしに笑いかけた彼女の顔は、いつか見た切嗣さんによく似ていた。

 だから……。

「か、懐柔なんて、されてないんだからね」

「なんの話だ」

 2人はあくまでも親子だって話も、信じ始めてた。

 

 

 ―――――そして現在。

 

「うー、シロさんの料理さいこー!」

「藤ねえ、行儀悪い」

 前言撤回、見事あたしはシロさんのご飯なしじゃいられない体になったのでした。キラッ。

 

 

 

 了

 

 

 

 

 

 おまけ

 

 

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07.夏と海とシロねえと

ばんははろ、EKAWARIです。
今回の話は前回の予告通り水着回兼うっかりシリーズ士郎にとっての「反面教師」回です。
イリヤは合いも変わらず小悪魔おねえちゃんですが、イリヤはそこが良いと思っています。

そういえば、うっかりシリーズでは何故TS+うっかりスキル持ちなエミヤさん主役にしたのか疑問に思われる方もいるかもしれませんが、大体この2つは第五次聖杯戦争編06話のあるシーン書きたさにつけたようなものと、単純に俺がTS女体化大好物な人種だからというのも理由にはあるっちゃあるんですが、それ以上に、うっかりシリーズの前段階構想の時点で当初、「うっかりも女体化もついていない」原作基準のエミヤさんが切嗣くんに召喚される話で脳内シミュレートしてみた結果、どう足掻いても衛宮陣営全員お陀仏バッドエンド、どうしてこうなったこれは酷い悲惨すぎるな18禁バッドにしかならなかったってのがでかい気がします。第五次編にすらたどり着けなかったよ……。
まあ、なんだ。うん、全部衛宮親子が超めんどくさい人種なのが悪いってことで。


 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

 じりじりと、照りつける太陽、真っ青な空、碧い碧い海、そして、大量の人、人、人。

「イリヤたち遅いな」

 パラソルを張って、場所を確保し、ぼんやりと言葉を洩らしたら、隣から返事がかえってきた。

「まあ、女性の支度っていうのは、いつだって時間がかかるものだからね」

 苦笑しながらそう答えたのは、黒髪黒目で口ひげを生やした中年男性……義父の切嗣だ。

 今日はいつも来ている着流しじゃなく、白いパーカーに、日差し避け用のサングラス、青い海水ズボンという普段見ることのない出で立ちで、ゆったりと、持参したやや大きめのクーラーボックスに腰をかけている。

 

「ほら、シロ、早く!」

 やがて、可愛らしい義姉(イリヤ)のせかすようなそんな声が耳に届く。 

 どうやら待ち人は来たみたいだ。

「ちょっと、まちたまえ。やはり、こういうのはだな」

「言い訳はききませーん。士郎、おまたせっ」

 そういって、花のような笑顔と共に現れたのは、可愛らしいピンクのワンピースタイプの水着に身を包んだイリヤだった。それがどれぐらい可愛いかっていったら俺の言葉じゃ上手い表現が見つからない。ただ、1つ言える事は、イリヤの可愛さはそこらのモデルだって裸足で逃げ出しそうな程の破壊力があるってことぐらいだ。

 中学2年になって、体つきも女性らしくなってきたのが水着の上からもよくわかる。

 ただでさえ、イリヤはとてつもない美人なんだ。それが、こんな風に水着みたいな素肌面積の多い服に身を包んで、満面の笑みを向けてくるとなると、長く一緒にいて慣れているとはいえ、どぎまぎしてしまう。

「ね、ね、似合う? 似合う?」

「あ、うん」

 思わず顔を赤らめて、頬をぽりっとかく。

 日焼け知らずの真っ白な肌に、結い上げた白銀の長い髪。ぱっちりとした淡い紅色の瞳はとても印象的で、ワンピースタイプ水着の裾のひらひらとしたフリル部分が女の子を強調してて、それがどうしようもなくイリヤを魅力的に飾り立てている。

 うっすらと膨らんできた胸元や、健康的なまろい太ももが、見てはいけないものを見たような気がして、正直居た堪れない。

「凄く、似合ってる」

「えへへ、ありがとう」

 自分の気持ちを素直に告げるのは中々恥ずかしかったけど、でもこんなイリヤの笑顔が見れるなら悪くないのかもしれない。

 俺からの返答をきいて満足そうに笑ったイリヤは、次いで、ぱちり、瞬きを一つして、今度はちょっと頬を膨らませて後ろに振り返る。

「もう、シロも、いつまでもパーカーなんか着てないで、そんなの脱ぎなさい」

「……断る」

 そういえば、シロねえもいたんだった。そう思って、イリヤの後ろに目を向けて、つい固まった。

 いつもは1つに結っている長い白髪をおろしているシロねえがいた。

 切嗣(じいさん)とほぼ背丈の変わらぬその長身を薄い布で、包んでいる。

 健康的な褐色の肌に、水色のパーカーがよく映えていて、その合わせの狭間から、黒のチェックが入った赤い水着と豊かな胸の谷間が僅かに覗いているのが、なんだか凄くいけないものを見た気にさせられる。正直に述べるなら褐色の肌に白い髪というコントラストもあって、凄くエロティックだ。

 下に履いているのは、青い超ミニ丈のジーンズ……ホットパンツというんだっけ? に似て見えるけど、多分これも水着なんだろう。

 上と下の水着って大体ワンセットで同デザインなほうが普通だと思うけど、上と下で違うデザインのものを組み合わせるのは珍しいんじゃないかなと思う。

 だけど、そんなことより、別の驚きが勝って、思わずぽかんとばかみたいに口を開いて呆けてしまった。

「全く、シロは恥ずかしがりなんだから」

「別に、そういうわけではない」

 そんな女2人の会話も右から左へと抜けていく。

「士郎、で、シロへの感想は?」

 にっこりと、間近で紅色の瞳に問いかけられて、漸く我に返った。

 目の前には、ふてくされたように片眉を寄せるシロねえの顔。

 普段、シロねえが女らしい格好を身につけることは殆どない。俺やイリヤがプールにいくのに保護者としてついて来るときも、なんだかんだいってシロねえ自身は水着になるのを避けていた。

 女性らしい言葉遣いや格好なんてしなくても、シロねえは十分女らしい人だと思うけど、それでも、こんな風な格好をされると、ああ、本当にシロねえは大人の女の人なんだなと、妙に実感させられて、なんだか見ているこっちが気恥ずかしくなってくる。

 それは、普段から女の子しているイリヤよりも、意外な一面を見たような気にさせられたってのもあるのかもしれない。もしかしたらこれが所謂ギャップ萌えって奴なのかも。

 ちょっとだけ後ろめたい。

「あ、うん……」

 でも、そんな照れとかを裏切るように口は素直な感想を弾き出していた。

「綺麗だ」

 ……あ、シロねえがなんか変な顔している。

 俺、おかしなこと言ったっけ?

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 イリヤの「折角家族みんなで海に行くんだから、今度こそちゃんとシロも水着を着てきなさい。一人だけ私服なんて今日という今日は許さないんだから」という言葉に押され、水着を身に着けた矢先から私は後悔に襲われていた。

(……なんでオレは、こんな格好をしているんだろうなあ……)

 今の私の肉体はまごうことなく『女』なわけで、なので、今の姿で水着を身に着けるとなれば、それは当然女物水着を身に着けると同義になるわけだが……今更ながら、完全に女そのものの自分の格好を見下ろして、ため息を一つ零さずにはいられなかった。

 とりあえず、気休めかもしれないが、上からパーカーだけは羽織ることにした。

 イリヤは文句を言ったが、こればかりは譲れない。

「全く、シロは恥ずかしがりなんだから」

 イリヤはちょっと怒ったような口調でそんなことを言う。

「別に、そういうわけではない」

 私だって、元は男である。

 生前なら上半身裸やら、水着姿の一つや二つ披露することやら、別に恥ずかしくもなんともなかった。

 それに、女の身体にしても、生前は恋人だっていたわけだし、女性とそういう関係になった経験だっていくらでもある。ああそうとも、女の裸なんて何度も見てきたさ。だがな……これ、今の私の身体だぞ?

 そう、問題はこれが、「今の私」の体だっていうことなんだ。

 いや、自分が今女性体であることぐらい、ここ数年で十分認識させられてきたさ。

 でもな、元男としては、忘れていたいんだよ。その現実。

 出来るだけ無視していたいんだよ。

 こんな薄布1枚な格好では、ちょっと視線を下におとしただけで、普段以上に自分が「女」になってしまっている事をまざまざと自覚させられて、それが嫌なんだよ。

 大体なんで私の胸はこんなにでかいんだ? ライダーといい勝負ではないか。

 せめてセイバーや凛並の大きさならば、適当にスルー出来たというものの、こんなにでかいのでは、忘れるほうが難しいだろう。水着などきていたら尚更、少し下に視線をおとすだけで、どうやっても視界に入ってしまう。女そのものの撓わな胸の膨らみ。これを見て男だと思う奴がどこにいる。まずいない。

 やはり、イリヤになんといわれようと私服で通すべきだったか。

 体型が体型だから完全に女であることを忘れるのは難しいが、それでも「女」を強烈に印象付けるような格好をするよりはまだマシだ。

 ……まあ、私が水着だのなんだのと、女を意識せずにはいられない格好を避けている理由は、我が身におきた不幸を忘れていたいということのほかに、もう一つあったりするわけだが。

 私は、切嗣に召喚されて女の身体になった時以来、肉体の性別が変わっても、心は男のままのつもりでここまで来たわけなのだが……しかし、内心あまり認めたくないながらも、本当に時々だが、自分の精神が肉体の性別に引っ張られているような感じに襲われることがたまにある。

 例えを上げるなら、士郎につられて赤面する時とかがそうだな。

 まあ、ありえぬ話ではない。

 同じ人物でも、異性の性フォルモンを注入すればそれだけで性格とかにも多少の変化があると聞いているし、オレの場合、性別がまるごと変わったんだ。別に肉体性別に引っ張られて多少の影響が出たところで不思議はあるまい。むしろ自然におこる変化だろう。

 ……だが、嫌だ。

 それはオレが嫌だ。

 自分が本来男であることを忘れたら、何かが終わりな気がする。

 そもそも、別に女になりたい願望があったわけでもないのに、突如女に変わって、それをそのまま受け入れるなんて真似をしてたまるか。私は変態じゃないんだ。異性へのトランス願望なんてない。有り得ない。

 だから、自分の心が女に近づくような行為も、ほんっとうにしたくない。やりたくない。

 やはり、今の私にとって、この女物の水着姿なんて鬼門も同然である。

 いや、本当なんでオレこんな格好しているんだろう。や、今の肉体性別が女だからなんだけど。

 ふと、前を見ると士郎が私の姿を見て固まっている。

「士郎、で、シロへの感想は?」

 ……なんでそんな余計なことを聞くんだ、イリヤスフィール。

 あれか、私が困る姿を見て楽しんでいるのか。そうなのか。

「あ、うん……綺麗だ」

 ……そして、なんで私は厳密には違うとは言え、過去の自分(えみやしろう)に綺麗だなんて言われなければいけないのだろうな?

 しかも、照れるな。眉を下げて笑うな。

 くっ……士郎の記憶の中から今日の私について消してしまいたい。

 そんな風に羞恥と恥辱に駆られる私を前に、すすっと猫のような仕草でイリヤが近づいてくる。

 ついでしゃがめというジェスチャー。

 素直に従って、膝を折る私の耳元で一言「シロ、いい加減自分が今女の子であることを受け入れなさい」と、真剣な声音で言い放った。イリヤのその顔……いつか見たアイリスフィールの顔にそっくりだった。流石親子。

 ふふ……はははは………………受け入れられるならとっくに受け入れているさ。

 出来ない、むしろしたくないからしないんだ。私が士郎と同一人物、つまり私が元は男だと知ってて、なんでそんな酷な提案が出来るんだ、イリヤスフィール。

 この世に神も仏もないのか。いや……ないんだろうけど。

 ……体は剣で出来ている。

 ふ……そうとも。私に味方なんているはずがなかったな。ああ、独りは慣れている。

 あれ? 空は蒼く晴れ上がっているというのに、目から雨が流れそうだよ。

 なんぞこれ……。

 

 ともあれ、折角の海。楽しそうにはしゃぎまわるイリヤと士郎を見ているのは悪くなかった。

 そうだな……にぎやかなのを見るのは嫌いじゃない。

 二人が喜ぶ姿を見ていたら、来て良かったなと自然と思え、頬が綻ぶ。ふと、横を見ると切嗣(じいさん)も、私を見て微笑んでいる。

 なんだ? と不思議に思って首をかしげると、切嗣は穏やかな目をして言った。

「シロも、楽しんできなさい」

 それが本当に父親然とした言葉で、一瞬固まる。

「いや、私は……」

 別にいらない……だが、それを本当に口にしていいのか?

 そう、思ったその時、「シロねえ!」と元気な少年特有のボーイソプラノが後ろから響いて、言葉を遮られたのに内心ほっとしながら、声の主のほうへと顔を向けた。

「どうした、士郎」

「暑いからさ、アイス買ってきた」

 見ると、イリヤも二本、士郎も二本アイスを手にしている。イリヤが一本を切嗣に手渡し、嬉しそうな顔をして爺さんが受け取っている。

 ……普段、イリヤには冷たくあしらわれることも多いから、嬉しさはより一入(ひとしお)といったところだろう。

「はい」

 そう言うと、士郎は満面の笑みでアイスを私のほうへ差し出しているが……この握り方だと受け取れないんだが、そのあたり気付いていないのか?

「シロ、そのままパクッといっちゃいなさい」

 とは、イリヤの談。いや、それはどうなんだ? と思ったのは一瞬。

 ……まあ、いいか。他人ではないのだ、別に構わんだろう。

 身をかがめて、そのまま、アイスを口に含んだ。練乳ミルク味か。夏の風物詩だな。

 

 

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 パシャ。シャッター音が響く。……うん? シャッター音だと?

 見れば、今回大河に貰ったという使い捨てカメラを構えたイリヤが、えへへと可愛らしく笑っていて……まて。

「……イリヤ?」

「何?」

「何故、撮ったのか尋ねてもかまわんかね?」

 なんとなく、よくない予感がした。

「そんなの、シロが可愛かったからに決まっているじゃない」

 いや、そんなのいつ決まった。

 それより、その腰に手をあてて、えへんと偉そうにするポーズ……あの虎の影響か!?

「それに、こんなシロの姿、すっごく貴重だもの。うちの学校の生徒に売ったりなんかしたら、高く売れるんじゃないかしら……?」

 ふふふと、目を細めて意地悪げに笑うイリヤスフィール。

 ……いやいや、イリヤ流の冗談……だよな? 半分本気が混ざっていそうでなんだか怖い。

 ひくりと、思わず喉を鳴らすと、イリヤは「なんてね。そんな勿体無いことなんて出来ないわ。シロの可愛い姿はわたし専用のアルバムに大切にしまっておくから安心して」と反転、ころっと無邪気な笑顔を浮かべて言い切った。

 安心……か?

「世の男達がシロの悶絶水着姿を見て鼻の下のばす姿なんて、おもしろくないもの。シロはわたしのものなんだし」

 と、なんだか黒い口調でくすりと言っているイリヤの姿は……あー……幻覚ということにしておこう。

 思い出は美しいものだけがいい……。

「シロねえ」

 今まで口を挟まずにいた士郎が、自分のアイスを食べながら「アイス、溶けてる」と、先ほどまで私に突き出していたアイスに視線を移しながら言う。

 食い物を粗末にするわけにはいかない。「すまない」と一言謝ると、残りのアイスを一気に食べる。

 すすっと、そんな私に、再びイリヤが近づいてきて、士郎には聞こえない声で「シロ、なんだかその姿、ちょっとエッチよ?」と言い出してきて、思わず咽る。

「士郎も、よりによってその味を差し出すなんてマニアックよね~……」

「……? イリヤ、なんのことだ?」

 身に覚えがないのか、きょとんと首をかしげる士郎は、イリヤとは対照的に純粋無垢を絵に描いたかのようだった。

「って、流石に士郎にはちょっと早かったかな。ううん、こっちの話」

 なんていいながら、再びイリヤは小悪魔じみた表情を打ち消して、無邪気な笑顔を顔に浮かべる……が、何を言わんとしていたかわかってしまった私から見たら……逆にそこが恐ろしい。

 イリヤ……どこでそんな知識を仕入れてきたんだ……。

 おかしいな……真っ当に育ててた……筈なんだがな。

 逆に、意味がわかっていない士郎からしたら、その笑顔はまさしく天使の微笑み(エンジェル・スマイル)以外の何者でもなく。ほにゃりと、つられたように邪気のない笑顔を浮かべて、イリヤの手をとりまた駆けだした。

 

 さて、私はどうしようか、と一騒動が終わって、適当に浜辺を歩いているとき、その光景に遭遇した。

「あの……その、私、連れがいるし……その」

 可愛らしい容姿の……多分中学生くらいの女の子が、中・高生くらいの年頃の男4人ほどにかこまれておろおろと視線を彷徨わせている。

「じゃあさ、そのお友達も一緒でいいからさ」

「俺たちと遊ぼうぜ」

 ナンパだ。

 どう見てもナンパだ。

 まあ、夏だし海だからその手の輩が沸くのは当然と言えば当然の季節柄とシチュエーションではあるのだが、あんな子供相手にナンパするとはさてはロリコンか。……あ、声かけているほうも子供だったか。

 髪を金に染めた男が、にやにや笑って、茶色い髪の女の子の腕を馴れ馴れしく触っている。

「あの、やめてください」

 今にも泣き出しそうな声だ。止めたほうがいいだろうか?

 そう思ったその時、あたりの喧騒をつんざくような女の声が鋭く響いた。

「由紀っち、おまたせ~……ってこら!! オマエら、由紀っちに何をしてんだ!!」

 と、黒い髪に浅黒い肌の少女が、言葉と同時に「由紀っち」と呼んだ茶色い髪の少女の腕に馴れ馴れしく触っていた男のみぞおちを狙って、とび蹴りを放つ。

「ぐあっ」

 蹴りはお手本のように綺麗に決まり、金髪の男はまともに受けて悶絶し酷い顔を晒す。

「蒔ちゃん、鐘ちゃん」

 由紀っちとよばれた少女は、目に僅かに涙をためて、とび蹴りを放った少女と、彼女の後ろにいた、クールそうな外見の少女へとたたっと近寄った。その仕草は酷く愛くるしい。

 男達は悶絶する男相手に「おい、しょうちゃん!?」などと声をかけて、慌てていた。

「中学生相手にナンパとは、余程女に飢えている連中といったところか」

「鐘、こんなときに呑気なこといってんなっ!!」

 由紀っちにこんな顔させるなんて許せん! なんていいながら、がーがーと浅黒い肌の少女が喚く。

「てめえ……」

 男達が、仲間を倒された怒りか、三人の娘にむかって、先ほどまでのにやけ面を消して、低く唸った。

「あ」

 やべえと言わんばかりの顔をして、現状を把握した黒髪の少女。

「ガキが、いい気になってるんじゃねえっ!」

 そういって、男達が拳を振り上げたときには、私は既に行動に移っていた。

 

 音すら立てずに、その学生らしき年代の少年達の拳を全て受け流す。

 黒髪の少女は、殴られると思ったのだろう、目をつぶっていたが、自分になにも起きていないのを知ってそっと目を開けた。

「全く、いたいけなお嬢さん方に手をあげるとは、どういう躾を受けて育ってきたのか、是非とも聞いてみたいものだ」

「なっ」

 突如、目の前に知らない人間が現れた故か、少年達三人はぱちくりと目を見開く。

「さて、『女』の相手がしたいというのならば、私が相手をしよう」

「ババアが……舐めんなっ!」

 そういって、真っ先に突進してきた雀斑の少年を投げ飛ばし、残りの二人も同時に地に沈める。残ったのは先ほど黒髪の少女のとび蹴りを受けて悶絶していた少年だけだ。

 ざっと、少年の前まで歩み寄る。

「ひっ」

 一瞬で友人を全て沈黙させた私を前に、少年が怯えた声をあげる。

 私はにっこりと、わざとらしく笑顔をつくりながら「お友達をちゃんと回収したまえよ」とだけ伝えた。少年はその言葉を聞くなり慌てて飛び上がり、どこぞへと走り去っていった。

 見れば、気付けばまわりに人だかりが出来、それらは一斉にぽかーんと私を見てて……自分がやり過ぎてしまったことに気付いた。

 くそ、目立つつもりなどなかったのに、注目を集めてどうするというのだ、私は。

 内心冷や汗をだらだらかきながら、ごほんと一つ咳払い。ふと、横からきらきらとした視線がやたらと突き刺さって、思わず顔をそちらに向ける。

「すげー……ねえちゃんかっこいい……」

 黒髪の、蒔ちゃんとよばれた少女だった。

「あの、先ほどは蒔ちゃんの危ないところを助けていただき、ありがとうございました」

 と、茶色い髪の娘がぺこりと頭を下げる。

 礼儀正しくて可愛い、良い子だな……。

「何、礼には及ばん。勝手に私がしゃしゃりでただけだ」

「ほう、謙遜されるか」

 クールそうな眼鏡の美少女が感心したようにもからかうようにも聞こえる声で呟く。

 次いで、あの黒髪浅黒い肌の少女が瞳を輝かせながら私を見上げ、言った。

「なあ、あんた、名前は?」

 その言葉に思わず苦笑する。

 きらきらした視線は正直居心地が悪い。私はそんな視線をむけられるような上等な人間じゃないんだが。

 タイプの違う3人の中学生らしき少女たち、全てが私を見ている。

 なんとも弱ったものだ。

 なんだか彼女達を見ていると、何かを思い出しそうになるのだが……肝心のそれが何であるかまではわからず、おかしなもやもやだけが胸に広がっていく。それが少し気持ち悪い。

 ふい、と視線を避けるように思わず目線を逸らす。

「何、名乗るほどの者じゃないさ」

 そう言って、背中を向ける。

 これ以上の彼女達との接触は、避けたかった。

「きゃああ」

 折り良くというべきなのか、更になにか言い募ろうとする3人の娘の声を遮るように、近場から悲鳴があがった。これ幸いとその悲鳴の発生源に向かう。

「坊やが、坊やが」

 悲鳴の主は母親らしき女性。視線の先には溺れている子供。

 どうやら浮き輪をもって遠くまで泳いでいたところ、浮き輪が流されたらしい。その判断を下すと同時に海へと飛び込んだ。

 そうだ、名前など名乗るほどのことではない。

 ただ私は、私の在るよう在る。それだけだ。

 思い出せないことは考えたくなかった。そう、自分を誤魔化すように、ただいつかも望んだだろう作業を繰り返す。それを逃避と、人は呼ぶのだろう。

 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

 その噂が流れ出したのは昼も過ぎてからの頃からだった。

 白髪褐色の肌の女ヒーローが行く先々で人々を助けている、と。

 溺れている人がいれば飛び込み、ナンパに困っている女性がいたら手助けに入り、暴漢がいれば全て返り討ちにする。女だてらに半端なく強いとか、なんとか。

(絶対、シロねえのことだ)

 その噂が耳に届くなり、イリヤなんかは完全に呆れた顔を晒している。

「シロのことは仕方ないわ。わたしたちだけでも遊びましょ」

 少しだけ苛立たしそうな顔と声で、そんなことを言ってきたけど……。

「ごめん、イリヤ。俺、シロねえ探してくる」

「あ、待ちなさい士郎」

 そういって、人だかりが出来ているところ中心に探して、その姿を見つけた。

 泳ぐのに邪魔になったからだろう、水色のパーカーを脱いで、肉質的な体つきを水着で包んだシロねえが、「ふむ、これで大事無い。暫くすれば目を覚ますだろう」なんていいながら、見知らぬ誰かの看病をしていた。その母親らしき若い女性は、「ありがとうございます」とぺこりと頭を下げて、礼を言っている。

 思わず呆れた声に俺もなる。

「シロねえ、何やってるんだよ……」

「む? 見たところ子供が熱中症にかかっていたようでな、そのアドバイスをしていただけだ」

「いや、そういうことじゃなくて」

 そりゃ人助けは良い事だと俺も思うさ。だけど、そういう問題じゃないだろう?

 そもそも、今日はみんなで遊びにきたのに、シロねえは何をやっているんだよと聞きたかったわけで。

「士郎、シロにそういうことについて何を言っても無駄よ」

 イリヤはなんだかちょっと怖い笑顔を浮かべてそう言いきる。声が冷え切っているのは多分気のせいじゃない。

 怒っている。これは怒っている。

 でも、シロねえはそれに気付いているのか気付いていないのか……どっちもありえそうだよな……で、何事もなかったかのように、「では、これで失礼する」と先ほどの子供の母親にぺこりと、頭を下げると、海へとダイブした。見れば、その先に溺れている女性がいた。

 あっという間にシロねえがその人に追いつき、肩を貸しながら浜辺へと戻ってくる。

「士郎、いきましょ」

 イリヤの声は冷たくて、怒りの程がうかがい知れる程だった。

 でも、珍しくも今回は俺も同感だ。

「うん……」

 多分、なにを言ったところで、シロねえには無駄なんだろう。

 とりあえず、せめて自分達だけでも海水浴にきた子供らしく遊ぼう。そうやって青春を謳歌しよう。

 それがきっとこの旅行を企画した切嗣への一番の恩返しになるのだろうから。

 

 そうやって俺は身を引いたわけだけど……。

 結局、シロねえの人助け伝説は、爺さんが「帰るよ」と呼びかけるその時まで続いた事を追記しておく。

 

「士郎……」

 車の中、隣り合わせの席で、小さくイリヤの声が響く。

 シロねえはどことなく満足そうに助手席で寝入っているように見えた。

「シロみたいな大人になっちゃ駄目よ?」

「うん。肝に銘じておく」

 

 これは、俺が中学1年にあがった年の、とある夏休みの1日の出来事だった。

 

 

 了

 

 

 

 

 

 

 

 おまけ、「天然タラシ」

 

 

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08.君の誕生に感謝を

ばんははろ、EKAWARIです。
描き下ろしでホワイトワンピースエミヤさんの絵描いていたらすっかり更新遅れました。
今回で累計30話目ですね。因みにうっかりシリーズは、あと56話で完結予定ですが、例によって1話につき2万文字近く行ったときは前後編に分けるので、実質残り60話はあると思ってて丁度良い気がします。

あと、今回のおまけについてですが……基本的に俺は原作での士郎とイリヤは姉弟としてイチャイチャしてて下さい派でカップリングとしての士イリはそんなに好きでないのですが、うっかりシリーズの士郎とイリヤの場合は、最終的にこの2人がくっつくのが1番自然な気がしています。ただし、一線越えるのは成人してからで、それまでは姉弟としてひたすらイチャイチャしていればいいと思う。


 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 唐突な話だが、現在私は苦悩していた。

 その原因でもある自分の体を見下ろして思わずため息を1つ。

 これが始まったのはいつからだったか。確か最初は4年前だった筈であるが……。

 最初は本当にただ喜ばしい日だったのにどうしてこうなったんだと、あの日のうかつな発言をした私を殴ってやりたい。

 まあともかく、今年も……私にとっては記憶から消し去りたい1日がやってきた。

「ねえ、シロ、早く。あんまり遅いとわたし、入っちゃうかも……」

 そう廊下からかけられる愛らしい声は、今ばかりは聞きたくない類のものであったが、ここで無視を決め込んだりした日には本当に突撃されかねない。

「今行く」

 故にそう声をかけ、観念して襖を開ける。

 そこには、今日の主役であるはずの白いお姫様が華やかに着飾って、にっこりと、出てきた私の姿を見ながら優美に微笑む姿があった。

「うん。似合ってる。似合ってる。一度着せてみたかったのよね。シロに白ワンピース」

 恥ずかしいんだか、屈辱なんだか。

 それともこんな風に心底嬉しそうに笑うイリヤの姿に照れているのだか判別はイマイチつかないが、思わず赤面する。きっと今の私は耳まで真っ赤に違いない。

「ふふ、じゃあ今からお化粧もしましょうか。それとそうね……服に合わせてわたしのネックレスも1つコーディネイトに加えるっていうのも良いわね」

 正直普段であれば、このイリヤスフィールの提案の数々は勘弁してくれと断固として断る場面ではあるのだが……けれど、これも約束だ。仕方がない。

 それに、こうしてイリヤが喜ぶ姿を見るのは悪くないんだ。

 今日という今日を記憶から抹殺封印したいぐらいには、今の自分の格好は恥辱ではあるのだが。

 それでも、今日は私の姉であり、妹である彼女、イリヤスフィールの誕生日なのだから彼女の望みを叶えることのほうが先決だった。

 

 因みに何故こんなことになったのかといえば、確か、4年前の誕生日に何がほしいのかと、いつものようにあの日尋ねたのがはじまりだった。

 それまで、小学生のイリヤが毎年ねだっていたのは、どれもこれも可愛らしくて彼女に似合いの新しい洋服やぬいぐるみの類だった。

 故に、油断していたのだろう。

 其の日、イリヤスフィールがわたしに開示した答えは例年と違っていた。

「なんでもいいの?」

「ああ、構わない」

「本当にいいのね?」

「私に出来る範囲ならな」

「じゃあ、誓って」

 と、にっこりした笑顔付きで我が家の姫君が言葉を進めた時、何故その内容を確認しなかったのか……あの時確認していたら、今日という日を来ることを憂鬱に感じたることもなかったものを。

 イリヤの願い事は確かに私に出来る範囲で叶えられるものではあった。

 ただ……それは回れ右で逃げ出したいと私が思うような願いだったというだけで。

「シロ、貴女の一日着せ替え権をバースディプレゼントとしていただくわ。あ、毎年よろしくね?」

 というイリヤの、中学にあがったばかりとは思えないどことなく妖艶な微笑みつきの台詞を聞くまでは、この日は私にとっても楽しみな日だったんだがな……どうしてこうなった。

 まあ、そんなこんなで、これまで頑なに拒んでいた「女」を強く意識させられる衣装ばかり毎年この日には着せられる羽目になったというわけだ。

 今年は胸元にレースが入っていながらもシンプルなデザインの白ワンピースに、薄紫のシースルー上着で、髪はお団子に結い上げられた。

 

「もう、そんな顔ばっかりしないで、ちょっとは機嫌よくしなさい。わたしの誕生日なんだからね」

 と、ぷんぷんと怒ってみせる白のお姫様。

 今年高校生に上がって、背も伸び、体つきもかわり、大分大人っぽくなったと思っていたが、そういう仕草をする時のイリヤは、昔から変わらず愛らしい。

「本当は毎日でも着せ替えたいところ、誕生日だけで我慢しているんだから」

 ただし、きらりと紅い目に小悪魔的な微笑みをのせているその姿を見なければ……だがな。

 ……彼女の忍耐が続くことを祈っている。

「ほら、鏡で自分が今どんな姿になっているのか、見て見なさい」

 なんて、歌うように言いながら、手鏡を渡してくる。

 ……受け取らなきゃいけないのか。いや、いけないんだろうな……。

 しょうがなく、こっそりと心中でのみため息をつきながら、姿見を覗いた。

 髪は自分でやったわけではない。

 だからあまり実感が今までなかったが……その髪型は、前髪と横髪が短いことさえ除けばセイバー(・・・・)と同じ髪型だった。

 

 

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 はっと、そこで自分の変化に気付く。

 セイバーと同じ、それで最初に脳裏を過ぎったのは、地獄に落ちても忘れないとすら思った気高き騎士王ではなく、赤き大剣とドレスを纏った少女のほうだったのだから。

 それは、衝撃的ですらあったというべきか。

 オレにとって、アルトリア(セイバー)との出会いの夜の光景が、ずっと、胸の奥の宝物だった。

 なのに、髪型がセイバーと同じだ、と思って過ぎったのが顔立ちだけは彼女(アルトリア)とよく似ていながら、それでも清廉潔癖を絵に描いたような彼女とはどこまでも正反対の少女だったのだから。

『余を忘れるでないぞ。よいか。絶対だぞ? 忘れなどしたら、余はそなたを許さぬからな!』

 そう言った時の、あの声が今も耳に残っている。

 自信家で、傲慢で、好戦的で、高飛車で、暴君のような英霊(サーヴァント)だと思った。

 真名を知った今、確かに暴君というのは当たりだったなと思っている。

 暴君ネロ。

 ローマ帝国第五代目皇帝。

 キリスト教迫害で知られた人物で、最期は己が民に追い詰められた末の自害。だが、一方で、ネロが治めた5年間はローマで最も平和な5年だったともいわれており、悪名と政治手腕どちらにも名を残している人物。

 それが女であったという驚きは、アルトリア(セイバー)を知る私からすればそこまで驚愕するべき点ではなかったし、そんなこともあるかという程度ではあったが、それでも伝承その他から考えてもセイバーの適正があるとはとても思えなかったのもあり、彼女とネロが結びついたのは、彼女自身が最後のほうで自ら明かした言葉でだった。

 それまではその正体に気付きもしなかった。言われてみればそうかもしれないという程度だ。

 暴君ネロといえば、功績もある人物だが、どちらかといえば、反英雄的な側面が強く残って伝えられている人物といえよう。しかし……私と違い、それでも彼女はやはり英雄だった。

『アレは、無辜の民を飲み込むものだ。ならば、あれを始末するのは、王の中の王である皇帝の余の役目よ、たとえそなたでも邪魔は許さぬ』

 如何に暴君と呼ばれようと、彼女が放ったその言葉に嘘偽りなどなかった。いや、はじめから彼女の言葉に嘘偽りなどなかったのだ。

 そう、アルトリアとは全く違うけれど、あれもまた人の上に立ちし王だった。

 彼女は何度も私を好きだと言い放った。欲しいのだと。それを真剣に受け止めたことはない。

 なにせ、我が身もサーヴァントであれば、向こうもサーヴァントの身の上なのだ。戯言としか思えなかった。

 けれど、あの赤き少女は『余はそなたが好きだ』そんな言葉を残して、笑って消滅していった。

 まるで私をも守るかのように。

 嗚呼、今なら断言出来よう。あれもまた一つの英雄だったのだ。

 私からしてみれば、眩しすぎるほどの光。

 信じていなかったのに、敵だったのに、そんな私を前にして、自身の消滅より民を優先し、笑いながら散っていった。

 果たして私は、オレは、彼女と引き換えに助けられるほどの価値があったのか? その答えはいまだ、ない。

 ただそれでも、なんの因果か、受肉してこの世に留まる限りは、恥じぬように在りたいとは思う。

(忘れるでない……か)

 無茶な言葉を言ったものだ。

 聖杯戦争に呼び出される英霊は、英霊の座にある本体のコピーだ。聖杯戦争が終われば、消滅し、記録のみを持ち帰る。忘れるでないといった彼女自身、私のことは忘れる……いや、記憶として残ることがない。ただ、「そういうことがあった」と本体の記録にそう記されるだけで。

 どんな思いでその行動を起こし、どんな思いでそれらの言葉を放ったのか、それが残されることはない。

 本体にとっては、分霊の記録など所詮は他人事だ。

 それでも。

(忘れやしないさ)

 この、受肉した身が滅ぶまでは、大きすぎる貸しを作ってそのまま消えたあの少女との約束を守る。それが、この身が出来る最大の返礼のように思えた。

 

「シロ?」

 かけられた声を前に、はっと、目を見開く。

 知らず握りこんでいた指は、強く握りすぎていて白くなっていた。

 気付かれただろうか。

 いや……気付かれたからこその反応か。

 静かに私を見据える紅色の瞳には、どことなく労わりの色があった。

「イリヤ……そのだな」

 誤魔化す言葉が咄嗟に浮かばない。こんな時こそ皮肉屋の本領を発揮して舌を回して誤魔化してしまえばいいのに。

 つい、とイリヤは私の手をとって、くるりと後ろを向く。

「ね、シロ」

 そして一拍置いて振り返ったその顔は、いつも通りの無邪気な笑顔だった。

「行こう」

 ……嗚呼、本当に君には敵わない。

 

 そうして共に手を繋ぎながら居間へと移動する。

 そこには、士郎、切嗣、大河の三人がそわそわした出で立ちで揃っていた。

「うわあ、イリヤちゃんの誕生日にはシロさんも着飾るって話、本当だったんだ。いつも黒い格好ばかり見てたから、白い服着ているシロさんってなんだか新鮮~」

 とは、大河談。

「やっぱり、女の子は、たまにはおめかししないと。うん、シロ似合っているよ」

 にこにことそんな風に呑気に笑いながらいうのは、まあ、いつも通り切嗣(じいさん)だ。

 ……あんた、オレが生前は男だったってこと知っているんじゃなかったか? なのにてらいもなく「女の子」とかいうな。大体なんで士郎のことは普通に息子扱いするくせに、私は娘の扱いなんだ……。

「…………」

 そして、士郎はといえば……なにやら、赤面してつっ立っていた。

 む……なんだ? その憧れの人を目前にした童貞みたいな反応は。

「……おい?」

「士郎? 女の子がおめかししたときはちゃんと褒めないと駄目だよ」

 切嗣にせっつかされた士郎は、はっと一度目をぱちくりすると、もごもごと声にならない声を出し、「あ、うん、吃驚した」と言って、鼻の頭をかいた。

「シロねえのスカート姿とか見慣れなくて……でも、悪い意味じゃないぞ。うん。そうだ、綺麗だ。綺麗で吃驚したんだ」

 ……その返事を聞かなければ良かったと心底思う。

 だが、ここは孤立無援、共感してくれる人間などどこにもいないのもまた事実。

 ……忘れよう。それが一番だ。

 こうして今日も私のスルースキルは上がっていく。

「イリヤ、今日の昼飯は何が食べたいのか希望はあるか?」

 とりあえず、話題をかえることで乗り切ろうと思った私の考えは、思わぬ言葉によって遮られた。

「ああ、シロは今日のご飯は作らなくていいのよ」

 なんでもないように答えるイリヤ。

「む……? もしや、外食が希望だったのか?」

 そうだな、確かに誕生日ぐらいは奮発した食事がしたいのかもしれない。

 私の食事で満足していないなどということはないことぐらい自負しているが、たまには違う味付けを食べたいこともあるだろう。と、納得している私を前に、「違う」と否定を返したのは士郎だった。

「今日は俺が作るから、シロねえはしなくていいんだ。今年の誕生日プレゼント、イリヤに何がいいって聞いたら、俺の手料理だっていうからさ」

 へへ、と照れたように士郎はそう告げる。

 どうやらイリヤに料理を強請られたことが嬉しかったと見えるが、ああ、成程。

「ふむ、ではどれほど腕が上がったか、ご拝謁といこうか」

 先ほどのお返しというほどではないが……本当だ。私はそんなことを根にもつほどは子供っぽくないぞ……話がそれた。とかく、にやり、と笑って腕を組んでみせると、士郎は慌てたように「……いや、うん……お手柔らかに頼む」なんて言いながら萎縮してみせた。

 それに少しだけ愉快な気分になって言葉を続ける。

「何、あとで採点して、どこが駄目だったのか事細かにメモに書いて渡そう。今日はオマエの誕生日ではないが……イイプレゼントだろう?」

 にっこり、わざとらしく笑顔をつくると、士郎はがっくりとうなだれながら「駄目出し決定かよ」なんてぶつぶついってる。

 その姿がおかしくて、思わず本心からくつくつと笑った。

 

 昼食はつつがなく終わった。

 焼き鮭に茶碗蒸し、里芋の煮っ転がしに、豆腐の味噌汁。

 士郎の家事の腕は、普段から料理してない割には……それも同年代の子供に比べたら、「出来る」ほうではあるといえよう。だが……「衛宮士郎」としてはまず、駄目駄目である。

 なんというか、風味が飛んでいる、火を止めるタイミングや野菜の切り方が甘い、味付けがやや薄いなど、全体的に駄目。数いる並行世界の衛宮士郎の中でもトップクラスに駄目なんじゃないのか? といった、お粗末な腕である。

 士郎も今年で中学3年なわけだが……おそらくは、平均的な衛宮士郎の小学校高学年レベルの料理の腕でしかないと思われる。採点でいうなら、38点。もう少し頑張りましょう。

 とはいえ、士郎の家事の腕が低めなのは、私が家事を一切取り仕切っているのが原因なのだから、そこまで咎めるポイントでもないのだろう。

 しかし、こうも腕に開きがあると……なんだ。塵も積もれば山となるとは本当だな、と思えてくる。

 と、そんなことを思うのは私だけなのか、大河は「うわー、士郎。シロさんほどじゃないけど、あんたも料理上手いじゃない。男の子がそんなに上手くなってどうするつもりなのよ、この、このー」なんて騒ぎながら士郎をつついていたし、イリヤも「美味しい」といって嬉しそうに笑って食べてたし、切嗣も「いやあ、息子に料理を作ってもらえるなんて、父さん嬉しいなあ」なんて親馬鹿モード全開でへらへら言っているんだから、こんなこと考えている私のほうが異端なんだろうさ。

 

「さて」

 食後のお茶をのみ、一息ついた今日の主賓は、ナプキンで優雅に口元を拭うとにっこり。天使のような朗らかな微笑みを湛えて、「シロ、出かけるわよ」とそう言い出した。

「ああ、了解し…………って、まて、イリヤスフィール!? この格好でか!?」

 一瞬、自分がどんな格好をしているのか、うっかり忘れて返答しそうになり、焦る。

 そんな私を前に、イリヤはふっふーんと笑いながら、にんまり、こう返答する。

「当然よ。たまには着飾ったシロと一緒に歩きたいもの」

 そんなことをしたら、ご近所中に見られてしまうのでは……いや、商店街の奥様方に噂に立てられる自分の姿がありありと目に浮かぶ。

「イリヤ、出かけるのはまた今度にしないか……?」

 口元をひくつかせながらそう言うと、イリヤはにっこり、死刑を宣告するかのような響きと迫力で「イ・ヤ。大体、今日はわたしの誕生日で、今日のシロはわたしのバースディプレゼントなんだから。そのまま出かけるの。わたしの言うことは絶対」そう告げた。

 とてもいい笑顔を浮かべる白い悪魔。もとい最恐無敵の姉兼妹。この笑顔に逆らえる人間がいるのなら、是非お目にかかりたいといいたくなるような、そんな顔だった。

 

 そうやって新都へとイリヤの同伴者として出かけた私であったが、出来るだけ知り合いに会いませんように、との願いもむなしく、思わぬ人物と遭遇する羽目になった。

「あら?」

 艶やかな烏の濡れ場色の髪をツーサイドアップに結い上げ、赤い服と黒いスカート、絶対領域が眩しい黒ニーソが印象的な鮮やかな美少女。中学生の遠坂凛がそこにいた。

 暫し、固まる。

 相手は……確実に私に気付いているな。うん。

 はは……どうせ私の幸運値はEでしかないよ。ほぼ自棄糞気味にそう思った。

「アーチェ……あんた、ぷ、なにそれ、どうしたのよ、その格好」

 やはり案の定笑い出された。

 ええい、そんなに笑うな。おかげで羞恥のあまり、私の顔は耳まで真っ赤だ。

「ふふっ、あんたでもそんな格好することあるんだ? うんうん、似合ってる似合ってる。良いじゃない。いつもそんな風に女らしくしてればいいのに」

 と、にやにやとした顔でそんな恐ろしい言葉を続けて吐く凛。

 あかいあくまだ。あかいあくまがここにいる。

「君な……出会い頭、早々にそれか」

 がっくり、と思わずうなだれた。

 ああ、今日も空は青いな。

「シロ? 何、知り合い?」

 ひょこりと、少し前を歩いていたイリヤが私が止まった事に気付き、振り向く。

 凛は、イリヤを見ると、はっと目を見開き……瞬時に警戒した。同時に余所行きの仮面をかぶる。

 その凛の反応で、己が行動の迂闊さを思い知った。

 今のイリヤの体は蒼崎製の人形の体だ。本当の身体……魔術使い衛宮切嗣とアインツベルンのホムンクルス・アイリスフィール・フォン・アインツベルンとの間に生まれた肉体は、報酬として蒼崎にもっていかれた。

 それでも、元々イリヤは半ホムンクルスであり、聖杯の器である。

 蒼崎の身体に移って尚、紅色の瞳は魔眼を有しているし、元の身体ほどではないが、魔力量もまた人並み外れて大きい。凛よりは若干低いかもしれないが、それでも平均的な魔術師に比べると比べものにならない素養を有しているといっていいのだろう。おまけに、魔術を切嗣に習っているときた。

 幼くとも一流の魔術師たる遠坂凛にこれで気付かれぬはずがない。

 これだけ条件が揃って尚、遠坂凛がイリヤスフィールが魔術師であるという事実を見逃すはずがないのだ。

 まずいな。

 若くとも凛は、冬木のセカンドオーナーだ。

 私のことはただの魔術師だと勘違いしているし、存在を知られているので、色々払うものを払って黙っていてもらっているが、イリヤのことは……さてどうするか。

「ええ。アーチェさんとは親しくさせていただいております。ところで、私は「遠坂凛」と申しますが、貴女は?」

 にっこり。猫かぶりモードの口調と微笑みで、イリヤに問いかける凛。その言葉には暗鬼が秘められている。

 それにイリヤが気付いていないはずがないのだが……イリヤは殊更明るい声で、ふふっと無邪気に私の腕をひきながら、こう喋り始めた。

「そう。あなたの事はシロから聞いているわ。わたしはね、シロの姉の……ふごふご」

 言い切る前に、ばっと、反射的にイリヤの口を塞ぐ。

「この子はイリヤスフィールといって、私の妹なんだ」

 にっこりと、わざとらしい笑顔で一息に言い切った。

 口をふさがれたイリヤは、不満そうにむーっと私を見上げている。

「妹……?」

 その私の発言を前に、凛の警戒が揺らぐ。

「ああ、可愛い妹だよ。今日はこの子の誕生日でね。それで不慣れな格好ながら、同伴していたというわけだ」

 これ以上はまずいか、とぱっと手を離す。

 イリヤは一瞬面白くなさげな視線を私に送ったかと思うと、それをぱっと見無邪気な笑みへと変えて、にっこりと笑いながら言葉を続ける。

「そうなのよ。シロったらわたしの誕生日でもないと、スカートもドレスも着てくれないの。全く、素材はいいのに、本当困った姉だわ」

 どうやら、のってくれたらしい。とにかく、その言葉で凛の警戒が更に引き下げられた。

 ……かかった。

 本来、魔術師が魔術を教わるのは兄弟姉妹のうち、跡継ぎの一人だけである。

 スペアとして育てられるのならともかく、そうでないのなら他の兄弟は皆魔術のことを知らされずに育てられる。何故なら秘奥を伝授されるのは1人だけだからだ。故に他の兄弟は多少素養があろうと一般人として育つ。それが魔術師の常識だ。そして凛はその魔術師の『常識』を信じるまっとうな魔術師である。

 凛は私が魔術師であることは既に知っている。

 そして故にこそ彼女の常識から照らし合わせれば、私こそが衛宮の跡継ぎということになるだろう。

 ならば、どれほど巨大な魔力を秘めていても、魔眼をもっていても、イリヤは私の妹である時点で、「魔術師ではない」そう、この会話で思い込んでくれた、その確率が高い。

 元より凛には思い込みが激しいところがある。

 故に凛には悪いが、ここでは彼女のそういう性質を利用させてもらう。

 そう思っての誘導は成功したようだ。

 くすり、と凛は素に近い表情で笑いながら、「そうですか。それは大変ですね。でも確かに、アーチェさんはもっと色んな服を着たほうがいいですよね。どうしても着せ替えしたい時、よかったら、私にも手伝わせてください。逃げられないよう捕まえときますから」なんて猫かぶり口調のまま言い切った。

 ……しまった。敵が増えた。

「ええ、そうね。その時は頼むわ。それと、リン、もっと楽な口調でいいのよ?」

「あら、そうですか?」

 その後も10分ほど彼女達の会話は続いた。

 その内容のほとんどが私に関する話題で……しかも私にとっては勘弁願いたい内容がメインだったことについては、正直どんな羞恥プレイだと思ったものだが、最後はがっしりとイリヤとかたい握手を交わしてあかいあくまは教会のほうへと去っていった。

 イリヤもまた去っていった凛と負けぬぐらいの充実した笑顔である。

 なにはともあれ、年頃の少女2人には友情が芽生えたらしい。

 ……私弄りという名の、な。

「リンって、おもしろい子ね」

 クスクスと子猫のように笑いながら白銀の髪の少女が言う。

「……まあ、そこは同感だが……私を巻き込むのはやめてくれないか?」

「あら、それは可愛いシロが悪いのよ? ねえ、『お姉ちゃん』?」

 不意打ちだ、思わず赤面する。

「だって、わたし、シロの『妹』なんでしょ? そう言ったわよね?」

 くすくすと笑うイリヤ、意地悪げなその顔は一体誰に似たのやら。

「イリヤ、からかわないでくれないか?」

「さあ? なんのことか、わたし、わからないわ。お姉ちゃん?」

 楽しんでいる。

 絶対これは楽しんでいるぞ。

「イリヤ……」

 はあ、とため息をつく。仕方ない、ここはアレを言うか。

「私が悪かったよ。だから機嫌を直してくれないか、姉さん」

 その私の言葉を前に、紅い眼が開かれる。

 そして……今日見た中でも最上級の、心底美しい笑顔で、彼女は笑った。

「うん、許してあげる」

 直前、今日という日を封印したいと思っていた。去年も、一昨年もそう思った。

 でも結局、私はイリヤの誕生日に彼女の願いを叶えるだろう。

 こんな笑顔を見られるのならば、それも悪くはない報酬なのだから。

「いきましょう。シロ。今日という一日、一分一秒だって無駄にしないんだから」

 そうして笑い、駆けていく君は、もう小さな子供じゃない。

「了解だ、姉さん」

 そうして、君が生まれてきたこの日に、今年も感謝を捧げる。

 生まれてきてくれて、ありがとう。

 

 了

 

 

 

 

 

 

 おまけ、ウエディングイリヤとタキシード士郎。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 



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09.一夏の想い出

ばんははろ、EKAWARIです。
今回の話は、DL販売する時に16ページ漫画として収録予定だった話の小説変換バージョンであり、にじファン時代未収録の書き下ろしSSとなっております。
大河の書き下ろしSSよりは小説に媒体変換するのは楽でしたが、それでも、やっぱり叶うなら今回の話は小説じゃなく漫画媒体でお見せしたかったなあ。

あ、因みに次回の話では久しぶりに舞弥さん登場するお。


 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

 今年の春、俺は穂群原学園へと入学を果たした。

 先に1年早く入学を果たしていたイリヤは、入学式の日「これでまた2年間一緒だね、士郎」といって猫のように頬を摺り合わせ、凄く幸せそうな笑顔でもって抱きついてきたことは未だに記憶に新しい。

 照れくさかったけど、本当に嬉しそうなイリヤの姿を見ていると、ああここに入学して良かったなってそう思った。

 また、学園ではお隣さんであり、ほぼ半分ぐらいうちの家族の一員といっていいあの藤ねえの教師姿が見れるなど、俺にとっては新鮮なものが一杯で、有り体に言えば飽きない。

 というか吃驚した。

 まさかあの「だらしない姉代表」を絵に描いたような藤ねえが、学校ではあそこまできちんと先生をやっているとは思っていなかったからだ。

 藤ねえに「衛宮くん」と呼ばれ生徒として扱われるのは、子供の頃から知っている相手な分慣れない。まあ、それを俺がガキなだけって言ったらそれまでなんだけどさ。でも、藤ねえ……公私とか分けられたんだな。

 まあ、とはいっても他の先生方に比べると落ち着きもないし、部活顧問としてはだらしないあたりが凄く藤ねえなわけだけどさ、それでも生徒思いだし、明るくて相談しやすい良い先生だと思う。

 あ、そうそう部活と言えば、中学時代からの友人である慎二に誘われて弓道部に入部したんだけど、そこでまたも藤ねえには吃驚させられた。

 まさか、あの冬木の虎の異名を取る藤ねえが弓道部の顧問なんだもんなあ。

 藤ねえなら剣道部のほうが合ってるだろうに、世の中って本当わからない。

 それから、小学生の時に友人になった一成と同じクラスだったっていうのも嬉しかった点だ。

 思えば一成とは小学校も別なら中学も別で、同じ学校に通うの自体これが初だもんなあ。学校でも一成と合えるとか照れくさいながらも嬉しいっちゃ嬉しい。

 なんていうか、自分でいうのもなんだけど充実した日々を過ごしているなあ、とそう思う。

 最近週2でバイトも初めたけど、周囲からの評判も悪くないし……いやまあシロねえには辛口評価されているんだけど、でも忙しいけど、なんていうか、結構……いや、凄く、毎日が愉しい。ひょっとして俺って凄く青春を謳歌しているのかもしれない。

 そうして慌ただしく時が過ぎていって、もう7月だ。

 ミンミンと煩いぐらいに耳に飛び込む蝉の声と、じっとりと伝う汗に夏の訪れを感じながら、教師としての藤ねえ……藤村先生の声へと耳を傾ける。

 

「はい、それじゃみんな、明日から夏休みだけど気を引き締めて……」

 そうやって夏休みに関する注意事項を伝える藤ねえの声を聞き、頬杖を付きながらゆっくりと俺は意識を過去へと沈めていく。

(夏休み……か)

 夏休みを迎える度、ふと思い出すことがある。

 あれはそう、今から4年前の小学校6年生の夏休みの時の事。

 

 

 * * *

 

 

「一成」

「士郎、今日は早いな」

「へへっ。一成のところで宿題もしてくるって言ったら、ならもう行っていいってさ。あ、そうだシロねえからお土産にお山のみんなで分けて食べてくれって水ようかんを渡されたんだけどどうする?」

「む、そうか。それは有り難い。シロさんの好意にはいつも痛み入る。とりあえず、傷まないように冷蔵庫に保管した後、俺のほうから住職へと言付けておこう」

 それはその年の春の事。

 家族旅行として俺達は柳桐寺での1泊2日のプチ旅行へと出かけた。

 そこで仲良くなったのが、そこのお寺の息子であり、俺と同い年の少年、柳桐一成だった。

 一成は見た目こそ秀麗な美少年だったが、同年代の子供に比べて発言内容が一々爺むさくかつ生真面目で、堅物過ぎてある意味不器用なそんな少年だった。

 一成のそんなところが俺には面白くて同時に好ましいなと思ったし、寺では少ない同い年の子供ということもあって仲良くなるのは早かった。

 そうやって一成と友達になったわけだけど、問題としてはなんだ、俺も一成も学校が違うってことなんだよな。

 つまり休みの日に会いにいかないと会えないわけで。

 だから、夏休みに入ってからは予定のない日、俺は毎日のようにこの新しく出来た同性の友人に会いにお寺へと足繁く遊びに通った。

 一緒に宿題を片付けることもあれば、一成に勉強を見て貰うこともあったし、境内で子供らしく遊ぶ時もあれば、お寺の手伝いをして過ごすこともあったけど、どれをとっても充実した日々だったと思う。

 そうして昼過ぎぐらいに来ては、日暮れ前に一成と寺の前で別れるのが常だった。

「じゃあな、士郎。気をつけて帰れよ」

「またな、一成」

 そうやって一成の元へ遊びに通い始めるようになってから、1週間から10日ほどが経ったぐらいだったか、彼女に会ったのはそれぐらいの時期だった。

 

「ねえ、君。ちょっとお姉さんの話し相手になってくれない?」

 それは凄く優しく穏やかな声で。

 でも俺の知らない人だった。

 不審者とは話しちゃいけない、関わっちゃいけないっっていうのは学校でも家でも口うるさく言われてきたことだ。だから、本当は関わっちゃいけなかったのかもしれない。

 だけど、お寺の境内にある大きな木の下で出会ったその人は、顔こそ思い出せないけどイリヤと似通った雰囲気と色を持っていて、悪い人には見えなかったから……。

「私、ここから離れられなくてずっと退屈してたの。ね、お願い」

「いいですよ」

 気付けば俺はそう答えていた。

 

「へぇ~、そっか。士郎くんっていうんだ。ご家族はお姉さん2人にお父さんが1人で4人家族なんだ」

 そういって、俺の話を聞きながら本当に楽しそうにお姉さんは笑う。

 顔はどうしてか思い出せないのに、それが嬉しくて、何故か俺もつられるように笑いながら、一生懸命饒舌とは言い難い口を開きながら言葉を告げ足していった。

「あ、はい。あ、でももう1人半分姉みたいな人もいて」

「あ、そうなんだ」

 慣れない敬語で舌を噛みそうになる。

 でも本当に嬉しそうにコロコロ表情を変えながらそうやって相槌を打つお姉さんが、とても楽しそうで、俺は一生懸命に言葉を続けた。

 そして俺の言葉を聞きながら子供のように無邪気にはしゃいでいたお姉さんは、ふと静かな声音で言葉をぽつり。

「……楽しくやれてるのね。安心した」

 そう呟いた。

「え?」

 

「シロー、シロウ-、どこー?」

「あ、イリヤ」

 そうこうしているうちに辺りは夕陽が差し掛かっていたようで、俺を迎えに来たらしきイリヤの声を聞きながら俺はお姉さんへと向き直り、少しだけ罪悪感じみたものを感じながら彼女へと言葉を放った。

「あ、ごめんなさい。おねえさん、俺そろそろ帰らないと」

「士郎くんのお迎え?」

「うん、だから」

 だからもうお別れしなきゃ。

 そう俺が言う前におねえさんはふわり、と笑うと「士郎くん、またね」と綺麗な声で呟いた。

 

 ……一成と遊ぶ事に加え、彼女と帰りに会話を交わすのが習慣になったのはそれからだ。

 その人は決まって、一成と別れた後、俺が1人になったタイミングで現れた。

 その人は、なんだかとても不思議な人で、イマイチ現実感がなく、どうしてか顔を何度会っても思い出す事は出来なかったけれど、でも悪い人じゃない。それだけは妙に確信していたから彼女との時間を嫌だと感じたこともなく、寧ろ別れるのが惜しいとさえ感じたのが、我が事ながらなんだか不思議だった。

 多分大人の女の人なんだとは思う。

 けれど彼女はまるで子供みたいにはしゃぎながら、俺の話を、特に俺の家族の話を目を輝かせながらよく聞きたがった。

 だから俺は照れくさいながらも彼女の願いを叶えるように、よく率先して今の家族の事について話した。

「親父はいつも笑って俺たちを見守ってるんだ。あとさ、上の姉は普段はしっかり者なのに、たまにヌケててちょっと心配になるんだよなあ。それと下の姉は雪の妖精みたいで凄く可愛いんだ」

「そうなんだ。士郎くんはみんなのことが本当、好きなのね」

 そういってクスクスと笑う姿が凄く嬉しそうで、楽しそうで、俺としては気恥ずかしくてつい鼻の頭を掻きながら赤面して俯きつつ、それでもふと覚えた疑問を頭に浮かべて、質問を返す。

「俺にばっかり聞いてるけど、お姉さんの家族は?」

「え?」

 それに、予想外のことを質問されたとばかりに、きょとんと目を見開いた姿が、ああやっぱりどことなくイリヤっぽいなあと思いながらも俺は言葉を反復した。

「だから、家族」

 それに対し、髪の長いおねえさんは、んーと唇に人差し指を当てながら考えるような仕草を見せつつ、こう話した。

「そうね、優しくて頼もしくて繊細な旦那様と、可愛い可愛い娘が2人いるわ」

「え? お姉さん子供いるのか」

 そのことに少し吃驚した。

 確かに大人の女の人、とは思っていたけど、先日から度々見せていた無邪気な子供じみた表情や仕草とかもあって、まさか子持ちなほど年上には見えなかったからだ。

 それに対しお姉さんは、しかし子持ちの母親らしい優しい笑みを湛えながらこう答えた。

「そうよ。自慢の子供達。あ、でも最近になって息子が1人増えたの。その子が良い子でとても嬉しい」

 

 

「ねえ、士郎、最近何かわたしたちに隠してない?」

 ある日、家で告げられたそのイリヤの台詞に思わず、ドキッとする。

 だけど、俺は誤魔化すように笑うと、イリヤの頭に手を伸ばし、綺麗な白銀の髪を梳くように撫でると、イリヤは少しだけ気持ちよさそうに目を細めて、少し照れたような顔をしながらもぎゅっと眉を寄せた。

「なんだよ、イリヤ。急に。ひょっとして一成と遊んでばかりいるから拗ねたのか」

「な、別に拗ねてないもん。シロウの意地悪」

 そうやってすぐに頬をプクーと膨らませて抗議してくるところが、イリヤの可愛い所だと思う。

 けれど、これぐらいではやっぱりイリヤは誤魔化されてはくれないらしい。

「そうじゃなくて……」

 と、先ほどの続きを追求しようとイリヤがしたそのタイミングで、ひょこり、見慣れた長身が姿を現した。

「ああ、2人とも此処にいたのか」

 そういって現れたシロねえの格好は、いつも通りの洒落っ気1つ無い黒の上下姿に赤いエプロンを付け加えたもので、褐色の指からは先ほどまで弄っていたのだろう野菜の香りが仄かに漂っている。この、洒落っ気1つないけど働き者の手が、俺は好きだった。

「もうすぐ昼食の時間だぞ。……どうかしたのか?」

 どうやら俺とイリヤの間に漂う常とは違う空気を敏感に感じ取ったらしい。シロねえは少し幼く見える仕草で首を1つ傾げると、俺とイリヤを見比べながらそう訊ねてくる。

 それに対し、俺はこれは逃げるチャンスだとばかりに即座に言葉を返す。

「なんでもない、シロねえ、手伝うことはあるか?」

「あ、士郎。もう、何かあったらちゃんとわたしかシロに言わないと駄目なんだからねー!」

 そうやってプンプンと本気じゃないんだろうけど、怒ってみせるイリヤに対して心の中でごめんなさいを1つ。

 だけど、何故だろう。

 俺はあのお姉さんのことを誰にも言わずにいた。

 

 

 夏休みも中盤を迎えたある日、いつも通り一成と別れた後会った彼女は「ねえ、士郎くん、それなあに?」と訊ねながら、最初キョトンとした顔で、次に興味津々ですというのを絵に描いたようなワクワクした子供みたいな顔をして、俺の手にもった品物へと目線を落とした。

「花火だよ、知らない?」

 俺の手に握られているのは水の入ったバケツが1つと、お小遣いを叩いて購入した398円の花火セットが1つ。子供でも知らない人のほうが少ないそれを物珍しそうにマジマジと見ているお姉さんに、少しだけ意外に思いながら俺が訊ねると、彼女は「それは教えてもらってなかったから」とそう答えた。

 ……今更だけど、一体どういう家庭で育ったんだろう。やっぱ外国人なのかな。

「何、どうするの?」

 と聞いてくる目は純粋な好奇心だけがうつっている。

 それを見ていると、相手は年上の女の人とか忘れてなんだか微笑ましくなって、俺は用意していたマッチを擦って火を付け、花火に1つ火を灯した。

「これはこうやって火をつけて……」

「わぁ」

 眼をキラキラと輝かせている彼女は、まるで俺よりも子供みたいで、なんだか、ああ持ってきて良かったなって、そう心底思った。

「興味深いわぁ」

 そういって、飽きもせずに花火を見ながら、お姉さんは感心したように何度も頷いた。

「本当は夜のほうが綺麗だけど、それだともってこれないから」

 流石に夜の外出は禁じられているため、こんな時間の花火になったけど、それを惜しいなとそう思う。

 多分、多分彼女は本当に花火を見た事ないんだろうと思うから、どうせなら1番綺麗な状態の花火を叶うなら見せてあげたかった。

 そう思っての俺の台詞を前に、お姉さんは嬉しそうな少し呆気にとられたような顔をしてこう呟いた。

「私のために?」

「迷惑だった?」

 お節介だったかなと少し不安に駆られながらそう尋ね返すと、彼女はブンブンとややオーバーなくらいに首を振ると、喜びを全身で表現するように、手と手を前で絡めながら、嬉しそうな声で答えた。

「ううん、そんなことない」

 凄く嬉しい。

 そう呟く姿はやっぱり身近な少女によく似ていて。

 もっと喜んでくれたらいいと、そう思った。

「じゃあ、これ、ほら」

 そう言って、火の付いた線香花火を1つお姉さんに渡そうとすると、しかし彼女は首を横に振ってそれを受け取ろうとはしなかった。

「……お姉さん?」

「ありがとう。気持ちだけ受け取っておく」

 そんなに嬉しそうに瞳を輝かせて喜んでいたのに、どうして受け取ってくれなかったのか、俺にはわからなくて困惑した。そんな俺に対し、本当に申し訳なさそうに彼女はこう言葉を続けた。

「ごめんね、士郎くん、私には受け取れないから」

「……なんで」

 そう、震える声で答えながら、多分俺はその答えに気付いていたんだと思う。

「ねぇ、オウマガトキって知っている?」

 お姉さんはどことなく神秘的な雰囲気を纏いながら、まるで人間じゃないような浮世離れした気配を漂わせながら、唄うような声でこう告げた。

「こんな時間帯を言うらしいんだけど。私が干渉を許されているのはこの時間帯だけだったから」

 紅い。

 夕陽に染まった大木の前で、彼女は切なげに木の枝へと指を重ね合わせ、そう告げるとくるり。俺に向き合い、本当に優しそうな声と表情でこう言葉を続けた。

「でもありがとう。短い間だけだけどとても楽しかったわ。……士郎が良い子で本当に良かった。お母さん安心しちゃった。だからもういいの」

「え」

 そうしてそのお姉さんは……。

「士郎くん、切嗣たちをこれからもよろしくね」

 その言葉を最後に、とびっきりの笑顔を見せたかと思うと、次の瞬間にはその場所から跡形もなく消えていた。

「……お姉さん?」

 それが彼女と会った最後だった。

 

 

 * * *

 

 

 俺がそんな摩訶不思議な体験をしたのは、後にも先にもあの小学校6年の夏休みだけで、それ以降は何度寺に行こうと彼女と再び会う事はなかったし、そもそもお山でそんな女性がいるという話自体も聞いた事はない。

 さり気なく一成に聞いても、やっぱり一成すらあのお姉さんの存在を知っている事は無かった。

 彼女の前で俺が家族の名を口にしたことは一度もない。

 だけど……。

「しーろーう」

 彼女がどうして切嗣の名前を知っていたのか、その理由はきっととっくにわかってたんだと思う。

「一緒に帰ろ」

 こうやって、今、俺に腕を絡めて笑うイリヤの姿は、一夏に出会った想い出の人ととてもよく似ていたから。

「そうだな、帰るか」

 

 それでも、こうして夏休みが来る度、あの幻のような出会いを俺は思い出す。

 一夏の想い出。

 

『切嗣たちをこれからもよろしくね』

 

 

 了

 

 

 

 

 

 

 

 おまけ、「力説アイリ様」

 

 

 

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10.天空の花の下で約束を

ばんははろ、EKAWARIです。
今回の話は夏祭り回というわけでほぼオールキャラになっています。お陰で長かった。
因みに「夏」が付くタイトルが多すぎたので旧作「夏の約束」から今回サブタイトル変更することにしました。

因みに、作中で美人と書いたり普通と書いたりしている、女エミヤさんの容姿ですが、個人的には10段階中7ぐらいの美貌のつもりで描いていたりしています。
なんていうか、10人いたら10人中6~7人には「美人」だと思われ、3~4人には「普通」だと思われるぐらいの容姿というか、そんな感じ。
なので、うっかり士郎にとってエミヤさんの容姿は前者で、美男美女見慣れている赤セイバーやイスカンダルからしたらどっちかっていうと後者な容姿に目に映るって感じです。
童顔であり、顔立ち自体は整っている。だが、華があるわけでもないし、美女と言い切るには疑問がつく……というのが大体目が肥えている奴らの評価って感じですかね。
とにかく超美人とかじゃないのは確かです。


 

 

 

 side.久宇舞弥

 

 

「夏祭り……ですか」

 周期としては3ヶ月~1年に1度の、日本・冬木の衛宮邸への来訪で、新作だというアーチャーの……いえ、シロのミックスベリータルトをつつきながら、私の持ち主である男(えみやきりつぐ)の娘を前に、彼女からもたらされた意外な申し出に少し惑い、私はフォークの手を止めて、イリヤスフィールへと視線を送った。

 そんな私の態度を気にするでもなく、美しく成長した利発な少女は、満足げに言葉を続ける。

「そう、一週間後夏祭りがあるの」

「それに、私も同伴しろ……と?」

 意思の強そうな紅色の瞳が生き生きと、いかにも楽しげにYESといわんばかりに満面の笑みに飾られる。

 ……彼女は……、衛宮切嗣の実娘であるイリヤスフィールは、少し苦手だ。

 面差しは、死んだマダムにそっくりで、雰囲気こそ異なっているが年々母親に似てくる。

 天真爛漫ではあるが、拭いきれぬ品がまとわりついているところもそっくりだ。けれど、母親よりもずっと彼女は押しが強く、物言いもはっきりしており、マダムのようなおっとりした所はあまりなく、勝ち気でしっかり者。そんなところが、苦手だ。

 心はずっと昔に死んでいる私には、彼女はあまりに強く眩しすぎる。

 切嗣のご息女でなければ、関わりたくない、そういう人種だ。

 しかし、祭り……か。

 ……私とは縁がないものだと思っていたから、誘われたこと自体が意外で、どう返答するべきなのか、悩む。

 そもそも、日本の夏祭りなど、資料でしか知らない行事だ。

「行けばいい」

 そう横からかけられた声は、どこか少年的なハスキーボイスで、私にタルトを差し出した製作者である女性だ。

「君は日本の夏祭りに参加したことなどないのだろう? なに、良い経験じゃないか。そうだな……ふむ、折角だ。君の分の浴衣も用意しよう」

 平均よりも整った顔立ちに皮肉気な笑みを携えて、けれど声だけは穏やかにそう述べる彼女。

 今は、衛宮切嗣の養女として、この家で暮らしている元サーヴァントのシロ。

 アーチャーとして第四次聖杯戦争にかつて召喚された彼女は、8年以上に渡る人としての暮らしのせいか、召喚された頃に比べて随分と穏やかに……柔らかな表情を浮かべるようになった。

 きっと、彼女が英霊であり、サーヴァントであるなど、言われても誰も気付かないだろう。

 

「舞弥の分の浴衣を用意するのもいいけど、今年こそあなたも浴衣を着るのよ? シロ」

 にやりと、小悪魔めいた微笑みを浮かべて告げられた少女の軽快な声に、げっといわんばかりにシロの顔がしかめられる。そんな彼女を見て益々楽しくなったのか、イリヤスフィールはスススッとシロに近寄り、人差し指を口元に置きながら、愉快そうに唄うように言葉が続けられる。

「まさか、人に勧めておいて、自分だけ私服で済まそうなんて思わないわよね~?」

 だらだら、褐色の肌から冷や汗をこぼしながら、シロは視線を泳がせ、「……わかった。着る。着るからそんな目で見るな、イリヤスフィール」と心底困ったような声で告げた。

「ふふん、わかったならよろしい。シロは良い子ね~」

「そうやって私を子ども扱いするのはやめてくれないか?」

 そんな何気ないやりとりが……年齢が逆な気もするが、本当に本物の姉妹のようで、眩しくけれど微笑ましくて、思わず頬がゆるむ。

 ぽかん、と視線が私に集まる。

 それに、自分でも意外なほど穏やかな声で、「では、祭りの日まで厄介になりましょう」と告げた。

 はっと我に返ったイリヤは、優しげな天使にも似た表情を浮かべて、「舞弥、気付いた?」とそんなことを穏やかな声で言った。

「?」

 思わず首をかしげる。

「貴女、今、笑っていた」

 第四次聖杯戦争の終結と切嗣の日本への居住……あれから約9年の月日が流れた。

 変わったのは彼らばかりで、私だけは年齢以外何も変わっていないのだと思っていたけれど、本当は私も変わっていたのだろうか。

 あの男……瀕死の身体のまま、それでも藻掻き生き喘いでいたバーサーカーのマスターだった男をふと思い出して、手は引き金をひくような形を描いた。

 それらの答えはまだ見つからない。

 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

 高校生になって初の夏祭り、一緒に同伴するメンバーはこれまでになく多くて、思わずそわそわしながら、親父と二人、女性陣の着替えが終わるのをまつ。

 がらり、と戸を開けて一番初めに入ってきたのは、予想通りというべきか、親父と揃いの色の浴衣を身に着けたシロねえだった。

 ちょっとあっさりしすぎなくらいの、親父と柄違いの藍色紬に、地味な印象の浴衣のデザインとは対照的な、黒い花模様がどことなく色っぽく派手やかな蘇芳色の帯。見事なまでの白髪は結い上げられて、いつもの紅い髪留めと黒くシンプルな簪で纏め上げられている。

 大人の女性なら、これに加えてメイクの1つでもしているものだろうけど、シロねえはいたっていつも通りの素顔で口に紅1つ入れてやしない。

 多分イリヤに化粧するようにいわれはしたけれど、いつもの調子で頑として断ったってとこだろう。

 でも、化粧なんてしていなくてもシロねえは充分に綺麗で、結い上げられ露わになった、浴衣から覗くうなじがどことなく色っぽくて、少しだけ目のやり場に惑う。

「イリヤたちはもう少しかかりそうだ。茶でものむか?」

 あっさりと飾りっ気のないいつも通りの言葉を告げる、シロねえ。

 だけど、いつもは祭りも私服で通しているシロねえが浴衣を着ているという事実に、妙にどぎまぎして、「飲む」と上擦った声で答えてしまった。

 うわ、なんだか今日の俺すごく情けないぞ。

 シロねえは家族だっていうのに、俺は何を考えてるんだ。

 だけど……やっぱりこういう女の人らしい格好しているシロねえって貴重だし、綺麗なんだよなあ。

 そりゃイリヤみたいなプロのモデルも裸足で逃げ出すレベルの美人じゃないかもしれないけどさ、でもイリヤとタイプが違ってもやっぱりシロねえは美人だと思う。ちょっと童顔だけど。

 だから、うん、なんだその……俺も健全な男子高校生である以上、こういう時ドキドキしてしまうのはしょうがないと思うんだ。シロねえは俺の家族だけど、血が繋がっているわけじゃないんだしさ。

 いや、それも言い訳だってわかってるけど。

 そんな煮え切らない俺の態度を前に、シロねえは一瞬不思議そうな顔を浮かべるけど、思いなおしたのか、なんでもないかのような仕草で茶を沸かしに向かった。そんな姿が堂に入っていた。

 

「切嗣さーん、桜ちゃん終わったよ」

 そんな言葉を上げて、シロねえの次……約15分後に入ってきたのは、髪に黄色い花飾り、同じく黄色地に抑え目の向日葵柄の浴衣、そして控えめなデザインの浴衣とは対照的に、オレンジ地にコミカルな虎の絵が描かれたのが人目を引く帯を身に着けた藤ねえと、友人である間桐慎二の妹、桜の姿だった。

「あ、あの……」

 下をむいて、うつむきながら自信なさ気な声を出す、中学時代の後輩の姿。それに暫し見惚れた。

「先輩……どうですか? 私、変じゃないですか?」

 髪型は……いつも通りの桜だ。

 けど、ピンク地に白い桜柄の浴衣、藤紫色の和模様が入った帯、結い紐は赤で、その小さな口には薄っすらと紅がひかれていて、それを一言で言うのならば、凄く……。

「うん、可愛い」

 俺の言葉に反応するように、ぱっと、藍紫色の瞳が輝くように上を向く。

「本当ですか……っ」

「嘘なんてついてどうするんだ。うん、今日の桜は凄く可愛いぞ」

 えへへ、と照れたように桜が頬をかく。それに、きらんと虎の目が輝く。

「ほほう?」

「……なんだよ、藤ねえ」

 思わず胡乱気な目で、自称「おねえちゃん」を見上げた。

「んー、士郎もお年頃ってことかなってね」

 うふふ……なんて笑うのが正直薄気味悪い。

「いや、でも本当に今日の桜ちゃんはいつもにも増して可愛いよ」

 と、にこにこしながらも落ち着いた調子で言葉をかける切嗣(じいさん)はいつも通りだ。

 それに桜は、にっこりと、俺に向けたのとは種類の違う笑顔を浮かべて「おじさまも、ありがとうございます」と、ぺこりと頭を下げ、それから、桜と藤ねえの分の茶をもって居間へと入ってきたシロねえにも頭を下げた。

「シロさん、こんな素敵な浴衣まで用意していただいて、ありがとうございました」

「気に入ったかね?」

「はい、とても」

 そういって微笑む桜の姿は、まるで名前通りに桜の花みたいに綺麗だ。

 そうシロねえも俺と同じことを思ったのか、俺には出せないどことなくキザったらしい口調で、けれど声音は穏やかにこう言葉を続けた。

「ふむ……やはり君には名前の通り、桜がよく似合う。気に入ってくれたというのであれば、製作者としてはそれに増した喜びはない」

「え……それってわざわざ私の為に作ってくださったってことですか?」

 ……そうなのだ。

 実は衛宮家から夏祭りに参加するメンバーの浴衣は全部シロねえの手作りである。

 勿論、俺が今着ているオレンジ色の浴衣もシロねえ手ずからの作品だ。

 それに思いを馳せて、少し照れくさくなる。

「そうだが……なんだ? ひょっとして迷惑だったか?」

「いえ、迷惑だなんてとんでもないです。でも……私の為にわざわざ作ってくださったなんて、なんだか申し訳ないです……」

 しゅんと桜がうなだれる。

 それに、シロねえは、家族でも見れるのは稀なほどに穏やかな顔をして、ぽんと、桜の柔らかそうな髪の上に手をおいて、優しく梳いた。

「何、気にすることはない。私が好きでやったことだ。それに、師が弟子に贈り物をするのはそれほどおかしなことでもあるまい。気にするな。君の今日の仕事は、今日という日を少しでも沢山楽しむことだ」

 諭すような優しい響きに、桜の頬も緩む。

「はい」

 そういって笑う桜の顔は、初めて会った時の暗さとはどこまでも対照的で思わず安堵の息を内心ついた。

 

「士郎、シロ、大河、桜ー、おまたせー」

 そういって元気な声で入ってきたのは、親父やシロねえの昔からの知り合いだっていう、舞弥さんを引き連れ現れたイリヤだった。

 その台詞の中に、親父だけが含まれていないのは……多分わざとなんだろうな。

 横目で見るに、やはり爺さんは娘の仕打ちを前にしくしくと年甲斐もなく哀しんで、苦い顔をしたシロねえに肩を叩かれ慰められている。

 イリヤはなんで親父にだけあんなにキツイのかな。

 ……まあ、知らない他人にもキツいけど、親父のとはまたそれは種類が違う気がするし。

 と、内心苦笑する間もなく、暫し固まる。

 いつもはおろしている、雪みたいな白銀の髪をポニーテールに結い上げ、赤と黄色の花飾りを身に着けているイリヤ。控えめな薄水色の着物には兎があしらわれ、でもそんなに子供っぽいデザインというわけでもなく、しっとりと落ち着いた風情をかもし出している。その胸の下で纏めている帯はタンポポが描かれた薄い黄色の帯。それら全体的に薄い色が、赤朽葉色の布地によって引き締められている。

 幼い頃から見続けてきた不思議な印象の紅色の瞳が笑みを象る。白い雪の妖精を思わせる美貌。どこかの物語から抜け出してきたみたいだ。

 思わず頬が火照る。

(落ち着け、イリヤの浴衣姿も着物姿も去年も一昨年も見てきたじゃないか)

 昔からイリヤは綺麗な子だった。控えめに言ってももの凄く美人だ。

 でも、年々それに増して綺麗に、女の子から女の人になっていく。その大人と子供の中間である少女としての美しさに、その浮世離れした美貌に浮かんだ天真爛漫さに、心をかき乱される。

 だけど、毎回こう赤くなってたらたまらない。意地で、照れを引っ込めた。

「ああ、イリヤ、よく似合っている」

「えへへ、シロ、ありがとう」

 固まっていた俺より先に声をかけたのはシロねえだった。

「うん。イリヤは浴衣もよく似合うよ」

「キリツグには聞いてないわ」

 シロねえとは対照的なイリヤの冷めた返答に、がんと、親父がショックを受けて沈む。

「もう、イリヤちゃん。どうして、そんなに切嗣さんに冷たいの」

「おじさま、大丈夫ですか」

 ぷんぷんと怒ってみせる藤ねえと、心配気に爺さんに近寄る桜。

「イリヤ、その物言いはあんまりだろ」

 思わず、はあ、とため息をつきながらそう言うと、イリヤはむぅと頬をふくらませ、こう呟く。

「だって……うざかったから」

 最後のほうがぼそぼそと、聞こえるか聞こえないかの声でそんな言葉を告げるイリヤ。

 思わずため息を吐いて、こう諭す。

「イリヤ。爺さんはイリヤのたった1人の父親だろ。大事にしなきゃ駄目だ」

「だって……」

 語尾が弱くなり、それきり言葉は切れた。

 ふ、と目線をやると、浴衣を着た舞弥さんが所在なさ気にたっていた。

 常盤色地に紅牡丹、サーモンピンクの帯には、流水と小さな花模様があしらわれている。見事に真っ黒な髪は飾りっ気のない黒のバレッタで纏められていて、その姿は堂に入っている。とても着物の類を初めて着た人間には見えない。

 でも舞弥さんは黒髪黒目だし、浴衣もよく似合うけど、どこか異国人じみている感じもするのは、年中海外を飛び回っているという話だからなのだろうか。

 思わず疑問を確かめるように言葉をかける。

「舞弥さんは、浴衣を着るのは初めてって本当なんですか?」

 そう俺に話しかけられた舞弥さんは、少しだけ意外そうに、僅かながら目を瞬き、少しだけ思案して見せたような間を置いた後答えた。

「そうなりますね。変、だったでしょうか」

 言葉としては、この部屋に入ってきた時の桜と同じような台詞ではあるけれど、淡々としたその口ぶりからも同じ印象を受けることはない。彼女にとっては、これもただの確認作業にすぎないのだろう。

「そんなことないです。お似合いですよ」

 慣れない敬語を口にしながら、にこりと笑って、本心からの言葉を告げる。

 それに律儀に彼女は「有難うございます」と淡々と頭をさげて、シロねえに手渡された茶を啜った。

 

 今年はいつもよりも人が多い分、みんなでまわるのははっきりいって大変だ。

 だから、今年に限ってはくじ引きをして、誰と誰がペアになってまわるのか事前に決めておき、花火が始まる30分前に待ち合わせの場所で合流するという形となった。

 その結果、イリヤと切嗣(おやじ)と舞弥さん、シロねえと桜、俺と藤ねえという組み合わせになったわけだけど、ここに不満の塊となった白いお姫様が一人。むぅーっと頬を膨らませて歩いている。

 その姿は子供っぽくてほほえましくて可愛らしい。

 とりあえず、祭り会場までは全員一緒だ。横で歩きつつ、子供みたいに感情駄々漏れの義姉の姿に苦笑する。

「シロか、士郎と一緒が良かったのに」

 拗ね気味な調子でそう呟くイリヤ。

「そう言うなよ。この機会に、親父ともっとちゃんと話をしたほうがいいと思うぞ」

 そう告げると、イリヤは拗ねた目で俺を見上げた。

「キリツグと話すことなんてないもの」

「それにだ」

 ああ、これは別のアプローチをしたほうがいいな、とそう思ったので少し卑怯かもしれないけどこう提案する。

「舞弥さんを祭りに誘ったのはイリヤだろ? これを機会に、ちゃんと日本の祭りを案内してあげないと」

「それをしたら、士郎、褒めてくれる……?」

 ……不意打ちだった。

 普段はよく姉ぶるイリヤだったが、時折俺相手にはこんな風に、少し頼りなげな、守りたいと思わせる顔や言葉を表に出す事がある。再び、顔に熱が集まりだす。

 それを誤魔化すように手で顔を扇ぎながら、それでも言葉だけはしっかりと「ああ、いくらだって褒めるさ」と言い切った。

 ふわりと、イリヤが微笑む。この笑顔が昔から俺は好きだ。

「ねえ、士郎」

 くい、と袖を引かれる。

「うん?」

「わたし、今日まだ肝心なこと、士郎の口から聞いてないわ」

 肝心なこと……なんだっただろうか? と、ふと、家を出る前のことを思い出す。

 そして、思い至った。

「ああ、イリヤ、その浴衣凄く似合っている。うん、可愛いぞ」

「うん、ありがとう。士郎もよく似合っているわ。わたし、見惚れちゃった」

 そうして悪戯そうに微笑むイリヤは、大切な宝石を慈しむように、俺の手をぎゅっと握った。

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 屋台がところ狭しと並ぶ中を、間桐桜と一緒に並んでまわる。桜は、どことなく、不思議の国に迷い込んだ少女(アリス)のような顔をして、周囲を見渡す。

 時間が進むにつれ、人が増えてきた。

 頼りなげな少女の肩を見下ろす。人波に今にも浚われそうだ。

 実際浚われそうになって、そっと、間に入って助ける。

「大丈夫かね」

「はい、ありがとうございます」

 ぺこりと、軽くお辞儀をして、またまじまじと周囲を眺める桜。

 ……もしかしたら、祭り等こういう行事に参加したことはそれほど多くないのかもしれない。

 じっと、少女の視線が一点に集中した。何を見ているのか、程なく気付く。射的の景品のぬいぐるみのようだ。少女らしい嗜好に私の頬もゆるむ。

「一回だ」

 そのまま迷わず的屋を選び、金を払う。

 桜はちょっと吃驚したように「シロさん?」と話しかけ、私は店の親父から射的用の玩具……銃を受け取る。この距離で私が外す筈もなく、そのまま、あっさり狙いの景品を撃ち抜いた。

「……うわ、やるねえ、ねえさん」

 そんな店の親父の言葉を無視して、すっと、今とった景品であるぬいぐるみを桜に手渡す。

「え……シロさん、あの……」

「何、無理にとはいわないが……よければ受け取ってくれないか? こういったものは君のほうがよく似合う」

 桜は少し惑ったかと思うと、次に柔らかな微笑みを浮かべて「はい」とそう答えた。

 桜は、明るくなった、と思う。

 初めて会った時の桜はもっと暗く、自分の内に篭りがちな少女で、何故そう思ったのか自分でもわからないが、そんな彼女を変えたくて衛宮邸で料理を教えることを提案し、誘った。

 生前、彼女とどういう関係であったのかの詳細部分については、磨耗し果て死んだ私には既にわからない。類似状況に遭遇すればそれに纏わる記憶が蘇ることもあるのだが、そもそも生前のことについて覚えていることのほうが少ないのだ、当然だろう。私の記憶の殆どは風化している。

 でも、この懐かしさからすれば、おそらく親しい存在だったのだろうと思う。

 桜が御三家の一角、間桐家の跡継ぎだということを考えれば、そうやって家に上げる行為は危険ともいえた。だから、はじめは爺さんに桜を家に入れる事は反対もされた。

 しかし、体感時間にして8年10ヶ月程前にサーヴァントとして参加した第五次聖杯戦争では、桜はマスターではなかったように記憶している。少なくとも、その姿をそういう場で見かける事はなかった。それに桜自身は他人を容易く傷つけるような子じゃない。それを理由に説得に踏み切った。

 間桐の家の人間という時点で警戒を完全に解くことはありえない。

 だが、それでも受け入れようとしたのは、あの暗く陰のように生きる少女に笑って欲しいと、そう思ったからかもしれない。

(……そんな感情も磨耗し果てたと思ったのにな……)

 まるで昔の自分に引き戻されていくかのようだ。

 もう私はあの日の少年(えみやしろう)じゃないのに。

 思えば、この9年弱の年月はずっとそんなことの繰り返しだった。穏やかに、安らかに、まるで本当に人間のように暮らしている自分を自覚する。……私は死人だというのに。

 それを悪くないと感じはじめたのは、さて、いつからだったのか。

「桜」

「なんですか?」

 穏やかな藍紫色の瞳が私を見上げる。

「君はもっと我侭になっていい。むしろ、なってくれないか?」

「え?」

「君は子供だ。まだ発展途上の少女だ。大人は子供を守り、導く勤めがある。まあ……私では役者不足かもしれないがね、それでもこういう時くらいもっと頼ってくれないか?」

「え……と、それって……」

 桜が言いよどむ。

「まあ、そうだな。ふむ、手始めに欲しいものがあるのなら迷わずいってほしい。縁日の出し物だ、多少は割高だが……何、たまの散財くらい構わんだろう」

「……そんなこと言っていると、私、調子にのっちゃいますよ?」

 桜はどこか心配気な、でもそれでいて楽しげな表情で首をかしげながら私を見上げる。

「君のような可愛らしいお嬢さんの頼みなら喜んで請け負うさ」

「ふふ、その物言い、まるでシロさん男の人みたいです」

 ……まあ、男だったからな、とは流石にいえないが。

「やはり、私では役者不足かね?」

「いえ……有難うございます」

 そうして本当に綺麗に、桜は笑った。

 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

「もー、士郎、そんなにのんびりしてると、おねえちゃんおいてっちゃうんだからね」

 がおー、と手をあげながら、藤ねえが元気良く声をあげる。

「あー、はいはい」

 その声が結構でかいのが、一緒にいて恥ずかしいんだよなあ。

 藤ねえはずっとこの調子だ。

 あっちこっちに目移りしてぱたぱたと行くからそのうちはぐれるんじゃないかと思う。まあ、ここには藤村組から店を出している人も多いみたいだし、知り合いが多いみたいだから、はぐれたところでどってことないんだろうけどさ。

 そう思いながらぼんやり藤ねえを見ていると、聞き知った声に呼び止められる。

「あれ? 衛宮じゃないか」

「慎二」

 声をかけてきたのは、桜の兄貴で、俺の親友でもある間桐慎二だ。今日も今日とて女の子を数人連れている。

 それに相変わらずだなと思って内心苦笑する。

 どうやら慎二も今日は浴衣だったらしく、老竹色地に唐草模様というチョイスが垢抜けていて、瑠璃色の帯がしゅっと締まった色男を演出している。浴衣にあわせて同じく緑系統の苔色の下駄の選択が中々渋い。

 慎二のやつは相変わらずオシャレだ。

「そうだ、衛宮」

 なんだよ、と返事をする前に、慎二に手をとられ(気付いていたが、慎二なので避けなかっただけだけどな)、こそこそと内緒話をするように顔を寄せられ、小声で話しかけられる。

「なあ、今日はシロさんと一緒じゃないのか?」

 そう口にする慎二の顔は、まるで純粋な少年のような照れ顔だった。

 ……ああ、そういえばそうだった。

 慎二は初めて俺の家でシロねえに会って以来、こんな感じでシロねえのことを気にしている。

 だけど……。

「なあ、慎二」

「なんだよ、衛宮」

 むっとしたように、慎二が眉根を寄せる。

「お前、遠坂が好きなんじゃなかったっけ」

 そう、確か、うちの学年のアイドルにしてミスパーフェクトの異名を持つ、あの遠坂凛に告白して、こっぴどく振られたとかなんとか聞いたような。

「あのなあ、衛宮」

 ふぅ、と慎二はまるで聞き分けの悪い生徒を前にしたような顔をして言葉を続ける。

「いいか、遠坂とシロさんに関する感情は全くの別物なんだよ。ったく、なんでそんな当たり前のことがわからないわけ? ああ……衛宮だから仕方ないか」

 ……いや、わからないから。

「あの人はそんなんじゃないんだよ」

 そう呟く慎二の顔は、どことなく真剣味を帯びていつつも切実な響きすら籠もっているようで。

 とりあえず、慎二の心は中々複雑みたいだ。

「そうか」

 ひょっとして俺が知らない間にシロねえと慎二に何かあったのかもしれないけれど、それを聞くのも野暮なのかなと思いつつ、そう返事を返す。

 すると慎二はそれまでのどことなくシリアスな雰囲気を置き去りにして、また元の少年の顔に戻して再び俺に訊ねた。

「で、一緒じゃないのか」

「ああ、シロねえは今桜と一緒にまわってる。あとで合流する予定だけど、それまでは別行動だ」

「げ、あの足手まといとかよ」

 俺の口から告げられた桜の名前に、慎二が嫌なものをきいたとばかりに頬をひくつかせる。

「慎二、妹にそんな言葉はないだろ」

「まあ、あの人は優しいから、桜みたいな落ちこぼれにも手を差し伸べるんだろうな」

 相変わらず言葉は酷いが、そのわりにその声音には棘が含まれていなかったから、それ以上咎めるのはやめる。そもそも、この毒舌さが慎二の持ち味なんだし。これがなければ慎二じゃない気がする。

 ひょいと、慎二が俺から離れ、連れていた女の子たちの元に向かう。

「行くのか?」

「ああ、あの人によろしく言っといてくれ」

 そんな言葉を残して慎二は俺と別れた。

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 待ち合わせ時間30分前が近づき、桜と私は集合場所に近づく。その時、何度かこれまでも聞いてきた威勢のいい少女の声が私の耳に届いた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「あー、レッドのねえちゃん!」

「おや、これは奇遇」

「エミヤさん、お久しぶりです」

 嬉しそうな声をあげて、私を指差しはしゃぐ、浅黒い肌の少女は蒔寺楓。

 時代がかった口調のミステリアスな少女は氷室鐘。

 ぽやんと柔らかな微笑みを浮かべるいかにも癒し系といった感じの少女は三枝由紀香だ。

 彼女達と初めて会ったのは3年ほど前の夏の海だったか。

 ナンパに絡まれていた由紀香を助けたのが始まりで、その時は名乗りもせずに別れたのだが、新都を歩いていた時にばっかり何度か出くわし、根に負けた末、「エミヤ」とだけ名乗った。

 以来、何故かこの3人に懐かれている。

「3人とも、元気そうでなによりだ」

 ふむ、とそれぞれの格好を見回す。

 3人は3人とも浴衣に身を包んでいた。

 色黒の肌が健康的な楓は、藍色地に桔梗柄、帯は灰色が地だが、色鮮やかな花模様に包まれていて地味さはどこにもない。左下に一匹だけ描かれた赤い蝶が印象的だ。落ち着いた意匠の浴衣は、元気で活発な彼女には合わぬと思いきやなんのその、呉服屋の娘で普段は着物で過ごしていると聞くだけあって、よく似合っている。

 鐘は、白緑地に、白鶴と月をあしらい、大人っぽく仕上げている。帯の色は老緑と柑子色。唐草模様が慎まし気に描かれている。衣装にあわせて華やかな和柄のポーチを身に着けている辺りが抜け目がない。髪は結い上げ、赤い花飾りを一つ、それが大人っぽい落ち着いた色合いに華を添えている。

 由紀香は、朱色地に流水と和鞠をあしらった浴衣に、山吹色の帯には黄色い小さな花々が描かれたデザインに、結び紐は鮮やかな茜色。全体的に可愛らしいデザインとなっており、赤い花飾りもまた、その印象を強めている。

 三者三様ながらも、それぞれの長所を引き出すようなチョイスだった。

「ふむ、楓も鐘も由紀香もよく似合っている。年頃の娘らしい美しさだ。また、下らぬナンパにひっかからぬよう注意することだな。次も私が助けられる保障などどこにもないのだからな」

 その言葉に3人が照れたように頬を赤らめる。

「かー、もうあんなのにひっかかるわけないって」

「む……前から思っていたが、貴殿は男子のような物言いをよくされるな。まあ、私も人の事を言えんのかもしれぬが」

「あははは……エミヤさんもその浴衣よくお似合いですよ」

 そんなやりとりを繰り広げていると、後ろからおずおずと遠慮がちな声がかけられた。

「あの……」

 今日の連れである、桜だ。

 話においていかれてどうしたものか、と思っていたのだろう。不安を絵に描いたような顔をしている。

「およ?」

「もしや、妹君か?」

「でも、そのわりに似てないぜ」

 3人が興味津々といった風情で桜を見る。

 それに、桜が萎縮した。

「ああ、桜。こちらの3人は……そうだな。士郎や君の兄の学友にあたる。まあ、色々あってな……私とは顔見知りといったところか」

「そうですか」

 士郎の学校の生徒ときいて、ほんの少しだけ桜の警戒が緩む。

「おおう、顔見知りとはレッドのねえちゃん、そりゃつめたいぜ」

「ふむ、まあ確かにそれほど知っているわけではないからな」

「あはは……」

 個性もバラバラながらも仲が良いのだから、全く、本当にこの3人は見ていて飽きないな。

「間桐桜です」

 そう、桜が挨拶をすると、3人は大小は別にして一様に驚く。

「え……間桐ってもしや、あの間桐か?」

「君の兄とはもしや間桐慎二のことか」

「あの間桐くんの妹さん?」

 その言葉に戸惑いつつも桜は……「えっと……はい、そうです」と答えた。

「かー、まじかよ。あの間桐の妹でなんでこんないい子そうな子になるんだ?」

「全く、事実は小説より奇也とはこのことだな」

「あはは……。あ、自己紹介が遅れたね。わたし、三枝由紀香。こっちの子は鐘ちゃん……氷室鐘ちゃんで、こっちは蒔ちゃん……蒔寺楓ちゃんだよ」

 見るからにふんわりとした由紀香の空気に触れたせいか、桜の警戒もまた少しゆるみ、差し伸べられた手を握り返している。

「あ、はい。先輩方、よろしくおねがいします」

 そういってぺこりと頭を下げる桜の様子はとても穏やかで、見ていて安心した。

 

「お、シロねえ、桜、ここにいたのか」

「桜ちゃーん、シロさんおまたせー」

 といってやってきたのは、士郎と大河だった。どうやらこの調子だとイリヤたちが一番遅いようだ。

「あれ? 氷室、蒔寺、三枝。お前ら、なんでシロねえと一緒にいるんだ」

 きょとんと、士郎が3人を見回して首をかしげている。

「げげっ、衛宮なんでお前ここに」

「いや、なんでって言われても」

 その浅黒い肌をした少女の言葉を前に、腑に落ちない顔をして士郎が腕を組む。

「まて、蒔の字。彼女の名前を思い出すんだ」

「えっと……衛宮君、今エミヤさんのことを『シロねえ』って呼んだよね。それってもしかして」

「ああ、シロねえは俺の姉だ」

 きっぱりと、士郎はそういいきった。

 その少年の答えを前に、ぴしり、と自称冬木の黒豹である少女が固まる。

「え……えええええええ~~~!? 嘘だ、なんでお前なんかのねえちゃんがこんな凄い人になるんだよ! イリヤ先輩だけで腹切り物だってのによ~~~。レッドのねえちゃん本当なのかよ。衛宮なんかが弟なんて、嘘だよ、な、な?」

 なんらかの希望的観測をつけて私に縋りつく色黒の少女。

 ……何故そこまでショックを受けているのか、元・衛宮士郎である私としては複雑な気がしなくもないが、とりあえず答えを返す。

「本当だ」

 がーん。そんな擬音が本当に聞こえてきそうな風体で、少女はあからさまなショックを受けてへこんだ。

「なに? 何の話?」

 話についていけてない虎はしこたま買い込んだ食い物をむぐむぐと消化していた。桜は状況がわかっていても何も言い出せず、ただ苦笑しながら立っていた。

 

 イリヤ達が合流するその直前に、3人娘達は、鐘の「さて、これ以上家族の団欒を邪魔するわけにはいくまい。楓、由紀香、行くぞ」との言葉を合図に立ち去っていった。

 再会したイリヤは、分かれたときのどことなく不満そうな様子は跡形もなく消え去り、今は士郎相手に嬉々として今までの経緯を話している。士郎もそんなイリヤの様子に頬を緩めながら耳を傾けている。

 ふと見ると、隣には舞弥が立っていた。

「祭りとは、これほどにぎやかなものなのですね」

 淡々とした声。

 だけど、どこか羨望のような色が僅かに染み出しているのは、きっと私の気のせいではないのだろう。

「もっとにぎやかな祭りはいくらでもある」

「そうですか……」

 そんな言葉と共に口を紡ぐ横顔を見る。

 老いたな、と思う。

 女性に年齢の話をするのは失礼ではあるが、それでも、8年余りの年月は人間にはとても長い。

 出会ったときは皺一つない若い女だった。

 だが、今は口元と目元に少しばかり皺が浮いている。30も半ばになろうとしているのだから、それが当然だ。寧ろ、8年以上の歳月を経ても全く外見に変化が見られない私こそが異端なのだから。

 私の外見が変わらないのも当然だ。

 受肉したとはいえ、私は英霊の一席。変化などおきよう筈がない。変わるのは髪の長さぐらいのものだ。

 それでも……受けた当初はただ、災難としか思えなかった、小さな凛による呪いが今は寧ろありがたい。『普通の人間のように髪がのびる呪い』といえば、なんとも間抜けな響きでは在るが、人間の外見には髪型もまた大きく作用する。私自身の外見年齢は全く変化していないが、それでも髪型一つで5歳くらいは印象が左右されるといっていい。

 それは、年をとっていないということを誤魔化すのにはとても有益な手だ。

 ……とはいえ、流石に10年も誤魔化すのは難しいだろう。いくら若作りだと言い張っても限界はある。それから考えたら……さて、聖杯戦争のことを抜きにしても私はあと何年冬木で生活ができるのやら。

 偽造戸籍上の私の今の年齢は26歳。あと1年半もすれば第五次聖杯戦争がはじまるわけだが、それを抜きに考えたところで、保って、あと5年が限界というところだろう。

 ああ……でもそんな心配はそもそもいらない。

 これは余計な思考だった。

 そんなことを考えているうちに花火がはじまる。空に打ち上げられる大輪の花。それを前に人々の瞳が輝き、その天上のアートを眺め、見惚れていく。

 人の手で創られ、創意工夫されて残ってきた伝統と職人技の人工の花。

 だが、それは確かに人々の心を打ち、感動を与える一枝なのだ。

「また……」

 ぽつりと、士郎がつぶやく。

「また、みんなで来年見に来ような」

 それにふっと明るい声でイリヤは「ええ、そうね、勿論よ」という。

 二人は花火を見ている。だから、気付いていない。

 爺さんは……切嗣は、哀しげに瞳を細めて、儚く笑っていた。

「親父?」

 静かなことに……返事がないことに気付いたのだろう、士郎が振り向く。それに、切嗣はいつもの顔を装って「ああ……そうだね」と、静かな声で告げ、そして。

「約束しよう」

 そう言った。

 

 花火が終わり、祭りは終わった。その帰り道、私は切嗣の横に立ち、念話で会話を繋げた。

『爺さん』

『ん……? どうしたんだい、シロ』

 まるで好々爺のような顔と口調。しかしその頬はやつれ、指は細くなっていた。それは、なにも歳をとったから、とそれだけの事情ではない。

『保ちそうに……ないのか?』

 僅かな動揺がラインに流れ込んでくる。

『まいったな……』

『どうなんだ』

 第四次聖杯戦争。あれから8年と9ヶ月の歳月が流れた。

 その間、蒼崎の礼装のおかげもあったのだろう。年月を経るごとに力を少しずつ取り戻していった私とは裏腹に、切嗣の力は少しずつ少しずつ、年々弱っていった。

 なんといおうと、最後の令呪が残っている以上、私は切嗣のサーヴァントだ。契約を断っていない以上、受肉していようと今も私と切嗣の間にはパスが通っている。故に、マスターである彼の状態がわからない筈がない。

 ラインから流れる魔力からしても、切嗣の生命力そのもの自体が弱っているのは明白だ。

『保つよ』

 こともなげに、爺さんはそう伝えた。

『来年の約束を反故にする気はない。それに、聖杯戦争がはじまるのは第四次から数えて10年目なんだろう? それまで、保つよ』

『……本当に、か?』

 淡々と伝えられる声。だが、それに逆に不安が過ぎる。

『自分の身体のことは自分がよくわかっている。だから、そんな顔をしなくても大丈夫だよ。君がそんな顔をしていると、イリヤや士郎が哀しむし、僕も見たくないなあ』

『……わかった』

 たとえ虚勢だろうと、それでも信じると決めたのだから、だから私は思考をそこで打ち切った。

 

「もう、シロ、おいてっちゃうよー。ついでにキリツグも、早くきなさーい」

 白いお姫様が元気良く発破をかける。

 その紅色の瞳には明日への希望がつまっていた。

「わかったわかった。今、行く」

 そして空を見上げる。

 果たせるかわからぬ約束を残して、そうして今年の夏も終わっていくのだ。

 

 

 了

 

 

 

 

 

 

 おまけ、「猫好き必死」

 

 

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この後、イリヤの猫嫌い発覚。


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11.メイドと執事のハッピーハロウィン

ばんははろ、EKAWARIです。
今回の話はにじファン時代から増量、書き下ろしSS第四弾の「メイドと執事のハッピーハロウィン」になります。
因みに作中時間では遂に士郎さん高校2年生、イリヤ高校3年生、桜高校1年生というわけで、本編開始の3ヶ月前をカウントするようになりました。
つうわけで、次回から4作続く連作「それぞれの日常」格編が終わり次第第五次聖杯戦争編へ突入します。


 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

「どうした士郎、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をして」

 そういって、ニヒルな笑みを浮かべるシロねえを見ながら、俺はあんぐりと口を開けたまま言葉を失っていた。

 そんな俺を見て、この白髪褐色肌の義姉が何を思ったのかは知らないけど、1つ首を傾げると、少しだけ口元を緩めて、先ほどよりは少しだけ優しい母親じみた視線を俺に送って、労るような言葉で激励の言葉を口にする。

「まあ、なんにせよ、引き受けた以上これは仕事だ。あまり腑抜けな面を晒すなよ」

 ……そういって背を向けるシロねえは。

「言われずともわかってる」

 女の筈なのに、男の俺から見ても悔しいぐらいに様になっていて、格好良かった。

「しろやーん、えみやん、まだ~?」

「今行く」

 そうして今宵限りの雇い主の声に反応して俺はシロねえと並んで店内へと足を運んだ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 ……ここで、とりあえず、これまでの経緯を回想しようと思う。

 まず、始まりはうちの半姉貴分の某虎が原因だった。

 いや、正確にはこの表現は正しくないか。

 藤ねえが、高校時代の同級生だというコペンハーゲンの看板娘、蛍塚ネコさんにある頼み事をされたのが始まりだった。

「お願い、藤村、この通り!」

 そういって両手をパンと合わせながら、最上ものの大吟醸片手に頼み事に来たネコさんを藤ねえが果たして断れたのだろうか。いや、無理だな、トラだし。

 とりあえず、伝え聞きなのでもしかしたら間違っている部分もあるかもしれないが、その内容を纏めたらこうだ。

 なんでもネコさんは酒屋コペンハーゲンの一人娘で、親の仕事を手伝いがてらそのままそこに就職したらしい。

 で、そのネコさんの親父さんが店主なわけだけど、その親父さんというのが時々やらかす人だそうで、常連客との話がヒートアップしていった結果「ハロウィン限定で、メイド&執事カフェイベントを開催するぞー!」とかなんとか酒の勢いで言ったらしく、それが後に常連客の間で拡散して引き返すに引き返せない状態になったんだとか。

 因みになんでメイド&執事喫茶かといったらたまたまつけていたテレビで出てきていたかららしい。特に深い意味はないんだとか。

 ……ハロウィンで変装なら狼男とかフランケンシュタインとかのコスプレのほうが、それっぽいんじゃないのかなあと思った俺は多分悪くない。

 で、娘のネコさんとしては顔面蒼白で「どうしよう」と悩んでいる父を放っておくわけにもいかず、藤ねえを通してハロウィン限定のメイド&執事のバイトを誰か紹介してくれないかと頼んできた結果、こうして俺は執事服に身を包んでいるわけだけど……。

「おい、何を先ほどからじろじろ見ている」

 ……なんでシロねえも執事服なんだろう。いや、メイド服が嫌だからなんだろうけど。

 しかも、超似合う上に凄く様になってて俺よりもかっこいいとか詐欺だ。なんでこんなに似合っているんだ。まるで本職かのように仕草や振る舞いまで様になっているぞ。

「いや、なんでもない」

 そう答えて慌てて視線を逸らすも多分俺の目元は紅くなっている気がするし、多分視線を送るのもやめられていない。そうしてチラリ、もう一度執事姿のシロねえを見てから視線を鏡に移す。

 シロねえとはベストの色違いの揃いの執事服に身を包んだ俺の姿がそこには写っているわけだけど、なんていうか、衣装に着られている状態で知らずガックリと肩を落とす。

 間違っても様になっているとは言えなかった。

 

「士郎、お待たせー!」

 そういって元気な声を上げて今度は笑顔のイリヤが入ってきた。

 その普段見ることのない、クラシックなメイド姿にドキッとする。

 元々、お転婆なところがあってもイリヤは上品だ。

 仕草や振る舞いには匂うような品があって、まさに上流階級の躾を受けてきたことを体現するように、礼とか取らせると優雅で、粗野さは見つからない。だからこそ、足首まで覆うロングスカートタイプのクラシックなメイド姿が凄く似合ってて、強烈なまでに可愛かった。

 髪型もまた、服装に合わせたんだろう。黒いシュッシュで白銀の髪をポニーテールに結い上げ、メイドカチューシャを頭に載せた姿はしとやかさの中の活発さを伺わせて、なんていうか、良い。

 因みに今夜のバイト用である執事服とメイド服は、衣装代節約の為シロねえの手作りだ。

「ふふ、その顔、ご満悦いただけたようね?」

 そう少しだけ意地悪げな、でも優しい声で俺に尋ねるイリヤは狡い。

「最初はとんだ厄介事を大河も仕入れてきたもんだわ、と思ったけど、うんうん。士郎のその顔だけでわたし、許しちゃおうかな~」

 とかいって、上機嫌にニコニコ笑うイリヤに、そういえばと、はたと俺は気付いた。

 イリヤはどう考えても人に仕える側というより、人を使う側の人間だ。

 海外で生活していた時代は実際にお嬢様として暮らしていたとか聞いたことあるし、実際最初この話を持って来られた時は酷く不機嫌だった。それでも可愛い弟や妹を黙ってそんなわけのわからない所に放り込めるわけないでしょとの一言で、最終的に「オーダーを取るだけ」を条件に引き受けてくれたわけだけど。

 そんな風に本来お嬢様として傅かれる立場だった筈のイリヤに、メイド服……つまりは使用人服姿を「可愛い、似合っている」などと評するのはひょっとすると凄く失礼な行為なのかもしれない。

「……悪い」

 不覚にもときめいて、似合うと思ってしまったことに対し、しゅんとうなだれると、イリヤはクスクスと笑いながら「もう、士郎、何を言ってるの」そう言って、俺の頭をその華奢な白魚みたいな手で撫でた。

「士郎は悪くないんだもの、謝らなくてもいーの。悪いのは、後先考えずにこんなこと引き受けた大河のほうなんだから」

 そういって目を細めたイリヤが一瞬凶悪な表情をしていたことは、精神衛生上見なかったことにする。

 そうしていると、イリヤはクルリ、先ほどまでの凶悪な顔はなんだったんだってぐらいいつも通りの表情に戻して、扉の向こうへと声をかけた。

「桜、いつまでも恥ずかしがってないで入ってきなさーい」

 そういっておずおずと入ってきたのは、胸のリボンの色違いでイリヤと同じクラシックなメイド服に身を包んだ後輩の姿だった。

 自信なさ気に俯きがちに恥じらい交じりに入ってくる姿は初々しくて……酷く。

「あの、先輩……? その、わたし似合っていますか?」

 可愛らしかった。

「あ、うん。似合う、似合ってる」

「本当ですかっ」

 そういうと学校ではあまり明るい表情を浮かべることのない、親友の妹は、パァアと控えめながらも嬉しそうに瞳を輝かせながら喜ぶ。

 その可憐さは2年のアイドルであるあのミスパーフェクト、遠坂凛にも勝るとも劣らないと思うんだけど、こうして考えると1年の間で桜のことが騒がれていないのが不思議なくらいだ。

 そんな俺と桜のやりとりを見て、イリヤはハァとため息を1つ吐き出すと、呆れたような声でこう言う。

「桜、使用人服なんかを着て喜ぶもんじゃないわ。そういうのはもっととっておきの服を着たときにおいておきなさい。まったく、貴女も使う側の人間でしょうに」

「でも、わたし嫌じゃありません。このメイド服だって、凄く可愛いです」

 そういって桜は、スカートを抓み、ひらひらとレース部分を揺らして嬉しそうに微笑んだ。

 

「あー、こほん」

 そんなやりとりを繰り広げる俺達を見て、シロねえは咳払いを1つ。

「あと、5分ほどで時間なのだがね、準備はもういいか?」

 そうどことなく気まずげにいうシロねえを見て、ちょっとばつの悪い思いを抱えながら答えた。

「ああ、悪い。もう大丈夫だ。いけるよな、イリヤ、桜」

「ええ、大丈夫です、先輩」

「まあ、一度乗りかかった船だもの、付き合って上げるわ」

 そういって俺達は、客を迎える為、玄関入り口に向かった。

「おかえりなさいませ、お嬢様」

 

「はい、はい、注文は以上でよろしいですか?」

「かしこまりました、お嬢様」

 ……仕事は思った以上にスムーズに運んだ。

 どうやらハロウィン限定でのメイド&執事喫茶の噂は思ったより広がっていたらしく、本職は酒屋であるにもかかわらず客の殆どが商店街の奥様方だったのは意外な誤算だったかもしれない。

 とはいっても、多分本日限定で店頭販売しているシロねえのハロウィン用手作りクッキーと、シロねえの執事服姿目当てで着ている人が多数派っぽいあたり、嗚呼本当にシロねえって噂通り、商店街のアイドルもといカリスマだったんだなあと変なところで実感させられた。

 ……それにしても。

「ねえ、エミヤさん、この後お暇ですか? 良ければ後でうちでお茶しません?」

「生憎、今日は弟妹と一緒ですので」

 シレッと営業用スマイル付きで断っているとはいえ、さっきからシロねえ言い寄られすぎじゃないか?

「……なんでシロねえ、モテモテなんだ」

 それも女の人ばっかりに。

 いや、確かに今日のシロねえはいつもの3割増しぐらいかっこいいけど、なんで女にモテモテなんだよ。なあ、これおかしくない?

 そりゃもう1人の執事域である俺は衣装に着られている始末だけどさ、なんでシロねえあんな女……というかマダム連中? にモテてんだよ。

 いや、おかしくね? これおかしくね? シロねえ女だぜ? まあ、そりゃ下手な男よりはかっこいいけどさ。

 とか思っていると、ゴンと黒い盆で頭を打たれた。

「って!」

「仕事中によそ見をするとは良い度胸だな、士郎。そんな暇があるのなら、さっさと5番テーブルに注文の品を運べ。何度も言うがこれは仕事だ」

 そうシレッとした顔で吐き捨てるシロねえはどこまでも容赦がない。

 だけど、言ってることは正論だ。

「わかっているよ」

 そう答えて踵を返すと、シロねえは少しだけ満足げに口の端だけで笑うと、今度は厨房の奥に向かった。

 因みに、今夜のバイトは4時~8時までの4時間であり、今日のイベントのメイドと執事として雇われたのは、シロねえ、俺、イリヤ、桜の4人だけだけど、シロねえ自体は今日1日の契約らしく、このハロウィン限定メイド&執事喫茶の料理の殆どもシロねえが作って事前に用意したものだ。

 とはいっても、コペンハーゲンは元々酒屋が本職なのもあり、メニューは酒のつまみにも合いそうな軽食ばかりだったりするんだけど、それでも試食に参加したネコさんが感動のあまり美味しい美味しいとおかわりを食べたがったあたり、どんなクオリティのものだったかは想像に難くないと思う。

 俺としては流石シロねえというべきなのか、またかよシロねえというべきなのかはよくわからない。

 それと5時になったら「特別なお客様」が来るとかで、奥様方相手の営業は4時45分ぐらいで1度終了らしい。そのお客様が「誰」なのかはシロねえは知っているらしいけど……切嗣(じいさん)にははぐらかされたんだよなあ。イリヤや桜は知っているんだろうか?

 それにしても、シロねえ、本当に執事服がよく似合うな……。

 そうこう思って働いているうちに、奥様方の数は1人、2人と減っていった。

 そして、5時になり、入ってきたその「お客様」の姿に、あんぐりと口を開けて、つい驚いた。

「「「こんにちはー!」」」

 そうして愛くるしい高い声で舌足らずに重ねられる様々な仮装に身を包んだ子供達。わらわら、わらわらと多分20人はいるんじゃないかっていう彼らは魔女の扮装やら、吸血鬼の扮装やらに身を包んでいて、保母さんらしき女の人に連れられ現れたんだから、吃驚するなってほうが無理だろ。

「エミヤさん、今日はお招きいただきありがとうございます。子供達も先日から楽しみにしていたんですよ」

「いえ、こちらこそ」

 とか頭下げあいしているそこの大人2人! なんだよどういう関係だよ、それ。

 っていうか、シロねえ、どこまで顔が広いんだ!?

「それじゃあ、みんな、せーの」

「「「とりっく・おあ・とりーと! おかしをくれないといたずらしちゃうぞ!」」」

 その言葉を合図に、シロねえは家族でも滅多に見ない綺麗な微笑みを浮かべて、「どうぞ」と店頭販売していたクッキーとは別の、子供好みだろう様々な愛くるしい形をした手作りビスケットを一袋ずつ配っていった。それを手伝うように桜も配っている。って。

「おい、士郎。オマエも手伝わないか」

 全く、気が利かない奴だ。少しは考えろといわんばかりの口調に、少しだけ面白くない気持ちになりながらも「今行く」と告げて、俺も子供達にシロねえが予め用意していたビスケットの袋を配っていく。

「うわあ、すげえ」

「おれ、おれヒコーキのやつがいい!」

「わたしネコちゃん!」

「人数分ありますから、大丈夫ですよ。はい、大切に食べてくださいね」

 そういって微笑む桜の顔も凄く柔らかくて、ひょっとして桜って子供好きだったのかなとそう思った。

 そんな風に配っていると、奥から今夜の雇い主であるネコさんが盆にオレンジジュースを入れたコップを沢山乗せて、いつもの目を細めた笑顔のまま登場した。その後ろには同じくオレンジジュースを入れたコップの盆をもったイリヤが控えていて、どうやらシロねえの手伝いでなく、ネコさんの手伝いをしていた事が伺えた。

「はいはい、チビッコども集合~。サービスのオレンジジュースだよー」

「わぁ、ありがとうおねえちゃん!!」

 そういって嬉しそうに笑う子供達は見ているだけで微笑ましい。だけど、まさか「オーダー以外手伝わないわ」と宣言していたイリヤが手伝っているとは思わなくて、こっそり俺はイリヤに訊ねた。

「いいのか、イリヤ」

「仕方ないでしょう。弟や妹にやらせるだけ、というわけにもいかないもの」

 といいながら、複雑そうな顔で成り行きを見ているイリヤはやっぱり、別に子供が好きってわけではないらしい。それでも、手を差し伸べてくれるあたり……。

「なに?」

「いや、やっぱり俺、イリヤのそういうところ、好きだなあって思って」

「……まったく、褒めたって何もでないわよ? 士郎」

 そういって、笑うイリヤは満更そうでもなかった。

 

 シロねえは相変わらず子供達の相手をしている。桜は女の子達に引っ張りだこだ。にこにこ笑顔で嬉しそうに子供達の相手をしている桜は様になっていて、いつもよりも楽しそうで、将来保母さんにでもなればいいのになって思った。多分凄く似合うし、天職じゃないか。

 そう思っていると、俺の執事服の裾をぐいっと引っ張る気配があって、俺はそちらへと視線を落とした。

 そこにはいかにもやんちゃそうな少年が2人。

「なあ、あの白いかみのにいちゃん? ねえちゃん? 性別どっちなんだ?」

 とか訊ねてきた。

「えっと」

 白いかみのにいちゃん? ねえちゃん? それはひょっとしてシロねえの事なんだろうか?

「なあ、どっちなんだよ、にいちゃん」

「なんであのにいちゃん、胸があるんだよ」

 いや、普通胸があるってことは女だって思わないか? とは思うけど、相手は推定4歳児、そんなこっちの理屈は通じないらしく、俺は頭をポリポリ掻きながら「あー、とだな、シロねえは、あそこのお姉さんはだな、女の人だ。男じゃないぞ」とそう答えた。

 けれど、その俺の答えじゃ納得出来なかったのか子供達は「えー、おんななのにあんな格好してるのかよ、変だよー」とか言ったかと思うと。

「にいちゃんよりもかっこいいのに!」

 とか答えた。

 ……子供は正直ダナー。凹んだのはここだけの話だ。

 

 この後も、一通り唄って、食べて、子供達はシロねえや桜、俺などと遊んだ後、6時前に保母さんに連れられて「お邪魔しましたー」の言葉を合図に帰っていった。

「いやあ、子供たちは元気だねえ、えみやん」

 とかいってにこにこ笑っているネコさん。

 因みにねこさんは俺の事をえみやん、シロねえをしろやん、イリヤをイリヤちゃん、桜を桜ちゃんと呼んでいるわけだが、何故俺がえみやんかっていったら、「だって、そのままじゃしろやんと被っちゃうっしょ?」とのことらしかった。

 けれど、それにしても。

「なんで、酒屋なのに子供達を招いたりしたんです?」

 と覚えた疑問を口にすると、するとネコさんは少しだけ困ったように眉を寄せたかと思うと、「にゃっはっは」と笑って、こう答えた。

「そりゃあこれがえみやんのお姉さんへの謝礼だからさー」

 とのことだった。

 なんでもネコさん曰く、最初今回の件で迷惑かけた謝礼はバイト代込めて金一封で支払うつもりだったらしいけど、それをシロねえは断ったんだそうだ。

 その見返りとして提示したのが、すぐご近所の保育園に通う園児達へのハロウィンパーティーへの場所の提供だったらしい。故に、子供達をここに招いてもてなすこと自体がシロねえへの謝礼だったんだそうで、結局、この件についてシロねえは金を一銭も受け取らないんだそうな。

 ……なんだよ、それ。

 チラリと後片付けをするシロねえの横顔を見る。

 凛とした立ち姿に高い背丈。長い白髪。やや広めの肩幅に、褐色の肌。滅私奉公を体現したような、無骨にして愚直な……生き方。

 ああ、そうとも悔しいぐらいにシロねえはかっこいいさ。やったことだって、良い事をしたんだと思う。だけど、見返りを一切求めないそのやり口は……あまりにも寂しい。

 独りじゃないのに。

 そんな生き方は哀しい。

 でも、同時に凄く自分が情けない。要するに俺は、シロねえにまだ頼られる価値もないってことなんだから。

 嗚呼、もう本当悔しいな。出来ない事だらけだ。

 それでもきっといつか、あの背中に追いつく。追いつけると信じたいから。

「ぼうっとするな、士郎。まだ一般客相手の時間が残っているのだからな」

「わかっているよ」

 だから、今はまだ服に着られているばかりの身だけど、少しでも一歩ずつ前へ進んでいこうと思う。

 いつか胸を張って追いつける日が来るように。

「いらっしゃいませ!」

 

 

 了

 

 

 

 

 

 

 おまけ、「斜め上誤解」

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 



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12.それぞれの日常 衛宮・S・アーチェ編

ばんははろ、EKAWARIです。
今回含めてあと4話終われば「束の間の休息編」は終了いたします。
というわけで、それぞれの日常編では後書きのほうで、キャラ紹介や第五次聖杯戦争編の予告漫画の再収録などしていきますので、宜しくお願いします。

PS、因みにレッドヒーローの伝説を作り上げ広めた犯人は某冬木の黒豹と恋愛探偵だ。


 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 朝の4時半、夜明けと共に私は目覚める。

 まず始めに、洗濯機をまわし、屋敷中を音を立てないように掃除をする。余裕があれば草むしりや庭木の剪定もこの時済ます。

 それから、約20分ほど外へとランニングに出かけ、帰ってきたら手と顔を洗い、洗濯物を干し終えると、朝食と弁当の下ごしらえへと取り掛かる。

「おはよ、シロねえ」

 そうこうしているうちに士郎が目覚め、朝食の手伝いを申し込んでくるから、一品ほどおかずを任せ、残りの仕上げへとかかっていく。

「ふぁあ、士郎、シロおはよう」

 朝6時を過ぎると、眠そうな顔をしたイリヤが居間へとやってくる。

 高校3年にもなり、部活にも所属していないのだから本当はこんなに早く起きる必要はないだろうに、それでも切嗣より後に来るのは嫌らしく、出来る限り早起きを心がけているらしい。

 殊勝な心がけだ。

 といいたいところだが……あれは、父親への対抗心からきたところがでかいと見た。

 だが、まあ、それはあくまでイリヤと切嗣の問題だ。他者が横から口を出すのは野暮というものだろう。それに早起きは三文の徳ともいう。切欠は何にしろ、早起きは悪いことではない。

「おはよう。味見するかね?」

 そういって卵焼きを一切れつまんで差し出すと「うん、ありがとう」と微笑んで口にするあたりが、なんとも愛おしい。

「うん、美味しい」

 そういってにこにこと、イリヤは私と士郎のエプロン姿を眺めて大人しく朝食が出来上がるのを待っている。

 士郎とシロのエプロン姿を見るのが好きなのよ、と彼女が私達に告げたのは随分昔のことだ。

「おっはよ~~~~! うーん、今日もいい匂い! シロさん今日の朝ごはんな~に?」

 と、そんな風に朝食を作っていると、どたばたと忙しい足音と共に、元気な声が玄関から響いてきて、思わず苦笑する。

「今日は納豆と、豆腐とワカメの味噌汁、鯖の煮付けに、青菜のおひたしだ。ああ、自家製の胡瓜の浅漬けも出そう。楽しみにしてくれているのはありがたいがね、君も女性としての慎みをもってだな、廊下を走ったり叫ぶのはやめたまえ、大河」

「は~い」

 そうやってにこにこと答えるのは小さな子供……などではなく、れっきとした成人を迎えた大人だ。

 ……一応。

 そうやって無邪気に答えたのは、明るい茶髪のショートカットに、幼くさえ見えるだろう、知らぬ人間が見たならかわいいという感想をもってもおかしくない顔立ちをしており、虎柄の衣服を好んで身に着けている、元気な女性だ。名を藤村大河という。

 元々はこの衛宮の屋敷を管理していた藤村組の孫娘で、切嗣に懐いており、今では2日に1度は朝飯と夕食を一緒に囲んでいる。厳密には違うが、半同居人のようなものだ。

「おはよう。大河ちゃんは今日も元気だね」

 そういいながら、にこにこと入ってきた我が家の大黒柱たる衛宮切嗣(ちちおや)は、新聞を片手に定位置へと腰をかける。

「あ、切嗣さん、おはようございます」

 切嗣の出現を合図にするように、ぱっと、大河の顔が輝く。

 それにタイミングをあわせるように士郎の声が呆れたような響きを乗せて、じとりとした視線と共に大河へと向かって行く。

「藤ねえ、顔出すのはいいけど、たまには少しくらい手伝えよ」

 むっすりとした顔でそう声をかける士郎の手には、大皿が2枚のっている。

「何よ、やらないのはイリヤちゃんも同じじゃない。ふんっだ、そういうの贔屓っていうんだからね。全く、おねえちゃんは哀しいわ。すっかり士郎ったら生意気に育っちゃって」

「あら、それは大河が相手だからよ。士郎はわたしにはいつだって素直だわ。それに、二十歳を越えても祖父からお小遣いをもらっている大河とわたしを一緒にしないで欲しいんだけど? 頻繁に家に来て、シロの料理を平らげていくくせに、いい歳をした大人が食費すらいれないのはどうなのかしら? 食費を払わないというのなら、手伝いくらいして然るべきだと思うけど? それが嫌なら、諦めて実家で食べてきたらどう?」

 にっこりとした、これでもかってほど綺麗な笑顔で一息で告げられたイリヤの言い分に、大河は涙目だ。

「う、う、う、シロさ~~~ん」

 虎はがばりと、そのまま茶の用意をしていた私へと突進してきた。

 とりあえず、身動きできない状態で一言いわせてもらうとすれば……。

「……何故、私に抱きつく?」

 最初は切嗣目当てで、私を敵視すらしていたのも関わらず、気付けばいつの間にか私に懐いていた猛獣を前に、思わず途方にくれた声で呟いた。

 

 朝の7時半、学校へと出かける士郎とイリヤ、大河を見送った後食器を洗い、ゴミ出しへと出かける。

「おはよう、エミヤさん」

「ああ、おはようございます」

 近所の奥様達に話しかけられて、慇懃無礼にならない程度に笑みを浮かべて会話をかわす。

 ……本当はこういうのは苦手なのだが、近所づきあいを無視するわけにもいかないし、奥方達の情報網を甘く見るわけにもいかない。もしかしたら、ここでしか聞けない話もあるかもしれないので、会話にのる。

「そうだ、エミヤさんこの間は助かったわ。もう、買い換えるしかないかと諦めてたから……」

 そういって、つい先日、動かなくなったビデオデッキの相談を受け、修理したことについて思い起こす。

「機械の方が完全に壊れていたのなら修理しようがありませんが、あれくらいでしたら、なに、大したことじゃありませんよ」

「またまたそんなことをおっしゃって、素人目から見ても業者よりも手際がよくって凄かったですよ。エミヤさん、昔は修理屋に勤めていたりしたんじゃないんですか?」

「まさか」

 軽く首を振って返事とかえす。

「あたしは助かりましたけどね、でも本当にお礼はいいんですか? 少しくらい……」

「いや、結構。困った時はお互い様です。それに対価なら既に頂いていますから」

「え?」

 不思議そうに首をかしげる中年女性の様子を見て、口の端を知らず吊り上げる。

「貴女の笑顔ですよ。私への礼というのならあれで充分です」

 目の前の奥さんの顔が急に赤らむ。

「あらあら……まあまあ……」

 見れば、他の奥方達3人もどことなく照れたような顔をして私をじっと見ていた。

 ……む? 私はそれほどおかしなことを言っただろうか?

「エミヤさんって本当変わってるわねえ」

「エミヤさんが男の人だったら、わたし、絶対ファンになっていましたよ」

「ふふ、エミヤさん、今度はあたしの家の水道管のほう見てもらってかまいませんかね? なにせ最近調子が悪くて」

「ふむ……構いませんよ。いつ頃が都合がいいですか?」

 

 ゴミだしから帰ってきた後は、その時その時の予定に従って行動する。

 今日は、新都のヴェルデにあるレストランのひとつで、新人への研修指導を頼まれている。時間は二時間ほど。

 その後は深山町に戻り、マウント商店街の骨董屋で、真贋の見分けの鑑定の指導、商店街に戻り夕食の食材を買い込み、帰宅といった予定だ。

 いつ消えるかわからない身でもあるから、1つの仕事だけに従事することは殆どないが、それでも人として生きている限り先立つものは必要だ。

 故に、私の予定は毎日日替わりでめぐるましく変化しており、確実に確定しているのは火曜と木曜の週2回開いている料理教室くらいのものだが……頼まれ始めた時から約9年。そろそろ、潮時かと思っている。

 思っているのだが、想像以上に評判がいいせいで、中々やめるきっかけがないところが辛いところだ。

 とまあ、そんなことはおいておこう。

 そろそろ出る時間だ。

 指導を頼まれているといっても、特別な格好もいらない。必要なものは全部向こうが用意している。せいぜい買い物用のマイバックと財布があればそれでいいといったところだ。

切嗣(じいさん)

 眼鏡をかけて、かたかたとパソコンを操作している切嗣に声をかける。

「ん? 出るのかい?」

「ああ、今から出てくる。昼食は冷蔵庫の中にしまっておいたから、くれぐれも買い食いなどはしないようにな」

「はいはい」

 苦笑しながら答える切嗣だったが、はっきりいってこの人がこういう態度をとっているときはあまり信用がならないのだ。

「それと、出かける時はちゃんと戸締りをしてからいってくれ。爺さんに限って忘れたりしないだろうが、最近の貴方は注意力も散漫気味だからな。私の帰宅時間はそれほど遅くはならないだろうが……なんだ?」

 見れば、くすくすと切嗣は笑っていた。

「いやね、本当にシロはお母さんみたいだなって」

「誰が母親だ。誰が」

「この家の、だよ」

 それがあんまりにも穏やかそうな顔だから、怒るのも馬鹿らしくなってきて、思わず重いため息をつく。

「からかうのなら、他所でやりたまえ」

「そういうのじゃないんだけどな。まあ、シロは頑固だから仕方ないか」

 にこにこと笑う顔はどこまでも食えない。

 あと、頑固とはなんだ。

 アンタには言われたくないし、そもそも私が元は男だと知ってて何故母親に例える。

 嫌がらせとしか思えないのに、この人だけは結局私は憎めないように出来ているらしい。

 まあ、有体にいうならどうでもいいような気がしてきた。

 考えるだけで頭が痛いし、無駄だ。

 これを言ってきたのが士郎だったらもっと遠慮なく怒鳴れるというのに。

「シロ? 顔が怖いよ? 折角可愛いんだから、そんな顔をしていると勿体無いなあ」

「ああ、ったく。貴方は。ああ、もういい。伝えることは伝えたからな」

 ふい、と背中を向ける。

 今日は快晴だ。この調子だったら洗濯物は綺麗に乾きそうだ。

「……父さん、行ってきます」

「うん、シロ、いってらっしゃい」

 

 さてさて、頼まれていた件のレストランの新人への研修講師は無事に済み、さて、深山町へ向かうかと思った矢先……少しだけ困ったことになった。

(何故、こんなことに……)

 思わず呆れ混じりのため息が出そうだ。

「なあ、ねえちゃんちょっとくらいいいだろ?」

「何、もしかして日本語わかんない? ファック・ユーOK?」

「男ばっかりでかわいそーな俺たちと、たのしーことしようぜ?」

「そうそう。痛いことはしないからさ」

 1人で歩いていたのが原因か、気付けば6人ほどの柄の悪そうな、如何にも不良といった感じの男達にかこまれていた。というか、1人が最初話しかけてきたのだが、全くどこから這い出てきたのやら、無視していたらどんどん膨れ上がって6人になった。

 じっと、男達を見回す。

 どいつもこいつもにやけづらしてて、図体ばかりでかい青二才だ。大方、年中女の子をオトすことやらしか考えていないような連中なんだろう。

 あわせて男6人の言い分から判断するとするなら、私の肉体目当てで近づいてきたナンパ連中といったところか。というか、露骨すぎてそれ以外に受け取りようがないが。

 あまり嬉しくない現実ではあるが、現在の私は見た目も肉体も女だ。それも若い女だ。やつらの視線には、欲情交じりの下種びた色がのっている。

 げらげらへらへらした顔といい、どことなく慣れた動きといい、集団レイプなども経験がありそうな奴らだな、とあたりをつける。そういう空気を纏っている。どう見ても真っ当に「女の子とお付き合いする」というタイプではない。

 故に分析するなら、たとえ多少背が高くて近づきがたくとも、一人である私なら襲いやすいと見て声をかけてきたというところか。

 ……まあ、今は夜ではなく、昼間だからそこまであからさまなことはしでかさないだろうが。夜になるのをまてないほど、飢えているという可能性もある。

 だが……。

(……納得がいかない)

 何故、よりにもよって私をナンパする?

 私は別に着飾ってもいなければ、男の欲情をそそるような格好をしているわけでもない。

 黒いシャツに黒いスラックスという、凡そ年頃の『女』とは思えぬほど地味な格好だ。靴だって使い古しのスニーカーだし、外見年齢に似合わず化粧の一つもしていやいない。手にぶら下げている鞄だって、機能性を優先して作られた如何にも無骨なデザインだ。

 それでも、ライダーのような美女であればこのような格好でも声をかけられるのはわかるが、私は生憎そこまでの美形ではない。多分普通か、標準よりは多少見目が良いといった程度だ。

 だが……今までの約10年の月日を思い出してみても、声をかけられるのはこれが初めてではなかった。

 いや、わりと頻繁に声をかけられるほうでさえあるのかもしれない。

 一体、私の何に惹かれて声をかけてくるのやら、理解に苦しむ。

 それとも、女であれば後はどうでもいいのだろうか。

(……いいのだろうな。特にこの手の輩は)

 優越感に満ちた表情を浮かべていた奴らは、私が全く怯えも動揺も見せていないことに気付くと、苛立たしげに舌打ちをしてくる。つまり、奴らとしては怯えた女が好みだったということなんだろう。

 ……こんな連中に情けをかけるだけ無駄だろう。

 これは『女』を食い物にして悦ぶタイプの人間達だ。

 さてさて、ならば、世の女性達に被害がこれ以上出る前に、脅して、『女』への恐怖でも刷り込んでおくか。

「おい、なんとかいえよ」

 ぐいと、リーダー格らしきガタイの良い男が、私の肩を掴もうとしてきたので、そのままその腕をあらぬほうへと捻り上げる。それから流れるような動作で男を巴投げの要領で投げ飛ばした。

「失礼。急に触れてくるものでね、あまりにも驚いてつい手が出てしまった」

「て、てめえええ~~~!」

 永の年月で張り付いた、皮肉気な笑みを携えて、からかうような声音で言うと、男達はリーダー格の男が今あっという間に無力化されたことを忘れて逆上し、私へと襲い掛かってきた。

 ふん……やはり私には、こういう対処のほうが慣れている。

「このアマ、女の分際でいい気になるんじゃねえ!」

「腐れマ○コがッ!!」

「やれやれ、野卑な連中だ」

 右から来た拳をひらりと交わし、1人目の男の腹を蹴り上げて、次に自分にむかってきている男のほうへと飛ばす。2人目の男は、1人目の男にもろにぶつかって、そのまま一緒に転倒。

 その頃には私へとむかっていた、3人目の男と4人目の男の攻撃をひらりと交わして同士討ちをさせ、そのまま一緒に足払いをかけて仲良く倒れこませる。

 それらを見ていて萎縮している五人目の男は首の付け根に一撃、手刀を浴びせ気絶させた。

 残るは、最初に腕を捻りあげて投げ出しておいたリーダーらしき男1人。

 男は、今目の前で起きた10秒足らずの出来事を前に仰天し、腰を抜かしていた。

「さて……まだ、やるかね?」

 にっこりと、笑顔をおまけして意思を尋ねる。

「ア……あ、あ、あ、あんた……もしかして、あの伝説の……」

 ……む?

「冬木に現れたとかいう伝説の紅き女救世主(レッド・ヒーロー)……!」

 おい……唐突になんだ、そのやたらと恥ずかしいネーミングは。

「レッド・ヒーローだって……!?」

「あの、鬼のように強いって言う!? ヤクザにかちこみして勝ったこともあるとか、族を一晩で1つ壊滅させたとかいう噂の!?」

 ていうか、そんなに有名なのか、その恥ずかしいネーミングの伝説。

 そんなものがこの街にあったとは知らなかったな。

「白髪褐色の肌をした20代ぐらいの女だっていうんだから、間違いがねえ」

 ん……? 白髪褐色の肌だと……いくら外国人が多い街でもそんな容姿は1人いるかいないか……む?

 いや、まて……ひょっとしてその恥ずかしいネーミングの主の正体はオレ……なのか?

 寧ろオレ、確定!?

 ちょっとまて、何故私がそんな恥ずかしいネーミングの伝説持ちになっている!?

 いやいや、まてまて……ヤクザにかちこみなんてしたことなんてないぞ。

 せいぜい藤村の爺さんへの鉄砲玉を取り押さえたこととか、夜の巡回の時に、女性に無体を働いていた輩30名くらいをとっちめて、匿名で警察に突き出したことがあるくらいで……あれ……? 話を総合して考えるに、もしやあいつらが族だったのか? そういえば、バイクを全員所持していたような……。

 男達はこわばった眼でオレを見ている。

 く、そんな目で見るな。マジなのか。その恥ずかしい名前の人物はオレなのか。

 ていうか、伝説とはなんだ、伝説とは。

 おかしい……オレは平穏に暮らしている。そのはずだ。目立たないように、普通の人間のように……。

 そう、余計なものに目をつけられたりしないように、士郎とイリヤが普通の生活を維持できるように……そう、してきた……筈……だよな?

 思わず、冷や汗がだらだらと流れる。

「そんな化け物相手に勝てるわけがねえ」

「すみませんっしたー! もう二度と声かけませんから、金潰しだけは勘弁してください!!」

「あ、おいっ」

 ぴゅーっと、逃げ足だけは速く、気絶した男も拾って、蜘蛛の子を散らすようにナンパしてきた男達は去っていった。

 もう少し詳細についてその……れっどひーろーとやらについて聞きたかったんだが……、同時に詳しいことを聞くのも怖く、つい逃してしまった。

(しかし、あれだ……)

 金潰しってなにさ……。

 いや、本当、オレどんな伝説仕立て上げられているんだろう。

 

 と、まあ、今日は予想外のハプニングがあったが、仕事に私情を持ち込むほどは私は落ちていない。マウント商店街の骨董屋で、頼まれていた仕事を済ませ、礼金を手にして商店街の町並みを歩く。

 現時刻は3時半。買い物をする予定だが、それだけで帰るには大分時間がある。

 ふむ、そうだな……1週間ぶりに凛のところに今日は顔を出すか。と決め、買い物を済ませるなり彼女の家に向かって歩き出す。

 確か、最近は実験で家に篭りがちなはずだし、今日この時刻ならそろそろ凛は帰宅している頃合いだ。

(全く、少しは息抜きをしろというのに)

 まあ、私の言うことを素直にきく凛というのも、なんだか気持ちが悪いのだが。

 そうこうしているうちに遠坂の、丘の上の洋館へと辿り着く。

 コンコン、とノック。

 凛は若くても優秀な魔術師だ。誰か来たならそれに気づかないはずがない。

「凛、私だ」

『何、またあんた? わたしが最近忙しいって、あんた知ってるでしょ』

 億劫そうな声が魔術で反響して届く。

「全く、つれないな。根をつめすぎるのも悪いと思ってね。食事を作る時間も惜しいだろう君にかわり、夕食を作りに来たというのに……全く、昔なじみに少しくらい優しくしてくれてもバチがあたらんとは思わないのか?」

『……別に頼んだことなんてないでしょ。でも、まあ、いいわ。あんたが作るっていうなら食べる。入って。でも前から言ってるけど、余計なところに入ったら殺すから』

「重々承知している。私が入るのは、居間と食堂と台所だけというのだろう。他人の魔術師の工房に土足で踏み入るほど、私は無作法者ではない」

『どうだか』

 返ってきた声には少しだけ苦笑が混じっている。

 どうやら、いつもの調子を少し取り戻したらしい。

 そんな今の凛の顔を想像してみる。きっと意地悪げな表情を浮かべているんだろう。だけど、それがどうしようもなく、らしいと思って思わず頬がゆるむあたり、私も大概大馬鹿者だな。

「さて、と」

 とん、と追加で買った材料と、冷蔵庫の中身を見比べる。

「作るか」

 

「あんた、相変わらず料理上手ね」

 凛に出した今夜の夕食メニューは、ビーフストロガノフと、半熟卵のサラダ、胃にもたれないあっさりしたコンソメスープに、食後には蜂蜜を少し混ぜたヨーグルト。凛はあまり食べるほうではないから、量はそれなりに調整をしている。

「それは、褒め言葉と受け取っておこう」

「ええ、文句なしの褒め言葉よ」

 ぶっきらぼうな口調だけれど、凛は本当に味わって、じっくり咀嚼しながら、少しばかり早い夕食を楽しんでいる。その姿を見ていると思わず頬がほころぶ。

 同時に、年齢があの時の『彼女』と近づいていることもあり、己の師匠だった存在ではなく、かつてマスターだった少女と出会ったその日のことを思い出す。

 サーヴァントの召喚に失敗しながら、絶対服従なんて無茶な真似をして、片づけを命じた彼女に自分が放った第一声は「地獄に落ちろ、マスター」だったか。その翌日、疲労していた彼女に差し出した紅茶を、彼女は本当に美味しそうに飲んでいた。

 この凛とあの彼女は違うことはわかっている。それでも、仕方ない。

 同じ顔、同じ魂、同じ容姿の限りなく同一に近い存在が、あの時と同じ顔をして私の料理を口にしているのだ。

 これで感傷に浸るなというほうが無茶だろう。

「あんたは、食べないの?」

「ああ……家に帰ったら、家族の分の食事もつくらねばならないからな」

「ふーん、そう」

 そういう彼女の顔は、ほんの少しだけ複雑そうな色を乗せていた。

 凛は、1人暮らしだ。

 この広い洋館で、家族が亡くなってからずっと1人で暮らしている。

 彼女が両親を亡くした彼の戦いから10年、凛にとって家族というものとは無縁になって久しい。

 以前、一度だけ言ってみたことがある。

『家に一度来てみないか?』

 その時凛は、実にあっさりした声と顔で言ってのけた。

『遠慮しておく。他人の家族にわって入るほどわたしは無粋じゃないの。それに、わかってるんでしょ。わたしは魔術師よ』

 それは独りが当たり前だ、と言ったも同然な言葉だったが、その言葉に悲痛さなどどこにもなく、改めて私は遠坂凛という人間の強さを実感したものだ。

「ねえ、アーチェ、そんなにわたしの顔見てるの楽しい?」

 その言葉に意識を目の前の凛に戻す。

 凛は上品な仕草で私が入れた食後の紅茶を口にしている。

「そうだな。君が満足そうに私の作った料理を食べている様は、見ていて気持ちのいいものだ」

「ふーん……」

 凛は、ちょっと肩を竦めながら視線を斜め下におとす。

「ねえ、今度の日曜、アンタ開いてる?」

「……いきなりだな、私の予定など聞いてどうする?」

「いいから、答える」

 はきはきした少女の声に、思わず苦笑する。

「そうだな。開けようと思えば開けられる」

「そう、じゃあ、駅前に11時」

 それは、なにか。私と出かけるという意味か?

「凛?」

「等価交換よ。確かに一度も私から料理も掃除も頼んだことはないけど、貰いっぱなしじゃ気がすまないわ」

 ああ、本当に君は……。

「とはいっても、それでは私のほうが借りが多いことになるのではないかね? 冬木のセカンドオーナーに我が家が魔術師一家であることを黙認して、見逃してもらっている恩を考えれば、私のしていることなどたいしたことではないだろう?」

「……ああ、もう、煩い。このわたしが貸しだと感じているんだから、ちょっとは素直に受け取りなさいよ、この男女の捻くれ者」

 じろりと、凡そ学校ではとてもじゃないが見せられないような形相をして、ミスパーフェクトの異名をもつ少女は私をにらみつけた。

「それともなに? 私の隣の歩くのはそんなに嫌?」

 そういう顔には、先ほどまでなかった不安が少し隠れていた。

「いや……」

 彼女の食器を片付けながら、自分でも10年前は考えられなかったほどの穏やかな声音で本音を押し出した。

「君の隣を歩けるのは、私にとって何よりも光栄だよ」

 

 夜6時、急ぎ足で残りの買い物を終えて帰宅をする。

「シロ、おかえり」

 玄関では切嗣がにこにことした笑みを浮かべて私を出迎えた。

 慣れなかった筈なのに、いつしか当たり前になった光景。

「ただいま」

 こんなやりとりに自分はすっかり成れ、安堵さえ覚えている。

 それが不思議でしょうがない。

「シロ、おかえりっ。桜、きているわよ。ねえ、今夜の夕食は何にするの?」

 そういって、甘えるように笑いながら私の腕を取り上目遣いで覗き込んでくるイリヤは、もう高校3年にもなるというのに、昔から変わらず愛らしい。

「ああ、ただいま、イリヤ。そうだな。桜は洋食のほうが得意だから、今日は洋食にしようかと思っている」

「ふふ、楽しみにまってるわね」

 いいながら、弾むように白銀の髪を揺らしてイリヤは私から買い物袋を預かり、廊下を共に歩く。

 すると居間で「おー、シロねえ、おかえり。桜さっきからずっとまってるぞ。どこか寄り道してきたのか?」と、人数分の茶を出している士郎がそんなことをいう。

「まあ、そんなところだ。……ただいま」

「おかえりなさい、シロさん」

 顔に似合ったおしとやかな声が、静かに響く。桜は愛用のエプロンを身に着けて、まっていた。

「ああ、ただいま。すまなかったな、遅くなった」

「いえ、私も少し前にきたばかりですから」

 そういって控えめに桜は微笑む。

 そんな桜の声を聞きながら手早く手を洗い、私も愛用の赤いエプロンを身に着ける。

「今夜はどうします?」

「洋食で纏めようとは思うが……そうだな、桜は何がいいと思う?」

 逆に問いを放つ。

「私、ですか?」

 おそらくそう返されるとは思っていなかったのだろう。きょとんと、桜が首をかしげた。

「そうだな、今日の課題だ。鳥胸肉をメインディッシュにするとしたら、今夜の夕食には何が良いか、考えなさい」

「えっと、そうですね。あ、先日藤村先生に新鮮なトマトをいただいてましたから、鳥のトマト煮込みでどうでしょう?」

「ふむ、ならば他の付け合わせはあっさりとしたものがよかろう」

「はい、そうですね。なら……」

 そんな感じで、桜との夕食作りは始まった。

 桜が私の元に料理の弟子として通うようになったのは、今から2~3年ほど前だ。その頃はおにぎりすらマトモに作れなかったというのに、今では間違いなく料理上手と呼んでいいほどに成長したことについては、感慨深いものがある。

 

「ふう、ごちそうさまでした」

 今日は虎が来なかった分、全体的に静かで落ち着いた食卓になったと、食後の茶を配りながら思う。

「しっかし、桜料理うまくなったなー」

「本当、本当。とくに肉料理は思わず感心しちゃうくらいだわ」

「桜ちゃんは、きっといいお嫁さんになるよ」

 そんな衛宮一家全員の賛美を前に、桜の顔は真っ赤だ。

「そんな……シロさんの指導がいいからですよ」

「いや、そんな謙遜をすることもない。君が努力してきた、その結果だ。もう数年もすれば、洋食方面では私を抜くだろうさ」

 ぽん、と頭を撫でながらいうと、桜は、恥ずかしそうに、でも嬉しそうに「ありがとうございます」とそう言った。

「でも、シロねえ、桜ばっかりじゃなく、たまには俺にも料理の稽古つけてくれよ」

「ほう? どういう風の吹き回しだ? 私の駄目出しをあれほど恐れていたオマエの言葉とも思えんな」

 からかうように言うと、士郎は、うっと声をつまらせて思わず視線を彷徨わせる。

 それに、ちょっと意外なくらい強めの声で、桜が言葉を発した。

「そんなの駄目です。士郎先輩は男の人なんですから、料理なんて出来なくてもいいんです」

「あら? それって性差別よ? 桜。今は男でも出来て当然の時代なんだから」

 ふふん、と愉快気に答えたのは、白銀の小悪魔だ。

「それとも何? 桜は、士郎が料理できないでほしい理由でもあるの?」

 意地悪げに全部わかっていてわざと聞いてくるイリヤの様子に、桜は顔を真っ赤にそめてたじたじになる。

「そ、それは……」

「な~んてね。ふふ、桜、おもしろい顔をしているわよ? 貴女はもう少し表情に出さない術身に着けないと駄目ね」

「もう、イリヤ先輩ったら。からかわないでください」

「ふふ、ごめんね、桜。好きよ」

 そんな少女2人の姿に思わず和んだ。

 この2人は正反対のようでいて、案外仲がいいのだ。

 と、時計を見る。

 時刻は夜の8時を過ぎたところだった。

「と、桜ちゃん、そろそろ君は家に帰ったほうがいいと思うよ」

 爺さんのその言葉を聞いて、桜ははっとした顔をした。

「そうですね。じゃあ、私、そろそろ失礼します」

「士郎、送ってあげなさい」

「あいよ」

「え、先輩、いいですいいです。わざわざそこまでしなくても」

 その士郎の返答に、桜は慌てたような声で言う。

「よくないよ。女の子に夜道を歩かせるわけにはいかないからね」

 とは、切嗣の談。

「そうよ、桜。こういう好意はありがたく頂戴するのが、レディの礼儀よ」

 そのイリヤの言葉が決定稿になったようだ。

「……ええと、それじゃあ、先輩、よろしくお願いします」

 そういって、ぺこりを頭を下げる桜。

 それを前に、士郎は本当に明るい笑顔を浮かべて、手を差し出す。

「何、こんなでも鍛えてるからな。そんじょそこらのやつに負ける気はないから安心していいぞ」

 桜の心配をどうやらずれて認識していたらしい。

「ええ、頼りにしています」

 そういって笑う彼女の顔は、本当に華やかだった。

 ただ……。

「いってらっしゃい。士郎……送り狼になっちゃ駄目よ?」

 というイリヤの台詞が、なんとなく場をかき乱したりしたわけだが。

 

 風呂から上がり、髪をかわかした後、切嗣(じいさん)が取り込んでいた洗濯物にアイロンをかける。

「シロねえ、あがった」

 そうやって家事を順次片付けていると、がらりと戸を開けて、ガシガシとタオルで頭を拭いているいまだ濡れ髪の士郎が居間へと現れた。

「イリヤと、切嗣《じいさん》は?」

「もう、二人とも『土蔵』に入った」

「そうか。では、いくぞ」

 ぱきり、そんな音が聞こえた錯覚が襲う。

 夜の10時。この家の結界は受け入れるものから、魔術を包むものへと変化する。

 日付が変わるまでの約2時間、ここは暫し異界となる。

 士郎と2人連れ立って、道場へと足を踏み入れる。ここが私と士郎の修練場だ。

「さあ、オマエの今の力を見せてみろ」

 すっと、士郎が手を構える。

「…………投影開始(トレース・オン)

 

 士郎に魔術と剣、そして生きていく戦術や戦略などを教えるようになったのは、この家に住むようになってから1年目のことだった。

 私と切嗣が第四次聖杯戦争の10年後にはじまる第五次聖杯戦争と関わる事を決めたのはかなりの初期だ。

 その時、私と切嗣にとって問題だったのは、この世界のイリヤと士郎のことだった。

 聖杯戦争に関わるということは、家族であるこの2人もまた危険に晒すということだ。

 聖杯戦争中も家族と暮らすなど、人質として狙ってくださいというも当然だし、それに、あの時私も切嗣もあまりにも弱体化していた。

 そう、聖杯戦争に関わりながら、2人を守りきる自信なんて双方共になかったのだ。

 だから、これは賭けだった。

 10年後の聖杯戦争で生き延びさせることだけを目的に2人に魔術を教える。

 だが、それも本人の意思を確かめた上でのこと。

 決して「英霊エミヤ(わたし)」の如き存在にはならないと確信が持ててこそ、初めて行えることだ。

 魔術師になるか否か、そのテストを施した末に結論する。そして、その上で一般人として生きさせる場合は、聖杯戦争がおきる時期になれば、本人がどれほど嫌がろうと問答無用で海外へと逃がして、決して期間中は帰ってこないようにする。それが予め切嗣と話し合い、決めていた結論だ。

 そして、その賭けで士郎は、勝った。

 魔術師ではなく、魔術使いになる。けれど、その時答えた士郎の答えは、本質的に生前、衛宮士郎と呼ばれていた時代の私が出した答えとは違うものだったのだ。

 だから、私はその時、士郎に本物の聖剣の鞘を埋め込んだのだ。

 私の属性と起源は『剣』だ。

 だが、その属性が培われたのはアヴァロンが体内にあったからだし、元より私に魔術の才能などない。その辺については並行世界の同一存在である士郎もそれは一緒だろう。

 ならば、同じもの以外果たして私に何が教えられる。

 何を残してやれるというんだ。

 本当は、アヴァロンを埋め込むこと自体危険な賭けだと知っていた。

 既に幼くして私と道を違えた存在なれど、元は同一人物である以上、私と同じ道を辿る可能性を増やすようなものだからだ。

 でも……。

 この世界の士郎は、やっぱり私にはならないのだろうとそう思うのだ。

 この世界の士郎は、私と違って壊れてなどいない。

 歪むこともなく成長し、あどけなく笑う事が出来る無邪気な少年だ。

 だからきっと、同じにはならない。

 それは、それも一つの救いだった。

 私と同じ道を辿るのは私だけでいい。私だけど(オレ)じゃない。だからこそ私はこの『衛宮士郎』に安心する。

 けれど、アヴァロンを埋め込んだ士郎はやはり、産まれ持った能力自体は私と基本的に同じなのだ。

 その力をどう伸ばしていくのか考えるのは、思ったよりもずっと充足を覚える行為だった。

 士郎は、私から魔術も剣も学んでどんどん強くなっていった。それは、過去の私とは全く別の過程。衛宮士郎にはこんなにも可能性が残されていたのか、と驚愕と感心、愛おしささえ感じた。

 それはきっと、この衛宮士郎が、かつて自分が「為ったかもしれない」存在であれど、どこまでも異なる別人であると知っているからこそなのかもしれない。

 

「こんなものがオマエの実力か?」

「ッ、まだまだ」

「基本骨子が甘い!そら、幻想が崩れるぞっ」

「くそ、投影開始(トレース・オン)!」

 互いに投影魔術で剣を作り出しながら、討ち合いを続ける。

 はあはあと息切れをする士郎は、それでもその琥珀色の瞳にいまだ闘志を漲らせている。

「ッ」

「そら、足元ががら空きだ。足元をおろそかにするな。油断をするな。全身を目にしろ。敵がどう動くのか幾千ものシミュレートをたたき出せ。格上の相手に勝つ方法を考えて考えて考え抜け。勝てないのなら勝つ方法を用意しろ」

 返事をする余裕は既にない。だが、どんな攻撃を喰らわせようとも、士郎はもう目を閉じたりなどしない。

 士郎は強い。弱体化した私にすら及ばぬ始末とはいえ、年齢を考えれば充分すぎるほど強くなった。

 人間は英霊に勝てない。だけど、おそらくは今の実力なら、サーヴァントに一撃では殺されずに、なんとか助けを呼ぶ間ぐらいは持つくらいには強くなっただろう。

「うああアアアッ……!」

 気迫の声をあげる。そして踏む込んできた少年を私は真っ向から受け止めた。

「来い、士郎ッ」

 

 そうして夜が更ける。

 

 

 了

 

 

 

 

 

 

 おまけ、「オマエに言われたくない」

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 




 第五次聖杯戦争編・登場人物プロフィール


 衛宮一家編。

 
【挿絵表示】


         

【名前】 衛宮・(シロウ)・アーチェ
【性別】 女性(本人は内心否定したい)
【身長・体重】174cm58kg
【スリーサイズ】B93W61H91
【備考】
 原作UBWルートにて、過去の自分に答えを貰い、そのまま何故か連続で座に戻る事もなく、第四次聖杯戦争に参加した並行世界の養父・衛宮切嗣に呼び出された英霊エミヤシロウその人。
 ……だが、切嗣に呼び出された時点でうっかりの呪いを受けていたり、女性体になっていたり、途中で髪の毛が普通の人間のようにのびる体質に変わってしまったり、おまけに聖杯の泥を浴びて受肉してしまったり数奇な運命を歩んでいる、この話の主人公。
 物語のヒロイン兼ヒーローであり、ヒロインポジションにいると思ったら突如ヒーローポジションに戻ったり、やっぱりヒロインポジションになったりと、とても忙しい人である。
 聖杯の泥の影響で受肉はしてはいるものの、英霊全盛期の2割くらいに能力が落ち込んでおり、魔力の消費を抑えるために普通の人間のように食事や睡眠も取る。
 また、特別性の髪留めをしており、大気中の魔力を少しずつ集めることや貯蔵することが出来る。右手小指に嵌めている指輪は魔力封じの一種で、これによって彼女の魔力量や気配は並みの人間~普通の魔術師程度に抑えられている上、気配も人間そのものに偽装されている。以上、諸々によって指輪が壊されない限り、元英霊だとはまず気付かれない。
 彼女が元英霊だと知っているのは、髪留めと指輪の提供者である蒼崎橙子と、養父の衛宮切嗣、姉で妹のイリヤスフィール、第四次聖杯戦争に参加していた言峰綺礼、蟲を通して全てを見ていた間桐臓硯、生き残り今はロンドンでエルメロイ二世として教鞭を執っているウェイバー・ベルベット、アインツベルンのアハト翁くらいなものである。あと舞弥さん。
 今は一応人間ということにして、ひっそりと暮らそうとしているのだが、気付いたら冬木の伝説的存在になっており、本人もそこは納得いっていないらしい。あと、火曜と木曜の週2回奥様方たってのお願いで料理教室を開いている。評判はいい。仕事は頼まれたらほいほいやってるので定まらない。
 自分が今女性であることについては大分受け入れられるようになってきているが、完全に女性物の衣服を着るのは凄く嫌。あと、男にナンパされるのは個人的に納得いかない。基本的に老若男女、動物にも好かれる。本人が望む形とは限らないが。
 衛宮家を仕切っており、実質みんなのオカン的存在になっているのだが、本人にそのことを指摘すると怒る。士郎の魔術と剣の師匠でもある。偽名のアーチェは、アーチェリー(洋弓)をもじったものであり、その名前で呼ぶ人間は実質1人しかいなかったりする。
 偽造戸籍上の年齢は第五次聖杯戦争開始時点で28歳。が、英霊なので10年経っても外見年齢は変わっておらず、見た目は20代中盤ぐらいである。


【名前】 衛宮 士郎
【性別】 男性
【身長・体重】167cm58kg
【備考】
 やっぱり衛宮家に引き取られて育った原作の主人公にして、この物語の準主人公。
 原作同様、穂群原学園2年C組に在籍しており、弓道部では現在幽霊部員状態。むしろ半マネージャー。
 穂群原のブラウニーになりかけているが、原作と違って人間的には壊れてはいないし、正義の味方の呪いを受けてもいない。だが、多くの人の役に立ちたいという思いだけはゆるぎなく、強く心にもっている。
 アーチェとイリヤという2人の義姉がいるが、アーチェが自分と同一の起源をもつ存在だとは夢にも思っておらず、普段はアーチェのことは「シロねえ」と呼んでいるが、時々うっかり「母さん」と呼んでしまっては怒られている。
 だって姉というよりオカンっぽいから、仕方ない。
 アーチェには憧れ尊敬を覚えている反面、時々発動するうっかりや、自己犠牲を厭わぬそのあり方には危ういものを感じており、強いことは知っていても、寧ろ完全に守護対象なイリヤよりもアーチェのほうを心配してたりする。
 あと、無報酬で士郎が生徒会の雑用とか引き受けた日にはイリヤが報酬を受け取りにいったりするので、士郎は頼まれごとをするとき、何かしら相手から報酬を貰うようにしているらしい。まあ、ジュース一本とかそんな感じだが。
 本来第四次聖杯戦争後に衛宮士郎が持つ筈だったその辺の歪みは、大分イリヤの頑張りとアーチェという反面教師によって修正されている。
 それでも、正義の味方に対する漠然とした憧れは今も胸にある。
 原作と違って、アーチェに主夫として活動の場を奪われているためか、バイト先は「コペンハーゲン」ではなく、週二回派遣の形で家事代行サービス会社に所属して働いていたりする。んでもって、時々アーチェがどれくらい士郎の家事の腕が上がったのか確認したりしてる。頑張れ未来の家政夫。
 引き取られて1年後からの9年間、元来同一の魂を持つアーチェに剣と魔術を師事してきた為、剣と魔術に関しては原作開始時点の士郎よりもずっと格上。
 だが、毎日調理や家事をしてない分、家事スキルは要領がいいだけで、原作士郎よりもずっと格下だったりする。
 魔力殺しのバンドをしているのと、普通魔術の跡継ぎは一人だけとされる魔術師の常識が故に、完全に一般人と周囲には思われている。
 衛宮士郎であるにも関わらず、幸運値がB~Cくらいあったりするので、基本あまり危険な目に合わない。


【名前】 衛宮 イリヤスフィール
【性別】 女性
【身長・体重】157cm45kg
【スリーサイズ】B83W56H84
【備考】
 士郎の義姉であり、アーチェの戸籍上の義妹である。
 私立穂群原学園3年B組に在籍、元生徒会長。
 魔術師殺し衛宮切嗣と、アインツベルンのホムンクルス、アイリスフィール・フォン・アインツベルンとの間に生まれた、半分ホムンクルスで半分人間という奇跡みたいな存在だった。
 ただし、今の彼女の肉体は人形遣い蒼崎橙子が作った人形体であり、彼女本来の肉体は報酬として蒼崎橙子にもっていかれている。
 彼女本来の身体は、冬木の聖杯の器になるために生まれる前から調整を施されており、そのせいで外見は第二次成長期前の姿でストップしたまま成長することもなく、また、第五次聖杯戦争の小聖杯が故に長く生きることが出来ない運命を背負っていた筈だったが、蒼崎の人形の体に移ることによってそれらの問題は解決した。
 ただし、元の体ほどの膨大な魔力貯蔵量もまた、今の体に移ることによって失われており、今の彼女の魔力量は遠坂凛よりも少し下といったところである。それでも並の魔術師よりは優れているが。
 原作と違って幼い姿ではないためか、10年共に家族として暮らしているからか、士郎を「お兄ちゃん」と呼んだりしないかわりに、よく姉ぶる。
 だが、根本的な性格はあんまり変わっておらず、大河をよくからかったり、士郎大好きスキンシップ大好きだったり、時々誘惑してきたりなんかもする。
 アーチェのことは「シロ」と呼んでおり、彼女に対してもわりと姉ぶる。んでもって、士郎と同一の起源だった存在であることをしっかり認識している。
 だが、元男だと知っていても、あまり気にしていない。
 むしろ、今は女の子なんだから、と内心彼女に可愛い服を着せたくてたまらない。
 拒否られるのはわかっているので、自分の誕生日の時にここぞと着せ替え人形になってもらっている。シロもシロウも自分のもの! と唯我独尊なお姫様であり、実質この物語の第二のヒロインであるといっていい存在。
 どうでもいいが、実の父親である切嗣には冷たい。でも、魔術の師として接している時の切嗣は嫌いじゃないらしい。
 学校での彼女は遠坂凛に並ぶ穂群原二大アイドルの1人で、「雪の妖精」の名で慕われている。現生徒会長の一成は士郎にべたべたしすぎで面白くないので、2人が話をしているとよく割り込みに入る。


【名前】 衛宮 切嗣
【性別】 男性
【身長・体重】175cm67kg
【備考】
 衛宮家の大黒柱。イリヤの実父で、アーチェと士郎の養父。そして、アーチェのマスター。
 10年前、聖杯の泥をかぶり呪いを受けたため、魔術師としての能力はかなり弱体化している。
 だが、原作と違ってアーチェが投影した全て遠き理想郷(アヴァロン)の真名開放によってある程度呪いを浄化したため、未だ存命中。
 とはいえ、呪いの汚染が消えたわけではなく、第五次聖杯戦争開始時点で余命1年を宣告されている。
 そのことを知っているのはアーチェとイリヤ、右腕である舞弥、その体を診た蒼崎橙子くらいのもの。
 戦いが終わって以来、すっかり子煩悩の駄目親父と化している。
 アーチェが士郎と同一の存在で本来は男だと知っていても、その扱いは「娘」。人間、第一印象の影響を受ける生き物だからその辺は仕方ない。アーチェが娘ではなく自分の妻か恋人だと誤解されても、寧ろ嬉しそうにデレデレする。んで怒られる。
 アーチェのことはイリヤと同じく「シロ」と呼んでいる。
 衛宮家に通ってくる間桐桜のことは「桜ちゃん」と呼んで一見可愛がっているけど、実は衛宮家で一番桜を警戒しているのはこの男。蟲とか入ってきたらコロす。
 やっぱり女の子に甘く、だらしない。
 士郎のことも可愛がっているが、元が同一の存在かつ英霊であるアーチェよりは厳し目に接していたり。その辺は性別の差? 息子と認めているからですよ。寧ろ、アーチェ的には「息子」ではなく「娘」にカテゴライズされていることのほうが余程理不尽に感じるようです。
 正義の味方という夢に破れた男としては、子供達が幸せになってくれることを、何よりも望んでいる。それだけが唯一の願いである。


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13.それぞれの日常 衛宮切嗣編

ばんははろ、EKAWARIです。
今回の話は改めて、切嗣くんは親馬鹿マダオだけど、それ以上にエミヤさんと似たもの同士だなあという話でもある気がします。
エミヤさんも大概ですが、切嗣くんも本当どうしようもない上にめんどくさいなあ……。



 

 

 

 side.衛宮切嗣

 

 

 この時間が、僕はとても嫌いだった。

 嗚呼、今日は何の夢を見るのか。ナニの記憶を見るのか。

 どろり、どろりと、黒い膿が広がる。

 それは僕の体と心の双方を責め立てていく断罪の鎌だった。

 それでも……最初の数年は大丈夫だった。

 だけど、日に日に弱る身体は呪いに対する抵抗力をもなくしていく。

 今の僕に夢に抗う力は殆どない。

 魔力で膿を押し流せば抵抗は不可能ではないけれど、そんな魔力の無駄遣いはしていられない。それほど今の僕に多くの魔力が残されているわけではないからだ。

 そしてまた、どちらの記憶を見ても、決して楽になどなりはしない。

 これは、死ぬまで続く責め苦なのだから。

 

『衛宮切嗣、これで終わりだとは思うな……確かに呪いは多くは打ち消されただろう。だが、オマエはどれだけの時間(・・・・・・・)私の呪いを受けていたと思う? 少しずつ、少しずつ、真綿で首を絞められるように、オマエは苦しみ、そうして死んでいくのだ』

 そう妻の声と姿で言われたのは今から10年ほど昔のこと。

 その言葉通りに、この身は少しずつ死んでいった。

 そして、夜毎に夢を見る。

 生贄として殺されたとある反英雄の夢か。

 それとも、信じてきた全てに裏切られ、剣の丘で死に絶えた赤い男の夢か。

 彼女が『彼』だった時代の夢を見るのは、呪いに汚染されるより以前にもあった。

 だけど、それと今見る夢の違いは、あまりにリアルな痛みや感触、匂いまで僕へと伝えられるという、その差だけだった。

 無論、現実に傷を負うわけではない。

 だけど、夢の中で僕は、その『人物』の受けた痛みや感情まで共有する。

 それが、浄化しきれずに僕の体内に巣食った呪いの力の一端だ。

 嗚呼、今日は『彼女』の日らしい。

 絞首刑にされる日の前夜、看守に暴行を加えられている。

『この悪魔』

『化け物』

『人でなし』

『死ね』

『くたばれ』

 それらの言葉のナイフは、あの子をどれほど痛めつけたのだろう。誰かの笑顔を願ったあの子は、全てを踏みにじられていく。その肉体的な痛みも、精神の叫びも、夢を見ている僕に同化する。

 誰をも恨むことのなかったあの子は、それでも確かに傷ついていたのだ。

 何処までが僕で、どこまでが彼女……否、まだ彼と呼ぶべきか、がわからない。

 まるで、永遠に嬲られて行く様な錯覚。

 

 それらから開放する様に、明瞭な少年の声が遠く反響して響いた。

『親父』

 ああ、漸く……漸く朝が来た。

 

 すぅ、とまぶたをあける。

 くりくりと、年のわりに幼い少年の琥珀色の瞳が、心配げに僕の顔を覗き込んでいた。

 ふ、と口元を綻ばせる。

「おはよう、士郎」

「ああ、おはよう、親父」

 昔は、シロのまねをしていたのか、切嗣(じいさん)と僕のことをよんでくることが多い士郎だったが、高校に入った辺りからは、『親父』と僕のことを呼ぶ回数が増えるようになった。

 些細かも知れないけれど、そんな息子の日々の変化がとても嬉しい。

「その、大丈夫なのか?」

「ん? 何がだい?」

 身体を起こしながら、首をかしげてそう聞き返すと、士郎はばつが悪そうな顔で、でもはっきりと口に出して言った。

「うなされていたぞ。親父、隠しているつもりかもしれないけれど、ずっと夢見が悪いみたいだし、医者にいって睡眠薬とかもらってきたほうがいいんじゃないのか?」

 そう言って向けられる瞳は真剣で、本当に僕のことを心配してくれているのがわかって、だからこそ、困った。

 これは、医者にいったところでどうにもならない問題だから、とそう言うわけにもいかない。

 何故そう言いきれるんだ、と追求されたら困るのは僕だ。

 どうしようか。

 無難なことを言って、話を打ち切るくらいしか、打開策は見当らなかった。

「大丈夫だよ、士郎」

「大丈夫って……どこが……」

「大丈夫だから」

 困惑した顔の士郎に、罪悪感がないといったら嘘だ。

 でも、本当のことを言うくらいならこんなことは大したことじゃない。

 士郎は、追及したいのだろう。

 本当は無理にでも医者に連れて行きたい。そんな顔をしている。

 でも、優しい良い子に育ったこの赤毛の息子は、重いため息を一つついたあと、「先、行ってる。シロねえを手伝ってくるから、爺さんも顔を洗ったらちゃんと来いよ」そういって、立ち上がり、背をむけた。

「うん……ごめんね、士郎。ありがとう」

 

 朝食はつつがなく終わった。

 今日は大河ちゃんが来ていなかったから騒がしさもなく、和気藹々としてはいるけれど静かな食卓だった。

 シロが淹れてくれた食後のお茶を啜りながら、新聞にざっと目を通す。

 其処に記された日付に、その時が近づいていることを感じる。

 イリヤは、一瞬だけそんな僕の様子を感じ取ったような顔をして目を伏せるが、次にはいつも通りの顔をして、「ご馳走様でした」と席を立った。

「士郎、行こう」

 いつも通りの明るい顔をして、いつも通りの無邪気な表情をして、士郎(むすこ)に腕を絡めてじゃれる愛娘(イリヤ)。だけど、彼女もまたこの日常の終わりが近いことに気付いている。何せ、今は違うとはいえ、元は聖杯だ。わからないはずがなかった。

 その上で娘は、日常をそのギリギリまで全うすることを選んだ。

 そして、またイリヤは士郎に異変があることを気付かせることをなによりも嫌った。

 彼女はとうに僕の身体が死に体に近いことなんて知っている。余命1年の宣告を受けていることも。でも、その上でイリヤは平凡な日常を演じることに決めた。

 ……この家で僕の余命が残り僅かであることを知らないのは士郎だけだった。

 もし事実を知って、何故教えてくれなかったのだと、あの子(しろう)が怒ったら、それで恨みを買うのは自分でいいと、そこまで思った上でイリヤは言わないでくれと、そう懇願してきたのだ。

 だから、士郎は何も知らない。

 

「じゃあ、切嗣(じいさん)私も出るから」

 士郎とイリヤが学校に向かい、暫く経ってから、無骨なデザインの買い物鞄を背負ったシロが、ひょいと居間に顔を出してそう告げる。

 その出で立ちはいつも通り、黒の上下のなんの飾り気もない格好だ。長い白髪は一つに結わえて、10年前に蒼崎に貰った赤い宝石の髪留めだけが妙に華やかで目をひく。

 凡そ、年頃の娘の格好とは思えないくらいに素っ気無い格好だが、其れが妙に似合うのだから、少しだけおかしい。

「うん、行ってらっしゃい」

 そうして見送ってから、僕はきたるべき日の為の道具の整備と、結界のシステム改良作業に暫し励んだ。

 

 午後になり、シロが用意してくれていた昼食を平らげると、藤村雷河さんの元へと碁を打ちにいく。

 ついでに色々と世間話も交える。

 雷河さんは以前からイリヤのことを気に入って可愛がってくれている。自然と会話もそちらに流れる。

 だけど、まあ……。

「うちの大河と交換したいくれぇだ」

 という台詞には苦笑しか出てこない。

「大河ちゃんも、あれでいてしっかりしているところはありますよ……と、僕の勝ちです」

「……む? やるじゃねえか」

 今日の戦績は五勝二敗一引き分けだ。まずまずといったところだろう。

 

 適当に切り上げて藤村の屋敷を出ると、若い衆に声をかけられる。

 暫し、話に応じてみる。

 あまり見ない顔だ、と思った聞いてみた所、藤村にきたのは3ヶ月ほど前から、とのことらしい。

「そういえば、衛宮の旦那」

「ん?」

「あの、白い髪に色黒い肌のお嬢さんが旦那の娘さんって本当ですか?」

 ああ、シロのことか。

 まあ、色だけ見たら日本人とは思えないカラーリングをしているし、血の繋がりもないせいで顔立ちも似ていない。本当に親子かと訝しまれるのは慣れていた。

「本当だよ」

 でも、似ているとか似ていないとか、血が繋がっているとか繋がっていないとかは関係ない。

 僕にとってシロは大事な愛娘だ。

「その娘さんって名前なんていうんですか? あ、今付き合っている男とかいたり……」

 ガチャ。

 先ほどまでの和やかな空気を一変させて、感情よりも早く僕の手は動いた。一瞬で懐から愛銃を取り出し、男の即頭部に突きつける。

「ちょ、衛宮の旦那、ストップ!!」

 見た目180cm越えのガタイのいい強面の男は、青い顔をして焦って……とはいえ、下手なことをしたらマジで撃たれるとわかっているのか、暴れたりとかはしていないが、悲鳴染みた声を上げる。

「……僕の娘(シロ)に手を出したりしたら、殺すよ?」

 にっこりと、笑って告げる。

 男はいっそ憐れなほどにコクコクコクコクと、高速で首を縦にふる。

 其れを見て、漸く僕は手を離し、再び懐へと愛銃を仕舞った。

 

 随分とかつてに比べ、衰退した我が身ながら、たとえそれが呪いの汚染からきた弱体化であろうと、家でただ大人しくしているだけでは、更に衰えを加速させるだけだ。

 散歩がてら冬木大橋のほうへと足を伸ばす。

 そしてそれに気付いた。

「ん?」

 海浜公園の付近、ちらりと一瞬見えただけだが、僕が彼女を見間違う筈がない。

 白髪褐色の肌、間違いなく、あれは娘のシロだ。

 とりあえず、木々の間に身を潜め、様子を伺う。

 シロは、困惑したような顔をしている。そして、シロの長身でも霞まないくらいには長身を誇っている若い男が、ずい、と身を乗り出して、シロの両手を握り締めている。その男の行動にシロの顔が引き攣った。だが、男はそれに気づいていないらしく、更に身を乗り出しながら何かをしきりに話しかけている。

(……後で埋めよう……)

 とりあえず、自分の中の抹殺リストに男をのせながら、会話内容に聞き耳を立てる。

「だから、ただのお礼ですって」

「いや、しかしだな、私はただ人として当たり前のことをしただけで……」

「その当たり前のことが出来ない人がどれだけいることか。俺、本当に助かったんスよ。感謝感激です。あ、すみません、自己紹介してなかったですよね。俺、田中将太っていうんですけど。お名前なんていうんすか?」

「……エミヤ、だが……あ」

 うっかりスキル発動。

 つい、ぽろっとという感じで名乗ってしまっているシロ。

 それに男は更に身を乗り出して、聊か大げさすぎる仕草でぶんぶんとシロの手を握り締めたまま、「エミヤさんですか。名前も素敵なんですね! それに、これでもう、知らない人じゃないっすよね」なんてことを嬉しそうな声で言っていた。

「だから、奢りますから今夜付き合って下さいよ。俺、良い店知ってるんです。エミヤさんもきっと気に入りま……」

(こいつ……殺りたいな)

 ぷつん、シロ、お父さんは限界です。

 男の言葉を聴き終わるか否か。即座に2人の元に向かい、ぐいっと、シロの肩を掴んで、べりっと男を引き離した。

「切嗣」

 ほっとしたような声でシロが僕の名前を呼ぶ。

 男は第三者の登場に驚きながら、目を見開いた。

「うちのシロに粉をかけるのはやめてくれないかな?」

 にっこりと、自分でも空々しいほどの笑顔で男へとプレッシャーをかけた。

 男は、即座に顔を蒼くして顔を引き攣らせる。

 本当は殺してやりたいところだけど、シロの前でそんなことするわけにもいかないし、多分実行したら後で怒られるなんてものじゃ済みそうにないので、しょうがないので見逃しているんだ、ちょっとプレッシャーをかけるくらい許して欲しい。

 ぐい、とシロを抱き寄せてみる。シロは驚いたように目を見開きはしたが特に抵抗はしない。

 うん、よしよし、これでバッチリだ。

「……次にシロに近づいたら、殺すから」

「…………かっ」

 男はぱくぱくと口を開いたり閉じたりしながら「彼氏さん付きでしたか……」とごにょごにょとした声で言いながら、ガックリと項垂れた。

 ああ、やっぱり。

 お礼がどうのこうのっていってただシロをナンパしていただけだな。

 そのことをわかってなさそうなのはシロ本人くらいか。

「は?」

 彼氏? と不思議そうな声音で舌にのせるシロ。

「し、失礼しましたー--!」

 ぴゅーっと、男は脱兎の如き勢いで去っていった。

「あ、おい」

 シロはというと、どうしたものかというように、手を半分あげながら、困惑したように首を傾げた。

 ふぅ、と息をつく。

 かつて機械の様に生きていた頃の名残で、僕は気持ちを切り替えるのは早い。

 さっきのため息をスイッチに、苛立ちや殺意を切り替え、にこにこと、普段家でよく携えている種類の笑顔へと変えて「いやあ、僕がシロの彼氏に見えるなんて。もう僕も年かなあと思っていたけど、まだまだ捨てたもんじゃないね」なんてことを冗談めかして口にした。

 すると、シロも漸く「彼氏」といった言葉の意味に至ったらしい。

 そんな顔をしたあと、むっすり。顔を顰めて一言。

「それでなんで爺さんはそんなに嬉しそうな顔をする」

 と、本当に不機嫌そうな顔で言った。

「うん? 父親にとって娘は永遠の恋人という言葉もあるじゃないか。僕にとってシロは可愛い娘だからね。恋人に誤解されるのは悪い気がしないかな」

「あのな、爺さん……」

 シロは、はぁ……と重いため息を一つつくと、一息に自分の意見を口に出した。

「『娘は永遠の恋人』というのは、娘というのは成長すれば、愛した妻のかつてあった若かりし頃の姿に似ていく事から生まれた言葉だろう。実の娘で、アイリと瓜二つなイリヤならばともかく、私にその定義は当てはまらないぞ」

 ……うーん。前からわかっていたことだけど、シロはその辺堅いなあ。

「それより、シロ、なんであんなことになったのか、父さんにちゃんと説明してくれるよね?」

 きりっと顔を引き締めて、真剣な声音でそう問いただすと、「いや、別にわざわざ話すようなことでもないんだが」なんてことをシロは言い出す。

「シロ? 僕がどれほど心配したと思っているんだ?」

 そう言うと、シロは一つため息を再びついてから、口を開いた。

「本当に、大した話じゃないぞ。全く、物好きだな……」

 大したことじゃないか……そう思っているのは多分シロだけだよ。

 少なくともうちの家族は全員僕の意見に賛同すると思う。

「あの男が遠くから歩いているところを見かけてな、財布を落とした様子もたまたまとは言え眼にした以上、見過ごすわけにもいかないと、本人に落ちた財布を届けたところ、なにやら感激したあの男にしつこく礼をするからと食事に誘われて、どうしたものかと思っていたそこへ、切嗣(じいさん)が現れたというだけだ」

 ……どうやら、思ったとおりの展開らしい。

「なんで、すぐに無理だって断らなかったんだい?」

 断らなかったから、あの男は調子にのって増長したんだろうに。

「財布を届けた『礼』だっていうのだ。断るのも気がひけてな」

 そういって、シロは肩を竦めた。

 その表情はあくまでも真面目で、本当に如何にも人の善意を反故にすることを気にして断れなかったといわんばかりだ。……なんでこの子は人の悪意には敏感なのに、それ以外にはこうなのかな。

「シロ。あれはね、お礼を口実にシロをナンパしていただけだよ」

「……は?」

 への字口になってシロはまじまじと僕を見た。

 今は女の子なシロだけど、元は男だったと本人も明言しているし、生前が紛れもない男だったことは、夢を通して僕もまあ知っているといえばまあ、知っている。

 けれど、元が男であるという意識が強いせいなのか、シロは自分が普段男にどういう風に見られているのかということについて、大概鈍感で、どうして自分に惹かれて声をかけられるのかがイマイチ理解し辛いらしく、そういう方面で自分が声をかけられているというのは、相手が余程あからさまな態度や言動をとらない限りは発想すらしないようなのだ。

 というか、元男だからこそ、自分に女の魅力なんてものが備わっているとは思っていないらしい。

 今が女であるという自覚に欠けた、その男に対する一種の無防備さが、声をかけてくる男を更に生んでいるという、この状況に気付くこともまあないのだろうなあと思うけど……その辺きちんと自覚してほしいようなやめてほしいような。

「冗談、だろう?」

「いや、あれは確実にナンパだったよ」

 きっぱり僕が言い切ると、はあ、とシロは再び大きなため息をついて、ぼそり。

「なんで、私なんかに声をかけるのだか……」

 と、本当に理解し難いといった顔をして告げた。

「シロは、もっと今の自分について自覚をしなきゃいけないよ。そんなんじゃ、父さんはずっと心配だ」

 苦笑しながら、諭すような声でそう告げた。

 実際、シロは本人が認識しているよりも確実にモテているし、魅力的だ。

 確かに、言葉遣いは女らしくない。むしろ、成人女性が普通使うような言葉なんて使っていない。

 格好だって、実用性優先の黒一色で女の子らしさからは程遠いし、背だって高くきりっとしている。

 でも料理は上手いし、家事全般が得意だし、気遣いだって上手くて、憎まれ口とは裏腹にシロは優しい。ふいにこぼれる笑顔は外見年齢以上にあどけなく、幼い、そのギャップ。叱るべきところは叱れるし、褒めるところは褒められる人間性と面倒見の良さ。

