Summon Devil (ばーれい)
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第1章 忘れられた島
プロローグ


 血を分けた弟、ダンテとの壮絶な殺し合いの末、敗れたバージルはその身を自ら魔界に投げた。だが、彼は魔界に落ちることはなかった。

 

 一瞬の内に周りの景色、空気が変わったことをバージルは感じ取った。真下に見えるのは自然が多くある島の浜辺であり、空気は魔界ほど魔力に満ちてはいないものの、瘴気があるわけではなかった。

 

(ここはどこだ……?)

 

 およそ五十メートルの高さから着地したバージルは思った。魔界のような莫大な魔力や瘴気があるわけでも、人間界のようにほとんど魔力がないわけでもない。いわば魔力に満ちた人間界、あるいは魔界と人間界の中間のような場所、それがバージルのいるこの場であった。

 

「だ、大丈夫ですか!?」

 

 唐突に後ろから声をかけられた。バージルが振り返ると、そこには赤い髪に白い帽子かぶった妙齢の女性がいた。

 

 現在のバージルの姿は、ダンテとの戦いで負った傷自体はほとんど治ってはいるものの、唯一最後に受けた一撃だけは、未だに塞がっておらず血が流れ続けており、足元にも血だまりができていた。そんな様子を見れば誰でも声をかけたくなるだろう。

 

「誰だ、貴様は?」

 

 相手からは殺気は感じられず、たいした魔力を持っていなかったため、バージルは危険はないと判断した。

 

 そして身につけているものを確認する。父の形見であり、バージル自身の愛刀である閻魔刀も、母の形見である金のアミュレットも失くしてはいなかった。

 

「え、わ、私はアティと……」

 

 バージルに声をかけた女性はアティという名のようだ。

 

アティは自分の言葉の途中で、背後から殺気を感じ思い出した。今ははぐれ召喚獣との戦闘中だったということを。

 

 とりあえずはぐれ召喚獣をなんとかしようと剣を構えつつ振り返った。しかし彼女に襲いかかろうとしていた召喚獣は既に両断され見るも無残な死体となっていた。

 

 背後で剣を鞘にしまったような金属音が聞こえた。

 

「…………」

 

 アティが振り向いた先には、バージルが鞘に収まった閻魔刀を左手に持ちながら無言で立っていた。

 

 そしてそのまま歩いてアティを追い越し、はぐれ召喚獣へ近付いていく。ただそれだけではぐれ召喚獣は、悲鳴ともとれるような鳴き声を上げ、逃げ出していた。

 

「……フン、つまらん」

 

 バージルがつまらなそうに吐き捨てる。その横をアティが走って行った。

 

 どうやら前方にいる人間の子供へ駆け寄っていたようだった。バージルはとりあえずあの女から話を聞こうと、アティ達の方へ近付いていった。

 

「おい」

 

 声をかけられたアティは、胸に抱いている少女の背中を撫でながら、まだ助けてもらったお礼を言っていなかったこと思い出した。

 

「あ、さっきはありがとうございました!」

 

 もっともバージルは自分に敵意を向ける相手を追い払っただけであり、彼女達を助たつもりはなかった。そのため礼を言われるより、ここのことが知りたかった。

 

「そんなことはどうでもいい。……ここはどこだ? 人間界なのか?」

 

「え、人間界? いえ、ここはリィンバウムですけど……」

 

 アティの言葉を聞いてバージルは表情に出さないまでも内心驚いていた。

 

 同時に、人間界でも魔界でもない世界であると納得していた。最初にここに来た時からこの世界の空気を感じ取っていたので、うすうす気づいていたのかもしれない。

 

「……リィンバウムとはなんだ?」

 

「えっと……あなたは召喚獣ですか?」

 

 再びバージルにとって意味のわからない言葉が出てきた。半人半魔であるバージルだが、少なくとも見た目だけは、魔人化しない限り普通の人間と変わらない。

 

 そのバージルを見て召喚「獣」という言葉を使ったのはなぜなのか。

 

「召喚獣? なんだ、それは?」

 

「えっと……まずこのリィンバウムと、それを取り巻く四つの世界について説明しますね」

 

 バージルの疑問にアティはどう答えるべきか悩んだ末に、一から説明することにした。その前に胸に抱いた少女を横にする。バージルによって作り出された、召喚獣の無残な死体を見てショックを受けたのか、それとも助かったという安心感から眠ってしまったのかは分からない。

 

「このリィンバウムの周りには『機界ロレイラル』『鬼妖界シルターン』『霊界サプレス』『幻獣界メイトルパ』の四つの世界があります。そうした世界からこの世界に召喚する方法を『召喚術』、召喚される者を『召喚獣』と呼ぶんです」

 

 アティのまるで教師のような説明を、バージルは真剣な表情で聞いていた。

 

「この『召喚術』は元々『送還術』と言って、リィンバウムに攻めてきた者を、元の世界に送り還すだけの技術だったんですが、それを研究し応用することで生まれたのが『召喚術』で、いろいろなところで使われています」

 

「……少なくとも、その四つの世界から来たわけではないようだが」

 

 バージルのいた人間界は他の世界の存在などは、一切認知されていない。魔界の存在でさえごく一部の物にしか知られていないのだ。もし、アティの話すように召喚術によって大量に人や物がなくなれば、問題になることは明らかだ。

 

「一応、最初に言った四つ以外にも『名もなき世界』というのがあるんですが、これについては詳しく分かってないんです」

 

「何故だ?」

 

「召喚術は四つの世界のものを呼び出すのが基本なんです。それに「名もなき世界」から召喚されるもののほとんどが道具だという話ですし、そうしたことが原因だと思いますけど……」

 

 これまでとは異なり、曖昧な言い方になったのは、アティ自身も研究が進まない明白な理由は分からなかったからだろう。彼女は召喚術の専門家ではないのだから仕方のないことだろう。

 

「……話を聞く限り、俺はその『名もなき世界』から召喚された、というわけか」

 

 説明を聞き終えたバージルが確認するように言った。四つの世界のいずれかが、彼の生まれた人間界である可能性は限りなく低い。しかし「名もなき世界」は、リィンバウムでもよく知られていないことから分かるように、最も関係が希薄なのだ。さらに召喚されるほとんどのものが道具という話であるため、リィンバウムに召喚されても大きな問題にはなりにくいだろう。

 

 したがって、バージルが「名もなき世界」から召喚されたと考えたのは当然の帰結なのだ。

 

「たぶん、そうだと思います」

 

 バージルの考えについては、アティも異論を挟む余地はない。そもそも四つの世界のいずれかから召喚されたなら、こんな説明など不必要なはずなのだ。

 

「ならば早く俺を帰せ」

 

「わ、私じゃ無理です。召喚した人でないと、元の世界には戻せないんです」

 

「……貴様が召喚したのではないのか?」

 

 バージルはてっきり、彼女が自分を召喚したものとばかり思っていた。なにしろバージルがこの世界に来た際に、近くにいたのがアティだけだったからだ。

 

「いえ、私はしていません」

 

 アティはそう断言した。嘘をついているようには見えない。そもそも嘘をついたとして得をするとは思えない。そのためバージルはアティの言葉を信じることにした。

 

「他に帰る方法は?」

 

「……少なくとも私は知りません」

 

 二度と故郷に帰ることのできないバージルの心の内を考えてか、アティは若干俯きながら言った。バージルにとっては人間界に戻れないことは、大して問題ではないが、こんなわけのわからない世界にいるつもりもなかった。

 

「……ここから出ていく方法は?」

 

 少し考え聞いた。アティが知らなくとも、召喚術を研究しているような人物や施設であれば、何か帰るための手段か情報があるだろうと思い至り、とりあえずこの島を出なければ、と思ったのだ。

 

「私もつい先ほど目が覚めたので……」

 

「……この島に住んでいるわけではないのか?」

 

「は、はい。……実は私とこの子が乗っていた船が、海賊に襲われた上に、嵐に巻き込まれまして」

 

「海賊、か……」

 

 やはりどこの世界にもそうした輩はいるんだな、と図らずも明らかになった、人間界との共通点をバージルは呟いた。

 

「それで、海に落ちたこの子を助けるために海に飛び込んで、気付いたらここにいたというわけでして……」

 

「…………」

 

 なんとも愚かで悪運の強い奴だ、と呆れが混じった視線を向けたバージルに、アティが提案した。

 

「あの……もしよかったら私達と一緒に行動しませんか? 一人でいるよりはいいと思いますよ?」

 

「……いいだろう」

 

 バージルは少し考えてから答えた。この世界について何も知らず、あてもなく動き回るよりこの世界の人間と共に行動した方が、結果的に早く元の世界に帰ることができると考えたためだった。

 

 

 

 

 

 話がまとまるとアティは火を起こし、その横に先ほどから寝ている少女を横にした。少女はアリーゼというらしく、家庭教師をしているアティの生徒だという。

 

 バージルはそこから少し離れたところで座りながら瞑想していた。

 

 そこへアティが近付いてきた。バージルは振り向きもせず、そのままの姿勢で言った。

 

「何の用だ」

 

「えっと……まだ名前を聞いてなかったので……」

 

「バージル」

 

 そこで話は途切れた。アティは気まずそうにあたりを見回した。すると少し離れたところに赤黒い水たまりがあるのが見え、思い出した。

 

 最初に会った時バージルは腹から血を流していたことを。これまで彼が平然としていたので忘れていたのだ。

 

「あのっ、バージルさん、お腹の傷はいいんですか!?」

 

「もう塞がっている」

 

「でも、あんな傷を負ってるならどんな人でも安静にするべきです!」

 

 血だまりができるほどの量の血を流して無事でいるはずはない。人間の常識で判断したアティの言葉を、バージルは有無言わせず否定した。

 

「……二度と俺を人間と呼ぶな」

 

 半分は人間の血を引いているとは言えバージルは、上級悪魔であるベオウルフすら、一瞬の内に斬殺できる程の力を持つ上に、並外れた怪力と魔力を持ち生半可な攻撃では傷にすらならない強靭な体を持っているのだ。人間の常識が通じる存在ではない。

 

 それに彼は人間であることを捨て、悪魔として生きることを選んだのだ。人間と呼ばれることは不愉快だった。

 

「っ……、それじゃあ、あなたは何者なんですか……?」

 

「悪魔」

 

 正確に言えば純粋な悪魔ではなく、半分は人間の血を引いている半魔だが、バージルは人間としてではなく悪魔として生きることを選んだため、そう答えたのだ。

 

「ええええ!?」

 

 アティはよっぽど驚いたのか、素っ頓狂な声を上げた。それほど驚くことか、とバージルは呆れるのと同時に、この先が思いやられた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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第01話 漂流者との出会い

 翌日、バージルとアティは役に立つものはないか探すために浜辺を歩いていた。探索を提案したのはアティであるためか、先程から使えそうな物を拾っているのは彼女だけでバージルはただついて来ているだけだった。

 

 そのアティは昨日バージルが悪魔であることを知って、どこか落ち着かない様子であったが、意を決して口を開いた。

 

「あの……バージルさんが悪魔って本当ですか?」

 

「嘘を言ってどうなる」

 

「あ、いえ、疑っているわけではなく、私の知っている悪魔とは随分違うなぁ、て思って……」

 

「この世界にも悪魔がいるのか?」

 

 アティの言葉に反応したバージルが尋ねた。バージルの目指す魔界にいるような悪魔とは違うようだが、それでも悪魔がいるという事実に単純に興味が湧いたのだ。

 

「いえ、実際に住んでいるのはサプレスなんですが……」

 

 そのままアティはサプレスやそこに住む悪魔や天使の説明をした。バージルの知る悪魔との違いは実体を持たず、マナという魔法力によって体を構成しているということだった。またサプレスには「奇跡」や「魔法」という技術、天使は「奇跡」を悪魔は「魔法」を使うのだ。

 

「全くの別物、というわけではないか……」

 

 感想を言いつつ自らの知る悪魔のことを思い出す。バージルの知る悪魔も、人間界に姿を現すには媒体となるものを要する悪魔は多い。自分の肉体を持てる悪魔は決して多くはないのだ。大悪魔クラスは別にしろ、中級悪魔でもヘル=ヴァンガードのように砂を依り代に姿を現すものもいるのだ。

 

「はあ、そうなんですか」

 

 言いながら近くにあった鍋を拾った。錆などは見られない。つい最近流れ着いた物のようだ。もしかしたら乗っていた船の備品かもしれない。

 

 一時はバージルのことを少し怖がっていたアティであったが、話してみると人間と変わりないように思えた。自分の知識にある悪魔は、人間と契約を結ぶことはあるがけっして友好的とはいえない存在なのだ。その中には異世界に侵略する悪魔もおり、かつてリィンバウムも攻撃を受けたことがある。そのため人の好いアティでも少し身構えてしまったのだ。

 

 しばらくして、役に立ちそうな物は全て拾い集めたため、寝ていた場所に戻ると、出発するときには寝ていたアリーゼは起きており、近くに浮いていたぬいぐるみのような影の方を向いていた。

 

「あ、おはよう。目が覚めたんだね」

 

 アティが声をかけるとアリーゼは振り向いたが、その隣に見知らぬ男がいたため思わず尋ねた。

 

「あの、先生。そちらの方は……?」

 

「バージルさんっていって、昨日私たちを助けてくれたんだよ」

 

 そう言われアリーゼは思い出した。確かにバージルは昨日、はぐれ召喚獣に襲われているところで助けられたということを。

 

「あ、あの、アリーゼと言います。昨日はありがとうございました」

 

 そう言ってお辞儀をするアリーゼだったが、バージルにとって昨日の敵は、敵意を持っていたので、1匹を切り捨て、残りは睨みつけただけで逃げ去っただけであり、特に助けたという考えは持っていなかった。そのため「ああ」とひどくぶっきらぼうな返事をした。

 

「そ、そうだ、昨日から何も食べてなかったですし、お魚でも釣ってご飯にしましょう!」

 

 バージルの傲岸不遜の態度によって悪くなった場の空気を、少しでも良くしようとアティが明るくそう言った。そしてアリーゼと共に釣りの準備をして海に向かっていった。バージルは特に手伝いもせず瞑想していた。

 

 

 

 

 

 結局魚はそれなりに釣れたものの、食事中はこの後の方針として「食べ終えたらもう少し遠くまで探索してみよう」ということを決めた後は、誰一人口を開くことなく食べ終えた。

 

「……それはなんだ?」

 

 いざ、探索に出かけるにあたり、バージルはアリーゼについてくるぬいぐるみのようなもののことが気にかかった。

 

「倒れていた私を起こしてくれたのがこの子なんです。それに昨日も召喚獣から守ってくれたりして……」

 

「これも召喚獣なのか?」

 

 どうも聞きたいことがアリーゼにはうまく伝わらなかったようで、バージルはアティに直接尋ねた。

 

「そうですね、見たところ、サプレスの天使だと思います。……その子の名前はなんていうの?」

 

 バージルの疑問に答えつつ、アリーゼに召喚獣の名前を聞いた。

 

「私はキユピーって呼んでます」

 

「いい名前だね」

 

 サプレスの天使というのは随分情けない姿をしていると感じると共に、天使と敵対している悪魔の姿もまさかこんな形しているのではないか、という考えがバージルの頭をよぎる。

 

「……まあいい、さっさと行くぞ」

 

 それを振り払い声をかける。今すべきはここの探索を進めることなのだ。

 

 砂浜を一時間ほど歩いたあたりでバージルは人の気配を感じた。はぐれ召喚獣の気配は昨日から何度か感じてはいたが、人の気配は初めてだった。

 

「おい、向こうに人間がいる。行くぞ」

 

 アティとアリーゼの二人に声をかけ、バージルは気配のする方へ向かっていった。そのまま少し歩くと目視でも十分人物が見える距離まで近づいた時、アティが叫んだ。

 

「船を襲った海賊!!」

 

「へえ……お前らも生きてやがったのか、それに前は見かけなかった奴もいるな」

 

 若い二人組で一人は金髪で武器は持っていないが、しっかりとした体つきの男であり、もう一人は少しやせ気味の杖を持った男だった。

 

 金髪の男はアティと知り合いのようだが、言葉からすると敵対関係だったのだろうとバージルは察した。

 

 だがそんなことより重要なのは、奴らが海賊である以上船を持っており、その船に乗ったままここに来たという可能性があるのだ。

 

「おい、貴様らの船はあるか?」

 

「ああ、あるぜ。少し壊れちゃいるが直せないわけじゃない」

 

 金髪の男はバージルの狙いが分かったのか、ニヤリと笑いながらそう言った。

 

「ならば話は早い。その船に乗せろ」

 

 バージルの当面の目的はこの島から脱出することであり、そのためならばアティと敵対関係にある者でも、手を組むことに悩みはしなかった。

 

「はい、いいですよ、とでも言うと思うか」

 

「ならば言いたくなるようにするだけだ」

 

 売り言葉に買い言葉である。隣にいた男が「カイルさん、落ちついて」と言っていたが、それを聞き入れるつもりはないようだ。アティも似たようなことを言っているが、バージルはそれを聞き入れるつもりは無論なかった。

 

「はっ、おもしろいじゃねぇか! いいぜ、俺に勝ったら客人として俺の船に迎えてやるよ」

 

「その言葉、忘れるな」

 

 その言葉と共にバージルは前に進み出た。金髪の男は拳を構えながら、バージルに向かって走りだした。武器は出していないが、拳に革の籠手を付けているところ見ると、徒手空拳で戦うようだ。

 

 常のバージルならば遠距離攻撃魔術の「幻影剣」で迎撃するか、疾走居合やトリックアップで距離を詰めつつ攻撃するのだが、今回の目的は殺すことではないので構えをとらず立ち止り、変わらずに向かってくる金髪の男を待っているだけだった。

 

「食らいやがれ!」

 

 相当なスピードで殴りかかってくる金髪の男の一撃を、バージルは軽く右に避け、懐に入り込み鳩尾に閻魔刀の柄頭を打ちこんだ。人体の急所の一つである鳩尾に打撃を入れられたため、金髪の男は余りの痛みで一瞬うずくまったが、それでも場数を踏んだ経験からか痛みに耐えながらもバージルから距離を取ろうとした。だが、それを許すほどバージルは甘くはなかった。

 

「なっ!?」

 

 周りに浅葱色の小さな剣がいくつも浮いていた。誰の物かはすぐに分かった。たった今対峙している銀髪に蒼いロングコートを纏った男だ。こんな芸当はただの人間にはできない、おそらくは召喚術か、もしくは銀髪の男自身が召喚獣なのだろう。

 

 だが、彼にはそんなことはどうでもよかった。なにしろこれほど一方的に負けたことは元締めになってから初めての経験だったのだ。悔しいを通り越して笑いが込み上げてきた。

 

「ははは……俺の負け、完敗だ!」

 

 それを聞いてバージルは幻影剣を消しながら言った。

 

「自分の言った言葉を忘れるな」

 

「ああ、勿論だ! お前ら3人とも俺の船の客人として歓迎するぜ」

 

「あの……私達もいいんですか?」

 

 金髪の男の言葉を聞いたアティが恐る恐る聞いた。以前は敵対していた自分も乗せることになってもいいのかと思ったのだ。

 

「あんたらもこの兄ちゃんの仲間だろ? なら構わんさ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 悪い人ではないのかもしれないと思いつつ、礼を言った。

 

「いいって、そう気にすんなよ。……そういやまだ自己紹介がまだだったな、俺はカイル、海賊一家の元締めをやってる。んでこっちがヤード、見ての通り召喚師で、ちょいとワケありで俺たちの客になってる」

 

「どうぞ、よろしく」

 

 金髪の男カイルの紹介を受けた、杖を持った男ヤードが言った。

 

「バージルだ」

 

「アティです。昔は軍人でしたけど今はこの子の先生をしてます」

 

「えっと、アリーゼ、です」

 

それぞれ自分の名を名乗り、その後カイルが船へ案内するということになった。道中アリーゼが不安そうな顔をしており、アティがそれに気付き少し話をしていたようだが、バージルには興味がなかったためそれ以上、気にすることはなかった。

 

「バージルさん、先程の剣は召喚術で出したものですか」

 

「違う、あれは俺の魔力を剣の形にして放出しているだけだ」

 

 ヤードの質問にバージルが答える。質問は彼がカイルとの戦いで出した幻影剣についてのものだった。遠距離攻撃魔術「幻影剣」、先程の戦いのように相手の周りに配置し、串刺しにすることもできれば、単に射出して飛び道具の代わりに使うこともできる、非常に汎用性の高い魔術である。

 

「すると、あなたは――」

 

「悪魔だ」

 

 ヤードが最後まで言いきる前に言った。この世界でマナ――魔力――の使い道は召喚術に使用するくらいのものでバージルのような使い方をする者はいないのだ。もっとも幻影剣はバージルの莫大な魔力があって、初めてまともに使える術であるため真似することは不可能だろう。

 

「なるほどサプレスの方でしたか……それにしては随分人に似ているのですね」

 

「アティ、説明しろ」

 

「あ、はい。えっと、バージルさんはサプレスの悪魔でなく――」

 

 いちいち説明するのが面倒なバージルは、それをアティに押しつけた。アティがヤードに説明していると、今度はカイルが話しかけてきた。

 

「通りで強いと思ったぜ。結局、得物も抜かせることができなかったしな」

 

「そうなっていたら貴様は既に死んでいる」

 

「わははは、はっきり言うねぇ!」

 

 そうこう話しているうちに、湾のような場所についた。そこには帆船が一艘あった。おそらくそれがカイルたちの船だろう。

 

「ほれ、アレだ。あそこに見えるのが俺たちの船……っ!?」

 

「カイルさん、様子が変です!」

 

 戦闘を行っているようだった。昨日バージルたちを襲ったのと同じスライムのような生物もいるが、それとは違う魚人のような生物もおり、合計で十数体いた。

 

「はぐれ召喚獣!?」

 

「ちくしょうが……ふざけやがって!」

 

「カイルさん、一人じゃ無茶だ!」

 

 一人で走って行ったカイルを止めようとヤードは叫ぶが、カイルが止まることはない。そしてそれに続くようにバージルも歩き出した。彼にしてもこの島から脱出できる手段を壊させるわけにはいかないのだ。

 

 バージルはある程度歩いて距離を詰めると、疾走居合で近くにいた魚人を両断しつつ、はぐれ召喚獣の只中へ躍り出た。そのまま閻魔刀を鞘へしまいながら幻影剣を近くの敵に射出する。その敵は幻影剣が腹に数発刺さっただけで絶命した。

 

「脆いな」

 

 それが率直な感想だった。これでは悪魔はおろか、ただの人間にすら劣る。異世界の見たこともない生物だったので、多少なりとも警戒していた少し前の自分が愚かに思えた。

 

 敵の強さを把握したバージルは、船の周りにいるはぐれ召喚獣に的を絞り幻影剣を射出し、ものの数秒で敵を仕留めた。

 

 バージルの力を感じ取ったのか、残りのはぐれ召喚獣は狂ったように逃げ出した。そのうちの数体がアティとアリーゼがいる方へ向かって行く。既に二体を相手取っていたアティだが、彼女の実力か考えれば十分対応可能だろう。

 

 ただし、それは実力を十分に出し切れればの話だ。アリーゼを守りながら戦っている現状を鑑みれば、それだけの数を相手にするのは非常に厳しいだろう。――現在のアティであれば。

 

(なんだ、あれは……)

 

 バージルが胸中で呟いた。彼が見たものは、アティが碧の光を放つ剣を召喚したところだった。そして、その剣を握った彼女の姿が変わり、魔力も大きく上昇した。今の彼女の力なら大悪魔クラスは別にしても、ヘル=バンガードやアビス等の悪魔なら十分勝てるだろう。

 

 その力を本能的に感じ取ったのか、はぐれ召喚獣は怯えながらアティを避けるように散り散りになって逃げて行った。

 

 それを確認したアティが元の姿に戻るのとほぼ同時に、血相を変えたヤードがアティに詰め寄った。

 

 バージルは話を聞きながらアティ達の所へ歩いていく。ヤードによればアティの召喚した剣は「碧の賢帝(シャルトス)」というらしく、彼らがアティ達の乗っていた船を襲ったのはそれを奪うためのようだった。

 

「込み入った話の前に客人にお礼が先よ」

 

会話に割って入ったのは紫一色の独特の服を着た男だった。それに続き大きなテンガロンハットをかぶった金髪の少女が同意した。

 

「うん、そうよね!」

 

 二人の言葉により話の続きはは船の中で、ということになりカイル達の船の中へ案内された。彼らの船には金属はほとんど使われておらず、木材で作られているようだった。

 

 バージルはこのような木船を見るのは初めてだった。彼の世界では製鉄業の発展と造船用の樫材の不足によって船体に使われる素材は鉄や鋼になっており、木船は小さなものが一部の地域で使われるだけなのだ。

 

 船長室へ案内されたバージル達へカイルは他の船員を紹介した。紫の服を着た男はご意見番のスカーレル、テンガロンハットをかぶった少女はカイルの妹分のソノラという名前らしい。

 

 それが一通り終わったところでカイルが言った。

 

「助けてもらっちまったな、あんた達に……」

 

「気にしないでください。私がそうしたかっただけですから」

 

「海賊カイル一家の元締めである俺があらためて、ここに宣言しよう。あんた達を俺たちの船の客人として歓迎するぜ!!」

 

 こうしてバージル達はカイル一家に客人として迎え入れられた。

 

 

 

 

 

 

 



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第02話 月夜に煌めく刃

 早朝、バージルは船のすぐ傍で閻魔刀を脇に置き、座り込んで瞑想していた。全身の感覚を研ぎ澄まし、体全体を魔力で満たしていく。そして魔力をコントロールし、練り上げる。

 

 そうすることでより大きな魔力に耐えられる体になっていくのだ。

 

 ただし、悪魔にとって自分の力を高めるのに最も合理的な方法は強い敵と戦うことであり、それはバージルにとっても例外ではないのだが、少なくとも現状ではバージルとまともに戦える相手はいないため、この方法をとることは不可能なのだ。

 

「よう、バージル。朝から瞑想とは精がでるねぇ」

 

「カイルか……」

 

 バージルに背後から声をかけたのはカイルだ。この時間に起きているあたり彼も何かやるつもりなのだろう。

 

「俺もこの辺でストラの稽古をしてもいいかい?」

 

「ストラ?」

 

 聞き返す。カイルの言葉から何か戦闘に関する技術であることは察したため、興味がわいたのだ。バージルは特に「力」については非常に熱心であり、惜しげもなく時間も労力も使うのだ。そのためストラと言う技術に興味を持つのも必然であった。

 

「ストラって言うのはな、気の力を利用した治療法のことで、他にもぶん殴る力や打たれ強さも増すことができる。ま、俺はどっちかといやぁぶん殴るほうが得意なんだがな」

 

「そうか……、好きにしろ」

 

 カイルはその返答を先の質問に対する答えだと受け取り、バージルの近くで稽古を始めた。その方法を見るとストラは気功に近い技術である、とおぼろげながらも推理できた。

 

 そうしてバージルはしばらく瞑想を続けながら、さらにカイルの動きを観察してみると、やはり思った通り気功に近い技であると確信すると共に、それを学ぶ必要もないと判断した。

 

 ストラは悪魔が魔力を使って体を強化するのと似たようなことができるのだ。違うのは回復に使えるかどうかの違いだけだった。

 

 そもそも悪魔は非常に回復力が強く、大抵の傷はすぐ回復することができる。それはバージルも同様であり、事実ほぼ同等の力を持つ弟ダンテにつけられた傷でも多少時間はかかっても回復したのだ。

 

 無論それも万能ではなく、断続的に連続で攻撃を受ければ回復する前に命を落とすだろう。さすがに彼ほどの存在になると大抵の攻撃では傷つけることすらできないが。

 

 そんなこともあってバージルは再び瞑想に集中し、カイルはストラの稽古を続けた。

 

 そうしてしばらくすると稽古の掛け声を聞き付けたのかアティがやってきた。

 

「なんだ、先生も早いじゃねぇか」

 

「カイルさんもバージルさんも早いですね、朝から稽古ですか?」

 

 そうしてアティとカイルがストラについて話していると、

 

「みんなー、朝ご飯できたよー!」

 

 というソノラの声によって中断され、朝食をとることになった。

 

 

 

 

 

 朝食を終えたバージルは本を読んでいた。

 

 再び瞑想をしようとも考えたが、やはりこの世界に関する知識を身につけるのが先決だと判断し、ヤードから本を借りて読むことにしたのだ。また、彼から本を借りたのはバージルだけではなく、アティも借りに来ていた。彼女はそれを使って授業をするのだそうだ。

 

(同じ悪魔と言っても共通点は一部だけ、か……)

 

 彼が読んでいる本は、リィンバウムやその周りの四つの世界について書かれている本だった。大まかな概要自体は以前にアティに聞いていたのだが、やはりより詳しく書かれている書物を読むほうが、より深く理解できるのだ。たとえば霊界サプレスにも悪魔がいることは聞いており、バージルは自分の知る悪魔とある程度似たような存在だと考えていたが、実は全く違ったのだ。

 

 サプレスにおける悪魔は実体を持たず、リィンバウムに召喚された際はマナによって体を構成しており、怒りや憎しみを糧としているのだという。確かにバージルの知る悪魔も人間界に姿を現す際には大多数の悪魔が実体で出現することができず、依り代を必要とするが、決して自分の肉体がないわけではない、魔界にいる時は己の肉体を持っているのである。

 

 またバージルの知る悪魔は、生きるために何かを食べることもない。そしてなにより、戦うことに対する欲求は非常に強く、魔界は常に闘争に渦の中にある。魔界に争いがなかった唯一の期間は、魔帝ムンドゥスが君臨していた時だけであった。もっともその期間はムンドゥスが他の世界を侵略をしていたため、魔界が内乱状態である方が他の世界にとって平和なのかもしれない。

 

 そんなことを考えながら本を読んでいると、扉をノックする音がした

 

「入れ」

 

「はぁ~い、ちょっといいかしら?」

 

 手を振りながら入ってきたのはスカーレルだった。

 

「何の用だ」

 

「カイルがこれからのことで話し合いたいから、船長室へ集まって欲しいそうよ」

 

「……わかった」

 

 本を閉じながらそう答えた。これがどうでもいい用事ならば断るところだが、これからのことと言われれば出ないわけにもいかなかった。

 

 そうして部屋を出たバージルが船長室に入り、腕を組んで目を閉じながら少し待っていると、アティとアリーゼが到着した。そして全員集まったことを確認したカイルは神妙な面持ちで話し始めた。

 

「さて……集まってもらったのは、新しい客人達に俺らの事情を説明しておくためだ」

 

 カイルがそう言って威儀を正し、再び口を開いた。

 

「バージルも知ってるとは思うが、先生達が乗っていた船を襲ったのは俺らだ。その理由が――」

 

「私が持っている剣、ですよね?」

 

 カイルの言葉を確認するようなアティの言葉に、カイルが「そうだ」と同意を示すとヤードが続く。

 

「使っているあなたが一番理解していることでしょうが、膨大な知識と魔力が秘められたあの剣は、ある組織で保管されていた二本内に一本なんです」

 

「それが、どうして帝国軍に……?」

 

「それは……」

 

「ヤードがその組織を抜ける時にかっぱらってきてね。でも組織の追手との戦いで、帝国軍に回収されてしまったみたいなの」

 

 言いにくそうに口を噤んだヤードの代わりに、スカーレルがあっさりと話した。

 

「よほど価値のあるものなのか、その剣は?」

 

 バージルが尋ねた。追手を放つような組織を抜ける時に、盗みを働くなどさらに恨みを買いかねない危険極まりない行為だ。しかし逆に言えば、その剣はそれだけのリスクを背負う価値がある、という見方もできる。

 

「……『無色の派閥』、という組織をご存知ですか?」

 

「確か、あらゆる国と敵対している召喚師の集団、ですよね?」

 

 バージルの質問には答えず聞き返したヤードに、アティがバージルにも配慮した答えを口にした。

 

「ええ、そうです。彼らの目的は召喚師を頂点とする国家、そして世界を作り上げること。……私はそこに所属していました」

 

「え!? ヤードさんが……?」

 

 アティが信じられないといった顔でヤードを見た。見るからに落ち着いていて物腰も柔らかい彼が、国家転覆や暗殺などの過激な行動を行う、無色の派閥の一員だったとはとても信じられなかった。

 

「その通りです。……そしてあの剣も、派閥の新たな作戦のカギとして投入されるはずでした」

 

「ヤードはそれを阻止するために剣を盗んだってワケ」

 

 スカーレルがヤードの説明を補足するように言った。しかしバージルはスカーレルが、随分と事情に精通していることに気になった。

 

「随分と詳しいな?」

 

「……ヤードとは昔、ちょっとした縁があってね。赤の他人じゃないのよ」

 

 昔を懐かしむような、それでいてどこかもの悲しさを漂わせながらスカーレルが言った。

 

「それでスカーレルを通して事情を聴いたあたし達が協力したのよ」

 

「ああ、剣を誰の手にも渡らない場所まで捨てに行く。そのためにまずあの船を襲ったのさ」

 

 ソノラとカイルの説明で、ようやく前にアティに聞いた話と繋がった。

 

「……事情は理解できた。それで、これからどうするつもりだ?」

 

 強大な魔力と知識が封じられているという剣には多少興味が湧いたが、バージルにとって重要なのは今後のことだ。船の修理にはどれほどの時がかかるのか、それがバージルにとって最大の関心事であった。

 

「それが思ったより船の傷が酷くてな。……それで船の修理に必要な木材の切り出しも兼ねて、この島を調べてみようかと思うんだ」

 

「でも簡単に調べられるほど小さい島ではないと思いますけど……」

 

 少しだがこの島を見て回ったことがあるアティが言った。だがカイル達はこの島に来る時、海から島を取り囲む灯りのような光を四つ見かけたのだという。それが見間違いでなければこの島に住人がいるということになるだろう。そうであるなら修理用の材料を分けてもらおう、という腹積もりのようだ。

 

「それで……どこへ行くつもりだ?」

 

 バージルにとっても島の探索については異論はないようで、話を進めることにした。候補は四ヶ所あるが、どれを選べば良いか判断する情報はなかった。強いていえば黒の光と緑の光はここから遠く、赤の光と紫の光はここから近いという程度だ。

 

「そうですね……それなら紫の光ではどうですか?」

 

 アティが少し考え言った。彼女は特に理由を話していないが、誰も気にしていない。今回重要なのは、とにかくどれか一つに決めることであったため、理由などあってもなくてもいいのだ。

 

 その後、ヤードは魔剣について調べたいことがあるということで彼に留守番を任せ、他のメンバーで調査に向かうことにした。ただ危険があるかもしれないとのことで、アティはアリーゼの同行を認めず彼女も不満そうな顔をしつつも留守番となった。

 

 

 

 

 

 バージル達は海岸からすこし離れたところにある森の中を歩いていた。道らしい道はなく、足元にも草が生い茂っている。普通ならこのようなところを通る必要はないのだが、目的の紫の光が見えた場所が、この森の中であるため通るしかなかった。そうしてしばらく歩いていくと、周りの木が減り、代わりに岩や水晶が多く見られるようになった。

 

「…………」

 

「ん、なにかあった?」

 

 ソノラは急に立ち止まったバージルを不思議に思い、声をかけた。

 

「……なんでもない」

 

 バージルはそっけなく返し、再び歩き出した。

 

さらにそのまま進んで行くと、周りから幽霊のような何かが数多く現れた。

 

「ひぃ、オバケ!?」

 

「さ、サプレスの召喚獣!?」

 

 どうやらソノラはこうした類のものは苦手なのか、悲鳴をあげていたが、さすがにアティは冷静にその正体を見破っていた。

 

「ったく、何だって急に!」

 

「話は後、来るわよッ!」

 

(なぜ今になって……縄張りにでも入ったか?)

 

カイルやスカーレルも事態の急転に、多少なりとも混乱していたがバージルは違った。彼はあたりに満ちる魔力が強くなった時から、こちらを見ている視線に気づいてはいた。だが少なくともその時点では、こちらに対する敵意がなかったため無視したのだ。

 

 ところが今になって襲いかかってきたところみると、奴らの縄張りにでも入ってしまったのだろうとバージルは当たりを付けていた。

 

(……今度はもう少し強い奴らかが来る、か)

 

 実際のところ召喚獣達は大した強さではなく、バージルはおろかアティ達だけでも十分勝てる程度だった。彼は襲いかかってくる召喚獣を鞘で吹き飛ばしていると、こちらへ近づいてくる気配を感じた。今戦っている相手よりは強いが、それでもアティ達と同程度。注意は払うものの、先制するまではないと判断した。

 

 少しして召喚獣との戦いに決着がついた時、木々の間から気配の主は姿を現した、周囲の召喚獣に命じた。

 

「モウ、ヨイ。サガレ……」

 

 その体は大きな鎧であり、関節部分が露出しているにも関わらず、そこには生身の腕はなく籠手の部分が浮いていた。

 

 幽霊たちが命令に従い消えていった時、今度は空から羽根の生えた人間が降りてきた。

 

「て、天使!?」

 

「ええ、そうですよ、お嬢さん。私はフレイズ。護人であるこのお方、ファルゼン様の参謀を務める者です」

 

「護人?」

 

 おうむ返しにアティが尋ねる。

 

「この地の秩序を守る者のことです。冥界の騎士であるファルゼン様もその一人なのです」

 

「で、その護人が何の用だ? いきなり襲いかかってきやがって……!」

 

 たいした傷は負っていないとはいえ、急に攻撃を仕掛けられたカイルは、少し頭に血が上っているようだ。

 

「排除するために決まっているでしょう? 我らの暮らす領域に入り込んだ侵入者をね!」

 

「っ!」

 

 語気を強めて言うフレイズに、カイル達は武器を構えたが、ファルゼンが声を上げた。

 

「マテ、ふれいず。カレラハ、マヨイコンダダケ、ナノダロウ……」

 

「そ、そうです! 私達、この島に流れ着いたばかりで……」

 

 少し気が早いところのあるフレイズに比べ、ファルゼンは口数こそ少ないものの、こちらの事情を推察してくれたようで、アティは自分達の潔白を主張した。というより、バージルが閻魔刀に手をかけているところを見たので、このままだと大変なことになると思い、必死になっていた。

 

「そう、ですか」

 

 アティの言葉を信じることにしたのか、フレイズはほっとしたような様子で呟いた。

 

「ツイテコイ。コノシマニツイテ、オシエヨウ……」

 

 そう言ってファルゼンは歩いて行った。

 

「とりあえずついていってみましょう」

 

「ああ、このまま島中を探し回るよりはマシだ」

 

 アティの提案にはバージルも賛成した。たとえ相手が友好的でなくとも、情報を得られるだけでも行く価値はある。

 

 カイル達からも反対の声は上がらなかったので、ファルゼンを見失わないように走って追いかけた。

 

 

 

 

 

 ファルゼンに案内されて着いた場所は、島の中央にある泉のすぐ近くに作られた場所でファルゼン曰く会議場であるという。

 

 そこには既に三人の人物が待っていた。内一人は獣人といっても差支えがない容姿で、残りの男と女はほとんど人間と変わりない。獣人のほうはおそらく幻獣界メイトルパの召喚獣なのだろう。残りの男は額に角のような物が生えている点で、女のほうは体に機械を埋め込んでいる点でそれぞれ人間とは異なっていた。

 

「機界集落ラトリクスの護人、アルディラ」

 

「鬼妖界・風雷の郷の森ビロ、キュウマ」

 

「さぷれす・冥界の騎士、ふぁるぜん」

 

「幻獣界・ユクレス村の護人、ヤッファ」

 

 獣人の男は幻獣界「ユクレス村」の護人ヤッファ、角の生えた男は鬼妖界「風雷の郷」の護人キュウマ、機械が埋め込まれた女が機界「ラトリクス」の護人アルディラと言うようだ。

 

「四者の名の下、ここに会合の場を設けます」

 

 四者がそれぞれ名乗りを上げ、アルディラが宣言することで、この会合は成立したようだ。

 

「マズハ、セツメイシテクレ。ドウヤッテ、ココニキタ?」

 

「は、はい。えっと――」

 

 この独特の雰囲気に気圧されながらも、アティはここに遭難して流れ着いたことを説明した。ただそこにバージルについての説明はなかった。

 

(わざわざ話す必要はないな)

 

 しかし、あえて説明してやるつもりなどバージルにはなかった。

 

「……そんな偶然、本当にあるものでしょうか?」

 

「嘘じゃないよ、うちの船を見れば分かるってば!」

 

 何らかの意図を持って上陸したのではないかと、訝しんでいるキュウマにソノラが言う。どうも護人達は島の外からの来訪者に、相当の警戒感を持っているようだ。

 

「ともかく、うちとしては船さえ修理できればすぐに出て行く。だから必要なものだけ貸しちゃあ貰えないか?」

 

「悪いけど、協力はできないわ」

 

 カイルの依頼にアルディラが即答した。他の護人も口を挟まないところをみると、彼女の答えが護人の総意であるようだ。

 

「なぜ? 私達のことが気に食わないなら、早く出て行った方があなた達にとってもいいんじゃないの?」

 

「あんた達がリィンバウムの人間だからさ」

 

「この島に住む者たちはリィンバウム以外の四つの世界から呼ばれた者ばかり……」

 

「そしてそのまま、元の世界に還されなかったはぐれ者たちの島、この島は召喚術の実験場だったのです」

 

 スカーレルの問いにヤッファが答える。それにアルディラとキュウマが補足した。三人とも淡々と答えてはいるが、それは無理に感情を抑えているからだった。

 

 そして過去を思い出したのか、目を閉じながらヤッファが再び口を開いた。

 

「俺達は召喚術の実験台として召喚され、そして、島ごと捨てられたのさ」

 

「モウ、ショウカンシハシニタエタ。カエルスベハ、ナイ……」

 

(召喚獣を還せるのは、それを召喚した者だけ、だったか)

 

 前にアティに聞いた召喚術のことを思い出しながら、バージルは話を聞いていた。一応彼も立場としては護人達と変わらないのだが、バージルは帰還を諦めてはいなかった。なにしろ彼は存在自体が規格外の伝説の魔剣士の血を引いているのだ。不可能などありはしない、

 

「そんな人間を私達は信用しない。関わりたくもない」

 

「お互いに干渉しない、それが妥協できる限界なのです」

 

 それだけ伝えると、護人達は席を立ち、帰って行った。

 

「さすがにこれはまいったな……」

 

「うん……」

 

 残されたカイル達は協力を得るのは難しそうだと半ば諦めていた。

 

(たとえ脅しても、奴らに協力させるのは難しいか……)

 

 バージルも力でもって協力させようかと、一時は考えていたが彼らの顔を見る限り、最後まで抵抗しそうで、協力させるのは難しいと判断していた。幸いこちらの邪魔をすることはなさそうだったので、船は地道に修理していくしかない。

 

「仕方ない、引き上げようぜ」

 

「それしかないわね」

 

「ああ」

 

 護人達の協力を得られなかったバージルとカイル達はとりあえず船に戻ることにした。しかしアティは、どうしても諦めきれないようだった。

 

「……先に戻っていてください。私、さっきのは納得できません。だからもう一度話してきます!」

 

「え!? ちょっと先生っ!?」

 

 ソノラの制止も聞かずアティは走って会議場を出て行った。方向からして、追って行ったのはファルゼンだろう。

 

「なあ、どうする?」

 

「放っておけ、しばらくしたら船に戻ってくるだろう」

 

「まあ、そうだよなぁ。とりあえず先に戻ろうぜ」

 

 アティもああいった以上、ここにいても意味がないため、一旦船に戻ることにした。

 

 

 

 

 

 バージルが朝と同じように船の前で瞑想をしていると、アティは嬉しそうに船に帰ってきた。正直なところバージル自身も、無駄だろうと思っていたので、意外だった。

 

「バージルさん! ファルゼンさんがもう一度話をしてくれるみたいです!」

 

「もう一度、話をしても同じことだと思うが……」

 

「さっきのはただ、お互いの状況を説明しただけです。話っていうのは、もっとお互いのことを知ることから始まると思うんです!」

 

「……なんにせよ、話をつけてきたのはお前だ。任せる」

 

 バージルとしては船の修理が早まるのであれば、それに越したことはない。だから、もう一度話し合いをすることには文句はない。ただお互いのことを知ることから始めるとはいうのは、回りくどすぎると思い、話し合いの一切はアティに任せることにした。

 

「それじゃ、私、他のみなさんにも知らせてきますね!」

 

 アティはカイル達にも話をするため船の中へ入っていった。バージルは特にやることもなかったため、先ほどのまま瞑想を続けることにした。彼は時間があれば瞑想するのが常なのだ。

 

 しばらくそうしていると、ラトリクスのあたりから爆発音が聞こえた。その方角から魔力の動きがあったため、誰かが戦っているだろうと考えたが、こちらに影響はないため気にせず瞑想を続けた。

 

「バージルさん、一緒に来てください!」

 

 走ってきたアティに声をかけられた。おそらく今の爆発が気になり、その場所へ行くつもりなのだろう。

 

「一人で行け」

 

「そんなこと言わずに手伝ってください!」

 

 バージルの冷たい言葉も気にせず、さらにはアティにしては珍しく強引に腕を引っ張った。もちろんその気になれば無視することもできたが、ここで護人に貸しでも作っておけば後々有利になるかもしれない、そう考えついていくことにした。

 

 途中でファルゼンと合流し、ラトリクスに着いた時には周りに機械の残骸が転がっており、アルディラが十数人を相手に1人で戦っていた。

 

「て、帝国軍!?」

 

 アティが驚きながら言った。おそらくアティ達と同じ船に乗っていた軍人だろう。彼らもこの島に流れ着いていたのだ。

 

 おそらく帝国軍は偵察をしていたのだろう。それがこの島が召喚獣ばかりの島と分かり、攻撃を仕掛けてきたのだ。

 

「ニンゲンハ……ワレラトチガウ。オマエノイウコトハ……リソウダ」

 

「……っ」

 

 ファルゼンの言葉に返す言葉が見つからないアティは悔しそうに唇をかんだ。

 

「オマエタチハ、ドウスル? ワレラニミカタスルノカ? ソレトモ……ニンゲンニミカタスルノカ?」

 

「私、決められません……でも……!」

 

 決心したようにアティが前に出ていく。しかし、バージルがそれを止めた。

 

 面倒なことに巻き込まれてしまったと内心溜息を吐いていたが、このままアティに任せていては余計に時間がかかりそうだったので、バージルは自分で始末をつけることにした。

 

「お前では埒が明かん、俺がやる」

 

 そう言って閻魔刀を手に前に出る。

 

「誰だ、テメェは! この人数を一人でなんとかできると思ってんかよ! まとめてブッ潰してやる!」

 

 その言葉が合図になったのか、帝国軍の兵士たちは一斉に襲い掛かってきた。アティやファルゼンはそれを迎え撃つように剣を構えた。

 

 しかしバージルは、構えるどころか左手に持った閻魔刀すら抜いていない。ただ変わらずに歩みを進めるだけだった。

 

 剣を持った兵士と槍を持った兵士の二人が襲いかかってくるが、槍は体を横にずらして避け、剣は鞘で弾いた。そして二人が並んだところで抜刀し、まとめて両断した。

 

「!?」

 

 一瞬の出来事にこの場にいる全員が呆然としているのを尻目に、バージルは閻魔刀の刀身についた血を振り払う。そのまま次の敵を見定め閻魔刀を構える。

 

「Die」

 

 今度は一気に軍人達の群れを駆け抜けた。右手の閻魔刀は鞘から完全に抜き放たれ、刀身はまるで磨き上げられた鏡のように夜空を映し、月の光を浴びて煌めいていた。

 

 それを背中で鞘に納めた瞬間、軍人達の体が上下に別れ一斉に血が噴き出した。

 

 あまりの早技に彼らは、自分が斬られたこともわからぬまま絶命した。

 

 残ったのは、斬殺された兵士とは離れた場所にいた、軍人たちのリーダーと杖を持った兵士だけだった。そして生き残った二人にもバージルは容赦なく幻影剣を射出した。

 

「ば、化けも……!」

 

 それが隊長らしき男の最期の声だった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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第03話 新たな力

 船の修理は順調とは言えないながらも確実に進んでいた。船を修理することがこの島から脱出する唯一の方法であるためか、珍しくバージルも協力していた。

 

 とはいえ、バージルの役目は木を切り出すことであったため、ものの数分で終わらせいつものように瞑想をしているのだ。

 

 あの森での帝国軍とのいざこざ以来、アティはバージルへどう接すればいいか悩んでいるようだった。敵であれ味方であれ殺すことはおろか、傷つけることすらためらうアティに対して、自らの目的を邪魔するのであれば血を分けた弟であっても殺すことを躊躇わない合理主義者のバージルは正反対なのだ。

 

「……あの、バージルさん」

 

「なんの用だ?」

 

 昼食を食べ終えた後、話しかけてきたアティにバージルはそっけなく返した。

 

 これはあの帝国軍との戦い以来、何度かあった光景であった。これまでは会話が続かずそのまま終わってしまうのだが、今回の彼女は違うようだった。

 

「さっき話したお店なんですけど、これから行ってみませんか?」

 

 アティがメイメイという女性が営んでいる店に行ったという話はバージルも聞いていた。服や武器だけでなくアクセサリーや食材もある一種の雑貨屋のような店だそうだ。

 

 アティとしてはこれを機にバージルと話をして、自分の考えを伝えたいと思っていた。あの時のように殺し合うなんてすごく悲しいことだ。そんなことをしなくても話し合って解決することで仲良くなることもできるはずだ、と。

 

「いいだろう」

 

 服やアクセサリーに興味はないバージルだが、この世界の武器はどのようなものがあるか気になっており、いつか行ってみようと思っていたのだ。

 

「本当ですか!? それじゃあ案内します!」

 

 アティは嬉しそうにバージルの手を引き、船から連れ出した。

 

 それからしばらくはアティが当たり障りのない話しをしていたが、意を決してアティは口を開いた。

 

「あの、この前のことなんですけど……」

 

「なんだ?」

 

「あの人たちを殺す必要はあったんでしょうか?」

 

「あいつらの協力を取り付けるには、その方が都合がよかっただろう」

 

 あいつらとは護人達のことである。彼の言葉通り、あの場にいたファルゼンは人間相手に明確に敵対してみせたバージルを見て、多少の歩み寄りを見せたのだ。それを考えれば、少なくともバージルの行動が護人達との関係を悪化させたとは言えない。

 

「でも……」

 

「くどい」

 

 なおも諦めないアティをバージルはそう言い捨てると、一人で歩いていってしまった。

 

「あ、ちょっとバージルさん! お店がどこにあるのか分かるんですか!?」

 

 彼女は大きく声を上げながらバージルを追いかける。不思議と、彼が向かう先は目的の店の方向だった。

 

 バージルが迷わずにこの「メイメイのお店」に辿りつくことができたのは、この店から大きな魔力を感じ取ったからだ。剣を使用している時のアティのように魔力を解放しているのではない。

 

 普通の人間はおろかよほど魔力の扱いに長けていない限り、判別できなように巧妙に魔力を隠しているのだ。戦技だけでなく、魔力の扱いにも長けているバージルでも、近くまで来なければ気付かなかったほどだ。

 

 そこへようやくアティが追いついた。走ってきたのか呼吸が乱れていた。

 

「ど、どうしてここがわかったんですか?」

 

「そんなことはどうでもいい、行くぞ」

 

 そう言って店の中に入って行く。店内はアティが言った通り、服や武具から食材まで様々なものが並べてあった。

 

「あら、先生いらっしゃーい。あら? そっちの彼は恋人か何か?」

 

 暖色系の派手なチャイナ服を着て、酒の匂いを漂わせているこの女性が、この店の店主のメイメイだ。アティが顔を赤くして「ち、ちがいます!」と否定している横でバージルはメイメイを睨みつけた。もっとも、自分に敵対する存在ではないと判断したのかすぐ視線を外したが。

 

「剣を見せてもらう」

 

 そう言ってバージルは、手近なところにあった剣を手にとって眺めたり、軽く振ったりしていた。メイメイはそんなバージルを興味深そうに眺めていた。

 

「たぶんここにはあなたが満足する物はないと思うわよ」

 

 メイメイはそう声をかけた。バージルが彼女のほうに顔を向けると、にゅふふと笑いながら言った。

 

「ついてらっしゃい。あなたにおあつらえ向きな場所があるわよん」

 

「…………」

 

 バージルは少し考え、ついていくことにした。アティも二人に続いていく。

 

 メイメイが二人を連れてきた場所は集いの泉という、以前に四人の護人と会った場所だった。

 

「ここはね、四つの世界の魔力が集まる場所だったりするのよね、これが。聖王家が保有してる至源の泉に比べたら、たわいもない程度のものだけど……エルゴの王の遺産に変わりはないもの。やり方を知っていればこういうものだって喚び出せちゃうのよ!」

 

 メイメイが呪文のような言葉を唱えると、集いの泉から白い門が現れた。

 

「泉の中に、門!?」

 

 アティが驚き声を上げていると、メイメイが笑いながら説明した。

 

「これが無限界廊の門よ。」

 

「無限界廊?」

 

 聞き慣れない言葉にアティは言葉を返した。そしてメイメイはさらに詳しく無限界廊について説明した。その話によると、この無限回廊の門は世界の狭間にある特別な空間に繋がっており、あらゆる世界で様々な戦いを試練として受けられるという。

 

「どう? あなたにぴったりでしょ」

 

「……そうだな。さっそく使わせてもらうぞ」

 

「ごゆっくり~」

 

「ちょっ、ちょっと待ってください」

 

 その言葉にバージルは短く返事をすると、すぐさま門の中に飛びこんでいった。アティも彼を追い門の中へ入って行く。それを見ながらメイメイは呟いた。

 

「ま、あなたを満足させられる相手はいないでしょうけど」

 

 バージルの力を見抜いていたのか、メイメイはそう言った。

 

 

 

 

 

「つまらん」

 

 結果から言って、少なくともこの階層の相手であった幻影の戦士は、バージルの期待に応えられるほどの強さを持っていなかったのだ。

 

 しかし、それほど落胆はしていない。メイメイの話では、先に進めば進むほど相手は強くなっていくのだという。それを考えれば、最終的にはそれなりの相手と戦えるだろう。

 

 もっとも、バージルにとっては大したことのない相手でも、ついてきたアティにはかなりの強敵だったようでだいぶ息があがっていた。

 

「ついて来いと言った覚えはない」

 

「だ、大丈夫です」

 

 そう答えるものの、乱れた呼吸は戻らない。

 

「勝手にしろ」

 

 言い捨て次の戦いの場へ向かう。アティも彼を追うように駆けて行った。

 

 もっとも、次の戦闘も一分とかからず終了した。今回、全ての敵を倒したのはバージルであった。さすがに厳しいと悟ったアティは少し離れた所からその戦いを見守っていたのだ。

 

「あ、あのバージルさん……」

 

 戦いを全て任せてしまったことを謝ろうと彼に近寄るとその瞬間、彼の周囲に突如赤い魔法陣が現れ、そこから黒い服を着た幽鬼のような者達が現れた。その数は五体だけだが、どれも鎌をバージルに振り下しながら現れたのだ。

 

「っ!」

 

 アティは思わず目を瞑る。だが、バージルは突然のことにもかかわらず、至極落ち着いていた。

 

「ヘル=プライドか……」

 

 呟きながら閻魔刀で鎌を弾く。最初の攻撃を凌ぎ切ったバージルは攻勢に転じた。幻影剣を自分の周囲に展開、回転させ、それと閻魔刀で敵を切り刻んでいった。ヘル=プライドは攻撃しようにも幻影剣に阻まれ、為す術なく次々に倒されていった。

 

 一分もかからず全てのヘル=プライドを倒したバージルだったが、未だに先へ進もうとはしなかった。

 

 彼の鋭い感覚はこの場所に来た時から悪魔の存在を感知していたのだ。しかし、現れたヘル=プライドを殲滅しても悪魔の気配はなくならない。

 

 ところが、あたりには自分とアティ以外には誰もいない。バージルとの戦いを避けようとどこかに隠れているか、何らかの意図をもって隠れているかのどちらかだ。ただ、前者はバージルが魔界全土から恨まれているスパーダの血を引いている以上、逃げるかのように隠れているなどまずありえないことであるため、実質的に考えられるのは後者だけだろう。

 

 そこまで考えるに至り、バージルはにやりと口角を上げた。完璧とまではいかないが、これほどまで巧みに空間を隠せる程の力を持った悪魔は決して多くはない。かなりの力を持つ悪魔であることは間違いなかった。

 

(This may be fun)

 

 胸中で呟きながら、集中する。そして閻魔刀を抜き放った。空間にかけられた魔術を閻魔刀で切り裂いたのだ。

 

 だが、そこにいたのはバージルが期待していたような悪魔ではなく、大きな門のような物体と氷を纏った悪魔が十体ほどいるだけだった。

 

(あれは……フロスト、だったか)

 

 そこにいたのはかつてフォルトゥナで読んだスパーダに関する本に記載されていた悪魔、フロストだった。フロストは二千年前、魔帝ムンドゥスが人間界侵攻のために創り出した氷を操る能力を持つ精兵である。

 

 そのフロストは自分の創造主を封印したスパーダの血を引くバージルを見て襲いかかってきた。氷で作った爪を振りかざしながら、飛びかかってくるフロストもいれば、爪を飛ばしてくるフロストもいた。

 

 バージルはフロストの群れよりその背後にある門のような物が気になっていたが、まずはフロストの群れを殲滅する方が先と考え、閻魔刀で飛びかかってきたフロストを切り上げ両断する。更に幻影剣で飛ばしてきた爪を迎撃した。

 

 そして居合の構えをとる。閻魔刀を握る手が動いたかと思うと、一体のフロストが切り裂かれていた。それだけでは終わらず、彼の手元が動く度に次々とフロストが斬殺されていった。

 

 それは次元斬だった。

 

 名前の通り空間そのもの、次元すら斬る大技である。大悪魔ですら一太刀で葬る威力を秘めた一撃だ。フロスト程度の悪魔が耐えられる道理はない。

 

 フロストを容易く殲滅させたバージルは、改めて気になっていた門のような物を見た。大きさこそ異なるが自身の記憶の中のものと同じだった。

 

 それは魔界と人間界を繋ぐ装置である地獄門だった。フォルトゥナにあったものより小さく高さも六メートルほどしかないが、間違いなく地獄門だった。

 

 だが、目の前の地獄門はその機能を完全に喪失しているようだった。門自体は無傷で残っているが、魔力を供給する部分が破壊されていたのだ。これでは何の意味もない。

 

 恐らく先程のフロストはこの地獄門を守るのが役目だったのだろう。その機能を失っても忠実に命令を守っていたのだ。

 

 もはや興味を失い、踵を返そうとしたバージルの目にあるものが飛びこんできた。

 

「これは……」

 

 起動装置から門を挟んだ反対側にもう一つの装置があったのだ。おそらくこの空間を周りから隔絶させ、隠していた装置だろう。

 

 だが、そんなことはどうでもよかった。重要なのは、その装置を稼働させるための魔力の供給源があることだった。恐らくは相当な力を持った魔具であることは間違いない。

 

 バージルはかつて自らが斬殺した大悪魔の力を吸収したように、装置に右手をかざして力の源を奪い、それを取り込んだ。

 

 それはやはり魔具であり、力もなかなかのものだった。

 

 早速、その魔具を出現させる。それは彼が以前使っていたフォースエッジや、彼の弟が使っていた魔具のように手や足で使用するものではなく持ち主と同化する魔具「衝撃鋼ギルガメス」だった。同化するとともに両手両足を硬質化させ、籠手と具足の形状に変化させた。背中や肩にも小さな羽根が装着され、口元はフェイスマスクによって覆われた。

 

「…………」

 

 バージルはまるで鎧を着けたように硬質化した自分の手を、握ったり開いたりした。二、三度それを繰り返すと、今度はまるで力を溜めるように腰を低く落として右の拳を構えた。そうすると右手から蒸気のようなものが噴出した。

 

 それを確認し、溜めていた力を解放した。狙いは地獄門。恐るべき力が込められた拳が門に直撃する瞬間、右腕から杭のような物がパイルバンカーのように飛び出した。その強烈な威力と衝撃に地獄門が耐えられるわけもなく、呆気なく破壊さればらばらになり吹き飛んだ。

 

 だが、それで終わったわけではない。飛ばした破片を逃がさぬようにエアトリックで回り込むと、今度はそれを上空に蹴りあげていった。それもただ上に飛ばしたわけではなかった。上下に一直線になるように絶妙なコントロールを行いつつ蹴り上げていたのだ。

 

 そして、最後の破片を蹴り上げると同時に自らも跳躍し、ひとまとまりなった破片を月輪脚で両断した。着地しフェイスマスクが外れた彼の口元には珍しく、嬉しそうな笑みが浮かんでいた。

 

 

 

 

 

「なんだ、まだいたのか」

 

 バージルが未だこの場にいたアティに冷たく声をかけた。

 

「えっと、バージルさん……今の生き物は……?」

 

「悪魔だ。……もっとも貴様らが知っている悪魔とは違う存在だろうがな」

 

 そう言うと踵を返し、無限界廊の出口へ歩いていく。アティも慌ててそれに続く。

 

「あの、訊いてもいいですか?」

 

 少し歩いたところでアティが少し先を歩いているバージルにそう尋ねた。

 

「何だ?」

 

「どうして……どうして、そんなに戦うんですか?」

 

 その問いかけにバージルは足を止めた。しかし振り向くことはせず、ただ一言答えた。

 

「I need more power」

 

 ダンテに敗れはしたものの、いや、敗れたからこそバージルの魂は以前より強く、そう言っているのだ。

 

バージルの目的は今でも変わっていなかった。もっと力を、父スパーダのような絶対的な力を手に入れるのだ。

 

 力こそが全てという考えは、未だに変わることはなく彼を動かしていた。

 

「バージルさん……」

 

 圧倒的な強い意志の宿る言葉。力への渇望。バージルの本心を垣間見たアティは何も言えなかった。

 

 あの森での戦いのときどうすることもできずただ見ているしかできなかった自分が、確固たる意志を持って戦っているバージルに何か言う資格はないのかもしれない。

 

 それでも彼女は諦めたくはなかった。

 

(いつかきっと……)

 

 彼をその言葉から解放したい。

 

 その決意はバージルの言葉の内に潜んでいた強い憎しみ、怒り、そして、悲しみを感じ取ったからこそ生まれた、彼女の心からの願いだった。

 

 

 

 

 

 

 



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第04話 結界と魔剣

 無限界廊。その最深部で最後の敵を倒したバージルは、油断なく周囲を探っていく。物音一つしないこの空間に隠れている存在を見つけるために。

 

 しばらくそうやって辺りを注意深く調べるが、何も見つからない。さきほどまで戦っていた相手の残留する僅かな魔力を除き、なんの力も感じない。どうやらお目当ての存在である悪魔はいないようだった。

 

(無駄足だったか……)

 

 心中で呟きながらバージルは、もうここには用は無いとばかりに出口へ向かっていった。

 

 ここ最近、バージルはほぼ毎日のように無限界廊の中を探索していた。彼の力なら、ただ進んでいくだけであれば二日もあれば余裕を持って最下層まで辿りつくだろう。しかし、そうしなかったのは先程までしていたように、戦闘終了後に辺りを念入りに調べていたからだ。

 

 もしかしたら、ギルガメスを手に入れた空間と似たような場所があるかもしれない。バージルはそのように考えていたのだ。しかし現実にはなにもなく、全くの骨折り損だったが。

 

 無限界廊から出た時には、既に空は赤く染まり夕方になっていた。バージルはメイメイに戻ったことを伝え、船に戻ることにした。

 

 船への帰路でアティやカイル達にばったり会った。彼女達の服には砂埃がついており見るからに疲労していたので、なにやらひと悶着あったのは間違いないようだ。

 

 カイルの話によると、アリーゼが帝国に捕まってしまい、彼女を助けるために先程まで戦っていたのだという。なお、バージルを呼ばなかったのは、無限界廊まで呼びに行く時間がなかったためだという。

 

最もバージルはまったく構わなかった。つい先日は、島の畑を荒らす泥棒を捕まえるというバージルにしてみれば至極どうでもいいことに付き合わされ大いに迷惑したのだ。ちなみにその泥棒は、カイル達と同業者にして顔見知りのジャキーニ一家という海賊だった。

 

 幸い彼らはバージルの殺気にあてられたのかすぐに降参したため、閻魔刀で切り刻まれることも、ギルガメスでミンチにされることもなかった。今は罰として、ユクレス村で農作業に従事している。

 

「そういやよ、昨日ジャキーニから気になることを聞いたんだが……」

 

 前置きしてカイルが話したのは、ジャキーニ達が船でこの島を出ようとするたび、嵐が発生してこの島に戻されてしまうということだった。それが正しいとすれば船が直っても、この島から出ていくことができないことを意味している。

 

「結界か?」

 

 バージルの疑問にヤードが答えた。

 

「現時点では何とも言えませんが、おそらくは……」

 

「……そうか」

 

 当面の目的を、この島から出ていくこととしているバージルにとっては非常に不都合な話であり、まずはその真偽を確認しなければならないだろう。

 

 

 

 

 

 その日の夜、バージルは砂浜から海を眺めていた。無論、ただ漠然と眺めていただけでない。意識を集中し、この島に張り巡らされていると思われる結界を探っているのだ。

 

「面倒だな……」

 

 確かにヤードの推測通り、この島の周囲には結界が張り巡らされているようだった。だが、それを発生させている源の位置は分からなかったのだ。

 

 それでもバージルだけ通り抜けるならば、その時に結界を閻魔刀で斬るなり魔力で吹き飛ばすなりして一時的に無効化すればいいし、最悪でも嵐の中を突き抜ければいい。

 

 もっともそれができるのは陸上での話だ。船で抜けるとなれば話は違ってくる。結界を無効化するにしても船が通り過ぎるまで無効にできるとは限らない。嵐の中を突き進むのはジャキーニという失敗例があるので論外だ。

 

(やはり根本から断つしかないか)

 

 結論を出し船に戻るため踵を返した時、不意に声を掛けられた。

 

「あれ、バージルさんじゃありませんか?」

 

 バージルは声をかけてきたその存在が近くにいることを魔力で感じ取っていたのだが、声をかけられるとは思っていなかった。彼の知るその人物は寡黙であり、無駄な会話をほとんどしないからだ。

 

 しかしかけられた声はバージル思っていた声ではなく、女性の声だった。

 

「…………?」

 

 不思議に思い振り向くとそこにいたのは、薄い青と白の二色で彩られている少女だった。

 

「……ファルゼンか?」

 

 バージルに声をかけた少女は霊界の護人ファルゼンとは似ても似つかない。しかし、彼の感じた魔力はファルゼンのそれと全く同じだった。

 

「あれ、どうしてわかったんですか? これでも普段は隠しているんですけど」

 

「魔力、いや貴様らの言い方だとマナ、か。……いずれにせよそれが同じだ」

 

「そんなことまでわかっちゃうんですか、凄いですね~」

 

「……それで、俺に何か用でもあるのか、ファルゼン?」

 

「できればこの姿の時はファリエルって呼んでくれませんか? もう他にそう呼んでくれる人もいませんし……」

 

「…………」

 

 どんどん話を進めていくファリエルに、バージルは呆れたように無言で彼女を眺めていた。

 

「あっ、ごめんなさい。私ったら一人で勝手に話を進めちゃって。……えっと、それでとくに用事はないんですけど、偶然見かけたから話しかけただけなんです」

 

「そうか」

 

 用がないのならばこれ以上話を続ける必要もないと判断し、バージルは船に戻ることにした。

 

「あの、できればこのことは他の人達には黙っていてもらえませんか」

 

「わかった」

 

 振り向かず短く返した。ファルゼンの正体が誰であろうと彼にとってはどうでもいいことなのだ。

 

 そもそも正体を隠しているのなら、先程のように誰かに話しかけるようなことはすべきではないとバージルは思っていた。完璧主義の彼からすれば正体が露見する危険性があることは必要な時を除き極力すべきでないのだ。

 

 そんなことを考えながら船に向かって歩いていった。

 

 

 

 

 

 翌日、バージルはこの島の結界について話すためにヤードの部屋を訪れていた。彼の部屋もバージルと同じように客室であるらしく、基本的な間取りは同じだった。ただ、机の上や小さな本棚には本が所狭しと置いていあった。

 

「やはり、結界でしたか」

 

「……ここは召喚術の実験場だったらしいな」

 

 バージルは椅子に座りながら自分の考えを話した。それは、実験場というこの島から召喚獣が逃げ出さないようにするための結界ではないか、というものだった。

 

「そうでしょうね。さらに言えば、外部からの侵入を防ぐ防壁の役割も兼ねているのではないでしょうか?」

 

「その割に多くの侵入者を許しているようだが」

 

 ヤードの推論を否定した。彼の推論が正しければカイル一家や帝国軍、ジャキーニ達がこの島にいるのはおかしいだろう。

 

「いえ、そうとも限りませんよ。私達も彼らもこの島に来た原因は『剣』が巻き起こした嵐が原因でしたから」

 

「つまり、あれには結界を無力化する何かがある、ということか」

 

「はい、……もしかするとこの島は無色の派閥に関係ある施設かもしれません」

 

「無色の派閥……確か、召喚師を頂点とした国家の誕生を目指している集団だったな」

 

 以前カイル達と会ったばかりの頃に聞いた話を思い出したのだ。無色の派閥は目的のためなら手段を選ばず、過激な思想の持ち主が多いテロリストのような集団である。

 

「その通りです。……ただ、この島についてはもっと調べてみないとなんとも言えません」

 

「そうか」

 

 バージルは座っていた椅子から立ち上がった。もう話すことはない。

 

「お役に立てず申し訳ありません」

 

「礼を言う、おかげでやるべきことが見えてきた」

 

 これから為すべきことは島を取り巻く結界の解除。そのためにアティの持つ剣とこの結界ひいてはこの島との関連性の調査だ。

 

(まずはこの島を調べるとするか)

 

 島の調査を優先すると決めたバージルは早速外へ出かけていくのだった。

 

 

 

 

 

 まずバージルが行ったことは、この島の実験施設の場所を探すことだった。結界が檻としての意味があるなら、それを発生させているのも実験施設ではないかと考えたのだ。

 

 そのためにまず、近くにある霊界集落「狭間の領域」と鬼妖界集落「風雷の郷」を回ったのだが、どちらも言い方は別だが教える気はないようだった。

 

 おまけに途中でイスラという記憶喪失の少年を連れたアティに会ってしまい、時間を浪費してしまったのだ。

 

 彼女の話によるとイスラは少し前に海辺で倒れていたところを助け、機界集落「ラトリクス」のリペアセンターで治療を受けていたが、今は気分転換も兼ねて島の中を案内しているとのことだった。

 

 その後もラトリクス、幻獣界集落「ユクレス村」と回ったのだが、やはり色よい返事はもらえなかった。

 

 ならば、とバージルは直接探すことにした。結果的に無駄足になってしまったが、4つの集落を自分の足で回ってみたことでこの島の位置関係をある程度把握することができていた。

 

 まだ調べていない場所で、なおかつそういった施設がありそうなのは、中央部から北部にかけてある山の周辺だけだった。

 

 そう考え山の方を調べると、山の麓の辺り、鬱蒼と生い茂る森の中に建造物を見つけたのだ。それは戦闘で破壊された形跡があり、かつてその場所が戦場であったことがうかがえた。

 

 さらに詳しく調べようとその遺跡に近付いたとき、この場に近付く気配を感じた。

 

 実験施設について各集落に聞いて回った際に住民が何も答えなかったように、実験施設について、ひいてはこの島の過去に付いて、島の住民は触れられたくない部分のようだった。そんな彼らに、見るからに怪しく戦闘の形跡すらある場所を調べている姿を見られるのは得策とは言えない。

 

 そのため、バージルは近付いてきた存在がこの場を離れるまで隠れていることにした。

 

(あれはアティと……アルディラ、だったか)

 

 姿を現したのはラトリクスの護人であり、融機人でもあるアルディラと彼女に案内されるように後ろを歩くアティだった。融機人とは機械と人間が融合した機界ロレイラルの人類である。

 

 バージルは木の陰に身を隠し二人の話を盗み聞くことにした。剣の持ち主であるアティを連れてきたアルディラには、何らかの考えがあるのではないかと思ったのだ。

 

 遺跡の前で立ち止まったアルディラは話し始めた。彼女の話によるとこの建造物は「喚起の門」といい、召喚とそれによって呼び出した召喚獣を使役させるために必要な誓約を自動で行う装置だというのだ。

 

 この門を作った召喚師はより強い力を得るために、喚起の門によって呼び出された召喚獣を使って実験を行った。その挙句、召喚師達は互いに争い自滅した。その際にこの門も中枢部を破壊され制御を受け付けなくなってしまい、現在では偶発的に作動しては何かを呼び出すだけのものになった。

 

 しかし、アティの持つ碧の賢帝(シャルトス)には喚起の門に働きかける力があり、その力を使えば遺跡を正常に戻すことが可能であるという。現に魔力の共鳴現象によって喚起の門が鳴動していた。

 

(やはりこの遺跡と剣は関係があるようだな)

 

 アルディラの話を聞きながら思考を進める。遺跡と関係のある剣の持ち主であるアティをこの場に連れてきた彼女の目的はなんなのか。バージルにはそれが門の制御であるとは思えなかった。むしろもっと個人的な、それこそ他の護人に知られては都合の悪いことなのかもしれない。

 

「うあ、ああああっ!」

 

 突然アティの手に碧の賢帝(シャルトス)が現れ、彼女は悲鳴を上げた。他の者にはただ苦しんでいるようにしか見えないが、バージルには見えていた。喚起の門からアティに魔力が流し込まれているのを。

 

「しかたない、か」

 

 バージルはアティを自分の手で助けることにした。結界を解除できる可能性を持った剣の所持者である彼女を死なせるわけにはいかないのだ。

 

 一応、すぐ近くまでファルゼンが来ているのは先程から感じていたが、彼女があの状態のアティを抑えるとは限らないし、そもそも味方であるという保証もない。最悪アルディラと組んでいる可能性すらある。

 

 一飛びでアティの前に降り立ち、門との繋がりを閻魔刀で切断した。それによってアティの手から剣は消え、いつもの姿に戻った。

 

「あ……バージル、さん……」

 

 アティは自分を守るように、アルディラとの間に立っているバージルの名前を呟いた。

 

「なっ、どういうつもり!?」

 

 邪魔をされたアルディラは悔しさと驚きの入り混じった顔で叫んだ。

 

「こいつに手出しはさせない」

 

 閻魔刀を鞘に納めながら睨み返した。

 

「邪魔するなら容赦しないわ」

 

「愚かな女だ……」

 

 力の差を弁えず戦いを挑むつもりのアルディラを、鼻を鳴らしながら嘲笑しつつ、ギルガメスを装着する。

 

「ダメええええ!」

 

 

 今まさに戦端が開かれそうになっているところへファルゼンが割り込んできた。よほど焦っていたのかその声はファルゼンのものではなく、本来の、ファリエルのものだった。

 

 だが、割り込んできたのは彼女だけではなかった。喚起の門の台座から巨大な蟻のような召喚獣が現れた。それも一体や二体ではなく、少なく見積もっても二十体を超えているだろう。

 

(まあいい、今はあっちを片づけるのを優先すべきか……)

 

 本来ならアティの命を脅かすのならば生かしてはおかないのだが、相手は護人である。今後のことも考慮し、今はアティを助けられただけでも良しとしたのだ。

 

 そしてバージルは新たに敵と見定めた巨大な蟻に向かって悠然と歩いていった。

 

 

 

 

 

 喚起の門から現れた強大な蟻のような召喚獣。その正体は幻獣界の辺境に生息する虫の魔獣ジルコーダである。興奮すると周囲のものを手当たり次第に噛み砕く危険な召喚獣だが、本当に恐ろしいのは餌となる植物がある限り驚異的なスピードで繁殖することである。

 

 そのため、アティ達と護人は協力してジルコーダに対処することにした。陽動が多くのジルコーダを引きつけている間に、巣である廃坑の奥にいる女王を倒すという作戦だ。

 

 そして廃坑の入り口まで来た一行は、ここで陽動を担当する者と別れることになっていた。既に入り口からも見える程ジルコーダは繁殖しており、もはや一刻の猶予もなかった。

 

「それじゃ、そっちは頼んだぜ」

 

 ヤッファがここに残る者に声をかけた。

 

 女王を倒す役目を引き受けたのは、アティにカイル達四人、そして護人のヤッファとキュウマだった。残る護人のアルディラとファルゼン、そしてバージルは陽動である。

 

「ええ、任せてちょうだい」

 

「さあ、行きましょう!」

 

 アルディラの返事を聞いたアティ達は、廃坑の奥へ走って行く。それを阻止せんとジルコーダが向かうが、数歩と動けず息の根を止められた。

 

「…………」

 

 それをしたのはバージルだった。そのまま無言でしばらく幻影剣を放っていると、廃坑から多くのジルコーダが湧いてきた。とりあえずこれで最低限の仕事は果たしたことになる。

 

「それにしても意外だったわ、あなたが残るなんて。てっきり彼女達と一緒に行くと思っていたのだけれど」

 

 召喚術を発動させたアルディラが、機界ロレイラルから呼び出した紅蓮の騎士(フレイムナイト)にジルコーダを焼却させながら、バージルに言った。

 

「貴様には聞きたいことがあるのでな」

 

「…………」

 

 その言葉にジルコーダを強烈な一撃で吹き飛ばしていたファルゼンが、バージルの方に顔を向けた。やはり先ほどの件が気になるのだろう。

 

「あの剣のこと、何か知っているな?」

 

「……なぜ、そう思うの?」

 

 質問に質問で返されることは好きではないバージルだが、ここは相手の動揺を誘う意味も込めて答えてやることにした。

 

「あの門から剣を通じて魔力が流れていたのを知っていて、無関係だと思うはずがないだろう」

 

「っ……!」

 

 アルディラは無表情を保っていたが、一瞬その瞳が揺れたのをバージルは見逃さなかった。

 

「だが、どうしても答えたくないなら仕方ない。あいつの為にもあれは遺跡もろとも破壊するとしよう」

 

 アティの為、などともっともらしいことを言っているが、アルディラの動揺を誘うためのブラフに過ぎない。もっとも、必要に応じて門を含めた遺跡そのものの破壊も視野に入れていることは事実だった。

 

「……そんなこと、させないわ」

 

「ならば知っていることを全て話せ。……少しくらいなら待っても構わん」

 

 時間の猶予をやるなど、バージルにしては随分と甘い条件だが、どうしてもアルディラが持つ情報が欲しいというわけではなかった。ただ、自分の言葉で彼女がどんな形であろう行動に移せば、そこから情報を得られると踏んでいたのだ。

 

「…………」

 

 ファルゼンは二人の会話を黙って聞いているだけだったが、何も感じていないわけはないだろう。ただバージルとしては、アルディラを止めようとしていたため、特に何かするつもりはないはなかった。

 

 そうこう話していると、廃坑の入り口から一段と多くのジルコーダが湧いて出てきた。その光景は虫が嫌いな者がみたら、卒倒しそうな様相を呈していた。

 

「……醜い」

 

 バージルはそう呟くと、廃坑の入り口を封鎖するかの如く、弧を描く様に幻影剣を大量に出現させた。もちろんその切っ先は全てジルコーダに向いている。

 

 無数の浅葱色の剣が一面を埋め尽くすという、ある意味壮観な光景に一瞬目を奪われたアルディラとファルゼンだが、次の瞬間にはその剣はジルコーダを無惨に突き刺さり、肉片へと変えていた。

 

「後は中だけだな……」

 

 バージルが託されたのは陽動という役目ではあるが、そもそもの目的はジルコーダの駆除だ。引き付けた敵を殲滅したのだから、後は中にいるジルコーダを始末していっても文句は言われまい。

 

 そう考えたバージルは、多くの死骸が転がる廃坑の入り口を通り、アティ達の後を追うように廃坑を進んで行く。アルディラとファルゼンは入り口に残るかと思っていたが、手持ち無沙汰となった二人も後ろをついてきていた。

 

 しばらく、無言で進むと開けた場所に出た。かつてはここで有用な鉱物でも採掘していたのだろう。だが今は、ジルコーダの女王とアティ達の戦いの場になっていた。

 

 その戦いも既に佳境で碧の賢帝(シャルトス)を抜いたアティが、女王に魔力による強力な一撃を浴びせていた。

 

「おう、そっちも片付いたみたいだな」

 

「これで一件落着、ですね」

 

 アティと共に戦っていた二人の護人が、戦いが終わったことを告げる。どうやらバージルは一足遅かったようだ。

 

 

 

 

 

 ジルコーダとの戦いが終わり、皆で鍋を囲んで宴会をしていた。これまで良好とは言えなかった島の者達との関係だが、共通の敵を得てようやく改善に向かったのである。

 

 そんな中、バージルとキュウマが酒を飲みながら、話しているのを見かけたカイルが、物珍しさから声をかけた。

 

「お、珍しい組み合わせじゃねぇか、何の話をしていたんだ?」

 

「シルターンの戦闘術について話をしていたのですよ。居合などはバージル殿も使われるようですからね」

 

「へぇ……、そういや俺の使うストラも、元はシルターンから伝わってきたって話を聞いたな」

 

 キュウマの話を聞いて、カイルが昔聞きかじった話を思い出した。

 

「ええ、確かそうです」

 

 今でこそリィンバウムでも使う者が少なくないが、ストラはシルターンの技術なのだ。ただ、それを使うのに理論的な理解は必要ない。技術さえ習得すれば使えるようになるのだ。おそらくそうした特徴が、ストラがリィンバウムでも広まった理由だろう。

 

「なら、お前も使うことができるのか?」

 

「いえ、自分は使えませんよ。シルターンでも習得するのは、徒手空拳で戦う者がほとんどなのです」

 

 バージルの問いにキュウマは苦笑しながら答えた。

 

「なるほどな。ということはさっき言ってた居合も使えないのか?」

 

「私は戦忍ですし、ある程度は使えますよ。さすがに本職には劣りますが……」

 

 話を聞きながらバージルは酒の入った杯を傾け、残った酒を飲み干した。

 

「……少し風に当たってくる」

 

 元より酒には強くないことを自覚しているバージルは、酔いを醒ますために立ち上がった。そして喧騒を離れ一人静かに佇んでいると、そこへアティが声をかけた。

 

「あの……、バージルさん」

 

「なんだ」

 

「遺跡の時は助けてくれてありがとうございました」

 

「ああ……」

 

 アティの礼の言葉に、バージルはぶっきらぼうにそう返した。

 

「あの、どうして助けてくれたんですか?」

 

 彼は自分に敵意のある者には容赦はないが、それ以外には非常に無関心なことはこれまでの共同生活で理解していた。喚起の門の時もバージルには何の害もない筈なのに、どうして助けてくれたのか疑問だったのだ。

 

「お前に死なれては困るからだ」

 

「…………へ?」

 

 たっぷり五秒ほどかけてアティはようやく反応した。もし同じ言葉をカイルやソノラに言われたのならば、こうはならなかっただろう。だが、それを言ったのはアティから見ても、他人を気にかけるような真似はまずしないバージルである。

 

 そんな彼が自分にこんな言葉をかけるなんてまるで―-

 

「え、ええと、あ、あの、それってどういう……」

 

 ――自分のことを特別に想ってくれているんじゃないか。そんな風に考えてしまった。

 

「言葉通りだ」

 

「つ、つまり、その、バージルさんは――」

 

 彼の真意を確かめようとするが、その言葉を最後まで言うことはできなかった。

 

「おーい、二人ともそろそろ帰るよ~」

 

 宴もお開きなったようでソノラが呼びに来たのだ。

 

「ああ」

 

 バージルは短く返答し戻っていった。

 

「あれ、先生顔真っ赤だよ。お酒飲み過ぎたの?」

 

 顔がこれまでにないほど紅潮したアティを心配したのか、そう問いかけた。もちろん正直に答えられるわけがない。

 

「だ、大丈夫です!」

 

 慌てて歩き出す。

 

 アティは先程までの自分の言動を振り返って、顔から火が出る思いだった。彼のことだから、きっと自分が思っていたような意味で言ったのではないのだろう。それなのに早とちりして、あんなことを口に出そうとしていた少し前の自分を叱ってやりたかった。

 

 しかし、彼女の中にはさきほどの言葉に期待してしまう部分もあった。

 

(もし、ほんの少しだけでも私のことを考えてくれてたら……)

 

 そこまで考えてはっとなり、頭をぶんぶん振ってその想いを追い払おうとする。その横でソノラが不思議そうな顔をしながらが見ていた。

 

 結局、彼女の顔の紅潮は船に戻るまで取れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 




今回は戦闘はカットしてバージルのこの島での目的、そして剣と遺跡の秘密に迫る部分を中心に描きました。

なにしろバージルの性格を考えると、戦闘では特別な理由がない限り相手を殺すでしょうし、なかなか序盤の敵と戦わせるのは難儀なのです。

それはさておき、最後まで読んでいただけたのなら幸いです。

ありがとうございました。




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第05話 決意

 ジルコーダの一件以来、島の住人と交流をする機会が大幅に増えていた。それはバージルも例外ではなく、たまに各集落に出向いては戦闘術や独自の技術について見聞きしている。

 

 ただ、そういったものが文書等の記録として残っているのはラトリクスか風雷の郷だけであり、もっぱらその二つの集落からデータや書物を借りるのが主で直接誰かから聞くのは多いことではなかった。

 

 だが、現在はそういったものを見ているわけでも、話を聞いているわけでもはなかった。難破したジャキーニ達の船から読めそうな本を回収していたのだ。

 

 以前ユクレス村に幻獣界の呪術等の話を聞きにいったとき、偶然オウキーニと会ったため戦闘に使える本を持っているかと聞くと、「本なら少し船にあったがどういうのがあったかまでは覚えていない」という話をしていたので、直接調べに来たのだ。

 

 ところが、一部の本は海水に濡れたせいで読めなくなっており、それ以外も以前に必要ないと判断したストラ関係の本が何冊かあったくらいで、めぼしい収穫はなかった。

 

(あれは……)

 

 とりあえず船に戻ろうと森の中を走る道を歩いていると、道の脇に生えている木の根元でアティが寝ているのを見つけた。

 

 だが、それだけでない。近くの木の陰に、バージルが知らない魔力の持ち主もいたのである。気配からこちらの様子を窺っているようだ。

 

「…………」

 

 そこで隠れている所に幻影剣を放ってみることにした。当然、ただの木に防げるはずもなく幻影剣はその木を貫通した。そしてそこに潜んでいた存在は、他の草むらに隠れようとしたのか、慌てた様子で転げ出てきた。

 

 しかしバージルは、その動きを読んでいたかのように、その存在の目の前に幻影剣を突き立てた。

 

「その服装、帝国軍か……」

 

 そこにいたのは陣羽織のような帝国軍の軍服を着ている女だった。

 

「くそっ……」

 

 その女は憎らしそうにバージルを睨みつけながら、立ち上がり剣を構えた。その動きはよく訓練されたものであり、少なくとも以前戦った帝国軍の者達と同類に見ることはできない。

 

 そうは言いつつも、バージルは女とは対照的に、閻魔刀に手に掛けてもいないし、ギルガメスも装着していなかった。ただいつも通り立っているだけだ。

 

「ふ、二人とも何してるんですか!? やめてください!」

 

 そんな二人の間に、目を覚ましたアティが止めに入ってきた。

 

「俺は戦うつもりなどない。こいつが向かってくるなら話は別だがな」

 

 事実、バージルが最初から殺すつもりなら、女はもう既に死んでいるだろう。つまり彼女が生きていることが、彼の言葉を証明するなによりの証拠なのだ。

 

 そして、相手もこの場で戦う気は薄いように見える。剣は構えているものの、一向に攻めかかろうとはしないのだ。

 

 バージルの力を感じ取っているのかもしれないし、部下も呼べないこの状況で、戦う愚を犯したくないのかもしれない。

 

「アズリア、私達は引き下がります。だからここで戦うのはよしましょう!」

 

「……よかろう。だが、剣は必ず渡してもらうぞ!」

 

 そう言ってアズリアと呼ばれた女は、森の中に消えていった。

 

「はぁ……、それにしても、どうしてあんなことになっていたんですか?」

 

 何とか戦いをせずに場を収められたことに安堵の息を漏らしたアティが、バージルに状況の説明を求めた。

 

「お前が間抜けな顔で寝ているのを見かけた時、こちらを窺っている気配を感じたのでな。少し牽制しただけだ」

 

「ま、間抜けな顔でなんてしてませんっ! ……っていうより、人の寝顔なんて見ないでください!」

 

 しかしアティはバージルの話した理由より、バージルが言った「間抜けな顔」という言葉の方が気になったようだ。やはりアティも年頃の女性らしく、そのあたりは気になるのだろう。

 

「そもそも、こんなところで寝なければ済む話だ」

 

「それは、そうですけど……、少し疲れていたから、ここで休んでいこうかなって思って……」

 

 言いづらそうしながら口を開いたアティから、寝ていた理由を聞いたバージルは、鼻を鳴らして言葉を返した。

 

「それで敵の接近を許しては意味などあるまい。それとも何かもっともな理由でもあるのか?」

 

「うぅ……、ご、ごめんなさい……」

 

 バージルの正論にアティは、しょんぼりとして謝るしかなかった。アティとしてはアズリアを敵と思っていなかったが、バージルにそんな理屈が通用するとも思っていなかった。

 

「……分かったのなら、今度は自分の部屋で寝ることだ」

 

 だいぶ申し訳なさそうに謝るアティの姿に、バージルも気勢を削がれたのか、それだけ言ってこの話は終わりとなった。

 

 そして二人が、あらためて船に戻るため道を歩いていると、カイルやアリーゼ達とばったり会った。

 

 いつもと様子がおかしかったアティを探しに来たのだそうだ。

 

 そしてアリーゼたちと合流し、船に戻った。しかし、そこで解散とはならず、皆は船長室に集まり話をすることにした。先程の件に付いて話し合うためである。

 

「そういえば、バージルさんはアズリアとは初めて会ったんですよね? 彼女が島にいる帝国軍の指揮官なんです」

 

「そうか、あの女が指揮官か……」

 

 アティの説明を聞いたバージルが呟いた。他の者はすでに会っていたため知っていたのが、バージルは今回が初めての邂逅だったのだ。

「そのとおりです。……たぶん、彼女が指揮する帝国軍は、とても厄介な相手だと思います」

 

 確信をもってそう言うのだから、アティにとってはいろいろと因縁のある相手なのだろう。

 

「しかし先生よ……、いくら相手が厄介だからと言って、引くわけにはいかねえぜ。俺達はヤードと約束してるんだ。必ず剣を誰の手も及ばない所へ捨てるってな」

 

「それにあの魔剣の力の強大さは、使っているあなたが一番よくご存じでしょう。あれを軍事利用されることだけは、何としてでも避けたいのです」

 

「先生の言ってることは分かるけど、剣を渡せない以上、帝国軍との戦いを避けられないわ」

 

 三人は帝国軍との戦いもやむなし、という考えで一致しているようだ。そしてアズリアも任務である以上、実力行使を躊躇ったりはしないだろう。このままいけば、戦いは避けられなかった。

 

「ちょっと、これじゃ先生が悪いみたいじゃないのよ!?」

 

「そうですよ!」

 

 しかし、残ったソノラとアリーゼは、賛否に剣の処遇しか考えていないカイル達を非難した。その剣幕にカイルやヤードはたじたじとなっているところに、ソノラが口を開いた。

 

「そもそもあの剣ってなんなのよ!? ヤードだって知ってること全部を話したわけじゃないんでしょ!」

 

「それは……」

 

 図星を突かれたヤードが押し黙る。さらにソノラの怒りは、得体のしれない剣を持っているのに不安すら口にせず、ただ笑ってばかりのアティにも向けられた。

 

「それに先生だって、そんな剣が自分の中にあるっていうのに、平気な顔してさ……。そんなの、絶対……平気なはず、ないじゃない……」

 

「ソノラ……」

 

 そもそもソノラがアティにも怒ったのは、彼女が笑ってごまかそうとしていたからだ。

 

 結局そのままソノラは泣きだしてしまい、この件についてはまた明日に話をするということでお開きになった。

 

 

 

 

 

 翌日、アティはバージルの部屋にいた。部屋の主と話をしに来たのである。

 

「それで、何の用だ?」

 

 椅子に座って本を読みながらアティを迎えたバージルは、鋭い視線を向けながら尋ねた。

 

「昨日のことで話があるんです。……少し話を聞いてもらってもいいですか?」

 

「……いいだろう」

 

 アティの様子から、おそらく自分の今後にも関わる話だと判断したバージルは、本をぱたんと閉じて机の上に置いた。そしてアティにベッドにでも座れと、視線で合図を送った。

 

「実はさっきはみんなと話して来たんです」

 

 バージルのベッドに腰かけたアティは、先ほどまでカイル達と話してきたことを言っていく。

 

「カイルさんは、昨日のことで謝られましたけど、やっぱりヤードさんとの約束は、何があっても守るって言われました」

 

「……だろうな」

 

 まだカイルと会ってばかりだが、割と単純明快な性格をしているため、バージルにもカイルがそう言うだろうことは、容易に想像できる。ただバージルは、そうしたカイルの性格を嫌いではなかった。

 

「次に話したヤードさんには、剣について知っていることを全部教えてもらいました」

 

「ほう? どんなことだ?」

 

 剣についてはバージルも興味があり、詳しく話すようアティに求めた。

 

「この剣は、無色の派閥の始祖のゼノビスという人が作って以来、危険な品として封印されてきたものだったもので、それをヤードさんの師にあたる人が封印を破り、剣に込められた魔力と知識を引き出す研究を命じたそうなんです。……ただ、作成された目的も封印された経緯も不明みたいで……」

 

「……そうか」

 

 バージルはその説明を聞いて、引っかかることを感じた。派閥の始祖が作ったということは、少なくとも今より百年以上は前のことだろう。そんな前に作られた剣が、せいぜい作られて数十年のこの島の遺跡に影響を与えることができるは思えない。碧の賢帝(シャルトス)には、まだ知られていない秘密があるのかもしれない。

 

 遺跡自体が剣のために作られた可能性はあるが、それなら剣について研究していたというヤードが知らされてないのは不自然だし、危険を冒してまで剣を派閥から盗んできたヤードが、嘘を言っているとも思えない。

 

 だからこそバージルとしては、ヤードが知らされなかった碧の賢帝(シャルトス)が作られた目的、あるいは封印された経緯のどちらかに、疑問に対する答えがあると考えていた。

 

 そしてアティは、少し間を置いてから、バージルの顔を見て言った。

 

「ソノラにも言ったんですけど……、私だって剣に不安がないわけじゃありませんし、アズリアとだって戦いたくはないです」

 

「…………」

 

「スカーレルには私が剣を持っているのが、一番安全だと言われましたけど、自分の都合を一番にしなさいとも言われました」

 

「ならば好きにすればいいだろう」

 

 それぞれ考えがあるのは当然のことだ。だからアティも自分の思う通りにすればいい、何を難しく考えることがある、と言いたげ表情を浮かべながら言った。

 

「私だって剣を帝国軍に渡すわけには行かないってことくらい分かります。でも、やっぱり私は……、アズリアとは戦いたくないんです。争いたくないんです……! 私はどうしたらいいんですか……?」

 

 目指したいことは分かってるのに、そのための方法が分からない。結局は剣を渡すか戦うしかないのだろうか。

 

「俺なら脅しでもかけて剣を諦めさせるが、お前はそんな答えを望んでいるわけはないだろう?」

 

 戦わず帝国軍に剣を諦めさせるにはそれくらいしか思い浮かばなかった。そもそもバージルは、生まれ持った圧倒的な力で問題を解決するタイプだ。アティの悩みを解決できるような答えを持っているわけがない。

 

「剣を、諦めさせる……?」

 

 バージルの言葉で、アティの脳裏にこれまでの前提を覆す一つの考えが浮かんだ。

 

 これでアズリア達と共存の道を進めるかは分からない。もしかしたら逆効果かもしれない。それでも、少なくとも現状を変化させることは間違いなかった。

 

「あの……、バージルさん。お願いがあるんです」

 

「……何だ?」

 

 アティは意を決して、自分の願いを話した。

 

「この剣を、壊してください」

 

 

 

 

 

 全ての原因である碧の賢帝を壊してほしいというのがアティの願いだった。確かに帝国軍との争いも剣があるから起こっていることであるため、それがなくなれば争う理由がなくなると思ったのだろう。

 

 だが、バージルはそううまくいくとは思えなかった。もっとも、自分に関係することではないので口出しをするつもりはないが。

 

 それにしても、剣を破壊すると言うのはさしものバージルも予想外だった。折角手に入れた力をむざむざ捨てるなど彼からすればありえないからだ。

 

 それ以前に結界を解除していない今、剣を破壊するのは都合が悪い。

 

「…………」

 

「あの、もしかして壊すことは難しいですか?」

 

 無言で考え込んでいるバージルの姿を見て、アティは不安そうにそう聞いた。この剣を壊せるとすれば、自分より遥かに強いバージルしかいないと思っていたのだ。もしバージルでも無理なら、アティの考えは最初から挫折してしまうことになる。

 

「……破壊することはできるだろう」

 

 少し考えるように間をおいたバージルだったが、はっきりとそう告げた。伝説の魔剣士の血を引くバージルの力をもってすれば、碧の賢帝(シャルトス)を破壊することは不可能ではないのだ。

 

「だが、それは結界を解いてからだ」

 

「結界……っていうとジャキーニさん達が言ってた、この島から出ようとすると嵐が起こるっていうことですか?」

 

「そうだ。おそらくその結界は、遺跡の機能の一つだろう」

 

 バージルとしては推測だけで話を進めるのは好きではないのだが、この際仕方ないと割り切ることにした。

 

「それと剣はどういう関係なんですか……?」

 

「喚起の門を思い出せ」

 

 言われて彼女は喚起の門でのアルディラとの会話を思い出す。あの時彼女は言っていたはずだこの剣には――。

 

「……この剣には遺跡を制御できる力がある。だからその力を使えば結界を消すことができる、ってことですか?」

 

「確証はないがな」

 

「……バージルさんの言ってることは分かります。……でも、もう時間がないんです」

 

 アティは帝国軍との相対しなければならない時が近付いていると感じていた。おそらくアズリアが単独で動いていたのは、戦場となるこの島の地形を調査するためだろう。彼女はどのようなところかも分からぬ場所で戦うほど愚かではないからだ。

 

 そのため、これまでは偶発的な戦闘だけであったが、彼女の調査が終われば、帝国軍は大規模な行動を起こすだろう。もう猶予はほとんどないのだ。

 

「……時間は俺が稼いでやろう」

 

 仕方なくバージルは助け船を出すことにした。

 

「え……? ど、どうするんですか……?」

 

 バージルが戦うことになれば、前の帝国軍との戦いのように、文字通りの血の雨を降らせるのではないか、そう考えたアティは不安そうに尋ねた、

 

「少し脅しをかけるだけだ、殺しはしない」

 

 本来なら邪魔な者は容赦なく殺すべきなのだが、今最優先させるべきは彼女に結界を解かせることであるため、あえて、アティが納得できそうな案をバージルは提示したのだ。

 

「……本当、ですか?」

 

「ああ」

 

 短い返事。だがアティは、バージルが本気で言っていると思えた。これまで彼は嘘を言っていたことはないし、寡黙な性格のバージルなら嘘をつくより沈黙を貫きとおすだろう。

 

「それなら――」

 

「先生っ、すぐに来て!」

 

 アティが答えようとした瞬間、船の外からアティを呼ぶ声がした。外に出てみるとそこにいたのは帝国軍人のギャレオという男だった。彼はアズリアの名代として宣戦を布告した。同時に降伏を勧告し、その意思があるならば剣をもって本陣まで来いとのことだった。

 

 しかし、その中でカイル達を弱者と呼んだため、もはや彼らも収まりがつかない様子だった。

 

「私にアズリアと話す時間をください」

 

 正直、どうしたら彼女に納得してもらえるかは分からない。それでも諦めることはしたくなかった。その一心が彼女にそう言わせたのだ。

 

 

 

 

 

 島の東部にある暁の丘。ここで帝国軍が布陣していた。そこにアティはカイル一家や護人達を伴ってやってきた。

 

 これから彼女はアズリアと話をしつもりなのだが、その前に彼女は他の仲間とは少し離れたところで瞑想しているように目を瞑りながら立っているバージルに話しかけた。

 

「バージルさん、もし私が彼女を説得できなかったら……」

 

 アティとしては、できれば話し合いだけで決着をつけるのが理想だが、それがうまくいかなくても戦って傷つけあうようなことはしたくない。そんなことになるくらいだったら、脅かしてでも戦いにならない方がいいと思ったのだ。

 

「分かっている」

 

 もし、彼女の恐れる事態になったらバージルは先程話したことをやるだけだった。

 

 その答えを聞いてアティは頷くと、アズリアとの話し合いに向かっていった。

 

それと入れ替わるように、今度はカイルが話しかけてきた。

 

「さっきから先生となんの話をしてたんだ? 何か頼まれていたみたいだがよ」

 

 どうやら二人が話をしているのを見て気になったようだ。

 

「この戦いのことだ」

 

 カイルの疑問にバージルは腕を組みながら答えた。嘘は言っていないが、やけに抽象的な答えにカイルは再び尋ねる。

 

「よくわからんが、要はお前がこの戦いに来たのは、その先生の頼みを叶えるためだってことか……?」

 

「ああ」

 

 素っ気なく答えたバージルにカイルはなるほどと頷く。アティも関わっているのだから、それほどヤバいことではないだろうと思い、それ以上詳しく聞くようなことはしなかった。

 

「……しかし、あんたでも先生の話は聞くんだな」

 

 あの傲岸不遜なバージルがアティの頼みを聞くという、事実にカイルは少し茶化すような口調で言った。しかしバージルはあくまで真面目に答えた。

 

「あいつは特別だ」

 

「特別、ね……」

 

 バージルにとってアティは、この島を脱出するための鍵という唯一無二の価値を持つ存在だ。それゆえ彼女を「特別」と評したのだが、カイルにはバージルが真顔で答えたことも相まって、違う意味に捉えたようだった。

 

「ま、そう思うなら、せいぜい大切にしてやることだな」

 

「無用な心配だ」

 

 噛み合っているようで、噛み合っていない会話を続けていると、アティとアズリアの話し合いも終わりに差し掛かっていた。

 

 アティはこの島について説明し、武器を収めて話し合うことを提案したが、アズリアはむしろ、召喚術の実験場だったこの島のことを報告すれば魔剣の輸送失敗という今回の失敗を帳消しにできると考えただけだった。

 

 そして結局、二人の話はアズリアの一言で終わりを告げた。

 

「総員、攻撃開始だ! 今より、この者達を帝国の敵とみなす!」

 

 そう彼女が宣言した瞬間、バージルが動いた。大量の幻影剣を空から雨のように降らせ、正確に帝国軍の武器を弾き飛ばした。もちろん指揮官であるアズリアも例外ではなかった。

 

「なっ!?」

 

 突然のことに驚きを隠せない彼女の前に、バージルが一瞬で現れ、閻魔刀を突きつける。武器が籠手であったためか、唯一幻影剣を受けなかったギャレオが彼女を助けようとしたが、彼が一歩目を踏み出そうとしたときに。足元に幻影剣が突き刺さった。

 

「Don't move」

 

 余計なことはするな、そんな意思も込めて言った。

 

 アズリアが開戦を宣言してから10秒と経っていない。それなのに帝国軍は既に追い詰められていた。

 

「今回は見逃してやろう、だが次はない」

 

 貴様らなどいつでも殺せるといった様子でバージルは言い放った。

 

 そしてすべきことは終わったと言わんばかりに戻って行く。アティも彼の後をついていこうとしたが、途中で振り返った。

 

 そして宣言する。

 

「私、見つけてみせます。みんなが笑顔でいられる道を」

 

 決して楽な道ではないだろう。しかし、アティはもう決めたのだ。その言葉を現実のものとするために進むことを。何があってもあきらめないことを。

 

 

 

 

 

 その日の夜、バージルはある男がペンダントに向かって話しているのを眺めていた。

 

「……同じことです。いずれは、そうすることになるのなら最大限に利用すべきと考えただけのこと。僕の覚悟が本物だと証明してみせましょう。全ては、新たなる世界のために……」

 

 男が話を終えた時、バージルは話しかけた。

 

「記憶喪失と聞いていたが、一体何を忘れたんだ?」

 

「っ!」

 

 背後から声を掛けられた男、イスラは驚いて振り返った。

 

「ぼ、僕はたまに独り言を言う癖があるんですよ」

 

「貴様は通信機に向かって話すことを独り言というのか?」

 

 バージルはついさっきまでイスラが身に着けていたペンダントをいつのまにか手にしていた。それはただのペンダントではなく偽装された通信機だった。

 

「……僕をどうするんだい?」

 

 努めて冷静にイスラは聞いた。身に着けていた自分にすら気付かせずあっさりとペンダントを奪い取ることができる相手に、力で対抗することなど不可能だと悟ったのだ。

 

「増援を呼んだのか?」

 

「……呼んださ、それがどうしたって言うんだ?」

 

 正直に答えた。嘘をついても彼には全て見抜かれてしまう。そう彼に思わせる何かがバージルにはあった。

 

「このままおとなしくしていろ」

 

 さきほどの問いかけには答えず、ペンダントを握り潰しながら言って踵を返した。

 

「っ!」

 

 背を見せたバージルにイスラは「剣」を使って斬りかかろうとした。普段の彼ならもっと慎重に行動するのだが、今回は違った。すぐに奴を殺さねば大変なことになると彼の全身が叫んでいたのだ。

 

「やめておけ」

 

 振り向き、そう言ったバージルの目は恐ろしいほど冷たく、赤く輝いていた。その目に射抜かれイスラは金縛りにあったように硬直した。

 

「その程度の力で俺に挑むつもりか、人間」

 

 もはや先程までの殺気は見る影もなく消え失せ、イスラの顔には恐怖が刻まれていた。もっともそれは自分より遥かに強大な力を持つ存在から殺気を受ければ当然かもしれない。

 

 思えばバージルがこの世界の人間に殺気を向けるのは、この男が最初だった。これまでの人間はほとんど敵対の意思がない者ばかりであり、唯一の例外である帝国軍にしても、最初に森で斬殺した者達は敵とすら思っていなかったし、今日戦った者達に至っては最初から殺さないように手加減していたのだ。

 

 そのため、イスラは初めてバージルから敵として認められた人間であるとも言える。もっともそれは決して幸運なことではない。むしろ彼にとっては人生最大の不運だとも言えるだろう。

 

 そんな恐怖に呑まれた姿を見たバージルは、その様子を鼻で笑うとそのまま歩いていった。

 

 硬直が解け、極度の緊張から解放されたためか地面に膝をつき肩で息をした。

 

「なんで……」

 

 信じられないと言わんばかりの弱々しい声が漏れた。

 

 彼はバージルと目があった瞬間何かを感じたのだ。

 

 最初は何か分からなかった。

 

 そして、汗が吹き出し、鼓動が速くなり、身動き一つできなくなると嫌でも思い知らされた。

 

 それは恐怖だった。頭ではずっと死を望んできたというのに、実際に殺されると思うと恐怖で体が竦んだのだ。

 

 あまりにも情けなく惨めだった。

 

「僕は……僕は一体どうすればいいんだよ……教えてよ、姉さん……」

 

 絶望しきった声が虚しく砂浜に響く。だが彼の言葉に応える者は一人もいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 




今回は前回の後書きでも話をした、バージルが戦闘で相手を殺さない状況を作り出してみました。また、イスラとの会話も描くのに難儀しました。

いかがでしたでしょうか。

ご意見、ご感想お待ちしております。

ありがとうございました。


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第06話 遺跡

 帝国軍とのいざこざから数日たった。彼らはあれ以来目立った動きは見せていない。バージルの行った脅しは効果があったようだ。

 

 彼が見せた力は剣の奪回を困難と思わせるには十分な抑止力を発揮したようだ。

 

 今後の帝国軍はおそらく、十分に作戦を練り勝算があると判断するまで仕掛けてはこないだろう。つまり、帝国軍に剣を奪回される恐れがない今こそ遺跡を調査する絶好のチャンスなのだ。

 

 もちろんバージルはこの機会を逃すことなく、遺跡を調べる腹積もりだった。つけ加えるなら、いまだ何の動きも見せないアルディラを待つのも限界だったのだ。

 

「バージルさん……? こんなところで何してるんですか?」

 

 そうして、喚起の門の方へ歩いて向かっていると、偶然アティと会った。

 

「遺跡の調査だ。このままでは船が直っても、島を出て行くことができないからな」

 

 特に隠すことでもなかったため、バージルは正直に話した。それを聞いたアティは逡巡するように、視線を動かした。そして決心したように頷くと口を開いた。

 

「調査、ですか、……あの、一緒に行ってもいいですか?」

 

「構わん」

 

 もともと今回は、以前調べることのできなかった喚起の門以外の遺跡を調査することを目的としていた。そのため遺跡に影響を与える剣を持った彼女がいれば、その場で剣の力で遺跡に働きかけることもできるため、より詳細に調査できると考え、彼女と共に調査することにしたのだ。

 

 そうして、鬱蒼と生い茂った木々の間を歩いているのだが、注意を払わなければすぐ転倒しそうなほど、足元が悪いこの場所でもアティは慣れたようにバージルについてくる。元軍人と言うのは伊達ではないようだ。

 

 そうやってしばらく歩いた時、断続的に金属がぶつかり合う音が聞こえてきた。おそらく誰かが戦っているのだろう。

 

「急ぎましょう!」

 

 アティが走りながらバージルに声をかける。

 

(よほど奴はあの遺跡が好きらしいな……)

 

 むろんバージルは持ち前の魔力探知で戦っている人物が誰なのかも、どこで戦っているのかも把握していた。

 

 その人物は以前にも、遺跡に来たことのある者だった。

 

「ファリエル!?」

 

 戦いの場所は喚起の門だった。そしてそこで戦っていたのはファルゼンだ。

 

 アティがファルゼンをファリエルと呼んでいるのは、彼女が霊界の護人の秘密を知っていたからなのだろう。

 

 喚起の門で彼女が相手にしているのは、兵士の姿をした亡霊だった。それらは戦い方こそ兵士としてのそれと同様だが、人としての意識を持っていないのか、意味の分からない声を上げている。

 

「近づかないでっ!」

 

 アティの姿を認めたファリエルは叫んだ。驚くアティにさらに彼女は言葉続ける。

 

「あなたが剣の力を使ったら彼らはさらに荒れ狂ってしまうわ!」

 

 その言葉にアティは瞠目した。それでも、彼女の尋常ではない声からして嘘ではないと思った。

 

「どうやらその剣にはまだ秘密がありそうだな」

 

 そこへバージルが歩いてきた。

 

「そんなことよりファリエルを助けてあげてください!」

 

 彼に向き直りそう頼み込む。自分が助けに入ることは彼女が望んでいない。しかし、バージルなら話は別だ。

 

「……その必要はなさそうだが?」

 

 アティが慌てて振り返ると、さきほどまで狂ったようにファリエルを攻撃をしていた亡霊はおとなしくなっており、次第にその姿は薄くなっていき溶けるように消えていった。

 

 ようやく戦いが終わり、鎧が傷だらけになったファリエルにアティは駆け寄った。

 

「大丈夫ですか!?」

 

「ナゼ……ココニ、キタ」

 

 ファルゼンの声で言う。しかし、それでは言いたいことが言えないと思ったのか、ファリエルの姿になってさらに続けた。

 

「ここには近づいたらダメだとあれほど言ったじゃないですか!」

 

 確かにアティは喚起の門での一件の後、ファリエルから遺跡には近づかないように懇願されていたのだ。それでも彼女が再び遺跡を訪れることにしたのもバージルがいたからだ。彼なら自分が以前のようになっても何とかしてくれると思ったのだ。

 

「でも……」

 

 それにアティにはアティの事情がある。

 

 誰もが笑顔でいられる道を探す。あの時、アズリアに宣言した言葉を現実のものとするために、争いの原因である剣をなんとしても破壊しなければならないのだ。

 

 それをファリエルに説明しようしたとき、彼女が呻いて倒れ込んでしまったのだ。突然のことに驚いたアティは駆け寄って彼女の名前を呼んだ。

 

「し、しっかりして、ファリエル!」

 

 

 

 

 

 アティはファリエルを連れて狭間の領域まで戻った。バージルも遺跡の調査を行うより、剣と遺跡について詳しく聞くのが優先と考えたため、共に戻っていた。

 

 この狭間の領域は、魔晶と呼ばれるマナを蓄え放出する性質を持った水晶が多くあるため、マナで体を構成している霊界の者にとっては、傷を癒すのに最も適したところなのだ。それは元人間とはいっても、今は肉体がないファリエルにも言えることだった。

 

「鎮めの儀式を行うときは、必ず私に声をかけると約束をしたはずではありませんか?」

 

「ごめんね、フレイズ。彼らの目覚めがこんなに早くなってしまうとは思わなくて……」

 

 アティにとっては二人の会話は全く内容がわからないものだった。

 

「あの、もう少し私にもわかるように説明してくれませんか?」

 

「それは……」

 

 ファリエルが口ごもる。先程まで話していたことは、アティには知られたくないことのようだ。

 

(あの剣は、遺跡との繋がりだけが全てではないのか?)

 

 バージルは先程のファリエルの言葉を思い出しながら思考を走らせた。彼女の言葉は、これまで剣を遺跡の制御装置程度にしか考えていなかった己の考えを再考させるきっかけとなったのだ。

 

 碧の賢帝(シャルトス)が遺跡に影響を与えることができるのは間違いないだろう。そして、それだけではなくあの亡霊達を凶暴化させる力もあるようだ。ただし、それ以上のことは現時点ではわからない。

 

 そんなことを考えていると、フレイズを下がらせたファリエルが意を決して口を開いた。

 

「貴方達が見たものはこの島の亡霊達。私と同じく、この島で戦い死んでいった兵士たちのなれの果てです……」

 

 この島で死んだ者は魂になっても転生できず、島の中に囚われたまま彷徨い続けているとファリエルは言う。

 

「この島に囚われる。……それは結界のことですか?」

 

「彼らが囚われているのはこの島に封印されたもっと大きな力。あなたが剣から引き出している力も元々はその一部でしかないんです!」

 

 そしてアティが抜剣するたびに封印された力は解放されていく。そして完全に解放された力は島の生物に異変をもたらし、亡霊達と同じように島に囚われてしまう。

 

「結界を解くには、その力を解放しなければならないのか?」

 

 バージルとしては囚われてやるつもりなど微塵もなかったが、船を操ることができるカイル達が囚われてしまえば、結界がなくなっても島を出ることができなくなってしまうため、非常に都合が悪い。

 

「断言はできませんが、たぶんそうだと思います」

 

 彼女の言葉はバージルを納得させるには少し弱かった。

 

 だからといって無視しても構わないような話ではない。そのため、彼女の推測が正しいか確認しなければならない。やはり、もう一度遺跡を調査する必要があった。

 

 

 

 

 

 遺跡へと向かい獣道を歩いていく。先程とは違い、今回はアリーゼやカイル一家も含めた七人でそこに向かっていた。その目的は遺跡とそこに封印されているという力の調査だ。

 

 ただ、この調査を提案したのはバージルではなくアティだった。もちろんバージルもこの遺跡を調べるつもりだったので、彼女の提案に異論はなかったが。

 

 カイル達には調査のことだけではなく、結界を解けば剣を破壊することも伝えていた。もっとも彼らの目的は剣を処分することであるため、諸手を挙げて賛成したのだが。

 

「そういえば、もう片割れの剣はどうなったのかしら?」

 

 スカーレルが疑問を呈した。ヤードが無色の派閥から持ち出した剣は碧の賢帝(シャルトス)紅の暴君(キルスレス)の二つ。しかし、紅の暴君(キルスレス)だけは、いまだにどこにあるかもわからないのだ。

 

 ソノラは海に沈んだのではないと言っているが、バージルには心当たりがあった。以前、イスラと会った時に彼から一瞬、碧の賢帝(シャルトス)と同質の力を感じたのだ。

 

 もしかしたら彼が紅の暴君(キルスレス)を持っているのかもしれない。

 

  しかし、それを伝えて余計なことをされるわけにはいかない。だからこそバージル紅の暴君(キルスレス)については何も話すつもりはなかった。

 

「いずれにせよ、探し出して確実に処分するに越したことはありません」

 

 ヤードにとってそれは、何としてもやり遂げねばならない務めだと思っているようだった。

 

「なあ、バージル……」

 

「ああ、考えておこう」

 

 カイルの言いたいことはすべて聞かずとも理解できる。もう一つの剣も破壊してほしいということだろう。

 

 バージルも魔剣には興味があるため、破壊する、しないに関わらず一度それを手に入れることには異論がない。破壊の是非についてはそのあと考えればよい。

 

 そうこう話しているうちに喚起の門に着いた。カイル達は初めて来たこともあり、興味深そうにそれを眺めていた。しかし、今回目指すのはこの場所ではない。用があるのはもっと奥にある遺跡なのだ。

 

 そのまま先に進むと目的の遺跡、その入り口へ辿りついた。そこはかつての戦いでも相当の激戦地だったらしく、遺跡には無数の傷跡が残っており、草むらには兵士の骨が残されていた。

 

「入口は扉が閉まったまんまだよ、どうする?」

 

「たぶん、こうすれば……」

 

 ソノラの疑問にアティが剣の力を使うことで答えた。碧の賢帝(シャルトス)の光に反応したのか、扉はあっさりと開いた。

 

「反応したのはそっちだけじゃあなかったみたいよ?」

 

 スカーレルの視線の先には先程まで草むらの中にあった骨などが動き出していた。それは魔力で体を形作り、ファリエルが戦っていたのと同種の亡霊となって襲いかかってきた。

 

 といっても強敵というわけではなく、剣の力がなくとも負けるような相手ではなかった。

 

「やったのか!?」

 

「彼らを形作っていた魔力は霧散しました。しかし、魔力が再び満ちればまたあの姿で彷徨うでしょうね……」

 

 魔力を扱うことに長けたヤードが的確に現状を分析した。

 

 もっとも、バージルが殺した相手だけは復活することはないだろう。

 

 あの亡霊達はこの島に囚われた魂が、魔力によって体を作られることで復活する。だが、バージルの攻撃は閻魔刀であれ、ギルガメスであれ魂を削る一撃なのである。そのため彼に殺された亡霊達は魂を破壊されたため、二度と蘇ることはない永遠の眠りについたのだ。

 

 このようなことができるのは何もバージルだけではない。これは悪魔の特性なのだ。

 

 セブン=ヘルズやヘル=ヴァンガードなど依り代を必要とする悪魔や、肉体をもっていても格の低い悪魔などの例外を除けば、手足が欠損するなど肉体に深刻なダメージを与えても殺すことはできない。

 

 それは人間と違い、魂が存在するのであれば肉体のどの部分を失っても時間をかければ再生することができるからだ。殊に肉体を持った上級の悪魔になると、もはや人間の武器では傷つけることすら不可能と言っていい。

 

 逆に、肉体が無傷でも魂が失われてしまえば、上級悪魔でも死んでしまう。

 

 例えばテメンニグルにあった「狂った永劫機関」はその典型だろう。これには持ち主の魂を吸い取ってしまう力があり、長時間持っていれば肉体へのダメージがなくとも死に至るのだ。

 

 つまり、強大な悪魔を殺すには魂を破壊するしかない。そして、そのためには二つの手段がある。一つは悪魔による攻撃。もう一つは魔力による攻撃である。

 

 悪魔同士では互いを殺すのに特に何かを意識しなければならないということはない。悪魔の攻撃は基本的に、肉体への攻撃であると同時に魂への攻撃でもあるからだ。バージルが亡霊達を殺すことができたのもこのためである。

 

 そしてもう一つの手段である魔力による攻撃は、魔術やそれらによって強化された武器ならば魂を削ることが可能なのだ。レディの使う特製の弾薬などがその典型だろう。

 

「こいつらのことはどうでもいい。さっさと行くぞ」

 

 バージルは死ねない亡霊達に思いを馳せている彼らに声をかけ、遺跡に入っていった。

 

 遺跡を進んでいくと、見るからに頑丈な扉で仕切られた部屋に辿りついた。そのことからもここが重要な場所であることが推測できる。その部屋の奥には装置のようなものが設置されていた。

 

 ヤードによると、この部屋の設備は驚くべきことに、サプレスの魔法陣、メイトルパの呪法紋、シルターンの呪符を組み合わせロレイラルの技術で統合、制御しており、目的に応じた属性の魔力を大量に引き出すことが可能だと言うのだ。

 

 要はこの装置を使えば、リィンバウムを救った伝説の英雄、誓約者(リンカー)、あるいはエルゴの王と呼ばれる者と同じことができるというのだ。

 

「そんな力がこの剣に……」

 

 アティが信じられないとばかり呟いた。果たしてそんな装置にも影響を与えるだろう碧の賢帝(シャルトス)を使っていいんだろうか。そんな疑問が彼女の胸の内に湧いていた。

 

 だが、それをしなければここに来た意味がないのも事実だ。

 

「先生……」

 

 アリーゼも彼女の身を案じてか、不安げな顔で呟いた。

 

「心配すんな。いざって時のために、俺達が付いているんだからよ」

 

 二人の不安げな表情を見たカイルがそう励ます。

 

「そうですよね……」

 

 意を決してアティは抜剣した。そして剣の力を装置に向けた。

 

 最初は何も動きがなかったが、その直後アティが苦しそうな声をあげ、苦痛に歪んだ表情を見せた。

 

「先生っ!?」

 

「ちょっ、大丈夫、しっかりしてよ!」

 

 アティの様子に驚いたアリーゼとソノラが声を上げる。しかし、彼女達の声は届いている様子はなく何かに抗うように「や、メ……ロ……」と呻き、その直後さらに大きな悲鳴をあげた。

 

 予想外のことに驚きを隠せないカイル一家であったが、それでも何とか剣を引き離そうとしようとした時、邪魔が入った。

 

「書き換えの完了まで何人にも邪魔をさせてはならない。それが私の……最優先任務……」

 

 そこにいたのはアルディラだった。だが常の彼女とはどこか様子が違う。口調も淡々としており、まるで何かから操られているようだった。

 

 そんな彼女はさらに言葉を続けた。

 

「適格者の精神を核に新たなネットワークを構築することで、遺跡の機能は回復する。不要な人格を削除し、システムに最適化する、それが『継承』……」

 

 彼女の言葉からすると今アティに行われているのがその「継承」だろう。アティは人格を消されようとしているのだ。

 

(やはり制御するのは失敗か……)

 

 バージルは胸中で呟いた。ファリエルの話を聞いてから、薄々そうなることは分かってはいたが。

 

 こうなってしまった以上、遺跡を制御することによって結界を解除するとことは望めないだろう。だが、遺跡を制御することが難しくなったとはいっても、結界の解除を諦めたわけではなかった。

 

「そっちは任せる」

 

 アルディラをカイル達に任せ、アティの方へ歩いていく。急ぐわけでもなく一歩一歩彼女へ近づいていった。

 

 結界を解除するには遺跡の制御が必ず必要というわけではない。制御できないなら結界を発生させている大元を破壊してしまえばいいのだ。

 

 なにしろ遺跡の中枢部は目の前にあるのだから。

 

 バージルを妨害するため、アルディラは融機人(ベイガー)の特性を活かし、遺跡と接続して防衛兵器を起動させた。光学兵器による弾幕が彼に襲いかかるが、幻影剣で迎撃と防衛兵器への攻撃をしつつも歩みを緩める様子は見せない。

 

 カイル達にもそれは襲いかかるが、咄嗟に回避することはできた。しかし、それほど戦い慣れていないアリーゼだけは避けることができなかった。

 

 突然のことに目を瞑るしかできない彼女を救ったのはファルゼンだった。ファルゼンは身を呈して彼女を守ったのだ。その代償に鎧にいくつも傷を作りながら。

 

 バージルは最初、邪魔をしにきたのかと思ったのだが、彼女の動きをみるとアルディラを止めに来たようだった。

 

 そして、ファルゼンがアルディラの相手をし、共に来たフレイズとカイル達が防衛兵器の相手をしているため、バージルの邪魔をするのはいなくなった。

 

 しかし、装置に近づこうとすると光の壁のようなもので遮られた。

 

「無駄なことを……」

 

 こんなもので俺を止められると思っているのかと言わんばかりに、ギルガメスで光の壁を打ち砕いた。

 

 そしてアティの持つ碧の賢帝(シャルトス)に手を伸ばす。

 

 遺跡を破壊するのであれば、直接装置を破壊してもよかった。しかしそれをしなかったのは、剣から引き出せるという力に興味が湧いたのだ。

 

 彼女が剣を離そうとしないため、必然的に密着することになるがそんなことはどうでもよかった。

 

「ほう……」

 

 碧の賢帝(シャルトス)から感じる力は以前にアティが使った時より明らかに大きかった。そして思った。やはりこの剣をただ破壊するだけではあまりに惜しい、と――。

 

 とはいえ、まず為すべきは遺跡の破壊である。そのためにとった方法は、碧の賢帝(シャルトス)を通してバージルの魔力を遺跡に流し込み内部から破壊する方法だった。

 

 バージルの込めた魔力が碧の賢帝(シャルトス)に伝わり、剣の色が彼の魔力と同じ蒼に染まった。

 

 ――ヤ……メロ……――。剣からそんな意思が伝わってきたが、彼は意に介さず魔力を流し続けた。

 

 剣から莫大な魔力を送り込まれるという異常な事態に、遺跡が接続を無理矢理に断ち切った。それによって、剣との繋がりもなくなったアティは意識を取り戻した。

 

「あ……」

 

 その拍子に彼女は碧の賢帝(シャルトス)から手を放した。しかし、バージルによって握られていたため床に落ちることはなかった。

 

 しかし、これだけで納得するほどバージルは甘くない。完璧に、徹底的にやるのが彼のやり方だ。

 

 アティの手から離れた碧の賢帝(シャルトス)を装置に突き立て、再び容赦なく魔力を注ぎ込む。

 

常軌を逸したその力に耐えきれず装置には次々と亀裂が入っていき、そこからバージルの蒼い魔力が溢れ出した。

 

そしてとうとう耐えきれなくなったのか、装置はついに崩壊した。

 

 途方もない力を流された碧の賢帝(シャルトス)も無事であるはずもなく、装置の崩壊とほぼ同時にばらばらに砕けた。

 

 そこまでしてようやくバージルは止まった。結界が解除されたのを感じたのだ。

 

 装置の崩壊と共に防衛兵器も停止したようだ。ようやく自由に動けるようになったアリーゼがアティに抱きついた。よほど心配でたまらなかったようだ。

 

「せんせえっ!」

 

「ごめんね、心配かけちゃって……」

 

「ほんとだよ~、一時はどうなると思ったけどね」

 

「とにかく一旦戻ろうぜ」

 

 カイルが提案する。もちろん誰も異論を唱える者はいない。誰もが亡霊との戦い、遺跡の防衛兵器との戦いで疲労していた。

 

「私……は……?」

 

 アルディラがそう声を漏らす。その様子からしてもう元に戻ったようだ。しかも、これまでしてきたことの記憶はなくなっていないようだった。

 

 やってしまったことを理解したアルディラは、こうなった経緯を話し始めた

 

 彼女がこんなことをしたのはマスター、彼女を召喚した主の声が聞こえていたからだと言う。

 

 しかしそれは本物ではなくアルディラを操るためのダミープログラムだとフレイズは言った。そしてさらに彼は続けた。

 

「楽にして差し上げます。私の手で……」

 

「ま、待ってください! アルディラはもう正気に戻ってるじゃないですか!?」

 

 アティがふらついた足取りで立ち上がり、フレイズを止めた。

 

「あなたには彼女が二度と操られないという保証ができるんですか!? もう一度同じことが起きれば今度こそこの島は破滅するんですよ! ……私はそんな危険を冒すことはできません!」

 

 フレイズはこの島を守ること、そして何より主であるファリエルを守ることを最優先にしているのだ。その想いがアティの言葉を振り切って、剣を構えさせた。

 

 しかし、それでアルディラを斬ることはできなかった。幻影剣によって剣を弾かれたのだ。

 

 先程まで装置の前にいたバージルが、いつの間にかすぐ近くまで来ていた。

 

「俺がそいつから話を聞くまでは生かしておいてもらおう」

 

 この遺跡について知っていること全てを話してもらうまで、彼女を死なせるわけにはいかない。

 

「そうね、あの装置はあんなだし、急いで結論を出す必要はないんじゃないかしら?」

 

 スカーレルが同意する。

 

「……わかりました。この場は剣を収めましょう」

 

 フレイズの言葉でこの問題は先送りになり、とりあえず船に戻ることにした。

 

 だが、アルディラのことに意識を割かれていたためか、ついに誰も気付かなかった。砕けた碧の賢帝(シャルトス)の欠片がバージルの手元にあることに。

 

 

 

 

 

 

 

 




いろいろと独自設定、独自解釈が多くなった第6話ですが、いかがだったでしょうか。

感想お待ちしております。

ありがとうございました。





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第07話 過去

 バージルはアティと共に、狭間の領域の瞑想の祠を目指して歩いていた。

 

「ファリエルは会ってくれるでしょうか……」

 

 アティは自信なさげに呟いた。遺跡の一件から数日。これまでファリエルやアルディラは誰とも会おうとはしていない。アティが面会に行っても、そのたびにフレイズやアルディラの補佐をしている医療用看護人形(フラーゼン)であるクノンから面会を断られていたのだ。

 

「あいつらには会わなければならん」

 

 バージルは断じた。当初、彼は遺跡や剣を破壊するというこの島の者にとってはとんでもないことをしたため、近いうちに遺跡について話ができると思っていたのだ。

 

 しかし、今に至るまで全く動きがなく、これでは埒が明かないと考えたのか直接話を聞くため出向いてきたのだ。

 

「やっぱり、まだ剣を壊さない方が良かったんじゃ……」

 

「そのかわりお前が遺跡に乗っ取られていただろうがな」

 

 事実、バージルが何もしなければアティは人格を消され、遺跡は復活していた可能性が高い。

 

「それはわかっていますけど……」

 

 アティとて、バージルに助けてもらわなければどうなっていたかくらい想像がつく。それでも、みんなが傷つかないですむ方法が会ったのかもしれないと考えてしまうのだ。

 

「お前がいくら考えたところで何も解決はしない。そんなことをする暇があったら、あいつらに会う方法を考えておけ」

 

 言葉は悪いが、バージルの言うことも一理ある。既に起きてしまったことをあれこれ考えるより、これからのことを考えたほうがはるかにマシだ。

 

「……そうですね、そうします」

 

 しばらくして瞑想の祠に着くと、ファリエルに会いたい旨の話を彼女の副官であり護衛獣でもある天使フレイズに伝えた。

 

「今はまだ、あなたをファリエル様に会わせるわけにはいきません」

 

 しかし彼にはにべもなく断られた。

 

「ファリエルがそう言ったんですか?」

 

「私の独断です。ですがあの方の消耗は限界に達しています。自己を保つことすら難しいほどに……、ですからファリエル様のことを考えていただけるなら、ここはお引き取り下さい」

 

 フレイズが悲痛な顔で告げる。

 

 二人のやり取りを見て、やはり埒が明かないとバージルは口を開いた。

 

「それがどうした?」

 

「なっ!?」

 

「ば、バージルさん!?」

 

 容赦ない言葉に二人が声を上げた。

 

「貴様らの都合は関係ない。早く連れて来い」

 

「……あなたがそうやって、自分の都合を優先させるのなら、私も私の都合を優先させるまでです!」

 

 声を荒げ、剣を構える。主を傷つける者は誰であろうと許しはしない。それがフレイズの護衛獣としての務めだった。

 

 対するバージルは閻魔刀の柄に手をかける。フレイズが向かってくるなら容赦なく切り捨てるつもりだろう。

 

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

 一色触発の状況にアティが慌てて止めに入る。ここに来たのはファリエルと会うためであり、戦うためではないのだ。

 

「そこをどいてください! 私は何があってもファリエル様を失いたくはないのです!」

 

 その言葉には強い後悔が滲んでいた。そして、彼女を守るためなら命を捨てることすら厭わないという覚悟も。

 

「やめて、フレイズ!」

 

「ファリエル様!? 動いては……」

 

 今にもバージルに斬りかかりそうだったフレイズを止めたのは、彼の主であるファリエルだった。

 

 そんな彼女の姿を認めたフレイズは身を案じる声を上げた。

 

「心配してありがとう。……でも、自分のことは自分で決めるわ」

 

「ファリエル……」

 

 アティが呟いた。横のバージルはもはや戦闘になることはないと思ったのか、既に構えを解いていた。

 

「っ、ですが……」

 

「お願い、フレイズ」

 

 なおも諦めず食い下がろうとする自身の護衛獣にファリエルは言った。

 

「っ……」

 

 彼女の言葉から意志の固さを悟ったのかフレイズは飛んでこの場を後にした。ファリエルはそんな彼を申し訳なさそうに見ていたが、瞬きをして言葉を発した。

 

「私の知っていること全てをお話します」

 

 剣の持ち主だったアティとそれを破壊したバージル。この二人には全てを知る権利があると考え、ファリエルは全てを話す決心をした。

 

 

 

 そして彼女の希望で場所を喚起の門に移し、ファリエルはこの島の成り立ちを話し始めた。

 

「この島の設備を、そして、この喚起の門を作り上げた無色の派閥の目的は、人の手で『界の意志(エルゴ)』を作り上げることでした」

 

界の意志(エルゴ)?」

 

 聞きなれぬ言葉にバージルは説明を求めた。リィンバウムに来て以来、この世界に関する知識は積極的に学んでいたつもりだったが、やはりまだまだ未知の単語があるようだ。

 

「この世界の形あるもの全て、界の意志(エルゴ)から別れて生じたという伝説があります。そして彼らが『共界線(クリプス)』と呼ぶ、見えない力で界の意志(エルゴ)と繋がり、影響を受けている……。だから共界線(クリプス)を支配できれば、世界を自由に操ることができると考えていたんです」

 

「支配か、愚かな……」

 

 欲の深そうな人間の考えそうなことだ、とバージルは吐き捨てた。こんな回りくどい方法を選んだ以上、無色の派閥も底が知れるというものだ。

 

「でも、彼らは本気でした。そして、その実験場として選ばれたのがこの島だったんです」

 

 大陸から遠く離れたこの島は、大規模な実験を行うには絶好の場所だったのだろう。加えて、以前メイメイが言っていたように、集いの泉というエルゴの王の遺産の影響で、四界の魔力が秘められているからかもしれない。

 

「それじゃあ、今ここに住んでいる人達って……」

 

「はい……、元々は本格的な実験の準備の為に呼び寄せられたんです」

 

 アティの想像通りの答えがファリエルから伝えられた。

 

「そこまでに手間をかけても、結局は失敗したのだろう?」

 

「そうです。……共界線(クリプス)界の意志(エルゴ)とそれに繋がった者の間で、絶えず循環し続けるものなんです。界の意志(エルゴ)に成り代わるためには、そこから送られてくる莫大な情報を理解しなければなりません。そんなこと誰にも不可能だったんです」

 

「だろうな」

 

 僅かの間ならそれもできるかもしれないが、無色の派閥が目指していたレベルには遠く及ばないだろう。そもそも人間の集中力にも限界がある。送られてくる情報を絶えず理解するのなど不可能なのだ。

 

「その装置の中枢たる『核識』になるために、何人もの召喚師が実験を行いましたが、ほとんどが実験の途中で精神を破壊されました」

 

「それなら、どうして戦いになったんですか? ただこの島の施設を廃棄すれば済む問題だと思いますけど……」

 

 アティが疑問を口にする。しかし、それに答えたのはファリエルではなかった。

 

「『核識』になり得る召喚師が一人だけ存在したからよ」

 

 アティはその声に驚き振り向いた。そこにいたにはアルディラだった。彼女はカイル達と共にこの場に来て、アティの疑問に答えたのだ。

 

「どうして、ここに……?」

 

「この子に喝を入れられてね……」

 

 スカーレルがアリーゼを見ながら言った。どうやらカイル達はアリーゼの提案で、独自に今の状況をなんとかしようと動いたようだ。やはり彼らも、このままではいけないと思っていたのだろう。

 

 その結果、アルディラを連れてくることができたのは、彼女に聞きに行く手間が省けたため、一石二鳥だった。

 

「その人の名はハイネル・コープス。彼女の兄であり、私のマスターだった人……」

 

 悲しそうな顔をしながら、アルディラは言葉を続けた。

 

「あの人は限られた時間なら『核識』としての力を完全に発揮することができた。……でもその力を恐れた派閥の幹部達は、抹消しようとしたのよ。彼の命ごと、全てを……」

 

「何を考えていたのか……愚かだな」

 

 派閥の目的を考えればハイネルこそ、唯一の成功事例なのだ。大方、自分の身が脅かされるのではないか、という疑念に駆られた結果だろうが、それにしても愚かな選択をしたものだと一笑に付した。

 

「なるほど……ありえそうな話です」

 

 だが、ヤードはアルディラの言葉に納得した。元無色の派閥の召喚師であるため、そうした足の引っ張り合いはよくわかっているのだろう。だが、それを聞いたバージルは、思わず小さな声で呟いた。

 

「本当に奴らは世界を作り直す気があるのか……?」

 

 無色の派閥が真にその目的を達成するつもりなら、足の引っ張り合いなどするはずがない。それをしているところを見ると、無色の派閥も所詮は自分の利益を第一に考える集団なのだろうと、バージルは判断した。

 

「この島を愛していた兄さんは戦いました。それを守るために、自分にできることを躊躇いもせず……」

 

「『核識』となってこの島そのものを武器に、戦うことを選んだのよ」

 

 ファリエルの言葉を引き継ぎ、付け加えるようにアルディラが言った。

 

(なるほど……、共界線(クリプス)を支配すれば、そこまでのことができるのか)

 

 無色の派閥は皮肉にも、自分が手にしようとした力で抵抗されたのだ。

 

「そして予想以上の抵抗に手を焼いた無色の派閥が投入したのが、碧の賢帝(シャルトス)紅の暴君(キルスレス)という二本の封印の剣だった。その封印の力で魔力のほとんどを失い、私達は敗北したわ」

 

「でも最後に残った僅かな力で、兄さんは無色の派閥を追い払い、島に結界を張りました」

 

「そして今に至る、というわけか……」

 

 二人の説明を聞いたカイルが呟いた。ハイネルの張った結界のおかげで島の住民達は生き残ることはでき、これまで誰にも知らされず暮らしてこれたのだ。

 

碧の賢帝(シャルトス)が遺跡と共鳴するのは、ハイネルが封印されていたからなんですね」

 

 これまで何度も使ってきた魔剣の正体を、アティはようやく知ったのだ。

 

 二本の剣と遺跡には「核識」であったハイネルの意識と魔力が封印された。それ故、剣はハイネルの意識を通じて「核識」としての能力を使い、共界線(クリプス)から魔力を引き出すことできるようになったのだ。その反面、適格者と呼ばれる「核識」となりうる資質をもった者にしか扱えない代物になってしまったが。

 

「私の願いは封印されたマスターを蘇らせることだった」

 

 自嘲気味に言うアルディラに、アティは確認した。

 

「そのために遺跡を復活させようとしていたんですね」

 

「そうよ。……もっともそれは不可能になってしまったけれどね……」

 

 アルディラの願いは魔剣が存在することが前提のものだ。バージルが碧の賢帝(シャルトス)を破壊した時点で、彼女の望みが叶うことはなくなってしまったのだ。

 

「でも、どうしてファリエルは、アルディラを止めたんですか?」

 

 ハイネルのことを大切に思っていたのは、護衛獣である彼女だけではないはずだ。彼の妹であるファリエルも復活を望んでもおかしくはないのではないかとアティは思ったのだ。

 

「確かに私は封印された兄の魂を解放することを願っていました。……でもファルゼンとして島の暮らしを見つめてきて気付きました。今の姿こそ兄が目指した理想の世界じゃないか、って」

 

「だから、アルディラを止めようとしたんですね」

 

 ハイネルの封印を解くことは遺跡の復活をも意味する。そして復活した遺跡は暴走し、島は破滅してしまうだろう。しかし、それでは折角実現した兄の理想の世界が失われてしまう。

 

 だからこそファリエルは自分の望みを捨て、島を、兄の夢を守ることを決めたのだ。

 

界の意志(エルゴ)共界線(クリプス)、核識、か……)

 

 バージルは考えをまとめる。共界線(クリプス)を通じた支配には欠片も興味はないが、それから引き出せるという力には大いに興味がある。

 

 以前のファリエルの話ではアティが使っている力は、封印されている力の一部であるという話は覚えている。

 

 バージルはその話を聞いてから封印されている力を見てみたいと思っていたのだが、二人に話を聞いてその気持ちはより強くなった。もちろん、その力が自分の眼鏡にかなう程のものであれば、手に入れるつもりでいた。そのために碧の賢帝の欠片を回収したのだから。

 

 

 

 

 

 バージルは真夜中に船を抜け出し、砂浜を訪れていた。真夜中とはいっても月が出ているため歩くには困らない明るさだった。

 

 辺りは波の音と風によって木々がざわめく音しかしない。周囲には彼以外誰もいないようだ。

 

 そこで碧の賢帝(シャルトス)の欠片を取り出した。もっともそれは名前の通りの碧ではなく、彼の魔力と同じ蒼い色をしていた。

 

 そしてその欠片の内の一つ、ちょうど柄と思われる部分を握り、魔力を込めた。

 

 すると欠片は一際大きな光を放った。それに呼応するように他の欠片が次々と集まり元の形を成していく。

 

 その様子はまるで、ジグソーパズルがひとりでに完成していくようだった

 

 そして剣は再生した。剣の形を取り戻したそれは、欠片であったときより強く蒼い輝きを放っていた。

 

 バージルはそれを手に軽く振るう。蒼い刃が大気を切り裂いた。音速を遥かに超える速度で振るったためか衝撃波が発生し、周りの砂を吹き飛ばした。

 

 続いて剣を通じて共界線(クリプス)から魔力を引き出してみることにした。そのための方法は調べてはいなかったが、実際にやってみると望むだけで剣から力を引き出せるようだった。

 

 本来は適格者が剣に封印された核識の意識と同調することで魔力を引き出せるのに対し、今の碧の賢帝(シャルトス)はバージルの魔力を核に、共界線(クリプス)から魔力を引き出しているのだ。

 

 バージルは剣を逆手に持ち替え、限界まで引き出した魔力を斬撃と共に飛ばす。結界を解除していなかったら、間違いなくそれを引き裂いていただろう威力だ。

 

 悪くない剣だった。引き出せる魔力も人間からしたらとてつもない量だろう。

 

 しかし、それはあくまで人間を基準にした場合だ。

 

 バージルの持つ魔具と比較すると、全ての魔力を引き出した状態でも、ギルガメスの半分にも満たない程度だ。もちろん閻魔刀とは比べるまでもない。

 

 特に閻魔刀は魔剣スパーダに次ぐ最強の魔剣の一本だ。閻魔刀と並び立てるのは魔剣スパーダを除けば、リベリオンくらいのものだろう。そんなものと比べられたら、どんな名剣でも霞んでしまうというものだ。

 

 一通り振るって剣の具合を確かめることもできたため、バージルは碧の賢帝(シャルトス)に魔力を込め、小さな光球にして体にしまいこんだ。

 

 これは魔具の特徴である。魔具は魔力を込めることによって小さな光の球に圧縮することができる。実際バージルはそうやってギルガメスを出し入れしているのだ。

 

 今の碧の賢帝(シャルトス)には圧縮できる以外にも、魔具としての特徴が見られる。例えば再生するという点だ。

 

 魔具は主の魔力で再生することができるのである。

 

 そうでなければバージルを相手に、ダンテがリベリオン以外の魔具で戦うことなどできないだろう。

 

 当時、ダンテが使っていた魔具は上級悪魔が転じた物がほとんどだった。もっともそれらの魔具は、本来の姿をしていればベオウルフと同じように一瞬で切り捨てられる程度の存在でしかいない。

 

 もちろん悪魔が転じた魔具であるため多少の傷は修復できる。しかし相手が上級悪魔すら一瞬で屠る実力を持つバージルが相手となると、そんな自己修復は焼け石に水だ。

 

 それがダンテに使われていたとはいえ、バージルと切り結ぶことができたのは魔力による強化だけではなく、再生能力によるところも大きい。

 

 ちなみに自己修復能力を持つのは悪魔が転じた魔具だけだ。例えばアルテミスなど魔界の技術で作られたものは、そういった能力はない。破損すれば魔力で修復するか、機械を修理するように直すしかないのである。

 

 本来、魔具とは悪魔の技術で作られたものか、悪魔が姿を変えたものの総称である。 そのどちらにも当てはまらない碧の賢帝(シャルトス)は魔具ではないはずなのだが、遺跡を破壊する際、規格外の力を持つバージルの魔力が剣に流れ、欠片になってもその魔力を内包し続けたため魔具に変化したのだろう。

 

 悪魔であるバージルの魔力が、剣に影響を与え悪魔の武器である魔具に変化させたのだ。

 

 もしも碧の賢帝(シャルトス)が、魔力(マナ)が結晶化したサモナイト石で作られていなければ、そうはならなかったかもしれない。

 

 極めて魔力を通しやすいというサモナイト石の性質があったからこそ、魔力が剣に内包され魔具として再生できたのだ。おまけに剣に封印された魔力や意識がバージルの魔力に飲み込まれた為か、遺跡を通じて共界線(クリプス)から力を得るという碧の賢帝(シャルトス)としての能力は失われずに済んだ。

 

 それでも、適格者ではないバージルが共界線(クリプス)から魔力を引き出せているのは、バージルの魔力が核識の魔力と意識を飲み込んだ時にその特性をとり込んだからだろう。いわば遺跡にバージルを適格者として誤認させているのだ。

 

(やはり、力が足りんな)

 

 碧の賢帝(シャルトス)の力は既に把握した。

 

 結果としてこの魔剣はバージルの眼鏡にかなうものではなかった。

 

 理由は単純である。力が足りないからだ。

 

 無論碧の賢帝(シャルトス)にも長所は存在する。閻魔刀やギルガメスが攻撃に特化しているのに対して、碧の賢帝(シャルトス)は魔力を障壁や結界として使えるなど汎用性が高いのだ。

 

 しかし、その力は他人を守るためには使えるものの、自分を守るだけなら相手の攻撃を撃ち破ればいいだけなので、閻魔刀でもギルガメスでも可能なのだ。

 

 そのため碧の賢帝(シャルトス)に対するバージルの評価の基準は、使える力の規模だけだ。その点碧の賢帝(シャルトス)の力は足りなかった。

 

 しかしこれがまだ存在することが知れたら面倒なことになる恐れがある以上、力が足りないからといって捨てるわけにはいかない。とりあえず碧の賢帝(シャルトス)はしばらく持っていることにした。

 

「まあいい、いずれにせよあとはこの島を出るだけだ……」

 

 既に島の結界は解いたため、あとはカイル達の船の準備ができればこの島から出ることができる。船に関しては、もうバージルができることはないので、後は結果を待つばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




ご意見、ご感想お待ちしております。

ありがとうございました。




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第08話 束の間の平穏

「なるほど、な……」

 

「お二人の様子がおかしかったのは承知していましたが、そういうことでしたか……」

 

 集いの泉。そこには四人の護人とバージルやカイル達の代表としてアティが集まっていた。

 

 この場でファリエルとアルディラはこれまであったこと全てを話した。これは誰かに言われたことでもなく、あくまで二人で話をして決めたことだった。護人として彼らにはきちんと話さなければならないと思ったのだ。

 

「素性を偽っていたことは申し訳なく思っています……」

 

 ファリエルは元々は無色の派閥の人間だ。島に住む者達を問答無用に喚び出し、今の状況に追いやった無色の派閥の人間なのだ。それを知られれば不信感を抱かれることは間違いなく、狭間の領域をまとめ上げ、護人となることなど不可能だろう。

 

 むしろ、無色の派閥のやったことを考えれば、彼女を殺したいと考える者が出てもおかしくはなかったのだ。

 

「嬢ちゃんは確かに無色の人間かもしれねえ。だがよ、長い間護人として十分よくやってくれたさ。それは中身が誰であれ消えてなくなるもんじゃねえ」

 

「その通りです。むしろあなた達のおかげで、島の危機が未然に防がれたことについては、感謝こそすれ非難するつもりなどありませんよ」

 

 ヤッファもキュウマもファリエルを責めるつもりはないようだ。そもそも彼女の問題は無色の派閥の人間であるということだけであり、彼女自身が住民に危害を加えたわけではないのだ。

 

 むしろ、より重要なのはアルディラの方だ。彼女はこの島が破滅してしまうようなことをやってしまったのだ。これは島を護るべき護人としてはありえないことだ。

 

 アルディラは自分がしでかしたことの重大さについてはよくわかっている。

 

 主であるハイネルを蘇らせるためにアティや島の住民を捧げるなんて、とてもじゃないが許されるべきことではない。

 

 そうして蘇らせたところで、彼は絶対に喜ばないことを確信していたのにも関わらず、それでもハイネルのことを諦めることはできなかった。どうしても愛しい人ともう一度会いたかった。

 

 そんなことを考えてしまう自分は壊れたのだと思った。だからこそあの時フレイズの刃を受け入れるつもりだった。結局それは果たされることはなかったが、逆にそれが一層彼女を追い詰めることになった。

 

 彼女はその後も、ハイネルへの想いを断ちきることはできなかったのだ。遺跡の一件でアティを危険に晒したことに後悔したはずなのに、この島へどんな影響をもたらすかも、よく分かっているはずなのに。

 

 もはやアルディラはどうすればいいかわからなかった。そのため誰にも会わず、ただ無為に時を過ごしていた。

 

 そこへクノンとアリーゼ達がやってきた。アリーゼ達は停滞していた状況を何とかしようと彼女に会いに来たのだ。

 

 そこでクノンは言った。あなたは忘れてしまったのですか、あの方が最後にあなたに何を望んで眠られたのかを、と。

 

 その言葉でアルディラは思い出した。ハイネルの願いはこの島を笑顔で満たしてほしい、ということだった。

 

 みんなが笑っていてくれることが彼にとって一番の幸福なのだ。

 

 それに気付いた時、彼女はもう一度だけみんなと会ってみることにした。そして、もし許されるのなら彼の願いのために生きようと思った。

 

「あんたもそうだぜ、アルディラよ。しでかしたことを悔やんでも、全部台無しにすることはするなよ。俺らは四人で護人なんだからよ」

 

 ヤッファの答えは実にあっけなかった。

 

 一見ヤッファはぐうたらそうに見えるが、実は護人の中で最も思慮深い。きっとその答えを出すのにもいろいろと考えたのだろう。そんな彼が許してくれるなら、それに応えないわけにはいかなかった。

 

「もちろんそのつもりよ」

 

 力強く頷いた。

 

「ではこれで一件落着ですね」

 

 キュウマが確認をとる。もちろん誰も反対する者はいなかった。

 

「ああ、アティ殿。一つお願いしたいことがあるのですが」

 

 散会となったため、船に戻ろうとしたアティにキュウマが声をかけた。

 

「はい、何ですか?」

 

「バージル殿に、例の件はいつでもかまいません、とお伝えしていただけませんか?」

 

「かまいませんけど、何するんですか?」

 

「稽古をするのですよ。バージル殿とは以前から、我らの技を見てみたいと言われまして。私も彼の使う剣術には興味があったのでそのように約束していました」

 

「わかりました、必ず伝えます!」

 

 バージルが戦闘の技術について、並々ならぬ関心があることは知っていた。部屋でラトリクスから借りてきた端末や本で読んでいるのも戦闘関連のものばかりであり、船の外で瞑想をしているのもより強くなるためなのだそうだ。

 

 だからこそ、今回のこともその一環なのだろうと当たりをつけた。

 

(でも、どうしてそんなに強くなろうとしてるんだろう?)

 

 彼女の知っているバージルは、既に比類なき強さを持っているのだ。さらなる強さを求める必要があるのだろうか。

 

(やっぱりあの時の言葉と関係あるのかな……)

 

 アティは以前に彼から聞いたある言葉を思い出しながら船へ戻っていった。

 

 

 

 

 

 船に戻ったアティから、護人達の話し合いの内容を聞いた。二人が特に罰を受けることなく許されたことについては、誰もが安堵していた。知らぬ仲ではないため、心配していたのだろう。

 

 話が終わり、部屋へ戻ろうとしたバージルにアティが伝言を伝えた。

 

「キュウマさんが、稽古の件はいつでもかまわないって言ってましたよ」

 

「わかった」

 

 いつも通りの短い返事をしながら部屋に戻る。

 

 バージルは以前から各世界の独自の戦闘技術について興味を持っていた。

 

 もっとも機界ロレイラル技術は科学技術、幻獣界メイトルパは種族特有の技術と、バージルが習得することができないものであったためあまり熱心ではなかったが、残りの霊界サプレスと鬼妖界シルターンについては別だった。

 

 サプレスにはマナを源として奇跡や魔法といった技術体系がある。それは直接相手を攻撃するものから傷を癒すもの、心を読むものまで様々な種類がある。

 

 バージルも魔力によって幻影剣という遠距離攻撃魔術を使っている。そのため、似たような技術である奇跡や魔法を習得できるのではないかとは考えたのだ。

 

 もっとも、それは現状では難しかった。バージルは狭間の領域の者との意思疎通ができないのだ。

 

 通常、召喚術で呼び出された者はリィンバウムの言葉に対応できるようになる。しかしそれは、人型やそれに近い召喚獣のみにしか適用されず、狭間の領域の住人はサプレスの言葉は話せてもリィンバウムの言葉は話せなかった。そのため奇跡や魔法は、本等で調べるを進めだけであった。

 

 シルターンには固有の戦闘術が存在し、それを使用する者はサムライやシノビと呼ばれている。サムライは刀を使った剣術を使用する剣士で、シノビは忍術という一種の魔法のような技術を使用する者のことだ。

 

 キュウマはシノビであり、サムライの使う剣術の心得もあるというのだ。なにしろ忍術は全く知らない戦闘技術であるため、それだけでも戦う価値はあるし、剣術にしても自分が使うものと同じであるとは限らないので、稽古とはいえ彼と戦うことができるのは幸運だった。

 

 バージルは早速、風雷の郷に向かった。

 

 郷に入ってすぐにキュウマに呼び止められ、鎮守の社で行うので先に行っていてほしいと言われた。どうやら何か準備があるようだった。

 

 彼の言葉に従い、鎮守の社に行ったバージルは辺りを見回した。鎮守の社はシルターンの神社のような場所である。今は人気がなく、適度に広いので稽古には絶好の場所といえた。

 

 しばらく待っているとキュウマがミスミを連れて現れた。

 

「申し訳ありません。ミスミ様がどうしてもと聞かないので……」

 

 どうやら彼女も稽古に参加するようだ。

 

「なに、心配無用じゃ。これでも昔は白南風の鬼姫と呼ばれていたのじゃからな」

 

「構わん、まとめて相手をしてやろう」

 

 ミスミは鬼神の力を強く受け継いだ鬼人族の者であり、その力は並大抵の召喚獣とは一線を画する。それを感じ取ったのか、バージルは彼女が参加することを承諾した。

 

「大層な自信じゃな、その自信が本当かどうか試してみるとしようかの!」

 

「ならば自分も心おきなくお相手致しましょう!」

 

 自分達を格下に見ているような言葉にプライドを刺激されたのか、二人は随分やる気を出しているようだ。

 

 バージルにとってこの稽古はシルターンの戦闘技術を見るためのものだ。そのため二人には、それを使ってもらわなければ意味がない。

 

 その点から二人がやる気を出してくれたのは好都合だった。これならば出し惜しみはしないだろう。

 

 準備は整ったとばかりに閻魔刀へ手をかけ、一言。

 

「来い」

 

 その言葉が合図となり、稽古が始まった。

 

 キュウマが身を隠すのと同時に、ミスミが薙刀を手に向かってくる。バージルがその一撃をかわしたところへ、追い打ちをかける。

 

「そこじゃ!」

 

 言葉と共に風が刃と化して襲いかかる。彼女は風を操る術を得意としていた。

 

 だが、それもバージルには届かない。素早く後ろに下がり回避したのだ。

 

「はっ!」

 

 掛け声と共に上からキュウマが襲いかかる。キュウマの居場所は把握していたので、特に驚くことのなかったバージルは冷静に幻影剣で迎撃した。

 

「!」

 

 ところが、幻影剣が当たったのは身代わりとなった丸太だった。キュウマはその隙にバージルの横合いに着地し、居合切りを放った。相手の虚を突いて倒すというシノビの極意を体現したような攻撃だった。

 

 しかし、それで勝てるほどバージルは甘い相手ではない。キュウマの居合切りを閻魔刀の鞘で受け止めた。そしてそのまま鞘を振り抜き彼の刀を弾き飛ばす。

 

 大きくのけぞるキュウマに一気に勝負をつけようとしたが、そうはさせまいとミスミが背後から薙刀を振り下した。だが、背後からの一撃であろうとバージルは、まるで背中に目でもついているように、振り向かずに鞘を使って薙刀を弾いた。

 

 そして半円を描くように鞘で二人の足を払い、閻魔刀を抜き放った。

 

「わらわ達の負けじゃな」

 

 閻魔刀の刃は二人を斬る寸前で止まっていた。それで勝敗は決したと判断したのか、体を起こしながらミスミが言った。

 

「まったく……我々二人がかりでも手も足もでないとは」

 

「まだまだ精進が足りぬようじゃの」

 

 悔しさを感じないほど清々しい負けっぷりに二人は笑うしかなかった。

 

「こちらも面白いものをみることができた。礼を言おう」

 

 二人の見せた技はバージルが望んでいたシルターン特有のものであった。それを見ることができただけでも、ここまで足を運んだ甲斐があるというものだ。

 

「……で、貴様はさっきからなにをやっている?」

 

「え……」

 

 バージルが声をかけたのは社の入り口で立っているアティだった。

 

 実は彼女はバージルが普段何をしているか興味があったので、様子を見に来たのだ。

 

「ああ、アティ殿。あなたも一緒にいかがですか? 帝国軍の剣筋にも対処できるようにしておきたいのです」

 

 いつ帝国軍と戦ってもいいように備えておく。真面目なキュウマらしい言葉だった。

 

「え、ええ!?」

 

「やつらの剣術か……」

 

 うろたえる彼女の近くで呟く。帝国軍とはこれまでに二度戦っているが、そのどちらも一方的に勝利したため、まともに戦ったことはない。当然、帝国軍の剣術など見たことはない。

 

「うむ。是非お手合わせ願おう」

 

「いや、ちょっと……」

 

「手加減はしてやろう」

 

 とうとうバージルまで参加させようとしている。もはやアティに逃げ場はなかった。

 

 

 

 

 

 ラトリクスの一角にあるリペアセンター。ここは怪我や病気の治療が行える一種の病院のような施設だ。そこでアティは診療台に座りながらクノンから治療を受けていた。

 

「珍しいですね。あなたが怪我をされるのは」

 

「ちょっとバージルさん達と稽古してるときに考え事しちゃってたから……」

 

 言葉を交わしつつもクノンは慣れた手つきでアティを治療していく。

 

「これで大丈夫です。ただし、無理は禁物ですよ」

 

「ありがとう、クノン」

 

 先程の稽古中、アティはバージルのことを考えていた。彼の強さを求める理由。それが何なのか、考えていたのだ。それが原因で注意散漫となり足を痛めてしまったのだ。もっとも怪我自体は大したことはなく、数日もすれば良くなるとのことだった。

 

「アルディラはいるか?」

 

 そこへバージルがやってきた。彼とはラトリクスに入るまでは一緒だったが、どうやら別なところに用事があるらしく、そちらに向かったのだ。

 

「先程までここにおられましたが、今は資料室にいると思います。呼んできた方がよろしいでしょうか?」

 

「ああ」

 

 クノンがアルディラを呼びに行くために退出した。彼の用事はアルディラに会うことだったようだ。

 

「あの……」

 

「何だ?」

 

 診察台のすぐ近くに立っているバージルに話しかけた。アティが座っていることもあって、彼を見上げる格好になっていた。

 

 その状態で彼女は尋ねた。

 

「なんでそんなに強くなろうとするんですか?」

 

 ――I need more power.無限回廊で垣間見たバージルの本心。現在でも圧倒的な強さを誇るバージルが更なる強さを求める理由。彼の行動の根本にあるもの。

 

 非礼なのは百も承知だ。それでもアティは知りたかった。そして、できるなら彼を支えたいとも思った。

 

「力がなくては守れはしない。何も、自分の身さえも」

 

 背中を向けて発したその言葉から寂しさの入り混じった悲哀と後悔、そしてそれらを覆い尽くさんばかりの怒りを感じた。

 

 そう感じたアティはバージルを背中からぎゅっと抱きしめた。

 

「何のつもりだ」

 

「バージルさんが寂しそうだったから……ダメですか?」

 

「……勝手にしろ」

 

「はい、勝手にします」

 

 バージルの許可も得たことで、アティはより強く抱きしめた。その背中からは彼の鼓動が聞こえる。

 

 どちらも一言も話さずただ時間が流れていった。

 

 その静寂を破ったのはクノンに呼ばれて来たアルディラだった。

 

「……お邪魔だったようね」

 

「へ……?」

 

 部屋に入った瞬間目に入ったのは、まるで恋人のようにアティがバージルに抱きついている光景。

 

「あ、あの、……ち、違います! これは、違うんです!」

 

「大丈夫よ。全部わかってるから」

 

 そう言うアルディラは全てを悟ったという表情をしていた。

 

「だから、違うんです!」

 

「心配しないで、誰にも言わないから。……それにしても妬けちゃうわね、あんなに大胆に抱きついちゃうなんて」

 

 常に冷静なアルディラにしては珍しく、意地悪く笑いながら言った。どうやらからかっているようだ。

 

「そうじゃなくて……」

 

 からかわれているとは露知らずアティは必死に否定する。

 

 そんな二人をバージルは溜息をつきながら眺めていた。どうやら彼がここに来た目的を果たせるのはもう少し先になりそうだった。

 

 

 

 

 

 

 




本来なら次話とまとめて投稿するはずでしたが、思ったより長くなったので分割しました。

ご意見ご感想お待ちしております。


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第09話 無色の派閥

 じきに夕焼けが訪れるだろう時刻、バージルは暁の丘に佇んでいた。ある人物と会う約束をしていたのだ。

 

「こんなところに呼び出して一体何の用だい? こっちは大人しくしてるって言うのに」

 

 現れたのはイスラだった。バージルは彼を呼び出して聞きたいことがあったのだ。

 

 わざわざ人気のない暁の丘に呼び出したのは、他の者に話を聞かたくなかったためだ。彼が普段いるリペアセンターでは、常時バイタルチェックをしているため、話をしてもまクノンやアルディラに知られてしまうおそれがある。

 

 以前彼と会った砂浜も、夜ならばともかく昼に会うのはカイルの船が近くにあることもあって不適格だ。

 

「貴様の体には何かあるのか?」

 

「……言ってる意味が分からないんだけど」

 

「呼吸も心拍も一定の周期で停止寸前に陥るそうだ。……もっともその状態はごく一瞬だがな」

 

 それは少し前にキュウマ達との稽古の後、アティと共にリペアセンターに行った際にアルディラから聞かされたことだった。

 

 バージルの言葉通りにイスラが外出を控えていたために、それを不審に思ったクノンが過去のデータを調べていたら、このことを発見しアルディラに報告したのが発端だった。

 

「……そんなことを聞いてどうするのさ」

 

「貴様に答える必要はない」

 

 イスラの質問はばっさり切り捨てる。

 

「……僕の体がこうなっているのは呪いのせいだよ……」

 

 イスラは以前の、バージルとの出会いから彼に逆らうことの愚を嫌と言うほど理解していた。またあんな恐怖を味わうくらいだったら全部喋った方が遥かにマシだ。

 

「僕の父は召喚術を利用した破壊活動を取り締まるのが仕事で、無色の派閥とも敵対しててさ。それで奴らの恨みを買って、報復として僕にかけたのが召喚呪詛、病魔の呪いなんだよ」

 

「…………」

 

 バージルは無言で続きを促した

 

「この病魔の呪いは僕に苦しみを与え続けるんだ。でも死ねない、死ぬ寸前で蘇ってしまうんだ。自分で死のうとしても同じこと。僕は死ねないんだよ……」

 

 自嘲気味にイスラは言う。病魔の呪いは命を触媒に災厄をもたらす召喚獣を憑依させ、相手を呪う召喚術の一種だ。その効力は儀式の規模や生贄の有無によって決まるのだ。

 

「……その割に平気そうだが」

 

「召喚呪詛っていうのはすごく古い召喚術の一種で、それに関する知識も一般には失われているんだ。……古い知識を持った無色の派閥を除いてね……」

 

「……なるほどな」

 

 バージルはイスラの言わんとしていることが理解できた。

 

「無色の派閥なら病魔の呪いを鎮めることができたんだ」

 

「以前貴様が連絡していたのも無色の派閥か?」

 

 イスラが無色の派閥の側にいることを確信したバージルは尋ねた。彼は少し前、ペンダント型の通信機を使って連絡取っていたことがある。てっきり帝国軍かと考えていたが、どうやら違うようだ。

 

「無色の派閥についた僕が与えられた役目は、帝国軍の機密を探ることだった。そのために僕は帝国軍の特務軍人になったんだ。そして帝国軍が魔剣を護送するという情報を得た無色の派閥はそれを奪回しようとした。僕はそれに志願したんだ」

 

「そして魔剣を手に入れたから連絡をしたというわけか」

 

 魔剣を手に入れたイスラは目的を達成したといえる。だからこそ連絡をとって、目的達成の報告と迎えを呼んだのだろうとバージルは考えた。

 

「そのとおり。でも派閥の目的はそれだけじゃない、一度は破棄したこの島を再び手に入れるつもりなんだよ。もうじき到着する船には多くの兵士が乗ってるはずだからね」

 

「そうか」

 

 バージルは全く興味がないとばかりに返事をした。

 

「いくら君が強くても今度は相手が悪いと思うよ。派閥は姉さんみたいに甘くないからね」

 

 イスラの予想ではバージルは個々の力で勝っていても、最終的に数と召喚術で押し切られるだろうと予想していたのだ。

 

 もっともバージルにとって彼の予測はどうでもいいことだった。そもそも伝説の魔剣士スパーダの血を受け継ぐ己が、たかが人間如きに遅れをとるわけがないのだ。

 

だがそんなことよりも気になる言葉があった。

 

「……姉さん? あのアズリアとかいう女のことか?」

 

 彼の姉に該当するような人間は一人しか思い浮かばなかったが、確認するように聞いた。

 

「ああ、この島の帝国軍を率いているアズリアは僕の姉なんだよ。……それで、もう帰っていいかい? 僕の体のことは全部話したんだけど」

 

「……貴様の目的は何だ?」

 

 話が少し逸れてしまったが、今確かめたいのはイスラの目的だ。彼の話を聞く限りでは魔剣を手に入れることが目的だと考えられるが、バージルにはどうにも腑に落ちなかった。

 

 それは一種の勘のようなものだった。悪魔としての勘が違うと感じたのだ。だが、そんなもので物事を判断するほど彼は適当ではない。

 

「…………」

 

 イスラが無言で俯く。どうやらあまり言いたいことでないらしい。

 

「目的は何だ。……三度は言わん」

 

 言いたくないことだからといって見逃すほどバージルは甘くない。最後の言葉に殺気を込め、イスラに投げかけた。

 

 言葉を受けた彼は一瞬、体をビクつかせた。そして諦めの混じった声で話した。

 

「僕はずっと死ぬことだけを考えていた。呪いでみんなに迷惑をかけるくらいのが嫌だったし、無色の派閥の手先となった後もばれてしまうかことが怖かった。だから、死んで楽になりたかった……」

 

 それを聞いてバージルは彼が剣の奪回に志願した理由がわかった。

 

「そのための方法が魔剣か?」

 

 イスラは無言で頷いた。

 

「そのつもりで襲撃の隙をついて剣を手に入れたけど、上手くはいかなかった。剣は意志を持っていて使い手の命を守ろうとしたんだ。おかげで僕はさらに死ねなくなってしまったというわけさ」

 

 皮肉なものだった。イスラが死ぬために求めた力は、彼を死から遠ざけてしまったのだ。

 

 しかしバージルにとって彼の境遇より、気になる言葉があった

 

(使い手を守ろうとする、か……)

 

 魔剣にそういう力があるとは初耳だった。護人達からはそんなことは聞いていないし、アティがそんな力を使ったところも見たことはない。

 

 しかしイスラはアティと同じく剣に選ばれた適格者だ。バージルが知らないことでも彼なら知っている可能性はある。

 

「だからまた僕は必死で考えたさ。どうすれば剣の守りを打ち破って死ぬことができるかを。……そして、アティに会ってその答えが見つかったんだ。剣と剣の戦いなら適格者の命を奪ってしまうことも不可能じゃないんだ」

 

「ならさっさと死ねばいいだろう」

 

 突き放すようなバージルの言葉。

 

「き、君のせいじゃないか! 君と会ったあの時から僕は死ぬのが怖くなってしまったんだ! 死にたいのに、死ななければならないのに、死ぬのが怖いんだよ!」

 

 ついに我慢していた本心をさらけ出した。

 

 イスラは自分のせいで姉や家族に辛い目にあわせていることに負い目を感じていた。アズリアも自分がまともなら軍人なんてならずにもっと別な道を進めたはずなのだ。

 

 自分がまともに生まれていれば、出来損ないじゃなければ、そんな想いをイスラはずっと抱えてきたのだ。

 

「そんなに死にたいなら――」

 

 バージルは閻魔刀を抜き放った。

 

 折角手に入れた力を使わぬ手はない。魔剣という大きな力をもってすれば、呪いを抑え込むなど容易いことだろう。

 

 既に、自分を苦しめている呪いから助かる力を手にしているのに、それでも死を望むイスラをバージルは全く理解できなかった。そもそも呪い掛けられた原因は、彼にあるわけではないのでイスラ自身が負い目を感じる必要はないのだ。

 

 にもかかわらず、死ななければならないと思っているイスラは見るに堪えなかった。

 

「――死ぬがいい」

 

 言葉と同時にイスラの腹に閻魔刀を突き刺した。彼の顔が恐怖と苦痛に歪む。

 

 口から血を吐き出し、四肢からは次第に力が抜けていく。

 

 イスラはそれ以上立っていることができず、後ろに倒れ込んだ。そして腹に突き刺さった閻魔刀も抜け、それによって蓋をされていた傷口から血が吹き出た。

 

 血に濡れた閻魔刀の刀身にはイスラの血と、何か黒い液体のようなものがついていた。

 

 バージルはそれを地面に突き刺すと黒い物体は、閻魔刀から逃れようと蠢きながらおぞましい悲鳴のような声を上げていた。それもすこしすると絶命したのかピクリとも動かなくなり、声も上げなくなった。

 

 バージルは閻魔刀を振って血を飛ばすと、それを鞘へ納めた。

 

 その時イスラの体が光に包まれた。

 

 そして次の瞬間には彼の体は変化していた。髪と肌の色が白くなり、その手には紅い剣が握られていた。

 

 それはアティが抜剣した時と同じ変化だった。唯一の違いは手にしている剣が碧の賢帝(シャルトス)ではないことだ。おそらくイスラの手にしている剣こそが、もう一つの魔剣紅の暴君(キルスレス)なのだろう。

 

 その姿になると同時に腹からの出血も止まり、傷自体もどんどん治っているようだった。

 

 これがイスラの言っていた剣の使い手を守ろうとする機能だろう。その能力はバージルが思っていたより強力なものであるようだ。

 

(まるで魔人化だな)

 

 この効果を見たバージルはそう評価した。魔剣を抜剣すると、身体が強化され強大な魔力の行使が可能のなる。それだけでなく、今のイスラのように再生能力も備わるようだ。

 

 これらはバージルが内に眠る力の解放し魔人化した時に見られる特徴とほぼ一致する。

 

 いわば魔剣は、持ち主に悪魔の引鉄(デビルトリガー)を付与する装置でもあるのだ。

 

「ぐ……う……」

 

 傷が癒えたためかイスラが体を起こした。

 

「これが病魔の呪いの正体か?」

 

 閻魔刀の先で動かなくなっている黒い物体を示した。

 

「な、なんで……?」

 

 呆然と呟いた。どんなに手を尽くしてもどうすることのできなかった呪いを、目の前の男はあっけなく解いたというのか。

 

 病魔の呪いも大別すれば憑依召喚という召喚術の一種だ。それ故、その呪いを引き起こしている召喚獣を殺せば呪いが解けるのも当然のことだ。

 

 もっとも、通常の憑依召喚であっても取り憑いた召喚獣を殺すことは不可能に近い。バージルがそれをできたのは閻魔刀があったからだ。

 

 閻魔刀には人と魔を分かつ力がある。その力によってイスラと彼に憑依していた召喚獣を分断したのだ。

 

「その剣に感謝することだな」

 

 バージルはイスラは殺すつもりでいた。実際、彼の閻魔刀による刺突は常人ならあっけなく死んでいたであろう一撃だった。

 

 しかし紅の暴君(キルスレス)による回復能力が予想以上に優れていたため、生き延びることができたのだ。

 

 夕焼けが暁の丘を照らす。空は赤く染まっていた。いつの間にか夕暮れになっていたようだ。

 

 バージルは踵を返す。もうイスラに聞くことはないのでこれ以上ここにいる意味はない。

 

「……ほう」

 

 何気なく後ろを見るとバージルの視界に二隻の船が目に映った。大きさはカイル達の船と同じくらいだが、これまで見たことのない船だった。地図にも載っていないこの島に偶然辿り着いたとは考えにくい。おそらくイスラが呼んだ船で間違いないだろう。

 

「貴様の言っていた無色の派閥が到着したようだな」

 

 彼の口元には珍しく笑みが浮かんでいた。それは自分の思い通りに事が進んだことを喜んでいるような笑みだった。

 

 その船に向かって歩き出す。方角は暁の丘から北西だ。距離は大したことはない。バージルなら十分とかからず辿り着くだろう。

 

 そしていまだ座り込んでいるイスラの横を通り過ぎるとき彼に声をかけた。

 

「そのままでいいと思うなら、いつまでもそうしているがいい」

 

 バージルは自分でもイスラにそう言ったことに驚いていた。

 

 常の己なら何も声をかけずに立ち去るだろう。思い通りに事が進んで気分が高揚していたからか、あるいは無意識の内にそうした方がいいと思ったのかはわからない。

 

 だがバージルの発した言葉は間違いなく、彼の本心だった。

 

 

 

 

 

 バージルがイスラと話している頃、アティはカイルや護人達と共に帝国軍と戦っていた。

 

 この戦いの少し前、アズリアの副官であるギャレオが宣戦を布告しに来た。バージルが船を出て行った直後であったため、アティ達はバージル抜きで帝国軍と戦うことになったのだ。

 

 それが単なる偶然か、あるいはイスラが姉アズリアにバージルと会うことを話したためか、真実はわからない。

 

 アティはもう剣は壊れたことを伝えたが、それはアズリアを怒らせるだけだった。剣の護衛に失敗した彼女は剣を取り戻すか、失態を補いうる結果を出さない限り帝国に戻れないのだ。

 

 だが、ただでさえバージルとの圧倒的な力の差を思い知らされた兵士達の士気は沈滞している。補給はおろか、外部との連絡をとる手段がない現状では、これ以上の継戦は不可能だった。だからこそ帝国軍はこの一戦に全てをかけた。これで決着をつけるつもりだったのだ。

 

 その結果、兵士達は戦闘能力を喪失し、ギャレオは肩を息をしながら膝をついている。アズリアも剣を失った。それに対してアティ達は多少傷を負ってはいるが、全員まだ力を残していた。もはや誰の目にも帝国軍の敗北は明らかだった。

 

「結局、私はお前に勝てなかったな……」

 

「アズリア……、もうやめましょう?」

 

 そもそもアティが望んでいたのは和平だ。そのために剣すら破壊したのだ。そんな彼女にとってこの戦いは当然望んでいたことではない。

 

「お前は我らにみっともなく生き恥を晒せというのか!?」

 

「生きることはみっともないことじゃありません! それさえできず消えていく命もあるのに、生き恥なんて言葉なんて使わないで!」

 

 アズリアの言葉は命を人一倍大切にするアティにとって許せない言葉だった。

 

「……っ」

 

「私達が力を合わせれば、きっとお互いの望みを叶える方法を見つけられるはずです」

 

「そんな方法が本当にあると思っているのか?」

 

「私は、信じています」

 

 以前アズリアと約束した誰もが笑顔でいられる道、それはきっと彼女との和解の先にあるとアティは確信していた。

 

 そんなかつての友の言葉を聞いてアズリアを諦めるように言った。

 

「かなわんな……」

 

 その顔はどことなくすっきりとしていた。

 

「それじゃ……」

 

「勝者からの和平だ。無碍にするわけにもいくまい」

 

 アズリアが答えたとき、帝国軍の背後から大勢の兵士が現れた。その姿は兵士というより暗殺者然としていた。

 

 既に疲労しているアティ達にこれほどの数を抑える力は残っていない。それを理解してか、ギャレオはもう一度戦うべきだと進言した。

 

「隊長! これならまだ、戦えます!」

 

「違うぞ……」

 

 誰もが現れた者達を帝国の増援だと思っているなか、アズリアだけは違った。

 

「そいつらは帝国の兵士じゃない!?」

 

 彼女の言葉と同時に、ぶかぶかのマフラーを巻いた指揮官らしき女の一言で暗殺者達が動き出した。彼らは獣のような声を上げながらも連携の取れた動きで、帝国軍の兵士達に襲いかかった。

 

 断末魔とともに血飛沫があがる。そのたびに血だまりとそれに沈む死体の数は増えていく。

 

 既に戦闘力を喪失した帝国軍は抵抗すらできず一方的に殺されていった。

 

 なかには辛うじて死に至らなかった者達もいたが、後方にいたシスターのような格好をした女の召喚術によってまとめて殺された。

 

 あまりに凄惨な光景にアリーゼは目を瞑り、アティはその光景の見せないように抱きしめた。

 

 そこへさらに着物を着て、刀を持った壮年の男も加わり殺戮はさらに加速していった。

 

「くそっ! 帝国軍人を舐めるなっ!」

 

 部下への残酷な仕打ちに怒りを募らせたギャレオが一番近くにいた壮年の男に殴りかかる。

 

「待て、ギャレオ!」

 

 二人の実力差を感じたアズリアが止めようと後を追うが、間に合わなかった。一撃で戦闘不能にさせられた。

 

「己の技量を恥じて出直すがいい!」

 

 男の慈悲か、殺すまでもないと思ったのかギャレオは致命傷は負っていなかった。

 

 しかし他の者は十分と経たぬうちに殺されてしまった。帝国軍で生き残っているのはアズリアとギャレオだけだった。

 

 カイル一家や護人達は攻撃されはしたが、辛うじて撃退することができた。

 

「ゴミ共の始末、存外手間取ったようだな」

 

 最後に姿を現した者は白いマントに黒メガネをかけた男だった。

 

 男は無色の派閥の大幹部にしてセルボルト家の当主オルドレイクだった。召喚術を使い帝国軍を吹き飛ばしたのが、オルドレイクの妻のツェリーヌ、刀を持った壮年の男がウィゼル、暗殺者達の指揮を執っていたのがヘイゼルといった。

 

 彼らは魔剣と遺跡を手に入れるためにこの島へやってきたのだ。

 

「も、もう剣は壊しました。ここにはありません!」

 

 アリーゼを抱きながらアティが叫ぶ。

 

「何を言うかと思えば……。少し仕置きが必要なようだな」

 

 剣を破壊したという言葉をオルドレイクは信じなかった。それを嘘と断じ、召喚術で彼女達を吹き飛ばした。あまりの衝撃にアティはアリーゼを離してしまった。

 

「まずはその小娘を始末してやろう」

 

 オルドレイクは邪悪な笑みを浮かべアリーゼを狙う。先程のものより遥かに強力な召喚術だった。

 

「あ、アリーゼ……!」

 

 よろめきながら立ちあがり生徒のもとへ向かおうとしたが、それは許されなかった。

 

「我が夫の邪魔は許しません」

 

 ツェリーヌの召喚術によって動きを封じられたのだ。

 

「させないわ」

 

「くそっ!」

 

 他の者もヘイゼルとウィゼル、暗殺者達に阻まれてアリーゼを助けに行けない。

 

 しかし、唯一動くことのできたアズリアが剣を拾ってツェリーヌへ向かって走っていく。

 

 かつての友への想いからか、帝国軍人としての矜持からか、彼女は体の痛みを堪えて動いたのだ。

 

「そう何もかも貴様らの思い通りになると思うな!」

 

 ツェリーヌがそれに気付いて召喚術の対象をアズリアに変えた。

 

「お前は行け、ここは私が!」

 

「帝国の狗め……消えなさい!」

 

 ツェリーヌの使った召喚術は先程アティに使っていたものとは違い、対象を殺す類のものだった。

 

 その召喚術をかわすだけの力はアズリアには残されていなかった。

 

「アズリア!」

 

 彼女の体が吹き飛ばされる様を見たアティが叫ぶ。

 

 そしてアティが叫んだのとほぼ同時にオルドレイクはアリーゼに召喚術を放った。

 

「死ねっ!」

 

 人間程度なら容易く殺せる威力を持った一撃がアリーゼに迫る。

 

「キュゥゥ!」

 

 直撃する直前アリーゼの護衛獣であるキユピーが、その小さい体からは想像ができないくらい強力な魔力を放った。

 

 しかしそれをもってしても、威力を落とす以上の効果はなく、アリーゼはキユピー諸共オルドレイクの召喚術によって吹き飛ばされた。

 

「あ、あああ……」

 

 ようやくアリーゼのもとへ辿り着いたアティは、ボロボロになった生徒の体を抱きしめた。まだ辛うじて息はあるようだが、腹から流れ出ている血は一向に止まりそうにない。このままでは命を落とすのも時間の問題だった。

 

「仕留め損なったか。……まあいい、二人まとめて死ぬがいい!」

 

 これまで使ってきた霊界の召喚獣ではなく、生来得意だった鬼妖界の召喚獣を使ったのは、多少なりともキユピーの力を脅威と感じたからか。

 

「……!」

 

 山すら両断するといわれる鬼神将ゴウセツの一撃が向かってくる。食らえばただでは生きてはいられないだろう。だが、アティは逃げない。今の彼女に逃げるという選択肢はあり得なかった。

 

 無駄なことだとわかっていてもアティはアリーゼを守るように抱きしめ、ぎゅっと目を瞑った。

 

 しかし、いつまでたっても斬撃はこなかった。アティが顔を上げ、そこで目に映ったのは――。

 

 

 

「You need more training」

 

 

 

 ――鮮烈な「青」だった。

 

 

 

 

 

 

 




ご意見ご感想お待ちしております。

なお、SE発売のため次回は遅くなると思います。




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第10話 虐殺

今回は非常にグロテスクな表現が多くなっています。ご注意ください。


 バージルはアティに向けて放たれたオルドレイクの召喚術を次元斬で消し飛ばし、彼女の前に腕を組みながら悠然と立った。

 

 こうして彼がアティを庇うように立つのはこれで二度目だ。

 

 一度目は結界を解く鍵である魔剣の所持者という、アティを守る合理的な理由があった。しかし今回はそれがない。彼女が死んでもこの島から脱出するというバージルの望みに影響が出るとは考えにくいのだ。

 

 にもかかわらずバージルはアティを守った。

 

 そんな彼らしくない行動をとらせた原因は彼女にあった。

 

 全ての終わりにして始まりの日。悪魔から身を呈して自分と弟を守り、殺された母の姿。それと今のアティの姿は、バージルの目には瓜二つに映った。

 

 だからこそアティを守ることで証明したかったのかもしれない。

 

 もはや自分は力なき子供ではない、と。

 

 もし、彼がもう少し若ければ感情に任せて無色の派閥を問答無用に皆殺しにしていたかもしれない。力を得たことをより強力に証明するために。

 

「船を置いて失せろ。従うなら命は取らん」

 

 だが今のバージルは、既に感情をコントロールする術は既に身につけていた。この程度のことで感情を爆発させることはない。

 

 むしろ感情を爆発させたのはオルドレイクの方だった。

 

「どんな手を使ったのかは知らんが、そう何度も防げると思うな!」

 

 格下だと思っていた相手に、自身の召喚術を二度も防がれた彼は激高した。

 

 そして三度召喚術を使うべくサモナイト石に魔力を込める。だがその量はこれまでの倍以上だった。これほどの魔力を込めればサモナイト石が壊れてしまう恐れがあるが、その代償に通常より強力な威力を発揮することができる。

 

 そうしてオルドレイクは再び鬼神将ゴウセツを召喚した。先程より強烈な魔力を帯びた斬撃がバージルに迫る。

 

 しかし彼は表情一つ変えず閻魔刀で迎撃した。

 

 閻魔刀とゴウセツの斬撃が衝突する。だが、拮抗したかに思えたのはほんの一瞬、次の瞬間にはバージルの一撃がオルドレイクの召喚術を破っていた。そしてそれだけでは終わらず、ゴウセツの斬撃を破った剣閃は、威力をほとんど減衰させずオルドレイクの右腕を斬り落とした。

 

「ぬぐおおおおおお!」

 

 斬り落とされた腕から血が噴出し、オルドレイクに激痛が襲いかかる。あまりの痛みに彼は斬り落とされた腕を抑えながら膝を折った。

 

 先程までの尊大な態度はすっかり消え失せ、醜い悲鳴を上げるセルボルト家の当主を一瞥し、バージルは別の者に視線を向けながら閻魔刀を納めた。

 

「少しはやるようだな」

 

 バージルはオルドレイクを両断するつもりで抜刀したのだ。それが腕を落とすだけに終わったのは、剣閃が直撃する寸前に剣閃の軌道を変えられたからだ。

 

 少し離れたところで抜刀しているウィゼルによって。

 

「あなた!?」

 

 ツェリーヌが腕を抑えながら悲鳴を上げるオルドレイクのもとへ走るのと同時に、カイル達と戦っていた暗殺者達がヘイゼルの指示によって、一斉にバージルに襲い掛かった。

 

 四方からほぼ同時に斬りかかるが、彼にとっては止まっているのと大差ない。居合でまとめて両断した。

 

 分かれた上半身と下半身から噴き出した血がバージルに降りかかり、彼を赤く染めた。オールバックにしている銀髪も血を浴びたことで垂れ下がっていた。

 

 そしてその直後、ヘイゼルがバージルの左から接近した。抜刀の直後、それも鞘を持っている左側からなら刃による攻撃はないと踏んだのだろう。

 

「愚かな」

 

 もしも彼女がダンテほどの速さを持っているのなら、この攻撃は成功したかもしれない。だがバージルにとって彼女の動きは、止まっているのと大して変わらず、何ら脅威にならないものだった。

 

 余裕を持って左手に握る鞘でヘイゼルを殴り飛ばした。感触からして骨の何本かは折れただろう。

 

 さらにそのまま、背後から向かってきた暗殺者を鞘で串刺しにする。串刺しにされた暗殺者は即死だったのか、力なく倒れ込んできた。

 

 すぐさま鞘を引き抜くと、その拍子にコートに返り血がかかった。

 

 それも含め、先程から浴びてきた血は相当な量だったようで、彼のトレードマークである青いコートはまるで弟のコートのように真っ赤に染め上げられていた。

 

 バージルはそれが気に入らなかったのか、ギルガメスを装備し空中へ躍り出ると近くにいた暗殺者に流星脚を叩きこんだ。その恐るべき速度によってコートについていた血が幾分か吹き飛んだ。

 

 ギルガメスの一撃は閻魔刀とは違い、直撃を受けた暗殺者の体を原型を留めずバラバラに消し飛ばした。後に残ったものは血だまりとそれにいくつか浮かぶ肉片だけであった。

 

 着地したバージルは最も近くの敵にエアトリックで飛び、回し蹴りで攻撃する。

 

 骨が砕け、肉が潰される。そして次の瞬間には先程まで生きていた人間が見るも無惨な死体に変わっていた。

 

 同時に少し離れた距離から投具で攻撃しようとしていた者を幻影剣が急襲する。いくつもの浅葱色の剣が暗殺者の体に深く突き刺さり、その命を奪う。役目を終えた幻影剣が砕けるように消滅すると、そこから血を噴き出しながら暗殺者は倒れた。

 

 その直後、いくつかの集団に分かれて近づいて来ていた二十人前後の暗殺者の頭上に、幻影剣が五月雨のように降り注いだ。幻影剣が暗殺者の体を貫き、腕を斬り落とし、肉を削いだ。以前、帝国軍に対して使った時とは違う無慈悲な攻撃だ。

 

 あっという間にスプラッター映画もかくやと、いわんばかりの死体の山が出来上がった。

 

 あまりの惨状に僅かに残った暗殺者達が恐怖からか距離を取った。

 

 それを見るとバージルは、再び閻魔刀に持ち替え今度はウィゼルの前に現れ、幻影剣を射出した。

 

「っ!」

 

 出現と同時に放った幻影剣をウィゼルは後方に跳んで避けてみせた。

 

 おそらくこの壮年の男はこの場にいるどの敵よりも強い。バージルはそう評価していた。現に、彼の反応速度は明らかに他の連中と一線を画していた。

 

「ほう、よく避けたな」

 

 一本だけとはいえ至近距離からの幻影剣を回避したことは賞賛すべきことだ。反応速度だけでなく身体能力も相当に高いだろうことは、今の動きでだけで十分に分かるだろう。

 

「…………」

 

 ウィゼルはバージルの言葉には何も返さず、再び居合切りを放つつもりなのか、体勢を立て直し刀を構えた。

 

 二人の距離はおよそ五メートル。ウィゼルの場所から居合を放っても距離を考えれば刀が届くはずはない。

 

 しかしオルドレイクへの剣閃を逸らした時のように、ウィゼルは離れた場所から攻撃できる術を持っていることは間違いない。おそらくそれを使うつもりなのだろう。

 

「むん!」

 

 掛け声と共に刀を抜き放つ。その瞬間バージルの位置に斬撃が発生した。

 

 バージルはその一撃を回避するとともに、つぶさに観察した。どうやらその技はキュウマが使っていた居合い斬りと同系統の技術のようだ。ただウィゼルの方がキュウマより洗練されてはいるが。

 

 この技一つ見ても彼が相当の達人であることは疑いようがない。バージルのウィゼルへの評価は正しかったようだ。

 

「Now,I'm a little motivated」

 

 言葉と共に振り抜いた閻魔刀から剣閃を飛ばした。

 

「おおおおお!」

 

 ウィゼルはそれを渾身の一撃を持って迎え撃つ。

 

 結果としてウィゼルの一撃はバージルの斬撃を僅かに逸らすことができ、体を両断されることはなかった。だが命が助かった代償に逸れた斬撃によって右足を切断されたのだ。

 

 もし斬撃がもう少し弱ければ、ウィゼルはそれを完全に逸らすことができたかもしれない。だが皮肉にも彼の実力の高さがバージルにより強力な一撃を使わせたのだ。

 

「ぐ、おお……」

 

 歯を食いしばりながら痛みに耐える。この様子ではもはや戦闘を続けるのは不可能だろう。

 

「撤退、撤退です! 総員直ちに船に戻りなさい!」

 

 指揮官クラスの者の中で唯一無傷で生き残っているツェリーヌが、辛うじて生き残っている者へ命令を出した。もっともその数は両手の指で数えられる程度しかいなかったが。

 

「馬鹿な……、たった一匹の化け物が我が軍勢を壊滅させたというのか……。新たなる秩序たる軍勢がこうも容易く滅びるというのか……」

 

 妻の召喚術によって痛みと出血が止まったオルドレイクだが、いまだに目の前で起きたことが信じられないようだ。しかし失った右腕が、目の前の光景が現実のことであると思い知らせた。

 

 そんな彼を生き残った暗殺者が抱えて船へ撤退していく。しかし怪我人の中で撤退できたのはオルドレイクだけだった。その他のウィゼルやヘイゼルはそのまま捨て置かれた。

 

「…………」

 

 バージルはそんな無色の軍勢をつまらなそうに見ている。これが悪魔なら撤退などしないだろう。

 

 生物の命を奪い、物体を破壊する。それが悪魔の本質であり、本能だ。それゆえ自分の命が惜しいからといって逃げるのことなどありえない。むしろ死を覚悟した悪魔こそ恐ろしい。中には自分の残りの力を全て使って、自爆をしてでも相手を殺そうとする悪魔さえいるのだ。

 

 閑話休題。バージルは戦闘の終了を宣言するように息を吐き、垂れ下がってしまった髪を手でかきあげ、いつもの髪型に戻した。

 

 彼の周りは惨憺たる有様だった。足の踏み場もない程に、何もかもが鮮血で真っ赤に染められ、さながら地獄のようだった。

 

 

 

 

 

 暗闇の中アティは目を覚ました。

 

 辺りを見回すとアリーゼが横たわっているのを見つけた。驚いて傍に駆け寄ろうとするが一向にその距離は縮まらない。

 

 そこにオルドレイクが現れ、召喚術をアリーゼに向けて放った。

 

「~~っ!!」

 

 アティが声にならない叫びを上げる。その瞬間アリーゼは召喚術で吹き飛ばされた。

 

 ようやくアリーゼの下に辿り着き彼女の体を抱きしめた。

 

「あ、あああ……」

 

 しかしアリーゼの体は既に冷たくなっていた。

 

 もっと力があればアリーゼを守ることができたかもしれないのに。

 

(力が……欲しいか……? ならば、我を手にせよ)

 

 碧の賢帝(シャルトス)の声が脳裏に蘇り、アティは気付いた。

 

 アリーゼを守る力はあったのだ。碧の賢帝(シャルトス)という強大な力が。

 

 最初に碧の賢帝(シャルトス)を手に入れた時も、もっと力があれば、アリーゼを守る力があれば、という想いに碧の賢帝(シャルトス)が呼応し、適格者となったのだ。

 

 しかし、それを捨ててしまったのは他ならぬアティ自身だった。

 

 もっとよく考えればよかったのかもしれない。碧の賢帝(シャルトス)を破壊せずともアズリア達と和解できる方法を探すべきだったのだ。

 

 もちろんそれは結果論にすぎないが、アティはそう思わずにはいられなかった。碧の賢帝(シャルトス)があれば、力があれば、アリーゼを守ることができたのかもしれないのだから。

 

「力がなければ何も守れはしない。自分の身さえも」

 

 気がつくとバージルが目の前に立っていて、いつか聞いた言葉を口にした。

 

 そして、手に持った刀でアティを突き刺した。

 

「あ……」

 

 これは罰なのだと思った。アリーゼを守れなかった自分への罰。

 

 それを受け入れるようにアティは目を閉じた。

 

 

 

 

 

「…………?」

 

 アティはゆっくりと目を開けた。どうやら夢を見ていたようだ。

 

 寝惚けた目で辺りを見回しながら起き上った。先程まではベッドで横になっていたのだ。周りの調度品から考えるとここはラトリクスのリペアセンターだろう。

 

 そうしていると意識が覚醒していき、これまでのことが一気に思い出した。

 

 バージルが無色の派閥を壊滅させた後、みんなは傷ついた者の介抱に追われた。特に出血が多く危険な状態にあったアリーゼは、ヤードが付きっきりで召喚術による治癒を施していた。

 

 その他にもアズリアやギャレオ、そして無色の派閥に見捨てられ置いていかれたヘイゼルやウィゼルもここに運ばれたのだ。

 

 特に傷が酷いアズリアやウィゼルはファリエルとフレイズが、得意ではない召喚術や癒しの奇跡を使って応急処置をしていた。

 

 そんな中アティはずっとアリーゼについていた。リペアセンターに着いた後も可能な限り傍にいて夜を徹して看病し続けたのだ。

 

 さっきまでベットで横になっていたのは、寝てしまった彼女を誰かが運んでくれたのだろう。

 

「アリーゼ!」

 

 生徒を探しに行くため部屋を出るとクノンに出くわした。

 

「クノン、アリーゼは、アリーゼは大丈夫なんですか!?」

 

「落ち着いてください。彼女は大丈夫です」

 

 クノンはアリーゼの状態を説明した。彼女の傷は決して浅くはなかったが、ヤードが召喚術をかけてくれたこともあり、命に別条はないとのことだ。

 

「皆さんの看護は私に任せて先生も休まれてはいかがですか? 随分お疲れのようですが……」

 

 クノンの言う通り先程まで眠っていたにもかかわらず、いまだ体は鉛のように重かった。

 

「……わかりました。アリーゼの顔だけ見たら船に戻ることにします」

 

 さすがにこの状態でこのまま看病を続けることはできないことは理解している。下手をすれば病人が一人増えることもありえるのだ。そんなことになっては本末転倒のため、今日はクノンの言葉に甘え休ませてもらうことにした。

 

 アリーゼの顔を見て船に戻ったアティはみんなに一言だけ伝え、まだ日も高かったが早めに休むことにした。

 

 かなり疲労していたためか彼女はあっという間に眠りに落ちた。

 

 

 

 

 

「……ん?」

 

 アティの意識が覚醒する。

 

 今度は前のように悪夢で目を覚ましたわけではない。十分休めたため自然に目が覚めたのだ。その証拠に眠る前までの倦怠感はきれいさっぱり消えていた。

 

 それでもアティの心の中には強い後悔と不安が渦巻いていた。

 

 こんな状況でまた眠るのは難しい。気分転換に外へ出てみることにした。

 

 既に深夜と言っていい時刻。満月が船を照らしていた。他の者はもう寝ているようなので、音を立てないように静かに外に出た。

 

 そこにはバージルがいた。いつものように大きめの岩の上に座り瞑想をしていた。

 

「あの、隣に座ってもいいですか?」

 

「好きにしろ」

 

 バージルの許可を取り、隣に座ってじっとしていると無力な自分への嫌悪感が湧きあがってくる。アティは膝を抱えながら俯いていた。

 

「……一つ聞きたい」

 

 唐突にバージルが話しかけてきた。

 

「……なんですか?」

 

「何故あの時逃げなかった。あの娘を見捨てればお前だけは逃げられていただろう」

 

 アティは顔を上げ、バージルを見つめる。

 

 あの時とはおそらく、オルドレイクの召喚術がアリーゼとアティに放たれた時のことだろう。

 

 彼の言う通り、アリーゼを見捨てればオルドレイクの召喚術を避けられていたかもしれない。

 

「あの子は私の大切な生徒だから……。だから、守らなくちゃって思ったんです。でも……」

 

 言葉を詰まらせ、涙が浮かんできた。思い出してしまったのだ。あの時の、アリーゼの体から命が失われていく感触を。

 

 アリーゼの命が助かったからといって、アティがあの時感じた感触が消えていくわけではない。

 

 それでも涙をふき、鼻をすすりながら彼女は続けた。

 

「私、守れませんでした……。あの時だってバージルさんに助けてもらえなかったら、きっとアリーゼは……」

 

「あの娘を守れればそれでいいということか」

 

 確認するようなバージルの言葉にアティはこくんと頷いた。

 

「……そうか」

 

 あの時の母もそうだったのだろうか。命と引き換えにバージルとダンテを守った気高い母も、アティと同じように考えていたのだろうか。

 

 バージルはずっと理解できなかった。母がなぜ命をかけてまで自分たち兄弟を守ったのか。

 

 なぜ命を惜しまなかったのか、なぜ自分達を庇ったのか。

 

 なぜ見捨ててくれなかったのか。

 

 そうすれば母は生き延びることができたのに。

 

 その答えをアティの言葉から見つけたような気がした。

 

「私、どうしたらいいんでしょう……。力がなくちゃアリーゼを守れないのに、私にはその力がない……。自分の都合で碧の賢帝(シャルトス)を捨てたのに、今はその力を失くしたことを後悔しているんです……」

 

 アティの独白を聞いたバージルは、無言のまま彼女の前に一本の剣を突き刺した。

 

「それはくれてやる」

 

 今のアティはバージルと同じように力を求めている。しかし両者には守りたいものの有無という決定的な違いがあった。結論は同じでもそこに至る過程が違いを生んでいるのだ。

 

 力なき自分へ怒りから力を求めるバージルと、大切な者を守るために力を求めるアティ。

 

 もしもあの時、バージルが生き残った弟を守るために力を求めていたら……。

 

 いわば彼女はバージルのもう一つの可能性なのかもしれない。

 

 しかし、だからといって折角手に入れた力をアティに与える合理的な理由にはならない。

 

 それでも碧の賢帝(シャルトス)を与えたのは、彼女が自分と同じく力を求めていたからか、あるいはアリーゼを守るアティの姿に母エヴァの姿を重ねたからか、あるいは他の何かか。

 

 悪魔として生きることを選んだバージルにはわからなかった。

 

 彼はただ己の魂の声に従っただけなのだ。

 

「こ、これ……碧の賢帝(シャルトス)ですか? でも、なんで……?」

 

 アティは目の前に突き刺さる剣を見て呟いた。

 

 それはバージルの魔力によって修復された碧の賢帝(シャルトス)だった。ただ、彼女の知る魔剣が碧の魔力に満たされているのとは違い、目の前の剣は蒼い魔力に満たされていた。

 

 だが碧の賢帝(シャルトス)は壊れたはずだ。他ならぬバージルが破壊したはずだ。それなのになぜ彼が壊れたはずの魔剣を持っているのだろうか。

 

「大切なものがあるなら、守ってみせろ」

 

 彼はそう言い残し船に戻っていった。

 

「守る……」

 

 残されたアティはバージルの言葉を反芻しながら、蒼い魔力を放つ碧の賢帝(シャルトス)を見つめた。

 

 果たして本当にこの剣を手にしていいのかという疑問が浮かんだ。この剣を手にしたことで人格を消されかけたこともあったのだ。不安や恐怖がないといえば嘘になる。

 

 しかしそれ以上に力を欲しているのも事実だった。

 

 意を決してアティはおそるおそる剣に手を伸ばし、その柄を握った。

 

 その瞬間彼女の姿が変わった。これまで碧の賢帝(シャルトス)を抜剣した時と全く同じ姿になったのだ。

 

 ただ、明らかに以前と違うところがあった。

 

「バージル、さん……」

 

 彼女を包む魔力がバージルのものだったのだ。それがまるで彼に守られているような感覚をアティに与えた。

 

 もう不安も恐怖もなかった。

 

 バージルに感謝しながら、今度こそ大事なものを守ってみせるとアティは誓った。

 

 

 

 

 

 

 




SEのほうが一段落したので取り急ぎ第10話を投稿しました。

なお、以前のような投稿ペースに戻るのはもうしばらく先になります。

ご意見ご感想お待ちしております。

ありがとうございました。


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第11話 嵐の前触れ

 無色の派閥との戦闘から三日後。集いの泉に護人達とアティ達が集まっていた。それだけならいつもの話し合いと変わらないのだが、今回はその他にイスラとアズリアが参加していた。

 

 そしてその一人であるイスラは、自分がこれまでしてきたことを話した。

 

 自分が無色の派閥の構成員であの軍勢を呼び寄せたのが自分であること、そしてもう一つの魔剣である紅の暴君(キルスレス)の持ち主であること、そして自分の目的。それらを包み隠さず全て話したのだ。

 

「そんな……」

 

 イスラが記憶喪失と偽りこの島でやってきたことにも驚いたが、それ以上にショックだったのはあまりに過酷な彼の境遇だった。それを知ったアティは気のきいた言葉をかけることもできず、ただ一言呟くしかできなかった。

 

 一通り話し終えたイスラは最後に一言付け加えた。

 

「どんな罰でも受ける。逃げも隠れもしないよ」

 

 黙っていればイスラがしたことは、誰にも知られなかったかもしれない。それでも彼は正直に全てを話すことを選んだ。

 

 それが彼なりのけじめのつけ方なのだろう。

 

 なにしろイスラはアティと同じく、核識になりうる魂の資質と強い意思を持った魔剣に選ばれた適格者なのだ。いわばアティと似た存在なのだ。

 

 そんな彼がただ黙っているという選択肢を選べるはずがなかった。

 

「すまなかった……。私はお前のことを何もわかってやれなかった」

 

 迷惑をかけた島の者に謝罪するために参加していたアズリアは弟に頭を下げた。

 

 そもそも彼女が軍人になったのはイスラのためだった。

 

 多くの軍人を輩出したレヴィノス家に長男として生まれたイスラは軍人になることを望まれた。しかし、病魔の呪いによって体の弱かった彼にその願いを叶えることは不可能だった。

 

 そのためにアズリアは自分が代わりに軍人になったのだ。彼女にとっては弟の肩の荷を下ろしてやりたかっただけなのだが、それが逆にイスラを追い詰めた。

 

 女だてらに軍人として出世していくアズリアと、生きていくことすら人の手を借りねばならないイスラ。

 

 そこからイスラは自らの死を望むようになっていったのだ。

 

「僕こそごめん。僕のために軍人なんかになって、もっと他の幸せを掴んでほしかったのに……」

 

「イスラ……」

 

 結局この姉弟はずっとすれ違いだった。どちらもお互いのことを想ってやっていたのに、相手には誤解されていたのだ。

 

 それがようやく解消された。

 

「それで、どうするよ?」

 

 イスラの処遇をどうするかヤッファが皆に問い掛けた。

 

「島にも大した被害はなかったし、私は不問でいいと思うわよ」

 

「私も姉さんと同じです」

 

「こちらも同じく」

 

 アルディラの言葉にファリエルもキュウマも賛意を示した。

 

 確かにイスラは無色の軍勢を呼び寄せたものの、それは上陸後すぐにバージルによって壊滅させられたため、島の住民に危害が及んだわけではない。それもあって護人は不問の方向で異議がないようだ。

 

「こっちもそれで文句ないぜ、先生は?」

 

 既に一家の総意をまとめていたカイルに促され、アティは言った。

 

「私も全部話してくれただけで十分です。でも……、アリーゼにもきちんとお話してほしいです」

 

 この戦いでもっとも大きな傷を負ったのはアリーゼであることは間違いない。だからこそ彼女にもその話をしてほしかったのだ。

 

「わかってる、必ず話すよ」

 

 そうアティに約束した。そして彼の処遇も決まった。

 

「じゃあ、全員一致ってことだな。……イスラ、またガキ共と遊んでやってくれや」

 

 不問になった理由が島に直接的な齎してはいないという理由だけではないことをイスラは理解していた。彼らはイスラの境遇に同情し自分のことのように考えてくれたのだ。

 

 そんな温かい心に触れてイスラは本当の笑顔を取り戻した。

 

「みんな、ありがとう」

 

 笑いながらイスラは、心からの精一杯の感謝の言葉を返した。

 

 

 

 

 

 同じ頃、バージルは無色の派閥が残していった船に来ていた。

 

 彼らが乗ってきた船は2隻あったのだが、バージルによって殲滅寸前まで追い詰められた無色の軍勢は1隻の船だけで逃げ出したため、残されたもう1隻の船はここに放置されたのだ。

 

 船そのもの大きさはカイル達の船とほぼ同程度だ。しかし、無色の派閥の船は多少装飾が派手であった。

 

 ただ派閥の船が派手というより、カイル一家の船が地味といった方がいいかもしれない。

 

 そもそもカイル一家の船は実用性重視の海賊船であり、装飾にはあまり金をかけていないのだ。そのことを考えると、派閥の船はリィンバウムにおける一般的な船と同程度の装飾なのかもしれない。

 

 その船をバージルは調べ始めた。だいぶ修理が進んできたとはいえ、まだ修理が終わらないカイル達の船に代わって、この船を使って島を出れないかと思案していたのだ。

 

 その結果、外見には目で見てわかるような傷はなかった。船の中も浸水はなく目立つ傷もなくすぐにでも使えそうだった。もちろん実際にこの船を使うとなればカイル達にも見てもらう必要があるだろう。

 

 例えこの船を使って島を出ることができなくとも、部品取りとして使えるかもしれない。別の船とはいっても船を構成している部品に大差はないはずなのだ。

 

 そうして一通り船内の様子を見て回りながら、本などのめぼしいものはないか目を光らせる。

 

 ほとんどの部屋にはちょっとした備品があるだけで、特に気になるものはなかった。ベッドもないところをみると、おそらく大多数の者はハンモックで寝ているのだろう。

 

 ただ船の奥の方の客室はそれまでの部屋とは違い、ベッドが備え付けられていた。他にも机や棚なども備え付けられている。これまでの部屋と明らかに内装が違うため、幹部クラスの者の私室として使われていたことは容易に想像できる。

 

 その部屋の本棚には召喚術に関する本が置かれており、机の上には大きな紙が広げられていた。

 

 バージルは知る由もなかったが、本棚の書籍は一般では禁忌とされる召喚術を扱った本であった。このような本は、リィンバウムのどこの国でも蒼の派閥や金の派閥という召喚師の集団であっても禁書扱いされ、持っているだけでも罪に問われることになるのだ。

 

 無色の派閥というどこの国家にも属さない召喚師の集団だからこそ、そういう類の本も容易く入手でき、また所持できるのかもしれない。

 

 そして机の上に広げられている大きな紙は、なにかの平面図のようだった。注意深く見ていくと、それが遺跡の図面だと思い至った。

 

 おそらくこの平面図は無色が遺跡を調査する際の資料として持ち込んだものだろう。

 

 バージルはそれを詳しく見ていく。どうやら以前調査した部分は遺跡全体のほんの一部でしかなく、他にも多くの実験施設などがあるようだ。

 

(これは遺跡の調査に役立つな)

 

 いずれ時間を見て遺跡の更なる調査をしようと考えていたバージルは、この図面を持ち帰ることにした。

 

 その後も他の部屋や倉庫を見たが、どちらにも気になるようなものはなかった。

 

 ちなみにカイル達の船もそうであるが、このリィンバウムの船には召喚獣による海水の淡水化装置が装備されている。それによって飲料水には事欠かないのだ。

 

 それ以外にも召喚獣は動力や労働力、兵器としても扱われることがあり、この世界においてなくてはならないものであるのだ

 

 それはさておき、全ての部屋を調べ終わったバージルはそのまま船を出た。既に太陽はだいぶ西に傾いており、日没まであと1時間程度といったところだろう。

 

 「…………!」

 

 唐突にバージルは悪魔の気配を感じた。遺跡の方向からだ。

 

 これまで何度か遺跡に赴いた時には悪魔の気配は感じなかった。にもかかわらず悪魔の気配を感じるということはどこかで魔界と繋がっているか、境界が薄まっている可能性があるということだ。

 

 悪魔が出現するにはいくつか方法がある。

 

 まず魔力によって自然発生的に魔界との境界が薄まり、悪魔が出現するというものだ。悪魔が出現する大方の原因となるのがこれだ。しかしこの方法で上級悪魔が出現することはまずあり得ない。魔界との境界が薄まった程度では、強大な力を持つ上級悪魔が出現することはできないのだ。

 

 いわば人間界と魔界の境界は網なのだ。それが薄まると網目が粗くなり、小さいな力しか持たない悪魔ならばその隙間を通り抜けることができるようになる。だが、上級悪魔が人間界に姿を現せるほどに境界が薄くなることは、それこそスパーダやムンドゥスクラスの力を持っていない限り、まずありえないのだ。

 

 そして、悪魔が出現するもう一つの方法は、フォルトゥナに存在する地獄門やテメンニグル等の装置によって強制的に魔界と繋ぐ方法だ。これは境界に穴をあけるようなものであるため上級、下級の区別なく誰でも通り抜けることができるのだ。

 

 今回はどちらかにあてはまるのかわからない。たまたま境界が薄まっただけかもしれないし、あるいは喚起の門などの遺跡の装置が偶然悪魔を呼び出したのかもしれない。

 

「調べてみるか……」

 

 どちらにしても、いずれ遺跡は再調査するつもりだったのだ。それが今からすることになっても何ら問題はない。むしろ遺跡の図面を手に入れたタイミングであるため都合がいいとさえ思える。

 

 そう結論付け、バージルは遺跡へ向かい歩き出した。

 

 

 

 

 

「それにしても紅の暴君(キルスレス)の持ち主がイスラだったとはねえ……」

 

 集いの泉での集会の後、船に戻ったアティ達は船長室に集まっていた。話題の中心となっているのは、イスラと彼の持つ紅の暴君(キルスレス)のことだ。

 

「で、どうするよ? イスラに事情を話して剣を渡してもらうか?」

 

 カイルが提案する。そもそも彼らの目的は、魔剣を破壊するか誰の手も及ばないところに捨てることなのだ。いくらイスラが改心し悪用する恐れがないといっても危険なものであることに変わりはない。

 

「イスラなら話せばわかってくれそうだしね。先生はどう思う?」

 

 ソノラが彼の様子を思い出しながら言った。先程まで話をしていたイスラは非常に落ち着いており、剣に執着している様子はなかった。きっと事情を話せば紅の暴君(キルスレス)を渡してくれるだろう。

 

「……私はイスラなら紅の暴君(キルスレス)を任せてもいいと思います」

 

「理由を聞かせてもらってもいいですか?」

 

 アティの考えにヤードが説明を求めた。

 

「きっと私とイスラは似たような存在なんです」

 

 以前アルディラやファリエルからハイネルのことを聞いた時からそうではないかと思っていた。彼が夢見た楽園はアティの目指すものとほとんど同じなのだ。

 

 おそらく剣に選ばれるためには、ハイネルのような理想を抱くことができる魂の持ち主である必要があるのだろう。

 

 アティは己がハイネルのような人間だとは思わない。彼のように強くはないし悩んでばかりいる弱い人間だ。

 

 それでも支えてくれる仲間がいるから、アティは諦めずに前に進もうと思えたのだ。

 

「だから私達は同じように剣に選ばれ、その持ち主になりました」

 

「なるほどね、自分と似ているから悪用するはずはないってことかい?」

 

 カイルの言葉に頷きアティは言葉を続けた。

 

「それにさっきも紅の暴君(キルスレス)を持っていることを正直に話してくれました。もし本当にイスラが剣を悪用するつもりがあるなら、たぶん剣を持っていることは黙っていると思います」

 

「たしかにそうね、先生の言うことにも一理とあると思うわ。でもね、私が先生なら剣を任せてもいいと思ったのは、この船で一緒に生活してあなたがどういう人なのか十分わかっていたからよ。でもイスラは違うわ、正直あたしはあの子に剣を任せていいとは思えないの」

 

 アティの考えを否定はしないまでもスカーレルは反対のようだ。

 

「私も彼を信用しないわけではありませんが、やはりよくわからない相手にあの剣を預けるべきではないと思います」

 

 ヤードは魔剣の危険性をよく知っている。だからこそよく知らない者に軽々しく人に預けることをよしとはしないのだ。

 

「…………」

 

 立て続けに二人に反対されたアティは俯いた。

 

 そのときソノラが口を開いた。

 

「……それって今決めなくちゃいけないこと? イスラのことがわかんないならもっと話してから決めればいいじゃん」

 

「ソノラの言う通りだぜ。今全部決めちまう必要はないだろう? すぐどうにかなるわけじゃないし、もう少し考えてみてもいいんじゃないか?」

 

 ソノラとカイルの考えはイスラが剣を任せられる人物か見極めるというものだった。

 

「そうね、あたしもイスラには興味あるし二人の考えに賛成よ」

 

「確かに結論を急ぐ必要はありませんね」

 

 イスラに敵対の意志がない以上、いますぐ行動を起こす必要はない。むしろ拙速に結論を出し後々に禍根を残すよりは、多少時間をかけてもみんなが納得できる答えを出すべきなのだ。

 

「私も賛成です」

 

 アティもこの方針には文句はない。彼女は、イスラが本当は優しく誠実な人間だと信じている。さきほどの姉を想う言葉が嘘だとは思えないのだ。

 

 だからみんながもっとイスラと仲良くなってくれれば、きっと認めてくれるだろうと確信しているのだ。

 

「なあにいざとなりゃあバージルに頼んで壊しもらえばいいんだ。気楽にいこうぜ」

 

 カイルが言った。魔剣という非常に危険なものではあるが、自然体で接した方が腹を割って話ができると考えているようだ。

 

 それにバージルには紅の暴君(キルスレス)を破壊することを了承している。既に碧の賢帝(シャルトス)を破壊した実績がある彼ならば何が起きても大丈夫だと思えるのだ。

 

「…………」

 

「先生、どうしたの?」

 

「い、いえ、大丈夫です。なんでもありません」

 

 難しい顔で黙り込んだアティを心配して声をかけてくれたソノラに言葉を返した。

 

 アティは、バージルから碧の賢帝(シャルトス)を渡されたことを話すべきか悩んだのだ。

 

彼が何故碧の賢帝(シャルトス)を持っていたかはわからない。しかしバージルが彼自身が破壊した魔剣を持っていたことが知れると、彼に疑惑の目が向けられるだろう。アティにとってそれは、どうしても認められないことだった。

 

「わかった~、バージルのことでしょ」

 

 心を読んだようなスカーレルの言葉にアティは内心ドキッとした。

 

「ち、違いますよ」

 

 できる限り平静を装って言葉を返そうとするが、噛んでしまった。

 

「とぼけなくてもいいわよ、この前彼と抱き合ってたんでしょ」

 

「な、なななな、あ、アルディラですね……誰にも言わないっていってたのに……」

 

 ひどく狼狽しながらアルディラへの恨み言を呟いた。そもそもあの時気付くべきだったのだ。アルディラが自分をからかっていることに。

 

「うわ、先生ってば意外と大胆なんだ」

 

「バージルも隅におけないねぇ」

 

「お似合いだと思いますよ」

 

 カイルとソノラがアティを冷やかす最中、真面目なヤードは素直に二人を祝福した。

 

(バージルさん、早く帰って来てください!)

 

 羞恥から顔を真っ赤にしたアティは心中でバージルにそう呼びかけた。

 

 しかし彼女の願いが叶えられることはなかった。

 

 この日、ついにバージルは船に帰ってくることはなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 




思ったより早く投稿できました。

ほぼつなぎ回となった第11話でしたがいかがだったでしょうか。

ご意見ご感想お待ちしております。


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第12話 悪魔襲来

 アティはアリーゼに会うためにラトリクスのリペアセンターを訪れていた。

 

 部屋に入ると彼女は既に起きていて、本を読んでいた。

 

 アリーゼがここに入院してからも、カイルやヤードがストラや召喚術で治療をしてくれていたため、傷自体はもうほとんど治っているのだ。そのためただ寝ているのは暇なのだろう。

 

 クノンの話ではあと一週間ほどで退院できるという。もちろんその後しばらくは激しい運動は禁物だが。

 

「もう起きても大丈夫なの?」

 

 傷は治ってるとはいっても、体が普段通りと言うわけではないためアティが心配するのは当然だった。

 

「はい、ずっと寝てても退屈なだけですし……。だからクノンが貸してくれた本を読んでました」

 

「それって確か、帝都で人気の恋愛小説だよね?」

 

 彼女が読んでいる本は「恋する乙女は片手で龍をも殺す」という物騒なタイトルの本だった。時間を持て余していると知ったクノンが、この本の持ち主であるスカーレルから承諾を得てアリーゼに貸したのだ。ちなみにクノンは感情について学ぶためにこの本を借りていたようだ。

 

「そうです、私ずっと読んでみたかったんです!」

 

 アリーゼは年頃の少女だ。帝都で流行っている恋愛小説ともなれば興味がないわけはないだろう。

 

 アティは嬉しそうな生徒を微笑みながら見ていた。

 

「あ、そういえば先生、バージルさんはどこですか? 助けてもらったお礼を言いたいんです」

 

「…………」

 

 バージルの名前を聞いてアティは押し黙った。彼は昨日から船に戻ってきていないかった。

 

 カイル達はバージルなら心配はいらないだろうと考えているのか、特に心配はしていない様子だった。

 

 確かにカイル達の言う通りバージルの強さならば、はぐれ召喚獣など鎧袖一触だろう。それどころか彼は無色の派閥の軍勢すら容易く壊滅させたのだから、もはや無敵といっても間違いではないだろう。

 

 それでもアティは心配なのだ。

 

「先生?」

 

「え? あ、ごめんね。バージルさんは今出かけてるの」

 

 嘘ではない。どこで何しているかがわからないだけで、バージルが出かけてはいるのは事実だ。それでも彼が戻ってこないことを正直に伝えなかったのは、彼女に余計な心配をさせたくはなかった。

 

「そうなんですか。それならわざわざ来てもらうより、治ってから言いに行ったほうがいいですよね?」

 

 アリーゼにとってバージルは決して話しやすい相手ではない。彼はいつも寡黙で、常に近寄りがたい雰囲気を纏っているからだ。

 

 だからといって助けてもらった礼すら言わないという非礼な真似はできないのが彼女だ。

 

「うん、私もその方がいいと思うよ」

 

 アリーゼの意見に同意する。同時に心の中でバージルの無事を願う。

 

 アティは昨晩からずっと嫌な予感がしている。何か悪いことが起きるような、そんな予感だ。だから余計にバージルが心配になっているのだ。

 

 そして、そんな嫌な予感は往々にしてよく当たるものだ。

 

 

 

 

 

 アティからそんな心配をされているバージルは、複雑に入り組んだ遺跡のとある部屋に来ていた。そこは一種の書庫のような場所であり、この遺跡で行われた実験の資料や実験結果のレポート、そしてそれらをもとに作成された報告書が大量に置かれていた。

 

 バージルは昨日、この部屋を訪れてからずっと籠りっ放しでこれらの書物を読み耽っていたのだ。

 

 最初はこの周辺に現れた悪魔を探していたが、どうにも場所を特定できなかった。この遺跡のどこかにいるのは間違いないのだが、悪魔の気配がこの遺跡全体から感じるのだ。

 

 まるで遺跡自体が悪魔になったかのようだった。

 

 もちろんそれはありえない。以前この遺跡に来た時は間違いなくこんな気配はしなかったのだから。

 

 加えて、悪魔の方から仕掛けてこないというのも解せないことだった。力の大きさから判断して、ここに現れたのは下級悪魔なのは間違いない。

 

 そういった本能だけで生きているような悪魔が、すぐ近くにいる憎き仇敵の血を引くバージルに何もしないというのは不自然だ。

 

 いくつかの疑問が浮かんでくるが、その答えを出すことはできなかった。

 

 だからこそ、先に遺跡の再調査を行うことにしたのだ。無色の派閥の船で手に入れた遺跡の図面をもとに、遺跡の内部を進んで辿り着いたのがこの書庫だった。

 

 簡易的な本棚がいくつも置かれていたが、ほとんどの書物が共界線(クリプス)や四世界の各技術や知識に関係するものであり、もしかしたら護人達はここの書類をもとに自分達の体を強化したのかもしれない。

 

 この遺跡ではかつて共界線(クリプス)を支配するための実験は特に多く行われていたようで、多くの資料がそれに関係するものだった。それは、この遺跡を作った者達の目的が、人が界の意志(エルゴ)に成り代わることであるため、その種の資料が多くなるには当然といえるだろう。

 

共界線(クリプス)か……)

 

 書類に目を通していくうちにバージルにふと疑問が湧き、頁をめくる手を止める。そもそも、なぜ共界線(クリプス)が存在するのだろうか。

 

 万物は界の意志(エルゴ)から別れて生じた、これはリィンバウムに伝わる伝説だ。これだけなら人間界にもよくある世界創生の神話の一種でしかない。

 

 しかし、このリィンバウムの伝承にはそれを裏付けるように、共界線(クリプス)という界の意志(エルゴ)との繋がりが然としてあり、世界のあらゆるものはその影響を受けているのだ。

 

 界の意志(エルゴ)が万物を創造したかどうかは定かではないが、いずれにせよ辿り着く疑問は同じだ。

 

 界の意志(エルゴ)共界線(クリプス)という全てを支配できる繋がりで何を為そうとしているのか。

 

 世界を破滅させないように見守っているのか、送られてくる莫大な情報で好奇心を満たすためか、あるいは――。

 

 性質の悪い予想が脳裏をよぎる。しかしバージルはそれを打ち消した。

 

(いずれにせよ、俺には関係ないことだ)

 

 例え界の意志(エルゴ)が何を考えていようともバージルは直接影響を受けることはない。彼は共界線(クリプス)で直接界の意志(エルゴ)と繋がっているわけではないからだ。

 

 再び手を動かし始め、ルーチンワークのように本に目を通していく。しばらくそれを続けていると、手にした本の中によく知っている言葉が書かれているのを見つけ、思わず目を見開いた。

 

 だが、そんなときに限って面倒な事が起きた。悪魔の気配を感じ取ったのだ。

 

 次の瞬間には、部屋全体に赤い蔦が編み込まれたような結界が張り巡らされた。この遺跡のどこかに潜んでいた悪魔がついに動き出したのだろう。

 

 なにしろこの部屋を包む結界は悪魔特有のものである。彼らはこれを使って獲物の逃亡を防ぎ、そして殺すのだ。

 

 この結界は張られた空間を周囲から隔離、封印するもので脱出は非常に難しい。にもかかわらず簡単に使うことができるので、上級悪魔はもちろん中級や下級悪魔の中にもこの結界を使用する者は多い。

 

 しかし、発動するためには必ず結界内にいなければならない。それゆえこの封印結界を解く最も手っ取り早い方法は、結界内の悪魔を殲滅することなのである。

 

 もっともバージルは、そんな理由がなくとも自分に敵対する者は、悪魔であれ何であれ容赦なく殺すのだが。

 

「こんな時に……」

 

 バージルは悪魔の出現に舌打ちをしながら、読んでいた本を棚に戻す。さすがに持ったまま戦うわけにはいかない。攻撃の余波で本がボロボロになる可能性を考慮したのだ。

 

「ヘル=グリードか……、魔界との境界が薄れたか」

 

 目の前に現れた悪魔を見て言った。彼の前に現れたのは両手で大きな棺桶を持ち、強欲の罪を犯した人間を地獄で責め続ける、ヘル=グリードという悪魔だった。

 

 しかし、このヘル=グリードはバージルが最初に気付いたあの悪魔ではない。

 

 周囲の魔力が高まっていることから、おそらく件の悪魔は何らかの方法で遺跡から魔力を引き出し、それによって魔界との境界を薄め悪魔を他の悪魔を出現させたのだろう。

 

 ただ、それが狙って行われたものかはわからない。

 

 バージルがテメンニグルを復活させた際も今以上に悪魔が現れた。しかし彼は悪魔を出現させることが目的であの塔を復活させたわけではない。悪魔が現れたのは、解き放たれた魔力によって引き起こされた一種の副作用のようなものなのだ。

 

 それと同じように、あの悪魔も別の目的で遺跡の魔力を引き出している可能性がある。

 

 もし、この予想が当たっているのだとしたら、随分と慎重な悪魔なのかもしれない。

 

「フン……」

 

 鼻を鳴らす。いずれにせよまずは目の前の悪魔を倒さなくては話しにならない。そう考えギルガメスを装備した。

 

 そしてヘル=グリードが唸り声を上げながら棺桶を振りかぶった瞬間、エアトリックで即座に距離を詰めた。

 

 至近距離まで近づいたバージルは腰を低く落とし、右腕を腰に引き付け力を込める。口元にフェイスマスクが装着され、右腕に衝撃が蓄積され蒸気が噴出する。

 

 ヘル=グリードが棺桶をバージルの振り下した瞬間、右腕に溜めた力を解放した。その衝撃的な一撃は迫りくる棺桶をガラクタにしただけでは終わらず、悪魔に到達した。

 

 右腕が悪魔の体に突き刺さると共に、ギルガメスからパイルバンカーのように撃ちだされた杭状の物質も悪魔の体にめり込んだ。

 

 砂を依り代に出現したヘル=グリードの体を破滅的な衝撃が駆け巡る。それはこの悪魔を殺すには十分過ぎる力を持っていた。

 

 ストレイト一発。言葉にすればただそれだけの一撃で強欲の名を持つ悪魔は絶命し、体はただの砂に戻った。そして同時に結界も解除されたようだ。

 

 もし、相手がバージルではなく人間だったのなら結果は違っていたかもしれない。この悪魔は棺桶から同類の悪魔を際限なく呼び出すことができる。速やかに撃破しなければ次々と仲間を呼ばれてしまうのだ。

 

 その点バージルには大悪魔すら一撃で屠る絶大な攻撃力がある。ヘル=グリードにとって今回は、相手が悪すぎたのだ。

 

(なるほど、現れたのはこいつだけではないということか)

 

 悪魔を倒し結界は解除されたものの、バージルには周囲から続々と悪魔が出現しているのが手に取るようにわかった。

 

 そして出現した悪魔は、バージルの方へ向かってくるものもいるが、その半分以上は島の集落の方へ移動していった。

 

 もともとリィンバウムは魔力の豊富な世界だ。おまけに遺跡から引き出された魔力のせいで、既にこの遺跡一帯は多量の魔力で満たされている。それによって魔界との境界は広範囲で薄くなるだろうことは自明の理だ。その結果がこの悪魔の大量出現なのだ。

 

(向こうはあいつらが片づけるだろうな……)

 

 バージルは島の集落へ向かった悪魔の始末はアティ達や護人達がすると考えたため、あえてそちらに行くという選択肢はとらなかった。なにしろ今回現れた悪魔は全てセブン=ヘルズという種の悪魔だ。

 

 セブン=ヘルズは地獄の住人であり、そこで七つの大罪を犯した死者を苦しめる存在だ。先程のヘル=グリードもその一種である。ただ、決して強くはなく普通の銃弾や斬撃でも倒すことができる下級悪魔なのだ。それが数多くいたとしてもアティ達ならば十分勝てる相手だろう。

 

 今、バージルがすべきことは件の本を確保することだ。

 

 先程相手にした悪魔は一体だけだったため、戦いの場が書庫でも、本を傷つけず倒すことができた。しかし、その数が増えればそれだけ本が傷つく可能性が高まる。おまけに己は悪魔を引きつけてやまないスパーダの血を受け継ぐ存在だ。

 

 速やかにこの部屋から出て、元凶となった悪魔を倒すのが急務だろう。バージルは部屋を後にし、遺跡の奥へ進んでいった。

 

 

 

 

 

それは突如として現れた。黒いぼろを纏い、その手には大きな鎌を携えて島の住民に襲いかかったのだ。

 

 アティ達にとって彼らは決して弱いということはなかったが、勝てない相手ではなかった。実際、迎撃した護人やカイル一家によって殲滅することができたのがその証左だ。

 

 しかし、勝利の余韻を味わえたのも束の間のことだった。連絡に飛び回っていたフレイズが、続々と遺跡から湧いて出てくる集団を発見したのだ。

 

 これを受けて護人は住民を、遺跡から最も遠いカイル一家の船に避難させることにした。守るべき対象を一ヶ所に集め戦力を集中しやすくしたのだ。だがこの判断は、住民を守り切れなければ取り返しのつかないことになる危険性も孕んでいた。

 

 そして今、船の外では戦える者が集まって今後の対策を話し合っていた。

 

「では、アティ殿はあれがバージル殿の世界の悪魔だというのですか?」

 

「その通りです」

 

 リペアセンターを出た直後襲撃に巻き込まれたアティはアルディラと共にこれを撃退したのだ。その時の敵の姿は以前バージルと共に無限界廊に行った時に見た者と同じだったのだ。

 

 彼は、ヘル=プライドと呼んでいたこの存在と、その後に現れた氷を纏ったトカゲのような生物を悪魔なのだと言った。そして自分達の知る悪魔ではないとも。

 

 だからこそアティは集落を襲撃したヘル=プライドをバージルの世界、名もなき世界の悪魔だと思ったのだ。

 

「そうするとあいつらは召喚されてきたってことか」

 

「おそらくそうでしょうね、遺跡はここのところ動きなかったから油断してたわ」

 

 ヤッファの言葉にアルディラが自嘲的に答えた。

 

「それでどうするよ? 遺跡に行って元から叩いちまうか?」

 

「でもさ兄貴、それだとここを守る人がいなくなっちゃうよ」

 

 住民を守れなくては意味がないとソノラが反対する。

 

「たしかにそうですね、みんなを守れなかったら本末転倒です」

 

「しかしファリエル様、この状況がいつまでも続けばじり貧です。一度は遺跡に出向いて確認した方がよろしいのでは?」

 

「たしかに今ならまだ戦力を分けても、なんとかここは守りきれるかもしれん」

 

 あくまで住民を守るのを最優先にすべきという意見と、状況を打開するため発生源である遺跡を調べるべきだという意見が対立する中、アズリアが自身の考えを言った。

 

「確かにそうかもしれないわね、それで隊長さんはどう分けるのがベストだと思うの?」

 

「可能な限り短い時間で戻ってくるためには遺跡の内部に詳しい者がいいだろう。それに封印の鍵だという魔剣を持っているアティかイスラは行った方がいいだろう」

 

「となると俺達が行かなきゃいけねぇってこったな」

 

 ヤッファが他の護人に確認するように言う。

 

 彼らが心身を強化するために行った儀式も遺跡にあった知識をもとにしたものであり、召喚術も残った施設を利用したものなのだ。そんな護人が遺跡の内部に詳しくないわけはない。

 

「そうですね。フレイズ、あなたは残ってもらえる? もしものときの連絡役になってほしいの」

 

「わかりました、ファリエル様」

 

「ミスミ様、郷の者達をお願いします」

 

「うむ、そなたもしっかりな」

 

「クノンも何かあったらしっかり治療してあげてね」

 

「アルディラ様もお気をつけて」

 

 三者三様に護人達は後のことを任せていた。

 

「さすがに四人だけじゃあ少なすぎるだろ、俺達も行くぜ。先生はどうする?」

 

 船の中には怪我がまだ治りきっていないアリーゼがいる。アティは彼女を守るため残りたいと思っているのかもしれない、カイルはそう考えたのだ。

 

 アティに力をくれたバージルは「大切なものがあるなら、守ってみせろ」と言っていた。そしてその時、彼女は今度こそ守ってみせる誓ったのだ。

 

 その誓いを果たすべき時が今だと思った。

 

「……私は残ります」

 

 そう決断したものの、迷いは残っていた。ここに残ることが大切なものを守ることに繋がるのだろうか。

 

「そうかい、ならみんなのこと任せたぜ!」

 

 アティの迷いを知ってか知らずか、彼女の答えを聞いてカイルは笑った。

 

「なら僕が遺跡に行けばいいんだね」

 

「気を付けるんだぞ、イスラ」

 

「姉さんもね」

 

 アズリアの言葉に軽くそう返した。

 

 その後、さらに話し合いは進み、ジャキーニ達にはもしもの時はカイル達の船を使って島を離れろと伝えることにした。完全に修理は終わっていないため、長期の航海や荒波を越えることはできなくとも、島の沖合に少しの間出ることなら可能だろうとの判断だった。

 

 こうしてそれぞれの役割は決まり、遺跡へ赴く護人、カイル一家、そしてイスラの九人は準備ができ次第すぐ出発することになった。

 

 

 

 

 

 皆が出発や迎撃の準備に追われる中、アティはアリーゼの所に来ていた。

 

「それじゃあ、先生も遺跡に行くんですよね?」

 

 これからのこと聞かされたアリーゼは尋ねた。

 

「私はここに残るよ。……大丈夫、今度こそ絶対に守るから」

 

「あの……本当にそれでいいんですか?」

 

 たしかにここに残って迫る敵を倒すことはアリーゼのみならず、この船に避難してきた島の住民を守ることができるのは確かだ。だがそれは所詮、対症療法にすぎない。

 

「でも……」

 

「いつもの先生なら率先してなんとかしようとしてたじゃないですか。私は大丈夫ですから、先生は自分のしたいことをしてください!」

 

 アリーゼの言葉はアティの心に響くものだった。一度は抑え込んだ迷いが湧きあがってきた。

 

「私はいつも先生に頼ってばっかりだったんですから、たまにはわがままを言ってください。私だっていつも守られるばかりじゃないんですよ?」

 

 いつの間にか彼女は随分と成長していたようだ。今のアリーゼはアティが守らなくてはいけない存在ではない。一人前の人間として巣立ちの時を迎えたのだ。

 

 生徒の成長を実感した時、アティはイスラに代わって遺跡に行くことを決心した。

 

「アリーゼ……ありがとう。私行ってくるね」

 

 それを伝えるため彼女はみんなのもとへ走って行った。もう彼女に迷いはなかった。

 

 

 

 

 

 

 




今回も投稿が遅くなってしまい申し訳ありませんでした。

第12話いかがだったでしょうか。

次回は忘れられた島での最後の戦いとエピローグを描くつもりです。

なお、次回投稿は9月5日を予定です。

ご意見ご感想お待ちしてます。


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第13話 さよならのかわりに影をかさねて

「邪魔だ!」

 

 カイルがそう言いながら黒いぼろを纏ったヘル=プライドを殴り飛ばした。遺跡に向かう彼らに襲いかかってきたのは大量のヘル=プライドだった。

 

 一体一体は大した強さではない。動きも早いわけではなく、武器で攻撃すれば倒すこともできる。だが、問題はその数だった。カイルの言葉通りいくら倒しても勢いが衰える様子は全くなかったのだ。

 

 最初は襲いかかってくる悪魔に応戦していたが、一向に数が減ることがなく、このままではじり貧になってしまうと考えたアティ達は極力戦闘を避けることにした。

 

 それは船で戦う仲間たちにより多くの負担を強いることになるが、遺跡に辿り着かなければここまで来た意味がない、そう考え苦渋の決断を下したのだ。

 

 そうして針路を妨害する悪魔だけを倒しながら遺跡を目指して走った。

 

「ようやくつきましたね……、みなさん、大丈夫ですか?」

 

 アティが息を整えながら声をかけた。できる限り戦闘を避けたといっても、少なくない数の悪魔と戦いながら走ってきたため息を切らしている者が多かった。

 

 幸運にも彼女達のいる遺跡入口の周囲には、悪魔の気配はなく一休みできそうだった。

 

「わ、私は大丈夫、とにかく今は急がないと……」

 

 肩で息をしながらも先を急ごうとするソノラを抑えるようにキュウマが言った。

 

「無理はいけませんよ。ここから先は何が起こるかわかりませんし、できる限り万全の状態で中に入るべきでしょう」

 

「そうよソノラ。今は少しでも休みなさい」

 

「はーい」

 

 スカーレルにも言われソノラは大人しく休むことにした。

 

「遺跡に入ってからのことだけどまずは核識の間を目指してみてはどうかしら」

 

 核識の間は言葉通り核識となるための装置が存在する場所だ。以前にバージルが破壊した装置も中枢と言っていいものだったが、核識の間はそれ以上に重要な、この遺跡の心臓部なのだ。

 

「私も義姉さんに賛成です。喚起の門も起動していないとすると、他に何かできそうなところはそこしかないんです」

 

「そこでいいんじゃないか」

 

「そうですね、そもそも私達は遺跡について詳しくありませんし」

 

 カイルとヤードが同意する。その二人だけでなく他の者達も異論はなく賛成のようだ。

 

「では目指す場所も決まったことですしそろそろ――」

 

 アティがそう言いかけたとき、船の方から赤い大きな光が立ち昇った。

 

「どうやらあっちも始まったみたいだな」

 

 ヤッファが船の方を見ながら言った。赤い光がなんなのかアティは言われなくとも理解できた。それはイスラが紅の暴君(キルスレス)を抜いた光だった。

 

 もちろん何の理由もなく抜剣するはずがない。悪魔との戦いが始まったため抜剣したのだろう。もはや一刻の猶予もない。

 

「急ぎましょう!」

 

 息を整えることができた以上、もうここに留まる理由はなかった。アティの声を合図に彼女達は遺跡の中へ入って行った。

 

 

 

 

 

 バージルはいつも通りの速さで歩き続けていた。途中、何度かセブン=ヘルズが襲いかかってきたが、彼はその悪魔たちを例外なく瞬く間に屠っていった。

 

 にもかかわらず彼は全く疲れはおろか、息を切らしてすらいない。もはやセブン=ヘルズ程度では足止めすることすら叶わないようだった。

 

 そうしてしばらく件の悪魔の気配を追いながら歩いていくと、ある部屋の前まで辿り着いた。追っていた悪魔はこの中にいるようだ。

 

「この先か」

 

 呟きながらその中に入る。そこは部屋と言うより大きなホールのようなところだった。図面ではここは核識の間と呼ばれる場所のようだ。

 

 そしてその中央に存在する一つの大きな物体。悪魔の気配はそこから発せられていた。

 

(いや、違うな)

 

 たしかに物体から悪魔の気配がすることは間違いではない。しかしより正確にいうのであれば、さらにその中心部から気配を感じるのだ。

 

 それは、この物体がただの依り代ではないことを意味している。悪魔が依り代を得てこの世に現れるときは、それ全体から悪魔の気配を感じるものだ。しかし、目の前の物体はそうではなかった。

 

(となればこの悪魔は――)

 

 そのとき、バージルの思考を中断させるように目の前の物体が攻撃を仕掛けてきた。バージルに闇の球体が襲いかかる。

 

 魔力を使った攻撃だ。それ自体は珍しいことでもないが、問題はそのためにつかった魔力だ。

 

 それは碧の賢帝(シャルトス)から引き出せる魔力と同一のものだった。

 

 その事実がバージルに自身の考えが正しいものであると確信させた。

 

「やはりインフェスタントか」

 

 インフェスタント。魔界に住む寄生生物の一種だ。特段大きな力を持っているわけではない。しかし、このインフェスタントの恐るべきところは他のものに寄生する点だ。それも別種の寄生生物とは違い、生物や悪魔以外にも機械等の無生物、無機物にすら寄生することできるのだ。

 

 おまけにただ寄生するだけはなく、宿主の体を頑強に強化し、より強力な宿主を求めて殺戮を繰り返す習性を持っているため、非常に性質が悪い。

 

 そんなインフェスタントにとってバージルは最高の宿主だった。だからこそ、この悪魔はバージルを倒そうと攻撃を仕掛けてきたのだ。

 

(なるほど、この世界に現れてすぐに仕掛けてこなかったのは遺跡に寄生するためか)

 

 おそらくインフェスタントは何にも寄生していない状態でリィンバウムに現れたのだろう。そのため、まずは手近にあった遺跡に寄生しようとしたのだ。バージルが遺跡全体から悪魔の気配を感じたのも、インフェスタントがこの遺跡そのものと融合したからだろう。

 

 そしてこの遺跡の機能を使い共界線(クリプス)から魔力を大量に引き出したことが、周囲一帯の魔力濃度を上昇させ悪魔が湯水のように出現するきっかけとなったのだ。

 

 バージルが思考を進めている間にもインフェスタントの攻撃は激しさを増していく。それはまるでこの核識の間自体が意志を持って襲いかかっているようだった。

 

 それもそのはずインフェスタントが寄生したのは人が界の意志(エルゴ)に成り代わるための装置なのだ。共界線(クリプス)を通じてこの場所そのものを武器にするなど造作もないことなのだ。

 

 それどころか、この島そのものが破滅していてもおかしくはないのだ。

 

 だが、バージルが破壊した遺跡の中枢部が島との接続を司る部分だったのが幸いした。そのおかげで島が破滅するという最悪の事態は避けられた。しかし、島を支配することができなくなっても遺跡自体を支配することはいまだ可能だった。

 

 事実インフェスタントはこの遺跡全体を支配し、完全に地の利を得ていた。

 

 島全体の支配から遺跡の支配へと規模こそ小さくなるものの、それはまるでかつての戦乱で無色の派閥と戦ったハイネル・コープスの再現だった。いや、インフェスタントに寄生され強化されていることも考慮すれば、戦闘力はかつて以上だろう。

 

 もはや生きた要塞と化したこの遺跡を攻略するのは、人の手では不可能だろう。

 

 そう、人の手では。

 

(つまらん)

 

 インフェスタントの攻撃を避けながら溜息を吐く。いかに多くの魔力を引き出したところで相手は下級悪魔。ただ、分不相応な力を手にしただけの雑魚。遺跡そのものを武器とした攻撃もバージルにとっては単調なものでしかなかった。

 

 もはや彼は目の前の存在に何の興味も抱いていなかった。それ故、一撃ですべて終わらせることにした。

 

 バージルの目が赤く光る。体の隅々まで魔力を行き渡らせる。それにより彼の体は変化する。より強き姿へと。

 

 魔人の姿へと。

 

 父から受け継いだ力の解放。悪魔の引鉄(デビルトリガー)

 

「It's over」

 

 インフェスタントが最期に聞いたのはその言葉だった。

 

 

 

 

 

 バージルが核識の間に入った頃。アティ達は遺跡の中を核識の間を目指して走っていた。彼女達は遺跡に入ってから一度も悪魔と遭遇していない。

 

 その理由は周囲を見れば明らかだった。周りには大量の砂が飛び散っている。それはセブン=ヘルズが依り代にしていたものだということはこれまでの戦いからよくわかっていた。

 

 驚くべきはその量だ。彼女たちがこれまでに相手してきた以上の悪魔を倒さなければ、あれほどの砂を撒き散らすことはできないだろう。

 

 こんな芸当ができるのは彼女達が知る中でただ一人だけだ。

 

「バージルさん、ここにいるんでしょうか?」

 

「たぶんそうでしょうね。……もっとも何のためにここに来たのかはわからないけど」

 

 アティの疑問にアルディラが答えた。

 

「お二人とも話しをしている場合ではありませんよ」

 

 ヤードの言葉で二人が意識を進む先に向けると、そこには核識の間への扉を背にしながら大きな氷柱が一本立っていた。

 

 ただの氷ではないことは誰もが分かっていた。

 

「…………」

 

 キュウマが用心しながらゆっくりと氷柱に近づいた瞬間、氷柱が砕け散り氷の鎧を纏った蜥蜴のような生物が出てきた。それの右腕は大きな氷塊ができており、左手には氷でできた鋭利な爪が生えていた。

 

「あれは!?」

 

 アティにはその存在に見覚えがあった。バージルと無限回廊に行った時に見た悪魔。フロストだ。

 

「みんな気をつけて! あれは悪魔です!」

 

 その言葉が戦闘開始の合図になった。

 

 ソノラが先手必勝とばかりに銃撃を浴びせる。

 

 先手を取ることは戦いに勝利するための有効な手段の一つである。もちろんそれは人間の身体能力を超える悪魔相手にも有効な手段となりえるのだ。

 

 しかし、フロストはそんなセオリーが通じる相手ではなかった。彼女が撃ち込んだ銃弾は全て氷の鎧に阻まれフロストの体に達することはなかった。

 

 銃弾が防がれた時、既にアルディラは召喚術の準備を整えていた。

 

「スクリプト・オン! ジップフレイム!」

 

 言葉と共に火炎放射器を装備した機界の召喚獣フレイムナイトを召喚し、人間なら炭化するほどの強烈な炎を浴びせた。氷を纏った悪魔だから熱には弱いだろうという考えでの選択だった。

 

 だが、それほどの高熱を浴びせられても鎧は溶ける様子を見せず、フロストは平然と炎の中を歩いてくる。

 

 その姿を見て誰もがこれまでの悪魔とは違う、一筋縄ではいかない相手だと改めて認識する。

 

 決して油断ならぬ相手だと分かってはいても、これまでほぼ無傷で悪魔相手に勝利してきたという事実が、心のどこかで慢心を生んでいたのかもしれない

 

 そもそも、これまでアティ達が戦ってきたのは、ほぼヘル=プライド等のセブン=ヘルズである。このセブン=ヘルズという悪魔は姿を現すにも依り代であり、その力も悪魔の中では最弱の部類に入る悪魔なのだ。

 

 それに比べてフロストは魔帝ムンドゥスが人間界侵攻のために創り上げた悪魔なのだ。戦うために創られたため、非常に高い戦闘能力を与えられているのが特徴である。氷を自在に操ることができ、それで作られた鎧は非常に強固で溶岩ほどの熱でもびくともしない。もちろん攻撃面でも隙がなく、ムンドゥスが創り上げた悪魔中でも最高傑作といっても過言ではないだろう。

 

 そのフロストが不意に空中に飛び上がった。

 

「伏せて!」

 

 戦いで培った経験からかスカーレルがそう叫んだ。

 

 跳躍が頂点に達すると同時に、フロストは氷でできた右腕を、まるで散弾銃のようにいくつもの大きな針にして四方八方に飛ばした。それも適当に飛ばしたのではなく、正確に狙いをつけての攻撃だった。もしもスカーレルの声に従っていなかったら、皆氷の針に串刺しにされていたに違いない。

 

 はずれた氷針は地面に当たり薔薇のようなオブジェになっていたが、それを気にする者はいない。なにしろ今のフロストは片腕を失っている状態なのだ。正に千載一遇のチャンスだ。

 

 今なら接近戦を挑める。そう考えたカイル、キュウマ、ヤッファ、スカーレルの四人が攻撃を仕掛けた。拳、刀、爪、短剣による反撃すら許さない程の猛攻に、さしもの頑強なフロストの鎧といえど亀裂が入った。

 

 このままでは鎧を砕かれると悟ったのか、フロストは右腕を瞬く間に再生させ、垂直に飛び上がった。

 

 そして落下の勢いを利用して右腕を床に叩きつけ氷の衝撃波を生み出した。

 

 だがそれもカイル達にはすんでの所で当たらなかった。フロストの飛び上がる姿を見て攻撃を止め、距離をとったことが彼らの命を救ったのだ。

 

 このまま一気にたたみかかえようと残ったアティ達が攻めかかろうとした時、氷針によってできた薔薇が爆発した。

 

 割れたガラスのような鋭利な破片が周囲に飛び散った。幸い命に関わるような傷は受けなかったものの、当たらなかった者もいなかった。

 

「全く、なんて野郎だ」

 

「ええ、あの氷はまるで鋼鉄です」

 

 ヤッファとキュウマが顔の傷から流れる血を拭いながら言った。

 

 鎧を攻撃していた者達の武器はひびや亀裂が入り、もう武器として使うとはできなさそうだった。

 

 だがカイルはそれ以上の酷い状態だった。武具を着けているとはいえ、直接拳で殴り攻撃をしているため、その手はひどい凍傷になっていたのだ。今はヤードが懸命に治療していた。

 

 それでも攻撃の手を緩めず氷の衝撃波、メガクラッシュによって発生した氷塊が消えると同時に、アティとファリエルが仕掛ける。

 

 ファリエルが氷の鎧の亀裂が入った箇所に渾身の力を込めて大剣を叩きこみ亀裂を広げる。さらにアティが剣を突き刺した。

 

 瞬間フロストが距離を後方に飛び退き距離をとった。それは己より格下の存在に、傷を付けられたこと対する驚きからの行動かもしれない。

 

 アティの一撃は強固な氷の鎧を貫通し小さいながらもフロストに傷を与えることができたのだ。

 

(こんなに強いなんて……でも、みんなと協力すれば!)

 

 バージルはこの悪魔をヘル=プライドを相手にするのと同じように容易く切り捨てていたため、ヘル=プライドを倒してきた自分達なら勝てるに違いないと思い込んでいたのだ。

 

 それがフロストの予想以上の手強さに驚くと共に、それでも鎧を貫いたように仲間と協力すれば倒せない敵ではないと確信した。

 

 アティはあらためて敵を見据える。仲間も武器が使い物にならなくなった者は二つ目の得物を手にそれぞれ構えを取った。

 

 対するフロストは姿勢を低くしながら唸りを上げ威嚇していた。

 

 しかし次の瞬間、不意に威嚇を止め核識の間の方に顔を向けた。

 

 アティ達がその行動の意味を理解できたのは数秒後だった。

 

 核識の間から膨大な魔力が溢れ出してきたのだ。

 

 その魔力に呼応したのか、碧の賢帝(シャルトス)がアティの手に出現した。

 

(どうして……!?)

 

 突然のことに驚くが、頭はすぐに冷静なることができた。もしかしたら彼女を包むバージルの魔力のおかげかもしれない。

 

 今為すべきことは目の前の悪魔を倒すことであり、碧の賢帝(シャルトス)のことを考えている場合ではないのだ。

 

 これまでとは違う蒼い魔力を放つ魔剣に驚く仲間達をよそにアティは、いまだ核識の間に顔を向けているフロストに全力の一撃を叩きこんだ。

 

 凄まじい魔力の奔流にフロストの右腕諸共、鎧は粉々に砕け皮膚が剥き出しになった。

 

「みなさん、一気に攻めましょう!」

 

 アティの声に頭を切り替えた仲間達は一斉に攻撃を仕掛けた。

 

 護人達は各々の最も強力な一撃を、カイル一家もヤードを中心として召喚術を放った。

 

 もはや何も防ぐもののないフロストは遂に倒れ、その体は氷となりついには消失した。

 

「やった……」

 

 誰かがそう呟いた。辛うじて勝つことができたが、体には多くの傷と疲労が蓄積されていた。

 

 だが、それを癒す暇はなかった。

 

 次の敵が現れたのだ。それもこの部屋の入口に。

 

 まるで逃げ道を塞ぐように、フロストが三体現れたのだ。

 

「うそ……」

 

 アティが呆然としながら呟く。同じ悪魔が一体だけでもあの手強さだったのだ。

 

 一体ずつなら碧の賢帝(シャルトス)を抜剣している今のアティなら勝利することも不可能ではないが、それが三体同時となると相当厳しい。

 

 だが、現れたのはフロストだけではなかった。核識の間から溢れ出ていた魔力の持ち主が現れたのだ。

 

 アティ達は背筋に冷たいものを感じながら、魔力の溢れ出る源へ視線を向けた。

 

 そこにいたものを見て彼女達は戦慄した。

 

 大きさは約二メートル、人と大して変わらない大きさだ。しかし、全身を蒼い鱗のような甲殻で包み、兜のようなものを被っている。

 

 そんな明らかに人間とは違う体からは、三体のフロストやアティが碧の賢帝(シャルトス)を手に放つ魔力が可愛く思えるほど巨大で圧倒的な魔力を放っていた。その規格外の力によって周囲には紫電が迸ってすらいた。

 

 どれをとっても紛れもない怪物だった。

 

「…………」

 

 無言で佇む怪物にフロスト達が大きく咆哮する。そして体を微粒子に変え瞬時に怪物の前に移動し、猛然と飛びかかった。恐るべき速度と一糸乱れぬ動き、まさに精鋭の名に相応しき戦闘能力だ。

 

 しかし、怪物にとってはあまりに遅すぎた。

 

 左腕から生えている鞘のようものから刀を抜き、一閃。それだけで三体のフロストは同時に両断され絶命した。

 

 だが、それを見ていたはずのアティ達には何が起きたか分からなかった。悪魔が怪物に襲いかかったのは理解できたが、怪物が何をしたのは分からなかった。

 

 まるで過程がすっぽり抜け落ちて結果だけを見せられたように、刀が抜き放たれ三体の悪魔が死んだということだけが理解できたのだ。

 

 そして怪物は刀を納めながらアティ達を見た。

 

 次は自分達の番だ。化け物がそう言っているように思えてならなかった。

 

 アティは恐怖に震える体を必死に抑えつけ、折れそうな心を鼓舞し、碧の賢帝(シャルトス)を構えた。勝てるとは思っていない。それでも船に残り戦っている仲間のためにも、島のみんなのためにも、ここで諦めるわけにはいかないのだ。

 

「ほう、俺と戦うつもりか?」

 

 怪物から放たれたその言葉にアティは混乱した。その声は バージルのものだったのだ。

 

「えっ……な、なんで……?」

 

 混乱する彼女を尻目に怪物は姿を変えた。いや、正確には人間の、バージルの姿へと戻ったのだ。

 

「バージルさんが……?」

 

「そんなことはどうでもいい、俺は行くぞ」

 

 いつも通りの抑揚のない声で話しながら歩いていく。

 

「あ、ち、ちょっと!」

 

 アティの言葉に反応したのか、彼は歩みを止め振り向きもせず言った。

 

「貴様らも死にたくなければ戦うことだな」

 

 言葉と共に鞘に納められた閻魔刀の鍔を親指で押し上げると、鏡のように磨きあげられた刀身が僅かに姿を見せた。

 

 この場で閻魔刀を構えるのは戦い以外ありえない。

 

 彼の言葉の意味を即座に理解したアティ達は武器を手に戦いに備える。

 

 そして現れたのは夥しい数の悪魔の群れ。この島に残された悪魔が魔人化したバージルの力に引かれて集まってきたのだ。

 

「いっぱい言いたいことがあるんですから」

 

 アティはバージルの隣に立ち、蒼い光を放つ碧の賢帝(シャルトス)を構えた。

 

「ならば、せいぜい生き残ることだ」

 

 閻魔刀を抜き放つ。バージルの島での最後の戦いが幕を開けた。

 

 

 

 

 

 船に揺られながらバージルは本を読んでいた。あの島の遺跡にあった本だ。

 

 あの遺跡での戦いの後、彼はこの本を回収した後に船に戻った。そこには傷つきながらも島の住人を守るために戦っていた者達がいた。中には怪我をした者もいたが、死者がいなかったのは不幸中の幸いと言えるだろう。

 

 その日の夜みんなが無事生き残れたことを祝して宴会が催された。

 

 バージルはその席でやれあの姿はなんだだの、やれどうしていなくなったんだだのと質問責めにあった。彼にしてみれば至極どうでもいいことだったので投げやりに答えていた。

 

 そしてアティもまた質問責めにあっていたようだ。彼女とは離れた場所にいたためその内容を知らないが、こちらを見ながら答えていたため、恐らく自分に関連したものだろうことは予想できた。

 

 ちなみに彼女はあまり酒を飲んでいないにもかかわらず随分と顔を赤くしていたが、二日酔いにはなっていなかったので大丈夫だろう。

 

 それから十数日後、船は無事修理が完了し島を出発することになった。

 

 しかし、ヤードとジャキーニの弟分のオウキーニは島に残る身を選んだ。ヤードはアティのように教師となる道を選び、オウキーニは好いた娘と一緒になる道を選んだのだ。

 

 ヤードの抜けたカイル一家とオウキーニの抜けたジャキーニ一家が船を操り、帝国の工船都市パスティスを経由しアドニアス港へ向かうことになった。

 

 工船都市パスティスではジャキーニ一家にアズリアとギャレオ、そしてイスラが降りた。

 

 ジャキーニ一家はここで新たに船を調達し、再び海賊として海に繰り出すようだ。

 

 帝国の海戦隊に所属しているアズリアとギャレオはここにある海戦隊の本拠に出頭し、沙汰を待つつもりなのだ。

 

 部隊のほぼ全ての構成員を失った二人に下される処罰は決して軽いものではないだろう。それでも二人は甘んじて受け入れるつもりなのだ。それが部隊を率いる者の責務と信じいるから。

 

 イスラはあの戦いで誰よりも勇敢に、身を呈して戦った。その様は誰から見ても魔剣を持つに相応しい者の姿だった。

 

 紅の暴君(キルスレス)をこのまま持つことになったイスラは、軍人をやめ世界を見て回ろうと考えているようだ。しかしその前に、しばらく会えなくなるだろう姉と過ごすために、工船都市パスティスで降りたのだ。

 

 三人を船から降ろした一行はアドニアス港へ向う。そこがこの船旅の終着地点だった。アティとアリーゼも、そしてもちろんバージルもそこで降りるのだ。

 

 船に残るカイル、ソノラ、スカーレルの三人はこれまで先代と行った港を巡り、その後未知なる海への航海を始めるそうだ。そしてその航海を最後にスカーレルは船を降りるという。もうカイル達に後見人は必要ないということだ。

 

「おうバージル、そろそろつくぜ」

 

 カイルが声をかける。いつの間にか船は港の中をゆっくり進んでおり、しばらくして一つの埠頭に止まり錨を降ろした。

 

 船を降りたバージル達は見送りのために来たカイル達と向かい合う。

 

 しかし、誰も何も言わない。言ってしまえばそれが別れになることを知っていたからだ。わざわざパスティスを経由したのもこの得難い仲間との別れを惜しんだからかもしれない。

 

「礼を言う。世話になった」

 

 やはり最初に口を開いたのはバージルだった。

 

「それはこっちの台詞だぜ。バージルにも先生にもアリーゼにも、本当に世話になったな。また船が必要になったら呼んでくれよ、お前らの頼みなら世界の果てでも行ってやるぜ」

 

「絶対、絶対、また会おうね! 約束だからね!」

 

「達者でね」

 

 カイル達三人のそれぞれの別れの言葉。

 

「ありがとう、ございました!」

 

 アリーゼが涙を必死に堪えながら、頭を下げた。短い言葉の中には彼女の気持ちが込められていた。

 

「本当にありがとうございます。また会いにきますから、それまで元気でいてくださいね」

 

 最後にアティ。彼女も目尻に涙を溜めながら別れの言葉を言った。

 

 そしてバージルが身を翻し船から離れていく。アティとアリーゼも彼に続く。何度も振り返り、手を振って。カイル達も三人が見えなくなるまで手を振り続けた。

 

 港の中を三人が並んで歩く。

 

 これからバージルはこの世界を見て回り、本に書かれた言葉のことを調べることにしていた。今は旅をするのに必要な物を買い求めているのだ。

 

 アティとアリーゼは寄港したパスティスで、アリーゼの実家であるマルティーニ家に手紙を出しており、このアドニアス港で「迎えを出すのでそのまま待っていてほしい」との返事を受け取っていた。

 

 つまり、バージルとはここで別れることになるのだ。

 

 もちろんそれは島を出た時から決まっていたことであり、覚悟していたことなのだ。

 

 現在のリィンバウムでは列車などの陸上交通網はほとんど発達していない。せいぜい大都市間の乗り合い馬車がある程度だ。無論このアドニアス港から他の町へ向かうのにも馬車か徒歩で行かなければならないのだ。

 

 この世界の人にとってはそれが当然であり、どの町にも旅に必要な物を取り揃えている店はあるのだ。

 

 ちなみに買い物に使う路銀は無限回廊で倒した者から得ており、贅沢しなければ当分の間金には困ることはなさそうだった。

 

 必要な物を全て揃えたバージルは二人と共に、この港町の中央に位置する広場に来ていた。

 

「バージルさんにはいっぱい助けてもらって、本当にありがとうございました。……お元気で」

 

 買い物の最中も何度バージルにお礼の言葉を言っていたアリーゼだが、あらためて感謝と別れの伝えた。

 

「あの……」

 

 アティは何か言おうとしているが、言葉が出てこないようだった。

 

 そんな師の様子を見たアリーゼは二人の恩人のために一肌脱ぐことにした。

 

「あ、私今日の宿をとってきます! 先生はバージルさんを見送ってください!」

 

 それだけ言うとアリーゼは走って行ってしまった。

 

「街外れまで送ります。い、行きましょう」

 

 気を利かせてくれた彼女の好意を無碍にするわけにもいかない。アティは勇気を振り絞ってバージルの手を取ってぎこちなく歩き出す。

 

 いまだ心がまとまらないアティと口数が少ないバージルでは会話らしい会話なく街外れまで行ってしまった。

 

 それでも何か言わなければと彼女は言葉を絞り出した。

 

「お別れ、ですね……」

 

「ああ」

 

「また、会いにきてくれますか?」

 

「気が向いたらな」

 

 相変わらずいつも通りのバージル。

 

「世話になったな」

 

 彼はそれだけ伝えて彼女に背を向け歩き出す。

 

 このまま何も伝えないままだと、これが永遠の別れになってしまう。そんな気がしたアティは彼の名を呼んだ。

 

「バージルさん!」

 

 振り返ったバージルにアティは抱きついた。彼の胸に体重を預け、目を瞑り、背伸びをして、つま先で立って、口付けをした。

 

 数え切れない感謝と決意を込めて。

 

 二人がそうしていたのは十秒か二十秒か、アティには分からなかった。

 

 ゆっくり唇を離し目を開け、バージルを見つめる。

 

「会いにきてくれなかったら、私が会いに行きますから。……だから、やっぱりお別れはしません」

 

 絶対にこの別れを永遠のものとしない。これが彼女の決意だった。

 

「……好きにしろ」

 

 それでも変わらない無表情。だが、バージルはアティを拒絶しなかった。その気になればいくらでも振り払うことができたのに、それをしなかったのはなぜか。そこに彼の答えがあるのかもしれない。

 

 アティに見送られ次の町を目指すバージルは懐の本に手を伸ばした。それに書いてある言葉が彼の道標なのだ。

 

「まずは無色の派閥でも探すか……」

 

 彼をそこまで固執させるその言葉は――。

 

 スパーダ。

 

 父の、名前だった。

 

 

 

 

 

 

 

第1章 忘れられた島 了




これにてサモンナイト3編は終了になります。

いかがだったでしょうか。

次回からは世界を旅するバージルを描いていく予定です。ただ、少し更新は遅くなると思いますが。

ご意見ご感想お待ちしております。



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第2章 放浪
第14話 聖王国へ


 魔剣士スパーダ。

 

 かつて魔帝ムンドゥスの右腕として活躍し、彼がいなければムンドゥスの魔界統一は成し得なかったと言われる程、強大な力を持つ悪魔である。

 

 それほどの力を持つ悪魔でありながら二千年前スパーダは、魔帝の軍勢が人間界を侵攻した際には、主であるムンドゥスと魔界全土を裏切り人間を守るために戦い、ついにはムンドゥスを封印したのだ。

 

 その後もスパーダは人間界に留まり悪魔の脅威から人々を守り続けた。

 

 その命が伝説に刻まれるまで。

 

 魔帝を打倒して二千年。彼は唐突に姿を消した。彼の血を引く双子の息子を残して。

 

 残された双子は父の力と母の形見を巡り、人間界と魔界を結ぶ巨塔テメンニグルで戦った。

 

 そして戦いに敗れ魔界に身を投げた双子の兄バージルは、何の因果か人間界とは異なる世界「リィンバウム」に辿り着いた。

 

 そこでバージルはスパーダの名が記された本を見つけた。

 

 スパーダがこの世界で何を成したのか、父の意志を確かめねばならない。

 

 そう決意してリィンバウムの中でも大国の一つである帝国を旅して既に二年の時が経過していた。

 

 彼は今、帝国の辺境に位置する小さな村の宿屋に泊っていた。

 

「また界の意志(エルゴ)、か……」

 

 昨夜から夜通し読んでいた本を閉じて、疲れたように呟いた。

 

 彼はこの二年の間スパーダについて語られた文献を探していた。

 

 それでもスパーダについて書かれていたのはほんの僅かだった。今手にしている本もその一つであり、昨日、村の近くの山中にあった無色の派閥の施設から持ってきたものだ。

 

 こういった類の本の中には「スパーダは界の意志(エルゴ)に命じ、世界を造らせた」、「界の意志(エルゴ)はスパーダより生まれ落ちた」など怪しいものもいくつかあったが、それでもほぼ全ての文書に共通していたことがあった。

 

 一つ目がそれらの文書が書かれた時代だ。その内容からエルゴの王がリィンバウムの統治した王国時代に書かれたものと思われる。

 

 そしてもう一つはスパーダと界の意志(エルゴ)の関係である。どの文書でもスパーダはエルゴに関わりのある存在として描かれていた。それも界の意志(エルゴ)に命じる、あるいは助言をするといった上位の存在として描かれていたのだ。

 

 それが何を意味するかまだ確信は持てない。こういった類の本は非常に比喩が深く、書いてある通りに理解するのが正しいとは限らない。書かれた当時の状況に精通していてはじめて正しく解釈できるのだ。

 

「ならば聖王国か」

 

 聖王国はリィンバウムに現存する国の中で最も歴史が古く、エルゴの王の直系が治める国である。王国時代について調べるには現在バージルがいる帝国より適しているだろう。

 

 次の目的地が決まった。幸いこの村から聖王国との国境はすぐ近くだ。今日の昼頃には聖王国に入れるだろう。バージルは手早く荷物をまとめ、村を出て行った。

 

 

 

 

 

 帝国から聖王国に向かうには、国境付近を担当する警備部隊の駐在する関所を抜けるのがベストだ。距離も短く街道も整備されているため両国を行き来する多くの人がこの道を使っているのだ。

 

 帝国は聖王国との国境に部隊を配置し警備を行っているが、聖王国は国境付近の守りを全て三つの砦を持ち聖王都の楯の異名を持つ三砦都市トライドラに委ねているため、国境付近に騎士を配置していないのだ。

 

 バージルは昼前に関所に辿り着いた。関所とはいっても特に通行税を取ることはなく、どちらかといえば聖王国からの侵攻を防ぐ砦のようなところである。

 

 もっとも聖王国はあまり外征に熱心ではない上に、第一の敵国を旧王国としており、帝国とは比較的友好的関係を築けているため攻め込んでくる可能性は非常に低かった。そのことは帝国も理解しているらしく、ここに配属される兵は退役間近の老兵ばかりだった。

 

 そんな関所の中を歩くバージル見つけ驚き声を上げた者がいた。

 

「おまえは……」

 

「ああ、貴様か。何の用だ」

 

 声のした方に振り向くとそこにいたのは、かつてあの島で帝国軍の部隊を率いていたアズリアだった。どうやら島での一件でこの閑職に左遷になったようだ。

 

「……一つ聞きたいことがある」

 

 最初の言葉とは打って変わって声のトーンを落としていた。

 

「何だ?」

 

 バージルがそう答えるとアズリアは「歩きながら話す」と言って彼に並んで歩き始めた。しばらくお互い無言で歩きながら関所を抜け、周りに人がいなくなったタイミングを見つけて話し始めた。

 

「……最近、帝国内で無色の派閥のものと思われる施設が襲われる事件が相次いでいる。まさかお前じゃあるまいな」

 

「そうだ」

 

 バージルはあっさりと認めた。スパーダについて書かれた文献を探すために、彼が無色の派閥の施設に侵入するのは珍しくない。その際、邪魔する者は誰であろうと容赦なく斬るのだから非常に性質が悪い。

 

「なぜ、そんなことを?」

 

「貴様に言うつもりはない。それに奴らはこの国で破壊活動をしようとしていた者達だ。庇う必要はあるまい」

 

「そういうことではない! いつ手配されてもおかしくはないんだぞ!」

 

 なにしろ彼は自分に向かってくる者だけを斬っていたため、逃げ出した者達は恐怖のあまり帝国軍に助けを求めたことさえあったのだ。これではバージルのことが知れ渡るのも仕方がないだろう。

 

 そして無色の派閥の人間が敵対している帝国軍に助けを求める異常事態は、それを引き起こしたバージルの力を際立たせた。当然、大きすぎる力は危険視され排除の対象になることも珍しくない。

 

 だが、その程度のことで悪魔の血を引くこの男が動揺するはずもなかった。

 

「ほう、俺を捕らえようというのか。できると思うならやってみるがいい」

 

 たかが人間になにができると言わんばかりの不遜な態度。それは決して過信ではなく、自分の力と帝国軍の戦力の比較からくるものだった。

 

 アズリアはバージルのある意味清々しい態度に呆れるのと同時に、彼と戦った島での戦いを思い出した。

 

 その時は何が起きたか分からず、気付いたら彼が放ったと思われる無数の浅葱色の剣により自分のみならず、部下の武器まで弾かれてしまったのだ。

 

 もしもバージルにその気があったら浅葱色の剣は自分達の体に突き立てられていただろう。今思い出しても背筋に冷たいものが流れる。あの時ほど恐怖を感じたことはないし、力の差を痛感したことはなかった。

 

 そんな帝国軍の一個部隊を一瞬で無力する相手の言葉だ。正直、帝国軍全軍をぶつけてもこの男を捕まえることができるとは思わなかった。

 

「なら、さっさとこの国から出て行ってくれ。お前と話していたことがばれるとまずいんでな」

 

 本来ならアズリアはバージルのことを報告する義務がある。しかし、彼女は今回に限りそれを怠るつもりだった。なにしろ彼は経緯はどうあれ弟イスラの病魔の呪いを治した恩人だ。帝国へ忠誠を誓う軍人とはいえ、彼女は恩を仇で返すような不義理な真似はしたくなかった。

 

 それに無色の派閥はイスラに呪いをかけた張本人であり、多くの帝国市民をテロに巻き込んで殺害した外道だ。正直アズリアも因果応報だと考えている部分があった。おまけにこの事件の噂を聞いた人々はその犯人を英雄視する者も出るほどなのだ。

 

「言われなくともそうするつもりだ」

 

 大きなため息を吐くアズリアに見送られながら、バージルは帝国と聖王国の国境を越えた。太陽は既に南中を過ぎている。とりあえずの目的地としている聖王都ゼラムまでの道のりはまだまだ遠い。今日はどこか宿をとらなければならないだろう。

 

 ここからいける町は聖王国の西端、現在地からは南の方角にある紡績都市サイジェントか、東の方角にある三砦都市トライドラのどちらかだ。

 

 もしかしたらそれ以外にも小さな村ならあるのかもしれないが、今持っている地図には都市しか載っていないのだ。バージルの生まれ育った世界ではまず考えられないことではあるが、このリィンバウムでは地図に載っていない村はよくあるのだ。

 

 もっともそれはどことも交流のなかった村だとか、軍事上の問題から地図に載っていないのではない。実際、近くの町の者に聞けば地図に載っていない村でもすぐにその場所を教えてくれる。あくまで各国が一般向けの地図作成に不熱心なだけなのだ。

 

 それでも行商人や旅人から不満が出ないのは、載っている都市間の距離が徒歩でも野宿を必要な程ではないからだろう。

 

「ここからならトライドラだな」

 

 地図を見ながら呟く。三砦都市なら聖王都への街道上にあるため、遠回りにならないのだ。

 

 バージルは街道上に沿って歩いていく。この街道は多くの者が利用するためか、周りの草も刈り揃えられよく整備されていた。

 

「そういや知っているかい。帝国では最近、無色の派閥が襲撃されているらしい」

 

「へえ、無色の奴らに喧嘩を売るとは随分と命知らずな奴らがいるんだな」

 

 バージルの後方から行商人と剣を持った傭兵らしき男の話し声が聞こえてきた。

 

「帝国は無色に恨まれているからね、こっちではどうなんだい?」

 

「そういえば、北のグライゼル辺りで悪魔が出たとかいう話を聞いたことがある。旦那もそっちの方へ行くなら気をつけた方がいいよ」

 

「そんなところまでは行かないよ! 今回はあんたに護衛を頼んだファナンに行くだけなんだから」

 

「それなら安心しなよ、この辺りで物騒な話は聞かないんだ。最近は旧王国もおとなしいしね」

 

「ま、うちとしちゃあ無事にファナンまで行ければそれでいいんだがね」

 

 大声で話す二人の話を聞き流していたバージルであったが、グライゼルに悪魔が出たという傭兵の話は気になった。だが、この話はせいぜい噂程度のものであり、信憑性はたかが知れている。より確度の高い情報を得る必要があった。

 

(グライゼル、か……ゼラムに着いたら少し調べてみるか)

 

 バージルはこの話を心に留め、トライドラへ向かう歩みを速めた。

 

 

 

 

 

 数日後、バージルは目的地である聖王都ゼラムにいた。優美さと威厳を兼ね備えるこの王都は、この世界には珍しく歓楽街の収入が経済の基盤の一つになっている都市であった。

 

 また、学問的な召喚師の組織である「蒼の派閥」の本部も置かれており、名実ともにリィンバウム有数の大都市といえるだろう。

 

 そこの歓楽街のとある酒場で、バージルはカウンター席に座り情報を集めていた。昼の間は王国時代について調べるために、書店を回っていたのだが、日も落ちて店の営業も終わってしまったので、今度はグライゼルに現れたという悪魔についての情報を集めることにしたのだ。

 

 そういった情報を集めるには酒場が最適だ。多くの人間が集まるだけでなく、酒が入ることで口が軽くなるからだ。

 

 バージルが入った酒場は、少し値段が高いものの美味い酒と料理を出す店だった。その値段から一般の庶民からは多少敬遠されているものの、遠方から来た金に余裕のある商人がよく利用している店であり、グライゼルの情報が欲しいバージルにはうってつけだった。

 

 もっとも彼の情報収集とは、能動的に話を聞いて回るのではなく、周りの会話を聞いているだけの受動的なものであった。

 

「なあ、あんた。そんなものを持ってるってことは傭兵かい?」

 

 酒場の店主が閻魔刀を見ながら声をかけた。

 

「似たようなものだ」

 

 静かに杯を傾けながら答えを返す。その答えは決して嘘ではない。バージルはこれまでも何度か、傭兵紛いのことをやったことがある。

 

 リィンバウムでは大きな都市や町には軍人や騎士などがおり、彼らが治安を守っているが、それ以外の小さな村などは住民が自警団を組織して村を守っているというのが現状だった。

 

 それ故、自警団では対処できないはぐれ召喚獣や賊が出ると、傭兵を雇うか近くの町へ行き助けを求めるのが常だった。

 

 バージルは前者のような傭兵として、はぐれ召喚獣や賊を討伐し路銀を稼いでいたのだ。

 

「ってことは近いうちにあんたも北の方にいくのか?」

 

「……どういうことだ?」

 

「あれ、知らないのかい。なんでも北の方じゃあ旧王国から悪魔の大群が攻めて来るって噂が絶えなくてね。傭兵を雇い始めた村がいくつもあるって話だよ」

 

「所詮、ただの噂だろう」

 

 バージルはそう切り捨て酒を飲み干した。以前の傭兵と似たような話ではあったが、噂の域を出ないのでは意味がない。

 

 店主は空になった杯に酒をなみなみと注ぎ、ここからが本番だと言わんばかりに、にやりと笑いながら話を続けた。

 

「ところが違うんだな。つい二日ほど前には騎士団の連中が北の方へ出て行ったんだよ。滅多にゼラムから出ない騎士団の連中が北に行くってことは、なんかあると思わないか?」

 

「…………」

 

 バージルは無言で考え込む。ただの噂で騎士団を動かすとは考えにくい。聖王国の中心であるゼラムの騎士団を動かすからには相当に重大な事態、それも地方に存在する各都市の騎士団では対応できない状況が、現に起こっているのかもしれない。

 

「金はここに置いていくぞ」

 

 考えがまとまったバージルは足早に店を出て、夜の暗闇の中へ消えて行った。

 

 

 

 

 

 翌日。バージルは朝から旅の準備を整えていた。

 

 昨夜、酒屋で店主の話を聞いてから彼は北へ向かう決意を固めていたのだ。その目的は騎士団を動かす程の事態を起こした存在――噂によれば悪魔の軍勢――と戦うことであった。

 

 バージルの力は日を増すごとに大きく、強大になっている。それは彼の体に流れる悪魔の、スパーダの血によるものだった。

 

 しかし、島を出てから彼は戦いに恵まれているとは言えない。戦いの相手はほとんどがはぐれ召喚獣程度であり、たまに出現する悪魔にしても最下級の有象無象であった。

 

 早い話、現在の力を確かめる相手が欲しいのだ。それは弱い相手でも不可能ではないが、力を試す前に死んでしまうので話しにならない。できれば大悪魔クラス、そうでなくともアビスやフロスト、ゴートリングクラスの相手と戦えればいいのだが、一応弱い敵でも数がいればなんとか力を試せるだろう。

 

 それに相手がこの世界の悪魔であれば、彼らが使う技術を見てみたいという考えもあった。それは以前から考えていたことであり、島では稽古という形でキュウマとミスミからシルターンの戦闘技術を見たこともあったほどだ。

 

 そんなことを考えながら歩いていると、少し離れた所から見知った魔力が感じられた。思うところのあったバージルはその持ち主に会いに行くことにした。

 

(この魔力は……)

 

 町の中心部から外れた場所に目的の建物はあった。やはりというかその建物は、以前見たものと似たような外見だった。

 

「いらっしゃ~い」

 

 店に入ると店主らしき女性の気の抜けた声が聞こえてきた。

 

「やはり貴様だったか……」

 

「あら、久しぶりね~、あれからもう二年くらいになるかしら」

 

 にゃははと笑う彼女は、島でも今と同じような店を営んでいたメイメイだった。いつの間にかゼラムで店を開いていたようだ。

 

「……見てもらいたいものがあるんだが」

 

 彼女から漂う酒臭さを我慢しながらバージルは旅行袋から本を取り出した。それらは彼が二年の旅路の中で見つけたスパーダについて書かれた本だった。

 

「随分年代物の本ね~、それでこれをどうすればいいの?」

 

「この本の解釈を頼みたい。特にスパーダについて書かれた部分は重点的にな」

 

 バージルはこのメイメイという女店主がただの人間ではないことは分かっていた。島で無限界廊の門を呼び出したことから恐らく人間より高度な知識を備えた召喚獣なのだろうと予想していた。

 

「スパーダ? スパーダ、スパーダ……どこかで聞いたことがあるような……」

 

「知っているのか?」

 

 メイメイがスパーダのことを知っているのなら話は早い。わざわざ本を調べなくとも彼女に聞けば話は済むのだから。

 

 しかし、そんな都合よくはいかないようだ。

 

「昔、誰からかそんな名前を聞いたような気がするのよ。……う~ん、やっぱりだめ、思い出せない!」

 

「……まあいい、思い出したら話してもらおう」

 

 今は思い出せなくてもメイメイがスパーダについて知っていたのは僥倖だった。本に比喩表現で書かれた言葉を見るより、生の声で聞いた方がより事実に近い情報を得られるだろう。

 

「はいはーい。……あ、そういえば報酬はお酒で持ってきてね」

 

 言葉の通りメイメイは非常に酒が好きなのだ。店の儲けも酒代に消えていることは自明の理だろう。

 

「わかった」

 

 短く言葉を返し、バージルはメイメイの店を後にした。軽くなった旅行袋を肩に掛けて、北の方へ向かっていった。

 

 

 

 

 

 同じ頃、旧王国北部で悪魔の軍勢が東に向かって歩を進めていた。

 

 その軍団の頭領たる大悪魔は、数年前にある召喚師によってリィンバウムに召喚された。しかし、悪魔は非常に傲慢かつ凶暴で人間に従うことをよしとせず、己を呼び出した召喚師を惨殺したのだ。

 

 はぐれ召喚獣となった悪魔は、己の欲望を満たすため手当たり次第に人間を襲い始めた。

 

 そうしていくうちに自分と同じようにはぐれ召喚獣となった悪魔を配下に加えていき、遂には軍団と呼べるほどの規模にまで悪魔の勢力は膨れ上がった。

 

 大きな軍勢を手に入れた悪魔は、更なる欲望を満たすべく矛先を聖王国に向けた。

 

 それが破滅への道筋であるとは知る由もなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 




第14話いかがだったでしょうか。

やはり一から話を考えるとだいぶ時間がかかってしまいました。

今回より新章に入り、原作では空白の期間を描いていく予定です。

次回はできれば来週中に投稿できればと思っています。ご期待ください。

ご意見ご感想お待ちしております。


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第15話 二つの邂逅

 霊界サプレスに存在する悪魔。この悪魔はバージルの知る悪魔とは全く別の存在である。サプレスの悪魔は実体を持たずリィンバウムに召喚された時はマナを使って体を構成するが、魔界の悪魔は基本的に己の肉体を持っているのだ。

 

 そして、もう一つ大きな違いがある。それは悪魔に関する認識である。人間界では一般的に悪魔の存在は認められていないが、このリィンバウムでは悪魔はサプレスに住む存在として広く知られているのだ。それ故、召喚獣として召喚されることも珍しいことではなかった。

 

 もっともサプレスの悪魔は、過去にリィンバウムや幻獣界メイトルパに侵攻を企てたことからも、決して人間に対して友好的な種族ではない。召喚師が呼び出した悪魔に殺されることも少なからずあるのだ。

 

 そうした召喚師のいない召喚獣のことを「はぐれ召喚獣」と呼ぶ。召喚師がいなくなる理由は前述の他にも様々あるが、はぐれ召喚獣となってしまった者の多くは悲惨な目にあってしまうのが現状であり、中には無差別に人を襲う存在になってしまう者いる。

 

 はぐれ召喚獣のような、急に生まれ故郷から見知らぬ世界に呼び出された揚句、二度と故郷に帰ることは叶わない存在が生まれてしまうのは、召喚術の大きな弊害と言えるだろう。

 

 これからバージルが戦おうと考えている旧王国で暴れ回っている悪魔の群れも、元々はこの世界に召喚された召喚獣だということも考えれば、召喚術の弊害は召喚獣だけではなく、人間にも害を齎すものなのだ。

 

 ちなみにバージルもリィンバウムに呼ばれた身であるが、彼を呼び出した召喚師が誰なのかすらわからないので、はぐれ召喚獣という区分になるだろう。見た目は人間と同じなので気付く者はいないが。

 

「さて、あとは待つだけだ……」

 

 とある町の外れにある宿の一室で、窓から外を眺めながら呟いた。バージルは数日前までは聖王国北部にある闘戯都市グライゼルにいたのだが、そこで悪魔の軍勢が旧王国北端の国境を越え東に向かっているという情報を得た。

 

 そのためバージルはここにやってきた。次に悪魔が狙うとすれば、聖王国北西部に位置し旧王国北端から最も近いこの町だろうと予想してのことだった。

 

 何気なく外の景色を眺めていると、町を出て行く一人の人間の男が目に入った。一見するとただの一般人のように思われるが、その身に纏う魔力は明らかに人間のものとは異なっていた。

 

「あの男……」

 

 手ぶらにもかかわらず、その人間は町の外に出て行ったきり戻ってくる様子はなかった。やはり何かあると感じたバージルは彼の正体を確かめることにした。

 

 バージルが泊まっている宿屋から出た時には、既に目的の人間の姿はなかったが、その魔力はしっかり記憶に留めていたため問題なく追いかけることができた。

 

 町を出てしばらく目的の男に向かって街道に沿いながら歩いていたが、魔力は街道から外れた方向から感じ取れた。どうやら近くの森の中に入ったようだ。

 

 バージルも森の中に足を踏み入れる。この辺りの森は背の高い木々が生い茂っているため、太陽光を遮っているため昼とは思えない暗さだった。

 

 しばらく森の中の道なき道を進むと、大きく開けたところに出た。そこには一軒の大きな館が立っていた。しかし、壁からは蔓が伸び、いたる所にひび割ができている。はっきり言って人が生活できる場所とは思えなかった。

 

 だが男の魔力はこの館の中、それも地下の方から感じられた。こんな人目につきにくいところで何をしているのだろうか。

 

 果たしてこの館で何が行われているのか、調べてみることにした。

 

(悪魔が現れるまでの暇つぶしにはなりそうだ)

 

 薄い笑みを浮かべながら中に入って行く。

 

 館の中は埃がたまっており、何年も使っている様子はなかった。一階の部屋を一つずつしらみつぶしに探したのだが、どの部屋も壁やベッドなどの家具も含めて使用に耐えられないほど傷んでおり、部屋としての体裁すら整えていなかったのが事実だった。

 

 こうした状況から考えて、この館に人が住まなくなってから相当の時間が経過していることは想像に難くない。どうやらバージルが追って来た男は少なくとも館の持ち主ではなさそうだ。

 

 館が男の物であるならば、部屋を廃墟同然にするとは考えにくく、住む場所として使うつもりがないのならそもそも家具などは置かないだろう。

 

 やはり、あの男は勝手にこの館を使って「何か」をしているのだ。

 

 その「何か」はわざわざ町から離れたこんな場所の地下で行っているのだから、人目についてはまずい事だということは容易に考えつく。

 

(見てみるか……)

 

 こうまでして秘密裏に行っている事とは何なのか、バージルは確かめてみることにした。

 

 しかし、既に一階はあらかた調べ終わっている。その時には地下への階段などは見つからなかった。

 

 簡単に調べたところで見つからないようなところに隠してあるか、あるいは館の中ではなく外に入口があるのかもしれない。だが、バージルにはもはや、それを探す気はなかった。

 

 男の魔力は真下から感じられる。どこにあるのかすら見当がつかない入口を探すよりも、手っ取り早く最短経路で行くことにしたのだ。

 

 そう決断し、衝撃鋼ギルガメスを呼び出し体に融合させる。そして床に拳を向けた。

 

 一瞬の静寂の後、腕に込められた衝撃を解き放った。

 

 数キロ先にも届いただろう凄まじい轟音が周囲に響き渡りる。

 

 人間界の物質より遥かに強靭な魔界のそれで造られた地獄門すら粉々に打ち砕いた一撃だ。ただの石でできた床を打ち抜くなど児戯にも等しいことであった。

 

 数百キロの重量はあるだろう打ち抜かれた石の塊と共に、地下へと落下する。真下にいた男を下敷きにする形で。

 

(やはり人間ではないか……)

 

 下敷きになり白い髪が血で赤く染まった男を見下ろす。普通の人間なら間違いなく圧死するような石の塊に押しつぶされているのにもかかわらず、この男は意識すら失っておらずバージルを睨みつけていた。

 

 その様はまるで死体が意思を持ち動いているかのようだ。もしかしたら悪魔に取り憑かれているのかもしれない。

 

「あれは……」

 

 ふと視線を背後に向ける。

 

 そこにはいくつもの機械が置かれ、大小の魔法陣がいたるところに描かれており、その中心には大人の身長ほどある円筒状の透明な容器が二つ置かれていた。中は液体で満たされており、人間と思われる赤子が入れられていた。

 

 恐らくこれが、館で秘密裏に行われていたことだろう。男の目的はこの赤子を造ることだったのだ。そのために、この館の地下に機械を運び、魔法陣を描いたのだ。

 

 確かにこの男は高い魔力を秘めているようだが、それを考慮してもたかが二人の赤子を造るためだけに、ここまでの環境を整えるだろうか。

 

 もしかしたら見た目や魔力ではわからない何かがあるのかもしれない。

 

「あれは何だ?」

 

 赤子の正体を確かめるためには、造った本人であろう男に聞くのが一番だ。

 

「…………」

 

 何も喋るつもりがないのか、そもそも声を出すことができないのか。理由は分からないが、男は何も言葉を発しなかった。ただ先程から変わらず、怒りの形相で睨みつけるだけであった。

 

 対してバージルはまるで路傍の石を見るような顔で見ていた。

 

 男が何も言うつもりがない事を悟るとゆっくりと赤子の方へ近づいていった。男が何も語らないのなら直接調べるだけだ。

 

 バージルは容器に手を伸ばす。その時だった。

 

(この魔力は……)

 

 この館から西の方角に人のものとは違う魔力が多数感じ取れた。おそらく件の悪魔の軍勢だろう。彼らの移動速度はバージルの予想よりも随分早かったようだ。興味の赴くままにこんなところに来たのは失策だったかもしれない。

 

 しかし、ここにきたことで得るものもあった。

 

 目の前の男、いや「悪魔」のことだ。

 

 無様に石の下敷きになっている者は見た目こそ人ではあるが、その正体は悪魔で間違いないだろう。なにしろこちらに向かってくる悪魔の軍勢と同種の魔力を発しているのだから。

 

 人に化けた悪魔がすること言えば、古今東西どこの世でもろくでもないことと相場が決まっている。二人の赤子もそのための道具なのだろうと、バージルはあたりをつけた。

 

 その企みを今ここで叩き潰すのは容易い。幻影剣を数本放てばそれだけで絶命するだろう。

 

 だが彼はあえて、この悪魔には手を出さないことにした。

 

 このリィンバウムという世界に来てもう二年になるが、大きな力を持つ敵とは全くと言っていい程、戦うことができないでいる。

 

 魔剣スパーダという父の振るった比類なき力を手に入れる機会は既に失われ、更なる力を得るには己を高めるしかないのである。ただ、それにも己の力を試し、確認するための練習台が必要なのだ。

 

 今回あの悪魔の軍勢と戦うことにしたのも、悪魔の戦闘技術を見たいという考えもあったが、力を試す練習台にもなるだろうという計算もあったのだ。

 

 そして今、将来の練習台になることを期待して、人に化けた悪魔を見逃すのだ。

 

「所詮石の下敷きになるような愚か者の考えだ。わざわざ調べる必要もあるまい」

 

 石に下敷きにされている無様な姿を揶揄するような挑発の言葉を残し、バージルは穴の開いた天井から去って行った。その場に憎悪を募らせる悪魔を残して。

 

 

 

 

 

 館を出たバージルは、悪魔に先回りするために急ぎ森を駆け抜け、なだらかな丘陵地に辿り着いた。のどかな風景が広がる様子からは、まもなくここが戦場になるとは想像もつかないだろう。

 

 この地にはもうすぐ悪魔の軍勢が押し寄せる。

 

 もはや急ぐ必要はない、あとはこの場で悪魔を待ち構えればいい。そう判断したバージルは腕を組み、瞑想しながらその時が訪れるのを待った。

 

「……来たか」

 

 およそ三分ほど待ち目を開くと、数百メートル先に大量の悪魔が雲霞のごとく迫っていた。草と土に覆われた大地を黒く塗りつぶすその様は、さながら穀物を食い荒らすイナゴの大群のようだ。

 

 もっとも悪魔が食い荒らすのは人間であるため、イナゴよりも遥かに害悪だろう。

 

 それほどの悪魔の群れを見てもバージルは一切動じなかった。魔力の大きさから、大多数はヘル=プライドにも劣る存在ということは分かっている。ただ、群れの中に一体だけ大きな魔力の持ち主がいた。おそらくはその悪魔こそが集団を統率するボスだろう。

 

 もっとも大きな魔力とはいっても碧の賢帝(シャルトス)を使ったアティには及ばない程度の力であった。

 

 悪魔の軍勢との距離は既に百メートルを切るところまで接近していた。間違いなくバージルの姿が見えているにもかかわらず速度を落とさないのは、そのまま蹂躙できると考えているからだろう。

 

 バージルは組んでいた腕を解き、戦いの開始を宣言するように左手の親指で鍔を持ち上げた。

 

 生来、彼は無駄な破壊を好まない性格である。それゆえ彼がその強大な力を振るっても、一撃一撃に力を集約し攻撃の余波を発生させないようにしていたため、周囲への被害はほぼなかった。

 

 しかし、今回の相手が大地を覆い尽くさんばかりの大量の悪魔であったため、彼は力を集束させず、むしろ力を拡散させるように戦うことにした。

 

 その結果が目の前の光景だった。

 

 地面には、まるで地割れのような数キロにも渡る閻魔刀による斬撃の痕跡が刻まれ、ギルガメスの一撃では月面を想起させる巨大なクレーターがいくつも造られていた。

 

 これら全てがバージルの攻撃の余波の産物だった。

 

「まだだ、まだ足りないな」

 

 己の力の一端を確認したバージルは言った。

 

 かつて、魔剣士スパーダが魔帝ムンドゥスに反旗を翻し、彼の率いる強大な悪魔の軍勢に立ち向かった時も、今のバージルと同じように戦っていたに違いない。魔帝すら封印してしまう程のスパーダの力ならばそれこそ一振りで千や万の悪魔を切り捨てることすら容易いだろう。

 

 そんなスパーダから、彼と弟は剣術等の戦い方の基本を叩きこまれたのだ。教え方は戦いの中で学ばせるという、非常に悪魔らしく厳しいものであり、その際に父の力は嫌という程体感してきた。

 

 だからこそバージルは理解できるのだ。こんなものでは全く及ばない。父を、スパーダを超えるためにはもっと力が必要だ、と。

 

「……まあいい、次だ」

 

 いろいろと思うところはあるが、一通り自身の力量の確認は終了した。後はもう一つの目的を果たすだけだった。

 

 すなわち悪魔の戦闘技術を見ることである。

 

 そのためバージルは全ての攻撃を止め、辺りは数分前までの静寂を取り戻した。

 

 しかし次の瞬間、既に当初の二割ほどとなった悪魔の軍勢は、バージルの常軌を逸した力に恐怖を感じたのか雪崩を打って逃げ出した。

 

「無駄だ」

 

 言葉と共に幻影剣が彼の軍勢を包囲するように降り注いだ。まるで、逃げることは許さないと言わんばかりに。

 

 逃走を封じられ悪魔たちに残された道は、恐怖に駆られがむしゃらにバージルへ襲いかかるだけだった。半ば自我を失った彼らから戦闘技術を見ることは叶わないだろう。

 

 もはやバージルは何の価値も見出していなかった。

 

 残された悪魔は彼の手により三十秒とかからず殲滅された。

 

「…………」

 

 目を閉じ、ゆっくりと納刀する。

 

 そして、戦場だった場所を一瞥する。もはやそこに動くものはいない。夥しい程の悪魔も全て物言わぬ屍となり果て、マナで構成された体は時間と共に霧のように消えていった。

 

 だが一部にマナがその場に残っている場所があった。そこは悪魔の中でも一際大きな力を持つ者がいたあたりだ。

 

「生きていたか、あるいは……」

 

 バージルはそこへ向かっていく。

 

 攻撃に巻き込まれ死んだと思っていたのだが、どうやらまだ生きているようだ。それが彼の者の力によりバージルの攻撃を凌いだのか、あるいは悪魔特有の能力や技術により死を免れたのは分からない。

 

 もっともバージルにとってはどちらでもよかった。己の力で生き延びたのなら、もう少し練習台になってもらうだけであり、能力か技術で生き延びていたとしても、悪魔の技術を見るという当初の目的は果たせるのだ。

 

 もう少しで目的の場所に辿り着くというところで、倒れ伏していた悪魔は立ち上がった。

 

 その容姿は比較的人間に近いものの、背中の黒い羽根と頭部の赤黒い大きな角、青紫色の肌が人間とは異なる存在であることを証明していた。

 

 先程よりだいぶ回復しているように感じられる。魔力で何かをした形跡はない。おそらく悪魔が元から持っている能力なのだろう。

 

「待て、待ってくれ」

 

「……何だ?」

 

「あ、あんたもニンゲンじゃないんだろ? な、だったらオレと一緒に来ないか?」

 

 何を言うかと思い話を聞いてみれば、これまで戦っていた敵の勧誘を始めた目の前の悪魔にバージルは呆れていた。

 

「興味ない」

 

 溜息をつきながら答えた。それを聞いた悪魔は先程までの態度を豹変させた。

 

「だったら死ねぇ!」

 

 言葉と共に悪魔は己の能力を使用した。その力は他人の生命力を吸収する能力である。この能力で悪魔はバージルから受けた傷を周りの生命力を奪うことで回復させたのだ。

 

 そしてその力はバージルに対しても効果はあるようだ。もっとも悪魔が生命力を吸収する速度より、バージルが生命力を回復させる速度のほうが早いため、この能力だけで彼を死に至らしめるのは不可能だが。

 

「貴様がな」

 

 あまりに己の力を過信している愚かな悪魔にバージルは閻魔刀で胴体を両断し引導を渡した。

 

 人間なら即死する状況だが、マナで構成された仮初の肉体を使っているためか、まだ死んではいないようだ。

 

「馬鹿な……な……ぜ……」

 

 なにが起こったか理解していない悪魔には何も答えず、バージルは背を向けた。

 

「……士スパーダ…………は界の意志(エルゴ)……」

 

 その言葉に反応しバージルは咄嗟に振り向いた。そこには先程と変わらずあの悪魔がいたが、どうも様子がおかしかった。視線は空中をさまよい、瞳は何も映していない。悪魔はまるで操られているかのように話し続けた。

 

「ど…………こ……界を…………い」

 

 そこで言葉が途絶えた。どうやら悪魔が息絶えたからのようだ。

 

(スパーダに界の意志(エルゴ)……そうか、共界線(クリプス)を通じて……)

 

 バージルは今の話した相手については予想がついた。

 

 おそらく今の悪魔の体を使い、彼に話しかけたのは界の意志(エルゴ)だろう。共界線(クリプス)を通じて悪魔を支配し、話しかけてきたのだ。

 

 だが、悪魔の体が既にまともに話せる状態でなかったからか、界の意志(エルゴ)が話した内容はほとんど聞き取ることができなかったのだ。

 

 唯一辛うじてに聞き取れた言葉は「スパーダ」と「界の意志(エルゴ)」という言葉だけ。それだけでは何を伝えたかったか、理解することは不可能だ。

 

 しかし、同時にそれは収穫でもあった。スパーダと界の意志(エルゴ)は間違いなく何らかの関係があるのだ。

 

(今後はその二つの関係を調べてみるか)

 

 歩きながら今後の方針を決めた。

 

 既に日は山に隠れ、直に辺りは夜の暗闇に包まれるだろう。そして空には月が昇り、歩き続けるバージルの行く先を淡い光で照らしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




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第16話 きっかけ

 聖王国北東部の山間にある小さな廃村にバージルはいた。周りを山で囲まれ村人もいない、一種の隔離状態にあるその廃村は、無色の派閥の拠点だったのだ。

 

 彼が村にやってきたのは数時間前のことである。これまでと同じように無色の派閥の施設を探しに来たのだ。これまでの経験から言って派閥の施設があるのは、この村のように人の往来が少ない場所であることが多かった。

 

 そのためいちいち各地の隅々にまで足を延ばさなければならなかった。正直、あてもなくただ地図を塗りつぶすように歩きまわるのは、無駄を嫌うバージルにとって好ましい事ではない。しかし、それしか派閥の施設を探し当てる方法がないのも事実だった。

 

 だが、今回は久々の大当たりだった。

 

 おそらくこの村の人々は、無色の派閥の実験に巻き込まれてしまったのだろう。そうして無人となったこの場所に、彼らは拠点を造ったのだ。

 

 バージルがこのような所を見るのは初めてではない。帝国で同じように無色の派閥を探していた時にも、同じような村を見たことがあった。

 

 地理的に考えて、ここは聖王国北部一帯をまとめる拠点といったところか。こうした拠点は規模も大きく、それに比例して保管している資料等の量も多い。これまでスパーダについて書かれた本の半分以上は、こんな所で手に入れてきたのだ。

 

 一際大きな建物の中でバージルは、人名が書かれた一つのリストを手にしていた。

 

 彼の周りには閻魔刀に斬り捨てられた多くの死体が転がっている。そのほとんどが派閥の兵士たちだったが、中にはあの島に来た暗殺者と似たような者達もいた。

 

(たぶんこいつらが「紅き手袋」とかいう連中だろうな)

 

 リストと死体を眺めながら思案した。

 

 紅き手袋とは暗殺や誘拐といった犯罪を多額の金銭と引き換えに行う非合法組織であり、バージルもその名は何度か耳にしたことはあった。リストに書かれていたのは人名と紅き手袋の名前だけだったが、兵士との服装の相違、戦い方から暗殺者は紅き手袋の構成員だと考えたのだ。

 

 恐らく紅き手袋は無色の派閥と協力関係にあり、人員を派遣しているのだろう。バージルが島で無色の派閥と戦った時の暗殺者達もこの組織の構成員だったのだ。

 

(こいつらを調べれば派閥の居場所も調べやすいかもしれん)

 

 紅き手袋と無色の派閥が人員を融通するほどの密接な協力関係にあるのなら、何らかの形で派閥の拠点の場所を把握しているのではないかとバージルは思ったのだ。

 

「となればゼラムか」

 

 単純な距離ならグライゼルが最も近い都市だが、既にグライゼル周辺は調べ尽くし、派閥の拠点がないことは確認していた。そのためバージルは次の目的地を聖王都ゼラムに定めた。

 

 

 

 

 

 夜の帳を切り裂くように、一つの影が闇に包まれた街を駆け抜ける。電灯もガス灯もなく、月も出ていない暗闇の中を走り回ることは、普通の人間にできることではないだろう。

 

 既に時刻は丑三つ時。草木も眠る時間である。当然、周囲の道路には人っ子一人見当たらず、建物の明かりも消えている。にもかかわらずその影は、不自然すぎるほど周りに注意を払いながら走っていたのだ。

 

 しばらくそうして走ると歓楽街についた。ここは夜間だけ開く劇場やカジノがあるため、深夜でも明るく賑わいがあった。影は酒場と思われる建物の中に入った。

 

「…………」

 

 そして、それを無言で見ている一人の男――バージルがいた。彼はあの影の後を追い、ここまできたのだ。

 

 数日前にゼラムに着いてからバージルは、紅き手袋につながる手掛かりを探していた。

 

 聖王国の中心であるゼラムでは日夜、権力闘争に明け暮れている者がいることは誰もが知る事実であった。バージルはこのような都市にこそ紅き手袋の窓口になる場所があるのではないかと見ていたのだ。

 

 なにしろ大金をはたいて紅き手袋に暗殺や誘拐を依頼するのは、貴族のような身分や地位のある人間がほとんどだ。紅き手袋は非合法な行為を行っている組織であるためあらゆる国で手配されているが、皮肉なことにその顧客は各国の支配者層なのが実情なのだ。

 

 バージルは特に夜間の捜索に力を入れていた。夜は人目につきにくく、姿も隠しやすいため、犯罪組織と接触するには絶好の機会であるといえる。彼はそうして誰かと接触している紅き手袋を見つけ出そうと考えていた。

 

 そんな中、視界に入ってきたのがあの人影だった。暗闇でも普段通り行動できるバージルには、その正体が自分の知り合いであることはすぐに分かった。

 

 それだけなら特に気に留めることはないが、その動きがまるで暗殺者のようであったため、もしかしたらと思いここまで追跡してきたのだ。

 

 人影が入った酒場は閑散としていて営業しているようには見えない。もっとも酒場の中には深夜までは営業しない店もあるので、閉店していたとしても珍しい事ではないが。

 

 バージルもその酒場に入った。中には明かりがついており、店主と思わしき剃髪した若い男が掃除をしていた。

 

「お客さん、悪いけどウチはもう店じまいだ。よそに行ってくれ」

 

「さきほどこの店に知り合いが入ったのを見たのでな。てっきり営業しているのかと思ったが……」

 

 その言葉に店主の体がこわばり、緊張したのを感じた。

 

「……で、あいつはどこにいる?」

 

「誰を探しているのかは知らんが、ここには俺しかいないよ」

 

 店主ははっきりと答えた。しかし魔力を感知することができるバージルには、それが嘘だということが分かっていた。この店の地下から十人ほどの魔力を感じていたのだ。

 

「そうか、では勝手に会いに行くとしよう。……ついでに一緒にいる奴らにもあいさつしてやるとするか」

 

 馬鹿にするように笑いながら言う。

 

「っ!」

 

 瞬間、店主は隠し持った短剣を取り出した。その動きはまるで暗殺者のようによく洗練されており、彼がただの酒場の店主ではないことを証明していた。

 

 しかし、店主がバージルに仕掛けることはなかった。その前に制止されたからである。

 

「はいはい、物騒なことはダメよ」

 

 さきほどまで追っていた、人影の正体であるスカーレルに。

 

 

 

 

 

 場が収まると、店主には席をはずしてもらい五年ぶりに再会したスカーレルと話をすることにした。

 

「なるほどねえ。それでゼラムに……」

 

 バージルはスパーダや界の意志(エルゴ)について調べるため、紅き手袋や無色の派閥を探していることを伝えた。

 

「ああ。……ところで、あの暗殺者共と似た動きをする貴様は、何か知らないか?」

 

 意地の悪い聴き方だが、バージルはスカーレルが紅き手袋と何らかの関連があると確信していた。

 

 先刻までの追跡の過程で、スカーレルの動きは紅き手袋の暗殺者の動きと酷似していた。島にいた頃は特段気にしたことはなかったが、これまでの暗殺者達との交戦経験がバージルを確信させるまでに至らせたのだ。

 

「……やっぱり、わかっちゃうものなのねぇ」

 

 過去に思いを馳せるように何もない空中を見つめ、どこか諦めたように呟いた。そしてバージルに向き直りおどけたように言う。

 

「私が昔、紅き手袋で『珊瑚の毒蛇』って呼ばれたって言ったら驚くかしら?」

 

「……そうか」

 

 スカーレルの言葉はバージルの予想の範囲内のものだった。というより、そうでなければ説明がつかない。

 

 島では暗殺者だけでなく、無色の派閥にも抗戦の構えを見せていたため、少なくともあの時点においては、スカーレルが紅き手袋ではないだろう。任務のためなら同僚は見捨てるかもしれないが、深い協力関係にある無色の派閥に敵対することは考えにくいからだ。

 

「へえ、驚かないのね?」

 

「大方、そんなところだろうと予想していただけだ。……それでその紅き手袋はどこにいる?」

 

 スカーレルの過去をこれ以上追究するつもりはない。バージルの目的はあくまで紅き手袋の居場所を探すことなのだ。

 

「知ってどうするつもり?」

 

「無色の派閥との関係について調べるだけだ」

 

「奴らは死んでも話さないと思うわよ。……特に派閥がらみの事については、ね」

 

 依頼人の情報を流す犯罪組織がいたら誰からも相手にされないだろう。犯罪を請け負う組織である以上、信用がなによりも重要なのだ。当然、紅き手袋の暗殺者が簡単に口を割るとは考えにくい。それが協力関係にある無色の派閥のことになると尚更だろう。

 

「始めから期待していない。書類でもあればそれでいい」

 

 表情一つ変えない目の前の男を、見極めるように眺めていたスカーレルが意を決して言った。

 

「……わかったわ、教えてあげる。ただし、私に協力してくれたらね」

 

「協力?」

 

 バージルが眉をひそめ、怪訝な表情を浮かべた。

 

「そうよ、私と一緒にある子供を助けてほしいの」

 

「……そのガキはどこにいる?」

 

 正直なところ、子供の救出の協力ということはあまり乗り気ではないが、その提案を諾否は判断は全ての情報が出てから下すことにした。

 

「場所はこの聖王都ゼラムの紅き手袋の拠点よ。もちろん報酬もきちんと支払うわ。……決してあなたにとっても悪くない話だと思うけど、どうかしら?」

 

「……救出はお前がやれ、俺は奴らの相手をする」

 

 スカーレルの提案は確かに魅力的な提案だった。紅き手袋の拠点に行けるだけでなく、金も支払われるのであれば受ける価値もあるだろう。ただバージルは、顔も分からん相手を助けるつもりはないので、あくまで協力は戦闘に限定するつもりだった。

 

「契約成立ね。……実行は明日でもいいかしら?」

 

 日時を確認する。スカーレルとしては少しでも早く実行したいのだろう。

 

「かまわん」

 

 バージルとしても早くやってしまいたかったので、その提案を断る理由はない。

 

 そして、話は全て済んだと判断したバージルは席を立ち、店を出て行く。その背中にスカーレルは一言だけ投げかけた。

 

「明日、日が沈んだらここに来て」

 

 それは暗に、救出は夜間に行うことを示したものだった。

 

 バージルが去ってしばらくして、両手に湯気が立ち上っている温かい飲み物を持った店主が姿を現した。彼はスカーレルの正面の席に座るとカップをテーブルに置いた。

 

「なあ、あいつは本当に信用できんのか?」

 

 店主はバージルのことを信頼できない様子だった。もっとも、初対面の相手をいきなり信頼しろというのも難しい事かもしれない。

 

「大丈夫よ。それに万が一、彼に奴らの場所が知られたら、それこそ取り返しのつかないことになるわよ」

 

 スカーレルとバージルはあの島で数ヶ月を過ごした間柄だ。彼の性格は分かっているつもりだ。

 

「はっ、あんな優男にそんなことができるとは思えないがね」

 

「直に見ていないあなたには分からないのよ。彼の強さはね」

 

 頬杖をつきながら、手元のカップから立ち上る湯気を見つめる。

 

 バージルのまともな戦闘をスカーレルが見たのはわずか二回に過ぎない。一度目は無色の派閥の軍勢を相手にした時、二度目は遺跡でフロストと戦った時だ。

 

 そのどちらでも彼は圧倒的な力を見せ付け、完膚なきまで敵を叩き潰した。特に遺跡で見せた怪物のような姿は、今思い出しても寒気がする。

 

「……まあ、あんたが信じるって言うならいいけどよ」

 

 どこか釈然としない様子ではあったが、店主はそれ以上何も言うことはなかった。

 

 

 

 

 

 翌日の深夜、バージルのスカーレルの二人は、周囲より一際高い建物の屋根から下を眺めていた。

 

「あれが奴らの拠点か?」

 

「そうよ」

 

 バージルの確認するような言葉にスカーレルは短く答えた。

 

 紅き手袋の拠点は歓楽街から少し離れた路地裏に入ったところにあった。表通りはいつものように賑やかで明るく人も多いが、そこから一本裏に入ると人もまばらになり、明かりもほとんどなかった。

 

 件の拠点は三階建で一階と二階には明かりはついているようだったが、三階は暗くなっていた。そして話し声はどこからも聞こえてこなかった。

 

「入口には三人、おそらく見張りね。……どうする?」

 

 一見すると中には誰もいないように見えるが、時々映る影からおそらく三人程度がいることがわかる。

 

「一階に四人、二階に十八人、三階に三人、地下には結界、その中にも一人……人間ではないな」

 

 バージルは魔力を感知することで建物の中にいる人間を割り出した。しかし、地下にいる者の魔力は人間のそれとは似ているようで違う奇妙なものだった。

 

「わかるの?」

 

「どこに目的のガキがいるかはわからんがな」

 

 スカーレルの疑問にバージルは淡々と答えた。

 

「全部で二十六人、内一人はあの子だとして、地下にいるのはたぶん『毒笑婦』……組織の幹部の一人だと思うわ」

 

「思ったより少ないな」

 

 建物の大きさから考えても四、五十人いてもおかしくはないのだが、実際に中にいるのは三十にも満たない数だったため、肩透かしを食らった気分だ。

 

「……好都合よ。それじゃあ、始めましょう。いい、合図したら――」

 

「必要ない」

 

 段取りを話そうとしたスカーレルを遮り、バージルは建物の屋上から飛び降りた。相手が人間である以上、彼にとっては作戦など必要ない。ただ、圧倒的な力で叩き潰すだけだ。

 

「ああ、もう!」

 

 建物から飛び降りるという行動に驚いたスカーレルは、急いで後を追う。そうはいっても地上五階ほどの高さがある場所から飛び降りるわけにはいかず、ここに上った時と同じように降りるしかなかった。

 

 かつてテメンニグルの頂上から飛び降りても無傷だったバージルであれば、この程度の高さは全く問題ないが、鍛えられたといっても人間の域を出ないスカーレルにとってはリスクが大きすぎるのだ。

 

 驚くほど静かに着地したバージルは紅き手袋の拠点へ向かい歩いていく。

 

 そのまま拠点に近づくと、見張りがさりげなくこちらを窺っているようだった。

 

 彼らがこちらに意識を向けた瞬間、バージルは幻影剣を放った。ただ、いつものように自分の周囲から射出したのではない。入口にいる三人の背後から射出したのだ。

 

 意識を集中させている時に死角から放たれたのだ。見張りは反応すらできず、頭を貫かれ絶命した。

 

 瞬く間に三人の見張りを殺害し、悠々と建物の中に侵入する。そこへ入口の異変を感じ取ったのか、一階にいる残りの一人がおっとり刀で駆け付けた。

 

「遅い」

 

 閻魔刀の一閃。駆け付けた男は声も上げられず一瞬で無惨な姿になり果てた。

 

 これで一階にいる四人は片づけた。しかし、彼が倒れる音を聞いた二階の者がここに来るのも時間の問題だった。

 

 もっとも普段なら人間風情がいくら向かってきても、片っ端から斬り捨てるだけだ。しかし、今はそうはいかない。今のバージルは子供の救出に協力するという依頼を請け負っている。この場で降りてくる暗殺者を迎撃しては、紅き手袋が子供を道連れにすることも考えられる。

 

 一応、仕事としてスカーレルから頼まれている以上、バージルはわざと失敗するつもりなどはさらさらなかった。

 

(まずは頭を潰すか)

 

 集中し、鞘に収まった閻魔刀に手をかけ、目にも止まらぬ速さで抜刀する。

 

 床越しであるため姿を視認することはできないが、魔力を目印にして次元斬を放った。全てを断つ斬撃が、地下にいる紅き手袋の幹部「毒笑婦」を結界ごと斬り飛ばした。

 

 手加減なしの一撃だ。おそらく原形を留めず粉々になったことだろう。

 

 バージルは毒笑婦の魔力の消失したのを確認しながら、抜刀した閻魔刀を右手に持ち跳躍した。そして、まるで豆腐でも斬るかのように天井に丸い穴を開け、そこから二階に侵入した。同時にすばやく周囲を目視で探り、救出対象の子供の有無を確認する。

 

(ここにいない、か)

 

 地下にも、一階にも、二階にもいない。それはつまり子供が三階にいるということを意味していた。

 

 バージルは幻影剣を発射しながら閻魔刀を投げた。閻魔刀はまるで意思を宿したかのように回転しながら周囲の敵を斬り刻んでいく。幻影剣は閻魔刀の範囲外の暗殺者へと突き刺さっていき、彼らを針鼠のようにしていった。

 

 まともな抵抗はおろか悲鳴を上げることすらできず、彼らは次々と血の海に沈んでいく。その地獄を作った張本人は周りの惨劇に目もくれずギルガメスを装着し、拳を突き上げながら飛び上がる。

 

 天井を打ち破る大きな音と共に三階に到達した。着地したバージルの前と後ろに暗殺者が一人ずつおり、さらに前方の敵の奥にはベッドで寝かされている幼児がいた。

 

(あいつか)

 

 遂に目標を見つけたバージルは閻魔刀を呼び戻した。下の階から呼び戻された魔剣は、階を隔てる木材と運悪くその軌道上にいた暗殺者を切り裂き、主の下に戻った。

 

 バージルは逆手で握った閻魔刀を、唯一人残っていた後方の暗殺者に突き立てた。喉を貫いた一撃によって最後の一人も息絶え、残されたのは静寂だけだった。

 

 その中で彼は、戦闘の余韻を味わうかのように、閻魔刀をゆっくりと鞘へ納めた。

 

 数分後、ようやく追いついたスカーレルは場の惨状を見ながら言った。

 

「相変わらずとんでもない暴れっぷりねえ」

 

「例のガキはそこだ。さっさと持って行け」

 

 顎でベッドを示し、部屋の隅に一角を占めていた本棚へ向かう。

 

「あなたは戻らないの?」

 

「探し物があるのでな」

 

 バージルの目的が紅き手袋や無色の派閥であることを思い出したスカーレルは、それ以上何も聞こうとしなかった。

 

「それじゃあお先に失礼するわ。……そうそう、お金の方は三日後くらいには用意できると思うから店の方に取りに来て」

 

「わかった」

 

 短く返事をする彼の後ろで、スカーレルは子供を抱きかかえると部屋から出て行った。残ったバージルは黙々と書類に目を通し続けた。

 

 

 

 

 

 三日後、店を訪れたバージルを待っていたのはスカーレルだけだった。店主もおらず、店の中もメニューや調理器具が片付いているところを見ると、ここはあの子供を助けるためだけの一時的なアジトに過ぎなかったのだろう。

 

「待ってたわ」

 

 そう言ってバージルにテーブルに座るよう勧めた。席に着くとスカーレルが飲み物を持って対面の席に腰を降ろした。

 

「まずこれが今回の報酬よ。受け取って」

 

 机の上に金の入った袋が置かれた。中を確認すると、バージルがこれまでに受けたはぐれ召喚獣の討伐等の依頼とは比べ物にならない金額が入っていた。

 

「報酬は一般的な暗殺の依頼料に、紅き手袋を相手にしたってことも加味してだいぶ色を付けたつもりよ。不満かしら?」

 

「いや、問題ない」

 

 バージルにしてみれば、あの程度の人間を殺すだけでこれほどの報酬をもらえるのだから、相当に割のいい仕事だったことは間違いない。

 

「…………」

 

「……何だ?」

 

 本来ならこれで話は終わりだろうが、スカーレルは何かを言うべきか迷っているようだった。しかし、バージルには最も危険な役目を請け負ってもらっているため、もはや無関係ではないと考えたのか、ゆっくり話し始めた。

 

「あなたはヘイゼルのこと覚えてる? 島であなたと戦ったマフラーの女よ」

 

「……ああ」

 

 確かにバージルは彼女とは戦ったが、一撃で吹っ飛ばしたためかあまり記憶に残ってはいなかった。正直マフラーの女という特徴を言われなかったら思い出せなかったかもしれない。

 

「今回助けた子はね、ヘイゼルの子供なのよ。彼女、子供を人質に取られてすごく危険な暗殺を命じられたってわけ」

 

「それで助けようとしたわけか」

 

「ええ、あなたが協力してくれたおかげで無事に助け出すことができたわ」

 

 実のところスカーレルは別な助っ人を頼んでいた。しかし、その者達が来るのはまだ三日以上先のことであったため、少しでも早く子供を助け出したいスカーレルにとって、バージルが現れたことはまさに渡りに船だったのだ。

 

「そうか」

 

「……こっちが勝手に話してしまった事だけど、今聞いた話は他言無用でお願いね」

 

「もとよりそんな話に興味はない」

 

 島にいた時から全くと言っていい程変わっていない無愛想なバージルに、スカーレルは思わず笑みが零れた。それを隠すようにカップを手に取り飲み物を口に含み、一息ついた。

 

 そして、いつかの光景を思い出すように手元のカップを眺めながら、ぽつりと言葉を漏らした。

 

「自分も大怪我したっていうのに、自分のことより子供のことを気にするなんて……やっぱり、母の愛ってやつなのかしらねえ」

 

 スカーレルの独白のような言葉から、ヘイゼルが怪我をしたことがわかったが、それ以上にバージルの気を引いた言葉があった。

 

「母の愛、か……」

 

 無意識の内に、胸元に手を置く。服に隠れしまってはいるが、そこには母の形見であるアミュレットがあるのだ。

 

 あの時、バージル達兄弟を命と引き換えに守った母、エヴァの行動も母の愛によるものなのか。

 

 以前、アティがアリーゼを守った理由を聞いた時、彼女は大切な生徒だから守らなくちゃと思った、そう言っていた。

 

 母も己や弟が大切だから自分の身を顧みず、身を呈したのだろうか。

 

 それが、愛なのだろうか。

 

「…………」

 

 目を閉じて大きく息を吐き出す。

 

 これ以上考えても無意味だ。それで母が生き返るわけでもなければ、過去が変わるわけではない。そう自分に言い聞かせ、バージルは目を開いた。

 

「話が終わりなら俺は行くぞ」

 

 スカーレルの返事を待たず席を立ち、店から出て行った。

 

 だがバージルの心の中には、彼の知らない感情が消えることなく渦巻いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




無色に続き紅き手袋も狙われるようになった第16話いかがだったでしょうか。

なお、次話につきましては現在PXZ2を絶賛プレイ中ですので遅くなると思います。気長にお待ちください。

ご意見ご感想お待ちしております。ありがとうございました。


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第17話 母と子

 大きな森に囲まれたある村の花畑で、大きな帽子をかぶった少女が座りながら手を動かしていた。

 

「お母さん喜んでくれるかな?」

 

 手には白い花を持っており、それで花輪を作っているようだ。

 

「きゃ!」

 

 不意に突風が吹き、帽子が飛ばされそうになり、少女は両手で必死に帽子を押さえた。

 

 風が静まるのを感じて少女は心底ほっとした。彼女の頭には誰にも見られたくないものがある。それを隠すために日頃から大きな帽子をかぶっていたのだ。

 

「もう帰ろう」

 

 今日、この花畑に来てから弱い風は何度か吹いたが、帽子が飛ばされそうになるくらいの強風に見舞われたのは初めてだった。頭を隠す帽子が飛ばされることは少女にとって、何物にも代えがたい恐怖なのだ。

 

 つばを左右から両手で押さえて、足早に花畑から立ち去ろうとした。

 

 だがつばを押さえたことで、足しか見えないほど視界が狭くなってしまう。おまけに早く帰ることばかりを考えすぎたことで注意が散漫になってしまった。その結果、前を歩いていた人とぶつかってしまい、つばを押さえていた片方の手が離れたのだ。

 

 さらに少女にとって不運は続いた。片手が離れた瞬間、再び突風が吹いたのだ。残された手でつばを押さえていたことで、辛うじて帽子が飛ぶことは防げたが、風によって大きく捲り上げられたのだ。

 

 少女の開けた視界に映ったものは、銀髪に青いコートを着た男が振り向いて冷たい瞳で自分を見下ろしている姿だった。

 

「え……あっ!」

 

 自分がどういう状況にあるか思い至り、少女は慌てて帽子をかぶりなおした。

 

(見られた……!?)

 

 帽子が捲り上がっただけであるため、隠したかったものが見られたか定かではない。それでもその可能性があるというだけで、彼女の心臓は早鐘を打ち、背筋に冷たいものが走った。

 

 再び狭くなった視界に男が手にしていた黒い棒状のものが映った。それが武器の類であることは幼い少女にも容易に想像できた。村の人間ではない男が、はぐれ召喚獣が出没することもある街道を抜け一人でこの村に来たのだから、武装しているのが当然だろう。

 

 男から威圧するようなプレッシャーを感じ、少女の体は恐怖から震え始める。それは自分の正体がばれることへの恐怖よりも、男の底知れぬ力とそんな彼の意識が自分に向けられていることへの恐怖だった。

 

「お母さん……」

 

 無意識の内に彼女が唯一頼れる存在である母を呼んだ。

 

「……フン」

 

 唐突に男は鼻を鳴らし、興味を失くしたかのように踵を返した。

 

 重圧から解放された少女は、体の震えが止まるまで地面にへたり込んでいた。

 

 

 

 

 

「しばらくここに泊まりたい」

 

 宿屋の受付でバージルは言った。

 

 数日前、彼はとある都市の紅き手袋の拠点から、この村の近くに無色の派閥の施設があることを示す書類を発見した。それはかなり古いものであるため確度は低いが、手掛かりがないよりはマシと判断しここまできたのだ。

 

「どのくらいのご予定で?」

 

「長くとも四日程度だ」

 

 書類が正しければ一日で終わるが、そうでない場合はこの周辺一帯を塗りつぶすように探すはめになるため、四日程の時間が必要なのだ。

 

「わかりました。部屋は二階の奥の部屋です」

 

 受付から鍵を受け取り、部屋へ向かった。

 

 ベッドと机、椅子が一つずつという質素な部屋で、荷物を置き椅子に腰かけたバージルは、この宿屋へ来る道中で会った少女の事を思い出していた。

 

(あの娘、悪魔か……?)