 普段はしっかりしててなんでも出来るかのようなのに、ふいに覗く子供っぽさや、意地っ張りな一面に、危うさすら感じさせる、瞳に時々陰る虚ろな……遠くを見る瞳。

 知っている人間はむしろ、その人間性に惹かれているように思う。

 でも、外見に対する自覚もシロには欠けているように感じる。

 確かに、雑誌のモデルを張れるほど美人かといえば、残念ながらそれほどではない。けれど、決して不美人ではないし、寧ろ美人か普通かといえば、美人に分類していいくらいだ。

 それに、顔立ち自体はモデルになれるほどではないとはいえ、その体つきはモデルと遜色ないくらいといっていいほどのプロポーションだろう。

 褐色の肌にふくよかな胸、鍛え引き締まったウエストに、肉質なヒップのライン。たとえ、飾りっけない黒のシャツと同色のスラックスという格好であれど、そのボディラインから匂う女を打ち消せるほどではない。

 それに、モデルとかそういう種類の美とは違うが、何よりシロには……一種独特の存在感がある。

 白髪と褐色の肌に鋼色の瞳という色の組み合わせ自体が異彩を放っているが、その上で凛とした張りのある雰囲気と、女の色香漂うプロポーション。少年すら連想させる張りのある低音ボイス。

 凛とした清廉さと、無自覚の婀娜っぽい艶かしさ、大人の女と少年、それらが混在しているような一種独特の雰囲気は、たとえ傾国の美女が如き相貌でなくとも、人が惹かれる理由としては充分だ。

「……アンタ、何を考えてる」

 じと目で胡散臭げにこちらを見ているシロに、しれっと返す。

「シロのことだけど?」

 シロは、むすり、と口をへの字にすると、鞄を手にふい、と背を向ける。

「もういい。……私はこれから買い物をしてくる。今夜食べたいものがあるのなら、今のうちに言え」

 不機嫌そうな声をして、可愛いことを言ってくれる娘に、思わず頬がほころぶ。

「そうだな、うん。じゃあ、すき焼きが食べたいかな」

「了解した」

 そういってちらりとだけこっちを振り向いたシロの口元は、僅かに笑っていた。

 

 夕食は僕のリクエストどおり、すき焼きが出てきた。

 多分、これがあの子なりのナンパから助けられたことに対する礼なんだろうな、と思うと、頬を綻ばさずにはいられない。素直じゃないけど、うちの子はそんな所が可愛いな、と思うあたり、僕は多分親馬鹿なんだろう。

 そんなことをのんびり風呂に浸かりながら思う。

 良い気分だった。

 ……でも、ふと、こんなに幸せでいいんだろうか、とも思う。

 可愛い娘が2人と息子が1人。子供達に囲まれて……こんなに平和で幸せな生活が僕なんかに、『魔術師殺し』とかつて呼ばれた男にゆるされていいのだろうか。

 アイリと生活した9年間でさえ、こんな……気持ちにはならなかったのに。こんな満ちた気持ちに。

(シャーレイ……)

 死徒と化して死んだ初恋の女性を思い出す。続いて、自分が初めて手をかけた存在である父を、養母ともいうべき存在だったナタリアのことや、他にも愛しながら手に掛けてきた相手を1人、1人順番に。

 彼らの犠牲を無駄にしたくなくて、シャーレイについぞ言い出せなかった幼い頃の自分の夢「正義の味方」を憎んで恨んで憧憬して、父のような存在を生み出さないように、多くの人を救うために少数を切り捨てようと決めて生きた少年時代。

 僕にとってどんなに愛していても、少数の身近な人間でも、大勢を救うためなら礎に出来ると、たとえ僕には不可能なことでも、万能の聖杯なら僕の望みを……争いのない世界をつくれると、妻を犠牲にすることをわかっていながら飛び込んだ第四次聖杯戦争。

 あれで全てが変わった。

 僕は、本当に愚かだけど、最愛の女性を切り捨てることによって望みを叶えれると思っていたんだ。

 でもそれは、アーチャーとして召喚されたシロによって、全ては瓦解した。

 僕はもう、僕の思う「正義の味方」になどなることはない。

 いや、なれるわけがない。

 アイリが浚われたあの日、シロを救おうとして令呪を使ったその瞬間から、そんな資格もなくなった。

 残り少ない余命、僕は、ただの父親として生きる。

 それがせめて、叶いもしない妄想で妻を犠牲にしようとした男が果たせる最後の責任だ。

 そんな選択を、こんな穏やかな気持ちで受け止めて過ごす日がくるなんて思わなかった。

 

 風呂からあがり、まだ風呂に入っていなかった、シロに空いたことを告げると、僕はおもむろに自室に向かい、がさりと、机の引き出しを開けて目当てのものを取り出す。

「…………」

 これを僕に渡した女の顔を思い出す。

 封印指定の人形師。

 きっともう、会うこともないだろう。

 ふと、笑う。

 僕は、本当に変わった。

 

 黙々と今夜も準備を整え、そして、工房でもある土蔵へとむかい、家を包む結界を第二形態へと移行した。

 防音、認識阻害、魔術の痕跡の完全隠蔽。

 これより、この家は異界となる。

 

 僕から僅か5分遅れで、娘たる彼女が現れる。

「来たね」

 ぱき、と錠剤を模した魔薬を口に含む。それを見て、最近益々亡き妻に似てきた美貌の娘(イリヤスフィール)が、気まずそうに眉根を寄せる。

「……そんなものに頼らなくても、修練くらいもうわたし1人で出来るわ」

「そうはいかない。イリヤに教えられることはまだまだあるからね」

 士郎がシロに魔術を習いだした頃と時を同じくして、イリヤも僕から魔術を習うようになった。

 魔術師としての才覚なら、僕より娘のイリヤのほうが圧倒的に上だ。

 でも、魔術使いである僕は普通の魔術師では知らないようなものにも通じているし、僕に魔術師としての才能があるかないかと、指導が出来るか出来ないかもまた別問題だ。

 イリヤは、アインツベルンの血を色濃く受け継いでいる。元はアインツベルンの後継者ともいうべき存在なのだから当たり前だろう。

 その属性は水。亡くなったアイリと同じくして魔眼持ち。

 だから、幻覚やサポート方面にその才能をのばす形で今まで指導をしてきた。攻撃魔術に関しては、アイリ同様に針金使いという方向で育ててきた。とはいえ、それだけが使えるというわけでもなく、状況に応じて対応できるように、今は咄嗟の判断力を養う方向性で魔術指導を行っている。

 

 そうして、イリヤが使った針金の鷹や、それについての改善点などを話し合いながら、また実践へと戻るそんなことを繰り返した末の1時間、イリヤはぽつりと、こんなことを言った。

「キリツグは馬鹿みたい」

「イリヤ?」

「まだ聖杯戦争は始まっていないのに、そんな薬に頼らないでよ。……今日、2つ目でしょ。わたし、ちゃんと見てるんだからね」

 咎めるような視線。

 ああ、さっき薬がきれて追加で飲んだことに、やっぱり気付かれていたのか、という気持ちと、わかっていたとはいえ、娘に睨まれるのは父さん悲しいなあ、なんて気持ちで苦笑する。

「笑ってないで。……なんで、ただでさえ短い寿命を自分で削るの」

 服用している魔薬の効果をわかっていての言葉、この子を前に誤魔化しなんてきかない。

「う~ん……これが、父さんがイリヤにやってあげられる最大限のことだから、かな?」

「馬鹿みたい」

「手酷いな」

 再び苦笑する。

 服用している魔術薬。その効果は生命力(じゅみょう)を魔力に変換して、衛宮の魔術(じかんそうさ)の術式を併用することにより鈍った四肢五感をかつてのレベルにまで一時的に引き戻すというもの。

 それは、この薬を服用すれば服用するほど、死期を早めるということでもある。

 今の時点で余命1年であろうと、この薬を乱用すれば、その猶予期間すら失くすことになるだろう。

「わたし、キリツグのそういうところが嫌い」

 感情の抜けた声で、淡々とイリヤは言う。

「そんなだから、キリツグは駄目なのよ。……大嫌い」

「父さんはイリヤのこと大好きなんだけどな」

 ふぅ、とイリヤは小さく息をこぼす。

「お母様はキリツグを甘やかしてばっかりだったから、その分わたしが言ってあげてるの。感謝してよね」

「……そうか」

「うん、そう。同情なんてしないんだから。キリツグがたとえ明日死んでもそれは自業自得。わたしは、泣いてなんてあげないわ」

 真摯で物静かな声音で、イリヤはそう言った。

 それは普段士郎に見せている無邪気で明るく天真爛漫な姉とは違う顔。

「キリツグ、シロと士郎を泣かせたら、わたし怒るわ。その言葉の意味がわたしからの課題よ」

 その言葉を最後に、沈黙が暫し流れて、二人そろって、淡々とまた魔術の改良へと戻る。

 そうして、日付が変わるか変わらないかという時刻、2人そろって土蔵を後にする。

 その出て行く最後、イリヤは「じゃあね、おやすみ、キリツグ。わたしの言葉、忘れないでよ」そう言って背をむけて、それから、1度も振り返ることもなく自室に向かって歩を進めた。

「ああ……おやすみ、イリヤ」

 かけた声は届いたのか届いてないのか。

 真夜中の空、月が雲に隠れていたことに、奇妙な安心感を覚えて、僕もまたぼんやりと自室にむかった。

『キリツグ、シロと士郎を泣かせたら、わたし怒るわ。その言葉の意味がわたしからの課題よ』

 その娘の言葉が、やけにいつまでも耳に残っていた。

  

 

 了

 

 

 

 

 

 

 おまけ、「ただの親馬鹿」

 

 

 

【挿絵表示】

 





 第五次聖杯戦争編・登場人物プロフィール


 その他編。


【名前】 遠坂 凛
【性別】 女性
【身長・体重】159cm47kg
【スリーサイズ】B77W57H80
【備考】
 御三家の一角にして、冬木の若きセカンドオーナー、名門遠坂家の現当主。
 原作同様穂群原学園2年A組に所属しており、学校ではミスパーフェクトの呼び声高い優等生で、イリヤと並ぶ2大アイドルなわけだが、イリヤにからかわれる時にうっかりで地を晒すこともあったりする。
 子供の頃に、アーチェに「髪が普通の人間みたいに伸びる」呪いをかけた張本人だが、本人は覚えていないし、アーチェのことはただの変わり者な男女魔術師だと思っている。
 原作同様、両親の死後、言峰を後見人に遠坂家を継いで、広い洋館で一人暮らしをしていたわけではあるが、原作と違って、多ければ1週間に2、3度、少なくても1カ月に1度くらいの確率で、わりと頻繁にアーチェが訪ねてきたりするため、あまり一人を感じることもなく育った。
 アーチェとのことはなんだかんだいいつつも、その関係性を気に入っており、本当は自分の管理地に「衛宮」なんて得体の知れない魔術師一家を迎え入れるのはいけない事だと理性では思いながら、アーチェから定期的に金その他を徴収することによって、協会にも教会にも知らせずに黙認している。
 それらの環境の違いのせいか、原作の凛に比べると気が長めで、原作ほどは完璧であろうと気が張っているわけではない。だが、凛は凛なので、色々注意は必要。
 唯一、アーチェのことを「アーチェ」と呼んでいる存在。


【名前】 間桐 桜
【性別】 女性
【身長・体重】156cm46kg
【スリーサイズ】B85W56H87
【備考】
 やはり、子供の頃に遠坂の家から間桐の家へと養子に出され、虐待に等しい魔術調整を受けて育った。
 衛宮邸に通う経緯は原作とは少し異なり、兄の慎二がアーチェに妹に会ってみたいといわれて、桜を連れてきて話をしたところ、「よかったら料理を覚えてみないか」と誘われ、後日返事をすることにしてその場では別れ、前回の実質勝者な衛宮に警戒をする臓硯が、それでも情報ほしさに通うだけ通うように指示したのが原因。
 また、慎二も、アーチェとの接点欲しさというか、情報ほしさといった感じでそれを認めたため、家族公認で衛宮家に週3回ほど通っている。
 とはいえ、賑やかな衛宮家に通ううちに桜も段々明るい性格になってきており、やはり原作同様衛宮家が彼女にとっては唯一安らげる場になっている。
 兄の慎二との関係は、主にアーチェが原因で原作ほど酷い関係にはなっていない。
 あと、原作同様に凛に憧れと嫉妬をもっていて、士郎には恋心を寄せているわけだが、イリヤがいるためにどうしても臆してしまう所がある。だが、イリヤのことも好きだし、今の立ち位置を捨てるのも嫌だし、衛宮家のみんなが好きだから、自分はこのままでいいんだ、という気持ちが8割を占めていたりもする。
 どんなに遅くても、夜の8時過ぎには家に帰される為に、魔術師としての衛宮家の様子を見ることはない。
 +士郎は魔力殺しのバンドを常時どこかしらに身に着けている為、衛宮の跡継ぎはイリヤだと思っていて、士郎のことは一般人だと思っている。


【名前】 間桐 慎二 
【性別】 男性
【身長・体重】167cm57kg
【備考】
 やっぱり士郎とは中学時代からの友人で、桜の義兄。弓道部副主将なのも同じ。
 女の子が好きで、女の子を周囲にはべらしていて、同性には嫌われ、他人を見下す自己中心的なところも原作同様ではあるが、原作ほど精神的に追い詰められているわけではなく、ホロウの時の性格に近い。
 また、原作とは違って、士郎と大喧嘩もおこしていないので、友情は続行中。同性の友人は士郎だけなので、高校に入ってから士郎の横ポジションをとっていく一成がちょっと疎ましい。
 凛への執着と情欲を内心抱いてたりする辺りも原作とあまり変わっていない。ガツガツしていないし、アーチェへの感情が目立つからそう見えないだけで。
 初接触時に見惚れたのもあるが、それ以上にとある事件を切欠にしてアーチェのことを気にしているのだが、それは凛や他の女の子に向ける感情とは全くの別物であるらしく、本人の中にある綺麗な感情の塊みたいなものらしい。
 そのためか、アーチェにむける感情や表情にはウブな少年のような初々しさがやけに漂っていたりする。
 ちなみに、イリヤのことは苦手だ。


【名前】 柳洞 一成 
【性別】 男性
【身長・体重】170cm58kg
【備考】
 やっぱり穂群原学園の生徒会長にして、士郎の友人。
 しかし、原作と出会い方は異なっており、小学6年生にあがる年の春休みに、衛宮一家が寺に来たのが縁で知り合った。そのため、学校こそ高校までは別々だが、幼馴染であるといえる。
 だからか、周囲の目があるときは士郎のことを「衛宮」と呼んでいるが、二人だけになると「士郎」と名前呼びしていたりする。
 原作同様、士郎大好き。凛が嫌い。
 前生徒会長で、士郎の義姉のイリヤのことは凛ほどじゃないが苦手で、嫌いに分類していい。反面、アーチェのことは尊敬出来る御仁だと思っており、なんであの姉弟はイリヤだけあんな小悪魔めいた性格になっているんだと嘆いてたりもする。


【名前】 藤村大河
【性別】 女性
【身長・体重】165cm53kg
【スリーサイズ】B?W?H?
【備考】
 原作と同じく、切嗣目当てで衛宮家に通うようになっており、今では2日か3日に1度の頻度で朝夕ご飯を一緒に食べていく、衛宮家半同居人にして、冬木の虎。
 アーチェのことは、当初、娘とかなんとかいっちゃって、本当は愛人か恋人なんじゃ……なんて疑っていたらしいが、接するうちに、あ、親子だなって思う部分をいくつも発見して、なんか納得してしまったらしい。あと「シロさんのご飯さいこー」とかって餌付けされた部分もなくもない。
 やっぱり、士郎の姉ぶっているんだが、ぶっちゃけイリヤのことが苦手なので、イリヤにまでは流石に姉ぶれていないようだ。口でイリヤに勝てた試しがない。


【名前】 久宇 舞弥
【性別】 女性
【身長・体重】161cm52kg
【スリーサイズ】B78W60H82
【備考】
 原作とは違い、バーサーカーの襲撃に遭遇していない為に第四次聖杯戦争を生き延びた切嗣の片腕。そして公式の愛人。とはいえ、別に恋愛感情はないけど。
 第四次聖杯戦争後は外国を飛び回っており、それでもアーチェと約束を交わしたことも相まって、数ヶ月に1度~年に1度の頻度で日本の冬木市衛宮邸に訪れていた。
 10年の月日が経ち、30代半ばになった彼女は全盛期に比べると腕が落ちたといっていいが、それでも一定以上の水準の戦闘能力を維持しており、弱体化した切嗣に比べると遥かに「使える」人材とも言える。
 やはり、隠れ甘党は健在であり、アーチェにはその辺完璧に気付かれているため、よく新作ケーキの味見にまわされている。
 切嗣の実の娘であるイリヤのことはわりと苦手。



【挿絵表示】


【名前】 レイリスフィール・フォン・アインツベルン
【性別】 女性
【身長・体重】147cm38kg
【スリーサイズ】B68W52H70
【備考】
 この作品唯一のオリジナルメインキャラクター。
 第五次聖杯戦争を前に、アインツベルンから送り出された第五次聖杯戦争の為のマスターであり、この度の聖杯の器でもある。
 イリヤスフィールの模造品。
 外見年齢は中学生くらいの、ZEROマテリアルにのっている初期デザイン版アイリスフィールといった感じではあるが、アイリと違って冷め切った眼と右横髪につけた鈴の髪飾りが特徴的。
 纏っている衣装はピンクゴスロリ系ではあるが、そのナイフのような気性もあいまり、可愛らしい印象はあまりない。
 原作のイリヤ以上の孤独な少女……ではあるが、同情出来るほどかわいげのある性格はしていないし、本人も同情されることは別に望んでいなかったりする。
 その起源は「憤怒」。それだけが彼女の全て。


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14.それぞれの日常 衛宮イリヤスフィール編

ばんははろ、EKAWARIです。

今回の後書き収録おまけのほうに最初は第五次聖杯戦争編予告漫画を再録しようかと思ってたんですが、予定を変更して、今回の後書きおまけは第五次聖杯戦争編イメージイラスト2点と、第五次聖杯戦争編の各サブタイトル集を収録することにしました。
まあ、なにはともあれ、次回の「それぞれの日常 衛宮士郎編」で束の間の休息編は終了となりますので、宜しくお願いします。


 

 

 

 side.イリヤスフィール

 

 

 今日も清々しいほどの朝がきた。

 眩しいほどの日の光を障子越しに受けてわたしは目を覚ます。

「ん……ん~……」

 ぐっと、伸びを一つ。

 この家に来たばかりの頃は、畳の上に布団だけ敷いて寝起きするこんな生活に戸惑ったものだけど、今ではすっかり慣れた。

 当然よね、あれから10年も経つんだから。

 今では藺草(いぐさ)の匂いがしないと落ち着かないくらいだ。

 ぴっと、目覚まし時計に手を伸ばす。

 今の時刻は朝の6時。

 高校3年生になったわたしは、3学期ともなると、本当はもう学校に通う必要もないし、それを差し引いても去年と違って生徒会にすら属していないわたしはもっと遅くまで寝ていても構わないのだけど、1番最後に起きるような真似はしたくないから、無理矢理頭をふって意識を覚醒させる。

 切嗣や大河よりも遅く出るなんて、恥だもの。

 起きると真っ先に、パジャマを脱いで、すっかり着慣れた穂群原学園の制服に手を通し、顔を洗い、髪を整える。この制服を着るのもあと僅かと思えば、一種の愛着が沸いてくるのがちょっとだけおかしい。

 それから、台所で朝ごはんの準備をしているシロと士郎に挨拶をする。

「おはよ~。シロ、士郎」

 ぽふっと、座布団に身体を預けて、指定の席へと座り込む。

 シロと士郎は、色違いの揃いのエプロンを身に着けて、朝食の準備を忙しそうにしているけれど、わたしが声をかけると必ずわたしのほうを見て、シロは仄かに、士郎は朗らかに笑顔を浮かべて「おはよう」と挨拶を交わす。

 この瞬間がとても好きだなとわたしは思う。

「あれ? 今日は洋食なんだ?」

 くんくん、と、香ばしい匂いを嗅いでそう尋ねると、シロは「ああ、たまには良かろうと思ってな」と苦笑しながら答えた。

 うちの朝御飯は、シロも士郎も和食を一番得意とするせいなのか、大抵朝はご飯と味噌汁が主体の和食なので、洋食がメインなのはちょっと珍しい。

 その時玄関から「みんな、おっはよ~~~~!」と煩いくらい大きな声が聞こえて、少しうんざりと肩を竦める。

 全く、どうして大河はいつもこう騒がしいのかしら? 同じレディとして情けないわ。

「ああ、おはよう、大河」

「わ、わ、シロさん、今日はフレンチトーストなんですか!?」

「ああ。たまにはな。もう少しで出来るから、座ってなさい」

「はーい」

 と、嬉しそうに響く女の声はまるで子供みたいで……これで、既に成人していて、おまけに高校教師なんだから、本当世の中って不思議だわ。

「おはよう。大河ちゃんは今日も元気だね」

 なんていいながら、新聞片手に今日も着流しで現れたのは、わたしにとっては実の父親でもある衛宮切嗣。

 一応、名目上のこの家の大黒柱。

「あ、切嗣さん、おはようございます!」

 と、ぱっと顔を輝かせてキリツグに挨拶をする、大河。

 本当、キリツグのどこがいいのか知らないけれど、昔っから大河はキリツグのことが好きなのよね。

 大河の男を見る目のなさには同情しちゃうわ。

「あれ?」

 ふっと見ると、今日は朝御飯にあわせて出されるお茶の品種は日本茶ではなく、紅茶を選択してるみたいで、士郎がみんなにお茶を注いで出している。

 こういう役はいつもシロの役目だから珍しい。

 そのわたしの視線に気付いたらしい士郎は、苦笑しながらこう言う。

「『たまには、オマエが淹れてみろ。これも修行だ』ってシロねえが言うからさ。シロねえほどまだ上手くいれられないけど、そんなにまずくはないはずだから」

「うん。そんなに緊張しなくても、大丈夫よ。士郎。あなたはこれからまだまだ伸びしろがあるんだからね」

 そういって笑うと、「うん、ありがとう、イリヤ」と子供みたいな顔をして笑って返す士郎。

 その顔が本当に幼くて、屈託がない。そんなところが可愛くて大好き。

 全員で席につく。

 今日の朝食は、フレンチトーストに、オニオンスープ、フルーツヨーグルトに、温野菜のサラダで、ドレッシングは上質のオリーブオイルをメインに使ったシロの手作りだ。

「いただきます」

 

 みんなで朝食を終えると、時間まではのんびりとくつろぐ。

 去年までは朝のこの時間に学校の課題を片付けていたのだけれど、卒業までカウントダウンに入ったこの時期になるとそれすらなくて結構手持ち沙汰でもあって、ちょっとだけつまらない。

 でも、こうやって和やかに過ごすのも、うん、わたしは結構好きかな。

 士郎も学校へいく準備が整ったみたい。

 だから、わたしは今日も士郎の手をとって、「いってきます」と声をかけて士郎と一緒に家を出る。

 中学生くらいになってきた頃から、士郎はわたしと手を繋いで学校に行くのは嫌がったけど、高校に入った頃には諦めてくれたみたい。今ではわたしの思うがままにさせている。

 わたしだって、士郎が本当に心から嫌がることはしたくない。

 だって、嫌われたくないもの。

 でも、士郎が嫌がってたのはただ単に照れてただけだってわかっていたから、遠慮なく続けた結果、士郎は今は苦笑して、やっぱり照れるけど、わたしと繋いだ手を振りほどいたりはしない。それが嬉しい。

 うんうん、弟はおねえちゃんのいうことを聞くものよねー。

 そのまま学校の門のところまで、手を繋ぎながら、他愛無い会話を続けて歩く。

 その間も、色んな人たちの視線がわたしたちに注がれているけど、あえて知らんふり。

 色々無自覚なシロと違って、わたしは、自分が目立つってことくらいちゃんと知ってる。

 いつの間にか「雪の妖精」とかいう通称とかつけられて、穂群原の2大アイドルとして扱われていることとか、沢山の男の子がわたしを好いて、そういう目で見ていることだって知ってる。

 ついでに、士郎がわたしの弟だってことで、そういう人たちに妬まれていることだってちゃんとわかってる。

 でも、だからこそわたしは尚更見せ付けるように、士郎とスキンシップを測るし、士郎以外の男なんて、寄せ付けてあげない。

(有象無象になんて興味ないわ)

 というのが本音。

 だけど、それを言ったらきっと士郎は哀しむと思うし、わたしは士郎以外の男の子なんて興味がないんだもの。仕方ないわ。

 諦めたらいいのよ。

 わたしは士郎が大好きだから、他の奴なんて興味ありませんって、理解したらいい。

 でも、高嶺の花だって遠くから見ることくらいなら許してあげてもいいわ。

 それがわたしの本心。

 あと、どんなにわたしが士郎が大事なのかわかったら、いつもわたしと一緒にいることをわかったら、早々士郎に手を出したりもしないだろうし、一緒にいるほうが士郎を危険から守れるから、だからこうやって士郎と一緒に行動するのはわたしにとっては凄く当たり前のこと。

 学年が違うから、ずっと一緒にいれるわけじゃないのが少し残念だけど、それくらいは妥協してあげる。

 そんなことを思いながら、わたしは笑って士郎にじゃれつく。こんな時間がいつまでも続けばいいな、と思っていたその時、第三者の声がそれを邪魔した。

「衛宮先輩、いつまでも衛宮にくっつくのはやめてもらいたい。ここがどこだかわかっているのでしょう?」

 ひくひくと、口元をひくつかせながらそう声をかけたのは、学校で女子の人気を二分していると噂の現生徒会長の柳桐一成だった。

「一成、おはよう」

 士郎は何事もなかったかのような調子で、目の前の眼鏡男子に声をかける。

「喝っ、おはようではないだろう。何故朝っぱらから、お前たちは手を繋いで歩いている!? ここは神聖な学び屋だぞ!」

「あー、でもイリヤだしなあ」

 苦笑しながらそう返す士郎、それにぷりぷりと怒りながら一成はくどい口調でこう続けた。

「大体! お前たちは姉弟だろう!? なのに何故、そのような甘やかな恋人がするような真似を……」

「ふふん、随分と絡んでくるのねー? 一成。さては羨ましい? 士郎を独り占めにしてるわたしがうらやましいんでしょ?」

「なっ!?」

 くすくすと、目を細めながら笑い、より一層ぎゅっと士郎の腕を抱きしめる。

 そのわたしの行動と言動を前に、うろたえ、顔を赤らめる生徒会長。

「昔っから、貴方士郎のこと大好きだもんねー? でも、あげないわよ。わたしのほうが士郎のこと大好きなんだから」

 そう、昔、はじめてお山に行って出会ったその時から、一成は士郎のことが好きみたいで、それがわたしにはちょっとおもしろくない。

 高校に入ってからは、学年も同じとなって、ほとんど校内で士郎と一緒に行動しているのはこの男だし、わたしからこの男に生徒会長の座がかわってからは、それを理由にかしょっちゅう士郎と行動しているところも、からかうと面白いことを差し引いても気に食わない。

 だから、ちょっとだけ意地悪しても許されるはず、とわたしは思う。

 そういう意味ではない、と本人に言われても、わたしはこの男が士郎に向けている好意はあっちのほうの意味じゃないのかって昔っから疑ってる。

 シロは例外としても、一成は大抵の女が苦手ときているから余計に、そう思える。

 だけど、一番この男の気に食わないところとして、士郎が無防備に一成に信頼をよせてて、わたしが思うような類の心配など欠片もしていないどころか、想像すらしていないところだ。

 だから……。

「こら、イリヤ」

「きゃ、いたっ」

 ぺちっと、額を士郎に小突かれた。

「全く、一成は真面目なんだから、からかっちゃ駄目だろ」

 という顔は、真剣で。本当にわたしが面白半分でただたんにからかっただけだ、なんて誤解をしている。

 可愛い弟に悪い虫がついてほしくないわたしの姉心なんて、ちっとも理解してくれないところがちょっと悲しい。

「うー、だってぇ」

 わたし、悪くないもん。

 と内心思いながらも、口にしたところで士郎は一成の味方をすることが目に見えてて、言葉にはせずに目線で抗議をする。

「あー、一成、悪かったな」

「む、衛宮、お前が謝ることはない。こほん、衛宮先輩、貴女はどうやら俺に対してなにやら壮大な思い違いをしているようだが……」

「別に思い違いとかじゃなくて、正確に事実を把握しているだけでしょ」

「喝っ、な、何を言うか!」

 そういって、顔を真っ赤にして怒鳴ってくる姿は面白いのだけど、士郎に味方されているあたりがやっぱり面白くない。まるでこれじゃあわたしが悪者みたいじゃない。

 ぷく、思わず頬を膨らませる。

「全く、衛宮やシロさんはあんなに立派なお方だというのに、何故貴女は……」

 ああ、嘆かわしい、なんていう姿が芝居がかってて胡散臭い。

「おあいにく様。同じ家で育っても性格なんて人それぞれよ。それにいいのかしら? 生徒会長? もう、予鈴がなるけど?」

 そうわたしが告げると、はっと、一成は目を見開いて、慌てた。

「そうだった。いくぞ、衛宮」

「じゃあ、イリヤ。また後でな」

「うん、じゃあ士郎。また後でね」

 そう言って、笑って別れて3年の教室に向かった。

 

 退屈な授業。

 そもそも、卒業までカウントダウンを迎えたこの時期は、3年で学校に来ている者自体が少数派で、特にうんざりする事実としては、わたしの教室に残った生徒の大半はわたし見たさに学校に通っている男子生徒が多数派だっていうことだ。

 はあ、思わずため息が出ちゃうわ。好奇心に満ちた目線が酷く鬱陶しい。

 この学校に入学して間もない頃を思い出す。

 次々に馬鹿みたいにわたしに告白を繰り返してきた男子生徒達。

 勿論、全員丁寧に断ったし、場合によっては再起不能になりそうなくらい口でやりこんで帰したこともある。

 勿論、悪い噂をそれで流されてはたまらないから、そんなことにならないようには気をつけたけど。中には、断られたことに逆上して襲い掛かってきたものもいるけど、あまりに面倒くさいから、そいつらはわたしの魔眼で「わたしに告白した」ということそのものをなかったことにした。

 魔術は秘匿するべきもの。

 魔術を実生活で多用するわけにはいかないけれど、逆をいえば、バレなければ何をしてもいいということでもある。まあ、暗示なんて初歩的魔術で、バレるなんてそんなヘマをわたしが犯すはずもなく、2年にあがって、士郎が入学して、わたしが士郎にべったりなことを見せ付けているうちに、そんな風に告白されたり、暗示で帰したりすることも減っていった。

 だけど……。

(人に告白する勇気もないくせに、鬱陶しいのよね)

 ちらちらと、わたしを見る視線が本当に鬱陶しい。

 告白したらしたで完膚無きまでにふるつもりではあるけれど、それはそれ、これはこれ。

 本当、目立つのって面倒だわ。

 いっそ、魔術でわたしに目線がこないようにしたいくらい。

 でも、今の学校には、冬木のセカンドオーナーである凛がいるし、駄目ね。

 もう一度ため息。ああ、早く授業が終わればいいのに。

 

 さて、お昼になった。

 3年はお昼で帰ってもいいけど、折角だから士郎と一緒にお弁当を食べたい。そう思って席を立ったとき、クラスの女の子達にこう話しかけられた。

「ねえ、衛宮さん」

「何?」

「わたし達とお昼一緒にしない?」

「え?」

 それは思ってもいない申し出で、少し吃驚した。

「ほら、もうすぐ卒業じゃない?」

「本当はね、前から声かけたかったんだけど、衛宮さんいつもすぐいなくなるし」

「弟さんとよく一緒にいるから声かけづらくって」

「一度でいいから一緒に食べたいなぁなんて思ってたんだ?」

 そんな風に思われていたなんて、と少し驚きつつも、そういえば興味ないからあんまり意識していなかったけど、前々からこの子たちにちらちらと好奇と羨望のような目で見られていた気はする。

「駄目、かな?」

 そういって、自信なさ気に見上げてくる顔がなんだか捨てられた子犬みたいで、くすりと思わず笑みを零す。

「いいわ。そうね。確かにもうすぐ卒業だし、今日くらいは付き合ってあげても、よろしくてよ?」

 と、ちょっと芝居がかったおどけ口調で返事を返していた。

 

 珍しくも、教室の片隅で、机を寄せながら、弁当を囲む。

 今日もわたしのお弁当はシロの特製だ。

 可愛らしい水色地に雪だるまが描かれた弁当袋に、撫子色の花模様が所々に描かれたコンパクトな弁当箱。その中身も華やかで、女子高生にふさわしい彩り豊かな中身だ。

「うわあ」

 まわりから感嘆の声が上がる。

 其れを聞いていると、我が事のようになんだかわたしは誇らしくなってくる。

「すっごく美味しそう……」

「綺麗」

「これ、もしかして、衛宮さんが作ったの?」

 好奇心と驚きの声。

 それを心地良く味わいながら、ふるふると、頭を横に振る。

「いいえ。わたしじゃないわ」

「んじゃあ、お母さん?」

「残念。お母様はとっくに亡くなってるわ」

 とくに気にしたわけでもなく、さらりと告げたけど、まわりにとっては別段わたしにとって気にするわけではないその事実は、聞き逃せない単語だったらしい。

「あ、ごめんなさい」

 なんてしょんぼりとしながら暗い声で告げられると、こっちが逆に困る。

「ちょっと、そんなに気にしないで。確かに軽率だったかもしれないけど、わたし、あなたたちにそんな顔させるつもりで言ったんじゃないわ。食事は楽しんでとるものよ、ほら、笑顔笑顔」

 殊更、明るくふるまって言うけど、他の子たちにはあまり効果がなかったらしい。

 だから、ふと、静かな声音で本音を告げた。

「確かにお母様は、10年前に死んだけど、それでもわたしは1人じゃないわ。わたしには大好きな家族もいるし、お母様は今もわたしの中にいるもの。だから、そんな顔をしないで。あなた達にそんな顔させているようじゃ、お母様に叱られちゃうわ」

 そういって、微笑むと、少しずつ彼女達の硬直もほどけてきたらしい。

「じゃあ、そのお弁当を作ったのって、おねえさんか何か?」

 とりあえず、一番活発そうな小柄な女生徒に問われて、「んー、そうね」と、顎に手をやりながら考える。

 シロは、わたしにとっては妹だけど、偽造した戸籍上は姉ってことになっている。

「衛宮さんって何人兄弟なの? ご家族は?」

「確か、2-Cの衛宮士郎君が弟さんなんだよね?」

「妹のような姉と、弟の士郎とわたしの3人よ。あ、おまけで1人父親がいたわ」

 まあ、本当は姉のような妹かなと思ってるんだけど。流石に家の外でまでシロを妹扱いするのは対外的に変なのはわかっているから、そこまでは言わない。

「あれ? ……もしかして、衛宮さんってお父さん嫌い?」

「だって、ぐうたらだし、人の気持ち全然考えないデリカシーのない男なのよ。全く、お母様はなんであんな男が好きになったのかしら」

 ついつい、愚痴をいってみる。

 でも本音だ。キリツグは本当に人の気持ちを考えない。

 というより、わかってない。

 自分の寿命がただでさえ短いのに、それを自分から削っていく愚か者。

 でも、わたしの父親で、うそつきで、本当にどうしようもない男なんだから。きっと、わたしは死ぬまで許してあげない。わたしの言葉の本当の意味に、気付くその日まで許したりしないんだから。だから、さっさと気付けばいいのに。

 でも、やっぱり最期までどうせ気付かないんだろうな、とそう思うから、わたしはきっとキリツグのことが嫌いなんだろう。

「わかるわかる。父親ってうざいよねー。この前もさー」

 わたしのそんな本心など気づくはずもなく、女生徒の1人が話にのって自分の父親のことに対する不満を零す。そうやって、自分達の家庭のことについてああだこうだ話して、それを肴に笑いながら弁当を口にした。

 同い年の子たちとこんな風に弁当を食べながら、家庭の不満をぶつけあう。

 それはわたしにとって今まで殆ど経験がしたことのないことだったけど、存外に楽しめた。

 

「衛宮さんの髪って綺麗ね」

 弁当箱を片付けている時に、そんな言葉をかけられる。

「それ、あたしも前から思ってた!」

「雪みたいだもんね。名前もそうだし、容姿もそうだし……やっぱり衛宮さんって本当は外国人なの?」

「……でも、弟さんどう見ても日本人よね」

 ぼそり、とそんな声が最後に告げられるけど、不思議に思われるのも無理はないから憶測でものを言われたところで、別に気にしない。

「母がドイツ系の貴族だったの。わたしは、ハーフだから、ちゃんと日本人の血もひいてるわ。でも、わたしお母様似だから、この髪もお母様譲りなのよ」

 と、当たり障りのない言葉をかえす。

「え!? 貴族ってマジで?」

「うっそー。どうりで、衛宮さんって妙に気品があると思った。はっはあ……」

「じゃあ、もしかして、駆け落ち!? 駆け落ち!?」

 妙に興奮した体で詰め寄る子たちに苦笑一つ。

「その辺りは家庭の事情ということで、軽々しく語れる内容じゃないわ」

 そういうと、残念そうな顔をしつつもそれ以上をつっこんでくることはなかった。

「そっかあ」

「あ、じゃあ、弟さんと似ていないのって実は腹違い……」

「し、ばか、あんた何言ってんのよ」

「うにゃうー、ごめんなさい」

 そうこうしているうちに午後の授業のベルがなった。3年はもう終わりだけど、2年である士郎は今から5時間目の授業だ。すっと、鞄を手にわたしは立ち上がる。

「じゃあね、今日は楽しかったわ」

「あ、衛宮さん」

 ちょっと名残おしそうな響きで名をよばれる。それに微笑みを浮かべながら、わたしは彼女達を見た。

「図書室にいるから、何か用があったらきたらいいわ。それじゃあね」

 そういって、今度こそわたしは、自分の教室を後にした。

 

 図書室でなんともなしに、読書に没頭していると、いつの間にか夕暮れに街は染まっていた。

 ぴっと、電子音。

 みれば、切嗣に念のためにともたされていた携帯にメールが1つ。

『悪い。一成と今一緒なんだけど、遅くなりそうだ。先に帰ってくれ』

 と、簡潔な内容が書かれている。

 士郎が携帯を学校にもってきているなんて珍しいこともあるなと思わなくもないけど、また一成と一緒だなんて、おもしろくない。

 だけど、困らせるのも嫌で、『わかったわ』と返信しちゃうあたりがわたしもつくづく士郎に甘いなあと思う。

 そういえばもう夕方ってことは、弓道部は終わりだろうか、と思ってひょっこりそちらに顔を出す。

「イリヤ先輩」

 ちょっと驚いた声でわたしの名を呼んだのは、中性的な美貌が印象的な弓道部の主将にして現部長の美綴綾子だ。

「こんばんは、綾子。もう練習は終わったのかしら?」

 彼女は1年の頃から、姉御肌で武芸百般といった感じで目立っていた生徒だった。

 わたしが生徒会長を務めていた去年も、1年の身でありながら、前部長と一緒に度々生徒会室にきたもので、その頃からの付き合いだ。

「ええ。ちょいと前に終わりました。見学に来るにはちょっと遅かったですね」

 苦笑しながら告げる声はさばさばしていて、好感がもてる。

「そう。桜いる?」

「ああ、間桐ですか? 今よんできますよ」

 いって彼女は、立派な造りの弓道場の中へと踵を返す。間も無く、急いで制服に着替えたといった風情の桜が、たたっと小走りで近寄ってきた。

「イリヤ先輩」

「もう、桜、そんなに急がなくてもいいのに。ほら、髪が跳ねているわ」

 そういって笑いながら、はねた髪を撫で付けると、桜は恥ずかしそうに顔を真っ赤にして「すみません」と謝った。

「それで、どうしたんですか?」

「今日、貴女うちに来る日でしょ? 士郎は遅くなるようだし、たまには女2人で帰るのも悪くないかな、ってそう思って」

 そういって笑うと、桜もつられて薄っすら微笑む。

 それから、ちょっと気付いたような声で言った。

「士郎先輩、どうしたんですか?」

「また、一成に備品の修理頼まれたんだと思うわ。まったく、士郎もお人よしなんだから」

 そういって、ちょっと怒ったように肩を竦めると、桜はくすくすと小さく笑った。

「でも、先輩らしいです」

 うん、わたしもそんな士郎のことが大好きなんだと思う。

 と、心の中で賛同して、桜の手をひいて歩く。

「え、と、イリヤ先輩?」

 つかまれた手に戸惑うような桜の声。それに、尚更明るい声で「そういえば、弓道部では近頃どうなの?」と尋ねた。

「え? 弓道部ではですか?」

「士郎、最近あまり顔出してないみたいだけど?」

 そういうと、苦笑しながら、桜はちょっと声のトーンをおとしていった。

「あ、はい。そうですね。士郎先輩は出ても備品の整備とか弓の手入れとかばかりで……出るなら弓をひいたらいいのに、と美綴先輩が憤慨していました」

「そっか」

「はい」

 そんな他愛のない会話を続けながら帰宅の途についた。

 

 今日の夕食もいつも通りとても美味しかった。

 シロと桜の共同作業は年々息ぴったりになっていってる。

 今日は大河もいたから、煩さも一際目立ったけれど、シロと桜の料理の美味しさの前じゃ気にならなかった。

 ふう、とお風呂からあがって、髪の毛をドライヤーで乾かしながら一息をつく。

 士郎は桜を家まで送っていていないし、シロは片づけで忙しい。

 キリツグとの魔術の鍛錬時間までもう少し暇もあって、少しだけ退屈。特に見たい番組なんかもない。

 ふと、この前の蒼崎の検診を思い出す。

 本人そのものの人形をもつくれる稀代の人形師、魔法使いの姉である封印指定の魔術師。

 そんな偉大な人物ではあるけれど、彼女は魂のことに関しては専門外だ。今のわたしの肉体そのものは彼女の作品であるけれど、この身体に移るのは、キリツグとシロとわたしの3人の努力が必要だった。

 そして、それを実行した当時、一番の適任であろうわたしは幼く、シロもキリツグも専門家とはいえない状態で、そんな中、こうして無事に肉体を移れたのは一種の奇跡みたいなものだったんじゃないのかなと思う。

 まあ、成功したのは、元々わたしが純粋な人間ではなく、半分ホムンクルスで半分人間という、例外的な存在だったというのが、今にして思えば大きいのでしょうけど。

 でもだからこそ、年に一度ほどの頻度でわたしは蒼崎の検診を受けることになった。

 結果はオールグリーン。

 元の身体が秘めていたほどの莫大な魔力貯蔵量は今の身体に移ったときになくしたけれど、それでもわたしの魂は間違いなくこの肉体になじんでいた。

 それは喜ばしいことなのかもしれないけれど……ふと、今日の昼にクラスメイトに自らが言った言葉も思い出して、胸が少しだけ痛む。

『確かにお母様は、10年前に死んだけど、それでもわたしは1人じゃないわ。わたしには大好きな家族もいるし、お母様は今もわたしの中にいるもの』

 我ながら、よくそんなことが言えたものよ、とそう思う。

 お母様はもうわたしの中には居ない。

 今の身体に移る時になくした。

 わたしはもう……ホムンクルスのイリヤスフィール・フォン・アインツベルンじゃない。

 だからもう、お母様はいない。

 先代、先々代と続くユスティーツァ様に繋がる系譜。その器の記録。その繋がりは本来生まれ持った身体を亡くした時に捨てたものだ。

 だれがなんといおうと、自分が一番よくしっている。

 誰よりも強く理解している。

 わたしは、アインツベルンの裏切り者になったんだ。

 

「イリヤ、少しいいか?」

 そんな風に思考の波にのまれていたときに聞こえたハスキーな女の声に、はっとする。

「何? シロ」

 がらりと、襖を開けて、いまだ赤いエプロンをきたままのシロが顔を出す。

「悪いが、暫く君の魔術鍛錬は諦めてはもらえないだろうか?」

「どうしたの? シロ」

「君に頼みがある」

 そう言ってきた顔は真剣で、わたしは妹の願いをかなえるように、静かに微笑んで先を促した。

 

「わかったわ。やってみる」

「ああ、すまない」

 ぺこりと、頭を下げるシロ。

「もう、そんな水臭いことは言いっこなし」

 苦笑しながら、そのすっかり真っ白になった白髪を撫でた。

「シロ、はじめてわたしを頼ってくれたでしょ? わたし、嬉しいんだから。それに、どうせならおねえちゃんは、シロには謝られるよりも笑った顔のほうが見たいかな?」

 そういっておどけたように笑って見せると、ふと、目じりを僅かに和らげて、シロはほんのりと微笑みながら、「ありがとう、姉さん」と、今度はわたしの頭を撫でた。

「うん、シロは可愛くていい子ね」

 よしよしと、さらに頭を撫でると、シロは、褐色の肌にほんのり紅に染めながら「からかうのはよしてくれ」と言う。そんなところがさらに可愛いと思えて、益々上機嫌にわたしは笑う。

「私から、爺さんにはいっておくから。あとで、現物をもってくる」

「わかったわ。じゃあ、また、あとでね、シロ」

「ああ、またあとでな。イリヤ」

 

 そうして夜は明けていく。

 聖杯戦争がおこるまであと僅か。平凡な日常をそれまでわたしはきっと守ってみせる。

 そんなことを思いながら、シロから預かったそれに呪をかけ、月を見上げた。

 

 

 了

 

 

 




 第五次聖杯戦争編各サブタイトル集



【挿絵表示】


 第五次聖杯戦争編・序章

 00.と或る世界の魔法使いの話
 01.ロード・エルメロイ二世
 02.1月31日・接触
 03.アーチャー召喚
 04.崩落の足音
 05.目撃
 06.逃走、追撃戦
 07.発動
 08.認識の違いによる見解のすれ違い
 09.危機一髪
 10.交錯するピースの欠片達
 11.賑やかな日曜日
 12.戦端二つ
 13.レイリスフィール
 14.まどろみの中見た夢 
 15.影の産声
 16.造反


 第五次聖杯戦争編・中章

 17.影との接触
 18.懇願 
 19.餌
 20.2月5日
 21.負傷
 22.鮮血神殿
 23.イカロスは地に堕ちた
 24.そして姉妹は出会う
 25.間桐
 26.アインツベルンの森
 27.銃弾一つ
 28.拒絶
 29.皮肉なる最期
 30.黒き従者
 31.円蔵山
 32.嘲笑
 33.怪物の願い
 34.姉と妹
 35.ごめんね
 閑話・帰る場所


 第五次聖杯戦争編・終章

 36.ギルガメッシュ
 37.キャパシティオーバー
 38.彼女の選択
 39.憤怒
 40.理解無き終幕
 41.黄金の王
 42.生贄
 43.集結
 44.最後の夜
 45.さよなら
 46.無限の剣製
 47.終わりの再会
 エピローグ


【挿絵表示】


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15.それぞれの日常 衛宮士郎編

ばんははろ、EKAWARIです。
お待たせしました、今回で束の間の休息編最終回です。
というわけで次回からは第五次聖杯戦争編はじまるおー。
というわけで、今回の後書きおまけは第五次編イメージイラストと第五次聖杯戦争編予告漫画だよ! にじファン連載時代からは微妙にあちこち修正しているぞ! ではどうぞ。


 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

 最近、不思議な夢を見る。

 いや、夢とよんでいいのかわからない。見えるのは、美しい黄金の剣と同じく黄金の鞘のイメージだ。

 俺は夢を見ることなんて滅多にないのに、そればかりを最近よく見る。

 そして、その剣をもっと見ようと目を凝らして、そこでいつも目が覚めるんだ。

 

 朝の5時半、いつもこの時間になると自然と目が覚めて、顔を洗い、着替えてきて、それから学校の課題を少し片付ける。そうやって6時前になると、親父の部屋へと声をかけに向かう。

「親父」

 脂汗をかいて、青い顔をして切嗣(じいさん)は魘されながら眠っている。

 そんな朝がもう1年くらいは続いている気がする。

 でも、俺が声をかけると、それを合図のように、なにもなかったような顔をしてすっと目覚めるのが、ここ1年の通例だ。

「ああ……士郎、おはよう」

「うん。親父、おはよう」

 ほんわりと微笑みながらかけられる朝の挨拶に、言葉を返しながら、胸元に言いたい言葉が次々と競りあがってくる。

 眠っている時の爺さんは異常だ。

 明らかに普通じゃない。

 なのに、いくら医者を勧めても、親父は取り合うことがない。

 なんで? どうして?

 思うことは尽きなくとも、それに答えをかえされることもまた、ないんだろうって、その頑なな黒い瞳を見る度に思う、そう実感する。

「じゃあ、俺シロねえ手伝ってくるから」

「うん」

 そうやって昼間の親父はにこにこと笑う。

 目を逸らす気はないけれど、その笑顔が見ていられなくて、思わず心の中でため息一つ。

 言わないのは、言う必要がないと判断したからだ。

 だから、俺は、貴方の望むとおりに変わらぬ息子(いつもどおり)でいよう。

 

「シロねえ、おはよう」

 台所に向かいながら、シロねえとは色違いで揃いの青いエプロンを身に着ける。

「ああ、おはよう」

 シロねえの手元を見て声をかける。

「鰤の照り焼きが今日のメイン?」

「ああ。オマエは小松菜の胡麻和えだ」

「OK」

 こうして、シロねえの朝食作りの手伝いをするようになったのは大体4年くらい前からだ。

 それまでは、未熟者とか色々言われてさせてもらえなかった。

 まあ、それも、許可されたところで最初のほうはボロクソに言われたし、今も俺が作った料理に対する評価は厳しい。

 同じ料理の弟子でも、桜には優しいのにな。

 最初は桜、おにぎりもマトモに握れなかったのに、それでも根気よくシロねえは声をかけて励ましていた。

 料理教室のほうでもそうだ。

 数回ほどシロねえが開いた料理教室を見に行ったことがあるけど、シロねえはどの生徒も大切にして、出来なくても根気よく教えて、決して愚痴を言わずに励ましていた。

 ……なのに、なんで俺だけこんなに厳しいのかな?

 とはいっても、そんなシロねえの指導は嫌いじゃない。

 確かにキツイことばっかり言うけど、結局それは俺のためになっているからだ。

「こら」

 隣から呆れた声で叱責される。

「集中力が足りん。こんな時に考え事とは感心せんな? 士郎」

 にやりと、笑う。凄く意地悪な顔だ。

 なんだかシロねえは最近よくこんな顔で俺を見てくることが増えた気がする。

 ……昔はもっと優しかったのになあ。と、思わず思いつつも、「悪い」と返して目の前の料理に集中した。

 

「おはよ~、士郎、シロ」

 大体俺から遅れること10分前後で、イリヤが居間へとやってくる。

「「おはよう、イリヤ」」

 期せずして声がシロねえとハモった。

 きょとん、とついシロねえを見てしまう。

 シロねえはばつの悪そうな顔をしてふい、と横をむいた。複雑そうな顔だ。

 実はシロねえと言動がハモることは昔っから度々あることだったりするけれど、どうもそれがシロねえには喜ばしくないことらしい。大抵言動がハモったあとにはこんな顔をしている。

 俺は、シロねえとお揃いみたいで結構嬉しかったりするから、この反応はちょっとだけ哀しい。

 その時、玄関から今日も虎の咆哮が鳴り響いた。

「おっはよ~~~!!! ねえ、今日の朝食、なに? なに? うーん、良い匂い~!」

 ……藤ねえ、近所迷惑だから叫ぶなって何回言っても聞かないのは、イイ大人としてどうかと思うぞ。

 イリヤなんて凄く呆れた目で見てるし。

「大河、走らなくとも、料理は逃げんよ。それと毎度言っていることだが、廊下で叫んだり走ったりするのはやめたまえ。……ああ、今日の朝食はジャガイモの味噌汁と、鰤の照り焼き、小松菜の胡麻和えに、出汁まき卵、白菜の浅漬けだ」

「鰤の照り焼きか。それはたのしみだね。やあ、おはよう」

 藤ねえが料理に目を輝かせてる中、音もなく新聞片手にひょいと切嗣(じいさん)が現れる。

「切嗣さん、おはようございます!」

「うん、おはよう。大河ちゃんを見ていると僕も元気になるよ」

「本当ですか?」

 あー……嬉しそうな顔してるなあ。

「それより、二人とも、席につきたまえ」

 シロねえは、ちょっと肩を竦めながら、そう言葉をかけると、大人しく2人は従う。

「いただきます」

 

 朝食が終わり、かちゃかちゃと食器を洗う音が響く。今日は大して課題もなかったからわりとのんびり出来る。

 イリヤは何か用があるらしくて、今は自室だ。

 親父は部屋へと戻ったし、シロねえは洗い物をしている。隣には藤ねえ。

「ねえ、ねえ、士郎」

 声を潜めるようにして藤ねえが声をかけてくる。

「……なんだよ?」

 ちょっと怪訝になって首を傾げると、藤ねえは、ちらちらと台所のほうを見ながら「シロさんってお付き合いしている人とかいないの?」と、そんなことを聞いてきた。

「は?」

 藪から棒になんだ? と思ってつい、そんな間抜けな声を出す。

「だ~か~ら、お付き合いしている人! ほら、シロさんって綺麗だし、スタイルいいし、料理上手で、よく気が利いて、しかも強くて、凄くお買い得物件じゃない?」

 いや、藤ねえ、その言い方はどうかと思うぞ。

「でも、全然そういう噂聞かないし。モテると思うのにね~。ていうか、わたしが男だったらほっとかないわ」

 わたしが嫁にもらう! なんて小声でがおーっと咆哮する虎。

 ……でも、まあ、藤ねえのその考えはわからなくもない。

 俺としてはちゃんと恋人の1人でも作ってくれたほうが安心出来るのに、シロねえでそういう話はてんできかないからだ。心配するなってほうが無茶だろう。

「で、お付き合いしている人とかいないの?」

「俺も、そういうのは聞いたことないぞ」

 そう答えると、藤ねえは残念そうにそっかーっと肩を落とした。

「うーん。あんなに綺麗なのに勿体無いなぁ。シロさんだったら、ウェディングドレスも白無垢もどっちも凄く似合うと思うのに」

「それは……」

 想像してみた。

 真っ白なウエディングドレスに身を包んだシロねえ。

 褐色の肌に白が映え、恥らうように俯いている。頬にかかった同じく白い髪がどことなく色っぽくて、半透明の瀟洒なウェディングベールが、露出度の高い肩のあたりをそっと包んでいて、ちらちらと褐色の肌が覗く感じがどことなく婀娜っぽい。

 日本古式の白無垢に身を包んだシロねえ。

 和装がしっくりと似合って馴染んでいるのに、褐色の肌に白い髪といったカラーディングがエキゾチックで、愁いを秘めた表情なんかが妙にセクシーだ。三々九度の杯を傾けて、目じりは薄っすらと赤に染まって…………妄想終了。

 なんとなく、これ以上考えるのはヤバイ気がする。うん。

 でも……。

「……いいな」

「でしょ? シロさんが結婚するときは、絶対わたしいの一番にかけつけるわよ」

 と、そこで、呆れとうんざりしたといった感情交じりの声が上からかけられる。

「人のことで、勝手なことをいうのはやめてくれないか?」

 むっすりとした顔のシロねえが、口元を引き攣らせながら、腰に手をあてて立っていた。

「それに大河、そろそろ時間だろう? 出たほうがいいと思うが?」

 そういわれ、はたと藤ねえは時計を見て、「あ、いっけなーい」なんて声をあげながら、ぽんと立った。

「シロさん、今日も朝食ご馳走様でした」

「お粗末様でした」

 なんだかんだいってシロねえは律儀なんだよな。

 口元引き攣らせているのに、礼をいわれたら必ず言葉をかえしている。

「じゃあ、士郎、またあとでね」

 そういうなり、虎はひゅんと風をきるような勢いで飛び出していった。

 それを見てシロねえはため息を1つ。

 ついで、くるり。

 俺のほうを見たかと思うと、じろりと睨んできた。

「士郎、オマエもくだらない話にのるな」

 台所にいながらにして、さっきの会話をしっかり聞いていたらしい。

 だけど、そのシロねえの言い分にむっとした。

「くだらないってなんだよ」

「私が結婚がどうのこうのという話だ」

 あ、やばい。

 凄くカチンときた。

「くだらなくなんかないだろ」

「私には必要のない話だ。不毛な内容とは思わないのか」

「思わないね」

 その冷めた声音に、心底自分には不要だと思って発言していることが嫌でもわかって、ふつふつと怒りが脳を沸かす。なんでこう、この人は色々自覚がないんだ。

 自分には関係ないって? 俺はシロねえのこと好きだけど、こういうところは本当腹が立つ。

 俺が怒っていることはわかっているのだろう。シロねえは心底面倒くさそうに眉根を顰めて、更に爆弾となる言葉を落とす。

「ああ、もういい。オマエは私などよりも自分の心配だけしていろ」

「シロねえ!」

 付き合ってられん、そんな感じの口調で吐き捨てながら背を向けるのを見て、苛立ったまま声を上げる。

 今、シロねえは『私など』って言った。

 前からのことだけど、なんでこの人は自分を大事にしないんだ。それをみてまわりがどう思うかなんて考えちゃいない。

 シロねえは強い。確かに強い。

 口も魔術も体術も剣術もまだまだかないそうにないくらい強い。

 だけど、危うい。シロねえの強さはまるで諸刃の剣だ。

 だってシロねえには自分が幸せになるって意識が徹底的に欠けている。シロねえはきっと自分はどうでもいい、そういう人なんだ。

 そう、シロねえは、自分が幸せになること自体に興味がないんだ。

 そこがイラつく。

 どうしてこの人はこうなんだ。

 誰より優しいくせに。人には尽くすくせに、自分が尽くされるのは拒絶する。

 頑張ったやつが報われないなんて嘘だ。そんなのあっていいものか。自分を蔑ろにするなよ。俺は沢山アンタに幸せをもらってきたんだ。だったら、アンタも幸せにならなきゃ嘘だろ。

 皆幸せになる、そんなハッピーエンドじゃなきゃ駄目だろ。

 そうだ、シロねえの強さはまるで硝子細工の剣みたいだ。鋭利で透き通っていて綺麗で……でも脆く、一歩間違えればパリンと割れて壊れる。

 そんな不安定な姿を見続けてきた俺の立場になってみろよ。

 尊敬だってしてる。

 その在り様には憧れさえある。

 いつしか冬木の伝説の紅き女救世主(レッド・ヒーロー)なんてあだ名つけられて、それでも弱者を救う有様には羨望すら抱いている。自分もこうありたいと、そんな漠然とした憧憬すらある。

 だけど、だけど……アンタは女なんだぞ。

 確かに、シロねえにはまるでヒーローのような面もあるけど、それでも10年間見てきたシロねえは、それ以上に「衛宮」という家庭を守り続けた「母」で「姉」だった。

 幼い頃のばされた手の感触を今でも覚えている。イリヤと俺が昼寝をしているのを見て、毛布をかけてくれた優しい感触や、静かで本当に優しい微笑み、そこに俺は「母性」を見た。

 大災害の記憶があまりに大きすぎて今では薄れてしまった、実母の面影をそこに見出した。生きていたら「母さん」がしてくれたんだろうか? って思うことをいつもくれたのはシロねえだった。

 だけど、母と呼ぶにはシロねえはあまりに若くて、時折さらけだすあどけない笑みに、この人はまだ年若い「女の人」なんだなとその度思い起こしてきた。

 一時は俺やイリヤにかまっているから、自分の大切な相手を見つけられないのだろうと思っていたこともある。俺達に構っているから、シロねえは己の時間を上手く確保できず、自分の女としての幸せを追求できないんだと……それは違うってことは数年と経たずわかったけど。

 でも、女として幸せになってほしいっていうのはそんなにおかしな願いか? 違うだろ。

 この気持ちはシロねえにも否定される覚えはない。

 そうして尚も言いつろうとしたその時、吃驚した顔のイリヤがひょいと姿を現した。

「シロ、士郎、どうしたの? 喧嘩?」

「いや、大したことではない」

 さらりと、本当にいつも通りの口調と表情で言ってのけるシロねえ。

 ……俺はこれで終わりなんて認めないからな、とじとりと睨んでも効果はないあたりが、ちょっとだけ悔しい。

「ほら、今日の弁当だ」

「うん……」

 イリヤも、本当になんでもなかったわけではないとは気付いているだろうけど、ちらりと俺とシロねえを見るだけでそれ以上は追及しない。

 そうこうしているうちに登校時間だ。

 そして出て行くとき、ふと、イリヤは真剣で諭すような静かな声音で「シロ、なにがあったか知らないけど、引きずっちゃ駄目よ」とそんな言葉をかけてから出て行った。

 

 イリヤは何も聞かなかった。ただ、学校での別れ際「帰ったら、いつも通りにシロと接してあげてね。おねえちゃんはシロと士郎が喧嘩する姿を見るのは哀しいわ」そう言ったので、「大丈夫だよ、イリヤ。心配かけてごめんな」そういって、出来るだけ笑顔で手をふってわかれた。

 その後はぼんやりと授業を聞いて過ごす。

 そして、昼休み、すーっと息を吸い込んで深呼吸したあと、ぱんと自分の頬を張った。よし、と掛け声をかけて気持ちを払拭する。

「一成、今日は生徒会室空いてるんだろ? 飯食おうぜ」

 にかっと笑ってそう言うと、一成も頷いて立ち上がる。

 そうして2人連れ立って生徒会室に向かった。

 

 ぱかりと弁当箱を開ける。

 中身は、おかずのパックが1つ多く、小さなメモ帳に「一成君に渡してくれ」とシロねえの字で書いてあった。それに苦笑しながら「一成、ほら、これシロねえからだって」といいつつ、パックを渡す。

「む、かたじけない。シロさんの厚意にはいつも痛み入る」

 なんていいながら、2人分の茶の用意をしている一成。

 流石寺の息子というべきなのか、茶坊主が板についている。

 寺の息子とはいえ、成長期だというのに、一成の弁当には肉分が圧倒的に不足している。それを知っているからシロねえはよく、一成の分のおかずも用意してもたせる。そんな気遣いに思わず苦笑。中身はからあげとキャベツ、肉団子に厚焼き玉子といったラインナップだ。

 冷えていて尚、食欲を刺激するそれに一成も思わず感嘆の唸り声を上げる。

「では……」

 いざ、いただきますと続こうとした一成の声は、ひょいとのばされた白い手によって遮られた。

「んー……やっぱりシロのお弁当はおいしー」

 凄く充実そうな微笑みを浮かべて立つのは、浮世離れした白い妖精……じゃなくて、俺の義姉のイリヤスフィールだ。容赦なく一成への追加弁当だけを狙って手を出している。

「なっ、なっ、なっ」

 一成は思わず、口をぱくぱくとさせて動転している。

 尚も容赦なく、今度はイリヤは肉団子を浚って、その小さな口に収めた。

 俺は思わず、はあ、と息をついたあと、すっと空気を取り込んで「こら、イリヤ!」と怒鳴った。

「きゃ、何?」

「一成の分をとったら駄目だろ。イリヤの分の弁当だってちゃんとあるんじゃないか」

 そう、イリヤの手にはしっかりと自分の弁当が握られている。

「だって、一成にシロの弁当を食べられるなんて、悔しかったんだもの」

 そうぷーっと頬を膨らませながらいってくる顔は、なんだか子供みたいで可愛らしくて……いやいや、ここで怒りをおさめたら相手の思う壺だと思いなおしながら、「それでも、やっていいことと悪いことがあるだろ」と告げると、「……怒った?」と上目遣いでちらっと俺を見ながら尋ねてきた。

 はっきりいってイリヤは可愛い。

 2-Aの遠坂と並んで、穂群原2大アイドルの片割れだとよばれているのも頷けるくらい凄く可愛い。

 いくら家族としていつも一緒にいて免疫がついているとはいえ、こういう顔でみられると、ついぐらっと落ちそうになるくらい物凄く可愛い。

 だから、つい、甘いことを言ってしまうのは健全な男子高校生として仕方ないと思う。

「一成に謝ってくれたら、もう怒らない。それが終わったら仲直りの印に一緒にお昼を食べよう」

 イリヤはその俺の言葉にむぅ~と小さく唸りながら、暫し一成と俺を交互に見たけど、諦めがついたのか、ため息をひとつつくと頭を下げて「ごめんなさい」と、なんだか硬い声音で告げた。

 思わず安堵の息を吐き出して、それから、ぽんと隣の席の一成へと声をかける。

「あー、一成悪かったな。イリヤもほら、この通り反省しているから大目に見てやってくれ。その代わり、無くなった分は俺の弁当からとっていいから」

 そういうと、一成はこめかみに手をあてて、「全く、士郎はお人よしが過ぎるぞ」と重い声で告げた。

 それに苦笑。

 そのやりとりをどことなく不満げにイリヤは見ているが、さすがは堅物生徒会長、意にも介していない。

 その後は、イリヤと一成が所々で争いあってはいたが、概ね平和に昼休みは終わった。

 

 放課後になった。

 俺は一応弓道部所属だけど、最近はあまり行ってないし、行ってもマネージャーがやるような仕事ばかり選んでやっている。

 その理由は、理由というほどのものじゃないかもしれないけど、俺はまず弓を外そうと思わない限り外さないことがあるのかもしれない。

 だって、最初から出来てしまうんだ。

 そんなの、一生懸命練習している奴らには失礼だろ、とつい思ってしまうのもあるし、以前シロねえに言われた言葉もある。

『魔術を秘匿するのは当然だが、オマエは弓のほうも出来るだけ知られないようにしろ』

 と。

 なんでそんなことをいわれたのかはわからない。だけど、こくりと気付いたらうなずいていた。

 俺にとっては矢を的のド真ん中に中てるのは当たり前で当然のように出来る行為でも、一般的に見ればそれは異常なんだと、多分そういうことなんだろう。

 でも弓道部は俺にとって居心地がいいし、桜や慎二がいるし、美綴にはよく勝負をふっかけられるしで、なんだかんだ辞めるほどにはいたっていない。俺が主にやっているのは弓の調整や、アドバイスってほどのことじゃないけど、1年生への簡単な姿勢の矯正指導くらいものだ。

 俺をライバル視している美綴には悪いけど、俺にはそれくらいの距離感が調度いい。

 さて、そんな今日はといえば、昨日に続いて、一成と一緒に備品の整備をしている。

 俺の得意な魔術系統は、「強化、変化、解析、投影」の系統で、とくに刃物類の投影と解析魔術のほうに才が偏っているらしい。逆を言えば、一般的な魔術は大抵不得手で、本来はこの系統の基礎になるべき強化魔術のほうが苦手だったりするわけだが、まあ、それはまたの話ということにする。

 集中するためと断って、一成を部屋から出し、壊れたストーブを見る。

解析開始(トレース・オン)

 自己に埋没するための呪文を口にし、ストーブの構造を見て取る。

 普通の魔術師からしたら、こういう解析の魔術に秀でていてもあまり役に立たないものらしいけれど、こういう壊れたものの修理には解析の魔術はもってこいだ。配線が一個断線している……と、なにが原因で悪くなったのかが手に取るようにわかる。

 原因さえ分かってしまえば、あとの修理は簡単だ。

「一成、終わったぞ」

 これが今日最後の修理物だとわかっていたので、声をかけると、一成は「いつもすまんな」といいながら、歩み寄ってくる。

「何、気にするな。友達だろ?」

「しかし、こう士郎に頼ってばかりでは……」

 と、困ったように眉根を寄せる姿を見て、苦笑。

 恩を返したいのだ、と真面目な一成は思っているのだろうとわかって、イリヤをまねてちょっと茶目っ気を出しながら提案をする。

「じゃあ、今度江戸前屋の大判焼きを奢ってくれ」

 そういって笑うと、一成は目じりを和らげて「そんなことで構わんのなら是非とも。だが。いいのか?」と尋ねてくる。

「ああ。それに、実はシロねえも江戸前屋の大判焼きが好物なんだ」

 そう言うと、ちょっとだけ一成は吃驚したように目を開いて、それからふと「なら、いつもの弁当の礼に、たんまりと用意するとしよう」なんていいながら笑った。

 

 家に帰る。

「士郎、おっそーい。もう、あんまり遅く帰ってると不良になっちゃうんだからね」

 なんていいながら、イリヤにタックルじみた抱きつき攻撃を受けた時は、思わず苦笑した。

 今日の夕食はハンバーグに、シチュー、ハムとアスパラのサラダに、トマトリゾット、食後にあっさり甘さ控えめのパンナコッタという献立で、メインのハンバーグは桜のお手製だ。

 食後の紅茶を飲みながら、口どけもふんわりしたパンナコッタを口に運びつつ、料理のことで談笑している桜とシロねえを見る。

 虎は横になりながらTVに夢中だし、イリヤは風呂に向かった。親父は自室に引き上げた。

 そんな中、1人ぽつんと、デザートを食しながら、目の前で会話する女2人の姿を見ていると、なんとなく、羨ましい気がしてしまうのはどうしてなのか。どことなく嫉妬っぽいもやもやが少しだけ胸にわきあがって、思わず首を傾げる。

 いや、よしんばこれが嫉妬だとしても、そもそも俺は一体桜とシロねえのどっちに嫉妬しているんだか。自分でもイマイチ判別はついていない。ふと、桜と目があった。

 シロねえは、ああ、と何かに気付いたような顔をして、まぶたを少し落とすと、紅いエプロンを丁寧にたたんで、桜への紅茶を追加してから、自室のほうへ向かって出て行った。

「先輩、お隣お邪魔していいですか?」

 と、ふんわり柔らかな声で尋ねる後輩を前に、「ああ。いいぞ」といって、少しだけ位置をずらす。

「では、失礼しますね」

 そういいながら、くすりと笑う桜が綺麗で、ちょっとだけ困った。

「さ、桜さ」

「はい」

 思わず慌てた声をあげながら、先ほどまで思っていた言葉を上げる。

「シロねえにかわいがられているよな」

 きょとんと、桜は目をぱちくりさせる。其れを見て、馬鹿なことを言ったな俺とは思いつつも、今更撤回するわけにもいかない。だからそのまま続けた。

「俺が料理しているとさ、いつもシロねえボロくそに言うんだぞ。「馬鹿」だとか、「たわけ」だとか、「未熟者」だとかさ。それが桜にはとてもじゃないが見せないような凄く意地悪な顔でさ」

 むぅ、とちょっと思い出して思わず頬を膨らませた。

「最近のシロねえなんかとくにそうだ。俺相手にはいっつも意地悪な顔して、口を開くたびに皮肉ばっかりで……って、なんだよ、桜」

 気付けば、桜はくすくすくすくすと本当おかしそうに笑っていた。

 目じりには笑いすぎで涙までためている。

 ……なんでさ。そこまで笑われるようなこと俺言ったっけ?

「それで、先輩は先ほど私に嫉妬していたんですか? 自分もシロさんに優しくしてほしい、とか」

 その桜の発言に、かっと、耳が熱くなった。

「先輩、可愛い」

 う……なんか、嫌だ。

「確かにシロさんは私にはとても優しいですけど……でも、私が先輩に妬くことだってあるんですよ?」

「なんだよ、それ」

 意味ありげな視線に、つい、と思わず顔を逸らしながら聞く。

 頬が火照って暑い。

 顔が真っ赤なのが自分でもわかる。

 後輩相手にこんな醜態を晒すとは、我ながら中々情けない。

「シロさんは、士郎先輩に甘えているんですよ」

「え?」

 意外な言葉をいわれた。

 そう思って思わずまじまじと桜を見る。彼女は微笑みながら、静かに語りだす。

「シロさんにとって先輩は特別なんです。シロさんが取り繕わず有りの侭でいるのは士郎先輩の前だけだって、やっぱり先輩気付いてなかったんですか?」

 それは……本当に?

「甘えてて、何を言っても許してくれる相手だってそう思っているから、だからシロさんは先輩にだけ『違う』んです。私、そんなシロさんと士郎先輩の関係が、ちょっとだけ羨ましいです」

 そうして桜は、ほんの少しだけ寂しそうに笑った。

 

 桜を家まで送って、風呂に入って、でも考えるのは、桜に言われたこと。それがぐるぐると頭の中をまわる。

『シロさんは、士郎先輩に甘えているんですよ』

 ……そうなのか?

 だって、シロねえはいつだって…………カッと頬が熱くなって、思わず冷水を頭から被った。

 なんだこれ、心臓がばくばくなってる。予想外の相手に……形はどうあれ頼られ甘えられていたというのは、無駄に恥ずかしくて嬉しくてこっぱずかしい。

 こんこん、とその時ノックの音が響く。

「士郎、いるか?」

 ドアごしにぼんやりとシロねえのシルエットが浮かび上がる。

「ああ。どうしたんだ?」

「どうしたもなにも、お前がいつまでも出てこないから、さては風呂の中で寝でもしたのかと思って様子を見に来たのだが? もう、50分以上経っている。気付いていなかったのか?」

「え?」

 そんなに時間が経っていたのか、慌てて思わず浴槽から身を上げる。

「わ、悪い」

 と、声をかけて、それから思わず目を見開いて驚愕した。

 俺が立つのと同時に、がらりと浴室の扉を開けて、服は着たままとはいえシロねえが、何食わぬ顔して入ってきたからだ。ちなみに俺は下、何も隠してない。

「なっ、なっ!?」

 口をぱくぱくとさせながら、思わず固まったところでだれが俺を責められるだろう。

 いくら家族とはいえ、こっちは思春期真っ盛りの健全男子高校生である。この心境をどうか理解して欲しい。

 そのままずんずんと近寄ってきたシロねえは、俺の頬に手をのばし、……思わずとくりと心臓が高鳴った……そのまま、こつんと、自分の額と俺の額をつき合わせた。

「ふむ……やや熱いな。大方湯あたりといったところだろう。先ほども顔色がおかしかったし、もしや、風邪の引き始め……という線もあるか。馬鹿は風邪をひかないというがアテにならんな。ああ、いい。今日は鍛錬を休んでしっかり寝ていろ。普段病気知らずな分、オマエはどうなるかわからないからな」

 ……そんな言葉を淡々となにもなかったかのように動じず言う、この天然朴念仁を誰かどうにかしてくれ。

 俺の熱が上がっているのは確実にアンタのせいだよ。

 とりあえず、今更だし、シロねえは全く気にしていないようだけれど、近くの手ぬぐいで下半身を隠した。気休めでもやらないよりはやるほうがマシだ。

「……いい。鍛錬には出る。だから、シロねえ、出てってくれ」

 ついつい無愛想な口調で、出来るだけ不機嫌を作って言ったというのに、シロねえは不思議そうな顔をしてことりと首を傾げるばかりだ。

 だから、あんたはもう、なんでわからないんだ。今のは俺の最大限の譲歩だぞ!?

「おい……士郎、オマエ凄い熱だぞ」

 だから!! アンタが……って、ずいっと近寄るな! そんな心配そうな目で俺を見るな、触るな。

 つか、当たってる!! 服越しとはいえ、ふにゃりと柔らかい二つの弾力ある物体があたっているから!

「やはり、風邪か」

 違う!! つか、なんで鋭いところは鋭いくせに、こういうところはどこまでも鈍感なんだ!?

 あ……駄目だ……意識が遠のく。

 

 パタッ。暗転。

 

 

 …………この家に来たばかりの頃は、あの大災害の夢を見て、何度も夜中に飛び起きた事をよく覚えている。

 その匂いも感覚も五感の全てがあまりにリアルで、なのに、会話は覚えているのに両親の顔も薄らぼんやりしてて、焼けていく記憶に翳り、覚えているのは輪郭ばかりだ。

 生きなきゃ、とそう思った。

 あの、救われないはずの地獄。

 そんな過去でもある夢から、目が覚めて真っ先に感じたのは、手に触れる暖かいぬくもり。

 穏やかに、まるで慈母のような、或いは聖女のような微笑を湛えて、シロねえが俺の手を握り締めて其処にいた。

『士郎』

 そう、優しい声で名前をよぶから、俺は安心して、ああ次はあの夢を見ずにすむなと思えて、そのぬくもりに包まれながらまぶたを閉じた。

 そんな夜を、衛宮の家に引き取られて、イリヤを迎えに2人が出て行くまでの1ヶ月間ずっと過ごした。

 

 すぅ、と目を開ける。手には懐かしい暖かさ。

 ふ、と見上げるその先の面影が、先ほどまで見ていた夢に被った。

「目が覚めたか」

 そうして微笑む顔は、昔、聖女のようだ、なんて子供の頃に思った静かな、笑顔というにはあまりに慎ましい微笑み。

「…………おれ……?」

 思わず昔に戻ったようで、自分がわからなくなって、つい困惑した。

「風呂場でオマエは倒れたんだ。覚えてないのか。全く、修行が足りんぞ。自身のことはちゃんと自分で把握できるようになれと、常々言っているだろう」

 なんて、呆れ混じりに言う声も昔みたいに優しかった。

「さて、目が覚めたのなら構わないだろう。私はもう行くが、オマエはもう少し寝て……」

「シロねえ」

 ぎゅっと、離れようとする手を握り締めた。

 桜は、シロねえは俺に甘えているといった。なら、それがうぬぼれでないなら、だったら、俺もたまには我侭をいっても許されるだろうか。そんな誘惑が、頭をよぎる。だから、それを口にした。

「俺が眠るまでここにいてほしい。駄目か?」

 そういって、じっとその鋼色の瞳を見つめると、シロねえはぱちくりと目を瞬かせて、それから、昔みたいな柔らかな笑みを湛えながら、「全く仕方ない奴だ」そう笑った。

「……今夜だけだぞ」

 そういってきた声があまりに暖かいから。

「うん……ありがと、シロねえ」

 その手のぬくもりに甘えて、俺は柔らかなまどろみの中へと意識を旅立たせた。

 

 

 了

 

 

 





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 うっかり女エミヤさんの聖杯戦争、第五次聖杯戦争編・予告



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 次話NEXT「00.と或る世界の魔法使いの話」


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 乞うご期待?


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第五次聖杯戦争編・序章
00.と或る世界の魔法使いの話


ばんははろ、EKAWARIです。
お待たせしました、第五次聖杯戦争編開幕です。
とはいっても、今回の話は第五次聖杯戦争編のプロローグ的な話であり、第四次聖杯戦争編10.闇の中伸ばされた手のアンサー回でもあります。
つまり、本格的な始動は次回からになりますね。
これにて、うっかり女エミヤさんの聖杯戦争、起承転結の「起」部分は完結。
後は転がっていく物語をどうぞお楽しみ下さい。


 

 

 

 ―――ザー……ザー……。

 

(接続エラー、接続エラー)

 

 ねえ、アーチャー聞こえる?

 

(内心に広がる不安、暗雲、動揺、見透かすように伴侶の声が内に響く。)

 

 て……ちょっと、馬鹿士郎何言ってるのよ。

 

(リンクを閉じる、細める? 否、増大。針に糸を通すように慎重に、吸い上げ、繋がりを強める)

 

 あー、もう、煩い! アンタはそこで黙ってなさい!

 

 これが正真正銘、唯一のチャンスなんだから。

 

 アーチャーを救う機会はこれっきりなんだから。

 

(リンクは蜘蛛の糸のように頼りない。知っている、わかっていた。これはただ一度の試み。成功する可能性のほうこそ、それこそ万に一つの奇跡)

 

 ―――ザー……ザー……。

 

(でも、それを掴み取るのだと決めたのも私。それに私は1人じゃない)

 

 ねえ、お願い返事をして。

 

 私、あなたに繋がっている?

 

(接続エラー、接続エラー。返事は返らない。そして、また私はその作業を繰り返す)

 

 

 

 

 

         『と或る世界の魔法使いの話』

 

 

 

 side.???

 

 

 それはまるで御伽噺に出てくるような、それは古い洋館だった。

 魔女の家。その印象がまさに正鵠を射てるとは誰が知ろうか。

 此処は変わらない。

 200年以上に及ぶ魔道の探求の末に至った魔女の家。

 世界に現存する数少ない魔法使いの、最も新しき称号を得た、赤き宝石の魔女。

 ごぽごぽと、泡が立ち上がる。

 その地下室。その溶液の中に、彼女は居た。

 意識して操作してきたのだろう、年のわからぬ、けれど美しい女だった。

 烏の濡れ場色をした美しい髪が、宝石を溶かし込んだ羊水の中で揺らめく、その様は幻想的といっていい。

 ふ、と目を見開く。

 アクアマリンの瞳は力強く、けれど同時にどこまでも優しかった。

 その部屋で、その光景を見ているのは、おそらく30代半ばといったくらいの背の高い男だ。その視線を受けて、彼女は伸びやかに足をのばし、そして、あっさりと自身が今まで身を沈めていたその容器から出て行った。

 一糸纏わぬ均衡の取れた肢体に、男が手渡したタオルがかけられる。

 女は「ありがと」と小さく言うと、とん、と男に背中を預けた。

 よく見れば女の右手はいまだ、容器とチューブで繋がっている。その左手に握っているのは豪奢で可愛らしいデザインの、けれど空っぽなルビーの大きな宝石。鎖がしゃらりと音を漏らす。

「どうだった?」

 男が声をかける。

「駄目ね、失敗したみたい。細いものは築けているんだけど、リンクが細すぎて声までは届かないのよ」

「そうか」

「誰もやったことのない試みだから、わたしだって最初から上手くいくとは思ってなかったけど、ね」

 女の声はいつも通りを装いながらも、どこか疲れたような色もある。当たり前だ。

「でも、アイツはわたしの物だから。やっぱり、なんだかんだいって諦められないみたい。わたしは、自分のものが幸せになれないのは我慢ならないもの」

「知ってるって。まあ、最初に言い出した時は流石に吃驚したけど、そういうところもらしいっていうか」

 そんな風にいいながら、あどけなく、男は少年のように笑った。口元に笑い皺がひろがる。

「……でも、あんたやルヴィアゼリッタ、それにあの子がいなかったら、ここまで来れなかったわ。感謝、してる」

「おいおい。おまえが努力したからここまでこれたんだろ。俺はたいしたことをしてないぞ。そんな弱気じゃ、『赤き宝石の魔女』の名が泣くな。お前はもっとどんと構えてろよ。後ろは俺が支えているからさ。そのほうがずっとらしい」

「ふふ、そうね。じゃあ、よろしく頼むわ、旦・那・様?」

 わざと意地悪く、学生時代の頃みたいな笑みを浮かべて、最後の台詞を強調して言うと、言われた男は顔を真っ赤にして、「オマエな……ああ、もういい。飯、出来ているから、今日くらいちゃんと食え。それに……も、心配している」と彼女と彼にとって大切な従者である少女の呼び名を口にすると、ふいと顔をそむけ、背中を向ける。

 すると「マスター」そんな今の今まで話題に上げていた少女の清らかで穏やかな声がドアの向こうから聞こえ、双方ともにそちらへと振り返る。

 そこには先ほどまで部屋で魔力節約の為眠っていた筈の金紗の髪をした少女が、翡翠の瞳に慈愛を点しながらドアを開け、小走りに駆け寄ってくる姿があった。

「おはようございます、○○。彼とは話せましたか」

 そうやってにっこり微笑む顔はまるであの頃とは別人のように華やかで、本当に少女らしい顔だった。

「まだ、駄目みたい。それと今は『彼』じゃなくて『彼女』よ△△△ー」

 そういって、苦笑する女に向かい、従者たる金紗の髪の少女は笑って告げる。

「でも、諦めるつもりなどサラサラないのでしょう?」

「当然よ。これまでの努力無にするつもりはないわ。勿論貴女の献身もね」

 そういってウインクする彼女は、魔女だ、あかいあくまだなんだと言われているのが嘘のように優しく頼もしく美しい。そんな主人を眩しいものを見るように目を細めながら、従者たる少女は問いを投げかける。

「私は、役に立てていますか?」

「当然よ、愚問ね△△△ー。わたしを通してとはいえ、アナタとの繋がりがなければ、いくら実物が手元にあったとしてもアイツがアレを投影することなんて出来なかったでしょうから。大丈夫、アナタは充分にあいつの助けになっているわ」

「それは良かった」

 そういって微笑む彼女はまるで、宗教画の聖母のようだった。

 それを見て、赤き宝石の魔女は、ふっと目を細めながら、囁くような声で問いを投げかける。

「ねえ、△△△ー、アナタ、あいつのこと好き?」

 それに少しだけ困ったように微笑んで、けれど優しい目で剣の英霊たる少女は答えた。

「さあ、どうでしょうね。もしかしたら同情……なのかもしれません。彼と、□□、どちらも□□□□であることに違いがありません。私は……剣になると、そう誓いましたから」

 そういって、金紗髪に翡翠の瞳の少女はぎゅっと己が右手を握りしめた。

「それに、救われたのは私のほうです。なら、次は私の番だ。少しでも返せたらいいと、そう思います。私は彼に、少しでも幸せになってほしい。きっと現世に私が残った意味は、そういうことなのでしょう」

「ええ……そうね」

 そういってアクアマリンの瞳をした女も優しい顔で微笑んだ。

 すると、女2人の会話を前に蚊帳の外にされていた、この場唯一の長身の男は、ガリガリと困ったように白髪混じりの赤髪を掻きながら、こう言葉を零した。

「あー、お二人さん……俺のこと忘れてないか?」

「ふふふ、ごめんなさい。旦那様?」

「すみません、□□」

 そういって微笑む妻も、妻と自分の従者たる少女も、本当に華やかで美しかった。

 なら、自分に何が言えるだろうか。そう思った男もまた微笑みを浮かべる。それは愛おしむような眼差しだった。

「全く、じゃあ俺は飯の用意してくるから」

「ありがとうございます、□□、それは楽しみです」

 そう答える青年に対し、即座に嬉しそうにそう返答を返す金紗髪の少女。あの時から随分と時が経ったけれど、そんな姿は本当に変わらない。どちらも、赤き宝石の魔女にとって愛しく大切な存在。

 きっと彼らがいなければ、彼女は至る事など出来なかった……と、そう思う。

 そんな2人のやりとりに、女はふふっと笑いながら、楽しげに、穏やかに微笑んだ。

「ええ、そうね。それじゃ……ッ!」

 言う途中の女の目が見開かれ、容器に繋がった右手のチューブを左手で握り締める。

「……来たのか……!?」

「ええ、悪いけど、わたしまた入るから…………その間わたしの身体、お願いね。何かあったらパスで呼ぶから」

「ああ、任せておけ」

「マスター、ご武運を」

 初めて出会った頃は、背も低くて、幼顔をしていた男の、精悍に成長した頼もしいその顔と、いつまでも変わらない騎士王と呼ばれる従者たる少女の顔を眩しいものを見るように見つめる。そしてその手をそっと手を離した。

 感覚が遠い。

 愛する伴侶のその顔は、色さえ除けばかつてのパートナーと酷似していて、でもその純真な目はどこまでも違った。

「『錬鉄の守護者』を抜けるやつなんて、そういやしないさ。俺とお前がいれば100人力だ。加えて△△△ーもいるんだ。誰も俺達に手出し出来るやつなんていないさ」

 そうして彼が笑うから、本当にきっと大丈夫なんだろう。そう信じていられる。

 意識が揺らぎ、別世界に接続していく中、ぼんやりとそう思った。

「そう……」

 ごぽりごぽりと、宝石を溶かした海に浮かびながら、美しき魔女はまどろむ。

「ありがとうね。わたし、アイツを……」

 続きの言葉は闇に沈んだ。

 

 其れは1人の魔女が望んだ願いから始まった。

 多くの同胞の下に、祈ったその結晶の一欠けら。

 変わらぬ運命(フェイト)に皹をいれるその一石。

 時と並行世界を架けた願い。夢、希望。

 

『頑張ったやつがむくわれないのなんて間違っている』

 

『幸せになれ』

 

『安らかにあれ』

 

 ただ単純な、そんな想い。

 けれど、それが何より強い原動力となり、魔術師が魔法使いになったその時、彼女は自分の願いを叶えるための行動を起こした。いつものように周囲のものを巻き込みながら。そして巻き込まれたものたちも魔女の願いを肯定した。

 

 それが全てのことの始まり。

 これこそが本当の始まり。

 その左手に握り締めた、力なき、唯一の触媒たる紅き宝石がきらり、と光った。

 

 

 

  NEXT?

 

 



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01.ロード・エルメロイ二世

ばんははろ、EKAWARIです。

今回から漸く第五次聖杯戦争編の幕が開けました。ウェイバーの出番も随分久しぶりですね。
ところで、ロード・エルメロイ二世の事件簿読んでいませんので、ぶっちゃけ二世の口調よくわかりません。なので、二世の口調はアニメUBWの最終回参考にしました。



 

 

 

 今でもよく覚えている。

 あの日、共に見た冬木の街並みを前に、ボクはアイツに笑われないほど、強くなるってそう決めた。

 ボクを朋友(とも)だと呼んだ男に恥じないように、立派になるって。

 それは結局未だ叶っていないけど。

 弟子ばっかり偉くなって、ボク自身はまだまだ追いついていないけど。

 そのくせ、プロフェッサー・カリスマだの、マスター・Vだの、グレートビッグベン☆ロンドンスターだのありがたくもなんともない通り名ばっか増えているのに正直ムカついてたりするけど。

 それでも、いつか、あの王の背中に並んで見劣りしないようにと、そう心掛けながら生きてきた。

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

  ロード・エルメロイ二世

 

 

 

 side.ウェイバー

 

 

 夢を見たんだ。この世の果てまで征服する。言葉にするとなんて馬鹿馬鹿しい夢。でも、あの男とならそんな夢も見れると思った。気さくで偉大で雄大な王との、たった2週間だけの夢。 

 それが今も胸に残っている。

 今もあの別れと、あの最後の夜に共に肩を並べて眺めた冬木の街並み、あれだけは今も鮮明だ。

 最近、ずっと苛々していたのに、なのに今日はどうしてか悪くない目覚めだった。ボクにしては大きな研究がひと段落して、久しぶりにゆっくり出来るからだろうか。あんな夢を見たのは。

 昔を思い出して目が覚めた。

 ふ、と壁にかかったカレンダーへと目をやる。

 1月27日、今日の日付を見ながら普段は気に掛けもしないことに気がついた。

「10年……か」

 そう、あれからもう10年が経ったんだ。

 そんな感傷を頭を左右に振って追い出す。

 10年経った、だからなんだというんだ。

 ボクは……いや、私はまだアイツに並べるほどになっていない。それが全てだ。そんな感傷に浸る暇があれば、少しでも魔術師としてのランクを上げるように尽力するべきだ。

 朝の気持ちいい感傷も吹っ飛び、弟子達を思い出して思わずむすっと眉間に皺を寄せる。それから、朝食用に食パンをセットして、暫く見ていなかった郵便受けへと手を伸ばした。

 ばさりと、小山になった手紙の束が落ちる。

「ん?」

 その一番上の、シンプルながら妙に目を惹く珍しい紙質の便箋を手に取る。差出人は……。

「グレン・マッケンジー……だって?」

 そんな馬鹿な、と思わず目を見開く。

 それは10年前に魔術を使って、第四次聖杯戦争の間自分が宿を借りた一般人の老夫婦の名前だ。

 終わって暫くは、グレン老の願い通り、孫のフリを続けてあそこにいたし、数年間はちょくちょくと顔をあわせて、フリを続けたとはいえ、今は綺麗に関係を断ち切っており、あの夫婦が私の今の住所を知っているわけがない。

 いや、見れば筆跡はグレン老に確かに似せてはいるが、これは別人の字だ。

 となると、この差出人である人物は、わざわざグレン老の名を借りて、私に連絡を取ろうとしたということになる。グレン老のことをしっていることといい、わざわざその名を借りて私に連絡をとろうとしたことといい、そこから読み取れる答えは。

「第四次聖杯戦争の関係者が私に用があるということか」

 そうとしか思えない。

 アレに関係して生きているものなど一握りのはずだが……さて、鬼が出るか蛇が出るか。

 私はびりっと音を立てて、その封を破いた。

 

 

 

 side.衛宮切嗣

 

 

 古きよき、極道の親分を前にして、すっと背筋を伸ばす。

 僕は近頃はずっと着流しばかりを身に纏っていたけど、今の格好はくたびれた黒いコートに、黒ぞろえのスーツ姿。それはいつかの魔術師殺しの再来だ。そう、僕にとっての戦闘服姿を前に、この目の前の人……藤村組という極道の親分である藤村雷河は、さも涼しげな顔に、微量な凄みを乗せて言う。

「世間話に来たわけじゃあ、なさそうだわな」

 言う声は、カラカラと軽快だが、軽薄ではない。

「ええ、人払いをお願いできますか?」

「つーわけだ。お前等、下がれ」

 その鶴の一声で、ざっと、周囲にいた屈強な男たちが波を引くように姿を消す。

 それを確認してから、僕は殊更ゆっくりと言葉を押し出した。

「もうすぐ、裏で大きな事件があります」

 雷河さんはじっと、僕の声に耳を傾ける。

 白く鋭い眼光は僕を射抜くかのように、心まで見透かそうとする。

「だけど、それに関わらないで下さい。そう、お願いに来ました」

「見過ごせってぇのか?」

 ぎらりと、凄みを帯びて目が細められる。

「藤村組には迷惑をかけません。これは僕達の問題ですから」

 その僕の返答を前にして、はあ、と極道の古きよき親分はため息をつく。

「何をしようとしてるのかはしらねえが、こっちに飛び火するようじゃあ、テメエ相手でも容赦はしねえぞ」

「ええ。つきましては、暫く大河ちゃんが家に来ないようにしていただけたら、と、まあ、本題はこちらです」

 そういうと、ふ、と雷河さんは眉間の皺を緩め、囁くような声音で、「切嗣よ、オメエ……」続きの言葉は声になっていなかった。だけど、はっきりとその口は『やっぱり長くないのか』と告げている。

「これが、最後の顔合わせになるかもしれません」

 淡々とそう告げる。

 雷河さんは再び、はぁと息を吐き出して、それからくしゃりと髪をかき上げ、細めた目でどうか遠くを見るように僕を見た。

「僕が消えたら、後の事はよろしくお願いします」

「うちは便利屋じゃあねえんだがな。ちっ、わかったよ。心配しねえでも、ちゃんと俺が面倒見てやらぁ。イリヤも士郎も今じゃあ俺の孫みてえなもんだからな」

「ありがとうございます」

 そうして頭を下げて、その屋敷を出た。

 これが最後かもしれないと思っても、振り向くことだけはなかった。

 

 

 

 side.ウェイバー

 

 

 いつも通り適当なTシャツに袖を通し、暖かそうだったからとこれまた適当に買った茶色いコートを羽織り、やっぱり適当に選んだマフラーを首に巻いてから、10年前にくらべ、随分と長く伸びた髪の毛を適当にゴムで一つに縛ってから、家を出る。

 それから、待ち合わせ場所の何の変哲もないカフェにつくと、適当にコーヒーを注文して、窓際の席に座った。

 時刻は待ち合わせ時間より20分ほど早い。

 全く、私はどうかしているのではないか。

 相手は、関わらないほうがいい相手だ。それがわかってて、様子をうかがいに行くだけならまだしも、こんなに早く待ち合わせ場所へ向かうだなどと、まるで遠足を控えた子供のようじゃないか。

 むすりと、そんな自分の機微に不機嫌な気持ちになりながら、自棄食いをしたくなって、フィッシュアンドチップスも注文する。

 ここのコーヒーは不味い。こんな気持ちで飲んでいるからかもしれないが、不味い。

 ならば、顰め面がより酷くなるのも自明の理というものだろう。

 ウェイターはそんな私にあまり関わりたくと言いたげな顔をして、さっさと注文の料理を置いて去っていった。

 そして、約束の時間きっかりに、件の人物は現れた。

「久しぶりだな。それと、待たせてすまない」

 それは10年前と全く同じ声音だった。

 その声をきっかけにはっきりと記憶が蘇る。だからこそ、僅か目を見開いて私は固まった。

 それは女だった。

 身長は170cm半ばに届こうかという背の高い女で、声は、声変わりが終わったか終わってないかくらいの少年の声をどことなく連想させるような女のハスキーボイスだ。目の部分を覆っているサングラスの下にはきっと、10年前のような鋼色の瞳が隠されているのだろう。

 そう、呼び出した相手は、とっくにいなくなっていると思っていた相手だ。

 10年前、まだ私が何も成していなかった若かりし頃、日本で参加した聖杯戦争にアーチャーのクラスとしてよばれたサーヴァント、それがこの女の正体だ。

「しかし、驚いたな」

 思わず時が戻ったかのように、ぼうとした私の耳には、女の声が右から左へと流れて聞こえた。

「立派になったものだ」

 感心したような響きに、む、と眉根を寄せ、我に返る。

「確か今はロード・エルメロイ二世とよばれているのだったか?」

「それは私を縛る為の名だよ。私自身は大したことはしていないのでな」

 そう告げると、目の前の女は、サングラスを外して、私の前の席に腰をかけながら、どことなく皮肉そうな笑みを口元に浮かべて言葉を続けた。

「いやいや、君の噂は遠く日本まで聞こえている。プロフェッサー・カリスマに、マスター・Vだったか? あと、女生徒が選ぶ時計塔で一番抱かれたい男とも聞いたぞ。大人気じゃないか?」

「はっ、それは私自身の力じゃない。弟子ばっかり偉くなって讃えられても、私自身の功績でないのなら嬉しくもなんともない。騒がれていることは認識しているが、女生徒にだって興味はない」

 思わずむすくれたまま、注文したフィッシュアンドチップスを口内にかっこむ。

 其れを見て、アーチャーは困った子供を見るような目で一瞬見たかと思うと、目じりを和らげて、諭すような声を出しながら言葉を続けた。

「人を指導して伸ばせられるのも充分才能だと思うがね。それに、立派になったというのはそれらの部分だけではない。精悍になったものだ、と感心しただけだが、気に入らなかったか?」

 それらの他意なき賛辞に、一瞬、どきりとする。

 果たしてコイツは……こんな柔らかい表情を誰にでも浮かべられるようなやつだっただろうか?

「……ッ」

 真っ直ぐ私の目を見てくる鋼色の目が酷く落ち着かない。

 そう、10年前も今も、この女は酷く私を落ち着かない気分にさせる。

「それよりっ」

 だん、と思わず机を叩いて、じろと、女を見据えた。

「なんで、オマエはここにいるんだよ。しかも、オマエ今実体だろ、どういうことだ!」

 思ったより大声になったが、今この一角には人払いと無音の結界を張ってあるからまず問題はないだろう。

 そう思って怒鳴ってから思わずほっとした。

 いつの間にか昔の口調に戻っていた事に気付いたのはもう少し後だ。

「まあ、色々あってな」

 そう言って、首をすくめる動作が妙に色っぽくて、うっと思わず内心唸った。自分の仕草がどう見られているのかとか自覚はないのか、全く気にしていない様子が恨めしい。

「ああ……そう。で、その髪はどうした? 英霊は姿かたちがかわったりしないはずだろうに」

 その指摘に、アーチャーはむと、眉を顰めて、子供のようなふてくされ面になる。

 そう、一番私を落ち着かなくさせる原因、それは英霊であるからこそ何もかわるはずがなかったのに存在する、明らかな10年前とのこの女の差異だった。

 10年前、何故か執事服に身を包んで私たちの前へと現れたこの女が、今身を包んでいるのは、何の変哲もない黒いカッターシャツに黒のスラックス、デザインからしてどことなく男物っぽい赤いジャケットといった、まあ平凡な格好で、でもそんな格好だからこそ、10年前はカッチリした衣装のせいで気付き難かったスタイルのよさが妙に引き出されていた。

 また、髪も、10年前はボーイッシュにショートカットされていたのに、今は結えられ、紅い髪飾りで纏め上げられていて、晒されたうなじの辺りが妙に色っぽい。

 それと、顔が変わっていなくても、髪が長いだけでも随分と女らしく感じるわけで、今更ながら、絶世の美姫とはいかないまでも、目の前の相手がそれなりに美人なことに気付かされた。

 そして、気配。

 圧倒的なサーヴァントとしての気配がなりを潜めて、実体をもっているとわかるこの目の前の女から漂ってくる気配はまるで人間の其れなのだ。

 10年前あの戦いでこの女と接触している私ならばともかく、普通の魔術師なら、この女が英霊の一角であることに気付かないかもしれない、それほど見事に女の気配は巧妙に偽装されていた。

 だから……落ち着かない。

 まるで、こうしていると、ただの女と相対しているかのような錯覚をしそうになる。

 女はそんな風に試み出されている私の様子に気付いているのか気付いていないのか、首をすくめて、ぽつりとした声音を出し告げる。

「まあ、気にしないでくれ。私もあまり思い出したくないことなのでな」

 その言葉が、先ほど聞いた英霊は姿かたちがかわらないはずじゃないのかという私の指摘への答えだということに、遅れて気付いた。

「まあ、いいが」

 むすくれた顔でそう、なんとなく告げる。

 本当は良くなんてなくて、どうしてそうなったのかを追求するのが、あるべき魔術師の姿だろうとは思うのだけど、それを無理に聞くのは野暮な気がした。

「……長いの、似合っているし」

 ぼそりと、小声で気付いたらそんな言葉をつけ足していた。

 其れを見て、アーチャーは不思議そうに首を一つ傾げると「邪魔だから纏めただけなんだがな……」なんて夢も希望もない言葉を言い放つ。ああ、そうだった。なんか褒められることに関して妙に鈍感だったな、コイツ。

 その後、暫し他愛のない話をぽつぽつと5分ほど続けた。

 

「……それで、本題は?」

 どうにも不味いコーヒーを啜りながら、じっと目の前の白髪の女を見据えそう聞く。

 アーチャーは其れを見て、遠まわしに言っても仕方ないだろうと思ったのか、すっと鋼色の瞳で私の姿を見据え、実直な言葉を押し出す。

「冬木で聖杯戦争が始まる」

 その言葉に思わず息を呑んだ。

「ついては、君に頼みごとがある」

「ちょっ待ちたまえ……聖杯戦争、だって? まだ、あれから10年しか経っていないのにか?」

 確か聖杯戦争の周期は60年ごとだったはずだ。それがたった10年で再開するだと?

「ああ……君は知らなかったのか? いや、関係者だからこそ君に連絡がいかないように細工がされていたと見るべきなのか……」

 ふむ、と考え込むようにアーチャーは顎に手をあて、淡々と言葉を紡いでいく。

「前回の戦いが中途半端に終わったからな。その反動のようなものと思ってくれればいい」

「中途半端って……よもや、君がいるのも、その関係なのか?」

「まあ、そのようなものだ。理解が早くて助かる」

 いいながら、女はいつの間にやら注文していた紅茶に口をつける。

 その仕草は優雅で妙に似合っているのだが……それに口をつけた途端、不満そうに眉に皺を一本寄せて、むっと唸った。其れを見て、そういえばこの女がいれる紅茶は吃驚するくらい美味かったなと思い出す。

 ここのカフェで出されるものと比べるのは、まあそもそもが間違いだ。

 ふと、この女が今言った言葉を脳内で反復した。

「……君は、私に頼みごとがあると、そう言ったな」

「言ったが、それがどうかしたのかね?」

 不思議そうな目で女はゆるやかに私を見る。

「それはこの私をわざわざ頼ってここまで来たってことか?」

 それが、とてつもなく意外だった。

 聖杯戦争中は敵同士であったし、そのわりに援護してくれたり、心配してくれたりもしていたわけだが、それは裏を返せば当時の私は敵にも値しないと見られていたとも言えるし、頼りにならないように見られていたとも解釈できた。

 そも、こいつは今こそこんな人間にしか見えない気配と姿をとっているけど、仮にもサーヴァントであり、すなわち英雄と呼ばれた存在なわけで、弟子はともかく、私自身は未だに魔術師としては四階級どまりという段位でしかなくて、ライダーのやつに肩を並べて恥ずかしくないようになってやると誓っていても、いまだその目標に片手すら届いていない状態なわけで、なのに、この女は、そんな私に頼みがあるだって?

 どこか、信じられない話だった。

 それが顔に出ていたのだろう。アーチャーはそんな私の機微を読んで困ったような顔を少し浮かべると、それでも構わず真摯な声音で言葉を続ける。

「そうだ。ロード・エルメロイ二世に頼みがある」

 その真剣で静かな顔に、一瞬即座に言ってみろといいそうになり、その言葉を飲み込んだ。かわりに、ぐっと息を呑んで、それから重く吐き出し、自分の思考を纏める。

「……あのな、私は魔術師だ」

「承知している」

 くしゃりと、自分の髪を弄びながら、生徒に言い聞かせるような声音で、だけど生徒には聞かせることのないやや乱暴な、素の入り混じった口調のままで言葉を続ける。

「その私に頼み事をするんだ。受けるか受けないかは聞いた後で決めるとして……魔術師は等価交換が原則だ。アンタは、私に何をくれるつもりなんだ?」

 自分でもちょっと意地が悪かったか、と思わなくもなかったが、これは私が魔術師として最低限譲らずに口にせねばならない内容だ。そう、魔術師は等価交換が原則。頼みごとがあるというのなら、対価を貰うのは当然のこと。ただ働きなんてものはありえない。

「そうだな」

 女は淡々と、少しだけ考えるような仕草をして、腕を組み……そうやって腕を組むとただでさえ豊かな胸が強調されることに気付いていないのか、コイツ……そして、真顔で「望みのままに。私に可能なことであればなんでもしよう。それでは、いけないかね?」と、そう答えた。

 ……コイツ、自分がどれだけ危ないことを言っているのか自覚があるのか。いや、見る限りなさそうだが。

 よりによって魔術師を相手に「なんでも」だって? 生きたサンプルとしてこれ幸いと研究にまわされたらどうする気なんだ。

 いや、魔術師相手じゃなくて一般人の男相手でもまずいだろう。これまでの反応から男慣れしていなさそうなのに、そんなことを言って、「じゃあ、抱かせろ」とか身体を差し出すことを迫られたらどうする気なんだ。いや、私は誓ってそんなことはしないが。

 それに、流石にそんなことを言われたら、このどこか変なところで鈍い女も頼みごとを取りやめて去るだけか。いや、でもここまできて頼むことなんだ、どうしても必要な頼みごとだったりしたときはあるいは……って、私は一体何を考えてるんだ。

 ブンブンと頭を左右にふって、余計な考えを追い出した。

 なんかオカシな妄想が湧き出そうな気がしたのはきっと気のせいだ。

「む、どうかしたのか?」

 アーチャーは不思議そうな顔をして相変わらず私の様子を観察している。

 きょとんとした顔はどことなくあどけなくて、無垢な子供を連想させる。私が彼女の言葉のせいで思い浮かんだ諸々の事象を夢にも思っていなさそうな顔に、思わずむすりと不機嫌な気持ちになる。

「なんでもない」

 無自覚っていうのは一番性質が悪い。

 ふとした仕草とか表情とかが妙に色っぽいくせに、自覚がないとか、一種男に対して無防備だったりするのは、見ていて心臓に悪い。なんだ、そのガキみたいな顔。

 これが私でなくば、相対する男に妙な期待を抱かせるだけなんじゃないのか? 10年前に比べて、雰囲気とか表情とかが柔らかくなっているから余計だ。確か昔はもっと皮肉そうな顔を浮かべている事が多かった。

「それで、頼みごとの内容は? 受けるかどうかは聞いた後で決めるが、とりあえず言ってみろ。……断ったとしても口外はしないから安心しろよ」

 頬杖をつきながら、最後に皿に残ったフィッシュアンドチップスを口に放り込む。

 それから、じっと目の前の女の出方を眺めた。それに、女は昔みたいな皮肉そうな笑みを僅かに口元に浮かべて、でも声音だけは真面目に言葉を押し出した。

「君に協会への防波堤になってもらいたい」

「は?」

 何言ってんだ、こいつ。と、思わず目を瞬かせると、女は簡潔すぎたか、とぽつりともらして、それから、淡々と言葉を紡いでいく。

「聖杯戦争が起きるといったな」

「ああ、それは聞いた」

 頷き、肯定の意を出しながら、女の意を探るようにじっとその鋼色の目を覗き込んだ。

「私は……いや、私たちは聖杯を破壊しようと思っている」

「……何?」

 聖杯を破壊するだって? 誰もが欲しがる無色の願望機を? 信じられないことを言う。

 そも、サーヴァントだって聖杯欲しさに現界に応えるんじゃなかったのか?

 ライダーだって、受肉という願いをもって召喚に応じたし……と、そこまで考えて思い出した。そもそも、そういえばこの女は聖杯に願うことなどなかったとそう言っていたような記憶が遠くある。

 でも、だからといって破壊しようなんて結論になるものなのか?

 そんな私が持った疑問はわかっているのだろう、アーチャーは苦笑しながら言葉を続ける。

「ああ、やはりそういう反応を返すか。そうだな、君の疑問はもっともだろうよ。だが、君はもう参加者ではない。私が何故破壊しようとしているのかという動機など、君には関わりのない話だ。そうは思わないか? ここで重要なのは私たちの目的が聖杯の破壊ということだけなのだからな」

 口元が皮肉につりあがって、女は目を細めて私を見た。

 その浮かんだ表情にちょっとむっとしたが、自分より才能があるくせにマスターマスターと煩い弟子共に比べたらそれでもマシだと思って、苛立ちを押さえ込む。

「……いいさ、続けろ」

「ふむ。まあ、君自身何故破壊するのかという顔で見てきたからな、わざわざ言葉にしなくても承知だろうが、私たちの目的が聖杯の破壊である以上、他の参加者にとって私たちがどれほど目障りな存在になりえるのかは想像に難くはないだろう? ……まあ、極力知られないようにするつもりではあるのだがね。だが、そうも言ってられない相手もいてな。それで、もしかしたら或いは、此度の聖杯戦争は例にない派手なものとなりえるのかもしれん。そうなれば、いくら協会の目が薄い極東の地といえど、協会に目をつけられかねない。だから、そのときには冬木のセカンドオーナーへと被害が広まらないように、高名なロード・エルメロイ二世の力をお借りしたい」

 淡々とした口調で女はそう一息で言った。その言葉を聞いて、ふとした疑問が頭を掠める。

「冬木のセカンドオーナー……今代の遠坂の当主と知り合いなのか?」

 それにアーチャーは「そうだな……ああ、よく知っている」と狂おしいほどの親愛の篭った声音で噛み締めるように静かに口にした。

「つまり、オマエが私に頼みたい事とは、聖杯戦争後の協会へのフォローと、その遠坂の当主への風当たりを弱めるための防波堤になってくれってことなのか?」

「そうなる」

 さらりと口にするが、なんでもするとまで言ってまで頼ってきた内容だというのに、あくまでそれは他人のための願いで、アーチャー自身がそこに入っていないことに気付いて唖然とした。

 もう10年ほど前のことだが、ライダーが評した「無欲でお人よしの小娘」といった言葉の意味に漸く納得した。いや、ここまでくればいっそ馬鹿だろう。

 だが、別の疑問も頭に浮かぶ。

 遠坂は聖杯戦争の御三家が一角だ。聖杯戦争が始まるというのなら、御三家であるその当主も当然参加するはず。聖杯戦争を生き延びるということがいかに難しいものなのかはこの身でもってよく知っている。

「その遠坂当主が、聖杯戦争で命を落とすとは思わないのか」

「アレなら、大丈夫だろう」

 どことなく、確信の響きでもって、女はぽつりとした声音でいう。

「アレは鮮やかで強烈だ。アレはきっと、どういう状況であれど生き延びるだろうよ。そういう存在だ」

 ……英霊にそこまで言われる人間ってのも、また凄いなと思う。

 でもしかし、どちらも聖杯戦争に関わるのなら、その遠坂の当主だって敵方にまわることになるだろうに、わざわざ敵の行く末を気にかけて頼みごとをしにくるとは、本当にこの女は意味がわからない。

 だが、要するに頼みたい内容ははっきりした。

 私が望んだ形ではないとはいえど、時計台で私は現在一角の地位を築いている。その人脈を頼っているってわけだ。魔術師として頼られた……ってわけじゃないことが多少面白くないが、意外にコイツに頼られるのは悪い気がしていない自分にも気が付く。

「……やはり、私は都合のいいことを言っているか?」

 私の沈黙を別解釈したらしい目の前の女は、そんな言葉を言って、神妙な顔をしながら私をじっとみた。

 そういう表情をすると妙に儚げに見えるのが心臓に悪い。

「いいさ」

 だからコーヒーを喉にかっこむように自分の心情を誤魔化しながら、即決した。

「その願い、聞いてやるよ」

 見れば、ぽかんとアーチャーは呆けたような顔で私を見ている。

 それにちょっとむっとする。

「もう少し、長引くと思ったのだが……」

「ほう、オマエは長引かせて欲しかったのか? それとも、本当は断ってほしかったとでも?」

 むすっとした顔で、じろりと見ながらそう棘の含んだ声で言うと、アーチャーは肩を竦め、それからぽつぽつとした声で抑揚なく言った。

「いや、そんなことはない。引き受けてくれるというのなら、感謝する。だが……」

 ふ、と女は目蓋を閉じる。それにともない、白い睫毛が揺れた。

 その表情と雰囲気に妙に落ち着かない気分になる。

「……今だからこそ白状出来るがね、ライダーを死地に追いやったのは私だ」

「は?」

 何言ってんだこいつ、と思わずじろじろと眺めた。

「10年前のあの時、私ではバーサーカーへの対抗が難しいと判断した私は、最後に君たちにあった時、これ幸いとライダーの性格を踏まえ、最後バーサーカーにぶつかるように誘導したんだ。私は、君のサーヴァントを利用したのだよ」

 そう、皮肉そうな……でもどことなく自虐的な笑みを湛えて女は言った。

 はあ、とため息一つ。

 それから、とう、と掛け声を上げて私は、女の額へとデコピンを一つ放っていた。

「あのな、オマエな」

 全く、今ならあの時のライダーの気持ちがよくわかる。

「舐めるなよ。アイツと戦うことを選んだのはライダー自身だし、それによって消えたのもライダーと私に責がある。当時敵だったオマエが、勝手に他人(ひと)の事まで背負うんじゃない」

 確かにこいつは、無欲な大馬鹿野郎だ。自分を悪役とすることに躊躇というものがない。

 負わなくてもいい責任まで負おうとする。

 ふと、そこまで思ってあることを思い出した。10年前最後にあった時……確かこの女は。

「……なあ、オマエ、あいつどうなったんだ? その、君のマスターだった、アインツベルンの女」

「……アイリは死んだ」

「そうか……」

 そうだろうと、思っていた。聖杯戦争の関係者なんて碌でもない末路ばかりなんだろう。

 けれど、その聖杯戦争にこれから関わろうとしている敵マスター候補のためだけに私を頼ってここまできた、この大馬鹿者相手に、付き合ってやろうというそんな気持ちがわく私もまた馬鹿なんだろう。

 それとも、見捨てられないのは、同じ想い出を共有している相手だからなんだろうか。

「なあ……アンタ、いつまでロンドンにいるんだ?」

「今晩の便で帰るが……それがどうかしたか?」

 女は淡々という、それに私は「じゃあ、等価交換」そうなんでもないような顔をして言う。

「アンタは、こっちに滞在出来る時間ギリギリまで、私の身の回りの世話をしろ。オマエは料理が得意だったはずだな。最近碌なものを食ってないんだ。アンタの手料理がいい。食わせろ」

 それがアンタからの頼みごとを引き受ける対価だ、とそう口にするでなく告げると、目の前の女はパチパチと目を瞬かせて、「別に構わないが……そんなことでいいのか?」とそんな問いを口にする。

「じゃあ、もう一つ」

 そう告げると、女はきりっと姿勢を正して、真っ直ぐな瞳を私へと向ける。

「名前、教えろ。私はもう聖杯戦争の関係者じゃない。教えても問題はないはずだ」

 そうだ、アーチャーとそのまま呼んでいるが、それはクラス名であって、この女の名前ではない。

 私の名前は知られているというのに、私はこいつの名前を知らないというのは中々面白くなかった。

 それをよんだのだろう、アーチャーは僅か眉を顰めて考え込む素振りを見せると、それからぽつり、と「……エミヤだ」とそう答えた。

「……は?」

 イミヤ? と思わず聞き返す。そんな名前の英雄は聞いたことがない。

「だから、エミヤだ。これ以上は充分だろう」

 ……エミヤなあ。本人がそういう以上それが確かに名前なのだろう。

 英雄の名とは、世間に知られる真名の他に本名をもつものもいる。たとえば、英霊としての真名がクー・フーリンであるかのアイルランドの大英雄の本名はセタンタであるように。だから、もしかしたらこいつもその手のものなのかもしれないと思って、追求はやめた。

 ……ただ、どこかで聞いたような名前のような気はする。

「まあ、いい。これ以上こんな店にいても仕方ないだろう。ほら、エミヤ行くぞ」

 そういって、今まで覆っていた認識阻害と無音の結界を解除して立ち上がったときだった。

「あれぇ? 導師(マスター)だ」

 そんな、能天気な女生徒の声が聞こえたのは。

 嫌な顔を隠さずに聞こえた声の方向を見やる。そこには思ったとおり、何故か私に懐いている時計台の生徒の顔が一つ。

「何々? 導師(マスター)がこんなところにいるなんて珍しいじゃないですか」

「ふん、野暮用があっただけだ」

 口調を完全に時計台での講師としてのものに切り替え、しっしと追い払うように手をふるが、女生徒は気にせずに近寄ってくる。

 迷惑そうな顔は全く隠していないというのに、全く気にしていない生徒の厚顔無恥っぷりが腹立たしい。

「あれ?」

 ひょこ、と女生徒はアーチャー……エミヤに気付いてぱちぱちと瞬きをした。彼女は他人事のようにこの騒動を見守っている。

 それに、ちょっとだけむかついた。

「えー……もしかして、導師(マスター)の彼女さんですか?」

 そこには年相応の好奇心があって、めんどくさくなった私は、先ほどのアーチャーの態度への意趣返しも含めて「そうだ」となんでもないような声でいった。

 それに、慌てた顔を初めて見せたエミヤを前に、ちょっとだけ気分が浮上した。

「ああー、あたしたちの導師(マスター)に彼女がいたなんて、聞いてないわよぅ」

 まあ、実際は彼女じゃないからな。

 とは弁解する気もないが。

導師(マスター)の面食い~」

「なんとでもいえ。エミヤ、行くぞ」

 そういって、その褐色の腕をとって歩き出すと、彼女は困ったような顔をして、女生徒と私の姿を交互に見ると、自分が女生徒避けの盾に使われただけなんだろうと判断したのか、一つ頷いてあとに大人しくついてくる。

「あ、ちょっと、まって。ねえ、貴女本当に導師(マスター)の彼女なの!?」

 そう、慌てて追いかけてきた女生徒。

「私は……」

 何かを言い募ろうとするアーチャーを前にして、私は素早くその頬に口付けを落とした。

 ぽかん、とアーチャーと女生徒、どちらもが目を見開く。

「こういうことだ。ではな。これにこりたら、私を追いかけるのはやめるのだな」

 そういって、アーチャーの手を引いて金をカウンターに叩きつけ出て行った。

 なにやらアーチャーが小声で文句を言っているが、ふん、いくら強いからって、男相手に警戒をしないほうが悪いんだ。

 これまでヤキモキさせられてきた意趣返しは、これくらいしないと割に合わない。頬が熱い気がするのは気のせいだ。ぶるりと一瞬肩を震わせてから、マフラーを引き上げ、頬を隠した。吐く息が白かった。

 

 

 

 side.言峰綺礼

 

 

 かつかつと、地下を降りる階段で靴の音が大きく響く。

 地下は薄暗く、私にとって心地よい空気でもって、私を迎え入れる。

 ここにいるのは、10年前の大災害で生き延びた孤児達「だった」ものたちだ。

 苦悶の声をあげて、人とも思えぬ姿でそれでも生きている。

『殺シテ』

『助ケテ』

『痛イ』

 そんな声が、とても耳に心地がいい。

 人外魔境。これを見たものはそう称するだろう。その奥で眠るは金の王。

「……まだ、目覚めぬか」

 人とも思えぬ怜悧な美貌の黄金の王。

 王への生贄としては、ここの孤児達は安物にすぎたか。

 だが、時がくればこれは目覚め、動き出すだろう。それは確信。

 それまで、駒がないとなると……手持ち無沙汰になる。

「駒を調達するとするか」

 幸いあてはある。今日にでも手に入れてくるとしよう。

 くっと、口の端を吊り上げて笑った。

 ああ、まっていた。このときがくるのを私はまっていたのだ。10年間。

 とうとう、あれが始まる。そう。

「10年ぶりの……聖杯戦争の始まりだ」

 望みなどない。ただ、アレが生まれるのを祝福したいだけだ。そのためだけに生き繋いできた10年。

 ふと、10年前敵対し、アレに今も蝕まれている男の顔を思い出した。

 この手でひねり潰した瞬間、私は少しは快楽を味わえるだろうか? そんなことを思って笑いながら地下を去った。

 全ては、己が快楽(のぞみ)の為に。

 

 

 

  NEXT?

 

 

 

 

 おまけ、「異性と認識出来ないだけ」

 

 

【挿絵表示】

 



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02.1月31日・接触

ばんははろ、EKAWARIです。
お待たせしました、第五次聖杯戦争編第2話です。

因みに前回「ロード・エルメロイ二世のキャラと口調が違っている」という指摘を受けましたが、基本的に本作で必要なロード・エルメロイ二世とは原典のロード・エルメロイ二世そのものではなく、あくまでも本作の第四次聖杯戦争編を経験したウェイバー・ベルベットの10年後の姿としての「ロード・エルメロイ二世」であり、また10年前の夢を見て感傷的になっていた所、二度と会う筈がないと思っていた若く青かりし頃の自分を知っている相手を前にして調子狂っていた設定ですので、キャラが元のと乖離している点についてはご了承下さい。そもそも多少とはいえ、原作とは辿っている歴史自体が違うが故のバタフライ効果みたいなものです。(ソラウも生きてるし)
うっかり士郎だって、原作士郎とは同一の別人で性格違うわけですし。
ですが、口調につきましては普通に俺の不勉強の至りですので、後々修正入れておきます。


 

 

 ―――――……俺は多分きっと、アンタが何者でも構わなかったんだよ。

 聞こえる声はまるで霞だ。

 耳に聞こえる声は既にどちらのものかもわからない。

 そして……どうしてかな?

 たった2週間前の事がまるで遥か遠くだ。

 いつの間にか、こんなに遠くに来た。

 振り返ることは出来ない。

 すぐ後ろには慣れ親しんだはずの気配が、人とも思えぬ質量をもって其処に在る。

 それで、このヒトがナニであるかなんてわかってしまった。

 このヒトの感情も今の気持ちも全部わかってしまった。

 でも……アンタ、本当に馬鹿だな。

 うん、馬鹿だよ。

 間違いなく大馬鹿だ。

 俺は諦めが悪いんだって、そんなこと本当はわかっていた筈なんだろ。

 俺のこと、アンタが一番わかっていたはずなのにな。

 そして、そんな時でもないのに、2週間前のことが頭を過ぎった。

 気付くのが遅れたけど、あれが始まりだったんだ。

 

 

 

 

 

  1月31日・接触

 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

『なあ、士郎』

 ああ、これは夢だ。

『オマエはどんな道を進む。オマエにとっての正義の味方とは、なんだ?』

 とても懐かしい夢だった。

 それは何をきっかけに始まったのだろう。今から9年前の冬の日。

 その日、色んな質問をシロねえにされたことを覚えている。

 幼い俺は何かをムキになって答えたような気はするけど、詳細はどうにも覚えていない。ただ、それをきっかけにシロねえは俺に魔術を教えるようになったのは確かだ。

 見たことのない綺麗な黄金の鞘が吸い込まれるように俺の身体に同化して、それからシロねえはむき出しの俺の背中に触れて、スイッチを入れた。

『意識をしっかり持て。自我を決して手放すなよ』

 そう告げられて始まったそれは、幼い俺にとってまさしく地獄のような痛みで、それでもシロねえの言葉通り自分を手放さないように必死に歯を食いしばって耐えた。

 指一本動かせず、朦朧としながら耐え続けたその最中に聞かれた問い。

『オマエはどんな道を進む。オマエにとっての正義の味方とは、なんだ?』

 それになんて答えたのかはもう覚えていない。

 ただ、シロねえが満足そうな顔をしたのは覚えている。

 人にはそれぞれ起源がある。なら、もしかしたら俺にとっての起源とは、その時決定されたのかもしれないと、そんな風に思っていた。

 

 朝の5時半、いつも通りの時間に目が覚める。

 いつも通りの日課をこなして、それから台所にむかって、ああ、と気付いた。

「そっか。そういえば、そうだった」

 とんとん、と野菜を切る音。それを聞いて、安心して俺はその音の主に話しかける。

「おはよう、シロねえ」

「ああ、おはよう」

 そう告げる顔は、いつも通りのシロねえのようでいて、どことなく疲れていそうな顔に見えて「今日も別に寝ていてもよかったのに」と苦笑しながら言うと、シロねえはむっと子供が膨れるような顔を作って、「オマエにそんな心配をされるようなら、私ももう仕舞いだな」と拗ねたような声で言う。

 相変わらずシロねえは今日も素直じゃないな、と思うけど、慣れたもので、はいはいと受け流しながらシロねえと色違いの揃いの青いエプロンを手早く身に着けた。

 シロねえが、突如イギリスへ行くと言い出したのは今から1週間ほど前のことだ。

 あまりに急なことで俺は吃驚したけど、切嗣(おやじ)は知っていたらしく、苦笑しながらもそれを受け止めていて、イリヤは仕方ないなあという、どこか複雑そうな顔をしてシロねえを見ていた。

 それで、あれよあれよという間にシロねえは旅立ち、一昨日の夜に帰ってきたわけだ。

 次の日は流石のシロねえも疲れたのか、昼過ぎまで寝ていたらしい。

 シロねえがいない間の家事労働と昨日の朝食は俺が担当したわけだけど、こうして丸々任されてみて初めてシロねえがどれだけ凄いのかがよくわかった。

 土日に家事労働派遣会社でバイトしているから、そこまで苦じゃなかったのが不幸中の幸いかもしれない。

 しかし、今回の旅行は本当に吃驚した。

 思えば、シロねえだけでこんな風に何日も遠出したっていうのは今回が初めてかもしれない。

「士郎」

 ふと、神妙な声で自分の名前をよばれて、朝食用のジャガイモをむいていた手を置いてシロねえを見上げる。

「何?」

「暫く、バイトのほうは休め。既にそう連絡した」

「……は?」

 何をいきなり。

 思わず吃驚して固まった俺に対して、シロねえはなんでもないかのように淡々とした声で「いいな」とそんな念を押してくる。

「ちょっとまってくれよ、なんでいきなり」

 大体、本人のあずかり知らぬところでそんな勝手な。

 シロねえは淡白な色の瞳でじぃっと俺の目を真っ直ぐに見ている。

 鋼色の目に射抜かれたような気がして、どきりとした。そう、まるでシロねえが知らない人になったかのようで……いや、この目は何度も見てきている。敵を射抜く鷹の目。これは、シロねえの魔術師としての貌だ。

 緊張に思わずごくりとつばを飲む込みそうになって……「おはよー!」とそんな元気なイリヤの声にそんな空気はかき消された。

「ああ、イリヤ、おはよう」

 イリヤに挨拶だけ告げると、シロねえは何もなかったかのように再び手元の作業を再開させる。

 其れを見て、問いたいことはあったけれど、それを押し込めて俺もまた調理に戻った。

 問いたいこと……例えば、2日に1度の頻度できていた虎が3日以上家に顔を出していない理由や、今回の突然の旅行や、最近爺さんが家を空ける回数が増えたことなど、色々ある。

 たとえ俺が未だ魔術師として未熟だといっても、なにかが起きている。それがわからないほど未熟であるつもりはない。だけど、切嗣(じいさん)やシロねえ達の態度には、俺にそれを伝えようとして、でも迷っているような色が見えている。

 なら、それを本人達が言う気になるまで、待とうかとそんな風に思う。

 だから、自分からは聞かない。

 きっと、そのときになれば自ら教えてくれるだろうという、そんな確信があったからかもしれない。

 

 朝食を終えて、イリヤと二人で学校に登校する。

 シロねえはまだ疲れていそうだったからもう少し色々手伝おうと思ったんだけど、当のシロねえ本人に、余計な気をまわすんじゃないと追い出されたから、今日はちょっとだけいつもより早い時間の登校だ。

 いつもはもっと明るく元気のいいイリヤも、何故か今日は落ち着いてとくに何を話すでもなく、並んで歩いた。でも、この沈黙は苦ではない。そこには穏やかな暖かさが確かにあった。

「ねえ、士郎」

 遠く、校門が見え始めた距離になって、イリヤが口を開く。

「なんだよ、イリヤ」

 この1つ年上の義姉の声に混ざった真剣な色に、こちらも神妙な顔になって尋ね返す。それに、イリヤは、ふと困ったような顔を一瞬見せたかと思うと、いつもの表情を取り繕って口を開いた。

「あのね、暫くわたし一人で先に帰ることになるわ」

 元々3年は今の時期は別に登校しなくても問題はない。

 だから、別にそれに不満はないけど、ちょっと珍しい気がして、僅かに内心驚いた。

「だけど、わたしがいないからって士郎も遅くなっちゃだめよ。最近は物騒なんだから」

 確かに。

 近頃は昏睡事件などが多発していたりと、冬木の街は物騒だ。

 だけど、イリヤにそういわれるのはちょっとだけ心外だ。

 こう見えても俺はそこそこ腕に覚えがあるわけだし、イリヤは女の子だし、それに俺だって小さな子供じゃないんだし、イリヤのほうが年上だといっても、たった1つしか違わないわけで、まるで小さな子供に言い聞かされるように言われるほどの覚えはない。

「大丈夫だって。俺、こう見えても結構……」

「士郎」

 強いんだから。

 そんなイリヤが心配することないぞと続けようとした言葉は、イリヤの真剣な声に遮られた。

「お願いだから、お姉ちゃんの言うこと聞いて」

 それは本当に俺の身を案じている言葉だとわかったから、俺は上手く言葉を返せないまま、ただ頷いて返事とした。

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 冬木のセンタービルの上に立つ。

 ざっと、眺める街並みはいつも通りに見えてそれでも確かに異なるものだ。

「やはり、始まっているか」

 サーヴァント全てが召喚されたわけでないが、間違いなく、もう聖杯戦争は始っている。

 ふう、と思わずため息をこぼす。

 これがうっかりスキルのせいなのかはしらないが、困ったことに私は、聖杯戦争が本格的に始まる具体的な日付を覚えていなかった。そのせいか、聖杯戦争に関する知識はどのサーヴァントよりもあるわりに、どうも後手にまわっている気がする。

 そんなことを、柳洞寺の方角を見ながら思う。

 既にあそこはキャスターの根城だ。

 おそらく、アサシンも門番としているだろうことを考えれば迂闊には近寄れないだろう。

 昏睡事件の首謀者はキャスターだ。

 それでも、あの裏切りの魔女は人の命を軽々しく奪ったりしないだけまだマシというべきか。基本的にあの女はぬるいのだ。暫く泳がせたとしても、人死にが出るほどの被害を出すことはないだろうし、なにより、あの女の所業は若き冬木のセカンドオーナーの逆燐に触れる類のものだ。

 ならば、あの女の相手はサーヴァントを召喚したあとの凛に任せればいい。そんなことを思う。

 と、踵を返して、深山町のほうへ向かって歩き出す。

 のんびり買い物をする暇などこれからは無縁となるだろう。たとえどんな切迫した状況でも兵糧がなければ戦は出来ぬのだ。だから、約1週間分の食材を買い貯めしておくか、とそんな理由からである。

 腹が減っては戦は出来ぬ。これは基本だ。

 まあ……これからの展開次第では1週間も保たぬかもしれんが、こういったことにかかる手間は出来るだけ省くべきだろう。

 そんなことを思いながら、kg単位で野菜類や、冷凍保存の利く肉類を大量購入した。流石にそれをもって帰るのは見目が悪いので、宅急便で届けてもらうことにした。

 ……む、貯めていた金が一気に減って、財布が寂しいなどとは、断じて思っていないぞ。

 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

 学校について、イリヤとわかれた後、ばったりと弓道部部長の美綴と出くわした。

 そして顔を合わせるなり、美綴はふぅーっと、重いため息なんかを吐いている。

「おはよう、美綴。どうしたんだ? 何かあったのか?」

「ああ、衛宮、おはよう。いや、それがさ、慎二の奴が遠坂に振られたらしくてさ、ちょっとね……」

「またか」

 文武両道なる美貌の女丈夫の言葉に、苦笑1つ。

 中学時代からの友人である間桐慎二は根は悪い奴ではないのだが、癇癪持ちで機嫌が悪いと周囲に当り散らす悪癖がある。おそらく、今回もそういうことになったのだろうとそう推測した。

「またかじゃないよ。アンタ、慎二の友達なんだろ。ビシッと言っといてくれよ。アイツのお陰でこちとら迷惑してんの」

「わかった。俺からも慎二に注意しとくよ」

 そういって頷くと、美綴はじぃーっと俺の顔を見て、不機嫌そうな声で言う。

「アンタが、副部長になってくれたらこんな問題ともおさらばだったんだけどね」

 恨みがましい口調だった。

「うちの部で一番の腕の持ち主はアンタだ。アンタの射を見たがっている一年生だって多いんだよ。あたしだって……なのに、なんでアンタはマネージャー気取りなわけ? というか、あたしともう一度勝負しろっていうの。勝ち逃げしやがって」

 言うなり、じろりと彼女は胡乱気な眼差しを俺に向ける、それに思わず苦笑した。

 そうだ。美綴は前から俺をライバル視している。

 そのせいか、今のマネージャー染みた俺の立場は不満で気に食わないらしい。どうやら美綴は本当は俺に部長、でなくば副部長についてほしかったらしいが、どちらも俺は辞退した。

 練習にマトモに参加していない俺がそんな地位につくほうがずっとおかしいだろ。

 慎二が副部長であることも、俺を上に上げたがっている理由の一端になっているみたいだが、まあ、前々から慎二と美綴は相性が悪いから仕方ないのかもしれない。

 俺からすればどちらもよき友人とも言えるから、正直間に挟まれるのはいただけない。

「遠慮しておく。それより、美綴、そろそろ着替えないとヤバイんじゃないか? もう、予鈴がなるぞ」

「あ、いけね」

 さばさばした性格の美綴は、これまたあっけらかんとした口調でそう言って、胴着姿で俺に背を向けた。

「じゃあね、衛宮。たまにはちゃんと練習に参加しろよな」

「気が向いたらな」

 そういって、笑顔で手をふってわかれた。

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 自宅に戻り、カタカタとパソコンを操作している衛宮切嗣(マスター)の元へ向かった。

「『彼女』が冬木に入ったという連絡がきた」

 切嗣(じいさん)は振り向かず、そう簡潔に言う。

 それだけで意味が通じる辺り、随分とあの頃……第四次聖杯戦争の頃からは私達の関係も変わったものだと、少しだけ思った。けれど、それは悪いことではないだろう。

 特にこういう状況では、短い言葉で通じる相手というのは、相棒として頼もしい事だ。

「僕から今の現状は伝えているけど、君から何か伝えることはあるかい?」

 それに、ふむと暫し物思いにふけると、ああ、とある事を思い出した。

「ならば、私からの依頼を伝えてはもらえないかね?」

 ……これは罪滅ぼしなのだろうか。

 いや、そんな殊勝な心がけなど遠の昔になくした。

 そうだ、私はただ、これから彼の存在を利用しようとしている。それだけだ。

 それに痛む心などあろうはずがない。

「とある人物の拠点について、調べてもらいたい」

 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

 昼休み、ふらりと席を立つ慎二に向かって声をかける。

「慎二」

「ん? なんだい、衛宮。僕は急がしいんだよ。これから女の子達と新都のほうへ食べに行こうと思っているからね」

 なんてことをはははと笑いながら告げる友人。

 ……午後の授業欠席する気満々だなこいつ、と思わず呆れたような気分で思った俺は多分悪くない。

「ああ、それとも、お前も来るか? まあ、僕は心が広いからね。お前一人くらいなら別に同席してもかまわないけど?」

 いつも通りの上から目線で、でもどことなく機嫌がよさそうな感じで、慎二はそんなことを言った。

「いい。……シロねえの弁当あるし」

 と、つい付け足して言うと、慎二は、凄く羨ましいような目線でじっと俺の弁当を見て、それから慌て誤魔化すように自分の髪を撫で付けた。

「ふん、そうかい。じゃあ、もう、行っていいかな? さっきも言ったが僕も暇じゃないんだよ」

「今朝、美綴から話を聞いた」

 そう言うと、慎二はそれまでのわりと良かった機嫌を急速に低下させていく。

「あまり、他の人に当り散らすなよ。俺だって、全部は庇ってやれない」

 真っ直ぐに慎二の目を見てそう告げると、慎二は更に機嫌の悪い顔をして、それを無理矢理誤魔化すような笑顔を浮かべながらこう言う。

「衛宮さぁ、お前いつからこの僕の保護者気取りになったんだよ」

 ぴくぴくとこめかみがひくついている顔のまま、慎二は続ける。

「この僕が、いつお前に庇ってくださいなんて、言ったんだ? ふざけんなよ、衛宮。僕はお前なんかに庇ってもらうほどおちぶれてはいないんだよ!」

 言いながら、ばんと、荒々しく慎二は鞄を手にとって、俺に背を向けた。

 それが、もう話す気なんてないという合図に思えて、「慎二」とまた名前をよんだ。

 それに振り返ることもなく、ただ慎二はぴたりと止まったままに、俺にだけ聞かせるような声で、慎二にしては珍しいほど緊張を孕んだ声で言葉を押し出した。

「……一応、お前とは友達だからな、警告しといてやるよ。衛宮」

「慎二?」

 その様子が、後姿が、妙に今朝のイリヤの姿にかぶって見える。

 もしかしたら慎二も何か知っているのだろうか?

「深夜、一人歩きなんかするなよ。お前みたいな奴は家に篭って震えて大人しくしてるんだ。なにかおかしなことがあっても、顔をつっこんだり誰かを助けようとなんかするなよ」

 何を言おうとしているのかはわからない。

 だけど、それが俺を案じる色を帯びた言葉だということに気付いて、俺は思わず呆気にとられて慎二を見た。

「馬鹿で非力な衛宮にはそれがお似合いだよ。いいか、僕は警告はしたからな」

 そう言い残して慎二は今度こそ教室を後にした。

 

 

 

 side.イリヤスフィール

 

 

 午後になり、士郎を置いてわたしは一人家へと先に帰る。

 かたかたと、機械を操作する音が聞こえ、わたしはそのままキリツグの元へとむかった。

 ひょこりと顔を覗かせても、この子煩悩な男にしては珍しく、わたしに目線すらあわせずに、手の中の機械へと視線をむけたままでこちらを振り返ろうともしない。

 パソコンといわれている、現代機器の代表。

 わたしだって、学校で何度か触れてきたし別にそこまで苦手なわけじゃないけど、基本的な操作くらいしかわからず、正直キリツグが何をしているのかまではよくわからない。

 魔術師で、現代利器に通じているキリツグのほうが魔術師としては異端とはいえ、ちょっとだけ面白くない。

 キリツグは魔術の腕前だけ見たらわたしよりも低いくらいだけど、その足りない部分を科学技術で埋めているところがずるいと思う。

 でも、一応何をしているのかは簡単に説明を受けているので、要点だけ絞って「進展は?」と告げた。

 なんでも、キリツグがやっているのはハッキングといわれている行為の一つらしい。

 それを使って、キリツグは冬木のあちこちに網を作っている。

「相変わらずだ」

「そう……」

 つまり、今のところ召喚されている英霊は5人。いまだ聖杯戦争に本格突入せず……ということ。

「部屋で作業しているわ」

「イリヤ、完成度はどれくらいだい?」

 たんたんと、軽快な音をたてて、何かを打ち込みながら尋ねてくる父親に「95%くらいね。あとは仕上げだけ」と正直なところを答える。

「本当は、使われないことを願っているんだけどね。でも、もしも……のことを考えるとやっぱり手は抜けないわ」

 そういって、諦めたような苦笑を浮かべている自分を自覚する。

 本当に、今自分がやっている作業なんて無駄になればいいのに、と思う。

「万が一を忘れるわけにはいかないから」

 当初の予定通りにことが進むのならば、自分が今手がけているアレはいらなくなる。だけど、果たしてそう上手くいくかどうかは、シロもキリツグも、わたしも自信がなかった。

 だからこれは、万が一の保険の一つ。

「父さんは、そっち方面はからっきしだからな……僕も手伝えたらよかったんだけど」

「いらないわ」

 きっぱりと、一言でもってその申し出を断った。

「これはわたしの仕事だもの。奪ったら許さないから」

 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

 放課後になり、一成に付き合っていくつか備品を整備していると、陸上部の人にも調子の悪い備品のチェックを頼まれた。

 まあ、見るだけならそんなに時間もかからないし、いいかと思って軽く引き受けたのだが……。

「うげげ、衛宮。あたしらのテリトリーを荒らしにきたのか!?」

「蒔の字、衛宮某は修理にきただけだろう」

「あはは、衛宮くんごめんね?」

 そんな3人組がついてきた。 

 とくに黒いのは……さっきからキシャーキシャーと、凡そ年頃の娘が口にするとは思えない威嚇音を立てている気がするのは俺の気のせいではないと思います。

 というか、蒔寺になんでこうまでことあるごとにからまれなければいけないのか。俺何かしたっけ?

 思えば、こいつの態度が完全にこうなったのは、1年と半年ほど前の夏祭りでシロねえと俺が姉弟だってバレたあたりからだったような気がするけど……なんていうか、理不尽だ。

 思わず遠い目をしていると、ぽんぽんと3人娘の会話が続いていたらしい。我に返った頃には一体何の話をしているのかさっぱりなぐらいの進展をしていた。

「……でだ。衛宮なんかは、イリヤ先輩の親衛隊にはったおされるべきだと、あたしは思うね!」

 とか声高に主張する自称冬木の黒豹。

 ……イリヤって親衛隊がいたのか。

 家族として暮らし始めて10年目にして初めて知る新事実! なんて、テロップっぽくいってみるけど、まあ、イリヤは凄く可愛いからいても不思議はないとも思う。

「しかし、蒔の字。君は知らないようだが、衛宮も人気は高いぞ。一部の三年生の間では「笑顔が可愛い」と評判だ。他にも重い荷物を運んでいる時に笑顔で手伝ってくれたのにときめいたなどの意見も聞くな」

「うげげ、嘘だー! 衛宮のやつがモテモテなんて話は聞きたくなーーーいっ!」

 某虎の咆哮並みの大音量で叫びだす冬木の黒豹こと蒔寺楓。

 本人目の前にしてここまで好き放題いえるのもある意味凄いよな。

 氷室は面白がって煽っているし……。

「衛宮くん」

 こそりと、困ったような顔が可愛らしい少女の顔が目の前にあった。

「蒔ちゃんたちがごめんね? 蒔ちゃんも悪気はないんだよ」

 ああ、うん。一応わかっている。

 ありがとう、三枝さん。

 君がいてくれて助かった。君こそここに降り立った癒しの光だ。

 

 なんて感じで、備品の点検に集中できずに、あーだこーだーいう黒豹の攻撃を避けたりいなしたり、なだめたり、避けたりしながら、雄叫びを聞き続けているうちに、気付いたらあたりは大分暗くなりはじめていた。

 イリヤには早く帰れといわれてたから、少しだけのつもりだったけれど、思ったよりも時間を食われていたことに気付き、慌てて3人とわかれ、帰路を急ぐ。

 ……参った。これはあとでイリヤに絞られるかな……なんて思いながら歩いていたそのときだった。

 

 静寂。

 気付けば辺り一帯から音という音が消え去り、妙に静かだった。

 風もない。吹きかたを忘れたかのように。

 そして、月光の元を悠然と歩く小さな人影。それ以外に人の気配を漂わせるものは何1つとしてない。

 こつ、こつとヒールの高いブーツをはいているような音を立てて、それは俺のいるほうへと向かい歩く。

 こつ、こつ。

 また一歩、また一歩と近づいてくる。

 月影で顔はよく見えない。

 その衣装はリボンとフリルの多い膝丈までのドレスで、跳ね気味の髪は腰まで届く長さで、左一房だけ金の鈴のついた髪留めを身に着けている。年は背格好から判断すれば中学生になったかなっていないかくらいか。

 女の子だ。こんな時間に女の子が1人でこんなところに?

 いや、よく考えろ。

 ここは、なんで、ここには俺とこの子しかいないんだ?

 それに、あれはただの子供じゃない。あの子から感じる魔力量は、どう考えても同業者(まじゅつし)のものだ。あれほど巨大な魔力をもっていて、一般人のわけがない。

 ざっと、少女が顔を上げた、それに思わずどくりと心臓が嫌な音を立てた。

 とんでもなく、美しい少女だった。

 銀の髪に紅玉の瞳で、まるで御伽噺から抜け出してきたような容姿で、でも雰囲気がとてつもなく冷たい。まるで氷の刃のようだ。その紅色の瞳は研ぎ澄まされたナイフそのもので、あまりにも温度というものがない。

 だけど、俺が驚いたのは、彼女が美少女だからとか、年に似合わぬ冷たい目をしていたから、とかそういうところではなく、あまりに彼女が似ていたからだ。

 血の繋がっていない1つ年上の姉、イリヤスフィールに。

 そう、その少女は、雰囲気や表情を除けば中学校に入学したばかりの頃のイリヤに酷似していた。

「…………私がわかるということは、貴方もこちらの住人ですか」

 小さな唇が言葉を紡ぐ。

 その声は、愛らしい筈なのに、瞳と違わず淡々と怜悧に冷め切っている。

「でも、話にならない……まるで塵虫ね」

 その紅い目は俺を人として見てなどいない。

 道端に落ちた小石を見るように、その瞳には色がない。

「興が削がれたわ。……塵は塵らしく大人しくしてなさいな。たとえ、子蝿でも、煩ければ間違って叩き落してしまうかもしれませんから」

 ぞっとするほど美しく冷淡に、彼女は最後俺に一瞬だけ目をやってから、そのまま悠々と去っていった。

 どっと、汗が吹き出る。

 まるで、悪い夢を見たかのようだ。

 彼女の身に着けていた鈴の音だけが、あたりにリン、リンと響いて、俺が見たものが幻想でもなんでもないものだということを伝えている。

 振り向いても、どこにもあのドレスの少女の姿はない。

 なんて、悪い冗談。

 ピンクのドレス……なんて、少女らしい愛くるしい装束に身を包んでいながら、だけど彼女自身のあの冷たい氷のような眼差しと雰囲気が、鋭利な刃物のようで、衣装の印象を裏切り、ぞっとするような凄みのある美しさを強調させている。

 その立ち姿も振る舞いも優雅で、昔のイリヤスフィールそっくりの顔をした少女は、だけど、俺の姉(イリヤ)とはどこまでもその伝わってくる印象が違って、でも酷似した顔をしていた。

 

 暫くバイトを休めと言ったシロねえ。

 真っ直ぐ家に帰ってと懇願したイリヤ。

 深夜一人で出歩くなと警告してきた慎二。

 そして、まるでゴミを見るかのような目で俺を見てきた、顔だけはイリヤそっくりな……氷のような目をした冷酷な雰囲気の少女。

「何が、おきている?」

 その答えを俺が知るのはもう少しだけ後のこと。

 ただ、今は、湧き上がった不吉の予感を噛み殺すように、自分の身体を抱いて空を見上げた。

 

 

 

  NEXT?

 

 



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03.アーチャー召喚

ばんははろ、EKAWARIです。

今回はアーチャー召喚回というわけで、アーチャーの台詞自体はほぼ原作と変わりませんが、環境の変化から起きたバタフライ効果による凛様の同じようでいて違う原作との違いを楽しんでいただけたらと思います。



 

 

 

 わかっていたさ。

 きっとオマエは私を召喚するのだろうと。

 痛む心などとっくに磨耗して果てたはずなのに、何故か。

 オマエは、どうやらたとえどんな世界でもオレにとっての特別であり続けているんだと、そう、これはそう思い知らされた。

 ただそれだけの話なんだ。

 

 

 

 

 

  アーチャー召喚

 

 

 

 side.遠坂凛

 

 

 10年前、父が死んだ。

 聖杯戦争という魔術師の儀式に参加して亡くなった。母もそれに巻き込まれて死んだのだと、そう告げられた。

 お葬式では仲良く並んだ棺が2つ。

 けれど、その死体を、死に顔を見ることは幼いわたしには許されていなかった。

 それほどに遺体は酷い状態であったらしい。

 そうして1人あの家に残されたわたしは、大好きな父が最期に残した言葉が魔術師としての言葉だったから、幼くても遠坂の当主として、魔術師と生きるんだってそう決めて今日(こんにち)まで生きてきた。

 いつか現れる聖杯、それを手にするのは遠坂の義務だと語った父。

 だからこそ、10年前のあのときからわたしは片時だって聖杯戦争のことを忘れたことなどない。

 そう、忘れない。わたしは、このときのために生きてきたんだから。

 嫌味な兄弟子に急かされるまでもない。

 結局、英霊縁のものは見つからなかったけど、とんでもない魔力の宝石は見つかったし、今日わたしはわたしの従者(サーヴァント)を、聖杯戦争の相棒を召喚してみせる。

 

 ……なんて意気込みながら、帰路についていたわけだけれど……家までもうすぐという時に、ここ10年ですっかり見慣れてしまった、『古馴染み』の顔が見えて……思わず脱力しかけた。

「アーチェ、アンタ何やってんのよ」

 見れば、件の古馴染み……褐色の肌と白髪が印象的な女性である、衛宮・S・アーチェは、手に買い物袋を携えてどことなくぼーとした様子でわたしの家に向かって歩いていた。

「む。凛か。ふむ、今日は早いんだな」

「……アンタ、わざと言ってるでしょ」

 自分の学校の予定などとっくに把握しているだろう相手のすっとぼけた態度に、思わずこめかみをぴくぴくと揺らす。案の定、バレたかなんて小声で言ってるところがちょっと小憎たらしい。

「で、それ何」

「いや、何、商店街で買い物をしているとな……何故か気づいたら購入した覚えのないものがこの通り増えてしまって……あまりに数が多いので、まあ、お裾分けに来たというところだな」

 そう呟く顔は遠い目をしていて、なんで普通に買い物をしていたはずなのにこんなに増えたんだろう、なんて本気で思っていそうなあたりがちょっとだけむかつく。

 いいじゃない、そんなに貰えて。

 ていうか、こいつ商店街のアイドルなくせに、全然そのあたりの機微を理解していなくて、いつも思うことではあるけど、鈍感もいい加減にしなさいって思わず怒鳴りたくもなる。うらやましいスキルなのに、何が不満なんだか。

「というわけだ。受け取ってくれないかね?」

 はい、なんていいながら突き出してきた袋の中身はといえば……カボチャの煮つけに、ほうれん草のおひたしに、肉じゃが。

 え? 惣菜……?

 商店街で買い物してたんじゃないの、こいつ。

 じと目で、袋をアーチェを交互に見ると、アーチェは苦笑しながら言う。

「私が料理教室を開いていることは君も知ってのことだと思うが、その生徒の中には商店街で働いている奥様方も結構いてな、私に評価してほしいのだそうだ。とはいえ、うちの家族で頂くには些か量が多すぎる。味は私が保証しよう。今夜の夕餉にでもどうかね?」

「……まあ、いいけど。貰えるというならいただいておくわ」

 そうして袋を受け取ると、アーチェはほっとしたように、一瞬だけ表情を緩めた。

「そうか、それは助かる。ではな」

 そういってわたしに向ける背中が、どこか逃げるかのようで。

 こいつの今日の態度はいつもと『違う』のだと、違和感がわたしの感覚を捕らえた。

「アーチェ」

 思わず呼び止める。

 ……そうだ。コイツ、一度も今日はわたしの目を見て話していない。

 それにここ10日ほど、こいつはわたしの家には頑なに入ろうとはしなかった。

 幼いわたしの家に、半ば強引に押し込むようにして、押しかけて食事や掃除をして帰っていったそんな変な女だったのに。

 そもそもコイツと出会ったのは10年前……父が死んだ聖杯戦争の時だ。

 そしてコイツは……全然それらしくはないけど、魔術師で、なら、もしかしたら……。

(アーチェ、貴女は……ひょっとして父を殺したマスターだった?)

 だから、わたしに対して気にかけているの? そんなことを何度か思った。

 10年前、あの日あの時のタイミングで出会ったこの魔術師らしからぬ魔術師。

 ひょっとして彼女とあの時出会ったのは、彼女が聖杯戦争のマスターだったからなんじゃないのかと。なら、今のこの状況もわかっているんじゃないのかと。

 たとえ、父の仇だったとしても、聖杯戦争に参加することとはそういうことだと父は知っていたはずだから、恨むつもりはないし、それにわたしはきっとコイツとの今の関係を気に入っている。だからこいつがわたしを妙に気にかけている理由をこれまで追求したりした事なんかはしなかった。

 でも……。

(聖杯戦争はまたはじまった)

 なら、問うべきだろうか。

 貴女はわたしの敵か、と。聖杯戦争に参加するつもりなのか、と。

 どんなにこの関係が気に入ってようと……例え縦しんばコイツのことを自分で思う以上に気に入っていたんだとしても、それでもわたしは遠坂の当主だ。

 敵となったら、そんなことでほだされはしないし、魔術師ならば、こいつもそうだろう。

 だけど……。

「凛?」

 ふと、自分を心配気に覗き込む鋼色の瞳とかち合った。

「……なんでもないわ」

 誘惑を振り払う。

 自分が自分で思っていた以上に甘ちゃんだったと知らされて、内心でため息を吐いた。心の贅肉だってことくらいちゃんとしってる。でも、それでも確定するまでは、自分からそれを壊そうなんて思えなかった。

「じゃあね。アーチェ」

「ああ、またな、凛」

 そうしていつも通りを装って別れる。

 こいつもわかってる。

 その上で、やはりいつも通りを演じて彼女も別れの言葉を口にした。

 そうして互いに背を向けてあるべき方へと歩き出す。そんなあくまでいつもどおりの延長線上の別れがわたしたちにはふさわしい。

 

 2月1日、午前2時。

 わたしの魔力が最大に高まる時間。その時を選んで宝石で魔方陣を描き、サーヴァント召喚の儀に備える。

 結局英霊縁の代物は見つからなかったけれど、それでもわたしは遠坂凛だ。

 狙うは最優の名高き剣士のサーヴァント、セイバー。これほどの宝石を使用したんだ、たとえ英霊縁の品がなくたって、きっとセイバーを引き当ててみせる。

「……素に銀と鉄。礎に石と契約の大公、祖には我が大師シュバインオーグ」

 慎重に召喚の言霊をつむいでいく。

 これより遠坂凛は人ではなく、魔術(きせき)を成す為の回路となる。

「降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 魔術師として、生身の肉体で魔術を行使する代償としての痛みが身に走る。

 神秘を行うことに対する肉体の拒絶反応。

 これがあるからこそ、わたしは自分がなにより魔術師だということを実感する。

閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」

 覚えた呪文を一言一句違わず口にするたびに、力が魔術回路をぐるぐるとまわしていく。自分が神秘を成す歯車のひとつへと成るのだ。

Anfang(セット)

 この痛みは、きちんと魔術が発動している証拠だ。それを思えば愛おしさすら感じる。

 もう少しだ、自己に沈んで朗々と言霊を紡いでいく。

「告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄る辺に従い、この意、この理に従うのならば応えよ」

 魔方陣が光を放つ。まるで祝福するかのように。

 だから確信した。

「誓いを此処に、我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者。汝三天の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」

 完璧な手応えだった。

 わたしは最強のカードを引き当てたのだと確信し、光が晴れ、サーヴァントが目の前に現れる瞬間を心待ちにしていたのだけれど……。

「はい?」

 残されたのは無情な現実。目の前には誰もいないし、居間のほうでなんだか爆発音がする。

「なんでよー!?」

 おかしい、わたし完璧だったはずよね!? あんなに高い宝石をつかって召喚したのに、なんでこの結果!? なんてことをぐるぐる考えながら居間まで駆け上がる。

「扉、壊れてる!?」

 何があったのか、ぐしゃりと歪んでいる扉。対処法をいちいち考えるのは面倒だし、時間がかかる。

「ああもう、邪魔だこのおっ……!」

 蹴破って、まるで廃墟みたいになった居間へと飛び込んだ。

「…………」

 そしてそこにかかった柱時計を見て、何故こんなことになったのかの理由に漸く気づいた。

「…………また、やっちゃった」

 そういえば、あの遠坂の家宝ともいうべきペンダントを手にしてから、何故か家中の時計が1時間針が進んでいたんだった。

 つまり今は午前2時じゃなくて午前1時。わたしの魔力が最高に満ちるまで1時間も早かったということ。

 遠坂には先祖代々の呪いがある。

 それはここ一番という時に限ってうっかりが発動することだ。

 それで、サーヴァント召喚なんて大儀式を前に、しっかりそれが発動してしまったらしい。

「……やっちゃった事は仕方ない。反省」

 ふふふ……わたしの宝石がパァかあ……なんて暗い気持ちを押し込んで、なんだか廃墟と化した居間の中心でふんぞり返るように足を組んで座っている、無駄に偉そうな赤い外套の男をじと目で見上げた。

「それで。アンタ、何」

「開口一番それか。これはまた、とんでもないマスターに引き当てられたものだ」

 やれやれといわんばかりのその低い男の声は、初めて聞いた声だというのに、どこかで聞いたことがあるような気がした。思わず既視感に数瞬ぼうとするわたしの耳に、「これは貧乏くじを引いたかな」なんて呟く声が聞こえて思わずむっと、片眉を吊り上げた。

 うわ、こいつ根性歪んでるわ。

「……確認するけど、貴方はわたしのサーヴァントで間違いない?」

「それはこちらが訊きたいな。君こそ私のマスターなのか。ここまで乱暴な召喚は初めてでね、正直状況が掴めない」

 そんな言葉と表情にまた、既視感。何度も親しんできたものと、この男が浮かべるものは、そうよく似ている。

 だからか、言ってることはむかつくのに、何故かあまり憎めない。

「……それは悪かったわね。でも、わたしだって初めてよ。そういう質問は却下するわ」

 謝罪を挟むと、少しだけ目の前の男の雰囲気が僅かに和らぐ。

 それは知っている人間じゃないとわからないような微量さで……何故、初対面のはずのわたしがわかったのか、自分でもわからない。

 男は変わらず皮肉ったらしい言葉を紡いでいく。

「……そうか。悪かったというのなら、私が召喚された時に君が目の前にいなかった理由を、私にも納得いくように是非説明してくれ」

「本気? 雛鳥じゃあるまいし、目を開けた時にしか主を決められない、なんて冗談は止めてよね」

 いうと、む、と唸って男は黙った。それを見て、漸く既視感の正体に気づいた。

 そうだ、こいつ……アーチェに似てるんだ。

 白髪に褐色の肌に鋼色の瞳と、異彩を放っている色の組み合わせだけじゃない、浮かべる表情、話し方、ニュアンスまで他人とは思えないくらいにそっくりだ。

 顔立ちだってよく見たら、兄妹で通るくらいには似通っている。

(ひょっとしてアイツの先祖?)

 なんてことを思う。

 前にアーチェは、私は養子だとか言っていたことを聞いたことがあるような気がするし、衛宮なんて日本人丸出しの姓を名乗っているけど、その場合、旧姓が別にあるっていうわけで、ありえないわけじゃない。

 ていうか、ここまで似通っていて他人だなんていわれても全然説得力がない。

 なんてことを思いながら、人の姿をとっているけど、濃厚な魔力で編まれた体をもつ目の前の男に、わりと寛大な気持ちで問いをぶつける。

「まぁいいわ。わたしが訊いているのはね、貴方が他の誰でもない、このわたしのサーヴァントかって事だけよ。それをはっきりさせない以上、他の質問に答える義務はないわ」

 いうと、男は嫌味ったらしい口調で淡々と言葉を紡いだ。

「…………召喚に失敗しておいてそれか。この場合、他に色々と言うべき事があると思うのだが」

「う、だから、悪かったって言ったでしょ。しつこいわね。アンタ、仮にも英雄っていわれた存在なら、もっと寛大になってみたらどうなの!?」

 前言撤回。やっぱりアーチェ(あいつ)とは似てない。

 アーチェのやつはもっとなんだかんだで可愛げがあるっていうか、ここまで恨みがましいことはいわないし、アーチェのわたしに対する対応って全体的にもっと柔らかい。こいつみたいな性悪と並べて悪かったっていうか。

 とにかく、こいつ絶対性格歪んでる、それ間違いない。

「ああ、もう、いいわ……! 貴方はわたしのサーヴァント、それで間違いないわね!?」

 寧ろ、断定系で言い切ると、目の前の男はニヤニヤと笑いながら、馬鹿にしたような声で続けた。

「間違いはない……ね。そうか。では私からも訊くが、私が君のサーヴァントだとして、君は私のマスターなのか?」

「……それはどういう意味なのかしら」

 思わずぴくぴくとこめかみをひくつかせながら、目の前の男に苦みばしった声を投げかける。

 それに、男はしれっと、何、簡単なことだよなんて誰かさんを思わせるイントネーションでやっぱりしゃべりだす。

「私もサーヴァントだ。呼ばれたからには主従関係を認めるさ。だが、それはあくまで契約上の話だろう。どちらがより優れたものか、共に相応しい相手かを計るのは別に成る。さて、その件で行くと、君は果たして、私が忠誠を誓うに相応しい魔術師なのかな、お嬢さん」

 そう言いながら試す姿は……やはり誰かさんにかぶった。

 試されている。かつては英雄と呼ばれた存在に。よく知っている誰かに良く似た男に。

「当たり前じゃない」

 でも、負けるものですか。

 アーチェに似ていると思ったのは多分表面だけじゃない。表面だけならきっとここまでかぶらせやしなかった。自分より前をいく背中に、この男はよく似ている。

 でも、だからこそ、絶対にわたしは負けてはいけないんだと思った。

 常に優雅たれ。遠坂家の家訓だ。

 だから、わたしはその家訓どおりに優雅な微笑みを浮かべて、まっすぐに男の鋼色の瞳に視線を強くあわせながら、誓いのように言い切った。

「わたしはこの冬木のセカンドオーナーで貴方のマスターよ。外からきた魔術師なんかに負けやしないし、貴方がわたしに従わないというのならば、実力で従えて見せるわ。覚えてなさい」

 

 男が、先の非礼を侘びようと言い出したのは、言い合う場所をわたしの部屋に変えてからだった。

 流れてきた膨大な魔力量や、召喚してもわたしがぴんぴんしていること、それと先ほどきった啖呵と気迫、それらを総合して、共に戦うに相応しいマスターだと、そう判断したかららしい。

 嬉しそうに君を巻き込むことに異存はないなんて告げられると、色々と複雑な気持ちが襲ってちょっと困る。

 なんていうか、そのとき浮かべていた笑顔の質がやっぱりアーチェの奴によく似てて、でもわたしに向けられる信頼の情はアイツにはないもので、いつかほしいと思っていたものが別の形で与えられたような感じがするのだ。

 アーチェのやつとは知り合った時の年齢が年齢だったから、アイツはまるで年の離れた妹に接するようにわたしに接してくる。つまり、その視線は保護者としてのものだ。

 でも本当は対等に見られたかったんだって、コイツと接することで理解してしまった。

「……で? 貴方、何のサーヴァント?」

 そういえば、クラスを訊いてなかったな、と思い出して尋ねる。

 聖杯戦争で呼び出されるサーヴァントのクラスは、剣士(セイバー)槍兵(ランサー)弓使い(アーチャー)騎乗兵(ライダー)魔術師(キャスター)暗殺者(アサシン)狂戦士(バーサーカー)の七つだけれど、この男はどのクラスにも見えない。

 まさか、イレギュラークラスとかじゃあないわよね、とか思いつつ、アイツの先祖だったりした場合にはこんな見た目でキャスターの可能性もあって、なんだか判然としないまでに複雑だ。

「見て判らないか。ああ、それは結構」

 拗ねているんだか、そうでないんだかわからない声でそう言う男。

「…………分かったわ。これはマスターとしての質問よ。ね。貴方、セイバーじゃないの?」

「残念ながら、剣は持っていない」

 わたしは後方支援型の魔術師だし、やっぱりセイバーがほしいなと、そんな期待をこめて訊いた質問は、見事この白髪オールバック男によって希望を粉砕されて終わった。

「ドジったわ。あれだけ宝石を使っておいてセイバーじゃないなんて、目も当てられない」

「…………む。悪かったな、セイバーでなくて」

 はぁ、と独り言のつもりで呟いた台詞は、どことなくムキになっているような男の声に拾い上げられた。

「え? あ、うん、そりゃあ痛恨のミスだから残念だけど、悪いのはわたしなんだから」

 思わずちょっと吃驚しながら続けると、完全に拗ねたような顔と声になった男。刺々しいその態度が、やっぱりアーチェの拗ねて怒った時の姿によく似ていた。

「ああ、どうせアーチャーでは派手さにかけるだろうよ。いいだろう、後で今の暴言を悔やませてやる。その時になって謝っても聞かないからな」

 うわー、うわー。

 アーチェ二号だ。アーチェ二号がこんなところにいる。

 なんていうか、子供っぽくて、こういう態度見てると、こんな大男でも可愛げもあるってもんで、「癇に障った、アーチャー?」なんてことをつい口元をにやつかせながら聞いてしまう。

「障った。見ていろ、必ず自分が幸運だったと思い知らせてやる」

 ああ、うん。こいつ、イイ奴だ。

 まあ、英雄だし、アイツの先祖なら(自分の中で既に確定)そんな極悪人だとは思ってはいなかったけど、うん、イイ奴。ちょっとひねくれてるけど。

「そうね。それじゃあ必ずわたしを後悔させてアーチャー。そうなったら素直に謝らせて貰うから」

「ああ、忘れるなよマスター。己が召喚した者がどれほどの者か、知って感謝するがいい。もっとも、その時になって謝られてもこちらの気は晴れんだろうがな」

 あ、距離感。

 こいつとはこれが初対面な筈なのに、アーチェのやつとほとんど同じになっている。

 全くどうかしているわ。10年来の付き合いがあるとはいえ、これから敵になるかもしれない女と、自分のサーヴァントとはいえ、今日はじめて会った奴とをこんなにかぶらせて、それを心地よく思っているなんて。

 聖杯戦争のサーヴァントなんて、いつ主を裏切るかわからないような奴らなのに、こんなに気を許しているなんて。

 聖杯が貸し与えた道具(コマ)、それがサーヴァントだってのもわかっている。

 それでも、この台詞だけで、こいつはきっとわたしを裏切ったりしないんだって、そう思った。

「期待してる。それでアンタ、何処の英霊なわけ?」

 ぴたりと、男はそれまでの表情をかき消した。次に浮かべている表情は……苦悩?

「アーチャー? マスターであるわたしが、サーヴァントである貴方に訊いているんだけど?」

 苦みばしった声で、男は言った。

「……それは、秘密だ」

「は…………?」

 思わず目が点になる。

「私がどのようなモノだったかは答えられない。何故かというと……」

「あのね。つまらない理由だったら怒るわよ」

「それは……何故かというと、自分でも分からない」

 返ってきた答えはとんでもないものだった。

「なによそれ、アンタわたしの事バカにしてるわけ?」

 思わず怪訝な顔になって見やる。赤い外套の男は本当に心苦しそうな顔で、重く言葉を続ける。

「…………マスターを侮辱するつもりはない。ただ、これは君の不完全な召喚のツケだぞ」

「う……」

 そういわれると痛いものがある。

 男は気にしたふうもなく続きを淡々と口にのせる。

「どうも記憶に混乱が見られる。自分が何者かであるかは判るのだが、名前や素性がどうも曖昧だ。……まあ、さして重要な欠落ではないのだが」

 普通に考えれば、十分重要な欠落だ。

 何故サーヴァントが自分のマスター以外の相手に真名をいわないかといえば、名を知られればその伝説も知られ、そこから弱点をも露呈することになるから伏せているわけで、また、名を知ることによってその英霊の強さがわかってしまうという事があるからだ。

 でも、この古馴染みとよく似た、おそらくは先祖であろうコイツが、さしたることではないと口にするのは何か理由があるのだろうと、件の人物を脳裏に浮かべて推測する。

「……そう。重要な欠落ではないっていうのなら理由を聞かせてくれる? 英霊の名は伝説を表す。貴方の名前(でんしょう)を知らないんじゃ、貴方がどれくらい強いのかわたしにはわからないんだけど?」

 微笑みさえ浮かべて、問う。

 先ほどとはまるで逆だ。

 先ほどはアーチャーがわたしを試そうとした。今度はわたしの番になったということ。

 だから出来得る限り余裕の態度でもって返答をまつ。

「なんだ、そんなことか。そんなことは瑣末な問題だよ。君が気にすることではない」

 不敵に、少年のような笑みを浮かべながら、男は言い切る。

「私は君が呼び出したサーヴァントだ。それが最強でない筈がない」

 それは、絶対の信頼を込めた言葉……。

 思わず頬が赤らむ。そんな言葉をよく抜け抜けという。

 やっぱ、アーチェとこいつ似てる。耐性がある程度ついててよかった。でなきゃ、素っ頓狂な声を今頃わたしは上げていただろう。それはみっともないことで、そうならなくてよかったとも思う。

 人知を超えたサーヴァントにこうまで思われるなんて、ひょっとしてこういうのをマスター冥利につきるというべきなのか。

 思わず、ぶっきらぼうな口調になる。

「……ま、いっか。誰にも正体がわからないんなら、敵にもわかるはずがないんだし……貴方の正体はおいおい追求するとして、今は不問にしましょう」

 なんて、一段落したところで、眠気が襲ってきた。あ、そうだ。居間滅茶苦茶だった。

「それじゃアーチャー、最初の仕事だけど」

「早速か。好戦的だな君は。それで敵は」

 何処になんて続けようとした従者(サーヴァント)相手にホウキとチリトリをぽぽいっと投げ渡した。

「……む?」

「下の掃除、お願い。アンタが散らかしたんだから、責任もってキレイにしといてね」

「待て。君はサーヴァントをなんだと思っている」

 あふ、眠い……。

「使い魔でしょ? ちょっと生意気で扱いに困るけど」

 そして、そんなところを案外気に入ってるけど。

「異議あり。そのような命令はことわ……」

 赤いのがなんだかまだごちゃごちゃ言ってる。最終手段として、わたしは自分の右腕を抱えた。

「アーチャー」

 眠いのに、長引かせないでほしい。

 そんな気持ちをこめてにっこりとわたしは笑顔を浮かべて断言した。

「ゴチャゴチャ言わないの。令呪で無理矢理いうこと効かせられるのと、自主的に掃除するの、どっちがいい?」

 ややあってから、アーチャーは凄く悔しそうな声で「了解した。地獄に落ちろ、マスター」なんて言葉を吐いて、わたしが投げたホウキとチリトリを受け取った。

 全く素直じゃない。最初っからそうしていうこと聞いてたら、かわいいのに。

 

 

 

 side.アーチャー

 

 

 マスターの理不尽な命令をきいて、居間の片づけを始める。

 やりはじめるとつい、本気になって気づけば想像以上にぴかぴかにしてしまった。

 ついでに厨房に足を伸ばす。

 1人暮らしの洋館にしては中々手入れが行き届いていて、片付けもそれほど時間がかからずに終わるだろう。

 全く、召喚されて早々に空中に投げ出されるわ、あまりに年の若いマスターだわで、最初はどうなることかと思ったが、これならなんとかやっていけそうか。

 と、思いつつも、先ほどの片付け命令を思い出してやはり前言撤回したくなった。

 ……本当、聖杯戦争のサーヴァントをなんだと思っているのだか。

 そう、聖杯戦争。

 遥か遠い日の映像が僅かに脳裏をよぎる。

 ずっと、願っていた。まっていた。その一縷の希望だけを頼りにオレは歩いてきた。

 霊体化して、屋根の上へと上がる。

 我がクラスは、アーチャー。スキルは千里眼。鷹の目で周囲を見回す。分析、分析。

 思考する。

 この状況、建物、時代、雰囲気。

 私は……私の望みを叶える機会を得たのだろうか。

 ザー、ザーと、ノイズが走る。

 私の望み……それはなんだったか。

 ザー、ザー。

 記憶は磨耗している。遠く遠く人ではありえない時の果てで、多くのものを失っている。

 そも、私とは誰だったか。

 ザー、ザー。

 エ■ヤ■■ウ。名前は、何? ただ、目的は……そうだ、確か自分の排除だ。

 この時代に生を受けているだろう、■■■を私自身の手で殺めることによって、自身の座を消滅させる……そう、それが目的、だった、はずだろう。

 曖昧。記憶の混乱。すべてはクリアにならない。

 イレギュラーな召喚だから、というだけではない、座にある私本体の記憶自体が磨耗している、その代償だ。

 自分がかつて■■■だった時の記憶などほとんど残っていない。

 其れを消す機会を本当に得たのか、得たのなら慎重に行動しないといけない。

 たとえ、記憶があやふやでも、自分がこの時間軸から見た未来からきた存在だってことくらい理解している。

 この砂霞のような混乱がたとえ晴れたとしても、たとえそうなっても、わたしはマスターに自分の名を告げることもないだろう。

 マスター、あの少女。私が目的を遂げるまでは、それでもあの少女を守る騎士の真似事でもしようと、そんなことを思い空を見上げた。

 

 その願い続けた一縷の希望が、思わぬ形で否定されるなど、今の私が知りおうはずもなく、ただ月だけが街を照らしていた。

 

 

  NEXT?

 



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04.崩落の足音

ばんははろ、EKAWARIです。

今回は空の境界より、今までも名前だけ出ていた蒼崎橙子さんがゲスト出演。……まあ、Fate原作でも桜ルートで蒼崎橙子の事について少しだけ語られるからクロスものといっていいのかはわからないので、クロスと思えばクロス、クロスじゃないと思えばクロスじゃないってことで1つ。
まあ、まだ序章のうちは一応コミカル要素もあるっちゃありますが、この辺からぐいっとダーク街道への道に片足踏み込んでいる気がします。まあ、まだ序の口だけどな。


 

 

 

 血塗れの手で、銃を握る。

 正義の味方なんて言葉を呪文に在った、かつての自分を捨てて、家族のために銃を握る。

 これが正しいことなのかはわからない。

 父さんを撃ち殺したその時から、そんな資格は消えたと思っていた。

 だけど、妻と娘を持ち、聖杯よりも娘をとったその日から、正義の味方という大義名分も消え去った。

 だからこそ僕の余生は僕自身のためではなく、家族のために在る。

 そもそもあの理想は元から破綻していた。

 そして叶う事もない。

 けれど、完全に父親としての在り方のみを選ぶのならば、冬木など捨てればよかったのだとそれも分かっていた。

 悲劇が起こるだろうことをしって、逃げなかったのは僕の弱さ。

 そう、僕の未練。

 僕は……中途半端だ。

 

 

 

 

 

  崩落の足音

 

 

 

 side.衛宮切嗣

 

 

 それは、今から10年ほど前の事。

「まさか、かの高名な『魔術師殺し』が私に会いたがるとはな」

 ぎぃ、と椅子に腰掛けた怜悧な顔をしたその女……封印指定の人形師、蒼崎橙子は、油断のない笑みを薄く口元に浮かべて僕を見ていた。

「それで、なんの用だ? 今度は私の命でも取りにきたのか?」

 からかうような声。警戒は全く解いてないのに、この態度。

 だが、それに付き合うつもりもない。

「連絡した時にも言ったはずだが」

 淡々と、言葉を続けた。

「僕は客としてきた。当代最高の人形師、蒼崎橙子にしか頼めない依頼だ。それに……魔術師殺しはもう、廃業した」

 その言葉に、女の眼差しがどこか変わる。

 あまり、大きな変化ではない。

 それでも、本質を見極めるかのように女の目が細められる。それを、たじろぎもせずに受け止めた。

「……だろうな。全く、なんだその身体は。何をしたらそうなる。いや……余計なことだったな。私には関わりがないことだ。まあ、いい。客というのなら、聞いてやる。それで、私に何を望む?」

 腕を組んで、女は僕を見た。

「人形師蒼崎は、本人そのものの人形をつくれると聞いた。だから……僕の娘の新しい身体を作ってほしい」

「娘、だと?」

 意外なものを聞いたかのように、橙色の髪をした女は軽く目を見開いた。

「そう、普通の人間のように成長し、生きていける肉体を。とりあえず前金として1000万用意した。金はいくらかかってもかまわない。造ってほしい」

「まて、貴様の娘は、何だ(・・)?」

 鋭い声で、人形師は切り込む。

「僕の娘は、アインツベルンのホムンクルス、次世代の『聖杯』だ」

 その言葉に、一瞬の沈黙が部屋を包んだ。

 ついで、く……と、はき捨てるように女の低い笑いが漏れる。

「はは……いいだろう。その依頼引き受けてやる。その代わり、その『娘』の身体は私に渡せ。千年の名家、アインツベルンの最新型ホムンクルスなのだろう? それも、人の血を継いでいる上に『聖杯』ともなれば、私も興味深い」

 それが代価だと、女は言った。

 

 それからも年に1度の頻度で僕は、娘のイリヤを連れてこの人形師の元へと通った。

 話すことは少ない。元々そういう間柄じゃない。

 あくまでも僕とこの女の関係はビジネスライク的なものだ。馴れ合いなど発生するはずもなかった。

 それでも時は進む。当たり前のように、無情に。そして、僕が余命1年だと診断したのも、気まぐれのように僕の身体を視たこの封印指定の人形師だった。

 互いにもう、会うことはないと思ったからか。おそらく最後に僕が戦いに身を投じることに気づいていたからか、人形師は錠剤がつまったビンを放って僕に渡した。

「餞別だ」

「……これは?」

「私が調合した魔術薬だ。其れを飲めば一時的に昔の能力をお前は取り戻せるだろう」

 ただし、そう前置きして、女は酷く冷めた目で見据え言い切った。

「代償に服用したものの生命力を奪う。……そのビンの中身を全て飲み干してみろ、お前は明日には死体になっているだろうな」

 まあ、使うか使わないかはお前次第だ。と、そうぼやいて、女はタバコの煙をたゆらせた。

「いや、ありがとう。今の僕にはとても助かる」

 そう、告げると女は、哀れんでいるような、蔑んでいるような、複雑な目をして「本当、お前は馬鹿だな。衛宮切嗣」とそんな言葉を呟くように吐いた。

 それが今から約2ヶ月前のこと。

 それがこの人形師との別れだった。

 

『キリツグは馬鹿みたい』

 人形師(あおざき)に言われるまでもない。(イリヤ)にもそう言われた。

 だけど、僕にはこれしかない。

 馬鹿でもいい。

 愚かでもいい。

 それでも、手段があって何もしないなんてことには耐えられそうになかった。

『キリツグ、シロと士郎を泣かせたら、わたし怒るわ。その言葉の意味がわたしからの課題よ』

 その娘からの問いの答えはいまだ見つかっていない。見つからないままに、その期限がきた。

 

 

 げほ、と咳を一つ。

 身体が凝り固まっている。顔を上げれば、パソコンの上だ。

 作業中にそのまま眠りに落ちていたらしい。

 いくら疲労していようと、昔はこんなことはありえなかった。そんなところにも今と昔の差を感じる。

 背中には毛布が1枚。

 ああ、シロがかけてくれたんだな、と思って苦笑する。起こしてくれればよかったのに。

切嗣(じいさん)

 今まさに考えていた対象の、低いハスキーな女の声がかかる。

 シロは、いつもどおりの黒いシャツに黒いスラックスの上に赤いエプロンを身につけて現れた。

「起きたのか。食事は、とれそうか?」

 その声に心配気な色が見えて、苦笑しながら、手を振って大丈夫と意思表示をする。

「病人扱いはしないでほしいなぁ」

「そう思うのなら、顔を洗ってきたまえ。……自分が今どんな顔をしているのかわかっていないというのは重症だぞ」

 言って、そっとタオルを差し出された。

 反論したい気がしたけれど、本当に心配気な鋼色の瞳とぶつかって、そのまま大人しく言うことを聞くことにする。

 そうして洗面所について、鏡を見上げ「ああ……」と思わず言葉を漏らした。

「これは、シロが言うだけあるなぁ」

 落ち窪んだ目の下に隈を作り、やせ衰えたような自分の顔は、まるで幽鬼のような有様で、口元には僅かに黒い血がついていた。

 

 

 

 side.イリヤスフィール

 

 

 キリツグもやってきて、シロとわたしと3人で昼食を囲う。士郎は今は学校だ。

 10年の生活ですっかり聞きなれた虎の咆哮も絶えてから随分と長い時間が経っている気がしている。

 実際は1週間も経ってないはずだけど、いつの間にかわたしも大河を相手に随分と心を許していたらしい。

 いないことがこんなに寂しいものだと感じる日がくるなんて思わなかった。

 静かに食事を続ける。

 わたしも、キリツグもシロも昼食時に騒ぎ立てるタイプじゃないから、つつましく昼は続く。そうして、食後にそっと、シロが人数分の紅茶を配って、そうして3人揃って魔術師の顔をして向き合った。

「昨日……いや、今日というべきだね、の深夜1時ごろ、新たにサーヴァントが呼び出されたみたいだ」

 切り出したのはキリツグ。

「そう、これで6人ってわけね」

「そうだね」

 相槌をうつキリツグ。

 シロは、どことなく居心地悪そうに眉をしかめただけで言葉を挟まなかった。

 

 我が家の方針は随分と前に決まっていた。

 聖杯を聖杯戦争のどさくさにまぎれて破壊する、それを最終目的に、出来れば傍観を貫く、というもの。

 サーヴァント七騎が潰しあっている隙に……残り二騎が互いの相手を努め、こちらの相手を出来ない隙にでもどさくさに紛れる形で破壊に向かう。という、そんなシンプルな作戦だ。

 この作戦がうまくいくのならば、こちらが蒙る被害も、聖杯破壊に使う火力ぐらいで最小限に抑えられるだろうし、上手くいくのならば、士郎には聖杯戦争のことを知ってもらう必要もなくなる。

 聖杯戦争が始まってからも、終わってからも、これまで通りを続けることが出来るだろう。

 とはいえ、人生何がおこるかわかったものではないし、なにより、聖杯戦争には7人の魔術師が必要だし、冬木にいる魔術師の数や、参加しようと他所からくる魔術師の数などもたかが知れているわけで、わたしか士郎が聖杯に選ばれてしまう可能性もあった。

 その場合は、当初の予定のような最低限の労力でなんとかする……なんて甘い考えが通じるはずがなく、下手をすれば、こちらが呼び出してしまうサーヴァント自身も敵にまわる危険性があるし、自分たちの周囲にも被害が及ぶことは想像に難くない。部外者ならばまだしも、当事者となると言い逃れは難しいのだから。

 それら万が一の事を考えた上での根回しに、キリツグとシロはここ数日奔走していた。

 

 だけど、杞憂にすむかもしれない、と自分の手にも士郎の身体にも聖痕(れいじゅ)の兆しがいまだ出ていないことを思って少しだけほっとする。

 だけど、大分前から聖杯戦争の兆しはあったのに、まだ6人。

 最後の7人目が召喚されるまでは気を抜けない。

 もしもの時は、士郎ではなくわたしがマスターになる、と決めていたけど、でも、無駄な足掻きかもしれなくても、それでも士郎には何も知られたくなかった。

 

 2年前、士郎に聖杯戦争のことを話そうとしたキリツグとシロを止めたのはわたしだ。

 だって、士郎にはこんな魔術師同士の諍い、関わって欲しくない。

 知った以上、士郎の性格ならどうあっても関わってしまう。それがわたしには嫌だった。

 どうせ、聖杯はどさくさ紛れに壊すんだ。当初の予定通りだったら、知る必要なんてなくなるし、それに、士郎にこんな馬鹿げたゲームのことは知られたくなかった。

 わたしはいい。

 だって、わたしは元はアインツベルンの聖杯だった。元から関係者だから、だからいい。

 でも、士郎は……そうでないでしょう?