 

 彼女の魔力は人間と似てはいるが違うものであり、頭部から生えていた角も人間ではないことを証明していた。さらに娘の魔力は以前戦った霊界サプレスの悪魔の魔力と似ていたのだ。

 

 そこから考えられることは、少女が人間と悪魔のハーフであるということである。

 

 もしそうであるならば、彼女から人間とも悪魔とも判断できない魔力を発しているのにも納得できる。

 

(まあ、これ以上考えても無駄か……)

 

 いくら少女の正体が分かろうとバージルに何をもたらすわけではないのだ。彼女が強ければ、戦いに意味を見出すことができるかもしれないが、魔力量から大した力がないことは分かりきっている。

 

 おまけに当の本人が、バージルの視線を受けただけで震えるほど恐怖を感じているのだから話にならない。

 

 少女を一瞥した後、すぐに踵を返した理由の一つはそれだった。

 

 そしてもう一つの理由は、彼女の母を呼ぶ声にあった。三年前、聖王都ゼラムにある紅き手袋の拠点を襲撃した後、スカーレルからヘイゼルの母の愛についての話を聞いてから、バージルの中には言い知れぬ感情が存在した。

 

 それが少女の言葉によって呼び起されたからこそ、彼は何もせずに立ち去ったのだ。

 

「…………」

 

 目を閉じて、一つ息を吐く。

 

 ゆっくり目を開け、これからのことに思考を切り替えた。そして足元に置いていた旅行袋から、地図と紅き手袋から奪い取った書類を取り出し、机の上に広げる。

 

 明日から書類をもとにこの村の周辺を探索するわけだが、一応書類には簡単な地図がついているものの、なにぶん古いものであるため現在の地図とは異なる点が多すぎるのだ。

 

 だからこそ書類と地図の情報を照らし合わせ、少しでも正確なものに近付けることは、無駄な探索を行わない為にも重要なことなのである。

 

 バージルは黙々と書類と地図を見比べ、明日の準備を進めて行く。彼が眠りに就くのはもう少しかかりそうだった。

 

 

 

 

 

「おはよう、お母さん……」

 

 少女は寝惚けた目を擦りながら母に挨拶をした。

 

「その様子じゃあ、もう大丈夫みたいね」

 

「うん……心配かけてごめんなさい」

 

 彼女はあの青いコートを着た男、バージルに会った日から具合が悪いと嘘をついて、家に閉じこもっていたのだ。しかし本当に見られたのか分からなかったため、母にこの村を離れようとは言い出せなかったのだ。

 

 それでも彼女の恐怖がそう簡単に消えることはなく、むしろ、ばれていたら自分が言わなかったせいで母も危険な目に遭ってしまうのではないか、と考えてしまい夜も眠れなかった。

 

 リスク管理の視点から考えれば、彼女の行動は悪手なのかもしれないが、それを十歳ほどの少女に言うのはあまりにも酷過ぎるだろう。

 

 結局、少女がバージルと会ってから四日経つが、いまだ何もなかったため彼女は、何も見られなかったのだろうと思い始めていた。

 

「今日はお花畑に行ってくるね。お母さんの分の花輪も作ってくるね!」

 

 彼女はあの時は作れなかった、母へプレゼントするための花輪を作るつもりでいた。

 

「ふふ、楽しみにしてるね。あ、でも、帽子を忘れちゃだめよ」

 

「うん、わかった!」

 

 少女は人間ではなかった。母と霊界サプレスの悪魔の間に生まれた半魔が彼女なのだ。頭に生えている角はその証である。これこそが彼女が見られたくはなかったものだ。

 

 サプレスの悪魔は一般的に恐怖の存在であるため、もし少女がその悪魔の血を引いているのが知られたら、決してただでは済まないだろう。良くて村から追放か、最悪殺されてしまうかもしれない。それに気付かれたと感じた時は、何か言われる前にすぐにその土地から出て行くようにしており、実際にこれまで彼女たち親子は各地を転々としてきたのだ。

 

 だからこそ彼女は、帽子をかぶり角を隠しているというわけだ。昔は髪で隠れるくらいに角は小さかったが、少女が成長するにつれ角も日に日に大きくなっていき、今では帽子をかぶらなければ隠せないほどにまで大きくなってしまったのだ。

 

 これからも角は大きくなっていのだろうか、そんな不安を抱いたことは何度もある。もしかしたら、これまでのように外に出ることができなくなるかもしれない。

 

 しかし、たとえそうなっても少女は不幸だとは思わないだろう。彼女にとって大好きな母と一緒に過ごせることだけで十分幸せなのだ。

 

「いってきまーす」

 

 朝食を食べ終わった少女が出かけて行く。だが、彼女は知らない。幸福の終わりがすぐそこまで来ていることを。

 

 

 

 

 

 バージルは宿へ戻るため、獣道を進みながら森の中を歩いていく。探していた無色の派閥の施設は今日も結局、見つかることはなかった。

 

 見つからないこと自体は決して珍しくはないものの、ここ数ヶ月は「当たり」を引くこと自体なかったのだ。そのためか、どこか彼の足取りは重くなっていた。

 

(そろそろ、これまでのやり方を考え直すべきかもしれんな……)

 

 これまで見つけてきた無色の施設から彼らの拠点がある場所は、一定の条件を満たす場所に作られていた。これからはそういった場所をピンポイントで探した方が効率がいいかもしれない。

 

 それに紅き手袋からも情報は得られる。紅き手袋は比較的規模の大きな都市であれば、まず出先機関などがあるため探しだすのは、無色の派閥より遥かに容易いことなのだ。

 

「…………?」

 

 思考を進めながら歩を進めていると、村の様子が常と違っている事に気付いた。

 

 この村はいつもなら静かで牧歌的ですらあるのに、今はまるで祭りでもあるのかと思う程に騒がしくなっていた。ただそこには楽しげな雰囲気などはなく、緊迫感に満ちた怒号が飛び交っていた。

 

(はぐれか盗賊でも現れたか……いずれにせよ俺には関係ないな)

 

 討伐の依頼を受けているのなら話は別だが、あいにく今のバージルは金に困っていない。三年前にスカーレルから得た報酬によって彼の懐は大分潤っていたのだ。

 

 かつては金銭的な余裕がなかったため、仕事であれば選り好みせずに受けていたが、今では仕事を選べるくらいの余裕があった。最近では賞金がかかった盗賊等を討伐する一種の賞金稼ぎのようなことをして収入を得ていた。

 

 そういった盗賊等の相手はただの人間であるにも関わらず、報酬は高めだ。金を稼ぐことにあまり時間をかけたくないバージルにとって、非常に割のいい最適な仕事だといえるだろう。

 

 村の騒ぎを尻目に宿へ戻ったバージルは机の上に地図を広げた。今日でこの周辺の探索は全て終了したため、次の目的地をどこにするか地図を眺めていた。

 

 そんな時ドアをノックする音が聞こえた。

 

「お客さん、すいません。相談したいことがあるんです!」

 

 声からからすると宿の主人の妻のようだが、随分と切羽詰まっている様子だった。もしかしたら村の騒ぎと何か関係があるのかもしれない。

 

「何だ?」

 

 ドアを開けた所には主人の妻の他に杖をついた老人が立っていた。主人の話しによると老人は、この村のまとめ役をしている者だということだった。

 

 老人はバージルを見ると深々と頭を下げて口を開いた。

 

「急に押しかけて申し訳ありません。ですが、どうしても聞いていただきことがあるんです」

 

「…………」

 

 無言で続きを促された老人は話を続けた。それによると、少し前からこの村に住み始めた母子の娘の方が悪魔だったというのだ。それに驚き恐怖した村人達は志願者を中心に討伐隊を組織して逃げた母子を追ったが、戻ってきたのはたった一人だけだった。

 

 その唯一の生き残りの男の話では、悪魔を後一歩のところまで追い詰めることができたものの、不思議な力を使ったのか仲間が次々と苦しみながら倒れていき、同時に悪魔の傷はだんだんと治っていったというのだ。

 

 そして男はあまりの出来事に恐ろしくなり命からがら逃げてきたというのだ。

 

 この話を聞いた主人の妻は宿に泊まっているバージルの事を思い出し、部屋を訪れたのだ。

 

「あなたは腕利きの冒険者とお見受けしました。どうかお願いします。悪魔を討伐しては下さいませんか」

 

「お願いします! どうか……どうか、あの人の仇を……」

 

 老人に続き女性も嗚咽をこらえながら頭を下げた。それでも抑えきれない涙が重力に従い床に落ち、大きな染みを作った。

 

 見ると老人も表情にこそ出ていないが、悲しみを堪えるかのように口を真一文字に結び、杖を持つ手も震えている。

 

 どちらもおそらくは、その悪魔の娘に大切な人の命を奪われでもしたのだろう。だからこそバージルに討伐を依頼してきたのだ。

 

(あの時の娘か……)

 

 数日前に会った少女の事を思い出す。バージルは彼女が悪魔と人間のハーフではないかと推測したが、少なくとも悪魔の血を引いていることはほぼ間違いないようだ。

 

 しかし、疑問もあった。あの時の少女はバージルの視線を向けられただけで、恐怖に震えるような存在なのだ。いくら悪魔の血を引いているとはいえ、とても何人もの人間を殺せるほどの度胸があるとは思えなかった。

 

(力を無意識に使ったのか……?)

 

 これまでの情報から彼は少女が、ただ単に目覚めた力を制御できないでいるのだろうと予想する。

 

 だが問題は母親の方だ。バージルがこの村に来てから、少女以外に悪魔の魔力は感知しなかったが、そもそも少女の母親とは会ったことはおろか、どこに住んでいたのかさえ知らないのだ。

 

 そのため母親が悪魔であり、村人を殺したのも母親である可能性を否定することはできなかった。

 

「……いいだろう」

 

 思考を巡らせた末、バージルは村人の依頼を受けることにした。ここであれこれ考えるより、実際にその母子を見れば全て明らかになる。それに時間のかかりそうな依頼ではない。明日、この村を出るという予定には影響しないだろう。

 

「あ、ありがとうございます!」

 

 何度も頭を下げ、二人から感謝の言葉を背に受けながらバージルは閻魔刀を携え、母子が逃げたという森へと向かって行った。

 

 

 

 

 

 村から少し離れたところにある山林。そこの崖下にある洞窟に少女とその母親はいた。母子は二人とも体のあちこちに傷があったものの、手持ちの道具では最低限の応急処置を施すのが精一杯だった。

 

 特に少女の傷は酷かったようで、彼女は横になって寝ており、母親が必死の看病を続けていた

 

「ごめんなさい、お母さん……ごめんなさい、私のせいで……」

 

 少女が弱弱しげに言う。

 

 母子がこんなことになってしまった始まりは、少女の頭に生えた角を村人に見られてしまったことだった。泣きながら帰ってきた最愛の娘から角を見られてしまったことを聞いた母親は、村に迷惑をかけないためにもすぐに出ていくことにした。

 

 だがそれで終わらなかった。村人達は武器を手に母子を追ってきたのだ。当然、戦う力などない彼女達はただ逃げるしかなかった。しかしまだ十歳の娘を連れて早く逃げるのは難しく、半日とかからず追いつかれてしまった。

 

 母親の記憶は後頭部を襲う痛みと共に、一旦途切れた。そして彼女が意識を取り戻したとき目に映ったのは、姿が変わり傷だらけになりながらも呆然と立っている娘とぼろ雑巾のように倒れている村人の姿だった。

 

 村人が死んでいることに気付いた母親は娘を抱いて、痛む体に鞭打ってその場から逃げだした。

 

 それから運良く雨風を凌げそうな洞窟を見つけ、今はそこで体を休めているのだ。

 

 もうじき完全に日も暮れる。いくら自分達が憎かろうと、村人達もわざわざ暗闇に閉ざされる森の中を探すようなことはしないだろう。そう考え、今日はこの洞窟で夜を明かすつもりだった。

 

 そうでなくとも少女の体は傷だらけなのだ。今、無理をしたら間違いなく悪化する。下手をすれば命に関わるかもしれない。

 

「大丈夫、大丈夫だから……今はゆっくり休んで」

 

 娘の手を握りながら声をかける。いくら姿が変わろうと、悪魔の能力を受け継いでいようとこの子だけは守る、そんな意思を込めながら。

 

 少女は悪魔と人間のハーフ、半魔なのだ。

 

 今から十年以上前、少女の母親が生まれ育った旧王国の村は、はぐれ召喚獣の悪魔に襲撃され滅ばされた。ほぼ全ての村人が無惨にも殺されただ一人生き残ったのが、母親だけだった。

 

 だが、彼女は生き残ったものの悪魔の子を身籠っていた。そうして生まれたのが、現在横になっている娘だった。決して望んで生んだ子供ではなかったが、彼女は娘を精一杯育てた。

 

 娘の無邪気な笑顔に荒んだ心が癒され、救われたのかもしれない。そしていつからか娘は母親にとってかけがえのない大切な存在であり、希望となっていたのだ。

 

 不意に背後から声が聞こえた。

 

「……悪魔の血を引いているのは娘だけ、というわけか」

 

 驚いた母親が顔を青褪めさせながら振り向くと、そこに青いコートを着た銀髪で長身の男が立っていた。左手に武器のようなものを携えながら男は、恐ろしい程冷たい瞳で見下ろしていた。

 

 

 

 

 

 バージルは洞窟の中にいる母子を一瞥した。

 

 村で逃げた母子の討伐を依頼された彼は、魔力を頼りに二人を追ってきたのだ。最初にこの村に来た時に娘と会っていなければ、ここまでスムーズに見つけることはできなかっただろう。

 

 母親は人の姿であるものの、娘の方は肌の色が青紫色に変わっていた。

 

 当初バージルが予想した通り、悪魔の血を引いているのは娘だけであり母親の方はただの人間のようだ。村人の命を奪ったのも、母親の後ろで横になっている少女の力によるもので間違いないだろう。

 

 結局のところ今回はバージルの予想が完璧に的中していた。ただ、それは彼にとって最も退屈な結果でもあった。

 

(つまらん、さっさと片付けて戻るとするか……)

 

 左手に持った閻魔刀に手をかけようとした時、母親が叫んだ。

 

「お願いします! 私はどうなっても構いませんから、この子だけは助けてください!」

 

 バージルの心にいつかの光景がフラッシュバックした。母が子を守るために身を呈する。この光景は――。

 

(……くだらん)

 

 この程度のことで心を乱されることは、彼にとってこの上ない屈辱だった。

 

 だからこそ悪魔であるバージルは心を押し殺し、いつものように閻魔刀に手をかけた。

 

「お母さんっ、だめ!」

 

 自分の身を犠牲にしようとする母を止めようと、傷ついた体を無理矢理動かし、少女が叫びながら縋りついた。

 

「私、お母さんと一緒じゃなきゃ、いやだよぉ……」

 

 泣きながら懇願する少女を見ていると、抑え込んだ筈の感情が再び湧きあがった。

 

(……やめだ)

 

 あの島でも自分らしくないことは何度かやったのだ。いまさらそれがもう一回増えた所で問題はない、そう自分を正当化しながら胸中で呟いた。

 

 だがそれは所詮、己を取り繕っているだけだということくらい、冷静なバージルは理解していた。

 

 閻魔刀から手を離しバージルは洞窟から出ていくため体を翻した。

 

 同時に倒れ込むような音が聞こえた。

 

「う……ぅ……」

 

 倒れ込んだのは緊張の糸が切れたからだろうと思っていたバージルだったが、苦しむような声を怪訝に思い振り向くと、倒れ込んだ母親に縋りつく少女の姿があった。

 

 少女の頭から生えている赤黒い角は光を放っており、母親はそれによって苦しんでいるようにも見えた。

 

(やはり、この力は……)

 

 少女の魔力から感じた既視感。そしてこの能力から彼女の父親に見当がついた。今から六年前に聖王国で戦い、そして滅ぼした悪魔の軍勢の首領だ。あの悪魔も周りの生命力を吸収し傷を癒していたのだ。

 

 おそらく村人もこの力で生命力を吸い取られたのだろう。

 

 だが少女はその能力を制御できないようだ。

 

「いやっ、止まって、止まってよ! お、お母さん、お母さんが!」

 

 命を吸収し傷が癒えていく少女と、見る見るうちに弱っていく母親。少女の能力が止まった時には母親はひどく衰弱していた。

 

「あ、ああ……お母さん、わ、わたし……わたし……」

 

 言いたいことはいくらでもあるのに、上手く言葉にできない少女に母親はやさしく声をかけた。

 

「いい、のよ……あなた、の……傷、治……ってよか、った……」

 

 息も絶え絶えだったが、今度はバージルに声をかける。

 

「どうか……この、子を……おねがい、し……ます」

 

 バージルは何の言葉も返さない。表情も変わっておらず、何を考えているかも分からない。ただ二人を見ているだけだ。それでも母親は微笑した。

 

 そして最期の力を振り絞り、手を最愛の娘の頬に当てて語りかけた。

 

「あ、なたは……じぶん、の幸せを……見つけて、ね……」

 

「うん……うん……わかったから、死んじゃやだぁ……」

 

 頬に添えられた母の手を握り、大粒の涙を流しながら母に抱きついた。

 

 そんな娘を優しく抱きしめ、そして彼女の瞳から光が失われた。

 

「お母さん? お母さん! ……あ、ああ、ああああ――」

 

 悲しみと後悔が込められた慟哭が洞窟の中に響き渡った。そして外では少女の悲しみを吐き出すように猛烈な雨が降り始めていた。

 

 

 

 

 

 翌日、一度村に戻っていたバージルは再び洞窟を訪れていた。今日の早朝まで降り続いた雨はすっかり止んでおり、空には嘘のような青空が広がっていた。

 

「決めたか?」

 

 短く尋ねられた少女はこくんと頷いた。

 

 昨夜バージルは、少女が泣きやんだ後、一つの提案をしていた。それは、行くあてがないのなら自分と共に来てもいい、ということだ。

 

 勿論彼は母親の最期の頼みを果たそうというわけではなく、少女に同情したわけでもない。ただバージルは己に不快な感情を起こさせた原因の一つである彼女を、このままにしておくことができなかったのだ。

 

 もはや彼はその感情をそのまま放置しておくつもりはなかった。スパーダや界の意志(エルゴ)に関する情報の収集を一時中止してでもこれの正体を突き止めなければならない、そう判断したのだ。

 

 少女はその手掛かりになるかもしれない。もっともそうはいっても、まだ十歳程度の子供から得られるものなどたかがしれているだろう。それゆえ、たとえ断られても大した痛手ではないのだ。

 

 だからこそ少女に選ばせることにした。かつてバージルが母を失った時に悪魔として生きることを選んだように、彼女にこれからどうするか、自らの意思で決めさせることにしたのだ。

 

「連れて行って、ください……お願いします」

 

 少女がなぜ自分と共にいく道を選んだのかは分からない。それでも彼女は確かに自分の意思で行くべき道を選んだのだ。

 

 もちろんバージルもそれに異を唱えるつもりはなかった。

 

「好きにしろ」

 

 それだけ告げて踵を返した。少女も急いで後を追う。そのまま洞窟を出ようとしたバージルはあることに気が付いた。

 

「……名は?」

 

 彼は少女の名前を知らなかったのだ。最初に会った時から今まで彼女が名前で呼ばれたところを聞いたことがなく、これまで尋ねたこともなかったので当然だろう。

 

「あ、ポムニット、です。あ、えっと……」

 

「バージル」

 

 彼女が聞きたいことを察したバージルはぶっきらぼうに答えた。

 

 洞窟を出ると少し離れたところに墓らしきものが作られていたのがわかった。おそらくポムニットが昨夜の内に作った母親の墓だろう。

 

 少女は駆け寄り、母へ感謝と永訣の言葉を伝えた。

 

「お母さん、今まで、ありがとう……行ってきます」

 

 バージルはその様子を少し離れた所から見ながらこれからのことを考えていた。とりあえず現在のバージルの目的はあの感情を理解することだ。

 

 だが、それ以外にもこの少女の処遇を決めなければならないのだ。いくら目的を果たすための手掛かりとはいっても、さすがにずっと連れ回すつもりはないので、いずれはどこかに預けるか独り立ちさせる必要がある。

 

(やはりあそこしかない、か)

 

 頭の中で次の目的を決めた時、ポムニットが戻ってきた。どうやら別れは済んだようだ。

 

 バージルは墓に背を向け歩き出そうとしたが最後に一言だけ、名も知らぬ母親へ手向けの言葉を呟く。

 

「Rest in peace」

 

 

 

 

 

 

 

 




第17話いかがだったでしょうか。おそらく今後数話は戦闘なしの回になると思います。戦闘ありの話を書きたいのはやまやまですが、話の構成上どうしても必要なことですのでご理解ください。

なお、最近ゴッドイーターに再びはまっているので、次回更新は来月末か2月頭になると思います。

ご意見ご感想お待ちしております。

ありがとうございました。






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第18話 再会

 帝国の海岸近くの町にバージルとポムニットはいた。この近くにあるアドニアス港へ向かう人、あるいはアドニアス港から他の都市に向かう人が落とす金によって成り立っているこの街は、決して規模は大きくないまでも活気に満ちていた。

 

 夕暮れ前にこの町に着いた二人は、少し早いが適当な店で夕食をとることにした。

 

 さほど混んでいない店を見つけ、テーブルに座ると周りからは好奇の視線が向けられた。その対象はバージルが連れているポムニットだ。

 

 やはり人とは違う容姿がそうさせるのだろう。これは他の町でも同じだった。

 

 それでも以前の村の時のように迫害されることがないだけマシかもしれない。

 

 しかし、いくら危害を加えられることはないからと言っても、視線を向けられる側のポムニットは決して心穏やかではなかった。むしろ視線を向けられるたび自分が人間ではないことを、母の命を奪った半魔であることを突きつけられているような気さえした。

 

 そんな視線に耐えられない彼女は、ずっと下を向いていることしかできなかった。

 

 バージルにしてみればなぜ周囲のことを気にするのか理解できなかったが、何も言わなかった。

 

 彼女とは共に旅をしているものの、距離を置いて我関せずを貫いていた。もちろん食事代や宿代は全てバージルが出しており、ポムニットも何もしないわけではなく、すすんで雑用を行っていた。彼女はこういったことへの才能があるのか、よく気が利くためバージルも好きにさせていた。

 

 たがいに一言も言葉を交わさずに食事を済ませた二人は宿を探し始める。

 

 もっとも実際に探しているのはバージルだけであり、ポムニットは彼の青いコートの裾を掴みながらついてくるだけだった。それでも掴んだ手を離さないのは、それが彼女にとっての唯一の繋がりだからだろうか。

 

 手頃な値段の宿で部屋をとると、バージルはこれまでの旅で手に入れた資料や本に目を通し始めた。できることならメイメイに預けて解釈を頼みたいところだが、今優先すべきはそんなことではないため、空いた時間に自分で少しずつ読み解いているのだ。

 

「明日の朝に出発する。それまでは好きにしろ」

 

 本を読みながら簡潔に伝える。

 

 目的地であるアドニアス港はもうすぐといっても、徒歩で移動するにはどうしても時間がかかる。特にまだ子供のポムニットを連れているため早くに出発しなければ、日がある内に着くことはできないのだ。

 

「うん」

 

 ポムニットもまた短く返事する。

 

 この二人のやり取りは傍から見れば非常に事務的だった。バージルはもともと口数が多い方ではないし、ポムニットは自分が何の役にも立てないことに引け目を感じているため、どこか遠慮がちになっているのだ。

 

 けれどもポムニットはバージルと共にいる道を選んで良かったと思っている。もしもあの時、彼と共に来なければきっと人目を避けてひっそりと自分を責め続ける生活を送っていただろう。

 

 確かに容姿を好奇の目で見られることは嫌だが、それは逆に自分のことを隠す必要も、正体がばれることを恐れる必要もないため、ある意味楽ではあるのだ。もちろん彼女一人でそんなことになれば、はぐれ召喚獣扱いされるのが落ちだろう。いや、悪魔としての能力を考えれば下手をすれば討伐の対象になることすらありえるかもしれない。

 

 そんなポムニットが危害を加えられないのは、バージルといることで召喚獣と思われたのかもしれない。

 

 召喚術は呼び出した召喚獣に何かをさせれば、元の世界に送還するのが基本だ。ただ、中には召喚獣を送還せず護衛等をさせる場合もある。そのような召喚獣のことは護衛獣と呼ばれている。

 

 彼女もそうした護衛獣だと思われたのだろう。

 

 例えどんな理由にしても、ポムニットの安全が保たれているのはバージルのおかげであることに間違いはなく、彼女自身もそれは理解していた。

 

 だからこそ彼女は引け目を感じていた。バージルからは多くのものを与えてもらっているのに自分は何も返せない。雑用をすすんでやってはいるが、そんなことでは全然返せないほどのもの自分は貰っているのだ。そんな考えが彼女の根底にあるのだ。

 

 それでも、と彼女は思う。

 

(恩返し、できますように)

 

 今は無理でも、すぐにはできなくとも、いつの日にか、きっと。そんな想いが彼女に芽生え始めていた。

 

 

 

 

 

「よう、久しぶりだな、待ってたぜ!」

 

 アドニアス港の埠頭でバージル達を迎えたのは、かつてあの島で生活を共にた海賊カイル一家だった。見た目こそ以前と大して変わっていないが、多くの航海と経験を積んだからか、だいぶ貫禄が出てきたようにも見える。

 

「ああ」

 

「で、後ろにいるのが、手紙で言っていた半魔の子ってわけか」

 

「そうだ」

 

 カイルには事前に船に乗りたい旨を手紙に書いて送っていた。その際に無用な混乱を避けるために、半魔の子供も連れて行くと書き記しておいたのだ。

 

「海賊一家の元締めをやってるカイルだ。よろしくな、お嬢ちゃん」

 

 バージルの後ろに隠れているポムニットに向かって言った。

 

「え、えっと、ポムニットです。よろしくお願いします」

 

 自分が半魔と知ってもなお、普通の人と接するように話しかけてくるカイルに、ポムニットは少し驚きながら返事をした。

 

「おう、よろしくなポムニット!」

 

 カイルにしてみれば、いくら目の前の少女が悪魔の血を引いていようと大して驚くべきことではない。彼は島で鬼人や獣人、果ては融機人や天使と苦楽を共にしていたのだ。いまさら半魔が現れてもなんとも思わないのも当然だろう。

 

「それにしても同じ悪魔でもあんたとは違うんだな」

 

(え……?)

 

 突然のカイルの言葉にポムニットは目を見開いた。

 

「俺とこいつは違う」

 

 バージルがにべもなく否定する。そんな彼はポムニットは信じられないという様子で見ていた。

 

(バージルさんが……悪魔?)

 

 彼女はバージルが悪魔であることを知らなかった。まさか自分と同じような存在が、こんなに身近にいるとは信じられない事実だった。

 

「まあ、確かにあんたみたいなのがそこら中にいたら世も末だしな」

 

「あの……本当に悪魔なんですか?」

 

 恐る恐るバージルに尋ねる。

 

「それがどうした?」

 

「でも、見た目が……」

 

 もし彼が本当に悪魔なのなら、なぜ普通の人間のような容姿なのだろうか。

 

「俺はお前の思う悪魔じゃない」

 

 バージルの言葉に続き、さらにカイルが付け足す。

 

「そうは言ってもバージルも姿は変わるぜ。あれと比べれば今のポムニットなんか可愛いもんさ」

 

 二人の言葉にポムニットは初めて彼と会った時のことを思い出した。あの時バージルから感じた底知れぬ力。悪魔の力に目覚めた今ならはっきり断言できる。彼の力は自分の持つ悪魔の力とは全く別の異質な力であると。

 

「ちょっとアニキ、もう荷物の積み込み終わったよー。そんなところで何してんの?」

 

 不機嫌な声でカイルを呼びながら来たのはソノラだった。およそ八年ぶりの再会となるが、昔と比べて彼女は少し背と髪が伸びただけで、その他は何一つ昔と変わりない姿だった。

 

 バージルの姿を認めた彼女はさっきまでの怒りはどこへやら、人懐こい笑顔を浮かべて駆け寄ってきた。

 

「わー、久しぶり! もうこっちに着いたんだ」

 

「今さっきな」

 

 決して長くはないが苦楽を共にし、同じ釜の飯を食った者との久しぶりの再会だ。嬉しくないわけはない。

 

「やっぱりバージルは変わらないね。……あ、その子が悪魔の子? あたしソノラよろしくね!」

 

 ソノラは膝を折ってバージルの横で話についていけず混乱しているポムニットに声をかけた。

 

「おいおい、ポムニットがびっくりしてんだろ」

 

 見ず知らずの人に話しかければ警戒するのは驚くのは当然だ。特に人と接するのに慣れていないように見えるポムニットは余計そうだろう。

 

「あ……、びっくりさせちゃってごめんね」

 

 さすがに非常識だと思ったソノラは素直に謝った。

 

「気にしてない、です。……あの、ポムニットです。よろしくお願いします」

 

 ソノラもカイルと同じように自分と接していることに気付き、ポムニットはカイルやソノラがこれまでの人とは違うと感じていた。だからこそ、それが自ら自己紹介する積極性を与えたのだ。

 

「うんよろしくね、ポムニット!」

 

「よし、それじゃあ仲直りも済んだところで、そろそろ出港しようぜ! ソノラは二人を部屋に案内してくれ」

 

 一つ話が落ち着いたところでカイルが言った。先程のソノラの言葉でも分かるように既に荷物の積み込みは終了しており、出港をできる準備は整っているのだ。

 

「それじゃあ二人とも部屋に案内するからついてきて」

 

 ソノラに案内されて船の中を歩いていく。

 

 現在カイル一家が使っている船はかつて使っていたものと異なっている。島では嵐に巻き込まれ航行することができないほど傷んでいたこともあり、修理したとしても長く使い続けることはできなかったのだろう。

 

 新たな船に変わっても内装に使っている調度品は、かつての船から流用しているのか同じものが多くありこの船が彼らの歴史を受け継ぎ、紛れもなくカイル一家の船であることを証明していた。

 

「ポムニットはこの部屋を使って。バージルはその隣ね」

 

 ソノラに案内された部屋は船の後方にある部屋だった。ポムニットは最も奥の部屋、バージルはその手前の部屋だった。

 

「ああ、わかった」

 

 とりあえず荷物を置こうと部屋のドアに手をかけた時、コートが引っ張られる感触を覚えた。振り返るとポムニットが不安げな眼差しでバージルのことを見つめていた。

 

 これまで彼女はずっと母かバージルと一緒の部屋で寝てきたのだ。いきなり一人の部屋を与えられ不安になったのだろう。

 

「何の――」

 

 それに対してバージルが何か言おうとした時、ソノラの大きな声がそれを遮った。

 

「ごっめーん! そういえばどっちの部屋も全然片付けてなくてさ。こっちの部屋なら綺麗だからここ使ってもらっていい!?」

 

 指定された部屋は、最初に案内された部屋の向かい側にあった部屋だった。

 

 そこはベッドや机が二つずつあり、どうやら二人部屋のようだ。

 

「……別に俺はどちらでも構わないが」

 

「いやー、ごめんね」

 

 部屋に入るバージルに頭をかきながら謝意を伝える。

 

 そし二人部屋に変わってほっとした表情をしているポムニットにはウインクをした。

 

 それを見た少女は自分の本心が気付かれていたことに顔を赤らめ、恥ずかしそうにぺこりと頭を下げてバージルに続いて部屋に入っていった。

 

 

 

 

 

 その日の夜、二人の歓迎会も兼ねた宴が行われた。豪勢な料理がふるまわれ、船員たちは酒を浴びるように飲みながら笑い、そして限界が来た者から眠っていった。

 

 現在、船で起きているのは見張り等の宴に参加していない者を除けば、カイル、バージル、ソノラと酒を飲んでいないポムニットの四人だけだった。

 

 カイルとバージルはいろいろと積もる話もあるのか、酒を飲みながら話をしていた。

 

 ポムニットはソノラに連れられ一足先に部屋に戻っており、その中で彼女の膝に座りながら髪を梳かれていた。

 

「はい、終わり。せっかく綺麗な髪を持ってるんだからちゃんと手入れしないとダメだよ」

 

 バージルと共に旅をするようになってポムニットは、自分の身の回りのことに関しては最低限のことだけでしており、髪の手入れなどはとにかく無頓着だった。

 

 そしてそのことに気付いたソノラは半ば強制的に彼女の髪の手入れをしたのだ。

 

 正直ポムニットは頭を触られるのは好きではなかった。そこには自分が悪魔の血を引いている証があるからだ。

 

 しかし、ソノラは頭の角のことには一言も触れなかった。

 

「……あの、私のこと怖くないんですか?」

 

 だからこそ、尋ねた。

 

「ん、どうして?」

 

「だって、私……悪魔だもん」

 

 リィンバウムにおいて悪魔は恐怖の象徴のような存在である。そんな存在の血を引いている自分も周囲から恐怖

 

「……ポムニットはさ、自分のこと、嫌い?」

 

 ソノラの問いかけにポムニットがこくんと頷く。

 

 彼女は、悪魔の血を引き母の命を奪った自分のことが嫌いなのだ。

 

「そっか……。あたしはどうしてポムニットがそう思ったかわかんない。でもね、だからって自分を大切にしないのはダメ。そんなんじゃ幸せも逃げちゃうよ」

 

 ソノラから出た言葉が、ポムニットに母の最期の言葉を思い出させた。

 

 幸せを見つけて、確かに母はそう言った。しかし――。

 

「私なんか……幸せになっちゃダメだもん」

 

 自分にはその資格はない。大切な人の命を奪った自分が幸せになる権利なんてあるわけがない。

 

「そんなことない、そんなことないよ」

 

 悲しい事を言う半魔の少女をソノラは背中から抱きしめた。

 

 体を包む人の温かさ。ひさしぶりに味わうその心地よい感触に身を委ねると少しずつ眠りに引き込まれていった。

 

 彼女をベッドに寝かしつけたソノラは、カイル達が飲んでいるだろう宴会場まで戻った。

 

「ねえ、あの子、一体何があったの?」

 

 ポムニットの言ったことがどうしても気になり、バージルに尋ねた。

 

「……まあ、話してもいいだろう」

 

 話せばお人好しのソノラのことだ、ポムニットを気に掛けるだろうとの計算もあり、バージルは話すことを決めた。

 

「悪魔の血を引いたポムニットは、その力を制御できず母を死なせた。……端的に言えばこれが原因だろう」

 

「そんな……」

 

 ソノラが絶句する。横で飲んでいたカイルも、その衝撃的な内容に酔いが冷めたのかすっかり真面目な顔をしていた。

 

「最初に会った時は人間の姿だったが、その数日後には今の姿になっていた。……村人に攻撃された時に何かのきっかけがあったのかも知れんが詳しくは知らん」

 

「なあバージル、あんたは一体あの子をどうするつもりなんだ?」

 

 カイルが真剣な様子で言う。

 

「とりあえずアティにでも預けるつもりだ。そのためにこの船に乗っているんだ」

 

 アティは家庭教師をしており、島の学校でも教鞭を執っている。子供を預けるなら最適の人物だろう。そんな彼女に預けるためにバージルはわざわざ手紙を出してまでカイル一家の船に乗り込んだのだ。もちろん島に行くのはそれだけが理由ではないが。

 

「そっか、先生ならきっと大丈夫だよね」

 

 どこか寂しげに呟く。アティに任せるなら自分に幕はない。余計なことはせず全て任せた方がいい結果になるはず、ソノラはそう考えているようだった。

 

 そしてそれを見透かしていたのかカイルが言う。

 

「おいおいソノラ、島に着くまでまだまだかかるんだぞ。それまでポムニットのことは頼むぜ」

 

「ああ、任せる」

 

「……うん、任せて!」

 

 二人からポムニットのことを任されたソノラはいつもの調子に戻り力強く頷いた。

 

 そしてこの日からポムニットを取り巻く環境は少しずつ変わっていくのだった。

 

 

 

 

 

 南国特有の強烈な日差しが降り注ぐ中、船はようやく目的地に辿り着いた。島にはいつの間に簡易的な桟橋が整備されており、船はそこに係留している。

 

 船員たちはカイルの指揮の下荷降ろしを始めている。カイル一家はこれまでに何回もこの島を訪れており、そのたびに島の住人たちが必要とする物資を運んで来ていた。

 

 そのかわり島から食料や地産品を受け取っている。

 

 いわば島とカイル一家でバーター取引を行っているのだ。

 

 特に集落で作られた各四界にちなむ品は、リィンバウムには数少ないため好事家になかなかの価格で売り捌くことができるため、カイル達はそれを元手に頼まれた品物を購入しているのだ。

 

 せっと動く船員たちの横でバージルが久しぶりに島の土を踏んでいた。

 

「ここに来るのも八年ぶりか」

 

 誰に言うでもなく呟く。この島はリィンバウムで最初に訪れた土地であり、彼の運命を変えた土地でもあった。

 

 弟に敗れ魔界にその身を落とす、それが運命であり宿命だった。しかしその運命が変わり、今リィンバウムにいることが幸か不幸かはバージルには分からない。

 

「バージル、悪いけどよ先生を呼んできてくれないか?」

 

 いつも以上に多い荷物を乗組員総出で水揚げをしていたため、カイルは島のまとめ役たるアティを呼ぶ役目を手持無沙汰のバージルに頼んだ。

 

「構わんが、アティはどこにいる?」

 

 このまま待っていても時間の無駄であるためカイルの頼みを承諾することにした。

 

「たぶん学校の近くにいると思うぜ。家も学校のすぐ傍にあるみたいだしな」

 

 バージルはその言葉がしたがってまずは学校に行くことにする。

 

 砂浜を歩き、森の中を島の中心部に向かって進んでいく。辺りからは動物が草むらを動き回る音や鳥の鳴き声が聞こえてきており、まるでかつての島を歩いているような気分になる。

 

 長閑な空気の中しばらく歩くと目的の青空学校に着いた。前よりも生徒の数が多くなったためか簡易的な屋根がついており、机もこれまでの木の切り株を利用したものではなく、しっかりとした机が並べられていた。

 

 しかし既に学校は終わったのか、それに座る生徒はおらず教鞭をとっているアティの姿もなかった。

 

 視線を周りに移すと、学校から少し離れた所に一軒家が建てられていた。これがカイルの言っていたアティの家だろう。

 

 家の中からは一つの魔力を感じる。どうやらアティは家にいるようだ。

 

 それがわかったバージルは入口のドアを開けると、すぐ目の前の部屋にアティはいた。眼鏡をかけて卓上の紙に何かを書いているところをみると授業の準備でもしていたのだろう。

 

「はーい、どちらさま……」

 

 ドアが開けられた音に反応し入口の方に視線を移した瞬間、彼女は驚きのあまり目を見開き、持っていたペンを落とした。

 

「え……ば、バージル、さん?」

 

 予想せぬ来訪者に唖然とする。まさか彼の方から来るなんて夢にも思わなったのだ。

 

「カイル達が呼んでいる。さっさと来い」

 

 バージルは用件だけを伝えると、用事は済んだとばかりに踵を返した。

 

「あ、ち、ちょっと待ってください」

 

 慌てて家を飛び出して彼の後を追いかけ、横に並ぶと遠慮がちに口を開いた。

 

「……どうしてこの島に?」

 

 二人の身長差によってアティが見上げる格好になる。そこから見えるバージルの顔は以前と変わりない無表情であったが、彼女にはどこか悩んでいるように見える。それに何の意味もなくバージルがこの島に来ることがない事は、これまでの付き合いから分かっていた。

 

 きっと彼にとって大事な何かをするため島に来たのだろう。そしてできるならそれを手伝いたい、そう思ったからこそバージルにここに来た理由を聞こうとしたのだ。

 

「お前に預けたい者がいる」

 

 ちらりとアティを見て伝える。

 

「私に預けたい方、ですか……、どんな方なんですか?」

 

 思ってもみなかった言葉に一瞬歩みが止まる。アティは驚ききつつも尋ねた。

 

「悪魔と人間のハーフ、半魔の娘だ。……後は話して見れば分かるだろう」

 

 言い終わるのとほぼ同時に森から抜け出た。そしてカイル達の船が視界に入る。バージルは顎でアティに件の子供、ポムニットがいることを示した。

 

 アティは頷き船に向けて歩みを速めた。

 

 そんな彼女のうしろ姿を見ながら、バージルはアティなら必ずポムニットを引き受けるだろうと確信していた。そして彼の思考はこの島へ戻ってきたもう一つの目的に向けられていった。

 

 

 

 

 

 

 

 




第18話いかがだったでしょうか。

やはり戦闘がないと執筆時にどこか物足りなく感じ、ひっそりと戦闘描写の練習をしている今日この頃です。

ご意見ご感想お待ちしております。

ありがとうございました。





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第19話 向き合う心

 島を再び訪れて少し経ったある日。今日も早朝から心地よい風が吹いていた。その風に当たりながらバージルは縁側に座りながら瞑想をしている。

 

 目を閉じていても全くと言っていい程に隙を見せないその様子は、彼の規格外の強さの一端を表しているようだった。

 

「バージルさーん、朝ご飯できましたよ」

 

 アティの声が聞こえ、バージルは目を開け立ち上がる。彼とポムニットは今、アティの家に居候していた。ポムニットに関してはアティが預かることで合意していたため同居しても不思議ではないが、バージルに関してはいろいろとひと悶着があったようだ。

 

 そもそもアティは、バージルがこの島に来た目的はポムニットを預けるためだと思っていたため、まさかこのまま留まるとは思っていなかったのだ。

 

 バージルも寝泊まりの場所は全く考えていなかったため、とりあえずラトリクスのリペアセンターあたりにでも寝床を確保するつもりだった。

 

 それがソノラの「バージルも一緒にいなくちゃダメ」という一言で流れが変わった。アルディラやミスミもアティの半ば悪乗りする形で賛意を示し、ポムニットもバージルと一緒がいいと言ったが、当のアティは困惑していた。

 

 正直アティは以前別れ際にあんなことをしたバージルと一つ屋根の下で暮らすのは気まずかった。

 

 最終的にはバージルの決断に委ねられることになり、彼はアティの家で生活することを選んだ。

 

 現在のバージルの目的は稀に己の内から湧き上がる感情の正体を突き止めることだ。アティはリィンバウムで最も深く関わった存在であり、彼女に対しては何度か自分らしからぬ行動をとったことがあり、それがあの感情の遠因になった可能性は否定できない。

 

 ポムニットはそもそもは、それを解き明かす手掛かりになると考え連れていたのだ。アティに預けたた以上これまでのように四六時中連れるわけにはいかないことは理解している。だがソノラの言葉に従うなら、ポムニットをアティに預けたままこれまでの距離を保てるため、バージルにとって魅力的な提案であり断る理由などなかったのだ。

 

 それから三人の共同生活が始まった。

 

 朝食を食べ始めたバージルに正面に座るアティが恐る恐るといったようすで尋ねた。

 

「あの、おいしいですか?」

 

 ふと隣に目をやるとポムニットもじっとこちらを見ている。恐らくは彼女も手伝ったのだろう。

 

「ああ、悪くない」

 

 正直な感想を言う。形こそ決して良くはないが、味に関してはそこらの宿で出される食事よりずっと良かった。

 

 その一言でほっとしたのかアティとポムニットも食べ始めた。

 

 しばらくして朝食を食べ終えると、初めて学校に行く緊張でそわそわしているポムニットと一緒に準備を始めた。そんな二人を尻目にバージルは閻魔刀を手に玄関に歩いていく。

 

「私とポムニットちゃんは学校に行きますけど、バージルさんはどこに行くんですか?」

 

「今日は島の中を見て回るつもりだ」

 

 バージルは手掛かりを得るために、以前の自分の行動を見つめ直すつもり腹積もりだった。

 

「……ちゃんと夕食までには帰って来てくださいね」

 

 もの言いたげな目でバージルを見ながらアティが言う。なにしろバージルは以前、誰にも何も告げずに遺跡に行き、その日の内に帰ってこなかったことがある。その時は翌日に大量の悪魔が現れたことで文句も一つも言えなかったので、今回はしっかり釘をさしておこうと思ったのだ。

 

「そのつもりだ」

 

 答えて家を出て行く。時間は十二分にあるのだ。バージルとしてもわざわざ夜間に島を歩きまわるつもりはなかった。

 

 

 

 

 

 アティの家を出たバージルは島の東部に向かい歩いていく。その道中ではこれまでのことを考えていた。

 

 ダンテとの戦いに敗れ魔界に堕ちるはずだった己が、何の因果かこのリィンバウムという世界に来たのはなぜだろうか。

 

 この島にいた時は皆目見当もつかなかったが、今なら推測程度なら立てることができる。おそらく自分をこの世界に呼び寄せたのは界の意志(エルゴ)だろうとバージルは予想していた。

 

  界の意志(エルゴ)はこれまでの調べで、スパーダと何らかの関係があるのは間違いない。さらに数年前、聖王国辺境で霊界サプレスの悪魔を使ってコンタクトをとってきたことを考えると、界の意志(エルゴ)はスパーダの血を引くバージルに何か伝えたいことがあるのだろう。

 

 おそらくは悪魔に絡んだ件だとは想像がつくが、結局はなんら確証のない憶測に過ぎないため、深く考えてもしょうがないだろう。

 

 この世界に来たバージルはアティやカイル達と出会った。そしてこの世界の特有の技術である召喚術によって、この世界に呼び出された者達だけが住むこの島でしばらく過ごすことになったのだ。

 

 それは子供の頃にダンテと決別して以来、ずっと流浪の旅を続けていたバージルにとって久しぶりに味わう普通の生活だった。共に生活するアティ達もカイル一家も相当のお人好しばかりで、スパーダの痕跡を追って旅していた頃とは天と地ほどの差があった。

 

「あまりにも穏やか過ぎるな」

 

 自嘲気味に呟く。一応この島でも帝国軍や無色の派閥とのいざこざ、遺跡に関する一件などそれなりに剣を振るう機会はあったが、どれもこれもバージルにとっては容易いものばかりだったのだ。

 

 島での生活は、悪魔として生きる己にとって温過ぎると思う一方、こういうのも決して悪くはないと思う自分もいるのだ。

 

 それはたぶん、昔の家族四人で暮らしていた子供の頃のことを思い出すからなのだろう。

 

 そんなことを考えながらしばらく歩くと目的の場所に着いた。この場所は以前バージルが無色の派閥を相手に大暴れした場所であった。

 

 彼はここで、アティの前に立ち彼女を召喚獣の攻撃から守った。もちろんそれがバージルにとってらしくない行動であることは当時からわかっていた。

 

 その時はアリーゼを守るアティの姿が母に重なり、母を守る力があることを証明したくてアティを守った。それは紛れもないバージルの本心だった。

 

 バージルは海を見つめる。

 

 今の彼はその本心に隠れた己の心の奥底に潜むものを見つけ出さなければならないのだ。それはまさに海に捨てられた一粒の真珠を見つけ出すことのように難しいことなのかもしれない。

 

「…………」

 

 腕を組んで目を閉じた。それからバージルはそれから日が暮れるまでそこを動かなかった。

 

 

 

 

 

 アティの家に戻り夕食を済ませたバージルは、月の光が降り注ぐ縁側で瞑想していた。

 

「ポムニットちゃん、もう寝ちゃいました。よっぽど疲れてたんですね」

 

 そこへ片づけを終わらせたアティがやってきた。

 

 彼女はバージルの隣に腰を降ろし、今日学校で会ったことを話して聞かせた。やはりポムニットは随分緊張していたようで、口数も少なかったようだが、スバルやパナシェ、マルルゥが積極的に話しかけ、学校が終わる頃には少しずつ話をするようになっていたという。

 

 やはり悪魔の血を引いていようとまだ子供である以上、順応も早いのだろう。

 

 ちなみに青空学校は様々な種族の生徒がおり、それぞれの事情があるため明確な卒業までの期間は決まっていないのが現実だった。

 

「アティ」

 

 唐突にバージルが彼女の名を呼ぶ。

 

「なんですか?」

 

 アティがバージルを見る。その視線はまっすぐ夜の闇を見据えたまま動かない。まるでその先の暗闇の中にある何かを見つけ出そうとしているようだった。

 

「あの時の俺はお前からどう見えた?」

 

「あ、あの時……?」

 

「無色の派閥と戦った時だ」

 

 結局バージルは自分で考えるだけでは、己の本心を見つけ出すことができなかった。だからこそ別な視点から見る必要があると考えた。

 

 その視点として選んだのが、あの時もっとも近くにアティなのだ。

 

「えっと……その、すごく頼もしくて――」

 

「俺は――」

 

 大きくはないが意思のある声がアティの言葉を遮る。バージルが彼女に求めているものは、そういう類の答えではないのだ。

 

 彼は視線をまっすぐアティに向け言った。

 

「俺は、お前が母に見えた。だから守った」

 

「あの、どういうことですか……?」

 

 バージルは己の生い立ちを彼女に話すことにした。

 

 自分が悪魔の父と人間の母の間に生まれ、両親と双子の弟とともに生きてきたこと。しかしある日、父が自分と弟に剣を託して姿を消したこと。

 

 そして、母は自分達を庇い悪魔に殺されたことを、まるで淡々とアティに話した。

 

 もちろんバージルがこれを誰かに話すことは初めてだった。

 

「…………」

 

 アティはバージルが話している時から、じっと彼の顔を見つめて聞き入っていた。

 

「あの時の俺はお前を守ることで、もう無力な子供ではないことを証明したかったんだろうな」

 

 先程の説明の時からそうだったが、バージルはあくまで客観的に物事を話していた。

 

「……バージルさんはお母さんのことを守りたかったんですね」

 

 何気ないアティの言葉はバージルの心に響いた。

 

(そうか……)

 

 胸中で納得する。彼は己の本心を見つけたのだ。

 

 まさかアティの言葉一つでこうも簡単にわかるとは思わなかった。母と重なったアティを守ることで己が無力ではないことを証明する。それは見方を変えれば、あの時に力があれば母を守っていたとも考えられる。

 

 そしてそれが分かるとあの感情のことで気付いたことがあった。

 

 スカーレルの時もポムニットの時も母が関連していた。

 

 その方向で考えれば何かわかるかもしれない。

 

 しかし、なぜこんな簡単なことに気付かなかったのか。

 

 おそらくそれはバージルが過去のことを客観視し過ぎて、現在の自分自身に関連付けることができなかったためだろう。家族と共に暮らしていた頃と、悪魔として生きてきた頃の自分を同一の存在だと思えなかったのだ。

 

「あの、大丈夫ですか?」

 

 急に黙り込んだバージルを心配してアティが顔を覗き込んできた。

 

 バージルは心に整理をつけた。

 

「ああ、問題ない。……さっきの話は忘れろ、もう解決した」

 

「はあ、それならいいんですけど。……あっ、そういえばヤードさんからお茶を貰ったんです。一緒にどうですか?」

 

 解決の糸口を掴んで少しばかり機嫌が良くなっていたバージルは、その言葉を聞いてフッと軽く笑った。

 

「そうだな、たまに付き合ってやろう」

 

 

 

 

 

 アティの家を作ったのは風来の郷の住民であるためシルターン風の家になっており、床材には畳が使われていた。ただ全ての部屋がそうなっているのではなく、台所やダイニングは床張りになっており畳に座って食べることに慣れていないアティに配慮した形になっているのだ。

 

 テーブルが置かれたダイニングで三人は夕食を食べていた。既に共に暮らし始めて十日が経っている。ポムニットもこの生活にだいぶ慣れてきたようで、アティの話ではよく笑うようになったという。

 

 これまでのポムニットは自分を生かしてくれた母の想いを無駄にしないために生きてきた。自責の念に囚われて傷ついた心を癒せず生きてきたのだ。それが同年代の子供との交流をきっかけに、彼女の心の傷は少しずつ癒えているのかもしれない。

 

「あの……」

 

 夕食を食べ終えたときポムニットがおずおずと問い掛けた。

 

「バージルさんの両親ってどんな人なんですか?」

 

「なぜそんなことを聞く?」

 

「今日の学校で『自分の家族のことを書きましょう』って課題が出て……」

 

 バージルがアティを見る。なぜ面倒なことになりそうな課題を出すのかと言わんばかりの冷たい視線を浴びせた。

 

「わ、私じゃありません! それはヤードさんが……」

 

「……そうか」

 

 大方、家族で話す機会を作らせるつもりなのだろう。なるほど、確かに家族を失ったヤードなら出しそうな課題だ。

 

「ヤード先生はバージルさんのことを書いてみたらどうって言ってくれたんだけど、私、バージルさんのこと、何も分からなくて……」

 

「…………」

 

 それでもなお無言を貫くバージルにアティが頭を下げた。

 

「私からもお願いします。教えてあげて下さい」

 

 二人頼まれたバージルは何か思うところがあったのか、ゆっくりと口を開いた。

 

「俺の父は悪魔だ。強大な力を持った最強の悪魔。そして――」

 

 一度目を閉じて息を吸う。そしてゆっくり瞼を開けると言葉を続けた。

 

「――母は、人間だった」

 

 思ってもみなかったバージルの言葉にアティとポムニットが一様に驚愕の声を上げる。

 

「え?」

 

「それじゃあ私と同じ、なんですか?」

 

「悪魔と人間の間から生まれたという点についてはな」

 

 だが、それ以外については別だとバージルは思っていた。彼はポムニットのように悪魔の血も力も忌避していない。むしろ逆に人間の血が流れていることを疎ましく思ってさえいるのだ。

 

「だって、最初に会った時は悪魔だって……」

 

「俺は悪魔として生きることを選んだ。それだけのことだ」

 

 バージルは人間であることを捨て、あの日から悪魔として生きている。そう答えたのは当然だった。

 

「話すべきことは話した。もういいだろう」

 

 バージルは席を立ってダイニングを後にする。

 

 そしていつものように縁側に座り瞑想を始めた。

 

 そのまま時間が過ぎて行く。さきほどから台所の方では食器を洗う音が聞こえてきた。

 

「何の用だ?」

 

 後ろから近付いてくるポムニットに声をかけた。

 

「一つだけ、教えて下さい。……お父さんやお母さんのことは、好き、なんですか?」

 

「……憎んでいれば父や母とは呼ばん」

 

 それを聞いてポムニットは少し羨ましそうな表情を浮かべた。

 

「じゃあ、どうして悪魔として生きることを選んだんですか?」

 

 そこへ洗い物が終わったのかアティがやってきて言った。

 

 もともと防音性はほとんどない家だ。さきほどの声もアティに聞こえていたのだろう。

 

「力を求めた。父のような絶対的な力を」

 

 アティは以前バージルから聞いた言葉を思い出した。それには力への渇望が込められていたのだ。しかし、それだけではなかったことも鮮明に記憶している。

 

「どうして、そんなに力を求めたんですか?」

 

 疑問形ではあるが、アティには確信に近い予想があった。

 

「俺が弱かったから、……そして、悪魔を殺すためだ」

 

 母を死に追いやった魔帝ムンドゥス。その悪魔を殺すために、彼は悪魔となることを選んだのだ。

 

 傍から見れば本末転倒だと思われるかもしれないが、バージルにとっては決しておかしなことではない。彼はずっと悪魔でありながら悪魔と戦ってきた父を見てきたのだ。

 

 バージルにとって悪魔の力を求め、その力で悪魔を屠るのは自然なことなのである。

 

「それもあるかもしれません。でもきっと他に本当の理由があるはずなんです」

 

「なぜ、そう思う?」

 

 以前のバージルなら間違いなくアティの言葉を否定していただろう。それをしなかったのは先日アティと話すことで気付いたことがあったため、彼女の話を聞いてみる気になったのだ。

 

「前に無限界廊で私が戦う理由を聞いたときに言った言葉、覚えてますか?」

 

「ああ」

 

 I need more power.

 

 あの時自分はそう言った。しかしその言葉に一体なにがあるというのだろうか。

 

「そのときの言葉には悲しみが込められている、そう感じました」

 

「悲しみ、か」

 

 言葉を口に出す。もちろんバージルは言葉にそんなものを込めたつもりはなかった。

 

「だから私はバージルさんが力を求める理由は悲しみだと思ったんです」

 

「言いたいことはわかった」

 

 彼女の言葉は何の裏付けもないただの想像に過ぎない。しかし無意識に込められていたものをアティが感じ取った、その可能性をバージルは否定できないでいた。

 

「……少し、考えてみよう」

 

 一度目を閉じて答えた。闇雲に否定するだけではなにも変わらない。今はどんな些細なことでも検討してみるべきだと思ったのだ。

 

「あの、お話、終わりました?」

 

 話の流れについていけず、ずっと黙っていたポムニットが口を開いた。

 

「あっ、ポムニットちゃんごめんね、私ばっかり話してて」

 

 アティが謝り、ポムニットに続きを促した。

 

「あの、バージルさんは悪魔として生きることを選んだって言ってましたけど、人間の血を引くことをどう思ってるんですか」

 

 ポムニットは普通の人間でありたかった。その身に悪魔の血が流れていることを嫌い、憎んでさえいた。

 

 しかしバージルは彼女とは全くの逆だった。悪魔として生きることを選んだ彼はその身に流れている人間の血のことをどう思っているのだろうか、それが気になったのだ。

 

「憎んでいたこともあった。だが今は気にしていない」

 

 かつては憎悪を起こすだけだったこの身に流れる人間の血は、いつしか気にならなくなっていた。それはもしかしたら弟との戦いの後、母の形見であるアミュレットを選んだ時からかもしれない。

 

「……そうですか」

 

 できるならそうなった経緯を知りたいと思う。しかし過去のことを話すことは苦痛をもたらす場合もある。ポムニットそれは身を持って知っていた。

 

 辛そうに押し黙ったポムニットを見てアティは彼女を抱きしめて頭を撫でた。

 

「ポムニットちゃん、今日は一緒に寝ましょうか」

 

 こくりとうなずく少女を見てアティは微笑んだ。

 

「それじゃあ、お布団の準備してきますね」

 

 寝具の準備の行くアティを見送って、ポムニットはバージルの横に腰掛けた。

 

「……お前が何を考えているか知らんが」

 

 急に声をかけられたポムニット驚いてバージルを見た。

 

「俺とお前は違う。それだけは覚えておけ」

 

 言葉自体は依然にカイル一家の船に乗り込む際に言われたものと大して変わりない。しかしその時は突き放すようなニュアンスが含まれていたのだが、今回はどこか叱るような感じがした。

 

 それがポムニットには嬉しかった。彼女は母に何度も叱られたことがあるため、叱るということは、相手のためにすることだと理解していたのだ。

 

 ポムニットにとって彼の言葉は、自分という存在をバージルに認めてくれたように感じ、心にぽっかりと空いた穴があたたかいもので埋まるような充足感を感じていた。

 

 彼女はいまだに生い立ちや悪魔の力で悩むことが多いけれど、今はそれだけで十分だった。

 

 雲一つない夜空には大きな月が浮かんでおり、豊富なマナを含んだ月の光が地上へ降り注いでいる。その光はマナで体を構成する悪魔の血を引くポムニットに安らぎを与えるものだが、今の彼女はそれ以上にバージルの言葉で安らぎ、満たされていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




第19話いかがだったでしょうか。

最近は色々とやりたいゲームが多すぎるので、しばらくは月一の投稿がつづくかと思います。ご理解ください。

ご意見ご感想、質問等お待ちしております。

ありがとうございました。


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第20話 バージル

 バージルの卓越した戦闘技術は生まれつきのものではない。父から学んだものだった。

 

 かの魔界最強の魔剣士スパーダから直接教えを受ける。それはある意味光栄なことなのかもしれないが、その内容は筆舌に尽くしがたいほど苛烈なものだった。

 

 彼は父の力に憧れ、目指していたため黙々とこなしていたが、弟はそうではなかった。冷徹な悪魔の顔を見せながら自分達を鍛えるスパーダに少なからず恐怖を抱いていたのかもしれない。

 

 その苛烈な教えが今のバージルの戦闘センスや体の動きといった基本的な部分を鍛え上げた。しかし父は閻魔刀の使い方は教えてくれなかった。今バージルが閻魔刀を用いて使う技は、全て自分で磨き上げたものだ。

 

 使い方を教えてくれなかった父に対して疑問がないといえば嘘になる。しかし己の技が磨き上げられるたび、閻魔刀の剣筋が鋭くなるたび、自分の力が増していることを実感してきたバージルにとって、既に気にするようなことではないのだ。

 

 あるいはそれが父の狙いだったのかもしれないが、もはや真実を知る術はない。今はただ、より強い力を求めるだけだった。

 

「雨、なかなか止みませんね」

 

 外は強風を伴った大粒の雨が昨夜から降り続いていた。そのため学校は休校となり、アティもポムニットも家の中にいた。

 

 さすがにバージルもこの天気の中、外に出る気は起きず、瞑想をして過ごしていた。

 

「せっかくですし、昨日貰ったお茶を淹れますね」

 

 一通り家の掃除を終えたアティが言う。

 

「あ、お手伝いします」

 

 ポムニットはしていた宿題を閉じて手伝いを申し出た。

 

「……もらおう」

 

 バージルはピクリとも動かずに答える。それを聞いて二人はお茶を淹れに台所へ行った。このお茶は昨日アティがヤードから貰ったものらしい。最近の彼は教師をしている傍ら、趣味が高じて茶葉を作ったようで、そのお裾分けとのことだ。

 

 しばらくしてアティが湯呑を手に戻ってきた。

 

「お待たせしました、どうぞ」

 

 目の前のテーブルに置かれたお茶をバージルは手に取ると、独特の香りが鼻孔を刺激する。そして口に含むと茶特有の苦みと渋みが広がる。しかしそれだけでなくその中に甘みとうまみも感じられた。

 

「ほう……」

 

 思わず感嘆の言葉が漏れた。お茶には詳しくはないバージルだが、それでもうまいと思った。

 

「おいしいですか?」

 

「ああ、悪くない」

 

 さらに湯呑を傾けるバージルを見ながらアティは微笑んだ。

 

「そういえばバージルさんって、よくさっきみたいに瞑想してますよね、あれってどういう効果があるんですか?」

 

 ふとした疑問を尋ねたアティにバージルはお茶を飲みながら答えた。

 

「体内の魔力を操り、そして練り上げることでより強い力に耐えられるようになっていく」

 

「あの、それって……私もできますか?」

 

 話を聞いていたポムニットが口を開いた。

 

「どうしたの?」

 

「……できるなら私の力をコントロールできるようにして、みんなと外で遊びたいんです」

 

 彼女の言葉でアティは思い出した。たびたび一緒に外で遊ぼうと誘われていたポムニットが、それを断っていたことを。彼女の悪魔としての能力は生命力を吸い取る力だ。しかし本人も使いたくはないので全くコントロールできておらず、本能からか自分の身に傷を負った時に勝手に発動してしまうのだ。

 

「あれではできんが、力のコントロールくらいは教えることができる。……ただし、それに耐えられるかは知らんがな」

 

「……お願いします、それを教えて下さい」

 

 己の力をコントロールすることは決して簡単なものではないだろう。それでもポムニットはバージルに教えを請うことを選んだ。

 

 いくら悪魔の力を嫌っていようと一生自分について回るのだ。誰かの命を奪ってしまうことに怯えながら生きるより、それをコントロールして自由に生きたい。

 

 ポムニットと共に学んでいる学校のみんなは、それぞれの種族特有の力を自然に使いこなしている。自分と同じくらいの年齢の子にもできたのだから決して不可能ではない。そう考えたのだ。

 

「私からもお願いします」

 

 四界の住人の力について、アティが知っているのは表面上の知識だけだ。それだけでポムニットの助けになることは難しい。

 

 一応、狭間の領域には悪魔はいるが、意思疎通できるような存在ではない。

 

 おまけに人とのハーフとなるとアティでもほとんど知識がないのだ。

 

 正確には少し違うとはいえ、同じ人と悪魔のハーフであり、自在に悪魔の力を操るバージルに頼らざるを得ないのだ。

 

「……いいだろう」

 

 果たして彼がポムニットに教える気になったのはただの気まぐれか。あるいは彼女に思うところがあったのか。それとも例の感情について知るために自分らしくないことをしてみる気になったのか。それはバージルにしかわからなかった。

 

 

 

 

 

 数日後、昨日まで降り続いた雨はすっかり上がり、嘘のような青空が広がっていた。そんな中バージルとポムニットは島の南岸の砂浜に来ていた。

 

 力のコントロールについて教えるという約束を果たすためである。

 

「力の出し方は分かっているか?」

 

 少し離れて向かい合ったポムニットに尋ねた。現在の彼女がどこまで悪魔の力を扱えるか確認するためである。

 

「……分かりません」

 

 予想通りの答え。随分と悪魔の力を忌避していたのだ、しょうがないことだろう。

 

「以前俺の前で使った時は、随分傷を負っていたな」

 

「…………」

 

 顔を後悔で歪めながら無言で首を縦に振った。バージルの前で悪魔の力を使った時、ポムニットは傷だらけであった。悪魔の力はそれを癒すために、母の命を奪った。その時のことを思い出したのだ。

 

「ならば、まずはお前の力を引き出すとしよう」

 

 言葉と共に一瞬でポムニットに接近し、彼女を軽く小突いた。

 

 もっともそれはバージルの感覚からのことだ。ポムニットからすれば凶暴な召喚獣の一撃を受けたに等しい。もちろんバージルにポムニットを殺す意思などない。今の一撃は彼女の力を引き出すためにしたことだ。

 

 そのため当然ながら彼はかなり手加減をしていた。正直もっと力を込めていても死にはしなかっただろう。

 

 この程度バージルが父から受けた教えに比べれば優しすぎるくらいだ。スパーダの教えはこの比ではなかった。いくらバージルが当時から、並みの悪魔とは比較にならないほど強靭で頑強な肉体を持っていても、いつ死んでもおかしくないほど厳しいものだったのだ。

 

「思ったより簡単に発動するようだな……」

 

 角から光を放つポムニットを見る。どうやら傷を負ったことで無意識の内に、生命を吸収する能力を使っているようだ。自分から生命力を吸収しているのを感じる。

 

 普通の人間ならそれで命を落とすかもしれないが、バージルには無用の心配だった。いわば大海からスポイトで水を吸い取るようなものなのだ。

 

「今の感覚を忘れるな、それがお前の力だ。……さあ、その力で向かって来い」

 

 ポムニットがゆっくりと立ち上がる。たとえ傷が癒えても精神的なダメージが彼女を蝕んでいた。

 

 バージルがポムニットに近付いていく。距離が縮まるにつれ、彼女の顔に刻まれた恐怖の色が強くなっていく。

 

 そして遂には耐えられなくなったのか、後ずさりながら首を横に振った。

 

「や、やだ……やだぁ」

 

 ポムニットが首を横に振ったのは、悪魔の力を使い、生命を吸収する感覚があまりにおぞましかったというのもあるが、それ以外にもバージルが怖いという理由もあった。

 

 普段の彼も冷徹で表情一つ変えないが、今は最初に村で会ったとき以上に怖かった。正直彼女はそんなバージルと相対するのが怖くなったのだ。

 

「貴様が怖いのは俺か? それとも自分の力か?」

 

「両方、です……」

 

 弱々しくも正直に呟いた。

 

「話にならんな、自分の力がどういうものか理解しなければコントロールなどできるわけがないだろう」

 

 バージルとてその身に宿る悪魔の力を最初から使いこなせていたわけではない。父の地獄のような教えによって力を自在にコントロールできるようになったのだ。その教え方にしても最初は、自分達の力がどういうものか身を持って理解させるところから始まったのだ。

 

 単純に知識や技術を伝えるだけなら話は別だが、力をコントロールさせる方法を教えるとなれば、バージルはこのやり方しか知らないのだ。

 

「…………」

 

 口を噤む少女に冷たく言い放った。

 

「……仕方ない。先程と同じように悪魔の力を引き出すしかないな」

 

「ひっ……」

 

 ポムニットが恐怖を見せる。彼女はバージルが冗談を言うタイプではないことを知っている。だから彼が本気だということが理解できた。

 

 バージルが歩を一歩進めるたび、心なしか彼の纏う殺気が強くなっていくような気がした。

 

「あ、う……」

 

 そしてついに目の前に来た時、ポムニットはへたり込んでしまった。それをバージルは何の感情もない瞳で見下してた。

 

 先程のように軽く吹き飛ばさそうと手を伸ばした時、その腕をポムニットが掴んだ。

 

「うああああああ!」

 

 限界を超えた恐怖が生存本能を刺激したのか、角から光を発しながらポムニットは叫び声を上げて、バージルにがむしゃらに突っ込んできた。まだ子供とはいえ悪魔の血を継ぐポムニットの力は既に人間を超えていた。地面を殴れば亀裂を入れ、金属すらも砕く程だ。

 

「……それでいい」

 

 バージルは彼女を片腕で受け止める。それも薄く笑いながら軽々と。

 

 ポムニットは自分自身の力を使っている。たとえそれが半ば意識を失って本能だけで動いていようと、次に意識を取り戻した時には、己の力がどんなものか理解できていることだろう。バージルがそうだったように。

 

 バージルの教導はようやく始まりを迎えたのだった。

 

 

 

 

 

「あ……う……」

 

 ポムニットは重く感じる瞼をゆっくり開く。疲労からか瞼は随分と重く感じられた。

 

 目を開けた先には最初に来たときとは違い、同じ赤い空が広がっていた。太陽の位置も。ここに来た時は太陽東の空にあったのに、今は西の空から水平線に隠れようとしていた。

 

「目が覚めたか」

 

 倒れ伏したまま声のした方へ、太陽とは逆の方向へ目を向ける。そこには背を向けたバージルが赤く染まる海を眺めていた。

 

 彼の周りには小さなクレーターがいくつもある。バージルとポムニットの戦いでできたものだ。

 

 泥のように重い体を起こす。さすがに立ち上がる気力はなかった彼女はじっとバージルを見つめながら、さきほどまでのことを思い出していた。

 

(本当に、私が……)

 

 はっきりいって自分がさっきまでしてたことが現実とは思えない。あのバージルと戦うなど普段の自分ならぜったいにありえないことだ。

 

 しかし体を襲う疲労感が、現実であることを彼女に思い知らせた。

 

「少しは自分の力を理解できたか?」

 

「……はい」

 

 ほとんど無意識の中で体を動かしてはいたが、ポムニットは自分が力をどう使って、バージルと戦っていたか詳細に覚えていた。

 

 大地を砕く怪力でバージルに戦いを挑み、受けた傷は生命を奪う能力で癒す。そんな自分の中の力を彼女は身を持って理解させられたのだ。

 

 それこそが、普通の人間では持ち得ない力。

 

 それこそが、大切な母の命を奪った元凶。

 

 頭では理解していたものの、悪魔の力が己の中に存在することを具体的に体感したことで、ポムニットはようやくそれが自分の一部であることを認めた。認めるしかなかった。

 

「私、ようやく自分と向き合えました。ずっと嫌いだったこの力も、悪魔の血も、私の一部なんですね……」

 

 自分がどのような存在か、それを知るには自分と向き合うしかない。しかしそれは一見簡単なようで難しい。特に否定したい部分であれば尚更だ。

 

 ポムニットは否定したい部分と半ば強制的に向き合わされることになったのだ。間違いなく辛く厳しいものだろう。

 

「自分と向き合う、か……」

 

 彼女の言葉をバージルは反芻した。そこに何を思うのか、背中からは計り知れなかった。

 

「……どうしたんですか?」

 

「何でもない。……じきに日が暮れる、帰るぞ」

 

 ポムニットの疑問には答えず、海に背を向けて歩き出した。

 

 しかし一向にポムニットは立ち上がる気配を見せない。

 

「何をしている。さっさと行くぞ」

 

「あ、ちょっと立てなくて……、先に行ってください。少し休んでから戻りますから」

 

 いくら悪魔の血を引いているとはいえ、ポムニットはこれまでまともに戦ったことすらなかったのだ。そんな彼女が何時間も休みなしで戦い続けたのだ。体が言うことを聞かなくなっても不思議ではない。

 

「……しかたないか」

 

 溜息を吐きながら呟いたバージルがポムニットを脇に抱えた。

 

 突然のことに驚きつつもポムニットは礼を言う。

 

「あの、ありがとうございます」

 

 自分の体を抱えている彼の手に触れる。同じように人とは異なる存在の血を引いているのに、自分とは違う、まるで普通の人間のような手。

 

 思えば容姿も普通の人間のようだ。カイルの話では悪魔としての姿にも変わるという話だったが、もしそうなったら一体彼は、どれほどの力を持っているのだろうか。

 

 しかしきっと彼のことだ、どれほどの力を持っていようと苦も無くコントロールしてしまうのだろう。

 

 これまでポムニットはバージルのことを恩人として見ていた。どん底まで落ちるだけだった自分を救い、多くのものを与えてくれた大切な人。彼と出会わなければ学校に通えることも、友達ができることもなかっただろう。それどころかまともな生活なできたかどうかすら怪しい。

 

 それが今では彼は恩人というだけではなく、憧れも抱いていた。人のものではない力を容易く操るその姿にポムニットは憧れたのだ。大きな力はなくてもいい。でも、いつかは彼のように自分の力をコントロールできるようになりたいと思ったのだ。

 

 目指すべき自分の姿を見つけた者が成長するのは早い。きっとポムニットが悪魔の力を操れるようになるのも時間の問題だろう。

 

 

 

 

 

 アティの家に戻り夕食を済ませたバージルは、砂浜で海面に浮かぶ月を眺めながら考え事をしていた。

 

「自分と向き合う……」

 

 再びポムニットの言葉を繰り返す。

 

 彼女が言いたかったことはわかる。彼女は自分の力がどういうものか、理解することをそう表現したのだろう。

 

 この言葉を聞いた時、バージルは唐突に思ったことがある。

 

(俺は自分と向き合ったことがあるのだろうか)

 

 悪魔としての自分となら飽きるほどある、そう断言できる。

 

 だが、人間としての自分ならどうか。

 

「……今からでも遅くはない、か」

 

 独白し彼は向き合うことにした、人間としての自分に。

 

 

 

 バージルがかつて家族と共に住んでいた家は、最寄りの町からも随分離れた所にあった。そのため友人はおろか知り合いもいなかった。

 

 しかし何も思い出がないわけではない。

 

 父に褒められたこともあった。母が手作りした服を貰ったこともあった。弟と一緒に遊んだこともあった。

 

 もちろん楽しいことだけではない。父の厳しい教えを受けたこともあった。母に怒られたこともあった。弟と大喧嘩したこともあった。

 

 父と母と弟。それが幼いバージルの世界の全てだったのだ。

 

 それでも不満は一切なかった。それでバージルは幸せだったのだ。

 

「……そうか」

 

 ようやくわかった。あの感情が何であるか。全てが繋がった。

 

 バージルは父を、母を、弟を愛していた。

 

 だから母を失った時は悲しかった。スカーレルと話をした時もポムニットの母の姿を見た時も、無意識に自分の母と重ねてしまったため、悲しみが呼び起こされたのだ。

 

 彼はこれまで伝説の魔剣士スパーダと気高き母エヴァの血を引いていることを理解し、納得もしていた。だが同時に自らを人間と自称することはなかった。力のない人間の血を引いていると認めることができなかったのだ。だからあの感情が人間らしい悲しみであることがわからなかった。

 

 そして彼はようやく認める。自分が人の血を引いていることを、人間らしい感情を持っていることをバージルは魂から認めたのだ。

 

(……だが)

 

 しかし、そこまでだ。

 

 確かに己は悪魔と人間の血を引いた半人半魔として生きてきた。だが、それは母が悪魔に殺されるまでだ。あの時バージルは人間の部分を切り捨て封印したのだ。そして残ったのは悪魔の部分だけ。

 

 その証拠に母が殺された時、バージルは泣かなかった。一滴の涙も流さなかった。弟はわんわんと泣いていたというのに。

 

 代わりにバージルの中に芽生えたのは、悲しみを塗りつぶすほどの巨大な、力なき己への憎悪と、際限なき力への欲求だった。

 

(今にして思えば、この時からなのだろうな……)

 

 同じ血を分け、同じように育ってきた弟と決定的な違いが生まれたのは。

 

 それからバージルは悪魔として生きてきた。何者も及ばない父スパーダの力を手に入れるために、父の足跡を追って、テメンニグルを起動し、弟と戦い、敗れ、偶然か必然かこの世界に辿り着いた。

 

 悪魔として生きてから、彼は一度たりとも涙を流していない。そしてこれからも流すことはないだろう。もはやバージルが人として生きていくことはありえないのだ。

 

 あの時バージルは悪魔として生きることを選んだ。それは自分が人間の血を引いていることを認めた今でも、後悔していないし、その選択が間違いだとは思わない。

 

 しかしだからといって、今のような自分を見つめ直すこと自体が無駄だとは思わなかった。

 

 これまでのバージルは潜在的に母を失う前の自分と、悪魔として生きてきた自分を明確に区別してきたのだろう。過去のことを必要以上に客観視していたのもこのためだ。

 

 いわばこれまでの彼は、母を失ってから生みだされた存在にすぎないのかもしれない。

 

 だが今回、自分と向き合ったことで、今の自分は父スパーダと母エヴァ、そして弟ダンテと共に幸せに暮らしていた自分がいるからこそ、成り立っていることを理解した。

 

 それは欠けていたパズルの最後のピースが見つかったに等しい。全てを自分の一部として認め、受け入れたのだ。

 

 もはやバージルは自らの内面に不快になることはないだろう。

 

 人一倍頑固で強情な彼はようやく「己」を見出せたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 




思ったより筆が進んだので早く投稿できました。

この小説にとり重要なテーマであるバージルの変化を描いてみた第20話いかがだったでしょうか。

ご意見ご感想お待ちしております。

なお、次回はおそらく今回ほど早く投稿はできないと思います。ご理解ください。


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第21話 凶兆

 東の空が白んできた頃、バージルは目を覚ました。アティもポムニットもまだ寝入っている時間だが、彼はそのまま起き上がり家を出た。

 いくらこの島が南国に近い気候とはいえ、さすがに日の出すら迎えていない今の時間では、少し肌寒く感じる。

 ゆっくり歩きながら海岸に着くと、ちょうど水平線から太陽が姿を見せたところだった。こればかりはリィンバウムであろうとかつての世界であろうと変わりのない光景だった。

 水平線から顔を出した太陽を一瞥したバージルは、杖のように閻魔刀を砂浜に突き立て目を閉じた。

 これまでは家の縁側で行っていることだが、最近は砂浜のような家から少し歩いたところで行うことが多くなっていた。瞑想のついでに軽く素振りを行うことも考えてのことなのだ。

 再びこの島で生活するようなってからバージルは、閻魔刀を抜いたことはおろか戦闘一つ行ったことはない。以前ならともかく、現在の島は平和そのものなのだ。

 唯一の不安要素である喚起の門もしばらく稼働したことはない。そのため最近はろくに体を動かすことが少なくなっているのだ。精々、たまに行っているポムニットへの教導の際に軽く動かす程度だ。

(これでは体が鈍るな……)

 自嘲気味に胸中で呟く。もちろん悪魔の血を引く彼が、しばらく戦いから遠ざかったとしても力が落ちることはありえない。バージルが思ったのはあくまで精神的なことだ。近頃やけに起床が早いのもその影響かもしれない。

 既にこの島に来た目的は果たしてある。したがって島から出るという選択肢もあるはずだが、バージルはしばらくそれを選ぶつもりはなかった。

 彼の悪魔としての勘がここに残るべきだと言っているのだ。

 もともと島から出たとしてもやることは以前と同じようなことである。そちらも少し行き詰まりを感じていたため、ここは自分の勘に従ってみることにしたのだ。

 そうしてしばらく瞑想していると後方からアティがやってきた。

 アティは寝起きのためか、いつもの白い帽子とマントは着けておらず、代わりに毛糸で編んだケープを羽織っていた。

「そろそろ、朝ご飯できちゃいますよ、戻りましょう?」

 ここ最近の朝食は全てポムニットが作っている。彼女はバージルに次いで早起きであり仕事も早い。アティが起きてくる頃には既にあらかた準備が終わっており、彼女の出る幕はないのだ。

 正直、それは教師としてどうなんだとバージルは思ったことがあるが、当の二人は不満もなく納得しており、なおかつ自分には影響がないため口に出したことはない。

 結局アティがやることといえば、先に起きて瞑想をしているバージルを呼びに行くことだった。

「ああ、わかってる」

 並んで道を戻る。二人の間に会話はないが、心なしか距離は以前より縮まったように見える。

 その理由は定かではないが、少なくともバージルにとって今の生活は多少の不満はあれど、悪くないと思っているのは紛れもない事実だった。

 もしかしたらバージルはアティやポムニットを気の許せる存在として見ているのかもしれない。

「そういえばポムニットちゃんはどうですか? 最近は前みたいな無茶はしてないみたいですけど……」

 ポムニットの力のコントロールに関してはバージルが全てを取り仕切っている。したがってアティが具体的な内容を知る術はなく、最初期にポムニットの悪魔の力を引き出すために瀕死にさせたときは、彼女の傷だらけの姿を見てひどく混乱したこともあったのだ。

「問題ない。じきに完全に制御できるようになる」

 前回のポムニットの様子を思い出しながら答えた。その時は大雑把ながらも悪魔の力を引き出すことができていたのだ。このペースでいけば完全に力をコントロールできるようになるのもそう遠い事ではなかった。

「なら人の姿に戻れるんですか?」

「おそらくはな」

 バージルの答えを聞いて安堵した。

 ポムニットが人間とは異なる己の容姿を嫌っていることをアティは既に知っている。それが母親を命を奪った元凶なのだと自覚させ、いまだに彼女を苦しめているのだ。

「私、あの子にはもっと笑ってほしいです」

 命を奪うという行為は決して許されないことだとアティは思う。それを為した者はずっと背負っていかなければならない。

 しかし、そもそもあの子は自らの意思で母親の命を奪ったわけではない。にもかかわらず、彼女はいまだに悪魔の力に囚われている気がしてならないのだ。

 もちろん、決して母親の死から目を背けていいわけではない、忘れていいわけではない。しかしポムニットは十二分に悔いた。もう解放されてもいいのではないかと思えるのだ。

「自分とどう向き合うかを決めるのは自分自身だ。他の、誰でもない」

 バージルがポムニットに教えているのは力の扱い方だけだ。力とどう向き合うかまでは教えていない。しかし、いずれ彼女も己の力と、ひいては自分自身と向き合わなければならない時が来るだろう。

 かつてのバージルがそうだったように。

「……はい」

 アティは小さく頷いた。

 これはあくまでポムニット自身の問題だ。そこにはアティはおろかバージルも入る余地はないのだ。

「だが……」

 バージルが少し過去に思いを馳せるように間を置いて言った。

「あいつが母の言葉を受け入れることができれば、お前の望む通りになるだろう」

 自分の幸せを見つけて。それこそがポムニットの母のたった一つの願いなのだろう。だが、それが通じたかはあの場にいたバージルにも分からない。

 それでもバージルは、心のどこかでポムニットが母の言葉を受け入れることを望んでいた。

 ここ数日、喚起の門がこれまでにない反応を見せている。

 バージルがその話を護人から聞いたのは昨日のことだった。

 喚起の門の稼働自体はこれまでに何度もある。そしてそのたびに異世界から様々なものを召喚してきたのだ。

 しかし今回は、これまでにない様子なのだという。

 いつもなら何らかの物体や生物が召喚されるような状況であるにもかかわらず、何も召喚されずに門の活動が収まっていくのだ。まるで召喚できない何かを呼び出そうとしているようなのだ。

 そこで門と遺跡を調査することが決まり、護人から同行を依頼されたのである。

 もう何年も前のことになるが、遺跡から大量の悪魔が湧きだしたことがある。万が一、今回もそのような事態になっても即座に対応できるようにと彼らはバージルに同行を求めたのだ。

「バージルさんなら大丈夫だと思いますけど、気をつけて下さいね」

「頑張ってね」

「ああ」

 アティとポムニットからそれぞれ見送りの言葉を受け取り家を出る。

 アティが同行しないのは差し迫った危険がないことと、彼女の持つ碧の賢帝(シャルトス)が今の遺跡にどのような影響を及ぼすか不明であるためだ。

 ちなみにアティはいつも通り授業を行う予定だそうだ。

 集合場所である集いの泉に到着したバージルを迎えたのは四人の護人だった。今回の調査は遺跡に詳しい護人にバージルを加えた五人で行うことになっているのだ。

「これで全員揃ったわね」

「では、早速出発しましょうか」

「……先にどちらから調べるつもりだ?」

 その問いにヤッファが答える。

「まずは喚起の門からさ。ここから近いしな」

 バージルが来る前に相談していたのか、調査の段取りは整っているようだ。

 喚起の門を目指し、しばらく無言で歩いているとファリエルが話しかけてきた。

「そういえば先生と一緒に住んでるんでしたね、どうですか?」

「ここには前も住んでいたんだ、何も問題はない」

 バージルの返答にアルディラはクスッと笑いながら言う。

「ファリエルが言いたいのはそういうことじゃないわ。あなた先生と暮らしてるでしょ、一つ屋根の下で。そのことについてよ」

 彼女の言いたいことが彼にも理解できた。つまりはアティとの男女間のあれこれについてだ。

「今更だ。特に思うところはない」

 かつてはバージルがこの島にいたときもアティと共に生活していたのだ。もっとも住んでいたのは今のような住居ではなく、カイル一家の船だったが。

 そもそも二人きりならまだしもポムニットもいるのだ。アルディラが期待するようなことなどあるはずもない。

「ああ、そう……」

 呆れたと言わんばかりに彼女は大きな溜息を吐きながら肩をすくめた。

「でも先生のこと、少しは気にかけてあげて下さいね。あの人はいっつも無茶ばかりするから」

「ええ、その通りです。先生は何でも背負い込んでしまうようで……。今回のことだって最初は自分が行くと言って聞かなかったんですから。あなたにお願いするつもりだと、何とか説得して残ってももらったんですから」

 ファリエルの言葉にキュウマが同意する。

「ま、ありゃあ性分だな。……そういや何であんたはこの話を受けてくれたんだ。俺は正直断られるもんだと思ってたんだが」

 アティが利他的とすればバージルはとにかく利己的だ。戦闘が起こることが確実な依頼ならともかく、遺跡の調査への同行という戦闘の発生も期待できない依頼を引き受けた理由がヤッファは気になっていたのだ。

「……特にすることもなかったからだ」

 いつものように瞑想でもしていてもいいのだが、遺跡に詳しい護人と調査を行えば、以前は気付けなかった場所に行けるかもしれないと考えたのだ。そしてそこに何か気になる本でもあれば持って帰ろうと思っていた。

「なら寝てりゃあいいじゃねえか。俺なんかマルルゥに起こされるから満足に昼寝もできやしねえんだぞ」

 ヤッファが羨ましそうに言う。護人としての彼は広い視野と経験に裏打ちされた判断力を持つため、非常に頼りになる存在である。しかし同時に普段の彼はぐうたらで面倒くさがりなのだ。

 ちなみにマルルゥとはヒマワリに似たメイトルパの「ルシャナの花」から生まれた小さな妖精で、いつも明るく元気に動き回り誰かの手伝いをしているのだ。ある意味ユクレス村のもう一人の護人といえるかもしれない。

「当然でしょ。あなたは放っておくと四六時中眠ってばかりなんだから」

「まあ、そうだけどよ……」

 辛辣ではあるもののアルディラの言葉は紛れもない真実であるため、ヤッファは返す言葉もなかった。そうは言っても彼はいくらマルルゥに注意されても昼寝をやめる気配はないようだが。

「話はそれくらいしましょう。そろそろ着きますよ」

 周囲を真面目に警戒しながら先頭を歩いていたキュウマの声がかかる。喚起の門はもう目の前だった。

 門は見た目には特に変わったところは見られない。魔力も現時点ではいつも通りだ。もっとも魔力が変動するのは門の稼働時だけだということは、以前ジルコーダが召喚された時のことから把握している。

「……今のところ、おかしなところはありませんね」

「やはり、動いているところを見なければ判断も難しいのでしょう」

 ファリエルとキュウマの言葉に残る二人も同意する。喚起の門が異常な反応を見せるのは、ほんの数分の間だけだ。最初にこの事態に気付いたアルディラがそれを確認していた。

「これまではおおよそ、半日に一回程度の割合で発生してるわ。昨夜以降何も起こってないからそろそろ始まるんじゃないかしら?」

「遺跡の方はどうする? こっちを確認してから調べるか?」

「発生時の遺跡の反応も気になりますし、私達で確認します」

 ファリエルの提案ではアルディラ、バージルに彼女自身を含めた三人で遺跡に赴くとしていた。残るヤッファとキュウマは喚起の門で待機だ。

「そうね、あなた達は門のほうをお願い」

「ああ、そっちは頼むぜ」

「お気をつけて」

 遺跡の調査も今回の目的の一つである以上、二人の提案には誰も異論を挟まなかった。

「おかしいわね……」

「何がだ? 遺跡に変わったところはないのだろう?」

 独白するように呟くアルディラにバージルが尋ねた。

 遺跡の調査を始めてから数時間、いまだ異常な個所や兆候は発見できていなかった。しかしバージルは彼の興味をそそるいくつかの本を発見することができたため、目的は果たしたと言える。

 そもそも遺跡に異常がないこと自体は護人にとってはいいことのはずなのだ。

「いえ、そうじゃなくて、もう半日以上たっているのに何も起こらないのよ」

 既に太陽は頂点を過ぎている。喚起の門の異常な反応は、これまで半日一回のペースで定期的に起きているのだ。現時点でも発生していないのであれば、これまでにはなかった状況だ。

「単に気付いていないだけかもしれんがな」

 バージルも今のところ何も感知していなかった。もっともいくら彼でも距離が離れてしまえば、虫や小動物などの小さすぎる魔力を感知することはできないのだが。

「……そうね」

「次で全部見て回れますから、終わったら喚起の門へ戻りましょう」

 先導していたファリエルがそう言いつつ扉を開けると、一際大きな部屋に出た。いや、周りに無造作に置かれた資材等を見る限り、巨大な倉庫と表現した方が正しいだろう。

「ここには実験設備はありませんから、多分大丈夫だと思いますけどね」

 倉庫の中を歩きながら辺りを見回していたバージルに目にある物体が映った。

(あれは……地獄門か?)

 倉庫の片隅に置かれていた物は上半分が破壊され消失しているものの、紛れもなく魔界への扉である地獄門に間違いはなかった。

「あれが何か知っているか?」

 辺りを見回している二人の護人に尋ねる。かつては無色の派閥の実験施設だった遺跡にあるのだ。なにか知っているかもしれない。

「あの壊れている石板みたいなものですか? ……ごめんなさい、私が最初にここに来た時にはもうあったと思います」

「私もよ。あの人に召喚されたときから、ここには何度か来たことがあるけど……始めからそこに置いてあったと思うわ」

「そうか……」

 二人の返答を聞きバージルは考え込んだ。彼がこのリィンバウムに来てから地獄門を見たのは、以前に無限界廊で発見したのに続きこれで二度目だ。

 見つけた場所こそ異なるが、どちらの地獄門も破損し、その機能を失っているという点では共通していた。

 一体誰が造り、そして破壊したのか。

 バージルは地獄門に近付き手で触れた。

(これはフォルトゥナのものと同種の物質か……魔界で造られたものに違いないか)

 魔界で造られた地獄門を構成する物質は非常に強固だ。並みの悪魔の攻撃では傷一つつかないだろう。

 だが地獄門自体は人の手でも作り上げることは不可能ではない。例えばフォルトゥナの魔剣教団のような長年に渡り悪魔と戦う術を研究したきた者達であれば決して不可能ではないだろう。もっとも魔界の物質を使用しないのであれば強度は落ちるだろうが。

 しかしリィンバウムでは別だ。この数年、世界各地を旅してきたが、魔界の悪魔についてはおとぎ話の類すらなかった。さらに、その悪魔と戦ったのも無限界廊と遺跡での戦闘だけである。

 これらのことからバージルは、リィンバウムと魔界との繋がりが人間界以上に非常に希薄で、存在自体がほとんど知られていないのだろうと考えていた。

 リィンバウムに存在する地獄門は人間界同様に悪魔が侵攻のために設置したのだろう。無限界廊で地獄門を守っていたのがフロストだったことを考えると、その悪魔とはおそらく魔帝ムンドゥスに違いない。

 そこまで思考が及ぶと地獄門を破壊した者についても考えつく。

 かの魔界の帝王に抗える存在は、ただの一人だけ。

 スパーダだ。

 伝説の魔剣士たる父なら地獄門を破壊する程度、児戯にも等しきことだろう。

(その際に界の意志(エルゴ)とやらと会ったと考えるのが妥当か。……もっともそれを証明するものはなにもないが)

 自らの持つ情報をもとに一つの仮説を組み立てはしたが、やはり仮説の域を出ないものであった。

「そんなにそれが気に入ったのなら持って帰ってもいいのよ?」

 いつもの彼らしからぬ熱心な様子で地獄門を見ていたバージルに、アルディラがいじわるそうに声をかけた。

「……くだらん。気に入ってなどいない」

 短く告げるとコートを翻して歩き出す。もともと地獄門を見ていたのも考え事をしていたからだ。特に気に入ったわけではない。

「こっちも空振りでしたし、一度喚起の門まで戻りましょう」

 結局、遺跡にもなんら異常は見つけられなかったため、三人は一度喚起の門に戻り情報の共有を図ることにした。

「そうですか……そちらも何も収穫はありませんでしたか」

 喚起の門に戻り、遺跡での調査の結果を二人に伝えた。

「その様子じゃあこっちも何もなかったんですね?」

「ああ、まったくの平和そのものだ」

 ヤッファが投げやりに答えた。

 異常がないのは良い事ではあるが、こうも何もないと逆に不安を煽られているのか護人達は釈然としない様子だった。

「とにかく今日は解散しましょう。ただ近いうちにまた調査を――」

「その必要はない」

 アルディラが言い終える前にバージルが口を挟んだ。突然のことに驚いた護人が彼の方に目を向ける。

 バージルはじっと喚起の門を見つめていた。そのまま数秒が経過した時、護人達もその異常に気が付いた。喚起の門にはこれまでの稼働時とは異なる、信じられない量の魔力が溢れていたのだ。

 門の異常を確かめるために慌てて動き始めた彼らを尻目にバージルは集中する。この魔力の動きとその裏で起こっていることを確かめるために。

 一見すると喚起の門が異常な動きをしているようにも考えられる。しかしこれは、圧力が加わり行き場を失った魔力が最も抵抗が少ない箇所へ集中した結果なのだ。

 もしこの世界を一つの潜水艦に例えるなら、まわりの水圧が急激に上がりもっとも弱い箇所である「喚起の門」から浸水が発生しているといったところか。

 だが問題は魔力が溢れていることではない。圧力をかけている者の意図こそが問題なのだ。

 世界全体にかかっている圧力。これがいくら強まったとしても世界が壊れることなど、もちろんありえない。しかし、魔界と他の世界を隔てる境界は薄くなってしまうだろう。

(もしそれが狙いなら、その目的は――)

 思考がそこまで進んだ瞬間、突然に晴天だった空を黒雲が覆った。そして雷が落ち轟音と閃光が周囲を包み込む。

 

 光と音が収まるとその中心にはバージルの予想を肯定するように、一体の悪魔が姿を現していた。

 

 

 

 

 

 

 

 




第21話いかがだったでしょうか。

次で放浪編も終了し、いよいよサモンナイト1、2の話へ移行していきます。今後も楽しんでいただければ幸いです。

ご意見ご感想お待ちしております。

ありがとうございました。



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第22話 抗えぬ変化

 雷が落ちた場所に立っている悪魔の容姿はフロストと似通っていた。おそらくフロストの近種、魔帝に創造された悪魔の一種だろう。もっともフロストのように氷で造られた爪や鎧はないが、代わりに鋭利な爪と角を持っているため、よりトカゲに近い姿となっていた。

 

 しかし悪魔は魔帝へ反逆したスパーダの血族がいるにもかかわらず攻撃してくる気配はなかった。ただ周囲を探るように首を振るだけだ。

 

 ある意味では絶好の機会ではあるが、護人達は至近へ落ちた雷の音と閃光で攻撃する余裕はなく、バージルはいつも以上の冷たく、そして鋭い視線で喚起の門を睨んでいた。

 

「…………」

 

 もちろんバージルが見ているのは門ではない。その先にいる元凶だ。

 

 おそらく一時的にリィンバウムと魔界が繋がったからだろう。悪魔が現れた瞬間バージルは、元凶であろう存在の力を感じた。そしてそれこそが悪魔の出現が人為的に行われたという証拠であった。

 

 通常、悪魔が人間界に現れる際に感じ取れるのは、出現する悪魔の力だけだ。魔界との境界が薄れるにしても、地獄門のような点に手段を用いるにしてもその他の悪魔が介在する余地はありえない。

 

 ただ一つの例外を除いて。

 

「人間界の次はこの世界か――」

 

 その例外こそが今回の一件の真相だとバージルは確信していた。

 

 つまりは力ずくで境界を薄くし、悪魔を送り込んだのだ。当然それほどの芸当ができる存在など限られている。父はもちろん弟も可能だろうが、彼らがこんなことをするはずがないことくらい分かっている。無論、自分自身もありえない。

 

 そうなると彼の知る限り、魔帝ムンドゥスか覇王アルゴサクスしかありえない。

 

 しかしバージルは、その正体をはっきりと感じ取っていた。

 

 それは彼にとって全ての元凶、討ち滅ぼすべき仇敵。

 

「――ムンドゥス」

 

 背筋が寒くなるような低い声と、全てを切り裂くような鋭い殺意が発せられる。

 

 バージルがその名を呼んだ瞬間、目の前にいた悪魔は金属が擦り合うような不快な雄叫びをあげた。先程まではバージルが目の前にいるのにもかかわらずきょろきょろとあたりを見回していたのが嘘のようだ。

 

 もしかすると何かを探していたのか、あるいは目が見えないのかは分からないが、少なくともこの悪魔はセブン=ヘルズとは比較にならない存在であることは明らかだった。

 

 雄叫びをあげた瞬間、悪魔は魔力の籠った雷をその身に纏い、一瞬にして姿を消した。そしてその代わりと言わんばかりに周囲に電撃が走る。

 

(電撃を操り姿を変えているのか……まさしく、稲妻(ブリッツ)と言ったところか)

 

 自分に殺意剥き出しの悪魔を前に、バージルは思考を切り替え、冷静に敵を観察する。

 

 雷と化したブリッツの移動速度は、もはや人の目では捉えられない領域に達していたが、バージルの目にはその姿がはっきりと映っていた。

 

 そもそも彼自身もエアトリックという超高速の移動手段を持っているのだ。雷速で動き回るブリッツの動きを追うことは難しいことではない。

 

 バージルに飛びかかろうとブリッツが姿を現した瞬間、閻魔刀の斬撃が悪魔に叩きこまれる。

 

「ほう、鎧代わりにもなるのか」

 

 全力には程遠い一撃とはいえ、セブン=ヘルズ程度なら容易に消し飛ばす斬撃を受けても傷一つつかないブリッツに感心したように声をかけた。どうやら体を纏う電撃は鎧として役割も持っているらしい。おまけに地面には電撃で焼け焦げたような跡ができている。鎧にはカウンター機能のようなものも付いているらしい。

 

 ブリッツは再びその身を雷に変え、辺りを飛び回り始めた。

 

「持っていろ」

 

 少し離れたところにいたキュウマに遺跡で手に入れた本を投げ渡した。戦闘で傷でもついたら元も子もない。

 

 そしてバージルも姿を消した。正確にはエアトリックでブリッツを追い始めたのだ。

 

 数瞬の後、空中で叩き落されたのか仰向けに倒れ込みながらブリッツは現れ、同時にその正面にはギルガメスを着けたバージルが右腕を構えながら降り立った。

 

 それでもいまだに電撃の鎧は健在だったため、大したダメージを負っておらず、体をばねのようにして起き上がった。

 

 しかしその瞬間、ブリッツの腹にギルガメスのボディーブローが突き刺さった。

 

 バージルの力を溜めこんだその一撃は、電撃の鎧を剥ぎ取るには十分過ぎる威力を発揮した。そして鎧をはがすだけでは終わらず、その凄まじいエネルギーは悪魔の重量級の巨体を空中へ打ち上げた。

 

 ギルガメスの一撃の大部分は鎧で吸収されたといっても、撃ち込まれた一撃はなお強力で、悪魔は受け身を取ることもできず大地にダウンした。

 

 それでも、すぐに起き上がろうとするところはさすが悪魔、さすが魔帝謹製の精鋭といったところか。

 

 だがしかし、起き上がった瞬間に、今度は二連回し蹴りを叩き込まれた。防御もできずほとんど無防備の状態でそれを受けたブリッツは森の方へ吹き飛び、何本もの木を折ったところでようやく止まった。

 

 もはや満身創痍になりながらも、よろよろと立ち上がったブリッツは、体を仰け反らせながら最初のものとは比較にならない、空気を震撼させるような咆哮を上げた。

 

 すると身に纏う電撃が赤いものへと変わり、体色も赤く変化していった。

 

 赤色への変化と比例するようにブリッツから感じる力も増していく。残された命を一気に燃やして瞬間的に力を増強しているのだろう。

 

「最後の悪あがきか……、愚かな」

 

 もはや何もしなくとも、三十秒とかからずブリッツは死ぬだろう。幻影剣を数本打ち込むだけでも終わるはずだ。

 

 しかしバージルはそのどちらも選ぶつもりはなかった。

 

「You will not for get this my power」

 

 その言葉はブリッツではなく、悪魔をこの地へ送り込んだ魔帝ムンドゥスへ向けられたものだった。

 

 そして両手で持った閻魔刀を、ゆっくりと大上段に構える。

 

 ブリッツも最期の一撃を叩き込むべく体を赤い雷光へ変えてバージルへ突進した。

 

 その突進が当たる直前、バージルは魔人化して閻魔刀を振り下した。凄まじい魔力の暴風が辺りに吹き荒れ、空を覆っていた黒雲が吹き飛んだ。

 

 数年前にもこの島で魔人化したことがあるが、その時でもこうはならかった。これはバージルの力が増しているのことの証左なのだ。

 

 スパーダの血族に相応しいその力は、ここより遥か遠くの離れたところにいる魔帝ムンドゥスにも届いただろう。

 

 当然ブリッツ程度に対抗できるはずがない。そもそも魔人化する前からバージルに圧倒されていたのだ。

 

 振り下された閻魔刀の一撃は、赤い電撃の鎧ごとブリッツの体を紙のように両断し、二つに分かれた悪魔の体はそれぞれ森の中へ転がっていき、最期に轟音を響かせながら爆発した。

 

 既に魔人化を解いていたバージルは、数年ぶりに力を解放した余韻を味わいながら閻魔刀を鞘に納めた。

 

(さて、後はムンドゥスがどう動いてくるか、か……)

 

 しかし、バージルは知らない。力を見せたことで仇敵に大きな影響をもたらしたことを、そして、弟の一助となっていたことを、彼は知る由もなかった。

 

 

 

 

 

 ブリッツを始末したことでひとまず今回の調査は終了となり、それぞれの集落に戻ることにした。

 

 悠々と帰ってきたバージルを最初に出迎えたのは大急ぎで戦いの準備をしていたアティだった。

 

「え……バージルさん?」

 

 目を丸くしてバージルの名を呼んだ。

 

 彼女は学校で授業していたのだが、急に空が黒雲に覆われ、雷が落ちたかと思うと突然碧の賢帝(シャルトス)がその手に現れたのだ。さらに落雷のあったあたりからはとてつもない力を感じたため、授業を中止して自分もそこへ向かおうとしていたらしい。

 

 一通りアティの話を聞いていると、そこへポムニットがやってきた。洗濯物を取り込んでいたのだろう、手には大きなカゴを持っている。

 

「あ、おかえりなさい」

 

「ああ」

 

「先生が随分心配してましたよ。でも、無事でよかったです」

 

 どうやらポムニットはあまり心配していなかったらしい。紛いなりにもバージルと戦ったことがあるため、彼の力は骨身に染みているからだろう。

 

「あの、それで何があったんですか?」

 

「悪魔と戦っていただけだ」

 

 アティの質問に短く答えた。彼女が感じた異変はどれも例外なく、バージルとブリッツによって齎されたものだ。碧の賢帝(シャルトス)についても彼の魔力が関わっている以上、バージルの魔人化による魔力の共鳴のような現象が起きたのだろう。

 

「また、悪魔ですか……」

 

 顔を顰めながら呻く。バージルの言う「悪魔」が彼女の知っている悪魔でないことは理解していた。あの悪魔とは二度と出会いたくはなかった。

 

 バージルの言う悪魔は、戦うこと自体が目的であり死ぬことすら恐れていない、そんな感じがした。そのため話し合いは通じず、出会ってしまったらどちらかが死ぬまで戦うしかない。

 

 それは戦うことが好きではないアティにとって想像以上に辛い事なのだ。

 

「あの、悪魔ってはぐれ召喚獣でも出たんですか?」

 

 話がうまく飲み込めていなかったポムニットがおそるおそる尋ねる。

 

「あ、えっと、バージルさんが名もなき世界から来たってことは知ってる?」

 

 ポムニットはそのこと自体をバージルから聞かされたことはないが、少なくともリィンバウム出身ではないことは薄々感じていたので頷いた。

 

「名もなき世界にも悪魔がいるらしくて、それが現れたの」

 

「バージルさんもその悪魔なんですよね?」

 

「そうだ」

 

 確かにそれなら自分とは全く違うのも当然だとポムニットは納得した。

 

「……どうして急に現れたんでしょう?」

 

 数年前の遺跡の一件以来、悪魔が現れることはなかったにもかかわらず、何故急に現れたのか。その当然の疑問をアティは投げかけた。

 

「さあな」

 

 そうは言うものの自分なりの仮説は立ててある。誰かを説得できるような証拠こそないが、バージルはほぼ間違いないだろうと考えていた。

 

 しかし、それを話そうとは思わない。

 

 たとえ魔帝が侵攻を企んでいることを知ったとしても、アティ達にできることなど何もない。それほどに魔帝ムンドゥスの力は強大なのである。あの父でさえ殺すことはできず、封印するしかなかった程だ。この世界の人間ではどうすることもできないだろう。

 

 何もできないのなら魔帝の存在は知らない方がいい。唯一対抗できる自分自身が知っていればそれで済むことだ。

 

 だがそうは言っても、バージルはリィンバウムを守るために戦うつもりなどない。あくまでも目的は魔帝の討滅なのだ。

 

 しかしどうやって魔界に行くか、まったく当てがないのは問題である。向こうがこちらに侵攻してくるならそれでいいが、そう都合よくいくとも限らない。魔界へ行く方法を見つけておくに越したことはないだろう。

 

「また、出て来るの?」

 

 ポムニットが少し不安そうに言った。バージルがいる限り大丈夫だと頭では理解しているが、それでも不安を消すことはできないようだ。

 

「……これまでのように、全く現れないというのはありえないだろうな」

 

 今後のことについてはバージルも計りかねていた。こればかりはムンドゥスのさじ加減一つなのだ。すぐにでも悪魔を送り込み侵攻するのか、時間をかけてでもリィンバウムと魔界を繋いでから侵攻するのか、あるいは四界から侵攻するのか。魔帝は自由に決めることができる。

 

 これを予測するのはいかにスパーダの血族といえど不可能である。

 

 しかしムンドゥスがどの選択肢を選んでも、魔界との境界が薄れたのであれば、これからのリィンバウムにはまず間違いなく悪魔が現れるようになるだろう。それは割れたガラスが元に戻らないように、たとえこの瞬間にムンドゥスが滅んでも避けられないことなのだ。

 

「私、みんなと相談してきます……!」

 

 彼の言葉から事態の深刻さを悟ったのか、アティは顔を青くしながら出かけて行った。

 

「大丈夫だよね……?」

 

 バージルの袖を引きながらポムニットは彼を見上げた。

 

「今はな」

 

 彼女の言う「みんな」が誰なのか見当つかないが、今回の一件では怪我人は誰一人でていないのは間違いない。しかしこれから先どうなるかはわからない。

 

「…………」

 

 もしかしたら大切な人を失うかもしれない、その可能性を思い知らされたポムニットは自分の居場所がなくなるような恐怖を感じ、バージルのコートの袖を掴みながら震えていた。

 

「……誰かを失いたくないなら力をつけることだ」

 

 似たようなことをアティにも言ったが、それは誰よりも力を渇望してきたバージルだからこそ言える言葉なのだ。

 

「力……」

 

 繰り返す。ポムニットが持つのはサプレスの悪魔の力、生命を奪う力だ。ところが彼女はそれをずっと忌避し続けてきた。

 

 最近始めたバージルとの訓練によって、向き合うことができたが、それでも自分から積極的に考えようとはしてこなかった。

 

 しかし彼女はついに生まれて初めて、自らの意思で悪魔の力について考えているのだ。

 

 それはポムニットが少しずつでも成長している証なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 バージルがブリッツと戦ってから二十日ほど経った時、彼はアティに連れられて集いの泉にやって来ていた。呼ばれた理由は、悪魔について話して欲しいとのことだった。

 

 既にこの島では二度、悪魔が現れている。どちらも悪魔の出現を察知したバージルが、速やかに始末したため、大事には至っていない。

 

 しかし、この先ずっとバージルが島にいるとは限らない。これからのことを考え、悪魔への対策を練っておこうと思うのは至極当然のことと言えるだろう。

 

「わざわざご足労いただきありがとうございます」

 

「先生から話は聞いていると思いますけど、あなたの言う悪魔について教えて欲しいんです」

 

 集いの泉には護人のほかにミスミやフレイズ、クノンの姿もあった。

 

「……何から説明すればいい?」

 

 悪魔についてといっても具体的に言ってもらわなければバージルも説明のしようがない。

 

「そうね……、まずは悪魔はどこから来ているの?」

 

「魔界からだろうな」

 

 人間界に出現した悪魔が、更にリィンバウムに現れたという可能性も僅かながらにあるが、尋ねたアルディラが求めている答えはそうではないだろう。

 

「魔界?」

 

 アティが疑問の声を上げた。バージルから多少は悪魔のことを聞いたことはあるが、その時には聞かなかった言葉だ。

 

「悪魔の故郷で、人間界とは境界で隔てられた世界だ」

 

「隔てられているんなら、なんでこっちに出てこれるんだ?」

 

「境界とはいっても実際は網のようなものだ。力の弱い奴らなら潜り抜けることができる。……もっともそういう奴らはこっちに来れても、依り代がなければ体を維持できんがな」

 

「それでは、以前この島に現れた者達はそういった類の存在ということですか」

 

 確認するようにフレイズが言った。

 

「そうだ。しかし中には例外もいる。貴様らも遺跡で戦っていただろう」

 

「それって……あの氷を使う悪魔のことですか?」

 

 アティの問いに頷く。フロストは魔帝が人間界侵攻のために創造した悪魔だ。そのため人間界でも依り代なしでも体を維持することができる。

 

「それにしてもなぜ今回だけ、こう何度も現れるのじゃ?」

 

 今度はミスミが疑問の声を上げた。

 

「前回は境界が薄まっていたのは短時間だったのだろう。だが今回はいつ戻るのか見当もつかん」

 

 以前は遺跡に寄生したインフェスタントが際限なく引き出し続けた魔力のせいで境界が薄まっていたため、原因が取り除かれた時点で境界も自動的に元に戻ったのだが、今回は直接境界への干渉だ。それも最上位の悪魔であるムンドゥスの力を受けたのだ。

 

 果たして元に戻るのはいつになるのか、いや、それ以前に元に戻るかどうかすら定かではなかった。

 

「それが事実なのであれば、なおさら対策を急がねばなりませんね」

 

「ああ、思ったよりヤバそうだ……」

 

 早急な対策の必要性を感じたキュウマの言葉にヤッファが同意した。無論その他の者達にも異論はなかった。

 

「実際に現れるのはどんな悪魔が想定されますか?」

 

 クノンの問いかけにバージルは少し考えたから答えた。

 

「……セブン=ヘルズあたりだろうな。」

 

 境界が薄れただけで大悪魔のような強力な存在が現れることはまずない。そのため、彼らが戦うのは境界をくぐり抜けられる下級悪魔になるだろう。

 

 下級悪魔は数多く存在するが、セブン=ヘルズとの戦い方を心得ていればその他の悪魔はその応用で対抗できる。それは依り代を必要とする関係上、下級悪魔の攻撃方法が限られてくるためであり、セブン=ヘルズ自体が多様な攻撃方法を持つ種で構成されているためでもある。

 

「セブン=ヘルズ……? 以前現れた者のことですか?」

 

「正確には奴らの総称だ。全部で七種類いる」

 

 バージルは次々と名前と簡単の特徴を伝えた。

 

「どいつも雑魚だ。攻撃される前に、剣でも魔力でも使ってさっさと始末すれば問題ない。……貴様らが注意を払うべきはヘル=ヴァンガードだけだ」

 

 ヘル=ヴァンガード。セブン=ヘルズを統べる存在であり、見た目こそ似ているがその力は下級悪魔とは比較にならない。

 

「なにか他と違う特徴はありますか」

 

「他の悪魔より一回り大きな体をしている。見分けることは容易いだろう」

 

 そこで言葉を切った。既に話すべきことはほとんど話し終えている。

 

「あとは実際に戦ってみることだ」

 

 それだけを言い残してバージルは集いの泉を後にした。

 

 これ以上この場に残っても彼がすべきことは、もはやなにもないのだ。

 

 悪魔との戦い方を聞かれる可能性はあるが、そもそもバージル自身、戦技の基礎も悪魔との戦い方も全て実戦の中で身につけたものだ。誰かに戦い方を教えられるとは思っていない。

 

 バージルはあくまでも自分のために戦うだけだ。ただ、そう思っていたとしても自分の戦いを見るなとは言わない、真似をするなとも言わない。自分は自分で他人は他人、それが彼のスタンスなのである。

 

 つい先ほどまで雲一つなかったのに、ものの数分で空は分厚くどす黒い雲で覆われようとしていた。まだ昼前だというのに辺りは暗くなり、まるで世界の終末を予感させるような変化だ。

 

 それでも集いの泉では明かりを灯して悪魔への対策が話し合われていた。

 

 バージルは一度、視線を泉の方へ向ける。その瞳に何を見ているかはわからない。

 

 僅かの間そうした後、自嘲気味に鼻を鳴らすと歩き出した。

 

 帰るべき、場所へと。

 

 

 

 

 

 

 

第2章 放浪 了




すごく久しぶりの戦闘回でしたが、いかがだったでしょうか。

この話を持って放浪編は終了となり、次回以降は原作1,2の時間軸へ移ります。

ご意見ご感想お待ちしております。

ありがとうございました。


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第3章 激動の時代
第23話 動き出す宿命 前編


この話から新章開始です。

いつの間にかプロローグを投稿してから一年経ってました。

二日遅れの一周年記念ということで投稿します。


 人間界のとある国のとある街には一つの便利屋がある。しかしそれを営む男はまともに経営する気がないのか、めったなことでは依頼は受けず、その反面四六時中ワインを飲み、ピザを食べる自堕落な生活をしているのだ。

 

 それゆえ、その一面しか知らない者から見れば、よくやっていけると感心するだろう。なにしろ便利屋のような非合法なことも請け負う業界には必然的に裏社会との関わりもあるのだから。

 

 だが当の裏社会には彼に関する一つの不文律があった。

 

 絶対に敵に回してはならない。もし彼を怒らせるようなことがあれば、冗談抜きにその組織は壊滅するだろう。それが裏社会の頂点に君臨する者さえ肝に命じているルールだった。

 

 しかし、その評判でさえ彼の本来の一面を表しているとはいえない。本業は別にあるのだ。

 

 彼とのパイプを持つ情報屋は語る。「もし悪魔が現れたのなら彼の事務所に電話するのがベストだ。たとえ報酬が安くとも断ることはしないだろう」と。

 

 悪魔を狩る。それが彼の本業なのである。

 

 事務所の名は「Devil May Cry」。男の名はダンテ。伝説の魔剣士スパーダのもう一人の息子である。

 

 そして件の事務所では壁に飾られた大きな剣が床に落下し大きな音を立てていた。

 

「あん?」

 

 朝っぱらからデリバリーしたピザを飲み込み、事務所の主であるダンテは音のした方へ顔を向けた。するとそこには父の愛剣にして形見の剣「フォースエッジ」が落ちていた。次に壁の方へ目をやると剣を支えていた止め金具がなくなっていた。どうやらそれが取れてしまったことでフォースエッジは落下したようだ。

 

「しょうがねぇな」

 

 ぶつくさと呟きながら立ち上がり、フォースエッジを拾い上げる。それをもう一つの父の形見である大剣「リベリオン」と同じように机に立てかけた。そうして再び座りなおし足を机の上に乗せる。品のない座り方だがそれを咎める者は誰もいない。

 

「ん?」

 

 さらにピザを一枚とろうと身を乗り出した時、不意に机の上に飾られた母の写真の横にあるアミュレットに意識が向いた。

 

「…………」

 

 無言のままアミュレットを手に取る。これは母が自分にくれた物であり、その母が亡き今では唯一の形見とも言うべきものである。

 

 剣とアミュレット、父の形見と母の形見を交互に眺めながらダンテはここにいない唯一の家族へ想いを馳せた。

 

(バージルの奴、どこで何やってんだか……)

 

 今でこそ双子の兄の生存を信じて疑っていないが、数年前まではてっきり死んだと思っていたのだ。

 

 ダンテが直接バージルと会ったのは十数年前にフォースエッジとアミュレットを巡り、テメンニグルによって繋がった先の魔界で戦った時が最後になる。その戦いの果てに兄は、自分の手を振り払い魔界に身を投げたのだ。

 

 それから十年弱、彼は一人で悪魔と戦い続け、そしてついに母を死に追いやった仇である魔帝ムンドゥスと戦える機会を得た。マレット島で待ち構える魔帝軍の大悪魔達を次々と打ち破り、ムンドゥスに戦いを挑んだのだ。

 

 しかしムンドゥスは、封印から解放された直後で全盛期の力はないものの、予想以上に手強かった。単純な力ならほぼ互角ではあったが、魔帝の「創造」という無から有を生み出す能力はダンテの想像を遥かに超えて強力だったのだ。

 

 途中、ムンドゥスに母エヴァと瓜二つの悪魔として創られたものの、人としての心に目覚めたトリッシュが力を貸してくれた。しかしそれでも、魔帝を超えるまでは至らない。

 

 そうしてじりじりと消耗を強いられていた時、ダンテは魔力の波動をはっきりと感じ取った。体を駆け巡ったその波動に、ダンテの魔力は呼応したのだ。

 

 それは同じ血を引く者同士だけの現象だった。

 

 いくらダンテが魔力の探知が不得手でも、この魔力の持ち主を間違えるわけはない。

 

 ダンテはこの時はじめてバージルが生きていることを理解したのだ。

 

 既に家族は一人として残っていないと思っていたダンテにとって、バージルの生存は望外の喜びだった。そしてそれは彼の心に火をつけるのには十分過ぎたのだ。

 

 ダンテは感情を力に変え、内に眠る全ての力を解放し、魔帝に挑んだ。

 

 そしてその結果、ムンドゥスを倒しきることはできなかったが、再び封印することはできた。金の報酬は一切なかったものの、兄が生きていることを知ることができただけでダンテには十分過ぎる報酬だった。

 

 ただ、少なくとも人間界にはいないことくらいダンテでも理解していた。もしかしたら魔界にいるのかもしれないし、それともまったく違う別なところにいるのかもしれない。

 

「まっ、どこにいようが女っけのねえ人生を送ってんだろうな」

 

 たとえどこで生きていようと兄も自分と同じように女運はないはずだ。そうに違いない、とダンテは思っていた。何しろバージルは傍若無人で冷酷、自己中心的だ。顔こそ父や自分に似て整ってはいるが、そんな兄に思いを寄せる女性がいるとは思えない。いたらよほどの物好きだろう。

 

 そうは言ってもダンテの言葉は希望的観測に近かったが。

 

 ちなみに彼は数年後に兄の血を引く青年と出会い、物好きは案外いるのかもしれない、と思い直す羽目になるのだが、ダンテは知る由も無かった。

 

 一息ついたところで電話の大きな音が事務所に響いた。ダンテは受話器を取り連絡した者から話を聞く。

 

 少しして受話器を置いたダンテの顔には、さきほどまでのやる気のない雰囲気は消えていた。たった今電話をよこした相手は合言葉有り、つまりはデビルハンターとしてのダンテへの依頼人だった。

 

 机に無造作に置かれた二丁の拳銃「エボニー」と「アイボリー」を腰のホルダーに入れ、剣に目を向けた。

 

「……今日はこっちにするか」

 

 いつも愛用しているリベリオンに伸ばした手を止め、フォースエッジを手に取る。特に理由や意味がある選択ではなく、ただダンテがフォースエッジを持って行こうと思っただけであった。

 

 準備を整えたダンテはドアを蹴り開け、意気揚々と出かけていく。

 

 魔帝はあれ以来動きを見せていない。これまで通り悪魔はちょくちょく現れるものの人間界の平穏はいまだ破られていなかった。しかし、あの魔界の支配者が人間界を諦めた筈がない。こうして悪魔を狩り続けることで、いつの日か必ず再びムンドゥスと対峙することができるだろう。

 

 その時こそ父の代から続く因縁に決着をつける、ダンテはそう心に決めていた。

 

 

 

 

 

 雲が去り空に浮かんだ満月が夜の闇を照らした。あたりからは波の音しか聞こえてこず、ともすると世界に一人になったような錯覚すら感じさせた。

 

 それほどまで静かな船の甲板でバージルは閻魔刀を杖がわりに目を閉じ、じっと立っていた。時折、波が船体に当たり揺れることもあったが、それを気にしたような様子はない。

 

「そろそろ着くぜ、準備しとけよ」

 

 そこへ、この船の主たるカイルが声をかけた。

 

 この船が向かっているのは聖王国の港町ファナンである。しかし。当然ながら貿易港として栄えるこの港に海賊船であるカイル一家の船が堂々と入港できるわけがない。そのため夜の闇に紛れるのだ。

 

「ああ」

 

 カイルの言葉を受けて目を開く。そして閻魔刀を左手に持ちながら月明かりに浮かぶ港町を見据えた。

 

「あ、お待たせしちゃいました?」

 

 船内から出てきたのはポムニットだった。先程まで船の調理場を借りてなにやら作っていたようだが、どうやら出来上がったらしい。

 

「おう、もうすぐだぜ。ポムニットもここにいろよ」

 

 旅ともなれば身の回りのことはある程度自分でしなければならないのは当然のことだ。いくら旅に慣れたバージルといえど中には面倒な事はあるだろうと考え、雑用を全部引き受けるつもりでポムニットはついてきたのだ。

 

「しかし、こうして見るといいとこのお嬢さんってかんじだねえ!」

 

 ポムニットの服装を見たカイルが豪快に笑い飛ばす。

 

「もう、あまりからかわないでください」

 

 彼女の服装は長めのスカートに少しフリルのついたブラウスだ。それに長く伸ばした艶のある紫の髪が良く映え、お忍びで出かける良家のお嬢様と言っても通用しそうである。

 

 バージルのもとで力のコントロールを学んでいたポムニットは、既に人の姿を取り戻していたのだ。もっとも角だけは悪魔の力の象徴であるためか、どうしても消すことはできなかったが。

 

 それでも帽子などで頭を隠せば十分に人として生活することはできるだろう。

 

「バージルもそう思うだろう?」

 

「さあな」

 

 相も変わらずのそっけないバージルの返答にカイルは肩をすくめて苦笑した。

 

 そうこうしているうちにファナンに着いたようで、船は桟橋に横付けされた。月明かりしかないこの暗闇の中でもピタリと接舷するあたり、さすがは多くの航海をこなしてきた歴戦の海賊一家だ。

 

「それじゃあ、気を付けてな。スカーレルにもよろしく言っといてくれ」

 

 今回バージルとポムニットが旅に出ることになったのはスカーレルの手紙がきっかけであることは聞いていた。既にカイルの船からスカーレルが下りてもう何年にもなるが、彼はカイルやソノラにとってかけがえのない仲間であることは変わりないのだ。

 

「ああ」

 

「ありがとうございました」

 

 軽く挨拶を交わすと船はゆっくりと離れていく。甲板にはいつのまにかカイルだけでなくソノラも出てきたようで、しきりに手を振っていた。

 

 ポムニットも大きく手を振り返した。この二人はまるで姉妹のように仲が良いらしく、カイル一家が島を訪れた時は決まって夜中まで話をしていた。

 

 月が出ているとはいえ夜間であるため、すぐに船は視界から消えた。できるならバージルとて、こんな真夜中の下船はしたくはないが、ここ数年、各国では海賊船の取り締まりが一段と厳しくなっているのでやむを得なかった。

 

 ただ厳しくなっているといっても、人間界のように常時レーダーで監視しているわけではない。あくまで昼間の入港が難しくなっただけだ。

 

 もっともこれは聖王国の状況であり、より厳しい帝国では夜間も歩哨が立っているため船が港に入ることはできても、人の乗り降りや荷物の積み下ろしは難しくなっているのが現実だった。

 

「行くぞ」

 

 船を見送ると、バージルは踵を返し街の中心部に向かって歩き出した。

 

「あ、はい!」

 

 ポムニットはつば広の白い帽子をかぶることで角を隠し、バージルの後をついていく。島の住人達やカイル一家など事情を知っている者達といる時には角を隠すことはないが、不特定多数の人の目に晒されるだろう、これから先の道程では常に隠すつもりでいた。

 

 リィンバウムにおけるサプレスの悪魔という存在は召喚師だけでなく一般の人々にも広まっているが、それは決して良い意味ではない。負の感情を好み糧とする悪魔は多くの人にとって害悪でしかなく、それ故に恐れられる存在でもあるのだ。

 

 そのためいくらポムニット自身が自分のことを人間だと思っていても、角を見た者が彼女のことをただの人間として扱うなど期待できない。それが今のリィンバウムの現状なのである。

 

 港を抜け、店や民家が所狭しと並ぶ市街地まで来ても人は誰もおらずひっそりとしていた。まだ明け方にもなっていない真夜中であることを考えればしょうがないのかもしれないが。

 

「…………」

 

 市街地の中心を走る大通りを、外の方へ歩いていたバージルは突然立ち止まった。

 

「? どうかしまし――」

 

 不思議に思ったポムニットが声をかけようとした時、二人を取り囲むように二十体程の悪魔が現れた。

 

 これは魔界の甲虫が群れをなして体を構成するスケアクロウという種の下級悪魔だ。人間界にもよく現れる悪魔であり、バージルも以前に訪れたフォルトゥナで戦ったことがあった。

 

 ただ、フォルトゥナにいたスケアクロウは甲虫が布袋に入り込んでいたのに対し、目の前の悪魔は船の輸送等で使われる麻袋に入り込んでいたため、体色が茶色になっていた。

 

 また、武器として手足にくくりつけている物は、聖王国で多く流通している一般的な剣だった。

 

「っ……」

 

 スケアクロウは多数の甲虫が袋に入ることで形を為す性質上、容姿が周りの状況によって変化するのは必然だが、そのことを知らないポムニットにとっては全く別の悪魔に見えるのだろう。彼女は不安げにバージルの袖を握った。

 

 ポムニットはもう二十歳を超え、大人の女性と呼んでも差支えないが、いまだに不安になった時や恐怖を感じた時は無意識にバージルの服の袖を握っているのだ。

 

「持っていろ」

 

 とは言えいつまでも握られても邪魔なだけだ。バージルは肩から下げていた旅行袋を彼女に投げ渡した。

 

 それを攻撃のチャンスと判断したのか、数体のスケアクロウが飛びかかってきた。

 

 バージルはそれを見ようとせずに左手にもった閻魔刀の鍔を持ちあげた。

 

 しかし、ポムニットに見えたのはここまでだった。次に見えたのは、先程まで威勢よく奇怪な声を上げながらバージルに飛びかかっていたスケアクロウが、体液を撒き散らしながら消滅していく姿と、いつの間に移動していたのか悪魔の群れを抜けた所で悠々と閻魔刀を鞘に納めているバージルの姿だった。

 

 ポムニットは島にいた時、何度か彼と手合わせをしたことがある。しかしその時にはこれほどの速さを見たことはなかった。もちろんバージルが本気を出していたとは思っていないが、それでもまさかこれほどまでに強いとは思わなかった。

 

 しかも今の状態でさえバージルからは余裕が感じられる。まだまだ全力とは程遠いのだろう。

 

「バージルさん……」

 

 預けられた袋を両手で抱きしめるように持ちながら彼をじっと見つめる。

 

 ポムニットが最初にバージルと会った時は恐怖を感じるばかりだった。

 

 しかし、彼のことを知っていくにつれ恐怖は薄れていき、かわりに憧憬の念を抱くようになっていたのだ。

 

 だからこそポムニットは自分を救ってくれた恩人であり、憧れの人でもあるバージルのために尽くしたいのだ。それはもしかしたら魔界の悪魔が力を認めた者に魂を捧げることに近いのかもしれない。

 

「Disappointing...」

 

 閻魔刀を鞘に納めたバージルは、自分がどこに行ったのかすらわからず右往左往する悪魔を見ながら呟いた。

 

 彼にとって、もはやこの程度の悪魔はいくら来ようと問題にすらならない。

 

 だが、この程度の悪魔でもそこらへんのはぐれ召喚獣や盗賊と戦うよりはずっとましなのが現状なのだ。

 

 それに以前なら考えられないことだが、今ではどこに行っても悪魔は現れるため戦いの相手としては都合がいい。

 

 このようにリィンバウムに悪魔が現れるようになったのは、バージルが喚起の門でブリッツと戦ったのと同時期だという。

 

 この情報はカイル一家が直に見聞きしたものであるため、バージルは信頼性は高いと判断していた。

 

 それから既に十年以上の時が過ぎている。そのため悪魔の出現による混乱はある程度落ち着いており、少なくとも表面上は以前とさほど変わらぬ様子に戻っているようだ。

 

 そうこうしているうちにスケアクロウはようやくバージルに振り返り、緩慢な動きで襲いかかった。

 

「Too late」

 

 再び閻魔刀を抜き、悪魔の群れを駆け抜ける。当然、下級悪魔程度にはその動きを止めることはおろか、認識することはできなかっただろう。

 

 そして最初に居た場所へ戻り、一瞬静止した。

 

 世界が全て静止したような静寂の中、バージルだけは悠々と閻魔刀を体の前で納刀する。瞬間、彼の背後で残された悪魔の体は上下に分かれ次々と倒れて消えた。

 

 愚かな悪魔の末路には目もくれず、一連の動きでほんの少しだけ乱れた髪を後ろへ撫でつけた。

 

「どうした? さっさと来い」

 

 ポムニットに声をかけ、町の外に向かって再び歩き出す。スケアクロウとの戦闘は一分とかからず終わったが、もとより彼らの目的は悪魔と戦うことではない。

 

「今行きます!」

 

 バージルの荷物を抱えポムニットは急いで彼の後を追う。ファナンの街並みの間には月明かりで作られた並んだ二人の影がどこまでも伸びていた。

 

 

 

 

 

 港湾都市ファナンを出たバージルとポムニットは、街道沿いにある休憩所で今後の話をしていた。

 

 以前であればこういった油断しやすい場所は盗賊が出没しやすかったのだが、現在は悪魔が出没するようになった影響で旅人自体少なくなっており、商人達も共同で多くの護衛を雇うようになったため、休憩所にはあまり姿を現さないようになっていた。

 

 と言うよりも盗賊自体がどんどん数を減らしていっているのだ。

 

 なにしろ悪魔は突然現れる。見張りなど意味を為さない。おまけに盗賊の大多数のアジトは人里離れたところにあるため、助けも期待できない。そこまでのリスクを負ってまでアジトを構えようとはする者は極少数だ。それ以外の多くは各地の都市で強盗やスリ等を行うようになり、治安悪化の一因となっていた。

 

「……ゼラム、ですか?」

 

「知らなかったのか?」

 

 目的地を聞き、少し困惑しながら尋ねるポムニットに言葉を返した。

 

 彼女はサイジェントにいるカイル一家のご意見番であったスカーレルに会うことが今回の旅の目的だと思っていた。船に乗っていた時もカイルやソノラからスカーレルによろしくと言われていたので、てっきりそう思っていたのだ。

 

「サイジェントにも行く予定だが、まずはゼラムだ」

 

 バージルは断言した。スカーレルからもらった手紙によって旅に出ることを決めたのは事実だが、それはあくまでメイメイからの「話したいことがあるから店まで来て欲しい」という言付けを託されていたからに過ぎない。

 

 もう何年も前になるが、バージルはスパーダについて書かれた本をメイメイに預け、解読と解釈を依頼していた。もしかしたらそれが終わったのかもしれない。

 

 また手紙にはサイジェント近郊の山に剣竜という竜が住んでいて、それを打ち倒すと奥義が手に入るという噂を聞いたとも書いてあった。噂である以上、大した期待はしていないが、わざわざ聖王国まで足を延ばすのだ。話くらいは聞いてもいいだろうと考え、サイジェントにも立ち寄るつもりでいるのだ。

 

 ちなみに、アティもサイジェントに行く予定ではあったが、彼女はアズリアにも会い行くつもりでいたため別々に行動しており、サイジェントで合流する予定でいた。

 

「えうぅっ、ごめんなさい……」

 

 旅の目的すら勘違いしていたポムニットはべそをかきそうになりながら謝った。なんとか彼の助けになりたくてついてきたのに出だしからこれでは先行きが不安だ。

 

「泣くしかできないならさっさと帰れ」

 

 冷たく言い放ち、歩き出す。

 

 もちろん彼女はこのまま帰るつもりはなく、袖で顔を拭い彼を追いかける。

 

 二人はそのまま無言で歩き続けた。元々バージルは饒舌ではないため必要な会話以外で口を開くことはまずない。

 

 そのため必然的に会話を生むにはポムニットから話しかける必要があるが、さきほどの言葉が胸に突き刺さり、彼女に話しかけることを躊躇わせていた。

 

「……なんだ? 言いたいことがあるなら言え」

 

 その雰囲気が伝わったのか、珍しくバージルから声をかけられた。

 

「あの、わたしがついてきたの……迷惑、でした?」

 

 一瞬、バージルはなぜ彼女がそう考えたのか理解できなかったが、すぐにさきほどの己の言葉を曲解しているのだとわかった。

 

「さっき言った通りだ。泣くしかできない『なら』帰れ」

 

 あくまでも彼は言葉通りの意味で言っただけだ。それ以上の意味などない。そもそも邪魔だと思っていれば最初から同行させなかっただろう。

 

「あ……、はい!」

 

 その言葉で理解できたのだろう。ポムニットは元気よく返事をした。

 

 彼女がいつもの調子に戻った時、バージルは唐突に思い出したことがあった。

 

「ゼラムについたら酒を買っておけ。シルターンの酒だ、安物でいい」

 

「え? あの、飲まれるんですか?」

 

 彼女の記憶ではバージルはあまり飲める方ではなかったはずだ。宴の席ですら少しずつ杯を傾けていた程度、普段は酒類など一切口にしていなかったのだ。

 

「報酬代わりだ」

 

 端的な答え。だがそれだけでも十分意味は通じる。

 

 バージルはメイメイに本を預けた時に報酬は酒で、と言われていたのを思い出したのだ。正直もう二十年近く前の話になるため今も有効かは不明だ。しかし彼女が依頼を果たしたのなら、こちらも約束を果たさなければならない。もっとも酒の種類までは指定されていないため、安酒をくれてやるつもりだが。

 

「わかりました! 買っておきますね」

 

 初めてバージルの役に立つ機会を得たポムニットは嬉しそうに頷いた。

 

 そうして二人は聖王都への道を進む。辺りは静かで人っ子一人いない。以前にこの道を通った時は多くの商人や旅人が行き来していたというのに。

 

 きっとこの平穏で静かな光景は、皮肉にも悪魔の存在がこの世界に大きな影響を与えている証拠なのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 




魔剣スパーダがなくともムンドゥスはどうにかなったようです(倒すことはできませんでしたが)。

一応DMC2の小説ではダンテが並行世界のムンドゥスをスパーダも魔人化もなしに倒してますので、ご理解いただければと思います。

ご意見ご感想お待ちしています。

ありがとうございました。


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第24話 動き出す宿命 後編

 聖王都ゼラムに着いた二人は宿を確保すると、それぞれ別行動することにした。ポムニットは頼まれた酒を買うために、バージルは酒場で情報を集めるためにだ。

 

 バージルが向かった酒場はずっと前に、一度だけ来た覚えがある店だ。とはいっても、ゼラムで彼が入ったことのある酒場はここだけなのだが。

 

 店の中は以前と変わりなく活気に満ちていた。

 

 とりあえず端の方の席に座り酒を注文する。あまり酒は好きな方ではないが、多少値が張るものには非常に飲みやすいものがあり、バージルはそういう酒を好んでいるのだ。

 

 杯を傾けながら周りの客の話し声に耳を傾ける。話の内容からするとほとんどの客は以前来た時と変わらず商人のようだ。

 

 もちろん大半がくだらない世間話ではあるが、なかには最近の近況を話す者もいた。帝国が石材を大量に買い付けておりそれで大儲けしただの、召喚獣に襲われ死にかけただの、バージルにとってはほとんど価値のない話ばかりだ。

 

 しかしそうした話ばかりでも、いくつもの情報と組み合わせ自分の知識で足りない部分を補ってやれば、それなりの精度の情報に昇華させることができた。

 

(やはりムンドゥスは攻めていないか……)

 

 薄々気付いていたことだが魔帝のリィンバウム侵攻はまだ始まっていないようだ。

 

 もし始まっているなら現れる悪魔の数はこれまでの比ではないし、現れる悪魔もスケアクロウのような雑魚ばかりではなく、フロストなどの魔帝軍の精兵も多く出現しているだろう。

 

 それがないという事実こそが、リィンバウム侵攻が始まっていないという何よりの証拠なのだ。

 

 だが同時に疑問も生まれる。悪魔が現れるようになって既に十年以上経っているにもかかわらず、なぜムンドゥスは動きを見せないのか。もちろん悠久の時を生きてきた魔帝なら、たかが十年程度動きを見せなくとも誤差に過ぎないのかもしれないが、バージルはもう一つの可能性に思い至った。

 

 すなわち魔帝ムンドゥスの敗北である。封印から蘇ったばかりであれば力も完全ではないだろうし、その状態ならスパーダでなくとも勝利することは可能かもしれない。

 

 ただ完全でないとはいえ、かつては魔界全土を支配した帝王だ。伝説の魔剣士スパーダがいない今、それほど強大な悪魔を相手に勝利を収めることができるのは自分を除き、一人だけ。

 

 ダンテ。血を分けた双子の弟。

 

 恐らく弟もテメンニグルで会った時から成長しているだろうし、父の形見であり強大な魔力を秘めた魔剣フォースエッジも持っている。バージルの持つアミュレットがなければ封じられたの真の力を使うことはできないが、それでも不完全な魔帝であれば倒せるかもしれない。

 

「お待たせしました。これでいいんですよね?」

 

 ポムニットの声によって彼は思考をそこでやめた。とりあえず今は魔帝の侵攻が始まってないことが分かっただけでよしとする。

 

「安ければなんでもいい」

 

 買ってきた酒を見て頷く。どうせ自分が飲むわけではないのだ。それにメイメイも酒であれば何でもよさげなため、気を使う必要はない。

 

 会計を済ませ酒場を出ると既に日は沈んでおり、街は夜の顔を見せている。劇場に行く者、カジノに入る者、早くも酔って大声で騒いでいる者、そこには歓楽街が経済の基盤の一つになっているゼラムのもう一つの顔があった。

 

 それでも所々には騎士と思われる鎧を纏った者達が、周囲を警戒しながら巡回している。悪魔が現れてもすぐに対処するために違いない。

 

 そんな歓楽街で二人は夕食を取るために店に入った。

 

「いいんですか? こんな高いところで……」

 

 メニューを見て驚いたポムニットが小さな声で言う。そこにはいつも食べているようなものよりも四、五倍ほど高い値段の料理が並んでいた。路銀には余裕があるとはいっても、無駄遣いしていい理由にはならない。

 

「かまわん。どうせ金はすぐ稼げる」

 

 王城前にははぐれ召喚獣の討伐など、高めの報酬が提示された高札が立っているのを確認していた。おそらく本来その役目を担うはずの騎士団が悪魔の対応で手一杯のため、高い報酬を支払ってでも冒険者や賞金稼ぎに任せたいのだろう。

 

 理由はともかく、その依頼をいくつかこなせば金に困ることはない。

 

 そのため多少金をかけても、静かな場所で美味い料理を食えるなら安いものだ。

 

 適当に料理を注文し、来るのを待っているとポムニットが尋ねた。

 

「……さっきのお酒、報酬としてあげるって言ってましたけど、何を頼んだんですか?」

 

「父の名が書かれた本の精査だ」

 

「バージルさんのお父さんって、ここに来たんですか?」

 

「記述がある以上、この世界に来たことは間違いない。……何のためかは知らんがな」

 

 それこそが最大の疑問なのだ。あの魔剣士スパーダがわざわざ人間界とは違う世界まで出向いたのだ。そこにはおそらく魔界絡みの理由があるはずなのだ。

 

「うまくいくといいですね」

 

 そこへ料理が運ばれて来た。答えの出ない問題に悩んでも仕方がない。それよりも今は目の前の料理を味わった方がずっと建設的だろう。

 

 明日メイメイと会うことで、この疑問を解くきっかけになることを期待しながらバージルは料理を食べ始めた。

 

 

 

 

 

 翌日、バージルとポムニットは聖王都ゼラムの宿屋から出た。

 

 これから向かうのはメイメイのところだ。店の場所については手紙でも何も書いていなかった以上、まずは以前と同じ場所へ向かうつもりだった。

 

 今日も晴天であるためか、日が昇ってから大して経ってないにもかかわらず、既に宿の外には多くの人が歩いていた。商店街の方も活気に溢れ、人を呼び込む威勢のいい声が飛び交っているようだ。

 

 その人の波の中を二人は連れ立って歩いていく。

 

 しばらくそうしながら進むと目的の場所まで辿りついた。商店街から離れた所にあるためメイメイの店の周辺にはほとんど人がおらず閑散としていた。

 

「あ、まだやってないみたいですね……どこかで時間を潰しますか?」

 

 店の入り口には「準備中」の札がかかっていた。さすがに早過ぎたのかもしれない。

 

「必要ない。どうせ中にいる」

 

 バージルはポムニットの提案を断ると、何のためらいもなくドアを開けて店の中に入っていった。そもそもバージルは買い物するために来たわけではないのだ。

 

「いらっしゃ~い」

 

 店に入るとやる気のない声が聞こえてきた。メイメイは店のカウンターに突っ伏しながら手だけをひらひらと振っていた。いつも以上にだらしない姿だ。

 

「……例の話を聞きに来た」

 

 カウンターに持ってきた酒を置き、バージルは単刀直入に用件だけを伝えた。

 

 メイメイは酒の匂いを嗅ぎつけたのか、がばっと起き上がると酒の方を見た。

 

「お、ちゃんと約束を守ってくれたみたいね~」

 

 そう言いながら酒を開け近くにあったコップになみなみと注ぐと、まるで水でも飲むかのようにごくごくと一気に飲み干した。

 

「ぷはー、生き返ったわー!」

 

「なら、さっさと言え」

 

 ようやくいつもの調子に戻ったメイメイにバージルは話を急かす。

 

「まあまあ、そう急かさないで。……そうね、まず結論から言うと界の意志(エルゴ)はスパーダから助けられたようなの」

 

「本にそう書いてあったのか?」

 

「ううん、違うわ。本に書いてあったことは、何の根拠もないし信用性は低いわね。……でもスパーダって名前に聞き覚えがあったから、メイメイさんがんばって思い出したのよ!」

 

「どこで知った?」

 

 本の情報ではないということは、ある程度情報の出所も推測できる。

 

「直接聞いたのよ、界の意志(エルゴ)から。『我らは魔剣士スパーダに救われた』ってね」

 

「……スパーダは何から救った?」

 

 父が出てくる以上、悪魔絡みなのは間違いないだろうが、果たしてそれだけで「救われた」とまで表現するだろうか。詳しい時期は不明だが、スパーダが健在だった頃の話なので、その時期の魔界はムンドゥスの後釜を狙って泥沼の内戦状態だったはずだ。上級悪魔が魔界の外に目を向けることはほぼなかっただろう。

 

 もちろん下級や中級悪魔が現れた可能性もあるが、その程度の存在で界の意志(エルゴ)を追い詰めることができるとは思えなかった。

 

「あー、ごめんなさい。そこまでは知らないの……」

 

「なら、界の意志(エルゴ)とはどうすれば会える?」

 

 先のメイメイの言葉から彼女は直接界の意志(エルゴ)と対話したと推測できる。そして、そんな彼女なら、界の意志(エルゴ)に会う方法も知っているのではないかと思い尋ねたのだ。

 

「……実のところ、私もずっと昔に話したきりなの。こっちから何かを伝えてもうんともすんとも反応なし。……もちろん死んでるわけでも眠ってるわけでもない。……私も結構長く生きているけど、正直なところお手上げよ。たぶん必要だと思えば向こうから接触してくると思うけど……」

 

「……そうか」

 

 その言葉は彼が望むような答えではないが、こればかりはしょうがない。そう割り切って店を出ようと大声を出したメイメイに呼び止められた。

 

「……あっ! ちょっと待って!」

 

「なんだ」

 

「サイジェントの辺りにも私みたいな者達がいたはずよ。彼らならもしかしたら何か知っているかもしれないわ」

 

「……界の意志(エルゴ)とどういう関わりがある? お前も含めて」

 

 この世界の人間にとっては想像上の存在でしかない界の意志(エルゴ)と話したことのあるメイメイや、サイジェントの辺りにいるという「彼ら」とは一体なんなのか。

 

「私達はエルゴの守護者。加護を受けてこの世界を見守る者のことよ。守護者は界の意志(エルゴ)にそれぞれ一人ずついて、私はリィンバウムの界の意志(エルゴ)の守護者なの」

 

 メイメイがさきほど反応がないといっていたのは、彼女に加護を与えているリィンバウムの界の意志(エルゴ)のことだろう。しかしだからといって、四界の界の意志(エルゴ)まで同じ様になっているのかはわからない。

 

「……つまり、他の世界の界の意志(エルゴ)であれば接触できるかもしれない、というわけか」

 

「その通り」

 

 確実に界の意志(エルゴ)と会えるという保証はないが、何も手掛かりがないよりは遥かにいい。それに界の意志(エルゴ)と接触できる方法がなくとも、もしかしたらスパーダについて何か知っているかもしれない。

 

「礼を言う。おかげで手掛かりが得られた」

 

「どういたしまして。……あ、お礼はお酒でおねがいね!」

 

「考えておこう」

 

 そう言い残して店を出る。話について来れなかったポムニットも慌ててバージルに続いた。

 

「……これからサイジェントを目指すんですよね?」

 

「そうだ。予定通り、な」

 

 確認するように言うポムニットに端的に答えた。

 

 メイメイから得た手掛かりが指し示す場所は、当初から赴く予定だったサイジェントである。正確にはその周辺という曖昧な表現ではあったが、サイジェントの周辺ならスカーレルの手を借りればエルゴの守護者の探索も捗るだろう。

 

「えっと……、ここからサイジェントまでだと何日かはかかりますね、いろいろと準備が要ると思いますけど……」

 

 地図を開きながらポムニットは言った。確かに彼女の言う通り、歩いていけば数日はかかる道のりだ。とは言えそれは普通の人間の場合だ。ポムニットでも悪魔としての身体能力を使えば人間の何倍も速く移動できるだろう。

 

 もっとも本当にそうした移動を行うつもりなどない。いまさら少し時間がかかっても大した問題とは思えなかった。

 

「……任せる。トライドラには寄るつもりだが安い物は買っておけ。……邪魔にならない程度にな」

 

 ポムニットの言葉通り商店街の方へ戻り、旅に必要な物を購入することにした。一応、途中でゼラムとサイジェントの中間に位置する三砦都市トライドラに立ち寄る予定でいたものの、ここで買った方が安く済むものも少なくはない。

 

 そのためポムニットには移動の弊害にならない範囲で物資を買っておくよう伝えた。徒歩で移動する以上あまり買い込めないのは当然だった。人間界であれば車やバイクのように多くの移動手段があるが、リィンバウムではせいぜい乗合馬車があるだけで、その数も少なく金も少なからずかかるのだ。

 

「いっそ、召喚術を使うのも手か……」

 

 ぼそりと呟いた言葉に店の商品を真剣な目つきで見ていたポムニットが振り返る。

 

「はい?」

 

「なんでもない。気にするな」

 

 移動に適した竜のような召喚獣でも呼び出せればベストだが、そもそもバージルは召喚術に関する最低限の知識こそ持ってはいるが、実際に使ったことは一度もないのだ。

 

「とりあえず一通り買ってきましたけど、他に買うものは何かあります?」

 

「いや、ない」

 

 購入する物についてはポムニットに任せていたが、特に過不足なく必要なものだけを買っていたようだ。このへんの要領はいいようだ。

 

 買い物を終えた二人はゼラムから出るために南の門へと向かうことにした。

 

 しばらく歩くと二人の横を鎧を身につけた二十人ほどの騎士が切迫した様子で追い抜いていく。

 

「急げ! 南門を包囲しろ!」

 

 指揮官と思われる騎士が、走りながら周囲に指示を出している。それを受けて周りの騎士はいくつかのグループに分かれて散らばっていった。

 

「何かあったんでしょうか? 随分慌てているようでしたけど」

 

「悪魔、か」

 

 バージルは持ち前の感知能力で悪魔が現れたことを察知できた。もっとも悪魔とは言ってもセブン=ヘルズやスケアクロウ程度の下級悪魔だ。戦いたいと思うような相手ではない。

 

 とはいえ、二人が向かっているのは騎士たちの向かった方向に位置する南門である。場合によっては悪魔と戦わねばならないだろう。

 

「…………」

 

 ポムニットがバージルの袖をぎゅっと掴んだ。

 

「……何を恐れる? お前でも十分倒せる相手だ」

 

 その様子を見たバージルが溜息を吐きながら言い放った。

 

 今のポムニットの力は下級悪魔程度なら苦も無く倒せるレベルまで到達している。

 

 ギルガメスを使うバージルの技術を模した彼女の戦い方は、生まれ持った悪魔の力と好相性なのである。さすがにアティや護人程の力はないものの、単純な戦闘力では彼らに準じたものを持っているのだ。

 

 しかしポムニットは戦闘を忌避する傾向にあり、そのため戦闘で自分から攻撃することが非常に少なかった。その点、彼女と同じく戦闘を忌避するアティは、殺すことへの抵抗は強いものの、相手を無力化することに関してはさすがは元軍人というべきか容赦がなかった。

 

 こればかりは性格的なものであり、心構え次第でもあるため、すぐになんとかできるわけではない。そもそも必要に迫られれば自ら攻撃することはあるので、今のところ大した問題にはなっていないが。

 

 南門に近付くにつれ、周りの人は極端に少なくなっていった。たまたま見かけた人も恐怖に顔を歪ませながら南門から逃げるように走っていくばかりであり、当然ながら同じ方向に向かっている者は一人もいない。

 

 さらに門との距離が縮まると今度はさきほどの騎士達のものらしい声が聞こえてきた。

 

「そっちに行ったぞ! 気をつけろ!」

 

「助けて、助けてくれ!」

 

 声の内容からすると騎士は戦っているのだろう。そうした大声と悲鳴が入り混じったものがしばしの間届いていたが、それが唐突に聞こえなくなった。

 

 それと同時に悪魔の魔力も消えたことから、戦闘が終わったのだと分かった。

 

 その数分後、二人が門の前の広場に到着すると、そこにはゼラムの住人の者らしき死体や、さきほどまで戦っていただろう騎士の死体が、合わせて十体ほどあった。

 

 直径三十メートルほどの広場は、彼らが流したと思われる血で凄惨な様相を呈しており、生き残った騎士達は生存者の確認と状況の報告のため伝令を走らせていた。

 

「…………」

 

「ど、どうしたんですか?」

 

 怪訝な表情を浮かべながら辺りを見回すバージルに、血を見て顔を青くしていたポムニットが尋ねた。

 

(妙だな……)

 

 バージルの視線の先には騎士達と悪魔が戦っていた広場がある。人間の血で濡れてはいるものの、既に倒された悪魔の存在を証明する物は、死体はおろかオーブすらなかった。

 

 通常、悪魔の血は液体のまま残ることはない。もちろん例外はあるものの、悪魔の体から流れたものは基本的に、すぐ蒸発してしまうのである。しかし、中には結晶として残る場合もある。

 

そういった物が「オーブ」と呼ばれ、結晶化したものによってさらに細かく分類される。例えば血液が結晶化したものはレッドオーブ、体液であればグリーンオーブ、魂であればホワイトオーブといくつか種類があり、人間界では一部の物好きな者達が収集しているのだ。

 

 もっとも、人間界では出現する悪魔の絶対数が少ないため、オーブの価値は高く収集する価値もあるだろうが、このリィンバウムでは悪魔が頻繁に現れるためオーブの収集品としての価値は高くない。そもそも、それ以前に悪魔の危険性については人間界以上に知られているだろうこの世界で、悪魔絡みの収集家自体少ないだろう。

 

 そう考えれば、騎士達の誰かが物好きな者に売りつけるためにこっそり回収した線は薄いだろう。となれば、たまたま結晶化しなかったのかもしれないし、セブン=ヘルズのように依り代を媒介に現れる悪魔だったのかもしれない。そうした悪魔なら当然血を流すことはないためオーブは残らない。

 

「はやくいきませんか……?」

 

 もう少し集中して辺りを探ってみるかと思案していたところへポムニットの言葉が届いた。口元を押さえながら急かすように彼女は言うが、確かに今優先すべきことはサイジェントへ向かうことであるため、バージルは腑に落ちないながらも切り替えることにした。

 

「……そうだな、急ぐとしよう」

 

 騎士達は他のことで手一杯だったのか、幸いにも二人を止める者はいなかった。悠々と南門を通り抜け、サイジェントへの街道を歩き出した。

 

 二人の後方では、小人のような悪魔がオーブを抱えながらどこかへ走り去っていく。だが周りの騎士は誰も気付くことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




第24話いかがだったでしょうか。

ご意見ご感想お待ちしています。

ありがとうございました。


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第25話 悪魔が蔓延る街

今回はグロテスクな表現がありますので苦手な方はご注意を。


 聖王国の西端に位置するサイジェントは豊かな水源を背景に紡績業が栄えている都市である。キルカの虫の糸からつくられる織物はとても高価で聖王都の富裕層にも人気な逸品である。そのため、このキルカの織物はこの都市の主要産業となっており、紡績都市という二つ名もここからきているのだ。

 

 しかしその反面、庶民には重税を課せられているため貧富の差が激しく、一部にはスラム街ができる始末である。おまけに最近では領主を打倒しようとする革命組織まで現れているらしい。

 

 そんなサイジェントに二人が入った時、最初に見たのは血生臭い戦闘の跡だった。辺りに飛び散っている血、血だまりに沈むもの言わぬ死体。状況から考えて悪魔によるものだろう。

 

「うぅ……」

 

 悲惨な光景から目を逸らすポムニットを尻目に、バージルは集中して周囲の魔力を探る。

 

「……随分と多いな」

 

 どうやら悪魔はサイジェントの北と西にも現れているようだ。ここにもいたことを考えると、三箇所からほぼ同時に出現したことになる。いくらこの世界が魔力が豊富にあるからといって、この頻度ははっきり言って異常だ。

 

 少なくともこの街に満ちている魔力では、これほど多くの悪魔が現れることなどありえない。現段階で原因は不明だが、折を見て調べてみることを心に決めた。

 

 とりあえずはスカーレルの所に行こうと、手紙についていた簡単な地図を頼りに住宅街の方へ足を向けた。

 

 凄惨な光景が広がっていた入口広場を抜けても、辺りにはただの一人も見当たらない。建物の中から人間の魔力は感じるので家の中で大人しくしているだけなのかもしれない。

 

「……留守か」

 

 しばらく歩いてたところで地図に書いてある家に辿り着いたが、中には誰の魔力も感じない。ドアには鍵がかかっていない様子だったが、どこかに出かけているのだろう。

 

 どうやら来るタイミングが悪かったようだ。

 

「あやつに用かな?」

 

 そこへ長い白髪に髭を生やした義足の老人が話しかけてきた。

 

「そうだ」

 

 バージルの姿を見て老人は、一瞬はっと目を見開いたが、すぐ先程と同じ調子で言った。

 

「……今の時間なら向こうの『告発の剣』亭という酒場にいるはずじゃろう。急ぎなら行ってみるといい」

 

「どうします。行ってみますか?」

 

「そうだな、行くとしよう」

 

 スカーレルがの居場所が分かった以上、このまま待ち続けるのは時間の無駄だ。とりあえず老人が示した酒場に行ってみることにした。

 

「ありがとうございます、おじいさん」

 

 ポムニットがぺこりとお辞儀した。老人は微笑をたたえながら頷く。

 

 そんな中バージルは誰にも聞こえないほど小さな声でぽつりと呟いた。

 

「やはり衰えたか……」

 

 バージルには老人との面識があった。老人はかつて島に上陸した無色の派閥の軍勢の中にいたウィゼルという男であった。

 

 ウィゼルとはその時に剣を交えた。上陸した軍勢の中でも突出した力を持っており、バージルもそれなりの力を持って戦い彼の足を斬り落としたのだ。

 

 結局、ウィゼルとはそれっきりではあったが、もしあの後も順調に成長していれば、足の欠損など大した問題ではないほどになっていたかもしれないが、今のウィゼルに以前ほどの力は感じられなかった。やはり時の流れには勝てないようだ。

 

 それこそが悪魔との最大の違いなのだろう。

 

 

 

 

 

 ウィゼルに教えられた酒場は繁華街にあった。繁華街と言っても現在は悪魔が現れているため、家に帰ろうとする人、家族とはぐれてしまった人が溢れ、混乱と狂騒に包まれている。

 

 そのため普段なら買い物する人が集う露店も商売あがったりと店を閉めている。それは二人が目指す「告発の剣」亭でも同じだった。明かりは消え、店の中からも声は一切聞こえない。傍から見れば閉店どころか潰れてしまった酒場とも見えるかもしれない。

 

 しかしバージルは迷うことなく扉を開け、中に入っていく。

 

「悪いけど今は……あら、久しぶりね~!」

 

 その声と共にバージルを迎えたのは、このサイジェントへ来る原因を作ったスカーレルその人だった。カウンターに座りながら酒の入ったグラスを置いた彼は二人をカウンターに座るように促した。

 

「それにしてもよくここが分かったわね。鍵は開けておいたからウチで待ってると思ったんだけど」

 

 そう言いつつ手際よく酒を棚から取り出し。調理台でカクテルを作っていく。そして出来上がったものをバージルに差し出した。

 

「あのジジイに教えられてな」

 

「あら、運がいいわね。あの人、一人ではあまり外に出ないのに。……あ、そっちのあなたはお酒にする? ジュースにする?」

 

「へ? あ、ジュースで……」

 

 急に話を振られたポムニットが驚きながら答えると、スカーレルは果実ジュースをグラスへ注いだ。

 

「はい、どうぞ。ポムニットちゃん」

 

 教えてもいない自分の名を呼ばれたポムニットは尋ねた。

 

「……あの、どうして名前知ってるんですか?」

 

「ふふ、ソノラからの手紙に書いてあったのよ、妹みたいな子ができたってね。……あ、もう知ってると思うけどアタシはスカーレル。昔はカイル一家の後見人をしていてね、バージルや先生とあの島で生活したこともあったのよ」

 

「そ、そうだったんですか……」

 

 ポムニットがスカーレルについて知っているのは、バージルやアティ、ヤード、カイル一家の共通の友人であるということだけだった。カイル一家の後見人であったことはまだしも、かつては島にいたこともあるという話には驚いた。

 

「それで、本題だが」

 

「もう、相変わらずねぇ、あなたは……」

 

「……エルゴの守護者について何か知らないか?」

 

 それからバージルはメイメイとの話の結果、サイジェントの周辺にいると言われる、エルゴの守護者と会うためにここまで来たことを伝えた。

 

「ごめんなさい、エルゴの守護者なんて初めて聞いたわ。……でもこの街の周りには色々な場所があって、もしかしたらてがかりはくらいあるかもね」

 

 冗談っぽく笑いながら言う。

 

「案内はできるか?」

 

 場所を教えてもらい自分だけで行くという選択肢もあるが、やはり間違いないのは土地勘があるスカーレルに案内してもらうことだ。

 

「案内するのは構わないけど、今すぐってわけにはいかないわね」

 

 スカーレルは今も暇そうに酒を飲んでるだけに見えるが、何か事情があるようだった。

 

「なぜだ?」

 

「この街では悪魔が頻繁に現れているの。もちろん、今もそう……でも住民を守る騎士団はその多くが城の警備に回されていて悪魔の対応までは手が回らないのよ。だから代わりに戦っている子たちがいるの」

 

 サイジェントの統治はすべて、城に住む領主から委任された召喚師が執り行っている。それゆえ統治を行う上で「頭脳」となる城に防衛戦力を多く割り振ること自体は、危機管理の観点から考えても決して間違いではない。しかし、そこに騎士団の戦力の大半を充てるのは明らかにバランスを欠いた配置だった。

 

「お前は戦っていないようだな」

 

 スカーレルは元暗殺者であり、島では悪魔と戦闘したこともある人間だ。いくらそれから齢を重ねたからといって、そんな奴が戦わないのは不思議に思えた。

 

「ふふ、そうね、アタシもいい歳だし。……だからお留守番でちょうどいいのよ。それに、ここにいた方がいろいろと見えるものもあるしね」

 

「その言い方だとこの店にいるものが戦っているということか」

 

「ご明察。その通りよ」

 

 要はスカーレルは相談役のような立場にあるようだ。カイル一家にいた時も似たような立ち位置にいたため決して不自然ではない。

 

「昔は領主を倒すなんて物騒な事考えてたみたいだけど、さすがにこんな状況じゃあそんなこと言ってられないみたい。……そんなだから、申し訳ないけどこの一件が片付くまでは街を離れるわけにはいかないの」

 

「……どうせアティが来るまではここから離れられん、待つとしよう」

 

 島に帰るのはアティと合流してからということは事前に決めていたのだ。これにはバージルも合意していたため、文句は言えない。

 

「それならあなたも協力してくれると助かるんだけどね」

 

「……気が向いたらな」

 

 そうは言うが実際、ただじっと待っているのも退屈であるため、退屈しのぎに悪魔を狩るのも一興だろう。

 

「ふふ、助かるわ」

 

 スカーレルはまるでそうくると思ってたと言わんばかりの笑顔を浮かべた。

 

「……俺は戻るぞ、家は空いているんだろう」

 

 考えを読まれたようで面白くなかったが、とりあえずバージルは荷物を置くためスカーレルの家に戻ることにした。

 

「ええ、いくつか部屋は空いてるから好きに使っていいわ」

 

「わかった」

 

 答えながら席を立ったバージルを見て、ポムニットは急いでジュースを飲み込んで言った。

 

「わ、私も戻ります。ごちそうさまでした!」

 

「そんな慌てなくても大丈夫よ……あ」

 

 店を出ていく二人を見ながらスカーレルは、空いた部屋の掃除をしていなかったことを思い出した。

 

 その後、部屋を掃除するためにポムニットが大活躍したことは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 肉体を持って他の世界に出現することのできない悪魔は、その世界にあるものに取り憑き力の受け皿にする。この受け皿になるものは様々な種類がある。例えば人形や仮面になることもあるし、砂や血といった個体ですらないものでも受け皿になりえるのだ。

 

 そして悪魔は時折、人間に取り憑くこともある。悪魔に憑かれた人間は意識すら奪われ、ただ悪魔の意識の下、破壊と殺戮を繰り返すだけの存在となるのだ。

 

 このような悪魔に憑かれる人間は、子供や病人、老人など精神力の弱い者が比較的多い。悪魔としても容易く支配できるほうがいいのだろう。

 

 今回サイジェントに現れたのはそうした悪魔だった。人間に取り憑き手当たり次第に暴れ回り破壊と殺戮の限りを尽くしているのだ。

 

 それに対処したのは「フラット」という孤児達のチームだった。ただ、孤児達のチームと言っても最近では、様々な腕利きの者達が加入したらしくその戦闘力は騎士団にも引けをとらない。

 

 だが、彼らは優しすぎた。見た目はただの人間と変わらない悪魔憑きを殺せなかったのだ。そうは言っても、この点でフラットを責めることはできないだろう。現時点においてリィンバウムでは、悪魔に憑かれた人間を元に戻す方法がないことを理解していないのだ。

 

 元に戻せないのなら殺すしかない。ある意味ではそれが悪魔憑かれた人間を唯一救う方法なのかもしれない。少なくとも殺されれば大切なものを殺めることはないのだから。

 

 しかし、それをフラットを担う若者に強いるのは余りにも酷な話だ。いくら強くとも彼らは軍人ではなく、ただこの街を守るために戦っているだけの一般人なのだ。

 

「そんな……」

 

 そのフラットのリーダーであるハヤトという少年は目の前で繰り広げられる光景をただ茫然と見ていた。

 

 ハヤトはリィンバウムの人間ではない。名もなき世界から召喚されたのだ。向こうの世界では何の力も持たない普通の高校生だったが、召喚された影響か、儀式や呪文を必要としない召喚術が使えるようになっており、その他にも力が体から溢れるように感じていた。

 

 知り合いが誰一人いない世界ではあるが、幸いにもフラットの仲間達を得ることができ、この街を取り巻く多くの問題にも、持ち前の前向きな性格で懸命に取り組み、次々とそれらを乗り越えてきた。

 

 そして先日まで抱えていた革命組織「アキュート」との対立も、数日前から街に現れるようになった悪魔への対処で協力していく過程で少しずつ解消に向かっていたのだ。

 

 そんな中、現れたのが悪魔に取り憑かれた者達だった。だが、悪魔憑きがいくら人間離れした力を持っていても、既にフラットは悪魔と何回か交戦した経験があったため、対処は難しいことではなかった。

 

 次第に悪魔憑きを追い詰めた時、大きな声が響いた。それは悪魔に憑かれた人の子供のものだった。やめて、お父さんをいじめないで、そんな悲痛な声を無視することができるほど、彼らは非情ではなかった。今回悪魔の対応に出た者もみな若いメンバーであったことも攻撃を止めた理由の一つだろう。

 

 だが、彼らの攻勢が終わる瞬間を待っていたように、悪魔憑きは逃げるように飛び退き、声を上げた子供を抱えて路地の中へ消えていった。

 

 まだ力を残していたことと、子供を攫って行ったことに焦りを感じながらフラットは急いで後を追った。

 

 そして路地を抜けた先の小さな広場で彼らが見たのは地獄だった。

 

 そこにいたであろう人々が容赦なく悪魔に殺されていたのだ。石畳が真っ赤に染まり、流れたばかりであろう血がハヤトの足元まで広がってきた。

 

 彼らが追っていた悪魔憑きは背を向け、もぞもぞと手を動かしている。だがそれにも飽きたのか、手に持っていたそれをハヤト達の方へ放り投げた。

 

 びじゃっという嫌な音と共に血だまりの中へ落ちた、サッカーボールほどの大きさのそれは少し転がって、止まった。

 

「あ……あ……」

 

 それは攫われた子供の首だった。

 

 最期の瞬間に感じた恐怖か、痛みか、その顔は口を大きく開けながら歪んでいた。

 

 いくらハヤトが大きな力を持っているとしても、つい先日まで平和の中で暮らしてきた十七歳、子供に過ぎない。そんな彼にこの光景は信じられなかった。

 

 しかし、靴に染みてくる血の感覚、血の匂いが、逃れられない現実だと証明していた。

 

 いつのまにか悪魔憑きは新しいおもちゃを見つけたように、にたにたと人間にはできないような笑みを浮かべながら彼らを見ていた。そして奇声を上げながら飛びかかった。

 

 いつものフラットの面々なら全く問題にならない攻撃だっただろう。あるいは凄惨な戦場を経験した兵士でもいれば対応できたかもしれない。しかしこの世の地獄を見せられた彼らにできたのは、それをただ茫然と眺めていることだけだった。

 

 ところが落ちてきたのは、豪雨のような血の雨と四つに分かれた悪魔憑きの体だった。そして彼らの先に音もなく着地したのは周囲に広がる赤い血とは対照的な青いコートを着た男、バージルだった。

 

 閻魔刀に付着した血を振り払い、鞘に納めたバージルはハヤト達のことなど眼中にもないのか、振り返りもせずこの場から去っていった。

 

 後に残された者達は、ただそれを眺めるだけだった。

 

 

 

 

 

 悪魔憑きを始末したバージルは、スカーレルの家へと戻っていた。既に街中から悪魔の気配は消え失せており、サイジェントは仮初のの平穏を取り戻していた。

 

「あ、おかえりなさい!」

 

 ポムニットが笑顔で出迎えた。この街を訪れた次の日、バージルは悪魔が湧いて出る原因を探るために出かけていたのだ。

 

「あの、どうでした? 悪魔が現れる原因、調べてたんですよね」

 

「悪くはない。大方の目星はついた」

 

 その言葉に嘘はない。バージルは調査の過程で二度ほど悪魔と交戦していた。無論、どちらも殲滅しているが、それは大きな手掛かりになったのだ。

 

 戦った悪魔は一度目が下級悪魔の群れ、二度目は悪魔憑きが一体だった。このうち悪魔憑きに関しては、一般的な出現方法で現れたため大した手掛かりにはならないのだが、もう一方の下級悪魔の群れにはこの一連の騒ぎの原因を探るヒントがあった。

 

 現れた下級悪魔は肉体を持っていたのだ。

 

 力が非常に脆弱な虫けら程度の悪魔なら、肉体を持ったままこちらへ来られるだろうが、普通の下級悪魔であれば境界を越えることができず、そのために依り代が必要になるのだ。

 

 ただ、地獄門や人の手で召喚されるのなら話は別だ。これらの方法なら境界を無視できるため、肉体を持ってくることも難しくない。

 

 それに、人はしばしば魔に魅入られる。

 

 かつてバージルは魔の力を求め、人の身を捨てた男と行動を共にしたことがある。人は決して魔を恐れるだけの存在でないことを彼は知っていたのだ。

 

 この世界にもそういう者がいるのかもしれない。悪魔の力を知ったからこそ、それを手にしようとする愚か者が。

 

「街の人も随分怯えてるみたいですし、早く元に戻るといいですね」

 

 この街に現れる悪魔の数は、ゼラムなどの大都市よりも遥かに多い。ゼラムはこの街より面積は広いが、悪魔が現れる数も回数も少ないため、昼夜問わず騎士の部隊を巡回させることでき、被害を最小限に抑えていた。

 

 しかし、サイジェントではそうはいかない。結局、街中の監視を強化し、悪魔を発見してから必要な戦力を派遣するという従来の治安維持と同様の方法をとっていた。これなら戦力の絶対数が少なくとも広範囲をカバーできるが、その分現地に到着するまで時間がかかり、結果的に被害が大きくなる傾向にあった。

 

「いずれはそうなる」

 

 ただし元に戻すのが自分とは限らない。バージルが原因を断定させる前に、フラットや騎士団が先に解決する可能性もあるのだ。

 

 とは言え、誰が解決するかなど重要な事ではない。バージルがこの状況に首を突っ込んでいるのは、暇つぶしの意味合いが強いのだ。

 

「はいっ!」

 

 ポムニットが安心したように返事をした。バージルがそう言った以上、それは確定的な未来であるとポムニットは信じていた。

 

「ただいま~」

 

 そこへスカーレルが帰ってきた。「告発の剣」亭も本来の主が戻ってきたのだろう。

 

「おかえりなさい、スカーレルさん。もうすぐご飯できますから待っててくださいね」

 

 夕食の準備に戻りながら伝える。ポムニットはただ泊めてもらうのも悪いと、料理や掃除など家事全般を引き受けたのだ。もともと島にいた時もやっていたことなので苦ではなかった。

 

 スカーレルは既にテーブルに座っていたバージルの向かいに腰掛けた。

 

「早速、悪魔のこと調べてるみたいね、もう話題になってるわよ」

 

 片肘をつきながら言う。バージルは悪魔との戦いを堂々と行っていたため、誰かに見られていたことは十分にありえる。特に悪魔憑きとの時は、戦うために追いかけてきたであろう者達の前で切り捨てたのだ。話題になっても無理はない。

 

「なら、邪魔はするなと言っておけ」

 

 バージルとしては誰が悪魔と戦っても一向に構いはしない。しかし、いくら相手が弱い人間であっても、自分の邪魔をされるのは好ましい事ではないのだ。

 

「あら? そんなことを言うってことは手掛かりがつかめたのかしら?」

 

「もう目星はついたみたいですよ」

 

 ポムニットは料理を運びながら、自分のことのように嬉々として答えた。

 

「さすがねえ、この分じゃそのうち解決しちゃうかしら?」

 

「まだ推測の段階だ、確証はない」

 

「これまでは手がかり一つなかったんだから、全然いいわ。……それに終わりが見えてくるとやる気も出てくるものなのよ」

 

「そうですよ!」

 

 その言葉通り、先の見通しがつけばそこに向けて頑張ろうと希望が生まれやる気も出てくるが、終わりが見えなければ不安や恐怖が蔓延することになるのだ。

 

 事実、悪魔による犠牲者が増えていくように、住民の間には確実に恐怖と不安が伝染していた。もちろん彼らは自分達を害そうとする者の正体が悪魔であることは知らない。

 

 しかし、人は本能的に闇を恐れるもの。闇の世界、魔界の住人である悪魔を人々が恐れるのは自然なのだ。

 

 今、サイジェントの街は悪魔の齎す絶望で覆われようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




第25話いかがだったでしょうか。

ちなみに1のストーリーはアキュートの問題が解決したあたりからです。

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第26話 役者は揃う

 バージルがサイジェントで調査を開始して以来、悪魔による被害は随分とマシになった。悪魔の魔力を感知するとすぐに現地に向かい殲滅するためだ。

 

 基本的に悪魔は複数個所で同時に現れるため、バージルはその中の一つと戦うことになる。もっとも所詮は下級悪魔の群れであるため、移動も含め遅くとも一分以内に殲滅しているのだが。

 

 そのようにここ数日、悪魔との戦闘を重ねているといくつかの気になった点が浮かび上がってきた。

 

 まず、悪魔の出現する時間帯は昼間であることが多い点だ。人間界や島では夜間の方が多いだけに人為的なものを感じさせた。

 

 次に、悪魔が現れる場所の近くに、毎回のように同じ人間がいることだ。悪魔につけ狙われているのか、あるいは悪魔を召喚した張本人かは定かではない。

 

 そして三つ目はたった今、気付いたことである。

 

 バージルの眼下にいたのは悪魔に殺された人々の死体と、悪魔の血液が結晶化したオーブ、そして悪魔を倒した者達だった。

 

 今回、悪魔は二ヶ所に現れたためバージルはその片方を始末し、もう一ヶ所の方へ赴いたのだ。三階建ての家屋の屋根から状況を確認する。悪魔を倒した者達はそれぞれ全く異なる恰好をしていることから騎士ではないのだろう。

 

 彼らはこの場の後始末や状況の連絡など、戦闘を終えても慌ただしく動き回っていた。

 

 倒すべき悪魔がいない以上、長居する理由もないため、この場を離れようと踵を返した時バージルの目に奇妙なものが映った。

 

(なんだ?)

 

 視線の先には悪魔が落としたオーブを回収していく小さな悪魔のような存在があった。見ているとそれらは落ちているオーブを全て集めひっそりとどこかへ行ってしまった。

 

 かなり近くの距離で行われたことにもかかわらず、それに気付いたのはバージルだけだった。

 

 それだけあの小さな悪魔は、魔力と気配を断つ能力に長けているのだろう。バージルも集中していればその限りではないが、普段の状態では魔力に気付かなかったのだ。

 

「……まあいい」

 

 いくら魔力を隠せてもあの程度の悪魔とは戦う気にもなれない。下手をすればただの人間にも劣る力しか持ってないのだ。

 

 ただ、気になるのは集めたオーブの使い道だ。さすがに今の段階では推測すらできないが、もしそれで力を得ようとしているのなら、いずれは戦うことになるだろう。

 

 ただし、いくら気になるとは言っても、この件が悪魔の出現に関係するとは思えない。そのため今優先すべきは、悪魔の出現の原因に関わってきそうな他の二つを調べることだ。他のことに時間を割くことはできない。

 

 特に二つ目に関しては、相手次第だが一気に原因を解明できるかもしれない。

 

「まずはあの人間を探すか……」

 

 目的の人間は顔こそ見ていないものの、魔力は記憶している。面倒ではあるが、探し出すことは可能だろう。

 

 今後の方針を決めるとバージルは今度こそ、この場所から離れていった。

 

 

 

 

 

 いつもより静かなサイジェントの街中を、一人の男が背中を丸めて辺りを窺いながら、早足で歩いていく。その様はまさしく、悪魔の脅威に晒されているこの街の住民の姿に相違なかった。

 

 だが、男にはただの住民とは違うところがあった。その眼光の鋭さだ。

 

 いつ悪魔に襲われるかわからないサイジェントの人々の目には怯えと恐怖がある。しかし男の目にそんなものはない。むしろ獲物を品定めするかのような不気味な光があった。

 

 周囲を観察しながらしばらく歩いていると、男は小さな路地に入った。

 

 そこで何やら幾何学模様と文字で構成された魔法陣が描かれている紙を地面に置き広げると、そこへ召喚術を使うように魔力を注ぎ込んだ。

 

 すると魔法陣は赤く輝き始める。男はそれを見届けると急いでその場を後にした。このままここにいれば自分が奴らの餌食になってしまう。それだけはゴメンだった。

 

 できる限り急いで、しかし怪しまれないように焦る心を押さえながら来た道を戻っていく。そうしていくうちに背後の方から不安を掻き立てるようなおぞましい声が聞こえてきた。人間の悲鳴だ。

 

 後ろを向くと悪魔達が周囲の人々を手当たり次第に襲っているのが見えた。とりあえず今回も自分に課せられた任務は果たせたようだ。

 

 そう、男はサイジェントの人間ではない。自分の属する組織から命令を果たすために、住民に紛れているにすぎない。そうして隙を見て悪魔を呼び出すのが彼に与えられた任務だった。

 

 もちろん同様の命令を受けた者は何人もいた。男はその者達と共に半年ほど前からサイジェントに移り住み、街に馴染んできたのだ。男がこうした仕事に従事するようになって両手の指では数えられないほどの年月が流れたが、ここ最近はこれまでなかったほど用心に用心を重ねて慎重に動いていた。

 

 まるで何かを恐れているように。

 

(今回はこないのか……?)

 

 最近、男が召喚した悪魔は青いコートを着た銀髪の男に、あっという間に殲滅させられたことがあった。これまでも最終的には騎士団やスラムのガキ共に倒されていたが、それでも彼らが来るまでには時間を要し、その間に住民が襲われるのが常だったのだ。

 

 しかし、あの銀髪の男は違う。一切の被害など出ていない。そもそも住民は悪魔が現れていたことにも気付いてないだろう。出現を予測しているのか、凄まじい速度で移動したのか不明だが、明らかに異質な存在だ。

 

 だが、来ないならそれがベストだ。今回の目的は達成している。後は巻き添えを食らわぬようにできる限り離れるだけだ。

 

 そう考えて男が前に向き直り、逃げ惑う人々に紛れ走り出そうとした時。

 

「ッ……!」

 

 心臓を鷲掴みされたように体が硬直した。

 

 いつの間にか、あの青いコート着た男が自分の前に立っていた。そして見下すような冷たい目で己を見ていたのだ。

 

 青いコートの男はゆっくりと歩いて近付いてくる。しかし、逃げようとしても男の体は動かない。蛇に睨まれた蛙も今のような感覚だったのだろうか、体がまるでいうことを聞かなかった。

 

「何のために悪魔を呼び出した?」

 

 どうやら悪魔を呼び出したところをコートの男に見られていたらしい。

 

「…………」

 

「誰の命令だ?」

 

「…………」

 

 全てを話して楽になってしまいたい誘惑に駆られながらも、それを必死に抑え無言を貫く。いくら奴が異質でもこんな大勢の前で殺そうとはしないだろうという冷静な計算もあった。

 

「…………」

 

 一瞬の硬直の後、そこへ騒ぎを聞きつけたのか「フラット」と名乗る者達が走ってきた。普段なら呼び出した悪魔を倒してしまう厄介な奴らだが、今回に限ってはありがたかった。

 

「助けて!」

 

 できる限り悲痛な声で叫ぶ。そして力の限りその場から走り出す。不思議なことに先程まで全く言うことを聞かなかった体は、驚くほど自然に動かせていた。そしてもう一度声を張り上げる。

 

「助け――!」

 

 しかしその言葉を最後まで言うことはできなかった。銀髪の男が手にした得物を抜き、悪魔を呼び出した男をバラバラに斬り刻んだのである。

 

「お前!?」

 

 目の前で人を斬殺した青いコートの男をハヤトは知っていた。数日前に、自分達の目の前で人間を貪り食っていた化け物を倒した男である。

 

 その時は会話はおろか、顔すら見なかったのだが、ハヤトの発した声に反応し振り向いた。

 

 もはや人としての原型を失った男の死体を間に挟み、同じ世界から呼び出された二人は、初めて向かい合ったのだ。

 

 これが伝説の魔剣士の血を引くバージルと後に誓約者(リンカー)となるハヤトの出会いだった。

 

 

 

 

 

「おのれ、おのれ……またしても邪魔をするか……!」

 

 自分の部屋の一室で無色の派閥セルボルト家の当主、オルドレイク・セルボルトは忌々しげに吐き捨てた。

 

 机に上げられたのはこれまでの報告書である。数日前までは何の障害もなく計画は進行していたのに、この数日の間に事態は急変していた。

 

 オルドレイクが命じていた悪魔の召喚は実行者が次々と殺害されたため、一時中止せざるを得なかった。全てはあの銀髪の男のせいだった。

 

 銀髪の男、名前は分からない。オルドレイクは二十年ほど前に、派閥のかつての実験施設を手中に収めるためとある島に赴いた。そこであったのがその男だった。

 

 そしてオルドレイクは絶望を味わった、恐怖を、力を思い知った。引き連れていった軍勢も男の前では一刻と持たず壊滅した。彼自身も右腕を失う羽目になった。もし、ウィゼルの助けがなければ命を失っていただろう。

 

 しかしそのウィゼルもあっけなく倒され、自分は僅かに残った手勢と共に逃げ帰るしかなかった。

 

 それからオルドレイクは狂ったように研究に没頭した。あの絶望を拭い去るために、あの恐怖から逃れるために。しかし、いつまで経っても彼の望むような成果は上がらなかった。

 

 そんな中、あの銀髪の男は派閥の施設を無作為に襲撃し始めたのだ。時間と比例するように被害は拡大していき、いくつもの拠点が潰され貴重な資料と戦力を失っていった。

 

 更には協力関係にあった紅き手袋も標的となり、次々と襲撃されていった。派閥は幹部クラスの七割を失い、一時は本気で活動の休止を考えていたほどだ。

 

 ところが、男の消息は十年ほど前にぷつりと途絶え、襲撃もなくなった。

 

 これ幸いと、派閥はすこしずつ勢威を取り戻していったが、今度は違う化け物が現れるようになった。だが、オルドレイクはその化け物からあの男と同種の力を感じ取ったのだ。

 

 もちろん力の大きさは全く違う。しかし、こいつらの力こそ自分が求めるものだという確信があった。

 

 研究を進めていくうち、彼はある化け物から接触を受けた。人間と意思疎通ができるその化け物は、自分達の正体がサプレスのものとは異なる「悪魔」であることを教えてくれた。

 

 以来、オルドレイクはさらに悪魔について研究を重ね、ついには悪魔を呼び出す魔法陣を作り上げたのだ。

 

 そして、それを利用した計画を練り、周到に準備を進め、とうとう実行に移った時、再びあの男が現れたという報告を受けた。

 

 それでも、そのときの段階ではオルドレイクは焦らなかった。これまでの研究でかつてのような差はないと確信していたのだ。もちろん単純な力は及ばないかもしれないが、自分にはこれまでにない力がある。そう思っていた。

 

 しかし、彼の考えは甘かったのだ。

 

 銀髪の男はサイジェントに入ってから数日で悪魔を召喚しているのが派閥の者だと突き止めたのだ。潜伏する者達は単独でも作戦を遂行できる最精鋭の者達を選抜していたが、やはり相手が悪過ぎたようだ。

 

「……まあ、よい……」

 

 怒りで震える心に言い聞かせ、何とか冷静さを取り戻す。あの男の介入はなにも悪い事ばかりではないのだ。

 

 オルドレイクの計画は悪魔に関するものだけではなく、もう一つの柱が成功して初めて成り立つものなのである。しかしその柱であるサプレスの魔王を召喚する計画は一度失敗していた。

 

「やはり我が直々に行うべきか……」

 

 魔王召喚を行ったのは実の娘であるクラレットだったが、儀式に失敗したことでもう娘には期待はしていなかった。せいぜい、魔王の代わりに召喚された少年の力を見極められれば御の字だ。

 

 既にもう一度儀式を行うに必要な魅魔の宝玉は手に入れた。しかし、クラレットに代わる魔王を呼び出すための依り代についてはいまだあてがなかった。

 

「ククク……ならばあの愚か者を使ってやるとするか……ついでに目障りな奴らも処分するとしよう」

 

 一案を思いついたオルドレイクは気味悪く笑い、部下を呼ぶ。

 

 そして一通り命令を下すと自らサイジェントに赴く準備を始めた。

 

 

 

 

 

 表向きは酒場として運営されている「告発の剣」亭にバージルはいた。いつものように出かけていたアキュートに代わり店番をしているスカーレルに見せたい物があったのだ。

 

 バージルは先程まで悪魔を召喚しようとしていた者を殺して回っていた。昨日に始末した一人と合わせて、悪魔を召喚していた者達はもう一人として残っていないだろう。

 

 そうして殺した者から奪った物がカウンターに置かれているのだ。もちろんバージルは戦利品として持ってきたわけではない。彼らがどこの組織の構成員か調べるためにわざわざ回収したのだ。

 

 いくら口は固くとも身につけている物から身元を割り出すことは大して難しくはない。元紅き手袋の暗殺者で、無色の派閥についても詳しいスカーレルがいるのだから尚更だ。

 

「確かにこの中のいくつかは無色の派閥で使っていたと思うわ」

 

 無造作に置かれた、様々な物に目を通しながらスカーレルが言った。

 

「思った通りか」

 

 悪魔を召喚できる技術といい、複数の召喚者を街に潜ませることといい、今回の件は相当規模の大きな組織でなければ実行できないことくらい想像できる。バージルの知る中でそんなことができるのは、それこそ無色の派閥くらいなのだ。

 

 その予想がスカーレルの言葉によって確信に変わった。

 

「……あなた、これを手に入れるのに無茶したんじゃないの?」

 

 目の前に置かれた品々には赤黒い血がべっとり付いている物もあった。どう考えても穏便に済ませたとは言い難い。

 

「たいしたことはしていない」

 

 目的を果たしたバージルは椅子から立ち上がった。たかが人間数人を始末すること程度、悪魔を倒すよりも容易いことだ。

 

 そのまま踵を返した時、十人ほどのグループが店に入ってきた。その内の四人はこの「告発の剣」亭を本拠とする革命組織アキュートの幹部達だった。他には昨日バージルを呼び止めた少年――ハヤト――の姿もある。

 

 彼とは昨日、悪魔を呼び出した男を見つけた時に会っていた。その時、この少年から他の者とは違う力が感じられたのだが、それでもバージルの興味を引くには値せず、それよりも調査を優先するべきだと判断したため、呼び止められても応じずにそのまま無視してその場を離れたのだ。

 

 そして今もまた、わざわざ彼らと話す価値を見いだせなかったバージルは、当然店を出て行くつもりでいた。

 

「話が、あるんだけど……」

 

 ハヤトから言葉がかけられる。少し焦っているような、しかし意思と勇気が感じられる若者らしい声だった。

 

「俺にはない」

 

 顔すら見ようともせずばっさりと答えた。

 

 その言葉を聞いて少年の隣にいた不良のような少年は頭に血が上ったのか、バージルに掴みかかろうとした。

 

「あんたになくてもこっちには――」

 

 刹那、少年に閻魔刀の切っ先が向けられる。それでもバージルの視線は正面に固定されたままだった。

 

「No one will stand in my way」

 

 魂まで凍りつくような冷たい声。彼らが自分と話をするために来たということは理解できるが、それでこちらに利があるわけでもない以上、わざわざ話をする義理などない。

 

「っ!」

 

 仲間に武器が突きつけられたことに驚きながらも、反射的に武器にそれぞれの手をかけた。

 

 閻魔刀を突きつけたとはいえ、バージルは見境なく相手を殺すほど血に飢えてはいない。自らが倒すべき相手や向かってきた相手ならいざ知らず、敵意のない無害な相手であれば、わざわざ力を振るおうとは思わないのだ。

 

 今回も同様に、突っかかってこられたとはいっても、そのまま引き下がるのであればこちらから仕掛けるつもりはなかった。

 

 しかし、彼らがやる気なら容赦はしない。向かってくる者にかける慈悲など、この男が持ち合わせているはずがなかった。

 

「よほど死にたいらしいな……」

 

 言葉と共に初めて彼らの方に視線を向けた。

 

 身震いするような殺気とは裏腹に、突きつけていた閻魔刀を下げる。

 

 その代わりに幻影剣が出現した。それもバージルの周囲だけではなく、彼らを取り囲むように円周状に大量の幻影剣が現れたのだ。その数は目測で見ても軽く百本は超えていた。

 

 ハヤトを中心としたフラットはこれまで悪魔とも戦い勝利していることは知っている。そこいらの有象無象の人間とは一線を画す力があると見て間違いない。

 

「ちょっ、なにもそこまですることないでしょ!?」

 

 スカーレルは突然の展開に驚きつつも、殺気を隠そうともしないバージルを抑えるため声を上げた。

 

「向こうはやる気のようだが?」

 

 視線の先にはそれぞれ背中を預け合い、武器を抜いて幻影剣を警戒するハヤト達の姿があった。ただそうは言っても、バージルが幻影剣を撃たないのは、本当に自分と敵対する意思があるのか図りかねていたからである。

 

 昔のバージルなら問答無用で殺していただろう場面だ。そう考えると彼も随分と甘くなったのかもしれない。もっとも、実際に殺気を浴びせられ、幻影剣を向けられているハヤト達にそんなことが分かるはずもないが。

 

 バージルは彼らが敵かを見定めるため、一挙手一投足をつぶさに観察する。対するハヤト達も意識を集中させて取り囲む大量の剣とそれを生み出した張本人を注視する。

 

 張り詰めた空気が「告発の剣」亭を満たした。

 

「あ、あの~……」

 

 しかし、その空気を入れ替えるように入口のドアが開いた。

 

「来るな! 早く――」

 

 来たのが誰かは知らないが、今こんな場所に居合わせたらどんな目に遭うかわかったものではない。無関係の人間でも目の前の男は容赦なく殺すかもしれないのだ。昨日、住民を斬殺したように。

 

 そう思ったハヤト達はドアを開けた、赤い髪に白い帽子を被った女性に声を上げたのだ。

 

 しかしそれを言いきる前にバージルが口を開いた。

 

「アティか……随分遅かったな」

 

 それと同時に幻影剣を消す。自分達のことよりアティのことを心配するような彼らを見て、敵対の意思なしと判断したためだ。

 

「もう、これでも急いで来たんですよ?」

 

 たった今まで繰り広げられていた修羅場のことなど知らずに、アティはくすりと笑いながら言った。彼女はサイジェントに到着した後、スカーレルの家まで行ったものの、当の家主とバージルがいなかったため、ポムニットに場所を聞いてここまでやってきたのだ。

 

「……まあいい、戻るぞ」

 

 店を出ようとするバージルに、アティがまだ店の中に残るスカーレルの方を見ながら声をかける。

 

「え? でも……」

 

「あいつならまだ店番があるそうだ。……色々とすることがあるのだろう」

 

 バージルもスカーレルを見ながら言う。言外にこいつらに話をしておけ、という意味を込めて。

 

「あ~、そうね。確かにもう少しかかりそうだから、先生は街の中でも見に行ってきなさいな。きっとエスコートくらいしてくれるわよ。そうよね、バージル?」

 

 バージルから面倒事を押し付けられたスカーレルは、せめてもの仕返しと久しぶりに再会にしたアティのために言った。

 

「そ、そんな、私は別に……」

 

 まるでデートみたいなスカーレルの提案に顔を赤くした。

 

「……くだらん」

 

 一言で切り捨て店を出ていくバージルをアティが追いかけていく。

 

「何かあったんですか?」

 

 少し不機嫌なようにも見えるバージルに話しかける。

 

「いや、なにもない」

 

 そのまま会話も無く家路を戻っていくが、アティは勇気を振り絞って言った。

 

「あのっ、街を見たいので一緒に来てくれませんか?」

 

「別に構わんが……」

 

 潜伏する無色の派閥の構成員は全員始末した以上、今できることは派閥の出方を待つだけであるため、時間はあった。また他にすることもないためバージルは提案を受けることにした。

 

 アティの希望でまずは商店街を見ることにした。思えばこうして並んで歩くのなんてしばらくぶりのような気がする。島では瞑想をするバージルを呼びに行くことが日課だったので、その帰りに並んで歩いていたのだが、この旅のために島を離れてからは当然、なくなっていたのだ。

 

(もう少し傍に行っても大丈夫かな……)

 

 これまで会えなかった寂しさと、一緒に歩いているという嬉しさがアティにもう少しだけ勇気を与えた。

 

 とは言っても、さすがに腕を組むのはハードルが高すぎたのか、アティはバージルとの距離を少しだけ詰めた。さすがにゼロとはいえない距離だが、それでも服が擦り合うくらいの至近距離だ。彼女にしては頑張った方だろう。

 

 もちろんバージルはアティが距離を詰めたことは気付いていたが、特に嫌な気はしなかったので好きにさせることにした。

 

 重なり合う二人の影が伸びる。この穏やかな時間はもう少しだけ続きそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




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第27話 知るべき現実

 サイジェントに突如現れ、暴れ回る悪魔に対して人々は怯えきっていた。この悪魔は毎度現れる場所も不定であり、姿も同種の悪魔であれば同じであるため、何も知らない人々にとってはまるで無限に湧いてくるようにも見える。

 

 無限に現れる怪物が、親しき人の命や昨日まで話していた友の命を簡単に奪って行く様は、サイジェントの人々にとってまさしく終わらぬ悪夢そのものなのだ。

 

 それがたとえ、ここ数日に限っては悪魔が現れていなかったとしても、今の人々はいつまた襲ってくるかわからないと疑心暗鬼の状態であった。

 

 こうして人々が悪魔に恐怖を抱くのは、悪魔のことを知らないからだ。何も知らないから過大に評価し、する必要のない心配をすることになっているのだ。

 

 もちろん彼らとは逆に、悪魔の詳細な知識を持っているバージルは、正確な判断を下せている。出現する場所が不定なのは、それを選べるほど力を持っていないからであり、姿が同じなのは、あまりにも力が弱く独自の姿を持てないからだ。

 

 結局のところ、今回現れた悪魔は単体ではたいしたことない敵であり、大量に現れなければ過剰に恐れる必要はない。おまけに悪魔を召喚していた無色の派閥の者達はすべて殺されたため、当面の間は悪魔が大量に現れることすらないのだ。

 

 このようなサイジェントの現状を正しく理解できているのは、バージルだけである。そもそも彼の性格上、見ず知らずの人間に情報を与えるような真似はせず、共に住んでいるアティやポムニット、スカーレルにさえ、聞かれなければ答えないのだから他は推して知るべきなのである。

 

 しかし、先日「告発の剣」亭で一悶着あったことがきっかけで、ようやく認識の共有が行われようとしていた。

 

 そうなるに至ったそもそもの発端は、先日の、あわや大惨事となりかけた一件の後、事情の説明を頼まれたスカーレルがバージルについて話したことだった。

 

 これまでハヤト達のバージルに対しては、一般人を容赦なく殺した男、と認識を持っていた。そのため先日「告発の剣」亭で会った際に一触即発の状況になった時も、やはり非常に危険な男であり戦うこともやむなしと思っていたのだ。

 

 だが、ラムダ達アキュートが世話になっているスカーレルという男から話を聞く限り、自分達の認識に間違いがあったのではないか、という疑問を持つに至ったのだ。

 

 そして今回、彼らがバージルに会いに行こうとしているのは、最近街に現れるようになった化け物について何か知っているのではないか、明らかにただの人間とは思えない雰囲気と力を持つあの男なら何かを知っていてもおかしくない、そう考えたからだ。

 

 結果から言えば、その予想は合っていた。しかし彼らが思っていたのとは全く別のベクトルで、だが。

 

「しかし、どうも胡散臭えな」

 

 スカーレルの話ではあの男は、この街に現れるようになった化け物――「悪魔」というらしい――を何とかするために動いている、とのことだった。正直、すぐに信じられる話ではなかった。

 

「いけばわかるさ。……ただし、言っておくがガゼル、この前のような振る舞いはしないでくれよ」

 

 現在ハヤト達はバージルとの話し合いの場となった「告発の剣」亭に向かっていた。人数はハヤトを含めて四人。リィンバウムに召喚されたハヤトが戻れる方法を探してくれている召喚師クラレット、そして、召喚されどこに行くあてもなかった彼を受け入れてくれたフラットの少年ガゼル、後見人のレイド。

 

 それに「告発の剣」亭で待っているアキュートリーダーのラムダにメンバーで参謀役のペルゴ、元暗殺者のスタウトの三人を加えた八人で話し合いに臨むことになっていた。これは先日合った時と同じメンバーである。

 

「わかってるって!」

 

 レイドの小言にガゼルは辟易しながら頷いた。

 

「でも、本当に冷静になってくださいね。先日は運良く見逃してもらったようなものなんですから」

 

「うん、わかってるよ。クラレット」

 

 忠告にハヤトは頷く。確かにあの時、戦闘にならなかったのは運が良かったとしか言いようがない。少なくとも自分にはガゼルに剣を突きつけた動きが見えなかったのだ。もし戦いになっていたらどうなっていたかわからない。

 

 とにかく落ち着いて話をしよう、そう自分に言い聞かせながらハヤトは歩を進めていった。

 

 

 

 

 

「くだらんことに時間を割くつもりはない、手短に済ませろ」

 

 そして「告発の剣」亭に着いてそれぞれ名を教え合った後、バージルは開口一番にそう言ったのだ。いくらスカーレルの頼みとはいえ、馴れ合いに時間をかけるつもりはなかった。

 

「バージルさん、そんなこと言っちゃダメですよ」

 

 アティが諌める。彼女は本来この場にいるべき者ではないが、バージルでは話がこじれた時、どうにもならないと考えたスカーレルが同席を依頼したのだ。

 

 アティはバージルと先日まで十年近く、寝食を共にしてきただけあって彼のことをよく知っている。それにバージルもどこか、アティやポムニットには甘いとスカーレルは感じていた。

 

 そんな理由からアティにはバージルをうまく抑える役目を期待していたのだ。

 

「……結局あんたの目的はなんなんだ?」

 

「奴から聞いたのだろう? 同じことを言う必要はない」

 

 ガゼルの言葉をばっさりと切り捨てる。スカーレルが何を言ったかは既に聞いてある。何度も同じことを言うつもりはなかった。

 

「それじゃあ、なんであんなことをしたんですか?」

 

 今度はクラレットが尋ねる。

 

「何のことだ?」

 

 あんな、など曖昧な言い方をされてもバージルにわかるわけがない。もっと具体的に言わなければ答えようがなかった。

 

「先日、私達の目の前でこの街の人を殺したでしょう!? あんな、ひどい……」

 

 殺された男の最期の姿を思い出したのか、クラレットは顔を曇らせた。それを聞いてバージルは、悪魔を召喚していた男を殺した場に彼らが居合わせていたことを思い出した。

 

「その言葉、あの男に言ってやるべきだな」

 

「どういう意味だ?」

 

 ハヤトが疑問を呈す。その言い方ではまるであの男が街の人間を殺したようにもとれる。

 

「この街に現れる大量の悪魔、貴様らはこれが偶然だと思っているのか?」

 

 小馬鹿にするような口調、しかしレイドにはバージルの言わんとしていることが理解できた。

 

「まさか……」

 

「な、なんだよ? どういうことだよ?」

 

 よくわかっていないガゼルが声を上げる。そこにレイドと同じく理解できたハヤトが簡単に説明する。

 

「つまりは、この人が前に殺した男が、あの化け物共を呼び寄せていたってこと」

 

「ウソだろ!? いくらなんだって自分の住んでる街をメチャクチャにするワケねえだろ!?」

 

 ガゼルは孤児だ。身寄りもなく社会的地位も低い。その上、サイジェントの政策は彼らのような社会的弱者にも容赦がない。だから彼はそんな政治を行っている召喚師は嫌いだ。しかしだからと言って、これまで自分の住んできた街をメチャクチャにしようとは思わない。

 

「あの男は無色の派閥の人間だ」

 

「え!?」

 

 これにはアティも驚いた。彼女も無色の派閥とは無関係ではない。かつて派閥が島に乗り込んで来た時、戦った経験があった。あの時はバージルが壊滅させたからこちらに被害はなかったが、まともにやり合っていればただでは済まなかっただろう。

 

 何しろ無色の軍勢には慈悲はない。たとえもう動けなくなった者でも敵ならば容赦なく殺すのだ。正直、戦いたくはない相手である。

 

「無色の、派閥……?」

 

 ハヤトが繰り返す。リィンバウムに来て大分経つが、聞いたことのない言葉だった。もっともそれはガゼルも同じだったが。

 

「そこの娘に聞いたらどうだ?」

 

 指名されたクラレットがビクッと反応する。バージルは無色の派閥という言葉を聞いた時、彼女の目が不自然に泳いでいたのを見逃してはいなかった。

 

「クラレット……?」

 

 怪訝な様子でハヤトが顔を覗き込む。クラレットは少し青い顔をしながら少しの間黙り込んだ。

 

 そして心配そうに見つめるハヤトに辛そうに話しだした。

 

「……無色の派閥というのは召喚師の集団の一つです。そして、彼らの目的は世界を破壊し、自分達にとって都合のいい世界をつくること、です……」

 

 その様子をバージルは興味深そうに眺めていた。クラレットがまだ何か隠していることは間違いないだろう。だが、それを追及するつもりはかった。もはや悪魔召喚の原因が派閥であることは分かっている。たとえ彼女が派閥の構成員であろうと、それ以上の情報は得られないだろう。

 

 クラレットが幹部クラスの存在であるなら話は別だが、そもそも幹部がこんなところにいるはずがない。

 

「あなたはあの悪魔とか言う化け物を止めるという話だが、それはつまり、無色の派閥とも戦うつもりなのか?」

 

 レイドが言う。

 

「そもそもどうやって止めるつもりなんだ? あの無色の奴らが簡単に引き下がるとは思えないが」

 

 レイドとこれまで黙して話を聞いていたラムダが続けざまに口を開いた。

 

 この二人はかつて、サイジェントの騎士団に在籍しており先輩後輩の関係でもあった。当然、騎士団の職務上、無色の派閥との交戦経験もあり、彼らが決して油断ならない相手だということは嫌でも分かっていたのだ。

 

「最後の一人に至るまで殺し尽くせばいいことだ。何も難しくはない」

 

 バージルは平然とそう答えた。さすがの一言に二人とも一瞬目を見開いたが、すぐに反論しようとしたところをスタウトに制された。

 

「お二人さんにゃあ悪いが、たぶんこいつならやると思うぜ……なにしろこいつは紅き手袋の拠点を潰してる。それもたった一人でな」

 

 その言葉を聞いてバージルは思い出した。十年以上前になるが彼は一度スタウトと会っている。

 

「……そうか、たしかゼラムで会っていたな」

 

 あれはまだバージルがスパーダについて調べて回っていた時のことだ。偶然ゼラムでスカーレルと会った酒場の店長らしき男がスタウトだったのだ。

 

 その後スカーレルの依頼を受けることになり、バージルは一人で紅き手袋と交戦し殲滅している。スタウトがスカーレルが仲間であれば、その時のことを知っていてもおかしくはない。

 

「ああ、そうさ。……それにしても驚いたぜ、まさかまた会うことになるなんてな」

 

「あの時の三人が奇しくもまた集まるなんて、運命感じちゃうわね」

 

 スカーレルがくすりと笑う。

 

「……なるほど、実力は十分というわけか」

 

 ラムダが頷く。信頼できる仲間であるスタウトがそう言っている以上、疑うつもりはなかった。

 

「それでは、あなたの言う『悪魔』について教えていただけませんか? 今後現れた時のために参考にしたいのです」

 

「……お前に任せる」

 

 ペルゴの質問にバージルはアティに任せることにした。説明が面倒であるし、求められている戦闘のための知識であれば、実力の近いアティの意見の方がより適していると判断したのだ。

 

 確かにこの場で悪魔についてもっとも知識があるのはバージルで間違いない。しかし、人間が悪魔と戦う際に役立つような知識や教訓は持ち合わせていない。バージルの意見を参考にできるのは、同じように人間とは隔絶した戦闘力を持つ存在だけだろう。

 

 しかし、アティならば悪魔についての知識はバージルから直接教え込まれているし、島でも何度も戦った経験もある。おまけに教師をしているだけあって教え方も上手い。こうした場には適している人選だった。

 

「……わかりました。やってみます」

 

 アティとしても困っている人を見逃すことなどできない。悪魔に関してはまだまだ詳しくはないが、それでも助けになるのなら自分の教訓くらいは伝えようと思った。

 

「先に戻る」

 

 アティが話を始めるのを確認してバージルは席を立ち、スカーレルに伝えた。もはやこれ以上話すことはないだろうと判断したためだ。

 

 返事を聞かず店を出ると、いつの間にか空は雨雲に覆われており、今にも雨が降り出しそうな状況だった。

 

 暇つぶしのために古本でも買って行こうとも考えていたのだが、まずポムニットの待つ家まで戻ることにした。

 

 

 

 

 

 ハヤト達との会合から数日、サイジェントはこれまで悪魔が大量に現れていた反動か、あるいは派閥が人員の補充をできていないか、いまだ平穏を保っていた。そのためバージルもまた暇を持て余しており、ここ数日は古本を読んでみたり瞑想をして過ごしていた。

 

 ただ、せっかくアティも来たことだし、召喚術について学んでみるのもいいかもしれないと思い彼女の部屋まで来たのだ。

 

「何かあったんですか? 召喚術について知りたいなんて……」

 

「移動用にでも使えればと思ってな」

 

 さすがに召喚術を戦闘に用いようとは思わないが、移動手段としてなら利用価値が見出せるとバージルは考えていた。なにしろこれまでの移動手段はたまに船に乗ることが会っても、それ以外は徒歩だ。以前も考えたように竜や馬でも召喚できれば移動が格段に楽になる。おまけに必要な時だけ呼び出せばいいので、いちいち世話をする必要もない。

 

「う~ん、移動用ですか……それは少し難しいかもしれませんね」

 

「なぜだ?」

 

「私はそういうことに適した召喚獣を持っていませんし、新しい召喚獣を呼ぶにも誓約を結ぶ必要がありますし……」

 

「誓約か……、それは俺にもできるのか?」

 

 魔力や戦闘が必要というのであれば、全く問題ないだろうが、誓約と称するからには儀式めいたことが必要なのだろう。

 

「……正直、難しいと思います。成功させるには呼び出す召喚獣の『真の名』を知っていなければいけないんです。こうした『真の名』は、帝国では軍が管理していて、聖王国や旧王国でも召喚師の家系ごとに秘伝という形で守られているんです」

 

 こうした召喚術が自由に使えるのを防いでいるのは、その影響力の大きさ故だ。リィンバウムの発展を語るうえで召喚術は欠かせない。それゆえそれを行使する召喚師は特権的な階級にあるのだ。

 

 召喚師が召喚術を外部に漏れないようにしているのは、そうした利権が脅かされることを恐れいているのが一因である。

 

「それはつまり、俺に召喚術は使えないということか?」

 

「必ずしもそうじゃありません。誰かが誓約したサモナイト石があれば召喚はできます。……ただ、問題はサモナイト石も厳重に管理されていることですけど……」

 

「…………」

 

 バージルは考え込んだ。召喚術を使う以外にも移動を効率的に行う方法はある。悪魔が用いる移動術を使うことだ。これは広大な魔界を行き来するために生まれ持った力ともいえるものであり、悪魔が人間界に現れる際にもこの方法を用いている。

 

 しかし、バージルはこの移動法自体を知っていても、使ったためしはない。発動に多少の時間がかかる都合上、近距離の移動にはエアトリックの方が適している。また、遠距離の移動でもこれまでは差し迫った事態がなかったことが使用してこなかった原因だった。

 

 そのためこれから習得するにはそれなりの時間がかかるだろう。魔具の扱いなら初めて持った物でも使いこなすことができるが、この移動法はどちらかと言えば幻影剣などの魔術に近いのだ。一朝一夕でできるものではない。

 

「あの、試してみます? 私、色々とサモナイト石を持ってますし」

 

 黙り込んだバージルにアティが提案した。

 

 召喚術か魔術か。すぐに結論を出す必要はない。今回の一件が片付くまでに結論を出していればいいだろう。今はそのための判断材料を集めるべきなのだ。

 

「……そうだな、やってみるとしよう」

 

「それじゃあ、まずはバージルさんと相性のいい世界を調べるので、このサモナイト石をひとつずつ持ってください」

 

 アティは机の上に四つのサモナイト石を並べた。それぞれ各四界に対応しており、ロレイラルが黒、シルターンが赤、サプレスが紫、メイトルパが緑だ。それ以外にも名も無き世界に対応する無色のサモナイト石があるが、これは召喚術の素養さえあれば誰でも召喚できるため今回は除外した。

 

「うん、バージルさんならどの属性も大丈夫みたいですね!」

 

 一通りサモナイト石を持ってみると、バージルはアティと同じくどの世界に属する召喚術も扱えるようだった。もっとも扱えるからといって強力な召喚術が使えるというわけではないのだが。

 

「それじゃあ、まずはこれを使ってみましょう」

 

 そう言って差し出したのは刻印の刻まれた緑のサモナイト石だった。刻印は召喚獣と誓約をした証であり、これを使えば誓約した本人でなくともその召喚獣を呼び出すことができるのだ。こうしたサモナイト石を特に召喚石と呼ぶこともある。

 

 その召喚石をバージルの手に握らせその上から、アティは自分の手を重ねた。

 

「魔力を集中してください。……そして呪文を私の後に続いて言ってください」

 

 アティが口にする呪文を口にする。

 

 しかし、その過程でバージルの胸中にふと疑問が浮かんだ。

 

 召喚術はサモナイト石で召喚の門(ゲート)を開き異世界の召喚獣を連れてくる技術だ。しかし、同時にリィンバウムと各世界の間には、エルゴの王が四界からの侵攻を阻むために張ったと言われる結界が存在する。

 

 果たして召喚術はその結界に対してどのような影響を与えているのだろうか。少なくとも良い影響は与えていないだろう。もちろん何の影響もなければそれでいいが、もし悪い影響を与えているとすれば、いずれ結界は破壊され、リィンバウムは四界からの脅威にも晒される可能性もあるだろう。

 

(さすがに荒唐無稽すぎるか……いや、しかし、あるいは……)

 

 自嘲気味に呟く。所詮はなんの根拠もない憶測に過ぎない。

 

 それでも少し考えたことがあった。

 

 かつてリィンバウムに結界が張られる前までは常に四界からの侵攻の脅威にさらされていたのだ。それはつまり比較的容易に世界を移動する方法があったということを証明している。したがって、結界さえなくなれば人間界に戻れるかもしれないのだ。

 

(戻る、か……)

 

 これまで全くと言っていいほど考えてこなかった人間界への帰還。ふとしたことからそこまで考えが至ったが、もし本当にそうなった時、自分はどうするのだろうか。

 

(……くだらん)

 

 これまで、考えたことはすべて想像の産物だ。実現する保証は全くない。そのため、バージルは頭を切り替えて召喚術に集中することにした。

 

 しかしまさか、くだらぬ想像と切って捨てた想像が現実になる、そんな事態がすぐそこまで迫っているとはさしものバージルも思っていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 




思ったより筆が進んだので比較的早く投稿できました。

ご意見ご感想お待ちしております。

ありがとうございました。


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第28話 覚悟

 サイジェント街から一時的にせよ悪魔は消えた。しかしそれで問題が全て解決したわけではない。これまで対立していたフラットとアキュートは、悪魔への対応のため一時的にでも手を組んだことが関係改善の糸口となり、和解することができた。

 

 これはもともと、どちらのグループも私利私欲のために動いているわけではないからできたことだ。

 

 しかし、フラットにはまだ敵対しているグループがあった。北スラムの不良グループ「オプテュス」である。これまでの何度も戦ったことがあり、その都度フラットが勝利してきたが、オプテュスのリーダー、バノッサは執拗に何度も勝負を挑んできているのだ。

 

 それでも悪魔が現れていた頃は大人しかったようだが、昨日オプテュスは幾度目かの戦いを挑んだという。

 

「……要は、俺にあいつらを探せ、というわけか」

 

 バージルはスカーレルの家で私室として使っている部屋で、窓から外を眺めながら呟いた。

 

 後ろにはアティがいる。彼女は先日の「告発の剣」亭でフラットと面識ができて以来、たまに彼らが住み着いている孤児院でそこに住む子供のために授業を行っていた。今日もいつものように出かけて行ったのだが、普段より早く帰ってくるとバージルに相談を持ちかけたのだ。

 

「はい……、リプレちゃんもすごく心配しているみたいで……。バージルさんなら探してる人の場所もわかるんですよね?」

 

 アティはそのリプレというフラットの家事全般を引き受けている少女から、ハヤト達がいなくなったことを聞いていた。また当然ながら、今のフラットにはリプレとアティが授業をしていた三人の子供しかいないため、また悪魔が現れたらと思うとアティは気が気ではなかった。

 

 バージルは溜息を吐きながらも頼まれた通り、フラットの魔力を探っていく。

 

「……いないな。少なくともこの街の周辺には」

 

 周辺の魔力を探ったバージルはその結果を伝えた。ただ、いくらバージルの感知能力が高くとも、人間程度の魔力を広範囲に渡って探ることはできない。できてこの街の周辺までだった。

 

「街の周辺にはいない……?」

 

 バージルの言葉を繰り返した。リプレの話では彼らが出かけて行ったのは夕方より少し前、戦いの舞台がどこかは不明だったが、街からそれほど離れていないだろう。

 

(まさか、みんな……)

 

 一瞬、最悪の事態を想像するが、すぐにそれを取り消した。オプテュスとの戦いにはアキュートも協力しており、中でもレイドやラムダは騎士団でも指折りの実力者だったのだ。いくら相手が強かったとしても全員が命を落とすとは考えにくい。

 

「……あいつらは戻らないというが、オプテュスとかいう奴らは戻ったのか? 北のスラムにはほとんど人がいないようだが」

 

 ここに来た時バージルはスカーレルからこの街についてある程度教えられていた。その際にオプテュスと彼らが根城にしている北のスラムについても説明を受けていたのだ。

 

 だからこそ、さきほど魔力を探った時に北スラムの人が少ない事が気になったのだ。これまで負け続けだった仇敵に勝ったのであれば、バカ騒ぎしていてもおかしくはないのに、今の北スラムは人すらまばらなのだ。

 

「バージルさん、もしかして……」

 

 何かに気付いてようにアティが言う。対してバージルは窓の外を眺めたまま目を細めた。

 

「おそらく、お前の思った通りだろうな」

 

 彼の視線の先には足早に去っていく男の姿が見えた。フードがついたローブを着ていたため顔はわからない。しかしその男は先程まで探るようにこの家を見ていたのだ。

 

 かつてのスカーレルならまだしも、今の彼に探りを入れる理由はない。おそらく男の目的はバージルだ。そしてその裏で糸を引いているのは。

 

「無色の派閥。あの愚か者どもが関わっている」

 

 侮蔑するように薄く笑いながら断言する。バージルの力を知っていて、なおかつ探りを入れなければならないのは無色の派閥か、それと協力関係にある紅き手袋だけだ。どちらもバージルから手痛い被害を被っている。特に無色の派閥は潰された拠点だけでも五十を超える。彼らにしてみればまず第一に警戒すべき相手に違いない。

 

 だからこそ、彼らは探りを入れているのだ。力で劣るのならば戦力を増強するとともに情報を収集し、力の差を少しでも埋めることが肝要だ。その観点からいけば探りを入れること自体は正しい。しかし、無色の派閥はバージルの戦闘力ばかりに気を取られ、重要なことに気付いていなかった。

 

 すなわち、探りを入れるということは、探りを入れられる、ということでもあるのだ。

 

 既に今回の一件が無色の派閥の企みであることは看破され、バージルはそれを叩き潰すつもりでいる。それはつまり、今後彼らがサイジェントで行動する場合はバージルに感知される可能性が高いということだ。

 

 もはや無色の派閥は正面からバージルと戦わなければならないのである。

 

 

 

 

 

(みんな、あんなに強がって……)

 

 焦りを含んだ思いが胸中に燻り続ける。彼女は先程まで再びリプレと子供達のもとへ行っていた。表面上はみんな元気そうにしていたが、長く教師をしているアティは、内心では不安でいるのを感じ取っていた。

 

 いくらリプレがしっかりしているとはいえ、まだ十七歳の少女なのだ。家族のように親しい者達がいなくなって不安にならないわけはないのだ。

 

 だからこそ、早く仲間を見つけてあげたい。そう思うのだが、ハヤト達の行方不明にも悪魔の出現にも無色の派閥が関与している可能性が浮上している以上、軽率な動きはできない、してはならない。派閥の恐ろしさはアティも身を持って体験していた。

 

「無色の、派閥……」

 

 以前アティは無色の派閥と戦ったことがある。派閥が遺跡を手に入れるため島に上陸してきたときのことだ。その時、アティ達とともにその場に居合わせた帝国軍は、もはや戦う力が残っていなかったにもかかわらず、二人を残して派閥の兵士に殺された。ゴミ共の始末と称して。

 

 戦えない人も容赦なく殺す派閥のやり方は決して許せない。しかし、派閥の名を聞くとアリーゼを失いかけたあの時のことが今でも蘇るのだ。

 

 確かに今は、もうあの時感じた恐怖はない。あの時持っていなかった力も持っている。それでもアティは思ってしまう。果たして今の自分は誰かを守れるような力があるのか、と。

 

(これまでだって、ずっとバージルさんに、おんぶにだっこだし……)

 

 派閥との戦いの時も、遺跡から悪魔が湧いて出た時も、これまで関わってきた大きな戦いはバージルがたった一人で終わらせてきたのだ。アティ自身も戦いに身を投じ、その結果大切な人達の命を守ることができたが、果たしてそれは自分の力によるものかと問われれば、否であると答えるだろう。

 

 頼もしく気の置けない仲間と共に戦えたから守ることができたのだ。自分一人で守ることができたとは到底言えない。

 

 だからこそアティは自分の力に自信が持てない。より正確に言えば自分の持つ力がどれほどのものか、客観的に見ることができないから自信が持てないでいるのだ。

 

 もとより彼女が、自身の力である魔剣碧の賢帝(シャルトス)を使うことなど滅多にない。使うのはいつも差し迫った危機に直面したときだけである。

 

 これで力を把握しろというのは無理な話だ。

 

「……このままじゃいけないよね」

 

 だからこそ彼女は一つの決断をした。

 

 いつのまにか家に着いていたようで、ドアを開けて中に入る。そしてソファで本を読んでいたバージルの前へ行った。

 

「……何だ?」

 

 本から目を逸らさずバージルは答えた。

 

「私と、戦ってください」

 

 それがアティの出した答えだった。

 

 

 

 

 

 サイジェント郊外の荒野にバージルとアティはいた。

 

 さきほどのアティからの求めに応じ、戦うためにここに来たのだ。バージルはいつもの青いコートが洗濯中だったため、インナーの黒いシャツを着ているだけだった。

 

「……お願いします」

 

 アティが碧の賢帝(シャルトス)を握る。すると姿が変わり巨大な青い魔力が彼女を包んだ。

 

 この戦いの目的はアティが自分の持つ力を知ることだというのは、バージルにも伝えてある。そのためかいつもの閻魔刀を使うつもりはないようで、右手にはかつて手にした父の形見フォースエッジほどの大きさの青く大きな幻影剣が握られている。それがコートの着ていないバージルのイメージカラーを象徴していた。

 

「Let's have some fun,Come on」

 

 幻影剣を持っていない手で手招きする。

 

 それが開始の合図となり、アティは碧の賢帝(シャルトス)を大きく振りかぶり、袈裟掛けに振り下した。

 

 強大な魔力を宿した一撃をバージルは幻影剣で受け止める。そこらのありふれた剣であれば碧の賢帝(シャルトス)の一撃を受け止めることなど到底できなかっただろう。

 

 しかしこの剣は違った。通常の幻影剣は、耐久性は高くなく人間でも破壊することは不可能ではないが、バージルが手にしている両手剣サイズの幻影剣は込められている魔力が桁違いなのか、碧の賢帝(シャルトス)の一撃を受け止めてなお、悠然とその姿を保っていた。

 

「ぐっ……!」

 

 鍔迫り合いの格好となったが、いくらアティが魔剣の力で身体能力が大幅に上昇したといっても、相手は正真正銘規格外の存在、バージルだ。いくら手加減されているとは言え、押し切れるわけがない。

 

「…………」

 

 無言で碧の賢帝(シャルトス)を弾き上げる。しかし、がら空きになった体に追撃はしない。

 

 この戦いはあくまでアティの力を理解させるものだ。バージルもそれを十分に分かっている。そのため魔を食らう魔剣である閻魔刀は使わず、幻影剣を使っているのだ。すぐに決着をつけては意味がない。

 

「はああっ!」

 

 掛け声と共にアティが再び攻勢をかけた。だが、今度は鍔迫り合うことはせずに、速度に重点を置いた剣撃で攻めた。速度重視とはいえ並みの召喚獣であれば一撃で戦闘不能になりかねないほどの威力があった。

 

「…………」

 

 バージルは無言を保ったまま、その連撃を全て防ぎきっていた。幻影剣は碧の賢帝(シャルトス)より大きいため、取り回しのよさで言えば劣るものの、バージルはそれを自身の身体能力と剣速で補っていた。

 

「So slow」

 

 これまで受けに回っていたバージルが攻めに転じた。直前までのアティの剣撃を上回る力と速さの連撃だ。

 

 それでもアティは一撃、二撃と防いでいくが、反撃に移る余裕も隙も無く守りに徹するので精一杯だった。

 

「っ!」

 

 一歩踏み込んだ刺突にも反応し、辛うじて碧の賢帝(シャルトス)による防御が間に合ったが、バージルの一撃は予想以上に重く強烈でアティは数メートルほど吹き飛ばされてしまった。

 

「はあ、はあ……やっぱり、強いですね……全然敵いそうにないです」

 

 大したダメージはなかったものの、立ち上がったアティは息が切れていた。

 

 バージルの強さはこれまで何度か目にしており、理解もしていたつもりだったが、こうして戦ってみるとその凄まじさをあらためて理解させられた。

 

 もちろんアティは勝てるとは思ってなどいない。それでも、もう少し戦えるとは考えていたのだ。

 

「その力をもっと使っていれば、少しはマシになっていたかもしれんがな」

 

 バージルは今でも力を高めることに余念がない。しかし、アティは争いごとを好まず、平和な時も教師としての仕事がある。それゆえ、力を衰えさせないようにするのが精々なのだ。

 

 そう考えればこの結果も当然なのかもしれない。

 

「まだ、終わりじゃありません!」

 

 確かに全力の剣撃は出し切った。しかし、まだ魔力を使った攻撃は使っていない。

 

 碧の賢帝(シャルトス)を掲げ魔力を集中させる。魔剣の刀身に青白い魔力が満ちていく。バージルはそれを見つめているだけだ。

 

「Hm...」

 

 正直、その気になればこの隙にいくらでも攻撃を叩き込めるだろう。しかしバージルは攻めるつもりも、避けるつもりもなかった。

 

「これで、最後です!」

 

 掲げた碧の賢帝(シャルトス)を振り下す。込められた魔力が光の帯を形成し、バージルに向けて放たれたのだ。

 

 バージルは幻影剣を風車のように回転させ、魔力の帯を受け止めた。一見すると大道芸のようにも見えるが、彼のような技量を持つ者が行えば音速を超えて迫る銃弾をキャッチすることすら不可能ではないのだ。

 

 もしこれを閻魔刀で行えば魔力そのものを喰らい尽くし、消滅させることも不可能ではないが、魔力で造られた幻影剣でできるのは魔力を散らし霧散させるのが精一杯だ。それでも無効化できるのに変わりはないが。

 

「はあ、はあ……ありがとうございました」

 

 魔力が消え去って、なお平然としているバージルに言って、へたり込んだ。ここまで力を使ったのはいつ以来だろうか。

 

「あの……」

 

 息を整えながら言う。

 

「何だ?」

 

 いつの間にか近くまで来ていたバージルが答えた。その手にはもう幻影剣はない。

 

「私にみんなを守る力はありますか?」

 

 ある意味ではアティが手にする力を理解できなかった原因はバージルにもあった。アティは圧倒的なバージルの力と自分の力を無意識に比較していたため、自分の力を過小評価してしまい、正確に理解できなかったのだ。

 

 だからこそ、アティは戦いを挑んだ。確かに目的は己の力を知るというものであったが、それは確かに戦いの中で力を使うことで理解するという意味もあったが、バージルにも評価してもらうという意味もあったのだ。

 

「……俺に挑んだのはそのためか」

 

「えへへ……、バージルさんなら公正に判断してくれるってわかっていましたから」

 

 アティの狙いを悟り、やれやれと額を押さえたバージルにアティは笑いかけた。

 

 そして少し間を置いてバージルは口を開いた。

 

「……確かにお前の力は人間にしてはやる方だ。たとえフロストが相手でも問題あるまい」

 

「フロスト……あの遺跡に現れた氷の悪魔ですよね?」

 

「そうだ」

 

 あの時アティが戦ったフロストは一体だけだった。碧の賢帝(シャルトス)こそ最後に使ったが、それでもカイル一家や護人とともに猛攻を加えてやっと倒した悪魔だった。

 

「あの、無色の派閥とはどうですか?」

 

 フロスト以上の力を持っていることがわかっても、やはり一番知りたいのは今後戦う可能性が高い無色の派閥とのことだった。

 

「……その気になれば、俺と同じことはできるだろう」

 

 少し考えてから言った。言葉通り、アティにその気さえあればバージルが島で派閥との戦いで見せたのと同じ結果を齎すことができるだろう。

 

「……はい」

 

 バージルと無色の派閥の戦いは、もはや戦いとすら呼べず一方的な殺戮。血と悲鳴が蔓延するこの世の地獄。それを再現できると言われたアティは、あらためて剣の力を思い知らされた。

 

「……ただ、その力で守れるかどうかは知らん。お前次第だ」

 

 力は意思を持たない。どんな力だってそれを使う者の意思によって変わる。所詮は道具と同じなのだ。人の役に立つよう造られものでも、使い方次第では人を傷つける凶器となりうるのだ。

 

 逆に人を害する悪魔の力でも、スパーダのように使い手次第では人を守ることにも使えるのだ。

 

「そうですよね、ありがとうございます」

 

 どんなときでも自分は守るためにこの力を使う。決して誰かを傷つけるために使わない。アティはそう心に決めた。

 

 

 

 

 

 サイジェントのある北部インダリオス地方南部の荒れ地に無色の派閥のオルドレイク・セルボルトはいた。手勢を率いここまでやってきた彼は配下から現在のサイジェントの報告を受けた。

 

「バノッサ……思ったよりはやるようだな」

 

 オプテュスのリーダーの名を口にする。オルドレイクはオプテュスに武器などの物資を援助し、悪魔召喚の邪魔をしていたフラットと戦わせたのだ。

 

 ただ、いくら物資を援助していたとはいっても、フラットを始末することまで期待したわけではない。精々、半数に手傷を負わせ戦力を落とせれば御の字と考えていたのだ。

 

 それを追い詰めたのだから期待以上の働きをしたのだ。もっとも、死体を確認することはできなかったため、まだ生存している可能性は十分にあるが。

 

「とは言え、いくら出来損ないでもそれくらいやってもらわねばな」

 

 バノッサはオルドレイクの血を引く実の息子だった。もっとも召喚術の才能はほとんどなかったのでずっと昔に捨てたのだが。

 

 そしてそのバノッサは、オルドレイクの率いている無色の軍勢と合流しこの野営地にいた。彼にはこの後にやってもらわなければならない役目があるのだ。

 

 もっともそれはまだ先のことで、当面は新たなサイジェントの支配者にさせるなどと吹き込み、こちらの手駒として動いてもらう予定でいた。

 

「後は奴の注意を引きつけなければな」

 

 オルドレイクの唯一の懸念材料、バージル――銀髪の男であり、名前は今回の報告で分かった――のことだった。オプテュスと合流したとはいえこちらの戦力にはまだ不安があり、この野営地では今後必要な儀式を行う準備も行っている。数日後には後詰の軍勢が合流する予定だが、それまでにこちらに気付かれたら元も子もない。

 

 オルドレイクは部下を呼び、ある命令を下した。

 

 それは再びサイジェントで悪魔の召喚を行うことだ。これは彼と協力関係にある悪魔からの要請であり、バージルをサイジェントに釘付けにする方策でもあった。

 

 これまで行動からバージルは悪魔の召喚を止めようとしていると思われる。だからこそ再び悪魔を出現させることで注意をサイジェントに向けさせるのだ。

 

 しかし、それは同時に悪魔を召喚できる貴重な人間を死地に送り込むことでもあった。いまだ研究が進んでいない悪魔の召喚できる者は無色の派閥でもオルドレイクの教えを受けた数十人だけなのだ。

 

 だが、そうでもしないとあの男の目を欺くことなどできない、そうオルドレイクは確信していた。例え貴重な人材を失おうとこの計画に失敗は許されない。

 

「ククク、あと少し……あと少しだ……」

 

 笑い声が響く。狂気に満ちた悪意は、もはや誰にも止められない。

 

 束の間の平穏は終わりを告げようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




第28話いかがだったでしょうか。

ご意見ご感想お待ちしております。

ありがとうございました。


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第29話 悪魔の再来

 サイジェントに再び悪魔が現れた。それはようやく平穏を取り戻し始めていた住民を、恐怖のどん底に突き落とすのには十分だった。

 

 どうしようもない悪意と暴力に晒された彼らは、ただ大切な者を失っていく悲しさから、憎しみと怒りを募らせるしかなかった。ただし、その対象は襲いかかってくる悪魔ではない。

 

 憎しみと怒りの矛先となったのは、自分達を守ってくれない領主と召喚師、そして騎士団だった。領主と召喚師は騎士団に守られた城に籠り、住民のことなど顧みずに安全の生活をしていることが我慢ならなかったのだ。

 

 そして騎士団には以前よりも早いペースで数を増していく犠牲者に「何のための騎士団だ」と声を上げたのだ。

 

 連日、城の前に集まり憎しみと怒りのままに罵声を浴びせていく人々は、悪魔にとっても、それを召喚する者にとっても、まさに格好の標的であった。

 

「ひどい……」

 

 城の前の広場にはいくつもの死体が倒れており、辺り一面が血の池地獄と化していた。

 

 広場は既に立ち入りが制限されていたが、遠巻きに見るだけでも犠牲者の数が、両の手足の指では足りないことは分かった。

 

 彼らは皆、悪魔に殺されたのだ。領主に声を上げるため集まり、その不満から一部は暴徒寸前で、もはや騎士団との激突も時間の問題となった時、悪魔が現れたのだ。

 

 ただでさえ、一色触発の緊張した状況だったのだ。そこに悪魔が現れたとあっては、もはや表現できないほど混乱を極めていただろう。

 

 連携して悪魔にあたれば悪魔にも勝利できる騎士団の面々も、この状況では満足に連携もできず、個々に戦うしかなかった。

 

 そのため、これまでで最も多い犠牲者という最悪の結果をもたらしてしまっていたのだ。

 

「やはり、ここは終わっているか」

 

「バージルさん……」

 

 後ろから声をかけられたポムニットが振り返る。

 

 今回悪魔が現れたのは四ヶ所。そのうちの一つはフラットが住み込んでいる孤児院の近くだったため、アティは悪魔の対処とリプレ達の無事を確認に向かった。

 

 バージルは孤児院とこの広場以外の二ヶ所の対応に行っており、そちらが片付いたため、最後の一つであるここに来た。もっとも悪魔が既にいないことは分かってはいたが、買い物に行ったはずのポムニットが、ここにいるようだったので来てみたのだ。

 

「何を呆けている? 終わったなら戻るぞ」

 

「……はい」

 

 ポムニットは買い物の最中にこの広場から、大勢の人々が血相を変えて逃げてくるのを見て、様子を見に来たのだ。

 

 逃げる人々の邪魔にならないよう遠回りをしてきたため時間がかかり、来た時には既に悪魔は倒されており、広場の周囲は騎士団によって立ち入りが制限されていた。

 

 ポムニットが悪魔に殺された人を見るのはこれが初めてではない。しかし、何度見てもあの光景は慣れそうになかった。

 

 

 

 

 

 二人は主がいなくなった「告発の剣」亭に戻った。アキュートの面々も行方不明となった以上、店を閉めてもなんら問題はなさそうだが、スカーレルは毎日掃除などの日常管理を行っていた。

 

 それにはポムニットやアティも手伝っており、実質的にこの「告発の剣」亭が仕事場となっていた。

 

「あら、おかえり、そっちは片付いたようね」

 

 スカーレルが二人を迎えた。店の中には既に戻っていたらしいアティと一人の少女、三人の子供がいた。

 

「あ……、お邪魔してます」

 

 その中の最も年長らしい少女が言った。ただ、バージルはその少女との面識がなかったため、彼女たちのことをスカーレルに尋ねた。

 

「誰だ、そいつらは?」

 

「ふふ、先生のお客さんよ。……そうだポムニット、あなたも手伝ってくれる? これからお昼作るから」

 

「わかりました」

 

 スカーレルは暗い顔をしているポムニットのことを気にしたのか、彼女に手伝いを頼んだ。何かしていれば気も紛れるだろうと気を遣ったのだろう。

 

 そのことはポムニットも理解していたが、スカーレルの好意をありがたく受け取ることにした。いつまでもウジウジしていてもしょうがないのだ。どこかで折り合いをつけるしかない。

 

 バージルはいつもここに来た時に座っているカウンター席に陣取り、アティに声をかけた。

 

「それが前に言っていた奴らか?」

 

 例のフラットの孤児院でアティが気にかけていた者達のことを思い出した。今回悪魔が現れたのが孤児院の近くだったため、連れてきたのだろう。

 

「ええ、そうです。悪魔に襲われそうだったので、とりあえずここに連れてきました」

 

 アティが孤児院を訪れた時、悪魔はすぐそこまで迫っていた。幸いすぐに倒したため犠牲者も怪我人も出なかったが、あと少し着くのが遅かったら最悪の事態になっていたかもしれない。

 

 そう感じたアティはリプレに無理を言って、三人の子供たちと一緒にここまで連れてきたのだ。

 

 少なくともここなら自分も近くにいるし、スカーレルもいる。そしてなによりもバージルがいる。この街で最も安全な場所と言っても過言ではないのだ。

 

 ちなみに子供の名は、活発そうな女の子がフィズ、彼女の妹でいつもぬいぐるみを抱いているのがラミ、唯一の絆創膏をした男の子がアルバと言った。三人とも現状に大きな不安を抱いているようだった。

 

「すいません……」

 

 バージルの機嫌が悪いように見えたのか、リプレが申し訳なさそうに謝った。もちろん当の本人は別に気を悪くはしていない、いつも通りである。もっともバージルの顔は、見る人によってはいつも機嫌が悪そうに見えるかもしれないが。

 

「こいつが決めたことだ。好きにすればいい」

 

 この店は自分のものではないのだ。ここにいるのにわざわざ許可を取る必要などない。

 

「そうよ、ここの人達には言っておくから、しばらく居なさいな」

 

 実際スカーレルはラムダからアキュートが不在の時の管理を頼まれていた。当初は彼らがいない間に客が来ても怪しまれないようにという理由だったが、悪魔が現れるようになってからはフラットと協力体制をとったため、彼らとの連絡・調整役も頼まれていたのだ。

 

 そのためアキュートとは顔が利くのだ。もちろん彼らはフラットの仲間であるリプレ達をここに置くことを断りはしないだろう。ラムダは冷徹ではあるが、優しい男なのだ。

 

「でもずっとお世話になりっ放しっていうのも、悪い気がして……」

 

「そうねえ……それならあなたも手伝ってくれる? 何か簡単なものでも作ろうかと思っていたのよ」

 

 このあたりスカーレルはさすがだ。役割を与えることでリプレが気を遣わなくともいいように振舞っている。こうした言動は一朝一夕に身に着くものではない。豊富な人生経験があるからこそ為せることなのだろう。

 

 リプレが料理を手伝うために厨房へ行くのを見たアティは、今度はバージルを見ながら尋ねた。

 

「こっちは悪魔を倒すことはできましたけど、それを呼んでいる人を見つけることはできませんでした。……バージルさんの方はどうでした?」

 

 今回、アティの第一の目的はリプレと子供たちの無事を確認することだった。そのため悪魔を召喚しているだろう無色の派閥の者を見つけることはどうしても後回しにしなければならなかった。

 

 召喚される悪魔を倒し続けることは所詮、対症療法の域を出ない。この事態を打開するには召喚する者を倒すといった抜本的な対策が必要だった。

 

「一人は始末した。もう一ヶ所の方は悪魔を倒しただけだ」

 

 悪魔が現れてから最初に向かった場所は、すぐに行けたため召喚した人間に逃げる暇を与えず始末できたが、さすがに二つ目に赴いた場所では多少時間が経っていたこともあって、派閥の者は周囲の逃げ惑う住人に紛れてしまっていたようで、見つけることは出来なかったのだ。

 

「……殺したんですよね?」

 

 おそるおそる聞くアティにバージルはさも当然のように答えた。

 

「当然だ」

 

 悪魔が召喚されれば十中八九、何の罪のない者が命を落とすことになる。命令を下している無色の派閥も話し合いに応じるような相手ではない。もはや四の五の言っている場合ではない事くらい理解している。それでもアティはいまだバージルのやり方に納得できないでいた。

 

 それでも今、サイジェントの街を守っているのは紛れも無くバージルだった。たとえ本人に守る気はないにしても、彼が悪魔を倒していなければ既にこの街の住人の半分は死んでいたかもしれない。皮肉なことではあるが、それは無視できない事実なのである。

 

「…………」

 

 それが分かっているからこそアティは何も言うことができなかった。それでもアティはどうしようもない無力感を感じていた。

 

 そこへポムニットが、スカーレルと共に作った温かいスープを配りに来たのだ。

 

「先生はがんばっているじゃないですか」

 

「え?」

 

 思っていることが顔に出ていたのか、そう言われてアティはきょとんとした。

 

「……私は、何もできませんでした。何度も悪魔に殺された人を目にしても戦おうなんて思えなかった……、でも先生は違います。みんなを守ろうと必死に戦っているじゃないですか」

 

 ポムニットはもう、体に眠るサプレスの悪魔の力をコントロールすることはできる。しかし、戦闘を忌避する彼女では、よほどのことがない限り力を行使することはなかった。

 

 それは彼女自身が自分の力が好きではないためであったが、決してそれだけではない。ポムニットは戦いで自分の力を必要とされてはいないと思っていたのだ。事実、恩人であるバージルもアティもポムニットよりもずっと強い。島にいた間もその二人に加えて護人もいたため、ポムニットの力が必要とされる機会はなかったのだ。

 

「……でもね、やっぱりすごく悔しいよ……もっと他の方法があったんじゃないかって思っちゃうの」

 

 頭では理解できても、心が納得できないのだ。命の大切さを誰よりも知るアティだからこそ、命が奪い奪われていく現状は、他の人以上に辛いものだった。

 

「それでも、やってきたことまでは否定しないでください。先生がいたからあの子達は助かったんですよ?」

 

 スカーレルに配られたスープを飲んで緊張が切れたのか、肩を寄せ合って寝息を立てている子供達を見ながら言った。

 

「そうです。先生が助けてくれたから私達はこうして生きているんです」

 

 スカーレルから任され、手際良く料理を作っていたリプレもポムニットに賛成した。

 

「……ありがとう」

 

 スープを一口飲んで礼を言う。体だけでなく心も温かくなった気がした。二人の言葉はアティの心に響いたのだ。

 

 決して納得できたわけではない。悔しさがなくなったわけではない。それでも、いや、だからこそ自分にできることをこれからも続けていくと決心したのだ。

 

 もちろん全てを救えるとは思わない。しかしそれでも、一人でも救えるのであればやらない理由はどこにもないのだ。

 

 そんなアティの様子を見たスカーレルがいつになく真面目な顔をして口を挟んだ。

 

「センセ、張り切るのはいいけど、何もかも自分で背負い込んじゃダメよ」

 

 スカーレルは、アティが全てを背負い込もうとする癖があることを知っていた。どんな時も自分で解決しようとしては体が持たない。いつか背負った重みで潰れてしまうのではないかとスカーレルは心配しているのである。

 

「大丈夫ですよ。バージルさんも手伝ってくれるみたいですし」

 

 手伝うとは言っても、これまで通りに悪魔と戦うだけである。それでも悪魔による犠牲者は、何としてでも防がなければならない現状を考えると、バージルの行動はこの上ない助けであることは間違いなかった。

 

 もっとも、バージルにも彼なりの理由があったからこそ行っていることではあるが。

 

 しかしスカーレルはそう捉えてはいなかった。確かにバージルはこれまでもサイジェントに現れる悪魔を倒していたが、今回、再び現れるようになり、以前にも増して積極的に倒しているように思えたのだ。

 

「あら、引っ張られパなしかと思ったら、しっかりと手綱は握っているのね、やるじゃない」

 

 その理由をスカーレルはアティにあると考えたため、そう言った。

 

 なにしろ、あの論理的で利己主義なバージルに協力させているのだ。

 

「ち、ちが、違います!」

 

「…………」

 

 必死に否定するアティとは違い、バージルは無視を決め込んでいた。今のスカーレルのような相手にいくら否定しても意味はない。余計からかわれるのがオチだ。

 

「それなら、センセの魅力で骨抜きにしちゃったの? 意外とヤルわね」

 

「み、魅力って……」

 

 スカーレルの冗談めかした言葉を真に受けたアティは顔を赤く染めて黙り込んだ。

 

「否定的にならなくても大丈夫よ、センセはまだまだ魅力的だから。……二人もそう思うでしょ」

 

 スカーレルに同意を求められたポムニットとリプレはこくこく頷いた。

 

 なにしろアティは実年齢はともかくとして、見た目はバージルと出会った時と大して変わらない。ポムニットと並んでも同年代にしか見えないだろう。

 

「そ、そんな……」

 

 言いつつアティは視線をバージルの方へ向ける。さすがにバージルがそんなことで協力することはないと思っているが、それでも自分のことをどう思っているのかは気になる。

 

 あらためて見るバージルは確かに最初に会った時と比べ、より精悍さが増しているとアティは感じた。年齢的にはもう壮年と呼ばれてもおかしくはないが、少なくとも容姿からはまだ二十代といっても通じるだろう。

 

「……何だ?」

 

 バージルは自分に視線を向けているアティに声をかけた。

 

「え? あ、バージルさんは若く見えるなーって……」

 

「人のことは言えんと思うがな」

 

 バージルもアティの年齢に言及する。彼女の年齢は自分とたいして変わらないはずだ。にもかかわらず容姿が変わっていないのは魔剣の影響かもしれない。

 

「えへへ……そうですか?」

 

 バージルの言葉を褒め言葉と捉えアティは少し照れくさそうにはにかんだ。

 

 アティも女性の端くれだ。若く見てくれることは素直に嬉しい。それも気になっている人からであれば尚更だ。

 

 もっともバージルはそんな意味で言ったのではないが。

 

「はいはい、そのへんにしてそろそろご飯にしましょ」

 

 二人のやり取りに笑いながらスカーレルが言った。その手にはパスタとサラダを持っている。さきほどから作っていた料理はこれだったようだ。

 

 この二種の料理にスープも合わせれば、なかなかどうして立派な食事になった。

 

 たとえどんな時でも腹は減る。それは人間として当たり前の生理現象だ。だが、リプレや子供達は仲間がいなくなって不安で食事も喉を通らないかもしれない。しかし、こんなときだからこそ食事をとるべきなのだ。食べることは生きることでもあるのだから。

 

 

 

 

 

「はあ……はあ……」

 

 ハヤトは肩で息をしながら振り下した剣を鞘に戻した。他の仲間たちにも視線を向ける。どうやら戦いは終わったようだ。

 

「ハヤト! 大丈夫ですか!?」

 

 クラレットが駆け寄ってくる。ハヤトに大きな怪我はないが、戦闘でついた小さな傷はいたる所にあり、彼女は召喚術でその傷を癒していった。

 

 そもそもフラットはバノッサ率いるオプテュスと戦っていたのだが、その時にバノッサが放った召喚術の直撃を受けた後、次に目を開いた時にはこのよくわからない場所にいたのだ。

 

 そこで待っていたのはリィンバウムの界の意志(エルゴ)だった。そして語られたのはハヤトが新たな誓約者(リンカー)として界の意志(エルゴ)と誓約を結び、この世界に張り巡らせられた結界を張り直してほしいという願いだった。

 

 既に今の結界は召喚術によって綻びが生まれ、そう遠くない日に結界は破れてしまうのだ。

 

 その話を聞いたハヤトは新たな誓約者(リンカー)となることを決意した。しかし、誓約者(リンカー)となるには戦って、その資格を示さなければならなかった。

 

 そのために今まで戦っていたのだ。ロレイラルからは機械兵士エスガルド、シルターンからは鬼道の巫女カイナ、メイトルパからは剣竜ゲルニカ、リィンバウムからはハヤト達と同じ姿の戦士達。

 

 サプレスの者こそいなかったが、それでもかなりきつい戦いだった。

 

「見事だ……」

 

 リィンバウムの界の意志(エルゴ)がそう言った瞬間、別な声が聞こえてきた。

 

「お前の示した力は誓約者(リンカー)の名にふさわしい」

 

「我らはお前を認めよう」

 

「その証として界の意志(エルゴ)の力を与えよう」

 

「受け取るのだ。新たな誓約者(リンカー)よ」

 

 言葉から推測すると、どうやらその声の主も界の意志(エルゴ)のようだ。最初に話した界の意志(エルゴ)がリィンバウムの界の意志(エルゴ)を名乗っていたことから考えると、恐らく四界の界の意志(エルゴ)だろう。

 

「これが……界の意志(エルゴ)の力……」

 

 ハヤトは自分の中から力が溢れて来るのを感じた。まるで無限にも思えるほどの大きな力だ。しかし、どこかこれまで使ってきた力と似た感じがした。

 

「我らはお前と誓約しよう。我らの全てをもって誓約者(リンカー)の力となろう」

 

 リィンバウムの界の意志(エルゴ)が誓約の言葉を伝えた。ハヤトは神妙な面持ちで頷いた。

 

 誓約の成立を確認した他の界の意志(エルゴ)はこの場から去ったようだ。最初は声を聞くまで、来たことが分からなかったハヤトだが、今ははっきりとその存在を感じることができた。もしかしたら誓約者(リンカー)となった影響かもしれない。

 

誓約者(リンカー)よ、魔の物に備えよ。奴らは狡猾にして残忍。決して油断してはならぬ」

 

「魔の物?」

 

 ハヤトが疑問を口にした瞬間、まるで地震のようにこの世界が揺れ始めた。突然のことに仲間達が驚きの声を上げる。

 

「案ずるな。役目を果たしたこの場が消えようとしているだけだ」

 

 その言葉と共にハヤトの意識は一瞬暗転した。

 

 

 

「ここは……戻ってきたのか?」

 

 気が付くとハヤト達は見慣れた南スラムにいた。もう界の意志(エルゴ)の存在は感じることができない。しかしそれが戻ってきたという何よりの証拠でもあった。

 

(魔の物、か……あいつらみたいなものかな)

 

 結局それが何なのか聞くことは叶わなかった。しかし、ハヤトは魔の物がサイジェントに現れた悪魔であるように思えた。

 

「ハヤト? どこか痛みますか?」

 

 考え込んでいたハヤトを心配したクラレットが顔を覗き込んできた。

 

「え? あ、ああ、大丈夫だよ。ちょっと考え事をしていただけだから」

 

「私達のことも頼ってくださいね。全部一人で解決する必要なんてありませんから」

 

「そうだぜ。いくら誓約者(リンカー)だかになったからって人間なんだからな」

 

 クラレットに続きガゼルが言った。

 

「ああ、分かってるって!」

 

 ハヤトは二人の言葉に頷くと共に、自分は一人ではないことを思い出した。この頼もしい仲間と一緒ならどんな困難だって乗り越えられる、ハヤトはそう信じているのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




第29話いかがだったでしょうか。

ご意見ご感想お待ちしています。

ありがとうございました。


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第30話 戦う意味

 事態は無色の派閥の大幹部オルドレイク・セルボルトの思惑通りに進んでいる。既に彼の軍勢は後詰の戦力と合流を果たし、戦力を増強させていた。

 

 それに計画の柱の一つである魔王の召喚も、その儀式を行う準備はできている。他に必要なのは、新たな魔王の器となるバノッサの負の感情だけであり、もちろんオルドレイクにはそのあてもあった。

 

「ふむ……ならば、あやつらもおびき寄せまとめて始末するか」

 

 頭の中で今後の予定を組み立てる。既に無色の派閥には、フラットがサイジェントに戻ったという情報は数日前に届いていた。やはりバノッサは仕留め損なったらしい。

 

 そのためオルドレイクは邪魔な者達の始末も同時に行えるよう計画を修正することにした。ただ、ここで重要なのは現段階ではバージルとの交戦は避けるということだった。

 

 いくら戦力を増強したと言ってもあの男に勝てるとは思わない。あの島での戦いぶりを見てしまった以上、バージルを相手に人間をどれだけ揃えても勝てるとはどうしても思えないのだ。

 

 オルドレイクの想定では己の計画が成功してようやく、戦えるようになると考えていたのだ。

 

「……まだ駒は残っている。タイミングを見て悪魔を呼び出せば、これまでと同じようにあの男は悪魔に向かうはずだ」

 

 バージルをサイジェントに留めておくことは、彼の計画にとって最重要事項といっても過言ではない。そのための方法としてオルドレイクが選択したのは、これまでも行ってきた悪魔の召喚を継続することだった。

 

 少し前から再開した悪魔召喚の主目的は、バージルをサイジェントの街に現れる悪魔に注意を向けさせるために行っているのだ。

 

 しかし、事前に忍び込ませた召喚者は悪魔を召喚する毎に全てバージルの手で殺害されている。一応、僅かながらも生き残りはいるが、その者達も悪魔を召喚すれば、これまでと同じように殺害されるのは目に見えていた。したがって当初は、もはや手の指だけで数えられるまでに数を減らした彼らを呼び戻すつもりでいたのだ。

 

 それでもオルドレイクは、この悪魔の召喚ができる貴重な人材を使い潰す決断をしたのだ。計画の成功のためには戦力の出し惜しみなどするべきではないとの判断からだ。

 

 だが、同時にその決断は派閥の大幹部であるオルドレイクにとっても、もはや背水の陣となったと言っても過言ではない。

 

 一時期より派閥の勢威は回復したと言っても、バージルによる襲撃以前に戻ったわけではない。当然、今回の作戦は大幹部の立場を利用して半ば強引に戦力をかき集めたのだ。

 

 これだけの戦力を投入したにも関わらず、何も成果が得られなかったとなれば、現在の地位から追い落とされるのは確実だろう。

 

「……それと兵どもにも伝えよ、戦いは近い、とな」

 

 考えをまとめると、部下を呼んで手短に指示を伝えた。それは事実上の戦闘準備の命令だった。

 

 この命令を出した以上、もう後戻りはできない。にもかかわらずオルドレイクに焦った様子はない。その顔には狂気と自信が満ちているだけだった。

 

 

 

 

 

 サイジェントの街には現在、外出禁止の命令が出されていた。これが発令されれば買い物だけではなく、仕事に行くこともできないため、市民生活のみならずサイジェントの産業、ひいては財政にも大きな影響が出るのは避けられない。

 

 そんな理由もあって、外出禁止令は悪魔が現れた時にも出されたことはない。それが今、発令されているということは非常に切迫した事態にあることを意味していた。

 

「はあ……はあ……」

 

 騎士など一部の人間しか出歩けないサイジェントの街の中を、ハヤトが全力に近いスピードで走っていた。

 

 界の意志(エルゴ)の試練から戻ってきて数日、ハヤトはこんなことが起きるとは全く予想していなかった。

 

 なにしろ無色の派閥が軍勢を率いて攻め寄せて来たというのだ。本来ならこういう場合は騎士団で対応するのだが、悪魔にも備える必要があるため騎士団の人員が不足していること、無色にはバノッサ達オプテュスも与していることもあって、フラットは無色の派閥と戦うことを決意した。

 

 幸いにも現在の騎士団長イリアスとは見知った仲であり、共に悪魔と戦ったこともある。同時に騎士団に在籍していたレイドやラムダの後輩でもあるため、話はスムーズにまとまった。

 

 最終的にはサイジェントの街には騎士団の三割を守備隊として配し、残りの戦力で無色との戦いに挑むということになった。騎士団はサイジェントの顧問召喚師で実務を取り仕切っていた、イムラン=マーン、カムラン=マーン、キムラン=マーンの三兄弟が指揮を執り、フラットとイリアスは遊撃隊として派閥の本陣を狙うことになった。

 

 ハヤトはさきほどまで出発前にリプレ達をスカーレルに預けに行っていたのである。さすがに悪魔が現れる状況で戦う力がないリプレ達を残していくわけにもいかず、結局、自分達が界の意志(エルゴ)の試練を受けていた時のようにスカーレルのもとで預かってもらうことにしたのだ。

 

「ん……?」

 

 道路を走っていくハヤトの視界に老人のうしろ姿が映った。

 

「おお……ちょうどよかった」

 

 老人が振り向き、声をかけてくる。その老人はウィゼルだった。彼とハヤトはこれまでも何度か話をしており、その度に道具のなんたるかを教えられてきたのだ。

 

「爺さん? どうしてこんなところに……?」

 

「どうしても渡したい物があってな、探していたんじゃよ」

 

 ウィゼルは鞘に収められた一本の剣を差し出した。

 

「これから戦いに行くんじゃろ? 遠慮せずに受け取ってくれ」

 

 困惑しながらもハヤトはおずおずと剣を手に取り、鞘から抜き放った。精緻な装飾が施された剣は一見、儀礼用のものにも見える。しかし、ハヤトにはこの剣がただの剣ではないことを感じ取っていた。

 

「これ……もしかしてサモナイト石で?」

 

「さよう。この『サモナイトソード』は昔、ある召喚師に製作を頼まれたものでな」

 

「それをどうして俺に?」

 

 この剣が頼まれて作ったものであるなら、その召喚師に渡すべきではないか、と思ったのだ。

 

「……この剣が完成した時、気付いたんじゃ。これは世界を滅ぼしかねない代物じゃとな。そう、その召喚師は世界を滅ぼすつもりだったのじゃ。……もっとも完成する前にワシはあの男と縁を切っていたがな」

 

「…………」

 

 世界を滅ぼせる力が手の中にある。その事実にハヤトは自然と剣を握る力を強めた。

 

「ワシは正直、この剣を己と共に滅ぼしてしまおうとも考えた。しかし、その度に思い出してしまうんじゃ、あの光景を……」

 

 ウィゼルは独白する。その時、彼の脳裏に浮かんだのは、かつてオルドレイクと共に上陸した島でバージルが閻魔刀を振るう姿だった。

 

 凄まじい魔力を宿した閻魔刀を自分自身のように振るう姿にウィゼルは心が震えた。それまでの彼は最強の武器を作り上げることだけに全てを懸けていた。

 

 しかし、バージルとの邂逅でウィゼルの心の片隅に新たな望みが生まれた。それは自分の作った武器を誰かに振るってもらいたいという願望だった。それこそがオルドレイクと袂を別った後もサモナイトソードを作り続けた理由だったのだろう。

 

 ウィゼルはそこで過去を思い出すのをやめ、ハヤトに向き直った。

 

「道具は誰かに使われてこそ意味がある。しかし、剣を泣かすような使い方をする者に託すにはあまりに忍びない。……じゃが、あんたなら正しく使ってくれると思ったのじゃ。自分のことより他人のことを考えるあんたなら、な」

 

 そう言ってウィゼルは微笑んだ。

 

「爺さん……」

 

 正直なところ、ハヤトは買い被り過ぎだと思った。自分はただ理不尽なことが許せなかったから、そして大切な者を失いたくなかったから戦ってきただけにすぎない。自分より他人のことを考えたわけではない。

 

 だがそれでも、ウィゼルの言葉を否定することはできなかった。ここまで自分を信じてくれている者を無碍にすることができなかったのだ。

 

 それに今は非常時だ。大切なものを守るためにも力は必要だ。

 

「俺にどこまでできるか分からないけど……精一杯やるよ。それだけは約束する」

 

「それで十分じゃ。……さあ、早くいきなさい。仲間が待っているんじゃろう?」

 

「ありがとう、爺さん」

 

 そう言ってハヤトは仲間のもとへ向かって再び駆け出した。

 

 ウィゼルはそんな彼を嬉しさと寂しさが入り混じった顔で見送っていた。

 

 

 

 

 

 ハヤトがウィゼルからサモナイトソードを受け取っていた頃、アティは「告発の剣」亭に戻ったところだった。彼女はさきほどまで街に現れた悪魔と戦っていたのだが、それもようやく一段落したため戻ってきたのだ。

 

 店の中にはスカーレルとポムニットだけではなく、リプレや子供達もいた。リプレ達は数日前、ハヤト達が戻ってきた際に、フラットのアジトへ戻ったのだが、彼らが今度は無色の派閥との戦いに赴くため、再び預かることになったのだ。

 

「その様子では召喚した者は見つけられなかったようだな」

 

 戻って早々バージルから声をかけられた。彼もアティと同じように悪魔と戦いに出かけていたはずだが、先に戻っていたらしい。

 

「……やっぱり遅かったみたいです」

 

 悪魔がこの街に現れるのは無色の派閥の者が召喚しているためだ。したがって召喚者を殺すか、捕らえるかで無力化しない限りこの事態が沈静化することはないのだ。

 

 アティとしては派閥の者を捕らえ、騎士団に引き渡すことで召喚を止めようと考えていたのだが、バージルのように一瞬で移動する術を持たないアティでは、どうしても現場に着くまで時間がかかるため、召喚者を見つけることができなかった。

 

「ならお前はこなくていい。俺がやる」

 

 今なら魔力だけで召喚者を特定するのは難しくない。悪魔の近くにいて、なおかつ大きく移動している者を探せばいいのだ。これまで魔力だけで召喚者を特定できなかったのは、住民の近くで悪魔を呼び出すことで逃げ惑う人々に紛れることができたからだ。外出が禁止されている現状では同じことができるはずもない。逆に目立つだけなのだ。

 

 それでも悪魔から逃げなければならないのは、そうしなければ召喚した悪魔に狙われてしまうからだろう。悪魔は召喚することはできても操ることはかなり難しい。むしろ操るくらいなら、悪魔を人工的に造り出した方がはるかに楽なくらいなのだ。

 

「……はい」

 

 反論することはできないかったアティは頷くしかできなかった。頭ではバージルの言葉が正しいのは理解している。しかし、同時に足手まといだと判断されたことは悔しかった。全てをバージルに押し付けてしまう自分の弱さが恨めしかったのだ。

 

「先生、それならハヤト達を助けてくれませんか!?」

 

「ど、どうしたの、急に?」

 

 突然、リプレから頭を下げて頼まれたアティは混乱した。

 

「私、帰りを待っているのが怖いんです……! もう会えないような、みんなが手の届かないところへ行ってしまいそうで……。それに本当なら戦いになんて行ってほしくない! 私はただ、みんながいてくれるだけでいいのに……」

 

 流れ出る涙を必死に抑えながら言った。いくら普段はしっかりしていると言っても、このあたりの弱さはやはり年相応の少女だ。

 

 リプレの悲痛な叫びを聞いたアティは優しく彼女を抱きしめた。

 

「大丈夫、私に任せて。必ずみんなと一緒に帰ってくるから」

 

 アティは自分の中にあった悔しさがいつのまにか消えていたのを感じた。自分の力が必要とされている、自分にもできることがあると理解できたからかもしれない。

 

 自分の為すべきことを知ったアティは自信を持って宣言する。

 

「みんなのところへ行ってきます!」

 

 そして装備を確認して店を出て行った。

 

「ほらリプレ、顔を洗ってきなさい。せっかくの可愛い顔が台無しよ」

 

「……はい」

 

 泣いたせいか目が赤くなっているリプレにスカーレルが優しく言った。

 

「…………」

 

 その様子をポムニットは少し苦しそうな顔をしながら見ていた。そして少しの間、逡巡していたが、ようやく彼女は意を決して口を開いた。

 

「あの……」

 

「なんだ?」

 

 声をかけられたバージルはポムニットを見て短く返す。

 

「っ……、私も先生と一緒に行ってもいいですか?」

 

 バージルの鋭い視線にびくりとしながらも彼女は自分の意思を伝えた。

 

「行きたければ行けばいい」

 

 バージルにはなぜアティと一緒に行きたいと言ったかはわからない。それでも、戦いが好きではないポムニットが戦場に行きたいと言ったのであれば相応の理由があるのだろうと推測した。

 

 その上で行きたいと言うのであれば、バージルにそれを否定する理由はなかった。

 

「あ、ありがとうございます! 私、行ってきます!」

 

 ポムニットはぺこりと頭を下げて出て行った。店に武器を持ってきてはいないはずだから、まずは武器を取りに行くのだろう。

 

 二人が続いて出て行った「告発の剣」亭は一気に静かになった。リプレは顔を洗いに行っているし、子供達は別室で眠っている。今、この場にいるのはバージルとスカーレルの二人だけになったのだ。

 

「それにしても行かせてよかったの? 無色は一筋縄じゃいかないわよ」

 

 スカーレルは椅子に座りながら閻魔刀の手入れを始めたバージルに問い掛けた。

 

 一時期より弱体化したとはいえ、無色の派閥はいまだ騎士団とも渡り合える戦力を保有している。いくらアティやポムニットが常人より遥かに強いからといって決して油断ならない相手だろう。

 

 それに派閥が悪魔を召喚していたことも考えると、なにか奥の手の一つや二つ隠しているかもしれないのだ。

 

「どうせ大した距離はない。行こうと思えばいつでも行ける」

 

 サイジェントの外の布陣している無色の派閥との距離もバージルにとっては、ほとんど意味をなさない。たとえエアトリックを使わなくともバージルの常軌を逸した身体能力なら一分とかからず派閥の前に行くことが可能なのだ。

 

「あら? 一応、二人のことは気にしているのね」

 

 スカーレルはバージルの言葉を別の観点で解釈したようだ。

 

 確かに以前までのバージルなら他人のことなど気に掛けなかっただろう。それを考えればスカーレルそう言うのも無理らしからぬことかもしれない。

 

「……さあな」

 

 しかし、バージルはそれを他人に指摘されることは好きではなかった。そのためはぐらかすことにしたのだ。

 

「ふふ、ならこれ以上何も言わないわ」

 

 含んだ笑いを見せたスカーレルにバージルは鼻を鳴らし、だんまりを決め込むと黙々と閻魔刀の手入れを続けた。

 

 

 

「……来たか」

 

 そして一通り手入れが終わった時、バージルは悪魔が現れたのを察知した。そして同時に悪魔を召喚したであろう者の魔力を頭の中に刻み込んだ。

 

「こっちのことはアタシに任せて」

 

「心配せずともここに悪魔は来ない」

 

 まるで未来を見たかのようにバージルは断言した。もはや無色の派閥が悪魔を呼び出す理由は見当がついていたのだ。

 

 外出禁止令の出た現状では悪魔を呼びだしたところで襲う相手がいない。建物を壊して中の人間を狙うのだとしてもあまりにも効率が悪すぎる。いずれ禁止令が解除されるのを待ってから再び召喚した方が遥かに効率はいいだろう。

 

 にもかかわらず悪魔を召喚しているのは、自分をここに釘付けにすることだろう。以前は別な理由があったかもしれないが、少なくとも現時点ではそうとしか考えられないのだ。

 

 なにしろこれまで何度も悪魔やその召喚者を殺してきたのだ。派閥にしてみれば悪魔を召喚すれば自分が来ると考えてもおかしくはない。

 

 そこまで分かっているにもかかわらず、バージルはあえて派閥の策に乗ってやることにした。自分を遠ざけてまでやろうとしていることは何なのか興味が湧いたのだ。

 

 とは言え、いつまでも能天気に待ってやるほどバージルは甘くない。今回現れた悪魔を始末したら派閥のもとへ行く。それで何もできなければ、所詮その程度ということだ。

 

 閻魔刀を鞘に戻しながら店を出る。その瞬間、バージルはエアトリックを使い、悪魔のもとへ向かった。

 

 

 

 

 

 もはや外から人の気配が一切しなくなったサイジェントの街の中でバージルは、鏡のように磨き抜かれた刀身を持つ閻魔刀を持ちながら、ついさきほどまで戦場になっていた広場を眺めていた。

 

(結局、今日は一度もこないか……)

 

 バージルが周辺の魔力を探りながら胸中で呟いた。目の前には悪魔の血液が結晶化したレッドオーブがいくつか転がっているだけでその他には何も気になるものはなかった。

 

 だがそれが逆に、バージルに疑念を抱かせた。これまでであればオーブが現れた時は、小さな悪魔が回収しに姿を見せていたのだ。この悪魔は矮小な力しか持たない存在であるため感知しづらく、集中していなければ見逃す可能性があるのだ。

 

 しかし、今はいくら集中しても周囲にその存在は感じることはできなかった。先日まではオーブが現れた時は毎度姿を見せていたにもかかわらず、今日は一度も存在を確認することができなかったのだ。

 

 果たしてそれが何を意味するか、バージルは閻魔刀を鞘に戻しながら思考を進めた。

 

 第一に考えられるのは、もうオーブが必要ではなくなったという可能性だ。あの小さな悪魔が何のためにオーブを集めていたのかは不明だが、オーブを無尽蔵に欲しているとは限らない。必要な量を回収したのであれば姿を見せなくともなんら不思議ではない。

 

(いや、そもそも無色が悪魔を呼んでいた理由は……)

 

 不意にバージルの中にある可能性が浮かんだ。

 

 もしかしたら無色の派閥は、オーブを回収させるために悪魔を召喚していたのかもしれない、という可能性だ。いくら悪魔といっても派閥が呼び出していたのは最下級の有象無象に過ぎない。その程度の存在では兵隊の代わりになっても、高位の召喚獣のような切り札にはなり得ないのだ。

 

 それでも数を呼び出せば、最終的に全て召喚した悪魔を全て倒されるとしても、相手には少なくない被害を与えることができるのは間違いない。

 

 つまりバージルの考えが正しければ無色の派閥は漸減作戦とオーブの収集を同時に行っていたことになる。

 

「……やはり使い道が分からなければ何を考えても無駄か」

 

 そこまで考えたものの、バージルは息を吐きながら言った。

 

 仮に自分の予想通りだとしても、結局、回収したオーブの使い道が分からなければ、画竜点睛を欠くのである。

 

「行ってみるか」

 

 バージルは無色の派閥が布陣する方角を向いて言葉を投げかけた。派閥もわざわざ軍勢を率いて現れた以上、何らかの準備はしているのだろう。ここでただじっと考えるよりは派閥のもとへ直接赴いた方が手っ取り早い。

 

 そう決め、体を門の方へ向けた瞬間、バージルは大きな力を感じた。

 

「ほう……」

 

 思わず感嘆の声が漏れた。

 

 感じた力はこれまでリィンバウムで会った誰よりも大きなものであるにもかかわらず、まるで突如出現したように唐突に力を感じたのだ。

 

「あっちは後回しだな」

 

 既にバージルの興味は無色の派閥から、この大きな力に向いていた。そしてエアトリックを使い一瞬でこの場から姿を消した。

 

 後に残ったのはいまだ無造作に転がっているオーブと静寂だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




いつの間にか30話も投稿してました。完結までまだ先は長いですが、これからもよろしくお願いします。

ご意見ご感想お待ちしています。

ありがとうございました。


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第31話 迫られる決断

 バージルが大きな力を感じた場所は、まるで大きな爆発があったか、隕石が落ちたような大きなクレーターがある荒野だった。

 

「……あれか」

 

 その外縁部にエアトリックで姿を現したバージルは、クレーターの中心から自分を見定めるように見ている力の主に視線を向けた。

 

 その姿は一言で表現してしまえば竜だった。それも召喚術で呼び出されるような、メイトルパの竜とは比較にならないほどの力を持っており、さらに普通の生物より高位の存在であるかのような独特な雰囲気すら感じられた。

 

「我は界の意志(エルゴ)、リィンバウムの界の意志(エルゴ)。再び会うことができて光栄だ、魔剣士スパーダの血を引くものよ」

 

 エルゴと名乗り語りかけてきた竜にバージルは短く返した。

 

「ならば、貴様には聞きたいことがある」

 

 目の前の存在が本当に界の意志(エルゴ)であるかどうかを証明する術は持たないが、少なくともバージルはこの竜が界の意志(エルゴ)だと考えていた。

 

 竜の魔力が、人間とも、どの世界の召喚獣とも似ているようで違っていたのが理由の一つであったが、スパーダのことを知っていること、「()()会うことができて」と言ったことから、界の意志(エルゴ)であると判断したのだ。

 

 このリィンバウムでスパーダのことを知っている者は非常に少ない。その一人であるメイメイも界の意志(エルゴ)から聞いたというレベルなのだ。ここまでくればスパーダと面識があるのは界の意志(エルゴ)だけと考えて間違いないだろう。

 

 更にこの界の意志(エルゴ)はかつて自分に会ったことがあるという。もちろんバージルはこんな竜を見たことはないのだが、一つだけ心当たりがあった。それは、バージルがスパーダに関する手掛かりを求めて一人で旅をしていた頃、聖王国に現れたサプレスの悪魔の群れを殲滅した時である。

 

 斬り捨てた悪魔の頭領がまるで操られたように言葉を発したことがあったのだ。その際のバージルの予想通り界の意志(エルゴ)共界線(クリプス)を通じて悪魔を操っていたと考えれば辻褄はあう。

 

「我に答えられることであれば全て答えよう。……しかし、その前にどうか我の話を聞いてほしい」

 

「……いいだろう」

 

 界の意志(エルゴ)の提案をバージルは承諾した。当人が答えると明言している以上、どのタイミングで話をしようと大した問題ではない。

 

 竜の姿をした界の意志(エルゴ)は頷いた。

 

「我がこの世界を作り上げ、幾年月が流れた頃、四界からの侵攻によりリィンバウムは危機に陥った。我らは人に侵攻に抗える力、『送還術』を伝え辛うじて事態を鎮静化することができた。しかし、送還術を発展させた召喚術が生まれたことで人々は侵攻された復讐とばかりに四界の者達を奴隷のように酷使するようになったのだ」

 

「…………」

 

 界の意志(エルゴ)の話はバージルが聞きたいことではなかったが、全く興味がない話でもなかったため、無言で続きを促した。

 

「同胞を害された四界の者達は再びリィンバウムを侵攻した。我らは今に『エルゴの王』あるいは『誓約者(リンカー)』と呼ばれる者に力を与え、争いを終わらせようとした。しかし、今度は魔界から夥しい数の悪魔が現れたのだ」

 

「……その時か、スパーダと会ったのは?」

 

 バージルは界の意志(エルゴ)の言葉に反応し、問い掛けた。

 

「その通りだ。強大な悪魔が現れなかったのは幸いだったが、それでも永きに渡り戦いを続け、疲弊していた者達にとって悪魔の襲来は最悪の事態だった。我らが手を貸しても一向に状況が改善することはなく、このまま世界は滅んでしまうのかと考えた時、魔剣士スパーダが現れたのだ」

 

 界の意志(エルゴ)はどこか思い出すかのように空を見上げた。

 

「凄まじい強さだった。僅か三日で現れた悪魔を全て殲滅したスパーダは、我らに世界を守るため結界を張るように諭したのだ。……しかし、我らはいつまでも結界を張り続けることができるとは思えなかったのだ」

 

「なぜだ?」

 

 疑問を呈した。他の生物ならともかく、界の意志(エルゴ)に寿命があるとは思えない。これから先もずっと結界を張ることは可能ではないのか。

 

「悪魔によって、僅かの間に凄まじい数の生物が殺され、破壊されていった。その時に悟ったのだ。このままではいずれ共界線(クリプス)から伝わる負の想念によって我らは狂ってしまうだろう、と」

 

 共界線(クリプス)は万物と界の意志(エルゴ)を繋ぎ、魔力(マナ)と情報を循環させている。それには当然、あらゆる感情も含まれているのだ。もちろんそうした負の感情は界の意志(エルゴ)の自浄作用によって、中和されるがそれにも限界が存在する。

 

 戦いによって死んでいった者達、そして悪魔に殺された者達。彼らの感じた痛み、苦しみ、恐怖といった感情は、ほんの一時とはいえ界の意志(エルゴ)の限界を超えたのだ。ただ、それ自体はスパーダの活躍ですぐに解消されたため、重大な結果にはならなかったが、界の意志(エルゴ)は自分達の限界を悟ったのだ。

 

 この先世界が繁栄するにつれ、どんどん共界線(クリプス)も数を増していく。そしていつの日か限界を超える時が訪れるだろう。そうなってしまえば結界を張り続けることができるとは限らない。

 

(島の遺跡のようなものか)

 

 バージルは島にある遺跡のことを思い浮かべた。

 

 あの遺跡は人が界の意志(エルゴ)に成り代わるための装置である。しかし、人間には共界線(クリプス)から送られる情報全てを理解することはできなかった。唯一使用に耐えることができたハイネル・コープスも最後には精神がボロボロになってしまったという。

 

 それと同じことが界の意志(エルゴ)にも言えるのだ。

 

「ならばどうした? まさか放置したわけではあるまい」

 

 界の意志(エルゴ)はそう言ったものの、現にこのリィンバウムは存在を保っている。それこそまさに彼らが狂っていない証である。もし狂ってしまっていたなら、決して平穏に済むはずなどないだろう。

 

「魔剣士スパーダは『時の腕輪』を使い、共界線(クリプス)を循環する情報を止めたのだ」

 

(時の腕輪……)

 

 実物を見たことはないが、その存在自体は知っていた。二千年前スパーダが魔界に反旗を翻した時に彼と契約を結び戦った、母と同じ名を持つ魔女が作り上げたと伝えられるのが「時の腕輪」である。

 

 といっても、バージルが知っているのはそこまでであり、一応、名前から時間に干渉する力を持つことくらいは予測していた程度なのだ。まさか、そんな時の腕輪を父が持っていたとは思わなかった。

 

「それによって我らは正気を保ってこられたのだ」

 

 共界線(クリプス)界の意志(エルゴ)と万物を結びマナと情報を相互に循環させるものであるため、情報を止めたのならマナの循環もできなくなるのではないかと、という疑問が生じたが、ダンテが使っていた似たような力(クイックシルバー)のことを思い出したことで、理解することができた。

 

 ダンテのクイックシルバーもまた時を操る力を持つ。その力は自分以外のあらゆるものに及ぶが、いくつか例外もある。その最たる例が銃弾のような自分の放ったものには力が及ばないという点である。

 

 事実、バージルはこの力によって通常の何倍も速くなった銃弾を受けたことがあるのだ。

 

 同じことが時の腕輪にも言えるに違いない。万物から送られる情報は止めるが、界の意志(エルゴ)からのマナはこれまで通りに、送られているのだろう。

 

「……それで、俺に何の用だ? まさか、そんな昔話をしに来たわけではあるまい」

 

 図らずもバージルが聞きたかったことは、ほとんど界の意志(エルゴ)が話してしまったため、会いに来た理由を問い質した。

 

「……既に魔界との間に張った結界が魔帝に破壊されたのは知っているだろう。今でこそ魔帝は再び封印されているが、長くは持たない。じきに解けてしまう。今度魔帝が復活すればもはや我らにはどうすることもできないのだ。……魔剣士スパーダの血族よ。どうか、魔帝ムンドゥスからこの世界を守って欲しい」

 

 これこそが界の意志(エルゴ)がわざわざバージルに会いに来た理由であった。さらに言えば界の意志(エルゴ)ハヤト(誓約者)への試練を速やかに実施したのも一刻も早く彼を戦力化したいという思惑があってのことだった。

 

 リィンバウムと四界の間の結界と違い、魔界との間にある結界を修復するのは、魔帝の力が楔となっていて不可能であり、そもそも修復したところでまた破壊されてしまうのがオチだろう。

 

「…………」

 

 バージルは、視線はそのまま界の意志(エルゴ)に向けたまま、無言で思考する。現在、魔帝が封印されているということは、それを成したのはダンテ以外にありえない。いつかのバージルの予想は当たっていたということだ。

 

「答える前に、一つ聞きたい。俺をここに召喚したのは貴様か?」

 

 界の意志(エルゴ)の望みに答える前にバージルは質問した。とは言っても、魔界へ身を投げたバージルをリィンバウムに召喚することができるのは、もはや界の意志(エルゴ)くらいしかいないため、質問というより確認であった。

 

「その通りだ。魔帝の動向を注視していた我は魔界へ堕ちる汝を見つけ、ここへ導いたのだ」

 

「……そうか」

 

 一切の感情を顔に出さずにバージルは短く頷いた。そして目を閉じて少し間考え込む。

 

 数秒の沈黙の後、バージルは目を開いた。

 

「俺は、この世界を守るつもりはない」

 

 はっきりとそう答えた。

 

 かつて魔帝の右腕だったスパーダは人間を守るために魔界を裏切った。それはつまり、父は故郷を裏切るに足る価値を人間から見出したはずなのだ。

 

 しかし、バージルはこの世界を守るだけの価値を人間から見出すことはできなかった。

 

 確かに悪魔、魔帝ムンドゥスは母を殺し、弟を害した憎むべき仇敵。だが、それは戦う理由にはなっても、守る理由にはならないのである。

 

「……理解した」

 

 落ち着いた声で界の意志(エルゴ)は言葉を続けた。ある程度この答えを予想していたのかもしれない。

 

「……もしも今、汝が望むなら人間界へ送ることができるが?」

 

 確認するように界の意志(エルゴ)が尋ねた。もしかしたらその提案は、バージルの意思とは関係なしに召喚したことへの罪滅ぼしなのかもしれない。

 

「…………」

 

 確かに人間界に戻れば、魔界に行く方法はここにいるよりずっと見つけやすいだろう。特にフォルトゥナの地獄門なら魔界に行くのも難しくはないはずだ。

 

 そして魔界にさえいけばわざわざこの世界で待ち構えなくともムンドゥスと戦うことはさほど難しくない。なにしろ己はかつてムンドゥスの野望を打ち砕いたスパーダの息子だ。魔帝にとってはどんな手段を使っても殺したい相手に違いない。

 

 つまり魔帝を滅ぼすという目的を果たすことだけを考えるのなら人間界に戻るのが正解だろう。

 

 それでも、言葉を聞いた時、バージルの胸中にアティとポムニットのことが思い浮かんだ。人間界に戻ると言うことはあの二人と別れると言うことを意味する。世界を渡る術を知らないバージルにとって、この別れは永遠のものとなる可能性が高かった。

 

(だが……)

 

 それでも、たった二人のためだけに目的を果たすための近道を選ばないのは、合理的なバージルにとってありえない選択だった。

 

 バージルが心の中で答えを決めたとき、遠方から大きな悪魔の力を感じた。方向から考えて無色の派閥が布陣している辺りだ。ひょっとすると派閥の企みが成功したのかもしれない。

 

 なんにしてもあれほどの力を持つ相手と戦える機会はそうはない。今は答えを伝えるのを先延ばしにしてでも、その場所に向かうべきだとバージルは判断した。

 

「……話は後だ」

 

 鼻を鳴らし一言告げるとバージルはこの場に向かった時と同じように、姿を消した。

 

 

 

 

 

 時は遡り、バージルがサイジェントで悪魔と戦っている頃まで戻る。

 

 迷霧の森でのフラットと無色の派閥の戦闘は既に佳境に入っていた。

 

「どうしてだ……。どうしてオレ様は勝てない……」

 

 そこでは派閥の兵士だけでなく、彼らと行動を共にしていたバノッサを含めたオプテュスのメンバーも全て戦闘力を喪失しており、いくら総帥たるオルドレイクが戦闘に参加せず、無傷のままだったとしてももはや勝敗は決しているかに見えた。

 

「残念だったな、貴様らの負けだ」

 

 オルドレイクは愚かな敗者を見ながら呟く。そして魔法陣を発動させた。それはサプレスの魔王を召喚させるものだった。彼がこれまで戦闘に参加しなかったのもこの魔王の召喚の儀式の準備を整えていたためだった。

 

 本来であれば全ての準備が整ってから迎え撃つつもりだったのだが、サイジェント騎士団の動きがオルドレイクの想定以上に早かったため、やむなく今まで準備に没頭していたのだ。

 

 そのため、フラットがもう少し戦いを終わらせることができていたなら儀式を始めることはできなかったかもしれない。オルドレイクにとり、フラットとの戦いはある意味で綱渡りだったのだ。

 

 フラットに彼の狙いを気付かれ、邪魔されたらそれで失敗だった。そうでなくともフラットには娘のクラレットがいる。あの愚かな娘は一度、魔王召喚の儀式を実行している。結果こそ失敗だったが、儀式をその目で見ている以上、気付かれる可能性もあった。

 

 しかし、オルドレイクは綱を渡り切った。賭けに勝ったのだ。

 

「もっと絶望してもらわなければな……」

 

 既に儀式の準備は整った。後は贄を捧げればそれで召喚は成る。

 

 要は悪魔王を呼び寄せるために、サプレスの悪魔の好物である負の感情に溢れた存在が必要なのである。オルドレイクはバノッサにその役目を与えるつもりでいたのだ。

 

 しかし、フラットの戦闘に敗れただけではまだ絶望が足りないようだ。

 

 オルドレイクは再び魔法陣を発動させた。召喚するのは悪魔だ。しかし、サプレスの悪魔ではない。サイジェントの街を恐怖に陥れた悪魔だった。

 

 彼はリィンバウムにおける悪魔の召喚の第一人者だ。当然、これまでサイジェントで悪魔を召喚していた者達とは比較にならないほどの知識がある。

 

 そのため、力の弱い悪魔は手当たり次第に攻撃することも知っていた。そして、そんな悪魔を敗北した兵士とオプテュスのただ中に召喚すればどうなるか、考えなくとも想像はつくだろう。

 

 最初に悪魔の餌食となったのはバノッサの義兄弟であり、彼をずっと慕ってくれていたカノンだった。万全の状態であれば悪魔を返り討ちにすることさえ可能だっただろうが、疲弊した今の状況ではまともな抵抗一つすらできず、悪魔の攻撃に体を貫かれた。

 

「バノッサ、さん……」

 

「カ、カノン……」

 

 弱々しく名を呼ぶカノンにバノッサは手を伸ばすが、その手がカノンに触れることはなかった。

 

 悪魔の酷薄な攻撃が再びカノンを襲ったのだ。胴は両断され、手足はちぎれ、頭は潰され、もはやただの肉片と化したカノンをバノッサは震えた手を伸ばしながら見ていることしかできなかった。

 

「あ、ああ、ああああ……」

 

 もはやバノッサから意味のある言葉は出てこなかった。

 

 さすがに戦う力が残っているフラット達も、奇襲にも等しい悪魔の出現に守りを固めるのが精一杯であり、他に気を回す余裕はなかった。当然、他のオプテュスの面々や派閥の兵士たちは悪魔の餌食となっており、戦場は一気に血の赤に染め上げられた。

 

 その様子をオルドレイクは満足げに眺めていた。一時はカノンを殺した悪魔がバノッサも襲おうとしたのを見てひやりとしたが、オルドレイクの攻撃が間に合い悪魔は始末できた。

 

 これで魔王召喚に必要なものは全て揃ったのだ。

 

「ああああアアアア!!」

 

 バノッサの耳を塞ぎたくなるような叫び声が響く。それこそが餓竜の魔王スタルヴェイグの召喚に成功した証。サプレスの魔王がバノッサを依り代としてリィンバウムに現れたのだ。

 

「みんな、下がれ! 早く!」

 

 悪魔の出現に、魔王の召喚。さすがにこれだけのことが連続して起こったのでは、ハヤトでなくとも一旦距離をとることを選ぶのは当然だろう。

 

「はあああああっ!」

 

 仲間を下がらせるため、ハヤトは前に出てサモナイトソードに魔力を込め、横に振り抜く。巨大な魔力の斬撃が近付こうとしていた悪魔に直撃し吹き飛ばした。しかし、同族の死すら意に介さず悪魔は次々と迫り来た。

 

「くそっ!」

 

「ハヤト!」

 

 ハヤトの危機にクラレットがサプレスの召喚獣「ツヴァイレライ」を召喚した。サプレスに属する召喚獣の中でも最強の部類に入るこの召喚獣の攻撃が範囲にいた悪魔は全て絶命した。

 

 しかしこの召喚獣の一撃をもってしても、勢いを一時的に抑える程度の効果しかなかった。あまりに数が多すぎるのだ。

 

 その結果、ハヤトとクラレットは悪魔に囲まれてしまった。一部の悪魔は仲間の方へ向かったものの、それが逆に二人と仲間の分断を招いてしまったのだ。

 

 じりじりと距離を詰める悪魔に二人は互いに背中を預け、武器を構えた。

 

「向こうから突破しよう。援護してくれ」

 

 ハヤトが顔を振りながら一点を示す。その方向はこの囲みさえ突破してしまえば悪魔もいないため、体勢を立て直すことができるだろう。

 

「……わかりました。でもあまり無茶しないでくださいね」

 

 言いつつも、クラレットはサモナイト石に魔力を注ぎ、再びツヴァイレライを召喚する。かなりの魔力を消費するが、今は出し惜しみしている状況ではないと判断したのだ。

 

「はあっ!」

 

 クラレットの召喚術が直撃した瞬間、ハヤトは示した方向に飛び込みながらサモナイトソードを振った。そして放たれた魔力刃によって悪魔が消えるのを確認したハヤトは叫んだ。

 

「よし、行こう!」

 

 並んで悪魔の囲みを突破しようと走るが、二メートルはあろうかという一際大きな悪魔がすぐさま攻撃を仕掛けてきた。狙うはハヤトの左を走るクラレットだった。

 

「っ、クラレット!」

 

 すんでの所で気付いたハヤトはクラレットを抱きかかえながら真正面に転がり込んだ。それによって悪魔の攻撃は回避することができたが、すぐさま二撃目が振り下される。

 

「っ……!」

 

 倒れ込んだ姿勢だったためほとんど腕の力だけで振るったのだが、紙一重で受け流しことに成功した。転がった時にサモナイトソードを手放してしまっていたら今の一撃を防ぐことはできなかっただろう。

 

「ハヤト!」

 

 自分を守るため、ぎりぎりの攻防を続けるハヤトを助けるためクラレットは三度召喚術を使った。とは言っても先程のように強力なものではない。それほどの威力はない代わりにすぐに発動できるものだ。

 

 これで悪魔を倒そうとは思っていない。少しでも隙を作って状況を改善できればいいと思ったのだ。

 

 彼女の狙いは的中した。まさに三撃目を振り下そうとした悪魔は至近で受けた召喚術に大きく仰け反ったのだ。さらにそこへハヤトの一撃が悪魔を深々と切り裂いた。もう戦う力は残ってないだろう悪魔は力が抜けたように膝を付いた。

 

 これで後は立ち上がり距離をとれば仕切り直せる。二人はそう確信していた。

 

「――え?」

 

 膝を付いた大きな悪魔を背後から切り裂き、さらにもう一体の悪魔が姿を見せた。さきほどの悪魔の大きさゆえ、後ろにもう一体いたのに気付かなかったのだ。

 

「ぐっ!」

 

 それでもハヤトはその悪魔の薙ぎ払いを防ぎきった。しかし、その代償にサモナイトソードを弾き飛ばされてしまった。

 

 悪魔はすぐさま手に持った鎌を構えた。もう二人に防ぐ術はない。

 

 それでもせめてクラレットだけでも守ろうと彼女を抱きしめた。たとえ自分の身を危険に晒しても守りたいものがある。ハヤトにとってそれが彼女だった。

 

 しかし、いつまで経っても己の体を貫いた痛みは襲ってこない。不思議に思い振り向くと、そこには自分達を攻撃しようとした悪魔はいなくなっており、代わりに二人の女性が立っていた。

 

 その一人であるアティが振り向いて言った。

 

「間一髪ってところですね、ここは私達に任せて下さいね」

 

「先生、すぐに来ますよ!」

 

 アティの隣にいたポムニットが集まってきた悪魔を見据えながら声をかけた。フラットの仲間達にもだいぶ数を割かれているとはいえ、それでも一目では数え切れないほどの悪魔が迫っていた。

 

 アティは剣を構え、ポムニットは武具をつけた両手を構えた。

 

 そして悪魔がさらに距離を詰めると二人は同時に動きだした。

 

 アティの戦い方はさながら熟練の戦士のように効率的であった。なにしろアティは島でも戦っていたため、悪魔との戦闘経験はここにいる誰よりも豊富なのだ。その経験が彼女の戦い方を洗練されたものに昇華させているのだ。

 

 それに対してポムニットは悪魔の人間離れした力を使い、多少荒削りながらただ単に力で押すだけではない、まるでバージルのような戦い方だった。それはバージルの戦いを見て、そして戦って、自然と身に着いたものだった。それを考えれば似ているのも当然だろう。

 

 二人の参戦によって戦況は明らかにこちら側に傾いていた。すぐにハヤトとクラレットも戦闘に戻るし、彼らの仲間が悪魔を打ち倒すのも時間の問題だ。

 

「! 下がって!」

 

 何かを感じ取ったアティが叫ぶ。それに従いポムニットが敵の只中から跳躍し距離をとると、さきほどまで彼女がいた場所に強力な魔力による攻撃が襲った。

 

 ポムニットは避けたので問題なかったが、そこにいた悪魔は根こそぎ吹き飛んでいた。

 

「っ、今のは……」

 

 無意識にその攻撃を行った者の方へ視線を向けた。

 

 そこにいたのは辛うじて人の面影が残っている何かがいた。

 

 しかし、ポムニットにはそれが何か理解できた。自分と似たような力を感じるあの存在は――。

 

「あれは……もう魔王、か」

 

 体を起こしサモナイトソードを拾ったハヤトが言った。その声に悲しみと悔しさ、そして諦めが滲んでいた。

 

 魔王と化したあの存在にバノッサの意思は感じない。もはや、ただ破壊を振りまくだけの存在だ。

 

 まだフラットの仲間は悪魔との相手に手一杯だ。応援は見込めない。これを四人で相手にするしかないのだ。

 

 四人はそれぞれ武器を構え直し、魔王と対峙した。

 

 

 

 少し離れた所ではオルドレイクが戦場を眺めながら呟いた。

 

「ククク……、さあ仕上げといくか」

 

 魔王の様子と力を見て召喚が成功したことを確信したオルドレイクはさらに悪魔を召喚するべく魔術を使用した。ただし、これはさきほど使ったものやサイジェントで部下に使わせたものとは異なるものだった。

 

 この術で呼び出せるのはこれまでオルドレイクと協力関係にあった悪魔だ。その力は最初に会った時から、これまで召喚してきた悪魔とは比較できないほど強かったが、今では悪魔の血液が結晶化したレッドオーブというものを配下に集めさせ、それを喰らうことでさらに力を増しているようだった。

 

 オルドレイクがサイジェントで悪魔を召喚させていたのも、現れた悪魔を倒させることでレッドオーブを回収させるためだった。もちろん悪魔と戦う以上、無傷で済むはずもないので、サイジェントの戦力を低下させることもそれなりに期待していたが。

 

 そうして現れたのが三メートルはあろうかという悪魔だった。頭には無数の角が生えており、背中から肩にかけては甲殻のようなものがあるが、その他は人間に近い容姿をしていた。

 

 これが「アバドン」という悪魔だ。レッドオーブを喰らうことで強くなっていくという悪魔の中でも珍しいタイプだ。

 

「ふはははははは!」

 

 魔王とアバドン。計画に必要なものがついに揃い、オルドレイクは自分の勝利を宣言するように笑った。

 

「やはり、背後にいたのは貴様か……」

 

 さっきまでの高笑いが嘘のようにオルドレイクの顔から一瞬で血の気が失せる。忘れもしないこの声は、オルドレイクに恐怖と絶望を叩き込んだ男のもの。青くなった顔で声の方を向くとそこにはここにいるはずのない、あの銀髪の男が立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




久しぶりに3SEをやったら4SEのバージルの攻撃性能の高さに驚きました。そりゃトリック系弱体化させてバランスとるわ……。

ご意見ご感想お待ちしております。

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第32話 いるべき世界

今回はグロテスクな表現があります。ご注意ください。


 感じ取った悪魔の力を確かめるため、界の意志(エルゴ)との会話を打ち切って迷霧の森に現れたバージルの前にいたのは、アバドンという悪魔とサプレスの魔王、餓竜スタルヴェイグだった。

 

 どちらもバージルの視線の先にいる無色の派閥の幹部のオルドレイクが召喚したもののようだ。さすがに島で戦った時のように数でどうにかなると思っていないから、こうしてアバドンやスタルヴェイグを揃える手を企てたのだろう。そう考えたことは間違いではない。

 

「バカな……。貴様は確かに街に残っていたはず……」

 

 その割にオルドレイクはバージルの出現に相当狼狽していた。よほど想定外だったのかもしれない。

 

 そんな破戒の導師を尻目にバージルは魔界と霊界サプレスから召喚された二体の悪魔に視線を移した。

 

 するとそのうち一体であるアバドンが、仇敵を見るように忌々しげに吐き捨てた。

 

「貴様……、忌まわしきスパーダの血族か……! こんなところにいるとはな……」

 

「ならば知っているだろう、スパーダと戦った悪魔の末路を」

 

 挑発するように言葉を返す。もちろんバージルはこのアバドンという悪魔と戦うつもりであった。そもそも強敵との戦いに飢えていたバージルがアバドンほどの悪魔を見逃すはずがないが。

 

 バージルの言葉をきっかけとしてアバドンは、わき目も振らずに拳を振り上げ飛び込んできた。これまでリィンバウムで戦った悪魔とは一線を画すその速度は、既に人の目だけではなくサプレスの悪魔の血を引くポムニットでさえ追うことができないほどであった。

 

 アバドンの振り下した一撃は確かに忌まわしきスパーダの血族を捕らえた。しかし、小揺るぎ一つしない。いくら押し潰そうと拳を動かそうとしても全く動かないのだ。

 

「き、貴様……!」

 

 拳を戻したアバドンはバージルの姿を見て動揺した。この男は大悪魔ですら無傷では済まない一撃を左手一本で止めていた。それも一切の魔具を使わず、素手で受け止めたのだ。

 

 格が違いすぎる。そう思ったアバドンだったが、彼も悪魔としての誇りがある。仇敵を相手に退くなどありえない、ましてや逃げるなど言語道断だ。

 

 戦意を奮い起こし、バージルにもう一撃を加えようとした時、アバドンと魔王スタルヴェイグの周囲に魔法陣が出現した。

 

「人間……邪魔をするな」

 

 アバドンの怒りを含んだ視線が魔法陣を発動させたオルドレイクに突き刺さった。

 

「もはや、貴様の命令など聞かぬ! 今度は我の下僕になるがいい!」

 

 バージルの出現にオルドレイクは動揺したのは、彼の計画が最後の最後で台無しになってしまうと思ったからだ。しかし、運は彼に味方した。

 

 どうも今のあの銀髪の男は以前と異なり、なぜか攻めるのに積極的ではなかった。理由こそ不明であるが、それでもオルドレイクにとっては願ってもないチャンスだった。これで最後の詰めを行う余裕ができたのだ。

 

 オルドレイクの計画、それはアバドンに魔王を憑依させ操ることであった。

 

 サプレスに住む天使や悪魔といった種族は肉体を持たない。そのためリィンバウムに召喚されたときはマナで肉体を構成、維持しなければならないのだ。もちろんそれは常時マナを消費する行動である以上、本来の力を十分に発揮することは難しい。一応その他にも受肉という手段を用いれば弱体化と引き換えにマナを消費しない肉体を手にすることができるが、弱体化を望まないオルドレイクは最初からこの方法を選ぶつもりはなかった。

 

 そんな男が選んだ手段はリィンバウムでの肉体を準備してやることだった。そうすれば当然、肉体を維持する必要もなくなり弱体化せずに済むのだ。そしてその肉体となる生贄として一度目はクラレットを、二度目の今回はバノッサを選んだ。

 

 その上で魔王をアバドンに憑依させその肉体ごと支配下に置くのだ。

 

 餓竜スタルヴェイグの力に加え、アバドンの力を合わせればバージルにも抗しうると考えたのだ。

 

 だが、オルドレイクにはそれ為すために重要な要素が欠けていた。悪魔の知識である。

 

 もちろん彼はこの方法を机上の理論のまま実行したわけではない。呼び出した魔界とサプレスの悪魔を使い実験を重ね、それが可能であることを確信したうえで行っていた。

 

 下級の悪魔でもできるのなら、より強大な存在でも可能であると判断したのだ。

 

 だが、悪魔はオルドレイクの想像を超えていた。

 

「やはり人間が思いつくことなどこの程度か」

 

 オルドレイクの行おうとしていることを見抜いたアバドンは嘲笑するように言った。そもそもたとえ餓竜の憑依がうまくいったとしても、支配されることなどありえない。力ではアバドンがずっと上なのだ。

 

「っ! ほざけッ!」

 

 怯えを押さえながらオルドレイクは叫んだ。アバドンの言葉からは彼が感じたものは以前バージルから感じたものと同じものだったのだ。

 

 それは悪魔が持つ底知れぬ力、そして魔への潜在的な恐怖だった。

 

「…………」

 

 アバドンは無造作に魔王を掴み上げた。スタルヴェイグは抵抗するものの、まるで意味をなさない。そして掴み上げた手を自分の顔の前に持ってきた。

 

「え……?」

 

 果たしてそれは誰の言葉だったか。オルドレイクのものか、ハヤトのものか、あるいはアティやポムニットのものかもしれない。少なくともその言葉がこの場にいる者の思いを代弁していたのは確かだ。

 

 アバドンは持ちあげた魔王を、器となったバノッサごと喰った。頭の方から噛みつき肉と骨を砕き、咀嚼する。人の体が喰われる、嫌悪感を引き起こす音が誰も声を発しない迷霧の森にいやに響いた。

 

「……待たせたな」

 

 アバドンが魔王を食べ終わると下らぬことに時間をかけたことを詫びるようにバージルに言った。

 

 この悪魔はそこらの有象無象の悪魔とは違う。それゆえ彼には彼なりのプライドがあるのだ。人間が戦いの邪魔をするなどあってはならない。それも自分が利用していた人間となれば尚更だ。

 

「構わん。どのみち結果は変わらない」

 

 アバドンは喰ったレッドオーブの分だけ力を増す。しかしそれだけでない。今のアバドンは魔王の力をも取り込んだようで、さきほどまでよりも力が大きくなっている。

 

 それでもバージルの表情は変わらない。無表情で冷徹な視線を向けるだけだ。

 

「減らず口を……ならばこのアバドンの力、存分に受けるがいい!」

 

 言葉と共に右の拳を振り下した。それは最初の攻撃と同じだったが、そこに込められている力の量は別物だった。

 

 そして拳から伝わってくる感触も最初と同じだった。

 

「言ったはずだ。結果は変わらないと」

 

「馬鹿な……、ありえん……!」

 

 アバドンの狼狽した声が聞こえた。

 

 そこには先程と同じように悪魔の拳を素手で受け止めているバージルの姿があった。しかも真面目に受け止めてすらいなかったのか、アバドンを見てさえいない。

 

「もういい、消えろ」

 

 言葉と共にバージルの体にギルガメスが同化し、口元はフェイスマスクで覆われた。

 

 そしてアバドンの攻撃を受け止めていた左手で、振り下された拳を押し戻すように一撃を叩き込んだ。

 

 バージルの体は全くと言っていい程、微動だにしないところを見ると、単純に腕の動きだけで行った、軽い、全力とは程遠い一撃だったに違いない。しかしアバドンの腕に伝播した衝撃はこの悪魔には強烈過ぎた。

 

 バージルの一撃に耐えきれずにアバドンの右腕は拳の方から次々と崩壊していく。

 

「なんだとっ……!」

 

 腕を襲った惨事にアバドンが慌てふためいているのを尻目にバージルは空中に飛び出し、右手を手刀の形にして振り下した。

 

 すると、まるで斬撃を飛ばしたようにアバドンの残された左腕が斬り落とされた。

 

 瞬く間に悪魔の両腕を失わせたバージルだったが、それでもなお攻撃の手を緩めることはなかった。瞬時にエアトリックでアバドンの上方へ移動する。

 

 アバドンを斜め下に見たバージルは右足に力を込め、一気にアバドンの頭をめがけて急降下した。

 

 一見するとバージルの魔力の影響か青い流星にも見え、綺麗に見えるかもしれない。しかしその実、流星の名を冠したこの一撃は危険極まりない威力を持っているのだ。

 

 それは直撃したアバドンの状態が雄弁に物語っている。流星脚の受けたこの悪魔は仰向けに倒れ、特に直撃した頭部は跡形も無く消し飛ばされていた。

 

 それほどの威力をもった一撃だったにもかかわらず、バージルが着地した場所にはクレーター一つすらできていない。力をコントロールすることによって無駄な破壊を引き起こさなかったのだ。合理的で実に彼らしいといえるかもしれない。

 

「…………」

 

 少し乱れた髪をかき上げようと手を頭にやった時、やるべきことを思い出した。

 

 そして刹那の間にオルドレイクの眼前に移動する。

 

「っ! き、きさ……」

 

 言い切る前にオルドレイクの腹に閻魔刀が突き刺さる。即死とはいかなかったが致命傷であることには変わりはないだろう。

 

「グ、おおぉ……」

 

 呻き声を上げながらもオルドレイクはせめて一矢報いようと悪魔を召喚しようとした。バージルの速さを知っていればそんなことは無駄だということくらいわかりそうなものだが、計画が台無しになり精神的に大きなダメージを受けていたオルドレイクには正常な判断などできそうにない。

 

 バージルはそれを解っていたのか、もはや何の感情もなく一言だけ言い放った。

 

「愚かな男だ」

 

 そしてバージルが閻魔刀を抜き去り、姿を消したのと、オルドレイクがバージルの()()場所に三体ほどの下級悪魔、ヘル=プライドを召喚したのはほぼ同時だった。

 

 オルドレイクが開発した悪魔を召喚する魔術は、召喚術と違い悪魔を己に隷属させるものではない。あくまで悪魔を連れてくるだけなのだ。それゆえ、召喚された悪魔はいつものように手当たり次第に暴れるだけである。

 

 オルドレイクに召喚された悪魔も例に漏れず、すぐ近くにいたオルドレイクに狙いを定め、鎌を振り上げた。

 

「ま、待て、待ってくれ!」

 

 当たり前ではあるが、悪魔が人間の命乞いに耳を貸すわけはない。ヘル=プライドは一片の迷いなく次々とオルドレイクの体へ鎌を突き立てた。

 

 オルドレイクが絶命すると同時に、彼に凶刃を突き立てたヘル=プライドに幻影剣が突き刺さった。

 

「…………」

 

 それを放ったバージルは、つまらなそうに息を吐きながら閻魔刀についた血を払って鞘に収めた。

 

 結局、オルドレイクは利用していると思っていた悪魔に全てを奪われた。アバドンには計画をぶち壊され、便利な駒程度にしか思っていなかった下級悪魔に殺されたのだ。実に愚かとしか言いようがない。

 

 そもそも悪魔を利用しようと思うのは愚の骨頂だ。人間界にも同じような輩は何人もいたが、いずれも悲惨な末路を辿ったのだ。

 

(奴と比べればまだあいつらの方がマシだな)

 

 アティとポムニットに視線をやる。オルドレイクのように悪魔を利用しようとするより、たとえ無様でも彼女達のように悪魔と戦う道を選んだ方がいいと思えた。

 

「バージルさん……」

 

 二人がバージルのところへ駆け寄ってくる。そして何かを言おうとした時、もう一人、この場にやってきた者がいた。

 

「見事。さすがは魔剣士スパーダの血族。……そして誓約書者(リンカー)よ、汝もあれを相手に戦いぬくとは見事であった」

 

 空から舞い降りてきたのは一匹の竜、先刻までバージルが会っていたリィンバウムの界の意思(エルゴ)であった。

 

「あ、うん……」

 

 目まぐるしく変わる状況に混乱しつつも、ハヤトはこの竜が界の意思(エルゴ)であることは分かっていた。彼らから託された力の影響かもしれない。

 

「しかし、まだ全ては終わっていない。さあ、その力で戦いに終止符を打つのだ」

 

「……ああ! 行こうみんな!」

 

 界の意思(エルゴ)の意味するところがハヤトは理解できた。この場における戦いは終わっても、まだサイジェントの騎士団と無色の派閥の本隊の戦いは続いている。

 

 それが終わらぬ限り、本当の意味で戦いは終わったとは言えないのだ。

 

 ハヤトは仲間と共にもう一つの戦場へ駆けていく。

 

 それを追うようにアティとポムニットも行こうとしたが、「さて……」と界の意思《エルゴ》がバージルと何か話そうとしているのを聞いて足が止まってしまった。

 

「大丈夫! こっちは俺達に任せてくれ!」

 

 それに気付いたハヤトが大きな声で叫ぶ。彼なりの助けてもらったことに対する礼代わりである。

 

「改めて問おう。ここに残るか、それとも人間界へ戻るか、選んでほしい」

 

 界の意思(エルゴ)は先刻と同じ問い掛けを行った。

 

「え……?」

 

 思いがけない言葉にアティもポムニットも言葉が詰まった。

 

「……戻るん、ですか……?」

 

 界の意思(エルゴ)と向き合うバージルの背に向かって聞いた。

 

「戻れば俺の目的を果たすのに近道ではあるな」

 

 アティの質問にバージルは振り向きもせず端的に答えた。今のバージルの目的の一つである魔帝ムンドゥスの討滅を果たすには魔界との繋がりが多い人間界に戻るのが手っ取り早いのだ。

 

 その答えに二人は動揺した。特に、これまでずっと共にいて、これからもそうだと思っていたポムニットの動揺は大きかった。

 

 思わず彼女はバージルの左腕に縋りつきながら言う。

 

「うそ、ですよね……?」

 

 ポムニットにとってバージルは、彼がいなければ今の自分はいないと断言できるほど大きな影響を与えた人だ。

 

 母が死んだ時に自分を連れ出してくれたのも、アティやソノラ達カイル一家、島のみんなに引き合わせたのも、そして嫌悪感しか抱いてこなかったサプレスの悪魔の力の扱い方を教えたのも、全てバージルがいなかったらありえなかったことだ。

 

「わ、私、まだバージルさんに、何もできてません……それなのにお別れなんて……いや、です」

 

 これまでの恩を少しで返したい、バージルの役に立ちたい。その思いで彼についてきたが、まだポムニットは自分自身が納得できるようなことはできていなかった。もっとも、仮にできていたとしてもバージルとの別れを認めはしなかっただろう。

 

 既にポムニットの中ではバージルの存在がそれだけ大きいのだ。

 

 そしてそれはアティにも言えた。

 

「バージルさんにはバージルさんの都合があるもの……無理を言っちゃ、ダメだよ」

 

 しかし、アティはできるだけ平静を装いながらポムニットを諭す。それでも手の震えは隠せていなかった。

 

「先生……」

 

 ポムニットが心配そうに声をかける。不意にアティの頬に冷たいものが零れ落ちた。

 

「あれ……何で……?」

 

 彼が自分の意志で元の世界へ帰ることを選んだのなら、笑顔で見送らなければならない、笑わなければならない。しかし、いくら自分に言い聞かせても溢れ出る涙は止まらない。

 

 涙が流れるたびにアティの中にはこれまでのバージルとの思い出が蘇っていた。最初に島の浜辺で出会ったこと、自分を守るように無色の派閥と戦ったこと、唇を合わせたこと、島で一緒に暮らしていたこと、どれもかけがえのない大切な思い出だ。

 

「ごめんなさい……っ」

 

 果たしてその言葉は何に対してのものだったのだろうか。アティはバージルのコートの腰のあたりを掴みながら、彼の背中に自分の額を押し当てて、震えながら嗚咽を漏らした。

 

「…………」

 

 左にはポムニット、背中にはアティにそれぞれ縋られながらも顔色一つさえ変えなかった。そもそもバージルは情に流されるような男ではない。

 

 当然、彼の答えはもう決まっていたのだ。

 

 バージルは界の意思(エルゴ)から視線をはずし、自分の意思を伝えた。

 

「もとより、戻るつもりなどない」

 

 確かに人間界に戻る選択は、魔帝を滅ぼすという目的を果たすことだけを考えれば正しいだろう。しかし、それと引き換えにこの世界を探索する機会は永遠に失われてしまうのだ。

 

 確かに父スパーダと界の意思(エルゴ)との関係こそ判明したが、それを除いてもまだバージルはこの世界に対する興味は失われていなかった。例えばリィンバウムや取り巻く四界の技術だ。以前は戦闘に関する技術だけに興味を抱いていたが、最近は召喚術など自分の戦闘に役立たない技術にも関心を向けていた。

 

 それに魔帝ムンドゥスはやはりこの世界を狙っているようなため、封印が解ければ向こうからやってくることは明白なのだから、是が非でもこちらから出向く必要はないのだ。

 

 これらのことだけでも、ここに残る理由にはなる。ただ、バージルが人間界に戻れることを最初に聞いた時、二人のことが思い浮かんだのは紛れもない事実だった。

 

 たしかに、たった二人のためにここに残る選択をすることは合理的に考えれば正しくはないだろう。しかしそれでも、アティとポムニットという二人の存在は、バージルにリィンバウムに残ることを決意させる一因となったのは間違いなかった。

 

 二人はバージルにとって他の者とは違う、特別な存在といってもいいのかもしれない。

 

 どちらも自分とは違うが、それでもどこか似ているところもあるのだ。そんな存在がいたからこそバージルは二人を通して己を見つめなおすことができた。

 

 もちろんその恩に報いるために残るのではない。そんな殊勝な考えがこの男にあるわけがない。

 

 それでもバージルはアティとポムニットと同じ世界にいる選択肢を選んだ。その事実こそ、彼が二人に対し抱いている想いを最も如実に表しているのである。

 

「ならば、また会う機会もあるだろう。……その時を楽しみにしている」

 

 リィンバウムの界の意思(エルゴ)はバージルの選択をどこかを歓迎した様子で言った。ここに残っていれば、まだ彼が世界を守るために戦ってくれるかもしれないと考えているのかもしれない。

 

 そして竜の姿をした界の意思(エルゴ)は翼を広げて飛翔すると、空と同化するようにゆっくりと姿を消した。もともとここへきたのはバージルと会うためだったのだろう。

 

 それを果たしたから、きっといるべき場所へ帰ったのだろう。

 

「いつまで引っ付いている。さっさと戻るぞ」

 

 振り解くことは容易いだろうが、バージルはいまだ引っ付いたままの二人に声をかけた。

 

「腕……組んでもいいですか?」

 

 背中に抱き着いていたアティが離れるのと同時に申し訳なさそうに尋ねた。

 

「……好きにしろ」

 

 どうせ早く帰ってもやることなどなく、フラットが向かった戦場にも興味の引きそうな相手はいない。そのためいまさら急いでも意味がないと考えたバージルはこの際、自由にさせることにした。

 

 返答を聞いたアティはバージルの右腕を両手で抱え込むように持った。

 

「わ、私も……」

 

 アティに倣うようにポムニットもおそるおそるといった様子で、さっき縋るように持っていた袖を手放し、代わりに抱き締めるように腕を組んだ。もちろんバージルの左手は鞘に納まった閻魔刀を持っていたため、できる限り邪魔にならないようにだが。

 

 そしてアティとポムニットはバージルの存在を確かめるように腕をひしとかき抱いた。

 

 それでも二人は、どうして、などとここに残った理由を聞くことはしなかった。今はただバージルの存在が感じられるだけで、彼が残ってくれるだけで十分だったのだ。

 

 ふとバージルの顔を見る。そこにはいつもの無愛想な表情があったが、一瞬ほんの少しだけ笑ったような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 




自分で書いていて何ですが、バージルは本当に丸くなりましたね。その過程を描けているか不安ですけど……。

ちなみに今後の予定はサモンナイト1編はあと2話ほどで終わる予定です。

ご意見ご感想お待ちしています。

ありがとうございました。


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第33話 戦い終わって

 後に「無色の派閥の乱」と呼ばれる、オルドレイク・セルボルトが引き起こした一連の騒動は、派閥の軍勢の壊滅という形で幕を閉じた。その軍勢と正面きって戦ったサイジェント騎士団は勝利の代償に少なくない数の騎士が戦死したが、それでも直接的な戦闘は一度だけだったこともあり、今後の騎士団の運営に支障をきたすほどではなかった。

 

 しかし、それ以上に大きな被害を被ったのはサイジェントの住人だった。彼らは無色の派閥が召喚した悪魔による無差別な虐殺の対象になってしまったのだ。幸いにもバージルのおかげで悪魔が現れていた期間は長くはなかったが、それでも百や二百ではきかない数の人々が犠牲となった。

 

 無色の派閥はレッドオーブを効率的に集めるために、サイジェント騎士団がいる街中に悪魔を召喚させていたのだ。それ以外にもこれを命じたオルドレイクは騎士団の戦力が多少なりとも削がれることを期待していたのかもしれない。

 

 目的はなんであれ、派閥がやったことは人間界でいうテロに近いものだろう。こういったこと自体は無色の派閥でも珍しくはない手法ではあるが、巻き込まれるほうにしてみればたまったものでない。

 

 それに今回の一件が片付いたとしても、悪魔がこの世界に現れるのは止められないのだ。派閥が召喚していた時のようなペースではないにしろ、これからも少なくない数の者達が悪魔に殺されるだろう。

 

 それでも人は抗い続けるしかないのだ。そうでなければ魔界に飲み込まれるしかないのだから。

 

 

 

 

 

 無色の派閥との闘い数日後、バージルは街の外で召喚術を試していた。

 

「……こんなところか」

 

 思った通りに召喚できたことを確認すると、呼び出した幻獣界メイトルパの召喚獣プニムをさっさと送還した。幻獣の子供であるこの種は、一般的に陽気な性格をしているとされるが、バージルが召喚したプニムは彼を見るなり逃げるように物陰に隠れてしまったのだ。

 

 果たしてそれはこの男が持つ悪魔の力からくるものなのか、あるいはただ単純にバージルが怖かっただけなのかは、召喚された当のプニムしかわからないが、いきなりリィンバウムに召喚されると目の前にいたのが、バージルであったならプニムでなくとも逃げたくなるのは無理からぬ話だろう。

 

(これで全てか)

 

 さきほどのプニムで四界の召喚術は全て試したことになる。リィンバウムの人間はそれぞれ扱える召喚術の属性は決まっているようだが、バージルは以前アティに確認してもらった通り、全ての属性の召喚術が使えるようだった。おまけに持ち前の魔力があれば、どれほど強力な存在でも容易に召喚できるだろう。

 

 もっともバージルは召喚術に頼る必要のないほどの圧倒的な強さを持つため、戦闘の手段としての召喚術には興味がなかった。それでも召喚術を学んでいるのは移動手段としての可能性を捨てきれなかったからだ。

 

 そもそも、もう一つの移動手段として考えていた悪魔が用いる移動術にはどうにも好ましくない欠点があったのだ。

 

「…………」

 

 バージルはその移動術を発動させた。これまでも練習のつもりで何回か使ってはいたので、すでに発動自体は全く問題がなかった。

 

 一瞬で周りの景色が変わる。目の前にあるのは目的地としたスカーレルの家だ。周りの人々から奇異の視線に晒されたが、今回の移動は成功だったということだ。

 

「この距離は問題ないか……とするとやはり問題は……」

 

 この魔術における移動先は使用者が指定した場所となるが、なんの目印もないところへの移動はとても大雑把になるのである。したがってバージルが魔力を感知できる範囲内であれば、かなり精度の高い移動が行えるのだが、全く目印がないところへの移動には向かないのだ。

 

 実際バージルは以前にファナンを目的地にこの移動術を使ったのだが、なんの目印もない場所への移動だったため、実際に移動させられたのは、方向こそおおよそあっているが、距離はまるで違うトライドラ近郊の平原、それも五百メートルほど上空だった。

 

 凄まじく広大な魔界基準で考えるならこれでも有効な移動手段なのは理解できるし、魔界には大悪魔のような強大な魔力を持つ存在も多い。それを目印にすれば今回のようにかなり正確な移動が行えるのだろう。もっともいくら好戦的な悪魔でも好んで大悪魔の前に転移するような好戦的な者は少ないが。

 

 バージルが魔力を感知できる距離は人間ならばサイジェントの郊外までが限界だ。そしてその距離ならエアトリックでも十分移動可能な距離なのだ。もちろん大きな魔力を持った魔帝のような存在であれば、この世界のどこにいてもその力を感知できるため、この移動術も十分に活用できるだろうが、せいぜい中級悪魔程度しか現れないリィンバウムでは活用する場面は限られるだろう。

 

(どちらも現状では使えないか……)

 

 召喚術は移動に適した召喚獣と誓約できず、誓約が済んだサモナイト石も持っていないためこちらの方法は使えず、かといって悪魔の移動術も現状では欠点のほうが多い。

 

 とりあえずは現状維持か、そう考えつつ玄関の扉を開けると、ちょうど出かけようとしていたスカーレルと鉢合わせになった。

 

「あら、ごめんね、また出かけてくるわ。家の事お願いね!」

 

 またか、と思いつつも「ああ」とだけ答え、見送りもせずにそのまま家の中へ戻っていった。こうしてスカーレルが頻繁に家を空けるのも最近ではよくあることなのだ。

 

 無色の派閥との抗争に決着がついてもう二十日近く経つだろうか、勝利した当初は極度の緊張から解放された反動か、街中が祭りの様相を呈していた。しかしそれもいつまでも続くわけはなく、一晩経てば熱狂も冷めるものだ。

 

 しかし、それでいつもの問題が解決したわけではない。今回の一件でサイジェントの統治形態も大きく変わることとなったのである。以前からこの街の人々は重税に苦しみ喘いでおり、一時は革命組織まで組織される有様なのだった。

 

 それが今回の一件で騎士団も革命組織も関係なく、街を守ろうとするもの全員が肩を並べて共に戦ったことで結び付いたのだ。もっとも。元々現騎士団長のイリアスと革命組織アキュートのリーダーであるラムダ、それにフラットのレイドはかつて共に騎士団に属していたのだ。彼らが協力することになったのはある意味必然なのかもしれない。

 

 しかし、この協力関係は領主や統治を任されている召喚師が指示したものではない。イリアスが自分の判断で決めたことだ。当然この判断を理由として処分される可能性もあったが、結果的にこの判断が被害の低減に貢献したこと、彼自身が派閥との戦いに勝利した騎士団長となったことで不問となった。

 

 もし、彼を処分すれば他の騎士や住民から大反発をくらうことは目に見えていた。彼は率先して昼夜問わず街を守るために走り回っていたことは誰もが知っているところなのだ。

 

 そういった状況はこの街の実質的に取り仕切っていた金の派閥の召喚師マーン三兄弟にも伝わっていたし、彼らは少し前からフラットとの関わりもあったため、彼らから自分たちの評判の悪さも聞いており、統治形態の大幅な改革も認めることにしたのだ。

 

 そのあたりはさすが金銭的利益を追求する召喚師の集団の金の派閥に属する召喚師である。このままの統治を続けてもいずれ破綻することは目に見えているため、多少自らへの利益が減るとしても改革を認めてこの街での立場を守るほうが得策と判断したようだ。

 

 そういった事情もあって今、サイジェントは大きな変化の時を迎えていた。

 

 フラットやアキュートに関連することだけでも、ラムダやレイドは騎士団に戻ることが確定していたため、特にアキュートでは組織の解散に向けていろいろと進めているらしい。

 

 その関係でスカーレルは忙しく動き回っているのだ。アキュートにとっての相談役である彼もいろいろとやることがあるかもしれない。

 

「あっ、おかえりなさい」

 

 家に入ってすぐポムニットが出迎える。料理をしていたのかエプロンつけていた。

 

 そんなポムニットはバージルの姿を一目見るなり何かに気付いて言った。

 

「コート汚れていますよ、洗っておきますね」

 

「ああ」

 

 コートが汚れていたことには気付かなかったが、おそらく悪魔の移動術を使って空中に転移したときだろうとあたりをつけた。着地したときに砂埃が舞ったのを覚えていた。

 

 バージルはコートを渡すと、アティから借りたサモナイト石を返すために彼女の部屋に向かった。上半身は黒いシャツ一枚ではあるが、まだ真冬でもないため特段寒くはなかった。

 

 それを見送ったポムニットはコートを抱えて洗い場に向かった。しかし、その途中ではたと足を止め、じっとバージルのコートを見つめた。

 

 そして周りに誰もいないことを確認すると、おもむろに両手で抱きしめるように持っていたコートに顔を埋めた。バージルの匂いが鼻腔をくすぐる。それこそまだ彼が今もこの世界にいる何よりの証拠だった。

 

 本心では匂いだけでなく、あの時のように抱き着いてバージルの存在を確かめたかったが、そんなことをすれば迷惑になるのは考えるまでもなくわかりきったことであるため控えたのだ。

 

 もちろん今やっていることも、知られれば軽蔑されるかもしれないということは重々承知しているが、それでも長い間不在にしているとバージルは元の世界へ帰ってしまったのではないかとどうしようもなく不安になることがあるのだ。

 

 それでも、こうしているとその不安がすっと消えていくようで安心できる。ポムニットは一段と強くコートを抱きしめた。

 

 彼女が仕事を再開できるのはもう少し先になりそうだった。

 

 

 

 

 

「あっ、バージルさん」

 

 机に向かい眼鏡をかけて書き物をしていたアティは部屋に入ってきたバージルに声をかけた。

 

「借りていたものだ」

 

 そう言って机の上にサモナイト石を置いた。それをしまいながらアティは尋ねた。

 

「上手くいきました?」

 

「ああ、問題ない」

 

 アティがバージルに召喚術を教えたのは片手の指で数えられるくらいだ。にもかかわらずもう使いこなせることには素直に称賛するしかない。

 

「さすがですね」

 

「もっとも使えたところで必要なものは呼べないがな」

 

「あはは……そうでしたね」

 

 移動に使える召喚獣を手に入れない限り、バージルが習得した召喚術が活躍することはないのである。それを思い出したアティも苦笑いしながら同意するしかなかった。

 

「あ、そういえばちょっと見てもらいたいのがあるんですけど……いいですか?」

 

「ああ」

 

「これまであった悪魔の特徴とか対策とかまとめているんですけど、確認してもらいたくて……」

 

 言いつつバージルに差し出したのは、アティ先ほどまで机で書いていたものだった。

 

 それを受け取ったバージルはアティの対面に腰かけ、ぺらぺらと紙をめくって簡潔に中を確認していった。そうしていると数日前にアティが言っていたことを思い出した。

 

「……たしか騎士団に何か頼まれたとか言っていたな」

 

「はい。騎士団の、というかフラットのレイドさんから、私の知っている悪魔の情報を提供してもらえないかって頼まれたんです。それで一通りまとめてはみたんですけど……やっぱりバージルさんにも見てもらったほうがいいかなって……」

 

 レイドがアティに情報の提供を求めたのは、今後の悪魔との戦いに役立てるためだという。そんな理由を言われ、頭でも下げられたら他人に甘い彼女が断ることができるはずなかった。

 

 ちなみにバージルはどことも関係がないのでいつも通り好き勝手に過ごしていた。このあたりは週休六日を標榜するダンテとそっくりである。もっとも本人は否定するだろうが。

 

 それはそれとして、アティは悪魔の情報を紙にまとめて提供しようと考えていた。しかし一応、彼女自身も悪魔との戦闘経験は豊富ではあるが、やはり前の世界でも悪魔と戦ってきたバージルには到底叶わない。そもそも彼女が悪魔との戦い方を作り上げるにあたり、悪魔の情報を提供したのはバージルその人なのだ。そこから考えても一度見てもらいたいと考えるのは当然だった。

 

「特に言うことはない」

 

 読んでいた紙をアティの目の前に放り投げながら答えた。彼女の書いた内容はバージルから見ても正しく、そして詳細に書かれていたのだ。このあたりはさすが教師をしているだけのことはある。さすがにブリッツやヘル=ヴァンガード、アビスといった悪魔の記載がないが、こればかりはアティ自身も戦った経験がないため致し方ないだろう。

 

「……あの、実はもう一つお願いしたいことがあって……」

 

 口元が隠れるように返された紙を持ちながら、恥ずかしそうに上目遣いでバージルを見た。己が頼まれた仕事なのに頼ってばかりの自分情けなく感じ、バージルにも申し訳なく思ったのだ。

 

「今度はなんだ?」

 

「これに書いてない悪魔のことを教えて欲しいんです」

 

 おそらく彼女はできる限り多くの悪魔のことを書きたいのだろう。なにしろこれは今後のサイジェント騎士団の対悪魔の戦術を構築する上での重要な資料となるのは間違いない。当然、誤った記述や記載されていない悪魔が現れれば、その分だけ命が危険に晒されることになる。命の重みを知っているアティがそんなことを認めるわけがなかった。

 

「……まあ、いいだろう」

 

 つくづく甘くなったものだ、という自覚はありつつも、アティに協力することについては特段悪い気もしないので了承することにした。

 

「あ、ありがとうございます!」

 

 アティは嬉しそうに言うと筆記用具一式を持ってバージルの隣に移った。

 

 話を聞くだけなのにわざわざ隣に来る必要性を理解できなかったバージルだったが、あえて言うほどのことでもないので彼女の好きにさせることにして、まずどの悪魔から話すか、考えることにした。

 

 

 

 

 

 月の光も星の光も、闇夜を覆う雲に隠れ、サイジェントの街をわずかばかりに照らすのは家々から漏れる明かりだけだった。その中の一つはスカーレルの家からである。

 

 しかし、もう子の刻になろうというのに当の家主はいまだ帰ってきていない。今、スカーレルの家で起きていたのはバージルだけであった。

 

 アティもポムニットも既に眠っている時間なのに、バージルが起きているのは、本を読んでいたためだった。

 

 ちなみのその中身は四界に関する本で、それを机の上に積み重ねていた。

 

 召喚術を使うにしてもどのような者を召喚したのかわからなければ、それが移動に適しているかも判断できない。そのため、こうした本を読み漁って四界に関する見識を深めているのだ。

 

 これらの本は派閥との戦いが終わった後に買い求めたものだ。どうせお人好しのアティがいる以上、しばらくここに足止めを食らうのは容易に予想できた。そのためバージルはこの機会に召喚術を習得しようと考え、サモナイト石を借りて実際に使用してみたり、本を読んで知識を深めていたのだ。

 

「ただいま~」

 

 やる気のない声を出しながらスカーレルが帰ってきた。当然、バージルは出迎えるような真似はしない。

 

「あら、あなただったの、てっきりセンセかと思ったわ」

 

 バージルが起きてここにいたことにスカーレルは少し驚きながらも向かい側に座り、酒の入った瓶をテーブルの上に置いた。ドアからまっすぐここまで来たはずなので、どうやら出かけた先で手に入れたもののようだ。

 

「アティならもう寝ている」

 

 今日のアティはバージルから悪魔の話をまとめるのにかなり集中したらしく、いつもより早めに眠りについていたのだ。たしかにいつものアティは稀にこの時間でも起きていることがあるし、バージルは起きていたとしても自分の部屋にいることがほとんどなので、スカーレルがそう言うのも無理はなかった。

 

「せっかくだし、あなたもどう? 貰ったものだけど」

 

「いらん」

 

「あら、そう?」

 

 酒を勧められたバージルはにべも無く断った。ただスカーレルにとっては、半ば予想通りの答えだったようで、特に気にすることもなく一人で酒を飲み始めた。

 

 それから少しの間はページをめくる音と酒を飲む音だけが響いていたが、瓶の酒を半分ほど飲み干したところでスカーレルが唐突に話を切り出した。

 

「ねえ、前にあなたを案内するって約束したわよね? それなんだけど……」

 

「……ああ。それはもういい」

 

 どこか言いにくそうなスカーレルの様子だったが、バージルはそれを気にすることもなく思い出したようにあっさりと答えた。もしかしたらそうした約束をしたことを忘れていたのかもしれない。

 

 二人が交わした約束はサイジェントを襲う悪魔の一件が片付いたら、エルゴの守護者がいるかもしれないところを案内することだった。しかしそれは、バージルが界の意志(エルゴ)と直接会ったことで無意味なものとなったのだ。彼がエルゴの守護者のことを探していたのも界の意志(エルゴ)に会うためだったのだから当然だ。

 

「そう? ならよかったわ。実は、これからもしばらくは忙しいままみたいで、ここを離れられそうになかったのよ」

 

 どうやらスカーレルが言いにくそうにしていたのはこれが原因だったようだ。なにしろ約束の相手はあのバージルだ。うまく納得させないととんでもないことになると思ったのだろう。

 

 ところが、いつの間にか約束が実質的に消滅していたことはスカーレルにとって願ってもない話だった。

 

「そうか」

 

 対して興味がないのか、本から僅かも目を離さずに答えた。実際、今サイジェントで行われている改革は非常に大規模なものだった。これは大胆な改革を即断で決めることができるほどの権力を持つ者が命じたものであるからこそ、初めて可能なことではある。だが逆にそれは命令を受けて動くもの多くとも、命令は下すものは極端にすくないことでもある。

 

 それを解消するためにはどうしても人を動かさなければならない。そして人が動いたことによって空いた穴を埋めるために、新たに人を動かす必要に迫られる。こうして玉突きのように人は動いていき、最終的にスカーレルのような人間がカバーすることになるのである。

 

 もちろんこれは改革の過渡期における一時的なものだ。落ち着いて来ればいずれ彼がやらなければならない仕事も減ってくるだろう。

 

「それじゃ、アタシはお先するわ。あなたも早く寝なさいよ」

 

 スカーレルの悩みは予想外にあっけなく解消され、心の荷が下りたのか残りの酒を一気に飲み干すと、そう言って寝室に歩いて行った。

 

「ああ」

 

 やはり適当に返事をしたバージルは黙々とページをめくっていく。そもそもバージルはいくら寝過ごそうが全く問題ない立場だ。仕事をしているわけでもないし、頼まれていることもない。無職といえば聞こえは悪いだろうが、旅をしていた時代に路銀として稼いだ金が十分に残っており、下手な商人よりは金を持っているのである。なにしろ島では自給自足の生活で金を使う機会がないので当然だ。

 

 そういうわけで世俗の煩わしさから離れた悠々自適の生活の送っているバージルだが、彼がリィンバウムの歴史の表舞台に立つ時が刻一刻と迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




なんとか今年中にサモンナイト1編は終わりそうです。果たしてこのペースで完結までどのくらいかかるのか……。

ご意見ご感想お待ちしています。

ありがとうございました。


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第34話 戦乱の胎動

 バージルがいた世界には日本という国がある。その国の那岐宮市というところがリィンバウムの新たな誓約者(リンカー)である新堂勇人(ハヤト)の生まれ育った故郷だった。

 

 ハヤトは何か月かぶりに、クラレットは初めてその那岐宮市を訪れて、およそ一週間の時が経っていた。最初にハヤトが自分の家に帰ってきたときは、家族に心配されたり、怒られたりと大変だったのだが、さすがに一週間も経った今では落ち着きを取り戻している。

 

 クラレットもハヤトの母に「娘ができたみたい」と随分と気に入られており、こちらの生活にもだいぶ慣れたようだ。ここ最近の数日は一緒にキッチンに立っていることもあるくらいだ。

 

 既に彼はリィンバウムに再び戻るつもりであることは両親に話しており、了承を得ていた。まだ子供に過ぎない自分の我儘を聞いてくれた二人にはいくら感謝してもしきれない。

 

 そして現在、クラレットにとっては初めての世界ということもあり、折角なので二人は那岐宮市のランドマークのようなものである那岐宮スカイブレードに行っていたのである。

 

「ハヤト、ありがとうございます。大切にしますね」

 

 クラレットは首に掛けられたペンダント愛おしそうに握って、嬉しそうに呟いた。

 

「いいって、せっかく来たんだし。それに、俺の分も買ったからさ」

 

 そこでハヤトは記念にとスカイブレードを模したペンダントをクラレットにプレゼントしたのだ。自分のも買い求めたため、お揃いともいえる。

 

「それにしても、思ったよりお客さんはいなかったな」

 

 ハヤトは展望台のことを思い出しながら言った。那岐宮スカイブレードはそれなりに知名度があるらしいから、もっと人がいると思っていたが、肩透かしを食らった気分だった。

 

「仕方ありませんよ。今日は、へいじつ、というものなでしょう?」

 

「そういえばそうだったな。向こうの生活に慣れてすっかり忘れてたよ」

 

 クラレットの指摘に頬を掻きながら苦笑いをする。少し前の自分も那岐宮中央高校に通う普通の高校生だったのだが、これまでのサイジェントの生活で体はすっかりあちらの方に慣れてしまったらしい。

 

「もう、ハヤトったら」

 

 そんな彼をクラレットは手を口元に当てて、くすりと笑った。

 

「さて、他に行きたいところはどこかある?」

 

 仕切り直しも兼ねてハヤトは話題を変えた。もともと今日展望台まで行ったのは、クラレットが、ハヤトの住んでいる所のことを知りたいという話をしたため、那岐宮市の観光名所であり街を一望できる展望台でもあるスカイブレードへと連れてきたのだ。

 

 この後の予定は特に決めていなかったため、彼女の希望に沿う形で目的地を決めようと思ったのだ。

 

「ハヤトが行っていたところならどこへでも」

 

 その言葉にハヤトは照れながら頭を掻いた。彼は女性にこんなことを言ってもらった経験などない。というより今まで恋人の一人もいたためしはないのだ。そんなハヤトが意識している人にこんな言葉を言われたのだ、照れても仕方がないだろう。

 

「……うん。それじゃ、まずは商店街にでも行こうか?」

 

 ほんの少し勇気を出して右手を差し出した。

 

「……はい」

 

 クラレットは恥ずかしそうにしながらも彼の手を取った。それでも恥ずかしさ以上に嬉しさもあるようで、彼女は赤い顔を隠すように少し俯きながら言った。

 

「よろしく、お願いします」

 

 そして二人はまるで付き合ったばかりの中学生のよう、恥ずかしそうにしながら歩いて行った。それでもどちらも繋いだ手だけはしっかりと握り、離そうとはとはしなかった。

 

 

 

 

 

 バージルの足元には一瞬前に斬り捨てた悪魔の死体が転がっていた。依代がなければ現れることさえできない最下級の悪魔だ。

 

「無事に終わりましたね」

 

 そこにアティが声をかけてきた。彼女はバージルの召喚術が間違いなく使えているか、確認するために彼の練習に同行したのである。バージル自身は問題なく使えていると思っているのだが、やはり最終的には実際に召喚術を使う者に確認してもらうべきだと考え、アティに依頼したのだ。

 

 もっともそれ自体はなんら問題なく終わったのだが、その帰路で悪魔が襲い掛かってきたのだ。

 

 確かに少し前まで、このサイジェントで繰り返された悪魔の召喚はもう二度と行われることはない。しかし、それで悪魔が現れなくなるわけではない。出現の頻度こそ著しく落ちたが、今のように悪魔は現れ続けているのだ。

 

「……ああ、そうだな」

 

 つまらなそうに息を吐く。正直、この程度の悪魔といくら戦っても退屈なだけだ。確かにこの世界に来たばかりの頃は、こんな雑魚でもはぐれ召喚獣と戦うよりマシだと考えていたことは事実だ。しかし、ここ何年かで悪魔が現れるようになってからは、もう数えるのも馬鹿らしくなるくらいの悪魔を屠ってきているのだ。食傷気味になるのも無理はない話だろう。

 

 バージルにとってはその程度の認識の下級悪魔ではあるが、あくまでそれは、伝説の魔剣士の血を引く絶対的強者の視点における話だ。

 

「とりあえず、傷つく人がでなくてよかったです」

 

 ほっとしたようにそう言いつつ笑う。だが、バージルはいつもの仏頂面のままぼそりと呟いた。

 

「今回は、な」

 

 今、戦った悪魔は魔界を裏切った大罪人スパーダの血を引くバージルを狙って現れたのだ。それ自体は別に珍しいことではない。人間界にいた頃からよくあったことであり、いまさら動じる程のことではない。

 

 だが、悪魔がバージルではなく無差別に殺戮を行うために現れた場合、今回のように誰も傷つくことなく終わることはないだろう。戦う力を持たない一般人にとっては最下級の悪魔でも恐るべき殺人者なのだ。

 

(いつまで経っても無駄なことを)

 

 スパーダが魔界から離反して既に二千年の時が過ぎている。にもかかわらず、いまだ父への憎しみが一向に薄れもしない。いまだ自分を狙ってくるところからそれは明らかだ。それを考えればスパーダが人間についたことは、悪魔にとってどれほどの衝撃だったのだろうか。

 

 その時、ふとバージルの脳裏にある考えが浮かんだ。

 

 父は何故、こんなにも弱い人間を守るために魔帝に刃向かったのだろうか。

 

 まだ、魔帝を倒そうとするだけなら理解できる。スパーダも悪魔である以上、強大な存在を打倒し、己が力をより高みへ持っていこうとするのは当然のはずだ。

 

 だが、そうであるなら魔界でムンドゥスを倒せば済む話だ。人間を守る必要はない。

 

 一応、かつてスパーダが領主をしていたフォルトゥナの魔剣教団というスパーダを神として奉る集団に伝わるところでは、人を愛し人のために戦ったとされているが、仮にその時父が愛した者がいたとして、人間すべてを守るようにするだろうか。愛した者だけ守ればいいのではないだろうか。そしてその後も二千年の間もずっと人を守り続けるだろうか。バージルには甚だ疑問だった。

 

「…………」

 

「どうかしました?」

 

 ちらりとアティに視線を向ける。仮に、仮に、だ。もし自分がアティを愛したとして、父と同じように人間すべてを守ろうとするだろうか。答えは否だ。どんなに甘く考えても守ろうと思うのは、せいぜい彼女の周りの人間だけだろう。人間という種を守ろうとはどうしても思えなかった。

 

 ならばきっとスパーダは、バージルには見出すことのできなかった「人間を守り続けるだけの意味」を見つけたのだろう。それこそが魔界を裏切り、主君を裏切ってまで人のために剣を振るった理由なのだ。

 

「……いや、なんでもない。行くぞ」

 

 不思議そうにバージルの顔を覗き込むアティにバージルは思考を打ち切って答えると、家とは別の方向に歩き出した。

 

「あれ、どこに行くんですか?」

 

「酒を買うだけだ。別についてこなくていい」

 

 まがりなりにもバージルはこれまで長く人と共に過ごしてきた。そんな彼でもスパーダが人に見出しただろう意味を理解することはできなかったのだ。今の状態ではいくら考えても無駄だろう。

 

 久しぶりに酒を飲もうと考えたのも、行き詰った感のある気分を変えるためなのかもしれない。とはいってもバージルにも好みはある。酒なら何でもいいというわけではないのだ。

 

 商店街の適当な酒屋に入ったバージルは少しの間店内を見て回り、一本の酒を選んだ。

 

「……ほんとに買うんですか、これ?」

 

 選んだものを見たアティは思わずそう口走った。なにしろ他の酒とは文字通り桁違いの値段だったのだ。

 

 それもそのはずバージルの選んだ酒は、アティも一度は聞いたことはある各国の富裕層や宮廷にも出されるほどに有名なものだったのだ。

 

「当たり前だ」

 

 何のために選んだと思っている、そんな視線をアティに向けたバージルは、さっさと会計を済ませ店を出た。

 

 外は既に日暮れだ。今から帰ると酒が飲めるとすればおそらく夕食後になるだろう。かといってこの酒は、もともと飲食店への販売を主目的としていたのか、一人で空けるには厳しい量しか置いていなかったのだ。

 

「お前も飲めるだろう、付き合え」

 

 そこでバージルはアティにも飲ませることにした。どうせ残ってもいつ飲もうと思うか分からないため、今日で飲み干すつもりなのだ。

 

「へ? いいんですか?」

 

 脈絡なく誘われたアティは気の抜けた声をあげ、聞き直した。

 

「どうせ一人では飲みきれん」

 

「それなら遠慮なくお供しちゃいますね」

 

 バージルと酒を飲むなんて前に島で宴会をした時以来だから随分久しぶりのことなのだ。普通の食事なら毎日のように共にしているのに、酒を共に飲んだことは少なかったのだ。

 

 それが思いがけず共に飲む機会に恵まれたアティは嬉しそうに返答したのだった。

 

 

 

 

 

 その日の夜、約束通りバージルの部屋で酒を飲むことになった。雲一つない空には大きな月が昇っている。これほどの見事な満月となると明かりがなくとも十分過ぎた。

 

 場所をバージルの部屋にしたのは、月見をしながら酒を飲むためである。月見酒というだけでもなかなかに風流だが、彼が杯を傾ける姿は、月光に映える銀髪とあわせてやけに絵になっていた。

 

「あ、おいしい……」

 

 同じテーブルで飲んでいたポムニットが呟く。せっかくなので彼女やスカーレルも誘ったらどうかとアティが言ったのだ。バージルとしては思うところもなかったためそのまま了承した。ただスカーレルは珍しく夕食には一度帰ってきたものの、今日は帰れないかもしれないと伝えてすぐに出掛けて行った。

 

 なんでも近日中に新たな統治体制の核である市民議会が正式に発足するとかで、スカーレルはアキュートの面々や騎士団と共に大詰めの作業を行っているという。

 

 これには以前にもアティが協力を申し出たが、これまで住んできた街のことくらい自分たちで解決したいという想いがあったようで、丁重に断られており、彼女もそれ以上何も言わなかった。

 

 結局、スカーレルを除いた三人で酒を飲むことになった。見事な満月とポムニットが用意した簡単なつまみがあると、バージルもなかなか酒がすすんでいるようだ。とは言っても弟のようにがぶがぶと飲むわけではない。香りと風味を楽しむように杯を傾けていた。

 

「こういうのも、いいですね」

 

 ぽつりとアティが言った。普段、酒を飲むのは宴の時だけだった。仲間達と騒いで笑って、それはそれでとても楽しいものだが、今のように静かに酒を楽しむのも悪くないと思えた。

 

「はい、なんだかとっても安心します」

 

「月の光にはマナが豊富だからね」

 

 この世界に留まり続けるのに常に魔力を消耗し続けているサプレスの召喚獣が、夜に活発に動き出すのもこうした理由だ。サプレスの悪魔の血を引くポムニットが安らぎを感じるのも似た理由かもしれない。

 

 そんな二人の声を聞きつつバージルは静かに杯を重ねながら、大きな月を眺めていた。そうしているとあのテメンニグルの頂でダンテと戦った時もこんな見事な満月だったことを思い出した。

 

 思えば、あれからもう二十年弱の年月が経過していた。人間界で過ごした年月とこのリィンバウムで過ごした年月では、ほぼ同じか、こちらのほうが多くなっている。そしてその期間の半分以上を共に過ごしたのが今バージルの両脇にいる二人だ。

 

 昔と比べて少しは変わったという自覚はある。特にアティとポムニットの二人には随分甘くなったと思う。しかし、バージル自身はその変化を認めていた。今の自分があるのは偶然ではなく、自身の決断が積み重なった結果であると確信している。きっかけこそ偶然のものもあるだろうが、そこで何を考え、何を為したかは全て己が下した判断によるものなのだ。

 

 そのため、変化を認めないということは、これまでの自分の決断を否定することなのだ。もちろんバージルはこれまでの決断を悔いたことなどないし、間違っていたと思ったこともない。その時々で自分が正しいと思う決断を下してきたのだ。

 

「……あの、バージルさん。いまさらですけどあの話、本当によかったんですか?」

 

 これまでのことを思い出している間に、いつの間に二人の話題はバージルのことへ移っていたようだ。

 

「戻ったところで何もすることはない」

 

 実は少し前にバージルはハヤトから元の世界に戻らないか、という話を受けていた。ハヤトもバージルと同じくリィンバウムで生きていくことを選びはしたものの、生まれ育った名もなき世界には家族がいる。まさかなんの説明もなしというわけにはいかないため、けじめをつけるため結界を張り直す前に一度帰るつもりだったのだ。その際にアティを経由してバージルも名もなき世界の出身であることが伝わっていたため、この話が出たようだ。

 

 しかし、先ほどの言葉の通りバージルはそれを断った。彼にとって人間界は魔界への経由地に過ぎない。ところがそれも、ここでムンドゥスを迎え撃つと決めた以上、もはや戻る理由はないのである。

 

 アティもポムニットもバージルと永久に別れるのは嫌だったが、一時的に戻ることにはむしろ賛成だった。彼にも待っている家族や知り合いの一人くらいはいるだろうと思ったのだ。

 

「あの……、弟さんがいるんですよね? 一度だけでも会ったほうがよかったんじゃ……」

 

「必要ない」

 

 そうばっさりと断じた。自分も弟もいい歳なのだ。わざわざ会いにいく意味などない。それにいずれはダンテに会うことにはなるだろう。バージルが持つアミュレットがそう予感させているのだ。

 

 それに今更戻ることはできない。なにしろ昨日、ハヤトと彼と共に世界を渡ったクラレットが帰ってきたのだ。そしてその後すぐに召喚術の乱用でボロボロになったリィンバウムの結界は張り直されたのだ。今回のように、また他の世界に行こうとすれば結界を弱めることになるため、わざわざ張り直した張本人であるハヤトがそんなことをするわけがないのだ。

 

 ちなみにいくら結界を張り直しても魔界からの悪魔の出現は止まらないことは、今日バージルが悪魔と戦ったことで証明された。

 

 おそらくリィンバウムに張り巡らされた結界はあくまで四界からの侵攻を断ち切るものであり、いわば「海」のようなものだ。これまではリィンバウムと四界はいわば陸続きの状態であったため歩いてくることができたが、結界という「海」が間にできたおかげで「船」のような特殊な方法がなければ行き来することができなくなったのだ。

 

 ところが魔界とこの世界を遮る境界は「海」ではなく星と星を隔てる「宇宙」のようなものだ。しかしそれも魔帝の力によって四界を含むこの世界と魔界が無理矢理に繋がれてしまったのだ。そのため結界を張っても悪魔が現れるのは自明の理なのだ。

 

「そんなことより帰りの算段はどうなっている?」

 

 さすがにこれ以上、いろいろと聞かれることに嫌気がさしたのかバージルは露骨に話題を変えた。

 

「最近は近くを回っているみたいです。ソノラさんとは連絡を取り合っていますから間違いありません」

 

 ポムニットは自信をもってそう答えた。帰りは来た時のようにファナンからではなく、カイル一家が拠点にしている帝国のある港で落ち合い、島まで乗せてもらう予定なのだ。

 

 要はカイルたちが帰港するのに合わせて港へ出向けばいいのである。近場の海を巡っているのならたとえ行き違いになっても、待っている時間はたいしたことないだろう。

 

「なら、さっさと戻るか。……それでいいな?」

 

 一応、アティに確認をとるような形ではあったが、実質的にそれは決定事項を伝えるものであった。

 

「ええ、私も大丈夫です」

 

 依頼を受けアティが書き上げた悪魔に関する資料は数日前にレイドに手渡してある。

 

 実はそれには作者としてアティだけでなくバージルの名も書いてある。これはバージルの協力があって完成したものであると示したかったアティが入れたものだった。

 

 実際、その資料は現在この世界でもっとも詳しい対悪魔の戦術が記述されたものだった。もしこれが世界に広まるなら悪魔と戦うものにとっての聖典になるかもしれない。

 

「それじゃあ、この話はこのくらいにして、もっと飲んでくださいね」

 

 そう言いながらポムニットはバージルのグラスに酒を注いだ。いつの間にか飲み干してしまっていたようだ。

 

「ああ」

 

 短く答えて、あらためて注がれた酒に口をつけた。果実のような華やかな香りが鼻をくすぐり、なめらかな甘みが口の中に広がった。それでいて味のきれがよく非常に飲みやすい。やはり価格に相応しい味わいだ。ある程度飲んだ後でもそう感じることができた。どうやら選んだものは当たりだったようだ。

 

 

 

 そうして酒の味を楽しみながら飲んでいると、いつのまにかアティは随分と眠そうにしていた。意外とアルコールがきつい酒だったのかもしれない。ポムニットに至ってはバージルに寄りかかり寝息を立てている。

 

「おい、運んでやれ」

 

「……ふぁい」

 

 アティに声をかけるが明らかに呂律が回っておらず、そう答えるだけ答えてポムニットと同じようにもたれてかかって寝息を立て始めた。彼女にしては珍しく随分と酔いが回ったようだ。

 

「…………」

 

 無言でため息をついて二人を抱え上げた。さすがに部屋まで運んでいくのは面倒なので、普段使っているベッドに引っ張っていく。弟ほど酒が強くないバージルもそれなりに酔いは回っていたのだが、この一連の作業の影響で一気に冷めてしまった。幸い、まだ酒は残っていたようなのであらためて一人で飲むことにした。

 

 アティとポムニットはベッドを占領しながら幸せそうな寝顔を晒している。そのベッドの主はそんな二人を寝顔を見て、もう一度大きなため息をついた。しかし、その表情はいつもよりどことなく緩んでいるように見えた。

 

 

 

 

 

 霊界サプレスの一角に一体の悪魔が現れた。肉体を持つことからその悪魔は高位の存在と思われるが、激しい戦いに敗れたのかその体からは弱々しい力しか感じられなかった。

 

 その悪魔にとって幸いだったのは、この霊界サプレスは人間界に比べ魔力が豊富で力を回復させるのに適した場所であったこと。そしてサプレスにおいても辺境といえるこの場所には彼を脅かす存在がいなかったことだ。いくら大悪魔に区分される力を持っている悪魔でも、深手を負っているこの現状では人間のデビルハンターにすら敗れかねないのだ。

 

 そのため、まずこの悪魔がしたことはじっと力を蓄えることだった。いずれ戦いになることは明白だ。たとえここがどこであろうと悪魔である彼がすることは一つしかないのだから。

 

 じっと体を休ませ、力を回復させながら悪魔はこの場所について考える。魔界でも人間界でもないことは確かだ。そうなると最近行き来が可能になったと言われる世界かもしれない。

 

 その世界は数年前、魔帝が忌まわしきスパーダの血族に再び封印される前に、行き来を可能にした世界だということは知っていた。もっとも行き来できるのは力の弱い悪魔だけであり、人間界のように大悪魔は行き来できる方法はまだ見つかっていないため、大した興味は持たなかったのだ。

 

 もしその世界だとすればなぜ大悪魔である自分は、この世界に来ることができたのか。そもそも覚えている限り、彼は人間界でスパーダの血を引く男に敗れたはずなのだ。

 

 辛うじて生き残り、復活できたとしても故郷たる魔界か、敗れた場所である人間界であるはずなのだ。こんなところで意識を取り戻すことなどあるはずはないのだ。

 

 決して答えの出ない問答を繰り返していると、そこへこの世界の住民と思われる者達が二つの方向からやってくるのが見えた。その姿は人間界で伝えられる「天使」の翼を持つ者達と、同じく人間界の「悪魔」に似た羽を持つ者達だった。

 

 おそらくこの悪魔の力を感じ取りやってきたのだろう。それはつまりこちらへ来る者達に気付かれる程度には力が回復したといえる。おまけにどちらの集団も武装している。それなりには戦いの経験がある者達なのだろう。

 

 そこまでお膳立てされて戦わずに引くという選択肢などこの大悪魔にはなかった。伏していた体を起こし左手に剣を握った。四本の脚に二本の手。その姿は人間界に伝わるケンタウロスのようだ。

 

 しかし大きく違うところもある。ケンタウロスが人の顔しているのに対してこの悪魔はまるで獅子のような顔に大きな二本の角を持っており、全体の大きさも八メートルほどもある。さらに体を覆う皮膚は人のような脆いものではなく、まるで溶岩が固まったように強固で黒いものだった。

 

 そして悪魔は大きく咆哮する。刹那、体から炎から爆発的に溢れ出し、鎧のような体を包み込んだ。戦う準備が整った悪魔は、宣戦を布告するように誇り高き己の名を叫んだ。

 

「我はベリアル! 炎獄の覇者ベリアルである!」

 

 この日、霊界サプレスに黄昏が訪れた。

 

 

 

 

 

 

 

 




この話で1の話は終わりになります。なんとか今年中に終わってよかった……。

次回より2の話に入っていきます。できれば今年中にもう一話くらい投稿したのですが、年末で忙しいのであまり期待はせずにお待ちください。

ありがとうございました。


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第35話 蒼の派閥

 バージルはこのリィンバウムという世界の来るきっかけとなったテメンニグルでの一件の前には、父の足跡を追って世界各地を旅していたことがある。その中には「フォルトゥナ」という都市全体を巨大な城砦に覆われていて、近隣の諸国とも距離を置いていて独自の文化を保っているところがあった。

 

 フォルトゥナにはかつてスパーダが領主をしていたという伝説があり、今でも彼を神として崇め奉っているのだ。また、人間界では珍しく悪魔が非常に現れやすい場所であり、それもあって住民は悪魔の存在を認知しているのである。

 

 そうしたことからかフォルトゥナではスパーダを神として信仰する魔剣教団があり、それに属する教団騎士が悪魔の脅威から住民を守っているのだ。

 

 しかしつい最近、魔剣教団の教皇を務めるサンクトゥスと魔剣教団の幹部たちが引き起こした一連の事件によって、教団騎士の大多数を失うことになった。僅かに残された騎士は、教皇から計画への協力を求められなかったほど年若く、そして未熟な者たちがほとんどだった。

 

 もちろん今後は、新たな騎士を育てていくことになるだろうが、今のところ現れた悪魔を倒す役目を買って出ていたのは「ネロ」という名の青年だった。事件の前は教団騎士の中で悪魔に憑かれた住民の始末など汚れ仕事を任されていた男である。

 

 彼はフォルトゥナの者にしては信仰心が薄く、教団騎士の制服すら身に着けないひねくれ者だがその実力はかなり高い。そしてサンクトゥスの事件を解決した人物の一人でもあった。

 

「もう、ネロったら、いつまで寝るつもりなの? もうお昼よ」

 

「……ああ、キリエか?」

 

 ソファに横になっていたネロが目を開けた。壁に掛けられた時計を見ると確かにもう昼だった。幼馴染であり、恋人でもあるキリエが言ったことも納得できる。

 

 とはいえ昨日は悪魔退治の依頼があり、帰ってきたのは日付を跨いでからなのだ。そこを考えて欲しいと思うネロだったが、それでも起きたのはキッチンからのいい匂いに抗えなかったからだ。

 

 たぶんキリエがネロの朝食兼昼食として作ってくれたものだろう。

 

「ご飯できたから一緒に食べましょう?」

 

「ああ、そうだな」

 

 ネロは右手で眠い頭を掻きながら体を起こした。その右腕は人のものとは思えない色をしており、まるで甲殻を思わせるような質感をしている。悪魔の腕(デビルブリンガー)と名付けられたその腕は、まさしく名前通り悪魔を彷彿とさせる代物だ。実際にフォルトゥナの市民はこの腕を悪魔と見る人もいるくらいだ。

 

 それでもネロはこれを隠すつもりなどない。確かに腕がこうなったときは見つからないように包帯を巻いていたのだが、教皇の一件でこの腕も自分の一部だと考えられるようになったのだ。

 

 それにネロが人々を守るために悪魔と戦っていることが知れ渡ると、この腕を見て嫌がる人はだいぶ少なくなってきたのだ。一部には彼の銀髪を含めてスパーダの血縁だ、と言う人もいるくらいだ。

 

 それはサンクトゥスにも言われたことがある。彼が言うにはフォルトゥナを訪れたスパーダの血を引く者が、女を孕ませ生まれたのがネロだというのだ。

 

 今にして思えばあるいはそれは真実かもしれない。しかし、もはや彼は父や母がどんな者でも構わないと思えるようになった。今のネロがあるのはキリエと彼の兄クレド、そして彼女らの両親がいてくれたからだ。その両親は亡くなり、教皇の計画に与していたクレドも最後に裏切ったことで命を落としてしまったが、キリエだけはなんとか守ることはできた。

 

 一時はフォースエッジとかいう魔剣を利用した「神」と呼ばれる巨大なスパーダの石像に囚われたネロを助けたのはダンテだった。彼が愛剣リベリオンを神の胎内まで送り込んだことでネロは解放され、教皇を打ち倒し同じく囚われたキリエを助け出して外に出た時には、神までも瀕死に追い込んでいたのだ。さらにいえば彼は悪魔を呼び込んでいた小地獄門と呼ばれる装置も破壊してまわったようだ。

 

 そのおかげで街の建物への被害はあっても、人的被害はさほどでもなかったのだ。これには魔剣教団が小地獄門のオリジナルともいえる地獄門を起動させることがついぞできなかったことも関係するだろう。もしそれが起動していたら、被害は倍以上になっていただろう。

 

 ダンテという男はつくづく底の知れない奴だと思う。実際、その後もこうして悪魔退治の事務所を開こうと思っていた時にも「Devil May Cry」の看板を送ってきたのだ。

 

「うまそうだ」

 

 ネロは料理が並べられたテーブルを見ながら言った。テーブルに並んだものはフォルトゥナの一般的な朝食であり、ネロもいつも食べているものだ。しかし空き腹をかかえた彼にとっていつもと変わりないメニューでもご馳走に違いないのだ。

 

「何言ってるの、いつもと同じよ」

 

 キリエが苦笑しながら答えた。そうは言ってもやはりネロのように喜んでもらえるのは、作る側としては嬉しくないわけがない。

 

「だからいいのさ」

 

 今日もこうして彼女と共に食事ができることは何よりも嬉しいことだった。もしあの事件でキリエまで失っていたら、ネロは今のような生き方をしてはいなかっただろう。キリエがいるから人として生きていける。ネロはあらためて思うのだった。

 

 

 

 

 

 あの無色の派閥の乱からおよそ半年。バージルは再び聖王国を訪れていた。今回訪れたのも一年前と同じく手紙が発端だった。

 

 手紙の送り主はメイメイで、肝心の内容は「蒼の派閥の総帥と会ってほしい」ということであった。

 

 蒼の派閥は召喚術やそれを通して世界の真理を研究している召喚師の集団である。過激な思想を持つ者が多い無色の派閥や利益の追求を至上とする金の派閥と比較し、政治的な関与も避ける傾向にあるとされ反世俗的な組織であるといえる。

 

 また、無色が非合法な組織であることから普通の召喚師の大多数は、この蒼の派閥か金の派閥に属している。実質的に召喚師の総本山の一つと捉えて間違いはないだろう。

 

 それを証明するように蒼の派閥は、リィンバウム最大国家である聖王国の中心都市である聖王都ゼラムに本部を置いているのだ。

 

 太陽が僅かに雲に隠れている昼前、バージルはポムニットを伴ってそこを訪れていた。

 

「少し待ってほしいそうです」

 

 入り口を守る兵士に話しかけてきたポムニットが言った。メイメイからもらった手紙には蒼の派閥総帥の直筆のものと思われる手紙も同封されていた。彼女はそれを見せて取り次ぐように話したのだ。

 

 兵士たちはどう見ても召喚師には見えないバージルとポムニットを訝しんだが、さすがに総帥のサインが入った手紙を見せられてはそのまま突き返すわけにはいかなかったようだ。

 

「そうか」

 

 バージルは一言返事をすると、腕を組んでひとまず待つことにした。彼はわざわざ派閥の総帥に会うためだけに聖王国まで来たのではない。メイメイからの手紙には確かに総帥と会ってほしい旨の内容が書かれていたが、バージルにとってはその理由のほうが遥かに重要だった。

 

 近く悪魔の脅威がリィンバウムを襲うことになるかもしれない。バージルはメイメイがそう書き記した真意を確認するためにここまで来たのだ。もちろんここに来る前にメイメイの店は尋ねたが、留守にしていたため仕方なく派閥の本部まで来たのだ。

 

 もし仮にあの手紙を見せてもここを通さなかったらバージルは実力行使も辞さなかっただろう。なにしろメイメイの魔力はこの建物の中から感じるのだ。この男は目的の人物を前にして不承不承引き下がるような男ではないのは昔から変わらない。

 

「……ついてこい」

 

 しかし、どうやらここで血の雨が降るのは回避できたようだ。取り次ぎに行った兵士は太った中年の召喚師と思われる男と共に戻ってきたのだ。そしてその召喚師は二人についてくるように言った。

 

 その男はどうやら自分が使い走りのようなことをさせられたことに随分と不満を持っているようで「なぜ私が……」などと小さな声で愚痴をこぼしていた。もしかしたらそれなりの立場にある人物なのかもしれない。

 

 そのまま男の後ろについて本部に入った。その中は豪華絢爛というわけではなく、落ち着いた雰囲気の中にもどこか気品を漂わせるような造りだった。しかし、そこにいる召喚師たちは造りとは真逆で剣呑な雰囲気を漂わせ、刺すような視線でバージルとポムニットを見ていた。おそらく蒼の派閥は相当に排他的な集団なのだろう。

 

 そんなことを考えながら歩いていく。バージルはもちろんだがポムニットも派閥の独特の雰囲気に呑まれてはいないようだ。普段から気難しいバージルの相手をしてきたからかもしれない。

 

「…………」

 

「? どうしまし――きゃっ!」

 

 急に立ち止まったバージルを怪訝に思い、声をかけようとしたポムニットに何かがぶつかった。衝撃自体は軽くたいしたことはなかったが、不意のことだったため、倒れこんでしまった。

 

「うわっと! ごめんなさい!」

 

「すいません! ぼーっとしていて……」

 

 ぶつかった少女と、彼女と並んで走っていた若い青年は素直に謝って頭を下げた。そこへ二人の追いかけていたような召喚師の青年が駆け付け、彼女らが引き起こした状況を見て頭を抱えた。

 

「申し訳ありません。二人には僕からよく言い聞かせておきますので……」

 

「いえいえ、全然大丈夫ですから、お気になさらず」

 

 召喚師の青年は少女がぶつかった相手が、派閥の幹部の案内を受けていたことからかなり高位の相手と判断して丁寧に対応した。しかし、それでも不足と見たのか、たまたま虫の居所が悪かったのかバージルたちを案内していた召喚師は声を荒らげて怒鳴った。

 

「何をやっているんだ、貴様らは! ネスティ、貴様もこの成り上がり共から目を離すなと言っただろう!」

 

「申し訳ありません、フリップ様。……マグナ、トリス、君たちも謝らないか。元はと言えば君たちの……」

 

「もういい、さっさと案内しろ」

 

 ネスティと呼ばれた青年が原因となった二人に再び謝罪させようとした時、バージルがそれを遮った。これ以上くだらないことで時間を取られるのはごめんだったのだ。

 

「これはこっちの……! い、いや、なんでもない」

 

 ネスティを怒鳴った勢いのままにバージルにも怒鳴ろうとしたが、フリップが彼のほうへ視線を向けた瞬間、激昂していた頭が恐怖で一気に冷えた。さながら心臓を鷲掴みにされたようだった。

 

 それからはさきほどまでの怒りっぽさは影を潜め、まるで別人のように大人しく案内を再開した。

 

 再び歩き始めたバージルたちの後ろでは、ネスティがマグナとトリスに説教している。彼らの釈明によれば、どうやら二人は急いでどこかに向かう途中だったようだ。その上、話しながら走っていたのでは前方不注意にもなるだろう。

 

 それから一分も経たないうちに二人を目的の場所に連れてきたフリップはそそくさと足早に去っていった。

 

 案内された部屋は、壁という壁に本棚が据え付けられた部屋だった。そのせいで元々はそれなりの広さを持つ部屋にもかかわらず狭く感じた。とはいえ、机は円形に置かれていることから小規模な会合や打ち合わせに使われている部屋かもしれない。

 

「やあ、わざわざこんなところまで来てもらって済まなかったね」

 

 その机に座ってバージルとポムニットを迎えたのは、まだ年端もいかない少年だった。

 

「貴様が総帥とかいう人間か?」

 

 いつもの表情のまま尋ねた。総帥の姿に全く驚かなかったわけではなかったが、人間界においても古代・中世の時代では王などの支配的地位にある者は血縁による世襲でその地位を継承してきた歴史がある。その上、封建的な考えが根強い聖王国であるから、たとえ非常に若い者がトップに立ったとしてもたいした違和感は覚えなかったのだ。

 

 それにここは召喚術を通じて、四界の知識が集まる場所である。あういは、そうした知識があれば若返りや老化を止めることもできてもおかしくないだろう。

 

 そうした考えもあったため、バージルは総帥の容姿には触れなかった。

 

「そうだよ。僕が蒼の派閥の総帥、エクス・プリマス・ドラウニー、……まあ詳しいことは彼女が来てからにしようよ」

 

 エクスは椅子に座るように促した。その言葉に従い二人が腰を落ち着けて間もなくメイメイが現れた。

 

「あらら、待たせて悪かったわね」

 

 悪びれずに言うが、メイメイは明らかに疲れが溜まっている様子だった。しかし、バージルはそんなことは気にも留めず手紙に書かれていた内容について問い質した。

 

「それで、悪魔の脅威とはどういうことだ?」

 

「……そうね。一つずつ順を追って説明しましょう」

 

 きつけに酒の入った杯を呷った彼女は静かに語り始めた。

 

「きっかけは今から半年ほど前。あなたが島に帰ってしばらく経った頃だったかしら。私は彼から相談を受けて、『星読み』――わかりやすく言えば占いみたいなものね。……まあとにかく、それをやったの」

 

 そこにエクスが補足とばかりに口を開いた。

 

「実はその頃、誓約を結んだサプレスの者たちが召喚できなくなる事態が多く報告されるようになっていたんだ。それで、これまで通り召喚できた天使たちから話を聞くと、どうも悪魔との大きな戦いがあったってことが分かった。……ただ、悪魔との戦い自体は珍しいことじゃないから、多くの者はそれで納得したんだ」

 

 そこで一旦、言葉を切った。そして大きく息を吐いてメイメイへ視線を向けながら再び口を開いた。

 

「でも、どこか嫌な予感がして、彼女に相談することにしたんだ」

 

「それで『星読み』の力を使ってみたんだけど、全く何も見通すことができなかったわ。……でも、だからこそ確信したのよ。これにはあなたみたいな力を持つ存在が関わっているってね」

 

「それが『悪魔』というわけか」

 

 椅子に背を預け、腕を組みながら確認するように言う。

 

 メイメイの使う「星読み」がどんな原理のものかは知らないが、長く生きているだろう彼女の力が使えない相手とすれば、この世界には最近現れるようになった悪魔しかありえないだろう。サプレスの召喚獣についても、霊界に現れた悪魔との戦いに敗れたと考えれば一応の辻褄は合う。誓約を結んだ相手がいなくなれば召喚できなくなるのは当たり前のことだ。

 

 ただ、霊界に現れた悪魔は並大抵の悪魔ではないだろう。最低でもあのアバドンと同程度の力を持つことは間違いない。そうでなければ人間以上の力を持つ霊界に住む天使や悪魔を殺すことはできないはずだ。

 

「その通り。だから、あなたの力を貸して欲しいんだ」

 

「……ならば、貴様が出向いてくるのが筋だと思うがな」

 

 エクスの言葉に皮肉の効いた一言をぶすりと返した。その表情からはその言葉がどこまで本気かわからない。さすがにこれにはメイメイもエクスも少しばかり冷や汗を流した。

 

「……まあいい」

 

 話を変えるように鼻を鳴らして、さらに続けた。

 

「俺は俺のために悪魔を殺すだけだ。誰とも組むつもりはない」

 

「それなら、こっちは情報提供や後方支援だけを行うというのはどう? それであなたがどうするかは、こちらは一切干渉しないよ」

 

 エクスが望むのは、こちらに悪魔の脅威が及んだ場合にそれを排除することだけなのだ。それ故、バージルが悪魔を殺すと言っている以上、派閥としては余計なことはせず情報提供等の支援を行い、彼が速やかに悪魔と戦える環境を作るのが最良だろう。

 

「……いいだろう」

 

 少し考えて答えた。蒼の派閥がどこまでの情報を手に入れられるかは不明だが、悪魔がどこに現れるかもわからない現状では、何のあてもないよりはマシだろうと判断した。

 

「それじゃあ、情報は随時提供するけど、どこに伝えに行けばいいんだい? もし住む場所が決まっていなければ、ここの部屋を提供するよ?」

 

「必要ない。場所は追って伝える」

 

 エクスの申し出をばっさりと断った。こんなところに住むのであれば、監視してくださいと言っているようなものだ。たまに来る程度ならまだしも、居を構えるなど選択肢にすらならない。

 

 話が済めばもうここに用はないとばかりに立ち上がり、部屋から出て行った。

 

 

 

 二人を見送りながら二人は緊張から解放されたのか、大きく息をついた。

 

「……やれやれ、ここまで気を張ったのなんて、いつ以来かな」

 

 エクスが自嘲気味に呟いた。その様子は少年の容姿に反し、まるで年老いた老人のようだった。

 

「提案した私が言うのもなんだけど、覚悟したほうがいいわよ。あの人、知りたいことはどんな手を使っても知ろうとするでしょうし」

 

 ある意味バージルの本質の見抜いたメイメイの言葉に、エクスは苦笑しながら返した。

 

「もちろん覚悟はしているよ。……たとえ派閥が隠してきた真実が暴かれたとしても、あいつらに好きにさせるわけはいかないんだ」

 

 エクスが初めて悪魔と相対したのは今からおよそ一年前、サプレスのことをメイメイに相談した後のことだった。その進捗状況を確認するため一人でメイメイに会いに行った時に悪魔と対峙したのだ。

 

 そのとき悪魔から感じたのは、底知れぬ破壊への渇望だった。人が呼吸するのと同じように悪魔は人を殺し、物を壊す。それが本能であると言わんばかりに破壊を求めるのだ。

 

 あんな存在を放っておいたら全てが滅ぼされてしまう。膨大な経験に裏付けられた直感がエクスにそう悟らせたのだ。

 

 しかし、人間にできることには限界がある。今現れているような相手ならまだしも、これまでサプレスの全ての存在を敵に回しても、なお生き続けるような相手に正面から挑んでも勝てる見込みは少ない。

 

 強大な力を打ち倒せるのは、それ以上に大きな力のみ。だからバージルに協力を求めたのだ。もちろん彼が素直に協力してくれる相手でないことはメイメイからも聞き及んでいる。

 

 そしてさきほど最初にバージルと会った時に感じたのは莫大な力だった。本当にこれほどの力を持つ者がいるのか疑うほどの常軌を逸した力。そして同時にエクスはどうしても彼の協力を取り付けたくなった。それがバージルに提示した条件に繋がっていたのだ。

 

 その結果、エクスの望み通り協力を取り付けることはできた。しかしこれで仕事が済んだわけではない。むしろここからが本番なのである。

 

 彼の頭は早くも、バージルに渡す情報の精査とさらなる調査が必要な事項を整理しているのだった。

 

 

 

 

 

 蒼の派閥本部から出てすぐ、二人は貸家の管理を行っている店を訪ねた。こうしたところは物件の所有者から建物の管理や、家賃の徴収を請け負っているいわば不動産業者のようなものなのだ。

 

 そんな店を訪れたのは聖王国における住居を決めるためだった。短期間の滞在なら宿屋でも問題はないが、さすがに長期間となると金銭的にも厳しいのである。

 

 そうしてバージルが選んだのが今、二人が訪れている建物である。歓楽街の近くにあるこの建物は三階建て地下室ありの物件であるにもかかわらず驚くほど安い賃貸料であった。

 

 もちろんそれには理由があった。それを訪ねると担当者は少し言いにくそうにしながら話し出した。

 

 今から十五年ほど前に、この建物で二十人以上が一夜にして殺され、夥しい量の血が流れたのだ。歓楽街に程近い場所での大量殺人となると、当時は非常に大きな話題となったが、結局その犯人は捕まらず今に至るというのだ。

 

 もちろん建物自体は十分に清掃も修繕も行ったのだが、そうした経緯もあって事件以来、誰も借りようとしないため、仕方なく賃貸料を下げているとのことらしい。

 

 もちろんバージルとしてはそんなことは全く気にしなったため、この建物を借りることにしたのだ。そして鍵を受け取りそこへ行ってみると、借りた物件はどこか既視感のある建物だった。

 

「あの、本当にここにするんですか?」

 

 ポムニットが不安そうに尋ねた。流石に二十人以上も殺されたところに住むのはできれば避けたいようだ。

 

 そんな彼女を見ながら、過去の記憶を掘り起こしていたバージルは不意に既視感の原因を突き止めた。

 

「……死んだのは無色の同類だ。気にするな」

 

 この建物はポムニットに出会う以前、スカーレルから依頼を受けて襲撃した紅き手袋の拠点だったのだ。どうやら担当者が言っていた事件の犯人は他ならぬ自分自身だったようだ。

 

「は、はあ……」

 

 鍵を開けるバージルに、曖昧な返事をしたポムニットだったが、少し考えると彼の言葉の意味に気付いた。

 

(もしかして……)

 

 それでも疑問を口に出すことはしなかった。たとえバージルがここで人を殺していたしても、そこには何か理由があるはずなのだ。常に沈着冷静で理論的な彼が無差別に殺したとは考えられないのだ。

 

 それにいまさら聞いたとしてもどうにもならない。むしろバージルが関わっていたことが分かって、少し安心したのも事実だった。

 

 そして建物の中に入ってみると多少埃で汚れているものの、かつて血が流れたとは思えないほど綺麗だった。どうやらここの管理人は随分と修繕に金をかけたらしい。バージルが一階、二階の天井に開けた穴も綺麗に塞がっていた。

 

 この建物の立地は歓楽街の近くにあるだけあって、上等な部類に入るだろう。かつて紅い手袋が使っていたように一種の事務所のような拠点としても使えるし、調理場もあるので住宅として使うのもできる。事故物件でなければ十五年近くの間、誰も借りないということはなかっただろう。

 

「とりあえず、必要な物を買いに行くぞ」

 

 中を一通り見て回ったバージルが言った。さすがに家具や調度品の類はほとんど置かれておらず、わずかに作り付けの棚がある程度なのだ。テーブルやソファ、ベッドといった生活に必要な物は購入する必要があるのだ。

 

 しかし、既に時刻は昼過ぎ。このまま店が閉まれば、今日は床の上で寝ることになりかねない。だからと言ってわざわざ宿屋に泊まるのも馬鹿らしい。

 

「あ、待ってください!」

 

 答えを待たずに出て行ったバージルを追いかけて行った。

 

 

 

 それから数時間、日没近くまでかかったものの、何とか必要な家具は購入することができた。あとはその他必要な物があれば、その都度買い足していけばいいだろう。

 

「それじゃ、ご飯作りますね」

 

「ああ」

 

 なかなかハードな時間だったはずだが、二人とも悪魔の血を引くだけはあるのか、全くといっていいほど疲れた様子は見せなかった。特にポムニットは少し楽しそうにしながら壁を挟んだ裏にあるキッチンに向かった。

 

 彼女は昔からアティと共に食事を作ってきており、特に最近は一人で調理全般を引き受けているため、料理の腕は人並み以上だ。もちろん、さすがにプロ並みというわけではないが、彼女はバージルの好む味付けを心得ているため、彼自身、口には出さないがポムニットの料理を気に入っていた。

 

 夕食ができるまで少し時間ができたバージルは、買ったばかりの椅子に背を預けながら蒼の派閥の総帥から聞いた話を思い出した。

 

 霊界に現れたという悪魔。それに以前サイジェントで倒したアバドンという悪魔。どちらもこれまでリィンバウムには現れたことない、いや、現れるはずのない力を持った悪魔だ。

 

 あれほどの力を持つ悪魔なら魔界との境界を超えることはできないはずなのだ。にもかかわらず、現に悪魔はリィンバウムに、サプレスに現れた。

 

「…………」

 

 一連の事態にムンドゥスが関わっているかは不明だ。しかし、明らかに事態は動き始めている。これがどこへ向かい、どこへ行き着こうとしているのか。それを見極めなければならない。

 

 窓の外はとうに日が落ちて闇に包まれている。その光景はまるでこの聖王国の行く末を暗示しているかのようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




今回から2編にはいります。何とか今年中に投稿できてよかったです。

次回は年末年始の休みの間に投稿したいと考えています。

ありがとうございました。


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第36話 派閥の依頼

 バージルとポムニットが聖王国に滞在するようになって十日。バージルは蒼の派閥総本部の中にある大図書館で本を物色していた。それも禁書指定された本ばかりを収納してある隔離された区画で、だ。

 

「…………」

 

 そしていくつかの本が彼の目に止まった。周りの本とは異なり、それらの本には埃がついていなかったのだ。おそらく誰かが読んだものだろう。しかし、こうした禁書を閲覧できるのは蒼の派閥のほんの一握りの幹部だけのはずだ。

 

 果たしてそうした者が読んだ本には何が書いてあるのだろうか。そんな興味が沸いたバージルはそれらの本を手に取ると、脇に抱えてその部屋を後にした。

 

 もっとも、外に出るには構造上、一般の召喚師にも解放されたメインの区画を通る必要がある。

 

 禁書が納められた部屋から本を持って出てきたバージルに刺すような視線を送る者がいるが、表立って抗議する者や文句を言うものはいない。最初に来たときは司書に咎められたが、彼は総帥のエクスから許可証をもらっていたため、それを見せたら黙り込んだのだ。

 

 以前なら黙って忍び込むこともありえただろうが、事前にエクスに一言伝えるあたり少しは変わったかもしれない。もっとも、そんなことなど知る由もない多数の召喚師はバージルの規則を逸脱した行動に怒りを覚えるとともに、それを許可した総帥にも不満の声が上がっていた。

 

 もちろんエクスはこうした声が上がることなど織り込み済みであった。むしろ禁書を見せる程度のことで彼と良好な関係を築けるなら好きなだけ持って行ってくれ、とまで思っている始末だ。

 

 ちなみに禁書とされているのは、一般に公開されれば派閥に悪影響を及ぼす書籍がほとんどである。しかしエクスは、バージルが禁書を読んで得た情報を無暗に広めはしないだろうという計算もあり、大図書館の書籍全ての閲覧と持ち出しを許可したのである。

 

「最近、これを読んだ者はいるか?」

 

 刺すような視線を一身に受けながらもバージルは涼しい顔で、以前己を咎めた司書の一人に声をかけた。

 

「……いません」

 

 眼鏡をかけた女性司書はバージルと目を合わせないようにしながら短く答えた。

 

「……そうか」

 

 しかしバージルは、本を見た女が一瞬、焦ったような顔つきになったのを見逃さなかった。きっとこの女は何か知っている。もしかしたら読んだのは彼女自身かもしれない。司書という立場であれば禁書を保管している場所に入れるだろう。

 

 とはいえ、バージルが禁書を読んだ者について尋ねたのは、あわよくば書いてある内容を推察できるかもしれないと思ったからだ。したがって誰が読んだかわからくなくとも、特に困ったことはない。

 

 そうして本を手に大図書館を出ようとした時、バージルは少し振り返り僅かに殺気を放った。あんな視線を受けて大人しくしているほど彼は優しくはないのである。

 

 屈強な兵士でも震え上がるような殺気に、まさかやり返されるとは思っていなかった召喚師たちは一様にびくりと反応し、バージルの顔を見ないように視線を外した。

 

 その様子を見たバージルは鼻を鳴らし悠々と去っていった。

 

 

 

 

 

 十日前から住み始めた家に戻ったバージルをポムニットが迎えた。しかし、角を隠すように帽子をしているところを見ると、誰か来ているのかもしれない。見知った者ならともかく、さほど親しくない者に半魔の証を見せるほど彼女は不用心ではないのだ。

 

「あの、パッフェルさんという方が来てますけど……」

 

「パッフェル?」

 

 そんな名前の者など知らないし、それ以前にこの場所を訪ねて来る者など心当たりはなかった。アティやスカーレルあたりなら自分を訪ねて来ることはあるかもしれないが、そもそもバージルがここに住んでいることを知っているのは、ここに住むことが決まって早々に連絡したエクスだけだ。

 

 怪訝に思いながらもとりあえず家に入って、客が待っているという玄関先の部屋に向かった。そこは一階の大部分を占める部屋であり、事務所が入っていれば受付や応接室になっていただろう場所なのだ。

 

 バージルはその部屋にテーブルと椅子を上座に置き、下座にはテーブルを挟むようにソファを二つ置いていた。

 

 パッフェルという女はそのソファに座り、妙にそわそわしながらバージルを待っていた。彼女はポムニットより長いに茶髪を後ろで一つにまとめていた。当然、バージルの知り合いにそんな容姿を持つ女はいない。

 

「お、お邪魔してます~」

 

 努めて明るく振舞おうとしているようだが、何故か少しばかり声が上ずっていた。

 

「……俺に何の用だ?」

 

 バージルは対面のソファに座りながら、相変わらずの冷たい言葉と態度で単刀直入に聞いた。

 

「そ、そんな目で見ないでくださいよぅ。私は頼まれた物を届けにきただけですから」

 

 そう言って彼女が出したのは一つの封筒だった。それを受け取ったバージルが開けてみると蒼の派閥の紋章が入った報告書が入っていた。どうやらこれはエクスの提案した、情報提供の一環のようだ。

 

「わかった。受け取ろう」

 

「……あ、えっと、その~」

 

 ぱらぱらと報告書を途中までめくったバージルはそれだけを伝えた。しかし、パッフェルは目を泳がせながら何かを言いたそうにしていた。

 

「まだ何かあるのか?」

 

「実は、中に入っているお願いの返事を聞いてこいとも言われていまして……」

 

 それを聞いて改めて最後まで確認すると、最後に依頼文のようなものが入っていた。中を読み込んでいくと、どうやら依頼の内容はあるゼラム北部の町にある屋敷の調査らしい。

 

 そこは数ヶ月前まで蒼の派閥の召喚師が使っていたのだが、その召喚師が突然に姿を見せなくなったため、近くに住む召喚師が屋敷を訪れたところ、恐ろしい怪物に襲われ、命からがら逃げ帰ってきたというのだ。

 

 今回の背景にある召喚師の失踪はこれまでも何件か報告されているらしく、最近になってようやく二人の召喚師に調査が命じられたものの、近隣の調査ならともかく遠方となると、とても手が回らないのが現状だった。

 

 また、召喚師の連続失踪事件はサプレスの異変があった頃から起こり始めている。サプレスに現れた悪魔が関係している可能性も捨て切れない。

 

 そのため、エクスはダメもとでバージルに調査を依頼してみることにしたのだ。

 

(そう悪い金額でもないな……)

 

 依頼書には報酬額も書かれている。さすがにスカーレルから受けた依頼ほどの金額ではないが、それでもバージルがこれまで受け取ってきた金と比べても上位に入る金額だ。やはり派閥の長から直接の依頼となると金の払いもいいのかもしれない。

 

 ただ、こちらに都合のいいことばかりではない。調査には指定した人間を同行させるのが条件となっていた。派閥が調査している案件である以上、こればかりは彼らとしても譲れないところだろう。

 

「……引き受けてやる。奴にもそう伝えろ」

 

 僅かに考えてから答えた。確かに派閥の召喚師が同行するのは面倒だが、それを考えても報酬額は割高と言っていい。一応、今のところは金銭的な余裕があるとはいっても金はあるに越したことはないため、受ける価値はあると判断したのである。

 

 バージルの答えを聞いたパッフェルは安心したように大きな息を漏らすと「そのように伝えますね」と話して足早に去っていった。

 

「依頼、受けられたんですね」

 

 玄関まで彼女を見送ってきたポムニットは確認するように言った。

 

「ああ、お前も準備しておけ」

 

 そう言うバージルはポムニットも連れていくつもりであった。

 

 彼一人の仕事であったなら、最近それなりに使えるようになってきた悪魔の移動術でも使って、その日のうちに仕事を終わらせていただろうことは想像に難くない。しかし、他の者が同行するとなるとそういうわけには行かない。人間の移動に合わせなければならず、短く見積もっても数日がかりの仕事になるだろう。

 

 それなら彼女を連れてきて、雑務を任せたほうがバージルの負担も減って楽なのである。

 

「はーい」

 

 間延びした返事をしたポムニットは楽しそうな様子でいた。彼女にも人並みの好奇心はある。島やゼラムでの暮らしに不満があるわけではないが、やはり行ったことのないところに行くのはわくわくするようだ。

 

 おまけにバージルと共に行くのだから彼と一緒にいる限り、危険な目に遭うこともないだろう。今のポムニットに心境はちょっとした旅行に出かけるような感覚なのだ。

 

 さすがにバージルも旅行気分というわけではないが、かといって思うところもなかった。

 

 今回の仕事は屋敷の調査となっているが、彼自身が行うのは魔界関連だけで、その他は同行した召喚師が調査するだろう、ということは既に予想していた。魔界関連はともかく、その他の召喚術に関することならバージルより本職の方が詳しいのは当たり前だからだ。

 

 結局のところ今回の仕事は、かつてスパーダの足跡を追う中でやってきたことと似たようなものでしかないのである。

 

 普通の者にしてみれば命の危険を感じるかもしれない仕事なのだが、どちらもそんなことは全く感じないあたり、二人ともある意味浮世離れしているといえるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 聖王都中心部にある導きの庭園。門から大通りで繋がっており、整然と植えられた樹木や花畑が特徴的な市民公園のような場所である。もちろん一般にも開放され、いくつか店も出ている。繁華街や商店街とは違い静かな場所であるため、一休みするのにも向いている場所だった。

 

 夜が明けて少し経った頃、バージルとポムニットはこの庭園を訪れていた。ここで今回の仕事に同行する蒼の派閥の召喚師との合流場所になっているためだ。

 

「お二人ともこっちですよー!」

 

 声が聞こえた方を見るとそこには二人の女性がいた。一人はパッフェルで声をかけたのは彼女だったようだ。そしてもう一人の金髪の女性が今回同行する召喚師だろう。

 

 随分と若い召喚師だ。おそらく年齢は二十歳前後、ポムニットと同じくらいか、あるいは若干年下かもしれない。

 

「ごめんなさい、お待たせしてしまって」

 

 黒っぽいスカートに白いブラウスにバスケットを持ったポムニットが軽く頭を下げた。正確な集合時間は決まっていなかったが、待たせたのは事実であるため申し訳なく思ったようだ。

 

 しかしパッフェルはお気になさらずといった様子で微笑みながら言う。

 

「いえいえ、こちらもついさっき来たばっかりですから……あっ、こちらは今回一緒に行く蒼の派閥の召喚師、ミントさんです」

 

「ミント・ジュレップです。今回はよろしくお願いしますね」

 

 紹介された召喚師ミントは一礼する。礼儀正しいその所作からは育ちの良さが感じられた。

 

 彼女の自己紹介を皮切りに一通りの挨拶を終えた一行は、早速目的地に向けて出発することにした。

 

 悪魔がたびたび現れる現状では馬車を走らせる者は非常に少なく、実質的に移動手段は徒歩に限られるのだ。目的のゼラム北部の町までは地図上のルートだけで考えれば半日もかからない道のりだが、実際には地形上の起伏を考慮すれば半日強、遅くとも一日の行程となるだろう。

 

 こうした実際のルートの選定に関しては、十五年以上前とはいえ世界各地を巡っていたことのあるバージルが決めるのが最も適していた。事実、彼はゼラムとグライゼル間を行き来した経験がある。街並みと違い地形は十数年で変わることは稀であるため、いまだその経験は有効なのだ。

 

 そのバージルが選んだのは流砂の谷を通るルートだった。ゼラムは北の断崖の上にある至源の泉の下流側に位置する都市である。そのためゼラムから北に行くにはその断崖を超える厳しい道を行くか、遠回りになっても迂回するかのどちらかだ。

 

 流砂の谷を通る道は迂回するルートだが、一般的に使われる道に比べて多少は近道になるのである。

 

 もっとも、道は決していいとは言えない。山道ほどの険しさはないものの、岩が多いため蛇行するような移動を強いられてしまうのだ。

 

「はぁ……ふぅ……」

 

 そんな道が続くとさすがにミントは息が切れてきたようだ。というより他の者が常人より優れているだけだろう。バージルは言うまでもないし、ポムニットも半魔であるため身体能力は相当に高い。パッフェルも蒼の派閥の総帥直属のエージェントのようなものをやっている以上、並以上の身体能力はあるだろう。

 

 対してミントは、いくら若いとはいえ頭脳労働がメインの召喚師だ。こうなるのは当然かもしれない。

 

「バージルさーん、少し休憩しませんかー?」

 

 最後尾にいたポムニットが彼女の様子を見て先頭にいるバージルに声をかけた。

 

「……そうだな」

 

 振り返ったバージルはそう答えて足を止めた。無理をして後日体調を崩されれば調査が長引くかもしれない。そのリスクを考えれば今休むのもやむを得ないだろう。

 

「ごめんなさいね、足を引っ張っちゃって……」

 

「いえいえ、お気になさらずに」

 

「少し早いですけど、せっかくの休憩ですしお昼にしましょう! 私、お弁当作ってきたんですよ!」

 

 そう言ってポムニットは手に持ったバスケットのふたを開けた。その中にはサンドイッチがたくさん入っていた。彼女が今朝早く起きて作っていたものだ。

 

「バージルさん、どうぞ」

 

「ああ」

 

 まずバージルから渡すところは彼女らしいだろう。受け取ったバージルはすぐに一口食べた。

 

「……おいしいですか?」

 

 そもそも具材を挟むだけなのでまずいことは限りなく少ないだろうが、それでもやはり感想が欲しいのは女心といったところか。

 

「悪くない」

 

「よかった……あ、みなさんもどうぞ」

 

 ほっとした表情を見せたポムニットはミントとパッフェルにもサンドイッチを勧めた。

 

 しばらく手頃な岩に座りながら早めの昼食に舌鼓を打っていると、急にミントが話を振った。

 

「そういえば、今回ってどんなところを調べるんですか?」

 

「え? 聞いていないんですか?」

 

 反射的にポムニットが聞き返した。それにミントは申し訳なさそうに口を開いた。

 

「は、はい……フリップ様には召喚術の痕跡を調べろとは言われましたけど、どんな場所かまでは……」

 

「……おい」

 

 それを聞いたバージルは自分にこの話を持ってきた者を睨み付けた。調査する場所すら聞いていない相手を連れて来るとはどういうつもりなのか、と言わんばかりの視線受けたパッフェルは少し動揺しながら言った。

 

「わ、私は知りませんってば~。大体、今回一緒に行くのだって昨日言われたばっかりなんですからっ」

 

「…………」

 

 彼女の言い訳を聞いたバージルは溜息を漏らした。この話が本当であれば派閥内での連絡不足なのだろう。真実かどうかは定かではないが、虚偽という証拠もないため、これ以上追求するつもりはなかった。

 

 代わりにミントに自分が受け取った依頼書を見せることにした。

 

「これでも読め」

 

「え? ぁいたっ!」

 

 封筒ごとミントに投げたが彼女は気を抜いていたのか、封筒は見事に手をすり抜け額に直撃した。

 

 彼女は涙目で額をさすりながら中の依頼書を読んでいる。それを見ながらバージルは、本当にこの召喚師はまともな調査ができるのかと不安になって頭を押さえた。

 

 

 

 

 

 目的の町にはその日のうちに到着することができた。ゼラムとグライセルの中間に位置するこの町は、ゼラムからグライセル間を行き来する者にとって宿場町のような役割を果たしているようで、町中の至るところに宿が点在していた。それもあって夕方にもかかわらず容易く宿を確保することができた。

 

 とりあえず寝泊まりする場所を手に入れたバージルは、詳しい調査の前に現在その屋敷を管理している者に会いに行った。それには明日からの調査はバージルだけでなく、ミントも行うため彼女も連れていくことにした。残りの二人は留守番である。

 

「これはこれは、召喚師殿。こんなところでまでお越しいただき誠に申し訳ありません。この老体もできる限りの協力をさせていただきます」

 

 話を聞きに来た二人を快く家に迎え入れた、人のよさそうな老人が屋敷の管理を任されている者のようだ。

 

「屋敷はいつから派閥で使っています?」

 

 ミントの質問に老人は頷いて答えた。

 

「あの屋敷は元々、ある貴族の方が別荘として建てられたものでした。しかし、十年ほど前にその方が亡くなられ、後を継いだ方にはいらぬと申されまして、さてどうしようかとなったおりに、蒼の派閥からこの町に駐留する召喚師の屋敷として借り受けたいと話があったのです。……それ以来ですので……九年ほど前からかと思われます」

 

 屋敷を作った貴族が死んだのが十年前、それから後継者の問題も考慮すると九年前からというのは妥当なところだろう。

 

「行方不明になった召喚師はどんな奴だった?」

 

 バージルが尋ねた。

 

「とても落ち着いていて真面目な方でした。……ただ、これまでこの町に来た召喚師の方々に比べ、よく外出していたと思います」

 

「……そうか」

 

 それだけでは何も判断することはできない。研究好きな召喚師の中には外に出かける活動的な者も少なくないのだ。

 

 やはり明日からの調査をしなければ何も進展しないだろう。そう考えたバージルは、ミントと老人の会話には割り込まず聞くだけに徹することにした。

 

 それから十数分後、二人は老人の家を後にした。随分話していたミントだったが、やはりこれといった成果はない様子だ。

 

「やっぱり話だけじゃわかりませんね~」

 

 たいして気にしていない様子のミントにバージルは一言答えた。

 

「だろうな」

 

「……あの、こういう仕事ってたくさんやってこられたんですか?」

 

「どういう意味だ?」

 

「実は私、今回みたいな派閥のお仕事をするのって初めてなんです。それで、もし良かったらいろいろ教えて欲しくて……」

 

 最近、蒼の派閥の召喚師は悪魔の討伐に駆り出されることが多くなったのは事実だ。そのため、どうしても他のことに割く時間は少なくなってしまうのである。

 

 おそらく派閥は本業である研究の時間を削るわけにはいかなかったため、後進を育成する時間を削ったのだろう。本来であれば今回の仕事はもっと手慣れた者が引き受け、ミントはその召喚師から実地で調査のやり方を学ぶようなやり方をとったはずだ。

 

 これも悪魔が現れるようになった弊害の一つに違いないだろう。

 

「そういうことなら他の奴に聞くことだ。ちょうど暇な奴もいるだろう」

 

 そもそもバージルが受けた依頼は悪魔について調べることだ。それに加えてミントの教育までしていたら調査はいつまでたっても終わらない。その点ポムニットとパッフェルは時間的にも余裕がある。特にパッフェルは、総帥直属のエージェントとして動いている以上、調査のやり方は心得ているだろう。

 

「……はぁい、そうしまーす」

 

 色よい返事がもらえなかったためか、ミントは少しむくれながら返事をした。

 

 それを聞きながらバージルは、明日から調査を始める屋敷の方向から発せられる気配を鋭敏に感じ取り、少しは期待できそうだと薄く口元をゆがめた。

 

 

 

 

 

 

 

 




前回の後書きの通り、この休み中に完成させることができました。

今年中になんとか2編を終わらせて、4編に入れるよう頑張りますので、よろしくお願いします。

ありがとうございました。


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第37話 悪魔の住む館

 これから調べる屋敷はかつて貴族が作らせたものであることは、昨日、管理人から聞いた通りだ。地上三階建てで部屋数は二十を超える豪邸だが、この持ち主だった貴族は自分や親族のコレクションを屋敷に飾っていたようで、今でも十以上の部屋ではそうした収集物で埋められているらしい。

 

 それから察すると、蒼の派閥が借り受ける時にすべての収集物は片づけなかったようだ。ただ、空き部屋が十以上もあるのならそれでも十分と言えるだろうが。

 

「何を止まっている。行くぞ」

 

 屋敷を前に立ち止まったポムニットとミントにバージルは話しかけた。もっとも、この屋敷で化け物に襲われたと証言する召喚師がいる以上、怖気づいてしまうのも仕方ないのかもしれない。

 

「は、はい……」

 

 意を決して二人は歩き出した。ちなみに今日の空は雨こそ降っていないものの、厚い雲に覆われている。それがまた一段と不安感を煽り立てているのだ。

 

 そんな姿を呆れた目で見ながらバージルはさっさと屋敷の扉を開けて中に入っていった。

 

「あっ、ま、待ってください!」

 

 化け物が出る屋敷に入るのは不安だが、バージルと離れるのはもっと不安なポムニットが急いで彼の後を追う。そして玄関を通ったところにあったのは三階まで吹き抜けの大きなホールだった。奥には二階にあがる階段も見える。

 

「バージルさん?」

 

 ポムニットがホールの真ん中で立っているだけのバージルに声をかけたとき、ミントとパッフェルも到着した。

 

「あの、どうかしたんですか?」

 

「すぐにわかる」

 

 バージルはどこか面白そうに言った。そして、その直後ホールには彼ら四人を囲むように人型の何かが降ってきた。

 

「ドレス……の人形?」

 

 パッフェルが確認するように言う。確かに彼女の言葉通り、降ってきたのは様々な種類のドレスを着た人形だった。ただ、あくまでドレスを飾るための人形なのか頭部がついていないのもあるし、あっても顔はのっぺらぼうという人形もあった。

 

 これらのドレスはきっとコレクションの一部だろう。そして、それが着せられていたマネキン人形に悪魔が憑依したのだ。

 

 操り人形を依り代に活動する悪魔を「マリオネット」と呼ぶが、このドレスの人形に憑りついた悪魔も同類と見ていい。この種の悪魔に見られる特徴は順応性の高さだ。武器ごと現れるセブン=ヘルズとは違い、マリオネットは武器も依り代や周囲の環境に左右されるため、たとえ魔界では使われない類の武器も即興で使いこなす柔軟性があるのだ。

 

 現に目の前のマリオネットが持っているのは、屋敷の中から適当に持ち出した年代物の剣や包丁であった。

 

「っ、また……!」

 

 ポムニットが言った。現れたマリオネットは先ほどの八体だけではなかったのだ。さらに正面に一体降りてきたのである。

 

「ひっ……!」

 

 正面のマリオネットを見たミントは口元を押さえながら小さな悲鳴を漏らした。白系のドレスを着せられた人形に憑依したその悪魔は、返り血を浴びたようにドレスを真っ赤な血で染めていたのだ。もしかしたらその血は行方不明になったという召喚師の血かもしれない。

 

「っ!」

 

 パッフェルが反射的にナイフを抜いた。総帥直属のエージェントという肩書に恥じない、暗殺者のような滑らかな動きだ。

 

「邪魔だ。手を出すな」

 

 しかしバージルは誰にも手を出させるつもりはなかった。このマリオネットという悪魔は、バージルも交戦した経験が少なかった。特に正面の血に濡れたドレスを着たマリオネットとは一度もない。見たところ、どうやら血から発せられる呪いのような魔力を利用して脆い人形の体を守っているようだ。

 

 血を流した人間の生への執念と渇望から生まれた魔力が、よりにもよって自分を殺した悪魔を強化することになるとは、殺された者も悔しいだろう。

 

 それはそれとして、戦ったことのない悪魔と戦える貴重な機会だ。そんなチャンスをわざわざ他の者に譲るつもりは毛頭なかった。

 

 一度バージルに視線を移したパッフェルが大人しく一歩下がった時、周囲のマリオネットが一斉に飛びかかってきた。だが、バージルは一瞥もせず周囲に幻影剣を八本出現させ、それをマリオネットに向けて次々と射出し迎撃した。

 

 いくら悪魔とはいっても所詮は人形の体だ。幻影剣の直撃に耐えられるわけはない。おまけに今回の幻影剣は自動で炸裂するように調整されていたのだ。幻影剣が突き刺さるのとほぼ同時に炸裂し、マリオネットの人形の体は容易くばらばらになってしまった。

 

 幻影剣の射出と同時にバージルは、唯一仕掛けてこなかった血濡れのマリオネットに接近し、それを閻魔刀の鞘で殴り飛ばした。

 

 大きな音を立ながら壁に激突した。その衝撃で埃が舞い上がった。

 

「……なるほど、それなりには硬いが、それだけか」

 

 マリオネットがふらふらと起き上がるのを確認したバージルはそう呟いた。今の鞘による一撃は、力を計るための手加減したものだったとはいえ、スケアクロウや普通のマリオネットならば十分殺せる威力は持っていたのだ。

 

 それを受けてなお、無事であるとすればこのマリオネットは通常の個体より二、三倍の力は持っているだろう。しかし、同時にドレスに付着した血液の魔力はあくまで人形の体を強化するものであり、攻撃を強力なものにするわけでないようだ。

 

「もういい」

 

 とりあえず血濡れのマリオネットの大体の能力を把握したバージルはそう宣告し、ギルガメスを装着した右足で再び壁に叩き付けた。激突した音は先ほど同じくらいだったが、悪魔が受けた威力は先ほどとは比べものにならなかったようで、あっけなく粉々になってしまった。

 

 これは、さすがに調査する屋敷を壊すわけにいかないと思ったバージルが、余計な破壊を引き起こさないように物理的な衝撃を鞘当てと同等まで抑えた結果だった。

 

 右足だけに装着したギルガメスを解除し、バージルはホールの中央へ戻った。

 

「いやー、さすがですね!」

 

 先ほどの真面目な態度はどこへやら、パッフェルはニコニコと笑いながら言った。少し離れた屋敷の入り口近くにいたポムニットとミントもこちらへ歩いてきた。

 

「…………」

 

 不意にバージルが天井を見たことを不思議に思ったポムニットは声をかけた。

 

「? どうし……きゃっ」

 

 しかし、言い切る前にバージルに引き寄せられ、体が密着する。それはどうやらミントも同じらしい。バージルを挟んだ反対側には彼女も抱き寄せられていた。

 

(え? え?)

 

 急に抱き寄せられたことにポムニットは驚き、状況をうまく理解できなかった。しかしつぎの瞬間、彼女のすぐ後ろから轟音が鳴り響き、壊された床板が宙を舞った。

 

「人間を庇うか……。やはり、裏切り者の血は争えぬようだな」

 

 そこから現れたのは山羊の頭を持った悪魔、ゴートリングだった。人語を解するこの悪魔はマリオネットのように依り代を介して現れたのではない。自らの肉体を持ってここにいるようだ。

 

 それゆえ並みの悪魔ではないことは明らかだ。さすがに大悪魔クラスではないが、それでも悪魔の中では上位の存在だ。このクラスになると、もはや人間の手に負える相手ではない。

 

 それはこの悪魔を見るだけでも分かる。光の少ない屋敷の中でゴートリングの目は不気味に赤く輝いており、体全体からは強大でどす黒い魔力が感じられる。たとえ屈強な戦士でも恐怖を感じずにはいられない姿だ。現実にパッフェルも無意識のうちにバージルの背に縋るように隠れていた。

 

「ほう……腕もないのに、よく喋るな」

 

 小馬鹿にするような言葉をバージルが発するのと同時にゴートリングの両腕は生々しい音を立てて落ちた。

 

 刹那、驚いたように落ちた両腕に視線を向けたゴートリングだったが、それ以上にバージルに対する怒りが湧いたのか、憎悪に満ちた視線を向けた。

 

「おのれぇ……!」

 

「わざわざ生かしてやったんだ。質問に答えてもらおう。……貴様は何のためにここに来た?」

 

 バージルがゴートリングの腕を閻魔刀で斬ったのはポムニットとミントを抱き寄せる直前である。もちろん殺すこともできたのだが、そうしなかったのは、この悪魔から話を聞くためだった。

 

 二人を抱き寄せたのは、もし怪我でもされたらこれからの仕事に支障でるのは明白であるため、それを防ぐためだった。

 

「忌まわしきスパーダの血族よ! 我らが主に滅ぼされるがいい!」

 

 ゴートリングの言葉はバージルの質問の答えではなかったが、彼にとっては大きな意味を持つ言葉だった。ゴートリングほどの悪魔が「主」という表現を使うほどの存在は唯一つ。魔帝ムンドゥス。

 

 ここ十年近く動きを見せなかったが、通常の方法ではリィンバウムに現れることのできないゴートリングを送り込んだのが魔帝だとしたら、まだこの世界への侵攻を諦めたわけではないのだろう。

 

「ならその主に伝えろ、滅ぶのは貴様だ、とな」

 

 バージルは閻魔刀を抜くことすらない。両腕を失っただけでなく、力の大半を先ほどの一撃で奪われたゴートリングには幻影剣だけで十分なのだ。悪魔の頭上から二十本ほどの幻影剣が降り注ぎ、ゴートリングの体へと深々と突き刺さっていく。

 

 そして最後の一本が刺さり一拍置いた後、突き刺さった幻影剣は一斉に炸裂し、悪魔の体を粉々に破裂させた。

 

「…………」

 

 これでこの屋敷にいる悪魔は全て殺したようだ。もうどこからも悪魔の力は感じない。

 

「いつまでそうしているもりだ。さっさと離れろ」

 

「あ……、ごめんなさい」

 

 ゴートリングへの攻撃が見るに堪えなかったのか、バージルの腕を抱きしめながら顔を押し付けていたミントがはっとして、少し顔を赤くしながら離れた。

 

「お前もだ」

 

 それでもいまだ離れようとしないポムニットに向けて言った。

 

「……はぁい」

 

 至極残念そうにしながらも、渋々ポムニットも離れた。それを確認したバージルは本来の仕事にとりかかるよう言った。

 

「俺は勝手に調べる。お前らもさっさととりかかれ」

 

 そう言い残しとりあえず全体の間取りから確認しようと手近な部屋へ向かっていった。

 

「……それじゃ私たちも調べちゃいましょうか」

 

「なら約束通り私もお手伝いしますね。……あ、パッフェルさん。もし良かったらバージルさんを手伝ってもらえませんか?」

 

 ミントの言葉にポムニットが返答した。どうやら二人は協力して調べる約束をしていたようだ。ポムニットはこの中で年齢も近いため彼女も頼みやすかったのだろう。

 

 そしてミントを手伝うことで生じるバージルの負担は、パッフェルに手伝ってもらい何とか解消しようと考えていた。もっともバージルなら例え一人でもやり遂げてしまうだろうが。

 

「全然かまいませんよ。お二人も頑張ってくださいね」

 

 パッフェルはにこりと笑ってバージルが入っていった部屋へと小走りで向かっていった。

 

 

 

 

 

 それからしばらくして、ポムニットとミントは屋敷の書庫で行方不明になった召喚師の研究内容について調べていた。今回の失踪原因についてはまず悪魔に殺されたとみて正しいだろうが、悪魔に襲われた原因は研究内容にある可能性もなきにしもあらずであるため、一応確認しておくことにしたのだ。

 

「ここにいた召喚師の方ってどんなことを研究してたの?」

 

 ポムニットは読み終わった本を元の場所に戻してきた時、ミントは息抜きのつもりか体を屈伸させていたのでそう尋ねた。

 

「うん、それがサプレスの憑依召喚についての研究をしていたみたいで……」

 

「それって……、いけないこと、なの?」

 

 ミントは少し困ったような顔をしながら答えたため、さらに聞いた。ポムニットも基本的な召喚術の知識はアティから教わっていたため、憑依召喚術についても理解している。ただ、アティの知識は帝国で学んだものであるため、蒼の派閥のとらえ方とは若干の違いがあるようだ。

 

「いけないってわけじゃないけど……、実は派閥では憑依召喚はあまり好まれてなくて……」

 

「……それじゃ、勝手に研究を?」

 

「ううん、元々、ここにいた召喚師は無色の派閥が使う召喚術の研究を頼まれていたらしくて……たぶん、その関係だと思うの」

 

 これについては、無色が使う召喚術についてまとめた研究のレポートを受け取った蒼の派閥から、更なる調査を命じる手紙があったのだ。ほぼ間違いないだろう。

 

 ミントが困った顔をしたのも、やはり蒼の派閥の召喚師である以上、憑依召喚に対してあまりいい感情を持っていなかったせいだろう。

 

「ならきっと大丈夫ですよ。別に悪いことに使ったわけじゃないんですから」

 

「……うん、そうだよね」

 

 少し考えるように間を開けて頷いた。このあたりの己の考えを改められる柔軟さは若さ故か、あるいは師に恵まれたおかげか。いずれにせよ彼女は、ここで研究していた召喚師を色眼鏡で見ないようになるだろう。

 

 それは調査を客観的な視点で行うためには必要なことなのである。

 

 

 

 

 

 一方その頃、バージルとパッフェルは順番に部屋を回り、今は召喚師が使っていただろう寝室に来ていた。

 

「なるほどここで喰われたか」

 

 部屋を一瞥したバージルは一言呟いた。

 

 寝室には大きなベッドと一対の机と椅子、そしてその反対側に大きなクローゼットが置かれていた。机と椅子はベッドに比べ質素な造りをしており召喚師が持ち込んだものであることは容易に想像できた。

 

 しかしそれ以上に目を引いたのは、クローゼットが置いてある側の壁にある赤黒い大きな染みだ。

 

 それが血痕であることは、わざわざ近づいて調べる必要もないほど明らかだ。おそらくこの屋敷に住んでいた召喚師はこの壁の近くで悪魔に喰われたのだろう。壁についているのは、その時に噴き出た血なのだろう。

 

「やっぱりここにいた人が死んだのは、さっきの怪物たちの仕業なんですね」

 

「だろうな」

 

 もっともバージルはこの屋敷から悪魔の存在を感じた時から、こうなっていることは予想できた。むしろ問題はなぜ悪魔に襲われたのかである。

 

 先刻始末したゴートリングは自らの肉体を持っている高位の存在である。それほどの悪魔が現れるほど、この世界と魔界の境界は薄くはない。

 

 それは半年前に戦ったアバドンにも同じことが言える。

 

(地獄門か、あるいは送り込まれたか)

 

 この世界にも地獄門があることは既に二回確認している。一度目は無限界廊で、二度目は島の遺跡で発見した。どちらも稼働できる状態ではなかったが、世界のどこかに稼働可能な地獄門が存在することは否定できない。

 

 しかし、それ以外にもこの世界にくる手段がある。それが強大な力を持つ悪魔に直接送り込まれる方法なのである。例えば魔帝ほどの力を持ってすれば力ずくで恒常的に境界を薄くすることすら可能であるため、たかがゴートリングやアバドン程度を送り込むことは児戯にも等しき仕事だろう。

 

 一応、かつて島で戦ったインフェスタントのようにリィンバウムの魔力の濃度を引き上げれば一時的にでも境界を薄くすることは可能だが、それにはこちら側にいる必要があるし、そもそもそんなことをすればバージルが気付かぬはずがない。

 

「あの、これ何かわかります? 机の上にありましたけど」

 

 そこへパッフェルが一枚の紙を差し出してきた。二十センチ四方の正方形の紙には独特の魔法陣が描かれており、さらには何度も折りたたまれたような跡も見られた。

 

「…………」

 

 バージルが差し出された紙を見ていると再びパッフェルに話しかけられた。

 

「あの……」

 

「今度は何だ?」

 

「実は、お話ししたいことがあって……」

 

 少し言いにくそうにしながら伝える。

 

「この仕事が終わってからだ」

 

「……ええ、そうですね。もちろんです」

 

 視線も向けずに返された言葉にパッフェルは納得したように頷いた。それを気にも留めず、バージルは紙に書いてある魔法陣を食い入るように見つめていた。

 

 幻影剣を使っていることからも理解できるだろうが、バージル自身それなりの魔術の知識を持ってはいる。しかしそれでも、手にした紙に書かれた魔法陣には見覚えはなかった。陣を構成する紋様を見る限り、何かを召喚する魔術だということくらいはわかるが、それ以上は不明だ。

 

 そのため手っ取り早く効果を知るには実際に使ってみるのが一番だ。

 

 当然だが、この考え方はバージルだから通じるものであり、普通の人間がやれば手痛いしっぺ返しを食らうのが関の山だろう。

 

「…………」

 

 バージルが紙に魔力を注ぎ込むと、彼の周囲に魔法陣が浮かび上がった。

 

「なるほどな」

 

 納得したように薄く笑みを浮かべる。バージルは周囲の魔法陣には見覚えがあったのだ。

 

「っ!」

 

 パッフェルが息を呑んだ。魔法陣から姿を見せたのは先程のマリオネットと似たような気配を感じる化け物、ヘル=プライドだった。

 

「え……?」

 

 しかし傲慢の名を持つ悪魔は既に死んでいた。胴体を真っ二つに両断され、出現とほぼ同時に砂と化して消え去ったのだ。その直後ガラスが割れるような音が聞こえたかと思うと、透き通った青い欠片がぱらぱらと雪のように宙を舞い、地面に落ちる前に消えていった。

 

 悪魔が現れる瞬間に合わせるように、幻影剣で攻撃していたのだ。それも、いつものように射出するのではなく、自分の周りに出した時と同じ要領で幻影剣自体を動かして斬り裂いたのだ。

 

「む……?」

 

 とりあえず魔術の効果を確かめたバージルだったが、手元の紙に目を落とすと灰のように粉になってしまい、足元にさらさらと落ちてしまった。紙や魔法陣にもこのような仕掛けはなかった以上、彼が注ぎ込んだ魔力が大きすぎたのが原因だろう。

 

 かつてバージルは島の遺跡で碧の賢帝(シャルトス)に過剰な魔力を注ぎ込み、粉々に破壊したことがある。今回もその時のような意図したものではないが、起こったことは同じことである。要は彼の魔力に耐えられなかったのだ。

 

(しくじったな……)

 

 さすがに魔術の発動に必要な魔力は律儀に紙に書いてあるわけはないため、感覚で魔力の注入量を調整しなければならない。バージルとしてはそれほど魔力を込めたつもりはなかったが、どうやらこの悪魔を召喚する魔術は思った以上に少量の魔力で使えるもののようで、彼が込めた魔力にも耐えられなかったようだ。

 

「今の、あなたが……」

 

「ああ。おかげで今回の顛末を大体は把握できた」

 

 さきほど発動した悪魔を召喚する魔術は、先の事件で無色の派閥が使用していたものと同じもので間違いないだろう。

 

 恐らくここの召喚師はどこからかそれを手に入れたのだろう。その後、この魔術で呼び出した悪魔に殺されたのか、あるいはゴートリングに殺されたのかは定かではないが、悪魔に殺されたのは間違いない。

 

 バージルの個人的な考えでは、この屋敷以外では悪魔が確認されていないため、知能持った悪魔であるゴートリングに殺されたのだと考えている。もし、先ほど現れたような下級悪魔が殺したのであれば、殺した後、なにもいない屋敷で大人しくしているとは考えにくい。サイジェントのときのように手当たり次第に暴れ、この町にも被害が出たはずだ。

 

 ただ、問題はゴートリングが現れた方法である。先ほどは魔帝によって送り込まれたと考えていたが、あるいは魔術によって召喚された可能性も捨てきれない。これまでこの魔術で召喚されたのは全て下級悪魔であるため、証明することはできないが、否定することもできない。

 

(今の段階では情報が足りん。……だがまあ、奴への報告には問題ないだろう)

 

 結局のところ、現状で考えられるのはそこまでであり、それ以上どうこう判断することはできなかった。とはいえ、今回のエクスから依頼ではそこまで詳細な報告は求められておらず、召喚師が行方不明になった理由さえ分かればそれで十分なはずだ。

 

 そう判断し、バージルは調査を切り上げることにした。

 

「俺は先に戻る。……あいつらにもさっさと切り上げろと伝えてこい」

 

 部屋を出る間際、思い出したようにパッフェルに言った。バージルの方は終わってもミントの調査が終わらない限り、ゼラムに戻ることはできない。彼女に自分の仕事は終わったことを伝えることで、少しでもミントの調査が早く終わればいいと考えたのだ。

 

「あ、ちょっと……」

 

 パッフェルは何か反論しようとしていたようだが、そんなことは聞くつもりはなかったため、バージルは足を止めることなく屋敷の出口へ向かって行った。

 

 

 

 

 

 

 

 




次回は今月中に投稿できるよう頑張ります。

ご意見ご感想お待ちしています。

ありがとうございました。


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第38話 因縁の交錯

 聖王都ゼラムの蒼の派閥本部。その小さな会議室にバージルはいた。同じ空間にいるのは蒼の派閥の総帥であり、バージルに仕事を依頼した張本人であるエクス・プリマス・ドラウニーただ一人だった。

 

「要は悪魔が召喚師の失踪の原因だ。……もっとも、それがサプレスに現れたという魔界の悪魔と関係があるかは知らんがな」

 

 そこでバージルは今回の調査で分かったことを伝えていた。行方不明の召喚師の屋敷には人の手には負えないほどの悪魔がいたこと、そして召喚師の部屋には血痕があったことから悪魔に殺されたのだろうということも含めて話した。

 

「悪魔、それも人の手には負えない悪魔、ね」

 

 報告を聞いたエクスはその中で気になった部分を反芻した。それは召喚師の失踪の原因が悪魔であることではなく、バージルが調査した屋敷で戦った悪魔ゴートリングについてだった。

 

「あるいは召喚術ならどうにかなるかもしれないがな」

 

 戦って感じたゴートリングはフロストより上である、というのがバージルの考えだった。もっともフロストは数を揃えることを前提とした兵士として創り出されたため、比べるのは筋違いかもしれないが。

 

 島での一件でも分かる通り、この世界や四界の力を行使することでフロストを倒すことはできた。それを考えればゴートリングを倒すことも不可能ではないかもしれない。

 

「どんな召喚獣なら対抗できるんだい?」

 

「少なくともそこらの召喚師が使役する召喚獣では無駄だろうな。最低でも……そうだな、ロレイラルなら戦闘用の高性能機、シルターンなら鬼神や高位の妖怪、サプレスなら大天使や大悪魔、メイトルパなら幻獣や飛竜クラスでなければ無駄だろう」

 

 外見からは想像できないほど落ち着いた声で尋ねたエクスに、バージルはできるものならやってみろと言いたげに、鼻で笑いながら答えた。

 

 確かに彼の挙げた高位の召喚獣の一撃なら悪魔に対しても有効な打撃となるだろうが、そういった高等な召喚術を使える召喚師はそう多くはないということを知っていたのだ。

 

 これでもバージルはいろいろな召喚獣を見てきている。アティや護人は召喚術を使うし、かつて世界各地を放浪していた頃は様々なはぐれ召喚獣と戦ったこともあるのだ。

 

「…………」

 

 彼の言葉にエクスは顔を曇らせた。バージルが挙げた召喚獣を呼び出せる召喚師はほんの一握りだけなのだ。

 

 才能が見出されれば召喚師の家系でなくとも養子として迎えられることも珍しくはない蒼の派閥でさえこの状況である。正直に言って現状でゴートリングのような悪魔が現れるようなことになれば対応は後手に回ってしまうことは明らかだった。

 

 もちろん、これからそれほどに強力な悪魔が現れる証拠はないものの、だからといって何も対策を取らぬわけにはいかない。特にエクスのような地位にいるのであれば尚更だ。

 

(いつまでも建前にこだわっているわけにはいかないかな……)

 

 自嘲気味に胸中で呟く。蒼の派閥は召喚術の研究を第一にしてきた研究機関の意味合いが強く、政治への関わりは――少なくとも表面上は――必要最低限度に留めてきた。その不文律をエクスは破ることも視野に入れていた。

 

「報酬は後で届けろ」

 

 バージルは考え込んだエクスに伝えると席を立った。既に依頼の報告は済ませた。もうこれ以上彼の話に付き合う意味はないのである。

 

「ああ、すぐに届けさせるよ」

 

 そのエクスの返事を背中に受けながら部屋を出て、門へ向かった。

 

 いつもはとても静かな蒼の派閥の本部はこの日に限ってはやけに兵士たちが走り回っていた。兵士たちの口からは「見つかったか?」「いや、こっちにはいなかった」などという言葉が聞こえてくるため、誰かを探しているのかもしれない。

 

(召喚師の失踪、か……)

 

 ふと、その言葉が浮かんだ。そもそもエクスがバージルに依頼したのも、元を辿れば召喚師の連続失踪事件に行き着くのだ。結局、バージルが受けた依頼は失踪事件とは関係がなかったが、それでもどこか数奇なものを感じた。

 

 もしかしたら、これから関わることになるかもしれない。そんな予言めいたことを思いながらバージルは歩みを進めた。

 

 

 

 

 

 蒼の派閥から出たバージルはすぐ近くで待っていたパッフェルに声をかけた。

 

「待たせたな」

 

「いえいえ。それじゃ、早速行きましょう」

 

 彼女は手に持ったバスケットに気を配りながら歩き出した。

 

「ああ」

 

 そしてバージルも続き、二人は連れ立って歩いていく。

 

 これは、屋敷を調査しているときパッフェルが伝えたいことがあるという話をしたが、その時は調査を優先させたため先延ばししていたのだが、今になってようやく時間に余裕ができたのでバージルは付き合ってやることにしたのだ。

 

 しばらくは二人とも無言で歩いたが、目的地の導きの庭園に着くとパッフェルは辺りを見回して誰もいないことを確認するとバージルを見て頭を下げた。

 

「……頭を下げられるようなことをした覚えはないが?」

 

 突然のことに訝しみながらバージルは尋ねた。そもそもバージルがパッフェルと会ったのもつい最近であり、彼女とのやり取りも事務的なものだったのだ。

 

「珊瑚の……いえ、スカーレルから聞きました。あなたが、あの子を助けてくれたって……」

 

 その言葉を受けてバージルは僅かの間沈黙し、過去の記憶を掘り起こしていった。

 

 そしてようやくそれらしき出来事を思い出した。

 

「……なるほど、貴様があのガキの親だったのか」

 

 それはまだポムニットとも出会う前のことだ。この世界におけるスパーダの痕跡を探してゼラムを訪れた際にスカーレルと再会し、頼まれたのが犯罪組織「紅き手袋」のもとにいる子供の救出だった。そしてバージルは暗殺者の屍の山を築きながら依頼を達成したのだ。

 

「ええ、あなたが助けてくれなかったら今頃どうなっていたか……」

 

 悔し気に顔を伏せたパッフェルを見ながらバージルはふと疑問が思い浮かんだ。

 

「……その割に随分と若く見えるが?」

 

 約十五年前、依頼を受けたときにバージルが聞いた説明で救出するのは、かつて無色の派閥と共に島に乗り込んできた暗殺者であるヘイゼルの子供だと説明された記憶がある。それを考えると、当然パッフェルとヘイゼルは同一人物ということになる。

 

 そうであればパッフェルの暗殺者然とした動きにも説明がつくのだが、今度は実年齢と外見年齢がかけ離れているのである。

 

 ヘイゼルとしてバージルと戦った時は、十代後半から二十代だっただろう。それからもう二十年近い年月が経過している。アティや護人のように共界線(クリプス)から魔力を得ているとか、自分のように悪魔の血を引いているなら話は別だが、少なくともパッフェルは普通の人間のようだ。特別な魔力は感じない。

 

「あはは……ちょっといろいろありまして……」

 

 乾いた笑みを浮かべながらパッフェルは言った。どうやら言いたくはないことなのだろう。あるいは今彼女が蒼の派閥直属のエージェントをしていることにも関係するのかもしれない。

 

「まあ、いいだろう。……話が終わりなら俺は帰らせてもらおう」

 

 バージルも興味本位で聞いたことであったため、それ以上追求するつもりはなかった。

 

「それならせめてこれを受け取ってください。私がバイトしているお店で出しているケーキで、どれもおいしいんですよ」

 

 そう言ってバージルに差し出したのはケーキが目一杯入ったバスケットだった。中に入っているいろいろな種類のケーキは彼女の言葉通り、どれもおいしそうに見えた。

 

「……そうだな、受け取るとしよう」

 

 こう見えてバージルは甘い物は嫌いではない。これについては子供の頃、父の稽古の合間に母が作ってくれたおやつに由来するのかもしれない。疲れているときに食べる甘い物は普段よりも格別においしいものなのだ。

 

 バージルはどれもおいしく感じていたが、ダンテはその中でもたくさんの苺をトッピングしたアイスクリームを好んでおり、何度も母にねだっていた記憶があった。

 

 バスケットを受け取ったバージルはパッフェルに背を向けて導きの庭園を去っていった。

 

 パッフェルはそんな彼をもう一度頭を下げて見送った。

 

 彼女がバージルに再び会った時は緊張しっぱなしで、まさかこうして普通に話せるようになるなんて考えてもいなかった。

 

 パッフェルにとってバージルは圧倒的な力と恐怖の象徴だった。それは彼が自分の子供を助けてくれたと聞かされてからも変わることはなかった。かつてあの島で相対したときに思い知らされたことは、長い年月を経ても消えることはなかったのである。

 

 そんなバージルに対する印象が変わっていったのは、彼の仕事に同行したときからだった。表面上はいつも通りの自分を演じていたものの、内心気が気ではなかった。派閥から調査に派遣されたミントは見るからに天然の娘で、彼との相性は決して良くはないと思ったのだ。

 

 だが、実際に共に仕事をしていく中で、自らのバージルという人物に対する評は、間違っていたのではないか、と思うようになっていった。

 

 特に調査を行った館で悪魔に襲われたときには、ポムニットだけでなくミントも守った。もちろん言葉は冷淡で表情一つ変えることすらないが、決してそれだけの、冷酷無慈悲な機械のような存在ではないのだと思ったのだ。

 

 しかし同時に、敵となる者には情け容赦など一切かけない。かつてパッフェルに恐怖というものを思い知らせた存在がそこにいたのだ。

 

 それでパッフェルはバージルという人物を少しだけ理解することができた。自分はバージルに敵対したからこそあれほどの恐怖を思い知らされたのだ。逆に味方であれば性格に難はあれど、あれほど頼もしい人物はいないだろう。ポムニットのように彼を慕う者がいてもおかしくはないかもしれない。

 

 それがわかって彼女はようやくバージルと向き合える気がした。だから彼にもわざわざ時間を取ってもらい、この場を設けたのだ。

 

(それでも、結局は自己満足ですけどね……)

 

 声に出さずに自嘲気味に呟く。

 

 本来であればあの時、子を救い出すのは他ならぬ自分自身でなければならなかったはずだ。にもかかわらず救出の段取りをつけたのはスカーレルであり、実行したのはバージルだった。

 

 結局、彼女の預かり知れぬところで全てが解決していたのだ。おまけに最愛の実子を助けたのは、かつて自分に恐怖を植え付けた男だ。

 

 しかし、パッフェルの心も晴れたかといえば、決してそうではなかった。自分はあの子に対してなにもできなかったという自責の念に苛まれていたのだ。これが子を育てていたのであれば、少しは和らいだのだろうが、彼女は組織が再び襲撃してくることを恐れて、離れて暮らし成長を見守る役目すらスカーレルに頼んだのである。

 

 ちなみに有力幹部ごと聖王国の拠点を失った紅の手袋は、その下手人を突き止めようと躍起になっていたが、それから僅かの間に各地の拠点が相次いで襲われたため、組織の存続に関わるような事態に陥っており、再びパッフェルを襲撃する余裕などは微塵もなかっただろう。

 

(でも、これでようやく先に進めそうです)

 

 そうした事情もありパッフェルはこれまで無力感に苛まれ続けてきたのだ。しかしそれは、これからも変わることはないだろう。彼女が何もできなかったことは変えようのない事実だからだ。

 

 だが、バージルに礼を言えたことで、自分は救出に全くの無関係ではない、少なくとも母としてこの恩人に礼を言うことができた。そう考えられるようになったからこそ、かつての自分と向き合い、一つの区切りつけることができたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 パッフェルからもらったケーキの入ったバスケットを片手に下げ、家路へと着いたバージルは繁華街を通りかかったあたりで、近くからサプレスの悪魔の魔力を感じた。

 

(ポムニット……いや、違うか……)

 

 ポムニットは悪魔の血を引いていることもあり、サプレスの悪魔に似た魔力を持っているが、今感じる魔力は純粋な悪魔のものだった。それがポムニットのすぐ近くから四つほど感じたのである。

 

 この悪魔が何のためにここに来たのかは定かではない。もしかしたら同族の血を半分しか引かないポムニットを殺しに来たのかもしれない。異質な存在の血が入っている者が迫害の対象になるのはどの世界でも似たようなものだろう。

 

 もっとも、四つのサプレスの悪魔たちの魔力から考えれば、束になってかかっても返り討ちにあうのがオチだろう。

 

(せっかくだ。霊界の状況でも聞いてみるか)

 

 別に無視してもよかったのだが、サプレスの悪魔と会う機会などそうそうない。それ故、この機会に霊界の現状を聞き出そうと考え、その場所に向かうことにした。

 

 バスケットの中身のことを考えて少し気を付けながら移動すること数分、大通りから外れた道の先でポムニットとミントが銀髪の人間から声をかけられているのが見えた。

 

 ポムニットはどうやらミントと一緒だったようだ。確かにこの二人は年齢が近いこともあってか、この前の依頼でも仲良く話していたことをバージルも覚えていた。

 

 そしてその二人に話している銀髪の人間が悪魔だろう。変身か憑依かは不明だが人に化けているのだろう。

 

(右に二人、左に一人か)

 

 残りの三体の悪魔は周りの建物の陰に隠れ、こちらの様子を伺っていた。しかし魔力を隠していないため、バージルにしてみれば本当に隠れる気があるのかと言いたいところではある。

 

 とりあえず隠れている悪魔には邪魔をするなという意思表示も込めて、足止め代わりに幻影剣を放った。さすがに敵意を示してはいなかったため、バージルとしてもすぐに殺すつもりはなかったのだ。

 

 そのまま真っすぐにポムニットとミントのもとへ歩く。二人は銀髪の人間に話しかけられ、特にポムニットは少し青い顔をしていた。大方、自身の正体にでも言及されたのだろう。

 

 しかし、バージルの姿を見つけたポムニットは、ほっとしたように表情を和らげた。

 

「おや? どうしました?」

 

 声からすると悪魔が化けた人間は男のようだ。彼は二人の様子を不思議に思い振り返った。

 

「……どこかで見た顔だと思えば、そうか、貴様か」

 

「――!?」

 

 その男はバージルの顔を見るやいなや、みるみるうちに顔を青くしていった。

 

「ほう、サプレスの悪魔は顔を青くすることができるのか」

 

 バージルは小馬鹿にしたように口元を僅かに歪めた。彼はこの悪魔が化けた人間に会ったことがあったのだ。

 

 島を出てから二年ほど経った頃、サプレスの悪魔の軍勢が暴れまわっている情報を得たバージルは、その軍勢と戦うために聖王国北部に出向いたことがある。

 

 その時、明らかに人ではない魔力を持ったこの男を偶然見かけたのだ。バージルは暇つぶしも兼ねて、明らかに不審な行動をしていたこの者の企みを調べることにしたのだ。

 

 その結果、男は人里離れた屋敷で二人の赤子を造っていたことが分かった。しかし、狙っていた悪魔の軍勢の接近していることを知ったため、バージルは詳しいことは聞かずに去ったのだ。

 

 一応、悪魔たちを滅ぼした後に再び屋敷に戻ってみたが、やはりそこには男も二人の赤子もいなかったため、結局、ことの真相は闇の中に消えてしまったのである。

 

「キ、キサマァッ……!」

 

「なるほど、口は利けるのか」

 

 怒りと恐怖、二つの感情が入り交じり感情的になっている男とは対照的に、バージルは見下すような視線で挑発の言葉を続けた。

 

「まあいい、今は貴様を相手にしている暇はない。さっさと失せろ」

 

 別に今ここで殺すことは容易いことなのだが、以前に会ったときは、将来、少しは戦えるようになることを期待して見逃していた。そのため、今回も見逃すことに抵抗はなかったのだ。さらに手に持ったバスケットの中のケーキのことを考えれば、わざわざ戦う必要性も見出せなかった。

 

「……行くぞ」

 

 二十年近く前からリィンバウムにいるだろうあの男から霊界の現状を聞き出せるわけない。したがって当初の目的は諦めるしかなかった。バージルはポムニットとミントに声をかけさっさとこの場を立ち去ることにした。

 

「あの……、ありがとうございます。助かりました」

 

「礼を言われる覚えはない」

 

礼を言われるのは本日、二度目である。バージルは一度目と似たような言葉をミントに返した。

 

「でも本当に助かりました。あのレイムって人、あなたも悪魔でしょうとか、わかんないことを言っていて……」

 

 どうやらレイムというのはあの悪魔の名前らしい。もっとも、それが本当の名前という保証はないが。そしてそのレイムとかいう悪魔が言っていたのはやはりポムニットに関することのようだ。

 

「っ……」

 

 ミントの言葉とポムニットの反応から察するに、どうやらポムニットは己の出自についてはまだ話していないようだ。本人が話さないことをわざわざバージルが説明する必要はない。

 

「くだらん。所詮、悪魔はそんなものだ」

 

 言葉を巧みに操り、人を惑わそうとする悪魔がいるのは、魔界であろうとサプレスであろうと変わらない。力を信じるバージルからしてみれば、言葉で惑わすなど弱者の証明でしかないのである。

 

「え? 悪魔? あの人、悪魔だったんですか?」

 

 あまりにもあっさりとした言葉にミントは思わず聞き返した。

 

「あれからはサプレスの悪魔と同種の魔力を感じる。間違いないだろう」

 

 バージルが彼らを悪魔と断じているのは、自身の感覚に自信を持っているからだ。そしてミントも彼女自身の性分からかバージルの言葉を疑ってはいないようだった。

 

「でも一体何をしているんでしょうか? まさか観光に来たというわけでもないでしょうし……」

 

「さあな。……だがまあ、ロクでもないことを企んでいるだろうな」

 

 悪魔が人に恐れられるのは人に対する害意を持つ者が多く、かつてはリィンバウムに侵攻した過去もあるためだ。おまけに負の感情を糧とするのだから戦う術を持たない人々からすれば恐れられるのも仕方ないだろう。

 

「ロクでもないこと、ですか……」

 

「そうだな……例えば召喚師への復讐あたりか」

 

 ミントの言葉にバージルはそう答えた。

 

 召喚術を行使する際、召喚対象の意志とは関係なし連れて来られるのである。おまけに召喚した者にしか送り還すことはできないため、召喚獣は己を呼んだ者に従うしかないのだ。

 

 しかし、召喚獣にも意思がある。従属を強要されて何も感じないわけでないのだ。特に召喚獣を使い捨ての道具としか思っていない者に召喚されれば、あまりの扱いに召喚者を殺害してしまう事例も珍しくない。

 

 そうした事例が起こるような現状で召喚師を憎むなというほうが無理なのである。

 

「復讐……」

 

「あの、もしかして召喚師の人たちがいなくなっているのに関わっているんじゃあ……」

 

「……確かに、それはありえるな」

 

 ポムニットが口にした思い付きのような言葉にバージルは面白そうに答えた。

 

 その召喚師の連続失踪事件を少数で行うのはあまりにリスクが高すぎる。かといって無色の派閥や紅き手袋といった犯罪組織もサイジェントの一件で、再び多くの戦力を失ったため、そんなことをしている余裕はないはずだ。

 

 そう考えればポムニットの言ったこともありえないことではない。基本的に人間を超えた力を持っている悪魔であれば、きちんとした計画を立てれば召喚師を誘拐、または殺害することは難しくないだろう。

 

「私、先輩に伝えてきます……!」

 

 先輩というのはこの事件を担当することになった召喚師のことだろう。どうやらミントはその先輩が狙われるのではないかと危惧したようだ。

 

「あっ、ちょっと待って! まだ近くにいるかもしれないよ!」

 

 走りだそうとしたミントの腕をポムニットが掴んだ。まだあの悪魔が近くにいるかもしれない以上、召喚師であるミントを一人で行かせるわけにはいかなかった。

 

 そしてポムニットはお願いするような目でバージルを見た。

 

「……今は外に向かっている。じきにゼラムを出るだろう」

 

 視線から頼まれたことを悟ったバージルは溜息をつきながら言った。

 

「なら、それまで一緒にいましょう?」

 

「……うん、ありがとう……」

 

 その言葉を聞いたポムニットはミントの腕を掴んだまま、自宅のほうへ歩き出した。それを見ながらバージルはバスケットを片手に二人の後ろを歩き始めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




次回は2月半ばまでには投稿する予定です。

ご意見ご感想お待ちしています。

ありがとうございました。


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第39話 滅ぼされた村

 聖王都ゼラムは今日も気持ちのいい青空が広がっていた。ここ最近はずっと晴れの日が続いており、行楽には持ってこいの時期と言えるだろう。そんな天気の中、バージルは自宅のソファに座って本を読んでいた。以前に派閥の書庫から持ってきた本である。

 

 そこへ配達員から手紙を受け取ったらしいポムニットが、彼のもとへやってきて手紙を差し出した。

 

「バージルさん、先生から手紙が届きましたよ」

 

「そうか」

 

 そう答えて受け取ったバージルはすぐにそれを読み始めた。アティからの手紙の宛名はバージルとポムニットの二人になっている。それを考えればポムニットが開いても問題ないだろうが、彼女の性格から、まずバージルに読んでもらうべきだと思ったのだろう。

 

 手紙の内容は定型的な挨拶から始まり、近況の報告とこれから予定が書かれていた。

 

「アティがこっちに来たいそうだ。返事を書いてやれ」

 

 内容を一通り読み終えたバージルはポムニットに手紙を返しながら伝えた。

 

 アティからの手紙には、近々アズリアやスカーレルのところに行こうと思っているので、その時に会いに行きたいという旨のことが書かれていた。最近は島での教師の仕事はヤードだけでなく、かつて彼女の生徒だったアリーゼも手伝っているため、一時のように切羽詰まった状況ではないようだ。

 

 そのため、アティにも多少の余裕は生まれており、前のサイジェントの時もそれを生かしてこちらに来たのである。

 

「はい、ここの場所を書いておきますね。……あ、一緒に地図も入れておいた方がいいでしょうか?」

 

 手紙を受け取ったポムニットは少し疑問に思ったことを尋ねた。

 

「任せる」

 

 アティは旅慣れている。いまさら詳しい地図がなくとも住所さえ書いておけば問題ないだろうが、返事についてはポムニットに一任したため、彼女の好きにさせることにした。

 

 ポムニットが「それじゃあ地図も入れておきます」と答えたのを聞いたバージルは、読んでいた本を再び開いた。その内容はただのおとぎ話でしかない。もしこれがそのへんで売られている物だったのなら、彼は見向きもしなかっただろう。

 

 しかし、これがただの本ではないことは分かりきっている。このおとぎ話が描かれた本は蒼の派閥の書庫、それも禁書ばかり置かれている書庫から持ってきたものだ。おまけに派閥が発した禁書目録の中にもしっかりとこの本の題名が書かれている。ここまでされてこの本に書かれた話をただのおとぎ話と思う者はいないだろう。

 

 おそらく、この本の本質的な内容は巧妙に隠されているのだ。それに気づいたからこそ派閥は禁書に指定したのだろう。それはつまり、この本に書かれていることは、派閥にとって都合が悪いことを意味する。

 

 バージルにとってはたとえ蒼の派閥の弱みを握ったところで大した意味はない。それでも派閥が隠す都合の悪いこととは何か、という興味がある。そんな軽い気持ちで調べてみることにしたのだ。

 

「こんにちは~」

 

「入れ」

 

 そこへパッフェルが訪ねてきた。ポムニットは洗濯でもしているのか現れなかったため、バージルは本を閉じて彼女に家に入るように言った。

 

「こちらが今回の分です」

 

 入って来るとパッフェルはすぐに一通の封筒を手渡した。エクスからの情報だろう。

 

 バージルはそれを受け取ったすぐに開き、中に入っていた書類に目を通し始めた。

 

「それと、頼まれていたケーキはこっちに置いておきますね」

 

 そう言って手に持っていたバスケットをテーブルに置いた。これは以前にパッフェルがアルバイトをしている店のケーキを食べたとき、バージルはそれを気に入ったようで、それからちょくちょく買いに行ったり、こうしてパッフェルに持って来てもらったりしているのだ。

 

「ああ。……ところで、これに書いてあるレルム村というのはどこにある?」

 

「レルム村、ですか?」

 

 今回はあまりめぼしい情報がないことはエクスから聞いていた。そのため、まさかバージルから質問されるとは思いもしなかったパッフェルは聞き返した。

 

「そうだ」

 

 バージルが気になったのは、その村に癒しの力を使う聖女がいるという情報だ。当然、普通の人間がそんな力を使えるわけはない。おそらく、召喚術を使っているか、その聖女自体がそうした力を持つ召喚獣であるか、あるいはポムニットのように召喚獣である親から受け継いだ能力を使っているかだ。

 

 この書類を作ったのが蒼の派閥である以上、まさか召喚術で治療しているのを見破れないわけはないだろう。とすれば残る可能性は召喚獣か、その血を引く者かのどちらかになる。

 

 そこでバージルが気になったのは、今読んでいる本に天使が出てきたことだ。まだ本の解読はほとんど進んでいないが、天使という存在は何か特別な意味があると感じたのだ。

 

 ちなみに、リィンバウムでも天使は、悪魔と敵対し、かつては人間に助力してくれたこともある存在として知られており、悪魔より遥かに好意的に見られているようだ。

 

「確か、ゼラムの北にあって、ここからなら一日とかからず着く距離だったと思いますよ」

 

「ならすぐ地図に書け。場所は大雑把でも構わん」

 

 その程度の距離であれば、たいした準備も必要はないだろう。そのため、バージルは近いうちに行ってみようと考えていたのである。

 

 

 

 

 

 それから数日後の夜明け前、バージルはレルム村に出かけようとしていた。彼の身体能力ならこの時間に出発すれば、昼前に村に着き聖女の力を確認したら、その日のうちに戻ってくることができるだろうと考えていたのだ。

 

 たいして距離もないところに行くのに、わざわざ宿で一泊するのは金の無駄だ。それゆえ、多少強行軍の行程になってしまったので、今回はポムニットをゼラムに残し、バージル一人で行くのである。

 

「行ってらっしゃい。気を付けてくださいね」

 

 ポムニットが玄関で見送る。さすがに夜は冷えるからだろうか、寝間着に肩掛けを羽織っていた。

 

「心配は無用だ」

 

 少し遠出する程度で心配しすぎだと思いながらバージルは返答した。少なくとも今回は戦いの予定はない。もっとも、たとえ戦闘があってもこの男が遅れをとるとは彼女も思っていないだろうが。

 

 家から出たバージルは繁華街の方へ足を向けた。門へ行くにはこのルートが最も近いのだ。

 

 繁華街もさすがにこの時間になると、もう空いている店もなく人通りもまばらで、道端には酔いつぶれた者が寝ているだけ程度だった。

 

 空はまだ白んでおらず、月が出ている。空気が透き通っているのかいつもより星が多く見えた。

 

 そうしてしばらく歩き、数分ほどで門をくぐり抜けた。門には篝火がたかれているが、これより外には明かりとなるものはなにもない。月明りだけが頼りの闇の世界となるのである。もっともバージルは悪魔の血を引くこともあり、普通の人間よりも遥かに夜目がきく。たとえ月明りがなかったとしても夜間の移動に不自由はしなかっただろう。

 

 門を出てしばらく歩き続けた時、バージルは正面から十人ほどの集団が向かってくるのを感じた。しかもその中の半数以上は人間ではない、召喚獣のようだ。

 

(追われているのか……?)

 

 距離が縮まるにつれ、その集団はしきりに後方を確認していることから、何かから逃げているような印象を受けたのだ。ただ、その中には召喚師らしき者も何人か見られたため、さすがに野盗に追われているのはないだろう。

 

 とはいえ、話しかけて厄介ごとに巻き込まれるのは御免であるため、バージルは少し距離を離してすれ違った。

 

(たしかあいつらは、以前に派閥に行った時に……)

 

 すれ違う時にバージルは目ざとく集団を観察し、その中の三人には会ったことがあることを思い出した。あれはゼラムに来て最初にエクスに会いに行った時のことだ。一緒に連れてきていたポムニットにぶつかり、彼らは後から来た一人に怒られていたのだ。ぶつかった若い男女が「マグナ」と「トリス」、後からきた二人より少し年上に見えた青年は「ネスティ」と呼ばれていたことを思い出した。

 

 その三人がなぜ、逃げるようにゼラムに行くのかは不明だ。彼らも蒼の派閥の召喚師である以上、研究か仕事に関係することだろうと予想はつくが、それを確信へと変える術はない。

 

(まあいい)

 

 視線を彼らから正面に戻した。バージルが興味を持ったのはそこまでだったのだ。今の彼にはレルム村に行くという目的がある。それを後回しにしてまで彼らの事情に首を突っ込むつもりはなかった。

 

 

 

 それから数時間の間、黙々と歩き続けレルムの村までもう少しという距離まで至ったところでバージルは立ち止まった。普通の野山からはすることのない臭いを感じたのである。

 

(焦げた匂い、火事でもあったか……?)

 

 木が燃えたような焦げ臭いがあたりに漂っていた。それに少し悪い予感を覚えながらもバージルは再び歩き出す。一応、人の魔力は感じるので決して無人ではない様子だ。

 

 数分の間、細い道を歩き続けると、バージルの視界に多くの人の姿が映った。

 

(どうみても村人ではないな)

 

 正面に見える人間たちは皆一様に黒い鎧を着ていた。まさか普通の村人が鎧を着るわけはない。彼らのように統一された鎧を身に着ける集団となれば騎士団あたりだろう。

 

 バージルは視線を正面の鎧の人間たちを見据えたまま歩き続けた。そのうち向こうもバージルの存在に気付いたようで、指揮官らしき人間が周りの者に指示を出しているのが見えた。

 

(周囲へ配置か、少なくとも聖王国の者ではないな)

 

 バージルの視界には映らないように人を動かしているようだが、魔力を感知できるバージルには無意味なことだ。周りの人間の動きは全て手に取るようにわかる。

 

 しかしそんなことよりも、通りかかっただけのバージルに対して警戒するかのように人員を配置することのほうが、よほど重要な意味を持つ。これが聖王国の騎士団ならそんなことをする必要はない。

 

 だが、逆説的に考えれば、彼らはわざわざそんなことをしなければならない立場だということだ。

 

(帝国か、旧王国だろうが、なぜこんなところに……?)

 

 鎧の集団の正体についておおよそ見当はついたものの、こんな何もないところにいる理由は見えてこなかった。

 

「そこの男、止まれ」

 

 いよいよ距離が近くなってきたところで、先ほど周りの者に指示を出していた男がそう冷たく言った。バージルはその言葉を放った男にちらりと視線を向けた。

 

 おそらく二十歳前後、思ったよりずっと若い男だった。その年で部下を持つ立場になるということは実力も相応なのだろう。

 

 だからと言って彼の言葉に従う義理はない。とはいえ、聖王国の領土を侵犯していたとしても、バージルは戦うつもりも、どこかに報せるつもりもなかった。

 

 自分の邪魔さえしなければそれでいい、というのがバージルの変わりないスタンスなのである。

 

「止まれと言っている!」

 

 しかし、それは邪魔する者には容赦しないということも示していた。現にバージルはこの理屈に従って多くの者を殺してきた。

 

「……愚かな男だ」

 

 得物らしい槍を向けてきた男をバージルは見た。その目にはさきほど視線を向けたときにはなかった冷たい殺気が宿っていた。

 

「っ!」

 

 その殺気に反応したのか周囲の者たちも武器を構え、バージルの逃げ場を潰すように取り囲んだ。動きにくい森の中でもスムーズに包囲できるところをみると随分と訓練されているらしい。

 

「フン、囲んでいるだけでは意味はないと思うがな」

 

 左手に携えた閻魔刀を抜くことはおろか、柄に手をかけてもいない。それでもバージルは余裕を崩さない。あまつさえ黒装の男たちのことを鼻で笑う始末だ。

 

「やれっ!」

 

 男の言葉を合図に、バージルの背後で周囲の者たちの援護に回っていた機械兵士――機界ロレイラルで生み出された戦闘用のロボット――が銃を撃った。

 

「待て!」

 

 それとほぼ同時に黒い鎧と髑髏を模した兜を被った男がそう言い放った。しかし銃弾は既に放たれた。機関銃で撃ったかのような弾丸の雨がバージルに迫る。

 

「…………」

 

 バージルは抜き放った閻魔刀を体の前でプロペラのように回転させ銃弾を防ぎ切った。しかもただ防いだのではなく、受けた全ての銃弾を閻魔刀の刃でキャッチしていたのだ。閻魔刀を地面へ滑らせるとそれを証明するかのように、潰れてもいない銃弾が一列に並び置かれた。

 

「!」

 

 その信じられぬ絶技を目にした鎧の者たちは一様に息を呑んだ。そこに髑髏の兜の男が言葉を重ねた。

 

「もういい、武器を納めろ」

 

 その言葉に従って武器をしまう者たちの様子を見ながら、その兜の男はバージルに話しかけた。

 

「俺は崖城都市デグレア所属、特務部隊『黒の旅団』の総指令官、ルヴァイドだ。……先ほどは部下が失礼した、ここは道を譲らせてほしい」

 

「……いいだろう」

 

 この場でこれ以上戦っても得るものはない、そう判断したバージルはルヴァイドという男の提案を受け入れることにした。

 

 そして閻魔刀を納め、黒の旅団の兵士たちの間を抜けていく。

 

「待ってくれ。……名は何と言う」

 

「……バージル」

 

 振り向きもせずにただ一言をもって答えた。質問の意図は分りかねるが、名前を教えるだけなら手間もかからないため気まぐれに答えたのだ。そのままバージルは歩みを進め、じきにルヴァイドの視界から消えた。

 

「…………」

 

 しかし、彼の名を聞いたルヴァイドは思案しているように黙り込んだままだったが、そこへそれまで指示を出していた若い男が、少し感情的になった様子で彼に詰め寄ってきた。

 

「なぜです、ルヴァイド様!? なぜ、攻撃を止めたのです!?」

 

「あのまま戦ってもどれほどの犠牲を払ったことか……。イオス、それはお前にもわかっているはずだ」

 

 ルヴァイドが戦いを止めたのはバージルの力を読めなかったからだ。勝てるかどうかわからない相手との、それも益のない戦いの続行を黙認するほど彼は愚かではない。

 

「っ、ですが……」

 

 イオスと呼ばれた若い男はルヴァイドの指摘に反論できず言葉を詰まらせた。

 

「あの男、バージルと名乗っていた。あるいは……」

 

 イオスには聞こえないようにぽつりと呟く。実はルヴァイドにはバージルという名には覚えがあった。

 

 崖城都市デグレア、旧王国の中でも非常に高い軍事力を持つ都市である。しかしデグレアでも十年ほど前からたびたび現れる化け物に手を焼いており、各国で取られている対策を調査し、それが有効であればそれを取り入れていたのである。特に一年前に大量の化け物に襲われながらも街を守り抜いたサイジェントの騎士団には並々ならぬ関心を抱き、徹底的に調べ上げたのだ。

 

 その過程で手に入れたのが、彼ら騎士団が教本としている一冊の本だった。それはあの化け物のことを総称して「悪魔」と呼んでおり、その特徴と対策を詳細にまとめたものだった。中にはデグレアには一度も現れたことのない種も数多く記されており、デグレアの対悪魔戦術にも多大な影響をもたらした一冊なのだ。

 

 その著者の一人がバージルという名の者である。対悪魔の有効な戦術、数多くの悪魔を知っているということは、必然的に多くの悪魔と戦ってきたということだ。本の中には到底一人では手に負えない悪魔も書かれていたため、もしそれ相手に戦い生き残ってきたということであれば、恐ろしく腕が立つのは間違いない。

 

 あるいは、さきほどバージルが見せた余裕はそこから来ているのかもしれない。

 

「我ガ将ヨ、コレカラドウスルノダ?」

 

 機械兵士から問いかけられた言葉でルヴァイドは頭を指揮官のそれに切り替えた。

 

「……ゼラムへ向けて進軍する、二列縦隊を組め。ゼルフィルド、周囲の警戒は任せるぞ」

 

 警戒は機械兵士であるゼルフィルドに任せ、行軍が容易な縦隊でゼラムを目指すことにした。

 

 それでもルヴァイドの中には黒の旅団に課せられた任務に対する一抹の不安が残っていた。

 

 

 

 

 

 バージルがようやくたどり着いたレルム村は廃墟と化していた。焼け焦げた跡が周囲のいたるところにあり、骨組みに木が用いられた住宅は崩れるなどの大きな被害があったようだ。とはいえ、そうした木造の住居はそれほど多くはない。しかし、住居以外の日用品の柵や物干し台などは木で作られたものが多かったようで、炭化した状態で風雨に晒されていた。

 

 きっと先刻に感じた焦げた匂いはここから漂ってきたのだろう。

 

「…………」

 

 おもむろに真っ黒に燃え尽きた木材に触れる。まだ若干ながら熱を持っている。おそらく燃えたのはつい最近、昨晩あたりに違いない。

 

 続いて周囲を見渡す。魔力を感知できるバージルには分かっていたことだが、もうここに人間はいない。既に逃げ出したか火災に巻き込まれ焼死したかだろう。

 

 こんな状態では今回の目的である聖女に会うことは叶うわけはない。それでもせっかくここまで足を運んだのに、廃墟だけを見て帰るのだけではあまりにも空しい。そう感じたバージルは、せめて村を一回りしてみることにした。

 

 炎は村全体に及んだようで無傷な建物は一軒もなかった。どの住宅にも炎に焼かれたようだ。

 

 その一軒、比較的に被害の少ない家の前にも黒く焼けた死体がうつ伏せの状態で転がっていた。もはや服装はおろか、性別すらわからないほど焼け焦げている。

 

 わざわざ片づける義理はないので、そのまま脇を通ろうと一瞥した時、バージルはあることに気付いた。

 

「これは……」

 

 よく見るとその死体の背中には袈裟懸けに斬られた跡があった。傷口も炭化しているところ見ると、焼かれる前につけられた傷なのは間違いない。おそらく逃げようとしたところを背後から斬り殺され、さらに息絶えた体も燃やされたと考えるのが自然だろう。

 

 問題は誰が、何のために、こんなことをしたのか、ということである。

 

「あの黒の旅団とかいう奴らか……?」

 

 その総指揮官を名乗っていたルヴァイドという男は、黒の旅団のことを特務部隊と言っていた。そんな者たちならば抵抗する術を持たない者であろうと容赦なく殺し、証拠を消すために火を使うことも躊躇わないだろう。

 

 しかし、彼らがそうまでする理由が分からない。部隊を名乗る以上、黒の旅団には何か任務が与えられているとは思うが、その任務と村人の殺害との繋がりが全く見えてこないのだ。

 

 これが野盗のような、ならず者の仕業であれば強盗と口封じという見方ができるのだが、どうもバージルは直感的に黒の旅団が関わっていると思っている様子だ。

 

 きっとこの裏には自分がまだ知らない事情がある。そう感じたバージルは黒の旅団について調べる段取りを頭の中で組み始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 




次回更新も二週間後になる予定です。

ご意見ご感想お待ちしています。

ありがとうございました。


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第40話 崖っぷちの都市

 レルムの村の近くで遭遇した黒一色の鎧や服を着た特務部隊「黒の旅団」。ゼラムに戻ったバージルは、彼らが所属しているという崖城都市デグレアについて調べ上げた。

 

 崖城都市デグレアは、かつてのエルゴの王の庶子を担ぎ出し、聖王国から分裂した旧王国の都市であり、鋼壁都市バラムと対をなす軍事都市でもある。

 

 旧王国の支配体制は首都の元老院から人員を派遣し、都市毎の元老院を組織することで徹底した管理体制を構築しているのだが、それも限界に達しているようで、中央の元老院の影響が及ぶのは実質的にこのデグレアという都市だけなのである。

 

 このように内部から不協和音が聞こえてくる旧王国だが、それでも聖王国の三砦都市トライドラ、帝国の国境警備部隊など旧王国に対する備えがあるのはこのデグレアの軍事力によるところが大きい。

 

 特に、旧王国の体制に不満を持った者たちが王位継承者を連れ出して興した国家である帝国と旧王国の関係は最悪で、過去には何度も交戦状態になったことがあった。

 

 そうした歴史を鑑みると、黒の旅団の目的は当然に聖王国への攻撃だと考えられる。

 

 しかし、それでも彼らの行動には疑問が残る。レルム村を狙う理由だ。

 

 聖王国侵攻の意図があるのなら狙うべきは聖王都ゼラムか、港町ファナン、三砦都市トライドラなどの政治・経済・軍事における重要な場所を攻撃しているはずなのだ。わざわざレルム村を狙う意味などない。

 

(これでは何もわからん、もっと直接的な方法をとるか……)

 

 やはり重要なピースが欠けている。これでは真実に至ることはできそうもない。

 

 さらなる調査の必要性を感じたバージルはアプローチの方法を変えることにした。

 

(この距離なら一日あればいけるな)

 

 ゼラムとデグレアの位置関係を地図で確認したバージルは胸中で呟いた。

 

 彼の選んだ方法とは黒の旅団の根拠地たるデグレアに赴き、直接調べることだった。デグレアなら彼らが命じられた任務のことを調べるのも容易だろう。たとえ証拠となるような物は見つからなくとも、命じた人間さえ分かれば、後はその人物の口を割らせればいい。

 

 多少雑なところはあるが、これで計画は立てた。あとはそれに従い実際に行動するだけである。

 

 

 

 それから一夜明けた今日。バージルはポムニットを伴って買い出しに来ていた。デグレアに向かうのに必要な物を揃えるためである。目的の崖城都市は聖王国の都市より高地にあり、かつ周囲を山に囲まれているため降水量が多く、今の季節になると既に雪も降り始まっているようだ。

 

 いくらバージルでも好んで雨や雪を浴びる趣味はない。だからこそ、防水性や防寒性に優れた外套を探しているのだ。

 

「なかなかありませんね……」

 

 朝から探し始めてこれまで五軒ほどの店を回ったものの、バージルが望むようなものはなかった。この結果にはさすがにポムニットも少し疲れたのか、そう言って息を吐いた。

 

 もちろん外套自体はどこの店に行っても何種類か置いてあったし、レインコートのようなものもいくつかあった。しかし外套の多くは、あまり防水性が期待できない生地で作られていたし、レインコートは今回のように戦闘も想定される状況で使うには耐久性の面で不安があったのだ。

 

「とりあえず、どこかで食事でもするか」

 

「それなら、ちょっと行ってみたいお店があるんですけど……、いいですか?」

 

「構わん。そこでいい」

 

 特に行きたい店がないバージルはポムニットに任せることにした。

 

「それじゃあご案内しますね」

 

 そのまま彼女の案内に従って繁華街を抜けて一般の住宅街の方へ向かう。道中その店について話を聞いてみたが、どうやらその店はシルターンの「ソバ」という麺料理を扱っているという話だそうだ。ポムニットはミントからこの店のことを聞いたようで、ミント自身も行ったことはないようだが、安くて美味いと最近評判になっているらしい。

 

(ソバ……確か日本にそんなものがあったな。……ラーメンと似たようなものなのか)

 

 どこで聞いたかはもはや定かではないが、かつてバージルのいた人間界の日本という国でも、同じ名前の料理あったことを思い出した。とは言え、知名度があるラーメンはともかく、ソバという料理はバージルも食べたことはなく、どのようなものか見当もつかなかったが。

 

 一般住宅街では貴族たちや召喚師が住居を構える高級住宅に比べ質素な造りの住宅がほとんどだ。その分、非常に多くの住宅が整然と立ち並んでおり、ゼラムの人口の多さを物語っている。

 

「あ、ここですね」

 

 少し歩くと目的の店が見つかってようだ。ポムニットは暖簾に「あかなべ」と書かれている小さな屋台に入っていった。バージルも彼女に続いて暖簾をくぐった。

 

「いらっしゃい」

 

 人のよさそうな店主が言った。彼の他に中にいたのは以前にも見かけたことのある蒼の派閥の召喚師、マグナとトリスだった。どうやらこちらのことには気付いていないようだ。

 

 これで客席側には四人。もともとあまり大きくない屋台だ。それだけでも随分狭く感じる。

 

「何にしましょうか?」

 

「……この天ぷらソバ、というのを二つ頼む」

 

 壁に掛けてあるお品書きを見たバージルは、とりあえず目についたものを注文した。

 

「お二人はどうします。食べていきますか?」

 

 店主はマグナとトリスの二人にも尋ねた。恐らく二人はソバを食べに来たのではなかったのだろう。

 

「うーん、せっかくだし食べて行こうかな」

 

「それじゃ、シオンの大将! こっちも天ぷらソバ二つね!」

 

 トリスの元気のいい返事を聞いた店主のシオンは手際よくソバをつくり始めた。

 

「それにしてもレルム村の次はデグレアですか……、何か気になることでもあったんですか?」

 

 最近のバージルはレルム村から戻ってきたかと思えば、今度はデグレアに向かうと言う。彼がこれほどによく出かけるのは非常に珍しい。それを不思議に思ったため、ポムニットは尋ねたのだ。

 

 バージルがそれに答えようとしたとき、脇から声が聞こえた。

 

「レルム村?」

 

 その声の主はマグナだった。どうやらポムニットが言った言葉が耳に入ったらしい。

 

「え……? あっ! 前にあたしがぶつかった人!?」

 

 マグナの言葉に釣られてポムニットを見たトリスはようやく以前に会った時のことを思い出した。

 

「そういえば、そんなこともありましたね」

 

 ポムニットもその時のことを覚えていたのだろう、微笑みながら話しかけた。

 

「おや? みなさんはお知り合いだったんですね」

 

 そこにシオンが言った。もちろん口を挟んでも調理のスピードは下がることはないようだ。

 

「うん、前に一度だけ蒼の派閥で会ったことがあって……」

 

「って、そんなことより……あの、どうしてレルム村のことを知っているんですか?」

 

 マグナがその時のことを話そうと口を開いた時、トリスがそれを遮りバージルに尋ねた。もともとは彼の発したレルム村の名前という言葉が気になったことが始まりだったはずだ。偶然の再会に驚くよりも優先することがある。

 

 それに二人にとってレルム村に関することは無関係ではない。数日前、二人は護衛獣と兄弟子であるネスティ、それにちょっとして出来事から共に行くことになった冒険者のフォルテとケイナを加えた結構な大所帯でレルム村の聖女に会いに行ったのだ。

 

 その後、聖女である「アメル」という少女と知り合うことができたものの、その夜にあの黒い兵士たち村が襲われ、必死に戦って命からがら逃げてきたのだ。

 

 レルム村は忘れたくとも忘れられない出来事が起こった場所なのだ。気にならないはずがない。

 

「少し前に行っただけだ。……もっともその時にはもう燃やされていたがな」

 

「それならもしかして、あの兵士たちには会いました? 黒い鎧を着ているんですけど……」

 

 身を乗り出しながらマグナは聞いた。マグナもトリスも彼らの正体についてはネスティと共に調べてはいるのだが、どんな文献にも載っていないため、正直お手上げの状態だったのだ。ここで何らかの手がかりを得られれば、と藁をも掴む気持ちで尋ねたのである。

 

「デグレアの黒の旅団と名乗る奴らには会った」

 

 バージルは事実だけを短く伝えた。彼の会った黒の旅団とマグナの言う黒い鎧の兵士たちは、特徴こそ似ているが同一の存在だという証拠はないため、事実のみを答えるだけにしたのだ。

 

 村を襲った兵士たちの正体を聞いたトリスは机を叩きながら言った。

 

「黒の旅団? それが奴らの正体なのね!? あたしネスのところに行ってくる」

 

「そう急がずに。これを食べてからでも間に合いますよ」

 

 そこに湯気が立ち昇るどんぶりを四人の前に置きながらシオンが言った。四人が注文した天ぷらソバだ。

 

 黒いつゆの中には麺が入っており、さらにその上に海老の天ぷらが二匹乗っている。

 

「大将の言う通り、食べて行こうぜ」

 

 マグナは既に食べるつもりでいるらしい。もう昼食時であるため、それが当然だろう。

 

 トリスは一度自分の前に置かれた天ぷらソバを見る。これまでも何回か食べたことがあるものだ。それゆえ、この店の味が間違いないことは分かっている。

 

 味を思い出したのかごくりと生唾を飲み込んだ。

 

「……そうする」

 

 結局、彼女は食欲には勝てなかったようで、椅子に座り直して天ぷらソバを食べ始めた。

 

 一方、バージルは既に天ぷらソバに箸をつけていた。

 

 まずは上にのっている天ぷらから食べる。衣のさくさくとした食感とそれにたっぷりとしみ込んだつゆの味が口一杯に広がった。そのすぐ後には海老の独特の甘さとやわらかさが舌に伝わってくる。彼がこれまで食べてきた揚げ物とはまた一味違う味だ。具材の海老にはまだ水分が残っていて、まるで蒸したようにやわらかな食感だ。

 

 そして次にソバをすする。独特の香りを放つ麺に旨みを持つつゆが一体となりに口、そして喉を通り過ぎる。のどごしも良く、かといってそれだけで終わらない深みがある。

 

「ほう……」

 

 感嘆するように息を吐く。確かに評判通りの味だ。これなら人気が出るのも頷ける。繁華街からわざわざ住宅地まで食べに来るだけの価値があると言える。

 

「あ、おいしい」

 

 どうやらポムニットもそう感じたようだ。

 

 ちなみにこの店では使用する食器としてフォークではなく箸が供されている。シルターンでは一般的に使用されているものだが、リィンバウムではあまり広まっているものではない。

 

 それでもバージルやポムニットが箸を使えているのは島での経験が生きたためだ。四界の住民がいると言っても、共通で食べられるものはリィンバウム、メイトルパ、シルターンの料理に限られる。サプレスやロレイラルの召喚獣が糧とするのは感情や電気などのため、他の世界の者が食べられるものではない。例外としてアルディラのように機械と融合したロレイラルの融機人(ベイガー)という者たちや、実体を持った霊界の存在なら人間と同じように飲食は可能である。

 

 そういった事情もあるため、島で暮らしていたバージルやポムニットはシルターンの料理はそこそこ食べ慣れており、箸もそれなりには使いこなせるのである。

 

 しばらくして、随分早く食べ終わったらしいトリスがどんぶりをテーブルに置きながら言った。

 

「ごちそうさま! マグナ、先に戻ってるからお金払っといて!」

 

「え……?」

 

 天ぷらをおいしそうに食べていたマグナが、きょとんとした様子でもう出て行ったトリスの席を見た。

 

「……大将、ソバのおかわりよろしく」

 

「はい、ありがとうございます」

 

 財布が軽くなることが確定したマグナは、やけに哀愁を漂わせながらおかわりを注文した。やけ食いでもするつもりかもしれない。

 

「会計してくれ。いくらだ?」

 

 ポムニットももうすぐ食べ終わりそうだったため、バージルは先に会計を済ませておくことにした。

 

「天ぷらソバ二つで24バームですね」

 

 かなり良心的な価格だ。このあたりも人気の要因かもしれない。そう思いながらバージルが支払いを済ませた頃にはポムニットも食べ終わっていた。

 

「ごちそうさまでした」

 

 シオンが片付けやすいようにポムニットはバージルのどんぶりを自分のものに重ねる。そして席を立ってマグナに会釈すると既に店を出ようとしていたバージルに続いた。

 

 ポムニットにとってはこの店は大当たりだ。今日食べた天ぷらソバもおいしかったが、他にもいろいろとメニューはあるようで、今度はこの店のことを教えてもらったミントと一緒に食べに来よう、そう彼女は思ったのだった。

 

 

 

 

 

 デグレアは東を召喚術によってつくられた、大絶壁と呼ばれる長大な崖の傍にあることから崖城の名を付けられた軍事都市である。周囲を大絶壁と険しい山々に囲まれており、一年を通して気温も低いため夏期が短く雪が降りやすい。そのせいもありこの都市は極端に人の出入りが少なく、ひどく閉鎖的でもあるのだ。

 

 それに拍車をかけているのがデグレア成立に大きな貢献した家々の者によって構成される元老院議会だ。デグレアは就業、住居の変更、結婚などあらゆることに元老院の許可が必要なのである。

 

 確かにこれらは防諜という視点で見れば非常に有効であり、聖王国打倒を第一とするデグレアにとってこうした制度が必要なのは理解できる。しかしそのために集権的になるしかなく、非常に柔軟性に乏しいのも事実であった。

 

(さて、どこから行くか……)

 

 バージルは外套のフードを被り、険しい山の中腹からデグレアを見下ろしていた。マグナとトリスと会ってからしばらくして、ようやく彼はデグレアにやってきたのだ。とはいえ、軍事都市というのはハッタリではなく、正門の警備は聖王国とは比較にならないほど厳しい。

 

 もっとも、厳しいと言っても所詮守るのは人間だ。どれだけ向かってこようと全て斬り捨ててしまえば突破は容易である。

 

 しかしそんなことをすれば、黒の旅団の目的を調べるという目的の達成に時間がかかることは目に見えているし、最悪、その手掛かりを処分されてしまう恐れもある。できるだけ無駄な戦闘は避けた方がいいだろう。

 

「やはり、上から行くか」

 

 ぼそりと呟いたバージルはエアトリックでその場からデグレアの上空に移動した。いくら正門の警備がきつくとも、今のリィンバウムの技術では空からの侵入はまず探知できないだろうと判断したのだ。

 

 さらに上空から最も重要そうな場所に目星をつけ、そこへエアトリックで移動した。

 

 バージルが静かに降り立ったのはデグレアの中でもひと際目立つ城の中庭だった。そこからは誰の気配も魔力も感じない。一瞬で姿を現したバージルを見た者はいないだろう。そう判断して、移動の際に脱げてしまった外套のフードを被り直し堂々と城の中へ歩き出した。

 

 今バージルが着ている外套は、ポムニットが作ったものだ。結局、思ったようなものを見つけることができなかったため、材料だけを購入しポムニットが手ずから外套を作ることになったのだ。それもデグレアを訪れるのが遅くなった理由の一つだった。

 

 その代わり随分しっかりと作ったようで一目見ただけでは店で売られている製品と見分けがつかないほどだ。意外とポムニットはこういった才能があるのかもしれない。

 

(中でも随分と冷えるな)

 

 城の中は暖房が使われている様子はなく、温度は外と大して変わりない。そのため、外套は着たままでいることにした。

 

 この様子を見るとバージルの頭には、聖王国との戦争に備えて燃料を節約しているのだろうか、という疑念が思い浮かんだものの、今は黒の旅団の調査を優先しようと考え、その疑問は片隅に追いやった。

 

(これは……サプレスの悪魔、か?)

 

 城内を少し歩いたところでバージルはサプレスの悪魔の魔力を感じた。ところが少し前に聖王国で偶然再会したレイムと比べると、随分弱い低級の悪魔のようだった。その代わり、数はそれなりに揃っているようだが。

 

 だが、それ以上に奇妙なのは、城の中はおろか城の周囲にも人の魔力が感じられないことだ。まさか、この城にいる悪魔にその全てが殺されたとでも言うのか。

 

「……行けば分かるか」

 

 いろいろと想像を掻き立てられるが、バージルはそれらを消し去り、悪魔の気配を感じる方へ向かう。

 

 その場所に着くまで数分。その間にバージルの耳に届いた音は自らの歩く音だけだった。話し声はおろか、物音一つ聞こえてこない。これは明らかに異常なことだった。平時であろうと戦時であろうと、この城のような政治の中心になるような場所で何の声も音も聞こえないというのはありえないことだ。

 

 城の異常な様子を見ながらバージルは歩き続けた。悪魔の魔力を感じたのは常であれば元老院議会が開かれている議場からだった。

 

 議場には多くの人間が倒れていた。服装から考えて恐らく元老院の議員たちに違いない。悪魔の魔力は彼らから感じる。そのことから人としての命は既に尽きていることは容易に想像できた。

 

(悪魔が憑依したのか)

 

 ここで重要なのはなぜ議員に悪魔が憑依するようになったのか、ということである。まさか偶然の産物だと言えるはずはない。誰かが糸を引いているに違いないのである。

 

 そして、元老院議員全てが憑依されていたということは、悪魔を操っている者にとってはデグレアを手中に収めたのと同義である。つまりは黒の旅団も黒幕の意図のもとで動いていることを意味する。

 

(それでもレルム村を襲った理由は分からんな……、あの召喚師にでも聞いてみるか)

 

 今回分かったのは黒の旅団の行動を決めているのは、デグレアではなく他の誰かということだけだ。レルム村を襲った理由はいまだ不明なままだ。そのため今度は方向性を変えて、自分と同じように黒の旅団に会ったらしいマグナとトリスに聞いてみようと思った。

 

 もっとも、黒幕もデグレアにおらず聞き出すことはできない以上、他の手がかりはあの二人の召喚師くらいしか心当たりがないのが実情だった。

 

「戻るか……」

 

 そうと決まればもうデグレアに用はない。バージルはこの場から立ち去る前に、幻影剣で議員の体を貫き憑依した悪魔を殺すことにした。

 

 悪魔は命令がなければ抵抗することもできないのか、あるいは休眠状態なのか定かではないが、ただ無抵抗に殺されるだけだった。

 

 それをつまらなそうに見たバージルは全ての悪魔の絶命を確認すると踵を返した。

 

 バージルが悪魔を殺したのは口封じのためだ。悪魔を裏で操っている存在が再びここに戻ってくるかは不明だが、もしも黒幕が戻ってきて生き残った悪魔から自分のことを報告されても面倒だ。それに、わざわざこちらの情報をくれてやる義理もない。

 

 そうしてバージルが去った議場には、もはや人の形をしていない死体がいくつも残されただけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




この前30話を投稿したと思ったら、もう40話になってました。

次回投稿はこれまでと変わらず2週間後の3月12日(日)の予定です。

次回の投稿予定日については、はっきりさせたほうがいいのか、大雑把でいいのか、そもそもする必要がないのかで悩んでいるところですが、今回ははっきり明言することにしました。

ご意見ご感想お待ちしています。

ありがとうございました。


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第41話 諸刃の真実

 デグレアからゼラムに戻るには三砦都市トライドラの近くを通る必要がある。聖王国の盾と呼ばれるトライドラは三砦都市の名の通り、スルゼン、ローウェン、ギエンの三つの砦を持っているのだ。

 

 トライドラを中核として北にはローウェン砦、東にはスルゼン砦、西にはギエン砦があり、旧王国に睨みを利かせているのである。また過去何度かあった旧王国との小競り合いに際しては、それぞれの砦間で相互に支援や援護を行い、聖王国への侵攻を幾度となく防いできたのだ。実際にバージルはデグレア向かう道中で旧王国の侵攻に備えるローウェン砦とスルゼン砦を遠目にだが見ている。

 

 同じく帰りも往路と同じようにローウェン砦を通った。とはいえ、さすがに正面から堂々と行ったわけではない。デグレアから来たことに関して勘繰られては面倒なため、見つからないようにルートを考えて通過したのだ。

 

 そしてトライドラの付近を通り、街道に沿ってゼラムへ向かう。

 

「……雨か」

 

 その途中、雨が降り始めた。トライドラを過ぎた辺りから雲行きが怪しくなってきたと思っていたが、とうとう降ってきたようだ。しかも大きめの雨粒が土砂降りのように降っている。

 

 バージルは脱いでいた外套のフードを被った。雨は非常に強いものの、風はさほどではなかったため、外套を着るだけで体が濡れることは防げるようだ。

 

 そのまましばらく歩くと、街道からはずれたところに城のような建造物が見えた。あれがスルゼン砦である。もっともそこに立ち寄る必要はないため、バージルは特に見向きもせず進んだ。

 

 しかし魔力の感知範囲に入ったところで、砦からは弱いサプレスの悪魔の魔力を見つけた。数もかなり多い。

 

(悪魔だと? なぜあんなところに……?)

 

 通常、砦に滞在するのは聖王国に仕える騎士たちだ。中には召喚師もいるため、彼らが召喚した悪魔とも考えられないわけではないが、それにしては数が多すぎる。あれだけの悪魔を召喚するには相当数の召喚師が必要だろう。

 

 それに感じる悪魔の魔力はどことなくデグレアの元老院議員に憑依していた悪魔のものと酷似していた。

 

(とりあえず様子だけでも見ておくか)

 

 何らかの手がかりでも得られれば御の字と思い、バージルは様子を窺うためにエアトリックで砦まで移動した。

 

 スルゼン砦までの距離はまだ相当あるとはいえ、肉眼で見える位置にあれば、寸分違わない正確な移動が可能だ。事実バージルは狙い通りに城壁の上に姿を現すことができた。

 

 砦の中では戦闘が行われており、デグレアの議員のように悪魔に憑依された者達と、ゼラムに戻ったら話を聞こうと考えていたマグナとトリス、それに彼らの仲間と思わしき者達が戦っていた。

 

 さらに戦場となっている場所とは別にもう一つの見知った姿を見つけた。

 

(パッフェルもいるのか)

 

 彼女はエクスのエージェントをしているとは言っても、普段はゼラムでバイトをしているはずだ。それがなぜこんなところにいるのか気になった。

 

「パッフェル」

 

 再びエアトリックで移動し、パッフェルの背後から声をかけた。

 

「ッ! って、あなたですか、急に後ろから話しかけないでくださいよ。びっくりしたじゃないですか!」

 

 剣呑な様子で振り返ったパッフェルだったが、声をかけたのがバージルだと分かると、いつものような軽い感じに言った。

 

「こんなところで何をしている?」

 

「仕事ですよ、お仕事。……でも、まさかこんなことに巻き込まれるとは思いませんでしたけど」

 

 どこか自嘲気味に答えるパッフェルにバージルは尋ねた。

 

「……それで何か掴んだのか?」

 

「う~ん、少なくともあなたが興味を持ちそうなことは何も……」

 

 その答えを聞いたバージルは前に彼女から聞いた聖女について聞くことにした。

 

「レルム村の聖女とかいうのはどうなった?」

 

「それなら今は……ほら、あの中にいると思いますよ」

 

 そう言ってパッフェルが指し示したのは、砦で戦っている者達だった。と言うことは聖女はマグナ達と行動を共にしているということだ。

 

「……思ったより近くにいたということか」

 

 まさか先日会ったマグナやトリスのもとにいたとは思いもしなかった。そもそも、バージルがレルム村に向かった時に彼らとすれ違ったことを、もっと深く考えていれば聖女が彼らと共に逃げたことは想像できたかもしれない。

 

「さて、そろそろ私は失礼しますよ」

 

 少し考え込んでいたバージルにパッフェルは一声かけて砦を出て行った。もう仕事は終わったのだろう。

 

 バージルは周囲の様子を確認するべく再び城壁の上に移動した。既に戦いの大勢は決しているようで、悪魔に憑依された兵士たちは倒れていた。そして砦の上の方では悪魔達のリーダーらしい男が包囲されていた。

 

「奴の魔力、たしか……」

 

 呟きながらバージルは感じた魔力の正体を思い出した。少し前にポムニットとミントに話しかけていた、レイムとかいう悪魔の周囲に感じた三つのうちの一つがこの魔力だ。

 

 デグレアと同じ悪魔を憑依させて死体を使っていることを考えれば、レイムの一派によって、デグレア、ひいては黒の旅団は操られているのではないか。

 

 少なくとも現時点では最も黒幕に近い存在と言えるだろう。

 

 そんなことを考えていた時、包囲されていた男が召喚術を使い下級悪魔を死体に憑依させた。サプレスの召喚獣は召喚できなくなっていることが多いらしいが、このような矮小な召喚獣はそうでもないのかもしれない。

 

 男の耳障りな笑い声がここまで聞こえてきた。

 

「……!」

 

 その直後、マグナ達の中にいた少女が不思議な光を放った。それに浄化されるように悪魔に憑依されていた死体は力なく倒れていく。憑りついていた悪魔の魔力も消えていた。

 

 それとほぼ同時に一発の銃声が響き、銃弾が当たったらしい悪魔を召喚した男が、砦の下へ落下していった。しかし、バージルの関心はもっぱら光を放った少女に向いていた。

 

(あの力、天使のものか、しかしなぜ人間の娘が……?)

 

 少女の放った力はサプレスの天使のものだった。バージルは島にいた時にサプレスの天使であるフレイズの力を見たことがあるため、間違いないだろう。

 

 別にあの少女がサプレスから召喚されたのであれば、バージルも特に不思議に思わなかったに違いない。しかし、その少女は力を見せるまでは普通の人間と同じ魔力しか感じなかったのだ。ポムニットのようにハーフであれば人間とは異なる魔力を感じるため、天使と人間のハーフという可能性はまずないだろう。

 

 考えを進めるのはここまでにしてとりあえず彼らから話でも聞いてみるか、と頭を切り替えた矢先、あたりに悪魔の気配がした。今度はサプレスのものではない。魔界の悪魔だ。

 

「……面倒な」

 

 吐き捨てるように言う。バージルの眼下ではセブン=ヘルズの一種、赤い体色が特徴的なヘル=エンヴィーが現れていた。この悪魔は魔物の体液を媒介に現れるため、あまり遭遇することは多くない悪魔なのだ。

 

 しかし周囲を見回してわかったが、どうやらこの砦では相当凄惨な戦いがあったようで、そこら中に死体が転がっている。今でこそ雨で誤魔化されているが、かなり量の血も流れたことは想像に難くない。おまけにその血を流したのは悪魔に憑依された者達も含まれていただろう。

 

 おそらく悪魔に憑依された影響で、人間の血液でもヘル=エンヴィーの依り代となり得たのだろう。

 

 しかしバージルにとってはヘル=エンヴィーが現れた理由はさして問題ではない。彼にとって重要なことは自分の邪魔をする存在が現れたことなのだ。面倒だとは言っても障害となるならば排除するしかない。

 

 そう決めたバージルの行動は早かった。外套をヘル=エンヴィーが現れている城壁の下に向かって脱ぎ捨てると、彼自身も同じように城壁から飛び降りた。

 

 そのまま中空で閻魔刀を抜き放ち、悪魔達の只中に着地するのと同時に一体の悪魔を両断した。そのまま残像が残るような速度で、流れるようにヘル=エンヴィーを斬っていき、一旦、群れの中から抜け出すと閻魔刀を鞘に納めた。

 

 そして閻魔刀を納めたまま再度群れの方で体を向けた。次の瞬間にはバージルは群れの中を抜けており、いつの間にか抜刀していた閻魔刀を再び鞘に納めようとしていた。

 

 よく見ると彼が駆け抜けた群れの中の悪魔には一本ずつ幻影剣が刺さっていた。

 

「Die」

 

 言葉と共に閻魔刀を納めた瞬間、一斉に幻影剣が炸裂し、ヘル=エンヴィーたちは一つの例外なく仮初の肉体の損傷に耐え切れず死んでいった。

 

 そして構えを解いた時、上から彼自身が投げ捨てた外套が落ちてきた。一時よりはかなり弱まっているとはいっても、まだ雨は降り続いている。こんな望みもしない戦いのせいで、これ以上服が濡れるのを嫌ったバージルは再び外套を身に着けた。

 

 砦の上を見るとマグナやトリス達がこちらを見ていた。向こうも戦いは完全に終わったようだ。バージルは軽く跳んで彼らのもとへ移動すると言った。

 

「聞きたいことがある。答えてもらおう」

 

 

 

 

 

 港町ファナン。マグナ達は現在、この町の用心棒的な存在であるモーリンの家である拳術道場で寝起きしていた。彼女は彼らが行く当てもなくファナンに辿り着いた時、いろいろと世話をしてくれた姉御肌の人物である。

 

 先日起きた海賊騒動を解決した後、共に旅をしてくれることになったのだが、昨日はスルゼン砦での一件でここに戻らざるを得なかったのだ。

 

「さーて、ご飯も食べたしそろそろ行こうか?」

 

 一晩十分休息を取り、すっかり元気を取り戻したマグナが言った。

 

 結局、スルゼン砦で会ったバージルとは日を改めて話をするということでまとまった。その際の条件として、レルム村の聖女として祭り上げられていたアメルを連れてくることを彼は提示したのだ。

 

 その時のアメルは不思議な力を使った反動か、意識を失っていたため話ができる状態ではなかった。もしかしたら彼女に聞きたいことがあるのかもしれない。

 

「本当に君達だけで行くつもりなのか、ワナかもしれないんだぞ!?」

 

「心配し過ぎだよ、ネス。もしもあの人にそんな気があれば、あの時にやってるって」

 

 バージルと会ったことのあるマグナとトリス、それに指名されたアメルの三人だけで行くことを危険だと考える兄弟子のネスティに、マグナはあっけらかんとした様子で答えた。

 

 アメルが今、デグレアの黒の旅団に狙われていることは周知の事実だ。そのこともありネスティは警戒しているのだが、そもそも黒の旅団のことを最初に教えてくれたのは他ならぬバージルなのだ。

 

「ならせめて彼らくらい連れて行ったらどうだ? 君たちの護衛獣だろう」

 

「自分モねすてぃ殿ニ賛成デス。自分ノ任務ハあるじ殿ノ安全ヲ守ルコトナノデスカラ」

 

「ボ、ボクだってご主人様の護衛獣なんですから、お供くらいはできます!」

 

 トリスは自分の護衛獣であるロレイラルの機械兵士「レオルド」とメイトルパのメトラルという種族の「レシィ」の言葉を聞きながらも、考えは変わらなかったようで少し困った顔をしながら答えた。

 

「気持ちは嬉しいけど、あの人、気難しそうだし、大勢で行ったら逆に警戒されると思うの」

 

「そうそう。それに俺は気が合うかもしれないし」

 

 あかなべで自分と同じ天ぷらソバを食べていたからか、マグナもバージルにはそれほど悪い感情は持っていなかった。

 

「ケッ、だからテメエはお人好しなんだよ。いい加減に疑うことを覚えたらどうだ?」

 

「ハサハ、おにいちゃんについていくから」

 

 マグナの護衛獣であるサプレスの悪魔「バルレル」とシルターンの妖狐「ハサハ」も彼らだけで行くのは賛成しかねるようだった。

 

 ちなみに召喚師が傍に置く護衛獣は基本的に一体だけである。しかし、派閥の試験で二人が護衛獣を召喚しようとした時は、彼らの意図していなかったにも拘らずそれぞれ二体の召喚獣を召喚できてしまった。

 

 これには立ち会っていた幹部も相当驚いたようだ。そのせいかは不明だが、試験に合格した二人に言い渡された任務は見聞の旅という事実上の追放処分だった。

 

 お目付役として同行するネスティと旅の最初に知り合った冒険者のフォルテとケイナの共にレルム村を訪れてアメルに会ったところから、今に続く大きな事件の只中に身を置くことになったのだ。

 

 それでも二人が自分の信じる道を進んでこられたのは、彼らの心が強いからか。

 

「むぅ、それなら近くまでついてくるのはどう?」

 

 この場にいる全員から反対されたトリスは少しむくれながらも折衷案を出した。マグナはそれに賛成しつつのんきに言う。

 

「そんな悪い人じゃないと思うんだけどなあ」

 

「……仕方ないな、それで妥協するとしよう。ただし、僕だけは同行させてもらうからな」

 

 ネスティは溜息をつきながらトリスの提案を受け入れることにした。それでも自分だけは同行するのは、彼なりにお目付役としての責任を感じているからだろう。ちょうどそこへ片付けが終わったらしいアメルがやってきた。

 

「お待たせしました。早速行きましょう?」

 

 アメルも昨日は不思議な力を使ったせいか、熱があり風邪っぽかったため心配していたのだが、この様子では全く心配の必要はないだろう。

 

 揃って道場から出る。護衛獣も含めて総勢八人。他の仲間はいないとはいえ、それでも結構な大所帯だ。おまけにレオルドやバルレルは遠目に見ても召喚獣と分かるような姿であるため、随分と目立っている。

 

「あの人、もう来てるかな?」

 

「少なくとも僕には、君のように寝坊するような人間に見えなかったな」

 

 マグナの言葉にネスティが辛辣な言葉を返す。しかし今朝もっとも遅くまで起きてこなかったのは紛れもないマグナ自身であるため、痛い事実を突かれた彼は反論することはできなかった。

 

「まあまあ、昨日は大変だったんですから、あまりマグナさんを責めないでくださいね」

 

「それを言うならアメル、君も同じはずだろう? それなのに、この二人は僕が何度起こしても……」

 

 ネスティが今朝のことの思い出して少し不機嫌になっているところに、トリスが心外だと言わんばかりに嚙みついた。

 

「ちょっとネス、あたしはマグナより早く起きたでしょ!」

 

「早く起きたと言ってもほんの少しだけだろう、そんなの五十歩百歩だ」

 

「それでも早く起きたのは事実じゃない!」

 

 この二人にとってはこの程度の言い争いは日常茶飯事だが、さすがに人を待たせている今、こんなことを続けるわけにはいかないためマグナは二人を止めるため口を開いた。

 

「ま、まあまあ、そのくらいにして早く行こう? あまり待たせちゃ悪いしさ」

 

「元はと言えば君のせいだろう!?」

 

「元はマグナが原因でしょ!?」

 

 今までいがみ合っていたくせに、トリスとネスティは驚くほど息ぴったりに同じような言葉を返してきた。

 

「……ア、アメルぅ」

 

 身から出た錆とは言え二人の剣幕にマグナはたまらずアメルに助けを求めた。

 

「お二人とも、マグナさんも反省しているようですし、そのあたりにしてあげてくださいね。それに明日からはあたしが起こしますから」

 

「えっ」

 

 アメルは朝食の用意などがあるため起床時間はかなり早いほうだ。そんな彼女に起こされるのではたまったものではない。

 

「それはいい案だ。是非そうしてくれ」

 

「うわぁ……大変ね、マグナ」

 

 しかしそんなマグナの様子を知ってか知らずか、ネスティはアメルの考えに賛成した。マグナと同じように起きるのが遅いトリスは、自分まで巻き込まれるのを恐れたのか、ただ慰めの言葉を言うだけだった。

 

 マグナが早朝の起床を確定させられたところで、バージルとの待ち合わせ場所である銀沙の浜に着いた。かつてファナンが漁村だった頃から漁に使われていたこの砂浜は、場所さえ考えればほとんど人もおらず聞かれたくない話をするのにも適している。実際、砂浜にはほとんど人がいなかった。

 

「……あ、あっちだね」

 

 人がほとんどいない砂浜でバージルのように長身で銀髪の男を探すのはたいして手間でもなかった。目的の人物を見つけたマグナ達は護衛獣達を少し離れたところに待機させると、バージルに向かって歩いていった。

 

 

 

「……来たか」

 

 彼らがようやく来たこと感じたバージルは組んでいた腕を解いて振り返った。来たのは四人、昨日バージルが言ったようにちゃんと聖女も連れてきたようだ

 

「早速だが、話を聞かせてもらおう」

 

 四人が目の前に来たところでバージルは彼らが口を開く前にこちらの要件を伝えることにした。昨日は件の少女が体調を崩していたため、話を聞くことができなかったのだ。もうこれ以上、無駄に時間を費やすようなことをしたくはなかった。

 

「貴様はなぜ天使の力を使える?」

 

 バージルは昨日砦で天使の力を行使した少女であるアメルの魔力を確認しながら言った。少なくとも今の彼女からは天使の魔力は感じない。

 

「あの時使ったのは天使、の力ってこと……!?」

 

 驚いて確認するように言ったトリスにバージルはばっさりと告げる。

 

「普通の人間にあんなことができると思っているのか」

 

 確かにこのリィンバウムという世界には召喚術などの独自の技術がある。しかし、そこに住む人間はバージルのいた世界の人間とほとんど変わりない。だからこそ、アメルのように不思議な力を使える者には、ただの人間とは異なる点があるはずなのだ。

 

「っ……、あたしは、人間です」

 

 お前は人間ではない。バージルの言葉をそんな意味で受け取ったアメルはそれでも自分は人間であると告げた。

 

(自覚はなし、か……。これ以上の問答は無用だな)

 

 バージルはアメルの様子を見ながらそう判断した。少なくとも彼女が嘘をついているようには見えない。本当にこれまでは普通の人間だと思って生きてきたのだろう。

 

「ならば次だ。……例の黒の旅団が何を狙っているか、知っているか?」

 

 今度はマグナやトリス、ネスティに向けて言った。デグレアの元老院議会を通じて黒の旅団に命じている任務を探る数少ない手掛かりの一つが彼らだった。もちろん、たとえ分からなくともバージルに悪影響があるわけではないが、疑問を解決せぬまま放置しておくことを彼はよしとしていなかった。

 

「それは――」

 

「そんなことを僕達に聞かれても。デグレアに行っては?」

 

 トリス答えようとしたところをネスティが遮った。彼はまだバージルのことを警戒しているようだ。もっともそれについてネスティを責めるわけにはいかないだろう。バージルは自分の素性一つ話していない。これでは信用しろというのは無理だろう。

 

「もう行った。……もっとも、デグレアの元老院議員は先日の砦の人間のようになっていたがな」

 

「なっ!?」

 

 これにはネスティだけでなく他の三人も驚愕の表情を見せた。あんな恐ろしいことが他の場所でも起きている。その事実にアメルは悲しそうに言った。

 

「そんな、どうして……?」

 

「だから聞いているのだろう? 奴らの目的は何だ、と」

 

「あいつらの目的……」

 

 再び聞いたバージルにマグナは無意識の内に、黒の旅団の目的であるレルム村の聖女アメルに視線を向けた。そしてそれを見逃すほどバージルは愚かではなかった。

 

(……なるほど、その娘か)

 

 アメルを狙っていたとすれば奴らは彼女の天使の力について知っているのだろうか。もっとも、そうでなければいくら不思議な力を持っているとは言ってもただの娘をつけ狙う理由はないが。

 

「一体誰が……?」

 

 考えを整理しているのかネスティが独り言のように呟く。

 

「手がかりはスルゼン砦で死体を操っていた男とレイムとかいう奴だ」

 

 バージルとしてはわざわざ彼らに情報を与える必要はないのだが、この前ゼラムで情報を提供しなかったために今回もう一度彼らに会う羽目になったこともあって、今日はあえて情報を提供することにした。

 

「ねえ、あなたはレイムさんのことを知ってるの?」

 

 トリスはバージルの言ったレイムという名前が気になった。彼女やマグナはレイムという名の吟遊詩人に何度か会ったことがあったのだ。その時の印象は決して悪いものではない。柔らかい物腰でこちらの話をよく聞いてくれたのだ。

 

「俺が知っているのは長い白髪で若い男だ。……もっとも、人間ではなく砦の男のように悪魔が死体に憑依しているのだろう。それもそこらの召喚獣よりはずっと強い力を持っている悪魔が、な」

 

「そんな……」

 

 バージルの言った特徴はマグナが知るレイムと合致している。それを聞かされてはさすがにレイムがアメルを狙っているのではないかと疑わざるを得ない。

 

「ちょっと待ってくれ、それならあのガレアノは悪魔なのに召喚術を使っているということか?」

 

 どうやらスルゼン砦にいた男はガレアノというらしい。

 

「召喚師でなくとも召喚術は使えるのだろう? なら悪魔でも使う方法があると考えるのが自然だと思うが?」

 

 現にバージル自身もリィンバウムの人間ではないにも関わらず、召喚術は一通り使える。島の護人も召喚獣であるにもかかわらず召喚術を使用することができる。だから同じように、悪魔であっても使うことは可能なはずだ。

 

「……話は終わりだ。帰らせてもらうぞ」

 

 バージルは四人の反応を見てこれ以上は情報を引き出すことはできないと判断した。それでも黒の旅団の目的が分かっただけでもよしとしよう。踵を返して銀沙の浜を後にする。

 

 それと入れ替わるように四体の召喚獣がマグナ達とのもとに向かっていった。

 

 バージルは一瞬それを見るとすぐに興味を失ったのか、すぐに正面に向き直りゼラムへと戻るべく歩を進めた。

 

 

 

 

 

 バージルが去った砂浜では護衛獣と合流したマグナ達が先ほどの内容について話し合っていた。

 

「今の話、ネスはどう思う? 俺には嘘を言ってるようには見えなかったけど」

 

「今のところ、彼が言ったことが真実であるという確証はない。……だが、同時に虚構であるとも言い切れない」

 

「それって結局、何もわからないってことじゃん」

 

 マグナに意見を求められたネスティの言葉にトリスが噛みついた。

 

「君はバカか? だからこそ、用心しなくちゃいけないってことに決まっているだろう。ただでさえ君達は不用心なんだから、少しは言動に注意したらどうだ?」

 

 マグナやトリスのお人好し具合は用心深いネスティにとって非常に無防備であるように見えるのだ。特に今回のように得体のしれない相手に無警戒に会いに行こうとするなど言語道断だった。

 

「分かった、分かったって!」

 

 いつの間にか自分も非難されていたマグナは、もう勘弁してくれと言わんばかりに声を上げた。ネスティの小言が嫌がらせで言っているのではないということは理解できるが、それでも毎日のように聞かされたらさすがに嫌気が差してくる。

 

「……それで、これからどうするんです? あの人の言葉が本当か確かめるんですか?」

 

 今度はレシィが少し不安そうな顔で聞いてきた。バージルの言葉の真偽を確かめるなら多少の危険があるかもしれないと思っているのだろう。

 

「いや、それは難しいだろう。昨日戦ったガレアノは死体も見つからなかったし、レイムという男もどこにいるか分からないんだ」

 

「なら、デグレアってところに行ってみるかぁ?」

 

 ネスティに続き、バルレルがニヤリと笑いながら言った。

 

「我々ノ戦力デ敵性都市ヘ潜入スルノハ無謀デス」

 

「そうだろうな。それにわざわざ敵の本拠地まで行くなんてリスクが大きすぎる」

 

 レオルドの言葉にネスティが賛成した。この二人に反対されてはさすがにバルレルもそれ以上、デグレアに行こうとは言い出さなかった。

 

「なら、とりあえずはこれまで通りにアメルの言ってた村を目指すってことだよな?」

 

「ああ、そういうことだ」

 

 元々昨日にファナンを出発したのもその村に行くつもりだったのだが、急に降ってきた雨を避けるためにスルゼン砦に立ち寄ったために巻き込まれてしまったのだ。

 

 マグナ達が話を進めている間、アメルはずっと黙りっぱなしだった。それを心配してか、ハサハが彼女に声をかけている。

 

「アメルおねえちゃん……げんき、だして……」

 

「うん、ありがとう……」

 

 そうは言うもののアメルは先ほどバージルに言われた言葉がずっと気になっていた。彼はアメルの力を天使のものだと断言していたが、アメルがそれについて考えると不安な気持ちになった。知りたいけど知りたくはない、そんな相反する二つの想いが混在し彼女を不安にさせていたのだ。

 

 そしてその気持ちは、彼女が自分の出生を知る時まで抱き続けることになり、結果的にバージルの言っていたことは正しかったと証明されることになったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 




次回は3月26日(日)に投稿予定、久しぶりにアティ先生が登場します。

ご意見ご感想お待ちしています。

ありがとうございました。


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第42話 動き始めたうねり

 ゼラムに戻ってしばらくの間、バージルは刺激のない日々を送っていた。とはいえ、それは彼に限ったことであり、今のゼラムではある噂で持ちきりになっていた。

 

 それは旧王国が聖王国への大規模な侵攻を企てている、というものだった。

 

 スルゼン砦のことを考えれば、トライドラの他の砦やトライドラそのものを陥落させることはたいして難しくないだろう。しかし、旧王国が聖王国に対する侵攻作戦を企てているのは明らかな誤りだ。もはやデグレアの意思決定権はすべて何者かに握られているのだから。

 

 しかしそれを知っているのはバージルとマグナ達のごく少数だけである。真実を知らない大多数の人々は戦争が間近に迫っていると考えているようで、どこか不安げな雰囲気を漂わせながら顔をしながら街並みを歩いていた。

 

 それでもゼラムはまだマシな方だ。物流は乱れていないし、買い占めも起こっていない。見回りの騎士は増えたが、治安も心配されたほど悪化していない。むしろ騎士が増員されたことでよくなったと感じる者も少なくないだろう。

 

 そんな状況の中、バージルはいつも通り好きなように過ごしていた。週休六日を標榜する弟もびっくりの状況だ。

 

 黒の旅団やレイムやガレアノなど悪魔に関する案件は、ひとまず向こうの出方を伺っている状態だった。

 

 彼ら悪魔は人間よりずっと強力な力を持つにも関わらず、ずっと裏方に徹しているところを見ると随分と用心深いように思える。そんな者達にバージルが直接関わろうとすれば、逃げの一手を打たれる恐れがあった。おまけに仮に見つけたところで、もはやそれはバージルが期待したような相手ではないのだ。

 

 だからこそバージルは、向こうも後戻りができない段階になるまで待ってやろうと考えているのだ。

 

「あっ、先生! お久しぶりです!」

 

 玄関の掃除をしていたポムニットが喜びの声を上げた。彼女が先生と呼ぶ人物は三人だけ。その内の二人は島から離れることはまずないので、実際にはたった一人に絞られる。

 

「急にお邪魔しちゃってごめんなさい」

 

 ポムニットに案内されてきたのは思った通りアティだった。少し前にこの家の場所を手紙に書いて教えていたため、それを頼りに尋ねてきたのだろう。

 

「アティか」

 

「えへへ、来ちゃいました」

 

 バージルに視線を向けられたアティは、はにかみながら言った。手には外套を持っている。さきほどまではいつもの恰好の上に羽織っていたのだろう。

 

「今、何か淹れますから座って待っていてくださいね!」

 

 嬉しそうに笑いながら元気よくそう言ったポムニットは厨房に消えていった。アティは勧められるままにバージルの正面に座った。

 

「あ、そう言えば私、サイジェントから出発するとき手紙を預かっていたんでした」

 

「俺に?」

 

 聞き返した。少なくともバージルにはサイジェントの誰からも手紙をもらう理由は思いつかなかった。

 

「はい、渡してくれたのはスカーレルですけど書いたのはレイドさんらしくて……」

 

 アティも少し困った顔をしながら答えた。現在、サイジェント騎士団の副団長を務めているレイドとバージルは、一応面識はあるものの、数回会話した程度に過ぎない。

 

 そんな相手からの手紙とは不思議に思ったが、とりあえず読んでみることにした。

 

「……ほう」

 

 一通り目を通したバージルは薄く笑いながらそう呟いた。

 

 手紙に書いてあったのはサイジェントに現れた悪魔のことが主であった。もちろん冒頭には簡単な挨拶も書かれていたが、全体的な内容から考えれば手紙というより報告書と称したほうがしっくりくる。

 

 その中でバージルが注目し、レイドも伝えたかったことは、霊界と魔界、二つの世界の悪魔が連携しているような動きを見せたことだった。これはどう考えてもサプレスに現れた悪魔と無関係ではないだろう。

 

 これまでの情報から推察するにサプレスに現れた悪魔はやはり最低でもゴートリングなどの中級悪魔以上で、場合によっては大悪魔の可能性も捨てきれない。その上、サプレスの悪魔も使っているとすれば、魔界からは下級悪魔以外を呼び寄せられないのかもしれない。あるいはただ単にお山の大将を気取っている愚か者か。

 

 いずれにせよこれでムンドゥスが関わっていないことははっきりした。もしも、かの魔帝ならば呼び寄せることができなくとも、己の力で悪魔を創造するに違いない。さらにムンドゥスは配下の幹部クラスの大悪魔でさえ、役立たずと判断すれば切り捨てる冷酷さを持っている。そんな存在がサプレスの悪魔を利用するはずがないのだ。

 

「何が書いてあったんですか?」

 

 珍しい反応にアティは手紙の内容が気になり尋ねた。バージルはあっさりと手紙を差し出した。

 

「読みたければ見ろ」

 

 アティはその反応に拍子抜けしつつもやはり好奇心には勝てなかったのか、手紙を受け取った。

 

「それじゃあ、遠慮なく見せてもらいますね」

 

 手紙を渡したバージルはさきほどまで読んでいた本を再び読み始めた。

 

「あの、バージルさん。これってどういうことですか?」

 

 しばらくすると、読み終えてさらに分からないことがあったのか、アティは疑問を呈した。

 

「書いてある通りだ。悪魔が手を組んだに過ぎない」

 

 ただ、バージルはなんの物的証拠もないが、この動きが本格的な攻撃の前の偵察行動であるように思えた。人間も悪魔も変わりなく偵察や拠点の構築など目的は様々であるが、人の軍隊と同じで戦力の一部を先行させるのは決して珍しくはない。

 

 バージルは手紙に書いてある悪魔がそうした先行する戦力なのではないかと疑っていたのだ。

 

「それって大変なことなんじゃ……」

 

 サプレスの悪魔は過去にリィンバウムに侵攻したことがある好戦的な種族だ。

 

「そうだとして、お前に何ができる?」

 

 言外に何もできないだろうという意思を込めながら言った。現れた悪魔に対抗するならアティも力になれるだろうが、悪魔同士の協力関係を解消させることはまずできない。なにしろ相手はサプレスにいるのだから当然だ。

 

「それはっ……そうですけど……」

 

 もちろんそれはアティも理解している。しかし同時に今の状況に嫌な予感がしているのだ。まるで大きな災いの前触れのようなそんな予感だった。もしかしたら彼女がゼラムまで来たのは、その予感に無意識に突き動かされた結果かもしれない。

 

「納得したなら大人しくしていろ。……それに、もし本格的に現れるようなら俺がやる」

 

 もしバージルの予想が当たっていて、手紙に書かれていたことが本格的侵攻の前触れだとすれば、本体はきっとそう遠くない日にリィンバウムに姿を見せるだろう。

 

 そうなれば彼は一人で戦うつもりでいた。別に格好つけているわけではなく、犠牲を減らしたいわけではない。ただ誰にも邪魔されたくないだけなのだ。

 

 バージルの力はもはや何者の追随も許さぬほど大きく、そして強くなっている。それ故、誰かと肩を並べて戦うということには極めて向いていない。元々、共闘に向く性格ではなかったが、今はそれに加え彼自身の強すぎる力が共闘の障壁となっているのである。

 

 そうした理由のため、以前に増してバージルは単独での戦闘を行えるよう気を払っているのだ。

 

「わかりました。……でもそうなったら、私にも手伝わせてくださいね」

 

「考えておこう」

 

 彼女の言葉に淀みなく答えた。あのお人好しのアティがただ大人しくするわけがないことくらい、十年以上の付き合いのバージルには予想できていた。そう答えたのは勝手に動かれるよりも、こちらで指示を出してある程度行動をコントロールしたほうが、彼にとっても都合がいいからだ。

 

 幸い悪魔についてはバージルの方が一日の長があるため、サイジェントの時のように自然とこちらが主導権を握ることは可能だろう。

 

 そんなことを考えているとポムニットがカップを持って現れた。

 

「お待たせしました」

 

 とりあえずこの話はここまでとして、一息つくためにバージルとアティは持っていた本と手紙を机の上に置いた。

 

 

 

 

 

 霊界サプレス。霊的な存在が住むはずのこの世界に肉体を持った存在が悠然と佇んでいた。その名はベリアル。この世界の覇者となった悪魔である。

 

 もはやサプレスに彼と正面からぶつかるだけの勢力は存在しない。もちろんベリアルがここに来たばかりの頃は、天使も悪魔も彼を敵と認定し三つ巴の戦いになったものだが、それも今は見る影もない。

 

 魔王と名乗る比較的大きな力を持つ悪魔は大部分を始末し、残る少数の魔王も辺境に身を潜めているのかほとんど姿を見なくなった。

 

 ベリアルのかつては炎獄と呼ばれる魔界の一角を制し、数多の悪魔を支配下に置いていたことがある。しかし、ここではそうした魔界の悪魔を呼ぶことは極めて難しかった。正確に言えば依り代を必要とする下級悪魔なら、呼び寄せることにはたいして苦労はしないのだが、己のように肉体を持つ悪魔を呼ぶのは困難を極めた。

 

 それでも一時的に境界を薄くすることで数体は呼び寄せることはできたのだが、それだけでは再びかつてのような軍勢を組織することなど夢のまた夢だった。

 

 そこでベリアルはこの世界に住む悪魔を利用することにした。従っていた魔王を失った悪魔たちの命を助ける代償に己に従わせたのである。それはこの世界の存在を下等生物と見なしていたベリアルにとって苦渋の決断だったのは言うまでもない。

 

「リィンバウム、そして人間……」

 

 霊界の覇者は次に攻め入る世界の名を呟いた。肉体のない存在ばかりのこの世界とは異なり、リィンバウムには人界のように人間が住んでいるらしい。

 

 ベリアルにとって人間はただの餌に過ぎない。しかしそんな矮小な存在のために同胞たる悪魔を殺し、魔界の支配者である魔帝を封じた存在を知っていた。

 

 その名はスパーダ、かつては魔帝の右腕でありベリアルが憧れた悪魔である。

 

 スパーダの裏切りは二千年たった今でも尾を引いている。幾分か前にはようやく封印から解放された魔帝が、スパーダが人との間に成した息子によって再封印されたのだ。

 

 そしてベリアルもまたその男に敗北した。だが、瀕死の状態の時のことをほとんど覚えていない。次に彼の記憶が鮮明になったときには既にこの世界に来ていたのだ。

 

 意図せず霊界サプレスにやってきたとはいえ、悪魔たるベリアルの為すべきことはこれまでと何一つ変わらない。

 

「あの世界の愚か者どもはどう抗うのか、楽しませてもらうとしよう」

 

 すなわち、戦いである。

 

 リィンバウムに侵攻するのも悪魔の本能ともいうべき戦いを求めてのことだった。

 

 そのための準備は着々と進んでいる。サプレスとリィンバウムの間には結界が張ってあるようで自由に移動することはできない。もっともベリアルの力ならば穴を開けるくらいのことは難しくはないのだが、その前に配下を送り込んで状況を確認しているのである。

 

 独白しながら考えごとをしていると、不意に後方から天使の力を感じた。

 

「ふん、どうやらまだやるらしいな」

 

 振り向くと感じた力の通り天使たちがこちらに向かっていた。その理由は一つしかない。ベリアルの打倒である。

 

 ベリアルの存在を知った後、それぞれの魔王ごとにベリアルとも天使とも戦った悪魔とは違い、天使たちは一致団結しベリアルの打倒を第一として戦いを挑んできたのだ。そこに作為的なものを感じていたベリアルだったが、今となっては、もはやたいした問題ではない。

 

 なにしろその戦いの結果は天使の大敗北だったのである。しかしそれでも、まだ戦いを挑む力が残っているあたり、団結して戦うという彼らの選択は間違っていなかっただろう。

 

 ただ、どれだけ正しい選択をしようともそれが勝利に結びつかないのが戦いというものなのだ。

 

 実際、この戦いは僅かの間にベリアルの完全勝利で終結したのである。

 

 

 

 

 

 サプレスでそんなことが起こっているとなど知る由もなく、ゼラムに集まったバージル、アティ、ポムニットは夕食を囲みながら会話に花を咲かせていた。

 

「それで、みんなとも話したんだけど、そろそろ島の外を見せた方がいいと思うの」

 

「そうですよね、でもみんなだけで大丈夫でしょうか……」

 

 アティとポムニットが話しているのは島の子供たちに外の世界を見せるかどうかだ。そもそもアティが風雷の郷のミスミから教師をしてほしいと頼まれた時も、ミスミはいずれ外の世界の者と関わる時がくると話していたのだ。

 

 それを考えれば次の世代を担う学校の生徒達には、積極的に外の世界を見せたほうがいいと思い至るのは当然の帰結なのだが、問題はその方法だった。

 

「うーん、やっぱり誰か一緒に行った方がいいかなぁ」

 

 アティが悩んでいるのは生徒達だけで行かせるか、あるいは自分やヤードあたりが同行するか、という点だった。リィンバウムでは召喚獣だけで行動していれば「はぐれ」と見なされる可能性が高く、そうでなくとも召喚獣というだけで、色眼鏡で見られ、差別されることなど日常茶飯事だ。生徒だけで行かせることは相当のリスクが伴うのである。

 

 ちなみにその生徒とはミスミ息子のスバルとその友人の犬型の亜人バウナス族のパナシェ、花の妖精のマルルゥの三人だ。彼らはアティが初めて受け持った生徒であり、もっとも多くのことを学んでいたため、候補となったのだ。

 

「そういえばバージルさんはお一人でこの世界を回っていたんですよね。どうでした?」

 

 ポムニットがふと思い出したように思い出したように尋ねた。

 

「特に困ったことなどない」

 

 はっきりと断言する。バージルの見た目は普通の人間と変わらないため、こちらから何も言わない限り宿屋や店の利用には何も支障はなかった。路銀についても余裕のない時もあったが、傭兵として賊やはぐれ召喚獣の討伐等の依頼をえり好みせずに受ければ、まず困ることはなかった。

 

「まあ、バージルさんならそうでしょうねぇ」

 

 苦笑しながら言葉を返した。そもそもアティはバージルが困っている姿を想像することができなかった。彼女が持つバージルのイメージは無表情で不愛想だが、どんな時も冷静で迷わない男性というものなのだ。

 

「でも、もし先生がついて行かないなら自分の身くらいは守れるくらいはできないと……。今は悪魔も現れますし」

 

「うん、そこはしっかり教えるつもり。……と言ってもミスミ様がやる気だから、私は必要ないかもしれないけど」

 

 ミスミは今でこそ風雷の郷の長として落ち着いているが、若い頃は武芸に通じており白南風の鬼姫と呼ばれ随分と血気盛んだったのだ。それもあってか彼女は息子のスバルやパナシェ達を自ら鍛えると言い出したのだ。

 

「あはは……ちょっと同情しちゃいますね」

 

 ポムニットが苦笑いを浮かべながら言った。彼女も一時はスバルたちと同じようにアティやヤードのもとで学んだことがあるため、スバルの親であるミスミとも面識があった。それにスバルが彼女に稽古をつけられていた時に居合わせたことはあったため、その教え方の厳しさはよく知っていたのだ。

 

 そんな話をしながらしばらくして、テーブルに並べられた料理をあらかた食べ終えたあたりで、ポムニットはデザートを運んできた。

 

「このケーキどれもおいしいですよ! ぜひ食べてみてください」

 

 テーブルに置かれたケーキはパッフェルがバイトしているケーキ屋のものだった。大皿に並べられた様々なケーキを見たバージルはふと、あることを思い出した。

 

「アティ、以前島に来たヘイゼルという暗殺者のことを覚えているか?」

 

「えっと、……ええ、はい。覚えています。あの、無色の派閥と一緒に来た人ですよね」

 

 目を閉じて昔を思い出しながら答えた。

 

「そうだ。それで奴は島にいた時なにかあったか?」

 

 彼女から以前とほとんど変わりない姿についてははぐらかされ、その時はバージルもさほど興味がなかったため、詳しく追及しなかった。ただ、今は偶然にも昔のパッフェルのことを知っているだろうアティと話していたとき、そのことを思い出したため尋ねたのだ。

 

「いえ、あの人は怪我が治ってすぐに島を出ましたけど……。あの何かあったんですか?」

 

「少し前に会ったがほとんど老化してなかったのでな。少し気になっただけだ」

 

 島では何もなかったとすると、パッフェルがああなったのはそれ以後ということだ。案外蒼の派閥で仕事していることと何か関係があるのかもしれない。もしそうなら、彼女の雇用主たるエクスにでも尋ねてみればわかるだろう。

 

「あの、彼女……まだヘイゼルと名乗っていましたか?」

 

「いや、パッフェルと名乗っていた。今は蒼の派閥やこのケーキを出す店で働いているはずだ。会いたいなら行けばいい」

 

 今度は逆にアティから質問された。どういった意図があるかはわからないが、別に隠す必要もないのでバージルは自分が知っている情報を教えた。

 

「いえ、ちゃんと本名を名乗っているのが分かればいいんです」

 

 アティもパッフェルとはいろいろあった。彼女がバージルとの戦いの後、アリーゼと同じくラトリクスのリペアセンターに入院したため、よくお見舞いに行っていたのだ。

 

 入院した当初は全くと言っていいほど、将来のことが考えられずに自暴自棄になっていたようだが、かつては彼女と関わりのあったスカーレルや同じく入院していたウィゼルらの協力もあって、退院するころにはそういった考え方はしなくなっているように思えたのだ。

 

 そういったやり取りもあってアティは彼女からパッフェルという本当の名前を教えてもらったのだが、もしもいまだにかつての名前を使っているのだとしたら、まだ何か問題があるのではないかと心配していたようだ。

 

「……あ、おいしい」

 

 安心してケーキを選び、一口食べたアティが言った。どうやら口に合ったようだ。

 

「他にもいろいろありますから、よかったらどうぞ」

 

「ありがとう。……ところでこれ、よく食べてるの?」

 

 ポムニットがケーキの味を知っていたことを不思議に思ったアティが尋ねた。

 

「バージルさんが好きみたいで、よく届けてもらっているんです」

 

 それを聞いたアティは、バージルとケーキという似合わない組み合わせに少し驚いた。食べ物に関しては島に暮らしていた時から好き嫌いはないと思っていたため意外だったのだ。

 

「意外ですねぇ……甘い物が好きなんですか?」

 

「それなりにはな」

 

「なら私も少しは作れますよ。今度作りますね」

 

 あまり裕福な家の出身ではないアティだが、あらゆる礼儀作法も教える軍学校にいたこともあって、お菓子の類にもそれなりの知識があった。

 

 とはいえ、バージルはアティがお菓子を作ったところなど見たことなかったため、過度な期待は寄せぬように答えた。

 

「……まあ、期待せずに待っておこう」

 

「あ、それなら、私も手伝いますね!」

 

「ありがとう、二人でバージルさんにおいしいって言わせようね!」

 

 バージルの言葉で逆にやる気が出てきたのか、やけに気合を入れながらポムニットに言う。

 

 外はもう日が沈み、ゼラムの歓楽街はこれから更なる賑わいを見せるだろう。そして三人の会話も同じようにまだまだ盛り上がりを見せるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




アティ先生が来たところで、そろそろ2編の話は大きく動いていく予定です。

ちなみに次回は4月9日(日)に投稿予定です。

ありがとうございました。



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第43話 ファナンの戦い 前編

「ふう、とりあえずこれで終わりかな」

 

 ハヤトが肩で息をしながら周囲を見回し、敵がいないことを確認すると手にしたサモナイトソードを納めた。彼が今まで戦っていたのは、ここしばらくサイジェント周辺に現れているサプレスと魔界、二種の悪魔だった。

 

 どちらも一年ほど前の無色の派閥の乱の後からよく現れるようになったのだが、最近は同時に出現する上、あまつさえ互いを敵視していないのか、連携染みた攻撃をしてくる始末だ。

 

 それでも住民の被害が極めて少ないのは、一年前の戦いを経て経験を積んだ騎士団の功績によるところが大きい。魔界の悪魔への対処もアティとバージルがまとめたものを活用し、有効な戦術を確立していた。

 

 そして一年前の戦乱を共にくぐり抜けたハヤトの仲間達はそれぞれの道を歩んでいく者が多かった。レイドやラムダは騎士団へ戻り、蒼の派閥の召喚師であるギブソンやミモザは、聖王都ゼラムで新たな任務に就いているらしい。その他にも元々の暮らしに戻った者も少なくない。

 

 少しずつ周りの環境が変化していく中、新たな誓約者(リンカー)となったハヤトはサイジェントに留まり、己の務めを果たしていた。それにはエルゴの守護者であるカイナやエスガルド、それにエスガルドと共に暮らしていたエルジンという年少の召喚師も、各地の調査といった情報収集の面で協力していた。

 

 メイトルパのエルゴの守護者であるゲルニカは、その姿から調査を行うには不向きであるため、戦闘技術に関してはいまだ未熟なハヤトの護衛も兼ねて稽古相手を務めていた。

 

「お疲れ様です、ハヤト。怪我はありませんか?」

 

「ありがとう、クラレット。大丈夫だよ」

 

 クラレットも今まで戦っていたのに自分を気にかけてくれる彼女に礼を言った。

 

「とりあえず戻ろうか、さすがに今から稽古するってわけには行かないしさ」

 

 そうして二人は並んで歩き出した。

 

 今いる場所はサイジェントの外にあるハヤトがこの世界に来た時にいた場所だった。彼がゲルニカと稽古する時はいつもこの周辺ですることにしていたのだ。

 

 ハヤトがこうした稽古をしているのは一年前の一件で自分の未熟さを痛感したからだ。あの時アティやポムニット、バージルが来ていなかったら、果たしてあの魔王を倒すことはできただろうか。クラレットを守ることができただろか。

 

 ハヤトはバージルのような絶対的な力を欲しいと思ったことはない。それでも、自分の隣を歩く大切な人を守れるくらいの力は欲しかった。

 

 そうでなくとも今のハヤトにはリィンバウムと四界の間の結界を守り、いざとなればリィンバウムへの脅威を払う役目がある。カイナ達エルゴの守護者たちも協力してくれているが、それでもあまりにも大きいものを背負っていることは間違いない。

 

 それにはクラレットも協力しており、空席だったサプレスのエルゴの守護者を務めている。それは当然、少なくない危険に晒されることを意味する。

 

 もちろんそのことは彼女自身も承知の上であり、守ってもらいたいと思ってはいないだろう。それでもハヤトがクラレットを守りたいと思っているのは、くだらないかもしれないが彼の男としてのプライドからなのである。

 

「あ、そういえば帰りに買い物を頼まれているんでした。ハヤトは先に戻っていてください」

 

 サイジェントの門まで戻ってきたときクラレットはリプレに頼まれたことを思い出したようだ。

 

「いや、手伝うよ。これでも最近は鍛えているからさ。荷物持ちくらいは任せてくれよ」

 

「もう……、ご褒美は出ませんよ」

 

 ハヤトの申し出にクラレットはそう答えたものの、顔は嬉しそうに笑っていた。そうして二人で買い物に行くことにした。

 

 リプレから頼まれたものは主に食材だった。今フラットにいるのは一時より少なくなったとはいえ、それでも大家族と言っていい人数の料理には相当の材料が必要なのだ。

 

 そうして四件ほどの店を回ると頼まれたものは全て購入できた。

 

「えっと……うん、これで全部だな」

 

 ハヤトが最後に買った調味料の種類を確認しながら言った。今日、頼まれたものは主に生鮮食品といくつかの調味料だった。その量は買い物籠二つ分になったため、ハヤトが一緒に来ていなかったら、もとより体力的にはリプレよりも劣るクラレットは持って帰るのに苦労しただろう。

 

「やっぱりこういうのを買うと冷蔵庫があればなぁ」

 

 生鮮食品でいっぱいになっている籠を見ながら呟いた。小麦粉とは違ってこの類の食品は長持ちせず、また保存する方法もないため頻繁に買いに行かなければならない。ハヤトの故郷では一家に一台が当たり前な冷蔵庫が欲しくなるのもしょうがないだろう。

 

「確かにこういうものでも保存できるのは便利ですよね」

 

 ハヤトは無色の派閥の乱の後、一度生まれ故郷に帰っている。その時にはクラレットも同行したため、彼女もその世界のことはある程度知っているのである。

 

「よし! それじゃあ早いとこ戻ろうぜ」

 

 気合を入れ直して二つの買い物籠を持ったハヤトはクラレットと共に家路を急いだ。

 

 

 

 

 

 翌日、ハヤトはフラットのアジトである孤児院でクラレットやレイド、ガゼルと話をしていた。その話題は昼前に届いたエスガルドからの手紙についてだった。

 

 手紙の内容は彼とエルジンがいるのは聖王都ゼラムや港街ファナンがある中央エルバレスタ地方でも、こちらと同じように悪魔が現れていることが書かれていた。ただ、書き方からその頻度はサイジェントよりも高いような印象を受けた。

 

 それに旧王国との戦争が始まるとの噂や召喚師の連続失踪事件など、悪魔の一件がなくとも平穏とはほど遠いようだ。

 

「俺は調べてみるべきだと思う。根拠はないけど……何か、嫌な予感がするんだ」

 

 ハヤトは率直に思ったことを伝えた。

 

「……ふむ」

 

「けどよぉ、いくら嫌な予感がするからって、今すぐみんなで行くわけには行かないぜ。今日だってエドスの奴は仕事で来られなかったしよ」

 

 レイドは少し考えているようで相槌を打っただけだが、ガゼルは調査に出かけるのにあまり乗り気ではないようだ。エドスもレイドも最近は忙しいようで長期間仕事を休むのは難しいだろう。

 

 さらにみんないなくなればフラットに残るリプレたちは誰が守るのだろうか。今はガゼルかハヤト、クラレットの誰かは必ず残るようにしているからいいものの、みんなで調査に行くとなればそれもできなくなる。

 

「なら、ここは二人に行ってもらうのはどうだ?」

 

 そう提案したレイドも内心では現段階での調査には賛成しかねていた。確かに手紙の書き方ではサイジェント以上の頻度で悪魔が現れているように受け取れるが、それとて書き方次第だ。それに実際に頻繁に現れていたとしてもそれだけではわざわざ調査に行く理由にはならない、それが正直な考えだった。

 

 しかし同時にレイドはハヤトの言葉にも賛成できる部分があった。彼も現状に不安を抱いていたのである。だからこそハヤトとクラレットの二人に行ってもらうという譲歩案を提示したのだ。

 

「俺はそれで文句ないよ」

 

「私もかまいません」

 

 ハヤトは調べに行けるのなら文句はなく、クラレットも二人で行くことには異論はなかった。

 

「……チッ、しょうがねぇな。残っててやるから行ってこいよ」

 

 大事な仲間のハヤトがそこまで行きたいというのなら、ガゼルとしても強硬に反対するつもりは毛頭なかった。むしろクラレットの代わりに自分が一緒に行ってもよかったくらいだ。

 

「……悪い、ガゼル」

 

「へ、そう思うなら手ぶらで帰って来るなよ」

 

 自分のわがままを通したことを済まなそうに謝るハヤトにガゼルは冗談めかして言った。

 

「……決まりだな。私は船の手配をしておこう、二人は出発の準備をしておいてくれ」

 

 ハヤトとクラレットが頷くのを見てレイドは部屋を出て行った。それと入れ替わりにリプレが入ってきた。もともと防音など考えられていない建物だ。彼女に先ほどの会話が聞こえていても不思議ではない。

 

「二人とも出かけるのよね、それならいろいろ準備しないと!」

 

 リプレも二人が出かけることに寂しさを感じぬわけではないが、それ以上にしっかり準備して送り出して上げたいという気持ちの方が強かった。

 

「おいおいリプレ、まだ時間はあるだろ? そんなに急いでやる必要はないって!」

 

 気が急いているリプレを宥めようとガゼルの言葉を聞いた

 

「あんたと違ってクラレットは女の子なんだからいろいろ準備が必要なのっ! それじゃクラレット、ちょっと買い物行きましょう。あ、二人とも留守番よろしくね」

 

 リプレはそう言ってクラレットを連れて出かけて行った。

 

「……大人しく待つとするか」

 

「……そうだな」

 

呆気に取られてそれを見ていたハヤトとガゼルは、やはりリプレがフラットのヒエラルキーの頂点にいることを改めて実感するのだった。

 

 

 

 

 

 同じ頃、バージルは蒼の派閥の本部でエクスと会っていた。ここしばらくはアティが来たこともあって、黒の旅団やデグレア、そして悪魔に関連することから遠ざかっていたが、今日になってようやくバージルは動き出したのだ。

 

 黒の旅団、ひいてはそれを操る者が動き出すとすればそろそろだろう。既にゼラムを守る騎士団の動きが活発になっている。これは大規模な軍事行動の兆候と言える。ファナンが狙われていることを考慮すれば、そこへの増援の派遣といったところか。

 

 黒幕が何を考えているかは不明だが、ファナンが強化されるのを待ってから戦いを挑むなど下策中の下策だ。したがってファナンを攻めるとすれば、騎士団が動き出す前ということになる。

 

「なるほど……、トライドラは陥落、次はファナンか」

 

 エクスに会ったのはそれに関連して最新の情報を得るためだった。やはり組織のトップには情報が集まるものなのだ。

 

「そういうこと。この話は金の派閥のファミィ議長から受け取った親書に書かれていたことだけど、彼女からの報告でもそれを否定するものはないね。それに聖王家にも伝えられているはずだから、間違いないと思うよ」

 

「騎士の動きが活発なのもそのためか?」

 

 バージルの確認するような言葉にエクスが答えた。

 

「だろうね。騎士団を動かすくらいだから王家も信じていると思うよ。……それに、僕たちも協力することを決めたしね」

 

 思った通りファナンが攻撃を受けるのはもう間近に迫っているようだ。

 

 トライドラを陥落させ、ファナンを狙う。これは聖王国に対する旧王国の侵攻作戦と考えれば特段おかしなものではないが、旧王国が背後で暗躍する何者かの傀儡と化している以上、別の理由があると見た方がいいだろう。

 

 黒の旅団の狙いはアメルという少女だという話だが、さすがに少女一人のために正攻法でファナンを攻める必要はない。レルム村でしたようにファナンの街中に火を放ち、その混乱に乗じて殺すなり誘拐するなりすればいい。

 

(あの娘が狙いでないとすれば、陽動か、あるいはファナンそのものが狙いか……)

 

 推測はいくらでもできるが、そもそも黒幕の目的自体分かっていないのだ。正解へと辿り着けるはずがない。

 

「そうか、邪魔したな」

 

「……ファナンに、行くつもりかい?」

 

 席を立ったバージルにエクスが声を掛けた。

 

「必要ならな」

 

 短いながらもある意味ではわかりやすい答えだった。バージルの性格なら行くつもりがないならはっきりそう答えるだろう。このような言い方をしたということは十中八九ファナンに行くつもりだろう。

 

「もし行くなら気を付けてね」

 

 社交辞令的な言葉を告げながらエクスはバージルが退室していくのを見送った。

 

 バージルのファナン行は戦い間近の街に住む人々にとってこの上ない援軍になるはずだ。彼ならどんな相手でも鎧袖一触に違いない。

 

「でも、ファミィ議長は苦労するだろうなぁ」

 

 実のところエクスはバージルの振る舞いに腹心の部下からも苦言を呈されていた。最近はそうでないにしても以前の彼は禁書の保管室に頻繁に出入りしていた。

 

 蒼の派閥は表向き政治的関与を避けているが、水面下では聖王家と密接した関係を持っている。それゆえ、表に出すわけにはいかない出来事は少なくはない。エクス自身はバージルに知られたところで言いふらすわけはないと考えているが、さすがに部下はそうはいかない。彼らは派閥そのものすら揺るがしかねない機密の漏洩を心配してエクスに苦言を呈したのだ。

 

 自分のようなものではないにしろ、バージルが関わる以上、苦労はするだろう。だからこそエクスはまだ会ったこともない金の派閥の議長に同情するのだった。

 

 

 

 

 

 それから数日が経過した頃、マグナ達一行はファナンに戻っていた。ここ最近の彼らはアメルの祖父であるアグラバインが生きていることが分かったためレルム村に会いに行った。そこで彼から聞いた話を手掛かりにアルミネスの森を訪れた結果、マグナ、トリス、ネスティ、アメルを取り巻く因縁を思い知らされたのだ。

 

 とはいえ、既に彼らの中では一応の区切りはつけたため、黒の旅団の攻勢が始まろうとしているファナンに戻ってきたというわけだ。

 

「できるならファナンの無事を確認したらすぐルヴァイドと話をしに行きたかったのにね」

 

 トリスはマグナと歩きながら言った。二人はファナンの様子を確認したらバージルから聞いたデグレアの元老院のことについて、黒の旅団の指揮官のルヴァイドに会いに行きたかったのだが、街中デグレアが攻めてくるという噂で溢れかえっており、住民は怯えきっていたのだ。

 

「仕方ないよ、さすがにこんな状況じゃ……。まずは噂の出所を探らないと」

 

 ルヴァイドとまともに話すなど、戦いなしにそれができるとは思えない。つまり少なくともあと一度は黒の旅団と戦う必要があるのだ。しかし、ファナンの街中が混乱している現状では戦いどころではない。下手をすれば暴動といったことにも発展しかねない状況だった。

 

 これではデグレアとの戦いが回避できたとしても本末転倒であるため、マグナ達はこの噂の出元を探っていたのだ。

 

「……って言ってもさぁ、手がかりも何もなしじゃどうしていいかわかんないよ」

 

 トリスが溜息を吐きながら弱音を言った。トリス達以外にデグレアのことを知っているのはファナンの街を実質的に治めている金の派閥だが、その議長であり、彼女の仲間であるミニスの母親でもあるファミィ・マーンは混乱を避けるためという理由でデグレアの情報については一切を伏せることにした。この情報規制はかなり徹底しており、派閥の幹部にすら一部を除き伝えていないため、そこから漏洩したとは考えにくかった。

 

「そうだよなぁ」

 

 トリスの言葉にはマグナも同意した。さきほどから二人で下町や中央通りなど人が多い場所を念入りに調べてみたが、それらしい人物は見かけることはできなかった。

 

 そもそもずっと同じ場所で噂を広めているとは限らないので、とにかく人海戦術で探すしかないのである。

 

 愚痴を言いつつも先ほどまでと同じように調べていたところに、ネスティが慌てた様子で走ってきた。

 

「マグナ、トリス、こんなところにいたのか! 君たちも来てくれ、噂の出所を掴んだらしい」

 

 その言葉に先程までのやる気のなさはどこへやら、二人は真剣な様子で言った。

 

「うん、すぐに行く!」

 

「他のみんなは!?」

 

 ネスティの後ろをついて行きながらマグナは疑問をぶつけた。

 

「アメルに呼びに行ってもらっている、心配するな」

 

 答えに頷きマグナ達は人を避けながらできる限り急いだ。

 

 およそ数分で目的の人物を見つけたマグナは、その人物の名前を呟いた。

 

「レイム、さん……?」

 

 まさか見知った人物だとは思わなかったようで、マグナはもちろんトリスも驚いていたが、それでもレイムが噂を広めた人物であることにどこか納得できる部分もあった。

 

 きっとそれは、バージルからレイムが強い力を持った悪魔だということを聞いたからだろう。実はあの後、レイムについて護衛獣のバルレルやハサハに尋ねてみたのだが、二人ともあまり良い印象は持っていないようだった。

 

 さすがにそれだけで敵であると断定することはマグナにはできなかったが、それでも抱いた疑念はずっと心の片隅に残っていたのだ。

 

「これはこれは、お久しぶりですね。マグナさん、トリスさん。どうかされましたか?」

 

 レイムが柔和な笑みを浮かべて微笑みかけた。それは前に会った時から変わっていないが、バージルから話を聞いた今では彼の笑顔にはどこか侮蔑の感情があるように思えてならなかった。

 

「あなたはどうしてそんな、デグレアが攻めて来るなんて話を流しているんですか?」

 

「私は真実を話しているだけですよ。吟遊詩人としてね」

 

 マグナの問いにレイムは微笑をたたえたまま答えた。戦争が近いという話をしているのに笑みを絶やさないその様は、どこか不気味ですらあった。

 

「それならあなたが悪魔だって話は?」

 

「……どこでそれを?」

 

 トリスの言葉にレイムがさきほどからずっと浮かべていた笑みを消し、能面のような表情を浮かべた。

 

「質問に答えてくれ!」

 

「…………」

 

 声を荒げたマグナにレイムは一転、無言で再び笑みを浮かべた。

 

「二人とも気を付けろ、囲まれてる!」

 

 ネスティの言葉に反応して反射的に辺りを見回した二人は、いつのまにか黒の旅団の者達に囲まれているのに気付いた。数はこちらよりずっと多く、三人ではかなり厳しい。

 

「本来、こういったことは他の者に任せるんですけどねぇ」

 

 そう言ってレイムが兵士たちに命令を下そうとした時、アメルが仲間たちを連れて戻ってきた。彼女らと合流できれば数の不利はなくなる。そこで、兵士たちが仲間に気を取られた隙を見逃さずネスティは召喚術を発動させた。

 

「コマンド・オン、ギヤ・メタル!」

 

 召喚したのは「裁断刃機(ベズソウ)」というロレイラルの召喚獣だ。作業用の機体であるため決して戦闘力は高くないが、それでも囲みを崩すだけの効果はあった。

 

「トリス、ネスを頼む!」

 

 召喚術を使って隙だらけのネスティをトリスに任せ、マグナはベズソウが攻撃を加えた場所に突っ込んでいく。携えた剣に魔力を流して強化し、鎧で守られた兵士の脇腹に全力で叩き付けた。これがバージルなら鎧ごと兵士を両断できていただろうが、マグナでは鎧を完全に斬ることはできなかった。しかしそれでも、剣と鎧がぶつかった衝撃を防ぐことはできなかったのか、兵士は意識を失い倒れこんだ。

 

 そこに囲みを解かせないとばかりに周りの兵士がフォローに入ろうとしたが、それをバルレルとレオルドが抑え込んだ。さらにマグナに遅れて走ってきたトリスとネスティを守るために、陥落したトライドラの砦の一つ、ローウェン砦の守備隊長シャムロックが走っていく。

 

「ようマグナ、今のはいい一撃だったぜ」

 

 いつのまにかマグナの隣には旅を始めた頃からの仲間であるフォルテが立った。大剣を背負い、陽気に笑っているが周囲への警戒は怠らず隙らしい隙は見せていない。

 

「助かったよ」

 

 短く礼を言ったマグナは再び剣を構えた。仲間の方に視線を向けると、強力な召喚術の準備をしていた。自分たちが合流したら放てるように準備していたのだろう。

 

「お待たせしました」

 

「よし! 派手にやってくれ!」

 

 トリス、ネスティと二人に攻撃を仕掛けていた兵士を弾き飛ばしたシャムロックがマグナ達に合流した瞬間を見計らい、フォルテが合図を送った。

 

 仲間の召喚術がほぼ同時に発動し、メイトルパの竜やサプレスの天使、シルターンの鬼などが出現し、兵士たちに攻撃を仕掛けた。それが収まると同時に今度は白兵戦を仕掛けた。

 

 既に包囲網はほぼ崩壊し、周囲は敵味方入り乱れての乱戦の様相を呈していた。

 

 その様子はまるでこれからの未来を暗示しているようにも見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 




新年度で環境が変わった方も多い4月ですが、無事に投稿できました。今後も(少なくとも今年くらいは)二週に一度の投稿ペースは守っていければいいなと思っています

さて、次回は4月23日(日)に投稿予定です。

ご意見ご感想等お待ちしてます。

その他、何かありましたらメッセージをお送りください。

ありがとうございました。


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第44話 ファナンの戦い 中編

 ファナンの街でのマグナ達とレイムと彼が率いる黒の旅団の兵士の戦いに決着がつこうとしていた。初めこそマグナとトリス、ネスティの三人が兵士達に包囲されていたが、仲間の到着と召喚術の援護で戦いは一気に傾いたのだ。

 

「どうやら彼らはここまでのようですねぇ、いやはや、まったく情けない」

 

「もう決着はついた、あなたのやったこと全て話してくれ」

 

 マグナが問い詰める。しかし部下の兵士がやられたのにもかかわらず、彼はいまだ笑みを絶やしてはいなかった。

 

「逃がしはしない、ですか。……ふふふ、これは笑ってしまいすね。まさか、ただのニンゲン風情にこの私を止められるとお思いですか?」

 

 レイムがそう言った瞬間、マグナ達の周囲に魔獣が現れた。それを見たレイムは少し拍子抜けしたように言った。

 

「おや、どうやら私の出る幕ではないようですね」

 

 次いで今度は魔獣を追う形で屍人やシルターンの悪鬼に憑かれ操られている兵士が現れた。おそらく屍人はガレアノが、悪鬼憑きはトライドラを陥落させたキュラーという召喚師が、そしてレイムの周りの魔獣はシャムロックが守っていたローウェン砦を落としたビーニャという召喚師がそれぞれ操っているのだろう。

 

「あと少しで……」

 

「こんな時に……!」

 

 マグナとトリスがそれぞれ悪態をつきながら現れた屍人や悪鬼憑きを警戒するように、武器を構えた。周りの仲間も同じだった。

 

「レイム様……!」

 

「いいタイミングですよ、ビーニャ、それにガレアノにキュラーもよくやりました。……さあ、彼らに本当の姿を見せてあげなさい」

 

 その言葉にマグナ達の正面で、レイムを守る傘のように立っていた三人は嬉しそうに声を上げて笑った。しかし、その笑い声は人間のものとは思えないほどに歪んでいた。そして彼らの姿も徐々に歪んでいき、服だった部分もまるで肉体のように変質していった。

 

 特に変化が著しいのは顔であり、以前は普通の人間と変わりなかったものが、今は二本の角に三対の小さな目と、全くの別なものに変わっていた。ただ、三人ともかなり容姿が近いことを考えるに、この三人は悪魔の中でもかなり近い存在なのだろう。人間でいう親兄弟などの血縁関係に近いのかもしれない。

 

 いずれにしろ、彼らの魔力は伊達ではなく、人間とは比較にならない、まるで暴風のような魔力があたりに吹き荒れた。

 

「っ、なんて力……!」

 

 トリスが弱音を吐いた。いつも明るく前向きな彼女にしては珍しいことである。彼女たちはこれまで黒の旅団をはじめ、屍人や悪鬼憑き、魔獣とあらゆる相手と戦ってきたのだが、さすがにここまで人間離れした相手と戦ったことはなかった。

 

「っ……。君らしくないな、トリス。いつもの君はどこへいった」

 

 そこへネスティからの 咤の声が飛んできた。冷静な彼もあれほどの魔力を見て、決して平気ではなかったが、トリスを放っておけなかったのだろう。

 

「アメル、大丈夫か!?」

 

 マグナは苦しそうにしていたアメルに声をかけた。彼女はかつて悪魔と戦った豊穣の天使アルミネの生まれ変わりであるとはいえ、体は普通の人間と変わりないのだ。

 

「あ、あたしは大丈夫です。それよりも周りの人を助けないと……」

 

 アメルが心配するのも無理はない。彼らが放つ魔力の渦は、先程までの戦いを遠目に見ていたファナンの住人も巻き込んでいた。さすがにこの状態では身動きを取れないようだが、それでも呻き声や悲鳴は聞こえてくる。身動きが取れないことで逆に恐怖心が高まっているようだった。

 

 そんな人々の様子を満足げに見ながら、変化を終えたガレアノは凶器を含んだ声で告げた。

 

「さあ、これが我々の真の姿だ! ヒャーハッハッハ!」

 

「せめて少しは楽しませてから死んでよねッ!」

 

 ガレアノに続いてビーニャが狂ったように笑いながら心底楽しそうに声を張り上げた。そしてさらに冷たい声でキュラーが口を開いた。

 

「さて、それでは貴公らが悪魔と恐れる存在の力、存分に見せてあげるとしましょう」

 

 

 

「――では、見せてもらうとしよう」

 

 

 

「!?」

 

 今にも三体の悪魔が攻撃をかけようとした時、その声が響いた。キュラー以上に冷たさと無機質さを感じがしたが、マグナもトリスもその声から恐怖を見出すことはなかった。

 

 それはきっと声の主のことを知っていたからだろう。

 

「バージル、さん……」

 

 マグナとトリス、二人の声が重なった。二人が名を呼んだバージルはガレアノ達三体の悪魔のすぐ後ろ、ともすれば彼らに囲まれるような場所に立っていた。この絵面だけ見ればバージルが悪魔の親玉に見えるかもしれない配置である。

 

「ヒ……」

 

 果たしてその悲鳴のような声は三体の悪魔の誰からだったか。確かなことはその声がバージルを見た時に発せられたということだ。

 

 つまりはバージルを見て怯えたのだ。あれほどまでの魔力を持つ悪魔が。

 

「フン……」

 

 そんな悪魔の様子を見てバージルは期待外れだ、とでも言うように鼻で笑った。

 

 バージルはマグナ達とレイムが率いていた兵士達の戦いからこの場にいたが、実のところ彼は乱入するつもりはなかった。気が変わったのは目の前いる三人が悪魔の姿を見せたからだ。

 

 とはいえバージルは彼ら三人の悪魔とは直接顔を合わせたことはない。それでもゼラムに来たばかりの頃、レイムと会った時に控えていたらしい彼らを幻影剣で足止めしたことは覚えていた。今回はその時より、だいぶ強い魔力を持っていたため、暇潰しにちょっかいをかけたのだ。

 

 しかし期待外れだった。以前に幻影剣で遊んでやったのが効いているのか、彼らはバージルに対する戦意を失っていたのだ。ゼラムであった時は足止めのつもりで幻影剣を遠隔で操り、なますにしただけなのだ。人間ではないことは分かっていたから、その程度では死なないと踏んでいたのだが、どうやらそれがトラウマにでもなってしまったのだろう。彼らは人間に似たようなことをしてきたようだが、自分にされるのには弱いらしい。

 

 いずれにせよこれでは戦う意味などない。

 

 瞬時に姿勢を下げたバージルは右足を軸に回転し、左足で三体の悪魔の足を払う。体を支える柱を失った悪魔の体は宙に浮いた。そのままバージルは体を捻り今度は左足を地に着け、右足で回し蹴りを放った。

 

 宙に浮いた悪魔は右足一本に纏め上げられ、蹴り飛ばされた。悪魔はそれぞれ吹き飛ばされ配下の魔獣や屍人、悪鬼憑きに突っ込んだ。

 

 とはいえこれで死ぬことはないだろう。バージルとしては興味をなくしたため吹き飛ばしたに過ぎないが、万一にでもこれで戦意を取り戻せれば運がいいと思っていたのだ。

 

「まだ戦う気がある分、こいつらの方がマシだな……」

 

 主が襲われたことを認識したのか彼らの配下がバージルに攻撃を仕掛けてきた。こういった時には下手な知性など持たないほうが案外戦えるかもしれない。

 

(そして、奴らは逃げる、か……つまらんな)

 

 一人の悪鬼憑きを斬りながらレイムや悪魔の様子を見た。やはり戦う気がないのは変わらないようでこの場から離れようとしていた。

 

 しかし、バージル相手には戦うことすらできず逃げたとは言っても、聖王国という国家相手にここまでのことをしたのだ。彼らももう後には引けないだろう。

 

 さらに飛びかかってきた魔獣を閻魔刀の鞘で殴りつける。吹き飛んだ魔獣は建物の壁に激突に血の花を咲かせた。魔獣に限らず屍人も悪鬼憑きも血を流す。さすがに死人に悪魔を憑依させている屍人は血は流れても噴き出すことはないが、魔獣も悪鬼憑きも傷つければ血が噴水のように出るのだ。

 

 そのためこの周囲は文字通り血の雨が降っていた。しかし、その原因であるバージルは一滴の血も浴びてはいない。なにしろ基本的に一撃で致命傷を与え、すぐに次の標的のもとに移動するという方法で戦っていたため、血が付着することはなかった。

 

 一応構図としてはファナンを襲おうとした勢力をバージルが潰しているのだが、ファナンの住民が見ればバージルが味方とはとても思えないだろう。

 

 なにしろ彼が動くたび動くものが殺されていくのだ。正直なところ、味方というより得体のしれない人の皮を被った怪物と言った方がファナンの者達の思っていることを正しく表現しているだろう。

 

 とても戦いとは呼べない、バージルにしてみれば作業でしかなかった大量殺戮は、実際はほんの僅かの間に起こったことではあったが、ファナンの住民に戦いの恐ろしさをまざまざと目に焼き付けることになったのである。

 

 

 

 

 

 それから多少の時間が経ってもファナンの街は混乱していた。レイムが流した噂に加え、バージルが結果的にとは言え見せつけた戦いの恐ろしさ。それにより住民の多くは街から避難することを望むようになることは容易に想像できる。もちろん一部には何があってもこの街から離れないと言う者たちもいるだろうが、それは多数派にはなりえないだろう。

 

 その原因の一端となったバージルはマグナ達と共に銀沙の浜にいた。さすがにあの血塗られた場所で話をすることは憚られたのだ。

 

召喚兵器(ゲイル)、か……」

 

 そしてバージルは彼らからアルミネスの森で知った真実について話された。

 

 かつてリィンバウムには、大悪魔メルギトスが侵攻したことに端を発する戦乱があった。その時は当時最強と言われたクレスメント家が指揮を執り、天使など異世界からの助けを得て戦っていた。そしてクレスメントは友人であり、ロレイラルから亡命してきた融機人(ベイガー)でもあったライル一族の知識を借りて召喚兵器(ゲイル)という兵器を作りあげた。

 

 それは召喚獣をロレイラルの技術で改造したものの総称で、改造された召喚獣の意識をプログラムの統制下に置くことで高い戦闘能力を発揮させるというものだった。

 

 それだけに飽き足らずクレスメントとライルは、あまつさえ自らの意志で助力してくれた豊穣の天使アルミネを召喚兵器(ゲイル)に改造してしまった。当然、それを知った異世界の天使や鬼神将といった異界の戦友はリィンバウムの人間を見限ったのだ。以後人間は異世界の助けを得ることはなかったのだ。

 

 幸いメルギトスは召喚兵器(ゲイル)となったアルミネと刺し違えたが、これ以後、異世界からの助力は永きに渡って得ることはできなくなってしまった。だが、その事実は召喚師によって隠され、クレスメントは全てを奪われて追放され、ライル一族は召喚兵器(ゲイル)の知識を消され、監視下に置かれたのである。

 

 そして、そのクレスメントの末裔がマグナとトリスであり、ライル一族の生き残りがネスティ、そして豊穣の天使アルミネの生まれ変わりがアメルだというのだ。

 

(なるほど……、あの禁書はこのことを書き綴っていたのか)

 

 それ聞いたバージルは、以前蒼の派閥から持ってきた一冊の禁書のことを思い出した。

 

 バージルがレルム村に行くことを決めたのは、その禁書によってのことだったのだ。しかしその解読はアティが来たこともあって後回しになっていたが、どうやらもうその必要はなさそうだ。あとは暇を見て返せばいい。

 

「黒の旅団の目的は召喚兵器(ゲイル)を手に入れること。アメルを狙っていたのは封印の結界を破る鍵だったからなの」

 

 トリスの言葉を聞いたバージルは確かめるように言う。

 

「つまりそれは、あの悪魔どもの目的もその召喚兵器(ゲイル)というわけか」

 

 黒の旅団を、デグレアを操っていた黒幕は、レイムやガレアノ達悪魔であるということは既に双方の共通の見解だった。次の問題はなぜ一国を操ってまで召喚兵器(ゲイル)を手に入れたがる理由である。

 

 彼らの話を聞く限りでは、召喚兵器(ゲイル)の戦闘力は素体に左右される傾向がある。その上、豊穣の天使という名のある存在を素体にしてもサプレスの魔王であるメルギトスと相打ちになる程度にしか強化できないことを考えると、果たして悪魔が欲しがるものなのか、と疑問が残る。

 

「だが、そんなものを手に入れるために、奴らはわざわざここに攻め入るつもりなのか?」

 

 目的の召喚兵器(ゲイル)を手に入れるために、まず結界を破壊する手段を手に入れようとは随分気の長いことだ。少なくともバージルなら結界など力づくで破壊している。

 

「少なくとも奴らはそう考えているから、デグレアを使ってこの街を攻め落とそうとしているんだろう」

 

 バージルの疑問にネスティが答えた。

 

「無駄なことを……」

 

 仮に陥落できたとしてもアメルに逃げられてしまえば徒労に終わる。あるいはそれとは別の意味でもあるのだろうか。

 

「……それで、あなたはこれからどうするんですか?」

 

「今のところ何もするつもりはない。……だが、一つ忠告してやろう」

 

 バージルが柄にもなく忠告するのは、彼らから気になっていたことの答えを教えてもらったためだ。一応彼もそれなりの常識は持ち合わせていたようだ。

 

「俺の邪魔をするな。……死にたくなければな」

 

 ぞくりとするような冷たい声。この声を聞いたならガレアノ達が戦わず逃げ出したのも頷ける。

 

 それだけ伝えたバージルは返事も聞かずに彼らの間を抜けて銀沙の浜を後にした。

 

 

 

「お話は終わったんですか?」

 

「ああ」

 

 少し離れたところにはアティが待っていた。彼女とはゼラムから一緒に来ていたが、ファナンに来てからは彼女に宿の確保を任せ、これまで別行動をとっていたのである。

 

「それじゃあ、一度宿屋さんに行きましょうか。案内しますね」

 

 アティはバージルの手を取って宿屋のところに向かって行った。彼女も街中での騒ぎについてなど、いろいろ聞きたいことがあったが、それは腰を落ち着けてからと決めていたのだ。

 

 この街で何が起きているのかはアティにはわからないが、たとえ何が起きていようと黙って見過ごすつもりなど彼女にはないのである。

 

 

 

 

 

「何だかよくわからない人だね……」

 

 一方、バージルを見送ったトリスは率直な感想を口にした。背筋も凍るような声で忠告したかと思えば、知らない女性と一緒にどこかに行くし、どうもバージルという男がどういう人かいまいち掴めなかった。

 

「うん。……っていうか一緒に帰った人って誰だろう?」

 

 以前ゼラムのシオンの屋台でマグナが初めてバージルと会った時も女性と一緒にいたが、あの時の女性とは髪の色が違うため別人だろうと思ったのだ。

 

「さあ? 恋人じゃないの? 美人だし、結構セクシーな服着てたし……あの人、ああいうのが趣味なのかも」

 

 意外とむっつりなのかもと思いながらトリスが言うと、呆れた顔をしたネスティに怒られた。

 

「君はバカか? もう時間もないというのに何を言っているんだ……」

 

 その言葉がなければバージルはトリスのせいで自分の知らない内にニットワンピース好きにされていたかもしれない。それを阻止したネスティには感謝すべきだろう。

 

「でもさ、ネス、そんなに急がなくてもいいんじゃいないか? あの人のおかげであいつらの作戦は失敗したんだしさ」

 

 バージルが悪魔たちを撃退したのは間違いない。さすがにこれ以上噂が広がることはないだろう。そう考えていたマグナだが、彼の言葉はフォルテとケイナによって否定された。

 

「ところがどっこい、そうでもないと思うぜ」

 

「そうね。周りの人たち、みんな怯えていたもの」

 

「つまりだ、マグナ。あの旦那があいつらを徹底的に叩き潰しちまったおかげで、戦いが近いっていう噂が真実味を持っちまったってわけさ」

 

 フォルテの見解に同意するようにレナードが言う。彼はスルゼン砦にいた召喚師に呼び出されたらしいが、その召喚師が死んでしまったため元の世界に帰る術を失い、マグナ達と行動を共にすることにしていたのである。

 

「それによ。そもそも奴さん、わざと噂の出所を掴ませたのかもしれないぜ。なにせ一日も経たずに出所が分かっちまったんだからな」

 

 バージルにその意図はなかったにせよ、彼の行動は結果的にレイムの望み通り噂を広めるのを助けてしまったということになる。

 

 しかし、だからと言って全てレイムの予想通りかというとそうではないだろう。本来の彼の計画なら戦うのはマグナ達とだけであり、バージルと出会うことなど想定していなかったに違いない。彼らが慌ててバージルから逃げて行ったことがそれを証明している。

 

「それに奴らは僕たちに正体を見せた。きっとあの場で僕たちを殺そうとしたのだろう。でもそれはできなかった。……となれば彼らが恐れることは何だと思う?」

 

 ネスティの試すような言い方にトリスはう~、と唸りながら考えて言った。

 

「正体がばれることとか……?」

 

 その言葉がきっかけとなって答えがわかったのか、マグナは声を上げた。

 

「あ、そうか! ルヴァイド達に悪魔だってばれることだ!」

 

「そうだマグナ、ファナンを落とすには黒の旅団が必要なんだ。でも、もし僕らが奴らの正体を伝えたら、少なくとも彼らは協力することはないだろう」

 

 大きく頷いて言ったネスティに続き、シャムロックが口を開いた。

 

「それにデグレアの元老院も屍人と化して、操られていたことを知ればファナンへの侵攻を止めることも不可能ではないかもしれません」

 

「もちろんそれは、奴らも分かっているだろう。だからその前に攻撃を開始しようとするはずだ」

 

 それはレイムにとっても苦渋の決断だろう。放っておけば広がっていく噂によってファナンを離れる者が出て、都市機能が麻痺することも考えられるのに、今攻撃するということはせっかく噂を広めたのが無駄になってしまう。

 

「兵に命令する時間も考えれば、攻撃開始は早くて夕方ぐらいでしょう。戦いが夜まで長引くのを嫌うなら明日の朝になるかもしれませんが……」

 

 シャムロックはローウェン砦の守備隊長に任じられていた男だ。剣の腕だけでなく戦術全般の知識、経験も豊富だ。そこから彼は黒の旅団の攻撃開始時期を割り出した。

 

「いやシャムロック、それはないと思うぜ。あいつら夜にも村を襲っているしな」

 

 基本的に夜間の戦闘は昼間に比べ視界が制限されるため、不意の遭遇戦になりやすい。そのため、数的優位を活かした戦術を取りにくくなるのである。しかし、黒の旅団は現にレルム村を夜間に襲撃し僅かの間でほぼ全ての村人を殺害している。おそらく夜間戦闘の訓練を十分に積んでいるのだろう。

 

「それなら、今すぐにでも行かなくちゃ!」

 

 ようやく時間がないことを悟ったトリスが焦ったように声を上げた。

 

「そんなことはわかっている。しかし、何も考えずに出て行ったところで包囲されるだけだ。まずはどう近づくか考える必要があるだろう?」

 

「……確かにそうね」

 

 ネスティの言葉に納得したのかトリスは少し落ち着いた様子だ。

 

 そうして仲間と共に考えているうちに時間は過ぎていく。

 

 ようやく考えがまとまったときには既にタイムリミットギリギリで彼らは急いでファナンから出て行った。

 

 

 

 

 

 アティが確保した宿屋は下町の飲食店街にあった。このあたりはファナンに金の派閥が投資する前の漁村だった時代から存在し、それ故ファナンに対する愛着が強い者が少なくない。

 

 それもあってか、この飲食街においてはいつも通り営業している店が多かった。中央通りでは営業していない店が多かったのとは対照的だ。

 

 とはいっても、やはり人は少ないようでどこの飲食店でも客は数えるほどしかいない。いまのところ都市機能に影響はないとはいえ、確実にファナンを訪れる者は減っているようだ。

 

 そんな状況で二人は確保した宿の一室にした。ここは飲食店も一緒に経営している店のようで上の階を客室として提供しているのだ。

 

「街の人の話からそんな感じはしていましたけど……やっぱり、そうなんですか……」

 

 アティはバージルからファナンの状況を聞いていた。考えていた通りとはいえ、深刻な事態には変わりない。不安になりながらも、ポムニットを連れて来なかったことは正解だったと思った。そのポムニットとしては二人と共に来たかったようだが、目的地のファナンは戦いが近いという噂がゼラムにも聞こえていたため、連れて来なかったのだ。

 

「もう話し合いでどうにかなる段階ではないな。……言っておくが、無駄なことはするなよ」

 

「分かっています……。でも、何か私にもできることはあると思うんです」

 

 戦いが避けられないことはアティも理解していた。それでも彼女の性格上、やはり何もしないという選択肢はないようだ。

 

「そうか。……もっとも、いつ戦いが始まるかはわからんがな」

 

 こればかりはバージルにも予測はできない。もちろんもうすぐ始まることは分かるのだが、より具体的な時期については、何も絞り込む情報もないため、極端な話、今から始まってもおかしくないし、逆にまだ数日の時間があるかもしれないのだ。

 

 今思えばマグナやトリス達は自分よりもあの黒の旅団に関わっているようだったから、何か知っているかもしれない。

 

(いや、どうせ俺には関係ないか……)

 

 バージルが黒の旅団を調べていたのは言ってしまえば暇つぶしなのだ。一応、サプレスの悪魔が絡んでいることが分かってからは、もしかしたらサプレスに現れた魔界の悪魔も関係しているのでは、と淡い期待を抱いていたが、今のところそれについてはハズレのようだ。

 

 結局のところ、ファナンがどうなろうとバージルの知ったところではないのである。いつものように邪魔をするなら容赦しないが、そうでなければそれぞれが勝手にやっていればいいとさえ思っていた。

 

 もちろん戦いの中でそれなりの力を持った存在が現れたなら、自分と戦わせるつもりでいるが、今のところその兆候はない。あのレイムとかいう悪魔も何か企んでいるようだが、果たしてバージルの目に適う力を持つかは疑問符が付くところだ。

 

「……それで、俺の部屋はどこだ?」

 

 これ以上の考え事は自分の部屋でするかと思い、アティに尋ねた。

 

「もしかして一緒の部屋じゃ嫌、でしたか……?」

 

 アティが不安そうな顔になりながら上目遣いでバージルを見た。

 

「そうではないが……」

 

 バージルはこれまでアティとは長い付き合いだが、カイルの船で生活していた時も、島の彼女の家で生活していた時も部屋は別々だったので、今回も深く考えずに別の部屋を取ったと思ったのだ。

 

「それなら一緒の部屋、でも……っ――」

 

 そこまで言ってアティははっとした。自分が何をしたか思い至ったようだ。みるみるうちにアティの顔が赤くなっていく。

 

「ち、違いますっ! 私、そういうつもりじゃなくて……」

 

 手を振って慌てて否定する。「そういう」とはどういう意味なのか、バージルは理解に苦しみながら、とりあえずアティが落ち着くまで待つことにした。こういう時は下手に触れてもいいことはないということをこれまでの付き合いから知っていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 




次回の投稿は5月7日(日)に投稿予定です。

ご意見ご感想等お待ちしてます。

ありがとうございました。


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第45話 ファナンの戦い 後編

 マグナ達はファナンの外に広がる大平原に布陣する黒の旅団の指揮官ルヴァイドと相対していた。後方支援型の機械兵士もいる黒の旅団がマグナたちの接近に気付かぬはずがない。おそらくかなり前から存在には気付いていたはずだ。

 

 にもかかわらずこうして直接指揮官であるルヴァイドが迎え撃つということは、おそらく結界を破る「鍵」たるアメルを万難を排して確保するためだろう。

 

「……レイムさんはいないみたいね」

 

「ああ。……だが、いたとしてもまともに話ができる状態ではないだろう」

 

 小声でトリスに話しかけられたネスティはいつものように冷静に返した。

 

「ルヴァイド、話を聞いてくれ!」

 

「問答など無用! 鍵である聖女を目の前に黙っているわけにはいかぬ!」

 

 ネスティの言葉通り、今のルヴァイドはこちらの話など聞いてはくれないだろう。それはマグナの言葉を一蹴していることも明らかだ。

 

 ルヴァイドの言葉を合図として彼の周りにいた兵士たちが一斉に武器を構える。それはマグナたちも同様だった。

 

「こっちだって、ただやられるために来たわけじゃないんだ!」

 

 マグナは剣を振りかぶって斬りかかった。ルヴァイドはそれを悠々と受け止めた。

 

「いいかルヴァイド、お前たちは悪魔に操られているんだ!」

 

「下らぬ戯言を……!」

 

 ルヴァイドはマグナの剣を押し返し、袈裟懸けに大剣を振り下ろした。

 

「ぐっ……!」

 

 最初の一撃は受け流したマグナだったが、実戦に裏打ちされたルヴァイドの力強い変幻自在の剣撃に攻め手を失い防戦一方となっていた。経験の差がもろに出る形となってしまったのだ。

 

「マグナ!」

 

「む……!?」

 

 そこへトリスが召喚術で援護があり、マグナはルヴァイドと距離を取ることができた。

 

「お願いだから話を聞いて、ルヴァイド! あなたたちは――」

 

「くどい!」

 

 その一喝でトリスの言葉を遮ったルヴァイドはマグナとトリスに向かって距離を詰めてきた。他の仲間も兵士達の相手で手一杯だ。応援は望み薄だろう。

 

「いい加減にしろ! デグレアもレイムたち悪魔に操られていたんだ、俺達が戦う意味なんてもうないんだよっ!」

 

 ルヴァイドの剣を、渾身の力を込めて受け止めたマグナが叫ぶ。

 

「……!」

 

 その言葉を聞いたルヴァイドは目を見開いた。それはこれまで見たことのない、明らかに動揺した姿だった。

 

 ルヴァイドが目を瞑りマグナと打ち合っていた剣から力を抜いた。おそらく彼はマグナ達の話を聞く気になったのだろう。そして剣を降ろしたルヴァイドは口を開いた。

 

「話は――」

 

 その瞬間、戦場となっていたこの一帯に黒い刃が襲い掛かった。それは闇の力を持った無数の武器を召喚する「ダークブリンガー」と呼ばれる召喚術であった。

 

「まったく……、命令通りに行動していただかないと。ねえ、ルヴァイド?」

 

「レイム……!」

 

 ダークブリンガーを発動させた張本人であるレイムが涼しい顔で現れた。後ろにはガレアノたちも付き従っている。どうやらルヴァイドとの戦闘に集中し過ぎていたせいで彼らの接近に気付かなかったようだ。

 

「まあ、いいでしょう。ファナンへの攻撃命令は私が下しましたし、あとは……」

 

 攻撃命令を出したことについてルヴァイドは特に疑問に思わなかった。レイムは元老院議会の決定で派遣されており、兵に命令できる権限は彼も持っているのだ。

 

 そしてレイムはいつものような笑顔を崩さず言った。

 

「邪魔なあなたたちを処分すれば、全て丸く収まるのですよ」

 

 その言葉と共に背後に控えていた三人の悪魔がファナンで見せた姿に変化した。

 

「ひゃーっはっはっは! さあ――」

 

 気色悪い笑い声をあげたレイムだったが、その言葉を最後までいうことはできなかった。

 

「何、あいつら……?」

 

 あたり一面に大悪魔が現れたのだ。それも現れたのは魔界とサプレス両方の悪魔だ。さらに悪いことに現れた数は尋常ではなかった。いくら弱い下級悪魔とはいえ、百や二百では到底足りないほどの数だ。

 

 そして悪魔は時間に比例するように、今この瞬間も新たな個体が出現し続けており、大草原を覆いつくさんばかりにその数を増やしていた。

 

 ルヴァイドはこの大量の悪魔を召喚したのがレイムだと考え、彼に詰め寄った。悪魔はレイムの言葉とほぼ同時に現れたのだ。彼が呼び出したと考えても仕方がないのかもしれない。

 

「レイム! 貴様、どういうつもりだ!?」

 

 現れた悪魔を見ながら、無表情で考え事をしていたレイムだったが、その言葉によって思考を打ち切らざるを得なかった。それに対する怒りもあってレイムは、いつもは見せない冷たい声で言った。

 

「ニンゲン風情が……鬱陶しい」

 

「っ!」

 

 しかしルヴァイドは距離を詰める前にレイムの放った攻撃を受けてしまった。さすがにルヴァイドといえど近距離から放たれた一撃には、吹き飛ばされた体を守ることしかできなかった。

 

「ルヴァイド様!?」

 

 その様子を目にしたイオスは声を上げ上官のもとへ駆け寄った。彼の後ろにはゼルフィルドもついている。

 

「さあ行きましょう。もうここには用はない」

 

 レイムはそう配下の三人の悪魔に伝えると踵を返してこの場を去って行った。途中、何度か悪魔に攻撃されていたようだったが、やはり少数の下級悪魔では相手にもならないようだ。

 

 それにルヴァイドやマグナたちも、いつまでも見ているだけというわけにはいかなかった。悪魔の出現はようやく打ち止めとなったもの、彼らはファナンに向かう者達と大平原にいる者を狙う者に分かれたのだ。

 

「密集しろ! 前に出るな!」

 

 ルヴァイドの指示が飛ぶが、それで動いたのはほんの一部だけだった。他の大多数はレイムの命令に従って進軍していたため悪魔によって分断され、彼の命令が伝わらなかったのだ。

 

 さらに悪いことにルヴァイドとイオス、ゼルフィルドの三人だけ孤立してしまったのだ。これでは直接指揮もできない。

 

 そして孤立しているのはルヴァイドたちだけではなかった。マグナたちも悪魔に囲まれてしまっていたのだ。それでも仲間とはぐれることは無かったのが不幸中の幸いだろう。

 

「ルヴァイドさんが……! 助けられませんか!?」

 

「気持ちは分かるが不可能だ!」

 

 ネスティが叫ぶ。

 

 自分を狙っていた者の命すら何とか救おうとするアメルは、紛れもなく天使の生まれ変わりで慈愛の心を持つ聖女だと言えるだろう。しかし、今の状況で彼女の望みを叶えるのは難しそうだった。

 

 アメル達とルヴァイド達の距離は全力で走れば十秒もかからない距離だ。しかし、その間には多くの悪魔がそれぞれを殺そうと向かっているのである。

 

 マグナ達の方は数が多いとはいえ、襲い掛かる悪魔の数はルヴァイド達よりも多く、現時点では守りに徹さざるを得ない。対してルヴァイドはレイムから攻撃の影響でいつもの実力を出せないようで、イオスとゼルフィルドがカバーして辛うじて持ち堪えている状態だった。

 

 しかし、どちらにも増援の見込みなどはあるわけがない。今現在、攻撃されているファナンから増援など来るわけはなく、間もなく到着する予定だったデグレアからの本隊もレイム達が引き上げたことを考えると、わざわざ黒の旅団を救援するために来るとは考えにくい。

 

 結局、この状況を打開するには目の前の悪魔を最後の一体に至るまで打倒する必要があるのだ。果たしてそれまで戦うことができるのか、甚だ疑わしいところではあるが、もはや彼らにそれ以外の道など思いもつかなかったのである。

 

 

 

 

 

 悪魔が現れる少し前、バージルとアティは宿の一階の飲食店で早めの夕食を食べていた。出される料理はいかにも大衆料理といったもので、値段の割にボリュームがあり味も上々だった。

 

 いつもであれば仕事が終わった漁師や港で働く労働者たちが食事や酒を飲みに来て混み始めるのだろうが、今は戦いが近いという噂が広まっていることも関係するのか、客はバージルとアティの二人しかいない。

 

「ごちそうさまでした」

 

 律儀に手を合わせてそう言うあたり、生徒の手本とならねばならない教師という職業は彼女の天職なのだろう。

 

「……終わったか」

 

 彼女が食べ終わったのを見たバージルは、足を組みながら読んでいた本を閉じた。宿の料金に食事の代金は含まれていないが、既に勘定は済ませていた。注文した料理が来た時に支払っていたのだ。混雑した時はさすがにこうはいかないだろうが、どうせ客は自分たちしかいないため、店員も多少の便宜を図ってくれたのだろう。

 

「まだ早いですけど、戻りましょうか?」

 

「ああ」

 

 アティの提案にバージルは頷き、二人は連れ立って部屋に戻ることにした。まだ日も沈んでいないが、彼らには特にすることがなかったため今日は出歩かずゆっくりすることにしたのだ。

 

 部屋に戻ったアティは、自分の荷物から袋に入った何かを取り出して言った。

 

「バージルさん。実は私、お酒を買ってあるんです。一緒に飲みませんか?」

 

 ゼラムから出発するときはそんな物を準備していなかったため、ファナンで別行動をしていた時に買ったものだろう。

 

「……たまには付き合ってやろう」

 

「はい! それじゃグラスか何か借りてきますね」

 

 嬉しそうにそう言って、アティは器を借りるため部屋を出て行った。それをベッドに座りながら見送ったバージルは、先ほども読んでいた本を取り出し、彼女が戻ってくる間に区切れのいいところまで読むことにした。

 

 二人が泊まるこの部屋はお世辞でも広いとは言い難い部屋であり、ベッドが二つある他はその間に小さなテーブルが置かれているくらいだ。

 

 そしてバージルが本を開いたところである存在の気配に気付いた。悪魔の気配、ファナンの外からだ。数はかつて島で悪魔が大量に現れたときに匹敵するほどの規模だ。

 

(大当たり、と言ったところか)

 

 どうやらファナンに来るというバージルの判断は正しかったようだ。この悪魔の出現が意味するところは、サプレスにいるという悪魔がとうとう動き出したということだろう。魔界の悪魔に混じってサプレスの悪魔がいるのがその証拠だ。

 

 そう考えている間に悪魔の出現は止まったようだ。バージルは開いた本をぱたんと閉じてテーブルの上に投げ捨てると、椅子から閻魔刀を手に立ち上がった。

 

「お待たせしました! ……って、どうしたんですか?」

 

 グラスを二つ持ったアティが部屋に戻ってきた。閻魔刀を持ったバージルを不思議に思った彼女は素直に尋ねた。

 

「外を見ればすぐにわかる」

 

「はあ……」

 

 大人しくバージルの言葉に従い、窓から街の正門や大通りの方向を見たアティが目を凝らして見たものは、門を超え周囲の壁を越えてファナンに侵入してくる悪魔の姿だった。

 

 かなり距離があるため辛うじて悪魔であることが分かる程度だが、それでもただならぬ事態であることには変わりない。

 

「バージルさん! あれって……って、どこ行くんですか!? ここは二階――」

 

 驚いたアティがバージルに確認しようと振り向いた時、彼はもう一つの窓に足を掛けていたところだった。確かに一旦部屋を出てから外に行くより早いかもしれないが、窓はそのように使うためにあるのではない。

 

「酒は俺の分も残しておけ」

 

 もっとも、そんなことなどバージルが気にするはずもなく、あっさりと窓から飛び降りてしまった。着地する瞬間には姿を消していたから彼お得意のエアトリックで悪魔のもとへ行ったのだろう。

 

「もうっ……私はバージルさんと飲みたいんです!」

 

 ここにいない男に文句を言いながらアティは部屋から出て行った。もちろん目指すはバージルのところである。彼女はそのためについてきたのだから、彼が何と言おうと一緒に行くつもりなのである。

 

 

 

 

 

(こんなものか……)

 

 バージルは複数の幻影剣を、自分を中心として円陣に配置、回転させながら閻魔刀を振るっていた。一時は正門から大通りを全体の三割ほどまで侵攻した悪魔だったが、バージルが現れてからは一歩も進めないどころか、逆に彼が正門まで進むのを許す始末である。

 

 ちなみにまだバージルが戦い始めてから三分も経っていない。これを悪魔が弱すぎるせいと見るか、バージルが強すぎるせいと見るかは人それぞれだろう。

 

 とはいえバージルによって殲滅させられたのは、ファナンに侵攻した悪魔の多数が進んだ大通りとバージルが来た下町があるファナンの東側にいる悪魔だけであり、西側に向かった悪魔はまだ生きている。しかし、それもたいして強くない存在のため、いずれは街を警備する者の手で排除されるだろう。

 

(後は街の外だけか)

 

 正門の周りにいた悪魔を閻魔刀と幻影剣で片付けながら、バージルは一人呟いた。そこへ息を切らせたアティが走ってきた。いつの間にか碧の賢帝(シャルトス)を抜いているところを見ると、おそらくどこかで悪魔と戦闘になったのだろう。

 

「戦いに行くのに文句は言いませんから、せめて出て行くときはドアを使ってください!」

 

「……そんなことよりいいのか? 悪魔はまだ街の中にいるんだがな」

 

 バージルがわざわざそう伝えたのは、アティに街の外の戦いへ参加させないためであった。それは別に彼女のことが心配というわけではなく、あくまでも戦いの邪魔させないためだ。

 

 街の外には黒の旅団がいるはずであり、悪魔が現れたことによって彼らもまた戦っていることだろう。ところがバージルは、外にいる者のことなど全く考慮するつもりはなく、かつてサプレスの軍勢を殲滅した時のように力を振るうつもりだったのだ。

 

 つまりはバージルの攻撃に巻き込まれる者が発生するということだ。これをアティが知ればうるさく文句を言ってくるのは目に見えているため、わざわざ街に潜り込んだ悪魔のことを伝えたのだ。

 

「そんな落ち着ている場合じゃないです! どこにいるんですか!?」

 

「向こうのあたり、ちょうどあれの近くだ」

 

 バージルは悪魔のいる西の方向、ファナンの中でも一際大きな建物のあるあたりを指し示した。

 

「あれは……金の派閥の本部ですね。わかりました!」

 

 どうやらバージルが目印としたものは金の派閥の本部だったようだ。金の派閥は金銭的な利益を追求する召喚師の集団であり、召喚術に対する考え方の違いからか蒼の派閥とは相容れない関係にあるようだ。

 

(確か、エクスが受け取った親書の送り主が金の派閥の議長だったか)

 

 ふと、ファナンに来る前に会ったエクスの言葉を思い出した。バージルがファナンを訪れるきっかけの一つのなったのが、金の派閥の議長ファミィ・マーンが送った親書なのだ。

 

 どんな人物か少し興味が沸いたものの、今は街の外の悪魔と戦うのが優先だと考えたバージルは足に力を込めて高く跳躍した。そして、そのまま正門を飛び越え一気にファナンの外に広がる大草原へ降り立った。

 

 バージルが着地した瞬間、現れた悪魔の七割ほどがバージルの方を見た。どれも魔界の悪魔だ。おそらくスパーダの血族の力でも感じ取ったのだろう。

 

(奴らの生き残りはなし……いや、僅かに残っているか)

 

 どうやら黒の旅団の者はほぼ全てが悪魔に殺されたようだ。一応、バージルとは随分離れたところにルヴァイドら三人となぜか、マグナやトリス、そして彼らの仲間がいるようだった。

 

 遠くにいるマグナ達までは巻き込むような攻撃はするつもりはないため、結果論ではあるがアティを参加させても問題なかっただろう。

 

「……まあいい」

 

 仮定のことなど考えても仕方がない。バージルは閻魔刀ゆっくりと抜いた。

 

 そして、逆袈裟に振るった。いつものようにコントロールされていない力は巨大な斬撃となって悪魔を消し飛ばした。

 

 だが、それだけでは終わらない。有り余った斬撃の力は容赦なく大草原の地形をも変えた。緩やかな丘陵が続いていた草原に深く長大な亀裂が刻まれたのだ。これがギルガメスを使っていればクレーターどころか、このあたり一帯が陥没していたかもしれないし、使いようによってはデグレアの大絶壁のようなものができていたかもしれない。

 

 しかしそれ以上に恐ろしいのが、バージルにとっては今の斬撃はスケアクロウなどの下級悪魔と戦う時と同程度の力しか使っていなかった。要は全力ではなく、小手調べの段階なのだ。

 

「いつかの愚か者共よりはマシか……」

 

 納刀しながらぼそりと呟く。今の斬撃でバージルという存在の危険性を悟ったのか、サプレスの者も含めすべての悪魔がバージルに向かってきた。それ自体は褒めるべきことだろう。

 

 かつてこれと同じような力を目にした悪魔の軍勢は恐怖に駆られ逃げ出したことを考えれば、立ち向かうだけ上出来だ。もっとも、その行動は彼らの残りわずかな寿命をさらに縮めることを意味しているのだが。

 

「さて、どこまで生き残れるか試してやろう」

 

 そう言い放った瞬間、バージルの姿は一瞬で消え去った。戦闘において頻繁に使う移動術のエアトリックだ。そして姿を現したのは敵の中心だった。

 

 間髪入れず閻魔刀を抜刀し、横一閃に斬撃を飛ばす。それだけで周囲の悪魔は両断された。彼らは自分が死んだことはおろか、何が起きたかすら理解できなかったに違いない。

 

 さらにバージルは返す刀で一回、二回とさらに斬撃を飛ばす。先ほどの斬撃も含め、バージルは込めた力と斬撃の効果範囲の関係を観察しながら斬撃を丁寧に放っていた。しかし、それ故にバージルにしては遅い攻撃だった。もっとも、バージルは次元斬など常軌を逸した速度での攻撃をしていたため、相対的に遅いというだけだったが。

 

 そうして数回、悪魔に攻撃を加えたバージルは、右手の閻魔刀をくるりと回し逆手に持ち替えた。そして、赤い夕焼けを反射し煌めいた刀身を鞘に納めた。生まれ持った力だけに頼らず、研鑽を積んできた者が至る堂に入った動きだ。この一連の動作だけでもバージルという男の卓越した技量が分かるだろう。

 

「…………」

 

 バージルは敵が死に絶えた草原の中を無言で佇む。息一つ、髪の一本すら乱れていない。同じ悪魔と戦っていたマグナ達が傷を負っていたり、息を切らしていたりするのとは対照的だ。

 

 表情からはそうは見えないが、バージルはそれなりに満足していた。全力とは程遠い力でしか戦っていないが、普段ほとんど行わないような力の使い方を試せたのだ。それだけでも意味はあった。

 

 街の中に残っていたはずの悪魔の力も感じない。

 

(アティがうまくやったか)

 

 今回の目的を全て果たし、もうここには用はなくなったバージルは踵を返す。

 

 もう間もなく日没だ。しかし、アティが買ってきた酒を飲む時間はまだ十分にありそうだった。

 

 

 

 

 

 バージルとアティが宿に戻ったのはほぼ同じ時間だった。彼女の方も金の派閥の議長の助けもあり、民間人の被害はなかったようだ。その関係でアティは議長のファミィから、改めてお礼をしたいから明日本部に来てほしい、と言われたらしい。

 

 ちなみに被害が少なかったのは金の派閥本部のあるあたりは下町地区とは対照的に、派閥に属する召喚師や富裕層の居宅があるエリアであるため、広さの割に住む人はそれほど多くはない。その上、召喚師は派閥に召集されているし、富裕層の一部にはファナンを離れている者もおり、いつもにもましてさらに人は少なかったのだ。そうした種々の要素が重なり奇跡的に人的被害はなかったのである。

 

「お疲れさまです。そっちも大変だったでしょう?」

 

 自分のベッドに腰かけバージルと向かい合う格好となったアティは彼のグラスに酒を注いだ。被害はなかったからか、彼女は少し嬉しそうだった。

 

「雑魚の集まりだ。あれがいくらいたとしても意味はない」

 

「そんなこと言えるのはバージルさんだけですよ」

 

 今度は自分のグラスに注ごうとしたアティだったが、バージルによって酒瓶を取り上げられた。

 

「え?」

 

 一瞬、驚いたがどうやらバージルが注いでくれるようでアティは予想外のことに目を瞬かせながらも「あ、ありがとうございます」と礼を言った。これまでのバージルはそんなことした例などなかったため、少し戸惑ってしまったのだ。

 

 そもそも今のバージルは少しばかり機嫌がいいように感じられる。とはいえ、それは付き合いの長いアティだから分かったようなもので、傍から見ればいつもと変わりなく見えるだろう。

 

「それじゃあ、乾杯しましょう」

 

 今日の戦いを無事に終えたことを祝して、乾杯しグラスを軽く合わせた。そして中の酒を一口飲み込む。

 

 さらりとした飲み口に比較的酸味が強いすっきりとした味わいだった。ただ、若干のどが焼けるような感覚がある。少しアルコールが強いのだろう。とはいえさすがに火酒と呼ぶようなものではないので、あまり酒に強くないバージルでも問題はないだろう。

 

「うん、今回も当たりですね」

 

 アティの口にも合っていたようで、微笑みながらそう言って、グラスの中の酒を飲み干した。確かに飲みやすいとはいえ、バージルと比べてもあまり酒の強い方ではない彼女にしては、かなりのハイペースと言える。

 

「バージルさんにも、もう一杯注ぎます?」

 

 二つのベッドの間の小さなテーブルに置いた酒瓶を取って、自分のグラスに注いだアティはバージルにも尋ねた。いつの間にかバージルのベッド、つまりはバージルの隣に座っており、先ほどよりも距離が縮まっていた。

 

「いや、いい」

 

 酒にあまり強くないからこそバージルは自分のペースで飲むことを心掛けていた。アルコールが強い酒ともなればなおさらだ。さすがにこの歳にもなって、酔い潰れるのはあまりにも情けない。

 

 しかし、それ以上に気になるのはやはりアティのペースの速さだ。島での宴会の時は上手く調節しているように見えたのだが、今はそんな様子は全くない。

 

「そうだ! 全部終わったら、また三人で飲みましょうね」

 

 一応、まだ意識ははっきりしているようだが、どうにもバージルは悪い予感を拭えないでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 




次回の投稿は5月21日(日)に投稿予定です。

ご意見ご感想等お待ちしてます。

ありがとうございました。




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第46話 一時の安穏の中で 前編

 アティは体を包む空気の冷たさで目が覚めた。

 

「んぅ……」

 

 ゆっくりと目を開けると、どうやらベッドの上で寝ていたことを理解できた。何も上から掛けずに寝てしまったことが、目が覚めた原因に違いない。昨日は酒を飲んだためそのまま寝てしまったのだろう。

 

 眠い目をこすって体を起こすと、昨日も着ていたいつもの白いマントがベッドの脇に脱ぎ捨てられたように無造作に落ちているのが見えた。

 

 次いで視線を下に向ける。スカートの部分がめくり上がって白い下着が露になっていた。

 

「っ!」

 

 自身の状態を理解したアティは、頬を真っ赤にながら慌ててスカートを直した。バージルの前でこんな姿で寝ていたことを考えると顔から火が出そうだった。

 

 恥ずかしさに呻きながら急ぎ服を整えたアティだったが、ベッドを見ると気付いたことがあった。

 

「……え?」

 

 どうやらアティが寝ていたのはバージルのベッドのようだ。ほんの僅かに彼の匂いが残っている。おまけに隣の本来ならアティが使うはずだったベッドには誰かが眠った形跡はない。ベッドの上に置いていた彼女の荷物もそのままだ。

 

(まさか……)

 

 酔った勢いで、と考えるが、もちろんアティにそんな記憶などない。彼女にあるのは精々抱き着いたり、寄りかかったりした記憶くらいだ。それでもどきりとした彼女は体の状態を確かめる。

 

「ようやく目を覚ましたか」

 

 そこにバージルから声をかけられた。どうやら彼はしばらく窓から外を眺めていたようだが、アティはそれに気付いていなかったようで、驚きのあまりびくりと体を震わせた。

 

「バ、バージルさん……。その……えっと……」

 

 何か言わなければと考えを巡らせるが、こんな時に限って彼女の頭は働いてはくれなかった。

 

「起きたのならさっさとどけ。いつまで人のベッドで寝惚けているつもりだ」

 

「あ、はい……」

 

 確かにいつまでもバージルのベッドにいるのも非常識だ。そう思ったアティはいそいそと下に落ちていたマントを身に着けた。少し間を置いたことでアティ自身、冷静になることができた。そして改めて自分のベッドに腰かけて口を開いた。

 

「あの、それで……昨夜のことなんですけど……」

 

「……ああ、随分と機嫌が良さそうにしていたな、お前は」

 

 アティの聞こうとしていることは分からないが、昨夜のアティに随分と苦労させられたバージルはぐさりとくるような皮肉を言った。

 

 そもそもアティはこれまで酒を飲んでも、昨日のようになったことなど一度もなかったため、バージルは彼女のグラスを空けるペースが早いことに気付いていても止めることはしなかったのだ。ある意味ではそうした油断が原因でもあったのだが、彼としても昨日はいろいろと大変だったようで、意趣返しの一つでもしたくなったのだろう。

 

「うぅ、ごめんなさい……。でも私、その時のことをあまり覚えてなくて……」

 

「あまり? ならどこまで覚えている?」

 

「えっと――」

 

 素直に疑問に答えようとしたアティは、自分が何を言おうとしているのか咄嗟に理解し口ごもった。しかし、そんなことでバージルが見逃してくれるはずもなく、だからといって嘘が通じる相手でもない。覚悟を決めて正直に答えるしかなかった。

 

「……バージルさんに抱き着いて、いっぱいお話して……」

 

 自分の口から昨日の出来事を赤裸々に話さなければならないなんて、もしかしたらこれが羞恥プレイでというものではないかと思ってしまうほどの恥ずかしさに耐えながらアティは言葉を続けた。

 

「それからっ……一緒に寝ましょうって、ベッドに……」

 

 最後の方にはあまりの恥ずかしさに、赤くなった顔を両手で隠し、俯いた状態で話していた。どれも素面の状態のアティではできないような言動だ。特に最後の言葉はほとんど誘っているようにしか見えない。おそらくその時の彼女としては言葉の通りの意味しかなかったのだろうが。

 

 「……全て覚えているようだが」

 

 アティの告白を聞いたバージルは何を悩んでいるのか言わんばかりにあっさりと答えた。とはいえその顔は、アティにやり返すことができて、少しばかり笑みを浮かべていたが。

 

 ちなみに昨夜あったのは、ほとんどアティの言う通りの流れだった。あえて細かいところを補足するとすれば、マントは抱き着いて少ししたあたりで勝手に脱ぎ捨てたということくらいか。

 

 その後の彼女はバージルのベッドで恥ずかしい姿を晒しながら寝息を立てていたのだから記憶がなくて当然なのだ。

 

「そ、そうですか……」

 

 釈然としないものの、彼女とてこれ以上昨夜の件を蒸し返すようなことをするつもりはなかった。

 

「納得したな。……顔を洗ってくる。まだ少し酔いが残っているのでな」

 

 飲ませたのはお前だぞ、という非難を込めてそう言ったバージルは返事を聞かずに部屋から出て行った。一人部屋に残されたアティはほうっと息を吐きながら呟いた。

 

「何も、なかったんだ……」

 

 ほっとした気持ちがあるのはもちろんだが、それ以外にも少しだけ残念な気持ちがあるのも事実だった。

 

 そしてとりあえず自分も顔を洗ってこようと思ったが、さすがにバージルのベッドをこのままにしておくのも気が引けたため、一通り整えようとした。

 

「あれ……?」

 

 掛け布団を持った時、少しバージルの匂いを感じた。起きた際に感じた時は、ここはバージルのベッドだから当たり前だと思っていたが、よくよく考えればそれはおかしいのだ。

 

 何しろバージルはこのベッドで寝ていないはずなのだ。腰掛けはしていたものの、それで匂いが移るわけがない。一応、昨夜のアティの記憶の最後に酔っていたバージルを自分諸共ベッドに引き込んだことはあったが、すぐに起き上がったのならその可能性もない。

 

(もしかして、一緒に……)

 

 そこでアティは一つの可能性が思い浮かんだ。昨夜のあの時、バージルがアティと同じように一緒に意識を失って眠ったとしたら全ての辻褄が合うのだ。

 

「す、少しくらいなら……いい、よね……?」

 

 とはいえ、彼女にはバージルと一緒に寝た記憶などなく、何となく損をした気分になったアティはせめて匂いだけでもとバージルの掛け布団に顔を埋めた。

 

 どうやら彼女が顔を洗いに行けるのはしばらく先のことになりそうだった。

 

 

 

 

 

 ファナンの港に西の方から来た一隻の船が到着した。

 

 その船上にいるのはハヤトとクラレットの二人だった。

 

「あれがファナンかぁ。サイジェントよりもでかいんだな」

 

 ハヤトは誓約者(リンカー)に選ばれて以来、それなりに様々な場所に出向いている。しかし、このファナンという港町にはこれまで一度も訪れたことはなかった。

 

「昔は小さな村だったようですが、金の派閥の出資によってあれほどまで大きくなったんです」

 

「なるほどね、俺達はまず、その金の派閥の議長さんにこれを渡せばいいんだよな」

 

 ハヤトは懐に一通の手紙をあることを確認しながら言った。それはサイジェントの顧問召喚であるイムラン・マーンから異父姉で金の派閥の議長でもあるファミィ・マーンにあてられた手紙だった。

 

 この手紙を渡す見返りにハヤトたちはこの船を手配してもらったのだ。最初は共に無色の派閥の乱を戦い抜いた仲間である、ギブソンとミモザという蒼の派閥の召喚師がいるゼラムに行こうと考えていたので、ゼラムにあるハルシェ湖畔まで乗せてくれるのがベストだったが、さすがに我儘は言えない。船を手配し、その運賃を負担してくれるだけでもかなりありがたいことなのだ。

 

「ええ。金の派閥の本部に行けば会えると思います。まずはそこに行って手紙を渡しましょう」

 

「それにしても港町って言うからもっと船が多いのかと思っていたけど、案外少ないんだな」

 

 ハヤトは周囲の港にある船を見ながら言った。彼の言葉通り、ファナンの港にある船の数は、ここから見る限りかなり少ない。漁船こそそれなりの数が係留されているが、それ以外の貿易船などの船は片手の指で数えられるくらいだ。

 

「……確かにおかしいですね。人も少ないですし……」

 

 その言葉にクラレットは、はっとしながら周りを見回した。船を人も少なく辺りは閑散としている。今のファナンは寂れた港のような雰囲気さえ醸し出していた。

 

「とりあえず議長さんのところに行こうか? もしかしたら何か知っているかもしれないし」

 

 難しい顔をしながら周囲に視線を向けているクラレットの肩を軽く叩きながら声をかけた。ここで考えているよりまずはできることをしようと思ったのだ。

 

「ですね。まずはすべきことをしましょう」

 

 そうして二人は大通りの方へ歩いて行った。

 

 港から正門まで通じる大通りにはそれなりに人はいたが、街の規模から考えるとこれでも少ない方なのだろう。

 

「へぇ~、やっぱりでかい街は違うなぁ、サイジェントよりもずっと品揃えがいいや」

 

 物珍しさからハヤトはきょろきょろと様々な店を覗いている。その様子をクラレットは微笑みながら見ている。いくら誓約者(リンカー)と言ってもハヤトはまだ二十歳にもなってない。それでもリィンバウムでは成人として扱われる年齢を超えているが、彼の生まれ故郷では二十歳でようやく成人となるのだ。

 

「ファナンは様々なところから物が集まりますからね。このあたりはハヤトの世界で言う『でぱーと』みたいなものでしょう」

 

「はははっ、懐かしいなぁ。二人で行った時はクラレットにしては珍しく目を輝かせていたよな」

 

 一年前に二人でハヤトの故郷に行った時のことを思い出したハヤトは笑った。決して長い時間ではなかったが、いろいろなことがあったかけがえのない思い出だった。その象徴であるお揃いのペンダントは今でも二人の胸元に輝いていた。

 

 そんなとりとめのない話をしながら揃って歩いているとハヤトの視界に見知った人物の姿が映った。

 

「あれ? あそこにいるのって先生たちじゃないか?」

 

 ハヤトが見つけたのは並んでいるアティとバージルだった。バージルとはあまり面識があるとは言い難いが、アティはサイジェントに滞在していた時、フラットの子供たちのために臨時で授業を開いてくれたことがあった。またサイジェント周辺の知識しかなかったハヤトも、いろいろとリィンバウムについて教えてもらっていたのである。

 

「本当ですね、どうしたんでしょうか?」

 

アティが普段はある島で教師をしていることは聞いていた。その彼女がここにいるということは何かあったのではないか、と勘繰ったのだ。

 

「それじゃ聞いてみようぜ。……おーい、先生―!」

 

 ハヤトが大きな声を出して手をあげた。その声が耳に届いたのかアティはこちらを向き、ハヤトとクラレットに気付いて笑顔で手をあげた。

 

 

 

「先生たちも議長さんのところに行くんだ。それなら俺たちも一緒に行っていい?」

 

「いいですよ。ね、バージルさん?」

 

「構わん」

 

 どうやらバージルもアティと共にファミィに会いに行くようだ。彼が金の派閥の議長に会わなければならない必要性はないが、今のバージルはある理由から積極的な行動を自制しており、時間が有り余っていたのだ。

 

 そこにアティが金の派閥に一緒に来てほしいという申し出があり、バージル自身も自分がファナンに来ることになった一因である議長について、多少の興味があったのでこの機会に同行することにしたのだ。

 

「それじゃあ、一緒に行きましょう!」

 

 四人は一緒に金の派閥の本部に向かって歩いていく。その中でハヤトとクラレットは自分たちの旅の目的を話した。

 

「……二人は悪魔について調べに来たの?」

 

 驚いたようにアティが聞き返す。

 

「どうもこっちの方が現れているみたいだしさ。……それに少し嫌な予感もしてさ」

 

 そう言うハヤトには先ほどまで見せていた年相応の顔は消え失せており、大きな力とこの世界に対する責任を負った誓約者(リンカー)としての顔を見せていた。

 

 アティは一瞬、昨日現れた悪魔のことを話すべきか迷った。ハヤトもクラレット悪魔と戦える力を持っていることは知っているし、ハヤトに至っては自分よりも強い力を持っているかもしれない。しかし彼らのような若い人には、戦いとは無縁の生活を送ってほしいと思っているのも事実だった。

 

「実はね、昨日この街にも現れたの。それもとても多くの悪魔が。それでもバージルさんがいてくれたから町の人に被害は出ずに無事に終わったけど……」

 

 それでも二人に話したのは、自分の考えは教師としてのエゴに過ぎないと分かっていたからだ。もう彼らは子供ではない。自分で考えて自分で行動しているのだ。それを邪魔するなんてしていいわけはない。

 

「すれ違いかぁ……。あと一日出発が早まっていればなあ、手がかりでも掴めたかもしれないのに」

 

 僅か一日のすれ違いでせっかくの機会を逃してしまったハヤトは悔しそうに天を仰いだ。そんな彼を励ますようにクラレットが口を開いた。

 

「仕方ありませんよ、ハヤト。こんな状況だったなんて誰も思わなかったんですから」

 

「……まだ終わったわけではないがな」

 

 そこにぼそりとバージルの短い言葉が突き刺さる。それを聞いた三人は揃って怪訝な表情を見せていた。

 

「え? でも現れた悪魔はほとんどバージルさんが……」

 

「あれはただの先遣隊のようなものだ。奴らの本隊は……トライドラあたりに現れているようだな」

 

 西の方角を見ながら答えた。その方角からバージルは多数の悪魔の存在を感じ取っていた。

 

「あれが、先遣隊……」

 

 アティは街の外の悪魔まで見たわけではない。それでも元軍人である以上、街に侵入した悪魔の数とバージルの話から昨日現れた悪魔の数はおおよそ想像できる。あれで先遣隊とは正直信じられなかった。

 

 先遣隊と本隊では常識的に考えて、後者の方が遥かに数は多いだろう。先遣隊でも昨日の規模なのだから、いったいどれだけの悪魔がトライドラにいるのだろうか。

 

「……あの、このことは皆さん知っているのでしょうか?」

 

 クラレットが遠慮がちに言った。疑問の形をとっているが、アティが知らないということは誰にも言っていないのとほぼ同義だろう。

 

「と、とりあえず金の派閥には知らせておきましょう」

 

 ファナンを実質的に治める金の派閥が動かなければ組織的な行動は何もできない。幸い昨日会ったファミィ議長は物分かりが良さそうな人だったので彼女に伝えなければと思ったのである。

 

 

 

 

 

 金の派閥のファミィ議長は、まだ二十代でも通用しそうな容姿を持ち、見るからに落ち着いた柔らかい物腰を持つ女性だった。アティの話を聞いても与太話と切り捨てず最後まで黙って聞いてくれた。

 

「その話、彼から聞いたのでしょう」

 

 ファミィはバージルを示しながら確かめるようにくすくすと笑いながら言った。

 

「……エクスから聞いていたか」

 

 目を見開いて少し驚くアティにやはりと言った様子でバージルは息を吐いた。まさか蒼の派閥の総帥とあろうものが親書をもらって返事を書かないわけはないだろう。その際に自分のことを書いていても不思議ではない。バージルは悪魔を殺す見返りにエクスから情報の提供と後方支援を受ける立場だ。ファナンにおいてもバージルへの支援を考えているのなら、金の派閥に話を通していた方が何かとやりやすいだろう。

 

「うふふっ、強いだけじゃなくて聡明なのね」

 

 その言葉にはバージルがこのファナンで戦ったことは知っているという意思表示だろうか。ファミィの柔和な笑みからは言葉の真意が読み取れない。

 

(いくら若いとはいえ、組織の頂点にいるのは伊達ではない、ということか)

 

 おそらくファミィは自分よりも少し若いくらいだろう。その年齢で金の派閥と言う一大組織をまとめているのだから、召喚術の才能だけでなく指導者に相応しい素養も兼ね備えているのだろう。

 

「ならば話は早い。エクスから聞いているな?」

 

 わかっているだろうな、と言うような眼つきでバージルはファミィを見た。

 

「ええ、総帥から話は伺っています。あなたの邪魔をしないよう皆に伝えておきますわ。もちろん悪魔への警戒と一緒にね」

 

 邪魔をしないのであればバージルとしても文句はない。アティも悪魔への備えをするというのであればこれ以上、自分が首を突っ込める問題ではないと分かっているため、お礼を言うだけにした。

 

「ええ、お願いします」

 

「ハヤトさんもクラレットさんもわざわざ弟の手紙を届けていただいてありがとう、とても助かりましたわ」

 

 ファミィは手紙を届けてくれた二人にお礼の言葉を伝えた。これでハヤトとクラレットのファナンでの用事は終わったということになる。

 

「それじゃ、俺たちはこれで……」

 

 それに新たな悪魔という問題が起きたことを議長に伝えたこともあり、これ以上の長居は彼女の仕事に支障をきたしてしまうのではと考え、金の派閥を後にすることにした。

 

「あらあら、もう帰ってしまうの? それならせめてこれを持って行って、あなたたちには必要な物でしょう?」

 

 そうして渡されたのは門の通行許可書だった。悪魔や黒の旅団の脅威が失せたとは言っても、いまだファナンは厳戒態勢を敷いている。先ほどの話にも出た悪魔のことを考えれば今後も解除される見通しもないだろう。そんな状態ではファナンから出るのも一苦労なのである。

 

 しかし実質的なファナンの為政者である金の派閥の議長の許可書があればスムーズに出ることができるだろう。これはゼラムを目指すハヤトたちにとってはありがたいものだ。

 

「申し訳ありません。ありがとうございます」

 

 クラレットがあらためてお礼を言って議長室を出る。

 

 そしてそのまま、派閥本部の外まで歩いていった。

 

「ハヤト? どうしたんですか?」

 

 クラレットは許可書をもらってから悩んでいるのか、無言でいたハヤトの顔を覗き込んだ。

 

「いや、悪魔が来るって分かっているのに、このまま出て行っていいのかな、って……」

 

「確かに……そうですよね」

 

 ハヤトの言葉にクラレットも悩み始めた。自分たちは悪魔の出現の原因を探るためにここまで来たとはいっても、その目的はリィンバウムを守るためであり、ひいてはそこに住む人々を守るためでもあるのだ。にもかかわらず、今ここでファナンを出てしまっては本末転倒ではないのか。

 

 しかし同時に、ファナンに残ったとして何ができるのか、という思いもあった。バージルがいる現状ではたとえ自分が残っても、一年前の魔王のときのように、ただ彼が戦うところを眺めているだけで終わってしまうのではないか。

 

「焦ることはないよ。今日一日ゆっくり考えよう?」

 

 そこへアティが助け舟を出した。船旅で疲れているだろうし、今からファナンを出発するのはかなりの強行軍と言える。仮にゼラムに向かうにしても今日は体を休め、明日の朝に出発するのがいいだろうと思っての提案だった。

 

 その上でアティはバージルに尋ねた。

 

「今すぐ攻めて来ることなんてありませんよね?」

 

 さすがに昨日の今日で再び攻め寄せるのは難しいと思うが、相手は悪魔だ。こちらの想像が正しいとは限らない。

 

「少なくとも今のところ、動きはないな」

 

 淀むことなく答える。どうやら今も悪魔に注意を払っているようだ。しかしそれは、悪魔の動きが気になっているからではない。バージルはずっとサプレスに現れたという強力な悪魔がこの世界に現れるのを待っていたのだ。

 

 彼がトライドラに現れた下級悪魔と戦いに行かないのもそれが理由だった。万が一、首謀者の悪魔が自分の力に怖気づいてサプレスに籠ったままというのだけは避けたい。昨日の悪魔との戦いでも、その理由から必要最低限の力しか出していなかったのだ。

 

「それならまずはご飯でも食べましょう。何をするにもまずは腹ごしらえです!」

 

 アティが努めて明るく言った。悩める若い二人のためにいろいろと気を回しているのは明白だった。

 

 彼女の提案に従って四人は食事をとるために、飲食店街の方に向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




年齢順
アティ>バージル>ファミィ



いつの間にか投稿し始めてから丸二年経ってました。まだまだ先は長いですがこれからもよろしくお願いします。

さて次回は来週、5月28日(日)に投稿予定です。

ご意見ご感想等お待ちしてます。

ありがとうございました。


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第47話 一時の安穏の中で 後編

 ファナンでの生活の拠点となっているモーリンの家で、マグナは深呼吸するように両手を大きく広げた。

 

「はぁー」

 

 そしてこれまでの疲れを吐き出すように大きく息を吐き出す。昨日の悪魔との戦いからマグナは休む暇なくずっと動き続け、夜が明けるころようやく眠りに就くことができ、それから昼過ぎの今までぐっすり寝ていたのだ。

 

 戦いが終われば、すぐ休めるなど夢物語に過ぎない。特に今回は負傷者が少ない代わりに、夥しい数の死体が残されていた。全て黒の旅団の兵士達のものだ。

 

 黒の旅団とはこれまで何度も戦った間柄であり、親近感など抱けるわけはないし、兵士ではないマグナ達が死体の処理までする必要などないのだが、それでも死体で埋め尽くされた光景を見て関係ないと言えるほど、彼らは酷薄ではなかった。

 

 昨日の戦いの戦死者は、大多数を黒の旅団の兵士が占めており、その他にはファナンの正門を守っていた金の派閥の兵士が戦死したくらいだ。幸いマグナ自身は多少のかすり傷を受けた程度で済み、彼の仲間も多少の傷を負った者はいても、命に関わるような大怪我をした者はいなかった。

 

 ただこれはあくまでも結果に過ぎない。もしもバージルの助けがなく、あのまま戦い続けていれば、きっと全員で生き延びることなどできなかっただろうと、今になってマグナは思うのだ。

 

 実際、最初の内はまだ多少なりとも余力があったため、連携し合えば身を守ること自体は決して難しくはなかった。それでも体力にしても魔力にしても、無尽蔵ではない。いずれは尽きるものだ。そうなってしまえば、もはや身を守ることすらできないのである。

 

 あの時、バージルが現れたことは本当に幸運だったのだ。

 

「あの人、本当に人間なのかな……」

 

 バージルの戦う姿を思い出しながら呟く。ガレアノ達サプレスの悪魔を怯えさせていたことからも強いことは分かっていたが、実際に彼が戦うところを見ると、遠くから見ていても分かるほどの異常な強さを感じた。

 

 きっとどんな召喚獣、いや、存在であろうとも彼には勝てない。バージルにはそう思わせるだけの何かがあった。

 

 だからこそマグナはバージルが人ではない存在であると思ったのだ。

 

「……まあいいか」

 

 しかしあっけなく思考を放棄した。たとえバージルが何者であろうと自分たちを助けてくれたことには変わりない。少なくとも今はそれだけでいいと思えた。

 

「時間もあるし、釣りでも行こうかな」

 

 少し庭をぶらぶら歩いたマグナは何となくそう思った。他のみんなは飲食店街まで食事に出かけたり、いつものように稽古をしたりと各々の時間を過ごしている。ただシャムロックだけはルヴァイドら黒の旅団の生き残りと共に、金の派閥まで出向いているらしいが。

 

 マグナは物置にある釣竿を手に取ると海へと向かった。ゆっくり歩いて顔に当たる潮の香りを楽しむ。こればかりはゼラムいては味わえないものなのだ。

 

 しばらくして、いつも彼が釣り場にしている場所が視界に入るが、そこには人の姿があった。

 

「誰だろう? 珍しいなあ」

 

 マグナは何回もこの場所で釣りをしたことがあるが、誰かがいたことは一度もなかった。ましてや昨日は街中も戦場になった。はっきり言って今のファナンは呑気に釣りをできる雰囲気ではない。

 

 しかし、そんなことなど全く気にしないマグナは、釣り人の隣に腰かけ同じように釣りを始めた。

 

「釣れますか?」

 

「いや、全然」

 

 マグナの興味本位の質問に釣り人は苦笑しながら答え、さらに言葉を続けた。

 

「実は釣りは二の次で、少し考えごとをしていたんだよ」

 

 話してみると釣り人は随分と若い。自分よりも少し上くらいか、とマグナは思った。

 

「それなら一緒ですね、実は俺もなんとなく来ただけで……」

 

「はははっ、なんだよそれ」

 

 釣り人が声をあげて笑う。笑うと思ったよりも子供っぽく見えた。

 

「ハヤトっていうんだ、そっちは?」

 

 ひとしきり笑った後、釣り人は名前を名乗った。

 

「俺はマグナです。見ての通りの召喚師をやってます」

 

「召喚師、ってことは金の派閥の?」

 

 この街で召喚師といえば、まず思い浮かぶのは本部のある金の派閥だろう。そのためハヤトがそう尋ねたのは、おかしいことではない。

 

「いや、一応、蒼の派閥の所属で……」

 

 マグナは歯切れの悪い答えを返した。派閥からはほとんど追放同然で、修業を兼ねた視察の旅を命じられたのだ。形式上は蒼の派閥に所属しているとはいえ、任務の途中報告すら行っておらず、自信を持って蒼の派閥の召喚師を言えるかというと微妙なところだ。

 

「蒼の派閥かぁ……なら、ギブソンとかミモザって知らないか? 一年前に出会ったんだけどさ」

 

 その言葉でマグナは、以前に派閥の先輩であるギブソンから聞いた、サイジェントでの無色の派閥の乱のことを思い出した。

 

「もしかして一年前に先輩たちと一緒に戦った人ですか!?」

 

「そうだよ。……って、マグナはあいつらの後輩になるのか。二人は元気だった?」

 

 意外な関係にハヤトは感心しながら頷きながら尋ねた。

 

「ええ、元気ですよ。何でも今は召喚師の失踪事件について調べているみたいで、毎日調べ物してますよ」

 

 マグナの言葉にハヤトは安心したように「ならよかった」と笑顔を浮かべた。やはり仲間が元気にしているのは嬉しいことだ。

 

「それでマグナはどうしてファナンに?」

 

「……えっと、離せば少し長くなるんですけど……」

 

 ハヤトの疑問にマグナは一瞬、話すべきか迷ったが、やはり彼が、尊敬する先輩の知り合いだということで全て話すことにしたのだ。

 

 彼が話している間、ハヤトは真面目な顔で聞いていた。

 

「そうか、それでデグレアと戦ってたら悪魔が……。なあ、もし、ヤバイことになりそうだったら言えよ、俺も力になるから」

 

 旧王国のデグレアに、聖女に、悪魔と、どうやらマグナは相当深刻な状況に陥っていたらしい。おまけに昨夜はその悪魔と戦っていたらしく、それを聞いたハヤトは無意識の内に助力を申し出ていた。

 

「……そうですね。その時はお願いします」

 

 そうは言ったものの、さすがに知り合ったばかりの人を、危険な目に遭うのが分かっていることに巻き込むつもりはなかった。

 

「あの、あなたはどうしてファナンに来たんです?」

 

 ふと不思議に思ったマグナは尋ねた。

 

「ああ、それは――」

 

「マグナ! そこにいたのか! すぐ戻ってきてくれ!」

 

 ハヤトがそれに答えてようとした時、遠くからネスティがマグナを呼ぶ声が聞こえてきた。

 

「その話、今度聞かせてくださいね。できれば一年前の話と一緒に」

 

 自分を呼ぶ声に、マグナは早口で告げた。それを聞いたハヤトは苦笑しながら答えを返した

 

「わかった。しばらくはここいるからさ、また今度話をしよう。……さあ、早く行った方がいいよ」

 

 ハヤトはマグナの背を叩きながら言った。それを受けたマグナは急いで釣竿を片づけると立ち上がり、口を開いた。

 

「それじゃあ、また会いましょう。ハヤト先輩!」

 

 先輩という言葉に驚いて目を白黒させるハヤトを尻目に、マグナはそう言ってネスティのもとへ走っていった。

 

 それでも聞こえなくなるほど離れる前にハヤトはそう声を上げた。

 

「また会おうな、マグナ!」

 

 まだ話してから大して時は経っていないが、二人は互いのことを気の置けない友人のように思っていた。

 

 砂浜を走っていくマグナを見届けたハヤトは釣竿を片づけた。今回はボウズだったが、別な分野では収穫があったのだ。

 

「さーて、悪魔との戦いに備えて飯でも食べに行くかな」

 

 ハヤトはファナンに残ることにしたのだ。

 

 そう決めたのはマグナとの会話が影響したのは間違いない。しかし、よくよく考えてみると心の底ではファナンに残りたいと思っていたのだ。

 

 しかしその想いは、バージルがいるから自分はいる必要などない、むしろ早くゼラムに行って悪魔出現の原因を探るべきだという、一見すると合理的な考え方によって抑えられおり、踏ん切りがつかなかったのだ。

 

 何のことはない。少しだけ背中を押してくれるような、この街に残るための理由が欲しかったのだ。それがマグナとの約束になったのはただの偶然に過ぎない。しかしハヤトは、マグナとの出会いがそれだけの意味では終わらないことを何となく悟っていた。

 

 

 

 

 

 ハヤトとクラレットが今日の宿としたのは、バージル達が宿泊している宿屋だった。アティからの紹介もあり、比較的安価だったのでここに決めたのである。

 

 ハヤトは自分の部屋に荷物を置くなり、すぐに出かけて行った。きっと彼はどこかでファナンに残るか否かについて、悩んでいるのだろうとクラレットは思っていた。

 

 それでも彼女が何もしないのは、ハヤトが一人で出かけたからだ。もし彼が誰かの意見が欲しいのであれば、まず自分の部屋に来るだろう。

 

 彼女にはこの世界で、最もハヤトのことを知っているのは自分だという自負がある。付き合いもガゼルたちと並び最も長く、ハヤトの故郷に行った時は彼の両親から子供の時の話を聞かされもしたのだ。

 

 だからこそ、今のハヤトには必要なのは考えを深めるための意見ではなく、決断するためのきっかけだというくらいクラレットは理解していた。

 

「ハヤト……」

 

 荷物を整理しながら名前を呟く。ハヤトに必要なことを理解していても、一緒にいたい、何かしてあげたいという気持ちが収まることはなかった。頭と心は別なのだ。

 

 ふと視線が首から下げているペンダントに向いた。ハヤトからプレゼントされた彼とお揃いのものだ。クラレットはこれを肌身離さず身に着けていた。

 

「私も何かプレゼントできればいいんですけど……」

 

 そういえばハヤトと出会ってから一度も贈り物をしたことはなかった。彼がペンダントをくれたように、自分も何かプレゼントしたいと思うのは普通の感情だろう。

 

 しかし、これといったものは何も浮かばない。あまり高いものではハヤトも遠慮してしまうだろうし、だからといって安物を贈る気になどなれない。

 

「先生に聞いてみようかな……」

 

 アティなら何かいいアドバイスをもらえるかもしれないと思ったクラレットは、彼女の部屋に行くことにした。

 

 自分から廊下に出る。そこでクラレットはバージルが階段を下りて行くのが見えた。どこに行くかは分からないが、アティが一緒ではないのできっとまだ部屋にいるだろう。

 

 そうして、アティの部屋の前まで行き、ドアをノックする。

 

「はーい」

 

「すいません。ご相談したいことがあるんです」

 

 部屋に入ったクラレットはそう言って、アティに事情を説明した。とはいえさすがにハヤトへの贈り物というのは気恥ずかしさもあって、そこははぐらかして伝えた。

 

「う~ん、贈り物かぁ」

 

「はい、何かありませんか?」

 

 アティは唸って考え込んだ。そのまましばらく悩んでいたようだが、ようやく何か思いついたのか口を開いた。

 

「お菓子とかどうかな?」

 

「お菓子、ですか?」

 

 お菓子自体はクラレットも候補の一つとして思い浮かんだことがある。しかし作ったことはおろか、作り方すら知らないのだ。

 

「うん、これならあまりお金もかからないよ。……あっ、それに作り方なら教えられるし。……といっても、私も複雑なものは作れないけどね」

 

「そうですね。……教えていただいてもいいですか?」

 

 多少の手間はかかっても、これならハヤトも気兼ねなく受け取ってくれるだろうと思ったクラレットはお菓子を作ることにした。

 

「それじゃ、まずは材料を買いに行きましょう」

 

 善は急げと二人は街中へお菓子の材料を買いに出かけるのだった。

 

 

 

 幸いお菓子に必要な物は生きるのに必要な食料品であるためか、簡単に手に入れることができた。そうして町を見て回って気付いたのだが、下町でもだいぶ人が少なくなっている様子だった。レイムの流した噂だけではなく、現に悪魔が襲来したという事実が、住人の間に広まっている証拠だろう。

 

「うん、飲み込み早いね。これなら簡単なものならもう一人でできるんじゃないかな」

 

 必要な物を手に入れたクラレットは宿の厨房を借りてアティからお菓子の作り方を教わっていた。生来真面目で落ち着いた性格であることもあってか、こうした繊細さを要するお菓子作りは性に合っているようだ。

 

「そんなことありません。まだまだです」

 

 アティの言葉を否定する。しかしクラレットの言葉とは裏腹に彼女の手際の良さは、とても始めて一日の素人のものとは思えない程だった。

 

「そんなことないよ。これならハヤト君へのプレゼントもすぐできるよ」

 

 その言葉が耳に入った途端、クラレットの顔が赤く染まった。そして彼女にしては珍しく焦りながら言い放った。

 

「わ、私、ハヤトへのプレゼントなんて言いましたっけ!?」

 

「あれ、違うの? 私はてっきりそうだと思っていたんだけど……」

 

 首をかしげながらアティが言う。どうやら彼女はからかいの意を含んで言ったのではなく、純粋にそう考えて言っただけのようだ。

 

「……ち、違わないです。いつも貰ってばかりだから、私も何かしてあげたくて……」

 

 恥ずかしそうにしながら小さな声で言った。

 

「大丈夫、心を込めて作ればきっと喜んでくれるから」

 

 アティは優しげな顔で穏やかに言った。このあたりはさすが教師をるだけはある。

 

 クラレットはそれを聞いてこくりと頷いた。

 

「あの、もう一つ伺ってもかませんか?」

 

「どんなこと?」

 

「……お、お二人はその、どちらから告白したんですか?」

 

「え? ……ち、違うの! 私とバージルさんはまだ付き合っていません!」

 

 一瞬、言葉の意味を理解できなかったアティだったが、一拍置いて意味を理解したとたん赤い顔で必死に否定した。

 

 クラレットにしてみれば今後の参考に、と思い気恥ずかしさに耐えながら聞いたのだが、帰ってきた言葉は、恋人同士ではないという答えだった。

 

「……あの、恋人でもないのに同じ部屋で寝泊まりして大丈夫ですか?」

 

 アティは同性のクラレットから見ても相当の美人だ。特にプロポーションに関しては同性の自分から見ても羨ましいくらいだ。そんな彼女がいくら長い付き合いとはいえ、男であるバージルと同じ部屋とはいささか危機感が足りないのではないか。

 

「そ、それはっ……! そう、島では一緒に暮らしていたから、それでなの!」

 

「え? ど、同棲しているんですか?」

 

 同じ島に住んでいるということは聞いていたが、まさか一つ屋根の下で暮らしているとは思っていなかったため、思わず聞き返した。一応クラレットもハヤトと同じ建物で住んではいるが、他のフラットメンバーも一緒のためアティとは事情が違うと考えていた。

 

「そうじゃな……、いや、そうなんですけど……。と、とにかく私とバージルさんはまだお付き合いしていません!」

 

 墓穴を掘りまくったアティは、とにかく否定した。そこには先ほど教師らしい凛とした姿はどこにもなく、年甲斐もなく慌てた情けない姿を晒していた。

 

 

 

 

 

 宿泊した部屋を出たバージルは、人通りが少なった大通りを横切りながら歩いていた。目的地は波止場だ。そこである人物に会うことになっているのだ。

 

「待たせたようだな」

 

 波止場に到着したバージルは、すぐに目的の人物を見つけることができた。今は船が停泊していないため、波止場にいる人自体ほとんどいないというのも理由の一つだが、それ以上にその人物が波止場で働く者は着ないような、特徴的な服を着ているというのが第一の理由だった。

 

「いえいえ、私も今来たところですよ。……ってこれじゃデートの待ち合わせみたいですね。先生に怒られちゃいます」

 

 そう軽口を叩いたのはパッフェルだ。今回バージルが波止場まで足を運んだのは、彼女から話を聞くためだった。

 

 そもそもここに来ることになったのは、宿の女将から自分に宛てられた伝言を聞いたからだった。それによると、どうやらパッフェルはバージル達が、金の派閥へと出かけている間に一度訪ねてきたらしいのだが、不在だったため言伝を頼んだようだ。

 

「それにしても、わざわざ来ていただけるとは思っていませんでしたよ」

 

 パッフェルは別に来てもらえなくとも、また改めて尋ねるつもりだったのだ。

 

 しかし彼女がここまで呼びつけたのは、話の内容が他人の耳に入ることは避けたい類のものであるため、今の波止場のような、人が少ないところで話したかったのだ。もし、パッフェルが最初に宿に行った時にバージルと会えていたとしても、ここまでご足労願っていたことだろう。

 

「暇だったのでな」

 

 バージルがリィンバウムに姿を現すのを待っている悪魔の親玉――すなわちサプレスにいるはずの魔界の悪魔は、いまだ影も形もなかった。その配下と思われる悪魔は今も、トライドラを中心に存在しているにもかかわらずだ。

 

 一応、現れた悪魔はいまもトライドラに留まっているため、何らかの命令を受けていると考えられるが、いい加減ただ待つのも面倒になったため、バージルは待つのは明日の朝までと決めた。それまで待って何も動きなければ、悪魔を殲滅するために動くつもりなのだ。

 

「なら私は運がいいですね~、昨日も助けてもらっちゃいましたし」

 

 そういえば昨日の街中でのいざこざの時も、悪魔との戦いのときもパッフェルはマグナ達と共に戦っていた。

 

 彼女が完全な善意で協力しているとは考えられないため、金で雇われているか、エクスの命令で行動を共にしているかのどちらかだろう。彼らが蒼の派閥の機密情報に関する人物であることは禁書の記述からも明らかであるため、後者の可能性が高いかもしれない。

 

「確かに運はいいようだ。あの時、もう少し俺の近くにいたらまとめて斬っていただろうからな」

 

「あはは……、冗談でも笑えませんてばぁ」

 

 くすりともせずに言ったバージルの言葉を、パッフェルはできるなら冗談だと信じたいところだった。

 

「……冗談だと思っているのか?」

 

 声も表情も先ほどから変わらず、いつも通りだった。それでもパッフェルは背筋に冷たいものを感じた。きっと無意識の内にバージルが本気だったということを悟ったのだろう。

 

「そんな凄まないでください……、私、泣いちゃいますよぉ」

 

 もちろん彼女の言葉は冗談なのだが、ずっと前に島で戦った時のことを思い出して、体が震えたのは事実だ。パッフェルにとってバージルと戦ったことは、半ばトラウマになっているのだ。

 

 そしてバージルは、そろそろ本題に入ろうと口を開いた。

 

「……それで? わざわざこんな話をするために呼んだわけではないだろう」

 

「ええ、まあ。ちょっとこっちの情報をお知らせしておこうと思いまして」

 

 どんな情報であれ全くの無駄ということはないだろう。とりあえず聞いておいて損はなさそうだ。そう考え先を促した。

 

「ファミィ議長は自身が兵を率い、ゼラムを出発した騎士団と合流して大平原に防衛線を引くようで、エクス様もそれに協力するみたいです」

 

 これは大平原で戦うという意思表示で間違いない。街を戦場にしたくないという考えは理解できるが、正面切っての会戦となれば数が勝敗を分ける重要な要素となるが、正直なところ、悪魔以上の数を揃えるのは難しいと言わざるを得ない。

 

 おそらくエクスやファミィあたりは、その戦力差を召喚術で埋めようと考えているのだろう。街を戦場にしないのはこのあたりも関係しているのかもしれない。街を戦場にすれば建物の一つ一つが防御陣地として機能するメリットはあるが、召喚術のような大規模な攻撃は効果が薄くなるのだ。

 

「ふむ……ならば北か西だな」

 

 大平原に布陣する者達に邪魔されたくないのであれば、トライドラの北か西、すなわちデグレア方面かサイジェント、帝国方面で待ち構えればいいだろう。もしも大平原方面にしか動かないのなら、邪魔をされるのも承知で戦うつもりでいるが。

 

 とはいえ、それは悪魔が動いた場合の話だ。今のままトライドラ周辺でかたまっているのであれば、そのまま攻め込めばいいだけだ。

 

「あの、もしよければどうするか教えていただけませんか? 私たちもあなたの攻撃に巻き込まれたくはないですし……」

 

 至極もっともな話だ。バージルとしても邪魔が入らないようにできるのであれば、自身の行動を教えるのにためらいはない。

 

「……悪魔が動くなら北に行く」

 

 デグレア方面を選択したのは、最近行ったことがあったからで、それ以上の理由はない。それに状況が変わればこの言葉に拘るつもりは全くなかった。

 

「北、ですね。わかりました!」

 

 しっかり記憶できるように呟いたパッフェルは、大きな声でお礼を伝えると踵を返して、街の中の方へ消えて行った。

 

 バージルの視線は彼女を見ているようで、実はその方向にいる悪魔の大軍勢に向けられていた。

 

「さて、どう動いてくるか……」

 

 悪魔に問い掛けるように呟く。タイムリミットは明日の朝。それまでの間に悪魔がどう動くか、バージルはその動きを見逃さぬように、より一層悪魔に注意を向けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




次回は6月11日(日)に投稿予定です。

ご意見ご感想等お待ちしてます。

ありがとうございました。


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第48話 開戦

 霊界サプレス。そこの小高い丘の上では魔界の悪魔の中でも有数の力を持つ大悪魔ベリアルが、下の悪魔から人間界に送り込んだ先遣隊の状況を聞かされていた。

 

「……一筋縄ではいかぬか」

 

 眼下にいる無数の悪魔を見ながら呟いた。これらは全てベリアルが支配する軍勢の悪魔なのだ。

 

 配下の報告では、リィンバウムという人間の世界に送り込んだ者たちは、全て倒されたのだという。この一帯を見渡せば分かる通り、実質的なサプレスの支配者である大悪魔のベリアルからすれば、いくらでも代わりがいる有象無象の存在に過ぎないが、それでも人間にしてみれば相当な脅威であったはずだ。いくら召喚術とかいう力を使ったとしても、こんなに早く全滅するとは思っていなかったのだ。

 

「精々、我が行くまで持ちこたえて見せることだ」

 

 こちらの襲撃を知っていたのか、あるいはあの程度の数などものともしない強者がいるのか、それは分からないが、ベリアルに侵攻の中止という道を選ぶつもりはなかった。むしろ生粋の武人でもあるこの大悪魔にしてみれば、むしろ望むところなのである。

 

 常のベリアルなら彼自身が侵攻の一番槍となっていただろう。実際、これまではそうしてきて魔界の一角を支配するまで上り詰めたのだ。

 

 今回、そうしなかったのはサプレスに来る原因となった人間界での経験を基づいてのことだった。スパーダの血族に敗れたのは単純な力の差だけではなく、慢心していた上に、冷静さも欠いていたためだ。

 

 無論、それが敗北した言い訳にはならないことは自覚しているが、少なくともベリアルはもう二度と同じ失敗を繰り返すつもりはなかったのだ。

 

 だから先遣隊を送り込み、さらに後続の悪魔を送り込み続けている。それらと人間を交戦させ疲弊したところで彼自身が現れるつもりでいるのだ。疲弊し、弱体化した相手と戦うなどベリアルにとっては面白くもなんともないが、サプレスとリィンバウムを隔てる結界を自分のような大悪魔が強引に通り抜ければ多少なりとも消耗するのだ。

 

 いくら消耗していても人間相手に不覚をとるなどありえないと思っているが、念には念を重ねて時機を計っているのである。

 

 その間、ベリアルはサプレスで待つことになる。当然、リィンバウムにいる悪魔に直接命令を下すことはできないため、己の代わりを送り込むことにした。

 

 もちろんスケアクロウやセブン=ヘルズなど依り代が必要な下級悪魔ではない。己の肉体と炎をまとった鎌を持った「アビス」という種の悪魔だ。この種はかつて魔帝ムンドゥスも尖兵として使っていたほどの戦闘力を持っており、魔帝不在の今でも他の大悪魔の配下となって戦いに明け暮れているのだ。

 

 ベリアルもそうした大悪魔の一人であった。魔界とサプレスを隔てる境界を越えて多数のアビスを呼び込むのは、いかにベリアルといえど困難であるため、さすがに炎獄を支配していた頃のような数を揃えることはできなかったが。

 

 それでもフロストに準じる戦闘力を持つアビスを相手に、まともに対抗できる手段など人間は持っていないだろう。

 

「…………」

 

 思考を打ち切り、ベリアルは無言のまま首を動かし合図した。背後に控えていたアビスがそれを見て、地面に潜るように消えていく。これであとは霊界に残っていた最後のアビスが悪魔を率いてリィンバウムに行く手筈になっているのだ。

 

 この命令を下した以上、ベリアルがすることは己が現れる時機を見計らうことだけである。実質的に今の合図が攻撃開始の指令でもあったのだ。

 

 

 

 

 

 リィンバウムで悪魔の動きに最初に気付いたのはやはりバージルだった。日の出前の時間帯でさすがのバージルも自分のベッドで寝ていたのにもかかわらず、悪魔が動いていたに気付いたのはさすがと言ったところか。

 

「……どうしたんですかぁ?」

 

 起きた時の物音によって起こされたアティは眠い目を擦りながら尋ねた。まだ頭が覚醒していないのかぼんやりと気の抜けた顔をしている。そんな彼女を尻目にバージルは窓から外を眺めながら答えた。

 

「奴らが動いたのでな」

 

 とは言うものの、先日の時のようにバージルは窓から飛び降りるような真似はしなかった。悪魔の行動はたいして素早くない上に、トライドラからどこを目指すにしてもそれなりの距離がある。

 

 それに本命の悪魔はいまだに姿を見せてはいない。どんな理由があるのかは知らないが、バージルは時間の余裕がある内は待つつもりでいた。

 

 バージルの言葉をアティは数秒経ってから理解した。そして少し青い顔をしながらバージルの隣まで歩いてきた。そこにはまだ夜明け前の静寂に包まれたファナンの街並みがあった。

 

「それじゃあ、とうとう始まるんですね……」

 

「元より分かりきっていたことだ」

 

 悪魔が現れた時点で、戦いは決定づけられていたようなものだ。奴らに話し合いなど通用しない。生き残りたければ戦って勝つしかない。最後の一体に至るまで滅ぼすしかないのだ。

 

「バージルさんは戦うんですよね?」

 

「最終的にはそうなる。だが、まずは相手の出方次第だ」

 

 昨日、パッフェルにはデグレア方面で迎え撃つとは言ったが、そちらに悪魔が行かない可能性も、現時点では捨てきれない。もう少し動きを見る必要があった。

 

「やっぱり私は迷惑、ですよね……?」

 

 アティは自分がバージルにとって戦いの邪魔になっていることは知っていた。先日のファナンでの戦いでは体よく街中の悪魔へと誘導されたことにも気付いていた。そして、その原因が自分の甘さに起因することも。

 

 そしてこれからは始まる戦いにはバージルの力は絶対に必要だ。しかし、自分の存在が邪魔となるのなら――。

 

「戦いの邪魔になるか、という意味なら、その通りだ」

 

「…………」

 

 予想していたとはいえ、はっきりとバージルの口から言われるとやはり悔しく、自分の無力さに嫌気が差す。

 

「だが――」

 

「……?」

 

 そこに続く言葉をアティは予想できなかった。

 

「それ以外でそう思ったことは、一度もない」

 

「っ、はい……」

 

 まさかバージルからそんな言葉を聞けるとは思わなかった。嬉しくて思わず涙が出そうになる。

 

「……それじゃ、私、二人を起こしてきますね」

 

 これからどうするにしてもハヤトとクラレットも一緒にいた方がいい。そう考えたアティは二人を起こしに行くため部屋を出ていった。ただそれ以外にも、泣き顔をバージルに見せたくないという思いもあったようである。

 

 窓から眺める街並みに影ができる。どうやら日の出を迎えたようだ。バージルは悪魔の一挙手一投足すら見逃さないように集中してその動きを注視するのだった。

 

 

 

 

 

 それから少しして、部屋にアティに連れられたハヤトとクラレットがやってきた。そしてテーブルを囲うように座り、アティから簡潔に現状の説明を受けたハヤトは自分達の決めたことについて口にした。

 

「俺たちはやっぱりファナンに残ることにします」

 

 この答えは昨日のうちにクラレットと話して決めたことだった。

 

「ちゃんと考えて出した答えなら、私は何も言わないよ。……でも絶対無茶はしないでね」

 

「大丈夫です。ハヤトは私がしっかり見ていますから」

 

「え? それじゃ、俺がいつも無茶してるみたいじゃん」

 

「……違うんですか?」

 

 これまでの行動を思い出してくださいと言わんばかりに半目で睨んでくるクラレットの言葉に、これまでしてきた数々の行動を思い出す。

 

「……き、気を付けます」

 

 心当たりが多すぎたハヤトは、冷や汗を流しながら苦笑いするしかなかった。

 

「でも、本当に気を付けてくださいね。あなたがいなくなったら、私……」

 

「分かってる。一人になんてしないよ。約束するから」

 

 不安そうな顔をするクラレットを見たハヤトはいつになく真面目な顔で言った。

 

 それを聞いて安心したように柔らかな笑顔を浮かべるクラレットをアティは羨ましそうに見ていた。

 

(いいなあ……)

 

 隣に座るバージルを見る。少なくともバージルがあんなことを言ってくれたことはない。確かに先ほどのように稀に、どきっとすることを言ってくれたが、それだけで満足できるほど乙女心は安くはないのだ。

 

「……なんだ?」

 

 視線に気づいたのか、バージルから声がかかった。

 

「あっ、いえ……、私はどうしようかって思いまして……」

 

 咄嗟のこととはいえ、それはさきほどから考えていたことだった。バージルについて行くという選択肢がないとは言っても、さすがにここで引き籠っているわけにはいかない。

 

 そう考えていたアティを見ながらバージルは口を開いた。

 

「何もすることがないのなら、ゼラムに戻ればいい」

 

 もしかしたらバージルは、ゼラムに残った彼女のことを考えて提案したのかもしれない。もちろんポムニットのことは、アティも心配していたため、戻ることに抵抗はなかった。

 

「ゼラム、ですか。……確かにポムニットちゃんも心配ですし、一度戻りますね」

 

 理由はどうであれ、これまで提案なんてしたことがなかったバージルが、自分のことを考えてくれたという事実が嬉しかったのだ。

 

 それが分かっただけで、先ほどまでのクラレットのことを羨ましく思う気持ちは消えていた。なんだかんだ言ってもアティは、悪魔のことばかり気にかけるのではなく、自分にも構って欲しかったのかもしれない。

 

「俺たちは残って、先生はゼラムに行く。……バージルはどうするんだ?」

 

「……北に行く」

 

 現在の状況を確認して答える。悪魔の動きから判断すると当初の予定通り、デグレア方面で戦うことになりそうなのである。

 

「あの、今はどうなっているんですか?」

 

 クラレットがおずおずと聞いてきた。さきほどもアティに言った通り、ハヤトに無茶をさせないためにも、引き際だけはわきまえなければならない。それには少しでも多くの情報が必要なのだ。

 

「トライドラの悪魔どもは東西と北の三方向に分かれて進んでいる。数はどこも同じくらいだな」

 

 これは三つの国家を同時に相手取るための編成と考えることができる。東に向かっている悪魔は聖王国、北は旧王国、そして西は帝国といった割り当てだ。

 

「西……」

 

 アティとハヤトの声が重なった。二人にはそれぞれ西の方に仲間がいるのだ。聖王国の最西端に位置するサイジェントにはハヤトの仲間がおり、帝国との国境付近にはそこを守備する部隊の指揮官として、アティの古くからの友人であるアズリアがいるのだ。

 

「あの――」

 

「頼みが――」

 

「もとより悪魔とは戦うつもりだ……もっとも、それなりに数がいれば、の話だがな」

 

 何を言わんとしているか分かったバージルは、彼らの言葉を遮って言った。二人に頼まれなくとも北の悪魔を殲滅すれば、次の狙いは西に向かっている悪魔である。

 

 三方面の中で最も早く戦闘が始まるのは、東に向かう悪魔と大平原の西部、ファナンから見て北の方角に布陣したエクスやファミィが率いるだろう軍勢だ。もし戦場がゼラムやファナンになるのなら、戦闘開始時刻は繰り下がることになっていただろうが、大平原に布陣したためもっとも早く悪魔と交戦することになるのだ。

 

 逆に最も遅くなるのは西に向かった悪魔だ。彼らがサイジェントに向かうにしても帝国国境を目指すとしても、あるいは戦力を分けて同時に攻勢をかけるとしても、トライドラからの距離の関係上、三方面で最も遅い戦闘開始となるのである。

 

 そこがバージルにとっては付け入る隙となる。北の悪魔と戦った後でも、さらに誰の邪魔も入らずに悪魔と戦える可能性があるのだ。もちろんバージルがそれを狙わない理由はなかった。

 

「ありがとうございます! アズリアのこと、よろしくお願いしますね」

 

「このお礼は絶対するから!」

 

「……そうか」

 

 バージルにとってこの程度たいしたことはないと考えていたため、礼を言われて少々面食らった。無論、表情には出していないが。

 

 アティとハヤトはバージルに任せれば一安心だと息を吐いた。

 

「さて……」

 

 ようやく話がまとまったところで、バージルは椅子から立ち上がり、壁に立てかけていた閻魔刀を手に取った。それだけでここにいる三人とも、彼がこれからどこに行くか悟った。悪魔との戦いの場に行くのだ。

 

「私も途中まで一緒に行っていいですか?」

 

「ああ」

 

 彼に続きアティも荷物を肩にかけた。目的地は全く別方向ではあったが、正門までは一緒だ。

 

 そしてその二人を見送るため、ハヤトとクラレットは宿の前まで同行することにした。それ以上は二人の邪魔になってはいけないと、遠慮することにしたのである。

 

「気を付けてください」

 

「全部終わったらみんなで宴会でもしようぜ」

 

「いいですね、それ! 盛大にやりましょう!」

 

 ハヤトの提案にアティは随分と乗り気だった。島での宴会を思い出したのかもしれない。

 

「行くぞ」

 

 言葉と共にバージルが踵を返し、アティもそれに続く。正門までの間、どちらからも話し出すことはなかった。正門を抜け、ここで別れるとなってようやくアティから口を開いた。

 

「気を付けてくださいね」

 

 バージルに心配など無用だと思うが、それでも口に出すのと出さないのでは大違いだ。

 

「お前もな」

 

 珍しくそんなことを言うバージルがどこかおかしくアティはくすくすと笑った。

 

「ふふっ、初めて心配してくれましたね」

 

 バージルはアティという人間が自分にとって特別な存在だということくらい理解していた。しかし、何故特別なのか、その理由がわからないでいた。いずれ、それが何なのか明らかにしたいと考えているため、彼女には無事でいてもらわなければならない。

 

「持っていろ」

 

 そんな彼女を真剣な顔で見ていたバージルは、いつも首から下げていたアミュレットを外し、アティに差し出した。

 

「これって、バージルさんがいつも身に着けているものですよね? 私なんかが持っていていいんですか?」

 

「アティ、お前に預ける。戦いが終わった時に返せ」

 

「……はい。必ず返しに行きますから」

 

 真面目な顔でアティはアミュレットを受け取ると、それをバージルがしていたように首から下げた。

 

 母の形見であるアミュレットはその名の通り、悪しきものから身を護るお守りである。果たしてこれを渡したバージルの心中にあったのが、どんな想いであろうと、ただ一つ明らかなのは、アティを案じる彼のさきほどの言葉は、嘘偽りのない真実だということであった。

 

 

 

 

 

 バージルとアティが分かれ、それぞれの目的地に向け動き出した頃、大平原に布陣する聖王国の軍勢は、悪魔との戦闘を開始していた。

 

 今回の聖王国の戦力の中核を担うのは、この国の王たる聖王スフォルト・エル・アフィニティスの住むゼラムを守る騎士団だ。各都市から選抜された優秀な騎士によって構成されている騎士団は、この国における最精鋭の戦闘集団と言えるだろう。さらに今回は、各都市から追加で兵力を増派させ、戦力を増強していた。

 

 おまけに蒼と金の両派閥の腕利きの召喚師も同行している。選ばれた召喚師は、能力はもちろん実戦経験も考慮しているため、騎士との連携にも支障をきたすことはないよう配慮されている。

 

 こうした構成からも解るように、今回準備した戦力は、今の聖王国の準備できる最高戦力と言っていいだろう。

 

 しかし、普段から犬猿の仲と言っても過言ではない蒼の派閥と金の派閥が共に戦うのだ。おまけに悪魔との戦いに間に合わせるには、短期間で臨戦態勢まで整えなければならないのだから、実現などできるはずがないと考えた者が大多数だろう。

 

 それをまとめたのは聖王スフォルトであった。いつもの彼は国政に関する一切を臣下に任せているのだが、遅々として進まぬ迎撃の準備に業を煮やしたのか、ついにその大権を行使したのである。

 

 そうしてようやく編成されたこの大軍勢は、一部の者からは守りはどうするのかと苦言を呈されたこともあった。事実、ゼラムの騎士団はほぼ全てが悪魔との戦いのために動員され、残されたのは治安の維持に必要な僅かな数だけである。派閥の召喚師はさすがにもっと残ってはいるが、彼らは悪魔との戦いに適さないと判断された者であり、防衛のための戦力と見るのは難しいだろう。おまけにファナンも似たような状況である。

 

 つまりはゼラム、ファナンの両都市は極端に防衛能力が落ちているのだ。ここに悪魔が現れた日には大惨事になることは想像に難くない。そのため、当初は悪魔の戦力がおおよそでも判明したら、余剰な戦力は各都市の防衛に充てることにしていたのだ。

 

 しかしどうやらそれは叶いそうになかった。悪魔の数は想定を遥かに超えていたのである。

 

「すごい数……」

 

 悪魔と聖王国の勢力の戦いを遠くから見ていたトリスが、大平原を覆い尽くさんばかりの悪魔の数に驚きと心配が入り混じった声で言った。悪魔と戦う召喚師の中には、彼女の先輩もいるのだから心配したくなるだろう。

 

「……だが、今のところ僕たちの出番はなさそうだな」

 

 最初こそ機先を制された感の聖王国の騎士団であったが、直後に召喚術の援護を得た騎士たちはすぐに態勢を立て直し敢然と悪魔に向かって行った。

 

「さすがは王都を守る騎士団だな……」

 

 感嘆するように呟いたのは先日まで敵だったルヴァイドだ。黒の旅団は彼と腹心のイオス、ゼルフィルドの三人を残し文字通りの全滅となったのである。

 

 これまで敵対してきた相手なのだから捕虜として扱うのが常識的な対応だろうが、ルヴァイドは悪魔と戦いに協力したいと申し出たため、共に戦うことにしたのだ。それには、黒の旅団の一連の行動がレイムによって仕組まれていたことも大きいだろう。

 

「しかしルヴァイド様、果たして今の勢いがいつまで持つか……」

 

 騎士も召喚師も人間である以上、体力や魔力は尽きる時がくる。もちろんそれを考慮に入れて兵を控えさせているのだろうが、心配なのはいまだ大平原に入り込んでくる悪魔が一向に減らないことだ。

 

「ソノ時コソ我ラガ動ク時ダ」

 

 イオスの言葉にゼルフィルドが答えた。彼らがこの場にいるのはただの観戦目的ではないのだ。

 

 聖王国の戦力は役割で分けると大きく二つに分類される。一つは防衛線に配置された者たちだ。もう一つは危機に瀕した箇所に駆け付け、悪魔の突破を防ぐ者たちだ。

 

 前者はこの戦いの中心となる存在で数も非常に多い。今回は防衛線の維持が勝敗を分ける最大の要素であるため、彼らの戦果が勝敗を左右すると言っても過言ではない。

 

 そして後者は速やかな悪魔の撃退が重要となる性質上、精鋭ぞろいのこの集団の中でも特に優秀な者が選抜されているのだ。

 

 マグナ達の役目は、その二重の防衛戦力を突破してきた悪魔の撃退である。マグナ達は戦闘力こそ高くとも、職業、種族、所属がばらばらで、とても騎士団と行動をともにするのは難しいと判断されたため、この役目に落ち着いたのだ。

 

 それでも背負う責任は重い。彼らの背後にあるのは防備もままならない都市である。もし彼らが悪魔に突破されればその瞬間、大惨事が確定するのだ。

 

「あの人が協力してくれればなあ」

 

 マグナの脳裏に浮かんだ人物はバージルだった。大量の悪魔を僅かな時間で一掃するだけの強さを持つ彼が共に戦ってくれるのなら、百万の味方を得たようなものだったのに、と残念に思っていたようだ。

 

「仕方ねえさ。デグレアの方に行っちまったんだろう?」

 

 フォルテはバージルの動向をもたらしたパッフェルに確認するように尋ねた。

 

「ええ、確かにそう言っていました。……それに、もしこちらに来てくれるとしても、まずあちらを片づけてからでしょうね」

 

「いずれにせよ、私たちは為すべきことに力を尽くすしかありません」

 

「相変わらずおカタイねえ、シャムロックは。そんなんじゃ――」

 

 いつも通り真面目な顔で真面目なことしか言わない親友をからかおうとフォルテが声を上げた時、大きな揺れが彼らを襲った。

 

「召喚術……!? ファミィ議長か!」

 

 その正体を一瞬で破ったあたり、ネスティはさすが蒼の派閥の召喚師だろう。ちなみにより具体的に言えばファミィが召喚したのはサプレスの悪魔である「魔臣ガルマザリア」だった。

 

「さっすがお母様ね!」

 

 ファミィの娘であるミニスが母の活躍を我が事のように喜んだ。仲間内でも最年少であるミニスだが、召喚師としての才能は既に大人顔負けだ。しかしその反面、年齢相応に親離れできないところもあるのだ。

 

「あれなら悪魔もただでは済まないでしょうね」

 

 ここにもあれだけの揺れがあったのだから、もっと近くにいた悪魔には大きな打撃となったのは間違いない。

 

 しかし悪魔との戦いに気を取られ過ぎているためか、先日以来、一切姿を見せないレイムのことを気にする者は誰もいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 




次回は6月25日(日)に投稿予定です。

ご意見ご感想等お待ちしてます。

ありがとうございました。




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第49話 大平原の攻防

 ファナンを出たバージルは、聖王国の旧王国方面の防衛の要であるローウェン砦で悪魔を待ち構えていた。ローウェン砦はトライドラがレイム達の手で落とされたせいか、人っ子一人いないもぬけの殻だったため、遠慮なく利用させてもらっていた。

 

(さて、向こうはいつまで持つか……)

 

 既に大平原では悪魔と人間の激戦が繰り広げられていることは、当然バージルも気付いていた。

 

 現状では悪魔の攻勢を防ぎきっているようだが、いつまでもつかは分からない。なにしろ今戦っている悪魔は大平原に向かった中の三割ほどに過ぎない。まだまだ後続には戦いに飢えた悪魔が続いているのである。

 

「……来たか」

 

 暇潰しも兼ねて大平原で起こっている戦いに注意を向けていると、ようやくバージルの戦うべき悪魔が姿を見せた。谷間に造られたローウェン砦からはその軍勢の全容がみえないほどの数だ。

 

(この前と同じようなものか、つまらんものだ……)

 

 いくら数が揃っていると言っても、悪魔の軍勢を構成するのは、そのほとんどがセブン=ヘルズなどの下級悪魔である、中には何体かサプレスの悪魔も混じっているが、下級なのは同様だった。

 

 この組み合わせは前回のファナンの時と同じであり、正直なところバージルにとっては、もはやどれだけの数を揃えようと問題にはならないレベルの相手に過ぎないのだ。

 

(いや、それだけじゃない。これは……アビスか)

 

 少し落胆していたバージルだったが、悪魔の中に他よりも大きな力を持つ「アビス」という悪魔が二体ほどいたことに気付いた。その「アビス」という種の悪魔とバージルは、かつてテメンニグルで戦った経験がある。

 

 さすがに大悪魔のような力ではないものの、リィンバウムで見かけた悪魔の中では、フロストと同程度の力を持っており、人間はおろか並みの召喚獣でも歯が立たない強さを持っている存在である。

 

 しかしテメンニグルでバージルは、十体弱のアビスを瞬殺したことからも明らかなように、彼にとってはアビスといえでも雑魚に過ぎないのだ。

 

 しかしそれでも、この悪魔の存在は作業的なルーチンワークのようにすらなってしまう、悪魔との戦いへのいいスパイスになるだろう。

 

 これはある意味、絶対的な強者につきものの贅沢な悩みでもある。

 

 もしかしたらムンドゥスを封じた後のスパーダもこんな悩みを抱いていたのかもしれない。そして弟に至っては、現在進行形で自分と同じ悩みを持っているに違いない。考え方が違うといえダンテも己と同じ伝説の魔剣士の血を引いているのだから当然の帰結だ。

 

「…………」

 

 ローウェン砦の上に立っていたバージルは、迫りくる悪魔を無言で見据えたままギルガメスを装着する。今回は閻魔刀はなしで戦おうと決めたのだ。

 

 特に理由はないが、強いて挙げるなら、アビスとは閻魔刀で戦ったことがあるだけだったため、今度は徒手空拳で戦おうと思った程度だった。

 

 そしてバージルの意識が眼前の悪魔に向いた瞬間、それに呼応するようにギルガメスのフェイスマスクが口元を覆った。そしてそれが戦闘開始の合図だった。

 

 バージルは砦から悪魔たちの上空まで跳躍した。悪魔が地を這う虫けらのように見える程の高さまで飛び上がると、今度は拳を振りかぶったまま、真下に落下していく。

 

 そして地面に着く瞬間、拳を大地に叩き付けた。

 

 爆発的な衝撃波が周囲に広がり、岩盤で覆われた大地は粉々に砕けて二つ割れた。その割れ目がどれだけの深さまで到達しているかは分からない。何しろ底が深すぎて視認できないのだ。

 

 地上、空中の違いはあるとはいえ、今の技はレイムと初めて会った屋敷の床をぶち抜くときに使ったものと同一の技だ。唯一の違いは力を拡散させるか否か点だけである。かつて使った時には、叩きつけた衝撃を拡散させず一点に集中させることで床を抜いたのだが、今使った時は衝撃を周囲に拡散させたのである。

 

 たいして力を込めていなかったが、それでも悪魔を殺すだけの威力を秘めた衝撃だ。直接拳を受けたわけではない周囲の地形も、ただで済むはずはなかった。

 

 左右を挟むように反り立つ崖は、ギルガメスの一撃による余波を受け、次々とひびが入ったかと思うと、がらがらと大きな音を立てて崩れていった。

 

 しかしバージルも悪魔たちもそんなことは歯牙にもかけない。いくら地形が変わろうとも為すべきことは何も変わらないからだ。

 

 ギルガメスによりバージルが着地した周囲から、悪魔が一掃されたが、バージルは己に迫る悪魔の気配を鋭敏に察知していた。

 

(下か……)

 

 地面がまるで水面のように波打った。そこ現れたのは一体のアビスだった。しかし、地面には穴を掘った後はない。そのことからもこれが、悪魔独特の移動方法だと理解できるだろう。

 

 アビスは今のように敵の足元から現れ、斬りつけるような使い方を多用している。悪魔らしい攻撃的な使い方である。

 

 しかしバージルには通用しない。彼はアビスが地面から飛び上がってくるのに合わせて、二連蹴り上げ「日輪脚」を放った。

 

 巨大な悪魔さえ容易く打ち上げる蹴りを、二発とも胴体に食らったアビスは絶命しながら空中に打ち上げられた。同時にバージル自身も蹴り上げの勢いのまま宙に舞い上がった。

 

 そこへもう一体のアビスが炎を纏った鎌を振り下ろしてきた。バージルの動きに反応して咄嗟に攻撃を仕掛けるとは、さすがは魔帝にも使われた悪魔と褒めるべきかもしれない。やはり有象無象の下級悪魔とは違うようだ。

 

 それでもバージルに刃を届かせることはできなかった。彼は鎌が当たる直前で体を捻り、すんでの所で回避したのだ。

 

 もちろんバージルのことである。ただ回避したのではなかった。そのまま空中で体を一回転させ、鎌を振り下ろしたアビスの後頭部に踵落としを食らわせたのだ。

 

 人間とは違って、悪魔は頭に衝撃を受けたからといって脳震盪など特別な反応を起こすことはない。だからといっていくら頭に攻撃を受けても平気なはずでもない。つまるところ悪魔は、許容量の攻撃ならどこに受けても問題はないというだけなのだ。

 

 そのためこのバージルの一撃のように、許容量を超える攻撃を食らってしまったアビスが、あっけなく死ぬのは当然の結末なのである。

 

(もうこいつらは終わりか……)

 

 この一連の流れで二体のアビスを始末したバージルは周囲を探り、もうアビスがいないことを悟った。

 

 やはりアビスはこれまでの下級悪魔に比べ相当マシな相手だったが、いかんせん数が少なすぎた。できるなら目の前に残された悪魔が全てアビスでもいいと思ったくらいだ。

 

(さっさと始末するか……)

 

 当たり前だがそんなことあるはずもなく、残りの戦いがルーチンワークになるのを予感しながら、バージルは悪魔に向かって行くのだった。

 