 士郎。

 わたしの可愛い、血の繋がらない弟。

 陽だまりのような笑顔が似合う弟にはこんな世界には飛び込んでほしくない。

 何もしらないでいい。

 わたしが守るから、だからずっと、ずっと笑顔でこの家にいてほしい。「おかえり」なんて笑いながらわたしを出迎えてくれたら、それだけでいい。

 シロと士郎が、同一人物だということは知っている。

 全然違う人生を送って、もう完全に別物になっていても、それでもシロは士郎の可能性の一欠けら。

 大好きで(歪で)、優しくて(自虐的で)、何処かボロボロで(そんな所が大嫌いで)、自分よりも他人のほうが大切なんて、そんなどうしようもなく愚かで欠陥(バグ)だらけの可愛い(いもうと)

 己の理想に裏切られた、反英雄の守護者。

 シロだってわたしは大切だし、大好きだと思っている。

 でも、それでも、士郎がシロのようになる事だけは、どうしても嫌だった。

 そうなってほしくない。だから余計に、士郎が聖杯戦争なんかに関わるのはどうしても嫌だったのだ。

 だから、2人に頼んだのだ。

『士郎にだけは言わないで』と。

 わたしが守るから、士郎のことはわたしが守るから、だから言わないで。と。

 でも、それでもどうしても誤魔化しきれなかったら、その時は、わたしがわたしの口から士郎に全てを話すから。

 だから、言わないで。

 キリツグはそんなわたしを見て、『イリヤ』と名を呼んで、それからとても静かな声で『覚悟はあるんだね』そう問いかけた。

 こくりと、わたしは頷く。それをみて、シロは一言も口を挟まなかった。

 多分シロはわたしとは逆に、士郎に聖杯戦争のことを最初から話すつもりで、その上で魔術を教えていたんだと思う。それでも、わたしの意を汲んで何も言わなかったのだ。

 ちゃんとわかっている。これはわたしの我侭。でも、わたしはそのことを後悔してはいない。

 だって、わたしは、お姉ちゃんだから。弟は守らなきゃ。

 

「シロ、本当にキャスターは放っておいても大丈夫なのかい?」

 切嗣がそんな言葉をシロに投げかける。それに、現実に引き戻された。

「ああ。あの魔女は易々と人の命を奪うまでの真似はすまい。アレはなんだかんだといいつつ甘いからな。問題は時が経てば経つほど膨大な魔力を溜め込み、自分の神殿内では魔法の真似事すら可能となることだろうが……あの女は冬木のセカンドオーナーの怒りに触れる。私達が手を下さずとも、凛が始末をするさ」

「凛を随分と買っているのね」

 その淡々とした中にも信頼が透けて見える言葉に、少しのからかいを込めてそう口にしてみる。

「まあ……おそらく、今回も彼女が召喚したのは、『私』だろうしな。やりようはいくらでもあるだろう」

 その返答に、胸が痛んだ。

 下手をすれば、それは、男の姿のほうの『エミヤシロウ(アーチャー)』が敵にまわるかもしれないということなのだから。

「それに、魔力の無駄遣いなど出来るほどの立場ではないだろう? 私たちは」

 それは、その通りだ。

 シロは今は受肉した元サーヴァントだけれど、聖杯の泥とアインツベルンの呪いを受け、かつては相当に弱体化していた。年月を経るごとに少しずつマシにはなっていったようだけれど、それでも今の彼女の力は、英霊全盛期の2割が限度。

 並みの英霊と対するにはあまりに不利だし、戦ったところで、人間よりはマシでも、長くは保たないだろう。

 それに今の彼女の魔力量を思えば、彼女の主戦闘スタイルである宝具の投影に関して、使い慣れた干将莫耶でもない限りは難しいのだ。今まで溜め込んできた奥の手でも使わぬ限り、通常の宝具を投影することは、今の彼女には負担が過ぎる。

 夫婦剣以外の他の宝具を投影しようと思えば、物にもよるが、精々1日に1つか、2つくらいが限度だろうか。

 それに、魔力供給のラインが繋がっているキリツグ自体、彼女に魔力を渡すような余裕はないのだ。

 もうずっと、キリツグからシロに魔力は供給されていない。

 今はキリツグとシロのラインは、シロを現世に結びつける鎖役としてしか機能しておらず、シロは魔術礼装を通して大気中から集めた微妙の魔力や、食事や睡眠などといった本来英霊がする必要がない原始的な方法を通して、それで今の自身を補っている。

 もしも、彼女が受肉しておらずに、魔術礼装からの魔力だけを頼りにしていたら、きっととっくに自分の身体を維持出来ずに座に帰っていたことだろう。

 わたしたちの聖杯戦争における方針が、終盤まで動くことなく、傍観に徹しようというふうに決めた理由にはそこらへんの事情もある。

 だから、今日もまだ、行動を先送りにして、何度も繰り返してきた話し合いをそのまま続けていた。

 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

 その日、俺は久しぶりに弓道部へと顔を出した。

「あ、士郎先輩」

 よく知っている、ここ2年間ですっかり見慣れた後輩に声をかけられ、手を上げてよっと挨拶をする。

「桜、お疲れさん。差し入れもってきたんだけど、美綴のやつは?」

「美綴先輩は、会議です。わ、レモンの蜂蜜漬けですか」

 嬉しそうにほころんで言う桜に、こちらも嬉しくなって笑って、「たまにはいいだろ?」と言ってから、聞きたかったことを口にする。

「桜、今日慎二の奴が来ていなかったんだけど、何か知らないか?」

「え、と……兄さんですか」

 内気な後輩は、戸惑ったような声で言う。

「その……わたしにも、にいさんのことはわからなくて……ごめんなさい」

「いや、いいよ。聞いてみただけだからさ」

 桜が気にしないように、笑って手を上下にふる。それから、ふと気になった別のことを口にした。

「そういえば、桜、最近うちに来ないけど、どうしたんだ? もしかして……シロねえと喧嘩したのか?」

 シロねえと桜は仲良しで、喧嘩しているシーンなど見たことなかったから、可能性は低いと思うけど、他に理由も思いつかなかったので、ついそんな風に聞く。

「いえ、そんなのじゃないです」

 まさか、と慌てて桜は首を横に振る。

 それから、ちょっとした家の用事で……なんていいながら、桜はごにょごにょと聞こえるか聞こえないかの小声で締め切った。

「そっか。桜がこないと寂しいな」

 思わず、本音をぼやくように漏らす。すると、桜は瞬時に頬をぼっと赤く染めて、俯いた。

「? 桜、どうかしたのか? もしかして、風邪をひいたんじゃ……」

「いえ! そんなんじゃないです。わたし、丈夫ですから、風邪なんてひかないです。士郎先輩は気にしないでください!」

 なんて、赤い顔をして言われてもあんまり説得力がないんだけど、桜は結構強情だったりすることも知っているから、「そうか、でも無理だけはするなよ?」なんて、無難な言葉をかける。

「はい、先輩、心配してくださってありがとうございます」

 そうぺこりと可愛らしくこの後輩はお辞儀を一つした。

 と、そろそろ退散したほうがいい時間だろうか、そう思って俺は、最後に桜に一声かけることにする。

「桜、今夜うちに飯食べに来いよ。桜が来るとみんなが喜ぶ」

 桜は、戸惑った顔で俺を見ている。

 それを見て、笑いながら「約束、な?」と言うと、桜は戸惑いがちに、それでも控えめな笑顔を浮かべて、「はい、じゃあ今夜お邪魔します」と言って笑った。

 

 

 

 side.アーチャー

 

 

「どう? ここなら見通しがいいでしょ、アーチャー」

 マスター……名前を聞いてその正体も思い出した。かつて、自分が人間としてこの街で生きていた時に、憧れ、魔術の師匠となった女性、遠坂凛の並行存在だ、が、新都のセンタービルの上でそんな言葉を私にかける。

「…………はあ。将来、君とつき合う男に同情するな。よくもまあ、ここまで好き勝手連れ回してくれたものだ」

「え? 何かいった、アーチャー?」

 凛はとくに気にしていない顔で、風に飛ばされる髪をかき上げながら、そんな言葉を返す。

「素直な感想を少し」

 言ってから、再び街を見下ろした。

「これなら最初からここにくればよかったな。そうすれば手間もかからずにすんだ」

「なに言ってるのよ。確かに見晴らしはいいけど、ここから判るのは町の全景だけじゃない。実際にその場に行かないと、町の作りは判らないわ」

「そうでもないが」

 彼女は私のクラスが弓兵(アーチャー)であることを忘れているのだろうか。なので、簡易にクラススキルのことについて説明をする。

「そうなの? それじゃあここからうちが見える、アーチャー?」

「いや、流石に隣町までは見えない。せいぜい橋あたりまでだな。そこまでならタイルの数ぐらいは見て取れる」

「うそ、タイルって橋のタイル…………!?」

 そうやって素直に驚く姿が、年相応の娘で、当時の遠坂はこんなに子供だったのだろうか、とそんなことをぼんやりと思った。このあたりは年を取ったことで感じる若い頃との感覚の違いという奴だろう。

 それからも他愛無い会話を、この年若いマスターと一言、二言続ける。

「……?」

 ふと、視界に違和感のようなものが襲う。

 何かが、『違う』。なにがだ? 今、確かにこの視界の端に、目を離せぬ何かが映った。

 橋だ。

 冬木大橋のアーチの上。そこに、暗闇に溶け込むようにして、その女は立っていた。

 どくり、と擬似心臓が嫌な音を立てる。

(誰だ、あれは……!)

 漆黒の上下を身に着けた、褐色の肌の女だ。

 背は高く、白髪を赤い髪飾りを1つつけて結わえている。闇にとけていながら、同時に酷く目を引く矛盾した女。その鋼色の目が、確かにオレの目とかち合った。

 その目は確かに、『やはり来たか』そう告げている。

(知らない、あんな女など知らない)

 皮肉気に口元を吊り上げて、こちらを見据えるその表情(かお)は、いつか鏡で見た自分の顔にそっくりで、嫌悪のあまり吐き気がした。

(あんな女など知らない……!)

 そうだ、女だ。オレじゃない。性別が違う。姿も違う。なのに、なんだ? この感覚は。

 まるで、これはそう……エミヤシロウ(もうひとりのわたし)を見てしまったかのようではないか。まるで、同一の存在がそこにあるからこそ生まれる世界の修正力が働いているかのように、あれは認めてはいけないものだと、身体が警報を打ち鳴らす。

 これは、一体どういうことだ。

 あんな女はいなかった。あんな女は知らなかった! オレが参加した聖杯戦争に、あんな女などいなかった!!

 ひょっとして、私はとんでもない思い違いをしているのではないか……?

 この時代は、私の望みを叶えてくれるその時ではなかったのか……?

 ずっと、ずっと願っていたその機会。座から自分を解放するための一縷の希望。

 過去の自分を殺す、その願い。

 だが、もしこの世界に過去のオレがいなかったら……いや、いても全くの別物であったらどうする?

 そう、もしや最初から、召喚されたその時から既に狂っていたのだとしたら……嫌な想像に歯を食いしばった。

 女はもう、橋にいない。

 幻だったかのように、暗闇に溶けた。

「アーチャー……?」

 心配気なマスターの声が響く。

「どうしたの? ……酷い顔色よ」

 その言葉に衝撃を受けた。

 私の鉄面皮は完璧だったはずだ。内心の動揺を表に出したつもりはかけらもなかったのに。

「なんでもない。凛、そろそろ戻らないか」

「ええ、そうね……」

 凛はまだなにかを追求したそうだったけれど、それでも何かを問うことはなかった。

 気遣わせてしまっただろうか。

 でも、今はそんな凛の気遣いがなにより有り難かった。

 

 

 

 side.間桐桜

 

 

 ぽすり、と身を自室のベットに投げ出す。

 億劫で何も考えられない。

 胸にぽかりと穴が開いて、言葉も、涙すら、出てくることはなかった。

 判っていた。過ぎた願いだって。でも、今まではよかったのに、なんで、どうして私は最後の居場所までなくしてしまうのだろう。

 ただ、わたしは、あそこに在るだけでよかったのに。

 酷薄な顔だった。

 魔術師の顔だった。

 怖かった。本当に怖かった。

 ごめんなさい、ごめんなさい。

 過ぎた幸せを願ったから、きっと罰が当たったんだ。

 思い出すのは、ほんの3時間ほど前の……別れ。

 

 私は、間桐の血を繋ぐためのものだから、聖杯戦争に参加させられるであろうことはわかっていた。

 私は、その為に間桐に貰われてきた子なのだから。

 でも、嫌だと、どうしても嫌だと思って、駄目元でおじいさまにお願いをしたんだ。

「ふむ、良かろう」

 そんな、思わぬ許しの言葉がもらえて、わたしは、わたしが呼び出したサーヴァント、ライダーを兄さんに預けて、これであの人たちと戦う必要もないのだと、そんな風にほっとした。

 でも、私は間桐だから、だからせめてもの戒めに聖杯戦争が終わるまでは衛宮の家に顔を出すのもやめよう。そう思った。

 それは、凄く辛い。

 だって、私は衛宮の家(あそこ)が大好きだったから。

 間桐の家に貰われてきて、ずっと痛いことに耐えてきた。

 わたしが痛がれば痛がるほど、喜ばれてそんなふうにずっと扱われて、そのうちご飯にも毒が盛られて、全部が痛いことだらけだった。苦しくて苦しくて、でも助けを求める相手だってどこにもいなかったんだ。

 でも、あの家の人たちは、笑って、わたしを出迎えてくれるから。まるで、本当の家族みたいに私を受け入れて、そうやって笑ってくれるから。

 ご飯がおいしいと思うのも、私が心から笑えるのも、あの家だけだった。

 わかっている。

 おじい様に聞いていたから、しってる。

 衛宮は前回の聖杯戦争の実質勝者の家なんだと。いつも微笑んで皆を見守っているおじさまは、魔術師殺しとかつて呼ばれた暗殺者なんだって、ずっと聴いてきた。

 優しくて、綺麗で、いつも微笑みながら私に手を差し伸べてくれるシロさんだって……本当は……でも、それでも、みんなあんまりにも優しいから、わたしはいつしか自分が受け入れられているんだって、ここでは必要とされているんだって、そんな怖い錯覚をしちゃったんだ。

 そうなんです。わたし、甘えていたんです。

 本当は、もう駄目なのに。

 少なくとも、聖杯戦争が終わるまで近づいちゃいけないって知っていたのに、なのに。

 士郎先輩の笑顔を見て、行ってもいいかなと、そんな馬鹿なことを思っちゃったんです。

 本当、わたし、馬鹿ですよね……。

 魔術師の家で育てられていても、士郎先輩は、一般人です。だから、何もしらなかっただけなんです。

 なのに、勘違いしちゃったんです。

 聖杯戦争中(こんなとき)でも、あの家は間桐桜(わたし)を受け入れてくれるんだって、そんな愚かな勘違いを。

 士郎先輩は笑って出迎えてくれました。

 シロさんも控えめに微笑みながら、でもわたしにやっぱり手を差し伸べてくれました。

 でも、イリヤ先輩は少し悲しそうな憐れみを瞳に浮かべて、士郎先輩にあわせて表面だけをいつもどおりに、そんなふうにしてわたしに接したんです。

 そして……おじさま。

 いつも、優しかった衛宮のおじさま。笑って、桜ちゃんよく来たねってそういってくれたおじさま。

 でも、今日見たその目は……恐ろしい光を秘めていて、士郎先輩が見ていないところで、それは顕著に、瞳で語っていました。『なんで、来たのか』と。

 ああ、わたし、来てはいけなかったんですね。馬鹿な私。

 本当、なんでこんなになるまで気づかなかったのかな。

 

 士郎先輩は何もしらない。だから、笑う。陽だまりみたいな笑顔で、汚い私に微笑む。

 ……それが、今日ほど辛いことはなかった。

 そうして、家に帰る私を「見送るから」といって出てきたおじさま。

 にこにこと、いつもどおりに何も知らない士郎先輩たちに手をふって、まるで好々爺みたいな笑顔を浮かべて家族と別れて、そして門の外に出て……がらりと変わった。

 ゾッとするほど、怖くて冷たい目。魔術師(ひとでなし)の……眼差し。

 これが、今までのおじさまと同じ人物だなんて、まるで悪い冗談みたいで、冷や汗がどっと背中を流れた。

「桜ちゃん、どうして君は来たのかな? 今がどういうときか知っているんだろう。間桐のご老人に頼まれでもしたのかい?」

 かちり、とライターで火をつけて、タバコを口にしながら、酷薄な声音でおじさまはそんな言葉を言う。

「シロは君は無害だから、放っておけというけどね、それを素直に聞くわけにはいかないんだよ。僕は……父親だから」

 だから、家族を守るためには、害をなす要素を排除すると、この見知っているようで見知らぬ魔術師は語る。

「……おじ……さま」

 声が震えて、上手く言葉がしゃべれなかった。

「君が間桐の後継者なんだろう? なら、わかっているはずだと思うけど」

 次はない、とその闇より深い黒の目は語る。

「僕もね、シロや士郎たちが悲しむ姿は見たくないんだ。桜ちゃん、君はわかってくれるよね(・・・・・・・・・)?」

 それは、次に来たらわたしを殺す、ということ。

 がくり、と膝が崩れた。

 わかっています。

 ええ、わかっていました。

 たとえ、胎盤としてしか扱われていなくても、それでも私は間桐の後継者で、とっくに汚れていて……わたしは、ただのおじい様の飼う蟲の一つに過ぎないんだって。

 錯覚をしていたんです。

 人間の女の子みたいな、錯覚を、していたんです。

 わたし、この家では人間になれるって、そんな錯覚をしていたんです。

 楽しいって、心から思えるのはこの家だけでした。

 ごめんなさい。馬鹿でごめんなさい。

 ぼろりと、涙がこぼれた。

 おじさまは……魔術師殺し、衛宮切嗣はもういない。

 誰もわたしを見ていない。体内から見張るおじい様以外誰も見ていない。

 ぼろぼろ、涙がこぼれる。

 ごめんなさい、ごめんなさい。

 わたし、家族でもなんでもなかったんです。そんなことに今まで気づいていなかったんです。

 まるで道化(ピエロ)。でも、そんなことにすら気づいてなかったんです。

 でも、こんなところにいつまでもいたら、誰かに見つかるかもしれない。せめて、何もしらない士郎先輩にだけは見っとも無い姿は見られたくない。

 ぐしゃり、涙をぬぐって、蟲の巣窟(まとう)への道をおぼつかない足取りで辿った。

 

 そうやって家に帰って、シャワーを浴びて、そうして、ベットに身を投げ出して、それから、嗚呼と気づいた。

「そっか……わたし、何もないんだ」

 最初から、私には何もなかったんだ。

 なんで、気づかなかったのかな。

 あまりにも幸せな夢を見ちゃったから、きっと罰が当たったんだ。

 嗚呼、もう、いいかな。

 疲れた。凄く、疲れた。

 いいんです、わたし、遠坂先輩みたいにはなれませんから。

 ただ、士郎先輩の陽だまりみたいな笑顔だけを思い出す。

 きりり、と胸が痛んだ。

 

「痛いなぁ……」

 

 何が痛いのかすらわからず、ただそう呟いて私はそのまま眠りに落ちた。

 其れが崩落の足音だったということに、わたし自身気づくこともないまま、運命(フェイト)は残酷に刻を刻むだけ。

 それは、わたしにはあずかり知らぬことだったけれど、第五次聖杯戦争最後のマスターが現れるのは、この次の日のことだった。

 

 

  NEXT?

 



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05.目撃

ばんははろ、EKAWARIです。
今回の話といえば、この話のラストシーン書きたさの為にエミヤさんに「うっかり」属性をつけたといっても過言ではない。
ぶっちゃけ、最初に「うっかり女エミヤさんの聖杯戦争」を考えた時、1番書きたかったシーンだと言っても間違っていないと思います、はい。


 

 

 

 聖杯戦争。

 英霊の座に登録されている英雄の魂の分身(コピー)を呼び出し、殺し合わせる魔術の大儀式。

 そこでなら、満足の行く戦いも出来るだろうと、そんな気持ちで呼び出しに応えた。

 最初の召喚者は申し分なかった。

 ちっと細かいとこはあったけど、イイ女だったし、色々正反対だったが、そんなとこが案外心地よかった。

 だけど、アイツといれたのはたったの一週間くらいのもんだ。

 これから知り合いに会うのだと、顔を綻ばせて告げたバゼット(マスター)

 それは本当に女らしい貌で……。

 救えなかったのは俺の責任だ。

 奴のサーヴァントになっちまったのも、俺の責任だ。

 しょうがねえ。

 仕方ねえだろう。ええ?

 理不尽な運命、英雄なんてそんなもんさ。

 誰を恨むものでもねぇ。

 ただ、俺は昔からイイ女には縁がなかったし、今回もそうなったっていうそれだけだ。

 くだらねえ令呪を課されて、いけすかねえマスターに従えられて、全く。

 つまんねえことになっちまったな、とそう思っていた。

 あの時までは。

 

 

 

 

 

  目撃 

 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

「士郎、ごめん。わたし今日学校休むから」

 そうイリヤが切り出したのは、今朝のことだった。

 2日前から先に帰るといって、一緒に学校に登校はするも、昼前には帰宅し続けていた義姉(イリヤ)が、今更休んだところで、そこまで驚くことじゃなかったけど、でも藤ねえの件といい、慎二の件といい、昨夜の桜の件といい、違和感や疑問がまた一つ増えたわけで、真相を聞きたい気持ちを我慢して、そのイリヤの言葉を受け入れた。

 イリヤはほっとしたように、「ごめんね、士郎。あと、士郎も遅くなっちゃ駄目よ。一昨日は本当に心配したんだから」とそんなことを言って、寂しげに笑って玄関で別れた。

 きっと、その時になれば向こうから話してくれるはずだ、とそんなことを思ってもやもやをやり過ごしてきたけれど、でも、いい加減そろそろ何が起きているのか教えてくれてもいいんじゃないかと思う。

 特に、昨日の桜の件は、どう考えてもおかしかった。

 

 最近、衛宮(うち)は全体的にピリピリしているし、妙な緊張があって落ち着かない感じだ。

 しかも、一昨日会った少女などのことを考えると、なんとなく薄気味悪くて、慎二も学校を休むし、変な違和感の中、イリヤ達はその答えを知っていそうな感じなのに、なのに誰も俺にそのことについて言おうとしない状況で、敢えて黙っていることを俺から聞くわけにもいかなくて、ずっとずっと変だった。

 そんな時に桜の顔を見てほっとしたんだ。

 ああ、俺の日常はここにあるなって、そんな安心にとらわれて、そうだ、桜が家にきたら、そうしたら少しはこの変な空気もなくなるんじゃないかってそんな風に思って、桜に声をかけたんだ。

 桜がいてくれたら、きっと家はいつもどおりになる。桜がきてくれたら、イリヤやシロねえたちだって……ってそんなふうに思ったんだ。

 でも、多分その俺の判断は駄目だったみたいだ。

 ピリピリと走る緊張は、桜がきて余計に大きくなるばかりだった。

 シロねえは比較的いつもどおりだったけど、イリヤはどことなくぎこちなかったし、親父はとくにおかしかった。

 いつもは「桜ちゃん、よくきたね」ってそんな風に笑って出迎えて、桜を可愛がっていたのに。俺には女の子には優しくしないと駄目だってそう口癖のように言って聞かせて、桜の事だって甘やかしていた筈なのに。なのに、表面だけ取り繕って、ビリビリと敵意染みた気を桜に飛ばしていた。

 桜もそれに気付いていたらしくて、恐縮して、おどおどとずっと始終落ち着かない様子だった。

 なのに無理していつもどおりにしようとして、痛々しい笑顔で俺に接していたのが、見ててこっちも痛かった。

 桜が、家に帰るといって見送ると親父が言い出したときも、今の親父は桜と二人っきりにしちゃ駄目だと思って止めようとして、そしたら、シロねえのそっと自然に出された手に止められた。

 思わず、吃驚して見上げると、シロねえはどことなく哀しげな眼差しで、口の端だけ笑って、声には出さずに、大丈夫だ、とそんな風に俺を制した。

 それは、とても卑怯でずるい。

 そんな顔で言われたら、何も知らない俺は口を出せなくなるじゃないか。

 親父に「らしくないことするなよ」と怒鳴りたかったのに、出来なくなるじゃないか。そのまま洗いざらい今の状況を聞きだしたかったのに、そんな顔を見たら言ってくれるまで待つしかないじゃないか。

 でも、たとえ止めるのがシロねえであっても、次に同じことがあったら俺はもう躊躇せずに聞きだすと思う。

 大体、俺はもう小さな子供じゃないんだし、何かあったときにみんなを守るために、俺は魔術も体術も剣術も今まで必死に習得してきたんだ。

 これまでの9年の鍛錬、それは些細なものかもしれないけど確実に俺の身になっていると思う。

 そりゃ、シロねえに比べたらまだまだかもしれない。

 それでも、俺は衛宮家(このいえ)の長男なんだ。男なら自分の家族くらい守ってみせられなくてどうする。

 そう、俺はシロねえのことも、イリヤのことも、勿論切嗣(じいさん)のことも、桜や藤ねえだって、この手で守りたいんだ。

 いつまでも、蚊帳の外でなんていられない。

 だから、明日あたりになっても、何も言わないようだったら、その時は俺から切りだそうと思っている。

 本当はシロねえやイリヤたち自身の口から聞きたかったけれど、俺が待てるのはそれくらいが限界だ。その時は嫌と言っても真相を吐かせる。

 と……思うけど、まあ、まずは桜に昨日のことを謝るのが先決だよな、とそんな風に思って俺は家を出た。

 

 少し心持ち早足に通学路を歩く。

 いつも、イリヤと通っていた道を1人で歩くのは不思議な感じがした。

「ん?」

 ふと、その時、手に違和感を感じて、首をかしげて左手を持ち上げる。

 すると、そこには蚯蚓腫(みみずば)れのような痣が浮き出ており、血が伝っていた。

「え?」

 思わず目を丸くして、まじまじと左手を見る。

 どこかに引っ掛けた覚えとかはない。なんで、こんな痣が出来ているんだ、と我ながら心当たりのなさに思わず首をもう一度かしげる。

「って、こんなことしている場合じゃないか」

 今は朝の登校時間。時間というのは有限だ。

 いくら余裕をもって家を出ているとはいえ、ぼーっとしていたら、遅刻なんて惨事の憂き目に合う確立とてなくもないのだ。

 とりあえず、不思議に思うままに、ポケットからハンカチを取り出して、包帯代わりに巻きつけた。

 まあ、大して痛くもないし、ハンカチでくるんでおけばそのうち血も止まるだろう。

 

 そうして、いつもどおり学校に到着して、門をくぐろうとした。

 いや、くぐった。

「……ん? なんだこれ」

 またも、強い違和感。

 なんだかやたらと甘ったるい匂いがする……と、そこまで思ってから正体に気付いて、ぎょっとした。

(これ……結界だ)

 残念ながら、魔術については半人前という評価を受けている凡才な身としては、これがどういう種類の結界かとかそういう詳しいことについてはてんでわからないし、そういうのはイリヤの専門だ。だけど、これが『危険』に属するものだということは、家の結界とのあまりの差異と雰囲気から判断することは出来る。

 こういうとき、俺が取る行動としてはどうするべきが正解か。

(確か、2-Aの遠坂は、冬木のセカンドオーナーだって、シロねえは言ってたよな)

 セカンドオーナー。

 一定以上の基準をもつ霊地を魔術協会から任されている名門の魔術師のことをそういうらしい。つまり、裏の世界の冬木の管理人ということだ。そして、管理地で異常事態が起きた時に対処するのも、このセカンドオーナーの役割なのだという。

(どうする。遠坂に相談するべきなのか?)

 と、そこまで思考して、以前シロねえに言われたことを思い出した。

(いや、まて早まるな)

 シロねえは、俺が魔術師であることは極力知られるな、と何度もこれまで釘を刺してきた。

 通常魔術師の後継者は1人だけであり、一子相伝であるのが魔術師の習わしなのだと。

 だからこそ、家族全員が魔術師である我が家は異端で、故に極力魔術協会に関わることも出来うる限り避けるのが上策なんだって。

 遠坂凛には、衛宮が魔術師の家系で冬木に住んでいることについては協会にも知らせず黙認してもらっているが、それでも俺が魔術師だと知られたらそうもいかないのだと。そんなことを真剣な顔で言っていた。

 多分全てを話してくれたわけじゃないんだろうけど、それでもそれは俺やイリヤとのこの生活を守るための助言で……きっと知られたら、本当に今まで通り暮らしていくことは出来ないんだろうと、そう俺に悟らせるには充分なぐらい真っ直ぐな瞳だった。

 シロねえを困らせるのは俺の本意じゃない。

 だから、俺が遠坂を頼るというのは、本当にどうしようもなくなった時の最終手段にすべきなんだろう。

 それに、はっきりいって俺は遠坂とは同級生だってだけで、クラスも違えば部活も違うわけだし、接点なんてないわけで、いきなり話しかけたところで、向こうに警戒心を持たれるだけがオチだ。

 あとこれはシロねえからの受け売りでしかないけれど、ミスパーフェクトというあだ名を持つ、俺も少し憧れじみた感情で気になっている同い年の優等生遠坂凛は、魔術師としても優等生であるらしい。俺みたいな半人前が気付いた結界に遠坂が気付かない……なんてことはないだろう。

 だけど……。

(確か、昨日は遠坂は休みだったんだよな)

 遠坂凛は、鮮やかでとても目立つ生徒だ。

 しかも皆勤の優等生。それが休んだとなったら噂にならない筈がない。

 なら、今日ももしかしたら休みかもしれない。

(だったら、俺のほうでこの結界について、調べておいたほうがいいのか? 放っておくのも気分が悪いし)

 俺の魔術は一点に特化していて、それ以外……こういう結界とかそういう方面も含む……には明るくないし、解除方法だってわからない。

 だけど、基点を探すだけなら、俺でも出来る気がするし、対処方法については、家に帰ってからイリヤに相談して、明日にでも見てもらえばそれでいい。幸いにも、こういうことはイリヤが得意だ。

 あまりイリヤにばかり頼りすぎるというのも男として情けないけれど、それでも俺にこれの対処は出来ないだろうし、これは『危険』な結界だと思う。つまらない見栄を気にしている場合じゃない。誰かが傷つくぐらいなら俺が頭を下げるぐらい安いものだろう。

 あと、冬木のセカンドオーナーとはいえ、それほど親しいわけでもない女の子に丸投げするというのも、なんだか納得出来ないものがあるし。

(よし)

 行動方針は決まった。

 とりあえず、結界の基点探しは放課後にまわして、今は桜に謝りに行こうと弓道部へと足を運んだ。

 

「え? 間桐? 今日風邪って連絡があって休みだけど?」

 あれ衛宮、仲良いのに知らなかったの、なんて美綴にいわれてちょっとだけへこんだ。

 人生、上手くはいかないよな、うん。

 

 

 

 side.アーチャー

 

 

 遠坂凛(マスター)が学校に行く、とそう言い出したのは、私が召喚されてから2日目の朝の事だった。

「凛。マスターになったからには、常に敵マスターを警戒しなくてはならない。学校という場は、不意の襲撃に備えにくいだろう」

 そんな小言を漏らすと、凛は肩を竦めて、全く堪えてない平素どおりの挙措で理由を連ねる。

「そんなことはないけどね。いいアーチャー? わたしはマスターになったからって、今までの生活を変える気はないわ。それにマスター同士の戦いは人目を避けるモノでしょう? それなら人目につく学校にいれば、不意打ちされる事はまずないと思うけど」

「…………そうか。凛が決めたのなら私は従うだけだ。だが、霊体化して君の護衛をするぐらいはいいのだろうな。まさか学校に行っている間はここに残れ、などとは言うまい」

 それに、当たり前じゃない。聖杯戦争中はずっと傍にいてもらうわよ、と言って、年若いマスターは私の淹れた紅茶に優美な仕草で口をつけた。

「もしもの話だが、その安全な場所に敵がいたとしたらどうする」

 確か、私が参加した聖杯戦争のときはあそこに結界が張られていた、そんな記憶が薄らぼんやりと脳裏に浮かぶ。なので、そのことをさり気ににおわす発言をする。

 するとマスターたる少女は、私からしてみれば意外な言葉を口にした。

「まあ、いるかもね」

 そう、至極あっさりと凛はそんな言葉を放ったのだ。

「何?」

 逆にその言葉に驚く。

「一人ね、わたしが通っている学校でマスターになれそうな奴に心当たりがあるのよ」

 そんな言葉を淡々と告げるマスター。

「待て、君は敵マスターがまっているかもしれないと知っていて、学校に行こうというのか?」

「ええ、そうよ」

 こくりと、頷いて、「でもね」そんな言葉で次を連ねて私の言葉を封じにかかる。

「そいつはたとえマスターになっていたとしても、不意打ちなんて仕掛けるような奴じゃないの。もし仮にマスターになっていたとしても正々堂々聖杯戦争のルールに則って夜に仕掛けてくると思うわ」

 まあ、マスターになれる素質はありそうでも、そいつが実際にマスターになる可能性は低いと思うんだけどね。なんてことをぼやくように続けて、マスターはぐいと残った紅茶を飲み干した。

「さて。無駄話は此処でお仕舞い。これ以上のんびりしてたら遅刻しちゃうわ。行きましょ、アーチャー」

 まだ、聞きたいことはあったが、仕方ない。

 そう思って彼女の供として霊体化して、そのすぐ後ろについた。

 

「……何、これ」

 学校には人を飲み込み溶解する為の結界が張られていた。

『凛、これを張ったのは君がいう心当たりか?』

 パスを通じて、念話でそう語りかけると、凛は真剣な表情で、いえ、と緩く左右に首を振る。

「こんな杜撰な結界、あいつなわけがないわ。それにあの子が、大好きな弟も通っている学校にこんなものをわざわざ仕掛ける筈がない。これは、第三者の仕業よ。でも、驚いた。あいつ以外にマスターになれる奴なんているわけないと思っていたのに」

 あの子? 大好きな弟? 

 それらの言葉に違和感を覚え、霊体のまま眉を顰めた。

 これは、『遠坂凛』だ。私がかつて衛宮士郎と呼ばれていた時代に憧れ、魔術の師となった女性の平行世界の同一存在。なのに、何故こうも言っていることがわからないのか。

「とにかく、これはわたしへの宣戦布告だわ。わたしのテリトリーでこんな下衆なモノ仕掛けたヤツなんて、問答無用でぶっ倒すだけよ」

 行くわよアーチャーなんて言葉を携えて、怒気を胸の奥にしまったまま、凛は颯爽と校内へと足を踏み入れていった。

 

 昼休み。

 屋上で昼食をとるマスターと2つ、3つ、結界がらみの話をしつつ、「そういえば」と、気になっていたことを切り出した。

「君は敵マスター候補に一人心当たりがあると言ったな。それが誰なのか教えてくれないのか?」

 そういうと、凛は肩をすくめながら、「まあ、敵マスター「かもしれない」だけどね」と前置きしてからその名を告げた。

「一つ上の学年の衛宮イリヤスフィールよ」

(衛宮……イリヤスフィール……だって……?)

 その言葉の意味が一瞬理解できなくて、思わず言葉を失った。

 そんな私の動揺には気付かなかったらしく、マスターは淡々と特に感情を込めるでもなく言葉を続けた。

「とはいっても、そいつは結構な魔力の持ち主だし、魔眼までもっているとはいえ、跡継ぎは別にいるはずだから、魔術師かどうかの可能性は半々な奴なんだけどね。でも、まあ、冬木にいる魔術師の数なんてたかが知れているわけだし、前途の通り魔術師としての才はあるだろうから、マスターとして選ばれる可能性はあるわ。まあ、自分からそれを望むやつとも思えないんだけど」

 今、凛は、「衛宮イリヤスフィール」と、そんな言葉を言ったのか。

(どういう、ことだ)

 イリヤが衛宮を名乗っている?

 確かに彼女は衛宮切嗣の一人娘ではあるが……アインツベルンではなく衛宮? この世界の彼女はアインツベルンで育てられたわけではないというのか?

 いや、それより、今一つ上の学年と凛は言わなかったか。

 ということは、もしやこの世界の彼女は年相応に成長しているとでもいうのか?

 馬鹿な。違う。

 私の知っている聖杯戦争とこれは徹底的に違っている。

 思い出すのは昨夜の視線。

 闇にとける白髪の女。

 私に『やはり、来たか』と、そう告げた皮肉気な顔をした、女。

 これは、この聖杯戦争は……違う。

(認めねばならんのか)

 オレの望みは叶わないのだと。

 いや、それでも、と磨耗しかけの擦り切れた精神が希望の(よすが)に縋って、手を伸ばす。

 衛宮士郎。(オレ)で在った頃のかつての私。

 それに会うまではまだ、希望は潰えてはいないのだと、そう信じていたかった。

「アーチャー? どうしたの?」

 凛は、急に黙り込んだ私に気付いてそんな言葉をかける。それに、いつもの調子の笑みを口の端に作りながら、「いや、なんでもない。結界の基点を探すのだろう? どれ、私も協力しよう」そういってごまかした。ごまかせていたらいいとそう思った。

 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

 放課後になってすぐに、俺は女生徒を引き連れた慎二の奴と会った。

「よぉ、衛宮」

「慎二」

 慎二は、先日の不審な態度がなかったかのように、何故か今朝から機嫌が頗るいいらしくて、にこにこと笑みを浮かべたまま俺に話しかける。

「悪いんだけどさ、これから彼女たちと新都に行くんだよね。だから衛宮さ、僕の代わりに弓道部の片付けやっといてくれない」

「あ、それ藤村先生に頼まれたやつでしょ」

「いいの?」

 なんて後ろで女生徒達の言葉が続く。

「いいんだよ。衛宮さ、最近ずっと弓道部に顔出してないだろ。普段部の面倒は僕が見てやってんだからさ、衛宮もマネージャー気取りのつもりなら、弓道場の清掃くらいお安い御用だよな」

 かまわないだろ、とにこにこしながら言ってのける慎二。

 機嫌がいいけど、吃驚するくらいいつもどおりだ。

 今朝、昨日なんで休んだのかと聞いた時は機嫌悪そうに濁してたのになあ。

 とちょっとだけ呆れるような感情がわきつつも「ああ、別にいいぞ」と返事を返す。

 丁度、結界の基点探しをする都合上、人気(ひとけ)のない時間帯までどうやって過ごそうかと考えていたところだ。だから、慎二の提案は渡りに船ともいえた。

「わかった。確かに、慎二には下級生への指導とか任せっぱなしだからな。それくらいならてんで構わないぞ」

 そういうと、慎二は一瞬怒ったように目を見開くが、またいつもの笑顔に戻って、「はは。衛宮ならそういうと思っていたよ。まあ、でも自分で頼んどいて言えた義理じゃないけど、衛宮もあんまり遅くまで残るなよな。最近は本当に物騒だからな。掃除なんて適当でいいんだ」なんて、慎二には珍しい一言をつけ足してから背を向けた。

「じゃあな、衛宮。後は頼んだからな」

「ああ。またな、慎二」

 そうやってその背を見送ってから、俺は弓道部に向かって歩き出した。

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 聖杯戦争にいまだ大きな動きはなく、私は衛宮切嗣(じいさん)の傍につきながら、その無線の先の言葉に耳を傾けていた。

「見つかったのは片腕とピアスだけ……か」

『はい。あとは多数の血痕だけですが、あの出血量ではおそらく……』

 機械越しにくぐもった女性の声が淡々と、調べ事の結果を並べていく。

「そうか。しかし、相手は凄腕の封印指定執行者らしい。ならば、そう簡単に死ぬとも限らん。引き続き、君は捜索を続けて……」

「シロ、終わったわよ」

 無線先の女に返事を返している途中、そんなイリヤの柔らかな声に遮られる。

「これで完成。認識阻害……っていうか、誤認ね。見ただけで自動的に発動するようにしてあるから、一般人には普通のコートをきているようにしか見えなくなると思うわ」

 はい、と言って私が以前から頼んでいた依頼物を、どことなく疲れた様子でイリヤは差出した。

「ああ。イリヤ、すまないな」

 そういって受け取ると、イリヤは次いできょろきょろと周囲を見渡して「ねえ、士郎は?」と、そんな言葉をかけた。

「士郎はまだ帰っていないの?」

「ああ、士郎はまだ……」

 と、そこまで言ってから今が何時なのか気付いた。もう夕暮れはとっくに過ぎている。

(ちょっとまて……)

 そして、あることに気付いた。

(確か、アレが「殺された」のは、「私」が召喚された次の日の夜ではなかったか?)

 気付いた途端、ガンと頭を殴られたような衝撃が襲った。

(馬鹿か、私は!!)

 そうだ、今日が「衛宮士郎が殺された日」ではないか! そんなことにこんな時間になってから気付くなど、うっかりしていたにも程がある。

「爺さん、今すぐ出るぞ」

 そう告げるなり、ざっと立ち上がって、エプロンをはずして、荷物を背負った。

「士郎が危ない」

 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

 慎二に頼まれ、弓道部の清掃を始めて早数時間。

 気付けば時刻は夕暮れを過ぎて、夜にさしかかろうとしていた。

「……………………はっ!?」

 しまった、つい久々だったものだからやりすぎた。

 と思っても後の祭り。

 当初の目的を忘れ、思わず思いっきり楽しんで弓道場をピカピカに仕上げている俺がいた。

「シロねえじゃあるまいし、何やってんだ、俺」

 と、思わずそんな言葉を呟いて、はあとため息をついた。

 いや、本当に何やってんだろう。

 当初は掃除を1時間くらいで切り上げて、結界の基点探しに行こうと思っていたのに、気付けば汚れとかが気になって、ここをやったら次にあっちをやって、こっちをやって、弓の手入れも気になってそれもやって……って感じで気付けば時間が大分過ぎていた。

 いやいや、本当シロねえじゃあるまいし、何やってんだか。

 しょうがない。

 これ以上遅くなったら流石にまずいよな。

 今日はもう帰って、とりあえず結界のことだけでもイリヤに報告しよう、そう思って弓道場の外に出て、異様な魔力と妙な音を聞いた。

(鉄と、鉄がぶつかり合う音……?)

 そう、まるでシロねえと鍛錬中に聞く音と同じ、それが校庭のほうから響いている。

 それに惹かれるように、ただ、何事があっても対処できるように、気配と足音は極力消しながら、慎重に音の元出たろう場所へと向かう。

 そこで見たもの。それはまるで神話の再来のような光景だった。

 

 人間とも思えぬとんでもない魔力を秘めた赤い男と青い男、それが紅い槍と双剣を手に互いに殺しあっていた。

(なんだよ、これ……!)

 あれは、人間じゃない。人間の姿こそしているけど、もっと高位の生命体だ。

 それが、目にもとまらぬかのような速度で打ち合い、斬り合っている。まるで、幻想だ。現実感なんてまるでない。だけど、肌から伝わってくるこの殺気は本物だ。

 だけど、それ以上に驚くべきこと……それは。

(なんであいつ、干将莫耶をもっているんだよ)

 あれは、義姉(シロねえ)の武装だ。

 俺だって使える、だけど、なんでだ。理由がわからなくて、暫し混乱する。

 それに、あの白髪の男、あれを見ているとピリピリとおかしな感覚が襲ってくる。ヘンだ、なんで、俺は、あいつの剣技からこう目を離せないんだ。

 いや、それより、シロねえより威圧的ではあるけれど、なんでアイツの型はシロねえそっくりなんだ? わからない。わからないけれど、それは……無骨で、されど見惚れるほど綺麗な太刀筋だと思った。

 ざ、と二人の人ならざる男たちは距離をとり、何事かを一言二言話している。それに、大気がピリリと震えて、そして紅い槍を携えた青い男の殺気が先ほどとは比べ物にならぬほど跳ね上がった。

(殺される……!)

 あの、赤い男は殺されるのだと、言わずともわかった。

 瞬間、無意識に、俺はわざと音を立てるようにして、強化をかけた足でもって駆けていた。

 

(馬鹿か、俺は!!)

 あんな奴らに俺が勝てるわけがない。それがわかっていて、なんであんな気付かせるような真似をしたんだ。

 あれは、俺にどうにかなるレベルの奴らじゃないのに。

(馬鹿か、馬鹿か、馬鹿か)

 本当、自分の馬鹿さ加減に嫌になって、内心己を罵倒しながら、校内にむかって、駆けた。

 でも、やったことは仕方ない。あとはどうにかしてアレを撒くしかない。あと少しで、裏門の出口にさしかかる。あと少しだ、あと少し……すぐにそんな俺の見渡しはやはり甘かったと思い知らされることになったけれど。

「よぉ、案外遠くまで逃げたな、オマエ」

 青い死神が、そこにいた。

 とんでもない、魔力の塊だ。やはり、これは人間じゃない。

 正体はわからずとも高位存在だ。それが余裕の笑みをもって俺を出迎える。気圧されそうになる、それを腹にぐっと力を込めて抑えた。ここまできたら、そう簡単に逃がしてくれるわけがない。それがわかって、覚悟を決めて、男をまっすぐに見上げた。

「ほぅ?」

 男は面白そうな顔をして俺を見る。

 じり、と背筋に嫌な汗が伝うのを、歯を食いしばって封じた。

「度胸がいいな、ボウズ。いやぁ、殺すには惜しい、惜しい」

 男は俺を舐めきっている。それが俺が持つ唯一のアドバンテージだ。

 どうする。

 こいつに勝てないのはわかりきっている。ここからどう逃げ切る。どれが最善だ。

「だがな、見られたからには仕方ねぇ。ま、恨むんなら自分の運の悪さを恨んでくれや」

「……!」

 男は笑いながら槍を向ける。

 その間も思考し、無手のまま構えを作った。

 シロねえは、俺の「投影魔術」は特に秘匿するように今までしつこく言ってきた。誰にも見られてはいけないと、そう言ってきた。だけど、今はもうそんなことを気にしている場合じゃない。

 出し惜しみをすれば、次の瞬間俺は呆気なく死体となって地面に転がる羽目になる。

(干将莫耶を投影。あの槍の攻撃を一瞬でもいいからやり過ごして、壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)で夫婦剣を爆破させ、視界を奪ってその隙に逃げるしかない!!)

 シロねえならばともかく、俺の今の技量じゃ、幻想にまで昇華するほどの投影精度をもつ干将莫耶を一瞬で作り出して壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)まで行えば後が保たなくなるのは自明の理。

 だけど、今は生き残るのが先決だ。

 そうとも、こんなところでわけもわからず、殺されるわけにはいかない。

 俺が死んだら、イリヤたちが悲しむ。

 それがわかっていて、この命を何処の誰ともつかぬ輩にくれてやるわけにはいかないんだ。

(俺は、正義の味方になりたいんだ……!)

 正義の味方が、自分の命すら守れないんじゃ、笑い話にしかならない。

 周囲の人間を泣かせて何が正義の味方だ。

 だから、俺は、たとえこんな状況でだって、最後まで生き延びるのを諦めたりなどしない。

「この大たわけが!!」

 そうして、俺が投影しようと構え、男が槍を下ろそうとしたその瞬間、一瞬の閃光と、よく知った声が俺たちの間に割って入って聞こえた。

「真っ直ぐ帰れと今まで再三言っていただろうが! 何をしている!? こんなところで殺されかけるなど、馬鹿か貴様は!?」

 その声は間違いなく聞きなれたシロねえの声で、その両手に握った得物でもって青い男の攻撃を塞いで、男のほうを見もせずに俺に向かって思いっきり怒鳴っていた。

 でもそれすら気にならなくて、俺は思わず呆然とシロねえの手元を見ていた。

 シロねえが手にしている得物といえば、白黒の双剣、干将莫耶というのが相場だけど、今手にもっているやつはそうではなく、左手は万能包丁で、右手は……マグロ解体用の……日本刀みたいな包丁……だと!?

 ちょ、かあさん、なんでこんな時に限ってうっかり発動してんだ、アンタは!

 

(間違ってる、投影物間違ってるから~~~~!!)

 

 

 自分の命の危機だったことも忘れ、思わず、そんなことを内心叫んでしまった俺だった。

 

 

  NEXT?

 



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06.逃走、追撃戦

ばんははろ、EKAWARIです。
この話は初めて書いた4年前、1番書いててひゃっはー楽しかった回です。
いやあ、あのシーンやこのシーン書けて凄く満足した想い出。第四次編とか束の間の休息編とか前提が長すぎていつ書けるんだ、いつ書けるんだ、やったー、この時がとうとう来たぞ、ひゃっはー! って感じだった。
何度も言っている事だけど、第四次編は時系列の関係上先に発表したってだけで、第五次編が真っ先に出来た内容であり、第四次編は第五次編のための後付け伏線回ですからねえ。いやあ、今回のあれこれまで至ったときはそりゃもう感無量でした。
因みに次回予告漫画1ページ目のエミヤさんシーンは今回で回収です。


 

 

 

 シロねえが変なところでうっかりしている人なのは知っていた。

 昔っから、普段はしっかりしているように見えるのに、ちょっと焦るとうっかりミスを出してしまう事は一緒に暮らし始めて1年目には既にわかっていたことなんだ。

 だから、俺も尚更守れるくらい強くなろうと思うようになったんだし、シロねえは女の人だから、そういうちょっと抜けたところも可愛いんじゃないかなと思っていたわけなんだけど。

 だけど、シロねえ。

 いくらなんでも今うっかり癖を発揮することはないだろ?

 

 

 

 

 

  逃走、追撃戦

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 切嗣(じいさん)の運転する洋車(メルセデス)に騎乗し、イリヤや士郎の通う学び舎……生前は私も通った穂群原学園へと乗り込むと、場は既に異様な空気に包まれていた。

(ちっ。遅かったか)

 そのまま、爺さんの車から飛び降りると、士郎の行動パターンや気配などを追って駆け出してみれば、窓からランサーに追い詰められようとしている士郎が見えた。

(あの馬鹿!!)

 幸いにも、今の私の気配は礼装のお陰で人間並み、それにプラスして、気配を限界まで絶てば如何にサーヴァントといえどそう簡単に私の存在に気付けるものではない。

 ランサーはいつかも見た、余裕の態度で何事かを士郎に言いながら愛槍を向けている。人間相手ということで舐めきっているのがありありとわかった。

 気配を絶ったまま駆けながら、音を遮断するための結界をガラス限定で展開。窓ガラスを最小の動きで破り、2人が対峙している廊下へと転がり込み、即座に武器を投影、2人の間に割り込み、実力の一割すら出していないランサーが僅かな驚きで目を見開くのも無視して、そのまま、人の忠告も聞かずに殺されかけた馬鹿者へと怒鳴りつけた。

「この大たわけが!! 真っ直ぐ帰れと今まで再三言っていただろうが! 何をしている!? こんなところで殺されかけるなど、馬鹿か貴様は!?」

 すると、士郎は酷く狼狽した顔をして、「か、母さん」とかふざけたことをこんな時に言い出す。その発言にうっかり、ランサーのことも忘れてつい頭に血が昇って反射的に言葉を返した。

「こ、このたわけ、誰が貴様の母親かっ!? このような時に何を言い出すかと思えば、貴様のようなでかい子供など持った覚えないわ!!」

 すると、更に士郎はうろたえて、「ごめん。かあさ……じゃなくて、シロねえ。間違ってる! それ、包丁! 包丁だから! 夫婦剣じゃないからッ!」

「……っは!?」

 言われて気付いた。

 どうやら焦っていたあまり、夫婦剣ではなく包丁を投影していたらしい……って、おい!? 気付けよ、オレ! 寧ろなんで気付かなかったんだ、オレ! アブな過ぎるだろ……く、ランサーが人間相手だと思って手加減した攻撃を選んでいなかったら、包丁ごと今頃私は真っ二つだぞ。

 て、何つい赤面してんだ、私は。

 いや、それより先ほどから槍を向けたままとはいえ、ランサーがやたらと大人しいような、と思ってそこで漸く私は士郎のほうから、ランサーのほうへと視線を向けた。

 約10年ぶりに目にしたアイルランドの大英雄たる槍使い(ランサー)英霊(サーヴァント)は、にやにやと笑いながら私と士郎を見て「あん? もうお終いか?」なんてことを言っていた。

 ……うわ、このにやけ面凄くむかつく。

「まぁ、オマエらを見てんのも飽きないが、時間もねえことだしな。折角出てきてくれたアンタにゃあ悪いが、いっちょアンタの息子ともども死んでくれや」

「く、だから息子などではないといってる!」

 言いながら即座に包丁を投影破棄し、干将莫耶を投影。男の紅槍をガギリと、受け止めた。

 どう見ても遊んでいて、本気とは程遠い大英雄は、ひゅうと口笛を一つ。

「お、なんだ。アンタひょっとして、伝承保菌者(ゴッズ・ホルダー)か?」

 面白そうにくく、っと笑いながら、いう男に対し、はっと口元を吊り上げながら、「さて、どうかな」とわざと挑発的な目で男を見上げた。

「いいな、アンタ。面白くなりそうじゃねえか」

 言うと、男の気が先ほどより膨れ上がり、槍をつくスピードが先ほどよりも一段階レベルが上がる。

 それを男の動きを余さず見ながら、受け流し、応戦を始めると、はっと我に返ったような声で士郎が「シロねえ!」と叫んで私に近づこうとしているのがわかった。

(あの、馬鹿……!)

「何をやってる!! さっさと、逃げろ」

 苛立ち、ランサーの遊びの相手をしつつそう怒鳴りつけるも、士郎は「シロねえを置いていけるわけねえだろ!」なんて見当違いのことを言い出して、自己に埋没するための呪文を口にしようとしていた。

「ッ士郎!!」

 それを聞くより先に、ゴッっと、回し蹴りの要領で士郎を非常口目掛けて蹴り飛ばす。

 ガギリと槍を交えながら、ランサーは「おい、おい。あれじゃああのボウズ、死ぬんじゃないのか?」なんてことを楽しそうに口にしながら、やはりこれまた楽しそうな顔をして槍を振るまった。

「ふん。あれで死ぬほど軟弱に育てた覚えはない」

「やっぱ、母親なんじゃねーか」

「違うといっている! しつこいぞ、ランサー!」

「ランサー……なぁ?」

 その私の言葉にくくっと、低い声で笑いながら、ランサーは目を細めて、「でだ。それがわかるアンタはやっぱ俺の敵(まじゅつし)ってわけだ」とそんなことを至極楽しそうな声で言った。

「現代の魔術師なんて大したことねえと思ってたが、アンタは大分楽しめそうだ、な!」

「ッ」

 グン、と槍の速度が速まる。軌道を読む。戦術理論を展開する。

 右下からの心臓を狙った一撃、それを干将で受け流し、体を下に落として、男の視界から逃れ、受身をとったまま口内で呪文を唱えつつ、非常口の方面に向かって身体を転がした。

 干将は男の一撃の前に弾き飛ばされ、右頬から血が飛び散る。

 そのまま、気にすることなく、男に弾き飛ばされた干将を些か大げさに爆破させた。

「ッ」

 驚いたように跳ねる人外(ランサー)の気配がしたが、相手は最速の英霊。奴は本気を出していないとはいえ、あれを相手に余裕などない。躊躇なく、飛んで外へと転がり出た。

 あれで終わるような輩とは最初から思ってはいない。だが……。

(悪いな、ランサー)

 私はもう、10年前のようにはいかないのだよ。

 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

「がはっ……ッゥく」

 シロねえに思いっきり蹴り飛ばされた腹を押さえて立ち上がる。

 幸いというべきなのか、蹴り飛ばされた地点から非常口までの距離は大体20メートルくらいしか離れていなかったけど、ドアごと撃ち抜くようにして蹴り上げられた身としては、たまったもんじゃない。

 あの時、名前を呼ばれて、これまでの修行の経験から来るだろうと瞬間的に予測して強化魔術をかけていなかったら、きっと内臓ぶちまけてたぞ、なんてことを痛む腹を押さえながら思う。

(それだけ、シロねえに余裕がないってことだったんだろうけど)

 次いで、あの赤い男と打ち合っていた時の青い男の姿を思い出して、ぶるりと震えが一つ走った。

 あれは、とても人間に敵う相手じゃない。上位存在だ。それをシロねえがわからない筈がない。

 なのに、俺を逃がすため残った。

 本当は助けに今すぐ戻りたい気分だ。けど、それをしたらシロねえの心遣いを無駄にすることになる。

 立ち上がり、校庭のほうを見る。

 すると目前の見慣れた車が、クラクションを鳴らす。

「士郎!」

 親父だ。

 意図を察して走ってメルセデス・ベンツ300SLクーペに乗り込んだ。そのまま、親父は車をUターンを始める。

「待てよ、シロねえがまだ」

「シロなら心配ないよ。今来るから」

 親父の宣言どおり、爆音が一つした直後にシロねえが校舎の外へと転がり出て、そのまま発進し始めるベンツに向かって飛び乗り、俺の横の席へと転がり込んだ。

切嗣(じいさん)、相手はランサーだ。作戦はスペシャルメニューで頼む」

 は? スペシャルメニュー? え、一体なんのことだよ。

「うん、OK」

「おい、シロね、どういうこ……!?」

 ぐん、急に車の速度が加速。ついで、シロねえがのっている右側の扉が自動で開き、ガチャリという音と同時になんらかの結界が展開された。

「なん……!?」

「やはり、来るか」

 見れば、青い弾丸……ではない。先ほどの紅い槍をもった青い男が、人間ならざるスピードでもって駆け、追いかけてきていた。

「士郎、弾薬の補充を頼む」

「え? うわ、え? え?」

 がちゃりと、車内に積んであったトランクからおもむろに銃と弾薬を渡される。

 って、え? なんでこんな物騒なものが積んであるんだよ! なんて俺の心の叫びも空しく、シロねえはその中から、小型拳銃……ドイツのワルサー社から発売されている、かのヒトラーも愛銃として使用していたというシリーズの戦後モデル、ワルサーPPK/Sブラックモデル(装弾数8発)を手にして、躊躇なく……なんか走って車に追いつこうとしている、あの膨大な魔力を纏った青い男目掛けて打ち込んだ。

 ガンガンガンガンと轟音がして、薬莢が弾数分はじき出される。ああ、ルパンも真っ青の早撃ちだなあ……って、そんなこと言ってる場合じゃない!?

 シロねえ、何考えてんだ!? いくら、相手が人間じゃないだろうからって、ここ街中だぞ! でも、シロねえは全く気にした風でもなく、「ちっ、矢避けの加護とは厄介な」なんてことを言いながら、次の銃を催促してきた。

(ああ、もう、なるようになれ!)

 やけくその気分になって、次はピエトロ・ベレッタM92を手渡す。9mmパラベラム弾の雨があの男を襲っているのだろうが、そんなもの確認していられるわけがない。だが、シロねえが攻撃の手を緩めていないことを考えたらおそらくはあの男はいまだに追いかけ続けてきているのだろう。

 その時、運転に専念していた親父は、「撒くよ」と発言。

 え? っと思う間もなく、揺れる車内に舌を噛みそうになって、慌てて受身を取って、シートベルトにしがみつく。

 ギャギャギャーンなんて、普通鳴らねえだろうって轟音を立てて、車の速度は加速、複雑な道をスピードを落とさずに駆け抜ける。

 その様子は、こいつの運転する車には二度と乗りたくねえと10人中10人に言わしめるような運転で、そんな中で、シロねえといえば……なんか弾を補充した新しい銃を手に、やっぱりアイツ相手に銃ぶっ放してました……てえええ!? ちょっと、まて!? シロねえ、流石にそれはおかしいだろ!?

 あと、おかしいといえば、さっきから通行人というか、対抗車がほとんど見かけなくて、見かけてもこの車を避けるように運転しているような、寧ろ銃撃ってるのに、誰も気付いていないかのような……ちょ、何したんだ? 最初のあれ? 最初のあれなのか!?

 つか、なんで爺さんもシロねえもこの状況に平然と対応しているんだよ。おかしいのは、俺なのか。そうなのか!?

(もうやだ、この人外魔境)

 あ、涙出そうだ。

 

 

 

 side.遠坂凛

 

 

「何よ……これ」

 ぎり、と唇を噛んで、惨状を見下ろす。

 校舎の裏口で、爆破跡をにらみつけながらそんな言葉が思わずこぼれ出た。

 

 あの時、ランサーとアーチャーの戦いを見ていたらしい何者かは校舎に向かって駆け出した。それを追ったランサーをわたしとアーチャーも追い駆けた。

 先行させたアーチャーに念話で、『第三者が現れた』と聞き、指針を変更。様子を見守らせることにした。

 そして、爆発。

 漸く追いついたわたしが、何があったのかとアーチャーに訪ねると、曰く、第三者が自分の投げた武器を爆破させたのだという。

「鉄甲作用とも違うみたいだけど……」

 魔力の残照から、推測。

 これは、近代兵器がおこしたものではなく、間違いなく魔術師(わたしたち)側の技の一抹。でも、この爆破は火属性の魔術とは違う。自身の属性が五大元素なんだ、それはわかる。だからこそわからない。

(一体、何を爆破させたってのよ)

 これを起こしただろう人間の顔を思い浮かべて、苛立ちを覚える。

「凛、ランサーはもう此処にはいない。目撃者と第三者は車にのって逃走したようだ。それを追ったらしい」

 淡々と私の従者(サーヴァント)は、アイツを思わせる顔をして、腕を組んで涼しげにそんな言葉を吐く。

「さて、どうする」

 試すような声。それに苛立ちを感じて「いいわ」とそんな言葉で切った。

「第三者が誰なのか検討はついている。今日はもう撤退よ、アーチャー。どうやらわたし、やることが出来たみたいだから」

 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

 結局、あの青い男はいまだ追い払えていない。それに、隣から苛立ちの声が漏れる。

「ちっ、埒が明かん」

 言うと、シロねえは銃器を座席の下に落として、ごそごそと後ろに積んであるもう一つのでかいトランクを漁った。

 何をしようとしているのか、とたずねたい気持ちはあるが、暴れ馬と化したメルセデスを前にはそんな余裕はない。ないが、シロねえが取り出したものを見て、つい「え?」と声を出して、車の衝撃に舌を噛んだ。

 そう、シロねえが取り出したもの、それはヴァアリアントM202A1ロケットランチャー……って、なんでさーーーー!? そんなの、なんで家の車に積んであるんだよ!? って、え? ちょっとまて、ロケットランチャー!? そっりゃあないだろ!

 って、シロねえ何ひょいと背負って車の上に向かってんだよ、ああ……ロケットランチャーを撃つには車内じゃ手狭だもんなあ……うんうん。じゃねえ! 

 ちょっとまて! M202ロケットランチャーって重量12kgだぞ!? 12kg! しかも、こんだけ揺れている車の上にひょいって、ひょいって! もう、本当にシロねえ、アンタ何者だ!?

 ガチャリ、とセットする音が響く。

(本気でこの街中でそんなものぶっ放す気なのかーーー!?)

 そんな俺の心の声も空しく、それはゴゥっと耳も劈く轟音と共に放たれた。

 ……ところで、M202ロケットランチャーといえば、4連弾可能な4連発式ロケットランチャーである。

 当然、聞こえた発射数は4発。

 ……唖然となっても俺に罪はない筈だ。

 ひょいと車内に戻ってきたシロねえは妙に清々しい顔をして、「ふ……つまらぬものを撃ってしまった」と何かのパロディらしき台詞を呟いた。笑顔が無駄に輝いている。

 気付けば爺さんの運転が元通りになっていたので、口を開く。

「シ、シロねえ、アンタ、何考えてんだ!! 周囲に被害とか出たら」

「心配せずとも、あれを標的にしている以上周囲に被害など出ん。人除けの結界も張っているしな」

 きっぱりとした言葉だった。

 いや、まあシロねえが的をはずすとは思えないけど……ってそうじゃなくて。

「いや、じゃなくて、そうだ、ロケットランチャーって、何考えてんだよ! そこまでして……」

「そこまでしてもあれは仕留められんさ。何せ、あれは神秘の塊だ。近代兵器などでは傷一つつかんからな。まあ、全く効かんのでは話にならんから多少の魔力を通してはいるが、奴にとっては小石に当たったようなものだろう」

 言うシロねえの顔は真剣だった。

「私がやったのはただの足止めだ」

 それで話はもう終わりとばかりに、今度はシロねえは親父に向き合い、そのすぐ傍にある無線を耳にかける。

「すまなかった。害虫退治に手間取ってな。遅くなったが報告の続きをしてくれ。もしかしたら、君のもつ情報がチェックメイトに繋がるかもしれんのでな」

 

 

 

 side.ランサー

 

 

「おいおい、危ねぇ姉ちゃんだな、ええ?」

 追いかけている相手のあまりにも躊躇のない攻撃を前に、つい口元を吊り上げながらそんな言葉を漏らす。

 基本が霊体であるサーヴァントだから、現代兵器なんぞじゃあ傷つきゃあしないが、それにしても、ここまで容赦ない相手となると、つい嬉しくなって口を綻ばせちまう。

 歓喜に手が震える。

(つまんねえ仕事だと思ったが、こりゃあ中々どうして)

 先ほど見た褐色白髪の女の顔を思い浮かべた。

 学校で興味本位で声をかけたマスターが従えていた弓兵(アーチャー)のサーヴァントと、同じ武器をどこかからか取り出した女。あの気にくわねえ野郎と同じ戦法をとり、同じ武器をもち、同じく白髪と鋼の瞳に褐色の肌という異彩を放つ組み合わせの身体的特徴をもつ女。

(子孫ってとこなんだろうな。にしても、伝承保菌者(ゴッズ・ホルダー)か)

 最初のマスター、バゼットがソレだった。

 先祖代々名と宝具を受け継ぎ、生身で宝具を扱う異端の魔術師。

 英霊に連なる血を脈々と引き継ぐ女。

(面白くなってきたじゃねえか)

 あの男(アーチャー)は気に食わねえが、如何に同じ武装と戦い方であろうと、女……それも相手が人間だっていうんなら話はまた別だ。

 こんな現代にも、バゼットの他にもあんな女戦士がいたとは、これでワクワクせずにいられるか。

(さあ、次はアンタは何を見せてくれるってんだ!?)

 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

 車は坂の上へと駆け上がる。

 自宅はもう目の前、そこに至って、シロねえは「士郎」と俺の名を呼び、俺の身体を抱えてとんだ。

 メルセデスはスピンし、派手に回転して止まる。

 それの顛末を見届ける前に、シロねえは「土蔵へいけ! そこでイリヤが待っている」と切羽詰った声でいいながら、その手に黒い弓を握り、暗闇に解けるように木の陰の中へと身を潜ませた。

「……あとで、全部話してもらうからな」

 いいながら、土蔵に向かって走る。

「士郎!」

 イリヤは心配そうな泣きそうな顔をして、顔面蒼白のまま俺の手を握って、土蔵の中へと引っ張り込んだ。

 それから、俺の左手に気付いてぎょっとし、ぎゅっとその手を握って目をつぶった。

「イリヤ」

「士郎、ごめんね。本当は士郎を巻き込みたくなんてなかったの。でも、士郎が選ばれたから、わたしにはもう無理みたい」

「イリヤ……何が起きているか知らないけど、俺なら大丈夫だぞ。イリヤに巻き込まれても嫌なんかじゃない」

 そう、元気づけようと口にすると、イリヤは「だから、嫌だったのよ」とそう零した。

 瞬間、館に侵入者を告げる警報が鳴り響く。

「士郎、よく聞いて。今から士郎にはある儀式を行ってもらう。もう一刻の猶予もない。だから、今からお姉ちゃんが言うこと、一言一句間違わず後に続けて」

「ああ、わかった。それが、外にいるシロねえたちの助けにもなることなんだな?」

 それにイリヤは、こくりと頷いた。

 

 外の音が激しい。

 でもそれが気にならないほど、自分の集中力が高まっているのがわかる。

「……告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄る辺に従い、この意、この理に従うのならば応えよ」

 イリヤの手を握る。そこから行おうとしていることが伝わってくるようだ。

 儀式のはじめに血を採るために傷つけた左手の小指が熱い。

「誓いを此処に、我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者。汝三天の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ」

 カッと、魔方陣が光を放った。

 まぶしくて目が開けていられない。何が起きた。何が起きている。全て遠い。

 そんな中、少女の声が厳かに明瞭に響く。

 

「サーヴァント、セイバー。召喚に従い参上した。問おう……貴方が私のマスターか?」

 

 視界が戻って真っ先に見たもの、それは一人の少女騎士の姿。

 金紗の髪を結い上げ、青と銀の静謐な鎧を身に纏い、青白い月光に照らされた凛とした瞳の、人とも思えぬ美しい少女。

 それは酷く神聖で、侵し難いほど清廉で、なのに何故か、そのどこか哀しみを背負ったその瞳が、あの大災害の日、始めて出会った時のシロねえの印象に酷く被って見えた。

 

 これが俺のマスターになった日。

 

 

  NEXT? 

 

 



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07.発動

ばんははろ、EKAWARIです。

今回の話で、わかる人は今回召喚されたセイバーの正体がわかったのではないでしょうか。
因みににじファンで連載していた時、前話の「逃走、追撃戦」のセイバー召喚時の描写だけでこの話のセイバーの正体言い当てた人が約1名いてびびった想い出。
まあ、今回でわからなくても9話か10話に入ればわかるでしょうから、ご安心下さい(?)
とはいっても、アニメだけしか見てないよ、原作プレイしていないよ派……或いは原作プレイしたけどタイガー道場コンプしてないよ派の人は情報出てもわからないと思いますけどね。


 

 

 

 ここに、この時代に召喚されるのはこれで2度目。

 1つ前の代の聖杯戦争も加えると3度目の召喚。

 だけど、それは私の記憶とはあまりに違っていた。

 そう、あまりに違っていたのだ。

 だから、私は、今までにない選択をする。

 

 

 

 

 

  発動 

 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

 ぐらりと、身体が斜めに揺れた。

「……ッ」

 ずるりと、倒れこみそうになる体を隣のイリヤが支える。酷い眩暈がした。

(……なんでさ……)

 と、思ってすぐに正体に気付いた。目の前の少女だ。

 青と銀の鎧を身に着けた金髪の人ならざる少女、彼女に向かって俺の魔力が流れていっている。吸い上げられている。その量たるや、今にも気絶してしまいそうだ。

 だけど、今はシロねえたちがアレと戦っている最中なんだ、そんな無様は晒せない。

 ぎりと、唇をかみ締め、右腕を爪が突き刺さって血が流れるほどに握り締めて耐えた。左手の甲が何故か熱く痛むのも、今だけは有り難かった。

「……ここに、契約は完了した」

 朗々と静謐な声がそんな言葉を紡ぐ。

 数瞬遠かった五感全てが、痛みによって戻ってくる。

「セイバー」

 そう、目の前の少女に懇願するような声を上げたのは隣で俺を支えるイリヤだ。

「セイバー、悠長なことはしている暇はないの。この家にランサーが攻め込んできている。今、他の家族が応戦しているけど、長くは保たないわ」

 それに、セイバーと呼ばれた少女は僅かに困惑染みた色を表面に乗せて「失礼ですが、貴女は?」とそんなことを尋ねた。

「わたしは、貴女のマスターの姉よ。貴女のマスターは召喚による消耗でマトモな指示は出せない。だから今はわたしに従ってもらうわ」

 その言葉に、セイバーは眉を顰めると「いいでしょう。ランサーが来ているというのは本当のようだ。では、マスターを頼みます、魔術師(メイガス)」と言って、土蔵から飛び出していった。

「待っ……」

 思わず手を伸ばしたが、再びぐらりと体が傾く。

「士郎。駄目よ無茶をしちゃ。本来なら士郎のレベルで英霊を召喚なんてしたら、その場で即気絶してもおかしくないんだから」

 英霊……?

 イリヤの言っている意味がよくわからない。

 ただ、あの青と銀の少女はやっぱり俺が召喚したらしくて、それも尋常な存在じゃない事だけはわかった。あれは、あの青い男や赤い男と同様の上位存在だ。

 確かにイリヤの言うとおりにしたとはいえ、魔術師として半人前である俺が、なんでそんなものを呼び出せられたのかはわからない。だけど、あの少女を呼び出したのが俺だというのならば、尚更、俺は見届けなきゃ。

 そうして、庭のほうへと視線を向ける。

 そこで見たもの。銃を抱えて庭端にいる親父と、いつの間にか右胸に胸当てをつけて、体中に浅い傷を作ってる黒衣のシロねえ。そして、青い男を圧倒するかのように切りかかっていく青と銀の鎧の少女。

 セイバーと呼ばれた彼女は、一見小柄で華奢なその体のどこにそんな力を秘めていたのか、圧倒的なまでの豪腕で青い男に切りかかっていく。

 その手に握っているのは……一体何なのか。見えない。何かを握っているのは確かなのに、男の槍と刃を合わせる鉄の音が響いていることからも、何か武器を手にしているのは確かなのに、それは視えなかった。

 それに対して忌々しげに男は吐き捨てた。

「卑怯者め、自らの武器を隠すとは何事か…………!」

 少女はそれに答えず、華奢な体つきに似合わぬ猛攻を男に叩きつけている。

 ただ、気のせいなのか、ちらりと親父のほうを一瞬だけ見て不解そうな表情を浮かべたような気がした。が、それは本当に僅かな刹那のことで、即意識を全身青い衣装に包んだ、紅い槍を携えた男へと集中させている。

 それはそうだ。

 いくら物凄い力で男を圧倒しているといっても、油断すれば狩られるのは少女のほうなのだ。

 少女に劣っていようとも、それぐらいに男もまた尋常ならざる相手なのだった。

「テメェ…………!」

 苛立たしげにそう声を漏らして、男は後進した。

 おそらくは、一切その姿のわからぬ武器に間合いの取り方がわからず、攻めあぐねているのだろう。チッと舌打ちをして、それでもまるで暴風のような少女の猛攻を長槍で防ぎ続けている。

 少女は守りに回った相手に対し、深く踏み込んで、その不可視の何かを渾身の力で叩き下ろした。

「調子に乗るな、たわけ…………!」

 男は跳躍、まるで消えるかのような素早さで後ろに跳び、少女の一撃は空を切って地面を砕いた。

 その直後、気合の声を入れて男は着地点から今度は少女に向かって三段跳びで立ち向かい、地面に不可視の武器……おそらくは剣をつけた少女に槍を振りかぶる。それを、セイバーとイリヤが呼んだ少女は剣を下ろしたまま体を反転させ、流れるような所作で剣を男に叩き込んだ。

「ぐっ…………!!」

 不満そうな色を乗せて弾き飛ばされる男と、その結果をまるでわかっていたかのような色をどことなく表情に乗せて見据える、青と銀の鎧の少女。その攻防によって、男と少女の距離は大きく離された。

 その瞬間、タイミングを読んで、シロねえのハスキーな声が響いた。

「爺さんッ!」

 合図。間違いなくそれは合図だった。

 第三の結界が発動する。

 地脈を利用した結界が、衛宮家(このいえ)を異界へと隔離した。

 青い男も、青と銀の少女も、それを驚愕の目で見ていた。

 

 

 

 side.言峰綺礼

 

 

「む……?」

 それは突然だった。

 黄金の王が目覚めるまで、暇つぶし代わりに知り合いの封印指定狩りから奪い取ったサーヴァントを使い、視力を共有させて偵察に使っていた。

 そして、今宵、妹弟子のサーヴァントと対峙させ……そのサーヴァントが10年前の衛宮切嗣の従者(サーヴァント)であった女と同じ格好と特徴をしていることを不審には思ったが……戦わせた。

 そうした戦いの終盤、切嗣が第四次聖杯戦争の後引き取ったという養子が現れた。

 目撃者は殺せとそう事前に指示をしている。相手があの男の息子というのならば尚更だ。そのまま私は成り行きを見守っていた。

 そこに現れたのは魔術師殺し(あのおとこ)のサーヴァントであった女。

 まるで元英霊とは思えぬ……人間(なまみ)そのものであるかのように弱体化しているあの女の登場に、これは面白い余興になったと遊び心が芽生えたのが悪かったか。

 私は、そのままその女も仕留めるように指示をして追わせた。

 弱体化しているのはあの女だけではない。マスターである衛宮切嗣もそうだ。そうだと知っていた。

 だが、ただで死ぬような輩とは元より思ってはいない。

 此度の聖杯戦争でもなにかしらやるだろう、最後には私に立ちふさがるのは奴だろうと思っていた。だが……それでも、ここで死ぬようならば所詮それまでの輩なのだ。ここで死ぬようならば結局は奴のレベルはそれだけだった、そういうことなのだ。

 だから、けしかけた。

 ここで死ぬならば所詮それだけの輩。しかし、ここで生き延びるのならばきっと私を楽しませてくれるだろう。

 奴の後継者のことも気になっていた。果たしてどれほどのものかと。

 だが……。

(やりすぎたか)

 奴の後継者(むすこ)がサーヴァントを呼び出した。ソレと戦う我が駒。

 そこまでは視えていた。

 だが、なんらかの結界が発動したかと思えば、件のサーヴァント、ランサーと繋げていた視覚のリンクは強制的に断ち切られていた。念話も試してみたが、なにかが阻害していて声は届かない。

 腕にある令呪を見れば契約が断ち切られたというわけではないらしいが、アレに使える令呪は残り1つなのだ。令呪の補填もやろうと思えば出来るし、令呪で無理矢理呼び戻すことも出来るが、そうしたらアレは私を殺しに向かうだろう。それくらいはわかっていた。

「ままならぬものだな……」

 ふむ、と思案する。

 でも、まあいいとすぐに思い直してアレのことを考えるのはやめた。

 どうせ、あれはただの拾い物だった。ただの暇つぶしに手に入れた駒だ、この後本当に消えようが別段そこまで惜しいわけでもない。

 まだ、切り札はある。

 終盤まで関わることが出来なくなったのは残念だが、それだけだ。

「さて、此度の聖杯戦争では、どれくらいの血が流れるのか」

 それだけを思って、にっと口元に笑みを浮かべた。

 人は歪んでいると私を称するだろう。だが、それがどうしたというのか。私はただ、人が美しいと思えるものが美しいと思えず、人の不幸にしか快楽を見出せなかった。ただ、それだけの話なのだ。そういう風に生まれついた。なら、そういうふうに生きる。

 私が意義を見出すとすれば、きっとそう。自分を貫く。

 今の望みは……とりあえず、この世全ての悪(アンリ・マユ)を誕生させ、それを祝福するということ。

 生まれることを望んでいる、あれの誕生を私は見届けたい。

 ならば、その望みの為に私は走ろう。

 それが生まれながらにして歪を抱えた私の唯一の矜持だった。

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 これは賭けだった。一歩間違えれば自分が殺されることがわかりきった賭け。

 だが、それがどうした。

 自分の命を担保とすることなど、慣れきっていた。

「爺さんッ!」

 合図を送る。

 それを受け、切嗣(マスター)は、在るがままに全てを受け入れる第一の結界から、もしもの時の為に事前に用意していた第三の結界へと切り替えた。

 サーヴァント2人は驚きを表情に出して私と爺さんを見ている。

 当然だろう。

 一定量以上に放出する魔力は、地脈を利用したこの結界によって吸い上げられる設定になっているのだから。

 私だって若干動きづらい。

 それが純粋なサーヴァントならば尚更だ。

 普通にしている分にはそれでも影響はないだろうが、戦闘となると魔力の消費量は大幅に上がる。そして彼らは直前までその戦闘を行っていたのだ、突然奪われた魔力量など、私の比にはならないだろう。

 それに、彼らは気付いただろうが、この結界が発動している間は事前に描かれている術式により、マスターとサーヴァントを繋げるパスへとノイズを送り込み、正常な念話や視力共有などの邪魔をする作用を施してある。

 とはいえ、マスターとサーヴァントを繋ぐパスというのはそうそう単純なものではない。

 故に、結界が発動していても極近い位置にマスターがいれば一応念話などは通じるだろうが、マスターと遠く離れているとなると話は別だ。

 間違いなく、マスターとのそういう繋がりは結界発動中は強制的に断たれる。

 しかも、性質の悪いことに、それらをシャットダウンするためのノイズを発生させるために使う魔力源は、今まさに彼ら自身から巻き上げている魔力を応用して転じたものなのだ。

 遮断するのに使っている力も、元は己のものなのだから、サーヴァント達にとって毒になろう筈もない。

「そこまでだ。2人とも矛を納めろ」

 その私の言動に、油断ならぬ構えをして、サーヴァント二騎は私をにらみつけた。

「貴様、何者……! いや……今何をした」

 そう、ぎりりと歯軋りをさせながら低く問うたのは、懐かしき少女と同じ姿と魂をもつ剣使いの少女、セイバー。それを無視して、私は「ランサー」と青き槍使いに話しかけた。

「いや、アイルランドの大英雄殿と呼ぶべきかな? 確か君は誓い(ゲッシュ)で目下からの食事の誘いは断れぬのだったな。どうだ、家で夕食を食べて(・・・・・・)いかないか(・・・・・)?」

 笑みさえ浮かべて、言う。

 それにぴくりと、片眉を上げて、ランサーは獣染みた殺気を飛ばしながら、「ほう、俺の名前を知っているってわけか。女を殺すのは趣味じゃあねえんだが……それがどういう意味かわかってるんだろうな」と、自分の愛槍を構えつつ言った。

 わかっているとも。

 名を出すということは、この男が相手を「殺す」と決めると同意なのだと。だが、むざむざ殺される気もない。

 これは賭けだ。

 出しても無駄になる確立はある。

 だが、その一方でこの男ならば、この切り札を切れば、少なくとも自分を今すぐ殺そうとはしなくなるのだろうと、そんな確信染みた予感もあって、用意していた切り札を口にした。

「ランサー、バゼットは生きている(・・・・・・・・・・)

 ぴくりと、男の殺気が少し薄れた。

「……テメェ」

 怪訝気な紅い目が私を見据える。

 それを気にせず、私はその人間ならざる目を真っ直ぐに見ながら淡々と言葉を紡ぐ。

「事実だ。私たちは数日前から冬木で起こったことについては出来うる限り把握している。つい先ほど仲間から連絡があってな、双子館の隠し部屋で、片腕を失った仮死状態の女を発見したそうだよ。バゼット・フラガ・マクレミッツ、君の元マスターだろう?」

 男はまだ槍を下げない。ただ、静かに私の言葉の続きを待っている。

「仲間は、瀕死のまま眠り続けている君の元マスターを治療の為に病院へと運んでいる最中だ。さて、私たちについてくればもう少し詳しい話や、君にとっても興味深い話をすることが可能だと思うのだが、どうかね? 君の現・主については見当はついているが、そいつは君の元マスターの仇ではないのか。なあ、ランサー。君は主の敵討ちをしたいとは思わないか……?」

 そう口にすると、男はふぅと息を吐き出して、「ああ。そうだな……いつかは殺してやると思っている野郎だ。だがそれでも俺は主は裏切らない主義なんでね、今だ令呪を失っていない以上、アイツが俺のマスターだ。しかし、アンタの誘いは中々魅力的だ。さてどうしたものか」言いながら、男は私を試すような視線を送ってくる。

「どうせ、今の奴には見えていまい。ならば、知らぬ存ぜぬで通せばいい。そうだろう?」

 言うと、男はぽつりと「気にくわねえな」と漏らし、それから槍を下げて「名前」と口にする。

「名前くらい名乗れ。テメェは俺の名前を知ってて、俺が知らぬというのは気にくわねえ。相手の名を口にしようってんなら、自分の名を名乗れ。それが礼儀だ」

 ぎらりと、どことなく物騒な光を目に宿して、ランサーはそう告げた。

「エミヤ・S・アーチェだ」

 自分でも驚くほどすんなりと、ここ10年で言いなれた名が口から流れ出た。

 それを聞いて、今までの様子はなんだったのかと思うほど態度を一変、ランサーはにっと笑みを浮かべて私に近寄り、バンバンと肩を叩いて「よし、じゃあ、アーチェ行こうぜ」とかいって、屋敷の中へ向かって歩き出す。

 ……内心馴れ馴れしいなこいつと思ったが、大型犬にからまれたと思えば別にいいか、否定したら面倒な話になりそうだし……と思って受け流すことにした。

 

「待ちなさい……!」

 それに、静止の声をかけたのは、青と銀の鎧の少女だった。

「貴女が誰なのかは知りません。ですが、勝手なことはやめてもらいたい。貴女はマスターの家族と聞きました。それが、何故(ランサー)のサーヴァントを家に上げると? 悪ふざけはやめてもらいたい」

 ぎらりと、不可視の剣を構えて、そんな言葉を吐き出すように言うセイバー。

 確かに彼女の言うことは、聖杯戦争におけるサーヴァントの言動としてとても正しいだろう。そして、彼女がそういうことを口にするのは、性格上やるだろうとわかりきっていたことでもあった。

「マスターの家族だろうが、場合によっては、私は貴女を斬る事も辞さない」

 言いながら、不可視の剣を向けてくるセイバー。

 魔力を吸い上げられて辛いだろうに、それをおくびにも表に出さないのは流石というべきだろう。

「やめろ、セイバー」

 それに静止の声をかけたのは、ふらふらの体でイリヤに体を支えられながら歩く士郎だった。

 その姿を見て、ああ、今回はキチンと彼女とは契約のパスが通ったのだなと思って、そんなことに安堵した。

 全く、私は馬鹿なのか。

 今まさに私に殺気を飛ばして、敵になりかねない少女の安否をこんなところで気にしてしまうとは。

 たとえ、同じ容姿と魂とを持ち合わせていようとも、あれは私が地獄に落ちても忘れぬと思い焦がれた少女とは同一の別人なのに。

 そうだ、そもそも呼び出される彼女に対して、過去のように接しようなどと最初っから私は思っていなかった。

 なのに、それに徹し切れないというのは、やはり馬鹿者というしかないのだろう。ただ、表面だけはとりつくろって、それらの感情を表に出さないようにした。

「マスターは黙っていてもらいたい。わかっているのですか。聖杯戦争とはサーヴァント同士による殺し合いなのですよ。聖杯を手にするのは1人だけだ。だから……」

「ごめん、俺はセイバーが何を言っているのかわからない。でも、シロねえに手を出すのは、俺が許さない」

 その言葉に、何故かセイバーは泣きそうな目を一瞬浮かべたような気がした。

「行こう」

 切嗣は出来るだけ日常に近い声を作ってそう告げ、玄関に向かって歩き出す。

「セイバー。ごめんなさい。後で出来る限り色々話すわ。だから、今は剣を収めてほしいの」

 そういって、イリヤもまた、士郎を支えたまま、家の中へと向かう。

 少女は呆然と立ち尽くす。それに対して、私は……。

「セイバー、君の願いは叶わない」

 そんな言葉を静かな声でかけた。

 セイバーは碧い瞳を見開いた。ぎょっとしたそんな顔。そこに何かの絶望を思い出したかのような色を見た。

(……?)

 違和感が一つ。

 何か、歯車が噛み合っていないような、そんな違和感。

 思わず、じっと少女の顔を見た。それに、私の肩を掴んでいたランサーは、ぐいと、肩を寄せ「行こうぜ」というジェスチャー。

 騎士王の名を持つ少女は、何かに耐えるように唇をかみ締めて、長い睫を伏せて手を握り締めたかと思うと、きっとこっちに厳しい視線を送り、「わかりました。いいでしょう魔術師(メイガス)。今は剣を納めます。ですが、後で私にも納得のいくように説明をしてもらいます」と言って矛を納めた。

 まただ、また違和感。

 果たして、彼女はここで矛を納めるような性格をしていただろうか。

 いや、セイバーはここまで悲愴的な人であっただろうか。

 元から責任感が強く、王としての責任感が強い(ヒト)であることは知っていたが、それでも、もっと彼女は好戦的で、聖杯に対してのかける思いというのは並々ならぬものがあったのではないか?

 それが他人に「君の願いは叶わない」といわれただけで、あそこまで絶望を思い出すような、そんな少女だっただろうか?

 思えば最初から、彼女には違和感があった。

 そう、切嗣(じいさん)を見たときの態度や、私に対する不信感。

 それらの反応はまるで……知っている風景の中に混ざった異物を見るようで……まさか、と自分の想像を頭を振ってふり払った。

 それに、すぐ隣にいたランサーは不思議そうに、「なんだ?アンタ頭でも痛いのか?」とかそんなことをあっけらかんとした顔で聞いてきた。

「いや、なんでもない」

 気にするなとそういうのと同時に居間にたどり着く。

 すると、ランサーはどかり、座布団に腰を下ろして「んじゃま、いっちょ頼むぜ」と言って手をひらひらふった。

「何がかね?」

 そう問うと、ランサーは片眉を不思議そうに顰めて、それからこんなことを言った。

「何がって、飯作ってくれんだろ」

(あ……)

 そういえば誘い文句として最初にランサーに言ったのは私だったな。

 セイバーのことばかり考えるあまり、忘れてた。すまなかったランサー。とか、素直に言うのもいやだったので、誤魔化すようにいつもの赤いエプロンを身に着けながら「暫くまってろ」と言って冷蔵庫の中身をのぞいた。

 そのタイミングで、士郎を抱えたイリヤが部屋に辿り着く。

「シロ、何しているの」

「夕食の準備だ」

「…………」

 どことなく、力が抜けているように見えるのは多分オレの気のせいじゃないんだろうな。

 そして、次に士郎に視線をやる。

 先ほどはああセイバーに啖呵を切っていた士郎だったが、今は朦朧としていて、疲労を前に瞼を重くしているのが見て取れた。

「士郎、夕食が出来たら呼ぶ。だから、今は休んでいろ」

「いや、シロねえ……俺ちゃんと手伝うから……」

「そんな体で何が出来る、馬鹿者。いいから部屋で寝てろ。そうすればオマエのなけなしの魔力も少しは戻る」

 言うと、流石に自分の言動に無茶があったと思ったのか、士郎は罰の悪そうな顔をして、自室へと戻っていった。

 それと入れ違うように入ってきたのはセイバーだった。

「…………貴女は何をやっているのですか?」

 台所に立つ私を見て、開口一番そう口にした。

「夕食作りだが……」

 まあ、先ほどまであんなことがあったので、突っ込まれる気はしていた。

 セイバーは、「何を悠長な」とか言いながら、きっとランサーをにらんで、それから自分の顔を覆ってうなだれた。

 直後響く、グゥという腹のなる音。

 セイバーの顔が赤く染まる。

「ほぉ~?」

 身近で聞いたランサーはにやにやとした顔で、そのままセイバーを見て「なんだ、セイバー、おまえ実は……」などと、いらんことを言おうとしているのがわかったので、それを最後まで言い切る前に、言葉をかぶせて、「セイバー、よければ味見をしてくれないか? 丁度味見係を欲していたところだ」とそんな言葉をかけて遮った。

 セイバーは、悔しそうな顔をしつつも「わかりました」といってやってくる。それに、内心ほっとした。

 くそ、ランサーの奴め、余計なことを。

 もう少しで屋敷が吹っ飛ぶところだったじゃないか。

 その後、余計なことにならないように、お茶請けと緑茶を人数分出して、出来る限り急いで夕食作りに励んだ。

 そうして、衛宮家の遅くも緊張感をどことなく孕んだ晩餐会がかくて始まる。

 

 

  NEXT?

 

 



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08.認識の違いによる見解のすれ違い

ばんははろ、EKAWARIです。

前回感想で兄貴ちょろいと言われたので補足しておくと、エミヤさんに前回名前訊ねた場面で、一瞬でも躊躇したり、答えなかった場合、兄貴は普通に敵対のほうを選んでいましたので、一概に言えないと思いますとか兄貴の名誉(?)の為に言ってみる。

あと、今回の展開について更に一言加えるなら……兄貴は絶対に女に手出すの早い人だと思っている。主に兄貴の伝承とか、ケルト戦士の習慣とか、ホロウでの兄貴的に。ただ、幸運E(というか最早原作兄貴は幸運E-なのでは)が邪魔して大抵失敗するからそんな印象ないだけで。据え膳あれば遠慮無く食う人だと思ってます。
ナンパ成功→ホットドッグでぎゃー! までのタイムラグの短さを俺は忘れない……!(キリッ)


 

 

 

 もし聖杯戦争に本格的に関わらざるを得なくなった時、出来ればランサーを引き込みたいと言い出したのは私だった。

 基本的にサーヴァントは、聖杯を求めて呼び出しに応じるといわれているが、この男の願いは戦う事であり、聖杯には興味ない以上、私たちの目的に反することもなかろうと、そんな言葉で親父に説き伏せた。

 だが、引き込みたいといった本当の理由はまあ、非常に私的なことで。

 10年前の聖杯戦争の時に遠坂凛(マスター)であった少女を、助けてもらった恩を私が勝手に返したかったからという、そんな自分勝手にも程がある理由だった。

 10年前、私のマスターである少女を助けて消えた男と、今回召喚された男は厳密には違う存在だなんてことは百も承知の上。

 ではあるが、それでも恩がある相手と同一の存在が、精一杯戦いたいというそんなサーヴァントとして召喚される以上本来なら当たり前に叶う願いも果たせぬままに、言峰に使い捨てられるのをただ見過ごすというのも中々胸糞の悪くなる話でもあって。

 たとえ、仮にもし10年前に消えた男と全く同じ……ランサーがその時の記憶をもっていたと仮定しても、恩返しに助けたいなどといったら、私と違って英雄としての矜持(プライド)の高い男は、俺が選んだ道に余計なことをするなと殺気交じりに怒鳴りつけて私の提案を突っぱねるだろうことはわかりきっていたし、口が裂けても本人にその動機を言うつもりはなかったが、その上で出来るだけ自然にこの男を味方につけられる方法として、この男の元マスターの件に目をつけた。

 仇を討ちたいとは思わないか、とは我ながら中々卑怯な言葉だ。

 この言葉にランサーが乗ってくる可能性は半々と見ていた。

 いや、どちらかというと激怒する可能性のほうが高いのではないかとさえ思っていたが、意外にも男は乗った。

 乗ってきたかと思ったら、男が順応するのは早かった。

 先ほどまで浮かべていた獣染みた殺気はなりを潜め、若干鬱陶しく感じるほどに馴れ馴れしく接してくる。

 まあ、明日の敵が今日の友、今日の友が明日の敵を地で行っていた男だと思えば不思議はないし、自分で引き込んだ自覚やら負い目もあったので、強く拒絶したりとかしなかったのだが……それがもしや悪かったのか。

 なぁ……何故私はこんな状況になっているのだろうな?

 もしかして、オレ、選択肢間違えた……?

 

 

 

 

 

  認識の違いによる見解のすれ違い

 

 

 

 side.ランサー

 

 

 全く人生ってのはどうなるのかわからない。

 いや、だからこそ面白いんだろうがな? そんなことを思いながら、トントンと軽快な音を立てて包丁を振るう白髪の女の後姿を、茶請けに出された煎餅をかじりながら眺める。

 最初は目撃者をつぶすために追っていたってのに、全く妙なことになった。

 でも、まあ、悪い気分じゃない。

(胡散臭いクソ神父の言う事聞くよりかは、やっぱイイ女につくほうがいいに決まってるしな)

 色々ちょいとアレな部分もあるが、生意気な女は嫌いじゃない。

 それにこの女……エミヤ・エス・アーチェと名乗ったか? 初対面時の印象からして、結構からかうと面白そうだし、現代の魔術師とは思えぬほど戦闘に精通していることも気に入った。

 それに確かに俺は主を裏切る趣味はねえが、あの女が言ったとおり、今は言峰の野郎と繋がっている魔術ラインは上手く作動しちゃいねえから、あいつは俺が何をしてようと見えてねえわけだし、「敵についていくな」なんて命令を受けた覚えもねえ。

 あと、これがあの女に受けた仕打ちの中で一番癪に感じたことじゃああったが、俺が目下のものからの食事の誘いを断らないって誓い(ゲッシュ)を立てているのは本当の事だ。

 俺を利用しようってのは若干面白くはねえが、あの似非神父に使われるよりゃマシだ。

 そう思ってついてきた。

 まあ、それに……生きているってんなら、やっぱバゼットの奴の安否もちったぁ気になっていたしな。

 あとは俺の真名を知った経緯も、どうも前々から聖杯戦争がらみのことについて調べていたその結果みてえだし、現在の俺の主も最初っから知ってたってんなら俺のミスでもねえしな? 寧ろ、そこまで調べることが出来たことに脱帽だ。

 ドジなようでいて、いや、中々どうして戦の要(じょうほう)ってものを押さえてやがる。

 と、そんなことを思いつつ、スンスンと鼻をひくつかせる。

(すげえ、イイ匂い)

 あんな誘われ方をされたんだ。実をいうとそこまで期待していたってぇわけじゃない。

 それなりに美味いもんが出たら上々くらいに思っていたんだが、どうやらこれは予想と裏腹に期待出来そうだな。

 と、隣にいるセイバーの奴の様子をちらりと見る。

 鎧を身に纏い、武装したままの剣使いの少女はといえば……、出来る限り気を張って重々しい空気をかもし出そうとむっつりした表情を必死に保とうとしているわりに、チラチラと台所に視線を移しつつ、今にもよだれをたらしそうになって、慌てて顔を引き締めるなんて一人百面相を繰り返していた。

「あー、なんだ、セイバーよ」

「なんです、ランサー」

 敵意むき出しの目で睨んできていても、先ほどの百面相をさらしたあとじゃあ今更だよな。

 いやー、気付け? 面白いから言わないけど。

「楽しみなのはわかるが、よだれは拭いたほうがいいぜ? お国のレベルを疑う」

 言うと、真っ赤な顔になって、キッときつく睨み、「それは、私を侮辱しているのか。いいでしょう、今すぐ消されたいようだ」などといいながら、立ち上がる。

 そのタイミングで、「セイバー! もうすぐ夕食が出来上がるから、すまないが、君のマスター(しろう)を起こしてきてくれないか!」と妙に慌てたようなハスキーな女の声が響いた。

 それに対してセイバーは、美しい顔をゆがめてちっと舌打ちを一つ。

「命拾いしましたね、ランサー」

 といいながら、ズンズンと居間から去っていった。

 それと一緒に銀髪の娘も「じゃあ、わたしはキリツグを呼んでくるわ」と言い出て行った。

 それをひらひらと手を振って見送る。

 なんか、先ほどといい、今回といい、妙にアーチェの奴、セイバーの奴の扱いに慣れているような気がするんだが、こりゃあ俺の気のせいか。

(ま、別にどうでもいいが)

 セイバーとこいつにどういう因縁があるかとか、俺には関係ねえからどうでもいい。

 と、思いつつ、目の前の白髪長身の女をじっくりと観察する。

 白髪褐色の肌で、身長は170半ばくらいと、女にしてはそれなりに長身。先ほどまであちこち傷を作ってたように思うが、それが見当たらぬあたり治癒魔術でもかけたか。

 顔立ちはいかにもな美人ってぇわけじゃあねえが、独特の存在感があって、大人の女の艶と少年の清廉さを同居させたような雰囲気を持ち、多少童顔。

 セイバーの奴や銀髪の嬢ちゃんみてえな判りやすい美人じゃねえが、妙に人の目を引く感じだ。

 年齢は……まあ、バゼットの奴と同じぐらいか? 正確な歳はわからんが23~25ぐらいだろう。脂が乗って美味い年頃だな。

 あー、王道美人も良いが、こういうのも悪かねぇな。

 衣装は全く遊び心のない黒の上下を身につけていて、今はその上に赤いエプロンをつけているわけだが……これが中々どうして、シンプルなエプロンだというのに非常に似合ってて、そういう格好をしていると、先ほどまでの容赦のない女戦士としての姿が嘘のように家庭的だ。

(イイ身体してんなぁ)

 後ろからこうしてみているとよりわかるが、服の上からもわかるほど引き締まっていて、余計な脂肪というのが殆どついていない体をしている。

 かといってそれは女としての魅力(ボディライン)を損なうというものではなく、引っ込むところは引っ込み、出るところは出ているメリハリのある身体なのだ。とくに、尻のラインがいい。

 肉厚で掴み心地が良さそうだ。骨盤もでかめだし、元気な子供(ガキ)を沢山産めそうなイイ身体をしてやがる……などと分析を続けていると、「おい、ランサー」と件の相手に呼びかけられて、思考を中断することにした。

「全く君は……少しくらい手伝おうとは思わないのか」

 とぶつぶつと言いながら、どことなく拗ねたような表情で美味そうな料理がたっぷり乗った大皿を二枚手にしてこちらに歩いてくる白髪の女。

「客人を持て成すのも、家主の務めだろ?」

「生憎、家は王侯宮殿というわけではないのでね」

 とか、しれっと言ってるが、そのわりにむすっとしているのがなんか意外にガキくさくて可愛げがある。

「へいへい」

 と、言いながら立ち上がり、女の後について残りの皿を運んでいると、家に入ってすぐに自室へと行った赤い髪の坊主(ひでぇ顔色だが、男の顔色を気にする趣味はねえのでスルーしておいた)とセイバー、銀髪の娘っ子と黒髪のオヤジが一緒に入ってきた。

 

 銀髪の中々美人な紅い目の娘は、「食事の前に自己紹介だけ先に済ます?」とアーチェや黒くくたびれたオヤジに問いかけるが、其れに対してアーチェの奴は、「いや、先に食事をすませてからにしよう」と静かな声で言い切った。

 が……俺の目は誤魔化せねえ。

 その視線が一瞬セイバーの奴を怯む様な目でちらりと捕らえていたのは、やっぱお前ら関わりあるってことでいいのか?

「ま、なんでもいい。さっさとはじめてくれ」

 そういって、俺はひらひらと手をふる。

 んで、未だ此処に至って武装したままのセイバーの奴はといえば……ごくりと喉を鳴らして、今にもよだれをたらしそうになっているのを必死に理性でとどめているように見えるのは多分気のせいじゃねえよな。

 あ、あー……セイバーよ。俺らサーヴァントは本来飯は食わなくて大丈夫だって知ってるのか?

 敵ながら、ここまでくりゃあ心配になってきた。

「いただきます」

 ともかく、そんなこの国の挨拶ではじまって、つつましくも晩餐会は開始されたわけだが、最初に適当に延ばした皿からとったオカズを口に含んだ途端、そのあまりの美味さに俺は目を見開いて驚いた。

「うめえ」

 いや、本気で吃驚するくらい美味い。

 時代が違うって言われりゃそこまでだが、王に呼ばれた晩餐会でも、こんな美味い料理なんざお目にかかったことはねえぞ。

 見れば、この料理を作ったアーチェの奴はといえば、その俺の言葉に僅かに微笑みを浮かべて「お褒めに預かり光栄だ」などとどことなく皮肉ったおどけたような言葉を口に出すが、そのわりに頬が緩むのが隠しきれてなくて、そのあまりに邪気のない笑みについポカンとした。

「……? どうした、ランサー。食わないのか」

「や、なんでもねえ。食う」

 きょとんとした顔でそう言うのが見た目の年に似合わずあどけなくて、つい慌てて視線をはずして次の皿に手を伸ばす。 

(なんだ、ありゃ)

 まるで、戦闘中とは雲泥の差じゃねえか。

 いや、私生活と戦闘はそりゃあ切り離すもんだろうが、ここまで来ると中々天晴れだ。

 最初こそドジっていたが、戦闘中は、あんなどこぞのいけすかねえ弓兵みたいな皮肉った表情でもって、人の神経逆撫でるようなことすら口にしたり、百錬の戦士といわんばかりのツラ見せていたってのに。なんだありゃ。

 まるで普通の娘っ子のようじゃねえか。

 俺が言えた義理じゃねえが、実は二重人格なんてオチじゃあねえよな? とかちらりと思いつつ、隣のセイバーに視線をやる。

 セイバーの奴といえば……そのちっせえ身体のどこに入るんだってくらい、高速で箸を進めていた。

 こくこくこくこくと、常に頷きつつ、一本たったアンテナみたいな髪をピコピコ揺らしつつ、もぐもぐもぐもぐとひたすら無言で食を進めている。

 その横で、いつの間にかアーチェの奴は、なくなったセイバーの奴の茶碗におかわりのご飯をよそっていた。

 それを当たり前のように受け取って食い進めるセイバー。

 そのスピードたるや尋常じゃない。

 いや……セイバーよ、おまえはどれだけ飢えていたんだ……?

(まあ、負けてられないよな)

 と、思って俺も本格的に食を進め始める。

 すると、セイバーの奴同様、茶碗からご飯がなくなったタイミングで、すっとアーチェの奴が隣に現れ、追加のご飯を当たり前のような手馴れた所作で装った。あまりの自然さにそのまま流されそうになったが、真横で目撃しちまったそれについ、どきっとする。

 特に気負うこともなく、当たり前のように手馴れた仕草は精練されてさえいて、どことなく優美だ。

 食事中、よくよく見ていれば、アーチェの奴は自分の食事も二の次に、自分の家族や俺たちへの給仕を当然のように当たり前の様子で執り行っていた。

 茶が切れそうな奴がいたら茶を注いで、茶碗からご飯がなくなりそうになればおかわりをよそいに向かい、合間で自分の食事を進める。

 いやいや……給仕にこれはちっと慣れ過ぎなんじゃねえの? 城に仕える傍女でもここまで自然に相手に気を遣わせないように振舞えたりはしねえぞ?

 なんてことを思いつつ、観察しながら食事を勧めていく。

 だからそれに気付いた。

 飯をひたすら食っているセイバーを見て、ふと浮かべる表情、それが本当に優しく幸せそうな、暖かい微笑みで、そのあまりの裏のなさに思わず言葉を失った。

 と、ぽろっと思わずつい箸を落としたのが悪かったか、気付けば目の前で仕方なさそうにため息をつく褐色の肌の女の顔があった。

「ったく」

 仕方なさそう、と形容したが、それでも女の雰囲気は穏やかだ。

 代わりの箸を手渡しながら、「だらしがないぞ、ランサー。君は子供か」と口にして、ハンカチを握り締めた右手が差し出された。

「あー、悪ぃ」

 そういえば、さっき箸を取り落とした時に口周りが汚れたような気がしたから、これで拭けってことかと思って受け取ろうかとしたら、女はつい、とそのまま右手を俺の顔にのばして、そのまま自然な動作で汚れを拭った。

 思わずぽかんと目を見開く。ぎょっとした空気が周囲を包む。

 銀髪の娘やら赤い髪の坊主はあわあわとそれを見て慌てた顔を見せるし、黒いオヤジからはじゃきりと、銃器の安全装置をはずす音が響く。それに1人、不思議そうな顔をして白髪の女は首をかしげると、また今度はセイバーへの給仕にむかった。

(あー……なんていうか)

 実は天然?

 思いつつ、間近で見た女の顔と、繊細な指を思い出す。

 いや、年頃の女が、果たしてああも無防備に男に接したり出来るものか。

(ひょっとして、俺に気があるのか?)

 なんてことを思いながら、茶を啜って女を眺めていた。

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 なんだかんだと夕食は特に騒ぎなどもなく終わり、洗い物は後にするとして、食器を水につけたあと、食後の紅茶を各自に配って私もまた席についた。

「とりあえずは、自己紹介からはじめようか」

 そう本題を切り出したのは切嗣(じいさん)だ。

「僕の名前は衛宮切嗣、この家の大黒柱だ。シロ、イリヤ、士郎の3人の父親になる……そして、第四次聖杯戦争の実質の勝者だよ」

 その言葉に、セイバーは殺気染みた目でばっと爺さんを見て、ランサーは「ほう」と面白いことを聞いたかのような目で片眉だけぴくりと上向かせた。

 次いで、イリヤ。

「わたしの名前は衛宮イリヤスフィール、切嗣の娘で、士郎の姉よ。わたしのことはイリヤでいいわ」

 次に士郎。状況をイマイチ理解し切れていない為、戸惑いつつ言葉を連ねる。

「俺の名前は衛宮士郎。正直、マスターとかサーヴァントとかよくわかってないし、イリヤたちと違って半人前の魔術使いでしかないけど、よろしく頼む」

 そういって、ぺこりと頭を下げる。

 さて、次は私か。といっても、どこまでを話すか。

「衛宮・S・アーチェだ。先に紹介された通りこれでも切嗣の子だ。とはいえ、私は養子なのでな、切嗣と似ていないのは気にしないでくれ。士郎の師でもある」

「なあ」

 そう手を挙げ疑問の声を上げたのはランサーだった。

「なんだ?」

「なんでアンタ、シロとかシロネとか呼ばれてんだ?」

(ちっ、妙なところに気がつくな)

 それに返事を返したのはイリヤだった。

「愛称よ。ミドルネームの「S」っていうのは、サ行で始まる名前の略称なわけだけれど、シロは恥ずかしがりだから、フルネームを名乗るのを嫌がるのよ。だから、ミドルネームの最初の二文字をとって「シロ」って呼んでいるの」

 シレっと完全な嘘ってわけでもないが、嘘を告げるイリヤ。

 いやいや、恥ずかしがりって、妙な誤解を生むようなことを……だがここで否定して追求されるのも困るし、ミドルネームではなく本当は本名を二文字で切り取ったものだったりするわけだが、それは余計に言うとまずいことだから、イリヤのその助言は有り難いと言えば有り難い。

 のだが、なんだ、それで納得されるのも内心複雑のような……って、ランサーよ「へー」ってなんだ、へーって。

「んじゃあ、俺もシロって呼んだほうがいいのか?」

 とか、真顔で何を聞いてくる。

「……好きにしろ」

 とりあえず、そっぽを向いてそう答える。

「なぁ」

 そこへ士郎が挙手して、真面目そうな声で「アンタらは自己紹介してくれないのか」という疑問を口にした。

 それに、今まで口を閉ざしていたセイバーが口を開き「最初にも述べましたが、私はセイバー。貴方のサーヴァントです。真名は別にありますが、故あって名乗ることは出来ません。詳細については、少なくとも貴方が聖杯戦争についての基礎知識を身につけてからのほうがいいでしょう」と、清涼な声で述べた。

「俺はランサーだ。ま、セイバーの奴と同意見だな。坊主はまず知識を身に着けるのが先決だ」

 そういって、ランサーはひらひらと手を振る。

 それに、イリヤは「士郎、ごめんね。あとで説明するから」とそんな言葉をすまなさそうに口にする。

「まあ、自己紹介は済んだし、簡潔に我が家の聖杯戦争における方針を先に話そうか」

 ごほんと、咳払いして切嗣はそう口にした。

「僕らは、聖杯を破壊しようと思っている」

 その言葉に、次の刹那旋風が巻き起こった。

 いつ立ったのかそれすらわからぬほど爆発的な魔力を纏って、騎士王の名を冠する少女が、怒りに歪んだ顔立ちで、視得ぬ剣を切嗣に突きつけていた。

 あと、5mm。あと5mm踏み込むだけで親父の首に刃が突き刺さるだろう、その距離で、ぶるぶると手を震わせながら、それでもセイバーは最後の理性を総動員して「どういう……ことだ。一体……どういうつもりだ、衛宮切嗣」と、そう口にした。

 痛いくらいの殺気が辺りを包む。

 ランサーはそれをほう、と面白い見世物をみたかのような顔で成り行きを見守り、イリヤはそのプレッシャーに動きを止め、士郎は少女のあまりの様子に完全に言葉を失っていた。

 それを、そんな少女の殺気を、魔術師殺しとかつて称された魔術使いの男は、なんでもないような様子で受け止めて、その黒い瞳で静かにセイバーの碧い瞳を見つめ、「どういうつもりもなにもない」そう答えた。

「冬木の聖杯は既に汚れている。あれは万人を呪い殺す呪詛そのものだ」

 その言葉に、はっと、金紗の少女の息を呑む音が聞こえた。

 眉をぎゅっと寄せ、切嗣に剣を突きつけた格好だったセイバーはやがてゆっくりと剣をおろして、それから「何を根拠に、そんなことを言う」とそう痛々しいほどに思いつめたような声で尋ねた。

「経験者だからね。」

 そう、あまりにも静かな声で、自嘲すら混ぜて、爺さんは言った。

 それに、セイバーは目を見開いて、どことなく傷ついたような色を見せながらポツリ。

「嘘……だったというのか。勝者の願いを叶えるというのは嘘、というのか」

 血反吐を吐くような声で少女はそう吐き出した。

 それに淡々と「第三次聖杯戦争までならそれは嘘じゃあなかった。けど、今は、あれは悪意でしか願い事を叶えられぬ歪んだ願望器だ。信じられないというのならば信じなくていい。証拠が見たいというのなら、10年前に起きた惨劇の僕の記憶を見せてもかまわない」そう切嗣は続ける。

 その切嗣の言葉に嘘偽りがないことがわかったのだろう。金紗の髪の少女騎士は酷く憔悴した顔で、がくりと膝を落とした。

「なぁ」

 それに、今まで黙って成り行きを見守っていたランサーが、つまらなさそうに頬をぽりぽりとかきながら「アンタらの目的はわかった。だが、そいつは俺には関係ねえよな。こっちとしちゃあ本題に入ってほしいんだが」なんてことを口にした。

 それに、セイバーはぎょっと目を開けて「ランサー、貴方は聖杯を破壊すると聞いて、関係ないと言うのですか」と、信じられないような声で問いかける。

「ああ、関係ねえな。俺は別に願い事をかなえてもらう為に召喚されたんじゃねえ」

 そう、きっぱりと青き半神の英霊は答えを返した。

 まあ、それは当然だろう。はじめから、聖杯に願いを持っているが故に召喚されたセイバーと、ただ全力の戦いのみを求めて召喚に応じたランサーでは動機が違い過ぎる。

 今のセイバーの様子にはチクリと胸に痛むものがないとは言い切れないが、それでも今ここで優先して答えるべきなのはランサーのほうだろう。だからこそ、私は真っ直ぐにこの青き半神たる大英雄に向き合って、慎重に言葉を選びながら言の葉を紡いだ。

「ランサー、君は自ら主を裏切る気はないと、そういったな」

「ああ、そうだな」

 特に気負うでもなくそう答える槍の英霊。

「ならば、君の契約を解いたら、君はこちらにつくか?」

 それに、始めてこの目の前の大英霊は驚きの表情を浮かべた。

「……可能だってのか」

「君の現主が見ていない今ならば可能だ。君の願いは大方検討がついている。こちらにつけば、君は気兼ねなく主の敵討ちを行えるし、なにより私達の目的は他の聖杯戦争参加者達にとって都合の悪いものだ。戦う敵には事欠かないだろう。どうだ、悪い話ではないと思うが」

 それに、長い睫を伏せて、ランサーは僅か思案すると、静かに口を開け、「いいか、俺は何も見ていない。聞いていない。それでいいな?」そう口にして、無防備にその背を晒した。

 それは遠まわしにOKと言っているも同然だ。

「ああ、了解した」

 ちらり、切嗣に視線を送る。こくりと、爺さんは頷き、イリヤは「セイバー、悪いのだけれどこちらにきてくれない?」といって、放心している彼女を連れて、居間から抜け出た。

 ぱちり、と第三の結界を第一の結界にシフトさせる。その戻ってきた魔力を使って、私はかの裏切りの魔女の剣を投影、僅かに切っ先を突き刺し、その真名を開放した。

破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)

 

「アンタ、本当に何者だ?」

 そう心底疑問そうに口にするランサー。

 それを前に「しがない魔術使いだよ」とそうため息混じりにこぼす。

 今ので大分魔力を消費した。宝具クラスとなると、もう今宵は出せそうにない。

 やはり真名開放までするとなると消費魔力もばかにならないなと思う。

 まして、今は受肉しているとはいえサーヴァントの身だ。生身の体のように自力で魔力を作り出すことなど叶わず、マスターである切嗣からの魔力供給も途絶えて等しいのだから当然と言えば当然だろう。

 勿論、魂喰い(ソウルイーター)を行えば魔力の補給は可能だが、そんなことをしてまで現世に残りたくはない。

「でだ。契約を結びなおすんじゃないのか?」

 そう、聞いてくるランサーに「いや、契約を結ぶのは私ではない」と答え、それと同タイミングで再びイリヤが居間へと入ってくる。

 そしてきっぱりとイリヤが言った。

「貴方と契約するのはわたしよ」

「嬢ちゃんが?」

 それに本当に意外そうな声を出して、ランサーは私とイリヤを見比べる。

「何? わたしじゃ不満ってわけ?」

 自分じゃ力不足だという気なのかと言いたげな目で、むっと膨れ面を浮かべながらそう尋ねるイリヤに対し、「いや、嬢ちゃんに文句があるってわけじゃねえが、あー、なんだ」とかいいつつ、チラチラと私を見てくる男にため息を一つ。

「イリヤは優秀だぞ」

 魔術師としての格なら、それはもう文字通り私などとは比べようがないくらいに。

 そう告げると、「そういう問題じゃないんだがなー」と煮え切らない返事を返すランサー。

 む、さっきからなんなんだ、この男は。

 不満があるのならはっきり言いたまえ、気色悪い。

「まあ、いいや、よし、ちゃっちゃと済まそうぜ」

 とかいって、最終的に男はあっけらかんとした口調でイリヤがマスターになることを受け入れた。

 やれやれ、一時はどうなることかと思ったがこれならなんとかなりそうだ。

 そも今回は聖杯に選ばれていないとはいえ、イリヤは正統な魔術師だ。聖杯の補助が必要不可欠なサーヴァントの召喚降霊ならばいざしらず、そこに既に存在しているはぐれ者のサーヴァントと再契約を結ぶ「だけ」ならば正攻法でこなせる。

 イリヤならばなんの心配もいらないだろう。

 そうして、契約を繋ぐ為の呪文をイリヤが唱える傍らで、切嗣に「シロ、ちょっと」と呼ばれ、私は切嗣と共に廊下へと足を運んだ。

 

「なんだ、切嗣(じいさん)、どうした?」

「いや、先ほどシロが料理を作っている間に、藤村組に、今夜道中でばら撒いた銃弾があまりに多かったから、回収と証拠隠滅の為に連絡を取ったんだけど、ちょっぴりまずいことになりそうでね……」

 そう、いいにくそうな声で言う。

 それにぴんときた。

「ああ……大河か」

「そう。明日どうしても家に来るって聞かないらしい」

「……まあ、此処数日顔を合わせていなかったしな。いきなりの連絡がそれで心配したのだろう」

 大河は爺さんに懐いているから、余計だな。

「まあ、あまりに心配だけかけるのも悪いしな。アレは来るといえば来るだろう。数時間共にいるだけであれの安心が買えるというのなら、まだ安いものだろう」

 幸いというべきか、まだ聖杯戦争ははじまったばかりだし、聖杯戦争のメインは夜間だ。

「まあ……あの子なら、仕方ないか」

 と爺さんにさえ思わず思わせてしまうのが大河の凄いところなのだろうな。多分。

「それより、ならセイバーとランサーのことはどうする?」

「大河ちゃんは妙に鋭いところがあるからなあ」

 そういって苦笑する切嗣。

 確かに、あれは野生動物並の勘の良さだなと思い描くなり私も口元に笑みを乗せた。

「いっそ、隠さずに変装させてつき合わすのも一興か?」

 と、そんな話をしているうちに、ランサーとイリヤの契約は完了していたようだ。

「お、なんだ。何の話してたんだ?」

 とか、いいながら馴れ馴れしくもランサーは私の肩に手をまわしてくる。

「重い、のかんか、たわけ」

「ん? ああ、悪い、悪い」

 とかいいながら、あまり悪びれていない男に内心ちょっと苛っとしながらも、「ランサー」とそうできるだけ真面目な声音でクラス名を呼んだ。

「話がある。あとで私の部屋にきてくれ」

 その言葉をランサーがどう捉えたのかなど露とも知らず、私はそうランサーに話しかけて、風呂の準備に向かった。

 

 

 

 side.ランサー

 

 

「話がある。あとで私の部屋にきてくれ」

 そういって、白髪の女は居間を後にした。

 私の部屋にきてくれって……。

(どう聞いても、お誘いだよなあ)

 女に誘われといて乗らなくばケルト戦士の名折れだ。こりゃ有り難く頂くところだろう。

 とは思いつつも、ここ数時間で観察したところ、年に似合わず案外にあの女はガキくさいところがあるみてえだし、天然入ってるっぽいからなあ、ここで結論を出すのも早計か? と、思いつつ、残っていた茶を啜る。

(まあ、聞いてから判断するか)

 もしかすれば聖杯戦争がらみの話やもしれんし。

 そう思って、のんびりとくつろぐことにした。

 

「すまなかったな、私から言ったのに待たせたようだ」

 と、殺風景な何もない部屋に連れて行かれて、開口そう女が切り出したのは、たっぷりあれから2時間ほどあとのことだった。

 見れば、女は風呂上りのようだった。

 どうやら、あれから風呂を焚いて、風呂が沸いたら今度は家族に風呂を勧めつつ、食事後あとまわしにしていた洗物やらなにやらと家事をこなしてきたらしい。

 そして、最後の締めとして自分も風呂に入ってきたと。

 長めの白髪を赤い宝石の髪留めでとめて、結い髪にしているのも、うなじのあたりが色っぽくて中々クルものがあったもんだが、いやいや、こうして髪をおろしているのも童顔が際立って悪くない。

 服装こそ、やはり変わらず黒の上下と色気のない格好ではあったが、シャンプーの匂いが鼻腔を擽ってつい手を伸ばしたくなる。

(これは、ひょっとして、ひょっとするか?)

 と思いつつ、女の動向を見守る。

 アーチェは俺の様子に気付いているのか気付いていないのか、なにやら、箱みてえな機械……聖杯からきた知識によるとパソコンというらしいを、開くとおもむろに口を開く。

「これが、1時間前に撮られた君の元・主バゼット嬢の映像だ」

 カタカタと女が操作する機械の画面、確かにそこにはつい数日前までは俺の主だった女の顔写真が5枚ほど映し出されていた。

 青白い顔色ではあるが、確かに話どおり生きているらしい様子にほっとする。

「仲間からの連絡によると、彼女は無事隣町に潜む裏関係の医者の元へと運びこまれ、治療を受けたのだそうだ。いまだ目を覚ます様子はないらしいが、数日もすれば目覚めるだろう、とのことだ」

 と、言いながら女は紙切れを1つ、素早く何事かを書き留めて俺へと渡した。

「これは?」

「バゼット嬢が入院している病院の住所だ。いくら無事と口でいっても自分で見てみなければ納得出来ないものもあるだろうからな。気になるのであれば後日、訪ねるがいい。服とタクシーの手配ぐらいしてやる」

 その言葉に俺は眉を寄せながら疑問点を口にする。

「なんだ? この家に運んだりはしないのか?」

 女の言っていることは一見正論だが、俺から見れば酷くまだるっこしい。

 ここにゃあ魔術師が何人もいるんだ。わざわざ他人を使わなくてもよかろうに。とそんな俺の疑問も当然わかったのだろう。白髪褐色肌の女はため息を1つつくと、懇切丁寧に説明を補足した。

「生憎、家に治癒魔術を得意とするものはいなくてな。それに、折角助かった命だ。聖杯戦争が本格的に始まろうとしている今、冬木の街に留まるよりも、聖杯戦争が終わるまで外の病院に入院したままのほうが安全だろう。それに元マスターと知れてみろ。狙われない、とも限らんしな」

 そう、淡々といいつつも、その顔は極真面目で、おそらく会った事もないだろうにバゼットの奴に対する労りのようなものも見えた。

「まあ、君の元主については今のところはこんなところだ」

 とか、アーチェの奴は締めくくったわけだが……。

「なんで、わざわざ俺に?」

 そこが少し不可解だった。

「? おかしなことを言うな。元よりバゼット嬢のことを話すという約束だろう」

 何を当たり前のことを、といわんばかりの口調でそういうがよ、あの時の言い方を考えれば、バゼットの事について話すってのはただの口実だとしか思わなくても仕方ねぇだろうが。馬鹿正直に敵の言うことを鵜呑みにする阿呆がどこにいる。

 とも思ったが、余計な一言だとわかっていたので口にはしなかった。

 いやいや、あの時は全くそういう風には見えなかったが、案外こいつは義理堅い奴だったらしい。

 そういうのは嫌いじゃない。寧ろ俺の好むところだ。

「まぁ、いいがな。で、アンタが俺に部屋に来いっていったのはこいつを見せて俺を安心させるためだけか?」

 そう、口にすると、「いや」といって女は「もう一つある」とそう返事を返した。

「ほう?」

 もう一つ、な?

 しかし、そこで女はちょっと言いにくそうに一旦口をつぐんで、「まぁ、口にするとどうにも馬鹿らしくなる話なのだが」と、いいにくそうに前置きをおいた。

 あー……上目遣いで困ったようにちらっと見てくるのって結構いいな。

「明日、一般人の知り合いがこの家に朝から訪ねて来ることになっているのだがな……」

「ああ、霊体化して隠れてろって話か?」

 ぴんときて、そういうと「いや、違う」と言って、女はため息を1つ。

「おそらく、霊体化したところであの野生動物的勘の前では意味をなさなそうだからな、いっそ偽名と嘘のサイドストーリーをつけて紹介してしまおうかと思っている」

 ……は?

(今、紹介するっていったか?)

 流石に予想外のことを言われて、思わず目が点になる。

「ついては、君の服を作るからスリーサイズを測らせてもらいたい」

 ……はい?

 見れば、女は手にメジャーを握っていた。

「……おい? アーチェ?」

「すぐにすむ。じっとしてろ」

 いいながら、女は後ろにまわって俺の体に手早くメジャーを巻きつけた。

 イイ匂いがすぐ傍からふわりと香る。

 むにゅっとやわらかい感触が2つ、当たっていることに気付いているのか気付いていないのか。

(でも、まあ、どちらでも良い話か)

 そう、どちらにせよ、今更だ。

 俺らの仕来りをこの国風に言い直せば「据え膳食わぬは男の恥」って奴が当てはまる言葉か。

 まあ、なんでもいい。

 無防備に近づいてきたほうが悪い。

 

(これは俺は悪くないよな……んじゃま、頂きます)

 

 こんな美味しいシチュエーションで手を出さないほうがどうかしている。

 無防備に後ろから伸ばされていた褐色の細腕を掴み、くるりと体を回転させ、流れるような仕草でそのまま独特の感触のする床……畳にその柔らかな獲物の体を押し倒した。

 その驚愕に見開かれた鋼色の瞳が、まるで本当に無垢な子供(ガキ)みたいな色をしているのが妙に印象的で、さてこの女はどんな味をしてんのかね、とそんなことを愉快な気分で思った。

 

 

  NEXT?

 

 




イリヤがマスターになったことによって、青い兄貴のステータスが更新☆ ちゃらららら~♪ 俊敏がAからA+に、悲劇の幸運Eが、幸運Dにグレードアップした!


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09.危機一髪

ばんははろ、EKAWARIです。
前回は兄貴への心配コメと幸運Eじゃない兄貴なんてそんな馬鹿なコメ一色過ぎることに吹きました。兄貴ェw

だが、残念! 本作の兄貴は「幸運D」ですが、それ以上にエミヤさんが「幸運E」なのだった! つまり……そういうこと。
あと兄貴といえば、処女100人切り伝説とか色々そっち方面の伝承もおさかんだよな、とか言ってみる。


 

 

 

 愛しています。

 確かに私は愛していました。

 その不器用な在り方も、直向さも、私を女性扱いして遠ざけるところも、時には腹が立ったけれど、それでも確かに私はそんな貴方に惹かれていたのです。

 それを告げたことはないけれど。

 今はもう遅い。

 何を言っても言い訳だ。

 そんなこと自分で言われずともわかっている。

 愛しているなんて、言う資格など私にはどこにもない。

 己が欲望のために貴方を裏切った私には。

 でも、貴方を手にかけてまで求めたそれが、何の意味もなく、何も私に成さないのならば、一体何の為に私はここにいるのだろうか。

 何の為に貴方を斬り捨てたのだろうか。

 シロウ……私の鞘……私にはわからないのです。

 

 

 

 

 

  危機一髪

 

 

 

 side.セイバー

 

 

「本当……なんですね」

 黒く窶れた顔の男の部屋で、その部屋の主である男、衛宮切嗣の過去の一部を見た私は、そんな言葉をぽつりと漏らした。

 それに、男は「ああ……僕の記憶が改竄だと疑うのなら、僕の体も調べるかい? この身体は聖杯の泥に汚染されているからね。生きた実例みたいなものさ」と、そんな言葉をいいながら、1時間ほど前に風呂に入った時に着た着物のあわせを左右にずらして肌を晒した。

 かつての主だった筈の男のその身体は、かつての魔術師殺しと呼ばれていた頃が嘘だったかのようにやつれ衰え、まるで重い病魔に冒されているような有様だった。

 ケホ、と男が咳を漏らす。

「キリツグ……?」

 その手に赤い血が僅かついているのを、見逃すことはなかった。

「……」

 ばつの悪そうな顔をして、切嗣は自分の頭をぐしゃりとかき抱く。それから、「そういえば気になっていたんだけど」と、そんな前置きをして、意外な言葉を言った。

「もしかして、君は僕の事をやっぱり知っていたりするのかい?」

「……何を」

 知っているもなのも、この時間軸から見たところの10年前、この地で行われた第四次聖杯戦争で私のマスターだった相手とは貴方ではないか。

 とそんな疑心を浮かべながら見やると、男は「やっぱり、そういうことか。いや、でも……こういうこともあるのか」なんてぶつぶつといいながら、はぁとため息を一つついて言った。

「最初に断っておくけど」

 けほ、とまた咳をして男は言う。

「『僕』は君とは今日が初対面だ」

「……は?」

 何を言っているんだ、馬鹿なという気持ちが湧き出る一方、その言葉に妙に納得する自分がいた。

 何故なら……ここは、この世界はあまりに自分が知っているソレとかけ離れている。

「10年前、僕が呼び出したサーヴァントは君じゃなかった。君と、『君の知っている僕』にどんな確執があったのかは知らないけど、ここにいる僕には関係がない。そういうのは悪いけど、持ち込まないでくれ」

 なるほど、確かに私を呼び出した記憶がないというのならば、平行世界の自分と一緒にされるのは迷惑なのだろう、とかつての魔術師顧問マーリン伝で知っている魔術知識を自分の頭の中ですり合わせつつ思う一方、その言葉に疑問を浮かべる。

「キリツグ……何故、私が10年前に『貴方』に呼び出された記憶があるとわかったのです」

「僕も君を本来なら呼び出す筈だったからだよ」

 なんてことを淡々といいながら、男は崩れた着物を付け直していく。

 その言葉の裏には、まだ何か潜んでいるように見えたが、これ以上男が言うつもりはないのだと、その態度からは容易に見て取れた。

「いいでしょう。……今はそういうことにしておきます」

 そう、口にして踵をかえす。

 切嗣のことだけではない。ここに、召喚されてから疑問ばかりが積みあがっていく。

 たとえば……私が霊体化出来ぬサーヴァントであることを知っているかのようなこの家の者の態度。

 衛宮切嗣の次女として、この家に住んでいるイリヤスフィール。……それにしても、アイリスフィールと切嗣の娘がまさか、『イリヤスフィール』という名だったとは驚いたが、前回の第五次のマスターだったアインツベルンのマスターとは同名の別人だったのか……それとも同一の個体だったのか。その辺りは情報が少なすぎてよくわからない。

 そして……トドメとして、あの時バーサーカーの相手を一手に引き受けて、散っていった遠坂凛のサーヴァントと似通った面差しと色彩を持つ、シロウたちの姉を名乗るアーチェというイレギュラー。

 彼女に関してはイリヤスフィール以上に、私が見知らぬ存在だ。

 そして、現マスター……シロウ……彼にも違和感が付きまとう。

 確かに彼は衛宮士郎なのだろうけれど、なにか彼は、根本的に私の『シロウ』とは異なるような……。

「疑問は、やはり一つずつ解消していくべきでしょうか」

 ふう、とため息をついて己の格好を見やった。

 霊体化出来ないことを知っていたかのように風呂を勧められ、その間に私用の着替えにと渡されたイリヤスフィールが3年ほど前に着ていたという衣装。

 それは、前の召喚の時着ていた白いシャツに青いスカート姿とはやはり違うもの。

 ……あれはリンにもらったものだ。あの時は、この日の時点で遠坂凛という少女に会っていた。そのリンにもらった服を身に着けた私を似合っていると褒めてくれたシロウ、ちくりと胸が痛んだ。

(私は、愚かだ……)

 こんなことで傷つく資格などとうにないというのに。

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 どさり、と目の前の青い男に押し倒された体勢で、私は混乱の極みに落とされていた。

(何故、こうなった……!?)

 ちょっとまて、相手、ランサーだぞ、あのランサー!

 あのクランの猛犬クー・フーリン!

 なんで、ランサーが私を押し倒す!? いや、寧ろランサーだからなのか、っていや、だからなんでどうしてこうなるんだ!

 そんな私の心の内などお構いなしに、件の半神たる青き槍兵は、それはもう男臭い笑みを口元に浮かべて、私の上に馬乗りに乗ったまま、「全く、天然だかしらねえが、(おとこ)相手に無警戒なアンタが悪いんだからな? 男と二人っきりで部屋で会うって意味、アンタ親に教わらなかったのか?」なんてことを言いながら、右手で私の髪をすくってわざとらしく見せ付けるように口付けてきた。

 うわ、やめろ! 気色悪いだろうが、と思いつつもパニックが過ぎたのか上手く言葉が出ず、小さな悲鳴じみた声が漏れて、ひたすら目の前の男の行為にフリーズする。

「それとも、やっぱりアンタ俺を誘っていたのか? はは、そりゃ悪かったな。気付くのが遅れた」

 何せアンタ鈍そうだったからよ、なんていいながら男は私の胸にその戦士特有の硬い手を這わせる。

 それに、びくりと生理的に湧き上がる感覚を前に反応を返して、それから漸く我に返って、「や、やめんか、このたわけがっ」と口にして、私の胸にある手を払いのけた。

 そんなに力を入れてなかったらしいそれ自体を払いのけるのは難しくなかったが、払いのけられた男は気にした様子もなく、そのままがっちりと空いている左手で私の右腕手首を掴む。

(くそ、この馬鹿力めっ!)

 元々英霊であった頃から、この男は私よりも細身だったくせに半神故なのか筋力はB、私はDと力に開きがあった。それがこうして弱体化して受肉した今では、かつて男同士であった頃でさえ存在していた筋力の差は更に開いているときている。

 おまけに、先ほどのルールブレイカーの投影に真名開放と連続で魔力を大量消費したこともあって、状況の悪いことに抵抗する力は殆どなかった。

 じたばたと足も動かすが、男の足腰がガッチリとホールドしていて殆ど意味はなさなかった。

「おいおい、抵抗すんなよ。優しくしてやろうと思ってんだから、よ」

 そんな私の抵抗を前に、半分面倒くさそうに、半分困ったような顔を浮かべてそんなことを言い出す青い猛犬。

 空気を読めよといわんばかりに、まるで聞き分けのないのない子供を諭すような口調なのが凄く腹立たしくムカツク。いや、空気を読むのはそっちのほうだろうが、この色ボケ駄犬全身蒼タイツ男が!

「……! ランサー、貴様、何をする気だ、何をっ!」

「あん? そんなの言われなくてもわかってんだろ? 男が女を押し倒す時は抱く時だって相場は決まってんだろうが」

(そんなの、わかりたくないわ! この大たわけがーーー!!!)

 思わず、心中で叫ぶ。

 いや、オレも元男だから、その理屈だけはわかる、わかるが、この場面でその答えは聞きたくなかった!

 ランサーが私を「抱く」だと? いや本当何故こうなった!!

 いくら女の姿になってもう10年になるからって、それでも、私は本来男なのだぞ! それがランサーと男女の仲になると? 悪夢だ、悪夢としか思えない。くそ、何の冗談なんだ、何故こうなった!

 生前の邂逅も合わせて、ランサーと出会うのはこれで3度目。かつて一度自分を殺した相手だとはわかっていた。それでも、その正英霊としての在り方に憧れめいたものを覚えたことがないといったら嘘になる。

 クー・フーリン。それはアイルランドの大英雄の名だ。

 守護者という名の、ただの薄汚れた掃除屋たるこの身とは違う、本物の英雄。

 前回の召喚の時は、この男と互角に戦えれたことに震えた。

 かつては何の抵抗も出来ずただ殺されるしかなかった存在相手に、自分は並べる力をもったのだと思って嬉しかった。一歩間違えればどちらかの命を失う極限で、しのぎを削りあうのが楽しくて内心昂揚を覚えていたものだ。ランサーは私を嫌っていただろうが、その英雄らしい姿は密かな憧れで、私は決して嫌いではなかった。

 もっとも、その事を告げるつもりもなかったが。

 少年時代に抱いた英雄達への憧れと、それに肩を並べて戦える喜び。

 そして少しの正英霊である彼らへの妬みと軽い嫉妬。

 私の言動に一々つっかかってくるランサーを見ていると少しすっとしたりもした。本来肩を並べることすら烏滸がましい雲の上の存在であることはわかっていたが、どちらもサーヴァントという殻におさめられている今だけでも、この男に好敵手として見られたのならそれは私にとっては嬉しいことだった。

 私にとってランサーとは本来そういう存在だ。

 光の御子、世界の掃除屋たるこの身とは真逆に位置する英霊。それでも、聖杯戦争でサーヴァントとして呼ばれている間は、同格だと、敵足りえるものだと、そんな風に私は君に見てもらいたかった。

 しかし、それはもう過ぎたこと。

 女に変質し、受肉し、弱体化した私が、君が知っている遠坂凛のサーヴァント(アーチャー)と同一人物であることは、かつて憧れそれでも好敵手たる事を望んでいた男相手だからこそ知られたくなかった。

 この男の中の本当の私(アーチャー)は今回召喚された弓兵だけでいい。

 私が、あれと同一存在などと気付いてくれるなと、そう思っている。

 それはちっぽけなプライドだ。

 矜持など路傍に捨ててきた私がもつちっぽけな男としてのプライドだ。

 かつてランサーと対等に渡り合うことが出来た記憶をもつ、私だからこそのなけなしのプライド。

 教会前のあの戦いでランサーの全力相手に応える事が出来たと、あの戦いを大事に思うからこそ抱くプライド。もう、この変質してしまった私は君と対等に渡り合うことは出来ないのだから、せめて、その記憶だけでも大事にしておきたかった。女になったなどとそんな醜態で数少ない想い出まで穢したくなかった。

 だから、私を女だと信じて疑わない君の態度にはありがたい面も確かにあった……あったが……だからといって、大人しく抱かれてたまるか!!

(冗談ではないぞ! 10年間守り続けたものを、こんなところで易々奪われてたまるかっ!)

 大体、女に変質したといっても、心まで女になったわけではないし、男と寝ることなんてそうそう受け入れられるわけがないだろう。相手がランサーなら尚更だ。

 好きか嫌いかの二択でいったら私はランサーのことは内心好ましく思っているが、その好きの意味は男としての憧れやライバル心とかそういうのであって、間違っても色恋沙汰とは完全な別物だし、そもそも私はゲイではないし、それに男と肉体関係を結ぶなど想像するだけでも精神衛生上よろしくないし、そのくせ10年の女生活で時々肉体の影響を受けた反応を返す事に気付いている以上、何かの間違いでも男と体を繋ぐなどそんな行為認められるわけがない。

 そんな経験を得たら、自分がその後どうなるのかなど考えるだけでも恐ろしいし、大体今にも命を失いそうな誰かを救うためとかそういう理由があるわけでもないのに、やっぱり男と寝たりなんか出来るわけがないだろ!

 というか、そんな経験はいらない! これからもいらない! これ以上精神の女化が進んでたまるか!!

 って、ランサー、人がそんなことを思っている間もどこに触っている、貴様は!

 だからといってやめさせようと抵抗してもびくともしないし、この馬鹿力の駄犬、発情期犬めが!! いい加減にしないと、泣くぞ! っていうか、泣きたい! トオサカ、タスケテ。今ならアカイアクマに魂売ってもいい!

 って、ぎゃああ耳舐めるな! 畜生、ええい、何故私はこの男を助けようとなどと思ってしまったのだ!

「……ぅぁ、っん」

 びくんと、服越しにへそのあたりを繊細な動きで触られて、ついそんな声が反射的に漏れた。

 ……って、なんて声漏らしてんだ、オレは!! うわあ、自分の反応に鳥肌出そうだ!

 くそ、思ったとおりランサーの奴め、調子にのった顔しやがって。だが、それより、何故これで、ぞくぞくしたものが背筋をかけ上ってくるんだ。くそ、この裏切り者の体めっ。妙な反応を返すな、くそ、くそ、くそ。

 調子にのったランサーは思ったとおり、私の右手首を相変わらず左手でがっちりと掴んだまま、右手だけで器用にぷちぷちと私の着ているシャツのボタンをはずし始めた。

「や、やめろ、ランサー!」

 

 空いている左手で必死に男の肩を押すが、びくともしない。

 ぷるりと、ブラジャーに包まれた私の胸がさらけ出される。それを見ながら、私の抵抗などお構いなしに事を進めていた男は「あー、男を誘う時は、もうちょっとこう、色気のある下着を選んだほうがいいと思うぜ? 現代(いま)は総レースの下着とかあるんだろ? どうだ、どうせなら次はそういうのが見たいんだが」なんて、能天気なことを真面目な顔で言い出した。

 おい、つまりなんだ、貴様は次があると、そう思っているのか?

「こ、こ、この大たわけ者がっ!!」

 つい、怒りで顔を真っ赤に染める。

 大体私がいつ男を誘ったというのだ!! 全く身に覚えがないわ、この欲情魔神の発情期狗が! 勝手な解釈でなんてことを言い出してんだ、貴様は! 大体、なんだ? 次はって! 次があるつもりでいるのか、この男の頭の中は一体どうなってるんだ!?

 けど、怒鳴ろうとした口は即座につぐむ羽目になった。

 ランサーの右手がブラジャーごしに私の胸に手をかけたからだ。

「ッ……」

(本気なのか? 本気でこの男、私を抱くつもりなのか……!?)

 いや、宣言した以上本気なのだろうが、こっちとしては信じたくなかった。いや、もういろんな意味で。

 というか既にいっぱいいっぱいだ。

「まあ、これもこれで悪くはねえな。どちらにせよ、俺の時代にゃあなかったもんだ」

 言いながら男は、ブラジャーをたくし上げ、その胸の谷間へと顔を埋めた。

(……ぁ)

 びくりと、今までに感じたことのない種類の恐怖がそれでこみ上げる。

 抱かれる。このままでは自分は本当にこの男に抱かれてしまう。悟った瞬間、何かが決壊した。

「……おい? アーチェ」

 ぎょっとしたような男の声が耳に届いて、戸惑ったような目の前の男の秀麗な顔立ちが妙に霞んで見えている気がした。

 

 

 

 side.アーチャー

 

 

 学校でのランサーとの戦闘の後、遠坂の屋敷に帰ってきた遠坂凛(マスター)は「お風呂に入ってくるわ、アーチャーは外の見張りお願いね」とそういって、不機嫌そうな顔のまま真っ先に風呂に向かった。

 それから食事を取り、「ちょっと仮眠をとるから、2時前になったら(まりょくのピーク)に起こして」とそんな言葉をかけて寝室へと向かった。

「ふむ」

 その眠る直前にマスターから頼まれた仕事であるその物を見ながら、私はさまざまなことを思考する。

 手の中にあるのは翡翠で出来た宝石の鳥。

 これを1時ごろになったら放っておいてくれとのことだったが、これが凛が言っていた「やることが出来た」に繋がることなのか? と思いつつ、まじまじと鳥を見た。

 宝石で出来た使い魔は自分の役目がくるのをじっとまっている。

(全く、妙なことになったものだ)

 此度の聖杯戦争は、間違いなく私の過去の記憶……生前参加した第五次聖杯戦争とは食い違っている。

 その原因は何か……。

(やはり、あの女なのだろうか)

 大橋で、自分に「やはり来たか」とそう告げた女。学校でも出会った女。

 確信はないが、正体に検討はついた。

(ならば、やはり確かめるか)

 そも、あれが……■■■ならば、それはそれで疑問が多いのだ。

 思いつつ、召喚された当日に修理した遠坂家の居間にかけられた時計に目をやる。

 今の時刻は12時を少しばかり過ぎたところ、何をするにせよ、待機を告げられている今は暇をもてあましている。暇をもてあますと碌なことを考えない。

 全く難儀なものだと思いながら、死後に慣れた皮肉の仮面を被って笑った。

 

 

 

 side.ランサー

 

 

 据え膳食わぬは男の恥。気に入れば女を抱くという行為は俺にとっては今更な当たり前のことで、そうやって今回もまあ、いつもどおりっちゃあいつもどおりに事を運んでいたんだが……。

(こりゃあ、参った)

 女は、放心したようにぼろりと涙をこぼしていた。

 本人は自分が泣いているってことに気付いているのか気付いていないのか、この様子じゃあもしかしたら自分が泣いているなんて自覚がないのかもしれねえ。それくらいに静かに涙をこぼしていた。

 俺は別に悪くないと思うんだが、なんつうか、妙に人の罪悪感を刺激する顔だ。

(これじゃあ、俺が強姦してるみてえじゃねえか)

 確かに気に入りゃ抱くのは当たり前だが、そういうのは趣味じゃない。

 いやよいやよも好きのうちとはいうが、泣く子にゃ勝てん。

 というかまさか泣くとは思ってなかった、というべきか。

 だから、若干弱ったなぁと思いながら、「あー、アーチェー?」と名を呼びつつ、ひらひらと右手を彼女の目の前で振ってみせた。

 それに、アーチェはきっと睨みながら「なんだ」と低く吐き捨てるように言う。

「泣くな」

 女の涙には勝てねえ。

 そのままぺろりと、ほんのり塩辛い女の涙を舌で拭う。

 すると、それで自分が泣いていることに漸く気付いたらしい、「泣いてなどいない!」と顔を真っ赤にして怒鳴ってきた。

 あーあ、素直じゃねえ。

 が、身体は正直だ、震えている。そんなこの女の強がりが可愛いなとそう思った。

 しかしまあ……この怯えようからして、処女だったのかもしれない。

 なら性急に事を進めたのは悪かったのかもな。大抵の女は破瓜を怖がるもんだ。ならこの態度も頷ける。

「そうか、泣いてないのか」

「ああ、そうだ! 貴様なんぞに、そんな醜態晒すわけがなかろう!」

 いや、現在進行形で晒しているから。

 強がって睨んでいても、涙目じゃ逆効果だから。

「そうか。じゃあ、続けるぜ」

 それに、女はびくりと背を揺らして、言葉に詰まった。

 でもわかっんねえなあ。

 何をそんなに強がってんだか。

 処女だってんなら、はじめてなので優しくしてくださいぐらい言えばいいのによ、とは思いつつも、俺はアーチェの奴の言葉や態度を都合の良い方向に解釈することにした。

 正直、ここまできて逃がすなんて勿体無いまねもする気はない。本人が違うっていってんなら俺が遠慮する由もないしな。

「待っ、ランサー! やめ、やめないかっ!!」

 抵抗なんて今更遅い。

 そうして俺は女のズボンに手をかけようとした時だった。

 バンと、殺気と共に勢いよく部屋の障子が開かれた。

 

 見れば、そこには怒気を纏わせた、つい数時間前に俺のマスターになった美麗な少女が拳をプルプル震わせながら、立っていた。

「よぅ、嬢ちゃん、どうした?」

「イ、イリヤッ」

 俺は、アーチェーの奴の上に身を乗り上げたまま、手を軽く上げてそう気軽に尋ねる。

 すると、件の少女、イリヤスフィールは「パスから妙な空気が流れ込んできていると思ってたら……」なんていいながら、沸々と怒りに顔を歪めながら、ぎっと美しい顔を歪めて、人を1人2人殺せそうなすさまじい目で睨んできた。

「ランサー!! 今すぐ、シロから離れなさい!」

 ぎっと指を立てて、ずかずかと近づいてくる白の少女。

 それを前に俺は「あー。いくら、マスターでもよ、それは聞けねえな。男と女の問題に口を挟むのは野暮ってもんだぜ?」と口にすると、少女は俺と主従契約する際に得た令呪を掲げて、「ランサー」と絶対零度の微笑みと声で次の言葉を言い切った。

「今すぐ自分の手で自分の息子をもがされたい?」

 その目は本気だった。

 ……元が霊体なので、多分もいでも復活出来ることは出来るだろうなとは思うが、男として想像したくもない光景だった。痛い、自分の手で男の象徴をもぎ落とすとか、想像するだけで尋常でなくいろんな意味で痛い。

 あれは本気だ。多分俺に殺されるとしても、俺が従わなかった場合実行するだろう、そんな目だ。

 だから、大人しく降参の白旗を振ることにした。

 そして、開放されたアーチェの奴といえば、真っ先にイリヤの元に向かい、「イ、イリヤ」と感極まったような声を漏らしながら、その自分より一回り近く華奢な少女の体に縋りついた。

 白の少女のほうも、ぎゅっと大人のような包容力でアーチェを抱きしめ、「シロ、ごめんね。もう、大丈夫だからね。お姉ちゃんが守ってあげるからね」なんていいながら、よしよしとその背をさすっていた。

 いやいや……。

(お姉ちゃん……?)

 どう見ても、アーチェの奴のほうが年上だと思っていたんだが、え? 実はああ見えて年下だったのか? と、疑問を抱えるままに姉妹の抱擁を見ていると、白い少女は紅色の眼できっと俺を見咎めた。その目は顕著に「さっさと出て行きなさい。でないと本気でもがせるわよ」と告げている。

 それを見て、大人しく退散することにした。触らぬなんとかに祟りなしっていうしな。

 

 ……あ、それとこれは余談だが、そんなことがあったっていうのに朝になったら、ちゃんと俺用の現代服が用意されていて、驚いたのはまた後の話だ。

 やっぱ、アーチェ(あいつ)って変なところで律儀な奴だな。

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 一時はどうなることかと思った一騒動も危機一髪乗り越え、終わってみれば、屋敷はもう静かだった。夜も深く月も青々と照っている。いつもはこの時間にまだ起きている士郎も、イリヤの説明によれば、聖杯戦争のことについて簡単な説明を受けてすぐに眠りについたとのことだった。

 ざぁ、と夜風にあたる。

 雲の隙間から青白い月が庭先をぼんやりと照らす。

 そう、こんな夜に、オレは地獄に堕ちてもなお忘れられぬあの幻想(そんざい)を召喚したのだ。

「こんばんは」

 今まさに考えていた主と同じ清涼な声が目前で放たれる。

 中学時代にイリヤが身につけていた服と同じ服に身を包んだ、金紗の髪の少女がそこに立っていた。

「セイバー……」

「良い夜ですね、シロ」

 そうして、碧い目を細めて、この騎士王の名をもつ少女も空を見上げる。

「ああ、そうだな」

 いいながら、ふと、ささやかに笑った。

 かつての日々は遠い。

 この少女と自分の関係も、自分自身もこんなに変質してしまった。

「私は、召喚されてから今より、ずっといろんな疑問を抱いていました。わからないことだらけだ」

 少女はそんな言葉を口にする。

「でも、一番の謎は貴女です」

 そして、嘘は許さぬとばかりに厳しい目で私を射抜いて「あなたは一体何者なんですか?」そう真っ直ぐに口にした。

 月が雲に隠れる。

 

 

  NEXT?

 

 

 



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10.交錯するピースの欠片達

ばんははろ、EKAWARIです。

もうお気づきの方のほうが大半でしょうが、本作のセイバーさんはセイバールート地下室BADEND出身セイバーさんなのだった。
というわけで、今回は俺的には剣弓回です。
え? どこが? と言われそうですが、大体俺の理想の剣弓ってこういうものなので問題ない。あくまでも鞘剣前提の鞘剣合っての剣弓が好きなのであって、そこを蔑ろにしたら意味がねえっていうか、まあとにかく鞘剣の延長線上の剣弓が好きなのだ。



 

 

 

 失敗作だといわれてきました。

 お前など失敗作だといわれてきました。

 所詮は模造品だと、そんな言葉とうに聞き飽きたのよ。

 もうなくしたものを、いつまでもいつまでも彼らは口にするのだ。

 ああ、イリヤスフィール様ならば、と。

 実際にそれを受けるのは私なのに。

 実際に全てを受け持つのは私なのに。

 何も私には期待しないと、そう嘲笑うメイド達。

 脆弱な身で嘲笑う私以上の失敗作の群。

 白い雪の舞う城。

 私を犯す赫。

 楔。

 呪う様に悲願の達成をと、そんな言葉を壊れたようにいう大爺様。

 だから、私はこの手でそれを成してしまおうと思ったのです。

 他ならぬこの手で、その人を殺してしまおうと思ったのです。

 この世に生を受けてから、貴女の死を願わぬ日はなかった。

 

 

 

 

 

  交錯するピースの欠片達

 

 

 

 side.セイバー

 

 

 月が雲に隠れた衛宮邸の縁側で、私は鋭く目の前の女性に言葉を放った。

 言い逃れなど許さないと言外に含ませるように。

「あなたは一体何者なんですか?」

 白髪の背の高い彼女は、静かな……それでもどこか悲しみを湛えたような鋼色の瞳でじっと私を真っ直ぐに見て、それから「……言ったと思うが、私は君のマスターの家族で切嗣の子供だよ」と、そんな言葉を乾いた声で口にした。

「そんなことを、聞いたわけではありません」

 その私の言葉に、少しだけ困ったように眉を寄せた。

 その表情に内心少し戸惑う。

 なんというか、その表情がどこか、たまに見せていた『彼』に似ているのだ。

「……こちらにかけないか? 立ち話でするような話題でもなかろう」

 そう言って、手本を示すように今は黒いパジャマを身に纏った女性は隠れた月を見上げるように縁側に座った。

 習って私も座り込む。そして、その横顔を眺める。

 まるでどこか白く乾いた砂を連想させるような、そんな白く長い髪に、灼けたような薄褐色の肌。出るところは出ていながらも引き締まった長身は、同性である私から見ても見惚れるほどだ。

 顔立ちは眉の印象からだろうか、どことなく凛々しさや少年っぽさを感じさせるが、同時にあどけないような面が見え隠れしていて、真顔は大人っぽいにも関わらず多少童顔な印象だ。

 カラーこそ異色だが、その顔立ちは西洋人というよりは東洋人のそれに思える。

 そして、手。

 努力に努力を重ねてきたようなそんな働き者の手をしている。

 戦闘中などは皮肉った表情が多かった。口調もまるでかの赤き弓兵のようだった。

 白髪褐色の肌という、色の組み合わせが同じというだけではない。顔立ちもどことなく似ている。

 縁者だろうかと、その関係を疑えるほどには彼女はあの赤い弓兵に似ていると、それが私のこの「衛宮・S・アーチェ」と名乗った女性に対する第一印象だった。

 なのに、こう接していると何故だろう。

 どことなく、彼女はかの弓兵よりも寧ろ、『シロウ』に似ているような気がした。

 彼女が作ったという夕食をいただいた。それは、悔しいような気はしたが、シロウの作る其れより数段上で、とても美味だった。だけど、ただ美味だったというだけではなくて……ただの美味であれば、そうであればこんなに私の胸を打ったりしなかった……あれは暖かい、とても暖かいそんな料理だったのだ。

 そう、かつて私が斬り捨てた少年が作ったそれと同じように。

 食べるもののことを考えて作られたそんな暖かい料理だった。

 誰かを想う気持ちが込められたそんな料理だった。

 自分が食べることも後回しにして、彼女が給仕にまわっていたことにも途中で気付いた。その、自分よりも他人を優先させる在り方を似ている、とそう思った。

 そして、その時に密かに浮かべていたどこか懐かしむような笑み……その意味は、理由は一体なんなのか。

 

「こちらからも質問をしていいかね……?」

「……何をですか」

「君は一体、何を知りたいんだ……? セイバー」

 そんな風にまたも静かな瞳で、眩しいものを見るかのように目を細めて、彼女は言う。

 その瞳に、決意が揺るがされる。

(そんな目で見るのは、卑怯だ)

 胸が疼く。

 あの時貫かれた感覚と斬り捨てた感覚が同時に蘇ったような気がした。

「……わかりません」

 ずきずき、と胸が痛む。

 あのカムランの丘で悲願の成就をと誓ったのに、それすらがもう遠い過去になっていく。

「……私には、貴女がわかりません」

 そうだ、わかっている。おそらくはきっと、この(ヒト)にどんな返答をもらったところで、私は納得することなんて出来ないのだろうと。

 そうだ、彼女はまるで鏡だ。私の心を映し出す鏡。

 気付いた。

 なんで気付いたのだろう。気付かなかったらもっと楽に対峙出来たのに。

 じわり、じわりと、胸から苦い感情が痛みと共にせり上がる。

「懺悔を……聞いてもらってもいいですか」

 彼女はそれに答えを返さなかった。

 ただ、静かに、本当に静かな目でじっと私が話し出すのをただ待っていた。

「私は……マスターを……前の自分の主をこの手で殺したのです」

 鋼色の目が見開かれた。

 

 ……彼はその時、死にかけだった。命を奪うのは本当に簡単だった。

 そもそも、私の手はとっくに汚れている。

 国を守る、そう、その為に今まで幾度もこの手を血に浸してきた。

 国を守るためならば、それなら私などどうなってもかまわないのだと、そんな風に思って、幾度も幾度も聖剣を手に、敵を斬り捨てて来た。その末に国すら失くし、息子すらこの手にかけた。その果てに望んだやり直し。その為に聖杯を手にいれる、そんな悲願。

 私にとっては祖国こそが一番大事で、民こそ守るべきもので……私情など二の次で、だから、だから……と、あの地下室、聖杯を与えようというそんな神父の甘言のまま、自覚もないままに剣を引いた。

 幕切れなんていつだってあっけない。

 大切なものはいつだってこの手をすり抜けていってしまう。

 愛した少年だったのに。こんな愚かな私を、愛してくれた少年なのに。

 それでも、私は自分の願いを優先して、そのまま未来ある若者の命を一つ奪った。

 理由はどうあれ、主であった少年の命を。

 その瞬間が消えない。

 いつまでもこの手に感触として残っている。

 恐ろしいまでに冷たい感覚。

 そうだ、過去には息子だって私は殺している。なのに、なのに……消えないんだ、どうしても。

 簡単だった。終わりは簡単だった。

 でも、それは何より重かった。刃の軽さに比例するかのようにどんどんと重くなっていく。

(それは心が?)

 纏わり付く。

(それは体が?)

 赤が止まない。

 その暗闇の中嘲笑う、神父の口元。私の頬から伝う涙。血の匂い。事切れた少年。

 そして……私の胸元から生える赤い呪いの槍。

 それが、終わりだ。前回の終わりだ。

 あの時、ランサーは何を言っただろうか。ほんの少し前の出来事のような気がしているのに、遠く霞む記憶。

(ああ……)

 確か、「こんな形は俺も不本意だったが、あばよ、セイバー。つまんねぇ奴に成り下がりやがって」だっただろうか……? 主を殺した私への侮蔑を顕わに、秀麗な顔を歪めて『その時』を終わらせた青き半神。

 それだけだ。

 結局、主を自らの手で殺した私は『聖杯』を手にすることは出来なかった。

 

「セイバー」

 はっと、自分にかけられた、どことなく声変わり前の少年を連想させる女の声をきっかけに、記憶の奥底から現実へと戻ってくる。

「……なんでしょう」

「君は後悔しているのか……?」

 息がつまる。

 当然だ。

 だって、聖杯が最初っから汚染されていたのなら、それは最初っから私の願いは叶うはずがなかったということで、それでは……それでは一体私は何の為にシロウを手にかけたのか。何の為にアレを背負ったのか。

 消えない。消えないんだ。彼を斬ったその時の感触が消えてくれない。

(何が騎士だ。騎士の王だ)

 主を斬り捨てておいて騎士を名乗るなど、お笑いもいいところだ。

 いや……そもそもが初めから叶うことのない力を、ありもしないものを求めての果ての結末ならば、そんな幻想のために何より大切だった人を斬り捨てた私は道化と言い換えてもおかしくはない。

 白い髪を、雲越しに覗く月の光で青白く照らしている女は、諭すようなそうではないような、判別が難しい声でぽつりぽつりと言葉を連ねていく。

「後悔するな……なんて私は言えん。私とて、後悔ばかり抱えていた。私は、私もな、愚かだった。もしかすれば君よりもずっとずっと」

 そう放つ声や、遠くを見つめている横顔はどこか枯れた老人を連想させた。

「シロ……?」

「しかしな……セイバー」

 彼女が私に視線を向ける。

 その鋼色の瞳は憂いを帯びていて、見ているほうが物悲しくなる、そんな目だった。

「君が斬ったという『マスター』は果たして、君を恨んでいるのだろうか」

 

「……何……を」

 息が、上手く出来ない。

 彼女は淡々と、まるで独り言をこぼすかのような調子で言葉を紡いでいく。

「君は後悔しているのだろう。主を斬ったことを。その代償にそうして君は苦しんでいる。その様子をもし見たのならば、果たして君が斬ったという元主(マスター)はどう思うのだろうな」

「そんなの……わからない。けれどっ、きっと……私を恨んでいるに……決まっているではないですか」

「何故、そう思う……?」

 だって、だって私は……自分の願望のためだけに愛する少年を手にかけたのだ。

 ただ一人、異性として愛した少年をこの手にかけたのだ。

 彼が全てを失ったものであることは夢を通じて知っていた。知っていたのだ。

 私と同じくかつて失くしたものだ、と……。

 全てを失い一人生き残った少年、それの未来をただ自分の願いのためだけに私は一方的に奪った。

 命すら奪ってしまった。

 なのに、そんな少年まで斬り捨てて、犠牲にしてまで求めたものが……何の意味もないものだとしたら、それは救われないではないか。あまりにも救われないではないか。

 それじゃあ、あの犠牲は、あの重さは、あの血は、あの人は……! ただの……無価値へと落ちてしまう。

 ただの、犬死にへと成り下がってしまう。

 セイバーと、ひたむきに不器用に私を呼んだ、人間としてどこか歪で、だけど前を見て歩いていた少年。

 その言動に、行動に時に苛つかされながらも、それでも私と似ていながら異なる彼は眩しい光だった。その未来をこの手で奪った。

(怖い)

 愛していたんだ、そんな言葉言う資格なんてないけれど、確かに私は愛していたんだ。

(怖い)

 全てを奪われようと、彼は、誰にも恨み言をいわなかった。それを知っている。

(だから、怖い)

 どうせなら、せめてどうせならそう……。

(その答えが、怖い)

 私を恨んで逝っていてほしい。でなければ、本当に何も救われない。

(だけど、きっと彼は……)

 

「セイバー、今度は私の話をしてもかまわないだろうか?」

 淡々と、感情を交えずにシロはいう。それに、「どうぞ」と言い頷いて、話を促す。

 ……先ほどまでの考えは胸の奥底に封印した。そうでなければとても冷静に振舞えそうになかったから。

 そして語られる、彼女の事。

「私もね、昔、裏切ってしまったんだ」

 遠い、遠い目。鋼の瞳は私を見ていない。過去を見ている。

 先ほどまでの私がそうであったように。

「あまりに辛くて、苦しくて……大切な少女を、最も裏切ってはならなかった少女を、己の願望のためだけに裏切った」

 シロが手をのばす。

 それはまるで水面に映った月をつかむ行為に似ていた。

「なのに。そんな私なのに、彼女は…………」

 それを……泣いているのかと思った。

 錯覚なのはわかっている。涙なんて流していない。それでも、泣いているのかと思った。

「なあ、セイバー、もう一度聞こう」

 そしてゆっくり、鋼の瞳は私の目を捉える。

「君が斬ったという『マスター』は果たして、君を恨んでいるのだろうか」

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 他愛もない、抽象的な、そんな話をぽつぽつと続けていたように思う。

 セイバーも私も、淡々とそんな風に語り合った。

 傍目には傷の舐めあいと映ったかもしれないけれど、それはきっとはずれてはいない。

 私もセイバーも互いではなく、相手に自分の過去を見ていた。

「今回の聖杯戦争のことについて……いいですか」

 ぽつりと、少女はそんな言葉を持ち出した。

「正直、私はまだまだ自分の気持ちに整理をつけられない。だから……これは明日マスターにも言おうかと思っていることですが……」

 少女は一瞬瞼を閉じ、考え込むように伏せ、それからすっと哀しみと憂いを秘めた碧い瞳を開き、私を静かに見て、言った。

「今回、私は暫く傍観を貫かせていただきます」

 それは、予想の範囲内の言葉だった。

「今の気持ちのまま、私……誰のためにも戦えそうにない。サーヴァントとしてあるまじきことだとはわかっています。それでも、私は……」

「わかった」

 そう返答すると、驚きに目を開いて、彼女は私を見た。

「こちらとて、戦う気のないものに戦わせるつもりなど、元よりない。何、君がいなくても、こちらにはランサーもいる。これからどうするかはゆっくりとセイバーが考え、答えを出せばいい」

 そういって、安心させるように微笑みを浮かべた。

 其れを見て、セイバーは気のせいだろうか、一瞬だけ泣きそうな目を浮かべたような気がしたが、またすぐにいつもの平素の顔に戻して、「ありがとうございます、シロ」といい、ぺこりと頭を下げた。

 それから、すっと立ち上がる。

 話は終わった、これから部屋に戻ろうというのだろう。少女は私に背をむける。

 きっと私はそれで、油断し、安心していたのだろう。

「ああ、そうだ、シロ」

 言い忘れていたことがあった、とそんなニュアンスで、背中越しに少女はなんでもないようにそれを口にした。

「何故でしょうね。性別も外見も口調も何もかも似ていないというのに……貴女は、どこか『シロウ』に似ています」

 そう、言い残して今度こそ少女は完全に立ち去った。

 

 言葉を失う。

 手が、震える。

 

(『シロウ』に似ています……? だって……?)

 

 それは、その言葉は……ぎゅ、と心臓の上を押さえる。

 

(君が言うのか。アルトリア)

 

 ―――彼女と出会ったのはこの夜だった。

 あの月明かりも、あの神聖さもどんな時だってあれだけは忘れたことはない。忘れたことなんてなかった。

 既にオレは『衛宮士郎』とは別物だ。そんなものに成り果ててしまった。

 なのに、似ていると君は言うのか。

 

 そう、それはとても……。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 夜風が吹く。月が覗く。空は蒼い。ピュルルと、自然物ならぬ鳥が飛来する。

 翡翠で出来た宝石の鳥。遠坂凛の使い魔。

「そうか、漸くか」

 凛にしては遅かったな。

 やはり、ランサーがいる分慎重になったということか。

 彼女の使い魔が、学校から帰ってから衛宮家(うち)を見張っていたことは知っていた。あとは邪魔されぬタイミングを計っていた、それだけだろう。いいさ、私もはっきりさせるほうがずっといい。

 そうして私は皮肉の仮面を被って、衛宮の家から抜け出した。

 

 

 

 side.ランサー

 

 

 聞いたのは偶然といえば、偶然だった。

 マスターになった白い嬢ちゃんに部屋を追い出されてから、やることがないからとこの家の屋根の上で見張りみたいなことをやってごろごろしていた。

 そこに現れたアーチェの奴とセイバー。

 盗み聞きというのは趣味じゃねえが、先にいたのは俺だ。

 気付かぬ奴らが悪いとして、なんとはなしにその会話を聞いていた。

「マスターを殺しました、なぁ?」

 通常、聖杯戦争に召喚される英霊っつうのは、座にある本体の分霊(コピー)がクラスに応じてその側面を強調され、召喚されてくるもんだ。

 だからこそ、記憶とかも聖杯戦争(そのとき)限りの分霊個人のもんであり、大本である本体とは記憶を共有することはねぇ。残されるのは「そういうことがあった」っていう記録だけだ。

 そのはずなのに前の時の記憶があるらしきことを口にしたセイバー。

 本来ならサーヴァントの仕組みからしてそんなことは有り得ん。記録は確かに残るが、それは膨大な書籍の中から一冊の本を見つけてくるようなもんだし、それを読み解いていたとしても、感情とかまで伝わるようなもんじゃねえ。だが実際記憶があるとなると、こりゃあ、ただのサーヴァントじゃねえな。

 イレギュラーか、と思いつつ、金紗の髪の少女の言った言葉に面白くねえ気持ちが沸いて来る。

 セイバーの英霊に選ばれるのは真っ直ぐな気性の、最優の名に恥じぬステータスを持つ者が召喚されるという。それが、「マスターを殺しました」とは……気にくわねえな。

 召喚される時、最も楽しみにしていたのが白兵戦最強と呼ばれるサーヴァント、セイバーとの戦いだった。

 そんな自分の気持ちも穢されたような気分だ。

「腑抜けが」

 そう吐き捨ててごろんと転がった。夜の風が心地よかった。

 

 

 

 side.遠坂凛

 

 

 深夜2時過ぎ、アーチャーと共に私は再び夜の学校へとやってきていた。

「来たわね」

 ぎっと、仁王立ちになって、件の人物を睨むように立ちながら、腕を組んで見据える。

 それに、闇に溶けるような黒衣に、軽くジャンパーを羽織っただけの軽装をした白髪褐色肌の女、衛宮・S・アーチェは「それで、こんな時間に人を呼びつけておいて何の用かな、凛。夜更かしは肌にも悪いぞ? 君の行為は淑女として問題があるように見えるが?」なんてことをからかうように口にして歩み寄ってきていた。

 驚いたことというか、呆れたことというべきなのか、彼女は1人だった。

「とぼけないで。いい、私はあんたと化かしあいをするために呼んだんじゃないの」

「ふむ、そうか」

 どことなく残念そうな色を見せているのは、どういう意味なのかしらね。

 ふふ、いい度胸してんじゃないの。

 とは思いつつも、追求していたらきりがないから全力でスルーすることにして、本題を進める。

「しかし、アンタ、無用心だとは思わないの? サーヴァントも無しにまさか本当に一人で来るなんて……呆れた」

「生憎、私はマスターではないからな。サーヴァントがいなくて当然だろう」

 そう、それが意外といえば一番意外なことだった。

「アーチェ、確認なんだけど、セイバーのマスターは衛宮君よね? どういうこと」

 衛宮士郎。

 衛宮家の末っ子である少年で、桜が最も良い顔で接する少年だ。

 遠目でわたしが見る限り、魔力の匂いもそうだけど、彼は普通の少年だった。

 それが、最優と名高いセイバーを召喚? まるで悪い冗談のようだった。

 でも、確かに私は、学校から撤退してすぐに衛宮の家に送りつけた使い魔を通して、彼の左手に浮かんだ令呪の存在を確認している。

「聞くまでもないだろう。マスターになれるのは魔術師だけだ」

 不敵な笑みを口元に浮かべて、アーチェはそんな言葉を言った。

「は? でも、まって、衛宮君は」

 そうだ、末の子なのだ。通常魔術師の跡継ぎは1人だけだ。

 後継者以外は魔術を知らされずに育てられるか、別の魔術師の家へと養子にやられる。

 でも、彼は3人目なのだ。

 そして、はっと思い出した。

 そうだ……アーチェは。

 すっと、眼光を鋭くする。ぴりり、と殺気すら飛ばして、この10年来の昔なじみを睨みつけた。

「……呆れた。そう、つまり、そういうこと」

 私は養子だとそう言っていたアーチェ。

 そして、魔眼持ちのイリヤ。

 あれだけの素養を持つ子がいて、何故魔術師の養子がいるというのだろう。

 一度だけ写真で彼らの『父親』である男の顔を見たことがある。くたびれた感はあったが、それでもまだ若い男だった。少なくともアーチェの年齢の子供をもつにしては若めだった。

 なのに、自分の子に魔術を継がせることもまだまだ可能だろうし、イリヤは魔術師として有望な器なのに、何故わざわざ他の魔術師を養子に? その答えは……。

「つまり、『衛宮』っていうのは、二人の魔術師と、二人の後継者からなる魔術師の二つの複合家系だったっていうこと」

 なんて、反則。

 家族全てが魔術師だなんて、一体誰が想像しただろうか。

 はい、よく出来ました、そう言うかのようにアーチェは口元に皮肉った笑みを浮かべ私を見ていた。

「わたしを騙すなんて、随分な真似をしてくれるじゃない」

「凛、言っておくが、私は別に君を騙してはいないのだがね。言っただろう? 「衛宮は魔術師の家系」だと。君が勝手に勘違いしただけだ」

「詭弁を言ってるんじゃないわよ」

 わざと勘違いさせるように振舞ったくせに。

「まあ、いいわ、此処からが本題よ」

 

 すっと、真っ直ぐに鋼色の目を見据えた。

「アーチェ、貴女はわたしの敵(・・・・・)?」

 そう、これは何にも勝る、優先される問い。

 マスターでないことはわかっている。

 そう、参加者ではない、それでも彼女が聖杯戦争に完全な無関係を貫くとは、どうしても思えなかった。

「私は……」

 鋼色の瞳が、どこか彷徨う。

 彼女とて魔術師だ。おそらく敵となれば、彼女もあとは殺すことを迷ったりはしないだろう。

 たとえ……どんなに親しい相手でも。

 だから、次の言葉は意外としか言いようがなかった。

「私から君に手を出すことはないよ」

 曖昧な表現とどこか虚ろな態度。

「家族に手を出すのならば、抵抗はしよう。だが、私は君を傷つけはしない。君が私を殺したいというのならば、それも受け入れよう」

 カッ、と怒りに頬が染まった。

(今、こいつ、何言ったのよ)

 殺したいというのならば、それも受け入れよう?

 なんて馬鹿な、馬鹿なことを口にするのか。

 でも一方で、これまでの経験から、その言葉は間違いなく本気で言っているとわかって、余計に頭に血がのぼった。

 そうだ、捻くった大層な言い回しが多いけど、こいつは、基本的に嘘をつかないのだ。

「信じられないのならば誓おう。私は遠坂凛を傷つけない。家族に手を出すというのならば抵抗はしよう。それでも、私を殺したいというのならば、殺せばいい。君にはその資格がある」

 真摯な声で告げられる、響きだけならば神聖ささえ孕んだ祝詞……だけど、その正体はとても……。

 そうだ、わかりきっていたことだ。

 こいつがそういうやつだなんてわかりきっていたことだ。

(歪んでいる……!)

 こいつは、何か、どこか人としておかしいやつなんだってそんなの最初っから知ってた。

 ぐっと、自分の拳を握りこむ。

 そうでもしないと、感情の発露を抑えられそうになかったから。

「アーチャー!!」

 苛立った声のまま、この目の前の女と似たところを多分に含んでいそうな己の従者の名を呼ぶ。

「行くわよ! もう、用はすんだからっ」

 

 

 

 side.アーチャー

 

 

「行くわよ!もう、用はすんだからっ」

 そのマスターの声を合図に私は霊体化を解いて彼女たちの前へと姿を現した。

「マスター、少し待ちたまえ」

「何よっ!?」

 苛立たしげにマスターは整った顔を歪めて私に噛み付くような言葉を返す。

「アーチェといったか。少し、この人物に確認したいことがあってね」

「はあ? 確認って何よ、それ」

「いや、何、君はなにやら一人納得したものがあるから立ち去ろうとしているようだが、私はなにせこの女とは初対面だからな。本当にマスターに対して危害を加えない人物なのか……見定めたい」

 そう口にすると、遠坂凛は口元をへの字にして、僅かに黙って考え込むような顔を見せたかと思うと、むっすりとした顔になって「わかった。校門のところで待っているからさっさと来なさいよね」そう言い残して踵を返した。

 凛が去る。

 それをまっていたかのように、私と同じ外見特徴をもった女が慎重に防音の結界を重ねがけしていた。

「さて、マスターはお冠だ。あまり、時間があるとはいえない。故に率直に聞こう」

 腕を組み、まっすぐに、やはり性別が違うというにも関わらず鏡で見た私とよく似た表情を浮かべた女に対して、その確信染みた言葉を放った。

「オマエはオレか?」

 それに、にっと女の姿をしたそれは笑った。

 

 

 

 side.レイリスフィール

 

 

 誰もいない夜の公園で、ギィギィと音を鳴らしながら、私はブランコという名の遊具をこいでいた。

「~♪、~~♪」

 誰もいない。

 夜を前に街は眠っている。

 ここに、私を見張る者はいない。

 嗚呼、なんて自由なのだろう。

 唄を歌う。

 思いのままの歌を。

 名など歌にいらない。そんなものはいらない。

 たとえ、失敗作と、所詮は代用品だとそんな風に言われようと、私はアインツベルン。

 アインツベルンの今代の小聖杯、レイリスフィール・フォン・アインツベルン。

 ならば、淑女として振舞おう。

 淑女がガツガツした真似をするなんて、見っとも無い。そんなものは似合わない。

 そう、私はアインツベルン。

 ならば、待とう。

 どうせ最後には私と一つとなる。其れが遅いか早いかだけのこと。

 客人がきたら、それを持て成すのが、それが淑女というものでしょう。

 だから、今はこうして歌を唄って月を見る。

 煩い声がない。

 それは素直に有り難い事。

 ゆらゆら、ゆらゆらと、初めて触れる遊具に揺られながら、遠い空を見上げる。声をかけるものはいない。

(殺してしまえば静かになる)

 私を所詮は模造品だと、言ったメイドは既に殺した。

 身の回りの世話をするためだと、そういってついてきたメイドは既に殺した。

(でも大丈夫、私は全て一人で出来るのですから)

 ゆらゆら、ゆらゆら、遊具に揺れる。

「~~♪、~~~♪~♪」

 煩わしい全て、今は此処に無い。

 私の……私の為だけの世界。

「……あら?」

 くすりと、口元に手をやって私は微笑む。

 リン、と髪留めにつけた鈴が揺れて音を鳴らした。

「お客様。下賎な客人ですが、いいでしょう。今、私は気分がいいですから」

 わらわら、わらわらと骨の人形が私を囲む。

 魂無き人形が魔女の操るままに公園へとぞくぞくと集まる。

 それを眺めて、すっと姿勢を正して立ち上がる。

「でも、面倒ですから今度は直接本体で来て下さいね、キャスター」

 にこり、冷たく笑って、私は、自分の最も忌まわしき敵(サーヴァント)を呼び出した。

 

「さぁ、お狂いなさい!バーサーカー……!」

 

 ああ、もしも、あの骨人形が、貴女であったなら……そんな空想を抱えながら私は戦闘開始の合図を下した。

 

 

  NEXT?

 

 

 



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11.賑やかな日曜日

ばんははろ、EKAWARIです。
今回の話はおそらく第五次聖杯戦争編で1番明るい話になっています。
士郎の反応があれなのに納得出来ない方は束の間の休息編の「03.授業参観」と「15.それぞれの日常 衛宮士郎編」読み直してくること推奨。
尚、前回があれだったのに食事中のセイバーがこうなのは、まず原作時点で彼女が「今日は断食で御座る」と原作士郎に言われて士郎を危うくタイガー道場送りに仕掛けた(要はその時点で士郎を半殺しにしちゃった)前科があったりするから、基本シリアスモードでも食事だけは別なんだという認識で宜しくです。
次回、バゼット登場……!? お楽しみに?


 

 

 

 切嗣さんが嘘つきだなんて、そんなこと前からわかっていたわよ。

 でもね、わたしは切嗣さんが大好きだから。

 みんなが大好きだから、その嘘に騙されていようと思ったんだ。

 ねえ、みんな帰って来るわよね?

 わたしのいる場所が帰って来る場所だって、そう思ってくれたらそうしたら嬉しいな。

 みんな、みんな。

 

 

 

 

 

  賑やかな日曜日

 

 

 

 side.ランサー

 

 

 まるで虎みてえな大咆哮を上げながら、その姉ちゃんは現れた。

「切嗣さぁーーーーん、会いたかったよぅ!!」

 耳に響くような大声でもって、この家の大黒柱を名乗る男の名を呼び、物凄い勢いでタックルみたいに、ニホンの伝統衣装とかいう、キモノを着た件の男……衛宮切嗣に抱きつく茶色い髪に虎柄のシャツと、翠のワンピースをきた幼顔の女。

 キリツグはそれを前にして、全く動じず、すげえ胡散臭い笑顔を浮かべて、「やぁ、大河ちゃん。心配かけたみたいだね。ごめんよ」なんて言って、まるで小さな子供にするみたいによしよしとその柔らかそうな丸い頭を撫でていた。

「う、う、う……本物の切嗣さんだー……。そうよ、本当に心配したんだから! 暫く家に来ないでくれってお祖父ちゃん通して連絡してきたって思ったら、今度は銃弾の薬莢回収に協力してくれってどういうこと!?」

「タイガ、落ち着きなさい。見っとも無いわよ。それについては後で説明するわ」

 と、白い嬢ちゃん……俺のマスターになったイリヤスフィールは、優雅にアーチェの淹れた茶を口にしながら、そんな言葉をタイガっていうらしい、姉ちゃんにかける。

 それに、涙目を見せる件の姉ちゃんは、くるりと、漸くまわりを見渡す余裕が出来たのか、俺とセイバーのほうを見て、「知らない人がいるー」なんていいながら、やっとキリツグとかいうオッサンから離れて立った。

 そこに、ひょこりと、布巾を手に抱えた赤い髪の坊主……シロウと、エプロンにお玉をもったアーチェが現れ、「まあ、詳しい話は食事の後でいいだろう。各自席についてくれ。もう出来るから」と言ってまた台所に戻っていった。

 じぃ~っと、茶色い髪の姉ちゃんが俺とセイバーを見ている。

 とりあえず俺はよっと、軽く挨拶代わりに手を挙げ、セイバーは「おはようございます」とぺこり、頭を下げた。

「そうね、お互い、名前くらいは先に交換しといていいんじゃない?」

 とはマスターの嬢ちゃん談だ。

 淡々とした声でセイバーは、今朝打ち合わせた時に名乗ることに決めた名を告げる。

「セイラです。昨日からこちらのお屋敷でお世話になっています」

「ランスだ。で、お姉さんは?」

 ちなみに、この偽名は見てわかるだろうが、クラス名であるセイバーやランサーを一文字もじっただけという、なんとも中途半端な偽名だ。

 とはいえ、セイバーやらランサーやらと名乗るよりかは人名っぽく聞こえるだろうし、もしも言い間違えたとしても聞き違いで済むだろうという理由でこれになった。

 下手にセイバーやランサーを名乗り、それが他の聖杯戦争参加者の耳に入ったらまずいからとかいうのが偽名を名乗る理由であり、発案者は家長を自負している死んだ目をしたオッサンだ。

「わたし? わたしは藤村大河。血は繋がってないけど、士郎たちのおねえちゃんみたいなものかなー」

 えへへーっといいながら、照れくさそうに頭をかくタイガの姉ちゃん。それを前に白い嬢ちゃんは冷たい流し目で「自称でしょ、自称」なんてことを言った。

「う、う、イリヤちゃんが冷たい~……」

「全く大河がくるといつも騒がしくなるな」

 なんてことを苦笑交じりに言いながら、料理皿を手にアーチェが居間に入ってくる。入れ替わるように坊主が布巾を手に台所に向かった。

 泣いたカラスがもう笑う。

 タイガの姉ちゃんはぱっと美味そうな料理を手にしたアーチェに向かって、「うわあ、久しぶりのシロさんのご飯だー。ね、ね、今日のご飯なーに?」と嬉しそうな顔で尋ねる。

 それに満更でもないらしいアーチェは「今日はグリーンアスパラのサラダに、コンソメスープ、チーズオムレツに、みかんのコンポート、バタートーストだ」と答えた。

「わぁ、珍しく洋食なんですね」

「ああ……まあ今日はセイラやランスたちもいることだしな」

 そういって皿を机に並べだす。

 続いて坊主もやってきて、箸や食器の配膳を手伝いだした。

 うーん……こういう配膳って普通は女が手伝うもんじゃねえの? って、全く動く様子の無い白い嬢ちゃんやらを見て思いはしたが、突っ込むのも野暮なのでやめといた。

 まあ、どう見てもイリヤの嬢ちゃんは人を傅かせる側の人間だしな。

「いただきます」

 

 食事は騒がしくもはじまった。

 わいわい、がやがやと騒がしい食事をとっていると、生前の戦勝祝いの宴なんかをつい思い出す。

 大勢での食事ってもんは、何時の時代もいいもんだ。

 タイガの姉ちゃんは明るくて楽しいし、いるだけで随分と場が明るくなった気がする。食事もすっげえ美味いし、気分がいい。放っておけばセイバーやタイガの姉ちゃんたちが全部平らげる勢いだが、俺も負けてらんねーし、有り難く馳走を頂くかね。

 と、そうやって楽しく食事をしててまた気付いた。

 やっぱりアーチェの奴は給仕にまわって、殆ど自分のための食事をしていない。

 いや、まあ美人に給仕されるのは嫌な気はせんし、こうやって見てても自然なその動作から気遣い上手だなって思うけどな? しっかしなんだ、みんながみんな楽しんでいるっつうのに、女中やメイドじゃああるまいし、作ったやつがよりによってそういう態度ってのはどうなんだ?