 

 

 

 

 バージルがたった一人で悪魔を圧倒しているのとは対照的に、聖王国の軍勢は悪魔に苦戦を強いられていた。いくら倒しても悪魔は減る気配は見せず、おまけに戦意も衰える様子もない。むしろ戦うことに喜びさえ感じているように見えるのだ。

 

 実際、大平原に向かった悪魔の数は、ローウェン砦でバージルが相手をしている悪魔と同程度だ。

 

 にもかかわらずここまで苦戦しているのは、一撃で多数の悪魔を屠ることができる手段が限られているためだった。召喚術はよほど高等な召喚獣を呼び出さなければ、複数の悪魔には致命的な一撃を与えられず、その上、それだけの術を行使できる召喚師は決して多くはないのである。

 

 そうした積み重ねもあり、防衛線を突破する悪魔が既に出始めていた。いくら相手は下級悪魔であるとはいっても、その数は尋常ではない。騎士たちも一対一なら後れを取ることはなくとも、相手が複数で、さらに戦いが長引いたことによる疲労の影響で、不覚を取ることが増えているようだった。

 

「レオルド、足を止めて! ネス、とどめお願い!」

 

「了解」

 

 トリスの言葉を受けて、彼女の護衛獣の一人レオルドが腕に装備された銃を連射する。機械兵士ゆえ狙いは正確で悪魔を動きをほぼ完全に抑え込んでいた。

 

 そうやって稼いだ時間でネスティは召喚術を完成させた。

 

「コマンド・オン。ギヤ・メタル!」

 

 召喚したロレイラルの召喚獣「裁断刃機(ベズソウ)」がビームソーで悪魔を切断する。血は噴出さず砂となって消えていくところ見ると、セブン=ヘルズの一種のようだ。

 

「周囲ニ敵ノ反応ナシ」

 

「な、なんとかなってよかったですぅ」

 

 レオルドとレシィが戦闘が終わったことを確認していると、別な悪魔と戦っていたマグナが声をかけてきた。

 

「そっちも片付いたか」

 

 ネスティの召喚術で、これまで戦っていた悪魔を全滅させたことを確認したマグナは、剣を下ろして大きく一息ついた。

 

 こうやって防衛線を突破した悪魔と戦うのはこれで三度目だ。一度目と二度目に相手はほんの数体だったため、たいして手間もかからなったが、今回の相手は十五体ほどであり、その分撃破まで時間を要したのだ。

 

「休んでいる暇はないぞ、マグナ!」

 

 ルヴァイドが声を上げた。彼の視線の先にはファナンに向かおうとしている悪魔の姿があった。今まで戦っていたのはゼラムに向かう悪魔だったから距離はかなりある。すぐに向かわなければ手遅れになるだろう。

 

 マグナがファナンの方に気を取られていると、フォルテとケイナが声を上げた。

 

「おっと、どうやらまた来たみたいだぜ」

 

「こっちは私たちが何とかするから、あっちは任せるわよ」

 

 彼らは自分達二人だけで相手するつもりだったようだが、さすがにそれだけではと考えた他の者も自発的に残り、最終的にフォルテたちは十人ほどで悪魔を迎え撃つことにし、マグナやトリスはルヴァイド達とファナンへ向かうことにした。

 

「急げ! 間に合わなくなるぞ!」

 

 イオスに急かされ、マグナたちは先に行っていたルヴァイドの後を追う。走るのを妨げる障害物はない草原といえども、若干の勾配はあり。それ走りにくさを助長させていた。

 

 さすがに軍人であるルヴァイドやイオスは、こういったことにも慣れているようで平然と走るが、マグナやトリス、アメルなど一般人に近い者達は彼らについて行くのがやっとだった。

 

「ギリギリ間に合うか……!?」

 

 ファナンの正門がだいぶ近くに見えてきたあたりでネスティが呟いた。悪魔と正門の距離、そして自分たちが着くまでに要する時間を考えると、悪魔のファナンへの侵入を止められるかは微妙なところだった。最悪、街中での戦闘も覚悟しなければならないだろう。

 

「誰か出てきた……?」

 

 マグナの隣を走るトリスが目を凝らしながらファナンの門を見る。

 

「誰だろう? こんな時に……」

 

 マグナもその二人の人物を視認することはできた。とはいえそれは、せいぜい人がいることが分かるくらいで、実際のところ顔はおろか男女の区別さえつかなかった。

 

 普通に考えれば住人だと判断するが、マグナはそうは思ってはいなかった。

 

 そもそも逃げようと思った人は昨日までの段階でファナンを出ている。つまり現在まで残っているファナンの人々は、戦いが近いことは知っていてあえて残った人々なのである。残る理由は人それぞれだろうが、そんな住人たちがいまさら逃げるとは思えなかったのだ。

 

 答えの出ない問いをずっと考えていた時、唐突にその人物の一人が召喚術を使った。

 

「嘘……」

 

 トリスが立ち止まり唖然とした様子で呟いた。他の者も口には出していないが同じようなことを考えていた。それほど召喚された存在の威容は凄まじいまのだった。炎のように赤い鱗を纏った山のような巨体。どこかの冒険活劇に出てきそうな竜が現れたのである。

 

 かなり高位の召喚術であることは、現れた竜を見れば明らかだ。彼らの仲間のミニスもシルヴァーナと名付けた竜を召喚するが、それよりも上位の存在であることが、姿からひしひしと伝わってきていた。

 

 召喚された竜は耳をつんざく様な声で咆哮すると、悪魔へ向かって噴火のような莫大な熱量を持つ炎を吐いた。まだ相当の距離があるはずなのに、その炎による熱気がマグナ達のところまできていた。

 

 中級や上級悪魔ならまだしも、ただの下級悪魔にそれだけのエネルギーを持った一撃を受けて、生きていられる道理はなかった。

 

 炎を吐き終わった後に残ったのは、何もない大地だけであり悪魔がいたという痕跡一つ残ってはいなかった。そして役割を果たしたのだろう、竜はゆっくりとその姿を消していった。

 

 一体この竜を召喚したのは誰なのか、マグナたちの最大の疑問はそこであった。悪魔だけを狙ったことから少なくとも敵ではないと思うが、これほどの召喚術を使えながら大平原の戦いに呼ばれていないところ鑑みると、少なくとも派閥に属する召喚師ではないことは確かだ。正体を確かめるべくマグナはさらに速度上げた。

 

 そうして確認できた、竜を召喚した者の正体はマグナにとっては意外すぎる人物であった。

 

「ハヤト先輩!?」

 

「……マグナ?」

 

 そしてそれはハヤトにとっても同じだったようだ。

 

 

 

 

 

 思いがけず再会を果たした二人は、とりあえず互いの状況を簡単にではあったが、説明し合った。ファナンに迫っていた悪魔は倒されたとはいっても、さすがに余裕のある状況ではないため、説明が大雑把にならざるを得なかったのは仕方のないことだろう。

 

「それにしてもハヤト先輩、さっきはありがとうございました。間に合わないかもしれないと思って、焦っていたんですよ」

 

「気にするなって、俺もまさか、国が動くくらい大規模なことになっているなんて思わなかったし」

 

 あらためて礼を言うマグナに、ハヤトは率直な感想を告げた。実際ハヤトは騎士と悪魔が戦っているところを遠目には見ていたが、勝手に一年前の時と同じくらいの規模だと思っていたのである。それがまさか、先ほどの説明で聞いたような大規模なものだったとは思わなかったのだ。

 

 言葉の上では、今回の聖王国側の戦力はゼラムの騎士団と蒼と金の派閥の召喚師であるため、一年前に無色の派閥と戦ったサイジェント騎士団に召喚師を足しただけのように感じるが、実際は騎士団だけで見てもサイジェントとゼラムの騎士団の数には二倍ではきかないような開きがあるのだ。

 

 これは街の大きさや騎士団の果たす役目も関係してくるため、サイジェントが少なすぎるとか、ゼラムが多すぎるなどと一概に言うことはできないのである。

 

「まあ、さすがにファナンから見て、規模を理解しろと言うほうが無理だろうな」

 

 ハヤトが規模を見誤った理由はネスティの言うように見ていた場所からの距離が原因だった。ファナンからでは大平原の戦いも豆粒のようにしか見えないのだ。

 

「……ところで、もう旧王国の方は大丈夫なのか? 昨日の話じゃどうなったかまでは言ってなかったけど……」

 

 旧王国が聖王国に並々ならぬ敵意を持ち、何度も侵攻してきたことがある国家ということはクラレットから聞いていた。もしマグナたちと戦ったという黒の旅団が健在だったらファナンやゼラムが襲われるのではないかと危惧したのだ。

 

「ああ、それならもう話もつきましたし大丈夫ですよ、ただ――」

 

 唯一どうなったか分からない、黒幕的存在のことを話そうとしたマグナだったが、不意に言葉が止まった。

 

「マグナ? どうしたの?」

 

「大丈夫ですか?」

 

 怪訝な様子でトリスが声をかけ、アメルは心配してマグナに寄り添った。

 

「なあ、ネス……。あの悪魔たちってどうなった?」

 

 何かに気付いたマグナが血相を変えてネスティに尋ねた。黒の旅団の目的、そしてそれを操っていたレイム、それらが一つに繋がったような気がした。

 

 きっとマグナは、出てしまった答えがただの杞憂であったことを、確認したかったのかもしれない。

 

「あ……」

 

 それを聞いたトリスもマグナと全く同じ考えに辿り着いた。

 

「悪魔……ああ、あのレイムたちのことか。あいつらなら――」

 

 あれから姿を見せていない、そう答えようとしたネスティだったが、寸前でマグナの考えが理解できた。

 

 それは考えうる限り、最悪な推測だった。特に召喚兵器(ゲイル)の誕生と深い関わりがあるマグナやトリス、ネスティにとっては悪夢以外のなにものでもない。

 

「アメル、レイムがどこにいるか分かるか?」

 

 苦虫を噛み潰したような顔をしたネスティの頼みを受けて、天使の生まれ変わりであるアメルは悪魔を探るべく目を閉じた。何も言わず黙って頼みを聞くところを見ると、もしかしたら彼らが思い至ったことが分かったのかもしれない。

 

「……ごめんなさい。魔力と感情が入り乱れすぎていて、よくわからないんです」

 

「そうか……」

 

 正直なところ、レイムの居場所は一応の心当たりがあった。できるならすぐにでもその場所に行きたかった。もう二度とあれを使われるようなことなどあって欲しくはないのだから。

 

 しかし、そう簡単な話ではなかった。なにしろ本当にそこにいるか確証などありはしないのだ。それにこの場を離れるわけにもいかない。今彼らが離れればこの場を守る者はいなくなってしまう。だからといって一人でも行くのも無茶だ。もしもレイムたちと会ってしまったら、一人では逃げることも難しい。

 

「ネス、どうする? あたしが行こうか?」

 

「みんなで行くのは無理だろうけど二、三人くらいなら抜けても大丈夫だよな?」

 

 トリスとマグナが重ねて言う。やはり二人もこのままではいられないようだ。

 

「君たちはバカか!? もしもあいつらがいたら一人や二人でどうにかなるわけがないだろう!?」

 

 無茶なことを口にするマグナとトリスをネスティは、少しは考えろと言いたげな顔つきで叱りつけた。もちろん言いたいことはわかる。二人くらいなら、抜けてもこの場を守るきることくらいなら何とかできると考えたのだろう。

 

「……なあ、それなら俺たちが行こうか?」

 

 その様子を見ていたハヤトが真面目な顔で言う。この提案は彼なりに考えた末の答えなのだ。

 

「そうですね、私達はどこにも所属していませんし、お力になれると思います」

 

 幸いクラレットも賛成していた。

 

 できるならハヤトも彼らと共に悪魔と戦いたいが、即興の連携で対抗できるほど戦闘は甘くはない。特にぶっつけ本番で挑むことほど危険なものはないのである。だからこそ騎士や軍人は、日頃からあらゆる状況を想定し訓練を行っているのだ。

 

 それを知っているからこそハヤトはこの場は任せ、自分たちは彼らの心配ごとを取り除こうと思ったのだ。

 

「…………」

 

 ネスティは迷った。確かにハヤトたちなら先ほどの召喚術を見る限り、あの悪魔とも互角以上に渡り合える力を持っているのかもしれない。しかし、あの場所にあるのは自分の一族が犯した過ちそのものだ。その尻拭いを、今日初めて会った相手に任せてしまっていいのだろうか。

 

「俺がそこまで案内するよ。だからネスはこっちを頼む」

 

 その言葉に続きマグナと視線を交わしたアメルが口を開いた。

 

「あたしも一緒に行きます。マグナのことは任せてください」

 

 天使の生まれ変わりであるアメルもまた、レイムたちが向かったと思われる場所には因縁があった。特にそこの結界を通るためには彼女の力が必要なのだ。

 

「マグナ……アメル……」

 

 背中を軽く叩きながらそう言った弟弟子を見たネスティは、二人の決意を悟り決断した。

 

「……なら、これくらいを持っていってくれ。剣ばかりで戦うんじゃないぞ」

 

 ついて行けない自分の代わりにとネスティが渡し物はサモナイト石だった。外見から判断するに機界の召喚獣と誓約済みのものだろう。

 

 マグナは召喚術より剣術の方が得意という召喚師にあるまじき存在だ。それでも膨大な魔力を持つため、召喚術も人並み以上に行使できるが、マグナとしては剣を主、召喚術を従と考えているようで、新たな召喚獣と誓約を結ぶことをあまりしてこなかったのだ。

 

 そのためネスティはサモナイト石を渡すことにしたのだ。彼は使ったことはないが、それで呼び出せる召喚獣の攻撃なら、悪魔相手にも十分効果があることを、受け継いできた記憶から確信していた。

 

「ありがとう、借りておくよ。……トリスもネスのこと頼むな」

 

 自分が行けないことになって、ぶーたれていたトリスの機嫌を取るように言う。そのダシにされたネスティは呆れたように、マグナのことを冷たい目で見ていたが、なんとか目を合わさないようにしていた。

 

「ま、こっちはあたしたちに任せてさっさと行ってきなさいよね。アメルも気を付けてね、なにかあったらマグナに守ってもらいなさいよ」

 

 トリスが答えながら、アメルに声をかけた。それ苦笑しながら見たマグナは、二人の護衛獣に言葉をかけた。

 

「……バルレル、ハサハ。悪いけど二人はみんなを守ってくれ」

 

「ハァ? 何言ってるんだテメエ」

 

「ハサハ……おにいちゃんといっしょがいい……」

 

 バルレルもハサハもマグナの言葉には納得できなかった様子だ。しかしマグナも譲る妥協するつもりはなかった。

 

「さすがに四人も抜けちゃこっちもキツイって、それに今はフォルテ達とも別れているし……。だから、二人にはみんなを守って欲しいんだ」

 

 こちらに来たのはマグナとトリスに二人の護衛獣、そしてネスティ、アメルの八人にルヴァイド達三人を足した十一人だ。そこからマグナ、アメルに加え、バルレルとハサハも離脱するとなると、単純に考えても戦力は四割以上減ることになる。

 

 それでは悪魔を阻止するという役割を果たすことは困難だろう。だからマグナはどうしても自分の護衛獣に残って欲しかったのだ。

 

「……仕方ねぇな、さっさと行きやがれ」

 

 最初に折れたのはバルレルだった。お人好しのマグナだが、変に頑固なところもあるのだ。そうなったら梃子でも動かない。

 

「……きをつけてね」

 

 それはハサハも分かっているようで、納得はしていなくても主の意志を尊重するつもりだった。

 

 そんな彼らの様子をハヤトは、仲間のことを思い出しながら見ていた。果たしてサイジェントは大丈夫だろうかと心配になるが、すぐにその考えは振り払った。今はそんなことを考えている場合ではないのだ。

 

「さあ、乗ってくれ」

 

 エイに似た飛行可能な魔獣、飛鷂魔(グレイヌフ)を召喚したハヤトはクラレットを乗せるとマグナとアメルにも促した。

 

「アメル、手を」

 

 ハヤトの召喚した召喚獣に乗ったマグナはハヤトがクラレットにしたように、アメルの手をとって彼女を引っ張り上げた。

 

「よし、行こうか」

 

 四人全員が乗ったことを確認したハヤトは飛鷂魔(グレイヌフ)に合図する。ゆっくり空に向かって動き始めるのを確認すると、後ろに乗ったマグナに目的地について尋ねた。

 

「どっちに行けばいい?」

 

「ここから北の方です! そこにあるアルミネスの森に向かってください!」

 

 アルミネスの森。またの名を禁忌の森。召喚兵器(ゲイル)というリィンバウムの歴史には語られることない存在が封じられたその場所で、何が待ち受けるかはまだ誰にも分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 




とりあえず2編終了までの目途が立ったので、投稿間隔を短くしていこうかと思います。

次回は来週7月2日(日)午前0時に投稿予定です。

ご意見ご感想等お待ちしてます。

ありがとうございました。


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第50話 機械遺跡の悪魔

 バージルとアティがファナンに向かってから今に至るまで、ただ一人ゼラムに残ったポムニットは、黙々と掃除や洗濯などの家事をこなしていた。まだそれほど長くはこの聖王都にいるわけではない彼女でも、ゼラムに漂う戦いの匂いは気付かないわけはなかった。そうでなくともここ最近のゼラムの雰囲気は一年前のサイジェントに酷似しているのだ。

 

 おまけに昨日、ゼラムの騎士団は街を出ていったのだ。彼らの様子を見る限り、戦いに行くのは間違いないだろう。もちろん正式に通達されたわけではないが、それでもゼラムに住む人々は誰もが戦いが近いことを敏感に感じ取っていたのである。

 

 それでも人々が逃げようとしないのは、聖王国の最強のゼラムの騎士団のことを信頼しているということもあるが、それ以上に聖王都が戦禍を被ることはない、ここにいれば安全だと思っていたのだ。

 

 聖王国建国以来、主に旧王国からの侵攻は幾度となく繰り返されてきた。それでも戦争の被害が聖王都にまで及んだことは一度としてなかったのだ。だから今回も大丈夫だろうと勝手に思い込んでいたのだ。

 

(本当に大丈夫かな……)

 

 さすがにポムニットはゼラムが本当に安全な場所であるか、少なからず危機感を抱いており、不安に思っていたことも事実だ。それでもポムニットにゼラムから逃げるという選択肢はなかった。バージルとアティの帰ってくる場所を守らなければならないのだから。 

 

「こんにちはー」

 

 そこへ聞きなれた声が玄関の方から聞こえてきた。

 

「いらっしゃーい。何か淹れますから座って待っててください」

 

 訪ねてきたのは蒼の派閥の召喚師のミントだ。以前バージルが頼まれた仕事に同行した時に初めて会って以来、年齢が近いこともあって、友人としてよく会っているのだ。

 

 顔だけ玄関に出したポムニットは、そうミントに伝えると台所でお茶の準備をし始めた。

 

「ごめんね、急に来ちゃって……」

 

 ミントの申し訳なさそうな言葉にポムニットは「全然いいよー」と軽く答える。一人では変に物事を悪く考えてしまうため、ミントの来訪はポムニットにとってもありがたいことだったのだ。

 

 それから少ししてポムニットは、二人分のお茶を持って友人の待つテーブルまで行った。椅子に行儀よく座っていたミントは憂いを帯びた表情をしており、いつもより暗く元気がない印象を受けた。そうなった理由が気になりはしたが、とりあえずポムニットはいつも通り振舞うことにした。

 

「お待たせしました。温かいうちに飲んでくださいね」

 

「うん、ありがとう……」

 

「…………」

 

 暗い表情のまま、力のない言葉で礼を言ったミントを心配そうにポムニットは見つめる。そのまましばらくは、二人とも無言でお茶を飲む音だけが家の中に響いた。

 

「……ところで今日はどうしたんですか? いつもより元気がないように見えますけど……」

 

 ポムニットは意を決して尋ねた。もしかたら聞いてはまずいことかもしれないが、いつもは朗らかな笑顔を浮かべている友人が、似合わない暗い顔をしているとあっては放っておけなかったのだ。

 

「……実は、ちょっと不安で……」

 

 絞り出すような声でミントはそう呟いた。小さな声だったが、彼女に意識を傾けていたポムニットには十分聞き取ることできた。

 

「もしかして……、戦争に……?」

 

 今のゼラムに住んでいて、不安になるとすれば戦争に関することだろうと考えたポムニットはそう尋ねたが、ミントはそれを首を振りながら否定する。

 

「ううん、違うの。私は先輩とは違って選ばれなかったんだけど、それでも、もし悪魔が来たら残った人だけで戦わないといけないから……」

 

 確かにポムニットの言葉自体は外れていたが、ミントが不安げな様子の原因は、悪魔との戦争にあるという予想は間違いではなかったようだ。

 

 もしも戦争が聖王国側の思惑通りに進んでいれば、ミントが不安がることはなかっただろう。本来であれば今頃、ゼラムには悪魔の総数が判明して不要となった騎士たちが戻っているはずだった。そして彼女ら召集されなかった召喚師達は、万が一ゼラムが悪魔から襲撃された時には、協力して聖王都の防衛にあたる予定だったのだ。

 

 しかしそれは、もはや机上の空論に過ぎない。二人には知る由もないが、大平原で戦う聖王国の軍勢に戦力を戻す余裕など生まれなかったのだ。ただそれでも、ミントはゼラムに何かあったときには戦わなければならない。予定した戦力がこないからといって派閥総帥の命令が無効になるわけではないのだ。

 

 そもそもミントが戦いに向いていない性格だということは、以前の仕事の時にポムニットも知っていた。おまけに相手が多数の悪魔となると、はっきりいって彼女を戦わせるのは無謀だ。

 

「それならもしもの時は私も一緒に戦いますから! だから元気出して……、ね」

 

 だからポムニットはもしもの時は自分も彼女と共に戦うつもりだった。彼女自身もあまり戦いは好きではないが、それでも一年前には僅かな時間とはいえ悪魔とも戦った経験がある。それを考えれば少なくともミント一人で戦わせるよりは、危険は少ないだろう。

 

「でも……」

 

「大丈夫です! これでも私、バージルさんに鍛えられていましたから!」

 

「ええっ!? ほ、本当に!?」

 

 胸を張って言うポムニットにミントは思わず聞き返した。もっとも、彼女が驚いたのはポムニットが戦えるということではなく、あのバージルが戦い方を教えていたということだった。

 

 ミントのバージルに対する印象は、悪い人ではないけれど不愛想で冷たい人というものだった。そのため、よくポムニットは一緒に暮らせるなあ、と思っていたくらいだ。

 

 そんな彼がいくら気心の知れたポムニットが相手とはいえ、人にものを教えていたという事実は、ミントのバージルに対する印象を変えるには十分すぎるインパクトがあったようだ。

 

「ホントです! だから遠慮せずに頼っていいんですからね!」

 

 とは言うものの、ポムニットには不安なところもある。

 

 それは、まだミントに自分が半魔であると告げられずにいることだった。

 

 召喚師に限らずリィンバウムの人間は召喚獣に対する偏見が強い。差別的だと言い換えても間違いではない。

 

 それはリィンバウムがかつて、四界の者たちから侵攻を受けたことに起因するものであるため、非常に根深い問題なのだ。しかし、そうした召喚獣を呼び出し利用することによってこの世界は発展してきたため、召喚獣は差別の対象であると同時に発展に欠かせない存在であるという矛盾を抱えているのである。

 

 そうした人々の中で召喚術という力を使え、特権意識が強いのが召喚師だ。それだけに召喚獣への偏見は、一般人よりも強いものが少なくない。

 

 もちろんポムニットは、ミントがそうした類の人間ではないということは十分に分かっている。それでも出自を言わなくても済むのなら、そうしたいと考えてしまうのだ。

 

 実際、これまではそれでも全く問題はなかった。しかし、今後戦うことになるかもしれない悪魔を相手に、人の姿だけで倒すことできるとは限らない。下級悪魔以上の強さを持つ存在が相手であれば、半魔の姿にならざるを得ないだろう。

 

 それでも、結果的にミントの縁が切れようと彼女を守ってみせる。ポムニットは大切な友人のため、人知れずそう決意するのだった。

 

 

 

 

 

 同じ頃、アルミネスの森に辿り着いたハヤトたちは、ここに足を運んだことのあるマグナを先頭に森の中を進んでいた。その後ろにはアメル、クラレットの順でつき、ハヤトは一番後ろを歩いていた。

 

「静かですね……」

 

 鳥のさえずりはおろか、虫一匹すら見つけられない。そんなアルミネスの森を歩いたクラレットは、率直な感想を言った。

 

「ああ。話し声も聞こえないし、空振りの可能性もあるかもな」

 

 これだけ静かなのだ。話し声の一つも聞こえてこないところを見ると、もしかしたらこの森には誰もいないのかもしれない。

 

 そう思ったハヤトだったが、マグナは即座にその考えを否定した。

 

「いや、その可能性はないと思います」

 

 振り返った顔には緊張の色が見て取れる。そんな彼の様子を見てハヤトはもう一度周囲を警戒しながら尋ねた。

 

「なんでそう思うんだ?」

 

 その疑問に答えたのはマグナの後ろを歩くアメルだった。

 

「この森には結界があって誰も入れないようになっていたんです。……でも、それが今はもうないんです」

 

「ということは、誰かが壊したか、解除したか、ですね」

 

 クラレットがありうる可能性を挙げた。とはいえ重要なのは結界が消失した理由ではなく、誰がなんのために結界を消失させたのか、である。

 

「どっちにしろ、あまりいい予感はしないな。この先に例の召喚兵器(ゲイル)ってやつがあるんだろ?」

 

 この森に何があるかは、ここへの道中にマグナとアメルの口から聞いている。知ったからこそ召喚兵器(ゲイル)というものをその誰かに渡すわけにはいかないのである。

 

 ハヤトの質問には直接見てもらったほうがいいと考えたマグナは、若干の間をおいて正面にある建造物を指し示した。

 

「……あれです。あれが召喚兵器(ゲイル)が封印されている遺跡です」

 

 それは木々に隠れてはいるものの、明らかにリィンバウムの建築レベルを超えた建物だった。召喚兵器(ゲイル)がロレイラルの技術を応用していることから、この遺跡にもロレイラルの技術が用いられているのだろう。

 

「中に入ることはできるんですか?」

 

 一見すると入り口らしきところは見当たらない。不思議に思ったクラレットがマグナに尋ねた。

 

「この遺跡は召喚兵器(ゲイル)を造ったクレスメントやライルの一族だけ起動することができるんです」

 

 そう答えたマグナは遺跡に自分たち四人を中に入れるよう命令した。

 

 それを受けた遺跡から放たれた光が四人を包み込んだ。眩しさから一瞬閉じた瞼を開けると、そこには先ほどの森の中ではなかった。

 

(まるでゲームみたいな移動だな)

 

 それを体感したハヤトは胸中で呟いた。彼がまだ那岐宮市で普通の高校生だった頃にやっていたゲームで描かれるような移動法だったのだ。

 

 そして四人が中を調べようとした時、奥の方から声がかけられた。

 

「これはこれは、よくいらっしゃいました。歓迎しますよ」

 

「レイムさん!?」

 

 まさかここにレイムいるとは思わなかったアメルが、声を上げた。彼女の後ろにいたハヤトはサモナイトソードを構えながら、自分の横で「まさか」という表情をしているマグナに言った。

 

「マグナ、どうやらここに入るには別の方法があるみたいだぜ」

 

「そんな、どうして……?」

 

 信じられないというような表情をするマグナを見たレイムは、より一層楽しそうな笑顔を浮かべた。

 

「教えて差し上げましょうか? なに単純な話ですよ。私は遺跡の起動に必要な声紋も魔力もパスワードも、全てあなた方のご先祖からいただいたのですよ。人間の血液にはその人物の知識や魔力が溶け込んでいますからねぇ」

 

 楽しそうにレイムが言う。血を抜き取りそこから知識や魔力を抜き取るなど、普通の人間であれば嫌悪感を催すような、あまりにもおぞましいことだった。

 

「ひどい……!」

 

「惨い……惨すぎます……」

 

「ふふふふ。この『血識』というものは非常に便利なものでしてね。これを使ってガレアノたちに召喚術を使わせることができたのですよ」

 

 本来、召喚獣と誓約するには「真名」が必要となる。しかしそれは召喚師にとって非常に重要なものであるため、厳重に管理されている。それゆえ召喚術は限られた者にしか使うことはできないのだが、レイムは自らが「血識」と呼ぶ、血液から抽出した知識を配下の悪魔に与えることで召喚術を行使できるようにしたのだ。

 

「どの血もなかなかのものでしたが、やはり一番の美味はあなたのご先祖でしたよ! あはははは!」

 

「あんたは……!」

 

 怒りに満ちた視線をレイムへと送る。だが、彼を許せないのはマグナだけではなかった。

 

「なんてことを……!」

 

 元来、曲がったことが嫌いなハヤトだ。人を人とも思わないレイムを相手に怒るのは当然の流れだった。しかし二人の視線を軽く受け流したサプレスの悪魔はさらに言葉を続けた。

 

「そうそう、誓約者(リンカー)さん。あなたたちにも感謝しなければいけませんね」

 

「!?」

 

 まさかレイムが自分たちのことまで知っているとは思わなかったため、ハヤトもクラレットも驚きの表情を浮かべた。

 

「一年前に無色の派閥が行った儀式で随分と力を取り戻させていただきましたからね。……特にクラレット、派閥の一員として儀式に加担していたあなたにはより感謝しましょう。あなたのおかげで私はこの遺跡を手に入れることができたのですから! ひゃーはっはっはっはっ!」

 

 レイムの言葉は悪魔としての特性か、ナイフのように鋭くクラレットに刺さった。もう終わったはずの出来事が、今の今まで尾を引いていることを知った彼女は罪悪感に苛まれていた。

 

「や、やめて……」

 

 弱弱しく呟きながら耳を塞ぐ。それでも悪魔の笑い声はいやに響いていた。

 

「いい加減にしろよ……!」

 

 瞬間、レイムは笑い声を止め、ハヤトに視線を移した。彼からは人のものとは思えない量の魔力が感じられた。誓約者(リンカー)という称号は伊達ではないことをそれが証明している。

 

「お前はもう謝っても許さねぇ……!」

 

 サモナイトソードを構えたハヤトは、レイムとの距離を一気に詰める。

 

 クラレットはもう十分に苦しんでいる。それを何の関係もない、むしろそれで得をしてきたような奴に好き勝手に言われるのだけは、ハヤトはどうしても我慢ならなかったのだ。

 

「あは、あはははははは! さあ、誓約者(リンカー)がいかほどのものか、見せていただくとしましょう!」

 

 迫ってくるハヤトを見ながら叫んだレイムは手を上に掲げ召喚術を発動させた。

 

 現れたのは闇の力を放つ無数の武器だった。それはレイムが手を振り下ろすのに合わせ、一斉にハヤトに向かって襲い掛かった。

 

「っ! 鉄壁の機盾兵(アーマーチャンプ)!」

 

 彼を守るべくマグナは咄嗟に、両腕に強固な盾を装備した機界ロレイラルの召喚獣を召喚した。レイムが放った「ダークブリンガー」からハヤトを守るように現れた鉄壁の機盾兵(アーマーチャンプ)は放たれた武器を難なく受け止めて見せた。

 

 もちろんハヤトも何もしなかったわけではない。サモナイトソードを振ってレイムと同じように無数の剣を召喚していたのだ。「シャインセイバー」と名付けられたその光の刃は、迎え撃つべき闇の刃を失ったため、攻撃目標をその召喚主たるレイムへと変えた。

 

「助かったよ、マグナ……」

 

「はは、これなら何もしなくてもよかったかな?」

 

 ハヤトに礼にマグナは彼の横に歩きながらおどけるように返した。実際、鉄壁の機盾兵(アーマーチャンプ)を召喚しなくともハヤトはダークブリンガーを防いでいただろうことは想像に難くない。

 

「……なるほど、確かに噂に違わぬ力のようだ」

 

 シャインセイバーを食らってなお、レイムに大きなダメージは見られない。やはり悪魔という存在は人間よりもかなり頑強なようだ。

 

「それなら……!」

 

 レイムの声が聞こえた瞬間に二人は既に次の召喚獣を呼び出していた。マグナが鬼妖界の強力な毒の呪いを放つ妖怪「がしゃどくろ」を、ハヤトは強力な電気を武器とする機界の召喚獣「エレキメデス」をそれぞれ召喚した。

 

 毒と電撃による連続攻撃がレイムを襲うが、それでもこの悪魔は平然としていた。

 

「っ!」

 

 マグナは即座に剣を抜き、接近戦に持ち込むべく走った。ただでさえこちらは四人しかいない。長期戦は望むところではないのだ。それゆえに彼はこれ以上レイムに反撃させることなく、倒しきるつもりだったのだ。

 

 そして剣をレイムに叩き付けるように振り下ろす。マグナの使う剣は、ごく普通のありふれた剣ではあるが、戦闘中はほぼ常時、魔力を刀身に注ぎ込むことで、下手な名剣以上の強度を与えているのだ。

 

 腕力を活かした豪剣を使うルヴァイドと打ち合っても、剣に傷つかなかったのはこうした理由があったからだ。

 

「剣なら私に勝てるとでも思いましたか?」

 

 マグナの一撃を片手で持った剣で受け止めたレイムが笑う。使っていない方の手にはサモナイト石を握っている。召喚術を使うつもりだ。

 

「一人で勝てるとは思ってないよ!」

 

 その言葉を言い放った瞬間、ハヤトが斬りかかった。彼もマグナの意図を察して、接近戦で勝負をつけるつもりだったのだ。

 

 反射的に身を引いて誓約者(リンカー)の斬撃を回避したレイムだったが、彼らの攻撃がそれで終わったわけではない。

 

 マグナが攻めればハヤトはサポートに、ハヤトが攻めればマグナがサポートに、というように猛攻を仕掛けたのだ。

 

 本当に共に戦うのは今回が初めてかと疑うほど、ハヤトとマグナの連携は洗練されており、レイムは防戦一方であった。いかに悪魔でもリィンバウム最高とも言える比類なき魔剣を振るうハヤトと、莫大な魔力に裏付けされた剣戟と召喚術を巧みに組み合わせるマグナの前に、攻勢に転じるなど不可能だったのだ。

 

「はあっ!」

 

「ぐっ……」

 

 そしてついにレイムの剣はハヤトのサモナイトソードに弾き飛ばされた。間髪入れず、再び振り上げたサモナイトソードに魔力を集中させる。

 

「終わりだ……!」

 

 魔剣を振り下ろすと同時に集中させた魔力をレイムに向けて放った。

 

「こいつも喰らっとけ! ボルテージテンペスト!」

 

 同時にマグナが召喚術を使う。先ほどハヤトが召喚したエレキメデス以上の、雷の暴風がレイムを中心に巻き起こった。

 

「ギャアアアアッ!」

 

 レイムの悲鳴が示すように今度は手応えがあった。うまくいけばこれで倒せたかもしれないし、少なくとも手傷を与えることはできただろう。そう確信した二人は様子を見ることにした。

 

 遺跡の中は、彼らの放った一撃の威力を示すように、相当ボロボロになっていた。壁もいくつか壊れ、それが埃となって視界を遮っていたのだ。

 

 そして、それが収まったところに現れたのは、どんどん朽ちていくレイムの体だった。

 

「……勝ったんですよね?」

 

 実質二人だけで倒したのだ。まさか、こうもうまくいくとは思わなかったマグナは確認するように尋ねた。

 

「思ったよりあっけなかったけどな」

 

 剣を納めながらも笑顔でハヤトは答えた。

 

 そうしてここから出るにはどうしたものかと見回した時、警報音が周囲に響き渡った。

 

「な、なんだ……?」

 

 思い寄らない事態に困惑した四人のもとに、聞き覚えのある声がどこからともなく聞こえてきた。

 

「いい! いいですねえ、この体は! ニンゲンの体よりも遥かに素晴らしい!」

 

「レイム!? 生きていたのか……!?」

 

「おやおや、もしかしたらご存じないのですか? 悪魔はねえ、人間の負の感情を魔力に変えることができましてねぇ。つまりはどこかの誰かが始めた戦争が続いている限り、私を滅ぼすことなど不可能なんですよ」

 

 勝利を宣言するような笑い声がそこかしこから聞こえてきた。どうやらレイムは依り代となっていた人の体を捨て、この遺跡そのものを新たな依り代としたようだ。

 

「そうそう、あなた方にはまだ本当の名乗っていませんでしたね。せっかくですし、名乗りを上げるとしましょうか。……私は悪魔の王メルギトス。いや、この遺跡と融合したんですから、『機械魔メルギトス』と名乗らせていただきましょうか」

 

 新たな体を手にして勝利を確信したのか悪魔は、メルギトスという本当の名前を告げた。

 

「それに本当にこの体は素晴らしい!」

 

 そしてそのまま力を放ち遺跡全体を飲み込んでいく。

 

「みなさん、あたしの周りに、早く!」

 

 アメルの言葉に急かされ三人は彼女の周りに集まった。するとアメルの背中から光に包まれた白い羽が現れ、暖かな光が全員を包み込んだ。彼女が天使の生まれ変わりだということは聞かされていたが、こうして直にその力を見るとあらためてそれを実感した。

 

 その光が収まるころにはメルギトスもその姿を現していた。

 

「いかがですか? 私の新しい体は」

 

 もはや人の面影は全く残っておらず、魔力によって歪んだ遺跡そのものがメルギトスとなったようだ。それでも、悪魔と化したガレアノたちの姿に似た箇所から声が聞こえてくるところを見ると、そこが核らしいということはなんとなくわかった。

 

「…………」

 

 狙うべき場所を確認したハヤトとマグナは、頷き合い剣を構えた。たとえ相手が不死であろうと、逃げるという選択肢な二人にはなかった。

 

「もう逃げません、私も戦います……!」

 

 ハヤトの隣にきたクラレットも、杖を持つ手を強く握って言った。もしかしたらさきほどの戦いで、全く役に立てなかったことを悔やんでいるのかもしれない。

 

「いくら気勢を上げてもキサマらは勝てぬッ! ニンゲンがこのメルギトスに勝てるハズはないのだアァ!」

 

 圧倒的な力を見せたにもかかわらず、まだ抵抗しようする四人を見て、苛立ちが募ったのか、本性を現したメルギトスが口汚い言葉で吼えた。

 

 そしてそれを合図に戦いの第二幕が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 




とうとう50話までたどり着きましたが、まさかのバージルの出番なしの回でした。次回はちゃんと出る予定です。

次回は来週7月7日(金)午前0時に投稿予定です。

ご意見ご感想等お待ちしてます。

ありがとうございました。





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第51話 終わりの始まり

 大平原における聖王国と悪魔の戦いは、徐々に聖王国の劣勢へと傾いていた。最初こそは互角以上に戦えていたものの、バージルが推測した通り、時間の経過とともに被害は甚大のものとなっていったのだ。

 

 開戦より一日と経過していないが、騎士団をはじめ聖王国側は戦闘開始以来、休みなく戦わざるを得ない状況にあるため、まさしく擦り切れるような持久戦の様相を呈していた。

 

 しかし人間とは対照的に悪魔は、戦いの疲れは全く見せない。むしろ戦いを求めているのか、その攻勢は激しくなるばかりだ。

 

 それを証明するように、当初は一対一であれば下級悪魔相手にはまず不覚をとることがなかった騎士も、疲労の影響もあってか今では二人がかりでなければまともに倒すことができなくなっていた。

 

「まずいな……」

 

 その様子を見ていたネスティが呟いた。マグナたちを見送ってから、彼らも多くの悪魔と戦った。聖王国が劣勢になっていくにつれ、悪魔が防衛線を突破することが多くなったため、彼らの出番も否応なく増えたのである。

 

 だが、それもいつまで持つか。ネスティが不安に思うのはその点だった。

 

 確かに今のところ、全ての悪魔を阻止できてはいるし、まだ余力もある。しかし、このペースで戦いを続ければ遠からず限界もくるだろう。

 

「大丈夫? 怪我でもしたの?」

 

 難しい顔をしているネス的のことを心配したのか、トリスが背後から声をかけてきた。

 

「いや、大丈夫だ」

 

 ネスティは彼女の方に振り返りながら否定した。もともとネスティは剣の腕の方はさっぱりであり、もっぱら召喚術による攻撃を担当する典型的な召喚師だった。そのため怪我することは、フォルテやシャムロックのように前に出て戦う者に比べて、非常に少ないのである。

 

「ねえ、ネス。あれ……何?」

 

 不意にトリスがネスティの後方、さきほどまで見ていた悪魔と騎士たちが戦う戦場の方を指さした。

 

 彼女が示した方向で見たものは、悪魔に襲い掛かる無数の剣影だった。その数は百や二百ではきかないほどだ。

 

「なっ……」

 

 驚き唖然としたネスティは呆然とその光景を眺める。

 

 彼には知る由もなかったが、この時使われたのは「至源の剣」と呼ばれる、かつてエルゴの王が使っていたとされる伝説の魔剣だった。それは数多の剣の源とされ、それらすべての力を発揮するといわれるこの剣は、聖王家の至宝でありエルゴの王の血を受け継ぐ者しか使うことはできない。

 

 それはすなわち、あの戦場にエルゴの王の血を受け継ぐ者、聖王スフォルト・エル・アフィニティスがいることを意味していた。

 

 今、リィンバウムで最も危険な場所に聖王国で最も重要な人物がいる。それは下手をすれば聖王国の存続にすら関わる事態にもなりかねない危険性を孕んでいるのだ。

 

 それでも聖王がこの場でその力を振るうことを決めたのは、この戦いで勝利を納めなければ聖王国、ひいてはそこに暮らす臣民たちの明日はないと判断したからに他ならない。

 

 何はともあれ、これで劣勢になっていた聖王国側が息を吹き返したことは間違いない。

 

 戦いの終わりはまだまだ見えそうになかった。

 

 

 

 

 

 東へ向かった悪魔と聖王国が激戦を繰り広げているのとは裏腹に、北進した悪魔は既にその姿を消していた。既にバージルによって殲滅させられたのだ。単純に考えて、これで悪魔は三分の一の戦力を喪失したことになる。

 

 その戦場となったローウェン砦の周辺は見る影もない。いくつものクレーターができており、さながら月面を思わせる様相を呈していた。

 

 しかし、もうここには誰もいない。悪魔はもちろんのこと、バージルも次なる戦いの場を求めて去っていたのだ。

 

 そして西へ向かった悪魔は今より少し前に帝国領へ侵攻し、国境警備部隊との戦いが始まっていた。

 

「一人で戦うな! 複数で当たれ!」

 

 その部隊を指揮していたのがアズリア・レヴィノスであったことは帝国にとって幸運だった。彼女とその副官を務めるギャレオは悪魔の軍勢の大半を占める魔界の悪魔と戦った経験があったのである。おかげで徐々に押されてはいるものの、帝国側の被害は僅少だった。

 

 とはいえ国境警備部隊は退役間近の兵士がほとんどである。やはり体力的にとうにピークを過ぎた老兵では長時間の戦闘に耐えられるものではない。

 

「隊長、やはり押されています……! このままでは突破されるのも時間の問題です!」

 

 前線から走ってきたギャレオが状況を伝える。予想していたこととはいえ、現状の厳しさにアズリアの顔が曇った。

 

「とはいえ、今の状況でこれ以上の行動は不可能だ……」

 

 今、悪魔を押さえているのだって、奇跡のようなものなのだ。もう少し敵の数が多かったら既にこの場は崩壊していただろう。

 

「なら、僕も手伝うよ」

 

 その言葉を発したのはアズリアの弟のイスラだった。島から戻ってきた彼は、帝国を中心に様々なところを旅して回っていたのだが、こうして稀に姉のもとにやってきているのだ。

 

 今回はたまたまイスラの来訪と悪魔の侵攻が重なったのである。

 

「し、しかしだな……」

 

 確かにイスラには強力無比な魔剣紅の暴君(キルスレス)がある。アティの持つ碧の賢帝(シャルトス)と同じ性能を持つその魔剣を使えば、この状況を好転させることができるかもしれない。

 

 だが同時に、もう軍人でもない弟にそこまでのことをさせてよいものか、という迷いがアズリアにはあった。

 

「しかし、じゃないでしょ。今はあいつらを何とかするのが先決でしょ。……全く、姉さんはいつまで経っても頭が固いんだから」

 

 呆れるように言ったイスラは紅の暴君(キルスレス)を抜剣する。

 

 紅い光と魔力が放たれイスラを包み込んだ。

 

 それが収まり、姿を変じたイスラは迷うことなく悪魔の大群の中に飛び込んでいく。

 

 剣に紅い魔力を纏わせ、すれ違いざまに斬撃を叩きこむ。所詮は下級悪魔に過ぎない存在であるため、それに耐えられるはずもなく悪魔は次々と数を減らしていくが、いかんせん数が多すぎた。

 

「ちぇっ、めんどくさいなあ」

 

 いくら倒しても全く数を減らす様子を見せない悪魔にイスラは溜息を吐いた。まだまだ戦うことはできるが、こうも焼け石に水だと精神衛生上よくない。

 

 ただ、現実的に長期戦は起こりえないだろうとイスラは思っていた。彼が介入することで確かに悪魔の一部を引き付けることはできたが、戦局を逆転させるまでには至っていない。せいぜいこの場が崩壊するまでの時間を伸ばしただけだろう。

 

 それでもイスラが戦い続ければ、最終的には悪魔を殲滅することはできるかもしれない。しかし、それまで悪魔は帝国領内深くまで入り込むことになるのだ。そうなれば倒すのにも時間がかかるし、被害も大きくなるばかりだ。

 

「イスラ! 態勢を立て直す。奴らを引き付けてくれ!」

 

 言葉を伝えたのはギャレオでもこの指示を出したのはアズリアだろう。部隊全体に対する命令を出せるのは指揮官である彼女しかいないためだ。

 

「はいはい。……人使いが荒いなあ」

 

 文句を言いつつも、紅の暴君(キルスレス)を振るって纏わせた魔力を放ち、周囲の悪魔を吹き飛ばした。それを見たイスラは、さらにもう一回、二回と魔剣を振るった。

 

 その時、イスラは悪魔の軍勢の後方に大きな力が現れたのを感じた。

 

「何だ……?」

 

 新手の悪魔かと考えたイスラは、その方向に意識を集中する。

 

 瞬間、彼の目の前にバージルが現れた。

 

 

 

 旧王国方面に向かう悪魔を片づけたバージルは、続いて西に向かう悪魔と戦おうと考えたのだが、どうやら軍勢の一部をサイジェントの方に向けたようで二手に分かれたのだ。

 

 とりあえず近い方から向かうか、と決めたバージルはサイジェントに向かう悪魔の方へ出向き、これをあっさりと殲滅した。

 

 そうしてあらためて残った悪魔を追ってこの帝国国境までやってきたのである。その時に大きな魔力を感じたため、悪魔と帝国軍の最前線たるこの場まで来たのだ。

 

「イスラか……」

 

 大きな魔力の持ち主がイスラだったことは彼にとって残念な結果だった。同じような魔剣を使うアティとは既に戦った経験があり、今更戦う意味は見出せない。

 

 ちなみにバージルは、紅の暴君(キルスレス)を使ったイスラを見たことはあるが、それは今から二十年ほどの過去のことであるため、彼だと気付かなかったのだ。

 

 それでもさすがに、悪魔でないことは気付いていたが、別にバージルは悪魔としか戦わないという信念を持っているわけではないので、それなり力を持つ存在なら悪魔でなくともついでに戦うか、と考えていたのである。

 

「なに? あんたも来たわけ?」

 

 バージルの姿を認めたイスラは嫌そうな顔をした。

 

 一応彼にとってバージルは、体を蝕んでいた病魔の呪いを解除した恩人ではある。しかし、それはあくまで結果論に過ぎない。もしもあの時に紅の暴君(キルスレス)を適格者となっていなければイスラは殺されていたに違いないのだ。

 

 そうした経緯があり、イスラはバージルにあまり良い印象は抱いておらず、それが態度に出たようだ。

 

 とはいえ、戦況が芳しくない現状でバージルが現れたのはまさしく地獄に仏だ。それが分からぬほどイスラはもう子供ではない。魔剣の影響か、見た目こそかつてとそう変わりはなくとも、これまでの旅の中で彼もまた変わったのだろう。

 

「……まあいいや、僕は邪魔しないからさっさとやっちゃってよ」

 

 この男が悪魔と戦うためにこの場まで来たということはイスラにも分かっていた。ならば意地を張ってこのまま戦うよりも大人しくバージルにこの場を譲ったほうがいい、そう考えての言葉だった。

 

「言われなくともな」

 

 答えたバージルは姿を消した。そして次の瞬間には周囲にいた悪魔が攻撃を受けたのか消えていく。容赦の欠片もない攻撃だ。もしこの場が先ほどのように半ば乱戦状態だったのなら、この攻撃による被害が帝国の兵士にも及んでいただろう。

 

 偶然とはいえ、アズリアの後退命令と、この場で敵を引き付けたイスラの判断は、最善の結果を齎したのだ。

 

「さて、姉さんの手伝いにでも行こうかな」

 

 この場でバージルが戦う限り、新手の悪魔が後退したアズリアたちに向かうことはないだろう。押し寄せて来る悪魔はどういうわけかバージルを目指して殺到しているのだ。

 

 それらもバージルに任せるとして、残るはイスラが引き付けられなかった悪魔である。それらは今も後退中の帝国軍と交戦中だった。この悪魔さえ何とかできれば勝利を手にすることができる。

 

 イスラにとって今回の戦いは、苦労ばかりかけてしまった姉への恩返しだった。もちろん戦いへ赴くアズリアを助けたいという想いが第一であったが、勝利が見えた今となってはもう一つの想いが生まれたのだ。

 

 悪魔を撃退したという功績があれば、アズリアは栄達の機会が得られる。二十年近く聖王国国境の警備部隊の長として置かれた姉の、おそらく最初で最後の昇進の機会だ。イスラはこれを逃すつもりはなかった。

 

 かつては病魔の呪いをかけられた己の代わりに軍学校へ入り、島やアティをそのままにしておきたいがために自分やギャレオと口裏を合わせてまで偽証した結果、閑職に回された。いつも貧乏くじを引かされてばかりの姉にせめて軍人としての栄光くらいは掴んで欲しいのだ。

 

 

 

 

 

 それから僅かに時間が流れた。既にバージルの前に悪魔の姿は残っていない。彼に群がっていた者は、全て等しく死を迎えたのである。

 

「…………」

 

 あっけない、あまりにもあっけない相手にバージルは溜息を漏らすのを抑えられなかった。とはいえ、まだこの方面の悪魔を全て殲滅したわけでない。後退する帝国軍を執拗に狙っていた悪魔は残っているのだ。

 

 しかし、今の彼はその程度の相手と戦おうとは思わなかった。

 

「...Disappointing...」

 

 その言葉がバージルの心情を正確に表していた。霊界サプレスに異変を齎した悪魔と戦えると期待していたのだが、出てくる悪魔は有象無象の下級悪魔だけ。はっきり言って期待外れもいいところなのだ。

 

「っ……!」

 

 もう件の悪魔の出現を待つことはやめにして戻ろうかと思案していた時、随分と遠く、いかにバージルといえど下級悪魔はおろか、フロストクラスが姿を現しても気付けないほどの距離から魔力を感じ取った。

 

 魔力の大きさなど確認しなくとも、これだけで相当の力を持った悪魔が現れたということがわかる。少なくとも一年前に戦ったアバドン以上は確実だ。もしかしたら、かつてテメンニグルで戦ったベオウルフよりも上かもしれない。

 

 正確な強さはどうであれ、ようやく待ちに待った相手が現れたのだ。

 

 その場に向かうべく姿を消そうとした瞬間、バージルは気付いた。

 

 魔力の発生源はアティが向かった聖王都ゼラムの方角からだったのだ。

 

 

 

 

 

 それから時は少し遡り、バージルがまだサイジェントに向かう悪魔に目を付けた頃まで戻る。

 

 聖王都ゼラムは混乱の極みにあった。

 

 街を悪魔が襲ったのである。

 

 それも正門からではなく、王城の背後の滝の上流にある至源の泉から現れたのだ。数はそれほどでもない、大平原で聖王国の軍勢と戦っている悪魔に比べたら百分の一にも満たない数だ。

 

 それでも防備が手薄の上に、想定外の場所から攻められるという奇襲効果も相まって、ゼラムに残る者達は組織的に反撃することができないほどの混乱の只中にあったのだ。

 

 それはポムニットとミントも例外ではなかった。

 

「少し休みましょうか?」

 

 ポムニットが呼吸を乱したミントに声をかけた。

 

 二人は今、蒼の派閥の本部に向かっている。この混乱の中、ミントが現状の説明と、今後どうすべきか指示を受けるために、本部に行くというのでポムニットも同行しているのである。実際、彼女のこの判断は正しかったといえる。

 

 家を出てから大通りに出るまでにも悪魔に襲われたのだ。幸い、ポムニットでも対抗できる程度の悪魔で、数も一体だけだったため、容易く撃退できたのだが、こんな街中に平然と悪魔が現れたことに驚きと焦りを隠せないでいた。

 

「ううん、大丈夫……。それよりも早く行かないと……!」

 

「もう少しで導きの庭園ですから、そこまで行けば――」

 

 その時、二人の前に一体の悪魔が現れた。それもこれまでのように屋根から飛び降りてきたわけでも、歩いてきたわけでもない。地面が水面のように波打ったかと思うとそこから燃え盛る鎌を持った悪魔が現れたのだ。

 

 現れ方からしてこれまでとは違う相手だということを悟った。ポムニットの頬に嫌な汗が流れた。

 

 現れたアビスがのそのそと緩慢な動きで近づいてくる。

 

「……っ!」

 

 湧き上がる恐怖を押さえながらポムニットはアビスへ立ち向かう。籠手を着けた拳でアビスに殴りかかるが、アビスはそれを鎌で受け止めた。

 

「くぅ……!」

 

 鎌を押し合う格好になるが、人の姿のままでは十分に力を発揮できないためか徐々に押されていた。

 

(迷ってる場合じゃない……!)

 

 ポムニットが状況をひっくり返すために、力を使おうと決心した瞬間、ミントの声が響いた。

 

「オヤカタ、合わせて!」

 

 先ほどから召喚していた彼女の護衛獣の体当たりと、新たに召喚したメイトルパの妖精「ポックル」の放った木の実がアビスに当たった。さすがにダメージを与えられるようなものではなかったが、それでも体勢を崩すことと、注意を逸らすことはできたようだ。

 

「はああああっ!」

 

 この機会は逃してはならない。そう思ったポムニットは半魔の姿へと変化し、全力で隙を見せたアビスの胴体を殴りつける。そのまま悪魔は近くの建物の壁に叩き付けられ倒れ伏した。

 

「そ、それ……」

 

 アビスが倒れたことよりも、ポムニットの変わりように驚いたミントは呆然と言った。

 

「……ごめんね」

 

 彼女は震える声でそれだけ答えた。ミントからはポムニットの顔は見えない。それでも今の彼女がどんな顔をしているのか声色からでも十分想像できる。

 

「ち、ちがっ……」

 

 せめてそれだけでも否定しようとミントが口を開いた時、アビスが立ち上がった。自由にさせるわけにはいかないとポムニットが向かって行くが、その前に悪魔は現れた時のように地面に潜った。

 

「逃げてっ!」

 

 驚き周囲を見回したポムニットはミントの足元に波紋が浮かんでいたのを走りながら叫ぶ。それはアビスが現れる前兆だった。

 

 たとえミントが己の正体を知って、離れてしまうとしてもポムニットにとってはかけがえのない友人だ。損得で行動が変わるほど友情とは安いものではないのである。

 

 ミントを抱えて地面に転がったのと、波紋からアビスが飛び出してきたのはほぼ同時だった。しかし、僅かの差でアビスの鎌を避けたのを喜んでいる余裕などなかった。

 

 宙にとんだアビスは転がったままの二人に目掛けて鎌を投擲した。

 

「っ……」

 

 動くこともままならない二人にできることは反射的に目を瞑ることだけだった。

 

「大丈夫!?」

 

 しかし聞こえたのは、悪魔の鎌が自分の体を切り裂く音ではなく、ポムニットにとって尊敬できる人の声だった。

 

「せ、せんせい……」

 

「もう大丈夫だからね」

 

 既に碧の賢帝(シャルトス)を抜剣し、姿を変じていたアティがそう告げ、アビスに魔力を放った。もともと目の前のアビスは、ポムニットの一撃で少なからぬ痛手を負っていた身だ。その上で碧の賢帝(シャルトス)の魔力を受けたのだ。さすがに耐えられることはできなかったようだ。

 

「よかった……、怪我ないみたいだね。それなら正門から逃げて。あそこはメイメイさんが守っているから大丈夫だから」

 

 アティはここに来る前にメイメイと会っていた。聞けば彼女はもしもの時の予備戦力として待機していたのだが、こうしてゼラムに悪魔が現れるに至り、正門を確保しつつ悪魔を迎撃していたのだ。

 

 万が一、正門を悪魔に抑えられればゼラムを守るはずの城壁が、住民が逃げ出すのを阻む檻となってしまうのだ。

 

「先生はどうするんですか?」

 

「私なら大丈夫だから、ね?」

 

 アティはポムニットに言い聞かせように優しく諭した。

 

「わかりました……」

 

 納得したわけではない。それでも自分がいれば足手纏いになりかねない、ということは理解していた。今のポムニットは下級悪魔なら苦もなく相手にできても、戦闘経験の差が露骨に出てしまうのか、アビスクラスとなると途端に苦戦してしまうのだ。

 

「さあ、あなたも一緒に」

 

「は、はい……」

 

 ミントにも同じように言う。二人は揃って踵を返し正門の方へ向かって行く。アティが来た方向であるため、悪魔は多くないはずだ。

 

「……気を付けて」

 

 二人の背に言葉を投げかけたアティは振り返り、導きの庭園の方向へ走った。

 

 

 

 間もなく庭園に辿り着いた時、アティの瞳に映ったのは炎に包まれ崩れ落ちる王城の姿だった。

 

「城が……」

 

 アティは言葉を最後まで口にすることができなかった。いつの間にか庭園にある花や草木にも炎が広がっていた。そしてそれとほぼ同時に、背後には炎を纏った大きな生物がいて城を眺めていたのだ。

 

「っ……!」

 

 聞かなくともアティにはわかった。この圧倒的でどこか恐怖感を与えるような力を持った存在が、城を崩壊させた元凶であることを悟らせたのだ。

 

「ほう、人間にしてはやるな」

 

 炎を纏った巨大な悪魔ベリアルは、アティが纏う魔力を一瞥しながら言った。

 

 ベリアルがリィンバウムに現れる場所は本来なら他の悪魔と同じくトライドラとなるはずだった。しかし、直前にサプレスの力が満ちている場所を見つけそこに現れることにしたのである。それが至源の泉だったのだ。

 

 もともと至源の泉は、サプレスなどの異界の力で満ちている。ベリアルにとっては結界を突破する際に消耗した力を回復するには、うってつけの場所なのだ。

 

 ベリアルにはただそれだけのことだったのだが、その結果、ゼラムは奇襲を受けることになってしまったのは不運としか言いようがない。

 

「我はベリアル! 炎獄の覇者ベリアルである! さあ、貴様の力、見せてみよ!」

 

 律儀に名乗ったベリアルは言葉と共に手にした巨大な剣を振り下ろした。余計な装飾などなく、岩を剣の形に削り出したと言われれば信じてしまいそうな無骨な造りだった。

 

 それでも刀身の部分は高温を持つのか光を放っており、この剣が人の手で造り出せるものではないことを証明していた。

 

 叩き付けられ剣は容易に地面にひびを入れた。おまけにその部分には焼けたような跡が残っていた。剣が熱を持っているという見立ては当たっていたようだ。

 

「くぅ……」

 

 辛うじてその一撃を避けたアティはすぐ碧の賢帝(シャルトス)を構えた。

 

「なるほど……、ただの人間ではないようだな」

 

 ベリアルの剣を避けられたのは、模擬戦とはいえバージルの剣を受けた経験があったからだ。反応できないほどの速さで剣を繰る彼に比べたら、ベリアルの振り下ろしはまだ対応できるものなのだ。

 

(バージルさん、力を貸してください……)

 

 右手に碧の賢帝(シャルトス)を持ったまま、左手で胸のあたりにあるアミュレットを握る。すると不思議と勇気が湧いてきた。ベリアルに感じていた恐怖もなくなった。

 

 そして一気にベリアルとの距離を詰める。そして前足を斬りつけるが――。

 

「っ!?」

 

 肉体に当たる前に碧の賢帝(シャルトス)が弾かれた。ベリアルの体を包む炎に防がれたようだ。

 

(ただの炎じゃない……!?)

 

 アティの知る炎のように熱を発してはいるが、どうやらこの悪魔の纏う炎は質量まで持ち合わせているらしい。

 

 つまりベリアルにダメージを与えるにはまずこの炎を何とかしなければならないのだ。

 

「それなら……!」

 

 一旦距離をとった。物理的な攻撃では炎を突破できないと判断し、魔力で炎を吹き飛ばそうと考えたのだ。

 

 そしてアティは碧の賢帝(シャルトス)を掲げ、魔力を剣に蓄積させる。

 

「はあああっ!」

 

 そして声と共に魔剣を振り下ろし、貯めた魔力を解き放った。

 

「むっ……」

 

 それを見た時、ベリアルはサプレスにいた時にもしなかった反応を見せた。それでもこの悪魔にアティの放った魔力を回避するという選択肢はなかった。自分よりも矮小な存在、ましてや人間ごときの攻撃を避けたとあっては、炎獄の覇者の名が廃るというものだ。

 

 そしてベリアルはアティの放った魔力をまともに受けた。

 

 結果から言えばベリアル自身にダメージはない。しかしそれでも、その身を包んでいた炎は随分と弱くなっていた。おそらくアティは炎を弱めることだけを目的に魔力を放ったのだろう。

 

「小癪な……! 人間の分際で……」

 

 いくら己には傷一つなく、再び炎を身に纏うことも容易いとはいえ、身を包む炎を吹き飛ばされたことはベリアルのプライドを傷つけるには十分だった。

 

 大きく吼えるとともに再び炎を身に纏い、先ほどとは比べものにならない程、激しく連続で剣を振るう。

 

「くっ……」

 

 これにはアティも避けることに専念するしかなかった。

 

「Fire!」

 

 ベリアルが拳を地面に叩き付けた。すると一瞬の間をおいてアティの足元が赤く熱を帯びた。

 

「っ!」

 

 反射的に動いた瞬間、その場から彼女よりも高さのある火柱が立ち昇った。あのまま動かずにいたら今頃焼かれていただろう。

 

「Die!」

 

 だが、そんなことをしている暇はなかった。ベリアルが飛びかかりながら剣を叩きつけてきたのだ。

 

 しかし、それもアティは紙一重で避けてみせた。そしてすぐ近くには剣を振るい隙だらけのとなったベリアルがいる。ようやく巡ってきた数少ない攻撃のチャンスだ。

 

「これで――」

 

 攻撃に意識をとられていたアティは自身の足元が先ほどと同じように熱を帯びているのに気が付かなかった。

 

「――っ!」

 

 そして気付いた時には既に手遅れだった。

 

 地面が立ち昇った火柱がアティを飲み込んだ。

 

 

 

 

 

 バージルは魔人の姿となって魔力を感知した方へ移動していた。

 

 たかが移動のために魔人となったのは、先ほどからずっといやな予感がしていたからだった。ファナンでアティと別れた時にも感じていたものと同じものだった。

 

 今なら予感の示すところは察しがつくが、バージルはあえてそこまで考えないようにしていた。

 

 移動を開始してからおよそ一分、目的地たる聖王都ゼラムの中心に位置する導きの庭園に到着した。距離を考えれば信じられないほどの短時間だが、バージルにとっては永遠にも等しい時間だった。

 

 しかし、そこはかつて住民の憩いの場として親しまれた面影はなかった。草木は燃え尽き、地面は焼け焦げ、さながら火事のあとの様相だった。

 

「…………」

 

 バージルにはそれが何故だか、母の命を奪われたあの日の光景と重なって見えた。

 

 それを作り出したであろう悪魔が視界に映る。しかしバージルは、現れるのを心待ちにしていたはずの存在には目をくれず、そこから少し離れたところで倒れているアティを視線から外せなかった。

 

「アティ……」

 

 魔人化を解きアティの傍へ行く。そして膝をついて彼女の名を呼び、抱き起こした。

 

 全身は焼け焦げ、目を背けたくなるような有様だ。特に碧の賢帝(シャルトス)を持っていた右手は炭化し黒く変色していた。その魔剣も刀身のほとんどを失っている。

 

 もはや碧の賢帝(シャルトス)の加護もなく普通の人間と変わらないはずだが、それでも彼女は意識を保っていた。ほとんど奇跡と言っていい状態だ。

 

 そして彼女は力を振り絞ってバージルに言葉を伝えた。

 

「バージル、さん……ご、めん、なさい……」

 

 そして鎖が溶け落ちて首に掛けることはできなくなったアミュレットを左手に持ったアティは、バージルにそれを返そうとした。

 

 それが約束だったからだ。

 

「戦いは、まだ終わっていない」

 

 そう言ってバージルはアミュレットを持つ彼女の左手を握らせた。そしてその時、アティの瞳から一筋の涙が零れた。

 

 しかし、その意味を問うことはできなかった。

 

 もうアティの意識はここにはなかったのだ。

 

 そんな彼女の姿を目の当たりにしてもバージルの表情は変わらない。

 

 悪魔である彼には、誰かのために流せる涙など存在しないのである。

 

 それでも全身から溢れ出る禍々しいまでの魔力と、瞳に宿る感情は隠しようがなかった。否、隠すつもりなどなかった。

 

 バージルは、激怒していた。

 

その怒りがこの力を生み出しているのだ。

 

「人間風情がこの炎獄の覇者に勝てると思ったのか……実に愚かな」

 

 哄笑するベリアルに視線を移す。

 

「やはり人間には、その無様な姿こそ……」

 

「Don't speak――」

 

 ベリアルの不愉快な声を遮る。もはやバージルは、一切手加減も力の出し惜しみもするつもりなどなかった。己の全力でこの悪魔を葬り去ると決めたのだ。

 

 全身から凄まじい魔力が発せられる。先程から無意識に発していた魔力とは比べ物にならないほど凄まじく夥しい量だった。

 

 そのあまりにも強力すぎる魔力に、大地は鳴動し、空が割れた。

 

 バージルは体に眠る全ての力を解放した。

 

 それが引き金となり、彼の姿は変貌を遂げる。

 

 全身は黒い甲冑に覆われ、背には二対四枚の漆黒の羽。だが、その羽は鳥類のようなものでも、蝙蝠のようなものでもない。まるで魔力を顕現したかのようなエネルギーの塊が羽のような形を成して、背から出ているのだ。

 

 通常の魔人化と比べても大きな変わりようだが、それでも左手から伸びる閻魔刀の鞘だけは変わっていなかった。

 

 そして顔自体も魔人化と変わっていないが、頭部だけは大きな二本の角が生え、より悪魔特有の攻撃性が増したような印象を与える。

 

 その姿はバージルが力を解放し、そこまで至った証左である。

 

 これまでの魔人よりも、更に上の領域へ。

 

「――just die」

 

 真なる、魔人へと。

 

 

 

 

 

 

 

 




次回は明日8日午前0時に投稿します。

ご意見ご感想等お待ちしてます。

ありがとうございました。



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第52話 真魔人

 真魔人と化したバージルの魔力はあまねく世界に広がった。

 

 そして境界すらも飛び越え、人間界にまで到達した。

 

 ダンテがそれを感じ取ったのは、いつものように事務所の机に足を乗せ、オリーブ抜きのピザを食べていた時だった。

 

「……ッ!」

 

 魔力の波動が体を駆け巡る。突然の衝撃にダンテは手にしたピザを床に落としてしまった。

 

 落ちてしまった大好物をそのままにダンテは、まるでそこに答えがあるかのように、じっと宙を見つめた。

 

 それとほぼ同時に彼の体は、魔力に呼応して魔人のそれへと変じた。既に父スパーダを超えているとすら言われる、伝説のデビルハンターのもう一つの姿がそこにはあった。

 

 一瞬の後、魔人の姿から戻ってもダンテの視線は宙に浮いたままだった。

 

「バージル……」

 

 ダンテの知るバージルなら、今のように魔力を放つことなどありえない。無駄な力を使うところは合理的な兄にとって、なにより忌むべきことであるからだ。

 

 もちろん魔帝クラスの存在が相手であるときや、示威目的であればそれもあり得るだろうが、少なくともダンテは、それはないだろうと思っていた。

 

 同じ血を引くためかダンテには魔力に込められた魂の叫びが聞こえていたのだ。それは強い怒りの感情だ。誰だか知らないがどこかの馬鹿が、よりにもよってあの兄を激怒させたのだ。

 

 経緯はどうであれこうなってしまっては、もはやその「誰か」はおしまいだ。今のバージルを止められるほどの存在など、自分以外に存在するわけがない。

 

「ま、元気そうでなによりだな」

 

 ニヤリと笑ってふてぶてしい表情を浮かべたダンテは、あっけらかんと言ってのけた。一応、魔帝との戦いの際に兄の生存は知っていたのだが、あれ以来何の音沙汰もなかったのだ。それが今も生きているということが分かったのだから、それだけでもダンテにとっては大きな収穫だったのだ。

 

 そしてそのまま、先ほどよりも上機嫌な様子で、ピザの箱に手を伸ばした。

 

 しかし、そこに彼の大好物は一つとして残っていなかった。

 

「Oh...」

 

 どうやら先ほどの衝撃で落としてしまったピザが最後の一枚だったようだ。

 

 それからしばらくの間、事務所の中ではこの落としたピザを食べるかどうかで、真剣に迷うダンテの姿が見られたという。

 

 

 

 

 

 同時刻、同じく人間界の「フォルトゥナ」という都市にある「Devil May Cry」の看板を掲げた事務所で、そこの主にして若きデビルハンター「ネロ」が銃の手入れをしていた時のことだった。

 

 ネロはふとその手を止めた。右腕が薄く光を放ち疼いたのだ。

 

「…………」

 

 無言のまま腕を見つめる。不思議な感覚だった。彼の右腕は近くに悪魔がいるとき決まって疼くのだが、今回はどうもいつもとは違う気がする。体から力が際限なく湧き上がるような感覚がある。おまけにどことなく優しさすら感じた。

 

 まだまだ年若いネロだが、これまで多くの悪魔と戦ってきた。しかしその中で今のような反応をした相手はいない。あのダンテでさえも普通の悪魔と大して変わらぬ反応だったのだ。

 

「どういうことだ?」

 

 ほどなくして右腕の疼きも光も消え失せた。一体、今感じたのは何なのか。少なくとも悪魔が近くにいるというわけではないだろう。時刻はまだ夕方にも早い時間帯だ。事務所の周りにもフォルトゥナの市民がいるはずだ。そんな状況で、ネロの右腕が反応する距離に悪魔がいれば、大きな騒ぎなることは間違いないのである。

 

 しばしの間、腕を見つめるが二度と同じ反応をすることはなかった。

 

「やれやれ、原因不明っていうのは、いい気はしねえな」

 

 皮肉交じりに呟く。こうした人知を超えた事象の大本は、自身の中に流れるスパーダの血によるものなのは間違いない。別にスパーダを恨んでいるわけでも、自身の境遇を嘆いているわけでもないが、悪魔退治の中でスパーダを親の仇のように憎む悪魔と戦った時なんかは、どこか尻拭いをさせられているような感じがして、あまりいい気はしないのだ。

 

 とはいえ、今回に関しては不思議と嫌な感じはしなかった。きっと先ほど感じた優しさのせいだろう。

 

 実はそれを感じ取ったのは初めてではない。まだ今のように右腕が変わる直前、キリエを守るために悪魔と戦い負傷した日に見た夢。それに出てきた男の言葉から先ほどと同じような優しさを感じたのだ。

 

 もしかしたらその男が実在して生きているのかもしれない。

 

 そして、もしそうなら会ってみたい、ネロはそう思っていた。その出会いが自分にとって大きな意味があることを半ば確信しながら。

 

 そして数年後に二人は出会うことになる。ただし、その場所となるのは人間界ではないのだが。

 

 

 

 

 

 バージルが真魔人へと姿を変えた余波は、他の戦場にも多大な影響を齎そうとしていた。

 

 エクスの頼みを果たすため、そして何よりかつて共に戦った「王」との約束を守るため、メイメイは正門を守りながら戦っていた。それには少し前にここに来たポムニットと、ミントも協力していた。

 

 とはいってもゼラムに現れた悪魔の数はそれほど多くなかったようで、ひとしきり戦うと打ち止めとなったのか、悪魔はめっきり現れなくなったのだ。

 

 そうして、ようやく一息つけると思っていたところで、あの魔力を感じたのだ。

 

「これは……随分と大盤振る舞いねえ……」

 

 メイメイは冷や汗を流しながら呟いた。彼女は相当に古き時代より生きているが、これほどの力を感じたことは一度としてない。しかしそれ以上に気にしていたことは、この魔力にリィンバウムという世界が耐えられるか、という点だった。

 

 世界とは風船のようなものだ。それ故、魔力という名の空気を送り込み過ぎれば容易く破裂してしまうのは自明の理だ。さすがにすぐさま崩壊こそしなかったものの、その予兆は既に現れていた。

 

「空が……!」

 

 ミントが空を見て言う。彼女の視線の先には割れた空があった。しかし、それは雲が割れているのでも、光芒が差したわけでもなかった。比喩でもなく実際に()()()()()()()のだ。

 

 ちょうどバージルがいると思われる場所の上空に数十メートルはあるだろう亀裂ができていた。それは漆黒に塗り潰されその先がどうなっているか窺い知ることはできない。

 

「バージルさん……」

 

「大丈夫よ。彼を信じてあげなさい」

 

 不安そうに魔力を発した者の名を呼ぶポムニットにメイメイはそう言葉をかけた。バージルがなぜこれほどの力を解放したのかはわからない。それでも彼が無闇にこの世界を壊そうとはしないだろうと思っていた。

 

「……はい」

 

 ポムニットもメイメイの言うことは分かる。もしバージルがリィンバウムを壊そうとしているのならもっと前にしているだろう。この力は何も今手に入れたわけではないのだから。

 

 それでもポムニットには不安があった。この魔力からは激しい怒りを感じたのだ。これはバージルと長く共に居て、なおかつ負の感情に敏感な悪魔の血を引いている彼女だから感じ取れたことだった。

 

 普段から滅多に感情を見せないバージルがこれほどの怒りを見せるのだから、きっと並々ならぬ状況に違いない。

 

(無事でいてください)

 

 そこへ行くことはできないポムニットにできることは、ただ祈ることだけだった。バージルといまだ戻らぬアティの無事を願い、彼女は一心に祈った。

 

 

 

 

 

 怒りの感情が乗った魔力はいまだ戦いが続く大平原を覆い尽くした。決して視認することはできないが、確かにこの戦場まで到達したのである。

 

 それを証明するかのように多くの者がそれに気付き、さらには一部のサプレスの悪魔は次々と破裂するように死んでいった。

 

「な、何!? ネスがやったの!?」

 

 その光景を見たトリスはさっきほど召喚術を発動させた兄弟子がやったのかと尋ねた。

 

「いや……、僕じゃない……!」

 

 ネスティを見ると若干取り乱した様子で答えた。

 

「召喚術!? ……いや、そんなはずはない……」

 

 大きな魔力を感じたことから最初は誰かが高位の召喚術を使ったものと考えた。だが、この魔力はゼラムの方から発生しているようだが、今のゼラムにこれほどの魔力を持つ存在を召喚できる者などいないはずだ。

 

「ネス!」

 

「っ!」

 

 トリスの大声ではっとすると目の前にサプレスの悪魔がいるのに気付いた。すっかり考え事に夢中になり、注意散漫になっていたようだ。咄嗟に攻撃を杖で防ぐが、体力的に劣るネスティではそう長くは持たない。

 

「ハアッ!」

 

 そこへルヴァイドが横合いから突っ込み悪魔に斬撃を浴びせ吹き飛ばした。

 

「イオス、ゼルフィルド、追撃だ!」

 

「はっ!」

 

「了解」

 

 その命令を受けて二人が悪魔に追撃を加えた。ルヴァイド自身はネスティを庇うように彼の前面に立っていた。

 

「……すまない。助かった」

 

「何を考えていたか分からんが、今は目の前の敵に集中しろ。次は助けられんぞ」

 

「分かっている。……コマンドオン!」

 

 言葉と共に召喚術を発動させる。狙うは今しがた自分を狙った悪魔だ。

 

「下がれ!」

 

 短いルヴァイドの命令だが、それでイオスにもゼルフィルドにも通じたようだ。ゼルフィルドの銃撃の支援を受けながら、イオスは悪魔と距離をとった。

 

「ジェミニレイ!」

 

 ネスティによって召喚された深淵の魔導機(ディアブロ)が放った交戦が悪魔に直撃する。範囲を絞った一撃であるため、若干の砂埃が宙を舞ったものの、視界を遮るほどではなかった。

 

「ッ! トリス、とどめを!」

 

 その中で悪魔が鈍く動いていたのを見たネスティはトリスに叫んだ。どうやら悪魔は予想以上に頑強だったようで、ネスティの召喚術だけでは仕留めきれなかったのだ。

 

 サプレスの悪魔は魔界の悪魔に比べ、自分の体を顧みない攻撃をすることは少ないが、魔力があれば何度でも復活できるのだ。

 

 魔力が豊富なサプレスでは不死にも等しい存在だが、リィンバウムではそうはいかず魂殻(シエル)と呼ばれる魂を包む器を作るか、力が減衰することを承知の上で受肉することで存在を保つ必要がある。そしてこの場の悪魔は前者の方法を使ってこの場に存在するのである。

 

 ただ、魂殻(シエル)というのは維持に魔力を費やす必要があるのだが、それは同時に魔力でいくらでも再生可能であることを意味する。そして負の感情を糧とし魔力に変えることができる悪魔であれば、恐怖や憎しみ、怒りが蔓延する戦場ではサプレスに近い不死性を発揮することができるのだ。

 

 それを防ぐには再生を上回るほどの攻撃を加える必要があるのだ。ネスティが叫んだのも再生をさせないためなのだ。

 

「わかっ……!?」

 

 ネスティの言葉に従い召喚術を使おうとしたトリスだったが、その瞬間に先ほど同じように目の前の悪魔が破裂した。

 

「また……? どういうことだ……?」

 

 そう呟くと、先ほど破裂した悪魔もだいぶ消耗していたことを思い出した。もしかしたらこの現象のトリガーは悪魔が回復しようとすることかもしれない。

 

(きっと悪魔の回復を阻害する何かが……)

 

 そこまで考えたところでふとさきほど感じた魔力のことに意識が向いた。それは今も変わらずゼラムの方から発せられている。思えば悪魔に今のような現象が起きるようになったのはこの魔力を感じてからのことだ。

 

 もしかしたら悪魔の回復を阻害する何かは、この魔力の中に隠されているのかもしれない。

 

 ネスティはそこまで推測するものの、その魔力によって発生したもう一つの現象、ゼラムの上空にできた空の割れ目については、彼らの戦場であるこの場所がファナンの近くということもあって気付くことはできなかった。

 

「また来るぞ!」

 

 ルヴァイドが注意を促すように叫んだ。まだ豆粒程度にしか見えないが、確かにこちら向かっている悪魔が見えた。数はおよそ十五体ほどだ。仲間全員で戦うのならともかく、半数では接近戦に持ち込まれたら数で押し負けてしまうだろう。

 

「ネス!」

 

「ああ、分かってる!」

 

 トリスも自分と同じ考えを持っているようだ。すなわち強力な召喚術で一気に大打撃を与えるのだ。

 

 二人は集中し、機界ロレイラルから召喚獣を呼び出した。

 

 それは数多くの機械兵士を作った名匠ゼルの作品の一つにして、その完成度の高さから芸術品とも称される二体一対の召喚獣だった。

 

「焼き払え! ファランクス!」

 

 ネスティが呼び出した召喚獣は肩からロケット弾を猛々しく撃ち出した。悪魔たちの中心で炸裂したそれは直撃を受けた悪魔を吹き飛ばしただけでなく、それ以外の悪魔にも確実にダメージを与えた。

 

「斬り裂いて! クロスラッシュ!」

 

 トリスが呼び出した両腕に鋭利な刃を装備した召喚獣は、疾風の如き速さで駆け抜け、彼女の言葉通り悪魔を斬り裂いた。

 

 それでもまだ悪魔は十体近くが健在だった。

 

「トリス、合わせてくれ!」

 

「任せて!」

 

 言葉だけで目も合わせることなく完璧に合わせるあたり、さすがは兄妹弟子といったところだ。

 

 二人が呼び出した二体の召喚獣もそれに合わせ変形する。そしてネスティの召喚獣が下半身となり、トリスの方は上半身となる形で合体した。これが変形合体機構を備えた機神とも呼ばれる機械兵士、暁望の大機兵(ゼルガノン)だ。

 

「神剣! イクセリオン!」

 

 二人が同時に発したその言葉を合図に、一対の巨大な機械兵器は手にした巨大な剣を悪魔に叩き付けるように投げた。

 

 その強力な一撃に悪魔はほとんど壊滅したようだ。それでも最も外側にいた二体の悪魔はまだ戦闘能力を持っていたようで、こちらに向かってきた。

 

「後は俺たちに任せろ!」

 

 力強くそう言ったルヴァイドを先頭にイオスとゼルフィルドが残った悪魔を殲滅するために走っていった。

 

「何とか、なりそうだな」

 

 息を吐きながら戦場を見た。一時に比べれば悪魔の数も目に見えて減ってきている。その上、サプレスの悪魔の再生能力も封じたとすれば勝利も近い。

 

「…………」

 

 だからこそ、ネスティは精神を集中させた。勝てるかもしれないという考えが油断を生むことになるのを警戒しているのだ。ここまで来て仲間を失うなどごめんだ。

 

 あまり人を近づけなかった彼だが、マグナやトリスとの旅の中で少しずつ変わっていたのだ。

 

 

 

 

 

 同じ頃、アルミネスの森ではハヤトやマグナたちが機械遺跡を依り代に復活したメルギトスとの戦いが続いていた。

 

「ひゃはははは! さすがは調律者(ロウラー)誓約者(リンカー)だ、やりますねえ!」

 

 メルギトスは目に見えて消耗しているというのに余裕の態度を崩してはいない。相変わらずの下品な高笑いをしていた。

 

「まったく……とんでもなくしぶとい奴だな」

 

 サモナイトソード構え直しながら、ハヤトは嫌気が差したように呟いた。

 

「……どうします? このままじゃジリ貧ですよ」

 

 呼吸を整えながらマグナが尋ねる。それには言外に別な方法をとったほうがいいという意味も込められていた。

 

 単純な力の話では機械遺跡と融合したメルギトスを倒すことは不可能ではなかった。

 

 四人しかいないとはいえ、かつては最強の召喚師と呼ばれた調律者(ロウラー)の名に相応しい魔力を持つマグナと、現代のエルゴの王たる誓約者(リンカー)のハヤトに加え、サプレスのエルゴの守護者を務めるクラレットに、かつてメルギトスと相討ちとなった天使アルミネの生まれ変わりであるアメルである。

 

 そして実際に彼らは、メルギトスを今のボロボロの状態まで追い込んだのだ。しかし、その顔は明るくはない。

 

 実はここまでメルギトスを追い詰めたのは今が初めてではない。少し前にも相当のダメージを与えることはできたのだ。しかし、手数の問題か殺しきることはできず、再生を許してしまったのだ。

 

 メルギトスもまたサプレスの悪魔である以上、負の感情を魔力へと変えることができる。おまけに魂殻(シエル)の代わりに機械遺跡を依り代としているため、存在の維持に費やす魔力も生じない。

 

 この機械魔を倒すには依り代たる遺跡を破壊した上でメルギトス本体に攻撃を加える必要があるのだが、大平原から伝わる負の感情を源泉にした魔力で、自己修復機能まで作動させるこの相手には、どうしてもとどめを刺すまでには至らないのだ。

 

「おや、来ないのですか? それならそろそろ終わりにしてあげましょう!」

 

 勝利を確信していたメルギトスは再び己の体たる遺跡の修復機能を作動させるため、負の感情を魔力に変えようとした。

 

「グアアアアアッ!」

 

 その時、メルギトスが聞き苦しい悲鳴を上げたかと思うと、悪魔が憑りつき変容した遺跡のいたるところが一瞬、膨らんだかと思うと次々と爆発していった。

 

「これは……?」

 

「どういうこと……?」

 

「そ、そんな、バカな! ありえない、ありえないぃぃ!」

 

 突然のことに唖然しながら機械魔の体が崩壊していく様を見続ける四人とは裏腹に、メルギトスは取り乱しながら躍起になって体の崩壊を止めようともがいていた。

 

 しかし、機械の体はまるで言うことを聞かず、完全崩壊への道を一直線に向かっていた。何も特別なことはしていない。先ほどもしたようにこの怒りの感情を魔力に変えただけだ。

 

 そう思った時、凄まじく巨大な魔力が放たれているのに気付いた。ゼラムの方角からだ。

 

「これは……!? まさか、まさかアノ男ガ……!」

 

 メルギトスはその魔力に覚えがあった。何度も自分の作戦の邪魔をしたバージルの魔力に違いない。

 

 もしかしたら自分に起こったこの異変は、目の前の者たちを助けるためにその男が起こしたものかもしれない。混乱したメルギトスはその考えすら頭をよぎった。

 

 実際、これまであの男には何度も煮え湯を飲まされている。二十年近く前、聖王国北端の町近くの森で行っていた新たな依り代となる人造生命体(ホムンクルス)の培養。その実験施設に乗り込んできたのを皮切りに、ゼラムでは殺気を浴びせられた。さらにあの男が行ったという証拠はどこにもないものの、レイムは傀儡としていたデグレアの元老院議員を斬ったのも彼ではないかと思っていた。

 

 そのせいで実験施設は廃棄せざるを得ず、かつ新たな場所を確保する必要に迫られ、ゼラムには近づけず、デグレアの支配計画も破綻したのだ。

 

 言ってしまえばバージルという存在は、メルギトスにとって疫病神以外の何物でもないのである。

 

 そしてその疫病神が生み出した魔力の波は、メルギトスの命運を奪って行こうとしていた。バージルの魔力には強い怒りが込められており、メルギトスを始め大平原の悪魔たちはこれを魔力に変えようとしたのが運の尽きだった。

 

 バージルは自身に眠る力を全て解放し真なる魔となったのだ。いかに半分は人の血を引くとはいえ、そんな存在の感情を扱って無事に済むはずもない。

 

 魔界の悪魔という存在は四界やリィンバウム、さらには人界の者とは根本から全く異なる。そんな悪魔の、それも最上位の力を持つバージルの感情を糧にするなど自殺にも等しい行為なのだ。

 

 図らずも自殺行為をしてしまったメルギトスが徐々に弱っていく様子を見ていたマグナは、はっとした様子でハヤトに声をかけた。

 

「ハヤト先輩!」

 

「……ああ!」

 

 どんどん朽ちていく今のメルギトスなら仕留めることができる。そう確信した。

 

「ナ、ナメルナァァァァ! 私はあまねく世界を支配する機械魔めるぎとす! 力なきニンゲンに負けるハズがなァァァァい!」

 

 遺跡の崩壊と共にメルギトスの言葉も少しずつ歪んでいた。それでも残された力で道連れにしようというのか全身に魔力を漲らせていた。

 

「させません!」

 

 背中に光り輝く天使の羽を出したアメルが三人の前に立って結界を張った。

 

「お願い、みんなを守って!」

 

 さらにクラレットもサプレスから聖盾の守護天使(ロティエル)を召喚し、アメルの結界をさらに強固なものとした。

 

 その僅かに後、メルギトスは魔力を放出し周囲一面を吹き飛ばした。

 

「マグナ……お願い!」

 

 アメルの声を受けてマグナは召喚術を発動させた。それはここに来る前ネスティから預かったサモナイト石を使ったものだった。

 

「降り注げ! サテライト・レイン!」

 

 遥か上空に召喚した衛星から放たれた交戦の雨がメルギトスに降り注いだ。いかにロレイラルの技術で作られた遺跡とはいえ、同じ機界の技術で作られた兵器には耐えられなかったようだ。

 

「我が友ゲルニカよ、もう一度力を貸してくれ!」

 

 ハヤトの願いに答えて現れた剣竜とも呼ばれるメイトルパのエルゴの守護者、ゲルニカは息も絶え絶えのメルギトスに炎を吐き出した。

 

 一点に集中されたその炎熱は確実に機械魔を消耗させたが、まだ倒すには至らない。

 

「行け! マグナ!」

 

「はい!」

 

 しかし、この好機を逃すつもりはない。マグナは剣に魔力の大半を注ぎ込みながらメルギトスに向けて走り出した。

 

「終わりだああああ!」

 

 そして跳躍し、メルギトスのちょうど額にあたる部分に剣を突き刺した。

 

 一瞬の沈黙。それが明けるとメルギトスは断末の叫びをあげた。

 

「オノレ、オノレェェェェ! ニンゲンガァァァァ! イツカ、イツノ日ニカ必ズ――」

 

 そこでメルギトスの言葉は途絶えた。ようやくこの魔王との戦いは終わったのだ。

 

 

 

「お疲れさん」

 

 座り込んだマグナにハヤトは手を差し伸べた。

 

「何とかなりましたね」

 

 彼の手を借りて立ち上がりながらマグナは笑った。そんな二人にアメルとクラレットも歩いていく、

 

「もう周りには敵はいないようです」

 

 ゲルニカから周囲の状況を聞いたクラレットが伝えた。ここは召喚兵器(ゲイル)が封じられた遺跡だ。メルギトスは倒しても襲われる可能性はあったのだが、彼女の話を聞く限りその心配は無用のようだった。

 

「マグナ、じっとしててください」

 

 四人の中でもっとも消耗していたマグナがアメルの治癒の奇跡を受けていた。

 

「それにしてもよかったな。ここに来る前の話だとあいつの他にも仲間がいたんだろ? もし一緒に戦っていたらかなりきつかったと思うぜ」

 

「確かに……でもそれならあいつらはどこに……」

 

 マグナが不審に思ったのはガレアノたちメルギトスの配下の三悪魔のことだ。ファナンでは共に行動していたのだが、ここではついぞその姿を見せなかった。

 

「……とりあえず少し休んだら戻りましょう。あちらの方も心配ですし」

 

 クラレットの提案にみな一様に頷いた。

 

 こうして一抹の不安を残しながらアルミネスの森での戦いは終結した。

 

 

 

 

 

 各地の戦況を一変させるだけの魔力を解放し真魔人へと至ったバージルを見て、ベリアルが抱いたのは驚きだった。

 

 しかしこの大悪魔が驚いたのは、力の大きさではなかった。

 

 真魔人の姿へと変じる前の姿は以前、己に勝利したスパーダの息子に似ていたのだ。

 

 かの魔剣士にもう一人息子がいたのか、ベリアルは最初そう考えたが、この真魔人の姿を見るともう一つの考えも浮かんだのである。

 

(まさか……この男は――)

 

 ――魔剣士本人ではないのか、そうベリアルは思ったのだ。実際にあの男は、話に聞くスパーダのように寡黙で冷徹だった。特にあの目、炎獄の覇者にまで登り詰めたベリアルですら恐怖を抱きかけさせたあの目は、まさしく悪魔のそれだ。

 

 しかし、同時にそれに対する疑念もある。最初に魔人の姿でこの場に訪れたときは純粋な悪魔と区別がつかなかったが、あの人間のもとでそれを解いた時は、はっきりとそう断言はできなくなったのだ。

 

 つまりこの男は純粋な悪魔ではなく、最初に考えたようにもう一人のスパーダの息子だろう。だが、少なくとも血のような色の服を着た方の息子よりもずっと悪魔に近い存在のように感じられた。

 

「貴様はっ――!」

 

 それを確かめようと口を開いた瞬間、目の前の男の姿が消えた。

 

「Down you go!」

 

 さすがに大悪魔たるベリアルは、己の目の前まで来たことに辛うじて気付くことができたが、その攻撃を止めることはできなかった。

 

 空中で鞘に納められた閻魔刀を抜き放ち、一閃。さらにそのまま体を回転させ、叩き付けるような斬撃をベリアルの頭部に直撃させる。

 

 ベリアルの身を守る炎などまるで意味をなさず、紙きれのように斬り裂いた。しかしそれだけでは終わらず、ベリアルの肉体にも多大な打撃を与えていたのだ。

 

「まだだ! まだ終わるわけにはいかぬのだ!」

 

 それでもベリアルが膝をつかなかったのは悪魔としての誇りだった。魔界の一角を治めていた己が、仇敵の血を引く男に何もできずに負けるなどあってはならぬ。せめて一矢報いてやる。その意地だけでベリアルは立っていたのだ。

 

 全方位に炎として放つため、体に魔力を充填させる。あるいはこの男なら避けるのも容易いだろうが、そうすれば奴が執着していた人間なんぞ跡形もなく消し飛ぶだろう。

 

「Kneel before me!」

 

 今度もベリアルには何をしたか見えなかった。気付けば己の体に斬撃が襲っていたのだ。

 

 先ほどのものとは全くの別種と感じてしまいそうな斬撃だ。まるで空間ごと斬ったかのように、体の奥深くまでそのダメージは及んでいた。これにはサプレスの悪魔や天使の攻撃など寄せ付けなかった、ベリアルの頑強な体も力なく地に伏すしかなかった。

 

(何という速さ、何という重さだ……! これがスパーダの息子の力か……!)

 

 スパーダの血を引く者と戦った経験はあるが、全力を出した魔剣士の血族と相対したのはこれが初めてだった。

 

 そしてこの男の持つ圧倒的な力こそ、かつてこの大悪魔ベリアルが憧れたスパーダが持っていたものだ。

 

 ベリアルはこのスパーダの息子に畏敬の念を抱きかけていた。

 

「You shall die」

 

 いつの間にか地に降りていたスパーダの息子は、言葉と共にその身に先ほどとは比較にならない魔力を宿しながら居合の構えをとっていた。

 

 その体から僅かに漏れる魔力だけで空間にも影響を及ぼしているのか、その姿はどこか歪んで見えた。

 

 一瞬の後、その場から姿を消したかと思うと分身が現れた。

 

 しかし、ベリアルに見えたのはそこまでだった。気付くと男は消える前と同じ位置で己に背を向けたまま、得物を鞘に納めようとしていた。

 

 それが己の命の終わりであると本能的に悟ったベリアルは残された力言葉を絞り出した。

 

「見事だ……!」

 

 それが炎獄の覇者ベリアルの最期の言葉だった。憎しみや怒りではなく称賛の言葉だったのは、より大きな力で己をねじ伏せたバージルという悪魔を認めた為かもしれない。

 

 バージルが閻魔刀を納め、人の姿に戻った瞬間、分身が放った次元すらも裂く斬撃が一斉にベリアルに襲い掛かった。

 

 そして後に残ったのは、斬り刻まれたゼラムの街並みと、燃え尽きた山のような黒い塊だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




魔人化すらしてないダンテにもベリアルは遊ばれていたので、真魔人になった上、殺す気満々なバージルには手も足も出ませんでした。

ちなみの今回ではこの章を終わらせることはできなかったので、明日9日も午前0時に投稿します。

ご意見ご感想等お待ちしてます。

ありがとうございました。



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第53話 永遠の絆

 ベリアルの亡骸を背に人の姿へ戻ったバージルに残ったのは、虚しさだけだった。いくらベリアルを殺したとて失われた命は戻らない。残された者にできるのは、せめて丁重に弔うことだけなのだ。

 

 かつて母にそうしたように。

 

 そう考えてアティの方を見る。

 

「っ!」

 

 その変化に気付いたバージルは彼女の傍に走った。アティの傷がだんだんと回復してきていたのだ。

 

 彼女の近くまでくると、手にしていた碧の賢帝(シャルトス)の刀身が元に戻っていた。ここに来たときは根元からまるっきり失われていたというのに。その上、魔剣から感じる力も以前よりも大きくなっている。

 

 この碧の賢帝(シャルトス)は一度バージルの手で砕かれ、彼の力を宿した魔具として再生した過去がある。

 

 ただ、魔具自体が悪魔であれば再生したのも納得できるが、碧の賢帝(シャルトス)は魔具とは言っても魔力を宿した物質に過ぎない。それゆえ人の手で修復することはできても、魔具自身に自動で修復する力はないはずだ。

 

 しかし、実際に碧の賢帝(シャルトス)は修復している。それを可能としたのはバージルが真魔人となった時に解放した魔力だった。それを碧の賢帝(シャルトス)が吸収し、かつて粉々に砕けた状態から再生したように刀身を蘇らせたのだ。

 

 これはバージルの魔力が碧の賢帝(シャルトス)にも宿っていたからこそ、可能だったことだ。もし、バージルが魔剣を砕いていなかったら、そして碧の賢帝(シャルトス)をアティに渡していなかったら、きっと彼女の命は失われていたに違いない。

 

 もっとも、どんな理屈があろうとバージルにとってはたいしたことではなかった。彼にとって一番重要なのはアティの命がまだ失われていなかったことなのだから。

 

「…………」

 

 大きく息を吐いた。先ほどまで感じていた虚しさはいつのまにか消えていた。

 

(とりあえず戻るか……)

 

 さすがにアティをこのままにしておけないため、そう判断したところで背後の方から悪魔の気配を感じた。サプレスの悪魔が三体いるようだ。

 

「……よほど死にたいらしいな」

 

 その正体に見当がついたらしいバージルはそう言いながら振り返った。顔は無表情のままだが、今のバージルを一目見れば明らかに気分を害しているのを見てとれた。

 

 悪魔は姿を隠しているのかバージルの視界には入っていないが、姿を隠しても魔力をどうにかしなければ、この男相手には無意味だ。実際にバージルは悪魔が恐怖から震えているのが手に取るように分かった。どうやら先ほど彼が言った声が悪魔に聞こえたようだ。

 

「…………」

 

 バージルは無造作にベリアルの屍に右手をかざした。するとそれに反応したように、燃え尽き、ただの黒い塊と化した炎獄の覇者から光の球が出てきた。そしてそれは、吸い込まれるようにバージルの右手に収まった。

 

 その光球はベリアルが魔具へと転じた姿だった。悪魔が魔具になるのは己が認めた相手に魂を捧げることで変化するのだが、それ以外にもう一つ方法がある。それは魂が敗北を認めた時だ。

 

 かつてバージルがベオウルフを魔具にした時と同じだ。絶大な力で悪魔を魂から屈服させ、魔具としたのである。

 

 そして取り込んだ魔具を右手に持った。現れたのはバージルに合わせて縮小した、ベリアルの持っていたものと似たような無骨な造りの大剣だった。そして、少しばかりそれに力を込めると大剣から炎が噴き出し刀身全体を覆った。それはベリアルが纏っていた炎獄の炎と同質のものだった。

 

 そうした点から考えるとこの大剣は「炎獄剣ベリアル」と呼ぶのが相応しいだろう。

 

 そのまま、最も近くにいた悪魔の所へエアトリックで移動する。そこにいたのはガレアノだった。となると残りの二体はビーニャとキュラーだろう。

 

「待っ……!」

 

 バージルは不運な悪魔が何か言う前にベリアルを腹に突き刺した。すると剣が纏っていた炎がガレアノに移り、その体を焼き尽くさんと燃え上がった。

 

「……! ……!」

 

 ガレアノは体を捩って苦しそうにもがきながら悲鳴を上げているようにも見えるが、声帯をやられたのかバージルには何も聞こえなかった。それにしても恐ろしいのはこの炎だ。これは物質としての性質を併せ持つ魔界の炎なのだ。振り払うことはできない上に、拘束具のように体の動きまで制限されるのだ。

 

 とはいえ、その苦しみは僅かの間だった。数秒でガレアノの体は骨も残さずに燃え尽きたのである。これが下手に力を持った存在なら苦しむ時間が長くなったことだろう。その点でこの悪魔は己の矮小な力に救われたため、運がよかったようだ。

 

 それでも炎はその場に残ったままだった。どうやらそれにはバージルの意志が反映されるようで、彼が望む限り場に残り続けるようだ。それを確認したバージルは次の悪魔を刈るべく、再び移動した。

 

 キュラーの上方に現れると今度はそのまま兜割りを繰り出した。所詮は依り代の体でしかない悪鬼使いの体は豆腐のように容易く両断された。そしてそのまま大剣を地面に叩き付けると爆発を起こした。

 

 当然、バージルにはダメージはないが、至近距離からの爆発を受けたキュラーは跡形も残っていない。

 

「ヒッ……!」

 

 続けざまに同胞を殺されるのを見たビーニャは、もはや戦意を失いかけているのか顔に恐怖を浮かべてあとずさった。

 

 しかし彼女が連れていた三体ほどの魔獣は唸り声を上げて飛び掛かってきた。

 

 バージルは炎獄剣を逆手に持ち替えるとそのまま地面に突き刺した。するとバージルを中心に猛烈な勢いで火柱が立ち昇った。これを受けたのが、ただの魔獣だったため火柱に飲み込まれ消滅したが、これがもっと頑丈な悪魔だったのなら宙に打ち上げられていただろう。

 

 おまけにこの火柱もバージルの意志で残すことができるようだった。

 

 もはや万策尽きたビーニャにバージルはベリアルを突き出しながら地を蹴った。ダンテも使う単純な突きだが、彼ら兄弟の放つこの技には巨大な悪魔さえ吹き飛ばす力が込められているのだ。

 

 それが魔剣に宿る魔力と反応し、炎が大きく燃え上がり剣とバージルを包み込んだ。一本の炎の槍となった一撃がビーニャの体に突き刺さり、同時に炎も襲い掛かった。

 

 バージルの繰り出した攻撃はどれも、この程度の悪魔を殺すにしては明らかに過剰すぎる威力だった。三体とも塵も残さず消えてしまった。

 

 しかし、おかげでこの炎獄剣ベリアルのことはよく理解できた。最初に持った時から大方できることは分かっていたが、父からも教わった通りやはり実際に使ってみるのが一番なのだ。

 

 魔具の試用も兼ねた掃討を手早く終わらせたバージルは、改めてアティを運ぶべく彼女のもとに向かった。

 

 

 

 

 

 魔界の悪魔とともにリィンバウムへと侵攻したサプレスの悪魔は、彼らの頂点に立つベリアルが敗北すると算を乱し、散り散りとなって逃げ出していった。もともと強大な力を背景に、半ば脅された形で従わされていただけであるため、脅した張本人がいなくなれば従う理由などないのだ。

 

 しかし、魔界の悪魔は最後の一体に至るまで聖王国と戦い続けた。結果的にそれがサプレスの悪魔たちを逃がすための時間稼ぎとなったのは否定できない事実だった。

 

 それでも聖王国は、人間は、勝利した。それは紛れもない事実だった。たとえ相手が下級悪魔だけだったとしても、人間が異界からの侵攻を打ち破った事実は変わらないのである。

 

「はあ……」

 

 しかし、その勝利の立役者の一人である蒼の派閥の総帥であるエクス・プリマス・ドラウニーは、執務室で大きなため息をついた。見た目はかなり若く見える彼だが、今はまるで疲れ切った老人のように背もたれに体を預けていた。

 

 エクスが見ていたのは今回の戦いの第一次報告書だ。

 

 「第一次」とついた通り、これに書いてあるのはかなり限定的なものだ。ただ、戦いからまだ三日しか経っていない状況で作られたものであるため、仕方ないところもあるだろう。

 

 とはいえ、比較的調査が容易な大平原での戦いにおけるこちら側の被害については、詳細が記載されていた。こちらの戦死者は総戦力のおよそ五割。軍事的には組織的戦闘能力を喪失し、全滅と判断される程の被害だ。

 

 実際に戦いの終盤では、個人での戦闘か、少数での戦闘を余儀なくされていたことからも、ほぼ指揮系統は崩壊していたと見るべきだろう。

 

 しかも、これだけの犠牲を出しながらゼラムの街々のみならず王城への攻撃までも許してしまった。幸いなことに聖王は大平原におり、その他の王族もあらかじめゼラムから脱出していたため、聖王国の存続に関わる最悪の事態は避けられたが、崩壊した部分にいた者の生存は絶望視されている。

 

 その上、被害はこれだけに留まらない。これにゼラムで悪魔に襲われた人々と倒壊した建物も加わる。

 

 特に導きの庭園から北側に扇状に広がる範囲は、まるで斬り刻まれたような瓦礫で埋め尽くされ、無事な建物など一つもなかった。高級住宅街などは文字通り全滅したのだ。

 

 幸い派閥の本部はその被害を免れたが、正直言ってエクスでも、いまだ被害の推定すらできないでいた。

 

「勝っただけでも、よしとするべきなんだろうね……」

 

 力なくうなだれながら呟く。エクスはメイメイからゼラムに現れた強力な悪魔がバージルによって倒されたことは聞かされていたのだ。もしも彼が現れなかったら被害はもっと大きなっていただろう。いや、彼女が語った悪魔の力を考えると、そもそもこちらの勝利すらありえなかったかもしれない。

 

 それからすれば悪魔に勝利しただけでも喜ぶべきだろうが、人というのは失ったものが大きければ大きいほど、簡単に納得できるものではないのである。

 

 そこへかつての弟子の一人で、今では派閥の議会の長を務めているグラムス・バーネットがやってきた。

 

「総帥、準備が整いました」

 

「うん、わかったよ」

 

 短く答えたエクスは席を立ち、グラムスと共に部屋を出た。

 

 これから向かうのは王城だ。聖王は辛うじて無事だった城の一角で居を構えているのだ。

 

 金の派閥のファミィ議長も召集されたという話だったため、そこで話し合われる議題は十中八九今後のことに違いない。聖王に委任され実際の統治の行ってきた者たちの多くが崩壊に巻き込まれたため、執政にしろ、戦災からの復興にしろ、今の聖王国は人間が不足しているのだ。事実、内々に派閥からの人材の派遣が可能か打診されていた。

 

 蒼の派閥としてはそれには全面的に応じるつもりでいた。そもそも今回の悪魔の侵攻に備えて、聖王家を含めた各所に働きかけを行っていたのは他ならぬエクスなのだ。最初に始めた者として協力を惜しむつもりはなかった。

 

「彼らの内諾はとれた?」

 

「ええ。最後まで関わらせてほしいと残念がっていましたが、最終的にはラウルに説得させました」

 

 二人の話はその派遣する人材に及んだ。そのほとんどは任務を解かれることに何ら不満を抱いていないようだったが、ギブソン・ジラールとミモザ・ロランジュだけは今の任務が終わってからにしてほしいと願い出たのだ。

 

 二人の任務は召喚師の連続失踪事件の調査だった。それにはどうやら、かつてリィンバウムに侵攻したサプレスの魔王メルギトスが関わっていたらしく、後輩のためにも何とか最後までやり遂げたかったようだ。

 

「残りは彼らじゃなくともできるからね」

 

 そのメルギトスも禁忌の森で滅んだということで、あとはその足取りを追っていくだけの作業だ。派閥の機密に関することだけに誰でもいいわけではないが、少なくともギブソンやミモザでなければならないという理由はない。

 

「しかし……よろしいのですか? その後をライルとクレスメントに任せるというのは」

 

 ライルの一族も、クレスメントの一族も召喚師にとって都合の悪い事実を隠すための生贄として利用され、迫害されてきたと記録されている。それが知られてしまうのではないかとグラムスは案じたのだ。

 

「構わないよ。もう彼らはある程度知っているだろうし……。それに、もしかしたら僕たちも知らなったことが明らかになるかもしれないしね」

 

 彼らが禁忌の森で真実の一端を知ったことはパッフェルから聞いている。そこまで知ったのなら、その先の真実まで気付くのは時間の問題だ。エクスはもう彼を真実から遠ざけるのは無意味だと考えたのである。

 

「総帥がそうおっしゃられるのであれば……」

 

 グラムスはエクスの心中を慮ってこれ以上、口を出さないことにした。ただでさえ、この少年のような老人は激務の続く日々を送っているのだ。それを補佐するのが己の務めだと、あらためて心に刻み込んだ。

 

 

 

 

 

 港町ファナン。ここは大平原に押し寄せた悪魔による被害こそなかったため、ゼラムに比べ比較的落ち着きを取り戻していた。外に逃げていった住民も徐々に戻ってきており、いつもの活気を取り戻すのもそう遠いことではなさそうだった。

 

 そこの港ではサイジェントに帰るハヤトとクラレットをマグナたちが見送っていた。

 

「すまない。できるなら最後まで手伝いたかったんだけど……」

 

 ハヤトは、まだゼラムは復興の道半ばなのに離れてしまうことを悔いているようだった。

 

「気にしないでください、ハヤト先輩。こっちは俺たちが何とかしますから。早く戻ってあげてください」

 

 彼を元気づけるようにマグナは答えた。そもそも二人が急に戻ることになったのは、サイジェントが悪魔に襲われたという情報が入ったからだ。恐らく大平原から逃げ出した悪魔だと思われるが、街中にまで入り込んだらしく、かなりの混乱があったらしい。

 

 一応、戦いは終わり仲間にも怪我人はいなかったというが、さすがに街中にまで入り込まれたのはただならぬ事態だ。今後もこういったことが起こる可能性は捨てきれないし、戦えない者も少なくないフラットのためにも二人は戻ることにしたのだ。

 

「すみません。後はお願いします」

 

「謝らないでください。大切な人のことが心配になるのは、あたしにもよく分かりますから」

 

 申し訳なさそうに謝るクラレットにアメルが言った。彼女もレルム村が襲われた際に消息不明となっていた祖父が生きているのを知って、マグナたちに無理を言って会いに行ったことがあったのだ。だからこそサイジェントに残した仲間を案ずる二人の気持ちが痛いほどよくわかった。

 

「そろそろ時間だよ」

 

「ああ、もう会えないわけじゃないんだ」

 

 トリスとネスティが乗船を促した。それを聞いた二人が船に乗り込んで間もなく船は動き出した。マグナたち四人は別れを惜しみながら、船が見えなくなるまで手を振って見送った。

 

「……トリス」

 

 その帰り道、ネスティはトリスを呼び止めた。

 

「なに? どうしたの?」

 

「例の任務、本当に受けるのか? マグナと同じようにレルムの村の復興を手伝ったって構わないんだぞ」

 

 彼らが派閥から命じられた任務、それはギブソンとミモザが行っていた調査を引き継いで行うことだった。メルギトスに絡んだことだったため、自分たちに白羽の矢がたったのだろうとネスティは推測していた。

 

 ただ、その任務を受けるのをマグナは渋っていた。

 

 ネスティが理由を聞き出すと、マグナはアメルと共にレルム村を復興する手伝いをしたいということだった。ゼラムも城や高級住宅街を中心に大きな被害を受けたため、レルム村の復興は後回しになる可能性は低くない。だからこそ少しでも力になりたいのだろう。

 

 その気持ちはネスティにも分からなくはなかった。だからこそ、この任務の話を持ってきた義父であり、師でもある蒼の派閥の幹部ラウル・バスクに自分一人に命じるように頼み込んだのだ。

 

 しかし、それをどこからか聞いたトリスが自分も受けると言い出しだのだ。

 

「別にいいでしょ。……それに二人の邪魔はしたくはないし」

 

 トリスの視線の先には仲良く並んで歩いているマグナとアメルの姿があった。

 

「……なるほど」

 

 それを見てネスティは彼女の言わんとしていることが理解できた。さすがにあれを見ても何も感じぬほど鈍感ではない。

 

「それに、ネスもあたしが一緒の方がいいでしょ?」

 

 トリスが意地悪な笑みを浮かべてネスティの顔を覗き込んだ。

 

「……そうだな」

 

「うぇ!?」

 

 いつものように「君はバカか?」と返されるだろうと考えていただけに、思いがけないネスティの言葉にトリスは変な声を上げた。

 

「どうした? それとも君は僕と一緒にいるのは嫌なのか?」

 

 先を歩く弟弟子を見習って、少しばかり自分に素直になってみたネスティだったが、トリスの予想外の反応に驚いてしまった。

 

「分かってるくせに、そんなこと聞かないでよ……」

 

 赤くなった顔を見られたくなかったトリスはネスティの腕に抱き着きながらそう答えた。

 

 先を歩くマグナとアメルは二人の微笑ましい様子を見ながら言葉を交わしていた。

 

「やっぱり仲いいですねえ」

 

「ほんとだ。見せられる方の身にもなって欲しいよ」

 

 初々しい二人の様子に、見ているだけのマグナまで恥ずかしくなってしまいそうだ。

 

「ふふっ、それじゃあ、あたしたちは手を繋ぎましょうか?」

 

「そうだね」

 

 そう言って手を差し出すアメルにマグナは迷いなくその手を握った。

 

「あったかいです」

 

「アメルの手もね」

 

 そう言って二人は向かい合ってもう一度笑った。

 

 

 

 

 

 ゼラムのバージルの居宅は人がいなかったためか、幸いなことにこの家は悪魔による被害は免れていた。そしてそこの一階ではポムニットとミントが話していた。

 

 その内容はあの戦いの最中に知られたポムニットの出自についてだ。

 

「そっか、そうだったんだ……」

 

「うん……、黙っていてごめんね。……やっぱり嫌われるのが怖くて……」

 

 ポムニットは悪魔と人の間に生まれた存在であること、父は顔も分からず、母とは死別し、バージルやアティに助けられ今の自分があることを嘘偽りなく、正直に話した。

 

「やっぱり、ちょっとショックかな……」

 

「そう、だよね……」

 

 ミントの言葉にポムニットは俯いた。予想していたことはいえ、やはりそう言われると辛いものがある。

 

「あっ、そうじゃなくて! やっぱり私のことを信じてもらえなかったのがショックなだけで、あなたがどういう生まれでも、私にとって大事な友達なのは変わらないよ」

 

 自分の言葉が間違って理解されていることに気付いたミントは慌てて否定した。別に彼女はポムニットがどういう生まれでも、それで態度をあらためようとは思わなかった。大事なのはポムニットが大事な友人だということだ。その事実の前には出自など問題にはならないのだ。

 

 その考え方は召喚師にしては珍しいものだが、彼女の先輩がこれと似た考えを持っているのだから、ミントもそれに影響されたようだ。

 

「ミントさん……」

 

 顔を上げてミントの顔を見る。

 

「もう、そんな顔しないで。私も驚いたのは本当なんだから、これでおあいこだよ」

 

「うん……、ありがとう」

 

 その言葉でようやくポムニットは笑顔を取り戻した。

 

 

 

「そういえば、ポムニットさんはいつまでここに?」

 

 ようやくいつもの関係に戻った二人はポムニット作ったお菓子を食べながら、話を続けていた。その中でミントが尋ねたのだ。

 

「う~ん、たぶん先生が目を覚まして、体調が戻るまではいると思うけど……」

 

「……まだ、目を覚まさないんだ?」

 

 ミントがアティと会ったのは、あの戦いの中での僅かな間だけだ。それでも自分の命を救ってくれた恩人のことを心配するのは当然のことだった。

 

「うん……。でもバージルさんもメイメイさんもじきに目が覚めるって言ってるから大丈夫!」

 

「よかった……。でも、それならもうすぐ会えなくなっちゃうね。私もここから離れるだろうし……」

 

 少し残念そうにミントが言う。

 

「え……? どこかに行くの?」

 

 召喚師が住んでいる場所を離れるのは、派閥の任務などでの派遣がほぼ全てを占める。そのため、ミントも何らかの仕事を命じられたのかと思ったのだ。

 

「詳しい話はまだなんだけど……、帝国のトレイユっていう宿場町に行くことになると思うの」

 

 その話が内々にミントにもたらされたのは、いざ命じられたらすぐに出発できるように準備しておけという配慮からだ。派閥に拠点を置ける任務ならそんなことをする必要はないが、さすがにゼラムを離れる必要がある任務の場合、いろいろと準備が必要であるため、慣例としてこうした配慮がされているのだ。

 

「そっか……、でも帝国ならここよりは近いから、遊びに行くからね」

 

 島からは聖王国に行くより帝国の方が近い。もっともたとえ遠くなってもポムニットは遊びに行くつもりだったが。

 

「……ありがとう」

 

 何の躊躇いもなくそう言ってくれることに嬉しくなる。ポムニットもミントもこのゼラムで、距離が離れたくらいでは切れない強い絆で結ばれた生涯の友を得たのだ。

 

 

 

 

 

 アティが眠るベッドの横でバージルは微動だにせず、彼女の目が覚めるのを待ち続けていた。

 

 既にあの戦いから四日が経過しており、彼女の体の傷は癒えている。

 

 それでも体の奥深くまで刻まれたダメージがこれまでアティを眠りから解放することはなかった。

 

(アティ……)

 

 心中で彼女の名前を呼ぶ。たった一人の人間にここまで心を揺さぶられるとは、かつての自分が見たらなんと思うだろうか。

 

 しかしバージルは、ようやくスパーダが、父が、魔界を裏切ってまで人間についた理由を理解できた。

 

 あの時の、ベリアルに怒りを見せた時のことを思い出す。かつての自分が理解できなかっただろうが、今の「己」を自覚しているバージルはその怒りの源泉たる感情まで理解できた。

 

 それはバージルが気付こうとしなかった、人を想う感情だった。大切に想う人を傷つけられ、その感情が爆発し怒りへと転じたのである。

 

 それを理解した時、彼は父が人間を守るために戦った理由が分かったのだ。かの伝説の魔剣士も、今のバージルが抱いているのと同じ感情を抱いたのだろう。だから人間に与した。それだけのために魔界を、己の生まれ故郷の全てを敵に回したのだ。

 

「俺には……お前が必要だ」

 

 それが分かったからこそ、バージルはアティに目を覚まして欲しかった。全てを理解しても、彼女が目を覚まさなければ意味などないのだ。

 

「あ、う……バージル、さん?」

 

 バージルの願いが通じたのか、アティはゆっくりと瞼を開いた。

 

「……ようやく、起きたか」

 

 バージルは努めて、いつもの自分らしく無表情で素っ気ない言葉がかける。先ほどの言葉をアティにかけなかったのは彼なりの意地だろうか。

 

 それでもバージルの瞳は素直な反応を示し、いつの間にか握っていた手から、抱いている想いがアティに流れ込む。

 

 それを可能にしたのは、バージルの力が宿る碧の賢帝(シャルトス)のおかげだと思われるが、そんなことは二人にとってどうでもいいことだろう。

 

(バージルさん……)

 

 バージルの自分に対する想い。それはアティにとって、どうしようもなく嬉しいものだった。感極まったのか、思わず涙が頬を伝った。

 

「どうした?」

 

 急に涙を流したアティを真剣な顔でバージルが見る。人によって委縮してしまうような鋭い視線だが、アティはそれを受けてようやく悟った。

 

(そっか……私、ずっと……)

 

 この人に守られてきたんだ。そう思った。

 

 アティの胸にはまだバージルから預けられたアミュレットが輝いている。それに自分の中からは、バージルの力をより強く宿った碧の賢帝(シャルトス)の存在が感じられた。

 

 アミュレットはバージルがずっと身に着けており、間近で彼の魔力を浴び続けたため、少しずつ魔力を帯びていったのだ。そして碧の賢帝(シャルトス)も同じくバージルの魔力を宿していた。きっとこの二つの魔力に守られたからこそ、アティはベリアルの一撃を受けても、命を失わずに済んだに違いない。

 

 そうして自分を守ってくれたこと、バージルの想いを知ったこと、アティはバージルに言いたいことが山ほどあった。しかし、それをいちいち口にするのはどうにも煩わしかった。

 

 だからアティはストレートに自分の想いを伝えようとした。

 

「バージルさんっ……」

 

 名を呼び抱き着き、バージルに口付ける。それが今のアティの想いを最も正確に伝える方法だったのだ。

 

 だが、思った以上に疲労が溜まっていたのか、力が抜けベッドに倒れそうになった。

 

「あっ……」

 

 しかしそうはならなかった。バージルが彼女を支えたのだ。

 

 息がかかりそうな距離で見つめ合うバージルとアティ。

 

 そしてその距離はさらに短くなる。

 

「んっ……」

 

 どちらから距離を詰めたのか、それは二人にしかわからないが、その一瞬後には二人の距離はゼロになった。

 

 二人にとって永遠に等しい時間が過ぎた後、ゆっくり顔を離した。

 

 そしてアティは嬉しさに涙を浮かべながらずっと言いたかった自分の気持ちを口にした。

 

「好き、大好きです……」

 

 バージルは答えない。しかしその代わりにアティをきつく抱きしめた。

 

 アティもバージルの背に手を回し、幸せそうに体を預け、目を閉じて、もう一度口付けた。

 

 本日三度目、通算四度目で、ようやくキスの味がわかったような気がした。

 

 

 

 

 

 バージルは長い長い遠回りの果てに、ようやく本当に守りたい大事なものを見つけた。

 

 それは今、彼の腕の中に確かに存在していた。

 

 

 

 

 

 

 

第3章 激動の時代 了




第3章完結です。何とか一つの到達点は描けたのかなと思います。

そして結果的に3日連続更新になりましたが、楽しんでいただければ幸いです。

さて次回からは、4編に入るか、その前に関係が進んだバージルとアティの砂糖の吐くような話でも挟むか、悩んでいるところですので、少しの間お待ちください。

それでは、ご意見ご感想や評価等お待ちしてます。

ありがとうございました。



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第4章 いつか夢見た日
第54話 穏やかな夜


 後に「エルバレスタ戦争」と呼ばれることになる、悪魔と人間の戦争は終わった。大規模な会戦は一度きり、それも一日で終結した戦いなのだが、それによって生じた被害は甚大なものだった。

 

 殊に聖王国は聖王都ゼラムの王城にまで被害が及び、悪魔と戦った騎士団や蒼の派閥や金の派閥にも大きな被害が出た。近年は小競り合い以外、まともな戦いを経験していない聖王国にとって、それは大きな打撃であった。

 

 また旧王国も軍事力の中心であった崖城都市デグレアを失うなど、小さくない痛手を被ることになった。

 

 ただしこれは、戦争の黒幕であった大悪魔ベリアルの仕業ではなく、別の思惑で暗躍していたサプレスの魔王メルギトスによって行われたことであったが、現在は三砦都市トライドラと合わせて、戦争によって滅亡した都市という扱いになっている。これは事実をもとにした措置ではなく、戦争の被害とした方が復旧などもスムーズに進むと判断されたからだ。

 

 戦争は終わっても、国家に休むことなど許されない。ある意味、これから始まる復旧・復興の方が、戦争よりも困難な仕事なのだ。

 

 そうして復旧・復興に聖王国が力を入れていく中、バージル、アティ、ポムニットの三人は島へ帰るため、カイル達の船に乗っていた。

 

「それにしても聖王国はともかく、帝国は落ち着いていましたね」

 

 島を目前にした、ポムニットがここに来るまでに立ち寄った帝国の都市を思い出しながら言った。戦争による最も大きな被害を受けた聖王国は、三人が出発した終戦からひと月近く経った時でも落ち着いてはいないが、さほど被害がなかった帝国は、既に平時とそう変わりない様子だった。

 

「バージルさんが悪魔を倒してくれたからですね」

 

「俺がいなくとも、あの女なら何とかしていただろう」

 

 笑顔で言うアティにバージルは冷静に返した。仮に自分があの場にいなくとも、アズリアなら悪魔を退けていただろう、悪魔の単体の強さと数を考慮したバージルはそう考えていたのだ。

 

「でも、バージルさんが戦ってくれなければ、もっと大きな被害が出ていましたよ」

 

 アティがバージルに寄り添いながら言った。エルバレスタ戦争でバージルがしたことは、敵の総戦力の約三分の二を殲滅、黒幕であるベリアルの打倒の二つだ。

 

 それは言葉にするのは簡単だが、聖王国の精鋭を集めた軍勢でも、悪魔の三分の一を相手にするのが限界であり、ベリアルに至っては魔剣を使ったアティですら勝てなかった相手なのだ。

 

 それらを鑑みると、この戦争におけるバージルの行ったことは、彼がいなければ戦争に勝つことなどできなかったと断言できるほど、途方もない重大なものだ。戦果だけ見れば、救国の英雄として祭り上げられてもおかしくはないほどだ。

 

 とはいえ、バージルが齎した被害も小さいものではない。特にゼラムは高級住宅街の壊滅と、規模はベリアル以上なのだ。ただ、いずれにせよバージルは戦後の後処理には微塵も興味はないため、アティが回復次第、すぐにゼラムを後にしたのだが。

 

 話しているといつの間にか船は錨を下ろしていたようで、停船していた。島に着いたようだ。

 

「さあ、着いたぜ!」

 

 そこへ立派な海賊の頭領となったカイルが声をかけてきた。彼とはもう二十年以上の付き合いになる。お互いよく知った間柄であるから、余計な言葉は必要なかった。

 

「それじゃあ、お先しますね」

 

 荷下ろしを指揮しているカイルとソノラに一言伝えて、三人は荷物を持って船を降りる。

 

「うん、後でね!」

 

「おう! 今夜の宴会でな!」

 

 カイル達が来た時は宴会をするというのが、島の恒例行事なのだ。カイル一家も頻繁に来るわけではなく、かといって数年に一回というわけはないため、丁度良い頻度で宴会は開かれていた。

 

「それにしても……やっぱりそうだよね、アニキ?」

 

「は? 何のことだ?」

 

 三人を見送った後、カイルにソノラが話しかけた。

 

「先生とバージルのことに決まってるでしょ、気付いてないの!?」

 

「だ、だから何だよ?」

 

 ソノラの剣幕に若干気圧されながらカイルは聞き返した。どうやらいつまで経っても、この二人の関係は変わっていないようだ。

 

「呆れた……、どう見たってあの二人、何かあったんだよ! いつもと違うじゃん!」

 

「そ、そうか? 俺にはいつもと同じように見えるんだが……、それに昨日バージルとサシで飲んだ時も変わった様子はなかったしよ……」

 

 カイルがバージルと二人で飲むことは珍しいことではない。今回のようにバージルが島へ帰る時などは、互いの情報交換も兼ねてよく飲んでいるのだ。しかしその時のバージルも特に変わったことなどなく、いつもと違うと言われてもカイルにはてんで見当がつかなかった。

 

「だっていつもより距離近いもん! 拳二つ分くらい!」

 

「そんなもん気付くかよ……」

 

 あまりに些細すぎる違いにカイルは思わず呟いた。

 

「何言ってるの!? あの先生がいつもより近いんだよ! 絶対何かあるって!」

 

「ま、まあそう言われればそうかもな。……で、俺にどうしろって言うんだよ?」

 

 こういう時のソノラは自分に何かやらせようとしている。それを経験から悟ったカイルは観念したように尋ねた。

 

「今日の宴会でさ、バージルから聞き出してみてよ。あたしは先生の方を当たってみるからさ」

 

「……期待すんなよ」

 

 カイルとしても、かつて共に暮らしていた仲間が、どういう関係になったのか興味はある。それにバージルもアティも今も懇意にしている者なのだ。二人が深い関係になったとしたら、是非祝福してたいという思いもある。

 

 しかし相手はあのバージルだ。本人が話そうとしなければ何をしても聞き出すのはできないだろう。

 

「わかってるって! それじゃ、よろしくね!」

 

 同意を取り付けたソノラが上機嫌で船の中に戻って行くのを見届けたカイルは、とんでもない宿題を預けられたものだ、とため息を吐きながら荷下ろしの指揮に戻っていった。

 

 

 

 

 

 アティは帰ってきたことを皆へ伝えに行くと言うので、バージルとポムニットは先に自宅へと戻っていた。

 

「やっぱり、何ヶ月も空けちゃうと埃も溜まっちゃっていますね。夜までにお掃除しないと……」

 

「任せる」

 

 バージルは家事などまともにやったことはない。全てポムニットとアティ任せなのだ。戦闘においては無双の如き力を見せつけるスパーダの血族も、家事においては全くの役立たずであった。

 

 バージルが玄関に腰掛ける背後でポムニットは早速掃除をし始めた。

 

 てきぱきと作業を進めるポムニットの気配を背後に捉えながら、バージルは腕を組みながら瞑想でもしているかのように目を瞑っていた。なにしろ彼女の手際の良さは折り紙付きだ。別なところで時間を潰さなくとも、少しの間待っていれば、一室の掃除くらいすぐ終わるだろう。

 

「あの……バージルさん」

 

「何だ?」

 

 それまで順調に進んでいた掃除の手を急に止めたポムニットの言葉に、バージルは短く尋ねた。

 

「私……邪魔、ですよね?」

 

「どういう意味だ?」

 

「だって先生と特別な関係になったんですよね? だから私は出て行ったほうがいいですよね」

 

 聞き返したバージルに、ポムニットは俯きながら力なく答えた。バージルとアティが一歩進んだ関係になったことは、面と向かって言われたわけではないが、すぐに分かった。

 

 なにしろアティが分かりやすかった。さすがにゼラムを出てからここに来るまでは、それなりに自重しているようだが、それでも目敏い者は気付くだろう。

 

「……確かにあいつは、俺にとって特別な存在だ」

 

 ポムニットの言葉を聞いたバージルは、目を開いて振り返る。そして辛そうな顔で箒を握りしめたポムニットに言った。

 

 その言葉を聞いて、さらに顔を曇らせるポムニットにバージルは言葉を続けた。

 

「……そして、アティとは違う形だが、お前も俺にとっては特別だ。……だからお前にはここに残ってほしい」

 

 バージルがアティに向けるのは、父スパーダが母エヴァに向けていたものと同じものだが、ポムニットに向けているのは、妹とも、娘とも、弟子とも表せない複雑な感情だった。それでも確かなのは、バージルにとってポムニットは特別だということだ。

 

 だから、ここに残って欲しいというのも当然のことだった。

 

 とはいえ、これまでのバージルならいくら相手がポムニットであろうと、ここまで自らの胸中を語ることはなかっただろう。それがここまで変わったのは、やはりアティとの関係が進んだからか。

 

「え? あ、あの……」

 

 バージルの言葉に目を見開いたポムニットは、思わず聞き返そうとしたが、バージルはさらに言葉を続けた。

 

「……とはいえ、最終的に決めるのはポムニット、お前だ。……お前は、どうする?」

 

「わ、私は……」

 

 バージルとアティが特別な関係になったと知った時に感じたのは、自分の場所がなくなってしまうかもしれないという恐怖だった。

 

 ポムニットはバージルのことを父や兄のように好いていたが、男としても好きだった。しかし同時に、バージルは自分を女として見ていないことにも気付いていた。

 

 だからポムニットは好意を伝えることはしなかったし、たとえ女と見てもらえなくとも、一緒にいられるだけでもよかった。

 

 しかし、バージルとアティは、互いの足りないところ補える完璧な関係だ、少なくともポムニットにはそう見えた。だからこそ、そこに自分が入る隙間はないと考えたのだ。

 

 そして、その想いはバージルの言葉を聞いた今でも消えずに残っている。

 

 果たして自分が二人と一緒にいる資格があるのだろうか。

 

「で、できません! 決められないです!」

 

 ポムニットは決断できなかった。色々な想いが心の中でぐちゃぐちゃに混ざり、うまく整理できなかった。

 

「私、どうすればいいんですか……?」

 

 あまりに自分が情けなくて、バージルに助けを求めるように、彼に抱き着いた。

 

「……一体どうしたの、こんなところで?」

 

 そこへアティの声が聞こえた。どうやら家に戻ってきたようだ。

 

 ポムニットはその声ではっとした。今の自分はバージルに抱き着いている状態だ。それをアティが見てどう思うか悟ったのだ。

 

「あ、あの、先生っ! これは……その、私が勝手にやったことで……」

 

「こいつがここを出て行くと言っていたのでな。話をしていた」

 

 ポムニットが言い切る前にバージルが口を開いた。もちろんこの状況をポムニットのようにかんてはいない様子で、いつものように先ほどと表情は変わっていない。

 

「え……ほ、本当なの……?」

 

 狼狽えながら尋ねるアティに、再びバージルが答える。

 

「自分がいると俺達の邪魔になるからだそうだ」

 

「わ、私、邪魔なんて思ってないよ!」

 

 バージルからその理由を聞いたアティが言う。彼女はこれまでポムニットと長い時間共に過ごしてきて、ポムニットのことを本当の家族のように思っていたのだ。

 

「でも……」

 

 それに対し、ポムニットが俯いたまま答えようとした時、アティはさらに言葉を続けた。

 

「むしろ……、私はずっと羨ましかったんだよ」

 

「え……?」

 

 思いがけない言葉にポムニットは涙に顔を上げた。それほどまでにアティの言葉は意外だったのだ。

 

 ポムニットはアティのことをずっと羨ましく思っていたのだ。容姿、性格とも申し分ないし、なによりバージルに特別扱いされているのが羨ましかった。自分もそうなりたいといつも思っていたのだ。

 

 それが逆に自分が羨ましいと思われていたなんて信じられなかった。

 

「だって、いつもバージルさんと一緒だったし、気に掛けてもらってたみたいだし……。最初にここに来た時なんか、本当に驚いたんだよ」

 

 アティは今も昔も口には出さなかったが、バージルがポムニットを連れてきたことに驚いていた。そしてそれと同時にまだ子供だったポムニットが、自分の知らないバージルのことを知っているのかもしれないと、無意識でも嫉妬していたのかもしれない。

 

「でも私は教師の仕事もあったから、ずっと一緒にいられなかったし……本当に羨ましかった」

 

「先生……」

 

 当然ではあるが、二人とも別な個人であるため、バージルがそれぞれに向けるものも違っていた。結局、隣の芝は青く見えるというわけではないが、アティとポムニットは互いに羨望を向けていたに過ぎなかったようだ。

 

「それでも私はあなたに出て行って欲しいなんて思ったことは、これまでも、これからも絶対にないよ。だってあなたは私の大好きな家族だから」

 

 アティはゆっくりとポムニットに近付いて、彼女を優しく抱きしめた。

 

「だから、ここから出て行くなんて言わないで……。一緒にこの家で暮らそう?」

 

「一緒に……この家で……」

 

 アティが言った言葉を繰り返す。そして抱きしめられたままの視界に、これまで三人で食事囲んだテーブルが映った。

 

 自分が作った料理を不愛想ながらもうまいと言ってくれたバージル。授業では分からなかったところを教えてくれたアティ。

 

 それを皮切りに、これまでこの家で過ごしてきたことが次々と思い出された。

 

 母を失ったポムニットに、再び幸せというものを教えてくれたのがこの家であり、バージルとアティだった。

 

 ここを出て行くということは、それら全てを捨てるもののように思えた。

 

「わ、私……、やっぱり出て行きたくなんか、ないです……! 一緒に、いたいです……!」

 

 アティの胸に縋りつくように顔を埋め、ポムニットはようやく本心を吐露した。それを聞いたアティは安心したように、優しげな表情を浮かべて頭を撫でた。

 

「ようやく言ったか……」

 

 ずっと沈黙を守っていたバージルが小さな声で呟いた。彼としてもこの結末には文句はないようで、その口元には僅かながらの笑みが見えた。

 

 

 

 

 

 その日の夜、島では慣例通り宴が開かれていた。最初に全体で乾杯をした後は、それぞれが料理に舌鼓を打ったり誰かと話したりしていた。

 

「で、バージルとはどこまでいったの?」

 

 その席でアティはアルディラやファリエル、ミスミ、ポムニット、それに今は教師の一人として島で暮らしているかつての生徒アリーゼの計六人と話していた時、酒を飲んで顔を赤くしたソノラから問い詰められていた。

 

「え、えっと……」

 

 そもそもバージルとの関係についてはポムニットにしか知られていないはずなのに、と疑問に思ったアティは困惑しながらも隣にいたポムニットが話したのではないかと、彼女に視線を向ける。

 

 しかしポムニットはふるふると顔を横に振り否定した。もっともポムニットは「言ってなくても気付くと思うけどなぁ」と心の中で漏らしていたが。

 

「ふっふっふ、気付かないと思った? 先生ってば、バージルのことになると分かりやすいだよ」

 

「え、ええ!? そんなに顔に出てました!?」

 

 ソノラの言葉にアティは思わず聞き返した。もし自分の思ってることが、バージルにも筒抜けだったらと思うと、顔が赤くなった。

 

「あっ、やっぱりそうだったんだ!」

 

 一応、ソノラの中ではアティとバージルのことは、まだ疑惑に近いものだったのだが、アティの反応で確定したものとなった。

 

「ひ、ひっかけましたね……」

 

「いやー、ごめんね! ……でも、良かったね、先生。ずっとバージルのこと好きだったんでしょ?」

 

 恨めしい視線を送ったアティにソノラは軽い調子で謝り、今度は笑顔で祝福した。

 

「も、もう卑怯ですよ。そんなこと言われたら怒れないじゃないですか……」

 

心からそんなことを言われてはアティも怒る気にはなれず、そう言うのが精々だった。

 

 そこへ二人の会話を聞いていたアルディラが口を開いた。

 

「あら? 怪しいと思ってたけど、やっぱりそうだったのね」

 

「ど、どうしてわかったんですか!? バージルさんと一緒にいたのなんて、ここに来るときくらいだったのに……」

 

 船でそれなりの時間を共にしたソノラであれば気付かれるのもやむなしと思うが、他の者にバージルといたのを見られたのは、アティの言葉通り、家を出てからここに来るまでの間だけだったはずだ。

 

(先生、いくらなんでもあれじゃ、バレると思います。っていうか隠す気あったんですか)

 

 ポムニットは再び胸中で呟いた。彼女がそう思うのも無理はない。なにしろアティは腕こそ組んでなかったが、いつもより距離は近いし、傍から見ても幸せそうなオーラ全開だったのだ。少なくとも自分は気付いたし、特にアルディラやミスミのような恋愛の経験がある者をごまかせるとは思えない。

 

「なにはともあれ、ようやくそなたらも身を固める気になったようじゃな。これでわらわ達も安心できるというもの、そう思うじゃろ?」

 

「ええ、そうね。これで、ようやく肩の荷が下りた気がするわ」

 

「全くです。気を揉んでいたこっちの身にもなって欲しいですよ」

 

「あはは……、ともかく、おめでとうございます」

 

 ミスミに問い掛けられ、アルディラとアリーゼは清々したと言わんばかりに口を開き、ファリエルは少しばかりアティに同情するような視線を向けながら苦笑していた。

 

「……あの、もしかしてみなさん、ずっと前から……?」

 

 それを聞いたアティは、まさかと思い尋ねる。ずっと前から自分の気持ちは彼女たちに筒抜けだったとしたら、さすがに恥ずかしすぎる。

 

「なんじゃ、気付いておらんかったのか? 案外鈍いようじゃな」

 

「い、いつからですか!?」

 

 最悪の状況にアティは慌てて尋ねると、アルディラが過去を思い出しながら答えた。

 

「最初は……そうね、あなたがこの子と暮らし始めた頃からかしら」

 

「うむ。と言っても、確信はなかったがのう」

 

 言いながらポムニットを示す。ポムニットと暮らし始めたとは言っても、それは事実上バージルと同居し始めた頃でもあった。つまりは今から十年以上も前から、彼女達はアティの気持ちに勘付いていたことになる。

 

「うぅ……」

 

「そ、そんなに落ち込まないでください。みんな先生をお祝いしたいだけなんですから」

 

「そ、そうですよ。それにずっと想ってた人と一緒になれるなんて、すっごく素敵なことですよ!」

 

 羞恥に顔を赤く染め、俯いたアティにファリエルとアリーゼが声をかけた。

 

 なにしろアティはファリエルにとってもアリーゼにとっても大恩人だ。彼女がいなければ今の島、今の自分はありえないと言っても過言ではない。

 

「ええ。少しからかい過ぎたかもしれないけど、祝福したい気持ちは本当よ」

 

「うむ。わらわもその想いは同じじゃ。……ただ、経験者として言っておくが……」

 

「は、はい……」

 

 アティは神妙な顔をしてミスミの言葉に聞き入る。ミスミは今でこそ死別したが、夫をもっていた身だ。参考にならないはずがない。

 

「あやつの手綱はしっかりと持たねばならんぞ。男というのは無茶をするものだからの」

 

「ええ、そうね。なんなら尻に敷いちゃってもいいのよ」

 

 ミスミに続き、アルディラも茶化すような言葉を言うが、彼女の恋人でありファリエルの兄でもあったハイネル・コープスは、ミスミの夫のリクトと同様にかつて島であった戦いで命を落としている。

 

「……はい」

 

 それを知っているアティは、二人の忠告に真面目な顔をして頷いた。いくらバージルが凄まじい強さを持っているとしても、彼が戦う時に心配しなかったわけではないのだ。

 

「よし、それじゃあ話もまとまったところで改めて乾杯しよ! 乾杯!」

 

「いいですね! やりましょう!」

 

 少ししんみりしてしまった空気を戻そうとソノラがした提案にアリーゼが賛成した。

 

 どうやら女性陣の話はまだまだ続きそうだった。

 

 

 

 

 

 一方、バージルもヤッファ、キュウマ、ヤードと酒を飲んでいたが、その雰囲気は女性陣とはまるで逆だった。

 

 そもそもバージルも他の三人も宴席でもほとんど騒がないタチだ。キュウマとヤードは酒量をわきまえているし、ヤッファは案外酒に強いのか、酔っているように見えても言動は普段と変わらない様子なのだ。

 

 加えてバージルもキュウマやヤードと同じく飲み過ぎないようにしているため、この四人が一緒に飲んでも普段の会話と特に変わらないのだ。

 

 そこへ酒瓶と自分のグラスを手にカイルがやって来た。その顔には赤みがさしていた。だいぶ他の所で飲んできたのだろう。

 

「よお! 相変わらず静かだな、ここは!」

 

 挨拶代わりに声を上げたカイルは、手に持った酒瓶で四人に酒を注いだ。そして自分のグラスに入っていた酒を大きく一口飲むと、おもむろに質問を投げかけた。

 

「ところでよ、バージル。お前、先生とあれか? あれなのか?」

 

 酒の勢いで言った感が強いし、そもそも「あれ」と抽象的な表現ではあったが、何にせよカイルはこれで妹分との約束は果たしたことになる。

 

「……ああ」

 

 バージルは一口酒を呷ると短く答えた。それよりよく「あれ」で通じたものだ。やはり二十年来の付き合いともなるとある程度以心伝心の部分もあるのかもしれない。

 

「ああ、そうだったのですね。おめでとうございます」

 

「ええ、本当に。お似合いだと思いますよ」

 

「にしても随分時間がかかったな。もう十年以上一緒に住んでんだろ? どういう心境の変化だ?」

 

 そしてそれは他の三人も同じだったようだ。キュウマとヤードは口々に祝福し、ヤッファも軽く笑いながら尋ねる。

 

「答えるようなことではない」

 

 バージルとしては、アティとの関係については話すことは構わないが、そこに至るまでの自身の心境については何も話さないというスタンスを貫くようだ。

 

「やれやれ……、このあたりは嫁をもらっても、ちっとも変わりやしねぇな」

 

 バージルの冷たい返答に、ヤッファは呆れたように苦笑して、一口に酒を飲み干した。

 

「まあいいではないですか。ミスミ様もお喜びになると思いますよ」

 

「ところでご結婚となると、改めて何かした方がよろしいのでしょうか?」

 

(結婚したわけではないのだが……)

 

 先ほどから嫁だ、結婚だ、と言っているが、バージルはあくまで、アティがいなくてはならない特別な存在で、彼女が自分に対して抱いているのと同じ気持ちを持っていることを確認しただけだ。別に求婚したわけではない。

 

 とはいえ、そうした自分とアティの関係を夫婦と表現されるのは嫌ではないため、バージルは否定することはなかった。

 

 それに実際のところ、二人の関係を最も正確に表現するのならばやはり夫婦という言葉が適切だろう。アティの様子を見れば頭に新婚の二文字をつけたほうがいいかもしれないが。

 

「なにもしなくていい」

 

 ただバージルは人間界にあるような結婚式や披露宴などをする必要性は感じなかった。アティがしたいなら話は別だが、両親もしなかったであろうことをわざわざしようとは思わなかったのだ。

 

「わかったわかった。だが、これくらいはいいだろう?」

 

 カイルはそう言って酒瓶をバージルに向けた。お祝いに注がせろということか。

 

「フン……」

 

 バージルは鼻を鳴らし、グラスに残っていた酒を飲み干し、カイルから注がれた酒も一息に飲み干した。清々しいほどの飲みっぷりだった。

 

「すると、あとは世継ぎですね」

 

「ま、確かにそうだな。……で、どうなんだその予定は?」

 

 ヤードとヤッファが聞く。

 

「……時期が来ればな」

 

 一息ついて答えた。魔帝が不穏な動きを見せている現状、バージルは子供を作るつもりはなかった。

 

 父の代から続く魔帝の因縁。それをバージルと弟に託し、姿を晦ましたスパーダがどんな考えでその選択をしたのかは定かではないが、バージルは魔帝や魔界に関する問題一切を己が手で終わらせると決めていた。宿命を次の世代にまで残すつもりは毛頭なかったのだ。

 

「子供というのは授かりものですからね」

 

「…………」

 

 キュウマの言葉を聞きながらバージルはずっと前、まだ人間界で父の足跡を追っていた時のことを思い出した。

 

 かつてスパーダが領主をしていたという都市で、バージルは一人の人間の女を抱いた。そうするまでの経緯も理由も、果ては女の顔さえも思い出すことさえできないが、その時に子供ができていれば、もう二十歳を超えているはずだ。

 

 もし本当に自分に子供がいるなら――。

 

(……いや、仮定の話など無意味だ)

 

 そこまで思考を進めたバージルだったが、すぐに思い直し自分の考えを打ち消した。

 

「やれやれ、これで持ってきた酒も終わりみたいだ。最後は景気よく飲もうぜ!」

 

 いつの間にか新しい酒瓶を引っ提げて戻ってきたカイルの言葉を受け取ったバージルは、グラスを一気に空けると、中身のなくなったグラスをカイルに突き出した。

 

「へへっ、そうこなくちゃな!」

 

 カイルは嬉しそうにニンマリと笑い、なみなみと酒を注いだ。

 

 それに続くように他の三人とカイルにも酒は行き渡ったようだ。そして合図はなくともこの場にいた五人は、まるで示し合わせたようにグラスを軽くぶつけ合った。

 

 

 

 

 

 宴が終わり、バージルとアティも酔いも醒ます意味も込めて、二人並んで海沿いをゆっくり歩いていた。

 

「それにしても、ああやってみんなで騒いでいると、帰ってきたって実感できますね」

 

「ああ、相変わらずよく騒ぐ奴らだ」

 

 それでもその中にバージルもいたのだと思うと、アティはくすりと笑って言った。

 

「そうですねぇ。でも、バージルさんも随分と馴染んでましたよ?」

 

 それを聞いたバージルは鼻を鳴らし、言葉を返した。

 

「何年いると思っているんだ。いい加減慣れるに決まっているだろう」

 

「ええ、そうですね」

 

 アティはバージルの顔を見ながらくすくすと笑って、嬉しそうに答えた。最初に会った時からバージルは随分と変わっている。それを実感できたのだ。

 

 そして彼女が視線を正面に向けた時、二人は懐かしい場所に来ていた。

 

「あ……、いつの間にこんなところまで来てたんですね」

 

 そこはバージルとアティが最初に出会った砂浜だった。

 

「ここは……お前と初めて会ったところか……」

 

「覚えていて、くれたんですか……」

 

 周囲を見回して言ったバージルに、アティは少し驚きながら彼の顔を見上げた。

 

「……だが、ここに来た時は、まさかお前とこうなるとは思わなかったがな」

 

 自分を見上げてくるアティにバージルは視線を向けた。アティにしか向けない、彼女専用の顔をしていた。

 

「私は、どうでしょう……。もしかしたら最初に会った時から好きだったのかも……しれないです」

 

 バージルの意識を独占するアティは言いながら、その胸にぽすんと収まった。幸せそうに目を閉じて甘えるように抱き着くアティに、バージルはまるでガラス細工を扱うように丁寧に、そして優しく抱きしめ返した。

 

 

 

 満月の光が降り注ぐ砂浜で、片膝を立てて座ったバージルに、アティが寄り添うようにしなだれかかった。

 

「本当に、いろいろありましたね……」

 

 穏やかに寄せては返す波を眺めながらアティは続けた。

 

「特にこの数年は随分強力な悪魔も現れるようになったようですし……」

 

「ここ三年足らずで二度……少なくはないな」

 

 悪魔が現れるようになって既に十年を超えている。しかしその中でこの世界の人間に手に負えないであろう悪魔は、サイジェントに現れたアバドンとゼラムに現れたベリアルの二回。一概に強力な悪魔が現れるようになったとは断言できないが、そのどちらも目にしたアティがそう思うのも仕方ないだろう。

 

「でも、バージルさんも強くなってますから大丈夫ですよね……?」

 

 アティは悪魔が苦手だった。少し前に瀕死の重傷を負わせられたというのもあるが、彼らにはどうしても嫌悪感を抱いてしまうのだ。さすがに戦闘に支障をきたすほどではないが、それでも戦わずに済むのならそうしたい。

 

 とはいえ、その嫌悪感はアティだけのものではない。大なり小なり人間なら誰しも持っているのだ。もしかしたらそれは、悪魔という存在への恐怖が生み出したものかもしれない。

 

「当然だ。……それにお前が無理に戦う必要はない、俺がやる」

 

 不安そうな視線を向けるアティに断言した。彼女の言葉の通りバージルの力は最初にリィンバウムに来た時よりもずっと強くなっている。既に伝説の魔剣士と呼ばれた父を超えていることもあり得る。

 

 だからバージルは、もうアティに勝ち目のない戦いをさせたくはなかった。いや、もう二度とさせるつもりはなかった。

 

「はい……ありがとうございます」

 

 口には出さずともバージルの考えはアティに通じていた。だから嬉しくてさらにバージルにすり寄った。

 

 そんなアティを見たバージルは視線を上に向ける。その先には満点の星空と月が浮かんでいるだけだったが、どうやらそこに過去を見ているようだ。

 

「……もう十年以上か」

 

「何がです?」

 

 アティは不意に呟いた言葉の意味を尋ねた。

 

「お前やポムニットと暮らし始めてから、十年以上経った。いつのまにか、な」

 

「……そうですねぇ。今でこそ当たり前に思ってますけど、バージルさんがポムニットちゃんを連れてきた時なんか本当に驚きました。それに、嫉妬もしちゃいましたし……」

 

 若干口を尖らせながら言ったアティは、その代償とばかりにバージルの腕を自分の肩にかけた。ちょうどバージルに肩を抱かれる格好である。彼女の望むところを悟ったバージルは腕に僅かばかりの力を込め、しっかりと肩を抱いた。

 

「たしか昼にそんなことを言っていたか……」

 

「ええ、そうです。……それに一緒に暮らすことになって、最初は少し気まずかったですけど、……やっぱり好きな人と暮らせるのは嬉しいなぁって……」

 

 その時のことを思い出したのかアティは肩にあるバージルの腕を、マフラーを巻くように自分の口元へ持ってきた。まるでバージルの腕を自分のもののように扱うアティだが、バージルは彼女がそうする理由に思い当たった。

 

「ああ、そういえばお前、最初に別れた時に……」

 

「あぅ……はっきりと言わないでください。は、恥ずかしいです……」

 

 バージルがアティにキスされたことを言う前にアティが割り込んだ。したことに後悔はないが、やはり面と向かって言われると恥ずかしいものがあるようで、彼女は口元にあったバージルの腕に顔を埋めた。

 

「ふむ……」

 

 バージルは一瞬、考え込むように押し黙ると、アティに占領されていた自分の左腕を使って、アティの顎を掴んだ。

 

「ふぇ……」

 

 急な行動に目を丸くするアティをよそに、そのまま彼女の顔を自分の方に向かせた。

 

「あ……」

 

 バージルが何をしようとしているのか悟ったアティは、瞳を潤ませながら目を閉じる。

 

「アティ……」

 

 彼女の名前を呼ぶ。呼ばれた当人の体が震え、赤い顔がさらに上気するのが見て取れた。二人の顔がさらに近づく。

 

 しかし、バージルはなかなかそれ以上距離を詰めようとしない。じっくりとアティの顔を見ていた。

 

「……っ」

 

 もしかしたら自分の期待したようなことではないのか、とアティが不安になりそうな時、バージルはようやく唇を重ねた。

 

「んっ……」

 

 重なった二人を月の淡い光が優しく照らす。そのまましばらくアティの唇を堪能したバージルは顔を離した。

 

「あっ……」

 

 名残惜しそうにアティは声を漏らす。その心情を現したように、二人の唇の間には激昂を反射し、銀に光る橋が架けられていた。

 

「…………」

 

 バージルはもう一度アティの顔を見る。上気した頬にだらしなく開いた口から伝う口付けの名残、とろんと潤んだ目にバージルしか移していない瞳。

 

 ひどく、煽情的だった。

 

「もういっかい、してください……」

 

 アティはバージルの首に腕を回して強請った。

 

 そしてバージルは満足気に口元を歪ませ、アティの望みを叶えるべく動いた。

 

 

 

 

 

 

 

 




いろんな意味でこれ以上は書けません。

次回はもっとほのぼのした日常を書こうと思います。

ご意見ご感想や評価等お待ちしてます。

ありがとうございました。




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第55話 忘れられた島のある一日 前編

 人間界のとある街。どんよりとした雲に覆われたその街に佇む「Devil May Cry」看板を掲げた建物の中では、一人のデビルハンターが来客と話をしていた。

 

「で、何の用だ、モリソン? 俺は一昨日にお前の仕事を終えて戻ってきたばかりなんだが」

 

 この事務所の主であるダンテが来客である情報屋のモリソンに尋ねた。

 

「俺がここに来たってことは、仕事があるってことだぜ、ダンテよ」

 

 ニヤリとモリソンは笑みを浮かべた。年齢でいえばダンテと親子でも通じるだろうこの男は、伝説のデビルハンターとの付き合いも長い情報屋である。整った身なりと口髭、そして律儀な態度から紳士のようにも見られるが、実際は様々なところのコネクションを持つ腕利きなのだ。

 

「仕事、ね」

 

 たいして興味がなさそう答えるダンテに、モリソンは先ほどからの笑みを絶やさずに言う。

 

「もちろんお前さん向きの仕事さ。……前の仕事と同じように、ある国で大量の悪魔が現れたって話だ。金払いもいい。受けるだろ?」

 

 モリソンはこの男が悪魔がらみの仕事には絶対にノーと言わないと知っている。だからこの仕事の話を聞いた後に、真っ先にダンテのところに持ってきたのだ。

 

「やれやれ……。最近は忙しいったらありゃしねぇ」

 

 ダンテは机の上に放り投げるように置いてあった二丁の拳銃を取りながら立ち上がった。後は立てかけられたリベリオンを手にすれば、それで仕事の準備は完了だ。

 

 口では文句を言いながらも依頼を受ける気になったダンテを見たモリソンは、同業者から聞いた話を思い出した。

 

「エンツォから聞いたぜ、先週も随分働いたらしいな」

 

 話に出たエンツォ・フェリーニョとモリソンは、ダンテに仕事を振ることができる情報屋として、ある種、特別視されている存在だ。だがエンツォは裏社会からの仕事を持ってくることが多いのに対して、モリソンはどちらかといえば表の人間からの仕事を持ってくることが多い。そうしたこともあって、同じ情報屋ではあるが二人は比較的友好的な関係を築いているのだ。

 

 そしてその二人から立て続けに持ち込まれた悪魔絡みの依頼を、ダンテはこの二週間の間、ずっとこなしてきたのである。

 

「……しかし、こうもお前さん向きの仕事が続くと、変に勘繰りたくなるな」

 

 ふう、と息を吐きながらモリソンは愚痴を言うように呟いた。

 

「別に……ただ当てられただけだろ」

 

 小さな声でダンテが呟いた。

 

 ここ最近の悪魔の大量出現、ダンテにはその原因が兄バージルであることは分かっていた。

 

 悪魔が出現するようになったのは、バージルの魔力を感じ取ったあの日以来だ。人間界とは違う世界にいるだろう兄の魔力が自分にも感じ取ることができたのだから、おそらく魔界にも届いていたことだろう。

 

 そしてその強大な力に当てられ、大した知性を持たない下級悪魔が所構わず暴れまわっているだけに過ぎないのだ。だから悪魔の出現は一時的なものに過ぎず、じきに収まるだろう。

 

「え? 何か言ったか?」

 

「何でもねぇよ。車くらい用意してあるんだろ? 送ってけ」

 

 聞き返したモリソンに言葉を言い放ちながらダンテは事務所の入り口に向かって歩く。前の依頼も車が用意してあったのだから、今回もそうなのだろうと考えたのだ。

 

「ああ、そのつもりだが……、しかしダンテ、少しくらい片付けたらどうだ?」

 

 出て行こうとするダンテの後を追いながらモリソンは言った。前の依頼を持ってきた時は小綺麗に掃除されていたのに、今は床に宅配ピザの箱が山積みになっており、机の上には酒の瓶や缶が散乱していた。少なくとも人を迎えるような部屋でないことは確かだ。

 

「うちには掃除担当がいるんでね」

 

「おいおい、まだあのお嬢さん来てるのかよ」

 

 モリソンの言う「あのお嬢さん」とは以前の仕事で知り合いになったパティ・ローエルという少女だ。今は母親と仲良く暮らしているのだが、時折ダンテの事務所に来て、おせっかいを焼いていくのだ。

 

 とはいえ、半ば入り浸っていた時に比べれば、格段に事務所を訪れる頻度は落ちたため、しばらくモリソンと顔を合わせてはいなかった。

 

「まあな」

 

「にしても、もう年頃だろ? 案外お前さんに気があるんじゃないか?」

 

 事務所の前に止めてあったモリソンの車に乗りながら短く答えるダンテに、モリソンは運転席に座り、エンジンをかけながら、からかうように口元歪めませながら言った。

 

「冗談言う暇あったらさっさと連れて行ってくれ」

 

「はいはい」

 

 ダンテが助手席のシートに体を預けた様子を見て、モリソンはそう答えて車を走らせる。向かう方向には分厚い雲の中から日が差しており、ダンテはそれを一瞥すると眠るようにゆっくりと目を閉じた。

 

 

 

 

 

 それから少し経った頃、フォルトゥナに事務所を構えるネロは、苛立っているのか、足を頻繁に組み替えながら電話を受けていた。

 

「悪いがこっちも忙しくてね。あんたの依頼は受けられないんだよ」

 

 そう言ってネロは返答を聞かずに電話を切った。相手は悪魔絡みの仕事を頼みたかったようだが、生憎今のネロに仕事を引き受けている余裕はなかった。

 

「ネロ、またお仕事の電話?」

 

「ああ、だけど断ったよ。今ここを離れるわけにはいかないしさ」

 

 恋人のキリエに声をかけられたネロは、彼女に向き直り素直に答えた。

 

 ここ最近の悪魔の頻繁な出現はフォルトゥナにとって看過できない影響を与えていた。元々フォルトゥナは悪魔が現れやすい土地であり、その上、数年前の事件で多くの騎士を失った痛手から完全に回復したとは言い難い。

 

 数の上でこそ事件前と同水準にまで回復したのだが、それはあくまで多くの新人が入団しただけに過ぎない。事件で失った騎士の多くは首謀者である教皇に荷担した者達だったが、皮肉にも彼らは精鋭揃いだったため、未だ彼らの喪失を補える人材は育っていないのが現状なのだ。

 

 そんなことを話していると、不意にネロの異形の右腕が疼いた。悪魔が現れた証拠だ。早速現れたらしい。

 

「さて、話してる間にまた現れたみたいだ。少し出かけてくる」

 

 弱体化した騎士団のこともあり、ネロはそこを離れたにもかかわらず、今もフォルトゥナに現れる悪魔と戦っていた。

 

 騎士団に在籍していた頃は厄介者として扱われていたネロだが、その力だけは認められていた。それは剣が特別なものとして扱われている魔剣教団の騎士団において、団長以外で唯一専用の剣を持つことを許されていたことからも明らかだ。

 

 そうしたこともあり、騎士団の精鋭を失ったフォルトゥナにとってネロは、悪魔から住民を守る上で重要な戦力だった。それを自覚しているからこそ、ネロは仕事の依頼を断ってフォルトゥナに居続けているのだ。

 

「気を付けてね、ネロ。お夕飯作って待ってるから……」

 

 出て行く自分を心配して言葉をかけてくる恋人のいじらしい姿に、ネロは少しだけからかってみたくなった。

 

「飯もいいが、それより帰ってきたらキスしてくれ、いいだろ?」

 

 肩に置いて言った言葉を聞いたキリエは、顔を赤くしてネロから視線を背けながら口を開いた。

 

「も、もうネロったら……」

 

「楽しみにしてるよ」

 

 キリエの反応を見て満足げに笑ったネロは、それだけ言い残すと事務所から出て行った。

 

 ただ、現れた悪魔はこれまでと同じくスケアクロウを始めとする下級悪魔だ。若い騎士でも対応できる相手だけに、ネロが悪魔を殲滅するまでに一分とかからなかった。

 

 それにネロも以前より腕を上げている。これまで仕事で多くの悪魔と戦ってきた経験が、ネロを一段上のデビルハンターとして昇華させたのだ。

 

「はぁ……いくら雑魚でもこう毎日立て続けに出て来られると疲れるな」

 

 現れた全ての悪魔を倒したネロは息を吐きながら、レッドクイーンを背に戻した。ここ二週間程はいつもこんな感じなのだ。これだけ続けば、いくら相手が有象無象で身体的な疲労はなくとも、精神的疲労はだいぶ溜まっていた。

 

 そんな愚痴をこぼしていると、後方から数人が走ってくる音が聞こえた。

 

「ようやくあいつらも来たか……、なら後は任せて帰るか」

 

 振り向きながら確認すると、走ってきたのは騎士の一隊だった。悪魔出現の報せを受けて来たのだろう。事件後に入団しただろう若い騎士だ。これまで何度か顔を合わせたことはあるが、名前まではネロは知らなかった。

 

「悪魔は始末した。後は任せる」

 

 ネロはそれだけを騎士に言い残し、その場を去ることにした。何を言われるかは分からないが、無駄な時間を費やしてしまうことは間違いない。ネロはさっさと自宅も兼ねた事務所に戻りたかったのだ。

 

「あ、おい……」

 

 騎士の一人が何か言おうとしているようだが、ネロはあえて聞こえないふりをして、キリエが待つ事務所へと足早に戻って行った。

 

 

 

 

 

 世界をリィンバウムに移しても、悪魔がこれまでにも増して出現するようになったのは同じだった。ただ幸いにして、バージルのいる名もなき島では、彼が戻ってから現在まで悪魔が現れたことはなかった。

 

 そもそもリィンバウムでは悪魔が出るようになったとは言っても、その頻度は人間界に比べずっと低めなのだ。そのため、頻度が上がったと言っても、平時の人間界より多少高め程度に過ぎなかった。

 

 それでもリィンバウムにおいて魔界の悪魔が脅威として扱われるのは、一度に多くの悪魔が現れるからだ。平均して人間界で一度に現れる悪魔の三、四倍の数が出現するため、その被害も大きくなってしまうのである。

 

 その反面、人に擬態するような悪魔はほとんど見られない。それがなぜかはわからないが、実際にリィンバウムに現れるのはセブン=ヘルズやスケアクロウなど、人と見ればすぐに襲いかかる悪魔ばかり現れているのだ。

 

 それは悪魔の手にかかる人が増える一方、現れた悪魔さえ倒してしまえば、それで被害は止められるのだ。人に擬態する悪魔は悟られぬように襲うため非常にタチが悪く、被害も長期化しやすい。考えようによっては、セブン=ヘルズのような悪魔よりずっと危険なのである。

 

 もっとも、そんな悪魔がバージルのいるこの島に現れても、一分と生存できずに殺されるのがオチだろうが。

 

「それじゃあバージルさん、今日はよろしくお願いしますね」

 

「ああ、分かっている」

 

 そのバージルは家でポムニットの作った朝食を食べながら、アティに言葉を返した。

 

「それにしても、ミスミ様がバージルさんに用事なんて、一体どんな事なんでしょうね?」

 

「うーん、私もキュウマさんから聞いただけだから……」

 

 ポムニットの疑問にアティは首を傾げた。バージルに頼みたいことがあるから明日来てくれ、とキュウマを通じてミスミから言われたのが昨日の夕方のことである。ただ、具体的なことはキュウマも聞かされておらず、時間も時間だったので本人から聞く時間はなかったのだ。

 

 アティはとりあえず話だけでもしてみようと、夕食の席でバージルに話してみたところ、彼はあっけなく了承した。そして夜が明けてあらためて確認し、今に至るというわけだ。

 

「大方、悪魔絡みだろう。それ以外で俺を呼ぶ理由はないはずだ」

 

 バージルの言葉を聞いてアティもポムニットもそれに違いない、と合点が言ったように頷いた。この島に悪魔が現れるようになって、もうかなり経つが、いまだバージル以上に悪魔の知識を持つ者はいない。それゆえ悪魔に関して疑問については、バージルが答えるのが通例になっていた。

 

 そうした疑問に答える他には、現れた悪魔を殲滅するくらいしかバージルの仕事はなく、それ以外はいつも瞑想しているか、本を読んでいるかのどちらかが島で暮らすようになったバージルの時間の過ごし方だった。実に羨ましい限りである。

 

 そうした意味では、バージルは島専属のデビルハンターと言っても過言ではないのかもしれない。あらゆる世界を含めて三本指に入る力を持つバージルがそんな役を引き受けているのだから、この島はリィンバウムで最も安全な場所に違いない。

 

「でも最近は現れてないんでしたよね?」

 

「うん。直近で私たちが帰ってくる四、五日前だって言ってたよ」

 

「それなら、どうして今になって呼ぶんでしょう?」

 

 ミスミが呼びつけた理由が全く思い浮かばないと、眉間にしわを寄せて考え込む。そんな二人を見たバージルは、一言口を開いた

 

「行けばわかる」

 

「……やっぱりそれが一番ですよね」

 

「それなら後で教えてくださいね」

 

 幸い、今日は学校が休みであるため、アティはバージルについていくことにしていた。ただどれほど時間がかかるか分からない上に、家事に休日はないため、ポムニットは家に残るしかなかったが。

 

 そして話も一旦落ち着いたようだったので、バージルは気になっていたことをアティに尋ねることにした。

 

「……で、今日のいつ行けばいい? 昨日の話では具体的な時間は言われなかったが」

 

「それは私も聞いていませんし、いつでもいいんじゃないでしょうか?」

 

 基本的にミスミは風雷の郷から動くことはなく、訪ねればまず在宅しているのが常なのだ。時間を指定しなかったのはそのあたりが関係しているのかもしれない。

 

「なら、この後すぐ行くか。お前もそれでいいな?」

 

「ええ、食べ終わったらすぐに準備しますね」

 

 アティも話の内容は気になるので、早く出かけることに異論はなく同意した。

 

「あ、そういえば今日のお夕飯なんですけど、何か食べたいものはあります?」

 

 そこへポムニットが尋ねた。二人が出かける前に聞いておこうと思ったのだ。料理を作ること自体は苦に感じないポムニットだが、それでも毎日メニューを考えるのは大変なことだった。

 

「うーん、食べたいものかぁ……」

 

 元よりアティは好き嫌いもないし、ポムニットが作る料理にも全く不満もなかったアティは、これといって思いつくものはなかった。それに対しバージルは、少し考え込むような仕草を見せてから呟いた。

 

「……天ぷら」

 

「天ぷら、ですか……」

 

 少し難しい顔をしながらおうむ返しに呟いた。ポムニットも天ぷらという料理を知らないわけではない。ゼラムではバージルと共に、ある屋台で天ぷらソバを食べたことはあるし、それがシルターンの料理だということも知っている。

 

「以前に作ったことがあったと思うが?」

 

 バージルの言うように作ってみたことがあるのだが、ゼラムや風雷の郷で食べたものに比べ、かなり味が落ちてしまうことが気になった。それは店を出すようなプロの作ったものと見様見真似で作ったものの差であるため、ある意味しょうがないのだが、それでも料理の腕にはそれなりの自信があったポムニットにはショックだったのだ。

 

「私が作ったものはあんまり美味しくありませんけど……本当にいいんですか?」

 

 それでもせっかくバージルが言ってくれた希望なのだから、できれば叶えたいともポムニットは思っていた。だから確認も兼ねてもう一度尋ねたのだ。

 

「お前が作ったのなら文句は言わん。作れ」

 

 ポムニットが作った天ぷらをバージルは食べたことはある。それは確かにこれまでゼラムなどで食べた天ぷらより、味は劣っているとは感じたが、別に不味いわけではない。絶対評価で見れば十分美味しい部類に入るのだ。

 

 そのためポムニットが自分の作った天ぷらを「美味しくない」と評価しているのは、首を傾げざるを得なかったが、バージルとしてはポムニットもので十分であるため、改めて彼女に作るように言った。

 

 ちなみにバージルも特別好き嫌いはないが、あえて言えば、先ほどの天ぷらに代表されるようなシルターンの料理を好んでいた。もちろん食事の時に使う箸も問題なく使いこなせていた。

 

「……わかりました。作ってみますね」

 

 決心したようにポムニットが言った。彼女にとってこれはリベンジの機会と捉えているのか、やけに気合が入っていた。

 

「ふふ、それじゃあ楽しみにしてるからね」

 

 そんなポムニットをアティは微笑ましく思い笑いかけた。

 

 もちろん彼女が作る夕食には期待しており、今から夕食が待ち遠しくなった。そしてそれは、アティだけでなくバージルも同じだった。

 

 

 

 

 

 朝食を食べ終わった二人は、風雷の郷へ向かった。ミスミはその最も大きな屋敷「鬼の御殿」に住んでいるのだ。

 

 たいした時間もかからず「鬼の御殿」着いた二人は、キュウマに案内されミスミの待つ一室へとやってきた。この部屋に限らずシルターンの流れを汲む部屋は、木材など自然の素材を最低限の加工だけ加えて使っている。そのためか、リィンバウムとは異なる独特の雰囲気を持っているのだ。バージルはこの雰囲気が嫌いではなかった。

 

「よう来てくれたのう。さ、まずは座ってくれ」

 

 部屋に入った二人をミスミが迎えた。バージルは正面に座り、アティがその隣に座る。そして案内したキュウマも。そのまま入り口の側で座っている。どうやら彼も同席するようだ。

 

「で、話とはなんだ?」

 

「うむ、それなんじゃが、実はお主に頼みたいことがあるのじゃ」

 

 早速、要件を聞いたバージルにミスミが答えた。その顔は先ほどバージル達を迎えた時のような穏やかなものではなく、至極真面目な顔だった。

 

「悪魔に関してだな?」

 

 確認するように尋ねたバージルに、ミスミは微笑を浮かべて頷いた。

 

「さすがに鋭いのう……、実はスバルの奴に稽古をつけて欲しいのじゃ」

 

「悪魔との戦い方を教えろ、というわけか」

 

 ミスミはまさしくその通りだ、と言わんばかりに大きく頷く。

 

 ただ単純に稽古をつけるだけなら何もバージルを呼ぶ必要などない。ミスミ自身かキュウマにでもやらせればそれで済む話だ。しかしあえてバージルが指名されたのは、対悪魔を想定した稽古をつけて欲しいということだろう。悪魔との戦闘経験はミスミやキュウマも持っているが、やはり人間界にいた頃から多くの悪魔と戦ってきたバージルには敵わないのだ。

 

「あっ、なるほど……」

 

 それを横で聞いていたアティも得心したように大きく頷いていた。どうやらアティはミスミが、なぜそんなことを言い出したか想像がついたようだ。

 

「うむ、お主は教えているだけあって気付いたようじゃな。実は今度、外の世界を見せるためにスバル達を旅に出そうという話になっていての。大抵のことは皆で教え込んだから心配してはおらんが、やはり悪魔は、な……」

 

 ミスミはそこで言葉を切った。しかしはっきりと言葉にしなくとも、彼女の言いたいことはバージルに伝わっていた。

 

「そういえば、向こうにいたときそんな話をしていたな……」

 

 バージルはアティの方に視線を向けた。彼女がゼラムに来たばかりの頃に、ポムニットとそんな話をしていた記憶があったのだ。とはいえ、バージルは聞かれたことを答えただけで、興味もなかったため、詳細は知らなかったが。

 

「え、ええ。最初は教師の誰かが一緒に行くことも考えたんですけど……」

 

 現在、島で教鞭を取っているのは、アティの他にもヤードとアリーゼがいる。どちらもリィンバウムの人間であるため、引率するのは問題なかった。

 

「それではこれまでの授業と同じじゃからな。それに、いずれは外の世界の人間とも付き合っていかねばならんだろうし、その時の中心の世代になるだろうスバル達には自分の目で見て、これからどう付き合っていくべきか、考えて欲しいのじゃ」

 

 アティの言葉に続き、ミスミが引率をつけない理由を語った。将来を見据えた判断であり、それ自体に反対するつもりはバージルにはなかった。

 

「俺に稽古をつけさせるのは、そのための護身用か」

 

 ミスミに向き直る。いくら将来の為に旅に出しても死んでしまっては元も子もない。特にいつ現れるか分からない悪魔は、今でもリィンバウム各地で被害を出している恐るべき存在だ。ミスミが稽古をつけて欲しいというのも当然だろう。

 

「うむ。それにお主なら時間も融通きくじゃろう? なんとか引き受けてはもらえんか?」

 

 暗に暇だろうと言われているような気がしてならないが、現にバージルは週休七日、毎日が日曜日状態であるため、ミスミの言葉を否定できなかった。

 

「引き受けるのは構わん。だが俺のやり方でやらせてもらう。口は挟むな」

 

 稽古と言ってもバージルのやり方なら、長くて一回に二、三時間程度で済む。そのため、自分のやり方に口出し無用であれば、引き受けてもいいと思ったのだ。

 

 これが一昔前なら頑として断るのだが、やはりバージルはリィンバウムでアティを筆頭に多くの人と関わりを持ったことで、精神的に成長したのだろう。ついでに力も非常識なほど成長しているが。

 

「おお! 引き受けてくれるか、かたじけない!」

 

「あの……あまり無茶させないでくださいね」

 

 ミスミはバージルが引き受けたことに喜んでいたが、アティはバージルのやり方に大いに不安を感じていた。昔ポムニットに力のコントロールを教えていた時も、ポムニットは傷だらけになって帰ってきたのだ。それを知っているからバージルがどんなことをするのか不安になったのだ。

 

「いや、むしろ鼻っ柱を折るぐらい厳しくやってもらって構わぬ。自分よりも強い相手がいることを、身をもって知らねばならぬ」

 

 自分の力を知ること、それは戦いにおいて何よりの基本である。そしてそのためには、自分より弱い相手だけでなく、強い相手とも戦わなければならない。ミスミはその役をバージルにやってもらおうという魂胆なのだろう。

 

「だそうだ。……まあ、死なない程度には手加減しよう」

 

「まぁ、ミスミ様がそう言うのなら……」

 

 再びアティを見て答えた。彼女はスバルの親であるミスミも納得の上であることを知って、半ば諦めたように言う。そしてその心中ではスバルへの同情の念を禁じ得なかった。

 

 

 

 案外あっけなく話がまとまったため、バージルとアティは館を出て行こうとしたのだが、せっかく来たのだからゆっくりしていけと、ミスミに引き留められたため、もう少しここにいることにしたのだ。

 

「それにしても不思議なものじゃの」

 

 運ばれてきた茶を啜りながらミスミはバージルを見ながら言葉を続けた。

 

「まさかお主が所帯を持つとはな。一番そうしたことから縁遠そうだと思っていたのだがのう……。人とは変わるものじゃな」

 

「し、所帯……」

 

 あらためて自分達の関係を口に出されたアティは、隣に座るバージルの横顔を見て頬を赤く染めた。普段はバージルとの関係なんて特に意識したことはないが、こうして他人からもそう見られていると思うと、やはり気恥ずかしいようだ。

 

「そうか……」

 

 それに対してバージルは、ミスミの言葉には特に反論もせず、茶を啜った。自分が変わったということはバージル自身、今に至るまで何度も自覚しているのだ。反論などあるはずもない。

 

 顔色一つ変えないバージルを見たミスミは少し口を尖らせて言った。

 

「つまらん顔じゃな、おもしろうないのう……」

 

 バージルにどんな反応を期待していたかは分からないが、少なくともバージルには、ミスミが期待するような反応をしてやる気はさらさらなかった。

 

「生憎と、もとよりこんな顔だ」

 

 期待するだけ無駄だと言わんばかりにバージルは、口元だけ動かして言った。

 

「いつもそんな鉄面皮か……アティは随分と苦労していそうじゃのう」

 

 バージルに呆れながらも、ミスミはアティのことを考えながら言った。彼女の夫であるリクトはよく感情を表に出す男だったので、意思疎通に苦労することなどなかった。しかし夫の正反対のバージルが相手では、普段の生活から苦労しているのではないかと心配だったのだ。

 

「全然苦労なんてしていませんよ。それにバージルさんも、たまには笑ったりしますよ。昨日だって――」

 

 そこまで言いかけたところでアティは自分が何を言おうとしているのか気付き、咄嗟に口を噤んだ。

 

「ん、どうしたのじゃ? 言うてみい」

 

 アティの様子から何やら面白そうな雰囲気を感じ取ったミスミはアティに先を促した。

 

「い、言えません、そんなの言えるわけないじゃないですか!」

 

 ミスミの言葉を、顔を真っ赤にして拒否しながら、アティはその時のバージルの顔を思い出した。実に楽しそうな、それでいて悪そうな笑顔を浮かべていたのだ。

 

「まあまあ、ミスミ様。無理強いはよくありませんよ」

 

 そこでキュウマが助け舟を出した。さすがにこれ以上は悪ふざけが過ぎると判断したのかもしれない。

 

「相変わらずの堅物じゃのう。そんなだから嫁ももらえんのじゃ」

 

「わ、私のことは関係ないでしょう!」

 

 キュウマは恋愛関係のこととなるとかなり弱いのか、ミスミにそう言われただけでかなり動揺していた。

 

「まったく、キュウマといい、ヤードといい、何故揃いも揃って独り身なのじゃ!」

 

 ミスミが言葉を続ける。この場にいないヤードにとっては完全にとばっちりだ。とはいえ、かつて島で共に戦った仲間の中で、独り身でないのはバージルとアティだけなのだ。ミスミがそう言いたくなるのも仕方ない部分もあるだろう。

 

「……悪いが、そろそろ帰らせてもらおう。稽古の件はそちらの都合がついたら報せろ」

 

 バージルはもう付き合ってられんと言わんばかりに、かぶりを振って立ち上がった。そしてミスミにそれだけを告げるとアティに目配せをする。

 

「お茶、ごちそうさまでした」

 

 アティもぺこりとお辞儀をして立ち上がり、連れ立って部屋を出て行った。

 

 言葉なしにやりとりした二人の様子を見たミスミは、思った以上に上手くいっているような二人に安堵するとともに、少しはバージルを見習えとキュウマに言ってやろうかと考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




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第56話 忘れられた島のある一日 後編

 「鬼の御殿」から出た二人は一旦、家に帰ろうと来た道を戻っていた。空は来た時と同じように雲一つない晴天で、島には強めの日差しが降り注いでいるが、穏やかに吹く風によってさほど暑くは感じなかった。

 

「今日もいい天気になりましたねぇ、……そういえばバージルさんは休みの日って何してるんですか?」

 

 並んで歩いていると、唐突にアティが首を傾げながら尋ねた。

 

「いきなりなんだ?」

 

「いえ、私って昔から休日ってなにしたらいいかわからなくて……、今は授業の準備とかして、後はポムニットちゃんの手伝いとか、後はお昼寝するくらいなのですし」

 

 アティは軍学校に在籍していた頃から、休みの日と言えば、勉強するか寝て過ごすくらいだったのだ。

 

 そしてアティが知る限り、バージルも似たようなもの、というイメージがある。いつも本を読んでいるか、瞑想をしているかのどちらかしか見たことがなかった。だからそれ以外に何かしているのか気になったのもあった。しかしそれ以上にせっかく一緒に住んでいるのだから、休日くらい一緒に何かできないかと考えたのだ。

 

 いつも他人のことばかり気にかけているアティも、ようやく欲が出てきたということかもしれない。

 

「別に、いつもと変わらん」

 

 そもそも、まともに働いてないバージルは毎日が休日のようなものだ。むしろ、瞑想しているときにアティが隣で寝息を立てたりすると、その日が休日であることを実感するほどだ。

 

「そうですか……せっかくのお休みだし、一緒に何かしたいなぁって思っていたんですけど……」

 

 残念そうにしゅんとするアティに、バージルは仕方ないといったように溜息を吐きながら口を開いた。

 

「……海と山、どちらがいい?」

 

「え? えっと……」

 

 バージルの考えていることが分からず、アティはどう答えたらいいか悩んでいる様子だ。それを見たバージルは、さすがに言葉が少なすぎたか、と思い少し補足して説明することにした。

 

「どうせならどこかに出かけた方がいいだろう。幸い心当たりはある」

 

「そ、それなら海の方でお願いします」

 

 まさかバージルにそうした場所の当てがあったとは思わなかったアティは目を丸くしながら答えた。もっとも海を選択したのに特に理由はない。アティとしては一緒に行けるなら場所は二の次なのだ。

 

「わかった。……で、行くのはいつがいい? 俺はいつでも構わんが……」

 

「あの、今日はダメですか? ポムニットちゃんも誘って三人で行きたいなー、なんて」

 

 善は急げ、というわけではないが、今日はミスミのもとへ行く以外の予定はなかっため、時間に余裕はある。なによりせっかくの休みを無為に過ごしたくはなかった。

 

「ポムニットの時間があれば、この後行くとするか」

 

「はい! きっと大丈夫ですよ!」

 

 ポムニットの予定は確認していないが、バージルと出かけると言えば彼女は必ず来るだろうとアティは見ていた。自分もバージルから誘われたら、その時やっていたことを放り出して一緒に行くだろうからだ。

 

 思いがけず出かけることになり、機嫌が良くなったアティと、そんな彼女の姿を見て僅かに口元に笑みを浮かべたバージルは、家へと向かう足取りを速めた。

 

 

 

「ただいま戻りました」

 

「あ、お帰りなさい。早かったですね」

 

 家に戻った二人を迎えたのは、掃除をしていたポムニットだった。彼女はこうして毎日家の掃除をするのが日課だ。あまり広くない家とはいえ、毎日毎日飽きもせずできるものだと、バージルは感心していた。

 

「うん。それほど難しい話じゃなかったから、すぐにまとまったの」

 

 それを聞いたポムニットは掃除をしていた手を止めて、興味津々と言った様子で尋ねた。

 

「それでどんな話だったんです?」

 

「あれの息子に稽古をつけるという話だ」

 

 ミスミのことを「あれ」呼ばわりするバージルだが、それでもその言葉が指している人物のことは、ポムニットにも問題なく伝わっているようだった。

 

「それってスバル君のことですよね。……バージルさん、本当に稽古なんかつけるんですか?」

 

 ポムニットとスバルは単なる知人ではない。共にアティのもとで学んだ友人なのだ。そんな友人がバージルの稽古を受けるという話を聞いて、彼女は心配せずにはいられなかった。

 

 なにしろポムニットは自分の力をコントロールする術を学ぶという名目で、バージルの稽古を受けたことがある。今でもその時のことを思い出すだけで体が震えるほど、苛烈なものだった。

 

「たいして時間をとられるわけでもないからな」

 

 バージルが稽古をつける気になっているのを確認したポムニットは、友人の無事を祈ることにした。

 

「そうですか……。でも、ちゃんと手加減はしてあげてくださいね」

 

「当然だ。命まで取っては稽古の意味はない」

 

 無用な心配だ、と言わんばかりにバージルは答えた。もちろん天井知らずの力を持つバージルにしてみれば、いくら身体能力に優れている鬼人族と言えど、他の人間と大差なく感じられるだろう。

 

 とはいえ、それは手加減するのが難しいという意味ではない。むしろ繊細な力のコントロールを要することを考えれば、バージルの得意分野と言えるかもしれない。

 

 バージルの言葉を聞いて安心した様子を見せるポムニットに、アティは先ほどバージルと話したことを伝えることにした。

 

「あ、そうそう、これから時間ってある?」

 

「作ろうと思えば作れますけど……、何かあるんですか?」

 

 アティの言葉の意味するところを分からなかったポムニットは、首を傾げながら訝しむ視線を向ける。一応彼女はこれからやることはあるが、必ずしも今する必要はないので、時間を取ることは可能だった。

 

「うん、実はね、バージルさんの案内でお出かけしようって話になってるの。だからもし時間があるんだったら、これから行かない?」

 

「え、バージルさんが……!?」

 

 よほど信じられなかったのだろう、ポムニットは素っ頓狂な声を上げた。それを見たバージルは僅かに憮然とした表情を浮かべると口を開いた。

 

「行きたくないなら無理に――」

 

「そんなことありません! 私も行きます!」

 

 しかしバージルが全て言い切る前に、ポムニットによって遮られた。そもそも()()バージルが用事もなしにどこかに連れて行くなど、十年以上共に暮らして一度もなかったことだ。だから当然、行きたくないわけなかった。

 

「なら決まりだね。それじゃあ、準備ができ次第すぐ行きましょう!」

 

「はい! ……あ、せっかくですし、お昼も向こうで食べるなんてどうですか? 簡単なものならすぐ作れますし」

 

 アティに同意して大きく頷いたポムニットだったが、これから出かけるのでは昼食をどうするか考えたところ、弁当を持っていくことを思いついた。

 

「私もお手伝いします。だから、いいですよね?」

 

 アティはその案に無条件で賛成だったようで協力を申し出た。最近はもっぱらポムニットが作っているが、アティも人並み程度に料理は作れる。少なくとも足手まといにはならないだろう。

 

「……構わん」

 

 アティとポムニットに任せておくと、勝手に話が進んで行くことはよくわかっているが、だからといって反対しようとは思わない。むしろ二人が望んでいるのなら好きにさせてやろうと思っていた。

 

「それじゃ、すぐ作りますから少しだけ待っててください」

 

 言い残してアティとポムニットは仲良く台所へ入っていった。それを見送ったバージルは、手持ち無沙汰でただ待つだけというのも、もったいなく思ったのか閻魔刀の手入れでもすることにした。

 

 

 

 

 

 それから少しして、アティとポムニットお手製の弁当を手に、三人は海岸線を歩いていた。進んでいるのは道のようなものだが、あまり人が通ったことはなさそうだった。

 

 その道をバージルが先導し、残りの二人がそれに続くという形で進んでいるのだ。

 

「ところで、先ほどは詳しく聞かなかったですけど、どこに行くんですか?」

 

 具体的な場所を聞いていなかったポムニットは横を歩くアティに尋ねた。

 

「うーんとね、実は私も聞いてないの」

 

 そう言ってアティはバージルに視線を向ける。正面を向いたままのバージルだったが、当然のようにその視線には気付き、簡単に説明することにした。

 

「『イスアドラの温海』というところだ。元は無色の召喚師の厚生施設に利用されていたという話だ」

 

「はー、そうなんですか。……でもどこでそこのこと知ったんです?」

 

 感心しながらそう言うアティは、イスアドラの温海のことを知らなかった。島に住んでずいぶん経つが、まだまだ行ったことのない場所は多かった。

 

「ラトリクスのデータベースだ。たまたま見かけたのを覚えていただけだが」

 

 アルディラが普段いる中央管理施設にはその名の通り、多くの情報が集められていた。おそらくかつてこの島が無色の実験場だった頃は、そこで情報の解析や管理を行っていたのだろう。

 

 そうしたものの中にはバージルにとって有意なものもあるため、たまにラトリクスに出向いて、そうした情報を漁っているのだ。現在向かっているイスアドラの温海もそうした時に偶然見つけたもの一つだった。

 

「たまに出かけるなぁって思っていたら、ラトリクスに行っていたんですか」

 

 バージルが出かけるのは珍しいことではないが、どこに行ったかまでは知らなかった。バージルが言わなかったのもあるが、ポムニットも行き先を聞こうとしなかったのが原因だった。

 

「よく行くわけではないがな」

 

 付け加えるようにバージルが言った。頻度で言えばラトリクスに行くのは五日から十日に一回のペースなのだから「よく行く」という表現は適切ではないだろう。

 

 ちなみにラトリクスを除き、バージルが他の集落に行くことは少ない。悪魔関係で呼ばれることはあるものの、それ以外で自発的に訪れるのはキュウマやファリエルあたりと簡単な手合わせなどをするときくらいだ。

 

 それ以外ではほとんど家か、あるいはその周辺にいるのがバージルの生活だった。

 

 とはいえ、他人との関わりが少ないわけではない。時折、ヤードやアリーゼなどが尋ねてくることがあるのだ。

 

 アリーゼは主に教師としての先輩にあたるアティを尋ねてくるのだが、知らない間柄ではないので少なからず話をしている。それに対し、ヤードはよく自分で育てた茶を持ってやってくる。バージルはその茶を気に入っているのだ。

 

 ヤードにとってバージルは数少ない同好の士であるといえるかもしれない。

 

 その他にも悪魔が現れた日には、労いも兼ねているのかヤッファが酒を持って来ることもあった。

 

 総じて、バージルは人並みの付き合いをしていると考えていい。そうした人付き合いも以前なら面倒に感じたかもしれないが、今では全く苦にならない、これもバージルが変わった証だろう。

 

「あれ? 向こうの方から湯気のようなものが立ち昇っているんですけど……」

 

「そこが目的地だ。地熱で熱せられた海水から湯気が出ているらしい」

 

 正面に湯気が立ち昇っているのを見つけて、不思議そうに言うポムニットにバージルが答えた。もっとも場所は知っているとはいっても、バージル自身は実際に来たことはないないため、覚えていた情報をそのまま話しただけだったが。

 

「それならもう少しですね」

 

 既に湯気どころか、それが立ち昇っている場所も視認できるところにいる。目的地はもうすぐ近くだった。

 

 

 

 それから少しして、イスアドラの温海に辿り着いた。そこは小さな湾のようになっており、その中の海水から湯気が立ち昇っているのだ。

 

「わぁ、本当に海から湯気が出てるんですね!」

 

 リィンバウムの各地を旅してきたバージルも見たことがないほど珍しい光景に、アティは驚嘆の声を上げた。

 

「でも熱くないです。むしろ丁度いいくらいかも……」

 

 ポムニットがそれに指を入れてみたところ、そのまま入ってもいいくらいの水温だったようだ。

 

「あ、向こうには花も咲いてますね。……そうだ! せっかくですし、あそこでお昼にしましょう?」

 

 周囲を見回したアティが少し離れたと所を指さした。そこには小さな花が多く咲いており、花畑のようになっていた。岩ばかりのここで弁当を食べるより、花に囲まれた向こうで食べた方が気分もいいだろうと考えたようだ。

 

「素敵ですね、そうしましょう! ね、バージルさん、いいですよね!」

 

「そうするか」

 

 ポムニットもそれには大賛成のようで腕を掴みながら頼むと、バージルはすぐ了承した。それを聞いて、嬉しそうに花畑へ歩いて行くアティとポムニットの後をバージルはついて行く。

 

 そして花畑の一角に座り、アティとポムニットが作った弁当を開けた。

 

「あまり時間がなかったので、手の込んだものは作れませんでしたけど……」

 

「これは……」

 

「あ、そういえば『おにぎり』は初めてつくりますね。これはシルターンの料理で、ご飯の中にいろいろな具材を入れたものなんです」

 

 弁当の中に入っていたのはおにぎりだった。これはポムニットの言う通り、リィンバウムでは見たことのないものだったが、その存在自体はずっと前から知っていた。

 

 もっともバージルの知るおにぎりは人間界の日本という国の食べ物で、決してシルターンの食べ物ではなかったが。さらに言えば、バージルは知らなかったが、以前彼やポムニットがゼラムで食べたソバや天ぷらも、おにぎりと同じく日本にもある料理だ。

 

(偶然か……? いや……)

 

 全く異なる世界に同じ名前の同じ料理がある。そのことはバージルに疑問を植え付けた。それにこれまで意識したことはなかったが、これまで当たり前のように食べてきた料理も人間界の料理を類似点が非常に多いことに気付いた。こうまでくると単なる偶然で片付けることはできない。

 

「どうしました?」

 

「……いや、なんでもない」

 

 アティに顔を覗き込まれ、わざわざ今考えることでもないか判断したバージルは思考を中断する。するとそこに、ポムニットが小さめのおにぎりの入ったバスケットを差し出しながら言う。

 

「それじゃあ、どれから食べますか?」

 

 とりあえずバージルはそこから適当に一個を選ぶことにした。その形は多少不格好ではあったが、気にせず一口食べた。

 

 その中に入っていたのは焼き魚で、それが実によく米に合っている。米にまぶしてある塩が魚の旨みを引き出すことによって、米がどんどんすすむ。

 

「あの……おいしい、ですか? それ私が作ったんですけど……」

 

 さらにバージルが二口目を食べたところで、アティが伺うような様子で尋ねてきた。おいしくできたか不安だったようだ。

 

「悪くはない」

 

 バージルは正直に答えた。言葉だけならあまりいい意味ではないが、バージルが言ったことを鑑みれば、その言葉は「うまい」と同義だ。

 

 もっとも当の本人は、具を入れて握るだけのため、よほどのことがない限り不味くなることなどありえないだろうと考えていたのだが、それはあえて口に出さなかった。アティとの関係が進んで少しはバージルも、女心は理解できるようになったのかもしれない。

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 バージルの感想を聞いたアティは照れながら答えた。それを聞いただけでも作った甲斐があったというものだ。

 

「次! 次は私が作ったの食べてください、これ自信作なんです!」

 

 おにぎりを作ったのはアティだけではないのだから、自分が作ったおにぎりの感想も言って欲しいと思ったポムニットは、おにぎりを突き出しながら身を乗り出す勢いでバージルに迫った。

 

「それは構わんが、お前らも食べたらどうだ?」

 

 おにぎり自体はたいして大きくもなかったので、ポムニットが差し出したものを受け取ったが、アティとポムニットはまだ一個も食べてない。それどころか先ほどからバージルが食べるところをじっと見ていた。いくら自分が作ったものの味が気になるといっても、さすがのバージルも気になっていたようだ。

 

「そ、そうですね。ほら食べましょう」

 

「は、はい……」

 

 アティがはっとしたようにおにぎりを手に取ると、ポムニットにもそれを促した。彼女は一応その言葉に従って適当におにぎりを手にしたものの、視線はバージルに向けられたままだ。

 

「……これも文句ない出来だ」

 

 それの意味するところを悟ったバージルは、手にしたおにぎりを食べて感想を言う。ちなみに中身は濃い目に味付けされた肉だ。甘辛い味付けが肉にも米にもよく合っていた。

 

「本当ですか! よかったぁ……」

 

「ふふ、よかったね」

 

 ぱあっと笑顔になるポムニットに、アティは微笑みながら声をかけた。

 

 そんな和やかな雰囲気のまま食事の時間はゆっくりと過ぎていった。

 

 

 

 

 

 食事を終えた三人は緩やかな潮風が吹く中で周囲を散策したり、腰を落ち着けてのんびりと花を見ながら話をしたりして過ごした。やはり無色の派閥も厚生施設に利用していただけのことはあって、ゆっくり羽を伸ばすことができた。

 

「はぁー、気持ちいいですね……」

 

 そして最後に温かい湯につかることにしたのだ。とは言っても着替えは持って来ていないため足だけだ。それでも三人並んで足を浸けているだけで、体はだんだんと温まっていく。

 

「はい。……あ、こんなあったかいのに魚もいるみたいです」

 

 スカートを着ていたポムニットは少したくし上げて湯に足を浸けている。

 

 彼女の視線の先には虹色の体を持つ魚が何匹も元気に泳ぎ回っていた。特に弱っているわけでもないので、この程度の水温なら生存できる魚なのだろう。

 

「ほんとだ。キラキラ光って綺麗……」

 

 編み上げブーツを脱いで足を浸けていたアティは、光を反射して宝石のように光る魚に目を細める。

 

 そんな中ズボンの裾を膝まで上げながら入っていたバージルは、カニや貝といった他の生き物の存在に気付いていた。

 

「随分と多くいるものだな」

 

「もしかしたら他の生き物にとっても、ここはいい場所なのかもしれませんね」

 

 バージルの呟きに簡単な推測をアティが口にする。特に考えて言った言葉ではないだろうが、案外的を射ている答えかもしれないとバージルは感じていた。

 

「あの、バージルさん。今さらですけど、それって錆びたりとかしないんですか?」

 

 バージルが今日もいつものように持って来ていた閻魔刀に視線をやりながらポムニットは尋ねた。とはいえ、内心、それはないだろうと思っていたが。

 

 なにしろ閻魔刀は、彼女がバージルと初めて会った時には既に彼の手元にあり、数えきれないほど悪魔を斬ったにも関わらず、刃こぼれはおろか、切れ味も衰えを見せていないのだ。その上、あのバージルが使っているのだから、ただの武器であるとは思えなかった。

 

「そもそも、これは親父が使っていたものだ。そんなヤワなものではない」

 

「それじゃあ、その刀って……」

 

 バージルの父であるスパーダが悪魔であることは既にアティのみならずポムニットも知るところだ。そのため遠回しではあったが、閻魔刀が悪魔に由来するものだと気付いたのだ。

 

「ああ、お前の思っている通りだ。……もっとも俺も閻魔刀の生まれについては知らんが」

 

「もしかして他にバージルさんが使っているのも……?」

 

 ポムニットが続けて質問した。閻魔刀以外にも、バージルは籠手と具足のようなものを装着して戦うのをポムニットは知っているが、バージルはそれの着脱を一瞬で済ませるのである。少なくともリィンバウムで作られている品ではないような気がしていた。

 

「たぶん、そうだと思うよ」

 

 以外にもそれに答えたのはアティだった。バージルがリィンバウムに来たばかりの頃、無限界廊でギルガメスを見つけた時に彼女も同行していたため、そう思ったのだ。

 

「アティの言う通り、ギルガメスも魔具だ」

 

「……あの、そもそも『魔具』ってどういうものなんですか?」

 

「簡単に言えば悪魔の魔力が込められた物のことだ。……その意味ではアティの持つ剣も魔具にあたる」

 

 ポムニットの疑問にバージルが淀みなく答えた。

 

 人間界では魔力が扱われていないため、魔力を宿した物という説明で十分だが、このリィンバウムにおいては普通に魔力について扱われているため、悪魔の魔力と明確に区別する必要があった。

 

「それって……、バージルさんの魔力があるからですか?」

 

「そうだ」

 

 確かめるような口調のアティにバージルが同意する。二度の破壊を経て、アティの魔剣はバージルの魔力を大量に吸収した。特に二度目に至っては真魔人状態のバージルの魔力を取り込んだため、相当に強力な魔具と化しているのだ。

 

「先生の剣も……」

 

 ポムニットはうらやましげにアティを見る。自分だけが仲間はずれにされた気分だ。

 

「……どうしてもと言うのならくれてやるが?」

 

 自分の身を守るのに必要だと言うのなら、バージルとしてはポムニットに魔具を与えるのはやぶさかでなかった。普通の武器に魔力を付与することくらいならたいして難しいことではないのだ。もっとも、さすが市販品ではアティの魔剣クラスの魔力を付与することはできないだろうが。

 

「……大丈夫です。やっぱり戦うのは苦手ですから……」

 

 少し考えるように顔を伏せてポムニットは答えた。彼女は先の戦いで悪魔と戦ったが、それは必要に迫られたからに過ぎない。今でもできるなら戦いたくはないのだ。

 

「そう言えば碧の賢帝(シャルトス)なんですけど……実は名前を変えようかと思っていて」

 

 既に碧の賢帝(シャルトス)は二度も破壊されている。どちらもバージルの魔力によって再生したが、すでに最初期のものとは全くの別物になっているのだ。それでも名前がなくては何かと不便であるため碧の賢帝(シャルトス)の名で呼び続けていたのだ。

 

 そうしたこともあって、アティはこの機会に新たに名前をつけようと考えたのだ。

 

「確かに、最初とはだいぶ色も変わっているしな。好きにすればいいだろう」

 

 今から二十年ほど前に、碧の賢帝(シャルトス)が一度目の再生を果たした時には、既にその刀身は蒼い輝きを放っていたのだ。そのことを覚えていたバージルは、むしろ名前を変えるのは遅すぎたくらいに思っていた。

 

「それで、何かいい名前ありませんか?」

 

「お前の剣だ。自分で考えるべきだ」

 

 アティの問いに、バージルはもっともらしい理屈を言ってはぐらかした。その実、何も案が思い浮かばなかっただけなのだが。

 

「……ただ、何も思いつかないのであれば、メイメイにでも話してみることだ」

 

 ただ、それではあまりにもアティに酷だったため、メイメイの名前を出した。だらしなく見えるが彼女はこの世界でもトップクラスの知識を持っているだろう。相談すれば、案の一つか、そうでなくとも参考になりそうなことくらい捻り出すだろう。

 

「メイメイさんですか……、確かにたまに来ることありますから、何も思い浮かばなかったら相談してみます」

 

 アティは納得したのか頷いた。

 

 メイメイは昔のようにいつも島にいるわけではないのだが、時折ひょっこり顔を出しているのだ。特に宴会の時のように酒が振舞われる時は、いつの間にか混ざっていることがままあるのだ。

 

 アティの剣の話も落ち着いたところで、ポムニットは名残惜しそうに切り出した。

 

「あの、そろそろ戻りませんか? お夕飯の支度もありますし……」

 

 今日の夕食はバージルが希望した天ぷらがメインとなる予定だ。その準備も考えるとそろそろ戻った方がいい日の傾き具合だった。

 

「そうだね、そうしようか」

 

「ああ」

 

 二人にも反対はなかった。

 

「それじゃあ、バスケット取ってきますね」

 

 ポムニットが置きっぱなしのおにぎりを入れてきたバスケットを取るために、花畑に駆け出して行った。

 

「それにしても。今日はありがとうございました。すっごくよかったです! また、三人で来ましょうね!」

 

 こんないい場所に案内してくれたバージルにアティは満面の笑顔でお礼を言った。

 

「それならなによりだ」

 

 喜んでくれたのなら案内した甲斐もあるというものだ。バージルは口元に笑いを浮かべて答えた。

 

 アティやポムニットのみならず、バージルにとっても今日という日は忘れえぬ一日となったようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




今後の予定としては、次回から8話~9話くらいの中編をやってから、4編に入りたいと思っています。今年中にいけるかは微妙なところですね。

さて、次回は9月3日(日)午前0時の投稿を予定しています。

ご意見ご感想や評価等お待ちしてます。

ありがとうございました。




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第57話 二人の旅路

 大悪魔ベリアルが引き起こした人と悪魔の戦いから二年。最も大きな被害を被った聖王都ゼラムは既に往時以上の賑やかさを見せていた。破壊された家々は再建され、焼き尽くされた導きの庭園にも新たに草木が植えられて以前と変わらぬ美しさを取り戻している。

 

 しかし、ベリアルによって破壊された城だけはその限りではない。一部はようやく再建のための工事が始まったものの、まだ大半は無残な姿を晒したままだった。

 

 これは聖王が民のことを考えて居城の修復より、ゼラムの街の修復を優先するという判断を下したためだった。

 

 そのゼラムへバージルとアティは二年ぶりに訪れていた。

 

「もうすっかり元通りですね」

 

「あれから二年だ。よほどの無能でなければ当然だろう」

 

 再興された街並みを見て自分のことのように嬉しそうに言ったアティにバージルは皮肉るように答える。彼の言葉からは若干冷たさを感じるかもしれないが、本人にそんな気はなく、アティも全く気にしていない様子だ。むしろこの二人にとってはこれが普通なのだろう。

 

 あの戦いから二人の関係は変わった。リィンバウムには人間界における入籍のような社会的にも明確な線引きはないため、恋人か夫婦かを断じることはできないものの、そのような関係であることは当人たちも自覚しているところだった。

 

 それは二人が自然と腕を組んでいることからも見て取れる。実際はアティがバージルの腕を抱きしめているような状態なのだが、あのバージルがそれに何も言わないのだから、実質的にその行為を認めているのと同義だろう。

 

「もう少し時間ありますよね? 少し寄って行きませんか?」

 

 アティは導きの庭園を見ながら提案した。二人はこれから尋ねるところがあるのだが、まだ昼前で時間の余裕もあり、せっかく二年ぶりに来たのだから寄ってみたくなったのだ。

 

 バージルも特に反対する理由はなかったので「構わん」と答え、庭園に行くことにした。

 

「もうポムニットちゃんも着いたでしょうか?」

 

 庭園のベンチに並んで腰掛け、途中で別れたポムニットのことを話した。

 

「早ければ今日か明日にも着くだろうな」

 

 今回のゼラムにはポムニットは同行していなかった。帝国に着くまでは同じ船に乗っていたが、彼女はそこで降りて友人のミントが派閥の任務で赴任した帝国のトレイユという町に向かったのだ。

 

 しかし実際のところ、ポムニットは二人と一緒に行くことを遠慮したのだろう。今回のゼラムへの旅は、これまでのようにバージルとポムニットで行くはずのものだったのだが、せっかく関係が進展したのにバージルとの時間を取れないアティのことを不憫に思った島の者たちによって、半強制的に彼女の同行が決まったのである。

 

 ポムニットはそれを分かっているからこそ、あえて同じ友人に会いに行くという用事を作ったのだ。

 

「……あの子にも気を遣わせちゃったんですね」

 

「……だろうな」

 

 二人はポムニットや島の者たちにも気を遣われていたことには気付いていた。それでもアティがそれを受け入れたのは、やはりバージルと二人きりのという状況に憧れに似た想いを抱いていたからだった。

 

「みんなには悪いって思いますけど……」

 

 アティはそこで言葉を切って、左に座るバージルの肩にこてんと頭を乗せ、寄りかかる。両腕はさきほどと変わらずバージルの右腕を体の前で抱きしめたままだ。

 

「こういうの、好き、です」

 

 決してアティは島での暮らしに不満があるわけではない。自分にとっての天職だと思える教師の仕事をしながら好きな人とともに暮らしているのだ。不満などあるはずもない。

 

 それでも、こうして二人きりでゆっくりと過ごすのは、いつもとは一味違った幸福を味わうことできるため、アティとしても文句はなかった。

 

「……そうか」

 

 傍からはいつものような抑揚のない声に聞こえるが、アティにとってはそこに込められた感情を読み取ることは難しくない。

 

「バージルさん」

 

 バージルの感情を読み取ったアティは彼の名前を呼び、腕を一段と強く抱きしめる。もし彼女に犬の尻尾がついていれば、今頃すごい勢いで振っていることだろう。

 

 そもそも、バージルは普段の寡黙さやポーカーフェイス、さらには戦いでの容赦のなさのせいで、冷徹非情と見られることが多い。もちろんそれは一面の真実ではある。彼は情を排した判断を下せる合理主義者であり、妥協を知らない完璧主義者でもあるからだ。

 

 しかし、テメンニグルでの一件では弟ダンテと感情剥き出しの戦いを繰り広げたことからも分かるように、このバージルという男は特定の相手には直情的な一面もある。さすがにあれから年月を重ねたこともあり、己の感情を誰にも分かるような形で出すようなことはないが、彼にとって特別な存在であるアティに対しては感情を見せることは少なくなかった。とはいえ、大半は今のようにアティくらいしか気付かないような形でだが。

 

 そしてそれは二人にとって予想外にいい結果をもたらしていた。

 

 アティは自分より他者を優先する傾向がある。献身的と言えば聞こえはいいが、結局は自分を削る行為にほかならない。しかし、バージルから自分を想うストレートな感情をぶつけられたアティは、彼に甘えてもいい、強がらなくてもいい、我慢しなくてもいいのだと気付いたのである。

 

 普段はアティが献身的にバージルに尽くし、時にはバージルがアティを甘えさせる。その関係が二人には思いのほか合っていたのである。

 

 

 

 導きの庭園で二人の時間を堪能した後、二人は再建中の城の前の広場にいた。今回の旅の目的である蒼の派閥が作成した二年前の戦いのまとめた報告書を受け取りに来たのだ。ちょうど昼時の広場には、城の修復に携わっている者たちをメインターゲットに見据えた屋台がいくつか出ており、さながら小さな市場の様相を呈していた。

 

 派閥は二年前の戦いが終結した時からベリアルの一件、そしてその裏で暗躍していたレイムについての調査、編纂作業を続けていたのだが、それが最近になってようやく最終的な報告書が完成したとの連絡を受け、ここまで来たのだ。その報告書は最高機密とまではいかないまでも機密文書には相違ないため、島まで送ることはできず、それを受け取るためにゼラムまで足を運ぶ必要があったのである。

 

 バージルはベリアルの一件はもちろんのこと、レイムの件にも多少ながら関わっていたため、やはり彼の性分として全てを知っておきたいと考えていたのだろう。

 

「それにしても随分時間がかかったんですね」

 

 待ち合わせ場所に指定された城の前の広場で待っている間、アティはバージルに話しかけた。二年もかかるほど大変な作業だったのかと、少し驚いている様子だった。

 

「原因はレイムの方にあるだろうがな」

 

 ベリアルの方はサプレスで戦力を整えてからこのリィンバウムに姿を現したということは既に分かっている。サプレスでの過程を調査することは難しいため、そちらの一件についてはリィンバウムにおける戦いに関する記述が主となることは想像がつく。それなら生存者も少なくないのでこちらの編纂作業は難しくはないだろう。

 

 しかしレイムの方は、バージルが知る限り二十年近く前から暗躍していたはずだ。それにデグレアの元老院がまるごと屍人と化し、操られていたことも鑑みるとかなり大きな規模だ。それほどの一件を調べ上げるのは相当な難事に違いなかっただろう。少なくともベリアルの方とは比べものにならないくらい厳しかったに違いない。

 

「そのレイムっていう人、悪魔なんですよね? 何を企んでいたんですか?」

 

 バージルもポムニットもレイムと会ったことはあるが、アティだけは一度もなかった。話だけは以前にバージルから聞いてはいたのだが、それでも聞かされたのは行動だけであり、その目的はいまだに分からなかったのだ。

 

「さあな。どうせ、世界を支配するとか、その程度のことだろう」

 

 バージルは適当に答えた。随分と手の込んだことをやっていたのだから、それくらいのスケールはあるだろうと勝手に考えていたのだ。

 

「世界の支配、ですか……」

 

 言葉を繰り返す。どうもスケールが大きすぎてイメージがつかめない様子だ。そもそもそのレイムは、片手で数えるくらいとはいえバージルと会ってその力を見せつけられたはずだ。にもかかわらず時機を窺わなかったのはなぜだろうか。寿命がないに等しいサプレスの悪魔であるなら、機を待つという選択肢もあったのではないか。それともどうしても待てないという理由があったのだろうか。アティにはそんな疑問が浮かんでいた。

 

 そんなことを考えていた時、心中で浮かんだ「寿命」という言葉で少し前から考えていたことを思い出した。

 

「……あの、少し気になったことがあるんですけど、バージルさんって寿命は……」

 

 いきなり話が飛んだように思ったが、バージルはアティの気にしていることが理解できた。それは彼の寿命のことだ。彼女自身は共界線(クリプス)から得た魔力によってほぼ不老不死となっている。よほどのことがない限り百年後も二百年後も生き続けるのだ。

 

 しかし、半人半魔であるバージルの寿命がどれくらいのものか想像もつかないだろうし、彼自身も彼女にそんな話をしたことは一度もなかったため、アティは今からいずれが逃れられない別れが訪れるかもしれないと思っているのかもしれない。

 

「俺は悪魔として生きることを選んだ。今さら寿命で死ぬわけがないだろう」

 

 しかし、バージルにとっては愚問だった。半人半魔であるから単純に考えれば悪魔のように不老ではないと思えるが、彼の考えは違った。バージルは選択によって変わると確信していたのである。そのため、悪魔として生きることを選択し続ける限り寿命などないのだ。

 

 反対に弟のダンテは、テメンニグルでの言葉を聞く限り、悪魔として生きることはないだろう。半人半魔として持って生まれた力を自覚しつつも、最終的に弟は人としての終わりを望むだろう。バージルが人の心と力を併せ持った悪魔だとすれば、ダンテはその正反対の存在と言えるのだ。

 

「……少なくともお前よりは生きるさ」

 

 バージルはさきほどの言葉に付け加えるように言う。決して不死身というわけではないが、今の彼とまともに戦える存在は全ての世界を含めても片手の指で足りるだろう。そもそもバージルは自分が誰かに敗北するなど、魔帝を含めたとしてもありえないと考えていたのだ。

 

「約束ですからね。……ずっと一緒、ですよ?」

 

「お前が死ななければな」

 

 冷たい言葉のようにも取れるが、実のところバージルの言葉は死ぬまで一緒にいると宣言しているのに等しかった。

 

 

 

 それから少しの間待っているとようやく目的の物を持った人物が現れた。

 

「あら? もしかしてもしかして待たせちゃったりする?」

 

「まあ、少し遅れちゃいましたからねぇ」

 

 現れたのは酒の匂いを漂わせたメイメイと、にこにこと笑顔を浮かべているパッフェルだった。パッフェルの手には鞄のようなものが下げられていた。

 

「二人で持って来るか、随分と厳重なことだな……」

 

 メイメイもパッフェルも蒼の派閥に所属している召喚師ではなく、総帥のエクスと関わりのある人物なだけだ。しかし逆に、その二人が持ってきたということは、この書類に関してある疑念が浮かんでくる。

 

「にゃはは。まあ、そう思うのは当然よねぇ」

 

「これが総帥から預かってきたものです」

 

 へらへら笑うメイメイとは真逆に、パッフェルは至極真面目な顔で、鞄から書類の束を取り出してバージルに手渡した。

 

「てっきり派閥の人間が持ってくると思っていたが……」

 

「それがね、派閥は今も人手不足なのよ。……二年前の戦いで国を動かしていた人も犠牲になったでしょ。だからその穴を埋めるために派閥も召喚師を出向させているのよ。だからこんなお使いみたいな仕事を任せる人がいないってわけ」

 

 ベリアルに破壊された城には、当時、政務に携わっていた者がおり、彼らの多くは城の崩壊に巻き込まれ命を落としたのだ。それによって発生した人的損失は蒼の派閥や金の派閥からの人的支援によって補われていたのだが、二年たった今でもまだ続いているようだ。

 

「……それだけが理由とは思えんな」

 

 ぺらぺらと報告書を流し読みしながらバージルが呟く。それに書かれていた記述には手書きで補足されたような箇所がいくつか見られた。バージルに渡すことを承知のうえで書き込んだのだから、それを行ったのはエクスあたりに違いない。

 

 そして配達役にパッフェルを、そしてメイメイまで同行させたのは、万が一にも報告書が奪われることがないように、という考えがあったのかもしれない。

 

「さあ? メイメイさん頼まれただけだから」

 

「あはは、私も答えは差し控えさせていただきます」

 

 しらを切っているのか、本当に知らないのか判断に困るメイメイの態度だが、乾いた笑いを漏らしたパッフェルは何か知っているのかもしれないと思われるような態度だ。バージルを相手に隠し通せる自信がないのかもしれない。

 

「……まあいい」

 

 しかしバージルは、それ以上に追及の必要性はないと判断した。誰がどんなことを書き込んでいようと、最終的に判断するのは自分自身なのだから問題はないと考えたのだ。

 

(…………)

 

 そんな時、アティはバージルの隣でパッフェルのことを見ていた。アティがパッフェルと会ったのは、まだ彼女がヘイゼルと言う名の暗殺者だった二十年近く前のことだ。無色の派閥と共に島に来たものの、バージルによって意識を失い、派閥に見捨てられた彼女は半ば自暴自棄になっていたのだ。

 

 一応、スカーレルやウィゼルの協力もあって、そうした考えを改めさせることができたと思っていたし、二年前にゼラムに来た時にも、バージルからパッフェルについて話を聞いていたのだが、やはりこうして直に会ってみると改めて安心できた。

 

(……よかった)

 

 少なくともパッフェルが以前のような境遇にないことを悟ったアティは心中で息を吐いた。

 

 しかしアティは自分からパッフェルに声をかけることはしなかった。あれからもう二十年経っているから、もう覚えていないだろうと思ったのだ。それは寂しくもあったが、同時に彼女が前を向いて生きていること証でもあるだろうと思った。

 

「あの、アティさん、ですよね……」

 

「え……? お、覚えていて、くれたんですか……?」

 

 やや自信なさげだったが、パッフェルが自分の名を呼んだことにアティは驚き、目を見開いて呟いた。

 

「もちろんです、忘れられるわけないじゃないですか。……だって、あなたや彼は私にとって大切な恩人なんですから」

 

 パッフェルの人生は苦難とともにあった。それでも救いがなかったわけではない。

 

 暗殺者としてではない、別な生き方を選ぶ勇気をくれたアティ。本人にその気はなかったにしても、組織の追手という過去の呪縛を破壊してくれたバージル。

 

 この二人がいなければ今の自分はないと、パッフェルは断言できた。

 

「ありがとう。覚えていてくれて。すごく、嬉しいです」

 

 先ほどは彼女が前を向いて生きていてくれるなら忘れられていてもいいと思っていたが、それでも覚えていてくれるのは素直に嬉しかった。

 

「お礼を言わなくちゃいけないのは私の方。……本当にありがとうございました」

 

「い、いえ、こちらこそ」

 

 感謝の気持ちを伝えるために深々と頭を下げたパッフェルに、アティも同じように頭を下げた。互いに頭を下げ合う奇妙な光景ができたが、どちらともなく、クスっと笑い出した。

 

「さぁて、再会の挨拶も済んだところで、……先生、ちゃんと剣のこと、この人に言った?」

 

 思い出したようにメイメイは、報告書に目を通していたバージルを指さしながらアティに尋ねた。メイメイは少し前から、剣の名前についてアティに相談を受けていたのだ。

 

「い、いえ。機会がありませんでしたし、その……気恥ずかしくて……」

 

「え~!? せっかく頑張って考えた名前なのに……。っていうか、恥ずかしいとか今さらじゃない? やることやってるでしょ?」

 

「な、なな、何を言ってるんですか!? それとこれとは関係ありませんっ!」

 

 からかわれていることは分かりつつも、内容が内容だけにアティは顔を真っ赤にしながら答えた。

 

「にゃはは。ごめんなさいね、あまりにも幸せそうだったからついからかってみたくなっちゃたのよ」

 

 そうあっけらかんと言い放ったメイメイは、用事は済んだとばかりに踵を返した。実に楽しそうに「それじゃアタシ帰るから」とだけ言うとさっさと歩いて行った。

 

 そしてパッフェルも一言挨拶を口にする。

 

「今日は会えてよかったです。……旦那さんと仲良くね」

 

「も、もうっ!」

 

 最後の最後に放たれた言葉に、アティは顔を赤くして抗議するが、パッフェルは全然堪えていないのか、柔らかな笑顔で去って行った。

 

「……用は済んだ。今日の宿でも探すぞ」

 

 そんなアティをいい加減慣れろと思いながら見ていたバージルは、いつまでもここにいても仕方ないため、当面の目的を提示した。先ほどから少し報告書を読んでいたが、やはりしっかりと読むにはどこか腰を落ち着ける場所の方がいいのだ。

 

「うぅ、はい……」

 

 そうしてバージルはまだ顔が赤いままのアティに手を引き、街中へと歩いて行った。

 

 

 

 

 

 ところが、何とか宿を確保することができたのは日暮れ前だった。昼頃から探し始めたので、ほぼ半日ほどかかった計算になる。

 

 既に時刻は深夜と言っていい時間だ。夕食をとって、しばらく報告書を見ていたらこんな時間になってしまったのだ。

 

「それにしても随分時間かかっちゃいましたね。宿も高いところになっちゃいましたし」

 

 ベッドに座ったアティの言葉通り、なかなか空いている宿が見つからなかったため、これまで宿泊してきたところに比べ、かなり高級なところに泊まることになったのだ。さすがに要人が泊まるような最高級のところではないが、それでもいつもの数倍の値段はするようなところである。

 

 もちろんサービスは値段相応のものであり、料理は一品一品手が込んでおり、質、量ともに申し分なかった。

 

「そうだな。……しかし、武闘大会とやらのためにここまで人が集まるとはな」

 

 今回うまく宿を確保することができなかったのはゼラムで開催されるという武闘大会が原因だった。

 

「まあ、ここでは初めての開催ですし、商品も商品ですしね」

 

 武闘大会はカジノや歌劇などあらゆるレジャー施設があるゼラムでも、これまで行われてこなかったものであり、それが聖王家主催で開かれるというのだから話題にならないはずはない。おまけに優勝者には聖王家から望みのものを与えられるというのだから、見物客のみならず参加希望者も相当の数に上るだろう。

 

「ところで、バージルさんは参加しなくてよかったんですか?」

 

 少しいたずらっぽくアティは尋ねた。

 

「くだらん。そんなものに興味はない」

 

 武闘大会とは言っても所詮は見世物に過ぎないと切って捨てた。そもそもバージルが出場したとしても、彼を満足させるような相手とは戦えるわけがない。勝利が決まりきっている上に、遥か格下との戦いを強いられるなど、いくら望みが叶うとしても出ようとは思えないのだ。

 

 そうしてしばらく、メイメイから受け取った報告書に目を通していると再びアティの声が耳に入った。

 

「あの……、メイメイさんから言われた剣のことなんですけど……」

 

 先ほどから思い悩んでいた様子を見せていたことにはバージルも気付いていたが、どうやらメイメイが言っていたことのようだ。

 

「何だ?」

 

 彼女は顔を少し赤くしながらも真面目な口調だったため、バージルも紙の束をテーブルに放り投げ、アティの方に視線を向けた。

 

「じ、実は剣の名前を変えたんです!」

 

「ようやくか……それで名前は?」

 

 アティの言っている剣というのは碧の賢帝(シャルトス)のことだ。「碧」という言葉がつくものの、実際の剣は「蒼」と表現した方がいいため、名を変えることはおかしいことではない。ただ、二年前にも名前を変えると言っていたので、ようやく決まったのだとすると随分時間がかかったと言わざるを得ないが。

 

 ただ、いくら時間がかかったとはいえ、名前を伝えるのに恥ずかしがる必要はないはずだ、バージルはそう考えていた。

 

「ウィスタリアス、っていいます。名付けたのはメイメイさんですけど、他にもいくつかの候補の中から私が決めました」

 

「…………」

 

 さすがにそれで終わりではないだろうとバージルは無言で続きを促した。

 

「王国時代の言葉で、意味は『果てしなき蒼』というそうです」

 

 そこでアティは言葉を切った。そして恥ずかしそうに顔を伏せながら口を開いた。

 

「あなたと同じ『蒼』、です」

 

「なるほど、な……」

 

 それでようやく彼女が魔剣の名前のことを言い出せなかった理由を理解した。いくらバージルとアティは以前より一歩踏み込んだ関係になったといえ、いや、むしろそうなったからこそ言い出しにくかったのだろう。さすがに、新しい名前は想い人を連想する言葉にしました、などとあのアティが言えるはずがない。

 

「まあ、悪くない名だ」

 

 そして、アティの話を聞いていたバージルは率直な感想を口にした。彼は「果てしなき蒼」という言葉からは生命の源たる海を現すように感じており、穏やかで心優しい彼女の人柄には相応しいだろう。それにバージルは、彼女が果てしなき蒼(ウィスタリアス)という言葉から自分を連想したことも悪い気はしていなかった。

 

「あ、ありがとうございます」

 

 てっきり「好きにしろ」などと肯定も否定もしない言葉が飛んでくるものだとばかり思っていたアティは、バージルの肯定的な言葉に驚きつつも礼を返した。

 

「……俺はそろそろ寝る」

 

 報告書を読むために点けていた明かりを消したバージルは、アティが座っているベッドに横になった。

 

「あ、私も……」

 

 そう言ってアティはバージルの隣に潜り込んだ。二人で寝ても狭さを感じないほどのベッドは大きくふかふかだ。料理だけでなくこうした部屋の家具も宿泊料金相応に高級品なのだろう。

 

 ちなみにバージルとアティが同衾するのはこれが初めてではない。そもそもバージルは、自分とアティのような関係の男女は共に寝るものだと思っていた。実際、父と母がそうだったのだから、当然のことだと考えていたのである。

 

 対してアティも、当初は恥ずかしさや嬉しさで緊張していたのだが、バージルと一緒に寝ること自体には抵抗がなかったので、慣れてしまえばこれが当然と思うようになったのだ。

 

 それからしばらく部屋にはいつからか、甘い空気が漂い始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




ちょっと遅めの新婚旅行みたいなものです。一応、中編くらいの長さなので甘いばかりではありません。

さて、次回は9月10日(日)の投稿を予定しています。

ご意見ご感想や評価等お待ちしてます。

ありがとうございました。


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第58話 暗躍の王都

 かつてリィンバウムが四界からの侵攻を受けていた時代、永きにわたるその戦いを終わらせたのは、現代においてエルゴの王と呼ばれる一人の青年だった。

 

 彼はその後王国を打ち立て、死の間際まであらゆる世界の者たちが共存共栄できる理想郷を創るという理想の実現を求め続けたのだ。

 

 しかし、彼の死後から今に至るまでその理想が叶えられることはなかった。エルゴの王の建国した王国は、直系の子孫が治める聖王国、エルゴの王の庶子の血を引く者を元首とする旧王国、そこから分裂した帝国の三国へと分断されたのだ。

 

 こうした経緯もあり、三国間では昔から争いが絶えなかった。近年では最も好戦的だった旧王国の国力も衰え、大規模な侵略戦争は少なくなったが、小競り合いは頻繁に発生していたのである。

 

 そうした動乱期に聖王国で重要な役割を果たしたのは「聖王国の盾」の異名を持つ三砦都市トライドラだった。旧王国、帝国へと睨みを利かせることができる要衝のトライドラは優秀な騎士が常駐しており、小競り合いから聖王国を守ってきたのだ。

 

 中央と各地方の政治的繋がりは希薄で、都市ごとの統治が行われている聖王国において、トライドラは異名通り聖王国の国境警備部隊としての性格も持っていたのだ。

 

 しかし、そのトライドラも二年前にメルギトスの策略で壊滅してしまった。ただ、同時期に旧王国も有数の軍事都市である崖城都市デグレアを失ったのだから、国内の政治的混乱の終息と軍の再編が済むまでは、さすがに大きな動きは見せないだろうという見方が優勢だった。

 

 それでも現状の聖王国の軍備の脆弱さに警鐘を鳴らす者は少なくない。いくら旧王国がさらに弱体化し、帝国も国境警備隊を常設した程度の動きしか見せていないとはいえ、今の聖王国の戦力は守るべき民や領土と比較しても十分とは言えないのだ。

 

 なにしろ二年前の大悪魔ベリアル率いる悪魔との戦いで、各都市から選抜された騎士団も大きな打撃を受けたのだ。通常であれば欠けた人員や装備を補充する必要があるのだが、復興を優先するという方針が示されたことで軍備の回復まで金が回ってこなかったのである。

 

 装備の購入にも金はかかるが、人を育てるのにも金が必要だ。そのため、辛うじて回ってきた金は装備の充足にあてたため、人員の充足率は六割を切る有様だった。

 

 そのせいでゼラム各所の警備も十分な数の騎士が配置されているのは、正門や王城などの重要な場所に限られているのが現状だった。それでも最近は悪魔の出現も減少傾向であるため、それでもなんとかなっていたのである。

 

 ただ、今回の武闘大会は会場となる大劇場に聖王家が姿を見せるということもあって、騎士団はその半数以上が会場の警備に回されており、その他の場所の警備はこれまで以上に甘くなっていた。

 

 そしてそれを狙って暗躍するものも確かに存在しているのである。

 

「…………」

 

 まだ朝日が昇ったばかりの時間にバージルは目を覚ました。とはいえ、彼がこの時間に目を覚ますことは珍しいことではない。日課の一つである瞑想のために朝早くから起きることはいつものことだったのだ。

 

 ところが今日、目を覚ましたのは瞑想するためではなかった。

 

 バージルはベッドから起き上がるとそのまま窓のほうまで歩いていく。窓にはカーテンが閉められているとはいえ、僅かな朝日は部屋の中に入ってきており、それが今の時間を教えていた。

 

 しかし、バージルはカーテンを開け放つようなことはしなかった。さすがに気持ちよさそうに寝ているアティを起こしたくはなかった。

 

「……さすがにもう感じないか」

 

 カーテンをくぐり、窓から外から眺めながらバージルは呟いた。

 

 彼が目を覚ましたのは殺気を感じたからだ。さすがに自分を狙う奴がいるとは思わないかったものの、確認のために窓から外を確認したのだ。

 

 だが、言葉の通り窓の外からは殺気を感じることはなかった。そもそも殺気を放つということ自体、喧嘩や戦闘中など非日常的な状況でしかありえない。それは騎士や軍人のように戦うことが本分の者であっても同じであり、殺気を感じなくなったことはおかしいことではない。

 

 そして次に気になるのはそれを放った者のことである。

 

「武闘大会の関係者か、あるいは……」

 

 既に予選が始まっている武闘大会に出場する者は腕に覚えのある者ばかりという話だ。それを考えれば先ほど感じた殺気は、そうした出場者が放ったものかもしれない。そうした者は血気盛んな者が多く、喧嘩も往々にしてよくあるものだ。

 

「…………」

 

 それともう一つ、言葉にはしなかったがバージルには思うところがあった。

 

 暗殺である。

 

 今回の武闘大会には聖王家が発起人となっていることもあり、聖王が姿を見せるだろうということは誰もが考えているところだった。

 

 二年前に城の一部が崩壊したとはいっても、被害を免れた部分だけでも日常生活を送ることは容易であるため、聖王家はこれまで通りほとんど姿を見せなかったのだ。

 

 その聖王が武闘大会の会場となる大劇場に姿を現すのだから、警備も厳重なものになることは想像がつく。しかし、そうした状況における警備のノウハウが騎士団にあるのかは疑問に残る。特に今回のような大観衆の前に聖王家が姿を現すのは前例がないという話は聞いているため、尚更その疑念が強くなったのだ。

 

(いずれにせよ、関わらなければいいだけだ)

 

 バージルの考えではどちらにも武闘大会が関わっているため、それに関わらないようにしようと心に決めた。そもそも、今日の予定は決まっていなかったため、そうするのは難しいことではない。

 

 ちなみに今回の聖王国への滞在日数は、カイル一家が次に島へ船を出すまでの日程を考えてひと月ほどとなっている。もっとも、ゼラムのハルシェ湖の港から出ている船を使えばもう少し余裕ができるが。

 

「あれ……? もう朝、ですか?」

 

 そこへアティから声がかけられた。彼女はどうやら起きたばかりのようで、眠い目をこすりながら欠伸をしていた。

 

「まだ早い。もう少し寝ていろ」

 

 言いながらバージルはベッドの方へ歩いていく。とはいえ、彼は二度寝しようと思ったのではなく、ベッド脇の台に置いた件の報告書を取ろうとしたのだ。

 

 そして目的の物を手にした時、アティがバージルのシャツを引っ張っていた。

 

「何の真似だ?」

 

「あの、一緒に……」

 

 アティは時折、こうして子供のように甘えてくることがある。彼女の両親はアティが幼い頃に殺されたのだという。それ以来、彼女は村の者によって育てられてきたというが、そこにはどこか遠慮があったのかもしれない。だからバージルというパートナーを得たアティはその反動で甘えたくなるのかもしれない。

 

「……仕方のない奴だ」

 

 溜息をついたバージルは諦めたようにベッドで横になった。するとアティはそこが自分の定位置であるように、すぐさま腕の中へ潜り込んだ。必然的にバージルは彼女へ腕枕するような形になった。

 

「よく飽きないな」

 

 その様子にバージルは思わず呟いた。それこそ腕枕はそう珍しいものではない。共に寝るようになってからは、よくしていることだ。

 

「いいじゃないですか、好きなんですもん」

 

 どうやらバージルの言葉はアティの耳にも届いていたようで、彼女は開き直ったように答えた。

 

「文句を言ったつもりはない」

 

「えへへ、わかってますよ」

 

 釈明するような言葉にアティはいたずらっぽく笑いながら答えた。何のことはない。彼女は報告書なんかより自分に構って欲しかったのだ。それを証明するかのようにアティは、密着するほどバージルに体を寄せた。

 

「なら、さっさと寝ろ」

 

 バージルはアティの枕となっている左腕を動かし、彼女の頭を包みこんだ。

 

 そうしてしばらくするとアティは穏やかな寝息を立て始めた。そんな彼女をバージルは優しげな視線で見ていた。

 

 

 

 

 

 それからしばらくして、バージルとアティは昨日に続きゼラムの街に出ていた。特に行く当てはなかったが、せっかくなので観光も兼ねて街を散策することにしたのだ。

 

「やっぱりここも賑わってますね」

 

「そうだな」

 

 二人がやってきたのはゼラムの東から南東にかけて位置するハルシェ湖だった。

 

 ハルシェ湖は城の上手にある至源の泉の水がたまってできた湖であり、潮の満ち引きによっては運河を通じて海水が流れ込む汽水湖でもある。そうした性質を利用しているのか、ここには大規模な港が整備されていて聖王国のみならず各国からも多くの船が訪れるのである。

 

 大劇場で武闘大会が開かれている今も、積み下ろしは行われている。彼らのような積荷の積み下ろしに携わっている者には武闘大会のようなイベントとは無縁なのかもしれない。

 

「あ、バージルさん、あそこで釣竿の貸し出しをしてるみたいですよ!」

 

 アティが見つけたのは釣竿をレンタルする店だった。ハルシェ湖の水は飲料水にも使えるほど水質がよく、汽水湖の性質上、淡水魚も海水魚釣れるため釣りをしに来る者も多いのだ。

 

「時間はある。やるか?」

 

「はい! 借りてきますね!」

 

 どうせ、もうしばらくはゼラムにいる予定なのだから、一日くらい釣りをするのもいいだろうと考えたバージルは言った。するとアティはその言葉を待っていたといわんばかりに、すぐに釣竿を借りに行った。

 

(そういえば島でもやっていたか……)

 

 思い出しように胸中で呟く。アティは島にいた時から学校のない日はよく釣りをしていたのだ。その釣果が夕食に並んだのは一度や二度ではないため、腕前も相当のものなのだろう。

 

「借りて来ました!」

 

 そう言ってアティは釣竿を差し出した。一緒にやろうということなのだろう。

 

「やると言った覚えはないが……」

 

 そもそもバージルは釣りをした経験などない。そのため、釣りをするのはアティに任せるつもりだったのだ。

 

「別に釣れなくてもいいですから一緒にやりましょう?」

 

「……まあ、いいだろう」

 

 どうせ暇つぶしであり、結果にこだわらないのであれば、とバージルは了承した。

 

 そして二人は人通りが少ない港の隅の方を釣り場に選び、糸を垂らすことにした。

 

「そういえば武闘大会が開かれるのは今日みたいですね」

 

「らしいな。……それにしても随分と暇な奴らが多いな」

 

 会場周辺の魔力を探ったバージルが呆れるように言った。その数から判断して大劇場には溢れんばかりの人が押し寄せていることだろう。

 

「仕方ありませんよ。今日は聖王家の方々も来られるんですから」

 

「……前々から思っていたのだが、エルゴの王とやらはそこまでの存在なのか?」

 

 聖王家や旧王国や帝国の元首に流れる血が、元を辿ればエルゴの王に行き着くことはバージルも知っている。三国ともエルゴの王の血を引く者を元首に据えることで国家の正当性を訴えている。

 

 そこにはまるでエルゴの王こそがリィンバウムの唯一の王であるという認識が下地にあるような印象を受けるのだ。

 

「まあ、やっぱり戦いを終わらせた人ですし、王としても名君ですから。……少なくとも悪い感情を抱く人はいないと思いますよ」

 

 戦争を終結させた英雄であり、今のリィンバウムの礎を築いた伝説の英雄。確かに歴史に残る傑物であると言えるだろう。だからこそ三国とも彼を半ば神格化された存在として扱っているのかもしれない。

 

(どちらかと言えば、後の人間が過度に偶像視した神のような存在、というところか……)

 

 リィンバウムは人間界における宗教や神話で見られるような神が存在しない世界である。だからこそ、エルゴの王を神のように崇め偶像視しているのかもしれない。

 

 当然、その神の血を引く聖王家など各国の君主は、リィンバウムの人々にとっては、王であるとともに、同時に神に近しい存在でもあるのだ。

 

 そんな神格化された己のことを、果たしてエルゴの王はどう思うのだろうか。

 

 そしてそれはバージルの父であるスパーダにも言えることだ。彼は人間界のフォルトゥナという都市で神として祭り上げられていることをバージルは知っている。しかしそれは、父の足跡を追っていく中で知ったことであって、直接聞いたわけではない。

 

 あの厳格な性格の父なら己が祭られることに良い顔はしないだろう。なにしろ父はそんなことのために魔帝に反旗を翻したわけではないのだから。

 

(魔帝か……)

 

 ふとムンドゥスのことが頭をよぎる。いまだ動きを見せない魔帝だが、いずれリィンバウムに侵攻するのは既定の未来である、少なくともバージルはそう信じていた。

 

 もちろんバージルは今でも魔帝を滅ぼすことを目的の一つとしている。しかし、その理由は昔と少しずつ変わってきているということを自覚していた。まだはっきりとは見えてこないが、何かきっかけがあればすぐに明らかになるような気がしていた。

 

「あ、動いてます! 引っ張ってください!」

 

 アティの言葉で思考を打ち切ったバージルは釣りに意識を向けることにした。

 

 

 

 そしてそのまま二時間ほどの時が経った。

 

「バージルさん、意外と上手ですね」

 

「お前ほどではないがな」

 

 アティはバージルが釣り上げたものを見て言った。それなりの大きさの魚であり、今回だけでそれなりの数の魚を釣っているため、初心者にしては十分な釣果だろう。もっともアティはバージルの倍以上釣っていたようだが。

 

「そろそろ切り上げましょうか? もういい時間ですし」

 

 太陽も正中近くに位置しているところでアティが言った。暑くはないが、日差しはだいぶ強くなっている。もっと続けるにしろ、少し休憩を挟んだ方がいいと思ったのだ。

 

「……なら、食事にでも行くか」

 

 少し小腹も減っていたのでそう提案した。これにはアティも賛成だったようで「いいですね!」と答えた。

 

 そして借りた釣竿を返却した二人は並んで船着き場の近くを歩いていた。

 

「それじゃあ、どこに行きましょうか?」

 

 ゼラムには様々な飲食店が軒を連ねている。繁華街だけに絞っても会員制の高級店から屋台までありとあらゆる種類の店があるのだ。それだけにどこで食事をするかという悩みはいつになっても終わることはないのである。

 

「とりあえず大劇場の周辺はなしだ」

 

 とはいえ今日は武闘大会が開かれているため、その会場周辺は非常に混雑している。そんなところで食事をとろうという気にはなれなかった。

 

「うーん、それなら導きの庭園はどうです? あの近くにも屋台が出ていましたし」

 

「そうだな。あそこなら他よりもマシだろう」

 

 昨日訪れたときのことを思い出しながらのアティの言葉にはバージルも文句はなかった。一応、その他の候補としては王城周辺もあったが、あそこも、この時間帯は混雑することは予想できるため、できれば避けたかったのだ。

 

 そうして目的地が決まり、そこへ行こうと進路を変えた時、後方から声をかけられた。

 

「……アティ?」

 

「え? ……アズリア?」

 

 不意に名を呼ばれたアティが振り向いた先にいたのは帝国の軍学校の同期であり、島では敵対したこともあった友人であるアズリア・レヴィノスがいた。

 

 

 

 

 

 思いがけない人物と再会を果たしたアティはこのまま別れるのは惜しいと思い、少し話をしようと誘った。そうしてアズリアを含めた三人は、導きの庭園までやって来ていた。

 

「今回は観光で来たんですか?」

 

「まあ、イスラも聖王国にいるというし、観光も兼ねて、な」

 

 アズリアは少し迷ったように一瞬、視線を伏せて答えた。アティはその様子に引っかかることを感じながらも、それを気付かせないように口を開いた。

 

「それにしても珍しいですね、アズリアが休暇なんて」

 

 国境警備の任に就いてからというもの、まともな休暇を取ってこなかったことは、手紙のやり取りをしていたアティはよく知っていたのだ。

 

「自分でもそう思うよ。ただ、部隊の編成も目途が付いたし、それにギャレオもうるさくてな」

 

「やっぱり将軍になるのは大変なんですか? 手紙を見る限りで随分大変そうですけど」

 

 苦笑しながら答えるアズリアにアティが尋ねる。

 

 二年前の戦いでの功績でアズリアは帝国初の女性の将軍に昇進していた。それと並行して彼女の率いる部隊も増強されることとなったのだ。これは国境警備の重要性が帝国軍の上層部にも改めて認識された結果だった。

 

 そうした経緯もあってアズリアはしばらく部隊の指揮をギャレオに任せ、新規兵士の選抜のため軍学校のある帝都ウルゴーラや丘段都市ファルチカと自分の部隊を往復する生活になり、休暇を取れる状況になかったのだ。

 

「まあ、大変じゃないと言えば噓になるが……おかげで実家への借りも返せたしな」

 

 島での一件で部隊を失った責任を取らされ、当時の閑職である聖王国の国境警備部隊へ転属となったものの、それは彼女の実家である多くの軍人を輩出してきたレヴィノス家の力があったためだ。事実、部隊の構成員のほぼ全てを失った上に任務も失敗したという事実は、不名誉除隊になっても不思議ではないほどの失態だったのだ。

 

 しかし、今回アズリアが帝国初の女性将軍になったことでレヴィノス家は失った名声を取り戻した形となったのだ。

 

「……もっとも、私が将軍になれたのも、あの時にあなたが協力してくれたからだがな」

 

 バージルに向かって言う。アズリアが将軍となるに足る功績を上げた戦いはバージルも助力していた。というより、彼女の部隊が交戦していた悪魔を横から殲滅したと表現した方が適切かもしれないが。

 

 とはいえ、そんな経緯は記録には残らず、悪魔の撃退の功績は全てアズリアのものとなった。それは彼女にとっては複雑な思いではあったが、バージルにとってはどうでもいいことだった。

 

「終わったことだ。……それに俺がいなくとも最終的には貴様らが勝っていただろうしな」

 

 それは正直なバージルの感想であった。あの時のアズリア率いる部隊の動きは見事なものだった。少なくとも急造の聖王国の軍勢よりも統制された動きを見せていたのだ。それに加えてイスラの紅の暴君(キルスレス)の力があれば、相応の被害を出るだろうが最終的に悪魔を殲滅できていただろう。

 

「そうか。……ところでアティ、お前たちは……結婚記念の旅行か?」

 

 アズリアはアティとバージルを見ながら言った。この二人の関係が進んだという話は聞いていたが、こうして直接見てみるとやはり距離が近く感じる。そもそも彼女自身はそれぞれと個別になら何度か会ったことはあるが、二人揃ってとなると島にいた頃以来であったが。

 

「えっと……まあ、そんなところです」

 

 少し赤い顔をしながらも幸せそうな顔で笑いながらアティは答えた。これがアズリアの知るかつての彼女なら、しどろもどろになりながら否定していたところだろうが、やはりバージルとの関係が進んだことで変わったのだろうと判断した。

 

「それはなによりだ。いろいろ相談に乗ってやった甲斐もあるというものだ」

 

「相談?」

 

「ア、アズリア! それは……!」

 

 アティが慌てるのも無理はない。彼女は以前からバージルとの関係についてアズリアに手紙で相談していたことがあったのだ。島の誰かに相談ということも考えられたが、教師という立場と文化的な違いから、アズリアに相談してきたのである。

 

「む……、その、すまない……」

 

 アズリアにしてみれば、先ほどの言葉は友人のことを思ってのものだったが、肩の荷が下りた安堵からか、不用意にもいろいろと相談を受けていた事実を暴露してしまったのだ。勿論口止めされていた訳ではなかったが、アティの反応から知られたくなかったことだと悟った。

 

「終わったことだ。別に気にするようなことではないと思うがな」

 

「だって……私が一人で勝手に一喜一憂してるようなものですし……」

 

 相談の内容自体は小さなことだがアティにしてみれば、昨日の魔剣のことと似たようなもので、ずっとバージルのことを意識してきたことを暴露されるのは恥ずかしかったのだ。

 

「……本当にそれは自分だけだと思っているのか」

 

 ぼそりと呟いたバージルの呟きが耳に入った。

 

「そ、それって……もしかして――」

 

 私を意識してくれていたってことですか。そう消え入りそうな声で尋ねる。

 

「……さあな」

 

 もちろんバージルから明確な返答はない。しかし、その言葉からは「察しろ」という意思が込められているように感じた。

 

 実際、島で己を見つめ直して以降は、アティを他の者に比べ意識していたのは事実だった。結局、その気持ちの正体は、つい最近になるまで気付かなかったが、その芽生え自体はずっと前からあったのかもしれない。

 

「……バージルさん」

 

(……似合いとはいえ、面倒な奴らだ)

 

 そっぽを向いたバージルに熱い視線を送るアティに、アズリアは溜息を吐きながら話しかけるタイミングを探りつつ、心中で愚痴を呟いた。どうやらこの帝国初の女性将軍は根っからの苦労人なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 




ご意見ご感想や評価等お待ちしてます。

ありがとうございました。

なお、次回更新は9月23日(土)か24日(日)頃を予定しています。


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第59話 喧騒の裏で

 バージルとアティの二人と別れたアズリアは城の前まで来ていた。そこはさすがに大劇場周辺に比べれば劣るものの、多くの人々が楽しそうに話しながら歩いている。

 

 その中で目的の人物を見つけたアズリアは、彼に近づいて声をかけた。

 

「遅くなってすまないな、イスラ」

 

「全くだね、夜まで待たされるのかと思ったよ」

 

 彼女の弟、イスラは前に会った時と全く変わらぬ容姿で嫌味ったらしい言葉を口にする。しかしアズリアは、さすが実の姉といったところかそんな言葉など意にも介さず軽く笑いながら口を開いた。

 

「そう言うな、折角知り合いに会えたんだ。少しくらい話してもいいだろう?」

 

「知り合い? 姉さん、聖王国に知り合いなんていたっけ?」

 

 世界各地を放浪していた自分ならまだしも、仕事一筋でまともに休みを取らなかった姉が、聖王国に知り合いがいるとは聞いたことなかったため、イスラは怪訝な顔をして尋ねた。

 

「アティとバージルだよ。二人で新婚旅行だそうだ」

 

「……は? 何かの間違いでしょ、それ?」

 

 アズリアの返答を聞いたイスラは一瞬、呆然となった。彼の知るバージルとアティは、無色の派閥の手先として島に潜り込んだ時の印象から全く更新されていないのである。

 

 それゆえ、アティはともかくとしても、あのバージルが誰かとそういう関係になるなど想像できない。バージルに対してそんな程度の認識しか持っていないイスラからしてみれば、あの二人が結婚、まして新婚旅行をしているなどという事実は、青天の霹靂もいいところだったのだ。

 

「そんなことなかったぞ。随分と仲睦まじい様子だった。……こちらのことを気にして欲しいくらいにはな」

 

「……人は変わるものだね」

 

 なかなか信じがたい事実ではあったが、姉が遅刻の言い訳でこんな下手な作り話をするわけがないと思ったイスラは、とりあえずは信じることにした。

 

「お前も変わったようにな、イスラ」

 

「…………」

 

 正直、昔の話を持ち出すようなことはやめてほしいとイスラは思う。もうあんなことは二度とするつもりはないし、彼としても、ひねくれていたあの時のことは、思い出したくない過去、まさしく黒歴史なのである。

 

「すまんすまん、昔の話など今はどうでもいいことだな。……それで、あのことだが」

 

 複雑な表情をしたイスラに対し、苦笑しながら詫びの言葉を伝えたアズリアは、辺りを探るように一瞥すると真面目な顔になって弟に尋ねた。

 

「話は歩きながらにしようよ。どうせこの後、あそこに行くんでしょ」

 

 口では軽く言うものの、イスラも周囲への警戒を怠ることはない。曲がりなりにも特務軍人として帝国軍の諜報部に所属していただけのことはある。このあたりの防諜については現役の将軍である姉よりも上かもしれない。

 

「ああ」

 

 そのアズリアもイスラの提案には異論はないようで、二人そろって歩き始めた。そのまま少し歩いたところで、ようやくイスラは口を開いた。

 

「……それで例のことだけど、あいつら予想より早く動くかもしれない」

 

「何故だ? 前の話では、準備にも時間がかかり、実行はしばらく先という話だっただろう」

 

 歩きながらであり、声量も抑えていたが、アズリアは険しい顔をしながらイスラを問い詰めた。

 

「そう睨まないでよ、たぶん一番焦ってるのはあいつらなんだしさ」

 

「……どういうことだ?」

 

 その言葉にアズリアは思わず聞き返した。

 

「計画を前倒しにするのは、武闘大会が開かれている現状なら実行も容易だと踏んだから。おまけに逃げる時もこれだけに人間がいれば目くらましにもなるっていう計算があるんだろうね」

 

「それなら、あいつらは……」

 

「そ、たぶん実行するのは今日だよ。……もっとも準備が間に合えば、の話だけどね」

 

 姉の言葉を引き継ぐように、それでいて、いやにあっさりとイスラは答えた。とはいえ、現段階で何の騒ぎも起きていないところを見ると、まだ計画は実行に移されてはいないようだ。

 

 イスラの言葉を受けたアズリアは少し考えるように無言で黙り込み、しばらくして口を開いた。

 

「……それ以前に成功の可能性はあるのか? 警備は厳重だと思うが」

 

「それが笑っちゃうくらいだよ。会場の中にはそれなりの数の騎士はいるけど、外には数えるほどだし、やろうと思えば僕でもできるんじゃない?」

 

 アズリアと会う前に彼は武闘大会の会場となる大劇場を一通り見てきていたのだ。これはその上での感想だった。ただ、これには目的を達成した後のことは考慮していない。

 

 もちろんそれはイスラも理解しているが、()()を実行しようとしている者達はそんなことを考える輩ではないので、イスラも考慮しなかったのである。

 

「……ともかく、こちらは情報を提供するだけに留めよう。……言っておくが余計なことは口にするなよ」

 

 歩いているうちに二人は目的地である蒼の派閥の本部が少し先に見えている。そしてアズリアは視線を前に向けながらも釘を刺した。

 

 それに対してイスラは肩を竦めて答える。

 

「わかってるよ。さすがに聖王暗殺なんて好き好んで関わるような話じゃないしね」

 

 聖王暗殺。

 

 それこそアズリアがわざわざゼラムまでやってきた理由である。

 

 事の発端は帝国軍が無色の派閥の拠点を摘発した際に押収された文書だった。そこに聖王の暗殺に関すること書かれていたのである。

 

 帝国からすれば他国の、それも旧王国ほどではないとはいえ、良好な関係を保っていない聖王国に関することであるため、本来であれば忠告してやる義務などなかった。

 

 それでもあえて帝国がアズリアを派遣し情報を提供するのは、聖王国とは当面の間は関係を荒立てたくないという思惑からだった。旧王国を第一の仮想敵国としている帝国にとって最悪のシナリオは、旧王国と聖王国を同時に相手取る状況、つまりは二正面作戦である。それを避けるためにも聖王国に恩を売っておこうというのだ。

 

 とはいえそれは国家の事情であり、聖王国への特使の任を与えられたアズリアにも思惑があった。

 

 それは無色の派閥に対するものだった。彼女の父は召喚術の不正利用を取り締まる立場にあり、無色の派閥の活動を幾度も防いだことがある。しかし、その報復でイスラに病魔の呪いをかけられたのだ。

 

 当然、弟の人生を狂わせた無色の派閥にはアズリアも思うところがあった。要はこれを無色の派閥掃討のきっかけにしようと思ったのだ。聖王暗殺などという計画を実行しようとすれば、たとえ失敗に終わったとしても聖王国も黙ってはいないはずだ。そのあたりを考慮して交渉すれば、対無色の派閥で相互の情報交換を行えるくらいの関係を構築できるようになるかもしれない。

 

 それだけでも国家の枠組みを超えて活動する無色の派閥に対する有効な手立てとなるに違いない。そう考えたからこそアズリアは成功を確実なものとするため、一時は無色の派閥に所属していたイスラに協力を求めたのだ

 

 その決断は彼女にしてみればある種、禁じ手のようなものだったのだが、協力を求められたイスラは非常に乗り気だった。呪いをかけられた張本人であるイスラは、散々苦しめられただけに無色に対する鬱憤は半端ではなかったのだ。

 

「……すまんな」

 

「何言ってるのさ。これでチャンスがなくなったわけじゃないでしょ。……それに悪いと思ってるなら、これからも僕に一枚嚙ませてよね」

 

 イスラにしてみれば、暗殺者を自分の手で捕らえ、無色の情報を手に入れたかったが、さすがに暗殺実行間近の現状で勝手な行動すれば、アズリアに迷惑がかかるだろう。それは自分を頼りにしてくれた姉への裏切りあたるため、ここは自重することにしていた。

 

 なんだかんだ言ってもイスラは姉のことが大事なのである。

 

 

 

 

 

 同じ頃、導きの庭園の一角には四人の影があった。それぞれハヤト、クラレット、マグナ、アメルのものである。彼らは二年前の戦いでメルギトスと戦った面々であり、その縁もあって、こうしてたまに集まることがあるのだ。

 

 今回ハヤトとクラレットがここに来たのもそれが目的だったのだが、その場所がゼラムとなったのはまったくの偶然だった。

 

「ここまではみんな順当に勝ち進んでるな」

 

「応援した甲斐もありますね」

 

 先ほどまで武闘大会を見ていたハヤトとクラレットは、知り合いが無難に勝ち進んでいるのを見て機嫌が良さそうにしていた。気持ち的には贔屓にしているスポーツチームが連戦連勝しているようなものだろう。

 

 ハヤトとクラレットは当初の予定であれば、ゼラムではなくマグナとアメルが暮らしているレルム村へと行くはずだった。しかし事前のやりとりで、二人は久しぶりにゼラムの仲間たちのもとへ行くという話があり、マグナから「それならゼラムで集まったらどうか」という提案を受けてゼラムへと来たのである。

 

 そして偶然再会したラムダが腕試しに武闘大会に参加するという話を聞いて、応援することにしたのがこれまでの経緯だったのだ。

 

 なお、大会にはラムダだけでなくシャムロックやフォルテも出場しているようだが、腕試しで参加するラムダとは違い、シャムロックは優勝賞品を使って、どこにも属さず民を守るための騎士団の設立を認めてもらおうと考えているらしい。

 

 だが、フォルテの参加理由については相棒のケイナすら分からないようだった。おまけにそれが原因で喧嘩をしたらしく、ケイナはどこかへ行ってしまったらしい。

 

 それについてはマグナやアメルも心配しないわけではなかったが、フォルテもケイナも自分より年上の存在であり、喧嘩も愛情表現の一つであるという傾向があるため、それほど大事だとは思っていないのが正直なところのようだった。

 

「それにしても混んでたなあ……ここに来るだけでも疲れたよ」

 

 マグナはベンチに背を預け、手足を放り投げながら息を吐いた。この導きの庭園もいつも以上に多くの人で賑わっているものの、武闘大会の会場ほどではない。そこと比べれば、まさしく天国と地獄ほどの違いがあるのである。

 

 彼ら四人は先ほどまで、武闘大会の見物や知り合いの応援していたのだが、ちょうどお腹もすいてきたので少し抜け出して何か食べに行こうという話になったのだ。本来ならトリスとネスティも誘うつもりだったのだが、トリスは大会に出場しているフォルテに会うために出て行き、ネスティは彼女への連絡役として残っていたため、仕方なく四人だけで出てきたというわけだ。

 

「まったくマグナったら、だらしないんだから」

 

「まあまあ、どうせみんなこのまま順当に勝ち進むだろうし、少しくらい休んで行ったって大丈夫だよ」

 

 武闘大会に出ている知り合いはラムダ、シャムロック、フォルテの三人であるため、いずれは仲間内でつぶし合うこともあり得るだろうが、それはもう少し参加者がふるいに掛けられてからのことだ。

 

「そうそう、ハヤト先輩の言う通りだって」

 

 アメルの忠告からハヤトが庇ってくれたことに気を良くしたマグナは、彼の言葉に乗っかるように言った。そうでなくとも、この導きの庭園は蒼の派閥の本部からも近く、彼やトリスもよく来ていた場所である。ある意味彼の庭といっていい場所なのである。

 

「一応、私たちは応援で来ているんですから、あまり長居はダメですよ」

 

 そんなハヤトとマグナの様子を見ていたクラレットは若干呆れたような様子で言った。アメルもしょうがないといった様子であり、どうやら納得したようだ。

 

「よし、それなら出店の方見てみるかな。ほら、クラレットも行こうぜ」

 

「もう仕方がありませんね、ハヤトは……」

 

 そうは言いつつもクラレットは嬉しそうに答え、ハヤトが伸ばした手を取った。

 

「あ、俺、うまい出店なら知ってますよ!」

 

「だったらみんなで行こうぜ。せっかく集まったんだからさ」

 

 ハヤトの言葉に反対する者はなく、マグナの案内で出店に行くことにした。

 

 

 

 マグナのおすすめした店は彼の言葉通り、うまい料理を出しており、昼食を食べた後であるにも関わらず四人ともぺろりと平らげた。

 

 その帰り道でハヤトが先ほど食べた料理のことを思い出しながら口を開いた。

 

「しかし、うまかったなー。おまけに安いし」

 

「でしょ? 俺もよく食ってたんですよ」

 

 満足したように言うハヤトにマグナが同意した。

 

「それにしても、こうしてると昔のことを思い出すな」

 

 部活の帰りに買い食いした時のことを思い出しながら呟いた。あれからまだ五年と経っていないはずだが、随分昔のことに感じられる。それだけリィンバウムに来てから濃密な時間を過ごしてきた証なのだろう。

 

「……そういえばハヤト先輩って名もなき世界の生まれなんですよね? どんなことしてたんですか?」

 

 少し前の集まりで聞いたハヤトの生まれがリィンバウムではなく、名もなき世界であることを思い出しながらマグナは尋ねた。四界についてはある程度の知識を持ってはいるが、名もなき世界についてはマグナも詳しくはなかった。

 

 一応、マグナの仲間にもハヤトと同じように名もなき世界出身のレナードという人物がいるが、彼からは断片的にしか聞いていなかったのだ。

 

「うーん……向こうじゃただの高校生だったからなぁ……。今みたいに友達と買い食いしたり、くだらない雑談とかしてさ」

 

 それが今では五つの界の意志(エルゴ)から力を授かり、リィンバウムを守るという大役を任されているのだ。正直、その役目を全うできているかはハヤト自身にはわからなかったが、自分で選択した道であるため、最後までやり抜くつもりでいた。

 

「意外とこっちと変わらないんですね」

 

 マグナには「高校生」という言葉の意味はわからなかったが、前後の言葉から考えて名もなき世界においてハヤトは一般的な立場だったとは理解することができた。

 

「そんなもんだよ、確かに向こうの方が娯楽は多いかもしれないけど。同じ人間なんだから考えることはたいして変わらないもんさ」

 

「確かにそうですね……。ただ同じ世界に住んではいないだけなんですよね」

 

 クラレットが名もなき世界に行った時のことを思い出しながら言った。さほど長くはない滞在期間だったが、その間のハヤトの家族との交流によって、風習や文化的な違いはあるが、同じ人間であることに変わりはないと感じたのである。

 

「あ、クラレットさんも行ったことがあるんでしたね。クラレットさんから見てどんなところですか?」

 

「えっと、そうですね……、ロレイラルの機械、シルターンの鬼や龍、サプレスの天使や悪魔、メイトルパの幻獣や亜人、実在しているかは別ですけど、いろいろな世界の要素が混ざっていると感じました」

 

「確かに機械はいろんなところで使われているし、シルターンと似ているところはあるけどさ、あっちの世界の人にとっては、龍とか天使とかって本とかで出てくる空想上の存在なんだよ」

 

 アメルから尋ねられて答えたクラレットの言葉にハヤトが補足するように言った。召喚術の存在するリィンバウムではクラレットが口にしたものは全て実在のものとして認識されているため、このままではマグナやアメルに名もなき世界とはとんでもない魔境であると思われてしまう恐れがあったため、あえて口を挟んだのだった。

 

「……そういえば、バージルさんも名もなき世界の出身って話でしたよね? ああいう人ってあっちでは普通なんですか?」

 

「確かに出身は俺と同じだって話だけどさ……。俺の知る限りああいう人はいないと思う。……というより本当に同じ世界の人かも疑うよ」

 

 マグナもハヤトもバージルが名もなき世界の出身であることは知っていた。とはいえマグナはハヤトから聞いただけであり、そのハヤトもアティから聞いただけであるため直接本人から聞いたわけではないのだ。

 

 そんな事情もあり、ハヤトにしてみれば人間とは思えない動きをするバージルが同じ世界出身だとはなかなか思えなかったのだ。

 

「まあ、あの強さですからね……」

 

 マグナは目の前の先輩を慮って同意する。ただ、その言葉はマグナにとっても本音であった。彼がバージルの戦う姿を見たのはほんの数回だけではあるが、その時目にした強さはとても同じ人間とは思えなかったほどだ。

 

「というか俺、あんまりあの人のこと知らないんだよなぁ……」

 

「ええ、サイジェントにいた時も数えるくらいしか会ってませんし」

 

「俺だってそうですよ。話したのが二、三回あるだけで……」

 

「私もです」

 

 そもそも、記憶を遡ってみても四人ともバージルとは話したこと自体少なかったのだ。これでは彼がどういう者か理解することは難しいだろう。

 

「先生はフラットにも何度か来て頂けましたから話す機会は結構ありましたけど……」

 

「そうだよなあ……実際俺やクラレットが知ってることって全部先生から聞いたことだし」

 

 あまり他人と関わろうとしないバージルとハヤトたちの橋渡し役をしていたのがアティだった。彼女がいなければにハヤトやクラレットとバージルが知り合いにもならなかっただろう。

 

「……あの、先生ってどなたですか?」

 

 アティのことを知らなかったアメルは思わず首を傾げた。

 

「あれ? マグナたちってアティ先生と会ったことなかったっけ? 赤い長髪で白い帽子を被ってる女の人なんだけど」

 

「ああ、あの人か! ……でも、見たことはあるけど話したことはないなぁ」

 

 ハヤトの言葉でマグナは以前ファナンでバージルと一緒にいたアティのことを思い出した。しかし、あの頃はレイムやルヴァイドの一件もあったため、彼女のことを気にする余裕はなかったのだ。

 

「そのアティ先生という方とバージルさんはご家族とか恋人とかなんですか?」

 

 そこまでバージルについて詳しいのだからそういった関係なのだろうか、と思ったアメルがその疑問を口にした。

 

「うーん、どうなんだろう?」

 

「……たぶんそれに近いと思います。付き合ってはいないみたいですけど、一緒に暮らしているって話でしたから」

 

 アティはバージルと良好な関係を築いているが、家族とか恋人ではなく昔からの友人とかでもおかしくはないため、ハヤトは答えることはできなかったが、以前にそんな話をアティから聞いていたクラレットは答えることができたのだ。

 

「あ、そうなんですか」

 

 アメルが感心したような声を上げた。そもそも、あの見るからに気難しそうなバージルと一緒にいる時点で、知人程度の関係だとは思っていなかったので、クラレットの言葉には妙に説得力があった。

 

「しかし、ああいう人と一緒ってすごいなあ」

 

 ネスティ以上に気難しそうなバージルとの共同生活を想像したマグナは、素直にアティを称賛した。少なくとも自分だったら、一日二日ならまだしもひと月と共に暮らすことはできないだろう。

 

「……って言うか、本当に付き合ってないの? 二人ともいい年なんだからもっと進んでてもいいと思うんだけど」

 

 本人がここにいないにも関わらず下世話な話をすることに悪いなと思いつつも、それ以上に好奇心が勝っておりハヤトはさらに尋ねた。

 

「どうでしょう? 私が聞いたのは二年前ですから、今は進んでいるかもしれませんし」

 

「まあ、二年あればいろいろと変わりますからね」

 

「まったくだ。本当にそう思うよ」

 

 マグナが苦笑しながら妙に実感のこもった言葉にハヤトが強く同意する。それはマグナもハヤトもこの二年で大きな変化があったがゆえの反応だった。その変化については互いに承知しているし、アメルとクラレットについてはそれぞれの相手方であるため、今更詳しく話すことはなかった。

 

「……でも、もしかしたら本当に進んでいるのかも知れませんね」

 

 クラレットが横を見ながら言っていることに気付いたアメルは、その視線を追っていくと彼女がそう言った理由がわかった。

 

 その先にあったのは腕を組んで歩くバージルとアティの姿だった。

 

「え? ……あ、そうかもしれませんね」

 

 アメルはバージルのことはともかくアティについては知らなかったのだが、クラレットの言葉から彼女が先ほどから話に出てきたアティだと思ったのだ。

 

「……やっぱり進んでたんだな」

 

「ええ、お似合いですね。邪魔しないようにしましょう」

 

「だな。馬に蹴られたくはないし」

 

 そしてハヤトとマグナの二人も同じようにバージルたちの姿を見つけた。あの様子だとデートでもしているんだろうと、あたりをつけた男二人は邪魔しないようにしようと確認し合った。

 

 もっともそれは、このあとすぐに破られることになるのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




少し長くなり過ぎたので分割します。続きは明日投稿予定です。

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第60話 ゼラム事変

 悪魔でありながら人の心を知り正義に目覚め、人間の側に立って魔帝率いる巨大な魔界の軍勢と戦った伝説の魔剣士スパーダ。そんな父と自分は似たような道を歩いているのではないか、そうバージルは思う時がある。

 

 バージルは悪魔として生きる道を選び、テメンニグルでの戦いを経てこのリィンバウムへと辿り着いた。そこでアティと出会い、そして守るべき存在を得た。全くの同一ではないものの、人と触れ合うことで変化したという点では共通している。

 

 もちろんバージルは父のように生きようと思ったわけではないのにもかかわらず、ここまで類似しているのはやはり親子だからだろうか。

 

 とはいえ、共通点ばかりではない。最も大きな違いは、バージルは人のために戦うことはないということだ。スパーダは人を守るために魔帝と戦ったが、バージルはアティを守るために戦っても、人という存在の全てを守ろうとは思えないのだ。

 

 これはバージルがサイジェントのいた頃も、僅かに考えていたことではあったが、実際にアティへの想いを自覚した後でも、それは変わらなかった。

 

 果たしてスパーダが見出した「人間を守る理由」とはどんなものなのか。バージルはそれを知りたいと強く思った。それは伝説の魔剣士の血を引く者としてだけではなく、父と同じ道を歩んでいる子としても知りたかったのだ。

 

「……二年前、貴様らも戦っていたそうだな、なぜだ?」

 

 バージルはそのために、まず人が戦う理由を知っておくべきだと考えた。スパーダもそんなところに影響を受けた可能性も捨てきれないためだ。

 

「いや、なぜって言われても……」

 

 その対象となったハヤトとマグナは顔を見合わせながら困惑気味に言葉を濁した。バージルの言葉だけではどう答えればいいかわからなかったのだ。

 

 そもそも、この二人がバージルと話すことになったのは、ある意味ではクラレットとアメル、アティが原因だった。

 

 

 

 導きの庭園でバージルとアティを見つけたハヤト達は邪魔をしない方向で考えていたのだが、逆にアティの方から声をかけられたのが始まりだった。

 

 それからどうも、クラレットやアメルはアティと意気投合したようで、三人で屋台の方を見て来ると言って行ってしまったのだ。一応、すぐに戻ってくるとは言っていたが、それでもあまり話したことがないバージルと一緒にいるのはなかなかに厳しいものがあった。

 

「あの戦いは全て騎士団や派閥に任せても問題はなかったはずだ。にもかかわらず貴様らは悪魔と戦った。その理由だ」

 

 このあたりは蒼の派閥からの報告書から得た情報だ。それによるとハヤトやマグナ、クラレットとアメルは初期に大平原にいたものの、その後は禁忌の森と称されるアルミネスの森にある遺跡でサプレスの大悪魔メルギトスを倒したのだ。こんな危険なことどれだけの大金を積まれても引き受ける者はいないだろう。

 

「……あなたは知っていると思いますけど、俺の祖先は許されないことをしました。だから、俺にはそれを全部終わらせる責任が、全ての元凶のメルギトスと決着をつけなければならなかったんです」

 

 マグナの祖先が何をしたかは以前に当のマグナからも聞いているし、あのおとぎ話が書かれた蒼の派閥の本もその話を裏付けていた。ただ、その黒幕があのメルギトスだったということは初耳だった。

 

 バージルが知るメルギトス、ひいてはレイムは自分より弱い相手に強く出る典型的な小物のイメージのしかなかったので、マグナの言葉には少しばかり驚いていた。

 

「祖先が許されないことをしたとは言っても、貴様には関係ないはずだ。……向こうから仕掛けてきたのなら別かもしれんが、わざわざ自ら動く必要はないだろう」

 

 祖先のやったことが自分に影響を及ぼす。それ自体はスパーダの血族として、二千年経った今でも悪魔に忌み嫌われるバージル自身の経験もあり理解もできるが、マグナはそうではなかったはずだ。例えばメルギトスがかつてのムンドゥスのように、マグナ自身を害そうとしたのなら戦う理由はあるだろうが、そうでないなら顔も知らぬ祖先の尻拭いをする必要などないはずだ。

 

「確かに今の俺には責任はないって言われましたけど……それでも、その時の因果が今も仲間を苦しめているのに、何もしないなんて選択、俺にはできませんでした」

 

 召喚兵器(ゲイル)を開発したライル一族の生き残りであり、融機人(ベイガー)としての特性から全ての記憶を受け継がなければならず、また迫害もされてきたネスティ。そして豊穣の天使のアルミネの魂の欠片が人の形をとって生まれたアメルは、メルギトスの謀略によって生まれ育った村を滅ぼされた。

 

 どちらもクレスメントが犯してしまった罪の因果に巻き込まれたのだ。

 

 これが自分だけならまだしも、大切な仲間も望まぬ運命に苦しんでいるというのは、どうしても見過ごすことなどできなかったのだ。そもそも、マグナが過去の罪を知った時にはもう事態は差し迫っており、何もしないという選択をするのは事実上、不可能だったが。

 

「自分ではなく、仲間のため……」

 

 バージルはぽつりと呟いた。他者のために戦う。それ自体はいくつもの創作物でも取り上げられているように、人間の戦う理由としてはある意味ではありきたりなものかもしれない。

 

 だが、己の欲望のままに振舞う悪魔にとってはまずありえないことなのだ。

 

 しかし、その悪魔であるスパーダは人間のために戦った。

 

 それを考えるに、やはり父は人の感情を理解し己のものにしていたのだろう。実際、バージルが知る父も滅多に顔には出さないものの、二人の息子に対しては人間らしい愛情もって接していたのだ。

 

 バージルがそんなことを考えていると、ハヤトが口を開いた。

 

「俺はマグナみたいに特定の誰かのためってわけじゃないけどさ……。この力は与えられたものだから、その責任は果たさなくちゃいけないと思って戦ってきただけなんだよ」

 

 力には責任が伴う。ハヤトはそのことをこの世界に召喚された時から自覚していた。ただの高校生でしかなかった自分では持ちえなかった力を、使いようによっては容易く人を殺すこともできる力を持った時から。

 

 それは界の意志(エルゴ)から力を授けられてからも変わらなかった。むしろ、より強力な力を得たことによる重責を感じていたほどだ。

 

「二年前の戦いもその責任を果たすため、ということか?」

 

「それもあるけど、それだけってわけでもないんだ。……実際のところ、ああいう悪魔は許せないし、マグナ達も放ってはおけなかった。……結局、俺はその場その場で正しいと信じることをやってきただけなんだよ」

 

 とは言うもののハヤトが力を振るう相手は、原則リィンバウムに過剰に干渉し害をもたらす異世界の相手だけだ。これは初代誓約者(リンカー)が結界をこの世界に張った理由と、界の意志(エルゴ)がそれをハヤトに力を授けてまで修復したことを考えれば、至極当然のことなのである。

 

(責任感だけではなく、正しいと信じること、か……)

 

 言葉だけなら簡単に言えるが、それで危険を顧みず戦える人間は決して多くはない。それができるハヤトという人間は勇敢で善良なのだろう。

 

「……ところでバージルさんは?」

 

 おそるおそるといった風にマグナが問い掛けた。

 

「……悪魔を殺すためだ」

 

 バージルの言葉は確かに事実ではあったが、少なくとも二年前の一連の戦いでこの男が本気で殺しにかかった相手はベリアルだけだった。

 

「あの、どうしてそこまで?」

 

「…………」

 

 マグナの言葉を聞いたバージルは答えるつもりはないとばかりに顔を逸らした。彼が悪魔を殺す理由を話したのはアティとポムニットだけだ。その二人ほど親しければ話してもいいだろうが、少なくとも今のマグナやハヤトはそうではない。

 

 彼らにばかり聞いて不公平ではあるが、それでも話すつもりがないところはある意味彼らしいと言えるかもしれない。

 

「あー、二年前といえば一つ聞きたかったがあったんだ!」

 

 この冷たくなった空気を何とかしようとハヤトが声を上げた。

 

「何だ?」

 

「あのさ、メルギトスに何か仕掛けをしたことってある? あいつ俺達と戦っていた時に勝手にボロボロになっていったんだけど……」

 

 それはもう二年も前に終わったことだが、ずっと心の片隅に引っかかっていたことだった。

 

 あの時はメルギトスも自身の体に起きたことが信じられないような悲鳴を上げていたのだ。ハヤトが知る限りそんなことをできそうなのはバージルしかいなかったため、この機会に尋ねてみたのだ。

 

「……いつの話かは知らんが、俺は何もしてはいない」

 

 バージルとて広範囲に渡って繰り広げられたあの戦いの全てを知っているわけではない。そのため自分がいなかった場所の状況についてはどうしても派閥の報告書頼みになってしまうのだ。しかし、それも正確な時間までは記載されていなく、結果として全体の時系列は把握できていないのが現実だった。

 

 それでもあの戦いの中でバージルが力を振るった相手の中にメルギトスはいなかったのは確かだ。もっとも、バージルがその魔王の相対していたのなら、彼はバージルと戦った悪魔と同じ末路を辿り、ハヤトやマグナと戦うことはなかっただろう。

 

「そりゃそうだけどさ。それにあの場には俺達もいたから、誰か来たらさすがに気付くだろうし……」

 

 それは自身を納得させるような言葉ではあったが、それでもハヤトは腑に落ちない様子だった。

 

「それにあの時のメルギトスは……なんて言うか、内側から弱っていくような様な感じだし……。やっぱりあの魔力が何か関係するのかなあ」

 

「魔力?」

 

「ええ、メルギトスが苦しみ出す直前、ゼラムから大きな魔力を感じたんです」

 

 聞き返したバージルにマグナが説明する。

 

 それを聞いたバージルには一つ心当たりがあった。

 

「……それは俺だろうな」

 

 ベリアルを相手にした時、バージルは難しいことなど考えずに心の、魂の叫ぶままに己の全ての力を解放し、真魔人へと変じた。その際に発生した魔力こそが彼らが感じたものだろう。

 

「え? でも、確かあの時は北の方に向かうって言ってなかったっけ?」

 

 ファナンで別れる前に聞いたことを覚えていたハヤトが疑問を呈した。

 

「そちらと国境近くの悪魔を始末した後に移動しただけだ」

 

「そんな簡単に言える距離じゃないんじゃ……」

 

 マグナの言う通り、帝国との国境からゼラムへの距離は決して近くはない。おまけに最短ルートを通るのなら激戦地となっていた大平原を抜けなければならなかったはずなのだ。

 

「やめとけ、マグナ。この人に常識は通じないって」

 

 半ば諦めたのかハヤトが投げやりに言う。サイジェントの時もこの男はいつの間にか戦場にいたのだ。おまけにあの桁外れの強さ。真面目に考えるだけ馬鹿らしくなったのだ。

 

「まあ、それで、魔力の源がバージルさんだとして、それがメルギトスにどう影響を与えたか、ですよね」

 

「そうだけど、俺たちは何ともなかったしなぁ……」

 

 もしバージルの放った魔力がメルギトスに影響を与えたとすれば、自分達も何らかの変調をきたして然るべきだと思うのだが、実際変化があったのはメルギトスだけだった。

 

 この時、もし二人にサプレスの悪魔について詳しい知識でもあれば、原因を理解することも可能だっただろう。しかし、ハヤトはそうした四界の生物についてはクラレット頼りであり、召喚師のマグナに至っては召喚術より剣術の方に力を入れていたのだから、推して知るべきである。

 

 二人はそれからしばらく考えていたが、結局、答えは見つからなかったようだ。

 

 

 

 

 

 同じ頃、アティ達女性陣は屋台で買った物を食べながら男性陣のもとへ戻っていた。

 

「どう? おいしい?」

 

 アティが尋ねる。自分がおすすめした屋台で買ったものだけにクラレットとアメルの様子が気になるようだ。

 

「ええ、特にこの甘すぎないクリームと果物の組み合わせがいいですね」

 

「とってもおいしいです!」

 

三人が食べているものはクレープだった。薄い生地でたっぷりのクリームとフルーツを巻いており、甘さ控えめのクリームが果実本来の甘味を見事に引き立てている逸品だ。

 

「よかった。口に合わなかったらどうしようかと思ったよ」

 

 ほっとしたような様子で手にしたクレープを食べる。

 

「そんなことありませんよ。いつもはほとんど甘い物は食べませんから、むしろこうしたものをおすすめしてくれて嬉しいです」

 

「あたしも甘い物なんてめったに食べないなぁ」

 

「ハヤト君とかマグナ君は食べないの?」

 

 一通りの紹介は既に済ませていたため、アメルとマグナの関係性については知っていた。

 

「マグナは甘い物は嫌いではないと思いますけど……」

 

 アメルが知る限りマグナが甘い物を食べたいと口にしたことはなかった。彼は特に好き嫌いもないため、甘い物も嫌いではないだろうが、そもそもアメル達が住んでいるレルム村ではそういった物も手に入りにくいのだ。

 

 なにしろレルム村は立地も悪く人も少ないため、元々あまり行商人が訪れない村なのだ。今は金の派閥の出資もあり、はぐれ召喚獣の移住先として再建してきているものの、立地という根本的な問題は解決していないため、自給自足の生活に変わりはないのである。

 

「ハヤトもそうです」

 

 クラレットはハヤトの好物がラーメンであることを知っていた。話自体は以前から聞いていたが、那岐宮市に行った際に彼に連れられてお気に入りのラーメン店に連れて行ってもらったこともあった。

 

 また、少し前にクラレットが手作りのお菓子をプレゼントした時、ハヤトはとても喜んで食べていたこともあり、少なくとも嫌いではないだろうと彼女は思っていた。ちなみにハヤトが喜んだのはお菓子をもらったからではなく、クラレットからプレゼントをもらったことが理由ではあるが。

 

「あ、そうなんだ。バージルさんも好きだから、てっきり好きな人が多いと思ったんだけど」

 

「……あの人も甘い物が好きなんですか?」

 

 見るからに不愛想で甘い物とは無縁そうなバージルが甘味好きだとは驚きだった。

 

「うん。これを買った店を選んだのもそうだよ」

 

「へ~、そうなんですか。ちょっと意外ですねぇ……」

 

 アメルは正直に答える。けれどもその言葉に全く嫌味を感じないのは彼女の人柄がなせるわざだろう。

 

「まあ、やっぱりそう思うよね。私もそうだったし」

 

 アティも苦笑しながら同意した。バージルが甘い物が好きなのを知ったのは二年前にゼラムに来た時だ。それまで長い間一緒に暮らしてきたにもかかわらずそれを知らなかったことには少し悔しさも感じたが、同時に好きな物があることに親近感を覚えたのも事実だった。

 

「……あの、バージルさんとはもしかして……?」

 

 アティのバージルに対するスタンスが、以前に会った時と異なっているように感じたクラレットは思い切って聞いてみることにした。

 

「えっと、……うん」

 

 アティは恥ずかしそうにしながらも、はっきりと肯定した。

 

「わあ、素敵ですね! おめでとうございます!」

 

「あ、ありがとう」

 

 今日初めて会った相手であるアメルからの祝意にお礼の言葉を返した。彼女のように素直に祝福の言葉のみを言われたのは意外と少なかった。島の多くの者にはようやくか、と呆れられつつの祝福だったのだ。もっとも、それだけアティが慕われている証ではあるのだが。

 

「やっぱりそうだったんですね。おめでとうございます」

 

「……やっぱり?」

 

 クラレットの言葉の一部に気になったところがあったアティは聞き返した。バージルとの関係は島の者以外には、アズリアを除いて話していないにもかかわらず、何故気付いたのかと疑問に思ったのだ。

 

「え? だって前に会った時よりとても仲良さそうにしていましたし……」

 

 どうしてそんなことを聞くのかと不思議がりながらも、クラレットは自分が感じたことをそのまま口にした。そしてアメルも続けた。

 

「ええ、そうです。 腕を組んでとても幸せそうでしたよ」

 

「うぅ……、い、一応、教師だし自分では気を付けてるつもりなんだけど……」

 

 恥ずかしそうに顔を赤らめながら言う。アティとしてはバージルとの関係は前進したとはいっても、彼女自身は前と比べてもたいして変わっていないと思っていた。確かに随分と優しくなったバージルに甘えてしまうことがあるのも事実だが、それでも人目のあるところでは自重しているつもりだったのだ。

 

「それだけ先生が幸せだってことです」

 

「ええ、そうですね。それにせっかくの旅行という話なんですから、わざわざ我慢する必要なんてないと思いますよ」

 

「そ、そうかなあ……」

 

 二人にそう言われ、アティは若干心が揺らいだ。彼女が甘えるのを自重しているのは、教師という立場にある自覚がそうさせているのだが、ここゼラムでは生徒はおろか島の者などいないのだから、クラレットの言葉通りここでは我慢はする理由がないのである。

 

(確かにここでなら少しくらい我慢するの、やめてもいいよね……)

 

 結局アティも心の奥ではもっと甘えたいと思っていたようで、もっともらしい理由さえあれば案外あっけなく自重しない方向に行くのも無理らしからぬことだったようである。

 

 そうして三人は歩きながら先ほどの場所を目指すのだった。

 

 

 

 

 

「ようやく来たか」

 

 いろいろと考えながら女性陣を待っていたハヤトとマグナはバージルの発した声で意識を現実に戻された。バージルの視線の先にはこちらに歩いてくるアティ達の姿が見えた。

 

「しかし、随分と時間かかったな」

 

「まあ……そうですね」

 

 実際のところ、移動時間や商品を見定める時間を考えれば妥当な時間だったのだが、バージルと一緒にいたハヤトとマグナにしてみれば実時間以上に長く感じたのである。

 

「お待たせしました……ってどうしたんですか?」

 

 戻ってきたアティが先ほどとは異なり、少し目つきを鋭くさせながら周囲を注意深く見回していたバージルに尋ねた。

 

「いや……」

 

 生返事を返しながらもバージルは辺りに目を配るのをやめない。その様子にハヤトとマグナも怪訝な顔で同じように辺りを見回した。

 

「何も、ないよな?」

 

「ええ……そうですね」

 

 そう確認し合った時、北の方、より正確には城のある方向から助けを呼ぶ声や悲鳴が聞こえてきた。

 

「今のって……!?」

 

 直感的にハヤトはそれこそバージルが周囲を見ていた原因だと悟り、詰め寄るように尋ねた。

 

「……ああ、悪魔だな」

 

 短くも的確な答え。しかしそれが意味することの危険性をマグナは悟った。

 

「悪魔……!」

 

 今は王城には聖王はいないとはいえ、その城の広場はゼラムでも賑わっている場所の一つだ。そんなところに悪魔が現れたのであれば、惨事を免れないだろう。

 

 故郷とも言うべきゼラムに危機が迫っていることを実感したマグナはアメルと視線を合わせ、そこへ向かうと決めた。

 

「早く行きましょう!」

 

 ハヤト達に急かすようにアメルが言うが、そこへバージルの制止の言葉が入った。

 

「やめておけ、もう騎士団が向かっている」

 

 騎士団が対応している場所に指揮系統が違うマグナ達が行っても余計に混乱するだけだ。事実、彼らは二年前も戦いでも同じ理由で、大平原で戦った聖王国の軍勢に加わらなかったことがあり、バージルの言葉に納得せざるを得なかった。

 

 しかし、バージルの言葉はそれで終わりではないようだ。

 

「……ただ、貴様らがどうしても悪魔と戦いたいのなら、向こうに行くことだ」

 

「向こうって、あっちにも現れたってことか……!」

 

 ハヤトがバージルの示した方向を見ながら口走った。ちょうどハルシェ湖に出るための港があるあたりだ。この時間に船の乗り降りが行われているかは、ハヤトには分からなかったが、それでも多くの人がいることは間違いない。悪魔は王城前に続き、また人が多くいるところに現れたのだ。

 

(まるでサイジェントの時みたいだ。……まさか、今も誰かが……!)

 

 三年前のサイジェントも一時は、今のように唐突に現れる悪魔に苦しめられていたのだ。その時は人為的に悪魔が呼び出されていたため、まさか今回も同じように呼び出していたのではないか、考えたのだ。

 

「なあ、もしかしてこれは――」

 

「ハヤト先輩、早く!」

 

 それをバージルに確認しようとした時、マグナに声をかけられた。確かに今は一刻も早く向かうべきだろう。少しでも多くの人を悪魔から助けるには初動がもっとも重要なのだ。

 

「っ、ああ!」

 

 それにハヤトにはバージルにわざわざ確認せずとも、彼ならば今回の悪魔の出現が人為的なものであるか、ということくらい分かるだろうという計算もあった。なにしろ、サイジェントの時もそうだったのだから。

 

「わ、私も……!」

 

 アティは彼らを手伝おうとしたのだが、バージルに腕を掴まれた。

 

「お前はここにいろ」

 

「ど、どうしてですか!?」

 

 今は少しでも早く悪魔を倒すべきではないのか、と言いたげにバージルを問い質した。

 

「まさかこれで打ち止めだと思っているのか?」

 

「……え? まさか、これって……?」

 

「ああ、これでは終わらんだろうな。……悪魔を呼んだ奴らの目的は知らんが」

 

 話の趣旨を理解したアティに言う。武闘大会が開催されている今日という日に悪魔を召喚したのは偶然か、それとも何か目的があってのことなのか、それはバージルにも分からない。

 

「……分かりました。今は待ちます」

 

 それでも現状のところは騎士団とハヤト達で最低限の対応ができているため、とにかく今は次の動きを待つことにした。彼にしても、下級悪魔程度なら他の者にくれても惜しくはないため、待つことに抵抗はないようだ。

 

「…………」

 

 アティは何もできない無力感からか、無言でバージルの腕を掴んでいた。そんな彼女にバージルが彼なりの励ましの言葉をかけた。

 

「どうせすぐに出番は来る。今は大人しくしていることだ」

 

 言いつつ、バージルは心中で思った。――島から出ると必ず何かに巻き込まれるな、と。それがただの偶然か、それともスパーダの血によるものか、はたまた自分自身の宿命なのか、それは分からない。しかし何であろうと、こんなくだらないことで暗い顔をしているアティのためにもさっさと片づけようとバージルは心に決めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




やっぱり何も起こらないわけありませんでした。バージルいるところ事件ありと言ったところでしょうか。

さすがに某名探偵ほどではないでしょうが。

ちなみに次回更新は10月8日(日)頃を予定しています。

ご意見ご感想や評価等お待ちしてます。

ありがとうございました。


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第61話 炎獄、再び

 ゼラムに現れた悪魔への対抗戦力として派遣されたのは、王城を警備する騎士の一部と今日の武闘大会の警備には参加せず、もしもの時のために待機を命じられた騎士達だった。ただ、二年前の戦いで失われた戦力をいまだ完全に補充できていないゼラムの騎士団は、これで予備戦力のほぼ半数を派遣した形になる。

 

 できるなら悪魔へ対抗するために送り出す騎士の数も可能な限り少なくしたかったのだが、現れた悪魔は両の手足の指では数えられない程であるため、確実な殲滅のためにも戦力を出し惜しみは出来なかったのだ。

 

 その上さらに、ハルシェ湖畔にも悪魔が現れたという情報が入ったのだから、これで騎士団の予備戦力はほぼ失われたと見ていいだろう。そして以後、騎士を増派するには武闘大会の警備要員を割かなければならなくなったのである。

 

「今のところ新たな悪魔はなし、か」

 

 悪魔の魔力を探っていたバージルが、その結果を口にした。ハヤト達がハルシェ湖畔の悪魔に向かってから僅かばかりの時間が経過していた時だ。

 

 バージルとアティは手近なベンチに腰を落ち着け、状況の変化を待っていた。王城前の広場とハルシェ湖畔に現れた悪魔によって齎された恐怖と混乱が二人のいる導きの庭園にまで広がってきたのだろう。周囲の雰囲気もこれまでの落ち着いたものから、どこか焦燥を感じさせるものへと変わってきている。

 

 庭園にいる者達は不安げな表情を浮かべながら足早に住宅街の方へ向かっていた。家に帰ろうというのだろう。

 

「一体、誰が……」

 

 すぐにでも動きたい気持ちを抑えながらアティはずっと気になっていた疑問を口にした。

 

「普通に考えて無色だろうな。悪魔を召喚する技術は三年前の時点で奴らしか持っていなかったはずだ」

 

 バージルは口にしなかったが、蒼の派閥の依頼で向かった館でその召喚の術式が書かれた紙を見つけたことがある。そこに住んでいた召喚師はその時既に悪魔に殺されていたため、その入手経路については不明だが、今回も無色の派閥からその技術が漏れた可能性は否定できない。

 

 ただ、そうした技術は召喚術と同じように秘伝となっている可能性が高く、そう簡単に漏洩するとは思えなかったのだ。

 

「無色の派閥……でも、なんで……?」

 

「何を言っている、奴らの目的は世界を作り替えることだったはずだ。ならば敵対勢力を滅ぼすのは当然だろう」

 

 忘れたのかと言わんばかりに言い放った。

 

 ただ、実のところ今の無色の派閥に本当にその目的を果たせる力があるのか、と問われれば疑問符をつけざるをえないだろう。二十年近く前からバージルの手で各地の拠点を潰され、それでもようやく少しずつ勢威を取り戻してきたと思ったら、今度はその立役者のオルドレイク・セルボルトも殺害されたのだ。

 

 正直なところ、今の無色の派閥は落ち目なのである。

 

「それはそうなんですけど、どうして今になって……」

 

 気になるのは、なぜ今日という日に実行したか、ということだった。ゼラムの防備が薄い時を狙うのならば二年前の戦いの直後のほうがいいだろうし、人が多い時を狙うのならわざわざ騎士の大半が大劇場周辺で警備あたっている今日よりも、各国から大勢の人が集まる建国の祭りの日を狙った方がいいのではないかと考えたのだ。

 

「さあな。何か理由があるのかもしれんし、たまたま準備が整ったのが今日だった、というだけかもしれん」

 

「…………」

 

 もし自分が悪魔に襲われた人々の立場なら、どんな理由を並べ立てようと受忍することなどできないだろう。それゆえ、今まさに被害にあっているだろう人々のことを考えると辛いものがあった。

 

「なんであれ、深く考えても無意味だ。どうせすることは変わらん。……俺も、お前も、な」

 

 お前は自分の為すべきことをすればいい、その気持ちを込めてバージルは言った。辛そうな顔をしていたアティはそれを聞いて、大きく息を吐いた。

 

「……はい、大丈夫です」

 

(そう言っても、実際のところ怪しいものだな)

 

 他人の苦しみを自分のことのように感じ、悲しむことができるアティは人間として好ましい感性を持っていると思う。しかし、それがあるために彼女は少しでもその苦しみを減らしたくて、自分で背負い込もうとしているのではないかとバージルは考えていた。

 

 心中で彼女への疑惑の言葉を呟いたのもそのためだった。バージルにしてみればアティには自分のことを考えて欲しいと思う一方、そういう考え方をずっと通してきたのがアティという人間であり、そんな彼女だからこそ自分が守るべき存在であるとも思っていたのである。

 

「…………」

 

 そんなことを考える自分自身をバージルはふっと鼻で笑った。

 

 思えば随分と変わったものだ。これまで誰かを守ろうなどと思ったことは一度としてなかった。いや、ともすると母や弟を守れなかったあの日から、守る資格などないものと思い込んできたのかもしれない。

 

 そんな自分がここまで変わることができた大きな一因はやはりアティだろう。最初はこの世界で初めて会った人間という程度の認識だったが、いつの間にかなくてはならない存在へと変わっていた。

 

 それをはっきりと自覚したのは二年前だが、もしかしたら三年前に界の意志(エルゴ)の申し出を蹴ってリィンバウムに残ると決めた時、あるいは己を見つめ直すきっかけを与えられた時から、既に無意識にでも自覚していたのかもしれない。

 

 そんなふうに考えているとバージルは唐突に悪魔の魔力を感じた。

 

「繁華街の近く……来たな」

 

 場所は現在のゼラムで最も込み合っているだろう繁華街付近の、正門から導きの庭園まで通じる大通りだった。おまけに現れた悪魔の数も前の二箇所より多い。これだけで判断しても商店街に現れた悪魔が本命である可能性は高いだろう。

 

「っ! 早く行きましょう!」

 

 ベンチから立ち上がって今にも走りだしそうなアティがバージルを急かした。

 

「向こうは混雑しているはずだ。上から行くぞ」

 

 バージルも繁華街に向かうこと自体は反対ではない。しかし、そこにいるだろう人の数と悪魔が現れたことによる恐怖で、現地は混乱の極みにあることは間違いない。おまけにその周辺も離れようとする人々で通ることもままならないだろう。そのため、スムーズに繁華街に辿り着くには建物の上を通るのがベストだと考えたのだ。

 

「わかりました!」

 

 返事と共にアティは果てしなき蒼(ウィスタリアス)を抜いた。さすがに素の状態のアティでは建物の屋根まで跳び上がれるだけの身体能力はないため、魔剣の力でそれを強化したのだ。

 

 彼女が抜き放った果てしなき蒼(ウィスタリアス)は、かつての碧の賢帝(シャルトス)とは全く別のものとなっていた。真魔人となったバージルの魔力を間近で浴びて再生したのだから当然と言えば当然なのだが、もはや魔剣というより魔具といった方が適切かもしれない。共界線(クリプス)から魔力を引き出せる能力は残っているものの、剣自体にも強力な魔力を帯びているのである。

 

「…………」

 

「? どうかしました?」

 

 姿が変わった自分を無言で見ているバージルのことが不思議に思ったアティはその疑問を口にした。

 

「その姿は変わらないんだな」

 

 言葉通りアティの姿はこれまで抜剣した時の姿と変わっていなかった。強いて言えば宿る魔力が強くなったためか、これまで白くなるだけだった髪や肌がほんの僅かに青みがかかったくらいだ。正直、魔剣が別物と言っていいほど変化したという話なのだから、抜剣した時の姿ももっと大幅に変わると思っていたバージルにしてみれば肩透かしをくらった気分だった。

 

「まあ、元々バージルさんの魔力は宿っていましたし……」

 

「……そういえばそんなこともあったか」

 

 アティが口にした言葉を聞いてバージルはその時のことを思い出す。彼女がこれまで持っていた碧の賢帝(シャルトス)も、一度はバージルが砕き、そして再生させたことがあった。その頃はアティと会ったばかりのことだから、もう二十年以上前のことになる。

 

「あの時は驚きました。粉々になったはずの剣をバージルさんが持っていたんですから」

 

 微笑みながら言うアティにバージルが冷静に言葉を返した。その間にも二人は導きの庭園から出て、繁華街に向かっていた。

 

「……確かその時は泣いていたはずだが」

 

「あはは……、ごめんなさい。情けないところを見せちゃって……」

 

「かまわん。お前のおかげで俺も得るものがあった」

 

「え?」

 

 思わず聞き返した。その時はアティ自身も精神的に追い詰められていたため、バージルからは貰ってばかりで彼に何かをしてあげたことはなかったはずである。

 

「わからんのならそれでいい。……それに、いちいち言うべきことではない」

 

 その時のアティから聞いた言葉で、バージルは母が身を挺してまで自分達を守った理由を悟ったのだ。それは彼の言葉通りわざわざ口に出すような言葉ではなく、バージル自身もつい最近まで自覚できなかったもの。

 

「はぁ、そうですか……」

 

 腑に落ちない様子だが、もう目的地も近いためそれ以上追求するつもりもないようだ。建物の上を屋根伝いに来たため、スムーズに移動できたが、その眼下では一目散に逃げる者、人波をかきわけながらはぐれた家族や友人を探す者などでひどく混雑していた。

 

「あれまで行くぞ。ついてこい」

 

 バージルも話はここまでにして、悪魔の現れた場所の近くで比較的高い建物を示した。まずは全体の様子を確認する腹積もりだった。

 

 

 

 

 

 それより少し前、アズリアとイスラも大劇場へと向かっていた。蒼の派閥で用を果たして出てきてすぐに、悪魔が現れたという話が入ってきた。悪魔が現れること自体は帝国でも決して珍しくないことではあるが、アズリアはそこに作為的なものを感じた。

 

 それは以前にイスラから無色の派閥で悪魔に関する研究を行っていた者がいるという話を聞いていたからかもしれない。そのためか彼女は、半ば直感的に現れた悪魔は陽動だと思ったのだ。

 

 そしてそれと同時にアズリアは現在、聖王がいるという大劇場の方へ足を向けた。彼女は聖王国の兵士ではないが、だからと言って暗殺されそうな者を見殺しにすることなどできなかったのだ。

 

 しかし、大劇場に行く途中で繁華街にも近い大通りでも悪魔が現れたようで、逃げ惑う人の波に押され思うように進めないでいたのだ。

 

「イスラ! お前は先に行ってくれ!」

 

 周りの悲鳴にかき消されないように腹の底から声を上げた。アズリアは人の流れに逆らいながら少しずつ進めてはいるものの、このペースでは大劇場に着くまでにどれだけかかるかわからない。そのため、弟を先に行かせることにしたのだ。

 

 イスラは何でもそつなくこなす要領の良さがある。無色の派閥の命令とはいえ、若しくて帝国の特務軍人になれるだけの才能は持っているのだ。そんな弟ならこの人波の中でもうまく大劇場までたどり着けるのではないかと考えたのだ。

 

「はいはい、分かったよ。まったく、人使いが荒いんだから……」

 

 姉には聞こえないように愚痴をこぼしながら、言葉を受け取ったことを知らせるため軽く手を振った。

 

 そしてイスラは人並みの中に消えていった。この状況で流れに逆らっても無駄に疲労がたまるだけだ。それよりも多少遠回りになろうが、人の数が少ないところを進んだいいと判断したのである。

 

「頼んだぞ……」

 

 もうどこにいるのかも分からなくなったイスラへの言葉を口にする。とはいえアズリアは大劇場に向かうのを諦めたわけではない。すれ違う人々に訝しむような視線を向けられながらも、彼女は一歩一歩前へ進んでいた。

 

 そんな状況が少しの間続いたのだが、唐突に遠くの方からざわめきが聞こえてきた。

 

「む……!」

 

 それから少しの時間を置いて、繁華街の方から逃げてくる人の勢いが強まったように感じた。同時に恐怖と混乱が伝染するように広まっているように見えた。

 

(まさか、また悪魔が現れたのか……?)

 

 それならばこの状況も説明がつく。さらに悪魔が増えるなど戦う力を持たない者にとっては、まさに悪夢以外の何物でもないのだ。

 

「くっ……!」

 

 さすがにこの状況では前に進むことも難しく、とりあえず壁際に身を寄せた。

 

「あれは……」

 

 その時、アズリアの視界に抜剣し姿を変じたアティとバージルが映った。さすがにゼラム全体にまで波及したこの騒ぎに気付かないはずもなく、アティの性格から考えても放っておけずここまで来たということだろう。

 

「アティ!」

 

 二人の協力を得られれば心強いと考え、声をかけることした。せっかくの二人きりの旅行に水を差して悪いとは思うが、この事態を鎮静化しなければ二人の旅行もままならないのだとアズリアは自分に言い聞かせた。

 

 彼女の声はアティには聞こえなかったが、バージルには届いていたようで、彼がこちらに視線を向けた。アティもそれに釣られるように大劇場の方向からアズリアの方へと視線を移した。

 

 こちら存在を気付いてもらえるように大きく手を振りながら叫んだ。

 

「大劇場が狙われている! 頼む!」

 

 いくら周囲の人々は自分のことで精一杯に見えようと、さすがに聖王が暗殺されようとしているなどと叫ぶことはできなかった。

 

 それでもアズリアの言わんとしていることはバージルには伝わったのか、アティに向かって何やら喋っている。二人とは高低差を含めかなりの距離があるのと、周囲の話し声や物音が大きすぎて何を話しているかは聞き取れなかった。

 

「頼んだぞ」

 

 それでも真剣な顔つきで話す二人の様子にアズリアは自分の言葉が伝わったことを確信していた。

 

 

 

「アズリアはなんて?」

 

 建物の上から人波の中にアズリアがいることをバージルの視線から教えられ、彼女が必死な顔で何か叫んでいたのはわかったが、一部しか聞き取ることはできなかった。周囲の雑音が大きすぎたのだ。

 

「『大劇場が狙われている』だそうだ」

 

 それでもバージルが聞き取れていたおかげで、アズリアの放ったメッセージは無事にアティに伝えられた。

 

「大劇場……?」

 

「聖王が狙いだろう」

 

 ここまで大規模に動いたのだから狙いもそれ相応の人物に違いないとバージルは前から考えており、今大劇場にいる者の中で、最もそれに相応しいのが聖王なのである。

 

「それじゃあ、聖王暗殺、ってことですか……!?」

 

「ああ。もっとも暗殺と呼ぶにはいささか派手すぎるな……、それに悪魔も現れたようだ」

 

 暗殺というのは対象の不意を突いて殺害するものだ。それゆえ殺害する際はともかく、それに至るまでは警戒させないように平静を保つのが基本である。しかし、今回の聖王暗殺を狙う者達はその基本すら守っていない。

 

 たとえ悪魔の召喚が戦力を分散させるための陽動であろうと、これだけの混乱を引き起こせば、聖王周辺の守りを固められることは目に見えている。そうなってしまえば、陽動によって薄くなった周囲の警戒網を突破することはできても、肝心の暗殺の難易度は上がってしまうのだ。

 

 おまけに悪魔も現れたのだから守りはより強化されただろう。もしかしたら大劇場から避難も検討されているかもしれない。

 

「っ……」

 

 アティは逡巡するように眼下で混乱しながらも逃げ惑う人々と、大劇場に交互に視線を向けた。自分がどちらに行くべきか迷っているのだろう。大劇場に行ってしまえば悪魔に襲われている人々を見捨てることになるし、残るのなら聖王、ひいては大劇場にいる大勢の人々が危険に晒されることになる。

 

「向こうには戦える人間がいるだろう。まずはここからだ」

 

 いつの間にか背に無骨な大剣を背負っていたバージルが言った。彼にしてみればアズリアの言葉に従、いつ敵が現れるか分からない大劇場に行くより、現に悪魔が現れているここに残ったほうがいいと判断しただけだ。

 

「……はい」

 

「悪魔は俺がやる。お前は人間を追うやつだけをやれ。」

 

 それに少しでも被害を減らしたいアティの立場を汲んでバージルはそう提案した。彼我の能力からアティが残るよりバージルが残って悪魔と戦う方が被害は少なくなると考えたためだ。

 

「……分かりました。お願いします」

 

 アティはバージルの方を見て、口を開く。バージルの考えがどこまで彼女に通じたかは分からないが、それでもバージルの提案を受け入れる決断を下したようだ。

 

 そして、その言葉を実行に移すべく建物から飛び降りた。

 

(さて、こちらも始めるか)

 

 それを見送ったバージルはまだ視界に入らない悪魔達の方へ視線を向ける。周りより高いところにいるとはいえ、他の建物が視界を遮っていて悪魔の姿はいまだ見えないのだ。

 

 背中から無骨な大剣「炎獄剣ベリアル」を抜く。二年前に大悪魔ベリアルを屈服させ手に入れたこの魔具だったが、それ以来戦いらしい戦いはなかったこともあり、ほとんど使ったことはなかったのである。

 

 それが今回悪魔の相手をするということで久しぶりに使ってみようと思ったのだ。

 

 ベリアルを手に下げたまま、今の場所から悪魔を視界に入れられる場所へ飛ぶ。アティのように悲鳴と怒号が飛び交い混乱する大通りに降りる気になどバージルにはなれなかったのだ。

 

 そして目標の建物に着地したバージルは暴れまわる悪魔に視線を向ける。現れた悪魔はやはりスケアクロウとセブン=ヘルズだった。ただ何体かのスケアクロウは体代わりの袋に悪魔の本体である魔界の甲虫が大量に入ったのか、袋がはち切れんばかりに大きくなっていた。おまけに身に着けている刃物も手当たり次第に数を増やしている。そうした特徴からこの悪魔はメガ・スケアクロウと呼ぶのが適切だろう。

 

 セブンヘルズはヘル=ヴァンガードなど強力な存在はいないが、赤い服を着て素早い動きが特徴のヘル=ラストが多いようだ。

 

 膨れ上がったスケアクロウは刃物ついた体を回転させ突進することで人々を次々と惨殺し、ヘル=ラストもその身軽さで次々と人々を手にした鎌で殺害している。

 

 人々は少しでも悪魔から離れようと導きの庭園の方向に逃げる者と正門へと逃げる者に分かれており、悪魔も二手に分かれてそれらを追おうとしているようだった。

 

「…………」

 

 その様子を見たバージルは正門側に着地した。庭園側にいるアティと合わせて悪魔を封じ込める配置となった。

 

 降り立った場所からは殺された人々や抵抗するも返り討ちにあった騎士の死体や、そこから流れる血で赤く染まっていた。ただ、悪魔はそれらの死体には目もくれない。どうやら死体には興味がないらしく、逃げ惑う人々に殺到しているようだった。

 

 バージルは炎獄剣ベリアルに魔力を込める。ただの岩石を削り出したような大剣が炎を纏う。

 

 バージルの発した魔力に反応したのか、人々を襲っていた悪魔は一斉にバージルに向き直った。いくらまともな知性すら持たないスケアクロウやセブン=ヘルズでも、己を脅かす存在を無視して獲物を追い回すほど愚かではなかった。

 

「Come on」

 

 言葉と共にベリアルを地面に突き刺す。すると逃げる人々と悪魔を分断するかのように炎の壁が上り、周囲の空間からバージルと悪魔を隔離した。アティには人間を追う悪魔を任せると言ったが、そもそもバージルは悪魔を逃がすつもりなどなどなかったのだ。実際、何体かの悪魔はゼラムの民を追おうとしていたようで、炎に巻き込まれ焼き尽くされた。

 

 そのまま近くにいたメガ・スケアクロウに向けてスティンガーを繰り出した。

 

 深々と突き刺された悪魔はベリアルの纏う炎が燃え移り、火達磨となったままビリヤードボールのように他の悪魔へと衝突し、炎はどんどん他の悪魔へと燃え移り広がっていった。

 

 その様子を尻目にバージルはベリアルに魔力を込めて、回転させながら空中に放り投げた。バージルの意志を受けて悪魔群れの中心で止まったかと思うと、ベリアルは炎の竜巻を巻き起こした。ラウンドトリップである。

 

 自然に発生する竜巻に比べれば随分小さいが、その破壊力はバージルが作り出した炎の竜巻の方がずっと大きい。とはいえ、スティンガーや次元斬のように大悪魔でも致命傷を与えられる技と比べれば威力は相当に劣っているようだった。

 

 しかし、ラウンドトリップの長所は威力にあるのではない。バージルの意志で自由に操れる点と効果範囲にある。下級悪魔や中級悪魔が相手であればこれだけで殲滅できるほどの汎用性を持つのである。もっとも、そうした使い方をバージルは好んでいないが。

 

 当然、今回のようなスケアクロウやセブン=ヘルズが耐えられるようなものでもなく、次々と竜巻の中へ引きこまれ、剣自体に切り刻まれたり、炎に焼かれたりして殺されていった。

 

 頃合いを見てバージルはベリアルを呼び戻した。スティンガーで吹き飛ばしたメガ・スケアクロウとラウンドトリップによってあらかたの悪魔は片付いたようだ。

 

「あれが最後か……」

 

 視線の先にいたのは一体のメガ・スケアクロウだ。地面に突き刺した鎌のような刃物のおかげで、竜巻に引き寄せられないように踏ん張ることができたのだろう。

 

 そのまま悪魔は体を回転させ、バージルに向かって転がってきた。刃物が地面と擦れ火花が散る。これで何人もの人間を切り裂いてきた体格を生かした単純ながらも強力な一撃だ。

 

「Go to hell」

 

 バージルはベリアルを逆手に持ち替えて振り抜いた。それにより発生した斬撃はメガ・スケアクロウと激突し、容易く悪魔を両断した。本体が殺され勢いだけが残された刃物はバージルの両脇を抜け、いまだ残っている炎の壁に突っ込んで融解していった。

 

 全ての悪魔を殺したバージルは炎獄剣ベリアルを背中に戻した。同時に周囲を囲んでいた炎の壁もゆっくりと消失していく。

 

 それが完全になくなった時にはもうバージルの姿はどこに見当たらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 




次回更新は10月22日(日)頃を予定しています。

ご意見ご感想や評価等お待ちしてます。

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第62話 乱戦

 ゼラム中に悪魔が現れて少しの時が流れた頃、武闘大会の会場となっている大劇場を守る騎士たちは焦りながら各所を奔走していた。

 

 ゼラムに悪魔が現れたという話を聞いた彼らは、警備の人員を割いて対抗戦力を派遣するとともに守るべき王と王女を城に護送しようと考えたのである。

 

 城の前の広場にも悪魔が現れたという話も聞いているが、そちらには十分な数の騎士を派遣したし実際に、悪魔を駆逐しつつあり、という報告も受けている。それに大劇場は戦闘に向いた場所だとはお世辞にも言えず、最悪の事態を考えれば城に戻ったほうがいいと判断したのだ。

 

 しかし、その時に重要な問題が発覚した。王妃と王女は今も観覧席で試合を見ているようだが、聖王スフォルトの姿が見つからなかったのだ。

 

 それを知った時、騎士達は顔から血の気が引くような気がした。確かに聖王はエルゴの王が用いたと言われる「至源の剣」を扱えるため、強大な戦闘力を持っている。そのことは二年前の悪魔との戦いで聖王の指揮のもとで戦った騎士達もよく知っている。

 

 しかし、どんなに強大な力を持っていてもその使い手は普通の人間、それも肉体的にはとうにピークを過ぎたものなのだ。それを考えれば、人とはまるで違う悪魔を相手に不覚をとる可能性も否定できないのである。

 

 だからこそ、騎士達は必死で聖王の姿を探していたのである。

 

 

 

 同じ頃、トリスはネスティや護衛獣達、さらにはミニスとパッフェルにファミィを加えた大所帯でシャムロックとサイジェント騎士団の顧問ラムダの試合を見ていた。大劇場の各所では騎士達が聖王の姿を血眼になって探していたが、試合を見ていたためそれには気付いていなかった。

 

「え、何これ? どうしたの!?」

 

大劇場の上部にある貴賓席で、そこの窓に映し出された映像で試合を見ていた彼女達だったが、シャムロックが勝利し試合場を去った少し後、急に誰かが落ちて来て倒れ伏したのを見て、トリスが声を上げたのである。

 

 服装と落下の前後の状況から一般の見物客だと判断したが、それより目を引いたのが、服が赤く染まっていたことだ。まるで何かに切り裂かれたように。

 

「これは……観客席で何かが起きているのか……?」

 

 ネスティがずっと下の方にある観客席を凝視しながら言う。確かに人が落ちたであろう観客席の周りは混乱しているように見える。しかし、さすがに距離があり過ぎて詳細は分からなかった。

 

「っ! また……今度はあっち!?」

 

 今度は先ほどとは随分離れたあたりから同じように試合場に血を流した人間落ちたのが見えた。さすがにこう立て続けに起こったのではトリスも作為的なものを感じずにはいられなかった。

 

「あれは……悪魔、か? レオルド、君も確認してくれ」

 

「……確カニ、ねすてぃ殿ノ言ウ通リ、悪魔デス」

 

 ネスティに確認を求められたレオルドははっきりと答えた。このあたりはさすが機械兵士と言うべき判断の速さだった。

 

「なら早く行かなきゃ!」

 

 あんな人の密集しているところに悪魔が現れたのであれば大変なことになる。事態の深刻さを理解したトリスがそう告げてレオルドとレシィと共に部屋を出て行こうとした時、ネスティに呼び止められた。

 

「待つんだトリス、僕も行く」

 

「なら早く行こう!」

 

 急かすトリスの言葉を無視し、ネスティはマグナの護衛獣に顔を向けた。現れた悪魔が少数なら自分とトリス、それに彼女の護衛獣だけで片付けられるだろうが、もしものことも考えてマグナとアメルに状況を伝えおこうというのだ。

 

「……バルレル、ハサハ。二人はこのことをマグナに伝えてくれ」

 

「ケッ、分かったよ。……ったく、なんで俺がそんなメンドくせぇことを」

 

「いこ……」

 

「おいチビすけ、引っ張るなよ!」

 

 了承はしたがぶつくさと文句を垂れるバルレルをハサハが少し強引に連れ出していった。

 

「それじゃ行くよ、ネス! あ、二人はファミィさんのことをお願いね!」

 

 ミニスとパッフェルに向けた言葉の返事を聞く前にトリスは貴賓席から出て行ってしまった。それを見たネスティは「相変わらず忙しない奴だ」と思いつつも後を追って行った。

 

 後に残されたのは仲間外れにされたと憤るミニスとそれを宥めるパッフェル、そしてファミィはいつものような笑顔を浮かべながらも、どこか不安げな視線で窓の外を眺めていた。

 

 

 

 

 

 それから少し後のこと。ハルシェ湖畔の波止場に現れた悪魔はハヤトやマグナ達の活躍と騎士の応援もあって、駆逐されつつあった。さすがに被害はゼロとはいかなかったが、癒しの力を持つアメルの尽力もあり怪我人はみな快方に向かっていた。

 

「こっちはこれで終わりか……」

 

 ハヤトは大きく息を吐いた。波止場に着いた時は全ての悪魔を相手にしていたのだが、騎士の来援で多少は余裕が生まれたのと、アメルが怪我人の治療を始めたため、彼らは生存者の防衛に重きを置いて戦っていたのだ。

 

「みんな怪我はないよな?」

 

「ええ、あたしは大丈夫です。みなさんが守ってくれましたから。でも……」

 

 マグナの言葉に答えたアメルは顔を曇らせながら後ろを見た。そこには彼女が治療した人々が横になっていた。自力で動けるものはもうここを離れており、残されたのは意識を失っている者か、二度と目が覚めることはない者だけだった。

 

 いくら天使の生まれ変わりであるアメルでも、死人を蘇らせることはできないのだ。

 

「……仕方ありません。ここに運んできた時にはもう……」

 

 自分に言い聞かせるようにクラレットが言った。生き残った人を守るためにも、この港の一角に怪我人を集めようと提案したのは彼女だった。その際、倒れ伏している者は生死の確認をせずに連れてきており、アメルによる治療の前に命を落としていた者も少なからずいたのだろう。

 

「…………」

 

 そんな人達に少し頭を下げ、ハヤトは黙祷を捧げた。彼らを助けることはできなかったが、せめて彼らのために祈ろうと思ったのだ。

 

 ハヤトに続きマグナやクラレット、アメルも祈りを捧げる。生者が死者にできるのはどの世界でも祈るくらいしかないのだ。

 

「……さて、これからどうするか、だな」

 

「ですね。とりあえず大劇場に戻りますか?」

 

 本来であればバージル達と話した後には戻るつもりだったのだが、悪魔が現れたことによってその予定は崩れてしまっていたのだ。ネスティには叱責を受けるかもしれないが、一度戻った方がいいと思いマグナはその言葉を口にしたのだ。

 

「そもそも、まだ大会はやっているんでしょうか?」

 

 城の前の広場と今いる波止場、少なくとも二箇所に悪魔が現れ少なくない人が犠牲になったのだ。そんな状況で武闘大会を続行するだろうか、とクラレットは疑問に思った。

 

「あたしは先生やバージルさんが気になります。こんな状況だし……」

 

「まあ、確かに俺も気になるけどさ。バージルさんがいるし、心配はいらないと思うよ」

 

 マグナが答えた。バージルは自分たちに悪魔の現れた場所を教えはしたものの、彼自身もアティもこの場には来なかった。きっと何か理由があるのだとは思うが、バージルがいる以上、心配はしていなかった。

 

 ただマグナやアメルは、アティが戦っているところを見たことはなかったため、彼女の強さについては分からなかったが。

 

「そうそう。それにああ見えて、先生もかなり強いんだぜ」

 

「ええ、私たちは自分にできることをすればいいんです」

 

 その点、ハヤトとクラレットは三年前のサイジェントでアティの力を目の当たりにしている。彼女はああ見えて相当に強力な魔剣を所持しており、そこらの悪魔に後れをとることはないのだ。

 

「なら……あれ? バルレルにハサハ?」

 

 マグナが自分の考えを口にしようとした時、ゼラムの中心部に通じる道の先からバルレルとハサハの姿が見えた。

 

「こんなところに居やがったか……、探したぜ」

 

「おにいちゃん……たいへん、なの……」

 

「一体どうした? 何があった?」

 

 当惑した様子でマグナは思わず聞き返した。ハサハもバルレルも大劇場にいたはずだ。その二人が探しに来たということは、もしかしたら大劇場で何かあったのかもしれない。そう思った。

 

「ああ、少し前に悪魔が現れたんだ。……それでオレたちはメガネの野郎にテメエに伝えろって言われてよ。それでわざわざ探しに来てやったんだよ」

 

「悪魔!? そっちにも現れたのか……!」

 

 バルレルの説明を聞いていたハヤトが顔を顰めた。

 

「ちょっと待っててくれ、騎士の人たちに話してくる!」

 

 この場を離れるにしても残された怪我人のことは騎士達に話しを通さなければならない。そしてそれには確固たる身分を持っていないハヤトよりも、蒼の派閥の召喚師という肩書を持つマグナの方が適しているのだ。

 

 マグナは悪魔を殲滅し周囲の安全を確認している騎士に向かって走っていった。

 

(大劇場にも現れたってことはこれで三箇所か。……やっぱり誰かが呼び出しているんだろうな)

 

 手持ち無沙汰になったハヤトは頭の中で考えをまとめていた。ただついさっきまで戦っていた彼には、繁華街にも悪魔が現れたことは伝わっていなかったため、王城前と波止場、それに大劇場の三箇所で現れたものと思っていた。

 

 もっとも、広範囲に渡る魔力の探知能力を背景に戦況を正確に把握しているバージルが反則染みているだけで、ハヤトが直面している情報の不足は混乱した状況にはつきものなのである。

 

(どうする? この際、別々に動くか?)

 

 自問自答する。大劇場はマグナとアメル、それに二人の護衛獣に任せ、自分とクラレットは別行動をとるべきかと迷っていた。みんなの安全面を考えれば共に行動するのが一番だということは分かっているが、多少の危険を冒しても原因を探し出した方がいいとも思っていたのだ。

 

(……いや、まずは安全の確保が最優先だ。……それに、あの人もいるし)

 

 ハヤトが最終的に決断したのは安全を重視し、共に行動することだった。必要なら危険に身を晒すことを躊躇わない勇気を持つハヤトだが、同時にこれまでの悪魔との戦いで、彼らがどれほど油断ならない相手であるか骨身に染みていたのだ。

 

 またバージルの存在もハヤトに安全を重視させた要因の一つだった。いまだ底知れぬ力を秘めた彼が動いているのではないか、という期待があったのである。今回唐突に戦う理由を聞かれたことといい、アティとの仲といい、ハヤトの目から見てもバージルは変わっているように見えたため、そうした期待を抱いていたのだ。

 

 そして実際にバージルはハヤトの思った通り、悪魔を倒すために行動しているのも事実だった。

 

「話は通したよ。怪我人は騎士団で面倒みてくれるってさ」

 

「よかった……」

 

 マグナの話を聞いたアメルは安どの声を漏らした。

 

「急ぎましょう、劇場通りがどれほど混雑しているかわからないですし……」

 

「すごく……こんでるよ……」

 

「あんなところ二度と通りたくねえよ。少し遠回りになるけど、裏通りを行こうぜ」

 

 波止場から大劇場まで行くのならまっすぐ劇場通りを進むだけで着くが、実際にそこを通ってきたらしいハサハとバルレルは再び行くのは反対のようだった。

 

「わかった。裏通りにしよう。道は分かってるし俺が案内するよ、ついて来てくれ」

 

 マグナはバルレルの提案を採用し、先導するように前に出た。ゼラムで育ったためかマグナは主要な通り以外の地理も把握しているようだ。

 

 ハヤトは先導するマグナについて行きながら考える。

 

(でも、一体何で悪魔を呼び出したんだ……?)

 

 この時のハヤトは、まさか悪魔を呼び出した者達の標的たる人物とこの先で出会うことになろうとは思いもしなかった。

 

 

 

 

 

 召喚師が護衛獣をリィンバウムに留めておくためには、常時魔力を消費し続ける必要がある。従って召喚師の持つ魔力によっては、護衛獣にできる召喚獣には限界があるのである。通常は召喚師一人につき護衛獣一体という組み合わせではあるが、ネスティのようにそもそも護衛獣を持たない召喚師も少なくない。

 

 そんな中でマグナとトリスはそれぞれ二体の護衛獣を従えている。これは二人の内包する魔力が他者とは比較にならない程に膨大であることを意味している。当然持っている魔力が多いほど強力な召喚術が扱えるし、連続使用も可能なのだ。

 

 そしてトリスはその莫大な魔力を、大劇場に現れた悪魔に対抗するために行使していた。

 

「トリス、遠慮なくやれ」

 

 ネスティの声が試合場に響いた。彼らは上部の貴賓席からここまで降りてきていたのだ。悪魔が現れたのは試合場のすぐ上にある観客席なのだが、その出入り口は我先に逃げようとする人々で混乱していたため、試合場まで降りてそこからレオルドの銃撃やネスティの召喚術で悪魔を誘き寄せたのだ。

 

「よしっ、任せて! 来て、レヴァティーン!」

 

 トリスはこれまでの鬱憤を晴らすかのように、一つの召喚石に魔力を注ぎ込み召喚獣を呼び出した。彼女が召喚したのは霊界サプレスの召喚獣であり、力を求め竜へと姿を変えた天使レヴァティーンだった。

 

 その霊竜の口から放たれた魔力弾が、誘き出された悪魔達の中心に着弾、炸裂した。手足といくつもの羽を持つこのレヴァティーンはサプレスの召喚獣の中でも非常に強力な召喚獣であるため、影響範囲にいた悪魔は例外なく消し飛ばされた。

 

「……確かに遠慮なくやれ、と言ったが、ここまで派手にやるとは……」

 

 その光景を見ていたネスティが呆れを滲ませながら呟いた。レヴァティーンの魔力弾が着弾した周囲は小さなクレーターができており、砂も大量に巻き上げられ、砂塵として降ってきていた。

 

 さすがに観客席にまで直接的な被害はないものの、明らかにやり過ぎだ。あの悪魔をまとめて倒すにしても、もっと適切な召喚獣はいたはずだ。少なくともレヴァティーンは屋外など十分な広さを持つ場所で呼び出すべきだと思った。

 

「よし、終わり! ……って、あれ? そういえばシャムロックとかフォルテは?」

 

 先ほどまで悪魔のことで頭が一杯だったトリスだったが、こんな状況にもかかわらず大会に出場していたシャムロックやフォルテが一向に現れないことを不思議に思った。彼らなら真っ先に悪魔と戦うと思っていたのだ。

 

「もしかしたら、他の所にも悪魔が現れたのかもしれない。……念のため、他の場所も調べてみよう」

 

 試合場にいた悪魔は殲滅したものの、他の場所に悪魔が現れた可能性は否定できない。フォルテやシャムロックがいないのも、その悪魔と交戦しているのかもしれない。そんな予想が頭をよぎったネスティが提案した。

 

「うん!」

 

 トリスは大きく頷くといの一番に出口に走っていった。その後ろ姿を見ながらネスティは考える。

 

(先ほどの悪魔、偶然現れたとは考えづらい。狙いは恐らく陽動といったところか、だが……)

 

 こんなところで意図的に悪魔を呼び出すことをする者の狙いを推測するのは難しいことではない。しかし、ネスティが気になったのは別なことだった。

 

(悪魔を召喚した技術……少なくとも召喚術ではなかった)

 

 もし召喚術によって悪魔が召喚されたのだとしたら、自分かトリスが気付くはずだ。だが、実際には悪魔が現れるまで何の変化も感じ取ることが出来なかったのだ。したがって、悪魔を召喚したのは召喚術とは別の技術ということになる。

 

 だが、ネスティはその技術について、言いようのない不安を感じていた。

 

(本当にそれは、人が制御できるものなのか……?)