 と思うや否や、アーチェの皿にオカズを取り分け、ぐいっとそれを握りこませた。アーチェは警戒心に一瞬触れた手を震わせるが、それでも食材を無駄にしたくないんだろう、落ちないようにしっかり受け取って、驚いた目で俺を見る。

 それを見て、黒髪のオッサンはタイガがここに来る直前まで俺に向けっぱなしにしていた殺意染みた視線を俺に送ってくる。んでもって、俺のマスターの白い嬢ちゃんのほうも『ランサー、シロに必要以上に近づかないでって言ったでしょう。次に昨日みたいな真似したら問答無用で令呪使っちゃうんだから、とにかくシロの手を離しなさい』なんて念話を怒気交じりにぶつけてきているんだが、それを無視して、俺は言葉を紡いだ。

「アーチェ、お前も食えよ」

 アーチェは胡散臭そうな目で俺を見てくる。

 それを流すようにコンソメスープに口をつけつつ言った。

「さっきから見てりゃあ、人に尽くしてばっかで碌に食ってねえだろうが。こういうみんなで楽しむ時は素直にお前も楽しめ」

 その言葉にうんうんと赤い髪の坊主は頷く。

「……ちゃんと食事はとっている」

「わかってねーな。お前がそんなだと見ているこっちが落ち着かないっていってんだよ。いいからほら、食え」

 そういって、アーチェの手ごと皿を握って、ずいと眼前に突き出す。 

 それにアーチェは、むぅ……と小さく唸るような声を上げたかと思うと、「わかった」と渋々といった声で漏らして、それからすとんと、俺の隣に腰をかけて皿の中身を箸で口に運んだ。

 ったく、素直じゃねーな。とは思うが、その拗ねたような顔が存外ガキくさくて可愛らしかったので良しとして、スープの残りを啜る。

「ランスさんって、シロさんのことアーチェって呼んでいるんですか」

 うわあ、となんだか感心したような声でタイガの姉ちゃんが俺に話しかけてくる。

「おう。それがどうかしたのか?」

「だって」

 そういって、言葉を一旦切ってから、タイガの姉ちゃんはアーチェをちらりと見て、続きを口にした。

「ここ10年、シロさんのことを下の名前でよぶ人なんて見たことなかったから。シロさんって人に自己紹介する時も、フルネームなんて滅多に口にしないんですよ? だから下の名前知っている人も稀なんです」

 その言葉に少しばかり驚く。

 そういえば、確かに昨日イリヤの嬢ちゃんは、アーチェの奴はフルネームを名乗るのを嫌がるって説明していたが、いや、まさかそんなに徹底しているとは。

 つうことはなんだ? 俺が詰め寄ったあの場面で名乗ったのも結構珍しかったのか?

 いや、それより、俺もシロって呼んだほうがいいのかって聞いた時、好きにしろって言ってたしな……ひょっとして俺は特別扱いを受けていたってことか? もしや、下の名前で呼んでいるのは俺だけだったりするとか?

 なんだ、やっぱり俺に気があったりするのか?

 なら昨日俺を拒んでいたのはただの照れ隠しか?

 なんて思って良い気分になり、思わず口元がにやけそうになるが、それに水を差すようにイリヤの嬢ちゃんは「ランスだけじゃないわよ。凛もシロのことはアーチェって呼んでいるもの」と発言して、一瞬じろりと、とんでもなくおっかねえ眼差しで俺を睨んでから、ふんっと視線を逸らした。

「凛って……ひょっとして遠坂さん?」

「そ、タイガは知らなかったみたいだけど、シロ、凛と仲良いのよ」

 そこで、こほん、わざとらしく咳払いをしてアーチェの奴が「お喋りはそこまでにしないか。料理が冷める。それに……のんびりしていると全部なくなるぞ?」と言って話を終えさせた。

「え? なくなるって……ああーーー! セイラちゃんいつの間にそんなに!?」

「……んぐ?」

 見れば、殆どのオカズは既にセイバーの奴が胃袋に収めた後のようだった。

 そしてちゃっかり、自分のオカズは確保していたらしき、キリツグ、シロウ、イリヤの親子。

 がおーんと虎の遠吠えみたいな声をあげてタイガの姉ちゃんは、涙目で空になった大皿を覗き込んでいた。

「うう……全然残ってないじゃない」

「ご馳走様でした。とても美味しかったです、シロ」

 ぷふ、と満足そうに嘆息をついて、セイバーはハンカチで優美に口元を拭い、にっこりとこれを作った主であるアーチェにむかって微笑んだ。とても満足そうな笑顔だった。

 そして、がくりとタイガの姉ちゃんはうなだれる。

 それを見ながら、アーチェは食後のお茶の配膳をはじめて、全員に配り終わった後、言った。

「さて、ではランスとセイラのことについての説明なんだが……」

 

 そうして始まった説明は、事前に考えていたらしく、淀みなく滑らかな様子で語られた。

 嘘八百で塗り固めた、タイガの姉ちゃんを安心させるためだけに考えられた作り話。

 設定としては、俺とセイバーの奴は兄妹で、イリヤスフィールの母方の従兄妹ということになった。んでもって設定上の、このイリヤの母方の実家というのが複雑な家庭ということになっていた。

 なんでも裏に関係のあった名門だったせいで、親族内の陰謀がきっかけで俺とセイバーの奴も命を狙われ、マフィアに追われながら、親戚である日本の衛宮家を尋ねてきた。設定上、そういうことになっている。

 んでもってまだまだ説明は続く。

 事情を知っていた衛宮の面々は従兄妹である兄妹を保護する為に動いた。

 そして、丁度俺とセイバーを迎えにいったところ、俺たちの命を狙う刺客と鉢合わせして、奴らを追い払うために銃弾をバラまく破目になった。タイガに暫く来ないようにと言い含めていたのはこの為だ。

 だが、あまりにこのとき銃弾を使いすぎたため、銃刀法という法律のある日本では、いくら誰かを助けるためだろうと銃の使用はご法度。だから、家のことだから出来るだけ頼るつもりはなかったが、証拠隠滅に藤村組に助力を願った、それが昨日という筋書きだ。

 ……正直、聖杯からの知識があるとはいえ、この設定の意味が半分ぐらい俺にはわからねえってのは余談だが、まあ、今はそんなことはどうでもいいな。

 そうしてなんとかマフィアたちを退け、俺たち兄妹を狙うマフィアたちは一時撤退したが、まだまだ油断は出来ない状態だ。というわけで、本家の中でも話のわかる奴らと連絡をとり、敵対するやつらの真の黒幕をなんとかしようとしているのが今の現状だが、それに最低2週間はかかる。

 故にそれまでの期間、俺とセイバーを家で匿うことにするが、その間、イリヤの嬢ちゃんの母親の実家とも連絡を頻繁にとることになる。

 その中には機密の情報もあり、それを他人に聞かせるわけにはいかない。

 またこれは親族内の問題だから、藤村組にも迷惑をかけたくない。

 だから、今日は特別に許すけれど、これから2週間ほど家に来るのはやめてほしいし、もしかしたらイリヤの嬢ちゃんやシロウの坊主に学校を休んで貰う時もあるかもしれないが、その辺りについても事情を考慮して欲しい。

 ……と、まあ作り話の経歴の内容はそんなもんだ。

「そっか。なら、仕方ないですね」

 なんとも胡散臭い話だったが、まあ意外というべきなのか、タイガの嬢ちゃんは信じた。

 ああ見えて、タイガはヤクザの娘だもの、そりゃそうでしょうねとは念話でのイリヤの嬢ちゃんからきた補足だったが、こんな荒唐無稽な話を信じるとか、器のでかい姉ちゃんだな。

 ま、信じるなら信じるで後の面倒がなくていいがな。

「ねぇ、切嗣さん」

「なんだい?」

「事情はわかりました。機密内容が含まれているんじゃ仕方ないですよね。でも、今日はわたしいていいですよね?」

 眉根を下げて、不安そうな目でそんな言葉をここの家長のオッサンにかけるタイガの姉ちゃん。

「うーん……まいったなぁ」

「そうだな。夕方になる前に帰るというのならば、今日はいたらいい」

 どう返事をしようか迷うようなキリツグに代わり、アーチェがそう口にする。

 それを前にして、タイガの姉ちゃんはぱぁーっと表情を明るくして、「シロさんならわかってくれると思っていたよ~! 大好きっ」とかいって、抱きついた。

 それに僅かにアーチェは困ったような顔をしながら後ずさった。

「でも、今日だけだぞ」

「……わかってまーす」

 そう口にする顔は、少しだけ傷ついたような色をしていた。

 

 

 

 side.藤村大河

 

 

 とりあえず、久しぶりの衛宮邸(このいえ)での午前を堪能して、ごろごろと煎餅をかじりながら、士郎と並んでTVを見つつ、大人しくしていた。

 イリヤちゃんの母方の従兄妹だっていうセイラちゃんとランスさんの御兄妹は、正直兄妹のわりにあんまり似ていないような気はしたけれど、どっちも凄い美形で、流石はイリヤちゃんの従兄妹だわーと思わず関心しちゃった。

 確かイリヤちゃんの亡くなったお母さんってドイツ人だったっけ? そんなことを言ってたような気がする。

 見る番組も終わったので、宿題にとりかかり始めた士郎の横で、ちらりちらりと台所に視線をやる。

 そこでは、シロさんがいつもどおり家事にいそしんでいる姿と、そんなシロさんの隣で何かを言いながら手伝いを買って出ているランスさんの姿。

 それをぴりぴりと殺気混じりに見ている切嗣さんとイリヤちゃん。

 セイラちゃんは説明を終えてすぐに「道場のほうをお借りします」といって出て行ったから今はここにいない。そんな状況でわたしは「ねえねえ、士郎」とこの目の前の弟分に話しかける。

「なんだよ、藤ねえ」

「ランスさんってシロさんのこと好きなのかな?」

 ひそひそ話をするような声で、思ったことを口にした。

「え……」

「だって、ランスさんってずっとシロさんのこと気にしているじゃない? それに食事の時だって」

「あー」

 それに、士郎もぴんときたのか「かもな」とのってきた。

「うーん。こうして並んでいるの見ると、美男美女でお似合いカップルよね。身長だって釣り合っているし、見栄えもいいし、それにシロさんって結構うっかりしているところがあったりするけど、ランスさんなら安心してまかせられそう」

 ランスさんとは初対面だけど、なんとなくそう思った。

 今まで全然男の影のないシロさんだったからこそ、今回の件でもしかして……と思うのもあるし、想像したら結構楽しかった。青い髪に赤い目の白皙の美貌の青年と、スタイル抜群の白髪褐色肌のシロさん。きっと並んで歩いたら誰もが振り向くほど華々しいだろう。

 いい、きっと凄く絵になる。

 士郎も同じことを想像したのだろう、うんうんと頷いている。

「ね、ね、士郎、ちょっとおねえちゃんの提案にのらない?」

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 一通りの家事をすませて、冷蔵庫や常温保存用の野菜室を覗いたとき、その問題に気付いて私は思わず頭を抱えていた。

(く……っ、一週間分の食材が僅か三日で無くなるとは……っ!)

 いや、まあ想像していなかったわけではない。

 そんな件は出来るだけ起きないようにするつもりではあったが、もしも彼女が召喚されたら、そうしたら我が家の家計にどれだけ被害を与えるようになるかなど。それに加え、よく食うランサーに、今朝は大河が加わったのだ。この顛末は当然といえば当然だろう。

 これは買出しにいかねばならないな。

 ……もしかすると、一か月分くらいの食材を買うつもりで行ったほうがいいのかもしれん。などと思って冷蔵庫の大きさと相談をする。

 ……そんなに買っても入りきらないか。

 常温保存用の野菜をいれる箱のほかに、この際クーラーボックスも活用するべきか。

 などと考えていると、すぐ後ろから慣れた気配が近づき、私の名を呼んだ。

「シロねえ」

 それは赤い髪の馴染みすぎるほどに馴染んでいる相手で。

「士郎」

「買出しに行くんだろ? 俺もついていくよ」

 そういって朗らかに笑う。

「ふむ、そうだな」

 まあ、士郎ならいまだ未熟者ではあるが、下手な買い物は打たないだろう。

 と、思いうんうんと頷いたその時、士郎は私にとっては思いがけないことを口にした。

「ランサ……ランス、さん。ちょっと頼みたいことがあるんだけど」

「……おい? 士郎?」

「なんだ、坊主。あと、俺の事は呼び捨てでよべ。聞いているほうがかゆくなる」

 なんていいながら、ひょこりと始めっからそこにいたかのようにランサーが現れた。

「わかった。ランス、これからシロねえと食材の買出しに行くんだけど、悪いけど手伝ってくれないか? 二人じゃちょっときついから」

「荷物持ちか? わかった、いいぜ」

 あっさりと、そんな言葉でランサーは買出しに行くことを受け入れた。

 ……まて。この強姦未遂魔。

「ランス、来なくていい。私と士郎で充分だ」

 牽制をかける。

 他の者の手前、いつも通りに出来る限り振る舞っている私ではあるが、昨日の屈辱を忘れたわけではない。

 それが昨日の今日でこんなやつと外を歩く? 冗談ではない。

 けれど、事情を知らないだろう士郎は「なんでさ」と口にして首をかしげて言う。

「藤ねえやセイラがどれだけ食べるのか見ただろ。ランスだって結構食うんだし、二人でそれだけの量を買って帰るのは大変だって、シロねえだってわかるはずだろ?」

「宅配を使えばいい」

 そうだ。宅配を使えばこの強姦未遂魔の力を借りずにすむ。我ながら妙案だと思った。

「普段から倹約は大事だって言ってるのはシロねえだろ。ランスが手伝ってくれたら、宅配を使う時間も料金も節約出来るんだ。いい事尽くめだろ」

「しかしだな……」

 尚も私が続けようとすると、士郎は呆れたようなじと目でこう続けた。

「シロねえ、駄々をこねるなんて子供みたいだぞ」

 ……くそっ!! 料金や時間を引き合いに出すとは卑怯な!

 確かにタイムセールとかに参加する場合も人数が多いほうが得だったりはするわけだが、いや、だがな、しかし、それでも譲れぬものは……。

「で、話は終わりでいいのか。ま、なんでもいいや。ほら、行くんならさっさと行こうぜ」

 って、ランサー、そもそもなんで貴様は断わらないんだ!?

 くそ、こいつのことを戦闘しか興味がない猛犬だと思っていたのが間違いだった。いや、一応こいつが大の女好きだってことは脳裏の隅あたりに知識としては留めてはいたが、だがしかし、こんなつまらない仕事、俺の仕事じゃねえとか言ってこんな時こそ断わるべきじゃないのか!?

 貴様の無駄に有り余っている英雄の矜持はこういう時にこそ発揮するべきだろうが、この駄犬! 空気を読め、空気を! ていうか、断れ。ついてくるな、馬鹿ッ。

「あ、ランス」

 士郎は小走りで前を行くランサーに近寄り、そして小言でこんな言葉を男に言った。

 ……何故聞こえてしまったんだ。出来れば聞きたくなかったのに。

「俺、途中で隙を見て先に帰るから。頑張れ。シロねえとのこと、応援してる」

「……おう?」

 ……………………………………………………………………………………何を言ってるんだ、オマエはあああぁあぁぁーーー!!!?

 応援ってなんだ、応援って!

 私とのことを応援しているってなにか!? もしや、オマエは私とランサーがくっつけばいいなどと思っているのではあるまいな!?

 じょ、冗談ではないぞ。何が悲しくて厳密には違うとは言え、過去の自分に(ランサー)とくっつくことを応援されねばならないんだ!?

 そうだ、大体こいつはランサーだぞ、クー・フーリン! 略奪婚上等の時代の生まれで、伝承によると、結婚に反対した妻の父親一派を皆殺しにしたり、暴走を抑える為に100人の処女と○○○(ピーー)したとか言われているクー・フーリン!

 しかも昨日などよりによってこのオレ相手に強姦未遂の真似事をしてきたし、それに私は今こそ女の姿をしているが本来はおと……いや、まてよ、確かにランサー自身は女好きでそっちの話は聞いたことないが、こいつの時代のケルトの戦士は両刀(バイ)が当たり前だとかで、男色が普通だったとか言う話があるし、もしも私が元男だとバラそうと、どちらにせよまずかったりするのか……う、やばい、気持ち悪いものを想像してしまったっ!

 いやいやいやいや、ないだろう。有り得ないだろう。こいつは根っから女好きの筈だし。

 もっとも私は本来は男だけどな!!

 じゃなくて、ともかく、クー・フーリンなんだ、この男は! 何が悲しくてそんな男とくっつく未来を応援しているなどと、衛宮士郎に言われなければいけないのか。

 あれか、これも私が幸運Eなのが悪いのか!? くそ、そんな応援泥に投げ込んで捨ててしまえ!

 

 

 

 side.ランサー

 

 

 アーチェが今朝俺に用意していた現代服を纏ったまま、外に出て空気を思いっきり吸い込む。

 今の俺の格好は紺色のジャケットに黒いTシャツ、ブルージーンズに白い運動靴って格好だ。

 聖杯戦争に呼ばれておいて、まさか人のフリをして出歩く時が来るとは思ってもいなかったが、悪い気分じゃねえな。こそこそ隠れるのよりはずっといいし。

 なんてことをちらりと前を歩く赤髪の坊主とアーチェの奴を見ながら思う。

(応援している……なぁ?)

 全く、妙なことを言われたもんだ。

 とりあえずアーチェの弟なんだよな、こいつ。

 別に応援してくれなくても俺的には問題はなかったが、まさかそんな言葉を言われるたぁ思ってなかったからちょっと驚いた。が、応援してくれるってんなら素直に受け取っておくだけだ。険悪になるよりゃいいだろうしな。

 なんてことを思いながら、アーチェの肩に手を乗せようとしたら、さっと避けられた。

 そして、坊主が聞き取れないほどの小声でぼそりと鋭く女は言う。

「何の用だ、強姦魔」

 うおい、強姦魔ときたか。ひでえ言いぐさだ。

「人聞きの悪いこと言うなよ」

 つい、不満を口に出して言う。

「煩い。黙れ。昨夜は人にあんな辱めを与えておいてよくもぬけぬけと言う」

 ぼそぼそ、と坊主には聞かれないように最大に声を潜めながら恨めしそうに言葉を綴るアーチェ。

 ていうか、辱めと来たか。いや、どこの箱入り娘だ。

「ひょっとして、やっぱりアンタ、ヴァージ……」

 ぎっ、と凄い形相で睨まれた。

(ほう~? はぁ~……成程な)

 いや、そうだろうなあとは思ってたが、こりゃ本当にわかりやすい。

 そういうあからさまな態度は答えを言ってるようなもんだぜ? とは思うが、そのわかりやすすぎる反応を前につい頬がにやけてきた。真相がわかっている以上、こいつのこの態度だって可愛いってもんだ。ついでにやっぱり昨日は勿体無いことをしたなって気持ちも沸いてきた。

「鈍感そうとは思っちゃいたが、そうかそうか」

「黙れ、ランサー! ひ、人が必死に守ってきたものを勝手に奪おうとしておいて、よくもそんなことを抜けぬけと」

 顔を真っ赤に染めながら、上目遣いに睨んで、ぷるぷると握り締めた拳と肩を震わせているアーチェ。

 まあこいつとしては真面目に怒っているつもりなんだろうが、その姿は結構クルもんがあるっていうか、自分がどんな感じに見えるのかとか全くわかってなさそうだなと思えた。

 しかし、別にブスでも気立てが悪いわけでもあるまいに、解せねえな。

「アンタほどのイイ女に手を出そうとした奴は今までいないってか。勿体ねえ。なんだ、現代人ってのは腑抜けばかりなのか?」

 戦闘中はちょいと腹が立つ面も確かにあったが、其れを除けばこいつは吃驚するくらいイイ女だ。

 料理上手で気遣いも上手いし、一々律儀で、からかうと面白くて、年の割りにあどけなくて、女特有の厭らしさといったものもない。

 俺の時代じゃ、料理上手で気立てが良いって時点で引く手数多な条件満たしてんだがな。

 年齢は見た感じ20代前半くらいに見えるから、この時代の基準から見たら別に行き遅れってほどではないだろうし、絶世の美女ってぇわけじゃないが、そこそこには美人だし、スタイルだっていい。体だって健康そうだ。

 手を出す男の一人や二人いてもおかしかねえと思うんだがな。

 見れば、女はぎり、とまるで親の仇を睨むような目で俺を見て、「だれがイイ女だ、目が腐っているのか、貴様は」なんて言いながら、忌々しそうに舌打ちをした。

「事実だ。お前は間違いなくイイ女だ。誇れよ」

「誰が誇るかっ!」

 引き寄せようと伸ばした手を、べしりとはたかれた。

 あー、なんていうか、あれだ。警戒心の強い猫を相手にしている気分だ。

(いいな)

 ああ、悪くねえ。こういうのは俺の好むところだ。

 そうだな、昨日みてえにいきなり泣かれるより、こういうほうがずっといい。寧ろああいうのは苦手だ。

「うし、決めた」

 突然の思い付きだったが、中々悪くないと思って次の言葉を放つ。

 それを前にアーチェは胡乱気な眼差しで俺を見る。

「もう、俺からはアンタに手は出さねぇよ」

 女をあんなふうに傷つけて、泣かせるのは趣味じゃない。

「アンタから俺を求めさせてやる」

 どうせなら、そう。

 やっぱ女には「もっと」って、そんな風に俺を求めて泣き縋られるほうがいいよな。

 そんな俺の宣言を聞いて、アーチェの奴は、感情の宿らない鋼色の瞳で「馬鹿か、貴様は」とそう吐き捨て、振り返ることもせず、赤毛の坊主の隣に並んだ。

(前途多難……ってな?)

 だが、それでいい。気の強い女と無茶な約束は俺の好物だ。女にしろ、戦にしろ、難攻不落なほうが燃え上がるってもんだ。そう思っていい気分になって空を仰ぐ。

 灰色交じりの空は随分と故郷とは違う色に見えた。

 

 そんな会話を後に、俺に興味が失せたようにアーチェのやつによる、俺に対しての過剰反応はなくなった。

 女は手慣れたように、淡々と俺と接しつつ買い物を進めていく。

「じゃがいもってこれか?」

 買い物内容を確認しながらそうやって出すと、「まて、ランス、そっちの袋よりこっちのほうが鮮度がいい」ななんて、そんな風に識別しながら買い物籠にいれていく。

 野菜なんてどれも似たようなもんに見えるが、……何せ、形も大きさも揃えて売られているんだ。よくもまあ、ここまで揃えられたな、と、そんな現代の技術に呆れ交じりの感心を覚えたりもしたもんだが、アーチェの奴やシロウの坊主にとっては違ったらしい。

 買い物を進めるごとに、アーチェの奴が放つ嬉々としたオーラはより強まっていく。

「お、衛宮さん、いい鯖が入ったよ。どうだい? お安くしておくよ」

「ふむ、どれどれ」

 そういって、店主たち相手に値切ったり褒めたりなどを混ぜながら、談笑をしつつ買い物を進めていく、アーチェ。

 そうやってふとした拍子に見せる顔が、やっぱり年に似合わず幼くて、まるで子供を連想させるような、そんな邪気のない顔だとそう思う。

 初めて会った時は『女戦士』だと、そう思った。

 だけど、それはひょっとすると違うのかもしれないな、とこの笑顔を見ると思わず考える。

 あの家やこの場で今見せている、この顔こそが本当の衛宮・S・アーチェという人間の素顔なのだとしたら、あまりにも戦場が似合わない。こっちこそが本当なら、夫に守られて家庭を築く、そういう人生のほうが余程似合いなように思える。

 別に女戦士を否定するわけじゃない。

 男にひけをとらぬ女戦士などいくらでも知っているし、師匠であるスカアハなんざその筆頭だ。

 だけど、こいつは……そこまで思って思考を打ち切った。

(らしくねえ)

 自分でもらしくないことだった。

 だから、頭をふるってその考えを追い出した。

(さて、昼は何を食わせてくれんのかね?)

 仮初の命とはいえ、俺はここにいる。ならば、せめて今という現在を精一杯に楽しむ。

 それが俺の、俺なりの在り方だった。

 

 

 

 side.衛宮切嗣

 

 

「ご馳走様でした」

 そういって、大河ちゃんは玄関に立った。

「シロさん、久しぶりにシロさんのご飯が食べれて嬉しかったです」

「藤ねえ、もう少しゆっくりしていってもいいんじゃないのか?」

 思わず、士郎はそんな言葉をかける。

 今の時刻は昼の1時半。大河ちゃんが「そろそろ帰るね」と言い出したのは昼食を終えて少し経ったくらいの時刻だった。

「ううん、あまり長居して迷惑はかけたくないもの。それに、久しぶりに切嗣さんやシロさんたちの顔が見れて安心したから、もうわたしの目的は達成しちゃった」

 そんな風に言って、眉根を下げ、ちょっと困ったようなおどけるような笑顔を浮かべる大河ちゃん。

「2週間もすれば終わるはずだから、そのときにまた来ればいいわ」

 普段は大河ちゃんと反目しているような態度が目立つイリヤだけど、そんな言葉をかける。

「毎日は勘弁だけど、やっぱり藤ねえの顔を見ないと調子が出ないからな、終わったら来いよ」

 士郎もまた、そんな言葉をぶっきらぼうにかけた。

「うんうん。言われなくてもおねえちゃんはきちゃうんだから」

 そういって、嬉しそうに大河ちゃんは笑う。

「でも、士郎。毎日は勘弁ってのはどういう意味なのか、おねえちゃんじっくり理由を聞きたいな~?」

 それに、士郎は苦い顔をして、「まぁ……なんだ。深い意味じゃない。藤ねえ、気にするな」なんてぼそぼそといって視線をそらした。

「あ、そうだ、切嗣さん、帰る前に一つだけ答えてもらっていいですか?」

「いいよ、なんだい?」

 にこにこと、笑顔で、どこか初恋の女性の面影のあるこの目の前の女の子を眺める。

「また……会えますよね?」

 それは、まるで全部知っている者の言葉のようにこの耳には聞こえた。

 喉が渇く。気を抜けば嫌な汗が背中に伝いそうになる。

 だけど、それを押し殺して僕は「ああ、当たり前だろう?」そう言って笑った。

 ふ、と先ほどまで大河ちゃんに僅かあった陰りが消える。

「ですよね。変なことを聞いてすみませんでした」

 そういって、本当に朗らかに笑った。

「それじゃあ、切嗣さん、みんなさようなら。セイラちゃん、ランスさん少しだけだけど、貴方達といられて楽しかったです」

 そうして、彼女は衛宮の門をくぐりぬけ、外の世界へと帰っていくのだ。

 その背中をいつまでも見送る。

切嗣(じいさん)……」

 思わず、僕に話しかけてくるシロの遠慮がちな声が見えない傷口に沁みる。

 本当に僕はうそつきだ。

 これが彼女との今生の別れになる事などと、ずっと前からわかりきっていたのに。

 

 

  NEXT?

 

 

 

 

 

 

 おまけ、「藤ねえは見た」

 

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 おまけ、「でも血は繋がっていない」

 

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12.戦端二つ

 ばんははろ、EKAWARIです。

 50話に入り、やっと聖杯戦争らしくなってきましたね。
 というわけで、物語全体としては漸く折り返し時点に来たかな? ってとこですね。
 とはいえ、第五次聖杯戦争編としてはまだまだ序盤に過ぎないわけですが、バゼットや舞弥さんなどキャラも増えてきた以上、全部のキャラに均等に出番や見せ場を用意しているとは断言出来ませんが、それでも出来る限り1キャラ1見せ場はあるようにいきたいと思っていますので宜しくです。


 

 

 

 憧れ、浮かれ、裏切られる。

 無様で、なんて滑稽。

 どうして私はこうなのだろう。

 罪の証があるというのならば、無くなったこの腕が証なのだろうか。

 すみません、ランサー。

 私は自分のサーヴァントも守れぬマスターでしかなかった。

 

 

 

 

 

  戦端二つ

 

 

 

 side.バゼット

 

 

 覚えているのはこの感情だけ。

『死にたくない』

 経過すらどこかに置き去りにして、その言葉だけが呪文のように内に残る。

 まどろみ、ざわめき、蠢く。

 死の世界はあまりに冷たい。

 こんな筈ではなかったなんて、そんな言葉に何の意味があるのだろう。

 すぅ、と……突然意識が浮上する。

 ふわふわと、浮いていく。

 ごぽごぽと泡を吐く様に、私は、そんな風にして目覚めの時を迎えた。

 

 重い目蓋を開く。

 最初に見えたのは一面の白。

「……?」

 目が慣れない。体が重い。

 自分が何故こんなところにいて、どうなっているのかがクリアに思い出せず、ただぼんやりと数秒を過ごす。

 それから耳に届いたのは知らぬ声。

「気がつきましたか」

 かけられた声は知らない女のものだった。

 それで、覚醒した。

「ッ!」

 ばっと、上半身を起こし、そのまま反射的に女を組み伏せようとして、気付いた。

 私に、左腕は無い。いつでもあった筈のその先は消えていた。

「あ……っ」

 思い出した。それで思い出してしまった。

 そうだ、あの日、私は浮かれた気分のまま、あの男に……今回の聖杯戦争の監督役の言峰綺礼の呼び出しを受けて……そして、そこで左腕と令呪をとられたんだ。

「……ァアア」

 思わず残った右手で自分の顔を覆う。

 そんな私に、先ほど声をかけた女性は「状況はわかりますか。ミス・バゼット」そんな言葉を口にした。

「落ち着いたら、急に動くのはやめたほうがいい。一時は本当に危篤状態だったのですから」

 言われて、私はゆっくりと、その女のほうを見た。

 それは黒髪黒目の国籍が不明な30代半ばほどの女だ。

 漆黒の髪を頭上で一つに束ねており、衣装もまた闇に融けるようにシンプルな黒衣を身に着けている。

 その顔立ちは端正ではあるが、目元や口元には僅かに皺も浮いており、もう十年も若ければ美人であると評されていただろう切れ長の美貌で、であるからこそ人形のような無表情さがよく際立つ、そんな顔の女だった。

「……失礼ですが、貴女は」

 先ほど、この女性は私のことを「ミス・バゼット」と、そう呼んだ。

 つまり初対面である筈の彼女は最初っから私が誰か知っていたということだ。

 そのことから警戒心をもって問いを投げかける。

 そんな私に対し、女は全く動じることもなく見た目通りの印象の声でこう答えた。

「貴女を保護したものです。ここは冬木市ではなく、隣町にある裏の人間御用達の病院です。貴女は此処に昨日から入院しているのですよ。もう一度言います、ミス・バゼット。貴女は自分の状況はわかりますか?」

 淡々と落ち着いた声のその女性は、おそらくは魔術師なのだろうと思う。

 けれど、聖杯戦争のマスターにしてはあまりにも微弱な魔力量だし、なによりマスターだとしたら私を助ける理由がわからない。そう、きっと彼女はマスターではないのだろう。だからこそ、こんな状況では嫌でも認めざるを得なかった。

 失った、左腕には幾重にも包帯がまかれている。

「私は……サーヴァントを失ったのですね」

「そうです。貴女はもうマスターではなくなりました」

 その言葉に沁みた。

(すみません、ランサー)

 誓ったのに、貴方と聖杯戦争を勝ち抜くのだと。

 そんな風にうなだれる私に向かって、女性は淡々と続けた。

「……貴方のサーヴァントだったランサーに伝言はありますか?」

 その言葉に目を見開いた。

「どういう、ことだ」

 この人はマスターではないのだろうと思った。だからこそ私に接触したのだと。

 だが、違うというのか。

「落ち着いてください。私は貴女を保護する命を受けて、ずっと貴女についてここにいました。昨日、貴女のサーヴァントだったランサーは、貴女からランサーを奪った男との契約を切り、私の仲間の一人と再契約を果たしたと、そう連絡がきました。ランサーには貴女を私が保護していることは告げてあります。彼は貴女のことをやはり気にかけているそうです。貴女からランサーに元マスターとして伝えることはないですか」

 ランサーが他の人間と契約したこと、それからあくまで私は元マスターでしかないというそんな女の言葉に、そんな権利もないのに傷つく。

 サーヴァントは聖杯戦争の為に召喚に応じるのであり、サーヴァントとマスターの関係とは、普通の使い魔のように信頼関係で成り立つものというわけではないのだから、契約者(マスター)を彼が変えたことを責めるのはお門違いだということもわかっている。

 マスターがいなければ、魔力で身体を構成されている彼らは現界出来ないのだから。聖杯戦争のサーヴァントとマスターの関係は、表向きは主従を謳っていようが、結局の所実際にそうかと尋ねれば、違うとしか言いようがない。

 それでも、それでもと希望の糸に縋るように未練が口をついて出た。

「私が再びランサーのマスターになることは」

「無理でしょう。貴女はとっくに聖杯戦争を脱落した身です。その身体で何が出来ますか?」

 女は本当に感情を交えずに淡々と言う。

 だからこそ、その言葉は何よりも響く。

「折角、拾った命です。聖杯戦争が終わるまで大人しくしていてください。さて、私はそろそろ行きます。何か用があればこちらの無線で御連絡ください」

 事務的な声音で語りながら、女は私に先ほど口にした無線らしきものを手渡す。

 そうして、女はそのまま、本当に振り返ることすらせずに行こうとした。

「待って……!」

「何か?」

 淡々と尋ねる、黒曜石の瞳。

 ぐっと、残った右腕で拳を握りこんで、搾り出すような声で、私は其れを告げた。

「ランサーに……ランサーに伝えてください」

 ……戦えなくなった私に、何の価値があるというのだろう。

 先ほどはああいったけれど、こんな姿をよりにもよって彼に見せられるわけがない。

「不甲斐無いマスターで、すみませんでした……と」

「ええ。了解しました」

 そうして、ぱたんとドアが閉め切られ、黒衣の女はいなくなった。

 ぼとり、と身体を白いシーツに落とす。

 染み一つ無い白が目に痛かった。

 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

 夕食が終わった後、皆が集まる話し合いで其れは決められた。

「とりあえず、教会を襲撃するわ」

 とは、イリヤの談。

「そうだな。ランサーには元マスターのバゼット嬢の仇を討たせるという約束をしている。面倒ごとは先にすますとしよう。まさか、言峰も失ったと思ったランサーに即座に攻め込まれるとは思うまい」

 なんてことを言いながら、ふむとシロねえは頷く。

 それに、ランサーの奴は、「お、いいね。そういう単純明快な作戦は好きだぜ」といいながら、囃し立てた。

「今はわたしがランサーのマスターだから、襲撃に行くのはわたしとランサーの二人にするわ。キリツグは後方待機。シロは確か他に用事があるんでしょ?」

 その言葉に、俺は「ちょっと、まてよ、イリヤ」そうストップをかけた。

「俺も行く」

「士郎、大丈夫よ、ランサーもいるんだから」

 イリヤは俺の心配を読んでそう言葉をかけるが、俺はそれに否、と首を横に振ることで答えに変え、言った。

「もし、途中でサーヴァントに遭遇した場合、サーヴァント同士の戦いはランサーがいるからいいけど、その場合イリヤを守る人がいないだろ」

 イリヤの作戦自体はきっと間違っていないんだろうとは思う。

 だけど、問題はここだ。この作戦にはイリヤを守る人がいない。そして俺は空いている。

 なら、その役を俺が果たさなくてどうするんだ。

「言ってたじゃないか。聖杯戦争では真っ先にマスターが狙われるもんだって。俺だって鍛えてるんだ、イリヤの盾くらいにはなれると思うぞ」

 イリヤだけ危険に晒すなんて、そんな真似許容出来る筈がない。

「士郎に守ってもらわなくても、わたしだって戦えるもの。大丈夫。だから、士郎は」

 昔からイリヤは俺が積極的に戦うのをよく思っていない。

 それは知っているし、イリヤはいつもわたしがお姉ちゃんだからわたしが守るんだって口にするけど、だからって女の子に守ってもらうほど俺だって子供じゃないし、俺だってイリヤを守りたい。

 だから、いくら反対されてもこればかりは譲れない。

「でも、攻撃魔術が得意ってわけじゃないだろ、イリヤは。いいから、こういうときくらい俺に守らせてくれよ……サーヴァントには敵わないかもしれないけど、俺だって戦えるんだ。ちょっとは頼ってくれよ、その……ね……姉さん」

 イリヤは俺やシロねえに「姉」と呼ばれることに弱い。

 其れを狙って普段言い慣れない呼称を口にして、自分で言ってて思わず赤面した。

 ヤバイ、想像以上に恥ずかしいぞ、これ。

 イリヤもつられたように白い頬を紅く染めて、目線を右へ左へ彷徨わせる。

「シ、士郎、そんなことをお願いしても、お姉ちゃん、士郎が危険な目にあうのは許さないんだからね」

 なんていいながらも、動揺している。

 あと一押しだ、恥ずかしいからって負けるな俺と思って続けた。

「俺だって、イリヤが危険な目にあうのは嫌だ。今回ばかりは何を言ったってきかないからな。……姉さんっ」

「あ……う……」

 くそ、二人そろって顔を茹で蛸みたいに真っ赤にして、馬鹿みたいだ。恥ずかしい。本当、これ恥ずかしいぞ。

 そんな時、思わぬほうから助け舟が来た。

「いいんじゃねえのか? 嬢ちゃん。坊主だってここまでいってんだ、連れて行ってやれよ」

 そうさらっと言ったのはランサーだった。

「よく見ろよ。いっぱしの男の目しているぜ。男が女を守りたいって言ってるんだ。それを汲んでやるのもイイ女の仕事だろ。違うか?」

 なんていいながら、口元に思わせぶりな笑みを浮かべて、ランサーは流し目でイリヤを見た。

 イリヤは「勝手なことを言って」なんてぶつぶつ言ったかと思うと、「いいわ。士郎を連れて行くっていうんなら、責任をもって士郎の事も守りなさい」なんてランサーに告げて、それからふいと背中を向けた。

「話が終わったな。それでは、今夜11時に家を出るとして、入浴と仮眠でもすませたまえ」

 そんなシロねえの言葉で、食後の話し合いは締めくくられた。

 

 

 

 side.アーチャー

 

 

 空を見上げる。夕陽が沈んで夜に切り替わる逢う魔が時、それももう終わる。

 遠坂の屋敷の屋根の上で、そんな光景を見ながら、私は、昨日の女……もう一人の私との会話の内容を思い出していた。

 

 

                * * *

 

 

 昨日、……日付でいうのならば、今日の2時過ぎ頃にあたる夜の学校の校庭で、白髪褐色肌のその女を前に私は確信染みた問いを投げかけた。

「オマエはオレか?」

 その俺の言葉に、にっと口元に笑みを浮かべて、女は至極あっさりと次の内容を白状した。

「そうだ。随分変質してしまったが、私はオマエだ」

 そう、それはわかりきった答えでもあった。

 いくら性別が違おうと、同じエミヤシロウならばわからぬ筈がない。

 ぴりぴりと相手に感じるこの違和感と不快感、それは同一の存在がそこにあるからこそ起こる矛盾による摩擦だ。世界は同一の存在がそこにあるのを嫌う。

 とはいえ、聖杯戦争に召喚されるサーヴァントとは、座にある本体ではなく、あくまでコピーである分身でしかないし、その上この目の前の相手は本人の言葉通り随分と変質している。性別なんて人の根本的なものまで変わっているとなると、全くの同一のものとは既に呼べない存在だ。

 故に、同一存在が其処にあるからこそ起こる違和感と不快感も最小限に抑えられてはいる。

 だが、最も解せなかったこと、それは昨日の夜、学校で見かけた衛宮士郎よりも、この目の前の女に対する不快感や違和感のほうが強かったということなのだ。

 つまり、女でありながら、この女のほうがこの世界に存在している衛宮士郎よりも英霊エミヤ(わたし)には近いという、そういうことなのだ。

 おまけに、目の前の女は受肉している。

 これはどういうことなのか問いたださぬほうがおかしいだろう。

「解せんな。何故、そうなった」

 それに女は、いつぞやも鏡で見た自分の顔そっくりの表情とニュアンスで淡々とこう言葉を続けた。

「さて、オマエ自身先ほど言ったことだが、あまり時間があるとはいえん。短期間で説明するにはあまりにも複雑すぎてな……それに私自身、己に起きたことを正確に把握出来ているとは言えん。ただ、わかるのはこの世界で切嗣に召喚された時には既に、私は何故か女の身体になっていたということだ」

「何……?」

 今、この女は切嗣に召喚された、とそう言ったのか?

 馬鹿な、と思う。

 第四次聖杯戦争で切嗣が召喚するのはセイバーのはずだ、断じてオレではない。

「切嗣は生きている」

 女は真っ直ぐにオレを見て、そう告げた。

「意味がわかるか。この世界の衛宮士郎は『あの呪い』を受け継いでなどいない、そういうことだ」

 それは、オレが召喚に応じた理由すら壊すような言葉だった。

「この世界の士郎は決して私にはならないさ。なぁ、英霊エミヤ(もうひとりのオレ)、それでもオマエは衛宮士郎を殺そうと思うのか」

 衛宮士郎を、英霊エミヤ(わたし)への道を歩もうとするだろう過去の自分を、その前にこの手で殺す。それは淡い希望だった。

 過去の自分自身をこの手で葬ることで、世界に矛盾を起こして自分の座を消滅させると……きっとそんな願いは叶わなくて、ただの八つ当たりで終わるだろうことはわかっていたけれど、そんな藁にも縋るような希望に縋りたくなるほど、そう、私は、オレは疲れ果てていた。

 たとえ、召喚した相手がかつての養父であろうと、女に変質していようと、根本的にそれでもこの女は私と変わらぬはずだ。

 そうでなければ、ここまで相手が変質して尚違和感と不快感を感じなどしなかった。

 強迫観念のように目の前の相手を認めてはいけないのだと、そんな感情は相手が自分自身でなければありはしない。

 この世界はおかしいと、召喚された時からそんな予兆はあった。

 だから、この世界の衛宮士郎が願いを叶えてくれるような存在ではないことを告げられても、理解は出来た。

 だが……。

「何故、オマエはそれほど強く、衛宮士郎の存在を肯定している?」

 理解出来ないのはそれだ。

 本質は私と同じであるはずの目の前の女は、明らかにこの世界の衛宮士郎を庇っていた。

 女は少し俯いて、掠れたような声で、静かに告げた。

「幼いアレに魔術を教えることになった時、私はアレに尋ねたのだ」

 揺れる瞳。

 その女の様は、神への懺悔をするようにも、遠い偶像を想う姿にも似ていた。

「そう、『オマエにとっての正義の味方とは、なんだ?』そう、尋ねた時、アレは……士郎はこう答えたんだ」

 祈るように、囁くように。

「『誰かが辛い時に傍にいて、笑って手を差し伸べてくれる存在。人々に笑顔と希望を与える存在。誰かが哀しいと思っている時傍にいてくれる人。それが正義の味方』なのだと」

 それは、あまりにも違った。

 英霊エミヤにとっての『正義の味方』とは違いすぎた。

 そう、つまり英霊エミヤは数多くの人の『命』を救う存在こそが正義の味方だと、手の届く範囲にいる人間全てを泣かせないことが正義の味方であると定義したのに対し、この世界の士郎は、正義の味方とはつまり、人々の『心』に寄り添う存在であり、そういう人物こそが正義の味方であると考えていたということなのだから。

「馬鹿みたいな話だ。私はそれだけで士郎を守ろうと思ったのだから」

 ああ、これは自分ではないと。自分には絶対にならないものだと、そう思ったのだと、そんな女の声が、安堵と羨望の声が聞こえてきそうだ。

 そしてそれはそのまま自分の声でもあった。

 笑顔で手を差し伸べるなんて、そんな選択、自分はとてもじゃないが出来なかった。

 そもそも、心より笑えたことのほうこそ稀だ。この身は自分のためにあっては為らず、この命は他人の為にこそ使うべきだと考えて、ただそうやって駆け抜けた。

 たとえ誰に裏切られようと、愚かにも死ぬ瞬間までもずっと誰も恨むこともなく、助けても蔑まれ、何を考えているのかわからない、気味が悪いといわれ続け、そうやって絞首台に上った人生だった。

 確かに多くの人を救おうとしてきて、その選択を選んできた筈だけれど、しかし笑って誰かに手を差し伸べたことなんてあっただろうか。その命だけではなく『心』まで救おうとしたことなんてあったのだろうか。

 そんな資格自分にはないと思ってはいなかったか?

 笑って誰かに寄り添う存在こそが正義の味方など、そのような発想は少なくとも、オレから出ることはなかった。

 この身は誰かの為にあらんとしてきた。

 幸せなど享受することすら罪だと思ってきたこの身では、そんな『正義の味方』像など考え付きもしなかった。

 当然だろう。エミヤシロウはとっくに歪んでいた。自分だけが生き残ってしまったそのことに対する罪悪感と、空っぽの器に詰め込まれた大きすぎる理想。自分の全てを作り上げた衛宮切嗣(ちちおや)への憧憬と羨望。

 エミヤ(わたし)にとって幸福とは即ち罪であり、苦痛だった。

 きっと、それはこの女にとっても同じだった筈で。

(そうか……)

 そんな答えを選ぶ、衛宮士郎も、いたのか。

 誰かを救うのは、身体だけでは駄目なのだと、そのことを初めから知っていた、そんな衛宮士郎もいたのか。

 ……私は死ぬまで気付くことが出来なかったのに。

 死んでも、ずっと長いこと気付けなかったのに。

「希望とは、なんだろうな。英霊エミヤ(わたし)。オレにはアレがそれに見えた。ただ、それだけだよ」

 

 

                * * *

 

 

『アーチャー、聞こえる?』

 マスターからの念話が聞こえ、はっと私はそれまでの思考を打ち消して、『どうした、凛』と返事を返した。

『こっち来て』

 言われて、すっと霊体のまま屋根から居間へと直接降りて立ち、実体化をして彼女の前に姿を現した。

 そこでは、身支度は完璧といわんばかりに、外出の準備を整えた遠坂凛の姿があった。

「柳洞寺に行くわよ」

 きっぱりとした言葉だった。

「待ちたまえ。本当にそれでいいのかね?」

「悪いけど、待つのは性に合わないの。それに、時間を与えるほうがキャスター相手には不利だってアーチャーだってわかってるはずでしょ」

 むっとしてそう答える凛。

「そのことではない。あの女の言うことを丸呑みにしていいのかと、私は言ってる」

 そう、キャスターが柳洞寺にいると凛に告げたのは、アーチェと名乗るもう一人の私だった。

「罠とは思わないのか」

「あら? ひょっとして自信ないんだ? アーチャー。最強だって言ってたのは何処の誰だったのかしら?」

「凛!」

 そう強めの声で呼ぶと、彼女は肩を仕方無さそうに竦めて、それから「心配してくれているのは嬉しいけど、大丈夫よ、アーチャー。あいつ、この手の情報で嘘つくことはないから」なんていって、くるりと無防備に背を向けた。

「とにかく、柳洞寺に行くわよ。これはマスターの決定! キャスターを倒せとは言わないわ。様子見も兼ねて今日は臨みましょ」

 全く、やれやれ。

 様子見で済んだらいいのだがな。

「了解した、マスター」

 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

 事前に用意されていたそれに袖を通して、俺は少し困惑気味に居間へと姿を現した。

「うん、サイズぴったりね」

 にこにことそう口にしたのは、イリヤ。

「なんだ、それが坊主の戦支度か?」

 なんて言いながら、ランサーは俺をにやにやと見ている。セイバーはどことなく驚きを宿したような目で俺を見た。

 シロねえもまた、いつもとは異なる格好に身を包んでおり、黒のノースリーブに右肩と右胸に肩当と胸当を身に着け、指先部分が露出出来るタイプの黒の長手袋? らしきものの上から右腕だけ手甲を嵌め、下はどこかで見たようなベルトの多い黒ズボンに、目にも鮮やかな赤い前開きの巻きスカートらしきものをつけていた。

 髪はいつも通り結わえて紅い宝石の髪留めで留めている。

 まるで、どこかのゲームから飛び出してきた女戦士みたいだ、とそう俺は思った。

 赤と黒という色の組み合わせ自体は同じだけど、いつもの家庭的な姿とはまるで別人みたいだ。

 あ、うん……派手だよな。シロねえの格好もだけど、俺の格好も。

「なぁ、これ、外へ着ていったら凄く目立つと思うんだけど」

 俺の格好といえば、半袖シャツとジーンズの上から胸当てをつけ、左腕にはよくわからないけど凄い魔力を感じる布を巻き、指先には指だし黒手袋をつけ、右腕には手甲を身に着け、シロねえの巻きスカートとお揃いの真っ赤なケープを上から羽織っているという、とても一般人には見えないような格好だった。

 正直、凄く悪目立ちすると思う。

 そう思っての俺の懸念に対し、イリヤはさらっとした調子でこう答えた。

「大丈夫よ、それには認識誤認の呪を施してあるから、魔術師じゃない一般人にはただの普通のコートにしか見えないわ。それに、そのケープも左腕のソレもどっちも耐魔力効果をあげるマジックアイテムなんだから、聖杯戦争中は外に出る時、外しちゃ駄目よ。士郎の耐魔力の低さは魔術師として失格レベルに酷いんだから」

 俺の未熟っぷりを指摘するその言葉にちょっとだけへこむけど、まあ、一般人には普通のコートに見えているっていうんならまだいいかなと少しだけ思って、気持ちを浮上させる。

「ついでだから、物理防御もあげてあるし、保温効果もあるから、薄着でも寒くないはずよ。士郎にあつらえたその胸当と手甲だって、強化の魔術を通しやすい素材で作ってあるんだから、強化の魔術を人体にかけるリスクも回避出来るし、それをつけている限りは即死の確率も大分下がる筈だわ」

 ……どうやら、見た目によらずかなりハイスペックな装備だったらしい。

「士郎、僕からはこれを」

 そう親父に声をかけられ、何か小さなバッジのようなものを渡される。

 普段着の着物ではなく、おそらくは戦闘スタイルなんだろう、くたびれた黒スーツに身を包んだ親父は、「最新式の小型カメラだよ」と、そのバッジらしきものについて説明した。

「僕は今回、家で待機だから、士郎たちに変化がおきないか、逐一そのカメラを通して家で様子を見ることになる。近距離なら音声も拾えるし、何か想定外のことが起きた場合僕のほうから指示することも出来るから、なるべく全体を見通せるところにつけておいてくれ」

「わかった」

 ついてこないとはいえ、それでも自分達を見守っているのだと、家にいようと心は一緒にいるのだと告げるような親父の言葉に少しだけほっと安心をする。

「今夜、私は別件にあたるが、何か異常事態があると切嗣(じいさん)から連絡があれば、私も向かう。安心しろ」

 ついで、口元に薄っすらと笑みを浮かべて、そうシロねえも言った。

「ったく、過保護な奴らだな。俺がいるんだ、そんな心配は不要だろうが」

 と、ここにきて、拗ねたような声でランサーは言った。

「こと、戦闘に関しては信頼はしているさ。それでも、万が一ということもある」

「あー、わかった、わかった」

 もういいって、とうんざりしたような声でランサーは言って、それから、4人で玄関に向かう。

「マスター」

 どこか迷うような少女の声がして、俺は出て行こうとした足をとどめて、後ろを振り返った。

「……御武運を」

 セイバーだった。

 金紗の髪の少女は、碧い瞳を迷わせて、躊躇いがちにそんな言葉を俺にかけた。

 ソレを見て、俺はセイバーを安心させるように「ありがとう。セイバー、親父を頼むな」と言って笑った。

 それに、何故か少女は悲しそうな顔をして、「ええ、ありがとうございます、マスター」そういって泣きそうな顔で微笑んだ。

 何故、そんな顔をするのだろうか。理由はわからない。

 ただ、セイバーは召喚されたそのときから何度もそういう顔を俺に見せた。その理由を俺は尋ねたことはない。

 気軽に尋ねていいことじゃないような気がした。

 遠くなる金髪の小さな影。その横で、ランサーが小声で「腑抜けが」と苦虫を噛み潰したような声でポツリと呟いた。それを何かの感情を抑えるような声だと思った。

 理由は知らない。

 

 

 

 side.遠坂凛

 

 

 キャスターの根城は柳洞寺だ、とそう告げたアーチェの言葉を頼りに、わたしは円蔵山に向かっていた。

 アーチャーも言っていた通り、あいつの言葉を鵜呑みにするのは魔術師としてやってはいけないことなんだって、わたしだってわかっている。

 だって、今は聖杯戦争中で、あいつがどう動くのかは知らないけれど、その家族は聖杯戦争に参加するマスターなのだ。

 キャスターの居場所を言ったのも、私達を利用する為に口にした、と見るのが正しいだろうし、きっと実際その通りだ。

(でも、仕方ないじゃない)

 冬木で横行する昏睡事件の犯人はほぼ間違いなくキャスターなのだ。

 あれほど見事な犯行は魔術師のサーヴァントでもなければ出来ないだろうし、わたしは一般人への被害は冬木の管理人として許せない。それに、他に手がかりもない以上、わかっている情報内で直接確かめるほうが手っ取り早いんだから、だから仕方ない。

 とはいえ、基本的にわたしは勝率のない賭けには出ないことにしている。

 だから、アーチャーにも言ったとおり、今日の目的は様子見だ。

 まずそうだったらさっさと手を引いて、次来たときに勝てる策を用意する。

 そんなことを思って、階段を上がっている時、それに気づいた。

「凛」

 アーチャーがわたしを守るように背中をむけて実体化し、立つ。

「ほう、これはこれは、姫君とそれを守る騎士といったところか」

 流麗に時代錯誤な着物を着こなして、涼やかな目元のその男は月を背景に現れた。

「サーヴァント……ッ」

「然様。今は女狐にここの門番に雇われている。ここを通りたくば拙者を倒して通るがよい」

 その言葉に、アーチャーが昨日の夜にも見せた白黒の双剣を手に構えを取る。

「アーチャーッ」

「アサシンのサーヴァント、佐々木小次郎、参る」

 そして美麗な侍然としたその男は、不敵な笑みを口元に浮かべて、長い日本刀を手に獰猛に笑った。

 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

 教会は深山町ではなく、隣の新都のほうにある。だからそちらに向かって歩き、橋の近くの公園を歩いている時……真っ先にそれに気付いたのはイリヤだった。

「……この気配……」

 リン、リンと冬の夜に鳴り響く鈴の音と、コツ、コツと響くブーツの音。

 数日前にも聞いた、そんな音を響かせて、やはり数日前にも見たその少女は、昔のイリヤによく似た美貌に身も凍るような冷笑を浮かべて、凄まじいプレッシャーを放ちながら「まぁ」と美しい声で感嘆をもらした。

「今日は幸先が良いです事。ずっとお会いする日をお待ち申し上げていましたわ」

 クスクスとおかしそうな笑い声をあげているのに、ちっとも笑っているようには見えない冷たい紅色の瞳をした彼女は、俺やランサーなど目に入らないかのようにイリヤだけを見つめていた。

(……イリヤ?)

 10年共に暮らしてきた義姉、イリヤスフィールの顔面は蒼白で、ぐっと何かをこらえるような顔をしている。

 レースやフリルをあしらったピンクのドレスなんて、子供らしさを強調するような格好をしているのに、子供らしからぬ冷たさを纏った少女は、明らかに俺やイリヤよりも格上の魔術師だった。

 そして、その小さな口を開く。

「レイリスフィール・フォン・アインツベルンです。初めまして、裏切り者の姉様(あねさま)

 そう、彼女は己を紹介し、氷のように冷たく微笑んだ。

 

 

  NEXT?

 

 



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13.レイリスフィール

どうもばんははろ、EKAWARIです。

というわけで五次バーサーカーお披露目回と唯一のオリキャラマスター、レイリスフィール回です。
因みに五次バーサーカーについては第四次編でほぼ答え書いていたのににじファン連載時代も今回も吃驚するぐらい誰も気付かないんだもんなあ。
というわけで、今回の展開で「ええ?」と思った人は、第四次聖杯戦争編「04.誓いと開始」の冒頭文と同話のトッキーがそもそも呼ぶ予定なかった赤セイバー呼ばないといけなくなったのは何が原因だったのかの「経緯」部分を読み返してくるといいと思うよ! ほぼ答え書いているから!


 

 

 

わかっていた筈だった。

 シロが迎えに来てくれたその時に、あの褐色の手を選んだその時から、わたしは、アインツベルンの裏切り者になったんだって。

 もし断罪を受けるとしても、それと向き合う覚悟はしてきたつもりだった。

 だってわたしは、その立場を望んでなったわけではないけれど、それでも捨てたのは事実だったから。

 でも、今はその聞こえる声が痛い。

 自分の昔の姿に生き写しの、けれど氷みたいに凍てついた目をした少女。

 今回の小聖杯。

 第三魔法(ヘヴンズフィール)に至るための肉の形をした魔術回路。

 アレは間違いなくそれだ。

 顔がそっくりなのは同型のホムンクルスだからなのだろう。

 けれど、彼女の声がこんなに胸に痛く響くのは、きっとその声があまりにもアイリスフィールお母様とそっくりだったからなんだと思う。

 お母様はこんな冷たい声を出さない。

 そうわかっていても、それでも思わず戸惑ってしまうほどにその声はそっくりだったから。

 お母様に産み落とされた身体すら捨てて、人間として生きようとしているわたし。

 歴代の聖杯候補だったお母様たちを捨てて幸せに今を暮らしているわたし。

 お母様に、糾弾されたような気がした。

 

 

 

 

 

 

  レイリスフィール

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 アインツベルンの森にも近い、遠坂の私有地近くの街外れで、私は半年ぶりに彼女と再会した。

「お久しぶりです、シロ」

 ぺこりと下げられる頭。

「ああ、そうだな。久しいな。元気そうで何よりだ、舞弥」

 黒髪をポニーテールに結い上げた、養父の戦場での相棒たる女性、久宇舞弥にそんな風に声をかける。

「君には日本入りして早々、厄介な頼みごとばかり押し付けてしまったな」

 苦笑しながら、労い代わりに、彼女に夜食用に作っておいたイチゴサンドの入った包みと、魔法瓶に入れた暖かいほうじ茶を手渡す。

 それに一瞬だけ彼女が目元を綻ばせたのが見えた。

 表に出そうとはしないが相変わらず甘いものが好きであるらしい。これぐらいで労力の対価になるとは思えないが、それでもこの顔を見れただけでも良かったとしよう。

「いえ、問題はありません。それが私の役目ですから」

「彼女のほうは問題なさそうだったか?」

 と、押し付けた厄介ごとの最たるものだろう、元ランサーのマスターだった女性、バゼットのことについて口に出した。

 この封印指定の協会から派遣された元マスターが目を覚ましたのは今日の夕刻の事だ。

 数日は意識を取り戻さないだろうと思われていた彼女が、こんなに早く意識を取り戻したのは驚きだったが、流石は封印指定執行の魔術師と思えば不思議もない。

 舞弥には、彼女が意識を取り戻すまで、バゼット嬢の傍にいて待機するように言っていたが、それも終わりだ。

 本日をもって彼女は戦線復帰する。

「動揺はしていましたが、自身の状況は理解してもらえたようです」

 そう淡々と、彼女はバゼット嬢のことについて報告した。

 言いながらも足は止めない。

 人の目につかない草むらに2人そろって向かう。

 そこには、一台の小型の車が1つ。彼女は躊躇うこともなく運転席へと向かう。

 其れを見て、助手席に私も乗り込んだ。

「行き先は双子館でいいのですね?」

 黒髪黒目の黒尽くめの国籍不明な女は、淡々と確認事項を口に出す。

 それに「ああ」と頷いて発車を促した。

「両方見て廻りますか」

「手数をかけるが、そうしてもらえると助かる」

「了解しました」

 静かな冬木の夜に、ブォォンと、車の排気音が響くのが、やけに耳に残った気がした。

 

 

 

 side.イリヤスフィール

 

 

「レイリスフィール・フォン・アインツベルンです。初めまして、裏切り者の姉様(あねさま)

 昔の私にそっくりな顔立ちをしたピンクのドレスの少女は、お母様によく似た、けれど比べ物にならないくらい冷たい声でそう己を紹介した。

 そして、見下すように微笑む。

「しかし、呆れたものね。本当に他人の造った人形の身体に入っているなんて。穢らわしい……。自分の身体を捨てた気分とはどのようなものかしら。知りたくもありませんが。本当、この程度の者の何が良かったのかしらね」

 不愉快そうな声を立てて、ぽつりぽつりと少女、レイリスフィールはそんな言葉を漏らした。

「姉様……?」

 疑問を噛み殺せずにそう口にしたのは、士郎だ。

 困惑したような目で戸惑いがちにわたしを見てくるこの弟に、けれどわたしは上手く言葉を返せそうにはなかった。

 ランサーは実体化して、ざっとわたしを庇うように槍を構えて前に出て、「茶番はやめようぜ、うちのマスターとどういう因縁があるんだか知らねえが、アンタもマスターだってんなら、サーヴァントを出しな」とそう挑発するような顔で、そんな言葉をかけた。

 それを一瞥して、目の前のピンクドレスの少女は、やっぱり冷め切った目で、その顔に違わぬ声音で言葉を押し出す。

「躾の悪い犬だこと。待ても出来ないの」

「狗って、言ったか?」

 ざわりと、ランサーの放つ空気が変わる。

 飄々としたそれから、殺気混じりの狂犬染みたケモノ性がむき出しになる。

 それを、全く表情一つ変えることなく見て、少女レイリスフィールは「いいでしょう。そうね、趣味ではありませんが遊んであげましょう」そんな言葉を言って、己のサーヴァントを実体化させた。

 どっと、纏う空気が重い。

 凄いプレッシャーがかかる。

 ずずっと、昏い気が漲る。

 金の鎧に金の髪、黄金の気を纏った男。その本来秀麗であろう顔と紅い眼は狂気に歪み、凄まじい威圧感となって周囲を包み込む。その口元はにぃぃっと傲慢に残虐に笑っていた。

「バーサーカー」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 少女が自身のサーヴァントのクラス名を呼ぶ。

「これは命令です。あの青いサーヴァントと遊んでおいでなさい」

 その言葉を合図に金色の男は剣ともよべぬ禍々しいほどに膨大な魔力を纏った刃無き剣を手に襲い掛かる。風圧だけで周囲を吹き飛ばさんばかりの豪腕。

 ランサーが前に出て、紅い槍で向かっていた攻撃をわたしや士郎に当たらないように防ぐ。

 だけど、男の怪力と禍々しき剣を前にしては、いくら俊敏に長けたランサーといえど、わたしと士郎を庇いながら戦うのには無理がある。

 白い頬に血が一筋流れた。

「どうしたの? ここで迎え撃つつもりですか? 私はそれでも構いませんが、そんなことをすれば、貴方のマスターの命は保障できなくてよ。場所を変えたほうがいいのではなくて?」

 くすくすと、相も変わらず笑っているようには見えない声で笑い声を上げながら、少女はそんな提案をランサーにかけてくる。確信犯だ。

 ランサーが邪魔にならないように追い払いたいからこそ、わざとそんなことを言っているのだと、ランサーでなくてもわかる。だが、事実ここで、わたしや士郎を守りながら戦うというのはジリ貧でしかないとランサーだってわかっている。

 だから彼は「チッ」と舌打ちをして、公園のほうへと駆けた。追う様に金色のサーヴァントも後に続く。

 残されたのは、このレイリスフィールと名乗る少女と、わたしと士郎の3人だけ。

「さて、改めてもう一度名乗りましょうか、姉様。それとも、姉様が名乗ってくださるのかしら」

 くすりと口元に冷笑を浮かべながらそんな言葉をいうピンクドレスの少女。

 それを前に、士郎が口を開いた。

「アンタは、イリヤの妹なのか」

 そこでぴくりと、レイリスフィールは反応を返して、まるで虫けらを見るような目で士郎を見た。

「貴方……確か、数日前に見かけた小蝿ですか」

「なぁ、どうなんだ」

「煩い虫ね。誰に向かって口を訊いているの」

「……っ、士郎」

 フリルの裾から取り出したらしき石炭のようなそれを、言葉と同時に彼女は振るった。

 瞬間、ボッと、炎が吹き荒れ、士郎に向かって踊りだす。

 反射的に普段は袖の下に巻いて隠し持っている針金を瞬時に変形させ、炎に向かって走らせる。でも間に合わない。士郎は呪文すらすっ飛ばして、干将莫耶を投影し、炎を打ち払った。

 少しだけ、目の前の冷淡な美貌に驚きの色が混じる。

「貴方……随分と変わった技をお持ちね」

 ひょっとして士郎の異常性に気付かれた? 有り得ないことじゃない。いくら幼い姿をしていようとこの子はアインツベルンの小聖杯なんだから。

 ばっと、私は士郎を庇うように前に躍り出る。

 其れを見て、鼻で笑いながら、少女は淡々と口にした。

「何……姉様はソレがお気に入りなのですか?」

 そしてああ、と「いい提案を思いつきました」とこぼして、彼女は続けた。

「なら、それをミートパイにして供してさしあげましょうか? 姉様。ええ、そうですね。私は貴女がそんな風にして、大切なものを喰らう姿を見たい」

 そういって残虐に嗤う口元と昏い炎を灯した瞳。

 だけど、ここで注目すべき点はそこじゃない。

 だから、わたしは震える体と声を抑えて、漸く自分の言葉を押し出した。

「どういう、こと」

「何がでしょうか?」

 くすくすと、冷たく笑いながら彼女は尋ねる。

「今、火の魔術を使ったわよね、貴女。アインツベルンの属性は水属性の筈。いえ、そもそも錬金術に長けるアインツベルンは攻撃魔術は不得手な筈だわ……貴女……何?」

 その言葉に、ピンクドレスの少女は感情を落とした。無表情、無感動な、本当に人形のような顔。膨大な魔力と美しさがそれに際立って、ぞくりと、まるで得体の知れないものを相手にしているような気分になる。

「血縁上の『父親』の血が濃く出たことが、それほどおかしいですか」

 そう、彼女は漏らした。

「いいでしょう。そうね、貴女には話しておきましょう」

 まるでそうでないと自分の気がすまないとでも言いた気な声音で、アイリスフィールお母様そっくりの声をもつ少女は、自分を押さえつけるように自分の両腕を握り締めた。

「18年前、貴女はアインツベルンのホムンクルス、アイリスフィールと、魔術師殺し衛宮切嗣の間に生まれた。人で在りホムンクルスであった高次生命体。それはご存知ですね」

 淡々と、確認事項のように口にする少女。すぐ後ろにいる士郎は僅かに息を呑む。

 ……思えば、士郎がわたしの出自を知るのはこれが初めてだ。

「その時、アイリスフィールの中に宿った生命である貴女(イリヤスフィール)の一部を培養保管し、もしもの時の為の予備聖杯(バックアップ)として保存し、10年前に貴女を失ったことによって、貴女の模造品としてこの世に出した存在……それが私、レイリスフィール」

 そう、その意味はすなわち、この少女はただの同型ホムンクルスということではないということを指していて……。

「お気づきかしら? 私は純粋なホムンクルスではありません。かつての貴女がそうだったようにね。私は貴女の代用品……より、正確にいうのならば、年齢違いでこの世に産み落とされた双子の妹のようなものなのですよ」

 その言葉に思わず唾を飲み込んだ。

 

 

 

 side.衛宮切嗣

 

 

 パソコンを弄る手が固まる。

「キリツグ……?」 

 後ろに控えるサーヴァントの少女が何か言っているが、それすら耳から抜けていく。

 固まった目のまま、パソコンの画面に映し出されているその光景から目を離せずにいる。

 映っているのは、ピンクドレスに身を包んだ、銀髪紅目の凍てついたように美しい少女。その姿は、表情や雰囲気、着ているものは違えど、今は亡き妻アイリスフィールをまるで幼くしたかのような容貌だ。そして、やはり妻とよく似た声をしたその少女が、今告げたこと。

 それはつまり……。

(……あの子は、僕の娘……なのか)

 心臓がばくばくと嫌な音を立てる。

 ありえない話ではなかった。

 イリヤは生まれる前から次世代の聖杯にするために調整されてきた。何度も、何度も繰り返して、アイリの腹の中にいるうちから、だ。

 ならば、密かにイリヤの双子の妹にあたる存在を回収して、もしもの時の為の予備として保管していたというのはありえないと言い切れる話ではない。そもそもホムンクルスが人間の子を身籠もること自体が奇跡に等しいことなのだから、アハト翁ならばもしもの為の予備を、この機会に取っておこうぐらい思ってもおかしくはない。

 そうやって、冷静に思考をめぐらせることは出来る。

 それでも、それは……とても、1人の父親としては残酷な事実でもある。

 更に頭をめぐらせる。

 この子は、今火の魔術を使った。それは、遺伝的に同じ存在でありながら、このレイリスフィールと名乗った少女は僕の因子をイリヤよりも強く受け継いでしまったということを示すのだろう。

 自分の一族の属性と違う属性も持ち合わせて生まれた少女。

 それをアインツベルンほどの魔術師の名家がどう扱うのか。魔術師殺しとかつて呼ばれ、魔術師の裏をかくことにこそ長けた自分には、見てきたかのようにわかるのだ。

 であるからこそ、痛い。

 だが、目を逸らしてはいけないことだ。

 僕は、父親だから。

 10年前のあの時から、僕は1人の父親として生きるのだとそう決めたのだから。

 本当はここで、引くように進言するはずだった。

 今日の本題は教会への襲撃で、それに邪魔が入った以上、今すぐにでも退却するように指示するはずだった。

 だけど、それでも、これを見届けなければいけないとそう思った。

 

 

 

 side.イリヤスフィール

 

 

 くすくす、と自分の出自を明かした少女は笑う。

(双子の……妹?)

 そんな存在は知らない。

 でも、彼女の語ったことが本当だとしたら知らなくて当然とも言える。

 つまり、この少女に与えられた役割はあくまでも、わたしが駄目になった時のための代用品でしかないのだから。わたしがアインツベルンから去るまでは、彼女はずっと試験管の中に保存されてきたということだ。わたしが予定通り役目を果たしたら、きっと表に1度も出ることすらなく破棄されていたんだろう。

 彼女の立場とはつまり、そういうもの。

 自我もなければ、姿もない。そんなもの、同じ城にいようとわかる筈もない。

「ああ、でも誤解しないで下さいね」

 にこりと、氷の微笑を浮かべながら、彼女は言葉を続ける。

「便宜上『父親』と呼びましたが、私は、貴女のように、自分に精子を提供した男を『父親』などとは思っていませんし、自分を産んだ女の事も別に『母親』なんて思ってはいませんから。ホムンクルスが家族ごっこに精を出すなんてナンセンスなだけでしょう?」

 ことりと、仕草だけは可愛らしく首をかしげて少女はそう口にした。

 そして、その言動はそのまま、家族を選んで生きるわたしへの侮蔑を含んでいる。

「アインツベルンを裏切ったという衛宮切嗣ですが、私にはどうでもいい存在です」

 凍るように冷たい声で言い切る、レイリスフィール。

 それに、疑問がわいて口を突いて出た。

「なら、何故貴女はわたしに執着しているの?」

 そう、それが疑問だった。

 最初に現れた時から、この少女はわたししか見ていない。

 だけど、父親や母親というものをどうでもいいと切り捨てるのならば、ならわたしを「姉様」とそんなふうに呼ぶのも、こんな風にわたしを見るのも、わざわざ自分の正体について話すのも何もかもがおかしい。

 そんなわたしに、彼女はほんの少しだけ驚きに目を見開いて、「執着……ですか。そうですね、そうかもしれません」とむしろ自分を納得させるかのように呟く。

「私はただ、貴女の苦しむ姿を見たいだけですよ。そうね、これが憎しみというのかしら。あまりに貴女という存在を呪い過ぎてきたせいかしらね、簡単に殺すのではつまらない。そういうのは、あまりにも勿体無い」

 淡々と、まるで感情のないような平坦な声でそう彼女は自分の気持ちを並べ立てた。

「ああ、そうだ。そうですね、貴女の大切な人を1人ずつ殺していくというのはどうでしょう」

 いい事を思いつきました、と言わんばかりの声で、少女は初めて嬉しそうに言った。

「そう……蝶の羽をもぎるように、少しずつ、少しずつ、周囲を削って、最後に殺してあげる」

「そんなことは、させない」

 士郎の声が割り込んだ。

「また、貴方……?」

 不快感に眉を歪めて、レイリスフィールは路傍の石を見るような目で士郎を見る。

「アンタとは会ったばかりだし、アンタがどうしてイリヤを憎んでいるのかは知らない。でも、姉妹で殺しあうなんて駄目だ」

 そう、強く言って、士郎は双剣を構え、前に出た。

「煩い虫ね……命がいらないのかしら。なら、お望みどおり貴方から殺してさしあげましょう。構えなさい。ああ……2人できても構いませんよ?」

 そう口にして、彼女は木炭にも似たその礼装武器を構えた。

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 耳情報と実際に目で見て確かめるのでは違うものがある。

 私は舞弥の運転する車にのって、双子館について調べていた。

「先日、連絡にあった、耳飾と腕は?」

 バゼット・フラガ・マクレミッツの落し物のことについて尋ねる。

「ピアスは彼女の病室にある机の上に置いてきました。腕は焼いて処分にまわしました」

 淡々と義務的に、黒衣の女は答える。

 ふむ、と思いながら、妙な球体が入っている鞄を担ぐ。

「どうするつもりですか」

「おそらくこれは、バゼット嬢の魔術礼装だろう。……かなりの神秘を秘めている。おそらくこれは、宝具の類だ。ここに放置するのも危険だろう。だからもって帰ろうと思うのだが」

「持ち主に返されないのですか?」

 その言葉に皮肉った笑みを浮かべて言う。

「聖杯戦争が終われば返すさ」

「それは、ミス・バゼットが敵になると……?」

 真意を尋ねるように黒い瞳が私を見上げる。

「その可能性が無いとはいいきれまい。負傷し、サーヴァントを失ったとはいえ、彼女は魔術協会からの廻し者だ」

「ならば、殺しておいたほうが良かったのでは?」

 さらりと、いつも通り淡々とした口調と瞳で舞弥は言った。

「物騒だな、君は」

 苦笑する。

「敵に「なるかもしれない」とだけで全てを殺すようでは、この地上に生きる人間は誰もいなくなるだろうよ」

 その言葉に、彼女は俯いて瞳を伏せた。

「さて、帰るとしよう。君はどうする?」

 それに、ややあってから、舞弥は口を開く。

「私は……暫く、別口で調べたいことがあります」

 その言葉に少し驚いた。

 彼女が自分のやりたいことを口にするのはそれほどまでに珍しいことだったからだ。

「それは、聖杯戦争とは関係があることかね?」

「あるともいえるし、ないともいえるでしょう」

 曇った黒い瞳は、上手く言葉を見つけられていないようだった。

「……すみません」

 沈黙に耐え切れなかったかのように、彼女はそう漏らした。

 それもまた珍しい反応だ。

「責めているわけではない。寧ろ、君がやりたいことを見つけたというのは、私にも喜ばしいことだ」

 それは無責任の励ましのようだが、本音でもある。

 機械のように自分の望みを口にすることもなく生きる彼女は、私から見ても過去を見るようで心苦しい部分があったのだから。だから、微笑みさえ浮かべて口にする。

「君の調べごとで、手がいるようならばいつでも言ってくれ。協力しよう」

「ありがとうございます、シロ」

 そういって、ぺこりと頭を下げて、彼女は車に乗って去っていった。

 

 

 

 side.遠坂凛

 

 

 私は息を呑みながら、その戦いを見ていた。

 流麗な容姿のサムライと、自分のサーヴァントたる紅き騎士との戦い。

 一般的に知られる刀より余程長い刀を自在に操りながら、紫のサムライは刀を優雅に振るい続ける。対する白黒の双剣を構えた男は、無骨ながらも美しい剣技でそれに応えた。

「ふむ、唐の刀を使う手合いか、面白い」

 からかうような声で、けれど戦いへの興奮も滲ませながらそんな言葉を吐くアサシン。

 その姿は武人には見えても、とてもマスターの暗殺に長けたアサシンのクラスには見えない。

 対するアーチャーもまた、弓の英霊のクラスに似つかわしくないスタイルで、刃を交え続ける。

 人外の証たる魔力を互いに迸らせながら、人間にはありえぬ身体能力で打ち合う人型の異形たち。月を背にしたその演舞は惚れ惚れするほどに美しい。

 常軌を逸脱した剣技を披露しながら、アサシンはぎらりと獰猛な光を瞳に宿して刃を振るい続ける。

 それに相対しながら、アーチャーは冷静に念話をわたしに送ってきた。

『凛、このままでは埒が明かん、どうする?』

 策がありそうな口調での念話だったが、今の今まで2人の戦いに見惚れてぼーっとしていたわたしは慌ててそのことに気付かなかった。

『え……そうね』

 その時、唐突に、アサシンは「む……女狐め、余計なことを」なんてぽつりと嫌そうに口にした。

 それで気付く。

 ざわざわと音を立てて、アサシンを援護するように骨の人形が沸いて出てきていることを。

 ソレを見て、アサシンは刃を収める。

「興醒めだ。帰るがいい、娘」

「どういうつもり?」

 自分が有利な立場になったのに、それを放棄するなんて、なんていぶかしみながら口にすると、「文字通りの意味だ」と男は答えた。

「私が求めるのは命がけの闘争よ。無粋な横槍など、興醒めもいいところだ」

 心底つまらなさそうな目をして語るサムライ。

 どうやら本当に自分達を帰すつもりらしい。

「いいわ。帰りましょ、アーチャー」

 どうせ今日の目的は様子見だった。アーチャーは怪我らしい怪我を負っていないし、キャスターとアサシンが組んでいるという情報を手に出来ただけ上々だ。

 だから、そう口にして踵を返した。

 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

 炎が踊る。躍り掛かる。それを手にした双剣で打ち払って、俺は駆けた。

 けれど、いくら払っても払っても、少女の手の中から炎は生まれ、俺とイリヤを襲い続ける。

 イリヤの魔術によって針金の鷹は盾へと姿を変えて、炎を防ぐけれど、灼熱を前に針金が融け始めている。それに、イリヤが焦りの表情を見せる。

「どうです、貴女の力はそのようなものですか?」

 今度は四本の石炭を指に番えて、彼女はそれを放った。

 じゅっと、電信柱が融ける。

 それを目にしながら、俺は彼女、レイリスフィールに向かって疾走する。

「小賢しい」

 少女の小さな左手から、隠し持っていたのだろう針金が飛び、それはそのまま生命を持っているかのように、俺の身体を拘束しようと巻きつくように迫る。

「士郎っ!」

 悲鳴染みた声を上げて、イリヤが俺の名をよぶ。

 負けるわけにはいかない。

「ぁあっ!」

 声を上げて気合をいれ、俺は自分に迫る針金を両断する。

「それで終わりと思って?」

 切られた針金は、それ自身が命をもっているように蠢いて、俺の右足と両腕をがっちりと下のアスファルトへと縫いつけた。

「なっ」

「ねぇ、姉様」

 くすりと笑いながら、少女は俺に近づく。

 イリヤは未だに炎に囲まれている。

「私、此処に来る前に日本のこと、少し調べましたのよ。それで面白い風習を見つけましたの」

 ぐいっと、ホワイトブーツで俺の顎を持ち上げながら、彼女は言った。

「土下座してくださらない? この男の顔を焼き焦がされたくなければ。大切なんでしょう? この男が」

 かっと、その言葉に怒りがわいた。

 イリヤの妹で小さな女の子だからと、そう思って強くは出れなかったが、そんなことは認められない。

「士郎っ……!」

 イリヤは悲痛そうな声を上げる。

「返答は10秒以内にお願いします。それ以上は私、待てそうにありませんから」

「まって、そんなの」

「10、9、……」

 駄目だ! こんなの認められない。

 こうなったら、やむをえない。全投影連続層写(ソードバレル・フルオープン)で有りっ丈の武器を投影して、彼女を止めて逃げるしか……そう思い、ここから巻き返すための設計図を描こうとしたその時、ぴくりと、彼女は反応を変えて俺から離れ、俺でもイリヤでもない方角を見た。

「また、貴女ですか、キャスター。……本当にしつこいこと」

 苛立たしげにそんな声を漏らす。

「命拾いしましたね。気が変わりました。……今日のところはこれで帰りましょう」

 言ってくるりと、彼女は俺たちに背を向けた。

「姉様、覚えていてくださいね。貴女を殺すのは私の役割ですから。それまではせいぜい生き喘いで下さいな」

 リン、と少女の髪飾りにつけられた鈴の音が鳴り響く。

 それが合図かのように周辺に張られていた防音と人除けの結界が融けていく。

「では、御機嫌よう」

 そうして、レイリスフィールと名乗った少女は去っていった。

 残ったのは俺の両腕と右足に絡みつく魔術で強化された針金と、いまだくすぶり残っている炎の欠片、そして……。

「イリヤ……?」

 どさりと、放心したように意識を無くしたイリヤだけだった。

 そんな光景を、月は無慈悲に見ていた。

 

 

  NEXT?

 

 




 因みに今作第五次バーサーカーのステータス。

 バーサーカー:真名・ギルガメッシュ。
 属性:混沌・狂
 筋力A+ 俊敏B+
 魔力A+ 宝具EX
 耐久A  耐魔力D
 幸運D 
 黄金率(A)、カリスマ(B-)、神性(B)、怪力(A)
 狂化しているために、カリスマや耐魔力などの値が下がっている。幸運はマスターとの相性の悪さのせいでがくりと下がっている。(ただし、黄金の鎧の神秘力と耐久力の高さ故に、セイバーのエクスカリバー数回受けてもなんとかなる)
 あと、狂化しているせいで、エアの真名開放が出来ない。その代わり、神話にある怪力が復活している上に慢心も消えている為弱くはない。
 本来、バーサーカークラスの適正がないのにバーサーカークラスとして(アハト翁が無理矢理)呼んだため色々酷いことになっている。
 なんでアハト翁がそんなことしたかって? いつも通りの傍迷惑空回りの結果だよ! ルールは破るためにあるもの!! トッキーから触媒盗んじゃったよ、てへぺろ☆
 強いて言うなら今のギルの状態は月での聖杯戦争のアルクェイドみたいなものと思っておいて間違いはないかと。(アルクも本来はバーサーカークラスの適正無い的意味で)
 マスターであるレイリスフィールと相性は最悪。寧ろマスターとか思っていない。互いに機会があれば互いの命を狙い合うような主従。
 因みにレイリスフィールは本作イリヤよりは数段階魔術回路がレベル上かつイリヤよりも起源の関係もあって戦闘に向いているけど、聖杯としての性能は原作イリヤより一段階劣るため、原作イリヤみたいに過程放り投げて結果出すような真似は出来ないよ。
 火と水の二重属性。炎と錬金術を武器に戦うよ。


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14.まどろみの中見た夢 前編

ばんははろ、EKAWARIです。

今回の話は久しぶりに前後編に別れる話ですので、次回の話と併せて1つの話にカウントしてくれたらいいと思います。



 

 

 

 私を召喚したのは藤紫色の髪と目の、歳若い少女でした。

 その少女を見て、私は一目でわかりました。

 ああ、彼女もまた、私と同じやがて化け物になる運命を背負った存在なのだと。

 同情だったのでしょうか。

 わかりませんし、どちらでもいいことです。

 ただ私は一目見て、その少女を、召喚主であるサクラを好きになっただけです。

 だから令呪など関係なしに守りたいと、そう思ったのです。

 けれど、彼女が最初の令呪を用いて行ったことは、それを許すものではありませんでした。

 彼女の兄、シンジを仮初の主として、それに仕えること。

 それが偽臣の書を作り上げた、彼女の下した命令(れいじゅ)。 

 そうして、私はシンジの仮のサーヴァントになりました。

 けれど、サクラ、彼女は3日前から突如、塞ぎこんでどんどんとやつれていきます。

 でも、私は命令上シンジの言うことだけを聞くことになっていて、彼の傍にいることになっています。

 それが彼女の望みだから、叶えなければいけないことだとそう認識しています。

 だから、彼女の傍にいることは出来ません。

 でも、もしも叶うのならば、こんな時に……貴女の傍にいられたらいいのに。

 

 

 

 

 

 

  まどろみの中見た夢

 

 

 

 side.レイリスフィール

 

 

 今から18年前、まだ私がアイリスフィールという女の胎内で、胎児としての形すら保っていない時、私は見たことも無い母や姉と別たれ、試験管の中で自我も成長もないままにずっと保存されてきた。

 本来ならそのまま、私は姉が役目を果たすと共に破棄されるか、或いは姉に移植する為の魔術回路として、ある程度肉体を成長させられたあと、魔術回路(わたしのすべて)を姉に移す形で役目を終え、肉体は破棄。自我もないまま、姉に存在を知られることもないままに一生を終える筈だった。

 けれど、姉は、イリヤスフィールはアインツベルンを裏切り、どこの誰とも知れぬサーヴァントの手を取ってこの城から去っていった。

 姉は、次代の小聖杯はアインツベルンから失われたのです。

 故に、姉の予備聖杯(バックアップ)として、模造品(レプリカ)として試験管の中で保管されてきた私は、10年前にこの世への誕生を果たした。

 次の小聖杯へと為るために。

 突如としてなくした空白を埋めるようにと、急いで成長を施され、知識を与えられ、生まれた身体は既に10歳児くらいの大きさでした。

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンの代用品として保存されてきた私は、人工的に作られた存在とは言え、その遺伝性だけでいうなら、人間で喩えると彼女とは一卵性双生児のようなもののはずで、だからイリヤスフィールと同じ性能であることを期待されていたらしい。

 けれど、実際の所、私はイリヤスフィールとは違うものに生まれたのです。

 姉にはないはずの火の属性をも持ち合わせ、姉よりも戦闘への適正を持つ私は、その見たこともない姉よりも遥かに、アインツベルンの聖杯としての資質は劣っていたのです。

 初めて出会った大爺様は、そんな私を見て「失敗作か」とそうこぼしました。

 それでも、私が廃棄されなかったのは、見たことの無い姉よりも劣っていたとしても、それでも聖杯としての役目への適正は、他のどのホムンクルス(しっぱいさく)よりも高かったから、それだけなのでしょう。

 見知らぬ姉より劣るといえど、それでも生みの母だという先代の聖杯の守り手、アイリスフィールよりも私のほうが聖杯としての資質自体は上だったみたいです。

 あの城に私以上に聖杯としての適正を持つ存在は居ません。

 だから、私はやっていけると思ったのです。

 そう思っていたし、信じていた。

 見たことの無い姉などしらない。

 いなくなってしまった人などどうでもいい、その筈でしょう?

 私は私。

 だから、どんな鍛錬や調整を施されようと、例えそれが結果で死にかけようと、泣き言なんて洩らした事もなかったし、役目を果たせばいつか『私』を認めてくれるだろうと思って私はそれに耐えた。耐えてきたのよ。

 私はアインツベルンだ。

 姉ではなく私こそが正統な次代の聖杯だと、その誇りを胸に。

 なのに、彼らはいうのです。

「ああ、イリヤスフィール様ならば」

 と、そんな言葉をいうのです。

 ふざけないで。

 アインツベルンを捨てて、逃げたモノでしょう、それは。

 ふざけないで。

 私は劣ってなどいない。

 アインツベルンを捨てたものなんかに、己に課された運命から逃げ出したものなんかに、劣ってなどいない。

 私を、裏切り者(イリヤスフィール)などと同列に見るな。

 火の魔術適正をもっているから何?

 遺伝上の、父親の血が濃く出てしまったから何?

 だから、何。

 だから、何なの。

 オマエたちなど、私よりも失敗作じゃない。

 聖杯の器になれぬほどの失敗作じゃない。

 イリヤスフィール様、イリヤスフィール様、そんな言葉とっくに聞き飽きたのよ。

 模造品だから、なんだというの。

 何故、そんなことで劣っているといわれなければいけないの。

 私はイリヤスフィールなどではない。そんなものは知らない。

 だけど、大爺様も、言うのだ。

 口にはせずに、目でいつもいうのだ。

『何故、オマエはイリヤスフィールではないのか』と。

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは裏切り者なのに。

 衛宮切嗣とそのサーヴァントに連れて行かれたというイリヤスフィール。

 同じ遺伝子をもつ筈の、見たことすらない私の姉。

 同じ血、同じ遺伝子をもちながら、なのに私よりも高いアインツベルンとしての適性をもち、その癖に全てを捨てた愚か者。

 それと同じ血をひいている、同じ遺伝子をもつ、それだけでいつか私も裏切り者になるのではないかと、そう揶揄されて育ってきた。

 オマエなど、信用しない。最低限の役目さえ、果たせばそれでいいと。オマエに期待など、しないのだと。

 そう、メイドも、大爺様も言うのだ。

 私はイリヤスフィールとは違うのに。

 大爺様自身、私とイリヤスフィールは違うと、だからオマエは失敗作なんだと口にするくせに、なのに私が死にかけるたびに、結局はオマエもイリヤスフィールのようにいつかは裏切るのだろうと何度も私を罵ってきた。

 

 そうして、私が自我を得て2年ほどの月日が経ったある日聞いた噂話、それは、イリヤスフィールは、日本で衛宮切嗣らと共に家族として呑気にも幸せに暮らしている。そんな話だった。

 そう、アインツベルンのホムンクルスとしての生まれ持った身体を捨て、人間のように暮らしているのだと。

 幸せに幸せに、人間のフリをして、人間のようにそんな風に暮らしているのだ、なんてそんな話をメイド達は口にしたのだ。

 喩え人の血が混じっていようと、私たちは人間じゃないのに。

 ホムンクルスなのに、なのに、その私よりも聖杯として格上であったという姉は、下賎の人間の真似事をしていると、そういうのか。

 つまりは……イリヤスフィールとは、その程度の輩なのか。

 アインツベルンを捨てただけでは飽き足らず、ユスティーツァ様の系譜に連なる全ての者達の想いが込められたその身体すら捨てたというのか。

 そんなアインツベルンのホムンクルスとしての誇りすらない相手と、今日(こんにち)まで比べられてきたというのか、私は。

 そんな人間の真似事をしているようなものに劣っていると、そういわれ続けてきたのか。

 そんな卑賤に身をやつした相手よりも私のほうが格下だと、そういうのか。

 大爺様も、メイド達も。

 私が、イリヤスフィールに劣ると?

 何をやっても劣ると?

 そんな風に言うのか。

 ふざけないで、ふざけないで、ふざけないで。ふざけないで!

 認めない。許さない。

 冗談じゃない。

 私は劣ってなどいない。

 私は負けない。

 絶対に、負けるものか。

 負けて、たまるものですか。

 もう、言わせない。

 誰にも言わせるものか。

 失敗作? 所詮は模造品? 劣化品? ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな。

 そんな、全てを捨てた負け犬などに負けているなどあって堪るものか。

 それが事実ならば、それならここにいる私は何!?

 違う、私はイリヤスフィールじゃない!!

 ええ、絶対に、そうであるはずが無い。

 そうであるなんて、認めない。許さない。そんなことは許さない。

 アレと一緒にするなんて、もう許さない。

 私は私だ、次世代の聖杯レイリスフィール・フォン・アインツベルンだ!

 私は、失敗作なんかじゃない。

 証明してやる。証明してみせる。

 私は逃げない。私は負けてなどやらない。

 アインツベルンの悲願?

 望みどおり背負って果たしてやる。他ならぬこの手で第三魔法を成就させてみせる。

 私自身の手で果たしてみせる。

 それを果たして、もう私はイリヤスフィールのたかが模造品(れっかひん)などとは言わせない。

 私は、私という存在を証明してみせる。

 それを阻む者は殺してやる。

 殺してやる、殺してやる、殺してやる。

 私を失敗作と呼んだメイド達も、私の前に立ちはだかる忌々しいものは全て、殺してやる。

 大爺様の望みどおりに、聖杯戦争で敵対するサーヴァントのマスター達だって、嗚呼皆殺しにしましょう。

 そうして最後に、私は彼女を殺すのだ。

 見たことも無い、会った事も無い、裏切り者の……姉を。

 そうだ、私はレイリスフィール・フォン・アインツベルン。

 次代の聖杯。

 私こそが正統なるアインツベルンの系譜。

 私こそが……。

 私は…………。

 

 

             * * * 

 

 

 ふ、と鼻に届く空気の匂いが故郷のものとは違って、自分がまどろみの中、昔の夢を見ていたということに気付き、目を覚ました。

 きぃ、と揺れるブランコ。夜の公園で私はどうやらうたた寝をしていたらしい。

 ぐらり、と頭が揺れるよう。

 はぁ、と吐く息は白い。

 体がダルい。

 ホムンクルスの身体は脆弱に出来ている。

 私は遺伝上の父親が人間であるせいなのか、他のホムンクルスに比べると丈夫だが、それでも普通の人間並みというわけでもない。

 一応簡易の結界を張ってはいるが、それでもたとえ並外れに高い魔力を私がもっているにしても、今の消費量を考えるとこの状態は少しまずい。

 やはり、2連夜でバーサーカーを使ってきた無理がここにきたか。

 思わず苦い気分になって顔を顰めたくなる。

 そんな下品な真似は、頼まれてもしないが。

 全くもって、忌々しい話だけれど、普通に使役する使い魔の延長であれば、たとえ消費量が桁外れに大きくても問題はなかっただろうに、英霊をクラスに嵌めこんで呼び出す冬木の聖杯戦争のサーヴァントはそうはいかないというのが、頭の痛い話としか言いようがない。

 アレの意思を魔力でねじ伏せ、押さえ込みながらランサーと戦わせつつ、自分も戦闘を展開するとなると、かかる負担も尋常なものではない。

 どちらかに集中するのならば、ここまで疲労することもないのでしょうけれど、アレが相手ではそうもいかないのだから、これはどうしようもない話だ。

 おそらくきっと、一番の敵とはそれすなわち自分のサーヴァントのことだろう。

 赫き狂気の瞳の、黄金の王。

 サーヴァントに意思など必要ないというに、本当に……忌々しい。

「…………」

 ブランコから立ち上がろうとして、ぐらりと眩暈がした。

 いけない、本当に疲労が溜まっているらしい。

 でも、それでも……冬木の拠点ともいえる、あの城に戻る気もない。

 あの城は、嫌なことを思い出す。

 聖杯としての役目を果たすために、アレを身に着けるために帰る時でもなければ戻りたいとも思わない。

 メイドたちは既に殺しているというのに。全く、どこまで私を縛れば気が済むのか。

 ぴくりと、指を動かして袖下に忍ばせた、私の血を混ぜて作った魔術武装に手を伸ばす。

 誰かが、来た。

 感じ取れる魔力量自体は微量だが、それでも結界への干渉の仕方を思えば、それなりに上位の魔術師だ。

 けれど、解せない。

 結界への破り方そのものは上位の魔術師を思わせるほど隙がないというのに、まるで自分の存在を隠す気もなければ、敵意すら漂わせていない。

 やがて歩きよって来たその男は、まるで親しい相手にするかのように、やぁと手をあげてそんな挨拶をした。

 知っている。

 初めて会う顔だが、アイリスフィールの記録の中で見た顔だ。

「驚きました、魔術師殺しというのは、人を背後からでしか仕留められない下賎な輩だと思っていたのですが……堂々と顔を見せるなんて、これは貴方への認識を改めたほうがいいのかしら。実に愚かな男であると。どう思いますか、衛宮切嗣」

 そう、ぼさぼさの黒髪に、醜い無精ひげを生やして、黒くてくたびれたスーツを身に纏った男に口を開いた。

 男は苦笑しながら「手厳しいな」といって、手を下ろす。

 まるで、敵意がない証明であるかのように。

 違和感染みたそれに、僅かに目を細めるが、男の態度は何一つ変化を見せない。

「何か用でも?」

 無感動に、路傍の石を見るようにそう声をかけたというのに、男は変わらず、死んだような目のまま口元を僅かに綻ばせて、口を開いた。そのような佇まいなのに隙が全くない辺りが、腐っても魔術師殺しということだろうか。

「君は……僕を恨んでいるかい?」

 男が口にしたのは理解し難い言葉だった。

 何を言っているのか。本当に、馬鹿なのか。

 そんな私を見て、男は付け足すように、「ほら、僕はアインツベルンの裏切り者だろう?」と、まるでおどけるような口調で口にする。

 本当に、理解し難かった。

「随分な自惚れ屋ね。呆れました」

 冷め切った声で冷淡に告げ、そして、冷静に自分の見立てと本音を告げた。

「オマエにそれほどの価値があるとでも? 随分とおかしな身体をしているじゃない。汚らわしい。オマエなど、私が手を下さずともすぐに死ぬでしょう。オマエ如きが、わざわざ私が手を汚す価値があるとでも思っていたのかしら?」

 そこまで言ってから、ふとあることを思い出した。

 ああ、そうだった。大爺様は随分とこの男を恨んでいるようだった。

 だから、そんな質問をこの男は口にしたのかと思ったので、私も述べる。

「それとも、私が貴方を殺すように大爺様に言い付かっていたと思っての事? そうね、大爺様は貴方を随分と恨んでいたようですけれど、私にとってはオマエ、衛宮切嗣などには興味すらありません。路傍の石が如き存在です。話はそれで終わりですか。ならば今すぐ消えなさい。今なら私に口を聞いたことも許して差し上げますよ」

 その言葉に、何故か男は傷ついたような色を一瞬顔にのせた。

 そんな男の反応に不愉快な気分になる。

 人間如きが煩わしい。何様のつもりなのかしら。

「僕は……」

「忠告したはずです。今すぐ消えなさい」

 ボッ、手元にある武装を振るって火を男に放つ。男はそれを銃を手にして避けながら、何事か呪文を唱えた。数瞬男のスピードが加速して炎から逃れる。あれが、男の魔術か。

 けれど、銃を手にしながら、男は私にむかって構えすらしない。

「撃たないのですか、衛宮切嗣」

「君こそ、サーヴァントは出さなくていいのかい?」

 炎を放ちながら聞いた問いに、男は何処か乾いたような声でそんな言葉を口にした。

「馬鹿らしい。サーヴァント相手でもないのに出すわけがないでしょう。見縊らないで。オマエなど、私1人で充分です」

「そうか」

 言いながら男は後ろに下がった。

 その目は私の炎など欠片も脅威に感じていないかのように、どことなく慈しむような目で私から視線を外さずに、言った。

「それじゃあ、僕はこれで帰るよ。君とは……また話したいな」

「貴方、頭は確か? 私に貴方と話すようなことなどありはしません」

「はは、手厳しいな」

 そう言って、男は公園から姿を消した。

 意味がわからない。本当に何をしに現れたのか。

 じゃらりと、手元に視線を落とす。昨日、今日と随分と武装を消費した。そろそろまた造っておいたほうがいいのかもしれない。

 本当に、面倒だこと。使い捨て製故に仕方のないことではあるが。

 思いながら結界を完全解除して、認識阻害の結界を変わりに私の周囲にかけて公園を後にする。

 東の空に少しだけ光が差し込み始めていた。

 

 

 

 side.衛宮切嗣

 

 

 林を抜け、彼女からたっぷり100m以上は離れてから、僕は周囲の樹木に寄りかかって、衝撃のままに咳き込んだ。

「げほ、ごほ、が……はっ……」

 べったりと手に赤い血が張り付く。蒼崎製の魔術薬を飲んだ副作用と、固有時制御を使用した事によるその弊害だ。ずるりと、思わずそのまま地に膝を落とす。

 そんな僕を見ながら、彼女は呆れたような……それでも哀しみも帯びた声で言った。

「やれやれ……前途多難だな」

 立てるかと、差し出される褐色の手。

「全く、難儀な選択をする」

「うん、僕も、我ながら馬鹿みたいだと、そう思うよ」

 ぐいっと、彼女……自分の義娘であるシロだ、に引っ張り上げてもらいながら、繕う事さえ出来ぬ様のままそう口にした。

 あの時……撃とうと思えば、僕はあの子を撃てた。

 あの子の炎は確かに威力こそ高かったが、幼いその年齢と違わず、未成熟で、力の使い方にまだまだ隙が多かったし、そもそも優秀な魔術師の殺害にこそ秀でているのが僕の特徴だ。

 事前に魔術薬を飲んで、昔並みに身体能力を戻してみればどうということはない。

 それに、僕の最も頼みの綱とする礼装……起源弾の効果を思えば、全身が魔術回路と刻印で出来ている彼女のようなタイプは、それこそ銃弾一つ、それだけで全てが終わる。

 僕の骨を加工して造ったソレは、僕の起源である「切断」と「結合」を如実に体現する魔術師殺しに打って付けの武装だからだ。

 切断と結合、その意味は変質。

 つまり、この弾を撃ち込まれた魔術師は例外なく、己の魔術回路を暴走させ、肉体を破壊させる。

 破壊の度合いはそのとき術者がどれほどに魔術回路を起動させていたかによって変わるが、物理的手段をもって防ぐ以外に、これを回避する手はない。

 そう、たとえどんなに強力なサーヴァントを従えてようと、全身が魔術回路で出来ており、膨大な魔力を持つ彼女は一発の銃弾さえ当たれば致命傷を負ってしまうのだ。

 僕らの目的は聖杯の破壊である。

 そして、彼女は今回の小聖杯だ。

 それを思えば、彼女を此処で殺すというのも選択肢になかったわけではない。

 だけど、僕は撃たなかった。撃とうとさえ、思わなかった。

 いつだって僕は、悩む心とは別に引き金をひくことが出来た。そういう風に生まれついていた。

 でも、だけど……じっと、自分を見ている白髪長身の彼女を見る。

 10年前に、聖杯よりも彼女を……シロを選んだそのときから、僕は1人の父親として生きようとそんな選択をしてしまったんだ。そのときから、僕に正義を語る資格はない。

 そんな資格はなくしてしまった。

 10年前の焼け野原を思い出す。

 結局僕がしたことというのは、何の意味もなさなかった。

 何一つ救うことなく、ただ被害を広げる。それしか出来ないのであれば、何が正義の味方なのだろう。

 だから、せめてもう、この手に残った家族だけでも守っていかなければと思った。

 正義の味方になりたかった男ではなく、1人の父親として、この手が届く範囲だけでもそれだけでも守らなければとそう思ったんだ。

 今は亡き妻、アイリスフィールの言葉を思い出す。

『ねえ……お願いよ、キリツグ……アーチャーを、私たちのもう一人の娘を……守ってあげて』

 涙ながらに彼女が語った言葉、それは1人の母親としての言葉だ。

 妻の最期の願いが、それだった。

 きっと、彼女がここにいれば、シロだけじゃない、他の子供達にだって同じことを言うだろう。

 全てを慈しんで、そうして母親として、僕に父親として生きて欲しいとそういうのだろう。

 もう、僕は戻れない。

 魔術師殺しには戻れない。

 だから、僕はせめて父親としての役目を果たしたい。

 レイリスフィールと名乗ったあの子。初めて会った僕の3人目の娘。

 その鋭利で冷たい目の中に、いつか見たシロから流れてきた記憶の中のイリヤスフィールを重ねた。

 憎しみを糧に狂戦士を従えて既に死んだ僕を殺しにやってきた娘の姿を。

 そう……あの子はもう1人のイリヤ、僕の罪の証だ。

 僕の余命は少ない。

 ならば、その少ない命を……捧げたいとそう思った。

「軽蔑……するかい。聖杯戦争をすぐに終わらせる術があるのに、それをせずに、あまつさえ救いたいと願う僕を」

 きっと、シロの本当の養父だった衛宮切嗣(べつせかいのぼく)ならば、こんな選択はしないのだろう。

 そう思って、口元に力無い笑みを浮かべて、そんな言葉を口にした。

「いや。私は貴方が思うままに進めばいいと思っている。私はそのサーヴァントとして、貴方の決断に従うだけだ」

 きっぱりと、淀みなく、まるで10年前のような口調でシロはそんな言葉を口にした。

「シロ、サーヴァントなんて、僕は……」

 もうそんな風に思っていないのに、何故そんなことを言うのかと咎めるような口調で口にすると、やっぱり10年前によく見せたような皮肉そうな顔をして、シロは「どう言い繕おうと私は貴方のサーヴァントだ、それを忘れたわけではないだろう?」そう言いながら、僕の普段は隠している、1つだけ残った令呪へと目をやった。

 たとえ10年間、親子として暮らそうとも、受肉してようとも、自分は元来人間ではないのだと、既に人間ではない死者なのだと、そんな線引きをするかのように。

 やめてくれ。

 そんなことはわかっていた。

 でも、忘れていたかった。

 僕は君とも普通の親子でありたかったんだよ。

 そんな僕の声が聞こえたわけでもないだろうに、でもシロはふと表情を優しい笑顔に戻して「さて、帰ろうか、切嗣(じいさん)。そろそろ、他の者も起き出してしまう」なんて、いつもの……10年間見慣れた家族としての顔に戻って僕に手を差し伸べた。

「そうだね。帰ろう……我が家へ」

 そうして家に帰ったら、僕はまた1人の父親に戻るのだ。

 

 

 

 side.イリヤスフィール

 

 

 夢を見ている。

 一目で夢だとわかるような夢だった。

 だって、そこにはアイリスフィールお母様がいる。

 10年前に死んだはずのお母様がいるのだ。

『イリヤスフィール』

 そんな風に優しい笑顔で優しくわたしの名前を呼びながら、お母様が笑うのだ。

『お母様っ』

 夢の中でも会えた事が嬉しくて、わたしはお母様に駆け寄って抱きつく。

 見れば、手足が小さい。

 わたし自身が子供の頃の姿になっていた。

『あらあら、イリヤは甘えんぼね』

 笑いながらお母様はわたしの頭を優しく撫でて抱きしめる。

 ああ、本当にお母様だ。

 夢だとわかっていても嬉しくて苦しくて、わたしはわたし自身も子供に返ったみたいに拙い言葉を思いのままに口にした。

『あのね、あのね、わたしね、妹がいたらしいの』

 ぬくもりにすがって、震えそうなのを隠して、昔の自分によく似た顔をしたあの子を思いながら口にした。

『すっごくこわい子で、でもかなしい子なの。つめたくて、こわい目をしていて、わたしをにくんでいる、みたいだった』

『ねぇ、イリヤ』

 ふと、お母様の声の雰囲気が変わる。

『お母様……?』

『それは、こんな顔だったのかしら?』

 ぞっとするほど冷たい目をして、お母様の顔はあの子に変わっていった。

『自分で捨てたくせに、縋るなんて、無様ね、姉様』

 

 

             * * *

 

 

 悪寒に冷たい汗を噴出しながら、わたしはがばりと勢いつけて自分の身を起こした。

 其処は自室、10年間見慣れたわたしの部屋だ。

 ばくばくと、人形の心臓が嫌な音を立てる。そんなところまで、この稀代の人形師が作った身体は忠実に人体を模しているのだ。

「イリヤ」

 ほっとしたような少年の声がして、わたしはこのときはじめて声の主のほうを見た。

「士郎……?」

 右を向けば、10年間、家族として一緒に育った弟である赤毛の少年が、ほっと安心したような笑みを浮かべながらわたしを見ていた。

「お、やっと目覚めたか、マスター」

 飄々とした男の声が別のほうから聞こえる。

 蒼い、サーヴァントの正装たる戦闘服に身を包んだランサーがそこにいた。

 どういうことなのか、数瞬状況を把握できずに固まるわたしを前に、士郎が労わるような声で簡潔に「昨日、イリヤの妹だっていうレイリスフィールって子と戦った後、倒れたんだぞ」と、そんな言葉を口にした。

 ……思い出した。

 ううん、忘れていたわけじゃない。

 ただ、思い出したくなかっただけ。

「ったく、俺が見とくから坊主は休んどけって何度も言ったのに、ちっとも聞きゃあしねえ。良かったな、嬢ちゃん。アンタ、愛されてるぜ」

「あのまま放っておけないだろ。それに、イリヤが倒れたのは俺にも責任があるし」

 呆れたような声で言うランサーと、それに極真面目に言葉を返す士郎。

「そう、士郎心配かけてごめんね、有難う。それと、ランサー、そっちは昨日どうなったの」

 最優先で確認事項を口にする。

 それにランサーは「あー、昨日あの金ぴかと戦ってたらよ、途中でキャスターの手下の竜骨兵共が乱入してきてな、金ぴか相手にまるで俺を援護するかの調子で一斉攻撃を始めやがった、と思ってたらパス通じて嬢ちゃんの意識急に切れたことが伝わってくるしで、こっちとしちゃあちっと焦ったんだぜ?」なんておどけ口調で言った。

「キャスターが? どういうことなの?」

「さて、な。大方バーサーカーのマスターの嬢ちゃんは、あの魔女の怒りを買ったってとこだろ」

 あっけらかんとした口調で、報告は以上といわんばかりにランサーは言った。

「まぁ、なんにせよ、マスターがそんな状態じゃ戦闘を続けてもしょうがねえからな、そのまま坊主共々撤退した」

「そう……迷惑かけたわね」

 思わず、肩を落としながら口にした。

「何、イイ女にかけられる迷惑なら、歓迎ってな」

「それ、不愉快だから二度と口にしないで」

 シロだけじゃなくてわたしにも粉かけるつもりなんて、どこまで節操がないのよ、この男。

 ううん、シロだけの件でもゆるせないけどね。

「で、今日はどうするんだ?」

「そのことなんだけど」

 そこで、士郎が真面目な声で割ってはいる。

「どうしたの?」

「言うタイミング外してて言えなかったんだけど、学校に結界が張られているんだ。だから、イリヤには悪いんだけど、今日は一緒に学校に来てくれないか」

 俺じゃ対処出来ないし、なんて付け足しながらかけられる目の前の弟の言葉に、「ああ、あれか」とランサーはわかっているような声で言った。

「どういうこと? 説明して」

 それに、士郎は答える。

「一昨日に学校に行ったら、違和感を感じてさ。どうも、それ危険な類のものっぽいんだけど、俺にはそれ以上はわからなかった」

「ランサー」

 事情を知っていそうな蒼い男に向かって、問いかける。

「まあ、ありゃあ十中八九魂喰いの結界だ。中にいる人間を溶かしてサーヴァントが食う為の仕掛けだな」

 そう口にした。

 その言葉で、犯人はわかった。

 きっと、間桐慎二だ。

 話しには聞いていたけど、まさかこの世界でもマスターになっていたなんて。

「わかったわ。今日はわたしも学校に行く」

 そう決断を下す。

「なんだ、解呪しちまうのか?」

 なんて、ランサーは口にする。

「当たり前よ。一般人に被害者を出すなんて以ての外だわ」

 とはいえ、わたしは士郎や凛じゃないから、言うほど他人にかかる被害を気にするタイプでもない。

 でも、もし一般人に被害が出たら士郎やシロは哀しむから、そういうのが嫌なだけなのだ。

「一般人に被害者をねえ……ま、立派だな」

 あっさりとランサーはそう言った。

「んじゃ、まずは腹ごしらえといきますか」

 よっと声を上げて、伸びをしながら蒼い男は立ち上がる。そのタイミングと同じくして、金紗の髪をした美しい少女が顔をのぞかせた。

「マスター、イリヤスフィール、ご飯が出来たそうです」

 わたしのお下がりの服をきたセイバーの衣装に匂いが移っていたのだろうか、おいしそうな匂いがふわりと漂って、鼻腔をくすぐる。いつも通り、食欲を刺激するいい匂いだった。

「今行くわ」

 そう口にして立ち上がった。

 朝から慌しいけど、それに助けられたなとも思う。

 今朝のまどろみに見た、何処か暗示染みた夢はもう思い出したくもなかった。

 

 

 続く

 

 



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14.まどろみの中見た夢 後編

ばんははろ、EKAWARIです。

今回はワカメ回というわけで、このシリーズのワカメとエミヤさんの関係判明回です。
個人的には結構気に入っている回だったりしますね。
『まどろみの中見た夢』は嵐の前の静けさと、それぞれの思いへの再確認回みたいなものですが、やっぱりこういうジャンルの話はそういうそれぞれの動機みたいなものは大事なんじゃないかと思います。
まあ、なにはともあれ、これ含めてあと3回で序章は終了ですし、そこから先は不穏な事にしかなりませんがよろしくです。


 

 

 

 side.間桐慎二

 

 

 間桐は魔術師の名家だった。

 それを知った日から僕は特別なんだとそう思って育った。

 今は廃れていても、僕は特別な人間で、特別な才能をもっていて、いずれその間桐の全てを受け継ぐのは僕なんだとそう信じていた頃、義妹としてやってきた桜のことも、どこかの孤児を引き取ったのだろう、家にわざわざ引き取られるなんてよっぽど酷い所から来たんだなとそんな風に思っていた。

 最初はこの血の繋がりもない、暗くてノロマな妹のことをうざったく思っていたけれど、それでも愛玩動物として見るなら多少馬鹿なほうが可愛い。

 それに、どうせ間桐を継ぐのは僕なんだから、寛大な気持ちで接してやろうとそんなことを何も知らずに僕は思っていたんだ。

 魔術を学べる後継者はたった一人だけだ。

 他の兄妹は魔術とは隔離され、一般人として育てられる。それが魔術師の世界の常識。

 そして、魔術書がおいてある書斎に入れるのも、後継者である僕だけだ。桜は入れない。

 だから、僕が後継者なんだと、桜は同じ家で育てられていながらも、何ももっていない無力で可哀想な奴で、だからそんな奴相手にのけ者にするのも馬鹿らしいと、この愚鈍な妹を兄として可愛がってやろうじゃないかと、優越感混じりに考えていたあの頃。

 けれど、実際は逆で。

 本当の後継者は桜だった。

 本当は僕が見下されていた。道化師(ピエロ)だったのは僕だった。

 なんだよ、それは。

 哀れむなよ。ふざけるなよ、おまえ何様のつもりなんだよ。

 でも、桜は言うんだ。

 いつか僕があいつに向けていた同情と哀れみを宿して、そうやって言うんだ。

「…………ごめんなさい、兄さん」

 ……ふざけるなよ。

 僕を馬鹿にするのもいい加減にしろよ。

 おまえに哀れまれるほど、僕はおちぶれちゃいないんだよ。

 おまえが後継者だっていうんなら、そういう風に振る舞えよ、そしたら僕だってこんなに惨めな思いをしなくてすんだんだよ。

 そうして僕はその日、激情に駆られるままに桜を押し倒した。

 何度も罵倒して、罵って、桜を傷つける言葉をかけながら自分自身をも傷つけて、そんな風にこの血の繋がらぬ妹を抱いた夜。

 そんな夜……。

 深夜、ひとしきり桜を犯しぬいたあと、僕は家を抜け出した。

 当てなんて無い。どこに行こうとしていたのかも定かじゃない。僕自身何を考えて出たのかすら記憶にないほど、それは無意識の行動だった。

 ただ、惨めだった。

 悔しくて、腹が立って、矜持が粉々に砕け散らないようそればかりに必死だった。

 桜が家でどうなっているかなんて考えたくもないし、見たいとも思わなかった。

 そうしてぼんやりと、橋のあたりまでふらふらと歩いていた時、聞き覚えのある女性の声が耳に届いたんだ。

「慎二……君?」

 公園の蛍光灯の元、青白く光る白い髪を束ね、褐色の肌に長身の女性がぱちぱちと不思議そうに目を瞬かせて僕を見ていた。

 ああ、誰だっけと、一瞬考え込んで、それが以前に一度だけ友人の家で見た、そいつの姉である女性だってことに気付く。

 名前は……確か、シロねえと衛宮は呼んでいたっけか。

「こんな時間にどうしたんだ……?」

 歩み寄りながらかけられる声に、自分だけのことでいっぱいいっぱいだった僕は「アンタには、関係ないだろ」とそう答えて視線を外した。

 ふ、と女の影が離れる。

 どこかに行ったかとほっとしつつため息をつくと、ゴトン、とそんな音がした。

 顔を上げれば、そこには自動販売機からホットコーヒーを2つ取り出している彼女の姿があって、そしてその缶コーヒーを手にしたあと、そのうちもう片方を僕に向かって手渡した。

「……なんだよ」

 どういうつもりなのかと見上げると、白髪の女は「今日は月が綺麗だ。だが、1人で観賞するのは聊か味気ない。付き合ってはくれないか?」と、そんな言葉をほんの少しだけおどけるように、けれど静かな声で言い、とん、と公園に置いてあるベンチに腰をおろす。

 つられるように、つい僕も隣に腰をおろした。

「……アンタこそ、こんなところで、何してたんだよ」

「さて、夜の散歩と月見といったところかな」

 気負うのでもなく、さらりと告げる女の言葉に思わず毒が抜ける。

 プシュと、缶タブを抜いて、所詮インスタントな暖かいコーヒーを啜った。

 普段家で飲んでいるコーヒーに比べたら、クソ不味いとすら言える筈のコーヒーが暖かく五臓六腑に沁み込んできて、なんともいえない気持ちになる。

 そうだ、こんなの不味い筈だ。

 なのに、ただ、腹に暖かさが染み渡るだけで、てんで味がわからなかった。

 隣に座る女は僕のほうは見ずに、静かに空を見上げている。

 何も言わない。

 寒空の下の沈黙。

 だけど、それは不思議に嫌じゃなかった。

 なんでだろうな。

 会うのはこれで2度目でしかないし、殆ど接したことがない相手だっていうのに、こうしていると何故か昔っからいつも一緒にいたような、そんな気にさせられるんだ、この女といると。

 何故か、この女なら僕を有りの侭にそのまま受け入れてくれるんじゃないかって、そんな馬鹿みたいな考えを抱いてしまう。

 ただ、一緒にいるだけだ。

 何を話すでもなく、同じベンチに腰をかけて、公園でコーヒーを啜っているだけだ。

 なのに、それだけなのに、あれほどの家を出る前に抱えていた嫌な気持ちは随分とマシになっていた。

 そして、ぽつりと、僕は決して他人には聞かせまいと思っていたことを漏らす。

「僕はさ……自分が特別な人間だと思っていたんだ」

 なんでこんなことを言おうとしたのかは、今考えてもわからない。

 頼まれたって、誰にもいうつもりがない言葉だったのに、なのに、何故か言葉が自然と僕の内からあふれ出して、止まらなくなっていた。

「ずっと、僕こそが特別なんだって、僕は他の奴らとは違うんだってそう思っていたんだ。でも実際はそうじゃなかった」

 彼女は何も言わない。

 ただ、隣に座っているだけだ。

 まるで空気のように、水のように、自然のままにあるだけだ。

「道化だったんだよ、僕は。特別なのは、特別は……僕じゃなかったんだ」

 言いながら、声が震えた。

 感情が纏わりついて、苦しい。吐き出すものが痛い。

 自分で自分が言っている言葉に傷ついて、だけど言うのが止められなかった。

 そんな風に、他人に弱みをさらけ出すのは初めてだった。

「だったら、なんで僕を誤解させるようなことをするんだよ、あいつ。なんで、あいつは僕にむかって謝るんだ。謝るなよ、謝るな。謝られたら、僕はどこにこの感情をぶつけたらいいんだよ。なんで、謝るんだよ」

 きっと、何を言っているのか、聞いている側からしたら意味不明だったと思う。

 だけど、それが今の僕には精一杯だった。

 それが僕の精一杯だった。

「そうであるなら、そう振舞ってくれたらそれでよかったんだ。そうしたら諦めがついたんだ。今まで通りにはいかなくても、そうしたら僕は……」

 ぐしゃぐしゃと自分の髪をかき回して、血反吐をはくように言葉を続ける。

「そうだよ、あいつ、自分の言葉がどれだけ僕を傷つけているのか気付いていやしないんだ、馬鹿だから! ほんと、ふざけんなよ、あいつ。なんで、どうして、ぼくは……特別になれなかったんだ」

 最後のほうは蚊の鳴くような声で吐き出す。

 実の父親でさえ、僕よりも養子(さくら)を選んだその事実、その現実。

 いっそのこと、全て切り捨ててくれたらそれでよかったんだ。

 そうしたらふっきれた。

 そうしたら、こんな惨めな気持ちにならずにすんだ。

『…………ごめんなさい、兄さん』

 そう口にした桜の声が耳から消えない。

 兄と、僕のことを兄とよぶくせに、おまえは僕を哀れむんだ。

 だから、いっそのこと、その幻影も何もかも全て壊してしまおうと、そう思ったんだ。

 壊れてしまえばいいと思ったんだ。

 僕が欲しかったものを全部もっていって、僕が欲しいものを全て手にしておいて……ごめんなさいなんて言うなよ。

 いっそのこと突き放してくれたら良かったんだ。

 僕はおまえの兄になろうと、良い兄になろうとそう思っていたのに、全部それを茶番にするくらいなら、そのほうがずっと良かったんだ。

 苦しいんだ。

 惨めで惨めでたまらないんだ。

 やめろよ、謝るなよ。もっと、堂々としろよ。でないと、僕が惨めなだけなんだよ。

 僕が欲しくて欲しくてたまらないものをお前はもっているくせに。

 言わない。

 言ってやらない。

 あいつにそんなこと言ってやらない。

 言ったら……僕は、もう立ち上がれない。

 兄としてのプライド、それ以外にあいつ相手に何が残るんだ。

 それがなけりゃあ僕はどうすればいいんだ。

 あの家に……間桐に僕の居場所なんてない。そんなこと知っている。

 でも、それを認めたら、そうしたら僕には今度こそ何もなくなる。なくなってしまう。

 僕は……。

 とん、と背中に誰かの体温を感じて、のろのろと顔を上げた。

 見れば、褐色の肌に黒衣を身に着けた女が、僕に背中を預けてぽんぽんと、軽く2度ほど肩を叩いた。

「慎二」

 その発音が、そのニュアンスが、違う声、違う人物だというのに、唯一のかの友人と妙に被った。

「あまり、溜め込むなよ」

 そんな気負いの無い言葉が、やっぱり赤毛の友人によく似ていて、でもそいつよりもずっとずっと老成を感じさせるような、どこか遠くを見つめるような声音で響いて、僕の耳を通り抜けた。

「……ばっかじゃ……ないのか」

 そうだ、馬鹿だ。

 なんで、そんな言葉で僕は泣きそうになっているんだよ、本当に馬鹿じゃないのか。

 嫌だ、そんな無様なまねなんてしない。したくない。そんなこと、僕のプライドにかけてするもんか。

 唇を噛み締める。

 目を瞑る。

 震える拳を、両膝に乗せる。

「馬鹿じゃないのか……!」

 自分に対して叫ぶ。

 嗚咽するように、慟哭するように。

「なんだよ、それ……! 僕の気持ちがわかるとでもいうのかよ。憐れんででもいるのかよ。ぼ、僕が、どんな、なんであんたは、ふざけんなよ、ふざけんなよ、ふざけんなよ。僕は、僕は……僕がどんな気持ちかなんてわかってたまるかっ」

「そうだな、わからないな」

 あっさりと、彼女は背中越しにそう呟くような声で言った。

「人の気持ちなんて他の誰にもわかりやしない。理解なんてない。他人を理解したなんて……そんなものは思い込みに過ぎない」

 まるで遠くを見るように、過酷な人生を歩んできたもののようにその言葉は重々しく響いた。

「でも、支えたいと思うのは……間違いなのだろうか」

 堰が切れた。

「馬鹿じゃ……ない、のか」

 本当に馬鹿みたいだ。

 ボロボロ、ボロボロと涙が勝手に次々溢れ出す。

 彼女はそれ以上声をかけない。

 ただ黙って背中を僕に預けて、無言でそこにあるだけだ。

 今の僕の顔なんて誰にも見られたくない。

 ぐしゃぐしゃで情けない顔。それも、彼女は見ない。

 そう、そこにあるだけ。

 否定も肯定も口にせずに、有りの侭で傍にいるだけ。

 それがこんなに有り難いなんて知らなかった。

 それがこんなに嬉しいなんて知らなかった。

 背中越しに触れる体温が暖かくて、辛くて、苦しくて、その癖に何よりも心地よかった。

 たとえ誰に否定されても、それでも1人でも自分をあるがまま受け入れてくれる人がいるのならば、それは……。

 

 

               * * *

 

 

 いつもの自分の部屋、自分のベッドで、窓から差し込んできた光を合図にうとうとと、まどろみから目を覚ます。

「シンジ」

 そう自分を呼ぶ女のほうを見やる。

 紫の長い髪に、豊満な体を黒のボディコンのような装束に包み込んだ目隠しをつけた女。

 元は桜が呼び出して、今は僕のサーヴァントになったライダーだ。

 目覚め自体は悪くなかったのに、この陰鬱な面を見せられてちょっとむっとする。

「なんだよ」

「今日は学校に行くのですか」

 その言葉に、夢の余韻は消えて、頭がすっと覚醒した。

「当然だろ」

 言いながら、着々と制服へと着替える。

 ……学校にはこの女の宝具を使って張った結界がある。

 魂喰いのための、中にいる人間を贄にする結界、他者封印・鮮血神殿(ブラッドフォート・アンドロメダ)だ。

 ライダーを偽臣の書によって自分のサーヴァントにすることが出来たとはいえ、僕には魔力をつくる魔術回路がない。それはつまり、魔力で身体を構成されているこいつに力を渡す手段がないってことだ。

 ないものは他所からもってくる、それが魔術師の基本だ。

 そして、人間霊であるサーヴァントの餌とは、人間の精神や魂になっている。

 だから、魔力を僕が生成できない以上、こいつ自身に人間を襲わせ食わせるしかこいつを維持する手段は無い。

 例え、魔術回路がなくても、僕は魔術師になる、そう決めていた。

 なんでも叶うという聖杯を手に入れたらきっとそれは叶う。

 だというのに、ちくりと何かが痛むような気がするのはなんでなのか。

 サーヴァントなんて破格の使い魔を手に入れて、遠坂たちと競う舞台に立てたんだ。もっと、高揚すると思っていたのに。

 ……学校には、あの人の弟でもある友人がいる。

 もしライダーの結界を展開させたら、そいつも餌食になるだろう。

(だからなんだ)

 魔術師ってのは外道の名だ。

 一般人なんて平気で踏み台に出来る奴らのことだ。

 僕はそれに今からなるんだ。だったら、友人だからとか、そんなの犠牲にするのに関係がないじゃないか。

 弱いのが悪いんだ。

 弱いのが、悪いんだ。

 僕は、あいつらを犠牲にすることによって、今までの甘ちゃんな僕と決別する。

 そうだ、あいつだって、僕のための贄になるんだったら本望だろう。

 でも、きっと衛宮が死んだらあの人は哀しむんだろうな。桜もまた……。

 ちくり、また胸に棘が突き刺さるような感じが襲ってくる。

 やめよう。

 考えるのはやめよう。

 全部、終わってから考えたらいいんだ。

「ライダー、お前は霊体化して僕についてこいよ」

 女にそう告げてから鞄を背負い、廊下に出る。

(そういえば……)

 気にかけないようにしていたけれど、桜の姿を暫く見ていない気がする。

 昔っから丈夫なことだけが取り得な奴だっていうのに、3日前からずっと塞ぎっぱなしだ。

 最後に顔を見たのは一昨日の朝だったっけか?

 ったく、僕がおまえのかわりにマスターとして頑張っているってのになんなんだ。

 でも、まあいい。

 どうせ桜にはそうやって家に篭っているほうがお似合いだ。

 そうだ、聖杯戦争中だって外なんか出ないでずっと家に閉じ篭っていたらいいんだ。

(……勘違いするなよ、こんなの気まぐれなんだからな)

 誰に言い訳しているのかわからないことを考えながら、桜の部屋のドアを開ける。

「おい、桜」

「…………」

 桜の声は聞こえない。

 布団は膨らんでいる。眠っているのか、それとも本当に具合が悪いのか。

 いつもだったらなにかしらの返事を返すのに。

「家政婦に後で机の上に粥を用意させておくから、ちゃんと食べて置けよ。……勘違いするなよ、別におまえを心配していってるんじゃないんだからな。……お前は間桐の女なんだ。フラフラ出歩いたりとか、そういう見っとも無い真似はするなよ」

 言いながら、言い訳みたいな口調になった。

 全く、なんで僕が桜如きにここまで心を配らなきゃならないんだ。

「じゃあな」

 余計なことを言い過ぎたと思って、慌てて部屋を後にした。

 だからか、その部屋の雰囲気がいつもと違うそれであったことにも僕が気付くことはなかった。

 

 

 

 side.キャスター

 

 

「行ってらっしゃいませ、宗一郎様」

 間借りしている部屋から出て、柳洞寺の山門付近までマスターである葛木宗一郎を見送り、にこやかに手を振りながら言う。

 それに、いつも真面目なあの人は「うむ、行ってくる」といって、きびきびとした動作で石段を降りていった。

 思わず、うっとりと見惚れていると、横から鬱陶しい声が聞こえてきて、私の折角の感傷を台無しにした。

「全く、女狐も惚れた男の前ではただの女といったところか」

 からかうような男の声は、想い人である彼とは真逆の軽薄なそれで、すっと絶対零度の声を作って「黙りなさい、アサシン」と厳しく告げて睨んだ。

 それに、紫の陣羽織を身に着けた男は、「さて、あの男がおぬしのその本性を見たらどう思うのだろうな?」とにやにやと厭らしい笑みを浮かべながら言う。

 ……この男、自分の立場がわかっていないのかしら。

「黙りなさいって言ったでしょ。貴方はこの山門さえ守っていればいい」

 じろりと睨みながら言うが、男は全く堪えていない。

 本当に腹の立つ男。

「しかし、随分と苛々しているではないか? さしずめ、あのバーサーカーのマスターが原因といったところか」

「……ッ」

「まあ、私の見立てでは、同族嫌悪なのではないかと思うのだがな」

「冗談じゃないわ。誰があのクソ生意気な小娘と同族ですって? それ以上世迷いごとを言うようなら、その口二度と利けないようにするわよ」

 その私の声を合図にしたように、ふと、男の雰囲気が変わる。

 飄々としてて軽薄なそれから真面目な顔にかわって、男は言った。

「気をつけろよ、キャスター。これは私の勘でしかないが、近々大きな変化が起きる。魑魅魍魎の類か、悪鬼の類かはしらんがな。このままで済む筈は無い。今は新妻ごっこにせいを出しているようだが……所詮は全て泡沫の夢、だ」

「っ!」

 ばっと、振り向き様に衝動的に魔術を放つ。

 男は既に霊体化して山門の上のあたりへと移動していた。

「忠告はしたぞ」

 そしてもう、興味をなくしたように振る舞うのだ。忌々しい。

 それを背後に、宗一郎様と一緒に住んでいる部屋に向かいながら、ぽつりとこぼす。

「わかってます」

 思い出すのは……あの雨の日。消えかけていた私を拾ってくれた時のあの人。

 サーヴァント・キャスターとして仮初めの生を得た、私という存在にとっての大切な思い出。

「アサシンなんかに言われなくても、わかっているわよ」

 聖杯戦争で呼び出される英霊なんて、所詮は英霊の座にいる本体のコピーに過ぎない。

 やがて例外なく消える運命。

「こんなの……まどろみの中見る夢のようなものだって」

 でも、それでもそれを大切にしたかった。

 少しでも長くあの人と共に生きたい、それが偽らない私の本音だった。

 

 

 

 side.イリヤスフィール

 

 

 朝食が終わり、方針について話し合う。とりあえず、現状に置いてはランサーの敵討ちの件は保留。

 またいつあの子に狙われるかわからないし、昨日の今日だ。

 でも、ランサーはあっけらかんとしたもので、自分の敵討ちが遅れるというのに、割と素直にそれを受け入れた。

「で、暫くは学校の結界対策をメインにやるってか」

「そうね。わたしと士郎とランサーでそっちにまわるわ」

「なぁ、イリヤ」

 そこで士郎が遠慮がちながらもはっきりした声で、口を挟む。

「何?」

「その、自分で頼んでおいてなんだけど、本当に大丈夫なのか? 無理はしないほうがいいぞ」

 その言葉に、昨日のことを言っているんだってわかって、苦笑しながらも私はこう返答を返す。

「平気よ。ちょっと……色々驚いちゃっただけだから」

 その言葉に、シロとキリツグが視線を伏せる。

 けれど、わたしはそれを見ないフリをして、弟を安心させるための微笑みを1つ浮かべた。

 そんなわたしに、罪悪感じみた謝罪の声が届く。

「すみません……イリヤスフィール。私が我侭を言っているばかりに……」

 セイバーだった。

 どうやら、私達に昨日ついていかなかったことに後ろめたさを覚えているらしい。

 思わず苦笑が漏れる。

 聖杯戦争のサーヴァントとマスターの関係なんて、所詮は利害の一致なんだし、前々から知っている仲ならともかく、私達なんて最近出会ったばかりの他人同然なんだから、そこまで気にしなくてもいいのに。

「気にしないで。戦う気がない人に戦わせるつもりなんて元からないんだし、サーヴァントとして召喚に応じてくれたっていうのに、聖杯を破壊しようとしているわたし達の敵にまわらないでいてくれるってだけで大分助かっているもの」

 それはわりと本音だ。

 サーヴァントは望みがあってサーヴァントとしての召喚に応じている。

 例外はたまにあるけど基本はそう。

 そして、最初のやりとりから見ても、セイバーは聖杯を求める望みへの比重が大きいタイプのように見えた。

 いくら聖杯が汚染されているといっても、言葉の説明だけじゃ破壊するのに対し、納得いかないのが普通だろう。

 聖杯を諦めきれないし私達を信用出来ないから敵にまわる……というのも可能性としてはあった筈の話で、それを今のマスターを斬って新しいマスターを探すどころか、味方にこそなってくれないとはいえ、傍観という形でどちらにもつかないことを条件に、けれど私達の邪魔をしないでいてくれているっていうのは、それだけで大分助かっている。

(だってどう考えても、セイバークラスに選出されるほどの英霊を敵に回すのは得策じゃないもの)

 だっていうのに、セイバーは「すみません」といって更に縮こまった。

 おそらくは、根が真面目なんだと思う。

 それを見ながら、ランサーだけは酷くつまらなさそうな、でも憮然とした顔でセイバーを見て、ふいとそのまま視線を逸らす。パスを通じて伝わってくる感情もあまりいいものではない。

「もう、謝らなくていいの。その話はこれで終わり」

 ぱんぱんと、手を叩いて仕切りを入れなおす。

「とにかく、わたしたち3人は学校で結界をなんとかする。あの子のことは……」

 ちくりと、言葉に出すのに少し胸を痛ませながら口にすると、キリツグが挙手してこんなことを告げた。

「そのことだけど、イリヤ。あの子の事は……僕に任せてはもらえないか」

「キリツグ……?」

 何を考えているのか、吃驚して思わず、父親である痩せこけたその顔を見上げる。

 キリツグは衰えたその黒い眼に真摯な色を乗せて、すっと頭を下げた。

「頼むよ」

「あの子は……わたしじゃないわよ?」

 何をキリツグが考えてそう言ったのか、震える手を見て気付いた。

 前に少しだけ聞いた事がある。

 キリツグはシロの生前の記憶が流れ込んで、その映像を度々見ることがあるんだって。

 その中には、わたしがもう死んでいるキリツグを殺しにくるものもあるんだってことは、シロとの会話とかでなんとなく察しはついている。

「わかっている」

「いえ、キリツグはわかっていない」

「わかっているさ」

 噛み殺すような声で響く父である男の声。

 其れを聞いて、ああ、説得は無理だなって悟った。

「そう、わかった……でもね、キリツグ、あの子がもしわたしの前にまた立ちはだかったら、その時は……」

 あの子を殺すのは、わたしの役目なんだって、士郎に聞かれないように言葉にせずに伝えた。

 わたしはもう、アインツベルンのホムンクルスじゃない。

 だから、今の体に移る時に、かつてもっていた膨大な魔力と魔術回路もまた失った。

 レイリスフィールと名乗ったあの子との、魔力量なんてきっと桁外れに違うと思う。だってあの子こそが今回の第五次聖杯戦争における小聖杯なんだから。性能は違って当たり前なんだろう。

 それが人間(ひと)として生きるってことなんだから。

 けれど、それでも、あの子を殺すのは、アインツベルンを裏切り、アインツベルンの全てを捨てたわたしの役目なんだと思う。

 士郎には嫌われたくない。

 だから、血をかぶる魔術師になる道を選んだといっても、誰かをこの手にかけることはしたくなかった。

 だけど、あの子はしたいとかしたくないとかじゃなく、しなきゃいけない。

 それが、あの子を生み出した当事者の1人であるわたしの役目。

 誰の手を借りることもなく、わたしの手でいずれ決着をつけなきゃいけない。

 それはきっと、あの子も望んでいることなんだと思う。

 

「私は、暫く切嗣のサポートにつく」

 話はまとまったと思ったらしい、シロがそう口にする。

「学校の事は任せっぱなしになる。……悪いな」

 本当にすまなそうに片眉を下げて、この図体ばかり大きな妹はそんな言葉を言った。

 セイバーもそうだけど、そんなことわざわざ謝る必要なんてないのに。

「ううん、気にしないで。わたしたちだっていつまでも子供じゃないのよ? 3人もいれば充分だわ」

 そうわたしが答えると、そこに横から声がかかる。

「まてよ、あのバーサーカーのマスターの嬢ちゃん相手に2人でいく気か?」

 どうやらシロの身を案じたらしい、ランサーはむっすりとしたどことなく不機嫌そうな顔で、シロと切嗣の顔を見ながらそんな言葉を口にした。

「それがどうした」

 特に動じることもなく、シロは感情を交えない淡々とした口調と表情でまっすぐにランサーへと視線をやる。

 続いてキリツグもまた、シロとよく似た表情を浮かべながら、この槍兵のクラスで呼び出された蒼い男の動向を観察するように黒い眼で見やった。

 そんな2人の視線を受けてもなんでもないかのように、ランサーはいつもの飄々とした口調で言う。

「いやな……そこに1人サーヴァントが余っているように見えるのに、なぁ? と思っただけだがよ」

 その半神を象徴するかのような赤い目が、一瞬鋭くセイバーを捉える。

 その意味がわからないほど剣使いの少女も鈍くはないのだろう。

「ランサー……何が言いたい」

 そう、セイバーが碧い瞳をきつくして、ランサーを見やる。

「いやいや、どこぞのただ食費を圧迫しているだけの腰抜けのことだなんて、いってねえぜ? ただ、生身2人でいくのは無謀過ぎやしねえかと思っただけだ」

 その言葉に、ピリピリと2人の間に殺気じみた緊張が走る。

 それを止めるように、ハスキーなどことなく声変わり前の少年を連想させる女声が響く。

「セイバーには」

 はっきりした声で、セイバーやランサーが何かを言うより先にシロはこう告げた。

「セイバーには我が家を守護してもらう。拠点を守るのも大事な役目だろう? それに、レイリスフィールはサーヴァントを連れぬ相手にはサーヴァントを出さない主義のようだ。話も通じぬわけでもない。却ってサーヴァントを連れて接触するほうが、相手を挑発するようなもので危険だ」

 そんなことを淡々と言い切る。

 それは何も知らないのであれば、ある程度説得力がある言葉ではあったけれど。

(……シロも、こういう時は役者よね)

 実の所、セイバーを庇う為の言葉に他ならないことを知っているわたしとしては、ため息の1つも洩らしたくなるような言葉だった。

 だって、そうでしょう?

 受肉した今こそ人間として暮らしているとはいえ、シロは元々第四次にアーチャーのクラスとして呼ばれたサーヴァントなのだもの。

 士郎やセイバー、ランサーは知らないし、シロのことを普通の人間と思っているからいいでしょうけど、アインツベルンである以上、あの子は確実に情報としてシロが切嗣のサーヴァントだったことぐらい知っていると見るべきで……ならその時点で、シロが口に出した説得の台詞は破綻しているも同然。

 だというのに、微塵もそれを感じさせない口調でそう白々しくも言い切るんだから、役者としかいいようがないと思う。

 けれど、それをわたしが指摘するわけにはいかなかった。

「それとランサー、先ほど終わったやりとりを蒸し返すような真似は以後やめてもらいたいものだ。君の英雄としての格を疑うことになる」

 その言葉に、けっと舌打ちをして、ランサーはそっぽを向いた。

 セイバーはすまなそうにも感謝するようにもどちらにも見える顔をして、シロにむかってぺこりと一礼する。

「それじゃあ、解散だ。士郎、イリヤ、学校にいくのならば急いだほうがいい。10分以内に出ないと遅刻になりかねない」

「え? もうこんな時間? そうね、じゃあ行って来るわ」

 そういって士郎と2人、学校の準備を整えて、3人で玄関へと向かう。

「まて、ランサー」

「ん? なんだよ」

 シロはそうやって霊体化してついてこようとしたランサーを呼び止め、そして次のような事をランサーに告げた。

「君の元マスターであるバゼット嬢からの伝言だ。『不甲斐無いマスターで、すみませんでした』と。彼女は昨日目覚めたらしい。斬られた腕は治らないだろうが、体は順調に回復していっているそうだ」

 それを聞いて、ランサーは、なんともいえない顔をして「……そうかい」とぽつりともらして、それから霊体になって姿を消した。

「イリヤ?」

 じっと、かたまっていたわたしをみて、学校に行く為の鞄を背負った士郎が気遣うような顔でわたしへと声をかける。

 心配されている。

 それがわかって、殊更明るい顔で「さ、士郎行こう」といって手を引いて玄関を出た。

 

 そして舞台は、化け物の胃袋に包まれた穂群原学園へと辿り着く。

 

 

  NEXT?

 

 



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15.影の産声

ばんははろ、EKAWARIです。

いよいよ序章も終わりが近づき、さて今回から脱落祭開始であります。
まあ、とはいってもここら辺から20話前後ぐらいまでは自分でいうのもなんだが、若干退屈な話運びな気がしないでもないですが、大体桜が表に出てきたらハッスルするからいいかなーとか思ってたり。
あと、レイリスフィールネタで四コマ2本考え付いたんですが、描こうか描くまいかちょっと悩み中であります。所詮はオリキャラだし描かなくていいのか、それともオリキャラだからこそ、キャラ把握というかキャラ捕捉のため描いたの載せたほうがいいのか。ちなみに食べ物ネタである。まあ、なんだレイリスの舌は切嗣くん譲りなんだよ、というそれだけの話なのだがね。とりあえず3食コンビニで食事賄っている10歳の小娘の食生活を知ったら、エミヤさんと士郎は嘆きそうだと思ふ。


 

 

 

 赤ん坊の声がする。

 オギャア、オギャアと産声立てて、胎内から食い破ろうと生まれる時を待っている。

 わたしを食べたいのだと、泣き喚いている子供がいる。

 ずっと、ずっと、この世に出たくて仕方ないのだとそう叫び続ける意思がある。

 生まれるための滋養をおくれと、恫喝しているのだ。

 もぐもぐぐちゃぐちゃばきばきごくん。

 食べられるのはわたし?

 それとも……。

 わからないんです。

 でも、何故かその子が泣くとわたしのおなかがくうくうなるのです。

 ひたひたひたひたと、その子は歩み寄ってくるのです。

 わたしの中に。

 一番奥に。

 オギャア、オギャアと母が恋しいと泣きながら。

 わたしに栄養になってほしいと喚きながら。

 そんな、赤ん坊の声がした。

 

 

 

 

  

       

  影の産声

 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

「なぁ、イリヤ、やっぱりこれはやりすぎじゃないか?」

 学校への道を歩きながら、俺は気恥ずかしく思いつつ、つい気になったことを口にする。

「何が?」

「上から制服着ているとはいえ、学校にまでこれを着ていくってのは……」

 言いながら、その先はつい小声で篭らせる。

 いつも通りの制服。その下には心臓をガードする胸当てと、左腕には赤い布をつけていて、鞄の中には、例の赤いケープが入っている状態だ。

 誰かに見つかったら実に気まずいというか、恥ずかしいというか、確実に見つかった時は変な噂を立てられるんじゃないのかって気がして、背筋の辺りがそわそわする。

 見つかったら、確実に痛い人扱いだよな、これ……。

「あのね、士郎」

 イリヤは呆れたような仕方ないような感じのため息をついて、「わたしたち、何の為に学校にむかっているの?」そう口にした。

「…………」

 人目のあるところで魔術関係のことを口にするわけにはいかないから言わないけど、俺だってちゃんとわかっている。これから行うのは魔術師同士の争い……どころか、サーヴァント同士の戦いにすら発展しかねないことなんだって。

「士郎は、弱いんだから、ちゃんとお守りがないと駄目」

 俺の耐魔力は一般人に近いくらいに弱いってことは、昔っから散々シロねえにも言われてきたことだ。

 9年間の修行で少しは改竄されたといっても、イリヤの本気じゃない魔眼をなんとか避けられるレベルにしかならなかった。そのことを暗に言われているってことぐらい俺自身ちゃんとわかっている。

 イリヤの瞳は真剣で、茶化すような空気は欠片もなく、本気で俺の身を案じているんだ。

 参った。こんな目で見られたら、恥ずかしいとか恥ずかしくないとかそんなことで悩んでいたことに罪悪感すらわいてくる。ああ、もう、なるようになれ。

 こういうときは開き直るのが一番だ。

 とりあえず、出来る限り気にかけないようにしよう。そう思うことにした。

 

 予鈴5分前に校門についた。

 やっぱり、相変わらず気持ちの悪い違和感があたりを包んでいる。甘い匂いのようなそれに胸焼けがしそうだ。

「それじゃあ、士郎、あとでね」

 下駄箱でイリヤと別れる。

 お昼休みに屋上で落ち合うことになっていて、とりあえずそれまで授業を受けながら、休み時間ごとに結界の基点を出来るだけ見つけて、あとで報告することになっていた。

「あ、士郎」

「ん?」

 背中を向けた筈のイリヤによばれて振り向く。

 予鈴がなった。

「イリヤ?」

 イリヤは戸惑うような焦るような表情を、その白い妖精のような顔に乗せて、一旦口を噤み、それから、「シンジのこと……いえ、なんでもないわ。気をつけてね」なんていって、ふいと視線を外し、それから今度こそ自分の教室に向かって歩いていった。

「?」

 思わず首を傾げる。

 慎二がどうかしたのだろうか。

「衛宮」

 前を見ると、厳しそうな顔をした教諭……社会科の葛木宗一郎だ、がそこにいて、いつもの硬く真面目な声で「何をしている。予鈴はなったぞ。早く教室に行きなさい」そう口にした。

「あ、はい」

 イリヤの様子は気になったが、その言葉に慌てて教室に向かう。

 その間ずっと、甘い匂いが鼻について仕方なかった。

 

 

 

 side.間桐慎二

 

 

 遅刻ギリギリに教室に入ってきた友人である筈の男を見て、自分のサーヴァントとなった女から報告された言葉を前に、僕は思わず激しい怒りを覚えていた。

(なんだよ、それ)

 衛宮士郎。

 そんな名前の、平凡な一般人である筈の赤毛の友人は、魔術師のようであると。

 先週末にあった時は感じなかった魔力の気配が、急に今日になって濃く漂うようになった。なんらかの武装概念を身に着けているように見える、気をつけたほうがいいとそんな内容を。

(なんだよ、それ……!)

 そんなのは聞いていない……!

 この学校にいる魔術師は、遠坂凛と衛宮イリヤスフィールの2人の筈で。魔術師の家系は一子相伝だから、イリヤスフィール先輩が魔術師である以上、その弟の衛宮が魔術師なわけがない筈で。

 そんなことを差し引いても、愚直なあの男が、血を纏う魔術師なんて悪い冗談のようで、でもそれが本当なら凄く腹が立つことだった。

(あいつ……、僕を騙していたのかよ)

 自分は魔術師のくせに、なのに一般人のフリをしていたのかよ。

 平凡でお人よしで手先が器用で弓が上手い事ぐらいしか得手の無い男の筈だったのに、なのに、僕が欲しくてたまらなかった魔術(それ)を手にしていたっていうのか……!

 なんだよそれ、なんだよそれ、なんだよそれ!

 こっちは、心配してやってたんだぞ!

 一般人だと思って、だから僕は仕方ないにしても、他の奴らとの戦いにあいつが巻き込まれないように、馬鹿なあいつにわざわざ忠告して……なのに、魔術師?

 あいつが? どんな冗談だよ。

 腹が立った。

 凄く腹が立った。

 武装概念をまとって、魔力を隠さずに学校にきたっていうことは、つまり衛宮も、この戦争(ゲーム)の参加者で、校内に潜む敵と戦うつもりだったっていうことで。

(そうかよ、ならもう僕がオマエに罪悪感を覚える必要なんて欠片もないな)

 そう思って、教室を後にした。

 このまま顔を突き合わせていたら、衛宮に殴りかかりそうな自分がいることには気付いている。

 けれど、それとは別に考えなければいけないことは他にもあった。

 敵は衛宮以外にもいるんだ。

 こんなところで、僕がライダーのマスターだなんて知られるわけにはいかない。

 こんなところで、知られるのはまだ早い。

 考えようによっては、僕は学校の全ての人間を人質に出来る。

 とはいえ、結界にまわす力はまだ溜まっていない。

 そして、僕にライダーへ供給する魔力を生み出す術はない。ならば、取れる手段は一つだけだ。

 さあ、狩りを始めよう。そうして戦う力を養うんだ。

(オマエと、次に合うときは敵だ、衛宮)

 誰よりも信頼していた筈の友人だからこそ、憎悪にも似た怒りを込めてそう決意した。

 

 

 

 side.イリヤスフィール

 

 

 受ける必要など特にない授業を受けながら、これからの顛末を考えて、ついため息を吐きたくなった。

 まわりの目があるから、表面上はいつも通りを装っているけど、知っていることに気付かないフリをするっていうのは、少しだけ厄介なこと。

『よぉ、嬢ちゃんどうした?』

 ランサーの声がする。

『なんでもないわ』

 パスを通じて念話でそう返す。

 穏やかじゃない心境に蓋をしながら。

 今回の仕立て人は、やり口からおそらくは間桐慎二なんであろうことはわかっているけれど、わかっている理由はシロの記憶経由だから、それを口にするわけにはいかない。

 それを口にしたら、シロがなんなのかその正体まで明かす羽目になりかねないからだ。

 シロの正体を明かすっていうのは、色んな意味で危険な行為で、シロをそんな危険の渦中に放り出したくないからこそ余計に知られちゃいけないことだ。

 だって、シロは……受肉した並行世界の未来の英霊。

 そんなの知られたら、魔術協会にサンプルとして狙われるのは必然だし、英霊として完璧だった時代の彼女なら、追っ手の1人や2人はそこまで脅威じゃなかったのでしょうけど、今のシロはわたしが始めて出合った受肉する前の時に比べ、あまりに弱体化し過ぎている。

 とはいえ、仮にも英霊の末端。

 並みの人間には負けないだろうし、戦闘経験が豊富だから、それでもある程度はなんとかなるかもしれないけれど、何事にも限度がある。キリツグからの魔力供給が途絶えて久しいのだから尚更。

 ううん、それよりも、もっとずっとずっと大きな問題は、シロ自身には本来あまり現世への執着がないっていうこと。

 シロがわたしたちを大切にしているのはわかっているし、この10年間、何かを待ち続けていたようにも見えた。それは、聖杯戦争というより、肝心の本人すら気付いていない「誰か」のほうが正確かもしれないけれど。

 シロがいくら受肉しているとはいえ、消えずに家族でいてくれることを選んでくれた理由は、わたしやキリツグがシロを必要としたことと、キリツグがいつ死んでもおかしくはない体を持つ上に、わたしや士郎が幼かったこと、自分の知る歴史と違う歴史を歩んでいる今、その当事者であり変えた張本人の1人がシロ本人だったからこそ、これからどうなるか見当がつかないわたしたちの身を案じたのが表向きの理由。

 でも、それらの感情もあるけれど、それ以上に、何か、誰かをシロはまっているのだ。

 だから、消えずに残った。それがあの子の隠した本音。

 だけど、それでも、自分がこうして人間のように暮らしているだけで、魔術協会などの危険が周囲にも及ぶと判断したら、たとえ待っている誰かに会えようと会えまいと関係なく、シロは自分で仮初の命を絶って座へと帰ることを選択する。そういう子だってわかっている。

 だって、シロにとっては、自分の命よりも他人の命のほうが重いから。

 そう、いつだってそう。

 自分よりも他人を優先しちゃうのが、エミヤシロウなんだから。

 彼女にとって、自分の命や私情なんてものは最優先事項には成り得ない。

 そういうとこ、本当に馬鹿で嫌になる。

 シロは、本当にそういうとこ、血が繋がっていないとは思えないくらいキリツグにそっくりで、腹が立つ。

 いえ、自分の命に関してはキリツグ以上の大馬鹿者といっても差し支えないわね。

 でも、あの子は死んでも直らなかったから、どうしようもないことなんだって、其れをなくしたらもう、シロじゃないんだってこともちゃんとわかっている。

 だから、切嗣と2人で作った決め事をシロに言い聞かせたんだから。

 そう、『人間として振る舞い、正体が英霊であることがバレないようにすること』とそんな決まり事を。

 違う解釈で受け取って、それを了承したシロだったけど、この約束事はシロが自決を選ばない為に造った決まり事だった。

 その裏の意味にシロが気付く日は来るのかはわからない。

 わからないけれど、この決まりを作ったわたしや切嗣も、シロが人間じゃないことを誰にも言うつもりは無いし、気付かせたりする気もない。

 だから、ランサーの前では言えない事があまりに多すぎて、でもマスターとなったわたしはランサーとはパスを通じて繋がっているから、何かを口にしたらそれは殆ど筒抜けになってしまう。其れが少しだけ厄介。

 ランサーにも、シロが受肉した英霊なんて知られるわけにはいかない。

 この男に知られるというのは、他の人に知られないようにするのとは、また違う意味が含まれる。

 他の者たちに知られるのとは別のベクトルで厄介なんだから。

 以前、第五次聖杯戦争でどうするのかで話し合った時にシロは言ったことがある。

 ランサーことクー・フーリンが私が受肉した英霊と気づいた時は、間違いなく彼は私を敵と見なすだろうと。

 受肉していようが弱体化していようと関係は無い。

 相手が聖杯戦争に呼び出された英雄(サーヴァント)ならば全て敵だと考える、そういう男だと。

 まあ、相手が敵だろうが気に入れば酒を飲み交わすような男でもあるがね、とかそんな言葉も捕捉のように付け足していたけれど、そんなことはわたし達にとって重要じゃない。

 ランサーの宝具は、心臓を穿つ魔槍、ゲイ・ボルク。

 そして、真名はアイルランドの大英雄のクー・フーリン。敵に回せば厄介なのは間違いようが無い。

 少し癪なところがあっても、敵にまわすわけにはいかない相手であること。本当に重要なのはそれだけだ。

 目的を履き違えたらいけない。わたしたちの目的は最小の労力で聖杯を破壊すること。気に食わない相手でも利用出来るものは利用するべきなんだから。

 

『ところでよ、マスター』

『何』

『さっき坊主に言いかけていた『シンジ』がどうのってのはなんだ?』

 嫌なことに気付く男ね。

『嬢ちゃん?』

『シンジは、士郎の友達よ。……御三家の一つのね、マキリの子供だけど魔術回路をもってないから一般人のはずなんだけど、腐っても御三家の血筋だから、もしかしたら今回の結界のことについて何か知っているかもしれないから、探りを入れておいてって言おうかなって思ったんだけど、士郎は素直だからそんなことしたら逆に警戒されちゃうかなと思って言うのはやめておいたの』

 さらりと、完全な嘘とまでにはいかないような内容を並べ立てる。

『解せねえな。確か現在の魔術師ってのは一子相伝の秘密主義者なんだろう。魔術回路をもたずに生まれた子供に一族の秘匿をはたして漏らすもんかねえ』

 まあ、それが普通の反応だ。

 だからこそ、凛が慎二を疑うことも無いのだろう。

『何事にも、例外はあるわ』

 そう返事を返して、ランサーとの会話を打ち切った。

 

 

 

 side.衛宮切嗣

 

 

 げほげほと、咳き込みながら、床に横になる。

「爺さん、水は飲めそうか」

 そうかけられた言葉に、手を少しだけ振って、それを返事として返すと、彼女、シロは瞳を曇らせて僕の脈に手をあてた。その顔が、気を抜けば霞む視界に、己の限界が近いことを厭でも自覚させられる。

「…………」

 シロもそんな僕の状況をわかっている。その上で何も言わなかった。

 ずっと、そうだ。

 僕のそんな有様に対して何かを言うのはイリヤの役目だった。

「暫く寝ていろ。……後は私が見ているから」

 眠れば、アレを見る。だけど、眠らなければ体力は回復しない。余命1年と宣告されたのは去年の暮れだった。

 だけど、間違いなく、それほどの寿命はもうこの体には残っていない。

 自分で削ってきた。

 薬と固有時制御を同時併用したのは初めてだ。その結果がこれだ。

 あの人形師はビンの中身の薬を全て飲みきれば次の日には死ぬとそう言った。

 だが、固有時制御もそこに加えれば、半分も使わずに死ぬ。それは、嫌というほどにわかっている。

 でも、それでもいいんだと思った。

 本当なら、もっと早くに僕は死ぬ筈だったのだから。

 アインツベルンの城にイリヤを置き去りにして、まだ中学生の士郎を残して死んだ衛宮切嗣は、僕がなるかもしれなかった未来。

 あの時、アーチャーではなくセイバーを召喚していたらなったはずの未来なのだから。

 でもこの僕にはイリヤや士郎、シロがいる。

 こんなに恵まれていい筈がないのに。でも、僕はまだ生きているんだ。

 なら、その残った命を子供達の為に使いたい。

 いつか並行世界の衛宮切嗣(ちがうじぶん)が置き去りにしてしまった子供達の為に。

 イリヤを救えなかった衛宮切嗣の分も、エミヤシロウに結局茨の道を歩ませる選択を残してしまった衛宮切嗣の分も、僕が背負わなくてどうする。

 他の誰でもない、自分が犯した罪は自分で償うしかない。

 置き去りにしたもののため、足掻く。

 それが、あの時、父親という生き方を選んだ衛宮切嗣(ぼく)の贖罪であり、道標。

 其れの為に寿命を削るのならば、それは本望だった。

『キリツグ、シロと士郎を泣かせたら、わたし怒るわ。その言葉の意味がわたしからの課題よ』

 眠りに落ちる寸前に、思い出すように響いた愛娘(イリヤ)がいつか言った言葉が胸に痛く響いて消えた。

 

 

 

 side.遠坂凛

 

 

 学校に張られた結界を解呪するためにわたしは学校へと来ていた。

 とはいっても、わたしにどうにかなる種類の結界じゃないことは先週末確認済みだし、出来ることといえば、結界の基点に魔力を流して、結界の発動を遅らせるくらいものだけど。

「はぁ、参ったわね」

 全く、本当何処の誰がこんなもの張ったんだか

 判明したらとっちめてやる。

 そう思いながら、がちゃりと屋上の扉を開けて、そして思わず固まった。

 そこにいた先客は、先日敵マスターになったことが確定した衛宮士郎と、その姉イリヤスフィールという、校内でも有名な衛宮姉弟の姿だった。

「…………!」

 ばっと、魔術刻印を浮かばせながら、戦闘姿勢を取る。

「遠坂?」

 衛宮君だけが驚いたようにきょとんとした顔をするけれど、イリヤは全く動じずに「あら、凛、御機嫌よう。それより貴女、こんなところで戦うつもりなの? 掛けたら?」と優雅な仕草で隣の席を指し示しながら、そんなことを言った。

「生憎、敵と馴れ合う趣味はないの」

 ふんっと鼻を鳴らしていう。

「それより、随分と余裕じゃない。のこのこと2人して学校に来るなんて」

 厳しく睨みながらいうけれど、イリヤは変わらず白い妖精を思わせる美貌に涼しげな微笑みを僅かに浮かべながら、「それは凛もでしょ」と口にして、一旦ため息をついた。

「わたし達の目的も、凛と同じよ。これを放っておくわけにはいかないから来ただけ」

 言いながら、トントンと、結界の基点の1つを叩いた。

「それより、いい加減、その腕をおろしなさい。こっちは2人よ。勝てるつもりでいるの? 昼食時にその振る舞い、レディとしてどうかと思うわよ」

 言いながら、どれほど威嚇しても変わらずいつも通りに弁当を広げてみせるイリヤの様子を見て、漸くガンドをいつでも放てるように上げていた腕だけを渋々おろした。

 警戒は解かない。

「なぁ、遠坂」

 そこで一旦の区切りがついたと判断したのか、今まで黙っていた赤毛の少年が今度は口を開く。

「遠坂は冬木のセカンドオーナーなんだって聞いた。この土地を預かる由緒正しい魔術師だって。だったら、この結界を解くのに、俺たちに協力してくれないか?」

 まるで、わたしを敵だなんて欠片も思っていないような、極いつも通りの校内で見かける姿そのままに、そんなことを口にする同学年の男。

「冗談でしょ。さっきも言ったけど、敵と馴れ合う趣味はないの」

 きっぱりと言い切るけれど、衛宮君は全く動じずに、いつも通りに言葉を続ける。

 ……案外、大物なんじゃないの、こいつ。

「でも、この結界は放っておけないだろ。このままじゃ下手すると人死にが出る。俺たちだけでもやれるだけはやるつもりだけど、そこに遠坂が加われば百人力だ。頼むよ」

 ……確かに、1つの物事に向かうのに2人よりも3人のほうが効率的に進むのは確かだろう。

 目的だってこの時点だけなら一致している。それでもわたしにだって譲れないものはある。

「冗談」

「遠坂」

 う……なんでこいつ、こんなキラキラしたいかにもおめでたそうな綺麗な目でわたしを見るのよ。

 やりにくいったらありゃしない。

 それより、ああもう、なんで赤面しているのよ、わたし。

「……この件が片付くまでは校内であんたたちを見かけても見逃してあげるわ」

 ぼそぼそと呟く。

「でも、わたしからの譲歩はそこまでなんだから! いずれ敵になる相手と協力なんてありえないし、せいぜいわたしが応じれるのは校内での休戦協定くらいのものよ。外で会ったら容赦しないし、本気で殺しにかかるんだから。だから、その辺覚悟しときなさいよ」

 びしっと、指を突きつけながらそう宣言する。

 それに対して衛宮君は、「ありがとう、遠坂っていいやつだな」なんていいながらほんわりと笑った。

 くそ、わたしは協力はしないっていってるのに、何がいいやつよ。

 それより、何その笑顔。天然タラシか、アンタは。

 

 

 

 side.キャスター

 

 

 それはまるで背後から忍び寄ってきたかのように、突然で不気味な訪れだった。

「……何事?」

 ぞわりと、背筋に悪寒が走る。

 冬木中に張った目を通してみても、いつも通りに一見見えるのに、なのにどうしようもなく違っている。

 ひたひたとすぐ後ろに迫っているように、ナニカが来た。

 いくつかの、私が張った線が途絶えている。食われたんだとわかった。

 ぞっとする。

 よくないもの。これはよくないもの。

 サーヴァントを食い殺すものだとわかったから、それは本能的な怯えだった。

 やってきたのは、影。

 まるで冥府より這いずり上がってきたかのように、その不吉は意識の一部を侵食していく。

 私の結界を喰らったその影が現れたのは……。

「……アサシン?」

 己の召喚した筈の亡霊の気配とのパスは完全に絶たれていた。

 

 

 

 side.佐々木小次郎

 

 

 ぐちゅりぐちゅりと、内臓から自分が別物に変わっていくのを、どこか遠く他人事のように感じていた。

「……ふ」

 カランカランと音を立てて、己の手から刀がこぼれ、石段の下へと落ちていく。

 まるでこれからの我が身を暗示するかのように。

 もう、あれを拾うことは無いだろう。もう、あれを誰かに振るうことはないだろう。

 惜しいといえばそれだけが何よりも惜しい。

 戦いたかったのだ、私は。

 誰かと心躍る戦いを繰り広げたかった。

 それが、最後の死合った相手は、二刀の唐剣を使う異端の弓兵。それも、最後までは叶わなかった。

「…………なんと。よもや、蛇蠍魔蠍(だかつまかつ)の類とは」

 ごぷり、と、腹から腕が生えていく。

 我が身がまるごと別の何事かに変わっていく。それに痛みや不快感はある、がそれは全て些事だった。こんな我が身を食おうとする何者か、それがおかしくなってつい笑う。

「……よかろう、好きにするがいい。所詮は我が腹より這い出るもの、碌な性根ではなかろうよ……」

 声がかすれる、目はもう碌に機能していない。

 内側よりそれは我が身を喰らっている。全てが変わっていく。

 そんな中で、笑うことだけはやめなかった。

 アサシンとしてよばれた「佐々木小次郎」の名を被る無名の亡霊たる私の、それが最後の矜持であったのだから。

 だから、最後まで笑って逝った。

 後は知らぬ。

 全てを喰らいつくす影は私の残った全ても喰らったそれだけのこと。

 舞台を敗退したものが後を気にかけるなど、おかしなことだ。

 そう、最期に聞いたものは、聞いた声はといえば……。

「キ……キキ、キキキキキキ……!」

 そんな声にもなっていない声で、高笑いを上げる影の産声、それだけだ。

 全てはもう、闇の中。

 惨劇はここに、幕を開ける。

 

 

  NEXT?

 



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16.造反

ばんははろ、EKAWARIです。
とりあえずこれにて序章、第五次聖杯戦争の「始まり」に纏わる話は最終回。
というわけで次回から中章に入るにあたり、更新頻度は遅くなると思いますがご了承下さい。


 

 

 

 夢の終わりはいつだってあっけなく。

 いつだって儚い。

 幸せは求めれば求めるだけ遠ざかる。

 願いは叶わない。

 そんなこと、生前からずっと知っていました。

 私の願いが叶ったことなんていつだってなかったのだから。

 いつだって、私は裏切られ、裏切って生きてきた。

 それでも、宗一郎様、貴方と出会ってから共にあれた日々は私にとっては幸せだったのです。

 それが、たとえほんの、刹那のまどろみでも。

 もう、思い出す暇すらないけれど。

 

 

 

 

 

 

  造反

 

 

 

 side.レイリスフィール

 

 

 その闇の出現の気配に、私はばっと目を見開いて身体を起こした。

「……何?」

 私は聖杯の器。

 普通の人間ともただのホムンクルスとも異なる存在だ。

 だから、それに最初気付いた所以はといえば、聖杯としての本能だったのかもしれない。

 何か、おかしなことが起ころうとしている。

 いえ、起きた。

 同時に、私の心の乱れを読み取って、ぎちぎちと霊体となっている狂戦士が楔から離れようと騒ぎ出す。

「……お黙りなさい」

 額に手をあて、魔力の檻で彼の者の思考を縛る。

 ぴたり、と騒ぎがなくなった。

 目に手を当て、冬木中に張った私の目から該当するものを探し出す。

「……なんてこと」

 場所は……柳洞寺の付近。あの魔女(キャスター)の根城。

 中は私の目をもってしても見えないけれど、その入り口たる山門の様子だけを見て察しはついた。

 影が生まれている。

 舌打ちしたいような感情をこらえて、私は魔術武装を作る為に立て篭もっていた、アインツベルンの森郊外の廃墟から抜け出した。

 ……全く、厄介なことになったこと。

 思いながら、私は私の足跡を消していく。

 私は、誰にも捕まりはしない。そんな願をかけながら、その場から痕跡を消した。

 

 

 

 side.キャスター

 

 

 空に浮かび、高速神言を唱えながら、愚かにも単体で私の神殿に乗り込んできた影を相手に、私は大魔術を叩き込んでいた。

「たかが、暗殺者風情が、私に敵うと思って!?」

「キ……キキキッ」

 其れを前に、薄気味悪い黒衣のマントを身に着けた髑髏仮面の大男は、その体格に似合わぬ素早さだけを頼りに、時には短刀(ダーク)の投擲を交えつつも、ひょろひょろと逃げ回る。

 全く、忌々しい。

 マスター暗殺しか能の無い影の分際で、私の神殿でやりあおうなんて。

 確かに、あのサーヴァントの天敵らしき何者かに食われ、神殿の結界の一部は綻んではいるけれど、そのようなものぐらいで、私の結界内の優位が覆るというものではない。

 街中から集めた魔力の貯蓄があるこの場所に置いては、私は魔法の真似事すら可能なのだから。

 全く、影は影らしく物陰に隠れていればいいものを、しゃしゃり出てくるなんて、なんて厚かましい。

 そう苛立ち紛れに思う心と同時に、私が召喚したアサシンと引き換えるように現れた、この本物のアサシンを早く殺さねばと焦る気持ちも湧き上がる。

 何故なら……あと少し、もう少ししたら宗一郎様が帰ってくる。

 私のマスターになったとはいえ、令呪を所持していない、魔術師でも無い、宗一郎様が現状で私のマスターだとバレるとはとても思えないけれど、アサシンには気配遮断のスキルがある。

 私の神殿が綻んでいるのをいいことに、そのまま修復されるまで居座り、私のマスターが宗一郎様だってことを突き止めた後、宗一郎様を狙いにかかられたら……と思えば、なんとしても此処で仕留めなければいけない。

 今は寺の坊主供からは、死なない程度に生命力を抜き取って眠らせてはいるけれど、その不信を宗一郎様に気付かれたら……そちらのほうが私には余程恐ろしい。

 他の誰に裏切られても、あの人にだけは捨てられたくない。

 私の幸せを奪うのならば、容赦などするものか。

 神言を多重に奏で、通常の魔術攻撃に混ぜて、空間固定の魔術を使用し、黒い暗殺者の動きを止める。

「ギ、キ……?」

「あははっ、かかったわね。さあ、消し炭になりなさいっ!」

 そう、チャンスだ、この隙になんとしても、このサーヴァントは仕留める!

 そう意気込んで、それまでの光弾の比ではない大魔術を発動するための神言を唱えていた、その時だった。

「……え?」

 ゾッと肌が粟立つ。

 そう、私の結界の綻びの隙間から、サーヴァント殺しの影がひたりひたりとにじり寄ってきていた。

 ぎょっとして、神言を途絶えさせて振り返ったこと、それはアサシン相手に晒してはいけない隙だった。

妄想心音(ザバーニーヤ)

 そんな男の声がした。はっとそれで我に返った。

 2倍以上に膨れ上がった、赤い異形の腕が私の身体まで伸びてくる。

 それが触れたのと同時に確かに私は空間転移を行った……そのはずだったのに。

 逃れた筈だった其れによって、心臓が掴みだされていた。

 ……何故。

 だって、私は……確かに……。

 思考は急速に消えていく。

 見えたのは蟲の群れ、背後に忍び寄る影、そして、黒髑髏に喰われていく、私の心臓。

 宗一郎様のことすら思い出す時間すらないほどに、それは無常なほどあっけない最期だった。

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 切嗣を眠らせ、夕食の準備に取り掛かる前にと、爺さんが設置したパソコンに何気なく目をやった時、私はそれに気付いた。

「……何?」

 爺さんのパソコンは、街で何か魔術的な異常が起これば、ハッキングしてある冬木市上空の衛星から、その異常が起きた地点の映像を自動判別し、パソコンに送り込めるように改造してある。

 そして、其処に映っていたのは……黒い影だ。

 シュルシュルと、紐のような影が現れ……そして……あのアサシンの内部から、本物の暗殺者が現れた。

「……どういうことだ?」

 こんなことは知らない。

 少なくとも、オレが体験した聖杯戦争では、マスターとして参加したそれでも、サーヴァントとして召喚されたそれでも、こんなものはなかった。

 こんなものは、現れなかった。

 髑髏の仮面の暗殺者は、あの佐々木小次郎を名乗るアサシンを喰らって、魔女の根城へと乗り込んでいく。

 送られてきた映像はそこまでだ。

 ばっと、無線を手に取り、彼女に連絡をする。

「舞弥、聞こえるか」

 少しのタイムラグを置いて、低く落ち着いた件の女性の声が耳に届いた。

『シロ、どうかしましたか』

「状況が動いた。どうやら、私の記憶はこれ以上は当てにならないらしい」

 苦笑しながらそう告げて、また真面目な声に戻って続ける。

「街に影が出現した、あれはおそらく危険なものだ」

『影とは?』

「そうだな……『私の本来の仕事』による、抹殺対象といえばいいのか……。出現場所は柳洞寺山門だが、柳洞寺そのものにも現れた可能性がある。こちらでも情報を集めるが、君のほうでも探りを入れてはくれないか。」

『了解しました』

 ことりと、無線を置く。

 思わず、ため息をこぼす。

 参った。

 画像越しで直接対峙したわけではないから、断言までは出来ないが、あんなものが現れるとは。

 この世界は、私が知っている世界とは異なる歴史を辿っている。

 あくまで、私がいた世界とは並行世界でしかない。

 それはわかっているが、それでもあんなものが出るとは予想外だ。

 ふと、自分の手に視線を落とす。

 女の手だ。

 かつての己がもっていたそれに比べて、あまりに頼りない、細く小さい女の手。ぐっと拳を握り締める。

 もしも、アレが本当に私の想像通りのものであるならば、事が本格的に起きるその前にこの手で摘み取らなければいけない。思えば、私はその為に守護者になることを選んだようなものなのだから。

 実際の守護者としての任務では、事が起きた後の後始末ばかりをさせられてきた。だが、今回はまだその前に、……守護者が介入する前に摘み取る目がある。

 ならば、それを果たすのは、此処にいる私の役目だろう。

 だが……と、同時に思う。

 かつての頃から随分と弱体化して、女にまで成り果ててしまったこの体で、果たして私はどこまでが出来るのだろうか、と。

 通常の人間に比べればいくらマシといえど、あまりに、この身体は弱い。

 余りに、この体は頼りない。

 受肉してしまった私は、他のサーヴァントのように霊体化して駆けることすら出来ない。

 いや、身体能力など些細な問題だ。

 一番の問題は、1日あたりに使える魔力総量のあまりの少なさだ。

 今のこの身体で1日に使える魔力量は、あの(・・)衛宮士郎と大して変わりはしない。

 いや、切嗣(マスター)からの魔力供給がなく、自ら魔力を生成出来ないことを考えれば、あの時の小僧よりも劣るとさえ言っていい。これならば、凛の契約をきってフリーで動いていたあの時のほうがまだ使用出来る魔力量は多かったくらいだ。

 消滅覚悟や、10年溜めてきた魔力を使うのであれば、その限りではないが、私は自ら命を絶つなと厳命されている以上、消滅覚悟で使うのは最終手段に抑え、出来る限り別の方法を模索するしかないだろう。

 イリヤの哀しむ顔は見たくは無い。

 ……なんとも、10年で随分とオレは弱くなったらしい。そう苦笑交じりにも考える。

 ……10年溜めてきた魔力のほうを使うのは論外だ。あれは、大聖杯破壊に使うように決めている。

(馬鹿か、私は)

 こんなことで、悩んでも仕方ないだろうに。

 今は確証を取るほうが先決だ。

 それが取れたら、今後の方針について話し合わねばならない。どう動くのか、それは皆が揃ってから結論を出すべきだろう。

 単独行動は弓兵の領分ではあるが、だからといって1人で独走するわけにはいかない。

 そんなことをすれば、ランサーやセイバーたちに不信を与える。

 そんな些細な行き違いが回りまわって、私のカラクリがバレた時、イリヤや切嗣たちに迷惑をかける結果を引き寄せることになる可能性は決して低くはない。

 なにせ、昔から運には見放されてきたからね、オレは。

 だから、迂闊な行動はとるべきじゃない。

 これでも、自分に出来ることと出来ないことはわかっているつもりだ。

 そんな思考を、横に置く。

 今の時刻は夕方6時前だ。外はとうに日が沈んでいる。

 ひとまず、赤いエプロンを装着して、夕食を作りに向かう。

 食事は全ての基本だ。

 たとえ今が聖杯戦争中だろうと、食事をおろそかにするようでは、到底良い策など浮かぶものではないし、話し合いがどういう結果に終わろうと関係は無い。腹が減っては戦は出来ぬという諺もある。

 たとえ、どんな結果で終わろうと学校から疲れて2人が帰ってくるのは確定しているのだから、労うべきなのだ。

 それに、士郎もイリヤも育ち盛りだ。

 栄養たっぷりの食事はかかせないし、今は部屋で寝ている爺さんにも滋養をつけてもらわないといけない。

 状況に更に変化があれば、舞弥が知らせてくれる手筈であるわけだし、今私が最優先でやるべきなのは、美味い食事を用意することだろう。

 ……本当は、いの一番に切嗣(じいさん)に状況の変化を知らせるべきだとは思うが、爺さんは先が長くない。

 それに、やっと眠れたところなのだ。

 影が現れた件については確証がとれているわけでもないし、もう少しだけ眠らせてやりたいと、そんな気持ちがあった。本当に……甘くなったな、私は。

 10年は決して短くなどない、それをこういうときに厭というほど思い知らさせる。

 いつからオレは、こんな甘い人間になったのか。

 10年の歳月は、私という人間を堕落させるには充分であったらしい。

 乾いた笑みを思わず溢す。

 それでも、私の消滅で誰かが救えるのならば、躊躇うことなく私は自身の消滅を選べるのだろうけれど。

 

 

 

 side.遠坂凛

 

 

 校内で結界をしかけた魔術師を探す為に、わたしは放課後の学校に残っていた。

 屋上から学校の様子をくまなく見下ろす。

 視力を強化。

 弓道場を行く道で、自分が見つけた結界の基点を銀髪の少女に報告しているらしき赤い髪の少年の姿が見えた。

 誰もいないと判断してか、すっとアーチャーが霊体化を解いて私の隣に現れる。

「それほどまでに、あの2人が気になるのかね?」

「別に、そんなんじゃないわよ」

 むすっとしながら答える。

 其れに対して、アーチャーは大げさにやれやれといわんばかりのジェスチャーをつけて言葉を続けた。

「休戦とはまた、中途半端なことをしたものだ。君はどうも、あの2人と戦うのを避けているように見えるのだが、これは私の気のせいであることを願うばかりだな」

「煩いわね。先に倒すべきなのはこんな結界を張った馬鹿だって決めているんだから、しょうがないでしょ。何よ、マスターであるわたしの判断に文句があるっていうの?」

 ぎっと、睨みながらそう告げると、ふとアーチャーは真面目な顔に戻った。

「凛、君は一昨日の夜の……あの女の言葉に縛られているだけなのではないか?」

「……!」

 ぎくり、と体が固まった。

「どういう間柄なのかなどの野暮は聞かないがね、どうやら君とあのアーチェと名乗った女は親しいらしい。ふむ、そして、その2人はあの女の身内といったところか。君が気兼ねしているのは、それが理由か?」

 ……だったら、どうだっていうのよ、と反射的にいいそうになったけれど、噤んだ。

「凛、わかっているだろうが、そんな甘いことを言っているようではこの戦争に到底勝ち残れはしない」

 そんなこと、アーチャーに言われなくてもわかっている。

 そのときになったら、遠坂の魔術師として、私は誰が相手だろうと倒す。その覚悟は出来ている。

 だけど……それを、あの2人の出番を出来る限り遅らせたいわたしがいるのもまた事実だった。

 あの2人に手を出したら、アーチェの奴が出てくる。

 そして、わたし相手に手を出さないと口にした以上、本当に出さないのだろう。

 殺されることも……受け入れるとあいつは言ったのだから。

 それは、凄く腹が立つことだけど、本当に心底そういうことを言えちゃうあいつにむかついたけれど、それでもあいつが歪んでいるのは昔からで、そんな歪で器用そうに見えてどことなく不器用なあいつのことを好きでいたわたしにも、あいつが言った言葉で気付いた。

 本当にどうしようもない馬鹿で、わたしよりずっと年上の癖に、そんな危うさを抱えて生きてきたあいつのことを、それでもそんなところさえ含めてわたしは好きだと思っていたらしい。

 馬鹿みたいに、何かと理由をつけてはしょっちゅうわたしに会いに来て、甲斐甲斐しく世話を焼きたがったアイツ。全く仕方ないななんていいながら、嬉しそうに楽しそうに掃除や調理をしていた後ろ姿。

 幼いわたしは「こいつ、暇なの」なんて時には思ったけど、あれは幼くして親を亡くし、たった1人で広い屋敷に住まうわたしに、寂しい思いをしてほしくないなんてそんな気遣いを含めた態度だって後で気付いた。

 あの皮肉った言い回しとか、小言めいた言葉の武装も、自分がそんな心配りをしているなんて思わせないように、わたしが遠慮などせずに思ったままであれるようにとつけられた仮面だったんだ。

 そんな不器用な気の配り方しか出来ない馬鹿な女。

 一々遠まわしすぎて、アイツ流の気遣いに気付ける人のほうがきっと少ない。

 それで、自分が損をするとか、そういうことは度外視しちゃうんだから、馬鹿中の馬鹿。

 あんな馬鹿な人間他に見たことがない。

 殺さないとかいうくせに、殺されるのは受け入れる真性の大馬鹿者。

 あいつは、何か人間として徹底的に間違ってる。

 自分がおかしいってことに、自覚がありそうなところが余計に性質が悪い。

 本当に、馬鹿。信じられないくらい馬鹿。

 殺さないけど殺されるのはいいって、それを言われたわたしがどんな気持ちになるのかなんて気付きやしないんだから、本当馬鹿。本当に、ムカつく。

 他人(ひと)は大事にするくせに、自分は大事にしないし、自分の価値なんて考えたことすらないんでしょうね。寧ろ、自分なんて無価値だなんて考えているのかも。

 ああ、ムカつく。

 やっぱ次会ったらぶん殴ってやろうかしら。

 そんなことを考えている時だった、柳洞寺付近に放っていた翡翠の使い魔が、突如何かに喰われるように消失した。キャスターに消された、とかとは違う。そういう消失の仕方じゃなかった。

 ばっと、山の方を見る。

「凛?」

「……柳洞寺に放った使い魔が消失したわ。犯人はキャスターじゃない」

 そのわたしの言葉を受けて、ぴりっと隣に並び立つ男の気配が引き締まる。

「行くわよ、アーチャー。幸い、誰かさんが頑張っているお陰で学校の結界が発動するまでにはまだ時間がある。異変の正体、なんとしても掴むわよ」

「了解した、マスター」

 

 

 

 side.間桐桜

 

 

 嗚呼、漸く日が沈みました。

 ズルリ、ズルリ、フワリ、フワリとわたしは街を歩きます。

 とても、いい気分です。

 まるで何かから開放されたみたい。

 お爺様に途中何か言われたような気がして、山の入り口みたいなものを壊したような気もしましたが、何故でしょうか、あまり気になりません。

 きっと、大したことじゃなかったからでしょう。

 ズルリ、ズルリ、フワリ、フワリ。

 こんなに、世界は気持ちがよかった……っけ。

 わかりません。

 そもそも、わたしって……誰でしたっけ?

 ズルリ、ズルリ、フワリ、フワリ。

 そもそも、これって、わたしなのでしょうか?

 ズルリ、ズルリ、フワリ、フワリ。

 黒い、黒いからだ。

 まるでわたし自身が怪物になったみたい。

 あれ、どうしてかな。

 おなかがくうくうなりました。

 ずるりと、門をくぐります。

 わぁ、美味しそうな人がいる。

 食べちゃいましょうか、食べちゃいましょう。

 でも、もたもたしていたのが悪いのでしょうか、その人は別の人に食べられちゃいました。

 その人はあまり美味しそうには見えません。

 ああ、残念。

 ズルリ、ズルリ、フワリ、フワリ。

 おとこのひとを数人発見しました。

 そのひとはなにかを言っています。

「……おい、■■ろよ、○○○の」

「え? ○○○で△△△かよ」

 何を言っているのでしょうか、わかりません。

 わかりませんけど、わたしについてきてくれるみたいです。

 くすくす、なんてばかなひとたち。

 すこしだけ、かわいいです。

 さあ、ぱくりといただきましょう。

「ぎぁあ■■ああ■ぁーーー!」

 あれ? 綺麗に食べれない。

 おかしいなあ。

 ぐちゃぐちゃ。こんなに汚い食べ方じゃ先輩におこられちゃうのに。

 あれ……先輩って……誰だっけ?

「ひぃい■■ーー! やめ■、こ○化け△」

「あぁ……■さぁ●」

 煩いなあ。

 頭から食べたら良かったかな。

 ばきばきと、四本の手足を折ってもぐもぐ。

 ぺろりとごくん。

 でも、全然食べたりない。

 どうしよう、あんまり食べると太っちゃうのに。

 先輩の家で、もう○○○らなくなっちゃう。

 先輩……? なんのこと?

 あれ、わたしそもそも何を考えてたんだっけ。

 ちくり、なんでかな。

 ○郎■輩のことを思い出そうとしただけなのに、ズキズキが止まらない。

「痛いなぁ…………」

 怪我なんてどこにもおっていないのに。

 なのに、胸が凄く痛いんです。

 痛くて、痛くて死にそうなんです、士○先輩。

 

 

 

 side.アサシン

 

 

 モグモグ、ガツガツ。

 ガリガリ、ゴクン。

 2つ目のサーヴァントの霊核……キャスターの心臓を喰らって、漸く私は、理性ある『私』というものを得た。

 にたりと、無い貌で笑う。

 そう、私は、アサシン。

 アサシンのサーヴァントとして現界した山の翁、ハサン・サッバーハ。

 聖杯戦争への召喚に応じた際の、私の聖杯への望みは「自らの顔を取り戻し、私こそがオリジナルのハサンとして永遠の名を残すこと」。

 そう、そこまでは覚えている。

 だが、それ以上は、戦闘方法などの数例を残して、殆ど思い出すことが出来ない私に気付く。

 私とは何者か。

 ……歴代のハサン・サッバーハの1人であったことは覚えている。なのに、それ以上の私が思い出せない。

 これは、どういうことか。

 ……あれのせいかと、あたりをつける。

 私の召喚のされ方は真っ当なソレとは一線を画すものだった。

 イレギュラーな召喚、それが私への知能や記憶へと悪弊を齎した元凶か。

 思考し、不愉快な気分となる。

 何故私はこのような障害を引きずらなければならないというのか。

 背後に、蟲の気配がした。

 ゆっくりと振り向く。

 それは、まさに蟲の群れ。

 俗人からすれば見るに堪えない蟲を引き連れて、自身も蟲の一部たる老人が其処に立っていた。

呵呵(カカ)っ、気分はどうじゃ? ん?」

 まるで、好々爺を思わせるような顔をして、杖をついた和服の老人は、私を恐れるでもなく佇んでいた。

 それは、キャスターとの戦いの時にもそこにいた蟲と同様の存在だ。

「貴方が私の召喚者か?」

 感情を交えずにそれだけを尋ねる。

「如何にも、如何にも」

 カラカラと、老人は笑う。

 その気配は既に、尋常の人間のそれではなく、死臭が漂っていた。

「貴殿の聖杯戦争への望みは何か、尋ねてもよろしいか。魔術師殿」

「む。案外、不躾じゃのう。まあ、良い」

 気分がいいのか、小柄な老人の姿をした蟲の群れは、唄うように続ける。

「我が望みは永遠の命よ。儂は死ぬのが怖い、腐りながら生きていくのが怖い。魂の腐敗は最早とまらぬ。だが、これでは終わらぬ。想像が出来るか? 生きながらに体が腐っていくその様を」

「それを開放する術が永遠の命だと?」

「応とも。さあ、行くぞ、アサシン。おぬしの願いは知らぬ。だが、儂に召喚された以上、おぬしの願いも儂に近い筈だ。共に今度こそ聖杯を掴もうではないか」

 それを聞いて、確信した。

「嗚呼、よくわかった」

「……何?」

 老人の頭を掴む。

「確かに、貴方は私の召喚者らしい」

 ぐっと、力を徐々に込めながら、無い顔で嗤う。

「……!? アサシン、貴様」

「その願いもあり方もよく理解出来る。だが……」

 ぐしゃりと、老人の頭を潰してから、その体全ての魔力をかき喰らった。

「私の主は私で決める。さらばだ、魔術師殿」

 

 キャスターの心臓を喰らい、私が得たその在り方。

 それは『裏切り』。それを基軸に自由と成った。故にこれは、当然といえば当然の結末。

 造反、それは甘美なる果実。

 それを選んだのはもう、本能にすら近い。

 主となるべき存在を貪りながら、暗闇に浮かぶ月の祝福を受けて、私は己の誕生を一人祝った。

 

 

  NEXT?