 

 ネスティはあの悪魔から、どの世界の召喚獣からも感じたことのない恐ろしさと嫌悪感のようなものを感じていた。そしてそれはきっと自分だけではない、とも思っている。誰もがあの悪魔には似たようなものを抱いているに違いない。

 

 だからこそネスティは憂慮しているのだ。そんな存在を呼び出せる技術は、果たして人の手でコントロールできるのか、いつか手痛いしっぺ返しを食らうのではないか、と。

 

「どうしたのー? 早く行くよー!」

 

「……ああ、今行く」

 

 トリスの声でネスティは思考から現実へと意識を移した。そして足早に彼女のもとへ歩いていく。

 

(たとえ相手が何であれ、するべきことは変わらない)

 

 いくら憂慮したところで悪魔の出現を抑えることなどできはしないのだ。今は自分の役目を果たすことを考えるべきだ。ネスティはそう己に言い聞かせるように胸中で呟いた。

 

 

 

 

 

 繁華街の悪魔を殲滅したバージルは、導きの庭園でアティを見つけた。どうやら彼女は庭園側に逃げた人々を守りながら一緒にここまで来たようだった。そして今は果てしなき蒼(ウィスタリアス)を納め、母親に抱えられた怪我をした子供を召喚術で治療している。

 

「向こうは片づけた。行くぞ」

 

「あっ、はい。こっちもすぐ終わりますから、もう少し待ってください」

 

 召喚術で呼び出したサプレスの天使に治癒のための魔力を供給しながらそう返す。バージルが見たところ、逃げている途中で転倒したことによる傷のようだった。ほとんどがうっすらと血が出る程度の軽傷のようだが、尖った石かガラスの破片のようなもので切ったような傷があった。まだ年端も行かない子供にとっては我慢し難い怪我だろう。

 

 とりあえずバージルはアティの邪魔をするつもりはなく、大人しく治療が終わるまで待つことにした。

 

「はい、これで大丈夫ですよ」

 

 治療自体は、ものの一分ほどで終わった。もう傷跡も全く残っていない。天使が扱う奇跡やなど魔力を使う技術は、即効性という点においてロレイラルや人間界における治療よりも優れており、こうした状況では非常に頼もしい存在だった。

 

 母親は何度も深々と頭を下げながらアティにお礼を言って庭園を去って行った。バージルが現れた悪魔を倒したということを知らない母親にしてみれば、まだ繁華街からさほど離れていない導きの庭園にいるのは不安なのだろう。

 

「お待たせしました。さあ、行きましょう」

 

「ああ。だが、大劇場に現れた悪魔はもういないか……、少しはマシなやつがいるようだな」

 

 アティと大劇場への道を進みながらバージルが言った。誰が戦ったのかは分からないが、相当混乱しているだろう状況で、少数とはいえ、たいして時間もかからずに悪魔を倒したことは称賛に値することだ。

 

「よかった……」

 

 それを聞いたアティがほっとしたように息を吐いた。だが、バージルはこれでひと段落とは考えていなかった。

 

「どうだかな。奴らの狙いが聖王の抹殺だとしたら、別の手を打つかもしれん」

 

「それって、直接襲いに来るってことですか?」

 

 真っ先に頭に浮かんだことを尋ねた。

 

「それも一つだ。……それに、もう一度悪魔を召喚するかもしれん」

 

 悪魔を呼び出している張本人を何とかしない限り、悪魔が召喚されるのを止めることはできない。大混乱の只中にいる大劇場でそんなことをするのは限りなく不可能に近いことだろう。

 

「でもさっきは何とかなったんですよね? なら次も大丈夫なんじゃあ……」

 

「先ほどと同じような雑魚が召喚される保証はないがな」

 

「え……? 呼び出してくる悪魔ってこれまでに戦ってきたような、私たちでもなんとかなるくらいの悪魔だけじゃないんですか?」

 

 さらっと重要なことを口にしたバージルに、アティが確認するように尋ねた。

 

「そもそも奴らが悪魔を呼び出す術は召喚術のように指定したものを呼び出すわけじゃない。さすがに大悪魔は無理だろうが、中級悪魔なら召喚することはできるはずだ。……もっとも、そうした悪魔が何も考えず召喚されることなど、ほとんどないだろうが」

 

 悪魔を召喚する魔術は、簡単に言えばリィンバウムと魔界を繋ぐ小さな扉を作り出すものだ。それゆえ大きな力を持つ悪魔は、それを通ることはできないし、多少の知恵を持つ悪魔であれば、そんなものに入るものはかなり少ないのだ。

 

 それが下級悪魔しか召喚されない仕組みだろう。本能だけで動くような下級悪魔だから、何も考えずにこちら側に現れるというわけだ。

 

 これについてはバージル自身が二年前に実際の魔法陣を見ているため、大きな間違いはないだろう。

 

「それで、召喚される悪魔って、どれくらい強いんですか?」

 

 進む速さは落とさずにアティは聞いた。ずっと前を向いているが顔を顰めている。状況に憂慮している様子だ。

 

「高位の召喚獣か、お前のように大きな魔力を持っていなければ対抗できんだろうな」

 

 バージルが思い浮かんだのは、話に出ている悪魔を召喚する魔術を見つけた館で戦ったゴートリングだった。この悪魔は個体で多少の力の差はあるが、総じて下級悪魔を圧倒する力と人語を話せる知能を備えた、中級悪魔の典型といえる悪魔なのだ。

 

「それは……」

 

 言葉に詰まったアティが苦虫を嚙み潰したような表情を見せた。バージルの言うような召喚獣を呼び出せる者はほんの一握りだけだ。もし現れたらどんな状況になるか考えたくもなかった。

 

「……そういう悪魔は俺がやる。無用な心配だ」

 

 アティの反応を見てか、バージルが言葉を返した。彼が下級悪魔よりもずっと強い中級悪魔と戦うことは不思議ではないが、それを口にするのは不言実行の彼にしては非常に珍しいことだった。

 

 それはもしかしたら、少し前にハヤトやマグナから戦う理由を聞いたことで、彼自身にも何か変化があったのかもしれない。

 

「ごめんなさい……」

 

 それを聞いたアティは自分に協力できない自分の力を悔やんでか、謝罪の言葉を口にした。

 

「謝る必要などない。俺が勝手にすることだ」

 

 アティの顔を見て断じるようにそう伝えたバージルは、前へと向き直った。

 

 その顔には、何かを決断したような決意の色があった。

 

 

 

 

 

 

 

 




※原作主人公の戦闘タイプ

ハヤト:戦士タイプ。ただし誓約者なので召喚術も強力。召喚術は遠距離攻撃用として、強力なものを撃つ傾向。

マグナ:戦士タイプ。召喚術は補助系メイン。近接戦闘でもよく使用。

トリス:術師タイプ。物理は素人に毛が生えた程度。でもネスティより強い。

アティ:物理タイプ。召喚術は補助中心だが、魔剣メインなのであまり使わない。

恐らく本文中に書くことはなさそうなので、ここに書いておきます。物理が多いなぁ。

さて、次回更新は11月5日(日)頃の予定です。何とか今年中にこの章は終わりそうです。

ご意見ご感想お待ちしてます。

ありがとうございました。


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第63話 背水の陣

 聖王家を狙う無色の派閥の計画はほぼ想定通りに進んでいた。

 

 まずゼラム各所で悪魔を呼び出すことで騎士団の戦力を分散させるとともに、大劇場への増援を実質的に不可能とした。ただ、三箇所で悪魔を召喚したにもかかわらず騎士団が対応できたのは、最初の二箇所だけだったため、やや、過剰だったと言えなくもなかったが。

 

 その上で無色の派閥は、大劇場の観客席に悪魔を召喚した。混乱を引き起こし、自分達の行動を目立たせないようにするためだった。そしてそれも、成功したと言っていい。思った以上に早く、召喚した悪魔を倒されてしまったが、逃げ惑う観客に混じり聖王家の観覧席にまで接近することができたのだから。

 

 さらに大劇場の周囲には、ゼラム各所で悪魔を召喚した者達が集合し、こちらでも悪魔を召喚することになっていた。これにより仮に聖王が逃走を図った場合でも討ち取れる、そうでなくとも足止めにはなるだろう。

 

 準備は万全、逃走経路にも手を打ってある。後は、護衛を排しつつ聖王の首を取るだけだった。

 

 しかし、一見すると堅実に見えるこの計画は、聖王が大劇場に来ることを知ってから立案したものであり、事前に必要最低限の調査しか行うことが出来なかったのだ。それゆえ、不確定要素が多く状況の変化に対応できないという危険性を孕んでいた。

 

 例えば無色の派閥の想定では、聖王国側の戦力は騎士団のみを見積もっていたのだが、実際に始まってみると、マグナやトリスといった蒼の派閥の召喚師に加え、ハヤトやバージル、アティといった聖王国とは関わりの薄い者まで悪魔と戦っていた。

-

 その上、大劇場の周囲にはもう一人、無色の派閥の計画を阻止せんとする者が来ていた。

 

(はあ……、あの程度の距離を移動するのにこんなに時間がかかるなんて……)

 

 蒼の派閥の本部前でアズリアと別れていたイスラが息を吐きながら心中で愚痴った。人ごみの中をすり抜けながらきたとはいえ、やはり普通に来るよりだいぶ時間がかかってしまったようだ。

 

「さて……」

 

 呟き、人々が逃げ惑う周囲へ視線を向ける。普段の大劇場の前でこんなことをしていたら、不審人物に思われていたかもしれないが、悪魔が現れたせいで混乱している現状では誰も気に留めないだろう。

 

「あいつ……」

 

 一通り辺りを見たイスラの目に一人の男の姿が映った。年齢は三十代半ばといったところで、服装も周りの者と代わり映えしない地味なものであるが、イスラはその男が無色の派閥か紅き手袋の一員ではないかと思ったのだ。

 

 とはいえそれは、かつて無色の派閥に身を置いていた者としての勘に過ぎず、確たる証拠は何もない。だからイスラはかまをかけることにした。

 

 気配を消して男の背後から忍び寄る。男は懐から紙のようなものを取り出していた。あまりに集中していたのか、あるいは単に鈍いだけなのかは分からないが、イスラがすぐ後ろにまで迫っても全く気付いていないようだった。

 

「なにしてるの? こんなところで」

 

「! ……いや、何も……」

 

 急に話しかけられた男は驚きながら振り返った。そして手にした紙をズボンのポケットしまい込んだ。

 

「へー、そう。……僕はてっきり計画の確認かと思ったよ。……聖王暗殺の、ね」

 

「っ!」

 

 その言葉を聞いた男は顔色を変えて服の中からナイフを取り出し、イスラへと襲い掛かった。

 

「ガッ……」

 

 しかし、手にしたナイフを使うことはできなかった。その前にイスラの手にした短剣で心臓を刺し貫かれたのだ。

 

 短剣は彼の本来の得物ではないが、戦闘ではなく今のような使い方ならば問題なく扱えた。

 

「相変わらず分かりやすいね。……おかげでこっちはやりやすいけど」

 

 そう言いながらイスラは倒れそうになる男とすれ違いざまにズボンにしまい込んだ紙を抜き取った。

 

 彼にしてみれば、今回のように殺そうとしてくる相手は容赦なく返り討ちにすればいいため、非常にやりやすい相手だ。無色の派閥の兵士にしても、紅き手袋の暗殺者にしても、命令に忠実であるように教育するのはいいが、そのせいで幹部クラス以外は柔軟性に欠けている者も少なくない。

 

「これは……、召喚術じゃないみたいだけど……」

 

 男の死体からだいぶ離れたところでイスラは抜き取った紙を開いた。男の反応から、てっきり今回の計画をメモしたものかと思っていたのだが、紙に書いてあったのは、召喚術とは異なる魔法陣だった。

 

 とりあえずアズリアが来たら彼女に渡せばいい、と考えたイスラは紙を懐にしまい姉を探そうと踵を返した。

 

「ん……?」

 

 その時、少し離れたところに悪魔が現れた。「懲りないな……」と口から愚痴をこぼしたものの、イスラは、無色の奴らの好きにさせるつもりはなかったのである。

 

 そんなことを考えながら、剣に手をかけた時ある考えが頭をよぎった。

 

(あれ? これって……)

 

 懐に入れた紙へと視線を落とした。もしかしたらこの紙に書かれている魔法陣こそが、これまで何度も悪魔を召喚してきた手段ではないかと思ったのだ。

 

「もしかしたら、とんでもない当たりを引いたのかもね」

 

 自分を落ち着かせるようにイスラはあえて口に出した。本当に手の中にあるものが悪魔を呼び出す魔法陣であるのだとすれば、恐ろしく重要なものだ。なにしろこれまで一切明らかにされてこなかった悪魔を呼び出す術の手がかりなのである。どんな手を使ってでも姉に渡さなければならない。

 

「…………」

 

 無言で紅の暴君(キルスレス)を抜剣した。現れた悪魔はイスラも何度か戦ったことがあり、抜剣せずとも対応できるのだが、万全を期すために全力を出すことに決めたのだ。

 

 そして姿を変じたイスラが悪魔へと向かっていた。

 

 

 

 

 

 同時刻、大劇場内部では聖王家の観覧席にまで接近した暗殺者と、それを阻止せんとする者達の戦いが繰り広げられていた。本来であれば、観覧席にまで接近されることなどありえないことだが、騎士団としても大劇場に現れた悪魔に対応せざるをえず、それにより防備が手薄になったところを暗殺者に狙われ、観覧席の手前まで肉薄を許してしまったのだ。

 

 それでも、最後の防衛線を突破されずにいたのは、その前に立ち塞がるフォルテ、ケイナ、シャムロックの三人がいたからだった。

 

「……ったく、やりにくいったらねぇぜ!」

 

 疲れを押し隠しながらフォルテは、手にした大剣を暗殺者へ振り下ろしながら叫んだ。単純な実力では暗殺者よりもずっと上なのだが、暗殺者達の連携と扉の前から動けない場の制約、そして武闘大会の試合後の連戦という悪条件が重なり苦戦していた。

 

「つべこべ言わずにさっさと構えなさい!」

 

 後ろで矢を射ながらケイナがフォルテを叱咤し、シャムロックも言葉を続けた。

 

「もうすぐ応援が来るはずです。それまで耐えましょう!」

 

 二人とも武闘大会に出場しており、置かれた状況はフォルテと大差ないため、各々の言葉は自分自身に向けられたものでもあるかもしれなかった。

 

 そもそも、彼らがこの場に来たのは悪魔の出現が原因だった。

 

 順調に武闘大会を勝ち進み、準決勝まで駒を進めたフォルテだったが、同じく勝ち進んでいたケイナを連れて大劇場を出た。実は二人はこの大会に出場するにあたり喧嘩をしていたのだが、ほぼ目的を果たしたフォルテはケイナに事情を話そうと思ったのである。

 

 ただ簡単な話でも、人に聞かれてもいい話でもないため、大劇場ではなく人目につきにくい場所で話そうと連れ出したものの、目的地まで歩いていたところで悪魔が出現したのである。

 

 それを見たフォルテは何かを感じたのか、ケイナを連れて来た道を引き返した。連れられてきた彼女も状況とフォルテの珍しい焦った顔を見て、理由を問い質すのは後回しにすることにして一緒に来たのである。

 

 そうして大劇場に戻ったフォルテは、偶然シャムロックと会ったため、彼に状況を話し協力を要請した。元々、シャムロックはフォルテの込み入った事情と今回の武闘大会出場に関する内幕を知っていたため、断るはずもなく、現在戦場となっている観覧席まで急いだのである。

 

 彼ら三人が来た時には騎士達は残り数人にまで数を減らしていた。観覧席の中の防備がどの程度かは不明だが、かなり危険な状況にあったのは間違いない。フォルテ達はすんでのところで間に合ったのだ。

 

 しかしそれでも、暗殺者達を押し返すまではいかず、残っていた数名の騎士達もそこからの戦いで傷つき倒れてしまった。これでは観覧席の中に進ませないようにするのが限界だったのだ。

 

「……! 来ました、応援です!」

 

 そんなある種の膠着状態を打開したのは騎士団の応援だった。暗殺者達の来た方向、つまりは彼らの背後を塞ぐように向かってくる増援にフォルテ達は安堵しながら武器を構え直した。死に物狂いで向かってくることを警戒していたのだ。

 

「…………」

 

 しかし、暗殺者達は守りの構えを見せたまま、向かって来ようとしない。

 

 彼らに共通したことは誰もが一枚の紙を手にしていたことだった。

 

「っ、ケイナッ!」

 

 彼らのやろうとしていることを本能的に悟ったフォルテは相棒に声をかけながら走りだした。

 

 だがケイナが弓で射るのも、フォルテが剣を振り下ろすのも間に合わなかった。それを証明するように空中に魔法陣が発生し、そこから悪魔が飛び出してきた。

 

 この狭く逃げ場もないところで悪魔を召喚するなど暗殺者にとっても自殺にも等しい行為である。しかし、聖王暗殺を企て、現に実行している彼らにしてみればこのまま大人しく捕まっても、待っているのは極刑以外ありえない。むしろ自分が召喚した悪魔に殺される危険性があっても、この状況ひっくり返せる可能性がある以上、この手段に賭けない道理はなかった。

 

 そもそも彼ら暗殺者は、目的を果たすためなら命を捨てることくらい何の躊躇いもなくやってのけるだろう。彼らはそれだけを果たすために育てられ、教育されてきたのだから。

 

「くそっ!」

 

「出過ぎです、下がってください!」

 

 悪態をついたフォルテにシャムロックの声が届いた。悪魔の召喚を防ぐために暗殺者達の方へ向かっていたフォルテだったが、召喚を許してしまったため、シャムロックやケイナと離れてしまったのだ。

 

 そしてそれを好機と捉えたのか、それとも召喚した悪魔から逃れるためか、守りに入っていた暗殺者達は一斉に、フォルテの方へ向かってきた。

 

「止められない数ではありません、抑えましょう!」

 

「ったりめぇだ!」

 

 フォルテの援護のために前に出たシャムロックの檄にフォルテが応じた。召喚された悪魔の数は思ったより少なく、増援の騎士達に向かった悪魔は多くいたため、フォルテ達の方に向かってくるのはそれほどではない。

 

 そして彼らはケイナの援護のもと、死に物狂いに攻める暗殺者と悪魔の攻勢に立ち向かった。寡兵とはいえ、フォルテ、シャムロック、ケイナの三人は腕も立つが、二年前に多くの悪魔と交戦した経験もある。決して勝機のない戦いではないのだ。

 

 当然、無傷ではすまなかった。体のあちこちに傷をつくりながらの戦いだ。それでも三人は一歩も退くことはなかった。騎士団がここに辿り着くまで、なんとしてでも観客席を守り抜かなければならない。

 

 三人の守りを突破することができず、背後からは騎士団の攻撃を受けたとあっては、悪魔も暗殺者も次々とその数を減らしていった。特に暗殺者は悪魔からも襲われた者も少なからずいたようだ。

 

「何とか……なりそうだな」

 

「ええ、そうですね。ですが、最後まで気を抜かないように」

 

「わーってるって、そんなことはよ」

 

 勝利が見えたことで軽口を叩く余裕ができたフォルテとは違い、シャムロックはあくまで真面目な言動で通していた。

 

「そうよ、ただでさえあんたは――」

 

 フォルテにケイナが声をかけようとした時、彼女の目に床から透過するように現れた非常に大きな鎌が目に入った。ちょうど彼女とフォルテ達との中間に現れたそれは二人の方に向かっていた。

 

「――後ろっ!」

 

「っ!」

 

 叫んだケイナの言葉に反応した二人は、咄嗟に剣で身を守る。

 

「くっ……!」

 

 鎌に狙われたのはシャムロックだったが、辛うじて剣による防御が間に合い、大事に至ることはなかった。それでもその一撃は想像以上に強力だったようで、それを弾いたシャムロックの手にはまだ痺れが残っている様子だ。

 

「気を付けて! まだいるわっ!」

 

 その上、さらに二本の鎌が天井と床から突き出された。

 

「ちっ……、通りで少なかったわけだぜ」

 

 これを悪魔の攻撃と判断したフォルテが言う。先ほど暗殺者達が召喚した悪魔は決して少なかったわけではない。今まで潜んでいただけなのだ。

 

 その二つの鎌が今度は応援に来て今も悪魔と戦っている騎士の中の二人に襲いかかった。

 

 さすがにシャムロックほどの技量を持たなかった二人の騎士は悪魔の鎌にあっけなく斬られてしまった。だが、それで満足しなかったのか、鎌は次の獲物定めて動き出した。

 

「でりゃああぁぁっ!」

 

「はああぁぁっ!」

 

 しかし、今度は目標を斬ることはできなかった。その前にシャムロックにされたように弾かれたのである。

 

「あなたは……!?」

 

 その人物を見たシャムロックは驚きの声を上げた。どちらとも面識のある人物だったが、まさかここにくるとは思わなかったのである。

 

「あの蒼い騎士、あなただったんですね」

 

「そこの男に頼み込まれてな、まさかこんなことになるとは思っていなかったが……」

 

 シャムロックは蒼い鎧を着たルヴァイドに声をかけた。武闘大会では「蒼の騎士」という名で出場しており、兜も被っていたのだが、今は名を偽る必要はない。

 

「まだ試合してなかったあんたならともかく、そっちの旦那は大丈夫なのかい」

 

「無用の心配だ。むしろ、この状況で大人しくしている方が体に悪い」

 

 そしてもう一人は直前の試合でシャムロックと戦っていた赤銅色の鎧を着たサイジェント騎士団の軍事顧問ラムダだった。

 

 彼はシャムロックとの試合で腕を負傷してしまっていたのだが、先ほどの様子を見る限り怪我の影響は全く見えなかった。おそらく召喚師かストラを扱う医者にでも治してもらったのだろう。普通なら完治までひと月以上かかる怪我が数時間もかからずに治すには、それくらいしか考えられないのだ。

 

 ともかく、ルヴァイドとラムダというフォルテやシャムロックにも引けを取らない剣の腕を持つ存在を援軍を得られたことは幸運なことだった。応援に来た騎士の実力であの鎌を操る悪魔を相手にしても被害が増えるばかりだ。

 

 そんなことを考えていると、鎌しか見せていなかった悪魔がゆっくりと壁から抜け出てきた。その姿は仮面をつけ、ゆらゆらと揺れるマントのような体をした悪魔だった。これまでの挙動からみるに、少なくとも壁や床をすり抜ける力を持っているのは間違いない。

 

「ちっ、演劇の仮面なんかつけやがって……、似合ってねーんだよ」

 

「……あれが奴らの本体だ。あの仮面さえ破壊すれば倒せる」

 

 フォルテの嫌味っぽい言葉にラムダが真面目に説明した。

 

 今回現れた鎌を扱う悪魔は「シン・サイズ」と呼ばれる悪魔だった。仮面を媒介に現れる悪魔の中では少しは強力な力を持つ悪魔である。この種の悪魔の特徴は体が半実体化しているため、単純な物理的な攻撃は意味をなさず、先ほどのように壁や床をすり抜けることもできるのだ。

 

「さすがはサイジェント騎士団の軍事顧問だな」

 

「……単なる受け売りだ。実際に戦ったことはない」

 

 ルヴァイドの素直な称賛にラムダは言葉を返した。

 

 サイジェント騎士団は三年前の無色の派閥との戦い以来、聖王国に騎士団の中で最も悪魔への対策が講じられている騎士団として名が知られている。ところが、その騎士団の軍事顧問という大役を務めているラムダでも悪魔との交戦経験は多くなく、対悪魔の戦術については、今もアティとバージルの手で書かれた資料をもとに訓練が行われているのが実情なのだ。

 

「どうやら奴らはこちらに狙いをつけたようですね」

 

「今の状況でこの悪魔まで任せるのは無理でしょうし、私達が相手するしかないわね……」

 

 三体のシン・サイズは他の悪魔と戦っている騎士団には目もくれず、つかず離れずの距離で五人の周囲をゆらりと漂うだけだった。一見すると敵意がないようにも見えるが、実際に相対する五人は、多かれ少なかれ悪魔と戦った経験があるため、油断せずにその動きを注視していた。

 

 幸いフォルテ達に向かってきていた悪魔はその数をだいぶ減らしており、残りもケイナが矢を射ったため、彼ら三人にルヴァイドとラムダを含めた五人全員でシン・サイズの相手をすることは可能だった。

 

 このシン・サイズは魔界にも古くから存在する悪魔であり、フォルテ達のような剣士と戦い方は心得ていた。懐に入られないように距離をとってさえいれば、剣士の攻撃には対応することができる。だが逆を言えば、鎌の攻撃範囲からも外れることも意味する。だからシン・サイズは距離をとったまま攻撃できる手段を編み出していたのだ。

 

 円を描くように動いていたシン・サイズだったが、一向に仕掛けてこないフォルテ達にしびれを切らしたのか、一体の悪魔が両手に持った鎌を大きく振りかぶって五人に向かって投げた。

 

「そう何度も……!」

 

 シャムロックが同じ手は通用しないとばかりに飛んできた鎌を受け流した。唐突な行動だったといえ、十分な注意を払っていたため冷静に対処することができたようだ。

 

「っ! 投げただけじゃないのか……!」

 

 受け流した鎌が大きくカーブし戻ってきたのを見てルヴァイドが声を漏らしながら剣を構えた。まるで意志を持っているかのような動きではあったが、決して反応できないほどのスピードではない。

 

 ルヴァイドによって再び弾かれた鎌だが、やはり重力に従って落下することはなかった。先ほど同じように再びこちらを狙うように曲がってきたのだ。やはりただ投げただけではなかった。

 

 シン・サイズは鎌を遠隔操作しているようだった。

 

 しかし、腕に覚えのある者が五人も揃っていれば、鎌の一本程度では動きを抑えることなどできはしなかった。

 

 だが、同時に彼らも悪魔に対して有効打を与えることができないでいた。

 

「あの鎌は何とかなるが、周りの悪魔を何とかしなければジリ貧だな……」

 

 呻くようにラムダが言った。

 

 自在に動き回る鎌も数が一本だけであるため、間隙を縫って鎌を投げたシン・サイズに攻撃をかけることは不可能ではなかった。だが、そうすると別のシン・サイズによって防がれてしまうため、どうしても本体である仮面に攻撃を届けさせることができなかったのだ。

 

 かといって長期戦になるのも好ましくない。時間をかければ騎士団の応援を得て、多少の被害を覚悟のうえで強攻することできる。しかし、そもそもそれまでシン・サイズがここに留まるのかは疑問である。散発的にしか仕掛けてこないこちらを見限ることも十分考えられた。シン・サイズは床でも壁でも透過できるからこの場から離れることも容易いだろう。

 

 だが、それはフォルテにとって許容できないことだった。特に彼の後方にある観覧席には何としても行かせてはならない。

 

 そんな思いがあったフォルテは、この膠着した状況を打破すべく悪魔に向かって走り出した。

 

「ちょっ……、あのバカ……!」

 

 相棒をそう罵りつつもケイナは弓を弾いてフォルテを援護する態勢に入った。そんな隙だらけの彼女を見逃すはずもなく、後方から鎌が飛んできた。

 

「やらせんよ」

 

「こちらは我らに任せろ」

 

 それを弾いたのはラムダだった。彼とルヴァイドがケイナを守るように両脇に立った。飛び出したフォルテの援護に集中させようという考えからだ。

 

 そして走りだしたフォルテの前に鎌を持ったシン・サイズが立ち塞がった。

 

「自分に任せて下さい!」

 

 フォルテの支援のために後ろについていたシャムロックが叫び、悪魔に斬りかかった。

 

 それは鎌に止められたものの、少なくともそのシン・サイズはすぐにフォルテを攻撃することはできないだろう。

 

「あんたはあいつを狙いなさいっ!」

 

「おう!」

 

 一体の鎌を持ったシン・サイズに連続で矢を射かけながら声を上げたケイナにフォルテは一言をもって応えた。

 

 もう彼の邪魔をする者はいない。目の前には両手が空いてただ宙を漂うシン・サイズだけだった。その悪魔に向けてフォルテは飛び上がり、渾身の力を込めて剣を振り下ろした。

 

「ぐっ……」

 

 しかしその一撃は鎌で止められた。シン・サイズは鎌を呼び戻していたのだ。おまけにこの悪魔は剣であろうと容易に倒せる相手ではないのだ。それはシャムロックが苦戦していることからも見て取れた。

 

「くそっ……!」

 

 先ほどの一撃を決められなかったことが悔しかったフォルテは吐き捨てた。しかし、このまま自暴自棄になるわけにはいかないと振り下ろしてきた鎌を剣で受け止めた。

 

「!?」

 

 その瞬間、一発の銃声が響いた。

 

「コマンド・オン! ギヤ・メタル!」

 

 それとほぼ同時に機界の召喚術独特の詠唱。そうして召喚されたのは裁断刃機(ベズソウ)はフォルテに気を取られていた上、銃弾を受けてひびが入っていたシン・サイズの仮面をあっさりと両断した。

 

「こいつは……!」

 

 フォルテが安心したように呟いた。裁断刃機(ベズソウ)を召喚したのが誰か分かったのだ。

 

「はっ、いいとこに来たなあ、お前ら!」

 

 召喚術と狙撃で援護してくれたネスティとレオルド、それに倒れ伏した負傷者を比較的に安全な場所に移していたトリスとレシィに言った。

 

「まだ来るよ!」

 

 同胞が倒されて油断ならない相手と思ったのか、残った二体のシン・サイズはこれまでとは逆に猛攻を仕掛けてきた。

 

「トリス、力を貸してくれ!」

 

「うん、やっちゃって!」

 

 一体は倒したものの、まだ予断を許さない状況にあることを悟り、協力を求めたネスティにトリスは即答して彼の肩に手を置いて、魔力を注ぎ込んだ。

 

 これは一人の魔力では扱えない召喚術を使う際に他者から魔力の供給を受けられる召喚支援(サモンアシスト)という簡易的な儀式だ。決して珍しくはないものだが、それを行うのが供給する魔力を相手に合せられるトリスが行えば、支援を受ける召喚師は限界を超える召喚術さえ扱えるようになるのだ。

 

 これこそ彼女やマグナ、そしてその先祖が調律者(ロウラー)と呼ばれる所以だった。

 

 そしてその恩恵を余すところなく受けたネスティは召喚術を発動した。現れたのは、はさみのような刃を持ち、ロレイラルの技術の粋を集めて開発された高性能機青刃の騎士(シェアナイト)だった。

 

「コマンド・オン、シェアスラッシュ!」

 

 ネスティの命令を受け青刃の騎士(シェアナイト)がシン・サイズへ突っ込む。もちろん悪魔もそれに反応して迎撃しようと構えた。しかし、フォルテとケイナはそれを許さなかった。

 

「させねーよ!」

 

「大人しくしてなさい!」

 

 矢で仮面を狙い、悪魔の注意を逸らしたところでフォルテが鎌へと剣を振り下ろし、シン・サイズの防御を崩した。

 

 まさにその瞬間、青刃の騎士(シェアナイト)の刃が仮面を突き刺した。崩れるように倒れたシン・サイズだったが、地面に着く前にその体は消えてしまい、残ったばらばらになった仮面だけが残された。

 

 そして残り一体となったシン・サイズも命運は尽きかけていた。

 

 シャムロックに加え、ルヴァイドとラムダまで同時に相手取ることになったため、さすがに追い詰められていたのだ。そして不用意にラムダへ振り下ろした鎌が戦いを終わらせる決着となった。

 

「でりゃあああ!」

 

 気合の入った言葉と共にラムダは大剣を振り下ろす。しかし、ただの一撃ではない。のけぞるほど振りかぶった体を強烈な踏み込みで引き戻し、それによって生じた力を振り下ろす剣に集中させる。シルターンの居合を彼なりの工夫で再現した技だ。

 

 その威力は悪魔の不用意な振り下ろしでは勝てるはずもなかった。大きく弾かれはしたが、それでもまだ手を放さなかったのはさすが悪魔といえるだろう。

 

「甘い!」

 

 しかし、そこにルヴァイドが追撃をかけた。このタイミングから考えてラムダの迎撃が成功すると見切って仕掛けていたようだ。このあたりは長く戦場で戦ってきた経験に基づいた判断だろう。

 

 そうして武器を失ったシン・サイズの仮面にシャムロックの剣が突き立てられていた。

 

「これで終わりですね」

 

 苦戦していた悪魔に勝ったというのに冷静に周囲を確認するあたり、トライドラの砦を任されていたのは伊達ではないようだ。

 

 騎士団の方を見れば、そちらも決着はついたようで負傷者の治療を始めていた。そしてその中の指揮官らしき騎士が観覧席に入っていく。中の聖王家の無事を確認するためだろう。

 

「……ふう」

 

「ねえ、いいの?」

 

 大きく息を吐いたフォルテにケイナに尋ねる。ここで戦ってきたのは聖王家を守るためだったのだろう。にもかかわらず会おうとしなくていいのだろうか。

 

「……そういや、まだ話してなかったな」

 

 相棒に理由も話さずこの戦いに連れてきたことを申し訳なく思いながら言った。そしてフォルテはもう隠すつもりはなかった。

 

「俺は――」

 

 フォルテが口を開いた時、先ほど観覧席に入った騎士が大きな音を立てて扉を開けた。心なしか顔色も悪い。

 

「陛下が行方知れずだ……」

 

 騎士が絞り出したその言葉は、事態はいまだ収束に向かっていないことを示していた。

 

 

 

 

 

 

 

 




主人公勢は僅かにトリスが出ただけ、DMC要素は敵悪魔だけの63話でした。たまにはこんな話もいいのではないでしょうか。

さて、次回で戦いの決着、次々回でそのまとめをする予定なので、後2話でこの章も終わりになると思います。そして年内には4編に入ります。

そしてその次回は11月18日(日)頃に投稿予定です。

ありがとうございました。


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第64話 心の道標

 大劇場の観覧席前で戦いが繰り広げられていた頃、裏通りでは一人の暗殺者が建物の陰に身を隠していた。

 

(なんであいつがここにいるんだ……)

 

 彼はゼラム中に悪魔を召喚して回っていたのだが、次の目的である大劇場前に向かう途中で自分達の暗殺対象である男を見つけたのだ。

 

 スフォルト・エル・アフィニティス。エルゴの王の直系の子孫であり聖王国の国家元首。その男が護衛も連れずに人がほとんどいない路地裏にいたのである。

 

 本来は大劇場の観覧席にいるはずの男がこの場にいるということは、大劇場で行うはずの暗殺計画は始まる前から失敗だったのだ。それはつまりこれから実行する予定だった大劇場前での陽動作戦も無意味のものとなったのである。

 

(今なら……)

 

 自然な動作で服の中に仕込んだ短剣に手が伸びる。計画通りにいかなくとも標的である聖王さえ殺害すれば成功なのだ。おまけに向こうは一人だ。たとえこちらが自分一人しかいなくともやる価値は十分にある。

 

 そうして短剣を取り出そうとしたとき、一枚の紙に手が触れた。悪魔を召喚する術式が記された紙だ。

 

(いや、待て……)

 

 それに触れた瞬間、男にある考えが浮かんだ。このまま直接聖王を狙うより悪魔を使おうと思ったのだ。向こうはまだこちらには気付いていないので、仮に悪魔では倒せなくともそこに意識さえ集中していれば、不意を突いた攻撃が可能になるはずだ。

 

 そう判断した暗殺者は一旦距離をとるため走りだした。

 

 

 

 

 

 それとほぼ同時刻、ハヤト達は大劇場に向かうため、裏通りを走っていた。

 

「嘘みたいに人がいないな。こっちに来たのは正解だ」

 

 ハヤトは周りを見ながら言う。裏通りの道は狭いものの、人とほとんどすれ違わないためスムーズに進むことが出来ていた。

 

「こんなところで悪魔と会っては逃げ場もありませんからね。みなさん大通りの方を使っているのでしょう」

 

「ったく、そんなことならさっきもこっちを通ればよかったぜ」

 

 クラレットの言葉を聞いたバルレルは、大劇場から波止場まで来るのに裏通りを使わなかったことを後悔していた。その様子から相当に混んでいたことは想像に難くない。

 

「それにしても、こう何もないと向こうも決着がついていると思いたいです」

 

「そうだね。それが一番だ」

 

 虫のいいことだと思いつつもアメルがその言葉を口にすると、ハサハを抱えながら走るマグナが賛意を示した。人によってはアメルの考えは甘いと言われるかもしれないが、戦いなどないほうがいいに決まっている。

 

 そんなことを話しながら大劇場を目指していると、金属音や何かがぶつかる音が聞こえてきた。

 

「おにいちゃん……また、あいつら……」

 

 ハサハは音の元凶が悪魔であることを感じ取ったようだった。

 

「……すぐ近くですね。行きましょう」

 

「ああ、そうだな」

 

「急ぎましょう!」

 

 クラレットの言葉に顔を見合わせたハヤトとマグナは無言で頷き言った。

 

 音の発生源は今いる通りの一本隣の道からだったため、そこに行くまでにはさほど時間もかからなかった。

 

「え……?」

 

 しかし、そこで見たのは空中に浮く無数の黒い影のような剣が、悪魔へと襲い掛かる様だった。

 

そして、それを引き起こしたであろう人物の手には、虹色の粒子が纏い輝く剣が握られていた。

 

「せ、聖王さま……」

 

 政治や国家に疎いアメルでも今日の武闘大会で演説した聖王の姿は十分印象に残っていたようだ。それでも変装でもしていれば別だったかもしれないが、見た目は演説時と変わらない五つのサモナイト石で彩られた王冠を被っていたため、すぐ気付いたのである。

 

「なんでこんなところに……?」

 

 聖王の姿を見た者が思い浮かんだ言葉をマグナが口にした。そもそも、この国の王家は極端に国民の前に姿を見せることは少ない。随分前に嫡子である王子が死亡した際の国葬の時に姿を見せたくらいで、後は二年前の戦いで聖王自ら軍勢の指揮を執るまで姿を見せたことはなかったはずだ。

 

 それほどまで姿を見せることがない聖王がなぜこんなところにいるのかと疑問に思うのは必然だった。

 

「君たちは……?」

 

 無数の漆黒の剣を消し、手に持った剣も下げた聖王は、その疑問には答えず逆に質問で返した。彼はある目的をもって大劇場を抜け出して来たのである。いまだ果たせていないが、仮にそれを果たせていたとしても事情は話せなかっただろう。

 

(なんか随分と違うな……)

 

 聖王の声は演説のときに聞いたものとは若干異なっていた。あの時は少し無理をして厳かな声を出しているような感じがしていたので、きっと今の声がこの人の地声なのだろうとハヤトは考えた。

 

「あ、ええと、俺たちは……」

 

 質問に答えなかったことにはマグナはたいして気にしていなかった。一国の主からしてみれば、どこのだれとも分からない者達の疑問に答えようなどとは思わないだろう。

 

「マグナ、そんな悠長に話している時間はなさそうだ」

 

 ハヤトがサモナイトソードを抜きながら、聖王に自分達のことを説明しようとしていたマグナに忠告した。その視線の先には凄まじい嫌悪感を催す見たことのない悪魔の姿があった。

 

 人間のような形をしているが、大きさは二倍近くある。ただ、人間のように一対の手足があるのではなく、代わりに生えている四本の腕で這うように動いていた。

 

 さらには背中からも一本の腕が生えており、それを含めた五本の腕の中には肉や骨が剥き出しになっている。おまけに脇腹からは巨大な目玉が剥き出しになっており、そうした姿が嫌悪感を催す一因となっていた。

 

「……見たことのない悪魔ですね」

 

「気持ち悪ィ奴だな」

 

 顔を顰めただけのクラレットの思っていたことをバルレルが言った。とは言え二人とも警戒は怠っていない。容姿の醜さと強さは関係ないのだ。むしろこれまで戦ったことのない悪魔であるため、最大限の注意を払っているようだ。

 

 相手の出方を見るハヤト達六人に対し、聖王スフォルトは再び空中に剣を出現させた。

 

「ここは私に任せてくれ」

 

 言葉と同時に無数の剣が悪魔に殺到する。十本や二十本では足りぬ数の剣が悪魔に突き刺さり、悪魔はその歩みを止めた。

 

「すごい……」

 

 アメルがその圧倒的な光景に驚きの声を漏らしたが、抱えられていたマグナから降りていたハサハは悪魔の脅威がまだ去っていないことに気付いていた。

 

「まだ……いきてる……」

 

 その言葉が発せられるのと、まるで笑い声のような悪魔の声が消えたのはほぼ同時だった。

 

 悪魔は全身を剣に貫かれていたが、ニタニタと笑っており、刺さった剣すら意に介さず動き始めた。そしてどこからか仮面を取り出し顔に装着した。するとみるみるうちに体が巨大化していく。人間二人分だった全長が、目測でさらに倍近くまで大きくなっていった。

 

 そしておもむろに足に当たる二本の手で立ち上がると、肉が剥き出しになった右手を大きく振り上げた。周りの建物ごとハヤト達を吹き飛ばすつもりなのだ。

 

「くそ……!」

 

 それに気付いたマグナ達は一斉に距離をとったが、ハヤトは聖王の動きがやや緩慢なことに気付いた。いくら強力な力を持っているとはいっても、スフォルト自体はただの人間に過ぎないのだ。正確な年齢は知らないが、自分達のような動きができるほどの若さはないだろう。

 

 そう悟ったからこそ、ハヤトは聖王のもとに急いだ。今日この場で会っただけの間柄ではあるが、みすみす見殺しにすることなど彼にはできなかったのだ。

 

「急いでくれ!」

 

 もはやなりふり構っていられないハヤトが聖王とともに走りだした瞬間、悪魔の右腕が振り下ろされた。石造りの建物も造作なく破壊した一撃が迫りくるが、すんでのところで躱すことはできた。

 

「…………」

 

「君に救われたな……」

 

 肩で息をしながら立ち上がるハヤトに聖王の声がかけられた。

 

「話は全部終わってからにしよう」

 

 目の前の悪魔に集中していたハヤトは言葉を敬語に直す余裕もなかった。あんな攻撃を続けられたら攻める機会なんて得られそうもない。悪魔の動きが止まっている今、こちらが攻めない理由はなかった。

 

「クラレット、マグナ、援護を頼む!」

 

 言葉を残し、悪魔へと走り込む。狙うは巨大化した原因と思われる仮面、あれを破壊して元に戻るならそれでいいし、そうでなくとも頭部にダメージを与えて不利になるはずがない。

 

「ディアボリック・バウンド!」

 

「ボルテージ・テンペスト」

 

 クラレットが召喚したサプレスの悪魔が戦槌を振り下ろし、マグナが召喚したロレイラルの兵器が電撃を降らせる。どちらも広範囲に破壊をもたらす召喚獣であるため、本来ならこんな街中で使うものではないが、悪魔の周囲はもはや瓦礫の山と化しているため、遠慮なく使用したようだ。

 

「っ、たいして効いてない……! バルレル、奴の注意を引いてくれ!」

 

 召喚術による攻撃では効果が薄いと悟ったマグナはハヤトの攻撃の隙を作るためにバルレルに言った。

 

「ったく、護衛獣使いが荒いぜ……! チビすけ、テメェも手伝えよ!」

 

 バルレルの頼みを受けたハサハは妖気から雷を発生させた。それ自体は先ほどのマグナが召喚術で行った物より威力は低いが、それでも目くらましとしては十分な効果があった。

 

「テメェのデケェ目ん玉に風穴開けてやるぜぇ!」

 

 召雷の陰で悪魔の横に飛んでいたバルレルは脇腹の目玉目掛けて手にした槍を投げた。近距離でかつ標的も大きかったため、容易く命中する。そして元々すぐ取れるようになっていたのか、その目玉はあっけなく地面に落ちた。

 

 悪魔がそれを拾おうと背中の腕を伸ばしたとき、ハヤトのサモナイトソードによる一撃が悪魔の仮面に直撃した。

 

「っ、硬い……!」

 

 しかし想像以上に仮面は強固で、若干の傷しかつけることしかはできなかった。

 

 何度か斬りつければ破壊は出来るかもしれないが、至近にいるハヤトを悪魔が放っておくはずもなく、振り払おうとする腕に当たり弾き飛ばされてしまった。

 

「大丈夫ですか!? すぐ治しますから!」

 

 何とか着地したハヤトにアメルが駆け寄り、傷を癒し始めた。受けたのが先ほど避けた腕の振り下ろしだったのなら、ハヤトは死んでいなくとも重傷は負っていたかもしれない。無造作に振り回した腕だったから軽傷で済んだのだ。

 

「何してるんだ、あいつ……?」

 

「え……?」

 

 息を整えながらアメル治療の受けていたハヤトの耳にマグナの声が耳に入った。

 

 それが気になりマグナが向いている方へ視線をやると、そこには奇妙な踊りのような動きをしている悪魔の姿があった。

 

「一体、何を……っ!」

 

 そう言った時、体の異変に気付いた。体に宿る魔力がどんどんなくなっているのに気付いた。あの悪魔の仕業に違いない。

 

「しまった……!」

 

 体に宿る魔力が全て枯渇すれば魂を維持できなくなり、死に至る。もちろんそうした魔力が切れる状況は平時でも召喚術を使い過ぎた場合など、少なからずある。しかしそれは、無意識の中でストッパーがかかることによって使えなくなるだけであり、命に関わることはない。ところが悪魔がやっていることは、問答無用の吸収であり防ぐ術は悪魔を倒すしかない。

 

 これまでに戦った悪魔はこうした魔術めいた業は使って来なかったため、完全に虚を突かれた形になってしまったのだ。

 

「マグナ……」

 

「なんとか、いけます……!」

 

 重い体を何とか動かして立ち上がったハヤトは近くのマグナへ声をかける。ハヤトもマグナも常人より遥かに多くの魔力を有している。そのため、まだ辛うじて動くことはできたのだ。逆に聖王は強力な魔剣を持ってはいるが、体も有する魔力も常人とたいして変わらないため、他の者達と同じく意識を失わないようにするので精一杯だったのだ。

 

 なんとか立ち上がった二人が悪魔に向かい合ったとき、何を思ったか悪魔は奇妙な踊りを止めた。見ると聖王がつけた傷は全て治っていた。おそらく奪った魔力は自身の回復に使ったのだろう。

 

 しかし踊りが止まったと言っても、状況は好転しなかった。その悪魔の後ろからこれまで何度も戦ったことのある下級悪魔スケアクロウが現れたのだ。数は片手で数えられるほどだったが、辛うじて戦闘ができそうなのが二人だけとあっては、状況は絶望的だろう。

 

「ああ、これはかなりキツイな……」

 

「でも逃げるわけにはいかないでしょう?」

 

「当たり前だろ」

 

 それでも二人は逃げる気はなく、もちろん戦意も失っていなかった。そして片手で剣を持ち、悪魔へ向かって歩いていくが、そこに後ろから声をかけられた。

 

 

 

「それで殺されては元も子もないと思うがな」

 

「っ!」

 

 聞き覚えのある声に二人は反射的に振り向いた。

 

「バージルさん……」

 

「どうしてここに……」

 

 そこにいたのはこちらに向かって歩いてくるバージルと、クラレット達を介抱しているアティの姿だった。バージルはマグナとハヤトの質問には答えず、二人を追い越して悪魔へと歩いていった。

 

「ノーバディ……、やはりこのクラスも召喚できるか」

 

 ぶつぶつとバージルは独り言を呟いた。「ノーバディ」とは仮面をつけて巨大化した悪魔のことである。この種の悪魔はあまりにも知能が低かったため、名前さえ与えられなかった下級悪魔である。そのため誰でもない(ノーバディ)と呼ばれているのだ。

 

 しかし長い間、魔界で生き延びてきた実力は本物で、単純な力だけなら中級悪魔にも匹敵するのだ。おまけにこれまでハヤト達が見たような巨大化や魔力の吸収と言った魔術的な力を持っており、魔界においてもこの悪魔を好き好んで相手にするものは少ない。

 

 そしてこの悪魔が現れたことで、無色の派閥や紅き手袋の構成員が使う悪魔を呼び出す魔術は、中級悪魔を呼び出せる能力があることが証明された。とはいえ、このノーバディが現れたのはこの悪魔が知性を持たないため、何の考えもなしに暗殺者が魔術で作り出した魔法陣に飛び込んだからだろう。いくら力があっても頭は下級悪魔以下なのだから当然である。

 

「…………」

 

 考察もそこそこにバージルはベリアルを右手に持った。そこにスケアクロウが一斉に飛びかかってきた。

 

「Scum」

 

 身の丈ほどもあるベリアルを片手で軽々と振り回し、横一閃にスケアクロウを薙ぎ払った。ベリアルに宿る炎獄の炎で焼かれたスケアクロウは依り代すら残らずに一瞬で焼却された。

 

 そこへノーバディは先ほど落とした目玉を拾ってバージルへ投げつけてきた。ノーバディの体は強力な毒を含んでおり、人間なら僅かに触れただけでその部分が解け落ちてしまうだろう。当然投げてきた目玉にもその毒はたっぷり含んでいるのだ。

 

「くだらん……」

 

 鼻で笑ったバージルはもう一度ベリアルを振るって目玉を両断する。本来なら飛び散る猛毒を含んだ体液は、振るった際の炎で全て焼き消された。

 

 それと同時に大量の幻影剣が上空から降り注ぎ、ノーバディの体を貫いてその肉体を固定した。背中の腕に至っては当たり所が悪かったのか、生え際あたりで大きく斬り裂かれ、力なく垂れ下がっている。

 

 バージルはその上でノーバディの正面にエアトリックで移動し、ベリアルを構えた。

 

「Be gone」

 

 言葉と共にノーバディの顔面にスティンガーを叩き込む。飛び込んで突きを放つだけの単純な技だが、それゆえバージルほどの実力者が使えば、全力を出さずとも凄まじい破壊力を持つ一撃となるのだ。

 

 その威力を余すところなく受けたノーバディは、その巨体がゴムボールのように吹き飛び建物を三軒ほど貫いたところで止まった。もしこの悪魔が幻影剣で多少なりとも固定されていなかったら、もっと遠くまで吹き飛ばされていただろうことは想像に難くない。

 

 もちろんスティンガーをくらったノーバディは絶命しており、その際に飛び散った肉片が周囲の建物を溶かしていた。最後まではた迷惑な悪魔だった。

 

「ちょっとやりすぎじゃないですか?」

 

 あっけなく戦いを終えて戻ってきたバージルをアティは少し不満そうな顔で迎えた。

 

「これでも手加減はした。しかも無人の家だ。気にしても仕方あるまい」

 

 念のため周囲の魔力を探り人がいないことを確認した上でノーバディを飛ばしたのだから、問題ないだろうという意思を込めて言葉を返した。

 

「むぅ……」

 

「それにあいつらを見ただろう。無駄に手加減して、もう一度あれを使われていれば死んでいたぞ」

 

 ハヤトやマグナはともかく、その他の者達はもう一度ノーバディが魔力を吸収していれば死んでいた可能性が高い。バージルのような半人半魔はともかく、その他の者は魔力がなければ魂を維持できなくなり死に至るのだ。

 

 実際に幻獣界メイトルパでは「解魂病」という体内の魔力を吸い取るカビの一種によって亜人の祖にあたる人間が絶滅している。ノーバディの奇妙な踊りはまさしく死を呼ぶ舞なのである。

 

「そうですけど……」

 

 バージルの言葉への反論の言葉が見つからずアティは言葉尻を弱めた。

 

 そこへマグナとハヤトに声をかけられた。

 

「また助けられましたね」

 

「ああ、ヤバかったからな、本当に助かったよ。……それにしても厄介な悪魔だったな」

 

「相性の問題だ。あれさえ使われなければ勝っていただろう。次にやる時は余計なことなどさせずにさっさと殺すべきだな」

 

 ハヤトの言葉に答えを返した。バージルが見た限り、ハヤト達ならばノーバディを相手に勝利を得るころは十分に可能だったと考えていた。にもかかわらず今回のような結末になった原因はやはり魔力を奪われてしまったこと、ひいてはそれをさせるだけの余裕を悪魔に与えてしまったことが全ての原因だった。

 

 スケアクロウがいたとしてもノーバディのような中級クラスの力を持つ悪魔は一体だけだったのだから、猛攻に継ぐ猛攻を仕掛けて何もさせずに殺してしまえばよかったのだ。

 

「彼らをあまり責めないでやってくれないか。あれに倒せなかった原因は私にもあるのだ」

 

 バージルは別に責めているつもりなどなかったが、彼と初対面のスフォルトにしてみれば、ハヤトとマグナを責めているように聞こえたのだろう。二人を庇うように言った。バージルはちらりと視線を向け、服装からその人物が誰なのか悟った。

 

「……聖王か、一体こんなところで何をしている。わざわざ殺されにでも来たのか?」

 

「ち、ちょっとバージルさん!?」

 

 大陸最大国家の元首が相手でも変わらないバージルの態度に、アティが焦りながら抑えようとした。

 

「確かに不用意だったのは認めるが、殺されに来た、というのはどういう意味だね?」

 

「聞いてないのか? 今回悪魔が現れたのは貴様を暗殺するためだ」

 

 それを聞いたスフォルトは目を見開いた。

 

「暗殺、だと……」

 

「……その様子では聞いてないようだな」

 

 当初、バージルはスフォルトが自身の暗殺計画を知っていて、ここにいると思っていたため、彼の行動が理解できなかったが、その前提が間違っていたのなら納得がいく。

 

「ならば先ほどの悪魔を召喚したのも私の暗殺のためか?」

 

「そうだ。もっとも、召喚した本人は死んだがな」

 

 ノーバディが現れた直後、一人の人間を襲った事実をバージルは当然把握していた。悪魔の出現場所の周囲にはその人間しかいなかったため、まず間違いないだろう。

 

「…………」

 

 スフォルトはそれを聞いたきり何やら考え込むように黙ってしまった。バージルはもう聞かれることが何もないと判断すると口を開いた。

 

「アティ、直に騎士団が来る。さっさと戻るぞ」

 

 実のところもうバージルは、騎士団らしき人間が近づいているのに気付いていた。スフォルトを探しているのか、暗殺者の残党がいないか確認しているのかは定かではないが、こんなところにいては面倒ごとに巻き込まれるのが目に見えている。だからさっさと帰ることにした。

 

「え、ち、ちょっと……」

 

 驚くアティをよそにバージルは彼女を樽のように脇に抱えると建物の上に向かって飛び上がった。

 

「……あの」

 

「何だ?」

 

 聖王に対しての接し方や騎士団との接触を避けたことなど、今さらバージルがしたことに文句はない。むしろ彼らしいとさえ思うほどだ。しかしアティは彼の抱え方には異議があった。

 

「せめて抱え方を変えて欲しいな、って。一応私達は、その……」

 

「……ああ」

 

 はっきりとは言わないが、彼女の言わんとしていることは長い付き合いのバージルには十分想像できることだった。

 

 脇に抱えるような抱え方から両手を使った持ち方へ。つまりいわゆるお姫様抱っこというやつに変えたのだ。どうもアティはこういったことに憧れのようなものがあるようだ。若干子供っぽいからか本人もなかなか言い出しにくそうにしているが。

 

「これで満足か?」

 

「……はい、満足です」

 

 恥ずかしそうにアティは頷く。いまさらこの程度ことで恥ずかしがってどうするんだとバージルは思ったことあるが、島の女性陣曰くはそれとこれは違うらしいので詳しく突っ込むようなことはしない。

 

 アティにとって幸福な時間はとりあえず宿につくまで続きそうであった。

 

 

 

 

 

 ノーバディとの戦いを終えたバージルとアティは騎士団との接触を避けてさっさとは宿に戻った。特にアティは久しぶりに魔剣を使ったためか、疲れながらも幸せな様子で夢の中にいた。

 

 バージルはそんなアティの様子を見ながら、椅子に腰かけ今日のことを振り返る。とはいえ、その中心は今日現れた悪魔のことではない。彼にとって今日相手にした悪魔程度は一考に値しないのだ。

 

 そんな彼の思考の中心は、ハヤトとマグナに尋ねる理由となった、スパーダが人間を守った理由、引いては自分自身が戦う理由についてだ。

 

 スパーダは人間を守るために魔帝と戦ったが、その理由はハヤト達の話を聞いても、いまだ分からない。しかしバージルは、そのことについて以前のように気にならなくなっていた。

 

(いつまでも親父のことを追っても無意味だ)

 

 バージルが父の足跡を追っていたのは、かつてはスパーダの比類なき力を手に入れるためだった。そして今までは同じ道を歩んでいる者として、知る必要があると思っていた、一種の義務感からだった。

 

 しかし昨日悪魔を倒そうと思ったのは、ただアティのためだった。彼女のためにバージルは悪魔と戦ったのである。

 

 それを考えれば、父の戦った理由など些細なことだった。今のバージルを突き動かしているのは一人の人間を守るためだった。それ自体は二年前から抱いていたことだが、今ではそれが最も大きな理由となっていたことに気付いたのである。

 

(こいつはまた悪魔が現れれば今日のように戦おうとするだろう。そしてそれは、魔帝が来ても同じだろうな)

 

 勝てない相手だと思ってもアティは逃げないだろう。他の人間が同じことをすればバージルは愚かなと一蹴しているだろうが、ことアティに限ってしまえば、彼女らしく、むしろ好ましいとさえ思うのだ。

 

 そんなアティだからこそバージルにとっての特別な存在となっているのだが、彼としてもみすみす彼女を死地に追いやることなどするつもりはなかった。

 

 来たるべき魔帝率いる魔界との戦い、バージルはアティを守るために戦うと決めたのだ。

 

 そしてその決断が結果的に人間を守ることに繋がっていることにバージルは気付いていた。

 

 もしかしたらそれも父スパーダと同じあり方かもしれない。スパーダも悪魔には持ち得ない人を思う感情を持ったからこそ魔帝ムンドゥスに反旗を翻し、魔界と敵対する道を選んだ。

 

 そしてバージルも魔界と、魔帝と敵対する道を改めて選択した。これまでのように悪魔が憎いからでも、己の力を証明するためではない。アティを守るために、バージルは魔帝ムンドゥスを滅ぼすのだ。

 

 そこまで考えた時バージルは父の意思を悟ったような気がした。

 

(そうか、親父はこのために……)

 

 スパーダが己に閻魔刀を、弟にリベリオンを託したその意味を理解したのである。

 

 ダンテに、魔界で最も頑強な物質で造り出した反逆(リベリオン)の名を持つ魔剣を託したのは、彼が己の「意思」を継ぎ、人を守り続けて欲しかったから。

 

 そしてバージルに、人と魔を分かち、魔を食らい尽くす閻魔刀を託したのは、己が成し遂げられなかった魔帝の討滅と人界と魔界の分離という「役目」を果たして欲しかったから。

 

 そしてダンテはテメンニグルで父の魂を継ぎ、バージルは今になってようやく己のあり方を見つけた。

 

 表面上は全て父の願った通りになったのだろう。

 

 しかしそれは運命で定められたものでも、スパーダや他の誰かに誘導されたものでもない。バージルのこれまでの見聞、体験、出会い、別れ、その全てがあってはじめて見出したものなのだ。

 

 たとえ受け継いだ魔剣が閻魔刀でなく、リベリオンであろうと彼は魔帝を滅ぼそうとしただろう。そうするのは彼がスパーダの息子だからではない。父に託されたからでもない。

 

 バージルがバージルだからこそ、アティのために魔帝を滅ぼすことを選んだのである。

 

 

 

 

 

 

 

 




体内の魔力の関係で意外と相性がいいノーバディでした。バージルに直腸スティンガーくらわなかったのは幸運でした。

さて、次回は12月2日(日)頃に投稿予定です。

ご意見ご感想お待ちしてます。

ありがとうございました。


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第65話 夢のその先へ

「あらあら、すごい顔ぶれが集まったものね」

 

 金の派閥の総帥ファミィ・マーンは、大劇場の打ち合わせや会議に使われる一室に集まった面々を見て思わず苦笑した。

 

 聖王暗殺の一件から一夜明けた今日の夕方、この部屋に集まったのは蒼と金、両方の派閥の長と昨日の事件の際に自ら戦いに身を投じたハヤトやマグナ、トリス達であった。もちろん急な話であったため、欠席者も全体の約三分の一にあたる五名と少なくないが、それでも十二名は出席していた。

 

「うん、それに彼もちゃんと来てくれたしね」

 

 最後に席に着いた人物に視線向けながらエクスが言う。それに釣られて他の者も思わずその人物に目を向けた。

 

「…………」

 

 視線を向けられたバージルは足を組みながら無言を貫いた。実際のところ、彼がなぜここに来たのかは隣に座るアティにもよくわかっていなかったのだ。

 

 そもそも今回は、自分の身を顧みず悪魔と戦った者達に栄典を授与するという名目で召集されたものである。そうした栄誉や勲章には全く興味がなさそうバージルがこんな名目で来るとは、召集を任せられたエクスも考えていなかった。

 

 ちなみにこの場にいるのは、バージル、アティ、エクス、ファミィの四人の他に、大劇場で悪魔と戦ったトリス、ネスティ、シャムロックの三人とハヤト、クラレット、マグナ、アメルのゼラムの各所で戦った四人、さらに聖王暗殺の情報を提供したアズリアも出席していた。

 

 イスラやフォルテ、ケイナ、ルヴァイドはそもそも出る気はなく欠席で、ラムダは既にサイジェントへの帰途へついていたため、そもそも出席できる状況ではなかったのだ。なお、バルレルやレオルドは護衛獣であるため、そもそも召集対象になっていなかった。

 

 その十二名が揃い、少し時間が経ったとき、この部屋に聖王スフォルトが入ってきた。

 

「みな、よく集まってくれた」

 

 少数の騎士を控えさせているものの、つい昨日暗殺されかけた王としては随分少ない護衛だ。勇敢と見るか、無謀と見るかは人それぞれだが、いずれにしても聖王は、何の考えもしにそうしているわけではないだろう。

 

 スフォルトが所定の場所についたことを確認したエクスは口を開いた。本来であれば、こうした司会のような役目は王城に努める者達が行うのが常だが、彼らは事件の事後処理に追われているため、エクスが引き受けたのである。

 

「……さて、全員揃ったようだし早速君達に勲章を――」

 

「そんなものは後にしろ。さっさと本題に入れ」

 

 エクスの言葉を遮ったバージルに周りの者達が訝しんだ。集められた名目を考えれば勲章の授与などは十分本題に入るものなのだ。

 

 しかし、彼の言葉を聞いたエクスは聖王と目を合わせ、お互い軽く頷き合うと口を開いた。

 

「そうだね。……単刀直入に言えば、実は君達の力を借りたいんだ」

 

「頼みたいこと?」

 

 トリスがオウム返しに言葉を返すと、聖王スフォルトはゆっくりと、しかしはっきりとした厳かな口調で答えた。

 

「……私は困難を痛感した」

 

 一旦言葉を切ると、聖王は出席者全員を見渡した。極一部は興味がないとばかりに腕を組み、目を閉じているが、それ以外は威儀を正して聖王の言葉に耳を傾けている。

 

「此度の一件、悪魔によって犠牲となった者は少なくない」

 

 そこで犠牲者へ祈りを捧げるように僅かばかりの時間、目を閉じた。

 

「だがそれ以上に由々しきことは、それに対する抜本的な対策が何もないことなのだ」

 

「悪魔に対してもそれを呼び出した無色の派閥に対しても、現状僕達は受け身でしかないことはみんなも理解していると思う」

 

 スフォルトの言葉を引き継ぎエクスが言った。悪魔が出現するようになって以来、戦力配置の見直し、対悪魔の戦術及び即応体制の構築と悪魔に対抗できるよう変化しているが、所詮それは対症療法の域を出ていないのが現状だった。

 

 そしてそれは無色の派閥に対しても言えることだった。聖王国だけでなく、無色のテロ行為による被害が大きい帝国でも、無色の派閥に対する対反乱作戦が実行されているが、各国にそれぞれ拠点を構える無色を完全に壊滅させることはできていないのだ。

 

「特に問題なのは、人の手で悪魔が召喚された場合ね。今回みたいに、立て続けに召喚されると対応しきれなくなってしまうもの」

 

 今度はファミィが言った。さすがにいつものような微笑は浮かべておらず、真面目な顔である。

 

「そう、だからそれを何とかするために力を貸して欲しいんだ」

 

「あの、具体的に何をすれば……」

 

 再び口を開いたエクスの抽象的な言葉にマグナが尋ねた。彼としても悪魔を何とかしなければ、と思っていたため協力することに躊躇いはない。しかし実際に何をすればいいか分からなかったのだ。

 

「何も難しいことじゃないよ、マグナ。世界を回って悪魔や無色に関する情報を集めてくれればいいんだ」

 

「……それって、あたしやネスがやってたのと似たようなこと?」

 

「やることは似たようなものだが、範囲は広がるし、調べる対象も違うがな」

 

 生来の気質か、あるいは妹弟子が本当に分かっているのか心配だったのかは定かではないが、ネスティがぴしゃりと言った。

 

「まあ、やることは同じなんだし、大丈夫でしょ」

 

 少し前までトリスとネスティはメルギトスが引き起こした事件の調査を引き継ぎ、聖王国中を旅していたのだ。その時と同じようにことをすればいいのであれば、まず問題はないだろうとトリスは楽観視しているようだ。

 

「あのな……」

 

 気楽すぎるトリスに対してネスティが呆れて何か言葉を口にしようとした時、ファミィが言った。

 

「あくまでも協力なんだから、お仕事で行った時にやってくれればいいのよ。そうでしょ?」

 

「ああ、その通りだ。気負わなくていい」

 

 確認を求められた聖王が微笑を浮かべながら返した。悪魔や無色の派閥への対策は何も彼らだけに押し付けるのではない。むしろ聖王国内については各都市の騎士団が中心として進める腹積もりのようだ。

 

 マグナやトリスに期待するのは聖王国以外での情報収集だ。聖王国も間諜など国外の情報源はあるが、悪魔関連は危険性も考慮し相当な戦闘力を持っていなければ成功の見込みはないだろう。その点、彼らは強大な魔力を持ち、悪魔との戦闘経験もある。十分適した人材なのだ。

 

「それなら俺達も協力できそうだな」

 

「ええ。……とは言え、私達はあまりサイジェントから動きませんけどね」

 

 ハヤトとクラレットも協力することに異存はなかった。ただ、普段はエスガルドやカイナからの情報で動くため、マグナ達のように積極的に国外へ出かけるのは少ないのが実情だった。

 

「……私がここに呼ばれたのは、帝国内で活動する際の便宜を図ってほしい、ということか?」

 

 話を聞いていたアズリアがここで口を開いた。彼女もこの集まりには栄典の授与以外にも、何らかの目的があると考えていたため、こうした内容に話が飛ぶことには驚いていないようだ。

 

「もちろんただでとは言わないよ。悪魔や無色の情報は全て共有する、ということではダメかな?」

 

 帝国はマグナ達の調査に協力するだけで、他に聖王国が得た情報も提供されるのだから費用対効果も高い。アズリアとしても無色の派閥に対抗するために、聖王国の協力を得たいと考えていたため、エクスの提示したものは願ってもない好条件だった。

 

「むしろ、そうした情報を一元的に管理する組織を新たに創設した方がいいのではないか?」

 

 しかし、アズリアとしてはより密接な関係を構築したいという思惑もあり、その提案を口にした。

 

「……面白い考えだ。ただ、今すぐに結論は出せぬな」

 

 それに真っ先に興味を示したのは聖王スフォルトだった。実際に悪魔を目の当たりにして、一刻も早く対して何とかしなければ、と焦燥にも似た思いがあるのかもしれない

 

「今すぐの判断など求めてはいません。今後の協議が必要でしょう」

 

 アズリアが同意し、聖王も納得したように頷いた。彼女もさすがにこの場でそこまでの答えは求めていなかった。今回は今後の足がかりができただけで十分だと考えているのだろう。

 

 その話が一段落したのを確認したエクスはシャムロックを見て口を開く。

 

「君は民を守るための騎士団を作りたいと言っていたよね」

 

「……はい、その通りです」

 

 そのためにシャムロックは武闘大会の優勝を目指していたのだ。結局それは彼が準決勝に駒を進めた直後に現れた悪魔によって、なし崩し的に中止になってしまったため水泡と帰してしまったが。

 

「そなたらの献身、ディミニエから聞いておる。……民のための騎士団、聖王家の名において認めよう」

 

 昨日、彼らが守った観覧席には聖王こそいなかったが、その娘である王女ディミニエがいたのだ。彼女がスフォルトに働きかけてくれたのは間違いないだろう。

 

 もちろんその裏には、悪魔への対抗戦力の拡充という思惑もあるのだろうが、シャムロックはそれでも構わないと思っていた。昨日のように民が悪魔に襲われる事態になれば、思惑などあろうがなかろうが守るために戦うのだから。

 

「……はっ」

 

 シャムロックは膝をつき首を垂れ、そして迷うことなく宣誓した。

 

「私と私の仲間は全ての民のため、剣を振るうと誓います」

 

 いずれ正式な場に置いて、もう一度宣誓することになるだろうが、騎士団を認めてくれた聖王に宣誓する機会などもうないかもしれない。そう思ったからこそシャムロックはこの場で宣誓したのだ。

 

 それを受けた聖王も言葉を返した。

 

「汝ら騎士団は、国に囚われず己の信義に従い、あまねく民の騎士として働くがよい」

 

 こうしてシャムロック率いる自由騎士団は聖王家を後ろ盾に正式に発足したのである。

 

 

 

 シャムロックが席に戻ると、他の者の視線はまだ意思表示をしていないバージルに視線が向けられた。意志を表明してないのはアティも同じだが、唯我独尊、傲岸不遜を地でいくバージルが先ほどから話を聞いているだけのため、ある種の不気味さが感じられ逆に注目を集めたのかもしれない。

 

 そんな雰囲気の中、エクスは目を閉じたままのバージルに言った。

 

「……さて、バージル、君には――」

 

 エクスは悪魔の知識や戦術の分野で協力して欲しい旨の言葉を告げるつもりだったが、その前にバージルによって遮られた。

 

「何を頼まれようとそれを受けるつもりはない」

 

 バージルは目を開いて一瞬アティに視線を向けて、言葉を続けた。

 

「俺()にはやるべきことがある。だから貴様らに協力することはできない。……ただ、同時に貴様らの邪魔をするつもりもない。それが、こちらができる最大限の譲歩だ」

 

 それを聞いたアティは驚いて目を見開いた。さすがに状況を考え、声は上げなかったが。

 

 先ほど視線を向けられたことからバージルの言う「俺達」にはアティも入っているようだが、彼からは何の話もなかったのだ。別にバージルに協力すること自体はやぶさかでない。むしろ自分の力を必要としてくれて嬉しいくらいだ。

 

 しかし、彼は一体何をやろうとしているのか、アティには全く見当もつかなかった。もちろんそれは他の者も同じだった。

 

「やるべきこと……?」

 

「答える必要はない」

 

 にべもなく断るバージルの言葉を聞きながらエクスは考える。栄典の授与が本題ではないとわかった上でわざわざ来てくれたのだから、協力を得られるのではないかと思っていたのだが、どうやら当てが外れたようだ。

 

(しかし、それならどうして来たんだ?)

 

 元々こちらの依頼を受けるつもりなどなかったのなら、彼の性格から考えてわざわざ足を運ぶことはないだろう。きっと何か別の意図があるはずだ。

 

(彼が言ったのは、やるべきことがあるということ、こっちの邪魔はしないということの二つ……)

 

 まず考えられるのは、エクスがアズリアに言ったように聖王国内での便宜を図って欲しい、あるいは支援をして欲しいということだ。ただ、もしそうであれば既に口にしていて然るべきだ。そしてそれがないということは、その考えは違っていたということになるだろう。

 

(要望があればもう言っているはず、それがないということは、まさか邪魔をしないということを言いに来た……いや、そんなことを言うために来るとは思えない)

 

 エクスはそこまで思考したところで、ある考えに思い至った。

 

 バージルは邪魔をしないために、こちらのやることを大まかにでも把握する必要があった。そのためにここまで来たのではないか。相手が何をしようとしているのか分からなければ邪魔をする、しないの話ではないからだ。

 

(問題は、彼がそこまで気を遣う人物か、ってことだけど……)

 

 バージルに視線を向ける。既に彼は言うべきことは全て言ったというような様子で、先ほどと同じような我関せずの姿勢に戻っていた。隣にいる彼と最も親しいだろうアティも先ほどの様子を見る限り、バージルが何を考えているかは知らないようだった。

 

(こちらへの協力は得られなくとも好意的中立の立場さえ取ってくれるのなら、よしとしよう)

 

 下手に詰問して先ほどの言葉を翻されればそれこそ一大事だ。それにエクス自身は双方に利害があったとはいえ、二年前にバージルに仕事の依頼を受けさせることに成功している。そのため今回のように長期に及ぶような話ではなく、短期で終わるようなものなら条件次第では受けてくれるかもしれない。

 

 そう考えたエクスはバージルへの話はこれで終わりにするため聖王と視線を交わし、頷き合った。そして聖王が口を開いた

 

「そういうことであれば無理強いするわけにはいかぬ。すまなかったな」

 

「……それなら、詳細は個別に詰めるとしましょう。時間も限られていることですし」

 

「そうだね。次にいこうか」

 

 少し悪化した感がある場の空気を変えるために発言したファミィにエクスも同意し、名目上の本題である栄典の授与へ話を進めた。

 

(バージルさん……)

 

 しかしアティは、先ほどのバージルの言葉のみならず、ここに来たことといい、今日の彼の言動がずっと気にかかっていた。考えて答えが出ることではないが、彼女は心中で帰ったら尋ねてみようと決心していた。

 

 

 

 

 

 その後、二人が夕食をとり部屋に戻った時には日も暮れており、空には満月が浮かび月光が部屋を照らしていた。

 

「あの、先ほど言っていたことなんですけど……」

 

 大きな窓から月を眺めていたバージルの隣に立ちながらアティが意を決して尋ねた。

 

「ああ、悪かったな。言う機会がなかった」

 

 アティに視線をやったバージルはそう軽く返し、さらに言葉を続けた。

 

「俺は、いずれこの世界に来るだろう魔帝ムンドゥスを倒す。お前にはその協力を頼みたい」

 

 バージルはムンドゥスについて、アティにはまだ話していなかった。昨日の時点でバージルも自身の戦う理由が変化していることから、彼女に話してもよかったのだが、そのタイミングを掴めぬまま今日呼ばれてしまったのである。

 

「魔帝、ムンドゥス……?」

 

 そもそもアティはムンドゥスのことすら知らないので、バージルは簡単に説明することにした。

 

「昨日も現れた悪魔の住む世界、魔界の支配者と考えればいい。奴は二千年前に人間界……俺のいた世界に来た時は親父に封印された」

 

 このあたりは直接父から聞いたわけではないため、その詳細については不明だ。いくつか資料や文献によれば何人かの協力者もいたということだが、その真偽も定かではない。

 

「それから十年ほど前にも復活したようだが、恐らく弟に敗れ、今も再封印されているはずだ。……だが、その封印もいずれ解ける。そしてその時に狙われるのは、このリィンバウムだ」

 

 バージルの見立てでは約二千年の間ムンドゥスを封じ続けたスパーダの封印に比べ、ダンテの封印はそう長くは持たないと見ていた。あの魔帝がそう何度も長時間封印されたままとは考えにくいし、今ならともかく、十年ほど前のダンテの力は当時のバージルと大差ないため、父が行ったような封印をできたのか微妙なところなのだ。

 

 さらに近年リィンバウムに現れる悪魔の中には魔帝が関与している可能性がある悪魔もいたため、それらを考慮すれば魔帝は他の悪魔に指示を出せる程度まで力を取り戻していると考えられる。

 

 持ってあと十年。それがバージルの予測だった。

 

「……えっと、聞きたいことはありますけど……大事なのはバージルさんがその魔帝という悪魔を封印するってことですよね?」

 

 その説明で疑問に思ったことはいくつかあったが、ここで重要なのはバージルの目的なのだ。

 

「話が早くて助かるが、少し違う。俺は魔帝を封印するつもりなどない。殺すつもりでいる」

 

「でも、これまではその……お父様も、弟さんも封印しかできなかったんですよね……?」

 

 意図的ではないにしろ、アティの質問は核心をついていた。これまでバージルの父と弟がムンドゥスに挑み、どちらも勝利を得ているが殺しきれなかったのだ。そしてその不死性こそが魔帝を魔界の支配者たらしめている理由でもあった。

 

「ああ、その通りだ。……だが俺は、いつまでも先送りするつもりはない。次で、終わらせる」

 

 魔帝ほどの存在ともなると、どれほど強力な封印であろうと永遠のものではない。封印は所詮、次の世代への問題の先送りでしかないのだ。スパーダもダンテも封印のみに留めたことについては、それしか手段がなかったのだろうし、今さらバージルは何も言うつもりはなかった。

 

 だが、自分はそこで妥協などするつもりはなかった。必ず己の手でムンドゥスを、二千年前から続く因縁を終わらせる。それだけの力が今の自分にはあるとバージルは確信していた。

 

「分かりました。そういうことでしたら、もちろんお手伝いします。……でも、一つ聞いてもいいですか?」

 

 その答え自体は最初から決めていたことだった。たとえバージルのやろうとしていることが何であろうと、アティは協力するつもりでいたのだ。今さら相手が魔界の支配者であろうと断るつもりなどなかったのだ。

 

「何だ?」

 

「どうして今になって話してくれたんですか? 先ほどの説明を聞く限りでは、弟さんが十年位前に戦った時には、こうなると思っていたんですよね」

 

 もし自分の力が必要ならその時に話してくれてもよかったのではないか、そう考えたのだ。

 

「たとえ知らされなくとも、お前は悪魔が現れればお前は戦うだろう。だがムンドゥスが直接率いる悪魔はこれまで現れた悪魔とは違う。最低でもフロストクラス、幹部ともなればベリアルと同等かそれ以上だ。まず勝ち目はない」

 

「…………」

 

 その様子を想像してアティは背筋が寒くなった。フロストだけでも相当の強敵なのに、自分では敵わなかったベリアル以上の悪魔もいるのだから絶望的だ。バージルの影響で強化された魔剣果てしなき蒼(ウィスタリアス)を使っても、ベリアルを相手にしても勝てる気はしなかった。

 

「十年前の俺は、それもお前の自由だと思っていたが、今は違う」

 

 バージルが真剣な目でアティを見た。

 

「バージルさん……」

 

 思わず彼の名前を呟いた。うっすら頬が上気していることを自覚しつつも、アティはバージルから目を逸らすことはしなかった。

 

「俺はお前に死んでほしくはない。……いや、死なせるつもりはない」

 

 今のバージルにとってアティこそが魔帝と戦う最大の理由である以上、彼女を死なせたくないと思うのは当然のことだった。

 

「あ、う……」

 

 まさかバージルからここまでストレートな言葉を言われるとは思っていなかったアティは、顔を真っ赤にして言葉にならない声を零していた。それをまだ伝わっていないと考えたのか、あるいは言わなければならないと思ったのか、バージルはさらに言葉を続けた。

 

「アティ、俺にはお前が必要だ。だから協力してほしい」

 

「……私だって、バージルさんと一緒じゃなきゃダメなんです。だから一緒に戦わせてください」

 

 アティもあらためてもう一度、共に戦うことを望んだ。しかし以前のように単純に手伝いたいという理由ではなく、はっきりと自分の意志でバージルと共にあることを望んだのである。

 

「ああ、頼む」

 

 バージルはそう答えると手をアティのあごに手をやり、そのまま自分の方に軽く持ち上げた。理由はないが、無性にしたくなったのだ。

 

「ん……」

 

 顔を上気させたまま目を閉じる。

 

 そして月の光によって作られた二人の影が重なった。

 

「んっ……すき……」

 

 アティがバージルの頭を抱きしめるように持つと、バージルもそれに答えるようにアティの体を抱きしめる。部屋の中には、唾液の交わる音が部屋に響いている。

 

 しばらくしてようやく顔を離した二人の間を、光を反射して光るアーチが繋いでいた。

 

「アティ」

 

「はい……」

 

 バージルに名前を呼ばれたアティが潤んだ瞳で見つめる。それが合図になったかのようにバージルはアティをベッドまで運んでいく。

 

 長い夜はまだ始まったばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

第4章 いつか夢見た日 了




第4章完結しました。これで本作のバージルはほぼ完成です。

それもあって、次回のサモンナイト4編のDMC側のメインキャラは変更となります。……
候補者が二人くらいしかいないので簡単に分かるかと思いますが。

そんな新章が始まる次話は12月24日頃投稿予定です。

とりあえず掴みも兼ねて3~4話は隔日投稿しようかなと思ってます。その中でバージルの立ち位置も明らかにする予定です。

ご意見ご感想お待ちしてます。

ありがとうございました。


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第5章 希望の担い手
第66話 世界の迷い子


 太陽が沈み、空には星が輝き始めた頃、帝国の北部山岳地帯にある宿場町のトレイユへと伸びる道を、外套を纏いフードを被った一人の男が歩いていた。

 

 その男は片刃の大剣を背負っているため、冒険者のように見る者も多いだろう。ただ、奇妙な点が一つだけあった。騎士が身に着けるような金属製の籠手を身に着けていることはまだいいものの、問題はそれを右腕にしかつけていないことだ。

 

 肘まである大きな籠手を片腕にしか身に着けていない様は、見る者にどこか不格好な印象を与えることだろう。

 

 しかし、当の本人はそんなことなど全く気にした様子は見せていなかった。

 

 そんな中、男は歩きながら空を見上げ、ついで目を凝らして周囲を見渡して呟いた。

 

「……今日は野宿だな」

 

 あまりこの辺りの地理に明るくなく、地図も持っていなかった男は、もう少し歩けば宿場町まで着くことなど知るはずもなかったのだ。そのため、今日はこの近くで野宿することにしたようだった。

 

 街道をはずれ木々の中を少し進むと、先に小高い丘が見えた。木も近くにあるため、雨露をしのぐこともできそうだ。

 

「ここにするか」

 

 この場を今日の寝床に定めた男が、ふと空を見上げた。さきほど見た時はまだ僅かに太陽の光が残ってはいたが、今の空には丸い月が輝き、いくつもの星が散りばめられていた。これで僅かに残る雲さえなければ絶景といってもいい光景が広がっていたことだろう。

 

 その時、流れ星が空を横切った。

 

「へえ……」

 

 思いがけない光景に声を上げると、それに呼応するかのように次々と流れ星が見えた。雨のように流れる星々などこれまで見たことがなく、思わず見入ってしまっていた。

 

「ん……?」

 

 そこへ虹色に輝く、一際大きな流れ星が見えた。いや、これは見えるというより――。

 

「っ!」

 

 自分に向かって落ちてきた流星に対し、男は咄嗟に右腕をかざし、受け止める構えを見せた。

 

 落下する流星が目論見通り男の手の中に収まった瞬間、凄まじい衝撃と轟音が発生した。それは、もしも地面に落ちていたら、大きなクレーターが作り出すことくらい容易く想像できるほどの衝撃だった。

 

 実際、男が被っていたフードは衝撃が生み出した風圧で脱がされ、輝くような銀髪が露になるが、当の本人はそのアクシデントを楽しむかのように、薄く笑いながら涼しい顔で流星を受け止めていたのだ。

 

「ふう……」

 

 衝撃が収まり息を吐く。

 

 そして、流星を素手で受け止めるという離れ業を見せた男は、手の中に収まったものを地面に落とした。

 

 受け止めた腕を見ると、先ほどまでつけていた籠手は影も形もなく、素の状態の右腕が露になっている。しかしそれは甲殻のような質感を持ち、淡い光を放っていた。到底普通の人間のものとは思えない姿だ。

 

「ちっ……」

 

 それを見た男は舌打ちをすると、とりあえずの応急処置として袖を伸ばした。これで手首までは隠せるだろう。もっとも、この場は彼一人しかいないのだから大して気にする必要もないだろうが。

 

「何だこれ……、タマゴ、か……?」

 

 不意に視界の中に七色に光るものが入っていることに気付いた。視線を動かすと、その正体が先ほど受け止めた流星だったことが分かった。いや、正確にはタマゴと表現した方がいい物体だった。

 

 思わずしゃがみこんで、それをまじまじと見つめる。

 

「あの~」

 

 背後からそう声をかけられた。

 

「……何の用だ?」

 

 周囲は暗いが念のため右手をポケットに突っ込み、振り返ってみるとそこにいたのは子供が三人、男が一人に女が二人だ。年の頃は三人とも十代半ばくらいだろう。声をかけてきたのはその中の、男より白っぽい銀髪を後ろでアップにしている少女だった。

 

「この辺りからすごい音が聞こえたから来たんだけど……」

 

「あー、それはこいつが落ちてきた音だろうな」

 

 目の前のものを示した。すると少女も男の隣でしゃがみこんだ。

 

「タマゴ……?」

 

 彼女がそう呟いた時、急にそのタマゴが動き出した。それが放つ光もさらに増しているように見える。

 

 そして、一際大きな光が放たれ視界が遮られたかと思うと、タマゴが割れるような音が聞こえた。

 

「これって……竜?」

 

 光が落ち着いた時、タマゴがあった場所にいたのは、人間界の西洋の竜に似た生物だった。とはいえ背や尻尾など、西洋の竜なら鱗で守られている箇所は、鱗ではなく人間の皮膚のような質感を持った桃色の皮膚で覆われていた。

 

 頭部には柔らかな角のようなものもついている。手は羽のような役割も持っているのか体の割に大きいようだ。そして背には淡い光を放つ結晶のようなものが浮いていた。

 

 その小さな竜の子供は、じっと目の前にいた男と少女を見ていた。

 

「うわ、可愛い!」

 

 もう一人のうさぎの人形がついた大きな帽子を被った少女が、竜の子供を抱きかかえながら笑う。当の竜は嫌がるどころか、「ピィピィ」と鳴いて喜んでいるようだ。存外、人懐っこい生き物なのかもしれない。

 

「姉さん、どうするの? この子……」

 

 大きなゴーグルを頭に着けた少年が当惑したような表情をしながら二人の少女に尋ねる。

 

「そりゃ連れて帰るに決まってるでしょ。このままになんて、できるわけないじゃない」

 

 姉さんと呼ばれたところを見ると彼と、帽子の少女は姉弟らしい。

 

「あのねえ――」

 

 それを聞いた銀髪の少女が何か言おうとした時、これまで黙って話を聞いていた男が口を開いた。

 

「話してるとこ悪いんだけどよ、あいつらはあんたらの知り合いか?」

 

「え?」

 

 そう言われた三人は男の視線の先を見やった。

 

 そこには鎧を着た男が四人ほどこちらを見ながら立っていた。

 

「何よ……あんたたち……?」

 

 帽子の少女が少し怯えたように尋ねた。

 

「……その竜をこちらに渡してもらおうか」

 

「あんたたちが誰か知らないけど、せめて理由くらい説明して欲しいんだけど」

 

「その必要はない」

 

 白い髪の少女の言葉には何も答えない。

 

「なるほど、知り合いじゃないってわけね。……にしても物騒だな、交渉するつもりなら殺気くらいは消した方がいいぜ」

 

 その反応を見た男が軽口を叩いた。殺気を放つ者を前にしているというのに、驚くほど落ち着いているようだ。

 

「その竜は我らのものだ。理由を教える必要も、交渉の必要もない」

 

「へえ、その割にこいつには随分と嫌われているみたいだな。はっきり言って説得力ないぜ、その言葉」

 

 鎧の男たちに向けて威嚇するように鳴き声を上げている竜の子供を見ながら、バカにするような笑いを放った。

 

「そ、そうよ! 話すつもりはないなら出直してきなさいよ!」

 

「…………」

 

 それが頭にきたのか、あるいはこれ以上の話し合いは無用と思ったのか彼らは一様に剣を抜いた。

 

「ちょ、ちょっと二人とも、そんなに挑発しちゃまずいって!」

 

 それを見た銀髪の少女が、男に言葉をかけた。しかしその口は全く止まる様子を見せなかった。

 

「何だよ、やる気なら最初からすればよかったじゃねえか。……それともあれか? 勝つ自信がなかったのか?」

 

 いやらしい笑みを浮かべながら男は煽る。

 

「……始末しろ!」

 

 それに鎧の男は答えず、三人の人間に命令を下した。

 

「ハッ、図星で答えらんねえか?」

 

 武器を構えた者が向かっていきているにも関わらず、男は背の大剣を抜くこともせず、右手をポケットに突っ込んだままニヤニヤした笑いを続けていた。

 

「シャアッ!」

 

 鎧の男の一人が奇怪な掛け声を上げながら振り下ろした剣を、流れるように左へ動き回避した銀髪の男は、そのまま隙だらけの腹へ蹴りを叩きこんだ。

 

「おいおい、これでダウンかよ、案外あっけねえな」

 

 一撃で昏倒した男を見下ろしながら呟いた時、彼の背後に鎧の男が武器を構えていた。

 

「ピィ!」

 

 警告してくれたのか、竜の子供が鳴き声を上げた。

 

「心配すんな、気付いてるよ」

 

 呟いて振り向きもしないまま左手を後ろへ伸ばし、近づいていた男の、剣を持った腕をさも当然のように掴んだ。

 

「仲良くオネンネしな!」

 

 その腕を持ったまま体を回し、遠心力を利用して放り投げた。その先にいるのは三番目に向かってきた鎧の男だった。当然、大の人間がぶつかって平気なはずもなく、二人の男は仲良く意識を失ったようだ。

 

「ぐっ……」

 

「さて、最後は……」

 

 命令を下した男が狼狽する様を尻目に、銀髪の男が呟いて地面を蹴った。瞬きする間に接近し、左手で鎧の男の顔面を殴りつける。

 

 それほど力を込めたつもりはなかったが、それでも意識を刈り取るには十分な威力を持っていたようで、殴られた男は目を回して倒れ伏した。

 

「たいしたことねえな、こいつら」

 

「ピィピィ!」

 

 そこへ竜の子供が嬉しそうに鳴きながら飛んできた。どうやら生まれたばかりの関わらず飛行能力は持っているようだ。

 

「おう、さっきは助かったぜ」

 

 わしわしと頭を撫でる。別にあの時の声がなくともどうとでもなったが、だからといってそれが礼を言わない理由にはならないのだ。

 

「お前ら怪我はないんならさっさと帰った方がいいぜ? あいつらが目を覚ますかもしれないしな」

 

「うん、わかった。……って言うか、あんた何者!?」

 

「ね、姉さん、失礼だよ」

 

「ルシアンの言う通りよ、リシェル。助けてもらったんだからお礼くらい言わないと」

 

 リシェルと呼ばれた少女にそう言うと、白い髪の少女は男の方を向いた。

 

「あの、助けてくれてありがとうございます。えっと……」

 

 男は少女たちに名乗っていなかったことを思い出した。

 

「ああ、そういえば言ってなかったな……。俺はネロだ」

 

 この時ネロは、彼女らと長い付き合いになることは全く予想していなかった。

 

 

 

 

 

 ネロを含めた四人は、先ほどの星見の丘から宿場町トレイユに向かって町道を歩いていた。

 

「旅人になってもう随分長いの?」

 

「……いや」

 

 ルシアンという少年の質問にネロは若干答えづらそうに否定した。

 

 道中でいろいろと尋ねられたネロは、自分は旅人でその道中に、たまたまあの場に居合わせたという作り話をした。悪意はないとはいえ、もともと人をだますのは好きではないネロは、彼の話をすっかり信じ込んでいる三人に悪い気がしていた。

 

 もちろん全てが作り話というわけではない。実際、この世界を旅しているのは間違いないし、あの場にいたのも偶然なのは本当だ。しかし、彼は重要な事実を話してはいなかった。

 

 それはネロがこの世界に召喚された召喚獣であるという事実である。

 

 もともとネロは人間界のフォルトゥナという都市に住んでおり、そこで悪魔退治を生業としていた。このリィンバウムとかいう世界に来たのは、仕事の一環で日本のナギミヤという場所を訪れたのが直接の原因だった。そこでは年に何人もの行方不明者が出ており、それが悪魔の仕業ではないかと疑った者が様々なルートを通じてネロに依頼してきたのだ。

 

 その調査の一環で、郊外の誰も住んだ様子がない建物を調べていると、いつの間にかこの世界にいたのだ。普通は近くに呼び出した召喚師という人間がいるらしいが、ネロがこの世界に来たときはそんな者はいなかったのだ。

 

 最初にこの世界に来たときは、随分面倒な目に遭ったものだ。召喚師のいない召喚獣ははぐれ召喚獣と呼ばれ、どこの国でも色眼鏡で見られるものなのだ。ネロはそうした背景を知らずにいたため、召喚された帝国という国のある都市でひと悶着起こしてしまったのだ。

 

 ただ、状況を把握できれば順応は早かった。まだ召喚されて五日程度しか経っていないのに、その振る舞いは既に、この世界の普通の人間と大して変わりなかった。

 

 それはネロ自身がこうしたことにはある程度の慣れがあったからだ。

 

 悪魔退治という仕事に国境はない。それゆえ時には、言葉も文化も違う国に行くことだってある。彼自身も故郷のフォルトゥナとは全く違う文化を持つ国に行ったことは一度や二度ではない。郷にいては郷に従えというわけではないが、スムーズに仕事を進めるためにも、無駄な軋轢を生まないように行動するのは極めて重要なのだ。

 

 そうした経験が生かされたからこそ、ネロはいち早くこの世界に馴染むことができたのである。

 

「それはともかく、本当にいいのか? 自慢じゃないが、俺は金に余裕なんてないぞ」

 

 先ほど提案された話を本当に真に受けていいのか、悩んでいたネロはあらためて尋ねた。

 

「だけど、あんなところで野宿するよりはマシでしょ。ここはフェアに甘えときなさいよ」

 

 うさぎの帽子を被ったリシェルという少女が呆れたように言う。口調からすると気が強い子なのかもしれない。

 

「そうそう、助けてくれたお礼なんだから遠慮しないでよ」

 

 そう答えたのは白っぽい銀髪の少女がフェアというらしい。どうも彼女は宿屋兼食堂を営業しているらしく、野宿しようと思っていたネロに寝床の提供を申し出たのが始まりだった。

 

「まあ、そういうことならありがたく世話になるか」

 

 その言葉には、これ以上無理に断っても三人は納得しないだろうという考えと、やはり野宿するよりもちゃんとした場所で眠りたいという思いがあったためだ。

 

 しばらく歩くと正面右手に明かりが見えた。あれが目的地のトレイユという町だろう。

 

「トレイユってところは、意外と近くにあるもんだな」

 

 これなら先ほどの星見の丘で野宿などしようと考えず、もう少し歩いていればトレイユに辿り着くことができていたかもしれない。

 

「まあ、フェアさんの宿は町はずれにあるんだけどね」

 

「……よくそんなところでやっていけるよな」

 

 宿というのは客の入りをよくするために人通りが多い場所など立地がいい場所にあるのが一般的だ。ネロが仕事先で使うのもそうした利用しやすいホテルなのだ。

 

「あはは! 確かにそう思うわよね!」

 

 それを聞いたリシェルが笑いながら同意するのを見ながら、フェアは少し諦めたような口ぶりで答えた。

 

「仕方ないでしょ、立地条件が悪いのはどうしようもないんだし」

 

「でもフェアさんの料理はおいしいから、お昼はいつもお客さんで一杯なんだよ」

 

「でも、泊まりの客が一人も来ないんじゃ宿屋の意味ないじゃない」

 

 ルシアンがなんとかフォローしようとするが、リシェルにばっさりと言われた。

 

 町の中に入りそんな話をしながら、大通りを道なりに歩いていると、ため池についた。

 

「じゃあ、あたしたちはここでね。フェア、その子の世話頼んだわよ」

 

「またね、フェアさん、ネロさん」

 

 そう言って二人は西の方に歩いて行った。どうやらこの姉弟の家はこの先にあるようだ。

 

「うちはこっち。もう少しで着くから」

 

「ああ。……にしても全く起きねえな、こいつは。さっきまではピィピィうるさかったってのに……」

 

 そう言ったネロがフェアの背で寝息を立てている竜の子供の顔を覗き込む。あの戦いの後、この竜の子はフェアが預かるということで話がまとまったのだ。それには、あの鎧の男たちのような竜を狙う存在が来るかもしれないという理由もあったが、それ以上に悲しそうな鳴き声を上げる竜の子を放っておくことができなかったのである。

 

「見てる分にはいいけど、あまり大声出さないでね。この子、ぐっすり眠ってるんだから」

 

 フェアはネロが竜の子を起こさないようにくぎを刺した。

 

「分かってるよ、俺もうるさいのはごめんだからな」

 

 そう返答したネロは大人しく黙り込んでフェアの後に続いて歩いた。道はいつの間にか石畳から、砂利すら敷かれていない、人や動物によって踏み固められただけの道になっていた。

 

 その先には一軒の建物が見える。町中にあった建物と比べても大きな部類に入るそれこそがフェアの営んでいるという宿屋だろう。

 

「お待たせ、ここが『忘れじの面影亭』よ」

 

「……随分と洒落た名前だな」

 

 共に中に入りながら率直な感想を言う。もしこの名をフェアがつけたというのなら、彼女は年齢の割にませているのかもしれない。

 

「ち、違うから! 名付けたのは私じゃなくて、オーナーだから!」

 

 ネロの生暖かい視線を受けたフェアは誤解だといわばかりに釈明する。

 

「後ろの、起きるぞ」

 

「うぅ~、……ちょっと待ってて、寝かせてくるから」

 

 指摘され、図星を突かれた形になってしまったフェアは、少し悔しそうな顔をしながら竜の子を寝かせに行った。

 

「……ちょっとからかい過ぎたか」

 

 そう言って近くにあった椅子に腰かけた。どうやらここは食堂に類する場所らしく、椅子やテーブルが何組も置いてあったのだ。

 

 ここに来て十日、食事などの際に店員と言葉を交わしたことはあったが、こんな会話を交わしたのは初めてだった。そのため、少し無遠慮すぎたかもしれない。

 

(しかし、人間界とは違う世界か。違う世界に飛ばされたのは初めてだな……)

 

 ネロは職業柄、生まれ育ったフォルトゥナとは、全く異なる地へ行くことも珍しいことではない。

 

 なにしろネロは数多のデビルハンターの中でも、世界最高と評されているのだ。単純な強さで言えば、さらに上にダンテがいるのだが、ダンテはあまり評判がよくないのである。その原因が生来の性格と、便利屋としての日頃の行いにあることは否めない。

 

 それに引き換えネロは口こそ悪いものの、仕事は早く正確だ。おまけに教団騎士として戦っていた経験からか、周囲への被害へも考えられる柔軟さも持ち合わせていた。

 

 それらを考慮すれば、ネロに人気が集中するのも仕方のないことだった。

 

(まあ、悪魔が出ないのは、気が楽だけどな)

 

 仕事の時は悪魔がいるのがほぼ確定しているため、警戒しているのだが、この世界に来て十日経つが、()()()()()()()()()()()()()()()ため、ネロも必要以上に気を張ってはいなかった。

 

(とはいえ、さっさと帰らないとな……)

 

 フォルトゥナでは恋人であるキリエが待っている。彼女のためにもできる限り早く帰りたかった。

 

(とりあえず、俺を召喚した奴を探すか、直接人間界に帰れる方法を見つけるしかないな)

 

 最初にこの世界に来たときは、自分を召喚した存在を見つけることはできなかった。しかし、まさか誰の関与もなくこの世界に来たとは考えにくい。きっと、召喚した者はどこかにいるはずなのだ。

 

 仮にそれが見つからなくとも、人間界に行ける手段を見つけられれば、それで構わない。人間界と魔界を行き来できる手段すらあるのだから、召喚術という異世界の存在を呼ぶことができる手段が現にあるわけだから、その他にも異世界を行き来する方法もあって然るべきだ。

 

「お待たせ」

 

 足を組んで考え事をしていると、フェアが戻ってきた。手には鍵を持っている。

 

「はい、これが部屋の鍵。部屋は「蒼天の間」っていうところで、廊下を真っすぐ行った一番奥なんだけど、案内した方がいい?」

 

 どうやら持っていた鍵がネロの寝床となる部屋のものだったようだ。

 

「すぐそこだろ? なら一人で大丈夫さ」

 

 そう言いながら鍵を受け取った。この建物は町中にあったものと比較すると大きいものの、ネロがこれまで利用してきたホテルなどと比べると、小さい方だ。もっとも、この「忘れじの面影亭」はホテルというより、ゲストハウスやB&Bの方が形態としては近いかもしれない。

 

「うん、わかった。……それじゃあおやすみ。また明日ね」

 

「ああ、おやすみ」

 

 そして先ほど言われた通りに食堂を出て廊下を進む。その突き当りの部屋が「蒼天の間」だった。

 

「……へえ、意外と綺麗にしてあるもんだな」

 

 部屋に入り、中を一通り見たネロが感心したように言う。家具はベッドと机くらいしかなく、装飾品も風景画など壁に掛けるようなものだけで、総じて地味な印象を与えるが、それでいて決して味気ないというわけではない。名前の通り、蒼やそれに近い色でまとめられたそれらは、気取りがない味わいがあった。

 

「はあ……」

 

 どっと疲れを感じたネロは着ていた外套とコートを机に放り投げ、ベッドに身を投げた。一人になった今では右手を隠す必要もない。右手をずっとポケットに入れたまま出さないようにするのは、簡単なようでなかなか気を張るものだった。フォルトゥナでは隠してはいないし、仕事で外国に赴くときは手袋で隠していたため、それほど気を配ったことはないのだ。

 

(明日、手袋か何か買いに行くか……)

 

 ネロにとって右手を隠すことは最優先ではないが、人間と召喚獣で露骨に態度を変える者も少なくないこの世界では、バレないにこしたことはない。だからこそ、余裕がない路銀を使っても失った籠手の代わりに、手袋でも買おうと思ったのだ。

 

 ちなみにネロが着けていた籠手は、召喚された初日に起こしたいざこざの果てに戦うことになった兵士から奪ったものであり、買ったものではない。

 

「……後は明日でいいか」

 

 ベッドで寝転びながら明日の行動を考えていると眠気に襲われる。さすがにこんな朦朧とした意識で考え事などできそうないと思い瞼を閉じた。

 

 ほどなくしてネロは眠りに落ちたのか、蒼天の間に穏やかな寝息が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 




DMCも4からネロが主人公になったので、サモンナイト4編に入る本作もメインキャラはネロとなります。もちろんバージルも出ますけど。

なお、本作におけるフォルトゥナの事件は、バージルが閻魔刀を持っており、魔剣スパーダもないため、以下の通り原作と大きく異なっています。

1.ビアンコ・アンジェロがいないため、ネロはアグナスのところで恒例行事をしておらず、魔人化も体得していない。

2.トリッシュが教団に持って行ったのはフォースエッジだったため、神はDMC4ほどの戦闘力を発揮できなかった。

3.オリジナルの地獄門は起動できないため、教団は小地獄門で代用したものの、最終的な被害は原作より小さくなった。

その他にも変更はありますが、本作に関わりそうなのは以上の3つです。

さて次回は12月26日(火)に投稿予定です。ちなみに、これまでのように朝ではなく20時頃の投稿となると思われます。

ご意見ご感想お待ちしてます。

ありがとうございました。


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第67話 竜を狙う者

 穏やかな朝、柔らかな日差しがカーテンの隙間から部屋に入り込んでいる。しかし、その部屋で寝ているネロが起きる様子はなかった。リィンバウムに来て初めてのベッドでの睡眠だったため、熟睡しているのだ。

 

 しかし、その眠りもとうとう終わる時がきた。

 

「起きてる? そろそろご飯だよ」

 

 コンコンとドアをノックした音が聞こえたかと思うと、フェアの朝食を告げる声が続いた。

 

「……ああ……今行く……」

 

 まだ半分ほどしか覚醒していない頭を働かせ、何とかその言葉を口にした。さすがに入ってくることはないとは思うが、ここは異世界だ。ネロの常識が通用するとは限らない。それに昨日着ていた上着は、机の上に放り投げられたままであるため、右腕を隠せるものは精々掛け布団くらいしかないのだ。ここは大人しく返事をするのが無難だった。

 

 頭をかきながら体を起こす。まだ意識が覚醒しきっていないのか、意識は霞がかかったようにはっきりしなかった。それでもベッドから立ち上がると、机の上に無造作に置かれたコートを手に取って身に着けた。

 

「はあー……」

 

 大きく息を吐きながら体を伸ばす。それだけでも寝起きの頭からマシになったような気がした。

 

 そして右手をコートのポケットに突っ込むと部屋を出た。

 

「おはよ、ネロ!」

 

「おはようございます、ネロさん」

 

 まだ朝だというのに食堂にはリシェルとルシアンがいた。昨日の竜の子がどうなったか気になったのだろう。

 

「ああ。……それにしても随分と見事な食いっぷりだな」

 

 その竜の子はテーブルの上でパンを食べていた。その小さな体のどこに入るんだと言いたくなるような勢いだ。

 

「まあ、昨日から何も食べてないからね」

 

 そこへトレーに料理を乗せたフェアが来た。

 

「それは俺も同じだけどな」

 

「だったら、たくさん食べてね」

 

 トレーがネロの前に置かれる。どうやら彼女が持っていたものがネロの朝食だったようだ。

 

 並べられた料理はパンにサラダ、スープとネロが人間界で食べていた料理とたいして変わりない。意外に食文化は似ているのかもしれない。

 

「……なるほど、確かにうまいな」

 

 一通り食べたネロが感心したように呟いた。

 

「あたしが言った通りでしょ?」

 

「……そうだな」

 

 ネロの記憶ではフェアの料理がおいしいと言ったのは、リシェルではなくルシアンだったような気がしたのだが、別にそれでどうなるわけでもないため、適当に相槌を打つことにする。

 

「ま、おいしいと思ってもらえるならそれが一番よ」

 

 そうは言うものの、やはり自分の料理を食べておいしいと口にしてもらえるのは嬉しいようで、口元は笑っていた。しかし、すぐに真面目な顔をして「話は変わるけど」と前置きした上で言葉を続けた。

 

「この子、どうする? 面倒見るのは嫌じゃないけど、いつまでもこのままってわけにはいかないでしょ」

 

「そうだよね……」

 

「それは……わかるけどさ」

 

 二人ともこのままでいいとは思っていないようだったが、だからといって何か考えがあるわけではなかった。

 

「…………」

 

 ネロは三人を横目に見ながら食事を続ける。竜の子は既に食べ終わったようで、不安そうな声で鳴きながらフェアたち三人やネロを見ていた。

 

 ネロとしても竜の子になにも思わないわけではないし、不安に思う理由も推察できる。だからといって彼にできることはほとんどない。仮に連れて行くとしてもいずれはこの世界から去る身だ。いつまでも一緒にいられるわけはないのだ。

 

「割り込んで悪いけどよ……ちょっと聞きたいことがあるんだ」

 

 考えるのはそこまでにしてネロは三人に尋ねた。

 

「雑貨屋とかあるか? ちょっと買いたいものがあるんだけどよ」

 

 そう尋ねたのは、昨晩寝る前に考えたように右手を隠すために手袋を購入するためだ。三人は竜の子の話で頭がいっぱいなのか、ずっとポケットに入れっぱなしの右手まで気が回っていない様子だ。しかし、いつまでもそれが続くわけではないのだ。

 

「それなら中央通りのため池側にあるわよ。わかりやすいから行けばすぐ見つけられると思うけど」

 

「そうか。行ってみるよ」

 

 そう返した時、ルシアンが思い出したように声を上げた。

 

「あ、そういえばフェアさん。父さんが呼んでたよ」

 

「どうせ売り上げがどうとか、利益がどうとかでケチつけるつもりでしょ」

 

 言葉から察するにどうやらリシェルは年頃だからか、あまり父親との仲は良くないようだ。

 

「赤字じゃないけど、儲かってもいないからね。オーナーが文句言うのもしょうがないよ」

 

 若干のあきらめを含んだ声で言う。どうやらリシェルの父親がこの宿屋のオーナーらしい。昨日もそんな話はしていたものの、こうして話を聞くとあらためて自分よりも年下だろう少女が、一人でこの宿屋を切り盛りしていることを実感させられた。

 

(ここにいる間くらいは気にかけるか)

 

 彼女らの話を聞いてネロは胸中で呟いた。異世界の存在である自分ではできることは少ないが、寝床と食事を快く提供してもらった恩もあるし、せめてトレイユに滞在する間は注意を払おうと思った。とはいえ、この平穏そのものの町で何かあるとも思えなかったが。

 

 

 

 

 

 それから朝食を完食したネロは手袋を買うために中央通りの方に足を運んだ。トレイユは入り口の門から、生活用水を貯めているため池までを結んだ中央通りを核として据えた町である。当然、主だった商店や宿はみな、その界隈に軒を連ねているのだ。

 

「へえ、意外といるもんだな」

 

 昨夜、ここを歩いた時にはほとんど人影がなかったことため、意外な人の多さにネロは驚きの声を上げた。とはいえ、その絶対数は決して多くない。トレイユという町自体大きなところではないから、それに比例し人口も少ないのだろう。

 

「……ここか」

 

 町並みを眺めながら歩く。フェアの言葉通り目的の雑貨屋はすぐ近くだった。

 

 早速そこに入ったネロは店主らしき男に尋ねた。店の中を探しても見つかるかもしれないが、やはり一番手っ取り早いのは店の者に聞くことだ。

 

「なあ、手袋ってあるか? できるだけ分厚いやつ」

 

「ああ、それなら向こうの棚だよ」

 

 そう言って店主は店の奥の方を指さした。

 

 そちらに行ってみると言葉通り、いくつかの種類の手袋が並べられていた。どちらかといえば見た目より機能性を重視したものが多い。あるいはこの世界の人々はあまりファッションに興味がないのかもしれない。

 

 もっともそれはネロにもいえることだ。彼も服の趣味は以前からほとんど変わっていない。もちろん服を買うことは珍しくないが、デザインに多少の差異はあっても、全体の色合いなどは一貫して同じなのだ。

 

「……これにするか」

 

 少し考えたネロは黒い革製の手袋を選んだ。屋外での作業や登山などに使用することを想定しているのか、厚手で頑丈そうな品物だ。これなら多少粗末に扱っても大丈夫だろう。

 

 ネロはその手袋を予備の分も含め二組買うことした。店主のもとへ持っていき、金と一緒にカウンターに置いた。まだこの世界にきて日は浅いが、ネロは多少の金銭は所持していた。といっても労働をして得たものではなく、ケンカを売ってきたチンピラのような者を叩きのめして得たものだったが。

 

「兄ちゃん、見ない顔だな。冒険者かい?」

 

「……似たようなものだ」

 

 店主の問いにぶっきらぼうに答える。やはりたいして大きくない町だと住民の顔くらい覚えているのだろう。

 

「へえ、冒険者なんていつ以来だ? 随分と珍しいな」

 

 ネロは知らないことだが悪魔が現れて以来、一人や二人の少数で旅する冒険者はその数を減らした。少数では悪魔に対抗することが難しいからだ。その後に主流になったのは、危険が多い都市間での移動をできる限り大勢で行う方法だった。これなら不意を突かれる危険性は大幅に低下するため、結果的に少数で移動するより安全なのだ。

 

 当然、その移動に使われるルートは大人数での移動に適すると共に、戦闘になることを考慮して戦いやすく、かつ見通しが良い道を選択することになる。しかし、トレイユから帝都方面に行くならまだしも、聖王国方面へは山越えをしなければならず、そうした理由で冒険者からはこのルートは避けられる傾向にあるのだ。

 

「そうか」

 

 そうした背景があっての店主の言葉だったのだが、ネロは興味なさそうにそう言っただけだった。

 

「はいよ。気をつけてな」

 

 手袋を受け取ったネロは店を出た。彼には帰る手段を見つけるという目的はあるが、その手掛かりとなるものは何もないのが現状だ。しかしだからといってどこかに留まり続けても進展はしないだろう。

 

 ネロにできるのはこの世界を旅し、帰還する手段かその手掛かりを探すことくらいなのだ。

 

 そのため、この町に長く居座るつもりはない。一通り調べて手がかりがなさそうなら次の町へ出発するつもりでいた。

 

(とりあえず、新しい寝床を探すか……)

 

 さすがに金銭的な余裕はないため、これ以上フェアのところに泊まるつもりはない。どこか雨風が凌げるところでもあればいいのだが、今日は天気が良いため最悪野宿でもなんとかなるだろう。

 

 そう考えたネロは店を出て歩き出した。

 

 

 

 

 

 昼を少し過ぎた頃、ネロは忘れじの面影亭に戻ろうと歩いていた。まだ部屋に置きっぱなしになっている防寒用の外套を取りに戻るためだった。

 

「はあ……、こりゃ野宿だな」

 

 しかし、その言葉が示すように新しい寝床は見つからず、野宿が現実のものになりそうだった。これまでにも野宿した経験はあるのだが、やはり昨晩は柔らかいベッドで寝たこともあり、固い地面で寝ることに少しばかり嫌気が差していたのだ。

 

 肩を落としながら道を歩いていると、宿屋の方からリシェルの大きな声が聞こえてきた。

 

「……またなんか騒いでんのか」

 

 一瞬、昨夜撃退した者たちが来たのかと思ったが、リシェルの声が驚きのニュアンスが含んでいたこと、戦いの音が聞こえなかったことから、彼女らが騒いでいるだけだと結論付けた。

 

「何やってんだお前ら?」

 

 実際のところ、彼の推論は当たっていたようで、宿屋ではいつもの三人とネロとは面識がない一人の男性が話していた。竜の子もいたが、どこか元気がなさそうにフェアに抱かれている。

 

「あ、ネロさん。実は……」

 

 彼に気付いたルシアンが事情を説明しようとした時、フェアが声を上げた。

 

「と、とりあえずお姉ちゃんのところに行こう!」

 

「は?」

 

「ごめんなさい、詳しくは途中で話しますから」

 

 事情が呑み込めないネロだったが、ルシアンにも道中で説明すると言われ、やむなく彼らについていくことにした。

 

 

 

 しかし結局、ネロが事情の説明を受けたのは、フェアが「お姉ちゃん」という長い金髪の女性の居宅に着いて、彼女に竜の子を預けてからだった。

 

「なるほど、あのちっこいのが人間にね……」

 

 ルシアンの説明をまとめると、竜の子がいなくなり探していたところ、あの場にいた男性でありこの町唯一の駐在軍人でもある「グラッド」が倒れている小さな女の子を連れてきたのだが、実はその子が探していた竜の子だったという話らしい。

 

「うん、それで苦しそうにしているからフェアさんは、ミントさんに診てもらったんだよ」

 

 どうやら「お姉ちゃん」なる人物は「ミント」という名前らしい。人間以外を診ることができるだから、おそらく人間界でいう獣医のような存在だろう。

 

「……ところで、君は?」

 

 ようやく説明を受けたネロに竜の子を宿屋まで連れてきたグラッドが尋ねた。制服のような羽織を着ているところから勤務中なのだろう。まあ、彼の立場に立ってみれば、子供の中に見たこともない男が混じっていれば尋ねたくもなるだろう。

 

「……ネロだ。昨日はあいつの宿で世話になってな」

 

「この人結構強いのよ。昨日、あの子を見つけた時だって変な奴らをコテンパンにしてたし」

 

 簡潔に名乗ったネロに代わって、リシェルが付け加えるように昨日のことを話した

 

「ね、姉さん……!」

 

「……変な奴ら? そんな話、さっきは言ってなかったよな?」

 

 ルシアンが止めようとしたが既に遅かったようで、グラッドは訝しむような視線を向けた。きっとリシェルたちは彼に事情を話した時、竜の子を狙っている者たちがいると知られれば、引き離されると考えて、鎧の男たちのことはあえて話さなかったのだろう。

 

「う……」

 

 呻いたさらにリシェルにグラッドがさらに問い詰めようとしたとき、ミントが竜の子を連れていった部屋から戻ってきた。

 

「お姉ちゃん、あの子は大丈夫なの!?」

 

 詰め寄らんばかりに勢いで尋ねるフェアに、ミントは安心させるように優しく穏やかな口調で答えた。

 

「心配いらないよ、ちょっと魔力を使い過ぎただけだから」

 

「魔力を?」

 

 まだ生まれたばかりの竜の子が魔力を使って何かできるとは思わなかったフェアが聞き返した。

 

「人間の姿になっていたって話でしょ? たぶんそれが原因だよ」

 

「……そもそも、なんで人の姿になったんだ?」

 

 大人しく話を聞いていたネロが気になった点を率直に尋ねた。これについてはルシアンからも聞いていなかったため、分からないままだったのだ。

 

「たぶんフェアさんを追いかけたんだと思うよ。フェアさん、お昼の後に父さんに呼ばれてうちに来たから、この子はひとりぼっちだったろうし……」

 

 それを聞いてネロは居心地が悪そうに左手で頬を掻いた。

 

「あー、俺がもう少し早く戻ってた方がよかったな」

 

 せめてここにいる間くらいは、彼女らのことを気に掛けようと思っていたはずなのに、一日目からこのざまとは、少し自分が情けなくなる。

 

「それなら僕たちも同罪だよ。僕も姉さんもフェアさんが一人で来たことは知っていたんだから」

 

「そうね……、もっと考えていればよかったわ」

 

 それはルシアンもリシェルも同じ気持ちだったようだ。二人とも肩を落として落胆している。

 

「ほらほら、そんな暗い顔するなって。この子も無事だったんだし、それで良いじゃないか」

 

 グラッドが姉弟を元気づけようと声をかける。彼は駐在軍人という話だったが、軍人というより気のいい兄貴分といったほうがしっくりくるだろう。

 

「そうよ。今日は疲労回復のお薬を出しておくから、それを飲ませてゆっくりと休ませればすぐ元気になるよ」

 

「ありがとう、ミントお姉ちゃん」

 

 フェアが頷いた。そして眠っている竜の子を抱き上げた。ミントの言葉に従いゆっくりと休ませようというのだろう。

 

 その彼女に続いてミントの家を出る。彼女の家は大きな庭園があり、そこではいろいろな植物が育てられているようだ。どちらかといえば畑といった方がしっくりくるかもしれない。

 

「それじゃあ、また何かあったらいつでもいらっしゃい」

 

 見送りにきたミントが言う。それにフェアたちは笑顔で頷いた。

 

「それじゃあみんな、戻ろう?」

 

「そうね」

 

「早く休ませてあげないとね」

 

「…………」

 

 まずは忘れじの面影亭へ戻ろうというフェアの提案にリシェルとルシアンが賛成するが、ネロは周囲に視線を向けていて返事をしなかった。

 

「おいネロ、どうしたんだ?」

 

 それを不思議に思ったグラッドが尋ねた。

 

「……どうやら傍迷惑なお客さんが来たみたいだな」

 

「え?」

 

 ミントが聞き返した瞬間、ネロは左手に銃を持っていた。それを前方にある木へと向ける。

 

「出て来な! それとも頭に風穴あけられてぇのか?」

 

「フン、よく気付いたな」

 

 ネロが銃を向けていた木から現れたのは、肩に大きな角のようなものがある赤と黒の鎧をきた男だった。顔は髭を蓄えており、はっきりとはわからないがおそらく四、五十代くらいだろう。

 

「そんなムサッ苦しい恰好して気付かないワケねぇだろ」

 

 もちろんネロがこの男を見つけたのは気配を感じ取ったからであり、男の姿が目立っていたからではない。

 

「……なるほど貴様だな、邪魔した男というのは」

 

「昨日の奴らの仲間ってこと?」

 

「それがわかったなら速やかに『守護竜の子』を渡すがいい!」

 

 聞き返したフェアに髭の男は威勢よく答えた。

 

「そんなの、見れば分かるでしょ。こんな怪しい奴、あいつらの仲間でなかったらなんなのよ!」

 

「全くだぜ。見ろよ、悪趣味な鎧に、デカイ態度、典型的な悪役だ」

 

 男が答える前にリシェルとネロが間髪入れず挑発する。

 

「ぐぬぬ……貴様ら……! その態度、指導が必要と見える!」

 

 その言葉を合図に周りから目の前の男と似たような鎧を着た者が現れた。あらかじめ潜ませていたのだろう。

 

「ち、ちょっとネロ、どうすんのよ! 囲まれちゃったじゃない!」

 

 その数の多さに身が竦んだのかリシェルが叫んだ。

 

「あんたも挑発したじゃない!」

 

 フェアが責任転嫁するなと叫んだ。

 

「けどお前もそいつを渡すつもりはないんだろ?」

 

「当ったり前じゃない! ああいうのは一番信用できないのよ! 絶対に渡さないんだから!」

 

 ネロの確認するような問いに大きな声で答える。なんだかんだ言って彼女も鎧の男たちのことを信用に値しないと思っていたようだ。

 

「はっ、いい返事だ!」

 

 それを聞いたネロは、余裕の表情を浮かべながらフェアに言葉を返すと、今度は周りの男たちに向かって叫んだ。

 

「どうした、来いよ! それともビビッて動けねぇか?」

 

 しかし、男たちがネロの言葉に反応する前に目の前の男が叫んだ。

 

「お前たち! 彼奴らの生意気な鼻っ柱をへし折ってやれ!」

 

 それが戦闘開始の合図となり囲んでいた男たちが一斉に向かってきた。

 

「ハハッ! いい度胸だ!」

 

 命令に従った行動に映るが、実際のところ彼らはネロの挑発に怒りを覚えていたようで、それが表情にも僅かに出ていた。それを確認し思わず笑いがこぼれた。少なくとも昨日の奴らよりは感情を表に出せる者のようだ。

 

 そしてネロが迎え撃とうと一歩前に出た時、フェアが竜の子をルシアンに預けて、一人の男に向かって行くのが見えた。

 

「リシェル、ルシアン! その子のことお願い!」

 

 フェアに対しては、自分より年下の割に落ち着いていて大人っぽい考え方しているな、という印象を持っていたネロだったが、先ほどの答えといい今の行動といい、案外激情家なのかもしれない。

 

(ま、子供らしくてこれまでよりはずっといいな)

 

 だが、ネロにとっては今のフェアの方が好ましいと思えた。それはネロ自身があまり考えて行動するタイプではないからなのだろう。

 

「さあて、俺もやるか!」

 

 向かってきた一人を左手で掴み上げ、それを近くにいた男にぶつけて吹き飛ばす。昨日もそうだが、ネロは背負った大剣も、先ほど見せた銃も使おうとしない。にもかかわらず体術だけで片っ端から男たちを片づけていく。

 

(へえ……、意外にやるな)

 

 しかし当の本人は自分のことよりフェアのことを気にしていた。さすがにただの子供ではそれなりに訓練されている男達を相手にするのは難しいだろうから、厳しそうなら手を貸そうと考えていたのだがいたのだが、なかなかどうしてかなり腕が立つようだ。少なくとも素人には見えない。

 

 ルシアンやリシェルを守りながら戦っているグラッドはともかく、軍人でもない少女がこれほど強さを持っているとは思わなかった。

 

「その動き……まさか……」

 

 フェアの動きを見ていた髭の男は何やら思うところがあったようで、戦いには参加せず眉間にしわを寄せながら考え込んでいた。

 

「でりゃああっ!」

 

 しかし突然、目を見開いたこと思うと、フェアに向かって彼の得物だろう斧を振り下ろした。

 

「くぅっ……!」

 

 重い金属音が鳴り響く。フェアはそれを自身の剣で受け止めたのだ。とはいえ一目瞭然なほど体躯には差がある。彼女も受け止めているのは少し辛そうにしてした。

 

 そこへ一発の銃声が響いたかと思うと、髭の男が持っていた斧は弾き飛ばされていた。

 

 視線を銃声がした方に向けると、そこには拳銃を構えたネロの姿があった。距離が近かったとはいえ、斧だけを狙い撃つ射撃技術は魔剣教団の事件に巻き込まれた頃のネロにはなかったものだ。それから数年のデビルハンターとして経験がネロを成長させていたのだ。

 

「なに子供相手にマジになってんだよ」

 

 言葉と共に拳銃を懐にしまい、背負った大剣「レッドクイーン」を左手で持った。

 

「来いよ、俺が相手をしてやる」

 

 そのまま地面に突き刺したレッドクイーンの柄を捻る。するとそれに備え付けられた「イクシード」と呼ばれる装置がエンジンの音にも似た轟音を発生させた。この装置は剣戟の速度を向上させるための推進剤を噴射する装置だ。柄を捻ることで推進剤を燃焼させ、柄に併設されたクラッチレバーを握ることで推進剤を噴射させる仕組みだ。

 

 つまり、今のレッドクイーンは推進剤噴射の準備が整った万全の状態にあるのだ。

 

「ネロ……」

 

 フェアが呟いた。昨日や先ほどまでの徒手空拳を用いて戦うネロもとても強いと感じていたが、今のネロからはそれ以上の強さを感じる。ただ地面に突き刺した剣を持っているだけなのに全く隙が見当たらないのだ。

 

「……まあ、よいわ、ここは引いてやろう。しかし覚えておけ!」

 

 男は手で合図をする。それに従った周りの男たちは、倒れている者を担ぎながら町の外に向かって撤退していった。

 

「しかし覚えておけ、小僧、そして小娘! 我が名は『レンドラー』! 『剣の軍団』を指揮する『将軍』だ! いずれ必ず、竜の子は渡してもらうぞ!」

 

 剣の軍団の将軍と名乗ったレンドラーという髭の男は悪役らしい捨て台詞を吐いて撤退していく。

 

「暑苦しいんだよ、さっさと帰りな」

 

 その背に向かってネロはその言葉を投げかけた。実のところ彼は、レンドラーのような大仰な態度をとる者は苦手だった。先ほどから挑発を繰り返していた理由も案外このあたりにあるのかもしれない。

 

 そしてレッドクイーンを背に戻した。結局今回も使うことはなかったが、それでいいとも思っていた。悪魔相手ならまだしも、ただの人間を相手に本気の殺し合いなんてしたくはない。

 

 特にあのレンドラーという男は見るからに強情そうだ。ああいうタイプはいくら叩き潰しても竜の子を諦めようとはしないだろう。むしろ憎しみを募らせて極端な手に走らせる危険性もある。

 

 そうした理由もあってネロは彼らを見逃したのだ。一応叩きのめしてグラッドに引き渡すという手段もあったのだが、さすがに彼一人では何かあれば対応できないだろうと思いそれはやめることにしたのである。

 

「ねえ、あいつの言ってた小娘って私のことだよね……?」

 

 フェアが確認するように周囲に尋ねると、リシェルが何を当たり前のことを聞いているんだと言わんばかりに答えた。

 

「そりゃそうでしょ、あんたとネロが一番目立ってたんだから目を付けられるのも当然じゃない」

 

 確かに彼女の言う通り、グラッドはルシアンやリシェルを守りながらの防御主体の戦いだったし、ミントも積極的に攻撃していたとは言い難い。結果的に彼に打撃を与えていたのはネロとフェアだったのだ。

 

(とすると小僧は俺ってことか……?)

 

 もうそんな歳ではないだろうと思いながらも胸中で呟いた。なんにせよ、ネロとフェアがレンドラーに目を付けられたのは間違いないだろう。そして、また面倒くさい厄介ごとに巻き込まれたものだ、とため息を吐くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




本作のネロはフォルトゥナの事件から数年後のため、DMC4と比べると落ち着いていて、周りにもそこそこ気遣いができます。

次回は明後日、12月28日(木)に投稿予定です。今回と同じくらいの時刻に投稿すると思います。

それではご意見ご感想お待ちしております。

ありがとうございました。


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第68話 名付けるということ

 剣の軍団を名乗る者達を撃退した翌日、その場に居合わせた者たちは忘れじの面影亭の食堂に集まっていた。一応竜の子もいるが、まだ疲労が残っているのか隣のテーブルで小さな寝息を立てていた。

 

 その場でグラッドとミントに最初に求められたのは、フェアやリシェルたちが知っていることを全て明かすということだった。これには昨日リシェルがグラッドから問い詰められそうになったことも当然含まれていた。

 

「なるほど、それならあの子は最初から狙われていたってことか……」

 

 ネロを除いた三人から最初に見つけた時に、不審な男たちに竜の子を引き渡すように高圧的に言われ、それを断ったら実力行使に出たという話を聞いたグラッドが考えをまとめるように言った。

 

 それを聞いたネロの脳裏にふと疑問が思い浮かんだ。

 

「なあ……、そもそも何であいつがあそこに落ちるなんて知ってたんだ? ……というかそれ以前に、タマゴが落ちてくるってよくあんのか?」

 

 ネロやフェアたちが竜の子を見つけたのは完全な偶然だ。もしどこかで違った行動を取っていたらあの場に居合わせることはなかっただろう。しかし、最初に竜の子を奪おうとしてきた者たちは違った。

 

 奴らは最初から竜の子だけを狙っていたのだ。まさか偶然にも、竜の子を狙った者がそこに居合わせたと考えるのはさすがに都合が良すぎるだろう。おそらく彼らは、あらかじめタマゴが落ちる場所に目星を付けていたに違いない。だからその近くで待ち伏せすることができたし、実際にしていたのだ。

 

 しかし、どうやって落ちる場所を予見できたが謎だ。

 

 もっとも、タマゴが流星のように落ちてくること自体、ネロの想像の域を超えているのだが。

 

「たぶんあの子は至竜だから、タマゴはその力が関係していると思うけど……、その人達がどうして落ちる場所を知ったかはわからないなあ」

 

 ミントは自分が答えられそうな部分だけ話した。昨日の竜の子を見たときもそうだったが、どうやら彼女は竜について一定の知識を有しているようだ。

 

「至竜?」

 

 それはフェアにとっても初めて聞いた言葉だった。

 

「あっ、至竜っていうのはね、簡単にいえば高い知能と魔力を備えた竜なの。特に年齢を重ねた至竜は、人間よりもずっと豊富な知識を持つとも言われているの。たぶんあの子もその至竜の力でここまで来たんだと思うの」

 

 ミントの簡潔な説明を聞いたネロは心中で呟いた。

 

(つまり至竜だかが、そうしなきゃならない状況になったってことか)

 

 逆説的な考え方だが、竜の子の親にあたる存在がここまでタマゴを飛ばしたということは、そうしなければならない理由あったということだ。至竜は人間とは違う存在だろうが高い知識を持つのであれば、無闇に実の子を飛ばすようなことはしないだろう。

 

「…………」

 

 その理由を推し量ることはできるが、何の確証もなしに言っていい内容でもないため、ネロはそれを口にすることはなかった。すると今度はリシェルが話を切り出した。

 

「そもそもあいつらって何者なの? 随分数は多かったみたいだけど……」

 

「昨日のあいつらはあのレンドラーとかいう男の指揮のもとで動いていた。盗賊とかよりは俺たち帝国軍に近い存在だろうな」

 

 リシェルが口にした疑問をグラッドが答えた。動きを見ただけで判断できるとは、さすが軍人といったところか。

 

「たしか『剣の軍団』だっけ?」

 

 昨日のことを思い出しながらフェアが言う。見るからに策謀とは無縁そうなレンドラーが、そう名乗りを上げていたのだから虚偽ではないだろう。

 

「……たぶん他にも、昨日の人たちみたいなグループがあると思う。そうじゃなきゃ、わざわざ名前をつける必要なんてないもの」

 

「確かに昨日と一昨日の人たちは全然違う雰囲気だった気がする」

 

 ミントの言葉を受けたルシアンが率直な感想を言った。それはネロも感じていたことだった。昨日の相手が指揮官のもとで戦うに戦闘部隊のような戦い方をしていたのに対し、一昨日の相手は集団で得物を追い詰める獣の戦い方に近かったのだ。

 

「……いずれにしろはっきりしているのは、奴らが犯罪行為も厭わない危険な組織だってことだ」

 

 最初の男たちはまわりに人の目がなかったから強硬な手段に出たとも解釈できるが、昨日の者たちは帝国軍の軍服を着た軍人であるグラッドを前にしても、あの通りだったのだ。グラッドの言うことは間違いないだろう。

 

「犯罪組織……ぱっと思いつくのは無色の派閥や紅き手袋ですね」

 

 ミントが連想した組織の名前を挙げる。どちらもリィンバウムではあらゆる所まで根を張り巡らせた悪名高き犯罪組織だ。

 

「ええ、そうです。ただ――」

 

 グラッドがミントの言葉に同意しつつも何か言おうとした時、フェアの言葉に遮られた。

 

「無色の派閥? 紅き手袋?」

 

 のどかな宿場町のトレイユからほとんど出たことがない彼女には、どちらの名も聞き覚えがなく先ほどの「至竜」という言葉同様につい声に出してしまったようだ。

 

「無色の派閥は、召喚師の支配する世界を作るために破壊活動をする集団のことよ」

 

 同じ召喚師であるミントだが、無色の派閥の思想は全く意味不明なものだった。金の派閥であれば、利益を第一という考えに同調はできなくとも、そうした考えを持つことは不自然ではないし理解もできる。

 

 だが、どこをどう考えれば世界を支配するために今の世界を破壊しようという発想がでてくるのだろうか、ミントには全く理解できなかった。

 

 そしてグラッドが彼女の言葉を引き継ぎ、紅き手袋のことを説明した。

 

「そして紅き手袋は殺人、強盗、誘拐と金を積めば何でもやるろくでもない奴らのことだ」

 

(要はマフィアみたいなやつらが相手ってことか)

 

 組織の名前を言われても全くピンとこないネロは、とりあえず人間界の組織化された犯罪集団を思い浮かべることにした。

 

「……ただ、無色にしても紅き手袋にしても、今はこんなことしてる余裕なんてないはずだけどな」

 

 少し解せないな、というような顔をしながらグラッドは言った。

 

「どうして?」

 

「……一時期かなり弱体化した両方の組織を、派閥の最大勢力の長が立て直したらしいんだけど、それも聖王国のサイジェントで起きた事件で壊滅した、確かそうでしたよね?」

 

 実のところミントはそのサイジェントの一件に関しては、直接関わった友人から話を聞いたことがあった。もっとももう五年は前のことであったため、さすがに細部までは記憶していないが。

 

 ミントの確認にグラッドはやけに丁寧に言葉を返した。

 

「まさしくその通りです。……むしろ、そちらに関しては駐在軍人の自分よりも詳しいと思います」

 

 帝国軍の一員とはいってもグラッドは一介の駐在軍人に過ぎない。そんな彼が手に入れられる情報といえば、定期的に送られてくる記録集のようなものだけだ。おまけにそれに記載されている内容は、機密と呼ぶことすらないだろう当たり障りのないことだけなのだ。

 

 当然、自国ならともかく他国で起こった事件に関して詳細に記録されているはずもなく、ミントが言った「弱体化した両方の組織を、派閥の最大勢力の長が立て直した」という話は初めて聞いたものだったのだ。

 

「結局、その無色だか紅だかとは関係ないってことだな?」

 

 確かめるようにネロは言う。関係ない奴らの話をするのは後でもいい。今はこれからのことを話し合わなければならないのだ。

 

「ああ、そう考えて間違いないだろう。ただ、だからって安心はできないからな」

 

 結局、敵が何者なのか特定するには手がかりが不足しているのだ。そのあたりはグラッドも理解していたようで、生易しい相手じゃないと理解してもらえば十分と考えているようだった。

 

「それで、その竜の子なんだが……正直、俺の手には余る。軍に保護してもらった方がいいと思うんだ」

 

 グラッドにとってはそれが本題だった。昨日は何とかなったものの、その立役者のネロはいつまでこの町にいるか分からない。もし、彼が去ってしまった後に奴らが来たら彼一人で対処できる自信はなかったのだ。

 

「それはつまり……あの子と別れなきゃいけないってことよね……?」

 

「でも、ここいるより軍に保護された方が安全だ」

 

「……本当にそうか? その割に随分扱いの悪い奴らがいるみたいだが」

 

 ネロが言う「扱いの悪い奴ら」というのは召喚獣のことだ。彼自身この世界に召喚された初日にいざこざを起こしたのだが、その原因は彼の右腕を見て。はぐれ召喚獣と誤認した兵士が高圧的な態度をとったことだった。そうした経験もあり、ネロはどうにも帝国軍という存在を信用できないでいるのだ。

 

「そうだよ! それに帝国には珍しい召喚獣を研究する施設があるんだ! あの子もきっとそんなところに連れて行かれちゃうんでしょ!?」

 

 珍しく声を荒げたルシアンがグラッドに噛みつく。

 

 それを聞いたフェアは驚き目を見開いた。

 

「それ、ほんとなの……?」

 

「至竜が貴重な存在で研究の対象になるのは事実よ。ただ、それは帝国に限らず、蒼の派閥でも金の派閥でも同じなの……」

 

 ミントの所属する蒼の派閥は召喚術を通しての研究であるため、召喚獣が研究対象になるのは自明の理であった。彼女自身も各世界の植物を召喚して研究を重ねているのだから例外ではない。

 

 もっともミントは、召喚獣を酷使するような研究はあまり好きではなかった。それは彼女の研究自体普通の作物の栽培とたいして変わりないところからもわかるだろう。

 

 しかし、その胸中までは分かるはずもなく、その言葉を聞いたリシェルは叫んだ。

 

「何よ、それ……! それじゃあ、どこに連れて行かれたって同じじゃない!?」

 

 あの剣の軍団が手に入れた竜の子を使ってなにをしようとしているのかは分からない。ただ、犯罪行為すら辞さない強硬な態度を見る限り、帝国軍や蒼の派閥に預けた場合よりマシな扱いを受けられるとは到底思えない。

 

 研究の対象になることすら許せない彼女たちが、どこに保護されても一緒と考えるのは無理もないことだった。

 

「だからって、このまま俺たちだけで守り続けるのは難しいだろ?」

 

「そうよ。敵は昨日の人たちだけじゃない、他にもいるかもしれないのよ」

 

 グラッドもミントも竜の子に対してなんの感情も抱いていないわけではない。狙ってくるような者たちさえいなければ、この町で保護することになんら異議を挟まなかっただろう。それでも二人がこうして三人を説得しようとしているのは、弟や妹のように思う三人に危険な目に遭って欲しくないだけなのだ。

 

「……でも、私はこのまま投げ出すなんてできないよ……! そんなの勝手すぎるじゃない!」

 

 自分たちで連れてきたのにも関わらず、また自分たちの都合だけで竜の子を手放そうとするのはあまりにも無責任だ。たとえ相手が犯罪組織であろうとも最後まで責任を果たすのが当然だと思ったのだ。

 

「……………」

 

 ネロは必死に訴えるフェアを見ていた。

 

 三人の身の安全を考えるグラッドたちの考えは正しいと思う。しかし、人は感情を持つ生き物だ。いつでも理性的に判断できるとは限らない。そして、時には心の思うままに行動した方がよい結果を得られることもあるのだ。

 

「いいじゃねぇか、面倒見てやってもよ」

 

 ネロもまた己の心に従いフェアたちに賛同の意を示した。彼にとっては正論よりも自分が納得できる方を選択したのだ。

 

「ネロ……」

 

 ずっと沈黙を守っていたネロが賛成してくれたことに驚き半分、嬉しさ半分といった様子でフェアは彼の名前を口にした。

 

 彼女は正直なところは先ほどまでほとんど喋っていなかったネロは、この件にはほとんど興味がないものとばかり思っていたのだ。何しろ竜の子を連れてきたことにネロは関係していない。連れてきたのは自分達三人であり、彼はあくまで一緒に見つけただけだ。

 

 ネロにしてみれば今回の一件はほとんど巻き込まれたようなものといってもいいかもしれない。

 

「しかし……」

 

「そりゃ俺だっていつまでもここにいるわけにはいかないけどよ、それでも、途中で放り出したりはしねぇよ」

 

 グラッドの言葉を遮ってネロは言った。彼としても一刻も早く帰還の方法を探したいところだが、ここでフェアたちを見捨てたらキリエに合わせる顔がない。彼女なら間違いなくフェアたちや竜の子を見放す選択はしないだろうし、むしろ自分から解決に向けて動くだろう。

 

 それにネロは、この件に関わることで人間界、ひいてはフォルトゥナへの帰還できるきっかけになると感じていた。何の根拠もないことではあったが、こうした勘にも似た感覚が外れたことは、今まで一度もなかったのだ。

 

「はあ……、仕方ない、わかったよ」

 

 強い口調で断じたネロに、グラッドは説得を諦めるしかなかった。昨日、ほぼ一人で剣の軍団を撃退した彼が、ここに残り協力するという決断をしたのであれば、竜の子を守り続けることは難しいというグラッドの言葉は信憑性に欠けるものになってしまうのだ。

 

 対してミントは、みんなが決めたことなら文句を言うつもりはなかった。むしろこれからのことを気に掛ける余裕もあるようだ。

 

「でも、これからどうするの? 竜は今より何倍も大きくなるし、寿命だって人よりずっと長いのよ」

 

「あたしとしては大きくなる分には全然構わないんだけどね」

 

 リシェルは派手好きなのか、むしろ今すぐ大きくなって欲しいと言わんばかりの顔だ。

 

「リシェル……、そうなったら私たちだけじゃお世話できないでしょ」

 

 後先考えないリシェルにフェアは呆れたように突っ込む。そしてさらにルシアンも言葉を続けた。

 

「そうだよ、姉さん。それに一番いいのは、親や仲間のもとにいることじゃないかな」

 

「そうだよ! それなら私たちで会わせてあげればいいんだよ!」

 

 竜の子のことを考えて言ったルシアンに、その手があったかとフェアが声を上げた。タマゴから生まれたのだからきっと親もいるはず。だからその親に会わせてあげるのが、この子にとっても一番いいと考えたのだ。

 

「…………」

 

 ネロとしてもそれが出来るなら文句はない。しかし、心のどこかで親はもう死んでいるかもしれないと考えているのも事実だった。親の竜は自分の身に危険が迫ったから、せめて我が子だけは危険から遠ざけようとタマゴのまま空に放ったのではないか、そんな推測がずっと頭に浮かんでいるのだ。

 

 そんなネロの懸念をよそにどこか吹っ切れた様子のグラッドが口を開いた。

 

「わかった。……ならそれまではしっかり面倒見るんだぞ」

 

「もちろんよ! ……あ、それなら名前をつけた方がいいわね。フェア、あんたがつけてあげなさいよ。最初に見つけたんだから」

 

 リシェルが提案する。確かに名前がなければこれからいろいろと不便に違いない。

 

「え? でも、それならネロが……」

 

 フェアから視線を向けられたネロは手をひらひらと振って断った。

 

「俺はいいよ、任せる」

 

 名前と言われてもぱっと思いつくものはない。かといって無理に考えるよりはフェアに名付けてもらった方がいい。それに常識的な彼女なら変な名前をつけることもないだろう。

 

「それなら……」

 

 そう言ってフェアは竜の子の方を向く。自分に向けられた視線に気づいたのか、眠っていた竜の子は目を覚まして首を傾げながらフェアを見た。

 

「うん。今日からあなたの名前はミルリーフよ!」

 

(ミルリーフか……)

 

 綺麗な名前だ。やはりフェアのセンスは悪くない。彼女に一任したのは正しかったようだ。

 

 こうして竜の子の名前も決まり、今後の方針が決まったところで今日は解散となった。

 

 

 

 

 

 今後の方針を話し合う場が閉じた後、フェアは昼の営業開始に向けた準備を始めようとしていた。

 

 この忘れじの面影亭は宿屋兼食堂だが、泊りの客はほとんどいない。今はネロが一人だけだ。しかし、それでも赤字を出さずに何とかやっていけるのは、食事をする客が多いためだ。やはりフェアの作る料理をうまいと感じる者が多いのだろう。

 

「ごめんね 手伝ってもらっちゃって……」

 

「いいって、さすがにタダで居座ろうなんて思っちゃいないさ」

 

 その準備にはネロも協力していた。彼がここにいる間の寝食は昨日今日と同じようにフェアが面倒見ることになった。彼女としては相当に腕の立つネロの協力を得られるのだから、食事と部屋の提供くらい安いものだと考えていたが、ネロ自身はそうではなかった。

 

 協力の対価という建前はあるが、傍から見れば年下の少女に養ってもらっているように映る。さすがにそれではあまりにも情けないため、こうして多少の手伝いを申し出たのだ。

 

 さすがに接客の経験など全くないため、ウエイターとして働くのではなく準備や後片付けを手伝うことにしたのだ。

 

 そうして食堂の掃除をしていると不意にフェアに声をかけられた。

 

「あのさ……、さっきはどうして私たちに味方してくれたの?」

 

「何だよ、急に?」

 

 怪訝な顔をして聞き返したネロにフェアはその時に思ったことを口にした。

 

「だって、ネロにしてみたら完全に巻き込まれたようなものでしょ。それに他の目的もあるみたいだしさ」

 

 どうやら彼女はネロの邪魔をしてしまったのではないかと思っているようだ。しかし当のネロはそんな心配は無用とばかりに軽く笑い、少しおどけた様子で言った。

 

「だったら何も言わない方がよかったか?」

 

「そうじゃないけど……」

 

 ネロが力を貸してくれることは素直に嬉しいと思う。しかし、同時に彼の邪魔をしているのではないかと罪悪感も感じていたのだ。

 

(随分と真面目な奴だ)

 

 まだ会って数日のフェアだが、どうも彼女は随分としっかりとした責任感が強い性格だとネロは感じていた。自分が彼女と同じくらいの時は、あんなに真面目でも責任感が強くもなかった。この忘れじの面影亭を一人で切り盛りできていることからも納得だ。

 

 しかしそれせいか、あるいは両親がいないことも関係しているのか、フェアは他人の好意に甘えるのは下手に見えた。

 

「だったら素直に礼を言えって。俺もその方がやる気出るんだよ」

 

 ぽんとフェアの頭に左手を乗せながら言った。

 

「う、うん。……ありがと」

 

 子供扱いされたことは若干腹立たしくもあったが、それでもネロが自分を気遣ってくれているということは伝わっていたため、フェアは恥ずかしそうにしながらも大人しくお礼を言った。

 

「最初からそう言えばいいんだよ」

 

 ネロはニヤニヤと笑いながらフェアの頭をくしゃくしゃと撫でた。

 

「ちょっ!? やめてよ、子供じゃあるまいし!」

 

 実際フェアはもう十五歳、帝国ではなんとか一人前として認められる年齢だ。

 

 だが、そんなこちらの常識など知らないネロは、そう強がるのはまだ子供の証拠だと、続けてからかおうとしたところにミルリーフがやってきた。

 

「なんだ? お前も撫でてほしいのか?」

 

 ネロはそう言いながらミルリーフの頭をわしゃわしゃと撫でる。どうやら彼の予想は当たっていたらしくミルリーフは嬉しそうに「ピィ!」と声を上げた。

 

「もう……」

 

 文句の一つでも言ってやろうかと思っていたフェアだったが、その様子を見てすっかり気を削がれてしまった。自分たちを気に掛けてくれたことといい、ミルリーフへの態度といい案外ネロは面倒見がいいのかもしれない。

 

「ほら、手が止まってるよ」

 

 それでも言うべきことは言わなければ、とネロの掃除をする手が止まっていることを指摘した。

 

「悪い悪い。今やるよ」

 

 口ではそう言うものの、たいして悪びれた様子もなく掃除を再開した。ミルリーフも邪魔になっていることが分かったのか、机の上で大人しく掃除の様子を眺めていた。

 

(むぅ……)

 

 どうもネロと話すと彼のペースに翻弄されっ放しで、フェアとしては面白くなかった。

 

 ネロは今のように飄々とした掴みどころのない性格ではあるが、同時にさきほどのように面倒見のよい一面や、昨日レンドラーと相対したときのような一面などがあり、まだフェアは彼の人物像を把握できないでいたのが翻弄された原因だった。

 

(……はあ、しょうがないなあ)

 

 とはいえ、ネロが信用できる人間だということはずっと変わっていない認識だった。なんだかんだ言ってもフェアは、ちゃんと彼の本質を見抜いていたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 




スパーダの血族の勘とかまず外れなさそう。

ちなみに最近の帝国は無色の派閥や紅き手袋の取り締まりを強化してます。主にアズリアのせいで。

さて、次回も明後日12月30日(土)に投稿予定です。時間はいつも通り早朝になります。

それではご意見ご感想お待ちしております。

ありがとうございました。


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第69話 狙われたもの

 昼の営業が終わった後、フェアたちは中央通りに駐在所に集まっていた。そこは軍から派遣される駐在軍人の住宅も兼ねており、グラッドもここに住んでいるのである。

 

 駐在所でグラッドを加え、ミルリーフの親の手がかりを探しに行こうというわけである。

 

「で、どこから行くつもりだ?」

 

 ネロは発案者であるフェアに尋ねた。さすがにあてもなく探すわけではないだろうし、とりあえずどの方向に行くのかなど、当面の方針を確認しようとしたのだ。

 

「え? そんなの決めてないよ。でも手当たり次第に探せばなんとかなるでしょ」

 

 どうやらフェアは本当にあてもなく探すつもりだったようだ。それを聞いたリシェルは「あんたねぇ……」と呆れ気味だった。グラッドに至っては半ば諦めているのか苦笑している。

 

「それならまずは星見の丘に行こうよ。タマゴを見つけたあそこなら、他にも何か手がかりがあるかもしれないし、もしかしたら親が来てる可能性もあるかもしれないよ」

 

「ああ、その方がいい」

 

 ルシアンの常識的な提案にネロは即答した。何のあてもなく探し回るよりは何百倍もマシなのだ。

 

「そうね、一昨日なら見逃したことも明るい今なら気付くでしょうし」

 

「みんながそれでいいなら、まずはそこに行こう!」

 

 ミントも賛成したため、最初にミルリーフと会った星見の丘に行くことになった。

 

 その道中は実に平和であり、半ばハイキングのような気分で歩いていた。一昨日、昨日と二日続けてミルリーフを狙った者たちに襲撃されたため、もしかしたらまた来るのではないかとネロは心配していたが、どうやら杞憂に終わりそうだった。

 

「えっと、確かこのあたりだったよね」

 

 星見の丘についたルシアンがフェアとネロに確認するように尋ねた。短い草が生えそろった周囲にはタマゴが落ちたような痕跡はなかった。もしもネロが受け止めていなかったら大きなクレーターができて、ちょうどいい目印になっていただろう。

 

「あそこに殻もあるし、間違いないと思うよ」

 

 フェアは少し離れたところにあったタマゴの殻を見ながら答えた。

 

「にしても、こんなのが落ちてよくなんともなかったな」

 

 殻を拾いながら言ったグラッドにフェアが同意する。

 

「確かに……」

 

「あの時は大きな音が聞こえたからここに来たんじゃなかったっけ?」

 

 二日前のことを思い出しながら言ったリシェルに、ネロがこともなげに答えた。

 

「ああ、そりゃ俺がタマゴを止めた音だろうよ」

 

「……え?」

 

 思わず聞き返したフェアに続き、グラッドが呆れたように口を開いた。

 

「お前……さらっととんでもないこと言うよな」

 

 ネロの強さを十分理解していたグラッドは、確かに彼ならやりかねないと半ば諦めが入ったような声で言った。

 

 そんなやり取りを聞きながらミントはネロに視線を向けていた。

 

(やっぱり似てるなあ……)

 

 ミントは昔の記憶を辿り、その人物のことを思い出していた。友人の大切な人という程度の間柄であるため、ミント自身とはそれほど親しい間柄ではないし、向こうも顔は知っている程度の認識だろう。

 

 少し前にその友人が訪ねてきた時も、彼は来なかったため最後にゼラムで会ってからもう五年ほどは経っていた。

 

 その人物とネロは銀髪という特徴を持っている。さすがに性格は随分異なっているが、どことなく雰囲気は似ているし、とんでもなく強いというところも

共通しているのだ。

 

 親子だと言われるとミントは違和感もなく「やっぱりそうか」と納得してしまうだろう。

 

「なんだ?」

 

 ミントの視線に気づいたネロが聞いた。

 

「ううん、なんでもないの。ただ、ちょっとネロ君が知り合いの人に似てて……」

 

 それは最初に会った時から思っていたことだった。あの時はフェアたちがぐったりしたミルリーフを連れてきていたため、話をする時間はなかったが。

 

「……君付けはやめてくれ、たいして年も違わないだろ」

 

 どうもミントの呼び方は呼ばれ慣れていないせいか、むず痒く感じていた。見たところ年齢も離れていないように思えるので、素直に名前で呼ばれた方がネロとしてはありがたかった。

 

「うん。これから気を付けるね、ネロ君」

 

「…………」

 

 彼女はわざとやっているのか、あるいは天然なのか、判断に困ったネロは押し黙るしかなかった。

 

「ピィ!」

 

 その時、何かを感じ取ったようにミルリーフが鳴き声を上げて飛んで行った。

 

「ちょっ……ミルリーフ!?」

 

 突然の行動に驚いたものの、ミルリーフをつけ狙う奴らがいる現状では放っておくことはできないため、フェアたちは慌てて追いかけることにした。

 

「……結局こうなるのかよ」

 

 この世界にきてからというもの、平穏無事に一日が終わったことなどない。そしてミルリーフの様子を見る限り今日も平穏に終わることはないだろう。そんな確信めいた予感を抱きながら、ネロも後に続く。

 

 ミルリーフがいた所は、先ほどの場所からたいして離れていなかった。軽く走って一分ほど、徒歩でも四、五分もかからずに辿り着ける距離にあるなだらかな草原だった。

 

 しかし、そこには草原には場違いな機械がいくつも動いていた。一つ一つはさほど大きくはなく動きも緩慢だが、その数は十体を超えている。

 

 その中でミルリーフは、機械に囲まれ、背中に白い鳥のような羽を生やした女の子の傍で鳴き声を上げていた。機械はその子を狙っているのか、あるいはミルリーフを狙っているのかは分からないが、独特の駆動音を響かせながら近づいていく。

 

「何だこいつら?」

 

 見たこともない機械に対してネロは、思わず心の中で思ったことが口に出たようだ。

 

「機械兵器、あたしが召喚術で呼ぶやつよ」

 

 機界ロレイラルの召喚術を使うだけあってリシェルは詳しいようだ。

 

 それを聞いたネロは懐からブルーローズを取り出す。彼自身対悪魔用に改造した拳銃だ。その殺傷力から人間相手には使うのを控える代物だが、機械ならば遠慮する必要はない。

 

「機械、か……、ならこいつを使っても問題ないな」

 

 そう言ったのとほぼ同時にネロは二回引き金を引いていた。ほぼ連射と言っていい速度だが、狙いを外した銃弾はない。すべて別々の機械に命中しその動きを停止させていた。

 

 ブルーローズは大口径の二発の銃弾をほぼ同時に発射するように改造されたリボルバータイプの拳銃だ。一発目で悪魔の外殻に傷を与え、直後に命中する二発目で外殻を打ち抜き効果的なダメージを与える独特の構造を持っている。

 

 その特性が今、目の前の機械の装甲相手に十分に発揮されたのだ。銃弾が命中した機械はピクリとも動く様子はない。おそらく内部の重要な箇所を破壊したのだろう。

 

 とはいえブルーローズには欠点も存在する。二発の銃弾を同じ箇所命中させるのはコツがいるし、なにより銃弾の消費が早く、頻繁にリロードしなければならないのだ。

 

 ただ、命中させるコツについてはとうの昔に体得したし、リロードの問題もクイックローダーを使用しているため、多少は緩和はされている。それでも、人間界とは異なる世界に来たことで銃弾の消費の速さという新たな問題が発生しているのだ。

 

 人間界であれば銃弾の調達はさして難しくない。ブルーローズに使っているものは通常とは異なるものだが、それでも銃弾が不足するような状況に陥ったことは一度としてなかった。しかし、この世界ではそれも怪しい。フェアたちが銃を使っても驚かなったため、銃自体は珍しくないものだと考えられるため、銃弾を入手することは可能だろうが、それをブルーローズで使用できるかは別だ。

 

 幸い、銃弾についてはまだ余裕があるが、不必要に消費することは避けた方がいいかもしれない。

 

 そう考えながらリロードしたネロはブルーローズをしまい、代わりに背中からレッドクイーンを抜いた。

 

 フェアたちもそれぞれ武器を構えて向かって行く。それを敵対行動と判断したのか、機械兵器は迎え撃つように体を動かしていた。

 

 しかし機械兵器自体の戦闘能力はたいしたことなかったのか、フェアたちにまともに対抗することはできないでいた。

 

「……思ったよりやるな、あいつら」

 

 ネロが驚いたのはフェアたちが思った以上に戦えたことに対してだ。軍人だというグラッドや、昨日実力を見たフェアは別にしても、まさかリシェルやルシアン、ミントまで戦えるとは思っていなかったのだ。

 

 この二日間に起こった二度の戦いはフェアが戦った以外は、ネロが一人で片付けていたようなものなので、彼らの力を見る機会がなかったのだ。

 

(にしても召喚術とか言ったか……意外と便利なもんだな)

 

 ミントが護衛獣のオヤカタを召喚し、連携して戦っているところや、リシェルが三つの離脱式レーザー装置を持つ機界の召喚獣、電磁の遊撃兵(ビッドガンマー)を召喚し、それに攻撃させていたところを見たネロは素直な感想を胸中で呟いた。

 

 ネロの目から見ると召喚までの若干の間は気になるものの、多くの存在を呼び出せるというのは戦闘においても凄まじいアドバンテージになるに違いない。そんなことを考えながらネロは、寄ってきた機械兵器をレッドクイーンで斬りつけた。

 

 機械兵器にはまともな指揮官もいなかったのか、既に大勢は決し残敵掃討に移っている。ネロはもう自分の出る幕はないと判断し、レッドクイーンを背に戻そうとした。

 

(いや、まだか……)

 

 しかし、何かの気配を感じたネロはそれを寸前で思いとどまった。そして視線を気配のした方へ向けた。

 

「こっちは取り込み中なんだよ。出直しな、爺さん」

 

 視線の先にいる左手に大きな義手のようなものを着けた二人の少女を従え、白い口髭と頭頂部が禿げ上がった頭に傷を持った老人に向かってネロは言葉を放った。その老人が今相手をしている機械兵器の親玉であることは間違いないが、彼異常に奇妙なのは従えている二人の少女だ。

 

 その二人には全く気配を感じなかったのだ。人と言うより機械と言った方がいいかもしれない。

 

「まだいたの……!?」

 

 ネロの言葉を聞いたフェアが老人たちを見つけた。さきほどの機械兵器は今しがた片づけたが、これからもう一度戦うとなると体力的にも厳しいだろう。そう考えながら見ていると老人が口を開いた。

 

「なるほど、お前らじゃな。『将軍』と交戦したというのは?」

 

「そういうあんたは誰よ?」

 

「ワシはゲック。こやつらからは『教授』呼ばれておる」

 

 律儀に答えたゲックに、今度はネロが尋ねた。

 

「で? 何の用だよ。まさか挨拶しに来ただけ、とかじゃないよな?」

 

 言葉からレンドラーの仲間だということは理解できたため、彼らの目的もおおよそ見当がついたが、グラッドやミントたちが体勢を立て直す時間稼ぎの意味も込めてあえてネロは尋ねた。

 

「なに、ただその天使と竜の子を渡してもらいだいだけじゃよ。……それとももう一戦やるかね?」

 

 言葉と共にゲックは召喚術を使い、先ほどと同じような機械兵器を十体ほど召喚した。きっとさきほどの機械もこの老人が召喚したに違いない。

 

「そんな脅しで渡すならもっと前にそうしてるに決まってるでしょ!」

 

 ゲックの脅しのような言葉にフェアは半ば反射的に返した。どうやら彼女はこういう手合いは嫌いらしい。

 

「……だとよ。どうするんだ、あんたらは?」

 

「あくまで手向かうというわけか。それもよかろう。……ローレット! アプセット! 我が『鋼の軍団』を率い、天使と竜の子を確保せよ!」

 

 フェアとネロの言葉にゲックは面白そうに笑いながら従えていた二人の少女に命じた。

 

 その二人をあらためてみると確かに顔は人と変わりないように見えるが、その他の体からはどことなく機械然とした雰囲気を持っている。あるいは本当に人間ではないのかもしれない。

 

「やっぱ予想通りだな。……なら相手してやるしかねぇな!」

 

 レッドクイーンを構え直したネロは鋼の軍団へと向かって行った。

 

 そしてとりあえず一番近くにいる機械兵器を斬りつける。悪魔を斬った時とは異なる感触が刃を通じて伝わってきたが、ネロはそれを気にすることなくスクラップとなった機械兵器を蹴り飛ばした。

 

 この敵は金属でできているようだが、イクシードを使わずとも切断することができるようだ。

 

「ち、ちょっとネロ、危ないって!」

 

「心配いらねぇよ。俺はこっちの方が慣れてるんでね」

 

 一人突出した形になったネロを心配する声を上げたフェアにネロが軽く答えた。

 

 ネロは生来の性格からフォルトゥナの騎士団に所属していた時も、複数人で行うような任務からは外され、単独で行わなければならないような仕事ばかり回されていたのだ。その後、悪魔退治を生業にしていた時も、当然ながら仕事は一人でこなしていたのだ。

 

 とどのつまりネロは、単独での戦闘にこそ慣れてはいるものの、複数で協力するような戦いは不慣れなのだ。さきほどの機械兵器との戦いで最初に銃を撃った以外は大人しくしていたのもそれが原因だった。

 

 逆を言えばネロは、一人で戦える現状こそ最も力を発揮できる状況であるともいえる。実際にネロはフェアに答えながらも機械兵器と戦える余裕があるのだ。

 

「さて、まだやるか? もう勝負はついたようなもんだぜ」

 

 結局一分とかからぬうちにゲックが召喚した機械兵器は全て破壊された。残るはゲック本人となぜか戦いに加わってこなかった二人の少女が残るだけだった。

 

「まだまだ、これからですわ!」

 

 ローレットと呼ばれた青い髪の少女が左手の義手を変形させ発砲した。そこには銃が仕込んであったのだ。

 

「随分物騒なもんを仕込んでるみたいだな。……っと、あっちが本命か」

 

 たいした距離もない状況で銃撃を平然と避けて見せたネロは、反撃に出ようとした時、アプセットと呼ばれたもう一人の緑の髪をした少女がミルリーフのいる方へ走っていくのが目に付いた。今の銃撃はネロの気を引くための陽動だったようだ。

 

 だがそれは、ネロが気付いたことで陽動は無駄なものとなった。ミルリーフとの距離はまだある上、ネロもブルーローズという飛び道具がある。アプセットの阻止は容易いことだった。

 

「……って、いらん世話だったか」

 

 ブルーローズをアプセットに向けた時、既にフェアとグラッドが向かっておりミルリーフのもとにもルシアンが走っていた。

 

 フェアたちは消耗しているとはいえ、数でかかればアプセットを退けることは難しくないだろうと判断したネロは、ローレットの銃撃を躱しながら彼女に接近した。

 

 しかしローレットが機械だという確証がない以上、無駄な殺しをしないためにもレッドクイーンを使うわけにはいかなかったネロは、銃が仕込まれた大きな義手のような左手を持ってそれごと彼女を放り投げた。

 

 草原の上を転げまわっただけとはいえ、人間でも機械でもただでは済まないだろう。

 

「まだやるかい?」

 

 ローレットを無力化したネロはゲックへブルーローズを突きつける。これは実質的な勝利宣言であり、もちろん撃つつもりはないが、たいして離れてもいない今のネロの立ち位置ならゲックが何かする前に無力化するのは難しくない。

 

「……今日はこれで退こう。じゃが、ワシらは竜の子を絶対に諦めぬぞ。……『姫さま』のためにもな」

 

 ゲックはそんな捨て台詞を口にして、ローレットとアプセットと共に撤退していった。

 

「姫さま、ね……」

 

 言葉を反芻する。ゲックの言葉を負け犬の遠吠えと断じるのは容易いが、彼の言葉からは決して譲らないという決意を感じた。やはりミルリーフの一件はそう簡単に解決することは難しいだろう。

 

「大丈夫? 怪我したの?」

 

「いや、問題ない」

 

 考え事をしていたネロを心配して声をかけてきたミントに、まだ手に持ったままだブルーローズを懐にしまいながら短く返した。既に他の者は帰る準備をしている。

 

 ミルリーフと一緒にいた天使の女の子は意識を失っていたようで、放ってもおけないためグラッドが背負って運ぶようだ。親の手がかりを探すという当初の目的こそ果たせなかったが、ゲックがミルリーフと共に引き渡しを求めたこの天使を見つけることができたので、及第点といったところか。

 

「……とはいえ、このまま簡単に終わりはしないだろうな」

 

 ぼそりと呟く。手がかりを得たこと自体は喜ぶべきことだと思うが、ネロはそれで無事に終わるとは思っていなかった。むしろ、避けられないような大きなうねりに巻き込まれているような、そんな感覚を覚えていた。

 

 

 

 

 

 同じ頃、バージルはとある山にいた。眼下には樹海を思わせるような広大な森が見える。

 

「目視はできないという話だったが……」

 

 ぽつりと呟いた。その視線は森の直上で浮いている城に向けられている。ただ、城とは言っても、それは樹の中にある構造物に過ぎない。実際に浮いているのはその巨大な樹なのだ。

 

 そしてそれこそがバージルの求めていた「ラウスブルグ」だった。空に浮かぶ城は様々な力を持っているが、なにより特筆すべきはリィンバウムに張り巡らされた結界を越え、自由に世界を渡る力を持っていることだ。

 

 そしてそれこそが、バージルがラウスブルグを欲する理由でもあった。

 

 単純に世界を越えるだけだったら界の意志(エルゴ)にでも言えば可能だろうが、バージルはそれでは不満だったのだ。

 

 界の意志(エルゴ)は常に魔界の悪魔の侵入を防ぐために結界を維持し続けている。それゆえ現状は、リィンバウムを含めた五つの世界の界の意志(エルゴ)の内、常時四つが結界の維持に努めている。残りはそれぞれ担当する世界を見守る必要があるため、実質的に話ができるのはリィンバウムの界の意志(エルゴ)だけ、それも数年に一回の頻度でしかないのだ。

 

 しかし、バージルが望んだのは自分の好きな時に自由に使える世界を越える力だったのだ。

 

 それを少し前に再度姿を見せた界の意志(エルゴ)に話した時に提案されたのが、目の前にあるラウスブルグだった。

 

 元々はリィンバウム固有のものではなく、かつて戦いを忌み嫌ったメイトルパの者たちによって造られたものらしい。ただ、今では世界を渡る機能は使えないようで、はぐれ召喚獣の住むだけの集落と化しているとのことだ。

 

(若干焼けた跡はある程度か……たいした問題はなさそうだが、確認する必要はあるな)

 

 火事でもあったのか、所々に燃えたような痕跡を見つけることはできたが、それ以外に異常は見当たらない。最終的な結論はラウスブルグを手中に収めたあとに出そうと考えているが、少なくとも外見から見たラウスブルグの状態をバージルはそう判断した。

 

 おそらく世界を渡る機能が使えないのは、当初から考えていた通り、設備の問題ではなく人員の不足が原因である可能性が高い。そもそもあまり機械を用いた文明が発展していないメイトルパの産物であるから、ラウスブルグはこれを造った種族固有の能力を利用して稼働するものなのだろうと推測していた。

 

(まあ、それなら問題はあるまい)

 

 とはいえ、それは界の意志(エルゴ)から話を聞いた時点で思い至っていたことだ。そのための手は既に打ってある。今はアティとポムニットに必要な物を取りに行かせているところだ。抜かりはない。

 

(だが、余裕があるわけでもない。手短に済ませたいところだ)

 

 最近、こちらに出現する悪魔は減少傾向にある。人々はこれを歓迎しているが、界の意志(エルゴ)が維持している結界の現状、そして悪魔の習性を熟知しているバージルは、この傾向はこの世界にとって慶賀すべきことではないと考えていた。

 

それは、魔帝に破壊されていた部分の結界が今でも修復はされていないためだ。にもかかわらず悪魔が現れないのは、誰かが意図的にこちらに現れないようにしているに違いない。

 

 その理由は、戦力の温存や対策を立てさせないために情報の秘匿といったところが考えられるが、いずれにしろ、それをしているのはやはり魔帝が関与しているのは間違いない。一時はダンテに封じられたようだが、とうとう本格的に動き出したのだ。

 

 こちらに侵攻してくるのがいつになるかは不明だが、今日明日といった短期的スパンではないだろう。封印から解放された直後では力が完全ではなく、そんな状態で、当時のダンテより力を持った自分がいるリィンバウムに侵攻してくるなど自殺行為でしかないのだから。

 

 魔帝が力を回復させるまで早くて二、三年、遅くとも五年。それがバージルに残された時間なのだ。

 

 それまでに全ての準備を整えなければならない。その第一段階がラウスブルグ、つまりは人間界への移動手段の確保だった。

 

 そう、バージルは人間界へ行くつもりだった。そこに彼の計画の鍵を握るものがあるのだ。

 

「さて、行くか」

 

 呟き、バージルは姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 




ギアン
ねんがんの ラウスブルグをてにいれたぞ!

バージル
そう かんけいないね
殺してでも うばいとる ←
殺して うばいとる





バージルも出せたので、今回を今年最後の更新とします。

次回は執筆状況によりますが、早ければ正月三が日に投稿、遅くとも1月14日(日)投稿する予定です。

ご意見ご感想お待ちしております。

ありがとうございました。


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第70話 親子になる

 ゲックらを退けたネロ達だったが、ミルリーフが見つけた少女が意識を失っていることもあって、一度トレイユに戻ることにした。

 

「こいつが天使ねぇ……」

 

 グラッドに抱えられた少女を、ネロが珍しいものを見るような目で覗き込んだ。背中から生ている光を放つ鳥のような白い羽を持っている少女は、まさしく天使と言っていい存在だが、ミントが言うにはサプレスという世界に住むれっきとして生命体なのだという。

 

「天使でも女の子なんだから、あんまり見ちゃダメよ」

 

「そうよ。全く、デリカシーがないんだから!」

 

「はいはい、気を付けるよ」

 

 行動を咎めるミントとリシェルの言葉をネロは軽く受け流した。確かに非は認めるが、興味本位であり別に悪意はないのだからこれくらい見逃してくれてもいいじゃないかと思いもするが、それを口にすることはなかった。

 

「この子大丈夫かな?」

 

「ヤバそうな怪我はしてないから命の危険はないと思うぞ。ただ、詳しいことは……」

 

 心配そうに呟くルシアンに少女を背負っていたグラッドが応じるが、それ以上のことは一介の軍人でしかない自分には答えられなかったため、ミントに助けを求めた。

 

「私も専門外だけど、薬くらいならあるから家に帰ったらつけてあげるつもりだよ」

 

 それでもミントはサプレスの悪魔の血を引く友人がいるため、さすがに自身が扱う幻獣界ほどではないが、霊界のことは多少なりとも詳しかった。

 

「あんたらみたいなのにも専門があるのか? てっきり好みで呼び出す奴らを決めてるのかと思ってたけどよ」

 

 男勝りなリシェルは機械系のものが好きそうだし、ミントもオヤカタのような小動物を好んでいるから、そうしたものばかり召喚しているのだろうと勝手にネロは思っていたのだ。

 

「そんなわけないでしょ。召喚師には得意分野があるのよ」

 

「そうね、リシェルちゃんなら機界ロレイラル、私なら幻獣界メイトルパの召喚術しか使えないの」

 

 基本的に召喚術は一つの属性しか扱うことができない。大抵は両親のいずれかと同じ属性であり、それに関する研究内容や召喚術の行使に必要な真名は帝国では軍に、聖王国などでは各家ごとに守られているのだ。

 

「なるほどね、いろいろあるんだな」

 

 やはりどこの世界でも相性のようなものがあるんだなあ、と考えていたネロに、グラッドがフェアを示しながら例外について言った。

 

「まあ、こいつみたく全部使えるのもいるけどな」

 

「へぇ、たいしたもんだ」

 

 感心したように頷くネロにフェアは少し照れながらも否定する。

 

「で、でも私はリシェルやお姉ちゃんみたいにすごい召喚獣は呼べないって」

 

「それでも全部使えるのはホントなんだろ。なら、それで十分すげぇじゃねぇか」

 

 自身の言葉通りフェアはロレイラルとメイトルパに加え、シルターンとサプレスの召喚術への適正も持っていたのだが、どうも召喚術の素養自体はあまりなかったようで、比較的ランクの低い召喚獣しか召喚することができないのだ。

 

 それを聞いたネロは、もしかしたら自分が召喚された世界は何と呼ばれているのか気になり、自分が召喚獣であることは伏せて、ミントに尋ねてみることにした。

 

「……ところで、他の世界にはどういう奴がいるんだ? ロレイラルとかメイトルパのは少し分かるけどな」

 

「シルターンには龍とか鬼みたいな種族もいるけど、私達と同じような人間もいるけど、サプレスはあの子のような天使と悪魔だけで、人間はいない世界なの」

 

「……なるほど、その四つから召喚しているってことか」

 

 少し落胆したことを悟られないようにネロは抑揚のない声で確認した。簡単な話を聞いただけだが、少なくともミントの話と機界と幻獣界の召喚獣を見た限りでは、その中にネロが生活していた人間界はなさそうだった。

 

「一応、他にも名もなき世界っていうのがあるんだけど……、これについては詳しく分かってないの」

 

(可能性がありそうなのはこれだが……あんまり参考にはならねぇな)

 

 あわよくば帰る手掛かりになればと考えていたのだが、そう上手くはいかないようだ。仮に自分のいた世界がミントの言う名もなき世界であったとしても、あまり分かっていないのでは話にならない。

 

「おっ、ネロってば召喚術に興味あるの?」

 

「まあ、使えれば便利だとは思う」

 

 ネロにしては珍しく詳しく聞いていたからそう思ったのか、リシェルが尋ねるとネロは断言を避けるように答えた。とはいえその言葉は、紛れもなくネロの本心ではあった。

 

 そこに二人の言葉を聞いていたグラッドが昔を懐かしむように言う。

 

「召喚術か、俺もファルチカの軍学校で習ったなぁ」

 

「軍人も習うもんなのか」

 

 ミントやリシェルがしていたように召喚術は戦闘への応用も可能であるとはいえ、軍人が学ぶほど召喚術は重要視されているのかとネロは驚いた。

 

「……そのあたりは帝国の考え方が関係していてね。この国では一部の召喚術を一般にも開放していて、特に軍人になるには必須の科目なの」

 

 その方針ゆえ帝国は建国から短期間の内に聖王国や旧王国と比肩される国家へと成長することができた。しかし召喚師を頂点とした世界の創造を目指す無色の派閥は、召喚師の存在を否定しかねない方針をとる帝国に激しい敵愾心を抱いているようで、これまでに幾度も戦いを繰り広げていたのだ。

 

「なるほどね、軍人になるのも大変なんだな」

 

 もっとも、そんな背景など知らないのでネロは人ごとのように言った。一応これでもネロはかつて、城塞都市フォルトゥナの騎士だったこともあるが、似たような立場のグラッドには共感しなかったらしい。もっともその騎士団でも、鼻つまみ者だったネロにそれを求めるのは無理難題に違いないが。

 

 そうこう話をしているうちに一行はトレイユの近くまで戻ってきていた。

 

「あともう少しで町ね。どうやら警戒は杞憂だったみたい」

 

「気は抜くなよ。あいつら町の中でも仕掛けてきたんだからな」

 

 ほっとしたように息を吐いたリシェルをグラッドはたしなめた。トレイユは彼一人しか駐在軍人がいない小さな町ではあるが、れっきとした帝国の領土である。そこで大きな騒ぎを起こせば帝国軍が来ることくらい子供でも分かる理屈だ。にもかかわらず「将軍」は竜の子を手に入れるために動いたのだ。

 

 町の近くに来たからと言って注意を怠っていい理由にはならない。

 

 そのことはミント達と話をしながらも周りへの警戒を緩めないネロには十分理解していた。

 

「ああ、分かってる。心配するなよ」

 

 戦闘で疲労しているはずのグラッドに少女を運ぶ役目を任せたのは、まだ余力のあるネロに警戒を任せていたためだ。その裏には彼の戦闘能力なら一人でも、十分ミルリーフを狙う者達と戦えるという計算もあったことは疑うまでもない。

 

「うん。うちに着くまでよろしくね!」

 

 フェアがネロの背中を叩いた。グラッドに背負われている少女はとりあえず「忘れじの面影亭」まで運ぶことになっていた。部屋にはまだ空きがあるし、フェアも快諾していたため、誰も異論はなかった。

 

 結局ネロは、そこにつくまで警戒を途切れさせることはなかったが、幸いにしてミルリーフを狙う者達の襲撃はなかった。

 

 

 

 

 

 宿屋までの警戒の仕事を終えたネロは、食堂の椅子に背中を預け休憩していた。少し前までは女性陣が少女に簡易的な治療を行っていたのだが、それも終わりミントが持ってきた薬を家に戻すのと同時にグラッドやリシェル、ルシアンも一度それぞれの家に戻ることになったのだ。

 

 グラッドは駐在軍人であるため、その仕事を放り出すわけにもいかず、リシェルとルシアンも一度家に、忘れじの面影亭にいると告げに言ったのだ。特にリシェル達姉弟は金の派閥の召喚師の家系であり、トレイユの名士でもあるブロンクス家の子弟のため、行動まで制限はかけられなくとも逐一居場所の報告を求められるのだそうだ。おそらくこのあたりが自由に遊びたい子供と親の妥協できる線だったのだろう。

 

 まあ、少女が意識を取り戻していない現状では、ただここで待っているよりも有益かもしれない。そうした経緯もあり、現在ここにいるのは眠っている少女とその傍にいるミルリーフを除けばネロとフェアだけだった。

 

「はい、ネロ。お疲れ様」

 

 そこへフェアが湯気の立つカップをネロの前に差し出した。ここまで気を張って警戒してくれたことへの報酬といったところか。

 

「ああ、悪いな」

 

「みんなには内緒だからね」

 

 いたずらっぽく笑うフェアの笑顔に釣られて相好を崩しながらネロはカップの中のものを一口飲んだ。

 

 ミルクのまろやかな味わいの中にあるほのかな酸味と甘味が舌を刺激した。単純なホットミルクというわけではなく、果実のジャムかあるいは、果実のすりおろしに砂糖を加えたかのどちらかだろう。

 

 いずれにしても張り詰めていた緊張を緩和し、疲れをとるには十分な一杯だ。

 

「うまいな。これまで食った物も旨かったけど、繁盛するだけあってたいした腕だ」

 

「そ、そう? そう思ってくれるなら嬉しい」

 

 ネロの素直な称賛にフェアは嬉しそうに笑った。

 

「それにしてもよく一人で宿をやろうなんて思ったな」

 

「あー、ちょっと色々あって……」

 

 困ったように視線を彷徨わせる様子にネロは頭をかきながら言った。

 

「無理に言わなくてもいい、気にすんな」

 

「ううん、折角だし聞いてもらおうかな」

 

 しかしフェアはさほど気にした様子もなく、ここで宿を切り盛りするまでの経緯を話すことにした。

 

 フェアはかつて父と双子の妹と暮らしていたが、五歳の頃、父が妹の病を治すと言って二人で出て行って以来、一人暮らしをしてきたのだ。そうしてる内にリシェルとルシアンの父親であるテイラー・ブロンクスからこの宿を任され、今に至るのである。

 

「まったく、あのバカ親父は! どこかで痛い目見てればいいのよ!」

 

 最初は真面目に話をしていたフェアだったが、どうも自分だけを置いていった父親に対してはいい感情を持っていないらしく、途中からは父親への愚痴と怒りが大半を占めるようになっていた。話しているうちにいろいろと思い出したのだろう。

 

「……そいつは、大変だったな」

 

 自分から聞いた手前、話を一方的に打ち切るわけにはかず、若干投げやりながらもネロは相槌を打った。

 

「そうよ! だから私は平凡に生きて平凡な幸せを掴んでみせるんだから!」

 

 このままでは興奮が治まるまで、しばらくフェアの話に付き合わなければならないだろう。それはさすがに御免被りたいネロは、多少無理矢理にでも話題を変えることにした。

 

「まあお前は、面倒見は良さそうだから子供を放っておくようなことはしないだろうな」

 

 面倒見の良さについては以前から思っていたことだ。いくら助けられたとはいっても、宿代もとらずタダで宿泊させるようなことはなかなかできることではない。

 

 そんなとき、彼女の面倒見のよさについてふとある考えが思い浮かんだ。

 

(もしかしたら親に置いて行かれたことが関係しているのかもな……)

 

 自分が半ば見捨てられたようなものだからこそ、フェアは父親を反面教師にしたのかもしれない。だから他人を放っておくことに抵抗感があり、いろいろと面倒を見てしまうのだろう。ネロ然り、今日連れてきた少女然りだ。

 

「当ったり前よ、私は絶対あんな奴みたいにはならないんだから!」

 

 しかしフェアは、まだ落ち着かない。その様子にネロは苦笑するしかなかった。これでも彼女の好意に甘えている身、ここは大人しく気の済むまで付き合ってやるか、と腹に決めたのだ。

 

 そうしてネロが適当に言葉でも返そうとしたとき、何かがぶつかる、あるいは落としたような物音が聞こえた。

 

「どうやら起きたみたいだな」

 

「うん。ちょっと様子見て来るね。……あと、さっき言ったこと忘れて! 変なこと話しちゃってごめんね!」

 

「あ、おい……」

 

 フェアはそう言って返事も聞かずに、少女が寝かされている黄葉の間へと向かって行った。彼女としては、やはりまだ会ったばかりのネロに身の上話をした上、愚痴まで漏らしてしまったことに恥ずかしさと申し訳なさがあったのだ。

 

 ネロは呼んでも止まらなかったフェアを仕方なく追いかけようとしたのだが、そこへリシェル達が戻ってきた。

 

「お疲れー。どう? あの子起きた?」

 

「……ああ、今見に行ってるよ。すぐ戻るだろ」

 

 そのためフェアを追いかけるわけには行かず、二人と共にフェアが戻ってくるまで待つことにしたが、それからすぐ大きな泣き声が聞こえてくると、リシェルはすぐ部屋に向かって行った。

 

 今日はさらにもう一波乱ありそうな予感がネロの中に湧き上がっていた。

 

 

 

 

 

 そうこうしているうちにミントとグラッドも戻り、とりあえず食堂で少女を交えて話をすることになった。

 

(随分とまあ……)

 

 フェアとリシェルが話をするために連れてきた天使の少女リビエルは、猜疑心を隠そうともせず皮肉を連発していた。まあ、気付いたら見知らぬところにいたのだから警戒するのも無理はないが。

 

「僕達は君と話をしたいだけなんだ。言いたくないことは無理に聞かないし、少しだけでいいから……ダメかな?」

 

 直情型のフェアやリシェルはリビエルの馬鹿にするような皮肉に怒りを募らせていたが、大人しく真面目なルシアンはさほど気にした様子もなく、話をしたいだけと説明した。

 

「……仕方ありませんわね。そこまで言うのでしたら話くらいして差し上げますわ」

 

 下手に言われたリビエルは少しばつの悪そうな顔をしながら了承した。今はこちらを信用できないだけで、きっと本来のリビエルは優しい少女なのだろう。

 

「それじゃあまずは、どうしてあなたがここにいるか説明するね」

 

 ミントが説明を始めた。ルシアンに続き物腰が柔らかい彼女ならリビエルに警戒されることもないだろう。

 

「……なるほど、急に動き出した御子様を追っていたら私を見つけて連れてきた、ということですわね」

 

「そういうことよ」

 

 一から丁寧に順を追って説明された内容を要約したリビエルにフェアが同意を示した。

 

「にしてもその御子様ってのは一体何だ? 随分とこいつが偉い存在みたいだが」

 

 ネロが机の上にいるミルリーフの頭をわしわしと撫でながら言う。

 

「御子様にそんな無礼許しませんわよ! ……とはいえ、知らなくても無理ありませんわね。本来なら何があっても話せることではないのですけれど、あなた方はあいつらとは無関係のようですし、特別に説明して差し上げますわ。ただし、他言は無用ですわよ!」

 

 ネロの行動に怒りかかったリビエルだったが、ミルリーフが気持ちよさそうにネロにすり寄る様を見て、矛を収め詳しく説明することにしたようだ。

 

「御子様は『ラウスブルグ』の守護する竜の後継者、そして私は御子様にお仕えする『御使い』の一人なのです」

 

「ラウスブルグ?」

 

「簡単に言えば召喚獣だけが住む集落ってところですわね」

 

 フェアの疑問にリビエルが答え、ミントが「幻獣界の古い言葉で『呼吸する城』という意味よ」と補足した。彼女の説明自体はネロにも理解できたが、どうしてもわからないところがあったので聞いてみることにした。

 

「それで、どうしてこいつは空から降ってきて、あんたはあいつらに襲われてたんだ?」

 

 彼女の話の通りならミルリーフはあのとき、ネロの頭上に落ちて来ていないし、リビエルもあの機械やゲックに襲われてはいないはずだ。リビエルの話にはまだ語られていないことがあるはずだ。

 

「それは……」

 

 リビエルは言葉を詰まらせて悲しそうに俯いた。そんな彼女のような顔をネロは仕事柄、これまでに何度も見たことがある。それゆえ、リビエルが言葉にしなくとも何が起きたのか察しがついた。

 

「……死んだんだな?」

 

 ネロに視線が集中し、それらはすぐにリビエルに注がれた。

 

「っ……」

 

 こくりとリビエルは頷いた。俯いているためその表情は見えなかったが、ミルリーフの親に当たる竜はよほど大切な存在だったのだろう、涙がこぼれているのは見えた。

 

「そんな……」

 

「うそでしょ……」

 

 フェアとリシェルが呻いた。目的を失ったこととミルリーフの境遇にショックを受けたのだろう。しかし当のミルリーフはそんな二人とリビエルを慰めるかのように鳴いていた。まだ生まれたばかりのミルリーフは、もう親と会うことができないということを理解できていないのかもしれない。

 

(ミルリーフ……)

 

 ミルリーフの親については残念だとは思うが、ネロ自身、父も母も顔すら知らずに育ってきた身だ。それでもキリエや、もう命を落としてしまったその兄クレドと二人の両親のおかげで生きてこられたのだ。今度は自分がそうする番なのかもしれない。

 

「しかし……これからどうする?」

 

「ウチにだったら住んでもらうのは構わないけど……」

 

「そうじゃないのよ、フェアちゃん。この子をこれからどうするかってことなのよ」

 

 グラッドの言葉をリビエルの処遇についてだと思ったフェアが答えるが、それをミントが訂正した。短期間ならともかく、ずっとミルリーフを育てることは難しいことは前に話した通り難しい。だから親元に返そうとしていたのだが、その出鼻から挫かれた形になってしまったため、改めて今後の方針を決定する必要があるのだ。

 

「…………」

 

 誰も口を開かないことにグラッドが息を吐く。

 

「そりゃすぐには思いつかないよな……」

 

 そもそも親を探すという最初の方針が、その日の内にダメになったのだ。すぐに次を考えるのも難しいに違いない。

 

「君は何かある?」

 

 落ち着いたらしく顔を上げたリビエルにルシアンが尋ねた。

 

「そう言われても、他の御使いとははぐれてしまいましたし……」

 

「……そもそもお前らは、こいつがここにいるのを知ってるのか?」

 

 困ったように顔を顰めるリビエルにネロが訊いた。疑問形になってはいるが、まさか偶然ここに辿り着いたわけでもないだろうし、おそらく御使いはミルリーフの居場所か、そのタマゴが落ちた場所を把握しているのだろう。

 

「ええ。そう聞いていましたし」

 

「それなら、まだ他の人が来るんだ!」

 

「わかんないわよ、リビエルみたいに追われている可能性だってあるわ」

 

 喜色を浮かべたルシアンにリシェルが言う。

 

 リビエルの仲間の安否に関わることなのだから、もう少し言葉に気を遣ってほしいとルシアンが言う。

 

「姉さん、そんなこと言わないでよ!」

 

「私は構いませんわ、いざという時の覚悟もしていまし。もっともその点については、さほど心配はしていませんわ」

 

「すごい自信ね。その人たちってよっぽど強いの?」

 

「私なんかよりずっと強いですし、あんな奴らに後れをとることなんかありえませんわ!」

 

 フェアの問い掛けにリビエルが自信を持って言う。

 

「ならしばらくは、そいつらを待つしかないってことだな」

 

「なんでそんなに嫌そうなのよ、仲間が増えるんだからいいことじゃない!」

 

「それはそうだけど、こっちの場所は敵に知られてるんだよ。それに待つためにもここから離れるわけにはいかないし……」

 

 ネロの言い方に突っかかったリシェルにミントが説明する。やはり彼女も同様のことを考えていたようだ。そしてさらにグラッドが続けた。

 

「いくらあいつらが町中で暴れるような奴らでも、町そのものを破壊するような行動をとるとは思えませんし、注意すべきは少数による襲撃でしょう」

 

「まあ、それが向こうにとっても最善だろうな」

 

 ネロが同意を示した。彼としては町全体を攻撃する可能性自体は捨てていなかったが、十人にも満たないこちらからミルリーフを奪うためにそこまでするのはその後のことを考えても得策ではないことは確かだ。それよりもグラッドが言った通り、少数精鋭による襲撃の方が遥かに効率的だ。

 

(俺にとっても、そうしてくれた方がありがたい)

 

 胸中で付け加える。少数なら自分一人でも撃退することはできる。それが、これまで「将軍」と「教授」と戦ってきた上でのネロの判断だ。召喚術という不確定要素はあるが、それでもあいつらが相手なら負けるとは思っていなかった。

 

「それなら私たちはともかく、心配なのはミルリーフね。さすがに戦いの間、ずっと誰かが付きっきりってわけにはいかないもの」

 

 フェアの懸念はもっともだ。ただでさえこちらは、向こうよりも頭数が足りないのだ。その上でミルリーフに護衛をつけては、戦力不足でジリ貧に陥る危険性があった。

 

「……本当は隠しておくつもりだったのですけれど、仕方ありませんわね」

 

 フェアやネロのやり取りを聞いて思案していたらしいリビエルが言って、懐から大きな鱗のようなものを取り出した。

 

「それは……?」

 

「先代の守護竜様の魔力と知識が込められた鱗、御子様への遺産として託された形見の品の一つですわ。これに込められた魔力と知識を受け継いでいただければ、自分の身を守るくらいの力は得られるはずですし、その全てを受け継ぐことができれば、知識も魔力も先代の守護竜様と同等のものになるはずです」

 

「すっごい便利ね……」

 

 感心したようにリシェルが呟いた。人間でもこれができれば小難い勉強なんてしなくて済むのに、と考えているのかもしれない。

 

「もしかしてあなたが追われていた本当の理由って……」

 

「ええ、これを奪い取るためでしょうね。使い方次第ではとんでもないこともできるでしょうし」

 

 敵の目的がこれではないかと考えたミントにリビエルが答えた。この鱗を手に入れるだけで、人知を超えた力を手にすることができるのであれば、良からぬことを考える者にとっては喉から手が出るほど欲しい代物に違いない。

 

 しかしリビエルは一向にそれをミルリーフに渡そうとしない。不思議に思ったフェアが「どうしたの?」と尋ねようとする直前、少し恥ずかしそうに口を開いた。

 

「……場所を変えてもよろしいかしら?」

 

「え、なんで?」

 

「このようなこと私も経験がないので、正直その……何が起こるか……」

 

 まだ御使いとなって長くないリビエルだが、それでもプライドはあるし、知識を司る天使としての矜持もある。そんな己の無知を晒すようなことは恥ずかしかったのである。

 

 もっともそれはリビエルだけが気にしていることで、それを聞いたフェアも思うところはなく場所の提案をした。

 

「それじゃあ庭に出ようよ、あそこなら広いしさ」

 

 

 

 そうして場所を庭に移し、リビエルはミルリーフに先代に託された遺品を差し出した。

 

「さあ御子様、どうぞお受け取りください」

 

「ピィ!」

 

 ミルリーフは声を上げて差し出された鱗に触れた。

 

「っ……」

 

 するとミルリーフが一際大きな声を上げたかと思うと、その小さな体から強い光が発せられ、そこにいた者の視界を僅かな時間奪った。

 

 そして光が収まり、ミルリーフのいた場所には女の子がいた。

 

「…………」

 

 十歳ほどの見た目に腰まである長いピンクの髪を持ち、それと同系統の色のワンピースを着ていた。これまでの姿から共通するのは髪の色と、耳の上、こめかみの辺りから伸びる耳のようなもの、それに随分と長くなった尻尾の三つだ。

 

 共通点はあるものの、やはり人のような姿になったのは驚きだったようで、誰しも変わりのように目を見開いていた。

 

 しかし変わったのは姿だけではなかった。

 

「すごい魔力……、さっきまでとは比べものにならない」

 

 ミントが驚嘆したように頷いた。魔力を使う召喚師だからこそミルリーフの放つ魔力に気付いたようだ。

 

「他のも手に入れれば、もっと強くなるんだよな」

 

 ネロもミルリーフの魔力については気付いていたが、竜という人間界でも人より上位の存在として描かれることが存在なら、これくらいなのだろうと勝手に納得していたため、驚きは少なかった。

 

「ええ、全て継承すればあなた達に守ってもらう必要もなくなるでしょうね」

 

 あといくつの遺品があるのかは知らないが、リビエルの言う通りになれば少なくとも、普通の人間にどうかできるレベルでなくなるのは間違いないだろう。

 

「とりあえずそうなるまでは付き合わねぇとな……」

 

 ぼそりと小さな声で呟く。親に会わせるという明確な目標がなくなったため、ネロもどこまで協力すべきか悩んでいたのだ。そのためネロはとりあえず、ミルリーフが守護竜の力を継承することを一つの区切りと考えることにしたのだ。

 

 本来、ネロの性格からすれば先ほど話したように御使いの到着を待つという守備的な方針より、敵の本拠地に乗り込み叩き潰すような攻撃的な方が好ましいのだが、敵の本拠地はおろかどこから来ているのも分からないため、そうした手段は実質的に取りようがないのである。

 

「とりあえずこれで安心ってわけね。……改めてよろしくね、ミルリーフ」

 

 人の姿になったミルリーフにフェアが笑いかけた。心配なことはあるが、それでもリビエルの協力を得られ、ミルリーフは人の姿を得た。フェアは少しずつ前に進んでいると信じていた。

 

「…………」

 

「ん……?」

 

 しかし何も言わずにじっとこちらを見るミルリーフに、フェアは不思議そうな表情を浮かべた。

 

「……ママっ!」

 

 ところがミルリーフはフェアのことをそう呼んで笑顔で抱き着いた。

 

「ええ!?」

 

「フェアさんが、ママ!?」

 

 突然のことにリシェルとルシアンが素っ頓狂な声を上げた。

 

「刷り込みみたいなものじゃないか?」

 

「きっとこの子が孵ったとき、フェアちゃんはその場にいたんじゃないかしら」

 

 ブロンクス姉弟とは対照的にグラッドとミントは冷静に状況を分析していた。やはり子供と大人の差か。

 

(あの時は俺もいたが……どうやら運がよかったらしい)

 

 状況的にはネロが親と思われていた可能性もあるのだ。そう考えれば暢気にグラッドの話に加わろうとは思えなかった。

 

「そんな無茶苦茶な……」

 

(気持ちは分かる……)

 

 いきなり親になるという事態に困惑するフェアにネロは胸中で同情した。とはいえ、変わってやりたいとは思っていないようだが。

 

 自分がなるかもしれなかった役を引き受けてしまったフェアに、せめて慰めの言葉くらいかけてやるか、とネロはフェアに歩み寄る。

 

 そんなネロに最初に気付いたのはフェアではなく、ミルリーフだった。彼女はネロを見るやいないや、先ほどフェアに抱き着いた時のような満面の笑顔を浮かべて言った。

 

「パパっ!」

 

「は……?」

 

 ミルリーフの思いもよらなかった言葉にネロは硬直した。どうやらもう一波乱あるかもという彼の予感は見事的中したようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




お約束のような展開がすきです。

ネロがパパと呼ばれるだけで色んなシチュエーションが思い浮かびます。



1日には間に合いませんでしたが、何とか三が日中には投稿できました。

次回は1月14日(日)投稿予定です。

ご意見ご感想お待ちしております。

ありがとうございました。


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第71話 はじめてのお出かけ

 ミルリーフに親と言われたフェアとネロは、その対応に苦慮していた。寂しがり屋なのか四六時中一緒にいたがるし、子供らしい我儘も言う。これが赤の他人なら突き放すこともできるだろうが、なにしろミルリーフの二人に対する懐き具合は尋常ではない。そんな相手を突き放すのはなんだかんだ言って甘いフェアとネロには至難の業だった。

 

「ねーパパ、今日お出かけしたいの、どこかに連れてってよう」

 

「……まあ、それくらいならいいか」

 

 行儀が悪かったり無理な我儘を言ったりするなら、たしなめることや注意することもできるのだが、こうしたお願いはまだ生まれたばかりという境遇も考慮に入れると、どうにも断ることはできないでいた。

 

「いいわけありませんわ!」

 

 ばん、とテーブルを叩き、大きな音をたてながらリビエルが立ち上がった。つい先ほど食べていた朝食は既に下げられた後だったため被害はなかったが、まだテーブルの上に残っていたカップの中の水がその衝撃で少し零れた。

 

「いけません御子様、どこに敵の手があるか分かりませんし、しばらくは大人しくしていただかないと……」

 

 リビエルの言うことは理解できる。敵はミルリーフのことを諦めていないのは明らかであるため、最も安全に過ごす方法は極力人目につかないように過ごすことなのだ。ミルリーフの身の安全に気を配る御使いにとっては当然の言葉でもある。

 

「そんなのいや! せっかくお話しできるようになったんだから、一緒にお出かけしたいの!」

 

「いいだろ、別に。俺も一緒に行くんだしよ」

 

 しかしリビエルの言葉は理解しつつも、ネロはそれに賛成することはなかった。いくら安全のためとはいえずっと引きこもっているのは辛いだろう。なにしろいくら竜とは言ってもまだ子供なのだ。外にも出られずにいることがミルリーフにとっていいことだとはネロには思えなかった。

 

「いくらなんでも一人では危険すぎますわ。再考しなさいな」

 

 そもそもリビエルは、ネロはおろか、フェア達が戦っているところを見たことはないのだ。襲ってきた教授達を撃退したのだから、弱くはないのだろうが、さすがに一人では数の力には勝てないだろう。リビエルは自分の常識に当てはめてネロの力をそう評価していたのだ。

 

「大丈夫だよ、あんな奴らなら俺一人で十分だ」

 

 強がりではない。ネロは自分なら、一人でもこれまで戦ってきた「将軍」や「教授」を撃退できると思っていたのだ。しかしだからといって、油断するつもりはない。戦いでの油断が命取りになることなど、ネロは悪魔との戦いを通して、とうの昔に知っていたのだから。

 

「リビエル、そんなに心配なら私も行くからさ。出かけることくらい許してあげてよ」

 

 そこへ手際よく皿を洗っていたフェアが助け舟を出した。話はリビエルが机を叩いたあたりから聞いていたが、これ以上言い合っても話は平行線を辿ると直感的に悟ったようだ。

 

「……仕方ありませんわね。ただし、御子様の安全だけはくれぐれも注意してくださいな」

 

 まだリシェルとルシアンは来ていないため、ここにいるのはリビエルとミルリーフ、ネロ、フェアの四人だけ。その内のミルリーフを含めた三人が外出に肯定的であるため、これ以上強硬に反対するよりは、むしろミルリーフの安全について気を配るように、よく言い含めた方が得策と判断したのかもしれない。

 

「うん、わかってる。ネロもお願いね」

 

「ああ」

 

 目配せしてくるフェアにネロは頷いた。もとよりミルリーフを危険な目に合わせるつもりは毛頭ないのだから当然だ。

 

「わーい、パパ、ママだーい好き!」

 

「……ありがとよ」

 

 大輪のような笑顔を咲かせたミルリーフに、ネロは少し困惑しながらありきたりな礼の言葉を言う。彼はこんな無条件の好意を向けられることに慣れておらず、どう反応していいかわからずにいるのだ。

 

 そんな珍しい反応を見せたネロを見て、くすりとほほ笑んだフェアは洗い物を再開させながら口を開いた。

 

「それじゃあ、お昼の営業が終わったら行こうか。それまで待っててね」

 

 この「忘れじの面影亭」は宿泊所としての人気はなくとも、昼のみ営業している食事処としては、安くて美味い定食を出す店として、町の人間にも評価は高かった。そうした定食屋としての売り上げが、「忘れじの面影亭」の主たる収入源であるため、なかなか休むことはできないのである。

 

「うん! 頑張ってね!」

 

 もちろんそんな事情など知る由もないミルリーフだが、外出できるとあって文句はないようだ。

 

「手伝った方がよろしいかしら?」

 

「ううん、大丈夫。ミルリーフと一緒にいてあげて」

 

 リビエルの申し出をフェアはやんわりと断った。これまでも一人で営業できているという理由もあるが、万が一の敵の襲撃に備えてほしいという意味もあった。

 

「分かりました。……御子様、お店が始まったら私のところでお話でもしましょうか?」

 

「うん、する!」

 

 フェアの意図に気付いたリビエルはミルリーフに約束を取り付けた。

 

「俺は何するかな……」

 

 フェアは店の営業、リビエルとミルリーフは話しとやることあるようだが、ネロは店の準備の手伝いさえ終われば、出かけるまで手持ち無沙汰になってしまう。そのため何か暇つぶしでもないかと、思案を巡らせるのだった。

 

 

 

 

 

 しかし特にすることを思いつかなかったネロは、レッドクイーンやブルーローズの整備をしながら、昼の営業が終わるまで待つことにした。ただし、整備とはいってもネロは技術者ではないため、普段より時間をかける手入れと表現したほうが正確かもしれない。

 

 ネロ自身が自作したブルーローズはともかく、レッドクイーンは壊れてしまったらフォルトゥナに戻るまで修復は不可能であるため、なおさらこうした日頃からの手入れは重要なのである。

 

「お待たせ! それじゃあ早速行こう!」

 

「うん!」

 

 一通り片付けが終わったフェアが玄関近くで待つネロとミルリーフに声をかけた。今回、町へ出かけるのはこの三人だ。リビエルは宿で留守番をするつもりのようだ。もっとも宿泊客など来ないだろうが。

 

「で、どこから行くんだ?」

 

 忘れじの面影亭から出てため池までの道を歩いているときに尋ねた。三人の中でトレイユの町で生まれ育ったのはフェアだけだ。そのため、彼女が今日のルートを決めるのは自然なことである。

 

「まずは商店町の方に行くつもり。あそこならいろいろあるし……。ミルリーフもそれでいいよね?」

 

「うん! ミルリーフね、いろんなお店に行ってみたい!」

 

「なら決まりだな」

 

 今回はミルリーフの希望で実現したもののため、彼女さえよければネロはどこでもよかったようだ。

 

 しばらくするとため池が見えてきた。ネロ達から見て左折すれば商店町に行ける。ちなみに曲がらずに真っすぐ歩いていけば、トレイユの中でも一際立派な屋敷が見えてくる。そこがリシェルとルシアンが住んでいる屋敷なのだ。

 

「そういや、今日はあいつら朝しかしか見てないな。何かあるのか?」

 

 いつもは自分の家のような感覚でフェアのところに入り浸るリシェルとルシアンなのだが、今日は朝に少し顔を見せなかったのだ。聞くところ彼らの家は召喚師の家系だというはなしであるため、それに関連しているのかもしれない。

 

「やっぱりいろいろ勉強とかあるみたいだし、それじゃないかなあ」

 

「あいつらが?」

 

 あいつら、と言ったもののネロの脳裏に浮かんだのはリシェルの姿だけだった。これまで印象からリシェルは頭を使うより、体を動かしている方が好きだと思っていたのだ。

 

「ルシアンはともかく、リシェルもあんなだけど、なんだかんだ言ってちゃんと勉強はしてるみたいだよ。……さすがに毎日ではないみたいだけど」

 

 案外リシェルはしっかりしているようだ。思った以上に、姉としての自覚があるのかもしれない。

 

「大変なんだねー」

 

 本当に理解しているのかは分からないが、ミルリーフが相槌を打った。そうこうしていると、ため池も過ぎて商店町は目と鼻の先まで迫っていた。

 

「さて、それじゃあ雑貨屋から案内するからついて来て」

 

 フェアが先導するように先頭に立って、雑貨屋を目指して歩き始めた。そこはネロも手袋を買うために訪れたことのある店だ。

 

「ここでは日用品とかを――」

 

「おい、フェア」

 

 店の方を向いたまま説明を始めたフェアの言葉をネロが遮った。

 

「ん、何?」

 

「あいつ、向こうに歩いてくぞ」

 

 ネロが指さす先には、いろいろな店に目移りしながら、どんどん進んでいくミルリーフの姿があった。

 

「もうっ……、せっかく説明しているのに……」

 

 フェアは少し不機嫌そうな表情を見せた。まあ、一生懸命説明しているのに、無視されたらいい気はしないだろう。

 

「あいつはまだ生まれたばかりだから、なんでもかんでも珍しく見えちまうんだろ。そんな目くじら立てるなよ」

 

 ネロは子供が得意ではないし、気も短い方ではあるが、それでもキリエとの付き合いの中で、少なからず子供の相手をしてきた経験があった。

 

「そうだけどさあ……」

 

 理屈では理解できるが、感情では納得できないようだ。その様子にネロは苦笑しながらフェアに言った。

 

「まあ、お前ももう少し大人になれば分かるさ」

 

「私はもう十五だよ、立派な大人!」

 

 さすがに年齢の差という絶対に覆ることのないものを盾にした物言いに、カチンときたらしくフェアは少し強い口調でそう言った。

 

「そうかそうか。立派な大人なら、あいつが言う通りに動かなくても許してやれよ」

 

「むぅー……」

 

 ああ言えばこう言う。自分が手玉に取られているようでフェアは釈然としない気持ちだったが、ネロが自分と話している間もずっと、ミルリーフのことを目で追っていることに気付いた。

 

 フェアも同じように視線を向けたとき、ミルリーフは自分の周囲にネロもフェアもいないことに気付いたようで、不安げに周りを見回していた。

 

「ほら、行ってやりな」

 

「う、うん」

 

 ネロに背中を押され、ミルリーフに向かって走り出す。

 

 ミルリーフはそんなフェアに気付いて、よほど不安だったのか涙目になりながら抱き着いた。

 

「もう、勝手にどっか行っちゃダメでしょ」

 

「ごめんなさい、ママ……」

 

 本当ならもっときつく言うつもりだったのだが、涙を流しながらぎゅっと抱き着くミルリーフを見ると、そんな気はすぐに失せてしまっていた。

 

 そんな二人を見ながらネロは、やれやれと言った具合に肩を竦めながら心中で呟く。

 

(まったく、どっちも世話が焼けるな)

 

 しかしながら、その世話焼きも悪い気がしなかったのも事実だった。

 

 

 

 

 

 それからしばらくは正門前の広場に向かいながら、商店町の店を見て回っていた。

 

「それにしても元気ねぇ……」

 

 いまだ元気に店先を見て回るミルリーフを、フェアが驚きと呆れが混じった目で見ていた。最初の方こそミルリーフと一緒に見ていたのだが、次々と目移りして動き回るため、少し前からはネロと同じように少し離れた場所から見ていたのである。

 

「ああ、余程出かけたかったんだろうな」

 

 このあたりの行動を見ていると、ミルリーフは本当にただの子供にしか見えなかった。いくら竜の子であろうとやはり生まればかりの頃は、人間とたいして変わりないのかもしれない。

 

 そのように二人で話しながらミルリーフを見ていると、背後から聞きなれたグラッドの声が掛けられた。

 

「何だ、珍しいな。二人で買い物か?」

 

「うーん、買い物って言うより、見物って言うか……」

 

「付き添いみたいなもんだ。あいつのな」

 

 ネロが示した先にいるミルリーフを視認したグラッドは、二人の言わんとしていることを悟った。そして苦笑しながら再び口を開いた。

 

「なるほど、保護者も大変だな。俺も手伝ってやりたいが、仕事がなぁ……」

 

 グラッドは駐在軍人だ。町の治安を維持するために、敵と戦うことは職務の一部とはみなすことはできても、さすがにミルリーフの世話まで仕事と見なすことはできないのだ。

 

「見回りでもしてんのか?」

 

「まあな。ほらここしばらく、色々あってまともに見回りできなかったから、たまには念入りに普段行かないところも見ておこうと朝から回っているんだ。あいつらもいつ来るか分からないしなぁ」

 

「大変だな、よくやるよ」

 

 グラッドの返答にネロは肩を竦めた。グラッドは敵に対する警戒も兼ねた見回りを、朝から行っていたようだ。トレイユに駐在軍人は彼一人しかいないため、全ての職務を一人で行わなければならない。そのため不真面目な者には務まらない仕事だ。

 

 少なくともネロは、自分にそんな仕事ができるとは思えなかった。フォルトゥナの騎士団に在籍していた頃も、定められた制服でさえ着ていなかったのだから。

 

「通りでお昼に来たときは、随分とお腹空かせてるなぁと思ったよ」

 

「朝から歩き通しだったからな」

 

 そう言ってグラッドは笑った。フェアの出す料理は安くてうまい。高待遇とはいえない駐在軍人でも気兼ねなく行ける値段であるため、よく食べに行っているようだ。

 

「それで、これからどこに行くの? 広場?」

 

 グラッドが歩いている方向にあるのは門前の広場くらいだ。そこは普段の巡回コースではないが、先ほどのグラッドの言葉から、そこを見に行くことはおかしいことではない。

 

「ああ、まさか奴らも正門から堂々と来るようなことはしないだろうが、一応な」

 

「そういや昨日通ったときも、何か繋いでたな」

 

 ネロはこれまで何度か広場を通ったことはあった。荷物やらそれを運ぶ生き物などがいたのだが、遠目に見ただけであるため、詳しくは分からなかった。

 

「せっかくだし、行ってみる? 私、ミルリーフ連れてくるからさ」

 

「そうだな、行くか」

 

 ここまで来たことだし行ってみるのも悪くないか、と思ったネロが答えると、フェアは「よし、決まり!」と言って、ミルリーフのもとに走っていった。

 

 

 

「昨日よりもいるな、あれが全部召喚獣なんだろ」

 

 門前広場に着いたネロは、そこに預けられた召喚獣の数を見て感嘆するように言った。この広場はトレイユを訪れる商人が、荷運びのための召喚獣を預けることができるようになっている。そうした召喚獣の数を見れば、町を訪れた商人の数も大まかに把握することができる。

 

「最近はキャラバンを組む商人達が多いからな。いない時はもっと少ないぞ」

 

「うん、昔はもっと商人の数も多くて、ここがいっぱいになるくらい来た時もあったんだって」

 

 今の使用率はおおよそ六割から七割だが、そうした商人のキャラバンがいない時は、この広場はもっと閑散とするのだろう。それを想像すると少し寂しい感じもした。

 

「ってことは商人の数が減ってるのか?」

 

「いや、今は山の向こう側に大道都市タラントができてな。遠回りになるが、山越えがない分あっちの方が人気ってわけさ」

 

「それに最近は海路を使った交易も広がってるって話だしね。こっちの旧町道を使う人が少なくなるのもしょうがないよ」

 

 なるほどな、とネロが頷く。そうした町道の整備や新たな交易網の発達による人の流れの変化は、たとえ異世界だろうと共通しているらしい。

 

 そこへフェアが、それに、と付け加えた。

 

「私はこの町のこと嫌いじゃないしね。たぶん町の人もそうだと思うよ」

 

 トレイユは帝都ウルゴーラやタラントとは違い、宿場町といての価値はもとより、素朴で長閑な雰囲気から保養地として適正も高い。以前は皇帝の別荘地の候補としてあがったくらいなのだ。

 

「…………」

 

 三人が話している中でミルリーフはじっと召喚獣の方を見ていた。そして何かを決心したような顔をすると、その召喚獣へと走りだそうとした。

 

「おっと、急にどこに行くつもりだ?」

 

 しかし肩をネロに掴まれたことで、走ることは叶わなかった。人も多なく敵も見当たらなかったため、フェアは特に注意を払っていなかったが、一応ネロはミルリーフを視界に入れていた。彼自身、不要だと思っていたが、一応リビエルとも約束したため、最低限意識していたのだ。

 

「は、離してよ、パパ!」

 

「離すのはいいけどよ、どこに行くつもりだったんだ?」

 

 二人の様子にフェアとグラッドも怪訝な顔をしている。もちろんネロは、ミルリーフを止めようとしているわけではない。急にどこかに行ってしまったら探すのに苦労するから、行き先を聞こうとしていただけだった。

 

 別に目で追うだけでもよかったのだが、ミルリーフの表情がこれまでのような好奇心に満ちたものではなかったため、あえて聞こうとしたのである。

 

「みんなもう自由になりたいって、元の世界に帰りたいって言ってるから助けてあげるの!」

 

「……そうか」

 

 召喚獣の扱いについては、何も思わないわけではない。意志に関係なく連れて来られた召喚獣のことを考えれば、ミルリーフの言っていることは正しいと思う。しかしミルリーフに繋がれている召喚獣を解放することはできても、元の世界に帰すことはできないし、その後の世話をしてやることもできない。

 

 それゆえ、ネロはどう言葉を返したものか悩んでいた。

 

「召喚獣はそういうものというか、召喚した者に従うのが普通なんだ」

 

「でも助けて言ってるんだよ! どうして助けちゃいけないの!?」

 

 それを聞いたフェアが口を開いた。

 

「ミルリーフの言うことは分かるけど、自分のしたことの責任とれるの? あの召喚獣を解放したって、元の世界に帰せるわけじゃないし、最後まで責任持って面倒見れるの!? そんなのできないでしょ!」

 

 フェアは最初こそ落ち着いた様子だったが、少しずつ感情的になっていった。いきなり親代わりになったことへのストレスや、ミルリーフへの不満がそうさせてしまったのかもしれない。

 

「で、でも……」

 

「でもじゃない! あなたのしたことに振り回されるのは私なの! たまたま最初に見たからって親代わりにさせられて……、私はそんなの――」

 

「フェア」

 

 ネロが言葉を遮った。言葉を途中で遮られたフェアは、ネロの顔を見て俯いた。自分が何を言おうとしたか理解したようだ。

 

「少し散歩でもしてきたらどうだ?」

 

「ああ、それがいいな。俺達は先に戻ってるからよ」

 

「うん……」

 

 グラッドとネロに勧められるがまま、フェアは頷き町中の方へ歩いて行った。

 

「……悪かったな。俺が余計なことを言ったせいかもしれない」

 

「まあ、やっちまったもんは仕方ないし、そもそもあんたのせいじゃないさ。それよりまだ仕事があるんだろ? こっちはもう心配いらないだろうし、行った方がいいんじゃないか?」

 

 グラッドの謝罪にネロが首を横に振る。今回のことを回避できたとしても、フェアもストレスが溜まっていただろうし。いずれ似たようなことは起こっていたに違いない。

 

「そう言うならもう行くが、何かあったら言えよ。できる限り力になるから」

 

 グラッドはそう言って広場を後にした。そしてフェアとグラッドを見送ったネロは、ミルリーフを連れてまっすぐ忘れじの面影亭へ帰ることにした。

 

「さて、帰るぞ」

 

「パパ……ごめんなさい」

 

 ミルリーフが謝った。ネロは別に怒ってなどいなかったが、勇気を出して言っただろうその言葉を否定する気もなかった。だからミルリーフの頭に手を置いて言った。

 

「おう、気にするな。それに俺は、お前の言ったこと自体は間違ってないと思うぞ」

 

 ただこれまで連綿と続いてきた、召喚獣に対する扱いを変えるのは容易ではないだろう。人間界で奴隷制度や植民地といった、搾取する者とされる者を生み出してきた制度を変えるためには、必ずといっていいほど血が流れてきたのだ。

 

 それと同じように召喚獣の扱いを変えるためには、血を流す必要があるのかもしれない、ネロはそう考えていたのだ。

 

「……ありがとう」

 

 それでもミルリーフは少し暗かった。やはりフェアを怒らせたことが尾を引いているのだ。

 

「俺にも謝ることができたんだから、フェアにも言えるな?」

 

 ミルリーフはこくりと頷く。今回のことはどちらの考えが悪いというわけではないが、こういう時はどちらも謝るに限る。それにフェアだったら、ミルリーフの謝罪を無碍にはしないという確信もあった。

 

「それじゃあ、改めて帰るか」

 

「うん」

 

 そうして二人は手を繋いで宿屋に帰って行った。

 

 

 

 

 

「お話は分かりましたけど……」

 

 一つのテーブルを三人で囲っている中で、リビエルが納得できないような顔をした。

 

 忘れじの面影亭へ帰ってきたネロとミルリーフは、フェアがいないことを留守番していたリビエルに尋ねられたため、先ほどのことを話したのだ。御使いである彼女としては、ミルリーフの保護者であるフェアの態度が気に入らないようだ。

 

「ミルリーフが悪いの! だからママのこと悪く言わないで!」

 

「まあ、御子様がそうおっしゃるのでしたら……」

 

 しかし当事者であるミルリーフも、そんなことを言うものだからリビエルとしては、この件についてはこれ以上何も言えなかった。それでも今回のことでフェアの保護者としての適性については疑問を呈せざるをえなかった。

 

「ですが、今後は大丈夫ですの? また今日のようのことがあっては……」

 

 望んで親になったわけでもないのに、こんなことを言われるのはフェアはとしても不本意だろうし、できるならリビエルとて言いたくはないが、御使いとしての責任感がそれを口にさせたのだ。

 

「先のことは分からないけどよ、あいつだって少しずつ慣れてくるだろ。それにまた何かあったら、何とかすりゃいいじゃねぇか」

 

 手を頭の後ろで組んで、体重を椅子の背もたれに預けた。楽観的と言われるかもしれないが、それがネロの本音である。

 

 フェアもミルリーフも廉直な性格をしている。そんな二人であれば何かあっても大丈夫だろうと思っていたのだ。

 

「はあ……、あなたに聞いた私が愚かでしたわ……」

 

 そんなネロの様子を見たリビエルは、溜息を漏らしてがっくりと肩を落とした。

 

「……ところで、人間に使われる召喚獣ってのは、今日見た奴らばかりなのか?」

 

「……ほとんどがそうだと考えて結構よ、ずっと前からね」

 

 唐突なネロの言葉に、少し戸惑った様子を見せたリビエルだったが、質問にはすらすらと答えた。

 

「ま、そりゃそうか。そうでないなら、お前らがラウスブルグだかで暮らす必要はないもんな」

 

「ええ、そうですわね」

 

 ネロは姿勢をそのままに、視線を宙に彷徨わせた。リビエルの話を聞く限り、相当に根の深い話らしい。すぐに解決できる問題ではなさそうだ。少なくとも自分の帰る手段すら分からない自分が、関われる問題ではないのかもしれない

 

 そう考えていた時、玄関の扉が開く音がした。見やるとフェアが帰ってきたようだ。

 

「ママっ!」

 

 ミルリーフが駆け出してフェアに抱き着いた。

 

「さっきは酷いこと言ってごめんね……」

 

 抱きしめ返し、謝るフェアにミルリーフは首を振った。

 

「ミルリーフが悪いの、もうしないから、あやまるから……きらいにならないでぇ、ママ……」

 

 途中で泣き出しながらもミルリーフは言った。

 

「嫌いになんてなったりしないよ。私はミルリーフが大好きだもん」

 

 それを聞いたミルリーフは泣き止み、笑顔を見せた。

 

「ミルリーフもね、ママがだーいすき!」

 

 すぐに仲直りした二人の様子を見ていたリビエルは呆れたように息を吐いた。

 

「……心配して損しましたわ」

 

「ま、無事に元通りだし何よりだろ。……さすがに、こんなあっさりいくとは思わなかったが」

 

 ネロはまた自分が仲介する必要があると思っていたのだが、あっけないほど容易く仲直りしたため、肩透かしを食らった気分だった。

 

「あれ? もしかしてネロ、自分だけ仲間はずれにされて悔しいの?」

 

「ミルリーフはパパも大好きだよ!」

 

 わざとらしくからかうフェアに続き、ミルリーフは素直に自分の気持ちを口にした。ネロは付き合っていられないと首を振った。

 

「好きに言ってろ。それより俺は腹減ったんだ、飯にしてくれよ」

 

「そうですわね。私も心配したんですから、甘い物でも頂かないと割に合いませんわ」

 

「はいはい、それじゃあ座って待ってて。すぐに作るから」

 

「はーい!」

 

 ミルリーフが元気に返事をして一番にテーブルに座った。リビエルとネロもそれに続く。

 

「あの、ネロ……」

 

 その言葉と共に袖を引っ張られたネロは、振り向いた先にいるフェアに尋ねた。

 

「ん? どうした?」

 

「あの、今日は……ありがと」

 

 恥ずかしそうに顔を赤くしながら礼を言った。そんな微笑ましい様子に、思わずネロは相好を崩すとフェアの背を軽く叩いた。

 

「気にすんなって、これからもよろしく頼むぜ」

 

 そうしてテーブルに行くネロをフェアは赤い顔をしながら、しばらく眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




ネロは自分の子供には甘くなりそう。



いつの間にか70話超えてました。今年中に4編を終わらせるのが目標です。

次回更新は1月28日(日)頃の予定です。

ご意見ご感想お待ちしてます。

ありがとうございました。


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第72話 浮遊城の主

 ネロ達が三人出かけた翌日、忘れじの面影亭には朝から一人の男が来ていた。時はちょうど朝食の準備をしていた時だったので、ネロ、フェア、リビエルの三人と話す形となっている。

 

 赤い髪に、頭から二本の手のひらほどの角を生やした男で、少なくとも人間には見えない。しかしリビエルは、どうやらその男と知り合いであるようだった。

 

「やれやれ、まさかこんな辺鄙なところにいるとはな。流石の我も探すのに時間がかかったぞ」

 

「あなたは……、本当相変わらずですわね」

 

 リビエルが呆れたように息を吐いた。どうやら彼の尊大な口調は以前かららしい。

 

「辺鄙な場所で悪かったわね」

 

 当然出会って間もない男にそう言われたのだからフェアは面白くない。そんな彼女を宥めながらネロが尋ねた。

 

「で、あんたが御使いってことでいいんだな?」

 

 リビエルの態度からして間違いないだろうが、確認の意味も込めての言葉だった。

 

「うむ。我はセイロンだ。……して御子殿は?」

 

 セイロンはいまだ姿が見えないミルリーフの居所を尋ねた。やはり態度は尊大でも、彼もれっきとした御使いのようだ。

 

「まだ寝てるよ」

 

「まあ、こんな時間だしな」

 

 昨日ミルリーフと一緒に寝たフェアが答え、ネロは同意した。なにしろまだ朝食もできていない時間なのだ。昨日の外出で疲れているミルリーフが、起きて来なくとも無理はない。

 

「あっはっはっは、確かに一理あるな。では起きてくるまで待たせてもらうとしようか」

 

 ひとしきり笑って、そう言ったセイロンを見たフェアは、諦めたように息を漏らすと声をかけた。

 

「はあ……こんな時間に来るくらいだし、朝ごはんも食べてないでしょ。あなたの分もつくってあげるから、座って待ってて」

 

「うむ、感謝するぞ。実は昨日より何も食べてないのでな、腹ペコなのだ」

 

 その言葉を待っていたとばかりに、セイロンは答えてフェアの言葉に従って、空いているテーブルに腰かけた。そしてネロとリビエルも、同じテーブルについた。

 

 無造作に隣に座ったネロを見て、セイロンは少し驚いたような顔をして呟いた。

 

「お主……」

 

「何だ?」

 

「いや、何でもないぞ」

 

 しかしすぐ思い直してセイロンは首を振った。彼の態度を少し不思議そうに眺めたネロだったが、すぐに興味をなくし視線を戻してあくびをした。

 

「そういえばセイロン。追手はどうしたの?」

 

 自分も追われていたのだから、セイロンもそうだろうと思ってリビエルは尋ねた。もっとも単純な戦闘力は、自分より上のセイロンを心配してはいなかったが。

 

「それなら二日ほど前から姿を見せていないな。もっとも何度現れたところで、龍人族の長となる我を倒すことなどできぬがな。まったく、歯ごたえのない奴らよ」

 

 これまでネロ達が戦った将軍の部下も、教授の機械兵器も、決して弱いわけではない。そんな存在を相手にここまでのセリフを言えるのだから、セイロンの実力は相当のものに違いないだろう。

 

 しかしネロはそんなことより、セイロンの言った単語が気にかかった。

 

「龍人族?」

 

 その姿からセイロンが召喚獣だということは想像がつく。だから龍人族というのは彼の種族の名前なのかもしれない。

 

「そうよ、セイロンはシルターンの種族の一つである龍人族なの」

 

「まあ、その名の通り龍と人、双方の特徴を持つ種族と考えれば分かりやすかろう」

 

 リビエルとセイロンから簡潔に説明された内容は、ネロの想像とたいして違っていなかった。

 

「そのシルターンにも人間はいるんだな。てっきりここにしかいないのかと思った」

 

 ネロの知る召喚獣はどれも人間とは多少なりとも異なる姿であったため、無意識の内に他の四つの世界には、人間はいないものだと思い込んでいたのだ。

 

「そう思っても仕方ない。異なる世界に同じ種族がいるというのは、非常に珍しいことなのだからな」

 

(同じ種族、ね……)

 

 セイロンの言葉を聞いてネロは人間界のことを思い浮かべた。ネロの生まれ育った世界もリィンバウムやシルターンと同じように、人間が存在するのだが、何か関係があるのだろうか。

 

 リィンバウムとシルターンはともかく人間界は、他の二つはもとより魔界以外の世界との繋がりは極めて薄い。にもかかわらず、同じ人間という種族が偶然、存在するなどありえるのだろうか。

 

 ネロはどこか作為的なものを感じずにはいられなかった。

 

「ネロ、悪いけどミルリーフ起こしてきてくれない? そろそろご飯できるからさ」

 

 少しの間、思考に沈んでいたネロにフェアが声をかけた。いつもより少し早い時間になるが、それでも食事は一緒に摂った方がいいと思い、彼女はミルリーフを起こすよう頼んだのだ。

 

「ああ、了解。おまえの部屋で寝てるんだよな」

 

 起こしてくることを了承すると、ネロはミルリーフの寝ている部屋を確認しながら立ち上がった。

 

「うん、よろしく!」

 

 そしてフェアの答えを聞くと、一階の奥にあるフェアの部屋に向かった。

 

 忘れじの面影亭の廊下は宿泊客がいなくとも、フェアの手によってしっかり手入れが行き届いているようで、実に綺麗な姿を見せていた。そんな、部屋や食堂とは異なる石張りの廊下は、木製のものとは一味違った情緒を感じさせた。

 

 その廊下を歩いたネロは目的の部屋に着くと、無遠慮にノックもせずドアを開けた。

 

「そろそろ起きろ、メシだぞ」

 

「う~、パパぁ?」

 

 寝惚けた目をしたミルリーフが体を起こした。

 

「ほら、いつまでも寝惚けるな、目を覚ませ」

 

「うん……」

 

 頼りない返事だったが、ミルリーフはゆっくりとベッドから立ち上がった。そして一つ大きな欠伸をした。どうやらまだ眠気が取れない様子だ。

 

「まずは顔で洗ってからだな」

 

 そんなミルリーフの様子を見たネロは呟いた。

 

 

 

 顔を洗ったミルリーフと共にネロは食堂に戻った。そこには既に朝食の準備が整えられており、後はネロとミルリーフの到着を待つばかりだ。少し遅くなってしまったらしい。

 

「悪いな、遅くなった」

 

「ううん、そんなことないよ。……ミルリーフはもう目が覚めた」

 

「うん! おはよう、ママ!」

 

 顔を洗って眠気も吹き飛んだのか、ミルリーフはいつのように元気よく言った。

 

 そこにリビエルが口を開いた。

 

「御子さま、急で申し訳ありませんが紹介させていただきますわ」

 

 リビエルがそう言うと、セイロンは立ち上がりミルリーフの前に言って跪いた。

 

「御子殿、お初にお目にかかります。我が名はセイロン、御使いの端くれとして、先代に世話になった者です。御子殿の力となるべく推参いたしました。客分として迎えられた身ではありますが、微力を尽くしますので、以後、お見知りおきを」

 

「う、うん、よろしく……」

 

 先ほどの尊大な態度はどこへやら、セイロンの礼節を弁えた堂々とした態度にミルリーフは、少し気圧されながらも頷いた。

 

「さて、そういうわけで店主よ。我もしばらくはここで厄介になるのでな。光栄に思うがいいぞ」

 

 そう言ってセイロンは笑った。どうやら先ほどの真面目な態度は、ミルリーフの前だけのようだ。

 

「……大変だな」

 

「はぁ……、まあ仕方ないでしょ。あいつらに追われているのに、見捨てるなんてできないし」

 

 また居候が増えることに、同情した視線を向けられたフェアが答える。それを聞いたネロは、フェアの言った「あいつら」という言葉に引っ掛かりを覚えた。

 

「なあ、敵の狙いがミルリーフってことは知ってるが、一体あいつらは何者なんだ?」

 

 これまでに将軍のレンドラーや教授のゲックと戦ったことはあるが、そもそも彼らが協力関係にあるのか、それとも全く別の組織なのか、ネロはいまだに敵の全体像を掴みかねていた。

 

「ふむ、それはな……」

 

「ねぇ、お話は後じゃダメ? おなかすいたよー」

 

 それにセイロンが答えようとしたが、ミルリーフによって遮られた。おいしそうな食事を前に我慢を強いるのは、とても辛いことなのだ。

 

「その話ならみんなが来たらにしようよ」

 

「そうですわね、せっかくの朝食が冷めてしまいますわ」

 

「まあ、そうだな。……悪いがその話は後でしてくれ」

 

 フェアにリビエルもミルリーフと同じ考えのようだ。ネロとしても、今話をしなければならない理由もないため、話を後回しにするように頼んだ。

 

「ああ、構わないとも」

 

 セイロンはそれを快く受け入れ、まずは朝食をとることにした。

 

 

 

 

 

 食事を食べて少しするとリシェルやルシアンが宿屋に姿を見せた。ちなみにグラッドとミントもフェアが呼んでいるが、まだ来ていない。二人ともリシェル達とは姉弟とは違い、一人暮らしのためすぐには来れないのだろう。

 

「聞いたわよ、昨日ミルリーフと出かけたって話じゃない。どうして誘ってくれなかったのよ」

 

「しょうがないよ、姉さん。僕達は勉強があったんだから」

 

 リシェルに詰め寄られるフェアを、ルシアンが庇う。詰め寄られたフェアも弁解する。

 

「出かけたって言っても、ちょっと中央通りのお店をみただけ。どこか遠出したわけじゃないんだから、そんなに怒らないでよ、それに二人の邪魔なんてしたら、オーナーから怒られるし……」

 

「それは、わかるけどさぁ……」

 

 リシェルやルシアンが勉強しているのは、二人の父であり忘れじの面影亭のオーナーでもあるテイラーが、普段姉弟を自由に遊ばせる条件だった。定期的に勉強さえしていれば、割と自由にしていても文句は言われないのはありがたいが、それでもリシェルは自分が好きではない勉強をしていた時に、フェアがミルリーフと出かけるという楽しそうなことをしていたという事実を知って、面白いわけはなかった。

 

「それなら今度みんなで遠出しようよ。お弁当くらい作るからさ」

 

「よーし、約束よっ! 必ず行くんだからね!」

 

 フェアの出した条件にリシェルは、即断で乗ってきた。案外これが狙いだったのかもしれない。

 

 その話がまとまったところで、グラッドとミントが遅くなったことを詫びながら入ってきた。

 

「悪い悪い、遅くなった」

 

「ごめんね、みんな」

 

 全員が席についたところでフェアが話を切り出した。

 

「それじゃあ、みんな揃ったし、まずは――」

 

「我の紹介からだな。我はセイロン、リビエルと同じく御使いだ。以後よろしく頼む」

 

 いきなりセイロンがフェアの言葉を遮って名乗りを上げた。フェアもまずはセイロンの紹介からと考えていたので、手間が省けたという見方もできなくもないが、やはり急に言葉を遮られて機嫌の悪そうな顔をしていた。

 

「御使いってことは、また例の遺品だかを持っているんだよな?」

 

「うむ、その通りだ。この話が終わったら御子殿にお返しするつもりだ」

 

「ふーん、それで何の話をするの?」

 

 リシェルも含めここに来た四人には、今から何の話をするかは伝えてなかった。

 

「御子さまを狙う敵についてですわ」

 

「確かこれまでの敵は、『剣の軍団』と『鋼の軍団』って名乗っていたな」

 

「名前から考えると同じ組織かな、って思うけど……」

 

 グラッドがこれまでの敵集団の名前を挙げると、ルシアンが自分の考えを口にした。

 

「ほとんど間違っていない。その二つに魔獣や亜人で構成された『獣の軍団』を含めた三つがラウスブルグを制圧した部隊なのだよ。『姫』と呼ばれる少女を頂点とした集団の、な」

 

「なら、その『姫』だかを何とかしちまえばいいのか?」

 

 組織と戦うにあたって頭を潰すのは基本である。とはいえ、ミルリーフを諦めてもらうだけで、こちらの目的は達成するのだから、ネロも必ずしも叩き潰さなければならない、とまでは考えていなかった。

 

「詳しくはわからん。我もその『姫』を見たのは、遠くから一度だけ。年の頃は店主とさほど変わらないとは思うが、どうも普段からほとんど表には出ないらしいのだ」

 

「それじゃあ、実際に率いていたのは他の誰かってこと?」

 

 ルシアンの質問が飛ぶ。セイロンの話を聞く限り、「姫」が一団の指揮を執っているとは考えにくい。

 

「そうだ。実際に軍団を率い、ラウスブルグを落としたのは人間の青年だった。確か……、クラストフと名乗っていたか」

 

「クラストフ? それってもしかして……」

 

 ミントが驚いたように声を上げた。どうもその名に聞き覚えがあるらしい。

 

「何か知ってるの? ミントお姉ちゃん」

 

「クラストフ家っていうのは、無色の派閥に属する召喚師の家系で、『魔獣調教師』と呼ばれているの」

 

「無色の派閥ね、確か前の話じゃあ、関係ないってはずだったよな?」

 

 ネロが以前ミントやグラッドから聞いたことを思い出しながら言った。その時の話では無色の派閥は、現状何かにちょっかいを出す余裕はないという話だったのだ。

 

「派閥全体としてはそうよ。でも、個々の動きまでは……」

 

 そもそも無色の派閥は個々の召喚師の集まりだ。ある程度全体の動きを決める幹部などは存在しているが、個々の細かい行動まで指揮命令下に置いているわけではないのである。

 

「なら、あくまでその、クラストフ家独自の行動ってことか?」

 

「たぶん、そうだと思うけど……」

 

 ネロの確認に、ミントが自信なさげに答えた。どうやら判断するだけの材料が足らないらしい。

 

「何にせよ今は、残る二人の到着を待つのが一番だと思いますけれど」

 

「うむ、それが先決であろうな」

 

 リビエルとセイロンの御使い二人は、残りの御使いの到着を待ちたいと考えているようだ。

 

「結局、現状維持が一番ってことね……」

 

「とはいえ、警戒は怠らないようにしなとな」

 

 リシェルとグラッドもその方針に異論はない様子だ。他の者も同じ考えらしい。

 

「では、話はここまでにして御子殿にこれを受け取っていただこう」

 

 セイロンが取り出したのは、尖った牙のようなものだった。

 

「念のため、前と同じように庭に行ってやろうよ。じきにお昼の営業も始まるし」

 

 フェアの言葉に従い、庭に移動することにした。

 

 

 

「『守護竜の牙』に宿る大いなる力よ。その力を後継者たる御子へと受け継がせたまえ」

 

 庭に移動すると、セイロンは遺品をミルリーフへ献上しながら口上を述べた。

 

 それがきっかけとなり守護竜の牙は光を放ち、それがミルリーフの中に吸収されるように入っていった。するとミルリーフの姿は、以前の竜の姿まで戻ったが、特に姿に変わったところは見られなかった。

 

「戻っただけ……?」

 

「でも魔力は前よりも大きくなっているみたいね」

 

 少々拍子抜けした変化に落胆したようなリシェルの言葉に、ミントが魔力について言及した。

 

「それだけではないぞ。我が託されたのは、竜としての身体能力を司る力だからな。本来の姿での戦い方も身についているはずだ。……ただ、こうした力の継承は魂に負担をかけるため、力が適応するまでは人の姿に変じることはできないだろうな」

 

「それって、大丈夫なの? リビエルの時は」

 

 フェアが竜に戻ったミルリーフを抱きながらセイロンに尋ねた。この前リビエルがした時は元気そうにしていたから、なおさら不安だった。

 

「なに心配はいらんさ。遅くとも明日の朝には人の姿に戻れるようにもなるだろう」

 

「それに私の託された力は、魔力の制御に関するもので、適応に時間がかからないものですし」

 

 魔力自体、元々ミルリーフは少ないながらも持っているものであるため、ある程度、それこそ他の生物と変わらないくらいには制御出来ていたのだろう。そうした下地があるため、リビエルが託された力を継承するのも一瞬で済んだに違いない。

 

 しかしセイロンに託された力は、これまでは全く使ってなかった竜の姿での戦い方を含んだものであるため、適応に時間を要するのだ。

 

「意外と大変なんだな」

 

 ネロが率直な感想を言った。親の力をそのまま継承するにも、全くのノーリスクというわけにはいかないようだ。

 

「この継承術は死の間際の竜が、残る命を全て使うことで可能となる最後の手段なのだよ」

 

 これはもしかしたら多くの子を産まないであろう竜が、我が子に力を継承させることで、少しでも種の存続を図ろうとする固有の力なのかもしれない。

 

「ともかく、これで二つの力が御子さまに継承されたことになりますわね」

 

「じゃあ後いくつあるんだ?」

 

「残りの二人の御使いに、先代はそれぞれ知識と記憶が託された。それを継承すれば御子殿は先代の全てを受け継いだことになる」

 

 グラッドの質問にセイロンが答えた。これまででちょうど半分の力を、ミルリーフは継承したことになる。

 

「ならそれまでは、十分に気を付けないとな。なにしろ相手は無色の派閥だしな」

 

「私ももう少し調べてみますね。少しはあてもありますし」

 

「僕達も父さんに聞いてみようか?」

 

「そんなことしたら勘繰られちゃうじゃない! こっそりパパの書斎に忍び込んで調べてみましょ」

 

 それぞれが敵の、特に無色の派閥の召喚師であるクラストフ家について警戒しているようだった。

 

 しかし既にラウスブルグは、話に出た一団から別の者に制圧されていたことなど、誰も知る由もなかった。

 

 

 

 

 

 それとほぼ同時刻、ある山脈の上空に姿を隠したラウスブルグが浮いていた。

 

 「隠れ里」と呼ばれ多くのはぐれ召喚獣が暮らしながら、リィンバウムの空を漂う巨大な樹とそこに城、それがラウスブルグである。遥か昔、戦いを嫌った幻獣界の古き妖精と「至竜」と呼ばれる存在によって、ラウスブルグはリィンバウムまでやってきたのだ。

 

 結界で守られているリィンバウムに辿り着くことができたのは、ラウスブルグそのものと表現しても過言ではない、巨大な樹「ラウスの命樹」のおかげだ。このラウスの命樹には、魔力を宿すことで外界と隔離された空間を生み出す力があるのだ。そこに強大な魔力を持つ至竜がエンジンとなり、魔力のみで生きられる妖精が舵を取ることで、リィンバウムの結界を越えたのである。

 

 しかしリィンバウムでは、世界を渡ってきた幻獣界の者達は受け入れられず、その上、舵を握っていた妖精も各地へ散らばっていってしまった。それ以来ラウスブルグは、永きに渡って空を漂い続けていたのだ。

 

 移動することはできなくとも、守護竜として留まった至竜とラウスの命樹の力は健在だ。ずっと身を隠すことであらゆる敵から守られてきたのである。

 

 しかし永き時の果てに、ついにラウスブルグの主は変わった。守護竜は自らの死を持って、その座をある一団に明け渡したのである。

 

 そしてそれが起きたのがほんの数日前。しかし、すでにその者達は主の椅子から引きずり落されていた。

 

 ラウスブルグの奥、かつて守護竜がいた吹き抜けの大広間に立つ、現在の主バージルに。

 

「首尾はどうなっている?」

 

「……いや、まだ確保できていない。思ったより手強い奴がいるらしくてね」

 

 バージルはいまだ戦いの後が残る大広間を訪れていた青年に尋ねた。彼は不本意な話をしなければならないことに悔しさを感じながら、それでも平静を装って報告した。

 

「たかが幼竜の確保にすら手間取るか。……元々期待していなかったが、無様な結果だな」

 

 もともとバージルはこの城を動かすのに必要な、至竜と妖精の確保にはあてがあった。そのため青年らが実行している守護竜の子を確保することには、たいした興味などなかったのだ。

 

「それは君のせいじゃないか。もう少し戦力があればこうはならなかったはずだ」

 

 この城を手に入れるために戦いで、バージルは青年の指揮下にある軍団と交戦し、大きな被害を与えている。帰ってきたばかりでまともに戦いの準備ができていなかった「将軍」率いる「剣の軍団」と、御使いの追跡に指揮官の「教授」が不在にしていた「鋼の軍団」はともかく、その二つの代わりに矢面に立った「獣の軍団」は、リーダーである「獣皇」も含め、ほぼ壊滅状態だった。

 

 その上、青年が直接指揮を執っていた紅き手袋の暗殺者達は、生存者一人いない有様だった。

 

「俺のことが気に入らなければ、今すぐに出て行っても一向に構わんが? もっとも出て行くのは貴様だけだろうが」

 

「ぐっ、それは……」

 

 鼻を鳴らしたバージルにギアンは口を噤んだ。

 

 そもそもバージルは全て自分の伝手を使ってラウスブルグを動かす算段だったのだ。最悪の場合は、自分自身で魔力供給と制御を行うことさえ視野に入れていた。そこにギアン達の座る椅子など存在しなかったのだ。

 

 しかし彼らが「姫」と呼ぶ少女や、青年も自身の目的を果たすため、どうしてもラウスブルグが必要だったようで、ここに残らせてほしい、そして幻獣界にも行って欲しいと頼み込んできた。

 

 それを聞いたバージルは条件を付けて、それを認めることにした。

 

「黙るなら最初から口にするな。……それで例の件はどうなっている?」

 

 彼の口にした「例の件」というのも、前述の条件に関連したものだった。

 

 バージルの出した条件は二つ、一つは自分の命令に従うこと、という勝者が敗者に課すものとしてはありきたりなものだ。当然、彼らの至竜の子を奪取するための行動もバージルの承認を得て実行していた。バージルとしてもどんな方法であれ至竜を手に入れられるのなら文句はないのだ。

 

 そしてもう一つの条件は、青年達が知りうる全ての情報を提供することだった。なにしろ青年は無色の派閥の召喚師なのだ。その立場を利用して得られる情報は、非常に大きな価値を持つ。特に、一般には失われた術を使う無色の派閥の秘伝であれば、どこも高く買い取るだろう。

 

 今のところ金に困ってないバージルだが、寄り道をする程度で大金が手に入るのであれば、それに越したことはない。

 

 しかしそれには当然、「魔獣調教師」の異名を持つクラストフ家の若き当主でもある青年、ギアン・クラストフがその条件を受け入れることが必要だった。

 

「……明日にはできる」

 

 結果から言えば、ギアンは条件を受け入れた。

 

 召喚師にとって秘伝というのは、代々行け継がれてきた召喚術の技術や研究成果などのことを指す。それを提供しろというのは、財産全てを取り上げるのに等しく、召喚師ならまず承諾することはないだろう条件なのだ。

 

 その上、バージルがギアンに要求したのはそれだけではなかった。無色の派閥や紅の手袋が各地に置く拠点の場所など、組織の存続に関わる情報まで求めたのである。

 

 もちろんそれを提供してしまえば、ギアンは無色の派閥にとって裏切り者になる。命を狙われることになるのだ。

 

 それでもギアンは条件を呑んだ。彼は、自身の目的をどうしても果たしたいようで、そのためには派閥の情報など、いくらでもくれてやるつもりでいたのである。

 

「その言葉、違えるなよ」

 

 身長差から見下ろすような形になっているが、たとえそうでなくとも、バージルがギアンを見下してしたのは変わりないだろう。

 

 バージルにとって、ギアン達はいてもいなくても変わらない存在なのだ。こちらの出した条件を承諾したから、ここに留まらせているのであって、そうでなければ斬り捨てるだけの存在に過ぎない。

 

「理解しているさ。僕としても君ともう一度戦うつもりはないよ」

 

 ギアンとしてもそうしたバージルの態度に、悔しさを感じないわけではなかったが、もう二度と彼と戦うのはごめんだった。

 

 そもそもバージルはかつて、無色の派閥をたった一人で壊滅寸前まで追い詰めた男なのだ。ギアンの持つ戦力では、あまりにも数が少なすぎる

 

 ちなみに、当時のギアンはまだクラストフ家の当主ではなかったが、その影響は二十年近く経った今でも少なからず残っており、いまだ往時の勢力は取り戻せていない。一時はセルボルト家によって回復したが見えたが、それも当主のオルドレイクの死亡と同時に衰えたのだ。

 

 その上、送り出した偵察員はことごとく未帰還となり、情報もろくに集まらない。そうしている内に襲撃はぴたりと止んだため、派閥は対策を練ることより、勢威の回復に注力することになったのである。

 

 当然、ギアンもバージルがしてきたことは知らない。それを知っていれば、正面から戦おうなどとは思わなかっただろう。

 

「ならいいがな」

 

 そう言いつつもバージルの視線の冷たさは変わらない。ギアンの言葉など微塵も信用していないのが、ありありと伝わってきた。その様子にギアンは「きっとこの男は、誰も信用なんてしないんだろうな」と内心で思いながら、退出することを伝える。

 

「……それじゃあ僕は戻らせてもらうよ」

 

 大広間を去るギアンを興味なさげに視界から追いやったバージルは、先ほどギアンの言葉に出た「手強い奴」のことを考えた。

 

 その当てもある。今からおよそ十日前に感じ取った力。それは間違いなく自分と同じスパーダの血を受け継ぐ者の魔力だった。ただし弟ではない。ダンテであればもっと強い魔力を持っているからだ。

 

 おそらく自分の血を引く者。バージルは直感的にそう思った。なにしろ、自身と似た魔力を発しているのだから。

 

 アティと自分の間には子供はいないが、バージルには心当たりがあった。まだリィンバウムに来る前、フォルトゥナを訪れた際のことだ。

 

 その時の子であれば、二十代半ばといったところか。その年齢であれば、仮に力が覚醒していなくとも、そこらの大悪魔相手にも引けはとるまい。ギアン達が苦戦するのも当然だ。というより、勝ち目はまずないだろう。

 

「どの程度か試してみるのも一興か」

 

 にやりと顔を歪めながら、自分以外誰もいない大広間で呟いた。今のバージルはあるものを取りに出かけている、アティとポムニットを待っているに過ぎない。少し出かけるくらいの余裕は十分にあるのだ。

 

 そうしてバージルは、いつ頃出かけるのか、頭の中でその算段を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 




バージルがネロをロックオン。でも直接戦うのはもう少し先になりそうです。

さて、次回更新は2月11日(日)頃となります。

ご意見ご感想、評価等お待ちしてます。

ありがとうございました。


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第73話 勝者と敗者

 天空城ラウスブルグの大広間。そこは少し前にバージルが来た際に、ギアン配下の暗殺者との戦いの場になった場所であり多くの血が流れた場所だった。さすがに今では、その時の死体は片づけられているが、バージルの攻撃によって生じた瓦礫や焦げ跡、それに壁や床に飛び散った血痕はそのままだったのである。

 

 そこでバージルは、たいした被害もなかった剣の軍団と鋼の軍団に命じて片づけと修繕、清掃をさせることにしたのだ。

 

「おのれ……この屈辱、決して忘れぬぞ……」

 

 当然そんなことを命じられた将軍レンドラーは、非常に面白くなさそうにぶつぶつと文句を言っていた。生粋の武人である彼には、こうした地道な作業は耐え難い苦痛のようだ。

 

 しかし、彼の配下の戦士達は黙々と作業を続けていた。レンドラーもそうだが、元々は旧王国の騎士だった彼らはこうした作業の経験が少なからずあったのだ。なにしろ騎士といっても平原で正面からぶつかるだけが仕事ではない。砦や陣地で敵を迎え撃つのも重要な役目である。

 

 当然、そうした時に必要な防御陣地の構築や補修も騎士に必要な技能なのだ。今回はそれを生かして片付けと修繕を行っていたのだ。さすがに真っ二つになった柱は修繕のしようがなかったが、壁や床につけられた斬撃の跡くらいは修繕できるようだった。

 

「恨み言もほどほどにしておけ、将軍よ。ワシらは敗北した身、今は黙って従うのじゃ」

 

 一応、将軍も教授も直接バージルと戦ったわけではないが、彼らと同格の獣の軍団が壊滅的打撃を受けたうえ、バージル本人が無傷で平然としている様子を見て勝ち目はないと悟ったのだ。それにバージルは彼らの主たる「姫」の願いを叶えると言っている以上、既に彼を相手に戦う理由がないのである。

 

「教授よ、貴様はそう言いながら何もしていないではないか!」

 

 鋼の軍団が担当しているのは、主にこびりついた血痕の清掃だった。鋼の軍団を構成しているのは、ゲックが修理した機械兵器であるため、片付けなどの雑用には使えない。そのため、ローレットなどの老齢のゲックの体調管理も兼ねる三体の機械人形だけで作業を行っていた。

 

 ゲックに修復された彼女達三姉妹は、演劇用の機械人形であるため、比較的感情表現豊かであり、それぞれに個性もあった。例えば、次女のアプセットが黙々と手際よく作業をこなしているのに対して、末の妹のアプセットはお調子者のきらいがあり、この作業にあまり乗り気ではないようだ。

 

「教授にそんなことさせられるわけがないでしょう!」

 

 そんな三姉妹の長女であるローレットは、レンドラーがゲックを責めたことに憤慨していた。なにしろゲックは老齢だ。肉体もロレイラルの技術で延命措置を施していなければ、とうに死んでいてもおかしくはないのである。

 

 そんなやりとりをしながら仕事に励んでいた時、当のバージルはまるで王のように大広間の階段を登り切った先、その最上段に据え付けられた玉座に腰を下ろしながら、今朝ギアンから渡された書類を読んでいた。

 

 玉座に座っていると言っても、バージルは自分こそがこのラウスブルグの支配者であると誇示したいわけではなかった。ただ単に、大広間にはそこしか椅子がないから座っているに過ぎなかったのである。

 

 そこで読んでいたのは、帝国の研究施設で開発された新技術のことだ。

 

「融機強化兵士か……、随分と召喚兵器(ゲイル)に似ているな。何か関係があるのか?」

 

 バージルが提供させた情報のほとんどは元からギアンが持っているものではあったが、数少ない例外がゲックの研究成果だった。彼はかつて帝国の学究都市ベルゲンの研究施設で所長を務めていたほどの優秀な人物なのだ。

 

 そこでゲックが研究・開発を行っていたのが、バージルも口にした「融機強化兵士」である。

 

 これは人間をロレイラル技術で機械化し、さらに各世界の技術を用いて戦闘能力を強化した兵士のことだ。帝国はそれを軍に組み込むことで大きな戦力としようとしたのである。

 

 そうした融機強化兵の中でバージルの興味を強く引いたのが、そのコンセプトだった。人間と召喚獣の違いはあるが、融機強化兵も召喚兵器(ゲイル)も、ロレイラルの技術で改造するという共通点がある。いわば、融機強化兵は現代の召喚兵器(ゲイル)とも表現できるのである。

 

 この共通点は果たして偶然なのか、それとも召喚兵器(ゲイル)から影響を受けたのか、バージルはそれを尋ねたのである。

 

「どこで、それを……!?」

 

 バージルが召喚兵器(ゲイル)について知っていたことに、ゲックは目を見開いた。蒼の派閥や金の派閥の召喚師ならまだしも、それらとは全くの無関係に見えるこの男が、召喚兵器(ゲイル)について知っていたことに驚いたのである。

 

「直接聞いただけだ」

 

 誰から聞いたのかはバージルは語ろうとはしなかったが、ゲックはそれ以上追及せずに先ほどの疑問に答えた。

 

「……融機強化兵は召喚兵器(ゲイル)計画の研究成果をヒントにしたもの。似ていて当然じゃろうて」

 

「その割に研究は進んでいないようだが」

 

 召喚兵器(ゲイル)は名前の通り、兵器としての有用性は極めて高い。それと似た融機強化兵も戦力としては申し分ないだろう。帝国としては是が非でも完成させたいはずだ。

 

「ほとんどの研究者は襲撃によって殺され、研究成果も帝国を離れる前にほとんどワシが持ち出したからのう。進まなくて当たり前じゃ」

 

 ゲックが帝国で研究していたのはもう何年も前のことだ。その時点でかなり完成度の高い強化兵ができていたのだが、その研究施設は襲撃によって破壊され、研究者も多数失った。その上、これまでの倫理を無視した実験で、良心の呵責に耐えられなくなった責任者のゲックも帝国を離れてしまったのだ。ハードもソフトも失ってしまっては、融機強化兵に関する研究は停止せざるをえなかったのだろう。

 

「そうか」

 

 それで疑問は晴れたのか、バージルは再び視線を書類の束に落とした。逆にそれを見て驚いたのはゲックだ。バージルが融機強化兵の研究成果を求めたのは、それを手中に収めたいからだと思っていたのだ。

 

 それがこうもあっさりと、まるで興味を失くしたように話を終わらせたことがゲックには気になり、思わずその思いが声に出た。

 

「……お主、それをどうするつもりなのじゃ?」

 

「何も。……そもそも、こんなガラクタに利用価値などあるものか」

 

 冷たく言い放つ。融機強化兵を運用するのなら最低でも、素体となる人間が必要となる。バージルにはそれを集める術はなかった。そして、仮に運用できたとしても、普通の人間より強い程度のレベルでは話にならない。

 

 フロストあたりとも互角に戦える兵士ならバージルも興味が沸いただろうが、そもそも、それほどの力を持つ戦力を準備できたものがいたのなら、既にリィンバウムは統一されているだろう。

 

「あなた! 教授の研究を何だと……」

 

「ローレット、よいのじゃ」

 

 自分の父にも等しきゲックの研究成果をガラクタ呼ばわりされたとあっては、ローレットも口を挟まずにはいられなかった。もっとも、それはすぐに当のゲックによって制止させられたが。

 

 そしてローレットを止めたゲックは彼女を見て続けた。

 

「ワシはあの呪われた研究が続けられなければ文句はない」

 

 諭すように、落ち着いた声でローレットに己の考えを伝えた。あのままローレットがバージルに対して、反抗的な態度を取り続けていたらどうなっていたかわからない。いくら機械とはいっても、自分自身の手で直した彼女に愛情がないわけではないのだ。

 

 もっともいくらバージルは容赦がなくとも、先ほどの言葉くらいで斬り捨てる程、短気ではない。ゲックの心配は全くの杞憂だったのだ。

 

「……そういえば、貴様らは幼竜の奪還に失敗したのだったな。何が原因だ?」

 

「フン、思ったより手強い奴らがいたから引いたまでよ! 我輩が戦って敗北したわけではない!」

 

「ワシらも同じじゃ。……特に、お主と同じような銀髪の青年は強かった。機械兵器はほとんどこやつによって破壊されてしまったからのう」

 

 負け惜しみ同然の言葉を吐く将軍とは対照的に、ゲックは至極冷静に話した。

 

 二人はどちらも軍団を率いている身だが、性格は正反対なのである。

 

 レンドラーは謀略を嫌い猪突猛進のきらいはあるものの、騎士らしく正面からの戦いを好む指揮官であるのとは対照的に、ゲックは「教授」の二つ名の通り、本職は召喚師であり、研究者であるため、戦術に関してはレンドラーより劣る。しかし年相応の冷静さと堅実さを併せ持った指揮官なのだ。

 

「なにぃ? 教授よ、そいつはまさかネロとか名乗っていなかったか?」

 

「確かにそう呼ばれていたはずじゃが……」

 

 ゲックから青年の名前を聞いたレンドラーは、依然受けた屈辱を思い出すかのように体を震わせながら、声を絞り出した。

 

「一度ならず二度までも邪魔を……!」

 

 その言葉を聞く限りレンドラーが言った「手強い奴ら」の中に、そのネロが含まれているのだろうと、バージルはあたりをつけた。

 

(ネロ、か……)

 

 バージルはそのネロという名の男が、自分の血を引く存在に違いないと、半ば確信に近い考えを抱いていた。何の根拠もないが、やはり己の中に流れる血が、そうさせたのかもしれない。

 

(こいつらを殺していないところを見ると、随分と甘い……いや、人に育てられたのだから仕方ないか)

 

 以前感じた力で判断する限り、そのネロという男が負ける要素は見当たらない。たとえ人質を取られようとも問題にならない程の力の差がある。それは実質的に生殺与奪の権限を握っているのと同義なのだ。

 

 にもかかわらずレンドラーやゲックが生きているということは、彼らを見逃したということに他ならない。

 

 バージルにしてみれば、そんなネロの判断は手緩いものであったが、それも普通の人間に育てられたのであれば、そうなってもおかしくはないだろうと納得もしていた。

 

「一筋縄ではいかぬ相手ということくらいお主にも分かっておるだろう。……今は『獣皇』の回復を待つしかない」

 

 ゲックは床に伏している獣の軍団の長の二つ名を口にした。

 

 獣皇がバージルによって受けた傷は少しずつ回復していた。これはバージルが本気ではなかったこと、受けたのが炎獄剣ベリアルの炎だけであったため、火傷だけで済んでことが原因だった。もしベリアルの斬撃も受けていたら体の中まで焼かれ、命は失われていただろうし、バージルが本気だったら獣皇が灰になるまで燃やしていたことだろう。

 

「うむ。我が輩も所詮小僧などと、侮るつもりはない。……しかし、御使いに出した追っ手を戻さなくともよいのか?」

 

 レンドラーは頷きつつも疑問を呈した。ゲックの言う通り、今は大人しくしておくべきだろ言うのなら、まだ御使いの追跡から戻らない獣の軍団の者を呼び戻した方がいいと考えたようだ。

 

「やむを得まい。我らはあやつらの位置を把握しておらぬ」

 

 ラウスブルグから逃れた御使いへの追跡は、三つの軍団がそれぞれに行っていた。しかしレンドラーやゲックとは異なり、獣皇は追跡に加わってはおらず、配下の魔獣や亜人に任せていたのである。

 

 そのためそうした亜人や魔獣の位置はレンドラーやゲックは把握していなかったのだ。これでは中止命令も出せるわけがなかった。

 

「どうやらまだ話す余裕があるようだな。ならこれが終わり次第、次に行ってもらうか」

 

 暢気に話す将軍と教授を見て、バージルがぼそり言った。戦いの痕跡が残されているのはこの大広間だけではない。ギアン達がラウスブルグを制圧した戦いで生じた被害は、今もそのままのため修繕すべき場所はまだまだあるのだ。

 

「何ぃ……!?」

 

 だが、もう少しでこの地獄から解放されると思っていたレンドラーにとっては、バージルの言葉は再び地獄に突き落とす悪魔の言葉に相違なかった。

 

 

 

 

 

 忘れじの面影亭の昼の営業が終わり、少し経った頃。ネロは自分の部屋で行っていた得物の手入れを終え、食堂に来ていた。少し喉が渇いたので、水でも飲もうと思ったのである。

 

「むぐぐぐ……」

 

「何やってんだ、お前……?」

 

 しかしネロが食堂に行くと、フェアがテーブルに突っ伏していた。もっとも顔は伏せておらず、とても悔しそうに呻きながら、まるで仇でもいるかのように何の変哲もない壁を睨み付けていた。

 

「あ、ネロ……」

 

「らしくねぇな、売り上げがよくねぇのか?」

 

 普段から悩む素振りを見せないフェアが悩むとすれば、彼女の生活に直結する宿屋の経営に関してではないのか、そう勘繰ったネロは尋ねてみることにした。

 

「ううん、そっちは大丈夫。進歩してるってオーナーにも言われたし」

 

「じゃあ、何があったんだ?」

 

「実はね、ある人に注文を満たした料理を作れって、課題を出されているんだけど……何も思い浮かばなくて」

 

「そ、そうか……」

 

 思わず口ごもる。ネロにとってはできなくともたいして問題ではなことのような気もするが、やはり料理で生計を立てているフェアにとっては、達成を諦めることなどできはしないのだろう。

 

「……ちなみにどんな注文なんだ?」

 

 ネロは料理などからっきしだったが、興味本位で聞いてみることにした。

 

「『大自然の息吹が聞こえてくるような料理』だよ。……でも、サラダは安直だし、お肉とか魚をメインにするのは違う気がするし……」

 

 フェアが注文からイメージしたのは野菜だった。野菜は自然の恵みを受けて育まれているため、それは間違っているとは思えない。しかし、野菜をメインにした料理というと中々思いつかなかった。かといってステーキやグリルといった肉や魚をメインにした料理では、少し注文からずれている気がする。

 

「まあ、大自然っていうくらいだからな、野菜と……あとはキノコか?」

 

「キノコかぁ……確かにキノコも自然の中で育つからね。……でも息吹っていうくらいだから、素材の味を生かしたものだと思うの」

 

 机に突っ伏したままのフェアはキノコという食材については同意したが、それを使うことには難色を示した。今回の料理は素材本来の味を生かしたものにすると決めていたため、キノコでは注文の内容を満たす料理は作れないと考えているようだった。

 

「だからさっき、サラダとか言ってのか。……まあでも確かに、キノコを使った料理なんて肉かなんかの付け合わせとか、スープに入れるくらいだな」

 

 キノコの多くの種は安全上、加熱して食べなければならない。特に野山に生えているものならなおさらだ。そのため、生食できないキノコは食材の候補から外れているようだった。

 

 しかしそのネロの言葉を聞いたフェアは、何かを閃いたように勢いよく立ち上がった。

 

「スープ……、あっ、それいいかも!」

 

「は?」

 

 いきなり元気になったフェアに、ネロはわけも分からず声を漏らした。

 

「スープなら葉物だけじゃなくてお芋も入れた方がいいかな、確かまだ在庫はあったはずだし。野菜はミントお姉ちゃんにお願いして、あとは……キノコ!」

 

 ぶつぶつと料理の材料を集める算段をしているフェア。そして大きな声をあげたかと思うと、ネロの手を掴んだ。

 

「なんだよ?」

 

「これからキノコを採るの、すぐに行くよ!」

 

「お、おい……、俺も行く必要はないだろうが」

 

 なぜ自分も行かなければならないのか、甚だ疑問だったネロだったが、食事と寝床を提供してもらっている手前、あまり強くは言えなかった。

 

「あ、パパ、ママ、どこ行くの?」

 

 そこへ騒ぎを聞きつけたのかミルリーフがやってきた。昨夜まではセイロンから託された遺産の影響で、人の姿になることは出来なかったのだが、今ではいつものように元気に動き回っていた。

 

「これからネロと森にキノコを採りに行くの、一緒に来る?」

 

「うん! 行く行く!」

 

「マジかよ……」

 

 もはや出かけることは避けられないと悟ったネロは、小さな声で呟いた。

 

 

 

 トレイユの南東部に広がるシリカの森。この森は猛獣やはぐれ召喚獣も住処といているため、町中と比べ安全ではないが、山菜やキノコなどの山の幸が取れる場所である。

 

「やっぱり三人でやるとすぐ集まるわね」

 

「それが目的か……」

 

 フェアは何度か食材を採るためにシリカの森へ来たことがある。そのため、どういった場所にキノコが生えやすい場所があるか、抜け目なく把握していたようだ。おまけにネロとミルリーフまで連れてきているため、一人で来た時よりずっと早いペースでキノコを集められていた。

 

「し、仕方ないでしょ。ここってはぐれ召喚獣とか出るから、ちょっと怖いし……」

 

「…………」

 

 最後の方は聞こえるかどうかの小さな声だったが、ネロには聞こえていた。もっとも、剣士や機械兵器を相手に逃げずに立ち向かった奴の言うセリフではないだろうと、心中では思うが、それを言葉になどするわけがなかった。

 

「ママー! これって食べられるの?」

 

 ミルリーフが木の根元に生えているキノコを指さしている。呼ばれたフェアはミルリーフの脇までいき、一緒に見つけたキノコを見つめる。

 

「どれどれ……、これは毒があるから採っちゃダメだよ。採っていいのは最初に見つけた、このキノコだけだからね」

 

 そう言って先ほど見つけた目的のキノコを見せた。食用にできるキノコかどうかわからないのであれば、採らない、食べないのが鉄則だ。

 

「はーい!」

 

 元気に返事をして、すぐに周りの木を調べ始めえる。ミルリーフにとっては今回の食材集めも、この前にトレイユの町を見て回った時と、同じような感覚なのかもしれない。

 

 そしてそんなミルリーフの様子をネロは苦笑しながら見ていた。

 

「相変わらず元気だな、あいつは」

 

「もー、ネロもそんなこと言う暇あるんだったら、手伝ってよー!」

 

 ネロはこれでも自分の手でキノコを採ってはなかった。これでは連れてきた意味がないと、フェアは憤慨し文句を言う。

 

「この森は危ないんだろ? だったら俺が周りを見といてやるから、お前達は安心して採ってくれ」

 

 その言葉は決して嘘ではないが、見るからに面倒なキノコ探しを避けるための言い訳に近い。そのことはネロの言い方からはっきりと見て取れた。

 

「そう言って面倒くさいだけなんでしょ。第一、剣だって持ってきてないじゃない」

 

「なにしろ急に連れて来られたんでね。だが素手でもそこらの相手は何とかなるだろ」

 

 フェアの追求をネロは飄々とした様子で、肩を竦めながらかわした。それにネロが素手でも戦えることは最初にネロと会った星見の丘での一件で、フェアも十分に知っている。そのためそれ以上、追求できなかったのだ。

 

 そのようにしながら、森の中を探索していると急にミルリーフが声を上げた。

 

「パパ、ママ! 向こうに誰かいる! 早く行かなくちゃ!」

 

「あ、ちょっと……!」

 

 そう言ってミルリーフは返事も聞かず、森の中を走って行った。

 

「よくわかんねぇが追うしかないな。行くぞ」

 

「う、うん!」

 

 ネロはフェアの背中を叩いて、軽く急かしながらミルリーフの後を追っていく。最後のフェアも急な事態に困惑しながらも、この場で待つと言う選択肢はなかったようでネロを追って行った。

 

(しかし、一体どうしたんだ? 確かにミルリーフはまだ子供だが……)

 

 ネロはミルリーフを追いながら思考していた。これまでのミルリーフも子供らしく、後先考えない行動することはあるが、それでも自分の置かれた立場は理解していたはずだ。こんな無謀な行動をするとは思えない。

 

「ねぇ、ネロ……、確か少し前にもこんなことあったよね?」

 

「……あったかそんなこと?」

 

 並走するフェアの問いに、ネロはこれまでのことを思い出しながら言葉を返した。一応、最初にトレイユの町中を見物した時に、ミルリーフがどこかに行ってしまいそうになったことはあるが、その時はネロ自身が未然に止めており、フェアの言うようなことには当たらないだろう。

 

「ほら、リビエルがあいつらに追われていた時のこと!」

 

「なるほど、確かにそうだな。あの時もいきなりだった」

 

 ネロが納得したように頷いた。フェアが言っていたのはミルリーフが竜の姿だった時のことだ。ネロが思い出していたのは、人の姿の時のことだけだったため、思い当たることがなかったのだ。

 

 そしてその時のことを思い出すと、ネロは今回のミルリーフの行動について一つの可能性が浮かんだ。

 

「ってことはまさか、また御使いが……?」

 

「たぶん、そうだと思う。ミルリーフも真剣だったし……」

 

「もし本当にあいつらがいたら、ミルリーフのことは任せるからな」

 

 フェアも同じ答えを出していたようで、ネロはその考えが当たっていた場合には、自分が戦うつもりでいた。一応、ミルリーフには自衛できるだけの力があるらしいが、元々戦いに向く性格ではないため、不測の事態を考慮してフェアをつけた方がネロも安心して戦えるのだ。

 

「……わかった。けど、気をつけてね」

 

 それに対してネロが答えようとした時、視界が開けた。ため池を中心とした場所だ。その周囲には木はなく、太陽の光も森の外と同じように差している。おそらく天然の水場のようなものだろう。

 

 しかし、その森に棲むものにとって憩いの場になるはずの場所は戦いの場へと変貌していた。

 

 そこでは、狩猟民族のような露出が多い衣装で日焼けした体を包み、背に猛禽類のような羽を生やした女に、見るからに狂暴そうな獣と、槍や斧などで武装した亜人が戦っていた。

 

 数の上では圧倒的に優位な亜人達だったが、女は卓越した弓の腕を持っているようで、接近するのも随分と苦労している様子だ。

 

 それでも数を背景に少しずつ追い詰めているといったところか。

 

「ミルリーフ、フェアのところに行ってろ」

 

「パパ……」

 

 状況から見て、御使いは一人で戦っている女の方であることは明らかで、このまま放っておけばどちらが数に押し切られてしまうのも予想できた。そのためネロは、ミルリーフを下げ手助けすることを決めた。

 

 そして、まず手始めに女に近い一人の亜人めがけて走り出す。ネロの位置は亜人達の真横にあたるため、走った勢いを利用して放ったドロップキックは、亜人の側頭部に直撃し、ため池の方へ吹き飛ばした。

 

「一人相手によってたかってとは情けねぇな。少し相手になってやるぜ」

 

 亜人が池に落下し水柱を上げるのを尻目に、見事な着地を決めたネロは突然の攻撃に動揺する相手に手招きしながら挑発した。だが亜人達はすぐに仕掛けては来ず、代わりに助けに入った女が声を上げた。

 

「ニンゲン、貴様っ! 何の真似だ!?」

 

「うちの娘があんたを助けたいってことでね。少し手伝ってやるよ」

 

「ニンゲンの助けなど必要ない! オレは一人で戦える!」

 

 女の敵意はネロにも向けられている。おそらく彼女も召喚獣であり、人間に対し良い感情を抱いていないのだろう。それはネロも分かるが、今は言い争いしている場合ではなかった。

 

「そうかい。だがこいつらは、俺も敵と認識されたようでね。このままさよならは無理そうだ」

 

「くっ……」

 

 一度は様子を見るように下がった亜人達ではあったが、二人の周囲を囲むように動き始めた。それを見るや女は苦い顔をした。これでは先ほどのように距離を置きながら戦うのは難しい。

 

 それと対照的にネロは、本来の得物である剣も銃もないにもかかわらず、相変わらず涼しい顔をしながら呟いた。

 

「さて、掃除を始めるか」

 

 言葉とともにネロは、二十ほどの亜人へ向かって行く。

 

「お、おい……」

 

 女は思わず声を漏らした。いくら自分の力に自信があるからと言って、相手は人間より身体能力が優れている魔獣と亜人であり、数も向こうがずっと上なのだ。正面から挑むなど正気の沙汰ではない。

 

 しかし、ネロの身体能力は彼女の想像を超えていた。助走もつけないただの蹴りで魔獣が吹き飛び、背後からの槍の突きも背中に目がついているかのように躱し、あげくは両手で振り下ろされた斧まで片手で易々と止めてしまったのだ。

 

 自分達の十倍以上いた亜人達は、そうして瞬く間に蹴散らされ数を減らしていき、戦意を失った者達は囲みを解いて逃げていった。

 

「呆気ねぇな」

 

 逃げていく亜人達を見ながら呟く。人間よりも優れた肉体を持った亜人や魔獣だがネロにとっては、よく訓練された連携でもって向かってくる剣の軍団や、銃などの武器も使用する鋼の軍団よりも楽な相手だったようだ。

 

 確かに亜人や獣人は身体能力の高さは他の二つの軍団の者よりも優れているが、単純な力であれば魔帝を封じたデビルハンター以上のものを持っているネロに勝てるわけがないのである。

 

「貴様、何者だ!」

 

 しかしそれを知らぬ者、それも不信感を抱いている者が見れば警戒されてもしょうがないだろう。事実、女はネロに対して弓を向けていた。

 

「ネロ!」

 

「パパ!」

 

 そこへフェアとミルリーフが駆け寄ってくる。味方であるはずの御使いに弓を向けられたことで、居ても立っても居られなくなったのだ。

 

 しかしネロは狙われているにも関わらず、いつも通りの態度を崩さず口を開いた。

 

「おっと、あんたと戦うつもりはないぜ。そもそもあんたは――」

 

「そこまでだ、アロエリよ。それを下ろせ」

 

 御使いだろ、と言葉を続けようとした時、森の中からセイロンが出てきた。ネロはそれを見て、ようやくまともに話ができそうだと、安堵するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




Q.なんでバージルは掃除なんかさせてるの?

A.嫁を迎える準備です。



次回は2月25日(日)投稿予定です。

ご意見ご感想、評価等お待ちしてます。

ありがとうございました。


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第74話 歪んだ連鎖

 シリカの森で、御使いが亜人や魔獣と戦っているところに助けに入ったネロは、これを難なく撃退したが、どうもそのアロエリという名の御使いは人間に良い感情を持っていなかったようで、弓を向けてきたのである。

 

 幸いそれは、直後に二人の間に入ったセイロンによって取りなされたが、それでもアロエリの態度は変わらなかった。ひとまず忘れじの面影亭まで戻ることにし、トレイユ近くまで歩いてきたがそれまで彼女は一言も話さなかった。

 

 かといって、このまま無言でずっと歩き続けるのも限界だったフェアはセイロンに尋ねた。

 

「セイロン、どうしてここに?」

 

「いや、なに。皆の姿が見えなかったのでな。大丈夫だとは思ったが、念のため探していたのだよ。まだ敵の手の者もいるかも知れんからな」

 

「よく森にいることがわかったな」

 

 答えたセイロンに、今度はネロが尋ねた。自分達を探していたことは分かったが、どうして森にいることがわかったのか、不思議だった。

 

「簡単なことだよ。ただ御子殿の魔力を追ってきただけだからな」

 

「そういえばセイロンって、そんなこともできたんだっけ」

 

 もしかしたら最初に来た時も、魔力を追って忘れじの面影亭までやって来たのか、とフェアは思った。魔力を感知すること自体は人間にもできるが、セイロンのようにそれを追跡することはできない。やはり彼に流れる龍の血がそうさせるのだろう。

 

「うむ。それで森に行ってみると丁度戦っているところだったから、見物させてもらったよ」

 

「見てたなら加勢ぐらいしろよ……」

 

「そうしてもよかったのだが、そなたは一人で戦うことに手慣れているだろう?」

 

「……まあな」

 

 愚痴のような言葉を吐いたネロに、セイロンは笑いながら言葉を返した。どうやら彼はネロが一人で戦う方が、実力を発揮できると見抜いていたようだ。飄々とした態度に反し、実は相当に鋭いのだろう。

 

「それにしても驚いたぞ。獣の軍団を相手に、あそこまで圧倒できるとは」

 

「うん! とってもカッコよかったよ!」

 

「まあ……、体の出来はいい方なんでな」

 

 無邪気に褒めるミルリーフはともかく、もしかしたらセイロンは自分が普通の人間ではないと勘付いているのかもしれない、そう考えたネロではあったが、ミルリーフのことで余裕が手一杯な現状で、そんな話をしても余計の混乱を招きかねないと思い、自分について説明することは憚られた。

 

「あれが獣の軍団なの?」

 

 そこにフェアが尋ねる。獣の軍団については、昨日セイロンの話の中で僅かに触れられただけだったため、彼女も詳しくは知らないでいた。

 

「そうだ。店主は見ているだけだったから分からぬかもしれぬが、凶暴さは他の二つの軍団より上だ。正面から戦うのは避けた方がいいだろう」

 

「まあ、確かにな」

 

 むしろネロにとっては、そここそがやりやすい点ではあったが、普通の人間にとっては危険な相手に違いない。

 

「……うん」

 

 二人の言葉を聞いてフェアは神妙な顔で頷いた。獣の軍団も他の二つの軍団以上に、危険な相手だと改めて認識したようだ。

 

「……ところで他の奴らはどうしたんだ?」

 

「リビエルに頼んで宿屋で待機してもらっているよ。あくまで目的地を告げずにいなくなっただけで、さほど心配はしていなかったからな」

 

 ミルリーフの不在に気付いた御使いは、リビエルに仲間を呼ぶことを頼み、彼自身はミルリーフの魔力を追ってシリカの森へ向かった。とはいえこの時点でセイロンは、何か厄介ごとに巻き込まれたとは考えてはいなかった。

 

「うっ、ごめん……」

 

 自分の不注意さが招いた事態だと感じたフェアは、素直に謝罪の言葉を口にした。

 

「御子殿も無事だ、そう謝ることもなからろう。次から御子殿と町の外に行くときは、一言声をかけてくれればよい」

 

「……あんたはよくても、リビエルあたりはうるさそうだな」

 

 結果良ければ全て良しの理論で、セイロンは次回から気を付けてもらえれば、特に言うことはないようだ。しかしリビエルあたりからはしつこく言われる未来がネロには容易に想像できた。

 

「だからこそ、我は何も言うつもりはないのだよ」

 

 どうやらがセイロンはリビエルが説教すると予想した上で、先ほどの言葉を言っていたようだ。

 

「ね、ネロぉ……」

 

「ま、諦めて大人しく説教を受けるんだな」

 

 それ聞いて、助けを求めるような視線を向けるフェアに、ネロはそっぽを向いて引導を渡す。

 

「…………」

 

 アロエリはその様子を見ようともせず、黙々と歩くだけだった。

 

 

 

 

 

「御子さま。御使いが一人アロエリ、参上いたしました。遅参となってしまったこと、そして此度の災難を防げなかったこと、誠に申し訳ございません」

 

 忘れじの面影亭に着いたネロ達は、集まっていた仲間から心配したという声を聞いていると、アロエリがミルリーフの前で跪きながら言った。

 

「う、うん」

 

 ただ、ミルリーフはそんな風に接せられることにまだ慣れていないのか、セイロンの時と同じように緊張した様子で頷いた。

 

 それを脇に控えて見ていた二人の御使いにネロは、アロエリの態度について尋ねた。

 

「あいつ、人間となんかあったのか? 随分と警戒されているみたいなんだけどよ……」

 

 これまでのアロエリの態度は非友好的だった。むしろこちらに敵対感情を抱いていると言っても過言ではない。同じ御使いであるリビエルやセイロンと比較にならないくらい態度が悪いのだ。同じ召喚獣であるはずなのに、なぜここまで違うのだろうか。

 

 そんなネロの問いに、近くにいたリビエルとセイロンが答えた。

 

「……彼女の祖先は、人間の扱いに耐えかねて逃げ出した者達なんですの。これまではそんな人間とは関わらずに生活できていたのですが、今のような否が応でも人間と関わらなければならない状況は、不本意でしかないのでしょう」

 

「アロエリ自身は里で生まれ育ったとはいっても、彼女らの同胞の悲惨な境遇はよく見てきたのだ。そう簡単に切り替えることはできんだろうな」

 

 ラウスブルグにいた頃から付き合いがある二人は、アロエリに対して同情的だった。

 

「だからってこのままじゃダメに決まってるよ。ミルリーフを守るためにも協力しなくちゃ」

 

「それは分かりますけど……、アロエリが人間に抱いている敵意はそう簡単に消せるものでありませんわ」

 

「でも……」

 

 リビエルの言葉にフェアが再び反論しようとした時、リシェルの大きな声が食堂に響いた。

 

「アンタねぇ、人間のことを何だと思ってんの!」

 

 驚いたフェアが、声が発せられた方を見ると、リシェルとアロエリが睨み合っていた。ネロ達が話している間に、何やら言い争いをしていたようだ。

 

「傲慢で強欲で卑怯者……、そう教えられてきたし、そう思ってもいる! 嘘だと思うなら他のこの世界に召喚されてきた同胞に聞いてみればいい! きっと同じことを言うはずだ!」

 

「ち、ちょっと、一旦落ち着いてよ!」

 

「そうですわ! 御子さまの前ですわよ!」

 

 声を荒げるリシェルに言い返すアロエリに、フェアとリビエルが仲裁した。リビエルもアロエリには同情的ではあるものの、無闇に言い争うことを推奨しているわけではないのだ。

 

「……で、何の話してたんだ?」

 

「ミルリーフを拾って、あの子を守るために戦ってきたことを説明したんだけど……、そんなこと信用できるかって言われて、それで姉さんが……」

 

 事情の説明を求めたネロに、フェアに宥められているリシェルに代わりルシアンが説明した。

 

 それをネロの横で聞いていたセイロンが、アロエリに言った。

 

「アロエリよ、我とリビエルはその言葉を信じ、共に戦うと決めたのだ。……しかし、それをそなたにまで強制するつもりはない。信じるか、信じないかは自分の意志で決めてくれ」

 

「…………」

 

 その言葉を聞いてアロエリは厳しい顔をしたまま、無言でいた。

 

「なあ、それは今すぐなくてもいいだろう? 一息ついて、落ち着いてからゆっくり考えた方がいいんじゃないか?」

 

 沈黙を破ったのはグラッドだった。焦って出した答えで悔いを残すよりも、熟考した上で出した答えの方が本人も自分達も納得できるだろう、思い考える時間を取って欲しいと言ったのだ。幸い敵がすぐ近くまで来ているというわけではないため、時間はある。

 

「ふむ、それもそうだな。……店主よ、済まぬが――」

 

「うん……、一晩置こうよ。みんなも少し混乱してるみたいだし」

 

 フェアもグラッドの考えには賛成していたようで、とりあえず冷却期間として今日一日設けることを提案した。さすがにそれに反対する者はおらず、この場は解散となり、明日また集まることとなった。

 

 

 

 

 

 ネロはシリカの森へ行った件の詳しい事情の説明もしながら、忘れじの面影亭から帰るグラッドとミントと共に歩いていた。

 

 本来ならその原因となったフェアがするのが筋なのかもしれないが、彼女が先ほどのアロエリのことでリシェルに捕まっていたこと、それにネロ自身も二人に聞きたいことがあり、あえてネロが事情の説明をすることにしたのだ。

 

「……今日は悪かったな。わざわざ手間取らせちまって」

 

 簡単にシリカの森へ行った経緯とそこであったことを説明し終えたネロは、最後に謝罪の言葉を口にした。普段の態度から我の強い性格だと思われることが多いが、幼少期から付き合いのある恋人やその家族の影響で、根は真面目なのだ。

 

「こっちは見回りしていただけなんだ。謝るなって」

 

 軽く笑いながら気にするな、と手を振るグラッドにミントも続いた。

 

「それにしても、料理の材料採りのためにあんなところまで行くなんて、フェアちゃんらしいなぁ」

 

「おかげで苦労させられたけどな……」

 

 フェアらしいのは結構だが、それに自分を巻き込むようなことはやめてほしいとネロは思う。決断して即行動という彼女のフットワークの軽さ自体を咎めるつもりはないが、せめてこちらの都合くらい確認して欲しかった。

 

「けどネロがいたおかげで、例の『獣の軍団』も撃退したし、あの御使いとも合流できた。それでいいじゃないか」

 

「その御使いは、あんなだけどな」

 

 確かに結果だけを見ればグラッドの言う通りなのだが、今度はアロエリという別の問題を呼び込んだとも言える。一応彼女は今、宿屋の一室を借りて御使い同士話し合っているのだ。人間への敵意を捨てろとは言わないが、せめてここにいる間は、一時的に封印して欲しいとネロは思っていた。

 

「でも、まだ知り合ったばかりなんだから、これから分かり合えばいいんだよ」

 

「……そうは言うが、相当根が深い問題なんだろ?」

 

「たしかに、あれだけ露骨に不信感を抱かれているんじゃなぁ……」

 

 ネロの言葉に同意するようにグラッドが呟いた。正直あの時のアロエリには、好き好んで近づきたいとは思えない。さすがに腰が引けると言うものだ。

 

「それだけ召喚術は、呼ばれる側の気持ちを考えてないってことなんだよね。召喚師の私が言えることじゃないかもしれないけど……」

 

「どういうことだ? 召喚術には相手を従わせる力でもあるのか?」

 

 実はさきほどミントが言った召喚術の持つ強制性こそ、ネロが聞きたかったことだった。機械ならともかく、身体能力は人よりも高い亜人が召喚されたというだけで、人間に唯々諾々と従っているというのだから、不思議に思っていたのだ。

 

「召喚術を使う時に交わす誓約も拒否権はないし、元の世界に還せるのは召喚した者だけだから、実質的に呼ばれてしまったら従うしかないの」

 

「それで逃げ出した奴らが集まったのが、あいつらの住んでたラウスブルグってことか……」

 

 召喚師によっては、呼び出す相手を便利な道具程度にしか思っていない者も少なくないはずだ。そういう輩は特に、召喚獣を過酷に使役するだろう。そしてそんな扱いに耐えかねて逃げ出したとしても、元の世界に帰ることはできない。

 

 そうしたリィンバウムで生きていくしかないはぐれ召喚獣が集まったのが、アロエリの生まれ育ったラウスブルグだった。当然そこに住む者は自分達を辛く当たってきた人間を恨み、それを次の世代に伝えていく。

 

 特に群れで生活するメイトルパの部族は仲間意識が非常に強い。そのため直接人間と関わることのなかったアロエリも、同胞が受けた苦しみを我が事のように感じ、人間に強い敵意を抱くようになったのだ。

 

「うん……、でも正直それはかなり幸運な方だと思う。ひどい時には人間にこき使われたり、討伐対象になったりすることだってあるし……」

 

「それに、みんなそれが当然だって思ってるんだ。……俺だって召喚術を習った時は何の疑問も抱かなかったし、はぐれ召喚獣を討伐した時も、相手がどんな事情ではぐれになったかなんて気にしたこともなかった」

 

「それこそさっき言ったように、これから地道に分かり合わなきゃいけないってことか……」

 

 二人から召喚獣がおかれている状況を聞いたネロは、息を吐きながらミントの言葉を繰り返した。幸いアロエリの人間に対する不信感は、伝え聞いたものだけで体験したものではない。

 

 それだけに、人間は悪い者ばかりではないと認識を変えさせる余地は残されている。しかし、あまり他人とコミュニケーションを取ることが得意ではないネロにとっては、非常に憂鬱だった。

 

 お人好しのフェア達であれば、特に気負いもなく話すことができるが、さすがにあれだけの不信感を抱かれている相手となど、何を話せば良いかすら思いつかなかった。

 

「ひとまずは明日になってからだな。あの様子じゃあ、出て行くって選択ありえないとは言い切れないし……っと、これから水道橋公園の方も見ないといけないんだった」

 

 ちょうどため池に着いた辺りで立ち止まったグラッドは、ネロに言った

 

「そういうわけで、俺はここで……。ネロ、ちゃんとミントさんを送るんだぞ」

 

「はいはい、わかったよ」

 

 投げやりに答えたネロに続いて、ミントがグラッドに言った。

 

「グラッドさんもお仕事頑張ってくださいね」

 

「は、はいっ!」

 

 余程嬉しかったのか、グラッドはいつもより上擦った声で返事をした。

 

 そしてグラッドは、ネロとミントが向かう方向とは正反対の道を歩いて行った。

 

 

 

 ミントと共にトレイユの町中を囲うように引かれた道を歩く。中央通りを挟み、南北にそれぞれ引かれた北側の道だ。その奥にミントの家があるのだ。町の中心部からはちょうど真北にあたる方角だ。

 

「それにしても、よく見回りなんて退屈なこと、飽きずにやれるな」

 

「……そんな風に言うってことは、ネロ君もやってたことがあったの?」

 

「いや……」

 

 素っ気なく答える。かつて騎士をしていたことは事実なのだが、協調がないせいで、まともな仕事を与えられなかったのだ。ネロとしてはこれくらいなら、多少誤魔化しつつ話してもいいのではないか、と悩んでいたため歯切れの悪い返答となってしまったのだ。

 

「あっ、ごめんね……、話したくないなら無理に言わなくてもいいの!」

 

 どうやらミントは、ネロが話すことを躊躇っていると受け取ったようで、すまなそうにそう言った。まずいことを聞いたと思ったのかもしれない。

 

「…………」

 

「…………」

 

 沈黙が二人の間を支配する。それもどこか重苦しい沈黙の空気だった。ネロはどうしたものかと宙を見上げ、ミントは時折そんなネロの様子を伺いながら、道を歩いていた。

 

 そして間もなく、目的地に着くところになって、ミントは意を決して尋ねてみることにした。

 

「あの……、これも嫌なら話さなくてもいいんだけど……、ネロ君ってさ、もしかして、この世界の人じゃなかったり、する?」

 

 その言葉に反応したネロは、思わず立ち止まりミントの方へ顔を向けると、二人の視線が交錯した。

 

「……なんでそう思うんだ?」

 

「召喚術の知識とか、普通の人とは知っていることに偏りがあったし、それに、その右腕から感じる魔力は、こっちの人とは比べ物にならないくらい大きかったから……」

 

 ネロの真剣な視線に怖気づいたりせず、彼の目を見て思ったことを口にした。

 

(迂闊だったか……)

 

 じっと見つめてくるミントから顔を逸らし、ネロは頭を掻いた。

 

 前者については、不用意に尋ねたネロのミスと言ってもいいが、後者は別だ。仮にこの世界の人間が、人間界とは異なり、魔力を感知できる者がいると知っていても、ネロには右腕の魔力を抑える術を知らないのだから、どうしようもない。

 

 ミントは疑問の形を取っているが、実際はほとんど気付いているのかもしれない。しかしだからと言ってネロは、ここで自分のことを話すつもりはなかった。

 

「悪いが、何も言うつもりはない」

 

「うん……」

 

 はっきりとそう言われたミントは、自分が信用されてないのだと思ったのか、捨てられた子犬のような寂しそうな顔をしていた。

 

 さすがにそんな顔をされては、罪悪感が湧いてくる。そこでネロは仕方なく、妥協案を提示した。

 

「そんな顔するなよ……。ミルリーフのことが片付いたら話すから、それまで待っててくれ」

 

 元々ネロが話そうとしなかったのは、自分の出自が明らかになるのを恐れたわけではない。ミルリーフのことでも負担がかかっているフェア達に、自分も召喚されてきただの、悪魔の血を引いているだの、余計な混乱は与えたくなかっただけだ。

 

 そのため、ミルリーフの一件さえ解決してしまえば、あえて話さない理由はないのである。

 

「うん、信じてるからね」

 

 ネロの言葉を聞いたミントはさきほどの寂しそうな表情から、嬉しそうな顔に変わった。普段はフェアやリシェル、ルシアンの姉のような存在だが、案外子供っぽい所もあるんだな、とネロは心中で思った。

 

 しかし、その約束は守られることはなかった。ミルリーフのことが片付く前に、右腕を使わざるを得ない相手に出会ってしまったからである。

 

 

 

 

 

 とりあえず無事にミントを送り届けたネロは、ため池で右に曲がり、忘れじの面影亭への道を歩いていると、どうも宿屋の方から言い争うような声が聞こえてきた。

 

「何だ……?」

 

 声だけだったため、ミルリーフを狙う者達が来たわけではなさそうだが、今の宿屋にはアロエリという問題を起こしそうな者がいる。さすがに戦闘にまでは発展しないだろうが、それでもネロは急いで戻ることにした。

 

「離して! 離してよぉ!」

 

「御子さまは必ずオレが守ります。だから一緒に奴らを追い払うんです!」

 

「いくらなんでも無茶ですわ!」

 

 走って戻ってきたネロの前にいたのは、予想通りアロエリと、彼女に手を引かれているミルリーフだった。アロエリにはリビエルが取り付いて、必死に止めようとしていた。フェアが出てこないところを見ると、不在にしているのだろう。先ほどリシェルに捕まっていたから、その関係で出かけているのだろう。

 

「ニンゲン、そこをどけ!」

 

「……ああ、そうかい」

 

 アロエリにそう言われたネロはさして興味がないように、宿屋に向かって歩いていった。実際、彼女がどんな選択をしようとどちらでもよかったのだ。

 

 しかし、アロエリの横を通った時、ネロはミルリーフを掴んでいた彼女の腕を左手で握った。

 

「別にあんたが出て行こうが、俺は構わねぇ。だが、こいつは嫌がってるんだ。さっさと離しな」

 

「パパぁ……」

 

「ネロ……」

 

 ミルリーフが泣きそうになりながら空いた手で、ネロのコートの袖を離すまいと掴んだ。リビエルはいつも以上に迫力のある様子に驚き、思わずアロエリから手を離した。

 

「っ……! 離せっ!」

 

 いくら力を込めてもびくともしないネロの手を忌々しげに見ながら、アロエリは怒りに満ちた顔で叫んだ。

 

「ああ、離してやるさ。お前がこいつを自由にしたらな」

 

「ふざけるなっ! 誰がニンゲンの言うことなど聞くか!」

 

 ネロの言葉を聞いてますます感情的になるアロエリに、ネロは溜息をついた。

 

(随分と冷静さを欠いてるな。……いつかの俺と同じみたいで気に食わねぇ……)

 

 数年前、当時の魔剣教団の教皇サンクトゥスが引き起こした事件。それに巻き込まれていく中で、教団に攫われたキリエを追っているときのネロと、今のアロエリはよく似ていた。

 

 とても話ができる状況ではないだろう。こういう時に効果的なのは一度、打ちのめしてやることだ。かつてネロが、ダンテにそうされたように。

 

「なら、力ずくでやるしかないな……」

 

 そう言ってネロは左手に力を込め、ミルリーフをアロエリの手から解放した。追ってアロエリの腕からも手を離した。

 

「ミルリーフ、少し離れてな」

 

「でも……」

 

「御子さま、どうかこちらへ」

 

 アロエリから視線を外さずに言った。それでもミルリーフは離れなかったが、ネロの意志を汲み取ったリビエルが、半ば強制的に距離を取らせながら叫んだ。

 

「言っておきますけど、殺し合いなんて許しませんからね!」

 

 リビエルは多少の怪我なら、治癒の奇跡を用いて治すことができる。だから多少の戦いはやむをえないと思ったのだ。そうでなくとも今のアロエリはまともに話を聞いてくれる状態ではないのだ。誰かが力ずくでも止める必要があった。

 

「安心しろ、きちんと手加減はしてやるからよ」

 

 果たしてネロはその言葉を誰に向かって言ったのだろうか。

 

「侮辱するなっ!」

 

 だが少なくともアロエリは、自分への嘲りの言葉だと判断したようだ。

 

 一飛びで距離を取ったアロエリは弓を構え、弦を引き絞った。距離を取ったとはいっても、弓の名手であるアロエリからしてみれば、至近と表現できる距離だ。外すなどありえない。

 

「Hey! What's up?」

 

 そんな距離にも関わらずネロはにやりと笑みを浮かべ、当てられるものなら当ててみろと言わんばかりに挑発した。

 

「ふざけた真似を……!」

 

 ますます怒りを募らせながらも、アロエリは一切の狂いなくネロへと矢を放った。しかし、それが目標に突き刺さることはなかった。

 

「何……!?」

 

「残念だったな、狙いはよかったぜ」

 

 ネロは左手を伸ばして矢を掴んでおり、余裕の笑みと共にそれをへし折った。

 

 そして今度はこっちの番だ、と言わんばかりに地面を蹴った。

 

「っ!」

 

 不意を突かれた形になったアロエリだったが、咄嗟に矢筒から矢を逆手に取り出し、それをネロに向けて振りかぶった。

 

「そんなもん食らうと思ってんのか?」

 

 しかしネロはさも当然のように、アロエリの手を掴み上げる。そしてそのまま持ち上げ、背中から地面に投げ飛ばした。

 

「くぅ……」

 

「何をそんなに焦ってんのかは知らねぇが、こんなざまの奴にミルリーフを任せられるワケねぇだろ」

 

 起き上がろうとするアロエリの見下ろしながら言った。おまけに矢を持っていた右手を踏みつけていた。これが実戦だったら彼女の生殺与奪の権は、ネロに握られたも同然だった。

 

「くそ、くそっ……!」

 

 自分の不甲斐な感じたアロエリは拳を地面に叩き付けた。いくら冷静さを欠いていたアロエリでも、ネロが本気を出していないことは嫌というほどわかった。

 

「……後は頼むぜ。ミルリーフ、行くぞ」

 

 もうアロエリに戦意がないことを確認したネロは、後をリビエルに任せることにして、ミルリーフと共に部屋に戻ることにした。

 

 アロエリが先ほどのような無茶な行動に出ることはなくなったとは思うが、それ以外のことは何も解決していない。しかしこれ以上は、人間である自分より、同じ御使いのリビエルやセイロンがやるべきことだと考えたのだ。

 

「う、うん……」

 

 アロエリを心配するような視線を送るミルリーフではあったが、近づくには二の足を踏んでいるようだ、やはり無理矢理連れて行かれそうになったことが原因で、彼女を少し怖がっているのだろう。

 

 そんなミルリーフを連れて宿屋に入ろうとした時、真面目な顔をしたセイロンに横から声をかけられた。

 

「アロエリは、またそなたに助けられたな」

 

 先ほどのことをいつから見ていたのかは分からないが、最初に彼女を止めていたのがリビエルだけだったことから、セイロンがここに来たのは、今よりほんの少し前だろう。

 

「別に助けたつもりはない。……それにあいつとはしっかり話しとけよ」

 

「うむ、そのつもりだ」

 

 今回のことはミルリーフを連れ出す前に解決したため、大事にはなっていない。しかしミルリーフと二人でラウスブルグを取り戻すことなど、実現可能性は限りなく低い無謀な計画に過ぎないのだ。

 

 それでも、アロエリ一人でやろうとしているのなら、ネロも邪魔はしなかった。たとえ無茶とか無謀とかは関係になしに、自分がやらなければならないことはある。それを知っているからだ。

 

 ネロがアロエリを止めたのは、嫌がるミルリーフを巻き込もうとしていたからだ。事が落ち着くまで面倒を見ると決めていたし、パパと呼んで慕ってくるミルリーフを見捨てるという選択肢などありはしなかったのだ。

 

 そしてそれは、御使いであるセイロンも同じはずだ。彼が、アロエリがしようとしていたことを知っているのか、ここまでの話からは分からなかったが、本人が彼女と話をすると言っている以上、いずれは明らかになるだろう。

 

「俺もこんなことあまりしたくはないんだ、頼むぜ……」

 

 疲れたようにそう言ってセイロンの肩を叩いた。

 

 やったこと自体は肉体的に疲労することではないが、それでも人間とたいして変わりないアロエリを踏みつけ、説教紛いの言葉を吐くなど、ネロにとっては楽なことではなかったのだ。

 

 もう二度とこんなことするかと心に決め、ネロはミルリーフと一緒に、忘れじの面影亭へ入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 




感想の返信でも言いましたが、召喚獣関係の設定重すぎ。特にメイトルパとかシルターンとか。結界なかったら戦争待ったなしですね。



さて、次回は3月11日(日)投稿予定です。

ご意見ご感想、評価等お待ちしてます。

ありがとうございました。


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第75話 宵闇の大捕物

 アロエリが起こした騒ぎも収まり、忘れじの面影亭には穏やかな夜を迎えてようとしていた。ブロンクス姉弟と出かけていたらしいフェアは、帰ってきてすぐ厨房で夕食の準備に取り掛かっている。

 

 シリカの森で取ってきたキノコや野菜などを使い、手際よくスープを作っているフェアに、ネロは今日の騒ぎについて話していた。その時は不在にしていたとはいえ、フェアも全くの無関係ではないため一応話しておくことにしたのだ。

 

 ちなみにその場にはミルリーフもいたのだが、疲れていたのかすうすうと穏やかな寝息を立てて眠っている。

 

「それにしても、随分大変だったんだね。リシェル達と出かけて正解だったかな?」

 

「笑いごとじゃねぇって、勘弁してくれよ……」

 

 それを聞いたフェアはくすりと笑いながら言った冗談交じりの言葉に、ネロは座っていた椅子の背もたれに体重をかけながら言う。

 

「不貞腐れないでよ。これでも私はネロに感謝してるんだよ」

 

「そうかい、そりゃなによりだ」

 

「もー、信じてないでしょ!」

 

 フェアの言葉をまるで信じてないような様子で適当に答えたネロの態度に、彼女は頬を膨らませながら怒りを露にした。

 

「これまで何度も助けてもらってるし、今日だってあいつらと戦ってくれたし……、口には出さなかったけど、嬉しかったんだよ」

 

 ネロに感謝していることを信じてもらえないのは悔しかったのか、フェアはその理由を口にした。とはいえ、素直に口にするのはやはり恥ずかしかったのか、少し顔を赤くていたが。

 

 それを聞いたネロは普段のような人を食ったような笑みではなく、優しげな笑みを浮かべながら言う。

 

「気にするな、俺が好きでやってることなんだ」

 

「う、うん……」

 

 そのネロの姿にフェアは、不覚にもどきりとしてしまい、俯いてネロから顔をそむけた。

 

 これまでは特に意識したことはなかったが、実際のところネロの容姿はかなり端正だ。整った顔立ちにフェアよりも銀色かかった髪。普段から愛想もなく皮肉屋な態度をとっていなければ、もっと多くの女性から好かれても不思議ではない。

 

「……どうした?」

 

 気恥ずかしさから彼の顔を直視できないでいるフェアを、不思議に思ったネロが立ち上がり声をかける。

 

「な、なんでもないっ、なんでもないから!」

 

 しかし近づこうとするネロを、フェアは顔の前で両手を大きく左右に振ってそれを遮る。

 

 その時のフェアの大きな声でミルリーフは目を覚ましたようで、二人を交互に見て尋ねた。

 

「パパ、ママ……喧嘩してるの……?」

 

 ネロはともかく、フェアはネロが近づくのを拒否していたため、見方によっては喧嘩しているともとれなくはない。

 

「あー、心配すんな、別に喧嘩なんてしてねぇよ」

 

「ほんとに?」

 

「ほ、本当よ! ただ、ちょっと……そう! 味見をしてもらおうと思って!」

 

「…………」

 

 いくらミルリーフを安心させるためとはいえ、言い訳ならもっともマシなものを考えろと、ネロは無言を貫きながらも心中で呟いた。

 

「ほ、ほら、味見して」

 

「おう……」

 

 フェアは自身の言葉が嘘ではないと証明するため、煮込んでいたスープを小皿にすくい、机越しに差し出した。ネロはそれを受け取ると一口で飲み込んだ。

 

「……うまいな」

 

 あまりおいしさを表現する言葉を持っていなかったネロは、ありきたりな表現で感想を言うしかなかったが、それは間違いなく正直な感想だった。

 

 フェアが作ったスープは、材料に野菜やキノコしか使っていないはずなのに、驚くほどの旨みが出ていた。それにおいしさもさることながら、どこか心に染み入るような優しい味でもあった。

 

「ほんとに?」

 

 感想を聞いたフェアが安心したように肩をなでおろした。さすがに料理で生計を立てている以上、人が食えないものを出すことはありえないが、それでも美味しいかどうかは不安だったようだ。

 

 初めて作ったということもあるが、材料も野菜中心のため、どうしても肉や魚を使った料理と比べ印象は薄くなりやすい。そこでフェアはあえて濃い目の味付けではなく、野菜が持つ甘さを活かした素朴な味にしてみたのだ。

 

 ネロの反応を見る限り、その選択は間違っていなかったようだ。

 

「嘘だと思うなら自分で飲んでみろよ」

 

「うん、そうしようかな」

 

 作る過程で味見は何度かしているが、完成形となってからはしてなかったフェアは、返された小皿を受け取ってスープを一口飲んだ。

 

(うん、ネロの言う通りいい感じ! ……あれ? これって間接……)

 

 スープはまさしくフェアが目指していたものとなっていたため、文句はなかった。しかし、ネロが使った小皿で自分もスープを飲んだという事実は、ようやく落ち着いてきたネロに対する意識を、思い出させるには十分だった。

 

「っ~!」

 

 赤くなる顔をネロに見られないように、そして一刻も早く心を落ち着けるためにフェアは、スープの入った鍋を無心になってかき混ぜる。その様子をネロは不審な目で見ていた。

 

「パパとママばっかりずるいよー! ミルリーフにもちょうだい!」

 

「え!? う、うん!」

 

 そこへミルリーフがカウンターまで来て声を上げた。本人にその意図はなかっただろうが、その言葉はフェアにとって助け舟となった。

 

 急いで小皿にスープをよそって渡す。ミルリーフは猫舌なのか、ふうふうと息を吹きかけ十分に冷ましてから、スープを飲んだ。

 

「おいしい! おいしいよ、ママ!」

 

「ふふ、ありがと、ミルリーフ」

 

 どうやらミルリーフの口にも合ったようで、嬉しそうに声を上げた。フェアも同じように答えた。

 

「ふむ、何やらいい匂いがするな」

 

「おう、そっちの話は終わったのか?」

 

 そこへセイロンが階段を下りてきた。ネロは挨拶代わりに片手を上げて、アロエリとの話が終わったのか尋ねた。

 

「はっはっは、全く骨が折れたぞ」

 

「だがその様子じゃあ、説得は上手くいったみたいだな」

 

 大仰に笑うセイロンにネロが尋ねた。苦労したのは事実のようだが、セイロンの顔からは疲れの色は見て取れない。むしろ苦労に値する結果を勝ち取れたと誇らしげだったため、上手く説得できたと思ったのだ。

 

「うむ、なかなかに……」

 

「ああ、ネロ、そこにいましたの。部屋にいなかったから出かけたのかと思ってましたわ」

 

 セイロンが説得した時の様子を離そうとした時、アロエリを連れたリビエルがネロを呼んだ。彼女が言うことも分からないことではない。ネロは食事やみんなで集まる時以外、食堂にいることは少ないのだ。

 

「そいつは悪かったな。……で、なんか用か?」

 

「ええ、きちんお礼を言いたくて。……と言ってもわたくしではなく、アロエリですけど……」

 

 そう言ってリビエルは隣にいる同僚の背を押す。そのおかげかアロエリは歩き出したが、どうもその足取りは重そうだった。ただ、少し前までの焦ったような雰囲気は消えていた。

 

「だいぶ落ち着いたみたいだな。よほどこってり絞られたか?」

 

「…………」

 

 軽口を叩くネロとは正反対にアロエリは無言だった。しかし何も喋ろうとしないわけではない。むしろ、どう言葉を出したか思い悩んでいるようだった。

 

「言っとくが、さっきのことに礼なんかいらねぇぞ」

 

 中々言葉を口にしないアロエリに、ネロが先手を打った。彼がアロエリを止めたのはミルリーフのためであって、彼女のためではない。そのため礼を言われる筋合いはないと思っているのだ。

 

「そ、そういかない! きちんと礼を言わなければオレの気が済まないんだ!」

 

 冷静になってみれば、勝てる見込みのない戦いに、守るべき御子を巻き込もうという、御使いの使命を蔑ろにした己の行いに、アロエリはひどく後悔していた。だからその時の自分を止めてくれたネロに礼が言いたかったのだ。

 

「……ああ、そうかい」

 

 めんどくせぇ奴だ、と愚痴りながら、ネロは半ば諦めたようにそう言った。こういった相手にいくら張り合っても疲労が溜まるだけだ。どうせこちらには害はないのだから好きにさせることにした。

 

「とにかく! さっきは助かった、礼を言う。……そ、それだけだ!」

 

 赤い顔をしながらアロエリはそれだけ言って、踵を返した。

 

「うん、それじゃあ仲直りもできたし、みんなでご飯にしよう!」

 

 そこへフェアの声が食堂に響く。どうやら作っていたのはスープだけではなく、夕食の準備も同時に進めていたようだ。舌を巻くほどの手際の良さだ。食事処としての忘れじの面影亭を実質的に一人で運営させているだけのことはある。

 

「善哉善哉、ちょうど腹も空いてきたところだ」

 

「ええ、いいタイミングですわね」

 

 セイロンもリビエルもフェアの料理を楽しみにした様子でテーブルにつくが、アロエリだけはその場に立ち止まったままだった。

 

 そこにミルリーフが歩み寄っていき、手を取りながら声をかけた。

 

「一緒に食べよ?」

 

「御子さま……」

 

 ミルリーフの言葉を聞いて逡巡した様子を見せたアロエリだったが、すぐ小さな声ではあったが「……はい」と迷いを振り切ったように答え、セイロン達が座るテーブルに座った。

 

 そしてフェア達は微笑みながら、アロエリという新たな仲間を迎えたのだった。

 

 

 

 

 

 同日、日がすっかり落ちて太陽から降り注いでいた光に代わり闇が地上を支配している頃、バージルは帝国の首都ウルゴーラにいた。

 

 帝都ウルゴーラは皇宮や元老院、軍学校が存在し、都市としての規模も帝国最大クラスのまさしく帝国の中枢というべき場所だ。

 

 その町並みは聖王都ゼラムより整然としており、都市計画に従い順調に開発・整備されてきたように見受けられる。聖王国や旧王国と比べれば歴史の浅い帝国が、今では他の二国に匹敵する国にまで登り詰めることができた理由が、このウルゴーラからも垣間見えるだろう。

 

 しかし同時に、些か画一的すぎる点も見受けられ、見る者に殺風景な印象を与えるのも帝都の特徴だった。このあたりは、町並みから都市の歴史と伝統を感じさせるゼラムとは正反対だ。

 

 バージルがいたのはそんな帝都ウルゴーラの近郊部だ。この辺りは中心部に住むことのできない低・中所得者が多く住む地域であるため、近くの歓楽町もそうした者を狙った比較的リーズナブルな店が多いのだ。

 

「やはり帝都に奴らの拠点があるとはな。灯台下暗しとは言うが……」

 

「その様子なら、奴の情報は正しかったわけか……」

 

 歓楽町の端に作られた帝国軍の駐在所でバージルと話していたのは、帝国軍初の女性将軍として有名なアズリアだった。

 

「その通りだ。……もっとも、その内の一つについてはこちらでも相当の疑いがかかっていたらしいが……」

 

「なんであれ、後は最後の詰めだけだ。しくじるなよ」

 

 バージルがここでアズリアと話しているのは、偶然の積み重なりが原因である。

 

 そもそも彼が帝都にいるのは、試運転のつもりでラウスブルグを動かしたのが始まりだった。

 

 ラウスブルグは世界の移動だけでなくただ城を動かすだけでも膨大な魔力が必要になるのだが、ギアンがサモナイト石を魔力へ変える術を持っていたため、今回はそれを利用することにしたのだ。

 

 そうして移動先が帝都になったのが一つ目の偶然であり、二つ目はそこでアズリアと会ったことだった。

 

 ギアンから彼の知る知識の提供を受けたバージルだったが、その真偽について、特に無色の派閥や紅き手袋の拠点の情報については、強く疑念を抱いていたのだ。

 

 そのためバージルは、ギアンの情報が正しいか確認してみようと考えたのである。殊に現在のアズリアは国境警備部隊だけでなく、父の跡を継いで無色の派閥や紅き手袋を取り締まる部隊を率いていた。彼女はバージルの知る中で真偽を確かめるのに最も適した人物なのだ。

 

 そうしてアズリアの持つ情報と照らし合わせてみると、あっさりとギアンの情報は信頼性の高いものであるわかった。そしてそのついでに、帝都の拠点を全て潰そうと二人は考えていたのである。

 

 もののついでという軽い流れで潰されるなど、無色や紅き手袋にとってはたまったものではないだろうが。

 

 もっともアズリアは、バージルが来ていなかったとしても、近いうちに一斉摘発を行う予定だったため、結局のところ、早いか遅いかの違いに過ぎないのだが。

 

「分かっている。もうじき三つの拠点すべてに兵の配置も完了するはずだ」

 

「数が足らないという話だったが、あてはついたのか?」

 

 最初に聞いた話によれば、アズリアが動員できる戦力では全ての敵拠点の周囲に兵士を置くことはできないということだったが、彼女の口振りでは解決したように思える。

 

「そうだ。自由騎士団の連中が、手を貸してくれてな。……聞けばお前のことも知っているらしい。後で顔でも見せてやったらどうだ?」

 

 自由騎士団とはマグナやトリスの仲間の一人であったシャムロックが、聖王家の後ろ盾を得て創設した、使える主を持たず人々を守るために戦う騎士団のことだ。当然、破壊活動を行う無色の派閥や、それと協力関係にある紅き手袋とは敵対関係にある。

 

 そしてその自由騎士団には、シャムロックだけでなくバージルの知る者も何人か在籍しているので、アズリアが言ったのはその誰かのことだろう。

 

「嫌でもこれから会うことになる。その必要はない」

 

「まあ、いまさらお前が戦うことについては何も言わんが……、せめて周りへの被害は出来る限り抑えてくれ」

 

 この制圧戦にはバージルも参加するつもりだった。別に包囲する人員が足りないという話を聞いたからというわけではなく、単純に暇つぶしを兼ねた情報収集をしようという考えに基づいたものだった。

 

 ただ、それを心配しているのがアズリアだった。もちろん心配とは言ってもバージルの安全などではなく、周囲への被害だ。五年ほど前の悪魔との戦争で、アズリアが見たような戦いを帝都でしようものなら、想像するだけで恐ろしい被害が出てしまうだろう。彼女としてはそれだけは避けたかったのだ。

 

「もとより無駄な破壊は好まん。不要な心配だ」

 

 心外だ、とばかりにバージルは鼻を鳴らしながら席を立った。やろうと思えばアズリアが想像したようなことも容易いが、そもそもバージルは合理主義者だ。不要な被害を出すつもりはなかった。

 

 そして臨時指揮所に定めた駐在所を出て行くバージルを見送ったアズリアのもとに、配置完了の報せを受けた兵士が到着した。

 

 それは、作戦開始が秒読み段階にあることを示している何よりの証だった。

 

 

 

 いくら帝都ウルゴーラが大きな都市とはいえ、一つの都市に複数の拠点があることは非常に珍しいことである。とはいえ、派閥や紅き手袋にとってもこうせざるを得ない理由があるのだ。

 

 それは悪魔が現れるようになったことだった。

 

 かつては無色の派閥も紅き手袋も、人里離れた場所に拠点を持っていた。しかし、その中の大半を占める小規模の拠点は悪魔に対抗できるような戦力は備えておらず、実際に悪魔の餌食となった事例も少なくなかったのだ。

 

 そのため組織の立て直しにあたり、都市部の拠点への集約化を進めたのである。これならば騎士や軍人が勝手に悪魔と戦ってくれるため、悪魔への防衛戦力を準備しなくて済むが、同時にリスクもあった。

 

 それは集約し大きくなった拠点が落とされると、その損害も影響も大きくなることである。

 

 これについて、苦肉の策として立案されたのが、同一都市内に複数の拠点を置くことだったのだ。それにより、拠点陥落のリスクを減らすことができたのだが、逆をいえばそれだけ人目に触れる機会も多くなるため、騎士や軍人にはこれまで以上に注意を払う必要があったのだが。

 

 もっとも、そうして整えられた帝都の拠点も今や風前の灯火であった。

 

「へぇ、こっちから来たんだ」

 

「イスラか、お前もいたのか……」

 

 自身の担当する拠点の近くへ来たバージルを迎えたのは、数年ぶりに会うイスラだった。彼もアティと同じく、魔剣紅の暴君(キルスレス)を持っているせいか、容姿は最初に島で会った時から変わっていない。

 

「姉さんが国境とこっちを行ったり来たりでまともに指揮を取れないから、僕が代わりを務めているだけさ」

 

「……そうか」

 

 バージルは興味もなかったのでそれ以上は聞かなかったが、実のところイスラが率いている部隊も、その実質的な指揮官であるイスラを除いて、帝国軍に所属しているわけではなかった。

 

 部隊の方は無色の派閥など国家間で暗躍する組織を、取り締まる目的で一年ほど前に設立されたばかりであり、その構成員には蒼の派閥の召喚師や元聖王国の騎士だったものもいたのだ。イスラが居なければ帝国の一部隊とさえ認められないよう構成だったのだ。

 

 しかし、そこからも分かるように、内情は聖王国と帝国の合同部隊と表現して差し支えないだろう。

 

 もっとも当然のことながら、それを指摘されても聖王国は無関係を貫き通すだろうが。

 

 帝国軍上層部はそんな部隊の存在を、当初は認めたがらなかった。しかし、先の戦争で悪魔を撃退した英雄であり軍の名門レヴィノス家の出身であるアズリアと、その弟でレヴィノス家の長男であるイスラの二人が指揮官であること、そして少し前に設立された自由騎士団の活躍が帝国でも知れ渡るにつれ、その存在が持ち上げられるとともに、帝国軍への信頼が揺らいでいることもあり、その活動を認められたのだ。

 

「そんなことより、ここは全部任せちゃっていいんでしょ?」

 

「ああ。余計なことはするな」

 

「はいはい、それじゃ、こっちは――」

 

 イスラの言葉を遮るように、月を隠している暑い雲を切り裂くような光線が断続的に発射された。ちょうどバージルが来た方向からだ。

 

「開始の合図……」

 

 ぼそりイスラが呟くのと同時に、バージルはその場から姿を消していた。

 

 それと同時に目的としていた拠点が炎に包まれた。いきなり建物全体を包み込むように炎が現れたのだ。明らかに普通の炎ではない。

 

(これで逃げ道はない、楽なものだ……)

 

 それを発生させたのはバージルだった。炎獄剣ベリアルを使い、ゼラムで悪魔が現れた時に使ったような炎の壁で全体を包んだのだ。

 

 この炎は炎獄の覇者が纏っていた炎と同質のものであり、質量を持ち合わせた炎なのである。大抵の生物は触れるだけで跡形もなく燃え尽きるだろうし、仮に熱に耐えられても質量で阻まれ、抜け出すことはできない非常に厄介な性質を持っているのだ。

 

 しかしそんな炎も、主を阻むようなことはしない。バージルは悠々と炎の中をくぐり抜け、建物の中に入った。

 

(やはり幹部もおらず、雑魚も少ない……、さっさと片づけるか)

 

 ギアンからの情報によれば、ここは紅き手袋の拠点となっている。しかし、どうやら幹部はいないようだった。

 

 紅き手袋の幹部の多くは普通の人間とは異なる魔力を持っている。亜人や鬼人などの類なのか、あるいは召喚兵器(ゲイル)や融機強化兵のような一種の改造人間かは不明だが、少なくともただの人間ではないのだ。

 

 実際にゼラムで殺した毒笑婦(ヴェノア)を始め、バージルがこれまで始末してきた幹部もそうだった。要は、そういった特殊な魔力の持ち主がいなければ紅き手袋の幹部はいないと判断して間違いなかった。

 

 そんなことを考えている間に、建物の中にいた構成員たちは全員息絶えていた。バージルは一歩たりとも動いていないし、ベリアルも振るっていない。全て幻影剣で始末したのである。バージルがいるこの部屋には誰もいないが、他の部屋に行ってみれば、いくつもの刺殺された死体が転がっていることだろう。

 

「…………」

 

 踵を返すと同時に建物を囲っていた炎の壁が消失する。もう逃げる者もいないため、不要になったのだ。そしてバージルは入ってきたと同じように、悠々とエアトリックで出ていった。

 

「全て片づけた。後は任せる」

 

 そして入った時と同じようにイスラの横に姿を現すと、それだけ言い残してバージルはその場を去って行く。まだ作戦が開始してからほとんど時間は経っていない。もし他の拠点に幹部がいても今から向かえば間に合うと考えたのだ。

 

「了解了解」

 

 もうバージルのやったことには驚かなかったイスラは一言返事すると、バージルのしたことに驚きを隠せないでいる部下達に手で合図した。ただでさえ、バージルの出した炎の壁で目立ったのだ。大声を出して、これ以上騒ぎを大きくするわけにはいかない。速やかに撤収する必要があった。

 

 イスラは頭の中でそれまで段取りを整理していた。

 

 

 

 バージルが次に訪れた拠点は、先ほどより二回りほど大きな四階建ての建物だった。そしてそれを囲んでいるのは、装備から見て帝国軍ではないようだ。おそらくアズリアが言っていた自由騎士団の者達だろう。

 

 一応、帝都に来ている騎士はバージルのことを知っているという話だったが、少なくとも周囲を囲んでいる騎士にバージルが知っている者はいなかった。あるいは既に中に突入したのかもしれない。

 

 バージルは建物に視線を向けると、その中に一つだけ人間とは異なる魔力を感じた。四階建ての最も高いところからだ。

 

「……ここは当たりだな」

 

 口元を僅かに歪めながら言った。その魔力はおそらく幹部のものだろう。つまりここは、帝都にある拠点の中でも中核と呼べる拠点なの。それだけに、ここにあるものを全て、そのままの状態で手に入れたいところだ。万が一、燃やされてしまったのでは目も当てられない。

 

 したがって、余計な時間など与えずに始末するしかないのだが、感知した魔力で判断する限り、突入した騎士達の大半は一階で戦っている。一部の者こそ二階まで進んだようだが、やはりそこで戦闘になって先に進めないでいるようだ。

 

 彼我の戦力差からこのままでも多少時間はかかっても最終的に制圧こそできるだろうが、紅き手袋の重要な書類は処分されてしまう可能性が高い。一刻も早くそれを抑えなければならなかった。

 

「…………」

 

 そう判断したバージルの動きは速かった。即座に閻魔刀を使い次元斬を幹部がいるところへ叩き込む。それが終わるのとほぼ同時に、その場へ向かうべく大地を蹴った。

 

 もちろん目的の場所は建物の中であるため、壁が行く手を阻むのだが、ギルガメスを装着したバージルは事もなげに左腕を壁に叩き付けた。

 

 当然、壁は打ち砕かれ、大小に分かれた残骸はまるでスポンジのように軽く部屋の中に飛び散っていく。そうした破片は吹き飛ぶ様子こそほとんど質量を感じさせないが、その実、相当の重量を持っていた。それはさほど大きくもない破片が頭部に直撃した一人の暗殺者が、背後の壁に真っ赤な血の花を咲かせたことからも明らかだった。

 

 しかし、いまだ部屋の中にいる十人ほどの者達は、幹部が殺されたことをすら理解することはできていなかった。それほどの刹那の間に起こったことだったのである。そして彼らはそのまま、自分の身に何が起きたかすら分からぬまま死んでいったのだ。

 

 バージルは部屋の中に突入した時には既に幻影剣を放っており、着地した時点では全ての暗殺者に魔力の刃が突き立てられていたのである。

 

「Humph, Too easy...」

 

 バージルは呟く。そして物言わぬ死体だけが散乱している部屋の中を見渡した。とりあえず燃え跡のような何かを処分した後はない。どうやら彼らが余計なことをしでかす前に始末できたようだ。

 

「……先に下の奴らを片づけるか」

 

 それでもこの建物の全てを制圧できたわけではない。他の場所にも機密文書がある可能性は捨てきれないため、まずは階下で自由騎士団と戦っている者を始末することにした。

 

 彼がそう決断したことで図らずも紅き手袋は、降りていくバージルと、上がっていく騎士団に挟撃される形になったのだ。ただでさえ騎士団に圧されているのだ。正直たまったものではないだろう。

 

 バージルはほとんど人のいない四階と三階を悠然と進み、二階まで降りていく。そこで戦っている騎士の数は最初に感知した時より多くなっているようだ。それだけの騎士がこの建物に突入したということだ。

 

 双方の声と打ち合うような金属音が響く中、バージルは手近な者を閻魔刀で斬り伏せながら進んでいた。さすがに騎士を殺すつもりはないため、目視できる場所以外では幻影剣を放つような真似はしていない。その代わり、閻魔刀の冷酷無比な刃が血飛沫を上げていた。

 

「なるほど、俺を知っているというのは奴のことか……」

 

 長い廊下でまた一人敵を両断したバージルは、その奥で見知った者が剣を振るっているのが見えた。間に何人もの敵がいるが、あの格好といい、身のこなしといい、数年前に会ったルヴァイドに違いなかった。確かに彼なら自分のことを知っていてもおかしくはない。

 

(とりあえず廊下にいるのさえ斬れば終わったようなものか)

 

 かなりの人数がいたこの拠点も、現在、戦っているのはこの廊下にいる者達くらいで、後は逃走する者が何人かいるだけだった。

 

 そのためバージルは戦いを終わらせるべく、閻魔刀を構えて一気に廊下を駆け抜けた。

 

 すれ違いざまに斬撃を叩き込まれた敵は、バージルが最後に閻魔刀を鞘に納めた瞬間、いくつかの肉片に分かれて大量の血液をあたりにまき散らした。

 

「なぜ、ここに……?」

 

 その段になって、ルヴァイドはようやくバージルに気付いたらしく、いつも冷静沈着な彼らしくない驚きの声を上げた。

 

「……上の奴らは片づけた。後始末は任せる」

 

 しかしバージルはその質問には答えず、これより先にあるのは死体のみであることを伝えた。

 

 ルヴァイドは、バージルが自分達にも気付かれず上まで行ったのか不思議に思ったが、すぐにその考えを打ち消した。これまでの数少ない邂逅から、この男には常識が通じないことを知っていたのだ。

 

「ああ、後は任せてもらおう」

 

 もとよりここの制圧はルヴァイド率いる騎士に任されていたのだ。それはバージルが介入しても変わりない。むしろ、その介入によってこちらの被害が減り、迅速に制圧できたことを鑑みれば、歓迎こそすれど非難する必要はないだろう。

 

「ルヴァイド様。一階の制圧、完了しました」

 

 そこに年若い騎士を従えたイオスが現れた。その言葉を聞く限り、今もルヴァイドの副官をしているのだろう。

 

「なら作戦終了だ。……こちらの被害は確認できているか?」

 

 まだ上の階が存在するにもかかわらず、作戦の終了を宣言したルヴァイドに一瞬、訝しむような視線を向けたイオスだったが、近くにいたバージルの姿を見て、ルヴァイドが宣言した理由を悟り、頭を切り替えて彼の質問に答えた。

 

「負傷者は複数名いますが、現在のところ死者はいません。おって詳細を報告いたします」

 

 打てば響く答えを聞いてルヴァイドは頷いた。数の上ではこちらの方が圧倒的で、奇襲に近い攻撃だったとはいえ、狭い室内での戦闘だったのだ。戦死者がいないだけで御の字といったところだろう。

 

 そしてイオスの側に控えていた少年にルヴァイドは声をかけた。

 

「アルバ、お前は休んでいても構わんぞ」

 

 アルバはまだ騎士となって日が浅く、他の騎士と比べても実戦経験も少ない。自由騎士になる前から、旧王国最大の軍事都市デグレアの「黒の旅団」の指揮官として活動していたルヴァイドやイオスと比べれば雲泥の差だ。

 

 そのため身体的にも精神的にも疲労が溜まっていると考え、そう提案したのだ。

 

「大丈夫です! おいら、疲れていません!」

 

「そうか……、ならこれまで同じく、イオスについていろ」

 

 アルバは、サイジェント騎士団から指南役として招かれたレイドと共に自由騎士団に所属した見習いだ。彼を預かったルヴァイドはイオスのもとに配置し、騎士としてのありようを学ばせていた。

 

 イオスは優秀な騎士であると同時に、元は帝国の親衛隊に所属しており、各種作法にも通じている。師事する相手としてはこれ以上の適任はいないだろう。

 

「はいっ!」

 

「ならば、動ける者を集めろ。それとゼルフィルドも呼んで来い」

 

 大声で返事をしたアルバはイオスの命令に従い、騎士を集めるため駆け出した。

 

 ゼルフィルドは建物に突入せずに、周囲を固める騎士の指揮を執っていた。だが、もはや敵の逃亡を心配することはないため、呼び戻してその能力を上の階の調査をする際に役立てようと考えたようだ。

 

「……それでは、後は我々に任せてもらおう」

 

 ひと段落ついたところでルヴァイドが言った。

 

「任せる。……だが、上にある書類や本の類は全て回収しておけ」

 

 バージルにはこのまま上に戻り自分で調べるという選択肢もあったのだが、結局は情報さえ得られればいいのである。そのため、後で書類や本自体を提供させればいいと思い直したため、必要なものの回収だけ命じることにした。

 

「なぜだ?」

 

「ここには幹部らしき奴がいた。重要な情報を持っている可能性がある」

 

「なるほどな……、了解した」

 

 バージルの言葉で疑問が氷解したルヴァイドは、イオスに視線を送り無言で命令を下した。

 

(念のため、あの女にも言っておくか……)

 

 それを受けたイオスが大きく頷いたのを見ながら思考する。今回の作戦はアズリアの指揮の下で動いていたものの、自由騎士団は全く別個の組織だ。そのためルヴァイドに伝えたとしても、彼が自由騎士団に言われたことだと判断して、アズリアに伝えない可能性があった。

 

 それにバージルはラウスブルグを居城として、当面の間は帝国にいるため、アズリアから情報等を受け取れるようにした方が楽なのだ。そのためには、今の内にアズリアへ話を通しておく必要があるだろう。

 

 そう判断したバージルは、ルヴァイド達の横を抜けアズリアがいるだろう臨時指揮所へと向かって行った。

 

 どうやら彼がラウスブルグへ戻るのはもう少し時間がかかりそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




大捕物(ただし生存者は少数)



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第76話 血の導き

 アロエリによって引き起こされた一騒動が落ち着き、帝都では多くの屍が生み出された日の翌日、トレイユの忘れじの面影亭ではアロエリが預かった遺産「守護竜の角」に込められた力の継承が行われていた。

 

「先代より預かりし力、お渡しいたしました」

 

 力を継承した影響で竜の姿へ戻ったミルリーフに、アロエリは恭しく礼をしながら言った。昨日のような暴走さえしていなければ、彼女は守護竜に忠実で優秀な戦士なのだろう。

 

「……で、今度はどういう力を得たんだ?」

 

 見た目も魔力もこれまでと全く変わりない姿のミルリーフをしばらく凝視していたネロだったが、結局どこが変わったか分からなかったようだ。

 

 これまでミルリーフに継承された力は魔力の制御と身体能力を司る力の二つであり、それぞれを継承した際にはミルリーフの魔力が強くなったのだ。しかし今回はそれがない。本当に継承できたのか疑ってしまうほど、何の変化も見られなかった。そのため、御使い達に尋ねてみることにしたのだ。

 

「アロエリが託されたのは知識ですの。過去に失われた秘術や、人間には到達できていない真の世の理といった、先代の持つ知識の集大成が継承されたのです」

 

 ミルリーフがまた一つ先代の力を継承したことへの達成感、あるいは知識を司る天使であるせいか、リビエルは得意そうな顔をしている。

 

「そりゃあ随分とヤバいものを渡されたもんだな」

 

 秘術だの世界の理だのには全く詳しくもなく、興味もないネロだったが、それの危険性は悟ることができた。人間がいまだ知り得ていない知識を、大した力も持っていないミルリーフの中にあると知れたら、どんな輩に狙われるか分かったものではない。

 

「それほど心配することはないぞ、御子どのに受け継がれた知識はまだ封印がかけられているからな」

 

「それじゃあ、せっかくの知識も使えないってことじゃない……」

 

 セイロンの説明を聞いたリシェルは残念そうに言うのを見たアロエリは補足して説明することにした。

 

「仕方のないことだ。万が一にでも奪われ、知識を利用されることなどあってはならないからな」

 

 知識を悪用される危険性については先代の守護竜も認識していたようで、それを防ぐ意味もあって知識に封印をかけたいたのだ。

 

「そしてその封印を解くには、先代の記憶が込められた最後の遺産が必要だ」

 

「ええ、その記憶さえ継承してしまえば、先代の全てを受け継いだことになりますし、もう心配も無用ですわ」

 

「そっか、これで三つだもんね。次で最後なんだ……」

 

 フェアが寂しそうに小声で呟いた。最後の遺産を継承さえしてしまえば、もうフェア達がミルリーフを守る必要はないのだ。敵に占拠されたラウスブルグをどうするかという問題は残るが、少なくとも別れの時が近づいているのは確かだ。

 

「それじゃあ、最後の御使いが来るまではこれまで通り様子見ってことでいいのかな?」

 

「いや、追手を向けられている以上、こちらから探しに行った方がいい。いくら御使いが強くとも、多勢に無勢では厳しいだろうしな」

 

 ルシアンの確認にグラッドが反論した。まだ到着していないということは、追手との戦いで思うように移動できていない可能性がある。ここで待っているより、たとえ戦闘になる危険を冒しても迎えに行った方がいいという判断なのだろう。

 

「探しに行くのはいいけど、その最後の御使いってどんな人?」

 

「うむ、最後の一人はクラウレと言ってな。我々の長にして、アロエリの兄、そして先代に最も信頼されていた男だ」

 

「兄者はオレの何倍も強いセルファン族最強の戦士だ。どんな苦境にあっても、必ずここに向かっているはずだ」

 

 その言葉だけでもアロエリが兄に全幅の信頼を寄せているのが分かる。セイロンも同じようにクラウレを信頼していることが言葉から感じ取れた。

 

「なら少しでも早く会うためにもみんなで探しにいきましょう。情報収集も兼ねて」

 

 ミントの提案に反対する者はなく、とりあえず準備が整い次第、付近を捜索するために出かけることにした。

 

 

 

 

 

 同じ頃、バージルは帝都ウルゴーラからその近く潜ませているラウスブルグへと戻っていた。紅き手袋の拠点で手に入れた書類の選別はアズリアに任せているため、それを回収してからラウスブルグをトレイユ方面に戻すつもりでいるのだ。これからすぐに紅き手袋や無色の派閥を潰して回るわけではないが、各種施設の情報を仕入れておいて損はない。

 

 そうして時間ができたため一旦ラウスブルグに戻ったバージルは、大広間でギアンと昨日の紅き手袋の拠点を潰したことについて話していた。

 

「なるほど僕が渡した情報は信用してもらえなかったというわけか」

 

 バージルがギアンの渡した情報の信用性を疑問視して、帝都まで出向いたことを聞いたギアンは心外だと言わんばかりの冷ややかな表情を隠さなかった。彼としては情報に嘘を混ぜてはいなかったので、そう反応するのはある種仕方のない部分もあるだろう。

 

「当然だろう。少し前まで敵だった奴が渡した情報など信用するものか。ましてその相手がこちらのことを信用してないのなら猶更だ」

 

 しかし、バージルの言っていることもまた正論だった。渡した情報に偽りはなくとも、ギアンはバージルのことを一切信用していなかったのだ。自分が相手のことを信用していないのに、自分のことは信用してほしいなど、さすがに都合が良すぎるだろう。

 

「そんなことのために、君は一体何人の人間を殺したんだい?」

 

「その言葉、貴様らにそっくり返すとしよう。……それに、これでも感謝はされたのでな。『おかげで奴らを追い詰められそうだ』とな」

 

 都合が悪くなった時ばかり被害者面とは実に滑稽だ、と侮蔑も込めながらバージルは言う。そもそもこれまで何人もの人間を殺してきた奴らに、そんなことを言われたくはなかった。

 

「ま、まさか……! 僕が渡した情報を一体どうした!」

 

 てっきり自らが渡した情報の信憑性を確かめただけだと思っていたギアンは、バージルの言葉を聞いて嫌な予感がして問い質した。

 

「売った」

 

 たいしたことないように呆気なくバージルは答えた。当然、情報を売った相手はアズリアだ。無色の派閥にも紅き手袋にもいい感情を抱いていない彼女は、相当の金を支払ってその情報を買い取ったのだ。おかげでバージルの財布はだいぶあたたかくなった。

 

「っ!」

 

 財布とは逆にギアンの顔は真っ青になった。バージルに渡した情報の中には派閥の幹部達の拠点の情報も含まれているのだ。

 

 さすがにこれまで感情的にならないように努めて冷静でいたギアンも、焦りと驚きの表情は隠しきれない様子である。

 

「どうせ奴らはじきに終わる。今の内に手を切っておけてよかっただろう?」

 

 ギアンの心を見透かしたようにバージルは、見下すような冷笑を浮かべた。

 

「君は分かっていない! 奴らの恐ろしさは……!」

 

 若くとも無色の派閥の有力な家系の当主としてやってきたギアンには派閥の執念深さはよく知っているし、何度か協力させたこともあるため、紅き手袋の暗殺者の恐ろしさも理解していた。

 

 特に渡した情報の中で危険なのは、大幹部セルボルト家だ。先代の当主が一時期壊滅の危機に瀕した無色の派閥、紅き手袋の両組織を救ったため、双方に絶大な影響力を持っている。それは先代の当主が儀式のため出向いたサイジェント近郊で死亡した今でも変わらない。

 

 もしギアンが情報を漏らしたことを気付かれたら、彼らに報復されることは間違いない。派閥という組織に忠誠心は持っていないギアンだが、好き好んで標的になろうとは思えないのだ。

 

 抗議しようと言葉を続けようとしたギアンだったが、彼がその言葉を言うことはできなかった。バージルの視線に射貫かれ、蛇に睨まれた蛙のように金縛りにあったのだ。

 

「……俺と戦って勝てると思っているのか?」

 

 愚かだな、と言わんばかりの視線をギアンに送る。これまでと変わりない抑揚のない声だったが、ギアンには心臓を鷲掴みにされたような恐怖を感じる魔王の声に聞こえたのだ。

 

「わ、わかった……わかったよ……」

 

 声を震わせながら何歩か後ずさる。もはやギアンは諦めるしかないことを悟った。確かに派閥や紅き手袋の報復も恐ろしいが、それ以上にこの男の方がずっと恐ろしかったのだ。

 

 だが、恐怖による選択だとしてもこの判断は正しかった。ギアンの思考の中に出たセルボルト家、その先代当主であるオルドレイクを殺したのはバージルなのだ。そしてそれ以前に、無色の派閥と紅き手袋を壊滅寸前にまで追い詰めたのも同じくバージルなのだ。

 

 もしバージルが島に帰っていなければ、とうに両組織は壊滅していたことだろう。そんな男に情報を求められた時点で、ギアンの運命はほぼ決まっていたのだ。

 

「分かればいい。……ところで、例の幼竜の件はどうなった?」

 

 ギアンが不承不承ながらも納得したのを見て、思い出したようにトレイユにいるという守護竜の子のことを尋ねた。

 

「どうもこうもない。君がこんなところまで城を動かしたせいで何もできないんだよ」

 

 バージルがラウスブルクを帝都近郊まで動かしたのは、ちょうどギアン達が再度の攻撃をかける前だったのだ。そのため彼らは実質、何もできていなかった。せいぜい、竜の子奪取のための作戦を立案した程度だ。

 

「しばらくは余計なことはするな」

 

 バージルはラウスブルグを長く帝都近くに留めておくつもりはなかった。近くアティとポムニットに示した合流地点であるトレイユ近くまで戻らねばならない。

 

 その際にバージルは、かねてより考えていた己の血を引く者の力を試してみようと思っていた。ギアンにしばらく行動の中止を命じたのは、その邪魔をされたくなかったからだ。

 

「なぜそんな……、いや、わかった。言う通りにする。彼らにも伝えて来るよ」

 

 その理由を尋ねようとしたギアンだったが、バージルが話すとは考えにくいと思ったのか、すぐその言葉を取り消し、配下の将軍や教授に伝えるために大広間から出て行った。

 

 それを無言で見ていたバージルだったが、内心ではトレイユにいる自らの血を引く者のことを考えていた。

 

(ネロ、といったか……、俺の血を引くのなら少しは戦えるといいが)

 

 会ったこともない存在に期待しながら、バージルはまるで玉座のように備え付けられたに椅子に座るのだった。

 

 

 

 

 

 それから数日後、トレイユではまた忘れじの面影亭に皆が集まり話をしていた。一昨日までの捜索では、最後の御使いであるクラウレはおろか、その手掛かりすら得ることはできなかった。

 

 そのため、昨日も捜索に出かけようという話になっているのだが、グラッドによって急に不要な外出が禁じられたため、町の中で大人しくすることになったのだ。

 

 とはいえそれ自体は、連日の捜索によって疲労が溜まっていたリシェルあたりには歓迎されていたようだが。

 

「えー!? 今日も町の外に出ちゃいけないの!?」

 

 しかしそれが二日続けてとなると、さすがにリシェルも不満の声を漏らした。普段は二日くらい町の外に出ないのは珍しいことではないのだが、こうして禁止されてしまうと、たいして影響なくとも、どこか息苦しく閉塞感を感じてしまうのは仕方のないことだろう。

 

「今日も、というより当面の間らしい。なんでも帝国全土で無色の派閥や紅き手袋の大規模な摘発をするらしくてな」

 

「それで……どうして私達は町から出ちゃいけないの?」

 

 フェアが疑問を呈した。別に派閥や紅き手袋を摘発することに文句はないが、それがどうして町を出ることを禁じられるのか分からない様子だった。

 

「きっとみんなの安全を守るためじゃないかな? もしかしたら報復に事件を起こすかもしれないし」

 

「物騒な話だな、そりゃ」

 

 ミントの言葉にネロが呆れたように肩を竦めた。どこの世界に行っても人間は同じようなことを考えるらしい。

 

「それだけじゃないぞ。町の外に出られないってことは、他の都市にも行けないってことだ。つまり、よそからくる奴がいたら、そいつは派閥か紅き手袋の人間である可能性が高いってワケさ」

 

「な、なんか今回は随分と徹底してるね……」

 

 構成員の一人も見逃さないような態勢は、執念すら感じさせた。摘発自体はこれまで何度か行われてきたが、今回のように帝国全土へ命令が下るような大規模なものは、ルシアンの記憶にある限り初めてだった。

 

「なんたって今回の指揮を執るのは、あのアズリア将軍だからな! これまでとはわけが違うってことさ!」

 

 何故か自分のことのように誇らしげに語るグラッドを不思議に思ったネロが首を傾げていると、フェアが口を開いた。

 

「確かその人って帝国初の女将軍になった人だよね? たしかお兄ちゃんの憧れてる部隊を率いているのもその人だっけ?」

 

「国境警備部隊の要『紫電』だな。陸戦隊なら一度は憧れるところだよ」

 

 今でこそアズリアの率いる「紫電」は、今でこそ精鋭部隊の代名詞だが、ほんの五年ほど前までは退役間近の兵ばかり集められる閑職に過ぎなかった。

 

 それが変わったのは先のエルバレスタ戦争で、悪魔の侵攻をアズリアの指揮の下に見事に阻止したからだ。この功績でアズリアは将軍へと昇進し、帝国軍上層部も国境警備部隊の重要性を再認識し、警備部隊の強化を図ることになったのだ。

 

 「紫電」は編入試験も訓練も非常に厳しいが、広く門戸が開かれ出自によって区別されることはない。条件を満たし編入試験に合格すれば誰しも入ることができる。つまりは手の届く目標なのだ。そのあたりが「紫電」が陸戦隊憧れの部隊である理由の一つかもしれない。

 

「まあ、それはそれとして、しばらく捜索は諦めざるを得ないということですわね?」

 

「まあ、そういうことだ」

 

 リビエルが確認するような言葉にグラッドは頷いた。色々脱線はしたが結局のところ、しばらくは捜索できない状況が続くことは避けようがないのである。

 

「致し方ないな。しばらくはクラウレを信じて待つとしよう。ただ、その代わりと言ってはなんだが、あやつが来た時は……」

 

 セイロンも同意した。ただ、それを受け入れる代わりにグラッドに条件を付そうとした。

 

「ああ、そのクラウレって奴が来たら通せばいいんだろ? 任せとけって」

 

 セイロンの条件自体は予想していたのか、彼が言う前にグラッドが口にした。これはクラウレがアロエリと同じく、背中に翼の生えたメイトルパの亜人セルファンだからできることだ。仮にクラウレが一目見ただけでは人間と変わらないシルターンの人間であったなら、こんな配慮をすることはできなかっただろう。

 

「心遣い、感謝する」

 

「いいっていいって、気にするなよ」

 

 真面目な顔をして礼を言ったセイロンにグラッドは笑いながら言葉を返した。駐在軍人として見れば、グラッドのしていることは決して褒められた行為ではないが、ミルリーフが全ての遺産を継承すれば、一つ問題が解決するため、そう判断したのだろう。

 

「とにかくしばらくは暇になるってことよね」

 

 何をしようかと思い悩むリシェルを、呆れたように見つめるルシアンは大きく息を吐いて言う。

 

「姉さん……。こっちは暇でも、あいつらは来るかもしれないんだよ」

 

 こっちは町の外に出られなくとも、あの「将軍」や「教授」といったミルリーフを狙う輩は、帝国の指示に大人しく従うような者達ではないだろう。だからこそ、警戒を緩めることはできない。むしろいつも以上に注意を払うべきだと、ルシアンは思っているようだ。

 

「その通り、気を緩めないようにな」

 

 生まれ育ったラウスブルグを追われるなど、彼らには随分煮え湯を飲まされたアロエリはルシアンの言葉に同意した。

 

「……結局、これまで通りってことだろ?」

 

 御使いの到着を待つこと自体はこれまでと同様だ。そのため、いくら町から出られない状況にあるとはいえ、いつも以上に警戒する必要をネロは感じていなかった。

 

 そもそも、レンドラーにしてもゲックにしてもネロの目には脅威には映っていなかった。それは彼らが率いている軍団を考慮に入れても変わりないのである。むしろ多数相手の立ち回りに関しては、悪魔を相手にしていた経験もあって手慣れているのだ。

 

「ま、そういうことだな。それに、せいぜい五日もすれば禁止も解除されるだろうから、そんなに深刻になることはないさ」

 

 グラッドは説明しなかったが、今回の禁止令は商人など、許可を受けた者には適応されないことになっていた。さすがに商人を含めて一切の例外なく禁止にしてしまえば、帝国の経済はもとより人々の生活にも重大な影響を与えてしまうためだ。

 

 もちろん商人には許可を出すからといって、悪影響がなくなるわけではないが、長期化しなければ深刻な事態にはならないと、アズリアなど禁止令の発令に関わった者達は判断したに違いない。

 

「それじゃあ、禁止令が解除されるまでは捜索は中止でいいのよね?」

 

 フェアはこれまでの話の流れを聞いて、全員に確認するように言った。当然、異論が出ることはなく、今日の所はそれで解散にすることにした。

 

 

 

 

 

 その日の夜、店の営業が終わってしばらくした頃、ネロは水を飲むために食堂に来ていた。しかし、そこには先客いたようだ。

 

「何やってんだ? こんな時間に」

 

 食堂にいたのはフェアだった。これが厨房に立っていたら明日の仕込みでもしているのかと思うこともできただろうが、今の彼女は書類の束が置かれたテーブルに座り、筆記用具を持って難しい顔で何やら書き込んでいた。

 

「帳簿つけてるの、いろいろ忙しかったから溜まっちゃててさ」

 

 大きく息を吐いたフェアは、ストレッチでもするかのように背中を伸ばしながら答えた。

 

「あー、そいつは大変だな」

 

 ネロも事務所を営んでいる以上、帳簿をつけるのが必要だというのは理解している。そうはいっても、彼の場合はキリエがやってくれているのだが。

 

 なお、余談だがダンテは当然のようにそんなものをつけたことは一度もない。

 

「リビエルにも手伝おうかって言われたけど、これでも店主だからね。やっぱり収支くらいは把握しておかないと」

 

 忘れじの面影亭は赤字を出してはいないが、オーナーであるブロンクス姉弟の父、テイラー・ブロンクスが求めるほどの利益は出していないのが現状なのだ。

 

 しかし最近は、知り合いから聞いたアドバイスを活かしたり、お題に沿った料理を作ることで腕も上げたりしているおかげで、少しずつ客も増え、評判も良くなってきていた。しかし同時に、ネロを筆頭に居候も増えたせいで、今のところ利益自体はたいして変わりなかった。

 

「随分やる気なのは結構だが、あまり無理はするなよ」

 

 店は少し前まで営業していたため、フェアはずっと料理を作っていただろうし、店が閉まった後も明日の仕込みをしていたはずだ。その上、こうして帳簿をつけるとなると大きな負担になるのは、火を見るよりも明らかだ。

 

「普段はこんなに溜めないから大丈夫だよ。……それよりネロも何か用事があったんじゃないの?」

 

「水を飲みに来ただけだ」

 

 フェアにそう言われて、ここに来た理由を思い出したネロは、水瓶からコップ一杯分すくい一気に飲み干した。

 

 町の中心部は水道橋からため池に貯められた水が供給されているが、中心部からは程遠い忘れじの面影亭の面影亭は、毎日、庭にある井戸から水をくみ上げていのだ。これがなかなか大変な作業で、ネロは整備された水道が恋しくなったこともあった。

 

「ねぇ、ネロ……」

 

 水を飲んだネロは、フェアの邪魔をするのも悪いと思いさっさと部屋に戻ろうとしたが、その途中で呼び止められた。

 

「何だ?」

 

 聞きながら振り返ったネロの目に映ったフェアは、いつものようなしっかり者ではなく、どこか幼い子供のような雰囲気を漂わせていた。

 

「最後の御使いが来れば、もう私達がミルリーフを守る必要はないって話だからさ……。そしたらネロも出て行っちゃうんだよね?」

 

「まあ……そうなるだろうな」

 

 ミルリーフに関する一件が片付くまでは協力する、というのはネロ自身が言ったことであるし、今もそれを変えるつもりはない。ただ、守護竜の力を全て継承したミルリーフと御使い達が選ぶ道によっては、もう少し協力してもいいと思っていた。

 

 なにしろミルリーフを狙う者達のことは、いまだ解決の糸口すら見つけ出せていないのだ。守護竜の力を受け継いでしまえば自分達に守ってもらう必要はないくらい強くなるという話だが、精神的にも幼いミルリーフに戦いなどはさせたくなかったのだ。

 

 したがって、最後の御使いが来れば出て行くと言うのは必ずしも正しくはないが、遅かれ早かれここを去るのは間違いないため、ネロはフェアの言葉を肯定したのである。

 

「そっか……、そうなるとここも寂しくなっちゃうね……」

 

 これまではリシェル達がいるとは言っても、フェアはこの忘れじの面影亭で一人暮らをしてきたのだ。ネロ達が出て行ったとしても、表面上はその状態に戻るだけだが、やはり今のような賑やかな生活に慣れていると、寂しさを感じてしまうのは不思議ではない。

 

「…………」

 

 フェアの言葉にネロは何も答えてやられなかった。ミルリーフや御使い達とは違い、ネロとフェアは文字通り住む世界が違うのだ。今のところ人間界へ帰る手段は見つかってはいないが、もしネロが人間界に帰ってしまえば、フェア達とは二度と会うことはできないだろう。

 

 かといって帰らない選択肢など選べるはずもない。フォルトゥナには帰りを待っている最愛の人がいるのだ。

 

 そうした理由もあってネロは、彼女にかける言葉を見つけることができなかった。ただ、何も答えないのではあまりにも無責任であるような気がして、ネロは頭をフル回転させて口を開いた。

 

「……そりゃあ、いつかはここを出る。でもな、今すぐじゃないんだ。それまでに思い出の一つくらい作れるだろ?」

 

「そっか、そうだよね。……ありがと、ネロ」

 

 結局口に出せたのはそんなありきたりな言葉でしかなかったが、フェアにはネロの意図は十分に伝わっていたようだ。素直な気持ちで感謝の気持ちを伝えた。

 

「俺は何もしてねぇよ、気にすんな」

 

 ふいと顔を逸らしながらネロが言う。さすがにあんな純粋な感謝の言葉を受けて、少し気恥ずかしさがあったのだ。

 

 いつものぶっきらぼうなネロからは想像できない様子を見て、彼が照れていることを悟ったフェアは少しからかいの言葉をかけてみることにした。

 

「それにしてもさっきの台詞、似合ってなさすぎだよ。……でも、ちょっとドキッとしちゃった」

 

 くすくすと笑いながら言う。それでも最後の言葉は小声でしか言えなかったところを見ると、フェアもまだまだ子供というところか。

 

 ネロをからかう目的なら最後まで聞こえるように言った方が、なんだかんだ言ってこうしたことには疎いネロには効果がある。しかし、いくら大人びているとは言え、根は純情なフェアには、紛れもない本心である最後の言葉を声を大にして言うことはできなかったのだ。

 

「うっせぇ、俺はもう寝るからな」

 

 とはいえ、それを言わなくてもネロには効果覿面だった。不貞腐れたようにそう吐き捨て、自分の部屋に戻って行く。

 

 それを見て、さすがに悪ふざけが過ぎたと思ったフェアは、明日の朝食は少しネロにサービスしようと心に決めた。

 

 

 

 もっとも、そんなフェアの心配などネロには全く無用だったようで、部屋に戻った頃には機嫌はすっかり元に戻っていた。

 

 しかしネロはベッドで横になってはいるものの、一向に寝付くことはできないでいた。先ほどのフェアとの会話でも出たこれから先のことを考えていた。

 

 人間界に帰る手段。

 

 それをネロはいまだに具体化できないでいた。このままトレイユを出たところで帰る手段を見つけるのは、砂漠から一粒の砂を探すようなものでしかない。

 

 しかし、帰還を諦めるつもりはない。フォルトゥナにはネロの帰りを待つ者もいるのだ。

 

(しかし、なんでだろうな……。先のことなんか全く見通しが立たないってのに、不安も焦りもねぇのは……)

 

 数年前のネロならこんな状況に立たされれば、焦りから苛立ちくらいは覚えるだろう。しかし今のネロは焦りや不安とは無縁で、実に落ち着いていた。もちろん彼が精神的に成長したというのもあるだろうが、それだけでは説明できないほどの冷静さだった。

 

(やっぱり、あれが原因か……?)