 

 




PS、序章でキャス子が結構がんばってた(?)のはレイリス嫌いもあるけど、キャス子も序章で退場するキャラだったから出番増し増しだったのさ、とかネタばらししてみる。


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第五次聖杯戦争編・中章
17.影との接触


ばんははろ、EKAWARIです。
おまたせしました、今回から第五次聖杯戦争編中章開始です。
ちょっと……じゃない気もしますが、体調不良だったもので、更新遅れに遅れてすみません。まあ、他にもあれやこれや(活動報告はともかく、ここで言うのはどうなんだって話なので略しますが)の問題もあってこれから10月ぐらいまで一定の更新量保てるかは怪しいのですが、辛抱強くお付き合いいただけたら助かります。


 

【挿絵表示】

 

 

 

 拝啓、親愛なるアーチャーへ。

 あれから何年経ったかしらね。

 初めて会ったときは、わたしあんたのこと根性捻じ曲がった、性格の悪い礼儀知らずだなんて思ったっけ。

 確かにあんたはキザったらしくて、捻くれた物言いでわかりづらいけど、それでも、変なところが自信家で子供っぽくて、アンタが良い奴だってのはすぐにわかった。

 わたしの2週間程の相棒。

 そうね、わたしはアンタのこときっと気に入っていた。

 だから、アンタの馬鹿な人生を見た時も凄く腹が立ったし、アンタに裏切られた時だって、これでもわたし結構傷ついたのよ?

 サーヴァントとマスターの関係なんてギブアンドテイクだなんていうけれど、それでもわたしはアンタを信じていたみたい。

 わたしのアーチャー。

 あんたが本当の意味でわたしを裏切るわけがないって勝手にわたしは思っていたの。

 外れてはいなかったわよね。

 本当、アンタは馬鹿。

 最初に交わした口約束なんて最後に出しちゃってさ、本当にアンタってどこまでかっこつけなのよ。

 ボロボロの癖に助けにきちゃったりしてさ。

 その時のわたしはアンタを引き止めちゃったりなんかもしたし、周囲を見るような余裕なんてなかったけど、そんなわたしに色々言って、勝手に自己満足して、勝手に消えていったわたしのサーヴァント。

 でもね、これって後から考えると凄く腹が立つことだったのよ。

 たとえわたしが衛宮君を幸せにしても、アンタ自身がそれで救われるわけじゃない。

 結局アンタってやつは、どこまで行っても自分を顧みない大馬鹿でしかない。

 本当身勝手で、頭にきて……だから、わたしはソレに最初に手が届いた時に、アンタについて最初に使うことに決めた。

 本当にエミヤシロウを救うことが出来るものがいたとしたら、それはきっと□□□○○○だけだから、だからわたしはその機会をとても馬鹿な貴方におくる。

 これは、わたしの一世一代の大魔法(きせき)

 自分じゃ決して自分を救えない大馬鹿者に捧げる、わたしからのただ一度の呪い(チャンス)

 だから、ね、わたしのアーチャー。

 アンタは、今度こそ幸せになりなさい。

 幸せだと感じてもいいんだと、それで救われる人間もいるんだと知りなさい。

 これは元マスターとしてのわたしから命令(ねがい)

 

 

 

 

 

 

  影との接触

 

 

 

 

 side.間桐臓硯

 

 

 ぐちゃりぐちゃりと、近場にいた女の身体を内側から喰らい、儂は漸く自分の身体を取り戻して復活した。

 とはいえ、身体を構成する重要な核たる部分(ムシ)はアサシンのサーヴァントたる、ハサン・サッバーハによって喰らわれ、奴の魔力(かて)として取り込まれた。

 お陰で随分と前の身体に比べて能力が落ちてしまったことが、自分だからこそよくわかって忌々しく面白くない。

「全く、アサシンの奴め……」

 儂が呼び出したサーヴァントであるというのに、裏切りおって。

 と思えば腹立たしいのも事実ではあったが、考えようによってはこれもメリットが全くないというわけでもない。

 所詮はサーヴァントなど手駒の一つに過ぎん。

 そして、サーヴァントなどよりももっと重要で大きな駒が我が手中にはある。

 思い、にたりと笑う。

 アレの仕上がりは中々に上々。サーヴァントなどは所詮保険でしかない。

 ならば、アサシンが儂を死んでいると思い込んでいるのは場合によっては利点かもしれん。

 儂が死んでいると思っているからこそ、アサシンは自由に動こう。

 それで一つでも多くのサーヴァントが落ちれば文句は言うまい。

 アサシンを葬る手段は我が手中にあるのだ。

 ならば、それまでせいぜいアサシンには盛大に聖杯戦争を引っ掻き回してもらおう。

「さて、では儂は高みの見物とさせてもらおうか」

 そうして儂はくくと、笑いながら夜闇へと紛れた。

 

 

 

 side.遠坂凛

 

 

 アーチャーを引き連れて、異変の発生源である柳洞寺に向かう。

 ここは本来キャスターの根城だった場所。

 キャスターの気配も先日見えたアサシンの気配もないけれど、罠という可能性がなくなったわけではない。

 だからこそ、慎重に一歩ずつ意識しながら石段を登っていく。

「待て、凛」

「何よ」

 突如かけられた従者たる男の静止の声に、少しだけむっとしながら尋ねると、「前方500mに随分と妙なものをつけた蝙蝠がいる。使い魔のようだ。放っておくか?」とそんなことを口にして、わたしの出方を伺うように視線を寄越してきた。

 とりあえずアーチャーの言う方角へと視線をやるけれど、そちらは林の上暗闇なのもあり、アーチャーほど正確には見えない。だが魔力で水増しした視界で捉えた所、確かに蝙蝠らしきものは飛んでいるようだ。

「妙なもの?」

「そうだな……どうも小型カメラに見える」

「……カメラですって?」

 その言葉に思わず耳を疑う。

 神秘を求め、過去に向かって疾走する魔術師は、現代利器に頼ることは殆どない。

 それは科学技術というのは未来に向かっていく力だからだし、魔術師としてのプライドもあるからだ。

 優れた魔術師であるほど科学とは無縁と言い換えてもいい。

 だというのに、使い魔にカメラ? そんなのははっきりいって想定外だ。

「……今は泳がせておきましょう。どうも、真っ当な相手とは思えないわ。ソレよりアーチャー、他に気付いた異常点はある?」

 柳洞寺は目の前だけど、だからこそわたしは自分の相棒に向かってそう尋ねた。

「そうだな。オマエも気付いているようだが……キャスターの気配がしない」

「それに静か過ぎる……か。行くわよ」

 いいながら、山門を見上げた。

 あそこでアーチャーがアサシンと戦ったのはつい先日のことだというのに、そんなことすら無かったかのように、空気は澱んでいた。

「待て、凛。敵の罠かもしれんぞ?」

「虎穴に入らずんば、虎子を得ずっていうでしょ。それにもしかしたら……」

 柳洞寺にはあのわたしを目の敵にしている生徒会長の家族を含めた僧侶達が大勢暮らしている。

 最悪、彼らが犠牲になっている可能性がないわけじゃない。

「……とにかく、行くわよ」

「了解した」

 全くやれやれとでも言いたげな口調に反して、アーチャーの表情は穏やかだ。

 人の事は言えないけど、本当素直じゃないわ、こいつ。

 本当はアーチャーも死人が出ていないのか気になっていたんだろうに、それを表に出したがらないっていうか。

 でも、アーチャーのそういうところ安心する。

 嗚呼、こいつがわたしのサーヴァントで良かったと思うのはこういうときだ。

 サーヴァントの中には聖杯戦争に関係ない人間が死ぬことを全く気にしないどころか、自らの糧の為に殺す奴もいる。だけど、アーチャーはそうじゃない。

 そんなことがわたしには嬉しいらしい。

 とにかく、ここからは気を引き締めていかなきゃいけない。

 わたしはいつ何が起きてもいいように、魔術をいつでも発動出来る状態のまま慎重に歩を運びながら階段を登り切り、境内へと足を踏み込んだ。

「これって……」

 むっとする、闇の気配に思わず顔を顰める。

 どんよりとした雰囲気は纏わり付くかのようで生ぬるく気持ちが悪い。アーチャーもこの場に対する不快感にぴりぴりしている。

 残っていたのは誰かが戦っていた爪あと。おそらくはキャスターと何者かが戦っていただろうことは、キャスターの気配が消えていることから推測できる。

 ぎゅっと唇を噛み締める。

 今優先するべきことは寺の人たちの安否の確認だ。

 ズンズンと歩を進め、寺の内部へと入っていく。

 ……居た。

 寺の僧侶達が見れば皆そこに倒れていた。

 駆け寄ってその状態を確かめる。

 生命力は弱々しいけど、それでも生きている。

 それにほっとする。

 でも、安心出来る状況じゃない。今は生きていても、このまま放っておいたら死ぬかもしれない。

「急いで連絡しないと……」

「凛」

 と、外に飛び出しかけて、ばっと自分を庇うように動いたアーチャーを見た。

「っ!」

 同じくわたしもガンドをいつでも撃てる様に構えてアーチャーが向けた視線の先へと意識を向ける。

 そこには、黒髪をポニーテールにした30代半ば程の細身の女性が、無表情染みた顔立ちの中に驚きを少し混ぜながら、拳銃を構えてみていた。それに、わたしも驚く。

「遠坂凛……」

 女性はぼそりと、わたしの名前を口に出して、それからすっと拳銃を下げた。

 その態度に疑問が沸く。

 目の前の女性からは確かに魔術回路の起動が確認できたからだ。

 それってつまりは、この人は魔術師ってわけで、冬木市にこの時期いる魔術師といえば、聖杯戦争に参加する敵マスターの確率が凄く高い。

 そう……魔術師。なのに、メインウェポンに拳銃を使うだなんて信じられない。

 確かに一部の傭兵紛いの連中などにはその手の輩もいるとは聞いているけれど、魔術師としての誇りはないのかと思えば不快でもある。

 故にすぅっと瞳を細めて、わたしは厳しい声音で言葉をかけた。

「貴女、どういうつもりなのかしら。見たところ魔術師のようだけど、拳銃(そんなもの)に頼るなんてどうかしているわ。いえ、それよりわたしの前で武器を下ろすなんてなんのつもり?」

「私は出来るだけ貴女とは戦わないように言われていますから」

 冷静に淡々とした声で女は告げる。

 その黒い瞳は無感情で何を考えているのか真意が見えない。

 ただ、その言葉でわかることはこの人には、そういうことを指示する仲間がいるってこと。

「言われているですって? 誰によ」

 思わず眉を吊り上げながら、ガンドの構えをとったまま聞くと、やっぱり変わらず淡々とした低い声で彼女は「貴女の良く知っている人です、ミス遠坂」とそんなことを口にした。

 それではっと気付く。

 わたしのよく知っている人でこの手の人物に繋がりがありそうな魔術師といったら……。

「それに、サーヴァントを連れている貴女相手に私が戦ったところで、結果は明白でしょう。違いますか、ミス遠坂」

 その言葉でわたしは、漸く目の前の女性がサーヴァントを連れていないってことに気付いた。

「つまり、貴女はマスターじゃないってこと?」

 言われてみれば、確かに目の前の女性からは魔力を感じるが、それは微々たるもので、聖杯戦争に参加する魔術師(マスター)にしては貧弱とすらいっていいほどのレベルだ。

 感じる魔力などから力量を推測するなら、ランクはせいぜい魔術師見習いが良い所だろうか。

 そのわたしの考えを肯定するかのように、黒衣の女はこくりと頷き言葉を返した。

「ええ、そうです」

「じゃあ、なんで貴女わざわざこんなところに来たわけ」

 マスターじゃないというのならば、何故こんなところをうろついているのか。

 それを口にすると、やはり彼女は無感動な顔をしたまま淡々と次のようなことを言った。

「おそらくは貴女と同じ目的です」

 言いながら、彼女はすっと僧侶達が倒れている部屋のほうへと目を向けた。

「一つ尋ねていいかね?」

 と、そこで今まで黙っていたアーチャーが口を出す。

 女性は会話に水を差された事に気分を害するそぶりも見せず、今度はわたしのサーヴァントに向き合い、答えた。

「ええ、私に答えられることならば」

「先ほど、カメラを取り付けた蝙蝠の使い魔を見かけたが……あれは君か?」

 それに少しだけ驚いたような表情をのせて、それから女性は「はい」と答えた。

 その言葉でわたしも納得する。

 拳銃を武器として使うような女ならば使い魔にカメラを仕込んでもおかしくないだろうからだ。

 とはいえ、名門に生まれた一魔術師としては、そういう科学と魔術を組み合わせるような使い方をしている奴を見るってのは面白くないことなのだけれど。

「質問は以上ですか? サーヴァント」

 言いながら、淡々と黒曜石の瞳で彼女はアーチャーを見上げた。

 ついで、わたしのほうに視線を移して、やっぱり淡々と義務報告染みた口調で彼女は続ける。

「僧侶達については、病院のほうに先ほど連絡をしましたから、まもなく救急車のほうが来るでしょう。私は他に異常がないか調査のほうが残っていますから、これで」

「待って」

 そういって去ろうとする彼女を引き止める。

 女性の視線は物静かに何か? と尋ねてくるが、それにわたしはいつかも誰かさんに言ったような台詞を口に出していた。

「名前、教えなさいよ。貴女はわたしの名前を知っているのに、わたしは知らないなんてズルいとは思わない?」

「……は…………?」

 女性はぽかんとした目でわたしをぱちくりと瞬きしながら見る。

「何よ。敵じゃないんでしょ。なら、名前くらいいいじゃない。教えなさいよ。そもそも、わたしは冬木のセカンドオーナーよ。わたしの管理地にわたしの知らない魔術師がいるなんて、冬木の管理者として容認出来ません」

 自分の立場を口に出して言うのは、我ながら少し卑怯かなと思ったけど、別に構わない。

 このまま去られたりしたら面白くないのは事実だし、それに敵マスターでないにしても、こいつはアーチェの関係者であることは間違いないんだから、そしたらまたいつ何時顔を合わせるかもわからない。

 なら、名前も知らないってのは不便だ。

 情報は少しでも多いに越したことはない。

「……舞弥と」

 ほんの少しだけ戸惑いがちに、それでも彼女は自分の名前らしき名を口にした。

「そう、舞弥さんね。それで、先ほど貴女調査がどうのって言ってたけど、それってアーチェに頼まれたとかなわけ?」

「…………」

 答えない。

 けれど、それは答えを言っているも同然で。はぁ、と思わずため息をつく。

「全く、何考えているのよ、あいつ。サーヴァントも連れてない人間にこんな異変を調査させようだなんて、どれくらい危険なのか自分でもわかってるんでしょうに」

「私の判断です。彼女は関係ありません」

 きっぱりと言い切る声。

 けれどそれにイラッとして若干説教臭い口調になりつつもわたしは言葉を続けようとした。

「関係あるわよ。あのね……」

「凛っ」

 けれど、そこまで言った時、すっとアーチャーがわたしに近づいて、肩を突き飛ばしてきた。

 受け身を取ってすぐに体勢を立て直す。

 続いて、ガガッと聞こえる音。

 見ればアーチャーは前もみた白黒の双剣を手に、飛んで来たらしき武器を弾いていた。

「……サーヴァント!?」

 暗闇に解けて浮かぶ白い髑髏の仮面。異様に長い右手をした異形、どう考えてもサーヴァントだ。

 見ればすぐ其処の木の上に立っている。

 だけど、そいつからはサーヴァント特有のあの人間ならざる膨大な魔力は感じ取れない。

 そこから推測される答え、こいつのクラスは……。

「アサシン……っ」

 銃を構えた彼女、舞弥さんが鋭い眼差しでアサシンを見やる。

「アサシン……ですって?」

 自分でもあれはアサシンのサーヴァントだとわかる。それでも尚、わたしは戸惑った。

 だって、アサシンとはあの佐々木小次郎を名乗る男じゃなかったのか?

 そう思うと同時に山門から消えた佐々木小次郎(アサシン)のことも頭に過ぎる。

 もしかして、こいつはあの佐々木小次郎を名乗るアサシンの変わりに出てきたのではないかと。

 我ながら無茶な理論だけど、そうとしか思えない。

(ああ、もう、どうなってんのよ)

 とにかく、僧侶達が近くにいるこの状況はまずい。

 相手のアサシンがどういう奴なのかわからない以上、最悪僧侶達が人質にとられたり、巻き添えで殺される可能性もある。それに、先ほど舞弥さんは救急車をよんだといっていた。下手をするとやってきた人たちも巻き込まれる可能性がある。

 だからわたしは全力で寺から離れ森林に向かって疾走する。

 見れば舞弥さんも並んで走っている。

 殿はアーチャーだ。

 移動する間も投げ続けられている黒い短剣を、手にした自分の剣で弾き返しながら後ろに従ってくれている。

「アーチャー! 迎え撃ちなさい! そんな奴、ギッタンギッタンにしてやるのよ!」

 そして、ある程度寺の人々から離れたところでわたしはそう己のサーヴァントへと命を下した。

「承知」

 不屈な背中を晒して、アーチャーはアサシンに向かって疾走する。

 それを素早い動きでぐるりと避けるように回転しながらアサシンは身を伏せ、再び数本の黒の短剣を投げかける。

 それをアーチャーは右の剣で全て弾いて、自分の身体をまるで弓の弦であるかのように引き絞り、左の剣を矢を放つ要領で投擲、アサシンはそれを巨大で異常に長い手で顔面を庇うように覆いながら横に回転、スレスレで避ける。

 アサシンが居た場所には剣の威力だろうか。地面が抉れ、砂埃が巻き上がる。

 そんな中でアーチャーは次の瞬間には再び何事もなかったかのように両手に双剣を握り締めて、アサシンの眼前へと迫っていた。

 キンと触れ合う金属と金属の音。

「ギ……キッ……」

 投擲用の黒い短剣でアーチャーの攻撃を受け止めるアサシンだったが、アーチャーの双剣が相手では分が悪いらしく、苦々しそうにそんな声を漏らして、体格の強みを生かした蹴りを下から喰らわせようとするが、アーチャーはそんなアサシンの攻撃も見透かしていたかのように、自らクルリとバク転染みた動きでやり過ごし、そのままの反動で再び双剣を投げつける。

 それをアサシンは片手を軸に、俊敏さを頼りにして危うげにも避けながらアーチャーと距離を取った。

「……なっ」

 突如、背後から確かに避けた筈の双剣が舞い戻りアサシンを付けねらう。

 そのことにアサシンは驚きの声を上げた。

 前からはアーチャーが本当にいつの間に手にしたのか、再び双剣を手にアサシンに向かって距離をつめているところだった。

「ふっ」

 刃が振り上げられる。

 背後の双剣を振り払えばアーチャーにやられる。

 かといって、アーチャーに気を払えば背後からまるでブーメランのように返ってきた双剣にやられる。

 そんな状況でアサシンはギリギリで背後の双剣は避け、そしてアーチャーの握る黒い刃をわき腹に受けながらも、不気味で黒く長い手でアーチャーを捕らえんばかりに振りかざした。

「……むっ」

 アーチャーはそれを白いほうの剣で弾きつつ、距離を開けて、再び右手の剣を投擲した。

「何のつもりか知らんが……どうにもその腕は厄介そうだ。とらせて貰うぞ」

 常人の二倍はあるだろう膨らんだ腕に不吉なものを感じているらしいアーチャーは、そう口にしてまるで指揮をするかのように双剣を手に構えを取った。

工程完了(ロールアウト)全投影(バレット)待機(クリア)

 朗々と聞こえるか聞こえないかぐらいの声で、そうアーチャーは口にした。

停止解凍(フリーズアウト)全投影連続層(ソードバレルフルオープ)…………ッ」

 アーチャーの呪文に答えるように無数の剣がアサシンを囲うようにして空に浮かび上がるけれど……、アーチャーは突然呪文を切って、ばっと私たちを庇うように飛んで来た。

 同時にわたしもその異変に気付く。

 影が来ていた。

 表現としてはそうとしかいえない。

 目の前の暗殺者とはまた違う黒く不吉な影が這い寄ってくる。その光景にぞっとした。

 まるで吹けば飛びそうなほどに存在感が薄いというのに、それは明らかにサーヴァントよりも危険な何かを孕んでいる。

 其れを見て、何故か隣に立つ女は……「サク…………ラ……?」とそんな言葉を呟いた。

(え?)

 何を言っているのだろう。

 それは忘れもしない、もう2度と妹と呼んではいけない愛しいあの子の名前だ。

 けれど次の瞬間には、はっと、彼女は元通りの顔をして構えをとり、退却の姿勢へと移行させた。

 引き時なのは彼女だけではなくわたしも同じだ。

 あの影がなにかなんてわからないけれど、それでも今は引いた方がいい。

 その判断を前に、じりと足を一歩後ろへと引く。

 それを好機と見たのか、影の英霊たるアサシンは短剣を手に再びこちらの命を狙って動き出す。

 しかし暗殺者の英霊のその行動を許すこともなく、アーチャーは空に用意した20ばかりの剣を檻のようにして、アサシン相手に降らせた。

「ギッキィイーーー……!」

 そのアーチャーの行動を皮切りに黒い影は蠢きだす。

 幸か不幸か、動きは遅い。

 だけど、あれは危険なもの。防御しようとなんて思ってはいけない。あれは危険なものだ。

 そう自分の中の何かが叫びだす。

 それは魔術師の本能と言い換えて良かったのかもしれない。

 動いたアーチャーを獲物と見定め、黒き触手が伸ばされる。舞弥さんがアーチャーを援護するかのような形で銃を発砲した。効いていない。

「ええい、このっ!」

 わたしもいくつか宝石魔術をぶつけるが、黒い影には効いていないどころか、力を吸収されるだけで意味をなさなかった。ちらりと隣にいる女性を見る。

 不味い、彼女を庇いながら戦えるような相手じゃないことはわたしにもわかる。

 それに、今はアーチャーの放った檻に囚われたとはいえアサシンもいるのだ。アサシンが復活するのも時間の問題だろう。

 だから、次の指示を出す。

「逃げるわよっ」

 あんなのの相手なんて想定外だ。だから、足を強化で駆けながらそう指示を下した。

「目を閉じて」

 ピン、とタブを開けるような音が耳に届く。

 隣に居た舞弥さんはその手に握った黒い其れをアサシンや影にむかって投げ込んだ。

 さっと言われた通り目を閉じる。

 カッ。

 目蓋越しに眩しいほどの白い光が立つ。閃光弾だとそれで悟った。

 ついでもう一つ舞弥さんは何かを投げたが耳が麻痺気味で音はわからない。

 黙々と煙が吹き荒れる。

 舞弥さんは目が慣れぬわたしの手を力強くぐいと握って走り、転げ落ちるかのような勢いで石段を駆け下りていく。その手は一瞬ぎくりとするほど使い込まれて硬くなった手で、これまでの一連の動きを踏まえても、どういう人生を送ってきた人間なのか、それでわかったような気がした。

 其処へ、ばっと、追う様に飛び出してきたアサシン。

 それを5連の矢が捉え、山門へと縫い付ける。

「……え?」

 ばっと自身のサーヴァントに目をやる。

 違う、アーチャーじゃない。

 じゃあ、誰が一体こんな真似を……?

「呆けている場合か」

 わたしを片手で抱えるアーチャーのその言葉で我に返った。

 そうだ、ぼーとしている場合じゃない。

 アサシンだけならともかく、今はあの影がいる。

 そんな状況でアサシンとあの正体不明な影相手に無策で戦えると断言するほど、わたしは自惚れ屋じゃない。

 気付けば舞弥さんは夜闇に紛れるようにして消えていた。

 どうやら、アサシンを縫い付けたあの矢がどこかから飛んで来た隙に去ったらしい。

 逃げてくれたならそれでいい。

 とにかくひとまずは今日は撤退して、あの影やアサシンについて対策を練らないといけない。

「アーチャー、帰るわよ」

 矢を放った主を思考から追い出してそう命令を下す。

 だけど、あの時……何故舞弥さんはあの影を見て『サク…………ラ……?』なんて口走ったのだろう。

 それが気がかりで仕方なかった。

 だからわたしはアーチャーが、1kmは離れた家の屋根の上からアサシンに向かって矢を放った白髪の女に対して、睨むようにして見返していたことにも気付くことはなかった。

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

「危ないところだったようだな」

 すっと弓を消して私は無線の先の相手に向かってそう言葉をかけた。

 同時に人避けの結界を解いて地面へと降り立つ。

『ええ、すみません、シロ』

「君が謝ることではない。まさか君自らが乗り込むとは思わなかった私の落ち度だ」

 思わずため息染みた声音でそう漏らすと、彼女は少しだけ躊躇うようにして続けた。

『実際に見ないとわからないこともありますから』

「まあ、そうだな。……だが、君は生身の女性だ。もう少し自覚したまえ。今回はひやひやしたぞ。謝るくらいならば、次からはもう少し早い連絡が欲しいところなのだが?」

 おどけたようにも、皮肉ったようにも聞こえるだろう声でそう口にしながら、自宅へと向かい歩を進める。

『……不審に思われませんでしたか?』

 ふと、神妙な声になって彼女はそう問いかけてきた。

 それに、ため息混じりに返答をこぼす。

「備品が切れたと言い張って出てきたが、ランサーのやつはついてくると言い張って、全く困ったよ。まあ、私の正体を知らぬのだから致し方ない反応ともいえるが。不幸中の幸いは夕食の準備が調度整った後だったことか……いや。そんな時に「外に出る」と口にしたのだ。十分不審には思われているだろう。さて、どう誤魔化すか」

 そう吐息混じりにいうと、無線の向こうの舞弥は『心中お察しします』とそんな言葉を感情を交えてない声で淡々と言った。

「そこでだ。私は君を迎えに行ったということにしようと思うのだが、どうかね?」

「…………」

 後ろにいる車の主に向かってそう告げてから、くるりと私は振り返り彼女を見やった。

「佐々木小次郎を名乗るアサシンが消え、代わりにあの黒い仮面のアサシンが出た。おまけにあの影の出現。話し合うことは多い。君に来て貰えると私としても助かるのだが」

「……切嗣は」

「私の独断だが、爺さんも否やとはいうまいよ。それとも……舞弥、そんなに嫌かね?」

「…………」

 舞弥が度々衛宮邸(うち)に来るたびに、どこか複雑そうな感情を混ぜていたのは気付いていた。

 それは彼女の生い立ちが関係しているのかもしれないし、イリヤを見ると死んだアイリを思い出すからなのかもしれない。それとも、自分は所詮戦場に置ける衛宮切嗣の道具だなんて思いが彼女にそうさせているのかもしれなかった。

 一線をひいているのだ。

 其れは少しだけもどかしくもある。

 切嗣(じいさん)も不器用な人だから舞弥にかける言葉もなく、結果として遠慮がちに彼女は衛宮(うち)と付き合っているのだ。

 それがわかるだけに、一緒にいられるときは出来るだけいてほしくもあった。

 舞弥にした説明も本音だが、こちらもまた私の偽らざる気持ちである。

「わかりました。では、報告も兼て寄らせていただきます」

 そう軽く頷く舞弥。

 それに僅か安堵を感じて、私はそのまま彼女の車の助手席に乗り込み、夜の街に身をゆだねた。

 

 

 

 side.アサシン

 

 

 霊体化をして矢から抜け出し、私はキャスターが溜め込んでいた魔力の貯蓄庫へと向かった。

 キャスターの残した魔術自体は綻びができているが完全に破壊されたというわけでもなく、あの女が街中から集めた魔力量は私が使っても有り余るくらいにある。

 今夜襲撃してきたあの紅いサーヴァントに破壊されずにすんだのは僥倖といえた。

「ギ……キ……」

 其処に溜め込まれた魔力を喰らう。

 キャスターの心臓(れいかく)を取り込んだお陰で、すんなりと魔女の残した術式は体に馴染む。

 抉られたわき腹もまた元通りになった。

 あの時現れた影ももういない。

 あの黒い人間の女が放った閃光を浴びて悶えるように消えた。

 しかし、現界するに十分な魔力があったとしても、やはりマスターがいないというのは中々にまずい問題であったらしいと、あの白黒の双剣を使うサーヴァントとの戦いで実感させられた。

 マスターというのは、自分を現世へと繋げる鎖役でもある。

 現世への繋がりがなければ元が死者たるサーヴァントは現世に留まってはいられないのだ。

(早まったか)

 そうあの蟲で出来た老人を喰らったことについて思わなくもないが、だからといってあの時の選択に後悔があるわけではない。

 あのような不快な召喚のされ方をされたことや、私には他にも魔力を得る手段があったこと、どうにもあの老人はきな臭いことから結果としては悪いとは思えなかったからだ。自分を縛る主など邪魔なだけだと、生前の自分については戦闘方法を含め簡単なことしか覚えていないからこそ強く思う。

 自分を覚えていないからこそ、裏切りの魔女(キャスター)の思考は大きな基盤になったともいえた。

 そんな自分を不快に思う心も此処にはない。

 耳に聞こえるのはサイレンの音。

 どうやら、あの女たちが話していた「救急車」とやらが来たらしいと其れで判断した。

「まずは、マスターを探すか」

 寺で倒れた僧侶達と入れ替わるように、私は私の寄り代(マスター)を得る為に夜の街へと紛れた。

 

 

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18.懇願

ばんははろ、EKAWARIです。

おまたせしました、最新話『懇願』です。
ここらへんから本格的に不穏な空気になってくんだよなあ、というわけで間桐家中心にお送りいたします。


 

 

 

 幼い頃より、私は機械として望まれて機械として生きてきた。

 感情は死に絶え(そんなものは元より必要ではなく)、ただ人を殺す道具であれと望まれた(激情に身を委ねるということがどういうことなのかがわからなかった)。

 それに疑問も覚えずに生きてきた。

 いや、そんな生を「生きている」と称すること自体、本当はおかしいのかもしれない。

 子供を身ごもった時も、その息子と離された時も私に感じるものはなかったのだから。

 ……感じることが出来なかったことを悲しいと思えたら良かったのだろうか。

 普通の母親のように我が子を思えなかったことも、そのことに価値を覚えられなかったことも。

 人の真似事。

 生きているだけの、人間を模ったただの戦闘機械。

 だから、私を拾った男の部品の一部になると決めたときも感慨はなく、それでも自分と一見すれば似たタイプにすら見えるこの男が全く違っていることだけはわかった。

 この人の支えになろうとかそういうものじゃない。

 私にとってはその人の一部になるのは当たり前だった。

 何故なら私には何も無く、今の名前さえもこの(ヒト)に貰ったものだったのだから。

 だからこの人の為に死ぬことになってもそれで構わないと思っていた。

 けれど、再会したこの人は根本の何かが変わっていたらしい。

 私だけが置いていかれた。

 そんな魔術師の為の戦場、そんな場所で私はとても奇妙な人を見た。

 見つけたときには瀕死の体で、左の貌は潰れていて、何故生きているのかも不思議なほどに哀れな男。

 そんな有様だというのに必死にどこかに行こうと、全力で「生きよう」としていたそんな男。

 ぼんやりと羨ましいような気がした。

 何故、そんなに必死だったのだろう。

 何故、そんなに「生きて」いたのだろう。

 最期に、その男が呼んだ名前は……この人が向かおうとした先はなんだったのか……あれから10年、その片鱗が漸く私にもわかったような気がした。

 

 

 

 

 

 

  懇願

 

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

「それじゃあ、間違いないんだね?」

 夕食が終わってからのいつもの話し合いの時間、アサシンのことについて私と舞弥からの報告を聞いた爺さんは、代表として確認のようにそんな言葉を口にした。

「ああ……誰がどうやったのかは知らんが、どうやらあのアサシン・佐々木小次郎を媒介に本物のアサシンを召喚した人物がいるとみて間違いないだろう」

 その言葉にセイバー、イリヤといった面々は緊張を表にのせた。

 ランサーは「へー」と気の抜けた声でけだるそうな姿勢で話を聞いている。

 士郎はイマイチ実感が沸かないらしい。ぴんとこないといった顔をしたまま、ただ耳を傾けていた。

「参ったわね。此処にきて本物の暗殺者が出るなんて」

 アサシンの登場、それがどういう意味をもつのかわかっているイリヤはため息混じりに言う。

 生身の魔術師として、この反応は至極真っ当だろう。

 アサシンには気配遮断スキルが存在している。

 この家にも結界は張ってあり、それは切嗣(じいさん)とイリヤがいるために私が生前に暮らしていた衛宮邸(おなじいえ)に比べて、比較的高位の結界となってはいるが、それでもこの家は特質上外に開いているつくりの結界がメインになっており、難攻不落を誇るであろう遠坂家や間桐家に比べれば随分と格が下がる。

 それを思えば工房といえるであろう自宅であろうと、襲撃される危険がないとは到底いえなかった。

 あの、佐々木小次郎ならばいざしらず、本物のアサシンである以上この家の結界を突破するくらいはお手の物だろう。

「まあ、そういうわけだ。アサシンの件が片付くまで暫くは一人寝は避け、夜は男女2部屋に分かれてそれぞれ固まって就寝という方針で行こうと思うのだが……セイバー、戦いを無理強いする気はないが、そう言ってられる場合でもないのは君もわかるだろう。就寝時の警護について頼まれてくれるか?」

「わかりました。確かに、そのようなことを言っていられる時でもないようです。いいでしょう。この家は私が守ります」

 セイバーはすっと静かな面持ちでそう述べる。

 その瞳は此処に召喚されて以来初めて見せるだろう、彼女本来の澄んだ決意を思わせる瞳だった。

 それに、戸惑うように士郎の「なんでさ」という言葉がかけられる。

「ちょっとまってくれよ、シロねえ。俺だけ話が見えない。アサシンがいるから1つの場所に固まって寝る? アサシンってそんなに危険なものなのか」

 その言葉でつい、セイバーを見て、過去の何か恥ずかしい思い出が頭を過ぎりかけたが……それらの感傷を意識の外に押しやり、淡々とした声で私は説明を紡ぐ。

「サーヴァントとしての格はほぼ末端に位置しているとはいえ、それでも英霊の一席だ。それに元よりアサシンというクラスはマスターの暗殺にこそ長けている。この家の結界を誰にも気付かれずに突破するなどお手の物だろうさ。気付かぬ間に侵入され、寝首をかかれていたでは笑い話にもならん」

 奴には気配遮断スキルがあるからなと付け足して説明すれば、士郎にも漸く重大性がわかってきたらしい。ついで、首をかしげ次の質問に移る。

「だけど、気配を絶って進入できて、マスター殺しに長けているんじゃ、一箇所に固まって寝てもあまり意味がないんじゃないのか?」

 それで、今までだらだらとしたポーズで転がっていたランサーが漸く身体を起こして、「あのな、坊主、何の為の俺だと思ってんだ」とそう口にした。

「気配遮断スキルがあるといっても、さすがに攻撃に移るときまで気配を断てるわけじゃねえ。それに、所詮はマスター暗殺が専売特許の連中だ。英霊同士の斬り合いとなりゃあこっちに分があるんだ。同じ部屋にいりゃあまず、坊主や、あー……キリツグといったか? お前らを守りながら仕留めるくらいわけないんだよ」

 だから心配するなと、そうあっさりとした口調でランサーは言い切った。

「やれやれ、その慢心が足を掬わなければいいのだがね」

 つい、ぽろりと反射的にそんな皮肉を口にする。

 言ってから、険悪な様子で文句を返してくるのではないかと私は思ったのだが、意外にもランサーは特に怒った様子もなく、「なんだ、俺を信用出来ないってか?」と軽い様子でそんなことを口にした。

 その反応が、私の知るランサーとは違っていたので僅か戸惑う。

「いや、そういうわけではないが。言葉通りの意味だ」

 言いながらも、困惑が強く口に乗った。

 なんというか……調子が狂うのだ。

 皮肉を言っても食って掛かってこないランサーなど、らしくないとしか思えない。一瞬だけ、ひょっとしてこいつはランサーじゃないんじゃないかなとそんな失礼なことまで思ってしまったくらいに、調子が狂う。

 そんな私の困惑など気にしてもいないのか、ランサーは私にずいと近寄り、「なぁ、アンタひょっとして俺を心配しれくれてるのか?」なんてことをにやけた顔で言い放った。

「は……?」

 何言ってるんだこいつ、と思わず思って私はまじまじとランサーを見返す。

「アサシン如きに遅れをとると思われるのは癪だが、まあアンタに心配されんのは悪くねえ。いいぜ。好みの相手じゃねえが、出合ったら全力で叩き潰すと誓おう」

 その言葉尻にのせられた色に、私を見てくるその顔に、そういえばこの男は私を「女」と認識して接しているのだったと、今更ながらそんなことに思い当たって納得すると共に僅かに気落ちする。

 同時、ぴりぴりと爺さんやイリヤから殺気染みた威圧感が漂う。

「たわけ」

 いつの間にか掴まれていた右手を振り払う。

 予測していたこの男の言動と対応が違う原因は、この男が私を「女」だと認識しているが故だということはわかったが、それはそれで男だった身としては中々に癪なものだ。

 たとえ10年間女として暮らしていても、心まで女になった覚えはないし、これからも心まで女になるつもりはない。

 とはいえ、私が元々が男だったという事情を他人に知らせるわけにもいかず、結果として「女じゃあるまいし、そんな扱い不愉快だ」とそんな本音を相手にぶちまけることも出来ないわけで、そんなところも含めて腹立たしく思い、苛立ちを声に混ぜたわけだが、ランサーはそんな私の態度を気にした様子もなく、飄々とした顔で払われた手を見ていた。

 そんなところが、私からすれば余計に腹が立つんだがな。

「あの、仲がいいのは結構なことですが、本題を進められては?」

 ごほんと、一言遠慮がちにセイバーはそんな提案をする。

 それに思わず「だ、だれが仲がいいと。セイバー、君は何を見ていたのかね」と思わず言い返すと、「そうですか。私には貴方方がじゃれあっているようにしか見えませんが」と全く悪気の無さそうな碧い瞳で首を傾げながら見上げてきた。

 く……やりづらい。セイバー、そういう顔は反則だぞ。

「なんだ、セイバー、お前もたまには良いことを言うもんだな」

 ああ、なんか呑気にそんなことをいってくる、この馬鹿犬が憎い。

「ランサー、話をまぜっかえすのはやめなさい」

 と、そこで話を止めたのは、ぴりぴりとランサーに殺気を飛ばしていたイリヤだった。

「アサシンの脅威がある以上、必要以上に夜の探索は控えたほうがいいわね。あの影の正体もよくわからないし」

「これだね」

 カタカタと切嗣(じいさん)はパソコンを操作して、例の影の画像を出し、それを皆に見せる。

 それは映像ごしであるにも関わらず、見る者に悪寒を植え付けるほどの禍々しさを放っていた。

「これは一体……」

 まじまじと見てくるセイバーを含め、殆どのものは正体がわからずに首を傾げる。

「舞弥は実際に影を目にしたんでしょ。何かわかったことってない?」

 イリヤはくるりと、背後にいる30半ばほどの女性、久宇舞弥に向かってそう問いかけた。

 舞弥は、静かに口を開き、淡々とした口調で報告を始める。

「いえ……私にも具体的には。ただ、あれは周囲から魔力を奪い吸収する生き物のように感じました。また、見たところ動いているものを特に標的としていたように思います。キャスターの結界を破ったのもおそらくはこの影の仕業なのではないかと」

「…………」

 その言葉に、影の話になってから顔を伏せていた士郎が、琥珀色の瞳に力を込めて舞弥を見上げる。

「なぁ……寺の人は生きていたんだよな? 無事なんだよな」

 その口調には焦りが含まれている。

 おそらくは友人である生徒会長のことも思っての発言だろう。

「はい。少なくとも私が見た限りでは命に別状はありませんでした。その後匿名で救急車に連絡をしましたが、生憎最後までは見届けてはいませんから生存について断言は出来ません」

「……そっか」

「ですが、私があそこから抜け出した時既に影は去っていたようでしたから、無事と見てもいいと思います」

 無表情でそれは淡々とした声だったけれど、その言葉には士郎を安心させるような色がのせられている気がして、私は我知らず安心した。

 感情がわからないと舞弥は言う。

 だが、無自覚であろうときちんと他人を思いやれる彼女は、ちゃんと人間なのだ。

「だけど、アサシンが残っている以上楽観視もまた出来ないだろうね」

 きっぱりと切嗣が舞弥の言葉を打ち消すように、そんなもう一つの現実を告げる。

 それに、士郎は僅かに肩を落とした。

 ぽんと、セイバーが士郎の肩を叩く。大丈夫だと諭すように。

 それをみながら、ついつい私も余計な一言を付け加える。

「それほどに気になるというなら、一成君に連絡をとればよかろう」

 その言葉に、士郎は目を僅かに見開いて驚きを表に出した。

 聖杯戦争中なのにいいのかと、そう如実に顔に出している。

「キャスターが消えた今、覗き見される心配もあるまい。電話越しに無事を確かめるくらい気にすることではない」

「シロねえ……サンキュ」

 柔らかく微笑みながら、士郎はそう礼を口にした。

 ……参ったな、何故こいつのこういう笑みを見るとこう照れくさく感じるのか。

 少々戸惑いながら、横を向いて、私は解散の合図をする。

「というわけだ。アサシンが出歩いている今、夜半の活動は出来るだけ抑え、一箇所に固まったほうがいい。出来るだけ、1人にはなるな。以上だ。それとランサー……」

 と、そこで、思わず言葉を途切れさせた。

 ……正直あまり気が進まないし、あまりしたい提案ではない。

 とはいえ、自分の今の戦力をわからないほど私は馬鹿であるつもりもないし、ここで黙って出て行けばあとでイリヤや切嗣に何を言われるかわからない。

 だからこそ、私は少しため息交じりに……正直かなり癪な気はするんだが、次のことを口にした。

「夜の探索に行きたいのでね……ついてきてもらっても構わないか」

「お、いいぜ」

 からりと、1も2もなくランサーは即答した。

 ……なんだろうな、この気持ちは。

(ふ……殴っても構わんのだろう?)

 そんな言葉が頭を過ぎる。

 いや、落ち着けオレ。早まるな。

 出来るだけ不審に思われないように振る舞うと決めているのだ、平常心、平常心。

「1時間後に出る。それまでは好きに過ごしていろ」

 そういって、背中を向けた。

「シロ」

 そこへ、低い女性の声がかかる。

「舞弥?」

「確信がとれませんでしたので、言わなかったのですが……話したいことがあります」

 

 

 

 side.三枝由紀香

 

 

「じゃあね、蒔ちゃん、鐘ちゃん」

 学園からの帰り道、わたしはいつも一緒にいる大の仲良しの友達2人にそう言いながら手を振って別れを告げた。

「おう、由紀っち。また明日学校でな」

「最近は物騒だし、送りたいところなのだが」

「あはは、大丈夫だよ。鐘ちゃんは心配性だなぁ。じゃ、わたし弟達がまっているからもう帰るね」

 そういって、早足で家に向かう。

 あーあ、すっかり日が暮れて遅くなっちゃった。

 みんなお腹すかせているよね。早く帰って美味しいご飯つくってあげなきゃ。そう思って歩を進めていたそのとき、ふと公園のほうに妙なものを見かけた気がして、足を止める。

「……?」

 今何かいた?

 気のせいかもしれないけれど、もしも人だったら放っておけず、わたしは思い切って声をかける。

「誰か、いるんですか?」

 そして、ふと木の上のほうを見上げた時、わたしはそれを見つけて……。

「……!」

 黒く長い手に口を塞がれた。

「ほう、私が見えるか」

 それは異常な光景だった。

 闇の中髑髏の仮面をかぶった男の影が薄く笑う。

 それを怖いと思うのに声は大きな手に塞がれていて、悲鳴すら出ないままにがくがくと足が震えた。

 其処に立っていたのは2mを越えた長躯の黒い男だった。

 白い仮面だけが笑みを浮かべて浮いている。

「魔術師ではないが、適性はあるか。いや……たとえ魔力供給の役に立たずとも、居るだけで効果はあるか」

 異形が、くつくつと何か良くわからない言葉を口にした。

「我が依り代(マスター)となって貰おうか、女」

 そして、異形の黒い手はのばされる。

 記憶はそこで途切れた。

 

 

 

 side.間桐慎二

 

 

 ライダーに適当に見繕ったチンピラを襲わせ、魔力供給をして、僕は意気揚々と自宅へと帰った。

 ただいまなんて言葉は口にしない。そんな言葉に意味なんてないからだ。

 他を顧みることもなく、僕は自室に向かって歩を進める。

「………………ぅ…………ぁ……」

「ん?」

 きぃと、見れば桜の部屋のドアが僅かに開いていて、そんな感じのうめき声染みた声が聞こえ、僕は足を止めてあの愚図な義妹の部屋の前に立ち、声をかける。

「桜?」

 あいつ、まだ寝てたのかと驚き半分でいながらも、こんな風に何日も寝込むなんて本当に珍しいと思い、僕は桜の部屋のドアを開けて、この義妹の部屋へと歩を進める。

 何故こんなことをしたかっていったら、強いていうならちょっとした慈悲だ。

 こんなでも一応は僕の妹だからな、見てやるのは兄としての義理だろう。

「おい、桜?」

 桜は脂汗をかきながら眠っていた。呼吸は荒く、酷くうなされている。

「桜? おい、なんだよ、お前。おい、桜」

 ここまで眠りで苦しんでいる桜を見るのは流石に初めてな気がして、僕は戸惑いながらも妹の肩をゆすって、起こしにかかる。

 薄っすらと桜は瞳を徐々に開いていく。

「…………ぁ………………に……さん?」

 眠りから覚めた桜は徐々にいつも通りの顔に戻ろうとして、小さく力ない声で「どうしたんですか?」とそんな言葉をぼんやり口にした。

 それに知らず安心を覚えたけれど、まるでそれが桜に振り回されているみたいで正直面白くない。

 ……たく、なんで僕がこんな桜如きに気をつかわないといけないんだよ。

「全く、いくらお前がノロマだからっていつまで寝ているつもりだよ。もう夕食の時間だぞ、わかってんのか」

「ご、ごめんなさい」

 桜は恐縮しながら、そう口にして上半身を起こす。

 その瞳には僕の次の一言を気にするような色が見えて、漸く僕は許す気になった。

 そこでつい、面白いことを思いつく。

 そうだ、桜もあの馬鹿に騙されていた1人だ。それを教えてやろう。

「まぁ、いいや。お前がグズなのはいつものことだし。それより、知ったかよ。桜、衛宮の奴さ、魔術師だったんだぜ?」

 そう僕が話した時の桜の顔は、なんと表現すればいいのだろう。

 ぽかんと空虚で、まるで虚無そのものみたいな顔をして、桜は……「……ェ……ミ……ヤ?」と鸚鵡返しみたいに口にした。

「……桜?」

 それに、流石におかしいなと思いだす。

「……エミ……ヤ……」

 まるでそれが誰かわからないように、まるで初めて聞いたかのような反応を返す桜を相手に流石に僕も焦る。

 桜は、確か衛宮の馬鹿が好きだったはずだ。

 なのに、なんだよ、この反応は。

 瞳に光はなく、桜は何度か「エミヤ……エミヤ……」とそう言葉を繰り返す。

「衛宮士郎だよ。僕とクラスメイトの。中学時代から一緒で何度も家にきたことがあるアイツ」

 思わず助け舟を出すかのようにそんな言葉を口にしていた。

 其れを聞いて、すっと……漸く正気に戻ってきたかのような顔をして桜は「……衛……宮、士郎……先輩」そう口にした。

 まるで、忘れていた大切なものをそこで漸く思い出せたといった顔で。

「桜……お前……」

「………………士郎先輩」

 ぽた、ぽたと目を見開いたまま桜の瞳から涙が零れ落ちていく。

 哀しんでいるわけでも嬉しんでいるわけでもないだろう顔で、桜は泣いていた。

「……わ、たし……」

 がたがたと手を震わせて、桜は自分の身体を抱きしめる。

 それから、僕の服の裾を掴んだ。

「なっ、なんだよ、桜」

「兄さん」

 追い詰められた者の声で、桜は僕の服の裾を強くつかむ。

「わたしを、置いていかないでください」

「はぁ!?」

 何を言っているのか意味がわからない。

 ひょっとして、こいつ本当に頭がおかしくなったのかと思いながら、僕は僅か後ずさる。

「お願いです、置いていかないでください」

 涙にぬれた声で、また桜は同じ言葉を繰り返す。

 それは間違いなく懇願だった。

「置いていかないで、置いていかないで、置いていかないで」

 壊れた機械のように、桜は同じ言葉を繰り返す。

 それがまるで壊れたレコードみたいで気味が悪くて仕方がない。

「お、おい、放せよ」

「お願いです、兄さん。わたしを置いていかないで」

 そういって、僕を見上げてくる桜の顔は今まで見てきたどれよりも感情を顕わに、恐怖に震えながら涙にぬれていた。

「わたしの、傍に居て」

「! ……わかった。わかったから、離せよ、馬鹿。服が汚れるだろ」

 ばっと、桜の手を振りほどく。

 それに桜は、安心の笑みを僅かにのせて、「約束……ですからね」そう蚊のなくような声で口にした。

「ああ、わかったわかった。僕は兄だからな。妹の懇願くらい聞いてやるよ。それでいいだろ」

 そう言って、僕は桜にむかって背中を向けた。

 もう、この部屋にいたくはなかった。

 

 

 

 side.間桐桜

 

 

 とても、残酷な夢を見たんです。

 わたしは化け物になって、みんなを食べてしまう。

 きっと、最後には大好きだったはずの先輩だって食べてしまう、そんな夢。

(夢と、現実の違いがわからないっていったら、貴方はどう思いますか)

 化け物がわたしだったのか。わたしが化け物だったのか。

「傍に居てください」

 わからないんです。

 わからなくなってしまうんです。

 わたしが、どこまでがわたしで、わたしであれるのかが。

 だって、わたし、大好きな○○先輩の顔すら今は思い出せない。

 だから、兄さんが傍にいるってそう約束してくれたことが嬉しかった。

 きっと、兄さんがいたら、わたしはわたしを完全に無くしたりしないとそう思うから。

 

「ライダー」

 本当はわたしが呼び出した、今は兄の下にいるサーヴァントの名をよぶ。

「はい」

 兄の部屋にいるはずのライダーは、すぐに返事を返した。

 それを何故か不思議だとは思わなかった。疑問に思うことさえない。

 ただ、その声に安心する。

「ライダー、兄さんをお願いね」

「桜……」

 心配げな響きで彼女の声が耳を打つ。

 優しいおねえさんといったその感覚にわたしは包まれて、目を伏せる。

「ライダー、兄さんを守ってね」

「…………」

 ライダーは言葉を返さない。

 元々饒舌なタイプじゃないし、彼女となら、そんな沈黙さえ心地がよかった。

「お願いよ、ライダー」

 うとうとと自分が眠りに落ちようとしているのがわかる。

「わたしには、もう兄さんしかいないから」

 今度はあの化け物になった夢じゃなければいいのに。

 そう思いながら、わたしは意識を沈めた。

 

 

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19.餌

ばんははろ、EKAWARIです。
今回の話はあるキャラが大変な目に合っちゃうYO回です。
ではどうぞ。


 

 

 

 諦めてきました。

 全てあきらめて、心を閉じればどんな苦痛だっていつしか通り過ぎていくから。

 だから、諦めて生きてきました。

 深く、深く、心を閉じて。

 希望なんて最初から抱かなければ、そうしたらこれ以上傷つかずにすむのだから。

 そうしながら時折思い出す。

 ボロボロで、非力で、その癖おじいさまに逆らっては、ズタズタのぼろ雑巾のようになっていった雁夜おじさん。

 出来もしない夢物語を口にして、ある日出て行ったおじさん。

 帰ってくることは無かったけれど、きっと死んだんだと思う。

 それがおじいさまに逆らった代償、その先の結末。

 あんな風にはなりたくないと、諦めてわたしはこれからも生きていくんだとそう思っていた。

 それが変わったのはいつだったんだろう。

 きっと、あの人に出会ったから。

 ずっと諦める事しか知らなかったわたしには、諦めるということを知らないかのように前を見ているその姿が、凄く眩しく見えた。

 あまりにわたしとは正反対で、真っ直ぐすぎて馬鹿みたいだと思うのに、なのにそれが凄く綺麗だなと思えたんです。

 イリヤ先輩と紛らわしいからと、下の名前で呼んでいいと言われたときは本当にくすぐったくて、うれしかった。

 裏表の無い笑顔で、名前を呼ばれる瞬間が凄く好きだった。

 先輩、大好きな○○先輩。

 結ばれることが無理だとしても、貴方の傍にいることだけは許されたかった。

 ね、先輩。

 どうしてでしょうね。

 あんなに大好きだったのに、貴方の名前が思い出せない。

 

 

 

 

 

  餌

 

 

 

 side.遠坂凛

 

 

「全く、どうなっているのよ」

 いつもの自宅、いつもの居間でわたしはどかりとソファーに座りながら、苛立ち混じりの声を上げた。

「あんなの、普通じゃないわ」

 思い出すのは、柳洞寺で鉢合わせをした黒い異常な影のこと。

 あの時出会ったアーチェのやつの知り合いらしき女性、舞弥さんのことも気にならないわけではないけれど、あの後出会った異常である、あの黒ウィンナーみたいな影に比べたらそんなこと些細な問題とすら言えた。

「で、どうする? 凛」

 ふと、霊体から実体に切り替えたアーチャーがすぐ隣に立ってそんな言葉を口にした。

「アレを追うか。それとも……」

 そこでわたしの顔を試すように眺めながら、赤い外套の男は言葉を1度切った。

 当然、その言には学校に張られた結界の件が含まれている事ぐらいはっきり明言されていなくてもわかっている。

 つまり、どちらを優先するのかとこいつは聞いているのだ。

「どちらもよ」

 きっぱりとそう口にして、方針を固めた。

「昼は学校の件に対処、夜はあの影を追う。あの影の正体についてはもっと調べたほうがいいとは思うけれど、だからといって野放しには出来ないわ」

 遠まわしに、放っておけば人死にが出るのだと、そう口にしてわたしはアーチャーの顔を真っ直ぐに見た。

「やれやれ……二兎追うものは一兎も得ずというぞ。それで本当にいいのかね?」

 口調自体は皮肉がかっているけれど、その鋼色の瞳にはわたしを心配する色がある。

 おそらくは、昼も夜もどちらも動くというわたしに対して、疲弊することを心配しているのだ。

 それがわかっていても、わたしはだからこそいつもどおりに憎まれ口を叩く。

「何よ、アーチャー。アンタ、自信ないの?」

 口元に笑みを浮かべて、挑発するようにちらりと見上げる。

 それに対してアーチャーは「まさか」と口にして、こちらも皮肉った微笑を浮かべながら、極いつも通りの口調で次のようなことを言ってのけた。

「先ほどはああはいったが、私も君の方針には概ね賛成だ。私がついているのだ、余計な露は私が払おう。君は大船にのったつもりで、やるべきことだけを見ていればいい」

 くつ、と笑い、横目でわたしを見るアーチャーは、それだけの言葉じゃ足りないと思ったのか、更に続ける。

「それに、言っただろう? 君は最強のマスターだ。そして、そんな君に召喚された私が最強でないはずが無い。誰が相手であろうと、勝利して見せるさ」

 わたしの従者(アーチャー)は、基本的には皮肉屋で素直じゃないくせに、同時にどことなく子供っぽくて自信家だ。

 まるで少年みたいな笑みを浮かべて、そんな普通なら赤面しかねない言葉を吐いているけれど、それはきっと自分の力に自信があるからとかそれだけじゃなくて、わかり辛いけれど、きっとこいつはわたしを安心させたくてこんな言葉を口にしたのだろうとそう思い、そうやってこいつの本心に思い至ったと同時に、ぷっと思わず噴出した。

「む、なんだ、その反応は。失礼だな、君は」

 片眉を吊り上げ、子供っぽいむくれ面になりながら、わたしを見てくるこいつに対し、わたしはくくっと笑い声をかみ殺しきれず、少しだけ目元に笑いの涙を滲ませながら、アーチャーを見上げつつ言う。

「いやね、ほんっと、アンタってキザ」

 ぷすすと堪え切れない笑い声交じりにそう口にすると、「それは私を馬鹿にしているのかね」と益々むっつりと子供みたいな拗ねた顔でむくれる白髪の大男。

 それに対し、わたしは更に笑いが止まらなくなって、それから本当自然な気持ちでこいつを見上げた。

「ごめん、ごめん。ありがとう、アーチャー。貴方のお陰で少し気が楽になったわ」

 それは本心からの言葉だ。

 思えばこいつを召喚してから今まで、ずっと気が張っていて体が固くなっていたような気がする。

 こんな状態じゃ上手くいくものも上手くいかない。

 それをきっと見抜いてリラックスさせようとしてくれていたんだと思うのは、わたしの自惚れなんだろうか。

 ううん、きっとそうじゃない。そうでしょう?

「マスターのお役に立てたのなら何よりだよ」

 そんなわたしに対し、子供みたいな膨れっ面のまま、アーチャーはそう言った。

 その顔には大きく何だか納得いかないという文字がかかれている。

 そんな自身のサーヴァントが少しだけ可愛く思えて、わたしは淀みなく感謝の言葉を述べた。

「アーチャー、ありがとう」

「……君が素直だと、どうにも調子が狂うな」

 参った、降参だといわんばかりの顔で見てくる白髪の弓兵。

 それに微笑んだ次の瞬間、またキリリと空気が引き締まった。

「まあなんだ、私がついている、とはいえ、気は抜いたりするなよ、凛。君は素晴らしいマスターではあるが、いかんせん経験不足だ。ここぞというときに、うっかり大ポカをしました……では話にならんからな」

 ここぞと言うときに大きな失敗をやらかすのは、遠坂家に代々受け継がれる呪いのようなものだ。

 それはわたしも例外じゃない。耳に痛い言葉。

 だけど思えば、そのうっかりによってセイバーをひこうとしてこのアーチャーがきたのだから、必ずしも悪いことばかりともいえない気がする。

 そんなことを思う自分に、思わず苦笑。

 やっぱり、わたしはこいつを気に入っているらしい。

「わかっているわよ」

「とにかく、情報収集は怠るな。さて、明日も学校に行くのだろう。ならばもう休みたまえ。休めるときに休むのも、戦の基本だぞ」

 

 

 

 side.久宇舞弥

 

 

 10年前、切嗣が参加する魔術師同士の争いである聖杯戦争に参加したバーサーカーのマスターは、人間とも思えぬ異相なる左の顔を持つ、死に掛けの男だった。

 間桐雁夜。

 切嗣の指示だったというわけでもない。

 あまりにも哀れだったからと、そんな理由で私自身の選択で撃ち殺した男。

 バーサーカーのような魔力消費の大きなクラスの英霊を使役するマスターとは思えぬほどに、出会った時には既に半死半生であった男。

 そのくせ、必死に生きようとしていた男。

 思えば、慈悲でもって相手を殺そうと思ったのはあれが初めてだった。

 感情などとっくに死んでいる。

 そう思ってこれまでの生を繋いできた。

 私にとっては昔から、誰かを殺すというのは機械的な当たり前の行動にしか過ぎず、そこに情を挟むなんてことはありえぬはずのものだった。

 私にとって人を殺すとはそういうことだ。

 そういうことだった。

 こうやってしこりのように心にあの光景が残り続けているのも、私にとってはあの殺しだけが違う理由からきたものだからだ。

 あんなに哀れな姿になりながら必死に生きようとしていたその姿を羨ましいと私は思ったのだ。

 その存在は強烈に私の中に焼きついた。

 だからこそ10年前のことだというのに覚えている。

 そう、覚えている。

 覚えていたのだ。

 あの男が最期に口にしたのは「サクラ」と、そんな言葉だったということを。

 あの時は、ただなんとなく耳に残った意味の無い文字の羅列。

 誰かの名前だろう単語。

 その言葉が意味を持ったのは、去年の夏祭り。いつものように衛宮の家に寄って、夏祭りに誘われ、その当日に私が出会った「間桐桜」という娘。

 何年もの月日をおいてパズルが組み上がっていく。

 間桐雁夜と、間桐桜。

 同じ性を名乗る彼らが無関係なわけがなかった。

 だから私は、彼女に会ったとき、あの男が最期に口にした「サクラ」というのが彼女、間桐桜を示していることに気づいたのだ。

 理由なんて、理由だなんて言えるほどの理由でもなく、ただそれだけの話。

 それでも私は間桐のことをそれで調べようと知ろうと思ったのです。

 何故、知りたいと思ったのか。

 罪滅ぼしなどではない。

 そもそも、そんなことを殺した人間相手に一々思えるような女じゃないことは、自分自身が一番わかっている。

 そう、わたしが知りたかったのはきっと、あの男が「生きて」いた理由。

 あんな哀れな姿になりながら、それでも何かを求めていたその訳。

 そうして始まった第五次聖杯戦争、昨日出会った影。アレの気配は間桐桜のそれとよく似ていた。

 

「シロ」

 ランサーと共に、おそらくはあの影を自分でも調査しようとしているだろう、切嗣(あるじ)の元サーヴァントであり、娘として今を生きている彼女に声をかける。

「舞弥?」

「確信がとれませんでしたので、言わなかったのですが……話したいことがあります」

 本当は私がそういうことを言う相手は、私の拾い主である切嗣であるのが筋ではあるけれど、敢えて私は彼女を選択してそう口にした。

 ……切嗣は永くない。

 彼を失ったとき、この家をおそらく支えるのは彼女だからというのもその理由の一面にはある。

 話しかけられたシロはといえば、場所を変えようとでもいうかのように、一つ頷いて自分の部屋に向かって移動し始める。それについて、私もすぐ後ろをついて歩く。

「それで……話とは、もしやあの影のことについてかね?」

 すっと、私の前に座布団を用意し、席を進めるジェスチャーをしながら、彼女はそう静かに口にした。

「はい」

「聞こう」

「……確信はありませんが、おそらく、あの影を操り、真の暗殺者を生み出した黒幕は間桐の手のものではないかと」

 間桐と私が口にしたとき、ぴくりと彼女はこめかみを揺らした。

 きっと間桐の後継者である桜のことを意識したのだろう。

 そうなるとわかっていて、私も話した。

「……皆の前で話さなかったのはそれが理由か。まあ、いい。君が言うということは、根拠がないわけではないのだろう?」

 ぽつりと、シロは、そう重い表情をして淡々と尋ねてきた。

 それに、私も淡々と返す。

「間桐の魔術特性は「吸収」と「束縛」です。そして、あの影は他人の魔力を「吸収」する。それに、あのような怪異が昨日今日生まれたとは考えがたい。考えられるのは、もとよりこの地に根を張っていた魔術師が元凶である可能性が高いということ。ならば、冬木に根を張る御三家の一角であり、「吸収」の属性をもつ間桐が怪しいと考えられます」

「君が別口で調べていたというのは、間桐のことか」

 鋭く、鷹のような印象の鋼の目が真っ直ぐに私を射抜く。

「はい」

 それに、極いつも通りの口調で私は返事を返した。

 それに対して、シロはため息を今にも吐きそうな仕方なさそうな顔をして「全く、無茶をする」そうぼんやりと漏らした。

 魔術師は己の魔術を秘匿するのが鉄則であり、情報の漏洩はそうそうするものではない。

 間桐について世間に知れ渡っているのは蟲使いの一族であり、聖杯戦争の令呪システムなどを構築した家といったようなものくらいだろう。

 御三家同士であればもう少し詳しい事情も互いの耳に入っているだろうが、生憎そのようなツテなどはないし、何よりあの家には間桐臓硯という名の怪物がいる。

 落ちぶれたとはいえ、この老体が生きている限りは、間桐にちょっかいを出すのは危険といえた。

「ご心配なく。足がつくような失敗はしませんから」

 そうさらりと返せば、シロは「君が優秀で助かるよ」と、そうどことなく皮肉がかった発音でそう口にして、すぐに表情を元の真剣なものに戻して。

「それで、まだ話はあるのだろう?」

 そう口にした。

「はい。どうやら、貴女自身も己の目で調査に向かわれようとしているようですが……ついては私から頼みごとが」

「君が?」

 それに、少し驚いたような顔をして、まじまじとシロは私の顔を見た。

 それほど驚くようなことだろうかと思う心と同時に、確かに私が「頼みごと」をするというのは珍しい行為だったかという気持ちが鬩ぎ合う。

「影の件についてですが、私に任せてはもらえないでしょうか」

「駄目だ」

 きっぱりと、彼女は拒否を口にした。

「君には荷が勝ちすぎる」

「それは今の貴女とて同じです」

 シロは切嗣のサーヴァントとして呼び出された存在……だったとはいえ、受肉して弱体化してしまった彼女の戦力は既にサーヴァントと互角に戦えるほどのものはない。

 普通の人間よりは数段勝るとはいえ、それだけだ。

 それが、今の衛宮・S・アーチェという存在の全力だった。

 とはいえ、元々が英霊だった存在であるシロだ。

 私のような完全な人間と同列に扱われるのは納得していないのかもしれないと思って言葉を付け加える。

「出来る限りでいいのです。それではいけませんか?」

 すると、シロはため息を一つ吐き出して、「無理はしないと約束してもらえないかね」そう静かな目で私を見ながら言った。

「可能な限りは」

「……影の件で私のほうにも入った情報は君にも出来る限り流そう。くれぐれも無茶だけはしてくれるなよ」

 自分は無茶など平気でするだろうに、他人がやるのは許せないらしいあたりに、シロが抱えた歪みが見えたが、それを指摘することもなく私は「ありがとうございます、シロ」そう口にして衛宮の家を出ることにした。

 

 

 

 side.???

 

 

 少子化のこの時代において、子沢山であることを除けば極々平凡な家庭である三枝家では、幼い弟達が姉の帰りを待っていた。

「姉ちゃん遅いなあ」

 ぼんやりと上の弟がぼやく。

 いつもは元気でやんちゃが過ぎると姉を困らせている子供達ではあったが、三枝家の夕食は長女である由紀香の仕事だ。それが、こうも帰りが遅くては腹が減っては力が出ないというのもあった。

「姉ちゃんどうしたんだろ」

 今までも、時折姉の帰りが遅いことがなかったわけではない。

 だが、遅いとはいっても、7時にならずに帰ってきていた姉である。それが、いまだ帰宅していない。

 流石におかしいと幼心なりにも思う。

 そのとき、がらりと戸を開け「姉」が帰ってきた。

「ただいまー」

 そう口にするその顔は、いつも通りのほにゃりとした「姉」の顔である。

 しかし、僅かながらもよくわからない不安感を抱いて、上の弟はそんな自分の違和感を押しつぶすかのように「姉ちゃん、遅いぞ!どこいってたんだよ」とわざとらしいほどの声で「姉」に向かって捲くし立てた。

「おなかすいたよー」

 下の弟も、下の弟でぐぅぐぅとなる胃を抱えながらそう訴えを起こす。

「ごめんね。今作るからね」

 そう口にする姉の顔もいつもどおり……のはずなのに、やはりどこかおかしい。

「……姉ちゃん?」

 上手くいえない違和感をもった。

 姉はそのまま、10分ほどで作った簡易料理を弟達に差し出して、「さ、食べよう」そう口にする。

 どうしようもなくおかしい。

 いくら急いでいるからといって、自分たちの知っている姉はこんな杜撰な料理など出さない。

 下の弟達もそれに気づいて、同時に顔を上げて……その目を見た。

「ね……ぇ」

 ぐらりと、頭の中身が傾いていく。

 次の瞬間には、弟たちはふと、自分達はなんで違和感などを姉に感じていたのかということだけでなく、「違和感を感じた」という事実ごと忘れ去っていた。

 ぼうとする頭のまま、ただ出された食事を口にする。

「ねえ」

 にっこりと、姉は綺麗に笑って弟たちに声をかける。

「何?」

 もぐもぐと租借しながら、弟達は再び「姉」を見る。

「おねえちゃんね、風邪ひいちゃったみたい。だから、しばらく寝込むことになるから、学校とかいけないの。お父さんやお母さんにも言っておいてね。風邪がひどいから、部屋に入っちゃ駄目だって」

 一見何の変哲も無い言葉が力を持つ。

 弟達は姉の何がおかしいのかすらわからないままに、頷いた。

「じゃあ、おねえちゃん寝てくるから」

 そういって、席を立った姉の姿が、一瞬黒く細長い男の姿に見えたが、次の瞬間にはまた子供達はその記憶を忘却する。

 そうして違和感は消し去られた。

 

 この家の長女である少女、三枝由紀香の部屋について、そこでようやく私は自分につけていた「仮面」をはずした。

 鏡に映るのは、ほにゃりとした笑顔が印象的な茶色のやわらかい髪をした少女ではない。

 黒い外套に身を包んだ、黒き貌なき異形の男の姿。

 つまりは、アサシンのサーヴァントである私、ハサン・サッバーハだ。

 この家を訪れたのは最初から私であり、幻術であの娘のフリをして、暗示をかけていたということ。

 聖杯から授けられた知識によれば、現代人は1人消えただけでも大騒ぎをしかねないのだという。

 あの娘を寄り代にすると決めたのは私だが、それによって騒ぎが入ることは私にとっても好ましいことではない。何より、そこから別マスターに足をつけられなどすればたまったものではなかった。

 だから私は、このような茶番を打ってでも、この娘は家に「居る」ということにしたわけだ。

 あとは、この家に術式を張っておいて、この部屋に入ったものは、「由紀香がそこにいて、寝ている」と思い込んで帰っていく仕掛けさえ施しておいたらもうこの家にも用はなかった。

 

 柳洞寺の裏庭、そこに張られた極々小さく、けれど高密度な結界の中、そこにその少女は居た。

「…………ぅ……ぁ……」

 衣服を全て剥ぎ取られ、裸で木に融合しているかのような少女。

 その声はか細く、息は弱く、その薄く開かれた瞳に映るものも、無い。

 意識は混濁し、堕ちている。

(ここは……どこ……)

 娘の思考もそれ以上先に進むことはない。

「ほう……」

 自分をこうした元凶である男の声には気付いているだろうに、しかし少女はそれにぴくりとも反応を返すことはなかった。

「魔術師でこそないが、適正はあると思ったがあながち外れてはいなかったか」

 その意味も言葉も少女には何一つとして理解出来ないだろう。

 それがわかっていながら、実質独り言に近いそれを私は淡々と続けていく。

「良い魂だ」

「あぐっ……ぁ」

 私が送った木への指令を合図に、びくりと、少女の体が自由にならぬままに痙攣した。

 吸い取っている。

 霊体となったハサン(わたし)の姿をその目で見ることが出来るほどに発達していた少女の霊的素質、彼女自身がうまれ持った高い霊力がまさに今、魔力に変換されて目の前にいる私の中へとに流れてきていた。

 それは酷く甘美で、心地の良い魔力だ。

 甘く清らかな魂。清純でうら若き乙女の生命力。

 死なない程度に常時搾り取られていく霊力、この少女、三枝由紀香はこの場においては人間とすら呼べない。

 そんな尊厳はここにはない。

 今の彼女はサーヴァント・アサシンたる私へと魔力を供給するための餌。

 ただそれだけだった。

 それ以外の何者でもなかった。

 

 

  NEXT?

 

 



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20.2月5日

ばんははろ、EKAWARIです。

現時点でサブタイトル通り2月5日まで進みました。
因みに本作では2月16日に聖杯戦争終結予定です。まる。


 

 

 

 1人の少女の夢を見た。

 金紗の髪をした、少年のような身形の少女。

 誰にも抜けなかった筈の黄金の剣を、止める老人の声を自分の言葉で払って引き抜いた少女。

 戦うと決めたのだとそう告げる声は清涼で、どこまでも真っ直ぐで。

 血塗られた道を歩こうとしている筈の彼女に、痛々しさがないわけではない。

 だって、相手は小柄な女の子だ。

 男に守ってもらうほうが似合うような、そんな華奢な少女だ。

 だけど、自分の意思で戦いを選び剣を手にしたその少女の迷いの無い背中が、何よりも美しいと俺は思った。

 けれど、ふと目の前の女の子が自分のよく知った誰かさんに似ているようなことにも気づく。

 容姿は違う。

 寧ろ正反対と言っていい。

 でも、その凛とした背中が、いつも自分の前にある人の背中にも似ているような気がしたんだ。

 

(そうして夢から覚める)

 

 

 

 

 

 

  2月5日

 

 

 

 side.ランサー

 

 

 夕食時の打ち合わせ通り、この家を取り仕切っている白髪長身の女と玄関で落ち合い、2人で揃って玄関の外へと向かう。

 夜の街は静寂であると同時に、潜む影の存在故かどことなく不気味だ。

 とはいっても、この女にしろ、俺にしろそんなものに怯えてやるほど可愛い神経はしてねえわけだが。

 まあ、アーチェの奴と行動を共にするっていっても、こいつは俺のマスターじゃねえから、念話は使えねえ。だから、本来必要じゃない時は霊体化して行動するのが聖杯戦争のセオリーなんだが、敢えて実体化して動くことになっていた。

 尚、そのさい一般人に見つかったら面倒だからとかって理由で指定の場所につくまで着ているようにと、現代人が着るようなジャケットを手渡される。

 全身着替えたわけじゃないが、どうせ夜で視界がいいわけじゃないんだから、上着だけ羽織っていれば、ぱっと見は普通の人間に見えるだろうとは、アーチェの奴の見解だ。

 マスターになったあの嬢ちゃんにしろ、こいつにしろ、目撃者を殺せとは言わずそれを回避しようとする当たり、お優しいこってとも思うし甘ぇなとも思うが、まあ罪もねえ一般人を殺すような仕事は俺だってあまり気持ち良いもんじゃねえからな、敢えて指摘はするまい。

 そもそもこそこそ隠れて動くのは俺の性には合わん。

 やるなら何事も正々堂々と正面から向かうのが良いに決まっている。

 故に、実体化して行動する事自体は別にいいんだが、現代服をきて誤魔化さずとも、いざとなりゃあ俺のルーン魔術でなんとかなるんだが、その辺気づいていないんだか、それとも魔力の消費を抑えさせたかったのかが、イマイチ判別がつかないトコだ。

(ま、どっちでもいいんだがな)

 それをいえば、本来飯を食わなくてもいいサーヴァントを相手に食事を提供していること自体、無駄遣いしてるよなあって話だしな。

 ま、こいつの作る料理は絶品だから、こっちとしちゃあ有難いわけだが。

「んで、どこに行くって? 宛ても無くふらふらしたいわけじゃねえんだろ」

 言いながらずいと近寄り、肩を抱こうとすると、アーチェはむっすりとした顔で俺の手をはたきながら、じりじりと一歩後ずさりつつ、「当然だ。というか、馴れ馴れしいぞ、貴様」と言いつつ顔をしかめた。

 おーおー、警戒してんなぁ。ちっと前まで結構無防備だったのに。

 ま、それもこれも俺を意識しての態度だと思えば、こういう反応も可愛く思える。尻尾おったてて警戒している懐かないネコを見たような気分といえば、どんな気持ちかわかりやすいか。

 そんなことを考える俺を置いて、アーチェの奴は次にはスイッチを入れたかのように、これまでの空気を一転、どこぞの弓兵を思わせる表情や雰囲気を身に纏い、硬質な鋼色の瞳で真っ直ぐに俺を見ながら、淡々とした口調で今夜の仕事内容を口にした。

「舞弥からの報告で判明した点も多々あるが、柳洞寺の現場を私のほうからも確認したい」

「アサシンがいつ現れるかわからない以上、夜の探索は避けるんじゃなかったのか?」

 そう、俺のマスターになったイリヤの嬢ちゃんたちとの話し合いで決まったことを口にすると、アーチェはぴくりと眉間に皺を寄せて、「だから、貴様を連れて行くんだろうが」と忌々しそうな口調でむっすりと言う。

「確かに、必要以上の夜の巡回は避けるといったが、直接この目で見なければわからないこともある。既に舞弥の手に負えるようなレベルではないからな」

 俺は生き延びることに長けた英霊であり、俊敏性にかけては聖杯戦争に召喚されたサーヴァントの中でも随一だ。それに、これでも俺はルーン魔術にだって長けている。

 そういう使い方をされるのは好きじゃねえが、斥候向きの力を備えてるって言っていい。

 だから、例の影が現れたっつう現場がそんなに気になるっていうんなら、俺1人をいかせりゃあいいだろうに、自分で行くというのはこいつの気性なのか、それとも俺を信用してないから1人で行かせる気がないのか。

 ま、両方だろうな。

 とは思うがそんなことで腹を立てるほど俺だって心は狭くない。

 なにせつい先日まで敵同士だった身の上だ。

 昨日の敵は今日の友で、今日の友が明日の敵というのは、俺の生まれた時代にゃあ珍しい考えでもないが、だからといってこいつらまでそういう考え方が出来るかっていったら、別なんだろうしな。

 だからそこに関しては別に良い。

 それに、自ら現場に行くって言っているのはこいつの気性と、俺を信用していないからの二重の理由だと推測を立てちゃあいるが、どちらかといえば、アーチェの奴の中では前者のほうが比重がでかいように思えた。

 影の映像を見たときから、一番ピリピリしていたのはこいつだ。

 もしかしたら、影の正体にも心当りがあるのかもしれねえなと、目の前の女を見て思う。

 敵として対峙していた時の俺に対してよりも、アーチェは影にむかってそれほどの警戒と敵意を抱いていた。

「んじゃあ、行きますか」

「ん?」

 よっと掛け声を軽くあげて、ひょいと拒絶されるより早く、女のしなやかに引き締まった腰へと手をまわす。

 見た目通り、中々良い肉感だった。

「なっ、貴様、おわ」

 そのまま、流れるように膝下にも手をいれ、アーチェの奴を所謂、姫抱きで抱え上げ、柳洞寺に向かって走り出した。アーチェの奴は青筋だった顔で文句を言おうとしていたが、サーヴァントでも最速に分類される俺の足を前にして、上手く文句を言えずにいた。

 不満たっぷりな顔で、舌を噛まないように口を閉じて、でも俺にしがみつくような真似だけは絶対したくないとでもいうかのように、己の右手を左手で押さえ込みつつ、恨みがましく俺を睨んでいる。

(おー、おー、怖い顔してんなぁ)

 そんな顔ばっかしてると、折角の美人が勿体無いぜ? なんて思うが、ここで俺が口を聞いて反射的に言い返そうとして舌を噛んだなんてことになっても悪いので、思うだけで俺も余計なことは言わずに目的地をひたすら目指して足を走らせる。

 こんな状況だというのに、振り落とされる危険から安全を求めるよりも、俺にしがみつく真似をするほうが嫌だといわんばかりの、この目の前の女の態度は、本当に懐かない猫みたいだった。

 程なく目的地である柳洞寺のお膝元たる石段の下に到着し、俺は腕に抱えた女を解放した。

 同時に迫り来る褐色の拳。

 感情的で戦略もへったくれもない女の細い拳を、パシリと右手で受け止めながら、苦笑しつつ言う。

「うわっと、危ねえな。おいおい、俺はアンタのためにアンタに付き合ってやっているわけだぜ。折角送ってやったっていうのに、いきなり殴りかかるってのは無しじゃねえか?」

 すると、アーチェは気まずそうに一瞬肩を竦めて、けれど思い直したようにむっすりとした仏頂面になって、そっぽをむきながら小声でぼそぼそとこう言葉を続けた。

「それは……感謝している。だが、これとそれとは別だ。他にも方法があるだろうが、方法が! 何故わざわざあのような方法で運ぶ!?」

 最後のほうは、キッと鋼色の瞳に力をこめて、見上げるように睨みつけながら強く言い切った。

「あん? こっちのほうが手っ取り早いだろうが」

 片眉をひっさげながらなんでもないようにあっけらかんと言うと、女もむっとしたまま言い返さずに口をつぐむ。それを見て俺はにやにやと笑みを浮かべながら、「それともなんだ? ひょっとして、アンタ他意でもあると期待してたのか?」そんな言葉を顔を覗き込むようにして続けた。

「んなわけあるかっ! たわけっ」

 がーっと、全力で否定する褐色の肌の女。怒りと羞恥のあまりか頬は真っ赤だ。

 子供みたいにムキになったその姿はなんていうか、楽しい。

「もういい」

 言いながら女はズンズンと前を歩く。

 そして、ふと、またガラリとそれまでと空気を変えて、真剣な気配を身に纏いながら、魔術の呪文を口にした。

 馴染みのあるそれは認識阻害の魔術だ。俺もそれに習ってルーン魔術で同様のものを刻む。

 目の前の寺には、人間がいた。

 警察という機関で働いている奴ららしい。そいつらのうちの1人に近づいたアーチェの奴は、そのままなんらかの暗示をかけ、すぐに離れ木に隠れた。

 やがて、人間達はアーチェが暗示をかけたやつを筆頭にどこぞへと帰っていく。

 寺には立ち入り禁止の札だけが貼られた。

 静寂が夜を覆う。

 アーチェは無言だ。もう軽口一つ叩くことも無く、眉一つ動かさない無機質な顔で己がなすべきことのみを為す。魔力の痕跡を調べているのだ。

 これでも、俺は魔術師としての適正も高い身だ。ランサークラスで召喚されたとはいえ、手伝えることもないわけじゃない。だが、敢えて俺は傍観者に徹することにして、アーチェの奴の姿を後ろから観察する。

(ま、そもそも手伝ってくれなんて言われてねえしな?)

 それに興味もあった。

 この女の動向、見せるだろう顔に。

(にしても、薄気味悪い場所だ)

 あの魔女……キャスターのサーヴァントとしてこの度現界した女とも、俺は数日前に矛を交えていたわけだが、あの女がいたときよりも場に残った淀んだ空気は大きい。人が去った今、その印象は更に上乗せされている。

 まさしく、この場はあの正体不明な影やアサシンが好むだろう異界であるとさえいえた。

 膝を落とし、真剣な目で影の残照に手を伸ばす女をちらりと見やる。

(良いな)

 その鋼の瞳は、あの家で見せていた顔と別人かと思うほどに、硬質で鍛え抜かれた戦士としての色が浮かんでいる。

 その目に、顔に、この女と戦いたいという衝動と、この女に手を出したいという衝動が同時に湧き上がる。

 戦への興奮と性の衝動はよく似ている。

 そんなことを思いながら、舌なめずりしそうな己を抑えた。

「ランサー」

 タイミングを呼んだかのような絶妙さで、まあ……おそらくは偶然なのだろうが、女は俺に声をかける。

 真剣な鋼色の目は下を向いたまま、俺にはぴくりとも視線を寄越すこともない。

「おう、なんだ。なんかわかったのか」

 それに飄々と、先ほどまで戦いたいとも犯したいとも思っていた女に、そんなことを思っていたとは欠片も感じられないだろう軽い声と態度で尋ねながら、手を伸ばせば届く距離へと近寄る。

「あの影に出会ったら、誰を置いてもいい。戦わずに逃げろ」

「あん?」

 真剣な声音でそんな論外なことを言い出す女に、眉をしかめつつ言葉を返す。

理由(ワケ)はあるんだろうな?」

「君は正統な英霊だ」

 淡々とした声音で、低く女は一見関係がないような言葉を並べた。

「稀代の大英雄。あちら育ちなら誰もが憧れるアルスターのクランの猛犬(クー・フーリン)。君ほどの真っ当な英雄はそう多くはいまい」

 えーと、これは褒められてんのか? と首を捻りつつ、目の前の女の言葉へと耳を傾けていった。

「だからこそ、あの影には勝てないのだ」

 そう、きっぱりとした声で女は言う。

「あ? そりゃあどういう意味だ」

「どうもこうもない。そのままの意味だ。魔力の残照を調べて確信した。君にとって、いや……おそらくは全サーヴァントにとって、あの影は……天敵だ」

 だから、絶対に近づくなと、そういって女は今日の探索を打ち切った。

 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

 その日俺は妙な夢を見た。

 朝日が差し込み、それが眩しくて目を細めながら起床する。隣には人の気配。

 すぅすぅと耳に届くのは俺じゃない人の寝息だ。

(ああ、そっか)

 それで、思い出す。

 アサシンのサーヴァントを警戒して、男は男同士、女は女同士固まって寝ることになったから、俺は親父の部屋で寝泊りすることになったんだ。

 相変わらず眉間に皺を寄せながら、苦しげに寝てはいるけど、それでも親父の様子はいつもよりは若干マシそうに見えて、ほんの少しだけほっとした。

 突如目の前に膨大な魔力の塊。

「よぉ、坊主、早いんだな」

 ひらひらと手を振りながら軽い調子でいうランサーが、実体化して伸びをした。

「ん、ああ。ランサー、おはよう」

 出来るだけいつもどおりを装ってそう挨拶をしたけれど、実はちょっとだけ驚いている。

 聖杯戦争のサーヴァントだの、英霊だのといわれても、ランサーもセイバーも見た目は人間と変わらない。

 本体が霊体だといわれても正直ちっともぴんとこないくらいに、2人とも人間らしい人間なものだから、ついついこいつらが人間じゃないことも忘れそうになる。

 そこへ、あの実体化。

 それを見て、本当にこいつらは人間じゃない存在だった事を思い出すってわけだ。

「なぁ、坊主」

 ふと、ランサーが神妙な顔をして俺を見て何か言いかけるが、こちらに近づいてきている気配を前に口を噤んだ。

「士郎、おはようっ」

 がらりと戸を開け、出てきたのは愛くるしくそんな朝の挨拶を投げかける、にぱりと、明るい笑顔を浮かべたイリヤの姿だった。

「ああ。イリヤ、おはよう」

 最近イリヤは沈みがちな顔が多かったから、その笑顔にほっと安心する。

「ランサー?」

 そうして振り向いたとき、いつの間にかランサーは再び霊体化したのかその姿を消していた。

 

 

 

 side.遠坂凛

 

 

「よし」

 ぱんと顔を張って、いつも通りの顔を作りわたしは意気揚々と家を出て学校へと向かった。

 問題はたくさんある。

 だけど、そんなことを一々気にしていたら始まらない。

 学校では結界の対策、夜は影の調査をメインに進めると決めたのだから、こういうときはすっぱりと気持ちを切り替えるに限る。

(とはいえ、わたしが出来ることもあまりないんだけどね)

 調べた結果、あの結界はサーヴァントが張ったらしきものであることは判明している。

 わたしに出来るのは結界の発動を遅らせるくらいの嫌がらせをして、犯人をあぶりだすことくらいだし、それも衛宮イリヤスフィール達もやっていることだから、益々わたしがやれることは少ない。

 だからといって、放置して構わないってくらい甘い問題じゃない。

 何より、遠坂(わたし)のテリトリーで起こった問題だ。それを見逃すなんて出来ない。

 学校に到着する。

 バタバタと忙しない空気。そうやって過ごす中で耳に入ったのは、昨日の柳洞寺の件だ。

 やはり、かなり大きな話になっているらしい。

 教室に到着。

 見慣れたいつもの教室のはずなのに何か違和感がある。結界だけのせいでもない。何がおかしいのだろう。

 考えて、あっと気づいた。

(三枝さんがいない?)

 いつも仲良しの陸上部三人組のマスコットである少女が欠けているのだ。

 それにいつも騒がしい蒔寺さんも普段見ないくらいおとなしく、それに氷室さんが慰めの言葉をかけているように見えた。

 いったいどういうことなのだろうと問う前に鐘がなって席に着く。

 がらりとドアを開けて現れたのは担任教師ではなかった。

 なんでも葛木先生は柳洞寺にお世話になっていたとかで、今は警察で事情聴取を受けているのだという。

 それらの副担任からもたらされる情報に、昔からいがみあってばかりの関係だった、中学からの学友の姿が頭に浮かんで、振り払った。

 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

 結局はその日も、学校ではとくに何も起こらずに終わった。

 そのことにほんの少しだけ拍子抜けする。

 俺達がやったことは昨日と変わらず、結界の基点にイリヤの魔力を流してもとの魔力を洗い流すことだけだ。

「意外。そろそろ痺れを切らして現れると思ったのに」

 不服そうな顔をしてそんな言葉を言うイリヤに思わず苦笑する。

 今の時刻は夕刻だ。先日の家族会議で決まった方針もあって、あまり学校に遅くまで残るわけにはいかず、今日はこれで帰ることになる。

 と、その時目の前をよく知った人が通りかかったので思わず声をかける。

「藤ねえ」

「ん? 士郎……って、こら、学校では藤村先生でしょ」

 めっと叱り口調でいう姉貴分を自負する女性は、手に荷物をもったまま職員室から出てきたところのようだった。間近で見るその顔は、珍しくも疲労の色がのっている。

 それに、昨日一成と電話で話した内容を少し思い出す。

 なんでもうちの学校の教師であり藤ねえの同僚である葛木先生は柳洞寺でお世話になっていたとかで、警察で事情聴取を受けているらしいが、もしかしたら同僚のつながりで藤ねえにもそっちで何かきているのかもしれない。

「ごめん、藤……村先生」

 ついまたいい間違えそうになって、直しつつ言葉を切り、次の言葉を続けようか迷う。

 疲労の入ったその顔を見て迷ったとはいえ、聞きたいことがあった。

「なあ、先生」

「なんですか、衛宮君」

 そう先生モードで返事を返す藤ねえに出来るだけ慎重な声で問いをかける。

「桜はまだ来てないのか?」

 そのことが気になっていた。

 あんな別れ方をしたのが先週。それから謝らなきゃなと思いつつ、いまだに桜に会うことが出来ていない。

 それを藤ねえも気に掛かっていたんだろう、苦笑しながらこう答えた。

「桜ちゃんはまだお休みね。なんでも風邪をこじらせたんですって」

 それを聞いて、隣のイリヤは複雑そうな目をしてうつむく。

「そっか」

 それについ声を落としつつ、いうと藤ねえは極いつもどおりみたいな明るい声で「ほら、士郎そんな顔をしないの。桜ちゃんがいなくて寂しいのはわかるけど、士郎がそんな顔しているのを桜ちゃんが見たら心配しちゃうぞ」そういって笑った。

 それで、少しだけ気分が浮上する。

「先生」

「ん?」

「サンキュ」

「どういたしまして」

 そういって藤ねえはまた笑った。

 血を流す魔術師とはまさに正反対の太陽のような笑顔だった。

 

 見方を変えたら、桜が休んでいることは何も悪いことばかりではないなということに気づいた。

 何せ今の学校はこの状態だ。

 人の魂を溶解するための結界が張られている中、発動するのがいつなのかは完全に術者の掌の中なこの状況。そこに桜が巻き込まれる可能性が低いことはせめてもの救いだろう。

 2人並んでイリヤと一言二言会話をかわしながら帰路に着く。

「ただいまー」

 いつもなら、ここで俺はシロねえの手伝いに行く。

 だけど今日はそんな気になれず、「悪い、イリヤ、シロねえに言っといてくれないか?」そういって、両手をあわせて頼み込む。

「わかったわ」

 イリヤは俺の気持ちを察したように、こくりと頷いて手をひらひらと振り、シロねえがいるだろう居間に向かって駆けていく。

 それを見送ってから俺は自分の部屋に向かって荷物を置き、そして、衛宮の敷地内にある道場へ向かって歩を進めた。

 シンと静まり返った、厳かな雰囲気の道場。

 まるでそこにいるだろう少女を思わせるほどに凛と張り詰めた空気。

 そこに、いるだろうと俺が思った少女は、思ったままの姿そのままでそこにいた。

「おかえりなさい、マスター」

 道場の隅で、ぴんと張った真っ直ぐな姿勢が印象的な、金紗髪の少女は正座をして目を瞑ったまま、俺の顔を見るよりも先にそう清涼な声で言葉をかけた。

「ああ……ただいま、セイバー。その、邪魔だったか?」

「いいえ」

 きっぱりとした、だけど拒絶する類のものではない口調でいいながら、彼女は次いでまっすぐに目を見開く。

 翡翠のような彼女の瞳は静を湛えて其処にあった。

「セイバーは日中はずっとここにいるのか」

「はい。ここは……落ち着きますから」

 そういう彼女の声には僅かな翳りがあって、俺は慌てて話題を変えるようなことを口にする。

「そのさ、マスターって呼び方やめてくれないか。いや、意味はわかるけど、むずむずして落ち着かない。俺には衛宮士郎って名前がある。だから名前で呼んでくれないか」

 それは前から気になっていたことだった。

 何故なのかはわからないけど、セイバーは俺の名前を呼ばない。

 それはまるで戒めのようでもあるけど、それでもそんな態度を取られる側としては、セイバーのそういう俺に対する扱いはなんていうか、困る。

 だからこそ、これは命令というよりはお願いだ。

 けれど、そんな俺の願いをこめた言葉を前にも、彼女はぴくりとも眉1つさえ動かさず「マスターはマスターですから」と、そんな言葉を口にした。

 語調はやわらかいけれど、それは間違いなく拒絶だった。

「そか」

 しばらく場に沈黙が落ちる。

 少女は変わらない。入ってきたときとかわらず、ぴんとまっすぐに背筋をのばしたままそこに座っていた。

 衣服は昔のイリヤがきていたものだ。こうして見ると、本当に美人な年頃の少女にしか見えない。

 だけど、人間にしか見えなくても彼女は剣の英霊なのだという。

 英霊とは、英雄の魂が人に祀られることによって、精霊と同格にまで霊格を押し上げられた存在のことを言うという。たとえ今は普通の少女にしか見えなくても目の前の少女はその英雄の1人なのだ。

 ふと今朝見た夢を思い出す。

 戦うと決めたのだといって剣を抜いた少年の身形をした少女の夢。

(あれって……セイバーだったんだよな)

 きっとそうだろうと思う。

「何か?」

 問われて、彼女の顔をまじまじと見ていた自分に気づいた。

 慌てて取り繕うような声が出る。

「いや、セイバーって剣の英雄なんだよなと思って」

「……そうですね」

 どこか自嘲じみた声で彼女は、ぽつりと返した。

 その顔についはっとする。

 なんだかその顔が、自分が良く知っている人に似ていたからだ。

 義理の姉の1人……シロねえに。

「セイバー」

「なんでしょう、マスター」

「俺もさ、勿論セイバーには遠く及ばないだろうけど、剣をやっているんだ」

 そういって見開かれた翡翠の瞳はほんの少しの驚きみたいな色があった。

「それでさ、剣の稽古、セイバーが良かったらつけてもらえないか」

「私が……ですか?」

「ああ、俺は是非ともセイバーの剣が見たい。駄目か?」

 暗い気分にならないよう、笑顔さえ浮かべてそう問う。

 それにセイバーはどことなく泣き笑いのような顔をして、それから「わかりました。お引き受けしましょう」そう口にした。

 

 ……一言でいうと、セイバーの剣戟はスパルタだった。

 天才ってのはこういうのを言うのかと体に教え込まれた。

 俺はこれでも、毎日のようにシロねえの稽古を受け続けてきたのもあって、それなりに強い自負があったんだけど、そんなものが粉々に砕けるほどにセイバーは強かった。

「いててて」

「ほら、立ちなさい。貴方の実力はそんなものですか」

 そういうセイバーの顔はこれまで見てきたどれよりも楽しそうで、輝いていて、それを見て俺はふと安心して笑った。

「? 何故笑っているのですか」

「いや、なんでもないよ、セイバー」

 その時、とたとたと第三者が近寄る足音が聞こえ始めた。

 がらり、道場の扉を開いて、そこにたっていた銀髪の美少女、義姉のイリヤスフィールがちょっとむくれた顔をして、「あー、こんなところに2人ともいた」なんていった。

「もう、夕食の時間なんだから、2人ともさっさと手を洗って着替えてきなさい」

 そういって、イリヤは怒ったようなジェスチャーをしてから踵を返す。

「もうそのような時間ですか」

 言ってセイバーは少し驚いたような顔をして、ついですまなさそうに俺に手を差し伸べた。

「すみません、マスター。熱中しすぎたようです」

 セイバーは恥ずかしいのか少しだけ頬を赤らめる。

 その白い小さな手をとりながら、「お互い様だろ」そういって俺もよっと起き上がる。

「なあ、セイバー、これからも出来れば手合わせしてもらってもいいかな」

「マスター?」

「出来ればでいいんだ」

「……構いませんが」

 いいながら共に並んで道場を出る。

 困惑を浮かべるセイバーにむかって、うんと笑い、俺は「セイバーは、沈んだ顔よりも剣を手にしているときの顔のほうがいいと俺は思うぞ」そういって、照れ隠しに足早にその場をあとにして部屋に向かう。

 その言葉をきいて、固まったセイバーに気を払う余裕はなかった。

 

 

 

 side.遠坂凛

 

 

 夜がきた。

 結局のところ、学校では動きは無く、わたしは一旦家に帰ると夕食を食べ、入浴などの小休止をすませると、夜の冬木の街に繰り出す。

 その間も情報収集はかかさない。

 その集めた情報の中には、昨日3人の男が死んだというものもあった。バラバラ死体で残ったのは体の一部だけだったというそれが、聖杯戦争と無縁であるとはわたしには到底思えなかった。

 あの影と関係があるんじゃないかというのがわたしの推測だ。

 アーチャーもまたそれに同意した。

 ぐるりとそれぞれの街を慎重に歩く。そうしているうちに気づけばもうすぐ日付を超えようという時刻が差し迫っていた。

 わたしの足は、10年前の聖杯戦争決着の地だというだだっぴろい公園の前にあった。

 中に足を進める。

 そして、わたしはその気配を受け取った。

「まぁ」

 優美で凍りついたように冷たい、それは少女の声。

 リンリンと歩み寄ってくる少女の左一房につけられた髪飾りの鈴が揺れて音を奏でている。

「貴方が遠坂の今代の主ですか」

 それは膨大な魔力を身に纏った、銀髪のピンクのドレスを身に着けた人形のように美しい少女だった。

(なんでよ……)

 その少女を見て、心臓が嫌な音を立てる。

「はじめまして、遠坂凛。私はアインツベルンのマスター。レイリスフィール・フォン・アインツベルン」

 美しい雪のような銀色の髪、人間とは思えぬ美しさの紅色の瞳のレイリスフィールと名乗った少女は、ここ数年でそれなりに仲良くなったある少女に、年齢さえ除けば酷似していた。

 古馴染みたるアーチェの義妹、衛宮イリヤスフィールに。

 アーチャーは実体化して、私をかばうように剣を手にした。

「そして、さようなら」

 氷のような瞳の少女の指が、戦闘開始の合図を作った。

 

 

  NEXT?

 



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21.負傷

ばんははろ、EKAWARIです。
今回の話は、レイリスフィールとバーサーカーの関係がよくわかる回かつ類似点が見えてくる回じゃないかなあと勝手に自分は思っています。
それではどうぞ。


 

 

 

 ―――私にとって、廃棄場こそが揺り篭でした。

 

(ローレライを謡おう)

 

 魔術の使い方も殺し方も、誰かに習うものではなく、生き延びる為に得たもの。

 

(煩わしい声を掻き消すように)

 

 血の赤さも、誰かを壊す感触も、全て、己で習得した生きる術。

 

(ローレライを謡おう)

 

 揺り篭の中、壊れかけの戦闘用ホムンクルスを手にかける時、これが○○ならばいいのにとそう何度も夢想することを繰り返した。

 

(雪で全ての音を遮断して)

 

 鏡を見るたびに、知りもしない姉の姿を其処に見た。

 

(そうすれば自分の歌声だけしか聞こえなくなる)

 

 この世に生まれて落ちてからの10年間、そうして私は生きてきた。

 

(嘲笑う声は全て殺して、ほらなんて静か)

 

 ……そして、第五次聖杯戦争が始まる3カ月前。 

 

(さあ、ローレライを謡おう)

 

 大爺様に呼び出された私は人身御供にかけられた。

 

 

 

 

 

              

  負傷

 

 

 

 side.セイバー

 

 

 アサシンが徘徊する今、この家の方針は夜の巡回は避ける方向で纏められており、それ故に勧められた湯から上がった私は、昨日に引き続きイリヤスフィールの私室へと向かう。

 それは聖杯戦争について傍観者という立場を取ることを表明した現状、唯一私が持つこの家での役目、夜間警護の任を全うするためだ。

 確かに答えを出せていない今は誰にもつかないとはしているが、それでも目の前で知った顔が死ぬのは目覚めが悪いし、宿を借りている恩もある。

 それらを考えればそれぐらいするのは当然だろう。

 理由はどうあれ、3人分の寝床を用意するイリヤスフィールは少しだけ楽しそうだ。

 そんなふうにはしゃぐ場合ではないだろうに、と思う心と同時に、今回の召喚でイリヤスフィールがあのアイリスフィールの娘であったという新たな事実も思い出し、少しだけチクリと心に刺さるものも感じる。

 アイリスフィールと過ごした日々は……随分と昔のことのように感じる。

 守ると決めていたのに、守れなかった白き姫君。

『私……外に出るのが初めてなの』

 ずっと隔離された冬の城で生涯を過ごしてきた彼女。

 思い出すこと自体が胸が痛く、前回の召喚の時は彼女のことは思い出さないように心の奥に仕舞っていた。

 だから、イリヤスフィールと前回対峙した時も、きっと同型のホムンクルスなだけなのだろうと、アイリスフィールとは無関係だろうと割り切れたのだ、私は。

 イリヤスフィールが、アイリスフィールの娘だなどと思いもしなかった。

 目の前のイリヤスフィールを見る。

 前回の召喚で出会った幼い娘の姿と違い、年相応に成長したその顔立ちは、あの頃のアイリスフィールとよく似ている。違うのはアイリスフィールのほうがおっとりとした空気を纏っていたのに対し、イリヤスフィールのほうがより活発そうな雰囲気を纏っていることだろうか。

 ふと、この世界にもアイリスフィールがいないことに気づく。

 切嗣は、自分の聖杯戦争で召喚したのはセイバー(わたし)ではないとそう言っていた。

 だからこそ、私が召喚された歴史を持つ前回の第五次聖杯戦争の時とは、これほどまでに違っているのだろう。

 だけど、ここに成長したイリヤスフィールがいるというのに、アイリスフィールがいないということは、この世界は私が知る歴史と違う歴史を刻んできたというのに、この世界でもアイリスフィールは死んでしまったということなのだろうか。

 ……平行世界という概念があることはマーリンから聞いて知っていた。だから、それはいい。

 今心に引っかかるものがあるとするならば……。

「イリヤ」

「シロ」

 イリヤスフィールたちが「シロ」と呼ぶ彼女。衛宮・S・アーチェと名乗った彼女の存在か。

 私の全く知らない女性。

 ……私の「シロウ」に違いながらよく似た(ヒト)

 それはこの世界の「衛宮士郎」よりもよく似ている。

「今日は間違えず、ちゃんと部屋(ここ)まできたわね。うんうん、偉い偉い」

「む、昨日のことなら、わざとではないといっただろう」

「わざとじゃないほうが却って性質が悪いのよ。全く、いい、シロ。貴女は女の子なんだからね。うっかり男部屋に行くなんてもうやっちゃ駄目なんだからね」

 そうやって、イリヤスフィールの前で子供のような膨れる表情、どことなく不器用な少年を思わせるぶっきらぼうな喋り方、イリヤスフィールを前にした彼女はとくに私の知るシロウに似ていた。

『あなたは一体何者なんですか?』

 そう本人に直接聞いたのは3日前のことだ。

 ……尤も、それで答えを得ることは叶わなかったけれど。

 代わりに投げかけられた言葉。

『君が斬ったという『マスター』は果たして、君を恨んでいるのだろうか』

 何故そんなことをこのヒトは口にしたのだろう。

 イリヤスフィールに向かって僅かに笑うシロの姿を見る。

(女の人だ)

 その長身ながらに出るところは出つつ引き締まった身体も、どことなく滲み出るようにただよう色香も、女のものだ。だというのに、その表情は……彼の少年に酷似している。

 前回の召喚の時には一度も会ったことのない人物。

 なのに、何故この世界の衛宮士郎よりも彼女はシロウに似ているのだろう。

 追求するのを1度はやめたとはいえ、それでも気にせずにいることは出来そうにはなかった。

「セイバー?」

「なんでしょうか、シロ」

 名を呼ばれたので淡々と返す。

 それに、シロは少し居心地悪そうに眉根を寄せて「そのだな……何故君は私の顔をじろじろと見ているのだろうか。私は君に何かおかしなことでもしたかな」なんて言葉を口にする。

 確かに意識を向けていたとはいえそこまでとは……気付かなかった。

「……じろじろと、見ていましたか?」

「まさか、自覚していなかったのかね?」

「すみません。そのようです」

 素直に謝罪を告げる。

 それにシロは苦笑し、「まあ、なんでもないのならばそれで構わないのだがね」なんて口にして視線を横に流した。その表情はどことなく穏やかだ。

 けれど、だからこそ酷く……この手が奪った命を連想させて、胸を締め付けられるような想いを抱かせた。

「そろそろ電気消すわよ」

 イリヤスフィールがそう声をかける。

 それを合図に、用意された布団に横になる。

 サーヴァントに睡眠は必要が無い。とはいえ、全くの無意味ではない。

 何故なら私はサーヴァントではありながら、霊体化することが出来ないゆえに、常にそこにいるだけで魔力を消費する。睡眠をとることによって魔力を回復させることが出来るとまではいかないが、それでも睡眠をとることによって魔力の消費を節約することは出来る。

 ……戦わないサーヴァントであるのならば、せめて使用する魔力は最小に抑えようと、そう思ったのさえ虫のいい話なのだろうか。

 そうして目を閉じた。

「……ふふ」

「なんですか」

 隣からしのび笑うようなイリヤスフィールの声が聞こえて、そちらのほうへ意識を向かわせながら尋ねる。

「こうやって、家族で並んで寝るのっていいなって思っただけ」

 その言葉に少し目を見開いて、隣に寝ているイリヤスフィールに視線を向ける。

 イリヤスフィールはあの時、『外に出るのは初めてなの』とそうはにかみながら口にしたアイリスフィールとよく似た表情を浮かべて、笑っていた。

 内緒話をするように潜めた声で、彼女は私に言う。

「士郎となら何度か一緒に寝たことあるんだけどね、シロとは昨日がはじめて。いつもは絶対に一緒に寝てくれないのよ? だから、不謹慎だけど、ちょっとだけこの状況に感謝してる」

 シロには内緒ね? なんてお茶目っぽく告げるイリヤスフィール。

 そのイリヤスフィールの隣に眠るシロから聞こえるのは規則正しい寝息だけだ。

 ということは、この僅かな間に彼女はそれほどに寝入ったということなのだろうか。

 私とイリヤスフィールが小声とはいえ会話してても気づかぬほどに。

(戦士である彼女が?)

 それに疑問を覚えた。

 思い出すのは自分がここに召喚された日だ。

 あの日、あの時の彼女の対応、その反応、どれをとっても彼女は戦士だった。

 それもいくつもの修羅場を潜り抜けてきただろう戦士だ。

 イリヤスフィールはいい。彼女はシロの家族だ。

 だが私はたった3日ほど前にこの世界に召喚されたサーヴァントであり、その時が彼女とは初対面だ。

 そしてその後を思っても、私の立場を思えば警戒の対象にされてもおかしくはない。

 だというのに、睡眠時という尤も警戒するべき時に安心して眠れるほどにシロは私に気を許しているというのか。

 思い出すのは、彼女が度々私に向ける懐かしむような親愛の篭った眼差しだ。

 そんなものを受けるほど私のことを彼女が知っているわけがない。

 その筈なのに。

(貴女は本当に何者なのですか)

 疑問は更に募る。

 そんな私に気づいていないようにイリヤスフィールは内緒事っぽく話を続ける。

「ねえ、今日士郎と何を話していたの」

 密やかに尋ねる顔。

 今までタイミングを計っていたのだろう、きっと彼女が今日私に一番聞きたいことがこれだったのだろうと思った。

「何も。昼間は道場にいつもいるのかと聞かれたので、そうですと答えただけです」

「嘘、それだけじゃない筈だもの」

 ぷぅ、と可愛らしく頬を膨らませて私を見てくる紅色の瞳、それに苦笑して、私は夕方のことを思い出す。

 最初はそんなつもりではなかったのに、随分と……熱中した。

 楽しかったのだ、士郎と剣を交えることが。

 私が知る「シロウ」よりも完成されていた剣は、無骨でありながら美しい剣で、この世界の士郎は私がかつて知っていた彼よりも強かったから、剣を合わせることが純粋に楽しかった。

 だけど……。

(楽しいなんて……感じる資格などないのに)

 かつて斬り捨てた少年と同じで違う人を相手に、私は何を考えているのだろう。

 ああ、楽しかった。

 だけど、だからこそ罪悪感が募る。

『セイバーは、沈んだ顔よりも剣を手にしているときの顔のほうがいいと俺は思うぞ』

 そう私が知っている少年とは違う笑顔を浮かべて、やわらかく言った衛宮士郎(マスター)

 私の過去など知らない筈の少年は何故そんな言葉を言ったのだろうか。

「セイバー?」

 ふと、目の前のイリヤの顔が少し曇っていることに気づく。

 私はいつの間にか自己に没頭していたらしい。

「……手合わせをこれからも頼むとそう頼まれただけです。さ、眠りましょうイリヤスフィール。今日は何もありませんでしたが、明日もそうという保証は無い」

「…………うん。お休み、セイバー」

 

 

 

 side.遠坂凛

 

 

「――――八番(Acht)!」

 10年間力を溜め込んでいた取って置きの宝石をぶつけながら、わたしは目の前の少女から即座に距離を取る。

 ピンクのドレスに身を包んだ冷淡な美貌のレイリスフィールと名乗った少女は、木炭に見える手にした武器を翳してわたしの宝石魔術に対抗しようとするが、全てを相殺しきれずに、少女の左腕に大魔力がこめられたそれが接触する、袖ははじけとび、ぼたりと流れ落ちる赤い血。

 腕は取れたわけではない。

 でも、相当な深手を負っているように見えた。

 だから今がチャンスとばかりにわたしはガンドを飛ばしながら少女に迫る。

形骸よ、生命を宿せ(shape ist Leben)

 涼しげな顔をしたままの銀髪の少女は、傷を治すでもなく、そのまま血を武器として隠し持っていたのだろう針金にまとわり付かせて飛ばした。

 血をまとった白銀は通常では考えられないサイズの大鷹となり空を翔けていく。

「凛!」

 遠くでバーサーカーの相手をしているアーチャーが叫ぶ。

 続く轟音。

 アーチャーにわたしを助けるような余裕がないのは明らかだ。

 でも……。

(舐めないでよね……!)

 魔術師同士の戦いでわたしが負けるわけにはいかない。

 遠坂の魔術師としても、わたしを「最強」だといってくれたアーチャーの為にもそんな無様を晒すわけにはいかない。

「……! 七番(Sieben)

 至近距離からとっておきの一撃を叩き込む。

 それに、3mになろうかという大鷹の頭がもげる。

(やった……!)

 鷹をつぶしたことを確信し、次の宝石を構えるわたしの目の前で大鷹はぐらりと形を変え、瞬時にわたしを囲うように広がり、ぶわりとそれは檻となってわたしを拘束するために襲い掛かった。

(ヤバッ)

 逃げようとしてもこの距離じゃどうにもならない。

 わたしは服に仕舞いこんであるとっておきの宝石を二つ身体強化にまわして、耐える道をその瞬間選んだ。

 その時、誤算が沸き起こる。

「きゃぁああっ……!」

 ぼっと、わたしを囲う閉じ込める様に広がった針金から炎が噴出したのだ。

(なんで……!?)

 目の前の少女はアインツベルンを名乗った。

 アインツベルンの魔術属性は「水」であったはず。そうわたしは聞いていた。

 いや、そもそも目の前の少女はアインツベルンのホムンクルスのはず。

 ならば水以外の属性に生まれるはずがない。

 その筈なのに少女は「火」を操った。

 自己防衛しつつ転がりながら、わたしは思考する。

 いや……そもそもこの少女は最初からおかしかった。

 アインツベルンは錬金術にと特化した名家であり、それがゆえに戦闘能力は殆ど皆無に等しく、だからこそ過去の聖杯戦争では敗北を記してきた、そういう家であった筈。なのに彼女はあくまでもサーヴァントはサーヴァントにぶつけるだけで、わたし相手に一対一の戦いを挑んできた。

「少し見直しました、遠坂凛。雑魚と思っていたことをお詫びしておきましょう」

 しゅうと、先ほど大怪我を負った腕を修復しながら、淡々と怜悧な美貌そのままでそんな言葉を投げ掛けながら優美に近寄ってくる少女の姿は、不気味としか言いようがない。

「さて、では第二楽章といきましょうか?」

 くつりと、バーサーカーのマスターにふさわしい微笑を奏でながら、少女は紅い目に嗜虐的な色を浮かべ、袖に隠し持った彼女の使い捨ての礼装らしきそれを8つ構え、そして駆けた。

 明らかに手馴れた動き。間違いなく少女は戦い慣れていた。

 おまけに魔力量に関しては人より多いと自負するわたし以上の化け物だ。

(舐めるんじゃないわ!)

 アーチャーが頑張っているというのに、マスターのわたしがこれくらいで怯んでなんかいられない。

 それにいくら魔力量がわたしより多いとはいえ、相手の礼装はお粗末な使い捨てであり、膨大な魔力でカバーしているものの、わたしの宝石魔術に比べれば大分質が落ちる武器を使っているように思えた。

 それに、わたしだって実戦経験こそないものの、綺礼の元で鍛えてきた八極拳があり、それなりに腕に覚えもある。なら……負けてなどいられない。

 相手が火を使ってくるというのならば水で対抗すればいいだけのこと。

六番(Sechs)冬の河(Ein Flus, einHalt)……!」

 対して彼女は8つの木炭のうち、6つを纏めて投げ掛けることによって私の渾身の一撃を防ぐ。

 巻き上がった夥しい炎が私の宝石魔術を封じ込める。

 でもそれは予測済みのこと。

軽量(Es ist gros)……!」

 自身の重力を軽くして、グンとスピードを上げてわたしは走りこむ。

 レイリスフィールは手にしていた残り2つの礼装を手に、それをわたしへと投げ掛ける。

「遅いわよ……!」

 軽やかに動きをつけて、わたしはそれらの攻撃を舞うように避け、少女の眼前に差し迫り、そしてその小さな身体に向かってとっておきの拳を一つ、いけすかない師に教わったやり方そのままに全力で打ち込んだ。

(殺った!)

 そう確信していたわたしは、少女が直前に口元に笑いを乗せていたことにすら気づいていなかった。

「……ぇ」

 残像。

 少女だったと思っていたものの実像が解けていく。

 それは同じ魔力の波動を持つ、姿だけを似せた白銀。

 本物のレイリスフィールは偽者の5歩ほど後ろに居た。

 わたしの中で危険信号が鳴り響く。瞬間、とっさに反射的に身体を捻った。

 ドスリ、嫌な音が響いてそれは私の横腹を貫いた。

「ぁああっ……!」

 わたしが見たもの。

 それは大地から生える針金の槍。

 見れば、地面越しに少女の右手にそのもう一端はあった。

 痛みに、どさりと腹を押さえて転がる。

(痛い……!)

 顔をしかめながら、それでも立たなくちゃとそう思う。

 とっさに避けたため、幸いにも大事な臓器には大きなダメージはない。

 ならば、さっさと立ち上がらなければ。

 痛みなんて魔術で慣れている。

 こんなもので、泣き言なんて言ってられない。

 思うけれど、足はすぐには行動できない。

 そして、ヒラヒラとしたドレスと同色のヒールの付いたブーツがどすりと、わたしの頭を打った。

「あ……っぐ」

「痛いですか」

 感情の入っていない冷淡な声で、レイリスフィールは確認するようにそんな言葉を口にしながら、グリグリとわたしの頭を踏みつけた。

「とっさとはいえ、あれを避けるとはお見事でした。ふふ、そうですね、褒美を差し上げましょう。さて、最期に聞きたいことはありますか? 貴女のサーヴァントが消えるまでの短い間ですが、質問があれば受け付けましょう」

「……っ!」

 ぐりっと、わたしの横腹を貫いた場所に再び針金を通し、冷たい笑みを浮かべながらそんなことを告げるピンクドレスの少女。

 それをにらみつけながら、わたしは反撃の機会をうかがう。

「ああ……でも途中で反撃をされては厄介ですね」

 そんなわたしのことを読んだとも思えぬほど、ふと思い出したような……これまで見てきた中で尤もあどけない顔をして、彼女はそう呟くと、わたしの腹に突き刺した針金を引き抜き、そして……。

「いっ……ぁあ!」

 ボキリと、わたしの右腕を躊躇いもなく折って、馬乗りになった。

「妙なことはしないでくださいね。抵抗すれば即座に殺します。たとえ数分だろうと少しは長く生きたいでしょう?」

 酷薄な笑みを浮かべながら、可愛らしく小首をかしげつつ優雅に口元に手をやりながらそんな言葉を言う少女。

 ハァハァと、痛みを耐えながら喘ぐように息をするわたしを見て、どう解釈したのか、レイリスフィールは「……喋らないのですか? どうせ死ぬのなら疑問を解消してからのほうがまだスッキリと逝けるでしょうに」なんてそんな言葉を口にした。

 ギッとにらみつける。

 だが、少女は冷たい微笑を浮かべたままで、本当に、アーチャーが消えるまでは殺す気はないらしかった。

(……って、何を考えてるのよ、わたし)

 それじゃあまるでアーチャーがやられるってそうわたしまで思っているみたいじゃない。

 そんなのはアーチャーからの信頼に対する裏切り行為だ。

 けれど、今すぐ殺す気がないというのなら、勝機がないわけじゃないだろう。

 こいつはバーサーカーがアーチャーを倒すものと信じきっているようだけど、逆の可能性だってないわけじゃない。ううん、あいつはわたしのサーヴァントなんだ。ならあんな金ぴかなんかに負けたりはしない。

 頭を回転させる。

 なら、わたしが今この状況で出来ることは、アーチャーがこちらに駆けつけるまでの時間稼ぎ。

 こいつはアーチャーが消えるまで殺す気はないようなことを口にしたけれど、それを守るとは限らない。

 だからこそ、わたしは口を開いた。

「どういう……ことよ」

「何がですか?」

 銀髪に紅い瞳の美しい少女の顔は、この見下すような冷笑さえ消し去ればここ数年で仲良くなった少女とよく似ている。性格は全く違うというのに。そんなことにも腹が立つ。

「アインツベルンのマスター……アンタは……ホムンクルスなんでしょ」

「そうですね」

 あっさりと少女は肯定した。

「なら、なんで……イリヤスフィールに似ているのよ、アンタは一体……」

 その刹那の少女の形相にぎょっとする。

 激情に駆られたような憎悪の瞳。

 それはホムンクルスと思えぬほどに人間臭くさえあったのだけれど、それはすぐに沈められ、人形らしい、冷たい微笑みに上書きされる。

「……質問があれば受け付けると言ったのは私でしたね」

 ぽつりと、自分を落ち着かせようとするかのような声音で少女はそう口にする。

「私はイリヤスフィールの『妹』であり、イリヤスフィールはアインツベルンを捨てた裏切り者。アレと私の関係などそれだけですよ」

 酷薄な声音でそんな言葉を彼女は言った。

 その答えはつまり、あのイリヤスフィールがアインツベルンのホムンクルスということでもある。

(待って)

 確かに人間離れした容姿をあいつはしていた。魔眼だってもっている。

 だけど、イリヤはその魔力量も少々多いだけで普通の範囲であったし、何より学校で見る彼女はどこからどう見てもただの少女にしか見えなかった。

 本当に、普通の少女だったのだ。

 元気で明るくて弟が大好きで、ころころと表情が変わる強気の少女。

 ホムンクルスは人間ではないゆえに、その身は脆弱だという。

 だけど、イリヤにはそんな兆候なんてどこにもなくて……と、ふとそこまで考えて、レイリスフィールを名乗るこの子と対峙したはじめから覚えていた疑問が顔を出す。

「貴女、……どうして戦い慣れているのよ」

 目の前の少女は、中学生くらいの容姿をしている。

 どこからどう見ても戦闘用ホムンクルスではないことは明らかだ。

 なのに、何故こんなに戦い慣れているというのだろう。

 そもそもアインツベルンは戦闘は不得意な一族だ。

 それが火属性ももっていて戦いにも精通しているなど、おかしいにもほどがある。

「……10年です」

 ぽつりと、少女はそう口にした。

「10年間、私は廃棄品を殺し続けてきました。貴女のような温室育ちが私に勝てなくても当然ではないですか?」

 それは、答えになっていてなっていない返答。

「さて、もう質問はありませんか。少し早いですが飽きてしまいました。それではごきげんよう」

 

 

 

 side.言峰綺礼

 

 

 教会へと入った報告を前に、私はさして意味もないため息をついた。

「悪食だな……」

 昨日3人の男達が「何か」に喰い散らかされた姿で見つかった。

 明らかにこっちの領域の件であったので情報隠蔽を努めたが、続いて今夜も例の影が現れ4人ほどの男達が殺されたという報告が入ったのだ。

 正直に言えば、この事件の主犯に心当たりがないわけではない。

 思い出すのは10年前に見かけた醜悪な老人の顔だ。

 つい、連想して顔を顰める。

 知り合いから手に入れた新しい駒は取り上げられ、黄金の王はいまだ地下で眠りについている。

 その中でかの御仁の暗躍となれば、正直面白くはない。

「…………」

 あの男はいまだ拠点である家に篭ったまま、殆ど出てきていない。それもまた面白くない。

 だけど、潮時なのかもしれないとも私は思う。

 吹っ切ればいいのだ。それを私は10年前学んだ。

「さて……どう動くか」

 どうせならば、また10年前の殺し合いの続きをやりたいと、そう思う心を抑えて私は礼拝堂を後にした。

 

 

 

 side.レイリスフィール

 

 

 ソレを召喚するように言われたのは、今から3ヶ月前のことだった。

 用意された聖遺物を手に、大爺様に言われた呪文を差し挟んで、本来狂戦士の特性などない筈の存在を「バーサーカー」として召喚する。

 その代償として支払わされたのは、魔力と生命力だけではなく……。

 ……あの夜のことは屈辱過ぎて思い出したくもない。

 しかし皮肉にも私は、ソレを経ることによって、アレを扱う術を得た。

 とはいえ、アレは従順な従者などでは断じてない。

 寧ろアレこそが最大の敵だった。

 それは私にとってだけではなく、アレにとっても同じこと。

 アレはいつだって私が死ぬ機会をまっていた。

 

 気づいたのはそれが理由。

 狂戦士として呼び出されたが上に、ソレは己の感情を隠すことなどは出来ず、その気配はパスを通じて私へと流れ込んできていたのだから。

 にやりと嘲笑い、私の死を待つ笑み。

 だから、私はとっさに、小聖杯としての力を全開にして、それを防ぎにかかった。

 軌道が僅か逸れる。黒き短剣は私の腕を掠めて地面へと突き刺さる。

「! ……バーサーカー……!」

 魔力で狂戦士の意思を縛り上げつつ私の元へと急遽向かわせる。

 短剣を放ってきた放出元、そこに居るのは、髑髏の仮面を身につけた黒衣の大男、間違いなく真なるアサシンのサーヴァントだった。

「何をしているのです、あのサーヴァントをさっさとお殺しなさい!」

 と、私の意識がアサシンにむいたと同時に、遠坂の娘から放たれただろうガンドが迫りくる。

 それを先ほど遠坂の娘を貫くのに使った針金を盾に形成して、防いだ。

 アサシンに意識をやりつつ、横目で遠坂の娘を見やる。

 遠坂の娘は血だらけではあるが未だ五体満足らしき紅い外套のサーヴァントに連れられて逃げていった。

 アサシンは自分の襲撃が失敗したと判断するや否や、こちらも霊体化して消えていく。

「……! 追いなさいと言っているでしょう」

 バーサーカーは答えない。

 ただ、嗤って私を見ていた。この赫い目が何よりも嫌悪を煽る。

 この狂戦士は……理性なきサーヴァントは、私のもがき苦しむさまを確かに楽しんでいたのだ。

「……もう良いです」

 不愉快に思いつつ、そう告げる。

 ついでバーサーカーへの供給魔力を消し、強制的に霊体化させた。

 思えば今夜は随分と礼装を消費した。

 おまけに腕に負った傷はサーヴァントにつけられたものだけあって、遠坂の娘につけられた傷ほど簡単に癒えるというわけでもない。

 更に言えば、いつ「あれ」が現れるかわからぬ今、万全の体制ではないというのは好ましくないと言えた。

 討ち取れなかったとはいえ、遠坂の娘が負った傷も中々大きい。

 すぐに聖杯戦争に復帰というわけにはいかないだろう。

 そう思って私はその場を後にした。

 

 

 

 side.アーチャー

 

 

「凛、しっかりしろ、凛」

 此度の戦闘の地であるあの忌まわしき公園から離れ、マスターを抱きながら移動していた私は、腕の中のマスターに向かってそう言葉をかける。

 凛の息は荒く、顔色が悪い。

 右腕の骨折だけならそこまでではないだろうが、横腹に開けられた傷口が発熱しているらしいとわかった。

 私もあちこちに怪我を負っていたが、生前アヴァロンを体内にもっていたことがあった影響なのか、サーヴァントの中でも群を抜いて傷の回復は早い。

 だからこそ、今問題なのは凛だけといえた。

「アー……チャー」

「凛、気が付いたのか」

 苦しそうに目を細めながら、小さく私の名を呼ぶマスターにそう声をかける。

「遠坂の家に……」

「だが……」

 この腹の傷をそのままにしておくわけにはいかない。

 そう思ってつい戸惑う声を上げる私を前に、凛は「いいから……地下の魔法陣の上に運んで。そうしたら……そのうち回復するから」

 凛は遠坂の家の6代目の当主だ。凛の身体にはあの地の土が何よりも滲む。

 何より遠坂の家は冬木の家で2番目に大きな霊地だ。

 それを思えば、凛の言葉は間違っていないのだろう。

「……了解した、マスター。しかし、回復すれば今夜のことについて私からも苦言を呈させてもらうからな」

 そう口にして私は遠坂の屋敷を目指した。

 

 凛がすぐに戦線復帰出来ぬというレイリスフィールの予想は当たっており、彼女の傷が回復するのはこの3日後のことだった。

 

 

  NEXT?

 



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22.鮮血神殿 前編

ばんははろ、EKAWARIです。
おまたせしました。鮮血神殿前編になります。
因みに今回の回は個人的には剣弓回ですが、多分そう見えるのは俺と同じ剣弓スキーだけのような気がします。


 

 

 

 結界を発動するのに必要最低限の魔力は溜まった。

 もうつまらない罪悪感なんて覚える必要はない。

 僕は魔術師になるのだから。

 見ていろよ、衛宮。

 友達面して僕を謀ってきた代償、し払わせてやる。

 

 ―――――……そうして、時は訪れる。

 

 

 

 

 

     

  鮮血神殿

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 グァングァンと、頭の中で響く音がする。

 其れは名をつけるならば、確かに共鳴だった。それを、漸くと見るか、やっとと見るか。

 ただ一つ言えることは私は待っていた。

 確かに其れを待っていたのだ。

 ……10年間待っていた。

 瞼を開ける。

 暗闇の中、現実ではなく此処は夢の世界だ。

 だけど、これは私の夢ではない。

 そもそも私は受肉しているとはいえ、人間ではないのだ。

 いくら人間に偽造していようと、私は反英雄のサーヴァント。人間のように夢を見たりしない。

 見るのは生前の記憶、或いは衛宮切嗣(マスター)の記憶のいずれかである筈なのだ。

 だけど今は夢を見ている。

 つまり、この夢は自然のものではないということ。

 自分が何かに繋がっていることは薄々気づいていた。

 10年もの間、普通の人間のように睡眠をとる生活を続けてきたにも関わらず、私が現マスターである養父(キリツグ)記憶(ユメ)を見ることは殆どなかった。まるで何かに阻害されていたのかのように。

 その理由。そのワケは……。

 後ろを振り返る。

 そこに、確かに誰かが居た。

 うっすらと微笑む影。

 其の細くしなやかな丸みを帯びた身体のラインに、長い髪を思えばきっとこれは女なのだろう。

 ただ、見えるのは影だけで実像は見えない。わかるのは輪郭だけだ。

 それに、漠然と『嗚呼、未だ刻が足りない』のだと、そう思った。

(そう、足りない。まだ、彼女とは)

 影は私に話しかける。

 声は聞こえない。

 実像を結ばぬ彼女とは、夢の中といえどいまだ語り合うことは叶わない。

(嗚呼、懐かしい。そうか。君は……)

 女の唇が動く。

 其の唇は確かに、あと少しなのだと告げていた。

(きっと()のゲームの終わりには会えるのだろう)

 夢が覚めていく。

 残像が消えていく。

 痕跡も全て泡と解ける。

 そして、其れに手を伸ばそうとして……目が覚めた。

 

 パチリ、と目を見開いて、反射的に私は上半身を起こした。

 夜はいまだ明けていない。

 隣に眠るイリヤは、可愛らしくすぅすぅと寝息を立てながら眠りについている。柔らかな寝顔。

 其れにほっとしながら先ほどの夢に思いを馳せて、そこでオレは唐突に理解をした。

(……そういう、ことか)

 大聖杯を傷つける行為を積極的に選択することを、無自覚に避けていた其の最大の理由を。

 先ほどの夢の中特有のフワフワとした感覚は既に無く、私の頭はグルグルと回転を刻み始める。だからこそ、そのことに気づいた瞬間、カッと、羞恥と怒りがごちゃ混ぜになったような感情を前に、頬が熱を持ち出す。

 今日の夢の中で感じたあの暗闇は……前回の聖杯戦争のときに、泥に呑まれた一瞬見た白昼夢で辿りついた場所と全く同じだ。

 そして、あれは大聖杯を経由してどこぞの空間に意識だけを繋げられていたのだ。

 私は大聖杯に繋がっている(・・・・・・)

 正確には大聖杯を構築する術式の一部に施された何かと、だ。

 大聖杯を機軸にして、誰か(・・)と私はラインを繋げられていたのだ。

 冬木のサーヴァントを召喚するのは大聖杯の仕事ではあるが、私のそれは問題が違う。そこには確かに誰かの意思があった。

 そう、あの夢の中にいた影の持ち主の意思が。

 10年前の聖杯戦争では駄目だった。

 10年後の今回でないときちんと繋がらない。第五次聖杯戦争でないと意味がない。

 最初からそういう風に設えている術式だったのだ。

 だから私は、待つような選択を「させられた」。

 大聖杯を破壊しようと、積極的に思えなくて当然だ。

 大聖杯の術式の一部を操作して異例に呼び出しされた私が、其の時を待たずに其れを破壊するということは、ここにある「英霊エミヤ」のコピーたる存在(わたし)の否定、衛宮士郎(じぶん)殺し以上の自己否定に繋がるのだから。

 意思とすら呼べぬ無自覚が、其の選択をシャットアウトしてきた。

 何かの糸に操られていたかのように。

(ちょっと待て)

 はたと気付く。気付き始めた。

 10年前、聖杯戦争を終えて、ただの情報として座に帰ろうとしていた私に対して働いた不可解な力。

 何故か女の姿になって「うっかり」スキルなんてふざけたもの付きで、切嗣に召喚されたこと。

 それらは決して偶然やただのエラーなどではない。

 そういう風に指向させ、そういう風になるように誰かが用意した「結果」なのだとしたら。

 そうなるように最初っから仕組まれていたのだとしたら。

(誰が、オレをどういう意図でそうした)

 ならば、「うっかり」スキルとは何か。

 遠坂家に伝わる呪いか。

 いや、この場合私に対してのこれは違う。

 そう、これは、オレの思考を縛るためにあった楔だったのだとしたら?

 最初っからそれが狙いだったのだとしたら?

 カッと更なる怒りで耳まで熱くなった。

(馬鹿か、オレは!!)

 切嗣から呼び出された其の日、気付けば追加されていたそのスキルの説明を受けた時、「そういうもの」かと考えることを放棄した。

 10年間現界していながら、其の可能性に気付きやしなかった。

 どうして気づかなかった。

 これは人為的に植えつけられたものだってことに。

 あの影の主が、何を目的としてこんなことを仕組んだのか知る由もないが、つまり私はまんまと彼女の手の上で踊らされていたのだ。

 私が、今ここにある私という存在に対して疑問を抱かないように。

 うっかりスキルの正体は私の思考への制限であり、私がその時を迎えるまで勝手に自滅しないように仕組まれたプログラムなのだと。

 スゥ……と頭が冷えるような錯覚を覚えだした。

 過ぎたる怒りは却って脳を冷却させ、表情が凍りだす。

(嗚呼、全く、オレは今まで何をしていたのか)

 ……10年だ。

 10年間もの間、私は人間としてここに暮らした。

 いずれは消える異邦人と知りながら、なのに生きているかのようなフリをして、何を人間ごっこになど励んでいたのだ。死者の分際で、何を勘違いした生活をしていた。

 瞳が凍りだす。

 鋼の瞳が鷹の目を思わせるそれに変化していくのが自分でもわかった。

 イリヤを見る。

 彼女を見ると、自分の中にあった「人間」の部分が喚きそうになる。

 そんな自分を殺す。

 情など……異邦人である自分が注ごうと思ったこと自体がそもそも間違いだったのだ。

 私は、彼女に関わるべきではなかった。

 あの冬の城から連れ出して、ここに連れてきた段階で私は1人消えればよかったのだ。

 その後の結末など知ろうともせずに。

 そもそも彼女は……オレの姉さん(イリヤ)ではない。

 セイバーたちと同じだ。同一人物の別人だ。

 オレのイリヤは……聖杯戦争が終わってさほどと経たず死んだ。

 オレはどうしてこうも昔から愚かしい。

 はは……滑稽だ。

 昔とは随分と違うと、俺はもう皆が知るエミヤシロウとは全くの別物だと思っていたのに、何故オレは昔と変わらずこうも愚かなのか。

 馬鹿だ。結局は何も変わっていない。

 エミヤシロウを構成する馬鹿さ加減は死んでも治らなかったらしい。

 褐色の手を見る。

 女に成り果て10年が経過してしまって、すっかり見慣れてしまった小さめの女の手。

 それが、急に憎いものに見えて、瞬間切り落としたい衝動が起きる。

 夢想、妄想。

 実際に果たしたわけではない。

 第一、そのような行動に何の意味がある?

 違う、オレがやるべき行動はそういうことではない。

 そんなものは無意味だ。

 やるべきはそうではない。

(今一度捨てよう)

 家族を。「家族」だと呼んだこの歪な関係を。

 有り得ぬはずの夢は終わりだ。夢の時間は終わりだ。

 いささか、ぬるま湯に浸かりすぎた。

 終わりにしよう。

 1を切り10を救い続けた血塗られた私が、そもそも幸せを享受しようとしたこと自体が間違いだったのだ。

 間違いは正さなければいけない。

 ちらりと、この世界を生きる、私とは全く異なる士郎が脳裏をよぎる。

(馬鹿らしい)

 ……奴は大丈夫だ。

 イリヤがいれば間違いを犯すことは無い。

 それにアイツは「人間」だ。私と違って、人間としてアイツはちゃんと育った。

 詮無い思考を切り捨てる。

 自分がやるべきことを見定める。

(ここにいる「私」と引き換えにしてでも、あの「影」を消す)

 英霊の天敵たる影を思う。

 あれは危険、あれは私の仕事の領分だ。

 今でこそまだ大人しいが、いつあれが暴走し何千何万という無辜の命が奪われるのかわかったものではない。

 時間が経てば経つほど危険なのだ。

 あれを消すことこそが、守護者たる私の役目だろう。

 待っていた相手と会えなかろうともうどうでもいい。私は私の務めを果たす。

 そして、立ち上がろうとした時だった。

「何処に行くのです、シロ」

 凛とした翡翠色の瞳の少女が、強い意思をもって其処に立っていた。

 私の行き先を遮る様に。

「そこをどけ、セイバー」

 我ながら想像以上に硬質な声が出る。

 それに、少女は少しも怯まず、いつ武装してもおかしくないような空気を纏ったまま、「どきません」とそう真っ直ぐに口にした。

「昨日も貴女は抜け出そうとしていましたね。焦燥を抱えながら。でも、今の貴女は昨日よりもずっとおかしい。ご自分がどのような顔をしているのか自覚していますか? 何処に向かおうとしているのかは敢えて問いません。だが、今の貴女を行かせるわけにはいかない」

 それに、苛立った。

「どけ、セイバー」

 グンと、近寄る少女。それは見えぬ一瞬の勝敗。

 弱体化している上に激昂し我を忘れた今の私に彼女の速度が見えるわけもなく、ドサリと、私は布団の上に己の身を引き戻されていた。

 頭上にいる少女は、私の両の手を頭上で1つに纏め、そのままがっちりと両足で私の腰をホールドしていた。

 今の刹那で彼女が帯びた鎧が、ガシャリと耳のすぐ傍で響く。

「わかりますか? これが、今の貴女の力です」

 淡々と呟く声はどこまでも真剣で清涼だ。

 見た目は小柄な少女だというのに、そんな可憐でか弱そうとすらいえる見目に反して、最優のサーヴァントといわれる存在なのだ、この少女は。

 そのことを嫌でも思い知らすかのように、セイバーに抑えられた箇所は抵抗しようにもピクリとも動かない。

「士郎の師と聞きました。私の見立てでも貴女は強い。だけど、それはあくまでも人としての話だ。貴女はサーヴァントには勝てない。それを知るべきだ」

 その言葉に見えた憐憫。

 諭すような声でセイバーは続ける。

「あの影は正規の英霊にとって天敵だと貴女は忠告したそうですね? だが、私からも忠告させていただきましょう。たとえあの影に我らサーヴァントが勝てないとしても、だからといって貴女が立ち向かって単独で勝てるとでも思っているのですか? もしそう思っているのならそれは思い上がりだ。傲慢以外の何者でもない」

「……どけ」

「貴女は自分を粗末にし過ぎている。それを見て、貴女の家族がどう感じるのか考えたことがありますか」

 粗末にしすぎているだと? その言葉を、君がいうのか。

(自分を捨てて生きてきた君が)

 誰よりも己を殺して、女としての幸せまで捨て、国のために尽くし生きてきた君が。

 思考が白く染まる。

 そして……。

「どけ! アルトリア!!」

 言わないつもりでいた言葉を口にした。

 

 はっと、動揺を映しながら見開かれる翠の瞳。それに、取り返しのことをしたのだと思った。

 サァ……と一気に血の気が引き、体温が下がる。

「何故……貴女がその名前を知っている」

 間近で揺れる翡翠の瞳は、信じられないものを見たかのように戦慄く。

(やってしまった)

 既に思考は醒めている。ああ、やってしまった。

 思い通りにならないからと八つ当たりで、口にしていいような名前じゃなかったのに。

 自分の馬鹿さ加減に嫌になる。なんでオレはこう馬鹿なんだ。

 そうだ、止めた彼女にそもそも咎があったわけではない。

 一時の感情で何をオレは言ったんだ。

 金紗の髪を結わえた少女は、動揺をその瞳に収めながら、空いている左の手を私の頬にのばす。

「貴女は……」

 セイバーの、手甲越しの小さな指が私の頬を滑る。

 まるで形を確認するかのように。

「貴女は一体…………」

 誰なんだと、最後は言葉にせず、唇の動きだけで彼女は誰何(すいか)を問うていた。

 

「ん……」

 第三者の声がして、瞬時に彼女は武装を解く。

「……シロ? セイバー」

 いまだ眠そうな紅色の瞳がぱちくりと私とセイバーの姿を収める。

「何やっているの?」

 見ればあくまでもセイバーが解いたのは武装だけであり、彼女はいまだ私の上に馬乗りになって抑え込む姿勢のままだった。どうやら、あまりに慌てていて、武装解除することしか頭になかったらしい。

 イリヤスフィールの指摘を受けて、慌ててセイバーは私の上から退く。

「なんでもありませんよ、イリヤスフィール」

 そうでしょう、と目線だけでちらりと同意を求める金紗の髪の少女。

「シロ、なんでもないって本当?」

 イリヤは目が覚めてきたのか、何か私と彼女のことについて誤解していそうな視線を向けてくる。

 ソレを見て、私はあっさり、いつもの自分の型通りに、そういう態度を装いながら、たいしたことじゃないように聞こえる様に言葉を返した。

「なんでもないさ。イリヤ、君の其れは勘繰りすぎた。少しいつもより早いが……どれ、私は朝食の準備でもしてこよう」

 そういって自然に部屋の外へと出た。

 偽りの心臓が早鐘を奏でるのが、やけに煩かった。

 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

 なんでか、今朝はシロねえとセイバーの態度がおかしいと、そう思う。

 シロねえはいつもより一心不乱に料理に打ち込んでいるし、セイバーはいつもは3杯は食べるおかわりがたったの1杯だけだし、ランサーのやつにおかずを取られても気づいていない。

 何より、ちらちらと時折辛そうな顔をしてシロねえを見てる。

 変だ、絶対に変だ。

「なぁ、イリヤ」

 つい、隣に座る1つ年上の姉に向けてこっそりと話しかけるとシロねえは「士郎、食事の最中に喋るな。行儀が悪い」などと淡々と口にしながら、ランサーの4杯目のおかわりを装っていた。

 慌てて前を向いて食事に専念する。

 そうして食事を終えて、恒例の家族会議に突入したけれど、議題としては昨日とあまり代わり映えはしない。

 その中で唯一気になったことといえば……。

「遠坂が負傷した?」

「うん。たまたま衛星にひっかかっただけだけど、どうも結構な痛手を負ったようだね。とはいえ、代を重ねた魔術師の身体はそう簡単にどうにかなるものじゃない。暫く戦線離脱する程度が関の山だろう」

 そうなんでもないかのように語ったのは親父だ。

 魔術師が死の危機に瀕した際には、魔術刻印が術者の身体を生かそうとするのだという。

 まあ、とはいっても衛宮(うち)で魔術刻印をもっているのは切嗣(じいさん)だけだから、うちではあんまり関係の無い話ではあるけど。そういうものだと教えられてきた。

「じゃあ、凛の戦力をアテにするのは無理そうね」

 そういったのはイリヤだ。

 俺たちと遠坂は学校の結界の件が片付くまでは休戦の約定を結んでいる。

 結界を張った犯人が出てきた時、上手くすれば協力することも出来るかもしれないとそう思っていたのだが、遠坂が暫く戦線離脱するのなら、学校の結界が遠坂がいない間に発動すれば俺とイリヤで対処をするということになる。

「あー、別にいいんじゃねえのか。俺が1人居れば充分だろう」

 そう軽い調子であっけらかんと言うのはランサーだ。

 そこには誰にも負けないという自信が見え隠れしている。

「そうね。そうであることを願っているわ」

 そう口にするイリヤの声は多少冷たい。

 どうもイリヤはシロねえに近づくランサーが気に入らないらしく、こういう態度が多かった。

 でもランサーも慣れたものなのか、気にもせずにそんなイリヤの態度を流している。

 それを見て、大人だなあと感心する。

 ランサーみたいな大人も悪くはないのかもしれない。と、少しだけ自分の将来図を思い描いた。

 話すこともなくなり、俺とイリヤ、そしてランサーは学校に向かうために玄関口に集まった。

「なぁ、ところでよ、嬢ちゃん」

「何」

「アーチェとセイバーの奴どうしたんだ?」

 どうやら、ランサーも気になっていたらしい。

 それはそうだろう。あれだけ変で気にならない筈がない。

「わたしにもわからない」

 そう、困ったような声と表情でイリヤは答えた。

「何か言い争っているかと思ったら、朝起きた時からあの2人ずっとあんな感じよ。どうしたのか聞いても、なんでもないとか言ってくるし」

「言い争う? シロねえとセイバーが?」

 その言葉に思わず目を丸くした。

 だって、シロねえがセイバーに向けていた視線はいつだって柔らかで、大切そうなそんな色がどこかあった。

 セイバーだって、最初のあれはともかく、それ以降はずっと……。

 とにかく、その2人が言い争ったということに驚いた。

「何を言い合っていたのか、嬢ちゃんは聞いていたのか」

「知らない。わたし、寝てたもの」

 そういってうつむくイリヤの顔は、傍目にも落ち込んでいるのがわかって、慌てて話を打ち切って俺らは学校へと向かった。

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 カチャリカチャリと音を立て、食器を洗いながら今朝のことについて思いを馳せる。

「…………」

 酷いことを言ったと思った。

 だけど、謝る言葉を私は持たず、彼女もまた私の顔をちゃんと見ることを避けている。

 八つ当たりだった。

 あれはどう考えても八つ当たりだった。

 そんなもので、彼女の真名を汚していいはずがないのに、なのに私はやってしまった。

 私が「誰」なのかと問うてきたあの翠の瞳を思い出す。

 澱みの様にそれは私の胸に落ちる。

 冷静に考えて見れば、セイバーに指摘された通りなのだ。

 私が単独であの影に立ち向かったところで、勝ち目は薄い。そもそも、今は受肉しているとはいえ、元々私はサーヴァント。正規の英霊よりも手はあるとはいっても、弱体化していることを顧り見れば、あの影相手にどれほどの戦いが演じられるかにおいて、他の者とそうは変わらない。

 無策で突っ込むなど無謀だ。

 考えなければいけない。あの影を今のこの身で滅する方法を。

『貴女は自分を粗末にし過ぎている。それを見て、貴女の家族がどう感じるのか考えたことがありますか』

 その言葉を振りかぶって頭から追い出す。

 粗末にしている? そうだろうとも。

 だけどな、私は生者じゃない。生者じゃないんだ。

 ただの反英霊の……人々に憎まれることで信仰を得た存在のコピー。それが私だ。

 なら、使い捨てにしてなんの問題がある。

 粗末というのなら、私の存在自体が粗末に過ぎるのだ。

 舞弥が語った言葉を思い出す。

 あの影が間桐絡みのものかもしれないということ。

 ……間桐桜、彼女が関わっている可能性がそれはあるということだ。

 過去の経験から私は、彼女は白だと思って放って置くように切嗣(じいさん)に言った。

 だが、もしもその判断自体が間違っていたのなら?

 そのときは、私が責任を取らなくてはいけない。

 イリヤや此処の士郎にそんな役を押し付けるわけにはいかない。

 これがもしも私の原罪だというのなら、償うべきは私なのだから。

 ざぁと、食器の泡と汚れをすすいだ。

 この食器の汚れをすすぐ様に、私という汚れも洗い流せれたらいいのにと、そんなことをぼんやり思った。

 

 

 

 side.間桐慎二

 

 

 全てを見下ろすには最適な学校の屋上で、僕はそいつが校内に入ったのを見届けた。

「来たか、衛宮」

 にぃと笑顔をのせてさえ言う。

 友情と憐憫と蔑みと好意。

 感情は複雑に絡み合って僕の中で渦巻いている。

 凄く腹が立つのに放っておけない唯一の友人。馬鹿なくせに一緒にいるのが心地よかった男。

 それを殺そうとしているのに、憎しみも罪悪感も無い。

 寧ろ、この日を待ち望んでいたような気すらするのは、この身が受ける昂揚のためなのか。

 考えるだけ無駄だ。

 そんなことはどうでもいい。

 ただ、僕は奴を断罪しなきゃいけない。友達面をして、僕を謀ってきた罪を償わせなければいけない。

 僕がソレを知って心に受けた痛みをそのままそっくり返してやるんだ。

「いいのですか、慎二」

 淡々とそう聞いてくる従者に苛立ち紛れに片眉を吊り上げ、僕は答える。

「あ? 僕がいいって言っているからいいんだよ。それくらいわかれよ」

「…………」

「何、なんだよ、その目は」

 いつだって眼帯を覆っているライダーの目を見たわけではない。だが、こいつが僕を非難する視線を向けていることは眼帯越しにもわかって、思わずむっとしながらそう口にする。

 アイツとは友達だった。それでいいのかと尋ねてくる視線。煩わしかった。

 どうしようもなく、煩わしかった。

(何様だよ)

 ライダーの視線に、桜を思い出す。ソレが更に苛立ちを大きくさせた。

「……やれ。ライダー」

 そしてその結界……鮮血神殿(ブラットフォート・アンドロメダ)が発動した。

 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

「!?」

 それはまるで、巨大な怪物の胃袋の中に包み込まれたような感覚だった。

「士郎!」

 ばさりと、イリヤの言葉を合図に手早く、例の赤いケープを見につける。

 イリヤは既に走り出している。ランサーもまた実体化して後ろに続く。

 場所はいうより行動したほうが早いというかのようにイリヤの足は上へ上へと、この結界を発動した術者の魔力を目指して、階段を駆け上がっていく。

 発動されて実感する。

 本当にこれは、想像以上におぞましい結界だった。

 人の命を吸収していく赤き世界はまるで煉獄。幸いといえば、この結界は即座に人を溶かすものではないということ。まだ発動したばかりだと思えば、術者と早々決着をつけさえすれば誰をも失わずにすむ。その可能性も高いということ。

 解析の魔術を自動発動させつつそう思う。

 そして、俺たちはたどり着いた。

「よぉ、衛宮」

「慎二……!?」

 学校の屋上に続く階段の上、そこにいた犯人の姿に思わず驚く。

 そこにいたのは、一般人であった筈の友人の姿だったからだ。

 いつも通りの笑顔を浮かべていて、まるで日常の延長のように慎二はそこに立っていた。

 その手には魔力を放つ本があり、その傍には黒衣に長い髪の女の姿がある。

 聞かれずとも女がサーヴァントであることはわかった。

 隣に立つイリヤは警戒し、ピリピリとした気を放ちながら慎二をにらみつけている。

「お前がこれをやったのか?」

 慎重に言葉を紡ぎながら、俺は友人を見上げつつ尋ねる。

 それに、慎二はなんでもないような顔をして「ああ、そうだ。何せ僕は正規の魔術師じゃないからね。ライダーに魔力を供給するためにやった」そう是の言葉を吐いた。

「なんで……」

「お前にはわからないよ」

 これまで一度も見たことの無い、凍りついた瞳で、慎二はそう俺に言う。

「本当の魔術師であるお前にはね」

 蔑みの視線と言葉に聞こえるソレに、確かに俺は慎二の苦しみを聞き取った。

 にこり、慎二は再び笑顔に戻って言う。

「お前もマスター、僕もマスター。ならやることは一つだけだ。ヤり合おうじゃないか、衛宮。まさかこの期に及んでおねえちゃんの手を借りないと何も出来ないのーなんていわないだろうね?」

「……士郎」

 不安げな声でイリヤは俺の名前を呼ぶ。

 それは俺が慎二に勝てないとかそう思ってじゃない。俺が慎二と戦えるのかとそういう心配の声だった。

 だから、俺はイリヤを安心させるためにも、はっきりと言い切った。

「イリヤ、イリヤは手を出さないでくれ」

 真っ直ぐに中学時代からの友人の姿を焼き付けるように捉えながら、言う。

「これは、俺の戦いだ。ランサー、悪いけど、あのサーヴァントの相手は頼む」

「任せときな。何、すぐ決着をつけるさ」

「頼むな」

 口元にイリヤを安心させるように笑みを浮かべさせつつ言う。

 ランサーがいれば、イリヤは大丈夫だ。

 だから、俺は己の戦いのためにその階段を上がった。

 

 

 

 続く

 

 

 



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22.鮮血神殿 後編

ばんははろ、EKAWARIです。
おまたせしました、鮮血神殿後編です。
今回の話と、次回の話は個人的にはワカメ回です。
海草類の活躍(?)にご期待下さい。


 

 

 

 side.間桐慎二

 

 

 真実を知ったその日、妹を犯して飛び出した僕が会ったのは、友人の姉を名乗る白髪の女だった。

 公園のベンチで、背中合わせにコーヒーを啜りながら、誰にも聞かせたくないと思っていた筈のことを語った、月が綺麗だったあの夜。

 シロと名乗ったその(ひと)は静かに、ただ在るがまま静寂な月を体現したかのような姿で其処に居た。

「あまり、溜め込むなよ」

 なんて友人を思わせるイントネーションと空気を纏って口にした、白髪に褐色肌の女。

 そうだ、女だ。

 髪色だって目の色だって肌の色さえ赤毛の友人とは違う。

 だけど、確かにその女は彼の友人に良く似ていた。

「人の気持ちなんて他の誰にもわかりやしない。理解なんてない。他人を理解したなんて……そんなものは思い込みに過ぎない。でも、支えたいと思うのは……間違いなのだろうか」

 そういってきた彼女にどんな過去があるのかは知らない。

 知る必要だって感じない。

 だけど、重々しく万感を込めて語られた言葉は彼女の本心そのものだと思えた。

 それに堪らなくなってその日僕は泣いた。

 悔しくて情けなくてうれしくてぐちゃぐちゃで。

 縋りたくて拒絶したい。

 誰にも僕の思いを理解されたくないのに、拒絶もされたくない。

 矛盾はいくらでも渦巻いて、自分でも何がなんだかわからない。

 それを良く知りもしない誰かに、僕もわからないものをわかられるのは嫌だった。

 きっと僕は肯定されることに飢えていたんだろう。

 有りの儘の肯定。

 それを与えてくれたから、彼女は僕の中で特別に成り得た。

 だから……だから、僕はその日、手にしていたコーヒーの缶が冷たくなって、僕の手をも冷やす頃に、ぽつりぽつりと不安定な心のまま、その話を切り出した。

「なぁ、アンタ……」

「シロでいい」

「シロ……さん、さ……」

「なにかね?」

 いつもならば、ここで呼び捨てで呼ぶことを選ぶ僕だけれど、なんとなく彼女を呼び捨てにすることには抵抗を覚えて、口ごもりつつも、迷うように言葉をかける。

 それに対して、友人の姉である彼女は淡々と静かで落ち着いた調子で言葉を返す。

「もしも……もしもだ」

 言いながら自分の声が震えるのがよくわかった。本当我ながら馬鹿なことを言おうとしていると思う。

 だけど彼女はそれを指摘するような真似をすることもなく、ただ僕の続きを促すように真摯的に静かに座していた。そんなシロさんの態度に救われる。

 そうだ、僕は馬鹿なことを言おうとしている。

 だけど、彼女なら僕を鼻で笑ったりはしないだろうとそう思えてほっとした。

「もしも、さ……。僕が人を殺したりしたら、どうする?」

 自分でもなんでこんなことをそもそも言おうとしたのかは、今考えてもわからない。

 強いて言うのならば、きっとこの時この夜の僕は参っていた。

 きっとそれだけなんだろう。

「僕が、大勢の人を傷つけるようなことをしたら……どうする? ぼ、僕が……悪い奴になったらさ、アンタは……アンタは……」

 最後はしゃっくりあげるような声になって、縋るように目の前の女の姿を背中合わせではなく、正面から見ながら、そんな言葉を放った。

「……慎二」

 憐憫を湛えながらも、どこか無機質な鋼の瞳、それで理解した。

「は、はは」

 唯一の同性の友人である男ならば「慎二がそんなことするわけないだろう」とか、いつもみたいな馬鹿みたいな笑顔で言ってのけるんだろう。

 でも、この人は僕の言葉を戯言だと笑い飛ばしたりはしなかった。

 つまり、そういうことを僕が「やる」のは有り得ないことだとは思っていないということだった。

 その上でのこの反応。

 きっと、この人はそうなったら僕を殺しに来るのだろう。

 そう思えた。きっとそれが正解だ。

(……いいよ)

 なんでかな。それでいいと思えたんだ、僕は。

(アンタになら僕は殺されてやるよ)

 きっと、憐憫を瞳に宿して、見た目だけは非情を装ってこの人は僕を殺すのだろう。

 それを悪くないとわけもなく思って、そんな自分の心情がおかしくて、僕は笑った。

「あはははははっ」

 困惑した顔を浮かべる長身の女。

 そういう表情を浮かべると、意外に童顔だったことがわかって、そんな女を感じさせないあどけない表情が、友人とやっぱりどことなく似ていて更におかしくなった。

「はははっ」

 泣きながら笑っていた。

 おかしいのか、嬉しいのか、苦しいのか。

 感情は全て混ぜ込まれミキサーでドロドロに溶け込まれている。

 視界すら定かではない中で、地獄の光景を夢想する。

 赤い煉獄の中、伸ばされる褐色の手と、断罪の鎌を。

 そんなもの妄想だ。

 有りもしない欲望だ。

 救いと終わりはきっと似ている。自分が選んだ相手による終焉ならば、きっとそれは苦痛ではない。

 だから、もしも叶うのならば、僕がもしも道を間違えたらそれを終わらせてくれるのは彼女であってほしいと思った。

 ……そんな数年前のことを今僕は思い出している。

 

 なんで思い出したのか。

 と、紅く染まった学校の屋上で、それより尚濃い赤いケープを身に着けた友人を前に思う。

「慎二……」

 ああ、きっと似ているからだ。

 あの時のシロさんの目と、目の前の衛宮の目が。

(馬鹿な選択をしている)

 そう自分でも思った。

 だって、今僕はこの学校の人間の命を掌握している。

 ライダーに命令したらこの学校の人間なんてどうとでも出来る立場だし、目の前の友人は見知らぬ誰かの命が危険に晒されるのを黙ってみていられるような性格の持ち主じゃないことくらい知っている。

 此処で、確実にコイツを倒したいんだったらこう持ちかけりゃあ良かったんだ。

『今すぐ学校の人間を皆殺しにされたくなかったら、衛宮、お前は一人で僕とライダーの相手をするんだ。サーヴァントに手出しさせるのは無しだぜ? もしもそいつに手出させたら、学校の人間の命は保障出来ないな』

 そういったら、馬鹿なアイツは本当にサーヴァント抜きで戦おうとするんだろう。

 そうしたら僕はもっと楽に勝ちを拾える。

 ライダーの奴があの青いサーヴァントと戦って勝てる保証だって無いってのに、こんな風に一対一で戦うような状況を敢えて選ぶなんてどう考えてもイカレてる。

 脳裏によぎるのは白髪褐色の肌の年上の女性の姿だ。

 それを頭から追い出し振り払う。

 余計なことを思い出すのはもう終わりだ。細かい話はこの戦いに勝ってから考えればいい。

「慎二……今ならまだ間に合う。結界を解くんだ」

 そんな真っ直ぐに自分を見て吐かれた男の言葉に、すっと自分の中の何かが凍り付いていくのを感じた。

「おいおい、何を寝ぼけているんだよ、衛宮。お前もマスター、僕もマスター、ならやることは一つだけだろ!」

 言いながら、偽臣の書を使って僕は覚えたばかりの魔術を発動させる。

 僕の指示した動きに合わせて、三本の黒い影が衛宮に向かって牙をむき迫っていくが、衛宮の奴は生意気にもなんでもないかのようにひらりと、全ての攻撃を避けて、距離を取った。

「慎二」

 憐憫すら篭った声に、視線に苛立ちが増す。

「僕を止めたいんなら、力尽くでこいよ、衛宮ぁ!」

 いまだ闘志を見せぬ友人を前に、僕は怒鳴りながら魔術を再び走らせた。

 

 

 

 side.イリヤスフィール

 

 

 目元を覆った眼帯に、足首まであろう長く美しい紫の髪、豊満な体を黒衣に包んだその女のサーヴァント……おそらくはライダーだと思う。を前にして、わたしは緊張に身体を硬くしていた。

 ランサーは反対に気負うでもなく、宝具である赤い槍を携えて、目の前の敵の姿を見ている。

「……驚きました。先日とは随分と様子が違うようですね、ランサー」

 そう口にしたのはライダーのサーヴァントで、その言葉からこの2人が戦うのはこれがはじめてではないことがわかった。

「まあな」

 と言葉を返すランサーの態度は相変わらず軽い。

 しかし軽いといっても、それでも稀代の英雄の1人には変わりなく、いつもと変わらない彼の態度は、逆にランサーの英雄としての遍歴を語るかのようだった。

 そんな青い半神の男を見ながら、紫の女は嘆息を1つ。

「このままやっても勝てそうにはありませんね」

 それを見て、青い槍使いの男は片眉を上げ、にぃっと口元に笑みを浮かべながらからかい混じりの挑発の言葉を吐いた。

「なんだ、まさかあのマスターもどきを置いて逃げ出そうって算段なんじゃねえだろうな?」

「いえ……此処にシンジがいなくて良かったとそう思っただけです」

 その言葉になんだか嫌なものを感じて、ざわりと肌があわ立つ。

「……! 嬢ちゃん」

 次の瞬間、ランサーは私を庇うように前に立って、石を投げた。

 ばっと、魔術を使ったことによって生じる自然ではない光の本流。

 目の前には宙に浮くようにして光を放つ石。

 それでランサーがルーン魔術を使ったのだとわかった。

(あ……何……?)

 グラリと、身体が揺れる錯覚を覚えた。

 私は何かを見た……?

 何を……考える、思い出す。ライダーの行動を。

 そう、確かにライダーは……自分の目元を覆っていたマスクに手をかけて……見た。宝石の瞳を。

 わたしのような後天的に付加されたものではない、あれは本物の魔眼。

 見たものを石に変える石化の……呪い。

 鎖の付いた短剣が放たれた。

 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

「ほらほら、どうしたんだよ、衛宮ぁ。少しは反撃しろよ!」

 全てが赤く染まった学校の屋上で、俺は友人だったはずの間桐慎二と対峙していた。

 いや、対峙とまでいかない。慎二が使う魔術はあまりに稚拙だった。

 全て見切って避けるのくらい俺にはたやすい。

 だけど、此処まで至っても、俺は慎二を倒したいとはとても思えなかった。

 殴って終わる問題ならそれでよかった。

 それで済むんなら俺はいくらでも慎二を殴りにいく。殴って止めてやる。

 でも、それじゃあ駄目なんだろう?

 殴って解決出来るなんて、問題はそんなところには既にないんだろう?

 だって見えてしまったんだ、慎二の心の叫びが。

 まだだ。

 まだ慎二は誰かを殺したわけじゃない。

 誰かの命を危険に晒すこと、今慎二がやっているのはそういうことだ。これは許されることじゃない。

 だけど、でもまだそれを慎二の奴は犯したわけじゃないんだ。

 今ならば間に合うんだ。

 こんな風に時間を長引かせれば長引かせるほどに、学校の人間を危険に晒しているのはわかっている。

 自覚している。

 それでも、まだ間に合う奴を見捨てるような真似はしたくはなかった。

 だって、慎二は俺の友達なんだから。

 昔からアイツはよく悪ぶっていたけど、根っから悪い奴なんかじゃなかった。

 口だって悪いけど、桜に見せていた気遣いだって俺は知っている。

 だから、気づいて欲しいと思った。

 まだ今なら間に合うんだ。

 傷つけたけど、今も現在進行形で傷つけているけど、お前は本当に人を殺したわけじゃないんだ。

 なら今ならまだ戻れる筈だ。

 俺に脅されてじゃなく、他でもない自分の意思で、こんな人を食い殺すような結界は止めて欲しいとそう願っていた。

「ホント、オマエ、頭にクル」

 慎二は苛立たしげに舌打ちしながらそう吐き捨てる。

「何様のつもりだよ、ぇえ!? 衛宮ぁ! いい子ぶるなよ、オマエのそういうところがムカつくんだよ!」

 グッと奥歯を噛み締め、断腸の想いで叫ぶ。

「慎二、お願いだ、結界を解いてくれ。俺はお前と……こんな形では戦いたくない」

「だから、それがムカつくってわかんないわけ!? ホント、何様なんだよ! 見下すな、見下すな、見下すな! オマエなんかが僕を見下すな!! 戦えよ、衛宮! 僕と戦え!! 僕を、馬鹿にするな!」

「……そうか」

 光る本、激昂する慎二。

 それを前に、もうこれは無意味だと俺は悟った。

 ……もう5分以上は過ぎた。

 無理だ。

 これ以上待つことは無理だった。

 だから、俺は覚悟を決めた。

「……投影開始(トレース・オン)

 

 

 

 side.ランサー

 

 

「……! 嬢ちゃん」

 目の前の女の動向、それに只ならぬものを感じた俺は、自身と背後に控える現マスターに向かって守護と魔避けのルーンを発動させた。

 果たして、俺の判断は正解だったらしい。

 目の前の女、ライダーのサーヴァントは今までマスクで隠していた素顔を晒していた。

 其処にあったのはまさしく神代の美貌。見るもの全てを石化させる宝石の瞳。

 魔避けのルーンで抵抗力を強化して尚、金縛りに合うかのようなこの感覚。

 これほどの強力な石化の魔眼の持ち主などそうはいるもんじゃねえ。

 其処から、俺はこの女の真名がなんであるのかを知った。

 迫りくる女が放つ鎖に繋がれた短剣、それを己が槍で打ち払う。

 身体が重い。

 己の様々なランクのレベルが引き下げられていることを悟った。

「ちっ」

 このままじゃまずい。

 嬢ちゃんは直接ライダーの奴の魔眼を見たわけじゃないが、あれはライダーの奴が対象を見るだけで発動する種類のものだ。

 今は本人の才能と俺のルーン魔術で保っているが、不意に正面からあの目を見て石化したりしたら手に負えなくなる。

 だから俺は重くなった身体のまま、嬢ちゃんが絶対にライダーの奴と顔を合わせないように、顔を覆うようにして抱えたまま廊下を駆ける。

「逃げられるとでも?」

 嗚呼、そうだ、「俺」は逃げる気はねえ。

 これくらいの重みくらい丁度良いハンデだと笑い飛ばしてやれるくらいだ。

 だから、曲がり角についた時には鬼ごっこはもう終了だ。

 嬢ちゃんにルーン魔術で結界を上掛けして、踵を返して、今度は俺がライダーの奴に槍を打ち込む。

「悪ぃな、ライダー。またせちまった。此処から反撃といくぜ」

 身体は重い。ビキビキと圧力がかかっていく。

 少しずつ石化が進み始めているのだと悟る。

 だが、此処にきて俺にあるのは昂揚、それだけだ。

 嗚呼、ようやっと戦える。

 それを思えば嬉しくて身震いがしそうなほどだ。

 ゴキゴキと肩を鳴らす、にぃぃと自分の口元が凶暴に笑みを模るのがわかった。

「随分な自信家ですね。その身体で勝てるとお思いですか。私も舐められたものです」

 口ではそういいながらも、ライダーはキッと冷淡にさえ見える完璧な美貌で俺を睨み据えながら、油断無く己の得物を構えて俺を見ている。

「嗚呼。なにせこちとら、化け物退治は十八番(オハコ)だ」

 ピクリと、ライダーは眉を揺らす。

 気に障ったのかもしれないと思ったが、既にそんなことは俺にとってはどうでもいいことだった。

「はっ!」

 槍を繰り出す、女は跳ねる。

 鎖の付いた短剣が俺を狙って飛翔する、うながす、なぎ払う。

 廊下のガラスが割れた。

 バリィンと、ガラスがキラキラと飛び跳ねる。

 目くらまし。

 馬鹿か、そんなものは見えている。

 女は蛇のような動きで天井に張り付く、落ちて飛び掛る。槍で突きにかかる。

 ぬるり、女は蛇の動きで逃れて後ろに逃れた。

 1つ間違えればどちらかが死ぬ状況。

 嗚呼、これだ。

 俺が求めていたのはこれだと体中が歓喜した。

 身体はどんどん石化の制限を受け続けていく。ルーン魔術の効果が薄れたら危ないだろう、そんな状況さえも愉しくて仕方がない。

 見れば、女も疲労しているのか、己の手を目に当てて俺と距離を取った。

「どうした、ライダー」

 ニィと、笑いながら話しかける。

 自分の目が狂喜染みた色を抱えながら目の前の得物を捉える。

 化け物。間違いなく目の前の女は神代の化け物だった。

 そう、アレこそがギリシャ神話に名を連ねる怪物、メデューサーなのだと。

 感謝した。

 こんな化け物と戦う機会があったことを感謝した。

 ……そして幾度目の打ち合いか。

「……このままでは埒が明きませんね」

 ズッ……と魔力の変動を感じた。

 次の瞬間、普通の人間ならば正気かと疑いたくなるような光景が目前で繰り広げられる。

 女は己の喉に杭を突き立て、その血でもって魔方陣を召喚していた。

「……っち!?」

 奥の手を使いやがったかと思うと同時に次の行動について巡るましく仮初の脳を回転させる。

 どうする、嬢ちゃんを庇いに向かうか、それともあれを打ち落とすために俺の対軍宝具(ゲイ・ボルク)でもって相殺にかかるか。

 悩んでいる暇は無い、そして俺は今回に関してはマスターである嬢ちゃんの身の安全を優先することに決めた。

 走る。重い身体、じわじわと石化は俺の身を苛んでいく。

 走る、走る。時間は1秒にも満たない疾走。

 轟音と閃光が場を埋める。

 そして……。

「……!?」

 ライダーは自分に起きたことを信じられないかのように声にならぬ叫びを上げ、それはズレた。

 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

「……投影開始(トレース・オン)

 幻想を呼び出す。駆使する。

 この身は無才だ。

 俺にはイリヤたちのような才能は望むべくも無い。

 そんな俺にとって唯一つの一たる、投影魔術。

 それでもって、最も使い慣れた武器である白黒の夫婦剣、干将莫耶を編み出した。

「? なんだよそれ」

 慎二は怪訝気にそう口にした。

 それから、いきなり存在していなかった武器が目の前に現れた不自然性に気づき、俺が手にしたこれが魔術によって生み出されたものだと気づいた瞬間、激昂した。

「そんなチンケな剣を出すのが魔術かよ!!」

 カッと慎二の怒りに応えるように影がまた3本生まれて走る。

 それをこれまでのように避けるのではなく、剣でなぎ払い、正面から友人である男に向かって歩んでいく。

「慎二」

「このっ、ふざけるなよ、ふざけるなよ、ふざけるなよ」

 慎二は、自分の攻撃が俺に通じないことくらいもうわかっているはずだ。

 だというのに何度も何度も、慎二は影を繰り出しては、俺の剣にかき消されていった。

 気づけばもう、距離は僅か。

 慎二は屋上の端へと俺に追い詰められている形になっていた。

「ひっ」

 びたんと、しりもちをついて倒れる慎二。剣を翳して、俺は最後の警告を口にした。

「慎二、結界を止めてくれ」

 無理強いはしたくない。

 そんな気持ちを込めて俺はそういった。

 ガタガタと、中学時代からの友人の身体は震えていた。

 大それたことを今回こいつはした。

 だけど、自分の命が危機に晒されたのは、慎二にとってはおそらくこれが初めてなんだろうと思う。

 だから、油断していたのか。

 慎二はガタガタと震えるままに、俺の脚を払って、今にも泣きそうな顔で、口元だけ笑いながら「嫌だ」とそうはっきりと否定の言葉を口にした。

「そうか」

 だから、嗚呼どうあっても説得は無理なんだと俺は理解した。

 時間も無い。

 これ以上は駄目だ。

 誰か死人が出てからじゃあ遅い。

 慈悲のように目を瞑る。

 そして俺は、右の剣で慎二が手に持つ……魔術回路の代用品だろう本を斬り裂いた。本が燃える。

 

 

 

 side.イリヤスフィール

 

 

 其れは突如だった。

「何?」

 前方から眩いほどの白い光が漏れ、轟音が響く。

 わたしに向かって走りよってくるランサーの気配。

 それに、ついわたしはランサーにかくまうように立たされた壁からほんの少しだけ身を乗り出して其れを見た。

 ライダーは自分の宝具だろう「何か」でおそらくはわたしたちに狙いを定めていたはずだった。

 だけど、それはライダーの驚きと共にずれる。

 だけどそのときにはもう遅い。

 光は位置がずれたままに放たれ、それは学校の柱だけを破壊して消えた。

 そう、消えた(・・・)

 文字通りライダーの魔力は突如として消え、学校からはライダーが張ったあの赤い結界も全て消えた。

「何……士郎がやったの?」

 士郎が、ライダーを使役するのに慎二が使っていたらしき本を消した可能性に気づいて……それからある事実に気づいた。

「いけないっ!」

 ぱっくりと飲み込まれるようにして失った天井を支える壁と柱。

 屋上で戦っている士郎と慎二。

 それが意味するものは……。

 

 

 

 side.間桐慎二

 

 

 全てが終わったんだと、僕は思った。

「慎二、結界を止めてくれ」

 僕に剣を向けながら、戦うことを選択しながら、馬鹿なそいつはやっぱり何もわかっていない顔をして、勘違いした顔でそんな言葉を口にした。

(まだ、そんなこと言うのかよ。どこまで馬鹿なんだよ、オマエ)

 確かにまだ死んでない。

 まだ誰も死んでないさ。

 でも僕が学校の生徒みんなを殺してサーヴァントの餌にしようとしたのは本当なんだぞ。

 それに、今までも魔力を集めるために、ライダーにはそこらの奴を襲わせてきた。

 オマエだって魔術師なんだろう。

 血塗られた栄誉在る魔術師なんだろう。

 その癖に、オマエは何を考えているんだよ。

 馬鹿じゃないのか、本当に馬鹿じゃないのか、オマエ。

 なんだよ、これじゃあ意気込んでいた僕はどうなるんだよ。

 オマエ相手に裏切り者だと、オマエにだって裏の顔があるんだと思っていた僕はどうなるんだよ、馬鹿じゃないのか。馬鹿じゃないのか。

 惨めなんだよ、同情なんて真っ平ごめんなんだよ。

 思いながらも、向けられる刃の存在感に身体が震えた。

(畜生、畜生、畜生)

 なんで怖いなんて思うだよ。

(死にたくない)

 なんでオマエがそんな目で僕を見てくるんだよ、ムカつくんだよ。

 なんで……なんで、オマエは……あの時のシロさんと同じ目をしているんだ。

 やめろよ、オマエがそんな目で見るな。

「嫌だ」

 赤毛の友人とかつて呼んだ男の足を払いながら、僕は精一杯の強がりで笑みを浮かべて、霞む視界で男を見上げた。

「そうか」

 簡潔に友人はぽつりと呟く。

 それから右手に抱えた僕の本を手に握った剣で串刺しにした。本が燃える。

 消える、消えていく。

 魔術師になるための僕の最後のチャンスの道標が消えていく。

 喪失感に苛まされながら、僕はふらりと立った。

 無くなった。もう僕には何も無い。

 ぐらりと地面が揺れた。どうでもいい。きっと錯覚だ。

「……! 慎二っ」

「……え……?」

 友人の声が遠く聞こえて、そして僕は地面が揺れたと思ったのが錯覚ではなかったことを知る。

 重力を失ったその浮遊感。

 

 ……―――――空に落ちる。

 

 

  NEXT?

 

 

 



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23.イカロスは地に堕ちた

ばんははろ、EKAWARIです。どうもまたも投稿遅れて済みません。
ちょっと同市内とはいえ、引っ越ししますのでまあ色々ばたばたしてたもので。
まあ、まだ終わってないんすけどね……。
とはいえ、今回の回はワカメ主役回! 個人的には気に入っている回です。
それではどうぞ。



 

 

 

 蟲達が蠢いている。

 グラリグラリと動き回る、喰らい付く、溶ける。

 融けて行く。

 果たして捕食されているのは自分なのか、それとも捕食しているのが自分なのか。

 わからないままに、わたしは飼育場の夢を見る。

 ぐちゃり、ぐちゃり。

 内面までとけこんでドロリドロリ。

 迷宮から抜け出すための蝋で固めた翼なんてわたしにはない。

 焼き殺すための……開放を告げる太陽すらも此処にはない。

 かの蝋の翼の青年(イカロス)のように、自分に忠告をしてくれる人すらもいない。

 いない。

 ふと、そこで気づく。

 ああ、そっか、いなくても当然ですよね。

 だって、わたしが閉じ込められていた「怪物」のほうなのだから。

 迷宮から逃れる父子を羨ましく窓から見送る「怪物」のほうがわたしなのだから。

 気付いたらおかしくなって笑った。

 此処は寂しい。

 此処は苦しい。

 海底よりも尚、此処は暗い。

 ドロリ、ドロリ。

 嗚呼なんて嫌な夢なんだろう。

 早く兄さんが帰ってきてくれたらいいのに。

(大丈夫。すぐに目は覚めます。だって兄さんは約束してくれたから。わたしを置いていかないって)

 兄さん、可哀想なわたしの兄さん。

 早く、わたしを起こしに来てください。

 わたしはもう、こんな夢は見たくない。

 

 

 

 

 

 

 

  イカロスは地に堕ちた

 

 

 

 side.間桐慎二

 

 

 それはまるで、スローモーション映像を眺めている時のように、ゆっくりと感じられた。

 柵を乗り越えて、崩壊し傾いていく地面。

 投げ出された僕の身体。

 ああ、そうだ。空へ落ちる。

 墜ちる。

 堕ちる。

 赤い結界を失った空は、青く僕を飲み込んでいく。

 投げ出される。

 終わるのか? 僕は。僕が。

(なんでこの僕がこんな目にあう?)

 終わる、終わる、終わる。

 こんなはずじゃなかったなんて言葉に意味は無い。今更過ぎて意味が無い。

 乾いた笑みを浮かべて目を瞑る。どうでもいい。負けた僕にどうせ居場所なんてない。

(怖い)

 あの家にどうせ最初っから僕の居場所なんてなかった。

(本当は嫌だ、受け入れれるわけがないだろ)

 魔術師の家系なのに魔術回路を持たずに生まれた僕は、最初っから欠陥品だったんだ。

(死にたくない)

 痛いのは御免だ。どうせなら一瞬で終わればいいんだ。

(死にたくない、嫌だ、誰か助けてくれよ)

 相反する思考、矛盾だらけの僕の内面。

 走馬灯のように、いつかの妄想を思い出した。

 赤い煉獄の中、伸ばされる褐色の手と、断罪の鎌……そんな妄想を。

 馬鹿すぎて涙が出てくる。

 これをやると決めた時から、僕を最後に殺しに来るのは彼女だと思っていたんだ。

 そうであって欲しかったんだ。殺されるなら彼女にが良かった。

 そうだよ、勝手に僕はそう決めていたんだ。

 嗚呼、ムカつく。糞、糞、糞。

 なんで僕がこんな目にあうんだよ。

 なんで……彼女じゃなくてアイツなんだ。

 なんでこの僕が衛宮に負けるんだ。ふざけるなよ、本当。

 ……痛いな。糞、痛い。

 ……なんで、どうしてだよ……なんでいつまで経っても終わりが来ない?

 手が、身体が痛い。

 誰かの体温?

 僕の手が握られている。誰に?

 

 

【挿絵表示】

 

 

 麻痺している思考の中、ノロノロと目を開く。

 宙ぶらりんの身体。

 僕の手は気のせいではなく誰かに掴まれていた。

「慎二……っ」

 その声のニュアンスと発音は、望んでいたものと酷似していたから、馬鹿な期待を僕は抱く。

(シロさん……?)

 白髪の女を一瞬だけ幻視する。

 それはすぐに現実に飲み込まれて、ガラガラと音を立てて霧散した。

(違う) 

 そうだ、シロさんが此処に現れるわけがないんだ。

 此処にいたのは最初っから僕とコイツだけだったんだから、僕に手を伸ばせるとしたらそれは1人だけの人間しかいない。さして考えなくてもわかるだろう答えだとしてもそれを理解した僕が感じたのは怒りだった。

(……なんで、オマエなんだよ)

 いつかの妄想。

 赤い煉獄の中、伸ばされる褐色の手と、断罪の鎌。

 そうだ、僕はあの人の手を待ち続けていた。

 声に出した約束なんて一度もしていないけれど、それでも待っていたんだ。

 なのに、なんで……なんでオマエが僕に手を伸ばすんだ?

 なんで、オマエを殺そうとした僕をオマエは助けようとするんだよ。

 意味もなく泣き喚きたくなった。

 だって、なんで、くそ、オマエはあの時のシロさんと同じ目で僕を見るんだ。

 馬鹿なんじゃないのか、馬鹿なんじゃないのか。

 なんで、どうして僕はシロさんと衛宮のやつを見間違えたんだ。

 そんな自分がショックだった。

 何故か凄くショックだった。

「待ってろ、今引っ張り上げる」

 彼女とは違う琥珀色の目が、彼女とよく似た空気を宿して真剣に僕を見ていた。

 衛宮の奴は真面目だ。冗談のつもりなど欠片もなく、本気で僕を助けようとしていた。

(なんだよ、それ。勝手に決めるなよ)

 一方的に勝手に救われるほうが、どう思うかなんてこいつは考えてない。考えられないくらいの馬鹿なんだ。

 嗚呼、そうだ、衛宮は馬鹿だ。

 そんなの中学生からの付き合いだ、よく知ってる。

(そんなところが放っておけなかったんだから)

 衛宮の奴は馬鹿だから。だから、僕はこいつを助けてやら無いといけないと思っていたんだ。

 それが僕の役目だって思ってたんだ。

 やめろよ。僕を助けようなんて衛宮の癖に生意気なんだよ。やめろよ。

(嘘だ。死にたくない)

 傾いて斜めになった屋上、ずり落ちそうな身体。

 僕の身体を腕一本で支えながら、衛宮の奴はもう片方の手で柵を掴んでいる。

 衛宮が体重を預けている柵からはギィギィと頼りの無い音楽を奏でている。

 いつ僕ごと衛宮が落ちてもおかしくない状況だった。

(本当、馬鹿だよオマエ)

 オマエ1人なら助かるのは造作もないってのに。馬鹿じゃないのか。

 自分ごと落ちたらどうする気なんだよ、馬鹿衛宮。

(舐めるなよ)

 震えた。

 自分がやろうとしていることを前に震えた。

(怖い)

 恐怖で奥歯がガタガタしているのが自分でもわかった。

 顔が引き攣る。青ざめる。

 でも、僕は笑った。

 ガタガタに震えながら、出来うる限りの精一杯で笑って、手を……あいつの彼女とは違う手を振りほどいた。

(僕が、オマエなんかの思い通りになってやるわけないだろ、バーカ)

 

 にぃと、口元だけで笑って、目からは恐怖のあまり涙がこぼれた。

 でも僕は今度は目を閉じなかった。

「慎二っ!」

 悲痛に響く赤毛の友人の声。

 嗚呼、何を必死になった声を出してるんだよ、衛宮。

 ホント、信じられないくらい馬鹿だな、オマエ。

 僕はオマエを殺そうとしたんだぞ、本当にわかっているのか。

 自分を殺そうとした奴なんて、普通は見限るだろ。

 見限られるようなことを僕はしたんだ。

 もうすぐ、僕は終わる。

 この気持ちの悪い浮遊感もすぐに終了する。わかっていても震えた。

 刹那だけ、家で寝込んでいる妹の姿が脳裏をよぎった気がするけど、すぐに消えた。

 遠くなっていく、衛宮の必死な顔。

(じゃあな。衛宮。絶対言ってやらないけど、オマエの馬鹿なとこ僕は結構好きだったんだぜ?)