 

 しかしネロには自身の落ち着き具合の元となるものに心当たりがあった。それはトレイユに来た時から感じていた予感めいたものだ。

 

 ミルリーフの一件に関わることが人間界へ帰るきっかけとなるような気がしていた、いや、現在進行形でそんな気がしているのである。もちろんそれは傍から見れば原因と呼べるほどはっきりとしたものではないだろう。しかし、ネロにとってその予感は確定した未来のようにさえ思えてくる。

 

 そうしたことが、ネロの精神を安定させ落ち着かせているようだった。見方によっては、自らの精神を無意識的に守る自己防衛反応のようなものと捉えられるかもしれないが、それは普通の人間の話だ。ネロには人間とは異なるたった一つだけの、しかし決定的な違いがある。

 

 それは伝説の魔剣士スパーダの血を引いていることだ。

 

 人によっては、それだけでただの予感も俄然真実味を増すのである。もっとも、自分に流れる血のことなどたいして気にしたことのないネロは、自身の予感を全く信用していなかったのだが。

 

(……もういい、寝るか)

 

 考えるのに疲れたネロは心中で呟き、寝返りを打ち窓から外を眺める。いろいろと考えているうちにベッドに入ってから二、三時間は経っていた。もうフェアや御使い達も寝ているらしく、真空の中にいるように物音一つ聞こえなかった。

 

 横になった状態で窓から外を見ても深夜の空に昇る月は見えないが、その光は思いのほか強いらしく意外と遠くまで見えた。

 

 そうしている内に徐々に瞼が重くなり、ネロの意識は眠りの中に溶けていく。

 

 

 

「っ!」

 

 瞬間、ネロは飛び起きた。反射的にベッドの傍らに置いてあるレッドクイーンを持って戦闘態勢を取る。

 

(なんだ……今のは……?)

 

 先ほどのほんの一瞬、ネロは殺気を感じた。鋭利な刃物のように鋭く、氷のように冷たい殺気だ。だが今は何も感じない。この忘れじの面影亭の中にも見知らぬ者の気配は感じなかった。

 

「…………」

 

 それでも疑念を拭いきれなかったネロは、コートも着ず、手袋も着けぬまま窓を開けて外に出た。そして周囲を見回す。ネロが再び殺気を感じたのはその直後だった。

 

「上……!」

 

 今度は逃がさないとばかりにその発生源を察知したネロは、反射的に屋根の上に跳んだ。

 

「こいつか……!」

 

 ネロが着地した場所とは反対側に、満月を背にした男が立っていた。距離もあり、月光を背にしているため顔は分からないが、それでもネロと同じ銀髪を持ち、青いコートを着て、左手には刀を持っていることは分かった。

 

「…………」

 

 男は一瞬、ネロの異形の右手に視線を移したかと思うと、そのまま何も言わず姿を消した。しかし今度は気配を隠していない。まるで己の存在をネロに知らしめるかのように。それは明らかにネロを誘い出そうとしている動きだ。

 

「上等だ……!」

 

 ネロはその誘いに乗ることを決めた。急いで部屋に戻りコートを着て、ブルーローズを懐にしまった。しかし手袋は着けないまま、ネロは部屋を出た。

 

 フェア達を起こすつもりはなかった。いても邪魔になるだけだ。あの男と戦えるのは自分だけだ。いや、もしかしたら、自分だけで戦わなければならないと、無意識の内に思っていたのかもしれない。

 

 そうしてネロは誰にも声をかけず、静かに玄関から出て行った。

 

「パパ……?」

 

 しかし、そんなネロの姿を幼い竜の子が見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




次回、スパーダ式親子の触れ合いです。



ところでPS4版のDMCHDコレクションを買って3SEを4周ほどやってますが、今のところPS3版にあった進行不可になるバグには遭遇してません。
1、2はまだやってないのでバグの有無はわかりませんが、PS4で3ができるだけでも買った甲斐はありました。

サモンナイトシリーズもそろそろ動きを見せてほしいなあ……。



さて、次話は次の土日には投稿できるよう頑張ります。

ご意見ご感想、評価等お待ちしてます。

ありがとうございました。


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第77話 父と子

 満月の光が降り注ぐトレイユの街並みを、ネロは一人疾走していた。その目は視界にはいないはずの青いコートの男を捉えていた。

 

 その男が一体何者であるか、ネロには皆目見当もつかない。仮にミルリーフを狙うレンドラーやゲックの仲間だったとしたら、わざわざ忘れじの面影亭から距離を置く必要はないため、その線は考えにくい。

 

(となると狙いは俺ってことか)

 

 わざわざ殺気を放ったこと、そして自分を誘い出すかのような動き、それらからも男の狙いは自分であることだと導き出せる。

 

 しかし、その理由が何も思い当たらない。人間界ならともかくここは異世界であり、ネロのことを知っている者も数えるほどしかいないのだ。

 

(直接聞き出すしかないな……!)

 

 思考しつつ、地面を強く蹴って飛翔する。さすがに人目があるかもしれないトレイユの正門を通るつもりはなかった。

 

「さて……」

 

 悠々と門を飛び越えて着地したネロは、男の気配を感じる方を見ながら呟いた。だが、まだ姿を視認することはできない。男がいる場所はシトリス高原と呼ばれるなだらかな丘が続く草原である。その丘が男の姿を隠していたのだ。

 

 だが、男はしばらくの間そこから動いていない。少なくとも、もう移動するのはやめたようだ。それを感じ取っていたネロは歩いて男のいる場所へ向かうことにした。

 

 一つ丘を越えると、すぐに男の姿を見つけることができた。しかし月でも見ているのか、後ろ姿しか見えない。それでもネロがゆっくりと近づくと男は、待っていたとばかりに振り返った。

 

 後ろへ撫でつけられた銀髪にはっきりとした目鼻立ち。総じて整った顔立ちをしているが、その目は並々ならぬ意志の強さと、全てを切り裂くような冷たさが感じられる。それだけであの殺気を放ったのは間違いなくこの男だとネロに思わせるには十分だった。

 

 そして男は、相手を見極めるにために立ち止まったネロへと口を開いた。

 

「You showed up」

 

 低いがよく通り、瞳と同じく背筋が冷たくなるような力を感じさせる声だった。

 

 ネロはその言葉への返答として、寸分の間も置かずブルーローズを突きつけた。

 

「随分と回りくどいことをしたじゃねぇか、何が狙いだ?」

 

 男が質問に答えるとは思えないが、さすがに問答無用で撃つ気にはなれなかったのだ。だが、まともな答えを返さなければ、ネロは突きつけた銃が脅しではないと証明するつもりでもいた。

 

「銃か……」

 

 これまでとは打って変わり、男の言葉にはせせら笑うような侮蔑の意志が込められていた。

 

 それの一瞬の後、ネロは何の躊躇いもなく、ブルーローズの引き金を引いた。僅かの時間差を置いて撃ち出された二発の銃弾が男に向かう。

 

 しかしいつの間に右手で抜いていた刀を盾にするかのように回転させ、男は銃弾を受け止めた。その時、一瞬だけ目を細めて銃弾を見たが、すぐに地面に並べるように二発の銃弾を置くと、それを刀でネロへと弾き返した。

 

 だが、ネロはそれにも十分反応していた。左手でレッドクイーンを振り下ろし、帰ってきた銃弾を正確に叩き落として見せた。そしてそのままレッドクイーンを地面に突き刺し、柄を捻る。エンジンが燃焼するような音が響く。だが燃え上がっているのは燃焼装置だけではない。ネロの闘争本能も燃え上がっていたのだ。

 

「話す気はねぇか……。なら話したくなるようにしてやるだけだ!」

 

 言葉と共にレッドクイーンを構えて突っ込む。それと同時に柄に併設されたクラッチレバーを握り、推進剤を噴射させた。その機構「イクシード」自体はフォルトゥナの騎士に配属される剣カリバーンにも搭載されているが、ネロのレッドクイーンは改造し、推進剤の噴射量を可能な限り高めているのだ。そのせいで噴射の際に炎が漏れ出すが、耐久性に問題はない。

 

 推進剤によって異常なまで加速された斬撃が振り下ろされる。しかし、それほどの加速にもかかわらず、男は顔色の一つすら変えずに左手に出現させた赤熱した岩石のような大剣で受け止めた。

 

「そんなものも持ってんのかよ……!」

 

 忌々しげに舌打ちしつつネロは呟いた。直接剣を交えてみて分かったが、男が持っているのは魔具と呼ばれる魔界の道具、それも相当強力な武器だった。そして右手に握られた刀からも並々ならぬ力を感じる。恐らく刀の方も魔具で間違いないだろう。

 

 只者ではないと思っていたのだが、まさか魔具まで持っているとは完全に予想外だった。

 

 だがネロとしても引くつもりはなかった。刀身をぶつけ合ったまま柄を捻り上げ、イクシードを噴かせる。噴射口からは炎が溢れ出していた。

 

 だが、炎を出したのはネロだけではない。男の持った大剣からも、まるでネロの闘志が伝播されたように炎が迸った。奇しくも、双方とも炎を纏った大剣を左手でぶつけ合っている構図となった。

 

 二人は左手に持った炎の大剣を合わせたまま睨み合い、動きを見せず一種の膠着状態となっていた。しかしそれは、左手に力を込めていたからではなかった。

 

 男は右手に持った刀で斬りかかることくらいはできそうだが、何故か、力を量るかのようにじっとネロに視線を合わせたままであり、ネロもそんな男を警戒して右手の悪魔の腕(デビルブリンガー)を使うことができないでいた。いまだ底の見えない相手に、不用意に殴りかかることはさすがに躊躇われたのである。

 

「仕方ねぇ……!」

 

 それでも、さすがにこのままでは埒があかないと判断したネロは、一旦仕切り直すために男の大剣を弾き上げ、後方に跳躍する。こちらから向かって行ったのに、引くことをなってしまったことは面白くなかったがやむを得なかった。それほどまでにネロはこの男のことを脅威と見なしていたのである。

 

「Humph」

 

 距離を取ったネロに対して男は鼻を鳴らしながら右手の刀を鞘に納め、大剣を右手に持ち替えていた。

 

 ネロもそれに応じるかのようにレッドクイーンを担ぎ、悪魔の腕(デビルブリンガー)を見せつかるかのように胸の前まで上げた。そしてここからは全力で戦うという意思を示すために口を開いた。

 

「Let's rock!」

 

 言葉と同時に悪魔の腕(デビルブリンガー)を男へ向かって伸ばした。しかし、それに反応していたのか男は大剣を使いそれを防いだ。

 

 ネロにとっては悪魔の腕(デビルブリンガー)で掴み寄せられるのがベストだったが、それを許すほどの相手とも思えない。そのため、そうなった時のことを考えていたのだ。

 

「逃がさねぇ!」

 

 ネロの右腕はそれを防いだはずの、男の大剣をがっしりと握っていた。それと同時に、ネロは跳びながら右腕を元に戻した。まるで伸びたゴムが元に戻るかのような勢いで男に突っ込みながら、ネロは左手でレッドクイーンを構えた。

 

 それを防ぐための大剣はネロが押さえている。つまり男がこの攻撃から逃れるには大剣を捨てるしかないのだ。

 

 ネロとしては大剣を捨てようが、レッドクイーンの攻撃を受けようがどちらでもよかった。どっちに転んでも不利にはならないのだ。

 

「…………」

 

 男は無言のまま大剣に炎を纏わせた。どうやらその炎は質量を持っており、ネロの右腕は大剣から引き剥がされてしまった。

 

「チッ……!」

 

 舌打ちしつつもネロはレッドクイーンを振るうが、男は直撃する前に後方へ飛び難なく避けた。

 

「どこかで見たことある炎だ……」

 

 ネロは今も男の大剣に纏う炎を、再び?忌々しげに見ながら吐き捨てた。「どこかで」と言っているが。実際のところネロはその炎を持った悪魔のことを知っていた。

 

 それは数年前に魔剣教団の教皇が引き起こした事件の際に、戦ったベリアルという悪魔が纏っていた炎と同質のものだった。男の大剣は同じような炎を出す能力があるようだ。それがベリアルを殺して魔具にしたのか、あるいは偶然同じような力を持っている魔具なのかは不明だが、男の実力ならベリアルを殺し魔具にしたと考えた方がすっきりするように思える。

 

 ネロがそんなことを考えていると、男は何かに気付いたのか視線ネロの後方に向けながら口を開いた。

 

「例の竜の子か、その他にも何人かいるようだが……」

 

「っ、何だと……!」

 

 男の言葉にネロは目を見開き、次いで苦虫を嚙み潰したような顔を浮かべた。気付かれないように出てきたつもりだったが、誰かに見られていたらしい。男のことに集中しすぎて、注意力が散漫になっていたのかもしれない。

 

(あいつらが来る前に何とか……)

 

 今のフェア達では戦ったところで勝ち目はないと判断したからこそ、一人でここまで来たのだ。何としてもこの男と戦わせてはならない。そうネロが思った時、あることに気付いた。

 

「例の竜の子……?」

 

 ネロは男が口にした言葉を繰り返す。竜の子といえばミルリーフのことだと思うが、男がなぜそのことを知っているのかは分からない。

 

「やはり貴様らのもとにいたか……」

 

 男は質問に答えない。だが、ネロ達がミルリーフを守っていることを知っているのは、トレイユにいる者を除けばほんの一握り。レンドラーやゲック達のようにミルリーフを狙っている者達だけなのだ。

 

 それだけでもこの男はミルリーフを狙う者達の仲間であると判断するには十分だった。ここに来た時は、男の狙いは自分だとばかり思っていたが、自分を排してからミルリーフを奪うという算段だったとすれば、理屈は通る。

 

「それを知ってるってことは、俺があいつをテメェらみてぇな奴らに渡さねぇってことも分かってるよなぁ!」

 

 ミルリーフが狙われていると悟ったネロの心に、これまで以上の闘志が湧き上がる。こんな慈悲の欠片もないような冷徹な男にミルリーフを渡せるわけなどない。

 

 男へと跳躍し、ネロはレッドクイーンを振るう。先ほどと同じようにイクシードを使いつつだ。

 

 しかし、その一撃を当てることは叶わなかった。それでもネロは先ほどのように引きはしなかった。イクシードにより強烈な加速がかかっているレッドクイーンを流れるように操り、次の斬撃へと繋げていく。

 

 だが、今のレッドクイーンを操れるのは簡単なことではない。天性の才能を持ったネロにしかできぬことだ。それはレッドクイーンと同じ改造を施したものはフォルトゥナの騎士団長も含めて誰一人いないことからも明らかだろう。

 

 だが、そのネロの連撃をもってしても男には一撃も当てられない。全て躱されるか右手に持つ大剣で防がれるかのいずれかでしかなかった。

 

「ネロ!」

 

 後方からフェアの声が聞こえる。いつの間にここまで接近していたようだ。予想以上の速さだ。

 

「もういい」

 

 次いで男の言葉が耳に入った。何がもういいのかはわからないが、少なくとこの戦いを切り上げるような意味でないのは間違いない。

 

「っ……!」

 

 フェアの接近と男の不穏な言葉に、ネロは仕方なく、あえて男の大剣にレッドクイーンをぶつけることで、男の動きを阻害することにした。どの程度効果があるかは分からないが、何もしないよりはマシだ。そして後ろを振り向いて叫んだ。

 

「来るんじゃ――」

 

 来るんじゃない、そう叫ぼうとした瞬間、ネロは腹部に強烈な、高圧の電撃が走るような痛みを感じた。下半身に流れ出た血が伝う感触を感じながら、ネロは何とか正面を向いた。

 

 男はいつの間にか大剣を左手に持ち替えていて、右手で腰にぶら下げた鞘から刀を抜いていたのだ。ネロの腹に突き刺さっていたのはその刀だった。

 

(くそが……!)

 

 まだネロの戦意は衰えを見せていなかった。しかし、体の方はそうはいかない。まるで全身に鉛がこびり付いているかのように、どんどん重くなっていったのだ。

 

(キリ、エ……)

 

 頭も重くなり、俯き薄れゆく意識の中、ネロは想い人の名を呟いた。人間界で自分の帰りを待っている大切な人。

 

 ここで死んでは二度と会うことはできなくなる。そんなのは嫌だった。

 

 しかしそれとは裏腹にネロの意識はどんどん薄くなっていった。

 

「――――!」

 

 もはやネロは自分の名を呼ぶ声さえ聞こえなくなっていた。

 

 それを合図にしたかのように刀が引き抜かれる。同時にネロの体はちょうど仰向けに倒れるように傾いていった。視界もそれに合わせて地面から男の足、腹へと移っていき、そして顔が目に入る。男は相変わらず表情一つ変えず、その目は冷たかった。

 

(こいつ……)

 

 だがネロはその目の中に冷徹さとは別の感情が秘められているのに気付いた。

 

 けれど、それが何かは分からなかった。

 

 それでも、きっとこの男は自分と何らかの繋がりのある人間だ。

 

 ネロがそう確信するのと、彼の意識が闇に溶けていったのはほぼ同時だった。

 

 

 

 

 

 ネロを刺した男、バージルは草原に仰向けに倒れた自らの息子を見下ろした。

 

 この一連の動きは全てバージルがネロと戦うために仕組んだものだった。

 

 余計な邪魔を入れないために、真夜中にネロにだけ殺気を浴びせ、このシトリス草原まで誘い込んだのである。

 

 そこまでして戦いたかった自分の血を引く息子は、確かに悪くはなかった。あの年にしては技量もある方だし、単純なパワーも自分とほぼ互角だ。特にあの右腕の力には目を見張るものがある。

 

 ネロ自身には魔人化する力はないようだが、右腕だけは別だ。あの腕からはまるで魔人化しているような力を感じるのだ。

 

(血の薄さからか、あるいは腕に傷でも受けたか……)

 

 ネロの腕についてバージルは思考する。自身や弟はこのようなことは起きなかったことを考えると、体に流れる悪魔の血の影響とも考えられるが、同時に腕に悪魔の攻撃を受けたことで、自己防衛反応を引き起こし変質したとも思われたのだ。

 

(感情的になるのが欠点だが、まあ及第点、といったところか)

 

 閻魔刀の根元までついたネロの血を振り払う。そして口元を緩めながら胸中で自身の息子をそう評した。やはりバージルは、己の血を引くのなら強くあらねばならないと考えているようだった。

 

 身体能力については言うことはないし、技量も年齢相応。だが精神面においては高い評価を与えることはできなかった。特に仲間が迫っていると知ってからの決着を急ぐような戦い方は、甘すぎると言わざるを得ない。

 

 それまでの戦いでネロは自分の力量を少しは感じ取っていたはずだ。それなのに攻め急いだ。よほど自分と仲間達を戦わせたくなかったのだろうが、それでもあのがむしゃらに攻めるだけというのはいただけない。

 

 もちろんバージルとて熱くなるなとは言わない。感情がもたらす力の大きさは彼もよく知っているためだ。彼が気にしているのは遮二無二攻めるという戦い方だ。これでは感情が力をもたらしても、それを生かすことなど出来はしないのだ。

 

 こうした点はベリアルとの戦いの中で、心は怒りに燃えていても戦闘においては普段以上に冷徹だったバージルだからこそ、気になったことなのかもしれない。

 

 一息ついたバージルは閻魔刀を手元で回転させてから鞘に戻した。

 

「ネロっ!」

 

「パパっ!」

 

 その時、ようやく到着したらしい白い髪をした少女と竜の子がネロに駆け寄る。その二人に続いて、さらに倒れ伏したネロをバージルから守るように立ち塞がった。

 

 その中の一人がバージルを見て顔を驚愕の色に染めた。

 

「バ、バージルさん……!?」

 

 自身の名を呼ばれたバージルは視線をその声の主に向けた。

 

「……ミント・ジュレップか」

 

 彼女とは知らぬ間柄ではない。ゼラムにいた頃には一度とはいえ共に蒼の派閥の仕事をしたこともあるし、その際にポムニットと親交を深めたのか、よく訪ねてきたこともあったため、名前は記憶していたのだ。

 

「どうして、こんな……」

 

 リビエルが必死の形相で治癒をかけているネロを見たミントが震える声で尋ねた。彼女の知るバージルは、何の考えもなしにこんなことをする人ではなかったはずなのだ。

 

「すぐにわかる」

 

 そもそもバージルがネロの腹を刺したのは、力の覚醒を促すためだった。

 

 他の悪魔はどうか知らないが、スパーダの血を引く者は生まれながらに全ての力を引き出せるわけではない。未熟な体を守るかのように血に宿る強大な力は封印されたように眠ったままなのだ。そして、それを解放するためには死にかける程の強力なショックが必要なのである。

 

 実際、弟ダンテはバージルに刺されたことがきっかけで悪魔の力に覚醒したし、バージルも似たようなものだった。そしていまだ右腕だけという中途半端な力しか目覚めていないネロも、これで更なる力が目覚めるはずだ。

 

 ただ気になるのは、ネロの悪魔としての力がどのような形で発現するかだ。己や弟のような形か、あるいはそれとは異なる形となるか、それを確認する必要がある。バージルがこの場に残っているのはその理由からだった。

 

「よくもネロを……、絶対許さないんだから!」

 

 先ほどまでネロの側で座り込んでいたフェアは、ネロを刺したことなど気にしてもいないようなバージルの言葉を聞いて、怒りが込み上げてきたのか大声で叫んだ。

 

「貴様らに用はない、消え失せろ。さもなくば……」

 

 閻魔刀の鍔を左の親指で押し上げながら言う。ネロの仲間にも竜の子にも興味はないため、立ち去るなら何もするつもりはなかった。しかし同時に、邪魔をするのであれば躊躇いなく斬り捨てるつもりでもあったのだ。

 

「っ……」

 

 バージルの迫力に押され、フェアは少し後ずさってしまった。それでもネロをここに置いていくなんてできない。それを口にしようとした時、彼女のすぐ後方、から大きな衝撃と光が伝わってきた。

 

 それこそがネロが覚醒した証だった。

 

 

 

 

 

 深い闇のまどろみの中で、右腕が悪魔の腕(デビルブリンガー)となる前の夜に夢を見たことをネロは思い出した。

 

 キリエを危険に晒したことを悔いて、力が欲しいと願い、見た夢だった。

 

 その夢で自分に語り掛けた男が、たった今自分を刺した青いコートの男だった。

 

 なぜ今になって何年も前の夢のことを思い出したのかは分からない。それでもネロは今まで忘れていた、いや、気付かないふりをしていた魂の叫びを感じ取った。

 

 それは夢に出てきて、今は自分を刺した男、そして自分に近しいと感じる青いコートの男と同じ叫び。

 

「もっと力を……!」

 

 それを口にした時、ネロの中で燻っていた命の炎が一気に燃え上がった。そしてネロの周りの闇も一気に吹き飛ばした。

 

「ッ……!」

 

 赤い光を放つ両目を開き、ネロは覚醒した。その際に発生した衝撃と光によって、近くにいたリビエルとミルリーフは悲鳴を上げた。他の仲間達にはさほど影響はなかったが、驚きと畏怖を込めた目でネロを見ていた。

 

「ネ、ネロ……」

 

 フェアも仲間と同じような感情を込めた声で名前を呼んだ。彼女や仲間が何に対して驚いたのか、ネロには聞かなくとも分かった。もう一人の自分、あるいは己の力の象徴ともいえる青白い光を放つ悪魔。それがネロの後ろにいたのだ。

 

「ほう……」

 

 しかしバージルはフェア達とは対照的に、感心したような声を漏らした。ネロから感じる力は紛れもなく悪魔である自分と同種の力なのだが、このような形で力が発現するとは思いもよらなかったようだ。

 

「スカしたツラしやがって……」

 

 ネロは余裕ある態度を崩さないバージルが気に食わなかった。それはつまり自分に起きた変化さえこの男は予想していたとも取れ、最初から今に至るまでこの男の手で踊らされていた可能性すらある。

 

 元より気が長くはないネロは、ここで何もしないという道は選べなかった。自分を守るように立っていた仲間の間を縫って、バージルの前に立った。

 

「悪いが、好きにさせてもらうぜ」

 

 仲間にそれだけ言い残すとネロはレッドクイーンを無造作に構えると再びバージルに向かって駆けた。そして先ほどと同じようにレッドクイーンを振り下ろすが、それに合わせるかのように背後の悪魔もネロと同じ動作で剣を振り下ろした。

 

「っ!」

 

 それを避けずに閻魔刀で受け止めたバージルは、このリィンバウムという世界に来て初めて押し勝つことができなかった。むしろネロの剣圧に閻魔刀を押し戻されたのである。単純な力比べでは、魔人化されると分が悪いようだ。

 

 ネロはそれを好機と見たのか、畳みかけるようにレッドクイーンを振るった。しかしバージルは受け止めるつもりはないようで、全て躱すか、いなしていった。それ以外にもネロと同じように魔人化し、正面から迎え撃つこともできたが、それをするつもりはないようだ。

 

 バージルにとってネロは様々な意味でも、魔人化してまで戦う相手ではないのである。

 

 実際にバージルは何度目かの振り下ろす斬撃を寸前のところでネロの横に回り込んで回避すると、彼の腹を閻魔刀が収められた鞘で殴りつけた。背後の悪魔によって攻撃力は相当強化されたネロだったが、バージルやダンテのように肉体自体は強化されていないようで、痛みで動きが鈍る。

 

 バージルはこの好機を逃さず、さらに鞘でもう一発殴りつけると、そのまま右手で服ごと持ち上げ、投げ技の要領でネロを地面に叩きつけた。

 

「クソッ……!」

 

 地面に叩きつけられたネロは肩で呼吸をしているものの、意識までは失ってはいなかった。だが、これ以上戦うつもりはないようで、己のみっともない姿を悔いているのか拳で地面を叩いた。

 

 それで諦めがついたのか、ネロは荒くなった息を整えながらバージルに尋ねた。

 

「本気じゃないだろ、あんた」

 

 刀を抜かせたのも最初の一回だけであり、それ以降バージルは鞘と体術のみで力が覚醒したネロを抑え込んだのだ。こんな扱い受けたのはフォルトゥナの事件の際に戦ったダンテ以来だった。

 

「当然だ」

 

 バージルは断じた。確かに魔人化や閻魔刀を使っていないため、その言葉は間違いではないが、ネロが力を覚醒してからは手加減などしていなかった。もう少し時間がかかっていれば息切れくらいは起こしていたかもしれない。それだけの強さがネロにはあったのだ。

 

「こっちは全力で、殺す気でいってこのザマだ」

 

 自分ではこの男に勝てない。そう認めるしかなかった。

 

「貴様も悪くはなかった。その力をうまく使えればもっと強くなるだろう」

 

「……そりゃどうも」

 

 バージルの思いがけない言葉に目を瞬かせた。

 

 だがその次の言葉にネロはさらに驚くことになった。

 

「……貴様が望むなら、人間界まで連れて行ってもいいが?」

 

「は?」

 

 あまりにも呆気なく口に出た言葉にネロは思わず聞き直してしまった。なぜネロが人間界から来て、かつ帰りたがっていることを知っているかもそうだが、少なくともネロが知る限り、この世界から出るのは限りなく不可能に近い。間違っても隣町にいくような感覚で行けるところではないのだ。

 

「近々人間界に行くのでな。帰りたいのなら連れて行こう」

 

「そんな方法があるなら是非教えてもらいたいね」

 

 ネロはあえて返答を避けた。今さらこの男が嘘を言うとも思えないが、かといってすぐさま飛びつくことはできなかったのだ。バージルが言うように簡単に移動できるのであれば、はぐれ召喚獣の問題などとうに解決しているだろう。

 

「……知らないのか? そいつらと共に居て」

 

「……何のことだ?」

 

 バージルがネロの後ろにいる御使い達に視線をやりながら言った言葉に、思わずネロは聞き返した。

 

 それを聞いたバージルはネロと御使い達の関係を察すると、僅かに憐みの視線をネロに向けると口を開いた

 

「なるほど、利用されているだけか。……まあいい。ラウスブルグが正常に稼働すれば、別の世界に移動することができる。……当然、人間界に行くことも可能なわけだ」

 

 バージルはネロが人間界へ送ることを条件に協力しているとばかり思っていた。しかし、ラウスブルグの力を知らないらしい彼の反応を見て、力を利用されているのだと判断したようだ。

 

 人間界出身であることを話していないことなど知る由もないバージルにとっては、そう考えるのが自然だったのだろう。

 

「…………」

 

 バージルから話を聞かされてもネロは沈黙と保ったままだった。人間界へ行く方法がまさかこんな身近にあったことに、驚きを隠せないようだ。

 

「今すぐに答えろとは言わん。しばらく時間をやる。次に会う時まで考えておけ」

 

 沈黙を思考と捉えたバージルは少し時間くらい与えても構わないと考えて言うと、踵を返してこの場から離れていった。

 

 バージルがラウスブルグを「世界を渡る船」として使えるようになるまで、もう少し時間がかかる。当然それまで待つのは可能だし、場合によってはもう少し時間を与えても構わなかった。

 

 最初の人間界へ送っていく提案といい、こうした条件は()()バージルが出すものにしては破格のものだった。しかも見返りを求めてもいないため、かつてのバージルを知る人物なら目を丸くするに違いない。

 

(我ながら甘すぎるか……)

 

 とはいえ、それはバージルも自覚しているところだった。少なくとも力を覚醒させたことや、先ほどの提案をしたこと、どちらもバージルに利することではないのは確かなのだ。

 

 それでも、ネロにそうしたのは彼が自身の血を引く者であり、バージル自身、アティやポムニットと暮らしてきて「家族」というものに特別な想いを抱いているからかもしれない。

 

 なんにせよバージルは、甘い対応をしたという自覚はあるものの、それ自体に後悔はしていないのだけは間違いのないことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




ネロのスパーダ式成人式をお送りした77話でした。

バージルも息子と遊べたうえに、成長を実感できてきっとご満悦でしょう。



さて次回は4月15日(日)に投稿予定です。

ご意見ご感想、評価等お待ちしてます。

ありがとうございました。


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第78話 日の目に曝して

「あの野郎、言うだけ言って帰りやがった……」

 

 バージルが去った後のシトリス草原で、ネロは愚痴を吐いた。いろいろと聞きたいことがあったのだが、結局何も聞けずじまいだ。それどころか新しい力に、人間界へ帰還できる可能性と、こちらが混乱するようなことばかり残していったのだ。

 

「ネロ、あのさ……」

 

 そこへフェアがどこか遠慮がちに声をかけてきた。視線はやはり悪魔の腕(デビルブリンガー)に向いている。

 

 それに気付いたネロはばつの悪そうに頭を掻きながら言った。

 

「あー、この腕のことだろ? それも含めて説明するから、まずは戻ろうぜ。まだこんな時間だしよ」

 

 ネロが忘れじの面影亭を抜け出してからまだ一、二時間ほどしか経っていない。空から降り注ぐ月の光のおかげで、灯りのない草原でも視界は十分確保できるが、それでも話をするのに向いている環境ではない。

 

「あ、う、うん。そうだね……」

 

「店主よ、ならば話は夜が明けてからではどうだ?」

 

 そこでセイロンが提案した。ネロはともかく他の者は寝ているところを起こされてここにいるのだ。一息入れる時間も必要だろう。

 

「そうしてくれた方が僕達も助かるね」

 

「そうね、パパに内緒でこっそり抜け出して来たし」

 

 話を聞く限りリシェルとルシアンは、少なくとも起床の時間までは戻らないとマズそうであり、セイロンの提案に賛成するのは当然だろう。

 

「よし、なら集合は朝飯食べてからってことで」

 

 他の者も反対意見を表明する者はいなかったため、グラッドが確認するように言った。

 

「こっちも色々と聞いとかなきゃな……」

 

 そうして、とりあえずトレイユに戻ろうとみんなが歩き始める中、ネロは右腕を隠すようにコートの袖を下ろしながらぼそりと呟いた。

 

「え? 何か言った?」

 

「いや、何でもねぇよ。さっさと戻ろうぜ」

 

 呟きを僅かに聞き取ったらしいフェアが尋ねるが、ネロはしらをきって誤魔化した。さっきの呟きは考えていたことが口をついて出ただけなので、詳しく答えるつもりはなかったのだ。

 

「…………」

 

 フェアに帰るよう促して、ネロも一番後ろを歩いて行く。ただ、その視線は御使い達とミントに集中していた。ネロが話を聞きたいと思っている者達である。

 

 御使い達から聞きたいことは、バージルが言ったラウスブルグを使えば人間界に行けるか、という点だ。そしてそれが事実だった場合、なぜ黙っていたかも気になるところだ。

 

 結果的にとはいえ、自分もリィンバウムの人間でないことを隠していたのだから、御使い達のことを言えないのは理解しているが、それはわざわざ隠す必要があることなのかと思ったのだ。

 

 そしてミントからは、バージルという人物についてだ。そもそも「バージル」という名前自体ミントの口から出て初めて知ったのである。それにバージルの方もミントのことを知っていた様子だったため、少なくとも二人は顔見知りであることは間違いないだろう。

 

(バージル、か……)

 

 ただ黙々と歩きながら胸中で名前を呟く。これまでそんな名前の人物と会ったことも聞いたこともない。しかし、ネロはそのバージルに対しては奇妙な親近感を抱いていたのだ。

 

 バージルに刺された時にも感じた繋がりがそうさせていることには気付いていたが、その繋がりを適切に表現できる言葉を見つけることはできないでいたのだ。

 

「どうしたの、パパ? 刺されたとこ、痛いの?」

 

 思考に沈んでいたネロにミルリーフが駆け寄ってきて声をかけた。今でこそ血も流れていないし普通に歩いているが、ネロはさきほど体を貫かれたばかりなのだ。そんな彼が最後尾で浮かない顔をしていたから、ミルリーフは気になったのだろう。それに前を歩いた何人かもその言葉に反応して振り向いていた。

 

「心配すんな、もう平気だ」

 

 ネロはミルリーフだけでなく、こちらを見ている者達にも聞こえるように言った。もちろんそれは強がりではなく、本心からの言葉だ。

 

 確かに自分の身に起こったことに何も感じていないと言えば嘘になるが、それでもネロは右腕もそして背後に現れた「悪魔」も自分の一部であると認めていた。

 

 そんな心境でミルリーフの頭をいつものようにぽんぽんと右手で撫でた時、ネロはしまったと思った。右手は悪魔の腕(デビルブリンガー)と自称する異形なのだ。

 

 ネロ自身はもう何とも思っていないため、ミルリーフのことなど考えずに右手で撫でてしまったのだ。現にミルリーフの視線は先ほどからネロの右手に釘付けだった。

 

「あー、その……」

 

 さてどう謝ったものかとネロが思案する中、ミルリーフは口を開いた。

 

「ねぇパパ、それ、触ってもいい……?」

 

 どうやら先ほどから右手を見ていたのは、好奇心を刺激されたからのようだ。どうやらミルリーフは畏怖や恐怖より好奇心が勝る年頃のようだ

 

「…………」

 

 先ほど心配は何だったのかと脱力したネロは、無言で右手を差し出した。

 

「わ、硬い……」

 

 ミルリーフは撫でたり指先で突いたりしながら悪魔の腕(デビルブリンガー)の人間の皮膚とは異なる感触を味わっていた。

 

「足が止まってるぞ、まずは歩け」

 

「うん……」

 

 明らかな生返事ではあったが、それでもネロが歩くとそれに合わせてついてくるため、トレイユの町までの道がなだらかな勾配しかないことも手伝って、仕方なくそのままでいさせることにした。

 

 そんなミルリーフの反応を見てネロは、「子供は怖いな」と一人苦笑するのだった。

 

 

 

 

 

 忘れじの面影亭に戻ったミルリーフはさすがに眠くなったのか、フェアに連れられ部屋に戻って行った。そして御使い達も同様に戻って行ったが、その前になにやら深刻な様子で話をしていたので、これから三人だけで話し合いでもするだろう。

 

 もしかしたらセイロンが、全員で話をするのは夜が明けてからと提案したのは、その前に御使い達だけで話し合う時間が欲しかったからかもしれない。

 

「まずは話を聞いてからだな」

 

 一息つくために座った椅子の上で、足を組みながらぼそりと言った。御使い達だけでする話の内容は、なんとなく察しがつくが、深く考えるつもりはなかった。きっと彼ら三人なら話してくれる、何となくそう思っていたのだ。

 

「…………」

 

 手持ち無沙汰に足を組み直す。寝ることも考えたが、眠気などまったくないし、横になろうとも思えなかったのでとりあえず食堂で夜明けを待つつもりだったのだが、さすがに暇すぎて時間を持て余していた。

 

「…………」

 

 さらにまた足を組み直す。ある種の癖のようなものだ。

 

 そして今度は背もたれに寄りかかる。その時、ふと右手に意識が向いた。

 

「あの力……」

 

 自分の背に現れた悪魔。もう一人の自分。不思議なことにネロはそれを出現させる方法が手に取るように分かっていた。

 

 それを証明するかのように、ネロは立ち上がり意識を集中させると背後に先ほどの悪魔が現れた。思った以上に簡単にできたと、ネロは少しばかり口元を綻ばせた。

 

「ど、どうしたの!?」

 

 そうしていると食堂にミルリーフを寝かしつけたフェアがやってきた。そしてバージルと戦った時のようになっているネロを見て、戸惑いの声を上げた。

 

「ちょっと試してみたくてな……」

 

 力を自身の中に戻しながら言い訳めいた言葉を放ったネロだったが、確かにこんなところですることではないと反省もしているようだった。

 

「も、もう! びっくりさせないでよ!」

 

「悪いな。……で、お前は寝ないのか?」

 

 今のフェアは髪を下ろしている。これは寝る時にしかしない髪型なのだ。

 

「そうじゃなくて、灯りが点いてたから、まだ誰か起きてるのかなって……」

 

 どうやらフェアがここまで来たのは、ネロが灯りを点けっぱなしにしていたことが原因のようだ。消すのも面倒だったため、そのままにしていたのが悪かったようだ。

 

「悪かったな、気を付ける」

 

「ううん。いいの、気にしないで」

 

 自分の不作為が原因と気付いたネロは素直に謝ると、フェアは慌てて首を横に振った。彼女は別に咎めていたつもりはなかったようだ。

 

「…………」

 

「…………」

 

 そして話はそこで途切れ、二人の間には沈黙が訪れていた。

 

 ネロは寝間着を着ているフェアを引き留めるのは悪いと思ったため、声をかけなかっただけだが、フェアは明らかに先ほどのことを引きずっている様子だった。

 

 刺し貫かれたにもかかわらず、得体のしれない存在を背に立ち上がったネロを間近で見たフェアが抱いたのは恐怖だった。自分のことを見ているわけではないのに赤い光を放つネロの目を見た瞬間、彼女は初めてネロのことを「怖い」と感じたのだ。

 

 それまでのネロに対するフェアの印象は、口は悪いが優しくいい人、というものであったが、その時に感じたのはそれとは真逆のものだったのだ。

 

 そしていまだにその時の恐怖が記憶に焼き付いており、ネロへの態度もその影響を受けてしまっているのだ。

 

「あー、俺はしばらく起きてるからお前は寝たらどうだ?」

 

 この沈黙に耐えきれなかったネロは、とりあえず当たり障りのない言葉をかけることにした。

 

「う、うん、そうする。おやすみ、ネロ」

 

 やはりどこかぎこちない様子で答えたフェアは、踵を返して自分の部屋に戻るべく、食堂を出て行こうとした。

 

「あのさ……」

 

「なんだ?」

 

 しかし、食堂の入り口で立ち止まったフェアから声をかけられたネロは、訝しむような顔をしながら聞いた。

 

「ネロは、ネロだよね……?」

 

 弱弱しい不安げな声で尋ねる。自分の知るネロ、先ほどの恐怖を感じたネロ、一体本当のネロとはどちらなのか、確かめたかったのかもしれない。

 

「俺は俺だ。これまでも、これからもな」

 

 この腕のせいで一時は自分が何者か迷ったこともある。しかしキリエのおかげで、今では誰の血を引いていても己を見失うことは、迷いを抱くことはないのだ。

 

「……うん、そうだよね、ありがとう」

 

 そしてもう一度「おやすみ」と言い残してフェアは部屋に戻って行った。その足取りは心なしか少し軽くなっているように見えた。

 

 

 

 

 

 夜が明け、朝食を食べ終えた仲間達は、忘れじの面影亭の食堂に集まっていた。

 

「さて、まずは俺からでいいよな」

 

 まずはさっさと自分から言ってしまおうと思ったネロが、冒頭から発言した。当然、それに異議を唱える者はいない。

 

「詳しくは知らねぇが、どうも俺は悪魔の血を引いてるみたいでな。昨夜俺の背に現れたのも、この腕も悪魔の力みたいなものだと思う」

 

 ネロ自身、背の悪魔にしろ、右腕が変質したことついても確たることはなにも分かっておらず、推測で話を進めるしかなかった。

 

 そして、当然それが気になる者もいた。

 

「詳しく知らない? 自分のことなのにか?」

 

「俺は生まれてすぐ孤児院に捨てられたらしいんだ。だから親については何も知らないし、周りも普通の人間しかいなかったから、あまりよく分かってないんだ」

 

 アロエリの疑問にネロは嫌な顔一つせず答えた。ただ、よく分かっていないのはあくまで悪魔の力の由来であり、力の使い方はよく知っていたが。

 

「その……すまない」

 

「気にすんなって」

 

 あまりにも込み入ったところにまで話が及んでしまったことにアロエリが頭を下げると、ネロは自分が全く気にしてないことをアピールするかのように軽く流し「……で、だ」と次の話に移ることにした。

 

「たぶん気付いている奴もいると思うが、俺はここの生まれじゃない。人間界――ここで名もなき世界って言うのか? まあ、とにかくそこのフォルトゥナってところの生まれでね」

 

 リィンバウムで「名もなき世界」と呼ばれている世界がネロの生まれ育った世界であるかは、いまだ疑問の余地があるため、ネロも断言するのを避けたようだ。

 

「それじゃあ、ネロさんも召喚獣ってこと?」

 

「ここじゃあそうなるな」

 

 それを聞いた皆は、やはり驚いたような顔をする者が多かった。ただ、その中でセイロンだけは頷くような素振りを見せた。彼はネロと初めて会った時に、何かに勘付いたようであったため、彼が普通の人間ではないと思っていたのかもしれない。

 

「その腕を隠してたのは召喚獣だってバレないようにするためってことか?」

 

 ルシアンの質問に答えたかと思うと、今度はグラッドが腕を隠していた理由を確認する。普通の人間と召喚獣では扱いが大きく異なることを彼は知っていたのだ。

 

「まあ、そんなもんだ。……一応言っとくと、俺のいたところでも自分以外にこんな腕見たことねぇからな」

 

 ネロは首肯すると同時に、釘を刺すように言った。そもそも人間界に住んでいるのはリィンバウムと同じ人間である。自分のような者ばかりいる世界と想像されるのも困るのだ。

 

「まあ、あなたみたいのがごまんといる世界なんて想像したくもありませんけど」

 

 リビエルが何気にキツイ言葉を吐いたが、ネロはそれには答えず話を進めることにした。

 

「……それで、十日くらい放浪してたらお前らに会ったってわけだ」

 

 フェア達を顎で示しながら言うと、グラッドは苦笑いをしながら口を開いた。

 

「それにしちゃ、随分馴染んでいたよな。全然気付かなかったぞ……」

 

 初めて会った時のネロは、旅人か冒険家と言われればそのまま信じてしまいそうなほどリィンバウムの空気に馴染んでいたのだ。その時のネロが召喚されてから十日ほどしか経っていないなど信じられなかった。

 

「言葉は通じるし、そんなに俺のいた世界と違いもなかったしな」

 

 人間界とリィンバウムでは技術という視点では大きな差があるものの、基本的な社会の構造や貨幣経済は共通していたため、何とかなったのだ。これにはデビルハンターとして、世界各地を回った経験が生きているのかもしれない。

 

 とはいえ、ネロも都市間の移動が馬車というのにはさすがにまいった。金の問題から歩くしかないという現実を知った時は、思わずぽかんと口を開けてしまったほどだ。

 

「そういえばネロを召喚した人はどうしたの? まさか逃げてきたとか?」

 

 ネロが召喚されたということは、彼を召喚した者がいるという事実に気付いたフェアは尋ねた。ミントのような召喚師なら事情を話せばすぐに送還してくれそうだが、召喚獣を道具としか考えてないような召喚師なら大変なことになっただろう。主に召喚師の方が。

 

 当然、フェアが言った「逃げてきた」とは、召喚師のもとからの脱走してきたではなく、召喚師をぶん殴ったことで追われる身となったという意味である。

 

「知らねぇ、仕事の下調べをしていたら、いつの間にかここにいたんだ。周りにもそれらしい奴は誰もいなかったしな」

 

「うーん、どうしてだろう……?」

 

 普通の召喚術とは明らかに異なる状況に現役の召喚師であるミントは首を傾げた。

 

「ねぇねぇ、パパってどんなお仕事してたの?」

 

 そこにミルリーフが興味津々といった様子で聞いてきた。

 

「あー、デビルハンター、悪魔を退治する仕事だ」

 

 ネロは一瞬誤魔化すべきか逡巡したが、右腕のこともあり正直に話すことにしたようだ。

 

「悪魔……」

 

「たぶんお前が思っているような悪魔じゃない」

 

 リビエルが悪魔と言う言葉を聞いて、天使の不倶戴天の敵を浮かべたのを感じ取ったネロはそれを否定した。ネロの退治する悪魔はサプレスの存在ではなく、魔界の悪魔なのだ。

 

「それって、僕が生まれる前くらいから現れるようになったっていう奴らのこと?」

 

「ああ、確かエルバレスタ戦争にも大量に現れたんだっけ」

 

 ルシアンの言葉を聞いたリシェルは思い出したように言った。悪魔によって齎された被害は人的、物的ともに甚大だが、軽い口調で言ったのは二人とも生まれてから今まで悪魔の脅威に晒されたことがないためだった。

 

 実際、トレイユはそうした悪魔の出現はなく、特にここ最近はトレイユのみならずリィンバウム全土で悪魔が現れたという話も聞こえなくなったため、ブロンクス姉弟のみならず、フェアも悪魔のことはよく知らなかった。

 

「確か、お兄ちゃんやお姉ちゃんはその悪魔と戦ったことがあるんだっけ?」

 

「……まあな」

 

 フェアは特に考えもなく、いつか聞いた話を思い出して尋ねただけだったが、ミントは困ったような顔をしており、グラッドも暗い顔をしながら頷いて続けた。

 

「俺が戦ったのは、戦争のすぐ後、各地にその悪魔が現れるようになった時だ。……俺がいた部隊は急に現れた悪魔に奇襲を受けてな。他の部隊から救援を受けてなんとか倒したんだが、生き残ったのは半分もいなかったよ……」

 

「お兄ちゃん……」

 

 溜息を吐いたグラッドは独白染みた言葉を閉めた。それを聞いたフェアは、なぜ彼が暗い顔をしていた理由を知った。彼は悪魔との戦いで多くの同僚を、それも同じ釜の飯の食ってきた戦友を数多く失ったのだ。

 

 彼が駐在軍人の道を選んだのは、あるいはこの辺りのことが関係しているのかもしれない。

 

「……その悪魔ってのは、どういう奴だった?」

 

 グラッドに悪いとは思いつつもネロは尋ねた。これまでの言葉だけでは、それが本当に魔界の悪魔が分からなかったのだ。

 

「すまん、その時は夢中で戦ってから相手のことはあまり覚えてないんだ。確か、ローブみたいのを羽織って、デカイ鎌を持っていたとは思うんだが……」

 

 もう何年も前のことであるし、極限状態の中で特徴的な部分以外を記憶していないのはやむを得ないことだろう。一応その特徴はセブン=ヘルズに合致するが、魔界の悪魔が存在する根拠としてはまだ弱い。

 

「……私もいくつか見たことあるよ」

 

 そこに意を決したようにミントが声を上げた。

 

「あの戦争の時に見たのは、白い体に赤い筋みたいのが入っていて、大きな赤い鎌を持った悪魔。その前にも一人でに動き回る人形みたいな悪魔と、ヤギみたいな顔をして、言葉を話す悪魔も見たことあるよ」

 

「喋れる悪魔はそこそこ強いんだが……よく助かったな、あんた」

 

 ミントが戦争の時に戦った悪魔はわからなかったが、その他についてはマリオネットとゴートリングだろうとあたりをつけたネロは、感心したようにミントに言った。マリオネットはともかく、ゴートリングは普通の人間に手に負えるような相手ではないのだ。

 

 見かけによらずミントが凄腕だったのか、あるいは悪魔に対抗できる独自の技術でも持っていたのかもしれない、とネロは考えていた。

 

「うん、その時は助けてもらったの。……その、バージルさんに」

 

(やっぱり知り合いだったか……)

 

 少し躊躇いながら述べたミントの言葉に、ネロは内心で納得していた。そしてそのことについて尋ねようとしたが、フェアに先を越されてしまった。

 

「バージルってネロを刺した奴のことでしょ? お姉ちゃんの知り合いなの?」

 

 だが彼女が聞いた内容は、ネロが聞きたかったことと合致していたため、口を挟むようなことはしなかった。

 

「最初に会ったのはお仕事で、ある村の館を一緒に調査した時でした。バージルさんには、なんでも総帥が直接依頼されたらしくて」

 

「何? あいつって結構大物なの?」

 

 蒼の派閥の総帥は簡単に会える人物ではないことは、父親が金の派閥の召喚師であるリシェルはよくわかっている。つまりバージルはそんな人物と直接会える存在ということになる。少なくとも一介の冒険者や旅人でないことは明白だろう。

 

「そんなことないと思うけど……。何度か家にお邪魔した時も、そんな感じじゃなかったし……」

 

「……家に?」

 

「うん、そうだよ。最初の仕事の時にバージルさんと一緒に暮らしてる子と仲良くなったからよく遊びに行ってたの」

 

 リシェルの言葉の持つ意味に気付かなかったものの、昔を懐かしむように答えたミントを見て、バージルと()()()()関係にないことは明らかだ。天然の勝利といったところか。

 

「ああ、何度かお姉ちゃんのところに来た女の人だよね」

 

 フェアもミントの言った人物のことは覚えていた。実際に話したことはなかったが、腰まで届く綺麗な長い髪が印象的な人だった。ミントも彼女ととても楽しそうに話をしていたのを見て、自分とリシェル、ルシアンのような間柄なのだろうと思ったものだった。

 

「そうだよ。今も手紙のやりとりはしてるの」

 

 交通手段があまり発達していないリィンバウムでは、遠くに離れたところに住んでいる場合、頻繁に会いに来ることは難しい。したがって手紙でのやりとりになるのが常なのだが、ポムニットが住んでいるのがどの国にも属していない島であるため手紙を送るのも、送られてくるのも時間がかかっているのが現実だった。

 

「……ともかく、あんたはあの男のことはそれ以上のことは知らないってわけか」

 

 ミントの説明ではあまり有用な情報は得られなかったが、少なくとも彼女が嘘は言っていないと思っていた。実際にバージルの強さであれば、ゴートリングなど鎧袖一触できる相手だろう。

 

「うん、ごめんね。あ、でもさっき言った友達ならたぶんいろいろ知ってると思うよ。近々こっちに来るっていってたし」

 

 ネロもバージルに刺されたことをさほど気にしてないようだったため、ミントはそう提案した。もしもバージルに対して怒り心頭だったらこんな提案はしなかっただろうし、彼女の友人であるポムニットもそんな状態のネロには何も語らないと思ったのだ。

 

「あいつと一緒に暮らしてた奴か……」

 

 ミントの提案は魅力的なものだった。少なくともミントに聞くよりは詳しいことが聞けそうだ。

 

「ネロ、分かってると思うけど……」

 

 そこにフェアが口を挟んだ。昨夜のことで確信が持てたが、ネロは意外と荒っぽい。バージルと共に住んでいるとは言っても、ミントの友人なのだ。あまりことを荒立てたくはない。

 

「別に無理矢理に聞こうとは思ってねぇよ、そもそもあの男を憎んでるわけでもないしな」

 

 バージルが自分を殺す気はなかったことには既に気付いていた。あの男にとってはネロとの戦いは試合、あるいは訓練のようなものでしかなかったのだ。そんな相手に憎しみをぶつけるほどネロは愚かではない。

 

 むしろ何故そんなことをしたのかが、気になっていたのだ。そしてそれはきっとネロがバージルに感じた奇妙な親近感の正体を解く手がかりでもあるような気がした。それがバージルのことを気に掛けている理由なのだ。

 

「なら、来たらネロ君にも紹介するね。……あ、でもその前にバージルさんが来たらどうしよう……」

 

「確かラウスブルグを使ってネロを元の世界に返すって話か。……そもそも本当にそんなことできるのか?」

 

 ミントの心配を口にするグラッドだったが、バージルの言っていたことには半信半疑のようだ。もっとも、別な世界に移動できるものの存在を最初から信じることができるのは極少数だろうし、そういう意味ではグラッドの反応は当然と言えなくもない。

 

「……それが存在するのだよ」

 

 話が始まってからずっと目を瞑って沈黙を守ってきたセイロンが言った。いつになく真面目な顔をしており、それが口にした言葉に噓偽りがないことを証明していた。

 

「ほ、本当に……」

 

 ルシアンもグラッドと同じようにバージルの言葉を疑っていたみたいで、セイロンの言葉を聞いて目を丸くした。

 

「本当ですわ。……ただ、これは先代の守護竜さまがずっと隠し続けてきたことなの」

 

「先代が亡き今、せめて兄者も含めた御使い全員で判断するべきところだろう。しかし、今回は事情が事情だ」

 

 リビエルとアロエリが説明することに決めた経緯を話す。既にバージルからその内容は聞かされているが、二人の話から察するに本来ラウスブルグの力は最高機密だったようだ。きっと昨夜の三人の御使いにだけの話し合いは、これについて詳しく説明すべきか、という議題だったのだろう。

 

「下手をすれば世界の均衡を崩壊させかねない事柄なのだ。どうか皆もこのことについては他言無用に願いたい」

 

 真摯な目を向けて告げた言葉に、誰もがことの重大さを改めて認識し、頷いたのを確認するとセイロンは口を開いた。

 

「あの男……バージルと言ったか。あやつが言ったことは真実だ。ラウスブルグには世界を渡る力があるのだよ」

 

「そもそもラウスブルグは、かつて我らの故郷、幻獣界メイトルパにサプレスの悪魔が侵攻してきた際に、戦いを嫌う古き妖精達によって造られたんだ」

 

 セイロンの説明を補足するようにアロエリが、ラウスブルグが造り出される経緯を話した。ちなみにこの悪魔によるメイトルパ侵攻は「魔獣浸蝕」と呼ばれ、その際に悪魔によって生み出されまき散らされた源罪(カスラ)で魂を歪められたのが、今に残る魔獣の祖先なのである。

 

「そうして造られたラウスブルグは、竜が動力の役目を果たし、古き妖精が舵取りを担当することで、あらゆる世界への移動を可能とした『船』なのだ」

 

「なるほど、だから先代の守護竜も隠していたのか。納得がいったよ」

 

「え? どういうこと?」

 

 グラッドはそれまでの説明で界を渡る力が隠された理由を悟ったようだが、リシェルはまだ気づいていないようだ。それはフェアやルシアン、それにネロも同様だった。

 

 そしてセイロンはそのことを説明しようと口を開いた。

 

「エルゴの王以前から今に至るまで、人間は召喚術で異界から呼び寄せることはできても、直接行くことは叶わなかった。だが、もしラウスブルグが悪しき考えを持つ者の手に落ちれば、再び暗黒の、戦いの時代が再来しかねない。先代はそう考え、隠されていたのだ」

 

 リィンバウムは今に至るまで他の世界に移動する術を持たなかった。しかしラウスブルグはそんなリィンバウム、いや、四界も含めて全ての世界において、界と界に張られた結界を越えて他の世界へ渡れる唯一「船」なのだ。

 

 ラウスブルグの所有者さえ望めば、他の世界へ一方的に侵攻することも可能であり、それによって結界が張られる以前のような戦いが勃発することを、先代の守護竜は恐れたのだ。

 

「でも、それをあいつが知ってるのはどうしてよ?」

 

 守護竜も御使いもその力を闇雲に話したとは考えにくい。にもかかわらずバージルはなぜそれについて知っているのだろうか、そんなリシェルの疑問に答えたのは意外にもネロだった。

 

「例の将軍だか教授だかは知ってるんじゃねぇのか? そこから聞いたあたりだと思うぜ」

 

「うむ、その可能性が最も高いだろうな。……だが、今重要なのは、件のバージルという男がラウスブルグを手中に収め、その力を使おうとしていることだ」

 

 単純な可能性であれば、バージルはその存在を知っているだけで、まだラウスブルグ自体は手に入れていない可能性もあるが、ああいうタイプは空証文など渡さないだろう。少なくともラウスブルグを使う道筋はつけているはずだ。

 

「でも、動かすには竜と妖精が必要なんでしょ? それはどうしたのかな?」

 

「妖精もそうですが、竜も必ずしも御子さまでなければならないわけではないのです。代わりの竜と妖精さえいればラウスブルグの機能は全て使えますし」

 

「だが、至竜なんてそう簡単に見つけられる存在じゃないはずだ」

 

 ルシアンの疑問にリビエルが答えたが、アロエリはミルリーフの代わりとなる至竜を見つけられるのか懐疑的だった。

 

「それはもっともだと思いますが、召喚術もありますし……」

 

「そうだな。我らは我らの務めを果たそう」

 

 どちらも根拠に乏しく、このままではいたちごっこになると思ったリビエルは言葉を濁すと、アロエリもそれに同意するように頷きながら言った。

 

「でも、バージルさんはラウスブルグを手に入れて何をしようとしてるんだろう?」

 

「だから人間界に行くつもりなんだろう? 本人もそう言ってたしな」

 

 聞いてなかったのか、と呆れるようにネロが言った。しかし、ミントはかぶりを振って自分の言葉の真意を口にした。

 

「うん。だからそこまで行って何するんだろうって思って」

 

「……さあな。それこそ本人に聞くしかねぇだろ。話してくれるとは思えねぇけど」

 

 自分と同じように人間界に行くことが目的だと勝手に思っていたネロは、バージルが人間界に行って何をするつもりなのか全く考えていなかったのだ。

 

「確かにそれも気になるが、我はそれとは別にもう一つ、気になることがあるのだ」

 

 バージルの目的はセイロンも気にしていたようだが、それとは別に気にしていることがあるようだ。

 

「それって?」

 

「将軍や教授たちのことだ。ラウスブルグがあの男の手に落ちたのだとしたら、あやつらはどうするのかと思ってな」

 

「確かにそうだな。もうミルリーフを手に入れてもラウスブルグの方が使えないんじゃ、何もできないだろうし」

 

 ラウスブルグを手に入れるのが目的だったとしたら、それがバージルの手に落ちた時点でミルリーフを手に入れる意味は失っている。そのため、もうこちらに攻めてこないのではないかと、願望混じりに考えるが、そこにミントが異を唱えた。

 

「でも至竜の持つ知識が狙いってこともありえるよね?」

 

 以前にリビエルが言ったところでは、ミルリーフが継承した先代の知識は失われた秘術や真の世の理といった、聞くだけでも価値のあるものばかりだ。それだけでもミルリーフを狙われる理由になりえる。

 

「また来るようなら話でも聞いてみるか……」

 

 ネロが呟く。バージルには勝てなかったが、将軍や教授なら無力化することは可能であるとネロは考えており、フェアもそれに賛成する。

 

「それしかないわね……」

 

「あーあ、結局またこれまで通りかぁ」

 

 これまでの話で、いろいろと明らかになったにもかかわらず、こちらの姿勢は受け身のままであることにリシェルは不満のようだ。彼女の性格から考えて、一気に全部片付くような方策を期待していたのかもしれない。

 

「そんなこと言わないの。もしかしたらネロも元いたところに帰れるかもしれないんだから」

 

 フェアが宥めるように言う。少なくともネロが人間界へ帰るための手段があることは確定したのだ。何も変わらないわけではないのである。

 

「実際のところ、その辺どう考えてるんだ?」

 

「ま、考え中ってところだ」

 

 グラッドの問い掛けを軽く受け流したネロだったが、実のところかなり悩んでいた。バージルと自分の関係性については別にするとしても、ミルリーフの件が片付いてもいないのに、自分一人抜けるのには抵抗があったのだ。

 

「まだ時間はあると思うし、ゆっくり考えたらいいと思うよ。大切なことだしね」

 

「まあ、我としては此度の一件が片付くまで残ってもらうと助かるのだがな」

 

 バージルの提案を受けるか否かはネロ自身が決めるものであるため、ミントはあくまでネロの考えを尊重する立場をとっていたが、セイロンはネロの力を頼りにしているのか「ハッハッハ」と冗談めかして笑いながらも、しばらくの間残って欲しいと思っているようだった。

 

 たとえどちらを選ぶにせよ、いずれにネロが決断する日はそう遠くないことは明らかだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




DMC4ではネロは閻魔刀を手に入れてから魔人化できるようになりましたが、本作では閻魔刀がなくとも魔人化できます。

これについては以前感想の返信で似たようなことを書きましたが、閻魔刀を含む魔具が必要なのは、その魔力によって魔人化の力を安定させるためです。

したがって、人間界よりも魔力が豊富なリィンバウムではネロも閻魔刀なしに魔人化ができる、ということとなります。



さて、次回は4月29日(日)に投稿予定です。

ご意見ご感想、評価等お待ちしてます。

ありがとうございました。


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第79話 戦いの影

 ネロと戦った日の夜の内にラウスブルグへ戻ったバージルは、夜が明けるのを待ってギアンを呼び出した。

 

「一体何だい? そもそも夜中に抜け出してどこに行ってたんだ?」

 

 昨夜、たまたま夜遅くまで起きていたためかギアンは、バージルがラウスブルグから抜け出してどこかに行っていたのを知っていたようだ。

 

「トレイユだ」

 

「っ……、へぇ、それで何をしに行っていたのかな? まさか観光しに行った、なんて言わないよね?」

 

 間髪入れずに答えたバージルの言葉を聞いてギアンは一瞬言葉を詰まらせた。トレイユは言うまでもなく、ギアン達が狙っている竜の子が滞在している町だ。そこにバージルが行ったとなれば目的は一つしかないだろう。

 

「貴様らが苦戦しているという奴に会い行っただけだ」

 

「あのネロとかいう奴か。……それで、どうしたんだい?」

 

 ギアンとしては、少しくらいバージルが痛い目でも見れば溜飲が下がるのだがと考えているようだが、現在のいつも通りの様子からして、その可能性は望めないだろう。

 

 ならばせめてそのネロという男に、戦闘に支障が出るような傷でも与えてくれれば、こちらも楽になると思い尋ねたのだが、バージルはそんなギアンの思惑など読んでいたようで。

 

「叩きのめしはしたが、貴様の望むようなことにはなっていないだろうな」

 

 むしろネロの力を覚醒させたことで、ただでさえ強かったネロは、より大きな力を手にしたのだ。ギアン達が竜の子を奪取することは極めて難しくなったと言えるだろう。

 

「何故だ!? この城を動かすために至竜の魔力が必要なことくらい君にも分かっているだろう!」

 

 千載一遇の好機をみすみす逃がすような真似をしたバージルにギアンは声を荒げた。そして感情のままに詰め寄ろうとした瞬間、ギアンはバージルの視線で射竦められた。

 

「言ったはずだ。俺は竜の子を奪いにいったわけではない」

 

 立場を弁えろと言わんばかりにギアンを見下しながら言葉を放つ。そもそも本来の関係でいけばギアンがバージルに意見すること自体ありえないことである。彼らはあくまでバージルの許しを得てこの場に留まることを許されているだけにすぎないのだ。

 

「そもそも、あれを狙っているのは貴様らだけだ。俺にとっては次善の策ですらない」

 

 言葉を続ける。トレイユの竜の子などバージルは最初からあてにしていない。城を動かす第一の方策はアティとポムニットに任せているし、それがダメでも第二の、バージル自身が魔力の供給と舵取りを行うという方法がある。

 

 先の帝都への移動の際にバージルの魔力を使っていたため、問題は古の妖精の技法を使う舵取りだけだった。とはいえ、それもバージルが見る限り問題なく使えそうだった。

 

 そもそも大悪魔の転じた魔具でさえ、初見であろうと己が一部のように操ってしまうスパーダの血族であり、幻影剣など魔力の扱いに長けたバージルなのだ。いくら至竜や古妖精しか操れないと言われていても、自身の魔力を使って動いている(もの)を操れないはずがなかった。

 

 それに対して竜の子は、ラウスブルグを取り戻すため、あるいは死に追いやられた先代守護竜の敵討ちと称して反抗する危険性がある。少なくとも捕まえて来てすぐ城を動かせ、というわけにはいかないだろう。

 

「……ならば僕らはこれまで通りにするだけだ」

 

 うむを言わせぬバージルの言葉にギアンは冷や汗を流しもながらも、これまで通り竜の子の奪取を狙って行くと宣言する。

 

 バージルがラウスブルグを動かす算段があるにもかかわらず、ギアン達が執拗にトレイユの竜の子を狙うのには理由があった。彼ら、というよりギアンはバージルの自分達も連れて行く、という言葉を信用していなかったのである。

 

 だからこそ、城を動かすための竜の子を手に入れ、最悪の場合はそれを盾に自分だけでもメイトルパに連れて行こうと考えていたのだ。

 

 もっとも客観的に見れば、そんなことをしたところでバージルに斬られて終わりだということくらい分かりそうなものだが、ギアンは自身の思い通りに進まない現状に、冷静さを欠いているのかもしれない。

 

「勝手にするのは構わんが、あまり時間がないことは覚えておけ」

 

 その考えすら見透かしていそうなバージルの言葉にギアンは眉を潜める。

 

「……どういうことだ?」

 

「俺はこれから連れを迎えに行ってくる。そいつらが来ればあの至竜の子など不要だ」

 

 アティとポムニットが城を動かす方法を手に入れてくるのであれば、それで決定。たとえ手に入れられなくても、その時はバージル自身が動かす方向で確定する。

 

 つまり、どうあがいてもトレイユの竜の子が必要になる状況はこないのである。

 

 それでもバージルがギアンの行動を認めているのは、竜の子を万が一の際の予備として考えているからだ。

 

 アティ達が城を動かす方法を手に入れられず、かつ自分も動かせる状況にない時、代わりに動かせるものがいれば何かと便利なのは言葉にせずとも理解できるだろう。もちろん反抗の危険性がないことを確認してからの話になるだろうが。

 

「……戻りはいつ頃に?」

 

 バージルが戻って来るまでの間がギアンに残された時間なのだ。その猶予がどのくらいか、確かめるためにギアンは尋ねた。

 

「さあな。だが二、三日で戻ってくることはないだろう」

 

 アティとポムニットとの集合場所は聖王国西端にある都市、サイジェントだ。バージル一人で行く往路は大して時間もかからないが、帰りは徒歩での移動となるため、それなりに時間がかかることは予想できた。

 

「なら僕はここで失礼するよ。すぐに動く必要があるからね」

 

 ギアンは「まずは戦力を調査しなければ……」などとぶつぶつ言いながらバージルのもとから去って行った。

 

(小娘にも気付かないとは、相当に焦っているようだな)

 

 少し前から大広間の入り口付近で、気まずそうにこちらを見ている「姫」と呼ばれる少女にすら気付かないギアンを、バージルは呆れたように見ていた。もっとも彼も、自分を怯えを含んだ目で見る少女を無視して、サイジェントに行くべく大広間から出て行ったのだが。

 

 

 

 

 

 一方、バージルの襲撃から二日が経過し、トレイユでは平穏な日々が続いていた。ミルリーフを狙う者達も現在のところこれといった動きを見せず、バージルもあれ以来姿を見せていなかったためだ。

 

「はぁー、疲れた……」

 

 トレイユとしては平和でも、ここ数日、厨房という名の戦場は大混戦の様相を呈していたのだ。そこで一人で戦っていたフェアは、昼の営業が終わるとぐったりと机に倒れ込んだ。

 

「それにしても、最近は随分と混んでるな。まぁ、閑古鳥が鳴くよりはいいかもしれないけどよ」

 

「うーん、評判がよくなったのは嬉しいけど、慣れるまで大変だなぁ」

 

 リシェルやルシアンには、時間があれば手伝ってもらっているが、あいにくと今日はフェア一人で接客から調理までこなしていたのだ。これまでの客の入り具合なら一人でも大して負担にならなかったが、かなり混むようになった最近ではさすがに一人で対応するのは辛そうだった。

 

「これで宿泊客も来ればいいだがな」

 

 最近料理店としての、忘れじの面影亭は評判がすこぶる良くなっていた。リピーターも増えているし、これまで店に来たことのないトレイユの住人も大勢来てくれている。もっとも、ネロの言葉通り宿屋としては相変わらずの有様であったが。

 

「来るわけないでしょ、禁止令だってまだ解除されていないのに」

 

 ただ宿泊客については、フェアにも言い訳がある。無色の派閥や紅き手袋摘発のために、帝国全土に出された都市や町の外へ出ること禁止する命令が出されているのだ。そのせいでトレイユへ来る者がほとんどいないのである。これでは宿泊客がいなくて当然である。

 

「しかし、こう何もないと退屈で死にそうだ」

 

 ネロは厚手の手袋をつけた右手で頭を掻きながら大きな欠伸をした。悪魔の腕(デビルブリンガー)については隠しているわけではないが、わざわざ自慢するように人目に晒すのも抵抗があったので、これまで同じように手袋をしていた。

 

「ならウチで働いてみる? 暇つぶしにはなるかもよ」

 

「冗談、そんなことやってられっかよ」

 

 からかいも込めたフェアにたいしてネロは露骨に嫌そうな顔をして断った。そもそも彼の性格から考えて給仕などできるはずもない。それでもさすがに何もしないのは良心が痛むのか、準備や片付けくらいは手伝っていた。

 

 ちなみにネロの性格は、デビルハンターとして見ればかなりいい方だ。「まとも」と言い換えてもいいだろう。もっとも、腕がよくなればよくなるほど、それに反比例するかのように性格は悪くなる、という話がまことしやかに囁かれているデビルハンター業界においての話であるため、誉め言葉と言えるかは微妙なところだ。

 

「だと思った。私もネロに頼むくらいなら、ミルリーフにお願いするよ」

 

 そう言って屈託なく笑うフェアに、ネロへの恐怖など微塵も見られなかった。

 

「なあに、ママ?」

 

 自分の名前が呼ばれたこと気付いたミルリーフがテラスから尋ねてきた。彼女は少し前から庭で遊んでいたのだ。

 

「ううん、そろそろお昼にしようと思って、悪いけどみんなを呼んできてくれる?」

 

「うん!」

 

 大きな声で返事をするとミルリーフは疲れを知らないのか二階に走って行く。

 

「あー、腹減った」

 

 お昼と聞いて、急に腹が空いてきたネロは素直にそれを口にした。既に一般的な昼食の時間からはだいぶ過ぎている。食事の時間が遅くなってしまうのは、ここのような料理店の宿命のようなものだろう。

 

「もう、文句言う暇があるならテーブルくらい拭いてよ」

 

「はいはい、わかったわかった」

 

 フェアのお叱りを受けたネロは面倒くさがりながらも、立ち上がって布巾を取りに行った。

 

 その時、入り口から二人の男が入ってきた。

 

「ありゃ、やっぱり終わってたか……」

 

「まあ、仕方ありませんよ」

 

「お兄ちゃんにセクター先生!?」

 

 一人はグラッド、もう一人はフェアが「セクター」と呼ぶ男性だった。見た目は三十代から四十代といったところで、先生と呼ばれているのは、町中で私塾を開いており、そこにフェアもリシェル達と通っていたからだ。

 

「おう、見回りも終わったし、お前のところで何か食おうと思ってきたら、セクターさんを見かけてな」

 

「ええ、肩を貸してもらったんですよ。おかげで彼も遅れてしまってね……」

 

 セクターは昔から足が悪く、さきほどからも足を引きずらせて歩いている。きっとグラッドはそんなセクターのことが放っておけず、一緒に来たのだろう。

 

「せっかく来てもらったんだし、まかないでよかったら二人とも食べていってよ。私達もこれからお昼だしさ」

 

「お、助かった! 腹ペコなんだよ」

 

 来た甲斐があったと言わんばかりにグラッドは嬉しそうに言った。そんな彼と共にセクターも手近にあった座席に腰を下ろした。

 

「すまないね。営業は終わったばかりなのに」

 

「いいのいいの! でも珍しいね、先生がわざわざこんなところまで来るなんて」

 

 セクターは見ての通り足が不自由ため、ここまで来るのも一苦労なのは目に見えている。事実、忘れじの面影亭の営業で手一杯だったという理由もあるが、最後の授業を受けて以来セクターには顔を合わせてこなかったのだ。それでも最近、たまたま再会したことがきっかけで、ミルリーフのことやそれに関連する一件のことで相談するようになったのである。

 

「最近君の料理が評判だと言うのでね、せっかくだから食べてみたいと思ったんだよ」

 

 優し気な笑みを浮かべてセクターが言う。どうやらかつての教え子のことを心配して来たというのも理由の一つらしい。

 

「それならまかないでも評判通りの味にしてみせるから、期待してて!」

 

 そう言い残すとフェアは張り切って厨房で料理をし始めた。さきほどまでの疲れが吹き飛んだかのような手際の良さだ。

 

「…………」

 

 セイロン達御使いもまだ来ていない状況で、ネロはグラッドとセクターの隣のテーブルで手持ち無沙汰に待つしかなかった。別に人見知りしているわけではないが、フェアの知り合いとはいえ、見知らぬ者にフレンドリーに話しかけるような性格はしていないのである。

 

「もしかして君は……ネロ君、でいいのかな」

 

「なんで俺のこと知ってるんだ?」

 

 唐突に名前を呼ばれたネロは、声の主であるセクターを睨むように見た。彼の前でネロが名乗ることはなかったし、フェアもグラッドも名を呼んだことはなかったにもかかわらず、自分の名前を知っていたことを不審に思ったのだ。

 

「彼女が君のことを話していたんだよ。とても頼りになる人だと嬉しそうに言っていたよ」

 

「……そりゃどうも」

 

 セクターは厨房のフェアを見ながら朗らかに笑った。ネロも予想外の理由に怒るに怒れず、ぼそりと言うだけに留まった。

 

「ち、ちょっと!? やめてよ先生!」

 

 しかし。本人に面と向かっては言えない本音をまさかこんな形で暴露されるとは思わなかったフェアは、焦ったように声を上げた。そしてこれ以上、余計なことを言われないようにしっかりと言っておこう思った時、ミルリーフと御使い達三人が下りてきた。

 

「あら、お客さんですの?」

 

 セクターの姿を認めたリビエルが尋ねた。グラッドはともかく昼の営業は既に終わっているはずなのに、どうして客がいるのかと不思議に思っているようだ。

 

「昼を食べに来たんだけど、時間に間に合わなくてな。でもフェアがまかないを作ってくれるって言うからさ」

 

「なるほど……で、そちらの方は?」

 

 グラッドと同じテーブルに座っていることから、セクターを彼の連れと思ったリビエルはグラッドに尋ねた。

 

「セクターさんって言ってな、ここに来る途中で偶然会ったんだ。昔から私塾の教師をしていて、フェアもガキの頃に教わったらしいぞ」

 

「フェアの奴がいろいろ話してたみたいだから、お前たちのことも知ってるんじゃないか?」

 

 グラッドの説明に、ネロは余計なことを付け足した。それを聞いたセクターは困ったような笑みを浮かべながら言った。

 

「確かに何も聞いていないと言えば嘘になるが、詳しく知っているわけじゃありませんよ」

 

「なに、よほどのことでなければ問題あるまい」

 

 それでもフェアから聞いたことを否定しないところを見ると、少なくともミルリーフを取り巻く事情については、おおよそ知っていると考えていいだろう。セイロンとしてもラウスブルグの機能など、一部のことを除いては話しても問題ないと考えているようだ。

 

「まあ、確かにそうですわね。……ところでフェアって子供の頃、どんな感じでしたの?」

 

 年の割に大人びているフェアはどんな子供だったのか興味を持ったリビエルが尋ねる。

 

「ち、ちょっと……」

 

リビエルの言葉を厨房で聞いていたフェアは、抗議の声を上げようとしたが、それより先にセクターが口を開いた。

 

「彼女はとても元気でね。私も随分と手を焼かされたよ」

 

 どうやら子供の頃のフェアは随分と活発だったようだ。今とは正反対と言ってもいいだろう。だが、手を焼かされたとセクターは言うが、口調はとても穏やかであり決して度を過ぎていたわけではないのかもしれない。

 

「今でも何か事件があると、火元は大概あいつらだったしなぁ」

 

「私は巻き込まれただけ! 原因はリシェルだから!」

 

 グラッドが言う「あいつら」とはフェア、リシェル、ルシアンの三人である。フェアは否定するが、どうもグラッドはそう思っていないようだ。

 

 ちなみに事件と言っても取るに足らない、それこそ終わってしまえば笑い話で済むようなものばかりだが、解決する側のグラッドにとっては一応、事件という扱いらしい。もしかしたら真面目に書類の一つでも作っているのかもしれない。

 

「随分やんちゃだったんだな」

 

「今と比べるとね。でも根は変わってないんじゃないかな」

 

 ネロの呟きに答えたのはセクターだった。彼の言葉通り、普段のフェアは年齢に不釣り合いなほど大人びているが、意外と感情的になりやすいらしい。それをかつての教え子とはいえ、数回会っただけで分かったのだから、さすが教師というだけあってよく見ている。

 

「はいはい、その話はここまで! 料理も出来たんだからまずは食べよ」

 

 これ以上、子供の時のことを言われてはかなわないと言わんばかりに、フェアは大皿に乗った料理をテーブルにどんと置きながら会話に割り込んできた。

 

「おっ、こりゃ旨そうだ」

 

 テーブルに置かれた肉と野菜がふんだんに使われた炒め物を見たグラッドが率直な感想を漏らす。昼の営業の際の余り物を使った料理のようだが、香辛料の効いたそれは匂いを嗅ぐだけでお腹が減ってくる料理だった。

 

 いつもはそうした残り物を使った料理に、朝のパンの残りを添えて食べるのが常だったが、今日はそれだけではないようだ。

 

「今日はセクター先生も来てくれたし、特別よ」

 

 そう言ってフェアが持ってきたのは綺麗な楕円を描いたオムレツと、果実が使われているのか薄い赤色をしたプリンだった。

 

「プリンもつくなんて……今日は素晴らしい日ですわ」

 

 視線をプリンに釘付けにしたままリビエルが言う。彼女は甘い物に目がないのである。

 

「さて、全部出そろったし、食べましょ」

 

 そしてそのフェアの言葉で、いつも以上豪勢な昼食に手が付けられていった。

 

 

 

 

 

「はぁー、食べた食べた」

 

 見事に出された料理を全て完食したグラッドは、満足そうに腹を撫でながら言う。

 

「あんなに食べて……、午後もまた見回りでしょ? 大丈夫なの?」

 

 例の禁止令が出て以来、グラッドはいつも以上に町の巡回をしていた。今日もまた同じだとフェアは思っていたのだ。

 

「何だ、まだ見てないのか。禁止令は今日付けで解除だぞ。念のため午前中は一通り見て回ってたけどな」

 

「えぇ!? 全然知らなかったよ……」

 

 忘れじの面影亭は民家もない町外れにあるため、人伝いに情報が回ってくることはない。それゆえ町中の数箇所にある掲示板で情報を得るしかないのだが、そもそもフェアは営業があるため、頻繁に町中に行くわけに行かず、ネロや御使い達も今日は町中に行っていなかったため、解除の情報は全く知らなかったのだ。

 

「ならば、兄者を探しに行っても構わないんだな?」

 

 それまで大人しく料理を食べていたアロエリが尋ねた。禁止令が出ている間は大人しくしていることに異議を唱えなかった彼女だが、やはり内心では消息不明のクラウレのことが心配だったのだろう。

 

「ああ、その通りだ。……って、なら俺達も行った方がいいよな?」

 

「俺はいつでもいいぜ」

 

 極端な話、ネロはこれから最後の御使いでもあるクラウレの捜索に行ってもよかった。そう思うほどに何もすることがなかったのである。

 

「わ、私は、ちょっと今日は……夜の仕込みもあるし」

 

 しかし、ネロとは対照的にフェアは難色を示した。あらかじめ言われていたなら、それを見越して準備すればいいが、いきなり捜索に行くと言われても店の営業もあり、難しかった。

 

「いい。今日は空を飛べる俺が見て来る」

 

 それはアロエリも分かっていたのか、そう言った。とりあえず今日は彼女が空から周囲を見て、後日、空から見ることのできない場所を探そうと言うことだろう。

 

「残念だったな、ネロ。……だが、レンドラーやゲック達が来るかもしれないからな、気を付けてくれ。今日は俺も色々とやらなくちゃいけないことがあるからたぶん来れないし……」

 

 グラッドがネロに言葉をかけた。彼も帝国軍という組織の一員であるため、報告書の作成のような類の仕事もある。特に禁止令期間中に行った見回りの報告書に関しては、早期の提出が求められていたため、すぐにでも作らなければならなかったのである。

 

 そのため、仮にレンドラー達が奇襲を仕掛けてきた場合、グラッドは一歩で送れる形になってしまう。だから自分以上の強さを持っているネロに注意喚起という形で頼んだのだ。

 

「ああ、分かったよ……」

 

 ネロは答えながらも、先ほどのグラッドの言葉に僅かながらも反応を示したセクターをちらりと見た。

 

「さて、私はこのあたりでお暇させてもらうよ。皆さんの邪魔をしちゃ悪いからね。フェア君、お代はいくらだい?」

 

 ネロに見られていることに気付いたのかは定かではないが、セクターは帰ることにしたようだ。

 

「お店で出すような料理じゃないし、お代なんていらないよ!」

 

 やはりあり合わせの食材で作ったまかない料理でお金をもらうわけにはいかないのだ。ただ実のところ、プリンは作り置きしていた夜の部用の料理だったのだが、それでも出すと決めたのはフェアだ。今さらプリン代だけくださいとは言えない。

 

「いや、しかし……」

 

「それじゃ、また今度食べに来て! それがお代だから!」

 

 中々納得してくれないセクターにフェアは条件を付けた。それを聞いたセクターは観念したように肩を竦めてお礼を言う。

 

「……わかった。ありがとう、また必ず来るよ」

 

 そしてセクターが出て行ったところで、アロエリも立ち上がった。

 

「俺もこれから出かけてくる」

 

「うむ。……だが、無茶はするな。何かあったらまずはここに戻ってくるのだ、よいな?」

 

 セイロンが頷くが、釘を刺しておくのも忘れていない。仮にクラウレを見つけたとして、もしも敵と戦っていたらアロエリの性格からして、何をおいてもクラウレの助けに入ることだろう。

 

 しかし、それでは残されたセイロン達には何も情報が伝わらない。そのため、一度戻ってくるように言ったのである。

 

「ああ、分かっている」

 

 物分かりのいい返事だが、どこまで実効性があるかは疑問がある。意外と彼女は感情的なのだ。

 

 とはいえ、しっかりと返事もしている以上、他に何を言えるわけでもない。アロエリが言われた通りにしてくれるのを信じるしかないのだ。

 

「さて、私も夜の部の準備でもしようかな」

 

 アロエリが出て行くのを見届けたフェアは手際よく食べ終わった食器を集め始めた。

 

「俺はどうっすかな……」

 

 結局捜索にも行かないことになったため、やはり手持ち無沙汰になったネロは、することを何も思い浮かばないまま呟いた。

 

「ねぇ、パパ。それならミルリーフ、また町に行ってみたい!」

 

「そうだな、行ってみるか。お前らもいいよな?」

 

「うむ」

 

「目を離さないようにしてくださいな」

 

 一人で行きたいと言うなら論外ではあるが、ネロがつくのであれば、とセイロンとリビエルも反対ではないようだ。ミルリーフはそれを聞いて嬉しそうにしている。

 

「そういうわけで、俺達も出かけて来る。日が暮れるまでは戻るよ」

 

 フェアにそう言って、ネロとミルリーフは町に出かけていった。

 

 

 

 

 

 

 

 




トレイユ「は」とても平和です。



さて、次回は三周年記念も兼ねて5月6日(日)に投稿予定です。

ご意見ご感想、評価等お待ちしてます。

ありがとうございました。


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第80話 裏切りの御使い

 帝国の一般市民にも大きな影響を与えた禁止令は発令から数日経過した今日この日に解除された。その影響によるものかトレイユの町中はいつも以上に賑わっているような気がしてならない。さすがに今日の今日で町を訪れる人はいないようだったが。

 

(こうして見ると、この世界にとって召喚術がなくちゃならないものだなんて思えないな)

 

 召喚術がこの世界にもたらした恩恵が計り知れないことは、これまで何度か耳にしている。しかし、ネロの視界に入るトレイユの町並みは一昔前の人間界と言われれば信じてしまいそうな程、異世界の存在を感じることができなかったのだ。

 

(だが、実際は行き来さえ可能なら即戦争になりかねないくらい険悪なんだよな……)

 

 かつてこの世界は異世界からの侵攻を受け、血で血を洗う凄惨な戦いをしていた歴史が存在する。その戦いは最終的に伝説のエルゴの王が張った結界により行き来が不可能となったことで自動的に休戦となっていた。

 

 しかし、このリィンバウムという世界には召喚術という一方的に呼び出して隷属させる技術が残ったことにより、長き戦いによって被った傷から立ち直り、発展していくことができた。召喚術はこれからもこの世界になくてはならない技術である。それがこの世界の人々の一般的な認識だった。

 

 しかし、それはあくまで召喚術を使う側の考えだ。呼ばれる方は、急に家族や友人から引き離され、隷属を迫られるのだ。正直、たまったものではないだろう。

 

「俺ならぶん殴ってるな、間違いなく」

 

 ネロがこの世界に来た時、周囲に彼を召喚した者がいなかったため、現在においても誰とも誓約すら結んでいない状態だ。しかし彼の呟きが示す通り、もしネロを召喚した者が隷属を強いるような召喚師だったら、彼の性格から考えても間違いなく顔面を殴っていたことだろう。

 

 そんなことを考えながらネロは賑やかな中央通りを歩く。もちろん視界には常にミルリーフを入れながらである。彼女は一度、中央通り沿いの店は一通り見ているはずなのだが、今日も目を輝かせていろいろなところを走り回っている。なにがそんなにおもしろいのかはネロにはわからないが、ミルリーフが楽しそうなのでよしとしていた。

 

「おいミルリーフ、そろそろ帰るぞ」

 

「はーい……」

 

 太陽の位置から、そろそろ戻った方がいいと判断したネロは、運よく目の前を走っていたミルリーフにその旨を伝えた。彼女は遊び足りないのか、少し残念そうな顔しながらも返事をする。

 

 それでも町中へ出て来て様々なものを見たことは嬉しかったようで、手を繋ぎながら帰る際には嬉々としてその時の様子を話していた。

 

「ん……?」

 

「パパ? どうしたの?」

 

 ため池を通った時、不意に自分の顔に影が差したことに気付いたネロは空を見上げると、ミルリーフもそれに釣られて空を見上げた。

 

「アロエリか……、どうやら兄貴は見つかったみたいだな」

 

 ネロの顔に差した影の正体、それは空を駆けていたアロエリだった。しかも彼女は一人ではない。隣にアロエリと同じように背から生えた翼で空を飛ぶ者の存在がいたのだ。あれが話に聞く御使いの長であり、アロエリの兄のクラウレなのだろう。

 

「…………」

 

「ん……?」

 

 その時、ミルリーフがネロの手を握る力を強くしてきた。もっとも、ネロにとってはたいして痛くもない強さだったが。

 

(なるほどな……)

 

 ネロはミルリーフがそうした理由が思い当たった。最後の御使いであるクラウレが来たということは、ミルリーフは最後の遺産を受け継いで至竜となることを意味する。それは同時にフェアや自分達、この世に生まれてから会った多くの者との別れを意味しているのだ。

 

 いくら竜の子とは言っても、ミルリーフは生まれてから一年も経ってない幼子である。親代わりの存在と別れることになって辛くないはずがないだろう。

 

 ネロは立ち止まってしゃがみ込み、ミルリーフに視線を合わせると頭を撫でながら言った。

 

「あのな、お前が至竜になっちまったって、もう二度と会えないわけじゃないんだ。会いたいと思ったら会いに来ればいいさ」

 

 竜と人、住む世界が違ったとしても、会いたい相手に会うことができないなど、あっていいはずがない。この世界の仕組みなど僅かばかりの、それも表面上のことしか知らないが、ネロはその考えを曲げるつもりはなかった。

 

「でも……、パパは帰っちゃうんでしょ」

 

 ネロが帰る場所は、このリィンバウムではない別の世界だ。帰ったら最後、フェア達以上に会うことは難しい、いや、実質不可能と言ってもいい。むしろネロが帰れることの方がイレギュラーなのだ。

 

「帰ってもまた来ればいいだろ? 理由は何であれ俺は人間界からここに召喚されたんだからな」

 

 ネロはさも簡単なことに言った。言葉だけであれば多くの者が何を馬鹿なことを、と一笑に付すだろうが、ネロが言えば不思議と真実味が増してくるのである。

 

「うん……、約束だよ。絶対、会いに来てね」

 

「ああ、約束するさ」

 

 二人ともミルリーフが遺産を継承し、至竜になるのは既に既定路線のように話をしているが、そう簡単にいかないことがわかるのはもう少し先だった。

 

 

 

 

 

 そうして忘れじの面影亭に戻ってきたネロとミルリーフを迎えたのはフェアだけだった。

 

「あ、おかえり」

 

「おう。そういや、帰ってくるとき、アロエリと一緒に誰かがここに向かったのを見たんだが、やっぱりクラウレって奴が来たのか?」

 

 ネロの言葉はクラウレが来たことへの確認のようであったが、実際は彼自身、最後の御使い来たことに疑問の余地はないと思っていたため、そのクラウレがどこにいるのか、問うているようなものだった。

 

「うん、今は他の御使い達と部屋にいるの。なんか深刻そうな顔をしてたから、重要な話じゃないかな?」

 

 御使いの長であるクラウレが不在だった間、いろいろなことがあった。特に御使いにとっても秘中の秘にあたるラウスブルグの、世界を移動できる力をネロ達に説明したことや、既にそのラウスブルグがギアン達の手から離れ、バージルの手にあることなど、説明しなければならないことは少なくない。

 

 みんなと話すときに余計な説明で時間を浪費させないための配慮なのかもしれない。

 

「そうか……。ミルリーフ、お前はどうする? 話してくるか?」

 

 御使いだけの話とはいえ、ミルリーフはいずれ先代の守護竜の全てを継承し彼らの主になるのだから、話に参加する権利があるはずだ。しかし、当のミルリーフは首を横に振った。

 

「ここにいる」

 

「そうか。……で、どうする? あいつらでも呼んでくるか?」

 

 ミルリーフがそう答えた理由をネロは問わずに、フェアにリシェルやグラット達を呼んでくるべきかを尋ねた。これまでミルリーフの継承は状況の説明も併せて全員揃った場で行っていたため、今度も呼ぶ必要があるだろうと思ったのだ。

 

「うん。でも、もうじき夜の営業も始まっちゃうし……」

 

「なら明日にでもするか? いまさら一日や二日違ったって変わりないだろうし」

 

「そうかもしれないけど……」

 

 最近は姿を見せないが、将軍や教授といったミルリーフを狙う者がいる以上、一刻も早く遺産を継承させ安全を確保した方がよいのではないか、という想いもフェアの中にはあったのだ。

 

「いや、皆にはできるだけ早めに話しておきたいことなのだ」

 

 そこにセイロンの声が響いた。声のした方を見ると、そこにはセイロンだけではなく、クラウレを含めた三人の御使いもいた。どうやら話し合いは終わったようで、すぐにでもその話をしたい様子を見ると、相当深刻な事情があるのかもしれない。

 

「いや、こちらの都合ばかり押し付けるわけにはいくまい」

 

「ですけれど……」

 

 リビエルは言葉を濁した。フェアの好意で居候させてもらっている身であるため、クラウレの言葉には理解できるが、今はそれより状況の優先すべきだと思っているようだった。

 

「それなら今日は少し早めにお店を閉めるから、その後にすればいいよ」

 

 フェアとしても内心、彼らが何を話し合っていたかは気になっていたところであり、今の話を聞くと自分達にも大きな影響を与えそうな内容だと思ったため、このような提案をしたのだ。

 

「お心遣い感謝する」

 

 それを自分達への配慮だと感じたクラウレは丁寧に頭を下げた。

 

「…………」

 

 そんなクラウレをミルリーフはまるでどんな人物か推し量るようにじっと見つめていた。

 

「これは失礼を、御子さま。御使いが長クラウレ、帰参いたしました」

 

 クラウレはその視線に気付き、自分がまだ挨拶すらしてもいないことを思い出し、ミルリーフの前に跪いて言った。

 

「う、うん……」

 

 これまで何度か御使いには今のクラウレのように傅かれたことはあるが、ミルリーフはまだこうした扱いになれてはいないようだった。

 

「……で、結局、他の奴らは呼んで来なきゃいけないんだろ? 今から行ってくる」

 

 大人しく話を聞いていたネロが口を開いた。御使いの話がどんなものかは想像がつかないが、店の閉店後に話し合いの場を持つのであれば、他の者には今の内にその件を伝えておく必要があるとネロは考えたのだ。

 

「ならオレも行こう。歩いて行くよりはずっと早いぞ」

 

 名乗り上げたのはアロエリだった。空が飛べる彼女の力を借りれば、ネロ一人で行くよりずっと早く全員に要件を伝えることができる。ネロに断る理由はなかった。

 

「ああ、頼む」

 

 そしてネロはリシェル、ルシアンのもとへ行き、アロエリはグラッドとミントに用件を伝えることにし、忘れじの面影亭を出て行った。

 

 

 

「なるほど、向こうにいたのか。通りでいつまで経っても来ないわけだ」

 

 クラウレから、ここに来るのにやけに時間がかかっていた理由がギアンのもとにいたからと聞いたネロは、若干の嫌味を込めながら言った。

 

 夜の営業後に話し合いの場を持つことを決めてから数時間後、フェアは約束通り客が途切れたのを見計らっていつもより早く店を閉めた。そしてリシェルやルシアンにも手伝ってもらい、食堂の片付けをして話し合いの場を整えたのだ。

 

 そして最初に説明されたのが、クラウレが今まで何をしていたのかということだった。

 

「でも、どうして向こうにつこうとしたんだ? あいつらは、お前の主だった守護竜を死に追いやった奴らなんだぞ」

 

「俺は、ずっと心の奥底で同胞を故郷に返してやりたいと思っていた。だからラウスブルグという手段があるにもかかわらず、それを隠していた先代にはどこかで不満を抱いていたんだ。それに気付かせてくれたのが、ギアン様だった……」

 

 既にここにいる者は全員、ラウスブルグの力を知っている。そのためクラウレもそれを前提に話をしているのだ。

 

 クラウレは当初こそ他の御使いと同じように竜の子が落ちたとされるトレイユを目指していたのだが、追手に捕らわれたのだ。そして連行されたラウスブルグでギアンに会って、同胞をメイトルパに返したいという己の真の願いに気付かされたのである。

 

 そしてその願いは、御使いである限り、先代の守護竜の意志を尊重しようとする限り、決して叶うことのないものだった。だからクラウレはそれを気付かせてくれ、メイトルパへ行きたがっているギアンに仕えると決めたのだ。

 

 たとえそれが、かつての主を、仲間を、妹を裏切る行為だったとしても、クラウレは同胞を返してやりたかったのだ。

 

「ギアン……。確か無色の派閥のクラストフ家の当主だね」

 

「ああ。……だが、そこで思いがけない事態が起こった。一人の男にラウスブルグは奪われたのだ。……もっとも俺はその時、追手との戦いで負った手傷が治っていなかったから、戦うことはできなかったがな」

 

「! バージルさんのことね……」

 

 その言葉に反応したミントが口を開くと、今度は逆にクラウレが目を見開いた。

 

「あの男のことを知っているのか?」

 

 どうやらクラウレはバージルがトレイユに来たことを知らないようだった。

 

「うむ。もっとも我らはこやつと違って、戦いはしなかったが……」

 

「…………」

 

 セイロンはバージルと唯一戦ったネロのことを見ながら言うが、当のネロは鼻を鳴らしてそっぽを向き、気付かないふりをしていた。

 

「……何か事情があるようだから、詳しくは聞くつもりはない。……話を続けるぞ」

 

 ネロとバージルが何か関わりがあることは分かるし興味あるが、今優先すべきはそれではないため、今は触れずに置くことにしたのだ。

 

「どうもあの男は御子さまの力がなくとも、城を動かせるあてがあるようだった。それを知った我らは、メイトルパへ連れて行って欲しいと頼み込むと、奴はそれを了承したのだ」

 

「ふーん、まあネロにも似たようなこと言ってたし、案外甘いのかもね」

 

 リシェルはそう言うが、実際はあくまで受け身だったクラウレの時と、自らネロに提案した時のバージルはまるで違うのだ。もっともネロに甘いと言うのはとうのバージル本人も自覚していたが。

 

「でも、それならどうしてここに来たの? 連れて行ってくれるって言うなら大人しく待ってればいいじゃ……」

 

 フェアの疑問まさしくその通りで、他の者も抱いていたものだった。

 

「俺もこれ以上御子さまを狙うことはないだろうと思っていた。だがギアン様はそう思わなかったのだ」

 

「そんな、どうして!?」

 

「ギアン様がなぜそう思ったかなど俺にはおよびもつかん。だが実際に俺はお前達の戦力の分析と、来たる最後の戦いにおいては御子様の身柄を拘束することを命じられたのだ」

 

 ルシアンの疑問に答えてクラウレはギアンから受けた命令を説明した。ギアンがこの二つの命令をクラウレに下したのは、御使いとしての立場を利用すれば、どちらもスムーズに進むと考えたからだろう。

 

 今でこそ、他の三人の御使いはクラウレが裏切っていたということに驚いてはいなかったが、最初に聞かされた時は誰も信じられなかったのだ。これはそれほどまでクラウレが深く信頼されていたという証明であり、ギアンはそれを利用しようとしたのである。

 

「……じゃあ、どうして命令に従っていないの?」

 

 ミルリーフがクラウレをはっきり見据えていった。手の内を曝すという行為は明らかにギアンに対する裏切りだ。ギアンに仕えると決めた男がする行為ではない。

 

「あなたの力がなくとも民の望みが叶うのであれば、無用な争いはせぬ方がよい。それだけです」

 

(クラウレ……)

 

 クラウレは努めて冷たく言い放ったが、セイロンには彼の心がよく分かっていた。

 

 クラウレは先代守護竜を死に追いやったギアンについたとはいえ、先代に対する敬意は嘘だったわけではない。だからその後継者たるミルリーフを争いに巻き込まずに済むのならそれに越したことはない。そう思っていたのである。

 

 しかし、同時に己が裏切り者であり、ミルリーフを利用することをよしとした自分が、それを口にする資格がないことも悟っていたのだった。

 

「その言い方じゃあ、向こうと完全に縁を切ったってわけじゃなさそうだな」

 

 ネロはこれまでの言葉遣いや表情、声色から、クラウレは完全に御使いとして戻ってきたわけではないと思ったようだ。

 

「……かもしれんな。変節漢と言われても否定できまい」

 

 メイトルパへ行くと目的は変わらない以上、先代の遺志を尊重するセイロン達とは相容れないのは自明だ。しかし同時に目的は同じでも、方法への考え方の違いから、ギアンに裏切りにも等しい行為をしているのだ。

 

「それでも今回はギアンの攻撃を阻止するという一点で合致した。今はそれでよかろう」

 

 実際のところ、バージルがラウスブルグを手中に収め、完全な稼働への道筋をつけた時点で、城の力を隠しておくという先代の遺志を守れる状況にはないのが現状だ。そのため、三人の御使いがミルリーフの身を守るのを最優先とするのは当然と言えた。

 

「もっとも、御子さまが兄者の持つ最後の遺産を継承すれば、それだけで済むかもしれんがな」

 

「そうですわね。彼らの攻撃の前に継承していれば、諦めるかもしれませんし」

 

 先代の至竜の力をよく知っているアロエリとリビエルは、楽観的に答えた。普通の人間は束になってかかっても、相手にならないくらい至竜の力は強大なのである。

 

「まあ、守らなくて済むのであれば気は楽になるな」

 

「でも、相手はいつ来るか分からないから、もし継承するなら早めにしなくちゃね」

 

 グラッドとルシアンが言葉を続けた。しかし、当のミルリーフの表情は暗かった。恐らく至竜になることへの不安でもあるのだろう。

 

「っ……」

 

 それを見て取ったネロはミルリーフの頭に手を置いて口を開いた。

 

「とはいえ、こいつも緊張してるみたいだ。心の準備もあるんだからすこしくらい待ってやれよ」

 

 ミルリーフはこれまでは粛々と継承していたため、多くの者が今回もそうだろうと考えるのは仕方のないことだ。しかしネロは、さきほどため池でミルリーフから不安を吐露されたばかりなのだ。今すぐ継承しろとは口が裂けても言えるはずがなかった。

 

「それに俺の預かった最後の遺産『守護竜の瞳』はギアン様の手にある。今すぐに継承するというわけにはいかないだろう」

 

 さすがにギアンもクラウレに遺産を持たせたまま、こちらに送り込むような真似はしなかったようだ。まあ、それを手に入れればすぐに継承することは予想できるから当然ではあるが。

 

「……うん。やっぱり今度の戦いも私達だけで勝てるようにしないとね」

 

 この話し合いが始まる前はフェアも、ミルリーフの安全を考えて早く継承させた方がいいと思っていたが、クラウレの言葉がなくとも、それはミルリーフ自身の意思を無視した形であったのに気付き、自省しながら言った。

 

「そういえば、さっき『最後の』って言ってたが、あれはどういう意味だ?」

 

 フェアの言葉に文句はなかったネロは、さきほどから気になっていたことをクラウレに尋ねた。彼はギアンから受けた命令を説明した際に、近くギアンが攻めてくることによって発生する戦いを「最後の戦い」と言ったのである。

 

 これはただ単にギアン達が次で決着をつけるという意気込みを表した言葉なのか、あるいはなんらかの制約があって次が最後とならざるを得ないのか、それぞれで大きく意味が異なるため、聞いてみたのだ。

 

「俺も詳しい理由まで知っているわけではないが……、どうもあのバージルという男から言われたようだ」

 

「ちょっと待ってくれ、確認なんだが、そもそもお前らはそのバージルって奴とどういう関係なんだ?」

 

 彼らがバージルに敗れてラウスブルグを奪われたものの、残留を認められたというのはさきほど聞いた通りだ。そのためグラッドは、ミルリーフを狙ってくるのはあくまで彼らの独断であると考えていたのだ。

 

 しかしそれが、バージルの指示によるものだった場合、話は変わってくる。先の一件ではミルリーフを狙ってはいないようだったが、最悪、今度はバージルが本気でミルリーフを狙ってくる可能性すらあるのだ。

 

 そうした考えがクラウレに伝わったのか、彼はまず結論から述べることにした。

 

「あの男の命令には従わなければならないが、これまで御子さまを狙った行動は我々の意思であり、奴はただ黙認していただけだ」

 

 その言葉を聞いて、ミントはあからさまにほっとしていた。バージルが命令していたわけではないことを確認出来て安心したのだろう。

 

 一呼吸おいてクラウレは続けた。

 

「だが、それは少し前までのこと。おそらく奴は中止命令か、それに近い命令を下したのだろう。だからギアン様は次の戦いに全てを投入するつもりなのだ」

 

 クラウレの言葉はあくまで想像のものではあったが、実際にあったことと比べても大きな間違いはなかった。このあたりの洞察力は御使いの長を務めていただけのことはある。

 

「ところで、昨日はそこまで話しませんでしたけど、向こうが全力を出すと言うことは、あの教授や将軍も出て来るんですの?」

 

 質問の形ではあったが、リビエル自身としてはレンドラーやゲックがギアンの指揮下である以上、その可能性は高いと考えていた。

 

「彼らの目的を考えれば、俺と同じようにもう戦う必要はないはず……」

 

「どういうことだ?」

 

 この件に関しては御使い達も事前に聞いていなかったため、はっきりクラウレにセイロンが疑問の声を上げた。

 

「剣の軍団も鋼の軍団も実質的にギアン様の配下だが、彼らが御子さまを狙うのはエニシアという少女のためだ。だから余計なことをせずとも、メイトルパには行けるはずなのだが……」

 

 クラウレは口にはしなかったが、その口ぶりから少女の目的もメイトルパに行くことだということは分かった。

 

「その子が、前にセイロンが言ってた姫ってことね」

 

 トレイユに来たばかりのセイロンが言っていたことをフェアは思い出した。その時以来、ほとんど話には出てこなかったが、そのエニシアという少女が形式上であっても、ギアンも含めた一団のトップなのだ。

 

「クラウレよ、その口ぶりからすると将軍達はギアンから何も聞かされてないのではないか?」

 

「……確証はない。しかしあの男と交渉していたのも、呼び出されて話をしていたのもギアン様一人だ」

 

 クラウレは断言こそしなかったものの、ギアンが意図的にバージルがラウスブルグを稼働させるあてがあるという情報を与えなかった、そう考えているということは言葉の端々から感じられた。

 

「そのあたりを心得て話せば、あるいは説得できるやもしれぬな」

 

 ギアンは将軍や教授を指揮下に置いていると言っても、それぞれの軍団員にまで命令できるわけではないだろう。つまりレンドラーとゲックさえ説得してしまえば、それだけで配下の軍団全てを無力化することができるのだ。

 

「あまり期待はせぬことだ。あの二人も簡単に信じる程愚かではないはずだ」

 

 忠告するように言う。レンドラーやゲックにとってこちらはあくまで敵なのだ。そう簡単に説得できるものではない。むしろ失敗することを前提に考えてもいいくらいだった。

 

「……ところ兄者、獣の軍団はどうなったんだ?」

 

 そこにアロエリが口を挟んできた。向こうの軍団は「剣」「鋼」「獣」の三つ。しかしクラウレは自分を追っていた獣の軍団のことは何も言わなかったため、気になったようだ。

 

「獣の軍団はあの男の襲撃時に正面から立ち向かって、ほぼ壊滅状態だ。獣皇も重傷を負っている」

 

「バージルさん……」

 

 ミントが呟いた。相手が悪魔とはいえ、彼女はバージルが戦ったのを間近で見たことがあった。まるで肩についた埃を払うかのように、表情一つ変えずに容赦なく斬り捨てていたのだ。きっとその獣の軍団も同じように殺されたのだろう。せめて苦痛のない死であったことを祈るばかりだ。

 

「ってことは、俺達が相手しなきゃいけないのは、その二つの軍団にギアン本人ってことでいいんだな?」

 

 ネロがこれまでの話から分かったことを確認する。分かっていたことだが、総数はこっちよりかなり多い。向こうも

 

「ああ、そうだ。以前ならギアン様直轄の暗殺者達もいたが、全てあの男に殺され、補充もしていないはずだ」

 

「それって、やっぱり紅き手袋の……」

 

 ギアンが無色の派閥を構成するクラストフ家の当主であることを知った時からその可能性は考えていたが、やはり紅き手袋との繋がりはあったようだ。もっとも、次の戦いではこちらの脅威にはならないようだが。

 

「っていうか、軍団一つに暗殺者を皆殺しか……。やっぱりとんでもないな、あの男……」

 

 バージルがネロ以上に強いというのは知っていたが、実際にやったことを聞くと背筋に冷たいものが走った。敵対していなくよかったとグラッドは心から思った。

 

「……それで、いつ頃仕掛けて来るの?」

 

 脱線しかかった話をフェアが戻した。向こうには時間的余裕があるとはいえないので、こちらも早めに準備を整えなければならないのだ。

 

「さすがに明日ということはないだろうが、遅くとも四、五日以内には動くと思う。時が来れば俺から伝えよう。お前達を戦いの場へ誘い込むのも俺の受けた命令だからな」

 

 クラウレの言葉を信じる限り、ギアンはトレイユに直接侵攻するという手段は用いないようだ。戦術面で見れば地の利がないトレイユへの攻撃は下策であるが、後々への影響や周囲の者に与える心理的効果を考えると、選択肢の一つではあるのは間違いない。

 

 しかし、もう後がないギアンにとってはその心理的効果に大きな魅力はなく、単純に有利な場所におびき寄せて叩くという基本に忠実なやり方になったのだろう。

 

「ふむ、兵を伏せるくらいはしてくるだろうな」

 

「いいさ。何か仕掛けてくるのさえ分かれば、いくらでも対処してみせる」

 

 セイロンは伏兵を警戒しているようだが、ネロはそうした突発的な事態への対処はお手のものであるため、たいして気にした様子はなかった。むしろ情報が洩れていることを知らないギアンの方が、ある意味で奇襲を受けることになるだろう。

 

 こうして、クラウレによって向こうの手の内を知ったが、それでも不測の事態は起こるということを、この時の彼らはまだ知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 




この小説を投稿し始めてから丸三年が経ちました。ここまで続けて来られたのは読んでくれている皆様のおかげです。

三年経っても本作はまだまだ続きますが、今後もよろしくお願いします。



さて、次回は5月20日(日)に投稿予定です。

ご意見ご感想、評価等お待ちしてます。

ありがとうございました。


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第81話 古砦の攻防 前編

 ネロやフェア達がクラウレより話を聞かされて三日。トレイユは少しずつ活気が戻りつつあった。もう少し経てば禁止令以前の状態に戻ることになるだろう。

 

 しかし、近く大きな戦いが起きることを知っているフェア達は、やはりいつも通りとはいかない様子であった。

 

 御使い達はグラッドも交えて、周辺の地形情報を集めつつ、ギアンとの戦いを見据えたシミュレーションを繰り返していた。

 

 リシェルやルシアンやミントは一見するといつも通りに見えるが、やはり不安はあるのか、いつもより口数が少なく思えた。フェアは、いつも以上に料理に取り組んでいるようだが、やはりネロの目から見るといつもとは違うように思えるのだ。

 

そしてミルリーフも、これまで以上にネロやフェアにべったりだった。もっとも彼女の場合は、戦いへの不安からではなく自らが至竜となることで今の関係が変わってしまうことの恐れのようだ。最後の遺産がまだギアン達のもとにあるとはいっても、次が決着をつける最後の戦いになる可能性が高い以上、どうしても考えてしまうのだろう。

 

「チッ……」

 

 そんな中、ネロは見るからに不機嫌そうな顔をしながら、忘れじの面影亭の庭にあるベンチに体を投げ出していた。隣にはミルリーフが座り、足をぷらぷら動かしている。

 

 今は店の営業時間であるため、時間潰しも兼ねたネロがここにいることはおかしいことではない。だがネロが不機嫌なのは別に腹が減っているとか、暇を持て余しているとか、そういう理由ではなかった。彼が不機嫌なのはフェア達の態度が原因であった。もちろん、悪いのは彼女達ではなく、そうさせている元凶である。

 

(どいつもこいつも無理しやがって……)

 

 軍人であるグラッドや守護竜を守る役目を負う御使いはともかく、ただの子供に過ぎないフェア達が不安を押し隠し、気丈に振舞うのが見ていられなかったのだ。

 

 これまでもミルリーフを狙う将軍や教授といった面々と戦うことはあったが、それは突発的なものであり、今のように戦いの日が刻一刻と迫ってくるようなものではなかったのである。

 

 これまでにない規模の戦いが目の前に迫っている。それがプレッシャーとなりこれまで戦いとは無縁の日々を送ってきた彼女達を苛んでいるのだ。

 

 こうした重圧はある意味、実際に戦うより辛いものなのかもしれない。戦いが始まってしまえば、それに集中するためにも余計な考えは頭から消えるが、今のような状況では、張り詰めた糸のように常に緊張状態にある。それがもたらす精神的な消耗は、こうしたことには慣れているネロの何倍、何十倍にもなるだろう。

 

(来るならさっさとこいよ。すぐにケリつけてやる)

 

 当然ながら、ネロはそうした状況に不機嫌そうな顔を浮かべるだけではない。その元凶であるギアンに明確な敵意を抱いていた。

 

 ここに至り、ネロはギアンを敵だと認識したのである。

 

「パパ、どうしたの? すごく怖い顔をしてるよ」

 

 そこにミルリーフから声をかけられた。どうやら知らず知らずのうちに、ギアンに対する敵意も顔に出てしまっていたようだ。

 

「ああ、悪かったな」

 

 先ほどのような顔をしていたのは決してミルリーフを怖がらせるのが目的ではない。むしろ元凶を打ち倒しフェア達を不安から解放するためである。なのに、ミルリーフを怖がらせてしまったのでは本末転倒である。

 

 そう思ったネロは、すぐにいつものような不敵な笑みを浮かべると、これまで何度もしているようにミルリーフの頭をくしゃりと撫でて言葉を続ける。

 

「さて、そろそろ店も終わった頃だろうから、昼飯でも食いに行くか」

 

 時計を見たわけではないが、ネロの体内時計や忘れじの面影亭から感じる気配が少なったこともあり、営業が終わったと思ったのだ。残っているのはフェアの他に手伝いに来ているリシェルとルシアンだろう。

 

「うん……」

 

 ミルリーフの返事はいつものような元気いっぱいのものではなかった。やはり今後のことでいろいろと悩むところがあるのだろう。それはネロも分かっていたが、あえて口出しするつもりはなかった。

 

 そうしてミルリーフと共にネロは食堂に顔をだすことにした。

 

「ん? あいつはたしか……」

 

 しかしネロの予想とは異なり、食堂にはまだ客がいた。もっとも、その人物はネロの知る人物でもあり明確に料理を食べに来ただけの客とは断言できなかったが。

 

「やあ、またお邪魔しているよ」

 

 食堂にいたのはセクターだった。この前の約束通りフェアの料理を食べに来たようだ。もっとも営業時間を過ぎてもまだ食べ終わっていないあたり、閉店ギリギリで来たことを伺わせた。

 

「ほらほら、早く二人も座りなさいよ。もうお昼できてるわよ」

 

 両手に料理の載った皿を持ったリシェルに促され、ネロはミルリーフと共にセクターの隣のテーブルに腰を下ろした。するとすぐにリシェルが料理を置いた。もうできているというリシェルの言葉は偽りではなかったようだ。

 

「フェアさん、みんなには言ってきたけど、もう少ししてから食べるから先に食べててくれって……」

 

 そこに今まで姿が見えなかったルシアンが姿を見せた。

 

「そっか。……仕方ない先に食べようか」

 

「何のことだ?」

 

 ルシアンとフェアの会話の意味が分からなかったネロは尋ねた。

 

「ああ、セイロン達のことだよ。お兄ちゃんはいないみたいだけど、今日もいろいろと話し合ってるみたいでさ」

 

「なるほどね。まだやってんのか」

 

 ネロは納得したように頷いた。一応、彼も最初に誘いを受けたのだが、こうした図面上での演習は性に合わないため、断ったという経緯があった。

 

「そういやクラウレの奴は戻って来たのか?」

 

 御使いの話をしていると、毎日こちらの情報を報告するという名目でギアンのもとに戻っているクラウレのことを思い出した。彼はいつも朝早く出て行き、昼前には戻って来るのだが、今日はまだ姿を見ていなかった。

 

「まだ戻ってきてなかったと思うよ」

 

「確かに僕達も見てないしね」

 

 先ほどまでずっと厨房に立ちっぱなしのフェアだが、それでも忘れじの面影亭に入ってきた者を見逃すようなことはないだろう。それに食堂にはリシェルとルシアンもいたのだ。

 

「こりゃ何かあるな……」

 

 隣に座るミルリーフにも聞こえないような声量でネロは呟いた。クラウレがギアンのもとに行ったのは今日で三度目であり、たまたま長引いたとも考えられるが、もともとギアンには時間ないこと、そしてなにより、ネロの勘がただ長引いただけでないことを告げていた。

 

 そしてそれを証明するかのように、クラウレが忘れじの面影亭に戻ってきた。

 

「あ、遅かったね」

 

「……ああ」

 

 フェアの声にクラウレは深刻そうな顔で答える。それだけでネロはどういう状況かわかった。

 

「その様子だと俺達を呼んで来いって言われたか?」

 

「その通りだ。俺が将軍や教授の手勢を見つけたことにして、町外れにある砦の跡地におびき寄せろ、と」

 

 やはりネロの予想は当たっていたようで、クラウレは頷いて戦いの場を口にした。

 

「町外れの砦の跡地って言うとドラバス砦のことよね」

 

「そうだね。もうずいぶん前に放棄されて、今はかなり荒廃してるって聞くけど」

 

 クラウレの言った場所に心当たりのあったリシェルとルシアンが言った。

 

「砦ね……、さすがに逃げるわけにはいかないか」

 

「仮にお前たちが来なかったり、戦いを避けた場合はこの町に攻め込むことも考えているようだ」

 

 ルシアンは荒廃しているというが、砦はもともと敵の攻撃を防ぐための施設であり、敵を迎え撃つ場所としては最適な場所と言える。しかし、そこで戦わなければクラウレの言葉通りトレイユが戦場になってしまう。

 

 地の利を考えれば逆に向こうに攻めさせて、こちらが迎え撃つという選択は有効な手立てだが、仲間たちの性格を考えれば、まずそれはないだろう。それに最後の遺産の件も考慮すると、やはり戦いを避けることはできないだろう。

 

「それで、敵は全員で来るのか?」

 

「レンドラーやゲックにも命令が下されていたから、間違いないだろう。ただ獣の軍団はともかく、獣皇はまだ傷が癒えていないはずだから来ることはないはずだ」

 

 クラウレの言葉が全てその通りだったとして、相手にしなければならないのは三つの軍団全て。どう考えても数的優位が向こうにあることは明らかなのに加え、今回は無色の派閥の召喚師であるギアンまで加わるのだ。

 

 これまでより遥かに困難な戦いになるのは火を見るよりも明らかだ。

 

「……どうやら私がいると邪魔になってしまうね。ちょうど食べ終わったし、失礼するよ」

 

「あ、うん。ごめんねセクター先生。こんなことになって」

 

 そこに場の雰囲気を感じ取ったのか、セクターが声を上げた。フェアとしても、こんな状況になっては引き留めるわけにもいかず、ただ申し訳なさそうに見送るしかなかった。

 

「…………」

 

「どうしたの、パパ?」

 

 忘れじの面影亭を後にするセクターの後ろ姿を難しい顔をしながら見ていたネロにミルリーフが声をかけた。

 

「いや、何でもない。それよりセイロン達を呼んできてくれ。あいつらにも話をしなくちゃな」

 

「うん、わかった」

 

 ミルリーフは頷いてセイロン達のあつまる部屋に走って行った。それを見送ったネロは心中で呟いた。

 

(さすがに今の状況であいつのことまで気にさせてられねぇよな)

 

 ネロが御使い達を呼びに行くのをミルリーフに頼んだのは、セクターを気にしていたことを誤魔化すためだった。彼はセクターに不審の目を向けていたのである。

 

 ネロがセクターに疑惑を抱くようになったきっかけは、数日前にセクターが忘れじの面影亭を訪れた際に、グラッドがレンドラーとゲックの名前を出した瞬間だった。グラッドの発した名前に僅かに反応を示し、さらにその上、一瞬ではあるが剣呑とした空気を見せたのである。

 

 そして今日も今しがたクラウレがレンドラーとゲックの名前を出した時、同じような反応を示したのだ。

 

 おそらくセクターはレンドラーとゲックのどちらかに何らかの因縁があると思われる。だがそれをフェア達に伝えたところで、目の前の戦いを優先させねばならないことに変わりないため、余計な負担をかけないためにも、今は自分自身の胸の内にしまっておくことにしたのだ。

 

「それじゃ、すぐに準備して出かけないと……」

 

「いや、まだ昼食がまだなのだろう。食うものも食わずにいるのでは、本来の力は出せん。出かけるのは食べてからでいい」

 

 若干慌てながらこれからの段取りを口に出すフェアにクラウレは忠告するように言った。フェアにしてみれば、早く行かなければトレイユを攻撃されると聞いて、すぐにでも行かなければならないと思ったようだ。

 

 しかし、たかが一時間程度の遅れでどうこうなるものでもない。クラウレもそのあたりを心得ているからこそ、その言葉を発したのだろう。

 

「だな。いざって時に腹が減って戦えませんでしたじゃ笑えねぇ。まずは食おうぜ」

 

 ネロもクラウレの意見には同意しているようで、フェアに声を掛ける。

 

(手加減はなしだ)

 

 フェアがそれを受けて大人しくテーブルに腰を下ろすのを見ながらネロは呟く。

 

 この戦い、彼は悪魔の腕(デビルブリンガー)も躊躇わず使用する腹積もりだった。誰一人に死なせずにこの戦いを切り抜けるには、出し惜しみしている場合ではない。とはいえ、もちろん相手は悪魔ではないため、これまで通り命を奪わないように注意を払う必要はあるが。

 

 そうしてネロは目の前に置かれた料理を見ながら、これが最後の食事になどさせるつもりはないと、改めて戦意を漲らせた。

 

 

 

 

 

「確認しておくが、殺しはなしってことだよな」

 

「うん。敵も味方も誰もそんなことにはなって欲しくないから」

 

 ネロの確認にフェアは一切の迷いなく即答した。

 

 既に食事を済ませ、仲間達とドラバスの砦跡へ向かっている途中のことだった。

 

「やれやれ、簡単に言ってくれるな。相手は砦に陣取ってるんだぞ」

 

 フェアの答えは半ば予想していたもので特に驚きはなかったため、ネロの言葉には茶化すような色が混じっていた。むしろ彼女がそう答えるのを望んでいた節さえあった。

 

「うぅ、ごめん……」

 

「いいさ、俺も好き好んで殺しはしたくないからな」

 

 そうは言うが、ネロは最悪の場合は相手を殺すことを覚悟していた。フェアはどちらも死なせたくはないようだったが、彼にとって優先すべきは仲間の命だ。仲間と敵の命、どちらかしか選べないようならネロは間違いなく仲間の命を選ぶだろう。

 

「それにしてもドラバス砦か……。予想していたとはいえ、実際にこの人数で攻めるとなるとかなりキツイな」

 

 グラッドも御使い達とのシミュレーションの中で、この砦が使われることは想定していたようだ。

 

 そもそもドラバス砦は谷間の国境地帯に造られた砦で、その周囲は切り立った崖に挟まれており砦を抜けなければ先に進むことはできない狭隘な地形にある。もしかしたら、かつては国境防衛のためだけではなく、関所としての役目も持っていたのかもしれない。

 

 ともかく、現在は帝国軍に放棄され整備もされていないとはいえ、そこを攻めるのは実質的に城攻めに近いものになるだろう。ただでさえ数的に劣勢であるのに、相手の三倍の戦力が必要と言われる攻城戦を強いられるのは最悪と表現してもいいかもしれない。

 

「でも、だいぶ前に放棄されたんだから荒廃してるんだよね」

 

「そりゃまともに使える武器とかはないだろうけど、砦自体はほとんどそのままのはずだぞ」

 

 ルシアンはそう言うが、グラッドは否定的だった。

 

 砦は多少の攻撃にも耐えられるよう造られるのが常だから、たとえ放棄されてから年月がだいぶ経っていたとしても、砦がボロボロというのは考えにくかった。

 

「とはいえ、周囲に兵を伏せられそうな場所がないのは救いだな」

 

「そうですわね。多少時間がかかっても安全を重視して攻めるべきですわ」

 

 ただセイロンの言葉通り、ドラバス砦は周辺の地形上、伏兵を配置できるような場所がなく、奇襲される恐れが低いのである。逆に言えば向こうも正面から攻めるしかないのだ。

 

「となるとあたしの召喚術の出番ね!」

 

 意気揚々とリシェルが声を上げた。彼女の扱う機界ロレイラルの召喚獣は敵を攻撃するだけでなく、砦を破壊する手段としても有効なのだ。

 

「やる気なのはいいけど、無茶はしないでよ」

 

 これまで何度もリシェルの行動に振り回されたフェアが忠告する。彼女は状況を弁えることはできるのだが、少し興奮すると周りが見えなくなってしまうきらいがあるのだ。

 

「分かってるって、大丈夫よ!」

 

「フェアさん、念のため僕も注意しておくから」

 

「お願いね、ルシアン」

 

 ルシアンは普段から稽古しているとは言っても、やはり体力的にも性格的にもどんどん前に出て戦うよりは、後衛で召喚師の護衛や前衛のサポートの方が向いているため、今回の戦いではリシェルやミントなどの護衛を任されたのだ。

 

「さて、そろそろ谷に入るぞ。さっきアロエリに見てもらったけど、油断するなよ」

 

 正面には山を割ったような谷が続いている。この曲がりくねった谷の先にドラバスの砦跡があるのだ。そこまでの道は事前にアロエリが偵察しており、伏兵はいなかったようだが、それでも何が起こるか分からないためグラッドは注意を促した。

 

 そしてグラッドが先導しながら谷間を進んで行く。そしてネロは最後尾でブルーローズを手に持ちながら歩いていた。

 

(さすがに機械相手ならともかく、人間には……いや、威嚇くらいならいけるか)

 

 ブルーローズは容易く機械兵器の装甲を貫通できる威力を持っている。鋼の軍団の機械兵器が相手ならともかく、人間には向けられないと思ったネロだったが、ハッタリくらいには使えると考え直してブルーローズをしまい込んだ。

 

 そのまま周囲を警戒しつつ歩を進めると、砦が見える位置までやってきた。まだそれなりの距離があっても砦には随分と多くの者が立てこもっているのが分かる。

 

 そして砦の上に立ち、赤い長髪に黒っぽいマフラーを巻いた見知らぬ男が立っていた。その近くにはレンドラーとゲックもいる。

 

「わざわざこんなところまで、よく来たね」

 

「ギアン、クラストフ……」

 

 リビエルが男の名を呟く。やはりこの男がラウスブルグを襲った集団の実質的な指導者であるギアンのようだった。

 

「あんた達もご苦労なことね。わざわざこんなところで待ち構えて」

 

 ギアンとはそれなりの距離があるが、普段より大きな声を出せば会話することに支障はないようで、フェアの言葉も十分ギアンに届いているようだ。

 

「こちらもこれで終わりにするつもりだからね。……さて、一応竜の子を渡すか確認しておこうか?」

 

 薄い笑みを浮かべたままギアンが言い放った。一見すると余裕たっぷりに見えるが、バージルによって残された時間が少ないことを知っているネロからしたら、内心の焦りを隠しているようにしか見えなかった。

 

「渡すわけないでしょ!」

 

「今の状況を分かって言っているのならたいしたものだ」

 

 フェアの拒否の声を聞いても、数的優位も地の利も抑えているためなのか、ギアンは余裕の態度を崩しはしなかった。それを見てグラッドが口を開いた。

 

「お前達も自分が何をしているのか分かってるのか? 大事にすれば軍もやって来るんだぞ!」

 

 ここは放棄されたとは言っても帝国軍の所有物であるのに加え、ギアンは無色の派閥を構成するクラストフ家の当主。これを知れば国境警備部隊「紫電」のアズリア将軍ならすぐにでも飛んでくるだろう。彼女の無色の派閥や紅き手袋への徹底した方針はグラッドも知っているのだ。

 

「構わないさ。どうせすぐにこの世界から出て行くつもりだしね」

 

 短く返答する。どうせ竜の子さえ手に入れればこの砦も不要になるし、自分達もメイトルパに行くから帝国軍の追撃を受けることもないのだ。

 

「それなら、御子さまを狙わずともよいのではなくて? 先日こちらに来たあの男は御子さまなしに城を動かす手段を持っているのでしょう?」

 

「……ギアン、それは真か?」

 

 それ聞いて驚いたのはギアンではなくレンドラーだった。同様にゲックも疑惑の目のギアンに向けている。やはりバージルのことは彼らに話していなかったのだろう。

 

 ギアンは誰にも聞こえないよう舌打ちしながら「余計なことを……」と呟くと不審の目を向ける将軍と教授に言った。

 

「そんなわけないだろう、下らぬ戯言だ。嘘だと思うならあいつに確認してもいい」

 

 ギアンは顔色一つ変えず虚言を言い放った。彼にしてみれば、あとでバージルに確認され、自身の言葉こそ偽りだったとバレてしまっても、竜の子さえ手に入れ、メイトルパに行ければそれでいいのである。

 

「……いいだろう。今は貴様を信じることにする」

 

「やむを得ぬな」

 

 それを受けたギアンとゲックは、とりあえず引き下がることにした。疑念は残るが、ラウスブルグを完全に稼働させるためには竜の子が必要なことに変わりはない。今はそう考え、大人しくギアンに従うことにしたのだ。

 

「理解してくれたようでなによりだ。さて……」

 

 ギアンが笑みを浮かべ、そう言いかけた瞬間、銃声が響き渡った。ネロのブルーローズからだ。銃弾はギアンを掠めただけだが、それはネロが狙ったことだった。

 

「ね、ネロ……」

 

「話が長ぇんだよ。どうせやるんだろ?」

 

 困惑するフェアをよそにネロは明らかに言いがかりのようなことを言った。あるいはこのあたりが、魔剣教団にいた頃から協調性がないと言われる理由かもしれない。

 

 ネロはそう言い捨てると、ブルーローズをしまい右腕のコートをまくり上げて悪魔の腕(デビルブリンガー)を露にする。それとほぼ同時に砦に向けて大きく跳躍した。

 

「お、おいネロ!」

 

 グラッドの声は聞こえているはずだが、ネロは振り返ることすらしない。そのまま砦の前に着地し、突然のことに一瞬呆然としているギアン達に向けて向かって優雅に頭を下げながら言った。

 

「Shall we dance?」

 

「何をしている! 小僧を迎え撃て!」

 

 いち早く頭を切り替えた将軍レンドラーが配下の剣の軍団に命令を下す。兵士達はそれに応じてネロのもとに走った。その様子を見てフェア達もネロのところへ急ぐ。

 

 そんな中、ネロはニヤリと笑みを浮かべると地面を蹴り、最初に向かってくる五人の兵士達へと跳ぶ。

 

 そしてちょうど真ん中にいた兵士の腹を蹴り飛ばした。鎧をつけており、なおかつネロも手加減していたが、それでも蹴られた兵士は容易く壁まで吹き飛ばされた。

 

「見え見えなんだよ!」

 

 今度は言葉と共にブルーローズの引き金を瞬時に三回引いた。少し離れたところから鋼の軍団の機械兵士二体がネロを狙っていたのだ。

 

 ブルーローズの放った六発の弾丸の内、四発はネロを狙っていた機械兵士に、二発はもう一体に命中した。どちらも最も強固な胸部装甲を貫徹し、容易く機能を停止させたのである。対悪魔用にネロ自身が改造したブルーローズは、機械兵士の重装甲にも有効だったようだ。

 

「二人とも! 教授を連れて早く下がりなさい!」

 

 ネロがクイックローダーを使ってブルーローズに銃弾を装填しているのを見て、ゲックのサポートを務める機械人形三姉妹の長女ローレットは、二人の妹にゲックを護衛するよう命じた。

 

 機械人形や機械兵士であれば、胸を撃ち抜かれようが、それこそ四肢や頭部がもぎ取られようが、電子頭脳さえ無事なら修復は可能なのだ。

 

 しかしゲックのように高齢で機械による延命処置をしている人間であれば、手足を撃たれただけでも致命傷となりかねない。そのため、ゲックをネロの射程範囲外まで逃がすのはローレット達にとってなによりも優先すべき急務なのだ。

 

 そしてそれを援護するかのように、剣の軍団の弓兵達が一斉にネロに矢を射った。

 

「ハッ………」

 

 しかしネロは迫りくる矢を鼻で笑うと、イクシードを燃焼させながらレッドクイーンで横一文字に薙ぎ払った。推進剤が噴射する勢いでネロの体も回転したものの、その勢いさえ味方につけた猛烈な剣風によって呆気なく矢は吹き飛んだ。

 

「くそっ、相変わらずなんて奴だ……」

 

 剣の軍団の兵士達やレンドラーやゲック、ギアンも顔を引きつらせたのを、ネロはしたり顔でそれを眺めた。

 

「さて、そろそろ……」

 

 今度はこちらから攻めようとレッドクイーンを肩に担いだ瞬間、殺気を感じた。とはいえ、それはネロに向けられたものではなく、アプセットとミリネージに護衛され後退していたゲックに向けられたものだった。

 

「ゲック! その命、俺が貰って行くぞ!」

 

「何っ!?」

 

 ほぼ完全な形の奇襲であり、ゲックの不意もついた一撃だったが、それでも二人の機械人形はすんでのところで、その凶行を阻止することができた。

 

「せ、先生!?」

 

「セクターさん!?」

 

 その姿を認めたフェアとミントがほぼ同時に声を上げた。二人の言葉通り、容姿はネロの知るセクターのものだったが、身なりはこれまで何度か見たものではなく、機械然としたライダースーツのようなものを着ている。そして雰囲気も優しげな教師のものから、憎しみに満ちた復讐者のものへと変貌していた。

 

「うおおおおっ!」

 

 セクターは声を上げ、一度は攻撃を防いだ二人の機械人形を吹き飛ばし、再びゲックへ肉迫にしようとするが、今度はローレットの砲撃によって阻まれた。

 

「どこの誰かは知らぬが、我が輩の前でかような真似はさせぬっ!」

 

 さらにそこへレンドラーがゲックの前へ出るとセクターに愛用の戦斧を振り下ろした。

 

「チッ……!」

 

 辛うじて受け止めることはできたが、単純な腕力ではレンドラーの方が上であるらしい。さすがに正面から戦ったのでは、突破は厳しいと判断したのか、セクターは大きく距離を取った。

 

「ネロ君! お願い、止めて!」

 

 ミントが叫ぶ。現状において、こちら側ですぐにセクターのところに行けるのは空を飛べるアロエリかクラウレ、それに先ほど人間離れの跳躍力を見せたネロだけであり、その中でミントがネロを選んだのは、彼の中にバージルに似た強さを感じ取ったからだろうか。

 

「っ……」

 

 しかしネロはすぐに動けなかった。

 

 本来のネロの作戦は、フェア達に先んじて戦闘を開始し、そのまま向かって来る者を倒しつつどんどん砦を攻め上り、最終的にはギアンを含めた全ての敵をネロ一人で打ち倒すことが狙いだったのだ。

 

 それが今セクターのいるところまで行けば、ゲック達の周辺にいる鋼の軍団はともかく、この場にいる剣の軍団の兵士達の相手をフェア達に強いることになる。

 

「ネロ、ここは私達に任せて!」

 

「……ああ、頼む」

 

 しかしその迷いはフェアの言葉で捨てることにした。

 

 彼女達にこの場を任せ、ネロは再度跳躍する。

 

(少しきついが、やるしかねぇな)

 

 ミントは止めるようにしか言わなかったが、それはつまりセクターに誰も殺させないようにするのと、同時に彼が殺されないようにするという二つの意味があるのだろう。敵を倒すのであれば何度も経験があるネロも、こうしたことは初めてだ。

 

 しかしもはや、できるできないの問題ではない。やるしかないのだ。

 

 そしてネロは、それが自分にできないなどとは思っていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 




始まる前から勝敗は分かりきってる戦いが始まりました。ちなみに次話ではバージルも出て来る予定です。

ギアンはもう泣いていいと思う。



さて、次回は6月3日(日)に投稿予定です。

ご意見ご感想、評価等お待ちしてます。

ありがとうございました。


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第82話 古砦の攻防 後編

 時は少し遡り、ネロやフェア達がドラバスの砦跡に向かっている頃、バージルはアティとポムニット連れてラウスブルグに戻っていた。

 

「それにしてもすごいところですねぇ……、昔話に出てくるお城みたいです」

 

 リィンバウムの城とは違う荘厳さを備えたラウスブルグのあちこちを見ながらアティは感嘆の声を漏らした。

 

 ラウスブルグは幻獣界メイトルパの古き妖精が造り出した世界を渡る船であるため、ちゃちな造りはしていない。むしろ敵の攻撃に備えて各種の迎撃兵器も装備されている頑強な要塞でもあるのだ。

 

 それに城自体も「ラウスの命樹」と呼ばれる巨大な樹の中に造られており、それがまた幻想的な雰囲気を醸し出していた。

 

「ところで、所々に傷みたいなものがあったんですけど……、あれはバージルさんが……?」

 

 ポムニットがここに来るまでに何度か見かけた戦いの痕跡のことを尋ねた。バージルがここを手に入れるまでの経緯は聞いているが、彼が破壊したにしてはどこか違和感を覚えたのだ。

 

「あれは俺がやったものではない。おそらく奴らがここを落とした時のものだろう」

 

「……確か、ここは元々、召喚獣達の隠れ里だったんですよね」

 

 バージルの言葉を聞いて、アティはこのラウスブルグはほんの少し前まで、召喚獣が暮らしていた所だったことを思い出した。それを最初に聞いた時アティは、まるで一昔前の「島」のような場所だと思ったものだ。

 

「ああ。……もっともここの住民は平穏に暮らすより、メイトルパに帰りたいと思っていたようだがな」

 

 ギアン達がラウスブルグを攻めた時の経緯は既に知っている。彼らは守護竜や御使い達が隠していたラウスブルグの秘密、世界を渡る力のことを暴露し、煽り立ててそれを使おうとしない守護竜に反旗を翻させたのだ。

 

 これはギアンの扇動が巧みだったということもあるが、住民達の望郷の念もまた大きかったということもあるだろう。事実、住民をメイトルパに連れて行くとしたギアンや、その方針を引き継いだバージルには反抗しなかったのだ。

 

「……せめて、ここにいる人たちだけでも帰してあげましょうね」

 

 起こってしまったことに今更何を言っても遅いが、ラウスブルグに住む者達の故郷に帰りたいという願いくらいは叶えてあげたいと思った。

 

「そのつもりだ。……とはいえ、少し時間はかかりそうだがな」

 

 バージルとしても人間界に行く前にメイトルパに行くことは受け入れていたため、あっさりと頷いた。ただし、アティとポムニットに頼んだ一件については必ずしも彼の思惑通りに進んだわけではなかったため、メイトルパ出発までに若干の時間はかかりそうだった。

 

「えぅぅ、ごめんなさい……」

 

「で、でもしょうがないじゃないですか! あんな風に頼まれたら断れないです!」

 

 バージルの刺すような視線を受けて、ポムニットは弁解することもなく涙目になりながら謝ったが、アティは反論した。

 

 城を動かすために必要な至竜と古き妖精。アティとポムニットにはそれを召喚できる者から誓約済みのサモナイト石を預かってくることを頼んだのである。もちろん一般の召喚師が誓約済みのサモナイト石を渡すことなどありえないから、ハヤトやマグナ、トリス等の知己の召喚師に話を通すことにしたのだ。

 

 結果から言えば、至竜についてはメイトルパのエルゴの守護者である剣竜ゲルニカの力を借りられるようハヤトが協力してくれることになり、古き妖精についてはまだ目途はたってないが、マグナやトリスを通じて蒼と金の両派閥にも話を通しているので、多少の時間はかかってもサモナイト石を入手できる公算が高く、仮にそのサモナイト石を入手できなくとも、バージルが代わりに舵取りをすればいいだけなのでたいして問題はなかった。

 

 むしろ問題は、その協力を得る過程でアティとポムニットが色々と頼まれてきたことである。

 

 アティが担当したマグナやトリスの方は、人間界に行く時に彼らの仲間であるレナードを連れて行って欲しいということだ。彼を呼び出した召喚師は既に死亡してしまったため、レナードは今も元の世界に帰る術をずっと探しているらしいのだ。お人好しのアティはそれを聞いて断ることができず引き受けてしまったのである。

 

 ポムニットの方も似たようなものであり、彼女の場合はハヤトとクラレットに同行させてほしいと頼まれたようだ。いくら強力な力を使える誓約者(リンカー)とはいえ、ハヤトはまだ二十代半ば、故郷が恋しくなることもあるのだろう。

 

 そして、ゲルニカのサモナイト石はハヤトがこちらに来るときに持ってくると言う話になったらしく、ポムニットも手ぶらでサイジェントを後にしたのである。

 

 もちろんそのことは、二人ともバージルに会った時に話したのだが、今になって蒸し返されるとは思っていなかったようだ。

 

「非難したつもりはない。それに俺も連れて行くかもしれん奴がいる」

 

 ただ、バージルとしては別に蒸し返したつもりはなく、ただ今後の見通しを口にしただけである。そもそもバージルもネロを連れて行く可能性がある以上、人のことは言えないのが真実だった。

 

「……もしかしてお知り合いの人ですか?」

 

 バージルが変わっていることはポムニットも感じていたが、それでも見ず知らずの者にまで気をかけるようなことはしないだろう。そんな彼がわざわざ連れて行くと決めたのだから知り合いか、もしくはそれに近い間柄ではないかと考えたようだ。

 

「そのようなものだ。あれは――」

 

「やめテくださイ、ひめさま!」

 

 バージルが答えようとした時、ちょうど三人が向かっている方向から若い青年の声が聞こえた。もっとも、今いる通路が大きくカーブしているせいで、誰が話しているかは視認できなかった。

 

「何かあったんでしょうか?」

 

「さあな。行けばわかる」

 

 先ほどまでアティのポムニットの迎えに出向いたバージルにも何が起こっているか定かではなかった。ただ、先ほど聞こえた声は聞き覚えがあった。あの青年の声は獣の軍団を率いる獣皇のものだったのだ。

 

 獣皇はバージルとの戦いの中で重傷を負っていたのだが、もう起き上がれるようになっていたらしい。さすがの回復力といったとこか。

 

 とりあえずバージルの言葉に従い、通路を少し進んで行くと先ほどの声の主である青年と、彼に引き留められているどこか儚げな雰囲気を漂わせる少女がいた。

 

「カサス! お願いだからそこをどいて!」

 

 カサスと呼ばれた青年はほっそりとしており、ぱっと見人間に似ている容姿を持っているが、獅子のたてがみのような頭髪とそこから出ている耳からメイトルパの獣人であることがわかる。

 

 獣人とはいえ、一見するとひ弱そうな外見をしている青年だが、彼こそがバージルとの戦いとの折、最も果敢に抵抗した獣皇なのである。

 

 もっともカサスが獣皇としてバージルと戦えたのには理由がある。彼は賭け試合のためにリィンバウムに召喚されたのだが、その性格からそのままでは試合に向いていないと判断されたのか、「狂血の呪い」をかけられたのだ。

 

 狂血の呪いはサプレスの憑依召喚術の一種で、その名の通り血を見ることで理性を失うほどの破壊衝動に襲われ狂暴化するのだ。そして同時に肉体も一回り以上大きく強靭なものへと変質するのだ。

 

 その呪いが発動した姿こそ、獣皇の正体なのである。

 

「あなた一人でハ危険でス! 考え直しテくださイ!」

 

 カサスが少女の前を遮るように立ちながら叫ぶが、少女はか細いながらもはっきりとした声で言った。

 

「でもみんな、また戦いに行ったんでしょ!? もう必要ないんだからそんなのダメだよ、止めなくちゃいけないの!」

 

 そう言ってカサスを説得しようとするが、彼もまた譲らなかった。誰か一緒に行くならともかく、戦う力など持たない少女を戦いの場へ送るなんてカサスにはできなかったのだ。

 

「でも――」

 

「何をしている?」

 

 もう一度、少女を説得しようとカサスが口を開いた時、バージルが二人に声をかけた。

 

「あの……これハ……」

 

 バージルの声に驚いて振り返ったカサスは、声の主を見て若干の怯えを含みながらなんとか理由を答えようとしたが、上手く言葉が出ないようだった。そしてその代わりに少女が口を開いた。

 

「ギアンやみんなが戦いに行ったの! でも、もう必要ないから、だから私、それを止めたくて……」

 

「お前が行ったところで止まるわけあるまい」

 

 既に戦う理由がないことを知らないのならレンドラーやゲックは説得できるだろうが、ギアンは無理だろうとバージルは判断していた。

 

「でも……」

 

 少女が反論しようしたが、その前にバージルが続けた。

 

「そもそも貴様が戦う必要がないことを知っているのは、俺の話を聞いたからだろう。ギアンは何も言わなかったはずだ。……そんなことも話されていないお前に説得などできるはずがないだろう」

 

 少女が、戦いが必要ないことを知っているのは、バージルとギアンの会話を聞いたからだろう。バージルがアティとポムニットを迎えに行く前にギアンと交わした会話をこの少女は聞いていたのだ。

 

「…………」

 

 少女はバージルの言葉を無言で肯定するしかなかった。彼の言葉通り、ギアンは何も語らずに戦いに行ってしまったのだ。それが少女のことを信用していないという証拠なのだとしたら、仮に説得したとしても無駄に終わる可能性は非常に高いだろう。

 

「そもそもあの男は――」

 

「まあまあ、バージルさん。そのへんにしてくださいね」

 

 さらにバージルは、ギアンについて言おうとした時、アティに遮られた。

 

「詳しい話はわからないですけど、戦いがあるならとりあえず止めましょう?」

 

「そうですね。バージルさんならすぐでしょうし、私もお手伝いしますから」

 

 それにはポムニットも同意した。二人とも争いは好まない性格であるため、当然と言えば当然の反応だった。

 

「ち、ちょっト……」

 

 しかし、カサスにしてみれば、何と無謀なことを言うのかと戦慄していた。あの傍若無人なバージルの話を遮っただけではなく、それを彼にさせようとしたのである。

 

 もっともバージルはアティとポムニットの前で少女が戦いを止めたいという話をした時点で、こうなることは予想していたようで、少女のほうに視線を向けて口を開いた。

 

「……止めるだけだ。説得はそいつにやらせる」

 

 こればかりは譲れないと有無を言わさぬ口調で言った。バージルの力を持ってすれば戦いを止めることは決して難しくはないし、そもそもまだ戦いが始まっていない可能性もある。

 

 しかし説得に関しては、戦いの相手であるだろうネロ達の説得ならともかく、一度完膚なきまで叩き潰しているギアンの説得などまず不可能なことくらい、考えるまでもなく誰の目にも明らかだ。

 

 それに、少女が止めたいと言ったのだから、彼女にやらせるのが道理でもあるだろう。

 

「……はい、わかりました」

 

 睨むような視線に怯みながらも、少女はしっかりとバージルを見て返した。弱弱しげな雰囲気をしているが、意外と性根はしっかりしているのかもしれない。

 

「なら、すぐに行く。ついて来い」

 

 少女の言葉を聞くなりバージルは踵を返して、先ほどまで歩いてきた道を戻って行く。これからすぐにギアン達が向かって場へ行こうと言うのだろう。

 

「……え?」

 

 その行動に驚いたのはカサスだ。まさかこのラウスブルグで独裁者のように振舞っていたバージルが、こうもあっさり意見を受け入れるとは、にわかには信じられなかった。バージルの連れてきた二人は、彼にとって特別な存在なのかもしれない。

 

「それじゃ行こうか?」

 

「は、はい!」

 

 アティから柔和な笑みを浮かべながら声をかけられた少女は、はっとして急いで歩いて行った。それにカサスも続こうとするが、こちらを見てもいなかったバージルに止められた。

 

「怪我人は邪魔だ。貴様は来なくていい」

 

 怪我人のお守りまでさせられてはたまったものではないと思ったのか、バージルはそれらしい理由をつけて同行を止めさせた。もちろんこの理由ならアティとポムニットも同行を許しはしないだろうという計算もあってである。

 

「無理させちゃってごめんね、カサス。ゆっくり休んでね」

 

 そして少女からもそう謝られたカサスには、もはやラウスブルグに残るしかできることはなかったのである。

 

 カサスと別れたバージル達四人は、ラウスブルグと外部を繋ぐ転送装置に向かっていた。これから戦いの場へ向かうことになったが、まさか既に戦いが始まろうとしているとは思わなかったため、バージルは必要以上に急ぐ理由もなくいつもの速度で歩いていた。

 

「あ、そういえばまだ名前を聞いてなかったよね? 私はアティって言うんだけど、あなたの名前は?」

 

 当然、後ろを歩く女性陣にも会話する余裕はあり、アティは先ほどから聞けなかった少女の名前を尋ねていた。

 

「え、えっと、エニシア、です……」

 

「いい名前ですね」

 

「私はポムニットです、よろしくね!」

 

 アティがエニシアに微笑むと今度はポムニットが名乗った。

 

「は、はい、よろしくお願いします」

 

 恐縮しながらエニシアはぺこりと頭を下げた。見るからにアティもポムニットも年上であるため、丁寧な態度になっているようだ。それとは逆に二人はエニシアの自信なさげな様子を心配しているのか、気さくな態度をとっていた。

 

「ところで、エニシアちゃんは戦いの場に行ったことはないよね?」

 

 微笑みは崩さないままアティが尋ねた。先ほどのカサスとの会話からそうだと思っているが念のために確認したかったのだ。

 

「……はい、ないです」

 

 エニシアの俯いて言った言葉を聞いたアティは頷くと、少し先を先導するように歩くバージルに声をかけた。

 

「バージルさん、戦いが終わるまで私がこの子の側にいてもいいですか?」

 

「構わん。ポムニット、お前もそうしろ」

 

 バージルに異はなかった。もとより戦場の制圧は、自分一人でするつもりだったのだ。一緒に戦うと言われるよりはずっと気が楽なのである。

 

「はい、バージルさんも気を付けてくださいね」

 

「あの、ご、ごめんなさい」

 

 バージルの指示にポムニットも頷いた時、エニシアは申し訳なさそうに謝罪の言葉を口にした。

 

「何のことだ?」

 

「あの、一人で戦いを止めるようなことになってしまって……」

 

 ギアンの連れて行った人数は正確なところはエニシアにも分からなかったが、ラウスブルグに残っているのがカサスだけの所を見ると、十人や二十人ではきかない規模であるのは間違いないだろう。

 

 そのギアン達の相手の数は不明だが、少なくとも戦いを止めようとすれば双方の相手をしなければならない。おまけにこちらはアティとポムニットは自分の側にいることになってしまったので、実質バージル一人で何十倍、下手をすれば何百倍もの数の相手をしなければならない状況になってしまったのだ。

 

 一応、彼の強さについてはエニシアも伝え聞いているが、それでもそうなってしまった原因である自分が謝罪しなければならないとおもったのかもしれない。

 

「大丈夫ですよ。だからエニシアちゃんは、みんなを説得できるように頑張りましょうね」

 

「そうそう、バージルさんならそれくらいへっちゃらですから!」

 

「は、はい、お願いします」

 

 一見すると二人は随分と無責任なことを言っているが、実のところこれは、バージルの実力を最も近くで見てきたアティとポムニットだからこそ言える

信用の言葉であった。

 

「……ああ」

 

 それが分かっているからこそバージルは、もう一度、今度は申し訳なさではなく謝意を示すために頭を下げたエニシアに対して、軽く頷き言葉を返したのである。

 

 そして一行は、戦いの場へと向かうため、城の転送装置へと急いだ。

 

 

 

 

 

「くそッ……」

 

 一方その頃、戦いが繰り広げられているドラバスの砦跡では、ギアンは思うように進まない苛立ちから不機嫌そうに舌打ちした。

 

 相手はネロ一人とその他に分かれているが、どちらも追い詰めるどころか、劣勢になっているのだ。フェア達と砦の入り口付近で戦っている剣の軍団の兵士は、支援攻撃が可能な機械兵士は片っ端から破壊された影響からか、召喚術を有効に使ってくる相手に苦戦していた。

 

 そして砦のど真ん中で、攻め寄せる剣の軍団と鋼の軍団を相手に単独で戦っているネロは、いまだ息切れひとつ起こしておらず、周囲には気絶した兵士や機能停止した機械兵士で埋め尽くさんばかりだ。

 

 一応、教授を狙う男を、銃を使って押さえていることはありがたかったが、これほどの被害を出し続けている敵に礼を言うことなどありえない。

 

「クラウレ、何をしている! 早く竜の子を抑えるんだ!」

 

 そこでギアンは一向に動こうとしないクラウレに、大声で当初の命令通り竜の子を確保するように命じた。仮にこの戦いの中、確保するのが難しくても、クラウレがこちらと通じているのではないか、という疑惑を抱かせることで、連携を断とうという考えだ。

 

 しかし、それに返ってきた言葉は思ってもいないものだった。

 

「ギアン様、もうお止めください! もう御子さまを狙う必要など、もうどこにもはずです!」

 

「……そうか、僕を裏切るんだな」

 

 ギアンの言葉は冷静そのものだったが、その声色からは隠しようのない裏切り者に対する憎悪が見えていた。そしてそれを魔力に変え、サモナイト石に注ぎ込み召喚術を発動した。

 

「消えろ、裏切り者めがっ!」

 

 呼び出したのは獅子に猛禽類を乗せたような幻獣界メイトルパの召喚獣「凶魔獣レミアス」だった。獅子と猛禽類、二つの頭を持つ見た目から分かるように、この召喚獣は自然に生まれたものではなく、人の手によって複数の幻獣を融合されたキマイラのような魔獣である。見た目の異質さもさることながら、複数の幻獣を合成された力は目を見張るものがあるのだ。

 

「ハッ、いいもの召喚してくれたな!」

 

 ネロの顔からにやりとした笑みが零れたるのと同時に、凶魔獣レミアスはその力を振るう前に、ネロの悪魔の腕(デビルブリンガー)によって獅子の頭部を鷲掴みにされた。ギアンがレミアスを召喚した場所からネロの場所までだいぶ距離があったが、十分悪魔の腕(デビルブリンガー)の射程内だったようだ。

 

「派手にいくぜっ!」

 

 声を上げると、掴み上げた凶魔獣レミアスをまるで鈍器のように軽々と振り回し、敵の有無など関係なしに、手当たり次第に叩き付けていった。

 

 人間の数倍は大きく、頑丈さも比較にならない魔獣は頭を掴まれた当初は抵抗するように暴れていたが、バージルとも拮抗するネロの力で何度も叩き付けられては、さすがに耐え切れなかったのか、今では意識を失っていた。

 

「そらよ、返すぜ!」

 

 ひとしきり振り回し周囲の地形すら変えたネロは、その手足となった魔獣をぞんざいにギアンの方に投げ返した。凶魔獣という凶悪な名に反して、最後まで踏んだり蹴ったりな扱いだった。

 

「さて……、まだやるか?」

 

 手についたごみをとるように両手を鳴らしたネロは、大きく数を減らした相手に言った。口には出していないが、もう既に彼の心境は残敵掃討に入っているようだ。

 

「っ……!」

 

 ネロの派手な行動に気を取られていたゲックと、勝ち誇っているネロ自身に隙を見たセクターは、好機と捉え再び動き出そうとした。

 

「おっと、あんたも――」

 

 牽制のために銃を取り出したながら「懲りないな」と言葉を続けようとした時、ゲックの方からどこか機械的な声が聞こえた。

 

「ソンナコト、サセナイ!」

 

 声の発生元にいるのは青い色をした機械兵士がおり、片腕に装備されている大きな銃をセクターに向けていた。言葉を発することから、先ほどまでネロが倒してきた機械兵士とは一線を画す存在であるのかもしれない。

 

「チッ……!」

 

 見るからに凶悪な威力を持っている青い機械兵士の銃を見たネロは、ブルーローズの銃口をその機械兵士に向けた。セクターに誰も殺させないのがネロの役目だが、同時にセクターを死なせないようにすることも求められているのだ。

 

「よすんじゃ、グランバルド!」

 

 青い機械兵士がネロに狙われていることを悟ったのか、ゲックが叫んだ。それと同時にいつの間にか距離を詰めていたレンドラーが戦斧を構えながらネロに向かってきた。

 

「小僧! 今こそ決着つけてくれるわ!」

 

 セクターがゲックのもとに辿り着くまでまだ時間がかかると判断したネロは、まず向かってくる将軍を相手にすることにして、左手で抜いたレッドクイーンを戦斧に勝ち合わせて、余裕たっぷりに口を開いた。

 

「いい度胸だ、オッサン。相手してやるよ」

 

「ぐ、ぬ……」

 

 ネロの余裕の表情の通り、いくらレンドラーが力を加えてもレッドクイーンはピクリとも動かない。レンドラーは両手、ネロは片手で得物を持っているにもかかわらずだ。

 

「将軍よ、そこを退けぃ! アセンブル!」

 

 レンドラーの不利を見たゲックは召喚術を発動させ、機界ロレイラルから濃い橙色の装甲にねじのような剛腕を持った召喚獣、鋼の剛機兵(ナクッルボルト)を呼び出した。

 

 この召喚獣はかつてロレイラルを荒廃させた戦争時に開発されたもので、量産こそされていないが足よりも屈強な剛腕をロケットのように繰り出す攻撃は、推進剤による猛烈な速度も加わり、凄まじい威力を誇るのである。

 

「来いよ」

 

 だがネロは、一切臆していなかった。むしろ右手を構えて、攻撃が来るのを今か今かと待っていた。悪魔の腕(デビルブリンガー)で受け止めて、先ほどの凶魔獣レミアスのように利用するのかもしれない。

 

 だが、鋼の剛機兵(ナクッルボルト)が両腕を撃ち出そうとする寸前、機体そのものが縦と横に切断され四つに分断され、ネロが驚愕の声を上げた。

 

「何……!?」

 

 だがそれは、召喚獣が斬られたからではなかった。その斬撃がネロにも見えなかったからである。とはいえ、ネロにはそれを行った者に心当たりがあった。つい先日戦ったばかりの相手だ。

 

(まさか……)

 

 その名を胸中で呟こうとした瞬間、周囲に青い剣が大量に降り注いだ。砦跡にいる誰にも当たってはいないが、その動きを止めるには十分な効果を発揮した。

 

 ネロの周囲にも降り注ぐが、剣山のように突き立てられた剣には目もくれず、ネロはそれを行った者がいる崖の上に向けて、小ばかにするように肩を竦めながら言葉を放った。

 

「何だよ? あんたも混ざりたいのか?」

 

「……そうではない。止めに来ただけだ」

 

 その言葉通り、一瞬で戦いを止めたバージルは答えると崖から飛び降りて、ネロの近く、つまりは砦の中心部に着地した。

 

「な、何故ここに……!?」

 

 バージルの姿に信じられないと言った様子で声を上げたのはギアンだった。彼は、たとえ自分達の作戦中にバージルが帰ってきたとしても、よほど時間をかけない限り、介入してくることはないと考えていたのだ。

 

「俺は頼まれただけだ。……あいつにな」

 

 バージルの示した先にいたのはエニシアだ。その両脇にはアティとポムニットもいる。

 

「ひ、姫様!?」

 

 レンドラーとゲックがうろたえた。それを見ながらエニシアは努めて冷静な様子で、二人に声をかけた。

 

「もういいの。もう戦わなくていいんだよ」

 

「しかしそれでは、あなたの願いを叶えることは……」

 

 エニシアの願いを叶えるためにはどうしても至竜が必要だった。そのためにレンドラーを始め、この場にいる者は戦っていた。少なくとも彼らはギアンからそう聞かされ、また、信じていたのだ。

 

「ううん、大丈夫なの。もう誰も戦わなくてもメイトルパのお母さんには会えるから」

 

「……ギアン、これはどういうことじゃ?」

 

 エニシアの言葉を聞いたゲックはギアンに尋ねた。いや、尋ねたというより詰問していると表現する方が適切かもしれない。なにしろゲックもレンドラーも、ギアンよりもエニシアの言葉を信じていたのだから。

 

「…………」

 

 しかしギアンは無言のまま何も答えようとはしなかった。

 

「ギアン、どうしてそこまで戦おうとするの?」

 

「ハハハ、当然のことじゃないか。竜の子がいなければ私達の望みが叶うことはないんだから」

 

「何を、言っているの……?」

 

 エニシアが尋ねることでようやく答えたギアンだったが、城を動かすのに竜の子が必要ないことは彼自身よく知っているはずだ。

 

「数日前にも言ったはずだが、呆けたか?」

 

 バージルも呆れたように言う。しかし、その言葉を聞いた瞬間、ギアンは声を荒げた。

 

「嘘だっ! どうせ僕達を連れて行く気はないんだろう!? だから竜の子を手に入れるんだ! そして……」

 

 彼はバージルの言葉を、いや、自分自身以外は何も信じていなかったのだ。だからラウスブルグを手中に収めているバージルと取引をするために、竜の子を手に入れようとしていたのである。

 

 もちろん正常な判断さえできていれば、バージルにとって竜の子は必須の存在ではないことくらい理解できているはずだ。だが、彼は以前のバージルの言葉も自分に都合よく解釈し、ただのはったりだと思い込んでいたのである。

 

 恐らくギアンはバージルにラウスブルグを奪われた時から、策略ではどうにもならない圧倒的な力を見せつけられた時から、心が折れてしまっていたのだろう。そして一種の自己防衛反応として言葉を都合よく解釈し、バージルに対抗できそうな竜の子に執着を示していたのだ。

 

「……愚かだな」

 

 バージルはギアンが言い切る前に断じた。彼はもはやギアンにこれ以上付き合うつもりはないようだ。

 

「ギアン、もうやめて!」

 

 エニシアは再び声をかけるが、ギアンは静かに、しかしどこか狂ったような声で言った。

 

「エニシア……、君も裏切るのか? いいや、できるはずがない。だって私はこれまでずっと君の願いを叶えて上げてきたんだからね」

 

 狂ったような笑顔を浮かべながらギアンは言った。

 

「ギアン……」

 

「それとも君は、何よりも優先して君の願いを叶えてあげたことを忘れたと言うつもりはなのかい?」

 

 そのギアンの言葉に、これまでは状況の急変対応できずただ話を聞くばかりだったフェアも我慢できず声を上げた。

 

「どんだけ恩着せがましいのよっ! 全部あんたが勝手にしたことじゃないの!?」

 

「うるさい! 邪魔をするな!」

 

 叫んだギアンの体から魔力が発せられる。それと同時にギアンの額から血のような紅くねじれた角が生えていた。

 

「角……?」

 

「まさか、それは幽角獣の……」

 

 唐突な変化にリシェルはぽつりと言葉を漏らしただけだが、アロエリはその角について何か知っているようだった。

 

「そうだ、アロエリ。ギアン様は幽角獣の血を引いておられるのだ」

 

「幽角獣……天使の系譜にも連なるメイトルパの聖獣……、それじゃあ、あの男はその力も……」

 

 クラウレの説明に補足するような形でリビエルが口を開いた。人間が特殊な力を持つ存在と子を成して、その力が引き継がれるのは珍しいことではない。もっとも、その力に人間の体が耐え切れず、早逝することも少なくないが。

 

「その通り、こんな風にねッ!」

 

 言葉と同時にギアンが「邪眼」と呼ばれる力を使うと物理的な制約は何もないのに、フェア達の体は痺れたように動かせなくなっていった。

 

「うぅ……!」

 

 動くことはおろか、声も満足に出せないほど強力な呪縛だが、当然と言うべきかネロは何ともなかった。ただ、いつも通りとは言えない雰囲気を身に纏っていた。

 

「……テメェもあれか? 親に会いたいとかそういう理由でミルリーフを狙ってたのか?」

 

 動けなくなっているフェア達のことも気にならないわけではなかったが、それ以上にギアンがミルリーフを狙う理由を尋ねた。先ほどのやり取りを見て、彼自身もメイトルパに行くことを望んでいるのは感じ取れたのだが、その理由までは分からなかったのだ。

 

「ああ、その通り。会いたいのさ。母と私を見捨てて幻獣界に帰って行ったあいつに復讐するためにね!」

 

「……つまり俺達はテメェのくだらねぇ復讐に巻き込まれたってわけか」

 

 ネロはそう言って、右手を握りしめる。もはや彼は、ギアンが父に復讐する理由を聞くつもりも理解するつもりもなかった。

 

 そして、ネロの目が一瞬赤い輝きを見せた。

 

(こ、これじゃ……まるで……)

 

 ギアンはそんなネロの底知れぬ雰囲気に気圧されたように後ずさった。彼は今のネロに、少し前に完膚なきまで叩きのめされたバージルの姿が重なったのである。

 

 だがいつの間にかネロは、大きく右腕を振りかぶってギアンの目前まで跳躍していた。

 

「何が復讐だ! クソッたれが!」

 

 くだらない理由でミルリーフやフェア達を戦いに巻き込んだギアンにネロの右腕が叩き込まれた。その速さにまともな防御などできずギアンは吹き飛ばされ、壁に叩き付けられた。

 

「ネ、ネロ……」

 

 ギアンを殺してしまったのかと、フェアは震えた声でネロの名を呼んだ。

 

「…………」

 

 しかし魔力を感じ取れるバージルは、ギアンがまだ生きていることに気付いていた。先日、バージル自身が見たネロの力を考えると、今回のギアンへの一撃は意識的にか、無意識かは不明だが、手加減したのだろう。

 

「……認めない」

 

 そしてバージルの予想が正しいことを証明するように、ギアンが憎しみのこもった目でネロを見ながら立ち上がった。だが、既に戦う力を失っていることは誰の目にも明らかだった。

 

「こんなの、僕は認めない! 必ず……僕は船も、竜も、必ず手に入れて見せるんだ……!」

 

 ここに至ってもギアンは自身の敗北を認めることはできなかった。彼にとって敗北を認めることは、復讐を、生きる意味を諦めることに他ならなかったからだ。

 

「ギアン、待って!」

 

 呪詛のような言葉を吐きながらこの場から離れようとするギアンをエニシアは呼び止めるが、聞こえていないのか振り返りもせずよろよろと歩いて行く。

 

「…………」

 

 ギアンの言葉を自分への反攻の布告と受け取ったバージルは無言で閻魔刀を構える。背を見せて逃げるだけの相手を殺すなど何の面白みもないが、面倒事は極力芽の内に刈り取るべきだ。

 

「待って! 待ってください!」

 

 しかしエニシアの隣にいたアティの声がバージルの動きを止めた。彼女は急いでバージルの隣まで来ると、閻魔刀を持つ左腕を持ちながら口を開いた。

 

「もう戦いは終わったんです。これ以上、誰も傷つける必要なんてありません」

 

 確かにアティの言うことも一理ある。既にここに来た目的は達成している。極端な話、ギアンの始末しようと思ったのはたまたまだであり、当初の目的ではない。その上、アティの意を無視してまで殺すほどの価値はギアンにはないのだ。

 

「……そうだな」

 

 そう考えてバージルは矛を収めることにすると、アティは安心したように笑顔を浮かべた。

 

「さあ、戻りましょう? 久しぶりにいっぱいお話したいです」

 

「ああ」

 

 バージルが頷き踵を返した時、ネロが呼び止めた。

 

「何だ?」

 

 振り向いたバージルに、ネロはこれまで抱いていた疑惑を、ただ一言を持って伝えた。

 

「あんたは、俺のなんなんだ?」

 

 そして、目の前の、自分と同じ銀髪を持つ男も同じように一言をもって答えた。

 

「俺は、お前の父だ」

 

「ぇ? ええええ!?」

 

 もちろんバージルの言葉に一番驚いたのはアティであることはある種、当然のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




今回の話の要約(嘘

バージル「I am your father」

ネロ「…………」

アティ「Noooooooo!」



冗談さておき、次回は来週の日曜日6月10日には投稿できるかと思います。

ご意見ご感想、評価等お待ちしてます。

ありがとうございました。


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第83話 確執の終わり

 ドラバスの砦跡での戦いは、ギアンの逃亡という形で終わりを迎えたものの、全てが丸く収まったわけではなかった。むしろ、混乱の度合いで考えれば、戦闘の最中より大きいかもしれない。

 

「え、えーと……?」

 

 フェアが困ったような言葉を漏らしたのもそんな理由からだった。なにしろ、戦闘中に少し前のネロと戦った男バージルが乱入してきたかと思うと、いきなり周囲に剣が降ってきたのだ。直後のバージルの言葉を聞く限り、当てるつもりはなかったのだろうが、それでも紙一重の距離に落ちてきた剣には肝を冷やしたものだった。

 

 そして、そこへ以前セイロンが話していた「姫」がやってきて説得したのと、ネロがギアンを殴ったことで戦闘は終息したのだが、それ以上にバージルがネロの父親だと言う告白の方が遥かに衝撃的であった。

 

 バージルはネロと同じ銀髪に似たような顔立ちと、親子と言われてもおかしくない類似点を持っているが、少なくともフェアからすれば、見るからに冷徹なそうなバージルに子供がいるというイメージが湧かなかったのだ。

 

 実際、バージルの隣にいる親密な関係にありそうな女性も驚きの表情を隠せないでいる。それは、この場にいるほぼ全ての者の気持ちを代弁しているかのようだった。

 

 だが、唯一の例外であるネロは大きく息を吐いて答えた。

 

「……だろうな。そんなところだと思ったよ」

 

 全く驚かなかったと言えば嘘になるが、バージルの言葉を聞いて妙に納得したのも事実だった。きっとネロの魂がバージルの言葉が真実であると言っていたのだろう。

 

「…………」

 

 だが、ネロはそれ以上の言葉を発することができなかった。己の父に対してどんな言葉を言えばいいのか、生まれた時から孤児院育ちのネロにはわからなかったのだ。

 

「…………」

 

 それに対してバージルも無言だった。もっとも彼の場合は何を話すか悩んでいるというより、聞かれたことに答えたため、それ以上言うことはないと思っているだけだが。

 

 さらにフェア達やレンドラー達も何も言わなかったため、砦跡には嫌な沈黙が流れていた。

 

 その沈黙を破ったのは、セクターがいたあたりから聞こえた砂を踏んだような小さな音だった。セクター本人の姿が目視できないことから、彼が何かしたのは間違いないだろう。

 

 もちろん、バージルもその音の正体には気付いていたが、彼は視線を送るだけで実際に対処したのはネロだった。

 

「しつこいんだよ!」

 

 これまでブルーローズで牽制していたのとは異なり、今度は悪魔の腕(デビルブリンガー)を伸ばした。それを使ってネロは姿を消していたはずのセクターをあっさりと捉え、自分の前に引き寄せた。目視できなくとも人間一人の動きを把握することくらいネロには朝飯前なのだ。

 

「なるほど、融機強化兵か」

 

 引き寄せられたセクターの姿を見たバージルが呟いた。距離があると少し機械的なライダースーツにしか見えないセクターの装備は、こうして近くで見ると多様な技術が用いられているようで、もちろんそれらは全身にまで及んでいる。

 

 こうした四界の技術を人間に施したのが融機強化兵と言われ、ゲックがかつて帝国軍にいた頃に開発されたものだ。しかし、帝国から離れる時、全ての研究内容を破棄したため、現在、融機強化兵の開発は事実上頓挫していた。

 

 だが、セクターを見る限り、少なくとも試験体の製作までは開発が進んでいたことがわかる。もっともそれは、以前ギアンに提供させたものにあったゲックの資料からも推測できたため、バージルとしても驚くことではなかった。

 

「あんた、知ってるのか?」

 

 これ以上勝手にされてはかなわないとセクターに当て身をしたネロが尋ねた。

 

「ああ。……だが、聞くならあれにしろ」

 

 バージルが知っているのはあくまでゲックの資料を読んだためだ。この場にそれを書いた本人がいるのだから、その本人に尋ねるのがベストだろう。

 

 それに対してネロがどうするか考えていたところで、ミントがバージルに話しかけた。

 

「あの……、よかったらどこか別の場所でゆっくり話しませんか? 私もいろいろ聞きたいことがありますし、ネロ君だって……」

 

 ちらりとネロを見ながらミントが言った。彼女は次いでエニシアの隣にいたポムニットに視線を向ける。その意味を悟ったポムニットはバージルの方に歩きながら口を開いた。

 

「何かいろいろ複雑な事情もあるみたいですから、私も一度話し合ったほうがいいと思いますよ」

 

「お前の場合、それだけの理由ではないだろう」

 

 ポムニットがそう言ったのは、ミントから頼まれたというのも理由の一つではあったが、バージルの言う通りそれだけではなかった。

 

 おそらくは久しぶりに会う親しい友人とゆっくり話をしたかったということもあったのだろう。ただでさえミントとポムニットは手紙のやり取りが主で、直に会うなど年に一回あればいい方なのだから仕方ない。

 

「えへへ、ダメですか?」

 

 バージルが自分の目的に気付いていることがわかったポムニットは素直に頼み込むことにした。もし、本当にダメであればバージルなら有無を言わさず断っているだろう。

 

「……いいだろう」

 

 どうせもう一度はネロの答えを聞くためにトレイユを訪れるつもりだったのだ。それが今になったとしても、たいした問題はないと考えたバージルはミントの提案を受け入れることにした。

 

「先生もそれでいいですよね?」

 

 バージルの了解を得たポムニットは、アティにも確認しようと声をかけた。彼女の性格ならまず反対はないと思ったのだが、先ほどからずっと黙ったままだったため、一応聞いておこうと考えたのだ。

 

「…………」

 

「先生?」

 

 呼び掛けても返事がないアティにポムニットは彼女の顔を覗き込んだ。特に意識を失っているわけではないようだが、やはりバージルの発言は衝撃的だったのだろうか。

 

 それ自体はポムニットも驚きはしたが、ネロと呼ばれる青年の容姿とバージルの年齢を考えれば、バージルが相当若い時、おそらくこの世界に来る前にできた子だということは想像できたため、あまり気にならなかったのだ。

 

「え、えっと、ネロ君……」

 

「あ、ああ……」

 

 なにやらただならぬ様子で名前を呼ばれたネロは、少し気後れしながらも答えた。

 

 それを受けてアティは意を決して声を上げた。

 

「お、お母さんって呼んで!」

 

「……は?」

 

「…………」

 

 それを聞いたネロは呆気にとられたように声を漏らし、バージルは無言でいたものの呆れたように額を抑えながら首を振った。

 

 

 

 

 

 それからミントの提案通り、トレイユに戻った一行は忘れじの面影亭に集まっていた。ミント本人は提案した手前、自分の家を話し合いの場所として提供するつもりだったのが、ネロ達にレンドラーやゲックを含めたバージル達を加えると二十人を超えるため、彼女の家では手狭と判断され、食事時は多くの人で賑わう忘れじの面影亭で行われることになったのである。

 

 ちなみにグランバルドはセクターによって武器と脚部にダメージを受けたため、剣の軍団の兵士や鋼の軍団の機械兵士達はいたところで特に話すこともないため、それぞれ一足先に帰らせていた。

 

「えっと……今回はどうして戦いを止めたんですか?」

 

 とりあえず腰を落ち着け、セクターは開いている部屋に寝かせた一行は、簡単にそれぞれの紹介をしたところで、ミントが他の多くの者が気になっていたことを切り出した。バージルが善意でそんなことをする男でないことは、アティやポムニットに比べ付き合いが浅いミントでも理解していたため、余計に気になったのだ。

 

「こいつに頼まれただけだ」

 

 バージルはエニシアを指しながら答えた。正確に言えばそれをアティとポムニットに頼まれたからなのだが、わざわざそこまで説明する必要はないと判断したのだ。

 

「は、はい。私がお願いしたんです」

 

「あの時の言葉を考えると、もう御子さまを狙う必要はない、そう捉えてよいのだな」

 

 先の戦いでレンドラーとゲックを説得した時の言葉を思い出しながら、セイロンが念を押しながら確認した。

 

「って言うか、そもそもあんた達ってなんでメイトルパに行きたいのよ?」

 

「確かお母さんに会えるとか言ってたと思うけど……」

 

 以前の話からラウスブルグを動かしてメイトルパに行くという話は聞いていたが、なんのために行くのかは知らなかったため、リシェルは尋ねた。一応ルシアンはエニシアの言葉を思い出して想像はしているようだが、やはり本人から直接聞きたいようだった。

 

「その通りです。私は帰ってしまった母に会いたくてメイトルパに行きたいんです」

 

「それじゃあ、エニシアさんって……」

 

 エニシアの言葉を聞いてポムニットは、彼女が自分と同じように異界の存在と人間の間に生まれた存在であることに気付いた。

 

「はい。月光花シグマリアの古き妖精の母から生まれた響界種(アロザイド)という存在です」

 

響界種(アロザイド)とはエニシアのような半妖精だけでなく、異界の存在との間に生まれた者達に召喚師が便宜上つけた総称である。そのため、ポムニットもこの響界種(アロザイド)にあたるのである。もっとも、あまりいい意味で使われている言葉ではないため、ミントはその単語を使用するのを避けていたが。

 

「我らはその姫様の願いを叶えるためにラウスブルグを手に入れ、そしてそれを動かすために竜の子を狙っていたのだ」

 

「……もっとも、それはとうに無意味なことになっていたのじゃがな」

 

 レンドラーの言葉を継いでゲックが自嘲するように言った。もう少しギアンかバージルと話をしていれば、と後悔している様子だった。

 

「もう御子さまを狙う必要がないということは、代わりの至竜を見つけたということですの?」

 

「そうだ」

 

 リビエルに質問されたバージルが答える。あまりにもあっさりとした答えなのは、余計な情報を与えるつもりはないという意思表示かもしれない。

 

「しかし、それだけでは動かないぞ。舵取りをする古き妖精がいなければ」

 

「派閥に探させている。仮に見つからなかったとしても俺がやるだけだ」

 

 アロエリの質問に答えたバージルの言葉を聞いて、今度はグラッドが確認するように言った。

 

「派閥ってまさか、無色の派閥じゃないだろうな」

 

「いや、蒼の派閥と金の派閥だ」

 

 常識的に考えれば無色の派閥に探させるなんて選択肢は浮かんでもこないのだが、この青いコートの男であればやりかねないとグラッドは心配していたが、バージルの言葉を聞いて安心したようだ。

 

「だが、お前に舵取りができるのか? 城は古き妖精でなければ操れないはずだが……」

 

「既に試した。問題はない」

 

 以前ラウスブルグを動かして帝都まで行った際に、バージルは一通り動かせることを確認していたのだ。もちろんそれが正しいやり方であるという保証はないが、とりあえず正常に稼働さえできれば問題ないだろう。

 

「何のためにそこまで……」

 

 ラウスブルグを稼働させるのに必要な妖精を確保するためだけに、バージルは二つの派閥まで動かしたのだ。一体のなんのためにそこまでするのか、フェアは気になったのだ。

 

「答える必要はない」

 

 バージルは断じた。人間界に行くこと自体は秘密でも何でもないが、そこですることに関しては何の関係もない彼女に話すつもりはなかった。そもそも、話したところでリィンバウムが置かれた状況を知っていなければ理解することはできないだろう。

 

 そう、悪魔が現れなくなった原因を知っていなければ。

 

「……あ、そういえばバージルさんが連れて行くかもって言っていたのはネロ君ですか?」

 

 悪くなった場の空気を戻そうとポムニットが話題を変えた。バージルは人物を特定できるような情報は言ってなかったが、やはり実の息子だというネロが最もあり得ると考えたようだ。

 

「…………」

 

 名前を出されたネロは悩んでいるのか無言でいた。いきなり話を出されても、まだどうするか悩んでいたので、答えられなかったのである。

 

「……どうやら、まだ決まっていないようだな。まだ時間をやってもいいが、あまり長くはない」

 

 バージルはネロの様子からそれを悟った。本来であればもう少し時間を置いてから尋ねるつもりだったので、出発の準備が整うまでは待つことは可能だった。

 

「いや、いい。俺も行く、人間界に帰るよ」

 

 そもそもネロはいつかは人間界へ、キリエの待つフォルトゥナへ帰るつもりだったのだ。先ほど悩んでいたのは、今の状況で帰ってもいいのかと考えていたのである。

 

 しかし、ミルリーフを狙っていたレンドラーとゲックはもう戦う必要がないことを理解でき、御使いも全員集まった。まだ最後の遺産を継承できていないが、それが済めば仮に逃げたギアンが戻ってきたとしても何の問題もないだろう。

 

 そうした現状を鑑みネロは、一つの区切りがついたと判断したのだろう。

 

「ネロ……」

 

「パパ……」

 

 フェアとミルリーフが呟く。反対の言葉は口には出さなかった。二人とも故郷からいきなり連れて来られたネロの事情は知っているので、彼の意思を尊重するつもりのようだ。

 

「そう……、やっぱり帰るんだね」

 

「お前には世話になったな」

 

「……今すぐに、というわけではないが……」

 

 ミントとグラッドが少し寂しそうに別れの言葉のようなものを言うと、バージルがぼそりと呟いた。先ほども言った通り、妖精はまだ見つかっていないし、そもそも至竜を呼ぶためのサモナイト石も手元にないのだ。

 

 それに、ハヤトやレナードといった同行予定者の合流も待たなければいけないため、出発は最速でも二、三週間は先になるだろう。

 

 そんなバージルの呟きが聞こえなかったのか、アロエリが真剣な顔で声を上げた。

 

「一つ聞きたい。里の同胞たちはどうなる? まさか、全員降ろしていくわけではないだろうな」

 

 ラウスブルグに住んでいる者は元々が召喚獣として強制的に呼び出され、諸々の事情ではぐれ召喚獣となった者ばかりだ。アロエリのようにラウスブルグで生まれ育った若い世代もいるが、大多数が生まれ故郷に帰ること望んでいる者達なのである。

 

 そのあたりを心得ているギアンに扇動されて、御使いであるアロエリとは対立した関係だが、それでも長く共に過ごしてきた同胞なのだ。返せるものなら返してやりたいのが彼女の本音なのだ。

 

「そう案ずるな。ワシらと共にメイトルパに連れて行く予定じゃ。……これも嘘でなければな」

 

「嘘ではない」

 

 バージルとの話はギアンに任せきりだったゲックの言葉にバージルが答えると、リビエルがからかうような笑みを浮かべた。

 

「あら、意外ですわね」

 

「放り出した方がいいならそうするが?」

 

 リビエルの言葉にバージルは無表情のまま言葉を返した。この男の恐ろしいところは、このような冗談みたいな言葉でも、本気で実行するところである。

 

「メイトルパに連れて行ってくれるならそれが一番。むしろ問題は我らの方だ」

 

「どういうことですの?」

 

 セイロンの言わんとしているところが分からず、リビエルは聞き返した。

 

「いやなに、いつまでも店主殿の好意に甘えて居候を続けるというわけにもいくまい」

 

 かといって帰るべき場所であるラウスブルグはバージルの手の中、おまけに忘れじの面影亭を出る時期によってはリィンバウムにいない可能性すらあるのだ。

 

「私は別に構わないけど……」

 

 フェアはそう言うが、先ほどのセイロンの言葉には御使い全員が納得していたのだ。彼らが忘れじの面影亭に留まるという選択肢を取ることは、まずありえないだろう。

 

「それなら一緒に来たらどうですか? バージルさんも至竜が増えるなら断ることはないでしょうし」

 

 ポムニットはそう言った後、バージルに向き直り「いいですよね?」と確認した。もともとギアン達がミルリーフを狙うのをバージルが黙認していたのは、竜の子に万が一の際の予備としての価値を認めていたからだ。

 

 当然、それが何の苦労もせずにこちらに来るというのならバージルには断る理由はないのである。

 

「構わん。……だが、至竜の力くらい使えるようになってもらわなければな」

 

 ミルリーフがまだ至竜としての力を継承していないことに気付いていたバージルは、しっかりと釘を刺しておくことも忘れなかった。彼はアティやポムニットとは違いお人好しではない。貴重な至竜の力を利用しない手はないのだ。

 

「我らとしてもこのままでよいとは思ってはいない」

 

 クラウレが口を開いた。ミルリーフの安全のためにも、彼女には一刻も早く最後の遺産を継承してもらいたいのである。

 

「…………」

 

 バージルは無言のまま、件の竜の子に僅かに視線を向けた。ミルリーフはそれに気付かずにただ居心地が悪そうに俯いていた。どうやら今の彼女はすぐに最後の継承を行うつもりはない様子だ。

 

 しかし同時に、気まずそうにしているのだから、いつかは至竜とならなければならないということも理解しているのだろう。

 

「まあ、いいだろう。こちらの準備が整うまでに力を操れるようになっていれば文句はない」

 

 この分ではじきに決心もつくだろうと判断したバージルは、一応、期限の設定だけはしておくことにした。

 

「決まりですね!」

 

 笑顔で大きく頷いたポムニットは、そこで大きく息を吸うと先ほどから黙ったままのアティの代わりに尋ねる。

 

「……ところで、ネロ君と親子だって話ですけど、その……母親は……?」

 

 その言葉にアティだけでなく、他の者達もバージルに視線を向けた。

 

 それに対しバージルが少しの沈黙の後、口を開こうとした時、ネロがそれを妨げた。

 

「言わなくていい。今さら母親が誰だとか言われても困るだけだ」

 

 子供の頃ならともかく、今のネロにとって母親が誰であろうと構わなかった。それに実の父親であるバージルも健在である以上、どうしても気になった時に聞けば済むことだと思ったのだ。

 

 そしてネロはニヤリと口角を上げてバージルに忠告した。

 

「むしろ、あんたのためにも言わない方がいいんじゃないか?」

 

 不安げな視線をバージルに送るアティを見ながら言った。彼女のこれまでの言動を見る限り、バージルの恋人かそれに近い関係であることは明白だ。そんな相手に昔の女の話をするなど好ましくはないだろう。

 

「……そうか」

 

 バージルはネロの言葉を受け入れたのか、多くは語らなかった。そして自分を見るアティに視線を向けると、彼女はばつが悪そうに目を逸らした。

 

 それを見たバージルは少し話した方がいいと思い、アティを連れ出すことにした。

 

「……もう話すこともないだろう。俺は戻るが、お前はどうする?」

 

 バージルはポムニットに向けて言った。アティは連れ出すつもりでいたため、わざわざ聞くようなことはしない。しかしポムニットは、親友であるミントに会いに来たのもここに来た理由であるため、ここに残るのか、一緒に戻るのか尋ねたのだ。

 

「いえ、私は残ることにします。いろいろとしたいこともありますし」

 

「それに、今日は私の家に泊めますから心配しないでください」

 

 尋ねられたポムニットはミントと顔を見合わせて答えた。それだけで伝わるあたり、どうやら以前から考えていたことのようだ。もっともポムニットがトレイユを訪れたときは毎回ミントの家に泊まっているため、ある意味恒例行事のようなものだった。

 

「そうか。……アティ、帰るぞ」

 

「あ……、はい」

 

 やはりいつもとは違う返事をしたアティを連れ、バージルは忘れじの面影亭を後にする。

 

 一応、帰るならエニシアやレンドラー、ゲック達も目的地は同じだが、さすがに今のバージル達について行こうとは思わなかったようだ。

 

 

 

 

 

 忘れじの面影亭からため池の手前まで、バージルはともかくアティまで一言も口を開かずに黙々と歩を進めていた。先ほどからほとんど口を開いてこなかったアティだが、今も混乱が続いているというわけではなかった。

 

(バージルさんの子供……)

 

 バージルに自分以外の誰かとの子供がいると聞いた時、アティは非常に混乱するのと同時に、その顔も名前も知らない誰かに対して、羨望と嫉妬の感情を抱いたのだ。母と呼んでほしいとネロに言ったのもそうした感情によるところが大きいだろう。

 

 もちろん、その子供が自分と会った後にできたものではないということは理解しているが、心の動揺は抑えられなかった。やはり理屈で納得できるほど簡単なものではないのである。

 

 これが話だけであればまだ違ったかもしれないが、実際にバージルの子供であるネロを前にすると、彼を通して嫌でも「顔も名前も知らない誰か」の存在が見えてしまい、それをどう受け止めればいいのか分からなかったのである。

 

 二人は無言で歩いていたが、ちょうどため池を過ぎたあたりでバージルは立ち止まり、口を開いた。

 

「……この世界に来る前だ」

 

「え……?」

 

 不意に言われた言葉にアティは聞き返し、彼の顔を見上げた。しかしバージルはアティの顔を見ずに言葉を続ける。

 

「ネロは人間界にいた時のだ。こちらに来てからではない」

 

「あ……」

 

 アティはバージルがどうしてそんなことを言っているのか、ようやく理解できた。自分が彼のことを疑っているのではないかと思い、そんな言い訳めいたことを言っているのである。

 

「ふふっ」

 

 バージルはこんなにも自分のことを気に掛けてくれている。昔のバージルがどうであれ、今の彼の一番は自分なのだ。それに気付くと、さきほどまで深刻に考えていたのが馬鹿馬鹿しくなり、思わず笑みが零れた。心を覆っていた羨望や嫉妬もいつの間にか綺麗さっぱり消えている。

 

「なにがおかしい?」

 

「ごめんなさい。もういいんです。気にしてない……って言ったら嘘になりますけど……、今は私が一番なんですよね?」

 

 上目遣いで確認する。もちろんバージルがどう思っているかはアティにも理解できているが、やはり直接の言葉で聞きたいようだ。自分より他人を優先させるアティでも、バージルだけは譲れなかっただろう。彼の一番でありたかったのだ。

 

「今だけではない。これからもだ」

 

 バージルもそれが分かっているからこそ、はっきりと断言した。もちろんバージルも、アティ以外の者と一緒になるつもりなどさらさらないようだ。

 

「私、しあわせです……」

 

 それを聞いたアティはふにゃりと顔を崩し、にへらとした笑顔を浮かべた。そしてそのままバージルと腕を組むと、自分の頭をこてんと彼の腕に預けた。さきほどまでのやけに深刻な雰囲気は、既に影も形もなかった。

 

 なんだかんだ言ってもこの二人、お互いのことが好きすぎるのである。

 

 ミントのところに泊まることにしたポムニットの決断は英断と言えるだろう。あるいはこうなることを予想して、邪魔をしないように、そして自分の身を守るための決断のかもしれないが。

 

 何はともあれ、こうした関係になって五年近く経つバージルとアティは、まるで新婚のように仲睦まじくラウスブルグへ戻って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 




というわけで隠し子の件は収まりました。

さて、これで粗方決着は着いたので、今後はサモンナイト4におけるサブイベントをやっていきたいと思っています。もっとも、ほとんど原作沿いではありませんが。



次回はいつも通り2週間後の6月24日に投稿したいと思います。

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第84話 鋼鉄の心 前編

 バージルはもう話すことはないと言い残し、アティと共に去っていったが、忘れじの面影亭ではいまだ話は続いていた。

 

 ただ、その内容は少々本題とは逸れた内容ではあったが。

 

「それでさ、セクター先生のことなんだけど……」

 

 少し言いにくそうに口ごもりながらフェアが話を振った。先ほどまではミルリーフやバージルに関する話をしていたため、全く話に出てこなかったが、恩師のあの姿、そしてゲックに対する殺意は明らかに異常だった。

 

「確か、融機強化兵とか言ってたな、あいつ」

 

 バージルがセクターのことをそう呼んでいたのをネロは覚えていた。それと彼の姿を見るに、肉体を人為的に改造した兵士がその融機強化兵なのだろう。そしてそのセクターが執拗にゲックを狙っているということは――。

 

「特殊被験体V-118融機強化式特務兵士。ワシの狂気が生み出した罪の証なのじゃ」

 

 ネロの思考が答えへ至るのとほぼ同時に、ゲックが重々しく口を開いた。

 

「それじゃまさか……ロレイラルの技術を使って……」

 

 ゲックと同じく機界ロレイラルの召喚術を使うリシェルは、セクターが使っていた装備の技術がロレイラルのものだったことに気付き、そこまで思い至ったようだ。

 

「学究都市ベルゼンに設けられた帝国軍の実験施設にいたワシは、あやつのようなロレイラルだけに限らず、メイトルパ、シルターン、サプレスの素材を組み合わせて強化兵士を作る研究に携わっていたのじゃ」

 

(どこにもあの男みたいなことする奴がいるんだな)

 

 ゲックの告白を聞いたネロは、ゲックがかつてフォルトゥナの事件で会った一人の男と重なって見えた。

 

 その男の名はアグナス。教団の技術局を統括し、ネロのレッドクイーンにも搭載されているイクシードの基本システムも構築した技術者だ。

 

 しかしその裏で悪魔の研究も行っており、悪魔の力を人間に宿すという実験も行っていたのだ。当然、成功例は多くはなかった。ネロ自身教団本部で実験に失敗し自我を失った者達を見てきていし、教団騎士をしていた頃には悪魔に憑依された人間を始末していたが、もしかしたらその中の一部は実験の失敗例だったのかもしれない。

 

 技術者や研究者としてはゲックもアグナスも優秀なのは間違いないだろうが、なぜやっていいことと悪いことの区別がつかないのかとネロは不思議に思う。あるいはそうした倫理観を捨てることができるから優秀と評されるのだろうか。

 

「そんな……軍がそんなことをしているなんて……」

 

 ゲックから語られた内容は、軍は帝国の平和を守るものだと信じてきたグラッドには到底信じられないものだった。しかし、それを否定するものは何もなかった。

 

 その上、ゲックの言葉を裏付ける生き証人が食堂に現れた。

 

「だが、それが真実だ……」

 

 息を切らし、体を引きずるようにして現れたセクターは忌々し気にゲックを睨み付けると、グラッドに言葉をかけた。

 

「グラッド君、軍に入った時にベルゼンの実験施設が重要な警備対象であることは説明されていただろう? それに軍が強力な兵器の研究に熱心なことも知っているはずだ」

 

「た、たしかにそうだけど……」

 

 軍人としては先輩にあたり、軍のことも自分以上に知っているセクターの言葉に、グラッドは反論の言葉は出せなかった。

 

 しかしそれでも自分が所属している帝国軍が、そんな非道な実験をする組織だとはやはり信じたくはないようだ。

 

「それにこの体を見ただろう。それが何よりの証拠だ」

 

「…………」

 

 明らかに人とは異なる鋼の体。ゲックの言葉を、帝国軍の所業の証拠を裏付ける決定的な証拠を前にグラッドは何も言えなかった。

 

「だから私は、私の体をこうしたゲックを許せない。……それとも私には復讐の権利すらないというのかい?」

 

 セクターの言葉は先の戦いでも何度も邪魔をしたネロや、自身の復讐を止めようとしていたフェアやミントに向けられたものだった。

 

「う……」

 

「…………」

 

 フェアもミントもその言葉に返せるものはなかった。しかし、ネロだけは座ったままセクターの方に向き直ると、呆れた風に口を開いた。

 

「権利があるとかないとか知らねぇよ。そもそもそんなこと言うなら、俺があんたの邪魔をする権利もあるってことでいいんだよな? ……もっともそんな体で何ができるとも思えねぇけどよ」

 

 息を切らし、体を引きずっていることからも分かるように、今のセクターからは先の戦いほどの戦闘力は失われたと見て取れた。そんな状態で機械人形に守られたゲックを殺せるとは思えない。

 

「ふざけるな! 私は……」

 

「ふざけるなは俺の台詞だ。復讐だ何だと言う前に、自分の体を治すことから考えろ」

 

 どうしても今すぐにゲックを殺したいセクターを遮り、ネロは立ち上がった。

 

 そして先ほどと同じように拳を入れ、セクターの意識を飛ばした。

 

 ネロにとってはセクターの復讐などどうでもよかった。この場でゲックに挑みローレット達に敗れたとしても関係のないことだ。しかし、フェアやミントはもちろん、リシェルやルシアン、グラッドもセクターに死んでほしくないと思っているはずだ。

 

 だからこそネロは体を治すことを優先させるため、意識を奪ったのだ。幸いなことにここにはセクターを改造した張本人もいる。

 

「おい、あんたならできるだろ? 治せよ」

 

「む……」

 

 セクターを壁に寄りかからせたネロに話を振られたゲックは、驚いたように声を漏らした。

 

「で、でもネロ……」

 

 確かにセクターを治すとしたらゲックが最も適任だが、当のセクターに復讐相手として見られているゲックに任せるのはどうかとフェアは思ったのだ。

 

「こいつにはちょうどいい薬だろ? それに心配なら俺もついて見張っててやるよ」

 

 セクターを見ながら言った。いつまでも復讐復讐と騒がれても面倒だし、復讐心を燃え上がらせているセクターには、憎き復讐相手に治されるということが頭を冷やすきっかけになるだろうと思ったのだ。

 

「ワシは構わぬ」

 

 そうしている間にゲックも決めたようだが、それにリシェルが異を唱えた。

 

「で、でもこいつは先生を改造した本人なのよ、何するかわからないじゃない!」

 

「そんなに心配なら俺がついてるさ」

 

 リシェルの心配は理解できるため、ネロはゲックが余計なことはしないように、自分がついていることを提案した。

 

「私も、ついています」

 

 そこにエニシアも声を上げた。

 

「教授ならこの人のことを必ず治してくれると私は信じています。だからそれを見届けるためについていたいんです」

 

「し、しかし、これはワシの……」

 

 エニシアの気持ちはありがたい。自分をここまで信じて貰えることは臣下冥利に尽きるのだが、自分の過去の因縁に端を発するセクターの一件にまで関わらせるのは申し訳なく思ったのだ。

 

 しかしゲック達の都合など知ったことではないネロにとって、エニシアの申し出は大いに結構なことだった。

 

「いいじゃねぇか。そこのお姫様も見てたら、余計なことはまずできないだろうしな。リシェルもそれでいいだろ?」

 

「……治さないと絶対に許さないんだから!」

 

 さすがにリシェルもネロだけでなく、さきほどゲックを説得して見せたエニシアも立ち会うとなれば、ゲックを信用するかは別として納得せざるを得なかったようだ。

 

「とはいえ、必要な工具もない。今すぐは難しいかもしれんのう。まずは今の状態を確認するのが先決じゃ」

 

 セクターの状態を見ようとしていたゲックが言った。今回は先の戦いの後、そのままこの忘れじの面影亭まで来たのだ。

 

一応、常備している工具と部品はあるものの、それだけではセクターを治すことは難しいため、まずは状態だけでも把握しておこうとしたのだ。

 

「……ふむ、こやつの家はどこじゃ? そこでなら修復できるかもしれん」

 

「どういうこと?」

 

 先ほどは今すぐ治せないと言っていたのに、セクターの体を調べると考えを変えたことを不思議に思ったフェアが声を上げた。

 

「素人に毛が生えた程度だが、こやつの体には手が加えられている。恐らくは自分でしたのじゃろう」

 

「そっか! それなら先生の家にはそのための工具が揃ってるってことだね!」

 

 合点がいったと言わんばかりのルシアンの言葉にゲックが頷き、ネロに向かって口を開いた。

 

「では、そこまでこやつも運んでくれ。……それと案内もな」

 

 ネロが立ち会うのは先ほどの話から分かっていたことであり、まさかまかり間違ってもエニシアに運ばせることなど出来ないし、自身も体力的に厳しい。ネロがその役を担うのは消去法から行っても当然のことだった。

 

「運ぶのはいいが……」

 

「あ、先生の家までは私が案内するから!」

 

 そういえばネロはセクターの家を知らないということに気付いたフェアがフォローする。もっともセクターの家は私塾も兼ねているため、フェア以外にも昔からこの街に住んでいる者なら誰でも案内できるが。

 

「うむ、では行くかの。ローレット、お前には手伝ってもらうぞ。ついてくるのじゃ」

 

「教授の仰せのままに」

 

 ゲックは助手代わりに機械人形三姉妹の長女を指名したが、当然残りの二人からは文句の声が上がった。

 

「えー! ミリィも行きたーい!」

 

「オ供シマス」

 

(……こんなだから連れて行かないんだろうな)

 

 ミリネージもアプセットも長女のローレットに比べれば性格やコミュニケーション能力に問題があるのは明白だ。フェアがゲックの立場でも助手にはローレットを選んでいただろう。

 

「あなた達は先に帰ったグランバルドの面倒でもみてなさい。どうせ一人だけ帰らされていじけてるでしょうし」

 

 グランバルドはセクターとの戦闘によって損傷を負ったため、剣や鋼の軍団の兵士達と共にラウスブルグへ戻っている。あの末弟は体こそ機械兵士とは言っても、電子頭脳はローレット達と同じ機械人形のものである。そのため、本来の機械兵士よりずっと人間染みているのだ。

 

「確かにそうかも……。グラちゃん、ああ見えて子供っぽいし」

 

「…………」

 

 あなたも十分に子供っぽいよ、という言葉をフェアは飲み込んだ。確かにグランバルドの言葉遣いは幼子のそれに近かったが、ミリネージもまたお調子者の子供みたいだ。ちょうどセクターの私塾に通っていた頃のリシェルに近いかもしれない。

 

 そうこうしているとセクターを肩に担いだネロが声をかけてきた。

 

「それじゃ行こうぜ。フェア、案内頼む」

 

「うん。それじゃ行ってくるね、ミルリーフ」

 

「うん、いってらっしゃい」

 

 ネロとフェアがミルリーフに見送られている時、ゲックはレンドラーに声をかけていた。

 

「将軍、お主は……」

 

「姫を置いて我が輩だけ先に帰るわけには行かぬ。立ち会うことができぬのなら外で待っているだけだ」

 

 いくらもうネロ達は敵ではなくなったとはいえ、主を護衛もなしに残すことなどレンドラーにはできなかった。エニシアが立ち会うというセクターの治療の場には同席できなくとも、その部屋の外で待っているつもりだった。

 

「何だ、オッサンもくるのか。まあ勝手にしろよ」

 

「何だとはなんだ、小僧!」

 

 適当に答えたネロの言葉に反応してレンドラーが叫ぶ。案外、先の戦いであしらわれたことを根に持っているのかもしれない。

 

「そんなに怒らないで、将軍」

 

「ぐ、む……」

 

 エニシアに宥められ仕方なく矛を収めたレンドラーを連れて、ネロ達はセクターの家へと向かって行った。

 

 

 

「はぁ……」

 

 それを見送ったポムニットは大きく息を吐いた。正直なところ、彼女はかなり気疲れしていた。さすがに今日はいろいろあり過ぎた。バージルと一緒にラウスブルグに来たかと思うと、戦いの場へ移動し、その場であの気難しいバージルとエニシア達、そしてミント達の間を取り持ったのだ。

 

 この忘れじの面影亭に来てからはほとんど口出ししておらず、精々、御使い達がラウスブルグに戻れるようバージルに提案したくらいだが、あまり大勢の前で発言することなどなかったポムニットには、今日程度の人数でも随分と負担だったのかもしれない。

 

「お疲れ様。今日はありがとうね」

 

「いいのいいの。気にしないでください」

 

 ミントはバージルに対して口利きしてもらった礼を受けたポムニットは首を振って答えた。どちらもあまり気にしていないようだが、今日の功労者は間違いなくこの二人だ。

 

 バージルとの対話のきっかけを作ったミントとそれを実現させたポムニット。どちらかがいなければ今日のこの場は設けられなかっただろう。

 

「ポムニット、と言ったか。今日は我らの為に気を回してくれて感謝する」

 

 クラウレはそこへやって来ると頭を下げた。彼の言っていることが、ラウスブルグへ戻れるように気を利かせたことだということは分かった。とはいえ、ポムニットとしてはそこまで考えてやったことではなく、有体に言えばその場の思い付きだったのだ。そこまで礼を言われることではない。

 

「そ、そんなことないです! むしろ勝手に言っちゃってよかったかなって思ってました」

 

「はっはっはっ、むしろ言ってくれなかったら我らは根無し草になってしまうところだったのだ。気にすることはない」

 

 セイロンはそう呵々大笑する。ここまで豪快に笑い飛ばしてくれるとポムニットも気が楽になった。

 

「それにしてもあんた、よくあいつになんか言えるわねー」

 

「うん。僕なんか目を合わせるもできないかも」

 

 リシェルに続いたルシアンが同意した。バージルの愛想のなさは今に始まったことではないが、やはりまだ若い姉弟にとっては、とっつきにくい相手であることに変わりはない。

 

「もう、バージルさんはそんな悪い人じゃないのよ?」

 

「そうですよ。確かにちょっと怖いかもしれないですけど、優しい人なんですよ」

 

 心外とばかりにミントとポムニットが否定する。もうバージルと十年以上の付き合いになるポムニットはもちろん、ゼラムにいた頃の付き合いでミントもバージルは二人が言うような者ではないことはよく分かっていたのだ。

 

 二人揃ってバージルを擁護する立場を取ったことでリシェルはあることに気付いた。

 

「あ、もしかして美人には優しいとか?」

 

 ミントもポムニットも美人と表現していい容姿をしているし、バージルと一緒に帰ったアティも同性のリシェルが見惚れる程だ。案外、バージルと言う男は彼女達のような美人には甘いのかもしれない。

 

「……って、それならあたしも大丈夫かも!」

 

 もしそうならきっと自分にも優しくするに違いないと、謎の自信に満ちながらそう言ったリシェルを、ルシアンは呆れたような視線を向けた。

 

「何言ってるの、姉さん?」

 

「ほらほら、バカやってないでお前らも帰ったらどうだ? たぶん、あいつらはしばらく戻って来ないだろうし」

 

 そこにグラッドが割り込んできた。この場に残っているのがポムニットを除き、顔見知りだけであるため、これ以上待っても何も進展がないのは明らかだ。セクターの修復もそんなにすぐ終わるとは思えないし、実質的に解散になったも同義だろう。

 

「どうする、姉さん?」

 

「確かにそうねぇ、待ってるのも退屈なだけだし、今日は帰りましょ」

 

「そうか、それなら途中までは一緒だな」

 

 帰ることを決めたブロンクス姉弟にグラッドが言う。どうやら彼も戻るつもりだったようで、ここに残るだろう御使い達に向けて口を開いた。

 

「それじゃ悪いけど、この辺でな。あいつらが戻ってきたらよろしく言っといてくれ」

 

「ああ、伝えておく」

 

 アロエリの返事を聞いて頷いたグラッドはリシェルとルシアンを伴って忘れじの面影亭を後にする。

 

「……彼、ちょっとらしくありませんでしたわね」

 

 一見するといつも通りに見えるグラッドだったが、どこか気落ちしたような声をしていたことにリビエル達は気付いていた。

 

「仕方あるまい。自分の信じていたものに裏切られたようなものなのだからな」

 

 あっさりとそう返すアロエリだったが、内心、グラッドの気持ちは痛いほど分かっていた。彼女自身、兄クラウレから自分がギアンのもとについたと聞いた時には、今のグラッドと同じ気持ちを抱いたのだから。

 

「……どうしてこんなことをするんでしょう?」

 

「それが人の……いや、我らの性、なのだろう」

 

 ミントの呟きにセイロンが答えた。帝国が融機強化兵の研究を進めたのは、聖王国や旧王国との戦いに備えてのこと。それは国家という人の集団の闘争本能あるいは生存本能が働いた結果という見方もできる。

 

 翻って、その闘争本能や生存本能は人間固有のものではない。例えば霊界サプレスの天使と悪魔は昔から戦いを続ける敵同士であり、鬼妖界シルターンは人と妖怪が争うことは少ないが、様々な国家が争う乱世である。

 

 さらに機界ロレイラルに至っては機界大戦と呼ばれる戦争によって荒廃した世界である。唯一、幻獣界メイトルパは相互不干渉が基本であるため、大きな争いは起きてはいないが、サプレスの悪魔が侵攻してきた時には反抗したように、生存のために戦うことを放棄したわけではないのだ。

 

「せめて、治るといいですね」

 

「うん……」

 

 そして二人はリィンバウムの生存競争に巻き込まれたセクターの治療が上手くいくよう祈った。

 

 

 

 

 

 一方、セクターの家に着いて彼の私室に入ったネロ達は、簡素な寝台にセクターを寝かせた。工具と交換用の部品もある程度揃っているようだった。

 

「ふむ。いくつか数が少ないものもあるが、一通り揃っておるか。これなら何とかなりそうじゃな」

 

 ローレットが集めた部品を見たゲックは誰にともなく呟いた。この部品を見る限り、やはりセクターは自分の体の整備くらいはしていたのは間違いないだろう。とりあえずこれだけの部品があれば、しばらくは動きに支障のない程度には治してやれそうだった。

 

「よかった……」

 

「とはいえ、本格的な修復までの繋ぎじゃ」

 

 安堵の溜息を吐いたフェアに忠告するようにゲックが口を開いた。部品は一通り揃っていると言っても、やはり完璧な修復を行うまでは足りなかった。そのため教授としては、この後、城にある部品を使って完璧な修復を行うつもりでいるようだ。

 

「一旦、戻るわけにはいかねぇのか?」

 

 ここまで来てと思わないわけでもなかったが、どうせなら一度で全部終わらせた方が効率もいいのではないかと思ったのだ。

 

「仮に一度戻るにしても、最低限の処置はして行かなければなるまい」

 

 忘れじの面影亭でセクターの体を見た時は、相当酷使された上に、ネロからの二度の打撃によって相当ガタが来ていた。さすがに命に関わるほどではないが、これ以上動かしては修復したとしても二度と歩けなくなる恐れもあったのだ。

 

 おまけにセクターの性格も考えると、歩けなくなる可能性があったとしても復讐を優先するだろう。そう考えたからこそ、ゲックは今の内に最低限の処置だけはしないと判断したのだ。

 

「それなら今できるだけのことをしてあげてね」

 

「無論、そのつもりでおりますじゃ」

 

 もっとも、せっかく部品の数や種類が揃っているのだから、エニシアの言う通り、ゲックはできる限りのことはする気でいるようだ。最低限の処置だけではなく、だいぶ本格的な修復になるだろう。

 

「さて、教授の邪魔になるわけにはいかん。我が輩は部屋の外で待っている」

 

「じゃあ私も。ネロ、後はよろしくね」

 

 元々立ち会うのは、ネロとエニシアだけという話だったし、たいして大きくもない部屋に、寝台に寝かされているセクターを除いて六人もいたのでは、精密な作業をするのは難しいということくらい想像がつく。レンドラーに続いてフェアも部屋を出て行くことにしたようだ。

 

「あんたはこっちだ、お姫様」

 

「は、はい」

 

 手招きされたエニシアは部屋の角に背を預けるネロの隣まで移動した。この場所ならゲックとローレットの邪魔になりにくく、ゲックの動きもよく見える絶好の場所だった。

 

「ここで座ってろ」

 

 ネロはわざわざ移動させたのか、椅子を示しながらエニシアに促した。

 

「え? でも……」

 

「俺はいいんだよ。立ってた方が見やすいしな」

 

 ネロはゲックのことを疑ってはいない。最善を尽くすと信じている。しかし、それとリシェルとの約束は別な話だ。彼女にゲックが余計なことをしないように見張ると約束した以上、ネロはそれを律儀に守るつもりなのだ。

 

 そうして始まったセクターの修復は、実にスムーズに進んでいった。あらかじめセクターの状態を確認していたというのもあるが、一番の要因はゲックの老齢とは思えぬ手際のよさだった。

 

「この体でよく戦えたものじゃ。普通ならただ生活するだけでもキツかろうに」

 

「そこまで悪かったのか?」

 

 ゲックの呟きを聞いたネロが眉をひそめた。さっきの忘れじの面影亭の時はともかく、ドラバスの砦跡ではそこらの兵士よりいい動きをしていたため、意外に思ったようだ。

 

「あれほどの動きができたのが不思議なくらいじゃ。……これもこやつの執念かもしれんのう」

 

「執念、ね……」

 

 ゲックの言葉をネロはオウム返しに呟いた。ゲックがセクターの体を改造したこと、セクターがそのことを恨んでゲックを狙っていることは知っている。しかし、それに至るまでの経緯、例えばゲックが彼を改造したのは偶然だったのかなど一切知らないのだ。

 

 ネロが何を思ってそう呟いたのかは知るよしもなく、セクターの修復は進められていく。それからは特に会話もなく、指示を出すゲックの声と返事をするローレットの声だけが部屋に響く。

 

 エニシアは不安げにゲックやセクターを見ているが、それを口には出さなかった。それは教授への彼女なりの信頼の証なのだろう。

 

 そうしてしばらく経った時、ゲックは工具を机に置いて大きく息を吐いた。

 

「……終了じゃ。ひとまずは安心じゃろう」

 

「お疲れ様でした、教授」

 

「……たいしたもんだな。正直、驚いたよ」

 

 こんなに早く終わるとは思っていなかったネロは、素直に驚きの言葉を口にした。まるで名外科医のメス捌きのように素早く正確に、そして迷いなく修復を進めていくゲックの手腕に、多少の心得があるネロも思わず感嘆したのだ。

 

 次いでネロは隣に座っているエニシアに声をかけた。

 

「あんたもお疲れさん」

 

「いいんです。私が好きでしたことですから」

 

 エニシアはそう言うものの、ただ礼を言うだけでは悪い気がしたネロは、せっかくだからそれらしく振舞ってみることにした。

 

「お手をどうぞ、お姫様」

 

 まるで姫に仕える騎士の如く、無駄に様になっているネロは恭しく頭を下げた。

 

「は、はい」

 

 エニシアは少し顔を赤くしつつも差し出されたネロの手を取って立ち上がった。

 

「今日は付き合わせて悪かったな。助かったよ」

 

 さすがにこれ以上はむずがゆかったネロはいつもの調子で言った。

 

「終わったようだな」

 

 その会話を部屋の外から聞いていたのかレンドラーとフェアが室内に入ってきた。

 

「それにしても随分早かったのね」

 

「この爺さんの手際がよくてな」

 

 自分と同じことを思っていたらしいフェアに、ネロは今回の立役者を教えた。

 

「昔取った何とやら、じゃよ」

 

「……何で先生をこんな体にしたの?」

 

 自嘲気味に言ったゲックにフェアは思い切って聞くことにした。セクターのことを罪の証とも言っていたことは聞いていたし、この機会に聞きたかったのだ。

 

「……当時のワシは強化兵士の実験に夢中じゃった。しかし、ふとしたきっかけから自分のしてきたことの異常さに気付いたのじゃ」

 

「きっかけ?」

 

「無色の派閥も似たような実験をしていたようでな。その実験体の死体がワシのもとへ届けられたのじゃよ。資料としてな」

 

 かつてのことを思い出すかのようにゲックは目を閉じて言葉を続ける。

 

「その死体にはこの世のものではないほど鋭利なもので斬られたような傷があった。それを見て、どれほど優秀な強化兵士を作っても、この傷をつけた者にしてみれば、ただの人間となんら変わりはないのだと思ったのじゃ」

 

 これまでの研究を丸ごと否定されたような衝撃は、夢中で研究を進めていたゲックの頭を冷やすには十分な効果があったのだ。

 

「そして夢から覚めたワシは、己のしてきたことに後悔した。好奇心を満たすためだけにどれだけの非道をしてきたのか悟ったのじゃ。しかしワシはこれまでの実績、立場に縛られ、逃げ出すことができなかった。じゃからせめてもの償いにこやつの命を救った。それがただの代償行為だと分かった上でな」

 

「救ったってことは、その前にこいつは死にそうだったってことか?」

 

 てっきり五体満足の状態で改造されたものと思っていたネロは思わず聞き返した。

 

「詳しくは知らぬが、任務で重傷を負ったらしくてな。ワシのもとに来た時は虫の息じゃった。そこで生体部品の技術を応用して、消去するはずの自我をプロテクトの中に押し込めた。時期を見て解放するつもりだったのじゃ」

 

「つもり、ね……」

 

 ゲックの言い方からすると、それが叶わなかったのは明らかだ。

 

「どこかは知らんが、施設を襲撃し数体の強化の兵士を暴走させたのじゃ。じゃがワシは好機だと思った。こやつや部下を見捨てることになったとしても、ワシは全てを捨てて逃げたのじゃ」

 

「え? でも先生は……」

 

「おそらく何らかの影響でプロテクトが破壊されたのじゃろう。そして施設から脱出し、ここに流れ着いた、といったところじゃろうな」

 

「…………」

 

 黙り込んだフェアを見てもう聞かれることはないだろうと判断したゲックは、まずエニシアに謝ることにした。

 

「さて、昔話はこれでしまいじゃ。……姫様、この度はこの年寄りの我儘に付き合わせてしまい、申し訳なかった」

 

「ううん、いいの。気にしないで」

 

「姫様もこう言っておるのだ。教授よ、あまり気にするでない」

 

 エニシアとレンドラーに言われ、ゲックは頷くと、引き揚げる前にこれからのことをネロとフェアに伝えることにした。

 

「こやつはそろそろ目を覚ますじゃろう。次は二、三日後に来るが、それまでは戦闘は控えておけと伝えておいてくれ」

 

「うん、わかった」

 

 フェアの返事を聞いたゲックは満足げに頷くと、エニシアとレンドラー、ローレットと共にセクターの家から出て行った。ラウスブルグに戻るのだろう。

 

「さて、俺達も戻ろうぜ」

 

「え? でも先生は?」

 

 まだ意識の戻らないセクターを置いてはいけないとフェアは思っているようだが、ネロは寝台の上にいるセクターに視線を向けると、フェアに一言だけ伝えた。

 

「こいつにも時間は必要だろ」

 

「あ……、うん」

 

 ネロの視線、そして言葉から実はセクターの意識が既に戻っていて、先ほどの話を聞いていたことを悟ったフェアは、ネロと一緒に部屋を出て行くことにした。彼女も、復讐に燃えるセクターには一人で考える時間が必要だと思ったようだ。

 

「…………」

 

 そしてただ一人残されたセクターはゆっくりと目を開けると、じっと考え込むように自室の天井を見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




今回からサブイベント編、最初はセクター先生からです。

それはそれとして、遂にDMC5が発表されましね。何度もあのトレーラー見返しています。来春が待ち遠しい。

サモンナイトも新作か新刊が出るといいなあ。



さて次回は7月の8日(日)に投稿予定です。

ご意見ご感想、評価等お待ちしてます。

ありがとうございました。


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第85話 鋼鉄の心 後編

 軍の兵士となってからのセクターの人生は他人に振り回されっぱなしだった。

 

 自らの意思とは無関係に体を改造され、ゲックの施したプロテクトによって意思も封じ込められたセクターは、まさしく他者に翻弄されて生きてきた、いや、生かされてきたと言っていい。肉体を、命を、まるで道具に扱われてきたのだ。

 

 その後、偶然が重なり実験施設から逃げ出すことができたセクターだったが、その時のことは彼にとってある種のトラウマのようになっていたのかもしれない。

 

 そして流れ着いたトレイユでセクターは、生きるのに必要な金を稼ぐため、私塾を開いた。元軍人が私塾を開くのは帝国では珍しいことではない。退役した軍人が故郷に戻り、私塾を開くことで識字率や教育水準の向上も期待できるため、帝国としても半ば奨励されているのだ。

 

 教師として子供達を教育する姿は、傍から見たら穏やかな生活に見えただろう。セクターとしても生徒から慕われて何も感じなかったわけではない。しかしそれでも、彼の心はうつろのまま、満たされることはなかったのだ。

 

 彼はこのまま、どこにでもいる私塾の教師として朽ち果てていくことは嫌だった。しかし、だからと言ってどうすることもできなかった。不自由な体では自分の体を改造した存在の行方を調べるために遠出することもままならなかったのだ。

 

 徐々に機能停止へ向かって行く体を見るたび、このまま誰かに翻弄されただけの人生で終わってしまうのか、と焦燥し始めた頃のことだ。ゲックが、自分を改造した忌むべき存在が手の届くところにいることを知ったのは。

 

 そしてセクターはゲックに復讐する道を選んだ。迷いがなかったわけではないが、このまま満たされぬまま朽ち果てるよりは、たとえその先に終わりが待っていようとも自分の意思を貫きたかった。自分が自分である意味を失くしたくはなかったのだ。

 

 だが、奇襲は失敗し、挙句の果てにことごとくネロに邪魔された結果、復讐は果たすことはできなかった。その上、憎むべきゲックに生き長らえさせられたのだ。

 

 そして修復が終わり意識を取り戻した時、何の因果か己を改造したゲックの話を聞いたのだ。彼がなぜここまで融機強化兵の研究をやめ、己の意識を消去せず、プロテクトをかけた理由も彼の口から直接聞かされたのだ。

 

 だが、それだけで恨みも憎しみも消えたわけではない。

 

 しかし、セクターはその後一晩、ゲックの話と自分の心と向き合い考え続けた。果たして自分はどうするべきなのか、どうしたいのか。

 

 そして出した答えは――。

 

 

 

「結局、復讐は捨てられねぇか……」

 

 忘れじの面影亭にネロの呆れたような落胆したような声が響く。彼はセクターと庭で向かい合っていたのだ。

 

「そうだ。しかし私の復讐を果たすには貴様が邪魔なんだ。だからこの場で排除する」

 

 今日は昨日の話を受けて、また集まって話し合いの場を設けることにしていたため、忘れじの面影亭にはブロンクス姉弟にグラッド、ミントと彼女と一緒に来たポムニットそれにミントもいた。

 

 そして、その場に現れたセクターはネロに戦いを申し込んだのだ。昨日、ゲックから修復してもらったばかりで、今朝にはフェアが次の修復まで戦闘は控えるようにというゲックの言葉を伝えたにもかかわらずに、だ。

 

「まあ、正面から来たことは褒めてやるけどよ。俺に勝てると思ってんのか?」

 

 セクターの選んだ道にネロは不満にこそ思うが、彼の選択自体を否定するつもりはなかった。自分にとってはあまりに馬鹿馬鹿しい選択であっても、彼にとっては、きっとそうではないのだから。

 

「くどい! 私は私の意思を変えるつもりはない!」

 

 先の戦いでセクターはネロに敗れている。セクターもゲックの殺害を目的としていたとはいっても、ネロは片手間程度の動きで彼を完封したのだ。正面から戦って勝てる相手ではないのは明らかだ。

 

「やめて! 二人が戦う必要なんてないよ!」

 

「そうだよ、こんなことやめてよ!」

 

 ミントとフェアが向き合う二人に声をかける。他の者達もみな似たように思っているようだったが、セクターはそれを一切無視し、ネロはもはやこいつは手遅れだと言わんばかりに言葉を返した。

 

「こいつがやるって言ってんだ。相手してやるしかねぇだろ」

 

 戦いを止めるには双方の意思が必要だが、始めるだけなら片方の意思だけでできる。いくらネロが望んでいなくとも、セクターが戦いを望む限り、それを止めることはできないのだ。

 

「…………」

 

「馬鹿だな、あんたは……」

 

 セクターが構える。対してネロはレッドクイーンを肩に担いだまま、呆れと諦めを含んだ視線でセクターを見ていた。

 

「行くぞっ!」

 

 そして宣戦布告にも似た言葉と共にセクターは地面を蹴り、一直線にネロへと向かう。普通の人間では出せない速度だ。さすが融機強化兵と言ったところだろう。しかし最強の悪魔の血を引くネロに捉えられない速度ではなかった。

 

 せめて楽に終わらせてやろうと思い、向かってくるセクターに合わせてレッドクイーンを振り下ろした。

 

「っ……!」

 

 しかしそれがセクターに当たる直前、二人の間に入ったポムニットによって止められた。見るとセクターの手もポムニットが掴んでおり、その動きを制していた。

 

(こいつ……)

 

 ネロはレッドクイーンを掴むポムニットの力が明らかに人間離れしていることに気付いた。それでもネロの力ならポムニットを振り切ってセクターにレッドクイーンを叩き込むことは可能だったが、セクターも動きを見せない今、その必要はないと思っているようだ。

 

「子供みたいな我儘言ってないで、少しは周りのことも考えてください!」

 

 自分の都合だけを相手に押し付けるセクターの行動にポムニットは怒っていた。彼には彼の事情があるのは理解している。だからと言ってどんな我儘も許されると思ったら大間違いだ。

 

「我儘、か。確かにその通りだ……」

 

 先ほどまでとは打って変わり、弱弱しい声でセクターは呟いた。既に戦意を失っているようで、ポムニットが手を放してもネロに攻撃を仕掛けようとはしていない。

 

「ぐっ……」

 

 体を動かそうとしたセクターだったが、呻き声を上げて座り込んでしまった。今の動き程度の負荷にすら、彼の体は耐えられなかったのである。やはりゲックの言葉通り、今のセクターに戦闘など無理だったのだ。

 

「だ、大丈夫ですか!?」

 

 ほんの数秒前の怒りは影を潜め、ポムニットはセクターに声をかけた。さすがに目の前で見るからに弱っている者相手に怒る気にはなれないようだ。

 

「……本当は分かっていた」

 

 片膝を立てて座り込んでいたセクターは、俯いたままぼそりと言葉を発した。

 

「分かっていたさ。復讐が近づいてくる無為の死に抗うための大義名分でしかないことくらい。でも、今さら憎しみを、恨みを捨てるなんてできなかった」

 

 体を奪われ、心を閉じ込められた彼は、何も為せない空っぽのまま人生を終わらせたくはなかった。そこに現れたのがゲックだった。セクターにとって復讐とは憎しみを晴らすだけのものではなく、己の人生が無為なものでなかったと証明でもあったのだろう。

 

 セクターは一晩己と向き合うことでそれを自覚した。しかし、自覚したところでゲックへの憎しみも恨みも消えるわけがなかったのだ。

 

「…………」

 

 セクターは顔を上げて無言で自分を見るネロに言った。

 

「だから、いっそのこと全て壊して欲しいと思った。君の力で愚かな復讐心など、私ごと叩き潰して欲しかったんだ」

 

「……俺に喧嘩を売ったのはそのためか」

 

 ドラバスの砦跡で見せた姿を消しての奇襲ではなく、真正面から向かって来たのはそれが理由だったようだ。最初から負けるつもりでいたから、余計な小細工をしなかったというわけだろう。

 

「ああ。……だが、私にはそれすらも許されないようだ。……これまで通り、からっぽの人生を送れということかもな」

 

 どうやら立つこともままならないセクターは再び力なく俯き、自嘲気味に呟いた。今さら復讐に走ろうとは思わない。今までと同じく憎しみと恨みを抱いたまま、うつろな生を送るだろう。セクターはそう思っていた。

 

「からっぽ、ね……」

 

 ネロがセクターの言葉を繰り返す。彼はこれまでの人生をからっぽと称していたが、ネロはそうは思わなかった。

 

「おい、フェア、こいつを運んでやってくれ、ついでにリシェルとルシアンもな」

 

 名前を読んだ三人がセクターの教え子だったことは知っている。明らかに狙った人選だった。

 

「先生、しっかりして」

 

 ネロの意図を察したかは定かではないが、名前を呼ばれた三人は駆け寄りセクターを支えた。

 

「これは……」

 

「少なくとも俺は、悪い足を引きずって元教え子のところまで来る教師なんて知らねぇな」

 

 そのことだけでもセクターが無為に教師として過ごしてきたわけではないことを物語っている。それにフェア達のセクターのことを話す様子からも、彼がよく慕われている教師であることは明白だ。

 

 果たして、そんな教師の人生がからっぽだったといえるのだろうか。

 

「本当にからっぽだったかどうか、そいつらと話してから決めろよ」

 

 セクターは憎しみや恨み、そして死への恐れからからっぽだと思い込み、復讐へ逃げただけなのだ。そしてそれを自覚した今、彼に必要なのは教師としての彼を肯定してくれる存在、つまり教え子であるフェア達三人なのである。

 

 三人の教え子に支えられてゆっくりと立ち上がったセクターは口を開き、たった一言発した。

 

「……すまない」

 

 果たしてその言葉は何に向けられたものか、それはセクターにしか分からなかった。

 

 

 

 

 

「はぁ……」

 

 セクターとフェア達が空いた部屋に向かったのを見送ったネロは、食堂に疲れたように椅子に腰を下ろした。戦ったわけではないため身体的な疲労はないが、面倒なことに巻き込まれたという精神的な疲労だった。もっとも、セクターのことに首を突っ込んだのはネロ自身の意思であるため、自業自得であることは否定できないだろう。

 

 そこに先ほどのネロの対応に不満があるらしいポムニットが声をかけた。

 

「ネロ君もネロ君ですよ。売り言葉に買い言葉じゃなくて……」

 

「怒るなよ。言って聞くような状態じゃなかったし、仕方ねぇだろ」

 

 ポムニットの言葉を途中で遮った。彼女の言うことも分からないではないが、そもそもネロは職業柄腕っぷしによる解決を基本としているため、わざわざ対話で解決しようとは考えなかったのだ。

 

 ただ、それでも一応、セクターには戦うのかと確認したのだから、それで十分だろうとネロは内心思っているようだ。

 

 そんな言い訳に対し、またポムニット説教めいた言葉を口にする前に、ミントが宥めた。

 

「まあまあ、結果的に何とかなったんだし、よかったじゃない」

 

 一時は武器を振るうところまでいったのだが、誰かの命が失われたわけではない。唯一、立ち上がれないほどの損傷を受けたセクターも、ゲックがいることを考えれば、さほど心配することもないだろう。

 

 それに最後のセクターの言葉を聞く限り、これ以上復讐を求めるようなことはないだろう。

 

「うむ、終わり良ければすべてよしという奴だ」

 

 善哉善哉とセイロンが言う。御使い達はセクターの一件に関して、あまり介入してこなかったが、内心ではそれぞれ思うところがあったのだろう。リビエルは安心したような顔をしているし、アロエリもこの決着には文句はないようだ。

 

「あと気がかりなのはギアンだけだな」

 

 グラッドが口を開いた。もうレンドラーやゲックがミルリーフを狙うことはないだろう。しかし、ドラバスの砦跡から逃亡したギアンは最後に残した言葉の通り、またミルリーフを狙ってくる可能性は否定できない。

 

「ああ。正直あの時のギアンは正気を失っているとしか思えない」

 

 アロエリが同意する。元々バージルはギアンもメイトルパへ同行することを許していたし、彼がミルリーフ以外のラウスブルグを動かす手段にあてがあるのも聞いていたのだ。にもかかわらずギアンはバージルを信用できず、執拗にミルリーフを手中に収めることを求めた。はっきり言って常軌を逸した思考と行動である。

 

「……ギアン様を庇うわけではないが、あの方は幼少の頃より親から愛されもせず幽閉されていたのだ。他人を信じられぬのはそのあたりに関係があるのだろう」

 

 幼少の頃の話はギアンから直接聞いたものだ。ただ、既に離反したクラウレではあるが、ギアン不在の中でそれを話すべきかは躊躇いがあった。それでも話したのは、ギアンの戦いに巻き込まれた彼らは知る権利があると思ったからだ。

 

「幽閉……。やっぱり、人間じゃないから、ですよね?」

 

 ギアンがメイトルパの幽角獣と人間の間に生まれたように、ポムニットも悪魔と人間の間に生まれた響界種(アロザイド)である。母と暮らしていた頃は、いつ自分の正体が露見する恐怖に怯えながらの生活だったのだ。

 

「うん。それに無色の派閥だし……」

 

 ミントが付け加える。ただでさえ、頭のネジが外れたようなことばかりしているのが無色の派閥なのだ。そんな組織を構成するクラストフ家に生まれ、幽閉されていたほど疎まれていたのなら、きっと悲惨な幼少期だっただろう。

 

「かの者に同情できぬわけではないが、今は奴が再び来た場合のことを考えるべきではないか?」

 

 セイロンが話の流れを戻すべく口を挟んだ。この場はあくまでも今後のことを話し合う場であり、ギアンに同情する場ではない。

 

 リビエルも同じように考えていたようで、頷きながらセイロンに同意した。

 

「そうですわね。将軍や教授とも別れたのだから、普通に考えれば襲撃なんて考えないでしょうど……」

 

 数の上では、ギアンは圧倒的に不利であることは明らかだ。勝てるはずもない戦いをわざわざするとは考え難いが、先の戦いの姿を見る限り、断言はできなかった。

 

「確かに、今更何かできるとは思えないけど、あいつは腐っても無色の派閥だしなぁ……」

 

「別な仲間を呼ぶってことか?」

 

 グラッドが心配していることをネロが口にした。将軍や教授とギアンの関係はあくまで同じ目的を果たすための盟友に近いものだ。それゆえか、ギアンは派閥の構成員や紅き手袋の暗殺者を戦いに投入してはいない。

 

 しかしその盟友と別れた今、そうした者達を投入するのではないかとグラッドは危惧しているのだ。

 

「でも、ちょっと前に摘発があったばかりだし、そんなにすぐ人を集められるかな?」

 

「確かにそうですが、摘発自体はこれまで何度もありましたし……」

 

 ミントの疑問にグラッドが答えた。無色に対する捜査、摘発はこれまで何度も行われてきている。しかし、現在の無色の凋落は、ニ十年近く前に起きた派閥の拠点等へ襲撃とそれに伴う殺戮が原因とされており、帝国が実施した摘発等の対策は目に見える効果が上げられなかったのが現実なのである。

 

 今回の大規模な摘発はそれを指揮したのがアズリアであるし、従来以上に徹底したものであったため、グラッドとしても効果は期待したいところだが、これまでの実績からいくとどうしても効果に疑問符をつけざるをえないのだ。

 

 そう話していた時、フェア達が戻ってきた。

 

「随分早かったな」

 

「うん。先生は昨日まともに寝てなかったみたいで、まずは休んでもらおうと思って」

 

 思ったより早い戻りを不思議に思ったネロにフェアが事情を話した。少なくとも今のセクターは憑き物が落ちたような様子だったから、どうしても話をしなければならないとは思わなかったのだ。

 

「ギアン様が来るにしても来ないにしても、御子さまには早急に最後の遺産を継承していただかねば」

 

 逸れた話を戻すべく、クラウレが言う。

 

「……うん、わかってる」

 

 クラウレの言葉にミルリーフは頷いた。表情から見る限りまだ決心はついてはいないようだが、頭ではその必要性を理解しているようだ。

 

「そういや、お前らも一緒に行くんだっけか」

 

 継承ことを耳にして、ネロはミルリーフと御使いもラウスブルグに乗り込むということを思い出した。もっとも何の条件もないネロとは異なり、彼らはバージルの準備が整うまでにミルリーフが至竜としての力を振るえるようにするという条件のもとでだが。

 

「ええ、そうですわね」

 

「その後どうするんだ? メイトルパだかに残るのか?」

 

 肯定したリビエルに尋ねる。これまでラウスブルグに住んでいた者達は、故郷であるメイトルパに残ることは間違いない。しかしクラウレやアロエリはともかく、リビエルやセイロンはメイトルパの生まれではないのだ。

 

「私はメイトルパの生まれではありませんし、御子さまについていきますわ」

 

「俺とアロエリは隠れ里で生まれ育った世代だ。今さらメイトルパに戻ろうとは思わん」

 

 同胞を故郷に返すため一度はギアンについたクラウレだが、彼自身はラウスブルグで生まれ育ったためか望郷の念はないようだった。

 

「既に御子さまや他の御使いには話したが、我は御使いの座を辞するつもりだ」

 

「どういうことよ、それ?」

 

 てっきりセイロンも他の三人と同じように、ミルリーフについているものとばかり思っていたリシェルは驚いて声を上げた。

 

「セイロンは客人だったのだが先代に請われて御使いとなったのだ。御子さまが一人前になるまでという期限付きでな」

 

「そもそも我は召喚されたのではなく、自らの意思で訪れたのだよ。我が一族が奉っている龍神イスルギ様が遣わした龍姫さまを探すためにな」

 

 御使いになった経緯はクラウレが説明し、リィンバウムを訪れた目的はセイロン自身が説明した。

 

「そっか。それじゃあ、御使いを辞めた後はまたその人を探すんだね」

 

「うむ。しかし、いかんせん手がかりがなくてな。まあ、あの方もこちらに渡って長いから、さほど心配もしていないが……」

 

 ルシアンの質問に答えつつ、セイロンは息を吐いた。彼の探す龍姫はエルゴの王がまだ存命だった頃にリィンバウムにやってきたシルターンの龍神だ。力もそれ相応のものを持っているため、身の安全という意味では心配ないが、手がかりもなしに探すとなるとどれだけの時間がかかるかわからない。

 

「……ってことは、セイロンはラウスブルグには行かないってこと?」

 

「そこはまだ決めていないのだよ。まあ出発までには決めておくよ」

 

 セイロンはフェアの質問に気楽そうに答えているが、彼も意外と悩んでいるのだ。先代との約束はミルリーフが最後の遺産を継承すれば、果たしたことになるだろうが、恩義ある先代守護竜の死から始まった今回の一件を最後まで見届けたいという想いもあるらしい。

 

「そっか……、ネロさんとはもうすぐお別れなんだね」

 

 別れが近いことを改めて認識したルシアンが寂しそうに言うと、ネロはあっけらかんと言い放った。

 

「そんなに深刻な顔するなって。案外簡単に会えるかもしれねぇぞ」

 

 そう言うネロの頭の中にあったのはラウスブルグだ。異なる世界を自由に往来できる「船」のラウスブルグがあれば人間界とリィンバウムを行き来することは容易だ。

 

「確かに城の機能を使えば行き来は可能ですけど……」

 

 ネロの考えが読めたらしいリビエルは、それに否定的だった。口には出していないが他の御使いも同様のようだ。

 

 その反応は当然のことだった。先代の守護竜はラウスブルグの異界へ渡る力の持つ危険性を考えてずっと秘匿し続けていたのだ。同胞が故郷へ帰るためにラウスブルグを利用したかったクラウレも、必要以上にその力を行使すべきないという立場なのだ。

 

「リビエルやみんなの考えは分かるけど、あの人はそんなの気にしないだろうなぁ……」

 

 フェアが見たバージルは、もはやラウスブルグは自分の所有物程度にしか考えてないように見えた。先代の守護竜が守ってきた秘密など知ったことではないと言わんばかりの態度である。

 

「そういえば、結局あいつネロの故郷まで行って何がしたいのよ。あんた何か聞いてないの?」

 

 リシェルが尋ねたのは、バージルにはにべもなく断られたことだった。本人には言うつもりはなくとも、親密な間柄であるポムニットなら何か知っているのではないかと考えたようだ。

 

「私も詳しくは聞いていません。でもバージルさんにとってはきっと大事なことだと思います」

 

 バージルが人間界に行ってしようとしていることはポムニットも聞いていない。だが、大抵のことなら一人でやってしまうバージルが、わざわざラウスブルグを使ってまで人間界に行こうとしているのだから、よほど重要な物か人があるのだと推測はしていた。

 

「あんた……よくそれで納得できるわね」

 

 リシェルは呆れたように呟いた。もし自分がポムニットの立場だったら、詳しい説明を求めていたことは間違いない。

 

「そうですか? 特に気にしたことはありませんけど……」

 

 ポムニットは不思議そうに首を傾げた。まだ子供の頃にバージルと会って以来、彼女は一度も裏切られたことはなく、多くのものを与えてもらった。それゆえに無条件の信頼を寄せているのだ。だからバージルが詳しく説明しなくとも、不安に思ったことはなかった。

 

「はぁ……、もういいわよ」

 

 リシェルは諦めたのか、大きく息を吐いていると、ミントが尋ねた。

 

「ところで目的を果たしたら、バージルさんはラウスブルグをどうするつもりかわかる?」

 

 バージルが人間界に行くためにラウスブルグを手に入れたということは何度も聞いている。しかしミントが気になったのは、その後のことだ。もし、もう用済みとラウスブルグを放り投げたら、それこそ血みどろの争いにもなりかねない。

 

「うーん、どうなんだろう。よかったら聞いておきます?」

 

「いや、あいつならとりあえずでも手元に置いとくだろ」

 

 特に聞いてなかったポムニットはバージルに確認しておこうかと尋ねた時、ネロが当たり前だろ、何言ってんだと言わんばかりの勢いで口を開いた。別にバージルから聞いたわけではないがこれまでの言動から、あの男ならそうするだろうと思っただけだ。

 

「…………」

 

 それを聞いたポムニットが無言でネロを見つめる。

 

「……なんだよ?」

 

 急な変わりように驚いたネロが尋ねるとポムニットは少し驚いたように目を見開くと嬉しそうに答えた。

 

「やっぱり親子なんですねぇ」

 

 やはり血の繋がりがあるとお互いがどういう人間かわかるものなのかもしれない。ほぼ初対面のネロを同行させることを早々に認めていたバージルもそうだったのだ。

 

「はぁ? 何言ってんだ、あんた」

 

 もっとも、ネロはそんなバージルのことなど知る由もないため、いきなり突拍子もないことを口にした程度にしか思っていない様子だ。

 

 そしてポムニットの予想、つまりはネロの言葉は的を射ており、バージルは人間界から戻った後もラウスブルグを手放すことなど考えていなかった。唯一違ったのは、バージルは「とりあえず」などという理由でラウスブルグを手元に置いておくつもりではなく、明確な理由があったのだ。

 

 魔界最悪の逆賊スパーダの長子であり、魔帝討滅の意思を固めたバージルの計画。既にラウスブルグはそれに組み込まれていたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 




バージルと一緒だから戦う機会がほとんどないだけで、意外とポムニットは強いです。

次回は7月22日(日)に投稿予定です。

ありがとうございました。


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第86話 トレイユを外れて

 世界を渡る「船」たるラウスブルグ。結界が張り巡らされたリィンバウムとそれを取り巻く世界において、自由な往来を可能にする「船」の価値は計り知れない。至竜たる先代の守護竜もそれを巡る争いが起きるのを恐れてその力を隠したほどだ。

 

 だが、ラウスブルグには「船」としての力だけではなく「ラウスの命樹」と「城」としての力がある。

 

 ラウスブルグは巨大な樹の中に造られた城だ。そしてこの巨大な樹が、魔力を宿すことで外界と隔絶された空間を生み出す「ラウスの命樹」なのである。これは結界を越える際にも利用されるが、これまでは人間の目から逃れるためにも使われてもいたのだった。

 

 当然のその間はずっと魔力を使用するのだが、至竜である先代の守護竜の存在により安定的な魔力の供給が可能であるため、常時使用されていた。おそらくこれが、はぐれ召喚獣の集落である「隠れ里」という名の由来になったのだろう。

 

 一旦、ラウスの命樹の生み出す空間に入ってしまえば、バージルのような規格外の存在以外には一切手を出せない安全地帯となるのだ。

 

 そして、その他に備えられているのが外からの攻撃に備える防御結界に攻撃用や迎撃用の各種兵器といったラウスブルグを「城」たらしめている装備である。

 

 これに船としての機動性や安全な空間を作り出すラウスの命樹が加わることで、ラウスブルグは難攻不落の飛行要塞と化すのだ。おまけに現在の浮遊城の主が()()バージルであるため、難攻不落さに磨きがかかったと言える。これを知っており、かつまともな思考ができるものならここを攻めようなどとは思わないに違いない。

 

 そうしたラウスブルグの機能を維持管理するのが「制御の間」と呼ばれる部屋にある制御装置だ。その装置の他にも部屋の正面には巨大な水晶が鎮座しており、そこから各所の映像を映し出すことも可能だった。いわば制御の間はラウスブルグの戦闘指揮所も兼ねているのである。

 

「……とりあえず制御の方は問題ないようだな」

 

 その部屋で制御装置を操るエニシアを見ながらバージルが呟いた。

 

「はい、ちょっと疲れましたけど、なんとかなりそうです」

 

 緊張から解放され方の力が抜けたのか、エニシアは大きく息を吐きながら答えた。

 

「姫様、ご無理はなりませんぞ!」

 

「これくらい平気だよ。将軍、心配しないで」

 

 今、エニシアがしていたのはラウスブルグの制御の訓練である。半分とはいえ古き妖精の血を引いているのは伊達ではなく、バージルから簡単な説明を受けただけで、容易く操作してのけた。

 

「し、しかし……」

 

 そう言われては立場上返す言葉がなかったレンドラーは、その矛先をバージルに変えた。

 

「そもそも全てお主一人でできるのなら、わざわざ姫様のお手を煩わせることもないではないか!」

 

 いまだ至竜はここにいないため、エニシアの練習に必要な魔力はバージルが供給したのだ。おまけに制御もできると言うのだから、レンドラーが文句を言うのも無理はない。

 

「バージルさんは悪くないの。私がお手伝いしたいってお願いしたんだから」

 

 正確にはエニシアはバージルに直接協力を申し出たわけではない。見るからに気難しそうなバージルに声をかけるのは、まだ会って数日の彼女にとってはハードルが高かったのだ。

 

 しかし、己の願いを叶えるのに自身は何もしないというのは、やはり申し訳なく思ったようで、アティを通じてバージルに何か手伝えることはないかと尋ねたのである。

 

 アティを通して話を聞いたバージルも、エニシアが古き妖精の血を分けた響界種(アロザイド)だというのは知っている。そのため、もしかしたら城の舵取りをすることができるのではないかと考え、今回試してみることにしたのだ。

 

(疲労も考えると長時間は無理か……)

 

 その結果は先ほどの言葉の通り、制御自体はあっけなく成功した。だがエニシアの様子を見る限り、長時間の制御は難しいというのがバージルの考えだった。

 

 ラウスブルグを船として使う場合、舵取り役は休みもなく制御し続けなければならない。これが純粋な古き妖精であればマナさえあれば生きられるため、何の問題もなく一人で制御することができるのだが、響界種(アロザイド)であるエニシアは、体のつくりは人間とほぼ同じであるため、食事も休養も必要なのだ。当然、一人だけで制御し続けることはできない。

 

(まあ、いないよりはマシか……)

 

 それでもエニシアが舵取りを担当していれば、バージルが制御を行う必要はなくなる。片手間の仕事でありながら、時間を取られることいい気はしていなかったバージルにとっては朗報なのである。

 

「バージルさん。そろそろお昼ですし、今日はこのへんにしましょう?」

 

「ああ、そうだな」

 

 アティの提案に頷く。エニシアが自分の代役になると分かっただけで十分な収穫だ。おまけにラウスブルグの制御というのは、車の運転のように知識や技術が必要なのではなく、古き妖精の血を引いていれば、たとえ人間との間に生まれた者でも可能であることも判明したので、バージルは結構機嫌がよかった。

 

「あの、先生。今日も勉強教えてもらっていいですか?」

 

 これで制御の訓練が終わりだと言うことを聞いたエニシアは尋ねた。以前は教授とも呼ばれるゲックが彼女の勉強を見ていたのだが、あいにく二日ほど前から昼間はセクターのところへ出かけ、戻ってからは翌日の準備をするという生活を送っており、その間はアティが代わりとなっていたのだ。

 

「うん、いいよ。お昼食べてからでいいよね?」

 

 アティは快諾した。もとよりエニシアの教師役はゲックがトレイユに行くと言った際に、彼女自身が代役となることを申し出たことだ。断るはずがなかった。

 

 ちなみにゲックがここ数日セクターのもとに通っているのは、簡単な整備についても教えているためだった。さすがに万全な整備や修復となると素人同然のセクターでは難しいが、簡易的なメンテナンスであれば多少の知識があればできるし、いちいちゲックの手を借りる手間も省けるなどメリットも大きい。

 

 たとえ教えを乞う相手が自分を改造した相手であったとしても、今のセクターにはそのあたりの分別をつけられる冷静さは取り戻しており、驚くほど素直にゲックの教えを受けていたのである。

 

 そこへカサスが制御の間へ入ってきた。まだ包帯はしているが歩く姿も自然で、もうバージルから受けた傷による影響はないようだ。

 

「みなさん、ごはんできまシタよ」

 

 どうやらカサスは、ここ最近食事を作っているポムニットから頼まれてバージル達を呼びに来たらしい。

 

 余談だが、ラウスブルグはマナを糧にして生きる妖精が作り上げたものだが、元はメイトルパの戦いを嫌う者を連れて世界を渡る船であるため、しっかりと調理設備は備え付けられている。それが随分としっかりとしたものだったので、ここに来て以来ポムニットははりきって料理を作っているのだ。

 

 ちょうどエニシアの練習も終わったところだったため、昼食をとるために一同は食堂に移動することにした。

 

「あ、バージルさん。確か午後からアズリアに会いに行くんでしたよね?」

 

「ああ、そうだ」

 

 バージルがアズリアに会いに行く理由はギアンのことだ。ドラバスの砦跡から逃げて以降、ラウスブルグにも来ず彼の足取りは不明のままだった。少なくともこちらに手を出せるほどの度胸も力もないだろうが、念のためアズリアに行方を捜すよう依頼するつもりでいたのだ。

 

「それじゃあ、手紙を渡してもらっていいですか?」

 

「……昨日何か書いていたと思えば、手紙だったか」

 

 バージルは昨夜、アティが机でペンを走らせていたことを覚えていた。エニシアの勉強に関する資料でも作っているのかと思っていたが、どうやら予想は外れたようだ。

 

「いきなりアズリアに会いに行くなんて言うから、急いで書いたんですよ」

 

「……そういえばそうだったな」

 

 思えば、アティにアズリアの件を伝えたのは昨日の昼食でのことだ。それから彼女はエニシアの勉強を見なければならなかったため、手紙を書く時間が取れたのは夜だったということだろう。

 

「それと、もしみんなに会ったらよろしく言ってくださいね。たぶんそろそろ帝国に入ってる頃ですから」

 

 現在、島を出ているのはバージル達三人だけではない。スバル、パナシェ、マルルゥも島を出て見聞の旅をしている。

 

「ああ、確かあの村に行くとかいう話か」

 

 バージルの言った「あの村」というのは、かつてルヴァイド率いる黒の旅団に滅ぼされたレルムの村である。今は金の派閥の協力もあって、はぐれ召喚獣の移住先として復興したという話だ。

 

「ええ。一人じゃないですし、心配はないとは思うんですけど」

 

 そもそも今回スバル達がレルム村へ行くのは、そこで往診するクノンの護衛も兼ねてのことだ。最近は姿を見せないとは言っても悪魔に襲われる可能性がある以上、クノン一人で行かせるわけにはいかないのだ。

 

 そもそもクノンがレルムの村で往診することになったのは、多種多様な召喚獣の診療ができる存在がいなかったからだ。そのことを手紙でアメルから相談を受けた結果、クノンが往診することになったのである。彼女なら普段から世界の垣根を超えた治療を行っているため、レルムの村でも活躍できるだろう。

 

 スバル達もレルムの村のある聖王国にはまだほとんど行ってなかったため、護衛も兼ねて一緒に行くことになったのだ。

 

 とはいえアティが把握しているのは、大まかな日程だけである。島にいるアリーゼやヤードとも連絡は取り合っているが、さすがに詳細な行程までは正確に把握することはできないようだ。

 

「……会えばな」

 

 スバルの母であるミスミからは、旅に出たスバルと偶然会うようなことがあったら、鍛えてやって欲しいとも言われているが、第一の目的がアズリアに会うことである以上、無駄な行動を取るつもりはなかった。

 

 それにスバルは、短期間とはいえバージルが直々に鍛えたのである。そこらの下級悪魔はもちろん、大抵の人間や召喚獣に後れをとるはずがない。心配は無用なのだ。

 

 

 

 

 

 それから数時間後のトレイユ近郊。帝国軍の駐在軍人であるグラッドは、自分の置かれた状況に緊張していた。

 

(なんでこんなことに……)

 

 ことの始めは今日も町の見回りに行くかと、駐在所を出たところに自分と同じ帝国軍人が来たことからだった。

 

 その軍人はグラッドが憧れるアズリア旗下の部隊の一員らしく、先のグラバスの砦跡のことについてアズリアが話を聞きたいとのことで、トレイユ近郊の野営地まで出頭せよ、という命令を持ってきたのだ。

 

 現在のアズリアは国境警備部隊の他に、無色の派閥や紅き手袋の取り締まりを専門とする部隊の指揮も執っている。ただ実務上、国境警備部隊はかつての副官に預けており、彼女自身は無色や紅き手袋への対応を主としているのが現状であった。

 

 今回のグラッドへの出頭命令もそうした取り締まりの一環だろう。なにしろグラバスの砦跡がギアン達に占拠されたのは、帝国全土での行われた一斉摘発の直後の出来事だったのだ。これでは全くの無関係と疑わない方がおかしい。

 

(虚偽報告がバレたらマズイよなぁ……)

 

 その一件についてはグラッドとしても何の報告もしないわけにはいかず、かといって正直に書けばミルリーフの身柄を軍が預かるなんてことになりかねないため、意図的に事実を捻じ曲げた報告書を作成したのだ。

 

 事実と異なる点は大別して二つ。一つは砦跡を占拠したのは、無色の派閥の幹部であるギアン・クラストフ率いる集団ではなく、ただの盗賊達だったという点だ。もし本当に無色の派閥の幹部が動いていたと知られれば、ほぼ間違いなく軍が動くことが予想されたからだ。そうなればミルリーフの存在も気付かれる危険性がある。

 

 二つ目はもちろんミルリーフの存在である。当然、占拠したとする盗賊達の目的も不明としたし、砦跡にグラッドが調査に行った時には、既にもぬけの空だったということにしたのだ。

 

 決して説得力のある話ではないが、虚偽と断定する証拠もない。事情を知るフェア達がわざわざ話すわけがないし、ギアンは行方不明、他の者はラウスブルグにいる。グラッドが口を滑らせなければ問題ないはずなのだ。

 

「ト、トレイユ駐在軍人、グラッドであります!」

 

 見張りの兵士に案内されて入った野営の天幕の中でグラッドが名乗った。階級が下の者から名乗るのはどこでも同じことのようだ。憧れの人物を前にした緊張から半ば怒鳴ったかのような声量になってしまったのはやむを得ないことだろう。

 

「そんなに緊張するな。別に取って食おうってわけじゃない」

 

 緊張してガチガチになるグラッドを見たアズリアが苦笑した。

 

 アズリアの執務室も兼ねている天幕の中は驚くほど質素なものだった。机は簡素な折り畳式のものであるし、風景画のようなインテリアもない。将軍の部屋としては極めて簡素なものなのだ。

 

「殺風景なところで悪いな。人を呼ぶことは想定していないんだ」

 

「い、いえ! そのようなことは……」

 

 現在アズリアは先に行った一斉摘発の後始末を行っているのだ。具体的には不審な動きを見せた箇所の再捜査や、これからグラッドにするような各都市から上がってきた報告の精査なのだ。それゆえ、軍人以外を呼ぶことは想定していないため、こうした簡素な部屋となったのである。

 

「さて、早速で悪いが話を聞かせてくれ」

 

「は、はっ! 何からご説明すればよろしいでしょうかっ!」

 

 遂に来たかとグラッドは構える。

 

「あの場にゲック・ドワイト――かつて学究都市ベルゼンの研究施設で総責任者だった召喚師がいたな?」

 

「……は?」

 

 思いがけない言葉にグラッドは頭の中が真っ白になった。

 

「軍の極秘情報を持っているあの召喚師の動向はある程度把握している。これまでも何度か辺境で騒ぎを起こしてはいたが、特に危険はないと判断され様子見に留めていたが……」

 

 かの老召喚師がトレイユ近郊にいたという話を得たアズリアはすぐにドラバスの砦跡の一件と結びついた。トレイユの駐在軍人からの報告では占拠したのは盗賊という話だったが、どうにも腑に落ちなかったのだ。

 

 かと言ってゲックがドラバスの件に関わっている証拠もなかったが、アズリアは「教授」の異名を持つゲックの技術や知識が無色の手に渡ることを危惧しており、念には念を入れその報告を行った駐在軍人から話を聞くことにしたのである。

 

「それは、その……」

 

 アズリアの鋭い視線を受け、グラッドはしどろもどろになりながら言葉を探した。

 

 しかし、彼が言い訳を口にする前に第三者が割って入った。

 

「アズリア・レヴィノス」

 

 言葉の主はバージルだった。帝国軍人ではない男の姿を認めたグラッドは思わず呟く。

 

「な、なんでここに……」

 

「そこの女に会いに来ただけだ」

 

 答えになってない答えだった。グラッドが尋ねたのはここに来た目的ではなく、どうやってここに来た方法なのだ。

 

「ああ、気にしないでくれ、私の知り合いだ。……と言っても、君も知っているようだな」

 

 バージルを見たグラッドの反応を見れば、少なくとも顔見知り程度であることは推察できた。

 

「アティからだ」

 

 バージルはグラッドのことなど眼中にないかのように、アズリアにアティから預かった手紙を渡した。

 

「わざわざすまないな。……しかし、わざわざこれを渡すためだけに来たのか?」

 

「いや、やってもらいたいことがある」

 

「……厄介ごとじゃないだろうな?」

 

 アズリアが不審な目線をバージルに送る。この男がとんでもないことを平然と言い出すから始末に負えない。自分の親友はよくこんな男と一緒になったと感心するほどだ。

 

「たいしたことではない。ギアン・クラストフという男の行方を捜してほしいだけだ」

 

「クラストフ……無色の家系か」

 

 さすがに無色の派閥の取り締まりを行っているだけのことはある。家名を聞いただけで無色の派閥の構成員であることに気付いたようだ。

 

「ああ。先日この近くの砦の跡地から姿を消してから行方知れずだ」

 

「ふむ……」

 

 バージルから状況を聞いたアズリアは一瞬グラッドに視線をやり、顎に手を当てて少し考えてから答えた。

 

「まあ、構わん。ただ、こちらが発見すれば相応の対応になるが?」

 

 何故バージルがその男の行方を捜せと言ってきたかはアズリアには分からないが、無色の派閥の召喚師であればその対応は決まりきっている。

 

「いいだろう。好きにしろ」

 

 バージルとしても今さら逃げた男がどうなろうと知ったことではない。大人しくしていれば望みも叶っただろうに、疑心暗鬼から身を滅ぼすことになったのだ。

 

「……ところで、何故クラストフは砦跡にいたのだ?」

 

「その男から聞いているとは思うが、奴は竜の子を狙っていただけだ」

 

(あ、終わった……)

 

 バージルの言葉を聞いた瞬間、グラッドは自身の辻褄を合わせが全て水泡に帰したことを悟った。これがただの得体のしれない奴の言葉なら、妄言と主張することもできたかもしれないが、アズリアとバージルのやり取りを見る限りそれも無理だろう。

 

「竜の子?」

 

「詳しくは手紙に書いてあるはずだ。後で読んでおけ」

 

 バージル自身アティの手紙を読んではいないが、概要自体は渡された際にアティから聞かされていた。そのため自分で説明する必要はないと思ったようだ。

 

「やれやれ、仕方ないな」

 

 相変わらずだなと言わんばかりにアズリアは息を吐いた。バージルのこうしたところは昔から変わらない。

 

「そういえば、少し気になることがあった。お前の考えを聞かせてくれないか?」

 

「言ってみろ」

 

 アズリアがあえてバージルに意見を求めるということは、悪魔絡みかそれに近いことだろうと判断し、まずは話を聞いてみようと思ったようだ。

 

「今回捕らえた無色の派閥の者が言っていたんだ。『悪魔が召喚できなくなった』と。確かに最近では悪魔が現れたという報告もないが……、お前は何か知っているか?」

 

「そもそもあいつらが使う悪魔を呼び出す術は、魔界とこの世界を繋げるだけのものだ。悪魔を操るわけではない」

 

 悪魔を使役することは不可能ではないとはいえ、生半可な技術でできるものでもない。リィンバウムより悪魔について研究が進んでいる人間界においても、悪魔を使役していたのは錬金術師アラン・ローウェルくらいなのだ。むしろ使役よりも、悪魔の力を利用したり、自らを悪魔と化したりする方が多いのである。

 

「なら、あの悪魔が自らの意思でこちらに来ないということか? とても信じられないのだが……」

 

 あんな知性もなく本能だけで動いているような存在がそんな判断できるとは思えなかったアズリアが言うと、バージルは否定して答えた。

 

「そうではない。悪魔を支配している存在がそうさせているのだろう。……理由は知らんがな」

 

 アズリアの考えは正しい。下級悪魔にそんな判断などできるはずがない。だからもっと上、それこそ魔界の支配者クラスの大悪魔がそうさせているということは容易に想像できる。とはいえその大悪魔が正体までは分からない。もっとも本命はムンドゥスで間違いないだろうが。

 

「……少なくともこちらを考えてのことではなさそうだな」

 

「当たり前だ」

 

 だがアズリアが気になったのはそうさせている悪魔ではなくその理由の方だ。短期的な視点で見れば悪魔が現れなくなったため、それによる被害もなくなり、無色の派閥が悪魔を用いた破壊活動を行うこともなくなったといいことばかりなのだが、もっと中長期的な視点で見れば、悪魔を呼び出せなくした存在のことが気にかかる。

 

 まるで何かの機会を待っているようなそんな気さえしているのだ。

 

 だが、こればかりどうしようもない。できるのは精々、悪い結果が出ないように祈ることだけだ。

 

 そうして溜息をついたアズリアはもう一つ、バージルに言っておかねばならないことがあったのを思い出した。

 

「ああ、そうだ。……昨日この近くでスバル達に会ったんだ」

 

 スバル達は帝国を始めリィンバウム各地を旅している。そんな彼らに、アズリアは身元の保証など色々と気を回していたのである。いわば帝国における保護者のような役目を担っているのだ。

 

 それには島でいろいろと世話になった礼という意味もあるが、彼らの話を聞くことで各地の生きた情報を得られるという打算もあった。将軍ともなると指揮下の部隊のことだけ考えていればいいというわけではない。振るう権力に比例し影響も大きくなっていく。軍からもたらされる情報の他に、独自の情報源を持つことは大きなメリットとなるのだ。

 

 そうした意味ではバージルも同様だ。もっとも彼の場合、そのあたりは心得ているのか、先の派閥の情報のように対価を要求することが多いが。

 

「そうか、アティにも伝えておく」

 

「そうしてくれ。……しかし、お前スバルに何かしたのか? お前のことを話したら顔色を悪くしていたが……」

 

 アズリアは彼らと会った時に、以前バージルと帝都で会ったことを話したところ、スバルだけ顔を青くしていたのである。他の三人は特段おかしな反応を示さなかったため余計に気になったのだ。

 

「少し鍛えてやっただけだ」

 

「ああ、なるほど……」

 

 それだけでアズリアはスバルの変化の原因を察した。よほどバージルの教えが厳しかったのだろう。ご愁傷様としか言いようがない。

 

「あいつら、次はトレイユに向かうと言っていたが、会って行くか?」

 

「いや、いい」

 

 もし会いに行くつもりなら彼らを探すくらいは手伝ってやろうかと考えていたが、バージルにその気はなかったようだ。特に会う理由もないから彼にしては当然の選択なのだろう。

 

「わかった。……それとクラストフの件も何か分かれば連絡する」

 

 それを聞いたバージルは頷くとさっさと天幕から出て行ってしまった。どこまでも好き勝手に行動するのは血のせいか。

 

「さて……」

 

 そう言うとアズリアはグラッドを向いた。

 

「あ、は、いえ……その……」

 

 何か言わなけれなと思うが、先ほどの自分には介入できない話への困惑と緊張のせいでうまく言葉が出なかった。

 

「そう混乱しなくとも、大丈夫だ。別に君を叱責するつもりはない」

 

「は……? その、よろしいのですか?」

 

 虚偽報告をした側であるグラッドとしては、それがバレた時点でまさか何のお咎めなしで済むとは思っていなかったので、思わずそんな言葉を口にしてしまったのだ。

 

「君の報告におかしな点は何一つなかった。それだけの話だ」

 

 それがアズリアの公式見解だった。 バージルの関与が明らかになった時点でアズリアは必要以上に首を突っ込むつもりはなくなっていたのだ。アティもついている以上、バージルが帝国に仇なす真似はしないだろう。むしろ、変に刺激して敵と認定されたらそれこそ一大事だ。

 

「……その、将軍は先ほどの男のことをご存じなのでしょうか?」

 

 少し言いづらそうにグラッドが尋ねた。アズリアの決定にはあのバージルと言う男が関わっていることは明白だ。

 

 その他にもバージルは彼の仲間であるネロの父親であり、ミントとも面識があるらしい。おまけに蒼の派閥にも顔が利くうえ、帝国初の女将軍とも顔見知りとなれば気にならないわけがなかった。

 

「ふむ。……まあ、友人の旦那、といったところか」

 

 アズリアは少し考えてから答えた。さすがにバージルとは友人というほどの間柄ではないし、仕事仲間というわけでもない。面識自体はアズリアがまだ海戦隊の指揮官だった頃からあるが、その時は敵同士だったのだ。結局、今の二人の関係性はアティがいてこそ成立するものだったため、彼女はそう答えたのだ。

 

「は、はぁ……」

 

 アズリアの言う友人とはあのバージルと一緒にいた赤い長髪の女性のことだろうか、と思案しながら曖昧な言葉を返した。

 

「さて、これで話は終わりだ。これからも職務に励めよ」

 

「はっ!」

 

 いくつか気になることはあったものの、結果的には丸く収まったことに安堵しながら、グラッドは大きな声で返答した。

 

 

 

 

 

 

 

 




というわけで、次回からのサブイベントはスバル達+クノン達です。

次回は8月5日(日)に投稿予定です。

ありがとうございました。


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第87話 花の妖精を探して

(ここにもなしかよ……)

 

 トレイユの街中に位置する雑貨屋から出たネロは肩を落として大きく息を吐いた。お目当ての品物はこの店にはなかったのである。

 

 ネロが探していたのはレッドクイーンやブルーローズの整備に使う工具だ。

 

 レッドクイーンの大掛かりな修理や改造を施す場合を除き、それ以外の場合やブルーローズ自体の整備はネロ自身が行っている。だが、ネロがリィンバウムに召喚されたのは仕事中のことだったため、そうした整備に必要な工具の類は持って来ることができなかったのである。

 

 ブルーローズには愛着が湧くように手ずから薔薇のレリーフを彫ったネロだが、整備に使う工具については特に愛着はないようだ。

 

「仕方ねえ、整備は諦めるか……」

 

 レッドクイーンとブルーローズは大事な商売道具でもあるため、これまでのように簡易的なものではなく、そろそろ分解整備くらいしておきたかったのだが、肝心の工具がなければ話にならない。リィンバウムには工具が必要になる日常品がないため当然と言えば当然だが。

 

 それに今整備をしないからと言って、信頼性が極端に低下するわけではない。フォルトゥナで起こった事件の際は今の何倍も酷使しても故障の一つもなかったのだ。

 

「ネロ君、こんなところでどうしたんだい?」

 

「ああ、アンタか」

 

 仕方なく、忘れじの面影亭まで帰ろうとした時に背後から声をかけられた。振り返ったネロは、声をかけてきたセクターに挨拶代わりに片手を上げた。

 

「足も治ったんだな」

 

 セクターは以前のように足を引き摺って歩いてはいなかった。ゲックの修復を受けたおかげで足回りも機能を取り戻したのだろう。顔も憑き物が落ちたようにすっきりとしている。

 

「ああ。君のおかげでね」

 

「別に、何もしてねぇよ」

 

 鼻を鳴らしてふいと顔を逸らす。ネロは感謝されたいがために、ゲックにセクターを治すよう言ったわけではない。世話になっている者達がセクターの死を望んでいなかったから、そう言っただけなのだ。

 

「君の言葉がきっかけになったのは事実だよ。……それで何かあったのかい? 何やら落胆していたようだが?」

 

 話を戻し、声をかけた理由を口にしたセクターにネロは指でブルーローズを一回転させて答えた。

 

「こいつの整備でもしようかと思ったんだが、生憎工具がなくてね」

 

「それなら私の持っている物を使ってみてはどうかな?」

 

 ネロの落胆した理由を悟ったセクターは申し出た。さすがに帝国でも工具はどこでも買えるというわけではない。セクターも自身を整備するための工具は、わざわざ店に頼んで近くの都市から取り寄せてもらい、ようやく手に入れたのだ。

 

「……確かにあそこなら使えるものがあるかもしれないな」

 

 以前に訪れたセクターの部屋を思い出しながら答える。ベルゼンの施設から逃げ出した彼は、自分の体の整備を自身が行わなければならず、そのために必要な工具類も一通り揃えてあったのだ。

 

「なら決まりだ」

 

 セクターは微笑んで頷き、案内するように歩き出す。ネロも大人しくその後に続いて歩を進めた。一度セクターの家には行っているが、その時はフェアの案内があったため、一人で行けると自信を持っては言えなかった。

 

 ネロとセクターは揃って歩くが、共通の話題もないためお互い一言も口を開かず無言のままだった。

 

 しかし、間もなく目的地に着くところまで来て、セクターは視線を歩く方向に向けたまま口を開いた。

 

「まだフェア君達には言ってないんだが……、実は君達の一件が落ち着いた後、あの男の贖罪の旅に同行しようかと思っているんだ」

 

 あの男というのはゲックであることは、ネロにもすぐに理解できた。

 

 つまり彼は少し前まで復讐すべき相手だった男に同行しようというのだ。もちろん隙を見て暗殺しようと企んでいないことは分かる。きっとセクターはここ数日のゲックの態度や言葉を見聞きして決断したのだろう。

 

「いちいち理由は聞かねぇぞ。……それで? 俺はこれをフェアやリシェルにでも話せばいいのか?」

 

 わざわざ同行する理由を聞くなんて野暮だ。セクター自身がそう決断したのなら受け入れるだけだ。むしろネロが気になったのはセクターがそれを自分に言った理由の方だった。教え子には中々言い辛いから自分を通して言って欲しいのかと勘繰ったのである。

 

「いや、彼女達にも自分の口で言うよ。君に言ったのは、こんな機会がこれから取れるかわからないし、今言っておくことにしたんだよ」

 

 結果的に身の振り方を最初に聞いたのが、セクターが変わるきっかけとなったネロになったことは、ある種の必然かもしれない。

 

「……そうか、ちゃんと言ってやれよ。あいつら、あんたのことを本当に慕ってるようだしな」

 

「今回のことでそれは痛感したよ。……私は彼女達に救われたようなものだ」

 

 セクターが私塾を開いたのは生きるための糧を得るためだった。しかしフェアやリシェル、ルシアンのような生徒と過ごしてきたことによって、知らず知らずのうちに生きるための活力を与えられていたのだ。多くの生徒に慕われるような教師になることができたのも、そうした活力のおかげに違いない。

 

「ならいいさ」

 

 ネロが僅かに口角を上げてそう言ったところで、図ったようにちょうどセクターの家に到着した。

 

 

 

「それじゃこいつら借りてくぜ」

 

 いくつか使えそうな工具を見つけたネロは、セクターにそう告げて借り受けることにした。整備は戻ってすぐ行うつもりだったので、明日くらいには返せるだろうと考えていた。

 

「そんなに急がなくていいよ。代わりもあるし、そう頻繁に使うものでもないからね」

 

 セクターは元軍人の習性からか、紛失や破損に備えて工具類にも予備を用意していた。自身の整備と言っても、簡易的な点検はともかく工具類を使うものは毎日するわけではないのだ。しかし、トレイユで工具類を手に入れようとすれば、十日以上はかかるため複数備えておくことはリスク管理の観点から当然のことかもしれない。

 

「おう、悪いな」

 

 ネロは片手を上げて謝意を示し、セクターの家を後にした。既に昼時は過ぎているので、今から帰れば忘れじの面影亭の営業も終了していることだろう。そしていつも通り昼食を食べてから部屋に籠って得物の整備をする。

 

 そのようなこれからの予定を頭の中に描きながら中央通りを歩いていると、不意に後ろから小さな衝撃を感じた。

 

「あ、パパ、ごめんなさい」

 

 ぶつかってきたのはミルリーフだった。通りで大した衝撃も感じなかったわけだ。

 

「ミルリーフか。どうしたんだ、こんな所で?」

 

 彼女が一人で街中にいるのは珍しい。いつもならフェアかリシェルかルシアンのいずれか、あるいは御使いの誰かが一緒にいるのだが、今は周囲を見る限り一人のようだった。

 

「ミルリーフね、マルルゥっていう子を探してるの!」

 

「そりゃ偉いな。しかし何でそいつを探してるんだ?」

 

「クノンって言う人がその子を探しているから、ミルリーフも手伝ってるの!」

 

 そこまで聞いてネロはようやく事情が呑み込めた。ミルリーフは困っている者を放っておけなくて、捜索に協力しているのだろう。

 

「御子さまー!」

 

 ネロがそんなことを考えていると、少し遠くからリビエルの声が聞こえた。どうやらミルリーフは一人でいるのではなく、リビエルからはぐれてしまっただけのようだ。

 

「おい、こっちだ」

 

 手を上げてリビエルに知らせる。それに気付いたリビエルは息を切らしながら走ってきた。その隣には見知らぬ女性が立っている。もしかしたら彼女がミルリーフに言っていた「クノン」という人物かもしれない。

 

「御子さま、はりきるのは結構ですけど、一人にはならないようにしてほしいのですが」

 

「……はーい」

 

 リビエルの言葉に不満があることを顔に出しながらも、ミルリーフは返事した。一応悪いことをしたという自覚はあるようだ。

 

「失礼ですが、こちらの方は?」

 

「パパだよ!」

 

 ネロの方を見て尋ねた女性の言葉にミルリーフが答える。

 

「なるほど、お父様ですか」

 

「正確には親代わりですわ」

 

 先ほどもパパと呼んでいたためか、特に疑問も抱かずに信じた女性に、一応言っておこうとリビエルが口を開いた。

 

「ネロだ。あー……」

 

 名乗ったはいいが、相手の名前を聞いていなかったネロが口ごもる。それで自分の名前を伝えていなかったことに気付いたのか、女性が言った。

 

「申し遅れました。クノンと申します」

 

「ああ、ミルリーフが言ってたのがアンタか。探しているやつがいるとか」

 

 名前を聞いて納得した。やはりミルリーフが協力していたのは彼女だったようだ。

 

「ご理解いただけているようでなによりです」

 

「それに他の御使いにも協力をしてもらっていますの。なにしろ探すのは小さな妖精という話ですから手は多い方がいいかと思いまして」

 

「妖精?」

 

 てっきり普通の人間かと思っていたネロはリビエルの言葉を繰り返した。

 

「花の妖精です。大きさはおおよそ人の顔くらいです」

 

「それくらいの大きさとなるとまだ年若いでしょうから好奇心も旺盛ですし、迷子になってしまったのだと思いますわ」

 

 二人の説明で詳細も飲み込めたネロは、同時に手伝わなければならない状況に追い込まれたことを悟った。さすがにここまで聞いて、協力しないと言うのはあまりにも薄情である。

 

「まあ、手伝うのはいいけどよ。探すあてはあるのか?」

 

 あてもなく探して見つけられるほど、この街は狭くない。せめて行きそうなところくらいのヒントは欲しいところだ。

 

「花の妖精ですから、大地のマナを感じられるところだと思いますわ」

 

 マナと言われてもピンとこないネロではあったが、それでもリビエルの言っていることはなんとなく理解できた。

 

「……結構広いな」

 

 トレイユは一時、皇族の別荘地候補として名が挙がったほど自然豊かな街である。中央通り以外はほぼどこへ行っても緑はあると考えていいのだ。

 

「ええ、ですから他の御使いにも探してもらっているんです」

 

 どうやらリビエルが応援を頼んだのは小さな妖精を探すから、という理由だけではなかったようだ。それでも、まだ見つかっていないことを考えると結構苦戦しているらしい。

 

「それに私の仲間も探していますから」

 

「確かにそんな話してましたわね。何人くらいいますの?」

 

 リビエルがそんな言い方をするということは、彼女はまだクノンの仲間に会っていないようだ。おそらく彼女が仲間と別れた後に会ったのだろう。

 

「二人です。彼らと四人で聖王国まで行く予定でしたから」

 

「見つけたらそいつらにも伝えなくちゃいけないってことか」

 

 面倒なことになったとネロは舌打ちをした。

 

「とりあえず、夕刻前にはお店に集まることにしましょう」

 

「仕方ねぇ、それしかないか」

 

 連絡をとる手段がない以上、見つける、見つけないにかかわらず、どこかに集まりその上でクノンの仲間を探すという手間のかかることをしなければならない。ネロが溜息を吐くのもしょうがないことだ。

 

「それならネロは彼女と一緒に探してくださいな。お店の場所はわからないでしょうし。……私は御子さまと探します」

 

「えー! ミルリーフ、パパと一緒がいい!」

 

「いけませんわ御子さま。今日は私がお供なのですから」

 

 ぴしゃりとリビエルが断じた。先ほどは一時離れてしまったが、今度はそうはいかない。そんな決意がネロにも伝わってくるほどだ。

 

「何でもいいからさっさと探しちまおうぜ。あんまり時間もないしな」

 

 もう昼は過ぎている。できれば今日中にケリをつけたかったネロはすぐにでも探しに行きたかったのだ。

 

「……そうですわね。私達は正門の方に向かいながら探しますから、あなた達はこの辺りを中心にお願いしますわ」

 

「わかった。ミルリーフも頼んだぞ」

 

 ミルリーフの頭をぽんと撫でて、ネロはため池に向かって歩き出した。ため池のさらに西側は特に自然が多い。まずはそっちから行ってみようと考えたようだ。

 

 そしてクノンも無言でついて行った。

 

 

 

 

 

 かくして思いがけず人探しならぬ、妖精探しを手伝う羽目になったネロだったが、二時間ほどかけてため池以西を探しても、妖精の姿は影も形もなかったため、徒労感を感じていた。

 

 クノンもいる手前、それを見せてはいないネロだったが、明らかに声の張りは落ちていた。

 

「次はどこを探すか……」

 

「少し休みましょう。どうやら疲れが溜まっているようですから」

 

「いらねぇよ」

 

 疲れているのは事実だが、あくまでそれは精神的なものであり、身体的には全くの無傷で健康そのものなのだ。

 

「そうですか、しかし念のためスキャンで確かめさせていただきます」

 

「は?」

 

 どういうことか問い質す前に、クノンからカメラのフラッシュのような光が放たれた。

 

「ふむ、確かに体に異常はありませんね」

 

 どうやら今のが彼女が言っていたスキャンだったらしい。しかしネロはそんなことよりも、どうやってやったかが気になった。ここの文明レベルから考えて携帯サイズで体をスキャンできるものなんて作れるはずがない。

 

「なあ、もしかしてアンタ、召喚獣、か?」

 

 リィンバウムにおける召喚獣の扱いについては知っていたため、若干聞きにくそうに尋ねた。

 

「正確に言えば、医療用看護人形(フラーゼン)、看護師のようなものです」

 

「やっぱりそうか」

 

 ネロは納得したように頷いた。それ以上聞くつもりはなかった。元々召喚獣であるか尋ねたのも、ただ単に気になったからだ。

 

 そしてクノンはネロから更なる質問が来ないことを確認すると「私も聞きたいことがあるのですが」と口を開いた。

 

「間違っていたら申し訳ありません。もしかしてあなたは人間ではないのはありませんか?」

 

 最初に謝罪を口にしてからクノンが発した言葉は、ネロの核心を突いたものだった。

 

「なんでそう思う?」

 

 ネロ自身としては己のことを人間と思っているが、同時に悪魔の血を引いていることも自覚している。そのため今日会ったばかりの者に人間ではないと言われてもさほど気にならなかった。

 

「勘です」

 

「…………」

 

 真顔で何の根拠もないことを平然と言ったクノンに呆れたような視線を送った。ネロはてっきり先ほどのスキャンで悪魔の腕(デビルブリンガー)に気付いたのだと思っていたのだ。

 

「半分冗談です。実はあなたと似た人を知っているので、もしかしたらと思ったのです」

 

 どういったところが似ているかはわからないが、自分と似ている者がいるということ聞いて気にならないわけがなかった。同時にさっきのクノンの言葉からその人物も人ではないということも考えると、ある人物の名前が浮かんできた。

 

「……まさかそいつの名前はバージルとか言うんじゃないだろうな」

 

「驚きました、大正解です。もしかしてあの方とお知り合いですか?」

 

 機械人形であるためか、あまり表情の変化を見せないクノンも、まさかネロの方からバージルの名が出てくるとは思っていなかったのか、目を見開いて驚いていた。

 

「親父らしい、詳しくは知らねぇが」

 

「……これは大変なことになりそうです」

 

 ぼそりと言ったネロの言葉に、クノンはさらに驚いた様子で言った。しかし同時に、どこかわくわくしているような雰囲気も感じ取れた。もしかしたら今の言葉に続いて言った「これが修羅場というものでしょうか」という言葉に関係あるのかもしれない。

 

「……数日前にも来たし、しばらくここにいれば会えると思うぞ」

 

 どうやらクノンはバージルのことを知っているようだったため、一応情報くらい提供することにした。だが、クノンは見るからに残念そうな顔をして言った。

 

「非常に残念ですが、私にもするべきことがあるので、長くは留まれないのです」

 

「そうか。……で、北と南どっちに行く」

 

 断ったのなら話を戻し、これからどの方向から探すか意見を求めた。中央通りで区切って、北ならミントの家があるほうで、南なら先ほどネロが立ち寄っていたセクターの私塾がある方角だ。

 

「お任せします。私よりあなたのほうがこの町の地理に詳しいでしょう?」

 

 トレイユに来たばかりのクノンは捜索場所については一任するつもりのようだ。ネロもこの町にきて一年はおろか、半年も経ってないが、少なくとも今日来たばかりのクノンより詳しいというのは事実だった。

 

「……なら北の方からだ。いいよな?」

 

 ネロが北から探すことにしたのは単純に北側の方が探す面積が広いからだ。南側は私塾から中央通りまではセクターから工具を借りた後に歩いている。その時は特に誰かを探していたわけではなかったが、いくら人間の顔ほどの大きさとはいえ見慣れないものがいれば自分なら気付くはず、という自信もあった。

 

「ええ、行きましょう。あと二時間もしない内に日も暮れてしまいます」

 

「あまり時間もないな。他になんか探す手がかりになりそうなことはないのか? 好きなものとかよ」

 

 マルルゥは花の妖精という話だったため、こまでは花や植物のありそうなところを重点的に探していたのだが、残り時間を考えるとできれば品種まで特定したい。

 

「具体的な品種までは分かりません。ただ、こちらの世界の花よりも、故郷の花の方が好きではないかと思います」

 

「故郷っていうとメイトルパ、だっけか?」

 

「ええ、そうです。……ただ、私は詳しくありませんし、そもそもメイトルパの植物自体、そう都合よくあるとは限らないと思いますが」

 

 クノンの言うことは当然のことだ。召喚術を用いて呼び出されるのは「召喚獣」という言葉が使われるように生物がほとんどだ。一応「召喚獣」という言葉は総称であるため、無機物や植物も含まれるのだが、実際そうしたものを呼び出すのは研究などの例外的な状況に限られるのである。

 

「なるほど、それなら専門家にでも聞いてみようぜ。ちょうどこれから行こうと思ってるあたりに住んでるしよ」

 

 ネロの脳裏に浮かんだのはミントだ。メイトルパの召喚術を扱う彼女なら当然メイトルパの妖精にも詳しいだろう。

 

「召喚師がいるのですか?」

 

 クノンが少し驚いたように聞き返した。帝国では一部の召喚術こそ民間にも解放されているが、他の大部分は厳しく管理されている。そのため、まさかこんな都市でもないただの宿場町に召喚師がいるとは思わなかったのだろう。

 

 とはいえ、ネロはそんな帝国の事情など知らなかった。実際のところ、彼の召喚術に対する知識はそこらの子供と変わりない。

 

「ああ。何やってるのかは知らねぇけど、確かメイトルパが専門とかっていう話だし、大丈夫だろ」

 

 ミントは自分の研究内容をひけらかすような真似をする人物ではないため、ネロは彼女が普段どういうことをしているのか分からなかった。それでも協力を求めようと思ったのは、人のいい彼女なら快く手伝ってくれると思ったからだ。

 

 それにこれまで何度か話もしているし、一緒に戦ったこともあるため、頼みやすいという理由もあった。

 

「そうですね、話だけでもしてみましょう」

 

 クノンとしても召喚師の協力を得られるのなら、闇雲に探すよりも効果的だと思ったようで大きく頷いた。

 

 そして意見がまとまった二人は、まずミントの協力を仰ぐために、彼女の家に向かった。

 

 

 

 

 

「うーん、花の妖精が好きそうなものかぁ……」

 

 ミントの家についたネロとクノンは、早速彼女に事情を話し情報の提供を求めたのだが、当の彼女は困ったような顔をして、考え込んでしまった。

 

「もしかして、専門じゃなかったか?」

 

「私が研究しているのは異世界の植物のことだからね。あ、でもメイトルパのことならいくつか本も持ってるから、そっちで調べてみるね」

 

 研究の対象ではないとはいえメイトルパの召喚術を扱う以上、ミントがそうした召喚獣について書かれた本を持っているのは当然だった。

 

「ところで、玄関から見えた畑にあるのは研究しているという植物ですか?」

 

「うん、そうだよ。全部じゃないけどね」

 

 ミントが畑で栽培している野菜は、本来は研究目的なのだが、実際のところはフェアの店にも出荷しているのである。もともとは研究で余った分を安くフェアに提供していたのだが、最近は店の方も繁盛しているためか、使用する野菜の量も増えており、今では研究のために栽培しているのか、フェアに提供するために栽培しているのか、よくわからない状況となっているである。

 

「気に入った植物があるかもしれないってことか」

 

 クノンの考えていることがネロにも分かった。異界の植物も栽培しているのであれば、その中にマルルゥが気に入ったものがあるかもしれない、ということだろう。

 

「そういうことなら案内してあげるね」

 

 畑の見回りは護衛獣のオヤカタに任せているとはいえ、生育状況の確認もあるため、ミントも日に一度は見ている。それも兼ねてネロとクノンを案内することに何の抵抗もなかった。

 

 そうして三人は畑を見に行くため、ミントの家を出た。

 

「そういやこの家って随分デカイな。わざわざ買ったのか?」

 

 一人で住むにはだいぶ大きな家だ。帝国の住宅価格は知らないが、中古物件であろうとそう安くはないだろう。

 

「ううん、借家だよ。テイラーさん……リシェルちゃんとルシアン君のお父さんから借りてるの。さすがに畑は後から作ったけどね」

 

 ミントがトレイユに来たのは蒼の派閥から派遣されたからだ。そのため、住宅の賃貸料もある程度支給されているのだ。

 

 元は空き家だったミントの家もそうしたお金を使って借りているのだ。ただ、畑だけは最初から備わっていたわけではなく、フェア達の助けも借り、一から作ったものだった。今フェアに野菜を卸しているのはそうした付き合いがあったからなのだ。

 

「あれ? なんだろう?」

 

 その畑まであと少しというところで、畑をふわふわと動く光があった。その光は案外早かったようですっと畑から離れていった。

 

「おそらくあれだと思います」

 

「マジかよ……」

 

 妖精とは聞いていたが、まさかただの光の球とは思っていなかったようだ。あるいはただ球形に光を放っているだけで、距離を詰めればネロがイメージしているような妖精の姿になるのかもしれない。

 

 三人はさすがに野菜や植物が植えられている畑の上を走り抜けるわけにもいかないため、畑を避けるようにしながらその光を追って行くことにした。

 

「あれは……」

 

 光を追ってミント畑から出たネロは光の向かう先に、見知った顔をあったのに気付いた。ミルリーフとリビエルである。彼女らは長身の男と犬のような姿の亜人と一緒にいた。

 

「お二人と一緒にいるのが、私の仲間です」

 

 その二人がクノンの言っていた仲間だったようで、光はちょうどその二人に向かっているようだ。きっと畑から二人の姿を見つけたから、向かったのだろう。

 

「とりあえず、一件落着か……」

 

 クノンの仲間の二人が、行方不明だった仲間と再会して嬉しそうにしているのを見て、ネロは何とか今日中に解決したことに安堵していた。

 

 

 

 

 

 

 

 




さすがに長くなりそうなので分割です。

なお、クノンが期待するような状況は過ぎ察った模様。

次回はいつも通り2週間後の8月19日(日)に投稿予定です。

ありがとうございました。


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第88話 一宿一飯

 ミントの畑で見つけた光を追って行ったところ、その光はやはり探していたマルルゥという花の妖精だったようだ。

 

「みなさん、ごめんなさい」

 

 マルルゥは仲間に心配をかけたばかりか、見ず知らずの人にまで捜索に協力してもらっていたため、クノンや彼女の仲間だけでなくネロ達にも頭を下げて謝っている。

 

「まったく、心配かけさせやがってよ」

 

 クノンの仲間だという彼の名はスバル。一見すると普通の黒髪の青年のような姿をしているが、前頭部に短い二本の角が生えている鬼妖界シルターンの鬼人という種族だ。

 

「まあまあ。……とにかく、見つかってよかったよ」

 

 そんなスバルを宥めているのはパナシェ、スバルと同じくクノンの仲間である。彼は幻獣界メイトルパに住む亜人の一種で、バウナス族と呼ばれる種族だ。全身を覆う白い毛並みと犬に極めて近い顔から、スバルとは違い遠目でも人間とは異なる存在であることがわかる。

 

「みなさん、ありがとうございました」

 

「ああ、わざわざ悪かったな。何も礼が出来なくてよ」

 

 クノンとスバルが言う。もちろんネロ達は謝礼が目当てで協力したわけではないので、そんなことは全く気にしていなかった。

 

「もう行ってしまうんですの?」

 

 この世界で自分たち以外の召喚獣と話をする機会など多くはない。ネロより早く二人と会っていたリビエルだが、彼女としてはもっと彼らの話が聞きたかったみたいだ。

 

「うん。できればもっとお話ししたかったんだけど、今日泊まるところを探さなきゃいけないから」

 

「見て分かる通り、俺達人間じゃないからさ。普通の店は使えないんだよ」

 

「……まあ、そうだろうな」

 

 ネロもこの世界に来たばかりの時、右腕を衆目に曝していたせいでそうした対応にあったことがある。そのせいでひと悶着にまで発展したため、苦い思い出として記憶に残っているのだ。

 

「ねえ、パパ……」

 

 ミルリーフがネロにお願いするような目で声をかけてきた。彼らを忘れじの面影亭に泊められないか、と尋ねていることはすぐに分かった。

 

「あー、分かったよ。言ってみる」

 

 今から探しても野宿になる可能性は高い。彼らの装備を見る限りそうした経験もありそうだが、自分と同じ体験をした彼らを放っておくのは、さすがに悪い気がしたのだ。

 

「お、なんだ? 泊まるところでも紹介してくれるのか?」

 

 スバルが期待のまなざしでネロを見る。これまで宿探しに随分と苦労してきた様子が見て取れる。

 

「まあ、一応な。金はあるんだろ?」

 

 フェアは召喚獣だから泊めるのを躊躇う人物でないことは聞くまでもなく分かっている。かといって、金を払わず置いてもらってる身で、タダで泊めてやってくれとは言えないのだ。

 

「もちろん。ちゃんと持ってるから」

 

「わかった。話はする」

 

 パナシェが頷くのを見たネロがフェアに聞くことを決めた。

 

「もし難しそうだったら、家に泊まってもいいからね」

 

 金を持っているのなら、普通の客としては泊まることができるはずだ。それでも無理ならミントの言葉に甘えるしかないだろう。

 

「期待していますわよ」

 

「……ああ」

 

 リビエルからもそんな言葉が飛んできて思ったが、別にこの役目は彼女がやってもよかったのではないかと思った。ネロがその役目を受けたのはただミルリーフから頼まれたからであり、同じくフェアに世話になっているリビエルが言えない道理はないのだ。

 

 だが、時すでに遅し。話をすると言ってしまった以上、今更リビエルに任せることはできなそうだった。

 

「あ、そうだ。後でいいんだけどよ。ちょっと場所を教えて欲しい店があるんだ」

 

 そう言ったスバルが雑誌を取り出した。何の雑誌かはわからなかったが、雑誌に載るくらい有名な店に行っていたいということなのだろう。

 

「俺が知ってればな」

 

 街中はそれなりに見ているとはいえ、まだ知らない店のほうが多いのだ。スバルの望みに答えられるとは限らない。

 

「忘れじの面影亭って店だ。なんか、けっこううまい飯を出すみたいでよ。ほらお前みたいな人間がいれば、一緒に入れるだろ」

 

「え……?」

 

 スバルの言った店の名前に思わずリビエルが目を見開いた。そしてネロは少し自慢げな顔をして告げる。

 

「今から行くのがその忘れじの面影亭だ」

 

「でもそこは宿屋じゃないの?」

 

 パナシェが尋ねる。先ほどネロは泊まるところを紹介するという話だったため、てっきり宿屋に案内されると思っていたのだ。

 

「まあ、宿屋もやってるんだ。……もっともそっちは閑古鳥が鳴いてんだけど」

 

「……パパ、逆じゃなかったっけ?」

 

 ネロの言い方では料理がメインで宿屋がおまけであるように受け取れる。しかし、ミルリーフの記憶ではあくまで宿屋が主で料理が従だったような気がするのだ。

 

「あれ? そうだっけか」

 

 ミルリーフにそう言われると、確かにそんな気もしてくる。売り上げに占める割合で言えば間違いなく料理屋の方がメインになるのは間違いないが、元々はどっちをメインとしていたかと言われると、忘れじの面影亭の造りからいって宿屋の方とも考えられる。

 

「どっちでも構いませんわ。似たようなものですもの」

 

「そりゃそうか」

 

 リビエルの言葉でネロは納得した。どっちが主であろうと、これから案内する店とスバルが行きたがっていた店は同じなのだ。面倒なことを考えても仕方がない。

 

「それじゃ、世話になったな」

 

フェアが聞いたら怒りそうなことを考えながら、ミントに礼を言った。

 

「ううん、そんなことないよ。また遊びにでも来てね」

 

 そんなミントの言葉を聞いて、ネロはスバル達を先導するため歩き出した。

 

 

 

 

 

 結果から言えばフェアは、スバル達を受け入れた。それもごくあっさりと。その理由を聞くと「もう何人も泊まってるんだから、いまさら少し増えたくらい全然いいよ」とのことだった。

 

 ちなみに、リビエルから話を受けてマルルゥの捜索に協力していた御使い達は、既に戻っていた。きっとリビエルはあらかじめ時間を決めて協力を求めていたのだろう。

 

「それにしてもツイてるな、パナシェ! 久しぶりにベッドで寝れる上に、お目当てのものも食えるなんてな!」

 

「うん、そうだね」

 

 パナシェも嬉しそうに微笑んでいるが、スバルの喜びようは大変なものだった。

 

「ま、私もこんな風に書かれてるんじゃ、頑張らないわけにはいかないからね」

 

 フェアが嬉しそうに言った。彼女が上機嫌になっている原因はスバルが持ってきた雑誌だった。

 

 帝国で料理店を紹介する本として最も著名なのは「ミュランスの星」という帝都の文化人にも評判の本だが、スバルの持ってきた雑誌はもっと大衆向けのものだった。

 

 それでも小さな宿場町の外れにある忘れじの面影亭が、「新進気鋭の料理人の店」として掲載されたのは確かだ。それだけでもこれまでの苦労が報われたようでフェアには嬉しかったのだ。

 

「さて! せっかくだし好きなもの作ってあげる、何が食べたい?」

 

「それならマルルゥ、お鍋がいいですよ」

 

「鍋?」

 

 思いがけないマルルゥの言葉に、フェアは聞き返した。だが彼女に続いてスバルも賛成の声を上げる。

 

「お、そりゃいいねぇ」

 

 何がいいのかわからないフェアは首を傾げたままだ。その様子にパナシェが気付いたのか、説明してくれた。

 

「僕達の島ではね、いいことがあった時はみんなで鍋を囲むのが習慣なんだよ」

 

「ええ、そうです。誰かが帰ってきた時とか、お祝いの時とかにするんですよ」

 

 その時のことを思い起こしたのか、クノンは柔らかい笑みを浮かべる。これだけ見れば彼女を人間だと疑う者はいるまい。ネロも少し間に機械人形だと聞いていなければ、今も普通の人間だと信じていただろう。

 

「確かに。同じ食事をとることで連帯感はさらに強くなる。いい習慣だ」

 

「うむ、じつに素晴らしい」

 

 納得したようにクラウレが大きく頷いた。セイロンもその言い方からする異論はないようだ。

 

「よし、それじゃ今日は鍋にするね。腕によりをかけて作るから期待してて!」

 

 そう言って、気合を入れながら厨房に入るフェアに、昼の営業の疲れがいまだ取れず机でぐったりとしていたリシェルが呆れたように声をかけた。

 

「あんたってほんと体力あるわねぇ。こっちはとんでもなく疲れたってのに」

 

「これでも料理は好きだしね」

 

 忙しい昼時も一人で厨房を回しているためかかる負担は大きいが、それでも苦にならないのは料理が嫌いではないからだった。むしろフェアにとっては無償で手伝ってくれているリシェルとルシアンにはいくら感謝してもしきれないのである。

 

「でも、最近やけに混むようになった理由が分かったよ。こんな風に紹介されたんじゃ、人も来るよね」

 

 特に最近は昼時となるといつも以上に混んでいる。これまでも満席になることは珍しいことではなかったが、今では昼時だけではあるが行列ができているのだ。これも店が雑誌に紹介された影響だとルシアンは考えているらしい。

 

「だけど本当に何とかしないとなぁ。今は二人が手伝ってくれるからいいけど、いつまでもそういうわけにはいかないし……」

 

 腕はてきぱきと動かして料理を進めながら、フェアは悩みを口にした。

 

 二人もいつまでも店を手伝っていればいいと言うわけではない。リシェルはいずれ父と同じく召喚師として派閥に属することになるだろうし、召喚術が得意でないルシアンは軍学校に入る可能性が高いのだ。

 

「でもアルバイトを雇うにしたって人が来てくれるかよね。そもそもこの町ってあんまり人も多くないしさ……」

 

(店を経営するのって大変なんだな……)

 

 業種こそ違うが、フェアと同じく自らの店を持っているネロはまるで他人事のように聞いている。彼の場合、経営手腕よりもデビルハンターとしての腕が重要視される悪魔退治の店であるため、彼女のように人手不足で悩んだことはないのだ。

 

「はー、いろいろ悩みがあるんだな……」

 

「あ、ごめんね。こんな話して」

 

 いくらネロ達が連れてきたとはいえ、客の前でする話ではなかったため、フェアが詫びを入れた。しかしパナシェは首を横に振って言った。

 

「そんなことないよ。色々な話を聞くだけでも勉強になるからね」

 

「勉強?」

 

 話が繋がらず、オウム返しに聞き返す。するとパナシェは頷いて答えた。

 

「うん。僕達の住む島はほとんど人間がいなくてね。だから、どういう風に人間と関わっていくべきか、人間の暮らしを勉強して考えているんだよ」

 

「まあ今回はクノンの往診の付き添いだけどな」

 

 スバルが付け加える。ただ、付き添いとは言っても何も勉強するなということではない。実際はルートが決められただけで、後はこれまでの旅と同じようなものなのだ。

 

「ラウスブルグの他にそんなところがあったとは……」

 

 クラウレが驚いたように呟くのをよそにアロエリが尋ねた。

 

「しかし、なぜそんなことを?」

 

 ラウスブルグに逃げてきた同胞から話を聞いて、人間にあまりいい印象を持っていないアロエリにしてみれば、これまで人間と関わらずにいたのだから、わざわざ自分から関わる必要はないと思っているようだ。

 

「いつまでも今のままじゃいられないってわかったんだよ。だから若い俺達が旅してるのさ」

 

 当初は無色の派閥の実験場であった島も、スバルが生まれた頃には派閥も去っており、その時は多くの住民がこれまでと変わらぬ暮らしを望んでいたが、その後、無色の派閥の再来、悪魔の出現と大きな変化があったことで、その心境も変わったのである。

 

 だから次の世代を担うスバル達を送り出し、人間との関わり方を模索しているのだ。

 

「確かにな。今のままでずっとはいることなど難しい」

 

 納得したようにクラウレが口を開いた。彼自身、ギアンがラウスブルグを訪れたことで現状の変化を望んだ身だ。よくわかっている。

 

「ねえ、よかったら旅の話を聞かせてよ」

 

「ああ、いいぜ!」

 

 スバル達の旅の話に興味津々のルシアンが尋ねると、スバルは笑顔を見せて嬉々とした様子でこれまでの旅の話を始めた。

 

「…………」

 

「…………」

 

 しかし、フェアとミルリーフはクラウレの言葉に思うところがあったようで考え込んでいた。

 

 

 

 しばらくして、フェアが作っていた鍋が完成し、テーブルの上に並べられた。

 

 具材は野菜と魚を中心としながらも肉やキノコも入っており、それらが所狭しと並べられた大きな平鍋からは、食欲をそそるおいしそうな匂いと湯気が立ち昇っている。量も十三人分あるため、思わず声を漏らしそうなるほどボリュームがある。

 

「おいしそうですねぇ」

 

「ああ、早く食いたいなぁ」

 

「二人とも、行儀悪いよ」

 

 身を乗り出して鍋を眺めるマルルゥとスバルにパナシェが注意する。そんな三人に苦笑しながらフェアは取り皿を配り、全員に行き渡ったところでみんなこぞって鍋に手を伸ばした。

 

「ネロ、どうしたの?」

 

 その中で隣に座るネロがじっとその様子を見つめていることに気付いたフェアが声をかけた。

 

「あー、こういう料理は食べたことなくてな」

 

 フォルトゥナではスープのような、鍋で煮込む料理はあったが、こうしてみんなで分けて食べ合う料理を食べたことはなかった。知識の上では、リィンバウムに来る直前にいた日本という国でそうした料理があったということを知っていたが、食べ方についての知識はなかった。

 

 そのため、周りの取り方を見てから取ればいいと思ってみていた時にフェアに声をかけられたのである。

 

「もう、しょうがないなぁ。……貸して、よそったげる」

 

 変なところで真面目なんだから、と気を利かせたフェアは半ば強引にネロの取り皿を手に持ち、慣れた手つきで鍋から野菜、魚とバランスよくとっていった。

 

「はい。今回は色々とったけど本当は自由に食べていいんだよ」

 

「おう、悪いな」

 

 フェアから差し出された皿を受け取ったネロが礼を言う。その時、一連の流れを見ていたミルリーフが口を尖らせて声を上げた。

 

「あー、パパばっかりずるーい! ミルリーフのも取って!」

 