 人間には翼なんて生えていない。

 あの手を振りほどいた時から僕に待っている運命なんて1つだけだ。

 それでも思わずにはいられなかった。

(嗚呼、クソ)

 

 ―――――……死にたくないな。

 

 グチャリと、トマトのつぶれたような音がした気がした。

 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

 俺の手を振り払い、地面に落下していく慎二の姿を、俺はずっと最後まで見ていた。

 落下していく青毛の友人。

 脆くもただの人間の身体は、あっけなくアスファルトに叩き潰され、赤い血が地面を汚していく光景をずっと見ていた。

 元々常人よりもずっと良い視力を所持していた俺の目は、その最期の表情も様子も見逃すこともなく捉えていく。

 かつてはその優男ぶりで学園の人気を二分した自慢の顔はカチ割れて、灰色のゼリーのような脳が血化粧の合間に飛び散っている。

 其れが、間桐慎二という男の最期だった。

「慎二……」

 ぐっと、所在無さ気にさ迷っていた右手を握り締める。

 強すぎたそれに対し皮膚に爪が食い込み、ボタリと血が伝い落ちる。

 この手に、ついさっきまで慎二の体温があった。

 ついさっきまであいつは確かに生きて、此処にいたんだ。

 涙なんて出ない。

 死には慣れている。

 だって俺は……。

「士郎、無事?」

 懐かしい声がして、それが誰のものか判断するのも後回しにして俺は後ろを振り返る。

 そこには、10年間家族として生活をし続けてきた義姉(イリヤ)の姿があった。

「……イリヤ」

 いつもと変わらぬ姿をそう一目見ただけなのに、その姿に、急にわけのわからない安心を覚えた。

「…………」

 イリヤは無言で俺の居るあたりまでの道を針金で補強する。

 そして俺の隣で慎二の死体を見下ろしながら諭すような声でいった。

「……士郎の責任じゃないわ」

「…………」

「これは慎二が自分で選んでやったことの結果なの。いい、士郎が背負うことじゃないの」

 その言葉に慎二に手を振りほどかれた瞬間を思い出した。

「……わかってる」

 泣きそうな顔で、口元だけ引き攣るように笑いながら、アイツは俺の手を払った。

 その体温を覚えている。

 汗でにじみ震えながら、それでもあいつはこの終わりを選択した。

「わかってるさ」

 誰かを救おうなんて、そんなこと自体がおこがましく傲慢なことなのかもしれない。

 それでも俺は救いたかった。

 だけど、あいつはそれを拒絶した、きっとそれだけの話なのだろう。

「そう。ね、帰ろう士郎。みんな、待ってるから」

「……うん」

 俺に絡んでくる白い手、紅い瞳は憐憫を秘めて優しく細められる。

 それを受けて俺はそこを歩き出す。

「士郎は良い子ね」

 出口近くで、背伸びをしながらグシャグシャと俺の髪を撫でてくるイリヤ。

「やめろよ、イリヤ」

 いつもどおりの口調で、困ったように笑みさえ口元に浮かべてそう返答した俺。

「士郎、士郎は頑張ったわ」

 ぎゅっと俺の身体を抱きしめながら、イリヤはそう囁く様な声で呟いた。

「救えなかったからって悔やんじゃ駄目よ。でもね、辛いことはちゃんと辛いって吐き出してもいいの。そうしてまた頑張ればいいんだから」

「イリヤ……」

「だからね、士郎。我慢しちゃ駄目よ」

「別に我慢なんて俺は……。……? ぁ」

 ぼろりと、気付けば右目から涙が一粒零れ落ちた。

 それを皮切りに、まるで川を堰止めしていた堤防が外れたかのように、ぼろぼろと意味もなく、俺の感情すら無視をして涙が零れだす。

「なんで、クソ……」

 人の死なんて見慣れている。

 10年前のあの時に、死体なんていくらでも見てきた。

 なのに、まるで涙を流すロボットかなにかになったみたいに、馬鹿みたいに涙が止まらない。

 思い出すのは今見た慎二の死体だ。

 脳漿を散らして、コンクリートに叩きつけられ真っ赤に染まって死んだ中学時代からの友人。

 気難しくて癇癪持ちで、だけど憎めない奴だった。

 馬鹿だ馬鹿だと言いながら、笑いながら俺に付き合うようなそんな奴だった。

 救いたかったんだ。

 例えこの状況を招いたのがアイツだとしても、だからこそ尚更アイツを救いたかったんだ。

 アイツは俺の友達だから。

(正義の味方になりたい)

 アイツは苦しんでいたんだ。ずっと傍にいながら俺はそのことに気付いてなかった。

 誰かが苦しんでいる時、傍にいて支えてやれるようなそんな正義の味方になりたいと思ってきたのに。

「いいの、それで」

 そっと優しく俺の目元を拭いながら、銀の少女は言う。

「士郎は人間なんだから、それでいいの」

 どうして、なんで。

 俺は弱いんだ。

 こんなに弱いんだぞ、イリヤ。

 正義の味方になりたいと思っているのに友人1人救えない。

 男の癖に今だって馬鹿みたいに泣いている。

 情けないし見っとも無い。

 なんでそれでいいっていうんだ。

「士郎が今泣いているのは、優しいからなの。決してそれは見っとも無いことじゃないわ。そういう心をもてたことは士郎が誇ってもいいこと」

 まるで俺の心を読んだかのように、イリヤはそんなことを言う。

 ポンポンと、まるで本当に小さな弟にするかのように俺の背中をあやしながら、ふと俺の顔を見上げて、本当に姉らしく微笑んで誇らしく口にする。

「気が済むまで泣きなさい、士郎。遠慮はしないの。だってわたしは、士郎のお姉ちゃんなんだから」

 

 

 

 side.イリヤスフィール

 

 

 確実に、シロとは違う風に成長していっている士郎(おとうと)をあやしながら、わたしの脳裏には先ほど見た光景が横切っていった。

 潰れ、崩れた教室。

 一応その場に残ったランサーに生きているものの救助を命じて、士郎の居る屋上へ来ることを優先したけれど、下の様子が深刻であることには違いはなかった。

 ちらりと行きがけに見た光景を思い出す。

 柱に埋まった少女。

 記憶違いでなければ、あれはわたしのクラスメイトだったように思えた。

 あれは聖杯戦争が始まる前。

 わたしに向かって『一度でいいから一緒に食べたいなぁなんて思ってたんだ?』なんて子犬のような目で不安そうに弁当を掲げながら言った少女。

 ソバカスのよく似合う可愛い子だった。

『嬢ちゃん』

 ふいに脳内へとパスを通じて直接ランサーの声が響く。

『どう、状況は?』

『数人は息があったが、あとは駄目だな。死者の数は計7人ってトコだ。一応危ない奴は俺のほうから応急処置に治癒魔術を施しておいたが……あとはどうする?』

『そう。ならそこまででいいわ。あとはわたしのほうでなんとかするからランサーは霊体化してついてきて』

『了解』

 ランサーとの念話を終え、少しだけため息を吐きたい気分になる。

 わたしは士郎じゃないから、見知らぬ誰かが死んだって悲しむような神経は持ち合わせては居ない。

 あの子犬のようなクラスメイトが死んだことについてだって、少しだけチクリとするものがあるくらいで、それだけだ。

 それでも此処は士郎にとって大切な所。

 そんな場所で慎二の他に7人も死者が出たというのはあまり望ましい状況じゃない。

 とはいっても、そんなことを言っている場合でもない。

 此処で事実を偽ったって士郎は余計に悲しむだけだ。

 それと同時に面倒なことを1つ思う。

 今回の事件は決して小さな問題ですまされない。

 死者自体は10人もいないけれど、被害者は学校全域なのだから。

 だから、わたしは、出来れば連絡など取りたくは無かった敵に向かって、携帯を発信した。

 

 

 

 side.言峰綺礼

 

 

「嗚呼、わかった。よくぞ、連絡をした。衛宮の娘」

 ピッと片手で携帯の電源を切る。

 右手は今だ黒鍵を手に行うべき行動を続けている。

「さて、どうやら貴様の孫はとんでもない大仕事を作ってくれたようだ。全く、昼間だというのに見境の無い。我ら教会の苦労もわかってほしいものだ」

「ぐ……がぁ」

 口元だけ皮肉めいた笑みを浮かべながら、私は目の前の汚物へと語りかける。

 返答など元より期待はしていない。

 それでも、何故と目線だけで語りかけてくるこの老獪の姿を見るのは、若い頃の仕返しとまではいかないが少しだけ胸が空く想いがした。

 そして先ほどの続きをはじめる。

「私が殺す。私が生かす。私が傷つけ私が癒す。我が手を逃れうる者は一人もいない。我が目の届かぬ者は一人もいない」

ぐちゃりと、老人の頭を掴み言う。

「打ち砕かれよ。敗れた者、老いた者を私が招く。私に委ね、私に学び、私に従え。休息を。唄を忘れず、祈りを忘れず、私を忘れず、私は軽く、あらゆる重みを忘れさせる」

 聖詞を前に、蟲で出来た人間ならざる化け物は足掻く。

 無駄だとわかりつつも足掻く姿に、愉悦を覚える。

 自身の有り方を強く自覚する。

「装うなかれ。許しには報復を、信頼には裏切りを、希望には絶望を、光あるものには闇を、生あるものには暗い死を。休息は私の手に。貴方の罪に油を注ぎ印を記そう。永遠の命は、死の中でこそ与えられる。―――許しはここに。受肉した私が誓う」

「……っ!」

 最後の聖言を前に、老人は声にならぬ悲鳴を上げる。それを心地言いと思った。

 言葉だけは厳かに、神を強く思いながらついに私は其れを告げた。

「“この魂に憐れみを(キリエ・エレイソン)”」

 老人を構成していた蟲は、聖なる言葉に敗れて消えた。

 ピッ。携帯電話を再び手にして、今度は教会側の人間に電話をかける。

「もしもし、私だ。例のゲームの件だが、犠牲者が出た。ついては隠蔽工作を頼むわけだが、場所は……」

 

 

 

 side.ライダー

 

 

 偽臣の書が燃え、私は本来のマスターであるサクラの元へと戻っていた。

 青白い顔をして、ベッドに伏せる彼女に向かって起こった出来事を話して聞かす。

 サクラは静かに私の話を聞いていた。

 そう、不気味なくらい静かに。

 人間じゃないように青白い肌、光の乏しい藍紫色の瞳は深く、ここではないどこかを見ている。

 たったの数日でサクラはこんな風になった。それを痛ましく思う。

 サクラ、私のマスター。

(守りたい)

 でもどうすればいい。どうすれば貴女を守れるのでしょうか。

 わからない。私は貴女を守れたらそれでいいのに、なのに私が出来るのは見守ることだけ。

 そうやって怪物への道を、過去の私と同じ道を辿ろうとしている貴女の傍にいるのに、私には其れしか出来ない。それがとてもはがゆくもあった。

 たとえどんなに変わっても、私は彼女の味方で有り続ける。そう決めてはいた。

 だけど、この変わり方はとても痛ましい。

 明らかに彼女の変化は急速で急激だった。

 同時に彼女の味方が私だけだという状況に暗い喜びも沸く。

 そんな自分にほんの少しだけ嫌気もさした。

「……ライダー」

「はい。なんでしょうか、サクラ」

 感情の篭っていない声でサクラは私の名を呼ぶ。

 今までサクラがこんな風に私の名を呼んだことはなかった。

 だけど、敢えて追求せずに私は目の前の主人の言葉を待つ。

「……さっきね、兄さんの夢を見たの」

 まるで独り言のように、サクラは続けた。

「屋上から落ちてグチャリと弾けて死んじゃった」

「……サクラ?」

「ねぇ、ライダー」

 無感情はそのままに、サクラの声のトーンが1つ下がる。

「……どうして、兄さんを助けてくれなかったの?」

 ゾッとするほどに暗い目をしたサクラが、其処に居た。

「わたし、お願いしましたよね? 『ライダー、兄さんをお願いね』『ライダー、兄さんを守ってね』って。ねえ、なんで守ってくれなかったの?」

「サクラ」

 ズズっと音を立てるようにサクラの色が変わる。変わっていく。

 青紫の髪が銀に染まっていき、禍々しい気が周囲に渦巻く。

 サクラは尚も言葉を続けながら、私の肩をその震える青白い手で掴んで胸元で顔を伏せる。

「わたしには兄さんしかいなかったのに。兄さんは……わたしを置いていかないって約束してくれたのに……どうして……」

 ぐぐっと、少女の手に力が篭る。

 昏き気が周囲に充満する。

「ああ、そっか」

 明るくさえ聞こえる声でポンとサクラは言った。

「言うことを聞かない悪い子は食べちゃってもいいですよね?」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 コトン、と人形を思わせる動きで首を傾げながら、どこか焦点の定まっていない紅く染まった瞳でサクラは私を見上げつつそんな言葉を発した。

「サ……っ」

 影が伸びる。

 ブワリと、彼女の中から伸びてきた黒き触手は私の身体を捕らえ、言葉を続けようとした口ごと封じた。

「いただきます」

 そう口にして微笑むサクラは、人とも思えぬほどに美しく残酷だった。

(すみません、サクラ)

 ウジュルウジュル。

 影に捕食され闇に堕ちていく。

 黒ずむ意識の中私はただ本当の意味でもうサクラを守れないことだけを惜しいと、悲しいとそう思った。

 

 ―――蝋で翼を造ったイカロスは、日輪に焦がれて堕ちた。

 

 

  NEXT?

 



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24.そして姉妹は出会う

ばんははろ、EKAWARIです。
お待たせしました、第五次編24話「そして姉妹は出会う」です。
なんか久しぶりに凛様とエミヤさん出した気がします。
おかしいなあ、本作の主人公はTSエミヤさんなのだが。まあ、サブ主人公が士郎で、もう1人のヒロインがイリヤで、そっちもメインだから仕方ないということで。
あと兄貴はいつだってナイスガイだぜ。


 

 

 

 

 魔術師が普通の幸せを求めるなんて筋違いだ。

 それを言ったのは母さんだったような気もするし、違う気もする。

 だってそれは魔術師にとっては当たり前すぎる言葉だったから。

 そうね、わたしはそのことをよく知っていると今まで思っていた。

 どんなに辛い修行も、魔術を使う痛みも、これが立派な魔術師になるために必要なことならば苦しくなんてないんだとそう思ってやってきた。

 ……余所に行ったあの子は、わたしが頑張っている分苦しくなんてないんだと、そんな馬鹿な思い込みを、御伽噺を信じていたのよ。

 本当に御伽噺。

 そんなわけがないのに、自分自身わかっていたはずなのに。

 魔術師が普通の幸せを求めるなんて筋違いだって。

 魔道の家に生まれたものが普通の人生を歩めるはずがないんだって。

 わたしがわたしである限り、口に出して伝える事は決して出来ないけれど。

 桜、アンタを救うことも出来ない馬鹿な姉でごめんね。

 

 

 

 

 

 

  そして姉妹は出会う

 

 

 

 side.言峰綺礼

 

 

 その老人と邂逅出来たのは偶然といえば偶然であるし、当然といえば当然と言えた。

 近頃起こり始めた謎の影による柳洞寺への襲撃と、そして街での一般人への喰い散らかし。

 その犯人……というわけではないだろう。

 彼の老人は狡猾にして慎重だ。自分がやったなどという痕跡を残すようなヘマはすまい。

 とはいえ、それで無関係だと判断するほど私は楽観視などしていないし、あの老獪ならば裏で糸を引くくらいはわけないだろうと思えていた。

 そうだ、あの老人の手の平の上で転がされるのは面白くない。正直に言えば不愉快といえる。

 私の望みのためにも、あの老人には舞台よりご退場願いたいとそう思って私は、あの老人が出現するだろう場所を張って歩いていた。それだけだ。

 一度目は会うことはなく、だが幸運にもと称せばいいのか、二度目に張っていた場所に彼の老人は現れた。

 隠れ潜んで、気配を殺している私の存在に気付くことなく、もう人と呼ぶことさえおこがましいほどの人外染みた老人は食事を開始した。

 若い女を内側から喰らう。悲鳴すら上げられない女は哀れ、老人に成り代わられた。

 それに一抹の違和感を感じる。

 いくら気配を殺しているとはいえ、これほど近場にいながら老人は私に気付かないということに。

 ……可能性としては、弱っていることが考えられた。

 意外ではある。

 誰が一体老人を此処まで弱らせたのか気にならないわけではない。

 だが、この状況はチャンスであるということと同義だ。

 だから私は、老人が女を食い終わって見せた刹那の安堵に距離を詰め、老人を屠りにかかった。

 

 結果としては間桐の老人は我が聖言に破れ崩れ去った。

 途中、衛宮の娘からの電話で厄介なことが起きたことも知ったが、それでも10年前の返しを僅かでも出来たことを思えば、少しだけ積年の思いが晴れるような気分だ。

 とはいえ、これで終わりなどという世迷い言を信じるほど私とて青臭くは無い。

 おそらくは彼の老人の本体はどこかで今も無事生き延びているのだろう。そういう化け物だ、あれは。

 しかし……おそらくは二度に渡る肉体の消失の代償はそう簡単に代用出来るというものでもあるまい。

 今度こそ老人は、大人しく戦局を見ているだけの立場に甘んじなければならないだろう。

 そう思えば、決してこの行為も無駄ではなかったと思えた。

 これは私の舞台であり、他のマスター達のための舞台だ。

 あの老害の晴れ舞台などではない。

 たとえ殺すことが叶わなくとも、あの老獪な化け物を抑え込み、舞台から追い出すことさえ出来たのならば目的は達成したも同然。たとえ死してなくとも、これこそが私にとっての今回の戦いの勝利だった。

 踵を返す。

 もう此処に用はない。

 さて、衛宮の娘に告げられた厄介ごともある。

 暫しは本来の監督役としての業務を果たし、無聊を慰めることにしよう。そう思い私はこの場を後にした。

 

 

 

 side.遠坂凛

 

 

「……う」

 目が覚めて初めに感じたことはやけに眩しい、そんなことだった。

 薄ぼんやりとする。

 目が霞む。

 身体が重い。

 腕と横腹が痛い。

 そんな中、視界にどことなく見覚えの在る赤色が映った。

「凛、気がついたのか」

 あれ、アーチェ……? とそこまで考えてから、その声が男のものだということに気付く。

 そうだ、イントネーションも雰囲気も他人とは思えないぐらいよく似ているけど、昔なじみのあいつとは違う。

 そう、こいつはわたしが呼び出したサーヴァントの……。

「アーチャー……?」

 そう、紅き騎士へとその仮初の名を呼ぶ。

 仮初……とはいっても、コイツの本名なんて今だ知らないけど。

 でも、確かにここにいるこいつの名を呼んだ。

 それは存在の認識と同義。

 ぼやけていた視界が正常に動き出す。

 褐色の肌に白い髪の皮肉そうな顔をした国籍のわからない偉丈夫。

 近くでよく見るとわりと童顔な顔立ちをしている。

 それが、今は皮肉染みた表情を押し消して、真剣な鋼色の瞳でわたしを見ていた。

 そこで思い出す。

 そうだ、わたしはあのレイリスフィールと名乗ったアインツベルンのマスターにやられて、家で治療に専念していたんだと。

 目線だけをさ迷わせて周囲を探る。

 ここは遠坂の地下室。本来ならサーヴァントを召喚する筈だった場所。

 遠坂の家は冬木で二番目に大きな霊地であり、わたしはその6代目だ。他のどの土地よりもこの場所がわたしの身体になじむ。魔術師は簡単には死なない。それは魔術師が受け継いだ魔術刻印が持ち主を生かそうとする働きがあるからだ。だからこそ、治療に専念するならこの場所が最適といえた。

 アーチャーはちゃんとわたしの指示通りにしてくれたらしい。

 それを認識しながら、けだるい左手で前髪を掻き揚げ、わたしは最初に聴くべきことを口にする。

「わたし……どれくらい眠っていた?」

「1日半だな。今は2月7日の朝8時過ぎといったところだ。其れより、全くあの時は肝を冷やしたぞ、マスター」

 いつもの如く小姑のような雰囲気で口にするアーチャーだったけれど、表情はあくまでも真面目で真剣だった。

 それに、ぼんやりと心配をかけたかなと思う。

 だから素直に思った心を口にする。

「心配かけてごめん」

「な、なんだ。どうした。そんなに素直だと気持ち悪いぞ、凛」

 アーチャーはぎょっとしたみたいに慌てつつ口にした。

 それに少しだけむっとしたけれど、迷惑をかけたのは確かなので、出来るだけ怒りを鎮めて言う。

「ああ、もう。人が折角素直に謝っているんだから、アンタも素直に受け取りなさいよ。馬鹿……っつ」

 身体を起こそうとして走った痛みに顔を顰めつつ、左手で今だ塞がりきっていない腹部を押さえる。

 それを見て、アーチャーはわたしに肩を貸しつつ、諭すような調子で口にした。

「凛、無理をするな。まだ傷は完治していない。もう暫く横になっていろ。私は何か軽いものでも作ってこよう。少しは何か腹に入れないと回復するものもしないからな。積もる話もあるが……まあ、それは後にしよう」

 そんな自らの従者の思わぬ発言に、少し驚きつつわたしは言葉を返す。

「……作るってあんたが? サーヴァントは小間使いじゃないって言ったのはアンタじゃなかったかしら?」

「今はマスターに回復してもらうほうが先決だよ。くれぐれも大人しくしていてくれ」

 そういってアーチャーはクルリと背中を向けて霊体化して、上の階へと飛んでいった。

 そんな自分のサーヴァントの様子に苦笑する。

「過保護よね……」

 素直じゃないし、生意気で捻くれ者だけど、それでもアーチャーは良い奴だ。

 ふと、微笑む。

 狙いのセイバーじゃなかったけれど、それでもアーチャーがわたしのサーヴァントでよかったとそう強く思う。

 同時にアーチャーとよく似た昔なじみの女も思う。

 彼女もまた魔術師らしからぬ魔術師だった。けれど、それが人間としての『遠坂凛』としては心地が良い。

 本当はもっと外道に囲まれていてもおかしくない境遇なのだ、魔術師(わたし)は。

 血に塗れた魔術師として生まれ落ちながら、今までの自分の幸運を強く自覚する。

 きっと、わたしは相当の幸せ者なのだろうと、鼻に届く香ばしい匂いを嗅ぎながらそう思った。

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 間桐慎二によって起こされた事件、その顛末を私は家に戻ったイリヤと士郎より告げられて、その事件は幕を閉じた。

 慎二が起こしたという今回の事件での死者は慎二本人を含めて8人、重傷者は4人、ライダーによる結界によって起こされた意識不明者は学校全域という結末だった。

 その結果に思わないものがないわけではない。

 前回の聖杯戦争のときから連続で召喚された私は、もう1人の自分に答えを貰ったあの戦いでの慎二の暴走も知っていたし、生前のときも……所々欠けている未完成な記憶ではあるが、碌な結末になっていなかったように記憶している。

 だから、学校に人食いの結界を仕掛けられていると知って真っ先に思い浮かべた犯人の顔もまた、間桐慎二に他ならなかった。

 思ったのは「嗚呼、結局この世界でも駄目だったのか」とそんな感情。

 知っていた。

 私が過去に参加した聖杯戦争で、慎二はいつだって他人を犠牲にしようとしてきたことくらい認識していた。

 それでも、私は賭けようと思ったのだ。

 この世界は、私の知る歴史とは違う歴史を歩んでいるし、衛宮士郎とて私の知るアイツではない。

 生前に私の友人だったはずである慎二のことは磨耗した記憶から殆ど抜け落ちてはいるが、こうして10年、人間として暮らしている私が直に触れ合ってきた間桐慎二という少年は、私が凛のサーヴァントとして聖杯戦争で出会った少年よりもずっと落ち着いていたし、安定していた。

 士郎とも険悪な関係になどなってもいなければ、少し捻くれているだけの、年相応の少年だった。

 慎二が私に脆さを露呈させたこともあるし、己の悩みを断片的に吐き出したこともある。

 でも逆に私はだからこそ、この世界の慎二は大丈夫なのではないかと思ったんだ。

 誰かに辛かったらそのことを辛いと吐き出せるようならば、大丈夫だと。

 この世界の士郎とも上手くいっているこの間桐慎二なら大丈夫だとそう思ったんだ。

 あの少年の良心を信じたかった。

 たとえ、敵対するとしても、それでもこの世界の士郎によって起こる変化を期待していた。

 だから私は、この件は士郎に任せようとそう思ったのだから。

 結果は……思ったものと違う結末を吐き出したけれど。

 

 ガチャガチャと、後回しにしていた朝食の後片付けを始めながら、そんなことを思考する。

 過ぎた結末は変わらない。

 理解していても、悔やむ心が消えるわけではない。

 心を殺し、必要ならばと手を血で汚してきた身であっても、それでも全ては溜まる一方だ。

 全てを救うことなど出来ないのだと知っていても、それでも全てを救う正義の味方という呪いのような夢を抱き続けてきたのが、それがエミヤシロウという人間の人生だったのだから。

 いうなれば、これは身に染み付いた習性でさえあった。

 ふと、ここ10年で随分と慣れた気配を背後に感じて、私は作業だけはそのままに意識だけを背後にむける。

「シロねえ、ちょっといいか」

 戸惑いがちにかけられる声は、聞き飽きるほどに聞いてきた衛宮士郎(ちがうじぶん)の声だ。

 かつては憎しみしか感じなかったその声に、安堵する自分に、この世界で現界してからの月日の長さを思う。

「もう少しで終わる。少し待ってろ」

「うん……」

 その声には元気が無い。

 だが、私はそのことを指摘せず、己の作業を終わらせることに専念した。

 全てが終わると、私はタオルで手を拭い、紅いエプロンを外して士郎の前面の席に正座をして向かい合う。

 ……昨日の事件で、士郎の通う穂群原学園は休校だというお達しが今朝全校生徒に告げられた。

 当然だろうと思う。

 あれほどに死者と昏睡者が出たのだから当たり前の結末だ。

 同時にあれほどの事件をよくも誤魔化せたものだと、例の神父に対して妙な感心も覚える。

 故にここからは自由に動けるとさえいえた。

 学校に行くなどというのは、聖杯戦争においてはリスクを高める行為でしかない。

 例えば爺さんがまだ現役の頃で、聖杯の正体も知らず、マスターの1人としてこの戦争に参加していたとしたら、呑気に学校に通うようなマスターを始末することなど造作もなかったことだろう。

 本当はそれほどに危険な行為なのだ。

 故に怪我の功名というわけではないが、休学の知らせは結果として有り難い知らせでもあった。

 まあ、たとえ休学の知らせがなかったとしても、学校の結界の件さえ片付いてしまえば、聖杯戦争中に2人に学校に行かせる様な真似はさせなかったが。

 だから、平日でありながら、士郎がこの時間ここにいるのはそういうわけだった。

 

「…………」

 士郎は何も言わない。

 何かを言おうとしてはやめるように俯き、そうやって迷いながら沈黙を続けている。

 だが、そのことを追求しようとは思わなかった。

 何を士郎が迷っているのかわかっていたからだ。

 昨日、全校生徒を危うい立場に立たせ、結果として数人の命を奪った末に自身も亡くなった間桐慎二は、それでも士郎の友人だった。

 イリヤも、士郎が慎二を救えなかったことを気に病んでいたことを口にしていた。

「……救いたかったのか」

 誰を、なんて言わずにぽつりと私は口にする。

 士郎は眉間に皺を寄せつつも苦しげな笑みを僅かに浮かべて私を見上げる。

 その琥珀の瞳は是と言っていた。

「士郎、慎二は大勢の人間を危険に晒して、結果として7人の命が奪われた。そのことをオマエは認識しているな」

「わかっている」

「オマエは常々正義の味方になりたいといっていた。だったら」

「でも、だ」

 私の言葉を遮るようにきっぱりと士郎は口にした。

「アイツだって苦しんでいた。確かにアイツは大勢の人間を危険に晒したけど、でもあの時はまだ間に合ったんだ。まだ救いの芽があったのに、そこで友達を見捨てるようなやつなんてきっと正義の味方失格だ。そう、俺は思う。簡単に人の心を諦める奴に、正義を名乗る資格なんてきっとないんだ」

 そう拳を握り締めながら、強く言い切る琥珀の目と少年の言葉。

 其れを前にして嗚呼、違うなと思った。

 今更の話だ。

 この衛宮士郎は私とは違うなんてことずっと前から知っていた。

 でも、本当にオレとはどうしようもなく違うと、そう思った。

(オレは切り捨てたよ、士郎)

 生前の記憶なんて本当に遠い。

 だけど、慎二が同じように他人を危険に晒したなら、その時のオレの反応がどうだったのかなど、覚えていなくてもわかる。

 オレは、慎二を殺してでも止める道を選択する。

 他人を殺そうとする奴なら殺されても文句はないだろうとそんな、ある種人でなしの論理で、大勢の人の命がかかっているのならば、殺すまでいかなかったとしても、その時点で慎二を助けようなんて気はなくなる。 

 それは、自分に答えをくれた衛宮士郎でさえ同じだった。

 なのに、オマエは助けるというのだな。

 間違っていると断罪するわけにもいかないのだろう。

 何故ならこの士郎とオレでは、「正義の味方」というものの定義自体が違うのだから。

 士郎の口にする正義の味方と私の口にする正義の味方は一致するわけではない。

『誰かが辛い時に傍にいて、笑って笑顔で手を差し伸べてくれる存在。人々に笑顔と希望を与える存在。それが正義の味方』

 命を数ではなく、大事なのは救われる者の心であると、そう口にした士郎にとっては、あそこで慎二を助けようとすることこそが正しい道だったのだろうから。

 士郎はきっとあの時慎二を助けようとした行為を後悔しているわけではないのだろう。

 そうはいっても、それで7人の命が奪われた事実が消えるわけではない。

「両方など、選ぶことは出来ない」

「わかっている」

 確かにわかっているのだろう。

 それでも、わかっているからといって割り切れるというものではない。

 だから、士郎は私の元に来たのだろうと、そう思った。

 

「慎二は俺の手を払ったんだ」

 静かな声で士郎はそうぽつりと呟く。

「いつか、シロねえ言ってたよな。『正義の味方が救えるのは、正義の味方が救おうとした者だけ』だって。正論だってそのときは思ってた。でも、きっとさ、それだけじゃ駄目なんだ」

 士郎は、自分の右手を見つめながらそんな言葉を言う。

 おそらくは慎二の最期を思い出しているのだろうと思った。

「なあ、シロねえ、知ってたか。慎二の奴さ、シロねえのことが好きだったんだ」

「……何?」

 思いがけない唐突な言葉に、思わず思考が停止する。

 私を好き? 誰がだ。

 間桐慎二、あの少年が?

 ちょっとまて、それはないだろう。

 だって、確かあの少年が惚れていたのは遠坂凛ではなかったか。

 生前までのことは記憶にはないが、それでも前回の凛のサーヴァントとして召喚されたあの聖杯戦争では、間桐慎二という少年が固執していたのは凛だったはずだ。

 なのに、間桐慎二が私を好いていただと?

 それはオマエの勘違いか冗談ではないのか? と思いつつも、目の前の相手を見る。

 琥珀の瞳はどこまでも真面目で、冗談で口にしたわけではなく、なんらかの確信を持って口にしたような色をしていた。それを前に言葉を噤む。

「きっと、あいつが待っていたのは俺じゃなくて、アンタの手だったんだよ」

 自虐的にさえ、見える笑みを浮かべて、悲しげにそう士郎は口にした。

「今がどういうときなのかは俺だって自覚しているつもりだ。だから、今すぐなんていわない。だけど、なあ、シロねえ。……これが終わったら慎二の墓参りに行ってくれないか。きっとそうしたら、アイツも浮かばれるはずだから」

 そう口にして士郎は私に頭を下げる。

「士郎、私は……」

「……頼む、シロねえ」

 無理だ。

 そんなことは無理なんだと、士郎のその姿を見て真っ先に私が思ったのはそんな言葉だった。

 ダッテ、オレハ……。

「悪いが……それは出来ない相談だ」

「……シロねえ?」

 どことなく凍てついたように硬い口調で、そんな言葉を吐き出す。

「買出しに行って来る。留守を頼む」

 顔を見られないように背を向け、踵を返す。

 今のこんな顔をこの士郎に見せたくなどはなかった。

 こんな、虚無を写しこんだような顔など、私とは既に別人として生を歩んでいる士郎に見せたくなどなかった。

 

 

 

 side.ランサー

 

 

 4日前同様に俺はアーチェの奴の買出しの荷物持ち係として、現代服に身を包んで商店街を歩いていた。

 今の俺の設定はアーチェたちの従兄弟の『ランス』であり、この日本には観光のため来たって筋書きだ。

 にしても、隣には白髪褐色肌の美人が、いつも通りの飾りっ気のない黒い服に身を包んで歩いているというのに、あまり面白い気分にはなれなかった。

「なぁ」

「…………」

「おい」

「…………」

「アーチェ」

「……聞こえている。何かね」

 これだ。

 アーチェの奴は何があったのかは知らんが、昨日の朝からずっとこの調子で生返事だ。

 美人の憂い顔も嫌いじゃねえが、ずっとこれっていうのは流石に俺にはいただけない。

 美人は憂い顔でいるよりも、笑顔や怒っている顔のほうがイイと思っている身としては、こういう辛気臭いのはいただけなかった。

 同時に4日前のことも思い出す。

 あの時は人を『強姦魔』呼ばわりしてきやがったが、それでも楽しいもんだった。

(まぁ、原因はセイバーとの件だろうが……いや、それにプラスして昨日の事件もか?)

 戦士だと思ったこの女は、無辜の民から出る犠牲者に過敏だった。

 何をそんなに気にするもんかね? と思いつつも俺はいつもどおりに接することにしていた。

 そもそもそんなもんで一々態度を変えるような性格はしていない。

 だから、何も無かったように現在の問題についてを口にする。

「なあ、おい……で、これはどっちを買えばいいんだ?」

 2つの野菜を手にして口にすると、女は一拍遅れて「え、あ……こっちだ」といいながら片方を籠に入れる。

 その反応にため息を1つ。

「……ったく」

 俺は、女の頬をぷにっと掴んだ。

「っ! 何をする」

 女はばしっと俺の手を払いつつ、此処暫く見てなかった、ムキになった子供のような顔で俺を睨みつける。

 俺は構わず額を指差して言った。

「ここ、皺よってるぜ?」

「っ!」

「何があったのかとか野暮は聞かないがな、余所にまで持ち込むな。テメエのその態度で家の中まで空気が悪くなってやがる。わかってるのか?」

 その俺の言葉に、アーチェの奴は鋼色の瞳に真面目な色をのせて何か考え込むような顔をした。

 だからこそ俺は殊更明るくさっぱりと言い放った。

「あー、だからな、頼れってことだよ。1人でうじうじ抱え込むな」

 ぽんぽんと励ますように肩を叩きつつ俺が口にした台詞を受けて、意外そうに女は鋼の瞳を見開き、ぱちぱちと数度瞬きを繰り返す。

 うわ、いかにも意外だってその態度地味に傷つくな、おい。

「まさか、君にそんな言葉を言われるとはな」

「なんだ、そんなに意外か」

 ちょっと拗ねたように口にするが、アーチェの奴は「ああ、意外だ」ときっぱり言い切った。

 おい、俺をなんだと思ってやがんだ、こいつ。

「だが…………そうだな。礼を言う」

 そういった、最後のほうの言葉はぼそぼそと小さな声だったが、普段言わない謝辞が照れくさいのか耳が羞恥で少し赤かった。

 どことなく人形を思わせるような顔を見せることが多かったここのとこを思えば、それは人間らしい可愛い反応で、つい茶目っ気を出して半分以上は本気の言葉を言う。

「お礼は身体でいいぜ?」

「たわけ。人形でも抱いて溺死しろ」

 そういった顔は漸くいつもどおりのアーチェの奴の顔だった。

 

 

 

 side.遠坂凛

 

 

 深夜の冬木の街に出る。

 ぶるりと、空気が冷たい。そこに、確かな異常を感じる。

『凛、今の君に夜の冬木の探索はまだ早い』

 そんな中、パスを通じて、霊体化して背後に控えるアーチャーからの声が脳へと届く。

 まだ、傷は治り切っていない。無理だとはアーチャーにも散々言われたことだ。

「そうはいってもね、街がこんな状態ではいそうですかと寝ていられるわけないでしょ。わたしは、この街のセカンドオーナーなんだから」

 言いながら、うっすらと額が汗で滲む。この付近の家々は、異様な気配に包まれていた。

 

 今朝、目覚めてからアーチャーの用意した朝食を取って、最初にわたしがやったのは学校への連絡。

 昨日休んじゃったけどどうなったのか探りたかったのもあるし、今日も学校へ出席など望めそうもなかったこともある。

 その結果わかったのは、学校では例の結界が発動してしまったという事実だった。

 わたしの居ない隙を狙ったのかどうかは知らないけど、結果としてそれは発動し、死者も出た。

 それに、間に合わなかったわたし自身への悔恨も少しはある。

 なにせ、わたしのテリトリーで死者が出るのを許してしまったのだ。

 それはわたしの顔に泥を塗ったも同然のことだ。

 件の犯人はなんとしてもとっちめないと気がすまない。

 多分、それに居合わせただろう人物についても考える。

 衛宮姉弟。

 きっとあの2人は結界を止めるのに尽力したのだろうし、当事者だから詳しいことは知っているに決まっている。

 そうは思っても連絡をとるわけにはいかない。

 なにせ、学校での結界の件が解決するまでは休戦の約束をしていたというだけで、わたしはあいつらとは敵なのだ。敵に聞くなんてそんな馬鹿な選択肢はない。

 故に今だあの結界を張った犯人が何者かは知らないわけだけど、それもいいことにした。

 だって、どうせ敵マスターだというのなら、いずれは倒す相手だ。

 その中のどこかに当たりがいる。それだけの話なんだから。

 ともかく、あの結界の件が終わった以上、片付けるべき一番の厄介ごとはあの謎の影だ。

 そんなことを思いつつ、地下の魔法陣の上で休んでいた時だった、何か嫌な感じを覚えた。そう、その嫌な気配、それはあの時柳洞寺で遭遇した影の気配に似ている気がした。

「アーチャー、行くわよ」

 

 そして今、わたしは冬木の住宅街の1つを歩いていた。

 カッ、コッ。カッ、コッ。

 聞こえるのは自分の靴音だけ。

 いくら戒厳令が敷かれているとはいえ、あまりに静か過ぎる。不気味だ。

 それこそがこの異常を知らせる何よりの便りだった。

「凛、人の気配がない」

 すっと実体化したアーチャーがわたしの隣に立ち、目前の家を見据えながら真剣にそんな言葉を口にする。

「入りましょ」

 もしも、人がいれば不法侵入として訴えられてもおかしくない選択。

 だけど、わたしは一種の確信すら得てその家の中へと入っていく。

 そこには……誰も居ない。

 食事の最中でそのまま消えたような痕跡があった。でもそれだけ。

 忽然と生活の香りを残して人だけが消えていた。

 ぐっと手を握り締めながら、わたしは次の家へと向かうために外に出る。

 2つ目の家も1つ目と同じく、忽然と消えたように人を失っていた。

「ここら一帯、全て同じ状況だと考えたほうがいいだろう」

 アーチャーは冷静にそう口にする。

「そうね……もう少し探りましょう」

 そうして、範囲を広げて歩いていこうとしたその矢先だった、ぞわりと悪寒に襲われてわたしは後ろを振り向き、そしてそれと遭遇したことを知った。

 けれど、その映った姿に、わたしは己の目を疑った。

 

「え?」

 それは確かにあの時の影だった。

 間違いなく気配も何もかも一緒だ。そのひらひらとした黒い触手さえ同じ。

 だけど、あの時とは違う。

 だって、違う。

 なんで、どうして。

 警報のように思い出したのは、影に遭遇した時隣に居た女性、舞弥さんの発した言葉だ。

 彼女は知っていたのか、わかっていたのかとそんな時でもないのに思う。

 だって、あの時と同じ黒い影を身に纏ったその少女は、白髪に紅色の瞳をした人形のような目の前の少女は、幼くして間桐に貰われていった実の妹、間桐桜……旧姓遠坂桜の姿をしていたのだから。

 

 

 ……薄ぼんやりとした月光が照らす中、そうしてどこまでも対照的な血を分けた姉妹は出会う。

 

 

  NEXT?



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25.間桐

ばんははろ、EKAWARIです。
おまたせしました。まだまだ続くよ黒桜編です。
桜は白いのもいいけど、黒いのもいいと思います。


 

 

 

 救われない筈の少女を救うということ。

 それはきっと、過去の自分(なくしたもの)を救うのに似ている。

 そんな感傷に浸るなんてらしくないけれど。

 それでも私は、この日ずっと考えてきたそれに一つの答えを見つけた。

 

 

 

 

 

           

  間桐

 

 

 

 side.遠坂凛

 

 

「え?」

 薄暗く月明かりが照らす中、闇を背負った怪異に出会う。 

 あの日、柳洞寺で出会った影、それらを従え、同じ気配を身に纏ってわたしの前に姿を晒した1人の娘。

 白髪に赤い瞳、呪詛のようにその肌には赤い紋様が浮いている妖艶な少女。

 それは知っているあの子とはかけ離れた姿で、わたしが一度も見たことのない姿だった。

 だけど間違いない。

 どんなに変わり果てようと見間違えるはずがない。

 その人喰いの影を背負った存在、目の前の妖しき魔性こそが、幼い頃間桐に養子に出された、妹の桜だった。

(なんで……!)

 これはどういうことなのか。

 なんでこうなったのか。

 嘘でしょう、桜。冗談よね。

 そう思う姉としての心と同時に、冷徹な魔術師としてのわたしが、桜なら確かに今回の事件も可能だろうと冷静に頭の奥で告げてくる。

 桜の魔術属性は、『架空元素・虚数』であり、その本質は影使いなのだから。

 おまけに間桐の魔術特性は『束縛と吸収』。ならば条件に合致するのも当然と言えた。

 寧ろ今まで気付かなかったほうがおかしいくらいなのだ。

 いえ……多分わたしはその可能性に気付いていないわけじゃなかった。ただ、気付きたくなかったから、あの子は無関係なんだと信じたかったから、その可能性に蓋をしていただけだ。

 そしてそのツケは廻り回って今に戻ってきた。きっとそれだけ。

 だけど、それを差し引いても、おかしい。

 桜はわたしの妹だから、魔術回路の大きさ自体はわたしとそうは変わらない筈。

 なのに、ここまで巨大な魔力を所持しているなんて、どう考えてもおかしい。

 それに今の桜は……。

「……」

 桜はじっと、わたしの顔を見て、何か上手く言葉に出来ないことをむずがるような仕草を見せつつ首を傾げた。

 まるで幼い子供がやるような感じだ。

 一見、隙だらけの佇まい。

 だけど、桜が纏った異常な気が手出しは危険だと告げていた。

「あれ……なんだったかなぁ…………。ええと……」

 額に手を当てつつ、考え込む素振りを見せていた桜は、次にポンと漸く思い出せたなんて顔をしながら、手を1つ叩き、わたしを見ながらにっこりと笑っていった。

「そうでした。遠坂先輩でした。くすくす。こんばんは、先輩。イイ夜ですね」

 それはもう、子供のように無邪気な表情で、ただ目だけが正気の色を失ったように剣呑にすら見える色を宿して、そんな風に何事もなかったかのような調子で桜は言った。

「桜、アンタ……」

「あ、ひょっとして、先輩もお食事ですか? ごめんなさい。ここらへん一帯、わたしが既に食べちゃいました」

 その言葉で、今度こそはっきりと、この事件の犯人が間違いなく桜であったということを知った。

 ギリッと奥歯を噛み締め、目前の、既に変わり果ててしまった桜を睨みつける。

「……桜、アンタ自分がどれほどのことをしでかしたのか理解していないようね」

『凛』

 パスを通じてアーチャーからの声が聞こえる。

 危険、危険、危険。

 目の前の少女は既に妹の桜ではない。

 ただの魂喰いの化け物。

 彼女を此処で仕留めないとより多くの人が死ぬ羽目になる。

 アーチャーから伝わってくる気配には、それらの認識が故の切羽詰った色がある。

『わかってる、アーチャーは黙っていて』

「桜、わたしは遠坂の魔術師として、冬木の管理者として、貴女を排除する」

 決意を込め、睨みつけつつ、魔術刻印の浮いた左手を目の前の妹に向けつつ言う。

 だというのに、桜は不思議そうな顔をしてコトンと首を傾げて、ふわふわしている声で言う。

「なんで怒っているんですか? ひょっとして、わたしを殺す気なんですか? 先輩。酷いなぁ。酷いですよ、先輩。わたし、ずっと待ってたのに。助けてもくれないくせに、酷いなぁ。酷い、酷い。わたし今まで我慢してきたの馬鹿みたいじゃないですか。……先輩もライダーと同じなんだぁ」

 ライダーと同じ? その言葉への疑問は後にして、わたしはガンドを飛ばした。

 アーチャーもまたそのわたしの攻撃に呼応するかのように、例の双剣を手にして桜へと向かう。

「いいですよ。そっちがその気なら食べちゃいます。よく見ると先輩って美味しそうですしね。ふふ、さよなら遠坂先輩。いえ……姉さん」

 目を細めながら、そんな言葉を口走りつつ妖艶に桜は笑った。

 ぶわりと伸びる影。

 サーヴァントすら溶かす影の一撃がアーチャーに向かって走る。

 ガカッ、アーチャーは黒の剣を飛ばして影の軌道を逸らし、その隙にわたしに迫る影を視認するや、わたしを抱えて跳躍する。剣は影に飲み込まれ、咀嚼し、消えていく。

 トン、と離れたところでアーチャーがわたしを降ろして、弓を手に矢を飛ばす。

 それは桜にあたるより前に影にぱくりと食われて落ちる。

 再び迫る影。影の一撃はガバリとコンクリートを喰らいながら重苦しく這い回る。

 呪詛の塊のそれはまるで蠢く無数の蛇を彷彿とさせた。

 わたしはガンドを飛ばして対抗しようとするけれど、ガンドくらいでは追いつかない。

 それに焦りながら、体を軽量化して桜の影から身を逃した。

 ハァハァと、息が漏れる。

 ズキリ、とわき腹が痛みを訴える。

(まずい、傷口が開いた)

 アレはサーヴァントの天敵だと、肌でわかる状況のワリにはアーチャーは善戦している。この状況において一番の足手まといはわたしだ。開く傷口を前にそれを認識する。

 嗚呼、もうまだ傷は治ってないってのになんで仕掛けちゃったのよわたし。

 昔っからここ一番という時で失敗するのは先祖伝来の悪癖だ。

 よりによってこんなところでうっかりを発動するなんて。

 くらり、一瞬目が眩み、そしてそれを見逃すほど桜は、あの子は甘くはなかった。

「凛!」

(まずっ)

 ずるりと、影が蛇がとぐろを巻くようにわたしの体に幾重にも巻きつく。

「あ、ぐっ」

 キリリと締め付けられ、傷口が更に開いた。

 熱をもったようにわき腹が熱い。

 影はシュウシュウと傷口から漏れ出す血液に含まれた魔力を啜る。

 それに、酸欠になったかのように頭がクラクラした。

「ふふ、量は足りないけど美味しいなぁ。それに素敵な声。もっと聞かせてください、姉さん」

 そんなことを言いながら桜はくすくすと笑う。

 わたしを助け出すために桜に向かおうとしているアーチャー。

 それを前に、桜は先を鋭く尖らせた影をアイツに向かわせながら、謡うような調子で続ける。

「あ、アーチャーさん……でしたっけ? 動かないでくださいね。でないとわたし、うっかり先輩を握りつぶしちゃうかもしれないですから」

 それは困るでしょう? なんて目を細めて、笑いながらアーチャーに言う桜を薄目で見つつ、わたしは影の拘束から逃れようと足掻く。

「さく……っ!!」

 影はわたしの喉に張り付いて、窒息しない程度にギリリと締め上げた。

 生かさず殺さずの絶妙なバランス。

 それを心得ているかのように、首を絞めながら、それは傷口からわたしの魔力を少しずつ少しずつ奪っていった。

「あれ? 抵抗はもう終わりなんですか。なんだ、遠坂先輩って弱かったんですね」

 くすくすと笑いながら、わたしの頬を撫でつつそんな言葉を言う桜。

 更にわたしの首を締め付けにかかる影。

 そして、わたしの意識が落ちるかと思ったその時、一発の銃声がわたしの耳へと届いた。

 

 突如外れた拘束。それを前にゲホリと咳き込みつつ、目の前を見上げる。

 そこには、頬を血に染めて呆然と佇む桜の姿と、彼女に黒い小銃を向ける黒衣の女性の姿があった。

(あれは……舞弥さん?)

 そう、確かにその感情に乏しいあっさりした顔立ちの黒髪の女は、先日柳洞寺でも一緒に戦うことになった舞弥と名乗った女性だ。でもなんで彼女が此処に?

 それを思うより先に、桜のわたしへの関心が薄れた隙にアーチャーがわたしの元に向かい、わたしを拾って戦線離脱のために跳躍した。

「ちょ……っと、アーチャー」

 ズキズキと痛み続ける腹部の痛みを押し殺しながら、自分を連れて逃げることを選択した男に抗議の声を上げると、アーチャーは「その体で文句を言うのか? 私を失望させないでくれマスター。戦術的撤退だ。文句があるのなら、今度こそ傷をきちんと治してからにするのだな」そう怒ったような口調で言って、我が家目指して飛んだ。

 それに言い返せない自分に歯噛みする。

 ちらりと、先ほど見た光景が脳裏をよぎる。

 まるでわたしを庇うかのように出てきた彼女。ここで死んだとしたら目覚めが悪すぎる。

 だから、逃げ延びてくれることを願いながら、わたしはアーチャーに身を任せた。

 

 

 

 side.久宇舞弥

 

 

「どういうつもりですか?」

 少女はクスクスと、かつて浮かべていた笑顔とはまるで種類の違う、妖艶にして深遠の闇を思わせる笑みを浮かべながら、そんな言葉を私に問いかけた。

 私の放った銃弾によって破れた頬の薄皮は、既に再生して怪我をした痕跡すら残していない。

 ガチャリと、愛銃の安全装置を外したまま、かつてと変わり果てた少女と無言で対峙する。

「ひょっとして、遠坂先輩を助けに来たんですか? 羨ましいなあ。本当、あの人はいつだってそうですね。いつもいつも……あの人は…………。嗚呼、其れより貴女は……誰でしたっけ?」

 コトンと首を傾げつつ、焦点の合わない紅色の瞳で桜は私を見ていた。

「……桜」

「どこかで会ったような気はするんですよねぇ……。どこだったかなあ……」

「…………桜」

「あ、そうだ。思い出した。確か夏祭り。確か夏祭りで会ったんです。あの時はイリヤ先輩やシロさんと一緒でしたっけ。そうですよね」

 うんうんと無邪気にすら聞こえる響きでそんな言葉を言う桜。

 その言葉の中に桜の想い人であった筈の士郎の名前はない。

 そしてそんな風に笑いながら言ったと思ったら、またコトン。首が折れた人形を連想させるくらいにどことなく不気味に首を傾けながら、彼女は紅色の瞳に狂気を宿しつつ言う。

「でも、何でそんな人が遠坂先輩を助けようとするんですか? 貴女のせいで先輩が逃げちゃったじゃないですか」

 なんてことを冷たくも軽快な声で歌うように言った。

「弱いのに……わたしの邪魔、するんだ」

「……貴女は」

「その気ならいいですよ。遠坂先輩ほど美味しそうじゃないけど、貴女から先に食べちゃいます」

 号令をかけるように桜が腕を振るう。

 ぶわりと、無数の影が私を狙って一斉に這い出した。

 ガンガンと連続で鉛玉を解き放つ。

 それらは無意味に影に飲み込まれ喰われていった。

 シュルっと、影が私の四肢を縛って宙に吊り上げる。

「そういえば、先ほどのお返ししてませんでしたね。掠っただけですけど……結構痛かったんですよ?」

 言いながら桜は、私の手足を縛った影への圧力を強めた。

 徐々に強められていく力。最終的にそのまま私の手足を折るつもりでやっているのだと、それで知った。

「つまらないなぁ。少しくらい何か喋って下さいよ。あんまりつまらないと、わたし……このまま一思いに殺しちゃうかも」

 闇に囚われた目をして、そんな言葉を吐く少女を前に、わたしは。

「……間桐雁夜という男を、知っていますか?」

 そんな言葉を無意識に吐いていた。

 ぴたりと、四肢を縛る影に送られる追加圧力が止まる。

 桜は不解そうな顔をして、「雁夜……おじさん?」そうぽつりと呟いた。

 それで間違いなく、間桐雁夜が今際の際に呟いた「サクラ」は彼女、間桐桜のことであると確信する。

 十中八九そうだろうと思っていたが、今はもう間違いがなかった。

 おそらくは、彼があれほどまでに己の命を削って、半死半生になりながらもそれでも最後まで必死に生きようとした事の理由の少女。

「……貴女は何を知っているんですか?」

 桜は暗い目のままじっと睨みつけるようにわたしを見上げつつ、そんな言葉を低く吐く。

「知りません。私は何も知らない」

 それに、本心からの言葉を告げた。

 桜は私のその言動を聞いて、きょとんと幼い顔を見せる。

 その顔にいつかの夏祭りの時を思った。

 引っ込み思案の内気そうな少女。一目で士郎のことが好きだとわかった。それほどに彼女は素直で、いじらしく可愛らしい恋をしていた、どこにでもいる花のような少女だと私は思っていたのだ。

 そう、私は何も知らない。

 桜の変貌の理由も、あれほどに間桐雁夜という男が必死だったその訳も。

 それらを知ることを必要だとすら思っていなかった。

 戦場で拾われた切嗣の道具、それが私であり、それ以上でもそれ以下でもないと、だからそんな感情知る必要すらないとそう思っていたのに。

 だけど今は……知りたいと思っている。

 私のために。

 私を創るために。

 切嗣はもう長くない。きっと私は切嗣よりも長く生きることだろう。生きるとは何かすら知らずに生きることだろう。

 だから知りたい。

 生きるとは何か、何故半死半生でありながらもあの男が最期まで必死だったのか。

 そんな私を見透かすように、桜は目を細めて、薄っすらと微笑みながら言った。

「へえ、あがくんだ」

 くすくすと笑いながら、そんな言葉を吐く桜。

 まるで面白い玩具を見つけた子供のような顔だと私は思った。

「いいですよ、今回は特別に見逃しちゃいます」

 シュルリと、桜の意思と言葉を反映するように、私の四肢を縛っていた影が離れ桜へと舞い戻っていく。

 ただ縛っていただけでなく、常時捕まえている間取られ続けていた魔力の消耗も手伝い、クラリと体が傾く。

 手足は折れているわけではないけれど、平衡感覚すら覚束ない有様だった。

「でも、次にあったら食べちゃうかも。ふふ……遠坂先輩によろしく言っておいて下さいね」

 そんな言葉を残して、桜は去っていった。

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 夢を見ている。本当は夢と違うけれど、それは他に呼び様がない。だから私は夢を見ている。

『またか』

‘…………’

 答える声はない。いや、まだ声の体を為せていない。

 時間が足りないのだ。

 そうだ、会話出来るほどにまだ時は満ちていない。

『君なのだろう』

 名は呼べない。だけど確信をもってそう問いかけを放つ。

 名を知っていてもここでは呼べない。

 わかっていた。

 こんなものは無意味だと。

 それをわかっていながらも私は続ける。

『何故君は、私を此処に送ったんだ』

 問いかけに答える声はない。

 わかっていながらも苛立ち、誰も他にない暗闇の中で吐き捨てるように続けた。

『私への罰のつもりなのか』

 姿は見えないけれど、確かにその影は良く知った気配をもって其処にある。

 だから、懇願するような声で私は、縋るような台詞を吐いた。

『なぁ、○○』

 夢は泡沫に解けていく。

 

 朝日がゆっくりと部屋の中を照らす頃、私は目覚めた。

 ゆっくりと上半身を起こす。

 そこで違和感を1つ感じて下へと視線を向ける。

 隣に眠るイリヤスフィールが私の部屋着の裾を掴んで、半ば私の布団にもぐりこむようにして眠っていた。

 そんな愛くるしい寝姿に、ふっと目元が和らぐ。

 ……彼女が私の姉であったイリヤとは同一人物の別人であることは、わかりきっているほどによく知った事実だ。彼女は私の姉さんではない。

 だけど、それでもたとえ別人でもイリヤがイリヤであれば、愛おしかった。

 自分の世界のイリヤがそうではなかったからこそ、余計に彼女の幸せを願わずにはいられなかった。

 そんなイリヤの指をゆっくりと解いて、彼女を元の布団に戻す。

 イリヤはぐずる様に私に身を寄せてはきたが、幸いにもそれで目覚めることはなかった。

 そして、彼女を布団に戻してから、更にその奥に眠る少女の顔をぼうと見た。

 アルトリア。

 最優と名高き剣の英霊であり、伝説に名高きアーサー王である少女。

 私の……永久に刻まれた憧憬。

 そして『マスターを殺した』そう告白してきた過去を持つ少女。

 おそらくは、第五次聖杯戦争に2度目の召喚を遂げただろう異端のサーヴァント。

 普通のサーヴァントが自身の聖杯戦争で敗れれば、そのとき待っているのは聖杯への魔力へ変換されるという運命だけのはずだが、彼女は違っていた。

 その理由はきっと彼女が未だ死んでいない英霊だからなのだろう。

 そんなことを思う。

 ついでに先日の諍いを思い出して苦笑をもらした。

 八つ当たりなどで言ってはいけない言葉を告げた。あれからずっと彼女とはギクシャクしたままだ。

 彼女はさぞかし私を不審に思っていることだろう。

 ふと、昨日の夕方ランサーに言われた言葉も脳裏によぎる。

『テメエのその態度で家の中まで空気が悪くなってやがる。わかってるのか?』

 ……そうだな。

 不和の種は命取りに繋がる。きっとセイバーは割り切れはすまい。

 だが、そうだな。今日からは普段どおりに接しよう。

 たとえそれでセイバーに何を思われても、知らぬ存ぜぬで通そう。

 そこまで思ってから、漸く自分へと振り返る。

 下に目を向ければ、相変わらずここ10年で見慣れてしまった膨らみが2つ存在を主張していた。

 それを出来る限り気にしないように思考から外して、自己暗示のための呪文を口内でのみ綴る。

(……解析、開始(トレースオン)

 高位の魔術礼装である、右手小指にはめている指輪からの波動が人間のような波長を形作っているが、あくまで人間に偽装しているだけで私は人間ではない。

 あくまで人間の皮は表面的なものだ。

 その下にある本質を見抜くように自身にかけた解析の魔術が走っていく。

 受肉し、弱体化してからの私のステータスは、英霊にしては相当に低くランクダウンしている。

 あの第四次聖杯戦争に参加していた分裂するアサシンのサーヴァント、今の私のステータスはせいぜいアレ並みだ。そんなことを思いつつ解析魔術を完了させる。

 結果は……。

(やはり……な)

 切嗣に召喚された当時、自身に解析の魔術をかけることすら忘れて混乱の最中聞いた、追加スキルである『うっかりスキルA』。それが、ランクCにまで落ちていた。

 それに、自身の仮説があたっていたことを確信する。

 呪いのように課せられたこのスキルだが、おそらくは聖杯戦争が終結する頃には消え去っているのだろう。

 それも当然といえば当然だった。

 元々が私の思考を縛る鎖としての役でつけられたのなら、役目を終えれば消えるのが当然だろう。

 しかし、何故だ。

 何故わざわざそんな手間までかけて私を此処に送った? それだけが解せない。

 聖杯戦争を終え、消えるはずだったのにそのまま連続で切嗣(じいさん)に召喚されたこと、それが偶然の産物であるなどと楽観視することはもう私には出来そうにはない。

 その答えを私が知るのはもう暫く先のことだった。

 

 

 

 side.遠坂凛

 

 

 あれから、私は完治するまで昏々と眠り続けた。

 そんな中で夢を見る。1人の馬鹿な男の夢を。英雄と呼ぶにも反英雄と呼ぶにも中途半端な男の夢を。

 剣の丘に佇むとてつもなく馬鹿な男の夢。無性に腹が立った。

 そして、そんなそいつに昔なじみの女も重ねる。

(似てる似てるって思ってたけど、ほんっとに似てるわね)

 なんでこいつは馬鹿なんだろう。

 なんでこいつらはこんなに馬鹿なんだろう。

 人の身に余る奇跡に手を伸ばしたところで届くわけがないというのに、そんなことにすら死ぬまで気がつかなかったなんて。

(ああ、もうアンタは……)

 そうして何かを言おうとしたところで、夢は覚めた。

 

「…………」

 ムクリと体を起こしてから、昨夜開いた傷口に手を伸ばす。そっと触れる。痛くない。

 じくじくと痛みは少しまだ燻っているけれど、この調子なら今夜には治るだろう。

 思うと同時に情けなさも少々こみ上げる。

 まったく2度続けての途中撤退なんて。それでも命があるだけめっけもんだ。

 結局のところ最終的に勝ち残ればそれで問題はないのだから。

「凛、起きたのか」

 そういって、また……匂いからするとお粥かなにかを手にして入ってきたアーチャーの姿を見る。

「色々私から言わせて欲しいことはあるが……先に食べろ」

「……いらない。食欲ないから」

「凛。いいから、食べろ」

 どことなく主夫の威厳のようなオーラを放ちながら、仁王立ちで言ってのける赤いエプロンをきた白髪の弓兵。そこには有無を言わせない空気がある。

 いつもならそれでも「いらないっていってるでしょ。偉そうに命令しないでよね」と文句の1つも言ってやるところだけど、先日から良い所1つ見せれていない立場としては文句は言えない。

 若干むっとしながらも大人しく器を受け取る。

 ……それに、まあ、心配してくれてたみたいだし。

 そうして食事が終わるなり、アーチャーの小姑染みた説教大会が始まった。

 

「……聞いているのか、凛」

「聞いているわよ。でもこれ以上過去のことを言ってても仕方ないでしょ」

 じろりと鋼の目にガキくさい色を宿して睨んでくる大男をあしらいつつ、これからについて話し合いをする意思表示をすると、アーチャーは空気を引き締め、真面目な雰囲気を作って言った。

「それで、君はこれからどうするつもりかね?」

「とりあえず、今日は間桐の本拠地を襲撃するつもり」

 きっぱりと言う。

「間桐のやっていることは見逃せない。あんなの、聖杯戦争どころじゃないわ。御三家は互いに不可侵の盟約を結んでいるけどそうも言ってられない。わたしは冬木を管理するセカンドオーナーとして真実を暴くだけよ」

「……間桐の、か。間桐桜の、ではないのかね?」

 その言葉にわたしは一瞬ギクリと固まりかけるけど、すぐにいつもの調子でなんでもないように告げる。

「……どっちも同じ。あの子が街に手を出した以上、あの子はわたしが殺すわ。でもその前に出来るだけ真実を知りたい、それだけよ。それとも、それが不満? アーチャー」

 そのわたしに言葉に、この赤い弓兵はふっといつもの皮肉気な笑みを浮かべて、「いや、不満などないさ。君の方針に従おう、マスター」そんな言葉を告げた。

 

 近くて遠い間桐までの道のりを歩く。

 今は午後の2時過ぎ。そんな時間にも関わらず、連日の事件が祟っているのか人気は少ない。

 いっそのこと不気味とすらいえる。

 そうして、もうすぐ間桐の家に着くというところで、わたしは誰かの気配を感じて……。

『凛』

 ガンドを叩き込もうとした直後に、呆気に取られてやめた。

 其処には、つい昨日も見た黒髪をポニーテールにした怜悧な美貌の女が、わたしを待っていたかのように立っていた。

「舞弥……さん」

「元気そうですね、凛」

 そう淡々と話す女につい釣られる様に「あ、うん」と答えて、そこではたと気付いた。

「貴女こそ、よく無事だったわね」

 あんな別れ方をしたんだ、最悪死亡していることすら覚悟していた身としては始めて会った日と変わらない様子に、ほっとしつつも拍子抜けする。

「……これから間桐に襲撃する気ですか?」

 それにピクリと私は眉を動かしてから、空気をすぅと冷やして、聞く。

「何? 悪い」

「いえ……」

 そこまで言ってから言葉を切った女は、次にわたしにとっては予想外の言葉を連ねた。

「私も付いて行かせてはくれませんか?」

「貴女が?」

「はい」

 淡々と答える女に思わず目を丸くする。

「まあ、恩人だし……。借りを返す意味では別にいいけど……でも、……」

 思わずブツブツ呟きながら思案する。

 いや、そもそもなんで彼女はそんなことを言い出したのか。

 思えば彼女はわたしが間桐に襲撃をかけることを知ってて待ち伏せしていたようにさえ見えた。

 いえ……待って。ひょっとして逆なんじゃないかしら。

 もしかして……彼女も襲撃をかけるつもりだった……?

「ワケを教えてくれる? そうしたら良いわ」

 そう試すようににっこり優雅に笑いつつ告げる。

 それに返ってきた答えはわたしの想像の斜め上の答えだった。

「そうですね。……貴女にならいいでしょう。貴女は、間桐雁夜という男を知っていますか?」

(雁……夜……?)

 どこかで聞いた名前だった。

 確かにそう、聞き覚えのある名前だ。

 どこでなのか。

 そうして記憶の底まで探った時、あっと気付いた。

「……雁、夜おじさん?」

 そうだ、ぼんやりと覚えてる。

 確か母の知り合いで、旅行に行ってはお土産を買ってきてくれた。

 顔も声も覚えていないけれど、優しい手をした人だった。

 最後に会ったのは11年前、桜が養子に行ってすぐの頃だ。色々あって忙しいうちに忘れていたけど、そうだ。優しい人で、わたしも桜もたまに会うその人に懐いていた。

 もう10年以上も碌に思い出すこともなかった忘れていた人なのに、思い出したら、急に懐かしくなってつい弾むような声で質問攻めにする。

「雁夜おじさんを知ってるの? あ、もしかして舞弥さんっておじさんの知り合いだった? おじさん元気でやってる? もしかして家庭が出来たとか。ねえ、おじさんは今どうしているの?」

「……凛」

「あ、ごめんなさい」

 困ったような声でわたしを見ている彼女を見て、つい子供の頃に戻ったかの様な反応を返した自分を恥じる。

 そして、告げられた言葉は思わぬ事実だった。

「……間桐雁夜は10年前に死にました」

「……え?」

「間桐雁夜は聖杯戦争に参加するバーサーカーのマスターだった。ご存知でなかったのですか」

 それに、ショックを覚えた。

 雁夜おじさんが死んでいた? バーサーカーのマスターだった? そんな馬鹿な。

 だって、おじさんは記憶にある限り普通の人だった。

 旅行が趣味で色んな所にあちこち出張に行くなんて、そんな極平凡の普通の人だった。

 だからわたしはおじさんがこっち側の住人なんて思っていなかったのだ。

 それに、魔術は一子相伝で、間桐を継いだのは慎二の父親の筈。

 でなきゃ辻褄があわない。

 なら、余ったもう一方は一般人として育てられる筈で、わたしはてっきりおじさんはそうなんだと思っていた。

「私は、間桐雁夜の今際の際に居合わせました。瀕死の体の彼は、『サクラ』と、そう言い残して死にました。わたしはその意味を知りたい。それだけです」

 そう告げられた声はどこまでも真剣で、それらを前にスゥと思考を戻す。

 思い出すのは昨日見た異常な桜の姿。

 同じ家にいたのだ。おじさんは何かを知っていたのだろうか。

「……いいわ、ついてきて」

 

 驚くほど呆気なく、間桐の家の防護結界は破れた。

 そして今、アーチャーが見つけた地下への隠し扉を開け、わたしたちはおそらくはその間桐の修練場であろう場所に向かっていた。

 近づくたびにむっと匂う死臭。それに悪い予感を覚えながら慎重に歩を進める。

 そうしてわたしたちは、それを見た。

 

 

 

 side.久宇舞弥

 

 

 辿りついた其処は、血を被る魔術師といえども醜悪な修練場という名の拷問場所だった。

「……そうか」

 其処に蔓延るのは、異形の形をした蟲の群れと、棺に入った蟲の餌たる人間の亡骸たち。

 ウゾウゾと這い動き回る蟲達は餌を求めて侵入者へと近寄ってくる。

 陰湿で異様な蟲の餌場。

 それに、魔術師としての修行を碌にしたことのない私でさえ、間桐の魔術への学習方法を知る。

 幼くして間桐へと養子に出された桜の身に起きただろう悲劇を。

「だから……貴方は……桜を救いたかったんですね」

 私自身人のことをいえるような過去をしているわけではないことは自覚している。

 幼くして兵士として仕立て上げられ、夜は毎日のように兵士たちに輪姦され、初潮を迎えてすぐに出来た息子は取り上げられた。私の人生というものはそういうものだ。

 それを哀しいと思えるような心はないし、此処で蟲の慰み者にされただろう桜への同情などもない。

 私が思ったのはもっと別のことだ。

 そんな、蟲に生贄のように捧げられた少女を、彼はそれでも救おうとした。

 そのために駆ける事が彼は出来た。

 それは果たせなかったかもしれない。無意味な終わりだったのかもしれない。

 だけど、そうやってそんな哀れな少女を1人、救おうとして足掻いて死んだ。

 それは尊いことなのではないのかと、そんな風に自分の命すら燃やして生きれたのはなんて羨ましいのだろうと、そう思っただけだ。

 救えない筈の少女を救うために足掻いて死んだ男。

 彼があんなに生きていた理由がわかったような気がした。

 顔を上げる。

 未だ背後で憤る少女を置いて踵を返す。心は決まった。

 かつて一抹の慈悲を持って殺した哀れな男。

 その男が救いたかったものを、生きた証を、欠片でいい。私は継ぎたい。

 

 

  NEXT?

 




というわけで俺なりの雁夜さん救済パートはじまりはじまり。
ぶっちゃけZERO原作で雁夜さんがトップクラスに好きなんだけど、正直無理矢理救済する系はどうよ? と思っているので、自分なりに無理の無い範囲での雁夜さん救済を考えた結果がこの話でもあるんだな。
雁夜さんはよくトッキー殺したいだけで桜救うのはただの大義名分呼ばわりされますが、それだけで半死人にはなれないと思うし、葵さん大好きなのも、トッキーに嫉妬して憎くて成り変わりたくてたまらないのも、桜を救済したいのも全部本音だと思うし、全部ひっくるめての雁夜さんやと思うので、そのうちの1つだけでも果たせたらそれはそれで報われるのではないかとそう思っています。
因みにおいどんが好きなのは原作の色々どうしようもない雁夜さんなので、アニメのやたら綺麗(?)な雁夜さんは正直なんか違うんじゃないだろうかと思っています。


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26.アインツベルンの森

ばんははろ、EKAWARIです。
前回感想数ゼロに地味に凹んだりしましたが、まあ多分これからも月数回の更新スペースで進んでいくと思います。



 

 

 

 私は殺す。

 私が殺す。

 望み続けていたそれを殺すその時まで、悲願を果たすその時まで私は死なない。

 死ぬものか。

 誰にも喰われてなどやるものか。

 全てを喰らうのは私だ。

 あの時、あの夜にそう決めた。

 だから、私は……。

 

 

 

 

 

  アインツベルンの森

 

 

 

 side.遠坂凛

 

 

「それで、貴女はどうするつもり?」

 あれから、八つ当たり交じりに壊せるだけ壊してから間桐の家を出たわたしは、30代半ばほどの黒衣の女性に向かってそんな言葉でもって問いかけた。

 彼女は黒曜石を写し込んだような切れ長の目でわたしを見つつ、答えずに佇んでいた。

「ひょっとしてとは思うけど……貴女、桜を救いたいとか思ってる?」

「…………」

 無言、それはそれであっているのだと肯定しているも同然の反応。

「……桜が何をしたのか、貴女は知っているはずよね」

 確認するためにそう口にした。

 じっとわたしを見てくる黒き眼は、やっぱりそれくらいわかっているのだということを告げている。

 そんな彼女の態度に、桜の姉としてのわたしは、嬉しくも有り哀しくもある。

 そんなわたしを見透かすかのように、舞弥さんはぽつり、静かな声音で次のようなことを口にした。

「……貴女は違うというのですか?」

 きっと彼女が思い出しているのは、先ほどまでわたしが隠しもせずに放っていた間桐への憤りなのだろう。

 そうだ、なんで11年も放っておいてしまったんだろう。

 11年前のあの時、乗り込んでしまえばよかったと、そんな風に思ってしまったわたしの心を見透かすように、黒曜石の瞳はわたしを見ていた。

「……桜は何の関係もない街の人に危害を……いいえ、殺害をした。魔術を隠すこともなく、ね。わたしの管理地でそんな所業、どんな理由があろうと許されることじゃないわ。わたしは、冬木のセカンドオーナーとして、遠坂の魔術師として、あの子を殺す」

 決意を込めてそう吐き出す。

「だからね、舞弥さん。あなたが、次会った時あの子を守ろうとするのなら、あなたはわたしの敵。その意味、わかるわよね」

 そう睨みさえして告げる。

 彼女は動じない。表情1つ変えずにわたしの顔を見ていた。

 それに震えそうになる錯覚を覚える。

 勿論ただの錯覚。そんな無様な真似を実際に表に出すほどわたしは弱くはない。

 やがてぽつりと、黒衣の女は呟いた。

「それがあなたの答えですか」

 その無表情な黒い瞳がどことなく哀れむようにさえ見えた。

「いいでしょう。次に会ったときは敵ということですね。しかし、凛。……わたしにはあなたが無理をしてそう口にしているように見えます」

 その言葉にギクリとした。

 舞弥さんはそんなわたしの顔を見るよりも先に背を向け、去っていく。

 そうして見えなくなるほど遠ざかった後、わたしは唇をかみ締めながら、ぎゅっと右手を強く握り締めつつ、遠坂の家に向かいながら先ほどの彼女の言葉を思い続けていた。

『……貴女は違うというのですか?』

(わたしだって……)

 助けられるものなら助けたいわよ。だって桜はわたしのたった1人の妹なんだから……。

 どんなになったって、忘れたことはなかった。

 あの赤毛の同級生やイリヤの前でだけ優しく笑うその姿や、弓道部で頑張っていた姿。離れていても遠く今までだって見守ってきた。桜があんな目にあっていたなんて思いもしなかった。

 いや、思いたくもなかった。

 桜は幸せにやっているんだって、そう信じたかった。

 わたしが魔術の修行で苦しい思いをしている分、あの子はそんなことはないんだって。

 だからどんな痛みを伴う魔術を使ってもわたしはちっとも辛くないんだって、そう思いながら生きてきた。

 だけど、だけど。

 昨夜のあの子の姿を思い出す。

 白髪に紅色の瞳の妖艶なる魔性の姿。

 その瞳に光はなく、深遠な闇だけがそこにはあった。

 そうして敵として認識して殺意を向けた先で、壊れた人形のような雰囲気を纏ったあの子が言った言葉。

『酷いなぁ。酷いですよ、先輩。わたし、ずっと待ってたのに。助けてもくれないくせに、酷いなぁ。酷い、酷い。わたし今まで我慢してきたの馬鹿みたいじゃないですか』

 つまり、『我慢』をあの子はもうやめたのだろう。きっとあの子はもう戻れない。

 だったら、だったらせめて他の誰でもないわたしの手で殺してあげる。

 それこそが、わたしに残された最善手だと思えた。

『凛』

 ふと、念話で自分の従者たる男に話しかけられた。

「アーチャー……何?」

『ついたぞ。全く、気を抜きすぎではないかね? 君は』

 呆れるように言われ、はたと我に返って確かに遠坂の家についたことに気付き、慌てて開錠の呪文を唱えて家へと入る。

 すっと、そこでアーチャーは実体化して、わたしを見て言った。

「どうも先日から君は変だ。あの桜という娘とオマエは何か特別な関係があるのか?」

 そんなことを真剣な顔をして言う。

「何かあるのなら、言ってみろ。いざという時に迷うようでは、命取りになりかねない」

 ざぁ、と思い出が脳裏をよぎる。

 泣きながらに遠くなっていった桜の背中。まだわたしと同じ黒髪碧眼だった時代のあの子の姿。

 引き取られた先で桜がどんな目にあっているのかも知らず、わたしは、父さんや母さんの言うとおりあの子のことを、幸せでやっているのだからと考えないようにしてきた。

 その結果の、昨日のあの姿。

 目の前の男を見上げる。

 乾いた砂のような白髪に、灼けたような褐色の肌、そして真剣な鋼色の瞳。

 昔からわたしの世話を焼きたがったおかしな女と同色の色を身に纏う、正体不明の赤い弓兵。

 そう、ね。

 正体はいまだわからないけれど、それでもこいつがいい奴だってことは知っている。信用している。

 だから、誰にも言うつもりはなかったのに、言ってしまおうと思った。

「桜は……わたしの妹なの。昔間桐に養子に出された、ね」

 そのわたしの言葉に、アーチャーは目を見開き、僅かに驚きを表にした。

「それだけよ。大丈夫。やれるわ。だからアーチャーが心配しなくても結構よ」

 くるりと背を向ける。

 わたしはアーチャーの返事をまつこともないまま、それで話は終わりだとして歩き出していた。

 

 

 

 side.言峰綺礼

 

 

 カツン、カツンと、硬質な靴音を立てて地下への道のりを歩く。

 それは聖杯戦争が始まって以来、日課のように私が続けている行為だ。カツン、カツンと地下は靴音を大きく響かせて、それしかないかのような錯覚を起こさせるだろう。

 ぎぃと、扉を開ける。足を踏み入れる。

 既に枯れかけた何十もの声がさざめく様な慟哭の嘆きを上げる。奏でる。

『殺シテ、殺シテ』

『助ケテ』

『此処ハ何処』

『苦シイ』

『痛イ、ヤメテヤメテ』

 それを心地良いと、長らく私は思っていた。

 けれど、既にもう魂の残り滓を吐き出すばかりの彼らには、あの時ほど私の心を揺さぶるものはない。

 是非もないことだ。

 絶え間ない痛みを前に、彼らは既に麻痺している。心はとうに壊れている。

 それでは足りない。

 本当に悦をもたらす人の感情というものは、もっと新鮮で悲鳴にすらならぬほどの苦悩に他ならない。

 ……ならば、もうここは潮時か。

 そろそろ廃棄したほうがいいのかもしれんなと、そう思いつつも、亡者共の声を無視して最奥へと足を運ぶ。

 其処に眠っているのは黄金の王だ。

 おそらくはきっと、10年前のあの時、心臓を撃たれながも、こうして私を現世に留めた元凶。

 己の本質から目を逸らし続けていた私をそそのかした、楽園の蛇。

「まだ目覚めないのか」

 既に半ば口癖のようにさえなっている台詞を紡ぐ。

 王は答えない。

 ただその人とも思えぬ美貌を覗かせ、この場にある孤児たちの魂を啜りながら眠り続けているだけだ。

 だが……気のせいか、今金の睫が僅か震えたようにも思えた。

「…………」

 見間違いか錯覚か。わからないままに腰を上げる。

 しかしこれ以上目覚めぬというのならば……孤児たちごと廃棄したほうがいいのかもしれんな。

 そう思い踵を返そうとして、その変化に気付いた。

 ゆっくりと、永の眠りから覚めるように震える黄金の睫。そして、その紅い眼は開かれた。

 

 

 

 side.アサシン

 

 

 深夜になった。

 夜、天空に星が昇る刻、それは私にとって最も好ましい時間帯となる。

 くるくると、夜の街を気配を遮断し、霊体化したまま駆け抜ける。

「キ、キキッ」

 自由となった手足を前に高笑いすら漏れる。

 ……ここ数日間ずっと私の心をかき乱してきた異物の排除、それを今夜は為すのだ。

 

「……そこにいるのは誰だ」

 深夜の街で、背後から私が襲おうとした獲物は、感情の篭っていない声音でそんな言葉を吐いて私を迎えた。

 それに僅か驚く。

 まさか、ただの人間相手にいくら気配遮断を解いたとはいえ、気付かれるなどとは。

 私が今夜排除しようと決めていた男、それはまるで幽鬼のような人間だった。

 無駄のない佇まいに死んだような黒き眼の、背広に身を包んだ眼鏡の男。

 私の異形を見ても、眉一つ動かすことはない。

 それに内心僅かばかりの苛立ちを感じる。

「誰だ」

「……貴殿が知る必要があるのか。今から死ぬ貴殿が」

「そうか」

 その言葉と男が動いたのは同時だった。

「……!」

 グン、と拳が迫っていた。

 避けたはずの其れが蛇の動きのように変幻自在に見舞われ、男は私の懐へと飛び込み、私の首の裏を取ろうとした。

「キキッ!?」

 避ける私に2発目、3発目の男の攻撃が見舞われる。

 そう男は……私とは種類が違うが、間違いなく現代の暗殺者だった。

 それに、気付いた瞬間私もまた、相手は人間だという驕りも忘れて、懐のうちより愛用の短剣(ダーク)を取り出し、男を仕留めるために投げる。

 それを男は、なんでもないかのような動きで避け、時にはその指でもって受け止め、私へとはじき返した。

 それはまさしく異常な光景。男は何1つ躊躇うことはなく、行動をする。

「1つ、聞こう」

 低い無機質な声を響かせて、やはり死んだような目をした男は攻防を続けながら言った。

「キャスターを殺したのはお前か?」

 ……キャスター。

 私が心臓を喰らったサーヴァント。裏切りの魔女。私の方向性を決定付けた女。

 それとこの目の前の男がどういう関係だったのかは知らない。

 ただ、私はそれを喰らった時から、女の感情の1部も受け継いだのだ。

 ザワリザワリと心の中の何かが蠢く。

 それが煩い。

 だから、私はこの男を殺してしまわなければ(・・・・・・・・・・)いけない。

 私のために。

 私が真の自由であるために。

 邪魔な感情ごと葬り去るために。

「……そうか」

 私は何も答えない。

 だが、男は自分の中で答えが出たのだろう。

 そんな言葉を言って、再び拳をセットしながら、続けて言った。

「では、死ね」

 長い研鑽の末に築かれた其れは既に人知を超えている。技の結晶。磨き続けられてきた一。

 其れをどうして避けられよう。

 私はそれを喰らった。

「……」

 ゴポリと血を吐きながら、倒れる。

 私が、ではない。男が。

 私の首の後ろを引き裂くように男は拳を突きつけたまま、私の左手に心臓を掴みだされて、絶命していた。

 ドサリ、と男の体が落ちる。

 ……この結末は最初っから判明していたも同然の結末だった。

 たとえ、正規のものでないとしても私はサーヴァント。

 人間の御業など、たとえどのようなものでも神秘が宿っていない限り傷つけられるものではない。

 拳1つでぶつかってきた男の業が私に通用するはずがなかったのだ。

 もしも、この拳がキャスターによる強化を加えられたものだったとしたら、話は全くの別だっただろうが。

 あれは、見事な技だった。

 もしも、そこに神秘が宿っていたのなら、倒れているのは私のほうだっただろう。

 そう思うと、キャスターもとんだ男に目をつけたものだとそう思い、左手に目を向ける。

 そこにあるのは生々しく血にぬれた赤き果実。

 にぃと笑って私は、それを口に含んだ。

 ガツガツ、と喰らう。

 サーヴァントの餌は人間の魂に血肉。元々が魔術師ではない男のものであるがゆえに、魔力を碌に含んでいないそれは大したものではないが、それでも全く力にならないわけではない。

 嗚呼、漸く本当に自由になれた。もう、頭の中に響く煩い声もない。

 そうして私は高笑いを上げながら、その場を後にした。

 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

 2月9日朝。朝食と採り終えた俺は、剣の英霊である金髪の少女との朝稽古をしていた。

「ほら、まだまだ脇が甘い」

「っ、はっ」

 ビシリと、竹刀でどつかれつつ、一方的にやられるも同然の打ち合いを続ける。

 いつもは物静かで、暗いといっていい表情を見せることも多いセイバーだったけど、この時だけはどんな時より生き生きとしていて、彼女のスパルタ指導を前に、痛みに呻きつつも安心する。

「参った。今日はここまでにしよう」

 いい頃合を見て、汗を拭いながら笑ってセイバーにそう言葉をかける。

「もう終わりですか。全く私のマスターだというのに、貴方はだらしがない」

「そうはいってもさ、セイバー。もう始めてから3時間だぜ? 休息も大事だろ」

 苦笑交じりにそういいながら俺は立ち上がり、タオルで汗を拭った。

 セイバーも俺に続いて道場から出る。

 ……ずっとここの所ギスギスした空気を放っていたシロねえとセイバーだったが、昨日からシロねえは普段どおりの態度でセイバーに接するようになっていた。

 それに1人ついていけず益々戸惑うように、迷い猫のような顔をして沈んでいたセイバー。

 そんな彼女の様子が見ていられなくて頼んだ朝稽古だったが、スッキリしたような顔をしている彼女を見ると無駄にならなかったようで良かったと素直に思う。

(それにしても、どうしたんだ、シロねえは)

 思うのは此処にいない白髪褐色肌の義姉のことだ。

 この聖杯戦争というのが始まりだしてから……いや、数日前から彼女は本当に変だった。

 らしくない、といっていい。

 ずっと、心此処にあらずといった感じで、何かを求めて焦っているのに、なのに身動きできずにいるかのようなそんな風に見える。

 一体、何を求めているのか。なんであんなに……焦燥しているのか。

 俺にはわからないし、多分俺にシロねえが言うこともないのだろう。

 でも確実におかしかった。

 おかしいのは、切嗣(オヤジ)もだけど。

 まるで、どこか遠くに行ってしまいそうな、そんな危うさが2人にはある。

 一昨日のことを思い出した。

 出来れば聖杯戦争が終わった後、慎二の墓参りに行ってやってほしいとそういった俺に対して、思いつめた顔で答えたシロねえの言葉。

『悪いが……それは出来ない相談だ』

 まるで今にも消えてしまいそうな顔をして、そうシロねえは言った。

 そんな風にして答えた理由はなんなのか。

 何故俺に何も言ってくれないのか。

 わからない。

 俺が、頼りないからか?

(いや、違うな)

 シロねえは、信頼しているとか信頼してないとか関係なく、自分のことは話さない人だ。

『余計な心配はするな』とそんな言葉を吐きながら、自分の問題は全て自分のうちで片付けてしまえばいい、たいしたことなどではないとそんな風に自身の問題を軽視してしまえる人だ。

 シロねえは昔っから、そういう危うい人だった。

 知っていた。知っている。

 俺はシロねえのそんなところが凄く腹が立って、でもとても好きだったんだから。

 話さないと決めたのなら、てこでも話さない人だってことは知っている。

 だから、俺に出来ること。せめて傍にいようと思う。

 いつか話してくれる日まで。

 いざとなった時にいつでも手を貸せるように。これはきっと、俺とシロねえの根気比べだ。

 ちらりと、後ろを振り向く。

 華奢な体格の金紗髪の少女は、碧い瞳に僅かな曇りをのせながら、後ろを歩く。

 それを、守らなきゃなと思う。

 セイバーが俺より強いだろうことは、何度も手合わせしているんだ、知っている。

 だけど……脳裏によぎるのは此処のところ夢でみている光景だ。小さな肩に国を乗せた少女の記録。何度も傷つきながら戦った少女の夢。

 力が強かろうと、精神(ココロ)まで強いなんて一体誰が決めたというのだろう?

 そんな彼女の記憶を見て、俺はセイバーはシロねえに似ているなってそう漠然と思った。

 それは今も同じだ。

 せめて少しでも穏やかであれるように、そんな風に彼女の心を守ってやりたい。

 そう思うのは間違いじゃないはず。

 思いながら、居間への道を進んでいった。

 

「教会へ急襲をかける?」

 昼食後の家族会議で、イリヤはそんな言葉を口にした。

「ええ。学校の件が片付いてもう2日も経つし、そろそろ動く時が来たと思うの」

 そういえば、ランサーのマスターへの敵討ちをすると約束をしていたのに、色々あって保留にしていたということを思い出した。

「お、やっとか」

 ランサーはそういいながら、気の早いことに武装して背後に座っていた。

「で、選抜メンバーはやっぱり嬢ちゃんと坊主か?」

「ええ。……本当は士郎も来るのは反対なんだけど……反対しても無駄だろうし、仕方ないわ」

「当たり前だろ。イリヤたちだけで行かせたりしないぞ」

 当然だって言わんばかりにそう言いきり、俺は真っ直ぐにイリヤを見上げる。

 それにイリヤはため息を1つ零して、ちらりと俺を見てから続けた。

「そういうこと。……あの『影』もいるし、アサシンの存在も気になるから、今回は夕食後には出発の運びで行こうと思うわ」

 そこでそこまで黙っていたシロねえが口を開いた。

「イリヤ。わかっているとは思うが、あの影が出たときは逃げることを優先してくれ。いいか、絶対に戦おうと思うな」

 そんな言葉を厳しい鋼の目で告げる。

「わかっているわ。優先事項を間違える気はない。シロが心配しなくても大丈夫よ」

「なら、いいんだがね……」

 そう視線を逸らしながら口にするシロねえには、いつもの覇気がなかった。

 

 

 

 side.レイリスフィール

 

 

 サク、サクと森の中を歩く。

 先日の遠坂の娘との対決の際に、漁夫の利を狙った暗殺者のサーヴァントによってつけられた腕の傷こそ癒えたが、それの回復のために再びアインツベルンの城に戻ることになったことに、嫌な感情もまた湧く。

 あの城は、本当に嫌な場所だ。

 ふと、本国のアインツベルンの城にいた頃を思い出した。

 大爺様に「失敗作か」とそんな言葉を落胆交じりに吐かれて、追いやられたホムンクルスの廃棄場。

 そこで手にかけた数多もの失敗作であるホムンクルスたち。

 ボロキレ同然の衣を纏って、死ぬ気で殺して殺して殺して、そうして得た戦いの手段。

 己の寿命を対価に、そうして生きてきた過去。

 殺すたびに血まみれになっていった日々。

 そして、3ヶ月前の屈辱。メイドに押さえつけられた私の四肢と、赫き瞳の理性なき獣。

 ……嫌なものを思い出した。

 痛みを消すなんて簡単だ。心を麻痺させればいい。

 だけどそれは選ばない。

 そんな行為は逃げだ。

 私はイリヤスフィールじゃない。レイリスフィール・フォン・アインツベルン。

 私は姉様のように逃げたりはしない。

 するものか。

 私は私のままに、アインツベルンの悲願を果たす。

 それが私にとって最大の「姉」への復讐であり、大爺様に示す私の尊厳の撤回方法だ。

 私はきっとこの戦いを勝ち抜き、大聖杯を起動させてみせる。

 それまでなんとしてでも生き延びなければいけない。

 生き残ることを最優先に考えなければいけない。

 結局は最後に残ったものが勝ちなのだから。あの廃棄場での日々のように。

 ぎゅっと先日怪我を負ったあたりの皮膚の上を押さえる。

 いくつかの英霊がもう脱落しているだろうに、私の容量を圧迫する感触はない。

 誰の魂も私の中に入ってきていない。

 それが示すもの、先日の影。

(あちらに取り込まれましたか)

 それに嫌な気分になって眉根を寄せた。

 まがい物の分際で、しっかりと機能はしているとは。なんて不愉快なのだろう。

 思うが、きっと自分はあれには勝てないということも理解していた。

 勝てない戦いを挑むなどというのは馬鹿がすることだ。

 それに、アレは元が何かは知らないが、元々私のようにそういう機能をするために作られたモノでもない。

 ならば、自滅するのは遠くはない。

 そう思って、そして、私はアインツベルンの森に張ったそれから、密かに懼れていた出来事が事実となったことを悟り、苛立った。

 アインツベルンの森に張っている入り口の結界を飲み込むようにして、影が来ていた。

 そうして見えたもの。それは影を纏った少女だ。

 くすくすと哂いながら進んでくる、1人の少女。

 紅い目は正気に程遠く、髪は骨を思わせる白に染まり、ひたひたと蠢く素足は呪詛のような文様に覆われ、一歩森へと進んでいく度に森を溶かし、魔力を喰らう、そんな化け物。

「……来ましたか」

 間違いなく自分を目標にしているだろう化け物の出現を前に、私はざわめく己の心を抑えながら、いつかのようにまた、私は、誰にも捕まりはしない。そんな願をかけながら、千里眼ごしに見た化け物を睨んでいた。

 

 ―――アインツベルンの森で、白黒2つの聖杯による戦いが始まる。

 

 

  NEXT?

 



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27.銃弾一つ

ばんははろ、EKAWARIです。
おまたせしました。今回は某魔術師殺しが漸く久しぶりにまともな出番でございます。
あと戦いがはじまるとか前回書いちゃったけど、戦いは戦いでもかくれんぼという名の戦いですがなにか?
うん、チートって怖いね。ほし。


 

 

 

 頭の奥でお爺様の声が響く。

 アインツベルンの聖杯を手にしろと、喚くような声が聞こえる。

 わかっています。

 ええ、わかっています。

 わたしは、雁夜おじさんとは違いますから。

 くすくすと笑ってゴーゴー。

 白いシロイ子ヤギさん、どこにいるのかなぁ?

 出ておいで、出ておいで。

 隠れちゃっても無駄ですよ?

 わたしが鬼であなたが子ヤギ。

 かくれんぼの真似事はもうおしまい。

 小さな抵抗は食べちゃいたいくらい可愛いけれど、種目を間違うのは駄目です。

 悪い子にはお仕置きが必要です、そうですよね。

 だってこれはかくれんぼじゃなくて、鬼ごっこなんだもの。

 くすくす、くすくすと(わたし)の声が森に響いた。

 

 

 

 

 

 

  銃弾一つ

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 舞弥からの連絡があったのは、昨日の夜のことだった。

 桜があの影で間違いないといった彼女は、同時にとんでもないことを告げた。

『私は、出来る限り桜を救いたいと思っています。もしも、私がそれで切嗣の邪魔になった時は……私毎切り捨ててください』

 そう、確かに言ったのだ。

 馬鹿な早まるなと若かりし頃の私ならば言ったかもしれない。

 だけど、私はそれに『そうか』とだけ返事を返して電話を切った。

 覚悟なんてとうに出来ているだろう。久宇舞弥はそういう人だ。

 私は舞弥とは違い、桜を殺すべきだと思っている。

 多くの人を殺めた桜が元に戻ることはないだろう。

 仮に戻れたとしても、その時は自分が多くの人間を殺したという事実が残るだけだ。

 果たして、あの間桐桜がそれに耐え切れるのだろうか?

 普段の桜はとても他人想いな優しい少女だった。

 そんな彼女が自分が人を殺めたという事実を果たして許容出来るのか?

 そんなものを背負って生きていくよりは、狂ったまま死ねるほうが幸せなのではないだろうか。

 そう思う心と、早く彼女を仕留めねば被害が広がるという冷静な掃除屋としての分析でもって、桜は殺すべきだと思う。

 そもそも、私の生き方というものこそがまさにそういうものだった。

 危険であろう1を摘み取ることによって大勢を救おうと為した歪な正義の味方。それが私だった。

 ここで桜だけを特別視することは出来ない。

 それに……桜の変貌には私にも少なからず責任はあるだろう。

 あれほど近くにいながらにして、何も気付けなかったのは私のミスだ。

 ならばいっそ、彼女がこれ以上罪を重ねる前に、この手で殺めることこそが慈悲であり、彼女への贖罪にさえ思えた。

 だけど、そう思う心と同時に、ある事柄も脳裏を掠める。

 何かの目的をもって、誰かの意思によって私は此処へ送られた。その理由はわからない。

 もしかするとその理由を考えることこそが、『彼女』から出された宿題なのかもしれなかった。

(別の答えを見つけろ、か)

 そう『彼女』は言っているような気がした。

 どうせ舞台はもうすぐ閉じる。ならば、それまでの刹那見届けよう。

 ほんの少しの猶予くらいあってもいいだろう。

 殺すべきとは思うが、それでも私は桜を殺したいというわけではない。助けたいと思う自分もいる。

 それでもそのときになったら殺せるのが自分という存在なだけだ。

 だから、本当にこれ以上は駄目なギリギリまで、舞弥のことも見守ろう。

 助けられる道があれば、それを可能なら模索しよう。

 最初っから諦めるのはもういい。

 救えない筈の存在を救おうと足掻いていた、馬鹿だった頃の自分に戻ってしまえ。

 そんな風に思えた、思えてしまった自分に泣きそうな目で苦笑した。

(ああ、やはり無理だ)

 10年という月日は短いようで長い。

 1度はこの身を投げ出してでも影を止めに行こうと、掃除屋であった頃の己に戻ろうと思っていたのに、なのにこんなに私は変質してしまった。こんなに私は弱くなってしまったんだ。

 滑稽なことに、己が死者だという身の程であるにも関わらず。

 この世界の士郎を想った。

 オレと同じでありながらにして別人である存在。

 同じ魂を持ちながら、なのにどうしようも違った太陽のような笑顔の少年。

 こんな未来もありえていたのだと、あいつの存在は私に思い知らす。

 本当は変われていたのではないかって、他の答えだってありえていたのだって、そう思わせるのだ、あいつは。

 もしかしたら、あいつがいれば大丈夫なのかもしれないと。賭けてしまいそうになる。

 どうしてだ、なんでだ○○。

 なんでオレにこんな泡沫の夢に等しい希望を見せた。

 これを知らなければ、オレは昔のままであれたのに。

 

 そんなことを思いながら、私は切嗣(じいさん)とセイバーとの3人で居間にいた。

 イリヤ達はいない。

 今頃は大橋あたりを渡っている頃だろう。部屋に静寂が満ちる。

切嗣(じいさん)

 呼びなれた名を、マスターでもある養父の名を呼ぶ。

 愛用のノートパソコンを開いていた切嗣はそのままにして座して眠っていた。

 青白い顔、落ち窪んだ瞳、まるで幽鬼のような姿。

 こうしていると、眠っているというより、まるで死んでいるように見える。

切嗣(じいさん)

 2度目の呼びかけを前にして、ふと黒炭に何処か似た瞳が開かれた。

「ああ……シロ、なんだい?」

 うっすらと口元に笑みを浮かべて、濁った瞳で微笑む。

 私が見えているのかすら疑わしい反応。

 切嗣から最も遠い席に座っている少女は何も言わず、ちらりとそれを横目で見ながらすぐに目を伏せた。

 彼女は、この切嗣ではないとはいえ、『衛宮切嗣』という男を知っている。

 そんな彼女から見れば、今の切嗣は痛ましすぎて見ていられないのかも知れなかった。

「……少しは休め。根を詰め過ぎると体を壊す。茶を淹れた、休息にするといい」

 いいながら熱い緑茶を渡す。

 本当はとっくに体は壊れている。其れを知ってて知らないフリをした言葉を繰り返す。いつものことだ。

「ああ、ありがとう。シロ」

 そういって微笑みながら受け取る切嗣。

 こちらも、わかっていて知らないフリをして返す。

 これが私たちの日常でもあった。

「……貴方がたは嘘吐きだ……」

 ぼそりと、清涼な少女の声が小さく吐かれる。

「何か言ったかね? 君の分だ。ゆっくり味わいたまえ」

「なんでもありません。いただきます」

 とぼけて返してそのままセイバーの分の緑茶とお茶請けの饅頭を差し出した。

 それに、セイバーも追求するでなく受け止める。会話は終わった。

 カタカタと、暫し室内に切嗣の操作するパソコンの音だけが響いた。さて、どうしようか。

 そう思っていたときだった。

「……っ」

 切嗣の顔色が変わった。

 其れを見て、私も切嗣のパソコンを覗き込む。

 そこに映っていた光景、それは画質は荒いが間違いはない。アインツベルンの森へと侵入しようとしている影を纏った少女……間桐桜の姿に違いがなかった。

 彼女がこうしてアインツベルンの森に侵入した目的は何なのか、彼女が御三家の一角であることを思えば、考えたらすぐにわかる答えだ。

 焦燥するように、ある1つの事実を思い出した目で画面を険しく見た切嗣。

 思い浮かぶは5日程前の出来事で、おそらくは切嗣が考えている内容もそれに違いないだろうと当たりをつけた。

 ばっと、爺さんが立ち上がり、時間が惜しいとばかりに行動を始める。

 其れを見て私も習うように歩く。

 セイバー1人だけが事態を察することが出来ず、展開に置いて行かれた。

 慌てて少女は私達を追いかける。

 その翡翠の瞳は生真面目な色を宿していた。

「待ちなさい、貴方がたはどこに行こうというのですか?」

「君には関係がない」

 自身の部屋に向かい、黒い闇に溶け込むようなコートを羽織ながら武装を纏めている切嗣は、さらりと、流れるような調子で言った。

「関係なくはありません。私はこの家の留守を預かっているのです。アサシンが今だ消えていないことをお忘れですか? こんなときにサーヴァントもなしにどこかに行こうなんてどうかしています」

「そうだな。わかっているよ。でも君に任せたのはこの家の中についての守りだけだ。勝手に出て行こうとしている僕たちのことなど放っておけばいい」

 少しだけ苛立ち混じりに切嗣はそう吐き捨てた。

 そうこうしているうちに準備が整う。

「行こう、シロ。悪いけど運転は任せるよ」

「待ちなさい、話は終わってません。シロ、貴女からも切嗣に言ってやってください」

「セイバー」

 私は少しだけの哀れみで少女を見ると、すぐに顔を引き締め、いまだ事態を飲み込めていない彼女を相手に突き放す声で言った。

「これは最初からの方針通りの展開だ、君が気にすることではない」

「え?」

 こう返されるとは思っていなかったのか、彼女の動きが一瞬止まる。

「そもそも君は此度の聖杯戦争では傍観者でいるつもりなのだろう? そして任したのは切嗣の言うとおり家の中での備えだけだ。君に私たちの行動を阻害する資格などない」

「……!」

 その私の言葉にセイバーは怯んだ。

 私と切嗣は2人揃って玄関へと向かう。彼女がこの言葉に反論できないのは予想がついていたことだ。

 それを意識してこの言葉を選んだ。

 長々とこれからの行動を彼女に説明するわけにはいかない。時間的にもそれ以外の理由でも。

 だからはっきりと拒絶だけを示して、説明をしたりはしない。

 彼女を置いてけぼりにするように切嗣と歩く。

 ふらりと、金髪の少女が自信なさ気な足取りでついてくる。

「私は……」

 返事を聞かず、切嗣と2人で車に乗り込む。

 そして無情にも現代科学の発展によって生まれた黒鉄の箱を発進させる。

 ぎゅっと血が出そうなほど手を握り締め、かける言葉を失った小さな騎士王の姿を私達が見ることはなく、少女はぽつんと1人、大きな屋敷に取り残された。

 後には静寂だけが残るのみだった。

 

 

 

 side.レイリスフィール

 

 

 私にとって、この森は大爺様から与えられた私の一部であり、従者だった。

 敵はきっと私を目指して前進している。

 もしかすると……いえ高い確率であの城にいるものと思って狙ってきているのかもしれない。

 それを自覚している私は、森に張っている術式を通して、幻術を駆使しながら、そうして目くらましをかけて、敵たる影が進入した方向とは逆方角を目指してひたすらに走っていた。

 力を使いながら、人間の子供と大差のない身体能力の体を駆使し、全力で走りゆくことに小さな体が悲鳴を上げる。それを無視してただひた走った。

『子ヤギさーん、どこですかー? くすくす、そんなことをしても無駄ですよ?』

 そんなことを言い放っている女の声が忌々しい。

 汚らわしき間桐の杯たる女は、ずぶずぶと森の気を喰らい、楽しむように破壊しながら歩く。

 幻覚ごと喰らって進む女は尋常とは言いがたかった。

 いえ、異常そのものだと言えた。

 ……本当に気味が悪い。

 はぁ、はぁと息が切れる。ドグリドグリと人間の其れとは異なる私の心の臓が早鐘を叩き付ける勢いで奏でる。汗が流れ落ちる。

 何故こうも、大人と子供には大きな格差があるというのか。

 このままでは駄目だ。

 このままではいずれ追いつかれる。

 子供の体力で逃げ切れるわけがない。

 いえ、そうはならない。なってはいけない。

 だって、私は最後まで生き残らないといけないのだから、あんなものに捕まるわけにはいかない。

 自分と相手の戦力差がわらかぬほど私は愚かではない。

 あれはサーヴァントを殺すもの。そして、聖杯を侵食するものだ。

 絶対に私が聖杯(わたし)だからこそ捕まってはいけない存在。最悪の外敵。

 そうこうするうちに、ジワリと侵食が始まる気配がした。

 ザワザワとソレが騒ぎ出す。

 嗚呼内なる仇敵が目覚める。

 私を食い破ろうと、牙を(もた)げた。

「……お黙りなさい」

 ぐっと、右手で左胸を抑えながら、ソレに集中する。

 汗がまたぽたりと落ちる。

「オマエなど、お呼びではないの」

 勝手に私の魔力を喰らい実像を結ぼうとしていた狂戦士が止まった。

 本当に忌々しい。どこまで私の邪魔をするのか。

 気付けば今すぐにでも臥せってしまいたいほどに消耗してしまった己に気付く。

 駄目だ、そんなことをしているわけにはいかない。アレが来てしまう。

 ここは生き残るために、目的を果たすためにも、逃げなければ。

 アレに捕まるそんな末路は許容出来ない。

 逃げなければ、動いて、動け、立つのよ、私。動くの。

 ずるり、と足を引きずって這うようにして歩く、動く。

 ガンガンと頭が割れるように痛い。まるで酸欠。

 かまわない。痛みなんて、慣れている、そうでしょう?

 大丈夫、動ける。

 動け、一歩でも二歩でも遠く、遠くに。

 アレは万能じゃない。

 そう、これは鬼ごっこではなく、かくれんぼ。

 アレが諦めたらそうしたら私の勝ちなのだから。だから、動け。

 そうする合間にも森の結界が食われていく。

 その過負荷もまた私の上にのしかかる。吐きそうなほどに頭が痛い。

 耐える。

 かみ締めた唇がぷつりと割れて血を流した。

 暴れだそうとする狂戦士をねじ伏せながら、一歩でも遠くに歩く。

 そうして、無様に転げた先で目にしたのは。

「ふふ、見つけちゃいました」

 そう笑う黒き聖杯の少女でした。

 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

 冬木大橋を越え、新都へと入った俺達は、教会への道を歩いていた。

「教会に来るのって初めてだな」

 ぽつりと、そう呟く。

「行かなくていいところよ。本当なら一生士郎とは無縁であってほしいところだったわ」

 それに対して、少しだけ怒ったような声音でイリヤはそんな言葉を返した。

「イリヤは行ったことがあるのか?」

 少しだけ驚きながらそう口にする。

 だって、イリヤがあの教会に行ったことがあるなんて聞いたことないし、イリヤは昔っからこういうのはなんだが、俺べったりだった。

 それが1人でこんな家から遠く離れた教会まで来るなんてこと、想像だにもしなかったからだ。

「ううん。でも、コトミネキレイが神父を務めている教会って時点で碌でもないと察しはつくわ」

 それに反応したのは霊体から実体に移行したランサーだった。

「なんだ。嬢ちゃんは言峰の野郎と面識があったのか?」

「直接はないけど、色々と話は聞いていたわ。それよりランサー、無闇に実体になるのは止めなさい」

 サラリとした声でそんな言葉をイリヤは返す。

 それに「わかったよ」とランサーはけだるげな声で口にして、また霊体へと戻った。

 教会にはもう間も無く着く。

(そういえば……)

 ふと、あることを思い出した。

 10年前の大火災で、俺がいた地域で生き残ったのは俺だけだった。

 だけど、その後入院した病院では、別の地区で大火災にあった子供達もいた。

 あの子達は新都の教会にその後引き取られたと聞く。

 彼らはどうしているのだろうか。

 これから向かおうとしている教会に今も住んでいるとかは思えないし、それはないとは思うけれど、それでもどこか知らないところに引き取られてたにしても、彼らが元気であってくれてたらと、そんなことをぼんやりと考える。

 彼らとは、病院を退院してから一度も会ったことはないけれど、だからこそ今気になった。

「士郎、気持ちを引き締めて。……入るわ」

 言う間に教会へとたどり着く。

 それにああと答えて腕と胸につけた武装に強化の魔術を施す。けれど、意を決して入った其処に人のいる気配はなかった。

 ランサーもまた実体化して、言峰の気配がないことを告げる。

「わたし達が来ることを察して逃げた?」

 イリヤは思わずそう呟くが、それもまた違う気がした。

 強いて言うのならば、此処を捨てて別の拠点に移った……というほうがしっくりくるようなそんな気がしている。

「とりあえず、もう少し調べていきましょう」

 そのイリヤの言葉に同意して奥へと進んでいく。そして俺はそれを見つけた。

「地下室への入り口……?」

 1つの階段。1つの世界への入り口。

 それに言葉に上手く出来ない嫌な感覚が付きまとう。

 この先に進めば知りたくない事実を知ってしまいそうな、逃げ道を失いそうなそんな感情。

 何を考えているんだ、俺は。

 気付けばじわりと汗の玉が手に浮いている。ドクドクと心臓が嫌な音色を奏でていた。

 だけど俺はそこに一歩踏み込んだ。

「坊主?」

 後ろから聞こえるランサーの声も気にはならなかった。

 

 

 

 side.衛宮切嗣

 

 

 6日前のあの日、ある1つの事実を知ったその時から、僕は何度も何度もその悪夢ばかりを繰り返し見ていた。

 それは、助けられなかった(イリヤ)が、息子(しろう)を狂戦士を従えて殺しに来る光景だったり、あの日アンリ・マユの中で撃ち殺した妻の幻影だったり、知りもしない筈のイリヤの死に顔だったりもした。

 どの夢だろうとたどり着く帰結はいつも同じだ。

 あのレイリスフィールと名乗ったあの子とアイリスフィールが同化し、血みどろで僕への呪いの言葉を吐きかける。そんな光景ばかりを見ていた。

 夢の中のアイリが『裏切ったわね、切嗣』とそう吐きかける。吐き捨てる。

 自分は死んだのに、あの子を救ってあげもしないで、何故のうのうと生きているのかと、責め、罵倒する。

 その顔はまたレイリスフィールに変わり、アイリスフィールへと変わる。

 声が同じな2人は、その差をなくし同化していくのだ。

 それも当然なのだろう。どちらも冬の聖女ユスティーツァから作られた聖杯の系譜なのだから。

 たとえそう認識していなかろうと、母子には違いない。

 あの子は……僕の罪の証。

 確かに『幸せ』だったその10年間の代償を負わされていた存在。

 たとえ、知ったのがつい数日前であろうとあの子も僕の娘には違いないのだから。

 だから、『正義の味方』であることよりも『父親』であることをとった僕は、だからこそあの子を守らないといけないとそう思ったんだ。そうでないといけないと思ったんだ。

『あの子は……わたしじゃないわよ?』

『キリツグはわかっていない』

 そう口にしたイリヤはおそらく正しい。

 だけど、それでも僕は、きっと罪滅ぼしをする相手を欲していた。

 

切嗣(じいさん)

 僕に代わり、車の運転をしていた(シロ)が険しい横顔を見せながらいう。

「貴方は馬鹿だ」

 乾いた声音が震えたように聞こえたのは、気のせいだったのか、今の僕にはわからない。

「うん、知ってる」

 目を細めていう。

 シロの運転は更に荒々しさを増し、木の枝を折るようにして森へと突き進んでいく。

 もう間も無く着くだろう。

 それを見計らって、かつて稀代の人形師から譲り受けた魔術薬を3つ口に含んだ。

 車をスピンさせ、シロが武装する。隙に僕は己の武装を背負って駆ける。

 ほんの数分前とはまるで別人のように体が軽い。

 視力が澄み渡る。そして見た。

 ふらつき、木の枝に足を取られて転がったレイリスフィールと、黒き影を従えた間桐桜の姿。

 距離にして100m強離れて二人は互いを見つめていた。

「ふふ、見つけちゃいました」

 楽しげにかつてと変貌した少女が言う。

 それに、レイリスフィールは答えない。睨みながら、必死に立ち上がろうとして、上手くいってない。そんな風に見えた。

 幸いにも、互いだけを見ている2人は僕の存在に気付いていない。

 だから僕は。

固有時制御、二倍速(Time alter---double accel)ッ!」

 瞬時に2人の間に割り込めた。

 双方の少女が驚きに目を見開く。

 ついで、目前のかつて藤色だった髪の少女は目を怒りに見開き、憎しみの言葉を放つ。

「邪魔を、しないで!」

 影の触手を振るい、感情を隠さずにぶつけてくる少女。

 ソレを前にして僕は、魔術師殺しの異名を取る由来にもなったかの相棒を、トンプソン・コンテンダーを手に間桐桜に照準を合わせて、これを撃った。

 そこに込められている銃弾は一つ。

 この弾丸で撃たれた対象は、衛宮切嗣(じゅつしゃ)自身の起源である「切断」と「結合」を体現する。

 故にこそ名は起源弾。

 切断と結合を同時に行うという意味は「不可逆の変質」であり、これを込められた弾を魔術的な手段で防護しようとすれば、魔術回路の暴走という形で収束を迎える。

 これで一度は生き残ったのはかのロード・エルメロイのみ。

 他の37発の弾丸を使用した37人は全て悉くその身を己の魔力で破壊せしめて死んできた。

 まさに魔術師を殺すためだけに特化した武装概念。其れを今放った。

 そう、それが示すもの。

 ―――――……此処に今、10年ぶりに蘇った魔術師殺しの、新たな犠牲者が生まれようとしていた。

 

 

  NEXT?

 

 



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28.拒絶

ばんははろEKAWARIです。
明日は大晦日ですね。というわけで今年最後の更新になります。
来年もよろしく。


 

 

 

 10年前に両親を失った。

 隣人も失った。

 せめてこの子だけでも助けてという声も振り払って、連れて行ってくれという声も振り払って歩いた先。

 全て黒い太陽に飲み込まれて、帰る場所は消えた。

 そこで出会った褐色の手と男の手。

 全て失くした筈の俺は、新しい家族を得た。

 それからの日々は目まぐるしく、過去は消えたりはしないけど次第に小さくなって、そうしていくうちに日々は過ぎた。

 楽しかった、幸せだった。

 全てを一度は失くしながらも、それでも俺は幸せ者なのだろうと思う。

 時々、ふとあそこで皆を見捨て自分ひとりで助かった俺がこんなに幸せでいいのかと思うときがある。

 それでもいいんだと、イリヤは言う。

 だったら、せめて幸せを分けてやれる人間になろうと俺は思った。

 かつて全てを無くした自分が周囲に助けられることによって、幸福を取り戻しここにあるように。

 今度は俺が分ける側の人間でありたいと願った。

 だから、正義の味方になりたいと思ったんだ。

 幸せになっていいのかと思うときはあるけど、幸せになってはいけないみたいになるのは、周囲を余計に悲しませるだけだと俺は知っているから。

 そう思って生きてきた10年間。

 俺はその日、自分の幸せの裏にあった代償を一つ知った。

 

 

 

 

 

 

  拒絶

 

 

 

 side.レイリスフィール

 

 

 突然目の前に割り込んできた男が放った銃弾が、ガードしようと張られた影ごと撃ち抜いてマキリの杯へと被弾する、その様を一瞬我を忘れた様に私は見ていた。

「ぁああああーーーっ!!」

 瞬間、自らをかきむしるようにしてマキリの杯は絶叫した。

 顔をかきむしるようにしてもがく彼女に向かい、突然割り込んできた男……前にも一度会った魔術師殺し、衛宮切嗣は、携帯していたらしいサブマシンガンらしきものをありったけ黒い聖杯に打ち込んで、それと同時に流れるような動作で先ほど女に向けて放った……おそらくは男の魔術礼装であるほうの銃を仕舞い、私を脇に抱えて走り出した。

「何、をっ」

 荒い息でなんとかそれだけを告げる。

 男は答える余裕がないのだろう、無言のまま脇目も振らず走る。

 遠ざかったあの化け物がいる地点からは、痛みで暴れ狂っているのか地を抉る轟音が響いている。

 いつもならば、お放しなさい無礼者と一喝するところではあったが、この状況においては放り出されるほうが分が悪い。私は生き残らなければいけないのだから。

 だから、暴れるのは一時的に中断する。

(この男……何を考えている)

 聖杯の器である私を手中に収めたいのか。

 思いつく理由はそれくらいだったけれど、男の感じからしてそれも違うような気がする。

 読めない存在に抱えられている、その事実が気持ち悪い。

 だが、利用できるものはするべきだという打算が働くからこそ、今は無礼を許しているだけだ。

 今の私は体力が足りていない。

 どういう意図があるのかは知らないが、この男は私を殺すつもりはないらしい。

 後ろからはアレがいずれまた迫りくるだろう。

 ならば、それまではせいぜい利用させてもらいましょう。

 全ては力が回復してからでも遅くは無い。

 けれど、そうは思うも、不愉快であることは確かだ。

 何ゆえ私がこのような汚らしい人間に抱えられねばならぬのか。いや、一体この男は何がしたいのか。

 男を見上げる。

 黒く濁った目は何の事実も写していないようで、死人のようで気持ちが悪い。

 このような存在を父と仰ぐ姉の思考は異常なのではないのかとそう強く思う。

(何故、姉様(あねさま)は人間ごっこなどをしているのか)

 自分とよく似た顔をした、同一の遺伝子を持つ片割れを思って再び不愉快になる。

 約30秒ほどの思考。

切嗣(じいさん)っ」

 見れば前方には一台の車があり、顔を出すようにして褐色の肌の女が姿を見せている。

 注意して見なければわからない事であったが、私には一目でそれが何者か理解した。

 まるでただの人間かのように霊格は抑え込まれているし、ステータスも見れないように表面に偽装が施されていたが、間違いはない。

 白髪褐色肌のこの女は私がいずれ屠るべき敵・サーヴァントだ。

 大爺様やメイドたちがかつて話していた特徴。間違いなく前回の聖杯戦争のときに衛宮切嗣によって召喚され、現世に残ったというアーチャーのサーヴァントだろう。

 今すぐその喉を切り裂いて惨たらしく殺してやりたい。

 そんな衝動を抑えながら、開いたドアから後部座席に男に促されるままに乗る。

 この衛宮切嗣(おとこ)が一体何をしたのかは知らないが、今のマキリの杯たる女の魔力を考えれば、たとえどんなダメージを受けていたとしても、5分もかからず力を回復させ追いついてくるだろう。

 ならば、癪だがこの乗り物で一気に距離を離したほうが賢明な判断といえる。

 そう思ったのは私を連れてきたこの男も、今運転席に座っている裏切り者のサーヴァントも同じだろう。

 不幸中の幸いというべきなのか……あの影は攻撃範囲が広くはあるが、それほど足が速いわけではない。

 とはいえ、時間があるわけではない。

 私達を拾ってすぐに、白髪の女は車を高速で発進させた。

 

 魔力でなんらかの強化を施しているのか、車は鬱蒼とした森の中にも関わらず、森を突っ切っていく。

 隣に座る男を見る。

 痩せこけた頬に死相の浮いた顔をした、死んだ目をした男。

「なんのつもりですか」

 厳しく声をかける。

 それに、困ったような顔をするのが苛立たしい。

 まるで子供に向けるかのような顔だ。

 アインツベルンの今代のマスターである私に向けるべき態度ではない。不愉快だった。

「私に恩を売ったつもりですか。助けられたことについては、ひとまずは感謝してもいいでしょう。ですが、私には貴方に助けられるような身の覚えはありませんが? 何が目的です」

「僕は……」

 男の目線が泳ぐように移ろう。

 車は森を抜けて市街地へと走っていく。リンと髪に撒いた髪飾りの鈴が音を立てた。

 そんな中、乾いたような震えたような声で男は呟きを漏らす。

「僕は、そんなんじゃないさ」

 何を言っているのか、この男は。意味がわからない。

 思えば最初から理解不能な男だった。

 ただ、いるだけで不愉快に思う。

 この男の態度も、言動も全てが理解不能。消えて欲しい。

「何を考えているの」

 嗚呼、気持ち悪い。

 凄く気持ちが悪い。

 なんでこんな目でこの男は私を見るのか。

 理解不能、理解不能、理解不能。

 その言葉ばかりが警告を鳴らすように私のうちを駆け抜ける。

 わかってはいけない。

 知ってはいけない。

 知りたくもない。

 おぞましい。

 なのに、口だけは質問を紡ぐ。

 言うな。

 何も聞きたくは無い。

 これ以上喋るな。

 動くな。

 見たくも無い。

 警告音が響く。

 その中で確かに私はそれを理解した。

「僕は、君を……」

 瞬間、息が止まるかと思った。

 続きなんてもう聞かなくてもわかった。

 その瞳を見た瞬間にそれを確かに感じ取ったのだから。

 ぐっと、血が滲むほどに右手を握り締める。

「…………止めて」

 怒りで脳が沸騰するかのようだった。

 目の奥から脳まで熱く燃え滾るようなのに、響く声は低く冷たく凍えている。

 車はこの男と初めて遭遇した公園のすぐ傍で止まった。

「漸く理解しました、衛宮切嗣」

 憎々しげに男を見上げながら吐き出す。

 今すぐに抉り出してやりたいような黒き眼があの忌まわしい目をして私を見ている。

 はらわたが煮え繰り返しそうだ。

 竦むように私を見る男。その目だ。

 なんということだろう。

 なんという屈辱なのだろう。

 この男……よりにもよって、この私を通してイリヤスフィール(・・・・・・・・・)を見ていた。

(ふざけないで)

 私はイリヤスフィールなどではない。

 私はアインツベルンの今代の聖杯、レイリスフィール・フォン・アインツベルンだ。

 たとえ同一の遺伝子から生まれた存在であろうと、決してイリヤスフィールなどではない!

 屈辱だった。

 どうしようもなく屈辱だった。

 こんな輩に助けられたという過去自体が忌まわしい。

 これなら、まだあそこでマキリの手に落ちたほうがマシだった。

 こんな風に同情の目で見られるくらいなら、そのほうがマシだった。

(ふざけないで、ふざけないで、ふざけないで)

 この私が何故人間風情に同情などされねばならない!

 自分の価値観で私の価値を決めて、勝手に同情して、私を自分の『娘』だとでも思っているのか!?

 なんという傲慢、なんという偽善者なのか。

 私こそがアインツベルンの聖杯だと思ってきた。

 だから、どんな仕打ちにも耐えてきたし、アインツベルンの悲願を果たそうと思った。

 イリヤスフィールと比べられるたび、私は絶対にイリヤスフィールのように人間もどきにはなるものかと何度も誓った。

 全て耐えれたのは、私こそがアインツベルンの聖杯だという誇りがあったから、絶対に大爺様を見返すのだという誓いがあったからこそ、全てに耐えた。

 それを、その誓いを無茶苦茶にしようとでも思っているのか。

 何様のつもりなのか。

 勝手にイリヤスフィールと重ねて、同情……?

 人間などにそんな風に思われる覚えはない。

 許さない。

(耐えれたのは、言ったのがアハト大爺様だったからだ)

 許せない。

 私のプライドを傷つけるものは絶対に許さない。

 この時、私の中でどうでもいいと思っていた男、敵ですらなかった半死人、それが完全に敵になった。

「……私が望んだことではないとはいえ、一応は今回は命を救われました。不愉快ですが、それもまた事実。故に今回だけは見逃してさしあげましょう」

 なけなしの理性を総動員してその言葉を告げる。

 唇は怒りに震え続けている。

 それでも今すぐ殺したい気持ちを鎮めて、それだけは告げたのはそれもアインツベルンの名を継ぐ者としてのプライドだった。

 たとえどんなに腹が立っていようと、恩知らずの謗りを受けるような、家名に泥をつけるような行為だけはする気はない。

 車から降り、男を睨み据えながら、言葉を続ける。

「ですが、次はありません。覚えておきなさい、衛宮切嗣」

 体中の血液という血液が沸騰して眩暈がしそうな錯覚を覚える。

 私の感情に呼応するかのように、自らのうちで狂戦士が騒いでいる。

 その想いのままに私は告げた。

「私は、決してオマエをゆるさない」

 

 

 

 side.衛宮切嗣

 

 

 それはまるで呪詛。

「私は、決してオマエをゆるさない」

 亡き妻とよく似た声で完全な拒絶を示すそんな言葉を残し、遠ざかっていく彼女の姿を、僕はただ立ち尽くして見ていた。

 あれは、本気だ。

 怒りと憎悪に燃えた瞳だった。心底僕を憎む目だった。

 結局は全て間違っていたのだろうか。

 救いたいなんてむしがいい話だったんだろうか。

 答えが出ないままにグラリと体が傾く。

「爺さんっ」

 此処10年で聞きなれた心地のよい声が焦りを含みながら僕の耳に届く。

 瞬間、僕の体は彼女の引き締まっていながら柔らかい体に包まれた。

 続いて2回連続で咳き込み、吐血する。

 それに薬が切れたんだと理解した。

「すぐに家に運ぶ、じっとしていろ」

 いいながら、シロは僕を抱え、後部座席に寝かせたあと急いで衛宮の家に向かって発車させる。

「…………シロ」

「喋るな。黙っていろ」

 咳き込む合間に言った声に、厳しくも優しく彼女はそうかぶせる。

「…………」

「いいか、まだ死ぬなよ。こんなところで死んだら、オレは貴方を許さないからな」

 どうせ今回助かってもそれほど持たない。

 それを彼女もわかっているだろうにそうシロはそう言う。

 いつだって彼女は素直じゃないのに優しいのだ。

 うん……と心の中で頷きながら後姿を見やる。

 瞳はぼやけてろくに焦点が合わない。

 内臓は……ひょっとするといくつか臓器を駄目にしているかもしれない。

 だけど、痛みすらどうでもよくて、前を向いている彼女の背中に、初めて夢で見た時の赤き剣の王の姿をぼんやりと思い出しながら、車に揺られるが侭に任せていた。

 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

 そこにいたのは、かつては人間だったはずの何かの姿だった。

 神の家の地下に隠されていたにしてはあまりにおぞましく、異常な光景。

 かつては人間だった残骸。

「……これ」

 後ろから声をかけられる。イリヤの声だった。

 だけど、それにこたえられるような心の余裕なんて既にない。

 前に一歩進み出る。

「士郎っ」

 心配するような咎める様な、動揺をはらんだ姉の声。

 それとは別に啜り泣くような声が聞こえた。

『殺シテ、殺シテ、殺シテ』

『痛イノ、助ケテ』

『ココハドコ』

 食い入るように目を逸らさずに彼らを見る。

 無残で人間とすらもう呼べないようなものに変えられた人たち。

 だけど、気付いてしまった。

 俺は彼らを見たことがあるってことに。

 たとえば、街中でばったり出くわしたり、たとえば、進学先の学校でたまたま同じクラスになったり、そんな風にしてまた会った時に、過去の辛くも懐かしい思い出として、あの頃のことをいつか語り合いたいとそんな淡い期待をしていた。

 そう、火傷の痛みがなくなった頃に……。

「…………ごめん、な」

 ぽつりと呟く。

 俺は無力だ、だからごめん。

 今まで知らなくてごめん。俺だけがのうのうと生きていてごめん。

 これからもそうやって生きようとしていてごめん。

 もうみんなの時間は動けないのに、ごめんなさい。

 彼らはもう1人の俺。

 俺がなっていたかもしれない姿。

 彼らはあの日の大災害で生き残り、教会の孤児院に引き取られたはずの子供たち。

 同じものを体験し、病院で目覚めたかつての同胞。

 瞳を見開いてその光景をしっかりと目に焼き付ける。忘れないように。忘れ去ったりしないように。

 拒絶するのは簡単だろう。

 ここで逃げ出すのも簡単だろう。

 でもな、それじゃあ駄目なんだ。

「坊主、どうするつもりだ」

 後ろからランサーの声が聞こえる。

 一瞬だけ、イリヤとランサーに目をやる。

「此処は壊す。イリヤとランサーは外に出てくれ。俺がやる」

「士郎がやる必要なんてないわ」

 多分これはイリヤなりの気遣いなのだろう。知っている。彼女はそういう人だ。

 いつだって優しくてしっかり者で、俺を気遣ってくれた。

 けれど、それに甘えるわけにはいかないんだ。

 だからゆっくりと首を横に振り、俺は静かな声で答えた。

「イリヤ、ごめん。それは聞けない。これは俺の仕事なんだ。……みんなを眠らせてやらなきゃな」

 目元だけ微笑んで、また前を向いた。

 背後からはイリヤの戸惑うような気配がした。

「……わかった。士郎もすぐ来るのよ」

「うん、ごめん。姉さん」

 自然と、普段は言うのも恥ずかしい敬称が口から出る。

 イリヤはもう振り返らず、ランサーを連れて上へと行く。

 彼らは濁った目で皆俺を見ていた。

 どうしてお前だけがそうして生きているんだと、そう責められているような気がした。

 自分たちはもう人間ですらないものにされてしまったというのに。お前も俺たちと同じだった筈なのに。

 そうだ、俺は彼らと同じ立場だった。

 だからこそ、終わらせるのも俺の役目だ。

「皆、ごめんな」

 ふっと微笑む。

 それからスイッチを切り替える。

 ガギリと頭蓋を撃ちぬかれる錯覚。

 今日は妙に魔術回路の調子がいい。

 まるで俺の感情に応えるように。

 怒りと悲しみと慈しみ、全てが廻り回って1つに集約する。

 そして、この場所を彼らごと全て破壊するためのカードを振るった。

投影開始(トレース・オン)

 

 

 

 side.間桐桜

 

 

「ぁああああーーーっ!!」

 痛い、痛い、痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いっ。

 なんでこんなに痛いの、なんでわたしがこんな目にあうの。

 身体中の蟲たちが悲鳴を上げる。

 魔力が体内で暴発したかのようなショックに何匹もの蟲が死んだ。

 それを受けて蟲たちもまた狂乱状態に陥って暴れる、乱れる、食いつく、魔力を喰らう。

 修復と逆流。

 再生と死を繰り返しているような感覚に絶え間ない痛みが襲う。

 銃弾が撃ちこまれた箇所だけ、魔力を込めても上手く戻らず拡散するかのように、過剰の魔力がまた蟲たちを刺激していく。

 もっと、魔力を。

 そんな要求に応えるように影は暴れ狂い地面や木々たちに宿る魔力を捕食した。

 再生と破壊がわたしを襲う。

 思考も何もかもグチャグチャでドロドロとけてしまっている。

(どうして、なんでこんな目にわたしがあうの)

 自分に銃弾を打ち込んだ男を思う。

 黒い濁った目をした男だった。

 どこかで見たことがあったような気がする男だった。

 それが誰だったのかはわからない。

 だけど、殺そうと思う。

 こんなに自分に痛いことをしたんだ、死んで償うのが当然だと思う。

 にたり、嗤って起き上がる。

 撃たれた箇所だけは元通りにはならないので、魔力を使って新たに細胞分裂させて作った新しい皮膚を使って覆った。ズタズタになった体内もほら、もう元通り。

 嗚呼、追って殺さなきゃ。

 だって、わたしを殺そうとしたんですから、だから殺さなきゃ。

 もう痛い目になんてあいたくない。

 今のわたしには力があるんだから、だからあんな『死にぞこない』殺せる。

 ああ、お腹がくうくうなりました。

 ふらふらと立ち上がって、けたけたと進む。

 死にぞこないだったけれど、食べれば少しはマシになるかもしれない。

 だけど、何故だろう。

 あの人の傍に会いたくない人がいたような気がする。

 今のわたしの姿を見せたくない人がいたような気がする。

(暗雲、暗雲、答えは出ない)

 絶対に知られたくない……?

 誰に?

 兄さんは死んだ。

 兄さんは死んでいる。

 なら一体わたしは誰をそんな風に思っているのだろう。答えは出ない。

 でも、まあいいやと思いました。

 わからないなら、思い出せないならきっと大したことじゃない。そうですよね。

 そう思ったら笑えてきた。

「あはははは」

 けたけたと大きな声で高笑い。

 あれ? そういえば……ああ、そうだった。

 わたし、そういえばあの白い子ヤギさんを探していたんだ。

 くすくす、逃げるなんて悪い子。

 悪い子はおしおきです。

 うん、違和感は残っているけど、体はもう痛くナイ。

 痛みがなくなれば、却って清々しい気分になれた。

 きっとわたしは何でも出来る。

 ズルリズルリと闇を引きずって歩く。

 わたしは影で影はわたし。

 2人で1つのマトウサクラ。

 ピクリと、人の気配がした。

「誰!?」

 

 バッと、影を翻し、木々をなぎ払う。

 スレスレで避けて出てきたのは数日前も見たような気がする黒い女の姿だった。

「……桜」

 無感動無表情に見えるのに、恐怖ではないものに苦しげに眉を寄せている女。

 だけど、それが誰なのかはイマイチ今のわたしには思い出せない。

 ただ以前見逃したことがある相手だったような気がした。

 だから、くすくす笑いながら言う。

「へぇー。また来たんだ。それで何の用ですか。わたし、今ちょっと忙しいんです」

 邪魔したら食べちゃいますよ? と暗に含めて口にしたというのに、目前の黒衣の女は全くわたしと視線を逸らすことはなく、はっきりと「もう、やめてください」そう口にした。

「はい?」

 首をかしげながら女を見る。

「これ以上やっても、傷つくのは貴女でしょう。もうやめてください。私は貴女を……救いたいと思っているんです」

 その言葉に腹が立った。

 救いたい? ええ、ずっと救われたかった。

 姉がいると知っていつか、自分を救いにきてくれるんじゃないかってそんな夢想を覚えるくらいずっと誰かに助けて欲しかった。

 毎日痛くて、辛くて、辛いことばかりで、○○先輩の家だけが居場所だったのに、それすら無くして、拒絶されて、兄さんも死んで、わたしを人間としてみてくれる人なんていなくなって、わたしを世界は拒絶してなんでどうして、今更になって、貴女みたいな他人が『救いたい』なんて言うの。

 どうして、もう夢なんてみたくないのに。いっそ堕ちたいのに。どうして、なんで。

(ワタシハ、モウ戻レナイノニ)

「勝手なこと言わないで!」

「桜」

「わたしがどんな目にあってあの家で育ったと思ってるんですか。痛くても辛くても、もうやめてって何度もいったのに、わたしが痛がれば痛がるほどいい道具になるっていわれて、痛くてずっと助けてほしくて、でもわたしが待っていたのは貴女じゃない!!」

「桜、私は」

 尚も言葉を紡ごうとする喉を影で締め上げる。

 これ以上聞きたくなんてない。

 気道を塞がれた女は苦しげに空気を吐き出す。

 けれど、その目はまっすぐに労わりを見せながらわたしを見ている。

 それが無性に癇に障った。

(ああ、そうだ)

 わたしを救いたいなんていった人に相応しい罰を思いついて薄く笑う。

 このままこの人を一飲みにしてしまうのは簡単だ。

 それじゃあつまらない。

 そんなの簡単すぎる。

 ドサリと女を地面に降ろして、にやりと哂って言った。

「わたしを救いたいといいましたよね?」

 くすくすわらいながら彼女を見る。

「わたしに……同情していますか。わたしを可哀想だと思いますか」

「……桜?」

「じゃあ、同じ目にあってくださいよ」

 ぶわり、影が足元から広がる。

「同じ目にあって、それでも同じことが言えるんなら、そうしたら少しは信じてあげます」

 ぱくりと彼女を影に飲み込み、わたしがあの家に連れて来られてから受けた仕打ちを彼女の中に再生させようとして記憶に触れ、そして……。

「……ぇ」

 目前の女の思わぬ境遇を知った。

「……!!」

 

 夜の闇を飲み込んでFateの運命の輪は廻る、廻る。それぞれの思惑を孕んだまま。

 

 

  NEXT?

 



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29.皮肉なる最期

ばんははろ、EKAWARIです。
新年明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。
さて、そんなわけで新年早々欝展開でお送りいたしますうっかりシリーズ第五次編29話、今回のサブタイトルは2名の人物を示しております。
原作で死んだことがないキャラは二次でも大丈夫なんて、そうは問屋が卸さないんだぜ。


 

 

 

 たとえばそれが蟲に変えられたような痛みだとしたら、

 たとえばそれはチェスの駒にされたかのようで。

 たとえば性をあさる娼婦のようにわたしが変えられたのだとしたら、

 たとえば彼女は性処理を兼ねた殺戮人形にされたようで。

 人間だと見て欲しくて、だから厳しくても人間扱いをしてくれた兄さんがわたしは好きで。

 自身を人形だと思った彼女は、自分が人間であることさえ捨てた。

 ずっと辛くて苦しくて、わたしは誰か(姉さん)に助けて欲しくて。

 助けてなんて思わずに、思えなかった自我の幼き彼女は男に肉体だけを救われた。

 自分が汚れていることを自覚していても、それでも好きな人には綺麗に思ってもらいたくて綺麗な自分のフリをした。

 自分は道具なのだからと、体すらも自分を拾った男の為の手段にして、自分も無く生きていたのに、醜く足掻く人に知らず憧れた。

 たとえばわたしが未来を閉ざされているならば、

 彼女は過去こそ閉ざされていて。

 たとえばそれは……。

 

 

 

 

 

    

  皮肉なる最期

 

 

 

 side.間桐桜

 

 

「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」

 息が切れる。

 動悸が収まらない。

 心臓が煩く早鐘を打ち続ける。

 まるで警鐘の変わりのように。

 そうやって、鬱蒼とした森の中をただ感情のままに走っていた。

「ひっ……ふっ……ぁあ…………」

 顔を覆って、悲鳴なのか嗚咽なのかわからない声を噛み殺す。

 自分の頭の中はぐちゃぐちゃで、今わたしは立っているのか座っているのかすらもわからない。

 こんな薄汚れてしまったわたしを、救いたいのだといった(ひと)に罰を与えるつもりでしたあの接続、そこから伝えられたイメージが脳裏を支配してやまないから。

 知っている筈なのに、名前を忘れちゃった黒い服の女性。

 彼女をわたしの影の中に取り込んで、魔術師としてはあまりに弱い耐魔力を無視して、彼女の記憶に触れた先のひと時、そこから見たのはあまりにも意外な女の過去の映像とイメージだった。

 幼くして兵士に仕立て上げられ、夜は毎日のように強姦され身ごもった子供は奪われる。

 人に生まれ落ちながら、人として扱われないそんな人生。

 正確に見たわけじゃないけれど、断片で伝えられたそれに、わたしは彼女を未消化のまま影から吐き出してただ逃げ出した。

 わたしにとって、ずっと世界というのは辛いものだった。

 間桐の家に来てから、痛くて苦しくて辛いことばかりだった。

 そうだったはず。

 なのにさっきのアレを見てから、本当にそうだったのかがわからなくなっている。

(だって、わたしには兄さんがいた。○○先輩がいた。○ロさんも。イ○ヤ先輩も)

 どうして。

 どうして、どうして。

 それとは別に頭の奥で囁く声が聞こえる。

“何ヲ迷ッテイルンダヨ。オ前ハ辛カッタハズダ。苦シインダロ、憎インダロ。憎メヨ、ソレガ正シイ。コンナ世界壊シタカッタ筈ダロ。全部滅茶苦茶ニシヨウヨ、ソレガ望ミナンダカラ”

「……やめて……」

 本当にわたしはこの世界が憎かったのか、記憶が曖昧でよく思い出せない。

 でも胸の奥で声が響くたび、先ほど見た彼女のイメージが脳裏によぎるたび、涙がぽろぽろぽろぽろとこぼれだす。溢れる。

 寂しい人だった。

 自我すら碌に形成することも出来ず体だけ先に大人になった、そんな人だった。

 哀しいを哀しいと思えず、辛いを辛いと思えず、ただ『人間』を羨望して、人間らしい感情も自分の感情もわからなくて、自分を機械だなんて思って、憧れの真似をしてわたしに手を差し伸べた。

 同情なんて彼女にはなかった。

 可哀想という感情すら彼女は知っていなかった。

 それは人間としてどれだけ歪なんだろう。

 つい先ほどまで確かにわたしは、世界中に憎まれていると思っていた。

 世界中全てがわたしに優しくないって、だからこんな世界壊してしまおう、そうしても許されるって何故か思っていた。

 どうしてかはわからない。

 ただ、世界全てが悪意の刃に見えていた。

 だけど、それが本当なのかそうでないのかわからない。

 わたし、わからないんです。

“余計ナ事ヲ考エルナ。オ前ハ化ケ物ナンダヨ。憎インダロ。辛インダロ。殺セヨ。壊セ。全部食べチャエ”

 ほうら、腹が減ったんだろう? そんな空想の声にゾクリと体が震えだす。

「やめて、やめて、やめて」

 そうだ、わたしには兄さんがいた。お爺様もいた。

 シ○さんもいたし、イリ○先輩もいた。

 好きな人だって、好きだって思ってきた人だっていたの!

 先輩の家で食べたご飯がおいしかった。

 些細なことでみんなで笑って、こんなわたしの手を、汚れているこの手を握ってくれたの。

 泣きたいくらい幸せで優しかったの。

 確かに辛いことも、苦しいことも多かったけれど、わたし、わたしはだから寂しくなんてなかった。

“拒絶サレタノニ?”

 ぞっと、血の気が引いた。

「やめ……て……」

“アノ日、告ゲラレタ筈ダロウ。ナノニ、ワカラナイノ?

『君が間桐の後継者なんだろう?』

 そうわたしは所詮間桐(ムシ)で、人間じゃなくて、もうあの家にわたしは行ってはいけないんだと、そう確かに突きつけられたんだから。

「やめて…………!」

 違う、違う、違う。

 わたしは恨んでないの!

 わたしは、だって確かに愛情も知っているから。

 辛いことばかりなんかじゃなかった、笑ってわたしの傍にいてくれた人達がいた。だからやめて。

 もうわたしに吹き込まないで。黒く染めないで。

 世界を壊すことなんて、望んでない。

 望んでいないの。

 だって、だって、わたしは兄さんがいた。

 ○○先輩が……わたし、わたしは1人なんかじゃなかった。

“マトウシンジハ死ンダヨ”

 はっと、その情景を思い出す。

 斜めになった校舎の屋上から落っこちて、アスファルトの大地に墜ちて赤い花を散らせて死んじゃった。

「ぁ……ぁぁあああ……」

 ガタガタと震えだして、顔を抑えてわたしはしゃがみこんだ。

 ボロボロボロボロ、涙が止まらない。

 息をするのさえ苦しくて、喘ぐように小さく悲鳴をかみ殺す。

 姉さん、姉さん助けてください。

 それでわたしが死ぬことになってもいいですから、もういいですから。だから、助けてください。

 もう辛いの、苦しいの。

 自分がわたしがわからないの。

 記憶も想いもぐちゃぐちゃで虫食いの穴あきなの。

 自分の考えもなにもかもわからないの。

 誰か、誰か助けて。

「……間桐嬢?」

 

 呼びかけられ胡乱な意識のまま前を向いた。

 気付けば自分はとうに森を抜けて住宅街の裏通りにいたらしい。そんなことに今更気付く。

 そして目の前に立っているのは買い物袋を手に提げた小柄な少年が1人。

 どこかで見覚えがある同年代らしきその人は、わたしを間桐桜と認識しているらしく、知人に対する色を宿した目でわたしを見ながら、何故こんなところにいるのか? という疑問を乗せた声でわたしの名前を呼ぶ。

 誰?

 確かにわたしはこの人を知っているはず。

 そう、時々○○先輩と一緒にいる姿を見かけることがあった。

 そう、先輩のクラスメイト。

 ○○先輩?

 そういえばそれが誰かなのかすらわかっていないのに、なんでそんなことを思うのだろう。

「間桐嬢でござろう? その髪や姿はどうなされた?」

 困惑するようにわたしを見ながら、その男の子はわたしに対する疑問を口にする。

 とはいえ、言及するのは容姿に関してだけで、そこにわたしに対する畏れや恐怖といった感情は見あたらない。わたしの異様性には気付いていないのか。いや、わかっていないだけなのだろう。

 だって、相手は一般人なのだから。

「いや、そんなことより、近頃はこのあたりで一家失踪事件が相次いでいるという。おなご一人では危ない。衛宮でないのはすまぬが、拙者がお送りしよう。さ、手を」

 そういいながら、○○先輩のクラスメイトの少年は手を伸ばした。

 それに思わず息を呑む。

 今目の前にいるのは、事情も何もしらない、きっと見知った後輩くらいにしか自分のことを認識していないだろうそんな少年だ。

 だけど、わたしはそれが救いの手に見えた。

(いいの?)

 この手をとってもわたしはいいの?

 そんな自問をする。

 だけど、今は誰かに縋りたくてたまらなかった。

「……ありが……」

 震える手をわたしも伸ばして、それが終わりだった。

 ビチャリと、血が顔にかかる。

 目の前で少年の体は真っ二つに割れて、ぐしゃりと崩れ落ちた。

 何が起こったのかわからなくて一瞬、硬直する。

 そして、すぐに理由に気付いた。

 少年はわたしの影に襲われたんだと。

「……ぁ」

 わたしが手を伸ばしたのを合図にして、影が少年を襲っていたんだって。

「ぁあ……」

 ぐちゃりぐちゃりと影が徘徊する。

 まるでお腹が空いたんだと喚くように崩れ落ちた少年の体にかぶさって、ぐちゅりぐちゅりと肉を、血を啜る。

 やがて影は全てを飲み込んで、少年がいたという痕跡すらなくした。それの意味。

 わたしは、わたしが(・・・・)、わたしを救おうとした少年を殺して喰らった。

「……ぃやぁぁあああああーーー!」

 

 

 

 side.衛宮切嗣

 

 

 僕を呼ぶ声が聞こえて、僕は瞼を開く。

 ここはどこなのか、考える前に刹那の結論。

 嗚呼これは夢だ。夢の中に僕はいるんだと。

 ふと、口元だけで笑う。

 久しぶりに「本当」の夢を見た。

 夢とは人の願望を写す鏡なのだという。ならば確かに其れは僕の願望だった。

 雪のように白い髪に、透き通った紅の瞳、慈母の微笑みを湛えた今は亡き最愛の妻、アイリスフィール。彼女がそこに立っていた。

 そして、諭すような声で彼女は言う。

『まだ駄目よ』

 そっと白魚のような手が、慈しむように僕の頬に伸びる。

『まだ、あなたがこっちにくるには早いわ』

 懐かしさに、夢の中というのに目じりが緩む。

(だけどアイリ、僕は……)

 思い出すのは意識を失う前のこと。

 憎悪に燃えた目で僕を見たレイリスフィールという少女の姿。

 結局のところ、僕は間違えたんだ、アイリ。

 僕はただ救いたかっただけなんだ。

(それはあの日のイリヤを? それとも第三の僕の娘を?)

 だけど、駄目だったんだ。拒絶されたよ。

 そりゃあそうかもしれないね。

 結局、僕のこの手は血まみれで、散々誰かを殺してきた立場で誰かを救いたいなんてことこそが、傲慢さに胡座を掻いた自己満足行為でしかなかったのだろう。

 僕は昔からなんにも変わっちゃいない。

 初恋の女も実の父親も母代わりの女性も、そして君すら殺して、死なせて、それでも僕の夢がそれらで叶ったことなんてなかったんだから。

 僕はただ正義の味方に……みんなを救って守れる人間になりたかっただけなのに、それすら捨てて、残骸として10年を生きてきた。

 みんな死なせて、骸ばかりを重ねて、そのくせ10年間も穏やかに暮らしたんだぜ? この僕が、だよ。

 だから、きっと罰だったんだ。

 彼女という存在も、彼女に憎まれることも。

(でも、だけど、救いたかったんだ)

 結局は僕には何も変えれないのか。

 僕には何も出来ないのか。

 なぁ、アイリ……僕は、君の元に行ってはいけないのか。

 こんな僕に、まだ生きる価値があるというのか。

『泣かないで、切嗣。もう少しだけ頑張りましょう。ね?』

 優しい声で彼女はそう言って、そっと僕の背中を抱きしめた。

 ささやかな提案のように彼女は耳元で言う。

『ねえ、切嗣。あなたは笑うかもしれないけど、少しだけ奇跡を信じてはみない?』

 妻のほうへと視線を向ける。

 彼女はいつかのように、少しだけ悪戯そうに微笑んで、穏やかに告げた。

『だって、私も聖杯だから。信じればきっと奇跡は起きる。だから諦めないで。時間ギリギリまであなたは足掻いて、最期まで生きて。お願いよ。私の分も……』

 そういっている彼女は、アンリマユが見せる偽者ではなく、かつて僕が愛したアイリそのままのように思えた。

 そうだ、ここのところ夢に出てくるアイリはもっと歪んだ表情をして、怨嗟の声ばかりを僕にぶつけていた。なのに今目の前にいるアイリはかつての微笑を浮かべていて、いつかのままだ。

 ふと、もしかして目の前にいるアイリは本物なのではないのかという錯覚を覚える。

『聞こえる? 切嗣。あなたを呼ぶ声がしているわ。さあ、行って。そしてあの子達の力になってあげて。私は、いつまでも見守っているから……』

 

 覚醒はゆるりと訪れた。

 これほど穏やかな目覚めなんて一体いつ以来なのかすらおぼろげで、答えが出ない。

 それほどに優しい目覚めだった。

 ふと、自分の目元に違和感を感じる。次いで気付いた。嗚呼、自分は眠りながらに泣いていたのか。

 こんな、穏やかな目覚めがあっていいのか。

 眠りにつく前の僕は、そんな穏やかでいられるような状態じゃなかったはずなのに。

 あのまま死んでもおかしくないとすら思っていた。

 でも、目が覚めたということは、即ち自分は死んではいなかったらしい。

 そこまでゆるく思考したあと、隣に座る存在に気付いた。

「起きたか、切嗣(じいさん)

 そういって自分に話しかけてくる顔。

 10年家族として共に暮らした僕の娘。僕の息子士郎の『なっていたかもしれない』将来の姿。

 夢に落ちる前にぼんやりと思った剣の王の背中を思い出す。

 赤き荒野に佇む剣の王。

 それは確かにシロであってシロではなく、だけど確かにシロだった。

「……シロ」

 声を出す。

 億劫に自分の声が鼓膜に響く。

 まるで70を過ぎたかのような、弱く窶れた老人のような声だった。

「……僕は、どれくらい、眠っていた……?」

 それに一瞬彼女は痛々しげに眉をひそめ、ついでいつも通りの表情を作って淡々と話す。

「一昼夜……だな。寧ろそれだけで目覚めるとは僥倖だ」

 その言葉で、今日は2月10日であることを知る。

「……そうか。僕はあと、どれくらい持ちそうだ?」

 それに、数瞬彼女の鋼色の目が虚空をさ迷う。

「……どれ程長く見積もってもあと10日……いや、1週間がせいぜいだ」

 わかっていたことだけれど、魔術薬と固有時制脚を同時併用の代償は大きいのだと改めて知る。

 わかっていたことだ。

 だけど、あのときの選択に後悔するつもりはない。

 あそこでレイリスフィールと名乗るあの子を見捨てる選択のほうこそ、きっと今の僕には耐えられなかっただろうから。

「そうか……薬は、あと何回まで大丈夫だい?」

 それに一瞬シロは怒りにかられたような表情を浮かべた。

 けれど、すぐに表情を打ち消し、堅い声音で僕の質問に言葉を返す。

「……3日以内なら2回が精々だ。だが、次に服用すれば貴方は死ぬ」

「……そうか」

 返事として出した声はやけに乾いた声になった。1週間も保たないとしても、充分だろうと思う。

 その後は淡々と士郎やイリヤたちの事を聞く。

 言峰は教会にいなかったこと、イリヤや士郎にも心配をかけていたということ。意外にも、あのセイバーも心配していたということ。

 そして変わり果てた間桐桜の話になって……彼女を語るシロを前に、初めて僕はソレを確信した。

 突如としてバラバラになっていた色んなピースが1つになったようなイメージを覚える。

 嗚呼、なんで気付かなかったんだろう。

 こんな近くにいたのに、僕はもう君のことをわかっているつもりでいたのに、やっぱり全然わかっていなかった。

『私は貴方が思うままに進めばいいと思っている。私はそのサーヴァントとして、貴方の決断に従うだけだ』

 その言葉の真意をどうして気付こうとしなかったんだ。

 思えば、この第五次聖杯戦争が起きてからずっと彼女はちぐはぐだった。

 その理由は、僕だ。僕だったんだ。

 報告を続けようとする彼女を目線で制して、10年ぶりにかの名を呼ぶ。

シロウ(・・・)

 それは10年間シロと名乗り続けてきた彼女の本名。

 僕ではない僕に拾われた時に失くした上の名とは違う、最初から持っていた本当の名前。

 それに彼女は驚きに目を僅か開いた。

「シロウ、もういい。もういいんだ」

 億劫な右手をぎこちなく動かして、彼女の褐色に染まった頬まで伸ばした。

 どうか僕の思いが届いていればいい。そんな願いを込めながらなぞる。

「ごめんよ、今まで気付かなくて。もう僕のことはいい。捨て置いてくれてかまわないんだ。だから、シロウ、君は自分の生きたいようにやってくれていい」

 そうだ、彼女は本当はこんなところでくすぶっていられるような性格はしていなかった。

 周囲に自分の正体がバレるかもしれないなんて、そんな理由で大人しくしているような人間じゃないんだ。

 それがこうして満足に動くことさえせず、鬱屈する心を抱えながらも大人しくこの家にとどまっていたのは……僕のせいだ。

 シロウは今でも僕がマスターだと思っている。

 その上親子の情もある。

 死にかけのマスターを彼女は放っておけなかった。

 だから迂闊に動けなかった。

 きっとそれが正解だ。

「桜ちゃんを助けたいんだろ?」

「……! 桜は……」

「いいんだ、もう。自分の心を偽らなくていい。だから、シロウ。自分の心のままに歩きなさい。それが父親としても、マスターとしても……僕の願いだ」

 泣きそうに目の前の相手の人相が歪む。

 涙なんてなくても、それでも僕はそれを泣いていると思った。

 

 

 

 side.バゼット

 

 

 あれから一週間ほどが経っただろうか。

 白い空間。その中を私は歩いていた。視線を下げ、人と目をあわせないようにして歩く。

「あ、バゼットさん、本日退院ですか」

 ふと呼びかけられて前を向くと、そこには自分を担当していた快活な看護婦の姿があった。

 ……彼女はなんだか苦手だ。思わず小声になって言葉を返す。

「ええ」

 曖昧な笑みを浮かべて言う。

 それに彼女は気にした風もなく「また何かおかしなことがあったらいつでもきてくださいね」なんて言って笑った。それを俯いてやり過ごす。

 ……本当はもっと前から退院は出来た。

 今日まで引き伸ばしてきたのは、思考を放棄してきた結果だ。

 聖杯戦争に参加するマスターになるために送り込まれたというのに、何一つ果たせず、聖杯戦争が始まる前に私は令呪ごと腕をとられて脱落した。ランサーは別の人間と契約したという。

 自分を斬った男を思い出す。

 言峰綺礼。

 私はこの男に好意をもっていた。

 信頼してはいけない危険な男だという認識もないまま、背中を見せた結末がこれた。

 私の左手はぽっかりと欠けたまま。

 これから何をしていいのかわからなくて、でも考えるのも辛くて思考停止ばかりを繰り返していた。

 とっくに退院は出来るというのに、長く病院にい続ける私を医者も看護婦も止めることはなかった。

 いや、医者は正確には『金さえ払ってくれるんならいい』だったのですが。

 そして、いつまでもこうしているわけにはいかないだろうと思ったのが昨日。

 殆どないに等しい自分の荷物を纏めて、病院の出口に向かっている。

 ふと、自分を此処に預けた女を思い出した。

 黒髪黒目の国籍不詳な黒い女。

 彼女は何かあれば無線で連絡を、と言っていた。

 そうだ、今回の件では迷惑をかけた。

 たとえ彼女の仲間からの指示で私を助けただけだとしても、それでも聖杯戦争の関係者なのに元マスターである私に対してのそれは温情といっていいだろう。

 本当はきっと私はあそこで死んでいるはずだったのだから。

 だから、一言礼を言おう。

 無事退院しましたと、そう告げよう。

 そう思って無線に手をかけたが……それが繋がることはなかった。

「…………」

 これは、もしかして壊れている……?

 相手の身につけている無線が。あるいは……。

 嫌な予感が胸に広がる。

 そして、私は己の心のままに駆けた。

 

 

 

 side.アサシン

 

 

 彼らを見つけたのは偶然といえば偶然だった。

 橋の上を歩く2人組みの男女。

 それが魔術師であることと、共に霊体化したサーヴァントの気配がすることに気付いて、それが私が屠るべき敵であることを知る。

 アサシンのサーヴァントには気配遮断のスキルが与えられている。

 それを使い気配を消しながら、私は彼らの後をつけた。

 たどり着いたのは一軒の武家屋敷。

 そして、其処にもう1つサーヴァントの気配がすることに気付いた。

 おそらくが2体のサーヴァントとマスターが手を組んでいるのだろうとそれで判断する。

 しかし、そこまで考えて暫し困った。

 私は暗殺者だ。

 ただでさえサーヴァント同士の戦いには不向きというのに、2人のマスターと2騎のサーヴァントが組んでいるとなると、この現状は厄介だ。

 かといって、他に敵マスターの手がかりはといえば、あの白い娘と赤い娘くらいだが、彼らには姿を見られているし、一度殺しに失敗した。私に対する警戒レベルも引き上げられていると見ていいだろう。

 なら、これも迂闊なことは出来まい。

 だが、聖杯戦争とは何も必ずしもサーヴァント同士が殺しあうというものでもない。

 マスターを殺しても目的は達成される。

 そしてこの身はアサシンのサーヴァント。マスターの暗殺に最大のアドバンテージを誇るクラスだ。

 よって、私は方向性を変えることにした。

 幸いというべきか、此度のターゲットであるこの屋敷の人間の数はサーヴァントの数より多い。

 そのあたりがあの白い娘や赤い娘とは違う。

 ……人間が1人の時を狙い、殺して、サーヴァントが追ってくるより先に霊体化して気配を遮断し逃げればいい。

 それを繰り返せばこの陣営は崩れる、とそう私は睨んだ。

 そこまで考えればあとは簡単だ。

 人間が張った結界など、この私にはあまり意味がない。

 まして、こうも開放的な造りの家ならば尚更だ。

 無い顔で笑いを殺しながら、霊体化して気配を消し屋敷の中へと潜む。

 あとは獲物がかかるのを待つだけだ、そう思い待って……そしてその時は存外早く訪れた。

 そう、昨晩確かに私が見かけた赤い髪の少年が、隙だらけの姿のまま1人佇んでいる。

 馬鹿な獲物を前に忍び笑う。

 そして実体化してダークを投擲、その刹那、私は驚愕に一瞬動きを止めた。

 為す術もなく無様に殺されると思った少年は、私が放った一瞬の殺意に反応して、黒と白の双剣で私のダークを打ち払っていた。

(馬鹿な……!) 

 確かあれはあの赤き弓兵の装備だったはず、それを何故こんな少年が持っている。

 いや、この少年、いくら私の本気の一撃でなかったとはいえ、仮にもサーヴァントの攻撃に対処しただと?

 思う間にサーヴァントの接近する気配が近づく。

 尋常ならざるスピードにそれがランサーだと気付くが、いまだ驚きから覚めぬ私は相手のサーヴァントが一体と知ると、迎え撃つほうに心の秤が傾く。

 思ったとおりの青き槍兵が赤き槍を手に私に迫る。

 それを妄想心音(ザパーニーヤ)を使い、しとめようとして、そしてそれを実行に移すより一寸早くソレを聞いた。

刺し穿つ(ゲイ)……」

 魔力が周囲から巻き上げられる気配がした。大気が揺れる。

「……死棘の槍(ボルク)ッ!!」

 そして、槍はその伝承の通りに私の心臓を穿った。

 

 

 話は変わるが、サーヴァント同士の戦いとは、結局においては宝具同士の撃ち合いである。

 そして、神秘はより強い神秘の前に破れる。

 宝具同士の競い合いとして出したならば、世にも名高きゲイボルクに妄想心音が負けるのは当然といえば当然の結末であった。アサシンはランサーと対峙してはいけなかったのだ。

 けれど、正史ではアサシンによって屠られるのはランサーのほうである。

 なのに、この結果を招いたのは何か? それはマスターの違いかもしれないし、状況の違いかもしれないし、あるいはランサーがアサシンと出会った時、全力で叩き潰すと以前に誓っていたことも元凶かもしれなかった。

 どちらにせよ、正史では屠ったランサーによってアサシンが殺されるとは皮肉といえば皮肉なる最期であった。

 

 

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30.黒き従者

 ばんははろ、EKAWARIです。
 お待たせしました、第五次編30話「黒き従者」です。
 いやあ、こうしてみると中章も終わりが近づいてきましたねえ。
 とりあえず春までには中章が終了する予定となっております。


 

 

 

 本当はわかっていたよ。

 君は僕の『娘』じゃなくて、『息子』なんだって。

 ただの娘であってほしいと願ったのは、そう思っていたのはいつだって僕のほう。

 どんな姿になっても、どうあっても、それでも君は僕の『息子』だから、このままであれる筈がないのに。

 その心に傷を負わせ、無自覚に、自分の我が侭につき合わせていた。

 ごめんよ、シロウ。

 きっと、君は、借り物の理想に殉じただろう君自身でさえ、許せないことかもしれないけれど。

 君を夢という名の呪いで縛った僕が言えた台詞じゃないのかもしれないけれど。

 それでも、もういいから。

 だから、自分のために生きて欲しい。

 思うままに、救いたいと思うものを救って欲しい。

 出た犠牲は全て僕の罪としていいから。

 それが父としての、君のマスターとしての僕の願い。

 

 

 

 

 

 

  黒き従者

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

「終わったか」

「嗚呼」

 男より数秒遅れで辿りついた私は、たった今アサシンのサーヴァントを屠ったであろう男を前にそう確認の言葉をかける。返答は素っ気無いくらい簡潔で飄々としている。

 我が家の警戒レベルを引き上げ、常に緊張を強いるきっかけとなった存在のうちの一、その終わりは呆気なさ過ぎるほど呆気ない最期とすら言えた。

 まあ、この結果は当然といえば当然であったのかもしれない。

 今飄々と答えているこの男は、こう見えてもアイルランドの大英雄であるクー・フーリンだ。

 暗殺者の英霊如きでは対抗出来なかったのも無理はないだろう。

「で、どうだ?」

「何の話かね」

 たった今、アサシンを葬った赤槍を手の内で弄びながら、ランサーはどことなく挑発的とすら言える微笑を浮かべてそんな言葉を私に投げつける。それに、僅かに眉を顰めながら私はそう返した。

 そんな私を見ながら、むっとランサーは不満そうな顔になっていう。

「だからよ、以前の約束通りアサシンの奴は全力で叩き潰してやったぜ。俺にいうことあるんじゃねえのか?」

 言うこと……だと? 何をおかしなことをいうんだ。

 サーヴァントがサーヴァントを倒すのは当たり前の行動だろう、たわけ。

 そう思ってつい訝しむような視線になりかける私を前に、士郎は苦笑しながらフォローするように朗らかに次のようなことを言った。

「あのさ、シロねえ、ランサーはアンタに褒められたいんだ」

 む? 何故私に?

 ……いや、それより、おい士郎。何故そんな困ったようなものを見る目で私を見る。

 目前のランサーに視線を戻す、何かを期待するような顔だ。

 ふ、殴っても構わんのだろう?

 そんな天の声が聞こえたような気がしたが、そうだな、礼を言うくらいやぶさかでないか。

 いくら私が仕込んでいるといっても、士郎はサーヴァントに対抗出来るほど強いわけではない。

 戦闘センスがいいがそれだけだ。あと少し遅ければ今頃倒れていたのは士郎のほうだっただろう。

 そう思い直して次のことを告げた。

「礼を言おう、ランサー。士郎を救ってくれて感謝する」

 正直ランサーなどに礼を告げるのは複雑な気分である。が、それでもそう口にした。

 そんな私に対し、ランサーの奴は不満そうな声でこう続けた。

「おい? なんか誠意が足りない気がすんのは、こりゃあ俺の気のせいか?」

「気のせいだろう」

 あっさり流す。

 というか、今になって気付いたんだが、この場合ランサーに礼を言うべきなのは私ではなく、士郎なのではないか。何故私に礼を求める。

 だが、ランサーも士郎も私が礼を言うべきだという態度でいるのは一体どういう了見なのだ。

 そんな諸々のことを懇々と考えはするが、言うだけ徒労に終わりそうな気がしたので、胸のうちに秘めておいた。

「士郎、無事?」

 その言葉と共に遅れながらイリヤがたどり着く。

「ああ。ランサーが助けてくれたから、大丈夫だ、イリヤ」

 それに安心させるように笑顔で答える士郎。

 こういうところが自分とは違いすぎて、見るたび少しだけ複雑な感傷を覚える。

 自分とは違う過去の自分の顔を見るのは奇妙なもので、でもこういう態度を見るたび、こいつが自分と同じ歴史を辿ることはないだろうことに安心もまた覚える。

「そう。助かったわ、ランサー」

「俺は俺のやるべきことをやっただけだぜ」

 そうイリヤに向かっては答えるランサー。

 なら、何故私には礼を求めたのか、と多少の不満を覚えるが、言って場を混乱させるのは本意ではないので黙っておいた。

「それより、聞きたいことがあるんだが、いいか?」

 その言葉を合図に、ピリリっとこの青き槍兵の気配が引き締まった。

「先の坊主の武装、ありゃあアーチャーやアーチェの奴も使ってたのと同じだな。こりゃどういうことだ?」

 

 

 

 side.セイバー

 

 

 サーヴァントの気配が現れ、すぐに消えたそのとき、すぐ傍にいたシロに言われたのは『爺さんの傍にいてくれ』そんな言葉だった。

 位置から考えてサーヴァントの出現位置からは私よりランサーが近いからという判断と、もし件のサーヴァントに組んでいる相手がいる場合、動けない切嗣が害されたらという判断から下された言葉であることは私にもわかったけれど、それを聞いた瞬間私が思ったのは、「それは私では役に立たないということなのか」と、そんな感傷だった。

 シロにそんなつもりはないだろうことはわかっている。

 それでもそう思わずにはいられなかった。

『そもそも君は此度の聖杯戦争では傍観者でいるつもりなのだろう? そして任したのは切嗣の言うとおり家の中での備えだけだ。君に私たちの行動を阻害する資格などない』

 そういわれたときのことを連想した。

 それは、言外に役立たずなのだと、家の中の守りでさえ任せられないのだと、信用出来ないのだと突きつけられたかのようだ。

 そしてそれに言い返せない私がいた。

 私はいまだに自分がやるべきことが見えていない。そのくせ、好意のままにズルズルとここに居座っている。

 消えることも、動くことも出来ず、停滞している。

 それは、あの丘で佇んでいる私とどこが違うのだろう。何が違うというのだろう。

 結局私は迷っているだけなのだ。

 ぐっと確かめるように右手を握り締める。

 それはここに召喚されてからずっと何度も繰り返してきた行為。

 願望のために自ら斬り捨て裏切ったマスターの命が終わる瞬間の感触を確かめる戒め。

 同じことは繰り返したくない。

 でも、斬った重みが、聖杯は穢れていると、私の望みは叶わないのだということを認めることを邪魔する。

(だって、それを認めてしまえば、わたしが斬ったシロウの死が無駄になってしまう。意味をなくしてしまう)

 本当はとっくに、この家に住む彼らに力を貸したいと思っている。

 同じ過ちを繰り返さないためにもそうありたいと思っている。 

 けれど、踏み出すための一歩が足りない。

 これは、今までの停滞のツケなのでしょうか。わからない。わかりやしない。

 ただ悔恨の中、自分が愛し殺した少年を思う。

 それに何故か、最近はずっとシロの姿がかぶる。

 私を「アルトリア」とそう呼んだ。

 この世界に私の真名を知っているものなどいるはずがないのに、アーサー王ではなく、私個人の名を呼んだ。

 私は、その理由を彼女に問うのがきっと怖い。

 そんなことを思いながら、半死人と貸した昏々と眠り続ける男を見やる。

 衛宮切嗣。

 第四次聖杯戦争で私のマスターだった男と同一の魂をもつ存在。同じであって違う男。

 血の気が引いた白い肌に、やつれた頬と目元。

 そのやせ衰えた体はかつて魔術師殺しと呼ばれた存在には見えない。

 そして、マスターやシロたちに見せる姿もまた……あまりにも私の記憶する衛宮切嗣と違いすぎた。

 こんな男は知らない、とそう思う。

 だって、切嗣は私と話したりしなかった。

 全て私の意見など聞く価値もないというかのように、流して、何を言おうと戯言としか認識していないかのように振る舞い、あくまで私は道具でしかないとそういう態度を取った、まさしく魔術師である男だった。

 だけど、この切嗣は……。

「私は、貴方のこともまた見誤っていたということだろうか」

 ぽつりと呟きながら、騎士の誓いをかつて交わした貴婦人のことを思い出す。

 アイリスフィール。

 冬の姫君。かつて守れなかった女性。

 切嗣のことを本当は優しい人なの、とそういって夫への愛を惜しみなく注いでいた慈愛の姫君だった。

 今ならわかる。

 確かにアイリスフィールは切嗣のことを理解していたのだと。

 チクリ、とまた胸が痛む。

 背負うべき十字架の重みは更に増えて私の肩へと降り積もっていた。

 

 

 

 side.ランサー

 

 

 場所を敷地内にある道場に移して、俺らは向かい合っていた。

 メンバーはアーチェに、嬢ちゃん、坊主に俺と、まあ、セイバーのやつと半死人のここの家主以外の全員だ。

 セイバーやここの家主だけをのけ者に本館に置いて来たような状況じゃああるが、あの状態じゃどっちも参加したところで足手纏いだ。

 そう思ったのは俺だけじゃないらしく、アーチェの奴も同様の判断を下しているみたいだが、まあ全く同じってわけでもなさそうだ。

 それはいいとして本題に入る。

「で、なんでアーチェの奴といい、坊主といい、アーチャーの野郎と同じ剣をもっていた? まさか、ここにきて教えねえとはいわねえだろうな」

 はじめて、俺がアーチェの奴があの双剣を出したのを見たとき、俺が思ったのは、アーチェの奴はアーチャーの子孫か何かで、同じ武装が使えるのはそれが受け継いできた宝具であるんじゃないかという可能性……この女は伝承保菌者(ゴッズ・ホルダー)なのではないかという疑いだった。

 何せ、アーチャーの野郎も、アーチェの奴も白髪に褐色肌、鋼色の目と同じような外見的特徴だ。

 おまけに顔立ちも結構似ているし、こんな変わった色の組み合わせの奴がそうそういるわけもねえ。

 自然と考えられる予測としては、先祖と子孫だろうというあたりに落ち着くのは当然っちゃ当然だろう。

 だが……坊主まで同じ武装が使えるとなると、話は多少変わってくる。

 なにせ、坊主はこの家の養子であり、家族と血のつながりがあるわけじゃあねえってことは確認済みだし、生身の人間で宝具を使える奴がそうそういるわけもねえ。

 あまり魔術に頼るのは好きじゃねえが、一応俺とてルーン魔術を修めている身だ。

 その辺の魔術師としての都合ってのはわかっているつもりだ。

 いや、問題はそこじゃねえか。

 坊主が使った双剣は、アーチャーの野郎やアーチェの奴が使ったそれと全く同じじゃない。

「シロねえ」

 坊主は、俺の視線に多少居心地悪そうにしながら、アーチェの奴に視線で伺いを立てる。

 話していいかとたずねているんだとわかった。

 嬢ちゃんもまた、アーチェのやつの反応を待っている。

 アーチェの奴はやれやれとでも言いた気にため息を一つついて、それからちらりと俺を見、言った。

「誤魔化されてくれる気は……なさそうらしいな」

「無理に聞くのは趣味じゃねえが、そういって見逃してやれるほど小さな問題とは思えねえからな。仲間内で隠し事なんぞするな。これはこれからの戦いにも関わってくる問題だ、違うか?」

 その俺の言葉に覚悟を決めたらしい。

 アーチェの奴は、淡々とした声で次のようなことを言った。

「君は魔術師でもあったな」

「ああ」

投影魔術(グラデーション・エア)という魔術は知っているか」

「確か一時的に失われた祭具なんかを魔力で編み出して作る魔術だったな……って、おい、まさか」

 それに、ふっと口元だけその女は皮肉気にゆがめた。

「そのまさかだよ。私も士郎も、投影魔術師だ」

 彼のアーチャーもな。

 発音にのせず、唇の動きだけでそう続いた気がした。

 

 驚きは一瞬、だがそれはすぐに過ぎ去り、ああそういうことかと次に襲ったのは納得だった。

 そんな俺を見て、心外そうな顔をしてその女は俺を覗き込むように見上げた。

「君は、おかしくは思わないのか」

「何がだ? 宝具すら魔術で作って見せれることをか?」

 そこで押し黙る女。図星か。

「確かにすげえとは思うが、まあいいんじゃねえのか。そういう特技もありだろうよ」

「そう軽く流せる問題とは思えないのだがね」

 そうため息混じりに言うアーチェ。

 まあ、このことを明かす危険性などはこれでも一応魔術の薫陶を受けた身だ。わからんでもない。

 だが、魔術師である前に俺は戦士だ。だからどうしたといいたい。

 最も、隣でそんな俺とアーチェのやりとりを見ている坊主のほうは、宝具すら作れる投影魔術師という存在の危険性とか理解してねぇのか、ただ俺とこいつの成り行きを見守っている。

 まあ、危険性を理解していない奴がいるってのは確かに問題だな。

「このことは口外無用よ」

 ここで、今まで黙って俺とアーチェのやりとりを見ていた嬢ちゃんが口を出した。

 その目には強い意志が篭っており、坊主とアーチェの奴を危険にさらしたら許さないという想いが強く込められている。それに思わず内心微笑ましくなる。いい女だと思う。

「安心しろ、言いふらす気なんぞねえ」

「どうかしら」

 そういう顔は全く持って俺を信用していないと言いたげな顔だった。

「なんなら、誓ってもいい」

 そこまでいうと、俺の『誓い』がどういうものなのか理解している様子のアーチェの奴は、「イリヤ、ランサーは大丈夫だろう」そうフォローするように口にした。

 それに、嬢ちゃんの警戒が少しだけ下がる。

 それから、アーチェの奴は話題を変えるつもりでいるのだろう、こほん、一つ咳払いをしてその合図にした。

切嗣(じいさん)はここにいないが、ついでだ。これからの話をしよう」

 すっと、鋼色の目に戦士の光を宿して、女は姿勢を正した。

(……お?)

 それに僅かな驚きを覚える。ここのところ見れなかった顔だ。

 俺がこの女に惹かれた理由ともいえるそれを見て、俺はじっくりと女を見直す。

 女はここのところ鬱々と抱え込んでいた何かから開放されたかのように、どこか、吹っ切れたような色がある。

「士郎は此処で切嗣(じいさん)を見ていてくれ。セイバーも今情緒不安定だ。見ている人間が必要だろう。イリヤとランサーは従来の予定通り、教会から消えたという言峰を探してくれて構わない」

「シロねえ?」

 その指図に、違和感を覚えたような顔で坊主がアーチェを見る。

 当然の反応といえるだろう。

 今まではずっと、ここの家主やセイバーの奴といるのは専らアーチェの奴の役目だったんだから。

 ここで、わざわざ坊主を指名したってことは、もう家に篭るつもりがないと宣言したも同然だろう。

 それをわかっているだろう、嬢ちゃんは表情には出してないがどことなく不安そうな様子で尋ねた。

「シロはどうするの」

「私は、あの影を追う。家の事は士郎に任せる」

 きっぱりと言い切ったそれに、嬢ちゃんは息を呑んだ。

「シロねえ!」

 怒鳴るように坊主が声を上げた。

 けれど、微塵も揺るがずに淡々とアーチェは続けた。

「追おうと思うなよ、士郎。これは私が決めたことだ。爺さんを放り出し、セイバーを放り出してまでオマエは追うような愚を犯すまい?」

 ようするに、追えば許さないといいたいらしい。

 それに、大して嬢ちゃんは苦虫を噛み潰すような声で、低く呟いた。

「一つ、約束しなさい、シロ」

「……」

「どんなに無茶をしても、何を犠牲にしても、自分の身を犠牲にするような選択をしないで」

「イリヤ!?」

 止めなかった嬢ちゃんに坊主は驚くような声を上げる。

 だが、嬢ちゃんが止めないことは当然だろう。

 だって、嬢ちゃんはアーチェの奴が言い出したらきかないことをわかっていたような節がある。

 その上で出した妥協案がこれだったのだろう。

 精一杯の愛情と想いを込めてかけられた言葉。それに対して、僅か目元にアーチェの奴は困ったような色をのせる。

「イリヤ、それは……」

「約束して。でないとわたしは、許さない」

 その声の震えに当然気付いているんだろう。

 でも、だからこそぎゅっと眉間に皺を寄せて、アーチェの奴は押し黙り、数秒の空白を得てから一言。

「……善処はしよう」

 ふいと、視線を逸らしてアーチェのやつはそういった。

 それがきっと精一杯の返答だった。

 

 

 

 side.遠坂凛

 

 

 遅い朝食兼昼食を口にしながら、わたしはこれまでのことに思いを馳せる。

 結局のところ、何の進展すらもなく、昨日もまたわたしは一般人の犠牲者を容認してしまった。

 おそらくは間違いなく桜の仕業なのだろうと思う。

 桜。

 幼くして間桐に養子に出されたわたしの妹。

 どこにいったのかはわからない。対処する術があるわけじゃない。

 とりあえずわかったことは、今の桜は間桐邸にいるわけじゃないということ。

 昨夜一晩間桐邸を見張っていたけれど、桜は不在のまま戻ってくることすらなかった。

 それに焦燥が湧く。

 ジリジリと肌を焦がすような緊張。

 それに対してアーチャーはこのままじゃ私のほうが先に倒れかねないと、夜明けごろ家で休息をとることを進言した。

 曰く、「疲労した状態でなんとかなる相手ではなかろう。万全の体調を整えることも君の仕事だ」と。

 心配をかけちゃっていると思う。

 先日のていたらくを思えばそれも仕方ないのかもしれない。

 そんな自分が少し情けなくはあるけど、パンと自分の頬を張ってそんな弱気な考えは追い出した。

 カレンダーと時計に目をやる。2月11日の午後3時46分。

 あと少しで第五次聖杯戦争が開始から2週間となる。

 通常聖杯戦争は2週間くらいの期間であるっていうけど、脱落したサーヴァントはそう多くはない。

 いえ、最早事態は聖杯戦争どころじゃないことになっている。

 それにため息をこぼしたくなる。

 父さんから譲られたこの土地で一般人に被害を出してしまった。

 わたしは冬木のセカンドオーナーなのに、この地の管理人だっていうのになんて情けないのだろう。

 そしてそれを妹である桜がやったってことが尚更重い事実としてのしかかる。

 だけど、それに素直に潰されてあげるほどわたしはやさしくもない。

 ぐいっと、アーチャーが淹れた紅茶を飲み干して気を入れ替える。

「アーチャー、出かけるわよ」

「了解した。ところで、行き先は決めているのだろう? まさか、決めてないとはいうまい」

 霊体から実体化し、いつもの皮肉そうな口調でアーチャーはそう口にする。

 そんな変わらない様子に安堵を覚える。

「ええ、決めてあるわ。円蔵山にいくわよ」

 最初にあの影が出現したのはあそこだった。

 もしかしたら何か見落としていたヒントがあったかもしれない。

 そう思って私はその行き先を決定した。

 

 

 

 side.イリヤスフィール

 

 

 結局、わたしはシロから確実な約束を取り付けることが出来なかった。

 そのことを少し悔しいと思う。

 わかっている。

 わかっていた。

 いざとなればシロが全部投げ出してでも誰かを救おうとする、自分の命を勘定に入れないような歪な性根の持ち主だってことくらい、ずっと前から知っていた。

 でも、だからこそ安心していた。

 わたしたちの願いを受けて、この第五次聖杯戦争でシロは殆ど動かず家でじっとしてくれていたから。

 いつ出て行くと言い出すのかとひやひやしつつもそれでも安心していた。

 危険に向かわないのなら、シロが自分の命を投げ出す可能性もずっと低くなるはずだから。

 それでシロがずっと焦燥を覚えていたことは知っていた。

 セイバーとぎくしゃくしていたのも、自分が不用意に家から離れられないことについての苛立ちもきっとあったんだと思う。

 何もせずに家でじっとしていられるような性分じゃないんだって、わたしはちゃんとわかっているつもりだった。だから、今回のこれはいつか言い出すと思っていたことだった。

 きっと、シロは家でじっとしているなんて出来ないから、いつかは言い出すことだと思っていた。

 それを仕方ないと心のどこかで思いつつも、それでもそんなときがこないでほしいと思っていた。

 そしてそのときが今日来た。

 それでも、『善処はしよう』という言葉を聞けただけでも僥倖だったとは思う。

 シロの無茶しないなんて言葉は全く信用出来ないけれど、それでもわたしの想いを伝えている以上、きっと無下にはしないでくれるだろうから、自分の命をかけるのは最終手段にしてくれるとは思う。

 これは希望的観測かもしれないけど。

 でもそう信じたかった。

(駄目ね)

 わたしがこんなんじゃ、士郎が心配しちゃう。そう思って苦笑いをこぼす。

「坊主に声をかけていかないのか?」

 玄関口で、すっと実体化したランサーに声をかけられる。

 それに多少むっとしながらも、淡々と告げた。

「言わない。言ったら、士郎はわたしについていきたくなるもの。それにどうせわたしが出ようとしていること自体はわかっている。弟が我慢しているんだから、お姉ちゃんのわたしも我慢しなきゃ」

「素直じゃねえなあ」

「余計なお世話。さっさと霊体化してなさい」

 そう命令を下して、わたしは家を出た。

 そうして歩きながら念話でランサーに尋ねる。

『ねえ、ランサー。本当にコトミネの行方に心当たりは無いの』

『全くねえな』

『そう、役立たずね』

『酷ぇ!?』

 とりあえず目的は新都だ。

 そうして歩き、公園への道をつっきって橋を渡ろうとして……その時気付いた。

『嬢ちゃん、こいつは』

「この……気配」

 僅からながらに漂う闇の匂い。影の眷属。

 ざわりと、嫌な予感が包む。

 だけど、わたしは敢えて追った。

 心臓がバクバクと音を立てて、まさか、そんな思いがこみ上げる。

 そうしてふらふらと動くそれを遠目に見た。

「……桜……!?」

 一瞬だけわたしの目に映った光景。

 例の影に包まれ、自失呆然の体で涙を流しながら歩く、白髪赤眼の間桐桜。

「桜っ!」

 どうしてとやはりが混ざり合いながら、わたしは走った。

「ぁ、ぁ、ぁああ」

 桜はワナワナと震えながら、顔を覆った。

 次の瞬間ぶわりと桜は体ごと影に全て包まれる。

「嬢ちゃん!」

 ランサーは怒鳴るように声を上げると、槍を抱えてわたしの矢面に立つ。次の瞬間だった。

 ガギリと、鋭い刃物と刃物が打ち合う音がした。

「こりゃあ、一体どうなってんだろうな?」

 ランサーの視線の先、そこにいたのは巨大な蛇。

「てっきり、テメエは退場したと思ってたぜ、ライダー!」

 以前会った時よりより禍々しく、昏き闇の気配を纏って蘇った黒き従者、それがそこにいた。

 

 

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31.円蔵山

ばんははろ、EKAWARIです。
お待たせしました、第五次編31話円蔵山です。
今回は久しぶりのあのキャラが出てきますよ。ではどうぞ。


 

 

 

 力が欲しいとこんな時思う。

 わたしはわたし。

 自分が自分であることに常に誇りをもってきたし、何があってもそんな自分の人生を肯定してきた。

 わたしはなんだかんだいって恵まれていて、最初っから大抵の事は何でも出来た。

(本当に一番大事なことはいつだって上手くいかないけれど)

 そんな自分を当然だと、わたしは笑って肯定してきた。

 わたしはわたしであることに誇りをもっていたから。

 泣き言なんてそんなの、わたしには似合わない。

 常に余裕をもって優雅たれ。

 白鳥は美しく水面の上を行く。

 水面下ではバタバタと足を必死に動かしてようとも、それを表に出すことは無い。

 そんな風に裏での苦労なんて、表に出さず、苦労を苦労と思わずに毅然とあること。

 それが父さんの教えである、常に余裕をもって優雅たれということだと信じている。

 だけど、こんな風に自分の無力を思い知らされた時は、自分にない力を望む。

 無いもの強請りをするなんて愚かだなんて知っている。

 でも、わたしは今現状を変える為の力が欲しい。

 

 

 

 

 

         

  円蔵山

 

 

 

 side.遠坂凛

 

 

 影の出現、その始まりの場所は柳洞寺……即ち円蔵山だ。

 そしてそこは聖杯が出現するとされている数ある霊地の1つでもある。

 今のわたしにはやるべきことがあっても手がかりがない。

 そういう時は最初の場所にヒントが隠されているっていうのが相場だ。

 だから、わたしはその始まりの場所である山に向かっていた。

 今はもうキャスターはいない。

 アサシンはいるのかもしれないけれど、よしんばいたとしても、わたしとアーチャーの敵じゃないだろうとわたしは睨んでいた。なら、そこに向かうことに恐れる理由なんてない。

 長い石段を上がりながらそう思う。

 集団昏睡事件の影響もあって、立ち入り禁止の札が張ってあるけれど、それだけ。

 わたしは気にせずにひょいっとそれらの警告を無視して奥へと向かった。

 アーチャーは何も言わずわたしに従っている。

 斜め後ろから感じる己がサーヴァントの気配が心強い。

 サーヴァントとマスターは普通の使い魔と主の関係じゃない。そこに流れているのは互いに互いを利用するギブアンドテイクの関係で、互いに聖杯を得るためだけの薄い繋がり。油断をすれば裏切られてもおかしくはない。

 それが聖杯戦争のサーヴァントとマスターの関係だ。

 なにせ、使い魔という形を取っていても、相手は歴戦の英雄、伝説に名を残した英霊の一柱なのだから。

 魔術師とはいえ、人間であるわたし達とは存在としての格が違う。

 それを思えば、本当はサーヴァントなんて信用し過ぎちゃいけないものだけれど、わたしはアーチャーがわたしを裏切らない確信があった。だから、安心して背中を預けられる。

 そういう相手がいるってのはとても幸いだ。

 お陰でわたしは前だけ向いていれる。

 ぐるりと、お堂の周りをまずは探索する。拍子抜けするほど何も異常はなかった。

「何もないわね」

 気だるげに息をひとつ吐きながら呟く。

 そんな時、わたしからちょっと離れてもう少し広範囲を探索していたアーチャーが帰ってきた。

 霊体から実体へと切り替えたアーチャーの表情は厳しい。

 何かがあったのだろうと直感し、わたしも、厳しめの眼差しを自身の従者へと送る。

「何かあったの?」

「いやなに、裏庭のほうだがね、微かにおかしな気配がある。おそらくは結界だろうが……どうも妙でな」

 その言葉を受けて、気を引き締めつつわたしは言った。

「いいわ、案内して」

 

 果たしてそれはあった。

 アーチャーのいっていたそれは、綻び掛けの小さな結界で、術者は死んだのか大分気配が薄まっている。

 それでも完全に消えていないのは、地脈から吸い上げた霊力を応用して展開する術式が一部組み合わされていたからだろう。でも、この程度の結界なら、わたしの魔力で上書きし、押し流せば破れる。

 誰が張ったのかは知らないけれど、これを張った奴は知識があるだけで魔術に手馴れている奴が張ったそれじゃない。まるで一級の知識を与えられた素人が張ったかのようなそんな結界だった。アーチャーがおかしなと称したのはそういうことだろう。

 と、そんなあたりをつけながら自分のやるべきことに集中する。

 何を隠しているのかは知らないけれど、きっと碌でもないものを見る羽目になるのだろう。

 そんな予感を覚えながらわたしは基軸へと魔力を流し込んだ。

 パシリ。

 破れた結界により、まわりの風景に同調するかのように設えられた幻覚の風景は解けて、変わりに、この結界を張った何者かが隠していたそれが眼前へと露呈される。

 そしてそれを見てわたしが真っ先に感じたのは驚愕の感情。

 唖然と目を見開き、思わず息を一瞬飲み込んだ。

「……ぁ……ぅぁあ…………」

 目前の大木に捕らえられていた小柄な少女が僅かに言葉を溢す。

 わたしの存在に気付いているわけではなく、苦しさに思わず呻いた、そんな感じの声だった。

 だけど、その漏れ出た声は間違いなく、過去に何度も耳にした、よく知った少女の声だ。

「そんな……」

 思い出すのは6日前の記憶。教室での会話。

 彼女がいないのだと、いつも彼女と一緒にいた2人は話していた。

(いないのは……いなかったのは、ここに捕らえられていたから?)