 父ばかり母に構ってもらったことが羨ましく感じたミルリーフが皿を出してねだった。フェアは苦笑しながらもそれを受け取った。

 

「ネロにも次はとってあげないんだから、今回だけだよ」

 

「うん! ママありがとう!」

 

 満面の笑顔でお礼を言われるとフェアとしても悪い気はしない。かと言っていつまでも甘やかしておくのもミルリーフのためにならないため、次に同じことを言われても断るつもりではいたが。

 

 そしてミルリーフにも取り分けた頃には、皆出汁がしみた具材を食べて、「おいしい」や「うまい」という言葉を口にしていた。そう言ってもらうことは料理人にとって非常に嬉しい言葉なのだ。

 

 そうして、フェアも自分の分を取ろうと皿を持って鍋に目をやった時、対面にいるクノンが一切手を付けていないことに気付いた。

 

「あれ? クノン食べないの?」

 

 まさか鍋は嫌いだったのかと心配に思い尋ねたフェアに、クノンはあっさりと答えた。

 

「はい。私に食事をする機能はありませんから」

 

 その言葉にフェアのみならずブロンクス姉弟や御使い達も一体どういうことだ、と頭に疑問を浮かべた。そんな一同を前に、スバルは申し訳なさそうに答えた。

 

「あー、悪い、言ってなかった。クノンはな医療用看護人形(フラーゼン)なんだよ」

 

「嘘!? アンタ、機械人形だったの!? 全然気づかなかった……」

 

 ロレイラルの召喚術を使うリシェルは当然、機械人形も医療用看護人形(フラーゼン)も知っている。にもかかわらず、クノンがそうだとは全く気付かなかったのだ。

 

 クノンには高度な対話機能が備わっているが、それだけではない人間と同じ「何か」を彼女から感じたからかもしれない。

 

「教授が連れているのとは大違いですわ……」

 

 ゲックも彼女と同じ機械人形を三体連れている。しかし彼女達は意思疎通こそ問題なくできるものの明らかに機械然としており、人間でないことは一目で分かるのだ。

 

「あれ? ネロさんは全然驚いてないけど知ってたの?」

 

 大なり小なり皆驚いている中で、ネロだけは黙々と箸を進め、さらに鍋から取り分けていたことに気付いたルシアンが尋ねた。

 

「ああ、一緒に探している時にな。さすがにその時は驚いたよ」

 

「驚いたのは私も同じです。まさかあなたがバージル様のご子息だったとは……、今でも驚きです」

 

「え……? う、嘘だろ……、確かに髪の色とかは似てるけど……」

 

 クノンの言葉を聞いて箸を落とすほど動揺したのはスバルだった。おまけに顔も青くしている。

 

 もっとも、驚いているのは他の者も同じだ。ただし、スバル達はネロがバージルの息子だということに驚いているのに対して、フェア達はスバル達がバージルのことを知っていることに驚いていた。

 

「お前達もあいつのことを知っているのか?」

 

 スバル達の反応を見たアロエリの質問が飛ぶ。これまでの態度から単純な敵ではないと分かっているが、先代守護竜の意を無視した形でラウスブルグを使おうとするバージルをよく思ってないのは確かだ。

 

「ま、まあな、あの人も島に住んでてさ。……」

 

 若干、顔を引きつらせながらスバルが言う。何しろ彼はバージルから直に悪魔との戦い方を教わっている。しかしその方法が半端ではなかった。おかげで彼は今でもバージルに頭が上がらない。というか、恐怖すら覚えていそうな有様だった。

 

 おまけに母ミスミがバージルに、旅に出るスバルと会うようなことがあればその都度鍛えてやって欲しい、といらぬお節介を焼いている。幸いこれまでの旅では会うことがなかったが、バージルと知り合いらしいフェア達から自分の居場所がバージルに伝わりでもしたら一大事だ。

 

 最悪、また悪夢のような授業を受けなければならない。スバルはそれを恐れているようだった。

 

「先生さんと、とーっても仲良しなんですよー!」

 

 ただ、戦々恐々としているのはスバルだけで、マルルゥは嬉しそうにバージルのことを話した。

 

「……あれ? でも先生と間に子供はいなかったような……」

 

 バージルとアティの仲はパナシェも知っているが、二人の間に子供がいるとは聞いたことはない。

 

「あ、もしかして先生って、あの赤くて長い髪の人?」

 

 半ば確信したようにフェアが尋ねる。彼女の脳裏にはがバージルの息子だと聞いて、自分達以上に驚いたアティの姿があった。ドラバスの砦跡ではポムニットから先生と呼ばれていたし間違いないだろう。

 

「ご存じなんですね」

 

 クノンが表情を変えずに言う。しかし、やはりどこか残念そうな声色だった。

 

「まあ……色々あってな」

 

 セイロンは困ったような顔をする。敵ではないとはいえ御使いはバージルに対して、ラウスブルグの件で複雑な感情を抱いている。だが、それをわざわざバージルと見知った仲であるスバル達に説明するほど良識を欠いてはいなかった。

 

「しかし、あんたがバージルの……」

 

 スバルがまじまじとネロを見つめる。ネロにとってはまだよくわからない人物であるバージルの息子だから、という理由で好奇の視線に曝されることに辟易としており、嫌そうに腕を振った。

 

「ったく、どいつもこいつも……。そんなに珍しいかよ」

 

 バージルのことを知っている者はみな同じような視線でネロを見るのだ。一体お前は何して来たんだと実の父親を問い詰めたい気分だった。

 

「ねぇねぇ、そのバージルってあんた達の島ではどんな感じだったの?」

 

 そんなネロの気持ちなど露知らずリシェルはスバルと同じく好奇心に満ちた瞳で尋ねる。バージル本人もいないし、彼のことを聞き出すには絶好の機会だった。

 

「知識欲はある方だと思いますが、あまり自分から人とは関わらない人だったかと……」

 

「あー、確かにそうかもな。俺も家に来るときに見かけるくらいだし」

 

 バージルと知り合いとは言え、クノンもスバルもあまり親しくはなかった。クノンはリペアセンターに来た時に事務的な話をするくらいで、スバルも鍛えてもらったことを除けば、母に会いに来たのを見かけたくらいしか面識がない。

 

「マルルゥもシマシマさんに会いに来たときくらいしか見たことないですねー」

 

 それはマルルゥも同じだった。バージルと比較的親しいのは彼が島を訪れた頃から付き合いのある護人やミスミ、カイル一家くらいなのだ。その他に関しては顔見知り程度の間柄でしかなかった。

 

「ふーん、そうなの……」

 

 もっと面白そうな話や意外な話が出て来るのかと期待していたリシェルはがっかりした様子だった。

 

「あとは……先生やポムニットとは仲いいくらいかな」

 

 アティとは教師生徒、ポムニットとはクラスメイトのような間柄であり、バージルと比べれば接点も多かったため、彼女達を通じてバージルの話を聞く機会は多かったのだ。

 

 もっとも聞かされたバージルの話は、スバルが知るバージルより心なしか甘いくらいのものだったため、それほど記憶に残っていなかった。ただ、二人ともバージルとは仲良くやっているのだけは理解できた程度だった。

 

「やっぱり家族思いなのね……」

 

 少し前にポムニットと話した時も、バージルに対する絶大な信頼が感じられた。それだけにスバルの言葉には変に納得できたようだ。

 

「みなさんがどうしてバージルさんのことを知っているのかは聞きませんが、少なくとも悪い人じゃないのは間違いないです」

 

 パナシェの言葉は特定の誰かに向けられたものではなかったが、特に難しい顔をしている御使いの四人には聞いて欲しかった。

 

「…………」

 

 御使いは四人とも真面目な顔で聞いているが、頷きはしなかった。それでも軽率な行動は慎むくらいの効果は期待していいかもしれない。

 

 せっかくの食事時にする雰囲気ではないと思ったのか、そこにフェアの声が響いた。

 

「話はこれくらいにしてじゃんじゃん食べてよ! シメも用意してあるんだから!」

 

「そりゃ楽しみだ」

 

 先ほどまで自分の父の話がされていたにもかかわらず、我関せずと箸を進めていたネロが言う。どうやら彼はこの鍋料理を気に入ったようだ。

 

 スバルも自分が希望した店の料理を味わうために「ほかの話はあとでな!」と食事に集中することを宣言するにあたり、他の者も彼にならうことにした。

 

 そして忘れじの面影亭の食堂には先ほどのような雰囲気とは打って変わり、食事を楽しむ和気あいあいとしたものとなっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 




今回で終わらせる予定でしたが、想定以上に長くなったので次回に続きます。

9月2日(日)に投稿予定です。

ご意見ご感想、評価等お待ちしてます。

ありがとうございました。


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第89話 旅の道連れ

 忘れじの面影亭の久々の宿泊客となったスバル達を迎えた翌日の早朝、ネロは庭にいた。セクターに借りた工具で昨夜の内に整備したレッドクイーンの調子を確かめるためであった。

 

 自作したブルーローズは整備も慣れているが、レッドクイーンはそうではない。いつもは製作した魔剣教団の技術局に整備を頼んでいるため、自分で分解までしたのは久しぶりなのだ。

 

 さすがにこのまま実戦に持っていくことはできないため、ここで簡単な試運転でもしようかと思ったのだ。

 

「さて……」

 

 レッドクイーンを地面に突き立てたネロは柄を捻るとイクシードが燃焼する。ここは問題ないようだ。

 

 次に柄に併設されたクラッチレバーを握りながらレッドクイーンを逆袈裟に振り下ろす。ネロの耳に聞きなれたエンジン音にも似た轟音が響いた。

 

「よう。こんな朝から何やってるんだ?」

 

 そこへスバルがやって来た。イクシードの出した音が聞こえたのかもしれない。

 

「こいつのテストだよ。昨晩整備したからな」

 

 昨日なにもなかったら夕食の前にやっておこうかと思っていたのだが、マルルゥを探していたミルリーフと会ったため、夕食後の夜に行うことになったのだ。おまけに久しぶりのことだったので思った以上に時間がかかってしまい、少し寝不足の感があった。

 

「へぇ、そんなこともできんのか。器用なんだな」

 

「ま、仕事柄な」

 

 得物の整備ができてないから仕事ができませんでは、デビルハンターなどやってられない。ある意味必須のスキルといえるかもしれない。あのダンテでさえ銃器の整備は自分でこなしているのである。

 

「どうだ? 相手になってやろうか?」

 

 スバルが斧を地面に突き立てながら言った。彼の得物らしい斧はレンドラーのものと比べて一回りは小さいものだった。一撃の威力より取り回しやすさを重視しているということだろう。

 

「そうだな。せっかくだし軽く相手になってもらうか」

 

 やはり仕上がりを確かめるには実戦に近い形式で行うのが最も適している。そうした意味ではスバルの申し出は渡りに船だ。

 

「へへっ、実はあんたの実力、気になってたんだ」

 

 スバルは笑いながら斧を担いでネロの正面に移動する。昨日バージルの息子と知った時は顔を青くしていたが、今は特に変わった様子はない。その後の交流でネロという個人を見ているのだろう。

 

 人格面ではそうだが、それでも一時的にも師であった者の息子。その力がいかほどのものか、気にならないわけがなかったようだ。

 

「そうかよ」

 

 ネロは不愛想に答えるとレッドクイーンを担いだ。そしてスバルも得物を構えているのを確認すると、先ほどと同じように逆袈裟に振り下ろした。これは左手でレッドクイーンを扱うにネロにとっては最も基本的な動作だった。

 

「やるねぇ!」

 

 レッドクイーンを受け止めたスバルはその予想以上の速さと重さに思わず口角を上げた。強い相手と戦えることに気分が高揚している様子だ。

 

 その状態でネロはクラッチレバーを握り、推進剤を噴射させる。ネロの力だけでなく噴射剤による加速も加わり、炎を纏ったレッドクイーンが得物ごとスバルを押し出す形となった。

 

「うおっと!」

 

 驚いたスバルはせり合うのは諦め、後ろに下がった。

 

「すげぇな、どうなってるんだそれ!?」

 

 急に炎を噴き出したレッドクイーンを興味津々に眺めながらスバルが声を上げた。まるで初めてのおもちゃを見た子供のような反応だ。

 

「悪いが、種明かしはなしだ!」

 

 一回打ち合っただけではまだ不十分。そう判断したネロが再びスバルに向かいレッドクイーンを振り下ろす。

 

「全然構わねぇさ!」

 

 それをスバルが嬉々として受け止める。

 

 そうしたことを一分ほど繰り返すと、ネロは唐突にレッドクイーンを下げた。

 

「え? なんだよ、もう終わりかよ?」

 

 若干不満そうに言うスバルにネロはレッドクイーンを担ぎ上げた。始まる前と同じ格好だが、もうそれを使う気はないようだ。

 

「ああ、もう十分だ。ギャラリーも増えてきたしな」

 

 ネロの言葉を聞いてスバルが横を見ると、パナシェとフェアが見ていた。イクシードの音を聞いてやって来たスバルと同じように、二人が打ち合う音を聞きつけて見に来たのだろう。

 

「にしても、助かったぜ」

 

 ネロはそれだけ言い残すと踵を返して歩く。見ていたフェアに「テーブルの準備はこれ片付けてからな」と告げて部屋に戻っていった。

 

 残されたスバルは乱れた呼吸を落ち着けながら、ネロとの打ち合いを思い返した。

 

(にしても、息の一つも切らしちゃいねぇ。やっぱ息子ってのは間違いねぇや)

 

 僅か一分程度の攻防で息が上がり汗も出てきたスバルとは対照的に、ネロは汗一つ、呼吸一つも乱れていなかった。恐らく全力には程遠い、本当に軽くやっていただけなのだろう。

 

 バージルもつくづく化け物染みた強さを持っているが、その息子も同じだと言うことがはっきりと理解できた。どうやら強さも遺伝するようだ。

 

 そんなことを考えていると、腹が減っているのに気付いた。先ほどまでは気分が高揚していて気にならなかったようだ。

 

「あー、腹減ったぜ! なあ朝メシはあとどれくらいなんだ?」

 

 それを聞いたパナシェは呆れたように眉間を抑え、フェアは苦笑しながら「今から作るね」と答えた。

 

 こうして朝のちょっとした運動は幕を閉じたのである。

 

 

 

 

 

 スバルはその後、朝食を食べると聖王国に向けて出発することになり、フェア達は店の玄関で彼らを見送ることにした。ただ、リシェルとルシアンだけはまだ姿を見せていない。昨日鍋を食べた後、家に帰ったのだが、もしかしたら寝坊でもしているのだろうか。

 

「いやー、しかし本当助かったぜ。久しぶりに屋根のあるところで寝れたよ」

 

 よほど気持ちよく寝れたのか、スバルは満面の笑みで礼を言った。それを聞いたフェアも笑顔を浮かべて答える。

 

「それならよかった。これからの旅も気を付けてね」

 

「またね、クノンお姉ちゃん!」

 

 ミルリーフもクノンに手を振る。

 

「またいつか、立ち寄らせていただきますね」

 

 今回の往診の帰りに立ち寄りたいところだが、復路は見聞の旅も兼ねて別なルートで帰る予定だった。もっとも、スバル達の考え次第ではまたトレイユに寄ることも考えられるが。

 

「その時はまたお鍋しましょうー!」

 

 フェアの作った鍋料理は実においしく、みな非常に満足できたものだった。そのため、マルルゥの言葉に反対するものはまずいないだろう。

 

「いいですわね、そうしましょう」

 

「ああ、約束だ」

 

 リビエルとアロエリが答える中、クラウレとセイロンはパナシェと話していた。

 

「それでは、気を付けてな」

 

「はい、クラウレさんありがとうございます。……それにその方の手がかりがあれば、ご連絡しますね」

 

 クラウレからこの周辺の状況を聞いたパナシェが謝意を伝える。クラウレは御使いの長としての責務からか、あるいは戦士としての習性からかは不明だが、ミルリーフを狙った襲撃の危険性がなくなった今でも周辺の状況には目を光らせており、よく出かけていた。パナシェにはそうして得た情報を伝えたのだろう。

 

「うむ、すまんが頼んだぞ」

 

 そしてパナシェはセイロンから、彼の探している人物の情報を得たら連絡して欲しいと依頼されたのだ。近くセイロンはリィンバウムを訪れた本来の目的である人探しを再開する予定だった。しかし、一人で探していたのでは砂漠の中から砂金を見つけるようなものなのだ。

 

 そのため、見聞の旅をしていると言うパナシェ達に頼み、それらしい情報があれば教えてもらおうと考えたのだ。

 

「もしバージル様と会われたら、問題なく進んでいますとお伝えください」

 

 クノンが頼んだ。バージルがいるとなれば、まずアティも一緒だと考えていいのだが、彼女達がアティの顔を知っているとは限らない。昨日鍋を囲んでいる時の話ではアティのことまで知っているとは確信できなかったのだ。

 

 ただ、バージルにさえ言ってもらえれば、アティにも話が伝わるのはまず間違いないため、そう言ったのである。

 

「ああ、分かった」

 

 いずれバージルと会うことになるのは間違いない。何しろネロは彼の支配下にあるラウスブルグで人間界に戻るのだから、顔を合わせて当然だ。

 

 そんなこんなでスバル達と別れの挨拶をしていると、リシェルとルシアンが走ってきた。

 

「ごめーん! 遅れちゃった!」

 

 肩で息をしながらリシェルが謝る。

 

「随分遅かったな。寝坊でもしたか?」

 

 にやりと意地の悪い笑みを浮かべながらリシェルに尋ねる。彼女らには昨日の内に朝食を食べ次第、出発すると言うことは伝えていた。その時は二人とも「見送りに行く」という話だったのにもかかわらず、遅れていたため寝坊したものとスバルは思っているようだ。

 

「ち、違うわよ! ちょっとパパに見つかっちゃって……」

 

 リシェルはそうまくし立てるが、実際のところ寝坊はしていた。それでもそのまま忘れじの面影亭へ向かえば間に合うはずだったのだが、運悪く父親のテイラーと鉢合わせになってしまったのだ。

 

 もともとリシェルは父親と折り合いが悪く、テイラーの小言につい言い返してしまい、長々と説教されてしまったのだ。

 

 当然そのことはルシアンも知っているのだが、さすがに実の姉の失態を言いふらす気にはなれず「あはは……」と力なく笑うにとどめていた。ただ、途中で父に言われたことを思い出し、フェアに向かって口を開いた。

 

「そういえばフェアさん、父さんが呼んでたよ」

 

 説教が終わり、姉が不機嫌になりながら出て行った時に父から頼まれたのだ。もともとルシアンは姉ほど父を嫌っていないし、むしろ二人の橋渡し的な役回りをすることが多いため、テイラーも頼みやすいのだろう。

 

「オーナーから?」

 

 フェアは少し嫌そうな顔を浮かべた。忘れじの面影亭の所有者であるテイラーから呼び出されることは珍しいことではない。しかし、行くたびに何らかの文句をつけられたのではやはり行きづらいのである。もちろんテイラーもただ貶めたくて文句ばかり言っているのではないことは理解しているが。

 

「あまり時間を取らせるのも悪いから僕達はそろそろ行くね」

 

「あ、ごめんね。なんかバタバタしちゃって。」

 

「また来なさいよ」

 

 パナシェの言葉にまだ何も言っていなかった二人が言うと、スバル達は手を振りながらも踵を返して街中の方に向かう。そこから中央通りを通ってトレイユを出発するのだ。

 

「行っちゃったか。……さて、それじゃあお店の準備しちゃいましょ。オーナーのところにも行かないといけないし」

 

 スバル達が見えなくなるまで見送ったフェアは、頭を切り替えて昼の営業に向けた準備をすることにした。

 

「私は仕込するから、ネロはテーブルの準備お願いね」

 

「ああ」

 

「ミルリーフもするー!」

 

 ネロと一緒ということでミルリーフも声を上げる。

 

 今の食堂のテーブルは昨夜のまま、みんなが顔を合わせて食事ができるように動かしてあるため、通常の営業用の状態に戻す必要があった。ネロは接客はやらないが準備は手伝っていたため、フェアはテーブルを拭くついでにやってもらおうと思ったようだ。

 

「それじゃ僕達は外の掃除するね」

 

 朝食前に食堂や玄関の周囲の掃除は終わらせているのは常だが、庭などの外の掃除までは手が回らないため、毎日しているわけではない。今回はリシェルとルシアンの時間がたまたま空いていたため申し出たようだ。

 

 そうしてそれぞれが動き出す。実に穏やかな朝だった。

 

 

 

 

 

 それから準備を整えて開店すると、今日も随分と混み合っていた。今では開店から昼時が過ぎるまではずっと満席状態が続き、最も込み合う時間帯には行列までできている。ネロが来たばかりの頃とはだいぶ違うように思えた。

 

 そんな戦場のような昼の営業が終わるとようやくネロ達の昼食となる。今日はそれに合わせたかのようにグラッドとミントも来ている。とはいえ、二人の来訪は珍しいことではないのだが。

 

 むしろ珍しかったのはフェアだ。いつもは休憩も兼ねてゆっくり食べるのだが、今日に限っては急いで食べるとすぐに出かけていってしまった。

 

 テイラーに会いに行くのだろうが随分とせっかちなことだ。

 

「それにしてもオーナーに呼ばれたなんて、一体どんなことでしょうね?」

 

「さあな。最近は客の入りも悪くねぇみたいだが」

 

 おいしそうにデザートを頬張りながら口にしたリビエルの疑問にネロが首を傾げながら答える。最近の忙しさから分かるように客の入りはいいし、それに伴い売り上げも上々だ。少なくともそれ絡みのことではないだろう。

 

「そうらしいな。街でも前以上に評判になってたぞ」

 

 見回りで街の話を耳にする機会の多いグラッドもネロに同意する。最近は悪魔の出没もほとんど確認されていない影響か、旅行者も増加していると言う話で、そうした者達からの評判も上々らしい。

 

「あるいは、お主らのことかもしれんな」

 

「あたし達? 何で?」

 

 セイロンに視線を向けられたリシェルとルシアンは顔を見合わせる。確かにリシェルは父と仲が良くない。しかし召喚師になるための勉強もしているし、そもそもこのことについてはフェアとは関係がないはずだ。

 

「居候させてもらっている我に言う資格はないのかもしれぬが、お主たち、給金をもらっておらぬのだろう? 父君が面白く思わぬのも道理ではないか?」

 

 テイラーにしてみればフェアは自分の子供達をただ働きさせている雇われ店長という見方もできるのだ。とはいえリシェル達が自ら手伝いをしているだけなのは承知だろうが。

 

「でも僕達は好きでしていることだから」

 

「そりゃ確かに最近はかなり忙しくなったけどさ……」

 

 二人ともセイロンの言葉には不服のようだ。しかしいつまでもこの手伝っていられるわけではないのも理解している。

 

「これこれ、そう不満そうな顔をするな。我はあくまで一例を言っただけだ」

 

「でも、確かに最近は二人でなんとか回している状態ですからね。もし病気かなにかでダウンしたら大変ですわ」

 

「そうよね。二人とも勉強もあるでしょうし……」

 

 リビエルの言葉にミントが続く。昔はリシェル達のどちらか、あるいは両方が店に出ることができなくてもフェアが配膳まで行っていた。しかし今の客の入りではそんなことできる余裕はない。

 

「かと言って俺達が手伝ったとしても、いつまでもできないしな」

 

「ああ、なんとか人手を確保するしかあるまい」

 

 アロエリとクラウレの兄妹が言う。いずれここを去る御使い達が協力しても一時しのぎにしかならないことは火を見るよりも明らかだ。やはり根本的な解決が必要なのである。

 

「何にせよフェアがいないんじゃあ……って、ちょうど帰ってきたか」

 

 経営者であるフェアも昨日人手不足については悩んでいるようだったが、それでも当の本人がいないのではいくら話しても意味はない。そもそも最初の話題から少しずれているような気もしたので、話を戻そうかとしたところフェアが戻ってくるのが見えた。

 

 テイラーの住む屋敷までの距離と移動に要する時間を考えると、それほど長く話さなかったのだろう。手には本らしきものを持っているため、それを渡すために呼び出されたのかもしれない。

 

「おかえり、フェアちゃん」

 

「ただいま、みんな」

 

 ミントに言葉を返すが、どこかいつもと違って見えた。

 

「ど、どうしたのフェアさん?」

 

「パパになんか言われたの?」

 

 幼馴染二人に心配されたフェアは、ゆっくりと右手に持った本をテーブルに上げると口を開いた。

 

「実は……、うちの店『ミュランスの星』に載ったの!」

 

 上半期の料理人特集と書かれた本には確かにフェアと忘れじの面影亭の名前が載っていた。

 

「やったね、フェアさん! あの『ミュランスの星』に載るなんてすごいよ!」

 

 本に載るのはスバルの持っていたものに続き二度目だが、今度は最も権威と格式がある「ミュランスの星」に載ったということは、それだけでも店に箔が付くと言うことだ。テイラーが呼び出すのも無理はない。

 

「それでね、副賞ももらったの。シルターン自治区への慰安旅行二人分だって」

 

「いいじゃないの、行ってきなさいよ。結構いいところよ、シルターン自治区は」

 

 せっかくもらったものだから使わないのももったいない。それに一度シルターン自治区を見たことのあるリシェルは行くことを勧めた。帝都近くにある自治区までならそこまで距離はなく、ミルリーフの一件も解決を見ているため特段支障もないのだ。

 

「うむ。時には休むことも大事だ」

 

「確かに最近働き過ぎのような気もしますし、羽を伸ばしていらっしゃいな」

 

 セイロンとリビエルの二人も同意する。残りの二人の御使いも反対ではないようだ。

 

「でもこれ二人分なんだけど……、誰が一緒に行くの?」

 

「はーいっ! ミルリーフが一緒に行く!」

 

 いの一番に名乗りを上げたのはやはりミルリーフだ。その好奇心旺盛な性格から行ったことのないシルターン自治区に興味津々のようだ。しかし、彼女の立場はそれを簡単には許してくれなそうだった。

 

「それなら私達も行きますわ!」

 

 御子であるミルリーフが行くのならば自分達御使いも同行するのが当然、と言わんばかりの勢いでリビエルだが、フェアはそれをぴしゃりと断った。

 

「無理。一人くらいならともかく四人は無理」

 

 最近の経営状況は上向いているとはいえ、かつての収支はとんとん、まともな貯蓄はあまりないのである。そんな状況で御使いに四人分の旅費を出せる余裕などあるわけがなかった。

 

「ならパパが来ればいいんだよ」

 

「俺?」

 

 まさか自分に話が振られるとは思っておらず、話半分で聞いていたらしいネロは、目を丸くして聞き返した。

 

「うん! パパはとーっても強いから大丈夫だよ!」

 

 名案だ、とばかりにミルリーフは自慢げに言った。確かに単純な戦闘力で言えばこの中でもダントツ、護衛としては何の心配もいらないだろう。しかし、彼らも御使いとしての矜持がある。そう簡単に自らの使命を他人に任せるわけにはいかないのだ。

 

「しかし御子さま……」

 

「私はいいよ。ネロだったら」

 

 御使いの長であるクラウレがミルリーフを説得しようとしたところ、フェアに遮られた。

 

 ネロがもうすぐ帰ってしまうことは彼女も知っている。あるいはフェアはこの慰安旅行をまがいなりにも家族としてやってこれた思い出にしようとしているのかもしれない。

 

「しかしだな……」

 

「まあまあ、ネロのこと信頼してないわけじゃないだろう? ここは任せていいんじゃないか?」

 

 グラッドがまだ諦めていない様子のクラウレを説得する。フェアがいいと言っている以上、彼としてもネロとミルリーフが同行することに異議はないようだ。

 

「それは、そうだが……」

 

「だいたい今更ちょっかいかけて来るやつらなんていないわよ」

 

 リシェルがグラッドに加勢する。そもそもミルリーフが至竜の子であることを知っているのはギアンの一派だけであり、それとは既に決着がついている。唯一気がかりなのは逃亡したギアンだが、彼が所属する無色の派閥も先の一斉摘発の影響で弱体化していることは確実で、今動きを起こすだけの余力はないだろう。

 

「クラウレ、ここは任せてみようではないか。御子さまにとっても意味のあることだ」

 

 セイロンもそのあたりは心得ていたし、ミルリーフにとっては親代わりの人物と共に行ける最初で最後の旅行になるかもしれないことを思う。だから、たとえ御使いの使命や矜持を曲げることになったとしても行かせるべきだと考えたようだ。

 

「セイロン……。わかりました、御子さま。どうかお気を付けて。ネロもよろしく頼む」

 

 そして、セイロンの言葉がどこまで伝わったかは分からないが、クラウレも折れた。セイロンに続き御使いの長たる彼まで同意したとなると、アロエリとリビエルの二人も認めないわけにはいかないだろう。

 

(まだ行くといった覚えはないんだが……)

 

 口では「ああ」と短く答えたが、内心はそう思っていた。とはいえ、ネロも出かけるのが嫌というわけではない。むしろトレイユに来て以来、街の周辺にしか出かけていないため、心中では少し遠出するのも悪くないと考えている部分もあった。

 

 ただ、やはり気にかかるのはフェアに負担をかけているところだ。今でさえ衣食住世話になっていて、この上さらに旅費まで出してもらうというのはさすがにネロも気に病むのだ。

 

(足しになるか分からねぇが、後で持ってる分渡すか。どうせ持って帰ったって使えねぇし)

 

 一応、ネロもこの世界の金は持っている。一般的な手段で稼いだ金ではないが。いずれにしてもこの金を使えるのはこの世界だけだ。人間界に持って帰ったとしても使えないのだ。

 

 だからこの機会に使ってしまおうというのだ。世話になっているフェアのために使うのならば惜しくはない。

 

「なら決まりだよ! ママ、いつ出発するの?」

 

 両親と一緒に旅行に行けることになり、嬉しそうなミルリーフはフェアに日取りを確認した。

 

「オーナーにも早く行けって言われてるし、明日にも出発しようか。ミルリーフもしっかり準備してね」

 

 テイラーの考えは「ミュランスの星」の効果で客が増える前に休みを取って、しっかり備えておけということだろう。フェアも思い立ったが吉日と言わんばかりの性格であるため、すぐに出発しようと言ったに違いない。

 

「はーい!」

 

「お手伝いしますわ、御子さま」

 

 準備と言ってもたいしたことをするわけではないが、それでもリビエルが手伝いを申し出るのは、それだけ彼女が大事にされている証拠なのだ。

 

「明日、ね……」

 

 随分性急なことだと思わなくもないが、特段用事もあるわけではないため文句はなかった。ただ、セクターから借りていた工具は出発の前までに返しておこうと思ってはいた。

 

 そしてネロがどうせならこれから返しに行くかと、席を立ったのを合図に他の者も立ち上がる。休憩は終わりというわけだ。

 

 しかし、その中でリシェルとルシアンだけは少し話し込むようにしていたのがネロには気になっていた。

 

 

 

 

 

 翌日、ネロ、フェア、ミルリーフの三人で行く予定だったシルターン自治区への慰安旅行には二人の追加があった。リシェルとルシアンである。

 

 昨日の段階では一緒に行くなんて一言も言ってなかったのに、いざ出発となって正門まで来たらこれである。フェアも少し呆れていた。

 

「昨日の今日でよく認められたわね。あんた達……」

 

 昨日の朝の段階ではリシェルは父テイラーと言い争いの喧嘩をしていたはずなのに、自腹とはいえシルターン自治区まで行きたいという話を同日にしてよく了承が得られたものだ、フェアは驚いてもいた。

 

「うん。でも、フェアさん達が三人で行くっていう話をしたら父さんも認めてくれたんだ」

 

 ルシアンもまさか許可が出るとは思っていなかったようで、その時の状況を話した。するとそこにリシェルが自慢げな顔で付け加えた

 

「あんた案外信頼されてないんじゃないの? だからパパはあたし達が一緒に行くのを認めたに違いないわ!」

 

「いや、それはないな」

 

 意気揚々と言った様子のリシェルの言葉をグラッドが否定する。

 

 そもそもこのシルターン自治区への慰安旅行という副賞を渡してきたのはテイラーだ。信頼されていないのならその時点で渡すことはなかっただろう。さらに言えば、仮に誰かをつけなければ遠出させられないほどフェアの信用がないからという理由でリシェルを同行させることはないだろう。そんなことをすればむしろ不安が倍増するというものだ。

 

「もう、何よそれ!」

 

 グラッドに対してリシェルが抗議の声を上げている時、ミントは旅行に行く中で最年長のネロに話しかけていた。

 

「ネロ君。みんなの引率、お願いね」

 

「分かってるが、そんなに心配いらねぇだろ」

 

 ミントから見ればフェア達はまだ子供だ。だから引率を頼むのは当然と言えるが、ネロとしてはミルリーフはともかく、他の三人についてはそれほど気を張る必要ないと考えていた。フェアはしっかりしているし、リシェルはシルターン自治区まで行ったことのあるような話で、ルシアンも無茶をするような性格ではないからだ。

 

「土産話、期待しているぞ」

 

「くれぐれも御子さまの安全には気を配ってくださいな」

 

「はいはい、昨日から何回も聞いたよ」

 

 セイロンの言葉はともかく、リビエルの言葉にネロは少し嫌そうな顔をしながら答えた。実のところこうした類の言葉は、昨日からしつこいまでに言われていたのである。さすがに何度もそう言われては辟易していた。

 

「俺も休暇が取れれば一緒に行ってやったんだけどな」

 

 リシェルの文句の嵐をかいくぐったグラッドが言う。さすがに昨日の今日では休暇を取る暇がなかったようだ。やはり街に一人しかいない駐在軍人が休暇を取ることはすぐに出来ないのだろう。

 

「ねぇー、早く行こうよー」

 

 ミルリーフは初めての旅行に待ちきれないのか、フェアの服の袖を引っ張りながら言う。

 

「そうだね、そろそろ行こうか。あんまり遅いと宿につけなくなっちゃうしね」

 

「よーし、それじゃしゅっぱーつ!」

 

 フェアの言葉を聞いたリシェルのやたら元気な声による宣言により、ネロ達五人の旅行が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 




次回からのサブイベントは原作とはかなり違ったものとなる予定です。

さて、DMC5ですが想像以上に面白そう。ダンテはとうとうバイクを武器にしそうだし、TGSが今から楽しみです。
ところでボスのゴリアテさんからはベリアルのような雰囲気を感じる……。



次回は9月16日(日)に投稿予定です。

ご意見ご感想、評価等お待ちしてます。

ありがとうございました。


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第90話 伏魔

いつもより早い時間に投稿です。


 シルターン自治区へ向けてトレイユを出発したネロ達五人は、実に長閑な道を歩いていた。天気も良く日差しも心地いい今日は、出かけるには絶好の機会だった。

 

「ところで、シルターン自治区ってどんなところなんだ? 行ったことあるんだろう?」

 

 これまでの話を聞く限り、リシェルは目的地であるシルターン自治区に行ったことがあるような話だったため、ネロは尋ねた。

 

「そうねぇ……、簡単に言えばシルターン出身の人たちの集落で、中はシルターンの文化が再現されてるの。今は観光地化されて、帝国でも有数の観光名所なのよ」

 

 どこの世界でも自分達とは違う分化には興味が引かれるもの。シルターン自治区もそうした経緯から観光地化されたのだ。

 

 帝都ウルゴーラ内に設けられた特別地区ということもあり、年中多くの人が訪れる観光地なのである。とはいえ、自治区の名がつく通り中に入るのには旅券が必要なのだが。

 

「本で読んだけど、鬼妖界の食文化って独特なんでしょ? 一度見てみたかったの」

 

 料理人のさがとも言うべきか、やはりフェアは料理が気になるようだ。

 

「種類もすごく豊富なんだよね」

 

「ミルリーフ、全部食べたいっ!」

 

 ルシアンの言葉を聞いたミルリーフは目を輝かせた。普段からフェアの作る料理を食べているだけに、意外と舌は肥えているかもしれない。

 

「確かにおいしいものはいっぱいあるけど、何も考えず食べてると大変なことになるわよ? 特にお腹周りが」

 

「う……」

 

「……?」

 

 リシェルの言葉を聞いたフェアが口ごもる。彼女も年頃だ、やはり体重のことは気になるのだろう。もっともまだ生まれたばかりのミルリーフは、どういうことかまだ分かってないようで、頭に疑問符を浮かべていた。

 

「やれやれ……、この分じゃ観光より食べることがメインになりそうだな」

 

 料理を見たいフェアと食べたいミルリーフ、それにリシェルもルシアンも反対しないところを見ると、ネロがそう思うのも無理はない。もっとも、彼としても食べることがメインになっても不都合は何もなかったが。

 

「ところで姉さん、シルターン自治区なんていつ行ったの?」

 

「ママを迎えに行った時よ。あんたもいたんだけど、まだ小さかったから覚えてなくても仕方ないわね」

 

 記憶を遡っても姉がシルターン自治区に言った記憶などなかったルシアンの言葉にリシェルは答えた。もう十年近く前になるから、弟は物心つく前だったのだろう。

 

「そうなんだ……。全然覚えてないや」

 

「あの頃は大変だったのよ。どこへ行くのにも傭兵を雇うとか軍に護衛を頼むとかしていたんだから」

 

 リシェルがそうした護衛を手配していたわけではないが、父が忙しそうにしていたことは覚えていた。

 

「なんでそんなことまでしてんだ?」

 

「悪魔よ、悪魔。ここしばらくは現れてないけど、昔は大変だったのよ」

 

「ああ、そんな話してたな」

 

 少し前にこの世界にも魔界の悪魔が現れているという話を聞いたことを思い出した。ネロは一般的な人間界の都市と同じくらいの頻度で現れていると思っていたが、ただの移動にも護衛が必要だったのなら、あるいはフォルトゥナと同じくらいかそれ以上の頻度だったのかもしれない。

 

「まあ、トレイユにはほとんど現れてないんだけどね。リシェルだって見たことないでしょ?」

 

「そ、そりゃ、そうだけどさ。でも、聖王国で起きた戦争の時は平原を埋め尽くすくらいの悪魔が現れたっていうし、ゼラムにも炎に包まれたでっかい悪魔が現れたんだから、大変だったのは間違いないわよ!」

 

 どれも派閥の文献で知ったことだが、聖王国はエルバレスタ戦争と呼ばれる一連の戦いで多くの騎士と民の命を失っていた。特にゼラムでは人命もさることながら建造物への被害もひどかったという話だ。

 

 リシェルの父が所属する金の派閥でも何人もの優秀な召喚師は派遣し、その内の何割かを失っているのだ。場合によってはその中に父もいたかもしれないと思うと、とても他人事ではないのだ。

 

「……炎に包まれたデカイ悪魔?」

 

 リシェルの言葉でネロの脳裏に浮かんだのは、フォルトゥナの事件で戦うことになった炎獄の覇者を名乗る大悪魔だった。

 

「どうしたの、パパ?」

 

「あ、いや、たぶんそいつ、俺が仕留め損ねた奴だ」

 

 考え込んでいたところにミルリーフから声をかけられたネロは、思わず考えていたことをそのまま口にしていた。

 

「え? どういうこと?」

 

 ルシアンが疑問を呈した。

 

「面倒だから詳しくは言わねぇが、七、八年前に俺の住んでたところに現れたんだよ。痛手を与えたところで逃げられちまってな」

 

 その時は、ネロも今のようにデビルハンターをしてはおらず、魔剣教団の騎士の一人として教皇を暗殺したダンテのことを追っていたのだ。今にして思えば、あのベリアルが現れたのも教皇の計画の内だったのかもしれない。

 

「その後にゼラムに現れたってことね」

 

「七、八年前っていうと今のあたし達とあまり違わないじゃないの!?」

 

 納得するフェアとは対照的にリシェルは当時にネロの年齢を考えて驚愕していた。実際はリシェル達よりは少し年上くらいだったが、どちらにしても十代の頃から強大な悪魔を返り討ちにできる実力は有していたということだ。

 

「ねぇ、パパ。それじゃあパパが逃がしたのをやっつけたのは誰なの?」

 

「たぶんバージルだろ」

 

 自分との戦いの時、バージルが使った魔具からは紛れもなくベリアルの力を放っていた。彼がそれを持っていると言うことは、十中八九ベリアルをその手で倒したということだ。

 

「どうなってんのよ……、アンタたち親子って」

 

 もうリシェルは驚きを通り越して呆れていた。ネロもバージルも強いと分かってはいたが、何人もの犠牲を出しながらもようやく倒した悪魔の親玉みたいなのを一人で倒せるほど強かったとは想定外だったのだ。

 

「でも、これなら悪魔っていうのが出てきてもパパがいれば安心だね!」

 

「そうね、いざという時は任せるからね」

 

 ミルリーフに続きフェアが言う。こうした白紙委任をすることは色々と背負いこみやすいフェアにとっては珍しいことだ。それだけネロのことを信用しているのかもしれない。

 

「それは分かってるが、ここしばらく出てきてねぇんだろ。そんなに心配することはないさ」

 

「それもそうね。気楽に行きましょ」

 

 軽口にリシェルは笑顔で答えた。

 

 彼女達は気付いていないが、ネロはトレイユを出てからずっと気を抜いてはいなかった。レッドクイーンとブルーローズも持って来ているのがその証だ。口ではいろいろというが、実のところネロは非常に真面目なのである。

 

 そしてそれがデビルハンターとして人気な理由でもあった。

 

 

 

 

 

 ネロ達が話していた通り、ここ数年、リィンバウムで悪魔が出現したという話はめっきり聞かなくなっていた。当然、それによる犠牲者がいなくなるということであるため、多くの者がそれを好意的に捉えていた。

 

 だが、悪魔による被害は決してなくなってはいなかった。むしろ、ただ現れて暴れるだけから、より手法が巧妙になっていたのだ。

 

「……同様の事例はこれまでの何件か、報告されています」

 

「ああ、そういう話なら俺様もいくつか聞いたことあるぜ」

 

 ラウスブルグの大広間近くの一室でバージルは机で向かい合ったネスティとレナードと話していた。内容は悪魔による被害についてだった。

 

 ここ数年の間、従来のような悪魔が突如として現れるというパターンはめっきり確認されなくなっていた。しかし、その代わりに目立つようになってきたのは、人に憑りついた悪魔による被害である。

 

 人に憑りつく悪魔は、砂などを依り代に現れる悪魔より少数で、一度に現れる数も少ない傾向にある。特にその中のある程度人を擬態できる悪魔の厄介さは他の悪魔とは比較にならない。

 

 友人や家族だと思っていた者が悪魔に憑りつかれており、周囲に誰もいないような状況で襲われると、悪魔の仕業かどうかすら分からないのだ。

 

 そんな悪魔によるが問題になっているのがリィンバウムの現状だった。それはネスティが持ってきた資料からも明らかで、レナードの経験とも合致していた。

 

 これまでのように悪魔が現れることがなくなったことや、その背後に強大な悪魔の存在が見え隠れすることも考えれば、恐らくこうした人に憑りつく悪魔も元は以前からこの世界に潜んでいたものと考えられる。今になって発覚してきているだけで、昨今新たに魔界から現れたわけではないのだ。それはつまり、少しずつでも対処していけばいずれは根絶できることを意味しているのだ。

 

「所詮は下級悪魔だ。少し監視していればすぐに尻尾を出す」

 

「なるほど。憑りつかれた人間と全く同じってわけじゃないわけだ」

 

 だがバージルはそうしたことは説明せず、あくまで対処法のみを伝えることにしたようだ。それでもレナードは納得したように頷いた。

 

 そもそもレナードがこの場にいるのは、バージルが人間界に行くのに同行するためだ。彼とバージルはほとんど面識がないのだが、アティとトリスを通じて話がつけられ、同行することになったのだ。

 

 同様にネスティは、ほとんど面識がないレナードを一人で行かせるわけにはいかないため、トリスと一緒にここまで送ってきたのだ。さらにちょっとした任務も頼まれていたが。

 

 もっとも、相方のトリスは小難しい話をネスティに任せ、アティと共にどこかに行ってしまったが。

 

「監視か……、手間がかかりそうだな」

 

 そしてネスティらが頼まれた任務というのが、この人の生活の中に入り込んで人を襲う悪魔についてバージルから意見を聞いて来い、というものだった。たまたまバージルのところに行くという理由で頼まれたお遣いのようなものだ。

 

 とはいえ、これはネスティやトリスにとって先輩にあたるギブソンとミモザが派閥を通して頼んだものだ。

 

 二人の先輩は蒼の派閥からの出向として聖王国の政に携わっており、こうした悪魔への対処に苦慮しているのだという。だが、どこの誰とも分からぬバージルに聖王国として正式に助言を依頼することはできない。だから派閥から助言を得るという体にしたのだ。これなら派閥がどこから情報を得ようとも、聖王国は無関係を通せるのだ。もちろんその時点で、内々にはバージルからの情報を得るということは決まっていた。

 

 そうした事情を知っているからネスティもトリスもこの任務を無碍にはできないのである。

 

「あとは、武器でも突き付けてみることだな。すぐに正体を見せるだろう」

 

 下級悪魔にブラフを見破るような真似はできない。だから武器を突き付ければ正体を見破られたと勝手に解釈して襲いかかってくるという寸法だ。

 

「なるほど……」

 

 手早くバージルの言葉を書き留める。バージルの示したやり方は多少乱暴のような気もするが、向こうから正体を現すことを考えれば非常に効果的だ。そのまま採用するのは難しくとも参考にはなるだろう。

 

「それにしてもネスティよ。お前さん、そんなにメモする人だったか?」

 

 人間界では刑事という職についていたため、普段から人の行動についつい目がいってしまうレナードが、見慣れぬことをするネスティに尋ねた。常の彼は記憶力も優秀でメモなど取る必要はなかったのである。

 

「ああ、これですか。報告書をトリスに書かせるための資料にしてあげるんですよ」

 

 ネスティはやけに迫力のある笑顔で答えた。

 

 この任務を受けると判断したのはトリスだ。だからその報告書を作成するのも彼女なのが道理だ。それなのにトリスは肝心要であるバージルとの話し合いの場にいないのである。それがネスティの怒りを助長させているようだ。それでもメモをとってやるところ見ると意外と彼も甘いのかもしれない。

 

「そ、そうか……。しかし、悪魔とかいう奴ら、俺様の世界ではどうしてたのかねぇ」

 

 ネスティの返答に困ったような顔を浮かべたレナードは、ふと思いついた言葉を呟いた。彼は故郷で悪魔という存在を見たことはなかったし、マスメディアでも聞いたことはない。悪魔という存在はどこかオカルトめいた非現実的なものだったのだ。

 

 しかし、同じ世界出身のバージルの話を聞く限り、リィンバウムと同じように悪魔が現れていたのは間違いない。それをどのように対処していたか、気になったのだ。

 

「デビルハンターという職業がある。そいつらが仕事として請け負っている」

 

 バージルがネスティから渡された資料から目を離さぬまま答えた。

 

 人間界では遥か昔、それこそ二千年の昔から悪魔の脅威に晒されており、その対抗手段も研究されてきた。そうした研究の成果を受け継ぎ、現在ではおとぎ話の中で語られるような存在になった悪魔を狩っているのがデビルハンターなのである。

 

「なるほどね。自分の生まれた世界でも知らないことは山ほどあるんだな」

 

 レナードは煙草を吸いながら呟いた。視線は吐き出した煙に向かっており、それを通じて生まれ故郷を見ているようだ。

 

「ちなみに、彼らはどういったもので悪魔と戦っているんです?」

 

 こことは違う世界でどのように悪魔と戦っているのかを知ることは大いに意味がある。そう考えたネスティが尋ねるが、バージルの答えはあっさりとしたものだった。

 

「知らん。そんなものに興味はない」

 

 バージルには強靭な肉体とそれに相応しい強大な魔力、そして父から受け継いだ閻魔刀がある。人間が悪魔と戦うための力など必要なかったのだ。

 

「有名どころじゃあ、十字架に聖水、それに銀の弾丸ってところか」

 

「銀の弾丸はわかりますけど、他のはどういうものです?」

 

 言葉から銀でできた銃弾ということは分かるが、他の二つはネスティには知らない言葉だった。それに対しレナードが説明しようとした時、バージルが口を開いた。

 

「他はともかく銀は有効だ。もちろん全ての悪魔にではないが」

 

 視線は相変わらず手元の書類に落ちたままだ。それでも真面目に答えるあたり、対価の分は情報をくれてやろうという意思の表れかもしれない。

 

 ただ、より正確に言えば聖水も悪魔に対しては有効ではある。しかし、悪魔を祓うほどの祈りの力が込められた聖水を生み出すのは容易ではない。聖水という言葉すらないリィンバウムでそれを生み出そうするのは現実的でなかった。

 

「銀? 銀が悪魔に対して有効だとでも……?」

 

 ネスティが驚いて声を上げる。銀はリィンバウムでも使われている金属であり、ある程度加工技術も発達していた。さらに数は多くはないが、銀を使用した武器も造られているのだ。

 

「下級悪魔程度ならな」

 

 悪魔は銀の持つ清純さを嫌う。もちろんある程度力を持つとそれも通用しなくなるが、今リィンバウムに現れているような悪魔に対しては十分効果的だ。

 

「伝説みたいな話もあながち間違っちゃいないわけか」

 

「しかし……銀か……」

 

 レナードが頷く横でネスティは顔を顰めた。銀が悪魔に対して効果的な武器となるという事実は喜ぶべきことだが、それを実用化するのは生半可なことではないことくらいネスティにも理解できた。

 

 一番の問題は銀の価格である。人間界と同じく銀は希少な金属、それを用いた武器を大量に作るとなれば莫大な金がかかることは想像に難くない。できて銀を使用した矢じりを作ることくらいだ。これなら使用する銀は少量で足りるし、それに比例して必要な金も下がるだろう。

 

「後は貴様らがどうするか考えろ」

 

 そうした問題点はバージルも考えないではなかったが、それ以上関わる気も義理もないため突き放した。

 

「もちろん、そのつもりです」

 

 そう答えて、ネスティは自らの座る椅子の脇においていた荷物から、紙に包まれた硬貨の束をバージルの目の前に置いた。それが彼に対する今回の情報提供に対する対価だった。

 

「額はこれまでと変わらず、とのことでした」

 

「ああ」

 

 実のところバージルがこうしたことをするのは初めてではない。これまでも蒼の派閥には何度か情報を与えていたのだ。もっとも今日のように派閥の者が来るのは稀で、大抵の場合パッフェルが来ていたが。

 

「それと別で依頼されていた件ですが、もう少し時間が欲しいと……」

 

 バージルの視線がネスティを捉える。蒼の派閥にはアティを通して至竜と古き妖精と誓約したサモナイト石を提供するように依頼していたのだが、やはり人間界ほど通信手段が発達していないリィンバウムでは探すのにも時間がかかるのだろう。

 

「それについてはもう必要ない。あいつにもそう言っておけ」

 

 だがバージルは蒼の派閥を待つつもりはなかった。自身でも城を動かすことは可能であり、その上エニシアもそれが可能であることが分かったため、もはや時間をかけてまで古き妖精を手に入れる必要はかったのである。

 

 今後はレナードの他に同行予定のハヤト達が合流次第、ネロ達を連れて速やかに出発する腹積もりであった。

 

「はぁ……、そういうことなら」

 

 頼んだのはそちらだろうに、なぜこうもあっさり取り消すのか疑問に思いながらも、余計なことに首を突っ込む気はなかったネスティは首肯するだけに留めた。

 

 それと同時に部屋のドアが開かれた。入ってきたのはトリスとアティだった。アティはトレイに人数分のお茶を乗せており、トリスはクッキーの入った皿を持ちながら、あげくそれを齧っていた。そして気楽な声で尋ねてきた。

 

「そろそろ話終わった?」

 

「……何をやっていたんだ君は?」

 

 努めて冷静にネスティは尋ねる。もっとも彼が怒りを抑えているだけなのはトリス以外の三人にはよく分かっているようだ。

 

「何って、先生にお城の中を案内してもらってたんだよ。すっごいよ、ここ! 綺麗だし部屋、も……」

 

 そこまで言ってトリスは気付いた。ネスティが怒りを抑えていることに。こうなってしまってはもはや手遅れのような気がしたが、それでもトリスは話を逸らそうと口を開いた。

 

「えっと……、クッキー、食べる?」

 

「なるほど、この中を案内してもらったうえ、クッキーを食べる余裕もあるのか。この分じゃ報告書を書く時も、僕のメモはなくてもよさそうだな」

 

 トリスの言葉が引き金になったのか、ネスティがまくし立てる。自分が真面目にバージルと話をしていたというのに、トリスはへらへらと過ごしていたのだ。ネスティでなくとも面白いわけがない。

 

「うぅっ、ごめんなさい……、それだけは勘弁して……」

 

 元々トリスは書類作成のようなデスクワークは苦手である。それでもこれまでなんとかやってこられたのは兄弟子のサポートがあったからだ。それがなくなるのということがどれほど致命的なことか理解しているトリスは無条件降伏するしかなかった。

 

「まあまあ、二人とも落ち着いて。まずはお茶にしましょう」

 

 そう言って器用に片手でトレイを持つと、トリスの背中を押して椅子に座るよう促した。そしてそれぞれの目の前に持ってきたお茶を置くと、トリスは持っていたクッキーの入った皿をテーブルの中央に置いた。どうやら二人は城の中を見終わった後にお茶の準備をしていたようだ。

 

「今ポムニットちゃんがお部屋の準備をしていますからもう少し待ってくださいね」

 

 部屋自体の掃除はしてあったのだが、実際に使うとなるとやはりもう少し念入りな掃除と寝具の準備等が必要で、ポムニットはそれを行っているのだ。

 

「いや済まねぇな、急に押しかけちまってよ」

 

 バージルの隣に腰を下ろしたアティの言葉にレナードは頭を掻きながら答えた。一応、事前に連絡はしておいたのだが、それはあくまでこのあたりにつくと言う大雑把な内容だ。急に来たことは否めない。

 

「いえいえ、こちらが申し出たんですから。……ところでトリスちゃん達も今日は泊まっていきますよね?」

 

 レナードは今日からラウスブルグへ滞在することは決まっているが、アティとしては今の時刻から考えて、二人もここに泊まった方がいいと思っているようだ。

 

「いや、さすがにそれは……」

 

「えー!? 何でよネス。泊まって行こうよー」

 

 さすがに今日いきなり来て、さらに宿まで世話になるわけには行かないと、ネスティは固辞しようとしてが、トリスは城の中を見た時から泊まる気でいたようで、兄弟子の言葉にぶうぶう文句を言っていた。

 

 そこに助け舟を出したのはアティだった。

 

「実はですね、もうポムニットちゃんにはお二人の部屋の準備はしてもらっているんです。だから、ね?」

 

「わかりました。そう言うことでしたらお世話になります」

 

 さすがにそこまで準備してもらっていて断るのは逆に失礼だと思ったのか、ネスティは先の言葉を撤回すると、トリスは感謝の声を上げた。

 

「先生、ありがとー!」

 

 話がまとまったところで、ドアをノックして現れたのは部屋の準備を整えたポムニットだった。

 

「お待たせしました、部屋の準備が出来ましたよ。早速案内しますね」

 

「おう、頼むわ」

 

 レナードは一息にお茶を飲み干すと持参した荷物を持って立ち上がる。同じようにお茶を飲んで自分の分の荷物を持ったトリスはネスティに急かすように声をかけた。

 

「ほらほら、ネスも早くして!」

 

「急かさないでくれ。もう少しだ」

 

 ネスティはバージルに説明する際に使っていた資料をきちんと並べ直したうえで荷物に収納していた。このあたりの生真面目さはトリスとは正反対だ。

 

 そうしてネスティも荷物をまとめると、三人はポムニットに案内されてそれぞれの部屋に向かった。

 

 残されたバージルはアティと共にお茶を飲んでいる。これは島から出かける時にヤードからもらった茶葉を煎じたもので、バージルも好んで飲んでいるものなのだ。

 

「掃除をしたにしては随分と早かったな」

 

 一息ついたバージルが言った。一部屋二部屋ならともかく、三人分の部屋を掃除して宿泊できる状態にしてはやけに早かったように感じたのだ。

 

「まあ、ポムニットちゃんは手際がいいし、それに二部屋だけですからね」

 

「……二部屋?」

 

 今日来たのは三人だ。二部屋だけ準備したのでは足りない。

 

「ええ。レナードさんの部屋とトリスちゃんとネスティ君の部屋で二つです」

 

「……そうか」

 

 トリスとネスティが()()()()仲だということは薄々気付いていたが、果たして同室で寝泊まりするほどの間柄かはわからなかった。アティは自分達のような関係だからと気を回したのだろう。

 

 もっとも二人とももう二十歳を超えているだろうし、そのあたりをわざわざ気にしてやる必要はないが。

 

 しかしこの後、用意された部屋が同室だったと聞いてトリスとネスティが顔を赤くしたのは完全な余談である。

 

 ちなみに二人は最終的には同室に泊まったようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




サブイベントと言いつつ、結構重要な話になりそうな予感です。

次回は9月30日(日)に投稿予定です。

ご意見ご感想お待ちしてます。

ありがとうございました。


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第91話 帝都に潜む魔 前編

 トレイユからたっぷり時間をかけて歩いたネロ達はようやくシルターン自治区についた。帝都ウルゴーラの郊外、高い岩山の麓に位置するそこは、見るからにリィンバウムとは異なる建築様式の建物で埋め尽くされていた。

 

(壁はともかく、屋根は見たことあったな……)

 

 朱色を主とした外壁はネロの記憶にはないものだが、屋根を覆っている四角形の黒い板のようなものはリィンバウムに召喚される前に訪れていた日本という国で見たことがあった。異世界とはいえ同じ人間がいる以上、意外と共通点も多いのかもしれない。

 

「ママ、見て! 真っ赤なおうち!」

 

「ここがシルターン自治区なんだ、すごいね!」

 

 トレイユとは全く違う景色に驚き目を輝かせたミルリーフとフェアは嬉しそうに言い合った。ここまで時間をかけて歩いてきた甲斐があったと言うものだ。

 

「さあ、こんなところで騒いでないで行くわよ! 私が案内してあげるからついてきて!」

 

 一度ここを訪れたことがあるリシェルは自信たっぷりに宣言した。ここはまだ自治区に入ったばかりの場所であり、見所は他にいくつもある。時間も無限にあるわけではないので、名所を多く見るには時間を無駄にするわけにいかないのだ。

 

 そしてリシェルをガイドにシルターン自治区の中を進んで行く。帝国有数の観光地だけあって観光客らしき人も多く見られ、そうした人達をターゲットにした土産品店や料理店が軒を連ねていた。

 

「うわぁ、すごいね……」

 

 トレイユの中央通りも活気に満ちていたが、ここはそれ以上だ。その迫力に圧倒されたようにルシアンが呟いた。

 

 ネロも同じように周りを眺めていたが、ルシアンのように圧倒されたわけでもミルリーフやフェアのように好奇の視線を向けているわけでもなかった。

 

(…………)

 

「どうしたのネロ? そんな怖い顔して」

 

 とても楽しんでいる様子には見えないネロに気付いたフェアが尋ねると、ネロはぶっきらぼうに答えた。

 

「なんでもない。店の品定めをしていただけだ」

 

 それを聞いたリシェルは呆れたように笑う。

 

「気が早いわよ。お店はここだけじゃないんだから」

 

 シルターン自治区の入り口から真っすぐ伸びている道は、道幅も広いメインストリートと言えるものだ。それだけに店も多いが、シルターンの豊富な料理を楽しむのならこの周辺に限定するべきではないのだ。

 

「わかってるよ」

 

 ネロも言葉を返す。しかしそもそも、さきほどの言葉は周囲を難しい顔で見ていた言い訳に過ぎなかったのだ。

 

(……またか)

 

 ネロは一瞬自分の右腕を見る。先ほどからロングコートと厚手の手袋に隠された右腕が疼いていたのである。それはつまり、近くに悪魔がいるということに他ならない。

 

 だが実は、右腕が疼くのは今日二度目のことだった。自治区に来る途中の帝都の中でも同じように右腕が疼いたことがあったのである。

 

 悪魔は人が多く居住しているところの方が現れやすいということは、ネロも経験上知っている。この世界に現れる悪魔は元が同じである以上、人間界に現れる悪魔と変わりないはずだ。だからトレイユより遥かに人口が多い帝都で悪魔が現れたとしても不思議ではない。

 

 問題は、悪魔の気配を感じても当の悪魔が姿を見せないことだ。本能で生きているような連中が手当たり次第に暴れないのは実に奇妙なのである。

 

(仕掛けるなら夜か……)

 

 だがネロはこれと似たような状況を知っていた。むしろ数年間デビルハンターとして稼いでいたため、人間界に現れるような悪魔に関してはほぼ全てのパターンを知っていると言っても過言ではない。

 

 そうした記憶の中には今回の同じような状況があった。その時現れたのは悪魔憑き、すなわち悪魔に憑りつかれた人間だった。

 

 悪魔憑きと言っても、憑りつかれる悪魔によってその行動は異なる。大抵の場合はただの依り代と化してしまい、悪魔によって体も意識も支配されてしてしまう。しかし、憑りついた悪魔が余計な知恵をつけていると、普段は憑かれる前と変わらぬように過ごし、好機を見て本性を現し襲いかかるような手段を用いる場合があるのだ。

 

 今回感じ取った悪魔もそうした類の存在であるとネロは考えていたのだ。

 

 もっとも、いくら知恵をつけたとはいえ、所詮は下級悪魔。右腕で悪魔であるかを判別でき、戦闘能力も申し分ないネロであれば始末すること自体は容易いことだ。しかし、いくら悪魔とはいえ姿は人と変わらない。そんな存在を殺すところを見られれば間違いなく犯罪者として扱われかねなかった。

 

 そのため、もしその悪魔を狩るのであれば、周囲の状況には十分に気を付けなければならないのである。その他にも、あえて悪魔の正体を暴いて始末するという方法もあるが、それは逆に自ら周囲を危険に晒すという意味でもあり、安全には気を配るという意味ではたいした違いはない。その意味では決して楽な仕事というわけではない。それでも、ネロはデビルハンターとしてプライドも持っており、悪魔を見逃すなどするつもりはなかった。もし見逃してしまえば恋人に会わせる顔がなくなってしまう気がした。

 

 しかし同時に、今のネロはフェア達の保護者的立場でもある。分かれて行動するのは論外だし、彼女達を危険に巻き込むわけにもいかない。結局のところ、夜中になってから行動するしかなかった。

 

 そしてネロは周囲への警戒を怠ることなく、前を歩く四人のあとを歩いて行った。

 

 

 

 

 

「あーあ、惜しかったなぁ……」

 

 テーブルに突っ伏したフェアが口を尖らせながら呟いた。手には一枚のチラシが握られている。どうやらそれが、彼女が少しばかり不機嫌になっている原因のようだ。

 

「仕方ないよ、フェアさん。そんなのがあるなんて全然知らなかったんだから」

 

「本当にあんたは料理バカねぇ……」

 

 ルシアンは宥めようとしているが、リシェルはそんなフェアに呆れたような視線を送っている。

 

 フェアの握っているチラシに記載してあるのは「名物料理コンテスト!」と題された創作料理の大会だ。シルターン自治区活性の為の新名物を決めるものらしく、優勝者には食材が一年分もらえるらしい。

 

 おまけに料理人のプライドを刺激するような文言もあったのだが、開催されるのがもう少し先であるため日程的に参加は不可能だったのだ。

 

「ママの料理だったら優勝できたかもしれないのにね」

 

 普段からフェアの料理のおいしさを知っているミルリーフも残念がっている。シルターン自治区でもこれまでいろいろな料理を食べたが、やはり母親の料理が一番のようだ。

 

「ありがとね、ミルリーフ」

 

 その言葉にフェアが礼を言っているとルシアンがドアの方を見ながら口を開いた。

 

「それにしてもネロさん遅いね」

 

 一通りシルターン自治区を刊行した彼らは、これまで名物やシルターン料理の食べ歩きをしていた。そして今日の最後の食事としてこの店を選んだのである。

 

 大きな通りに面した大型の店舗であり、観光客にも人気なのか席に案内されるまで多少の時間を要したほどだ。店内は忘れじの面影亭のように大きな部屋にいくつものテーブルが置かれたスペースと簡易的な部屋に分かれたスペースがある。フェア達が案内されたのは後者のほうだった。

 

 そしてネロは席について注文をするなりトイレに行くと言って席を立ったのだが、まだ戻ってきていなかった。

 

「満席みたいだし、混んでるんでしょ。それに頼んだ料理もきてないんだから別にいいじゃない」

 

 心配性な弟の言葉にリシェルは投げやりに答えた。それにここはシルターン自治区だ。リィンバウムの人間ではないと分かっても、他の場所ほど露骨に態度を変えられることはない。

 

 そんな話をしていると、ちょうどそこにネロが戻ってきた。それを見るなりリシェルはそれ見たことか。と言わんばかりにルシアンに視線を返した。

 

「あれ? パパ……」

 

 席についたネロに気付いたことがあったのか、ミルリーフが声をかけようとした時、再びドアが開かれた。そこにいたのは注文した料理を手にした店員だった。

 

「いいタイミングだったね、ネロ」

 

 料理が並べられていく中、フェアが言った。もう少し戻ってくるのが遅かったらみんな先に食べていたかもしれない。

 

「ああ、そうだな。……で、どうしたんだ、ミルリーフ?」

 

 ネロはフェアにそう答えると、今しがた何か言おうとしたミルリーフに尋ねた。ちょうど店員が来たため、途切れてしまったのだ。

 

「ううん、何でもないよ」

 

「それならいけどよ……」

 

 ネロがそう返したあたりで、料理も全て出そろったようだ。店員は「ごゆっくりどうぞ」と言って部屋を出て行く。

 

「さ、食べましょ!」

 

 様々な種類の作り立ての料理からは食欲をそそるような香りが立ち昇っている。ここに来るまでにそれなりに食べてきたのだが、また食欲が湧いてくるようだ。

 

 そして誰からともなく、料理に手を付けていった。

 

 

 

 

 

「うぅ、食べ過ぎた……」

 

 店での食事を終えた一行は今日の宿に戻っていた。宿泊の手続きはフェアに任せ、ルシアンはロビーにある椅子でもたれながらぐったりしていた。

 

「だらしないわねぇ」

 

 彼がこうなったのは食べ過ぎが原因である。さきほどの店に入る前にも何件かで食べ歩きしたのがよくなかったのだろうが、もともと少ししか食べていなかったミルリーフはともかく、他の三人も満腹であれど、彼ほど具合は悪そうではないため、単にルシアンは食が細いだけだろう。

 

「お待たせ。手続き終わったよ」

 

「はい。リシェルお姉ちゃんたちの部屋の鍵だよ」

 

 フェアから任されたのか、ミルリーフがリシェルに部屋の鍵を渡す。さすがに今のルシアンに渡そうとは思わなかったようだ。

 

「ありがと、ミルリーフ。ほらルシアン、行くわよ」

 

「う、うん。それじゃみんな、また明日」

 

 見るからに息も絶え絶えの状態のルシアンはリシェルの肩を借りながら部屋に向かった。リシェルも何だかんだ言って肩を貸すあたり、姉弟仲は良好らしい。

 

「ネロは私達と同じ部屋だけど、それでいいよね?」

 

 一人部屋をもう一つ借りるより、多少無理しても二人部屋に三人泊まった方が料金的にお得なのだ。それに三人とは言っても、その内一人は子供であるため、さほど窮屈な思いはしないだろうという考えもあった。

 

「ああ、構わねぇよ」

 

 リシェルとルシアンの分は別だが、ネロの分の旅費は全てフェア持ちだ。ネロとしてはわがままを言える立場にはないのである。

 

 ネロの同意を得たところで、まずは部屋に行くことにした。

 

「へー、うちの部屋みたいなものなんだ」

 

 寝間着に着替えたフェアが改めて部屋の中を見回していった。

 

 部屋の内装は外壁のような朱色を基調としたものではなく、床は木材そのもの色を、壁は白を主としたものになっておりオーソドックスな部屋と言える。その点は忘れじの面影亭とたいして変わらなかった。

 

 ただ、それでもベッドやタンス、窓枠などには朱色が使われている。もしかしたら朱色というのはシルターンの人々にとって、重要な色なのかもしれない。

 

「真っ赤よりは全然いい」

 

 実のところネロは、部屋の中も外壁と同じ色になっていることを覚悟していたのだ。それが拍子抜けするくらい普通の部屋にほっとしているようだ。

 

「自治区も観光地、客商売だからね。こっちの人にも泊まりやすい部屋にするのは当然でしょ」

 

「そういや、お前のところも変ってわけじゃないのに、ほんと誰も泊まらないな」

 

 もっともなことを言うフェアにネロが突っ込んだ。

 

「うちは立地が悪いだけ! もっといいところにあれば絶対泊まってる人はいるから!」

 

「その割に飯時は入ってるじゃないか」

 

 忘れじの面影亭は立地が悪くとも料理がうまい店と評判だ。だからシルターン自治区まで来ることができたのだが、本来の宿屋としては一向に客は入らない。むしろネロは宿屋として認識されていないんじゃないかと思っていた。

 

「そ、それはそうだけどさぁ……」

 

 フェアとしても自覚はあった。今はネロ達がいるから、という言い訳が立つかもしれないが、仮に彼らが去ったとして宿泊者が増える保証はどこにもなかった。

 

 一応料理人としては本にも掲載されるくらいになり、実際に営業中は行列ができるほど混んでいる。当然売り上げも十分で、生活費に困っているわけではないし、オーナーから文句を言われているわけでもない。

 

 それでもやはり宿屋と掲げている以上、フェアも複雑な思いを抱いているようだ。

 

「ふぁ……」

 

 そんな言い合いをしているとミルリーフが大きく欠伸をした。今日は朝から動き続けていたのだ。疲れていてもおかしくはない。

 

「少し時間は早いが、そろそろ寝とくか? 明日もあることだし」

 

「うん。……ほらおいで、ミルリーフ。一緒に寝よ」

 

 この部屋にはベッドは二つしかない。そのためどちらかがミルリーフと寝なければならないのだが、さすがにフェアと比べ身長があるネロにそんなことを頼むわけにはいかない。

 

「うん……」

 

 眠い目を擦りながらミルリーフはフェアの元に行く。彼女がベッドに横になったのを見たネロが、大きな鏡の傍にあるランプのところに行きながら言った。

 

「明かり消すぞ」

 

 ネロとしてはあまり眠くはないが、ミルリーフが寝るのには邪魔になるだろうと思ったのだ。

 

「それじゃあ、おやすみ。ネロ」

 

「ああ」

 

 フェアはミルリーフの隣で横になりながら言った。ネロは背負ったレッドクイーンを壁に立てかけ、コートを脱いでベッドに横になりながら答えた。

 

(寝静まったら行くか……)

 

 もっともネロはこれから一仕事する予定だったため、寝るつもりはなかった。もちろんそれにはフェア達を巻き込むつもりはなかったため、二人が寝入った頃を見計らって出て行く算段だった。

 

 

 

 それからしばらくして、ふとした拍子に目が覚めたミルリーフは無造作に起き上がり、周りを見渡した。同じにベッドにはフェアが穏やかな寝息を立てて寝入っていたが、隣のベッドは誰もいないもぬけの殻だった。

 

「パパ……?」

 

 最初はトイレにでも行っているのかと思った。しかし、コートはおろか立てかけられていた得物までなくなっていることに気付くと、彼が出て行ったのだと思った。

 

「ママ! 起きて!」

 

「……なに? どうしたのミルリーフ?」

 

 いきなり大きな声で起こされたフェアは眠そうな顔で尋ねた。

 

「パパが、パパがいないの!」

 

「ど、どういうこと?」

 

 ただ事ではない様子に眠気が吹き飛んだフェアは聞き返すとミルリーフは、偶然起きたらネロの姿がなく、レッドクイーンもなくなっていたことを話した。

 

「探しに行こう!」

 

 フェアの決断は早かった。すぐに普段着に着替えるとミルリーフと共に部屋を飛び出した。一瞬、リシェル達にも協力を頼もうかと考えたが、すぐに追いかけた方が早く見つかるかもしれないと思い、すぐに宿から出て探すことにした。

 

「ミルリーフ、どっちに行ったと思う?」

 

 宿は自治区の入り口近くの大通り沿いにある。夜は始まったばかりであるため宿の外は多くの人で賑わっていた。この中からネロを探すのは容易ではない。そもそも自治区の中の方へ行ったのか、自治区を出て帝都へ行ったのかすらも分からない状況だ。

 

 確率は二分の一。フェアは最初にネロがいなくなったことに気付いたミルリーフに任せることにした。

 

「たぶん……あっち」

 

「わかった。行こう!」

 

 ミルリーフが指さしたのは自治区の外、帝都の方向だった。それを確認したフェアはミルリーフを抱いて走りだす。こっちの方がミルリーフが走るより速いのである。

 

 それから自治区を出たフェアとミルリーフは帝都の中を探し回るが、トレイユの何倍も広くシルターン自治区以上に通りを歩く人も多い帝都でネロを見つけることは困難だった。

 

「見つからないね……」

 

 半ば諦めながらフェアはミルリーフを見た。もしミルリーフが疲れているようだったら一度戻ることを考えた方がいいかもしれない。

 

「……ねぇ、ママ。ミルリーフ思い出したことがあるの」

 

「どんなこと?」

 

 しかしミルリーフはこれまで見たことないような真面目な顔をしていたため、フェアはよく話を聞くことにした。

 

「今日お店でパパが戻ってきた時、変なにおいがしたの。そのときは何のにおいか分からなかったけど、思い出したよ。……あれパパが銃っていうのを撃ったときのにおいだよ」

 

「ってことは、ネロは戦ってたってこと……?」

 

 いくら人の声で騒がしかったとはいえ、フェア達に銃声が聞こえなかったということは、もしかしたらネロはトイレではなく店の外にまで行って銃を使うような状況にあったのかもしれない。

 

 そしてフェアは、ネロが宿から抜け出したのもそれに関係しているような気がした。

 

「わかんない……でも……」

 

「このままってわけにはいかないよね?」

 

 フェアの言葉にミルリーフがこくんと頷いた。もちろんフェア自身も同じ意見だ。先ほどまでの諦めはとうに消え失せていた。

 

「よし、それじゃあもう一度探してみよう!」

 

 やる気を取り戻したフェアがそう宣言した時、彼女の視界の端にネロの姿が映った。すぐに道を曲がり見えなくなったがあれは間違いなくネロだ。

 

「いた! 見つけた!」

 

 ミルリーフを抱えてフェアは走りだす。距離はだいぶあるし、周りの雑音も大きいため声を出しても届かないだろう。姿も見えない以上、直接追いつくしかない。

 

 そうしてネロが姿を消した通りへ入ったフェアとミルリーフだったが、そこには既にネロの姿はなかった。この通り自体も先ほどまでいた所に比べ人通りが少なく、どこか不気味な印象を与えた。

 

「変なところだね……」

 

 それはミルリーフも同じらしく、二人は恐る恐るといった様子でその通りを進んでいく。次第に背後から聞こえる喧騒も小さくなり、まるで人のいない異世界へ迷い込んだような気さえした。

 

「どこ行ったんだろ……?」

 

 しばらく進んでも全くネロの姿が見えないため、思わずそう呟いた瞬間、ちょうど目の前の建物から銃声が聞こえた。

 

「っ……!」

 

 思わずミルリーフを抱きしめながらフェアは近くの物陰に隠れた。しかし銃声はそれ以降、聞こえなくなった。

 

「ネロ、かな……?」

 

 銃声ということでネロのことを思い浮かべたフェアがゆっくりとその建物へ近づいた。さきほど気付かなかったが、どうやらそこは酒場のようだ。

 

 そしてゆっくり扉を開けると、レッドクイーンを手にいくつもの血だまりの中に立つネロがいた。

 

「パパ……?」

 

 ミルリーフの声で気付いたのか、ネロがフェア達の方へ視線を向ける。次いで苦虫を嚙み潰したような顔をした。まさか彼女達がここにいることは想定外だったのだろう。

 

「あー、来ちまったのか」

 

 そう口にしたネロはまいったと言わんばかりに頭を掻いた。

 

「あの、ネロ……これは?」

 

 フェアの言葉に正直に答えることにした。ここまで来てしまった以上、嘘を言うわけにもいかない。

 

「仕事だよ。前にも言ったが俺の仕事は悪魔退治……と言っても今回はボランティアだけどな」

 

 悪魔が存在するのを知って見逃せばそれは新たな犠牲が生まれるのを黙認したにも等しい。デビルハンターという職業は慈善事業なのではないが、ネロは献身的な恋人の影響か、こうして依頼の有無に関わらず悪魔を狩ることは珍しくないのだ。

 

「これが、悪魔……」

 

 フェアはゆっくりと近づいて既に死体となっている悪魔の姿を見た。それほど光量があるわけではないので細部までわかったわけではないが、それでも人の体の一部らしきものは見えたため、すぐに目を背けた。

 

「こいつらは悪魔憑きって言ってな。悪魔に体を乗っ取られた人間なんだよ」

 

 レッドクイーンを肩に担ぎながら難しい顔をしていた。ここにいる悪魔を始末したのはネロだが、彼とて元は人間であった存在を殺すのに何の躊躇いもないわけではない。しかし悪魔が現れる媒体となってしまった人間を救う術がないのも事実。ネロにできるのは、せめて安らかに眠ることができるように、死を与えることだけなのだ。

 

「もしかして宿に行く前もこんなのと?」

 

「……気付いてたか。気を付けたつもりだったんだけどな」

 

 やはりフェアやミルリーフの予想通り、ネロは悪魔と戦っていたようだ。もっともそれは狙ったものではなく、偶然すぐ近くに悪魔憑きがいたため仕方なく片付けただけだったが。

 

「……これでお仕事は終わったの?」

 

「ああ、たぶんな」

 

 ミルリーフの問いに答える。今のところのネロの右腕が疼くことはない。少なくとも近くに悪魔がいないのは間違いない。しかし、これで帝都の悪魔が全て片付いたとは思わなかった。シルターン自治区にそしてこの酒場と一日の内に二度も悪魔と遭遇したのだ。他にいたとしても不思議ではない。

 

 しかし、確固たる証拠もなしにこれ以上悪魔を捜索することは難しいし、何よりこれ以上二人を付き合わせるわけにもいかない。そう考えてこれで切り上げることにしたネロは、フェア達を先導するように酒場の入り口に歩く。

 

「さあ帰ろうぜ」

 

「で、でもここはどうするの?」

 

 凄惨な殺人現場と化している酒場を放っていくのはどんなものかとフェアが尋ねた。

 

「明日になったら誰か気付くだろ。それとも面倒事に巻き込まれたいのか?」

 

 こんな現場に居合わせて素直に返してくれる者などどこにいないだろう。いくら悪魔とはいえ、それを知らぬ者からすれば、ネロは間違いなく大量殺人の主犯なのだ。おまけに召喚獣ともなれば問答無用で殺されかねない。もっとも返り討ちにあうのが関の山だろうが。

 

「う……」

 

 それはやはりフェアも分かっているようで短く呻くと大人しくミルリーフを抱えたままネロに続いた。しかしネロは扉を開けることなくその前で立ち止まっていた。

 

「パパ、どうしたの……?」

 

 思わずミルリーフが尋ねると、ネロは無言のままコートを脱いで頭から二人を隠すようにフェアにかぶせた。長身のネロが着ていたものだったため、フェアが頭からかぶってもまだ丈に余裕があるようだ。

 

「え……?」

 

 いきなりの行動に目を丸くして驚いていると、ネロが耳元に口を寄せ小さな声で言った。

 

「外に誰かいる。そのまま顔を見られないようにしてろ」

 

 そしてネロは鋭い視線をドアの外にいる何者かに向けた。フェアには伝えていないが、ネロは外にいる何者かの放つ殺気を感じたのだ。右腕が疼かないため悪魔ではないだろうが、どうもきな臭い。

 

 姿を見られないようにフェアとミルリーフに自分のコートを着せたネロは、いっきに扉を開けて外に出た。

 

 視界に入ったのは二人。開けたドアの近くの一人と、酒場全体を視界に入れるように対面の街灯の近くにいた一人だ。

 

 ネロはドアの近くにいた男のみぞおちあたりに拳を叩き込んだ。強烈な痛打によって意識を失った男が頭から地面に倒れ込む。下は石畳だ。歯や鼻の骨が折れたかもしれないが、命に別条はないだろう。

 

「っ!」

 

 その様子を見たもう一人の男がパニックを起こしたのか、顔を青くして何か叫ぼうとしていた。

 

「させねぇよ」

 

 しかし男が叫ぶより早く間合いを詰めたネロが右腕で男の口を塞いだ。

 

「気を付けろよ。じゃなきゃあんたのこのナイフみたくなるぜ」

 

 ネロはいつの間に抜き取ったのか、その男の得物らしい短いナイフを左手に持っており、それをまるでおもちゃのように粉々に握り潰した。もちろんネロの左手には傷一つついていない。

 

「……!」

 

 それを見た男は青かった顔をさらに青くして、何度も首を縦に振った。それを見たネロは口を開いた。

 

「ここで何してるかなんて野暮なことは聞かねぇよ。……てめぇらに命令した奴のところまで連れてってもらおうか」

 

 できるなら何をしていたかまで聞きたかったのだが、この場を誰かに見られるのも望まないことだったので、恐らく酒場の悪魔にも関係しているだろう、彼らに命令した者のところへ案内してもらうことにしたのだ。

 

 ネロは知らないことだったが、男は金で雇われ、酒場に入る者の監視と朝まで出てきた者がいればそれを殺す仕事を与えられただけの存在だった。

 

 当然、命を捨ててまで雇い主に義理立てするはずもなく、男はネロの要求に何の抵抗もなく頷いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




今回も思ったよりはやく投稿できました。

DMC5のダンテの新武器はどれ使い勝手よさそうなのでないより。でもバルログって炎獄の主とのことですが、ベリアルの後釜なのでしょうか。ちょっと気になるところです。



さて、次回は10月13か14日に投稿予定です。いつもとは違う時間になるかもしれませんがよろしくお願いします。

ご意見ご感想お待ちしてます。

ありがとうございました。


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第92話 帝都に潜む魔 後編

 外で取り押さえた男が案内したのは、酒場からしばらく歩いた場所だった。そこが男の雇い主の居場所であるらしい。男は案内が終わるとすぐに逃げるように姿を消し、この場にはネロとフェア、ミルリーフだけが残った。

 

「悪いな。こんなことに付き合わせて」

 

 まだコートを被ったままのフェアにネロが言う。先ほどの酒場で別れることもできたのだが、あの男達以外に誰か潜んでいる可能性は否定できなかったため、彼女とミルリーフには悪いと思ったが、同行してもらったのだ。

 

「いいの。……でも本当にここなの? ここって貴族の家じゃない」

 

 案内されたのは貴族の邸宅が軒を連ねる帝都の中心部にある一軒の屋敷だった。忘れじの面影亭やリシェルとルシアンの屋敷よりも大きく、壮大でよく手入れされた庭を持った豪邸だった。

 

 明らかに周囲の住宅よりも豪華な造りをしているため、この屋敷の所有者は帝国でも相当の地位を持っている人物であることは間違いないだろう。

 

「貴族だろうが関係ねぇよ。……それに、ここに悪魔がいるのは間違いない」

 

 ネロは屋敷を見ながら断じた。右腕が疼き、薄く光を放っているのが何よりの証拠だ。そして先ほどの男たちの雇い主もここにいると言うのなら、酒場にいた悪魔とも繋がる。恐らく悪魔に関わる一連の出来事の糸を引いているのがその人物だろう。

 

「気をつけてね、パパ」

 

「ああ、お前もフェアから離れるなよ」

 

 ネロを心配するミルリーフの頭を撫でてやる。今はフェアの腕に抱かれずに立っているが、フェアが被っているコートの中にいるのだ。窮屈な思いさせているのは否めないが、フェアと同じように彼女も姿を見られるわけにはいかない。

 

 じきにこの世界を去る自身はともかく、二人ともこれからもリィンバウムで生きていかなければならないのだ。自身が始めたことに巻き込んだ挙句、見るからに危険な奴らに顔を覚えさせるわけにはいかない。

 

「うん!」

 

「私もちゃんと見てるから大丈夫。でも、本当に気を付けてよ」

 

 これから屋敷の悪魔を始末するにあたり、フェアとミルリーフはずっとネロの傍にいるわけではないが、何かあっても対応できる場所にいてもらうことになる。屋敷から少し離れた今の場所にいるより、ネロの近くにいた方が悪魔との物理的な距離こそ縮まるが、安全なのである。

 

「心配すんな。悪魔なんて腐るほど相手にしてきたんだ」

 

 フェアの心配に軽口を叩いた。しかし、ネロの言葉は経験に裏打ちされた確かなものだった。たとえ、今屋敷から感じる悪魔の数が十倍になったとしても、鼻歌まじりに片づけてしまうほど、ネロの実力は確かなものなのだ。

 

 その言葉にフェアは頷くと、ミルリーフを抱え上げる。ネロは少しずれていた自身のコートをもう一度フェアに深く被せ直し、前はミルリーフに持ってもらった。ぴったり前を閉めるとミルリーフは何も見えなくなるため、僅かに隙間を開けてそこから覗いている。

 

 フェアは顔の大部分は隠れており、夜間ということも相まって接近されなければ顔を判別することはできないだろう。これで準備は整ったわけだ。

 

 ネロはフェアを後ろに連れ、正門から堂々と屋敷の中に入った。これほど広大な屋敷なのに門番の一人もいないとは、不用心というよりここの怪しさを際立たせていた。

 

「さて、やるか」

 

 そして正面の入り口の大きな扉の前に立ったネロはレッドクイーンを左肩に乗せながら呟くと、見るからに高級そうな扉を口元に笑みを浮かべながら蹴り飛ばした。

 

 ネロの剛力で蹴られた扉は蝶番が外れて真っすぐに吹き飛び、正面にいた悪魔に激突してもなお勢いを衰えずに、そのまま壁にぶつかり大きな亀裂を作ってようやく止まった。

 

 屋敷の中にいた者達は一瞬静まり返り、吹き飛んだ扉と、次いでそれを吹き飛ばしたネロを見た。見た目は着飾った人間のように見えるが、どれも既に悪魔に憑りつかれている。少なくとも視界に映る十数人の中に本当の人間はいないようだった。

 

「大当たり、ってとこだな」

 

 これだけの規模だ。偶然に悪魔が湧いたというわけではないだろう。周辺の住宅街も混乱している様子はなく、雇われたと言っていた男のことも考えると、何者かが意図的に悪魔を呼び出して使役している可能性すらある。

 

 目的こそ不明だが、どうせよからぬことを企んでいるのだろう。悪魔を利用しようとしている者は往々にしてほとんどがそういう輩なのだ。

 

 扉から数歩ほど歩くと悪魔も状況を飲み込めたようで、次々と醜い真の姿を露にして襲いかかってきた。ネロはレッドクイーンを肩に担いだまま柄を捻りイクシードを燃焼させ、悪魔を迎え撃つ。

 

 最初に向かって来た二体の悪魔を横に薙ぎ払うと、前に打って出た。ネロは敵が来るのを待つより自ら攻めるほうが性に合っているのだから当然である。

 

「行くぜッ!」

 

 突進したネロは再び薙ぎ払うように得物を構えると、言葉と共にクラッチレバーを握る。大量の推進剤を噴射しながら加速したレッドクイーンの斬撃は推進剤の噴射口から出た炎を纏い、悪魔の体をいとも容易く両断した。

 

 次いで周辺の悪魔にも無差別に斬りかかる。悪魔が本当の姿を現さず襲いかかってきていたら、見る者によってはネロによる無差別の虐殺にしか見えなかったかもしれない。それだけネロの強さは圧倒的で、悪魔の抵抗など全く寄せ付けてなかった。

 

(あいつら……無事だな)

 

 レッドクイーンを悪魔に突き刺し、それをハンマーの頭に見立てて他の悪魔を殴りつけながら、先ほど蹴り破った扉の方を見る。フェア達はやはりネロのことが心配だったのか、陰からこちらを見ていた。

 

 それを確認したネロはボロ雑巾のようになりながらもレッドクイーンに突き刺さったままの悪魔を払い捨てると、残り一体となった悪魔へ悪魔の腕(デビルブリンガー)を伸ばした。

 

 そしてまとめて引き寄せた悪魔をレッドクイーンでまとめて斬りつける。依り代となっている人間の体重がレッドクイーンから伝わってくるが、ネロの力の前ではそんなものは障害にすらならなかった。

 

「こんなもんか」

 

 この場にいた悪魔をあっさりと殲滅したネロは、レッドクイーンを担ぎ直して呟いた。既にこの屋敷はおろか周囲からも悪魔の存在を感じないが、先ほどのように雇われた人間が潜んでいる可能性があるため、得物を背に戻すことはしないでいるようだ。

 

「終わった……?」

 

「悪魔の始末はな」

 

 フェアが入り口の陰から出てきて尋ねた。できる限り悪魔の死体を視界にいれないようにしているのか、少し俯いている。なにしろ悪魔と言っても依り代は人間の体なのだ。赤い血も流れているし、肉も散乱している。

 

 いくら夜で視界が悪いとはいえ、この屋敷は豪華なシャンデリアがあるせいか、さきほどの酒場より遥かに明るいのだ。

 

「じゃあ、次はどうするの?」

 

 ネロの言い方から、まだ一件落着とはいかないことを感じ取ったフェアが続いて尋ねる。

 

「一応、この中を調べるつもりだ。こんなところで何をしてたかくらいは分かるかもしれないしな」

 

「分かった。……あと、これ返しとくね。この中じゃ着てても仕方ないだろうし」

 

 ここまできた以上、最後まで付き合うつもりだったフェアは特に文句はないようで、姿を隠すために被っていたネロのコートを返しながら言った。

 

「まあ、確かに誰もいないと思うけどよ。もしなんか気配でも感じたらまた渡すからな」

 

 ネロも今のところ屋敷の中から人の気配は感じなかった。さすがに気配は悪魔のように感じられるわけはないが、少なくとも殺気を見逃すようなことはないだろう。ネロはそう考え、コートは自分が着ておくことにしておくことにした。

 

 そしてコートに袖を通したネロはフェアとミルリーフを伴って、屋敷を調べ始めた。

 

 この屋敷自体は外観から見るに三階建てだが、とにかく巨大だ。今しがたネロが悪魔と戦った正面の吹き抜けのホールも大きかったが、それでも半分にも満たない面積だろう。恐らく部屋の数は十や二十どころではないだろう。

 

「上から行くの?」

 

 一階の部屋には目もくれず階段を上るネロにミルリーフにネロが答える。

 

「ああ。偉い奴は上にいるのが多いからな」

 

 そうでなくとも一階には悪魔がいたのだ。もし誰かがこの屋敷で何かを企んでいるとすれば、最も悪魔から遠い三階にいる可能性が高いだろう。

 

「それにしても、すごい豪邸だね。周りの建物よりも立派だったし、どんな人が住んでたんだろ……」

 

 三階まで来る間、ずっと周りを見ていたフェアが呟いた。たぶんシャンデリアや壁に掛けられている絵一つの価格で、フェアの稼ぐ金の何年分もするだろう。こういう屋敷を持っている人間は、庶民とは住む世界が違うことを改めて感じさせた。

 

「さあな」

 

 ネロはぶっきらぼうに答える。状況から考えてこの屋敷の主が黒幕のようにも思えるが、逆に場所を利用されただけで既に殺されている可能性もある。いずれにしても、これが明らかになれば帝国を揺るがしかねない事件になるだろう。

 

 答えつつネロは適当な部屋の中を覗いた。中は明かりもついておらずしばらく使われた様子もなかったため、それだけで扉を閉めた。

 

「さて、次は……」

 

 相当ある部屋を全部見て回るには一つ一つに時間をかけることはできない。そのため、一目見てその部屋を詳しく調べるか判断することにしたのだ。

 

「あ、あのお花枯れてるよ」

 

 ミルリーフが廊下に飾られた花瓶を指さして言った。それに挿してある花は花弁が力なく萎れており、色も茶色へと変化していた。

 

「ほんとだ。水入ってないし、これが原因かな?」

 

 近づいて花瓶を見たフェアは水が入っていないことに気付いた。おそらく水分不足が枯れた原因だろうことは容易に想像できる。

 

(こりゃ、もう死んでる可能性が高いな……)

 

 ネロは心の中でこの屋敷の持ち主の末路を悟った。もし持ち主が存命なら誰かに花を交換させるか片付けさせているだろう。それをしていないということは、既に殺されている可能性が高いということだ。

 

 そんなことを考えながらネロは黙々と部屋を調べる作業を続けた。

 

「ここにも何にもないね」

 

 ネロが開けた扉からフェアも室内を覗く。先ほどから六部屋ほど調べてきているがどれも外れだった。これで三階に残された部屋は残り二部屋だ。

 

「ねぇパパ。次はこっちを見てみようよ」

 

 半ば冒険気分のミルリーフは残り二つとなった部屋の内、一つを示した。

 

「わかった。こっちだな」

 

 その部屋からは特に気配も感じなかったため、ネロは先ほどと同じような調子でドアを開けた。

 

 だが部屋の中は無人ではなかった。正面の壁にある窓が開けられており、そこに身を乗り出すようにしている人間がいたのだ。外を見ているためその顔を見ることはできなかったが。

 

「……!」

 

 反射的にブルーローズを構えるが、ネロは撃てなかった。相手が悪魔ではなかったためだ。悪魔なら一切の容赦なく叩き潰すネロだが、さすがに問答無用で人間を撃つことはできなかった。

 

「…………」

 

 ネロの気配に気付いたのか、何者かが振り向いた。しかし窓から月光が入ってきていて逆光になっており、ネロの位置からは顔こそ確認することはできないが、黒髪の若い男ということは分かった。

 

 その一瞬後に男が振り向いたことで起きる不都合をネロは気付いた。ネロの左隣にはフェアがいる。彼女の姿が男に見られる恐れがあった。

 

「ちっ……」

 

 咄嗟にネロはブルーローズを持った左手でフェアの顔を隠した。替えが効くとはいえ服が見られるのはやむを得ないが、顔を覚えさせるわけにはいかない。

 

 しかし男はネロの態度には興味がない様子で、素早く懐からマッチのようなものを取り出すと、火をつけて床に向かって投げつけた。

 

 床にはあらかじめ可燃性の何かが撒かれていたのか、部屋の中は激しく燃え出し、室内にあった家具にどんどん燃え移っていく。その様子を確認した男は窓から身を投げ出した。証拠の処分を確認した上での逃亡なのは明らかだ。

 

「くそっ……、フェア、ミルリーフ、そこにいろ!」

 

 このままあの男の思い通りに終わってたまるかと、ネロは炎の中に突っ込んだ。

 

「パパ!」

 

「ミルリーフ、だめ!」

 

 ネロの後を追いかけようとするミルリーフをフェアが抱き止めた。いくら彼女が至竜の子だからと言っても、まだ親から全てを継承していなため、体も人間より少し頑丈な程度なのだ。炎の中に入って無傷とはいかないだろう。

 

 もちろんフェアもネロのことは心配だったが、心の底では彼なら何とかしてくれるのではないかとも思っていた。

 

 そしてその期待に応えるべく、ネロは炎の海の中でレッドクイーンを横に薙ぎ払った。その際に発生した強烈な剣風によって炎は消し飛び、一瞬で鎮火した。

 

「よかった……」

 

 ネロの無事な姿を見て安堵したようにミルリーフは息を漏らす。しかし、ネロは先ほどの厳しい表情のまま、いくつかの本や書類が適当に置かれていた本棚とその横のテーブルを調べ始めた。

 

「こいつは……」

 

 色々な本を見ていたネロは、テーブルの上に置かれていた一冊の本を確認して呟いた。炎のせいで下半分は一部が燃え落ちていたり、黒く焦げたりしているが何とか読める部分はあったのだ。その中には手書きで人の名前らしきものが羅列してあった。それを考えるとこれは本というよりノートやメモ帳といった方が正しいかもしれない。

 

「何かあったの?」

 

「ここに書いてある名前、誰のことか分かるか?」

 

 本をフェアに見せながら尋ねた。フェアは自分の知っている名前がないか、目を凝らしてページをめくるが心当たりのある名前は見当たらなかった。

 

「ごめん、知ってるのはないみたい」

 

 ほとんどトレイユから出ないフェアだ。皇帝などのよほどの著名人ではない限り、知っている名前は知り合いのものくらいなのだ。もっともそれは一般的な帝国の国民であれば、当たり前の水準でフェアが特に著名人の名前に疎いわけではない。

 

「そうか、まあ仕方ねぇ」

 

 これに書かれている者が誰なのかは不明でも、これが唯一の手掛かりなのは変わりない。とりあえずその本を持ち帰ることにして懐にしまった。

 

「これからどうするの?」

 

「もう一つの部屋だけ調べたら戻ろうぜ」

 

 三階で手がかりを見つけたため、念のためこのフロアの全ての部屋だけは見ておきたかったのだ。

 

 ちなみに言葉にはしてなかったが、ネロは宿に戻る前にあの男に見られたフェアの服装を何とかするつもりでいた。さすがにトレイユでは服を変える必要はないだろうが、せめて帝都やシルターン自治区にいる間は服を変えておきたかったのだ。

 

 

 

 そうしてもう一つの部屋に移動した三人はその中を調べていた。どうやらその部屋は寝室らしく、大きなベッドにクローゼットなどの家具が据えつけられている。

 

「ここもしばらく使われていないみたいだよ」

 

 フェアが部屋の中を見ながら言った。ネロも部屋の中を見ていたのでそれには気付いていたのだが、念のためクローゼットの中も見ておくことにした。

 

 早速それを開けると中には多くの服が入っていた。どれも女物の服だ。どうやらこの部屋の主は女性だったらしい。

 

 それらを見たネロは一つ思いつくことがあり、すぐにそれを口にした。

 

「おいフェア、服脱げ」

 

 ネロの言葉を聞いたフェアは最初「へ?」と言葉を漏らし、その意味を理解していないようだったが、部屋の中にある大きなベッドを見てどういうことかを理解した。

 

「な、ななな、何で!?」

 

 激しく口ごもりながらフェアは自分の体をネロから隠すように抱きしめた。

 

 もしかしなくとも勘違いなのだが、ベッドを見てしまったフェアは()()()()ことだと勝手に思い込んでいるようだった。

 

「何をそんなに焦って……ああ、そういうことか。俺が言いたいのは服を変えろってことだ。ガキが色気づくなよ」

 

「こ、子供扱いしないでよ!」

 

 自分がとんでもない勘違いをしていたことに気付いたフェアは苦し紛れに返した。

 

「あー、はいはい。分かったからさっさと着替えてくれ」

 

「……じゃあ、後ろ向いてて」

 

「は……?」

 

 ネロとしては着替える間は部屋を出ているつもりでいたため、フェアの言葉を全くの予想外だったのだ。

 

「いいから向こう向いてて!」

 

「はいはい。これでいいだろ?」

 

 先ほどの勘違いのせいで冷静さを欠いていたフェアはネロの言葉も聞かずに叫んだ。それを見たネロはにやれやれといった様子で肩を竦めると、大人しく窓の方まで移動して外を眺めていることにした。今のフェアに余計なことを言っても逆効果だと悟ったらしい。

 

 フェアはそれを確認すると、今しがたネロが見ていたクローゼットの中を確認する。見るからに貴族らしいフリルのたくさんついたドレスも数多くあったが、彼女が選んだのはそれらよりもやや簡素なものだった。

 

 貴族にとっては夏場のような暑い時期に着るものなのかもしれないが、フリルのついた服など煩わしくて仕方ないとしか思ってないフェアにしてみれば、ちょうどよいものなのだろう。

 

「うわ、すっごいやわらかい……」

 

 いくら簡素とは言っても、やはり貴族が着るものだ。生地一つとっても相当な高級品であることであることは手触りだけで分かった。

 

(さて、さっさと着替えて……)

 

 いつまでもネロとミルリーフを待たせるわけにも行かない。手早く終わらせようと今来ている服に手をかけた時、ちょうど窓から外を見ているネロの姿が目に映った。

 

 いくら後ろを見ていると言っても、これから彼の前で服を脱ぐことには変わりない。恥ずかしくないわけがなかった。

 

 それでも着替えないわけにはいかない。ネロに後ろを向いているように言ったのは他ならぬ自分なのだ。

 

(よ、よしっ! 女は度胸よ!)

 

 意を決してフェアは服を脱ぎ始める。ネロはじっと外を眺めていて、ミルリーフも興味深そうにクローゼットの中にある服を熱心に見ている。そのため、部屋の中は着替える衣擦れの音だけが響いており、それが余計にフェアの羞恥心を煽った。

 

「ああ、そうだ。ちょっといいか?」

 

「な、なに?」

 

 言い忘れていたことを思い出したネロが視線はそのままに声をかけると、フェアが焦りながら答えた。ちょうど服を脱ぎ終わったばかりで、夜のひんやりとした空気に包まれていたところに声をかけられたため驚いたのだ。

 

「一応髪型も変えとけよ。それに帽子もあったみたいだからそれも被っとけ」

 

 あの男には顔や頭部は一瞬しか見られていないはずだが、ネロは過剰ともいえるほどフェアのことを気に掛けていた。一瞬とは言え姿を見られてしまったことに責任を感じているのかもしれない。

 

「わかった、そうする。もうちょっとそのままだからね」

 

 大人しく頷くと、着替えを再開した。簡素な造りだけあって着ること自体は僅かの時間でもできるようで、ネロもそんなに待たせることはなかった。

 

「もういいよ、ネロ」

 

「思ったより早かったな」

 

 ネロが振り向くと白にピンクのスカートを合わせたドレスを着たフェアがいた。髪も降ろしており、いつもとは違った印象を受ける。このまま喋らなければ貴族の令嬢としても十分通じるかもしれない。

 

「どう、かな?」

 

 恥ずかしそうに手を前で組んで、もじもじさせながらフェアは尋ねた。

 

「わぁ……、すっごく綺麗だよ」

 

「ああ、意外と似合ってるな」

 

 素直に褒めたミルリーフとは違い、ネロは一言多かった。

 

 フェアは普段から活動的で、服もそれに合わせたように動きやすさを重視したものだ。そんなフェアの姿に見慣れていたから、いきなり深窓の令嬢のような服を着て、それがかなり似合っていたのだから、自分から着ろと言ったことであっても少々面食らったようだ。

 

「意外と、ってなによ」

 

 失礼な、と言わんばかりにフェアは頬を膨らませる。しかし、そんな姿も絵になっていた。

 

「そんなに気にするなって、似合ってるのは嘘じゃないんだ」

 

 悪びれる様子もなく肩を竦めた。それを見たフェアはもう一言なにかを言ってやろうとしたが、それよりネロが口を開くのが早かった。

 

「後は帽子だな。……せっかくだ、俺が選んでやるよ」

 

 そう言うとすぐにいくつかの帽子を手に取って、フェアの頭の近くまで持っていく。実際に身に着けた時の印象を見ているようだ。

 

「…………」

 

 意外と真剣な眼差しで帽子を選んでいるネロを見ると、フェアはそれ以上何も言えなくなり、大人しく選ぶのを待つしかなかった。

 

「ミルリーフ、これとこれどっちがいいと思う?」

 

 ネロは両手に帽子を持ったままミルリーフに尋ねた。迷っているのは、白い帽子と、ドレスより薄いピンクの帽子だった。白い帽子には同色のリボンが付けられており、ピンクの帽子にはそれより若干濃い色の花飾りが一つあしらわれていた。

 

「うーんと……、ママにはこっちが似合うと思うよ」

 

 両方を見比べながら少し悩む様子を見せたミルリーフだったが、すぐに一方を選択した。ネロはそれをフェアに被せると大きく頷いてみせた。

 

「確かに今の恰好にはこっちの方が似合うな」

 

「うん! ぴったりだよ!」

 

 ミルリーフが選んだのはピンクの帽子の方だった。それを身に着けたフェアはますますおしとやかなお嬢様のように見えた。もっとも、中身はおしとやかさとはかけ離れているが。

 

「そ、そう? ありがとね」

 

 満更でもない様子でフェアは少し照れたようにお礼を言った。

 

「さて、服も着替えたし帰るか」

 

 完全な解決とまではいかなかったが、もうあの悪魔達の犠牲になる人はいなくなるのは確かだ。それだけでもここまで来たのには意味があるだろう。

 

「うん。……っていうか今更だけど、これ勝手に持って帰っていいのかな?」

 

 フェアが疑問を呈した。いくら持ち主は悪魔に殺されている可能性が高いからといって、勝手に持っていくのは泥棒と一緒ではないか。

 

「報酬代わりだよ。これだけで悪魔を始末してやったんだ。安いもんだろ」

 

「そうなのかなぁ……」

 

 フェアは納得していない様子だった。

 

 しかし、ネロが仕事として受けた悪魔狩りの報酬は、スーツケース一杯の札束というのも珍しくないということを考えると、ドレス一式というのは破格の安さに違いない。

 

「それにお前だって狙われるのはイヤだろ? ここで服を変えるのが一番安全なんだから、そんなこと気にするなよ」

 

 さらにネロは付け加えた。あの男がフェアは狙うつもりがあるのかは不明だが、楽観的な予想で動き取り返しのつかない事態を招くより、用心には用心を重ねた方がいい。人の命はなにものにも代えられないのだから。

 

「う、うん……」

 

 完全に納得したわけではないようだが、それでも服を着替える必要性は理解できたらしい。フェアとて危険に晒されたくはないし、仲間を巻き込んでしまうのだけは避けたかったのだ。

 

 そうして屋敷から出た三人は周囲を警戒しながら裏門から出ると、繁華街まで急いだ。

 

「誰にもつけられちゃいないか……」

 

 屋敷を出てからずっと周囲に注意を払っていたらしいネロが呟いた。少なくとも近くには屋敷周辺にはあの男の仲間はいないようだ。ネロとしては尾行されていた場合、人の多いこの繁華街辺りでなんとかするつもりでいたのだが、その必要はなさそうだった。

 

「ふぁ……」

 

「眠い?」

 

 大きなあくびをしたミルリーフにフェアは聞いた。いつもならとっくに寝ている時間だし、そうでなくとも今日はずっと歩きっぱなしの上、悪魔の一件で張り詰めていた緊張感が一気に解けたせいで、眠気が出てきたのだろう。

 

「うん……」

 

「ネロごめん、抱っこしてもらっていい?」

 

 できるなら自分で抱き上げたいところだが、あいにく着替え前の服を持っているので難しかったのだ。

 

「ああ」

 

 当然ネロもフェアの手が空いてないことは知っていたため、片手でミルリーフを抱き上げた。人間離れした力を持つネロならミルリーフ程度は軽いものなのだろう。

 

 そうして急ぎ足で宿まで戻ると、ミルリーフはネロの胸に体を預けるようにして寝入っていた。

 

「あ、寝ちゃってたんだ」

 

「そりゃそうだろ。変なことにも巻き込んじまったからな」

 

 ネロはミルリーフを慎重にベッドに降ろしてから口を開いた。彼の腕に抱きあげられているときは、決して安眠できる体勢とは言えなかったはずだが、それだけ疲れていたということだろう。

 

「この子、ネロがいなくなった時はすごく心配してたんだよ」

 

「悪かったよ、反省してるって」

 

 フェアの言葉にネロはばつが悪そうに言葉を返した。今にして思えば同じ部屋の二人には事情を説明しておいた方がよかったかもしれない。結果的には何事もなく終わったものの、ネロとしては反省点が残る結果となったのは確かだ。

 

 それを聞いたフェア「なら許してあげる」と言いながらくすりと笑う。だが気になることでもあったのか、そのまま言葉を続けた。

 

「ところで今日のことってお兄ちゃんとかに言ってた方がいいのかな?」

 

 いずれあの屋敷にも酒場にも誰かが立ち入ることになるのは間違いない。だが、そこで起きたことまで正確に明らかになるとは限らない。ネロに殺された者達が悪魔だと分からなかったら、ただの大量殺人事件として処理される可能性もあるのだ。

 

 だから、せめて軍人のグラッドには伝えた方がいいのではないかと思ったのだ。

 

「……いや、やめといたほうがいいな。むしろ今日のことは誰にも話すな。もちろんリシェル達にもな」

 

 少し考えてから答えた。リィンバウムは人間界よりも悪魔の存在が認知されているのは知っている。だからわざわざ言わなくとも悪魔の仕業だと分かるだろうという考えがあった。

 

 それに、グラッドを信用しないわけではないが、この一件にフェアやミルリーフが関わっていたと知られる可能性は徹底して排除したいという思惑もあったのだ。

 

 それがネロなりの、巻き込んでいしまった責任の取り方だった。

 

「わかった。ネロがそう言うならそうする」

 

 悪魔に関する知識はネロの方が詳しい。だから今回は特に疑問にも思わず彼の言葉に従うことにしたのだ。

 

「おう。……それじゃ俺は寝るからな」

 

 言うべきことは言ったネロは、コートをテーブルに投げ捨てるとすぐに自分のベッドに横になった。

 

「あ、もう……、ちゃんと畳まなきゃダメでしょ」

 

 そう言ってフェアはテーブルに放り出されたコートを手に取って、部屋に備え付けられているクローゼットの中にしまい込んだ。

 

 それが終わるとフェアもさすがに眠気が出てきたのか、すぐにベッドに入った。

 

 生まれて初めて悪魔を見た日にも関わらず、フェアもミルリーフも普通に眠ることができた。それは紛れもなく幸運であることに間違いなかった。

 

 

 

 

 

「あんた、その服どうしたのよ?」

 

 朝起きて早々にリシェルと会ったフェアは、出会い頭にそう尋ねられた。一晩で友人が昨日までとは髪型も変わっていたのだから、気にならない方がおかしいだろうが。

 

 フェアとしてはいつもの服装に戻りたかったのだが、ネロから「トレイユに戻るまではその服でいろ」としつこく言われていたので、着替えられなかったのである。

 

「あ、これは昨日――」

 

 そこまで言ってフェアは、昨日のことはリシェル達にも話すなと言われてたのを思い出した。危うく口にしてしまうところだったが、すんでのところで思い出したようだ。

 

「昨日?」

 

「か、買ってもらったの! ネロに! 昨日の夜!」

 

 少し焦っていたのかフェアはぶつ切りに言い放った。

 

「昨日の夜?」

 

「う、うん! 帝都まで行ったの!」

 

 買ってもらったと言うのは出まかせだが、昨日の夜にネロと帝都にいたのは嘘ではない。もちろんそれは、部屋から姿を消したネロを見つけた後のことでありミルリーフも一緒だったのだが、リシェルがそれを知る由はなかった。

 

「あらなによ、デートでもしてきたの?」

 

 帝都はここからそう遠くはないし、昨夜はまだ夜になったばかりの時間にそれぞれの部屋に分かれたため、夜に出かけたとしてもそれほど不思議ではない。だが、二人きりとなれば話は別だ。

 

「そんなわけないでしょ、ミルリーフもいたんだから」

 

 二人きりで行ったと勝手に考えているらしいリシェルに事実を突き付けた。昨夜はそんな色っぽい話ではなく、帝都に巣食う悪魔との戦いなのだ。フェア自身が戦ったわけではないが、精神的疲労はかなりのものだった。

 

「でも、その服は買ってもらったんでしょ?」

 

「……まあ、そうだけどさ」

 

 悪魔のことを誤魔化すための出まかせとはいえ、ネロに買ってもらったと言ったのは他ならぬフェア自身、それゆえ、今さら否定することはできなかった。

 

「ならよかったじゃない。悪い気はしてないんでしょ?」

 

「ま、まあ、そりゃあ、ね」

 

 服自体を選んだのはフェアだが、帽子だけはネロとミルリーフが選んでくれたものだ。嬉しくないわけはない。その様子を見たリシェルはにたりとした笑みを浮かべた。

 

「なんにしても、あんたが楽しんだようで何よりよ。ここに来て正解だったわね」

 

「……うん。ここに来てよかったよ」

 

 そもそも今回シルターン自治区まで出向いたのは日頃酷使している体を休めるためだ。その目的を達成したかと問われると微妙なところだが、フェアとしてはシルターン自治区に来た甲斐はあったと思っていた。

 

 シルターンの料理を随分と食べることができたこともあるが、それ以上に今まで知らなかったネロの一面を知ることができたことが大きかった。

 

 ネロとはそう遠くない未来に別れることになるだろうが、今回のことはきっと自分の記憶にずっと残っていくだろう。

 

 フェアはそう確信していた。

 

 

 

 

 

 

 

 




これでサブイベント編は一息つき、次回から本筋に戻ります。とりあえず4編は100話になる前に決着がつく見込みです。

次回は10月28日(日)に投稿予定です。

ご意見ご感想評価等お待ちしてます。

ありがとうございました。


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第93話 窮余の一策

 暗い部屋の隅で一人の少年が縮こまっていた。

 

 いつもなら彼の祖父が虐待同然の実験に連れ出す時間なのだが、いまだに現れていない。少年はいつ現れるか分からない祖父の幻影に怯え、鍵のかけられた部屋のドアから見えないように、ベッドの陰に身を隠していた。

 

「……?」

 

 そうしてどれだけの時間待っていたのだろうか。いつまで経っても祖父は現れなかった。

 

 もはや実験に飽きたのだろうか。そんな疑問が少年の頭によぎるが、すぐに打ち消す。あの男は自分を憎んでいる。メイトルパの幽角獣が祖父の娘に狼藉を働いた結果、産まれた自分を仇敵のようにしか見ていないのだ。仮に実験が終わったとしても、自分から興味を失うことなどありえない。

 

「…………」

 

 光の刺さない部屋の中で少年はいつしか、ベッドの陰から顔を出してドアの方を注視していた。暗くてよく見えないが、それでも誰の気配を感じることはなかった。

 

 いつもなら朝の訪れと共に部屋から連れ出され、虐待なのか実験なのか分からない時間を過ごし、日が落ちるころ、息も絶え絶えになった少年はボロ雑のようにこの部屋に戻されるのが日常だった。

 

 父や母が助けに来てくれるという希望など少年はとうの昔に捨て去っていた。祖父から二人に見捨てられたと聞かされたからだ。母にしてみれば望まぬ子を助けようとなど思わないだろうし、父は母すら捨ててメイトルパに逃げ帰ったのだという。もしこの世界にいれば祖父の憎しみを受けたのは父だっただろう。だから自分を憎む祖父の言葉でも、それが真実だと認めるしかなかった。

 

 そうしてどれだけの時間が経っていたか、少年には分からなかった。日の光すら差さないため時間の感覚がマヒしていたのだ。

 

「っ……」

 

 意を決してドアに近付く。やはりどれだけ近づいても人の気配は感じず、物音一つ聞こえなかった。

 

(……あれ?)

 

 ふと少年は気付いた。ドアに鍵がかかっていなかったのだ。今までにこんなことなどなかったし、そもそも記憶にある限りでは、この部屋に戻されたあとしっかりと鍵が掛けられた音も耳にしている。

 

 そっとドアに触れ、ゆっくりとそれを開ける。恐る恐る顔を出して、周囲を見渡すがやはり人の気配は感じない。

 

「…………」

 

 少年は息を殺して部屋を出ると、足音を立てないようにしながら階段を目指した。自分の部屋が地下にあることは知っている。だからまずは一階に行こうと思ったのだ。

 

 階段の下まで来ても一階からは物音一つしない。だが、異臭が漂っていることには気付いた。

 

(これって、血……?)

 

 祖父からの虐待で少年は血を流すことは珍しくなかったため、その異臭が血によるものだとすぐに気付いた。

 

 もしかしたら上で何かあったのかもしれない。それでも今は何も聞こえないため、きっともう全て終わっているはずだ。少年はそう言い聞かせて静かに階段を上っていく。

 

「ひっ……」

 

 その先で少年が見たものは、死体の山と床や壁に飛び散った大量の血痕だった。死体はどれも知らない人物だったが、彼らの着ている鎧にはどれも同じようなものであるため、きっと祖父が使っている兵だろうという推測はできた。

 

 不思議なのは、死体となっているのはそうした兵士だけで、彼らが戦った相手の死体は一切なかったことだ。その上、死体の中には胴を両断されているような、とても人間の仕業とは思えないものもあった。

 

 少年は足早にその場を後にすると、屋敷の中を当てもなくさまよった。いつの間にか太陽は昇りきっていたので、何かを探すのには苦労しない。

 

 しばらくして少年はある部屋の前まで来た。祖父の部屋だ。これまでにいくつかの部屋に入ったことはあったのだが、やはりこの部屋の扉の開けるのには勇気が必要だった。

 

 そして、扉を開けた先にあったのはやはり、祖父の死体だった。よほど恐ろしい目にあったのか、あるいは命乞いした上で殺されたかはわからないが、その恐怖で歪んでおり、とても自分を痛めつけて狂ったように笑っていた男と同一人物とは思えなかった。

 

「…………」

 

 しかし少年はそれを見ても、何の感情も湧かなかった。もう苦痛を受けることがなくなったという安堵も、抵抗する間もなく殺されたことへの嘲りも、そしてもちろん憐みや同情も一切感じない。

 

 残されたのはただ、虚無感だけだった。

 

 

 

「ああ、くそ……なんて夢だ……、いまさらあの時のことを思い出すことになるなんて……」

 

 聖王国との国境近くの都市、その場末にある宿屋の一室でギアンは目を覚ました。先ほどまでに夢に見ていたのは彼の子供の頃の記憶だったのだ。

 

 夢で見たあの日からもう何年になるだろうか。

 

 後になって分かったことだが、ギアンが閉じ込められていた屋敷を襲ったのは、当時から無色の派閥や紅き手袋を襲撃していた青いコートの男だという話だった。

 

 今でも彼の正体はもちろん、どういう理由であの屋敷を襲撃したのかも不明だった。いずれにせよ、あれがなければ祖父による虐待はもっと続いていたに違いない。その意味ではギアンの恩人と言っていいだろう。

 

 おかげでギアンはクラストフ家の跡取りとして、その全てを手に入れた。

 

 クラストフ家の全てを手に入れたギアンが最初にしたことは、自分の両親がどうなっているのかを調べることだった。祖父から聞かされていたのだが、やはり心のどこかでは、今でも自分のことを心配してくれているのではないかと期待していたのだ。

 

 そして実際に母はその通りだった。既に亡くなっていたが、死の間際までギアンのことを心配し、お守りまで作ってくれていたのだ。だが、父に関しては祖父の言葉通りだった。自分はおろか、母まで見捨ててメイトルパへ戻ったというのだ。

 

 それを知った時、何もなかったギアンの中に激しい憎しみが生まれた。自分があんなに苦しんでいた時も、母は死の淵にあるときは、父は故郷メイトルパで悠々と暮らしていたに違いない。それが許せなかった。

 

 それからだ。ギアンが手に入れたものを使って、父への復讐を果たそうとしたのは。そして都合のいい駒を集め、軍団を編成し、メイトルパへ渡るための「船」であるラウスブルグさえ手中に収めた。後は竜の子を手に入れれば復讐を果たせる。

 

 しかしその目論見はあっけなく崩れた。奇しくもギアンを救った男と同じ色のコートを着たバージルに。あるいは彼こそが、二十年以上前に派閥を襲撃していた男本人かもしれない。

 

「今に見てろ……僕は必ず竜の子を手に入れてやる……!」

 

 それでもギアンのミルリーフへの執着はますます激しくなるばかりだった。だが今のギアンからはラウスブルグを攻め落とした時のような冷徹さは感じられない。むしろどこか壊れているような、そんな危うさすら感じさせた。

 

 だが、それもそのはず、彼は竜の子をたった一人で手に入れようとしていた。前回はクラウレの裏切りという予想外の事態があったとはいえ、手持ちの戦力全てをつぎ込んでも竜の子を奪うことはできなかったにもかかわらずにだ。

 

 一応、ギアンには秘策があるようだが、それでも単独で挑むという暴挙は正常な思考を持っているのならまずやらないだろう。そういう意味でも彼は狂っているとしか言いようがなかった。

 

 そしてギアンは暗い笑みを浮かべながら部屋を出て行った。彼の切り札たる一つのサモナイト石をポケットにしまいながら。

 

 

 

 

 

 同じ頃、ラウスブルグでは最後の同行者であるハヤトとクラレットがようやく到着した。

 

「遅くなってしまい、申し訳ありません」

 

「随分かかったね。何かあったの?」

 

 頭を下げるクラレットにアティが尋ねた。アティが以前に手紙で聞いていた話では、それこそレナードが合流する前に到着していてもおかしくはなかったはずだが、現実にはレナードよりもずっと遅くの到着となったのだ。

 

「いや、予定通りに出発したんだけど、実は帝国にはいってすぐの町でお金に困ってるシルターンの人がいてさ。サイジェントに戻って仕事の紹介とかしていたんだよ」

 

 最近のサイジェントは数年前に大きな方針転換をした影響か、発展著しく色々なところで人を募集している。おまけに単純な作業が主の日雇いの仕事であればさほど素性を気にせず雇ってくれるのだ。

 

「本人は楽器の演奏で稼ぎたいようでしたけど……」

 

 クラレットが付け加えた。シルターンの楽器である三味線を使った演奏は確かに目を引くものがあるのだが、どうも気分が乗ってくると歌い出す癖がある上、想像を絶する音痴であるため、それだけで必要な稼ぎを得るのは難しいのが現状だった。

 

「なんだ、一度サイジェントに戻っただけだっただね」

 

 ホッとしたように息を吐いた。思ったより到着が遅くなっていたため、彼女は何かあったのではないかと心配していたようだ。

 

「……相変わらず甘いな」

 

 そんなアティとは対照的にバージルは呆れたように呟いた。彼にしてみれば見ず知らずの相手にそこまで世話を焼く必要などあるとは思えなかった。精々サイジェントの場所でも教えればそれで十分だろう。

 

「まあまあ、いいじゃないですか。これで後はネロ君達を呼びに行くだけですし」

 

 予定していたメンバーとはこれで合流したことになる。後はトレイユにいるネロ達が来れば全ての準備は完了するのである。

 

「ポムニットに言っておくべきだったか……」

 

 バージルは舌打ちした。ポムニットはちょうどついさっきトレイユにいるミントのもとへ行ったばかりだった。ハヤト達が来ることのがもう少し早かったなら、彼女にネロ達へ伝言を頼めたのだからタイミングが悪かったとしか言いようがない。

 

「……誰ですか、その方は?」

 

 聞き覚えのない名前にクラレットが尋ねた。

 

「バージルさんのお子さんです。……と言っても年は二人と同じくらいですけどね」

 

「え……?」

 

 アティの言葉にハヤトは思わず言葉に詰まった。自分と同じくらいの年の子供となれば、たぶんアティとの子ではないだろう。バージルの正確な年齢は分からないが、相当若い時の、下手をすれば十代の時にできた子供の可能性もある。

 

 見るからに堅物で融通が利かなそうなバージルがそんな年代で子供がいたとは、にわかには信じられなかった。

 

「お、お子さんですか……」

 

 彼女もハヤト同様に驚いているようだ。もっとも彼女の場合はバージルに子供がいたことよりも、アティが思いのほか落ち着いていることに目を見開いていた。

 

 クラレット自身にたとえれば、ハヤトに子供がいたようなものだ。正直、そうなったとしたら今のアティのように自然に振舞える自信はなかった。

 

「やつらが来ればすぐ出発する。至竜は準備して来たのだろうな」

 

「あ、ああ。どこに召喚すればいいか教えてくれればすぐにでも呼び出すよ。ゲルニカにも話はしてあるしな」

 

 いきなり話しかけられ頭を現実に戻されたハヤトは頷いた。

 

 どうやら先代の守護竜に代わりラウスブルグに魔力を供給する役割を担うのは、メイトルパのエルゴの守護者であり剣竜とも呼ばれるゲルニカのようだ。先代守護竜と比べても遜色ない力を持っており、ハヤトとも付き合いは長く親密な関係であるため、これ以上の適役はいないだろう。

 

「さすがに今すぐというのはハヤト君も大変でしょうから、今日は休んでもらって明日にしましょう? ポムニットちゃんも今日は泊まるって言ってましたし」

 

 すぐにゲルニカを召喚させても出発が早まるわけではない。だからアティは今日は長旅の疲れを癒すためにもゆっくりとしてもらおうと提案したのだ。

 

「構わん。……さっさと部屋に案内してやれ。」

 

 アティの提案だからか、バージルはあっさりと受け入れ、彼女に二人を部屋に案内するように言った。

 

「はい、それじゃ二人とも行こうか?」

 

 ハヤトとクラレットはアティの言葉に頷き、彼女について部屋から出て行った。

 

(これで城を動かすのに必要なものは全て揃った)

 

 二人が合流したことで城が「船」としての機能を取り戻すのに必要な「妖精」と「至竜」二つが揃った。それはつまり、ラウスブルグがリィンバウムを離れる時が確実に近づいていていることを意味していた。

 

 

 

 

 

 シルターン自治区からトレイユに戻って数日、ネロは一人でグラッドのもとを訪れていた。

 

「で、話って何だよ?」

 

 駐在所の椅子に腰掛けたネロは口を開いた。そもそも彼がここに来たのはグラッドに「話があるから駐在所まで来てくれ」と呼ばれたからだった。

 

「まあ、そう急かすなって」

 

 そう答えたグラッドは机の上から書類の束を取り出すとそれをネロへ渡してから正面に座った。

 

「そこに書いてある通り、ウルゴーラじゃ貴族が大勢殺されたことが分かって大混乱なんだ」

 

 ネロは渡された書類をぺらぺらとめくる。文字がびっしりと書かれていて、しっかり読もうという気は起きなかったようだ。それはグラッドも分かっていたことのようで、あまり真剣に見ていなくとも気にしていなかった。

 

「その中にかなりの大物も混じっていてな」

 

「大物?」

 

 よほどの重要人物だったのか、顔を顰めるグラッドにネロがオウム返しに尋ねた。

 

「摂政のアレッガ様、皇帝陛下に代わって実質的な政務を担っていた人だ」

 

 現皇帝マリアスはまだ幼い。それゆえアレッガが摂政として国を動かしていたのである。しかし、このアレッガという人物は決して清廉ではない。私利私欲を満たすことをよしとした強欲な人間だった。だがそれでも、無能というわけではない。税を上げたとしても現在の生活水準を維持できる程度に抑えるなど、決して民の我慢の限界を越えないように巧みに采配を取ってきたのである。

 

 そのように、まがりなりにも帝国を運営してきた摂政アレッガの死は新たな争いの引き金になりかねない事態なのだ。グラッドが暗い顔をしているのも、それが分かっているからだろう。

 

「そりゃ大変だな」

 

 まるで他人事のように言い放ったネロにグラッドは真面目な顔で口を開いた。

 

「……実はこの一件が明るみに出たのは、ちょうどお前達がシルターン自治区に行ってた時なんだ」

 

「おいおい、まさか俺がその摂政だかを殺したって言いたいのか?」

 

 ネロが肩を竦めながら訊く。その時に帝都にいたのは事実だが、少なくともネロは人を殺してはいない。それは紛れもない真実だった。

 

「いや、そうじゃない。……彼らは、悪魔に殺されたらしい」

 

「悪魔、ね……」

 

 グラッドが「悪魔」という言葉を使った時、彼の体が緊張しているのをネロは感じ取った。確か、グラッドは何年か前に悪魔と戦った経験があると言う話を聞いた記憶がある。きっと、その時のことを思い出したのだろう。

 

「お前は何か気付いたことはなかったか? 故郷じゃそういう悪魔を倒すのが仕事なんだろう?」

 

「……確かにあの帝都には悪魔がいたのは間違いない。俺もいくつか始末した。貴族の家があるあたりでも片付けたぞ」

 

 少し考えてからネロは答えた。自分が悪魔と戦ったことは、フェアとミルリーフがいた一緒にいたこととは異なり、特段隠す必要などないことだ。その上、ネロが悪魔を始末した場所は貴族の家々が立ち並ぶ住宅街であることから可能性は非常に高いだろう。

 

「……そうか」

 

 グラッドは難しい顔をしながら頷いた。どういう対応をとるべきか悩んでいるようだ。上層部へ正直に報告すれば、貴族が殺害されたと言う事情も鑑みれば、ネロが事情聴取を求められるのは間違いないだろう。そうなったらネロがはぐれ召喚獣であることも明らかになってしまう。それはグラッドにとって望む展開などではなかった。

 

 それに彼としても気になることがある。それは少し前、ネロ達がシルターン自治区へ行く前に、トレイユ近くまで来たアズリアとバージルが話していたことだ。

 

 その時の話では無色の派閥が使う術では悪魔を呼び出すことができないということだった。それに対して意見を求められたバージルは、悪魔を支配する存在を示唆し、それによって悪魔が呼び出されないようにしているのはないか、ということだった。

 

 しかし今回の一件を見る限り、彼の推測は外れていたように思える。あるいは別な方法によって召喚されたことも考えられるが。

 

 だが、この時グラッドは一つの可能性を見落としていた。いた、あるいは無意識的に考えないようにしていたのか。

 

 それは、バージルの示唆した存在が意図的に悪魔を送り込んだ可能性である。何を目的としているかは不明だが、もしそれが事実だった場合、一つだけ明らかなことがある。その存在は他のいずれかの世界ではなく、このリィンバウムに意識を向けているということだ。

 

「…………」

 

 グラッドがそんなように考え込んでいる間、ネロもまた押し黙っていた。彼もその悪魔に関わることで考えることがあったのである。

 

 それはあの貴族の屋敷で遭遇した黒髪の若い男のことだった。いまだ目的ははっきりしないが、グラッドの話を聞いてネロはある仮説が浮かんだのである。

 

(悪魔を使って暗殺ね……)

 

 呼び出した悪魔を使って貴族を殺す。これならたとえ悪魔の手によるものと分かっても、誰が呼び出しかまではわからない。暗殺の手段としては極めて有用だ。

 

(するとあれに書いてあったのは、標的の名前ってとこか……?)

 

 屋敷で手に入れた名前が羅列されているだけの本に書かれているのが、今回の被害者と合致すれば自分の仮説の裏付けになる重要な証拠となるだろう。そう感じたネロはグラッドから渡された書類を借りられるか尋ねてみることにした。

 

「なあ、ちょっとこれ借りていいか?」

 

「ん? ああ、いいぞ。読み終わったら戻してくれ」

 

 急に声をかけられたグラッドがネロに視線を向けてあっさりと了解した。もとよりこの書類はネロに見せていることから、機密性の高い文書ではないため、貸すことくらいなら問題はなかった。

 

「ああ、向こうに帰っちまう前には返すよ」

 

「……そうか。お前、もうすぐ帰るんだったな」

 

 それを聞いた時、グラッドは一つの案を思いついた。上層部にはネロが帰ってから報告すればいいのだ。既にこの世界にいないのだから彼が呼び出されることもない。

 

「それがいつになるかは分からねぇがな」

 

 借りるものも借りたし、そろそろ忘れじの面影亭に戻ろうと立ち上がりながら言った。

 

 あれからバージル達からの接触はない。ネロとしてもそろそろ今後の見通しが気になってきているようだ。

 

「帰る時は前もって言えよ。見送りくらいするからさ」

 

 それほど長い付き合いではないが、グラッドにとってネロは苦楽を共にした仲間には違いなかった。その仲間が生まれ故郷に帰るとなれば、見送りくらいしてやりたかったのだ。

 

「分かってる、ちゃんと言うって」

 

 ネロも世話になった相手に黙ったまま去るほど礼儀知らずではないのだ。

 

 そしてネロは「それじゃ借りてくな」と言って駐在所を後にした。

 

 

 

 

 

 駐在所から出たネロは中央通りを真っすぐ歩いて、ため池の方に向かっていた。

 

「あれ? ネロ君?」

 

 後ろから名前を呼ばれたネロは振り返り、その姿を認める口を開いた。

 

「……ああ、あんたか」

 

「こんなところで何してるの?」

 

 声をかけてきたのはポムニットだった。どうやらミントのところに遊びに来たらしい。

 

「帰るんだよ。さっきまで呼び出されてたからな」

 

「それなら一緒に行かない? せっかくだから色々話したいの」

 

 これまでネロと顔を合わせる機会はあったが、それほど話したりはしなかったのだ。いずれ彼がラウスブルグに来る時に話す機会は作れるだろうが、今日ここで会ったのも何かの縁だ。この機会に話をしてみるのも悪くない。

 

「……別にいいけどよ」

 

 ネロとしては急ぎの用事もなかったし、バージル絡みのことでポムニットの話に興味があったのも事実だったため、彼女の提案に乗ることにした。

 

「それじゃ、早速行きましょう!」

 

 ポムニットはネロを引っ張るようにして歩き出す。そのまま歩いていると、彼女はなにかを思い出したようにネロに向かって口を開いた。

 

「そういえば、呼び出されたって言ってたけど、誰に呼ばれたの?」

 

「グラッドの奴だよ。あんたも覚えてるだろ、この町にいる軍人だ」

 

 その答えを聞いたポムニットはいじわるそうな笑みを浮かべたネロの顔を覗き込んだ。

 

「もしかして何か悪いことでも?」

 

「なら俺はここにいねぇよ。悪魔絡みのことで少し聞かれただけだ」

 

 ネロの至極真面目な回答にポムニットは怪訝な顔を浮かべた。

 

「悪魔って、何かあったの?」

 

「少し前に帝都の方に行った時にちょっとな」

 

 さすがに詳しく話すと長くなるため言葉を濁したが、帝都で悪魔とあったという意味は十分に伝わったようだ。

 

「そうなんだ。最近は少なくなってきたんだけどなぁ……」

 

「……前はどうだったんだ?」

 

 ネロがリィンバウムに召喚される以前は、悪魔の出現頻度も被害もずっと多かったという話は何人かから聞いていたが、もしかしたら帝都で遭遇した男の手がかりになるかもしれないと思い尋ねてみることにした。

 

「この町はほとんど悪魔が出なかったらしいけど、ゼラムみたいに人が多いところは出やすかったみたいです。それに私の住んでる島は魔力が濃いから悪魔が出やすいみたいで、よく現れてたの。すぐ倒されちゃってましたたけど」

 

「そりゃそうだろうな」

 

 ポムニットが一緒に住んでたのは、大抵の悪魔を一蹴できるネロでも勝てなかったバージルだ。大悪魔であろうと相手にならないということは、剣を交えたネロにはよくわかっていた。

 

「でも最近はそんな風に現れることはめったになくなって、代わりに人に化けるような悪魔が多いって、バージルさんは言ってました」

 

「なるほどね」

 

 その話はネロがシルターン自治区やウルゴーラで始末した悪魔と同じであり、そこだけ見れば現在の悪魔の傾向と合致するのだが、それでもやはり、悪魔と繋がりが見える黒髪の男が気がかりだった。

 

「私の知ってることはこれくらいです。もっと詳しく聞きたいなら、バージルさんに聞いたほうがいいと思います。話は通しますから」

 

 バージルに直接頼み事ができるのはアティとポムニットを除けば、それなりの付き合いのある者に限られる。それ以外の者に関してはアティかポムニットを通じて話をつけることがほとんどだったのだ。

 

 ポムニットもそのあたりは分かっており、さらにはせっかく親子なのだからこれをきっかけに少しは仲良くなってほしい、とい勝手な願いもあったため、そう提案したのである。

 

「ああ、わかった」

 

 ネロとしても一度は、この世界の悪魔について詳しいバージルの話を聞く必要があると思っていたのだ。仲介してくれるならありがたく受けるつもりでいた。

 

 ちょうど話がまとまったところでミントの家についた。ポムニットが慣れたように野菜畑の方まで行ってミントを呼ぶのをネロは遠くから眺めていた。

 

「ネロ君、こっちだよ!」

 

 ミントがポムニット一緒に歩きながら手招きした。家の中でお茶でも飲みながら話そうというのだろう。

 

 ネロは大人しくそれに従って家の方に歩くが、内心では呼ばれ方に不満を持っていた。

 

(ガキじゃあるまいし、君は付けるなよ……)

 

 ポムニットもそうだが、ミントも君を付けてネロを呼ぶ。正直なところ二十代も半ばになって、同年代の女性から君付けで呼ばれるなど御免被りたかったのだ。一応ミントには会ったばかりの頃に今思っていることと似たようなことを言ったのだが、いまだに改善する兆しが見えないため、ネロは半ば諦めていたのだ。

 

「ん……、なんだこれ?」

 

 不意にネロの目に黒い粒が映る。まるで雪のような黒い粒が空から降り注いでいたのだ。

 

「うぅ……」

 

 不意に呻き声が聞こえたため視線を戻すと、ミントが膝をついて具合の悪そうに息を荒げており、ポムニットが焦ったように彼女を介抱していた。

 

「おい……、まさか、こいつが……?」

 

 この黒い雪が降り注いですぐにミントの体調が悪くなったのだ。ネロがそれを原因と考えるのも当然と言える。

 

 今確実に、トレイユで何かが起きていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




今回から本編再開です。今年中に4編は終わるのだろうか。

さて、次回は11月11日(日)に投稿予定です。

ご意見ご感想評価等お待ちしてます。

ありがとうございました。


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第94話 妄執の黒い雪

 トレイユに黒い雪のようなものが降っている中、ポムニットは見るからに具合の悪そうにしているミントを家の中に運び込み、寝台に寝かしつけた。

 

「なんでこんな……」

 

 急激に具合の悪くなったミントを支えながらポムニットが呟く。原因がいまだ降り続いているあの黒い雪だということは想像がつくが、その正体がわからなかった。

 

(まさか、悪魔……?)

 

「悪魔じゃねぇな。何なんだありゃあ」

 

 これまで多くの生き物の奪ってきた悪魔こそ、その正体ではないかと考え付いた。しかしその考えは、窓から外を見ていたネロによってすぐさま否定された。

 

 悪魔の腕(デビルブリンガー)を持つネロが、悪魔を見誤ることなどありえない。少なくとも黒い雪のようなものは悪魔以外のなにかであることは疑いようがない。

 

「ホントになんだろう、あれ? こんなの見たことないよ……」

 

 ネロの隣まで来て、彼と同じ光景を見たポムニットが呟いた。アティやヤードのもとで十分な教育を受け、バージルと共にそこらの冒険者よりもずっと世界各地を見てきた彼女でも、こんなことは見たことも聞いたこともなかった。

 

「あ、あれは……」

 

 ミントが何かを言おうと声を上げて起き上がろうとするが、思うように体に力が入らないのか、中々体を起こすことはできないようだ。

 

「無理するな。寝てろ」

 

 ネロは起き上がるのを止めようとしたが、ミントは「少しは良くなったから」と体を起こすのを止めなかった。さすがに力づくで寝かしつけるわけにはいかず、仕方なくネロは彼女の肩を支えて起こしてやった。

 

「うん、やっぱり少しは良くなってるよ」

 

「いや、そうかも知れねぇけどよ……」

 

 ミントの頷きにネロは言葉を濁した。確かに彼女は支えがあれば意外とすぐに体を起こすことができたのだ。黒い雪には僅かな時間しか当たっていないため、それが短時間で体調が良くなったのかもしれないとネロは推測するが、それでも原因がわからない以上、無理をさせるのには抵抗感があった。

 

「それにこの黒い雪みたいのには心当たりがあるの。だから調べさせて」

 

 これは絶対に譲れないという強い意志が込められた言葉に、折れたのはポムニットだった。

 

「……分かった。でも、無理だと思ったら無理矢理でもやめさせるからね」

 

 その言葉にミントが微笑んで頷いたのを確認したポムニットはミントに肩を貸すようにして、ベッドから立たせた。

 

「ネロ君も肩貸してあげて」

 

「ああ、わかった」

 

 ネロはミントが調べ物をするのには賛成しかねる立場だが、二人の意見が合致したのであれば反対する意味はないと悟ったようで、彼女に負担をかけない方向に舵を切ったようだった。

 

 そしてネロとポムニットに肩を借りたミントは書斎に行き、一冊の本を探し出してページをめくった。

 

「これ……、たぶんこれだよ。黒い雪の正体は!」

 

 その正体が記されているページを開いたまま、ミントは本をテーブルに置いた。

 

「マナ枯らし……?」

 

 本を見て呟いたポムニットの言葉にミントは頷いた。

 

「幻獣界のとっても性質の悪い病気で、あの黒い雪のようなものは、病原体の特殊なカビなの」

 

「幻獣界のものってことは誰かが召喚したってことか」

 

 リィンバウムには存在しなかった病原体が、いきなりトレイユに現れるなど考えられない。誰かが召喚術を用いて呼び出したに違いなかった。

 

「そうだと思う。でも早くなんとかしないと……」

 

「そんなにヤバいのか? あんたもすぐ良くなったし、たいしたことないんじゃないのか」

 

 ミントもすぐ回復したため、それほど言うほど厄介ではないと感じていたネロが尋ると、ミントは首を横に振った。

 

「この病に罹ると体内のマナが吸い尽くされて、最後には死んでしまう……。実際、幻獣界に住んでいた言われる人間もこれで絶滅したと言われているの、ただ、亜人や他の生物は罹らないらしいけど……」

 

「……でも、どうして良くなったんでしょう? 読む限りでは自然に治ることなんてないと思うんですけど……」

 

 ずっとマナ枯らしの項目を呼んでいたポムニットが疑問を呈した。親友が快方に向かっていることは喜ばしいが、本に書いていないことであるため、一抹の不安を覚えたようだった。

 

「うーん、どうしてだろう……? 特別なことはなにもしてないし……」

 

 確かにポムニットの言うことはもっともだった。治るようなことは何一つしていないにもかかわらず、回復するなどありえないことであり、ミントも首を捻るしかなかった。

 

「むぅ……、あっ、もしかしてネロ君のおかげだったり?」

 

「そんなわけあるか。俺も何もしてねぇよ」

 

 思いついたように言ったポムニットの意見をネロは呆れたように一蹴した。そもそもマナ枯らしという病気自体、初めて聞くものなのだからネロにどうこうできるものでもないだろう。

 

「……もしかしたらそうかもしれない」

 

 少し考えるようにしたミントが小さな声で続けた。

 

「病とはいえ病原体はカビの一種、生物としては比較的弱いから、ネロ君の魔力に耐えられなかったのかも」

 

「はぁ?」

 

 突拍子もないミントの意見にネロは思わず聞き返した。

 

 魔力と一口に言っても、悪魔の魔力はこの世界や人間界の魔力とは異なっている。そのため人間界やリィンバウムに住む者が悪魔の魔力を、自分の世界の魔力と同じように扱うことは、回路に規格外の電圧を流すようなもので大きな危険を伴う行為なのである。

 

 だからマナ枯らしの病原体が、ネロが無意識に放つ悪魔の魔力を吸い取っていたのだとしたら、それに耐えきれず死滅したとしても不思議ではない。人間くらいの大きさの生物であれば、多少なら悪魔の魔力を取り込んでも影響はないが、肉眼では見ることすら難しいカビならごく僅かの量でも致死量になりかねないのだ。

 

「確かにバージルさんの魔力も普通の人とは違うような感じですし、案外当たっているのかもしれません」

 

 ポムニットが顎に手を当てながら言った。彼女は魔力の扱いはたいしてできないが、さすがに二十年近く一緒にいれば違いくらいはわかるようだ。

 

 それを聞いでもネロは自分にそんな力があるとは思えなかった。それに二人の推測が事実だとしても外の黒い雪が止むわけではない。そう考えたネロは、大きく話を変えることにした。

 

「別になんでもいいけどよ、これからどうするんだ? これを召喚した奴でもぶっ飛ばすのか?」

 

「ううん、それだけじゃダメ。いくら召喚した人を倒してもマナ枯らしは消えないよ。だからその人に送還させるか、マナ枯らし自体をなんとかしないといけないの」

 

「……少なくとも大人しく戻すのには期待できねぇな」

 

 舌打ちしながら呟いた。召喚者がはいそうですかと素直に送還するのであれば、最初からこんなことはしていないだろう。召喚獣を元の世界に戻せるのはそれを呼び出した者だけ。これは召喚術の基本中の基本だが、それが今大きな障害となっているのである。

 

 したがって実質的にネロ達が選べる手段は一つ。召喚を止めた上で、マナ枯らしをなんとかするのである。

 

(カビが魔力を吸い取ることが原因なら殺しちまうのが手っ取り早いが……)

 

 マナ枯らしの原因は病原体である特殊なカビがマナを吸い上げること、つまりはカビの活動が原因である。だからウイルスや細菌と同じように殺菌するというのはすぐに思いついた。だが、そのための方法が限られているのだ。

 

 薬品を使うにしてもどんなものがマナ枯らしに対して効果があるのかはわからないし、それを集めるのにも時間がかかる。高温による殺菌なら効果が見込めるだろうが、まさかそれを発症した人間にするわけにはいかない。

 

 ネロが求めるのは罹患した者も治せるような方法であるため、殺菌という手段は使えないのだ。

 

「フェアちゃん達は大丈夫かな……、町の人達も……」

 

 窓に視線を移したミントの呟きに、ネロも同じように窓の外を見た。ミントの説明では、これに罹るのは人間だけという話だったので、ミルリーフや御使い達は無事だろうが、フェアやリシェルにルシアン、それについさっきまで話していたグラッドはもう発症しているかもしれない。

 

「少し様子を見て来る」

 

 マナ枯らしは人間だけが罹る病気だ。だから悪魔の血を引いているネロが発症することはない。これまで悪魔の血を引いていることをありがたいと思ったことはないが、この時ばかりは感謝してもいいかもしれない。

 

「わ、私も……」

 

「だ、だめですよ、ちゃんと寝てなくちゃ!」

 

 ネロについて行こうとしたミントをポムニットが慌てて止める。せっかく良くなってきたのに、病原体が降っている外を歩くなんてもってのほかだ。

 

「お願い、私も行かせて! 御使いのみんながいるフェアちゃんのところなら、何とかできる方法が見つかるかもれない。私もお手伝いしたいの!」

 

「ミントさん……でも……」

 

「このままここにいて助かっても、誰かが犠牲になったんじゃ嬉しくないよ。私はみんなが助かる方法を探したいの!」

 

「……わかりました。でも無理は絶対にダメですからね」

 

 ミントの決心を聞いてポムニットは折れた。これ以上何を言っても今の彼女は梃子でも動かないと悟ったのだ。

 

 そして彼女に肩を貸すと玄関まで連れて行った。扉を開けるとやはり外にはまだ黒い雪が降っている。状況は先ほどから全く変わっていない。むしろ時間が経つほど多くの人が衰弱していくため、悪化していると言っていいだろう。

 

「おい、どうした?」

 

 ずっと外を見ていたままのポムニットに声をかける。ミントも肩を貸してくれている親友に怪訝な顔を浮かべた。

 

「……私、バージルさんに相談してみます」

 

 無茶をする親友を傍で支えてやりたい、その気持ちはなんら変わりないがそれが事態の解決に繋がる最善の手段とは言えない。ミントも解決のために己ができる最大限のことをしているのだ。自分もできることをしなければならない、そう考えた末の決断だった。

 

「だからネロ君、代わってもらってもいい?」

 

「ああ。俺も戻ろうと思っていたからな」

 

 どうせ向かう先は同じなのだ。ミント一人支えて行くくらいたいしたことではない。むしろ脇にでも抱えて運んだ方が手っ取り早いかもしれない。

 

「ごめんね」

 

 そう思いつつポムニットと入れ替わると、ミントが結果的に迷惑をかけることになったネロに謝罪しつつ体を預けた。そんな二人を見たポムニットは若干憮然とした表情になったかと思うと、ネロをじっとりした目で見ながら口を開いた。

 

「……ネロ君、役得とか思ってない?」

 

 肩を貸すともなれば相当密着するのが当然。そのため、ネロの胸のあたりにはミントの豊満な胸が当たっていたのだ。

 

 ただ、それにはネロも気付いていたが、その程度のことで下心を出すほど子供ではないし、故郷には恋人もいる。そこまで困っているわけではないのだ。それに体調の悪いミントに気を遣わせるのも憚られる。だからネロは話を逸らすことにした。

 

「思ってねぇよ。……そもそもあんた、このまま別行動して大丈夫なのか? あんたも人間だろう?」

 

「あ……、それは……」

 

 マナ枯らしという病の発症率がどの程度かは知らないが、少なくとも人間が何の防備もなしに病原体の中を歩くのは、危険極まりない行為のはずだ。そう思ってのネロの言葉だったが、ミントは困ったような顔をしてポムニットを見た。

 

「ネロ君には隠してもしょうがないですからね」

 

 ポムニットは苦笑しながら頭のカチューシャを取った。そこにあったのは黒くねじ曲がった悪魔のような二本の短い角だった。

 

「私は悪魔の血を引いているから大丈夫です、この病気には罹りません」

 

 微笑みながら言う。彼女がネロに出自のことを伝えたのは、ここで隠す意味がなかったからだ。なにしろネロはじきにラウスブルグに来て、人間界に行くまでの期間を共に過ごすことになる。バージルもアティもいる状況でわざわざ隠しておく意味はないし、おまけにネロ自身も悪魔の血を引いている。そもそも隠す理由などないのが実情なのだ。

 

 ネロはそんなポムニットの告白を聞いても驚いてはいなかった。むしろ納得した部分の方が大きいかもしれない。少し前のセクターとのいざこざに割り込んできた彼女が人間離れした力を発揮した理由がようやくわかったのだ。

 

「悪魔? ……ああ、こっちには別な悪魔もいるんだっけか」

 

 ただ、ネロは「悪魔」と聞いて一瞬、魔界の悪魔を思い浮かべ、右腕が反応しないことに訝しんだが、すぐにポムニットの言う「悪魔」がサプレスの悪魔であることに思い至った。

 

「うん。色々あって、バージルさんに拾われたんです」

 

 彼女の「色々」という言葉の中にネロは悲しみの色を見つけた。何気なく放った言葉だったが、失言だったようだ。

 

「あー、その、悪かったな」

 

 うまく取り繕う言葉が見つからなかったネロは、顔を顰めて頭を掻いた。

 

 それを聞いたポムニットはキョトンとした表情を浮かべると、クスと笑って口を開いた。

 

「ううん、気にしないで。……さあ、話はこの辺にして早く行かないと。私もできるだけ早く戻って来ますから」

 

「……ああ」

 

「気を付けてね」

 

 思いがけず話し込んでしまったが、今はそれぞれすべきことがある。それを思い出したネロは頷き、ミントと共に忘れじの面影亭へと歩いて行き、ポムニットはトレイユから出るために二人とは逆の方へ走り出した。

 

 

 

 

 

 ネロとミントはゆっくりとした足取りで忘れじの面影亭に歩いてきたため相応の時間がかかり、その分ミントも長時間病原体に晒されることになったが、具合はそれほど悪くないようだった。

 

「ここまで来るのに結構かかったけど最初の時よりも全然楽だよ。やっぱりネロ君のおかげかな?」

 

「それならいいんだけどな」

 

 ようやく着いた忘れじの面影亭はやはり客はいないようだが、食堂には何人かの人影が見える。恐らく話し合いの最中だろう。

 

「二人とも無事だったか!」

 

 ネロとミントの姿に気付いたクラウレが声をかけてきた。ネロはそれに手を振って答えると、ミントと共に食堂に入った。

 

 そこにいたのは御使い達四人とセクターの五人。フェアとミルリーフの姿はなかった。

 

「フェアとミルリーフはどうした?」

 

「心配しなくていい、無事だ。今は他の者の様子を見に行ってる」

 

 食堂を見回しながら言ったネロに、アロエリが安心しろとばかりに答えた。

 

「他にも誰か来てるの?」

 

「ええ、いつもの三人が。……今のところは何とか落ち着いているようですけど」

 

 ミントの疑問にリビエルが答えた。彼女が言う三人とはこの場にいないリシェル、ルシアン、グラッドの三人と言うことは確かめずとも分かった。

 

 ただリビエルは、三人の容体は落ち着いていると言っているが、治る見込みがない以上、それは緩慢な死への道を歩いているに過ぎなかった。

 

「……そういやあんたは大丈夫なんだな」

 

「もしかたら、この体のおかげなのかもしれないね。……決して喜ばしいことではないが、生徒を助けることができたことだけは感謝するべきか……」

 

 ネロから尋ねられたセクターは自嘲気味に答えた。その言葉を聞く限り、どうやらリシェルとルシアンをここまで連れてきたのは彼のようだ。しかしそれでも、改造された体に対しては複雑な思いがあるのだろう。

 

「あの、みんなはどこまでこの病気のことを……?」

 

 そこへミントが声を上げた。彼らがどこまで知っているかによって、先ほど調べたことを説明しなければ、と思っていたようだ。

 

 しかしクラウレは首を横に振って、少し言い辛そうにしながらも告げた。

 

「一応、ある程度は聞いている。ギアン様から……」

 

「は? あの野郎が関わってんのか?」

 

 思わず聞き返した。ネロもギアンが召喚師だということは知っている。そのため、彼が今なお降り続く病原体を召喚したとしても不思議ではない。

 

「詳しくは御子さまと店主殿が戻ってきたら話す。それまで待ってはくれんか?」

 

「……そうだな、その方がいい」

 

 大きく息を吐いた同意する。ギアンが関わっているなら自ずとその狙いも分かった。もしネロの想像の通りだとしたら、確かにセイロンの言う通り二人が戻ってきたら話すのが筋だろう。

 

 ネロがそう答えた時、廊下から足音が聞こえてきた。どうやら待つ時間はほとんどなかったようだ。

 

 

 

「結論から話そう。……ギアン様は御子さまと引き換えに『マナ枯らし』を送還してもいい、そう言っていた」

 

 フェアとミルリーフが戻ってきて、すぐにクラウレからの状況説明が始まった。

 

 彼は妹のアロエリはマナ枯らしによる被害が発生してすぐ、周辺の状況を確認するためトレイユ周辺を偵察していた。そしてトレイユから見て北北東の方角にある淀んだ泉でギアンを見つけたのである。

 

 二人はそこに降りてギアンと話をした。そしてその際に、彼が召喚したマナ枯らしの能力と、それを送還するための条件を突き付けられたのである。

 

「なんで? なんでそんなことするの……?」

 

 ミルリーフが悲痛な声を上げる。彼女は先ほどマナ枯らしによって苦しむリシェル達の姿を目の当たりにしてきたのだ。そこまでしてする価値が自分にあるとはどうしても思えなかったのだ。

 

「確かにそのことは我も疑問に思っていた。仮に御子さまを手に入れたとしても城は今……」

 

 全て言わずともセイロンの言いたいことは伝わった。ミルリーフを手に入れたとしても、ラウスブルグ押さえているのはネロを一蹴するバージルだ。仮に至竜の力を利用できたとしても勝てるとは思えなかった。

 

「ギアン様からは狂気の色が見えた。もはや……」

 

「ああ、兄者の言う通りだ。あれは妄執に取り憑かれている」

 

 ギアンは表面上こそは平静を装っているが、ほとんど面識のないアロエリにも見抜かれるほど狂気に満ちていた。正常な判断は期待するだけ無駄だろう。

 

「まるで少し前の私をようだな。……きっと彼は条件を呑まなければ絶対に召喚術を解こうとはしないはずだ」

 

 セクターも以前は憎しみに囚われていた。そのため、そうした狂った執念がいかに厄介であるか身を持って知っているのである。

 

「元からそんなの期待しちゃいねぇよ」

 

「しかし、御子さまを引き渡すなど断じて認められぬ」

 

 ネロの言葉にセイロンが宣言するように言い放った。御使いの立場からすれば、ギアンの要求など呑めるはずがないのは当然だった。

 

「でも、召喚術を止められるのは召喚した者だけ。たとえ殺したってマナ枯らしは止められないよ」

 

「そのマナ枯らしを何とかするのは難しいんだよな?」

 

 マナ枯らし自体を何とかする方法はネロも考えたが、何も思いつかなったのだ。だが、召喚師である彼女なら何かの手段を知っているのではないか思い、尋ねてみることにした。

 

 しかし、それに答えたのはミントではなくリビエルだった。

 

「天使やその系譜に連なる者ならできるかもしれないですけれど……」

 

 そこまで言ってリビエルは口ごもった。天使の系譜に連なる者とは、天使の祝福によって変化した者のことであり、彼らは天使と同じように「奇跡」を使える。そうした奇跡であればマナ枯らしを浄化することも不可能ではないのだ。

 

 だが、そうした奇跡をリビエルは使うことはできなかった。

 

「ごめんなさい。私にもう少し力があれば……」

 

 申し訳なさそうに俯いた。マナ枯らしを浄化できるほどの奇跡を、天使としてはまだ年若いリビエルが使うことはできなかった。それは妖精や聖獣でも同じだ。十分に熟達した存在でなければ浄化できるほどの奇跡を使うことなどできないのである。

 

 もっとも、仮にそんな存在がいたとしても浄化できるのは精々トレイユなど一つ都市が限界だろう。もしマナ枯らしが帝国全土、ひいてはリィンバウム全体にまで蔓延した時は、もはや一個の存在にはどうしようもなくなるのである。

 

「やっぱり、何とかするにはギアンに解かせるしかないってことだね」

 

 リビエル言うような存在を召喚できる者がいれば話は別だが、自分はもとよりミントでもできないだろう。他の場所から召喚師を探してくるのも現実的でない。

 

 やはりギアンが自ら送還するようにするしかないとフェアも考えているようだが、そのための方法はないも思いつかなかった。

 

「……少し時間を置こうか? このまま考えていてもいい案は出ないと思うよ」

 

 そこへセクターが提案した。時間に余裕があるとは言えないが、彼なりに休憩が必要だと考えたようだ。

 

「それがいい。我らも今一度考えてみよう」

 

「わかった」

 

 セイロンと同様にフェアもセクターの提案を受け入れ、この場は一時解散とすることにした。

 

 御使い達は先のセイロンの言葉通りもう一度他の方法について考えるため、ミルリーフを連れて食堂を後にした。どこか適当な部屋で五人だけで話し合うつもりなのだろう。

 

 彼らを見送ったフェアは先ほどよりも具合の悪そうに見えるミントに駆け寄る。

 

「お姉ちゃんは寝てなくて大丈夫なの? 具合悪そうだよ?」

 

「……そうだね。フェアちゃん、ちょっとベッド借りていい?」

 

 実のところ、ミントはだいぶ辛かった。しかし自分の我儘でここまで来た以上、そう簡単には言い出せなかったようだ。

 

「無理すんな。運んでやるから大人しくしてろ」

 

 それでもようやく素直に答えたミントをネロは抱き上げた。彼女が立つのも辛そうにしていることに気付いたため、ベッドまで連れて行ってやるつもりだったのだ。

 

 それに、ミントが言ったように自分の魔力にマナ枯らしを殺せる力があるのなら、少しでも楽にしてやりたいという思いもあったからわざわざ抱き上げてまで運ぶことにしたのである。

 

(いつの間にこんなに冷たくなったんだ……)

 

 ミントを抱えたネロは彼女の体が氷のように冷え切っていることに気付いた。先ほど忘れじの面影亭に連れてきた時はここまで冷たくなかったはずだ。それから僅かの間にここまで悪化するとは、マナ枯らしは想像以上に危険な病だとネロはあらためて実感した。

 

「フェア、悪いが空いてる部屋に案内してくれ」

 

「うん!」

 

 

 

 そしてネロはフェアに案内された部屋のベッドにミントを寝かせた。どうやら彼女は運んでいる間に意識を失ったようで、今は苦し気な表情を浮かべながら眠っていた。

 

「私、他に掛けるものないか探してくる……!」

 

 フェアはいてもたってもいられず、体を温めるための掛け布団がないか探しに出て行ったが、ネロは眉間にしわを寄せながらミントの状態を見ていた。

 

(……もう時間がないな)

 

 素人目ではあるが、あそこまで体温が下がって長く生きていられるとはネロには思えなかった。もはや一刻の猶予もない。速やかにギアンにこの召喚術を解除させる必要がある。

 

 そう思ったネロは息を吐いて踵を返し、部屋から出て行った。

 

 そして食堂まで行って、さらに玄関から外に出ようとした時、背後から声をかけられた。セクターの声だった。

 

「一人で行くつもりなのか?」

 

 彼はネロがこれからギアンのところへ行こうとしていることに気付いていた。もっとも、この状況下で目つきを変えたネロが向かうとすれば、そこくらいしかなかったのだが。

 

「ああ、そのつもりだ。もう悠長に待ってられないんだよ」

 

「いくら君が強くとも、彼の召喚術を止める方法がない以上、行っても無駄だよ。今はその方法をみんなで考えよう」

 

 セクターは落ち着いた声で再考を促すが、ネロは振り向きもせずに口を開いた。

 

「手がないわけじゃねぇ。好きじゃねぇ方法だが、あいつらをこのまま死なせるわけにはいかねぇんだよ」

 

 ネロの言葉はハッタリではなかった。思いついたのはついさっきだが、恐らくギアンにも有効な手段だと考えていた。ただしその手法はネロからすれば好まない、むしろ嫌う方法だったのだが、今優先すべきはミント達の命だ。個人の好き嫌いを優先するわけにはいかない。

 

「……そうか。なら止めはしない。行くといい」

 

 ネロの言葉を聞いて、その後ろ姿から何かを感じ取ったらしいセクターはそれ以上引き留めることはしなかった。

 

 そしてネロは一度も振り返らずに忘れじの面影亭から出ると、ギアンがいるという忘月の泉を目指した。

 

 

 

 

 

 忘月の泉。かつては木々に囲まれた心落ち着ける場所で、トレイユの水源の一つだったが、帝国貴族の別荘の建設予定地となり周囲の木を切り倒したせいか、水面に月を映すこともできない程に淀み濁ってしまったのだ。そのため、町の人々にはどぶ池と呼ばれている有様だ。

 

 しかし地理的には忘れじの面影亭からも近いため、なぜかフェアもたまに来ている場所でもあった。

 

 当然この泉にもマナ枯らしは降り注いでいるが、幽角獣の血を引くギアンは平気なようで視線を正面から向かってくるネロに向けていた。

 

 彼はリィンバウムではいつも身に付けていた右手の手袋を外しており悪魔の腕(デビルブリンガー)が露になっていた。さらに背中にはレッドクイーンも背負っている。どう見ても戦闘の準備を整えてきたようにしか見えない。

 

 そしてネロがある程度近づいた頃合いを見計らってギアンは声をかけた。

 

「君一人で一体なにを――」

 

 しかしギアンは言葉の全てを口にすることはできなかった。口を開いている最中に一跳びで接近したネロが殴りつけたからである。

 

 濁った泉の中に叩き込まれたギアンは、立ち上がると声を荒げた。

 

「君は自分が何をしているのか――」

 

 もしかしたらネロは召喚師を倒せば召喚獣も送還されるという都合のいい考えを持っているのかもしれない。そう思ったギアンは現実を教えてやろうとしたのだが、ネロは悪魔の腕(デビルブリンガー)を伸ばして力づくでギアンを泉から引き上げると、今度は手近な木に向かって彼を叩きつけた。

 

「がッ……!」

 

 ギアンは短い叫びを上げてうつ伏せに倒れる。ぶつかった木の方もどうやら枯れていたらしく、激突の衝撃であっけなく折れてしまった。

 

「口を開く暇があるならさっさとあれを解け」

 

 木にぶつかったせいか肩で息をするギアンに向かって、ネロは恐ろしいほどの声で命令した。それにはまさしくバージルの血を引いていると、誰もが納得するほどの冷たさがあった。

 

「誰が、そんなこと……!」

 

 まだ四つん這いで立ち上がる力も顔を上げる力も戻っていないギアンだったが、それでもやられっぱなしでいるわけにはいかないため、懐からサモナイト石を取り出した。

 

 しかしネロは召喚術を使わせる気など全くなかった。再び悪魔の腕(デビルブリンガー)を伸ばしてギアンを引き寄せたかと思うと、目の前の地面に叩きつけた。

 

 それでもギアンはサモナイト石を手放さなかった。召喚師の命とも言えるサモナイト石を失わなかったことは称賛できるが、この場合においては手放した方がよかっただろう。何しろネロはギアンの右手ごとサモナイト石を踏み砕いたのだ。

 

「っ!」

 

 頭が真っ白になるような激痛がギアンに走るが、叫び声を上げることができなかった。地面に叩きつけられた衝撃でまともに呼吸すらできなかったのである。しかしそれでも、ギアンはネロを睨み付けた。どうやらここまで痛い目を見てもまだマナ枯らしを送還する気にはなれないようだった。

 

「仕方ねぇな……」

 

 そんなギアンを見てネロは小さく呟いた。その数瞬後、睨み付けていたギアンに凄まじい悪寒が走った。それは目の前の、自分を痛めつけた男から感じ取ったものだった。

 

 だが、ネロ自身にはさほど大きな変化は見られない。せいぜい両目が赤い光を放っているくらいだった。それでもギアンには先ほどまでのネロとは全く違う怪物のように思え、傷む体を必死に動かして少しでも距離を取ろうとした。

 

「…………」

 

 ネロは無言のまま背中のレッドクイーンを抜き放ち、左手に持つとゆっくりとギアンのもとへ歩いていく。

 

「ダメっ! ネロ!」

 

 しかし三歩ほど足を進めたところで、背後から切羽詰まったような声をかけられた。それとほぼ同時にネロの歩みを押しとどめようしたのか、腰のあたりに抱き着かれた。

 

「離せ」

 

 ネロはその言葉を発したフェアに冷たく言い放ち、彼女の腕を振り払った。彼女がこの場に来ることは予想外の事態だったが、それでもネロがするべきことは変わらないのである。

 

「あ……」

 

 振り返るどころか視線の一つも向けられなかったフェアは声を漏らした。

 

 このままではネロは取り返しのつかないことをしかねないのではないか。先ほどミントを部屋に運んだネロの顔を見た時、彼女にはそんな予感めいた思いがあったのである。だからネロが出て行ったと聞いて、すぐに追いかけてきたのだ。

 

 だが、自分の言葉はネロには届かなかった。力づくで止められる相手ではないし、もはや見ていることしかできないのだろうか。

 

「く、来るな……」

 

 追い詰められたギアンは恐怖に顔を引きつらせながらすぐ近くまで迫ったネロに言う。それでもマナ枯らしを解除しようという発想が出てこないあたり、まだ妄執に憑りつかれているのだろう。

 

「…………」

 

 無抵抗で怯えしかしない相手を痛めつけるのはネロとしても好きではない。

 

 だが、元はと言えばこの状況を招いたのは、目の前のギアンだ。彼がこんな手段を用いなければ、あるいは先ほどのネロの言葉に従ってマナ枯らしを送還していればよかったのだ。

 

 だからこれはギアン自身が招いたこと。ネロはそう自分に言い聞かせて、レッドクイーンを背中から抜き放った。殺すつもりはないが、手足の一つや二つをへし折るくらいのことは必要だろう。

 

 なにしろ、今のギアンを彼の敵であるネロが妄執から解放するためには言葉ではなく、恐怖と痛みによってしかなされないのだ。それを悪魔の力で理解させるのである。愚かな妄執を捨てなければどうなるか、彼の本能に直接教えてやるのだ。

 

 あるいは、マナ枯らしの進行がもう少し緩やかであったなら、彼の仲間であったエニシアやレンドラー達に説得させることもできたかもしれない。

 

 だが、僅かの時間でミントの体温が急激に下がったのを感じて、ネロは説得させる時間がないと判断した。だから力づくで、ギアン自身がマナ枯らしを解除するようにするしかなかった。

 

 たとえその方法が、自身に流れる悪魔の、恐怖と破壊を振りまく力を使ったとしてもだ。ネロはそれだけこのトレイユで出会った者のことを大切に想っていたのである。

 

「や、やめて……、お願いだからもうやめて!」

 

 だがフェアにはネロがギアンを殺そうとしているようにしか見えなかった。むしろレッドクイーンを抜いていながら、殺しはしないだろうと思う方が難しい。

 

 だが、そんな悲痛な言葉でもネロは止まらない。左手に持ったレッドクイーンを振り上げる。

 

「あ……」

 

 その時、フェアが呆けたような声を上げた。不審に思ったネロが振り返ると、彼女は右手を濁りきった泉にかざしていた。

 

「おい、どうした?」

 

 思わずネロは声をかけるが、フェアは目を瞑り反応は示さなかった。まるで別の何かを見ているようだ。

 

 さすがに心配になったネロはフェアのもとへ歩くが、その途中で彼女は水面に向かって歩き始めた。すると泉は黄金に輝いて強い光を放った。

 

 その光が収まった時にはフェアは水面の上に立っており、空からは黒い雪のようなマナ枯らしに混じって光の粒が降り注ぎ始めた。

 

 光の粒は次第にその数を増し、マナ枯らしはまるで浄化されるようにその数を急速に減らしていく。光の粒の正体はわからないが、マナ枯らしを清める力を持っているということは間違いない。

 

(こいつがやったのか……)

 

 光の粒が発生したタイミングやその直前の彼女の行動からして、それを為したのがフェアであることは間違いない。マナ枯らしに罹っていなかったことも合わせると、彼女も純粋な人間ではないようだ。

 

「…………」

 

 そんなことを思っていると、マナ枯らしを浄化するという役目を終えたからか、雨のように降り注いでいた光の粒は解けるように消え去った。それと同時にフェアも完全に意識を失ったのか、体勢を崩して倒れ込みそうになっていた。

 

「チッ……」

 

 ネロは慌ててフェアの元に駆け寄り、水面に倒れ込む寸前に抱き留めた。彼女は意識こそ失っているが、特に衰弱している様子もなかった。

 

「さあ、帰ろうぜ」

 

 フェアに語りかける。きっと仲間達も今頃は快復に向かっているだろうし、自分も望まぬことをしなくてもよくなった。今回はネロも彼女に助けられたのである。

 

 そんな解決の立役者を早く休ませてやりたい。だからまずは戻ろうと思ったのだが、そこへ全く別の人物の声がかかった。

 

「ほう……」

 

「あんたは……!」

 

 少し離れたところから感心したように見ているバージルだった。ポムニットが呼びに行ったと言うのは知っているが、随分早い到着だ。

 

「ちょうどいい」

 

 バージルが視線を向けていたのはネロとフェアでも、まさかの登場に震えているギアンでもなかった。彼の視線はちょうど二人がいる位置から泉を挟んだ向かいにある、一際大きな切り株に向けられていたのだ。

 

 そしてバージルは閻魔刀を抜刀した。

 

 

 

 

 

 

 

 




今回のギアンは物理的な意味でも踏んだり蹴ったりです。果たして彼は救われるのだろうか。


さて次回は11月24か25日に投稿予定です。
……最近朝に起きるのが辛くなってきたので、投稿時間を土曜の夜くらいに変えるか思案中です。

ご意見ご感想等お待ちしてます。

ありがとうございました。


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第95話 明かされた出自

「フェアはまだ寝たままか?」

 

 あのマナ枯らしの一件がフェアの手で解決した翌日、朝に起きてきたネロは食堂にいる者達に尋ねた。

 

「おそらくはな、まだ姿も見ていない」

 

「じきに目を覚ますはずですわ。怪我もなかったようですし」

 

 クラウレにリビエルが続く。特にリビエルは昨日意識を失って帰ってきたフェアの状態を確認もしたのだ。彼女の言葉は真実だろう。

 

「あるいはもう覚めているのかもしれぬ。ただ、混乱はしているだろうな」

 

「自分が普通の人間じゃなかったって知ったら、そりゃ混乱もするか……」

 

 セイロンの言葉にネロは溜息をついた。今フェアが陥っている状況は、かつてネロが自身に悪魔の血が流れていることをキリエに知られたときと似たようなものなのかもしれない。

 

 その時はキリエが彼を人間であると認めてくれた。だからネロは体に流れる血に惑わされずに生きてこれたのだ。

 

「……いまだに信じらんないわ。あいつが昨日のあれを浄化したなんて……」

 

 セイロンのネロの話を聞いていたリシェルが呟いた。体の具合はもう万全のようで、同じく復調したルシアンと共に今朝も忘れじの面影亭に来ていたのだ。

 

「だが、それは紛れもない事実だ」

 

「ああ、それにお前も聞いただろう。フェアが妖精の血を引いてるって話を」

 

 アロエリの冷静な言葉に続いてネロが口を開き、食堂の端に座り話を聞いている一人の女性を見た。彼女こそがフェアの母であり、幻獣界メイトルパの古き妖精でもあるメリアージュだった。

 

 彼女は昨日、フェアがマナ枯らしを浄化した直後に現れたバージルが振るった閻魔刀によって、突然空間から現れたのである。

 

 そしてバージルは値踏みするように、混乱するメリアージュと意識を失ったままのフェアを見た後、そのまま無言で踵を返したのだった。

 

 当然ネロは「おい、一体何のつもりだ?」と彼を質したが、バージルは「今する話ではない。日を改める」とだけ答え、泉から去って行った。

 

 そして困ったのはネロだ。ネロのもとには意識を失ったフェアと、混乱したままのメリアージュ、そしていつの間にか倒れていたギアンがいたのだ。ギアンに関していえば、別に放っておいてもよかったのかもしれないが、これ以上余計なことをされても困るため、やむなく連れて帰ることにしたのである。

 

 ネロはメリアージュに事情を話し、協力を得ることにした。具体的にはフェアを彼女が運び、ギアンをネロが運ぶことにしたのである。

 

 そして忘れじの面影亭へ着いて、メリアージュは自分がフェアの母親であり古き妖精であることを簡単に説明したのだ。その際には復調したリシェル達も同席していたため、ネロは彼女に「聞いただろう」と言ったのである。

 

「昨日は本当に助かりました。……ところで昨日私を助けてくれた方は……?」

 

 話が自分のことに移ったのを聞いたメリアージュは改めて礼を言うが、助けた張本人はここにいない。それが一体何者なのかと彼女は気になっているようだ。

 

「…………」

 

 食堂にいた全員がネロを見る。彼に答えろと言わんばかりの視線だ。

 

「……親父だ。俺の」

 

 渋々と言った様子で答える。バージルが自分の父親ということにはもう納得しているが、父がやったことを自分が言ったのでは、どこか父を自慢しているような気がして乗り気ではなかったのだ。

 

「まあ! 素敵なお父様ですね」

 

 メリアージュのその言葉がお世辞なのか、心からの言葉かはネロにわからなかった。もっとも、たとえわかってもどう反応すればいいか非常に困っただろうが。

 

「……で、なんであんたはあんなところにいたんだ」

 

 そのためネロは話を変えることにした。

 

 メリアージュは「助けてくれた」と言っていたため、あの場所にいたのは彼女の本意ではないはずだ。

 

「あの泉にあった大きな切り株を見ていますね?」

 

「あ、ああ……」

 

 確かにネロはメリアージュの言う通り、あの泉に一際大きな切り株があったのを覚えている。しかしそれが、彼女があの場にいたことと何の関係があるのかと疑問に思っているようだ。

 

「あれはラウスの命樹、魔力を宿すことで異空間を生み出す特別な樹……。私はラウスブルグを離れて以来、あの場に植えたラウスの命樹の作り出した異空間で隠れ住んでいました」

 

 メリアージュもかつてラウスブルグでメイトルパからリィンバウムへ渡ってきた古妖精の一人だった。しかしリィンバウムの人々に受け入れてもらえなかったため、魔力の供給を担っていた守護竜は多くの者とラウスブルグでひっそりと暮らし、かじ取りを担っていた古妖精はラウスの苗木を持って散らばり、その力で各地に隠れ住んだのである。

 

「ラウスブルグもその樹が生み出した異空間を使って界を渡るのですわ」

 

 リビエルが補足するように口を開いた。そもそもラウスの命樹はその目的のために生み出されたとさえ言われているのだ。

 

「そしてあの人と出会って、あの子達が生まれて少し経った頃、あの木が帝国の貴族に切られて……、それっきりずっとあの場所に閉じ込められていたの」

 

 ラウスの命樹は異空間を生み出す存在であると同時に、その異空間とこちらの世界を繋ぐドアのようなものでもある。だからそのドアを壊されてしまえば、ずっと異空間に閉じ込められてしまうのである。

 

 そのままなにもしなければ異空間自体も消滅してしまうが、魔力を供給すれば維持は可能だった。幸いにしてメリアージュは大きな力を持ち、飲食も必要ない妖精だったため、その異空間の中で生きていくことは可能だったのだ。

 

「随分気の長いことだな。旦那にでも出してもらえばよかっただろうに」

 

 ネロが呆れたように言った。具体的な年数は言わなかったが、リシェルもその時のことを覚えていないのであれば十年以上前なのは間違いない。それだけの時間があれば助け出すのも十分可能ではないかと思ったのだ。

 

「馬鹿なことを言うな。閉ざされた異空間の扉を開けるなどそう簡単にできるものか」

 

「……不可能とまではいかないが、少なくとも新たなラウスの命樹と莫大な魔力は必要だろうな」

 

 アロエリの言葉にクラウレが付け加える。ラウスの命樹もリィンバウムではまず見かけない樹木であり、異空間への扉をこじ開けるための魔力も簡単に準備できるものではない。現実に即して考えれば、まず不可能と断言していいだろう。

 

「そうなのか? 見た感じ俺にもできそうだったけどよ」

 

 バージルやったのを見る限り、ネロは自分には絶対にできないとは思わなかった。今すぐには無理でも十年あれば余裕だろう。

 

「もういやになりますわ、この人達……」

 

 ネロの言葉を聞いてリビエルが呆れるように肩を落とした。バージルも大概だが、その息子であるネロも相当なものだ。正直、こんなことでいちいち反応していたらきりがない。

 

「しかし、異空間に囚われながら店主殿の力を封じていたとは……」

 

「母親らしいことは何もしてあげられなかったから、せめて、ね……」

 

 驚嘆したようなセイロンの言葉にメリアージュが答える。

 

「え、どういうことそれ?」

 

「店主殿の力をずっと封じていたのだよ。生まれ持った力に振り回されぬように、ずっとな」

 

 リシェルの疑問にセイロンが答えた。異空間を維持するのにも魔力が必要なのにもかかわらず、我が子の平穏な生活のためにも魔力を使う。それはきっとメリアージュにとって大きな負担だったのは間違いない。だが、それと同時に負担は彼女とフェアと結びつける絆でもあったのかもしれない。

 

「……今は大丈夫なの?」

 

「身体的には大丈夫よ。でも、あの子がそれを受け入れられないならもう一度封じるわ」

 

 まだ成長していない幼い体にとって古妖精の大きな魔力は肉体を蝕む毒にもなるが、それに耐えられる体ができてさえいれば問題ない。だが今のフェアにとって問題なのは肉体的ではなく精神なのだ。

 

 体という古妖精の能力を扱うための器が出来ていたとしても、精神がそれについていっていなければ意味がない。むしろ魔力を暴走させる危険さえ孕んでいるのである。

 

 だからこそ、メリアージュはフェアが己の出自を受け入れない時は、再びその能力を封印することを考えていたのだ。助け出されたことで異空間の維持に魔力を使わなくて済むため、それほど大きな負担にはならないことは幸運だと言えるだろう。

 

「フェアさんならきっと大丈夫だと思うよ」

 

「そうね。あいつならなんだかんだ言って受け入れるわよ」

 

 しかしルシアンとリビエルは、メリアージュが危惧しているようなことが起こらないと確信していた。伊達に幼い頃から一緒に過ごしてきたわけではない。フェアならきっと自分の生まれとも向き合える。そう信じているのだ。

 

「……そうね。私は母親なんだからあの子を信じてあげなくちゃね」

 

 二人の言葉を聞いてメリアージュもまずはフェアを、自分の娘を信じようと思った。いざとなれば再び能力を封じるのに躊躇いはないが、できることなら彼女とてフェアが己の生まれに向き合って欲しいと願っていたのだ。

 

 

 

 

 

 浮遊城ラウスブルグの城内で向かいから歩いてきたバージルを見かけたハヤトは軽い気持ちで声をかけた。

 

「あ、そういえば昨日何かあったのか? いきなり出て行ったけど」

 

 昨日、息を切らせたポムニットが帰ってきたと思ったら、その後すぐにバージルが出て行ったとクラレットから聞いている。とはいえ、その日の夕食の場には戻って来ていたため、たいしたことではないだろうと思っているようだ。

 

「マナ枯らしとか言う奴がトレイユに召喚されたらしくてな。様子を見に行っていた。……もっとも俺が着いた時には片付いていたが」

 

「ありゃ、無駄足だったんだ」

 

 残念そうにハヤトは言うが、クラレットは先ほどのバージルの言葉を聞いてから少し顔を青くしていた。

 

「マナ枯らしって……だ、大丈夫だったんですか?」

 

 彼女は無色の派閥でも有力家系であるセルボルト家の直系だ。当然、召喚師としての英才教育が施されている。そのせいか彼女はマナ枯らしについても知識を持っているようだ。

 

「降り始めてから半日も経たずに消えた。あれの性質を考えればたいして影響はないと思うが?」

 

 それ以上は本職のお前が判断することだと言わんばかりにクラレットに視線を向ける。そもそもバージルは召喚獣に関する知識は素人に毛が生えた程度のものしか持っていない。マナ枯らしについてもポムニットから簡単に聞いただけだった。おまけに彼は当然のようにマナ枯らしの影響を受けておらず、直接ネロのいる場所に向かったため苦しんでいる者すら見ていないのである。

 

 これではバージルにマナ枯らしについて尋ねてもまともな答えは返ってこないだろう。

 

 だがクラレットにしても、得意とするのはサプレスの召喚術だ。メイトルパに属するマナ枯らしのことは知識として知っているだけで、それ以上のことはわからないのである。

 

「……それほど気になるならポムニットが帰ってきたら聞いてみればいい。遅くとも二、三日中には帰って来るはずだ」

 

 一言付け加える。ポムニットはバージルが帰ってきて状況を聞くと、すぐにまた出て行ったのだ。ミントの無事を確認しに行ったのは言わずとも分かることだ。

 

「あ、そういえばもう少しで出発だっけ」

 

 ハヤト達がラウスブルグに来てから出発は秒読み段階に入っていたのだ。今日もハヤトとクラレットはアティに頼まれて色々と買い物をしてきており、特にハヤトは両手に大きな袋をぶら下げていた。

 

「それもあるが、ポムニットには仕事も任せているのでな」

 

 バージルはトレイユに行くポムニットに仕事を預けていた。一つはネロ達に間もなく出発すると伝えること、そしてもう一つはマナ枯らしの件で明らかになった古き妖精に関することだった。

 

 ラウスブルグを動かすためには至竜と古妖精が必要なのは言うまでもない。至竜に関してはハヤトの仲介もあって、メイトルパのエルゴの守護者であるゲルニカが代役を担っている。さらには竜の子の存在もあるため、十二分に準備は整っていると言えるだろう。

 

 だが舵取りの古妖精は十分とは言えない。半分とはいえその血を受け継いでいるエニシアが、その役を担えると判明したことは幸運だったが、それでも休息や食事や睡眠を取らなければならない以上、バージルも舵取りをしなければならなかったのである。

 

 だが、昨日トレイユ近くの汚れた泉で妖精を見つけたことで、それが解消される可能性が出てきた。あの妖精がエニシアの親と同類の古妖精であるのはほぼ間違いなく、共にマナ枯らしを浄化したフェアもエニシアと同じような響界種に違いない。

 

 ここにきて不足する舵取り役をこなせそうな者が二人も出てきたのだ。とはいえ、見ず知らずの妖精が素直に協力すると思うほどバージルは楽観的ではなかった。

 

 そのためポムニットには古妖精の血を引くフェアに話をするように言ってあった。

 

 彼女ならネロとも親しく、ラウスブルグに来る予定の竜の子の親代わりでもある。エニシアと交代で舵取りを行うことを前提にすれば、休息などが必要になることも大きな問題ではない。少なくともあの古妖精を連れてくるよりは無難な選択と言えるだろう。

 

「はぁ、仕事ですか。……もしかして一緒に行ったエニシアさんと何か関係が?」

 

 ポムニットが再びトレイユに行った時、一緒にエニシアも連れて行っていた。何か関わりがあると思うのが自然だろう。

 

「関係はない。あれはギアン・クラストフに会いに行っただけだ」

 

「クラストフって、まさか……」

 

 クラレットがまたバージルの言葉に反応した。どうやらギアンの家名のことは知っていたらしい。もっともクラレットの出身であるセルボルト家と同じく、クラストフ家は無色の派閥を構成する家系なのだから彼女が知っていても何もおかしくはないが。

 

「知ってるの?」

 

「は、はい。クラストフ家は魔獣調教師の異名を持つ無色の家系です。でも、何でそんなところに……」

 

 ハヤトに尋ねられたクラレットが口を開く。しかし彼女も彼女で疑問を持っているようで、それにはバージルが答えた。

 

「マナ枯らしを召喚したのがそいつだろうな」

 

「確かにメイトルパの召喚術に優れているクラストフ家の者ならできるでしょうね……」

 

 バージルもギアンが召喚するところを直に見たわけではないが、あの時の状況から見て彼で間違いないと考えていたのだ。それはクラレットから見ても十分納得できるもののため、バージルの推測は当たっていたのだろう。

 

「……無色の派閥なのに、今もトレイユに?」

 

 帝国は聖王国以上に無色の派閥に対して厳しい態度で臨んでいる。少し前にも一斉摘発があったばかりなのだ。にもかかわらず昨日からトレイユにいるということはハヤトには不思議に思えた。

 

「しばらくは動ける状態ではなかった。逃げたくとも逃げることなどできはすまい」

 

 バージルが泉で見た時のギアンは、命に関わるような怪我はなかったが、それでもだいぶネロに痛めつけられたのかボロボロだったのだ。いくらギアンが幽角獣の血を引く響界種だからと言ってもすぐに動くことはできないに違いない。

 

「あー、そういえばトレイユには息子さんがいるんだった」

 

 バージルの息子がトレイユにいることを思い出した。そこに滞在しているのなら知人の一人くらいはできるだろうし、その知人がギアンの使った召喚術で害されたとなれば怒るのも無理はない。おそらくその結果、ボコボコにされたのだろう。

 

 それを悟ったハヤトは顔も知らぬギアンに心中で合掌した。

 

「……あの、ところで、先生はどちらですか? 買ってきたものを渡したいのですが」

 

 思いがけず話が長引いたため、ハヤトはずっと両手に荷物を持っている形となっている。さすがにこれ以上話し込んでは、彼も疲れてしまうだろうと思ったクラレットが割り込んだのだ。

 

「今の時間なら授業まがいのことでもやっているはずだ。邪魔はするな。荷物は預かる」

 

 少し前までラウスブルグは隠れ里としてメイトルパの獣人などが暮らしてきたのである。主が変わってもそれは変わらない。小さな社会が出来上がっているのだ。その中にはクラウレやアロエリのように、隠れ里で生まれた者も少なくない。

 

 アティはその中で幼い子供の亜人や獣人に算数のようにどこでも役に立つようなことを教えているのだ。もっとも、やはりリィンバウムの人間であるアティには警戒感を抱いているのか、現在のところカサスを慕う子供達くらいにしか授業はしていないが。

 

 とはいえ、それが授業中に荷物を届けていい理由にはならないのだ。

 

「いいよ、俺達が頼まれたことだし」

 

 ハヤトとしても授業を邪魔するつもりはなかったが、一応頼まれた者の責任としてちゃんと届けたかったのだ。

 

「その中のほとんどが俺とポムニットが頼んだ物だ。あいつに渡しても中の確認はできん」

 

 実のところアティは買ってくるものを取りまとめたメモをポムニットから預かっただけなのだ。授業があるからハヤトとクラレットに任せたのだが、どうやらその辺の事情は伝えていなかったようだ。

 

「なるほど、そうなんだ。それなら任せるよ」

 

 それを聞いたハヤトは素直に荷物を引き渡した。バージルはそれを受け取ると、踵を返して自身の部屋の方に歩いていった。実のところ、彼はアズリアと話をしに行く予定だったのだが、別に荷物の確認をしてからでもさほど遅れることはないだろう。

 

「でも、どうしてあんなものをわざわざ買ったんだろう? あれなら向こうに行ってからでも買えるのに」

 

 先ほどの言葉を聞いて買い物の最中に浮かんだ疑問がぶり返した。

 

 今回、買ってきた物は大きく二つに分けられる。日用品と貴金属の類だ。ポムニットが頼んだのが日用品だということは分かるが、なぜバージルがそんなものを買ってくるように言ったのかいまいちよくわからなかった。

 

「たぶん向こうでのお金の代わりだと思います。向こうじゃこちらのお金は使えませんし」

 

 クラレットの予想は当たっていた。バージルはリィンバウムの通貨である(バーム)を金や白金などに換えて、人間界での資金に充てるつもりでいたのだ。どちらの世界でも貴金属には高値で取引されている。いわば貴金属は二つの世界共通の通貨であるとも言えるのだ。

 

「なるほど、あっちじゃ金なんて使ったことないから気付かなかったよ」

 

 納得したように頷く。ハヤトは人間界出身でどちらの世界にも金や白金などがあることは知っていたが、それを通貨の代わりにする発想はなかったのだ。ハヤトの場合は人間界に両親がいるため、お金のことを気にする必要がなかったせいだろう。

 

「でも本当にもう少し出発みたいですから、私達も忘れてるものがないか確認しましょう?」

 

「うん、そうだな。そうしよう」

 

 そして思いがけずここで頼まれていたことを果たせた二人も自分達の部屋に戻って行った。

 

 

 

 

 

 朝に仲間達と話したネロはそれからしばらく町で時間を潰してきた。部屋にいてもよかったのだが、どうも一つのところで何もせずじっとするのは性に合わないため、気晴も兼ねて外出していたのである。

 

「ネロ……」

 

 ちょうど玄関のところでフェアが待っていた。どうやらネロが出かけている間に起きてきたらしい。

 

「随分遅かったな、寝坊したか?」

 

 その言葉にフェアは「うん」と頷くと、ネロに尋ねた。

 

「あのさ、時間ある? 話したいことがあるの」

 

「ああ。……とはいえ、こんなところじゃおちおち話もできないな。庭にでも行くか」

 

 ネロとしても彼女と話すつもりはあったため、その申し出を断る理由はなかった。ただ、玄関で話すというのはさすがにどうかと思ったので、場所を変えることにしたのである。

 

 そして、庭まで来た二人は物干し竿の近くに据え付けられたベンチに腰掛けた。暖かい日差しと穏やかな風が吹いており、実に心地のよい場所だった。

 

 自分の右隣りに座って地面を見つめていたフェアを見たネロは口を開いた。

 

「その様子じゃ、頭じゃ分かっていても心の中じゃ受け入れられないってところか?」

 

 フェアはまだ悩んでいるようにネロには見えた。

 

「……さっき、あの人と、お母さんと話したの。だから自分がどういう生まれなのかは分かったつもり」

 

 メリアージュと実際に会って話をしたことで、自分が彼女の子供であることは否が応でも理解できた。それ自体の文句はない。とうの昔に死んでしまったと聞かされていた母が生きていたこと自体はとても嬉しいことだ。

 

「……でも、怖いの。自分が自分じゃなくなったみたいで」

 

 それでも突き付けられた事実は変わらない。ずっと普通の人間だと思って生きてきたのに、いきなり半妖精、響界種だと知らされたのだ。これまでの人生を丸ごと否定されたように感じるほどの衝撃だった。 

 

 見慣れたこのベンチからの景色でさえ違うものに見える。それが不安からくるものだということは分かっていたが、フェアにはどうすることもできなかった。

 

「ネロは、ネロはどうだったの? ネロも私と同じじゃなかったの?」

 

 だがそこでフェアは、ネロが自分と同じように人間とは異なる存在の血を引いていたことを思い出した。彼なら自分と同じような経験があるのかもしれない。もしそうなら、どうやってそれを乗り越えたか知りたかったのだ。

 

「……俺の右腕はいきなりこうなった」

 

 フェアの言葉を、空を仰ぎながら訊いたネロが一目で人とは異なると分かる右腕に目を落としながら答えた。

 

「こいつを見られたら悪魔だって思われる。そう思ったから、怪我が治ってないってことにして、一ヶ月くらい包帯を巻いて隠してたんだ」

 

 フォルトゥナでそんな腕を見られてしまえば、悪魔と判断されるのは容易く想像できる。そして何よりネロにとっては、キリエにそう思われたくはなかった。だからずっと隠していたのである。

 

「それでもやっぱりバレちまってな」

 

 ネロの腕のことがキリエにバレる原因となった教団が引き起こした事件については、あまり関係のあることではなかったため語ることはしなかった。

 

「だけど、キリエは俺を人間だって認めてくれた。俺にとってはそれだけで十分だった。……それ以来、この腕も自分の一部だと思うようなって隠さなくなったんだ」

 

「…………」

 

 じっと無言で顔を見てくるフェアを見返したネロは最後に苦笑して言葉を続けた。

 

「ま、俺は単純なんだよ、俺は。大切な人の言葉でこいつを受け入れられるくらいにはな」

 

 キリエが人間として認めてくれる。それだけでネロは自分にどんな血が流れていようと気にすることはなくなった。バージルが父と知った時も意外と簡単に受け入れることができたのもそのおかげなのだ。

 

 そしてネロはフェアの頭に手を置いて、さらに言葉を続けた。

 

「俺の見立てじゃお前も同じだ」

 

 それを聞いたフェアは一瞬、目を見開いたかと思うと、すぐに半目にして心外だと言わんばかりに口を尖らせた。

 

「……それ、私も単純だってこと?」

 

 それでもネロの言わんとしていることは伝わったようだ。先ほどより声に本来の明るさが戻っている。

 

「そもそもお前は難しく考えすぎなんだよ。別に生まれがどうであっても今のお前じゃなくなるわけないし、あいつらもそんなことで態度を変えるわけないだろ」

 

 そもそもフェアの生まれは彼女が知らなかっただけの話だ。彼女がいつ知ったところでその事実が変わるわけではない。だから大事なのはフェアがそれをどう捉えるかだ。自分の今後の人生を左右するような、あるいはこれまでの自分を変えてしまうような事実なのか、あるいは自分のバッググランドに新しく加わった一点に過ぎないのか、全てはフェアの考え一つなのである。

 

「そうかも知れない。……でも、やっぱり怖かったの、みんなに嫌われたらどうしようって……」

 

「もしそうなったら俺と一緒に来るか? お前の腕ならあっちでもやっていける」

 

 冗談めかして言うネロの言葉に、フェアはようやくクスりと笑った。

 

「ふふ、そうだね。そうなったらお世話になろっかな、その時はよろしくね!」

 

 絶対にそうならないと分かったからこそ言える冗談だった。そんな冗談を言えるくらいだ、もうフェアは大丈夫だろうとネロは確信する。

 

「……ところで、さっきの話で出てきた『キリエ』って誰? 恋人?」

 

「まあ、そんなもんだ」

 

 先ほどははっきりと「大切な人」と言ったのだが、あらためて恋人だと言うのはどこか気恥ずかしさもあって、ネロは同意を示すのみに留めた。

 

「ふーん。……美人なの? その人」

 

 フェアは無関心を装っているが、その実、並々ならぬ関心を寄せているようだ。

 

「そりゃあ、お前よりは……」

 

 キリエとフェア、お人好しという点ではよく似ている。しかしもちろん、異なっている点も非常に多い。殊に外見でいえば――とネロがフェアの体に視線を向けた瞬間、彼女は叫んだ。

 

「い、今、どこ見て言ったの!? わ、私だってまだ大きくなるんだから!」

 

 何がとはいわないが、キリエとフェアは比較するのが可哀そうなくらいの差がある。フェアもそれは自覚しているが、やはり気にしているせいかコンプレックスになっているようだ。

 

 それでもこのような反応ができたということは、彼女が元の調子に戻ったのだろう。それを確信してネロは笑うが、フェアはそれを自分の体形への笑いと捉えたようでネロへ懇々と説教を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 




どことは言いませんが、きっとフェアはミントを見て超えられない壁だと思っていることでしょう。どちらかと言えば壁はフェアの方ですが。

さて次回は12月8日か9日に投稿予定です。

ご意見ご感想等お待ちしてます。

ありがとうございました。


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第96話 復調

 ネロがフェアと庭で話した翌日もトレイユは朝からよく晴れていた。そんな強い朝日が窓から差したせいか、ネロはいつもより早くベッドから抜け出していた。

 

「あれ? 今日は早いんだね」

 

「まあな」

 

 食堂に顔を出したネロを珍しいものをみたような顔で迎えたのはフェアだ。ネロにとっては十分早起きに入る時間帯でも、彼女にとっては朝の準備をしている時間なのである。

 

「……昨日、さ、ネロと話した後、みんなやお母さんとも話したの。……みんな私のことを受け入れてくれた。ネロの言う通り、私の考え過ぎだったね」

 

「お前にとってはそれだけ大事なことだったんだろ」

 

「うん。だから怖かったんだと思う」

 

 ネロから見ればリシェル達がフェアの出生を受け入れないなど、天地がひっくり返ってもあり得ないことだと分かりきっていた。にもかかわらず、ネロよりも付き合いが長いフェアがそれに気付けなかったのは、不安が大きくなりすぎて落ち着いて物事を見れなかったことに尽きる。

 

 今にして思えば彼女も「どうしてそんなことで悩んでいたのだろう」と不思議に思っているかもしれない。

 

「何にせよ、丸く収まってなによりだ。……ところで、あの野郎の方はどうなってる? お姫様はまだ付きっきりか?」

 

「目は覚ましたみたい。だけど、落ち込んでいるって言うか、無気力って言うか……」

 

 二人が言っているのはギアンのことだった。忘月の泉から意識を失った状態でネロに運び込まれたギアンは、この忘れじの面影亭でポムニットと一緒にきたエニシアによって看病されているのである。

 

 意識自体は昨日の内に取り戻していたが、まるで生きているだけの人形のように無気力の状態が続いていたのだ。

 

 しかしそれも仕方のないことかもしれない。ギアンにとってマナ枯らしは最後の賭けに等しかったのだ。それがフェアの手で浄化され、自身もネロの手で赤子の手を捻るようにあっけなく負けてしまったのである。

 

 もとより不安定だったギアンの心はとうとう折れてしまったのだ。彼はこれまでの人生の全てをメイトルパにいる父への復讐に費やしてきたのだが、それが全て水泡に帰したのだ。燃え尽きたように無気力になったとしても不思議ではない。

 

「まあ、いいさ。あいつはたぶん捕まるだろうしな」

 

 昨日のグラッドとの話では、ギアンのやったことは隠し立てができないだろうと言われていたのだ。そうでなくとも無色の派閥である以上逮捕は免れないだろう。

 

「そっか……」

 

 それを聞いたフェアはギアンを憐れむように呟いた。父への復讐のためにトレイユ全体を危険に晒した結果がこれだ。同情するわけではないし、因果応報と言えばそれまでだが、彼にとってはあんまりな結末なのは間違いない。

 

 そんなことを話していると食堂にミルリーフが入ってきた。

 

「おはよう、ミルリーフも早いね」

 

「あのね。ミルリーフ、パパとママにお話があるの」

 

 二人にその言葉を伝えた時のミルリーフはとても真剣な表情をしていた。それだけにネロもフェアも威儀を正して、真面目に彼女の話を聞くことにした。

 

「……どうしたの?」

 

「ミルリーフ、至竜になる」

 

 その話を聞いた時、ネロはとうとうこの時が来たか、と大きく息を吐いた。先代の守護竜や御使いの願い、そして自身の安全のためにも、クラウレが合流した時点でミルリーフが至竜となるのは既定路線だったのである。いわばこれまではネロ達に守られたモラトリアムに過ぎなかったのだ。

 

「理由、聞いてもいい?」

 

 フェアが尋ねる。彼女もミルリーフが決めたことであれば、それに異議を挟むような真似はしない。しかし、もし彼女の決断が誰かに強要されたものであれば、決してそれを認めるつもりはなかったのだ。

 

「本当はね、パパとママとお別れしなくちゃいけないのは分かってるの! でもミルリーフはお別れなんかしたくなかった! パパとママとずっと一緒にいたいの!」

 

 俯きながら本音を吐露する。ネロとフェアがいて、御使いがいて、仲間達がいる今の状況がミルリーフは好きだった。ずっとこのままでいたいと思うほどに。しかしいつまでも今のままではいられない。

 

「ミルリーフ……」

 

 名を呟いたフェアは、これからもトレイユで忘れじの面影亭を経営していくことに変わりはない。しかし仲間達全員が変わらないということではないのだ。

 

 例えばリシェルならじきに金の派閥の召喚師となるための勉強が本格的に始まるだろうし、ルシアンも同じ頃には軍学校に行くだろう。御使いにしてもセイロンはこの一件が落ち着き次第、リィンバウムを訪れた本当の目的である龍の姫を探すこととなっている。そしてネロは言わずもがなだ。

 

「だからこれまでずっと至竜にならないようにしてきた。一昨日の時もパパやママがすごく頑張ってたのにミルリーフはなんにもできなかった、至竜になればなんとかできたかもしれないのに……」

 

 至竜にならなくともいずれ別れの時は来る。それはミルリーフも理解していたことだ。それでも彼女にとって至竜になるということは、その別れを間近に迫ったものとして認識してしまうことだった。その恐怖がマナ枯らしの時でもミルリーフに至竜になることを躊躇わせていたのだ。

 

「すっごく悔しかった。これまでずっとみんなに守ってもらってたのに、怖くてなにもできないのが悔しかった。だからこれからはみんなを守れるようになりたいの」

 

 それが、ミルリーフが至竜になることを決意した理由だった。まだ生まれて一年も経っていないが、彼女は既に甘えるだけの子供ではなくなっていたのである。

 

「よく決めたな」

 

 ネロはそう言って頭を撫でた。彼の場合、クラウレが合流して以来ミルリーフが悩んでいたことは何となく悟っていたため、彼女がそう決めたことを我が事のように嬉しく思ったのだ。

 

「うん、私もミルリーフがそう決めたなら何も言わないよ。でも、至竜になったからって何でも一人で抱え込まないで、困ったら頼っていいんだかね」

 

 フェアもミルリーフが至竜になることに文句はなかった。それでもやはり相手は今まで子供だと思っていたミルリーフだ。心配だけはどうしてもしてしまうようだ。

 

「パパ、ママ……ありがとう」

 

 自分の決断に反対することなく認めたくれた二人にミルリーフは感謝の言葉を伝えた。

 

「よし! せっかくだから今日の朝ごはんはミルリーフの好きな物作ってあげる。何が食べたい?」

 

 今日はミルリーフが独り立ちすることを決めた日だ。好きなものくらい作ってあげても罰は当たらないだろう。

 

「本当!? そうれじゃあ甘いオムレツがいい!」

 

 フェアの言葉に満面の笑みを浮かべてリクエストをするミルリーフをネロが笑いながら見ていた。このあたりはまだまだ子供と変わりないようだ。

 

「うん、甘いオムレツだね」

 

 リクエストを受けたフェアは早速調理にとりかかる。つい先ほどまでミルリーフが大きな決断をしていたとは思えない程穏やかな朝の光景がそこにあった。

 

 

 

 

 

 朝食を食べたネロはグラッドとミントの様子を見に行くことにした。一応、フェアの手でマナ枯らしが浄化された後、歩けるほどの快復したのは確認していたのだが、それでも昨日は姿を見ていなかった。大丈夫だとは思うが念のため確認しようと思ったのである。

 

 とりあえずまずは近いミントの家に行こうとしたのだが、中央通り商店街の入り口近くで巡回が終わったばかりのグラッドとばったりと会ったため、先に駐在所で話をすることにしたのだった。

 

「随分と疲れているみたいだが、大丈夫なのか?」

 

 商店街の入り口で会ってから駐在所に戻るまでグラッドは何度も溜息をついていた。一昨日はあれだけ弱っていたのだから、いくら原因が取り除かれたとは言っても、やはり体調が万全ではないのかとネロは心配していたのだ。

 

「体は大丈夫さ。これでも鍛えているからな。……ただ、今回の件は軍の上層部にも伝わったらしくてな……」

 

 言葉を言い終わったグラッドは一際大きなため息をついた。どうやら後半の言葉こそが彼が疲れて見える原因のようだった。

 

「何だよ、叱責でも喰らったのか?」

 

「仔細を報告しろって命令が来てる。もしかしたら調査隊を送って来るかもしれないんだ」

 

 茶化すようなネロの言葉に、グラッドがそれならどれだけよかったかと言わんばかりに肩を落とした。グラッドの届く帝都からの書面は発送してから二、三日後に来るのが常だ。にもかかわらず、事件翌日の朝には詳細な報告を求める命令書が届いているということは、それを発令した軍の上層部は今回の一件を注視しているということに他ならない。

 

 ミルリーフの一件を始めとした軍に報告していないことが山ほどあるグラッドにしてみれば、非常に困った事態になりかねなかったのだ。

 

「言っとくが、ヤバそうになったら俺は誰であろうとぶっ飛ばすからな」

 

 ミルリーフが軍にとって重要な研究の対象になるということは以前にも聞いている。もっとも至竜になることを決意したミルリーフを連れて行くのは非常に困難だろうし、それ以前にネロも黙っていないだろう。

 

 ネロが本気で暴れたとすればかつてフェアの父親がラウスの命樹を切った帝国貴族を叩きのめしたのと同じ、いやそれ以上に徹底的に相手を叩きのめすだろう。下手をすれば帝国軍始まって以来の大醜聞にもなりかねなかった。

 

「そうならないように何とか誤魔化してみるさ。……ただ、こっちも言っておくけど、あのギアンまでは庇えないからな」

 

 たとえ調査隊が来るのが避けられないにしても、ネロやミルリーフがバージルのもとへ行ける時間さえ稼げればそれでいいのである。だが、ネロが泉から運び込んだギアンについては、いくらグラッドと言えど、マナ枯らしを召喚した張本人であり、無色の派閥の召喚師であることから、庇うことはできなかった。

 

「……それにしても、もう解決したことにわざわざ調査隊まで送って来るのか?」

 

 これがまだ続いているというのであれば帝国軍が調査隊を派遣するのも分かるが、今回の一件については既に解決を見ている。にもかかわらず、わざわざ軍人を派遣する必要があるのかとネロは疑問に思っているようだった。

 

「最近は上も神経質になってるんだと思う。ほら、前に話した悪魔のことで貴族からもだいぶ言われたみたいだからな」

 

 ちょうどネロがフェア達とシルターン自治区への旅行から帰ってきたばかりの頃、帝都では悪魔によって多くの貴族が殺されていたことが発覚したのだ。さらに悪いことに犠牲者の中に、摂政を務めていたアレッガも含まれていたため、帝都の治安維持にあたっている軍に対する貴族の風当たりが非常に強かったのである。

 

 こんな状況でまた対応を誤れば、軍に対する信頼は地に落ちてしまう。それだけは何としても阻止しなければならないため、相当に神経質になっているのだ。

 

 ちなみにアレッガ亡き後、帝国は彼の取り巻き達が政治を仕切っているようで、少なくとも現在のところ大きな混乱は起きていなかった。

 

「やれやれ、お偉いさんも大変だね」

 

 肩を竦めながらネロが答えた。どれだけ偉くなっても何もかも思い通りにできるというわけではない。それだけはこの世界も人間界も変わらないようだ。

 

「少なくとも俺みたいな下っ端にはわからない苦労があるんだろうな。偉くなるってのも考えもんだな」

 

 グラッドも苦笑を返した。命令を受ける立場ではあるが、グラッドにとって帝都にいるような上級軍人は雲の上の人なのである。

 

 なにしろグラッドがどれだけ優秀でも、彼らと同じ役職に就くのはほぼ不可能だからだ。なにしろ、そうした職務に任じられるのは帝都の軍学校を出ている者だけだ。そうでなければ軍の中央で出世することはできないとさえ言われていた。

 

 丘段都市ファルチカの軍学校の基礎科しか出ていないグラッドでは、出世できて、どこかの部隊長といったところだろう。

 

「おいおい、出世欲とかないのかよ」

 

 あまりに他人事のような態度にネロが半ば呆れながら尋ねると、グラッドは少し気恥ずかしそうに答えた。

 

「……一応、ちょっと本気で目指してみたいところはあってな、軍学校の上級科への編入試験を受けてみようと思ってるんだ」

 

「へぇ、どこだよ? 本気で目指したいところって」

 

 少し興味を持ったネロがさらに聞く。

 

「『紫電』っていう国境警備の要の部隊さ。数年前にも悪魔を撃退してて、今じゃ帝国最強とも言われているんだ」

 

「ああ、いつだったか言ってたところか」

 

 「紫電」という名前は以前にグラッドの口から聞いていたことを思い出した。確か陸戦隊なら誰しも憧れる部隊だったはずだ。

 

「ああ、そうさ。今までは夢のまた夢と思ってたけど、やってみようと思ったんだ」

 

 「紫電」は出自で差別されることはない。条件を満たせばどんな軍人でも編入試験を受けることができる。しかしその条件が非常に厳しいものなのだった。

 

 軍学校の上級科を出ていること。それが唯一の条件だった。

 

 上級科は基礎科で優秀な成績を修めるか、編入試験に合格しなければ進めないところなのである。当然そこを出た者は体力や実技だけでなく、知識も優れたものを持っているのだ。

 

 だが、逆を言えば「紫電」を率いるアズリアは体だけ、あるいは頭だけの軍人は必要ない、その両方を備えた軍人を欲しているということなのである。

 

「そうか。ま、頑張れよ」

 

 明確な目標があるグラッドにネロは、素っ気ない言葉ではあったがエールを送った。彼がその夢を叶えられるかどうかを見届けることはできないだろうが、それでも世話になった者の成功は祈りたかったのだ。

 

 

 

 

 

 駐在所を後にしたネロは、その足でミントの家に向かうことにした。彼女の家にはポムニットがいるから特に大事になっていることなどないはず。だから軽く声だけかけて帰ろう。そう考えて行ったのだが……。

 

「あ、ちょうどよかった。ネロ君も一緒に来て」

 

「は?」

 

 ミントの家に着くと丁度ミントとポムニットはどこかに出かけようと家を出てきたところだった。そして、ネロの姿を認めたポムニットが言った言葉にネロは思わず聞き返した。

 

「ご、ごめんね、ネロ君」

 

 話が呑み込めていないネロの背中をポムニットがぐいぐいと押す。当然ネロはそれを振り払って詳しい説明を求めた。さすがに何も説明せずにネロを誘ってしまったことを悪く思ったミントは謝罪して簡単に説明することにした。

 

「あ、実は町外れにある農園から頼まれて検査に行くことになったの。でも病み上がりには無理させられないって……」

 

 ちらりとポムニットの方を見たミントの表情でネロは察した。大方またポムニットに反対されたのだろう。そして一緒に行くことを条件に認められたといったところか。

 

「そりゃそうだろ。俺だって賛成しねぇよ」

 

 今回はネロもポムニットに賛成だった。軍人として訓練も受けたグラッドなら多少は無理もできるだろうが、畑作業こそするとはいえ、研究がメインの召喚師だ。あと一日二日くらいは大人しくしていた方が体のためだ。

 

「うぅ、でも……」

 

 ネロにも反対されミントは見るからに落胆していた。彼女としては蒼の派閥の召喚師としての責任もあるからやろうとしていたのだが、こうも反対されるとやはり元気もなくなるというものだ。

 

「まあでも、あんたらの中でまとまったのなら止めはしねぇよ。さっさと行ってきな」

 

「ネロ君も一緒に行くの。逃がしませんからね」

 

 うまいことを立ち去ろうとしたネロだったが、その企みはポムニットの手で阻止されてしまった。これでは何を言っても連れて行かれるのが目に見えている。ここは大人しくついて行ってさっさと戻ってくる方がいい、そう判断したネロは大きく息を吐いた。

 

「はぁ、わかったよ。行けばいいんだろ、行けば」

 

「さあ、ネロ君も納得したところで早速行きましょう!」

 

「おー!」

 

(こいつ、病み上がりの割には元気だな……)

 

 ポムニットの声にミントが答える。ネロは断じて納得したわけではないが、今更文句を言っても何にもならないため、心中では突っ込みを入れつつも大人しく二人についていくしかなかった。

 

 

 

 ミントが検査などを頼まれたのはトレイユの西に位置するアルマンの農園からだった。この農園は亜人のような召喚獣を働かせて野菜などの作物を作っている、帝国でも有数の規模の農園だった。

 

「随分と厳重なところだな」

 

 ミントが検査をしている間、手持ち無沙汰になったネロは、彼女から少し離れたところで周囲を見回しながら感想を口にした。農場の中自体は野菜や穀物を栽培する畑や農機具をしまう倉庫など機械がないことにさえ目を瞑れば人間界とさほど変わりなかった。

 

 しかし農園の周囲には忍び返しがついた鉄柵が張り巡らされており、農園の経営者が雇ったのか警備兵も巡回していた。

 

「やっぱりこれだけ大きいと泥棒にも狙われやすいんですかねぇ」

 

「泥棒よりここで働いている奴らが逃げ出さないようにだろ。……そいつらをどういう風に扱ってるのか想像できるな」

 

 ネロは周囲に張り巡らされた鉄柵と忍び返し、警備兵が誰に向けられたものであるか気付いていた。本来なら侵入者を防ぐために用いられるそれらは、ここでは刑務所のように中にいる者の脱走を防止するためのものだった。

 

 それだけでここで働かされている召喚獣がどんな境遇にあるか、ネロには容易に想像ができた。脱走を防止するためのものがあるということは、召喚獣がそれを企てるくらい待遇が悪いということは容易に想像できる。最低限の食事だけ与えられ、過酷な労働を課される前時代の農奴のような扱いなのだろう。

 

「…………」

 

 ネロの言葉でポムニットもここが召喚獣にとってどういう場所なのか気付いたらしい。顔を顰めて今も畑で働く亜人達を見つめていた。

 

「別に助けたきゃ助けりゃいいんじゃねぇの。あんたがやりたくねぇなら、あいつにでも頼めばやってくれるだろうさ」

 

 ネロの言う通り、ポムニットがバージルに頼めばここにいる召喚獣を解放できるかもしれない。ただ、召喚獣に無理を強いるリィンバウムの仕組み自体を変えない限り、また新たな召喚獣がここで働かされる未来が待っているだけなのだ。

 

「いえ、もう間もなく出発ですから、そんなことする時間はないです」

 

 ポムニットは首を横に振る。働かされている彼らを見て何とかしてあげたいという気持ちはあるが、もはやそんな暇はないだろう。近いうちにラウスブルグはリィンバウムを出発する予定なのだ。

 

「……ってことはそろそろあいつらともお別れか」

 

「そうなるでしょうね。……ああ、それとバージルさんから一つ頼まれたことがあったんでした」

 

 いよいよ別れの時が近づいていることを知ったネロの呟きに頷いたポムニットは、バージルから任された仕事のことを思い出した。

 

「なんだよ?」

 

「ええ、実はフェアさんも一緒に来てはどうかと思いまして……」

 

「なんであいつが?」

 

 ポムニットの言葉を聞いてネロは首を傾げた。メリアージュならまだ理解はできる。古妖精である彼女はもともとメイトルパ出身なのだ。しかしその娘であるフェアは生まれも育ちもリィンバウムだ。彼女をラウスブルグに乗せる必要などどこにもない。

 

「ネロ君もラウスブルグを動かすのには至竜と古妖精が必要なのは知ってるよね? 至竜はなんとかなったんだけど妖精の方は見つからなくて……、一応エニシアさんならその代わりができるみたいだけど、ずっとはできないみたいで、だから……」

 

「あー、確かにあいつも半分は妖精か……しかし、なんで母親の方じゃないんだ? あっちは本職だろう?」

 

 納得したように頷いたネロだったが、それでもメリアージュに声をかけない理由にはならないため再度尋ねた。

 

「だ、だって私、あの人と話したことないからさすがに言い辛くて……、バージルさんにもどっちかでいいと言われてましたから……」

 

 一応ポムニットとメリアージュは昨日エニシアを連れてきた時に顔だけは合わせていた。さすがにそれだけの面識しかない相手に一緒に来てほしいというのは難しいだろう。

 

「しかしフェアがそれを受けるかは別問題だと思うぞ」

 

 正直なところネロの頭の中でもフェアがポムニットの話を受けるかは想像できなかった。もう少しミルリーフと一緒にいたくて受けるかもしれないし、もう一人前になったからとあえて距離をとろうとするかもしれない。

 

「そ、それはそうですけど……できれば受けてもらえるように手伝ってもらえたらなあって……」

 

 ネロからもフェアに話をしてもらった方が、彼女が受けてくれる可能性が高くなる、そう思ったポムニットは先にネロに話をしたのだ。

 

「……まあ、話すくらいはいいけどよ」

 

 別に知らぬ間柄ではないのだ。フェアにそれぐらいの話をすることなど難しくはない。それにネロ自身としても世話になった彼女には礼も兼ねて、自分の故郷を案内するのも悪くないという思いもあった。

 

「二人ともお待たせ。一通り終わったから帰ろっか」

 

 そこへ検査の結果を農園の経営者に説明し終えたらしいミントがやってきた。具合も変わってはいない様子だ。検査とは言ってもそれほど厳格なものではなく、神経を使うほどのものではなかったのかもしれない。

 

「やれやれ、結局俺は見学に来ただけだな」

 

 半ば強制的に連れてこられたネロがしていたことは適当に農園の中をふらついただけだ。これでは何のために来たのか分からない、とネロは肩を竦めた。

 

「帰るまで気を抜かないで。急に具合が悪くなるかもしれないんですから」

 

「だ、大丈夫だよ、そんなに気にしなくても」

 

 ポムニットが油断するなとネロをたしなめるが、ミントはそこまで心配されても困ると言わんばかりに答えた。

 

 そのように話しながら三人は農園から出たあたりでネロはミントに尋ねた。

 

「ところでよ、ここみたいなのが一般的な召喚獣の扱われ方なのか?」

 

 リィンバウムにおける召喚獣の扱われ方は御使いやミントなど仲間達から聞いてはいたが、ネロ自身が直接目にしたのは今回が初めてだった。正直ここまで聞いた通りだとは思わなかったというのが正直な感想だ。

 

「……うん、そうだよ」

 

 ミントが言い辛そうに答えた。彼女としてもああいう扱いは不本意なのだろう。

 

「俺も召喚されたばかりの時にバレてたらああいう扱いを受けてたってことか」

 

 そうは言うが、ネロの場合その前に手が出ることは確実だ。それを本人も分かっているからか、どこか小馬鹿にしたような言い方だった。

 

「もちろん中には例外がいるから、全員が全員そういう扱いを受けているってわけじゃないんだけどね」

 

「バージルさんとか?」

 

 ミントが付け加えた言葉にポムニットがつっこむ。

 

「あはは……、あの人は例外中の例外かな。総帥とも面識があるみたいだし」

 

 力なく笑いながらしながらミントは答えるがその言葉に偽りはない。バージルこそ例外の最たるものなのだ。シルターンの人間のように一目で召喚獣と見抜かれない者ならば辺境の村でリィンバウムの人間に暮らすことは不可能ではない。

 

 だがバージルの場合、一般人はおろか召喚師でも簡単に会うことはできない蒼の派閥の総帥にまで面識があるのだ。さらにミントは知らないが、金の派閥の議長、帝国の将軍にまで面識がある。いくら強大な力を持つとはいえ、一介の召喚獣が持つ人脈とは思えないほどの人脈だった。

 

(例外、ね……)

 

 そういう意味ではネロも例外に該当するだろう。大多数の召喚獣はあのような扱いを甘受しているのに、ネロはフェアやミント達のように理解ある人物と出会うことができ、召喚獣としては恵まれた生活ができている。

 

 だが、いつまでも召喚獣はその扱いを甘んじて受けるのだろうか、という疑問がネロの心中に残っていた。人間と召喚獣の関係は何らかのきっかけ一つで、すぐ壊れてしまうような危ういバランスの上に成り立っているような気がしてならなかったのである。

 

 そして、ネロのその懸念はさほど遠くない未来に的中することとなるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




DMC5のダンテ新武器にケルベロスがパワーアップして復活、ファウストの射撃武器も使いやすそうです。

気になるVも1の要素たっぷりで、想像以上に使うのが楽しみになりました。



さて、この第5章、4編も残すところあと2話となりました。年末年始くらいには終わらせたいですね。

ということで、次回は12月22日か23日に投稿予定です。

ご意見ご感想等お待ちしてます。

ありがとうございました。


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第97話 異端召喚師審問会

 ミント達とアルマンの農園に行った翌日、ネロはミントとポムニットと共に食堂で彼女から言われた通りのことをフェアに話していた。その場にはフェア以外にも彼女の母親であるメリアージュも同席している。

 

「城を……ほんとにそんなことできるの?」

 

 不足しているラウスブルグの舵取り役をしてもらいたいという話を聞いたフェアは、受けるか受けないか以前に自分にそれができるのかが気になった。なにしろ、彼女はつい最近まで普通の人間だと思って生きてきた身だ。古妖精の血を引いているからラウスブルグを動かすことができると言われても、正直そんなことができるとは思えなかったのだ。

 

「意外と簡単にできるみたいでしたから、きっと大丈夫ですよ!」

 

「あのお姫様もできたみたいだしな、なんだったら本人に聞いてみろよ」

 

 ポムニットの言葉に続き、ネロがフェアの向かいに足を組んで座りながら答えた。エニシアという前例がいる以上、舵取りとは経験や技術とはあまり関係のないことなのだろう。それに、そのエニシアはこの忘れじの面影亭にいるのだから、気になるなら彼女に直接聞けばいいだけだ。

 

「心配しなくてもあなたにもできるわ。あの時みたいにあなたの中にもそんな力が眠っているもの」

 

「お母さん……」

 

 母の言葉を聞いてフェアが顔を向ける。確かにマナ枯らしを浄化した時は母の助けこそあったとはいえ、自分自身が成し遂げたことだ。そのためもしかしたら、と彼女は考えているのかもしれない。

 

 それを見ていたネロは、そもそもメリアージュ自身が古妖精だったことを思い出して口を開いた。

 

「そういや本家本元だったな。あんたに聞けば済む話か」

 

「そうねぇ……、アドバイスくらいはできるかもしれないけど、やっぱりエニシアちゃんから聞いた方がいいと思うわ」

 

「私もその方がいいと思うよ。いくら親子とは言っても、フェアちゃんは普通の妖精とは違うだろうし」

 

 ネロの言葉をやんわりと否定したメリアージュの言葉をミントが補強する。フェアの母親であり、これまでずっと妖精としての力を抑えてきたメリアージュならそれなりの指導はできるだろうが、やはり同じ人間と妖精のハーフであり、実際に舵取りをしたこともあるエニシアの方が適任なのかもしれない。

 

「まあ、あいつもそのあたりは考えてるだろうし、そこまで深刻になることもないだろ」

 

 ネロの言った「あいつ」とはバージルのことだ。フェアへの話はポムニットが持ってきたとはいえ、その裏にいるのはバージルだ。あの男の性格からして不確実な手は用いないだろうし、フェアが実際に舵取りを担えるようにする算段あると見ていいだろう。

 

「そうですよ、バージルさんだっていきなりやれとは言わないでしょうから、後はやってみたいかどうかです!」

 

 むしろ問題はポムニットが口にしたように、フェアがそれを受けるかどうかなのだ。

 

「そうはいってもなぁ……、お店もあるし……」

 

「行ってきたらいいんじゃないかしら。こんな機会まずないんだから」

 

 悩んでいるフェアの背中をメリアージュが押した。彼女の言う通りリィンバウムとは異なる世界に行く機会などまずない。そのための力を持つラウスブルグでさえ、最初にリィンバウムに来て以来使われていないのだ。

 

 しかし今回は、目的地とされる名もなき世界出身のネロも同行する以上、ラウスブルグがリィンバウムに来た時のような拒否される危険は少ない。だからメリアージュも一種の社会勉強のつもりで勧めているのだ。

 

「うーん……」

 

「まあ、今ここで決めろって言うんじゃねぇし、もう少し時間はあるだろ」

 

「そうですね。私は明日までいますから、それまでに――」

 

 ポムニットは明日には一度ラウスブルグに戻るつもりでいたので、それまでが回答がもらえればよかった。明日帰る前にもう一度寄るからそれまでに決めておいてほしいとポムニットは言おうとしたのだが、突然忘れじの面影亭に走り込んできたグラッドに阻まれた。

 

「大変だ! 今すぐここから逃げろ!」

 

「はぁ? 一体どうしたんだ?」

 

 いきなり逃げろと言われても、理由がわからないんじゃそう簡単に従うわけにもいかない。まずはそのワケを聞こうとネロが尋ねた。

 

「軍が来るんだよ! それもギアンみたいな召喚師だけじゃなく、はぐれ召喚獣も捕まえようって奴らが!」

 

 グラッドは口にしなかったが、トレイユに来たのは設立されたばかりの「異端召喚師審問会」所属する部隊であり、犯罪者に関わっている召喚師や身元が不明な召喚獣を撲滅するための軍の組織である。

 

 設立自体はだいぶ前から検討されていたのだが、先の摂政アレッガが殺害された一件の影響で一気に設立されたのだ。摂政が殺された直接の原因は悪魔とされているが、それは一般的に無色の派閥のような外道召喚師に呼び出されるとされている。したがって、こうした事件を防ぐためには外道召喚師を撲滅する必要がある。

 

 その考えから異端召喚師審問会は設立され、そうした召喚師が利用することもあるはぐれ召喚獣の撲滅という任務も付与したのである。

 

 だが裏事情では、軍は帝国の摂政の命を守れなかったという貴族からの非難や不満を逸らすための対応策として、急いで組織を設立したため、他の組織との兼ね合いが取れていない部分があった。

 

 例えばアズリアが指揮する無色の派閥や紅き手袋へ対応している部隊がそうだ。本来であれば外道召喚師への対応をアズリアに任せるなど、任務が重複しないように調整する必要がある。

 

 しかし軍としては、軍の名門とはいえ貴族であるレヴィノス家の影響がある部隊の権限を強化するより、自らの命令でのみ動かせる部隊が欲しかったのだ。

 

 なにしろ、軍はアズリアへの指揮権こそ持っているが、命令によってはレヴィノス家ひいては帝国貴族にまで話が伝わってしまう恐れがある。先の一件で貴族からの信頼が揺らいでいる軍はできるだけ貴族の影響を排除したいという思惑もあって、全くの別組織である異端召喚師審問会を設立したのだ。

 

「え? 狙いはギアンだけじゃないの?」

 

「分からない。だが、あいつらの数を見ればどう考えたってみんなを狙ってるとしか思えないんだ」

 

 首を振ってフェアの疑問に答えた。なにしろここにいる御使い達は特段姿を隠していたわけではない。その情報をどこかで入手していたとすれば、はぐれ召喚獣もまとめて一掃しようと思うのは当然だろう。

 

「なるほどね。それじゃここにいる奴はみんな御用ってわけだ」

 

 切羽詰まった状況であるにもかかわらず、ネロは面白くなってきたと言いたげな口調いで答えた。

 

 忘れじの面影亭にいるのは帝国軍の解釈ではほとんどがはぐれ召喚獣だ。数少ない例外であるフェアも古妖精の血を引くと明らかになればどのような扱いを受けるか分からない。

 

 対象から除外されるのはグラッドやミント、ブロンクス姉弟など軍人や召喚師といったしっかりとした身分があるものに限られるだろうが、それも自分達とよく行動を共にしていたと明らかになれば危ういかもしれない。

 

 今度はそこへリシェルとルシアンが血相を変えて飛び込んできた、

 

「ち、ちょっと、何なのよ、あいつら!」

 

「何かを探してるみたいに町中に散らばりながらどんどんこっちに向かっているんだ!」

 

「あいつら、とうとう町の中まで来たのか……」

 

 リシェルの声にグラッドが呻いた。グラッドが確認した時はまだトレイユの外で待機していたのだが、ついに動き出したのだろう。彼らへの命令は帝都の司令部から命令である以上、グラッドにはどうすることもできない。だから彼らが来る前にネロ達には逃げてほしかったのだ。それがうまく軍を誤魔化すことができなかったことへの償いだった。

 

「ど、そうするの……?」

 

 ミントが不安そうに尋ねと、ネロは鼻を鳴らして答えた。

 

「どうするもこうするもねぇよ。来るならぶっ飛ばすだけだ」

 

 それは昨日グラッドに言っていたことだ。もっとも、ネロが思っていた以上に帝国軍の動きは早く、それを言った日の次の日に実行することになるとはさすがに予想できなかったようだ。

 

「ぶっ飛ばすって……」

 

「心配すんな、やるのは俺だけだ。もし後でお前らが何か聞かれたら俺に脅されたとでも言っとけ」

 

 驚きと呆れが入り混じった声のミントにニヤリと笑って答える。相手は帝国の正規の部隊だ。一応はぐれ召喚獣として扱われる御使い達はともかく、彼女達を戦わせるわけにはいかない。これまでに協力していたことを問い詰められても、全てネロに脅されてやむなく、という形にすれば彼女達の立場もあって何とかなるだろう。

 

「全部お前のせいにしろっていうのか!?」

 

「仕方ねぇだろ、お前らはこれからの生活もあるんだ。それともここで軍の奴らと事を構えてお尋ね者にでもなるつもりか?」

 

 結果的にネロが全ての泥を被る形になるが、どうせ間もなく元の世界に帰る身だ。この世界での汚名などいくら被ってもたいしたことではない。それよりも、ネロとは違ってこれからもトレイユの町で暮らしていくミント達を巻き込む方が問題なのだ。

 

「だからって……」

 

「よく考えろ。今協力したら下手すりゃお前の家族まで疑いをかけられるかもしれない。……それにどんな悪人にされたところで、俺はお前らが本当のことを知ってさえいれば文句はない」

 

 まだ納得できない様子のルシアンをネロが諭した。今回のやり方を見ると帝国軍はだいぶ焦っているように見える。いくら召喚師の家系とはいえそんな相手の目の前でネロと言う犯罪者に協力すれば、親族にもその累は及びかねないのだ。

 

 それにネロからすれば、さほど縁のないこの国から犯罪者として扱われたところで痛くも痒くもない。真実は仲間さえ知っていればそれでいいのだ。

 

 ネロの言葉にその場にいた者達は何も言えなかった。実際、あと僅かの間に現状を打破できるようなアイデアを思いつくのは難しく、ネロの案を足らざるを得ないことを頭では納得しているが、やはり彼一人に全てを押し付けることには抵抗感があるらしい。

 

 一時の静寂の中、外を眺めていたネロは揃いの制服を着て武器を携えた者達が近づいて来るのが見えた。

 

「来たみたいだな。派手に歓迎してやるとするか」

 

 テーブルから立ち上がったネロはドアに向かって歩く。そして、右手を隠すために着けている手袋を外した。向こうには自分に対して悪感情を抱いてもらった方が都合がいいため、あえて外したのである。

 

「フェア、ミルリーフ達を呼んでおいてくれ。あいつら片付けるからすぐに出て行く」

 

 そう言うと今度はポムニットへ目を向けた。それでいいな、という確認の意を込めた視線を受けた彼女は頷いた。もとより近々出発の予定だったのだ。ネロ達を連れて行っても問題ないだろう。

 

 外へ行くと既に一隊の戦闘の兵士は目と鼻の先に迫っていた。ネロはわざと見せつけるように右の袖をめくり人間とは異なる腕を露出させて、彼らの正面に立ちはだかる。

 

 兵士達もネロの腕の異質さに気付いたのだろう。武器こそ構えていないが警戒しながら小走りに向かってくる。数は十五人程度であり、おそらくトレイユに来た部隊の一部だろう。

 

 彼らは円弧状にネロを取り囲むと、一団の上官らしきネロより少し年上と思われる男が口を開いた。

 

「貴様、名を名乗れ!」

 

「名乗ってもいいが、あんたらが知ってるとは思えないぜ?」

 

 肩を竦めて答えた。ネロがリィンバウムに来て半年も経っていない。トレイユ以外でネロのことを知っている者などいるはずもないだろう。それにネロが正直に名乗っていたとしても彼らが見逃してくれるとは思えないのだ。

 

「ふざけたことを……!」

 

 上官らしき男は声を荒げた。ネロの態度は右腕を見て不信感を抱いていた一団に実力行使を決断させるには十分な効果を発揮した。上官が片手を上げて攻撃を命じたのだ。

 

 その合図と共に槍を持っている者は穂先を、帯刀していたものは抜剣して切っ先をネロに向け、そしてサモナイト石を持っている者はそれに魔力を込めた。だが、誰も口火を切ろうとしない。あとは意思一つでネロを攻撃できるというのに、誰もそれをしなかったのである。

 

「っ……」

 

 上官の頬に一滴の汗が流れた。攻撃を命じたはいいものの、上官を含めた全員がネロの放つ異質な雰囲気に気圧されていた。果たしてこのまま仕掛けたとして勝てるのだろうか、他の隊が来るまで待った方がいいのではないか、という疑問が消えることなく頭の中に浮かび続けていたのだ。

 

 そんな一種の膠着状態を破ったのは背負った武器すら抜いていないネロの言葉だった。

 

「逃げてもいいんだぜ」

 

 そう言ったネロに彼らを貶める意図はなかった。彼とてどうしても戦いたいわけではない。避けられるものなら避けたいという思いがあったからこそ出た言葉だった。

 

 しかし、一団にはネロの言葉は挑発にしか聞こえなかった。武器も構えていない男一人に怖気づいた自分達を嘲り、情けをかけたとだと受け取ったのだ。

 

 帝国の正規軍が与えられた任務の一つも果たせない脆弱な集団と見られ、あまつさえ情けをかけられるなど耐え難い屈辱だった。

 

「何をしている! 早くやれ!」

 

 だから上官は声を張り上げて再度攻撃を命じた。それを受けた周囲の部下達も震える手を抑えてネロに剣を振るう。

 

 しかしネロは避けない。右腕を盾にして剣を受け止めた。かつてはフォルトゥナの教団騎士の長の一撃さえも無傷で弾き飛ばしたこともある。一兵士の斬撃程度苦もなく止めることができたのだ。

 

「大人しく逃げてりゃいいのによ……」

 

 溜息をついて呟いたネロは、受け止めていた剣を握り手前に勢いよく引き寄せた。たまらず剣から手を放してしまった兵士の鳩尾に左の拳を叩き込み悶絶させると、兵士から奪い取った剣を左手に持ち替え肩で担いだ。

 

 剣自体は扱いやすい金属製のものだが、普段からレッドクイーンを使っているネロにとっては軽すぎる代物だ。

 

「せっかくだ。これで相手してやるよ」

 

 だがネロはハンデにはちょうどいいとばかりに言うと、左右から迫っていた兵士をまとめて剣の腹で薙ぎ払う。次いで一人目の後ろから迫っていた二人の槍を持った兵士による刺突を、一つは剣で弾き、もう一つは右腕を掴んで見せると、もう一度二人まとめて打ち払った。

 

 結果、僅かの間に二度、四人を吹き飛ばした剣は少し歪んでいた。しかし、この剣が特別不良品だったわけではない。確かに人間界などに比べれば製造技術の差から性能は落ちているが、一番の原因はもちろんネロの使い方だ。さすがに腹の部分に武装した人間二人分の荷重がかかれば歪むのもやむを得ないだろう。

 

「チッ、案外脆いな」

 

 もっともネロは自分の使い方が悪いとは自覚せずに悪態をついた。その時、さきほどの五人がやられている間に詠唱が済んだらしく、ロレイラルの召喚術が発動された。

 

 だが、現れた名も知らぬ機械が何かをする前に、ネロはその召喚獣に向かって歪んだ剣を投げつけた。もとよりあまり頑強なボディを持っていなかったためか、その召喚獣は召喚された目的を果たせずまま、破壊された。

 

「仕方ねぇな、次はこっちだ」

 

 そう言ったネロが持っていたのは、また地面に突っ伏している兵士が持っていた槍だった。ハンデ代わりの兵士の剣がすぐに使い物にならなくなったとはいえ、レッドクイーンを使うのはさすがに情けない。だからこそ、剣の代わりに槍を手に取ったのだ。

 

 ネロは左手で槍を器用に回す。手慣れたように扱っているが、実のところネロが戦闘で槍を使ったのは初めてだった。故郷フォルトゥナで騎士をしてはいたが、そもそも母体の魔剣教団がその名の通り剣を特別視していたので騎士に支給される武器も剣だったのだ。

 

 それでもネロがまるで熟練の使い手のように槍を扱えるのは生来の才能によるものだろう。あるいはその体に流れる伝説の魔剣士の血によるものか。

 

 いずれにしても槍の扱い方は巧みだった。人間界のパイクに似た槍を時には兵士の持つ武器を突いて吹き飛ばし、時には薙ぎ払って意識を断った。それでも誰の命も奪っていない。敵をぶっ飛ばすつもりではいても、殺そうとは思わなかったようだ。

 

「さて、あとはあんた一人だぜ」

 

 瞬く間に残りの兵士を倒したネロは荒っぽい使い方のせいで、またも曲がってしまった槍を上官に突き付けながら口角を上げた。

 

「く、くそっ……」

 

 上官はそう吐き捨ててあとずさるが、事態が好転することはない。彼の部下はみなネロの手によって意識を奪われてしまっていたのだ。かといって、これまでの戦いを見て一人で戦って勝てるとは思えない。

 

「ん……?」

 

 その時ネロが上官の後方、ちょうど彼らが来た道の方を見ながら声を漏らした。

 

「……?」

 

 怪訝に思った上官が振り向くと、そこに見えたのは彼らの本隊だった。これ幸いに上官は踵を返して、一目散に逃げて行った。

 

「ようやく本番ってところか」

 

 ネロであれば逃げて行った上官を倒すのは難しいことではなかったが、その必要もなかったためあえて見逃したのだ。

 

 そして少し歩いて玄関前から忘れじの面影亭に至る道の上まで移動した。そこは玄関の前に比べれば開けていて、相手とも真正面からやり合える場所だった。

 

 そんなネロの動きに対し、相手側も武器を構えて一気に距離を詰め始めた。先ほどのような問答はせずにすぐさま戦おうというのだろう。

 

 そして双方の距離が十メートルくらいまで縮まったとき、帝国軍とネロの間に無数の剣が降り注いだ。

 

「こいつは……!」

 

 ネロが小さく声を上げる。剣自体を目にしたことはなかったが、それから感じる力には覚えがあった。バージル、自身の父親の力である。

 

 そこまで思い至った時、瞬間移動で来たかのようにネロのすぐ近くにバージルが現れた。そしてバージルの出現に僅かに遅れて、いきなり目の前に降り注いだ剣によって混乱する帝国軍の背後からよく通る声が響いた。

 

「何をしている貴様ら! 攻撃は今すぐ中止だ!」

 

 そう言いながら軍の先頭まで、若い男と共に歩いてきたのは筋肉隆々の男だ。年の頃は四十代後半といったところか。

 

「……これはこれは、『紫電』のギャレオ殿」

 

 帝国軍の指揮官が、制止を命じた男ギャレオに頭を下げた。言葉遣いこそ丁寧だが、慇懃無礼なその態度からは「辺境の国境警備部隊風情が何の用か」という本音が透けて見えた。

 

「これは誰の命令だ」

 

「ウルゴーラの命令です。先にこの町を襲った凶事の原因、無色の派閥の召喚師を捕らえよ、というね。これはあなたの上官であるアズリア将軍もご存じのはずですよ」

 

 ウルゴーラの命令といえば帝国軍トップの命令であるのと同義。理解したらさっさとどけと言わんばかりに指揮官は笑みを浮かべた。

 

「それは聞いている。俺が尋ねているのはその目的の果たすのに、このような攻撃は不要だろうということだ」

 

「少々手強いはぐれがいるようでね。そうした者を相手にするのも我らの務め、必要なことですよ」

 

 異端召喚師審問会の任務は怪しげな召喚師のみならず、身元が不明なはぐれ召喚獣への対処も含まれる。だから強力なはぐれ召喚獣への武力行使も正当であると指揮官は言っているのだ。

 

 その言い分を黙って聞いていたギャレオと共にいた若い男が口を開いた。

 

「ふーん。なら、そいつがはぐれ召喚獣だっていう証拠はどこにあるの? 姉さんは君達の存在も仕事も認めたかもしれないけど、法に反した行為まで認めたわけじゃないよ」

 

「おい、イスラ……」

 

 ギャレオがイスラを諫めるように名前を呼んだ。彼をここに連れてきたのは、彼の舌鋒が必要だったわけではない。軍の名門であり帝国貴族でもあるレヴィノス家の名前が必要だったからだ。

 

「……むしろ、身分を証明しなければならないのはあの男の方でしょう。しかし彼はしなかった。これは明らかに――」

 

 イスラの言葉から彼がレヴィノス家の嫡子であり、アズリア将軍の片腕であると悟った指揮官は、僅かに逡巡しながらも答える。自らの身分を証明しなかったのだからはぐれ召喚獣であることは明白である、そう口にする前にイスラによって遮られた。

 

「僕は知ってるよ。その彼がどこの誰かをね」

 

「それは……、是非お聞かせ願いたいですな、イスラ殿」

 

 一瞬狼狽した様子を見せた指揮官の言葉を聞いてイスラはにやりと笑い頷いた。

 

「彼はね、レヴィノス家の客分の息子だよ。……ああ、言っておくけどうちが庇ってるとか思わないでね。蒼の派閥の総帥からも言われているだから。帝国ではよろしくって」

 

 黙って聞いていたバージルは首を振って呆れを露にしているように、イスラは事実を都合よく解釈して話しているだけだった。しかし、それもあながち嘘ではないのだ。

 

 客分という扱いはレヴィノス家の嫡子であるイスラが自由に決められることであるし、バージルが蒼の派閥の総帥と繋がりがあるのも事実である。それに彼に尋ねれば似たような趣旨の言葉を言われるのは想像に難くない。

 

「……荒唐無稽な話ですな。まさかそれを信じろと?」

 

「信じる信じないは僕が決めることじゃないよ。何かあったときの責任は君がとらなきゃいけないんだから」

 

「…………」

 

 その言葉を受けて指揮官は押し黙った。彼にしてみればイスラの話は到底信用できるようなものではなかったが、万が一にでもそれが事実だった場合、軍は極めて微妙な立場に立たされる。ただでさえ、貴族からの信頼を失われかけている。そのうえ、信頼回復のために創設された異端召喚師審問会が蒼の派閥と揉め事を起こしたとなれば、審問会は解隊となり上層部もただでは済まないだろう。

 

「……わかりました。あの者からは手を引きましょう」

 

 審問会は極めて政治的な理由で創設された部隊だ。当然、指揮官も戦のことだけではなく政治のことまで考えが及ぶ者で固められている。それはイスラと話していた男も例外ではなかった。

 

 つまりは、さすがに一人のはぐれ召喚獣を捕縛するために組織の存続を賭け金にすることはできなかったのである。

 

「ただ、無色の召喚師の身柄は我々が預かります」

 

 これだけは譲れないとばかりに指揮官は言った。もともと彼らが受けた命令は無色の召喚師であるギアンの身柄を確保することだけだ。それさえ果たせれば他は譲歩するということなのだろう。

 

「だめだ。あれはアズリアに引き渡す」

 

 これまで呆れた顔をしつつも沈黙を守っていたバージルが遂に口を開いた。

 

「き、貴様! なんのつもりで……」

 

 そんなことになれば帝都からこんな田舎まで来た目的も果たせなくなると叫ぶが、バージルの視線で射竦められ言葉を止める。

 

「既に話は通してあるし、受取人も来ている。何ら問題はない」

 

 話を通したからこそ、バージルと同じタイミングでギャレオとイスラが来たのだ。本来であれば審問会がトレイユに来る前にギアンの身柄を確保したかったのだが、アズリア本人は忙しすぎて直接トレイユを訪れることは不可能だったため、ギャレオとイスラに代役を頼んだのである。ただ、その調整に時間もかかったため、トレイユに着いたのは審問会とほぼ同じ時刻となってしまったのだ。

 

 アズリアとしては最悪の場合、審問会との無用な軋轢を避けるためギアンの身柄を諦めることも視野に入れており、ギャレオにもそれは話していたが、そんなことなど知らないバージルは先んじてギアンの引き渡し先を指名したのだ。

 

 わざわざ自分まで出向いてきたのだ。向こうの都合だけでこの取引を台無しにされることは許せなかったのだ。

 

「ならば奪ってみるか?」

 

 そして最後に、できるものならやってみろと言わんばかりに言い捨てる。それと同時に軍の周囲を取り囲むように無数の幻影剣が現れた。今のところ切っ先は地面を向いているが、指揮官の回答によってはそれが兵士達に向くことは明白だ。

 

「おい、連れてきたぞ」

 

 そこへネロがギアンとエニシアと共に現れた。先ほど姿が見えなかったのはギアンを連れてきたためだろう。

 

「さっさと連れて行け」

 

 それを確認したバージルはギャレオとイスラに言った。

 

「しかし……」

 

「いいさ。ギャレオ、さっさと連れて戻ろう。後は知ったことじゃないよ」

 

 指揮官の方を見たギャレオにイスラが声をかけた。二人からすればできれば穏便に済ませたかったが、バージルがあそこまで言った以上、それはもはや望めない。ならば面倒な事が起こる前に戻った方が賢明な判断と言えるだろう。

 

「ギアン……」

 

 エニシアがここで別れることになる者の名を呼んだ。帝国軍にとっては忌むべき犯罪者集団の召喚師であるギアンも、エニシアにとっては迫害から救った恩人なのだ。これから彼がどうなるか心配しないわけがなかった。

 

「いいんだ、エニシア。これは応報なんだ。僕のしてきたことへの……。だから君が心配する必要なんてないんだ」

 

 忘月の泉で見たギアンとは別人と思うほど落ち着いた声だった。彼の計画が破綻し、全てを失ったからこそ得られるものがあったのだろう。顔も憑き物が落ちたようにすっきりしている。

 

「ギアン・クラストフ、貴様を逮捕する。罪状は――」

 

「分かっている。全て認めるよ」

 

 ギャレオの言葉を遮って答えたギアンを見てイスラは肩を竦めた。

 

「そう、ならさっさと行こうか。僕達だって暇じゃないんだし」

 

 そしてギアンは、そのまま二人と共に忘れじの面影亭から遠ざかっていく。それを見つめながらエニシアは永遠の別離にならないことを祈っていた。

 

「……さて、貴様らはどうする?」

 

 審問会の部隊にバージルは尋ねた。既に彼らの目的の人物はギャレオとイスラという帝国軍に引き渡している。もはや奪うことさえ不可能だ。このまま帝都に帰れば叱責は免れない。少なくない数の兵士を動員したにもかかわらず、手柄はアズリアと彼女の麾下の部隊に取られてしまったのだから当然だ。

 

 この失点を取り返すためには何らかの実績を上げなければならない。指揮官はネロへと視線を向ける。はぐれ召喚獣への対処という方策が頭の中に浮かぶが、すぐさまそれを打ち消す。そんなことをすればいまだ周囲を囲んでいる浅葱色の剣によって串刺しにされるのがオチだ。

 

 なにしろそれを出現させたバージルからは一切の躊躇いもないよう見える。その上、周囲の剣といい底知れぬ力を感じていたのだ。

 

「……撤収する」

 

 指揮官は決断した。たとえ叱責を受けたとしても、自分も部下も無事であれば汚名を返上することはできる。それよりも相手の力すら分からない現状で戦いを挑むのは危険すぎると判断したのだ。

 

「向こうにお前らの仲間がいる。回収していけよ」

 

 このまま放置されても困るとネロが口を出すと、指揮官は無言で部下に命じ何人かと共に、ネロの手で意識を刈り取られた兵士達のもとへ向かった。

 

「バージルさん、あの……」

 

 そこへポムニットがやってきてバージルに尋ねる。しかしその視線は、ずっとギアンが去った方向を見つめて祈るエニシアに向けられていた。ギアンがこれからどうなるのか気になっているのだろう。

 

「……アズリアはあれを通して派閥の情報が欲しいらしい。大人しく情報を渡せばそう酷いことにはならんだろう」

 

 それは二日ほど前にアズリアと話をした時に切り出された話だった。無色の派閥を構成する家の当主が持つ情報となれば、その価値は計り知れない。アズリアとしてもそれを利用できるとなればギアンも無碍にはしないだろう。

 

 もっとも、当のギアンが協力しないのなら話は別だが。

 

 そう答えたバージルは改まって「さて……」とネロに向かって切り出した。

 

「明日には出発する。お前もポムニットと、一緒に来い」

 

 それはネロにとっては待ちに待った故郷へ帰るための第一歩であると同時に、この世界で会った仲間との別れが目の前に来ていることを示す言葉でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 




今回が今年最後の投稿になると思います。ほぼ一定のペースで投稿できたのもみなさまの応援あってのものでした。ありがとうございます。

さて、次回でこの章も終わる予定です。できれば正月三が日のいずれかには投稿したいと考えておりますのでよろしくお願いいたします。

ご意見ご感想等お待ちしてます。

ありがとうございました。


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第98話 船出

 ネロは帝国軍が去るのを確認するまでその場を動かなかった。それはバージルも同じであり、二人はそれなりに近くにいたはずなのに会話はほとんどないまま時だけが過ぎた。

 

 そしてバージルは今日中にネロ達をラウスブルグに連れてくるように言うと、自分はさっさと帰って行ってしまった。もとより彼がトレイユまでわざわざ来た目的はギャレオとイスラにギアンを引き渡すことだったのだ。それを果たした以上、長居をする必要はないと判断したのだろう。

 

 そんなバージルも見送ったネロはようやく忘れじの面影亭に戻り、皆へこれまでの説明とクラウレ達四人の御使いに今日中にここを出て行く旨の話をした。

 

「ああ、わかった。すぐに準備をしよう」

 

クラウレは落ち着いて答えた。いずれこうなることは分かっていたことだ。驚いてもしょうがない。

 

「そっか、とうとう……」

 

 それは言葉を発したルシアンのみならず、この場にいる全員にも言えることだが、いくら覚悟していたとはいえやはり別れが目の前にくると寂しいものがあるようだ。

 

「俺はともかく、こいつらとはまた会うこともできるんだ。そう寂しがるなよ」

 

 故郷への帰還が目的であるネロとは違って、ミルリーフや御使い達はどこかに行くのではない。拠点をこの忘れじの面影亭からラウスブルグに移すだけなのだ。さすがにこれまでのように毎日のように顔を合わせることはできないだろうが、会おうと思えば会えるくらいには留まるだろう。

 

「……そういえば、御子さまはまだ全てを継承していませんけど彼は納得するかしら?」

 

 ネロの言葉を聞いて思い出したようにリビエルが口を開いた。ミルリーフや御使いがラウスブルグに留まる条件としてバージルが出したのが、準備が整うまでにミルリーフが至竜としての力を行使できるようになっていることだったのだ。

 

 だが現状ではその約束は果たされていない。ミルリーフ自身としては至竜となる決意は固めているが、最後の継承を行う前に今に至ってしまったのである。やむを得ぬ事情だとリビエル自身は考えているが、バージルが同じように考えてくれるかはわからない。むしろ冷酷そうな彼のことだ。平然とラウスブルグへの居留を断りそうだと心配していたのだ。

 

「大丈夫だと思いますよ。もう至竜もいるみたいですし。さすがに絶対に至竜になりたくないとか考えてない限りは分かってくれるはずです」

 

「心配しないで、ミルリーフはちゃんと至竜になるから」

 

 バージルをよく知るポムニットにミルリーフが答えた。至竜がもう一体加わることにはバージルも反対することはないだろうが、同時に慈善事業で受け入れるわけでもない。しかし、ミルリーフが至竜になると言っている以上、頭から断るようなことはしないだろう。

 

「それなら大丈夫ですね! 私からも言っておきますからそんなに心配しないでいいですよ」

 

「よろしくお願いしますわ」

 

 ポムニットの言葉にリビエルが頷く。まだほとんど信頼もされていない御使いの誰かが言うより、バージルに近しい彼女から言ってもらった方が納得してもらいやすいのは誰が考えても明らかだ。頼まない道理はなかった。

 

「しかし、軍はこれからどうするかな。大人しく手を引いてくれればいいんだが……」

 

 今回の件で派遣された審問会は、何の実績も上げることのないまま帝都への帰還を余儀なくされたのだ。その腹いせでトレイユが不利益を被ってしまっては何の意味もない。

 

「先輩に話してみようかな……」

 

 ミントが小さな声で呟く。こういった政治にも絡んだ話は学者肌のミントは苦手である。そのため、聖王国で政に携わっている派閥の先輩に相談しようと考えたのだ。

 

 バージルが関わっていることも考えれば、総帥のエクスに話をするのが一番だろうが、あいにく総帥とは一度も話をしたことはないのだ。その点、蒼の派閥の師範でもある先輩、ミモザ・ロランジュなら彼女の師であり派閥の議会議長グラムス・バーネットを通して総帥にも話を通すことができるため、最適の人選といえるだろう。

 

「もう、難しい話は後にしなさいよ。今はそんなことしてる暇はないでしょ」

 

 リシェルが呆れたように放った言葉にフェアが同調する。

 

「うん、そうだよ。荷物もまとめなきゃいけないし」

 

「あら、それならあなたもまとめなくちゃいけないんじゃない?」

 

「何それ? どういうこと?」

 

 フェアに言ったメリアージュの言葉が気になったリシェルが尋ねる。準備が必要なのはトレイユを去るネロやミルリーフ、御使い達だけはず、そう思っての疑問だった。

 

「ラウスブルグの舵取りをしてくれ、って話が来てるの。まだ行くって決めたわけじゃないけど……」

 

「それって他の世界に行けるってことでしょ!? いいじゃない、行ってきなさいよ!」

 

 元より好奇心旺盛なリシェルだ。羨ましがることはあっても、フェアが行くことに反対はないようだ。

 

「そうそう、ママも一緒に行こうよ!」

 

「御子さまもこう言っているのだ。一緒に来たらどうだ?」

 

 ミルリーフはもちろんフェアが来ることには賛成であり、続けて言ったアロエリもミルリーフの意思を建前にしているが、本心でもフェアが共に来ることを歓迎しているようだ。

 

「でも、お店もあるし、勝手に休むのは……」

 

 帝国軍が来る前に話した時も気になっていたのは、この忘れじの面影亭のことだ。先日シルターン自治区に旅行に行った時のようにオーナーから許可されたのなら話は別だが、どれくらいの間、店を閉めるのかも分からない以上、まず許されないだろう。

 

「ここの持ち主ってテイラーでしょ? 私から言っておくから気にしないで行ってきなさい」

 

「え? パパのこと知ってるの?」

 

 忘れじの面影亭のオーナーであり自身の父でもあるテイラーの名を出したメリアージュにリシェルが尋ねる。あの頑固で拝金主義の父がフェアの母とはいえ、言ってしまえばはぐれ召喚獣のメリアージュと知り合いだというのは驚くべきことだったのだ。

 

「ええ、フェアやあなた達が生まれる前からね。その後は私がああなっていたから付き合いはないけれど」

 

「ああ、だからだね。僕達が知らないのは」

 

 それを聞いてルシアンが納得した。メリアージュが異空間に囚われていたからリシェルもルシアンも彼女のことは知らなかったのだ。だからそうなっていなかった未来があれば、きっと二人はメリアージュのことをフェアの母親として認識していたことだろう。

 

「……で、フェア。どうするんだ」

 

「どうするもこうするもないじゃない。ここまでされて行かないなんて言えるわけないでしょ」

 

 最終的な確認を兼ねたネロの言葉に、フェアは口を尖らせて答えた。これまで彼女に行くなと言う者はいない。意志表示をしていないミントやグラッドもわざわざ口にしていないだけで、反対はしていないのだろう。もし反対ならば口に出しているはずだ。

 

「それじゃ、ミルリーフと一緒に準備しよう!」

 

 ミルリーフがフェアの手を引っ張って行く。これで最初にメリアージュが言った通り、彼女も出発の準備をしなければならなくなったのだから当然だ。

 

 そしてそれを合図に、ネロや御使い達もそれぞれ準備をするために部屋に戻って行った。

 

 

 

 

 

 それから一、二時間が経ち、自分の準備を終わらせたフェアはメリアージュに忘れじの面影亭のことを説明して回っていた。母にとっては十年以上離れていたのだ。物の配置も大きく変わっている上に、今日からしばらくフェアはここを空けるのだ。よく使うものの場所くらい説明しておかないと大変だろうとう考えのもとだった。

 

 一通り案内した後、食堂に戻ってきた二人はテーブルに座って、たいして重要でないものについて簡単に説明していた。

 

「あと、バカ親父が置いて行ったものは全部倉庫にしまってあるから」

 

 フェアにとって出て行ったきり何年も帰ってきていない父親に関するものは重要ではないらしい。実際、彼女が倉庫に取りに行くのは釣竿くらいなのだからあながち間違いでもない。

 

「あらあら、そんなところにしまわなくてもよかったのに」

 

「いいの! ずっと前に出て行ったきり帰ってきたことなんてないんだから!」

 

 メリアージュの言葉にフェアは声を荒げて言い放つ。彼女の父に対する印象は相変わらず最悪のようだ。

 

「相変わらずだな。あいつは」

 

 ここにいる間ずっと寝泊まりしていた部屋の片づけと、出発の準備を終わらせたばかりのネロがフェアを呆れた様子で見ていた。もともとほとんど着の身着のままでリィンバウムに召喚されたのだ。レッドクイーンやブルーローズを除けばネロの荷物はほとんどないのである。

 

「だが、父君のことで言えばそなたも似たような問題を抱えているのはないか?」

 

 同じく準備を整えて食堂に来ていたセイロンがからかうような顔で尋ねた。

 

「別に俺はあいつのことを憎んじゃいねぇよ」

 

 一緒にするなと言わんばかりに鼻を鳴らした。確かに実の父であるバージルとはいまだ良好な関係を築いているとは言えないが、別に双方の間に怒りなどの感情的な障害はないのである。

 

 ただ二十を過ぎて、異世界で実の父に会うという事態はさすがのネロも想像しておらず、その接し方については悩んでいるのもまた事実だった。

 

 分かりやすい例で言えば呼び方がそうだ。まさかミルリーフのように「パパ」と呼ぶなどありえないし、かと言って「お父さん」とか呼ぶのもどこか気恥ずかしく感じられるのだ。

 

「ならばよいのだ。我としてもそなたらが仲違いなどされても困るからな」

 

 ミルリーフや御使い達はこれから当面の間はラウスブルグに居候する形となる。その城の現在の主であるバージルとミルリーフの父代わりのネロが険悪な関係になってしまうのは避けたいところなのだ。

 

「ガキじゃないんだ。そんなことするかよ」

 

(こちらは割と本気で心配しているのだが……)

 

 ネロの言葉にセイロンは心中で突っ込む。なにしろネロもバージルも性格が性格だ。皮肉屋で口が悪いネロが意外と気が短いバージルを怒らせた日には城も崩壊しかねない。心配して当然だった。

 

「ちょっとあんたたち、暇なら手伝いなさいよ!」

 

 そこへ箒を手にしたリシェルが声をかけてくる。ネロやセイロンのように出発の準備がない者は、しばらく料理店や宿屋として営業できない忘れじの面影亭の掃除していたのだ。メリアージュが残ると言っても一人ではできる範囲も限りられてくるし、フェアが戻る時期も定かではないため、少し早めの大掃除といったところだ。

 

「うむ。そうしよう」

 

 ネロが答える前より早くセイロンが口を開いていた。いつも一歩引いたところか物事を見るセイロンだけにほぼ即答に近い形で答えたのにはネロも驚いた。それだけ、ここのことが忘れがたいのかもしれない。

 

「ああ。他の奴らもじきに終わるだろうし、手伝わせるか」

 

 どうせなら全員でやった方がいい、そのネロの考えを口にした時、他の御使いやミルリーフが食堂に顔を出した。実に素晴らしいタイミングだった。

 

 元はミルリーフを守るために協力していた者達だが、今はただの掃除も一緒にするほど親密な関係ができていた。

 

 人間と召喚獣。リィンバウムでは利用する者とされる者と分けられる両者だが、それでも信頼関係を築くことができるという証明だった。あるいはこうした関係こそが、理想郷とも称されるリィンバウムのあるべき姿なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 それからしばらくして、とうとう忘れじの面影亭を出る時が来た。

 

「礼を言う。世話になったな」

 

「うむ。またいずれ会うとしよう」

 

 クラウレとセイロンが入り口で見送ってくれている者達に言った。ありきたりなものだが、こうして別れの挨拶ができるのもミルリーフを巡る一件が無事に解決したおかげだった。

 

「ああ、またいつでも来いよ」

 

「歓迎するからね」

 

 グラッドとルシアンが言葉を返す。ミルリーフと御使い達は拠点をラウスブルグに移すだけだ。一時的にリィンバウムを離れることになるが、いずれは彼らが再びここを訪れることは不可能ではないのだ。

 

「うん! 絶対にまた来るからね!」

 

 ミルリーフが涙をこらえながらも笑顔で言った。彼女にとってトレイユは故郷であり、忘れじの面影亭は生家だ。仲間も多いそこを離れるということはやはり辛いもののようだ。

 

「ネロ君もまた、ね」

 

「そっちも元気でな」

 

 ミントにネロが返す。しかしネロはまた会おうとは言っていない。彼は本来いるべき場所へ帰るのである。もうリィンバウムに戻って来ることはないだろう。それはミント自身も分かっているはずだが、それでもまた会えることを信じたいのだ。

 

「ありがとうネロ君。おかげで私は私として生きて行くことが出来る。君が無事に帰れることを祈っているよ」

 

 先ほどの掃除の間にネロ達が帰ることを伝えられていたセクターが言った。復讐に残された時を全て捧げようとしていた彼が変わるきっかけをくれたネロに一言でも感謝を伝えたかったようだ。

 

「この人が無事に帰れたことは私達が確認しますから心配無用ですわ」

 

 リビエルは胸を張って言った。彼女も含めて御使い全員はリィンバウムにもう一度帰って来るまで城にいるのだ。必然的にネロの故郷にも行くことになるため、しっかり元の居場所に帰ったことを確認するのは容易いことだ。

 

「でも別な世界かぁ、どうせなら私も行ってみたかったなぁ」

 

 今回赴くことになる世界はメイトルパとここでは名もなき世界と呼ばれる人間界だ。順序としては、まずラウスブルグに暮らす召喚獣を元の世界に戻すため、最初の目的地はメイトルパであり、次が人間界に行くことになっている。

 

 なんにせよリィンバウムとは異なる世界を二つも見ることができるのだ。リシェルでなくとも行ってみたいと思う者は少なくないだろう。

 

「まだ言ってるの? もう諦めなさいよリシェル。土産話くらいするからさ」

 

 フェアの言葉からするとリシェルは準備や掃除の間に随分羨ましがっていたようだ。そのせいか、中々諦めきれないらしい彼女に若干呆れているようだ。

 

「ネロさん、この子をお願いね。しっかりしてそうに見えて、意外と無茶するから」

 

「ちょ、ちょっと、お母さん!」

 

 たった今リシェルに言葉を返した時とは打って変わって、フェアは焦ったように言う。

 

「ああ、わかってたよ。確かにこいつは頭に血が昇ると見境がなくなるからな」

 

「ネロも!」

 

 メリアージュとネロにフェアは顔を赤くして抗議する。二人の言うことに自覚はあるが、それでもはっきりと言われて気持ちのいいものではない。むしろ親戚の前で自分の欠点の話をされるような気恥ずかしさがあった。

 

「さあ、そろそろ出発しよう。このままではいつまでもいるわけにはいかない」

 

 別れの挨拶がいつまでも終わる気配を見せなかったところでアロエリが口を開いた。だが、実のところその言葉は彼女が自分自身に言い聞かせている言葉だった。

 

「……ええ、そうですね。そろそろ行きましょう」

 

 アロエリの意思を汲んでポムニットが出発を促した。ラウスブルグへの案内役を務める者からの言葉だ。名残惜しいがそれでも従わないわけにはいかない。

 

「あの、お世話になりました!」

 

 それまで中々お礼を言い出せなかったエニシアがぺこりと頭を下げた。ギアンのことが心配でここに来たはいいが、ほとんど彼につきっきりだったため、これまで感謝の言葉も伝えられなかった。それでも最後に言えただけよかっただろう。

 

 エニシアの言葉を最後にネロ達が会話を打ち切ったところで、ミントがポムニットに向かって短く言った。

 

「それじゃあ、またね」

 

「うん。また、来るからね」

 

 返す言葉もまた短い。しかし親友と言っても差し支えない二人である。別れの言葉はそれで十分だった。

 

「行きましょう」

 

 そしてネロ達に向き直ると彼らを先導するように前に出で歩き出した。

 

 後に続く彼らはポムニットから離れないように歩きながらも、忘れじの面影亭が見えなくなるまで何度も振り返り、別れを惜しむように手を振り続けた。

 

 

 

 

 

 それからしばらくして、ポムニットに案内されたネロ達はラウスブルグに辿り着いた。

 

 ラウスブルグはまさか堂々と空に浮かんでいるわけにもいかないため、常時ラウスの命樹の作り出した異空間に身を隠している。そのため、外界との行き来は転移の門(ゲート)と呼ばれる秘術を用いて行われる。これは言ってしまえば一種の転送装置のようなものであり、ラウスの命樹の命樹を作り出した古妖精の秘術である。

 

 古妖精達が造り出したラウスブルグにもその機能が備わっていて当然だった。

 

「久しぶりに帰ってきたようですわ……」

 

 まるで数年ぶりに帰ってきたように感じたリビエルが周囲を見回しながら呟いた。城の入り口から見えるこの景色は以前とほとんど変わっていない。それでも長い時が経っているように感じたのは、それだけラウスブルグを追われてから今までの出来事が濃密だったということだろう。

 

「うむ。実際は半年と経っていないはずなのに不思議なものだ」

 

「だが、正直なところ俺はこうしてお前達と共に戻って来れるとは思ってなかったぞ」

 

 セイロンに続きクラウレが言った。彼は、一度はギアンの側につき、他の御使い達と敵対することを選んだのだ。それがかつてのように同僚と肩を並べて生まれ故郷に戻って来ることになるとは想像もしていなかった。

 

「でも兄者、みんなもメイトルパに帰ることができるんだ。オレはこれでよかったんだと思う」

 

 アロエリが言う通り、クラウレの望みであった同胞の帰還は叶う。たとえ、彼が思った形ではないとしてもそれは喜ばしいことには違いない。

 

「それじゃあ、まずはバージルさんのところに行きましょう」

 

「うむ。……ところで彼はどこに?」

 

「大広間にいるならいいが、これほどの大人数だ。全員が入れる部屋は限られてくると思うが……」

 

 セイロンが尋ね、クラウレが心配した。なにしろ、この場にいるのはポムニットとエニシアも含めて九人だ。さすがにそこらの部屋では落ち着いて話もできない。

 

「……みなさん、大広間で待っていてください。呼んできますから」

 

 まさか、ぞろぞろとバージルの部屋に連れて行くわけにもいかない。そのため、とりあえず大広間にバージルを呼んでくる方向に帰ることにした。

 

「なら案内は不要ですわ。どうぞ呼びに行ってくださいな」

 

 リビエルが眼鏡を押し上げながら言う。案内が不要なのも当然、御使い達がラウスブルグに住んでいた期間はポムニットのそれより長いのだ。城の構造や部屋の位置については今でもよく覚えている。

 

「そ、それじゃあお願いしますね。すぐに呼んできますから」

 

 そう言ってポムニットは城の中へ走って行く。それを見送ってからネロ達も御使い達の案内で大広間に向かうことにした。

 

「随分とでかいもんだな」

 

「ほんとだねー……」

 

 城を見上げていたネロとミルリーフが感嘆したように言った。城の広さ自体は彼の故郷にある古城フォルトゥナ城と同程度と思われるが、高さをそれ以上だ。こんな巨大なものが世界を行き来する船だとは到底思えない。城以外の部分も含めれば一つの町がまるごと船になっているようなものなのだから当然だ。

 

「ここで最も重要な場所なのだ。それだけ防備を固める必要があったのだろう」

 

 御使いの長でありラウスブルグの持つ力も知るクラウレだが、彼もラウスブルグで生まれた世代であり、古妖精によって城が建造された経緯までは知りえなかった。

 

 それでも城にはラウスブルグの全機能を司る制御の間がある。その部屋の重要性を考えれば大層な城を造る理由足りえることは想像に難くない。

 

「でも二回も攻め落とされてるんでしょ?」

 

「一度目は里の同胞達がギアン達に同調していたこともあって、先代は戦うことを選ばなかったからな」

 

 フェアの言葉に往時のことを思い出しながらセイロンが答える。先代守護竜は至竜だ。その力を持ってすれば城に攻め寄せるギアン達や彼らに同調した十人を蹴散らすことは不可能ではなかっただろう。

 

 それでも同胞を傷つけることをよしとせず、さりとて彼らの要求であるラウスブルグの力を発揮することもよしとしなかった先代は死を選んだのだ。

 

「…………」

 

「まあ、そのおかげで俺は帰れるんだけどな」

 

 エニシアが暗い顔をしたのに気付いてネロはフォローの意味も込めて口を開いた。もっとも、仮にギアン達のことがなくとも、バージルによってラウスブルグが奪われていた可能性は高いだろうが。

 

「……その通りかもしれない。今回の件がなくとも、いつまでも隠し通せるとは限らないだろう」

 

 これまでは外界にラウスブルグの力が知られていないものだと思っていたのだが、ギアンが知っていた以上、完全に隠し通せたわけではない。いずれその力を求めて多くの者が押し寄せる可能性すらありえる。

 

「あの男の手に渡ったのが吉と出るか凶と出るか……」

 

 アロエリの言葉を聞いてセイロンが呟く。現在のラウスブルグの支配者であるバージルは、城の力を使うことを断じて認めなかった先代の意思に反する行動をしようとしているが、何が目的かはわからない。彼としてはそれが大きな悲劇に発展しないことを祈るしかなかった。

 

 そのまま、歩を進めた彼らはほどなくポムニットから示された大広間へ着いた。九人どころか何十人単位で入りそうな程大きな空間だ。正直、大きすぎる感も否めなかった。

 

「遅かったな」

 

 既に大広間にいたらしいバージルが声をかけた。それはラウスブルグに来ることを言っているのか、大広間に来るまでのことを言っているかは分からなかった。もっとも、特に起こっているわけではなさそうだったが。

 

「そう言うなよ。これでも急いできたんだ。……それで出発はいつなんだ?」

 

 ネロが肩を竦める。特段急いだわけではないが、言われっ放しでいるほどおとなしい性格ではなかったようだ。

 

「今日中に。今、確認に行かせている」

 

 バージルは自分を呼びに来たポムニットから話を聞くと、彼女に全員揃っているか確認に行かせたのだ。彼にしてみれば他の者などどうでもいいが、このあたりはアティやポムニットがうるさいのだ。

 

 出発はその確認が済み次第となるため、実際はあと一、二時間の内に出発となるだろう。

 

 そんな中で二人のやりとりを聞いていた御使い達四人は、それぞれ目線を合わせると頷き合った。

 

 そして四人を代表するかのようにクラウレが口を開いた。

 

「……一つ、聞かせてほしい」

 

「何だ?」

 

「あなたはこの城を手に入れて何をしようというのだ?」

 

 それは永きに渡りこのラウスブルグを守ってきた先代守護竜の最期を見届けた者としてのけじめだった。先代はラウスブルグが争いの火種になることを危惧していた。それは御使い達も、一度はギアンについたクラウレでさえも同じなのだ。

 

 もし、バージルの目的が世界に争いを齎しかねないなら、たとえ勝てないでも戦いを挑むだろう。少なくとも先代の意思に真っ向から反する者のもとでのうのうと暮らすわけにはいかない。

 

「……結果的には貴様らのためになるだろう」

 

 少し考えてバージルは答えた。人間界ですることを正直に話しても彼らには理解できないことは目に見えたいたため、己の計画が完遂された時のことを話したのだ。

 

「…………」

 

「気に食わなければ相手をしてやってもいいが?」

 

 納得できないのか黙り込む四人にバージルは貴様らの考えなどお見通しだとばかりに薄く笑った。

 

 だが御使い達がその言葉に答えることはなかった。その前にアティとポムニットが大広間にやってきたのだ。

 

「みなさん、ごめんなさい。ちょっとバージルさんから頼まれたことがあって……」

 

「確認はとれたか?」

 

「みなさんに頼んでます。人手は多い方がいいと思って」

 

「そうか」

 

 どうやらポムニットはバージルから頼まれた確認をレンドラーやゲック達に任せたらしい。彼らなら自分からの命令と言われれば断れないだろうし、随分と要領よくやったものだとバージルは意外に感心していた。

 

「もう少しで出発ですし、みなさんとの顔合わせは夕飯の時にして、部屋で休んでいてください」

 

「あ、先生、私が案内しますから!」

 

 ポムニットはアティに代わり「さ、こっちですよ」とネロ達を誘導し始めた。御使い達もこの場で確かめるつもりはなくなったらしく、大人しく彼女の後について行ったようだ。

 

「とうとう出発ですね。最初にこの話を聞いた時は本当に行けるのか心配でしたけど、なんとかなっちゃいましたね」

 

「もとより成算はあった。仮になくともなんらかの手段で向こうに行かねばならんが」

 

 それを聞いたアティが、そこまでして人間界に行く理由を口にした。

 

「……ご両親の形見でしたよね。取りに行くのって」

 

「そうだ。……より正確に言えば、それと俺の持つアミュレットと合わることでようやく手に入るもの――」

 

 

 

 それはかつてバージルが欲し、ついに手にすることができなかった父の力の象徴。

 

 

 

「――魔剣スパーダ」

 

 

 

 

 

 

第5章 希望の担い手 了




新年第一回目の投稿になります。今年はDMC5の発売という一大イベントもありますが、投稿頻度は落とさないようにしたいものです。

ところでサモンナイトの新作とかUXの新刊はいつになるのだろうか。



さて、次回は1月12日か13日に投稿予定です。

ご意見ご感想お待ちしております。

ありがとうございました。


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第6章 帰郷
第99話 幻獣界への道


 地面に敷き詰められた石畳から何かが落ちたような軽い音が響いた。

 

「おっと、切れちまったか」

 

 それを落とした男ダンテは石畳の上に落ちたアミュレットを拾い上げた。言葉通り首に掛けるための鎖が切れたせいで落としてしまったようだ。

 

「……しかし、こいつが切れるのも久しぶりだな」

 

 前に切れたのは二十年以上前に兄と再会した時だ。もっともその時は、切れたというより閻魔刀で鎖を斬られたと言った方が適切だが。

 

 何にせよダンテはこのタイミングで鎖が切れたことに予感めいたことを感じていた。

 

「そろそろ親離れしろってことか」

 

 鼻を鳴らしながらやれやれと息を吐いた。ダンテの背には父の形見フォースエッジが背負われている。それを使って先ほどまで仕事をしていたのである。

 

 彼自身の得物は父から授けられたリベリオンだが、特に理由はないが時折こうしてフォースエッジで仕事に赴くことがあるのだ。だが、そんな父の形見を持っている時に母の形見を繋ぐ鎖が切れたのである。ダンテが皮肉交じりにそんな言葉を吐いたのも無理からぬことかもしれない。

 

(それとも、あんたが来るのか?)

 

 胸中でダンテは兄に言葉を投げかけた。まずダンテ自身が形見を捨てるようなことはありえない。となれば彼が手放すことになる理由としてまず考えられるのは、兄バージルだ。

 

 どこかで生きているのは知っているが、何をしているかまでは知らない。それでもバージルならばアミュレットとフォースエッジの本当の姿を知っているし、実力的にもダンテからその二つを奪うことも不可能ではないだろう。

 

 それは言ってしまえばかつての兄弟喧嘩の再現だが、今のダンテにはそれを茶化してやろうと思うくらいの余裕があった。

 

「その時はネロの話でも聞いてやるか」

 

 フォルトゥナの事件で出会い、今は行方知れずの青年。彼が兄の息子であることをダンテは何となく悟っていた。何しろあのネロという青年の目は兄とよく似ている。おまけに悪魔の力も感じるのだからまず間違いはないだろう。

 

 そうしたこともあるからか、ダンテはネロが行方不明になったと聞いてもさほど心配はしなかった。冒険の一つでもして、無事に帰って来ると思っていたのだ。むしろ土産の一つでも買って来るんだろうなと密かに期待さえしているほどだ。

 

 もっともそれがまさか、異世界で兄とある意味感動の対面を果たし、一緒に帰って来るなどとは、さすがのダンテも予想できなかった。

 

 

 

 

 

「クソッ……!」

 

 ネロが悪態をつく。肩で息をしながら膝をついていた。それでも頭は下げず、正面を見据えている。

 

「……ここまでだな」

 

 ネロの前に立っていたのはバージルだ。ネロとは正反対に息の一つも切らしていないまま、終了を宣言した。

 

 場所はラウスブルグの庭に当たる場所、そこで二人はちょっとした模擬戦を行っていたのだ。元はバージルが、魔人化を体得したネロがどの程度強くなったのか計るために声をかけたものである。

 

 ネロとしても先の戦いのリベンジの意味も込めて応じたのだが、その結果が膝をつくネロと悠然と立つバージルだった。やはり力の差はまだまだ大きいらしい。

 

「……いやになるぜ。まさかあのおっさんみたいに強いのがもう一人いるなんてな」

 

 座り込んだまま呟いた。ネロは自分が世界で最も強いとは思ってないが、それでも世間一般から見ると規格外の力を持っているとは自認している。そんな自分を容易く打ち倒すのが僅か数年の間に二人もいたのだ。溜息をついても仕方がないだろう。

 

「もう一人だと?」

 

「ああ、ダンテっていう奴でな。俺と同じデビルハンターだ」

 

 言葉を繰り返したバージルにネロは名前と職業くらいはいいだろうとその男の名前を口にする。ところがそれを聞いたバージルは顔を顰めた。まるで聞きたくない名前を思いがけず耳にしてしまったような顔だった。

 

 だが、すぐに表情を戻すと息を吐いて答えた。

 

「知っている。……ダンテは弟だ。双子のな」

 

 それを聞いた思わずネロは、一瞬「は……?」と呆けるように口を開いたが、言葉の意味を理解すると今度は込み上げてくる笑いを堪えながら口を開いた。

 

「何だよ。世間ってのは随分と狭いな」

 

 言われてみればそうだ。ダンテとバージルは性格こそ正反対だが、同じ髪の色をしているし顔立ちもかなり似ている。双子の兄弟と言われても何ら違和感はなかった。

 

 そんな風にネロが考えている時、バージルはネロの言葉を聞いて少し考え込んでいた。

 

(この軽口……(ダンテ)の影響かもしれん)

 

 ネロは表面上こそともかく、根はかなり真面目であることはバージルも知っている。だが彼が気になったのは、表面上の態度や言葉遣いの方だった。

 

 ネロの生まれ育ったフォルトゥナはスパーダを神と崇める敬虔な信者が多数を占めており、そんな神の代替者として他人に救いの手を差し伸べる者も少なくない。そんなところで育ったのだから神を信じるかは別にしても、態度や言葉遣いもそれ相応のものになりそうだが、現実は見ての通りだ。

 

 最初は色々あったのだろうと、たいして気にも留めていなかったが、ネロの口からダンテの名前が出てきたことで、それらが弟の影響である可能性がバージルの中で急浮上したのである。

 

(……まあ、今すぐどうこうすべき問題ではないか)

 

 ネロがダンテのような態度や言葉遣いをしているのは気になるが、今のところ実害はない。これが普段の生活にまで弟の影響が見えるようだったら対処しなければならないかもしれないが、少なくとも今すぐに改めさせる必要はないと判断した。

 

 そしていまだ座り込んだままのネロに言葉をかける。

 

「手でも貸してやろうか?」

 

「いらねぇ、勝手に戻る」

 

「そうか」

 

 ネロの答えを半ば予想していたのか、バージルは口角を上げながら踵を返した。息子の様子を見る限り、ダンテの話をするまでは、自分に勝てなかったことに悔しさを感じている様子だった。

 

 ならば次に剣を交わす時にはもっと強くなっているだろう。

 

 そしてバージルはネロが大きく息を吐いて仰向けに寝転がる音を聞きながら庭を後にする。その時、何かを思い出したかのようにやれやれとため息を漏らしながら口を開いた。

 

「こっちは終わった。後は好きにしろ」

 

 声をかけたのは庭の隅から先ほどの模擬戦を見ていたらしいフェアとエニシアだ。どうも二人はネロのことが心配になって身に来たようだが、さすがにバージルとネロが戦っているところに近付こうとは思わなかったらしい。

 

 声だけを掛けたバージルはそのまま視線も合わせずに立ち去ることにしたが、それでも二人がネロの下へ駆け出す足音は耳に入ってきた。

 

 それを聞きながらバージルはミルリーフがいる場所へ向かった。

 

 バージルに加え、フェアとエニシアが自由にしていることから分かるように、現在ラウスブルグは移動を停止している。代わりに二、三日前に至竜となったばかりのミルリーフがゲルニカに代わっているのである。

 

 とはいえ、ミルリーフがその役を担うのは今日が初めてであるため、不測の事態に備え念のため移動を止めたのである。かじ取り役の三人が揃っていたのはこのためだ。

 

 至竜ゲルニカと誓約者(リンカー)ハヤト、それに御使いの長クラウレが傍につき、万全の態勢で臨んだミルリーフの練習もそろそろ終わりを迎えている頃だ。バージルはその結果を聞きに行くつもりなのだ。

 

 ただ、ラウスブルグには特段の異常は認められないため、少なくとも失敗したということはないだろう。

 

 そのまま少し歩くと目的の場所に到着した。そこには人の姿に戻ったミルリーフと御使い達はいたが、ゲルニカの姿は見えない。おそらく既にミルリーフと交代したのだろう。

 

「結果はどうなった?」

 

「大丈夫! うまくできたよ、おじいちゃん!」

 

 問いに嬉しそうに答えたミルリーフの言葉にバージルはぴくりと反応した。反応したのはもちろん「おじいちゃん」という表現だ。血の繋がりこそないとはいえ息子であるネロの娘である。彼女にとって父の父である自身をそう呼ぶのはごく当たり前のことなのだそうだ。

 

「……そうか」

 

 さすが鉄面皮のバージル、示した反応はそれだけだった。とはいえ、ミルリーフがそう呼ぶようになってから既に数日経っているため、ある程度慣れもあるのだろう。ちなみに、おばあちゃんと呼ばれたアティは早々に先生呼びに訂正させていたが。

 

「御子さまは先代の全てを継承しておられる。心配するようなことはないだろう」

 

「ならいいがな」

 

 至竜となったミルリーフを完全に信用しているクラウレの言葉にバージルはぼそりと返した。ミルリーフが全て継承したことは知っているが、それでもいきなり本番など博打が過ぎると判断したのだろう。特に至竜になったとはいえ、天真爛漫な性格は変わっていない。その性格がバージルを慎重にさせたことは否めなかった。

 

「おじいちゃん、パパとママは?」

 

 そんなバージルの考えなど露知らず、ミルリーフはネロの場所を尋ねた。彼女は朝食を食べて以来、二人とは会っていない。きっと今日の成果を報告しに行くのだろう。

 

「庭だ。おそらく今もいるだろう」

 

 それを聞くや否やミルリーフは「ありがとう!」と言い残して庭に走って行く。今までのことで少なからず疲れているだろうに、元気なことだ。

 

「ああしていれば、ただの子供にしか見えないのにな」

 

 走り去るミルリーフを見ながらハヤトが呟く。一時とはいえ、とてもゲルニカの代わりになっていたとは思えないと言いたげだった。

 

「それはお前にも言えるのではないか? とても当代のエルゴの王とは思えなかったぞ」

 

「そんなのになったからって偉そうにしなきゃいけないわけじゃないからさ。なにより堅苦しいのは苦手だしな」

 

 一応、ハヤトも自分がどういう存在なのか自覚はしているが、仲間はいつも通りの接し方だし他人にもフラットで暮らす一人程度の認識しかされていないのだ。実感湧かないのだろう。

 

「そうか……いや、むしろその方がいいのかもしれないな。今のエルゴの王がこの世界の人間ではないと分かれば争いの種になりかねん」

 

 クラウレはそう言うが、実際のところ世間一般にはハヤトがエルゴの王などと名乗っても信じてもらえないだろうし、むしろはぐれ召喚獣扱いされるのが関の山だ。

 

「何を言っている? 先のエルゴの王とやらもリィンバウムの人間ではないだろう」

 

 バージルが何を勘違いしているんだと口を挟むが、その言葉を聞いた二人は目を見開いて驚いた。

 

「え? 少なくとも俺はずっとこの世界の誰かが選ばれたものとばかり思っていたんだけど……」

 

「あ、ああ。俺も同じく思っていた」

 

 エルゴの王は異界の侵略からリィンバウムを護り、後に歴史上唯一の統一国家を建国したまさに救世の英雄だ。神なき世界であるリィンバウムで唯一、信仰を集める存在なのだ。

 

 それがリィンバウムの人間ではないとなると、下手をすれば歴史の根底からひっくり返るほどの衝撃となるだろう。

 

「……確かに出身が異世界だと書いていたものはなかったか」

 

 バージルはこれまで読んだ本の内容を思い出しながら答える。同時にリィンバウムの人間であると明言されたものもなかったが、それは書くまでもない大前提だからだ。

 

「じゃあもしかしてそれを聞いたのって……」

 

「想像の通りだ」

 

 ハヤトの言葉を肯定する。バージルはラウスブルグの情報を得たときのように何度か界の意志(エルゴ)と接触している。エルゴの王について聞いたのもその時のことだった。

 

「少なくとも軽々しく口にするべきことではないな。……俺もこの話は忘れよう」

 

 クラウレはバージルの極めて重大な事実をあっさりと口にする姿勢を暗に責めた。ハヤトは己の立場がどういうものであるか弁えた言動を取っているが、この男の場合はそれがない。

 

 一時は武力によってラウスブルグを占領したギアンに仕えたこともあるクラウレだが、それは同胞を案じてのことであり、平素の彼は理性的な戦士なのだ。戦いに際してこそ勇猛果敢ではあるが、決して自ら戦いを求めるような好戦的な男ではなかった。

 

「そういうことなら俺も黙っとくよ」

 

 ハヤトも思うところはあるようだが、それは口にせずバージルの言ったことを口外しないことを誓った。

 

「好きにすればいい。元より人間のことなど興味はない」

 

 そもそも、バージルのそのことを界の意志(エルゴ)から聞いたのは、今回の「計画」策定にあたり、世界の創造主である界の意志(エルゴ)から情報を得ようとしたからだ。その中で世界創造から今に至るまで一通り聞いていたため、初代エルゴの王のことも聞いただけにすぎなかったのである。

 

「そう言いながら先生とかポムニットさんとか結構気にして……」

 

 そこまで言ってハヤトは失言に気付いた。この言い方ではまるでバージルをからかっていると思われかねない。この男をからかって無事で済みそうなのはそれこそ、言葉に出したアティとポムニットだけだろう。

 

「あの二人は特別だ。当然だろう」

 

 思ったより棘のない言葉にハヤトは安堵したが、直後バージルは言葉を続ける。

 

「貴様にも似たような者がいるだろう。それと同じだ」

 

「う、ま、まあ、そうだけどさ……」

 

 まさかあのバージルからその方面の話を振られるとは思っていなかったハヤトは狼狽えながら答えた。そして、その様子をクラウレは微妙な顔つきで眺めている。

 

(……そうか、二人とも……そうか……)

 

 しかし視線はどこか遠くを見ているようで、さらには羨望の色もあった。

 

 御使いの長クラウレ、生まれてから今日に至るまで色っぽい話は何一つなし。己が人生の選択に悔いはないが、それでもハヤトとバージルの少し羨ましく思っているようだった。

 

 

 

 

 

 現在ラウスブルグは完全にリィンバウムから離れ、幻獣界メイトルパを目指している。当然到着するまでの間はどこに行くこともできない。ラウスブルグ自体が巨大であるとはいえ、閉鎖空間には変わりなく長くいるとどこか飽きがくるものだ。

 

 そんな中で食事は唯一の娯楽と言ってもいいものだった。

 

「フェアさん、こっち終わりましたよ」

 

「ありがとうポムニットさん。私の方も後は煮込むだけだから一息吐けるよ」

 

 厨房でテキパキとポムニットとフェアが動く。この二人がラウスブルグの厨房を取り仕切っているのだ。どちらもこれまで料理を作ってきたため手慣れている。大人数の食事を作らなければいけない現状も軽々とこなしていた。

 

「それにしてもフェアさんが手伝ってくれてよかったです。私一人じゃ、どうしてもレシピが限られますし……」

 

 特にフェアが来たのは嬉しい誤算だ。料理店を経営しているだけの腕と手際の良さを持った彼女が加わったことで、ポムニットの負担も減り、余裕もできたためレパートリーも増えたのだ。

 

「料理ならお店でも作り慣れてるから気にしないで。……それにしても色々あるんだね、ここ。ウチより揃ってるかも……」

 

 ポムニットに笑顔で返す。もはやフェアにとって料理を作ることは生活の一部であるため、むしろしない方が居心地が悪いのだ。

 

「元々結構大きかったので、つい色々と買っちゃって……」

 

 厨房に置かれた調理器具を眺めていたフェアに照れ笑いを浮かべながら言葉を返す。元々ここの厨房はあまり使われていなかったらしく、設備もだいぶ傷んでおり、ポムニットが使うにあたってだいぶ買い足したのである。と、そこまではよかったが、あれもこれもと言ううちに大きな料理店並みの設備になってしまったのが真実だった。

 

「ってことは、あの人って結構お金持ちなの?」

 

 バージルは元々それなりに金を持っていたが、少し前にアズリアにギアンの情報を売ったことでさらに財布が潤っていた。とはいえ、それを知らないポムニットはフェアの言葉であらためて疑問になった。

 

「……どうなんでしょう? 島ではお金はほとんど使わないから気にしませんでしたけど、言われてみれば今回は結構買い過ぎたのに何も言われませんでしたし……」

 

(ポムニットさん、甘やかされてるなあ……)

 

 彼女の答えを聞いてフェアは遠い目をした。もし無駄遣いされたのが自分であれば相手がネロやミルリーフでも怒るか小言の一つでも言うだろう。そういう意味でバージルは随分甘いようだ。

 

「持ってきたぞ。どこに置けばいい?」

 

 そこへアロエリとリビエルが現れた。二人とも腕に大きな袋を抱えている。

 

「急にお願いしちゃってごめんね。テーブルの上に置いてくれる?」

 

 二人が持ってきたものはフェアに頼まれた麦粉と砂糖だった。

 

「構いませんわ。特にすることもありませんもの」

 

「ああ、御子さまには兄者がついているしな」

 

 最初はミルリーフに全員でついているつもりだったのだが、さほど心配することもないだろうというクラウレとセイロンの意見で、長であるクラウレだけがつくことになったため、二人は手持ち無沙汰だったのだ。

 

 一応、フェアから頼み事をされる前は、城の外で暮らすアロエリの同胞達の様子を見に行っており、ずっと城の中でぐうたらしていたわけではないが。

 

「あ、そういえばさっきミルリーフと会ったよ。上手くいったってさ」

 

 さきほどエニシアと共に、バージルとの模擬戦後のネロを労っていた時にやってきたミルリーフが自慢げに言っていた。「まだ生まれたばかりなのに、こんな大きなお城を動かせるんだ」と感心と同時に驚きがあったことを覚えていた。

 

「さすがは御子さまだ」

 

 アロエリが口を開く。リビエルも言葉にしないまでも同じ気持ちのようで大きく頷いていた。

 

 その二人の反応に苦笑しながらフェアはさて、と口にして持って来てもらった砂糖の袋を手にした。同じようにポムニットは小麦粉の袋を手に取った。

 

 フェアから頼まれた時には既にいい匂いが厨房に立ち込めていたため、夕食の準備はまもなく終わるだろうと思っていたらしいリビエルはそれを見て尋ねる。

 

「あら? これから何か作るんですの? てっきり明日の材料かと思いましたが」

 

「こっちはそうですよ。ただ生地は今日の内に作って、明日は焼くだけにしてるんです」

 

 パンを作ると言っても生地から作っていたのでは、夕食はともかく朝食に出すのは難しい。だから今のうちに生地だけ作っておくことで、朝食にも焼き立てのパンを出せるようにしているのだ。

 

「でもこっちは違うよ。さすがにパンとシチューだけじゃ寂しいからデザートでも作ろうと思って」

 

 夕食の献立はパンと野菜をたっぷり入れたシチューだった。具材がたっぷりと入っており、量だけならこれまでの夕食と変わりないが、フェアはやはり二種の料理だけでは夕食としては寂しいと思ったようさ。

 

「それは素晴らしいですわね!」

 

 甘い物には目がないリビエルは一も二もなく賛成した。

 

「あ、そうだ。せっかくだし二人とも手伝ってくれない? 余ったデザートあげるからさ」

 

 一応、分担としてはポムニットが明日のパン生地を、フェアがデザートをそれぞれ作ることとしているが、パン生地の方は必要な量が量であるため中々大変なのだ。

 

「その話、乗りましたわ」

 

「オレも構わない。じっとしているよりずっといい」

 

「二人ともありがとうございます!」

 

 デザートの余りというエサであっさりと釣れたリビエルに続きアロエリも頷いた。

 

 そしてポムニットと共に生地をこねていると、今度はアティとクラレットがやってきた。

 

「ごめんね。ちょっと厨房借りてもいい?」

 

 現在厨房では四人が作業しているとはいえ、まだ空間的には余裕があったためアティはそう尋ねた。

 

「構いませんけど、何か作るんですか?」

 

 よく見るとクラレットは果実が入った袋を手にしている。二人はそれを使って作ろうと言うのだろう。

 

「うん。クラレットちゃんとお夜食を作ろうかなって」

 

 買い込んだ食料の中にはもちろんお酒も入っているため、夜に飲む者も少なくない。アティもたまにバージルと飲んでおり、そのつまみを兼ねた夜食は彼女が手ずから作ることも珍しくなかった。

 

「ええ、私もたまにはハヤトに何か作ってあげようと思って……」

 

 サイジェントにいる時はリプレが、ラウスブルグに来てからはポムニットとフェアが食事を作っているため、彼女が自らの手で作った料理をハヤトに振舞うことなどほとんどなかった。

 

 ところが、普段はポムニットに料理を作ってもらっているアティから、たまには自分で作った料理を食べてもらっているという話を聞いて是非自分も、ということになったのである。

 

「喜んでもらえるといいですね」

 

「は、はい」

 

 にこりと笑顔で浮かべたポムニットの言葉に、考えを見透かされたように感じたクラレットは顔を赤くしながらも頷くと、アティに続いていつの間にか大所帯となった厨房に入っていった。

 

 

 

 

 

 それから数時間後、ネロは食堂で酒を飲んでいた。ただし一人ではない。向かいにはレンドラーとゲック、隣には煙草を咥えたレナードがいた。

 

「まさか小僧、お前とこうして酒を酌み交わすことになるとはな。最初に会った時のことを考えればこうなるとは思わなかったぞ」

 

 酒の力かレンドラーは珍しく饒舌な様子だ。

 

「何だ、敵同士だったのか?」

 

 今回の酒の席にネロを誘ったのはレナードだった。元々はレンドラーと飲もうという話になっていたのだが、その時近くにいたネロも誘われたのだ。ゲックも同じ理由この場にいるようである。

 

「戦ったのは事実だが、別に敵だとは思ってねぇよ」

 

「言いよるわ、この小僧!」

 

 笑いながらグラスに入った酒を一口飲む。ネロの言い方は彼らを敵と見なしていない雑魚扱いとも取られかねないものだったが、レンドラーはさほど怒ってはいないようだ。

 

「しかし、お前さんも俺様と同じ世界の出身とはね。案外、世界は広いもんだな」

 

 互いに簡単な来歴は知っている。ネロもレナードもお互いが生まれ故郷である名もなき世界へ帰ることを目的としていることも把握していた。それでもレナードにしてみれば、スペクタクルとはかけ離れた世界だと思っていた自分の生まれた世界にも悪魔が存在しているなど夢にも思わなかったのだ。

 

「向こうじゃ俺みたいのはまずいないからな」

 

「仕事は何してるんだ? やっぱりそっち関係か?」

 

「ああ。……昔は騎士をやってたが、数年前に仕事を変えてね」

 

 興味津々に聞いて来るレナードにネロは淡々と答えた。彼も酒は飲んでいるが、まだ酔いが回るほどは飲んではいないようだ。

 

「何ィ、小僧、お前が騎士だと!?」

 

「人は見かけによらないものじゃな」

 

 ネロの言葉を聞いた二人が声を上げた。規律に縛られた職業には向かない性格をしているネロがまさか騎士をしているとはまさに驚愕だった。

 

「つっても仕事は一人で回してたけどな」

 

「まあ、そうじゃろうな。お主なら一人の方が向いているじゃろうて」

 

 ネロの話を聞いたゲックが納得したように頷いた。ネロの性格は集団行動には向かないが、同時に彼の強さなら単独でも任務を遂行できると判断されるのは想像に難くなかった。

 

「しかし、今はしてないんだろ、何で辞めたんだ?」

 

「騎士もなりたくてなったわけじゃないし、悪魔も何とかしなきゃならないって思ってたしな」

 

「立派なもんじゃねぇか。まだ若いのに大したもんだ」

 

 レナードは感嘆したようにネロを褒めた。最初は口が悪いが腕っぷしは強い若造くらいに思っていたが、その認識を改める必要があるだろう。

 

「うむ、ワシが同じ年の頃なんぞ自分のことしか考えてなかったわい」

 

「まあいいんじゃねえか? 年取ってからでも気付けたんなら」

 

 ネロとてあの一件という「きっかけ」がなかったら、騎士団にいて適当に過ごしていただろう。その意味ではゲックの「きっかけ」となることが起きたのがネロより遅かったというだけにすぎないのだ。

 

 その言葉を聞いたレンドラーは口を大きく開けて大笑いした。

 

「言いよるな小僧!」

 

 レンドラーはネロに辛酸を舐めさせられたとはいえ、それほど悪感情を抱いていたわけではない。むしろ小細工を弄せず正面から戦う姿勢には好感を持っていた。その上で今の言葉だ。

 

 つまるところレンドラーはネロのことを気に入ったのである。だからか、彼はすぐ手ずからネロのグラスに酒を注いだ。

 

「さあ飲め! それともこれでは我輩に勝てんか?」

 

「言ってろ」

 

 ネロはそう返すが、そこまで言われて何もしないわけにはいかない。一気にグラスを呷り勢いよく酒を飲み干した。

 

 その飲みっぷりに機嫌をよくしたレンドラーが「さあもっと飲め!」と笑いながらさらに酒を注ぎ、レナードも「お、やるねえ」と囃し立てるように笑う。さすがにゲックは「若いのう」と苦笑するが止めはしなかった。

 

 そうして、思った以上に話が盛り上がり、アルコールがほどよく四人の体を包んだ頃、ゲックが少し真面目な顔で口を開いた。

 

「……正直なところ、姫様は母君に会うことができると思うか?」

 

「何を言う、教授。獣皇や里の者もいるではないか。探し出すのも決して不可能ではなかろう」

 

 ゲックの懸念が広い幻獣界でエニシアの母親を探し出すことだと思ったレンドラーは、ラウスブルグには幻獣界で生まれた者達のことを示した。

 

「……それとも別な問題かい? 見つけることはできても会うことはできない、とか」

 

「何を馬鹿な!? 子に会いたくない親などいるはずがなかろう」

 

 別な可能性を思いついたレナードがそれを口にするが、すぐさまレンドラーが否定する。親が子を恨むのことあることは分かっているが、今回の場合、子とはエニシアなのだ。彼女の性格から考えても親に恨まれるなどありえるはずもない。

 

「そうではない、落ち着くのじゃ将軍よ。……姫様の母君のような古き妖精はこのラウスブルグのような、普通とは異なる空間で暮らしているそうじゃ。そんな閉鎖的な種族が同じ血を引くとはいえ、姫様を受け入れると思うか?」

 

「それは……」

 

 ゲックの言葉にレンドラーは口ごもる。代わりにネロが即答した。

 

「んなこと知るかよ。会わなきゃ何も始まんねえんだから首根っこ掴んでも連れてくるしかないだろ」

 

 目的のためなら規律も秩序も意に介さない、まさしくバージルの血を引いていることを証明するような考えだ。下手をすればリィンバウムにも大きな混乱を巻き起こすかもしれないが、ネロは必要とあらば実際にやってみせるだろう。

 

「おいおい、連れてくるのはあのお姫様の母親だぜ。さすがに首根っこを掴むのはマズいだろうよ」

 

「我輩とてそんなことはしたくないが、向こうの出方によってはやむを得まい」

 

 レナードが冗談めかして言った言葉にレンドラーが続く。二人とも最初から強行策ありきという考えではないが、それでもネロの言葉を完全に否定しないあたり、心情的にはそれをしてでもエニシアを母に会わせてやりたいのだろう。

 

(やはり将軍の言うように相手の出方を見て判断するしかないじゃろうな……)

 

 ゲックも二人と同じ気持ちなのは間違いない。それでも召喚師である以上、他の三人よりメイトルパについて詳しい彼は余計な軋轢を生みたくはなかったのだ。

 

 それでも結局はその時になるまでどちらに転ぶか分からない。今のゲックにできることは、どうか穏やかに再会が果たされるようにと祈ることだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




今回から新しい章となります。恐らく10話から15話くらいの長さになるでしょうか。

そういえば今年サモンナイト19周年、来年で節目の20周年になりますね。UXはなんとなく来年でそうな気がします。

さて、次回は1月26日か27日に投稿予定です。

ご意見ご感想お待ちしております。

ありがとうございました。




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第100話 竜尋郷の至竜

 見渡す限り果てしなく続く、透き通った青空と地平線まで続く緑豊かな大地。どこまでも自然の力を感じさせる世界。それが最初に見た幻獣界メイトルパの光景だった。

 

「わぁ、すごい……」

 

 城の空中庭園でネロやレンドラー達と共に感慨の声を上げているのはエニシアだ。今は彼女ではなくフェアが舵取りを行っているため、ここで母親の故郷をいち早く見ることができたのである。

 

「何だろう、あれ……?」

 

 ネロの隣で同じように景色を眺めていたミルリーフが空の一点を指さしながら呟いた。その方向に目をやると黒い点が少しずつ大きくなっている。何かが近づいているようだ。

 

「あれは、竜か……?」

 

 レンドラーがシルエットから読み取ったのは竜だった。そしてその数秒後にはその見立ては誤っていなかったことが証明された。そんな竜がラウスブルグに向かって来ているのだ。

 

 もし何かしてくるなら迎撃しようかと思っていたネロだったが、竜は攻撃など一切せずにゆっくりと羽ばたきながら目の前に降りて来る。そしてネロ達の方へ顔を向けながら口を開いた。人語を解する竜であるらしい。

 

「あなたがバージル?」

 

「そうだが、わざわざ何の用だ?」

 

 一瞬、自分に向けて言われた言葉かと思ったネロは怪訝な顔を浮かべたが、すぐ後方から当の本人の声が聞こえたので振り向いてみると、アティを連れたバージルの姿があった。

 

 目的の人物の姿を見つけた竜は、今の姿のままだと少し話にくいとでも思ったのか人の姿へと変じた。それは一見するとミルリーフと変わりないくらいの幼子だった。

 

(こいつと変わりないな、見かけと実年齢は違うってことか)

 

 ネロが胸中でぼやいて自分の背に隠れながら顔だけを出しているミルリーフと見比べた。彼女と比べると竜から変じた幼子は中性的な顔立ちをしていて、表情の変化もほとんどないが、全体的な印象としては家族や同族と言っても十分通じるほどだ。

 

竜尋郷(ドライプグルフ)の束ね役、コーラル。……あなたがあちらに召喚された者を帰しに来たのは聞いている。だけど人間はここから出ない方がいい、かと」

 

 まず名乗り上げたコーラルは、次いでバージルに忠告する。メイトルパを訪れた目的はバージルから直接誰かに話したわけではないが、名前も知っているところを見ると界の意志(エルゴ)あたりがあらかじめ説明していたと言ったところか。

 

 人語を解することや立場、界の意志(エルゴ)との関わりを鑑みるとコーラルと名乗る竜は十中八九至竜で間違いないだろう。

 

「なぜだ?」

 

「この世界にも悪魔が現れている。みんなそのせいで警戒心が増しているから、人間が来たと知ったら争いにもなりかねない」

 

 ある程度組織化されたリィンバウムでも悪魔による被害は大きかったのだ。メイトルパのような国家体制が構築されていない世界ではより大きな被害が出ていたと考えられる。

 

 そしてそうした被害は自らの安全を脅かす存在への警戒心や敵対心を高める結果となった。悪魔でないとはいえ、召喚術で多くの同胞を攫った人間を発見したとなれば武器を向けることもありえるだろう。

 

 それを恐れたコーラルは今のうちにバージルに接触し、人間はここに留まるよう忠告したのである。

 

「……貴様は妖精がどこにいるか知っているか?」

 

 しかしバージルは問いには答えず、メイトルパへ来ることを願った少女に視線を送りながら尋ねる。

 

「その娘の血縁ならどこにいるか分かる。案内もできる。……どう?」

 

 コーラルはバージルの視線の先にいた彼女の魔力から古き妖精に近しい者だと見極めると同時に、バージルが尋ねた意味も分かった。要はコーラルの忠告を受け入れる条件としてエニシアを母親と会わせろというのだ。

 

「いいだろう。……さっさと行ってこい」

 

「は、はいっ」

 

 急かされたエニシアは、バージルの言葉を聞いて竜の姿に戻ったコーラルのもとへ歩く。しかし、彼女はその途中、何度か申し訳なさそうにこちらを振り返った。どうも、一人で行くことに不安があるようだ。

 

「姫様! せめて我輩をお供に……」

 

「貴様は人間だ。ここで大人しくしていろ」

 

 さすがに放っておけなかったレンドラーは同行を申し出るが、バージルにばっさりと否定されてしまった。

 

「それじゃあミルリーフなら大丈夫だよね。おじいちゃん!」

 

「……ああ、そうだな」

 

 至竜であるミルリーフなら同行するのは問題ないだろう。ただし、性格を考慮しなければの話だ。バージルが一瞬考え込むように黙ったのもこの点が気になったからだろう。

 

 それでも同行の許可を得たミルリーフはコーラルと同じように竜の姿になった。

 

「乗って、エニシア!」

 

 そうエニシアに声をかけている時、ネロはポムニットから声を投げかけられていた。

 

「ネロ君もついて行った方がいいと思いますよ。ミルリーフちゃんはまだ子供ですし……」

 

「は?」

 

 何で自分が行かねばならないのかと思わず聞き返しそうになったとき、レンドラーやゲックも自身を見ていることに気付いた。その視線から嫌というほど「自分達の代わりにエニシアについて行ってくれ」と言っているのを感じ取った。

 

「……俺も行ってこいだとよ。どうすんだ?」

 

 確かに彼らの気持ちも分からないでもない。しかし、先ほどのコーラルが言ったように人間はここを離れるべきではないのもまた事実だ。それを確かめるようにバージルに尋ねた。

 

「構わん、好きにしろ」

 

「……了解了解、そうさせてもらうか」

 

 即答されたネロはそう言い残すと地面を蹴って、既にエニシアが乗っているミルリーフの背中まで跳んだ。

 

「そういうわけだ。よろしく頼むぜ、エニシア、ミルリーフ」

 

「うん!」

 

「はい、よろしくお願いします」

 

 元気よく返事するミルリーフとほっとしたように安堵の表情を見せるエニシア。どちらもネロが同行することを歓迎しているようだった。

 

「ついてきて」

 

 それでこちらの準備が整ったと見たコーラルはミルリーフに声をかけると力強く羽ばたき庭園から飛び立つ。そしてミルリーフもそれを追いかけるように空へと舞い上がって行った。

 

 それから数分としない内に、二体の至竜はラウスブルグからでは豆粒くらいにしか見えない程に離れて行った。

 

 

 

 コーラルからの忠告で人間はラウスブルグから出ないことに決まったとはいえ、残された者達は何もすることないというわけではなかった。

 

「あいつらが戻って来るまでに里の奴らは降ろす」

 

 ネロ達が出て行って早々にバージルはそう宣言した。元々メイトルパへの寄り道は彼の目的には関係ないことである。そのため、立ち寄っている時間を必要以上に伸ばすつもりはなかったのである。

 

 これに駆り出されたのはまず里の者と付き合いの長い御使いと、ギアンに与していたとはいえ、同じメイトルパから召喚されたカサスであり、次いで先代守護竜に反旗を翻した時に、一時的にとはいえ共闘したレンドラーやゲック達である。逆に他の者に関しては無用な混乱を避けるため、城で待機することとした。

 

 ただ、ずっと待ってるだけというのは退屈なので、バージルを含めた待機組は自由行動とすることにした。ハヤトとクラレットはメイトルパに来るまでの間、ずっと魔力を供給し続けたゲルニカのもとへ行っており、レナードは外へ煙草を吸いに行っている。

 

 先ほどまで舵取りをしていたフェアはバージル達と共に空中庭園にいた。せっかくの機会であるため、異界の空気を存分に味わっておこうということだった。

 

「それにしてもよくネロ君が一緒に行くことを許しましたね」

 

「あの腕では人間とは思われんだろう。それに至竜もいる。大事にはなるまい」

 

 アティにしてみればネロは人間に分類されているのだが、バージルは悪魔である自分の息子ということで人間には分類していなかったし、何かあってもコーラルがいる以上、問題ないだろうという思惑もあったらしい。

 

「あーあ、どうせなら私も一緒に行きたかったなあ……」

 

「ダメですよ、フェアさん。さっきまでお城を操縦していたんですから疲れてるでしょう?」

 

 残念そうに息を吐いたフェアにポムニットが注意する。ラウスブルグを操れる素養はあるとは言っても、疲労しないわけではない。むしろここにいる多くの人達の命を預かっているんだと思うと必要以上に神経を使ってしまいがちだった。

 

 それはエニシアにも言えることで、二人は自分の番が終わるとよく休むのが常なのである。

 

「まあでも、こんなところに来るなんてまずないからね。一緒に行きたいっていう気持ちはわかるなあ……」

 

 アティとて許されるなら自分もメイトルパを見て回りたいという思いはあった。さすがに状況が状況であるためそんな我儘を言おうとは思わなかったが。

 

「いずれまた来ればいい」

 

「そうですね。まだメイトルパに帰りたいって子はいますし」

 

 バージルのしれっとした答えにアティは苦笑した。バージルがメイトルパに行くことを決めたのがラウスブルグを手に入れた後であることからも分かるように、アティとポムニットは名もなき世界に行くとしか聞かされていなかった。

 

 だからハヤトやレナードのように名もなき世界に行きたい人だけを受け入れたのだ。そのためアティは、次があるならメイトルパに帰りたい者達も一緒に連れて行きたいと思っているようだった。

 

 ちょうどその時、クラレットを伴ったハヤトがやってきた。

 

「よかった、ここにいたんだ。さっき言われた通りゲルニカは休ませてるよ」

 

「ああ、わかった」

 

 ハヤトの報告を聞いて頷く。ここまでほぼ一体でラウスブルグに魔力を供給し続けたゲルニカを休ませるようハヤトに言ったのはバージルだった。何しろ名もなき世界、バージルやハヤト、レナードの故郷でもある人間界は世界中にレーダー網が張り巡らされ、軌道上には人工衛星が飛びかっているのだ。

 

 そんな中で巨大なラウスブルグをそのまま浮遊させているわけにはいかない。とはいえ、まさか偶然に巨大な積乱雲でも発生するのも考えにくいので、実質的にとれる手段は、常時ラウスの命樹が作り出した異空間にいることだけである。ゲルニカにはそのために必要な魔力を供給してもらわなければならないのだ。

 

 とはいえ、いくら至竜でも無制限に魔力を供給できるわけではない。いずれは休息をとらなければならなくなるのだ。だから今のうちに休ませて人間界では常に異空間を維持してもらおうと考えていたのである。

 

「そういえば、ポムニットさん。さっきこの世界でも悪魔が出たって言ってたけど本当なのか?」

 

「ええ、確かにコーラルさんはそう言っていましたよ。それがどうかしたんですか?」

 

 コーラルがバージルに忠告した時、ハヤトもクラレットもその場にはいなかったためポムニットが教えていたのだが、ハヤトはどうもその事実が信じられないようだった。

 

「いや、俺はてっきりリィンバウムだけの問題だと思ってたからさ……」

 

 ハヤトも悪魔との戦いの経験はかなり積んでいるが、それは全てリィンバウムでのことだ。そのせいか無意識の内に悪魔はリィンバウムにしか現れないものと決めつけてしまっていたようだ。

 

「悪魔は貴様の故郷でも現れている。歴史的に言えばむしろあちらが本場だ」

 

「嘘だろ、そんなの全然聞いたことないぞ……」

 

人間界では悪魔の存在は一般的ではない。だから向こうでは一般人に過ぎなかったハヤトが知っていなくともバージルは驚きはしなかった。

 

「最後の本格的な侵攻は二千年前、記録がなくて当然だ。今も時折現れているが、向こうでそんな話をしても鼻で笑われるのがほとんどだろう」

 

 二千年前に魔帝ムンドゥスがスパーダに封印されて以降、本格的な攻撃が行われたことは一度としてない。それゆえ、人々の記憶から忌々しい悪魔の記憶は徐々に薄れていき、現代ではおとぎ話の類になってしまっていた。事実ハヤトが自分の故郷でも悪魔が現れていると知って驚いたことが何よりの証拠だろう。

 

「でも、あちらでも知っている人がいるんですよね」

 

「ああ、悪魔の存在を肯定しようする者はフォルトゥナ以外ではまずいないがな」

 

 バージルが挙げた例外は城塞都市フォルトゥナだ。ここはかつてスパーダが領主をしていたという伝説もあるほど悪魔と関係が深く、かつてバージルも訪れたことのある場所だった。対悪魔の戦闘集団を抱える唯一の存在なのだ。

 

「フォルトゥナって確かネロの故郷だよな?」

 

「そうだ。詳しく知りたいならは本人から聞け」

 

 バージルがフォルトゥナを訪れたのは二十年どころか三十年近く前だ。そんな古い情報より、少し前まで実際にフォルトゥナに住んでいたネロから聞いた方がいいと考えるのは当たり前だった。

 

「うわ……、私は悪魔なんてほとんど見たことないけど、そんなことになってたんだ……」

 

 思った以上に悪魔の影響があると知りフェアが顔を歪める。彼女が悪魔と関わったのはネロやリシェル達とシルターン自治区へ行った時の一度きりだ。あの時は全てネロが始末したため、彼女自身が悪魔と戦ったわけではないが、それでもその脅威は今も記憶に新しい。

 

「中には悪魔を利用しようとしている人間もいますからね、話の通じる相手ではないでしょうに」

 

「クラレットの言う通りだ。ほんと救いようがないよ、そういう奴らは」

 

 ハヤトもクラレットも何度か人間が呼び出した悪魔と戦ったことがある。そして戦えば戦うほど悪魔という存在は、まともに話ができる相手ではないということを思い知らされたのだ。もっとも、より理解できないのはそういう存在を呼び出す人間であるが。

 

「……もしかして、あの時の悪魔も?」

 

「あの時の? 何か心当たりでもあるの?」

 

 フェアの呟きが耳に入ったアティはさすがに捨て置くことができず尋ねた。

 

「あ、えっと……、実は、悪魔を見た時に怪しい人がいたから……」

 

 あの時のことはネロから口止めされていたが、悪魔について詳しいバージル達なら隠しても仕方がないと思い、正直に話した。

 

「悪魔とはどこで見た? ウルゴーラか?」

 

 フェアが悪魔を見たと言った時点で帝都だとは予想していた。その件はアズリアから仔細を聞いていたし、悪魔の被害が僅少となっている昨今で最大の被害でもあったため気になっていたからだ。

 

「う、うんネロと一緒にだけど……」

 

「もしかしてそれって帝国の偉い人達が殺されたって言うやつか?」

 

「そうだけど……、知ってるの?」

 

 あの事件のことはトレイユでも話題にこそなっていたが、その時点では原因が悪魔と言うことまでは明言されていなかったはずだ。軍の高官であるアズリアと知り合いらしいバージルはともかく、いくら誓約者(リンカー)とはいえ、聖王国に住んでいるハヤト達まで知っているとは思えなかったのである。

 

「まあね、色々と知り合いも多いからさ」

 

 聖王国のサイジェントに住むハヤト自身はあまりサイジェントから出ないが、各地を旅する彼の仲間からは様々な情報が届いているのである。そしてウルゴーラの一件が彼の耳に入ったのは事件が公表される前の段階であり、「帝国貴族の不審死が相次いでおり、悪魔の関与の可能性がある」というものだった。

 

 ちょうどその頃には、バージル達と合流するために出発する直前だったため、場合によっては彼にも協力を求めて対応するつもりでいたのだが、二人がラウスブルグについた時点で事件は解決され、公表もされたため出る幕はなかったのだった。

 

「……バージルさん? どうしたんですか?」

 

 フェアとハヤトの会話をよそに、考え込んでいるようなバージルにアティが声をかけた。

 

「……いや、何でもない」

 

 アティにはそう言うが、バージルはフェアが言った人間のことが気になっていたのだ。

 

 今のリィンバウムでは既に悪魔を呼ぶための技術が完成している。今のところ使用されたのは無色の派閥に絡む一件であるため、今回フェアが見たのも無色の派閥の構成員と見るのが自然だが、それではどうにも腑に落ちないのだ。

 

 なにしろ帝国における無色の派閥はアズリアの実行した作戦によって大幅に弱体化している。それによる報復という見方もできなくはないが、帝国における拠点は壊滅状態なのだ。その上、アズリアの一連の作戦は一応の終了を見たとはいえ、追及の手は緩めていない。もはや今の帝国で無色の派閥がまともな活動を行うのは極めて厳しいのが現実なのだ。

 

(そういえばネロもいたらしいな。聞くならあいつだな)

 

 気になることはあるがこれ以上、フェアに尋ねても成果は望めないのは目に見えている。それよりもネロが一緒にいたという話だったため、詳しく聞くなら悪魔と戦った経験も豊富なネロの方が彼女よりも適任だろう。

 

 そう判断したバージルはネロがさっさと戻ってくるのを待つことにした。

 

 

 

 

 

 一方その頃、ネロは案内された古妖精が暮らす妖精郷からだいぶ離れた場所でミルリーフとコーラルと共に待っていた。

 

「こうもあっけなくいくと拍子抜けするな」

 

 ネロは適当な木に背中を預けながら言った。コーラルの口利きによって彼女の母、月光花(シグマリア)の古妖精キティシスとの再会というエニシアの願いは叶った。しかし、妖精郷の掟によって半妖精であるエニシアは中に入ることはできないため、母娘の対面は郷のすぐ外ということになった。

 

「でも……」

 

「文句言うなって、ミルリーフ。元から感動の再会の場面にいようなんざ無粋な真似なんてするつもりなかったんだからよ」

 

「むー、そうかもしれないけど……」

 

 口を尖らせるミルリーフをネロが宥める。

 

 エニシア達母娘が会う場にネロが同席することは認められなかった。理由は彼に脈々と受け継がれている悪魔の力だ。それを忌避した妖精達の意思がコーラルを介して伝えられると、ネロもミルリーフに言ったように同席するつもりはなかったため大人しく少し離れたこの場で待つことにしたのである。

 

「彼らにとって悪魔は忌むべき存在、仕方ない」

 

 天使の系譜に連なる妖精は正の感情を好む。しかし魔界の悪魔にあるのはそんなものとは正反対の負の感情だけなのだ。彼ら妖精がネロから悪魔の力を感じ取り忌避したのはこういう理由からであった。

 

「別に気にしちゃいねえよ。どうせ今しか顔を合わせない奴らだしな。……っていうか、向こうに残ってなくてよかったのか? お前が仲介したようなものだろうし」

 

 もう二度と会う機会はないだろう古妖精の言うことだ。気にしてもしても仕方がないと割り切っているようだ。むしろコーラルがここに残ったことの方が気にようだ。

 

「あなたと同じ。親子の再会に水を差すようなことはしない。……それに、一度あなたと話したかった」

 

「俺と? 何だよ?」

 

 思いがけない言葉に正面に立っているコーラルに視線を向けて問い質した。

 

「今この世界は悪魔に狙われている。それは知っている?」

 

「……いや、知らねえな」

 

 いきなりとんでもないことを言ったコーラルに色々と聞きたいこともあったが、ネロはまずは素直に答えた。

 

「そう。……だけど、あのバージルという人はそれに対抗するために何かをしようとしている」

 

「なるほどね。今回のもその一環ってわけか」

 

 その言葉を聞いてネロはバージルがラウスブルグを使って人間界へ行こうとしているのも、それに関係していることだと本能的に悟った。

 

「たぶんそうだと思う。……だからあなたの力も貸して欲しい」

 

 その言葉はネロの人とほとんど変わらない体の中に眠る力を感じ取っての言葉であった。

 

 なお、コーラルに悪魔の侵攻が近いという情報を渡したのは界の意志(エルゴ)だった。リィンバウムや四界に住む者とっては造物主に等しい存在が、悪魔の情報と共にコーラルに頼んだことは二つあった。

 

 一つ目はバージルがメイトルパに来た際には便宜を図ること、そして二つ目は悪魔の襲来に備えることであった。ネロに協力を求めたのも二つ目の理由からだ。もちろんそれをしたのは、メイトルパの界の意志(エルゴ)に限らない。残りの三つの世界の界の意志(エルゴ)も同様に、それぞれの世界において同じようなことをしていたのだ。

 

 そしてコーラルは既に幻獣界メイトルパに住むいくつもの部族にその話をしていた。しかし、それで対応できるのは中級の悪魔までが精々だろう。大悪魔に対抗できそうな戦力は至竜のような存在に限られ、数も極めて少ない上に、戦って必ず勝てるというほど勝算があるとは思っていなかった。

 

 事実、炎獄の覇者ベリアルが現れたサプレスのことを考えればコーラルの予想は間違っていない。サプレスにも至竜はいくつか存在するが、結局ベリアルを止めることはできなかったのだ。

 

「わざわざ俺に頼まなくてもあいつに任せときゃいいじゃねえか」

 

「いくらあの人が強くとも、いくつもの世界を同時に守れるとは思えない。だからあなたが必要」

 

 ラウスブルグを使っている以上、現時点でバージル単独で世界を渡る力がないことは明らかだ。それにバージルは明確に優先順位をつけている節がある。リィンバウムと他の世界、どちらかを選ぶ必要があるなら彼は躊躇いなくリィンバウムを選ぶはずだ。

 

 それが分かっているから界の意志(エルゴ)も悪魔に備えよと伝えたのかもしれない。

 

「世界、ね。それにしてもあいつも大それたことを考えてるんだな」

 

 コーラルへの返答は保留しつつも、ネロはバージルのやろうとしていることに対しては呆れたように呟いた。

 

(確かにそうかも……)

 

 コーラルは胸中で同意を示した。界の意志(エルゴ)がバージルの名を出した時点で両者が手を組んで悪魔の侵攻に対抗しようとしていることは間違いない。いくら界の意志(エルゴ)を含めるとはいえ、両手の指で足りる人数でやることではない。

 

(でも、本当にもしもの時は他の世界を見捨てる……?)