 なんで、あなたが、どうして。

 そんな問いかけをしたところで、きっと眼前の少女が答えることは無い……いや答えられないだろうことはわかっている。

 それでも思わずにはいられなかった。

 彼女は聖杯戦争に関係なかったはずなのに、どうしてと。

「なんで……三枝さん」

 結界の中捕らえられていたのは同じ学校の生徒である三枝由紀香だった。

 以前から自分を慕い、何度もお昼の誘いをかけてくれた陸上部のマネージャー。同級生である平凡であるはずの少女。魔術師でもなんでもない、普通の女の子。それがどうしてこんなことになったのか。

 そう思うながらも一クラスメイトとして動揺するわたしとは別に、冷静な魔術師としてのわたしが仔細に彼女の様子も観察する。

 その顔色は青白く、いつもほにゃりと柔らかな笑顔を浮かべていたその顔は、見る影もないくらいやつれていて生気がない。生命力を搾り取られていたのは一目瞭然だ。

 やわらかそうだった茶色い髪はべったりと汗と共に皮膚に張り付いていて艶がない。

 その華奢な体は衣服も何もなく、それが余計に哀れみを誘う。

 下半身は彼女を捕らえている檻でもある木と融合しており、上半身は裸体をさらして、左右に広げられた両手の先はそれぞれの枝に木のツルによってしっかりと繋がれており、その様はまるでどこかの教会に飾られた聖人像(キリスト)に酷似していた。

 人類の罪を背負わされ、杭で手足を打たれ、頭には茨の冠を被されたという聖人(イエス)

 かつては柔らかな澄んだ光を湛えた瞳は濁り、他人が今ここにいることすら気付けそうにもない姿だった。

「まって、今助けるから」

 声は聞こえていないだろうけど、自分の心を落ち着かせるためにもそう声をかけて彼女を解放するために動き出す。

 冷たいけれど、心臓の鼓動を確かに伝える身体。

 触れるたびにビクリビクリと揺れる身体がただ憐れだった。

 幸いというべきなのか、まるで木と融合したかのような様の彼女だけれど、完全に融合したわけじゃない。

 神経が一部木と融合させられているようだから、引き抜くときに痛みはあるだろうし、これから開放しても暫くの間、後遺症はあるかもしれないけれど、それでもリハビリをすれば元通りになる範囲だ。

 そう判断して、僅かにほっとする。

 もしもあと数日、いえ……あと1日でも発見を遅れていたらきっと彼女はリハビリしても元通りにはならないだろうとわかったから、間に合ってよかったと思う。

 ……こんな目に彼女があっている時点で間に合っていないという、そんな内なる声を外に追い出しながらもそう思った。

 助け出しても記憶は残さない。一週間分の記憶を消去して返す。

 おそらく彼女がこんな目にあったのは聖杯戦争がらみだろうし、魔術は秘匿しなきゃいけないっていうのもそこにはあるけれど、わたし個人としてもこんな記憶を彼女に残す真似はしたくない。

 というそんな感情も混ざった判断だ。

 陽だまりがよく似合う少女だった。

 そんな彼女にこんな風にされたなんて経験は酷過ぎるし、覚えていないほうがいいに決まっている。

 一週間分の記憶が消え、身体には軽い障害を負ったまま返されることになるだろう三枝さんは、戸惑うだろうし、無い記憶と障害に不安を覚えるだろうけれど、それでも記憶があるよりはずっと回復も早いだろうし、彼女のことは氷室さんや蒔寺さんが支えるだろう。だから大丈夫。

 痛みなんて時間と共に薄れていくものなのだから。

 そう自分に言い聞かせながら、彼女を木から引きずり出した。

「ひぃ、ぁぃあああっ……!」

 神経が引き抜かれるような痛みに、意識もはっきりしないまま、目の前の三枝さんがビクリと身体を跳ねさせながら悲鳴を上げた。

 それは本当に痛々しい声で、思わず己が無力さを前に唇をかみ締める。

「大丈夫、大丈夫だから」

 出来るだけ優しい声でそう声をかけた。

 それはまるで自分自身に言い聞かすような言葉だと、意識の奥の冷静なわたしは告げる。

 そんな自分がほんの少しだけ嫌だった。

「大丈夫、大丈夫」

 三枝さんは変わらず「ぁ、いぁ、ぅぁあ」と言葉にならないか細い悲鳴を漏らしながら、縋るように自由になった両手でわたしの背中に手をまわし、がりりと弱々しくひっかいていた。

 細い手首、元から華奢なのに更にやせ衰えた身体。

 それが裸体ごしにダイレクトに伝わってきて、やりきれなかった。

 でも、こんなところで根を上げるなんて遠坂凛じゃない。

 だからぐっとそんな自分を抑えて、自分のやるべきことをやりぬいた。

「……ぅ……ぅう」

 叫びつかれたのか、木と術式から開放された三枝さんはくたりと脱力しながら、わたしに身体を預ける。

 そんな彼女をそっと抱きしめて、幼い頃、まだ『あの子』が遠坂を名乗っていた頃に時々してあげたように、撫でた。

「もう、大丈夫よ……安心して。悪夢は終わり。あなたは元通りに戻れるから」

「…………とぉ……さか、さん?」

 呼ばれた名前に驚き秘かに息をつめる。

 確かに先ほどまで濁っていたはずの目は僅かにもとの清純な輝きを戻してわたしを見た。

 けれど、それも一瞬。

 名前を呼んだかと思った三枝さんは、深い眠りへと落ちていた。

 次に目覚めた時には、彼女からはわたしに助けられたという記憶すら失くす。それは決定事項だ。

 だけど、さっきの三枝さんは、まるでわたしがこれから何をやろうとしているのか悟って、止めようとしたかのようだった。そんな風に見えた。

 馬鹿みたい。そんなことありえない。

 きっとわたしは今混乱しているからそんな埒も無いことを考えるのだ。

 冷やりとする内心の思いに蓋をして、わたしは彼女を抱え立ち上がる。

 今日は桜を探すつもりだったけれど、三枝さんを抱えた状態で他事を迎えれるはずもない。

 綺礼に任せてみようか。そんな考えが頭に湧く。

 あいつは人格破綻者で碌でもない男だけれど、それでも一応は神父であり、心霊治療術にかけては一流だ。

 そうと決まれば行動は少しでも早いほうがいいに決まっている。

「アーチャー」

 周囲の警戒を任せていた自身のサーヴァントの名を呼び、方針を告げようとしたその時だった。

「凛っ!」

 強い声をかけられ、急に腕をとられて転がされる。

 同時に状況判断。

 先ほどまでわたしがいた場所には剣と槍が弾丸のように突き刺さっていた。

 間違いなく宝具だ。強い神秘の気配をもつ美しいそれらを前に、とっさに何者かのサーヴァントに襲撃されたのだと気がつく。

 アーチャーは三枝さんごとわたしを抱えて、空いた片手に黒の剣を携える。

 だけど、状況は芳しくない。

 ただでさえサーヴァント同士の対決にマスターなどは邪魔になりがちだというのに、今のわたしは三枝さんという余計な荷物を背負っている。しかも、敵がどこから襲撃したのかは咄嗟にはわからなかった。

 思う間に第二戟が迫りくる。

 まずいと思ったとき、唐突にそれは現れた。

 4つの花弁が咲いた赤い花。

「こっちだ!」

 それに疑問を覚えるより先に、聞きなれた声が響いて、反射的にわたしはパスを通してアーチャーに念じるように思いを流し込み、その声の主についていった。

 

 

 

 side.???

 

 

「……贋作者(フェイカー)

 己の下から逃走する輩を見ながら、(おれ)は忌々しく顔をゆがめてそれを見ていた。

 これは確認作業の一環だ。

 わざわざこの(おれ)が顔を見せるほどのことではない。だから声もかけずに襲撃した。

 いや、襲撃なんて言葉こそおこがましい。これはただの遊び(ゲーム)に過ぎないのだから。

 結果としてわかったことといえば、今の(おれ)には十全に力を使うことは出来ぬということ。

 全ては(おれ)と同じものと呼ぶことすら汚らわしい狂犬めのせいだ。

 クラスが違うとはいえ、同一存在がそこにあることをなるほど、世界は許さぬらしい。

 矛盾の代償か、それでもクラスが違う故にどちらかがどちらかに吸収され、かき消されるというほどではないが、(おれ)への聖杯からの支援は2割ほどに抑えられており、8割は此度の正式な参加者ということになっているもう一人の(おれ)へと割り当てられている。

 受肉しているこの身ではあるが、聖杯のバックアップなしに力を好きには出来ぬらしい。

 それに舌打ちをする。

(この(おれ)にこれほどの屈辱を味合わせるとは)

 怒りと嫌悪を前に、くつりと笑いながら先ほどの光景を思い出す。

 一瞬であろうが、この(おれ)が見逃すはずも無い。

 あの女、姿こそ変わっていたが間違いが無い。(おれ)同じ(・・)だ。

 他の誰を誤魔化せようと、この(おれ)の目は誤魔化せるものではない。

 十年だ、十年待っていた。

 憎しみは固まりすぎてここまでくると、愛情とも大差はない。

 ゆるりゆるりと、腕を捥ぐ様にして殺す妄想は極上の美酒にすら匹敵するだろう。

 笑って、(おれ)はひとまずは其処を後にした。

 

 

 

 side.セイバー

 

 

 苦悩している少年、それを見ながら私の心は不思議に静かだった。

 目の前の少年、それは確かにかつて愛し殺した少年と瓜二つなのに、同一存在だというのに、その事実は私の心を揺らすものではない。

 私がかつて愛した少年はもっと危うい均衡の上に立っていた。

 上手くはいえないけれど、だけど目の前の少年は違う。

 寧ろ、私が愛した少年には、この目の前の主の姉と名乗る女性のほうがよっぽど似ていた。

 でもこうして悩む姿を見ていると、確かにこの少年は私の愛した少年と同一人物なのだろうとも思う。

 纏わりつく危うささえ除けば、その瞳も苦悩の表情も彼によく似ていた。

「マスター」

 眠り続ける衛宮切嗣……少年の父親を見ながら、焦燥するように考え込んでいた赤毛の少年が、びくりと驚きに肩を震わせながら私に振り向く。

「悩んでいるのですか」

 私の喉から出た声は、想像以上に淡々としていて事務的だった。

 きっと、今の私の表情もそんな顔をしているのだろう。事務的で硬質で人間味のない顔。

 だけど、マスターは気にしていないとでもいうように、私の態度には触れずに「ああ」とそう小さく返した。

「親父を見ていて欲しいっていう、シロねえの言葉もわからなくはないんだ。だって、確かに今の爺さんには傍に一緒にいる奴が必要で、だけど、なんで急にシロねえは……」

 戸惑うように、苦悩するように琥珀色の瞳がゆらゆらと揺らめく。

 そんな様を見ながら、私はただ静かにマスターの言葉に耳を傾けていた。

「シロねえは馬鹿なんだ。アイツが一番危なっかしいくせに、そんな自覚なんてなくて。周囲がその無茶な行動にどう思うかなんてちっとも考えちゃいないんだ」

 そうして言葉を続けながら、主である少年は苛立ちを誤魔化すように自分の右手を強く握りしめる。

「イリヤは、ランサーがいるからきっと大丈夫だ。だけど、だけど、シロねえはきっと、何かあったら自分の命なんて勘定に入れずに突っ走る。昔からそうだった。昔っからそうなんだよ。シロねえは自分が大事じゃないんだ」

「…………」

 それを、まるで、シロウのことを言っているようだと私は思った。

 かつての私がシロウに放った言葉達を思い出す。

 もっと自分を大事にするべきだとそういって私もシロウに怒った。

 ……馬鹿な感傷だ。

 結局シロウは私が殺したというのに。

 思わず自嘲の笑みが口元にこぼれる。マスターはそんな私に気付かずに言葉を続けていた。

「それでもシロねえは親父を大事にしていたから、こんなことになって、悲しい反面ホッともしたんだ。いくらシロねえでもこんな親父を放ってどこか行ったりしないだろうって。親父を放ってまで無茶はしないだろうって。実際その通りだった。だっていうのに、なんで急に……くそ、どうして俺に任せるなんて言い出すんだよ」

 ダン、動けない自分に苛立つようにマスターは右手で拳を作り床に打ち付けた。

「俺はそんなに頼りないのかよ。そりゃシロねえよりは弱いかもしれないけれど、俺にだって背中くらいなら守れる。重荷をわけろよ。自分で、何もかも自分で解決しようとすんなよ。家族の前でくらい、弱音くらい吐けよ。守らせろよ、クソ」

 それは寂しいのか哀しいのか、それとも自分のふがいなさにやるせないのか。

 きっとどれもが正解なのだろう。

 もしかしたら信頼されていないと、そう感じているのかも知れない。

 だが、それは理屈ではないのだ。

 シロウがそうであったように、きっと彼女も、托さないのではなく、托せない、そういう人種なのだろう。

 そしてそれはわかっていても納得できるものではない。

 どちらが悪いとかではない。ただそれだけ。

「……マスター」

 私の呼びかけに、はっと驚くようにマスターは目を見開き、取り繕うように弱々しくクシャリと彼は笑った。

「……悪い、セイバー。みっともないところ見せちゃったな」

「いいえ」

 淡々と答えるけれど、マスターはそれに益々困り顔になって、小さく視線を落とした。

 その先にあるのはいまだ眠っている切嗣の顔だ。

 やつれ衰え、死相を浮かべているその顔は、既に死人になってしまったかのようだ。

 それでもトクリトクリと弱々しくも響く鼓動が、彼が生きた個体であることを示している。

 先ほどのそれなりに声の大きな会話を前にしても切嗣は目覚めなかった。

 私の知っていた衛宮切嗣という男であればありえないこと。そんなことに痛々しさをも覚える。

 きっと、マスターは今すぐシロを追いかけたいのだろう。

 だけど、少し前までがシロがその役であったように、この切嗣を置いていくのには躊躇いがある。そう、見て取れた。衛宮切嗣という男が枷になっていた。

 けれど、果たしてそれはこの男の望むことだろうか。それは違うと私は思う。

 だから、言った。

「マスター、いいですよ」

「セイバー?」

「行ってください。キリツグは……私が見ています」

 その言葉に、琥珀の瞳を丸くしてマスターが驚く。

「貴方は貴方の思う道を行くべきだ。ここに残るのは私だけで充分だ。……行って下さい」

「セイバー」

 本当にいいのかと瞳で問うている少年、それを前にして、私は薄っすらと微笑みの形を取りながら、強く一つ頷く。

「不肖ながらも、私は貴方のサーヴァントだ。……最も今の私に貴方のサーヴァントを名乗る資格があるのかは詮議が必要かもしれませんが、貴方の帰る場所くらいなら守れます。だから、行って下さい。貴方はこんなところで燻っているような人じゃない」

 そう、例え私が愛した少年とは平行世界の別人だとしても、それでも『衛宮士郎』ならば『誰か』の為に駆けていく、それが正しい姿だろう。そしてその本質は、どんなに変異しようとこの少年も変わらない。

 過去に残され、後悔に塗れるのは私だけで充分なのだから。

「……サンキュ。でもな、セイバーのことはマスターとかサーヴァントとかじゃなくて、既に家族と思っているんだ。だから自分を貶めるような、そんな悲しい言い方はもうしないでくれな」

 寂しげに揺れる瞳が誰かに重なって、数瞬動揺した。

「……行って」

「ああ。ありがとう、セイバー。……行ってくる」

 そういって駆けて行く少年の笑顔は眩いほどで、私は思わず泣きそうにクシャリと顔をゆがめていた。

「……これでよかったのですよね、シロウ」

 問いかける声に答えなんて返らない。

 自分がかつて奪った存在を思うように右手をなぞって、私はただ、眠り続ける切嗣を見続けていた。

 

 

 

 side.遠坂凛

 

 

 円蔵山にある柳洞寺の裏庭で受けた襲撃から逃れる際に、わたしに声をかけ進路を促したのは、ある意味意外ともいえる人物だった。

 エミヤ・S・アーチェ。白髪褐色肌の異端の魔術師。

 こいつとの付き合いももう10年にもなるけれど、いまだに全容は掴みきれず、謎の多い女だ。

 こいつの弟が今回の聖杯戦争に参加している以上、わたしとこいつは準敵同士といえるわけだけど、それなのに何故こんな助けに来たような真似をするのか。

 自分達の立場を理解していないわけじゃないだろうにと思いつつ、簡素な武装を身に纏ったその背中を睨むように見る。

 まるで、アーチャーの外套の下の奴みたいな、ひらひらとした紅い巻きスカートのようなそれを纏っているのもあるだろうけれど、性別も髪型も体型も違うというのに、やっぱりこいつとアーチャーはよく似ている。

 雰囲気というか気配というものがそっくりなのだ。

 それに、やっぱり先祖と子孫なんだろうという確信を益々深めていく。

「……凛」

 自分にかけられた、どこか少年じみたハスキーな女の声に思わず思考を現在に戻す。

「何?」

「その子をどうするつもりだ」

 それが私が抱えた、いまだ裸のままで眠っている三枝さんを示していることに気付いて、一瞬沈黙してから、ついで線引きするように低く言った。

「……あんたには関係ないでしょ」

「凛」

 それが困ったような声音の呼びかけだったものだから、ついわたしも口をつぐんだ。

 襲撃を受けた場所からは大分離れた。

 その判断からか、前を行っていた女が足を止めて、ふわりと布を投げて寄越した。

 それを三枝さんにかけろという意味だと判断して、シーツのようなそれを彼女の身体に手早く巻く。

 どこに隠し持っていたのよ、とかそういう疑問も頭にもたげたけど、わたしだって場は弁えている。わざわざ今このタイミングでそんなことを問うような真似はしない。

 そんなわたしに対し、この褐色肌白髪の女は、厳しい中にも親愛の混ざったような表情で、淡々と言葉を投げて寄越した。

「まさかとは思うが……君は言峰教会に預けようと思っているのではあるまいな?」

「悪い?」

 当てられたことにむっとしてそう口にする。

 そんなわたしに対して向けられた鋼の瞳は苦衷交じりの真剣な視線で、わたしは多少の居心地悪さを覚える。

「やめたほうがいい。言峰綺礼は公平な監督役などではない。アレもまた、聖杯戦争の参加者だ」

「どういうことよ?」

 驚きに目を丸くする私を前に彼女は苦笑しつつ言った。

「説明をするのは吝かではないが、後にしよう。外で会話など、どこに目があるかわからんからな」

 そうして向けられる背を私は追った。

「……」

 そんなわたしとアーチェを、アーチャーだけが厳しい目でただ見ていた。

 

 

  NEXT?

 

 



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32.嘲笑

ばんははろ、EKAWARIです。
中々更新出来ていなくてすみません。
とりあえず第五次編32話です。


 

 

 

 まだ青く、自分の在り方から目を逸らしていた10年前も、私はその儀式の参加者だった。

 自分の望みなど薄々気付いていたというのに、それらから目を背けて別の何かを望もうとした。

 己の魂の在り方を、己が本質から目を逸らして別の何かに置き換えようとした。

 結局、意味の無い行為。

 私はどこまでいっても私でしか有り得ない。

 それに今は気付いている。

 受け入れている。

 私は傍観者であり、干渉者だ。

 私は生きていると同時に死んでおり、死んでいると同時に生きている。

 10年前は精神が、今は肉体が死んでいる。

 だけど、どうだろう。

 私の心は、本能は今のほうがずっと生きている。

 さあ、観察を始めよう。

 この盤上の対局を、心行くまで特等席で子細に見聞しようではないか。

 そうしてまた1人、観察対象(ピエロ)を見つけて、私は嘲笑う。

 

 

 

 

 

 

  嘲笑

 

 

 

 side.アーチャー

 

 

 凛が三枝由紀香を自室に連れて行ったあと、私は遠坂家のダイニングで、目の前のもう1人の自分(オレ)と対峙していた。

「さて、では聞かせてもらおうか」

 目の前の女の姿をしたオレは逃げるでもなく、見覚えのある表情と雰囲気を湛えた鋼の目でオレを見上げていた。すかさず、あれは敵と交渉する時の仮面の表情だと看破する。

 どことなく皮肉気で傲慢ささえ宿した表情と空気。

 自分自身が過去に何度も敵と交渉する際はああいう仮面を取っていたのだ、わからない筈が無い。

 きっと今のオレとて同じ顔をしている。

 だけど、それがわかっていても尚、いや、わかっているからこそ不快な感情が流れ込む。

 たとえ性別が異なっていようと、どうしようもなくこの女とオレは同一人物だ。

 不快なのも当然だろう。

 世界は矛盾を赦さない。自分の同一存在がそこにいれば、目の前から消し去りたいと思うこの衝動は云わば本能のようなものだ。其れは目の前のこの女も同じだろうに涼しげな顔をしているのが気に食わない。

 たとえ、その涼しげなのが表面だけのこととしても。

 だけれど、そこまで不快でありながら、絶対に殺したいとまではいかない。

 殺したところで何の解決にもならないことはわかっているし、たとえ同一人物にしても、性差というわかりやすい変異点が、いくらか消し去りたい衝動を緩和していた。

 同一人物でありながら別物。

 それだけが殺意を止める最後の堤防だ。

 それでも不愉快は不愉快であり、出来ればもう顔を合わせたくは無かった。

 そう思っていたのはオレだけではなく、この女も同じである筈だろうに、実際は何度かの接触があった。

 それに苛立ちを覚える。

 決定的なのは今日。この女はなんらかの目的をもってはっきりと凛と私の前に姿を現した。

「ふ……そう恐い顔をするな。私は凛に危害を加えるものではない。それはわかっているのだろう」

 にやりと、わざとらしい皮肉気な笑みを浮かべて女のオレが言う。

「さて、どうかな」

 同じ表情を浮かべて私はそう曖昧に返す。敵意を僅かに交えながら。

 そうだ、エミヤシロウは遠坂凛に危害を加えるものではない。

 ただそれがあくまでも「原則として」であることを、同じエミヤシロウであるオレ自身が何より知っている。

 目的のためならばたとえ何であろうと切り捨てられるのが、それこそがエミヤシロウという存在が抱える歪の一つであったのだから。

 ふと、目の前の女が表情を変える。

 ガランドウのガラスのような瞳。

 感情を手放し演技もやめて話す時オレもきっとこんな顔をしているのだろう、そんな顔で静かに女のオレは言葉を紡ぐ。出た言葉はこの女が私に対して口にする言葉としては意外とも思える内容だった。

「この世界の衛宮切嗣がもうすぐ死ぬ」

 それにいつかの記憶が脳裏によぎる。

 実年齢よりも枯れて老けた印象の黒い瞳をした、子供のような老人のような掴みどころのない男の幻影。

 炎の中で伸ばされた手と、救われた笑顔。原初の記憶。

 衛宮切嗣。オレを拾った男。私の全ての始まりであり、父親であり胸に懐いた憧憬だった。

 守護者として使役され、そのたびに記憶は磨耗しボロボロになっていった。その中で色鮮やかに残った数少ない一こそがその男の存在だ。

 セイバーとの出会いと同じくして、あのときの光景を忘れることはきっとないだろう。

『爺さんの夢は俺が継ぐから』

『ああ……安心した』

 そういって死んでいった。

 そうやって死んでいった父親。

 遠い記憶だ。

 オレの道を決めた日。

 嗚呼、そうか。

 そういえばそうだったな。

 確かに言っていた。この世界では衛宮切嗣はまだ生きているのだと。

 ……この世界ではあれから5年も生きながらえたのか。

 感傷を閉ざす。

 同じ衛宮切嗣であろうと、この世界の切嗣はオレの父親である切嗣ではない。

 違う歴史を辿った其れはいわば同じ顔と魂をしただけの別人だ。

「それで、何がいいたい?」

「自分の心を偽らず、自分の心のままに歩いてほしいと、それが父親としての願いだとそう切嗣は言ったんだ」

 救いたいものは救えとな。

 どこか泣きそうな乾いた笑みを浮かべて、もう一人の私はそんな言葉を告げた。

(それは……)

 それは、いつかの矛盾なのではないか?

「だからオレは諦めるのはやめることにした。嗚呼、馬鹿なのは重々承知している。なにせ自分でも馬鹿だと思っているからな。それでも、救える可能性があるものは救えるほうに賭けたい」

 その『救える可能性があるもの』というのが一体誰を指しているのか、気付かないはずはない。

 けれどだからこそ私はそのもう一人のオレの発言に怒りを覚えた。

「貴様は、それがどういう意味かわかっているのか?」

 これまでどれだけのものを切り捨ててきたのか。

 そうだ、より多くのものが助かるのならと、真っ先に危険と認識した少数を切り捨ててきた、それがエミヤシロウという歪んだ正義の形だった。

 それを今更少年だったあの頃のように救えるものは救いたいだと?

 それは……そんなものは綺麗事だ。欺瞞だ。

 時計の針は戻らない。

 オレは、否オレたちは少年だった衛宮士郎になど戻れないのだ。

 あの愚かで、夢ばかりを追いかけていた頃には。

 たとえ大切に思っているものでも、それが周囲に危害を加えるのならば、その前に排除する。

 それが、数々のものを切り捨て、屍の山を築き上げてきたオレ達が取るべき、唯一の道のはずだ。

 何故だ。

 確かに変質はあるが原則としてこの女はオレと同じ筈なのだ。それが何故そんな結論を出せる。

 切嗣に言われたから?

 確かに衛宮切嗣という男がエミヤシロウという存在に与える影響は大きい。

 だが、それだけで変われるほどオレは、オレ達は器用ではないだろう。

 だって今更だ。今更……。

(目に映るもの全てを救いたいなどと、思っていいわけがないだろう)

 そんなオレの考えなどわかっているというように、口元には自嘲的な笑みを浮かべながら女は続ける。

「言われるまでもない。オレはどれほど変質しようが、オマエだ。根本的な部分では変わりようがあるはずがない。意味はわかるだろう? まさか、わからぬはずがあるまい。オマエはオレなのだから」

「……………………」

 それは魂の奥底に張り付いた欲求を見透かすような言葉だった。

「凛とて本心では救いたいと思っているさ。オレの知っている遠坂はそういう人間だ。だからオレはここにきたんだよ。なあ、エミヤシロウ。賭けてはくれないか」

 同じにして違い、違いながら同じである合わせ鏡の自分はそう続けた。

 

 それから10分ほどが経っただろうか。

 ガチャリとドアのノブに手をかける音がした。マスターである凛だ。

 それを合図にオレは私に表情を戻した。同時にドアは開かれ、凛が部屋へと入ってくる。

 部屋に入った凛は少しだけ目を丸くして、私ともう1人の私をきょろりと見回しながら、訝しげに言った。

「前も思ったけど……あんた達って知り合い?」

「姉弟だ」

 さらりと流すように口にした女のオレは、視線で『そういうことにしておけ』と語りかけていた。

 

 

 

 side.遠坂凛

 

 

 一通りの治療と記憶の処置を済ませ、私は沈痛な面持ちで今は自分のベットを占領している形の彼女、三枝由紀香を見ていた。

 生命力の欠けた青白い顔。自分の無力さに思わず歯噛みする。

「三枝さん……」

 自分の無力さがどうしようもなく悔しい。

 自分がいまだ子供だからなんて言い訳はしたくない。

 三枝さんだけじゃない。

 私はこの冬木のセカンドオーナーだというのに、他にも数多の犠牲者をこの土地で出した。

 それが凄く悔しい。

 太陽がよく似合う少女だったのに、ヒントはあったのに、あんな目にあっている彼女に今まで気付かなかった自分が許せなかった。

 力が欲しい。自分の目に映るものだけでも救う力が。

 過ぎたる力を望むなんてよくないってわかっている。だけど、どうしようもなく今は思う。

「駄目ね、わたし」

 こんな顔あいつらに見せられない。いつもの遠坂凛に戻らないと。

 パンと自分の頬を張る。

「よし」

 気持ちのスイッチを入れ替え、そうしてわたしはあいつらのいるダイニングに向かって歩を進めた。

 

 そうして部屋にたどり着き、ドアを開け、わたしは思わずそこで見た光景に目を丸くする。

 そこにはわたしが出て行ったときと変わらぬ立ち位置で、微動だにせず立っているアーチャーとアーチェの姿があった。

 まあ、そこまではいいんだけど、だけどなんか前より親しげになっているようなそうでないような、なんかよくわからない雰囲気なんだけど。これどういう状況?

 ていうか、この2人なんか互いのことよく知ってそうな感じなのよね。

 わたしはアーチャーはアーチェの先祖かとてっきり思ってたんだけど、この雰囲気は……。

「前も思ったけど……あんた達って知り合い?」

「姉弟だ」

 さらりと、そんな爆弾発言をアーチェは落とした。

 へえ、姉弟か、それで……ってちょっとまって。

「はぁ? 姉弟!?」

「幼い時にわかれた双子の片割れというやつだよ。いやいや、私は勿論彼がまさか英霊になっていようとは思っていなかったがね」

 なんでもないような調子で言ってくれてるけど、かなりとんでもないことカミングアウトしてんじゃないの。ああ、もう腹立つ。

「なんで、もっと早くにいわなかったのよ!」

「言ったろう。幼くして別れたと。つい最近まで私自身忘れていたのだよ。だが、これで1つはっきりしたことがある。この弓兵(アーチャー)の英霊は未来から召喚されたのだ。聖杯戦争における知名度はゼロ。真名を知ることになんの意味もないだろうな」

 召喚されたとき、自分の名前を忘れていたアーチャー。

 記憶のないサーヴァントだっていうのはわたしとアーチャーの2人だけの秘密だったはず。

 それを見透かすようにしてかけられた言葉を前に、アーチャーが現代人でつまりこの時代には生前のアーチャーもいるのだという吃驚な事実も忘れて、わたしはじろりと自身のサーヴァントを睨んだ。

「アンタね、いくら自分の姉弟だからってそこまで他人にバラすってどういうことよ!」

「待て、凛。濡れ衣だ。私は何もこいつに言っていない」

「煩い、問答無用!」

 慌てたような声を上げるアーチャーに対して魔術回路を起動、ガンドを飛ばしつつわたしは追いかける。

 そんなわたし達2人を見てたアーチェはというと、ごほんと咳払いを1つつくと、3人分の紅茶を用意してからそんなことをしている状況じゃないことを思い出させるように声をかけた。

「凛、君が楽しそうなのは結構だが、じゃれあいはそこまでにして、そろそろ本題に入ってもいいかね?」

 それに、この家に来る前のやりとりを思い出して、わたしははっきり意識を入れ替える。

「全部答えてくれるんでしょうね」

「私に答えられることなら、な」

 それに思わせぶりにそんなことを淡々と口にしながら、アーチェは優雅に紅茶を口に含んだ。

 手札を隠した態度。全てをさらすでもなくお茶を濁すような口ぶり。それが気に食わない。

 だけど、だからってそれで駄々を捏ねるほど自分が子供であるつもりもない。

 ふん、と鼻をならしてわたしは席についた。

「そう。じゃあ、答えられる範囲で答えて。綺礼は聖杯戦争の参加者だって言ったわよね。本当?」

「本当だとも」

 にこりと、食えない笑みさえ浮かべてアーチェは言う。

「言峰綺礼は、今はイリヤがマスターを務めているランサーの本来のマスターを騙まし討ちし、ランサーを強引に奪った。まあ、その後裏技を使ってランサーと言峰の契約は強制解除させてもらったが、言峰綺礼が奪ったランサーを使って聖杯戦争の情報を集めていたことについては裏が取れている。ランサーの本来のマスターも既に保護済みだ。確かに犯人は言峰綺礼だったとそちらからも証言は出よう」

 そんなとんでもないことをまるで淡々と報告書を読むような調子でアーチェは口にした。

 それに内心舌を巻きたくなる。

 本当わかってはいたけどとんでもない奴。

 だけど、圧倒されるような真似はしたくないので何事もなかったようにわたしも続ける。

「ランサーの本来のマスター、わざわざ保護したの?」

「ああ。けが人を放っておくわけにもいくまい」

「……呆れた。貴女自身は聖杯戦争参加者じゃなくても、弟や妹が参加者だっていうのによくそんなこと出来るわね。敵マスターだったはずの人間を生かしておくなんてどうかしているわ」

 ふと、見るとアーチェの奴は僅かにわたしを見て何かを思い出すように笑っていた。

 それに思わずむっとする。

「何?」

「いや。大したことではない。気にするな」

 そういって懐かしむような笑みを浮かべているこいつを殴りたい衝動に駆られたけれど、それを抑えて、わたしは別の質問をぶつけた。

「言峰とランサーの契約を裏技を使って解除したっていったけど、何をしたのよ。そんなことおいそれと出来る筈はないわ」

「その件については返答を拒否する」

「わたしに答えられないっていうの?」

「凛」

 ふと、鋼の瞳が真剣な色を宿してわたしを静かに見つめていた。

「君は遠坂の魔術師で、私もまた魔術師だ。魔術の秘奥をおいそれと他家の魔術師に明かせないことくらい、君がわからぬ道理ではあるまい」

 それは、これ以上踏み込むのは内政干渉だというも同然の言葉だった。

 わたしは深呼吸を1つして、自分を落ち着かせて、それから答えた。

「OK、わかったわ。今のはわたしが悪かった。忘れて」

「聞き分けが良くて助かる」

 ふと、笑みを浮かべつつアーチェはわたしを見ながらそういった。

 それはいつもの皮肉そうな笑みじゃなく、滅多に見せない柔らかな笑顔だ。

 それが、どうにも同級生であり彼女の弟である人物とよく似てて、妙に重なることに一瞬わたしは驚いた。

「凛?」

「……なんでもないわ。綺礼がランサーを本来のマスターから奪って聖杯戦争に参加していた。それはわかった。だけど、今はランサーはあいつのものじゃないんでしょう? なら、もうアイツは参加者じゃないんじゃない?」

「凛。君は言峰綺礼という男をよく知っていたのではないのか?」

 その言葉に思わず冷静になる。

 ランサーを奪ってまで聖杯戦争に参加したという綺礼。

 一度サーヴァントを奪ってまで参加したやつが果たしてもう一度同じことをしないといえるのか?

 何より、わたしは兄弟子であるあいつが油断ならない男だってことくらい骨身に沁みてわかっていたはずだった。そうだ、わたしが口にしたのは甘いことなのだ。

 アーチェがランサーの元マスターを助けたことを非難出来る立場じゃない。

「そうね。……あいつが危険、それはわかったわ。それじゃあ最後の質問」

「何かね」

「わたしに接触した、貴女の目的は?」

 

 

 

 side.ランサー

 

 

 黒くより禍々しく染まったその英霊とすらいえるのかわからねえその女を相手に、俺はマスターの嬢ちゃんを背で庇うように立ちながら、声を上げた。

「てっきり、テメエは退場したと思ってたぜ、ライダー!」

「…………」

 それに女は答えることもなく、ただゆらりと蛇かなにかのような姿勢をとりながら、鎖つきのその短剣を構えていた。

 それを一言で言うなら、邪悪。

 この女は英雄なんてそんな全うな存在じゃあねえ。怪物だ。

 かのゴルゴンの三女メデューサー。

 以前の戦いの時よりもずっと強く匂う闇の気配。

 それはより人らしさを捨て、本来の化け物に近づいていっている証拠に他ならぬ。

 は、上等だ。嗚呼、上等だ。

 あの時つけられなかった決着をつけるってか?

 ざわりと自身の中の戦士の血が騒ぎ立つ。

 けれど、状況が見えてないわけじゃねえ。

「嬢ちゃん、結界を張って下がってろ」

「でも、桜が……っ」

 桜? ふと、一瞬上がった血を下げて思い起こす。

 ああ、そうだ、あの黒い影。

 アーチェの奴が決して近づくなと忠告し、あれはヤバイものだと身体中の本能が騒ぎ立てたアレ。

 そういえば、マスターの嬢ちゃんは元々あのねえちゃんを追いかけようとしていた。

 少しずつ少しずつ亀の歩みのように遠ざかろうとする黒い影、それを守るように現れた、変貌したライダー。

「そうかい。てめえのマスターはあの嬢ちゃんか、ライダー」

「…………」

 ライダーは喋らず、ただ以前とは比べ物にならない迫力を背負って駆けた。

 ガギンと、槍の穂先と短剣の投擲が打ち合う音が響く。

「はっ、随分と無口になったじゃねえか、ライダー」

 その俺の言葉が合図だったかのように、女はトリッキーな動きで俺の懐に飛び込む、それを受けて俺は槍でなぎ払う、女は跳ね鎖を俺に向かって投げる、其れを俺は避け、ライダーのあご先に向かって突きを繰り出した。

 それを女は紙一重で避け、そして這いよるような動きで俺に踊りかかった。

 まるでいつかの再来。

 けれど、確実に何かが違っていた。

「オラオラ、どうしたよ、ライダー。てめえはそんなもんか?」

 挑発に乗ることもなく、ただ淡々と攻めにまわるライダー。

 その姿に思わず面白くない気持ちでちっと1つ舌打ちをしつつ応戦する。

 まるで奇妙な人形でも相手に戦っているような感覚だった。

 高揚もなにもねえ。

 俺を舐めているのかと不愉快な心地になる。

「てめえは、そんなもんじゃねえだろうがっ!」

 こいつは確かに以前よりもステータスが上がっている。

 そういう感触だ、だけどこりゃあなんだ? なんだこのお粗末な戦いは。

 あの時の高揚は、こんなもんじゃなかった!

「……そうですね、貴方相手には失礼でした」

 ふと、掠れるような声で小さくライダーは呟く。

 それになんだ喋れるじゃねえかという思いと、感情が無いようなその声に対する違和感を覚え、俺はそこで一反の距離をとった。

 パサリ、とライダーの封印が解かれる。

 そうして露出された美貌。

 その眼球は黒に染まっていた。

 

 

 

 side.久宇舞弥

 

 

 ゆらり、ゆらりと私は夢を見ていた。

 これまでの人生において私が夢を見たことというのは数えるほどしかない。

 そもそも夢など見てもあまり意味のないものでしかない。

 機械である私には必要のないもの。だからこそたとえ見たとしてもそれを覚えていることもなかった。

 泣いているあの子の夢。

(あの子はだあれ?)

 母親というものになったことがあるにも関わらず、私が母性というものを理解したことはない。

 だからそれを見ても、どういう感慨を抱けばいいのかそれに答えは出せなかった。

 悲しいと思えばいいのか。愛しいと思えばいいのか。

 それを感じれる人を羨ましいと思ってはきたけれど。

 夢は終わりに近づく。あの子は桜へと変わり、そして眠りに落ちる前の光景へと変わる。

『じゃあ、同じ目にあってくださいよ』

 絶望に染まったような赤い瞳でそう涙なく泣くように桜は言った。

『同じ目にあって、それでも同じことが言えるんなら、そうしたら少しは信じてあげます』

 泣き喚く子供のように、そう口にした桜。

 私は選択を間違えたのだろうか。

 わからない。わかれない。だって、私はこれまでずっと殺すことによって存在してきた。

 誰かを殺す機械であることこそが私の役目だった。

 顔色1つ変えず、殺せと言われれば女子供問わず殺すし拷問だってする。それが私の半生。

 所有者(キリツグ)以外の誰かを、赤の他人を助けようとするなんて、助けるために動くなんてこれがはじめてなのだから。

 助けたい。

 そう口にしながら私にはそれがどうしたらいいのかなど全くわかってなどいなかった。

 本当に救えるのかなども……。

 だからきっと桜も私に向かって怒ったのだろう。そういうことなのだろうと思う。

 そうして、取り込まれた影の中で、私は桜が間桐家に連れてこられてやられたことを再現される。

 蟲によって体の隅々まで犯されるそんな記憶。

 何も感じないとは嘘。

 人間にされた経験と蟲にされた経験はやはり異なるし、蟲によるそれは快楽より苦痛のほうがずっと比重が大きく、まさしくそれは拷問と呼ぶしかない行為といえる。

 まるで自分が蟲になったかのような錯覚すら覚えそうな行為。

 それでも、私は苦痛を感じながらも、ただそれだけだった。苦痛なんて慣れている。

 そしてそこで記憶は途切れていた。

 ゆらり、ゆらり。意識が揺らぐ、目が覚めようとしている。僅かに感じるこの光は……?

 そうして瞼を開けた私は意外なものをそこに見た。

 

「目覚めたか、女」

 それは何度も資料で見た顔だった。

 まるで死んだような目、厭らしく歪んだ笑みを浮かべた口元に、黒き僧衣、首元に下げられた十字架。

 第四次聖杯戦争のときに最も切嗣に近づけてはいけなかった男、言峰綺礼が私を抱えていた。

 ばっと、瞬間にして私は距離を取る。

「ふん、反応のいいことだ」

 何が楽しいのか知らないが、男は10年前には見せなかったくらいに楽しそうにくっくっくと笑いつつ、観察するように私の様子を見ていた。

「しかしさて、怪我の治療の礼すら言えんのか、女」

 その台詞に、影から放り出された私はこの男に助けられたのだと理解する。

「一つ尋ねます、言峰綺礼。何故私を助けたのか」

 この男は代行者。魔術師狩りの達人だ。

 じりじりと距離をとりながら、警戒を解かぬままに私はそう疑問を投げ掛けた。

「私は神父だ。けが人がいれば治癒するのもまた我が本分なのでね」

「戯言を」

「嗚呼。勿論冗談だ」

 くっくっく、そう笑いながら男は言った。

「随分と面白そうなことをしていたからな。貴様を助けたのもそのほうが楽しみが増えるとそういう判断だ。10年前は取るに足らん存在と思ったが、今の貴様は中々に興味深い」

 くつりと、嘲笑を浮かべつつ、黒き神父は哀れむように、楽しむように言葉を放った。

「精々あがけよ、女。その苦悩は中々の蜜の味だ」

 

 僅かな沈黙の時間が過ぎた。

 私はゆっくりと息を吐いて、臨戦態勢を崩し、目の前の男を見上げた。

 言峰綺礼。聖職者とは思えぬ歪な男。敵意はある。

 けれど、どんな理由にせよ自分が助かったという事実にはかわりがない。

「……どのような意図があったにせよ、助けられた礼だけは言っておきます」

 そう口にして私は走り去った。

 

「そうだ、それでいい。私を楽しませろ」

 そういいながら嘲笑う黒髪の神父だけが、戦いの爪あと残る森に残されていた。

 

 

  NEXT?

 



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33.怪物の願い

 ばんははろ、EKAWARIです。
 なんだかすっかり投稿の間が空いてすみません。
 べ、別に更新しても感想が一件もこなくて凹んだとかじゃ……あるけど、原因じゃないんだからな。ちょっと色々忙しかっただけなんだからな。
 どうでもいい……良くはないけど、ライダーVSランサーの宝具対決シーンの絵が見てえであります。では、どうぞ。


 

 

 

 願い事はただ1つ。

 間桐桜、私のマスター。

 怪物になってしまった彼女の救済。

 それだけが私の望み。

 もう私では彼女を救えないから。

 もう守ることすら出来ないから。

 ただそれだけが彼女のサーヴァントだった私の願い。

 

 

 

 

 

   

  怪物の願い

 

 

 

 side.遠坂凛

 

 

 家を出、先行する女を見やる。

 まるで一振りの剣のように研ぎ澄まされた横顔はキリリと引き締まり、硬質な美しさと共に覗き切れない心の奥底を思わせた。

 思い出すのはつい先ほどまでの会話。

 桜と間桐の魔術について、気がついたことや知っている情報を互いに交換した末にこの褐色肌に白髪の女……アーチェが言った言葉。

『凛、君は家宝の宝石を今でももっているか?』

 それは、私が10年間ため続けた虎の子の宝石のことではなく、アーチャーを召喚する前日に父さんが残した遺言を読み解いて手に入れた宝石のことを言っているのだと、何故かすんなりと私は理解した。

 理解と同時に警戒心が頭を擡げる。

 だって、わたしは父さんの遺産であるあのネックレス型の宝石のことを誰にも話した覚えはないのだから。

 無論、それは正規の従者たる私のアーチャーにさえ。

『なんで、アンタがそんなこと知ってるのよ』

 それに、女はやや困ったように眉をひそめて、だけど表情は厳しく生真面目に言った。

『凛、大事なことだ。君は使わずにまだ持っているのか』

 彼女に対して持っている疑問は多い。

 例えどんなに気安い相手であろうと、他家の魔術師であるという時点で全てを信用し自分の手駒をさらけ出すなんてことは有り得ない。どんなに馴染んだ相手でも、最後の一線だけは越えてはいけないのだ。

 遠坂家の6代目当主……故に。

 それは私の義務であり誇りなのだから。

 だけど、そうやって言ってくる声があまりにも真剣だったから、ついわたしもこんなことじゃ駄目だと内心悟りつつも答えた。

『もっているわ。其れが何』

 それを聞き、ふむとアーチェは何か思案するような顔を見せたあと、真っ直ぐわたしを見て言った。

『凛、朗報だ。桜は、助かるかもしれない』

 それはなんらかの確信をもったかのような顔で、だからこそ出来れば桜を助けたいといったアーチェの言葉をひとまずは信じ、わたしは組することにした。

 けれど……。

 

 本当にこの女は何者なんだろう。

 アーチャーとは双子の姉弟だといった。確かにそういわれてみれば納得出来る節が多分にある。しかしこの神話無き英雄無き時代で英霊に至った存在、そんな途方もない異端の片割れなんて眉唾物の話と思ってもおかしくない。

 それを信じることが出来たのは、アーチャーとアーチェのやつは実際よく似ていて、アーチャーは間違いなく聖杯戦争に呼ばれた英霊(サーヴァント)だったからでしかない。

 思えば、10年にも渡る付き合いがありながら、わたしはこいつのことを何も知らないのだ。

 お節介で世話焼きな魔術師らしくない魔術師。

 だけどそれが彼女の全てかっていわれたら違うと答えるしかない。

 決定的なのは先ほどの語らい。

 わたしは一度もアーチェのやつに家宝の宝石のことは話したことはなかったし、わたし自身これを手に入れたのは聖杯戦争に参加する直前だったのだ。

 だけど、アーチェは確信のように、当たり前のように宝石のことを尋ねた。

 つまり、知っていたのだ。

 わたしがその存在を知らない時でさえ。そしてそれがいつかはわたしの手に渡ることも最初っからこいつは『知っていた』。

 得体の知れない相手、それは間違いない。

 でも同時にアーチェにわたしを傷つける気は毛頭ないのだということも、例えばわたしが手を下すとしても受け入れる気があるってことも肌で理解していた。

 だから、信用はしないけど信頼はする。

 よって、わたしがかけるべき言葉は。

「……後で、全部教えなさいよ」

 教えなかったら許さないからね、そんな想いを込めて低く言い捨てた言葉に、アーチェはふっと僅かに目元だけ微笑んで言った。

「……そうだな、善処はしよう」

 

「凛」

 突如、それまで黙り込んでいたアーチャーが声を発する。

 それによって瞬時に顔を引き締めたわたしはその存在に気付く。

 おそらくは使い魔だろう蝙蝠がこちらに向かって接近していた。それに、ガンドを飛ばそうと瞬時に身構えたわたしを見るより先に、アーチェの手が停止を指示するように前に出される。

「待て、あれは、舞弥の使い魔だ」

「舞弥さんの?」

 そういえば、初接触した時もカメラを取り付けた蝙蝠の使い魔がいた。あれが久宇舞弥の使い魔だったのだろう。拳銃を使う彼女にカメラを取り付けた蝙蝠、辻褄があっている。

 と同時にそれを舞弥さんの使い魔だとてらいも無く口にしたアーチェを前に、私と出来るだけ戦わないようにと彼女に言ったという、わたしのよく知っているヒトというのが、間違いなくアーチェのやつのことだったということに確信を持つ。

 そんな気はしていたけど、やはり舞弥さんとアーチェは繋がっていた。

 同時に着信音が響く。

「ぇ、あ、何?」

 携帯の奏でるその音楽にわたしは思わず吃驚して一瞬だけ取り乱す。

 そんなわたしを見てなかったかのように、アーチェは折りたたんでいた携帯を取り出し、耳にあてた。

「舞弥か」

 電話越しに語りかけるアーチェの声はどことなくほっとしたような色がある。

 そのまま、アーチェは何事か端的に30秒ほどの会話を続けた。

「わかった。ではな」

 ピッと、音を立てて携帯を手馴れた様子で切り、それを仕舞う。

 ついでクルリとわたしに向き合って、彼女は鋼の瞳をまっすぐにわたしの目と合わせながら言う。

「舞弥が合流したいそうだが、構わないか?」

 それを聞きあの日のことを思い出した。

 醜悪な間桐の地下を出て、対峙した時、桜を救おうというのならわたしの敵だと告げたというのに、全く動じることもなく、己のやるべきことのみを見ていたかのような漆黒の女。

『しかし、凛。……わたしにはあなたが無理をしてそう口にしているように見えます』

 本心を見透かすようにそう言った彼女。

 でもそんな彼女だからこそ、信用出来る気がした。

 わたしは今でも桜を殺す気を無くしたわけじゃない。殺す覚悟は今でもある。

 だけど、それでもアーチェと話し合いの末、それでも助かる芽があるのなら、元に戻れる芽があるうちはギリギリまで殺すのはやめて、救うために動くとそう決めた。

 1度は殺すと定めた命でも、そうならない可能性を詰むことはしたくなかった。

「いいわ」

 だからこそ、わたしはそう決断を下した。

 

 

 

 side.バゼット

 

 

 何かあれば連絡をと渡された無線は通じない。

 それに、嫌な予感を覚えて飛び出した私は今冬木の街へと戻っていた。

 この街にいたのはたった1週間ほどの期間だ。

 此処で、憧れであったかの英雄クー・フーリンをピアスを媒介にし、ランサーのサーヴァントとして召喚した。

 終わりは呆気なく、浮かれていた私を討ち取ったのはかの聖堂教会の代行者言峰綺礼だった。

 そして気付いた時には腕を無くし、冬木とは違う街の病院にいた。

 そしてそこで彼女に出会ったのだ。黒髪黒目の硝煙の匂いを纏った女。

 女は私を保護するよう命じられて病院に入れたという。

 あの時は一杯一杯でそこまで頭がまわっていなかったけれど、考えてみれば、あの日私を保護したと告げた黒衣の女について知っていることは何もなかった。なにせ、名前すら知らない。

 聞いていたとしても素直に教えてくれたのかも怪しい、と冷静になった頭でそう思う。

 わかっているのは、あの女はプロの戦闘者だった、ということと仲間がいるということくらいで、けれど今でも何故私を助けたのかはわからない。

 限りなく有り得ないといっていい話だけれど、瀕死だった私を見捨てれなかったというのか?

 だから助けた? 一体誰が。

 私は封印指定の執行者であり魔術協会から派遣されたマスターだった。

 無論、聖杯戦争に臨むにあたっては、敵対するマスターを全て刈り取る気でいた。

 魔術協会について詳しい人間なら、まず私という人間の危険性を認識し、排除しようと思うだろうに、どうして殺さずに置いたのか。

 何故ランサーを引き抜いたことまで明かしたのか、思考する時間を取り戻した私にはわからなかった。

 片腕を失くした私では脅威になりえないと思ったから? でもそれもなにかが違うような気はした。

 嫌だ、こうして1人になると悪いことばかり考えてしまう。

 思考を追い出す。

「まずは、武器を取り戻さないと……」

 何をするにしても、このままでは心もとない。

 病院に置いてあった私の所持品は私が着ていた服とピアスや財布くらいのものだった。

 なら、きっと私の装備一式は全てあそこにおいてあるのだろう。

 あの日私を保護したといった黒髪黒目の女の動向も未だ不明のまま。

 ならば、まず私は自分の礼装こそ確保しないと。

 そう思って、冬木の街にいる間、私の拠点にしていた双子館へと戻ったが……。

「……ない」

 そこにあるはずの武装はどこにもなく、ただ、私の血が流れた痕跡だけがあった。

 これは、もっていかれた? 誰に?

 言峰綺礼ではない。彼は私の礼装に興味すらなかっただろう。そんな真似をしたりはしない。

 では誰が?

 そこで初めに思考は戻る。

 もって行ったのは、私を保護したとあの日いった女の仲間?

「……情報を、情報を収集しなければ」

 どこか、強い喪失感に苛まれながら、震える声で私はそう自分を落ち着かせるように口にした。

 

 

 

 side.ランサー

 

 

 黒く染まった眼球、以前見たときよりも全体的な美しさはなりを潜め、魔性が強く匂い立つ。

 邪悪でおぞましき伝説の怪物、メデューサとしての色を濃くした姿で、ライダーはそこに立っていた。

 これが『英霊』として召喚されたということに、聖杯に対する碌でなさを数瞬感じ入る。

 けれど、それはそれでこれはこれだ。

 俺はさっさとそんな感傷をかっ飛ばし、己がやるべきことだけを見定めた。

 石化の魔眼を受けるのはこれで二度目だが、普通はこの類の魔眼は知っている状態だと効能が下がったりするもんなんだが、ライダーの奴の魔性が強くなっている影響か、プレッシャーとしては前回とそうは変わらねえ結果を招いていた。

 どちらにせよ気は抜けねえ。

 嬢ちゃんに向かっても、俺自身に対しても魔よけのルーンを付加することで、魔眼に対する耐性を強める。

 こうやって、魔眼を晒したライダーとの対峙は二度目だが、狭い室内での戦いだった前回とは打って変って今は野外だ。それは、俺へのアドバンテージになりえる。

「嬢ちゃん!」

 強く呼ぶ。それに察したのだろう。今度こそ大人しく嬢ちゃんは引き下がった。

 刹那、蛇が飛ぶ。

 髪を振り乱しながら、ぬるりと巻きつくような動きで懐へと忍び入り、杭を投げる。

 それを槍の柄で弾き、鎖を掴んで引き寄せようとする。

 そんな俺の動向を察した女は力比べに入る前に自ら鎖を放し、俺の後ろに回りこむように身を捻った。

 槍を繰り出す、パラリと女の紫電の髪が数本舞う、女の頬が裂けた。

 女の手はそのまま構わずに俺の喉を狙う。

 それを、女の腹部を蹴っ飛ばし其の反動で距離を取ることによって避け、次いでグルリと腰で捻って再び突きを繰り出す。その俺の突きを女は後方へ飛翔するように避けた。

 まるで見とれているかのように、逃げようとしていたはずの影はぴたりと動きを止めて俺たちの戦いを見ていたが、そんなことは既に俺の眼中には無い。

 今此処にあるのは血肉沸き踊る戦い、それだけだ。

 愛槍をゆらりと構え、興奮に滲み出る笑みを抑えようともせぬままに、「来いよ」と瞳で誘いをかける。

 女はついさきほど自ら捨てた杭剣を構えて、油断無く俺を見ていた。

 互いの距離は約50m、サーヴァントにとって在って無きが如き距離。

 そうだ、この緊張こそ俺が求めていたものだ。

 ライダーか、俺か、どちらが先に仕掛けるのか。

 だが、其の時割入った声はどちらのものでもなく、故にこそ驚愕すら第三者へ齎した。

「ランサー、イリヤ!」

 未だ離れているとはいえ、サーヴァントが目視するには容易い距離で、走りよろうとしている赤いケープを身に纏った少年の姿がそこにあった。

「馬鹿、坊主来るな!」

 ライダーの魔眼の特徴は伝えてある上に、坊主が身につけているケープには魔術的な(まじな)いがかけてあるが故に最悪は避けれているが、どっちにしろ普通の人間にライダーの魔眼は耐えられるもんじゃねえ。

 ライダーをはっきりと視界にいれちまえば終わりだ。

 そんな僅かな焦りと苛立ちを前に一瞬逸らされた隙、それを使ってライダーは行動に移っていた。

 杭剣を戸惑うことなくざっくりと己の首に突き立てる。

 流れた血は魔方陣を描き、そしてそれは現れた。

 否、産み落とされたというべきか。

 天馬(ペガサス)

 メデューサーの首を落として生まれたという伝説の幻獣。

 それに跨って、ライダーは必殺の宝具を放とうとしていた。

「チッ」

 迷っている暇はねえ。

 幸い坊主にしても、嬢ちゃんにしても距離はそれなりに離れている上に、ここは前回とは違う野外だ。

 ならば、俺が取るべき行動なんて一つだけだ。

 

 

騎英の(ベルレ)―――」

突き穿つ(ゲイ)―――」

 

 互いの魔力の奔流が沸き立つ。

 互いにもって互いの一撃必殺でもって相手を屠る。

 結果はどちらかの敗北、それは疑う余地もない。

 だからこそ俺は、渾身の魔力を込めて、己が槍を投擲した。

 

「―――手綱(フォーン)!!」

「―――死翔の槍(ボルク)!!」

 

 

 

 side.間桐桜

 

 

 ゆらゆらと濁っていく思考の中わたしは其れを見ていた。

 青い光と紫の光。

 会いたくないヒトに出会った、だから逃げ出そうとしていたはずなのに、なのにわたしは気付けば其の光景に見入っていた。

 嗚呼、ナンテ綺麗。

 食べたい、とわたしの奥の何かが叫ぶ。

 それを寄越せと、叫ぶ。

 それは駄目だとわたしの奥の何かも叫ぶ。

 ぐちゃぐちゃでめちゃくちゃ。

 濁った視界、濁った意識、濁った思考、濁った……。

 其の終わりは突然だった。

 誰かが走っている。

(アレハ、ダレ?)

 意志の強そうな上がった眉、ちょっと癖のある赤毛、童顔で歳の割りに小柄で、初めて見た時は同い年か年下かと思った。暖かで大きな琥珀色の瞳。

(アレハ、ダレ?)

 なんで、泣きたいのだろう。

 なんで、愛しいのだろう。

 どんなに遠くても関係ない。たとえどこにいようとわたしは、きっと。

(ナマエ、ハ……)

 

(……思イ出シタ)

 嗚呼、そうだ、なんで忘れていたんだろう。

 どうしてわたし、忘れていたんだろう。

 衛宮士郎、士郎先輩。

 わたしの好きな人。

 ずっと好きだった、傍にいれるだけで幸せだった。

 

 だけど……だけど……!

(ソウダ、ワタシハ)

 わたしは、ヒトを殺シタ。

 食べた。そう、先輩のクラスメイトさえ、わたしに手を差し伸べたヒトさえ食べた。

 わたしは、怪物になっちゃった。

 

(ねえ、先輩、知ったらわたしを嫌いになりますか?) 

 

 ……嫌だ。

 そんなの嫌だ。

 嫌だ、嫌だ、イヤだ、イヤだ、イヤダイヤダイヤダイヤダイヤダ!

 たとえ姉さんに殺されてもいい、他の誰に軽蔑されてもいい、どんなに痛い目にあっても、もう受け入れるから、わたしは怪物だってことも受け入れてもいいから、それでも、わたし、わたしは……。

 先輩にだけは知られたくない。

 

 先輩にだけは綺麗な思い出の中の間桐桜でいたいんです。

 こんな醜いわたしなんて、知られたくない。

 絶対に知られたくない。

 涙があふれる。あは、なんでこんな姿になってもこういう機能はあるんだろう。

 わからないままにうめき声1つ立てられずに泣きながら、わたしは走る。鈍重で実感のない足。

 わたしが影なのか影がわたしなのかすらわからずに走る、走る、走る。

 何かに魅入っているように、追いかけてくる気配なんてなかったけれど、それでも振り向けばあのヒトがいるような気がして、それがわたしを追い詰めるもののような気がして、それが恐くて、先輩がコワくて、わたしはひたすらに走った。

 ねえ、神様と、信じていもしなかった神に願をかけるように、先輩に知られたくないとそれだけを願っていた。

 

 

 

 side.ランサー

 

 

 終わりは呆気なく。

「ランサー……!」

 嬢ちゃんが俺を呼ぶ、それに答える気もなく、俺は千切れかけた右手を抱えたまま、かつては女神の眷属だった女を見ていた。

「ライダーよ、1つ聞いてもいいか」

 其の間にも嬢ちゃんは俺に治癒魔術をかけ、右手を修復にかかる。

 それを半分無視するように、俺は敵たる女だけを見ていた。

「貴様、手を抜いたんじゃあるまいな」

 腹部から胸部にかけてごっそりと喪失した女は、傷ついた天馬の額を撫でながら、そんな俺の言葉を僅かにばつの悪そうな顔で見ていた。

 

 同じ対軍宝具として、ライダーの宝具のほうが格上だった。それは間違いねえ。

 だがあの時、あの一瞬、最後の最後にライダーは振り抜き切らなかった。その結果がこれだ。

 俺は右手が千切れかけるも致命傷は避け、ライダーは霊核にダメージを受けた。

 それが実力差の結果だっていうんならいい、だが俺にはそうは見えなかった。

 

「そうですね……迷いはあった、でしょう」

 ごぷりと血をこぼしながら、それでも冷静な口調でライダーは言う。

「わたしは、サクラを救えません、でした。わたしの声はもう、サクラに届きません、から。だから、去ろうとしているサクラの気配を感じて、きっと迷ってしまった。あなた相手には致命的なミスでした」

 其の口調はまるで懺悔するかのようで、複雑に幾重もの感情が混ざり合ったような声だった。

「イリヤスフィール、でしたね」

「……何」

「敗者の身で勝手な願いだとはわかっています。ですが……サクラのことを頼みます」

 其の言葉に、嬢ちゃんが紅色の瞳を大きく開いた。

「どうか、彼女を救って……」

 それが、黒く染め上げ召喚されたサーヴァント、ライダーの消えゆく直前に放たれた最後の言葉だった。

 

 そして、ライダーが消えたのと入れ替わるように遠くから対決を見ていた坊主が歩み寄る。

「なあ、イリヤ……アイツは、ライダーは慎二のサーヴァントじゃなかったのか」

「……士郎」

 言いづらそうにきゅっと目を細めて嬢ちゃんが迷う。

 それに察したように坊主も眉根を寄せてそれから言った。

「話、少しだけど聞こえてた。ライダーが口にした桜って、やっぱり桜のことなんだよな。なあ、知っているなら教えてくれよ、イリヤ。桜はどうしたんだ」

「……士郎、あのね、よく聞いて。桜は、いえ、桜があの影なの」

 その知らされた事実を前に、坊主は息を呑んだ。

 

 

  NEXT?

 



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34.姉と妹

 ばんははろ、EKAWARIです。
 お待たせしました34話です。間桐家編も大分佳境に入ってきました。
 ではどうぞ。


 

 

 

 近いうちにまた、こんな日がやってくることはわかっていた。

 わたしがわたしである限り、そして彼女が彼女である限り避けては通れない道だと。

 それでも、こんな時にだなんて。

 ごめんなさい、ライダー。

 貴女に頼まれたこと、果たせないかもしれない。

 

 

 

 

 

 

  姉と妹

 

 

 

 side.衛宮士郎

 

 

 眩しいほどの陽光が冬の割りに温暖な気候の冬木の朝を飾っている時刻、けれど其の麗らかな陽気とは裏腹に鬱々としたものを抱えながら、俺は台所に立っていた。

 グツグツと鍋が煮立つ音がして、淀みなく手を動かしつつも、この心に映し出されるのは、この手で調理されていっている朝食の数々ではなく、昨晩のイリヤとの会話のほうだった。

 

            

 * * *

 

 

「……士郎、あのね、よく聞いて。桜は、いえ、桜があの影なの」

 昨日のライダーとランサーの戦闘が終わった後に、問うた俺への返答にイリヤはそう答えた。

 影とは、シロねえが追っているアレのことだというのは、其の答えを聞いてすぐに理解したけれど、それでも、桜が影本人であるという其の言が信じられなくて、俺は「嘘だろ?」と思わず呆然とした態で呟いた。

 イリヤは気まずそうに僅か黙ると、意を決したように、イリヤは「士郎、とりあえず今日はもう帰りましょう、ね?」そういって帰路につくよう俺を促した。

 精神的なショックからだろう、こくりと俺は頷いてその彼女の提案に従う。

 イリヤも俺もランサーもそれ以上その件に触れるでなく、まるで何事もなかったかのように、ただ、淡々と日常を甘受しているかのように振舞いながら、衛宮邸までの長く短い道のりを歩く。

 そうやって家への門をくぐった。

「ただいま」

 そんな言葉がこの場にはふさわしいとは思えないのに、イリヤは俺がそういうと、ほっとしながら「うん、ただいま」そういってほのかに笑った。

 まだ何も答えない。

 ただ、日常を求められているような気がしたので、自分の心を落ち着かせるためにも、俺は風呂へと行った。

 それをイリヤが咎めることはなかった。

 そうして俺が風呂から上がったとき、イリヤはどこか観念するように「ついてきて」そういって居間に通した。

 そこには舞弥さんとシロねえ以外のメンバーが全員揃っている。

 とはいっても、親父は相変わらず眠りについていたけれど。

 兎に角にも、全員集まってから話すほどの大事な話らしい。おそらくは先ほど後回しにしていた話なのだろう。

 そう俺は理解して、腰を下ろした。

 そうしてイリヤは口を開く。

「ね、士郎。色々話す前に1つ聞いていい?」

 綺麗な赤い瞳に緊張を宿した表情でもって彼女は俺を見つめる。

 それに少し罰が悪く尻が落ち着かない心地で俺は答える。

「なんだよ」

「なんで、士郎は来ちゃったの?」

 それは咎めるような悲しむような複雑な感情が絡まった言葉で、来るなといわれていたのに飛び出したことについて、俺は自分が間違ったことをしたとは思っていなかったんだけど、それでもこんな風にイリヤに言われると、悪い事をした気分になって思わず罪悪感に胸を焼かれ、項垂れた。

 そんな俺を見かねてか、フォローするようにセイバーが口を開く。

「それは、私が行って下さいとそうマスターにいったからです。マスターのせいじゃありません」

「セイバーが?」

 僅かに怪訝気な顔になって神妙にイリヤはセイバーを見た。

 本当かどうか疑っているんだろう。

 そんなイリヤの視線を前にも、セイバーは怯むでもなく、いつもどおりの落ち着き払った、外見に似合わず、まるでずっと年上の大人のような貫禄を帯びた声音と表情でもって続ける。

「はい。家の守りは私1人で十分でしたから。だから追うように私が言ったのです」

「士郎、そうなの?」

 確認するように、イリヤは俺を見やった。

 確かにセイバーが言ったことは嘘じゃない。けれど本当とも言い切れない。

 何故ならセイバーは俺の気持ちを汲んでくれただけだ。

 セイバーが俺を庇ってくれている其の気持ちは嬉しいけど、だけどこれは俺の意思でやった行動の結果なんだ。セイバーのせいには出来ない。

 だから、静かに首を横に振ってから俺は答えた。

「いや、セイバーのせいじゃない。俺が望んで外に出たんだ。シロねえを放っておけなかったから。でも、結局イリヤに迷惑をかけたみたいだ。そのことは謝る」

 そういって頭を下げる俺を前に、イリヤは仕方なさそうにため息を1つこぼして、「勝手な行動は褒められないけど、悪気はなかったみたいだし。過ぎたことだもの。もういいわ」そういって、俺の頭をポンポンと撫でた。

「そのかわり、もう勝手な行動はしたら駄目なんだからね」

「ああ。悪かった、イリヤ」

 苦笑しながらそう答える。

 少しだけ、ちょっと怒っているイリヤが可愛いななんて思ってしまった自分が、不謹慎だな、なんて思った。

 

「じゃれているところ悪ぃが」

 一呼吸ついたところで、今の今まで黙っていたランサーが、若干気怠げにしつつも口を開く。

「そろそろ本題に入ったらどうだ。そのために呼んだんだろ?」

 其の言葉にはっとして、俺は気分をいれかえながら、真っ直ぐにイリヤの紅い瞳を見据えた。

「なぁ、イリヤ。桜があの影ってどういうことだ」

「……そのままの意味よ」

 それに、僅かに答えづらそうに瞳を伏せて、けれど口調だけは淀みなくイリヤはそう続けた。

「あの影が桜で、桜があの影。桜は隠しておきたかったみたいだから、士郎に言わなかったけど、慎二じゃなくて、桜こそが間桐の後継者なの」

「……なんだって?」

 中学からの友人だった間桐慎二の妹で、今まで自身にとっても可愛い妹みたいな存在だと思ってた後輩の、新たに知らされた真実の一端を前に、俺は思わず槌で頭を叩かれたかのような衝撃を受けた。

 間桐の後継者ということ……それが示すもの。

 つまり桜は魔術師だったってことか?

 まさか、と普段の桜を知っている俺の理性が否定の文句をかける。

 けれど、これまでの情報を統合して考えると、そも屋上で接した時の慎二の様子や言動とかを考慮してみても、それはありえることだと同時に納得せざるも得なかった。

「そして、ここからが本題」

 ぽつりと、呟かれたイリヤの声に、はっと俺は我を取り戻す。

「ランサーの腕は一応治癒魔術をかけてはいるけど、表面がくっついただけでまだ完全回復したわけじゃない。だから、今日はもうこのまま休むけど、明日の夜にはわたしたちもまた桜を追う事にするわ。だけど、士郎、それについてくるのは姉としてもわたしは許可しない。ううん、絶対に士郎は来ちゃ駄目。来たら許さない」

 それは確固たる意思でもって紡がれた言葉。

 だけど、それは、ついてくるなってことは、俺1人だけ蚊帳の外にいろってことだ。

 イリヤやシロねえが戦っているのに、いや、桜がそんな状態だっていうのに、俺だけが部外者だなんて、そんなのは認められるわけがない。

「なんでさ、イリヤ。俺はそんなに」

「士郎」

 頼りないのかと続けようとした俺の言葉を遮って、強くイリヤは俺の名前を呼ぶ。

 言い聞かせるように、哀しげに。

「桜の気持ちも考えてあげて」

 そうイリヤは、どこか泣きそうな声で呟いた。

「桜は、きっと士郎にだけは知られたくないし、見られたくない筈だから。だから、お願い。桜のためにも士郎だけは動いちゃいけないの」

 それは……。

「士郎が、他の誰を敵にまわしても、世界を敵にまわしても桜を取る覚悟があるっていうのなら、わたしだって止めないわ。でもそうじゃないでしょう? 世界の全てと引き換えにしてでも、例えばわたしを犠牲にしてでも助ける覚悟がないのなら、士郎が桜の前に姿を晒すってことは、桜を傷つけるだけなの」

 それは、其の言葉は、そんな言い方はズルイ。卑怯だ。

「桜はきっと、あんな姿に変わった自分を士郎に見せるくらいなら、死んだほうがマシだって思う筈だから。それくらい、桜にとっては耐え難いことなのよ」

 でも、俺だって桜のことが……。

「だから、桜のためにも、士郎。あなたは此処にいなさい」

 

 

  * * *

 

 

「…………クソ」

 ダンと、八つ当たりをするように力を込めて肉を切り落とす。

 自分の無力さが苦しくて悔しくて、歯噛みする。

 こんなことをしている場合じゃないという焦りがあるのに、何も出来ない。そのことが辛かった。

 桜を助けたいと思う。

 でもそう思って動くこと自体が桜を傷つけるのだとイリヤはいう。

 ならどうしろっていうんだ。

 俺は、此処でただ帰りを待つしかないっていうのか。みんなが戦っているのに、それを知っているっていうのに。俺だけが此処でのうのうと待つしかないっていうのか、クソッ。

 ふと、先日の会話を思い出す。

 影を追うといって出て行ったシロねえ。

 結局昨日帰ってくることはなく、ただ「心配するな」とだけ留守電に入っていた。

 シロねえは、あの影の正体が桜だと知っていたんだろうか?

 いや、違うか。

 知っていたからこそ、シロねえはあんなことを言い出したんだ。

 シロねえも、桜の事は実の妹のように可愛がっていた。

 だからこそ……。

(なんだよ……結局知らなかったのは俺だけってことじゃないか)

 なんで、どうしてこう俺は無力なんだ。

 俺に出来るのは、シロねえやイリヤを信じて待つことだけなのか。

 

 朝食を作りつつも、そんな思考に没頭していた時だった。

「マスター」

 ふと、清涼な声が耳に届いて、それがセイバーのものだと悟り、俺は今までのやり場のない憤りを伏せて、笑顔を作ってから後ろを振り向いた。

「ああ、セイバー。どうしたんだ?」

「いえ……微力ながらなにか、お手伝い出来ることはないかと」

 そう控えめにいってくれる金紗髪の少女には少し心配げな色があった。

(ああ、駄目だな) 

 セイバーに心配をかけるわけにはいかない。

 シロねえがいない今、この家の台所は俺が預かっているんだから。

 彼女にはこんな顔をしないでいてほしい。

 だから、これ以上心配をかけないように微笑みながら、先ほどまでの鬱々とした心を隠し、いつも通りの声を出来る限り作って、手伝いたいという彼女に指示を飛ばした。

「ああ、ありがとな。なら、そこにある大皿を二枚もっていってくれ」

「了解しました。マスター」

 そういって、コクリと頷き、指示した大皿を二枚手に取ったセイバーだったが、ふと神妙な顔をして暫し俺の顔を何か言いたげに見つめる。

「セイバー?」

 そう俺が呼ぶと、セイバーは少しだけ戸惑うような仕草を見せた後、それでもその形の良い唇を開いてこう告げた。

「マスター、余計なお世話かもしれませんが、無理して笑うことはないと思います」

 其の言葉に一瞬虚を突かれた。

「あなたは生身の人間で、なによりまだ子供だ。辛い時は辛いといっても、誰も怒りはしません。いいえ、逆に寧ろそうして無理をするほうがイリヤスフィールは怒るとそう思います」

 ゆっくりと俺に言い聞かせるように、どことなく物悲しく、けれど優しく語られた其の言葉に、俺は思わず胸が詰まった。

 僅かに唇が震える。5秒ほどの沈黙。

 喉に唾液が絡みついて、上手く喋れない。

 そんな錯覚を押し殺して、深呼吸をするように俺は言葉を紡いだ。

「……ありがとう。セイバーは優しいんだな」

「いいえ……そんなことは。それより早く朝食にしましょう。きっと皆マスターの作る料理を楽しみにしています」

 そんな俺の変化の機微には気付いているだろうに、気付かないフリをして、セイバーは日常を思い起こさせる言葉を連ねる。

 それが、セイバー流の気遣いだとわかって、俺は今度こそ本心からの微笑を口元に浮かべて、「ああ、行こうか」そう笑った。

 ―――待つしかない身なら、せめて桜が帰ってきた時、暖かく迎え入れる場所だけでも守ろう。

 先ほどまで、あんなに鬱屈した気持ちだったのに、今度はそう素直に思えた。

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 あれから丸1日が経過した。

 舞弥と合流した私達は、互いに情報交換を重ね、結局のところそれ以上探索に行くでもなく、遠坂家で一夜を重ねた。

 舞弥が語ったことは掻い摘んで説明すると以下のような内容だ。

 曰く、影に1度は引きずりこまれたこと、それを助けたのは意外にもかの神父言峰綺礼であったことなど、驚かせられる話も多々あったが、そういう風に情報を共有出来たというのは大きいだろう。

 そうして本日、2月12日の昼過ぎ、舞弥は冬木中に放っている使い魔の動向を通して、桜の現在地を捕捉した。

 場所が判明したのならば……と、凛は今すぐにでも駆け込みたい様子だったが、こんな時間から動けば目立つ。

 なにより、確認したところ今の桜は一箇所にとどまったまま、移動はないのだという。

 だからこそ慎重に重ねて、夕方になったところで私と凛、もう1人の私と舞弥の4人はその場に向かうことにしたのだ。

 桜が居たという場所は、市街地ではなく、アインツベルンの森の片隅にある廃墟だ。

 何故そんな場所を選んだのか、何故そんな人気のない場所にい続けているのか、それらは不可解ではあったが、それでも桜自身になんらかの変化があった可能性は高いと見えた。

 もしかしたら、凛が遭遇したという時と違い、言葉は通じるのかもしれない。

 勿論、これは楽天的な見方であり、盲信するにはあまりに危険な考えだ。

 そう思いつつも、舞弥の運転する車の中でそんなことを思う。

 けれど、きっとこの中で一番心揺れているものがいるとすれば、それは凛だ。

 そんな確信を持ちながら、私達は到着を待った。

 そして確かに、桜は其処にいた。先日との確かな変化と共に。

 

 黄昏時、夜と昼の狭間の時刻。

 世界は朱に染まり、長い影が人々の背後から伸びていく。

 このような刻限を魔の境界として、逢魔が刻と呼ぶのだろう。

 間も無く夜のベールが天空を覆い出す。

 そんな中で、幼き時に引き離された姉妹は、数日振りの再会を果たした。

「桜……」

「…………姉さん」

 白く染まった髪、呪詛を描いたような白い肌を覆う紅き文様、同じくまるで闇のような赤に染まった瞳に、黒く淀んだ負の魔力で作られた黒き闇の衣装。

 私自身が目にするのはこれがはじめてだが、間違いなく変わり果てた色を背負った間桐桜の姿がそこにはあった。

 全てを呪う闇の女王。

 けれど、果たして其の評価はあっているのだろうか。

 傷つき、怯え、悲しみに覆われた其の瞳には僅かながらも知性の輝きがあり、それは確かに私もよく知る少女の顔だった。

 伝え聞いた、全てを呪うかのような異形とは違う。

 此処にいるのは弱く儚い、巨大な力を持て余した1人の傷ついた少女だ。

 ゆったりと、震える唇で桜は言葉を紡ぐ。

「わたしを殺しにきたんですか?」

 それに、答えたのは凛でも私でもなく、私の隣に立つ黒衣の女だった。

 彼女は闇の少女に向かってスッと手を差し伸べながら、桜の言葉を否定する。

「いいえ。桜、あなたを救いにきました」

 真っ直ぐに桜の顔を見ながら舞弥はそう言い切った。

 それをしっかりと理解して聞いていたのだろう、見る間に桜の目元が緩み、ポロポロと大粒の雫をこぼし始める。其の間も、桜の影は後ろで蠢いていた。

「……どうして、わたし、わたしは、あなたに、ひどいことしたのに」

 ごめんなさいという代わりのように涙を流しながら、桜は泣きじゃくるようにそう舞弥に向かって言葉を溢す。それに舞弥は痛々しそうに柳眉を寄せながら、桜を見つめる。

「桜……」

「ごめん、なさ……い。ごめ……わた、わたし嬉しかった。でも、駄目です。駄目なんです、わたし……。もう、おさえてるけど……ッ無理なんです」

「桜、あなた……」

 ポロポロポロポロと、無垢なまでの涙を溢しながら語る桜は、まるで小さな子供のように頼りなくて、これが冬木中を騒がせた捕食者の正体だなどと、きっと後ろの影がなければ誰も思わなかっただろう。

 信じなくていいものなら、私とて信じたくはなかった。

 それほどに弱々しく泣きながら、今度は私を見て桜は言葉を続けた。

「今なら、わかり、ます。シロさん、は……先輩と同じだったんですね。ふふ、馬鹿だなあ、わたし。いままで、気付かなくって、嫉妬とか、して……」

 それに、桜が私の正体を知ったということを理解したが、それでも目前の少女にかける言葉はない。

 果たして、こういう時はどういう言葉が相応しいのか。

 永い時の果てに、憎まれ口や皮肉ばかり長けてしまった自分が少しだけ恨めしかった。

 桜はそんな、私の僅かな戸惑いに気付かぬ様子で、泣きながら続ける。

「ね、シロさん、お願いです。先輩には言わないで下さい。罰は、なんでも受けます、だから……わたし、わたし、それでも士郎先輩にだけは、知られたくないんです」

 ガタガタと肩を震わせ、青白い顔で泣き声を押しつぶすように桜はそんな嘆願をした。

「桜」

「お願いです、言わないで、言わ、ないで。言わ、ないデ。センぱいに、だけは言わ、なイで」

 桜の感情の揺れを表すかのように、影が蠢く。

 それに、もう1人の私はその攻撃がいつ来てもマスターである凛を庇えるようにと、警戒を強めつつ油断しないように構えていた。

 異常で哀れたる間桐桜。

 あまりに其の姿は弱々しく哀しくて、そんな彼女に誰も告げる言葉をもたない。

 否、この状況で何を口にすればいいというのだろうか。こんな、今にも消えそうな少女を相手に。

 そんな中で、1人芝居のように涙声の少女の声は続く。

「姉さん、ねえ、姉さん」

「……なに、桜」

 作っているかのように、硬質で冷ややかにすら聞こえる声で凛は桜の声に答える。

 近くで見れば、凛の肩が震えていることがわかっただろう。

 だが、そんな姉の様子にすら気付けないのか、桜はボロボロと涙を流しながら、言った。

「わたしを、殺してください」

 

 

 

 side.イリヤスフィール

 

 

 後ろ髪を引かれる思いを抱きながら、わたしは弟を置いて、今日もまたランサーと共に家を出る。

「なぁ、嬢ちゃん」

「なによ」

「本当でそれでいいのか?」

 其の言葉には本当はわたしだって桜に遭遇したくないんじゃないのか? とか、士郎を本当に置いていっていいのか? なんてことを指しているように思えて、わたしは苛立ち混じりにランサーのいるほうに視線を向けた。

 そんなわたしを見ながら、やれやれとでも言いたげに青い髪の槍兵はぼやくように言葉を吐き出した。

「それで、嬢ちゃんが本当に後悔しないってんなら、俺も別にいいんだがな」

「呆れた。先日の時もそうだったけど、意外とお節介ね。あなたは自分の心配だけしてなさい。其の右腕、戦闘にとりあえずの支障はないって程度しか回復してないことくらい、自分でわかってるんでしょ」

 実際問題として、昨日の戦闘は石化の魔眼への対抗と対軍宝具の使用などで魔力消費が多かった上に、右腕の負傷は深刻なレベルだった。

 最も、元々エーテル体で構成しているサーヴァントだから、魔力さえあれば致命傷でない限り回復は可能だけど、それでも昨日の今日だ。修復は8割完了しているとはいえ、完全回復しているとは言いがたかった。

 だからそれを配慮するのはマスターとして当然の思考だと思う。

 だというのに、ランサーは意外そうな目で私を見ながら次のようなことを言った。

「お、なんだ、心配してくれてんのか?」

「調子に乗らないで。わたしは、足手纏いは困るっていってるだけなんだから」

「は、こりゃ手厳しい」

 まあ、嫌いじゃないけどななんて寧ろ嬉しそうにいってくるこの青い狗を見ていると、殴りたくなるような気持ちが沸いてくるのは当然の性だと思う。

 だから苛立った気持ちのまま、わたしはランサーを置き去りにするように家を出た。

 

 とりあえず、わたしとランサーが選択出来る行動は2つ。

 桜への接触を図ることと、言峰を見つけ出し倒すこと。

 どちらにせよ街の捜索は不可欠。

 わたしの魔眼を使えば、冬木の街中に目を作り、そこから見つけ出すという方法も取れたけど、この人形の身体を手にしてからは、それも魔力消費の関係で少しだけ厳しくなったし、何よりそんな真似をすればあの子に気付かれる。

 いずれはあの子とも決着をつける気はあるけど、今のわたしが抱えている優先順位は別だ。

 それに、拠点を知られれば士郎たちを巻き込む可能性もないわけではなかった。

 だからこそ、心当たりのある場所を中心に足頼みの捜索になる。

 けれど、数時間ぐらい捜索した時、ある不審にも気付いた。

 影がいないのだ。

 毎日、どこかしらで被害を出していたはずの影が気配すら見当たらない。

 どういうことだろうと思いつつ、新都までの道を霊体化したランサーを連れて歩く。

 そして、第四次聖杯戦争が決着した彼の爪あとが残された土地で、わたしはまだ会う気はなかった彼女との再会を果たした。

「この結界は……!」

 見間違うはずもない、アインツベルン式で張られたソレが指し示すもの。

 此処を拠点にしているのが誰なのかは其の結界が否応なく正体を語っている。つまり、ここにいるのは。

「まあ、邪魔者もなく出会えるなんて。これも1つの幸運とでも言ってしまえばいいかしらね」

 ゆるやかに耳朶を打つのは、10年前に死んだアイリスフィールお母様とよく似ていて、だけど確実に違う冷酷無情な淑女の嘲るような声だった。

「ごきげんよう。そして永遠にさようなら。貴女を殺す日をずっと心待ちにしていましたわ、姉様(あねさま)

 以前出会った時、わたしの妹と名乗った少女レイリスフィールは、一礼しながら、そう無慈悲に告げた。

 

 

 

 side.遠坂凛

 

 

 襲撃を受けたのは数日前のこと。あの日、あの時の桜の様子はよく覚えている。

『なんで怒っているんですか? ひょっとして、わたしを殺す気なんですか? 先輩。酷いなぁ。酷いですよ、先輩。わたし、ずっと待ってたのに。助けてもくれないくせに、酷いなぁ。酷い、酷い。わたし今まで我慢してきたの馬鹿みたいじゃないですか』

 あの日桜はそういって、狂ったように笑っていた。

 其の目には正気を思わせるものはなく、それを見てわたしは桜を始末しないといけないと強く思ったのだ。

 あの時の桜は、誰が見ても手遅れなのだとそう判断しただろう。

 だけど、なのに……。

 この子は今、なんて言った? 「わたしを、殺してください」? それもそんなほっとしたような微笑を浮かべながら? まるで、救われるといわんばかりの顔をして?

 まるで子供の頃の、あの別れの日のように、ボロボロと頼りなげに泣きながら、そのくせ今度は笑って自分を殺せと桜はいう。

 そんなの……冗談じゃないわ。

 そう、冗談じゃない。

 だから、わたしは。

「桜、甘えるのは大概にしなさい」

 意識して冷酷な声を出してそういいきった。

 わたしの言葉を受けて、桜の紅色に変色した目が驚きかショックだかに見開かれる。

 それに胸が痛むわたしもいるのは事実だ、だけどそんなことは関係ない。

 傷ついた顔は見せてあげない。

 少しでも気を抜けば震えそうになる。そんな身体を押して、わたしはしっかりと2本の足で地面に立つ。

 決して弱みなんて見せない。見せてはいけない。

 わたしは弱音なんて吐かない。

 だって、わたしは遠坂凛だ。

 そして桜の姉なのだから。あの子の前でそんなみっともない真似は晒せない。

 だから、だからこそ私は冷たいとすら聞こえる言葉を吐き続ける。

「さっきから黙って聞いていれば、あなた、不幸に酔っているだけじゃない」

 きっとこの言葉で桜は傷つくだろう。もしかしたらわたしを恨むかも知れない。

 だけど、それでもわたしは言わずにはいれなかった。

「今まで散々人に迷惑をかけておいて、自分は楽になろうなんて勝手だわ」

 いえ、誰でもない、他でもないわたしだからこそ、言わなきゃいけない言葉だった。

 だってわたしはこの子の姉だから。

「ねえさ……」

 絶望したように桜の瞳が見開かれる。

 唇なんて血の気を失ったように青い。それでもわたしは言葉の刃を突きつけることをやめることはない。

「……決めた。わたしはあんたを殺さない。殺してなんてあげない。桜、あんたはね、自分で殺した人々の分も生きて償わなきゃいけないの。だからわたしはあんたを殺さない」

 桜、幼くして別れたわたしのたった1人の妹。

 ずっと、見ないふりをしていただけで、忘れたことなんてなかった。

「嫌だって泣いて喚いても聞かないわ。わたしは、ううん、わたし達はね、どんなに嫌がろうとアンタを救うわ。だから、覚悟なさい」

 そんな哀しい顔で殺してなんて言わないで。

 この世は哀しいことだけじゃない、それはあなたも知っている筈でしょう。

 ずっと、ずっと―――愛してるわ、桜。

 

 カタカタ、カタカタと桜の身体が揺れる。

 歯はガチガチで、恐慌状態に陥ったように桜は自分の身体を自分で抱きしめながら、信じられないものを見るようにわたしを見ていた。

「どう、して、なんで、なんで……ェ!ひぅ、ぁァァああーーー!」

 桜の感情の昂りに応える様に、制御をなくして影が暴れる。

 元より廃墟だった建物はバラバラに引き裂かれた。

 其の瓦礫に巻き込まれるより先に、アーチャーはわたしを、アーチェは舞弥さんを抱えて瞬時に脱出を図る。

 崩落する廃墟、それを受けても傷1つなく、影に守られるように桜はそこに立っていた。

 わたしもまた、アゾット剣と宝石を片手に、怯むことなく真っ直ぐ其の姿を見る。

 泣きじゃくる桜。

 もう其処に意思はなく、影はただわたしたちを捕食せんと蠢く。

 気付けば其の手に、いつもの双剣ではなく黒き大弓を抱えて、アーチャーは矢を射がけながら、わたしと舞弥さんに影の攻撃が極力届かないようにと誘導しながら戦っていた。

「桜、キツイお仕置きになるわ。覚悟なさい」

「やだ、やだ、ヤダヤダヤダ。もう、やメてッ!」

 泣き咽ぶ桜の激しさに釣られるように、手当たり次第の影の攻撃も増す。

 それを宝石で弾き、軽量化した身体で走りながら避けつつ、ただ桜に向かって正面から突っ込んだ。

 そして、桜の目前20m。

 確かにそれを見た。

 嗚呼、大丈夫だ。そうよね、わたし自ら陽動をかって出たんだからこれくらい当然よね。

 影が迫る。

 このまま棒立ちだったら喰われる。

 だけど、わたしはそれを確信して、駄目な可能性もあるのに、信頼して微笑み、「桜」と、優しげな声で妹の名を呼んだ。

「……ぇ?」

 きょとんと、桜が目を見開く。次の刹那、それは決まった。

破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)

 そんな、ハスキーな女の声と共に、紫色に輝く歪な形をした短剣が桜の背後に突き刺さった。

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 桜の無尽蔵な魔力の件や、桜の変わりようからそれがアンリ・マユと繋がったからこそ起こったことなのではないかという疑念を抱いたのは、つい先日のことだった。

 間桐の家は御三家の1つであり、英霊であるサーヴァントさえ従える令呪システムを構築した魔術の大家だ。

 あの500年を生きる怪物、間桐臓硯ならば桜を聖杯として改造することも不可能ではないのではないだろうか。

 いや、あの妖怪がそれくらいやってのけれる存在だろう事は、間桐家について調べていたら想像できる想定の範囲内のことだった。

 そして桜が聖杯に改造されてアンリ・マユと繋がっているという、そんな途方もない仮説の確信が高まったのは、舞弥の報告を聞いてからのことだった。

 合わせて、凛から齎された情報を聞けばその疑いはより強まった。

 だからこそ、賭けではあったが、ルールブレイカーの使用で桜は元に戻せるのではないかとそう思ったのだ。

 そして、その読みはあたった。

 

 気配を殺し、魔力を抑え、凛やもう1人の私が注意をひきつけている間に背後に回りこみ、契約破りの短剣を私が突き刺す。それが桜を救出する場合取るべき作戦であった。

 そしてそれは成功を収め、凛の喉元数センチまで迫っていた影は、桜が契約から開放されると同時に霧散した。衣服すらなく裸体のまま地面に沈もうとしている桜を前に、私は投影した布を投げる。

「桜……」

 緊張が抜けたのだろう、緩み、ほっとした声を出して、凛は桜に駆け寄ろうとした。

 だが……。

「凛!! まて、近づくな!」

「え? きゃああ」

 ざくりと、突如として沸いて出た影が鋭く私の腹と、凛の太ももを貫く。

「……貴様ら、なんということをっ、なんということをしてくれた!!」

 激怒し、怒りに震える桜の口から、しわがれた老人の声がした。

 

 

  NEXT?

 



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35.ごめんね

ばんははろ、EKAWARIです。
ただでさえここのところ更新遅れているのに、さらに遅れてすみません。
引っ越しでばたばたしててパソコン開ける暇なかったのですが、さらに明日から10日ほど家にいませんので、感想への返信につきましてはさらに遅れることになりそうです。
前回から引き続きさらにおまたせし続けで申し訳ありませんが、なにとぞご理解いただけると助かります。
まあ、なにはともあれ、うっかりシリーズは佳境、今回の話で第五次聖杯戦争編中章は無事終了となります。次回に外伝をひとつ挟むことになりますが、それが終わり次第終章に物語は入ります故、気長に付き合ってくださると助かります。
それではどうぞ。


 

 

 

 桜が養子に出されたのは、かれこれ11年も昔の話だ。

 全ては桜のためだと言われて、桜とはもう会ってはいけないと、もうわたしの妹でもなんでもないのだと告げられて、それでも最後の繋がりのように、わたしのお気に入りのリボンを押し付けたあの日のことはよく覚えてる。

 素直じゃないわたしは、いつか利息をつけて返しなさいとそう要求した。

 それを聞いて、確かに桜は笑ってた。

 あの日、あの時。

 2人の短く長い語らい。

 これが、最後としても、もう姉と名乗る資格はなかったとしても、それでもわたしは桜との最後の繋がりが絶たれる事は嫌だったのだろう。

 だから、同じ高校に入ってきた桜が、わたしが贈ったリボンをまだ身につけてくれていたことが嬉しかった。

 でも、笑顔を失くし、わたしの知っているあの子じゃなくなっていったあの子のことは哀しかった。

 暗く、笑わない間桐桜。

 見つめていた、いつだって遠くから。

 だから、いつもは笑わない桜が、ある姉弟と接する時だけは笑顔を取り戻すのが嬉しくて、羨ましかった。

 ほっとしていた。

 嗚呼、この子は笑えるんだって。

 ねえ、桜。

 貴女の苦しみに今まで気付かなくてごめんね。

 

 

 

 

 

        

  ごめんね

 

 

 

 side.遠坂凛

 

 

 ざくりと、太ももに鋭い刃が通るような痛みが走る。

 熱くて、力が抜けそうになるのを、ぐっと無事な右足に力を込めてわたしは耐えた。

 傷口から魔力が奪われるのを感じる。

 桜はもう大丈夫なはずなのに、何が起こったのか、瞬時には判断が付かず、そのまま踏みとどまって睨みつけるようにぐっと前を見据えた。

 そしてそこで見たもの。

「……貴様ら、なんということをっ、なんということをしてくれた!!」

 桜の顔で、桜とは思えぬ憤怒の表情をした、老人の声が醜く木霊する。

 それを聞いて、理解した。

 これは、桜じゃない。間桐臓硯。

 聖杯戦争を作り出した当事者の1人であり、500年を生きる化け物。蟲を操る魔術師の大家。

 それが今の桜の身体を操るものの正体、マキリ・ゾォルケン。

 老人は醜く顔を歪めながら、憎悪の言葉を吐く。桜の顔をして。

 それがたまらなく不快だった。

「よくも台無しにしてくれた。もう良い、貴様ら、生きてはここから帰さぬ!」

 いいながら、怒りのままにゾォルケンは桜の身体のまま指を振るう。

 それが合図だったのだろう。

 ブワリと蟲が飛び出すと同時に幾多もの影が躍った。

「くっ」

 自前の宝石で蟲を焼き払う。

 桜の身体をいまだ完全にのっとったわけではないのか、影の攻撃は先ほどまでの無意識な桜のソレよりも狙いは甘い。だからこそ、ギリギリで攻撃をかわすことも不可能ではなかった。

 ギリと、先ほどから何度も魔術を重ねて使ったためか、身体中を軋むような痛みが走る。

 けれど、こんなところで負けてなんてやるものですか。

 わたしは、太ももに負った傷すら無視して、宝石を放つ。蟲が焼け爛れた。

「凛、心臓だ!」

 突如、アーチャーが叫んだ。

「間桐桜の心の臓にそいつの本体はいる!」

 刹那の理解。

 桜の心臓に居るという間桐臓硯、一秒ごとに確実に肉体の所有権を奪われていく桜。

 そして奪い乗っ取る老獪。

 ならば、わたしの取るべき選択もまた1つしかない。

 だから決めるのも動くのも迷いなんてどこにもなかった。

 

 一直線に走る、走る、奔る。

 憎悪に顔を歪ませて、醜悪な老人は桜の顔のまま蟲と影を操る。

 わたしに届くより先に其の攻撃はアーチャーとアーチェのヤツになぎ払われる。

 だからわたしは、ただ真っ直ぐ走ることが出来た。

 桜だけを見つめて、桜の姿をした敵だけを見据えて。

 そして、そのままわたしは手に持っていたそれを振り上げ、真っ直ぐに桜の、妹の心臓に向けて刺し込んだ。

 剣が、まるで初めから決められていた予定調和であるかのように、ズブリと音を立てて桜の体に吸い込まれる。グチリと、肉を断ち、血に濡れる感触。生命の紅き水がわたしの手を濡らす。

「ぁ……か、ぁああっ」

 顔を寄せればキスさえ出来そうな至近距離から声ならぬ悲鳴が届いた。

 けれど、それはもうわたしの心を揺らすものじゃない。

 桜の身体は奪わせない。誰にも奪わせない。

 たとえ桜が死のうとも、それでも桜の尊厳を守るためにも、絶対にソイツは殺さなければならなかった。

 心臓を穿たれて尚、醜く歪んだ顔でわたしを見やる怪物を倒すために。

 何があっても、こいつだけは倒さないといけなかった。

 桜の命を、その身体を弄び、今日までこの子を苦しめてきた間桐臓硯。逃がすわけにはいかなかった。

 故にわたしはその呪文を唱える。

 宝石細工の儀式用の短剣、アゾット剣。

 宝石魔術を修めた見習いの課程を終えたことを証明する証であるそれには、10年分のわたしの魔力が込められている。それを解き放つための言葉を口にした。

「last」

 桜の心臓につき立てられた魔力が爆発する。

 とっさに逃げられるような時間は与えなかった。だから、わたしは間桐臓硯の死を確信した。

 だけど、それは同時に桜の死をも意味する行為だってことも理解はしていた。

 あの時、あの一瞬、桜の身体が間桐臓硯に乗っ取られかけていると理解したあの時、わたしのこの手で殺さないといけないと思った。

 他の誰でもない、わたしじゃないといけないって、これは姉のわたしの役目だからって。

 だから、わたしは妹の心臓に剣をつき立てた。

 先ほどまで救うとか言ってたくせに、身勝手かもしれない。

 でも、どうしようもなかった。

 あんな老人に操られて、身体だけが生きるよりは、それなら桜でまだあるうちに殺してやることだけが救いで、そうじゃないと疑ったら殺せなかったのだから。

 だから3秒前の自分の判断を後悔なんてしたりはしない。

 だけど、だけど……。

 ……だから、何よ。

 そうよ、確かにあの老人を逃がしちゃいけないってそう思った。

 なんとしても殺さなきゃいけないって、それで結果として桜が死んでも、乗っ取られて身体だけが生きるよりはマシなんだってそう思った。

 だけど、大切な人の血に濡れる感触も、肉を絶つ感触もそれでなくなるわけなんてないのよ。

 はは、馬鹿ね、わたし。本当、救いようがない。

 どんな言い訳を並べ立てたって、わたしが桜を殺したってことには代わりがないのに。

 そう、認めればいい。

 わたしは、他の誰でもないこの手で桜を殺した。

 

「……桜ッ」

 くたりと、糸が切れた人形のように桜の身体が沈む。

 ぐしゃりとわたしの足も沈んだ。

 視界がぼやける。

 目頭が熱くて、仕方ない。

 あ、もう駄目だ。虚勢はこれ以上続けられない。

 涙が滲む。止まらない。

 ボロボロと、この戦いの前の桜のようにわたしもまた泣いていた。

 ポカリとした喪失感と悲しみに心が痛みを訴えていた。

 覚悟はしていたはずなのに。

 たとえ桜を殺す結果になったってそれを受け入れようってそう思っていたのに、なんで涙が止まらないんだろう。いつからわたしはこんなに弱くなったんだろう。

 どうして、自分でやったのに涙が止まらないのだろう。

 父さんと母さんの葬式の時だって、こんな風に泣いたりはしなかったのに。

 わたしが1人になったんだって、突きつけられたあのときだってこんな風には泣いたりしなかったのに。

 くしゃりと顔が歪む。

 大粒の涙が頬を濡らして、視界がぼやけた。

「桜、ごめんね」

 引き攣った喉から、意味のない謝罪が続く。

 11年間、忘れたことなんてひと時もなかった。

 ただ遠くからずっと見守っていた。見守るだけの日々だった。

 桜が間桐の家で受けたのだろう、その苦しみも悲しみもわたしは何1つ知ることはなかった。

 そうね、思えばわたしは大抵のことが上手くいった。大抵のことならなんでも出来た。

 だから、あなたの苦しみなんてわかるはずもなかった。

 父が死んでも、母が死んでも、あの家で1人になっても、だからって不自由なんてしたことはなかった。

 いつだって、そんなわたしでも手を差し伸べてくれる人はいたし、大抵の事は1人でもわたしは出来たから。

 そうよ。

 あなたの苦しみはわかるわ、辛かったのね桜なんて、わたしが言ったって嘘くさいだけじゃない。

 だから、わたしにはそんな言葉はかけられなかった。

 だって事実、わたしにはあなたの苦しみも絶望も10分の1さえ知ることは出来ないのだから。

 どうして助けを待っていたのに来てくれなかったのかってあなたは言ったわね。

 でも、でもね、桜。

 あなたは信じないかもしれない。わたしの事薄情な姉だって思っているかもしれない。

 それでも、それでもわたしはあなたの幸せを願っていたのよ。

 あなたが幸せにやっていけているなら、それならどんなにわたしの修行が辛くても苦しくてもなんてことないんだって、平気なんだって馬鹿みたいに本気で思っていたの。

 こんな幕切れが欲しいわけじゃなかった。

 たとえもう姉と妹として語り合えなくても、それでも生きていたら、きっといつか共に笑える日が来るんじゃないかって、そんな希望を抱いていた。いつかの子供の頃のように。

 あなたを忘れたことなんてなかった。誰よりも幸せになって欲しかった。

 いつも笑顔であってくれたらってそう願っていた。

 桜、わたしのたった1人の血をわけた妹。

 こんな形でしか幕を引けない、こんな形でしかわたしはあなたを救えない。無力なわたしを赦して。

 

 悲しみにゆるやかに思考が濁っていく。

 そんなわたしを前に、よく通る声変わり前の少年であるかのようなアルトの声が届いた。

「凛、まだだ!」

「……え?」

 無力に落ち、忘我の(てい)でただ涙するわたしに向かって、アーチェの叱咤が鋭く飛ぶ。

 それに、ノロノロと反応を返して、わたしは自分より大分長身の、彼女を見上げた。

「僅かにまだ息がある。大丈夫だ、桜はまだ救える。君は、あの宝石を持っているのだろう?」

 言われて、家宝だろうペンダントに視線を落とした。

「心臓の蘇生だ。今なら間に合う。君なら出来る。自分を信じろ」

 そういって、薄く笑って、アーチェは桜の頬を優しく撫でた。

 それに徐々に思考が現実へと戻ってくる。

 家宝だろうこの宝石には確かに莫大な魔力が込められている。

 これを使えば、確かに人1人の心臓の再生くらいなら手を尽くせば可能かもしれない。

 その心臓の再生自体が高難易度の術だということを除けば、アーチェの言っている事は不可能じゃなかった。

「……これ、成功したら時計台に一発入学レベルよ?」

「何、凛なら問題ないさ」

 まだ涙の止まりきらぬ目のまま、内心の不安を隠すように軽口染みてそう口にしたわたしを前に、気負いなく、どことなく皮肉気な表情をして肩を支えてくれるアーチェに安堵を覚える。

 其の絶対の信頼を込められた言葉は、まるで確信をもってかけられたかのようで、気弱になっていたわたしの心に自信を取り戻させるものだった。

 もう迷うことなんてない。

 一秒ごとに桜は確実に死に近づく。なら迷っている暇すら惜しい。

 わたしは例の家宝である宝石を翳して、心臓の蘇生を開始した。

「……桜」

 わたしの愛しい妹。

 たとえあなたにどう思われてもいい。

 憎まれ、罵倒されたって構わない。

 それでもいいから、だから、死なないで。

 まだわたしは、肝心の本当の気持ちを何1つあなたに伝えていない。

 

 

 

 side.イリヤスフィール

 

 

 最初の邂逅の時よりも苛烈に、容赦なく、彼女の攻撃は続けられた。

「ほらほら、どうしました? これしきにも対応出来ないのですか? あはは、愚鈍ね」

 憎しみをもって歪められた、嘲笑めいた笑い声が周囲に響く。

 けれど、それに応えるような余裕もなく、わたしは無様にも転がるように身を守りながら、その針金の槍から身をかわした。

「……ぁ、は、ぐ」

 息が荒れる。今頃はランサーはバーサーカーとの戦闘の最中だろうけれど、そっちを気遣うような暇なんてない。

 殺されないように、致命傷を負わないようにすることだけで精一杯で、ほかの事を考える余裕なんてない。

 そもそも、わたしとこの子はどちらも針金使いで、かつ彼女は炎使いでもある。

 魔力量だって、この聖杯戦争の正規の小聖杯である彼女と、既に聖杯の器じゃない、アオザキの人形体であるわたしとじゃ雲泥の差が生じている。わたしの不利は当然といえば当然だった。

 これがこの10年の安穏な日々の代償といえばそうなのかもしれない。

 アインツベルンがわたしを憎んで殺そうとするのだって、理解している。

 だって、事実この子の言うとおりわたしがアインツベルンを捨てた裏切り者だっていうのは本当のことなんだから。だから、怨まれるのは、あの城を出た時から覚悟して然るべき事柄だった。

(だけど、だけど……!)

 裏切り者だって命を狙われるということそれ自体は別にいい。

 とっくにいつかこんな日が来るってことくらい覚悟していたんだから。

 でも、だからってわたしだって無抵抗に殺されてやる気なんてサラサラない。

 わたしは、生きなきゃいけないんだから。

 わたしには士郎がいる。

 シロもいる。

 あまり言いたくないけど、父親のキリツグだっている。

 わたしが死んだら家族が悲しむとかそれもあるけど、でもそれ以上にわたしは大好きな家族を守るためにも生きなきゃいけない。

 士郎とシロは同一人物の別人。

 それを知ったのは10年前、まだわたしが本来の「イリヤスフィール」の体にいたときのこと。

 この世界の士郎は真っ直ぐな良い子に育ってくれたけれど、それでもわたしがいなくなったら歪まないなんて、シロみたいにならないなんて保障はどこにもない。

 危うくて歪で、可哀想で可愛いシロ。

 彼女のことは大好きだけど、それでも士郎まで同じ道を辿らせるわけにはいかないの。

 ゴルゴタの丘を越えて歩むのは彼女1人で終わらせなきゃいけない。

 シロだって士郎にそんな道を背負わせたくはないはずだから。

 だから、わたしが士郎をそうならないように守らなきゃ。

 だって、わたしはおねえちゃんだから。

 お姉ちゃんは弟を守るものだから。

 それに血の繋がりなんて関係ない。一番大事なのは心と、その在り方。

 だからわたしにとってはあの子は敵で、士郎たちは身内。

 彼女がわたしと双子のような存在だろうと、同一の遺伝子を持つ存在だろうと関係ない。

 わたしは、そんなことで殺されてなんてあげない。

 わたしは、弟達を守るためにもこんなところで死ぬわけにはいかないんだから。

 

形骸よ、生命を宿せ(shape ist Leben)!」

 手持ちの針金で大鷹を作って、向かってきた炎の弾丸に当たらせる。

 ジュウ、と針金は融け爛れながらも、わたしの命じるとおりにレイリスフィールと名乗ったあの子に向かって襲い掛かる。それをあの子は、塵を払うように、針金の刃で一閃して払った。

「本当に嘆かわしいものね」

 心底落胆するような声で、冷酷無慈悲な貌のまま、ぽつりと彼女は言う。

「アインツベルンを捨てておきながら、アインツベルンの魔術にしか頼れないの? 虫唾が走るにも程があります。よくもまあ、おめおめとそのような恥知らずな真似が出来ますわね。厚顔無恥もここに極めりと言ったところかしら」

 言いながらも、欠片も容赦はなく、彼女は炎を撃ちこみながら、淡々と己の行うべき動作を続けた。

形骸よ、生命を宿せ(shape ist Leben)

 先ほどのわたしと全く同じ呪文をキーに、彼女は袖下の腕に巻いていた針金から大虎を作り上げる。

 体長二メートルにも及ぼうというその風体、そんなものを瞬時に錬金術で作り上げてしまった彼女の力量に、かつては己にも出来たこととはいえ、知らず息を呑んだ。

「さあ、お喰らいなさい」

 それを合図に針金で作り上げられた大虎が襲い掛かる。

「きゃぁああっ!」

 猛々しく虎はわたしの首元目掛けて飛び込んでくる。

 抵抗しようとするも追いつかず、それでも僅かに逸れたその牙は、わたしの右肩へと突き刺さった。

 ブチブチと、鋭い痛みと共に、肉が引き裂かれる音がした。

「まあ、そんな風に血まで出るなんて、随分とよく出来た木偶人形だこと」

 冷ややかに告げられる彼女の言葉と、熱く燃え滾るような痛みの走る肩。

 それにクラリと眩暈を覚えそうになる。

 そんな自分を圧して、わたしは錬金術で作られたその大虎を手元の針金で縛りに掛かろうとした。

 けれど、そんな抵抗も虚しく、大虎の前足がわたしの鳩尾を蹴り飛ばした。

 わたしの身体が宙に舞って10m程飛んでから地面にたたきつけられる。

 あまりの痛みに呼吸困難すら覚えてわたしは呻く。

 息が上手く出来なくて、耳鳴りがした。

 けれど、それにただ転がって寝込んでいられるほど状況は甘くなくて、錬金の虎は馬乗りになってのしかかり、わたしの左手を引き裂いた。

「ぁ、ぐ、ぅぁああッ!」

「あら、良い声ね」

 苦しい呼吸の中、喘ぐように搾り出した悲鳴を前に、昔のわたしとよく似ている顔立ちの少女は無感動にそんな言葉を並べる。

 続いて、左足、右足と順に虎の爪がわたしの肌を引き裂いた。

「ぅ……! い、ぁあ」

「命乞いはしないのですか。意外ですね」

 視線を感じた。

 まるで鳥かごの中の鳥を観察でもされているような錯覚。

 それに嘲るような言葉。

 アイリスフィールお母様とこのレイリスフィールと名乗った『妹』は声がよく似ている。

 けれど、どうしようもなく違う。

 だから、あまりにお母様と同じで違いすぎるこの言葉や空気は、まるで死んでしまったアイリスフィールお母様への侮辱のようで、わたしは次々加えられていく痛みに耐えながら、ギっと有りっ丈の力を込めてピンクドレスの少女を睨んだ。

 リン、と彼女の身につけている髪留めの鈴が鳴る。

 ゆるやかに、少女の口元が笑みを描く。

 瞳は相変わらず無感動に蔑むような眼差しながら、それでもそれは確かに笑みだった。

 くつりと、笑いながら少女は言う。

「ええ、それでいい。命乞いなどしていたらとうにわたしは貴女を殺していた。そんなのはつまらない。気概があるようで嬉しいわ。そうね、褒めて差し上げましょうか。それは唯一の貴女の美点だと。だから、こんなことで、壊れないで下さいね?」

 ガッと、また前足で虎はわたしを蹴り飛ばした。

 二転三転してわたしの身体は転がっていく。

 途中何度か地面で頭を打ったせいか、血がだらりと流れた。

 痛みは既に麻痺し始めて、意識もまた朦朧としはじめている。

 それにこのままではヤバイのだと強く自覚して、右手に爪が食い込むほど握り締めることで意識を保とうとした。腕の感覚は遠い。

「私、この再会するまでの間に色んな方法を考えていたのです」

 淡々と冷酷な声で言葉をレイリスフィールは紡ぐ。

「貴女をどう殺そうかしら。どう殺せば私は満足出来るのかしら、と。貴女のお気に入りのあの小蝿を生け捕りにしたあとミートパイにして貴女にその肉を食べさせるというアイデア、悪くないと思ったのですが、どうやらそんなことをする時間的猶予はないみたいですから。それに拘って本末転倒を招いてもいけませんし、ええ本当に悩みましたのよ?」

 私は、本分を忘れたりなどはしませんから。貴女と違って。

 そうぽつりと耳に届くか届かないかの声で囁くように付け足しながら、レイリスフィールはクスクスと冷たく感情の伴わない笑い声を上げて、其れから言った。

「ねぇ、姉様(あねさま)もお判りかしら。随分と貴女のサーヴァント苦戦しているようですよ。まあ、如何に呪いの槍をもっていようと、それを使う暇がなければ宝の持ち腐れといったところかしらね。消えるまでそれほど時間はかからないでしょう」

 何を言いたいの、と口だけ動かして尋ねる。

 声は出なかったけど、それで伝わったようだった。

 残酷な笑顔を浮かべながら、相も変わらず冷酷無慈悲な目でわたしを見下ろしながら、彼女は続けた。

「腹上死など如何(いかが)? バーサーカーに犯されぬき、魔力を全て吸い上げられ、そうして屈辱と絶望に顔を歪ませながら死んでくださいな。そうすれば、私も少しは気が晴れると思いますから」

 

 

 

 side.遠坂凛

 

 

 心臓蘇生の魔術は成功した。

 そこだけを見れば『桜』は助かったといえるのだろう。そう、あくまで桜の体は。

「……凛」

 低い女の声が夜の森に響く。

 いつの間にか隣に来ていた舞弥さんがそっと桜の手を握っていた。

 それを疲労した目で見ながら、わたしは告げる。

「手は尽くしたわ」

 夜の闇にその言葉は虚しく響いた。そう、虚しい。

 桜を苦しめた間桐臓硯はもういない。それでも、桜は目覚めない。

 肉体的なものではなく、精神的なものが桜の目覚めを阻んでいた。

 桜は人を殺した。

 本来優しいこの子にはそんな自分の行いが許せなかったんだろうとそう思う。

 そう、優しい子だった。だから、きっと自分が赦せない。

 桜は、罪悪感で心を閉ざした。

 いや、もしかすると、間桐臓硯に乗っ取られた時には既に桜の心は粉々に散っていたのかもしれない。

 どちらかはわからない。

 桜じゃないわたしにはわからない。

 それでも。

「わたしは、信じるわ」

 そう自分に思わせるためにも口にした。

「桜の心は生きている。今はまだ眠っているだけ。目覚めるのは明日か1年後か10年後かそれはわからない。それでも、わたしは桜はいつか必ず帰ってくるって信じてる」

 もしかしたら、永遠にこのまま眠り続けるかもしれない。

 そんな可能性に気付かないわけでもなかったけれど、それでもわたしはそう言った。

「そうだな。私もそう思う」

 フッと、哀しげに優しげに憂いを帯びさせながら緩く微笑み、右隣に座るアーチェもわたしの言葉に同意する。

 弟妹たちにやるそれのように優しく桜の髪を梳きながら、彼女は僅かに微笑んだまま言う。

「桜は昔から、その儚げな見た目よりもずっと強かった。なにより(あね)がついているんだ。きっと、彼女とて戻って来れるさ」

「シロ、貴女とて桜とは実の姉妹のように仲良くしていたと記憶していますが」

 ふと、淡々とした調子で黒髪黒服の女性がそんな言葉を溢す。

 それに苦笑しながら、首を横に振ってアーチェは言った。

「いや、所詮私は他人だ。けれど、凛がついているのなら、きっと桜は大丈夫だろう」

「そういうこと、言うのやめなさい」

 アーチェの言葉はわたしへの信頼が見える言葉だ。

 だけど、それでもわたしはその言葉を見過ごすわけにはいかなかった。

「アンタと桜が他人なんて、桜が聞いたら怒るわよ。桜はわたしの妹だけど、別にアンタの妹であってもいいじゃない。嫌なんて言わせないわよ」

 桜が笑顔を見せるのは衛宮の姉弟の前だけだった。

 朗らかな桜の笑みは悔しいけどわたしのものじゃない。

 きっと舞弥さんの言葉通り仲良くして、可愛がっていたんだろう。

 だから桜は衛宮姉弟の前では笑う。

 そんな笑顔を見る権利を持っている奴が、他人だなんて言葉で桜を放り出すなんて許せるはずなかった。

 けれど、言われた当人は意外だったのか、良く見るとわりと童顔な顔立ちに驚きを乗せ、鋼色の瞳を丸くしてやや戸惑いがちにわたしの目を見ている。

 ふん、と鼻を鳴らしながらわたしは続ける。

「桜の姉がわたしだけじゃないのは悔しいけどね、でもわたしが堂々と桜に姉と名乗れる立場じゃないのもわかっているのよ。きっと、桜が苦しんでいる時一番支えてきたのはあんた達姉弟だった。でも、もういいわ。だって、未来はこれから紡げるんだもの」

 そっと、体温が戻った桜の白い手を握る。

 小さく細い手。

 この手にどれだけの恐怖と苦しみを抱えてきたのだろうか。

 目覚めない桜が答えることはない。

 でも確かに生きている。

 それだけは確かだった。

 そしてそれで十分だった。

「そうだな」

 そんなわたしの想いを口に出した言葉以上に理解したかのように、柔らかくアーチェの声が耳に届く。

 それに思わず嬉しくなって、不敵な笑みをわたしは浮かべた。

 太ももの傷もほぼ癒えている。

 すっくと立ち上がりながらわたしは言う。

「さて、いつまでもこんなところにいるわけにはいかないわ。そろそろ……」

 そう続けようとした時だった。

 先ほどまで霊体化していたと思ったアーチャーがばっと前に立つ。

 紅い背中が前に広がった。

 同時に隣のアーチェも桜を庇うようにその身を眠りについている妹にかぶせた。

 いつかも見た、宝具の雨が降る。

 まるで現実味のない悪夢であるかの光景、それはスローモーションのように展開された。

「全く、つまらん。興ざめだ」

 ゆったりと、男の声が響く。

 黄金の気が夜に閉ざされた森を包みこむ。

「さて、久しいな、贋作者(フェイカー)

 そう、いつの間にやら現れた金髪赤眼の魔性が、まるで森の主のように佇んでいた。

 

 

   NEXT?

 

 



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閑話・帰る場所

 ばんははろ、EKAWARIです。
 おまたせしました。
 今回は大河メインの外伝で、次回から漸く終章突入です。


 

 

 

 2月12日、朝の5時頃。

 漸く夜が明け始めるそんな刻限に、彼女は自宅にある道場に、袴と胴着を身につけ立っていた。

 深々と静謐な空気の中、右手には1本の竹刀。

 比較的温暖な冬が訪れるとされる冬木市であったが、流石に如月半ばの早朝ともなれば、覆う風は冷たく澄んでいる。

 しかし、却ってであるからこその選択であったのか、彼女は極自然な動作で丹田を練り、その手の得物をゆっくりと振り上げ、そして、正眼に構えて抜き放った。

 竹刀が唸る。

 まるでイキモノのように、しなる竹刀は色を変え形を変え、持ち主の思いのままに振舞われる。

 その光景は、彼女が持つそれは竹で作った練習用のソレではなく、ともすれば、真剣を手にしての行いなのではないかと、そう素人目には錯覚させるほどの見事な動きであった。

 明鏡止水の域にまで達している、というわけではない。

 だが、それを連想させるほどにかの使い手の『剣』は美しく吼えた。

 いうなればこれはただの素振りだ。

 剣を上下に振っているだけに過ぎない。剣道に置いては基本の基本だろう基礎練習の1つだ。

 けれど、これを見てそう切り捨てられる人間はいないだろう。

 そこには型がある。

 道がある。

 研ぎ澄まされた美しさがある。

 完成された基礎というのはそれだけで美しい。

 故にこそ、今振舞われるその剣には不純物は混じっていなかった。

 ふと、清澄な朝の気配の中、パチパチとそれまでとは異質な音がした。

 それに気付き、剣をおさめてから、ゆるりと彼女は戸口のほうへと振り向く。

 そこに立っていたのは時代錯誤とも言える和装に身を包んだ小柄でありながら強烈な迫力を持つ1人の老人。短く太い刀を思わせるこの家の大黒柱たるその人だった。

「おじいちゃん」

 ふと、それまで纏っていた一種神聖ささえあった空気をかなぐり捨て、素になった声で彼女は呟く。

「よぉ、せいが出るじゃねえか、大河」

 にっと笑って老人は、今まで竹刀を振るっていた彼女、藤村大河に向かってそう闊達に声をかける。

 この小柄なご老人こそ、大河の実の祖父にして、藤村組組長たる極道の(オトコ)藤村雷河だった。

 

 縁側で孫と祖父は2人並んで腰をかける。

 そこに水を入れる無粋な者はおらず、暫し2人だけである。それを解しているのだろう、大河は常には見せない憂い顔のまま、ぽつりぽつりと言葉を押し出した。

「おじいちゃんは、今何が起きているか知ってる?」

 その孫娘の言葉が指すのは、最近冬木を悩ませている、柳洞寺の集団昏倒事件や、住宅街の集団消失事件のことなどについてだろう。

 それに、やはりそのことで悩んでいたのかと思いつつ、変わらない顔を作ってサラリと雷河は口にした。

「さぁな」

 よくわからないというニュアンスを込めた言葉。それはあながち間違いではない。

 実際のところ、いかに極道の大親分であるとはいえ、今回のこれに関しては雷河の知ることではない。

 わかるのは、これまで家族同然の付き合いをしてきた衛宮一家がそのことに関わっているということのみだ。

 あの日、今より約2週間ほど前、あの男は言った。

 もうすぐ裏で大きな事件が起きるだろうが関わるな、と。そして遺言のように続けて言ったのだ。

『僕が消えたら、後の事はよろしくお願いします』

 否、遺言のようにではない。あれは正真正銘の遺言だった。そしてそれを受けた。

 そのことは2人だけの秘密だ。

 男の約束というのは墓場まで持っていくものだ。

 だからそれをたとえ誰が相手だろうと口にすることはない。

 大河が切嗣に惚れていたということは知っている。それでも話すことはなかった。

 だが、きっとおそらくは大河とて切嗣が死ぬだろうと、それを知ってはいるのだろうとも思う。

 でもそんなことを思いもしないかのように大河は「そう」と口にしてそれから愚痴るというにはあまりに静かな口調でポツリポツリと言った。

「8人死んだの」

 学校で。

 そこは口にせずそう言って、大河は続ける。

「校舎が老朽化していたんだろうって、そんなことで、そんな理由でね。みんな良い子だった。良い子ばかりだったのに。学校は休校になったけどもうずっと職員会議ばかり。今日もずっとそんな話し合いなの。それでね」

 まるでたどたどしい小さな子供のような口調で、けれど押し殺すような声音は大人のもので、そういう風に何物にもならない愚痴を大河は続ける。

 答えを欲しいわけではないのだろう。ただ、口にしなければやりきれない、それだけのことだった。

 だからこそ、雷河も相槌を打つでもなく、言葉を差し挟むでもなく、孫娘の言葉をただ聞いていた。

「三枝さんが今度はいないんだって。確かに先日までいたはずなのに、急に部屋から消えたんだって。それから、後藤くんも…………」

 どうしてそうなったのかなど雷河とて知らない。

「見つかったのは血痕だけって」

 だが、それはもう死んでいると同義。

 

「ねえ、おじいちゃん」

「なんだよ、大河」

 億劫であるかのように装って口を開く。

 孫たる娘は震える声を押し殺しながら、それでも笑顔を、いつもの笑顔を作ろうとして、失敗しながら言った。

「切嗣さんたちは此処に帰ってくるよね?」

 それは叶うことのない言葉。

 衛宮切嗣。あの男と出会ったのは今から10年前のことだった。そう雷河は回想する。

 丘の上の屋敷を買い取りたいと言い出したおかしな男。

 そうあの時、出会ってから少し後にもこういう事件があった。

 子供の連続誘拐殺人事件に、港場の倉庫街爆破事件に、ホテルの爆破、おまけに最後にはトドメのように500人程の死傷者が出たあの大災害。

 被害の内容こそ違えど、今の状況はあの時とよく似ている。

 それと切嗣は、いやあの一家は関わっているのだろうと思う。

 関わっているからこそ、自分達に迷惑をかけないよう近づかないように言ったのだから。

 そう、10年前出会った時の切嗣。

 ギラギラとどこか追い詰められたかのような冷酷な能面であるかのような顔をしていたあの男が、一体あの時何をしていたのかはしらない。

 けれど憑き物が取れたかのように、次にあった時にはそんな危険な生気は消えていた。

 極道を纏めてきた雷河でさえ凍りつかせるようなおかしさを秘めた男は、まるで死病を患った獣であるかのように成り果てた。そう思う。

 どちらにせよ、堅気とは程遠い男であるのは確かだ。

 そんな男に大河が惹かれたのは、ひょっとすれば自分の血筋であるからかもしれない。

 それを哀しいと思うべきか、アレだけはやめておけと嗜めるべきなのか。

 まあ、それらの印象を承知の上で、あれは「コワい男」だと知っての上で仲良くしている自分は、大河にとやかく言える立場ではないが、さておそらくは確実に死ぬだろう男が帰ってくるか来ないかどう孫娘に答えてやるべきなのか。

 下手に希望をもたせないほうがいいんじゃねえのかと思いつつも、口を付いて出たのは反対の言葉だった。

「なんだよ、自信ねえんだな。オマエはあいつらが帰ってくるって信じてないのか?」

「信じているよ。信じてるの。だって、切嗣さんは約束してくれたもん」

 その言葉に嫌な予感がした。

「また会えるのかって聞いたとき、笑って「当たり前だろう?」って答えてくれたんだから」

 それに、雷河は眉を潜め一瞬だけ息をつめて思う。

(罪深い男だな、切嗣)

 出来もしない約束をして、それが破られた時まわりがどう思うのか、どう感じるのかわからないはずはないだろうに、なのにそんな希望を持たせる言葉を吐いて、一体うちの孫娘をどれだけ振り回すつもりなのだと、憤慨ではなく憐憫でもって老人は年若い友人を想う。

 あれは、昔から人の機微を解さない男だった。

 否、感受性は寧ろ豊かなほうだ。繊細でもある。

 しかし、アイツは周囲の気持ちを本当の意味では理解出来ない男だった。そう雷河は思っている。

 人はアレを「子供のような男」だと称す。

 だが、雷河から言わせれば、あれは子供のような男ではない。「子供のまま大人になった男」なのだ。

 感情も理論も子供のまま、知識と身体ばかりが大きくなった子供。

 だからこそ、アレは浮世離れしている。

 だからこそ、アレはある意味綺麗なままなのだ。

 人は大きくなれば、次第に綺麗なままではいられなくなる。人の醜さや汚さも知る。

 そして己の小ささもまた知る。

 けれど、アレは人の醜さや汚さを見ておきながら、それでもそれらの醜いものを人間の本質とは思わず、それらの醜さが例外なだけで人はやはり綺麗なものなのだと、そう思っているのではないかと雷河には思えてならないのだ。

 夢見る子供。

 それが大人の形を取っただけなのではないかと。

 それでも、そんな男を気に入って傍に置いたのも、付き合い続けたのも自分だ。

 だからこそ大河に何かいえるような立場じゃあない。

 あの男だけはやめておけ、と孫を本当に思うなら言うべきだったかもしれない。

 けれど、自分は言わずにここまできた。

 なら、余計に後で孫の心の傷を深めるだけだろうと思えても、自分が口にする言葉も1つしかなかった。

「じゃあ、落ち込んだ顔はもう仕舞いにしな」

 素っ気無く聞こえる声で言う。

「テメエのところがアイツラの帰る場所なんだろ? なら、笑いな。オマエの笑顔がアイツラには一番の馳走さ。オマエがいつまでもそんな顔してっと、湿っぽくてかなわねえや」

 予感がある。

 確信とすら言える。

 切嗣はきっと帰っては来ない。

 それでも、1人じゃない。

 アイツは無理だとしても、それでも士郎やイリヤ、シロがいる。

 切嗣が帰ってこない時点で大河の願いは1つ確実に叶うことはないだろう。

 けれど、残った家族を迎え入れるのは、それは大河の仕事だろう。

 だからこその言葉、それが孫娘に正確に伝わったのかまでは知らない。

 それでも、大河は、それまで纏っていた湿っぽい不安げな表情を振り払って、雷河に向かっていつものような太陽の微笑を浮かべ、「うん」といって笑った。

「ありがとう、おじいちゃん」

「よせよ、俺は何もしちゃいねえ」

 いつもの笑顔、それを取り戻しながら笑い、大河は言う。それにそっけなく雷河は返す。

 だけど、そんな祖父の照れなど気付いているのだろう。大河は明るく暖かく笑いながら「ううん、楽になったからお礼」そういって跳ねるように身体を起こした。

「みんなが帰る場所は此処だもんね」

「そうだな。帰ってきたら、いつもどおり振舞ってやりな。きっとそれが一番喜ぶ」

「うん、うん」

 大河は笑ったまま、気付けば少し涙ぐんでいた。

 その涙をそっと見ないフリをして、雷河は庭へと目線をやる。

 そうして2人で青い空を見上げた。

 

 大河と雷河が彼の『家族』と再会するのはこの3日後、全てが終わった後のことだった。

 

 

 了

 

 



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第五次聖杯戦争編・終章
36.ギルガメッシュ


 ばんははろ、EKAWARIです。
 とてもお待たせしました。今回より終章突入です。
 その為終章の扉絵描こうと思ってたんですが、構図は出来ているのにどうにもいつまでたっても描き上がらなかったので、これ以上お待たせするわけにもいかないかなあと思い、本編アップすることにした次第です。なのでもしかしたら後から終章扉絵を足すかもしれませんね。
 それではどうぞ。


 

 

 10年眠っていた。

 あの時、あの瞬間、聖杯の闇の中に囚われた(オレ)は、意識だけをさ迷わせた。

 致命傷を受け、消えるのは道理であっただろう。

 それでも、このまま易々と消えることを承知など一体どうして出来ようか?

 あのような贋作者(フェイカー)と、聖杯の泥如きに殺されるなど、どうして認められよう。

 そうして聖杯に飲み込まれる寸前、(オレ)は1つの歪みに気付き、そこから続く道を辿っていた。

 その先にいたのは、言峰綺礼の姿だ。

 間違いなく、出会った頃の、まだ自分の本質から目を逸らしていた時代のあやつであった。

 そしてその時代その世界には(オレ)は召喚されていないことも、ヤツの意識を通して知ることとなる。

 嗚呼、これは一体偶然なのか必然なのか、わからぬままに、意識だけで嗤う。

 切れそうなほどに細い線ではあったが、何故か(オレ)の魂は目の前の男と繋がっている。

 だったらばと、精神体のまま、(オレ)はその迷える子羊と接触し、揺さぶった。

 結果として、言峰は思うままに、己が本質に目覚めた。

 あの時は犯せなかった、父殺しさえ成し遂げて、しかしその一方で、まるでそれが世界の修正の意思だというかのように、違いながらも似た歴史を世界は辿る。

 そうして泥の祝福を得て、綺礼は遂に(オレ)の身体も招くに至った。

 それでも、一度消滅しかけたその代償は軽くはない。

 そも、ここは(オレ)のいた世界ではない(・・・・・・)のだから。

 そうして10年の眠りから目覚めた時、(オレ)はそやつを見つけた。

 贋作者(フェイカー)

 たとえどんなに姿を変えようと、(オレ)の目を誤魔化すことなど出来ぬ。

 別人のように変貌していようと、そやつは間違いなく同じ世界から招かれた存在、あの忌まわしき贋作者本人であるのだと。

 この手で誅する機会を得たことに、知らず笑う。

 10年の間に煮詰めた恨み憎悪は、まるで美酒のように甘い味がした。

 

 

 

 

 

 

  ギルガメッシュ

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 襲撃は突然に夜の気配の中で行われた。

 ソレに気づき、真っ先に眠る桜を庇った私の肩と腹を宝具の雨が貫通する。

 私だけでなく、凛を庇ったもう1人の私(アーチャー)もまたその右腕を赤く染めていた。

 張り詰める緊張の糸。そんな中で、1人黄金の王が嘲笑う。

「さて、久しいな、贋作者(フェイカー)

 そんな言葉をかけながら、ゆるりとした動作で男が歩み寄る。

 魂も鎧も全ての受ける印象が金色の、黄金の王。

 逆立てた金髪に、まるで血の様な赤い瞳の、人外たることを象徴する美貌、眼差しは冷ややかに蔑みを孕んでおり、口角はいやらしく釣りあがっている。その顔を、姿を私はよく知っている。

 古代ウルクの英雄王ギルガメッシュ。

 此度の聖杯戦争において、アインツベルンのマスターが召喚したサーヴァントもまたギルガメッシュではあるが、この男は明らかにバーサーカークラスで呼び出されたそれではない。

 何よりこの男は私と同じく受肉している(・・・・・・)

 それに、この男は私を贋作者(フェイカー)とそう呼んだ。その高慢で残忍な瞳もまだ知らぬ相手に向けるただ人を馬鹿にしたようなそれとは色合いを微妙に異ならせている。

 なにより、私の全身が魂が訴えている。このギルガメッシュこそ、私もよく知るあの男そのものだと。

 故にこそソレは確かに再会だった。

 しかし、そこまでわかっていながら、だからこそわからない。何故この男がここにいるのか。

 読み通りこの男が私と同じ平行世界から流れてきた存在ならば、そうだと仮定するなら一体どうやってこの世界にたどり着いたのか。この男はこの世界には居る筈がないのだ。

 もしやこの男も、私が前の世界で消える寸前に衛宮切嗣に召喚された時と同じくらいのイレギュラーに見舞われたとでもいうのか? 疑問は有りながらも、強く鷹の目で睨みすえる。

 そんな私を嘲り笑うように男は口を開いた。

「どうした? この(オレ)の存在がそれほどまでに不思議か?」

「……」

 此処で挑発するのは簡単だ。だが、敢えて何も語らず私はこの態度で是とした。

 理由など語るまでもない。

 此処にいるのは私1人ではないのだ。下手な手は犯せない。

 なにより、憎しみ交じりに笑うその目元には、いつも常であった慢心の色は低い。

 それはつまり、かつて以上に今のこの男に軽はずみな言動を吐くことは、危機を招く呼び水になる可能性が高いということなのだ。

 そんなこちらの思案を知ってか知らずか……否、雑種の些事と気にしていないだけだろう。カラカラと笑いながら男は言った。

「見くびるなよ、贋作者(フェイカー)風情が。貴様如きに本当に(オレ)が易々と殺されると思ったか。身の程を知れ」

 蔑みおろしながら、男はそう続けた。その殺気とオーラは尋常なものではなく、そのプレッシャーに耐えかねてか、弾けるように凛が反応を返した。

「何よ、一体なんなのよ。アンタ」

 わなわなと肩全体を震わせ、キッとあの意志の強いアクアマリンの瞳が、プレッシャーに負けないためか強く王をにらみ据える。そして視線に負けじとばかりの意志の強い声が、己の疑問と不快を目前の男に投げ出した。

「バーサーカーと同じ顔をした第八のサーヴァントですって? そんなの有り得ないわ!」

 ……マズイな。

 いつもの物怖じしない遠坂凛らしい態度であり、彼女はこうでなくてはとも思うが、それでもこの場で彼女のこの言葉はマズい。

「誰の許しを得て喋っている、女」

 蛇の如き赤き瞳を凶悪にギラリと輝かせて、黄金の王は王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)ごと遠坂凛を向き、そして間髪入れずにそれを放った。

 12の宝具の雨が降る。

 凛に向けて射出されたギルガメッシュの宝物に対し、今代のアーチャーはそれを投影魔術でもって打ち払っていくが、いくら我らエミヤシロウが英雄王とは相性がいいといえど、それは状況に因るのだ。

 有り体にいえば、これほど慢心が低いギルガメッシュを相手に、凛や桜、舞弥などを背後に抱えている状況では分が悪いとしかいえなかった。

 故、男の褐色の肌にいくつもの傷がつき、赤い血がぼたりと流れた。

 舞弥が、閃光弾を密かに抱える。自分がそれで引きつけた隙に逃げればいいと思ったのだろう。それをそっと手で制した。

 そんな小細工は、あの男には通用などしない。悪戯に怒りを煽らせるだけだ。

 舞弥とは10年のつきあいになるが、無駄死にはさせたくない。

 そんな私の意図をどこまで汲んだのかは定かではないが、閃光弾にかけた指を彼女がひいてくれたことに少しだけ安心した。

 そして、両手に夫婦剣を携え、構える私を見て、英雄王はアーチャーから私に視線を戻し、ニタリと笑った。

「嗚呼、(オレ)としたことが、あまりに目障りなものが多すぎる故な、つい些事に精を出してしまった」

 許せよと、続けた男の口元は厭らしい笑みを浮かべている。その昏き笑みを湛えた赤い目はまっすぐに私を向いていた。それに、この男の本題が私であったことを嫌でも自覚する。

 

「十年だ、十年待っていた」

 語り聞かせるような声で黄金の王は言う。

 それにはどこか酒を含んだ際の陶酔感のようなものさえ漂っていた。

「どう貴様を調理してやるか、(オレ)にしては色々と考えたものだ。しかし、煮詰めすぎた憎悪というのは甘露に近くてな、簡単に殺すのでは(オレ)の気がすまん」

 それはいつでも殺せるという意図を含んだ言葉。しかし、それに却って私はほっとする。

 やはりこの男は変わらない。

 簡単に殺すつもりはないという言葉の裏には驕りが透けて見える。慢心を捨てたわけでないというのならば、一矢報いるチャンスがないわけではないだろうと、そんな計算が脳裏をよぎる。

 最早、何故この男がこの世界にも現れたのかなど些細な問題といえた。

 理由がどうあれ、いるものは居る。ならば、この男を倒す方法を全力で考えるのみだ。

 そんな私の思考など知ったことではないのだろう。黄金の王はクツクツと笑いながら、「ああ、そうさな」と何事かを思いついたかのような声で次の言葉を続けた。

「ただ殺すだけではつまらぬ。何故かは知らんが貴様は今は女だ。ならば、(オレ)が飽きるまで、―――――慰み者として囲ってやろうか? 贋作者(フェイカー)

 その言葉に唖然とした。

 この男は何を言っている? いくら今のオレが女のなりをしているとはいえ、元が男と知っておきながら、忌み嫌う相手を屈辱を与えるためだけに抱き、のみならず囲うとそういったのか。

 意味を理解した途端、押さえようのない嫌悪と恥辱が沸き上がり、無自覚的ににらみ据えながら弓を投影、矢を放っていた。それを王の財宝で打ち落としながら、なんでもないかのように優美に王は言う。

「嗚呼、冗談だ。貴様など抱いたら(オレ)が穢れる」

 その言葉に、何も言うまいと思ってた心をかなぐり捨てて、反射的に皮肉が口をついて出た。

「全く、この10年の間に随分とつまらぬ冗談を覚えるようになったらしいな、英雄王。君はセイバーにご執心であったとそう記憶していたが、私の記憶違いだったか」

 その言葉に眉をつり上げ、ギルガメッシュは怒りの相を見せた。

「貴様如き贋作者が、あの女の名を呼ぶな。身の程を弁えよ、雑種ッ」

 王の財宝が開く。古今東西、世界中から集めた宝具の原点たるその倉に収められた宝物が、ギラリと凶悪に牙をむく。

「アーチャー!」

 それに、凛の己がサーヴァントを呼ぶ声が重なる。

「承知」

 40を超える宝具の雨、それを前にして私と並び立つように紅い外套のサーヴァントが躍り出る。

 しかし2人がかりで捌いても捌ききれず、私も同一の男(アーチャー)もその手に足に体に傷を負う。何故、かなど考えるまでもない。……私が原因だ。

 魔力不足にかつてより弱体化した身体を持つ私が足手まといになっていることなど、考えるまでもなく明白な事実だった。

 弱体化だけならばまだ良い。そんなものは憑依経験なりなんなりどうとでもカバー出来る。

 しかし、魔力が足りていない……使用出来るのはかつての衛宮士郎以下の魔力量であるというのは、いくら我らの投影魔術が燃費がいいといえど、大きな枷となってこの身を縛る。

 いうならば、自由に動く四肢をもがれたようなものだ。それを痛感せずにはいられなかった。

 そんな私を見て、黄金の王は、失望したかのように醒めたような目を向けて、苛立たしげに言う。

「しかし、貴様よもやと思ったがこれほどに弱っているとはな、なんだその様は。興ざめにもほどがあるであろう!」

 いいながら、更に英雄王は宝具の雨を放った。

 

 

 

 side.遠坂凛

 

 

 黄金の王に立ち向かい戦い続けるアーチャーとアーチェ。

 アーチェとあの金ぴかの話に、彼らの中になんらかの関わりがあり、其れが故にこの戦闘が起きているということは推測出来たし、出来るなら2人に何があったのか問いただしたいところだけど、今はそんなときではないことくらいわたしにだってわかっていた。

 あいつは敵で、今はアーチェはわたしの味方だ。

 桜だって、アーチェがいなかったら身体だけとはいえ救えなかった。そう、彼女は否定するかもしれないけどわたしはこいつに借りがある。なら、どちらを助けるかなんて考えるまでもない。

 けれど、アーチャーの援護が加わっても尚、こちらの劣勢が覆ることはない。

「つまらん、つまらん、つまらんぞ!」

 黄金の王は高らかに叫ぶ。

「これでは、三文劇にさえ劣ろう」

 そうしてくるりと周囲を見渡して、そして動けずにいたわたしや舞弥さん、眠り続ける桜に視点をあわせると、ニタリと赤い目を蛇のように細めて嗤った。

 その瞳が、貴様らは足手まといなのだと告げている。

 言われるでもなくわかっている。悔しいけど理解している。この場において、わたしは足手まといだ。

「雑種ども、王の情けだ。慈悲をやろう。今日この場においては1人を置いて後は見逃してやろう。さて、どうする?」

 まるでたった今思いついたゲームを語るように、そうこの黄金のサーヴァントはそんな言葉を告げた。

 舐められている、とわかった。

 だけど、それに乗らずにいれるほどにこちらの戦力に余裕なんて欠片もなかった。全てこの男の思い通りにするっていうのはとても癪だけど、魔術師としての性でもある冷静なわたしが、冷酷にその結論を見つめる。それに至る。

 二週間ばかりのつきあいである鋼色の瞳が、それでいいというように、わたしを見据えている。その瞳は静かな肯定の色を示している。わたしはコクリとそれに答えるように1つ頷いて、それから厳かな声でそれを厳命した。

「アーチャー、あいつを食い止めなさい」

「了解した」

 それは死ねというのも同然の命令だった。だけどそれに紅い外套の騎士は是と答えた。ならばわたしがそれに罪悪感など覚える必要はない。この距離感こそがアーチャーとの信頼の証なのだから。

 ふと、そこで己の身体に未だ一画も消費されずに残っていた聖痕のことを思い出す。

 そうよね、これを忘れるなんて抜けているわ。

 そんな苦笑が口元までせり上がって、それを押さえてわたしは命じた。

「令呪によって命じるわ。アーチャー、全力であいつを倒しなさい」

 令呪。それは不可能さえ可能にする三度限りの絶対命令権にして、聖杯戦争でサーヴァントを従えるマスターの証。それは曖昧な命令に対しては効きが弱く、限定的な命令に対しては魔法のまねごとに近い奇跡さえ成し遂げる最大の盾にして武器。それをアーチャーの戦闘能力をブーストするために使った。

 一つ、令呪の輝きがわたしの身体から消えていく。それを感じながら、続けて二つ目の命令を下した。

「重ねて命じるわ、私のサーヴァントならここで敗退など赦さない」

 そう、それは戻ってこいという言葉。

 おそらくこの英霊を前に、無理だろうとは薄々わたしもわかっていた。

 それでも……こいつが召喚されたあの日のことを思い出す。

『私は君が呼び出したサーヴァントだ。それが最強でない筈がない』

 あの日、あの時、不敵な少年のような笑顔で、呼び出したわたしへの信頼さえ込めながらコイツはそういった。だったら、1%でも戻ってくる確率があるのなら、それを信じてやるのが、コイツのマスターであるわたしの役目だとそう思った。故に、三度目の命令は下さない。全てをなげうったりはしない。

 こいつを倒して、自分の意志で戻ってこいと。残された一画の令呪は道標だ。

 そんなわたしの意図なんて、わかっているのだろう、アーチャーはちょっとだけ困ったように目元を一瞬ほころばせて、それからあの日のように不敵な少年のような笑顔で、「当然だな」そう笑った。

 なら、もうわたしからは何も言うことはない。

 クルリと、次いでアーチャーはアーチェに視線を移す。

 ……そういえば、アーチェはアーチャーと双子の姉弟だとそういっていた。

 それがどこまで本当かわからない。

 いえ、正直にいえばそれすら危ういんじゃないかと、今わたしの中に立てられた仮説からは結論が導き出されてさえいる。それでも、わたしは何故か遠坂凛として、この2人のやりとりを見守らなければならないと、そんな強迫観念のような思いに駆られていた。

 向き合いながら性別が異なりながらもよく似た2人は何も語らない。でもそれは言う言葉がないからではなく、それさえ2人の間には必要がないからだと、何故かすんなり理解していた。

 無言のまま、アーチャーが1つ頷く。

 其れを見て、承知しているというようにアーチェも頷きを返す。

 それで終わり。

 そのまま流れるような作業で、アーチャーは最初の襲撃で傷つき、あの黄金のサーヴァントからの攻防で千切れかけていた右腕を引きちぎり、アーチェに渡した。

 それを受け取ったアーチェはその滴る血を口に含む。それはまるで厳かな儀式のように。

 人の形をした腕から血を啜る、一歩間違えればホラーにさえ思いかねないそんな光景が、まるで清廉な誓いを立てる騎士のように目に映った。

 否、儀式のように、ではなく事実これは一種の儀式だったのだろう。

 ……サーヴァントの身体は高濃度の魔力による結晶体だ。その姿は一見人間と変わらぬように見えても、その身体自体が魔力の塊なのだ。それを与えるということは、魔力を、自分の力を相手に与えるということである。

 それでも、サーヴァントの魔力はあまりに純度が高すぎて、人間(ヒト)の身には毒薬に近い。

 それをどうしてアーチェは平然と受け取ることが出来たのか。その疑問の答えをきっともうわたしは理解していた。理解して敢えて口にして問いはしなかった。

 もう今度こそ何も語ることはない。話すことも渡すものもなにもない。

 アーチャーとアーチェはパンと一瞬だけ互いの左手を交わし合い、そして背中合わせに進みながら互いへのメッセージのように手を振り上げた。

 申し合わせたかのように寸分違わぬ鏡あわせの別れの挨拶。

 それはきっとこの2人らしい。

 アーチェは桜やわたしたちの元に、アーチャーは黄金の王の元に。

 それを黄金のサーヴァントが邪魔立てするようなこともなく、僅か時間にして1分にも満たない短くて濃密な別れは済んだ。

「凛、行くぞ」

 桜の身体を抱えながら、アーチェは言う。

 その声には揺らぎもなく、怒りもなく、悲しみもなく。ただ、それでも、振り返ることのないその姿に、背後にいるだろう紅い外套の騎士に対する信頼がどこか透けて見えた。

 わたしも無言で頷き返事と変える。そこに影のように舞弥さんも従う。

 アーチャー1人を置いていく状況に誰も何も言わない。けれど、それを薄情とは思わない。

 やがて、遠く離れた森の中で、残された2人の戦端を開く声が僅かに届く。

「茶番劇は終いか。良い、赦す。(オレ)をせいぜい興じさせるがいい、贋作者(フェイカー)

「ふ……さて、調子にのって足元を掬われないようにするのだな、英雄王」

 剣戟の音は遠く、遠く。

 そして乗り捨てていた舞弥さんの愛車へとたどり着き、わたしたちは4人でその車に乗り、この場を後にした。

 

「それで、どちらに向かわれますか」

 森から抜け出し、車を運転しながら舞弥さんが尋ねる。

「……桜には治療と安息が必要だわ。うちへ向かってくれる?」

「わかりました」

 言葉少なに舞弥さんは答える。淡々とした声だけど、この人が桜のために必死になってくれていたことは知っている。だから、嫌な気はしない。平坦に聞こえるのは元からこういう性質なだけなのだろう。

 と、そのときだった。

「……ッ」

 助手席に座っていたアーチェが一瞬だけビクリとその肩を震わした。まるで、何事かがあったように。

「どうされました? シロ」

 わたしが尋ねるより一足早く舞弥さんが、どこか緊迫をはらんだ声で尋ねた。

 アーチェは一瞬だけチラリとわたしを振り向き、迷うようなそぶりを見せたかと思うと、次に観念したように、絞り出すような声でボソリと告げた。

「……イリヤが危機に瀕している」

 苦々しい顔で告げるその言葉には真実味が漂っている。思わず数瞬息を飲み込んだ。

 危機に瀕しているって、あの衛宮イリヤスフィールが?

 負けた姿など欠片も想像がつかない、妖精じみた容姿の裏に小悪魔な一面さえ飼っていた白い少女。そしてアーチェと衛宮くんの義理の姉妹。そんな間柄だ。

 きっとピンチの時は互いにわかるように何か魔術的措置を施していたからそれに気づいたのだろう。

 そうは理解しても、それでもまさかイリヤスフィール先輩がへまを犯すなんて思いもしなかった。とはいえ、時が一刻も争うというのは考えなくてもわかることだ。なのにアーチェはそれに迷っている。

 だからこそわたしは言った。

「舞弥さん、止めて」

「凛?」

 わたしの指示通りに舞弥さんは車を止める。それに、不思議そうな顔を少しだけ浮かべながらアーチェはわたしを見る。それを、キッと睨むように見上げながらわたしは言った。

「行きなさい」

「しかし……」

 ちらりと、アーチェの視線が眠ったままの桜をたどる。けれど、それを目で制しながらわたしは言う。

「何、アーチェ。あんた、わたしたちがそんなに信用出来ない? 大体自分の妹が危機だってのに、迷う暇ないでしょ。行って」

「シロ」

 それに、アーチェは一瞬すまなさそうな顔を浮かべて、それから舞弥さんに向き合い、互いにアイコンタクトで何事かを託した後、ペコリと一礼してから、弾丸のような勢いで飛び出していった。

「……何よ、焦っちゃって。やっぱり行きたかったんじゃない。素直じゃないんだから、ホント馬鹿」

 思わずつぶやく。そんなわたしのぼやきに優しい視線を一瞬だけ流して、舞弥さんはそれ以上何も追求せずに、当初の予定通りわたしの家へと向かい、車を発進させた。

 

 

 

 side.ギルガメッシュ

 

 

「……おのれ」

 紅い外套に褐色の肌のサーヴァントが目前で消える。消えていく。それを見ながらも、(オレ)は隠しきれぬ苛立ちを抱えながら、フェイカーが消えたあたりの土をぐしゃりと抉った。

「おのれ、おのれ、おのれッ!」

 ギリギリとした苛立ちに、苦虫をかみしめたように顔がゆがむ。

 視線の先は(オレ)が戦支度として身に纏う黄金の鎧、その胸元の装甲。かの聖剣エクスカリバーの一撃にも耐えうるだろう我が至宝たる鎧、それに皹がわずかに入っているのだ。あの忌まわしき贋作者の手で。

 それが我慢ならないほどに頭にきた。贋作者如きに自慢の鎧に傷をつけられるとは。

(贋作者風情がと思うたが……抜かったわ)

 煮え湯を飲まされたように腹が立つが、しかしそれで一つ確信をした。

 弱体化したのは、していたのはあの今は何故か紛い物の女と成り果てたほうの贋作者(フェイカー)だけではない。この(オレ)もまた条件は同じなのだと。

 これが平行世界から渡ってきた代償か、それともあの狂戦士が大聖杯からの供給を横取りしているが故か。両方かもしれぬが、どちらにせよ癪な話である。

 しかし、それを突きつけられて尚、フッと(オレ)は笑った。

(嗚呼……これくらいはハンデととってやろう)

 簡単に終えるゲームほどつまらぬものはない。弱者をただ嬲り殺すなどそれは王たる(オレ)にはふさわしくない。嗚呼、だから良い。赦そう。愉しみが増えたのならば、それは責めるべきことではない。

 クツクツと思わず笑いながら、その場を後にした。

(さて……)

 まずは器を手に入れるついでに目障りな狂戦士でもつぶすとしようか。そう思いながら、(オレ)は皹の入った鎧をしまい、私服を身につけ次の目的地へと向かった。

 

 

 

 side.遠坂凛

 

 

 先日まで治療してて、記憶を改ざんして親元に帰した三枝さんと入れ替わるように、未だ昏々と眠り続けている桜を地下の魔方陣に運んで20分ほどが経った。

 そのすっかり昔と色が変わった髪を撫でながら、色んな過去の記憶が脳裏をよぎっていく。桜が間桐の家に養子に出されると言われた日、御三家との盟約上桜に必要以上に近づいてはいけないと、もう桜はわたしの妹でもなんでもないのだと言われた。けれど、忘れられるはずがない。

 それでも、死んだ父さんの言いつけを破るなんて出来なくて、同じ学校に入ってからはこっそりと遠くから見るだけ、見守り続けるだけの日々だった。

 暗く、一部の人々の前以外では笑わない間桐桜。

 遠坂の家にいた頃とのそのあまりの違いが、初めて見たときわたしはショックだった。

 でも、それでも衛宮くんやイリヤ先輩、藤村先生たちの前では桜は笑うから、それでもいいかと思ったのだ。完全に笑えなくなったわけでないのなら、それならいつか……そう夢見て。

 そう、いつかわたしに笑いかけて欲しいってそう思っていたのだ。

 そんな自分の思いに気づかないように努めていたけど。うん、けれど本当はわたしに笑って欲しかった。桜に受け入れられている衛宮一家が桜の姉として嬉しくて悔しかった。舞弥さんが桜を救うとてらいなく答えたときも本当はきっとちょっと羨ましかった。

 桜、あなたの笑顔が見たい。

 その時とタイミングを同じくして、スゥと何かがかき消える感覚がわたしの中を伝う。

 ああ、それにやっぱこうなっちゃったかって、ほとんどわかっていたことだったけど、思わず苦笑して思った。

 アーチャーはあの黄金のサーヴァントに破れたのだ。

 令呪もパスも、アーチャーと繋がっていた全てのものが断ち消えていく。

 その消失感がわかっていたはずなのに、少し堪えた。

「どうしましたか、凛」

 桜を挟んで自分の正面に座している黒髪黒服の女性は、いつもの淡々とした調子でそう尋ねる。それにわたしは、彼女を見上げながら、隠すほどのことでもないと、そっけなく答えた。

「アーチャーが消失したわ」

 そのわたしの言葉に、舞弥さんは一拍だけ置いてから、核心ともいえることを尋ねた。

「凛、これから貴女はどうするのですか」

 どうする、ね。

 父は言った。いずれ聖杯は現れる。それを手にするのは遠坂の義務なのだと。

 それを信じてわたしは育った。

 そう遠坂の悲願がそれというのならば、遠坂凛として生を受けたわたしがそれを取りにいくのは当然のことだ。

 そして、そこに戦いがあるのなら、負ける気はない。勝利こそがわたしの求めるもの。

 それが遠坂凛(わたし)だ。

 たとえ、サーヴァントが敗退したからって、それだけではいそうですかってあきらめるのはわたしの性分じゃない。他のサーヴァントと契約し直してでも勝ちを取りに行く、それがわたしだ。そうその筈だった。

 だけど……。

 ちらりと視線を落とす。その先にいるのは、眠り続けている妹、桜の姿。

 この子を守るのは姉であるわたしの役目だ。守るべきものが出来たわたしにポカは許されない。

 それに……桜がいつ目覚めるのかはわからないのだ。 

 今までの時間の分も、共にいてやりたい。目覚めたとき、寂しい思いをしないように。

 だから、多分わたしなら戦う道を選ぶのだろうと思っているだろう目の前の女性を見ながら、ゆっくりとわたしは首を横に振った。

「わたしはリタイヤするわ。悪いけど、わたしにはもう桜を放っておいてまでこの戦争に勝つ価値を見出せないから」

「ええ。悪くない判断と思います。桜を、大切にしてあげて下さい。目覚めた時1人じゃないと思えるように」

 それは泣きそうなのか、嬉しいのか、一見いつもの無表情の中になんともいえない複雑なものを抱えながら、舞弥さんはそう労るようにポツリと口にした。

 

 

  NEXT?

 

 



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37.キャパシティオーバー

ばんははろ、EKAWARIです。
約1年ぶりの投稿ですね……いや、なんか本当色々サーセン。
ところでちまたではFGOが流行っているみたいですが、ぶっちゃけ携帯ゲームとかよくわからないので自分はやったことないので、そっちで判明した設定とかはほぼわからないので、新情報に基づいての路線変更とかはないので、そこはご了承ください。
おいちゃんもおかん(エミヤさん)に世話されながらアストルフォきゅんprprしたいお……キャスター兄貴どんな感じなのかみてえお。
……多分次の更新は桜ルート映画第二弾公開されたぐらいになるんじゃないかなー。


 

 

 別に命を惜しいと思ったことはない。

 それは当然と言やぁ当然だ。

 惜しむべきは名であり、守るべきは誇りと信念だ。

 理不尽の中くたばるのなんざ慣れている。

 何故ならそれが英雄というものの本質だからだ。

 悲運と理不尽は英雄の華。

 なら、女と酒と戦いと、そんだけありゃ上等だ。

 だからまぁ―――最初の主君を騙し討ちされたりもしたけどよ、それでも現代(ここ)に呼ばれたのは悪かぁなかった。

 

「ランサー、私は君の望んだ形とは違うだろうが、それでも君を好いていたよ」

 

 は、好いていたねえ。

 ひでぇ女だな、その気がなかったくせに最後の最後でそういうこと言うか?

 ああそうだな、わかっちゃいたが、テメェは最後まで俺のことを男として見ちゃあいなかった。

 惚れさせてみせるって思ってたが、とうとう無理だった。

 テメェが何か秘密抱えてんのも知ってた。

 もしかしたら、俺を男として全く見なかったのもそれが原因だったのかもな。

 ああ、そうだな、でも俺はそれでも別に良かった。

 イイ女にゃあ秘密の一つや二つあるもんさ。

 それを知ろうと思うほど野暮じゃねえ。

 それに、女を守り死ぬのは男の本懐だ。

 さあ、最後の一暴れと行こうじゃねえか。

 

 

 

 

 

  キャパシティオーバー

 

 

 

 side.レイリスフィール

 

 

「はっ、ぁ、……ッ」

 まるでボロボロの雑巾のようになりながら、白い少女の体が空中へと投げ出される。

 否、白いとはいったけれど、幾重にも喰らった私の攻撃を前に、白かった肌は泥と血で赤と黒に染まり、私と同じ白銀の髪もまた、その体と同じくして汚れている。

 それを僅かな落胆と共に私は見ていた。

 人間でいうのならば、双子の姉妹ともいうべき存在である、裏切り者の『姉』であるイリヤスフィールは、私が作り出した鷹に突かれ囓られて更に地面を転がっていく。

 その様を無感動な目で見やる。

 イリヤスフィールは致命傷だけはなんとか避けようと足掻いてきたけれど、それでももう限界だろう。

 ボロクズの壊れかけの人形のような姉の姿。それは今まで見たいと願ってきた姿の筈だというのに、想像以上の姉の脆弱さに思わず眉を顰める。

(私は、この程度のものに拘っていたというの)

 それが不愉快だった。

 自分が固執し、殺したいと願ってきた相手が、メイドや大爺様が口を揃えて私以上だと言い続けてきた存在が、たかがこんなお遊びで壊れるなんて、なんだか酷く私自身をも侮辱された気分だった。

 元より、私は自分より格上の相手と戦う趣味はない。

 勝てない相手には勝つ状況を作らねば戦うつもりなんてない。

 それはこの世に誕生してから今までの生き方で身につけた不文律。

 その不文律を貫くため、私は一目で相手の力量を見抜く術も身につけた。

 元より聖杯として作られ調整されてきた私には相手の魔力量を読むことなど造作もないことだった。

 だから、当然本来の自分の体を失い、どこぞの人形の体で生活しているイリヤスフィールが自分以下の実力しかないこともわかっていた。だからこそこうしてなんの憂いもなく正面から挑めるのだってことも理解はしている。

 それでも、いざこうして力量差を見せつけられてみたら、これはこれで不快なのだと思い知らされる。

 自分が『敵』だと思っていた相手が、殺したいほどに憎たらしいと思っていた相手が、『敵』と呼ぶに値しないほどに弱いなど、ただ屈辱に過ぎる。

 私は今までこんな塵を気にかけていたのかと思えば、私の価値まで地に落ちるようだった。

(まあ、いい)

 そんなどす黒い怒りを、僅かだけ静めて思う。

 確かにイリヤスフィールの予想以上の弱さに僅かな失望を覚えたけれど、そもそも本来の私の目的を思えば、今回のこれとてついでの所行にしか過ぎない。

 行きがけの駄賃のようなもの。

 ならば、相手をわざわざ対等に見て苛立つ必要などない。

 そうだ、これしきで終わらせる気などはない。これしきで終わらせるなどそんなことは許せるものか。これしきで煮詰めた妄執を捨てられるほど、私の10年は安くはない。

 このボロクズのようになった女が、同一の遺伝子をもつこの存在が、真実私以上のものだというのなら、なら与える屈辱も苦痛も私以上に受けねばならない。

 そうでなくてはイリヤスフィールの模造品だと言われ続けてきた私は、イリヤスフィールに劣るといわれ続けてきた私は、なんだというのか。

 そうだ、だからいくら失望を覚えたからといって、簡単に殺してなどやらない。

 脳と心臓さえあれば生体は維持させることが出来るのだ。

 彼女には是非とも失意と絶望と慟哭の中で、苦しみに喘ぎながら命を落とす、そういうシナリオが望ましい。

 そうして貴女が惨めな死体となったとき、私は初めて、漸く貴女というヒトを認められるだろう。

 心の底から姉とそう呼べるだろう。

 その時にはきっと、煮詰め続けてきた憎悪すら無くして、同じ顔をした貴女に愛しささえ覚えるのでしょう。

 そんな己が想像を前にして、唇の端がつり上がる。

 きっと今私は笑っている。

(さあ、まずは手足を切り落とし、達磨にでも仕上げましょう……)

 そう思い、一歩足を進めたその刹那、私は突如金槌で頭を殴られたかのような衝撃を前に、膝を崩した。

「……ッ!!」

 ドクリと、聖杯の器たる偽りの心臓がひときわ高く音を奏でる。

 感じるのは自身が潰されそうなほどの圧迫。

 今まで黒きマキリの聖杯のせいで叶わなかった己の役目が、急速に己の体を変えていく。

 本来の機能が目覚めたのだ。

 アインツベルンの白き聖杯たる肉体が、聖杯の器本来の役割へと向かい変わる、替わる。

「ァ……グッ」

 それは暴力的なほどの、嵐の如き圧迫感だった。

 今まで1人のサーヴァントの魂とて回収が叶わなかったというのに、その事実を忌まわしくさえ思っていたというのに、よりにもよってこのタイミング、この時を狙ったかのように、今まで脱落した全てのサーヴァントの魂が、キャスター、アサシン、ライダー、アーチャー四体もの魂が私の中へと流れ込んできた。

 その衝動にフラリと体が傾く。

 倒れ込みそうになるのを自分の体を抱きしめることでなんとか回避するも、突然の受け入れに、今にも容量から自我が溢れ落ちそうになる。

 元よりサーヴァントの魂を現世に繋ぎ止め、受け入れるそれが小聖杯たる私の役目だ。

 しかし一体一体小分けに受け入れるならともかく、このように纏めて一気に受け入れることなど想定しておらず、突然の目覚めに体はついていきはしない。

 キャパシティーオーバー。

 今の状態を一言で表すならその一言に尽きる。

「……ぁ、が……ァア」

 肩が震える。

 汗が頬を伝い落ちる。

 心拍が早鐘を打ったまま収まる気配はない。

 唇を噛み切れるほどに噛んで耐えようとしたのにそれでも殺しきれずに声が漏れる。冷や汗が背を伝いおちる。思考も食われかけているのか、脳髄が熱い。

 でもそれでもみっともなく、ここで倒れる無様だけは犯すわけにはいかなかった。

 突然の変化に身体がついていけてないだけならば、やがては収まる。そもそもそのために作られた存在なのだから、私は。

 これしきでくたばるほど、私は粗悪品ではない。

 しかし、もうイリヤスフィールは動けないといえど、これ以上他者に干渉する余裕はない。

 今もあの狂戦士は自分から魔力を吸い上げているばかりではない。あのサーヴァントは隙あらば己に刃向かうつもりがある、そうだと知っていた。

 それが私の余裕を更に奪っていく。

 ほら、今もあのサーヴァントの嘲笑が聞こえる。

 脳髄に響く。

 隙あらば私を殺そうと刃を研ぎ澄ませている。

 あざ笑い、私を見下しながら、自身の解放を要求する。

 バーサーカーのクラスで抑え込んでいるはずなのに抑えきれない膨大な自我。それを抑え込むのに更に魔力を奪われる。その悪循環。

 突然のキャパシティオーバーに重ね合わせて憂慮すべき事柄だった。

 そしてリミットは思うよりもずっと早く訪れる。

(この気配は……)

 誰かが、凄まじいスピードで近づいてくる。

 それは確かに以前にも出会った気配、それと同じ。

 だけどどういったわけなのか、以前はかつかつの魔力で人間と大差ないほど存在が薄かった彼の者は、今はその存在を僅かばかり取り戻していた。

 即ち、サーヴァントとしての霊格を。

 この気配は間違いなくあの女だ。裏切り者のサーヴァント、第四次聖杯戦争において召喚されたという殺すべき男(エミヤキリツグ)の使役する弓兵、あの女が近づいてきている。それをこのままにしてはまずいのだと、今は出会うのはまずいのだと脳は冷静に判断を下す。

 なんということ。

 あと少しだ。あと少しで自分はあのイリヤスフィールをこの手で壊せたというのに。

 よりによってこんな時に、サーヴァントの連続受け入れに続いてあの女が出てくるなんて。

 ギリと、歯軋りをする。

 感情では憤怒が心を覆っている。

 目前でボロキレのように転がっているイリヤスフィールの姿を前に、アレを壊したいのだと心が叫んでいる。

 だが、私の中にある経験則と備わった理論は、今は一刻も早くあの女が来るより先に逃げるべきだと告げていた。

 たとえあの女が弱体化しているとしても、それでも悔しいけれど、サーヴァントなしに己一人で倒せる相手ではないのだと、そんな判断が下せぬほど私は、物わかりの悪い子供のつもりはない。

 これは経験則だ。相手と自分どちらが格上で、勝算がどれだけあるのかの見当も付けず、なんの下準備もなしに戦いに望むほど愚かではない。

 10年間そうして生き残ってきた勘と経験をないがしろになど出来なかった。

 ただでさえバーサーカーにはランサーに向かわせている。

 ランサーはしつこくも未だ存命したままなのも理解している。令呪で一気にブーストさせランサーを倒してからこちらの救援に向かわせるという手もないわけではなかったが、今の私には己のサーヴァントを利用する余裕もなく、そんなことをすれば今度こそあの狂戦士は私の支配から逃れようと、嘲笑いながら暴れるのは目に見えてきた。

 そして今の私にはそれを抑え込む余裕が足りてない。

 いくらあの女がサーヴァントとして論外なほど弱くなっているとはいえ、今のコンディションで戦えば負ける可能性さえある。そのことは容易に想像がついた。

 それに、自分は未だに一番重要な目的を果たしていない。最優先事項は己の手による第三魔法の成就であり、最後まで生き残ることだ。

 優先順位を間違ってはいけない。

 そうは思い、撤退こそ決めるも、感情としては悔しかった、赦せなかった。

 殺せると思った相手を、殺すことを願い続けていた相手を結局殺しきれずに自分は去ることになるのだ。殺したいのだと心は叫んでいるのに。

 それほどまでに自分の中でイリヤスフィールという『姉』の存在は大きかったのだ。

 結局壊しきれず、その前にここから去る羽目になるなんて、酷く腹が立つことだった。

 でもそんな私の感情を置き去りに、淡々と「やるべきこと」に従ってすみやかに体は動いた。そうして私がいた痕跡を消しつつその場を離れながら、私はとうとうイリヤスフィールを殺せないまま、せめてもの腹いせに姉の腕と内臓の一部を潰してその場を去った。

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 凛達と別れてから、私は即座にイリヤスフィールがいるだろう場所に向かって、一直線に飛び出し駆けた。

 ……身体が軽い。

 こんなにも身体とは軽いものだったのか。

 泥をかぶって受肉して以来、10年間今まで戻ることがなかった魔力が、全てではないけれど戻ってきている。その影響。それに僅かな驚嘆すら抱く。

 せいぜい戻った魔力は英霊全盛期の1割に過ぎんだろう。

 能力自体は10年で6割まで機能を回復させてはいたが、使える魔力、満ちる魔力に関してはずっとかつての衛宮士郎(じぶん)以下の量しか足りていなかった。それが、かつての1割とはいえ、今はある。

 その差はかなり大きい。

 そもそも、サーヴァントという存在自体が膨大な魔力の塊であり、そういう現象だ。

 生身の人間とは比較にならないほどの力を秘めた超越存在。それが英霊であり、冬木の聖杯戦争で召喚されるサーヴァントなのだ。

 たとえ英霊全盛期の1割といえど、生身の人間と比べれば雲泥の差があるというのは決して誇張表現とはいえんはずだ。今なら、自力で一度だけなら「無限の剣製」の展開さえ可能だろう。

 それほどの力が戻ってきていた。

 まるでナルシズムのようでやや気色悪いものがあるが、今代のアーチャーに感謝せねばならないだろう。最後故にこそ、託された血液(ちから)は確かに今私の最大の助けになっている。

 そして、消えただろうあの男に報いる術は一つだけだ。

 奴もエミヤシロウであり、私もエミヤシロウならそれは言うまでもないこと。

 最大限の、救いを。

 たとえ我が身を引き替えにしても、この目で届く者への救済を。

 故に、走る、走る、走る。

 生身の限界など越えて、風より早く、機械よりも速やかに、彼女を、姉で妹であるイリヤスフィールを、手遅れになる前に救い出す。

 たとえ口にしてはいないとしても、それが誓いだった。

 それが果たさねばならない約束だった。

 そしてたどり着く。

 

「イリヤ!」

 かつて10年前の戦いがあった場所、オレの本当の両親が死にその後たてられたその公園の片隅で、イリヤはボロボロの雑巾のような姿で地面に転がっていた。他に気配はない。

 私の接近する気配を察して姿を消したのか、それとも目的を果たしたのかそれさえ定かではない。

 だが、そんなことは今はどうでもいい。

 血の気が引くような感情を抑えつけながら、私はイリヤスフィールの元へと走り寄る。

 ピクリとも動かず、私が死人を見慣れていなかったら、死んでいるのではないかと誤解しそうなほどに痛ましい姿のイリヤスフィール。けれど、僅かに息はある。それにほっとした。

 けれど事態は切迫している。

 イリヤスフィールの肉体は特別製だ。簡単に命を終えたりはしない。それでも血を流しすぎている。このままではまずい。

 判断するなり、私は生前時計台時代に習得した治癒魔術を不得手ながら行使、イリヤの傷を治そうと試みた。

 しかし、所詮は三流以下の腕前であり、見習いレベルの魔術だ。

 せいぜい表面上の傷を治癒するのが関の山であり、応急処置としては何もしないよりはマシレベルでしかない。そんな己が情けない。そう痛感せずにはいられなかった。

 その時、ふと、誰かが近づく気配がした。

 一瞬警戒に体を強張らせるが、次の刹那にはそれが誰のものか気付いて力を僅かに抜く。警戒するべき相手ではないと、判断した途端そちらに顔を向ける気すらなくした。

「よぉ」

 うわべだけ軽い声を上げて男は私に話しかける。

 それを聞き、一瞬だけ視線を向ける。

 思った通り、そこには今はイリヤのサーヴァントであるランサーが立っていた。

 ボロボロになったイリヤはおそらくつい先ほどまで戦闘をしていた筈だ。

 そして戦いの残照や状況から判断すれば今まで戦っていた相手は、あのレイリスフィールという名の少女である可能性が高い。ならばランサーもまたバーサーカーと戦闘をしてきたところだろうはずだが、一瞥したところ、見た目だけならばその青い男は無傷であるように見えた。

 だが、それはあくまでも上辺だけの話だ。気配を探る。

 そうして探った結果、ランサーの魔力は著しく削られていることを理解する。

 見た目こそ綺麗でも中身はボロボロといってよかった。

 そんな私の探る視線など気づいているのだろう。けれど、気にしていないかのようにランサーは飄々としたいつもの態度で私とイリヤの元に近寄り、私とイリヤを交互に見て、淡々と言った。

「なんだ、オマエ。治癒魔術は不得意か」

 それはあっけないほどいつも通りの調子でかけられた言葉。

 内面のボロボロさなど微塵も感じさせない動きと口調で男は言って、それから治癒のルーンを紡いだ。

 癒しの光がイリヤを包む。酷い損傷を負った部位を中心にゆるりとイリヤは回復に向かう。

 普段は戦士としての側面ばかりが目立つ男ではあるが、この男クー・フーリンは魔術師としての適正も持ち合わせている。私にはイリヤを癒せなかった。でもランサーは癒せた。その事実に、この男と私の格の違いを見せつけられたようで少しだけうなだれる。

 そしてやや大きな傷がふさがりだしたのを見て、思わずポツリとつぶやく。

「すまない」

「あ?」

 自分が情けない。そんな自責の念と悔しさと自己嫌悪に吐き気さえ催しながら、私は続ける。

「借りが出来た」

「……あー」

 私がそこまで言ってから、ランサーは私が何に対してすまないといったのか気づいたようにそんな気の抜けた声を上げると、私に向き合い、不機嫌そうに眉を寄せながら唸るような風体で言う。

「あのな、今は嬢ちゃんが俺のマスターだぞ。助けるのは当然だろう」

「それでも、私は救えなかった。君がいなければどうなっていたか」

「あのな!」

 ランサーは私の額にペシッと軽くデコピンをして、それからやはりどことなく不機嫌そうに言った。

「礼を言うってんなら、もうちょっとそれっぽい態度取れよ。心からでねぇ礼なんぞいわれても嬉しかねえ。出来もしねえことで自分を責めるな、馬鹿かテメエは」

 それに少しだけムッとなる。

 嗚呼、そうだ。出来ないからこそ苛立っているのだ私は。

 卑屈だといわれようと、目の前で自分がしたいのに出来ないことを軽々とやられて心中複雑にならないわけがない。そうだ、羨んでいるのだ。

 英雄の中の英雄であるこの男に、嫉妬しているといっていい。

 そんな私の心中の動きを知っているわけではないのだろうが、今度はランサーは少し困ったような顔をして、ぼりぼりと後ろ髪を掻きながら、今度はやや穏やかな声でそれでもあらかたは素っ気なく言った。

「あー、なんだ。だからよ、どうせ礼をするってんなら、笑えよ。アーチェ」

 最後のほうの声は真剣だった。

 人外の証であるかのような赤い目は真剣な色を宿してまっすぐに私を見ている。

 それに刹那だけ声がつまった。

「……馬鹿か、貴様は?」

 やっとのことで出たのはそんな言葉。

 それにむっとなって、眉を顰めながらランサーは言う。

「おい、人の真剣な提案を馬鹿とはなんだ、馬鹿とは」

「いや、どう考えても馬鹿だろう。私の……を見てどうするというのだ」

「俺が馬鹿なら、テメエは阿呆だ。自己嫌悪に歪んだ顔より、惚れた女の笑顔のほうが見てえってのは男として至極当然だろうが」

 その言葉で初めて私は、今までランサーが巫山戯て言っているとしか思ってなかった、私に対する惚れただのなんだのという言葉が冗談でもなんでもなく、本気で言っていた言葉だったことに気づいた。

(冗談だろう……?)

「ったく、なんでテメエは信じねえんだか。そこまで頑なだといっそ病気なんじゃないのかと疑うぞ」

 はぁ、とため息を落としながらランサーは言う。

「俺はオマエに惚れた。いい加減わかれよ、アーチェ」

 理解して尚、覚えるのは困惑のみだ。

 ……私にどうしろというのだ。

 ランサーは知る由がない故仕方ないことだし、それを責めるのはお門違いだろうが、私の心は男だ。

 ランサーをそういう目で見ろといわれても、無理だ。

 私が男に惹かれるというのは、体はともかく、精神的には同性愛と大差がない。

 確かに、いうほど私はランサーのことが嫌いではない。

 口を開けば皮肉ばかり返すが、この男の英雄然としたところや、気持ちの良い気っ風の良さなど好ましく思うし、男として憧れさえ密かに抱いている。

 だが、あくまでもランサーに対する好意は同性に対するそれだ。

 私が女の身となってもう10年となるが、異性として見ろといわれても、やはり無理だ。

「ランサー、君は……」

 考えるより先に口が動く。しかし、続きを紡ぐより先に私は口を閉じ、後方に視線を転じた。続いてランサーもまた同じく後方に視線をやり、ピリピリと警戒に気をやる。

 近づいてくる隠そうともしない黄金の波動。隠す気すら最早ない全開のオーラはそれが尋常な相手ではないことを告げている。その相手が誰なのかなど聞かれなくても知っている、わかっている。

 来るのは、英雄王ギルガメッシュ。

 警戒にピリリと気を引き締める。そしてそっとイリヤの頭を抱く。

 思い出すのは前回。

 私が答えを得たあの世界ではイリヤはギルガメッシュに殺されたのではなかっただろうか。直接見たわけではない。だが、知っている。

 たとえどうあろうが、イリヤは私が守る。

 それが罪滅ぼしにすらならない行為だとしても、私を家族と呼んだこのイリヤを殺させたりはしない。

 そんな決意を固める私の上で、男の低い声が降った。

「悪ぃな」

 ランサーは本当に軽く、笑みさえ浮かべながら、まるで茶飲み話をするかのような軽さで突然そんな言葉を口にした。

「ランサー?」

「嬢ちゃんを連れて、先に帰ってくれや。俺も後から行くからよ」

 手をヒラヒラと降り、気怠げに立ち上がりながら男は言う。

 それを見て、命をかけるつもりだと悟った。

 一人で戦う気か、とか、見殺しにしろというのか、とか士郎だったら言ったのかもしれない。けれど自分はそんな言葉を吐くほど、青くもなければ既に綺麗でもないし、一人の男の覚悟を汚すような無粋な真似をするつもりもない。

 それにサーヴァントはその為の存在だ。

 同じくサーヴァントとして呼ばれた存在として私はそれを知っていた。

 ただ、男が最後まで自分を女だと誤解したまま、その行為に一人の女としての自分をも守ろうとしていることも読み取ってしまったが故に、そんな男の覚悟がどうしようもなく歯がゆく感じた。それだけの話だ。

 10年前、女と変わってしまった日より、自分が何故女などになってしまったのかと理不尽にすら思っていたが、それでもこれまで自分が女になったのは自分のせいではないのだから、男に女として見られても不愉快としか思っていなかったし、そういう態度を取ってきたように思う。

 それを悪いと思ったことはなかった。

 敢えて女らしくするつもりもなかったが、元男だと知られるのもそれはそれで恥だとも思っていたし、そういう目で見られるのは不愉快だったが、私の事情を知らないのだから仕方ないこと割り切っていた。

 しかし……1人の女として私を見て、守るための戦いに投じようとしているランサーを前にして、私は初めて自分が偽りの女であることに、サーヴァントではなく生身の人間と偽ったことに罪悪感を感じてしまっていた。

 別に好き好んで女になってしまったわけでは決してない。

 それでも、自分を守るべき女と認識してしまっている目の前の男に対して、騙しているような心地が覆って止まないのだ。自分がまるで酷い詐欺師になってしまっているかのようで、罪悪感が胸を締め付ける。

 けれど、男が今自分に対して抱いている気持ちも、嘘の産物でしかないのだと糾弾することも出来るわけがなかった。

 自分は本当は女でも、衛宮・S・アーチェという人間でもないのだから、貴様が私に抱いた気持ちなどまやかしだ、とそう無責任にバラしてしまう行為は、男の懐く気持ちを踏みにじり、尊厳すらドブに捨てる行為であるのだと、理解してしまっていたから。

 結局私に出来ることなど、男の意思を尊重して一刻も早くイリヤと共にこの場を離れるという選択肢それだけだった。なによりランサーの治癒魔術で大きな怪我はある程度ふさがったとはいえ、それでもイリヤは決して状態がよくなったといえず、一刻も早くキチンと治療しなければいけないのだから。

 それでも、有りっ丈の謝罪と誠意を込めて、今から戦い行こうとしている男を前に最後に一声だけをかけた。

「ランサー、私は君の望んだ形とは違うだろうが、それでも君を好いていたよ」

 

 

 

 side.ランサー

 

 

 遠く、マスターたる少女を抱えた女が遠ざかる足音を聞きながら、悠々と俺は客人の来訪を待っていた。

 思い起こすのは先ほど女が別れ際に漏らした言葉。

「は、好いていたねえ」

 思い起こしながら、クツクツと笑う。

 全く本当ひでえ女だった。

 けれどだからこそ最高だった。

 最後には自分に惚れさせてやると思ってたが、結局叶わずに終わった。だけど、それはそれでいいと思う。

 届かない花だからこそ美しいものもある。

 予想外にこれまでの日々は存外楽しかった。だからこそ何も思いのこしなどあろうはずがない。

 そう、所詮はひとときの夢だ。

 女と酒と殺し合いと、どれも英雄たる我が身が愛でるべきものであり、それは死して尚変わりない。

 泡沫の夢が醒めるまで間もなく。

 それまで役者は精一杯に己が役目を演じるだけだ。

 そうやって、おそらくは最期の死合いになるだろう狂宴を演じる相手をまっていた。そして間もなく現れる。やってきたのは先ほどまで戦っていたバーサーカーと同じで違う黄金の男だ。

「よぉ」

「ふん、よもや貴様だけとはな。これはとんだ外れだ」

 現れたのは逆立てた黄金の髪に、赤い瞳、金の鎧の男。

 しかしバーサーカーと違ってその瞳は知性と傲慢の輝きに満ちている。全く、同じで違う英霊が一つ聖杯戦争に揃うなんざどうなってんだか。そうは思いつつ軽口がついてでる。

「は、外れかどうかは戦ってからほざけ」

「言ったな、狗」

「上等だ。俺を狗と呼んだ奴は殺すって決めてる。覚悟しな、金ピカ野郎」

 そして相棒たる赤き魔槍ゲイ・ボルクを構えた。

 今俺のマスターは俺に魔力を碌に供給できない。先の戦闘でも些か魔力を消費しすぎた。あと一撃でも食らえば先日千切れかけた右手だって動かなくなるだろう。

 そして残された魔力残照量からして俺が戦えるのはあと1時間か2時間が限度ってところだ。

 きっと誰が見ても勝ち目が薄いとそう判断するだろう。

 だがそれで何の問題があるというのだろうか。

 無謀に挑戦してこそ英雄だ。

 それに、悔いを残すのは自分の性じゃない。

 だからこそ、これからの殺し合いだけを頭において、俺は目の前の敵へと飛び掛った。

 

 ―――自分が消えることは理解していながら。

 

 

  NEXT?

 

 

 



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38.彼女の選択

やあ、ばんははろEKAWARIです。
数年ぶりの更新になりますが、ちょっと以前の一人称視点変更群集劇形式での連載だと最後まで書けそうになかったので、申し訳ないですが、今回から三人称形式で書かせていただきます。


 

 

 

 ……ずっと、私は迷い続けていた。

 何のためにここにいるのか。

(それは、故郷に報いる為に)

 何のためにあの少年を切り捨てたのか。

(それは聖杯をこの手に掴むため)

 けれど、それらは全てまやかしで、なんの意味も無くこの手を滑り落ちていった。

 自分の愚かさに酷く胸が痛む。

 けれど、本当にもしも冬木の聖杯が、災厄しかもたらさないものだとしたら……私は、きっと答えを出すときが来たのだ。

 

 

 

 

 

  彼女の選択

 

 

 あれから……ランサーが消えてから一晩が経った。

 2月13日、夜。

 未だに衛宮切嗣は目覚めずただ昏々と眠り続けている。顔は青白く、呼吸は薄弱。

 ともすればこのまま死んでしまうかのようにさえ見える。そんな中、眠っている切嗣を囲むように、アーチェ、士郎、セイバー、舞弥の四人が一堂に会していた。

 イリヤスフィールはここにはいない。

 当然だろう、あれほどの深手を負ったのだ。今は彼女は土蔵にひいた魔方陣の中で眠りについている。地脈から供給される魔力さえあれば回復も早いだろうという判断だ。幸いというべきか、ランサーがかけた治癒魔術のお陰か、大きな傷はとりあえずは塞がっている。あとは喪失した魔力を取り戻すことが出来れば大事はないだろうと、そういう判断だった。

「なあ、そろそろいいだろ。話してくれよ、シロねえ」

 焦れたように口火を切ったのは衛宮士郎だった。琥珀色の瞳には言うまで逃がさないとでもいうような強い意志が宿っている。

 ここまでに色々あったが故に細かい話は後回しにしてきた。

 それを話すときが来たのだと互いに感じている。

 彼らには圧倒的に対話が足りていなかった。

「こちらも聞きたい。私が居ない間に何があったかをな」

 そうして士郎はあれからのイリヤやランサーなどとのやりとりやその時起こった出来事を、アーチェは舞弥や凛と共に舞弥を救いに向かい、そしてかの黄金のサーヴァントの襲撃を受け、その後イリヤの危機を感じ取り向かったことや、ランサーは消えただろうことを話した。

 ただし、あの黄金のサーヴァントを知っていることや、桜におきたことの詳細は誤魔化し言葉を濁しながらだ。

 そこは本当は自分が女では無いことや、遠坂凛が召喚したサーヴァントであるアーチャーと実は同一存在であること、衛宮士郎の平行世界にある未来の可能性の一つであることなどを伏せている以上、話せることではないから、彼女としては当然の事であった。

 が、そうやって互いに互いのカードを開けながら、相手の話を聞いていくうちに、アーチェと士郎は次第に声を荒げ、怒りを露に怒鳴りつけあった。

「なんでアンタはそういう肝心なことを言わないんだ!」

「そういう貴様こそ飛び出しただと!? 何をやってる。私はオマエに家を任せるとそういったはずだ!」

 その2人の言い争いを止めたのは意外にも舞弥だった。

 2人の頭にバケツに汲んだ水をぶっかけながら、舞弥は「お2人とも、一度頭を冷やして下さい。これ以上眠っている切嗣の傍で騒ぐことは容認出来かねます」そんなことをいいながらいつもの無表情で2人を見ている。

 それにばつの悪い思いが浮かぶ。

「あ、悪い」

 そんな風に先に折れたのは士郎だった。

 ついでアーチェも舞弥の言うことは正論だと思ったのだろう、「そうだな、君の言うとおりだ、悪かった」とそう素直に謝罪の言葉を口にした。

 そしてちらりと父に視線を向けるが、相変わらず切嗣は死んだように眠り続けていた。ピクリとも動かない。そんな様子を見ていたら、胸の内に抱えた怒りも萎んでいく。

 アーチェと士郎は、流石は元同一人物だけあるのだろう、全く同じタイミングで重いため息をこぼし、やるせなさそうに眉間の皺を深くした。

 

「疲れているのではありませんか。ひとまず解散にして一度休息を取ってから、今後のことについて話し合いの席を設ける形のほうがよろしいかと」

 言われて見れば、昨夜は色々あったせいか互いに疲労が蓄積していた。その言葉をきっかけに解散することにするが……ふと、アーチェは自分を見ているセイバーの視線に気付く。

 金沙髪の美しい少女の形をしたサーヴァントは、その碧眼に何か言いたげな色を載せて白髪褐色肌の女を見つめている。

(……セイバー?)

 アーチェはかつては衛宮士郎と呼ばれる少年だった。

 そして彼の時代も、自分のサーヴァントとして召喚されたのはこの少女……アーサー王であるアルトリア・ペンドラゴンという少女であり、自分の剣の師でもある。この少女とかつて自分が憧憬したセイバー(しょうじょ)は厳密には同一人物では無いことは知っている。自分とここに今生きている衛宮士郎が同一の別人であるように。

 だが、本質は変わらないはずだ。だからこそ、その曖昧な彼女の態度が不思議に映る。

 自分が知るセイバーは、もっと言うべきと思ったことは真っ直ぐ告げるような性格の少女だったのだから。

「あの……シロ」

「何かね?」

 尋ねるが少女は物憂げな瞳のまま、やはりはっきりとしない。

「セイバー?」

「いえ、きっと私の思い過ごしです」

 そう自分に言い聞かすような声音でセイバーはそう言いたい事を誤魔化した。

 

 

  * * * 

 

 

 昏々と眠り続けている妹の頬に手を伸ばし、其の輪郭をなぞりながら、過去の桜との思い出が遠坂凛の脳裏に次々と横切っていく。

 ……可愛い妹だった。

『まってよ、お姉ちゃん』

 自分の後ろをよちよちついてきて、気弱そうに見えて頑固で、負けず嫌い。

 すぐにベソをかいて、その度に凛は妹はわたしが守るのだと思ったものだ。

 ……魔術は一子相伝で1人しか継げないことも、知っていたのに。

 そうしてある日、妹は妹でなくなった。

 久しぶりに見かけた桜は髪の色や瞳の色さえ変質して、あんなに豊かな表情は殆ど失っていた。

 それでも凛は遠くから見るしか出来なかった。

 それしか出来なかった。

 冬木の管理者といっても無力なものだ。

 既に桜は遠坂ではない、間桐の後継者なのだ。養子に出された以上、接触することは余所の魔術師に対する内政干渉となる。

 遠坂の六代目当主となった凛には、桜を妹ともう呼ぶことは許されていない。

 それでも可愛い妹だった。

 だからずっと遠くから見守っていた。

 自分が苦しい分、あの子は、桜は幸せなんだとそう信じたかった。

 けれど、これがその結末。

『姉さん、ねえ、姉さん。わたしを、殺してください』

 そう泣きながら懇願する妹の願いに反して、生かす道を選んだ。

 今でもそれが正解かはわからないし、罪の無い人たちを殺めている事を考えたら殺してやるのも情けだったのかもしれない。

 それでも、死なないで欲しかった。

 生きて欲しかった。

 貴女が生きることを望んでいる人がこれだけいるということを、教えてあげたかった。

 そうして今、桜は眠り続けている。

 けれど、いつ目覚めるかもわからない相手を介抱し続けるというのは、わかっていても堪えるものだ。

 目覚める兆候など欠片もなく、ずっと様子が変わらないまるで冬眠しているかのような妹を前に、凛は珍しくも参った気持ちを隠すことも出来ず、弱音を吐き出す。

「わたし、ちょっと、疲れちゃったみたい」

 情けないわよね、そんな言葉を泣きそうな声でいいながら、口元だけで凛は微笑む。

 そこにはいつもの勝ち気な様子は見当たらず、きっと遠坂凛をライバル視している柳洞一成あたりがみたら、天変地異の前触れか何かを疑うことだろう。

「ねえ、こんなわたしを見たら、あなたはどう思うかしら」

 少女がこぼした言葉に、返答が返ってくることは無かった。

 

 

  * * *

 

 

 衛宮邸にて。

 先ほど濡れた身体を乾かす意味合いをも込めて、シャワーから上がったアーチェを出迎えたのは、どことなく追い詰められた子供にさえ見える表情をした舞弥だった。

「舞弥?」

 それに疑問を覚えながら声をかけるアーチェに対し、先ほどの表情を消していつも通りの無表情に戻った舞弥はふと神妙な様子で「シロ。少しだけ、話を聞いてもらってもよろしいでしょうか」そんな言葉を口にした。

 彼女がそんなことを言い出すのは珍しいと、少し目を見張りながらも、ゆっくりとアーチェは頭を縦に振る。

 それを確認した後、舞弥はアーチェを連れ立って縁側へと向かい、2人隣り合って腰をかける。

 まるで街の惨劇など知らないかのように、雲一つ無い綺麗な夜空だった。

「私は、貧国の少女兵でした」

 ぽつり、と女の無機質な声が落とされる。

 そうして知り合って10年目にして、始めて舞弥は自分の出自を白髪褐色肌の女へと語っていった。

 久宇舞弥は本名では無い。

 パスポートを取得するために衛宮切嗣によって適当につけられた名前であり、自身の本名すら知らないと30半ばの黒髪の女は言う。

 自分が生まれ育ったそこはとても貧しい国で、昼は敵兵に対し、ただただ引き金を引くだけの少女兵となあり、夜は大人の兵士達の慰み者となり、そうして余計な感情をそぎ落とし、自分は殺戮のための機械となった。

 そしてそれが出来たものだけが生き残れたということから始まり、衛宮切嗣とのその出会いまで。まるで何かの小説の一小節を音読しているかのように感情も交えず、ただ淡々と舞弥は己の経歴を話し続けた。

 そうして彼女はこう過去話を締めくくった。

「子供もいました。父親が誰かも判らない子供で、すぐに取り上げられたあの子に、私は名前すらつけてあげられなかった。母になるという経験をしたのに関わらず、私は母親らしい感情さえ知らないのです」

「何故、そんな話を私に?」

 そのアーチェの言葉に、ふと、そこで目を細め少しだけ沈黙する。

 それから黒髪黒目の女は、ゆるやかに続けた。

「切嗣がああなって、それから、切嗣から離れて私は世界を旅しました」

 ご存知でしょう?

 そう力ない声で舞弥は言う。

「罪滅ぼしだったのかもしれません。いえ、そんな殊勝なものじゃ決してなかった。ただ私は我が子を案じ続けたマダムの姿を見て感化されただけなのかもしれない。ただなんとなく、消息を調べたのです」

 我が子の。それは口にせずともアーチェにも伝わっていた。

「わかったのは、おそらくあの子だろう子はもう死んでいたということ。そもそも虫が良い話だったのです。10年以上に渡って放っておいた相手の詳細を調べようなどと。そもそも、私自身あの子の名前など知らないし、自分の本当の名前だって知らないというのに」

 ほんの僅かの自嘲。それを交えながら、それでも舞弥は話し続けた。

「所詮私は機械にしかなれない女です。もしかしたら、いつかの憧れを言い訳に、私は桜をあの子に重ね合わせて救いたかっただけなのかもしれません」

 それが桜を救いたいと思った動機なのだと。

 そう告解するように舞弥は話を締めくくった。

 そんな彼女を前に、アーチェは一拍の間をおいて、それからはっきりとした声で言った。

「舞弥、君は間違っている」

 澄んだ鋼色の瞳はまっすぐに黒髪の女を見ていた。

 その言葉を、不思議そうに舞弥は受け止める。

「君は、機械などではない。人を思いやれる心を持つ人間だ。たとえきっかけはなんであれ、君は君自身の意思で桜を救いたいと思ったのだろう? それが嘘になるはずがない。君の思いは桜にも届いているさ」

 思ってもいなかった、と言わんばかりに舞弥はパチリと瞬きをする。

 感情の起伏は薄弱なれど、それでもそんな風に揺れること自体が彼女が機械ではなく人間の証明であるとアーチェは思う。

「そうでしょうか」

「ああ、大丈夫だ。桜は優しい子だからな」

 そして話し終えた後、「何かあれば連絡を」そういい残して舞弥は衛宮邸を去っていった。

 そうして門の向こうに消えていく彼女を白髪褐色肌の女は見送る。

 かける言葉はこれ以上はなかった。

 もう必要もない。

 きっともう、彼女は迷ってはいないだろう。

 救いたいと思ったこと自体が間違いな筈がないと、そう思ってくれればいいとそう、自分を棚に上げて衛宮・S・アーチェと今は名乗っている人間として暮らしているサーヴァントの女は思う。

「シロ」

 そうして五分ほどそうして佇んだあとだっただろうか、清涼な声が耳朶を打ち、ゆっくりと声のするほうにアーチェは振り返る。

 そこには思ったとおりセイバーが何かいいたげな、けれど居間を出るときとは違う何かの決意を秘めたような顔でそこに立っていた。

 意志の強い碧い瞳は、今はあまり見る機会がないが、かつてはよく見て……そして憧れた少女のそれだ。状況に不釣り合いながら、そんな彼女を見て鋼色の瞳をした女は、綺麗だと思った。

「長くなりましたが、あれから色々私なりに考えました」

 じっくりと言葉の一つ一つを確かめるように、金紗髪の少女が言う。

「それを一番初めに貴女に聞いて欲しいと思いこちらに来ました」

「決まったのか」

「はい、私は―――大聖杯を破壊します」

 

 

 

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39.憤怒

ばんははろEKAWARIです。
絵が好調になると小説が不調に、小説が好調になると絵が不調になりがちなおいらですが、別作品一ヶ月弱で完結させた今なら、この波に乗ればいける気がするので、今月中にうっかりシリーズ完結目指して頑張ります、ヒャッハー!


 

 

 

 例えば、私が人間であったのならば何かが違ったのでしょうか。

 けれど、私は人間ではないし、人間になりたくもない。

 例えば、私が本当にただの物であったのならば、こんな風に憤ることもなかったのでしょうか。

 だけれど、この怒りと憎しみこそが私が私だというアイデンティティだった。

 例えば、私が貴女の模造品ではなく、母同様従来通りのユスティーツァ様に連なる真っ当なホムンクルスであったならば、貴女への執着も無かったのでしょうか。

 しかし、きっとそうだとしても私は貴女を嫌悪した。

 例えば、私のサーヴァントがあの忌まわしき狂戦士でなかったのなら、この苦痛ももう少しはマシだったのでしょうか。

 いいえ、きっと誰が相手だろうと私が心を許すことはなかった。

 この胸に喜びはない。

 この心に愛もない。

 この体は悍ましいもので出来ている。

 この身を満たすのは怒りと憎しみ、そして彼の方への畏敬。

 自身の証明こそが私の私による私の為の復讐だった。

 この煮え滾るような憤怒の奔流こそが、他ならぬ『私』だった。

 

 

 

 

 

  憤怒

 

 

「はぁ……はぁ、く、ッ……ぁ、あ」

 ドシャリと、今にも崩れ落ちてしまいそうだ。

 最早感覚などない身体を引きずって彼女は、レイリスフィールは薄暗い路地裏を徘徊していた。

 ずっと耳鳴りがなっているように全ての感覚が覚束ない。

 ガンガンと頭が痛んで、吐き気が込み上げる。

 其の感覚すら遠くて、少しでも気を抜けば全て曖昧に虚空へと消えてしまいそうだ。

「ふぅ……ふぅ、は……はぁ、は……あ」

 受け入れた英霊の魂の数は現時点で五体。

 人間としての彼女はとうに限界が訪れていてもおかしくはなかった。

 けれどそれに耐えたのは執念ゆえか、その憤怒ゆえか。

 ずるりと、倒れこみそうな身体を引きずって少女は歩く、歩き続ける。

 もしもここで倒れたら、もうマトモに自分は歩けやしないのではないかというそんな思いがあったからなのかもしれない。

 人としての彼女はもう限界に近い。

(冗談ではない)

 たとえ、どれほどに人間としての機能を削げ落とされようと、それでも彼女はその自我だけは、絶対に手放すわけにはいかなかった。

 思い出すのは、本国での日々だ。

 聖杯としての調整を受ける時間以外の殆どを、彼女は飢えた狼や廃棄された失敗作のホムンクルス殺害という形で日々を過ごしていた。

 ただ戦って戦って、殺して殺して殺し続けた日常。

 怪我の治療なんてものは、自分で覚えるしかなく、誰かに教えてもらうものでも誰かにやってもらうものでもない。

 自分を守れるのは、結局自分だけだ。

 曲がりなりにも本国にいた時、アインツベルンの正当なる後継者として貴族の娘として扱われた母アイリスフィールとも、姉イリヤスフィールとも違う。

 姉の模造品としてスペアとして用意されていたレイリスフィールには、母や姉の失敗を償う義務がある。そう言わんばかりの扱いの中、ひょっとしたらまともに彼女の為に用意されたのは、今こうして身につけている衣服くらいのものだったのではないだろうか?

 それも外に出るからと、アインツベルンの恥にならないように、と日本に出発する直前に用意されたものだ。そこでゴスロリ風の、母や姉たる存在が着てた装束とは全く異なるデザインのものを選んだのは、レイリスフィールなりに、自分はアイリスフィールでもイリヤスフィールでもないという、せめてもの主張で反発だったのかもしれない。

 本などで得た知識から推測するなら、自身の置かれた境遇は酷い扱いだったのだろうと思う。

 しかし、衛宮切嗣とイリヤスフィールの裏切りという事件を経験したアハト翁は、たとえ次世代の聖杯の器だろうと、あの男の血もまた引いているレイリスフィールに対して、上辺だけでも大切にする気など最初っからなかったのだ。

 だからこそ、暖かいベッドで眠ったことすら殆どないし、凍える森の中で殺した狼の臓器の温かさを頼りに眠るという経験も珍しくもなんともないことだった。

 寧ろ、それこそが当たり前だった。

 自分の血に塗れて眠ることも。

 しかし彼女はそのこと自体は不満に思ったことはなかったのだ。

 たとえ何度死に掛けようと、どれほど酷い扱いを受けようと、彼女は聖杯戦争の為に作られた道具であるのだから、それに一体どうして不満を抱けよう。

 全てのホムンクルスは、なんらかの目的の為に存在する道具。

 それがアイデンティティなのだから、どうしてレイリスフィールがその事に不満を覚えられよう。

 自分は人間では無いのだ、人間になりたくもない。

 レイリスフィールにとっては、ホムンクルスであると同時に、人間である切嗣の血を継いでいるという点のほうが忌まわしい。

 彼女に宿った火の適正こそが、あの男の血を引いていることを嫌でも突きつけてくる。

 どうせなら他の大多数のホムンクルス達のように、ただのユスティーツァ様を模して作られたホムンクルスであれば良かったのに。

 そうすればもっと心穏やかだっただろう。

 ……いや、違うか。

 彼女にとって最も赦せなかったことは、「イリヤスフィールの模造品」とこの場にいもしない、アインツベルンを捨てた裏切り者と比べられ続けてきたこと、それだけだった。

 それだけが何よりも、どんなことよりも赦せなかった。

 見過ごすことなんて出来なかった。

 ここにいる私はイリヤスフィールではないのに。

 与えられた試練をクリアしているのは、何度も死にかけながらもそれでも戦う力を得るために努力し続けてきたのは、決してイリヤスフィールではなく、私なのに。

 なのに、そうして努力すればするほどに、まわりはいなくなってしまった姉だけを彼女を通して見ていたのだ。

 この顔の皮をはがしてしまえば、皆イリヤスフィールと私を同一視することはなくなるだろうか。

 とそんな誘惑にかられたこともある。

 でも、所詮は意味のないこと。

 この顔はかのイリヤスフィールと酷似しているのかもしれないが、イリヤスフィールも私もどちらもユスティーツァに連なるホムンクルスであることにかわりはない。

 ならば、この顔の皮を剥がすことはユスティーツァ様さえ汚すことになる。

 だったらそんな選択肢は選べない。

 それでも、鏡で顔を見るたびに、彼女の中から憤怒交じりの憎悪はやむことはなかった。

 彼女はイリヤスフィールなどになりたくは無い。

 同じに見られると八つ裂きにして獣の餌にしてしまいたくなる。

 それでも、それでも至高のあの方に、ユスティーツァにはなりたかったし、近づきたかった。

「ハァ、ハァ、ハァ」

 朦朧とする意識、それをギリと奥歯でかみ締めながら更にレイリスフィールは回想を続ける。

 今より3ヶ月前の月が紅い夜、彼女はその生命力を代償とする形で狂戦士(バーサーカー)の召喚を行わされた。呼び出すのは古の英雄王、ギルガメッシュ。

 もう第四次の時のような裏切りなどおこさせぬという理由で、本来狂戦士特性のないはずのその男はバーサーカーとして召喚された。

 しかし、裏技を使った故の弊害だったのか、それとも元からのその英霊の性質によるものだったのか。

 召喚されたそれは狂化が施されても尚大人しく従うようなものではありえなく、呼び出したのは自分だというのにパスも薄く、たとえ彼女の身体そのものである擬似魔術回路が暴走し、マスターであるレイリスフィールが血まみれになって死に掛けようとも、それでその男の行動を阻害出来るものではなかった。

 そしてアハト翁が下した決定。

 それはサーヴァントと交わらせることで強固なパスを築き上げ、内側からアレを制御する術を身体で覚えろということ。

 朦朧とする意識の中、レイリスフィールは言われた内容を上手く理解できず、この当主が自分に対して何を言ったのか、その言葉と決定を疑った。

 そして血まみれで朦朧とするレイリスフィールをメイド達は押さえつけ、供物としてかの狂戦士へと捧げた。

 何も知らない身体に、突如として慣らしもせずに突きこまれた男根は少女からありとあらゆるもののを与え奪った。

 張り裂けるような痛みに、魔力を貪欲に吸い上げられる喪失感、暴力的なまでに流れ込んでくる男の自我に、繰り返される破壊と再生。

 幼い身体で受け入れるにはあまりに過ぎた狂宴は三日三晩続いた。

 飲まず、食わず、眠らず。

 痛みは既に言葉にならない。

 何処が痛いのかさえ既にわからない。

 痛かったのは心なのか、身体なのか。

 ホムンクルスは人形とはいうが、それでもあのときほど自分が本当に人形だと思い知らされたことはない。揺さぶられ続けるだけの人形。

 しかしそれで良しと思うにしては、残念ながら彼女は自我と矜持が育ちすぎていた。

 いうなれば、あれは戦いであった。

 ぶつけられる膨大な自我に抗い続け、憤怒でもって自分の心を守り感情をぶつけ返す。

 それが唯一の自分を守る術だった。

 肉体を犯され、玩具のように貫かれて揺さぶられても、その圧倒的な魂で心を侵食されたとしても、どのような痛みと恥辱を与えられても、それでも負けてなるものか、壊されてたまるものかと抗い続ける。

 憤怒だけが動力だった。

 そう、アレは自分を守るものなどでは、己が牙などでは決してない。

 隙あらば自分を食い殺そうとする最悪の敵、それがバーサーカーのサーヴァント、ギルガメッシュだった。

 そうして、宴が終わった後、皮肉にもアハト翁の目論見どおり、少女は狂戦士を制御する術を得たのだ。その膨大な魔力で無理矢理自我を封印するという形によって。

 油断出来ぬ敵を、あの日、あの夜からレイリスフィールは内に飼うことになったのだ。

 英雄(サーヴァント)という名の怪物を。

 

「ハァ、ハァ……は、ははは、あはは」

 ぐちゃりと、足がもつれて倒れこみそうになった。

 それを少女は壁を支えることで押さえながら、どこか物悲しげにさえ聞こえる笑い声を上げる。

「あっはっははは、ひ、ふぁ……ははは、う、くく」

 何がおかしいのかすら最早わからず、ぐちゃぐちゃの滅茶苦茶になった体と心は、今すぐにでも休息を求めている。

 けれど、其の先に未来は無い。

 だから、決して認めるわけにはいかないのだ。

 あの夜のように、憤怒だけが心の支えだった。

 ゆらりと、己がマスターの弱った気配を感じ取って、狂戦士は実体化しようとしている。

 それを魔力を込めることによって抑えた。

 彼女の全身から巨大な令呪が浮かび上がる。

「目障りよ。勝手なことをしないで」

 ギリ、と睨みつけながら少女は、血の涙を流した。

 ポタリ、ポタリ、身体のあちこちから血管が焼ききれ血が噴出した。

 それを、嘲笑しながら、強い憎しみを込めた声で少女は続ける。

「これしきで、私がくたばるとでも? 随分と見くびられたものだわ」

 そうだ、自分はまだ悲願を果たしていない。

 どうせあとは2人分の魂だ。それで終わるのだ。

 たとえ途中経過がどうであれ、結局は最後まで生き残ったものが勝ちなのだ。

 忘れてはならない、決して間違えてはならない。

 最優先事項は第三魔法「天の杯(ヘヴンズ・フィール)」の成就。

 それを、誰の力も借りず自分の手で成し遂げる。

 成し遂げてみせる、それまで絶対に自分は死ねないし、倒れるわけにはいかないのだ。

 イリヤスフィールではなく、この自分の手でこの一族の悲願を達成してみせる。

 そうして初めて自分の復讐は完成する。

 もう誰も私をイリヤスフィールの模造品などと呼ばせない。

 言わせるものか。

 そのためならどんな生き地獄だって甘んじて受けよう。

 嗚呼、そうだ、喰われるのは私ではない。

「私はオマエなどに喰われなどしない。オマエを喰らうのは私だ」

 血の涙を流しながら、壮絶に笑い、少女は己がサーヴァントにそう血反吐を吐くような声で宣言する。

 夜はまだ明けない。

 

 

  * * *

 

 

 月が天高く昇る。

 寒々とした冬の空に星が煌めいている。

 こんなに綺麗な夜空なのに、今もこの下のどこかでは惨劇があるのだろうと思えば、赤毛の少年……衛宮士郎の心はザワザワとしたものを感じる。

 彼は正義の味方になりたかった。

 さて、では正義の味方とはなんであろうか?

 1人でも多くの人を救うのが正義の味方?

 それも一つの答えかもしれない。

 少なくとも彼の別世界の存在であるアーチェ……本名エミヤシロウとその養父衛宮切嗣は1を犠牲にしても10を救う存在を正義の味方と定義し、それ故救いたい人を救えず破綻した。

 けれど、士郎の出した答えは違う。

 正義の味方とは笑顔を届ける存在、心に寄り添い其の心をこそ救う存在こそが正義の味方であると定義した。

 あの日、あの大火災の中、死にかけだった士郎が黒と白の男女に救われたように。

 だって彼は、生き残ったことよりも、あの時の笑顔にこそ救われたのだから。

 あんな風に自分も、誰かを救いたいと思った。

 だから正義の味方になりたかった。

 笑って、もう大丈夫だと抱きしめて、救いを求めた人に安心を届けられるような……。

 士郎は誰かに寄り添える存在になりたかった。

 身近な人に寄り添えずして何が正義かと少年は思う。

 出来ることは少ないかも知れない。

 けれど、ただ側にいるだけでも救われることがあるのだと、誰よりもそのことを彼は知っている。

 他ならぬ士郎自身がそうだったから。

 月明りの中、土蔵の中に眠る義姉の元へと歩を進める。

(嗚呼……綺麗だ)

 イリヤ。

 衛宮イリヤスフィール。旧名イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。

 この姉はまるで冬の妖精のようだ。

 白銀にキラキラ輝く絹のような長い髪、透き通るような白皙の肌、小作りの顔に、小さな鼻と唇。

 もう10年も一緒に暮らしているのに、何度見ても綺麗で、だけどこうして青白い顔で眠り続けている姿を見ると、作り物のようで不安になる。

 生きている人間の筈なのに、まるで精巧なビスクドールのようだ。

 いつもいつも、コロコロと表情を変えていたイリヤ。

 しっかり者だけど、同時に甘えたで、士郎のことが大好きなんだといつも全力で伝えてくれていた愛しくて大事な家族。

 こんな風に静かだと悪い方へばかり考えてしまう。

 もう、目覚めないんじゃ無いかって。

 そんなわけがないのに。 

 そっと指を伸ばす。

 頬はひんやりとしていて、柔らかい。

 呼吸は薄く、それでも僅かに上下している胸が、確かに彼女は生きていて今は眠っているだけだと告げている。

 士郎は落ち着かない様子で、愚痴のような軽口のような言葉を吐く。

「なぁ、イリヤ。早く目が覚めてくれよ。お前がそんなんじゃ、俺も調子が出ないんだ」

 返事は返らない。

 それでも、そっとイリヤの手を握り締めながら少年はただ、彼女の目覚めを祈る。

 ふと、よく知った気配が近づいてきた。

 これは、もう1人の義姉だ。

 振り返れば思った通り、黒いシャツに身を包んだ白髪長身の女性がそこに立っていた。

「まだ、眠っていなかったのか」

 少し呆れたような、しかしこうなるとわかっていたような声と表情だった。

「眠れないんだ」

「神経が冴え渡っているのはわかっているが、それでも睡眠はとれ。イリヤが心配なのはわかるがな」

 そう、ため息交じりに言われ、少年は苦笑した。

 自分にこんなことを言っているこの人こそ、誰よりもイリヤスフィールのことを心配しているのだ。

「休息出来る時に休息することも仕事だ」

「そうだな……」

 どこか上の空の士郎の様子に気付いているのだろう、全く仕方ないといわんばかりの態度で、アーチェは義理の弟にして平行世界の自分(べつじん)たる少年の額を指で小突くと「眠れないならホットミルクでも淹れてやろう」と、ここ近年では珍しくも甘やかすような事を口にした。

「シロねえが?」

 それに少し驚いたように士郎は琥珀色の瞳を丸くする。

「なんだ? 余計なお世話だったか?」

「いや、嬉しいよ。シロねえありがとう」

 シナモンと少しの蜂蜜が入ったそれはとても優しい味がした。

「美味い……」

「ふん、大したものでもない。ただ、それを飲んだら今度こそ大人しく寝床につくことだ」

 そんな風に淡々とした調子で続けるハスキーな女性の声に、士郎はやっぱりシロねえは素直じゃないなぁと苦笑する。

 でも、そんな不器用な優しさも好きだった。

 そしてゆっくりと飲み干し、廊下で別れる。

「シロねえ、お休み」

「ああ……お休み、士郎」

 そうしてひらりと手を振り、寝室へと向かう。

 なんだかこの後はよく眠れそうな気がした。 

 

 

  * * *

 

 

 ズキンズキン。

 頭が重い。

 体の感覚は碌になく、思考もまともに動いていない。

 朦朧とした頭と体を抱えたまま、気付けばレイリスフィールは商店街の近くの公園にきていた。

「あ……」

 いつかの夜、ブランコをこぎながらこの公園で過ごしたことを思い出す。

 つい1週間ほど前のことでしかないはずだが、妙に遠い感覚だった。

 昨日と今日は果たして連動しているのだろうか。

 自分という存在は、気付けばこんなに希薄になっている。

 思わず、そこにあったブランコにレイリスフィールは腰を降ろした。

 瞼が重い。

 サーヴァントたちの魂が己の自我を圧迫する。

 けれど、この自我を手放すことは出来ない。

 この自我こそが唯一にして最大の、イリヤスフィールと自分を別ける己の持ち物であったのだから。

(私の名前はレイリスフィール・フォン・アインツベルン。今代の小聖杯)

 名は最初の自己を認識する道標だ。

 だからこそ、何度も暗示のように、言い聞かせるように心の中で自分の名前を呼ぶ。

 けれど、こんな苦痛ももうすぐ終わる。

 終わりの日は近いのだ。

 もうすぐレイリスフィールは聖杯として完成する。

 サーヴァント達の魂を其の器に回収して、根源への道を開く。

 かつてユスティーツァただ1人が届いた第三魔法という頂に、手が届くのだ。

 あと1人でいい。

 あと1人サーヴァントが脱落さえしたのなら、自分のサーヴァントに自害を命じることによって自分は聖杯として完成できる。

 けれど、その1人が遠い。

 自分という容量がサーヴァントたちによって食い殺されていく。

 限界は近い。

 それでも、彼女はこの自我を手放すことだけは出来ないし、したくなかったのだ。

 この身に抱えた憤怒と憎悪こそが自分だった。

 レイリスフィールは自分は最期まで自分のまま、聖杯として完成したかった。

 それだけが望みだった。

「…………人形風情が、そこまで自己に固執するか、見上げた醜さよな」

 夜の闇に美しく残酷な男の声が響いた。

 

 

  * * *

 

 

「……!」

 それは予感だったのだろうか。

 それとも必然か、偶然か、兎も角として突如、男は目覚めた。

 それは男の身体が蝕む呪いが共鳴して見せたのか。

 答えがどれかなど、理由など今考えてもわからない。

 ただ、危険だと、あのままではあの子は死ぬのだと、見れた一瞬で判断したのならそれが全てだった。

 己がサーヴァントとのパスさえきって、男は、衛宮切嗣は眠りによって固まった体を引きずったまま走る。

 それはまるで機械仕掛けの人形のように、男に残された最後の躍動であった。

 そして、終わりの時が迫る。

 それを煌々と照らす天空の月だけが見ていた。

 

 

 

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40.理解無き終幕

ばんははろEKAWARIです。
レイリスフィール・フォン・アインツベルンというオリキャラマスターは今回の話の為だけに存在していたといって過言でないキャラです。
いや、他人様のキャラでこの末路はいかんでしょって話で、だからこの役回りにオリキャラを宛てたんですね。
というわけで切嗣&レイリス回です。


 

 

 この眼は意味を持たない。

 この声も意味を持たない。

 それでも、ただただ機械仕掛けの人形のようにこの耳は其の声を拾った。

 愛しい彼女と同じその声を。

 僕はいつだってそう。

 一番大事なものには手が届かなかった。

 本当に守りたい人をいつだって取りこぼしてきた。

 それでも、それでもと……願望をいつだって捨てきれず。

 理解等無く、理解等要らないからと、ただ呼吸ある限り魔術回路に魔力を通し足を動かした。

 其の意味も判らず。

 それをされた側の心情など慮る事も無く。

 それが僕の終幕。

 正義の味方という夢は遠の昔に破れた僕は……。

 僕は、そう……ただ父親という役を果たしたかったんだ。

 

 

 

 

 

  理解無き終幕

 

 

 冷や汗すら凍りそうなその圧倒的な気配を前に、今代の小聖杯たる少女は蹌踉めくように足を縺れさせる。

「そんな……」

 自分の前に現れた男、その男の正体を見抜いてレイリスフィールは驚愕した。

 あれは、受肉したサーヴァントだ。

 否、それだけではない。

 黄金の髪、人外を思わせる血色の瞳に、黄金比を体現するかのようなその容姿。

 狂化しているわけではないが、間違いなく目の前の男は己がサーヴァントと同じで違う存在だ。

 しかし同じ時代に二騎も同じ起源を持つ英霊が召喚されるなど、聞いたことが無い。

 そもそも第四次聖杯戦争にも、今自分が参加している第五次聖杯戦争においても、英雄王ギルガメッシュの写したる使い魔(サーヴァント)は、自分が召喚したこの狂戦士(バーサーカー)しか存在していないはずだ。

 今代の小聖杯は己なのだ、自分の知らぬサーヴァントなどいるわけがない。

 では、あの……存在していないはずなのに、こうしてここにいるアレは一体何なのだ!?

 これは一体どういうことなのか、わけがわからず混乱しそうになる。

 しかし、事態は切迫している。ためらう暇など少女にはどこにもない。

 あれがどれほどの「死」そのものの存在たるか、彼女の経験則が嫌というほど告げている。

 アレは、自分を(ころ)す気だ。

 ……まるで取るに足らぬ虫けらのように。

 

「バーサーカー!」

 瞬時に己がサーヴァントを実体化させ、目の前の男に立ち向かわせる。

 レイリスフィールの全身に令呪の赤い模様が浮かび上がり、彼女の髪留めに取り付けた鈴がリンと音を鳴らす。瞬時に狂化された目の前の男と瓜二つの英霊が現われる。

 男は口元を笑わせ、嘲け笑う瞳でレイリスフィールと狂戦士を見ていた。

 その目にはあまりにも温度はなく、蛇のように細められた赤い目は、人と似た容姿をしていても男が人間では無いことを示すかのようであった。

「ふん、こうしてみるとつくづく……見るに耐えんな」

 そしてそのまま……同一の起源を持つ二騎は激突した。

 一方は第五次聖杯戦争に召喚された狂戦士のクラスを持つ存在。

 もう一方は受肉したギルガメッシュ……そのクラスは、少女には知る由がないが、弓兵(アーチャー)

 大地をかけ割るように狂戦士が進めば、矢雨の如き宝具の原点が降りかかる。

 荒々しくも荘厳な神話の戦い。

 決着を決めたのは彼らの親友の名を冠した鎖だった。

 対神宝具である天の鎖(エルキドゥ)は、神の血が濃ければ濃いほどにその威力を発し、其の鎖から逃げることは困難となる。

 ギルガメッシュの神性はB……三分の二が神である彼は本来はA+あっておかしくもない存在であったが、神を嫌っているが故にその神性は落ちている。

 それでも尚、それだけの神性適正があれば、親友の名を冠したその鎖から逃れる術などない。

 故に、狂戦士である英霊は最後に何かを言い残すことすらせずに消えていく。

 たとえ狂化され召喚された存在であろうと、サーヴァントとしての命が終わるときには正気に戻り言葉を取り戻せる、そういうものであるはずだ。

 だが、何も言葉を残さないというのは……そういうこと(・・・・・・)だ。

 結局、この狂戦士というクラスで召喚されたサーヴァント、ギルガメッシュは、自分のマスターである少女レイリスフィールを最初っから最期まで自分のマスターとして認めていなかったということだ。

 案じ、言葉を遺す理由が一体どこにある?

 最初っから最期までこの2人の関係とはそういうものだった。

 信頼など欠片も無く、ただ相手を隙を見せれば喰ろうてやろうと、互いの命を狙い合うそういう関係だった。そういう関係を崩すことが出来ず、それ以上を求めようとも思わなかった。

 そういう意味では似たもの同士だったのかもしれない。

 召喚されるサーヴァントはどこか召喚主と似た気質のものが多いという。

 ならば、きっと悪い意味で2人は似ていたのだろう。

 殺意を滾らさせずにはいられぬほどに。

 けれど、それでも、そんな存在でも狂戦士として召喚されたあのサーヴァントが、レイリスフィールにとって最後の盾であったのも間違いがない。

 それを失った彼女は、もう手足を捥がれた鳥と等しかった。

 だがしかし、別クラスの……それも正式召喚された自分自身を相手にしたのだ。

 ギルガメッシュとしても全くの無事というわけにはいかず、アーチャー戦で皹が入った鎧は今度こそ砕け使い物にならなくなっていた。

 ギルガメッシュにとって、最大の守りであったというのに。

 不快な話だ。

 とはいえ、あの狂戦士クラスで召喚された別の自分が、全くの無力の存在であったとしても「貴様なんだその様は! それでも(オレ)を名乗る存在か!!」と怒り狂ったであろうから、どちらにせよ、結果は同じと言えば同じであったが。

 そして、死は歩み寄る、レイリスフィールの元に。

 カツ、カツと音を立て、自覚をさせるように一歩ずつ歩んでくる、死の体現が。

 逃げなければいけないと、なけなしの意識で彼女は思考する。

 だが、それは叶わない。

 たった今回収が終わった狂戦士の魂が彼女を圧迫していた。

 もう彼女は聖杯としてほぼ完成している。

 あとは天の衣を纏い、聖杯を降ろせる土地にさえ向かえばそれでもう彼女は終われた。

 そこまで至っていた。

 人間(ヒト)としてはとうに終わっていた。

 それでも尚、倒れないのは、自我を此処に至っても保っていたのは、ただ自身の手でアインツベルンの悲願を果たすのだというその執念が故。

 そう在らなければいけないと自己にかけた暗示の産物だ。

 でもそれももう終わる。

 それに少女は今にも自我が死にそうな中、泣きそうな顔で笑った。

 もうこの思考も長くは持たない。

 もうこの体は碌に機能を果たしていない。

 モノだ。

 彼女こそが聖杯だった。

 道具に自己の感情も思考もいらない。

 そこにあればそれでいい。

 ……潰される。

 崩され、ぐちゃぐちゃになる。

 まるで挽肉になったようだ。

 自分と他者の境目がなく、無くなっていく。

 少女は……レイリスフィールは、英霊達の魂の圧迫によって完全に自我が潰される寸前だった。

 

固有時制御、二倍速(Time alter---double accel)

 どこかでいつか聞いた、そんな声が聞こえた。

 見えなくなっていく目を、無理矢理に自分の目として使う。

 目をこじ開ける。

 現状を把握する、そして彼女は凍りついた。

(衛宮、切嗣)

 決して許すまいと、次に会うときは殺そうと誓った男が黄金のサーヴァントに背を向けながら、自分に向かってきていた。

 顔面蒼白必死な顔で、まるで泣き出しそうにすら見える顔で、男はそのままかのサーヴァントから庇うように自分を抱え込んだ。

 ゾワリと、鳥肌が立つ。

 潰されかかった自我が、悲鳴と共に出戻った。

「お離しなさい、無礼者! 何を、オマエは、一体何をッ!」

 肩で息をして、ベッタリと冷たい汗をかきながら、青い顔をした男はそんなレイリスフィールの拒絶にすら気付いていないのか、見えていないのか判然としない様子で、「イ、ヤダ」そう口にした。

 わけが判らない。

 一体この男はなんなのだ。

 パニックになると共に、レイリスフィールは益々声を荒げ、憎悪の雄たけびをあげる。

「オマエは、オマエは何を、私を誰だと思って……冗談ではないわ! 無礼者、離せ、離せェ……!!」

 力の入らない腕で、それでも何度も必死に男を殴りつける。

 けれど、びくともしないし、きっと男はそんな少女の拒絶の拳に気付いてすらいない。

 抱き込まれた体は既に感覚がないまでも、悪寒に震えていた。

「離せ、離しなさい! 離して!!」

「ぼ……くは……守らな……くちゃ」

 うわ言のように男は枯れた声を漏らす。

 その目はレイリスフィールなど見ていない。

 冷たい体はまるで死人のそれだった。

 しかし、レイリスフィールの頭には今届いた男のうわ言だけが全てだった。

 あまりの悍ましさにゾッとする。

 この男は何もわかっていない。

 守らなくちゃ? 一体いつ誰がそんなことを頼んだというのか。

 見当違いの正義感……否正義感と呼ぶのもおこがましい。

 この男は贖罪をしたいだけで、それを向ける相手は誰でもよくて、それで自分をその相手に選んだだけなのだ。

 ああ、そうだ。

 守れなかったというあの男の死んだ妻にこの顔と声はよく似ているのだろう? イリヤスフィールとも似ているのだろう? 当然だ、自分はあの姉……イリヤスフィールと同じ遺伝子で出来ている。

 でも別人だ、自分は決してイリヤスフィールではない。

 だというのに、母たる存在と同じ顔、同じ声、姉たる存在と同じ遺伝子……それだけで、この男は自分を身代わりにしているだけなのだ。

 それでどうこちらが傷つくのかも気付かず、愚かにも!!

(ふざけないで! 私はイリヤスフィールでもアイリスフィールでもない! そんなものになる気もない。ヤメロ、やめて、ふざけないで、冗談じゃない、冗談じゃない、冗談じゃない!!)

 私は、イリヤスフィールではない、レイリスフィール・フォン・アインツベルンだ!!

 それが彼女の矜持(プライド)だった。

 その自我だけが、彼女が持っていた唯一の自分の持ち物で全てだった。

 自分がレイリスフィール・フォン・アインツベルンである事を否定されたくなかった。

 アインツベルンを捨てた裏切り者の姉の模造品と呼ばせないことが、彼女の全てだったのだ。

 だが、この男は救えなかったアイリスフィールの代用品として自身を守ろうとしているのだ。

 許容するなんて、無理だ。

 あまりの悪寒にゾッとする。

 嫌だった、こんな終わり方。

 だって、それじゃあ一体今まで何のために、一体これまでの私は、レイリスフィールの人生はなんだったというのか。

 何のために、痛みに耐え生きてきたのか。

 自分はイリヤスフィールでもアイリスフィールでもないのに。

 ただ、同じ顔と声と遺伝子というだけで、同一にされる。

 それは確立した自己の否定と何が違う。

 耐えられない。

 耐えられなかった。

 最期まで自分が誰かの代用品でしか無いという事が。

 ガラガラと、繋ぎ止めていた最後の楔が崩壊していく。

 その在り方を誰にも理解されぬままに終わる。

 自分が終わる。

「離せ、離せ、ハナセ、離せェエエエエエーーーー!!」

 壊れる、自我が壊れていく。

 決壊していく。

 半狂乱となった少女の頬から涙が滂沱のように流れる。

 ぐちゃぐちゃで滅茶苦茶で、もうまともに機能していない。

 最後に残っていた細い糸を壊したのは、引き金を引いたのは、衛宮切嗣だ。

 男は気付かない。

 気付けない。

 彼の機能は9割がたもう停止していた。

 その悲痛なまでの嘆きも拒絶もならば耳に届くはずもなかった。

 少女が泣き喚く間にも、王はゆっくりゆっくり一歩一歩確かめるように歩み寄る。

 その歩みをとめるものはどこにもいない。

 当然だ、原初の王の歩みを一体どこの誰が止められるというのか?

 衛宮切嗣は腕の中に強く少女を抱きこんだまま、意識を混濁させていた。

 ただその横顔はまるで雛を守る親鳥のようで、体全体で彼女を庇い、覆い隠していた。

 ヒューヒューと僅かな息はある。

 それでももう彼には何も聞こえないし、何も見えなかった。

 少女の絶望も知らず。皮肉にも、レイリスフィールという少女の自我を殺したのは、衛宮切嗣だった。

 それすら理解することはもうない。

 彼の中にあるのは「守らなきゃ」というそんな強迫観念染みた思念だけ。

 それだけで生を繋いでいた。

 それももう終わる。

 

「邪魔だ、雑種」

 冷たい声がかかる。

 その体を数多の宝具の雨が貫く。

 そもそも、最初っから意味などなかったのだ。

 衛宮切嗣にはレイリスフィールを守って逃げるそんな力などなかった。

 それでも駆けたのは自己満足としか形容しようがない。

 それでも、それでも……救いたかったのだ、切嗣は。

 いつかの記憶。自分ではない記憶。

 そう確かにレイリスフィールが感じ取ったとおり、男は贖罪を求めていた。

 そう最初っから、愚かさを抱えて走ってきた人生であった。

 父を殺したときから、どんな平穏な生活に身をゆだねようと心からの安息を切嗣が感じ取れた時などない。屍を重ねるだけの人生だった。

 殺してきた人たちを忘れたことはひと時だってない。

 己が理想を憎んだことさえあった。

 そうして、夢に縋って結局は償う方法などないと知った第四次聖杯戦争。

 自分が望んだ恒久的世界平和など、どこにもなかった。

 それは聖杯ですら叶えることの出来ない、子供の空想だ。

 黒い泥に汚染された聖杯。未来から召喚された自分の義息の別の可能性たる彼女と、命を落とした最愛の妻(アイリスフィール)

 自分に出来ることなどないのだと思い知らされた。

 正義の味方という夢が朽ちて、遺されたのはかつての理想の抜け殻と、父親としての自分だけだった。

 いくつもの罪を重ねて生きてきた。

 罪に見合わぬ幸福の時間を与えられた、この十年は楽しかった、それこそが苦痛でもあった。

 自分が幸せである事が許せなかった。

 そんな切嗣にとって、唯一贖罪できるだろう相手、それが自分達の10年間の生活の犠牲者であったレイリスフィールだったのだ。

 そこで、彼女を「犠牲者」と形容してしまうこと自体が傲慢なのだと気付かぬまま、男は自分が見つけた贖罪に縋った。

 そうやって、死にかけのゆらゆら揺れる思考の中、今際の際の走馬灯のように切嗣は娘の言葉を思い出していた。

『キリツグ、シロと士郎を泣かせたら、わたし怒るわ。その言葉の意味がわたしからの課題よ』

 ああ、そうか。

(ごめんよ、イリヤ……)

 あまりに愚か過ぎた男は、最期の最期になって漸く娘の言葉の意味を理解したのだ。

 自分が家族を大事に思っていたように、彼らも愛してくれていたのか、と。

 わかっていたつもりだった。

 そのつもりでいた。

 でも本当に自分はわかっていなかったらしい。

 視界が狭くなっていたからなのかもしれない。

 あれは自分を大事にしろというメッセージだったのだと、もう今更どうしようもないこんな所で男は理解した。

(本当に僕ってヤツは……)

 息が止まる。

 心臓が鼓動を終える。

 くしゃりと苦笑いを浮かべながら、それでもどこか満足そうな顔を残して、衛宮切嗣はその生涯を終えた。

 その胸に、自分が壊した少女を抱いたまま……。

 ……壊したことに気付くことすら無かったままに。

 

「ァ、……ァア、ァアァアアアーーーー!」

 顔も体も全身血塗れになりながら、レイリスフィールは、最期まで自分を離すことのなかった男に対して悲鳴を上げながら、ぐしゃりと自分の髪をかき乱していた。

 そこに最早正気の色はどこにもなく、絶対に殺すと決めた許せないと思った男に庇われたその屈辱と絶望は、姉の代用品として扱われたという其の事実は、ヒトとしての機能をほぼ失い、執念だけで己を保っていた少女を発狂させるにたるものだった。

 そんな少女を興味なげに見下ろしながら、ギルガメッシュは少女の細く白い首を掴み取り、そしてそのまま右手を差し込んで彼女の心臓を抉り出した。

 最初から最期まで誰からの理解も無く、何も成し遂げれず、ただ惨めなだけの終わりだった。

 

 

  NEXT?

 



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41.黄金の王

ばんははろEKAWARIです。
鬱展開については前回がピークなんで、ここら辺から徐々にマシになっていく感じであります。
まあ、あくまでマシにって話だけど。あと段々皆集合してきます。
次回「生贄」お楽しみに?


 

 

 その衝動の名をなんと呼ぼう。

 その肉塊を知っている、わかっている。

 父と呼び慕っていた人だ。

 たとえどんな姿であろうとわからない筈が無いだろう。

 たとえ面影すらなくなるほどグチャグチャになっていたとしても、俺がわからないはずがないんだ。

 血が逆流する。

 熱くて熱くて脳髄は沸騰寸前だ。

 これは吐き気? 怒り? 憎悪? 違う、どれも当てはまってどれも違う!

 止まれない、止まりたくもない。

 身体が、魂が叫びを上げる。

 アレを赦すなと、目の前の男を排除しろと焼け焦げた脳が指令を下している。

 ガギリと、理性がブレーカーを落とす。

 背骨に鉄を流し込むような錯覚と痛みが、俺を人でありながら人でないものに作り変える。

投影(トレース)―――開始(オン)ッ!」

 後ろで俺を引き止めるように、誰かが叫ぶ声が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

  黄金の王

 

 

(……親父?)

 衛宮切嗣が家のどこにもいない。

 その事に最初に気付いたのは士郎だった。

 2月14日、空に赤みが射しだした明け方も近い時刻、ただなんとなく親父の顔が見たくなって彼は居間を訪れた。

 衛宮切嗣は半死半生だ。

 もう誰が見ても其の命は長くなかったし、どう見てもまともに動ける体では無かった。

 だからたとえ意識を取り戻せたとしても、どこにもいけないとそう思っていたから、そこにいると信じていた。

 なのに、居間に残されていたのは空っぽになっていた布団。

 布団の状態から見て、いなくなってからまだ10分は経ってないと思われるが、しかし碌に動けない体だった筈なのに、一体どこに?

 よしんばトイレであったとしても、まともに歩けるかも怪しかったのに。

 そんな風に呆然とする士郎の前に、タイミングを同じくして姉と慕う白髪長身の女性……アーチェが慌てた様子で居間へと飛び込んできた。

「士郎、切嗣はどこにいる!?」

「……いない、見ていない。俺が来た時には既にいなかった」

 内心狼狽えつつも、空の布団を指さしながらそう少年が告げると、アーチェは眉間の皺を険しくしながら、ぐしゃりと自身の前髪をかき混ぜる。悔やむような憤っているような、それでいて哀しそうな顔だった。

「シロねえ、何があったんだよ」

 切嗣がいなくなって心配しているのは自分も同じだ、そうその真っ直ぐな琥珀の色に載せて自分を見つめる少年を前に、その少年の別の可能性でもあった女はため息を一つつき、観念したように瓶に入った錠剤を見せる。

「シロねえ、これは……?」

「魔術薬だ」

 稀代の人形師から与えられたこの錠剤型魔術薬の効果を知っているのは、切嗣本人とアーチェ、それからイリヤ。それだけ。今まで士郎は知らされていなかった。

 だが今更伏せる意味は無い。

 何せ既に魔薬の数は減っていた。

「これは生命力(じゅみょう)を魔力に変換し、切嗣(じいさん)の時間操作の魔術と併用することによって、体を無理矢理全盛期の状態に戻す……そういう薬だ。次に使ったときは死ぬ、と言ったんだがな……どうやら使ったらしい」

「……え」

 言われた言葉が一瞬わからず、赤毛の少年は驚愕に眼を見開き、それから意味を飲み込んで、ざぁっと顔を青ざめさせる。

「待てよ、じゃあ……親父は」

 そのまま慌て急ぎ玄関へと走って行った。自分の予想が外れていて欲しいと願いながら。

 その後ろにアーチェもまたついていく。

 2人で向かうと玄関には切嗣の靴が無かった。

 その時点で、嫌な予感は的中したと悟らずにはいられなかった。

「士郎、オマエは此処にいろ」

 アーチェは険しい顔をしたまま、慎重な声で少年にそう促す。

「嫌だ」

 だが、其の言は聞き入れるわけにはいかない。

「言うことを聞け!」

「俺だって、親父が心配なんだ! 大人しくなんてしていられるかッ」

 どちらにせよこんな風に言い争っている時間すら惜しい。

 おそらく一刻の猶予もない。

 チッと舌打ちを一つ打って、言外に好きにしろと言わんばかりにアーチェは背を向け手早く靴を履く。 

 そうして競い合うようにアーチェと士郎は外へと出た。

 パスが切られたとはいえ、大体の場所の見当をつけて白髪長身の女は走る。

 その後を、足に強化をかけた士郎が続く。

 おそらくは、切嗣はこの先の公園にいる。

(早まるなよ、切嗣(じいさん)

 そうは思うが、本当はもうとっくの昔に理解している、判っている。

 たとえ其の先に何が待っていたとしても、それでも切嗣が助かる未来だけは存在してはいないと。

 それでも、祈らずにはいられなかった。

 何故かって、そんなもの決まっている。

 好きだからだ。

 きっと其の先に何が待っていたとしても、命があるなど有り得ないとわかっていながら、それでも無事を祈ってしまうのは、大切な家族だからに相違なかった。

 

 誰にでも平等に時は刻まれる。

 そうして、衛宮邸を出て5分とかからず辿り着いた公園で見たもの。

 それは、穴だらけのグチャグチャの肉塊となって死んでいる衛宮切嗣と、切嗣よりは状態はマシとはいえ、血まみれで左胸に大穴を明けて、壮絶な苦悶の顔で死んでいる、銀髪のピンクドレスの少女……そして、彼女の心臓をその右手に抱えた黄金の王の姿だった。

「ほぅ?」

 酷薄な美貌に口元に嘲るような、けれど鮮やかな笑みを浮かべて私服の黄金の王はやってきた赤と白の2人を視界に入れる。

 ぼろ屑のように死んでいる衛宮切嗣とレイリスフィールという名の少女と、それをやったであろう人外の美貌を誇る黄金の男。

 それを見て、理解したその時、衛宮士郎の中で何かの箍が外れた。

 男は圧倒的な存在だとか、敵わないなんてことは思考の外に弾き飛ばされていた。

 だって、そこで少女と折り重なるように倒れているのは、命無き骸となっているのは、父だ。

 大好きで大切な、憧れた人。

 衛宮切嗣。

 自分の第二の父。

 あまりの事に脳が沸騰してしまいそうだ。

 其の心が叫び続けている。

 アレを赦すな、と。

 父を、切嗣を殺したのはあいつだ、と。

 其の心のままに、ガギリと理性がブレーカーを落とす。

 魔術回路27本の正常稼働。

 鉄を流すように全てに火が入る。

 これより衛宮士郎は、人でないもの、魔術を扱うだけのモノとなる。

投影(トレース)―――開始(オン)ッ!」

 レイリスフィールの心臓を右手に抱えたまま、嘲笑いながらギルガメッシュはゴミ屑を見るような目で士郎を一瞥する。

「頭が高いぞ、贋作者(フェイカー)

 そして、王の財宝を解放し、いくつもの宝具の原点を無慈悲に放った。

 瞬時に投影した27の投影悉くが砕かれる、それでも尚士郎の暴走はとまらない。

「ぁあああアアアぁ~~~!!!」

 腕は抉れ、腹に穴が開き、足に宝具が突き刺さろうとも、その怒りは止まらない。

(よくも、よくも、ヨクモ!!)

 既に士郎は目の前の敵、それ以外は何も見えてなかった。

(ヨクモ親父を! 切嗣をっ!! ブッ殺シテヤル)

 熱く滾る脳は、目の前の黄金の王それ以外を映していなかった。

 その耳にも他のものは届かない。

 痛みすら思考の彼方だ。

 体は剣で出来ている、ならば痛みなど感じうる筈が無い。

 この身は一振りの剣であるのだから。

 衛宮士郎こそが剣であった。

 そのままに、あの敵をこの手で一矢報いんと、焼き切れそうな回路をひたすらに回しながら駆ける、駈ける、翔る。

「士郎、待て、士郎!」

 必死に静止の声を上げるアーチェの声も勿論届きやしない。

 宝具の雨もまた止まず、できうる限り投影魔術で相殺しながら、それでも相殺仕切れず次々に体に穴が空き、鮮血が早暁の公園へと舞い散りろうとも、その足を止めはしなかった。

 痛みなど、痛いという感覚など、その怒りが故に忘却の向こうへと消えていた。

 腹に開いた傷が、皮だけで繋がっていた腕が即座に再生していく。

 それは体内にアヴァロンを宿し、正規契約でセイバーとパスが繋がっているが故に起きている現象だが、破壊されては瞬時に再生される体のおかしさにすら気付かず、士郎はただひたすらに愚直な猛攻を続けた。

 そこには戦略も戦術もへったくれもない。

 ただ、目も眩むような怒りだけが少年を突き動かしていた。

 ただ、その身に宿る本能だけで戦っていた。

「士郎!」

 しかし、それでは駄目なのだと、こんな戦い方ではいけないとアーチェは……別世界のエミヤシロウたる彼女は知っていた。

 我らはアレの天敵ではあるけれど、怒りで我を失ってしまったなら意味がない。

 戦術も戦略も抜け落ちた力押しではアレには勝てない。

 それで勝てるほど安い男では無いのだ、古代メソポタミアの英雄王……ギルガメッシュという男は。

 だから、前に出る。

「……ァ」

 琥珀色の瞳に、漸く正気を取り戻してから見えたのは庇う背中。

 何年も見慣れた大きく細い背。

 バサリと拡がる白髪と褐色の肌。

 数多の宝具が自分を庇って飛び込んできたアーチェごと自分を貫き、そこで漸く士郎は我に返った。

「……漸、く、正気に戻ったか、戯けが」

 ぽたりぽたりと血が舞う。

(……シロねえ)

 硬直する士郎を前に、ザクリ、と回転する刃が背後から向かう。

 それは皮一枚だけを残して士郎の体を真っ二つに引き裂いた。

 グシャリと体が落ちた。

 ドクドクと血が流れる。

 もしもこれが普通の人間ならば致命傷であった。

 矢先、つまらなさうなゴミを見ていたような赤い目が何かに気付いたように、ピクリと公園から衛宮邸のほうへと視線を移す。

 既にギルガメッシュは自分が手を下した少年を見てなどいなかった。

「ほう? この気配はセイバーか。命拾いしたな、贋作者(フェイカー)

 そう散歩でもするような気軽さでそんな言葉を残して、もう用は済んだとばかりに心臓(せいはい)を手に抱えた黄金の王は去っていく。

 ヨロヨロと、宝具をいくつも身に受けたアーチェが士郎の傍に歩み寄る。

 よく見ると酷い有様で、腹には槍が、胸部と右腕には剣が突き刺さったままだというのに、アーチェは厳しくも心配げな様子で士郎を見ていた。

 そんな義姉の様子にズキリと胸が痛む。

 何か声をかけようと思うのに、口からは血がこぼれるばかりで喋れない。

 そもそもなんで自分が生きているのかわからないまま、そんな顔するなよと士郎は思う。

 暴走した自分が悪い事くらい、きちんと自覚していた。

「マスター、シロ、ご無事ですか!?」

 ギルガメッシュが去ったのと入れ替わるようなタイミングでセイバーはやってきた。

 おそらくはパスを通じて士郎の危機を感じ取り駆けてきたのだろう。

 甲冑姿のセイバーを見るのは召喚以来かもしれなかった。

 案じるような碧い瞳をした彼女に、自身も血まみれのまま安心させるよう冷静な口調でアーチェが告げる。

「大丈夫だ、アヴァロンは正常稼動している」

 自身も口元から血を流しながら、そんな言葉を口にする義姉に、士郎はどうしてあんたはこんな時まで他の人間を案じているんだ、と思う。

(酷い怪我を負っているのはアンタも同じだろ)

 その間もセイバーは急ぎ士郎に駆け寄り、そっとその体を抱き上げた。

 そして赤毛の少年も漸く気付いた。

 こうしている間も、自分の体がどんどん治っていってるという事に。

 先ほどまで頭に血が昇っていて気付いていなかったが、一体これはどうなっているんだ? アヴァロンってなんだ? とそう思いつつも、漸く喋れるくらいは回復したと判断した自分の口から出たのはそんな疑問の言葉ではなかった。

「セイ、バー……俺はいいから、シロねえを」

 診てやってくれ。

 その言葉にはっとしたように剣使い(セイバー)クラスとして召喚された英霊の少女が、白髪褐色肌の女のほうに振り向く。

 真っ二つに割れた士郎ほどではないが、それでも酷い怪我だった。

 普通の人間ならとてもじゃないが、まともに動くことは出来なかっただろう。

 黒い服は血まみれでぐっしょりと濡れて肌に張り付いているし、髪が白いからこそこびりついた赤い血は目立った。

 腹に刺さった槍は貫通しており、下手に抜けば出血多量で死んでもおかしくなかっただろう、これが一般人ならば。

 そして、あることにセイバーは気付く。

「貴女は……貴女はやはり……」

 自身の存在を誤認させるという効果を持つ、アーチェの右手小指につけていた礼装である指輪は砕け散っていた。

 だが、受肉と弱体化が付加されているがゆえにわかりづらくはあっても、これほど近くに居てわからぬはずがあろうか。

 元よりセイバーはもしやと疑っていた。

 そう彼女は……衛宮・S・アーチェーと名乗る彼女はサーヴァントなのではないのかと。

 そしてその予測は当たっていた。

 セイバーが気付いたことを理解したのだろう、観念したようにアーチェは言う。

「おそらくは君の想像通りだよ、私は」

 そうして遠回しに正体を肯定しながら、続いて自身の体の状態について告白する。

「……霊核に皹が入っている。今は受肉している上に元より現界に融通のきくアーチャークラスとはいえ、おそらく保って一日といったところだろうな」

 そんなことをなんでもないかのように、よく通る女の低音で淡々と他人事のように説明した。

 その明日の天気の話をするかのような態度とその言葉を聞いて、カッと、セイバーが怒りに声を荒げる。

「貴女は……ッ!」

 言いたいことが沢山あった。

 想いがいくつも込み上げて胸が詰まる。

 そしてそんな態度の彼女が哀しくて、悔しくて、また自分がふがいなくてしかたなかった。

 ぐちゃぐちゃの感情を抱いている金紗髪の少女を前に、やはり冷静な態度を崩すことなく、アーチェは言う。

「詳しい話はあとにしよう。セイバー。今はここを後にしたほうがいい。それに……爺さんをこのままにしてはおけないからな」

 そうして彼女の見つめる先には穴だらけの切嗣の死体と、レイリスフィールの死体が仲良く転がっていた。

 そこに命の残滓は欠片も残されていなかった。

 

 

  NEXT?

 



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42.生贄

ばんははろEKAWARIです。
今回は久しぶりの言峰回です。他にあの人も出てきます。
次回「集結」。


 

 

 ……望みは答えを出せるものの誕生。

 たとえ世界の誰に悪と言われ其の誕生を忌まれたとしても、生まれたいと願うそれがこの世に降臨するのを私だけは祝福しよう。

 その為だけに10年を永らえたといっても過言ではないのだから。

 ……長かった。

 嗚呼、長い時を待っていた。

 自分の本質から目を背け続けて、父のようにあらんとしながらも、妻とした女の苦しむ姿に悦びを覚えずにいられなかったこの悪逆なる本質。

 愛せないと告げれば、貴方は自分を愛していると女は答えた。

 それを証明するためだけに女は命を絶った。

 その死に苦しみながらも私は悦び、そんなものが愛である筈がないと自身を否定し、幼かった娘からも目をそらし、教会に預けた。

 父が説く正しき善行に喜びを覚えることは出来ず、悪行と自他問わぬ苦痛の有様にしか快を得られないこの本質。

 それでも女に目の前で死なれたのは堪えたのだ。

 何のために生き、何のために死ぬのか。

 父を殺し、師を殺し、それを確かに望んでいたのだと、求めていた悦びなのだと理解して尚苦しみ、その苦しみにすら悦ぶ畜生以下の外道そのもののこの本質。

 嗚呼、後悔は別にしていない。

 もう私は自分の本質からは目を逸らしたりもしない。

 結局、それら全てが言峰綺礼という人間なのだから。

 私は私だ、私以外にはなれない。

 それでも、神よ貴方に問おう。

 それでも、この世全ての悪(アンリマユ)よ、オマエの誕生を祝福しよう。

 ……悲願の成就は近い。

 

 

 

 

 

  生贄

 

 

 衛宮の家から一端離れることにしたのは昨晩のことだ。

 何かあれば連絡をとアーチェに言い残し、確保しておいた空き家で仮眠をとっていた久宇舞弥は、傭兵ならではの俊敏さでその変異に気付き、即座に飛び起きた。

「……!」

 舞弥の指には魔術的な措置が施されている。

 それは切嗣が死に瀕している、あるいは死んでいる時にはその危機を知らせるといったもので、ずっと死の淵をさ迷い続けている上に魔術回路の八割が使い物にならなくなっていることを考慮し、以前よりもその「死に瀕している」の範囲を狭めてある。

 即ち、これが報せを運んだ時点で間違いなく切嗣は死んでいるとさえ言える。

 それでも、昨晩別れる前に眠っている切嗣に取り付けた発信機を頼りに、彼の臨終の地に向かって駆けてしまうのは、つまるところどれほど切嗣から離れたようであっても、彼女は結局は自分は切嗣の一部だという意識が強いからに他ならない。

 そしてそのことを悪いことだとも思えなかった。

「切嗣……ッ」

 彼女にとって衛宮切嗣は自分の存在理由の全てだと思っている。

 彼を思って離れる選択肢をした今もそれは変わらない。

 この命は切嗣に拾われ、この名前は切嗣に与えられたものだ。

 切嗣がいなければそもそも自分はとっくの昔に死んでいたし、世界を知ることもなかった。

 自分に全てを与えてくれたのは切嗣だった。

 だから誰に何を言われようと、舞弥の全ては切嗣のものだ。

 この10年自分は切嗣から離れ、自由に生きていたように見えるだろう。

 だが、それは違う。

 結局のところ彼女がその道を選んだのは、切嗣自身が舞弥にやりたいことがあるなら果たすことを望んでいたからであり、彼女が自分を思って離れるのを許容したからだ。

 なんだかんだといいつつ、切嗣の元が舞弥の帰る場所であり、切嗣は自分を必要だと己が一部だと思ってくれていたことを知っていたからこそ、舞弥は世界に出れたのだ。

 彼女にとって切嗣の肯定は必要なものであり、切嗣という拠り所がなければ、世界という巨大すぎるものを相手に彼女は途方にくれるしかなかった。

 彼にとって自分がそうであったように、舞弥にとっての切嗣もまた、自身を構成する一部であったのだ。

 その切嗣が死に瀕している、否死んでいるというのに、一体どうして冷静でいられようか。

 そうしておそらくは臨終の地であろう小さな公園に向かって駆けた。

 その眼前に男は現れた。

「ほう?」

 ゾワリ。

 背筋に悪寒が走る。

 くつりと笑うのは金髪に抜けるような白い肌をした、人間離れした美貌の男。

 蛇のように細められた人外の赤い目は、そこらの有象無象など路傍の石程度にしか見ていない。

 ソレを見た瞬間、反射的に舞弥は銃を抜き構えていた。

「よせ、そのような玩具ではこの(オレ)に傷一つつけることはかなわぬ」

 くつくつと笑うその男の手には、誰かの心臓が握られている。

 血も鮮やかなソレはついさっき抜き取られたばかりだと語らんばかりだった。

 優秀な兵士である女は、非日常の象徴ともいうべきそんなものを見ても動じはしないが、だが先ほどから警戒のアラートがガンガンと警鐘を鳴らしている。

 ガンガンと鳴り止むことの無いそれに、自分は危機に瀕していると自覚する。

「しかし、丁度良い。見たところ、貴様、魔術師の端くれではないか」

 その笑みに、反射的に舞弥は手の中のグロックを放っていた。

 だがそんなもの当たろう筈がなかったのだ、何せこの男は人間では無いのだから。

 舞弥の敗因は相手が悪すぎた事だと言える。

 放たれた銃弾を気にするでも無く、息もつかせぬ速さで男は接近する。

 そして、舞弥の腹を膝で打ち込み、「聖杯となれるのだ、光栄に思えよ、女」そう口にして、その腹部にレイリスフィールの心臓をぶち込んだ。

「ァ……!? が、は……ァア」

 舞弥の体の一部が膨張しだす。

 それを気にとめるでもなく、男は……太古の英雄王ギルガメッシュは、自身が聖杯の贄に選んだ女の頭部を掴み、引きずり去っていった。

 

 その頃、言峰綺礼は円蔵山に仕掛けられていたトラップの解除に明け暮れていた。

 それは衛宮切嗣が前々から保険として仕掛けていたもので、切嗣の死を合図に大聖杯が設置されている洞窟が崩れるように設定されていたものだった。

 言峰綺礼がこのトラップに気付いたのは昨夜のことだ。

 それ以前からも、衛宮切嗣の動向から色々とここに仕掛けてあるのは知っていたが、気付いた罠に関しては先日までの間に色々と処理が出来ていた。

 その中でも一番厄介だろう今回のトラップに発動前に気付くことが出来、そしてなんとか排除することが叶ったのは何よりの僥倖だろう。

 そう思う心とは裏腹に、僅かな失望と落胆もまた感じていた。

 結局のところ、衛宮切嗣が自分を求めて戦いに来ることは一度もなかったのだ。

 強いて言うならば、あの最終決戦の時、数多の罠を張り巡らせて自分を待ち伏せしてたあの時だけだろうか。

(……アレを天敵だとそう思っていたのは私だけだったのか)

 かつて自分はアレの存在に希望を見いだした。

 その軌跡を知り、己を痛めつけるような在り方に、きっと自分と同類なのだろうと思ったからだ。

 それでいて、戦いから突如手を引いたその経歴に、自分が見いだせなかったなんらかの答えを得たのでは無いかと期待したからだ。

 言峰綺礼にとって衛宮切嗣はとても目が離せない存在だった。

 そして奴に希望を見いだしていた分だけ、落胆もまた大きかったといえる。

 なんてことはない。

 奴は同類などではなかったのだから。

 自分は父が説くように真っ当に妻を愛したかったのに、それが出来なかった。

 苦しむ女の姿に喜悦を感じてしまうこの邪悪な本質。

 こんなものは愛では無いと、潔癖だった自分は心の中で何度も叫び苦しみ、自分の本質から目を逸らして見ないフリをした。

 嗚呼、そうだ、言峰綺礼は、自分は真っ当にあの女を……父を愛したかったのだ。

 こんな歪んだ愉悦ではなく、人々の営みにこそ正しき道でこそ満たされたかった。

 だからこそ、衛宮切嗣の本質を知ったときに憎たらしいと思ったのだ。

 衛宮切嗣は当たり前の幸福を幸福として感じられる人間だ。

 妻を子を前に、当たり前の愛を注げる人間だ。

 自分が欲しかったものを、綺礼が求めて止まなかったものを持っているのにも関わらず、なのに自分の心と切り離して捨てることが出来る人間、それが衛宮切嗣だった。

 ふざけるな、と思った。

 赦せないと思ったのだ。

 恒久的世界平和だの正義だの、そんな下らない子供の妄想をお題目に掲げ、自分が求めて止まなかったものをドブに捨てるようなその在り方がとんでもなく不快だった。

 憎くて羨ましくて不快で仕方無かった。

 そして衛宮切嗣への憎悪という形で、皮肉にもその胸に抱え続けてきた空虚が埋められたのも事実だった。

 だから言峰綺礼は衛宮切嗣が(いとし)くてたまらなかった。

 奴と敵として見え、殺し合う事を望んでいた。

 なのに……結局奴は自分を見ることは無かった。

 決着をつけたいと望んでいたのは結局自分だけだったのかと、そう思えば歯軋りしたいほどに悔しい。

 確かに奴は半死人だった。

 殺す価値さえない存在にヤツは存在を堕した。

 けれど、それでもヤツは衛宮切嗣なのだ。

 なのに、最期の最期、死ぬ時でさえ自分を意識することはなかったのだろう、会いに来ようとさえしなかったということが悔しくてならなかった。

 意識していたのは自分だけなのかと思えば、虚しささえ覚える。

 もしかしたら、決着をつけれるのではと思ったこちらの気持ちを置き去りに、1人どこぞで死んだ男が腹立たしくてならなかった。

「まあ、いいさ。貴様がそういうつもりなら、私は最期に貴様が大切にしていたものを全て壊そう」

 自分に言い聞かせるようにそう呟いた。

 思えばつい先ほど男の最期の仕掛けも解除してやったのだ。

 ならば、切嗣の死は無駄死にということになる。

 無様な死だろう、それはヤツにふさわしいのだと、そう言い聞かそうとはしたが、それでも喉の奥に小骨が残っているようなしこりを言峰綺礼に与えた。

 そんな風に苦虫を嚙み潰した顔をしている黒い男の元に、金髪に赤い目の男がかつかつと近寄る。

 そして嘲るような声で言う。

「ふん、まるで失恋でもしたかのような顔ではないか、言峰」

「ギルガメッシュ」

 酷く不快な例えを受けて、言峰綺礼は眉間の皺を深めながら、そのサーヴァントの名前を呼ぶ。

 けれど、そんな神父たる男の心の揺れ自体が愉快なのか、ギルガメッシュの口角がニィッと上がる。

「悦べよ、貴様の見たかった終焉はすぐそこだ」

 そうクツクツと笑いながらいうこの男を言峰綺礼は信用していなかった。

 思えばこの男が姿すら見せず現れた時から始まったのだ。

 全てが。

 きっとあの男の囁きがなければ、自分はあの時父を殺す選択を選ぶこともなかっただろう。

 父殺しも、師殺しも別段後悔はしていない。

 だが……。

「ギルガメッシュ、貴様は」

 何者だ、と問う言葉を噤んで、言峰は飲み込んだ。

 そんなことを聞いて一体どうするのか。

 この男はサーヴァントだ。

 それだけわかっていたら十分ではないか。

 信頼も信用も無く、されど間違いなく男は共犯者だった。

 

 夜が明ける。

 そうして土蔵に差し込まれる光の下でイリヤスフィールは目覚めた。

 赤い目を瞬かせながら、ゆっくりと体を起こす。

 さらり、長い白銀の髪が肩から滑り落ちた。

 ……体がダルくて、重い。

 こうやって上半身を起こすことさえ中々に一仕事で億劫だ。

 まだ魔力は戻りきっていないし、怪我もまた表面が漸く治ったところであり完全回復とは呼べない。

 それでも起きれないほどではない。

 億劫ながらもゆっくりとイリヤは魔方陣から体を起こし、立ち上がる。

 体のあちこちが引き攣っている。

 魔力不足の体はフラフラとした。

 それから己が手に視線を落とす。

(嗚呼)

 ぽっかりとした喪失感。それではっきり自覚する。ランサーは脱落したのだと。

 この体のどこにもあの英雄とのパスは通っていなかった。

 その事に忸怩たる思いはある。

 己の力不足を実感するが、悔やんだところで時間は戻りはしない。

 と、ここまでつらつらと考えてから我が家の異変に気付いた。

 そういえば先ほどからやけに静かだ。

 シロの料理をする音や匂いもしないし、士郎の性格なら真っ先に自分の状態を確認しに来てもおかしくないのに。

 広い家ではあるし、まだ夜明けとはいえこれは……。

 そう思った矢先だった。

 誰かが家に来たようだと、家にかけてある術式から判断する。

 知らない気配だ……となるとこれは家族ではない。

 そのことに警戒心が増した。

 矢先、ドンドンと扉を叩く音。

 それにどうやら周囲に憚るつもりがないことを理解し、仕方なく億劫な体に鞭を入れて、淑女らしいシャンとした足取りで扉の前に向かう。

 一応警戒しつつ、そっと扉を開けた。

 そこには紅い髪をした、男物のスーツに身を包んだ男装の麗人が立っていた。

「誰、こんな時間に訪問だなんて、非常識でなくて?」

 イリヤがそんな風に批判するように言うと、その紅髪の女性は動じるでもなく実に堂々とした態度で自己紹介を始めた。

「失礼。私は魔術協会の封印指定執行者バゼット・フラガ・マクレミッツです。此処は魔術師殺しの衛宮切嗣の邸宅で間違いありませんか? ミス衛宮」

 誰に憚ることもなく、彼女はそんなことを口にした。

 

 

 

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43.集結

ばんははろEKAWARIです。
もうすぐ最終回なのでラストスパートですが、次回の話に挿絵つけられたら良いなとか思っています。
ぶっちゃけ次回は「うっかり女エミヤさんの聖杯戦争」って話し構想した時からメッチャ描きたかったシーンなんよなあ。次回予告イラストでも描いたシーンだけど、ネタバレ防止の為にあっちは一部暈かしているしナ~。
というわけで次回「最後の夜」!


 

 

 ……正直な話をするならば、このような形で再びその地を踏むことになろうとは思っていなかった。

 自分の実力を証明するんだとそんな青い想いを胸に携えて、彼の地に辿り着いた日の事はよく覚えている。

 ここから全ては始まるんだと……それは正しくもあり間違ってもいた。

 師の用意した触媒を盗み出し、呼び出したのは破天荒な征服王……騎兵(ライダー)イスカンダル。

 そこから過ごした日々はキラキラと今でも私の胸の中に大切にしまい込まれている。

 きっとあの2週間ほど濃密で宝のような時間はなかっただろう。

 私の……ボクの王。

 私は貴方に恥じぬように在れているだろうか?

 あの日々を思い出せばジクリと疼くような想いがある。

 ただ、約束を胸に私は今一度彼の地へと向かおう。

 日本へと。

 ……大聖杯を解体する為に。

 

 

 

 

 

  集結

 

 

 チチっと鳥たちが囀り、空からは赤みが抜けている。

 全ての感情を置き去りにするかのように、血生臭いこの現場から目を逸らせば、この国は相変わらずとても平和に見える。

 誰も知らないのだ。

 ここで起きた惨劇も何もかも。

 あれから、日が昇って半刻ほどの時が経過した。

 つまりはギルガメッシュがその地を去ってからも同じだけの時間が経っているということだ。

 その黄金の王により酷く損壊された二人の人間の肉体は、つなぎ合わせたところで元の人間になるわけではない。けれどそのままにしておくことなども出来ず、セイバーはそれらをかき集めて、衛宮の家へと持ち帰ることにした。

 くるりと後ろを振り返る。

 ギルガメッシュに手ひどくやられたアーチェと士郎の二人だったが、赤毛の少年の傷は痛みは残っているにしても、セイバーと正規の契約を交わしていた関係上ほぼ完治していた。

 からくりを知れば当然と言えば当然である。

 かつて切嗣によって衛宮士郎の肉体に埋め込まれた宝具全て遠き理想郷(アヴァロン)は、持ち主に強力な治癒効果をもたらす。

 そして正式な持ち主とは剣士(セイバー)クラスとして召喚されたサーヴァントであるアルトリア・ペンドラゴンだ。

 士郎は正式なセイバーのマスターであり、契約で繋がっている。

 パスを通してセイバーの魔力が流れ込めば、元々は彼女の宝具だ、アヴァロンは魔法と見紛うほどの強力な治癒効果を発揮するだろう。

 それが皮一つで繋がったほぼ真っ二つ状態から士郎が復活できた絡繰りだ。

 たとえ心臓を破壊されたとしても、即死さえしていなければこの宝具はセイバーの魔力ある限り持ち主を癒やすであろう。

 だから士郎の傷に関して言えば何も心配は要らないのだ。

 アーチェの傷にしても、残っているし治りきるものではないが……動けないほどではないと言ったのは先ほどセイバーをあしらったアーチェ自身の言葉だ。

 それは嘘ではないのだろう。

 実際問題としてアーチェの傷の治りは、実は受肉したサーヴァントであった事を差し引いても早いほうだ。

 何故かといえば、生前彼女が彼であった頃も、その体内には全て遠き理想郷(アヴァロン)があり、これによって起源が『剣』となるほどに馴染み一体化していたものだ。

 ……最も本来の持ち主であるセイバーがいなくば奇跡のような治癒力が発揮されることはなく、体内に存在しているだけでは、ちょっと傷の治りが早くなる程度の力しか無かったのだが。

 まあそれらの経緯もあり、本来の鞘の持ち主であるセイバーに負わされた傷でない限り、アーチェは傷の治りは常人よりも早いほうといえる。

 ……其の分彼女(セイバー)に傷を負わされた場合、治りの遅さも折り紙付きになってしまうのだろうが、ここでは関係がないのでそれは置いておく。

 故に、服の一部を破り傷口に強く巻き付けておけば、そこまで時間をかけずに血は止まった。

 ……まあ、罅の入った霊核に関してはどうしようもないのだが。

 どちらにせよ、士郎とアーチェ2人で互いに協力すれば時間はかかれど、家に帰るくらいなら問題はなさそうな様子であった。

「先に行きます。シロも、マスターも、無理はしないように」

 そう声をかけ、セイバーはアーチェが投影した布を使って遺体を運び出す。

 その背負った肉塊の軽さに、少しやるせないものを感じる。

 男の死体の頭部は半分抉れ、どろりと脳みそをゼリーのように散らした死に顔で、そりゃもう惨い有様であったが、その口元は口角が上がり、半分だけ潰れずにいたその顔に苦悶は見当たらず、どことなく満足そうな窶れた顔であった。

 そこにかつて自分を召喚し、ついには最後まで理解出来ずに終わった男の面影は最早無い。

 けれど、たとえどんなに理解が出来なかった男であったとはいえ、それでも決してセイバーは衛宮切嗣という男を嫌っていたわけではないのだ。

 かつてはこの男の思想を知り、哀れにすら思ったくらいだ。

 あの時、アルトリアがセイバーとして参戦した第四次聖杯戦争では、聖杯を取るべきはこの男ではないかと思ったものだ。

 理想を追う哀れな男だった。

 理解に苦しむ面も多かったが、それでも根底にある祈りは自分と一緒であり、同胞であると思っていたのだ。

 最後に令呪の強制でもって、聖杯を破壊させられるという形の裏切りを受けたからこそ、どういう人間なのかついにはわからなくなってしまった男でもあった。

 だから結局は冷酷で機械のような男であったのだと結論付けたのだ。

 どこかで信じたいとも思いながらも。

 そして、今この胸にはあの時も抱いた憐憫が沸々と湧いていた。

 冬木への三度目の召喚にして、初めてアルトリアは衛宮切嗣とはどういう男であるのか答えが出たような気がした。

 尚、今彼女が抱えている布の中に包まっている死体は衛宮切嗣のものだけではない。

 この中にはレイリスフィールという少女の遺体も入っている。

 敵の少女であったことは聞いている。

 今代のアインツベルンのマスターであり、イリヤスフィールが重症を負ったのも彼女にやられたのだと。

 まあ、敵同士であったのだからセイバーにしてみればそのことについて何も言うつもりはないが、それでも無残にうち捨てられた少女の死体をそのまま見過ごせるほど、セイバーは非人間のつもりもなかった。

 苦悶に塗れた壮絶な死に顔ならば尚更である。

 例え生前は敵であろうが、死者は悼まれるべきだろう。

 そして衛宮の家につき、それに気付いた。

「……! 誰だッ」

 ばっと、知らぬ気配を前に警戒にセイバーは剣を構える。

 そこにいたのは男物のスーツに身を包んだ長身の紅い髪をした魔術師(メイガス)だ。

 感じ取れる気配と直感スキルが目の前の相手はかなりのやり手と告げている。

 そんな警戒するセイバーに向かって、慌てるように親しんだ少女の声が届いた。

「セイバー、まって。バゼットは敵じゃないわ」

 そういって顔を出したのは衛宮切嗣とアイリスフィールの娘、イリヤスフィールだ。

 彼女は本調子でない様子などおくびにも出さず、しっかりした足取りで真っ直ぐにセイバーを見つめている。

 イリヤはしっかり者だ。

 彼女がそういうのなら、この紅髪男装の魔術師は本当に敵ではないのだろう。

 故に警戒は完全に解いたわけではないながらも、ゆっくりとセイバーは剣を下におろす。

「イリヤスフィール? 目が覚めたのですか」

「そうよ。詳しい話は皆揃ってからするわ。ところで、シロと士郎はどこ?」

 その言葉に罪悪感が募った。

 結局自分が駆けつけた時には全て終わった後だった。

 この家で1人眠っていたイリヤは未だに父である衛宮切嗣が死んだことも、アーチェと士郎が重症をおったことも知らずにいた。

 ……シロが現世に留まれるのはおそらくあと一日が限度だろうことも。

「2人は……もうすぐ着くはずです。こちらも、皆揃ってから、それから話します」

 

 そしてセイバーが帰還してから遅れて5分後に士郎とアーチェもまた帰ってきた。

「士郎!? シロ!?」

「イリヤ、目が覚めたのか。ただいま」

 赤毛の少年は今でこそ傷は残っていないが、満身創痍だった事を伺わせるほどにその服はズタボロで血の染みがあちこちにあったし、白髪長身の女に至っては、血が止まったのはわかってても深手を負ったのは明白だ。

 イリヤはそんな二人を見て、胸をきゅっと締め付けられるような想いを抱えながら、それでも気丈に赤い瞳に強い力を込めて、「何があったのか全部話しなさい。隠し事なんてしたら赦さないから」とそう告げ、共に衛宮邸の居間へと歩を進めた。

 そこで、一端全員にアーチェによりお茶が配られ、一息ついたところで切嗣の死とレイリスフィールの死を手短に纏め、語られた。

「ちょっと待って、セイバーその時貴女何してたのよ。呆れたわ、最優のサーヴァントの名が泣くわね」

「……否定は出来ません」

 話された内容に驚きつつも、イリヤは珍しくもセイバーを詰るように睨め付けながら、そんな皮肉を投げかけた。

 そしてセイバーもそれを甘受したが、そのやりとりに待ったをかけたのは士郎だった。

「まて、イリヤ、悪いのは俺だ。セイバーは何も悪くない」

「でも……」

「ごめんな、イリヤ、心配かけてごめん。親父を守れなくてごめん。セイバー、ふがいないマスターでごめん。シロねえから話は聞いた。俺が助かったのはセイバーと契約していたからなんだって。悪かった、本当に感謝している」

 そんな風に頭を下げながら二人の少女に告げる士郎であったが、彼の体は傷こそ塞がったがフラフラしていた。まあ、然もありなん。傷は塞がっても失った血の量まではどうしようもない。

 それを見て取った周囲はこのままじゃ話し合いどころではないと、8時間ほどの休息と休養をとるという合意で話は進んだ。

 それらを見送ってから、気絶するように士郎は眠りに落ちた。

 しかし、同じく重症を負ったアーチェはといえば、あと一日が自分の限度と口にしながらも、それでも何事もないかのように淡々と、怪我をしているなどおくびにも出さない態度でバゼットと話し、接していた。

 寧ろそのことに、バゼットのほうが動揺していたくらいだ。

 されど、あまりに普通の態度だったので、初期の目的どおりというべきか、この家には自分の宝具がないかを尋ねることが主目的だったこともなんとか告げることが出来、アーチェは「確かに保管している、少し待っていろ」と声をかけ、奥の部屋からバゼットの奥の手ともいうべきそれ斬り抉る戦神の剣(フラガラック)を返却した。

 ……正直自分で尋ねておいてなんだが、バゼットはここまであっさりと自分の宝具を返して貰えると思っていなかったので、少し呆けた様子で差し出された褐色の女の手元を見る。

 そんな彼女に対して、アーチェは苦笑しながら告げた。

「盗んだつもりはないさ。あの場に放置しておくにはあまりに危険だとそう思ったから、回収していただけだよ。元より君のものだ。君が望むというなら返そう」

 こうしてバゼットはフラガラックを取り戻した。

 

 

 * * *

 

 

 ロンドンが誇る名物教師ロード・エルメロイ二世が所用により東の島国……日本(ジャパン)に向かうという報を受けて、時計台では極一部でにわか騒ぎになっていた。

導師(マスター)、どうしても行かれるですか」

 自分の生徒達数人に囲まれ、苛立ち混じりに顔をしかめながらむっつりとしている長身長髪のその男……ロード・エルメロイ二世と呼ばれている時計台の講師、本名ウェイバー・ベルベットは、憮然とした様子ながらも是の返事をする。

 男は既に旅支度を整えており、トレンドマークの赤いコートをきっちり纏った様は、止めても無駄だといわんばかりだった。多分今回の件で、この男もまた協会で苦しい立場に立たされるのでは無いかというのは、生徒達全員の見解だ。

 だがしかし、生徒達は揃って顔を合わせるとこくりと頷く。

導師(マスター)、私たちはマスターがどういう道を選んでも味方します」

「自分が思うようにやってください」

 と、そんな風に恩師に安心させるような声をかけた。

 実際彼らは実家にどやされようと、この恩師の味方をすると決めている。

 そんな己の生徒らの声を聞いて、ようやっと男ウェイバーは加えタバコの火を消しながら「全く馬鹿どもが。お前たちなどに心配されるなど私も終わりだな……ふん、貴様達に心配されんでもすぐに帰るさ。行って来る」なんて皮肉じみた言葉を口にしてから空港に向かった。

 日本行きの切符を手にして。

 おそらく己が冬木に着いた時には全て終わっているのだろう。

 いや、もう終わってたとしてもおかしくはない。

 それでもその脳裏には一人の女の姿がちらつく。

 白髪に褐色の肌をした鋼色の瞳の女だ。

(約束をしたからな……最善は尽くすさ)

 ライダーが言ってたような感情を自分が彼女に抱いていたのかまではわからない。

 抱いてたとしても、もう10年も前のことだ、今の自分には関係がないことだ。

 それでも、自分の立場だからこそ出来ることもある。

 きっともう会えることは無い。

 第五次聖杯戦争が始まる前に彼女が会いに来た、あれが最後だ。

 でも、それでも力になると決めたし、冬木の聖杯戦争には自分も因縁はある。

 だから、ウェイバーは……ロード・エルメロイ二世は今旅立つ。

 日本へと、その因縁の地に向けて。

 

 

 * * *

 

 

 冬の空に赤みが差し始める。

 夕刻となった、夜までまもなくだ。

「さて、揃っているな」

 アーチェ、士郎、イリヤ、セイバーに、そしてバゼット。全員揃ったのを見届けながら、白髪長身の女が口火を切る。

 そしてお互いに何があったのか、それぞれ一人ずつ互いの状況を報告し話を進め、話が纏まったことを確認すると、至極冷静な物腰でアーチェはある事を告げた。

「舞弥と連絡がとれなくなった」

 その言葉に、メンバーは不安と驚愕に顔を曇らせる。

 舞弥は優秀な兵士だ、それは全員の共通認識である。

 だが、どれほどに優秀であろうと敵わないものがいる。

 それはサーヴァントだ。

 彼女を脅かせる存在がいるとしたらそれはその存在に相違ない。

 バゼット以外の脳裏に浮かぶのは黄金の王の姿だ。

 そしてそれは間違いでは無い。

「ギルガメッシュはレイリスフィールの心臓……つまりは小聖杯を持ち去った。そしてあれには生きている魔術師の魔術回路が必要となる。凛のほうには変化はない。となると、舞弥が犠牲になっている可能性が高い」

 どちらにせよ、向こうもこちらも今夜中に決着をつけるしかない。

 それを前提として話は進む。

「私は、綺礼を……あの代行者をこの手で斃します。私が愚かだったばかりに犠牲になったランサーのためにも、この手で決着をつけなくてはなりません」

 そう紅髪の男装の麗人は……バゼットは決意を込めて、なくした左手を握り締めながら言う。

 かくて、最終決戦の割り振りは、対神父戦にバゼット、可能ならば舞弥の救出にはイリヤ、大聖杯の破壊にはセイバー、ギルガメッシュとの対決にはアーチェと士郎が向かうことになった。

 それに、セイバーはとくに驚きの声を上げる。

「アーチャーと戦うと!? シロ、貴女は何を言ってるのですか!?」

 セイバーにしてみればアーチェの発言は正気の沙汰とは思えない。

 あの黄金の王にやられ2人が重症を追ったのは今朝のことだ。

 それを踏まえながら……それを踏まえなくとも、消えかけの弱体化したサーヴァント一騎と生身の人間で彼の英雄王を相手取るなどと妄言にしか聞こえなかったわけだが、そう声を荒げるセイバーに向かって、落ち着いた声音でアーチェはいう。

「セイバー、大丈夫だ。何、今度は負けんよ」

 それがあまりに静かな声と柔らかな表情だったから、セイバーは何も言えなくなった。

「決行は今夜だ。各自、英気を蓄えておくように。士郎、あとで私の部屋に来い。大事な話がある」

 そう酷く落ち着いた調子で白髪褐色肌の女は告げた。

 

 

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44.最後の夜

ばんははろEKAWARIです。
うっかり女エミヤさんの聖杯戦争第五次聖杯戦争編……別名をシロねえルートというわけですが、今回はまさにその別名通りの回となっています。
第五次聖杯戦争編02話で既に伏線仕込んでたし、いやあ伏線回収まで長かったなあ。
次回「さよなら」!


 

 

 ……確信はないけれど予感はあった。

 いつかこんな日が来るのだろうと。

 長かったのか短かったのかは自分でもわからない。

 どちらも正解で同時に間違っている。

 だが、きっと私の10年はこの日のためにあったのだろう。

 ……色んな事があった。

 まさか、一度死した身ながら、こんな穏やかな日々を送ることになるとは思わなかった。

 自分と同じで別の存在に安堵することになるとも思っていなかった。

 きっとこいつは自分と同じ道は辿らない。

 自分と同じで違う存在にそう思えたことがどれだけ救いだったか。

 未練は無い。

 絶望も無い。

 希望はある。

 託せるものがあるというのは、きっとそれだけで幸せなのだ。

 きっとこの先に困難も多くあることだろう。

 道は必ずしも平坦では無く、苦悩に苛まされる夜もいくらでもあるだろう。

 だがきっとオマエが折れることはないし、お前は一人でも無い。

 きっとこの先も彼女はずっとオマエと共にいることだろう。

 それがどれだけ幸福なことか。

 嗚呼、そうさ、私は何も心配はしていない。

 例え、どんなに敵が巨大であろうと、そんなものでは衛宮士郎は折れる事は無い。

 そう知っているから、だから大丈夫だ。

 なあ、士郎。

 (オレ)と同じで全く別の存在。

 お前はこれから多くの人の心を救う事だろう。

 だからその餞に、私はオレの全てを託そう。

 

 

 

 

 

  最後の夜

 

 衛宮士郎は酷く緊張した調子で、姉として10年暮らした彼女の部屋の前へと立っていた。

「どうした? さっさと入ってこい」

 士郎の気配に気付いていたからだろう。

 何でもないような調子で淡々とアーチェはそう士郎に言葉を放った。

 それに少しだけ眉を寄せて、唇をぐっと噛みしめてから覚悟を決めたように赤毛の少年は彼女の部屋へと入室する。

 その部屋は持ち主の気性を現しているかのように女性らしさは欠片も見えず、士郎の部屋と大差ないほど生活感がなく素っ気なく、余分なものが一切無くきっちりと整理整頓が行き届いた部屋で、殺風景でさえあるが、寂しい感じはしても冷たい感じはしない。

 だが、明日いなくなっても不思議じゃ無いそんな雰囲気があった……本人がそうであるように。

 アーチェに当然のように座布団を出され、その上に座りながら士郎は10年姉と親しんだその人の顔を見上げる。

 無機質な白い髪に、褐色の肌、鋼色の瞳。

 顔はやや童顔で美人と言うよりどちらかというと可愛い感じの顔立ちをしているのだが、眉間に皺を寄せていることも多いし、凜々しめの上がり眉に、きゅっと引き締まった唇。

 その凜とした硬質な雰囲気から、ぱっと見の印象的には可愛いというよりも美人……と見る者に思わせるような整った顔をしている。

 それでもセイバーやランサー、イリヤのように絶世の美形……というほどではなく、美人過ぎない程度の親しみやすい範疇にいる美人だ。

 張りのある大きな胸が紛れもない女性であることを象徴しているが、背は士郎よりも高いし、肩幅もそこそこ広く、女性らしさを損なわない範囲で結構筋肉もついて引き締まっていて、出るところは出て引っ込んでいるところは引っ込んでいる健康的かつ肉感的な体型をしている。

 モデルとアスリートの中間のような体つきというべきか。

 素直でないところも多いし、厳しい所も多かったけれど、それでも女性らしいのに女性らしくなくて、皮肉も多かったけれど、根は優しくお人好しで困っている人を放っておけない、そんなこの人が好きだった。

 だが……シャンと背筋を伸ばして士郎の正面で正座している彼女は……一体誰なのか。

 本当は何者なのか薄々士郎は気付き始めていた。

 アーチェは話があると、そう確かに言っていた。

 これから何を話されるのか、どういう話があるのか、言われる前から士郎はわかっていた気がする。

 そして告げられる言葉。

「士郎、私はオマエの姉でも人間でもない。オレは『エミヤシロウ』の可能性の一つであり、オマエと道を違えた衛宮士郎の成れの果てだ」

 それを驚愕を伴って受け入れるべきだったのだろう、本当は。

 けれど、士郎は自分でも不思議なほどストンとその言葉を受け入れられていた。

 けれども、それでも尚士郎は思う。

(……俺は多分きっと、アンタが何者でも構わなかったんだよ)

 それから一つ一つ淡々と数々の事実をなんでもないかのように告げていくアーチェ。

 一度こことは違う平行世界の第五次聖杯戦争に召喚され、自分殺しを企み、一度はマスターであった遠坂でさえ裏切った事。

 あの黄金のサーヴァント……ギルガメッシュはおそらく自分がいた世界から来た存在である事。

 自分がサーヴァントとして召喚された聖杯戦争で、別の衛宮士郎(じぶん)と戦ったときに正義の味方の夢を「間違いでは無い」と言われ、最後は彼の手助けをして消える選択肢をしたこと。

 後は座に還るだけだと思っていたら途中で別の聖杯戦争に召喚され、その先にいたのがこの世界の衛宮切嗣であり、再召喚されアーチャーのサーヴァントとして切嗣と契約した時には、何故か自分は女の姿をしていたということ。

 それから第四次聖杯戦争の終結時に受肉し、第五次聖杯戦争のどさくさに紛れて大聖杯をなんとかすることを目標に、普通の人間のように暮らし、家族ごっこをしていたこと。

「私は本当は女でも人間でも無いんだ」 

 そう無機質な鋼の瞳で、乾いた声で言ってのけた、10年姉と親しんだ白髪の女性。

「今まで騙していてすまなかった」

 

 ……だけど、そんなことはどうでも良かったんだ。

 衛宮士郎にとって、そんなことどうでも良かった。

 たとえ、自分と同一の魂をもった存在だろうと、本当は女ですらなかったとしても、そんなことは些細な問題だった。

 だって、それで一緒に過ごした10年がなくなる筈がないのだから。

 たとえ1日だって5分だって、それはかけがえのない時間だった。

 たとえその正体が何者であろうと、それでも士郎にとってアーチェは大事な姉で、家族で、大切な人だった。

 それが……たかがそんな「事実」如きで、一緒に今まで過ごして歩んできた時間が嘘になるわけがなかった。

 ……その顔を覚えている。

 切嗣と2人で大災害でふらつく自分を見つけ出した時の顔。

 それから2人に引き取られた日や、悪夢に苦しむ士郎の頭を優しく撫でてくれたこと。

 話していなかった授業参観にきてくれて、そのあと2人で手を繋ぎながら帰った思い出など、数え上げればキリがない。

 それら全ては本物で、ならそれ以上は充分だった。

 この人が誰で何者であるかなど衛宮士郎にとっては些細な問題だった。

 楽しかった。嬉しかった。

 一緒に過ごした日々は今も赤毛の少年の中でキラキラと眩しく輝いている。

 共に在れた日々全てが衛宮士郎にとって宝物だった。

 怒った時もある、怒られたこともある。

 そうして隣でずっと生きてきたのだから、それだけで充分だった。

 そんなことを思う士郎の思考などおかまいなしにアーチェの話は続く。

 ギルガメッシュ、あの黄金のサーヴァントに勝てるのはオマエだけなのだと。

 我らこそがアレの天敵だと。

 前回の戦いの結果あれは大した相手でないと慢心しきっているだろう。

 そこをつけと、我を忘れる真似さえしなければオマエならば勝てるはずだとそうアーチェは言うのだ。

 そして、最後に締めるように、アーチェは……白髪長身の別世界の自分と同一であるという女は、10年間、かかさず毎日のように身につけていた赤い宝石の髪留めを士郎の方へと差し出した。

「士郎、オマエに全てやる」

 

【挿絵表示】

 

 それは10年間アーチェがため続けてきた魔力だった。

 受肉し、アインツベルンの呪いも受け、弱体化して士郎と大差ない魔力量に落ちながらも、それでも毎日コツコツとこの中に魔力を溜め続けてきたのだ。

 それはきっといつかこんな日が来るとわかっていたから、溜めていたのだろう。

 全てはこの日の為にあった。

 アーチェが溜め込んでいた魔力のほぼ全てがここにある。

 しかし、通常なら他者の魔力など早々に受け入れられるわけではない。

 だが、アーチェと士郎は元々が同一人物なのだ。

 だから、オマエになら使えるはずだといいながら、アーチェは魔力の明け渡しをしようとしていた。

 全てやるとは、それは比喩表現でもなんでもない。

 言葉通りの意味だ。

 それを見ながら、そんな風に自分に髪留めを差し出すアーチェを見ながら、気付けば士郎の頬から一筋の涙が流れていた。

 溢れる。

 次々と想いが洪水のように少年の中に駆け回り、その度に滂沱の如く頬に水滴が増えていく。

 音もなく、声も立てず、ただただ静かに士郎は泣いていた。

 それを見てアーチェは問う。

「何故泣く」

 自分よりずっとずっと年上の筈なのに、まるで幼い子供のような表情(かお)だ。

 不思議そうな、戸惑うような姉と慕っていた別世界の自分の顔を見て、士郎は思う。

(……アンタ、本当に馬鹿だな。うん、馬鹿だよ。間違いなく大馬鹿だ)

 涙は止まらない。

 それを見て、アーチェは仕方なさそうな悲しそうな空洞のような優しいような、そのどれでもないような微笑を顔に浮かべて、「全く」そんな言葉と共にポンと士郎の頭を抱え込んで、幼子にするような仕草であやしながら言った。

「オレはそんなに泣き虫じゃなかったはずなんだがな」

「アンタが泣かないから、その分俺が泣いているんだ」

 

【挿絵表示】

 

 それは、涙の流し方すらアンタはわかっていないだけだろうと指摘するような言葉で、それを聞いてアーチェは乾いた声で、「そうか」と返した。

 そしてアーチェは家族としての顔を捨て、今度こそ士郎の手に魔力を込めた髪飾りを握らせた。

「……士郎、波長を合わせろ。呼吸を合わせ、魔力の流れを読み取るんだ」

 そう声をかけて彼女は同調を開始した。

 コツンと額と額を合わせて、アーチェの左手で髪留めごと士郎の右手を握り込む。

 互いの吐息がかかるほど近いのに、どこかそれは神聖な儀式のようで……流れる涙を止めて、ぼんやりと『嗚呼、綺麗だな』そんな場違いなことを衛宮士郎は思う。

 厳かに、祝詞を詠うかのようにハスキーな女の低音が言葉を紡ぐ。

「心は奥へ奥へ沈めていく。余計なものは読むな。いかに今の私が劣化しているとはいえ、今のオマエには負担が過ぎる」

 落ちていく、墜ちていく。

 無機質な歯車と赤い剣の丘へと。

 それがエミヤシロウの……衛宮・S・アーチェと名乗っていた別世界の自分の心象風景。

 いくつもの光景が駆け抜けた。

 月光の元不可視の剣を構えた金紗髪の少女剣士に、縁側で着物姿の切嗣、絞首台、救いたいと望みながら救えなかった苦悩、苦痛、終わりの無い日々。

 そこにいたのは見慣れた女の姿ではない、遠坂凛が召喚した逞しい男の姿のエミヤシロウだ。

 すり切れていく心と、消滅への願望。

 別の士郎(じぶん)と併せられる剣戟と、鮮やかな赤い少女に「大丈夫だよ」と告げた日のイメージ……それらが一瞬にして衛宮士郎の中を巡っていく。

 まるで嵐のようで、呑まれそうだ。

『全く、余分なものは読むなと言っただろう』

 そう呆れたように皮肉じみた声が男と女の二重音声で士郎の耳に届く。

『こちらだ、士郎』

 ぱしりと褐色の手に手を引かれ、その底に彼女はいた。

 正確には彼女と言っていいのかは士郎にはわからなかった。

 何故ならそこにいたのは、男の姿と女の姿が重なっている白髪褐色肌のその人だから。

(ああ……シロねえだ)

 でもたとえどんな姿をしていても、それでもそれが大事な家族で自分の姉であることに変わりはなかった。

 本当は男か女かなんて些細な問題だった。

 駆け寄る。

 その人を目指して。

 溶ける。

 手を繋いだところから、溶けていく。

 そして2人は、精神世界の底で2人で1つのエミヤシロウとなる。

 この衛宮士郎がこのエミヤシロウになることなどは有り得ない。

 たとえ魂が同一であろうとどこまでも2人は別人だ。

 それは不思議でおかしな感覚だった。

 脳への負担だけで、それ以外に後遺症もなく、アーチェの記憶の一部と魔力は士郎へと明け渡された。

 母親の胎内に回帰したような心地良ささえ少年に与えながら。

 

  * * *

 

 長い白銀の髪を靡かせながら、イリヤスフィールは父である衛宮切嗣と、自分の妹を名乗っていた少女……レイリスフィールの死体を眺めていた。

 ぐちゃぐちゃで悲惨な、見るも無残なその姿。

 けれど、それから目を逸らすでもなく、涙を流すでもなく、ただじっと真摯な目で死を見つめる。

 その様に、思わずバゼットは声をかける。

「辛くないのですか?」

 言ってから、バゼットははたと気付いたように「いえ、他人の私が口出しすることではないとは思いますが、親子と聞いていたので」そんなことを言い訳のようにいった。

 けれど、気にするでもなくイリヤは淡々とバゼットの投げかけた疑問に答える。

「そうね、きっと辛くないって言ったら嘘になるわね」

「ではどうして?」

 涙を流すでもなく、死者を悼む態度でもなくじっとその無残な死体を見ているのか? 言葉にせずともそれは問うているも同然だ。

 それを受けてイリヤはいう。

「決めていたことだもの」

 イリヤは続けた。

「わたしが以前出した課題の意味に気付かずに死んだら、その時は絶対キリツグのために泣いてなんてあげないって」

 そう赤い瞳で睨め付けるように二人の死体を見下ろしながら、イリヤスフィールは言った。

「キリツグは、私の父はね、信じられないくらい馬鹿な人だったのよ。馬鹿で愚かでどうしようもなくて、誰も泣かないで欲しいと思っているくせに、近くで泣いている人の姿に気付かないのよ。ホント、馬鹿で愚かでどうしようもな…………」

 言いながらも、イリヤスフィールの声は震えていた。

 ……強がっているだけなのは明白だ。

 思えば睨み付けるような目なのは、そうしていないと泣いてしまいそうだから、それを我慢した結果なのかもしれない。

 そう紅髪の女魔術師は判断した。

「どうやら私は余計な邪魔をしてしまったようだ。すみません。しかし、ミス衛宮、誰も見ていないときくらいなら泣いても赦されると思いますよ」

 そう声をかけてからバゼットはその場を去った。

 それを合図にしたかのようにガクリとイリヤの膝が落ちる。

「……泣かないわ、泣かないもん。だって、これは復讐なんだから」

 目の端にいっぱい涙を込めて、けれどそれを流すまいとしながらイリヤは誰に言うでもなくそう宣言する。

 精一杯に胸を張り、ぐっと上を向きながら。

 そう……とても馬鹿で愚かでどうしようもない人だった。

 だらしなくて、大雑把で、でも繊細で傷つきやすくて、凄く不器用で、酷い男だったのに、家族をどうしようもなく軽く扱いながら、それでもわたしたちを……家族を愛していた。

 疑う余地がないほどに愛していながら、それでも本当の意味で家族を取ることのないそういう男だった。

 そんな切嗣のことが大嫌いで、なのに愛おしかったのだ。

 かつてかけた言葉はメッセージだ。

 自分を大切にしろと、切嗣が自らを軽く扱う度に、切嗣を愛している周りは傷つくのだという信号(シグナル)

 それに気付かず逝ったのなら、ならもう赦す価値すらない。

「わたしは絶対に赦してあげないんだから。だから、あの世でせいぜい泣いてなさい……父様」

 最期に、餞のように、長く呼んでなかった呼称でその死を悼んだ。

 

  * * *

 

 あと1時間で予定の時間となる。

 皆でこの家を出て、各自戦いに赴く。

 やるべき事をやる。

 それで自分は終わり。

 これがこの世界で過ごす最後の夜だ。

 思えば長い10年だったとアーチェは思う。

 こんな風に人として生活することになるなど召喚された時は思ってもいなかった。

 けれど、きっとこれもまた仕組まれたことなのだろうとも思う。

 誰が仕組んだのか、どうしてこの世界にきたのか、何故女の姿になっていたのか。

 士郎に対してわからないと告げたけど本当は薄々気付いている。

 きっと彼女との再会ももうすぐだ。

 そんな風に空を見上げながら物思いに耽っていたアーチェの前に、金紗髪に碧い瞳の美しい少女騎士が姿を現した。

 銀と青の鎧姿も美しく、玲瓏な美貌をもつ彼女をよく引き立てている。

 ……彼女と初めて出会った日のことは今もエミヤシロウにとっては宝物だ。

 その時の彼女とこのセイバーは厳密には同一でないけれど、それでも彼女が憧憬であり、始まりの星だったことに違いは無い。

 ……その生き様に惹かれ憧れた、オレの英雄(セイバー)

 だが、なんだか様子がおかしい。

 どことなく思いつめたような顔はまるで昨日の夜の再来のようだった。

「どうかしたのかね、セイバー」

 いつもの調子で声をかけるが、返事は無い。

「セイバー?」 

 再び尋ねると同時。

 とん、と軽い調子でセイバーはアーチェを抱きしめた。

 白髪長身の女は思わず戸惑う。

 そんな戸惑いすら置き去りにセイバーは……。

「ああ、やはり。貴女が私の鞘だったのですね」

 確信をもって彼女はそんな言葉を口にした。

 

 

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45.さよなら

ばんははろEKAWARIです。
今回は自分的に剣弓回です。
拙者士剣前提のプラトニックな剣弓大好き侍。自分の中の剣弓概念を盛り込んでみました!
次回、「無限の剣製」!


 

 

 ―――その感触を忘れられない。

 体感としては僅か2週間ほど前の出来事。

 聖杯を与えると、そんな甘言に乗り、私は己が剣となると誓った少年さえ斬り捨てた。

 息子を斬り捨て、臣下を斬り捨て、愛した少年さえ斬り捨てたこの業。

 その末に知らされたのは、聖杯が私の求める願望機などではないというそんな残酷な真実。

 ならば、ひょっとしてこの再会こそが最大の皮肉であったのかもしれない。

 そう、『彼女』こそが『彼』だった。

『君が斬ったという『マスター』は果たして、君を恨んでいるのだろうか』

 そう召喚されて間もない夜、彼女は言った。

 それでも私が彼を斬ったという事実は何も変わらない。

 彼女だって知っているのだろう、その上でそう口にした。

 まるで恨むはずなどないというように。

 それを当然というかのように。

 ……否、実際わかっていたのだろう。

 自分のことだったからこそ、誰よりも深く。

 本当にあなたという人は……変わったようで、何も変わっていない。

 だから、私にとって、自分を召喚した少年ではなく、貴女こそが私の鞘なのだと、そう思ったのです。

 

 

 

 

 

  さよなら

 

 

「ああ、やはり。貴女が私の鞘だったのですね」

 そう確信を持ってかけられた彼女の言葉に、白髪褐色肌の女の中に戸惑いと動揺がひた走る。

 ……一瞬何を言われたのかわからなかった。

 それは当然だ、確かに彼女は……アーチェを名乗るエミヤシロウと同一存在たる女は目の前の彼女の……セイバーの鞘なのではない。

 確かにかつて衛宮士郎と名乗っていた少年時代、彼女が彼だったとき第五次聖杯戦争で召喚したのはこの少女と同一存在……アルトリア・ペンドラゴンだった。

 ……その出会いをよく覚えている。

 月光の中凜とした眼差しと立ち姿。

 とても美しく神々しくて、厳かに響いた『問おう、貴方が私のマスターか』と硬質ささえあった響き。

 その姿なら、地獄に堕ちても忘れないと思った。

 ……実際にどんなに心が摩耗しようと忘れることは無かった。

 例え長い憧憬で師であった鮮やかな赤い少女を忘れてしまったとしても、彼女のその姿だけは……衛宮士郎の原点である切嗣同様に忘れることは無かったのだ。

 けれどアーチェーは……アーチェが衛宮士郎時代に召喚したセイバー(アルトリア)は、彼には救う事が出来なかった。

 その願いの歪さに気付いていたのに、間違っていると思ったのに、それでも美しいと思ったのだ。

 ……衛宮士郎の体内には全て遠き理想郷(アヴァロン)が埋め込まれている。

 セイバー……アルトリアの宝具約束された勝利の剣(エクスカリバー)の鞘であり、現存する宝具でかつて第四次聖杯戦争に衛宮切嗣が挑む際に、アインツベルンの当主たるアハト翁に授けられたものだ。

 本来の持ち主であるセイバーの魔力がある限り、持ち主を癒やす剣以上の破格の宝具。

 それは第四次聖杯戦争終了時に切嗣に拾われたとき、瀕死だった自分を延命させるために埋め込まれたものでもある。

 そしてアヴァロンが体内にあったことにより■■士郎の起源は変化を起こし、衛宮士郎の起源は『剣』となった。

 その心象風景が剣を基盤とするのも、剣に秀でた投影魔術師であったのも、体内にアヴァロンを宿していたからというのが大きい。

 そういう意味では衛宮士郎の魔術師としての在り方はアヴァロンによって決定されたといえる。

 そしてアヴァロン……聖剣の鞘は、アーチェがエミヤシロウだった時代死ぬまでずっと彼の体内にあった。

 ……それを、本来の持ち主であるセイバー……アルトリアに返却出来なかったこともまた、アーチェの中に小骨のように突き刺さる未練の一つだ。

 けれど、もうそれを返す日は来ない。

 そしてここに召喚された少女は、確かにあの日恋い焦がれた星と同じ魂姿形をしているけれど、それでもアーチェが地獄に堕ちても忘れないとそう思ったあのアルトリアとは違うのだ。

 確かに自分は鞘だ。

 この身は終生聖剣の鞘と共にあった。

 しかし今の自分が、このセイバーの鞘かといわれたらそれは違うだろうとエミヤシロウたるアーチェは思う。

 だから、困惑混じりに、自分を抱きしめている彼女に言葉を返す。

「セイバー、何を言ってる」

「貴女はエミヤシロウなのでしょう」

「ッ」

 セイバーはそっとアーチェの背を抱きしめつつそんなことを言う。

 その瞳はどこか泣きそうにも見える。

(私がエミヤシロウかだと? 嗚呼そうだ、確かに私はエミヤシロウだ。だが……)

 アーチェはまるで聞き分けの無い子供を落ち着かせるように、そっと鎧越しのセイバーの手に自身の褐色の手を重ねながら、言い聞かせるような落ち着いた女の低音で言う。

「私は、既に衛宮士郎とは別物だ」

 そうだ、今の姿は女だから、サーヴァントだからそれだけではない。

 守護者としていくつもの滅びを担ってきた反英雄たるこの身は、既にあの頃の少年とは別物だ。

「君のシロウはオレではないだろ、アルトリア」

 紳士的でさえある色をその鋼の瞳に載せて、真っ直ぐに彼女の碧い目を見つめながら、乾いた白髪の女は言う。

 そんな彼女に向かって静かに首に左右を振って、金紗髪の少女が答える。

「いいえ、あなたが鞘だ。たとえどんな姿になろうとあなたはあなたです」

 そう言いながら、セイバーはその生前とは似ても似つかない褐色の手を自身の白魚のような手で包み込んだ。

 どうしてわかってくれないのだろう。

 そんな困惑を抱えながらも、アーチェも続ける。

「君のマスターは私ではない」

「わかっています」

 だったら、と続けるはずの言葉をアーチェは失った。

 乾いた目で、でもどこか泣いているようにすら見える表情でセイバーは笑っていた。

 ……まるで、割れかけのガラスのような微笑みだった。

「ええ、わかっています。私は己がエゴのために彼を殺しました。今更顔向け出来るとも思っていません。それでも私は……私にとっては、我が鞘は今生にて契約を交わした彼ではなく、あなただ」

 それだけを告げて、セイバーは去った。

「セイバー……」

 ……かつて憧れの星だった少女だった。

 セイバーは……アルトリアは一体どんな気持ちで「あなたが鞘だ」と告げたのだろうかと思えば、アーチェの心の中に気苦しい気持ちが湧き上がる。

 たとえどんなに時が経とうとも、変質しようとも……それでも彼女が、エミヤシロウにとって何よりも大切だった存在には変わらないのだ。

 たとえ彼女が……自分が衛宮士郎だった時代に召喚した少女とは厳密には違っていたとしても。 

 だからだろう、彼女が去った後も追いかける気にはなれず、ただぐっと瞳に力を込めながらアーチェは空を見上げ続けていた。

 ……あの日の星の輝きに想いを馳せながら。

 

  * * *

 

『君のシロウはオレではないだろ、アルトリア』

 先ほどまで相対していた人の鋼の瞳を思い出しながら、小柄な金髪の少女は肩を落としながら俯く。

「…………」

 彼女の言う言葉は的外れというわけではない。

 それでも、思ったのだ。

 自分の鞘は……今のマスターではない、あなたこそが私の鞘なのだと。

 そしてその想いは今も変わっていない。

 ……これは代償行為なのだろうか。

 わからない、それでも……彼女がエミヤシロウだと理解した時、彼女の……アルトリアの胸に広がったのは喜びと悲しみと安堵だった。

 自分は自分を愛した少年を斬った。

 それが聖杯を手に入れる為だと嘯いて、敵の甘言に乗って……その先の結末があれだ。

 おまけに聖杯は汚染され元々優勝したとしてもセイバーの願いを、望みを叶えることはなかったという。

 笑える話だ。

 滑稽だろう、そんなものの為に自分を愛してくれた少年を……愛した少年を斬り捨てたなんて。

『セイバー』

 そう彼の声が今も脳裏にこびりついている。

 それは声質こそ違えど先ほどの彼女と同じ発音とニュアンスで……間違いなく彼女はセイバーが愛した少年と同一存在なのだ。

 エミヤシロウが……自分が愛した少年が生き残り英雄にまで至った、そんな世界があったことに安堵した。

 ……再会出来たことが嬉しかった。

 けれど、根本的に何も変わっておらず、自分を大事にしないその在り方が哀しかった。

 たとえ女の姿をしていたとしても、たとえ人間でなくなったとしてもシロウは何も変わっていない。

 だから、彼女こそが自分の鞘だと思ったのだ。 

 既にこの世界に召喚された目的を果たすことは出来ないけれど、それでも彼女の為の剣になりたいと思った。

 何故昨夜『大聖杯を破壊する』と彼女に告げたのか?

 それは確信がなくとも、薄々気付いていたからだ。

 彼女こそが自分の鞘だと。

 その剣になり、その力になりたかった、それだけの話なのだ。

 

 そんな事を思いながら、金紗髪の少女は衛宮邸の廊下を歩く。

 アーチェが自分を追ってくることはなかった。

 わかっていたことだが……少しだけ期待していたのだろう、思わずため息が漏れる。

 本当はどうしたいかなんて自分が一番よくわからなかった。

 そのまま居間への顔を出すと、そこには水を飲んでいる士郎……今生のマスターがいた。

「マスター……」

「セイバー」

 かつて愛した少年とそっくりで、でもアーチェより余程遠い少年はきょとんとした顔で金紗髪の少女を見つめる。

 なんとなくばつが悪い気分になって去ろうとするセイバーを、彼は呼び止めた。

「ちょっと待ってくれ」

「何の用でしょうか、マスター」

 心の内は揺れていたけど、表向きは完全に平静を装い、冷静な声で淡々とセイバーは言葉を返す。

 そんな小柄な少女騎士に向かって、赤毛の少年は朗らかに笑いながら、一礼をし、言う。

「シロねえから聞いた。俺が助かったのは、セイバーの剣の鞘が体内にあったからだって」

 その瞳は透き通っており、歪さは……見えない。

(……嗚呼、やはり貴方は私の鞘では無い)

 姿形は同じなのに……なのに自分が愛した少年とどこまでも違う少年に、違いを見出す度にセイバーの心に虚しさが沸き立つ。

「知らずに使っていたとはいえ、これはセイバーの持ち物だったんだろ? 今まで知らなくて悪かった」

 ……そんなことは良いのだ。

 もう自分にその鞘を持つ資格などないとそう、セイバーは思っているから。

 だから、次の言葉は看過出来なかった。

「今返すから……」

「いいえ、その必要はありません、マスター。それは今まで通り貴方が持っていてほしい」

 けれど、そんな少女の言葉のほうが不可解だったのだろう。

 士郎はきょとんと琥珀の瞳を瞬かせると、少女に疑問を返す。

「なんでさ。お前のものなんだろう」

「いいえ。私に、それを受け取る資格などない」

 自分の鞘は貴方ではないのだと、そんな拒絶がどこか纏っているセイバーの言葉に、士郎はそれ以上何も言えなくなった。

 

  * * *

 

 遠坂凛はどこか遠い夢を見ていた。

 父と母と妹と四人揃って暮らしていた幸せな過去。

 遠すぎる記憶は10年以上昔のものだ。

 セピア色の夢。

 それから遡るように、桜との別れ、父との別れ、父と母の葬儀などに思い出は昇っていき、ついには桜を刺した時の記憶にまで戻った。

 桜、たった一人の妹。

 大好きで、幸せになって欲しかった人。

 あれから桜は目覚めていない。

 ずっと眠りについている。

 だったら、せめて一緒に眠り続けられたらなんて、自分らしくもなく弱気に思う。

 ちょっと疲れたのかもしれない。

 もっとまどろんでいたい。

 桜とずっと一緒に、子供の頃のように……暮らせたらなんて、そんなことを思う凛を叱咤するように、今は一番聞きたい声がそっとたしなめた。

『駄目ですよ』

 くすくすと笑うのは、最愛の妹。

 夢でももう一度見たいと思っていたその顔が見れたことが、泣きたいくらい嬉しくて胸がつまった。

『桜……』

 大好きで大切な妹。

『そんな顔してたらミス・パーフェクトの名が泣いちゃいますよ。姉さん』

 思わず手を伸ばした。

 それは桜には届かなくて悔しくて唇を噛んだ。

 そんな姉を見て、桜は仕方ないように笑って、それから言う。

『姉さん、姉さん。図々しいのはわかってます。頼めた義理じゃないかもしれないですけど、でも……姉さん、シロさんと士郎先輩を助けて下さい』

 ふわふわと、白いワンピース姿で青紫色の髪を揺らしながら、少し泣きそうな優しい瞳でそんなことを言う妹の姿を、ぼんやりと凛は碧い瞳で見つめる。

『シロさんと先輩が立ち向かおうとしている金ぴかはとっても大きくて大変です。シロさんたちはすぐに昔から無茶をするから、だから姉さんがいたらきっと大丈夫だと思いますから』

 そう寂しそうに桜は言った。

 だから、凛は『わかったわ。他ならぬ妹の頼みだもの。あいつらの面倒くらい見てあげるわ』そう答え、『はい』と桜は満足そうに笑った。

 ……そこで目が覚めた。

 凛は桜を看病する形で被さるように寝ていたことに気付く。

 先ほどのあれははたしてただの夢だったのだろうか?

 ……否。

 凛は桜の寝顔を見て、先ほどのあれはただの夢ではなかったと確信した。

 眠っている桜は微笑んでいた。

 姉さんがついていてくれるなら大丈夫、姉さんはヒーローだから、そういわんばかりに安心した表情で笑っていた。

「そうね……あいつには私のアーチャーの借りもあることだし。やったろうじゃないの」

 そう口にする凛の瞳に、既に気弱な色はどこにもなく、力強く鮮やかで眩しい、いつも通りの遠坂凛だった。

 

  * * *

 

 出発の時間になった。

 もうこれ以上話すことなど何もない。

 それぞれに戦支度を整えて、皆一緒に衛宮の家を後にする。

 最初にバゼットが歩き出した。

 次にイリヤが足を進める。

 2人とも、裏道から円蔵山へと向かうのだ。

 残ったのは、セイバーと士郎とアーチェの三人。

 こくりと、セイバーとアーチェは頷きあう。

 士郎は2人の空気に何かを感じて口を挟むでもなく、ただ2人を見届けている。

 くるりと、セイバーは後ろを向く。

 アーチェはセイバーに一瞥もくれず歩き出す。

 背中合わせにすれ違い様、セイバーは一言だけ言葉を放った。

「さよなら、シロウ」

 少女の翠緑の瞳からは静かに涙が一筋零れ落ちる。

 その様を見るものは誰も居ない。

 声をかけるものは誰も居ない。

 その必要さえない。

 その別れに言葉などいらないのだ。

 ただ、歩く。

 交わらない運命はこれから終わりに向かうのだ。

 けれどそれは決して悪い事ではないのだから。

 

 そして辿り着く終わり。

 石段の上、そこに黄金の王が居た。

 

 

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46.無限の剣製

ばんははろEKAWARIです。
今回の話はにじファン連載時のダイジェスト版だと1600字くらいしかなかったのでそれを思うと実に4倍くらいに増えましたね~。
まあ最後だからね。
次回、「終わりの再会」!


 

 

 精神の底の底で自分と向き合ったときに彼女は言った。

『衛宮士郎は剣を使うものではない。無限の剣を内包した世界を創る者だ。投影魔術などそこからこぼれ落ちたものに過ぎん』

 ……と。

『だからこそ想像しろ。己が最強を幻想し、我こそが最強たらんと胸を張れ』

 それを……理想を体現したかのような背を見せながら白髪を靡かせて言う。

『体は剣で出来ている』

 その背に数多の剣を幻視する。

 赤い剣の丘に佇むその姿は男にも女にも見える。

 彼女が答えた正体を思えば、慣れ親しんだ女の姿のほうが偽りで、重なるように映る男の姿の方が本来の姿なのだろう。

 広い背、高い身長、長い手足は逞しく、惚れ惚れするような筋肉がしっかり各所についている。

 無骨に鍛え続けられた戦士の体は、まるで実践に重きを置いた無銘の名刀のようだ。

 それは……その男の後ろ姿はエミヤシロウの理想を体現したような、それでいてどこか物哀しい姿だった。

 自分に有り得た可能性の一つ。

 けれどおそらく俺はこうはならないのだろう。

 それでいいと彼たる彼女は言う。

『お前はお前の最強を幻視しろ』

 既に道は違えたのだからと、乾いた女の低音が男の低音と二重音声で届く。

 ……この日の事をきっと俺は忘れないだろう。

 そうここで衛宮士郎とエミヤシロウの運命(フェイト)は終わり始まった。

 ならばこれはエピローグでありプロローグだ。

 だから俺は……託された全てを果たそう。 

 

 

 

 

 

  無限の剣製

 

 

 円蔵山は冬木に存在する霊地の一つだ。

 遠坂の屋敷や冬木の教会などと同じで聖杯降臨が可能な地の一つであり、かつてユスティーツァ・リズライヒ・フォン・アインツベルンがその身を捧げ用意した冬木の大聖杯が眠る土地であり……冬木の聖杯戦争の基盤がある地といえる。

 ならば、この終局にはこの地がやはり一等相応しかったのかも知れない。

 その石段の先にある柳洞寺境内の石段に、その王はまるで玉座に腰掛けるかのような優雅さで座して待っていた。

 金色の髪に、人外を示すような赤い瞳、白い肌。

 高い背丈に均衡の付いた黄金比を体現した体躯と圧倒的な王気(オーラ)

 古代ウルクの英雄王……ギルガメッシュ。

 彼は、ゆるりと瞳を細め皮肉気な笑みを口元に湛えながら、頬杖をつきながら現われた白髪長身の女と赤毛の少年を見下すような瞳で射貫く。

「ふん、懲りぬ奴らよ。折角拾ったというのに、自ら命を捨てに来るとはな」

 傲慢な微笑だった。

 だがそれでこそこの王らしいとも言える。

 けれどもう今度は間違えない。

 既にそこに今朝はあった暴走の色はなく、琥珀の強い瞳で士郎は太古の英雄王たるサーヴァントを真っ直ぐに見返した。

 そんな士郎を見て目を細めながらゆるりと黄金の王は言う。

「ほう、そこな雑種。随分と変わって育ったものではないか。環境はこうも人を変えるか。そうさな。前の時の小僧よりはまだ見れよう。だがな、やはり贋作者(フェイカー)贋作者(フェイカー)よ。存在自体が目障りだ。だがよい。(オレ)自らの手で誅そう」

 そう言うと共に立ち上がり、王の財宝をギルガメッシュは少年らへと差し向ける。

 とっさに投影魔術を展開して当たろうと思うが隙もない。

 そんな風に思う少年より一歩前に出て、アーチェは手を翳し、その自己暗示とも言える魔術の呪文を紡ぐ。

「――――I am the bone of my sword(体は剣で出来ている)

「シロねえ!」

 士郎より一歩前に出ている女は、構えた右手はそのままに、左手を払うようにさっと赤毛の少年に向ける。

 それはよく見ていろと言わんばかりの仕草で、士郎はこれもまた彼女からの贈り物なのだと理解する。

熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)!」

 それはアーチェ……英霊エミヤたる彼女が誇る、最も信頼している最大の守りだ。

 掲げた右手の先に展開されるのはピンク色の七つの花弁。

 それは投擲という概念に対して無敵とされるトロイア戦争でアイアスが使ったとされる盾……の投影品であり、アーチャーのスキルを使ってギルガメッシュが打ち出した宝具の雨は悉くこの盾による守られる。

 長い白髪を靡かせた、広い女の背中。

 それはその盾の見た目もあるのだろう、こんな時だというのに酷く美しい光景だった。

 刹那怒声にも近い女の叱咤にも似た声が上がる。

「士郎!」

 それに反応し、士郎は自分の手の甲に浮かび上がった令呪を意識しながら、自分のやるべきことを思いだし告げる。

「令呪をもって命じる! セイバー、飛べ!!」

 突如、アイアスの内側に金紗の髪に青と銀のドレスの美しい少女が現われた。

「重ねて令呪を持って命じる!! セイバー、やるべきことを為せ!」

「はい、マスター」

 清涼な声で、振り返ることすらせずそう士郎に返すと、少女はギルガメッシュにも、彼の宝具の雨をアイアスの盾でもって防いでいる白髪の女にも一瞥すらくれず、そのまま大聖杯の眠る洞窟の方に向かって駆け抜けた。

「何!?」

 セイバー……一度は求婚までした女に完全に無視されたギルガメッシュは、驚愕に瞳を丸くするが、ついでセイバーに一瞥すらされなかったという点が気に障ったのだろう、「(オレ)を無視するとは、万死に値するぞ!」と怒りの声を上げ、去って行くセイバーに対し更に王の財宝を差し向けるが、ガギンと音を立て、それらの宝具の投擲は打ち落とされた。

「させんよ」

 そこには白黒の陰陽剣……干将莫耶を携えたアーチェが立っていた。

 ただ、気配は先ほどよりも希薄だ。

 ロー・アイアスの投影に魔力を使いすぎたのだ。

 もうこの陰陽剣以外の投影をする魔力など、アーチェには残されていなかった。

 そんな姉と親しんだ人……実際は平行世界の自分の成れの果てだ……を支えるように隣に立ちながら赤毛の少年も「工程完了(ロールアウト)全投影(バレット)待機(クリア)……俺もついている」そう答えた。

 そう、これは最初っから規定の路線だ。

 そもそも円蔵山は霊地であり、天然の結界が展開されているため、霊体であるサーヴァントが乗り込むには柳洞寺正面にある表門から正面突破するしかない。

 それがバゼットやイリヤスフィールが裏道から乗り込むのに、セイバーが同行しなかった理由である。

 だがしかし正面から乗り込むとなれば、ギルガメッシュがセイバーが大聖杯に向かうのを妨害してくることだろう。

 そこで令呪の出番だ。

 サーヴァントへの鎖でもあるこれは、願い方や内容によっては魔法じみた奇跡さえ叶える。

 それは単純でシンプルな願いであればより強力となる。

 故に先に士郎とアーチェが乗り込み、黄金の王を惹き付けている間に士郎が令呪によってセイバーを召喚し、道程をショートカットさせ、ギルガメッシュの追撃を妨害する、という方向性で決まったのだ。

 そしてセイバーは黄金の王の追撃にあうこともなく、無事に抜けることが出来た。

 だが、これで終わりでは無い。

 寧ろアーチェと士郎にとってはここからが本番であるし、メインを張るのは赤毛の少年の方だ。

 それをよくよく胸に刻みながら、士郎は黄金の王の追撃に対し、腕を前に掲げながら自分の内からこぼれた力達に号令をかけた。

停止解凍(フリーズアウト)全投影連続層写(ソードバレルフルオープン)……!!」

 27の魔術回路はフル稼働し、ここに少年の放つ宝具の贋作と、本物の威光を備えた黄金の輝きが激突する。

 

  * * *

 

(始まった……)

 それぞれの戦いがはじまった事を使い魔を通して理解しながら、コツコツと一歩ずつ大地を踏みしめるように紅髪の女魔術師は大聖杯に続く道を歩く。

 その先に自分が相まみえることを望んでいる存在がいると、理解していたからだ。

 きっとそこにいると思った。

 言峰綺礼。

 魔術協会、聖堂教会相反する筈の両方に所属する元代行者であり、紅髪の男装の麗人……バゼットともいくつかの任を共に熟した間柄だ。

 黒髪黒目の黒衣を纏った大柄で逞しい体躯の神父。

 ……この男に仄かな想いを抱いていたのは事実だ。

 だからこそバゼットは、協会派遣の魔術師として第五次聖杯戦争に参加が決まった際、言峰との再会に浮かれそして……そしてその左腕ごと己がサーヴァント……槍兵(ランサー)クラスで召喚された己が憧れだったクー・フーリンのマスター権を奪われたのだ。

 そのことについては悔やんでも悔やみきれない過去だ。

 自分はあのまま死ぬはずだった。

 けれど助かった。

 何故助かったか?

 あの日、魔術師殺し衛宮切嗣の部下にあたる黒髪黒目黒装束の女性に助けられたからだ。

 そうでなければ一人、双子館で誰にも知られること無くバゼットは死んでいたことであろう。

 そしてその自分を助けた女性が、今ピンチにあるのだという。

 ならば、その恩は返すべきだろう。

 そもそも全ては自分の甘さが招いたことだ。

 言峰を信頼しきっていた自分が悪かったのだ。

 もっとランサーの言うとおり、警戒を解かなければ済んだ話だったのだ。

 だからこの借りは返す。

 言峰綺礼を打ち倒し、久宇舞弥という恩人たるあの女性を助けに行く。

 それが今こうして聖杯戦争が始まる前に惨めに敗退してしまったバゼットに出来ることだと、そう紅髪の女魔術師は思っている。

 コツコツ。

 足を進めるその先には、思った通り、以前と変わらぬ様子で黒髪の神父が悠々と佇んでいた。

 

「ほう。生きていたか。存外にしぶといな、マクレミッツ」

 自分の元に現れた女を見て、にやりといつも通りの笑みを口元に浮かべながら言峰綺礼はそんな言葉を放つ。

 酷く苦い気持ちがバゼットの中に湧き上がる。

 2週間ぶりの再会。

 けれど、随分と久しぶりのような気がする。

「ええ、そうですね、綺礼」

 そう淡々と返しながらも、どこか物悲しいような気持ちがバゼットの胸には落ちていた。

 それはこの男に対してまだ情が残っているからかもしれなかった。

 けれど、ぎゅっと今はない左手を右手で押さえながらにバゼットは思う。

 たとえどう思ってた相手だろうと、コレは自分からランサーを奪い、左腕を奪った敵なのだと。

 たとえ左腕をなくして隻腕となろうと負けるつもりはない。

 それに先ほど膨張した肉の塊となっていってる聖杯を見た。

 自分の恩人たる女性を核にしたものだ。

 そこから生み出されるのが碌でもないものであるくらい明瞭であろう。

 そこに見える大聖杯も、ゴボゴボと黒く禍々しい気配を漂わせている……こんなものが聖杯? 全く悪い冗談だ。

 そんなものの誕生を望むこの男は排除するべきだとそうバゼットは確信する。

 故に……。

「行きます」

 たとえ如何なる相手だろうと打ち倒すだけだ。

 

  * * *

 

 イリヤスフィールは自分の髪と針金から生み出した簡易ホムンクルスを盾にして、呪いの毒をかき分けながらその中心部にいるであろう舞弥の元に向かっていた。

 一歩間違えば60億人を呪い殺すような超弩級の呪いにやられることだろう。

 霊体であるサーヴァントが直接相手するよりはまだマシだろうが、それでも悍ましい敵には変わりない。

 その状況でイリヤは逸るような気持ちも覚える。

 だが、皆戦っているこんなときに自分だけ戸惑ってなどいられないし、立ち止まるわけにはいかない。

 錬金で次々と足場を作りながらイリヤはその白銀の髪を靡かせながら肉塊の元に向かう。

 ……正直、イリヤは決して舞弥を好いていたわけではない。

 彼女は聡いが故に、父切嗣とその助手であった女が男女の関係があっただろうことも察していたのだから、ある意味当然だったといえる。

 実の母であるアイリスフィールが例え舞弥のことを受け入れていたとしても関係は無い。

 当然だ、父親が自分の母親以外の人間とそういう関係があると察して良い気分になれる娘などいるだろうか?

 別に嫌いじゃ無いけれど、だからといって好きにもなれない相手……それが久宇舞弥という存在だった。

 けれど、それでも長い付き合いだ。

 彼女がいなくなれば、きっと士郎もシロも悲しむことだろう。

 それは嫌だとイリヤは思う。

(だってわたしはお姉ちゃんだから)

 弟達を悲しませたくない、だからイリヤは駆ける。

 その肉の中心に囚われた人の下へと。

「舞弥ッ」

 間も無く、大聖杯が起動しようとしている。

 あの黄金のサーヴァントは想定外だ。

 今生き残っているのはあのイレギュラーなサーヴァントを除けばセイバー1人だけ。

 聖杯を起動する条件は揃っている。

 強いて言うならもう一騎あれば根源への扉を開くに足る魔力量に達するだろうが……あのバーサーカーとして召喚された英霊は破格だ。

 あの英霊一騎で3騎分ほどの魂の容量がある……その分魔力として昇華するのに手間も一入であろうが。

 時間がない。

 それはわかっている。

 救出に遅れたら今度こそこの世全ての悪(アンリ・マユ)が生まれる。

 だけど、不安は不思議とあまりなかった。

 そうだ、セイバーだって今大聖杯に向かっている。

 セイバーの宝具である約束された勝利の剣(エクスカリバー)の破壊力は頭一つ飛び抜けている。

 あれがあれば間違いなく大聖杯も破壊出来ることだろう。

 そして、大聖杯がなんとかなれば、小聖杯を壊す必要だってなくなるのだ。

(舞弥はきっと生きている。だから、一秒だって早く、私は彼女を救いださなきゃ)

 ふわり。

 そう気負う彼女の下に暖かい風が流れ、頬を撫でる。

「お母様……?」

 イリヤとそう名前を呼ばれた気がした。

「いえ……これは…………ユスティーツァ様?」

 

  * * *

 

 それが現れたのは突然だった。

 黄金の王の打ち出す宝具の雨を投影した贋作をぶつけ、或いは双剣で逸らし、一対二でありながら有利とも言えぬ状況で、ただひたすらにそれを展開する隙をまつ赤毛の少年と白髪の女の下に、翡翠で出来た鳥が舞い降りたのだ。

 遠坂凛の使い魔であるそれは突如ギルガメッシュとアーチェ、士郎の3人がいるその戦場に現れた。

 ギルガメッシュを取り囲むように現れたそれは一体ではなく、三体で視界を遮るようにグルグルと回りながら飛ぶ。

「王の視界を遮るとは無礼な!」

 苛立ちまじりに打ち落とされたのを合図に、翡翠の鳥はパンとはじけて光源となりギルガメッシュの目を晦ませた。

「何……!?」

 その隙を見逃すはずがない。

 アーチェは士郎に同調を深めやすいように、背後からそっと夫婦剣を握る士郎の手に自分の手を重ね、そして士郎とアーチェは揃ってその呪文を唱えだす。

 魔術の才能のないエミヤシロウがもつ唯一の一、固有結界『無限の剣製』。

 その呪文が今2人のエミヤシロウによって紡がれる。

 アーチェの呪文は全て士郎の補助となり、イメージの助けとなり、魔力はより深く士郎へと流れ込む。

 殆ど残されていない、今こうして現界している分も全て赤毛の少年に与えるように。

 今更邪魔をしたところでもう遅い、呪文は完成する。

「unlimited blade works」

 今展開される、最も魔法に近いとされる魔術の一。

 それは間違いなく士郎の手によってなされたもので。

 赤い空の先の青空が見える。

 剣が見える。

 ならばもう、それで充分だった。

 きっと士郎はアレに勝てるだろう。

 そう信じてた。

 だからこそアーチェは、今度こそその意識を崩壊に任せて手放した。

 満ち足りたような微笑だけを残して。

 少年の頬から流れる涙は見なかったフリをして。

 

 

 

「体は剣で出来ている。

 血潮は鉄で、心は鋼。

 幾度の戦場を俯瞰して尚、不屈。

 ただ一度の敗走もなく、ただ一度の勝利も求めない

 担い手は剣の丘で鋼鉄(こころ)の刃を鍛え続ける。

 ならばその未来(さき)に言葉は要らず。

 その体は無限の剣で出来ていた」

 

 

 NEXT?



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47.終わりの再会

ばんははろEKAWARIです。
今回の話はダイジェストではない原文がそのまま残っていましたので久しぶりに三人称では無く一人称形式です。
色んな意味でネタばらし回。
次回、「エピローグ」!


 

 

 それは永遠にして一瞬。

 途方も無い可能性の海の中から、探り当てた一。

 長かったと思う。

 全く、本当に世話が焼けるわ。

 その一言を聞くためだけにどれだけの時間を費やして、どれだけの人に協力してもらって、どれだけのお金をかけてきたのかわかりやしない。

 いえ、わたし自身で選んでやったことだから不満があるわけじゃないけど。

 それでもわたしの目的ははじめっから何一つ変わらない。

 だから、ね、アーチャー。

 酷い話だけどね、わたし安心したのよ。

 ああ、よかったって。

 貴方のその一言だけで全ては報われたのだから。

 

 

 

 

 

  終わりの再会

 

 

 

 side.エミヤ

 

 

 ふと、目を開けると其処はいつかも辿り着いた暗闇だった。

 この場所を知っている。

 あの聖杯の泥を受け受肉する寸前にも辿り着き、そして第五次聖杯戦争が始まってからもまた、何度も夢という形で接触した場所だ。

 けれど、その時と違い、今の自分の頭は妙にすっきりしている。

 ふと自分の体を見下ろして気付く。

 すっかりこの10年で見慣れてしまった女の証ともいうべき膨らみは消えている。

 次に手に目線をやった。

 そこにあるのはやや筋ばっていながらも細く小さな女の手ではなく、本来の男であるガッシリとした自分の手だ。

(私は男に戻れたのか)

 否、それは違うか。

 ここにいる私はいわば精神体のようなものだ。

 何故ならあの時、あの戦いで受肉した私は斃れたのだ。

 肉体という枷を失い、魂が本来の姿を思い出したと評したほうが正確だろう。

 しかし、では何故斃れた私はここにいる?

 通常であればたとえ受肉していたにしてもサーヴァントの魂は聖杯に回収されるのが習いだ。

 そんなことを思考しつつも暗闇を見渡した。

 ……誰かが近寄る気配がする。

 私ははっと後ろを振り返る。

 そこに彼女はいた。

 若い女だ。

 蘇芳色のフードを被った魔術師然とした女。

 顔はフードに隠れて口元しか見えない。

 けれどその造詣は美しく整っている。

 丸くしなやかなラインを帯びた体に、流れるような艶めいた長い黒髪。

 私は彼女のことを知っている。

 そうその人のことはよく知っていた。

 その気配も空気もわからぬはずがなかった。

 わからぬわけがなかった。

 懐かしさに目頭が熱い。

 ゆるゆると女は歩み寄り、そして、どこからか、トンと魔法のように椅子を取り出しそこに優雅に腰をかけながら、柔らかな言葉を私へと投げ掛ける。

「久しぶりね、アーチャー」

 

 その言葉に息が詰まった。

 嗚呼、全く、君という(ヒト)はどれだけオレを振り回せば気が済むのか。

 そうだ、前々から気付いていた。

 きっとこれは君が糸を引いていたのだろうとわかっていた。

 それでも、こうしていざ再会してみれば、喉が震えた。

「嗚呼。全く、君には昔っから驚かされてばかりだ。魔法に至ったんだな、遠坂(マスター)

 それにくすりと、口元だけで柔らかく彼女は、オレのマスターだった遠坂凛は微笑んだ。

「それで? どういうことなのか、説明はしてもらえるのかね?」

 そう問うと優美な仕草で足を組みながら女は言う。

「ええ。既に予測はついているんでしょうけど」

「此処は大聖杯の中か?」

 正解、口に出さずに微笑むことで凛は回答と為した。

「正確にはアンタを通して大聖杯の中に私の術式で一時的に介入しているのよ。今のアンタは大聖杯に回収される寸前の状態でこうしてこの夢の空間に固定されているわけ。まあいわばこの状態は大聖杯にバグを起こさせているようなものね」

 スラスラと赤い魔女はそんな言葉を告げた。

 軽く告げているが、とんでもない事をやっている。

 だが彼女ならそれが出来てもおかしくないと思ってしまうのは、彼女のサーヴァントだった欲目だろうか? 立派に育っただろう事が誇らしい。

 それから、一息ついて、凛はこんな言葉を口にする。

「魔法に至ったっていっても、わたしは宝石翁と全く同じとまではいかなかった。並行世界を移動するなんて夢のまた夢。わたしにはね、こうして夢を通して並行世界に干渉するのが精一杯だった。人は私を『赤き宝石の魔女』『不完全な魔法使い』とそう呼んでいるわ」

 それに疑問が募る。

「では、私があの時代の切嗣に召喚されたのは君の差配ではないのか?」

「いえ、わたしよ」

 きっぱりと彼女は言い切った。

「確かに人を並行世界に飛ばすなんて真似は私には出来ないわ。でもね、アーチャー。アンタは元々人じゃないでしょ。どの時空とも違う隔離された英霊の座にいる守護者のコピー。要はアンタに関してなら抜け道があったってことよ」

 そうして淡々と彼女はことの発端について語りだした。

「その話が舞い降りたのは聖杯戦争が終わった10年後だったわ。わたしや士郎たちはロード・エルメロイ二世と共に大聖杯解体の儀を行うことになったの。当時私は周囲には勿論内緒だったけど、魔法の片鱗に片足を突っ込みかけていた。だからね、これはチャンスだとそう思ったのよ」

「チャンス?」

 凛の言ってることがわからず、思わず首をかしげながら聞き返す。

 それに、凛は呆れたような表情を浮かべて、それから真剣な声音でいう。

「頑張ったやつがむくわれないのなんて間違っている。私の持論よ、忘れたわけじゃないでしょ」

 ああと返事しつつも、私は凛がいわんとしていることがわからず、「それで」と先を促す。

「アンタはあの時残ること望まなかったし、士郎を頼むなんていって気障に消えていったじゃない。でもね、後で考えたらそれすっごく腹が立って。わたしのもののくせに、言いたいだけ言って消えていった馬鹿サーヴァントに一発かまさなきゃあ気がすまないなってそう思ったのよ」

 どこか物騒な気配すら漂わせてそうおどけたように口にする凛だったが、言葉の割には怒りがそこには感じられず、寧ろどこか穏やかでさえあった。

「だから、大聖杯を解体するときに必要な部分の欠片を持ち帰り、アンタの触媒である宝石と、不完全な魔法を使って、時を遡って記録から干渉し、『わたしのアーチャー』が消える寸前の状態で固定させ別の並行世界に飛ばしたの」

 その言葉に、そういえば第二魔法である『並行世界の運営』には時間の超越なども多少は関わっていたことを思い出した。

「あとはそうね、完全にアンタという存在が消える前に、強引に召喚に割り込ませた先のサーヴァントのクラスという依り代を利用して、アンタという存在を固定させるだけだったわ。幸いといっていいのかはしらないけど、アンタを飛ばす際にわたしとアンタの間には簡易のパスが出来てはいたから、夢を通してならわたしはアンタの状況を把握することも出来た」

 ということは、私に何が起きていたのかの状況をほぼ全て凛は把握していたということなのだろう

 。そう納得するが、それでも未だに不審な点は多い。

「凛、聞いて良いか? 何故、第四次だったのだ」

 まずは第一の疑問がそれだった。

 ただ飛ばせばいいだけというのなら、並行世界の第五次聖杯戦争に飛ばせばいいだろうし、そのほうが余程簡単だろう。

 なのにわざわざ私が召喚される可能性がより低い第四次に召喚させたというのは一体どういうわけというのか。

 まさかとは思うが、第四次に召喚されたのは、遠坂お得意のうっかりなのだろうか。

 有り得ない話ではないなと、そんなやや失礼なことを考えている私にも気付かず、赤いフードの女は真面目な声音で次のようなことを口にした。

「第四次聖杯戦争。あの時代でなきゃ、意味がなかったからよ」

「それは、どういう意味かね?」

 並行世界に送られた経緯は、要するにあの時消える道を選択した私に対する逆襲のようなものであったことは、なんとなく理解は出来た。

 しかし、語る凛の声が穏やかなものということもあり、その真意はいまだ読めずにいた。

 そんな私の困惑まじりの言葉に、凛はどこか呆れたような悲しいような声で続ける。

「わたしはね、アンタを救いたかった。わたしのサーヴァントだった『アーチャー』、アンタをね。わたしのものが幸せじゃないなんて、わたしは我慢できないの。そしてわたしに出来るのはチャンスを与えること、だからそれを決行した」

 そして彼女はじっと私を見上げた。

 アクアマリンの瞳が、フード越しに私を見ている。

 その顔は最後に見たときの少女のそれではなく、立派な1人の淑女のものだ。

 それに、ここまでくるまでの彼女の歳月の長さを感じた。

「アンタに必要なのは時間だった。なにせ筋金入りの馬鹿だもの、アンタがすぐに変わるようなやつじゃないことはわかってた。きっとアンタを変えられるのはアンタの父親くらい影響力が大きい相手じゃないと駄目だって思ったのよ。それと、ほっといたらアンタすぐ死ぬでしょ? そうならないよう苦労したのよ。アンタのパスと大聖杯を経由して、色々弄って、ま、それでまさかアンタが女になっちゃった上うっかり属性までついちゃうなんてわたしも思わなかったんだけどさ」

 あっけらかんと告げられた事実。

 最後のほうの言葉につい眉を吊り上げた。

「……あれは君のうっかりが原因か」

「うっかりって失礼ね! もしもの状況を想定して、同一人物が顔を合わせて世界の修正を受ける事態を招かないように弄ってやっただけじゃない。寧ろ褒めるべき場所でしょ!」

 凛はがーっと、昔のように怒鳴りたてながらそんな言葉をいうが、これに関しては私とて譲れない。

「そういう君は、男から女の姿にイキナリ変えられるほうの気持ちを考えてみろ。思わず卒倒したぞ」

 そう返しつつも、それでも1つ納得したこともあった。

 この世界の衛宮士郎に対して憎しみも嫌悪感を抱かなかった理由。

 それはあの士郎は私とは同じにならないからというだけではない。

 思えばスタートがほぼ同じである初対面の時から既に、私はアレに対して嫌悪感がなかったのだ。

 同一の魂を持つ存在がそこにいるのなら、違和感や異物感を覚える筈なのに。

 あの時はもしや自分が女に変わってしまったせいで、世界の修正が上手く働いていないのだろうかといぶかしんだわけだが、どうやらこの凛の発言によるとそれは当たりであったらしい。

 性別の違いという明確な差によって、同じ魂を持つ者が同時に存在する際に起こる、世界からの修正を誤魔化したのだろう。

「わたしはね、アンタを救いたかった」

 ぽつりと、再び凛はそんな言葉を口にした。

「わたしの目的はね、つまりはそれだけだった。他の命まで購えるほどわたしの度量は広くはないわ。そしてわたしがこうしてこの世界に干渉出来るのはアンタと大聖杯を通してだけ。だからね、第五次が終わるまでは大聖杯を壊させるわけにはいかなかったのよ。どういう意味かわかる?」

 それはつまり、私が大聖杯の破壊を積極的に考えられなかったのは、そういう方向に無意識下で刷り込みをされていたということか。

 そして、そんな自分の思考を不審に思わないようにとりつけられたスキルこそが、あのふざけているとしか思えなかった『うっかり』スキルだったというわけか。

 そう私は合点した。

 これは怒るべきなのだろうとも思う。

 そんなことのせいで、この世界でも冬木大災害なんてものを招いたというのならばそうであるべきだとも思う。

 だが、私は何故か全くこの目の前の彼女に対して、怒りなどは感じなかった。

 ただストンと、そんな事実を受け入れていた。

 そして、そんな私を見て、どこかほっとしたように黒髪の女は薄っすらと微笑を口元に浮かべた。

 否、どうして怒れようか。決して自身で望んでいたわけではないとはいえ、己を救いたいとそう思ったという元マスターを、かつての師匠を、憧れの人を、何故オレが拒絶できるのか。

 人は救いたいと思った人しか救えない。

 それはわかりきっていたことだ。

 けれど、ふと疑問に思ったことがある。

 自分をこの世界に飛ばしたのも10年前に飛ばしたのもわざとだったことは納得した。

 ただ、それでも私には分からなかった。

「凛、私はこの世界の『遠坂凛』と接触したさいに、彼女の言葉で呪いを1つ受けたが、何故そんなものが私に通用したのか心当たりはあるかね?」

 そうだ、あの小さな遠坂凛の言葉がきっかけで、歳をとることも姿が変わることもないはずの英霊というのに私は髪が伸びる体質に変化した。

 その理由をこの凛は知っている気がした。

 そんな私の言葉に、う、と宝石の魔女は言葉につまらせて、それから1つ咳払いをしてから落ち着いた調子で話しだす。

「おそらくは、混線したんだと思うの。アンタに助けられる直前までこの世界の遠坂凛もまた遠坂凛(わたし)と同じ歴史を辿っていた。つまりはわたしとあの時点までの遠坂凛は殆ど同じなのよ。だからわたしの言葉と混同してアンタに届いたんだと思う」

 全てではないが、その言葉にある程度納得する。

「さて、ここで1つ詫びなければいけないことがあるわ」

「君が?」

 やや意外な言葉に驚きつつ私はそう返す。

 まさか凛の口から詫びなければなんて言葉を聞く日がくるとは思わなかった。

 それに、むっとしながらも凛は言葉を返す。

「何よ、私が謝ったらおかしいっていうの!? って、こら、士郎あんたまで笑ってんじゃないわ!」

 ガーと、暗闇に向かって吼えるアカイアクマ。

 その姿はとても懐かしい見慣れた動作だったが、ん? と今凛の口から飛び出た言葉に反応する。

「待て、衛宮士郎もいるのか?」

「え? あー。外から見守ってくれているわ。セイバーもね。士郎とはパスを通してあるからある程度こっちの様子も見えてるわよ。何、伝えたい言葉でもある?」

「いや……特にはないが。驚いたな。本当に今も一緒に居るのか」

 その私の言葉に、凛は勝ち誇ったような微笑を浮かべて誇らしげに告げる。

「言ったでしょ、士郎は責任もって私が幸せにするって。当然今も一緒よ。あ、アーチャー羨ましい?」

 そんなことをいう姿は昔のような意地悪気な顔で、でも懐かしさはあれど不快ではない。

 けれど、やれやれとまるで呆れたような仕草をとりながら、つい私は皮肉気な口調で言う。

「全く、どうしてそうなるのかね。それより……本題とずれているような気がするのは私の気のせいではないと思いたいが」

「あ、そうだった。ごめんなさい」

 あっさりと謝り、それから凛は元の真面目な調子に声音を戻して続けた。

「ギルガメッシュが現れたでしょ。気付いてのとおりあいつもアンタと同じくわたしたちの世界から流れていった一人よ。それで、いいにくいんだけど、アイツがそっちに現れたのはわたしのミスよ。ごめんなさい」

 そう、どこか沈痛に謝罪した。

「アンタとほら、最後に接触したサーヴァントってアイツだったじゃない。それで、アンタを送るさいに、どうも術式が混ざっちゃったみたいなのよ。アイツのことについては本当に悪かったって思ってるわ」

 自分達の世界の住人だったギルガメッシュ、それが現れた理由。

 ここまでくればもう驚くべきことではなかった。

 凛に自分がわざと送られたのだと気付いた時点で、容易に予測できたことだった。

 そんなふうに納得していると、再び凛が虚空を見て、どなりだす。

「ちょっと、士郎、何言ってんのよ。ちょっと黙ってて! うっかりやっちゃったのは仕方ないでしょ。勝手に人のせいにしないでよ」

 その言葉に既視感(デジャヴュ)を覚えた。

「……? どうしたのよ、アーチャー」

「……いや」

 頭を振るって考えを追い出す。

 

「それで、君が私をこの時代とこの世界に送ったのは、衛宮切嗣ともう一度会わせるためであってたのか?」

 その言葉に、凛は肩を竦めながら「50点ってとこね」なんていいながら、御伽噺の魔女染みた仕草で腕を組みつつ言う。

「わたしはね、自分のサーヴァントである『アンタ』に幸せになってほしかったの。だってわたしのモノが不幸なんて許せないじゃない。ただそれだけよ。それ以上は背負えないわ」

 その声音は真剣で、幾多もの願いを祈りを込めた言葉で、なんと応えるべきなのか私は惑った。

 正直にいえば、こんな薄汚れた守護者でしかない私に幸せになる資格などないだろうとも思う。

 でもきっとそれでは駄目なのだ。

 そんな言葉を口にすれば目の前の彼女は悲しむ。

 きっと彼女はこの世界に私を送り込むために多大な労力と時間を費やしてきたのだろう。

 それを無下にする言葉なんてどうしてかけられよう。

 だからきっと、逃げ口上は彼女に対して赦されてなどなかった。

 彼女は、かつての私のマスターだった遠坂凛は穏やかに、ゆるやかに話しかける。

 まるで明日の天気の話でもするような柔らかさで、それでもって最も確信だろう言葉を尋ねる。

「ねえ、アーチャー、貴方、楽しかった?」

 この10年間が。

 その言葉に、まるで走馬灯のように召喚されてからの色んな出来事が頭をかけた。

 幼いイリヤに切嗣と共に再び戻ってくることを誓ったことや、アイリスフィールと冬木の街を歩いた日のこと。

 英霊一同が揃った倉庫街の戦い。

 セイバーとライダーが揃って城まで押しかけてきて、酒盛りもしたこともあった。

 アイリが浚われ、馬鹿だ馬鹿だと互いに言い合いながら切嗣と一晩中話をした。

 そして忘れたら許さぬという言葉を残して消滅したセイバーの微笑み。

 切嗣と共にイリヤスフィールを救いにいき、その腕に抱いたイリヤの温もりと涙。

 幼い凛にアーチャーというクラス名をもじってアーチェとそう名乗った日。

 士郎の授業参観に保護者として参加して、その帰りに始めて手を繋いで歩いたことや、夏祭りにみんなで見た花火の美しさ。

 切嗣と、イリヤと、士郎と、大河と、桜と、彼らとの何気ない生活。

 ただみんなで揃って食事をする。そんなささやかなことさえ、この胸を満たしていた。

 そうだ、どれも大切な思い出だった。

(嗚呼、本当にオレは……)

 苦笑する。

 なんてことはない。

 気付いていなかっただけで、こんなにも身近にそれはあった。

 そうして出来上がった『家族』との日々はこんなにもオレに染み付いていた。

 だから、やっと素直にオレはそれを認められた。

「ああ……そうだな、楽しかった」

 そうだ、楽しかったのだ。

 そんな資格はないと思っていた。

 だけど、どうしようもなく日々は優しくて暖かくて、泣きたくなるほど大切で楽しかったのだ。

 そう思えたことに最早悔いなどない。

 それは不思議な気持ちだった。

 秋風のように爽やかで、体が軽くて、思い出に心が満たされている。

 こんな風に満たされる日が来るなんて、思わなかった。

 そんなオレを見ながら、凛は「そう」と優しく微笑む。

 それはまるで慈母のような微笑みで、オレの言葉に彼女もまた喜んでいることを伺わせた。

 

 ふと、手元に目線を落とす。

 オレの手の輪郭がブレはじめていた。

 それにもう時間がないのだと理解した。

 間も無くこの身は魔力として分解され聖杯に還元されて消える。

「ねえ、アーチャー、聞かないの?」

「何をかね?」

「この世界の士郎やイリヤ、セイバーたちのこと。アンタが現実世界で消えた後どうなったのか」

 凛は大聖杯を通して接触しているといった。

 ということは、私がこうしてこの世界に引きずり込まれたあとも、この世界の第五次聖杯戦争の顛末を見ていたということなのだろう。

 気にならないといえば嘘になる。

 だが私は横に頭をふった。

「いや、いい」

「どうして」

「敗退者である私がその後のことなど知る必要はなかろう。それに……こういうと馬鹿だと思うかもしれんがね、私は信じているのだよ。士郎も、イリヤも大丈夫だ。1人ではないのだから」

 そうだ。何の心配もいらない。

 きっと彼らならやり遂げられるだろう。

 たとえ残されようと、どんな辛いことがあっても2人なら乗り越えられる。

 それはきっと信頼だ。

「だから、大丈夫だ。遠坂、ありがとう」

 微笑みながら告げた。

 

 消滅の時が近づいている。

 もう体の半分は消えかけている。

 見れば目前の女性もまた姿がブレはじめていた。

 時間切れということなのだろう。

「お別れね、アーチャー」

「そうだな」

 こんなときだというのに、全く。気の利いた言葉の一つも出てきやしない。

 そんな自分の不器用ぶりについ呆れながら苦笑した。

 でも悪い気はしなかった。

「ねえ、アーチャー、貴方幸せだった?」

 凛は、少し前にも尋ねた言葉と類似した質問を柔らかく投げ掛ける。

 それに「ああ」とオレは頷く。

 自分の本音を皮肉のベールで隠すことなく素直に告げるオレに対して、凛もまた嬉しげに眩しいほどの美しさで笑った。

 いつか憧れた少女の笑みそのままに。

「そう。でもね、本当にエミヤシロウを救えるものがいるとしたら、それは……」

 

 その言葉の続きを聞くこともなく、今度こそアーチャーのサーヴァントである英霊エミヤは消滅した。

 

 

 

  NEXT?

 




Q、第四次編でエミヤさんがセイバー不在だったのに何故アヴァロン投影&能力発揮させることが可能だったのか?
A、赤い宝石の魔女とのパスごしで実はセイバーとも繋がっていたから。
というわけでネタばらし回。
散々タイトル詐欺扱い受けてきましたが『うっかり女エミヤさんの聖杯戦争』の意味は『うっかり(魔女により)女(に変換させられた)エミヤさんの(為の)聖杯戦争』の略だったりして、実はあらすじがそのまま真相だったりしたのであった。
この物語は最初っから今回の話でエミヤさんに「楽しかった」という一言を言わせる為だけに存在したといって過言ではなかったりします。
次回最終回。


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エピローグ

ばんははろEKAWARIです。
今回でうっかり女エミヤさんの聖杯戦争という話はこれにて終幕となります。
これまでご覧頂きありがとうございました。
この話は2011年春時点で自分なりに考えた「アーチャーを救うにはどうしたらいいか?」という答えの物語ですので、それ以降に判明した設定などは反映されていませんので悪しからず。
楽しんでいただけたら幸いに存じます。


 

 

  エピローグ

 

 

 

 

 

 ――――――永い、夢を見ていた気がした。

 

 何故そう思ったのかはわからない。

 そもそも、此処は抜け道などなき永遠の牢獄で、私もまた、死もなく終わりもなく、ずっとこの場所に固定され、世界の抑止力として使われる時のみ駆り出されるだけの存在でしかないというのに。

 ただ、世界のためだけの奴隷、こき使われ磨り減っていくだけの体の良い掃除屋。

 それがオレだというのに。

 夢など見るはずが無い。そんな現象起こるわけがない。

 なのに、何故かこの胸を満たす暖かい気持ちはなんだろう。

 何故こんな懐かしさに胸が締め付けられるのだろう。

 覚えていない夢が胸を満たすのだろう。

 此処は、永遠の牢獄だというのに。

 意思すら必要ないと踏みにじられ、風化していくのを待つだけのオレがどうしてこんな暖かさを覚えるのか。

 わからない。

 わかれない。

 答えなどないのかもしれない。

 でも妙に胸が締め付けられて、そんな息苦しささえ心地良かった。

 この感情は一体なんだろう。

 

『……○○○○……』

 

 ふと、誰かに呼ばれた気がして、顔を上げる。

 此処は牢獄、オレのための守護者の座。

 赤き丘と剣だけの世界。

 其処にはオレしかいない。

 他の不純物なんているはずがない。

 だというのにオレは、何故かその『誰か』を不思議にも思わずに受け入れていた。

 そう、そこには1人の男が立っていた。

 いつからいたのかなんてわからない。

 一瞬前まではいなかった気がするのに、どうしているのか。

 理由もわからずに、ただ其れを見た瞬間、頬に熱い雫が流れ落ちた。

 永遠に変化など起こるはずのないこのオレのための座に、確かに其れはいた。

 

 ―――自分(オレ)だ。

 まるで砂のように白い髪、赤い外套ではなく赤いケープに黒と茶を基調にした衣服を身に纏っている。背丈も顔立ちも間違いなくオレと同じそれで、けれど肌は褐色ではない自分。

 否、あれはオレなのか。

 オレはあんな顔をしない。

 あんな、陽だまりのような柔らかい微笑みなど、オレは浮かべない。

 あんなふうにオレは笑えない。

 滂沱の如く次々と涙が溢れる。

 何故、オレは泣いている。

 ふと目が合う。

 男は優しく微笑みながら、一歩ずつ歩み寄ってくる。

 太陽のような匂いがした。

 ツンと、鼻の奥が痛む。

 意味も理由もわからぬまま。

 そして、ピタリと、オレの目の前で男は立ち止まり、それから優しく暖かな声で一言放った。

『迎えに来た』

 言葉と共に男は手を差し伸べる。

 彼は太陽のように微笑みながら、オレがその手を取るのをまっていた。

 その手を、オレは取る。

 まるでその事が当然のように、自然と手を伸ばし、重ねた。

 

 ガラガラと、オレが崩れる。

 取った手の先から、溶ける。融ける。同化する。

 2人のエミヤシロウは今1つへと還っていく。

 一瞬で駆け巡る情報は、走馬灯のようにオレの全てを走り抜けていく。

 ―――嗚呼、これは夢なのか。

 

 見たのは一人の男の記録。

 黄金の王を倒し、黒髪長髪の赤いコートを着た男と共に大聖杯を解体し、白い少女と共に旅に出た男の記憶。

 世界中をまわって、危険に身を晒したことなんて何度もあった。

 時には炉心融解をおこしかけているそれを止めに向かって、そうだ。何万もの人を救った。

 そうして男は世界中を回っていた。

 けれど、男は自分とどこまでも似ているようで違った。

 彼はいつも微笑みを絶やさなかった。

 わかりあえぬことはないと、根気良く対話を諦めることはなかった。

 たとえどんな命であれ、手を差し伸べることを諦めることはなかった。

 そして、其の隣には白い雪のような女性がいつもいた。

 彼女はいつだって、誤解されそうになる男を支え続け、道を誤ったりしないようずっといつも傍にいた。

 そうして、永い旅路の果ての臨終の地で、いつしか彼は『英雄』だと呼ばれていた。

 その姿はまるで、いつか夢見たヒーローのように。

 彼はいつだって眩しい笑顔で輝いていた。

 

 嗚呼、これは消滅の間際に見る夢なのか。

 それとも真なのか。

 既に融け出している自分には最早わからない。

 けれど、それはどっちでもよかった。

 夢か真かなんてそんなことはどっちだってよかった。

 やっとオレは眠りにつけるのだ。

 この胸の温かさと満ちた心を抱いて、終わることが出来るのだ。

 なら、これが消滅の際に見る夢なのか、現実かなどとそんなことはきっと些細なことだ。

 永い永い時を経たこの時空の果てで、私は漸く終われる。

 こんな幸せで暖かい気持ちを抱いて。

 だったらどちらでもいい。

 

 

 

 融ける自我。

 融合する身体。

 そうして終わりの間際、かつて守護者エミヤと呼ばれた彼の口元は、安らかな笑みを浮かべていた。

 

 

 『うっかり女エミヤさんの聖杯戦争』完

 

 

【挿絵表示】

 



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外伝.至れる日まで

やあばんははろEKAWARIです。
今回の話はにじファンでダイジェスト進行で一端完結させたあと「後日談が見たいです」と言われて小説家になろうの活動報告欄にアップした話の加筆修正版再録となっております。
というわけで第五次聖杯戦争が終わった後のイリヤと士郎の話。士イリ。
この話の士郎ならイリヤとくっつくのが自然の流れだと思うし、イリヤは士郎と幸せになってほしい! まあ実際にくっつのは多分2人とも20歳過ぎてからだが。
というわけで今度こそこれにて閉幕。


 

 

 

「仕方ないなぁ、士郎は」

 

 その日告げた俺の言葉に、俺の1つ年上の義姉はそう苦笑しながら言って、ポンと子供の頭を撫でるように俺の頭を撫でつつこう続けた。

 

「うん、仕方ないから一緒についていってあげる」

 

 ふわりと白銀の髪を優美に靡かせながら雪の妖精のように微笑むイリヤ。

 その日の彼女の笑顔を、生涯俺は忘れることはないだろう。

 

 

 

 

 

  至れる日まで

 

 

 

 

 第五次聖杯戦争と呼ばれる冬木における魔術師達の闘争が終結したあの日から、二週間ほどの時間が流れた。

 あっという間のような気もすれば長かったような気もする。

 あれに参加した誰の胸にも残ったものもあれば、無くしたものもある。

 それは俺たちも同じで、この日、二週間も遅れながらも、漸く俺たちは故人の葬式を上げることが出来たのだ。

 養父であった衛宮切嗣と、その義娘にして義姉である衛宮・S・アーチェと、そして……遺伝的にはイリヤの妹に当たるアインツベルンのホムンクルスだったという、レイリスフィール・フォン・アインツベルンの葬儀。

 家長は俺だったけれど、俺が未成年なのもあり、殆どの準備は藤村の爺さんが代行してくれた。

 ……本当はうちで行うなら切嗣の葬儀のみ、というのが本来の筋だったのかもしれない。

 何故なら、レイリスフィールという名のあの少女はイリヤの妹ではあったのかもしれないけれど、うちの家族であったことは一度もなく、最期まで敵側の人間だったし、シロねえは人間じゃなく正体は死者だったようなもので、納めるべき遺骨も遺骸もどこにもありはしなかったのだから。

 それでも、この2人もまた親父と一緒に弔おうとそう言ったのは俺だった。

 確かに、レイリスフィールは敵だったかもしれない。

 イリヤの命を危めた相手だったかもしれない。

 だけど、彼女の死体を引き取ろうなんて名乗りはどこからも出てこなかった。

 それはイリヤの母方の実家であるアインツベルンでさえ例外じゃない。

 死んでも1人ぼっちだなんて、そんなのはおかしいだろ。

 だってそれじゃあ誰にも必要とされなかったみたいで悲しいじゃないか。

 だから家で弔うべきだと思った。

 きっと切嗣(じいさん)だってそれを望んでいる。

 シロねえもまた、骨も骸もないのだから、死んでない、旅に出たと誤魔化せなくもなかったし、元々人間じゃなかった、既に死者だったというのなら、弔う必要さえなかったのかもしれない。

 でも、俺にとってはシロねえはシロねえだし俺の大切な家族だ。

 10年間一緒に家族として暮らしたその記憶が消えることはない。

 だから、俺にとってはあの日、消えた時点でシロねえは死んだんだとそういっていいと思った。

 たとえ納める遺骨もなく、死んだ証拠もなかったとしても、そんなことは関係なかった。

 俺にとってはシロねえは紛れもない家族だったのだから。

 勿論、藤村の爺さんは死体すら存在しないシロねえについては、其の死を不審に思ったりはしたさ。

 でもそれでも最後には俺を信じてくれたし、たとえ死体がなくても葬儀を出してくれることを了承してくれた。

 聖杯戦争の後片付けや桜のこと、シロねえの知り合いだというロード・エルメロイ二世って人とのことなど遅れた理由は他にもあるけど、葬式が本来よりこうして数週間遅れたのは、シロねえに至っては死体すら出ていないというそれが原因だ。

 

 棺が三つ並ぶ。その死を悼んで多くの人が参列していた。

 その半数以上の人が誰のための葬式にきているのか、誰の死を悼んで献花に訪れたかなんて一々言われなくても俺にはよくわかる。

(なあ、見えているか、シロねえ)

 返事など返らぬとわかっていながらも思う。

(これだけの人が、アンタを悼んでいるんだぞ)

 出席者の多くは商店街の婦人であり、シロねえの料理教室の生徒達だ。

 彼女らは目元をハンカチで拭いながら葬儀に参加している。

 その死を嘆いている。

(アンタは、これだけの人に慕われていたんだ)

 自分がどう見られているか、自覚に乏しくて、世話焼きなのに自分のことについては無頓着なそういうひとだった。

 しっかりしているように見えて、どこか歪で危なっかしい人だった。

 その理由はなんだったのか、今では俺だって理解している。

 それでも、歯噛みするほど悔しいという思いもまた消えなかった。

(アンタはさ、好かれていたんだよ)

 1人で満足して消えていった、身勝手な姉。

 それを想ってそう思う。

 本当に勝手な人だった。

 だから、だからと1つの決意を込めて拳を握り締めながら、俺は死者を送る煙を見つめていた。

 

 葬儀が済んで訪問客が帰って行くと、この広い家に残されたのは俺とイリヤの2人だけとなった。

 ……なんだか変な気分だ。

 少し前までこの家には俺達は家族4人で住んでいた。

 藤ねえや桜が押しかけることもあった。

 聖杯戦争中はセイバーやランサーだっていた。

 だからいつだってこの家は住んでいる人数以上ににぎやかだった。

 でも、今は2人だけ。

 急に広い家の中に置き去りにされたような寂寞感が俺を包む。

 それはきっと隣にいる義姉も同じだったのだろう。

「この家、こんなに広かったんだね」

 ぽつりとイリヤはそう呟いた。

 それに頷くでもなく、俺は逆にこんなときだからこその決意を伝えるための口火を切った。

「なぁ、イリヤ」

「なぁに、士郎」

 俺の言葉に漂う真剣さに気付いたのか、イリヤもまた神妙な様子で振り向く。それに対してきっぱりと、俺は次のようなことを言った。

「俺は高校を卒業したらこの家を……いや、この国を出ようと思ってるんだ」

 イリヤは、その言葉に、息をつめるような表情を見せて、そして大きな紅い目をさらに見開く。

 そこに漂う悲しさや寂しさをも感じ取り、だからこそ俺はイリヤが何か反応を返す前に更に言葉を重ねた。

「それでさ、イリヤも俺と一緒に来てくれないか」

 僅かに目元を綻ばせて、安心させるような微笑をのせながらいう。

 それにイリヤは、先ほどと違う種類の驚きを顔にのせながら、胸元を右手でぎゅうっと握っていた。

「いや、一緒に来て欲しいんだ。俺はさ、イリヤがいないと駄目だから」

 それに、一瞬だけ泣きそうな顔を見せて、それからイリヤは「仕方ないなぁ、士郎は」そんな言葉を言って、ポンと幼子にするように俺の頭を撫でていった。

「うん、仕方ないから一緒についていってあげる」

 イリヤのその顔はまるで慈母のような微笑みだった。

 

「それで、士郎は何がしたいの?」

 俺は答える。

「世界中を見て回りたい。それで、困っている人がいたら手を貸してやりたいんだ」

 そうして俺は漠然とした夢を語る。

 やりたいこと、なりたいこと。

 それは全部あの日貰った誰かさんの道筋をなぞる行為だったのかもしれない。

『士郎、オマエに全てやる』

 あの日、愛すべき大馬鹿野郎だった姉はそんな言葉を俺にいって、文字通りに全てをくれた。

 その中にはあの人の人生のあらましもまた入ってはいた。

 だけど、そのことはイリヤは知らないはずだ。

 でもイリヤは全て知っているかのように最後まで俺の言葉を聞いていた。

 そして最後まで話を終えると、ポツリ、少しだけ震える声でイリヤは尋ねた。

「ねえ、どうして士郎はさ、わたしも一緒にって言ったの?」

 その不安が何に起因するかなんて、多分聞かなくても察していた。

 だけど敢えて俺はそれを見ないフリをして、自分の思いだけを素直にこの1つ上の義姉に贈った。

「大切な人がずっと側にいたら、きっと俺は間違わずにすむと思うから」

 すっと、目線をイリヤにあわせる。

 イリヤ、イリヤスフィール。

 雪のような銀髪に、鮮やかな紅い目をした俺のひとつ年上の姉。切嗣の実の娘。

 ずっと一緒に暮らしてきた。

 この10年もの間、ずっと姉弟としてやってきた。

 だけど、もしかしたらこれから話すことはその関係に皹をいれる言葉なのかもしれない。

 だけど、俺はイリヤに嘘をつくことは嫌だった。

「俺はイリヤが大好きだ。だから、イリヤに俺は支えて欲しいんだ。もしも俺が間違った時はイリヤに叱ってほしい。イリヤが危険な時、すぐに手を貸せるように一番近くにいてほしいんだ。イリヤがいいんだ。俺はイリヤも守りたいから」

 出来るだけ、柔らかく笑いながらいった。

 少しだけ声が震えたかもしれない。

 それに、イリヤは静かに涙を溢した。

 俺は、そんなイリヤを見て、じわりと目元に光る涙が綺麗だなとそんな場違いなことをぼんやりと思った。

「それ、なんだか告白みたいだよ、士郎」

「かもしれない。親父が聞いてたら怒ったかな」

 少しだけおどけたように、故人の反応を想像して言う。

 切嗣はイリヤのことも溺愛していたから、俺にも甘いとはいえ怒ったかもしれないな、なんて想定しながら言った俺を見て、涙を称えつつもイリヤは、安らかな笑みを浮かべて柔らかく言う。

「ううん。キリツグは、多分士郎なら喜んだかも」

「そっかな」

 そうだったらいいな、なんて思いを込めながら、気が早いことに俺たち2人を見ながら式の予約とかどうしようとか、生まれてもいない孫の心配とかをオロオロしながらする切嗣を想像して、2人で顔を見合わせてクスクスと笑った。

 

「士郎はさ、シロをおっかけるの……?」

「そうなるのかな」

 2人で、子供の頃のように1つの布団に包まりながら、互いに手を握り締めながら会話する。

「俺はさ、諦めが悪いんだ。やっぱりさ、一番身近な人一人救えないヤツなんて、ヒーロー失格なんだって、そう思うから」

「だから、シロを救いたい?」

 それに、少しだけ言葉が詰まった。

「士郎、士郎がシロになることはないのよ? わたしは、そんなのは許したくないわ」

「俺はシロねえにはならないよ」

 柔らかく、確信さえ抱いて俺は諭すようにさえ聞こえる声でイリヤに言葉を返す。

「俺は後悔なんてしないし、シロねえと俺じゃあ正義の味方の定義だって違う。それに、イリヤがついているんだ。なら、俺はシロねえになるわけがないんだ」

 それは口に出していうことによって確信となり、誓いとなる言葉だった。

「俺はシロねえにはならない。俺はシロねえを追い越してみせるから」

 いつか、その手に掴む日まで。

 天井に空いている右手を翳し、ぐっと握り締めそれを誓う。

 時空の彼方で、いまもまだきっと彼女は、否『彼』は赤い剣の丘で1人取り残されているのだろう。

 磨耗して、軋む心を抱えながら。

「そう。わかった。うん、ならもうわたしは何もいわないよ。一緒にいてあげる」

「……ありがとう、イリヤ」

 

 

 ―――そして季節は巡り、時は過ぎる。

 

「本当にいっちゃうの、士郎、イリヤちゃん」

 いまだどこか心配げに自分たちを見るもう一人の姉貴分を相手に、穏やかな笑みさえ浮かべて俺は告げる。

「うん、この家や親父達の墓のこととか、よろしく頼むな、藤ねえ」

 その俺の言葉に、悲しげにも寂しげにも見える表情を浮かべる藤ねえに、少しだけ胸が痛んだけど、だからって決定を変える気もなかった。

 そんな俺の気持ちを察したように、イリヤはわざとらしいくらい明るい声で、いつもの調子で藤ねえにからかい文句を言う。

「もう、何よ大河。まるで今生の終わりみたいな顔しないでよ。別にこれが最後ってわけじゃないんだから、ウジウジしないの。いい加減オトナになってよね」

「うう、イリヤちゃん、酷い……」

 それに、めそめそしだす前に俺もまた口を開く。

「大丈夫だって、藤ねえ。また何度も帰ってくるよ。藤ねえや桜達の顔も見たいしな」

「本当?」

 疑わしげな顔で見る姉貴分、それに笑って俺は約束を告げる。

「嗚呼、本当だ」

「ん。じゃあいってらっしゃい」

「いってきます」

 

 季節は春。 

 桜の花びらを門出に、ここから俺は、否俺達は旅に出る。

 

 きっと苦難も悲しみもいくらでもこの先待ち受けているのだろう。

 だけど、其れに対する畏れなんてない。

 俺は1人ではない。

 この手には守るべき人の手が繋がっている。

 だったら何も心配することなんてない。

 この絆を握り締め、さあ行こう。

 俺は俺の精一杯の人生を歩もう。

 自分の人生を誇りに思えるように。

 いつか笑って手を差し伸べられるように。

 アンタを越えて、いつかその場所へ至れる日まで。

 

 

 

 了

 

 



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