 

 そこまで考えて、コーラルはこれまでの己の考えに疑問を抱いた。リィンバウムを含めた五界の界の意志(エルゴ)にまで抱え込んだ男が、そんな判断をするだろうか。むしろそうなった時のことまで考えているのではないか、そう思ったのである。

 

「パパ……」

 

 そこでミルリーフが不安げな顔でネロのことを見上げた。そんな彼女の頭をネロはくしゃくしゃと撫でると口を開いた。

 

「まあいいさ。あいつはあいつ、俺は俺だ。とりあえずさっきのは俺への依頼ってことにしておくぜ」

 

「感謝する。報酬は期待してくれていい」

 

 ネロの返答を聞いたコーラルは珍しく仏頂面を崩して幾ばくか口元を緩めながら冗談めかして答えた。彼がすぐに答えなかった時はどうなるかと思ったが、結果的に協力を得られたのであればそれで問題ないという考えらしい。

 

「いいさ。相手は悪魔なんだ。断るつもりなんてなかった」

 

 ネロが即答しなかったのは、話が飛躍し過ぎてそれをのみこむ時間が欲しかっただけなのだ。そもそも彼からすれば、ここまで聞いておいて知らんぷりなどできるはずもない。なにしろネロはダンテから事務所の看板を貰った時から決めているのだから。

 

 悪魔退治は「Devil May Cry」へ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 




DMC5の前日譚の小説がゲームより前に発売されるということでそれも非常に楽しみにしている今日この頃です。

なお、5が発売されても更新が滞ることのないようにする予定です。



さて、次回は2月9日か10日に投稿予定です。

ご意見ご感想お待ちしております。

ありがとうございました。


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第101話 名もなき世界に向けて

 エニシアが母キティシスとの再会を果たし帰路についた頃、ラウスブルグでも里の者達を地上に送る作業もひと段落していた。メイトルパの召喚獣と一口に言っても様々な種族がいる。歴史が長くリィンバウムでもよく知られる種族だけでも五つあるのだ。当然住んでいる場所も平原や森など多岐に渡るのだが、里の者達はみなこのラウスブルグの直下に降ろすことになった。

 

 後はそれぞれの仲間のもとに帰るなり自由にすればいい、というのがバージルの考えだったからだ。とはいえ、戦う力を持たない者も多い彼らをそのままにするのも忍びなかったため、獣皇カサスがそれぞれの種族の下まで送り届けることになったのである。

 

「獣皇から預かった物は失くしていないだろうな?」

 

「心配せんでもここにある。そう神経質になるな」

 

 当然カサスは今この場にはいない。できるなら彼もエニシアに別れの言葉を告げたかっただろうが、自分と同じく召喚術で呼ばれた同胞のことがどうしても心配だったのである。

 

 その代わりカサスは手紙を書いたのだ。拙い字ではあるがエニシアへの感謝を綴った手紙。それに子供たちが作ったお守りと一緒に、レンドラーとゲックに託したのである。

 

 二人にとってもカサスは戦友のようなものだ。そんな彼の頼みとあれば確実にエニシアに届けようと思うのは当たり前のことだった。

 

「教授、全ての作業完了しました」

 

「もう人っ子一人いないよー!」

 

 二人とは別な場所で誘導などを行っていたローレット達が姿を見せた。姉妹三人揃って来ていることからそれぞれの持ち場もやるべきことは終わったということだろう。ミリネージの言葉もそれを裏付けていた。

 

「うむ、ご苦労じゃった。……して、グランバルドは?」

 

 三体の機械人形を労ったゲックは彼女達の弟にあたる機械兵士グランバルドの所在を尋ねた。末っ子である彼もローレットの指示の下、里の者達の誘導をしていたはずだ。

 

「ほんとだ。どこいったんだろう? ミリィ見てないや」

 

「確かに不明。BUT、先ほどまで下に……」

 

 今回の作業が始まってからミリネージは一度もグランバルドの姿を見ていなかったが、アプセットは里の者達が降り立つ場所にいるのを見ていたのだ。

 

「ええ、確かに私は下のこちらの作業が完了するまで安全確保を命じましたが、まさかまだ戻って来ていないなんてバッテン三個です!」

 

 グランバルドは思考回路に少々の破損があるせいか、言動は幼くドジばかりしているため、臨機応変な対応が求められる誘導役は難しいとローレットは判断し、機械兵士の戦闘能力を生かした護衛役に回したのだ。

 

「あれにそこまで期待してはいかん。とにかく、行ってくるのじゃ」

 

 グランバルドのポンコツっぷりはゲックも認識しているため、溜息を一つ吐くだけで考えを切り替え、三人にグランバルドを回収するよう命じた。

 

「手のかかる子供を持ったな、教授よ!」

 

「全くじゃ、これではおちおち隠居もしてられん」

 

 走って行く機械人形の姉妹達を見送りながら笑うレンドラーに、ゲックも冗談めかして答える。もちろん内心では彼女達を疎んでいるなんてことはなく、自らの手で再生させた彼女やグランバルドのことは実の子のように思っているのだ。

 

 そうして、城に戻る道を歩いていると、不意に二人を影が覆った。

 

「おお、戻ってきたか。我らも早く行って獣皇のことを伝えねば」

 

 レンドラーが空を仰ぐと竜が城へ飛んでいくのが見えた。ミルリーフとネロがエニシアを連れて帰って来たに違いない。

 

「うむ……」

 

「どうした? 覇気がないではないか」

 

「少し考えごとをしていただけじゃ。何もしなくとも目的は達成できたというのに、何故ギアンはあそこまで竜の子にこだわったのか、と」

 

 もう過ぎ去った竜がそこにいるかのように空を見上げたまま、ゲックは言った。

 

 二人ともギアンとはドラバスの砦跡で実質的な意味でも袂を分かったが、その後マナ枯らしを使って再度ミルリーフを手中にするべく挑み、敗北して帝国軍に引き渡されたという顛末はエニシアから聞き及んでいる。

 

 だからこそゲックは気になったのだ。そうまでして竜の子を手に入れる意味などバージルにラウスブルグを奪われた時点で失せている。大人しく彼に従うことこそが最善の道だということはギアンも分かっていたはずなのに、なぜそうしなかったのか。

 

「我輩にそんなことが分かるはずがないだろう。そもそも、あやつも我らを信用していなかったからな」

 

 憤りを隠せない様子でレンドラーが答えた。今でこそ、バージルが城を動かすあてがあったということは知っているが、当時は何も知らなかった。ギアンにしてみれば、竜の子を手に入れるという目的に協力させるためにあえて伝えなかったのだろうが、正しい情報が隠されたまま戦わされたレンドラーにとっては許し難い暴挙だったのだ。

 

 指揮官として長く戦場に身を置いたレンドラーは、正確な情報こそ命を左右する重要なものであると身を以って知っていた。もしもギアンがバージルの言葉を伝えていれば、自分も部下もあの戦いには参加させなかっただろうし、ゲックも同じ判断をしていただろう。

 

「それはワシらも同様じゃろう。ギアンを信用していなかったのは。……こんな有様では城を奪われていなくとも勝てはしなかったじゃろうな」

 

「……ふん」

 

 ゲックの言葉にレンドラーは鼻を鳴らすことで、暗にそれを認めた。形式上は二人ともギアンに従ってはいたが、内心では思うところがあったということだろう。なにしろギアンは無色の派閥の召喚師なのだ。バージルに殲滅されたとはいえ、かつては紅き手袋の暗殺者を従えていたのだ。

 

 今でこそ国家に属してない二人だが、レンドラーは旧王国の鋼壁都市バラムで騎士団を率いており、ゲックは帝国の学究都市ベルゼンで軍の研究者をしていた身だ。無色の派閥や紅き手袋のことは忌むべき敵だと教えられてきたのである。

 

 いくら自分達がそういった組織から離れたとはいえ、すぐに悪名高き組織の人間を信用できるわけがなかったのだ。

 

「それで教授よ、何がいいたいのだ? まさか奴と仲直りしろとでも言うのか?」

 

「そうではない。せめてもう一度話をしてみたいと思っただけじゃよ。一度は姫様のもとに集った身、それくらいはよかろう?」

 

「……姫様が望むならな」

 

 ゲックの提案にレンドラーは条件付きで答えた。実際のところはエニシアがそれを望むのは分かりきっているため、実質的には無条件で受け入れたのと同義だった。彼もただ意固地というわけではないのだ。

 

「うむ。それでよい。きっと姫様もそれを望んでいるはずじゃからな」

 

 ゲックが顔を緩めて言いながら、揃って城へと戻って行った。

 

 

 

 

 

 ラウスブルグでの食事は厨房に併設されている食堂で取るのが基本となっている。それはただ単純に料理を運ぶポムニットやフェアの負担軽減の意味もあるだろうが、それ以上に「みんなと話す場を作りたい」というアティの願いがあったからだ。

 

 だから城にいる者は食事の時間になると食堂に集まる。さすがに魔力を供給しているゲルニカこそ来ないが、舵取りをするエニシアやフェアもこの時ばかりは食事を優先していた。純粋な古妖精ならともかく彼女達は半妖精であり、食事も必要であるためだった。

 

「明朝にはここを発つ。次の目的地は人間界だ」

 

 全員集まったところでバージルが宣言する。大まかな行程はあらかじめ聞いているとはいえ、具体的な日程は全てバージルが状況に応じて決めているため、こうして直接告げることは珍しいことではなかった。

 

 とはいえ、それを聞いてもほとんどの者は何もする必要はない。城を動かすのに必要なのはゲルニカやミルリーフなどの至竜と舵取り役であるエニシアとフェアだけである。実質的には、今のバージルの言葉も彼女達に向けられたものといって差し支えなかった。

 

「エニシア、明日はお前の番なんだって? 再会できたばっかで大変だろうが頑張れよ」

 

 ネロが自分の分の食事を持ってエニシアの向かいに座る。

 

 今日の献立はコロッケがメインとしたものだった。イモと野菜がたっぷり入ったコロッケが三つに、付け合わせとしてこれまた野菜炒めがついていて、主食はパンではなく米だった。

 

 実のところ、今日の献立は傷んでいる野菜が多かったために作られたものだ。だから、主菜も副菜も野菜をふんだんに使った料理になったのである。そのせいか、一応味噌汁もついているだが、具材はやはり野菜が主であった。

 

「うん、大丈夫。任せて」

 

 これまでの彼女とは正反対に自信をもってエニシアは答えた。これまで問題なくラウスブルグを動かしてきた実績があるし、自身の望みである母親と会えたことで精神的に成長したのかもしれない。

 

「いつの間にか随分と頼もしくなったもんだ」

 

 笑いながら言ったネロはそのまま料理に手を付ける。主食が米だからか、スプーンやフォークではなく箸がついているが、ネロは慣れたようにそれを使いこなしている。

 

「そういえばネロって箸の使い方上手いよね。私も父さんに教わったけどすぐにはできなかったのに」

 

「うー、ミルリーフは苦手だなあ、それ……」

 

 それを見たフェアが自分の料理を持ちながらエニシアの隣に座る。一緒に来たミルリーフもネロの隣に腰かけた。父から教わっていたフェアはともかく、ミルリーフはまだ箸を使いこなすのはできないようで、スプーンとフォークで代用していた。

 

「そういやそうだな。あんまり気にしなかったけど、気付いたらできるようになってたっけ」

 

「ふーん、羨ましいなあ……。故郷でも使ってた?」

 

「いや、俺の住んでたところじゃ使ってなかったよ。こっちに来た時にいたところじゃメインで使ってるみたいだけどな」

 

 ネロの住んでいるフォルトゥナは英語圏であり、食文化も欧州の影響が強く食事に使うのはフォーク、ナイフ、スプーンだった。

 

「住んでるところで使ったり使わなかったりするの?」

 

「まあな。あっちは国も多いし、それぞれで歴史があるんだろ」

 

 ネロはエニシアの疑問に答えた。リィンバウムは基本的にフォルトゥナと同じようにフォークやスプーン等を使う食文化だ。最近はシルターンの文化の影響もあって米食も広まっているが、食器としての箸は広まっていない。

 

 これはかつてリィンバウムに初代エルゴの王が打ち立てた統一国家の影響によるものだろう。その時に主流となっていた食文化が、年月が経ち国家が分裂した現在でも色濃く残っているのだ。

 

 対して人間界では、一度も統一国家などできた例はなく、そのため食文化もそれぞれの国や地域で独自に発展していったのだ。現在では大別してナイフやフォーク、スプーンを使う者、箸を使う者、手を使う者の三つに分かれているのだ。

 

「なあ、こっちに来た時にいたところって、日本だったりするのか?」

 

 そこにハヤトが声をかけた。先ほどのネロの話を聞いて興味を持ったらしい。

 

「ああ、そうだ。そのニッポンのナギミヤってところで仕事が入ったんだ」

 

「那岐宮……」

 

 那岐宮市、言うまでもなくハヤトの生まれ故郷だ。ネロもかつてのハヤトのようにそこからリィンバウムに召喚されたのだ。

 

「何だ、知ってるのか?」

 

「え、ええ、そこはハヤトの故郷ですから。……あの、ところで仕事って悪魔絡みの、ですか?」

 

 クラレットはハヤトに代わりネロの問いに答え、次いで逆に「仕事」という単語を聞いて尋ねる。ネロがデビルハンターという悪魔退治の仕事をしているというのは既に知っていた。だから彼が那岐宮市を訪れたのは悪魔による事件があったからではないかと思ったのだ。

 

「さあな。俺が頼まれたのは調査だ。そこじゃここ数年で何人も人が消えているらしくてな、それが悪魔の仕業じゃないかってことで俺に話が回ってきたらしい」

 

 元々この仕事はネロに直接依頼があったものではない。知り合いのデビルハンターが仲介となって引き受けたものだった。地元では神隠しだなんだと騒ぎになっているらしいが、どうも名前も知らない依頼主は、悪魔による襲撃ではないかと考えていたらしい。

 

「消えてるって、もしかして俺みたいに……?」

 

「さあな。調べる前にこっちに飛ばされたから詳しくは知らねえ」

 

 ネロの話を聞いたハヤトがまず考え付いたのは自分と同じようにリィンバウムに召喚されたのではないかということだったが、ネロは肯定も否定もしなかった。ただ。言葉にはしなかったが、那岐宮に来た時に悪魔の気配を感じなかったのは事実だった。悪魔とは無関係なのか、それともネロも気付かないほど気配を消しているのかは分からない。

 

「俺が住んでた頃も、前に帰った時もそんな話はなかったんだけど……」

 

「それなら、向こうに着いたら少し調べてみてはどうでしょう?」

 

「あ、ああ。そうしようか」

 

 ネロが嘘を言っているとは思わないが、ハヤトは彼が言ったことが、あの平凡を絵に描いたような街で起きていることだとはどうにも信じられなかった。

 

「俺も調べるか。仕事を途中で放り出しちまったしな」

 

「それは助かる。専門家がいると心強いよ」

 

 本来ネロのような腕利きのデビルハンターを雇い入れるには相応の金が必要だ。おまけに直接の連絡手段を持たないなら情報屋を介する必要があり、さらに仲介料も発生する。そういう意味でもネロの自発的な協力を得られたことは僥倖と言える。

 

「悪魔……私は見たことないけど、やっぱり怖いものなんですか?」

 

 エニシアがぽつりと呟く。厳密に言えばこの場にはバージルとネロという悪魔の血を引く存在がいるが、彼女が言っているのはこれまで人間界でもリィンバウムでも多くの血を流してきた悪魔のことだった。

 

 とはいえ、全ての人間が悪魔の脅威に曝されたわけではない。近年は人間界以上に悪魔が現れたリィンバウムでも、エニシアや少し前のフェアのように悪魔を一度も見たことのない人間の方が多いのだ。

 

「怖いって言うのもあるけど、見てて気持ち悪いというか、ぞわぞわするの」

 

 うまく悪魔を見た時の感じを言い表せないフェアだが、それでも本能的に嫌悪感を呼び起こす悪魔の特徴をよく捉えている。

 

「うん、その時はパパがいてくれたよかったけど、そうじゃなかったら大変なことになってたよ」

 

 ミルリーフもフェアの言葉に同意する。二人とも悪魔を見たのは帝都で一度きりだが、それでも十分は悪魔の恐ろしさは理解できている様子だ。これは彼女達に限らず悪魔を見た者全員に共通することだった。

 

「悪魔と会わずに済むならそれが一番だ。あの時だって本当なら一人で片付けるつもりだったんだがな……」

 

 ネロはその時のことを思い出した顔を顰めた。結果的に無事だったとはいえ、二人を悪魔に合わせてしまった。フェアとミルリーフがあの場に現れたことはネロにとっては苦い思い出だったのだ。

 

「私もミルリーフも納得したことなんだから、そんなこと言うの禁止!」

 

「めっ、だよ。パパ!」

 

「はいはい、悪かった、悪かったよ」

 

 二人に揃って叱られる形になったネロは、面倒なことになる前にさっさと白旗を上げた。さすがに二体一では勝ち目はないのだ。

 

「三人ともすごく仲が良いね。本当の家族みたい」

 

 その様子を見たエニシアが少し羨ましそうに口を開いた。

 

「も、もう何言っているのよ。エニシアだってあの人達がいるじゃない」

 

 恥ずかしそうに顔を赤くしながらもフェアは少し離れたテーブルで食事をとっていたレンドラーとゲックを示した。二人はこちらの視線には気付いていない様子でレナードも交えて酒を酌み交わしていた。

 

 彼ら二人にこの場にはいないカサスを加えた三人は、ただエニシアから受けた恩に報いるためだけに彼女に仕えているわけではない。彼女の境遇を思いやり、自分のことのように考え、そして母に会いたいという願いを叶えようとしたのだ。そこまで利他的になれる行動原理など自明だろう。

 

「……うん。私にはみんながいるもんね」

 

 無意識に胸元に手をやる。そこにはカサス達から贈られた手作りのお守りがあった。離れていても一緒だという絆の証。そう彼が書いた手紙にはしるされていた。

 

 父はなく、母とも簡単に会うことはできない。それでもエニシアはもう一人ではない。たとえこの場にいなくとも強い絆によって結ばれたもう一つの家族ともいえる存在を、彼女は確かに感じていた。

 

 

 

 

 

 それからしばらくして、空には三日月が昇っていた。それでも月から注がれる光は十分で、ネロは明かりも使わずに城の中庭でじっと夜空を眺めながら、らしくなく物思いに耽っていた。

 

(キリエ……、元気でいるか……)

 

 とはいえ、ネロの思考の大部分を占めるのは恋人のキリエである。リィンバウムに来てまだ半年と経っていないとはいえ、これだけの長期間彼女に会わなかったことはこれまでなかったのだ。どうしてもキリエのことばかり考えてしまうのは仕方のないことだろう。

 

「お前がこんなところにいるとはな。珍しいこともあるものだ」

 

 そこへバージルが姿を現した。振り返ってそれを認めたネロは不機嫌そうに口を尖らせた。

 

「何だよ、俺がどこにようといいじゃねえか」

 

 とはいえ、このままここにいても同じようなことばかり考えていそうだったため、その意味ではバージルの登場は歓迎すべきことかもしれない。

 

「…………」

 

「…………」

 

 だが、二人の間に流れたのは居心地の悪そうな沈黙だった。バージルの方は特段気にしていない様子だったが、ネロは意を決して少し言いにくそうにしながらも口を開いた。

 

「あー、今回は助かった。あんたがここの話をしてくれなかったら、帰るのにもっと時間がかかってただろうし」

 

「構わん。目的地は同じだ」

 

 ネロの言葉にバージルは短くも答えた。

 

「……目的地、ね。何を考えてるかは知らねえけど厄介事には巻き込まないでほしいね」

 

 皮肉を交えながら言う。ネロはバージルの計画が悪魔に関わることだということは悟っているが、それに深く関わるつもりはなかったのだ。

 

「元よりお前を戦いに巻き込むつもりなどない。向こうで大人しくしていればいい」

 

「その言い方……まるでこっちは戦場になるって言い草じゃねえか」

 

 現在ラウスブルグはリィンバウムを離れているが、ネロの言う「こっち」が人間界ではなくリィンバウムを指していることは明らかだった。

 

「そうなるだろう。……人間界かリィンバウム、どちらかが戦場になることは避けられん。ならば地の利がある方に誘い込んだ方が利口だ」

 

 来たるべき魔帝の侵攻。それは人間界あるいはリィンバウムの片方を攻め滅ぼしたところで終わりではない。際限のない欲望を持つムンドゥスのことだ。次いでもう一つの世界を狙うのは目に見えている。だからバージルは準備を整えて迎え撃とうとしているのだ。

 

「正気かよ。本当に悪魔を呼び込むようなものだぞ」

 

 それは当然、ネロの言うようにリィンバウムに過去に類を見ない戦いを呼び込むことと同義である。だがそれでも、最終的な犠牲は少なくなるだろうし、なにより次の世代(ネロ)に父の代から続く宿命を引き継がせるつもりはなかったのだ。

 

「ならばどうしろと? このまま何もせず向こうが攻めてくるのを待っていろとでも言うつもりか?」

 

「っ……」

 

 ネロはバージルに反論できなかった。むしろバージルの言っていることの正しさは理解していた。それでもバージルの計画に異を唱えたのは、リィンバウムで会ったフェア達のことを考えてだ。

 

 バージルのことだから、特別扱いをしているアティやポムニットの安全に関しては注意を払うことだろうが、その他大勢についてはまず気に留めることもないかもしれない。だが、その中にはフェアやミルリーフ、それにトレイユで出会った者達が含まれているのだ。

 

 いくら彼女達が強いとは言っても危険に晒すことは、ネロとしても承服しかねるのである。

 

「もしあいつらを戦いに巻き込みたくというのなら、人間界に留めておけばいい」

 

「……あいつらがそう素直に言うこと聞くかよ」

 

 フェアもミルリーフもリィンバウムは危険だから戻るなと言ったところで、素直に従うことはないだろう。リィンバウムには彼女達の仲間がいるのだ。そしてその仲間は、ネロにとってもまた仲間なのである。

 

「ならばお前が守ってやることだ」

 

「言われなくともそうするさ」

 

 ネロはバージルに視線を向けてはおらず、じっと正面を見ていただけだったが、間髪入れず即座に答えた。リィンバウムとは異なる世界に戻ることになるネロだが、それでも己の力の及ぶ限りは仲間を守るつもりだった。特にそれが悪魔絡みとなれば尚更だ。

 

「……そうか」

 

 ネロと同じ方向に顔を向けたまま言葉を聞いたバージルは、その答えに満足したように僅かに口角を上げた。

 

「バージルさーん!」

 

 そこへ通路の方から声がかけられた。見るとポムニットが手を上げてバージルを呼んでいるようだった。隣にはアティもいる。

 

「ああ」

 

 バージルは短く答えながら片手を上げて返答すると二人のもとへ歩いていった。ネロには特に言葉もなかったが、そもそもそんなことを気にする間柄でもないため、お互い気にしていなかった。

 

(悪魔の侵攻ね……まるでどこかの昔話みたいだ)

 

 むしろネロはそんなことよりも、バージルが先ほど話していたことの方が気になっていた。

 

 二千年前、魔界の悪魔は人間界に攻め寄せてきたことがある。そんな中、魔界を裏切り人間の側に立って戦った悪魔が伝説の魔剣士スパーダである。これは魔剣教団でよく語られることであるため、あまり興味がないネロでも記憶していた。

 

 ネロはそのスパーダの血を引くと言われているが、それは父親であるバージルもまた同じなのだ。そんなバージルが悪魔の侵攻を迎え撃とうとしていることに、スパーダの伝説が被って思えたのだ。

 

「……あいつに任せっきりってのも気に食わねえな」

 

 ふっと息を吐いて薄く笑みを浮かべた。リィンバウムの仲間を守るために戦うのは当然として、ネロはそれだけで終わりにするつもりはないようだ。

 

 なにしろネロもまたデビルハンターを生業とする者だ。悪魔の殲滅を父とはいえ他者に任せるわけにはいかない。

 

「おーいネロ―!」

 

 そんなことを考えていると先ほどのバージルのように、フェアがネロのことを呼びながら駆け寄ってきた。

 

「おう、どうした?」

 

 ネロが片手を上げて返事をすると、フェアが彼を呼んだ理由を話した。

 

「うん。ハヤトさんがね、これからみんなで集まらないかって言ってて、ネロもどう?」

 

 フェアはみんなと言ったが、実際のところ声をかけているのは比較的年齢が近いネロやフェア、エニシアだった。これからもうしばらく共同生活をすることになるのだから同世代で親交を深めようと言うのだろう。

 

「わかった。俺も行く」

 

 フェアの誘いを受けたネロは踵を返した。ミルリーフあたりは既に眠っている時間だが、さすがにネロはまだ寝る気にはなれない。それにこのままここで考えを巡らせるよりも、彼女達と一緒に行った方がずっといいとも思ったのである。

 

「うん、それじゃ一緒に行こう」

 

 そうして二人は連れ立って城の中に戻って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 




DMC5の体験版プレイしました。想像以上に面白かったです。来月の製品版の発売が待ち遠しくなりました。



次回は2月23日か24日に投稿予定です。

ご意見ご感想等お待ちしております。

ありがとうございました。


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第102話 故郷

 メイトルパから人間界への道のりは特に問題もなく順調に進むことができた。その結果、ちょうど今しがたラウスブルグはとうとう目的地へと到達したのである。

 

「城はこのままだ。この空間から出すな」

 

「え? どうして?」

 

 城を操作していたフェアはバージルから掛けられた言葉に目を丸くして聞き返した。ラウスブルグの移動中は結界を越えるために常時ラウスの命樹が作り出す異空間に城を置いていたのだが、メイトルパに着いた時は当たり前のように城をその空間から出したのだから、彼女の疑問ももっともと言えた。

 

「こっちじゃレーダーとかいろいろあるからな。お前だっていきなり襲われたくないだろう?」

 

 ネロが苦笑しつつ答えた。人間界では世界各地にレーダーサイトが設置され周囲に目を光らせている。おまけに軌道上には数多くの人工衛星が周回している。そんな中でラウスブルグのような巨大な建造物がいきなり空中に現れたらどうなるか、ネロにはわかっているようだ。

 

「こんなデカイのが現れたりしたらさすがに気付かれるだろうし、しょうがないな」

 

 この世界で生まれ育ったハヤトもバージルの判断に賛成の様子だ。さすがにこんなことで無用の混乱は招きたくはないらしい。

 

「何か……ちょっと窮屈ですね」

 

 自由に太陽の光を浴びることも制限されることに居心地の悪さを感じたポムニットが言った。少し前まで平然と空に浮かんでいられたメイトルパにいたせいで余計にそう感じるのかもしれない。

 

「どうせすぐ出かける。それまで我慢しろ」

 

「はーい」

 

 バージルが答えるとポムニットは素直に返事をした。

 

「いいなあ……」

 

 どうやらエニシアも異世界に興味があったらしく、バージルと一緒に出掛けることが確定しているポムニットに羨望の視線を送っていた。そしてそんな彼女を見ていたネロが口を開いた。

 

「ま、俺の所でいいなら観光案内くらいはしてやるよ」

 

 フォルトゥナは今でこそ多少マシになったとはいえ、少し前までは排他的で観光客も少なかった。それでも数少ない観光客が必ずと言っていいほど足を運ぶのがフォルトゥナ城だ。伝説の魔剣士スパーダがフォルトゥナの領主を務めていた時、居城にしていたと伝えられる歴史的、宗教的にも重要な場所なのだ。

 

 そうしたところを案内してやれば、暇つぶしにはなるだろうと思い提案したのだ。

 

「あ、エニシアばっかりずるーい! パパ、ミルリーフも連れていって!」

 

「わかったわかった。連れてってやるよ。……それとフェア、お前もな」

 

 ミルリーフがそう言うことはネロも想定していたようで、一緒に連れて行くことには問題ない。そしてミルリーフを連れて行くのだからフェアも一緒なのはもはやネロにとって当たり前のことだった。

 

「あ、ありがとう、ネロ」

 

 まるで心の中を見透かしていたかのようなタイミングで言われたのだからフェアは顔を赤くした。

 

「……で、どこから行くんだ?」

 

 そんな彼女のことなどたいして気にも留めなかったネロはバージルに尋ねた。

 

 ラウスブルグは人間界にある間は常時異空間にその姿を隠す都合上、外界との行き来は基本的に城に備え付けられた転移の門(ゲート)を介して行うことになる。だが、それを用いたところで人間界のどこにでも行けるわけではない。移動できる距離には制限があるため、異空間内を移動し目的地に近付く必要があるのだ。

 

「フォルトゥナからだ。貴様もその方がいいだろう」

 

 最初から決めていたようにバージルが口を開いた。ハヤト、レナード、ネロ、バージルの中で一刻も早く目的地に着きたいのはネロである。というより、レナードはともかく他の二人はさほど急ぎではないため、最初にフォルトゥナに寄るのはほぼ規定路線だったのだ。

 

「ネロ君少し前からずっとそわそわしてるもんね」

 

 アティが苦笑しながらネロに声をかける。人間界に入ったのはついさっきではあるが、ネロはそれよりも前から何もすることがないのにもかかわらず、この制御室にいたのだ。ハヤトやレナードが大人しく待っているのとは対照的だった。

 

 舵取り役のフェアと指揮を執るバージルに、そろそろ交代時間が近いエニシア、ゲルニカの万が一の代役のミルリーフ、そして彼女達とバージルの間を取り持つクッション役としてアティとポムニットとこの場にいる者は何らかの役割を持っているのだが、ネロはそうではない。

 

 決して本人は口に出しはしないだろうが、それだけ人間界への帰還が待ち遠しかったということだろう。

 

「やっぱりそうなんだ」

 

 エニシアは得心が言ったとばかりに呟いた。先ほどまでのネロの様子はさほど付き合いが長くないエニシアでも気付くほどのものだったようだ。

 

「あ、エニシアも気付いてた? ネロってば結構分かりやすいよね」

 

 そんな彼女にフェアが小さな声で言う。部屋自体あまり大きな音もしていないため、その言葉は本人にも聞こえていそうだが、当のネロは鼻を鳴らしただけで完全に無視を決め込んでいる。

 

 ここで何か言っても逆効果だということくらい分かっているらしい。

 

「ねえ、パパ。パパの住んでたフォルトゥナってどんなところ?」

 

 そこにミルリーフが首を傾げながら声を上げた。近いうちに行くことになる場所であるからか、あるいは父の生まれ故郷であるためか、フォルトゥナという都市について興味が沸いたらしい。

 

「堅苦しい街さ。排他的だしな」

 

 そう言うがネロの口元は笑っている。心の底からそう思っているわけではなく、むしろその逆のようだ。

 

「それで魔剣教団ってのがあって、俺は昔そこの騎士をやってたんだ」

 

 フォルトゥナを語る上で外せないのがネロの言葉に出てきた魔剣教団だ。魔剣士スパーダを神として崇める宗教の総本山みたいなもので、フォルトゥナの統治と防衛も行っている組織だ。言ってしまえばフォルトゥナは一種の宗教国家なのである。

 

「魔剣教団か……」

 

 バージルが過去を思い出すように呟いた。まだバージルが父の足跡を追って世界各地を放浪していた時、スパーダが領主をしていたという伝説があるフォルトゥナを訪れたことがあった。

 

 もっともその時はスパーダが居城としていたフォルトゥナ城の私室まで赴いたが、一人の老いた人間に会っただけでスパーダにまつわるような目ぼしいものはなにもなかったが。

 

「そういや、あんたは来たことがあるんだな」

 

 バージルの呟きを耳にしたネロが頷く。どういう経緯は知らないが、自分がフォルトゥナの孤児院に捨てられていたのだからバージルがフォルトゥナを訪れた際に自身の母親と出会ったと考えるのが自然だろう。

 

「ああ、そうだ」

 

「……まあ、今じゃあんたの来た頃とはだいぶ違うかもしれないぜ。数年前の事件で結構被害があったからな」

 

 ネロはあえて、バージルが訪れた時のことには深く触れなかった。変に突っ込んで痴話喧嘩に巻き込まれるなど御免なのだ。

 

「事件?」

 

「教皇が自分の目的のために悪魔を呼び出したんだ」

 

 オウム返しに尋ねたミルリーフにネロは簡単に説明する。彼は事件の経緯こそ知っているが、現れた悪魔によって多くの人が殺されたことなどはまだ幼いミルリーフには話すつもりはなかった。

 

「その手合いはどこにでもいるようだな」

 

 かつて一時的にとはいえバージルと協力関係にあった男のことを思い出した。その男も自らの野望の為に悪魔やバージルすら利用したのだ。

 

「違いねえ。だが、どいつもこいつもロクでもない死に方をするがな」

 

 ネロがデビルハンターとして活動する中でも悪魔を利用しようとする人間は少なからず存在した。だが、そうした者はまるで示し合わせたかのように無惨な最期を迎えるのだ。

 

「そういえば……あっちでもそんなことをする人がいましたね」

 

「愚かなことだ。悪魔は人に御せる存在ではない」

 

 アティが口にした悪魔を召喚する技術を用いる者のことをバージルは一言で切って捨てた。その技術を開発したと思しきオルドレイク・セルボルトは自らが召喚した悪魔に殺されるという自業自得の末路を辿ったのだ。愚かと言われても仕方ないだろう。

 

「その割にあんたは手綱握られてねえか?」

 

「…………」

 

 ネロの投じた爆弾発言に場の空気が凍った。ネロとしてはバージルとアティを茶化す程度の意味で口にしたのだが、見るからに冗談など通じるようには思えないバージルは表情一つ変えないままだ。

 

 フェアもエニシアも表情を凍らせたまま場の成り行きを見守っている。幸いポムニットは口元を抑えてクスクスと笑っており、アティもまた少し照れた笑いを浮かべているが、それでも言葉を誤ったのは明らかだった。

 

「……さて、そろそろ着きそうだから帰る準備してくるか」

 

 そしてネロは、そう言うとそそくさとこの場を離脱していった。

 

 

 

 

 

 それから少ししてネロはフォルトゥナに帰ってきた。とはいえ、ラウスブルグとフォルトゥナを繋ぐ転移の門(ゲート)を街中に出現させるわけにはいかない。できるだけ人目のつかないところである方が望ましい。

 

 そうした理由もあり、転移の門(ゲート)を背にネロがいたのはフェルムの丘と呼ばれる元は鉄の採掘場だった場所だ。採掘に使われた空間が洞窟となり、それはフォルトゥナ城があるラーミナ山に続いているが、ネロがいたのはそうした洞窟ではなく、麓にある鉱夫達の集落、先の事件においては彼が炎獄の覇者と戦った場所であった。

 

「…………」

 

 しかし故郷に帰ってきたというのにネロの顔はどうにも晴れやかではなかった。むしろまだ不安が残されているような、そんな顔だった。

 

 ネロは足早にそこを去ると自分の事務所に向かう。やはり彼にとってはキリエと会わなければ、真に帰って来たとは言えないのである。

 

 フェルムの丘からカエルラ港を抜けて、居住区を歩いている。ネロの事務所があるのは商業区の端であり、フェルムの丘からそこまで行くには居住区を抜けるのが早いのである。

 

(半年も離れていないはずなのに随分と変わってるな)

 

 ネロがフォルトゥナを離れていたのは、召喚される前に日本に滞在していた期間を含めても半年にも満たない。にもかかわらず居住区の街並みは確かに変わっていた。ネロが日本に向けて発つ前はまだ建築途中だった住宅は既に完成しており、新たにいくつかの住居も建築され始めていた。とはいえ住居の建築様式は、歴史と伝統を後世に残すべきと考えているフォルトゥナの人々らしく以前のものとかわりないが。

 

(こっちは変わりないな……俺の事務所も)

 

 そんな過去の事件からようやく復興が始まった居住区を抜けたネロは商業区に入った。商業区は事件によって大きな被害を受けたのだが、経済に直結する部分もあるせいか比較的早い段階で再建された建物が多く、出発前とはほとんど変化はない。

 

 そして視界の端にはネロの事務所が映る。まだだいぶ距離はあるが、少なくとも遠目には変わってないように思えた。少しずつ事務所に近付いていくにつれ、それは確信に変わった。

 

 たとえば事務所の前だ。ゴミ一つ落ちていない。ここはお客さんを迎えるのだからいつも綺麗にしていなくちゃ、とキリエが毎日掃除していたところだ。

 

「…………」

 

 ネロは大きく深呼吸してドアを開ける。それほど大きくない事務所、ドアを開けた正面に見えるのは事務所の主が座るはずのデスクだ。

 

 しかしネロの視界に飛び込んできたのは、空席のデスクよりも中で箒を持ったまま視線を向けているキリエの姿だった。

 

「キリエ……!」

 

 名前を呼ばれたキリエはネロの姿を認め、一瞬驚いた表情を見せたがすぐに微笑みながら駆け寄ってきた。

 

「ネロ……おかえりなさい」

 

 傍に来たキリエの目尻には涙が浮かんでいる。やはり心配していたようだ。

 

「ただいま、キリエ。心配かけて悪かったな」

 

 そう言ったネロはキリエを優しく抱き留めた。

 

「いいの、ネロがちゃんと帰ってきてくれただけで十分だから」

 

「悪い、いろいろあって……。どこから話せばいいか……」

 

 異世界に飛ばされたことだけでも十分なのに、そこで厄介な事件に巻き込まれたこと、挙句に自分の父親と会うことになったのだから正直ネロはリィンバウムでのことをどこから話すか決められないでいた。

 

「そんなのいいのよ。ネロが帰って来てくれただけで十分」

 

「いや、でもな……」

 

「それならご飯食べてるときに聞かせて。そろそろお昼だから」

 

 勝手に長期間不在にして何の説明もなしというのはさすがに気が引けるネロの言葉にキリエが提案する。

 

「ああ、そうする。久しぶりにキリエの料理が食べたいし」

 

 フェアの作る料理は美味かったが、それでもやはりキリエの料理は特別だ。母親がいないネロにとってはある意味でお袋の味と言えるからかもしれない。

 

「ならすぐ作るわね。少しだけ待ってて」

 

 それを聞いたキリエが目を細めてくすりと笑う。そのまま厨房に行こうと踵を返したところでネロが口を開いた。

 

「キリエ」

 

「どうしたの?」

 

 首をかしげるキリエにネロは言葉ではなく行動で答えた。

 

 キリエの腰に右腕を回し抱き寄せる。左手は彼女の顔に添えた。

 

「ネロ……」

 

 キリエはゆっくりと目を閉じた。

 

 そしてネロは真の意味でフォルトゥナに、自分の居場所に帰ってきたのだった。

 

 

 

 

 

 それからしばらくして、ラウスブルグは日本近海上空にいた。ネロをフォルトゥナに送り届けた後の目的地はハヤトの生まれ故郷である日本の那岐宮市だったからだ。それぞれの事情だけで考えれば、次に向かうのはレナードの故郷なのだが、最後に向かうバージルの目的地の近くに位置した関係で先にハヤト達を降ろすことにしたのだ。

 

 そしてハヤトとクラレットはその那岐宮市の郊外にいた。ネロをフォルトゥナに送った時と同じように人が少ない場所を選び、二人をそこに送ったのである。

 

「やっぱりここからじゃあ遠いなあ。別な場所にしとけばよかった」

 

「仕方ありませんよ。見られるわけにはいきませんから」

 

 溜息を吐いたハヤトにクラレットが苦笑する。二人の目的地であるハヤトの実家はここからかなり距離がある。できるならそこの近くに送って欲しかったのだが、あいにく実家は住宅街にあり付近に転移の門(ゲート)を出現させられる場所はなかったのである。

 

「まあ、急ぎでもないしゆっくり行くか」

 

 ハヤトはもう一つ大きく息を吐いた。

 

 現在地は郊外の山の麓にある寂れた神社だ。そこから家までは最短経路の市街地中心部を通り、徒歩でおよそ二時間弱だ。那岐宮市にはバスも通っているのだが、周囲には住宅街も観光できるようなところもないせいかバス停はなかった。

 

 サイジェントにいた頃であれば二時間程度歩くのは珍しいことではなかったが、移動手段が豊富なこの世界において徒歩で移動をしなければならないためハヤトは少し落胆しつつも、諦めて歩くことにした。

 

「あの、ハヤト。何か買って行った方がいいでしょうか?」

 

「え? 何もいらないと思うけど。……あ、でもいきなり行くことになるから何か買って行こうかな」

 

 前回実家に帰った時は、行方不明だった息子が帰ってきたということでハヤトの家族は大騒ぎだった。その後、事情を説明し、ハヤトがリィンバウムに戻ることを認めてもらったのだ。それ以来会っていないため、久しぶりの再会に手ぶらというのはどうかと思ったのだろう。

 

「どこかにお店とかはあります?」

 

「この辺にはないから、商店街の方にいってからかな。どうせ近くは通るし」

 

 頭の中で周辺の地図を思い描きながら答える。手土産に何を買うかは思いついていないが、とりあえず店が多い商店街に行こうと思ったのだ。ちなみにハヤトは日本円も多少ながら持っているため、それを軍資金として手土産を買うつもりでいた。

 

 

 

 そのまま一時間ほど歩いてようやく市街地に入ったあたりでハヤトは口を開いた。

 

「クラレット、ちょっとコンビニ行かない? 何か飲み物でも買おうぜ」

 

「そうですね。少し蒸し暑いですし」

 

 クラレットが額に張り付いた汗を拭く。

 

 今日の天候は快晴だ。さらに少し前に雨でも降ったのか、湿気もあるように感じる。夏である以上仕方がないとはいえ、こうしたじっとりとした暑さは中々に堪えるものだ。

 

「よし決まり。そこのコンビニに寄って行こう」

 

 ハヤトが指し示したコンビニに駆け込むように入った二人は、よく効いた冷房にほっとしたように息を漏らして飲み物が置いてあるコーナーに向かう。

 

「これにしよっと」

 

 ハヤトは目に付いたスポーツドリンクを手に取った。炭酸飲料も捨てがたいが、やはり汗をかいた後ならこうした物が飲みたくなったのだ。

 

「えーと……」

 

 それに対してクラレットは中々買うものを決められないでいた。コンビニとはいえ品揃えは豊富だ。置いてある飲み物の種類は二十を超えている。普段はそもそも飲み物を選ぶ機会すらないクラレットは真面目な顔でラックを見ていた。

 

「ゆっくり選んでていいよ。俺はあっちで漫画でも読んでるから決まったら教えて」

 

「わかりました」

 

 クラレットの返事を聞いたハヤトは、苦笑しながらコンビニの入り口側にある漫画や雑誌の置かれたコーナーに歩く。

 

(神隠しの街、ねえ……ネロも調べに来てたって話だけど……)

 

 そんな中、多種多様な雑誌に紛れて那岐宮の名前が表紙に載った雑誌を見つけた。「神隠しの街・那岐宮市に迫る」とセンセーショナルに描かれた表紙を見てハヤトは呆れたようにその雑誌を手に取ると、中をぱらぱらとめくっただけですぐ元の場所に戻した。当然、何の文章も目に入っていない。那岐宮市の名前が見えたから手に取ったものの、大した興味は湧かなかったようだ。

 

「お、いつの間にかこんなに出てるんだ」

 

 今度は単行本が置かれたラックで、週刊詩で連載している漫画を見つけた。ハヤトが学校に通っていた頃はよく級友と回し読みしていた漫画だ。それが自分がリィンバウムに行っている間にだいぶ話が進んでいるようだ。

 

「ハヤト、決まりました」

 

 懐かしいな、とそれを眺めていると横合いからクラレットに声をかけられた。手にはペットボトルのお茶を持っている。中々渋いチョイスだった。

 

「そういえばさっきのコンビニでさ。那岐宮のことが神隠しの街って書いてあったよ」

 

 会計を済ませた二人はそれぞれが選んだ物を飲みながら再び歩き始めると、ハヤトが先ほどコンビニで見た雑誌のことを話した。

 

「カミカクシ……?」

 

「えっと、そうだな……。人が急にいなくなることのことかな。ほら俺が向こうに召喚されたときみたいにさ」

 

 クラレットとハヤトはそれぞれ異なる世界の出身だが、言葉を交わすことは可能だ。しかし神隠しのような独自の単語までは意味が通じないらしい。

 

 それに気付いたハヤトが言葉の意味を簡単に説明するとクラレットが言った。

 

「なるほど。……そうなるとまたこの街の誰かが召喚されたということでしょうか?」

 

「どうだろう。もしかしたら別の事件に巻き込まれたってこともあり得るし」

 

 可能性で言えば自分と同じようにリィンバウムに召喚されたとも考えるよりも、別な事件に巻き込まれたと考えた方が自然のようにハヤトは思えた。

 

「確かにその通りです。特定の個人を召喚するには誓約を結ばなければなりませんからね」

 

 言いつつ二人は商店街の入り口を通る。そこには商店街のイベント情報のチラシが貼られた掲示板があった。

 

「ん……? これって……樋口?」

 

 ハヤトは何の気なしにそれを見た時、見知った顔が印刷され、一際大きな目立つ字で「探しています」と書かれたチラシが三枚ほど横に並んで貼ってあるのに気付いた。そしてその中の一人は、同じ高校に通っていたクラスメイトの樋口綾だったのだ。

 

 彼女とは特別親しい間柄ではないが、何度かは言葉を交わしたことがあるおとなしい少女である。そんな彼女も今では神隠しにあった一人だった。

 

「その人……お知り合いですか?」

 

 呆然と掲示板を眺めていたハヤトにクラレットが尋ねると、はっとした様子で答える。

 

「あ、ああ。高校のクラスメイトだったんだ。……でもまさか、こんなことになってるなんて……」

 

 ハヤトにとって神隠しとはついさっき知ったばかり、それも雑誌に描かれたものを見ただけであるため、それが自分の生まれ育ったこの那岐宮市で、現実に起きていることとは全く思えなかったのだ。

 

 しかし、自分の知っている人が実際に行方不明になっているのを見て、ようやくそれが自分にも関係がある問題だと気付いたのだ。

 

「なあ、クラレット……、この人たちも俺みたいに向こうに召喚されたのかな?」

 

 クラスメイトの顔に並んでいる二人を見ながら尋ねる。失踪した日付とその時の年齢を見るに、三人とも自分と同じ年齢だった。そのせいか、ハヤトは三人がかつての自分と同じようにリィンバウムに召喚されたのではないかと思ったのだ。

 

「可能性はゼロではないと思いますが……、それを確かめる術はありません」

 

「だよな。それにネロの話じゃ悪魔の可能性もあるし……」

 

 リィンバウムに召喚されたのなら、まだ生きている可能性はある。しかし、この神隠しの裏にはネロが調査に呼ばれたように、悪魔が関わっている可能性もあったのだ。そうなった場合、まず命は失われているだろう。

 

「で、でも彼も向こうに召喚されたわけですから……」

 

 クラレットがハヤトを元気づけるように言った。それに彼女の言うこともあながちまちがい間違いではない。那岐宮市に来ていたネロがリィンバウムに召喚されたのは事実なのだ。同じことが三人に起こった可能性はある。

 

「だな……。とにかく無事でいてほしいよ」

 

 何もできないもどかしさを抑えながら目を瞑ったハヤトは、大きく息を吐いて答えた。今の自分にできるのは、この三人が無事であることを祈るだけなのである。

 

 だが、那岐宮市にいる間は何もできないというわけではない。一応ラウスブルグが人間界にいる間に、ネロが請け負った仕事を果たすため再び那岐宮市を訪れることになっていたのだ。その結果、せめて悪魔の仕業ではないということだけでも分かれば生存に希望が持てる。

 

「ええ、私も同じ気持ちです」

 

クラレットがそう言うと、ハヤトはもう一度だけ掲示板に張られたチラシを見て、二人で歩き始めた。

 

 

 

 

 

 とある街にある便利屋「Devil May Cry」の事務所、そこの主であるダンテは机に足を乗せながら、コミック雑誌を再び読んでいた。つい今しがた馴染みの店にピザを注文したところだ。いつもならそうしたピザの空箱が事務所内に散乱しているところだが、昨日知り合いの少女が掃除していったため、珍しく片付いていた。

 

 そうしている時に、机に据え置かれたアンティーク感溢れる電話が鳴った。ダンテがそれを取ると、電話口から聞こえたのは今の事務所に移る前から知り合いの馴染みの情報屋の声だった。

 

「エンツォ、今は閉店中だ。また掛け直してくれ」

 

 話を半分どころか四分の一も聞かない内にダンテは電話を切って一言。

 

「ったく、くだらねえ話を持って来やがって」

 

 エンツォが持ってきた話はいわゆる裏社会の抗争に関する依頼だった。ダンテの古くからの付き合いである以上、そうした依頼を受けないことはよく知っているはずだが、彼にも付き合いがあるのだろう。もっともダンテに、そんなものに付き合う義理はなかったが。

 

 そうこうしているうちに事務所のドアが開いた。

 

 ダンテは一瞥もせずに雑誌に目を落としたまま口を開いた。

 

「あんたはつまらねえ話を持ってきたりはしないよな――」

 

 そして正面に目を向ける。

 

 ダンテには誰が入ってきたかなど目を向けずとも分かっていた。久しく会っていないとはいえ、同じ血を分けた兄弟のことを間違えるはずがない。

 

「――バージル」

 

 ダンテの正面には閻魔刀を携えたバージルが立っていた。

 

 二十年以上の時を経て、遂にスパーダの実子が相見えたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 




DMC5発売まで2週間をきりましたね。一応発売しても本作の投稿ペースは変わらない予定です。



さて次回は3月9日か10日に投稿を予定しています。

ご意見ご感想等お待ちしております。

ありがとうございました。


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第103話 Sons of SPARDA

 昼時を過ぎた時刻、「Devil May Cry」の中では双子の兄弟が視線を交錯させていた。

 

 その片方の兄バージルは閻魔刀を左手に持ったまま、ダンテの胸元に光るアミュレットとその背後の壁に飾られたフォースエッジを確認した。その二つを手に入れるのが彼の目的なのである。

 

 対して弟ダンテは机に上げていた足を降ろし、机に立てかけられたリベリオンを背負って立ち上がった。次いでいつものように無造作に置かれていたエボニーとアイボリーを机の上から取って腰のホルダーに納めて、自身の机の前に歩み出た。

 

「――で、どんな話を持ってきたんだ? まさかあんたに限って仲直りに来たとか言わないよな」

 

 ダンテは肩を竦めながらバージルに尋ねる。飄々とした態度こそ崩していないが、戦闘を始める準備は整っているようだ。

 

「フォースエッジとアミュレット。その二つをよこせ」

 

 バージルは短く用件だけを伝えた。それを聞いたダンテはぴくりと眉を一瞬動かすと、珍しく真面目な顔で口を開いた。

 

「まさかまだ親父の力を求めてるのか? 前も言っただろう。力を手に入れても親父にはなれないってな」

 

「俺は貴様の説教を聞きに来たわけじゃない。フォースエッジとアミュレットを渡せ、三度は言わん」

 

「……で、あの力を手に入れて何をするつもりなんだ? まさか額に入れて飾るつもりか?」

 

 バージルの言葉を聞いて、ダンテは兄が昔のような理由で両親の形見を取りに来たわけではないということを悟った。だがそれでも、はいそうですかと渡すわけにはいかなかった。その二つはダンテにとっても大切な物なのだ。何に使うのかもわからず委ねることはできないのだ。

 

「貴様に話すことはない」

 

「そうかい……」

 

 ダンテが背中のリベリオンに手をかける。

 

 それはバージルが閻魔刀に手をかけたのは全くの同時だった。

 

 その一瞬後、最強の双子は己の得物を十字に交差させていた。振り下ろされたリベリオンと横一文字に振るわれた閻魔刀がちょうど二人の中間でぶつかりあったのだ。

 

 だが二人とも決して本気だったわけではない。まずは小手調べの意味も兼ねた一撃だったのだ。

 

 おかげで周囲への被害もほとんどない。精々二人の周囲の床に亀裂が入った程度で済んだようだ。

 

「随分と強くなってんな、遊んでたわけじゃなさそうだ」

 

「貴様もな。魔帝を封じただけのことはあるようだ」

 

「はあ?」

 

 貶すことは多々あれど、他人を褒めることはまずなかったバージルの言葉にダンテは怪訝な表情を浮かべる。

 

 その瞬間、バージルは閻魔刀と拮抗していたリベリオンを弾き上げた。思いがけない動きだったとはいえ、ダンテはリベリオンと共に飛び上がると、そのまま机の後方に着地した。ちょうどバージルが入ってきた時と同じ状況になった。

 

 一方バージルは閻魔刀を鞘に納めていた。もう一度抜刀による攻撃をしようとしているのではなく、これ以上戦いを続けるつもりはないようだった。それはダンテも分かっているのか、得物を背に戻してやれやれと肩を竦める。

 

「なんだよ、仲直りしようってか?」

 

 そう言った時、入り口のドアが開いた。そこから二人の女性が顔を覗かせていた。アティとポムニットだ。

 

「あ、あの……」

 

「悪いが取り込み中だ。仕事の話なら後で――」

 

 ダンテがそう答えたのも当然だ。ひとまず戦いに発展する恐れはなくなったとはいえ、バージルとの話は何も解決していないのだ。おまけにこれは家族の問題。無関係の者に立ち入らせるつもりはなかった。

 

「じきに話も終わる。そこで待っていろ」

 

「は……?」

 

 ダンテは思わず素っ頓狂な声を上げた。あの不愛想で冷酷で容赦の欠片もない実の兄が親し気に二人に話しかけているのだ。驚かないわけにはいかなかった。

 

「え? で、でもなんかすごい音がしたんですけど」

 

「長らく会っていなかった。再会の挨拶が少々派手になっただけだ」

 

「そ、それならいいんですけど。……とにかく、あまり手荒なことはしちゃダメですからね」

 

 そう言って二人はドアを閉めた。

 

「随分と仲が良いじゃねえか。女ができて少しは丸くなったってところか?」

 

 彼らのやりとりを見たダンテはにやにやしながら口を開いた。さながら兄の弱みを握ってやったと言わんばかりの得意顔だ。それに対し、バージルはフンと鼻を鳴らして答える。

 

「いい年していまだふらふらしている貴様よりはマシだろう」

 

 人間界に来たばかりのバージルにダンテの普段の行動など知るはずもないが、二十年以上前に別れた時から大して変わっていない弟の言動から、彼が身を固めていないことは明らかだし、普段の様子も容易に想像できたのだ。

 

「はっ、説教とはさすがガキも作ってる奴は違うねえ!」

 

「……貴様、ネロに会ったのか」

 

 ダンテの次の言葉を聞いてバージルは少し頭が痛くなったような気がした。ネロはフォルトゥナで生まれ育ったわりに少々言動が過激だと思っていたが、もしかしたらこの愚弟の影響があったのかもしれない。

 

「ああ、数年前にな。言っとくがあいつはフォルトゥナにはいねえぞ」

 

「いらぬ心配だ。つい先ほど送り届けた」

 

「へえ、意外とあんたも父親しているんだな」

 

 バージルの言葉を聞いたダンテは一転して感心したように頷いた。これまで行方不明だったネロのことも気にならないわけではなかったが、バージルがついていたのだからさほど心配することもないだろう。気に食わないが、兄の力は自分にも勝るとも劣らないのだから当然だ。

 

「……話を戻させてもらおう。渡すか否か、今決めろ」

 

 ついダンテの言葉に釣られて、らしくなく言葉の応酬をしてしまったバージルだったが、一度言葉を切ってあらためて尋ねた。

 

「…………」

 

 それに対しダンテは無言を保ったままだ。ただ、彼の心境としてはバージルに渡すことには抵抗はなかった。むしろ今になって来たのだから、兄はこの父と母の形見を必要としているのかもしれないとさえ思っているほどだ。

 

「答えろ、ダンテ」

 

「……おいおい、こいつは俺にとっても形見なんだぜ。少しくらい考える時間をくれたっていいだろ?」

 

 にやけた笑いを浮かべながらダンテは口を開いた。そう、別に今のバージルに形見を渡すことに文句はない。しかし最初は渡すつもりはなかったのに、今になって渡そうとしたのでは、兄にいいように言いくるめられたようで気に食わなかったのだ。

 

 言ってしまえば子供染みた対抗心でしかないのだが、それを燃やす相手がいなかったダンテは、あえてその心に従って、ちょっとした抵抗をしてみる気になったようだ。

 

「……いいだろう」

 

 そんなダンテの心の中を読んだのか、あるいは彼の言葉に納得できるものがあったのかは不明だが、バージルは弟の提案を受け入れることにしたようだ。そして「近い内にまた来る」と言い残すと踵を返した。

 

「おい、バージル!」

 

 だが、バージルがドアに手を掛けたところで、ひと悶着が起こる前のように机に足を乗せたダンテが彼の名前を呼んだ。

 

「どうせ暇だろ。嫁さん達をどっかに連れて行ってやったらどうだ?」

 

 バージルがそこまで気が回るとは思えないと考えたのか、それとも多少なりとも待たせる詫びのつもりか、至極真っ当なアドバイスをダンテは口にした。

 

「貴様に言われずともそのつもりだ」

 

 弟にそんなことまで気を回されたくないとばかりに、バージルは振り返りもせずドアから出て行った。だがそのドアが閉まる寸前に、さらにダンテは言葉を放った。

 

「ついでに坊やに弟か妹でも作ってやれよ!」

 

 その言葉から、実のところダンテがまともなアドバイスをしたのも、ただ単に堅物の兄の恋路という面白いものに口出ししてみたかっただけ、という理由が思い浮かぶ。結局はダンテの心の中だが、これがもっとも正解に近いと考えるのは間違いではないだろう。

 

 ちなみにダンテはこの直後、天井から降ってきた幻影剣に串刺しにされるのだが、それはまた別の話だった。

 

 

 

 

 

 ダンテの事務所から出たバージルはアティとポムニットを連れ、とりあえず近くにあった「Freddie」という名の喫茶店に入っていた。現金はここに来る前にリィンバウムで手に入れた貴金属を売り払って手に入れていたため結構余裕があったのである。

 

「それにしてもさっきは驚きました。まさか兄弟で斬り合っているなんて……」

 

「お互い本気ではなかった」

 

 テーブル席で一息吐いたところでアティが先ほどのバージルとダンテのことを言うと、バージルは心外だとばかりに言葉を返した。

 

「それは分かりますけど……、心配するこっちの身にもなってくださいよ。先生なんて気が気じゃなかったんですから」

 

 それに対して今度はポムニットが言う。バージルが少し本気を出せばどうなるかくらい容易に想像できるため、彼ら兄弟が本気で互いを殺そうとしていたのではないことは分かるが、それでもやはり武器を振るう以上は心配しないわけにはいかなかったらしい。

 

「……以後、気を付けるとしよう」

 

 あまり悪びれずにバージルは言う。そもそも二人がバージルの言う通り、終わるまで事務所の外で待っていれば知らずに済んだことなのだが、知られてしまった以上は仕方がなかった。

 

 そうしていると、席に着いてすぐ注文したコーヒーが出された。三人はそのコーヒーと適当に甘い物を注文していたのである。

 

「うぅ、にが……」

 

 初めて飲んだコーヒーにポムニットは顔を顰めて舌をちろりと出した。一応砂糖もミルクも入っているはずなのだが、それでも彼女には少し苦かったようだ。その証拠にバージルもアティも特に気にしている様子はなかった。

 

「もうすぐ甘い物も来ると思うから、それと一緒に飲んだら?」

 

「はい……そうします……」

 

 アティのアドバイスを聞き入れて、ポムニットはカップをテーブルに置いた。甘い物と一緒であれば苦みも中和されて飲みやすくなるだろうから、妥当な判断だろう。

 

「バージルさんが注文したのは正解でしたね」

 

「そのようだな」

 

 実のところ、甘い物を注文したのはバージルだった。食べる物の好みは年を取っても変わらないようで、リィンバウムにいた頃から菓子の類を好んでいたのだ。そのためポムニットはケーキなどをよく作っていたものだった。

 

 ただ今回注文したのは、向こうでは手作りするのは難しいアイスクリームを使ったデザートだった。

 

 そうこうしているうちにウエイトレスがトレーに注文したデザートを載せてやってきた。

 

「ストロベリーサンデー三つ、おまちどおさま」

 

 注文したものはダンテの好物であるストロベリーサンデーだった。リィンバウムでアイスクリームを使うようなデザートは、材料となるアイスクリームがまず売られていないため、作ることは難しい。飲食店であればそうした類のデザートを置いているところもあるが、バージルはここ数年食べていなかったのだ。そうした背景もあり、ストロベリーサンデーを注文したのだろう。

 

「おいしい……」

 

 ポムニットは目を輝かせながらストロベリーサンデーを口に運んでいる。彼女の好みに合ったようだ。これで口の中に残るコーヒーの苦みも消え去ったことだろう。

 

 バージルとアティの二人も揃ってスプーンを口に運ぶ。甘さ控えめの生クリームにイチゴの果汁が合わさり絶妙な味を作り出していた。

 

「まあ、悪くない」

 

「ええ、甘くておいしいです」

 

 二人ともこのストロベリーサンデーは口に合ったようだ。特にバージルに至っては既に二口目を口に運んでいる。このペースではアティとポムニットが食べ終わる前に二つ目を注文しているかもしれない。

 

「ところで、これからどうします? 目当ての物はまた日を改めるんですよね?」

 

 ダンテの事務所であったことは既に彼女達には粗方の説明をしていた。もし当初の予定通りフォースエッジとアミュレットを手に入れていたのであれば、一旦ラウスブルグに戻るつもりでいたのだが、もうその必要はなくなったのだ。

 

「他にも行かなければならないところがある。そこに行く」

 

「どこなんですか、そこ?」

 

 首を傾げるポムニットにバージルは「行けばわかる」と答えた。随分と辛辣な言葉だが、バージルとの付き合いが長いアティもポムニットも全く気にした様子なく頷いた。

 

「それじゃあ、やっぱり一度戻ります?」

 

 次の目的地がどこにあるのかわからなかったアティは、やはり城に戻った方がいいのではないかと思ったようだ。ラウスブルグなら多少遠くてもたいして時間はかからない。

 

 世界間での戦いの火種にもなりかねないラウスブルグだが、もはや便利な乗り物と化しているようだった。

 

「いや、ここからなら大して距離はない。戻らずこのまま行く」

 

 バージルが行こうとしている場所はダンテの事務所があるこの街からさほど離れてはいない。もっとも「さほど」とは言っても徒歩では半日以上かかる距離なのだが、公共交通機関が発展しているこの世界ではせいぜい二、三時間と言ったところだろう。そのためわざわざ戻る必要はないと思ったのである。

 

「わかりました。それじゃあこれを食べてから出発ですね」

 

「別に急いではいない。ゆっくりで構わない」

 

 珍しく優しい言葉をかけるバージルに訝し気な視線を向ける二人だったが、彼がそう言った裏には、もう一つストロベリーサンデーを食べる心算があることを知るのはもう少し後だった。

 

 

 

 

 

 それからしばらくして三人は電車に乗り、ボックスシートに腰かけていた。

 

「あまり使っている人がいないんですか? 他の人が見えませんけど」

 

 アティがそう尋ねたのも無理はない。三人が乗っている車両には他の乗客は誰もいない。さらに同じ駅から乗ったのも彼女達だけだったし、それからいくつかの駅を経ても一向に乗客は現れなかったのだ。

 

「これから向かう所もあまり大きなところではない。それに車を使っている者も多いはずだ」

 

 バージルはちらりと窓から外を眺める。少し離れたところに見えるのは真新しい舗装が施された道路だ。そこでは渋滞はしていないまでも多くの車が走行していた。この道路はまだバージルが人間界にいた時にはなかったものだ。彼がリィンバウムにいた間に整備されものらしい。

 

 もともとこの国は人の移動には車が多く使われている。列車の路線も各地に張り巡らされているが、どちらかといえば人の移動ではなく、物資の輸送手段として使われることのほうが多いのだ。おそらくこの電車の利用者もあの新しい道路に流れてしまったのだろう。

 

 それにバージル達が乗る電車の路線は近くの地方都市の中枢から周辺の街々を通っているのだが、あいにくその地方都市に向かう方向とは逆で、むしろ郊外の方に向かっていることも乗客の少なさに関係しているかもしれない。

 

「こっちは便利なんですねえ……」

 

 バージルが見ていた道路を走る自動車を見ながらポムニットは呟いた。リィンバウムでは移動手段としては主に徒歩がメインで、それに次いで馬車が出て来るくらいだ。一応、召喚獣を活用した鉄道の話もないわけではないが、一般的なものとは言い難い。事実、彼女がバージルと共に各地を旅した時も、最も使った移動手段は徒歩だったのだ。

 

 それに比べこっちの世界は、今乗っている電車に道路を走っている車だけを見ても、どちらも馬車よりも速く、数も多かった。

 

「別に向こうでも同じことができないわけではないと思うがな。ロレイラルあたりなら似たようなものもあるだろう」

 

 電車も車もこの世界独自のものではあるが、その発想自体は独自のものではない。科学技術が発達した機界ロレイラルであれば、同様の用途に用いるものを見つけるのは決して難しくないだろう。

 

 そうしていると電車は街を抜けた。まだ周囲には住宅こそ並んでいるが、先ほどまでとは打って変わって自然も多く見かけるようになってきた。

 

「あ、結構自然もあるんですね。建物ばっかりだったから、てっきりないものだとばかり思ってました」

 

 そんな景色を見ながらアティは呟いた。確かに彼女がこの世界で初めて訪れたのは、先ほどまでいたダンテが事務所を構える街だった。そこでも公園など緑がある場所こそ存在したが、今、窓から見える景色のように生きた自然は全くといっていいほどなかったのだ。

 

「当たり前だ。むしろこれから行くところも似たようなところだ」

 

 世界でも有数の国家であるこの国でも自然が全く存在しないなどありえない。よほど国土が小さくない限り、どんな国家でも山や森があるのが普通なのだ。先ほどの街のように人が集まるところこそ自然は少なくなっているが、それ以外は道路や線路が整備されているだけで自然豊かな場所は存在しているのである。ただ、そうしたところも田畑や牧草地になっていたり、あるいは行政組織が管理を行っていたりするため、全く人の手が及んでいない所は存在しないのだが。

 

「あ、そうなんですか。……それにしてもこういうのを見てると、やっぱり私は島みたいに自然に囲まれている方が好きだなって思います」

 

「確かにそうですね。私もなんだかさっきは少し気後れしちゃっていましたし、自然がある方が落ち着きます」

 

 アティの言葉にポムニットが頷いた。バージルもそうだが、彼女達が普段暮らしているのはかつて無色の派閥の実験施設だった島だ。そこには四界の召喚獣も住んでいるためそれぞれの集落には各々の世界の特徴が表われているが、それでも島での生活は自然と共生するようなものなのだ。

 

 そんなところからいきなり異世界の、それも見慣れたものが存在しない街に来たのだ。気負ってしまったり緊張してしまったりするのは仕方のないことだろう。

 

「……気持ちは理解できる」

 

 バージルも二人と同じ気持ちだったようだ。そもそもバージルはこの人間界で生まれ育ったが、住んでいた時間で考えればリィンバウムのあの島が最も長いのである。彼にとって島は第二の故郷とも言える場所なのだ。

 

 そうして三人が景色を眺めている間にも電車は目的まで進んで行く。少しして駅を一つ越えたあたりで、バージルが口を開いた。

 

「この次で降りる」

 

「わかりました。……でも、結局どこに行くんですか?」

 

 バージルは行けばわかると言っていたが、ポムニットにはいまだ見当もついていなかったため、あらためて尋ねたのだ。

 

「……家だ。昔家族で住んでいた、な」

 

 少しの沈黙の後、バージルは答えた。

 

 悪魔が母と弟と共に暮らしていた屋敷を襲い、母が殺された日からバージルは一度としてそこに行ったことはない。母が死んだのは己の無力さのせいだと考えていたバージルにしてみれば、屋敷を訪れることはその事実を突き付けてくるような気がして無意識のうちに避けていたのかもしれない。

 

 だが、あの日から三十年以上が経ち、バージルも変わった。だからこそ自分を変えたアティとポムニットとともに、この場を訪れようと考えたのである。

 

 

 

 電車から降り、駅から出た三人はバージルの案内で歩いて移動していた。レッドグレイブという市に属しており、降りた駅の周辺には住宅街や商店街も見かけたし、道路もよく舗装されていたのだが、今は見渡す限り草原が広がっており、周囲から人の生活感を感じ取れるものは何もなかった。

 

「もう道らしい道もないんですね」

 

 アティは周囲を見回しながら前を歩くバージルに話しかけた。既に彼らが歩いているところも舗装された道路どころか道らしい道もなく、ただ草原の中を歩いているだけだった。

 

「もともとここには俺が住んでいた家しかなかった。……もっとも今は廃墟同然で誰も住んでいないがな」

 

 かつてバージルが父母や弟とともに住んでいたのが、人里離れたこの草原に建てられた一軒の屋敷だった。しかし、母が悪魔に殺されたことをきっかけとして、バージルもダンテも家を出たのだ。

 

 その後、バージルは今に至るまで一度も帰っていない。ダンテであれば、あるいは何回か訪れている可能性もあるのかもしれないが、それだけでは道もかつての形を留めておけなかっただろう。

 

「ここに……」

 

 かつてバージルが住んでいたと聞かされたポムニットは周囲に目を向けた。人との関わりはなかっただろうが、自然に囲まれた穏やかな場所だ。そんな環境で育って、どうして今のバージルのような性格になったのか、とバージルに視線を向けつつ心の中で思っていた。

 

「どうした?」

 

「い、いえ、なんでもありません!」

 

 そんなことを考えていたタイミングで声をかけられたため、ポムニットは焦ったように過剰に反応した。これではむしろ逆効果でしかないだろうが、バージルは特にそれ以上、追及しなかった。それは、ようやく目的の場所が見えてきたからだった。

 

「……あそこだ」

 

 バージルの前方に見える大きな屋敷を指し示した。あちこちに焦げ跡のようなものが見えるし、あれから何十年と経った今ではあちこち経年劣化しているだろうが、少なくとも住居としての形は保っていた。

 

 この屋敷をどういった経緯で両親が手にしたかは分からないが、バージルとダンテが生を受けた頃には父も母もこの屋敷で住んでおり、双子の幼少期もまたこの屋敷とともにあったのである。あの悪魔が襲来した日までは。

 

 そんなあの日のことを思い出しながらバージルは、正面の扉を開く。するとエントランスのような広場になっており、正面には肖像画が飾られていた。

 

「…………」

 

 一言も発せずバージルはただその絵を見つめた。父と母、それに双子が描かれた在りし日の家族の絵だった。もっとも、絵は焦げ跡や汚れで傷んでおり、父の絵などは顔が分からないほどだったが。

 

 果たしてバージルはそれを見て何を考えているのだろうか。少なくとも傍から見ただけでは全くわからないだろう。それでも傍にいる二人には、それが彼なりに家族へ想いを馳せているのだと分かった。

 

「先生……」

 

「……うん」

 

 そこに視線を交わして頷き合ったアティとポムニットが揃ってバージルの両隣に立ち、手を合わせて祈りを捧げた。

 

 別にこの場所が墓というわけではないが、それでも母の墓が存在しないため、この場所が故人への祈りを捧げる場所としては最適なのかもしれない。

 

 ちなみにリィンバウムでは特段墓参りの作法などはないが、二人はミスミから教わっていたシルターンの墓参りの方法を踏襲したようだ。手を合わせて故人への感謝などの自分の気持ちを伝えるという意味を持っているらしく、そうした考え方は彼女達にも合っていたのである。

 

「…………」

 

「…………」

 

 二人は同じように口を閉ざして、心の中で亡きバージルの母に自分の気持ちを伝えた。

 

 ひとしきりそうしていると、バージルは僅かに目を閉じて、大きく息を吐く。それが区切りとなったのか、彼はアティとポムニットに口を開いた。

 

「そろそろ帰るぞ」

 

「あ、はい」

 

 その言葉で二人も閉じていた目を開き、既に踵を返していたバージルの後を追って行く。

 

「結構遅くなっちゃいましたし、夕食に間に合わないかもしれませんね」

 

 ここからラウスブルグに戻るためには、また先ほどの街に戻る必要があるのだ。しかし往路にかかった時間を考えれば、城に戻るのは夜になるのは間違いなかった。

 

「もともと夕食は必要ないと伝えてある。帰りにどこかで食って行くぞ」

 

 もともとバージルはダンテからフォースエッジとアミュレットを回収し一旦ラウスブルグに戻ることになったとしても、今日中にここに来ると決めていたのだ。そのため最初に街に降りる前に、フェアに伝えていたのだ。

 

「本当ですか!? 楽しみです!」

 

 それを聞いたポムニットが目を輝かせた。ここに来る前に食べたストロベリーサンデーはとてもおいしく感じた。そのせいか、彼女のこの世界の食事に対する期待値は思いのほか高くなっているようだ。

 

「とはいえ、まずは駅に行ってからだ」

 

 食事をとるにしてもこの周辺に飲食店など一軒もない。少なくともレッドグレイブ市の市街地まで戻らなければ食事もままならないのだ。

 

 そうして二人を連れながら歩いていたバージルは、歩みこそ止めなかったまでも、屋敷が見えなくなる寸前に一度振り返った。

 

「…………」

 

 幸福な家族との生活の終わりと悪魔との戦いの始まりの舞台となった場所。バージルはここから始まった戦いを終わらせようとしているのだ。だからこそ彼は、その発端となった屋敷を訪れたに違いなかった。

 

 

 

 

 

 

 




兄弟の久しぶりの再会(第一部)と、欲しいものが手に入らなかった兄鬼による弟への当てつけという名のリア充アピールでした。



さて3月8日発売されたDMC5は控えめに言って最高でした。
ちょうど欲しかった情報も明らかにされたので、早速この話に取り込んでみました。

なお、本作においてはいくつか公式とは異なる設定があります。

一例として挙げると、
フォルトゥナの事件で魔剣スパーダの代わりにフォースエッジが使われたため神の性能が相当落ちており、割とあっけなくダンテに鎮圧された。
その結果、孤児院も被害を免れており、キリエはその手伝いをしている。

などです。
その他にも何点かありますが、あとはその都度描写できればと考えています。

さて次回は3月23日か24日に投稿を予定しています。

ご意見ご感想等お待ちしております。

ありがとうございました。


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第104話 フォルトゥナ観光旅行 前編

 フォルトゥナ市街地の近郊に位置するフェルムの丘に、ラウスブルグとフォルトゥナを繋ぐ転移の門(ゲート)が存在していた。そしてネロは少し前から人を待っていた。今日はフェア達がフォルトゥナを訪れることになっているため、その出迎えのためだった。

 

「遅えな……」

 

 ネロがここで待ち始めてからまだ十分と経っていない。しかし、あまり待つのが得意ではない彼はもう時間を気にしているようだ。

 

 そうして数分の間、腕を組んだり周囲を歩いたりしていると、ようやくネロが待ちわびた三人が転移の門(ゲート)から現れた。

 

「あ、パパー!」

 

「おいおい、そんなはしゃぐなよミルリーフ。昨日ぶりだろ」

 

 いの一番に現れてネロに抱き着いてきたのはミルリーフだ。最後に会ったのは今日の日程について具体的な打ち合わせを行った昨日なのだが、まるで何年ぶりに会ったかのようだ。

 

 そして彼女に続き、フェアとエニシアが現れる。

 

「あ、もしかして待たせちゃった?」

 

「たいして待ってねえよ、気にすんな」

 

 口元を緩めて答える。実際のところはイラつき始めたところだったのだが、さすがにそれを正直に言うほどネロも愚かではない。それに、そもそも今日のことはネロが提案したものなのだ。こんなことで雰囲気を悪くなるのも馬鹿らしい。

 

「あの、今日はよろしくお願いします!」

 

 最後にエニシアがぺこりと頭を下げる。

 

「おう、それじゃ早速行くとするか」

 

「どこから行くの?」

 

 昨日会った時にネロはフォルトゥナ城と市街地を案内するとは言っていたが、その順番までは話していなかったのだ。

 

「まずはウチに行くぞ。城に行くにしても山を途中まで登らなきゃいけないからな。その恰好じゃ寒いだろ」

 

 三人の恰好はいつもとたいして変わらない。フォルトゥナ城まで行くために登らなければならないラーミナ山はそれほど標高が高いわけではないし、子供でも登山できるくらいに傾斜もきつくはない。それでも上に羽織るものくらいは持って行ってもいいだろう。

 

「え? 私は大丈夫だよ?」

 

「エニシアはキツイだろ。お前と違って頑丈じゃなさそうだしな」

 

 下手な男よりもよっぽど屈強そうなフェアは大丈夫かもしれないが、儚げな雰囲気を持つエニシアにはとてもじゃないが、そんなことをできるとは思えない。

 

 いくら季節的には夏はいえ、もう少し上に着るものがほしいところなのだ。

 

「……私だって女の子なんだけど」

 

 フェアがジトっとした目をしながら拗ねたように口を尖らせた。いくら自分の言葉がそもそもの原因とはいえ、そんなことは言われては面白い気はしない。これも乙女心というものなのだろう。

 

「はいはい、わかった、わかった。早速ご案内しますよ。お姫様」

 

 かなり投げやりかつわざとらしい態度で答えたネロは三人を先導するように歩き始めた。

 

 ミルリーフとエニシアはすぐにそれに続くと、フェアもどこか納得していないような表情を見せながらもネロを追いかけて行った。

 

「ねえネロ、お城への入り口をあのままにしていいの?」

 

 気を取り直したらしいフェアは隠しもせず、そのままにしてきた転移の門(ゲート)のことが気になったようだ。ここはネロの故郷なのだから彼に任せておけば大丈夫かもしれないが、やはり心配らしい。

 

「大丈夫だろ。フェルムの丘はフォルトゥナ城に行くやつくらいしか通らないし、その城へ行く道からもだいぶ外れてるしな」

 

 フォルトゥナとラウスブルグを繋ぐ転移の門(ゲート)があるのは、前回ネロがフォルトゥナに帰って来た時と同じ場所だ。鉄の採掘場からも離れたところであるため、人にはまず見つからない場所なのだ。

 

 それを聞いたエニシアは確認するように口を開いた。

 

「ってことはネロさんの家に行ったらまたこの道を戻るんですね」

 

「おう。面倒だがお前に風邪でも引かれると、おっさんたちに何言われるかわかったもんじゃないからな」

 

 同じところを何回も移動するなど非効率極まりないが、レンドラーやゲックのことを抜きにしても、自分が案内した結果風邪を引かれたとなっては意味がない。

 

「わあ、人がいっぱい……」

 

 そうこうしているうちに四人はフェルムの丘を離れ、カエルラ港に入った。このルートはフォルトゥナの市街地に行くためのメインのルートではない。それでもネロがこの道を使ったのは近道だからだ。だからこそ数日前にフォルトゥナに帰ってきた時もこのルートを使ったのである。

 

「お前らも周りばかり見てはぐれないようにしろよ」

 

 周りを見てるミルリーフの手を引きながら、ネロはフェアとエニシアに言った。

 

 カエルラ港は決して大きな港ではないが、市街地に近いという立地の良さから利用する船は多く、当然積荷の運び出しなどの仕事をする者もそれに比例して多いため、港の中はかなり賑わっていた。以前の事件でネロがここを通った時は悪魔が現れたこともあって、人っ子一人いなかったのと比べると実に対照的だ。

 

 港という場所はその性質からフォルトゥナの住民ではない者も多くいる。その上、仕事をしている者がほとんどであるため、誰もネロが連れているフェア達のことは気にも留めていない様子だ。

 

 しかし港を抜け、住宅街に入るとさすがにフェア達に視線を向ける者も出てきた。

 

「ね、ねえネロ、なんか見られるんだけど……」

 

 そんな視線を感じたフェアは小さな声で気まずそうにネロに声をかけた。

 

「ここは排他的だし、なによりお前らは目立つからな」

 

 なにしろフォルトゥナの住民のほとんどは外出する際にはフードを被っている。騎士団の制服にもフードがついているため、ただ顔を隠さずにいるだけでも目立ってしまうのだ。

 

 もっとも今回の場合はそれに加えて、フォルトゥナでは珍しい彼女達の髪の色と様々な理由から名前が知られているネロが一緒にいるからであるが。

 

「そ、そうなんだ……」

 

 フェア自身は自分のことを地味な方と考えていたが、やはり世界が違うと周囲の認識もかわるのか、と少し困惑しながら思った。

 

「もうすぐここも抜ける。悪いがそれまで我慢してくれ」

 

 そう言いつつ、ネロはそんな視線を向けている者の方へ目を向けた。すると相手はすぐに視線を逸らした。ネロであればなんてことはないが、フェアには気まずかったようだ。

 

(城に行くときは別な道を通るか……)

 

 そんなことを考えながら住宅街を抜けると、ようやく開放感のある大通りに面した商業区に出た。中世の雰囲気を感じさせる街灯や建物に囲まれたフォルトゥナの街並みが四人を迎えた。

 

「意外と向こうと似たところもあるんだね」

 

 フェアは以前ネロやミルリーフと共に行った帝都ウルゴーラのことを思い出しながらフォルトゥナの街並みを見ていた。

 

「ここに住む人間はこの姿をずっと残しておきたいらしくてな。おかげで新しい道の一つもできなくて不便なんだ」

 

 フォルトゥナに住む人々はあまり景観を変えることを好まない。そうして風習によってか、その街並みは今のフェア達が見ているように、かつてスパーダが治めていた時の姿を可能な限りなくそのまま残しているのである。

 

 とはいえ、魔剣教団の信者でもないネロからすれば、せめて生活が便利になるような道路くらいは作って欲しいと思っているのだった。

 

「え? どうしてなの、パパ?」

 

「前に魔剣教団の話をしただろ。街の奴らはみんなその信者で、スパーダ様が治めていた街の姿を残すべきだってことでまとまってんのさ」

 

 首を傾げるミルリーフにネロが答えた。こうしたフォルトゥナの方針は数年前の事件の黒幕が教皇だと知れ渡っても、悪いのはスパーダの意思を都合のいいように歪曲した教皇であるとの考えのもと、堅持されたままなのだ。その影響か事件によって壊された建物も当時の建築方法を可能な限り再現して再建されており、結果として見た目だけで言えば昔と大して変わりないのだ。

 

「スパーダ様って、その教団を作った人なんですか?」

 

 聞き慣れぬ名前が耳に入ったエニシアが尋ねた。

 

「言ってなかったっけ。……スパーダってのは教団の崇める神様だ。さっきも言ったが昔はこの街の領主をしてたって話だ」

 

「カミサマ……?」

 

 さらに首を傾げるエニシアにネロも怪訝な顔をして逆に尋ねた。

 

「何だ、向こうじゃ神様はいないのか?」

 

 これまでは何の障害もなく、意思疎通を図れていただけに「神」という言葉が通じなかったことにネロは驚かされたようだ。だが、言われてみれば向こうでは礼拝のような宗教的な行為がなかったのも確かだった。

 

「そうだよ。リィンバウムじゃ神様って呼ばれる存在はもういないの。霊界や鬼妖界には天使や悪魔とか鬼神や龍神みたいな神様みたいに扱われてる存在はいるけど……」

 

「随分詳しいな、ってそれも継承した知識ってところか。……なら向こうに神様みたいな扱いのやつはいるか? それで例えればいいだろ」

 

 先代守護竜から受け継いだ知識で説明したミルリーフに、ネロはさらに聞いてみた。「神」という言葉の意味が伝わらないのであれば、同じような意味を持つ単語で代用すればいいという分かりやすい理屈だ。

 

「うーん……、それならエルゴの王、とかかなぁ」

 

「誰だそれ?」

 

 少し考えて言ったミルリーフが口にした言葉にネロが疑問を呈した。リィンバウムにいたとは言っても歴史を学んでわけではないので、エルゴの王と言っても分からなかったようだ。

 

「えーと、いろんな世界を巻き込んだ戦争を終わらせて、帝国とかのもとになった国を作った人、かなぁ」

 

 いくら至竜の知識を受け継いでいるとはいえ、先代の守護竜はラウスブルグの秘匿と集まって来るはぐれ召喚獣の保護を優先させていたため、エルゴの王についてはさほど詳しくはないのである。

 

「それならちょうどいいな、スパーダも似たようなものらしいし」

 

 スパーダもまた人間の側に立ち侵攻してきた悪魔と戦い、それを打ち破ったという伝説が残っている。今では世界のほとんどの場所では精々おとぎ話レベルでしか残っていないが、このフォルトゥナだけは領主をしていただけあって、そうした類の話が色濃く受け継がれているのだ。

 

「そ、そうなんですか、すごい人なんですね」

 

「いや、人じゃなくて悪魔だ。……あと一応俺にとっては祖父、になるのか? バージルの父親らしいし」

 

 思いがけない名前が出てきて困惑しながら言ったエニシアの言葉をネロは訂正した。前者については、ネロにしてみれば人でも悪魔でも構わないが、フォルトゥナの人々にとっては重要なことなので、一応訂正したのである。

 

 後者については、正直ネロにも実感がないのが正直なところだった。自身がスパーダの血を引くということは先の事件で教皇から聞かされたし、ダンテがそんなスパーダの血を引く実の息子だと言うことも知っている。

 

そしてダンテの兄であるバージルが自分の父親だということも認めるところだ。したがって必然的にネロはスパーダの血を引く孫となるわけだが、頭では理解できても自分のことのようには思えないのである。

 

「……え? じゃあネロってものすごく偉かったりするの?」

 

 スパーダはリィンバウムにおけるエルゴの王のようなものだと言われたのだ。ならばその血を引くネロはそういう態度を見せないだけで、実は帝国の皇帝とか、聖王国の聖王のような存在なのかと思ったのだ。

 

 だがそれを聞いたネロはフェアの頭に拳をこつんとぶつけて言った。

 

「そんなわけあるか。何言ってんだよ、お前は」

 

「えへへ、だよね!」

 

「ったく、もうすぐ着くんだ。さっさと行くぞ」

 

 フェアのからかいを含んだ言葉に呆れつつ、ネロはさっさと歩き出した。

 

「いろんなお店があるね」

 

「ほんとだね。……あ、でも、まだやってないところもあるみたい……」

 

 ミルリーフとエニシアが周りを見ながら話している。時刻はまだ朝と表現していい時間だ。この時間ではまだ開店してない店があってもおかしくはない。

 

「城を見たらまたこっちに来るつもりだ。その時にゆっくり見たらどうだ?」

 

 もともとフォルトゥナ城だけで今日一日かかるとは思っていなかったため、もう一度商業区に来ることには何の問題もなかった。

 

「うん、そうする!」

 

「……そういやお前ら、金持ってんのか?」

 

 ミルリーフが勢いよく頷いたところで、ネロは確認するように尋ねる。別に現金を持っていなかったとしてもネロが出すのだから問題はないが、もしもらっていたとしてもここで使えるとは限らない。リィンバウムのように万国共通の通貨などこの世界にはないのである。

 

「うん、先生からお小遣いって少しもらったの」

 

 そう言ってフェアが見せたのは、ネロの予想通りこの国では使えない紙幣だ。この国で何かを買ったりするためには交換する必要がある。

 

「あー、それそのままじゃ使えねえぞ。後で両替できる所に連れてってやるから」

 

「え、これってここじゃ使えないの?」

 

「こっちじゃ向こうみたいにどこでも使える金なんてないんだよ。国によって使える金は違うから両替する必要があるんだ。面倒なことにな」

 

 数こそ少ないが外貨と両替できるところはフォルトゥナにもある。それほど多くないがここに訪れる観光客や、仕事で国外に行くことも多いネロも利用することが多いのだ。そしてそのたびにいちいち面倒だと悪態をつくのだった。

 

(そういや俺もあとで両替しとくか……)

 

 ネロは日本の那岐宮市に行った時にリィンバウムに召喚されたため、彼の財布に入っている金は日本円なのだ。別にそれが全財産というわけでもないので、それほど急ぐ必要もない。それに以前にハヤトやクラレットと話して、那岐宮市でもう一度調査を行うつもりだったので、恐らくそれが終わってからになるだろう。

 

「そうなんだ、大変なんだね」

 

 ネロの説明を聞いてとりあえず納得したフェアが頷いた。

 

 そして、話もそこそこに一行はネロの事務所前まで辿り着いた。

 

「おお……、普通のところだ……」

 

 ネロの事務所は周囲と比べても特に特徴があるわけでもないフォルトゥナにとっては平凡な造りの建物だった。それがフェアにとっては驚きに映ったようだ。

 

「お前、どんなところ想像したんだよ」

 

 この事務所は賃貸物件だ。人に貸すための建物に奇抜なデザインなどできるはずもない。

 

「ねえ、パパ。これって何? なんて読むの?」

 

 ネロが玄関の上に掲げられた青いネオンサインを指さして尋ねた。言葉は通じているが、文字は読むことができないのかもしれない。あるいはネオンサインで描かれた字が読みにくだけかもしれないが。

 

「デビルメイクライ、ここの名前だ」

 

「デビルメイクライ……どんな意味なんですか?」

 

「『悪魔も泣き出す』って意味だ。元々はダンテ……、バージルの弟が送ってきたものだ」

 

 意味を尋ねてきたエニシアに答える。

 

 ダンテが青く光るこのネオンサインを送ってきたのは、あの事件の後すぐだった。ちょうどその頃は悪魔退治のための事務所を開こうと考えていたため、「悪魔も泣き出す」なんて意味の看板を送ってきたダンテに、まるで自分の考えを見透かされたと思ったものだ。

 

 だが、それはともかく「Devil May Cry」という名は悪魔退治の事務所にふさわしく、ネロはダンテの送ってきた看板を掲げることを決めたのである。

 

「悪魔も泣き出す……」

 

 フェアは事務所の名前の意味を繰り返した。なるほど確かにこの事務所、ひいてはネロに相応しい名前に違いない。あの帝都の夜の出来事を思い出し、フェアはそう思った。あの時ネロと戦った悪魔に感情があるかはわからないが、確かにあれだけ一方的やられれば泣きたくもなるだろう。

 

「いつまでも立ってないで入れよ。ウチを見学にきたわけじゃないだろ」

 

 そう言ったネロは呼び鈴がついたドアを開けて三人を中に招き入れた。

 

「どうしたのネロ? 随分早いじゃない」

 

「いや、さすがにラーミナ山は寒いと思ってな。それで悪いけどキリエ、こいつらが着れそうなものってないか?」

 

 出迎えたキリエにネロが事情を説明する。すると彼女は「たしかいくつかはあったと思うわ」と快く引き受け、事務所の奥に探しに行った。一応キリエには今日のことはあらかじめ説明していたため、フェア達をみても特に混乱もないようだったが、逆に何も聞いていなかった三人はだいぶ困惑したり驚いたりしているようだった。

 

(くぅ、完敗……)

 

 それでもトレイユにいた頃にキリエの存在を聞いていたフェアはさほど驚きはなかった。もっとも、勝手に敗北感を感じていたが。

 

「今の人って、もしかしてパパの恋人?」

 

 初めてキリエを見たミルリーフが首を傾げながら尋ねる。彼女はまだ生まれて一年も経っていないとはいえ、先代の全てを継承したれっきとした至竜なのだ。当然、自分がパパ、ママと呼ぶネロとフェアが夫婦の間柄でないことも理解の上だ。

 

 子にとって父と母であれば、その二人の間柄は配偶者になるのが一般的だが、理屈の上ではイコールが成立するわけではないのである。

 

「……まあな」

 

 まさかミルリーフにまでそう聞かれるとは思っていなかったが、少し照れくささを感じつつも正直に答えた。

 

「綺麗な人ですね」

 

 エニシアがそう言った時、キリエが何着かの服を持って戻ってきた。

 

「これ私の何だけど着れるかしら?」

 

「ああ、大丈夫だろ。少し大きいくらいなんとでもなるさ」

 

 彼女が手にしていたのは長袖のシャツだった。夏の登山であればこれくらいあれば十分だろう。そう判断したネロはキリエからシャツを受け取った。三人には山に入る直前で手渡すつもりなのだ。

 

「大丈夫? 他に忘れ物はない?」

 

「別に遠出するわけじゃないんだ、大丈夫だよ」

 

 心配するキリエに答えたネロは次いで「それじゃあ言ってくる」とだけ言って踵を返して、三人に出発を促した。

 

「ありがとう、お姉ちゃん!」

 

 ミルリーフがそう言うと、フェアとエニシアも続けて礼を言って事務所を出た。

 

「さて、それじゃ行くか」

 

「あ、ネロ。私ちゃんと自己紹介もしてないんだけど」

 

 事務所を出たネロが気を取り直してそう言うと、フェアがバツの悪そうな顔で口を開いた。借りるだけ借りて名前も名乗らないのはさすがに申し訳なく思ったのだ。

 

「あ、言ってなかったか? 今日の昼飯はキリエが作ることになってるから、またここには来るんだ。その時に言ったらいいだろ」

 

 これはキリエが言い出したことだ。リィンバウムでネロが世話になったせめてものお礼に、料理を作りたいということだろう。もっともこのペースでは、再びこの事務所に戻って来るのは昼時を過ぎた時間になるだろうが。

 

「うん、わかった」

 

 それを聞いて安心したようにフェアは頷いた。

 

 そして四人は来た時とは別な道を通ってラーミナ山に向かって行った。

 

 

 

 

 

「意外と冷えるんだね、これ借りてよかったよ」

 

 ラーミナ山に入り、山道を登っていくと標高が高くなり気温は下がっていくにつれ、やはり肌寒く感じるようになった。曇りという天候のせいもあるだろうが、この山を登り始めた時はキリエに借りた長袖のシャツを手に持つだけだったフェアも、五合目付近の今ではしっかりと着込んでいた。

 

「まあ、もうすぐだ。そしたら後は降りるだけだしな」

 

 数年前までフォルトゥナ城に行くためには五合目にある大きな橋を渡り、反対側の山道を降りるという面倒な道を通らなければならなかったのだが、先の事件でネロがその橋を渡っていたときに悪魔によって崩落してしまった。

 

 おかげで今は簡易的なものとはいえ、山道から直接フォルトゥナ城に降りる道が整備されているのだ。

 

「それにしても、そうしてこんなところにお城を建てたんでしょうか?」

 

「だよね。建てるだけでも大変そう」

 

 エニシアの口から出た疑問にフェアが頷いた。疲れたというほどではないが、手荷物がなくてもここまで登って来るのには相応の時間がかかっている。もしこのような場所に城を建てるとなれば、膨大な量の資材を運び込まなければならないだろう。それだけで気の遠くなるよう話だ。

 

「外敵を防ぐためだろ。城に行くにも本当なら倍くらいの時間がかかるしな」

 

「なるほど……、そうなんですね」

 

 エニシアやフェアにとって城は都市や街などにあって、権威や権力を誇示するかのような広大で豪華な建物というイメージがあったようで、ネロの言った言葉に二人は感心したように頷いた。

 

 話しながら歩を進めているとミルリーフが右手側を指してネロを呼んだ。

 

「あ! ねえ、パパ、もしかしてお城ってあれ!?」

 

 ミルリーフが見つけたのは目的地のフォルトゥナ城だ。今いる場所はラーミナ山の五合目だが、そこからでもフォルトゥナ城は見上げる形になっており、その巨大さが伺えた。

 

「ああ、そうだ。あそこから下って行けばすぐだ」

 

「よし! それならもう少しだね、頑張らなきゃ!」

 

 明確なゴールが見えて俄然やる気を取り戻したフェアがネロに並んで歩く。エニシアとミルリーフも、心なしか歩むスピードが速くなったように感じられた。

 

 そうして少しばかりスピードアップした三人を連れたネロは、新設された階段を降りてフォルトゥナ城を目指す。

 

「あらためて見ると本当に大きい……」

 

 下について城の前にある門の前で立ち止まったフェアは、改めてフォルトゥナ城の大きさに驚嘆した。ラウスの命樹の部分までを含めればラウスブルグの方が大きいが、城そのものの大きさで言えばこちらの方が大きく見えた。

 

 城門を潜ると入り口までは真っすぐだ。先の事件ではこの場でグロリアと名乗るひどく場違いの感がある女と出会った所だが、今回はそんなことなど起こるはずもない。

 

 そして城の中に入ると大きな広間が四人を迎えた。椅子が整然と並べられており、スパーダが統治していた頃は民がここに集まっていたことを思わせた。以前は正面の壁には巨大な教皇の肖像画が飾られていたが、ネロの手によってそれが壊された今では何も飾られておらず、少し殺風景な印象を受けた。

 

 それでも彼女達にとっては十分すぎる程印象的だったようで、周囲を見渡していた。

 

「はー、すごいね。ラウスブルグとも全然違うし、やっぱりお城といってもいろいろ違いがあるんだ……」

 

 フェアが息を吐いて口を開く。とはいえフェアが実際に見たことがある城は、それこそラウスブルグくらいしかないが、それと比べてもこのフォルトゥナ城とは大きな違いがある。それは建築した者や所有していた者の文化や考え方の影響を受けているからだろう。

 

「さて、他のところも見て回るぞ」

 

 そう言ってネロは三人に先を促した。フォルトゥナ城の中は博物館のような造りとなっており、各部屋に様々な物が展示されているのだ。当然それを見て回るなら案内図は見た方がいいのだが、ネロはそんなものを頼るつもりなかった。

 

 ネロ個人はこの城に愛着があるわけではなく、むしろ城内に漂う冷たく湿った空気も好きでなかった。それでも数年前の事件で、この城の中を嫌というほど見て回ったため、頭の中に簡単な地図はできているのだ。

 

 そうして各部屋を回ると、展示されている物が偏っているのがわかる。中にはこの城を築城する経緯が書かれた書物や、その当時の絵画などもあるが、最も多くを占めるのがスパーダに関するものだった。

 

 二千年前にスパーダが悪魔と戦って人間界を守ったことに始まり、その後も人間界に留まったこと、そしてこのフォルトゥナを統治していた時代のことなど、魔剣教団が信者に説いていることをそのまま展示品にしたようなものだった。一応、それらは確かに当時のフォルトゥナの人々が作ったものであるため、史料に違いはないが、当時からスパーダを神として崇めていたとも伝えられるため、信頼性が高いとはいえないが。

 

「すごかったんだね! パパのおじいちゃんって」

 

 さすがにそうした記述の信頼性までは考えてないミルリーフが無邪気に言う。

 

「……まあ、強かったってのは間違いないだろうけどな」

 

 ネロとしても強さに関しては疑う余地がないことは分かっている。例えば「一振りで千の悪魔を薙ぎ払った」という表現は普通の歴史家なら比喩や、眉唾物と判断するような記述も紛れもない真実なのだ。

 

 その力は確かにネロにも受け継がれているし、実子であるバージルとダンテも同様だった。

 

「あの……どうしてここを去ったのでしょう? ここまでみなさんに慕われているのに……」

 

 領民は慕われているのはここに残った膨大な記録を見れば分かった。意図的に批判的な物を置いてない可能性もあるが、今に伝わるスパーダのことを考えれば善政を敷いていたのは疑いようがないだろう。それだけにエニシアはなぜ、スパーダがこのフォルトゥナを離れたのか疑問に思ったようだ。

 

「さあな。それは知らねえけど、大方、神として崇められるのに嫌気が差したんだろ」

 

 スパーダと同じような立場になって考えたネロが答えた。正直、神のように傅かれ、縋られては嫌気が差すのも仕方のないことだろう。元が神とは相反する存在の悪魔なのだから当然だ。

 

「あー、何となくその気持ちわかるかも……」

 

 フェアが納得したように頷いた。どうやら彼女は自分がエニシアのような立場になった時のことを考えたらしい。レンドラーやゲックのように年上から敬語を使われるなど、正直彼女にとってはたまったものではなかった。

 

「さて、これで一通りは見たし、とりあえず戻るとするか」

 

 城内のほぼ全ての部屋を案内し終えたネロが言った。時間的にもちょうど昼時だ。これから戻るとなると、やはり予想した通り昼食をとるのは昼過ぎとなるだろう。

 

「あれ……? ねえ、今はあそこから人がでてきたけど、あっちには何があるの?」

 

 そうして城から出るため元来た入り口まで戻っていると、ミルリーフがある通路から出てきた男を見て尋ねた。男の出てきた通路はネロに案内されなかった場所だったため、気になったようだ。

 

「ん? ああ、教団の技術局の入り口だよ」

 

 通路から出てきた男は教団の制服を着ていたことからも明らかだ。この城の地下には近世になって魔剣教団が増築した研究施設が存在するのだ。それは数年前に起きた事件の後も変わりなく教団の技術局が管理を使っているため、市民の立ち入りこそ禁止されているが、事件の後にその存在を公表され、堂々と行き来する者は珍しくなかった。とはいえ、以前のように実験等は行ってはいないが。

 

 もっとも、教団が施設の管理も行えないほど弱体化してしまっていたら、恐らく城自体を立ち入り禁止しなければならなかっただろうことは想像に難くなかった。

 

 ちなみに、その地下への入り口はネロが破壊したホール正面の教皇の肖像画の裏にもあったのだが、さすがにそこは目立つということで封鎖されて、残っているのは技術局の男が出てきたような目立たない所だけだった。

 

「技術局ってことはなにか作ってるところだよね?」

 

「ああ、対悪魔用の武器とかな。ほら俺が使ってる剣もあそこが作ったんだよ」

 

 フェアの質問にネロが実例を示して答えた。さすがに今はレッドクイーンは持って来ていないが、ネロが自分が使っている剣といったらそれ以外を思い浮かぶ者はいないだろう。

 

「あれ? じゃあ銃は?」

 

 ブルーローズのことを言わなかったネロにフェアは続けて尋ねた。ネロの武器と言えばレッドクイーンがまず挙げられるが、ブルーローズもまた彼のトレードマークと言えた。にもかかわらず、銃については何も言わなかったことが気になったらしい。

 

「あれは自分で作ったんだよ。ここじゃ銃はあまりよく思われていないからな」

 

 スパーダが剣のみを持って悪魔の軍勢を打ち払ったという伝説があるせいか、魔剣教団はその名の通り剣が特別視されている。おかげでネロはブルーローズを自作する羽目になったのだ。

 

 だが、あの事件以前と比べ弱体化した騎士団には銃も取り入れるべきではないか、との意見が騎士の中から上がっているのも事実だった。

 

「じ、自分でって、すごいですね……」

 

 エニシアの中で銃とは売っている物というイメージがあったため、自作した聞かされた時は目を丸くして驚いたようだ。

 

「まあ、それなりには手先は器用なつもりだからな」

 

 可能ならブルーローズはリボルバーではなく、オートマチックの銃をベースにしたかったところだが、ネロの技術では構造が簡易なリボルバーの改造をするので精一杯だったのである。それは彼が自分の技術を「それなり」と評する理由だった。

 

 そんな話をしながら歩いて城の外に出る。城内の独特の空気から解放されたせいか、フェアは大きく空気を吸って背伸びをしていた。

 

「えっと……、これからネロの家に行くんだっけ?」

 

「ああ、たぶん飯を出来てるだろうし」

 

 気を取り直して尋ねたフェアにネロが答えると、ミルリーフが声を上げた。

 

「ミルリーフ、お腹空いたー! 早く食べたいよ、パパ」

 

「もうちょっと我慢してくれ。フェアの作るのもうまいが、キリエの作る飯もうまいから期待しとけよ」

 

 そうして無自覚にのろけるネロを先頭に四人は来た山道を戻って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 




魔剣教団がまだ機能しているので、ネロは顔役のようなことをやっている原作より余裕があります。


さて次回は4月6日か7日に投稿を予定しています。

ご意見ご感想等お待ちしております。

ありがとうございました。


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第105話 フォルトゥナ観光旅行 後編

 フォルトゥナ城を出た四人は、来た道を戻ってネロの事務所で遅めの昼食を食べることになった。そしてその四人に作ったキリエも加え、五人での食事となったわけだが、やはり最初はほとんど初対面ということもあり、なかなか会話が続かなかった。

 

「それでね、パパが一気にやっつけちゃったの!」

 

「本当? 相変わらず無茶するのね、ネロ」

 

 それでもすぐに心を開いたミルリーフが共通の話題であるネロのことを話すと、食事が終わるころには少しずつ会話も進むようになってきた。そして食後にクッキーを茶菓子に紅茶を飲むころにはだいぶ打ち解けてきたのだった。

 

「別に無茶なんかしてねえって。むしろこいつらの方がよほどだよ」

 

 話のだしに使われるネロは少し口を尖らせていたが、何の会話もないよりはマシだと思ったのかその立場を甘受することにしたようだ。それでもフェアとエニシアを巻き込むあたり意地が悪いが。

 

「え、えぇ!?」

 

「わ、私はそんなことしてないでしょ!」

 

 エニシアはいきなり言われて驚いたらしく素っ頓狂な声を上げ、フェアはすぐさま否定した。もっともフェアの言い方から彼女自身何らかの心当たりはあるようで、ネロはすぐさまそれを指摘した。

 

「へえ、最初におっさんに喧嘩を売ったのは誰だったかな」

 

「むぅ……、でもエニシアは無茶なんてしてないじゃん!」

 

 図星を突かれたフェアは一瞬黙り込むが、今度は自分のことは棚に上げてエニシアのことを口にした。見た目も態度もお姫様然としたエニシアが無茶などするはずもないと思ったようだ。

 

「いや、バージル(あいつ)と一緒に来ただけで充分無茶だろ、こいつの場合」

 

「そ、そうかもしれないけど……」

 

 いくらアティやポムニットも一緒だったとはいえ、華奢で控えめなエニシアがバージルとともに行動するなど無茶以外のなにものでもない。それはフェアも同感だったようだ。

 

「そ、そんなことないですよ!」

 

「あれって見ようによっては脅してるように見えるかも。『私に逆らったらどうなるかわかりますよね』とか見たいな」

 

 エニシアの抗議も虚しく、フェアが想像を口にする。バージルの力を背景にして戦いの中止を求めることは一種の脅迫ともとられかねない。フェア達は最初から戦いを望んでいたのではないためそうとることはなかったが、ギアン辺りは脅迫されていると思ってもおかしくはない。

 

「何だ、意外と腹黒だな」

 

「も、もうネロさん! やめてください」

 

 にやりと笑いながらネロが口を開くと、からかわれているのが分かったエニシアは顔を赤くして口を尖らせた。

 

「そうしてると兄妹みたいね」

 

 その様子を見たキリエが微笑みながら言った。気難しいネロがからかうようなことを言っているのだから彼女達とは結構親しい間柄だということがわかっての言葉だった。キリエとしてもネロにはもう少し気心のしれた友人がいた方がいいと思っていたため、フェア達の存在は歓迎すべきことだった。

 

「ネロが……?」

 

 そんなことを言われたフェアは無意識のうちにネロを見た。彼女にとって兄の人物と言えば色々と世話を焼いてくれるグラッドが思い浮かぶ。ネロも頼もしいが率先して世話焼くタイプではなく、むしろ放任するほうであるため、グラッドとはある意味反対に思えた。

 

 それでもネロを兄のように思うこともあるのだが、それを素直に言えるほどフェアは齢を重ねていなかった。

 

「うーん、どうせならもうちょっと優しいお兄ちゃんのほうがいいなあ」

 

「そう言うけどお前だって妹っていうより姉っぽいぞ」

 

 フェアの言葉にネロが返す。肝が据わっており生活力もある彼女にふさわしいのはどちらかと言えば姉だろう。

 

「むぅ、そりゃあ確かにエニシアと比べればそうかもしれないけど……」

 

 自分を姉にたとえられたことにそこはかとなく不満げなフェアだったが、さすがにエニシアと比べられれば納得せざるを得ないところだった。

 

「そ、そうなのかな……?」

 

「ああ、確かにそうだな。エニシアは妹っぽい感じがする」

 

 頼りなさげに尋ねたエニシアにネロが答えた。どうやらそうした態度が彼女を妹っぽくさせていることに自覚はないらしい。

 

 それを聞いたエニシアは少しばかり首を振って逡巡した様子を見せた後、意を決したように目を瞑って、白い肌を紅潮させながら口を開いた。

 

「お、お兄ちゃん……」

 

「お、おう。何だよ、いきなりどうした?」

 

 まさかいきなりそんなことを言うとは思わなかったネロは、少したじろぎながら言葉を返した。とはいえ、どちらかといえば大人しいエニシアが何の考えもなしに言うとは思えないため、その理由を尋ねた。

 

「え、えっと、あの……、私、ネロさんみたいなお兄さんが欲しくて……」

 

「…………」

 

 口では無言のままだったがネロは、エニシアの境遇について考えていた。メイトルパで母に会ったこと、父の存在が感じられないことからリィンバウムでは肉親など存在しなかったのだろう。

 

 奇しくもそれは自身に似ているとネロは感じていた。彼も少し前までは両親の顔すら知らず、もういないものだと思っていたのだ。ただ、エニシアとは逆にリィンバウムに召喚されることで、実の父と会うことになったのだが。

 

「ネロ、黙ってないで何か言ってあげたら?」

 

 そこにキリエが声をかけてきた。優しい彼女のことだからエニシアの言葉から何かを感じ取ったのかもしれない。

 

「……まあ、そう呼んでもいいぞ」

 

「は、はい……!」

 

 少し投げやりな感じの言葉であったが、エニシアは嬉しそうに笑顔を浮かべて頷いた。

 

「あ、で、でも恥ずかしいから今すぐには……」

 

 とはいえ、やはりすぐにでもネロを兄と呼ぶのは難しいようで、彼女は申し訳なさそうに俯くと、ネロは軽く笑いながら答えた。

 

「さっきの見りゃわかるさ。まあ、好きにすればいいさ」

 

 さきほどネロのことを呼んだ時には、相当な決心があってのことだったということはネロも気付いている。というより、あんな必死な顔をしていたのだから気付かない方がおかしいかもしれない。

 

 ともかく、ネロ自身が何か変えなければいけないわけではないため、正直なところいつから呼ばれてもよかった。要はエニシア次第なのだ。

 

「いいなあ、エニシア。……ねえ、パパ。ミルリーフもお兄ちゃん欲しい」

 

 その話をずっと聞いていたミルリーフは、嬉しそうなエニシアを見て、自分も兄が欲しくなったようだ。

 

「そいつは、なかなか難しいな」

 

 ネロは苦笑しつつ答えた。仮にこれからネロに子供ができたとしても、ミルリーフにとっては弟か妹にしかなりえない。そのためエニシアにとってのネロのような意味での兄になるのだが、そんな存在が都合よく存在するわけがなかった。

 

「えー!?」

 

 もちろんそれはミルリーフも分かっていたことだが、それでも羨ましいという気持ちがなくなるわけではなかった。

 

「ほらほらミルリーフ、無茶言わないの」

 

 そこへフェアが声を掛けてミルリーフを宥める。もともと自分が無茶なことを言っているという自覚はあったうえに、彼女に構ってもらえたせいか、ミルリーフはすぐに機嫌を直して大人しくなった。

 

 そんな二人を見ながらネロは手元の紅茶を一口飲んだ。その温さから意外と時間が経っていることに気付き、そろそろ出かけようと口を開いた。

 

「もう少しゆっくりしていたいかも知れないが、出かけるぞ」

 

「あ、うん、わかった」

 

 元々昼食を食べ始めたのも遅かったのだ。いくら楽しいからといって、これ以上時間を費やせば日が暮れてしまうだろう。

 

 フェアは少し残った紅茶を一口で飲み干すと、それを片付けようと椅子から立ち上がろうとした時、キリエに留められた。

 

「私がやっておくからそのままで大丈夫よ。それより早く行った方がいいんじゃない、帰りの時間も決まっているんでしょう?」

 

「面倒な保護者からな。そうは言っても正確な時間までは言われてなかったけどよ」

 

 キリエが言ったことはネロが簡潔に伝えていたことだった。心配性なレンドラーやゲックから言われたエニシアの門限は日没までだったが、ネロとしては口には出さないまでも、多少遅くなったところで問題ないだろうという認識のようである。

 

「ごちそうさまでした」

 

「とってもおいしかったです。ありがとうございました」

 

 次いでミルリーフとエニシアも出かける準備は整ったようだ。それを見たネロは、ソファにかけていたコートはとらずに玄関の方まで言った。午前中はフォルトゥナ城まで行くというから着ていたのだが、この時期のフォルトゥナの街中を歩く分にはコートなど必要ないのだ。

 

 そうして事務所の扉を開く。フォルトゥナ城へ向かっていた時は曇りだったのだが、いつの間にか隅々まで晴れ渡っており、からりとした空気が四人を包んだ。どうやら絶好の観光日和になりそうだった。

 

 

 

 それから少し経った頃、ネロ達は食事を終えて商業区にいた。一通り見て回りながらおみやげでも買おうとしたのだった。

 

 そのためネロは知り合いの店までフェア達を案内し、彼女達がいろいろと物色しているのを少し離れたところから見ていると、不意に後ろから声をかけられた。

 

「どうしたんだよネロ? お前がこんな女の子達を連れてくるなんて珍しいじゃないか」

 

 声をかけてきたのはこの店の店主のカルスだ。キリエへのプレゼントを買った時にも相談するなどネロの古くからの知り合いと言える人物だ。

 

「さっきまで観光の案内してたんだ。で、今はみやげ買うんだとよ」

 

 最初におみやげを買いたいと言ったのはエニシアだった。城で待つレンドラーやゲック達に何か買って帰りたいということだったので、手持ちのお金を両替してここまで連れてきたのである。

 

「へえ。……しかしお前、どこで知り合ったんだよ、あんな子達と」

 

 フォルトゥナでははみ出し者とか一匹狼気取りとか言われているネロが、女の子を三人連れているというのは非常に珍しかったようで、カルスは好奇心を隠そうともせず尋ねた。

 

「……仕事で他の国に行った時に世話になったんだよ」

 

 さすがに「別の世界に召喚されてました」なんて言っても信じて貰えるわけがないので、そのあたりは当たり障りのないように説明するだけに留めた。

 

「パパ、ミルリーフこれがいい!」

 

 そう言ったミルリーフが手にしていたものは大きなクッキーの袋だった。オーソドックスな味で安価であるため、フォルトゥナでもよく売られているものだ。

 

「それってさっき食べてただろ。本当にそれでいいのか?」

 

 先ほどの食事の後に紅茶と共に出されたのがミルリーフの持っているクッキーだった。ネロにしてみれば味こそ悪くないとはいえ、日常的に食べていて、どこでも買えるようなものをお土産にするのはどうかと思ったようだ。

 

「うん! おいしかったからみんなにもあげるの!」

 

「ならいいか。……フェア、エニシア、お前達は決まったか?」

 

 当人が納得しているならそれ以上、何か言うのは無粋だと判断しミルリーフからクッキーを預かった。精算はネロが引き受けるつもりでいたため、フェアかエニシアも何か決まったものがあれば一緒にまとめようと思い声を掛けた。

 

「うーん、まだ悩んでるとこ……」

 

「私もです……」

 

 申し訳なさそうに顔をネロに向けたエニシアと、商品を手に取って眺めたまま答えるフェア。どちらもなかなか買うものが決まらない様子だ。

 

「仕方ねえ、先にこれだけ買っとくか」

 

「うん! ママたちはまだ時間がかかりそうだしね」

 

 どうしてこうさっさと決められないのかと愚痴りながらネロは、ミルリーフが選んだのと同じ物を何袋かまとめて掴んだ。

 

「え? どうしてそんなに買うの?」

 

「さすがに一つじゃ足りねえだろ。それにたいして高くもないんだ、少し多めに買ったほうがいいさ」

 

 ミルリーフが誰に渡そうとしているのが誰なのかは分からないが、さすがに一袋では足りないと考えたネロは、手にした何袋かとまとめてカルスに会計を頼んだ。

 

「いやネロ、そんなことよりお前……パパって……」

 

「言っとくがどっちとも血の繋がりはないからな。親代わりしてるのは事実だけどよ」

 

 呆れと驚きが入り混じった顔で言うカルスに、ネロは強めの口調で否定する。ミルリーフが口にした「ママ」がどちらを指すのかは分からないだろうが、どちらであっても否定しなければ、ネロはキリエがいるにもかかわらず、年端もいかない女の子を孕ませた最低の男になってしまう。それだけは避ける必要があった。

 

「わ、分かったって……、それにしても随分と買うな」

 

 ネロの剣幕に押されたのか、たじろぎながら話題を変えた。

 

「土産がわりだ。保存は効くから問題ないだろ」

 

 このクッキーは一般的な市販品と同じく長期間の保存が効く。そのため仮に量が多かったとしても無駄になることはないだろう。こうしたこともネロが多めに買った理由だった。

 

「おい、とりあえず他の店にでも行くぞ」

 

 カルスに代金を渡し、会計を済ませたネロはフェアとエニシアを読んだ。フォルトゥナの商業区はそれほど大きくないとはいえ、他にも店はある。これ以上、ここで見ていると時間がいくらあっても足りなくなってしまうだろう。

 

「え? まだ決まってないんだけど?」

 

「他のところも見てから決めればいいだろ。ここにはまた来ればいいし」

 

 不服そうに言うフェアに首を振って答える。それにネロはそんなに悩むなら欲しい物全部買えばいいだろとさえ思っていた。それほどにただ待つ時間は辛かったようだ。

 

「俺としてはウチで買ってくれた方がいいんだけどな」

 

「自分の店の品ぞろえを信じとけ」

 

 苦笑しながら言ったカルスにネロはあっさりと言った。フェア達の目的はみやげを買うことであるが、一つの店だけを見て買うよりもいろんな店を見た上で買った方がいいに決まっている。だからネロは次の店に案内しようとしていたのだ。

 

「ママもエニシアも早く行こっ! 置いてっちゃうよ!」

 

「わかったわかった、今行くから!」

 

 ネロの隣にいるミルリーフも急かすと、諦めたようにフェアとエニシアはネロ達の方に駆け寄ってきた。

 

「さて、それじゃ次行くか」

 

 店を出るとネロが先導して歩き出す。四人の買い物はもう少し続きそうだった。

 

 

 

 

 

 フォルトゥナに観光がてら出かけたフェア達が商業区でお土産を見ても回っていた頃、バージルはゲック、レンドラーと一室で話をしていた。その内容はかつてネロが帝都ウルゴーラで戦った際に手に入れた人の名前が羅列された本のことだ。彼はこの本をネロがフォルトゥナに戻る際に譲り受けていたのだ。

 

 ネロの話ではそれに書かれている名前の一部は、悪魔によって殺された帝国貴族のものだということだ。それにこの本を手に入れた時に見た若い黒髪の男のことも聞いていた。

 

 書かれた名前はともかく、ネロが見たという黒髪の男については、恐らく悪魔を使った暗殺の首謀者ないしそれに近い人物と思われるが、顔も分からずそれ以外の情報もないので今回の議題には挙げていなかった。

 

「確かに小僧の言う通り、帝国貴族の名は多いようじゃの。それもアレッガに与していた者ばかりな」

 

 ゲックは帝国の研究施設の長を務めていたのだ。さすがに研究だけに没頭していればいいというわけではなく、それなりに政治に関わるようなこともしていた。そのおかげで本に書かれた名前が帝国宰相のアレッガを支持していた者達のものであると分かったのだ。

 

「ならば話は早い。帝国の貴族共を殺したのはそいつらと対立していた者に違いあるまい。そうであろう、教授よ」

 

 レンドラーがかつて属していた旧王国もそうだが、聖王国や帝国においても権力争いは大なり小なり起きている。今回もその延長線上に起きたものだろうというのが彼の見立てのようだった。

 

「しかしな……」

 

 しかしゲックは、レンドラーの意見に賛成できないようだった。その理由を言おうとしたとき、先にバージルが口を開いた。

 

「この中には帝国貴族以外の名前もある。それでは説明がつかん」

 

「うむ。単なる権力争いと考えるのは早計ではないか? 将軍」

 

 バージルの言葉はゲックの言おうとした言葉だったのだろう。そのため、バージルに賛意を示したようだ。

 

「貴族以外の名前? 誰の名が書いてあったのだ?」

 

 実際レンドラーはこの本の説明こそ聞いたものの、中身自体を見てはいなかった。バージルから渡された時も、こういうことが得意そうなゲックに任せたせいだった。

 

「俺が知る限り、蒼と金の派閥の長だな。後は知らん」

 

 蒼の派閥総帥エクス・プリマス・ドラウニーと金の派閥議長ファミィ・マーン。本に書かれた名前の中でバージルが知っている名はその二人のものだけだった。それでもその二人の名前があったことで、これが帝国だけの問題ではないことが明らかになったのである。

 

「ワシが知っているのもその程度じゃが、他にも帝国以外の者は書いてあると考えるべきじゃろうな。……もっとも派閥の二人は存命のはずじゃから、これに書かれているのは標的の名前に違いあるまい」

 

 政治情勢には興味がないバージルに、最近のそうした情報には疎いゲックだからその程度の名前しか出てこなかったが、実際には聖王国の重臣や旧王国の元老院議員の名前も記載されていてしかるべきだろう。

 

「ならば目的は何だ? まさか殺してそれで終わりのわけあるまい」

 

 二人の話を聞いたレンドラーは先ほど自身が述べた暗殺の原因が、権力争いだと考えるのは不適当だと認めたが、その他の要因が何も思いつかなかったため、二人に意見を求めた。

 

「無色の派閥や紅き手袋が行っていたとすればおおよその目的は判断できると思うが……」

 

 そう言いつつ、ゲックはバージルに視線をよこした。彼としてはその二つの組織が最も怪しいと考えているようだった。

 

「さあな。……だが奴らは最近悪魔を召喚できなくなったと聞いている。同じ組織の者とは思えん」

 

 この情報はアズリアからもたらされたものであり、信頼性は十分にある。そのため現在においては、無色の派閥や紅き手袋が使っているような悪魔の召喚方法は無力化されたと考えてよいだろう。

 

 そしてバージルはその原因として悪魔を支配している存在が、召喚を許していないと推察していたのだ。

 

 にもかかわらず、アズリアからその情報を得たのとほぼ同時期に悪魔を使って暗殺をしていたのだ。それがただ単にバージルの推察が外れている、あるいは従来とは異なる召喚方法を編み出していたというのならさほど問題にもならないだろう。

 

 しかし、バージルは最も警戒しているのは魔界の何者かが意図的に悪魔をこの世界に呼び出させているということだ。

 

 ネロの話では、議題に上がっている本を燃やそうとした男は悪魔ではないとのことだったが、多少力のある悪魔であれば人を惑わすなど難しいことではない。それこそムンドゥスなど大悪魔にしてみれば児戯にも等しきことだろう。

 

 だが同時に疑問も残る。そんな大悪魔にしてみれば人間など歯牙にもかけぬ存在に過ぎないのだ。そんな存在を暗殺してまで殺す必要があるのだろうか。

 

 かつてバージルは聖王国のある町の屋敷で、何者かが送り込んだと思われるゴートリングと戦ったことがある。その何者かの正体はいまだ不明だが、相当の力を持っていれば、ゴートリングクラスの悪魔でさえリィンバウムに送り込むことができるのだ。

 

 当然、人間を操って暗殺をするよりも適当な悪魔を送り込んだ方が遥かに容易に標的を抹殺することができる。そのため、わざわざ人間を使うだろうか、という疑問もあった。

 

「じゃが、いくら悪魔を用いているとはいえ貴族ばかりをそう何人も殺せるのか……」

 

「うむ、貴族というものは自身の安全には敏感なものだからな。最初の一人は殺せてもそれ以降は護衛もつくはずだ」

 

 ゲックとレンドラーが口にした点についても、魔界の大悪魔が絡んでいれば、これまでのように悪魔をコントロールできないという問題点も解消されるだろうし、そうであればたとえ一人でも実行は不可能どころか、苦も無く達成できるはずだ。

 

「……これ以上、答えは出ないか」

 

 だが、バージルはそれを口にはしなかった。推測に推測を重ねているため、確度が高い情報ではないのがその理由だった。

 

「さすがにこれだけではな。……もっとも、向こうにいてもワシらが言えるのは同じことくらいじゃろうが……」

 

「昔ならいざ知らず、今は姫様に仕える身だからな」

 

 ゲックもレンドラーもバージルの言葉に異論はなかった。どちらも帝国と旧王国でそれなりの地位にいたのだが、今では無位無官の身だ。当然得られる情報も一般人と同等かそれ以下なのである。

 

「まあいい、後はこちらで調べる」

 

 そう言ってバージルは部屋を出る。その様子を見て自分達が呼ばれた役目も果たしたことを悟ったのか、ゲックとレンドラーも続いて部屋を後にした。

 

(とはいえ、ここでは何もできん。向こうに戻ってからになるか)

 

 部屋を出たバージルは歩きながら思考する。人間界にいる以上、この件についてこれ以上の情報を得ることはできない。当然、バージル自ら行う調査はリィンバウムに戻ってからになる。

 

(……そういえば、日本のナギミヤだかの調査をするとか言っていたか)

 

 だが、そこでバージルはネロがハヤトの故郷のである那岐宮市の調査をすることを思い出した。元々ネロは那岐宮市で起こった失踪事件の調査をしていた時に召喚されたため、改めて調査するというのだ。

 

(このまま、ただ待つよりはいいか)

 

 その事件に悪魔が絡んでいるという証拠はないが、このまま無為に時間を過ごすよりは有意だろう。そう考えたバージルは自らもネロ達の調査に同行することにした。

 

 

 

 

 

 再び時間が過ぎて、フェア達三人をフェルムの丘の転移の門(ゲート)まで見送ったネロは、自分の自宅兼事務所に帰っていた。

 

「お疲れ様。結構疲れてたりする?」

 

「まあね、これ(ガイド)が本職じゃなくてよかったよ」

 

 キリエが淹れてくれたアイスティーを一気に飲み干したネロが笑いながら軽口を叩く。

 

「でも、安心したわ。向こうでもうまくやってたって言うのは本当だったみたいね」

 

 どうやらキリエは、ネロが話したリィンバウムにいた時の、特に人間関係の部分をあまり信用していなかったらしい。まあ、フォルトゥナでの彼の人間関係を知っていればそう考えてしまうのも無理はないかもしれない。

 

「おいおい、子供扱いはやめてくれよ。いくら俺だって少しは考えるさ」

 

 昔からそうだが、キリエはネロの世話を焼こうとすることが多い。される方としては言葉にしたように、子供扱いされているようでむず痒いのだが、同時に悪い気もしなかったのである。

 

「それはあの子たちを見てれば分かるわよ、年上らしくちゃんとしてたみたいじゃない」

 

 ネロはそれを聞いて照れ隠しのつもりなのか鼻を鳴らした。そして何やら言葉を返そうと思って口を開いた時、何かを思い出したように「あ……」と口走ると、そのまま言葉を続けた。

 

「そうだ。もうちょっとしたらさ、また日本に行くことになったよ」

 

「それって以前の調査の続き? 結構すぐなのね」

 

 少し前のことではあるが、ネロが日本に言った理由は当然キリエも知っている。だから調査に行くこと自体ではなく、フォルトゥナに戻って来てすぐ再調査に行くことに驚いていたのだ。

 

「まあ……、あいつもやる気だからなあ……」

 

 那岐宮市での調査はいずれもう一度行うことは決めていたが、それでもこんなに早くにまた日本に行くつもりはなかったのだ。それがこんなに急に調査を行うことになったのはバージルの意向だった。

 

 先ほどフェア達を転移の門(ゲート)まで送った際に、その場で待っていたバージルから、近日中に那岐宮市の調査を行う旨を告げられたのである。

 

 ネロとて何も言わなかったわけではないが、彼とてやりたくないわけではなかったので、いきなりな話に文句をつける程度がせいぜいだったのだ。

 

「それって……もしかしてネロのお父様のこと? 私もご挨拶した方がいいのかな」

 

 ネロはバージルの名前を出さなかったが、キリエにはリィンバウムであったことを全て話していたこともあり、彼の言葉が誰を指しているのか想像するのは難しくなかった。

 

 だがキリエは恋人の父が近くにいるというのに、一言も挨拶なしというのはさすがに心苦しく思ったようだ。

 

「いいよ、そんなことしなくて」

 

 だが、ネロはキリエの提案を断った。バージルの性格からして、挨拶しようがしまいがどうなるものでもないのは明白だ。それにまだ会って間もない父親に自身の恋人を会わせることに気恥ずかしさもあった。

 

 ネロの言葉を聞いたキリエは彼の考えを尊重して「わかったわ」と頷くと、そのまま話をネロの仕事に話に切り替えた。

 

「お仕事に行くんなら何か必要な物はある? 買っておくわよ」

 

 ネロの今回の仕事は国外が舞台だ。それ相応の準備が必要なのである。もっとも今回が初めてではないからキリエもネロも慣れたものだったが。

 

「いや、大丈夫だよ。それに今回はラウスブルグで行くらしいから飛行機のチケットも必要ないし」

 

 ラウスブルグを使うのはパスポートを持っていないバージルにしてみれば当然の選択だった。一応それ以外にも那岐宮市に行くための手段がないわけではないが、ラウスブルグという移動手段がある以上、わざわざ手間をかけてまで別な手段をとる意味はないのである。

 

「それならいいけど。……でも本当に気を付けてよ、また召喚された、なんてことにならないようにね」

 

 キリエが心配するのも当たり前のことだ。ネロは一度調査に出向いてリィンバウムに召喚されてしまったのだ。フォルトゥナに戻って来て日も浅い現状では、また同じ轍を踏むかもしれないと心配してもおかしいことではない。

 

「分かってるさ。それに今度は一人じゃないんだし、心配ないよ」

 

 一人で行った前回の調査とは異なり、今回は那岐宮市出身のハヤトが案内役を務める上に、召喚術に詳しいクラレット、単純な戦闘能力ではネロをも上回るバージルも同行するのである。

 

「もう。そんなことばっかり言って、またお父様のお世話にならないでね」

 

 軽く言うネロを窘めるようにキリエが言う。これでまたネロがリィンバウムに召喚されてしまったら、フォルトゥナに戻って来るのに前ほどの時間はかからないだろうが、笑いの種になるのは間違いないだろう。

 

「はいはい、わかってるって」

 

 それを分かっているネロだが、それでも軽口を叩いた。だが、彼とて同じ轍を踏むつもりはなかった。前回以上の十分な警戒を持って調査を臨むつもりでいたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 




DMC5のブラッディパレス楽しいです。トロコンした直後に配信されたのでタイミングもよかったです。これはしばらくDMCから離れられなさそうです。

さて、今回はフォルトゥナが舞台にもかかわらず悪魔の出番がなかったのは、人間界でもリィンバウム同様悪魔の出現が極めて少なくなっているからです。


次回は4月20日か21日に投稿を予定しています。

ご意見ご感想等お待ちしております。

ありがとうございました。


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第106話 那岐宮の痕跡

 じめっとした暑さに包まれる日本の那岐宮市にバージルとネロはいた。彼らの背後にはラウスブルグへの転移の門(ゲート)がある。二人は今しがたこれを通ってここに来たのである。

 

 その目的は少し前にバージルが告げた通り、那岐宮市の再調査を行うためだった。

 

「悪い二人とも。実はこれから結構歩くんだよ」

 

 麦わら帽子を被ったクラレットと共に二人を出迎えたハヤトが言った。転移の門(ゲート)を出現させる場所は人の出入りが少ない場所でなければならない。人口も少なくない那岐宮市でそういった場所は、どうしても市街地から離れた場所になってしまうのだ。

 

 一応、今日調べる予定の場所も転移の門(ゲート)を出現させる場所としては適していたが、不測の事態に陥る可能性も考慮して、選定から外したのだった。

 

 そうした経緯を経て選定されたこの場所は小さな神社のすぐ近くだった。手水舎や賽銭箱もしっかり手入れされた様子もないが、一応誰かかしらが管理しているらしく神社に至るまでの道は草刈りがされていた。

 

「構わん」

 

 さほど気にした様子もなくバージルが答える。他の手段を用いたならもっと多大な時間を要していただろうから、多少時間がかかる程度はなんとも思っていないらしい。

 

「あの、ネロさんって怪我でもしたんですか?」

 

「ん? ああ、これか。さすがにあの腕見せるわけにはいかないだろ」

 

 ネロの右腕に巻かれていた包帯を見て尋ねたクラレットにネロが答えた。

 

 フォルトゥナではともかく、悪魔のことなど全く信じられていない国であんな腕を見せたら気味悪がられるか、変なコスプレと思われるだけだ。だからネロは仕事でフォルトゥナを離れる時も今と同じように右腕を隠しているのだ。

 

 とはいえ、ほとんど場合は長袖のコートに厚手の手袋をして隠しているのだが、今回は夏ということもあって長袖とはいえ、薄手のシャツに通気性のよい包帯で腕全体を巻くことで誤魔化していた。

 

 これなら右腕を怪我した外国人の観光客くらいには思われるだろう。脇に置いた巨大なギターケースさえ目に入らなければ。

 

「……一応聞いておくけど、それに入ってるのってギターだよな?」

 

 ハヤトが半ば諦めつつも、ネロの傍らのギターケースを指さして尋ねる。するとネロは「はあ?」と呆れたように眉をしかめながら言った。

 

「そんなわけあるか、仕事の道具に決まってるだろ。」

 

 前回も今日と同じようにレッドクイーンを持ち込んでいた。それでもしくじってしまったのだから、前よりも準備をしないというのはありえない選択肢だった。

 

「……それを出すのは誰もいないところでやってくれ、せめて」

 

 この国でレッドクイーンのような刃物を無許可で所持することは紛れもない犯罪だということは、リィンバウムでの暮らしが長いハヤトも覚えている。状況が状況だから持ち込むのはこの際黙認するとしても、衆人環視の中でそれを使われるのだけはやめてほしかった。

 

「わかってるよ。それにこいつもあるからな」

 

 そう言ってネロが腰から取り出したのはブルーローズだ。シャツの裾を出しているため一応隠れてはいるが、はっきり言って本当にハヤトの意図が分かっているのかは甚だ疑問である。

 

「いやいや、この国じゃ銃はもっとマズいのくらい知ってるだろ!?」

 

「それは知ってるけど、意外とバレないもんさ。それともそんなに心配ならお前が持ってるか? 俺はいいぜ、あっちに着く前に返してくれれば」

 

 思わず声を上ずらせたハヤトに、ネロはたいして気にするなと肩を竦め、彼にブルーローズを差し出しながら提案した。ハヤトがそこまで心配なのなら目的地に着くまでは預けてやろうと思ったのである。

 

「……やめとく、俺なんかが持ったら絶対怪しまれそうだし」

 

 少しは考えたらしいハヤトがトーンダウンしながら言う。仮に自分が持ったとしたら周囲を気にし過ぎて余計に怪しまれるのが関の山だろう。なにしろ銃などこっちではもちろん、リィンバウムでも持ったことはないのだ。

 

 ネロはブルーローズをくるりと回転させて自分の腰に戻すと、そんなハヤトの肩を叩きながら口角を上げた。

 

「いざとなれば自分で何とかするさ。お前の故郷だからって何でもかんでも背負い込む必要はないぜ」

 

「……ああ、そうだな」

 

 大きく息を吐いたハヤトは目を閉じて頷いた。自分の知り合いが神隠しにあったと知って気負い過ぎていたのかもしれない。ネロにはそんな気はなかっただろうが、彼の言葉はハヤトから余分な力を抜く効果があったようだ。

 

「バージルさんは何も持って来ていないんですね? てっきりいつものカタナは持って来るものと思っていましたが……」

 

 フル装備のネロと比較し、手ぶらのバージルを見たクラレットが言う。元々不必要な物は持たないイメージがあったが、閻魔刀まで持って来ていないのはさすがに予想外だった。

 

 それを聞いたバージルは平然と手元に閻魔刀を出現させながら答えた。

 

「無用な騒ぎを起こすつもりはない。それだけだ」

 

 バージルも人間界の出身だ。父の足跡を追って世界を旅していたこともある。さすがに日本には来たことはなかったが、この国が武器の類の所持を禁止していることくらいは知っていた。

 

 そして今回の目的がただの調査である以上、現地で騒ぎを起こしてしまえば調査がやりにくくなるのは火を見るより明らかだ。バージルが武器を持っていないように見せるのもそうしたことからだった。

 

「魔具か……、便利なもんだ」

 

 だがネロが反応したのは簡単に消したり出したりできる魔具のことだった。どこの国で仕事をするにしてもレッドクイーンやブルーローズを持ち込むのは簡単なことではない。多くの場合は自分に仕事を回した情報屋にでも任せるのだが、それでもタダでとはいかないのが実情だった。それがデビルハンターへの報酬が法外なほど高額な理由の一つでもあるのだが。

 

 そうした問題もバージルのような魔具があれば簡単に解決する。わざわざ高い金を払わなくとも簡単に仕事道具を持ち込めるのだ。それだけでも十分魔具を使う価値はあると言っていいだろう。

 

「さて、それじゃ行こうぜ。これからどんどん暑くなるから、日が高くならないうちに向こうに着きたいんだ」

 

 ハヤトがそう言って歩き出す。まだ時刻は八時半を過ぎたばかりだが、それでも日光は強烈だ。おまけに天気予報では今日は一日晴れが続くとされており、猛暑日になると予想されていた。気温が高くなる前に目的地に行こうと思うのは当然のことだろう。

 

 そうして神社から出てアスファルトで舗装された道路に出た。この辺りは山々に囲まれた場所のようで、数百メートル先にはまた山が見える。それでも道路に沿って青々とした水田が並んでいた。ただ中には跡取りがいないためか、耕作されておらず雑草が生い茂っている田もある。

 

 この国では特に珍しくもない地方の田舎の風景だった。

 

「そう言えば先生は来なかったんですね」

 

 バージルにクラレットが言った。二人はあくまで一時的に来ただけであり、帰還の時期の調整のために一定の周期で転移の門(ゲート)を通りラウスブルグに赴いているのだが、バージルから今回のネロの調査に同行するということを聞いたのは、前回にラウスブルグに行った時のことだった。

 

 別段バージルが来ることには何も思っていなかったが、逆にアティも来ないことをクラレットは不思議に思ったようだった。

 

「そう何人でするものでもない」

 

 今回の調査は人手がいるようなものではなく、専門的な知識を持った者が必要な調査なのだ。アティの持っている知識で今回使えそうなものは召喚術に関するものなのだが、クラレットがいるためどうしても必要な人材ではなかったのである。

 

 そんな話をしながら歩いていると、徐々に汗が出てきた。朝から二十五度を超える気温に加え、この日差しだ。無理もないだろう。

 

「俺も何か被って来ればよかった」

 

 空を見上げながらネロが愚痴る。いつの間にかクラレットだけでなく、ハヤトもつば付きの帽子を被っている。気温は如何ともし難いが、この強力な日差しを遮ることができるだけでも羨ましかった。

 

「帽子と言ってもこんなのじゃ、気休めにしかならないよ」

 

「それよりもバージルさんはコートなんか着て暑くないんですか?」

 

 ネロの言葉に苦笑いしながら答えたハヤトに続き、クラレットが尋ねた。バージルの恰好は夏に見合った服を着ている他の三人とは異なり、いつもと同じく青いコートを着ていた。コート自体は厚手の生地を使っているわけではないが、それでも真夏に着る物ではない。

 

「問題ない」

 

「好き好んでそんな恰好してるんだ、ほっとけよ」

 

 いまだ汗一つかいていないバージルにネロは呆れたように言うと、次いでハヤトに声を掛ける。

 

「で、場所は知ってると思うが、どこから行くんだ?」

 

 今回はネロの仕事の再調査であるが、前回は全く調べられなかったわけではない。むしろ一箇所を除き、那岐宮市の調査は終わっていたのだが、その一箇所を調べようとした時、ネロはリィンバウムに召喚されたのである。したがって、調査を行うのはその最後の場所なのである。

 

「ここからじゃ直接は行けないから一度市街地の方を通ってから行くつもり。たぶん一時間もかからないと思うけど」

 

 今回の調査が始まるまでハヤトはネロと直接会っていないが、必要な情報はバージルを通して聞いていたのだ。そのため、既に目的地へのルートも決まってあった。ただ正確に言えば、もっと短時間で目的地に着く道はあったのだが、それは地元の集落の者しか知らないような道だったため、いくら那岐宮市出身のハヤトでも知らなかったのだ。

 

 もっとも、そのことは誰も知らなかったため、四人は晴天の中、目的地へと歩を進めた。

 

 

 

 

 

 それから一時間弱。目的地着いた一行の前にあったのは一軒の大きな家だった。この国らしい建築様式で建てられた二階建ての母屋に、作業場と倉庫を兼ねたような建物が併設されている。そのことからこの家に住んでいたのは農家だったのかもしれない。ただ建物が植物に覆われていることやその傷み具合からおそらく二、三十年は放置されていることが伺える。

 

 引っ越したのか、死んでしまったのかは分からないが、ここに来るまでの道が雑草に覆われていたのを見れば、いずれにせよ前にネロが来るまでは何年も人が来たことはなかったに違いない。

 

「こんなところに本当に家があるなんて……」

 

 自分の生まれ故郷にこんなところがあったとは信じられない思いでハヤトは家を見上げた。

 

「前回はこの辺りまでは来たんだな?」

 

 バージルがネロに尋ねる。前回の調査のことは情報の共有のためあらかじめ話してあったのだが、現地で確認の意味もあるのだろう。

 

「ああ。それでこの近くを調べてたら向こうに召喚されたってわけさ」

 

「近く……と言ってもどこもすごいことになってますね」

 

 クラレットは周囲を見回しながら言う。ここに来るまでもそうだが、家の裏はすぐ山になっていて杉の木が無造作に生えている。家の周囲にはさすがに木は生えていないが代わりにだいぶ成長したらしい雑草で生い茂っていた。

 

「俺が来た時はここまでじゃなかったんだがな」

 

「季節柄こうなるのは仕方ないんだけど、こりゃ調べるのは大変だ……」

 

 ネロが来たのは今から何ヶ月か前のことであり季節としては春のことである。まだ今ほど雑草も成長していない時期ではないため、周囲を調べるのはそれほど難しいことではなかったのだ。

 

 だが今は夏であり、一年の内最も雑草が成長する季節なのだ。ハヤトも子供の頃、休みの日に市街地の外まで遊びに行くと、肩掛け式の草刈り機を使って草刈りに精を出している者を見かけたことを覚えている。

 

「…………」

 

 バージルはハヤトの言葉に無言で肯定すると、そのまま右手にベリアルを出現させた。この場で炎の剣を呼び出してすることなど一つしかない。

 

「ちょっ……!」

 

 ハヤトの制止の言葉が発せられる前に、バージルはベリアルを振るい周囲の雑草を焼き尽くした。

 

 ただの炎でさえ簡単に燃えるのだから、炎獄の炎に包まれた雑草は煙も出さずにあっという間に燃え尽きてしまった。もちろんベリアルから放つ炎は完全にコントロールされているため延焼も一切なかった。

 

「ご苦労なことで」

 

「あのままでは無駄に時間ばかりかかるからな」

 

 いくらコントロールできているとはいえ、相当の無茶をしたバージルにはネロは皮肉交じりの言葉を浴びせるが、当の本人はベリアルを戻しながらさも当然のように言った。理由としてはもっともに聞こえるが、その割に過激な手段を用いるあたり彼らしいと言えなくもない。

 

「そうですね、探しやすくなったのは事実ですし。早く調べましょう」

 

 これ以上バージルに何を言っても無駄だと悟ったクラレットは、とりあえず周囲の調査をしようと提案する。

 

「……近くに悪魔の力は感じないな」

 

 一通り周囲を見たバージルが口を開いた。封印されている可能性もゼロではないため、悪魔の力を感じないからと言って悪魔がいない証明にはならないが、少なくともいきなり悪魔が潜んでいるということはなさそうだった。

 

「それじゃ、今度は向こうに召喚されることはないってことか」

 

「さあな。そもそも俺は何故お前を召喚したのかは知らん」

 

「へえ……、ならまた同じ目に遭う可能性もあるってことか」

 

 ネロは不敵な笑顔を浮かべた。言葉ではそう言うものの、二度と同じ手は食わないと言わんばかりの自信だった。

 

「それはない。あいつらも俺がいることは知っている。無駄なことはしないだろう」

 

「無駄なこと、ね……」

 

 ネロは言葉を繰り返した。バージルの言い方から、まるでネロをリィンバウムに召喚した存在に疑念を抱いているように聞こえたのだ。父親の性格から考えれば全幅の信頼など置くはずもないため、別段驚くほどのことではないが。

 

「とりあえず俺はクラレットと家の周りと向こうの方を調べるけど、二人はどうするんだ?」

 

 悪魔に襲われる可能性は少ないとはいえ、安全を考えて二人で探すことにしたハヤトはバージルとネロに尋ねた。

 

「じゃあ俺は反対側でも調べてみるか」

 

 普段の仕事から全て自分一人でこなしているネロは、当たり前のように単独で行動するつもりでハヤト達とは逆方向を示す。そしてそれはバージルも同じであった。

 

「……山の方を見る」

 

 消去法で決まったことには思うところがあったようだが、バージルは残された家の裏側にある山を調べることにしたようだ。いずれにせよすスパーダの一族は協調性に欠ける独断専行型であることは間違いないようである。

 

 

 

 三方に分れて周囲を調べることになり、バージルとネロはさっさと自分の担当の方へ歩いて行ってしまい、家の前にはハヤトとクラレットだけが残されていた。

 

「ハヤト、とりあえず家の周りから調べましょう?」

 

 彼女の提案でまずは家の周囲から調べることにした二人は敷地の中に入って行く。

 

 敷地内の通路や車を止めていただろう所はアスファルトで舗装されているため、外より雑草は生えていなかったが、それでも継ぎ目やアスファルトが剥がれたところからは植物が生えていた。人が住んでいた頃は美しい庭園だっただろうところは無造作に雑草が生い茂る場所となっている。

 

 どちらもさきほど放たれた炎に巻き込まれていたらあっけなく燃え尽きていただろうが、生憎バージルは家の方には炎を伸ばさなかったため、青々と茂っていた。

 

「家の方はともかく、作業場は結構傷んでるな……」

 

 尖ったところもあるため、素手で触るには危険だと思ったのか、ハヤトは持参した革の手袋をつけると、まず作業場の方から調べ始めた。

 

 だがやはり放置されて久しいのか、壁には何箇所も亀裂が入っており、屋根も一部は壊れたままになっている。中も農機具の類などはほとんどない。南京錠で鍵をかけることができる扉も開け放たれたままだで、あるのは無造作に置かれた錆びついた鎌や鋸、ロープなど道具の類と、使い古しの袋などごみとしか思えない物だけだった。

 

「人がいなくなるとこんなになってしまうんですね……」

 

「まあ、こんなところだしなあ……」

 

 何十年も使われていない作業場を見た物悲しそうに呟いたクラレットにハヤトが言葉を返した。こういった人里離れたところだと店や病院も遠くにあって生活するには不便であり、引っ越してしまうのも無理はないとハヤトは思っているようだ。

 

「それにここは特に関係なさそうだな。家の方も中はすっかり片付けられているし」

 

 縁側から窓を通して家の中を見たハヤトが言った。テレビやテーブルなどもなく家の中のものは全て持ち出されている様子だった。恐らくこの家から引っ越す時に全て持って行ったか、捨てられたのだろう。

 

 いずれにせよ、この家の住人がいきなり消えたということは考えにくい。それに何十年も前のことだから、今回の那岐宮市で起きた神隠しの一件に絡めて考えるのは無理があった。

 

「確かにそうですね。私も特に何も感じませんし……」

 

「それじゃ、次は外の方か……」

 

 意見が一致したため、二人は家の敷地から出てネロが向かった方とは反対の方に歩いた。

 

「このあたり周りとちょっと違いますね……畑でしょうか?」

 

「本当だ。ちょっと柔らかい……」

 

 家から二十メートルほど歩いたところでクラレットが地面を見ながら呟いた。このあたりまでがちょうどバージルが焼き払った範囲のようで、地面は焼かれた草に覆われていて真っ黒になっていたが、確かにそれまでの地面に比べて踏んだ感触が柔らかくなっている。

 

 ここが畑だとしたら家の近くであり、少し先までは平らになっているため広さも必要十分。自分で食べる分の野菜を作るには適した土地だろう。

 

「……でも、家の方と同じように何十年も使ってないはずなのに、耕されたみたいにこんなに柔いんだ? おまけにちょっとでこぼこしてるし……」

 

 素朴な疑問がハヤトの口から出る。数年ならまだしも、何十年も耕されておらず、草も生えっぱなしの畑であれば他と同じようにもっと固くなってしかるべきだ。それについ先ほどまで草で生い茂っていた所の土がほじくり返されたようにでこぼこしているのも不思議だった。

 

 その時、焼かれなかった藪の中から何かが動く音がした。

 

「ん? なんだ……?」

 

 ハヤトは訝し気な視線を藪の中に向けるが、音を立てた存在の姿は確認できなかった。

 

「…………」

 

 ハヤトはクラレットを庇いながら数歩下がった。相手が悪魔でないことは分かっていても、正体の分からぬ相手はやはり不気味なのだ。

 

 そのままゆっくりと交代を続け、二人は家の前まで戻った。藪からは視線を外してはいなかったが、いまだ音の主の姿は見えなかった。

 

「なんなんでしょう? 今の……」

 

「わからない、たぶん動物かなんかだと思うけど……」

 

 山の中であれば野生動物はいくらでもいる。ほとんどの動物は基本的に憶病であるため、大きな危険はないが、それでもクマのような大型生物と唐突に出会ってしまったら注意が必要だ。一応、武器さえあれば、クマであろうと後れを取ることはないだろうが、今はその武器を持っておらずハヤトは緊張した様子でじっと注視していた。

 

 そうしていると、藪の中から出てきたのはイノシシの群れだった。

 

「小さいのが七匹にでかいのが一匹……、っていうかあんなにでかくなるのかよ」

 

 現れたのは体にまだ縞模様が残る小さなイノシシに、体長一メートル半、体重も百キロを超えていそうな大きなイノシシだった。合計八匹のイノシシの群れはハヤト達に見られているのに気付いていないのか、地中に潜むミミズを探しているのか地面を掘り始めていた。

 

「あれはあいつらの仕業かよ……」

 

 ハヤトは先ほどの畑が耕されたように柔らかく、かつでこぼこしていた理由を悟った。イノシシに荒らされたせいでああなっていたのだ。

 

 何かの手がかりになるかも、という淡い希望が消え去ったため少し落胆していると後ろから声を掛けられた。

 

「おう。そっちは終わったのか?」

 

「ネロさん……」

 

「あ……」

 

 ネロの言葉にクラレットが振り向いた時、イノシシは人がいたのに気付いたのか一目散に藪の中へ逃げていった。

 

「ん? 何かあったのか」

 

「ああ、いや、イノシシがいてさ。まあ、たった今逃げていったんだけど……」

 

「へえ、ともかくお互い成果はなしってことか」

 

 ネロは興味なさげにイノシシのことを聞き流した。

 

「ええ、怪しいものは何もありませんでした」

 

「こっちもだ。どこまでいっても草と木しか生えてなかったよ」

 

 クラレットの言葉にネロが同意する。これが何か成果でもあれば別だったのだろうが、徒労に終わったせいか少し疲れているようにも見えた。

 

「とりあえずバージルの後でも追うか。それで何もなければ切り上げるしかないな」

 

 この時点でネロは那岐宮市で起こった神隠しには悪魔が関連していないと半ば確信を持っていた。これでバージルも何も成果がなければ悪魔とは関係なしと報告する腹積もりだったのである。

 

「わかった。とりあえず後を追おう。この燃えた後を行けばいいっぽいし」

 

 家の背後にある山には、道らしい道は一切ない。そのためバージルは先ほどと同じように草を焼き尽くして足跡の道を作っていたのだ。

 

 そして三人はその道を歩いてバージルを追って行った。

 

 

 

 

 

 その少し前、ネロ達他の三人と別れたバージルは自らの担当となった山の中の道なき道を進んでいた。もちろん邪魔な草は片っ端から焼き尽くしながらである。

 

 一応、周囲の魔力に注意を払いながら歩を進めるが、もちろん悪魔の力など全く感じなかった。

 

(何かがいることはわかるが……)

 

 バージルの魔力を感知する能力も万能ではない。悪魔のような特徴的な魔力であればすぐに分かるが、それ以外の人間や他の動物については、位置こそ正確に感知できても、それが人間なのか、あるいはただの野生動物なのかの違いは分からないのだ。

 

 一応、魔力の動きである程度候補を絞ることはできるが、それも限度がある。

 

 現にバージルは周囲にいくつかの魔力を感じているが、全くといっていいほど動きを見せないため、それが何なのか見当がつかないでいる。おそらくイノシシやクマが休息を取っているものと考えられるが、そんな魔力がいくつもある上、今回の調査に関係するとは思えないため、わざわざ確認しようとは思わなかった。

 

「これは……」

 

 そうしてただ歩いていると正面は崖の場所に出た。バージルの脚力であれば難なく飛ぶ上がることは容易いだろうが、彼が声を上げたのは別な理由だった。

 

(なぜこんなところから魔力を感じる?)

 

 崖の一箇所から魔力を感じるのである。その量はバージルもこれだけ近づかなければ気付かない程微量ではあり、こうして見ている間も魔力ずっと放たれていた。

 

「…………」

 

 無言で閻魔刀を出現させて抜き放つ。魔力を放っているあたりを周囲の土砂ごと削り取ると、そこからさきほどとは比べ物にならないほどの魔力を感じ取れた。

 

「なるほどな……」

 

 バージルはそれをつぶさに観察して呟いた。彼の目の前の魔力はただ放出されているわけではなかった。人間が地下に眠る石油を採掘するように、大地から魔力を吸い出しているのだ。

 

 その行き先は魔力をみるだけではわからないが、悪魔以外の存在でこうしたことができるのは界の意志(エルゴ)くらいだろう。魔界との間に結界を張っている彼らなら、それを維持するために大量の魔力を欲するのも当然だ。

 

(だが、何のために……?)

 

 胸中でバージルは断じた。

 

 ネロを召喚した存在が界の意志(エルゴ)であることは、彼が召喚された時の状況から考えても、想像することはそれほど難しくはなかった。

 

 だが問題は召喚した経緯なのだ。バージルは当初、ネロの手に負えないような状況に巻き込まれそうになったのかと思ったが、彼が召喚の直前にいたという那岐宮市を実際に見てその線はないと判断した。もしも、そうした状況になったのであれば街にも相当な爪痕が残っていてしかるべきだからだ。

 

 そしてこの人間界から魔力を吸い出しているのを見たバージルは、ネロが召喚された本当の理由に気付いた。界の意志(エルゴ)()() ()を見られたくなかったから、近くまで来たネロをリィンバウムに召喚したのだ。

 

 問題は界の意志(エルゴ)がそうまでしてこれに気付かせたくなかった理由である。そもそも人間界は魔力に頼らない文明を築いた世界だ。そんな世界から使わない魔力を吸い出したとして大きな問題にはならないだろう。ましてそれが私利私欲のためではなく、世界を悪魔の脅威から守るためであれば、ネロも理解を示すだろう。

 

(奴らはまだ俺に話していないことがあり、それを知られたくはない。……そしてそれに繋がる手掛かりがこれということか)

 

 界の意志(エルゴ)についてバージルが知っていることは彼ら自身から語られたことがほぼ全てを占める。当然いまだ話していないことも多くあるだろう。だがこの魔力の先にあるのは、その中でも隠さなければならない部類に属するものなのだ。

 

(……確認しておくべきだろうな)

 

 バージルは少し考えて決断した。彼個人としてはたとえ界の意志(エルゴ)であろうと他人の隠し事など興味はないが、存在が存在であるだけに隠し事の内容によっては計画に支障が出ないとも限らない。それにネロも召喚された理由を知る権利くらいはあるだろう。

 

「いずれ話は聞かせてもらおう。覚悟しておくことだ」

 

 そう思ったバージルは魔力の向こうにいるだろう存在にその言葉を投げかけた。それは向こう側にいる存在を焦らせるには十分だった。

 

 そしてバージルは遠くから聞こえてくるネロ達の足音を耳に入れながら踵を返した。

 

 

 

 

 

 

 

 




次回は5月4日か5日に投稿を予定しています。

ご意見ご感想等お待ちしております。

ありがとうございました。


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第107話 世界の繋がり

 那岐宮市での調査を終えた四人は一度ラウスブルグへと戻り、その中の一室で情報を整理していた。そうは言っても、今回まともな情報を得たのはバージルだけであるため、情報の整理というよりむしろ共有と言った方が正確かもしれない。

 

「やはり今回の件には悪魔は関与していない、か。まあ、予想通りと言えば予想通り、だが……」

 

 あの場所でバージルが見たことを聞いたネロが言った。彼としては先の調査で自身の右腕が反応しなかったことから薄々はそう感じたようで、特に驚きには値しないようだ。

 

「この世界から魔力を抜き取っている……?」

 

 ネロの言葉を引き継ぐ形でクラレットが、バージルの説明に出た言葉を繰り返した。那岐宮市でバージルのもとへ行った時、彼女もその光景を目にしているが、やはり中々それを信じられないでいるようだ。

 

「何のために……ってことは確かに気になるけど……、それはみんながいなくなっていることと何か関係があるのか?」

 

 ハヤトもそれに関して疑問に思わないわけではないが、彼にとって優先順位が上なのは那岐宮市で起こっている「神隠し」の方なのだ。

 

「さてな。……だが、魔力の繋がりがあるせいであの街と向こうの繋がりが強くなっている。という解釈はできるだろう」

 

 バージルは推論であるという断りを入れた上で、自らの考えを口にすると、ハヤトは眉を顰めながら答えた。

 

「でも、魔力を抜き出しているのはリィンバウムの界の意志(エルゴ)とは限らないんじゃ……」

 

 界の意志(エルゴ)は唯一の存在ではない。リィンバウムとそれを取り巻く四つの世界にもそれぞれ界の意志(エルゴ)は存在している。そのため、リィンバウムの界の意志(エルゴ)が魔力を抜き出しているのならバージルの話に納得できるが、ハヤトはそう都合よくはいかないと思っていたのだった。

 

 対してバージルは、淡々と持論を続けた。

 

「奴ら自身はそれぞれの世界のように結界で隔たれているわけではない。それぞれに全く関わりがないなどありえまい」

 

 五つの界の意志(エルゴ)の出生については、現在のところバージルも知る所ではないが、普通の生物ではないことは明らかであるため、共界線(クリプス)のように彼らの間に何らかの繋がりがあってもおかしいことではない。何しろ普通に五者が集い話をすることさえできるのだから。

 

「確かに何らかの理由であちらとの繋がりが強くなっていれば、集中的に召喚されても不思議ではないかもしれません」

 

 バージルの推論は召喚師のクラレットを部分的にでも納得させるものだった。召喚術はサモナイト石に魔力を注ぎ、サモナイト石の色に応じた世界との間に道を作り、召喚獣を呼ぶことから始まる。一度誓約してしまえば再び召喚することは可能だが、最初は何を召喚するのかは召喚師本人にも分からないのである。

 

 そこで界の意志(エルゴ)が抜き出している魔力に引き込まれる形で、その近くに道ができたとすれば那岐宮市から召喚される人々が多いことには説明がつくのだ。この考えからいけば、恐らく人以外にも召喚されたものがあるだろうが、物や動物であれば気にする者も多くはないため、騒ぎになりにくいだろう。

 

「じゃあ、やっぱり向こうに召喚されたって言うのか……」

 

 現役の召喚師であるクラレットもバージルの考えに賛意を示したことで、ハヤトも悪魔の仕業ではなく召喚されたと思い始めたようだ。

 

「何のことだ? 知り合いでも召喚されたってのか?」

 

 ハヤトの言い方からネロは、彼の親兄弟や友人が召喚されたのではないかと尋ねると、ハヤトは力なく頷いた。

 

「ああ、うん……。クラスメイトがさ。それに知らない人も何人もいなくなってるから、結構話題にもなってて……」

 

 このことはネロやバージルには話していなかったことを思い出し、簡単に事情を説明した。

 

「悪魔でないだけ幸運だ」

 

「それは分かるけど……」

 

 それを聞いたバージルが吐き捨てるような一言にハヤトは言葉を濁した。確かに今回の原因が悪魔にあったのなら、ハヤトのクラスメイトだった樋口綾も含め、行方不明者の生存は絶望的だっただろう。その意味ではバージルの言葉にも一理ある。

 

「……向こうに召喚されても無事だっていう保証はないからな」

 

 ネロが少し前の思い出しながら言う。彼がリィンバウムに来たばかりの時も文化や考え方の違いから騒ぎを引き起こしたことがある。ネロであれば当人の戦闘能力も相まってまず命の危険に晒されることはないが、普通の人間であれば話は別なのだ。

 

「ええ。残念ですがいくら見た目は人間と変わりなくとも、召喚獣扱いされることは変わりありません。ハヤトのような例は極稀ですし」

 

 クラレットの言葉は召喚師にとっての常識だった。どんな姿形をしていようとも召喚術によって召喚されたものは、すべからく召喚獣なのである。ハヤトのように召喚された時に召喚師がいないというのは、まずありえないイレギュラーに過ぎないのだ。

 

「なら早く見つけてやるしかないのか……」

 

「見つけたとしてどうするつもりだ?」

 

 無色の派閥であればそれをしたところで大した問題にはならないだろうが、蒼の派閥や金の派閥の召喚師が、神隠しにあった者を召喚していた時は簡単な問題ではない。公に認められた召喚師から彼らが召喚した者を奪えば国家からも犯罪者として扱われてしまう可能性が大なのだ。

 

 これがバージルのように目的のためなら手段を選ばず、かつ、十分な力を持っているのなら、彼がかつて無色の派閥を相手にした時のように、相手が誰であろうが目的のものを奪い、敵対する者は殺し続けるだけでいい。相手はそのうち諦めるだろうし、そうでなくとも向こうが全滅するからだ。

 

 だが、ハヤトの性格から考えてもそんな過激なことなどできるはずもないだろうことはバージルもよくわかっており、事実上彼が取り得る手段もほぼ決まっていることも悟っていた。

 

「それは……やっぱり話し合いでやるしかないと思う」

 

「そもそも見つけることすら難しいかもしれません。召喚師は蒼や金の派閥だけではありませんし、そもそもはぐれになっていないとも限りません」

 

 ハヤトが答えた直後にクラレットは厳しいことを告げた。召喚師は蒼の派閥や金の派閥に所属しているものだけではない。帝国なら召喚術は一部一般にも開放されているし、軍人にも派閥の召喚師と遜色ない召喚師は存在するのだ。

 

 その上、はぐれになっているとすればもはや召喚師を辿るだけでは見つけることが不可能になってしまう。そのため、リィンバウムで行方不明者を探すのは至難の業と言っていいだろう。

 

「聞いてるだけで頭が痛くなりそうだぜ……」

 

 ネロが頭を振りながら呟いた。ろくな手がかりもなく捜索するということはネロの性格的に合わないものらしい。普段の仕事で相手をしている悪魔は逃げたり隠れたりするより戦うことを選ぶ上、近くにいれば右腕が反応するためまず見つからないということはなかった。この面から見てもデビルハンターという仕事はネロに合っているようだ。

 

「っていうかあんたも手伝ってやったらどうだ? 向こうには結構お偉いさんの知り合いもいるんだろ」

 

 ネロは続けてバージルに言った。父親のリィンバウムでの人間関係はミントから聞いた程度ではあるが、それでも蒼の派閥の長と知り合いというのだからそれなりの繋がりを持っていることは想像できる。

 

 そうした繋がりがあればハヤトの助けになるだろうと思い口にしたのである。

 

「……話をするぐらいならいいだろう」

 

 僅かに間を置いてバージルが答えた。どうせアティあたりが聞けばネロと同じようなことを言われるのは目に見えていたため、さっさと承諾することにしたのだ。それに自身が探すわけでもないため、自らの計画には影響しないという計算もあった。

 

「ありがとう、助かるよ」

 

 ハヤトも蒼の派閥にはマグナなどの知り合いもいるのだが、やはり上層部に直接話を伝えた方が効率的なのは間違いない。そう言う意味ではバージルの言葉は非常にありがたいものだった。

 

「……で、話は変わるが、あんたが俺の仕事について来たのは、前に俺が渡した本が関係しているのか?」

 

 今回の調査のことはまだ人間界に着く前から公言していたことだ。当然バージルの耳にも入っているはずだが、その時の彼は特段興味も示さなかったのだ。

 

 ところが、フォルトゥナに帰る際に帝都ウルゴーラの一件で手に入れた本をバージルに渡した後に、今回の調査に同行することを告げられたのだ。最初はただの気まぐれとも考えたが、合理的な性格をしているこの男が何の理由もなくそんなことを言い出すはずがないと思い、考えを巡らせた結果、あの本に辿り着いたのだ。

 

 それを聞いたバージルは特に表情を変えることもなく頷いた。

 

「そうだ。何か手がかりが得られればと思っていたが、無駄に終わったようだ」

 

 そう言うがバージル自身、この調査には大きな期待はかけていなかった。いくら魔界の悪魔が絡んでいるとはいえ、リィンバウムで起きた事件の手がかりが人間界にある可能性は低いだろう。そのため時間の余裕があったからこそ参加したのであって、実際のところそれほど重要度は高くなかったのだ。

 

「そいつは残念だったな。……で、あの本に書いてあったのは誰か分かったのか?」

 

 ネロも以前に、グラッドから帝都で起こった悪魔を用いた暗殺事件の被害者のリストを借りて調べたことがある。その結果、被害者は全て本に書かれていた名前と一致したため、ネロはあの本が標的の一覧だと考えたのだが、結局その後いろいろとごたごたがあって、それ以上何の進展もなく、本はバージルに譲り渡したのだった。

 

「帝国の摂政の一派の貴族に、蒼と金の派閥の長の名があることは確認した。標的をリスト化したものの可能性が高いな」

 

 バージルもネロと同じことを考えているようだったが、標的にはネロが知り得なかった特徴もあった。

 

「はっ、なら悪魔を使って政権転覆か? それとも世界征服でも企んでんのか? どっちにしたってくだらねえ」

 

 ネロは鼻で笑いながら馬鹿にするように言う。悪魔を利用する奴などロクな者がいないと暗に言っているようだった。

 

「目的は不明だ。決めつけるべきではない。……くだらぬということには同意するがな」

 

 これがただ悪魔を利用しただけの事件ならさほど重要なことではない。問題はその時期なのだ。

 

「……そもそも、なんであんたはこの話を調べてるんだ?」

 

 バージルの言葉を聞いてネロは少し考えた。この一件は悪質ではあるが、悪魔を利用して私利私欲を満たそうとすること自体は決して珍しくない。ネロも何度かそういうパターンに出くわしたことがある。げに恐ろしきは人の欲望なのだ。

 

 とはいえ、今のバージルは悪魔との大規模な戦いに備えている身だ。にもかかわらず、この一件を調べていることを不審に思った。

 

「これが起こった時期はリィンバウムに悪魔が現れなくなった時期だ。にもかかわらず悪魔を使役していた。何かあると考えるのが当然だろう」

 

「なに?」

 

 ネロが思わず聞き返す。グラッドやミントが悪魔と会った時の話をしており、リシェルも存在は知っていたうえ、トレイユは悪魔が現れたことがないという話だったので特に気にしなかったが、確かにリィンバウムに召喚されてから、あの一件以外では一度も悪魔と遭遇しなかったのだ。

 

「言われてみればそうだ。昔は結構な頻度で現れていたのに、最近は全然姿を見なくなったな……」

 

「ええ、最後に見てからもう何ヶ月も経ってます」

 

 ハヤトとクラレットはラウスブルグに来る前のことを思い出して呟いた。一時はそれこそ毎日のように現れていた悪魔が今では不気味なほど姿を見せなくなっているのだ。

 

「そんな時期に俺が会ったのがあの男か……。確かに何かあると考えるのが普通か」

 

 当時の状況を聞いてバージルの判断に納得するとともに、こんなことならあの黒髪の男を追っていたほうがよかったかもしれないとネロは少し悔やんだ。

 

「だが、手酷いしっぺ返しを食らって同じ手を使うかは微妙なところだ」

 

 ネロが貴族の屋敷で会ったという男がどんな男であれ、一晩で手勢の悪魔を全滅させられたとなれば方法を切り替えてもおかしくはない。仮に男の裏に悪魔を送り込んだ存在がいるとしても同じことである。スパーダの血族相手に下級悪魔をいくら送ったとしても無駄なことくらいよくわかっているからだ。

 

「派手な方法でも選んでくれれば楽なんだけどな」

 

 これが武力蜂起とかクーデターのようなもっと直接的な方法を取ってくれるのなら、探す手間も省けて一石二鳥だとネロは言った。もちろん彼はリィンバウムに戻るわけではないため、多分に冗談の色が強かったが。

 

 だがまさか、本当にそんな手段を取るとは、この時のネロは思いもつかなかったのだった。

 

 

 

 

 

 一通り話し終えた四人は場所を一室から食堂に移した。調査自体も想定以上に早く終わり、先ほどの情報の整理もさほど時間がかからず終わったため、時間はまだ昼前である。

 

 今日やるべきことは全て終わったのだが、調査から帰ってきた折にポムニットから昼食を食べていったらどうかと誘われたため、こうして食堂にやって来たのである。

 

 いつもラウスブルグでの昼食は昼を少し過ぎたくらいだったので、時間的には早く来た形となったが既に食堂には先客がいた。

 

「あ、そちらは終わったんですね」

 

 眼鏡をかけてテーブルに座りながら何やらノートに書きこんでいたアティが顔を上げてバージルを見ながら言う。ラウスブルグにいる間、彼女はゲックと交代制でエニシアの教師を務めているのだ。今も次の授業の準備中といったところだろう。

 

「ああ」

 

 バージルは短く答えつつ、アティの正面に座ると、ネロ達も三人も隣のテーブルに腰かけた。さすがに二人のテーブルに座るほど無粋ではないようだ。

 

「……とはいえ、満足できる成果はなかったがな」

 

「残念でしたね。でもあちらに戻ればきっと何かわかりますよ」

 

 今回の結果を聞いたアティは励ますように言う。今回の調査で魔界の悪魔の出現に関する情報が欲しかったということは彼女も知っていたのだ。

 

「まあ、何も糸口が掴めていないわけではないからな」

 

 バージルの言う糸口とは言うまでもなく、ネロが帝都ウルゴーラで会ったと言う黒髪の男のことである。探し出すのは困難であるが、彼が唯一の手がかりであることには変わりないのだ。

 

「いくら人より丈夫だからって、あまり無理はしないでくださいね」

 

「分かっている。そもそも、そればかりに構っている時間もないからな」

 

 アティの諭すような言葉にバージルは「言われなくとも分かっている」と言いたげに答えた。実際、彼は黒髪の男については自分の計画もある以上、自分自身が率先して探し出そうとは考えていなかった。アズリアやエクスあたりに捜索を任せ、見つけた場合に限り自分の足で出向くつもりだったのである。

 

 バージルとしては自らの手を煩わせることがないため楽な手段だが、頼まれた方にとっては災難であることは疑いようがないだろう。

 

 そのように話をしていると食堂にレンドラーとゲックを伴ったエニシアが訪れた。今日の午前中の授業はゲックが担当していたため、それが終わってからレンドラーとも合流し、ここに来たのだろう。

 

「おう」

 

 それに気付いたネロが左手を挙げて声をかけるとエニシアは顔を赤くしながら口を開いた。

 

「こ、こんにちは。お、おに……ネロさん」

 

 どうやら「お兄ちゃん」と呼びたかったらしいが、いまだ恥ずかしさが抜けないため結局はこれまで通りの呼び方となってしまったようだ。もっとも今の状況でそんな風にネロを呼んだらエニシアと一緒に来た二人に何を言われる分かったものではないが。

 

 その様子を見てネロが苦笑していると、エニシア達はネロ達の隣のテーブルに座った。

 

「随分と熱心に勉強してるんだってな」

 

 エニシアがアティとゲックに師事して勉強していることはネロの耳にも入っていた。

 

「は、はい! 今日は教授の授業を受けていました」

 

「実に優秀な生徒じゃよ。教え甲斐もあると言うものじゃ」

 

 エニシアが答えるとゲックが微笑みながら続ける。彼女はこれまでまともに学ぶ機会がなかった反動か、貪欲に知識を吸収しているようだ。

 

「たいしたもんだな。俺はそういうのは苦手だったし」

 

 孤児院育ちのネロだが、算数や文法など基礎的なことは一通り学んではいた。もっとも本人が言うように優秀な成績を収めたというわけではなかった。昔から彼は頭より体を動かす方が向いていたのである。

 

「まあ、勉強が好きっていう奴はそんなに多くないかもな」

 

 ハヤトが言外にネロに同意しながら言った。彼も数年前までは那岐宮市の高校に通っていたのだが、成績は悪くはないが突出して良くもなかった。勉強もテストの前に集中してやる程度で、当然勉強が好きだとは言えなかった。

 

 それを聞いたクラレットは冷たい視線を彼に送りながら口を開いた。

 

「確かにハヤトはそうかもしれませんね、あまり覚えも良くないですし」

 

 数年前にリィンバウムに召喚されたハヤトにとってクラレットは、リィンバウムのことを教えてくれる教師代わりの存在でもあった。サイジェントにいた頃は他の仲間から教えられたことも多かったが、誓約者(リンカー)として街の外に出かけることが増えた頃からは、無色の派閥の召喚師として多くの知識を与えられた彼女に頼ることが多かった。

 

「し、仕方ないだろ、暗記とかは苦手なんだよ」

 

 しかし、残念ながらハヤトはエニシアとは違い優秀な生徒から程遠かったため、何度か同じことを聞くようなことが多かった。召喚術のように自分の体や魔力を使うようなことであれば問題なく覚えられるのだが、頭だけを使うことに関してはそうではないらしい。この面ではネロと同じようなタイプと言えるかもしれない。

 

 そうしてハヤトが図星を突かれて狼狽えているところにポムニットが厨房から出てきた。両手にはサラダが乗った盆を持っている。

 

「ところでバージルさんはどこで習っていたんですか?」

 

 サラダをテーブルに置きながら尋ねた。厨房は食堂に併設されているため、先ほどの会話は全て聞こえていたのだ。

 

「独学だ」

 

 言葉少なくバージルは答えた。そもそも彼はまだ幼い頃に母と死に別れ、弟とも袂を分かっている。一応、子供レベルの算数くらいなら母から教わっていたが、それ以外は家を出てから自分で学んだものだった。もっとも経緯が経緯であるため多くを語るつもりはなかったが。

 

「それって刀の使い方も?」

 

 ハヤトが横から口を挟んだ。バージルの閻魔刀の使い方は日本における居合に似ており、それが以前から気になっていたのだ。

 

「そうだ。貴様の国の技術も参考にはしたがな」

 

 バージル自身スパーダから剣の使い方は教わっていたが、刀についてはそうではなかった。そのため、力を求めて閻魔刀と共に家を出たバージルがまず行ったことは父の形見を十全に操る技術を身に着けることだった。

 

 当然、閻魔刀と非常に形状が似ている日本の剣術や抜刀術も参考にしながら自分にあったものへと昇華したのが、今のバージルの基本となる技術なのだ。

 

「なるほど、そういうことか」

 

「その国って今日バージルさんが言ったところですよね? どんなところだったんですか?」

 

 納得したように頷くハヤトにポムニットが興味津々な様子で聞いてきた。

 

「気になるなら行ってみるか? 近々祭りもあるようだしな」

 

 もっともポムニットが行きたがるのはバージルも予想していたので、彼女が直接口にする前に先手を打った。

 

「い、いいんですか!?」

 

「構わん、しばらくは予定もないからな。アティもそれでいいな?」

 

 嬉しそうに言うポムニットを見てバージルはアティに確認する。行くとなれば彼女も一緒なのだから確認するのは当たり前だ。

 

「ええ、私は構いません」

 

 アティもバージルの提案を歓迎した。特に断る理由もなく、珍しくバージルからの誘いだったので、そもそも断るつもりがなかったと言った方が正確かもしれない。

 

「確かに再来週に夏祭りがあったけど……、よく知ってるなあ」

 

 三人の会話を聞いていたハヤトが感心したように呟いた。夏祭り自体は毎年恒例であるため、数年前まで住んでいたハヤトなら特にお知らせやポスターを見なくとも開催されることは知っているが、恐らくはバージルは先ほどの調査の中で市街地を通った際に、ポスターか掲示板を見て開催を知ったのだろう。

 

「お祭りかぁ……」

 

 そのやり取りを見ていたエニシアが羨ましそうに呟いた。

 

 同じテーブルに座るレンドラーとゲックにはそれが耳に届いていたはずだが、さすがに今の状況でエニシアも連れて行けなどとは言えるはずもなく、代わりにネロに視線を向けた。

 

「ん? ……ああ、そういうことか」

 

 その視線に気付いたネロは少し二人の様子を眺めると言わんとしていることが理解でき、やれやれといった様子で息を吐くと口を開いた。

 

「エニシア、お前も行くか?」

 

「え?」

 

「ふむ、勉強も結構じゃが時には息抜きも必要と言うもの。姫様、言って来てはどうですかな?」

 

「左様、小僧も一緒のようですし、楽しんで来てはいかがか?」

 

 思いもよらない言葉を掛けられたエニシアは戸惑いの声をあげたが、ゲックとレンドラーによって背中を押された。

 

「は、はい、行きたいです」

 

 エニシアがそう言うとネロは片手を上げて了解の意思表示した心の中ではレンドラー達二人への不満を吐露していた。

 

(俺も行くことになってるのかよ……。仕方ねえ、後でフェアとミルリーフも誘うか)

 

 ネロとしては体よくバージル達に預ける気でいたのだが、レンドラーの言葉によって一緒に行くことになってしまった。バージル達の邪魔をするつもりはないし、かと言って恋人がいる身で二人きりというのもどうかと思ったので、先日フォルトゥナを案内した時のようにフェアとミルリーフを誘うことにした。

 

 フェアは厨房で料理を作っているため話こそ聞いているかもしれないが、ミルリーフは御使いと至竜の力を操る練習をしているため、まだこの場には姿を見せていない。ただ、祭りに出かけるというのを否定することはないだろう。

 

「そう言うわけだ。場所の確認は任せる。必要なら泊まる場所も確保しておけ」

 

「え? 俺?」

 

 そう告げられたハヤトが言った。バージルとしては祭りという普段とは違う行事を行うため、これまでラウスブルグの転移の門(ゲート)を出現させていた場所が使えなくなる可能性を考えていた。当然、場合によっては祭り前後の数日間、那岐宮市に滞在することも考えていたのである。

 

 もっとも、それを自分ではなくハヤト(他人)にやらせるのが彼らしいところだと言えるのだが。

 

 そうしてハヤトにはまた面倒な課題が押し付けられたが、人のいい彼は断ることができず那岐宮市にもう一度行くことになったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 




本作を連載して明日で五年目に入ろうとしています。皆さまのおかげこれまで連載してくることができました。たぶん五年目でも終わりそうにないですが、今後もご覧いただければ幸いです。

さて、次回は5月18日か19日に投稿を予定しています。

ご意見ご感想等お待ちしております。

ありがとうございました。


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第108話 那岐宮旅情記 前編

 那岐宮市で行われる夏祭りの目玉となるのは河川敷で行われる花火大会だ。一晩で一万五千を超える花火を打ち上げる全国でも有数の規模を誇る大会である。もちろん昼間から河川敷には多くの出店が立ち並び、近くの公園では特設ステージが設けられ、有名人を招いたトークショーや特撮ヒーローなどのキャラクターショーを行っている。那岐宮市においては、一年で最も観光客が訪れるイベントと言っても過言ではなかった。

 

 とはいえ、その前日である今日は、それほど人は多い様子ではない。明日は多くの人が訪れる河川敷の出店も準備中であり、街のいたるところで明日の夏祭りに開催に伴う交通規制を伝える看板や、駐車場の案内版などが設置されている以外は、以前来た時とそれほど変わりないように見えた。

 

「さて、荷物も置いたことですし、ま、まずは一休みですよね」

 

 旅館の一室で腰を落ち着けたアティが少し上擦った声でバージルとポムニットに尋ねた。

 

 彼女達三人がいるのは、今回の那岐宮市に滞在する間の拠点とした旅館だった。宿泊施設としては高級の部類に入り、質は当然だが料金も相応に高い。本来であればそこまで高級なところを選ぶ必要はなかったのだが、バージルに言われてハヤトが予約を取ったのが一ヶ月どころか二週間くらい前の話であるため、最寄り駅近くのビジネスホテルなどのリーズナブルなところは軒並み満室だったのだ。だが、この旅館は市街地からは若干離れたところにあるせいか、まだ満室ではなかったため、ハヤトはこれ幸いとすぐさま予約したという話だった。

 

「あ、私お茶淹れます」

 

 テーブルの上に置かれた茶櫃を開けながらポムニットが言う。お茶の淹れ方は島にいた時に知っていたため、彼女はテキパキと準備をしている。

 

「あの……ネロ君達はいつ頃来るんでしょうか?」

 

 アティが隣に座るバージルに話しかけた。本来ならここにはネロ達も一緒に来るはずだったのだが、ミルリーフたっての希望で少し街を見てから合流することになったのである。

 

「そう気を揉んでも仕方あるまい。少しは落ち着いたらどうだ」

 

「だ、だってしょうがないじゃないですか!? いきなり『お義母様』なんて呼ばれたんですよ!?」

 

 何がしょうがないのかわからんとばかりにバージルは溜息をついた。アティがこうなったのは、ネロが一緒に連れてきたキリエの一言が原因であった。

 

 彼女としてはネロがお世話になった理由を言いたかっただけだったのだが、事前にネロを通して話をした折に「それなら一緒に行ったらどうか」と他ならぬアティの提案により今回同行することとなった。そして今日、ラウスブルグに集まって挨拶した時にキリエの口から爆弾が投下されたというわけである。

 

 おかげでアティは頭が真っ白になり、キリエとはまともに会話にならなかったのだ。その時はバージルがいつものように「気にするな」とか「自分が好きでやったことだ」と伝えて話を終わらせ那岐宮市に向かうことになったのだが、正気を取り戻したアティはまた頭を抱えていたのだ。

 

「うぅ……、どんなふうに話したらいいんだろう……」

 

 なにしろネロ達もこの旅館に泊まるのだ。同じ部屋でこそないが、これから数日は顔を合わせる機会も多くなるだろう。その時にどのように彼女に接したらいいのかいまだ決めかねているようだった。

 

「別にどうもこうもないだろう」

 

 キリエとしてはアティをネロの父親であるバージルの妻と認識していたため、そう呼んだに過ぎないのだろうから、そこまで難しく考えず、いつもの調子で話せばいいだろうとバージルは思っていた。

 

 そうしてやれやれとばかりに首を振ると、ポムニットが困った様子で呟いているのが見えた。

 

「えっと、お湯は……」

 

「そこの白いポットだ。頭を押せば出る」

 

 どうやら彼女はお湯をどうやって準備すればいいのか悩んでいる様子だったので、バージルが茶櫃の横に置かれた白い電気ポッドを示しながら声を掛けた。

 

 それを聞いたポムニットは恐る恐るポットの頭を押して、急須にお湯を入れると感心した様子で口を開いた。

 

「お湯を沸かさなくてもいいなんて、ラトリクスの機械みたいで便利ですね!」

 

 電気ポッドのように火を使わずにお湯を沸かすもの自体はポムニットもラトリクスで見たことがあったが、実際に使ったのは今日が初めてだったのだ。

 

「電気がなければ動かんがな」

 

 当然だが電気ポットは電気がなければお湯を沸かすことはできない。電気が一般に普及していないリィンバウムではただの容器にしかならないのである。

 

「それじゃあ向こうじゃ使えないってことですか……」

 

 ポムニットが肩を落としながら言う。日常的にお茶を出したりすることが多い彼女にとっては、電気ポッドは非常に魅力的だったらしい。これで向こうでも使えるのであれば是が非でも買って帰ったことだろう。

 

 そうしてポムニットが落胆しながら淹れたお茶を飲んでいると、不意にドアをノックする音が聞こえた。

 

「あ、はーい」

 

 ポムニットがドアを開けると、そこにいたのはハヤトだった。彼は玄関に立つとバージルに向かって言った。

 

「ネロ達も無事に着いたし、俺は帰るから後は頼む。あ、ちなみにあいつらの部屋は隣だから」

 

「ああ、わかった」

 

 彼は今回この旅館には泊まらないのだ。金を出すバージルとしては別に泊まったところで文句など言うつもりはなかったし、アティやポムニットも彼とクラレットに泊まったらどうか勧めていたのだが、それでも二人は申し出を固辞し、ハヤトの実家に泊まることを選んだのだった。もちろん断った理由の中には、これ以上一緒にいると心労が増えそうという、というものがあったは言うまでもない。

 

「それじゃ、また明日、現地でな」

 

 言ってハヤトは踵を返す。泊まる場所は違うとはいえ、せっかくの機会だからと明日の花火大会は一緒に集まって行くことにしたのである。

 

 そしてハヤトが去った後、ポムニットは口を開いた。

 

「あの、どうします? 顔くらい出しに行きますか?」

 

 ネロ達も戻って来たことだし、彼らのところに行った方がいいのではないかと思ったらしいが、バージルはそれを断った。

 

「いや、こいつの状態では今行っても無駄だろう。それに夕食のときに嫌でも顔を合わせるんだ。その時でいい」

 

 いまだに悩んでいるアティに視線を送りながら言った。今行っても前と同じ展開になるのは目に見えているから、もう少し時間を置いた方がいいという判断だった。

 

「それならお風呂でも入りませんか? とっても大きいですし景色もいいですよ」

 

 この部屋は値段相応にグレードが高かったらしく、部屋には展望のいい風呂がついていた。あと三ヶ月ほど宿泊が後ろにずれこんでいれば、風呂に入りながら見事な紅葉を見ることができただろう。もっとも今は青々と茂った山々と眼下に清流という夏らしい風景になっているが。

 

 もちろん日本の一般的な旅館であるため大浴場はあるが、ポムニットの角を衆目に曝すわけにはいかない以上、最初から大浴場に行くという選択肢はなかった。そういう意味では部屋に展望風呂がついていたのは僥倖だったといえるだろう。

 

「……そうだな。ついでにこいつもな」

 

 このまま悩ませるより風呂でも入った方が頭もすっきりするだろうと考え、アティも一緒に入れることにしたのだった。

 

 

 

 

 

 同じ頃、バージル達の隣の部屋では市街地から戻ってきたネロが座って一息をついていた。

 

(ったく、なんであんなに元気なんだよ)

 

 ミルリーフも含め女四人に男はネロ一人だったため、彼は並々ならぬ苦労を強いられたらしい。女三人寄れば姦しいとはよくいったものだ。

 

「いやー、それにしてもいっぱい買ったね、エニシア!」

 

「はい! みんなへのお土産たくさん買えました!」

 

 嬉しそうに話をするフェアとエニシアは共に大きな三つの袋から今日の戦利品を出していた。どれも違う店の袋で、彼女達はそれぞれの店でまとめて購入したため、各々の分を仕分けているようだ。

 

「まったく、なんで初日にこんなに買うんだよ。最終日いいじゃねえか……」

 

 今日は簡単に市街地を見て回ったあと、この旅館に来る途中にあった大型のショッピングモールに立ち寄ったのだが、そこでフェア達の興味を引く商品が多かったために思った以上に買い物をしてしまったのだ。

 

 大小含めて二百近い店舗が入っているショッピングモールだけに、品揃えもフォルトゥナよりもずっと豊富なのは分かるが、初日からこれだけの買い物をするとは、正直ネロは先が思いやられていた。

 

「いいじゃないネロ。あの子たちにとってそれだけ楽しめたってことなんだから」

 

「そりゃあいつらからしたら何もかもが珍しく感じるのは分かるけどよ……」

 

 キリエが言い聞かせるように宥めると、ネロはトーンを落として言う。一つの物を見てもデザインや大きさ付与された性能などで差別化され、多くの商品が存在するこちらの世界はフェアやエニシアにとって大いに好奇心や購買意欲が刺激されるのは理解できる。だがそれでも多少の自制心とついでに荷物持ちへの配慮を持ってほしいと思わずにはいられなかった。

 

「ねえパパ、ミルリーフお風呂行きたい! こんなに大きいんだよ!」

 

 ミルリーフは旅館内の各種施設が書かれているガイドのあるページを開いてネロに見せてきた。どうやら先ほどまで静かだったのは熱心にこの館内ガイドを読んでいたからのようだ。

 

「風呂か。いいじゃねえか、入って来いよ」

 

「えー、パパは一緒に入らないの?」

 

「この腕だ、入れるわけないだろ」

 

 文句を言うミルリーフにネロは自身の右腕を見せながら答えた。今は先日この街を訪れた時と同じように包帯を巻いているが、その下にあるのは人とはかけ離れた異形のそれだ。そんなものを堂々と晒して風呂に入るわけにはいかない。

 

 それは人の姿の時でも尻尾を生やしているミルリーフにも言えることだったが、ネロの右腕に比べてタオルで隠すこともできるだろうし、フェア達の協力もあれば風呂に入ることは難しくないだろうという腹積もりだった。

 

 もっとも仮にネロの腕が人間と変わらぬものであろうと、大浴場は男女に別れているため、ネロと一緒に入るというミルリーフの願いは最初から実現不可能なのだが。

 

「やっぱり色々と大変なんですね」

 

 エニシアが少し悲しそうな顔をした。彼女も「普通」とは異なる出自のせいで不利益を被った身だ。ネロのことも我が事のように思ったのかもしれない。

 

「もう慣れたさ。それに部屋の風呂も結構いいみたいだからそっちに入るだけだって」

 

 この右腕との付き合いも既に五年以上だし、仕事ではあるが何ヶ国もの異国を訪れたこともある。当然フォルトゥナ以外では右腕は隠さなければならかったため、今の状況も苦痛には感じていなかった。むしろ、いい風呂が付いた部屋を予約してくれたハヤトに感謝したい気分だった。

 

「むー……」

 

 ミルリーフは頭の中では仕方のないことだと理解しつつも、一緒に風呂に入れないことは不満のようだ。

 

「そんな顔してないでさっさと入って来いよ」

 

 ネロが苦笑しながらぶー垂れるミルリーフを見ていると、横からフェアが声をかけた。

 

「ほらわがまま言わないで行くよ、ミルリーフ。あ、エニシアはどうする?」

 

「あ、はい、私も行きます」

 

 今日購入した物の仕分けはまだ終わってはいないようだったが、汗を流したいという思いもあったのかフェアもエニシアも既に気持ちは既に風呂に向いているようだ。

 

「全員行くみたいだしキリエも行って来たらどうだ? まだ夕食まで時間もある」

 

「……ええ、そうね。そうするわ」

 

 先ほどまでミルリーフが手にしていた館内ガイドに目を通していたキリエがネロの提案を受けて微笑みながら頷くと、簡単に準備を済ませフェア達三人と共に部屋を出て行った。

 

「……さて、俺もシャワーでも浴びるか」

 

 一人部屋に残ったネロは、キリエがテーブルに置いたままの館内ガイドを興味なさげに一通り見るとそれをテーブルの上に放り投げ、とりあえず汗でも流そうとシャワーを浴びることにした。

 

 

 

 

 

 それからしばらくして、ネロ達は夕食の会場にいた。この旅館の夕食はビュッフェか部屋食のいずれかを選ぶのが通常であるが、予約を取ったハヤトはビュッフェではネロが窮屈な想いをするかもしれず、かと言って二部屋に別れてしまっている以上部屋食では寂しいと考え、小さな宴会場での食事としていたのである。

 

 もっとも小さいとは言っても部屋の大きさは二十畳ほどあり、中心には長めの座卓が据えられ、それぞれの側に四席ずつ背もたれが付いた座椅子が置かれていた。

 

「しかし遅いな、あいつら」

 

「もう少しで来るわよ。まだ時間もあるし、もうちょっと待ちましょう」

 

 先に宴会場に来ていたネロが言うと正面に座ったキリエが言った。しかしネロの隣には誰も座っていなかった。ネロ達は五人であるため、当然誰か一人がバージル達と座ることになる。だがさすがに他の四人にその役目を負わせるのは気が引けたのか、ネロが率先してこの席に座ったのである。

 

「ったく、飯も来てるってのに……」

 

 ネロがテーブルに肘をついて文句を言った。既に彼らの前には一部とはいえ料理が並べられている。少し前まで結構歩いていたせいでだいぶ腹が減ってる身には厳しい仕打ちなのだ。

 

 そうこうしているうちに出入口の襖が開いてようやくバージル達三人が現れた。

 

「お待たせしました」

 

「いえいえ、時間ちょうどですから」

 

 ポムニットが言った言葉にキリエが返す。壁に立てかけられている時計を見ると、確かに夕食が始まる丁度の時間であり、続いて旅館の従業員が一礼をして宴会場に入ると刺身などの配膳や各々の卓上コンロに火をつけて回り始めた。

 

「なんだよ、あんたもそれ着てきたのか」

 

 右に座ったバージルに視線を向ける。彼もまたネロのように浴衣と羽織を着ていたのだ。これがまた無駄に似合っているところはさすがと言うべきか。

 

 ちなみにネロとバージルだけではなく、女性陣も浴衣を着ている。むしろネロは最初のうちは着ようとは思わなかったのだが、せっかく用意してもらったのだからという理由で浴衣を着ていたキリエやフェア達から強く勧められた、それを断り切れなかったため着る羽目になったのである。とはいえもちろん右腕は、包帯を巻いて隠しているのだが。

 

「ああ、こいつらがうるさくてな」

 

 バージルは自分の右に座るアティとその隣のポムニットの方を見た。どうやら彼もわざわざ浴衣を着ることになった理由はネロと同じであるようだった。

 

「ネロ君はお酒飲めますよね、何か飲みたいのありますか?」

 

 そこに従業員にアルコールのことを尋ねられたらしいポムニットがネロに声を掛けた。自分やバージル、アティなら何を注文すればいいか分かるが、他に酒を飲みそうなネロの好みは知らなかったのだ。

 

「あ、ああ、それじゃワインでも……」

 

「ワインですね。あとフェアちゃん達はジュースでいいですか?」

 

 頷くと次いでフェアに尋ねる。ミルリーフはまず間違いなくジュースで問題ないだろうが、他の三人には聞いた方がいいだろうと思ったのだが、それに答えたのはネロだった。

 

「こいつらにはまだ早いし、それでいい」

 

「むぅ……」

 

 キリエには自分が頼んだワインでいいだろうし、ミルリーフを含め他の三人にアルコールはさすがに早いだろうと思ってネロは言ったのだが、フェアはさすがに従業員がいるこの状況で文句は言わなかったが、露骨に不機嫌な顔をした。そしてポムニットはそれを伝え、従業員が退出するとフェアはすぐに口を開いた。

 

「私だって大人なんだし、お酒くらいいいでしょ」

 

「そりゃお前の国じゃそうかもしれないが、この国じゃ酒を飲めるのは二十歳からだ。諦めろ」

 

 今日この国に来たばかりのフェアは分からなくて当然かもしれないが、那岐宮市があるこの国で飲酒が認められているのは二十歳以上なのだ。ネロは以前に那岐宮市に来た時に酒類の販売コーナーでそうした表示板を見ていたため、その点はよくわかっているらしい。

 

「あ、帝国じゃ十五歳で成人だったね」

 

 アティがフェアの出身地を思い出しながら言った。もっとも帝国のみならずリィンバウムの主要な国は明文化しているかどうかの違いはあれ、大体十五歳前後で大人として扱っているのが一般的なのだ。酒についても基本的に同様ではあるが、日本のように購入の際に年齢確認までするようなことはないのである。

 

「ああ、なるほど。前にも『立派な大人だ』とか言ってたな、確か」

 

 アティの言葉に、フェアの言うこともただの強弁ではなかったのか、とネロは納得したものの、しかしだからといって二十歳未満が飲酒禁止のこの国で大っぴらに飲んでいいわけがない。

 

「まあまあ、ジュースもおいしいですよ」

 

「そうだよママ、一緒に飲もう?」

 

 口を尖らせてネロを睨んでいるフェアをエニシアとミルリーフが宥める。二人としては別にお酒に興味がなかったため、ジュースで何ら問題なかったらしい。

 

「せっかくだから飲んでみたかったのに……」

 

 二人からも言われたフェアはまだ未練を残しつつも、とりあえずは諦めたようだった。ただ、残念そうにしていたため、ネロも少しは助け舟を出すことにした。

 

「そんなに飲みたいなら買って帰って向こうで飲めばいいだろ。さすがにあの城ならこの国のことを気にする必要もないしな、そうだろ?」

 

 そう言って隣のラウスブルグの主に確認すると「ああ、そうだな」と答えた。フェアくらいの年齢のものが酒を飲むことはリィンバウムでは珍しいことでもないので、アティも文句はないようだった。

 

 それに対しフェアが「そうする」と頷くと、再び出入り口から料理と酒が運ばれてきた。

 

 旬菜を使ったおひたしや和え物、旬の魚五種類が盛られた刺身、海老と野菜の天ぷらなど全体として季節を感じる料理だった。もちろんこの後には地元のブランド牛を使った陶板焼きやそばも出るという話だった。

 

 次いでネロと隣のバージルのテーブルに赤ワインの瓶とグラスが置かれた。

 

「なんだ、あんたもワインかよ」

 

「ああ」

 

 バージルは酒の好き嫌いは特にないが、父がよく飲んでいた影響によるものか、迷った時はとりあえずワインにする傾向にあった。ポムニットもそのあたりを心得ていたからワインを頼んだのである。

 

「せっかくだ、注いでやるよ」

 

 バージルは一応自分の父でもあり、偶然にも同じ物を注文したこともあってネロはバージルのグラスにワインを注ぐことにした。

 

「……悪くない」

 

 バージルは注がれたワインを一口飲んで言う。このワインは品質的にはいい方だが、それでもどこでも買える程度のものだ。それでも味はリィンバウムの高額な酒に引けをとっていない。これは栽培技術や醸造技術、品質管理の考え方などによる差なのだろう。技術の進歩は酒の味にも影響するのである。

 

 次いでネロがワインを飲むころには女性陣もそれぞれ食べ始めていた。宴会なら一言くらい挨拶してもよかったのかもしれないが、この場でそれを行う立場であるバージルはそんな事をするつもりはないだろうから、逆にそれでよかったのかもしれなかった。

 

 

 

 それからしばらくして、料理に舌鼓を打ち、酒も進むと次第にあまり面識がなかった者同士でも打ち解けて話ができるようになっていった。

 

「それでね、バージルさんは――」

 

 ポムニットはフェア、エニシアの二人に自身の身の上話をしていた。内容上、あるいはポムニットの趣味によるものかは不明だが、その内容は九割方バージルが関わっているものばかりだった。ついでに言えば三割増しくらいでバージルが美化されているような気がするが、当のバージルは勝手に言っていろと言わんばかりに無視を決め込んでいた。

 

 そして二人はあの不愛想で強面のバージルにこんな一面があるのかと、目を輝かせながら聞き入っていた。

 

 一方でネロはお腹がいっぱいになってしまったからか、寝息を立てているミルリーフを横に置いてバージルと共にいまだ酒を飲んでいた。二人の前にはワインのみならず様々な種類の酒が並んでいる。

 

「これはダメだ。口に合わん」

 

「そうか? まあ、それなら俺が貰うか」

 

 この旅館での地酒や最初に飲んだワイン以外にも多くの種類を取り扱っているらしく、どうせなら全種類飲んでやろうという意気込みで二人はいろいろと注文しているのだった。どれも一合ずつだったとはいえ、既にもう十種類を超えている。

 

 そうして飲んでいると案外バージルは選り好みするタイプであることが判明した。逆にネロは特に好き嫌いなく飲んでいるようである。

 

「さて、次は……、キリエ、何か飲みたいのあるか?」

 

 ネロは旅館で取り扱っている酒のリストを見ながらキリエに声をかけた。彼女は最初に少し飲んだ程度だったのでもっと飲むのではないかと思ったのだ。

 

「ええ、それでそれからはネロの事務所を手伝っているんです」

 

「大変だったんですね。その後、ネロ君もあっちに召喚されちゃって大変だったでしょう?」

 

「たしかに心配はしましたけど、ネロなら必ず帰って来るって信じてましたから」

 

 だが、キリエはアティと話し込んでいてネロの言葉は聞こえていない様子だった。

 

「とんだ取り越し苦労だったようだな」

 

 バージルがアティを見て口角を上げた。彼女も数時間前まではキリエとどう接すればいいかあれほど悩んでいたのに、随分あっさりと打ち解けていた。もっとも、お互いの性格を考えればこうなることは火を見るよりも明らかなので、ただ単にアティが難しく考えていたに過ぎなかったのだろう。

 

「は? 何のことだ?」

 

「あいつがお前の女との接し方に悩んでいたという話だ」

 

「ああ、なるほど……。ったく、キリエも余計な事なんか言わなきゃいいのに」

 

 バージルの答えを聞いてネロが納得すると同時に少し呆れた。なるほど義理の息子の恋人にいきなり「お義母様」なんて言われれば混乱しても当然だろう。しかもそれを言ったキリエ本人も「気を悪くしてしまったかしら」とアティを気にしている始末だ。ネロが呆れるのも仕方のないことだった。

 

 ちなみにネロがそれ以上に気になったのは、キリエがバージルのことを「お義父様」と呼んだことの方だった。まるで結婚の挨拶かなにかをしているような気がしてどうも居心地が悪かったのだ。

 

「まあ、あの様子なら心配はいらないだろう」

 

「だろうな。……で、とりあえず何種類か頼むからな」

 

 一度打ち解けてさえしまえばもう問題はないという認識で二人は一致した。そしてネロはキリエがあの様子であるため、酒は適当に注文することにしたようだ。

 

「構わん。……ただそれで終わりかもしれん、よく選ぶことだ」

 

 周りを見れば分かるように料理は全て食べ終え、もはや夕食というより歓談の場と化している。そろそろお開きにしてもいい頃合いだった。

 

 もっともバージルがそう言ったのは、確かに時間的なこともあったかもしれないが、それ以上に限界が近づいていたからかもしれない。どうやらネロは戦闘力では勝てなくとも酒の強さではバージルに勝っているようだった。

 

 ただしネロはそんなことなど全く気付かず、真剣な顔で酒を選んでいるのだった。

 

 

 

 

 

 




那岐宮への旅行ですが、とりあえずこの話を含めて3話程度でまとめる予定です。書こうと思えばもっと長くもできなくはないですが、あまり本筋から離れた話を書くのもあれなので。

次回は6月1日か2日に投稿を予定しています。

ご意見ご感想等お待ちしております。

ありがとうございました。


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第109話 那岐宮旅情記 中編

 布団の中、寝苦しさを感じたネロは目を開けた。カーテンの隙間からうっすらと光が入っていることを見ると、太陽は顔を出しているようだ。

 

「あー……」

 

 上体を起こしたネロは頭を掻きながら小さく呻く。まだ明け方というのに意外と部屋の温度は高かった。昨夜は寝る前にエアコンのタイマーを設定して就寝したのだから、エアコンが切れるのは当然なのだが、朝からこんなに暑いのは正直想定外だった。これならつけっぱなしでもよかったのではないかと思うほどだ。

 

 一応、時間的にはもう一度寝ることができるかもしれないが、こんな状態で寝る気にはなれなかったネロは一度立ち上がった。

 

(水でも飲むか……)

 

 この暑さのせいか、だいぶ喉が渇いている。冷蔵庫の中に確か水かが入っていたと思い出したのだ。

 

「あぶね、最後の一つかよ」

 

 冷蔵庫を開けたネロが残り一つとなったペットボトルの水を取り出しながら言った。他にもお茶などが何本か入っていたのだが、昨夜夕食から戻ってきた後にみんなで飲んでしまったのだ。一応、ビールなどのアルコールの類は残っているが、さすがにそれを飲もうとは思わなかった。

 

(できればエアコンつけたいけどなあ……)

 

 ペットボトルの水を一気に三分の二ほど飲み干しながら胸中で呟く。ネロとしてはもう一度冷房を着けたいと思っていたのだが、フェアやミルリーフなどは掛け布団をせずに寝ていたため、彼女達のことを考えて遠慮しているのである。

 

 こうなっては、もう一度寝る選択肢は完全に消えたため、ネロは一度洗面所に行って顔を洗うことにした。

 

「さて、あいつらが起きて来るまで何するか……」

 

 時刻はまだ六時前、朝食まではまだ時間がある。ブルーローズの整備をしようにも、そもそも今回はそうした商売道具は持ち込んでいない。さらにテレビは寝ている者を起こしてしまう恐れがあるので、あえて見ようとは思わなかった。

 

 そんな風に悩みながら、ネロは残った水を飲みつつ洗面所を出るとちょうどエニシアと鉢合わせになった。

 

「お兄ちゃん、おはよう……」

 

 どうやら彼女は寝惚けていたせいで、羞恥心を感じず言えなかったことが言えたようだ。

 

「……お、おう。どうしたまだ起きるには早いぞ」

 

「少し喉が渇いちゃって……」

 

 それを聞いたネロは渋い顔をした。冷蔵庫に残った最後の水は今しがたネロがほとんど飲み干したばかりなのである。

 

「あー、悪い。最後の一つは俺が飲んじまったんだ」

 

「い、いえ。お気になさらず……」

 

 だいぶ覚醒してきたらしいエニシアは普段のように敬語で言うとネロはすぐ代替案を出した。

 

「なら買いに行くか。確かロビーに自販機があったはずだし」

 

 この旅館に入ったとき、四台ほどの自販機が並んであったのをネロは覚えていた。一台は缶ビールを販売しているものだったが、他の三台のいずれかには水くらい売っているだろう。

 

「は、はい、行きます」

 

「……行くのはいいんだが、せめてその格好はどうにかしろよ」

 

 これまで見ないふりをしていたネロだったが、エニシアはいつまで経っても気付かなかったので、やむを得ず言いにくそうに顔を背けながら言った。

 

「え? ……っ!」

 

 エニシアはその言葉で自分の体を見た瞬間、顔から火を噴きそうな程真っ赤になってしまった。なにしろ彼女の着ていた浴衣はかなり着崩れており、帯こそ締めているものの、ほとんど浴衣を羽織るだけに近かったのだ。当然下着なども露になっていた。

 

 その場で後ろを向いて慌てながら浴衣を直すエニシアを極力視界に入れないようにしながら、ネロは自分の財布を取りに行った。この旅館の宿泊費やフェア達が購入したお土産の元手となった軍資金は全てバージルが出したものだ。どうやら彼はリィンバウムで買い集めた貴金属類を売って相当な資金を手に入れたらしく、何の文句も言わずに今回の費用一切を出したのだ。

 

 もっともネロはあらかじめ日本円を準備していたため、バージルに頼ることはなかったが。

 

 

 

 それからエニシアが落ち着くまで数分を要したものの、二人は部屋から出てロビーに向かっていた。彼らの泊まっていた部屋はロビーのある本館ではなく、連絡通路で繋がった別館にあるため、少し歩かなければならなかった。

 

 そして通路を歩いていると、ちょうど窓越しに太陽が山の間から昇ってきたところだった。

 

「わあ……きれいです」

 

 エニシアは立ち止まり目を輝かせてその様子を見ている。日の出自体を見るのはこれが初めてではないが、普段とは違う場所、違う雰囲気のもとで目にする日の出はいつも以上に違って見えたようだ。

 

「日の出か、いいタイミングだったな」

 

「はいっ!」

 

 嬉しそうに返事をしたエニシアを引き剥がすわけにもいかず、少しの間日の出を堪能してからロビーに向かうことにした。

 

「……で、どれにする?」

 

 そして目的の自動販売機の前まで来たネロは隣のエニシアにどれを買えばいいのか尋ねた。

 

「えっと……」

 

 彼女の目の前にある一台だけでも三十種類以上の飲み物が売っている。それがビールを売っている一台を除いても三台あるのだ。悩んでしまうのは仕方のないことだろう。

 

 そして一分ほど大人しく待っていたネロだったが、一向に決まりそうになかったため助け舟を出すことにした。

 

「……ジュースとかの方がいいのか? それとも水にするか?」

 

「あ、えっと……ジュースでお願いします」

 

「ジュースね。炭酸飲めるのか?」

 

 少し恥ずかしそうにいったエニシアにネロはさらに尋ねる。炭酸が苦手でどうしても飲めないという人もいるため、これは確認しなければならないことだった。

 

「たんさん……?」

 

「えーと、あれだ、飲むと口の中がしゅわしゅわするやつ」

 

「あ、それはちょっと苦手です」

 

 炭酸という言葉の意味が分からなかったエニシアだが、ネロの擬音語を使った説明で何とか理解できたようだ。実際のところ彼女は昨夜の夕食の折、ジュースとして出されたコーラを飲んだのが、口の中が刺激される感覚にどうしても慣れず、最初の一杯以外はオレンジジュースやウーロン茶を飲んでいたのである。

 

「ならこのあたりでいいんじゃないか?」

 

 ネロが示したのはオレンジやりんご、ぶどうなどの果実系のジュースだった。これなら炭酸が苦手というエニシアでも問題なく飲めるだろう。

 

「じゃあ……これで」

 

「ああ。……せっかくだしあいつらにも買ってくか」

 

 エニシアが指し示したりんごジュースを買ったネロは次いでキリエ達の分も買っていくことにした。エニシアがそうだったように起きてきて何か飲みたいと思う者がいるかもしれず、いなかったとしても少しくらい多く買っても問題ないと思ったのだろう。

 

「あ、私持ちます」

 

「おう、悪いけど頼む」

 

 部屋にいる者の分まで買うとなるとさすがに片腕しか使えないネロが全て持つのは無理な話だ。それを分かっているエニシアは自分が持つことを申し出ると、ネロはその好意に甘えることにした。

 

 そうして水やお茶、ジュースなど買った二人は部屋に持って帰る前にロビーに置いてあるソファで少し休んで行くことにした。景色がいい窓際のテーブルを選び向かい合って椅子に座った。

 

 ネロは足を組んでソファにふんぞり返りながら自分用に買った缶コーヒーのふたを開けて軽く一口飲んだ。エニシアも同じように買ったペットボトルのキャップを開ける。

 

「あの、それって何ですか?」

 

「ん? ああ、コーヒーだよ。飲んでみるか?」

 

 ネロの飲んでいるものが気になったエニシアが尋ねると、組んでいた足を戻して缶コーヒーを振った。

 

「は、はい。いただきます」

 

 せっかくの提案だし、好奇心もあったエニシアはネロから手渡されたコーヒーを一口飲んでみることにした。

 

「……お、おいしいです」

 

 一口飲んでエニシアはそう言うが、明らかに苦みを堪えている顔だった。ネロはそれ見ると苦笑しながら口を開いた。

 

「無理すんなって、苦かっただろ。お前にはもっと甘いやつの方がよかっただろうな」

 

 ネロが買ったのはブラックコーヒーだったのだ。直前まで甘いジュースを飲んでいたエニシアにとっては、コーヒーの苦みはより強く感じられたことだろう。

 

「……ネロさんは平気なんですね」

 

 ジュースで口直しをして一息吐いたエニシアが言った。彼女にとってブラックコーヒーなどとても飲めるものではなかったのである。

 

「まあな、しばらく飲んでいれば慣れるよ。……ところでお兄ちゃんとはもう呼ばないのか?」

 

 ネロは後半にやりと意地の悪い視線を向けながら言った。起きたばかりのエニシアはネロのことをそう呼んでいたにもかかわらず、今は「ネロさん」呼びだ。どうやらいまだ心の準備は整っていないらしい。

 

「えっと、それは……」

 

 エニシアは顔を赤くして言い淀んだ。彼女自身も自分がなぜあの時は言えたのかよく分かっていなかったのだ。その様子を見てネロは笑いながら言う。あまり彼女を困らせるつもりはないのだ。

 

「悪い悪い。そんな困った顔するなって」

 

「……お、お兄ちゃん!」

 

 目を固く瞑ってエニシアは言い放った。ネロと一緒にいられるのもあまり長くはない。恥ずかしさから言いたいことも言えないのでは、後から絶対に後悔してしまう。そう思ったからこそ意を決して言ったのである。

 

「こ、今度からできるだけそう呼びますから……」

 

 それでもやはり恥ずかしさは残るようで、顔を真っ赤にしながら俯いてしまった。

 

「……まあ無理しなきゃいいさ」

 

 それを受けたネロは、彼女の言葉には多少は驚いたようでそう言うのが精一杯だったようだ。

 

 

 

 

 

 それから二人はもう少しロビーで休んでから部屋に戻ると、もう既に他の三人は起きているようだった。

 

「あら、おかえり、どこ行ってたの?」

 

「ちょっと飲み物買いに行ってたんだよ、ロビーまで。とりあえず冷蔵庫の中に入れとくから勝手に飲めよ」

 

 そう言うとネロは自分が持っていた分とエニシアに持っていてもらった分を冷蔵庫の中に突っ込んだ。

 

「ありがとう……ところで今日の予定ってどうなっているか知ってる?」

 

 キリエも一応大まかな予定こそ聞いてはいるが、具体的な時間までは何も知らされておらず、バージルからある程度話を聞いていたネロに尋ねた。

 

「確か……、今日は夜に祭りがあるとかで、それ以外は自由だったはずだ。何かしたいことでもあるのか?」

 

 もとより今回の目的はその祭りだけであるため、その他については完全に自由なのである。ネロとしては特にやりたいこともないため、キリエやフェア達に合わせるつもりでいた。

 

「またいろいろ買いたい物ができたみたいで……」

 

「テレビ見て何か欲しくなったか……」

 

 キリエは困ったような視線を布団に座りながら熱心にテレビを見ているフェアとミルリーフに向けた。大方コマーシャルの影響だろうとあたりをつけたネロは大きくため息をついた。

 

「ええ、色が変わるお菓子とか番組で紹介されてた包丁とか欲しくなったみたいで……」

 

 どうも二人はコマーシャル以外にも通販番組からも影響を受けたらしい。

 

「……ってことは今日も買い物か」

 

 何にせよ今日の予定が決まったな、とネロは半ば悟りの境地で呟いた。それはつまり彼が二日連続で荷物持ちとなることが決まった瞬間であった。

 

「ねー、ママ。朝ごはんはいつになるの? ミルリーフお腹空いたよー」

 

「えっと……あともう少しだから我慢してね」

 

 フェアが壁に掛けられた時計を見ながら言う。時計という概念はリィンバウムにもあるが、一日を二十四時間としている点も同じだったため、彼女でも特に苦も無く時間を見ることができているのだ。

 

「……で、一応確認するけどよ、今日も買い物でいいんだろ。昨日行ったようなところはたぶん十時くらいからやってるから、ここを出る時間はそれより少し前でいいか?」

 

 どこに行くかは先ほどのキリエとの会話で分かったが、後は出発の時間を決める必要があった。とはいえ、目的が買い物であるから開店時間より早く着く必要はない。そのあたりを考えて十時前に出かければ問題ないだろう。

 

「うん、私はそれでいいよ」

 

「私も大丈夫です」

 

 フェアとエニシアが提案に賛成する。キリエに顔を向けると、彼女は微笑んで頷いた。

 

「よし、じゃあミルリーフもそれでいいな」

 

 この時点で半ば決まったようなものだが、ネロは一応テレビを見ているミルリーフにも確認すると彼女は「うん」と頷くだけに留まった。テレビに夢中になっているせいか、気のない返事ではあったがそれ以上に聞くことはしなかった。

 

 他にできる者がいないとはいえ、こうして皆の意見を聞いてまとめるということは、どうもネロの性に合わないようで、まだ朝だと言うのに精神的な疲労が溜まり始めていた。

 

(はあ……、面倒くせぇ。よくまあクレドはこんなことできていたもんだ……)

 

 ネロはもういない兄代わりの人間のことを思い出しながら胸中で呟いた。若くしてフォルトゥナ魔剣教団の騎士団長となったキリエの実の兄は、今の自分よりもずっと面倒なことをしていたのだろう。そう思うとクレドに称賛の念を抱かずにはいられなかった。

 

 だがしかし、それをしたからと言ってネロの負担が少なくなることはなかったが。

 

 

 

 

 

「バージルさん、私達はどうします? どこか行きますか?」

 

 アティの声が部屋に響く。

 

 朝食を食べ終え、部屋に戻ったバージル達三人は今後のことを話していた。ネロ達が昨日に続き今日も買い物に行くということは、先ほどの朝食の際に会った時に聞いていたため、その影響もあったのだろう。

 

「……ソバ」

 

「え……?」

 

 バージルが呟いた言葉に思わずアティは聞き返した。

 

「ソバはどこかで食べる。その他は好きにしろ」

 

 実はバージルは以前聖王都のシオンの屋台で天ぷらソバを食べて以来、ソバを気に入っていたようだ。そしてこの国ではシオンの屋台と同じようなソバの料理が存在していると知り、それだけは人間界にいるうちに食べてやろうと画策していたのだ。もちろん行こうと考えている店も既に決まっている。

 

 ちなみにソバと言っても、原料となる蕎麦の実が獲れる季節によって夏ソバと秋ソバに分けられる。だが一般的にソバと言えば秋と言われているため、今はちょうど旬の時期を逃したと言えた。それでも昨今の栽培技術や保存技術の発展のおかげで「夏のそばは犬さえ食わぬ」とのことわざは通じなくなっているのだ。

 

「わかりました。それじゃあ後はちょっと買い物に付き合ってもらっていいですか? 少し気になるものがあるんです」

 

 バージルの言葉を聞いたアティは彼のこだわりに口元を抑えてくすりと笑いながら言った。

 

「構わんが、何を見るつもりだ?」

 

 買い物に付き合うくらいは問題ないが、彼女の行きたい店によって出発の時間が前後するのだ。開店時間や店の所在地によっては先にソバを食べてからになる可能性もあった。

 

「服とかをちょっと……、昨日キリエさんの話を聞いていたら見てみたいなぁ、って思いまして」

 

 昨日の夕食の折、アティはキリエからデパートで買い物をした話を聞かされたのだ。キリエ自身は特に何も買わなかったということだったが、アパレルショップだけでも三十以上の店舗が入っているという話だったのだ。

 

 元々はあまりファッションには興味がないアティとはいえ、自分の住んでいたところとは違う世界の文化には興味が引かれたのだ。それに、たまにはバージルに着飾った姿を見てもらいたいといういじらしい気持ちもあった。

 

「なら行くのは、昨日あいつらが行ったところになるか。……ポムニット、お前はどこか行きたいところはあるのか?」

 

 そんなアティの気持ちを知ってか知らでかバージルは、話を聞くだけ聞いて今度はポムニットに尋ねた。

 

「特にはありませんけど……、私もちょっと服とかは見てみたいです」

 

 声を掛けられたポムニットは少し悩んでから答えた。どうしても行きたいところはないのだが、アティの話を聞いて彼女も興味が沸いたらしい。

 

「先にそっちに行くとしよう」

 

「それでも構いませんけど、ソバを食べてからでもいいと思います。もしかしたら結構見るのも時間がかかるかもしれませんし」

 

 服を見るのが一件だけならバージルの言うように、先に行ってもいいが、複数の店を回るとなると間違いなく時間が足りなくなる。一度ソバを食べてから戻ると言う手もあるのだが、それよりも先にソバを食べてからの方が無駄な移動がなく効率的だと思ったのだ。

 

「……そうするか。ただ、ここを出るのは少し遅くなるが」

 

 アティの提案を聞いたバージルが少し考えるような素振りを見せてから答えた。バージルが行こうと思っていた店の営業時間は午前十一時からだ。とはいえ、営業開始時間ちょうどに着く必要はないため、ここを出るのは十一時頃で問題ないだろう。

 

「それならもう少しゆっくりできますね」

 

 ポムニットが微笑んだ。まだ朝食を食べ終えたばかりとはいえ、時間は既に八時を回っている。もっと早い時間に出発することになったら少し慌ただしくなっていたことだろう。男よりも色々と準備に時間が必要な女性にとってはありがたいことだった。

 

「ああ」

 

「もう一度お風呂に入っちゃおうかなぁ……」

 

 バージルが頷く横で時計を見たアティが呟いた。いくら空調が効いていたとはいえ、昨夜は熱かった。風呂も昨日部屋のものに入ったきりだったので、時間があるのならもう一度入って汗を流そうかと思ったのだ。

 

「私も入ろうかな……。あ、せっかくですし、バージルさんも入りませんか?」

 

 条件はポムニットもバージルも同じだ。なら昨日と同じように三人で入ることになんら問題はない。

 

「まあ、いいだろう」

 

 バージルとしても

 

「じゃあ、決まりですね、早速入りましょう!」

 

 自身の呟きが思いがけぬことに発展したアティが嬉しそうに両手を顔の前で合わせる。

 

 そして三人は準備をして風呂場の方に向かっていった。

 

 

 

 

 

 旅館を出てタクシーで十五分ほど走ると、目的のソバ屋に着いた。市街地から離れた場所に位置するその店は、外観は一般的な平屋建ての飲食店だった。しかし、中は暖簾をくぐるとすぐ玄関となっており、内装は実質的に全面畳張りだった。

 

 そして店に入った三人は、ちょうど席が空いていたようですぐに案内された。

 

「どれを注文するんですか?」

 

 案内されたのは窓際の席に座ったポムニットはバージルにメニューを渡しながら尋ねた。ここは彼の希望で来た店であるため、彼女はバージルと同じ物を注文しようと思ったのである。

 

「……天ざるにするか」

 

 バージルは受け取ったメニューに一通り目を通して答えた。写真を見る限り、竹にざるに盛られたソバに天ぷらが添えられた料理であり、その他には以前聖王都で食べたような天ぷらソバもあったが、この店のおすすめはざるソバのようだったため、天ざるにしたのである。

 

「じゃあ、私もそれで」

 

「う~ん、どれにしよう……」

 

 ポムニットは悩まずすぐに決めたが、アティはバージルから渡されたメニューを見て唸っていた。写真もついているとどれもおいしそうに見え、目移りしてしまうようだった。

 

「それじゃあ……私も天ざるで」

 

 しばらく一分ほど迷っていたアティだったが、結局二人と同じ物に決めたようだ。

 

 そしてバージルがそれを注文すると、ポムニットは出されたそば茶を飲みながら言う。

 

「それにしてもよかったですね。並ばずに入れて」

 

 他のテーブルはどこも客で埋まっていたため、運が良かったと言えるだろう。

 

「ああ。……だが、出されるのは遅いかもしれんな」

 

 バージルはポムニットと同じようにそば茶を飲み、一般的な煎茶とは違う味と香りを感じながら答えると、アティが首を傾げた。

 

「え? どうしてですか?」

 

「他の客がまだ何も食べてない。注文した順に料理が来るとすれば、こちらは最後になるからな」

 

 現在の時刻から言ってもおそらくタイミング的にバージル達は開店当初に入った客の後、二巡目に店に入ったのだろう。当然その中で最後に入ったのだから、料理が来るのも最後と考えるのは当然のことだった。

 

「まあ、時間に余裕はありますから、ゆっくり待ちましょう」

 

 この後はショッピングモールに行く予定となっているが、厳密にスケジュールが組まれているわけではない。時間まで決まっているのは夜の花火大会くらいであるため、ここで多少時間を取られてもほぼ影響はなかった。

 

「それにしてもいつの間にお店なんか調べていたんですか?」

 

 尋ねたアティの知る限り、バージルがこちらの世界のことを調べていたという素振りは見せなかったのだ。

 

「旅館の予約を取らせるついでに調べさせただけだ」

 

「ああ、なるほど……」

 

 バージルの言葉を聞いたポムニットは心の中でハヤトにご愁傷様と手を合わせた。今回に関しては打ち合わせの段階からアティとポムニットは一切関わっていないため、その中でハヤトにソバ屋まで調べるように頼んでいたのであれば、知らなくて当然だったのだ。

 

 もっとも一番大変だったのは、いくら頼まれたとはいえ半ば幹事的な役割を果たすことになったハヤトに違いないだろう。ポムニットはそんな彼に何かお土産を買ってあげようと心に決めたのだった。

 

「あ、そういえばダンテさんにはいつ頃会いに行くんですか?」

 

 そのまま二十分ほど待っているとアティが思い出したように声を上げた。以前にダンテと会ってから十日が経とうとしている。その際バージルは弟にフォースエッジとアミュレットを渡すか否か考える時間を与えたのだ。とはいえ、どうせあのダンテのことだからまともに考えたかは怪しいところだが。

 

「間もなくだ。城に戻り次第回収に向かう」

 

 既にダンテには十分すぎる程の時間を与えた。その結果、渡さないという結論に至ったのであれば、バージルは実力をもって両親の形見を奪い取ることになるだろう。魔剣スパーダこそ彼の計画の鍵である以上、いかなる手段をもってしても手中に収めなければならないのだ。

 

「ってことはもうすぐここを離れるってことですよね」

 

 そんなバージルの決意を知らずポムニットは名残惜しそうに呟いた。彼女は多くの時をラウスブルグで過ごしていたが、それでもダンテに会いに行った時や今回のことを通じてリィンバウムとは異なる文化に触れることとなった。そのため、できるならもっとこの世界で過ごしてみたいと思っているのだろう。

 

「そうだ。次があるとしても、そうすぐには来れまい」

 

 バージルは言外に心残りのないようにしろとの意味も込めて言った。一応、ラウスブルグさえ健在ならいつでも来ることができるが、バージルの計画もあるため、戻ってしまえばそう簡単にリィンバウムを離れることが難しくなってしまうのだ。

 

 単純に考えて、再び人間界を訪れることができるのは魔界とのいざこざの決着がついてからになるだろう。

 

 そんな話をしていると、三人分の天ざるが到着した。

 

 竹で編みこまれたざるに盛られた細いソバに、海老やきすなど魚介系の天ぷら二種と、なすやかぼちゃなど旬のものも含めた野菜やきのこ類の天ぷら五種類が盛られた皿が添えられている。

 

 三人は話をそこで切り上げると、早速ソバをつけ汁につけて食べる。ソバ特有の香りが鼻を刺激すると同時に、飲み込んだソバがつるりとのどを通り過ぎる。つけ汁は聖王都で食べた天ぷらソバのかけつゆよりも色も味も濃いが、それで香りを台無しにすることはなく、むしろ一体となってソバの味を高めているかのようだった。

 

 次いで皿に盛りつけられたなすの天ぷらを取る。つけ汁につけて食べることもできるが、天ぷらには抹茶塩も付けられていたため、それを少しつけて食べた。

 

「ほう……」

 

 思わず感嘆の声がバージルの口を衝いた。さくさくとした衣に続き、油を吸ってジューシーな食感が感じられる。そして抹茶塩もなすのあっさりとした味を引き立てていた。旬のものとはいえ、想像以上に美味だった。

 

 天ぷらのタネと言えばやはり海老のイメージが強く、野菜の天ぷらは侮っていたのが正直なところだが、このなすの天ぷらを食べて、これまでの認識を変える必要があるだろう。

 

 さらにこってりとした天ぷらはあっさりしたソバと相性が良く、ソバを食べては天ぷらに、天ぷらを食べてはソバに箸が伸びた。

 

 結局三人は、そのまま食べ終わりまであまり会話もせずに食べたのだった。

 

 そして目的を果たせたバージルは満足げに店を出ることになったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 




次回は6月15日か16日に投稿を予定しています。

ご意見ご感想等お待ちしております。

ありがとうございました。


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第110話 那岐宮旅情記 後編

 早めの昼食を取ったバージル達三人は再びタクシーで移動しショッピングモールに向かった。アティとポムニットの希望通り、ここで服飾品を見て回るのである。

 

 一応、このショッピングモールには昨日に引き続きネロ達も来ているはずだが、この広さや人の多さでは偶然出会うことには期待できないだろう。

 

(なぜ俺がこんなところに……)

 

 そんなショッピングモールの中、バージルは胸中で大きなため息を漏らしながら呟いた。顔こそいつも通り無表情ではあるが、その裏では憮然たる面持ちが隠れていたのである。

 

 なにしろ彼は今、ランジェリーショップにいたのだから。

 

 このショッピングモールに来たバージル達三人は、最初の方こそ普通のアパレルショップで服を見ていた。そしてその中のいくつかは購入もしたアティとポムニットだったが、次に彼女達が行ってみたいと指し示した店がこのランジェリーショップだったのである。

 

 日本人から見てバージルは外国人に見える上に、女性向けの商品しかない店に入ったのだから、他の客や店員あたりからは当然奇異の目で見られたのだった。さすがにこれでは居心地が悪く感じるのも仕方のないことだろう。

 

(悪魔なら即座に斬り捨ててやるものを……)

 

 バージルがそんな物騒なことを考えているとアティとポムニットが何やらいくつかの下着を手にしてやってきた。

 

「バージルさんはどっちがいいと思います?」

 

 そう言ったアティが見せたのは白と黒の上下セットだ。両方ともレースがあしらわれているところを見ると、彼女は色で悩んでいるらしい。

 

「……白だな」

 

 若干の思考の後、バージルは短く色を答えた。単純な色の良し悪しでいえば黒の好むのだが、アティが身に着けるものとして見るなら白の方が好ましいと思えたのだ。

 

「じゃあこっちにしますね。……ほらポムニットちゃんも聞いてみよう?」

 

 バージルの答えに満足気に頷いたアティは、後ろにいて恥ずかしそうにしているポムニットの背を押すと、彼女は意を決して両手に持った下着をバージルに突き出して尋ねた。

 

「あ、あの、私にはどっちが似合うと思いますか?」

 

 彼女が選んだのは一つがピンクのレースのもので、もう一つが彼女の髪と同じ紫のものであった。ただどちらもアティのものより露出が多めで攻めていると表現して言いものだった。

 

「……こっちだな」

 

「む、紫の方ですね。わ、わかりました、こっちにします」

 

 バージルが指し示した方を確認したポムニットが改めてその下着を見て答えた。我ながら随分大胆なものを選んだと思いながらも、選ばれてしまった以上、今更やめたとは言えなかった。

 

「後はサイズですね。ここも試着できるみたいですから着てみましょうか」

 

 アティもポムニットも自分のサイズなど計ったことはないが、ものを見て自分に合うかある程度目星はつけることはできる。そのため二、三種類のサイズを試着してみればどのサイズを買えばいいか分かるだろう。この店に限ったことではないが、試着できるのは彼女達にとってもとてもありがたいことだった。

 

「あ、先生からどうぞ」

 

 二つほどサイズ違いのものを見繕って来たポムニットが試着室の前でアティに促した。店内の試着室は分散されて配置されているが、他の所は使われていたためここに来たのだが、あいにく一つしかなかったためポムニットは後に回ることにしたのだ。

 

「うん、それじゃあ先に使わせてもらうね」

 

 アティとしても誘ったのは自分だからポムニットから先に使ってもらってよかったのだが、ここでそれを言ってもお互い譲らないことは目に見えていたため、大人しく彼女の好意を受けることにした。

 

 そうしてアティが試着室に入るのを若干羨望が入った眼差しで見ながらポムニットは溜息を吐いた。

 

(まさか、ここまで差があったなんて……)

 

 アティと一緒に下着を選んだおかげで、サイズの差の明暗がついたのだ。これまでも見た目でアティの方が大きいことは分かっていたが、やはり文字としてはっきり差をつけられると悔しくもあった。とはいえ、ポムニットが小さいわけではない。サイズでいえば平均的と言える。ただアティが大きいだけなのだ。というより、昔よりも大きくなったのではないかとさえ思える。

 

「どうした?」

 

「い、いえ、何でもありません」

 

 溜息を吐いたのが気になったらしいバージルが声をかけてくるが、まさか「胸の大きさを気にしているんです!」とは言えないため、顔を背けて首を振った。だがその瞬間、気になる疑問が湧いたので思い切って聞いてみることにした。

 

「あの、もしかして揉んだりすると大きくなったりします?」

 

 どこかで揉めば大きくなるという話を聞いたことがあるが、実際にそれで大きくなった人とは会ったことはない。しかしもし、アティがそうだとすると自分にもチャンスがあるとポムニットは思ったようだ。

 

「……知らん。そうなっていても俺にその意図はない」

 

 バージルの目から見るとアティは少しばかり大きくなったように見えなくもなかった。だが、結果としてそうなる一助を果たしていたかもしれないが、断じてバージルは大きくしようと思ったわけではなかった。

 

「ええ、わかりました」

 

 素直に返事をしつつもポムニットは心中でガッツポーズをとった。バージルが意図的にやったかどうかはともかく、言外にアティが大きくなったことは認めたのだ。

 

「あのー、バージルさん。ちょっといいですか?」

 

 ポムニットが満足したところで、アティが試着室のカーテンの間から顔だけを出してバージルを呼んだ。

 

「何だ?」

 

「一応着てみたんですけど、似合ってるか見てもらえませんか?」

 

「は?」

 

 いきなり何を言い出すのかとバージルが呆れたように声を上げるのと、同時にポムニットが口を開いた。

 

「先生、それはまずいんじゃ……」

 

「いいじゃないですか? バージルさんはいずれ見るでしょうし」

 

「あの、そういうこと言うのはちょっと……」

 

 恥ずかしげもなくそう言うアティにポムニットが周りの視線を気にしながら言った。

 

「え? ……っ!?」

 

 教え子にそう言われて自分の言ったことを顧みたアティが、その意味を一瞬で理解して顔を紅潮させた。あれではまるで()()()()()()だと宣言しているようなものだった。

 

「…………」

 

 焦るアティを尻目にバージルはあくまで沈黙を貫いた。沈黙は金、雄弁は銀という言葉があるようにここは何も言わないことが最善の選択だと思っているようだ。

 

 ちなみに彼にとってはどんな下着を着けようと重要なのは中身のほうだった。中身は金、下着は銀なのである。

 

 幸いにして試着室の周囲に人はいなかったため、特段の注目を集めることはなかったが、それでもアティの顔はしばらく赤いままだったのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

「疲れたー」

 

 フェアが背もたれに寄りかかりながら声を上げた。

 

 彼女達が今いるのはフードコートである。午前中から買い物してきてある程度区切りがついたので、ここで切り上げるのか考えることを含めて、一度休憩することにしたのだ。

 

 時刻は午後三時を回ったあたりだが、テーブルは結構埋まっていたため彼女達が座ったのは飲食店から離れた窓際の席だった。

 

「よくもまあ、これだけ買ったもんだ。呆れるよ」

 

 ネロをフェア達が買った荷物を見ながら苦笑した。端の席なのをいいことにテーブルの脇に彼女達が買った物が置かれていたのだ。その量はネロが両手で持っても足りない程だ。おかげでネロは包帯の代わりに長袖のシャツを着てまで荷物を運ぶ羽目になったのだ。ショッピングモールの中は冷房が効いているため、長袖を着てもたいして暑くなかったことが幸いだった。

 

「これが最後だと思うとあれもこれもって思っちゃって。それにみんなにもお土産を買って帰りたかったし」

 

 彼女が今回人間界にまで来ることができたのは、ラウスブルグの舵取り役という他の者には担えないことをできたからだ。だが、次の機会に彼女が呼ばれるとは限らない。今回の旅路でノウハウを得たことでエニシアとバージルだけで十分と判断される可能性は十分あるのだ。

 

 だからフェアは普段の彼女らしくなく色々と買ってしまったのだろう。

 

「気持ちは分かるけどよ、次になんか買うならお前が持てよ。俺はもう持てないからな」

 

 ネロはフェアに理解を示しつつも現状を説明した。袋がぱんぱんの状態であるため、これ以上は袋の中に荷物を入れることはできないし、現時点で両手に袋を持っているため、さらにもう一つ持つと言うのも難しかった。

 

「私はもう買うものはないから大丈夫だよ」

 

「後はあいつら次第か……」

 

 フェアの言葉を聞いて、キリエ達三人のことを思い浮かべた。彼女達は今コート内にある店に飲み物を買いに行っているのだ。逆にテーブルに残っているネロ達二人は荷物番なのだ。

 

「ミルリーフは興味があるだけだし、エニシアも結構買ってたし、たぶん大丈夫じゃない?」

 

「ならいいけどよ」

 

 ネロはそう言って言葉を切ったが、買い物を切り上げたとて、それを旅館まで持っていく必要があるのだ。少なくとももうひと頑張りは必要だろう。

 

「今日って一旦旅館に集まってから出かけるんだよね?」

 

「ああ。ハヤトの奴が迎えに来るんだとよ。とはいえ、帰ってすぐまだ出かけるより、少し休んだ方がいいと思うけどな」

 

 花火大会自体は午後七時半開始だが、例年かなり混むらしく、また夕食はそこの屋台で取るつもりでいたため、午後五時には旅館に集合し出かける予定だったのである。そのためまだ時間はあるものの、ネロとしては少し休んでから出かけたいと言うのが本音らしい。

 

「お待たせ。ネロはアイスコーヒーでよかったわよね?」

 

 そうこうしているとキリエとエニシアが両手に飲み物を持って戻ってきた。横にいるミルリーフは既に飲み始めているようだ。

 

「ああ、なんでもいいよ」

 

 キリエから渡されたアイスコーヒーを受け取って一口飲む。砂糖もミルクも入っていないブラックのようだ。もっともネロは言葉通り飲み物の好き嫌いはないため、コーヒーでも紅茶でもジュースでも文句はなかった。とはいえ、さすがにホットドリンクを買って来ていたら皮肉の一つでも言っていたかもしれないが。

 

「はいフェアさん、ミルリーフちゃんと同じアイスココアにしました」

 

 ネロとフェアの飲み物については事前に何も聞いていなかったため、エニシアとキリエが選んだのだ。ネロの分は付き合いが長いキリエがいるから問題はないにしても、フェアの好みは分からなかったため、とりあえずミルリーフと同じ物にしたのだった。

 

「ありがと。ちなみにエニシアはなに飲んでるの?」

 

「わ、私もアイスコーヒーにしました。砂糖とミルクを入れて」

 

「へー、そういうの好きだったんだ」

 

 フェアが感心したように頷いた。エニシアが炭酸系が好きではないことは知っていたが、コーヒーが好みだとは知らなかったのである。

 

「えっと、お、お兄ちゃんが飲んでいたので……」

 

 今朝はその苦さからギブアップしたエニシアだったが、もう一度リベンジという意味も込めてアイスコーヒーを選んだらしい。もっとも、砂糖もミルクも二つずつ使いだいぶ苦さを緩和させているのが真実だったが。

 

「ふーん、お兄ちゃんねぇ……」

 

 エニシアがネロのことをそう呼ぶようになったのは今朝からだ。昨日まではただ単に「ネロさん」と呼んでいたのだから、今朝二人で飲み物を買いに行った時に何かあったことは想像に難くない。

 

 キリエは恋人のネロに懐いているエニシアを微笑ましく思っているようだが、どうにもフェアは面白くない様子である。それが、兄を取られた妹のような嫉妬なのか、あるいは別の何かか。それはフェア本人も自覚できていなかった。

 

「……で、これからまだ買いたい物はあるのか? ないなら一度戻ろうかとフェアと話していたんだが」

 

 アイスコーヒーを半分ほど飲み干したネロが飲み物を買いに行っていた三人に尋ねる。

 

「ミルリーフも一度帰りたいなー」

 

「私も欲しいものはもうありませんし、戻っても大丈夫です」

 

 ミルリーフとエニシア、二人の言葉を聞いたキリエもそれに賛成するように口を開いた。

 

「みんなもこう言ってるし、一度戻りましょう」

 

「よし。ならそうするか」

 

 先ほどフェアと話していた通りの展開になって満足げに頷いた。荷物持ちとしての役目は体力的にはそれほどではなくとも、やはり疲労は溜まっていたらしい。

 

「でも、これぐらいゆっくり飲ませてよ」

 

「分かってるよ。俺だってまだ結構残ってるしな」

 

 半分ほどのアイスコーヒーが入ったグラスを振りながら答える。キリエ達は荷物運びで疲れているだろうネロを慮ってLサイズのものを買ってきたらしく、半分でもまだ意外と残っていた。

 

「しかし、お前ら良かったのか? せっかく来たのに買い物ばっかりで」

 

 二口ほど飲んだアイスコーヒーのグラスを置いてネロが尋ねた。キリエはともかく、次はそう簡単に来ることはできないことはフェアやエニシアにも分かっているだろうに、二日も買い物に費やしてよかったのか思ったのだ。

 

「確かにそうですけど、それでもお土産をいっぱい買っていきたいんです。みんなはお城で待っているだけですから」

 

 エニシアは先のフォルトゥナと今回の那岐宮市で二回外出することができたが、レンドラーやゲック達は一度も外出できていない。ラウスブルグは少し前までメイトルパ出身の召喚獣が住んでいた場所もあり、相当な広さを持つため窮屈さは感じないだろうが、それでもやはり自分ばかり外出できていることにエニシアはどこか負い目を感じていたのだ。

 

 そしてそれはフェアも同じだった。

 

「それに観光はネロの国で十分したからね。だから今度は御使いのみんなに何か買って行ってあげようかなって」

 

 彼女としてはネロの故郷を見れただけでも十分満足だった。だから今回は自分のためではなく、仲間のためにお土産を買うことに主眼を置いたのである。

 

「みんなにはミルリーフも買ったよ!」

 

 アイスココアのひげを鼻の下に作ったミルリーフが声を上げる。確かに色々と買っており、それをみんなに配るつもりなのだろうが、どうにも食べ物、それも甘いお菓子が中心であるため、彼女の趣味が反映されていることは否めないだろう。もっともそれでもリビエルあたりは嬉々として受け取るだろうが。

 

「お前らが納得してるならそれでいいけどよ」

 

 おかげで荷物が大変になったことは否定できないが、人間界で生まれ育ったネロはどちらかと言えばホスト側なのだ。いつまでも気にしているわけにもいかない。そう納得してネロは残りのアイスコーヒーを一息に飲み干した。

 

 

 

 

 

 それから数時間が経ち、旅館でハヤトとクラレットと合流したバージルとネロ達は花火大会が開催される河川敷まで来ていた。まだ始まるまで九十分以上はあるものの、既に場所取りをしている者や立ち並んでいる出店で飲み食いして者も大勢いた。

 

「おいおい随分混んでるな。これで花火なんて見れるのかよ……」

 

「さすがにこのあたりで見るならもっと前から場所を取らなきゃいけないけど、いい場所知ってるからさ。ここから少し距離はあるけど」

 

 あまりの人の多さに既にぐったりしているネロにハヤトが答えた。ハヤトもリィンバウムに召喚される前は友人達と花火大会は見に来ていたため、穴場となるような場所は知っていたのだ。もっとも、そこはさすがに今多くの者が場所取りしているような特等席ではない上に、出店も出ていない所なのだが、それゆえそこで花火を見る者は少ないという穴場なのだ。

 

「ああ、それならいいな」

 

 あからさまにほっとした様子でネロは頷いていると、その近くで周りを見ていたフェアが声をかけてきた。

 

「意外とこういうの着てる男の人って少ないんだね」

 

 フェア自分が着ている浴衣を見ながら言った。周囲を見れば、浴衣を着ている女性はちらほらと視界に入るくらいの人数はいるものの、男性の場合は意識して探さないと見つからないくらいには少なかった。実際、フェア達の方も女性陣はみんな浴衣を着ているのに対して、男性陣はバージルを除いたネロとハヤトは普段着を着ているため、男女の浴衣を着ているものの差はあながちおかしくはないのかもしれない。

 

「だろうな。俺も着ようとは思わなかったし。旅館でも女物の方が多かったから、そんなもんだろ」

 

 フェア達女性陣が着ている浴衣は宿泊している旅館がレンタルしているものだ。それには色々なデザインの浴衣があったが、それでもやはり女性用のものが多いことからレンタルするのは女性の方が多いということだろう。ちなみにクラレットだけは旅館でレンタルしたものではなく、ハヤトの実家から借りたものだった。

 

「私も初めは男の人は着ないものなのかと思っていました」

 

「確かになあ。うちの親もクラレットには着せたけど、俺にはなんにも言わなかったし」

 

 クラレットの言葉でハヤトが少し前のことを思い出して言った。彼の母親は嬉々としてクラレットに浴衣を着せていたが、自分には何にも言わなかったし、自身もそのことになんの疑問も抱かなかったのだ。確か小学校の低学年くらいまでは浴衣を着てこの花火大会に来ていた記憶があるのだが、いつからか私服で来ることが当たり前になっていたのだ。

 

 そんな話をしているとミルリーフがネロの袖を引っ張った。

 

「ねー、ママ、ミルリーフあれ食べたい!」

 

 ミルリーフが指し示したのは少し離れたところで親と手を繋いだ少女が食べているわたあめだった。

 

「いいけど……この中からあれが売ってる店を探すのかぁ……」

 

「確か少し前にあったと思いますけど……」

 

 何十軒もある屋台の中からお目当てのものを探すのは苦労しそうだと呟いたフェアにクラレットが声をかけた。

 

「ありがとう、行ってみるよ。……あ、そうだ、エニシアも行ってみる? ああいうの好きでしょ?」

 

 クラレットに礼を言ったフェアは後ろでキリエと話をしていたエニシアに声をかけた。彼女がああいう好奇心を刺激されるものに弱いということは、この数日の付き合いでよく分かっていた。

 

「あ、えっと……」

 

「気になるんでしょ? 行って来たらどう?」

 

「は、はい、それじゃあ行ってきます!」

 

 わたあめは気になるが、かといって勝手に話を打ち切るのも悪い気がしたエニシアは言葉を濁したが、その心の内を察したキリエに背を押され、フェアと一緒に行くことにしたようだ。この様子を見ると、彼女にとってネロが兄ならキリエは姉といえるかもしれない。

 

「さて、こっちもなんか食べるか?」

 

 三人で連れ立って歩いていく様子を見ながらネロがキリエに尋ねた。今は夕食も兼ねて屋台を見て回っているのだ。今のところネロ達とハヤト達は色々眺めてはいるものの、まだ何も食べてはいなかった。

 

 しかし逆にバージル達三人は屋台を見始めて早々にどこかの屋台に向かったのだ。集合時間と場所は決めてあるため、実質的に今の時間は自由行動と言って差し支えないだろう。

 

「そうね。気になるのはいくつかあったからそこに行きましょう」

 

「ああ。……そういうわけで俺達もここで。また後でな」

 

 キリエの提案に頷いたネロはハヤト達に一言伝えると、二人で先ほど来た道を戻って行った。

 

「クラレット、俺達はどうする? とりあえず一通り見てから決めるか?」

 

「ええ、そうしましょう。まだ時間はありますから」

 

 残されたハヤトがそう提案するとクラレットは頷いた。そうして二人は手を繋いで歩いて行く。バージルやネロ達知り合いがいる前では恥ずかしさから遠慮していたが、本来の二人はこうして当たり前の関係なのである。

 

 

 

 

 

 一方、最初のあたりで他の者と別れたバージル達三人は既に何件もの出店で買い物をしていた。だが、バージル自身は何も選んで買っていなかった。

 

「はい、バージルさんもどうぞ」

 

「あ、こっちもおいしいですよ」

 

 なにしろアティとポムニットが買ったそばから分けてくるのだから、自分の分など買う必要がなかったのである。どうも二人はいろいろなものを食べてみたいらしく、お互いにも自分の選んだものを分けていたのだった。

 

「これで結構食べましたよね。今度は甘い物にします?」

 

「そうだな、あのあたりがいいだろう」

 

 アティに尋ねられたバージルが一も二もなく肯定する。今しがた二人に食べさせられたものはたこ焼きとお好み焼きだ。味こそ多少違うとはいえどちらも小麦粉を主とした食べ物である上、かけられている調味料も同じくソースとマヨネーズであるため、正直こうしたものには飽きていたのだ。

 

「あのお店ですね。じゃあ私はあっちに行きますから、先生はもう一つの方お願いします」

 

「うん、わかった」

 

 バージルが選んだのは隣り合って並んでいたクレープとベビーカステラの屋台だった。生クリームやフルーツを使うクレープはともかく、ベビーカステラの主たる材料はたこ焼きやお好み焼きと同じく小麦粉なのだが、甘い物であるなら話は別らしい。

 

 二人がそれぞれの屋台に買いに行っている間、バージルは食べる際に出たごみをすぐ近くのごみ捨て場に捨てに行った。

 

 そうして戻ってみると、ちょうどアティがベビーカステラを買ってきたところだった。そして彼女は袋に入ったベビーカステラを一つ手に取るとバージルの口元に持っていきながら楽しそうに言う。

 

「はい、あーん」

 

「…………」

 

 バージルはたじろぎもせず無言でベビーカステラを頬張る。アティにこのようにされたのは初めてではなかった。最初の方で食べたフランクフルトやフライドポテトも、アティはこうして口元まで持って来て食べさせたのである。さすがに今のようにベタな言葉は言わなかったが。

 

 周囲に随分と甘い空気を放っていると、そこへポムニットがクレープを持ってきた。しかし、視線はバージルとアティの方ではなく、屋台の並びの奥の方に向かっていた。

 

「あれ? もしかしてあれってフェアちゃんかな?」

 

 その言葉で二人がポムニットの視線の先に目を向けると、どうやらダーツの屋台で遊んでいるようだ。しかし狙いが外れたのか上を仰ぎ見て悔しがっていた。

 

「そうみたいですね。悔しがっているみたいですし、行ってみましょうか」

 

 アティの言葉に従って、三人がその屋台の近くまで行ってみると、フェアが一人ではなくミルリーフとエニシアも一緒にいるようだ。これ幸いとポムニットはエニシアに話しかけた。

 

「フェアちゃん、随分熱中してるみたいだね」

 

「あ、はい。ミルリーフちゃんが欲しいものがあったみたいで……」

 

「ああ、なるほど。それを取るために……」

 

 エニシアの話を聞いてアティが納得したように頷いた。そうこうしているうちにフェアは「もう一回!」と言ってお金と引き換えにダーツを受け取っており、ミルリーフはそんな彼女を「がんばって!」と応援していた。

 

「どれを狙っているのかは知らんが、あれでは狙ったところに投げられるとは思えんな」

 

 バージルはヒートアップしつつあるフェアを見て呆れたように言った。ダーツ自体は一般的な丸い的に当てるものではなく、手製のボードに商品の等級を表す数字を的にして狙うもののようだ。投げる場所とボードの距離は二メートルもなく、五等や四等といった等級の低いものならさほど労せずに当てられるだろうが、反面は一等や二等は非常に小さく当てるのは困難と言えた。

 

「バージルさん、手伝ってあげたらどうですか?」

 

「そうですよ、可愛い孫のためにぜひ取ってあげてください」

 

「……仕方ないか」

 

 アティとポムニットにそう言われたバージルは大きく溜息をつくと、既に残りのダーツは一本となっていたフェアに声をかけた。

 

「代われ、俺がやる」

 

「あ、あと一本残ってるから!」

 

「無駄だ、今のお前ではいつまでやっても当てられん。そもそも誰の金を無駄遣いしていると思っている」

 

 正論を言われたフェアは渋々、残った一本をバージルに渡した。

 

「で、どれに当てればいい? 欲しいものがあるんだろう」

 

「二番のやつ。でも結構小さいからそう簡単には……」

 

 バージルはフェアから狙いの番号だけ聞くと、言葉を最後まで聞かずにダーツを放った。まるで虫を払うようなやる気のなく、手首の力だけで放たれたダーツは寸分たがわず「2」が書かれた的に命中した。

 

「おじいちゃんすごーい!」

 

(忘れてた。この人、ネロの父親だった……)

 

 ミルリーフが感嘆の声を上げる一方で、フェアは呆然と口を大きく開けつつ胸中で呟いた。ネロの父親であれば今の芸当くらい朝飯前であることは容易に想像できるのだが、逆を言えばそれすらも失念するほど、今までのフェアは冷静ではなかったとも言える。

 

 一方、目的を果たしたバージルはミルリーフが二等のぬいぐるみを貰ったのを確認すると、その場を後にしてアティとポムニットとともに次の店に向かって行った。

 

 

 

 それから少しして先にアティ達が買ってきたベビーカステラやクレープを食べ終えた三人は、少し早かったが、先に待ち合わせの場所で待つことにした。そこからは河川敷に並んだたくさんの屋台が一望できる場所でもあった。

 

「だいぶ暗くなったね」

 

「はい。でも、お客さんはずっと多くなってます。あっちのほうなんかすごいですよ」

 

 まだ薄明かりは残っているものの、ここに到着したときに比べると周囲はだいぶ暗くなっており、その分提灯の明かりが目立つようになってきていた。そして暗さが濃くなることに比例するように、出店が集まっている場所から少し歩いたところにある河川敷の方では、少しでもいい場所で花火を見ようともうおかなりの数の人が集まっており、イベントスタッフや警備員が客の誘導に追われていた。

 

「あれ、三人とも早いなあ。俺達も早めに来たつもりだったのに」

 

 そこへクラレットを連れたハヤトが階段を昇りながらやってきた。二人は案内役という務めもあるためか少し早めに来たつもりだったので、バージル達がいたことに少し驚いたようだ。

 

「一通りは見た。それに人も増えてきたからな」

 

「確かに俺が来てた頃より、一割二割は増えてるなあ」

 

 バージルが言葉を受けてハヤトが言う。数年前、まだハヤトが高校生だった頃も大勢の人が見に来ていたが、今はそれに加え外国人の観光客が増えているように見えた。

 

「このお祭りって結構有名なんですか?」

 

「どうだろう? この近くじゃ有名だと思うけど、もっと大きいところはあるからなあ」

 

 クラレットの疑問にハヤトは首を傾げながらも答えた。この那岐宮市の祭りはこの地域の中では最大規模になるが、国全体を対象にすると同程度やそれ以上の規模の祭りを開催しているところは少なくなかった。

 

「すごいですね、これ以上のお祭りがあるんですか」

 

「そもそもこちらと向こうでは人口も文化も違う。単純に比較しても意味はない」

 

 感嘆したように言ったポムニットにバージルが答える。各種交通手段が発達しており、リィンバウムに比べ自由な往来な可能な人間界では、こうして祭りを見に来やすいのだ。また、那岐宮市がある日本だけでもそれほど大きくない国土面積に一億を超える人口を有しているのだ。人の集まりやすさという面では相当に優れていると言えるだろう。

 

「お祭り自体はどっちのも楽しいものだよ」

 

 人間界とリィンバウム、どちらの祭りも見たことがあるハヤトが言う。その時、ネロがフェア達と一緒にこちらに来るのに気付いた。どうやら彼らは途中で合流して来たらしい。

 

「おじいちゃん、さっきはありがとう! 大切にするね!」

 

 ミルリーフは来て早々、バージルにぺこりと頭を下げた。手にはこの国の子供向けアニメの主人公のものらしいぬいぐるみが抱えられていた。それが彼女が欲しかったもののようだ。

 

「ああ。……しかし、ネロ。その手の袋はなんだ?」

 

 ミルリーフの言葉に頷いたバージルは次にネロの左手に下げられた大きなビニール袋について尋ねた。ビニール越しにうっすら見えるパッケージからしてお菓子らしかった。

 

「ああ、これか。射的で取ったんだよ」

 

「ネロったら調子に乗って食べきれないくらい取るんだから」

 

 ネロはちょっとした好奇心で射的をやってみたのだが、これが面白いように景品を当ててしまい、これだけの量になってしまったのだ。本人はさほど気にしていないようだが、キリエは「Too easy!」と調子に乗って食べきれない量のお菓子をとったネロに呆れ気味だった。

 

「いいじゃねえか、全部食べ物なんだからみんなで食えば」

 

 射的の景品は箱に入ったお菓子も少なくなかったが、おもちゃの類も多かった。たださすがにそういったものは処分に困るだろうと思ったネロは、お菓子などの食べられるもの狙ったのだった。

 

「まあまあ、その辺にして、全員揃ったんだから少し早いけど出発しようぜ」

 

 そこにハヤトが割って入り、ネロを宥るとみんなを先導するように歩き出した。

 

「ところでどのあたりで見るんですか?」

 

「端を渡った反対側の河川敷のあのあたりだよ。少し歩かなきゃいけないのが難点だけどさ」

 

 クラレットの質問に目的地を指で示しながら答える。

 

 ハヤトがリィンバウムに召喚される前に来た時は自転車を使っていたため、移動時間はそれほどかからなかったのだが、徒歩となるとどうしても時間を要してしまう。おまけに橋まで行くのも数分かかるため、花火を見る場所としての人気はそれほどでもないのだ。

 

 そうして二十分ほど歩いてようやく対岸の河川敷に着いた。こちらは先ほどまでいた方とは違い、観光客ではなく地元の人間が多いように見えた。

 

「ここなら人も来ないし座っても大丈夫だよ」

 

 ハヤトの言葉に従い、一行はそうした人の集まるとこの端の方まで歩いて、河川敷に降りるための階段に腰を下ろすことにした。ここに来てからずっと立ちっぱなしだったため、ここで座ってみることができたのは僥倖だった。

 

「借り物じゃなければ草のところに座ってもよかったんですけどね……」

 

 アティが旅館で借りた浴衣を見ながら言う。階段以外にも植栽された法面に座ることもできたのだが、借り物の浴衣を着ている以上、あまり汚すわけにもいかなかったのだ。

 

「まだもう少し時間があるな。せっかくだし、何か食っとくか」

 

 少しでもお菓子の量を減らそうと思ったのか、中段のあたりに座っていネロはビニール袋に入ったお菓子を適当に配り始めた。

 

「こういうの食べると飲み物ほしくなりそう……」

 

 渡されたスナック菓子を見たフェアが呟くと、ハヤトが十数メートル先にある自動販売機を指差しながら言った。

 

「飲み物だったら、すぐそこに自販機あるからそこを使えばいいんじゃないか」

 

「あ、あんなところにもあるんだ。……それなら食べちゃおうかな」

 

 人通りが少なそうなところにあった自販機に少し驚きながらフェアは頷き、飲み物の心配がなくなったためか、早速ネロからもらった細い棒状の焼き菓子を開けた。

 

「ねーママ、そっちも食べせて。代わりにミルリーフのもあげるから」

 

「ん? いいよ」

 

 そこに隣に座っていたミルリーフがパッケージにコアラが印刷されたお菓子を持ってくると、フェアは迷いなく自分持っているお菓子を差し出し、代わりにミルリーフのお菓子から一つ貰った。

 

 花火が始まるまでの束の間、同じような光景は他の者の間でもあった。もう最初の日のような遠慮やぎこちなさはなくなっていた。

 

「さて、そろそろ始まるよ」

 

 それから少しして、時計を見たハヤトが後ろを振り返って口を開くと、話やお菓子の交換をやめて夜空を仰ぎ見た。

 

 それとほぼ同時に周囲に口笛のような音が響いたと思うと、破裂音とともに空に一際大きな花火が咲いた。

 

「わぁ……」

 

 誰ともなく声をあげる。生まれた世界は違えど、やはり花火を見た時に思い描くのは同じなのだ。

 

 ついで色の違う花火がいくつも同時に空を彩り、長く残る花火が夜空に太陽を描き、さらには空全てを埋め尽くすような量の花火が大地を照らした。

 

 花火はわずかの間に燃え尽き、輝くのは一瞬に過ぎないが、それが組み合わさることでこれほど美しいものなるのだ。人が集まるのも納得といったところだろう。

 

 それからも芸術ともいえる趣向を凝らした花火は続き、誰もが空に目が釘付けだった。

 

 そんな中、階段の一番上に座っていたアティは隣のバージルにこっそり耳打ちした。

 

「みんな夢中になってみているみたいですよ、よかったですね」

 

 今回のことはバージルの提案から始まったものだ。それがこうしてみんなが満足できる結果に終わったことが、アティにとっては自分のことのように嬉しかったのだ。

 

「ああ、そうだな」

 

 そしてバージルもまた、この結果に満足しており、彼女の言葉に大きく頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 




ネロの弟か妹は思ったより早く誕生するかもしれませんね。

次回は6月29日か30日に投稿を予定しています。

ご意見ご感想等お待ちしております。

ありがとうございました。


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第111話 魂を継ぐ者

 那岐宮市から戻ってきた翌日、ハヤトとクラレットはラウスブルグにある一室で向かい合っていた。間に挟んでいる机の上には那岐宮市で起こっている神隠し事件に関する新聞や雑誌の切り抜き、被害者の写真などがところ狭しと並べられている。

 

 これらが那岐宮市にいる間に、二人がかき集めた資料の全てだった。

 

「とりあえず原因のことは分かりましたけど……」

 

 クラレットがそれを一通り眺めてから呟く。いまだ推論の域は出ないとはいえ、神隠しの原因は界の意志(エルゴ)によって人間界から魔力を引き出した影響で、その接続点であると那岐宮市とリィンバウムの繋がりが強くなったことによるもの、というのが彼らの結論だ。

 

 しかし、界の意志(エルゴ)がそれを目的としていたわけではない。いわば魔力を引き出した副作用こそが神隠しの正体だったのだ。それゆえ、そう簡単に解決できることではない。界の意志(エルゴ)も悪魔から世界を守るために魔力を引き出している可能性もあるため、単純にやめさせればいい、という問題でもなかった。

 

 彼女が「とりあえず」と言ったのもこうした理由からだった。

 

「エルゴのことは任せるしかない。こっちは召喚された人達の行方を探すそうと思うんだ」

 

 ハヤトは正面に座るクラレットの言葉に首を振って答えた。ハヤト自身、誓約者(リンカー)として力を託されて以来、界の意志(エルゴ)とは会っていない。だが、バージルは最近も何度か顔を合わせているという話だし、何より当の彼がやる気なのだ。そのため、任せるしかなかったとも言える。

 

「探すとは言っても召喚師は大勢います。何かあてでもあるんですか?」

 

「こっちの世界のことを研究しているような召喚師なら、召喚することも多いと思う。そういう召喚師を当たって行くのはどう?」

 

 ハヤトが自身の考えを伝えた。

 

 リィンバウムの召喚師はそのほぼ全てが得意な属性、つまりは四界いずれかに特化しており、そういった得意分野の召喚術を鍛え、あるいは研究をしていくのが一般的なのである。

 

 しかし、中にはそうした道を外れて「名もなき世界」の研究に取り組む者もいるのだ。そうした者なら一般的な召喚師より名もなき世界の召喚術を使う頻度は高いため、必然的に那岐宮市の人間を召喚する可能性は高くなるだろう。

 

「それでいいと思います。ただ、蒼の派閥や金の派閥よりも、無色の派閥をメインにした方がいいでしょう」

 

 クラレットは基本的にハヤトの考えに賛成のようだが、調査の対象を無色の派閥に絞った方がいいと判断した。

 

 金の派閥は基本的に召喚術を商売のために使うため、金になりやすい召喚獣を好む傾向が強い。逆を言えば研究が進んでいないものを積極的に利用することは少ないということでもあるのだ。

 

 また、蒼の派閥は一部で名もなき世界の研究を行っているのは事実だが、それでもミントやミモザのように専門とする世界の研究を行うものが大勢を占めており、いわば専門外である名もなき世界の研究を行っているのは物好きなごく少数に限られるのだ。

 

 さらに言えば、どちらの派閥にも多少なりとも人脈があるし、バージルも口利きをすることになっているのだ。それゆえ、蒼と金の派閥に対してはわざわざハヤトが探りを入れる必要はないと言える。結果、無色の派閥しか残らないのである。

 

「確かにそうだろうけど……、無色の派閥って最近結構摘発されているんだろ? そんなことができる力があるのか?」

 

 ハヤトは、元は無色の派閥に属していたクラレットのことを考えて、慎重に言葉を選んだ。実際、ハヤトは疑問形で終わらせているが、昨今の無色の派閥の弱体化は著しい。聖王国でも捜査が進んでいるし、帝国ではアズリア将軍が指揮を執った部隊が徹底的な駆逐を進めている。

 

 一度はサイジェントで乱を起こしさえした無色の派閥だが、往時のような勢力はもはや影も形もなかった。

 

「父は派閥全体をまとめていましたが、元々、無色の派閥というのは構成する家々が独自で行動しているものなんです。まだ力を残している家が実験を行っている可能性は十分あると思います」

 

 無色の派閥は総帥や議長といった明確に組織のトップであることを示す役職は存在しない。結成当初はともかく、昨今では基本的に統制された組織ではないのだ。蒼の派閥や金の派閥が指揮統制された会社のようなものだとすると、無色の派閥は無所属の召喚師達による一種の組合のようなものなのである。

 

 だが、そうした組織の形態を変えたのがクラレットの父、オルドレイク・セルボルトだった。大幹部セルボルト家に婿入りした彼は、その類まれな指導力とカリスマ性を発揮し、バージルの襲撃によって弱体化していく派閥を纏め上げ、実質的な派閥の指導者となったのだ。

 

 もっとも、そうして編成したオルドレイクの大軍団もサイジェントの反乱で壊滅し、当のオルドレイクも死亡した。統制された組織としての派閥は、事実上、彼一人で持たせている状態だったため、オルドレイクの死は無色の派閥がかつてのような各自が自由に行動する組織に戻ることを意味していたのだ。

 

「なるほどな。……ところで、オルドレイクがいなくなった後、その、クラレットの元の家はどうなったんだ?」

 

 ハヤトは遠慮気味にセルボルト家のことを尋ねた。

 

「もう向こうには戻っていませんが、恐らく弟が家を継いだことでしょう」

 

「クラレットって姉弟がいたのか」

 

「ええ、弟が二人と妹が一人」

 

 クラレットの言葉を聞いたハヤトは「こっちでも長男が継ぐのか」と頷いた。だが現実はそんなに単純なものではなかった。確かに第一の継承権を持つのはクラレットの実の弟であるキールなのだが、それは長男だからではなく、セルボルト家の血筋を引いているからだった。

 

 確かに先代当主はオルドレイクだが、彼はあくまでその才能をセルボルト家に取り込むための入り婿、第一に家を継ぐ権利を持つのはセルボルト家の人間であり、オルドレイクの妻であるツェリーヌの子なのだ。したがって二人の間に生まれたクラレットとキールは正統な血筋だと言えるが、他の二人はオルドレイクの血は引いていても、セルボルト家の後継者にはなるのは難しいのである。

 

(できれば話し合いで解決できればいいけど……)

 

 もし那岐宮市で起きた神隠しに無色の派閥が関与していたら戦いとなる可能性は低くはない。むしろ無色の派閥のことを知れば知るほど戦いとなる可能性高いと思ってしまうのだ。しかしそれでも、ハヤトは自身の大切な人の弟や妹は戦いたくなかった。

 

「弟も妹も子供の頃から父の教育を受けています。私はあなたやみんなと過ごして間違いに気付けましたが……」

 

 そんなハヤトの心の内を読んだのか、クラレットが口を開いた。彼女の場合はサプレスの魔王を召喚し、その依り代となるよう命じられた時から迷いが生じており、その上ハヤトや仲間と生活したことでようやく変わることができたのだ。

 

 同じ条件であれば、弟や妹もそうなる可能性はあるかもしれないが、無色の派閥を取り巻く環境は日を追うごとに悪化しているし、そのせいもあって先代当主の血を引く者としてのプレッシャーもあるだろう。父が全てを取り仕切っていた頃とは何もかも違い過ぎるのだ。正直なところ、クラレットは話し合いでの解決は半ば諦めているのが現状であった。

 

「そうかもしれないけど、俺は最初から諦めるつもりはないよ」

 

 ハヤトはこればかりは譲れないとはっきりと答えた。話し合いが決裂し、戦いになったことなどこれまで何度もある。それでもハヤトは対話による解決を諦めたことはなかったし、これからもそれを第一に目指していくつもりだったのだ。

 

 それを聞いたクラレットは口元を抑えながら笑った。そんなことを口にできる彼だからこそ、自分はここにいることができる、そんな意味を込めて彼女は言葉を口にした。

 

「ハヤトらしいですね。……でも、あなたならきっとできるって信じてます」

 

「ああ、ありがとう」

 

 自分を信じてくれたクラレットのためにも、己の心に誓ったことを違えないようにする、ハヤトはそんな決意を込めて頷いた。

 

 

 

 

 

 同じ頃、フェアは怒涛の勢いでラウスブルグの厨房で食器棚の掃除をしていた。少し前までは水回りの掃除をしており、後はこの食器棚と床を綺麗にすれば掃除は終わる予定だった。

 

 そこにセイロンとともに偶然通りかかったリビエルがそれに気付くと、フェアの鬼気迫る勢いに内心押されつつも口を開いた。

 

「ず、随分と気合が入ってますわね……。一応、綺麗に使っていたはずですけど、何か不備があったのから」

 

 フェア達が不在にしている間の料理は、残された者で協力しながら作っていたのだ。もちろん料理をした後の片付けや掃除もきちんとしたつもりだったため、どこか不手際でもあったのかと気になったらしい。

 

「そ、そんなことはないけど……」

 

 急に声を掛けられたフェアはばつの悪そうな顔をしながら、首を振った。なにしろリビエルの言う通り厨房は綺麗に使われており、いちいち目くじら立てて掃除するほどのことではなかったのだ。しかしそれでも、こうしてわざわざ掃除していたのには理由があった。

 

(まさか運動代わりなんて言えないし……)

 

 正確に測ったわけではないが、服を着る時に腹回りが少しきつく感じたのである。原因が那岐宮市に行った際の食べ過ぎに原因があるのは明白だった。買い物の際にそれなりに歩いたつもりだったのだが、あまり効果はなかったらしい。

 

「ふむ……まあ、よいではないかリビエル。店主殿もこう言っていることだし、おそらくいろいろと考えがあるのだろう」

 

 少し考えるように顎を触っていたセイロンがリビエルを抑えた。聡い彼のことだから、あるいはフェアの本当の目的に気付いた可能性もあるが、たとえそうだとしても、それを口にする気はないのかもしれない。

 

「確かにそうですわね。あなたの気が済むまでやってくださいな」

 

 その言葉に頷いたリビエルはフェアに声をかけて、そのままセイロンと共に厨房を去って行った。朝食のときに聞いた話では、至竜としてはまだまだ未熟なミルリーフにいろいろと教えるという話だったから、それをしに行ったのだろう。なにしろリィンバウムに戻るときはミルリーフがゲルニカの代わりを務めることになっているため、成功させるために御使いもやる気になっているのだろう。

 

「もう帰るんだなあ……」

 

 そこまで考えたフェアが声を上げた。思いがけずこの世界まで来たフェアだったが、それも間もなく終わる。帝国の小さな宿場町の宿屋の雇われ店長でしかなかった自分がこんな体験をすることになるとは、まさしく奇跡と言ってよかった。

 

 そんなことを考えながら体を動かしていると、今度はアティとポムニットが顔を見せた。

 

「お掃除なら手伝いしましょうか?」

 

「ううん、大丈夫。もうすぐ終わるし」

 

 フェアが雑巾を手に床を拭いているのを見たポムニットが協力を申し出たが、既に掃除は佳境であり、そもそもが運動を兼ねてのことだったため、フェアは断った。だが、一緒に那岐宮市に行った二人はどうであったか気になるのも事実であった。

 

「あの……、二人はどう? お腹とか」

 

「お腹? ……ああ、確かにいっぱい飲み食いしちゃったからね」

 

 フェアの言葉の意味を一瞬理解できなかったポムニットだったが、すぐに体重のことだと悟って納得したように笑みを浮かべた。彼女が厨房を掃除しているのもそのせいだと気付いたのである。

 

「私達は運動してるからね。そんなに変わってないんじゃないかな、ね?」

 

「ええ、大丈夫だと思いますよ」

 

 確認を求められたポムニットが頷くのを尻目にフェアはアティの発した言葉を繰り返した。

 

「運動……」

 

 確かに運動は基本中の基本ではあるが、いつそんなことをしているのだろうと思った。那岐宮市に行っていた時も、ラウスブルグにいる時も二人がそんなことをしている姿など見かけなかったし、そもそも運動できる時間があるのかすら怪しい。

 

 とはいえ、確かにポムニットの言う通り二人とも体形に変化がないように見える。運動してるかどうかは別にして体重に悩むフェアにとっては羨ましい限りだった。

 

 フェアが羨ましそうに二人を見ていると、今度はアティが口を開いた。

 

「あ、そういえばフェアちゃんのところでエニシアちゃんを雇うんだってね」

 

 彼女は先ほどまでエニシアに勉強を教えていたのだが、その中で彼女からリィンバウムに戻ったら、フェアの経営する宿屋でアルバイトをするつもりだと言われたのである。

 

「あ、エニシアってばもう話しちゃってたんだ」

 

 フェアは苦笑しつつ答えた。エニシアにそうした提案を行ったのは、昨日、那岐宮市から帰ってきたばかりのときのことだったため、思った以上にはたく広まっているようだった。

 

「随分嬉しそうに話してたよ」

 

「こっちもこれから人が足りなくなるだろうから、むしろこっちがお礼を言いたいくらいなんだけど……」

 

 アティの言葉にフェアは照れながら頬をかいた。彼女としてはリィンバウムに戻った後のことが何も決まってはいないエニシアのことを思っての提案ではあったが、それと同時に、いずれ手伝いが難しくなるリシェルやルシアンに代わる人手を確保できるという狙いもあったのだ。

 

「……ということは、フェアちゃんと一緒にトレイユで降りるってことですよね。それならレンドラーさん達はどうするんでしょう?」

 

「たぶん、エニシアと一緒に降りると思うよ。あれであの人たち結構過保護だから」

 

 ポムニットの疑問に答えたフェアの答えはある程度予想されたものだった。エニシアの家臣と自負するレンドラーなら一も二もなく同行すると申し出ることは火を見るよりも明らかだった。ただ、ゲックはリィンバウムに戻り次第エニシア達とは別れ、己の罪を贖うための旅に出るつもりでいるということは、この時点でフェアは知らなったようだ。

 

「ハヤト君達もサイジェントに戻るから、ここに残るのはミルリーフちゃん達だけってことだね」

 

「確かセイロンは探してる人がいるみたいで、戻ったらその人を探すって言ってたよ」

 

 以前セイロン自身から聞いた言葉を思い出したフェアが言う。今は御使いを務めているセイロンだが、本来の彼の目的はその人物を探すことを目的としてリィンバウムを訪れたのだ。ミルリーフが至竜の力を受け継ぎ、他の三人の御使いも健在であればあえて捜索を先延ばしにする理由はないだろう。

 

「残るのは四人ってことですから、結構寂しくなりますね」

 

 自分達三人を除き、ラウスブルグに残るのはミルリーフにセイロンを除いた御使い三人の計四人。そんな一握りの人数でこの巨大な城にいるとなると、確かにポムニットの言う通り寂しさを感じるだろう。

 

「それなら一度島に戻りましょうか、しばらく戻ってませんし」

 

「ええ、そうしましょう!」

 

 島を出てからもうかなりの時間が経っている。旅慣れている二人もそろそろ島が恋しくなっているのかもしれない。

 

「でも、いいの? 勝手に行き先決めて」

 

「このお城ごと移動すれば大丈夫ですよ」

 

 ラウスブルグの全権を握るバージルのことを考えたフェアが心配するような言葉をかけると、アティは笑顔で答えた。ラウスブルグを手に入れたのも全ては人間界で魔剣スパーダを手に入れるためなのだ。もちろん城はその後も有効活用するつもりでいるだろうが、少なくとも今後の予定が入っているわけではないのだから、ラウスブルグが手元にありさえすれば、島に戻るのも特段問題はないだろうというのが彼女の言い分だった。

 

「あ、でもちゃんとバージルさんが帰ってきたら、ちゃんと確認しますから心配無用です」

 

「それならいいけど……でもどこに出かけてるの?」

 

 フェアを安心させるためポムニットが言ったが、当の本人は別なところが気になったようだ。確かに朝に姿を見かけたきり、一度もバージルを見ていないが、まさか外出しているとは思わなかったのだ。

 

「ええ、弟さんのところに。大事なものを回収してくるそうです」

 

「そうなんだ……」

 

 フェアはバージルが大事と考えるものがどんな代物か一瞬興味が沸いたが、所詮一個人の事だと、さほど深くも考えず納得して頷いた。

 

 それがまさか世界の命運すら左右するほどのものとは、さすがに想像がつかなかったのである。

 

 

 

 

 

 からりとして晴天の下、バージルは弟の事務所の中にいた。少し前にここを訪れた際にも告げたように、両親の形見であるフォースエッジとアミュレットを回収するつもりだった。

 

「答えは出せただろうな」

 

 机の上に乱雑に重ねられたピザの空箱とワインの空き瓶を横に見たバージルが、机に両足を乗せたダンテに鋭い視線を向ける。すると弟はそのままの体勢でいつものへらへらした笑みを浮かべながら口を開いた。

 

「さて、どうかな」

 

「…………」

 

 無言のまま視線を向け続ける。一度は袂を分かった相手とはいえ、もとは双子の兄弟。弟の言葉にはまだ続きがあると分かっていたのだ。

 

 何も反応を示さないバージルを見たダンテは肩を竦めてつまらなそうに口を開いた。

 

「まったく、相変わらずつまらねえ奴だな」

 

 そして言葉とともにダンテは普通に座り直すと、自身の机にたてかけていた物をバージルに放り投げた。

 

 ダンテが投げてよこしたのは、バージルが求めていたフォースエッジとそれに絡められているアミュレットだった。

 

「……どういう心境の変化だ?」

 

 それを受け取り、紛れもない本物であることを確認したバージルが訝しがる視線を向ける。先に会った時はお互い本気ではなかったとはいえ、得物を交えるまでエスカレートしたのにもかかわらず、こうもあっさりと渡されると逆に怪しく思えたのである。

 

 するとダンテはそっぽを向きながら答えた。

 

「あんたと違って俺は大人なんだ。いい加減、親離れくらいするさ」

 

 大袈裟にお前に言われたから渡すんじゃない、俺には必要ないから譲ってやるんだ。そんな意味と皮肉を込めたことは分かったが、それは兄の思い通りになるのが癪でしょうがない弟の、わかりやすい強がりであることは明白だった。

 

「……なんであれ、これはありがたく受け取るとしよう」

 

 バージルの目的はあくまでフォースエッジとアミュレットを手に入れることだ。それを果たせるのであれば、ダンテがどう思っていようと関係なかった。

 

 そしてバージルが踵を返し、何歩か歩いたところでダンテが声を掛けてきた。

 

「おい、一応言っとくがな。親父は――」

 

 そこまで聞いたバージルは、背を向けたまま弟の言葉を遮った。

 

「受け継ぐべきは魂。いつか貴様はそう言ったな」

 

 もう二十年以上前のこと、しかしこの双子にとっては今でも鮮明に記憶している時のことだった。そのせいかダンテは言葉を遮られたことには特に怒りもせず、兄の言葉に頷いた。それは彼が言おうとしたのも、父の生き様についてだったことも影響しているだろう。

 

「ああ、それは今でも変わらねえ。俺達が受け継がなきゃならないのは力じゃない。――親父の誇り高き魂だ」

 

 一切の淀みなく発したダンテの言葉にバージルは満足そうに口角を上げると、振り返って再びダンテを見た。

 

「そうだ。……そして、親父の魂を受け継ぐべきは貴様だ、ダンテ」

 

「……おい、バージル。お前一体何をしようとしてんだ?」

 

 ダンテは思わず立ち上がり、先に会ったとき同じような言葉を口にした。しかし今回は、以前とは比べ物にならないほど真剣な表情だった。それほどバージルの言葉は、あれほど父親とその力に固執していた男と同一人物の言葉とは思えないものだったのだ。少なくとも今のバージルからは、これまでダンテが知らなかった何かを感じられたのである。

 

 そしてバージルは、リィンバウムから人間界に帰還して初めてダンテに己の本心を語った。

 

「俺はスパーダの血を引いたから悪魔と戦うわけではない。だから俺は親父の魂を受け継がない。それはお前が受け継ぐべきものだ。最も親父のあり方を理解していたお前が」

 

 それはダンテが思ったことを証明するかのような、バージルがずっとこだわっていた父スパーダへのこだわりを捨てる言葉だった。だがそれは、決して唐突に口にしたものではない。

 

 もっと以前から、きっと、自分が守るべきものをその手に抱いたあの日から、バージルの父へのこだわりは消え去っていたのだろう。

 

 それを数年後の今になって口にしたのは、言うまでもなくダンテに会ったからだ。スパーダの、親父の後継者はお前だと言わなければならない。それが双子とはいえ、長子であり兄であるバージルの責務だったのだ。

 

「バージル……お前、一体どうした? 何があった?」

 

 己の知る兄とは正反対の言葉に、今度はダンテが訝しげな視線を向けながら尋ねと、バージルはたった一言を以って答えた。

 

「俺は親父が魔界を裏切った理由を知った。それだけだ」

 

 それは一言であっても、弟を納得させるに足る言葉だった。

 

「……ならいいさ、我儘な兄貴の尻拭いをするのは弟の役目だ。好きにやれよ」

 

 たった一言でダンテは兄の言わんとしていることを理解すると、やれやれと言わんばかりに手を振った。それでも口元はにやりと笑っているせいか、どこか嬉しそうにも見える。

 

「無論、そのつもりだ」

 

 そう言ってバージルは再度踵を返した。背にはつい先ほど渡したフォースエッジがある。ダンテにはその姿がどこかスパーダに重なって見えた。

 

「……やれやれ、いつの間にかあんなところにいるとはな」

 

 バージルが事務所から出て行くのを見届けたダンテは、椅子の背もたれに体重を預けて机に足を上げながら呟いた。

 

 父に固執していたかと思えば、今度はダンテを父の後継者として認めたのである。極端と言えば極端だろう。だが、それすらもダンテはバージルらしいと思っていた。だからこそ、兄はあのような生き方を選べたのかもしれない。それが嬉しくもあり、羨ましくもあった。

 

「だがまあ、俺は俺のやり方でやるだけさ」

 

 そう言ってダンテはふてぶてしく笑う。たとえ兄の生き方がどうであろうとも、ダンテは己の生き方を変えるつもりはなかった。自分は誇り高い父と気高い母の両方から高潔な魂を受け継いでいる。そう信じられるから彼は今の生き方をしているのだから。

 

 それゆえにダンテは既に姿が見えなくなったバージルに向けて声をかけた。

 

「気を抜いてるとあんたの仕事、俺が全部とっちまうぜ」

 

 魔界より現れた悪魔を狩り続けるのがダンテの生き方だ。それはたとえ人間界とは異なる世界であっても変わらない。だからこそダンテの言葉は、異界の地でスパーダの血を引く者がいずれ邂逅することを予感させた。

 

 

 

 

 

 

 

 




さて、第6章も次話で終了予定です。早いもので今年ももう半分が終わりますね。たぶん次章が最終章になる思いますが、さて完結はいつになることやら。

次回は7月13日か14日に投稿を予定しています。

ご意見ご感想評価等お待ちしております。

ありがとうございました。


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第112話 帰還

 人間界からの帰路はゲルニカに代わり、ミルリーフがエンジンの役割を果たした。それでも何の問題もなくリィンバウムに帰還することができたのは、やはり親である先代守護竜の知識と、事前に行った練習によるところが大きいだろう。

 

リィンバウムへと戻ったラウスブルグはまず、サイジェントの近くまで立ち寄ってハヤトとクラレット、ゲルニカと別れた。その次に向かったのはトレイユであり、そこでフェアとエニシア、そして予想通り彼女とともにレンドラーやゲック達もそこで降り、セイロンもしばらくはトレイユを基点に捜索を行うとのことだったため、同様にここで別れたのだった。

 

 残ったバージル達三人とミルリーフ、三人の御使いはアティやポムニットの希望通り共に島へと戻ることとなった。ただ、戻るとはいえミルリーフ達四人はラウスブルグを維持もするためにも、島に移るのではなく城に残ることを決めていたのだが。

 

 とはいえ、さすがに挨拶もなしにそうするわけにはいかず、一度護人には話をしておくため、御使い達にはバージルとアティが同行して集いの泉に向かうこととなったのだ。本来ならミルリーフも行くところではあるが、事情の説明もせずラウスブルグを出現させるわけにもいかないため、ポムニットと一緒に城に残ることとなったのだ。

 

「話には聞いていたが、本当にこのような所があるとはな」

 

 島の集いの泉に至る道を歩いていたクラウレが口を開いた。この島のことは以前にもスバルから聞いていたこともあったのだが、こうして実際に見てみるとやはり感慨深いものもあるらしい。

 

「ええ。それも四つの世界の召喚された者達が共に暮らしているですわよね? 全くもって驚きですわ」

 

「住んでいるところは別ですけど、最近は交流も増えているんですよ」

 

 クラウレの隣を歩いていたリビエルの言葉にアティが振り向きながら答えた。島の住人たちの住む場所に関しては、この島が無色の派閥の実験場だった頃からの名残であり、当時は各集落間の交流も全くなかったのだが、今ではごく普通に集落を行き来するまでに変わったのである。さすがに意思疎通ができないサプレスの霊やロレイラルの機械は別なのだが。

 

「ここがかつては実験場だったとはな……。皮肉なものだ」

 

 今ではリィンバウムに召喚された者にとっては楽園といえるような島が、かつては実験場だったことに因果なものを感じたアロエリが言う。島の成り立ちについては、混乱させないように事前にアティが説明をしていたのである。

 

「あ、もうみなさん来ているみたいですね。あれが集いの泉です」

 

 そんな話をしているうちに目的の集いの泉が見えてきた。バージルに先行してもらい、護人を集めてもらっていたおかげか、集いの泉には既に四人の護人が集まっているようだった。

 

 

 

 集いの泉に着いたアティと三人の御使いを護人達は歓迎した。

 

「皆さまも遠いところをよくおいでくださりました。我らはあなた方を歓迎します」

 

「先生もお帰りなさい」

 

 互いに簡単な紹介を終えると、キュウマが御使いに歓迎の言葉を述べた。そしてそれに続きファリエルがアティに声をかける。アティが島を離れて数ヶ月ぶりに会ったわけだが、みんな変わらず元気のようでなによりである。

 

「すいません、急に呼んでしまって」

 

「構わないわ、このところも平和そのものだし。まあ昼寝の時間を邪魔された人ならいるかもしれないけど」

 

 アティが申し訳なさそうに言うとアルディラが微笑みながら口を開いた。護人はその名の通り、自らの集落を守るための存在であり、同時に他の護人を通じて他の集落との連絡調整の役目も持っている。

 

 しかし最近では、悪魔による攻撃もなく個人間での交流が盛んであるため、どちらの役であろうと護人の出番はまるでなかったのである。

 

「おいアルディラ。なんで俺の方を見るんだよ」

 

「あら、なにか心当たりでもあるのかしら?」

 

 声を掛けられたヤッファが憮然とした表情で言うと、アルディラは知らん顔で言葉を返すが、彼はこの場に呼ばれた時にいびきをかいて寝ていたことは、呼んだバージル本人から聞かされていたため、知っていたのである。

 

 そんな二人の掛け合いを聞いていたバージルは呆れたように首を横に振って伝えた。

 

「……こいつらには既に話は伝えてある」

 

「はい、お話は伺ってます。これからよろしくお願いしますね」

 

 バージルは彼らを呼びつけて回っていた時に粗方の事情は説明しており、ファリエルが言ったように了承も取り付けていた。もっとも護人にとっては、御使い達と言えども同胞に違いない。断る理由などなかったのだ。

 

「お心遣い感謝いたします」

 

「これから仲良くやっていこうって話なんだ。そういう堅苦しいのはなしにしようぜ」

 

 クラウレの律儀な礼に、もとより格式ばったことが苦手なヤッファが頭を掻きながら言うと、それに付け加えるようにキュウマが口を開いた。

 

「そういうことです。……ところで、その『城』というのはどこにあるんです?」

 

「ラウスブルグなら島の南西の海上だ。……もっとも今は隠してある。姿は見えまい」

 

「ラウスブルグ……、なるほどな、妖精達の避難船か」

 

 質問に答えたバージルの言葉を聞いてヤッファが納得したように頷いた。彼もメイトルパ出身だ。ラウスブルグのことを聞いたことがあっても不思議ではないだろう。

 

「あら、知ってるの?」

 

「っつっても俺が知ってるのは、サプレスの悪魔が攻めてきた時、妖精達が戦いを逃れるために船を作って、よその世界に逃げたってことくらいだし、それもガキの頃に昔話で聞いた程度だ」

 

 ヤッファの種族でフバース族は魔獣浸蝕の折も、攻め寄せた悪魔達と戦うことを選んだ種族だ。その上、年長者のヤッファも魔獣浸蝕後に生まれた世代なのだ。同じメイトルパとはいえ、詳しくなくて当然だった。

 

「ああ、その通りだ。……もっともこちらに来た後はこの世界に召喚されてしまった同胞達の隠れ里になっていたんだがな」

 

「それで、この人に目をつけられたってわけね」

 

 ヤッファの説明に補足したアロエリの言葉に続き、アルディラがバージルを示しながら言った。彼がなぜラウスブルグを手に入れたのかは聞かされていないが、少なくともその唯一無二と言える貴重な力目当てだったのは疑いようがない。

 

「結果としてはそうなっただけだ」

 

「まあ、私達はその前に追い出されてしまいましたけど……」

 

 頷くバージルを見ながらリビエルは呟いた。ラウスブルグは僅かの間に二度攻められ、その都度支配者がギアン、バージルと変わっている。彼女達はその一度目で城を追われているため、バージルと直接戦ってはおらず、彼がラウスブルグを手に入れた時のことは何も知らなかった。

 

「ちなみに今も同胞の方々はいるんですか?」

 

 バージルの話ではラウスブルグにはここにいる御使いを含め、四人しかいないとのことだったが、先ほどのアロエリの言葉にあった隠れ里に集まった召喚獣達はまだラウスブルグにいるのか、気になったファリエルが尋ねた。

 

「ここに来る前にみんなメイトルパに帰してきました」

 

「あら、あなたにしては随分と優しいじゃない」

 

 嬉しそうに答えるアティの言葉を聞いてアルディラがバージルに言う。彼の性格ならその場で追い出してもおかしくなかった。

 

「他に行く場所があったからな。そのついでだ」

 

「あら、そうなの」

 

 アルディラはバージルの反応を見ながら言うと、そこにキュウマが割って入った。

 

「ところで、そのラウスブルグの姿はずっと消したままにするのですか?」

 

「姿を隠しているだけでも魔力を使う。いつまでもそうしているわけにもいくまい」

 

 バージルはそう言うが、実際のところラウスブルグの姿を隠すことは不可能ではない。普段は至竜であるミルリーフが魔力を供給すればよく、彼女に休息が必要になった時はバージルが代行すればラウスブルグは常に異界にその身を隠すことができるのだ。しかしそれは、ミルリーフをラウスブルグに縛り付けることを意味する。それをバージルはよしとしなかった。つまり彼の発した言葉には彼なりの優しさがあったのだ。

 

「なるほど。しかし、いずれ姿を明かすとしてもあらかじめ我らには教えていただけませんか? 急に大きなものが現れれば皆も不安に駆られるやもしれませんから」

 

 キュウマに尋ねられたバージルは無言のまま顎でクラウレに発言を促した。このことについては彼に任せているという意思表示だった。

 

「我らとしてもそちらに不安を強いることはしたくない。必ず事前に伝えよう」

 

 バージルの意を受けたクラウレは大きく頷いた。彼を筆頭とした御使いもミルリーフを常にラウスブルグに置くつもりはなかったのだ。安全面を考えればすぐ異界に逃げることができるラウスブルグにいた方がよいのだが、バージルがいることを考えれば、むしろ彼の近くにいた方が安全とも言える。

 

「まあ、私や姉さんには必要ないかもしれないですけど……」

 

 ファリエルが苦笑を浮かべながら言った。彼女が護人を務める狭間の領域やアルディラのラトリクスに住むのは意思相通のできない霊やそもそも意思のない機械が大多数を占めるため、戻ってから口頭で説明すれば済む話なのだ。

 

「ええ、そうね。でもヤッファ、あなたはちゃんと村のみんなに伝えなさいよ」

 

「わかってるよ。……で、いつ頃やるんだ?」

 

 アルディラがヤッファに言うと、彼は頭を掻きながら逆に尋ねた。どうせなら今のうちに段取りを済ませておきたいのだろう。

 

「さすがに今日や明日というわけにもいきませんし、三日後くらいならそちらも十分説明できるんじゃないかしら」

 

 リビエルが言った。それほど大きくはない島だ。三日もあれば全ての住民に説明するには十分と考えたらしい。

 

「ああ、それにもし俺達の口から説明が必要な時は言ってくれ」

 

 そこにアロエリが提案した。自分達に関わることなのに面倒を掛けてしまうため、少しでもその負担を減らそうと律儀な彼女は考えたようだ。

 

「お気遣い感謝します。ですがこちらは大丈夫ですよ。郷の者はみな顔見知りですから」

 

「どうせならこっちは説明してもらうとするか。あんたたちなら大丈夫だろうしな」

 

 アロエリの提案に二人はまるっきり逆の対応を見せた。キュウマは丁重に断ったのに対して、ヤッファはそれを歓迎しているようだ。だがヤッファの場合、生来のものぐささが出たのではなく、彼女らを島の住民と馴染ませるためであり、御使い達のことを考えてのことだった。

 

「相変わらずねぇ、あなたは……。悪いけど説明してもらっていいかしら?」

 

 それを分かっているからこそ、アルディラも御使い達を立てる形で説明を依頼した。御使いと島の住人の仲立ちはキュウマもファリエルも考えていたのだが、ヤッファなら種族は違えどクラウレやアロエリと同じ世界の出身であるし、先ほどのアティの話からもメイトルパの者とは話慣れていると思ったため、ここは彼に任せることにしたのだった。

 

「ああ、構わない。いつ行けばいいんだ?」

 

「こっちはいつでもいいんだがな……」

 

 クラウレに尋ねられたヤッファだが、そこまでは考えていなかったようで困ったように頭を掻くと、そこにリビエルが声を上げた。

 

「ならこれからに行きましょう。善は急げですわ!」

 

「おいおい何も今すぐじゃなくても……」

 

「せっかくやる気になってくれましたし、これからでもいいじゃないですか」

 

 さすがにこれからすぐには性急すぎると言葉を濁したヤッファだが、ファリエルはリビエルの提案に賛成のようだった。

 

「では自分も郷に戻り、皆に説明するとしましょう」

 

「そうね。話もまとまったし、今日は解散にして次は城が姿を見せる前に集まりましょう」

 

 アルディラが解散を宣言する。ヤッファは仕方ねぇな言わんばかりの顔をすると、御使い達三人を連れて集いの泉から出て行った。こうなってしまってはさっさとやってしまおうという心境なのだろう。

 

「ああ、そうだ。お二人に客が来ていたんです。今はミスミ様の屋敷にいるはずですから」

 

 先ほどの言葉通り、風雷の郷に戻ろうとしたキュウマが思い出したようにバージルとアティに告げた。

 

「どなたです?」

 

「パッフェル、と名乗っていました。二日ほど前にジャキーニ殿の船で来られまして、お二人が不在にしていることは伝えたのですが、どうしても会わなければいけないからと……」

 

 わざわざジャキーニを探し出して来るとはかなり重要な案件であることは間違いない。少なくともパッフェルの個人的な話ではなく、派閥が絡んだ話であることは間違いないだろう。

 

「……?」

 

 まるっきり心当たりがなかったアティは首を傾げながらバージルを見た。

 

「……会ってみればわかる」

 

 だがバージルにも思い当たる節はなかった。それでもパッフェルの取った行動を聞けば悪魔に絡んだ可能性もあるため、とりあえず会ってみようとはおもったようだ。

 

「そうですね。……わかりました、ミスミ様のところに行ってみます」

 

「よろしくお願いいたします」

 

 バージルの言葉を受けたアティがキュウマに答えると、彼は一礼して集会所から出て行った。そしてそれに続くようにバージルとアティも風雷の郷に向かって歩いて行った。

 

 

 

 

 

 風雷の郷のミスミの屋敷に着いた二人は、そのまま畳張りの応接間に案内された。部屋の中央には大きい座卓とそれを間に座布団が置かれていた。二人はそのまま並んで座布団に座って少しの間待っているとパッフェルが現れた。

 

「いやー、待っていて正解でしたよー」

 

 いつものケーキ屋の制服のまま姿を見せたパッフェルが開口一番に言うと、アティも笑顔で応じた。

 

「お久しぶりですね、会えて嬉しいです」

 

「私もですよ、相変わらず仲睦まじい様子で羨ましいです」

 

「も、もう、からかわないでくださいっ!」

 

「そんなことないですよ」

 

 なかなか終わらない二人の話に、このまま放っておくといつまで経っても話が進まないと思ったバージルは話に割り込んで尋ねた。

 

「……で、何の用だ? わざわざこんなところまで来るとは、よほど重大なことなのだろうな」

 

「あ、そうでした。……詳細はこちらに書いてあるんですけど……」

 

 そう言ってパッフェルは座卓の上に書類の束を置いた。バージルがそれを手に取って読み始めると彼女はその要旨をまとめて言った。

 

「実は帝国の方で悪魔の研究をしているらしくて……」

 

 彼女言う「悪魔」がサプレスの悪魔ではなく、魔界の悪魔であることはわざわざ島まで話を持ってきたことからも明らかだったが、バージルとしてはそれほど問題視するようなことでもなかった。

 

「研究ならどこでもしているだろう、派閥でも聖王国でもな」

 

「そうですね。最近はともかく、一時は大変だったと聞いていますし、対策を立てるためにも研究するのは不思議じゃないと思います」

 

 アティもバージルと同じ考えのようだ。実際二人の言っている通り、蒼の派閥と聖王国が共同で悪魔の研究を行っているのも事実であり、それは決して悪いことではないのだ。人間界でもフォルトゥナあたりでは長きに渡って悪魔の研究が続けられてきたのだ。

 

「それはそうなんですけど……、最近になってその研究がきな臭くなってきたというか……」

 

「きな臭く……?」

 

「ええ、対策ではなく、悪魔の力を活用する研究しているとかで……」

 

 オウム返し尋ねたアティにパッフェルが答えると、バージルも目を通していた書類に書いてあった言葉を引用しつつ尋ねた。

 

「悪魔で召喚兵器(ゲイル)の強化を行う、か……、だが、そもそも召喚兵器(ゲイル)の研究成果を利用した融機強化兵は事実上頓挫していると聞いたが? 悪魔はともかく召喚兵器(ゲイル)は使えるのか?」

 

 悪魔を直接使役するのではなく、悪魔の力を取り込むというのは、かつてフォルトゥナの技術局を統括していた男の手法を似ており、悪魔の力を転用する方向としては間違っていない。しかしそもそも、その強化の素体となる召喚兵器(ゲイル)を帝国は実用化できていないはずなのだ。それは融機強化兵の研究が、ゲックの逃走後にほぼ凍結状態であることからも明らかだった。

 

「それは不明です。……ただ、研究自体は進んでますので、どこかにあてがあるかもしれません。あるいは同時進行で研究しているのかも……」

 

「……それにしても、よくそんなお金があったんですね。最近の帝国では軍事費の増加に否定的だったはずですが……」

 

 パッフェルの話を聞いてアティが口を開いた。彼女がまだ軍学校に在籍していた頃の帝国は、聖王国や旧王国に対し積極的な姿勢を取り小競り合いや外征を繰り返していたが、およそ十年前に紛争による負担の増加と何ら成果を上げられない従来の方針から守勢に転じたのだった。

 

 それにより、従来から軍事費の増加を求める上級軍人たちの発言力、影響力は低下し、結果として昨今の帝国の軍事費は減少傾向にあったのだ。

 

「軍の研究に関してはかなり大規模な刷新があったみたいです。それに、税金も上がるみたいですし……」

 

 それを聞いたバージルは書類に落としていた視線をパッフェルに戻した。

 

「悪魔の研究もその刷新に伴ったものというわけか」

 

「ええ、その通りです。私としては何故この時期に……って思っているんですが」

 

 帝国の摂政アレッガが悪魔に殺されたことはまだ記憶に新しい。そんな状況で税金を上げるというのはどうにも解せない、今上げても反感を買うだけではないかと、パッフェルは首を傾げた。

 

 だがそんな彼女とは裏腹に、バージルは点と点が繋がったような確信があった。この悪魔の研究、研究体制の刷新に税金の増加、そしてネロが帝都で遭遇したという悪魔とそれを操っていたという男。それが全て繋がっているのではないかと思ったのだ。

 

(男が使役していたという悪魔のことを考えれば、やはりムンドゥスあたりが糸を引いているか……)

 

 リィンバウム全体として悪魔の出現がほぼなくなっているのにもかかわらず、帝都にいたあの男だけが悪魔を使っていたことを考えると、背後にいるのは魔界全体に影響を与えるほどの悪魔、すなわちムンドゥスである。

 

 バージルが蒼の派閥の依頼でミントやパッフェルと共に赴いた村で遭遇したゴートリングのように、かの魔帝は悪魔をリィンバウムに送り込むことができるのは明らかであり、その観点からもムンドゥスが黒幕の最有力だろう。

 

(ならば奴の目的は、この世界を侵攻するための足掛かりを作らせることか……、あの塔のような)

 

 可能か不可能かで言えばムンドゥスは己の力だけで魔界とリィンバウムを繋げることができる。だがそれを行い、多少なりとも消耗した状態でバージルと戦えば、完全に消滅することはないにしても、三度封印される恐れがある、魔帝はそう考えたからこそ人間を使い、こちら側から繋げてしまおうというのだろう。

 

 そう考えた時、バージルの脳裏に浮かんだのは、彼がリィンバウムに来る直前の戦いの舞台となっていたテメンニグルだった。かの恐怖を生み出す土台を街中に蘇らせたのはバージルだが、それを作ったのは二千年前の人間なのだ。悪魔の力に魅入られ、それを欲した者達が人間界と魔界を繋げるために築いたものがテメンニグルなのである。

 

 そして今、同じことが帝国で再現される可能性があるのだ。

 

(いくら召喚術があるとはいえ、すぐには完成するまい。ならさっさと……、いや……)

 

 仮にテメンニグルを作ろうとしたところで、そんなもの完成前に破壊すれば問題ないと思ったところで、ある考えが頭に浮かんだ。

 

 それはあえて、テメンニグルの完成を見逃すことだった。

 

 現状、リィンバウムと魔界は精々下級悪魔が通れる程度でしかない。ムンドゥスであれば消耗こそすれ、その境界を失くしこの世界を魔界化することもできるが、前述したようにバージルを恐れるがゆえに、その手段を選ぶ可能性は低かった。

 

 しかし同時にバージルが最も危険視するのも、このリィンバウムの完全な魔界化だった。そうなってしまえば世界のあらゆるところから中級悪魔どころか大悪魔まで現れる地獄と化してしまうだろう。

 

 その状態でムンドゥスを倒し、再びこの世界を魔界から切り離したとしても空恐ろしいほど被害が出るのは目に見えているのだ。

 

 そうなるくらいなら、最初からテメンニグルという分かりやすくこの世界に現れる手段を提示してやればいい、というのがバージルの考えだった。そうすればムンドゥスもわざわざ自身が消耗する手段を使うことはないだろう。

 

 とはいえ、それを選んだとして犠牲が出るのは避けられそうにない。テメンニグルにしろ、その他の手法にしろでムンドゥスをこちらに呼び込むということは他の悪魔も大挙して押し寄せることを意味するからだ。

 

「……そもそも奴らは俺に何を望む?」

 

 思考もそこそこにバージルはパッフェルの意図を確認した。これまでは何度か派閥からの依頼も受けてはいたが、これからもそうだとは言えない。彼としてはムンドゥスに余計な警戒をされないように派手な動きは自重し、フォースエッジを魔剣スパーダへ変化させるのも時が来るまで待つつもりでいたのだ。

 

「あなたが今後帝国に対して行動を起こす場合は事前に教えて欲しい、と……」

 

「ならば伝えろ。頼まれたとしても人間同士の争いには関わらんとな」

 

 バージルも父や弟と同じように人間同士の争いには興味がなかった。自身に影響を及ぼすならともかく、好き好んでそんなことに首を突っ込むほど物好きではない。もっとも、一人で戦争すらひっくり返す力を有した男が好き放題動くことの方がよほど問題なのだが。

 

「そのように伝えます」

 

「あの……、もしかして戦争になったり……?」

 

 それまでの話を聞いたアティが口を開いた。バージルの言葉から聖王国と帝国の間で戦争が起こると考えたのかもしれない。

 

「どうでしょう、決めるのは私ではありませんから。……ただ、私見ですが、数年先はともかく今の聖王国に戦争をする余力はないと思います」

 

 パッフェルはあくまで自分の考えだと断ったうえで言った。炎獄の覇者ベリアルが元凶となったエルバレスタ戦争によって、聖王国は騎士団をはじめ大きな打撃を受けた。それから数年が経ち表面上の戦力自体は依然と同程度まで回復したが、まだ戦争を行えるほどの余力はなかったのだ。

 

「事実上、帝国には手は出せんということか」

 

「はい、よほどのことがない限りはこれまで通り情報収集に努めるだけになるでしょうね。……あ、それで得た情報は今後も届けられると思います」

 

「そうか。ならカイルにファナンに寄るよう言っておこう。そこで渡せ」

 

 パッフェルに付け足した言葉にバージルは頷いて提案した。彼としても情報はないよりあった方がいいのだ。

 

「でもですね、ファナンに入港するには許可がないと……」

 

「ならそれも準備しろ。俺の名前を出しても構わん」

 

 今回パッフェルが島に来るのに使ったのはジャキーニ一家の船であるが、次回もそうであるとは限らない。この島が召喚獣ばかりが住んでいる島である都合上、あまり人間に目に触れるような真似はしたくなかったため、定期的に島を訪れているカイル達に頼んだいいだろうと思ったのだ。

 

「……持ち帰らせてもらいます」

 

 さすがにパッフェルにいいとも悪いとも言う権限はなかったため、この場は保留ということにして後日エクスに相談することとした。とはいえ、バージルの提案は事実上の連絡船を作ることに等しいため、彼との関係強化を望むエクスはそれを受け入れるだろうとパッフェルは思っていた。

 

 

 

 

 

「なんか嫌な感じがします……」

 

 パッフェルとの話を切り上げ、帰路について風雷の郷を出たあたりでアティが下を向きながら口を開いた。先ほどの話で出た帝国の話を聞いて、言いようのない不安に襲われたのだ。

 

「だろうな。近く悪魔との戦いになるのは間違いない」

 

「避けられる、……わけないですよね」

 

 アティもこれまでに何度か悪魔と戦ったことがあるから理解できる。悪魔とは根本的に話し合いができる相手ではないのだ。

 

「向こうが仕掛けようとしている以上、戦いになるのは避けられない。できるのは被害を減らすことくらいだ」

 

 戦いと言うのは一方がそれを望むだけで始まるものだ。こちらが望んでいなくともムンドゥスさえやる気なら、どうあっても避けられないのは明らかだった。

 

「バージルさんもそうするんですか?」

 

「ああ。……とはいえ、相当な被害は出るだろうな」

 

 いかにバージルと言えど、今回の相手は魔界の支配者である魔帝ムンドゥス。先のベリアルが引き起こした戦いより大規模なものになることは容易に想像でき、同時にそれだけ被害が大きくなることも自明だった。

 

「…………」

 

「今から悩んでもどうしようもあるまい。精々、それに備えることくらいだ」

 

「私もみんなを守れるくらい強くならないと……」

 

 戦いが近いと知っていながら何もしないという選択肢はアティにはなかった。戦いが避けられないのならせめて自分の手の届く範囲くらい守れる力を欲しかった。そんな彼女の心を察したバージルが言った。

 

「しばらくは出かける予定もない。手ほどきくらいはしてやろう」

 

「ありがとうございます、私、がんばりますから!」

 

 バージルの申し出にアティは嬉しそうに大きく頷いた。

 

 

 

 そんな二人が大きな戦いの予感を胸に抱きながらも、しばらくは帝国も聖王国もまして旧王国も動くことはなく、情勢に変化はなかった。それが大きく変わり風雲急を告げるのは動き出すのは数年後のことになるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

第六章 了




これにて第6章終了です。

次回は7月27日か28日に投稿を予定しています。

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第7章 誰が為の楽園
第113話 凶手


 月が隠れた宵闇のもと、帝都ウルゴーラの貴族街にある屋敷の中、大ホールの階下で三人の男が跪いている。屋敷の中は僅かな蝋燭の火が唯一の光源となっているが、それ以外にも不安と恐怖を煽り、悪寒を感じるほどの重圧を放つ三つの光が、三人を見下すように浮かんでいた。

 

「レイよ、首尾はどうなっている?」

 

「万事において順調です。僅かの遅延もありません」

 

 レイと呼ばれた三人の真ん中にいる男が微動だにせぬまま口だけを動かすと、それに答えるように三つの光が腹の底にまで響くような声が発せられた。

 

「ならば次の段階に進めよ。……ただし、まだ奴には手を出すな」

 

 それだけ命じると三つの光はゆっくりと消えた。同時に場を支配していた重圧も霧散していく。それを確認した男が頭を上げて立ち上がると、同じように立ち上がっていた残る二人に向かって命令する。

 

「オルドレイク、兵を集めよ」

 

「はっ」

 

「ええ、わかりました」

 

 名を呼ばれた二人が悪魔に殺され、死んだはずのセルボルト家当主、オルドレイク・セルボルトが短く返答すると、もう一人の男が尋ねた。

 

誓約者(リンカー)調律者(ロウラー)はいかがしましょう? かの者らは自らの国で起こったことではなくとも、我らが関わっていると知れば必ず邪魔立てするでしょう。もしご命令いただけるなら、私自らが始末してみせますが」

 

「無用だ、メルギトス。彼奴らの始末は()()にさせる。貴様は召喚兵器(ゲイル)の量産を急ぐのだ」

 

 その判断を受け、消滅したはずのサプレスの魔王メルギトスは恭しく頭を下げた。

 

 オルドレイクとメルギトス。どちらも過去に倒された存在だったが、それが平然と生きて行動していた。だが単純に生き返ったわけではないことは、死した時の姿より二十ほど若返ったオルドレイクを見れば明らかだった。おまけにどちらも最盛期以上の力を身に着けている。

 

 ここまでくれば、もはや人ならざる者の御業であると言わねばならないだろう。

 

「……誓約者(リンカー)討伐には我が息子たちも同行願いたい」

 

 そう言って頭を下げたのを見て、レイは思い出したように口を開いた。

 

「確か、誓約者(リンカー)のもとには貴様の娘が身を寄せていたか……、連れ戻すつもりか?」

 

「あれは誓約者(リンカー)に尻尾を振った裏切り者、もはや連れ戻そうなどとは思っておりません。……されども、あれはセルボルトの血を引く者でもあります。その始末は同じ血を引いた者がしなければなりません」

 

「……いいだろう」

 

 オルドレイクの言を聞いたレイが頷く。そもそも彼はここにいる者以外がどうなろうと知ったことではなかった。オルドレイク本人が行くのではない以上、止める理由はなかったのである。

 

「さて、私の方はまず彼女を連れ戻さねばなりませんね。目的の成否によらず連れ戻してきて構わないのでしょう?」

 

 メルギトスの与えられた命令は一人で実行してきたわけではない。むしろその連れ帰る必要がある者が主として進めてきたのである。それゆえ召喚兵器(ゲイル)の完成には連れ帰る必要があったのだ。

 

「シャリマは出立したばかりだが、状況が状況だ。やむを得ぬ」

 

 召喚兵器(ゲイル)の研究開発量産を主導しているシャリマという女召喚師が、一時その任から外れたのはレイも了承した上でのことだったのだが、今回はさらにその上からの命令だ。従うよりほかなかった。

 

 それを聞いてメルギトスが頷くと、レイはこれまでの無表情を一転させて眉を顰める。

 

「後は、あの男が勘付くかどうか、か……」

 

 レイが頭を悩ませていたのは、彼らとその上の存在が最も警戒する男、バージルのことだった。レイ本人は会ったことはないが、オルドレイクもメルギトスもその男に徹底的に打ち負かされており、こちらから手を出そうなどと思うはずもないが、向こうがこちらの動きに気付き、介入してくる可能性は十分に考えられた。

 

「昨今、大陸に姿を見せたのは友人の結婚式だけで、一年以上はあの辺鄙な島に引き籠っています。用心するに越したことはありませんが……」

 

 オルドレイクは自身の手の者を各地に放っていた。彼が死んでいる間にまた一段と無色の派閥の勢力は弱体化したものの、その情報網はいまだ健在だったのだ。それでもバージルがいる島にまでは送り込むことはできない以上、完全に行動を把握することはできないのだが。

 

「その前に事を成してしまえばよいのですよ、既に上層部は抑えたも同然ですからね」

 

「……うむ」

 

 オルドレイクの言葉を引き継いだメルギトスが事もなげに言うと、レイは頷いた。彼の言葉通り摂政アレッガ亡き後の帝国の政はほぼ彼らの手中にある。だからこそ確かに計画通りにいけばそうなのだが、どうもレイは心の内に引っかかるものがある様子だ。

 

「それを成すにも大量の召喚兵器(ゲイル)が必要不可欠なのだ。わかっているのだろうな、メルギトス」

 

 メルギトスを鋭い視線を送りながらオルドレイクが言う。彼も派閥の兵士や紅き手袋を動員する予定なのだが、昨今のアズリア将軍による一斉摘発による影響で、その数は決して十分ではなかった。単独では都市一つを落とすこともままならない戦力なのだ。さらに言えば政治を抑えたとはいえ、いまだ貴族や各地の軍の大半は影響下になく、外には聖王国と旧王国という二つの大きな国家まで存在している。帝都を抑えるのはともかく、その後のことを考えれないまだ十分な戦力があるとは言えないのが実情だった。

 

 それを埋めるのが召喚兵器(ゲイル)なのだ。それもこの召喚兵器(ゲイル)はかつてクレスメントの一族が作り上げたものではなく、それを強化改造したものなのだ。計算上の戦闘能力は高位の召喚獣にも匹敵するため、数の不利を十分に補えるものと考えられていたのだ。

 

「万が一、間に合わない場合は()()を使う……が、温存したいのも事実。わかっているな、メルギトス」

 

 レイの言葉にメルギトスはいつものにやけた顔をせず、神妙に一礼をした。それを見たレイは納得したように頷くと、二人に向かってこの場の解散と作戦の開始を宣言した。

 

「……では行くぞ。我らが唯一にして絶対なる神ムンドゥスの世界を創り上げるのだ」

 

 神なき世界(リィンバウム)に神の世界を創り上げる。それが彼らの最終目的だった。

 

 

 

 

 

 空には多少の雲が浮かんでいるが十分晴天と言っていい天気の下、聖王都の西端に位置する紡績都市サイジェントでは当代の誓約者(リンカー)であるハヤトは一人でアルク川に寝そべりながら釣糸を垂らしている。そうやって空を見上げながら考え事をするのがここ最近の習慣だったのだ。

 

「こんないい天気なのにもったいないわねぇ」

 

 しばらくそうしていると声を掛けてきた者がいた。ハヤトは体を起こし振り返ると、そこにいた者の名前を呼んだ。

 

「スカーレルさん……」

 

 知らぬ間柄ではない。むしろ最近はよく世話になっている人だった。

 

「……悪かったわね、この前も空振りだったんでしょ」

 

「確かにそうだけど、責める理由なんてないよ! 確かに探している人は見つからなかったけど、手がかりは見つけられたし」

 

 バージル達と故郷の那岐宮市に行って以来、ハヤトは神隠しでリィンバウムに召喚されたと思われる人たちを探していた。もちろんあてもなく探したわけはなく、無色の派閥に狙いを絞って捜索としたのである。とはいえ、無色の派閥はリィンバウムの裏の社会で暗躍する組織だ。まして帝国軍からも執拗な捜査を受けている立場上、そう簡単に居場所は判明するはずもない。

 

 そうした状況の中、助け舟を出してくれたのはこのスカーレルだったのだ。サイジェントに居着く前の彼がどんな人生を送ってきたかハヤトには分からない。しかしスカーレルはバージルやアティとも知り合いであるというだけでなく、様々な伝手を持っており、彼の協力のおかげで着実に成果を上げることができていたのだ。

 

「手がかり?」

 

「まあ、手がかりっていうよりは証拠って言った方がいいかもしれないけど……」

 

「……それって、あなたが探している人達が無色の派閥に召喚されたのが、疑いようがなくなったってこと?」

 

 スカーレルの視線が鋭くなった。無色の派閥には倫理観などあるはずもない。それが同じ人間とはいえ、召喚獣に区分される存在となれば尚更だ。昔は派閥と関わっていただけにスカーレルはそのことをよく知っていた。

 

「うん、俺のいた世界の人間にサプレスの悪魔を依り代にしたらしくて……」

 

 先にハヤトのいう証拠とは、今口にしたことが書かれていた研究の成果報告書だった。

 

 サプレスの存在は天使、悪魔を問わずいずれも霊的な存在であり、肉体を持たない。それゆえ召喚した際には魔力によって魂殻(シエル)を形成しなければならない。それでも一撃を放つ程度の限られた時間であれば、他の世界の高位の存在と大して変わりないものの、護衛獣などのように常に留めておく場合にはそれが顕著になる。

 

 魂殻(シエル)を維持するとなれば常に魔力を消耗し続けることになるし、高位の存在になれば消耗する魔力は莫大なものになる。かといってこちらの世界に適応させるために肉体を持たせてしまえば、どうしたってサプレスにいた時と比べ能力の減衰は避けられないのだ。

 

 そこで無色の派閥では考えられたのは、召喚の過程で人間を依り代としてしまうことだった。いわば適応させるための肉体をあらかじめ準備しておくのである。

 

 そうすれば力を衰えさせることなく、高位の悪魔をこの世界に留めておくことができるのだ。

 

 さらに名もなき世界の人間の特徴か、彼らを依り代とした場合、悪魔の意思を完全に抑え込むことさえ可能だった。それはつまり、本来なら召喚することすらままならない技量にある者でもサプレスの大悪魔の力を使役できることを意味しているのだ。

 

「……そう。でも、その研究の対象になった人は見つからなかったのよね?」

 

「そこは研究施設っていうより、その報告を受ける所だったらしくて……」

 

 研究の報告書を手に入れた拠点に関する情報はスカーレルが提供したものだ。しかし提供した彼自身、その拠点が重要な所であることは分かっても、実際にどんなことをしているところかまでは分からなかった。場所や重要性はいくつかの断片的な情報を繋げて行けば高い精度で判別できるが、拠点の役割に関しては派閥にとっても重大な情報であるため、その流出には注意しているようだった。

 

 そうした情報をもとにハヤトが協力を得た自由騎士団の面々とともに赴いた拠点で見つけたものがその報告書だった。もっとも、そこ自体で研究は行われておらず、多少の兵士こそ配置されていたが、危険を察知したのかあるいは単に不在にしていたのか不明だが、幹部のような責任者はいなかった。

 

「なるほどね、ただこれからはそう簡単にいかないかもしれないわよ」

 

「どうして?」

 

「詳しくは分からないけど、今になって一斉に動き始めたらしいの。……もしかしたらまた派閥全体を統制できる者が現れたのかもしれないわ」

 

 これまではそれぞれの家ごとに独自に活動していた無色の派閥だったが、最近になってその動きに組織性が見られるようになってきたのだ。それはかつて大幹部オルドレイク・セルボルトが派閥を牛耳っていた時と酷似しており、それゆえスカーレルは再び何者かのもとに派閥が結集するのではないかと危惧していた。

 

「それじゃあ、しばらくは様子を見た方がいいってことか」

 

「そうね、血気に逸って取り返しのつかないことになるよりはずっといいわ。こっちも新しい情報が入ったら伝えるようにするしね」

 

 ハヤトの言葉にスカーレルが頷く。彼としてはもう少し説得に時間を要すると考えていたため、少し肩透かしを食らった気分だったのだが、逆にハヤトとしては自分のわがままで未知数の危険にクラレットを巻き込むわけにもいかない。彼の判断は当然のことだったのである。

 

「ありがとう、助かるよ」

 

 その言葉を言った瞬間、ハヤトの目の前でアルク川に垂らしていた釣り糸に獲物がかかったようで大きく動いた。慌てて釣竿を引くハヤトを微笑みながら見たスカーレルは軽く手を振ってその場を去って行った。

 

 

 

 

 

 それからしばらくして、かなりの釣果を手にフラットに戻ったハヤトを迎えたのはリプレだった。調理場で料理を作ってた彼女の他にクラレットとフィズが掃除をしていたのだが、ガゼルの姿だけは見当たらなかった。

 

「やるじゃないハヤト、助かるわ!」

 

「いや、ちょっと釣り過ぎたかなって思ってたんだけど大丈夫かな?」

 

 彼の今日の釣果は今現在フラットに住んでいる者の総数を遥かに超えていた。今の倍以上の人数が暮らしていた頃はともかく、今の人数では一日で食べることは難しいかもしれない。

 

「そんなことないわよ、今日はレイドとアルバも帰って来るし、それにもし残っても干物にすればいいしね」

 

 ハヤトの心配にリプレが笑顔で答える。フラットの食事を一手に預かる彼女にしてみれば、大量の魚を疎ましく思うことなどありえなかったようだ。

 

「あ、そういえば二人が帰って来るの今日だっけ。……もしかしてガゼルの姿が見えないのもそれに関係してる?」

 

「そうなの! ガゼルってば買い物を頼んだっきりまだ帰ってこないんだから!」

 

「ガゼルのことだから顔でも見に行ってるんじゃないかな?」

 

 ぷりぷりと怒りを見せるリプレを宥めながら言った。夕食に会えるとはいえフットワークの軽いガゼルなら、買い物ついでにもう帰って来てるだろう二人の顔を一足先に見に行こうと考えるは想像に難くなかった。

 

「ところで俺にも何か手伝えることある?」

 

 結果として魚を持ち帰ってこれたとはいえ、みんながレイドとアルバを迎える準備をしていたのに自分はいつも通り過ごしていたことに罪悪感を覚えたハヤトがリプレに尋ねた。

 

「そうねぇ……、それじゃ買い物をお願いしてもいいかしら? 実は小麦粉とか結構少なくなってきてたのよ」

 

「それくらい問題ないよ。……でもいつもの量を買ってくるならさすがに他の買い物はできないと思うけど……」

 

 リプレの願いを聞いたハヤトが答えた。この世界の主食がパンである以上、その材料となる小麦粉が必要なのは当たり前のことであり、ハヤトも何度もそれを買いにいったことがある。だが、人数が少なくなったとはいえ、小麦粉は一度にかなりの量を買うため、一人ではそれだけで両手が塞がってしまうのだ。そのため、他に何か買うのであればもう一人くらい連れて行くか、小麦粉を買う量を少なくするしかないのである。

 

「それじゃあ、クラレットと行ってきたら? たぶんそろそろ掃除も終わる頃だろうし」

 

 そう言って彼女は「クラレットー、終わったらこっち来てくれる。買い物に行ってほしいの!」と調理場から呼びかけると「わかりましたー!」とクラレットが声を返してきた。

 

「よし、これで大丈夫ね」

 

「それで、小麦粉の他に何を買って来ればいいんだ?」

 

「あ、ちょっと待って今何かに書いてあげるから」

 

 そう言ってリプレは買ってくるものとその量を箇条書きに書き始めた。細かな内容はまだハヤトには分からないが、その種類の多さから相当な量になることは予想できた。

 

(結構な大仕事になりそうだ)

 

 内心、軽々しく申し出たことを僅かに後悔しながらハヤトはこれは気合を入れなければと心を決めた。

 

 

 

 それからしばらくして、ハヤトはクラレットと共に買い物に出ていた。

 

「それにしても随分と頼まれましたね」

 

 買い物カゴを手に下げたクラレットはリプレが書いたメモに視線を落としながら言った。出かける前にも一通り目を通したが、あらためてみるのと相当なボリュームがあった。

 

 買うものは最初に頼まれた小麦粉だけではなく調味料などもあるため、一箇所で買い物をすれば全て済むものでもなく、様々な店を回らなければならない。そのため二人は最も重くかさばる小麦粉を最後に買い求めることにして店を回ることにしていた。

 

「本当だよ、ガゼルが戻って来れば手分けしてできたのに」

 

 手伝うこと自体を拒否するわけではないが、どうしても貧乏くじを引いてしまった感がハヤトにあったようだ。

 

「最近は私達も迷惑をかけてきたんですから、文句を言っちゃダメですよ?」

 

 ハヤトとクラレットが時折出かけることができるのは、リプレをはじめとしたフラットの面々の協力と理解があってこそだ。それを考えれば普段のお礼も兼ねてこれくらいしても罰は当たらないだろう。

 

「そりゃそうだけどさぁ……。あ、そういえばさっきスカーレルと会ってさ。無色の派閥が一斉に動き出したらしいから、しばらくは大人しくしてろ、だってさ」

 

 ハヤトは口を尖らせて愚痴を口にしようとした時、先ほどスカーレルから言われたことを思い出し、クラレットにも伝えることにした。

 

「一斉に……? 妙ですね、今更そんなことをしても利はないはずですが……」

 

「そうなのか? さっきの話じゃ派閥を指揮できる奴が現れたのかもって話だったけど……」

 

「むしろそんなことをできる人なら拙速に動くことはないと思いますが……」

 

 クラレットが怪訝な表情を浮かべながら答えた。組織的に動くということはそれだけ外部に動きを察知されやすい。ある程度戦力を整えていた一昔前ならともかく、今そんなことをしても潰されるのがオチだ。しかし、そんなことくらいは当の無色の派閥も知っているだろうから、なおさら今の段階で大きく動いたことがクラレットには不可解だったのである。

 

「うーん、よくわかんなくなってきた……。この際、誰かに相談してみる?」

 

「それには賛成しますけど……、一体どなたに相談するんですか?」

 

 頭を掻きながら言ったハヤトの提案自体はクラレットも異論はなかったが、問題はその相談相手である。こちらに協力してくれる人物というのが大前提の条件であるが、当然無色の派閥にも詳しくなければならない。

 

 そんな相反する二つの条件を満たすような人物を彼女は思い浮かばなかったのだ。

 

「たとえば……バージルさんとかは? あの人昔はだいぶ暴れてたみたいだし」

 

 バージルがかつて無色の派閥を大幅に弱体化させた張本人であることは知っていた。彼の口から直接きいたわけではないが、銀髪で青いコートを着ているという派閥に残された襲撃者の記録からバージル以外を連想するのはできなかったのだ。

 

「それは構いませんが、すぐにできることではないですね」

 

 バージルに相談するということは自体、クラレットも反対ではなかった。彼本人と直接話すのは気の進むところではないが、アティやポムニットに同席してもらえば話しやすくなるという皮算用もあった。むしろ一番の問題は、彼らの住む島まで行かなければならないということだ。

 

 島までの航路自体は蒼の派閥や金の派閥は確保しているという話のため、仲間の伝手を頼れば島まで赴くのは不可能ではないが、それでも今日明日にできることではなかった。

 

「確かにその通りだ。あの城を自由にできるバージルさんが羨ましいよ」

 

 ハヤトがそう言った時、不意に空から雷鳴が響いた。確かに空はいつのまにか黒っぽい雲で覆われている。ただ、空の端の方は青空が見えているので、二人はこれを一時的なものと考えた。

 

「雨でも降りそうな感じですね」

 

「まったくだよ。何とか降らないように祈るしか――」

 

 そこまで言った時、ちょうど真上の雲に稲妻が走り、それを見ながら口を開いていたハヤトは思わず目を見開いた。ただ雷鳴が発生していた以上、稲妻が走ることは決して珍しいことではない。彼が驚いたのはその稲妻が白くも黄色くもなく、まるで血のような鮮やかな赤い色をしていたからだった。

 

「ハヤト、どうしたんですか?」

 

 口を開いたまま固まったハヤトをクラレットは不思議そうな顔で見た。どうやら彼女は稲妻を見ることがなかったようだ。

 

「あ、ああ、それが実は――」

 

 とりあえず今見たものを説明しようと口開いた瞬間、再び赤い稲妻が走った。直上の雲から南側の雲へ移ったものの、光ったのは一瞬だった先ほどとは異なり、断続的に何度も赤い光が放たれていたのである。

 

「何か……とても嫌な感じがします」

 

「ああ。……だけど調べないわけにはいかないよな」

 

 眉を顰めながらも意を決して呟いた。あの赤い稲妻がどんなものかはわからないが、あれを放っておくと大変なことになる。そんな確信にも似た予感をハヤトは本能的に悟っており、まず稲妻の真下に行くべく二人は歩を進めた。

 

 

 

 だがその稲妻もいつまでも光を発してはいなかった。二人が街の外に向かって歩き出したと直後から光る間隔が長くなっていったのである。それにどこか意図的なものを感じて、背中のサモナイトソードに手を掛け、最大限の注意を払いながらハヤトは歩みを進め、南に向かう。

 

 するとずっと先、ちょうどハヤトがこの世界に召喚される原因となった儀式が行われた場所のあたりに、三人ほどの人間いるのが見えた。まだはっきりとは見えないが、どうもこちらの方を見ているようだった。

 

「…………」

 

 隣を歩いているクラレットが声を出さないまでも緊張しているのがハヤトにも伝わってきた。

 

「クラレット?」

 

 そうハヤトがクラレットに声をかけたのと、この先にいる何者かが召喚術を発動させたのは同時だった。漆黒に輝く無数の剣ダークブリンガーが二人に放たれた。

 

「ハヤトっ!」

 

「ああ! シャインセイバー!」

 

 とはいえ、双方の間にある距離がハヤトに余裕を持った対応を可能とした。光輝を纏った多数の剣がダークブリンガーを迎え撃ったのだ。

 

 光と闇、相反する二つの召喚術が激突する。一般的に双方の召喚術の強さはほぼ同程度なのだが、今回は一方がかのエルゴの王と同じ力を有する誓約者(リンカー)だったのが勝敗を分けた。

 

 ダークブリンガーはあっさりと弾き飛ばされた一方、シャインセイバーは悠々とハヤトの手元で浮かんでいた。

 

「なるほど、たかがはぐれとはいえ、誓約者(リンカー)を名乗るだけのことはあるか……」

 

 どうやらダークブリンガーは撃ち出した後に距離を詰めていたようで、もうはっきりとお互いを視認し会話も可能なほどの距離まで近づいていた目つきの鋭い男が言った。

 

「やめなさい、ソル! あなた達と私達が戦う理由はないはずです!」

 

 彼らの姿を認めたクラレットは、一瞬目を閉じて「やっぱり……」というような表情を見せたものの、すぐに声を上げた。だがソルと呼ばれたそんな戯言耳にも入らんとばかりに鼻を鳴らすと、代わりにその横にいたまだ幼さと酷薄さが同居する女が大声で笑いながら言った。

 

「あっはははははは! 何言ってんのよ、そんなの自分の胸に聞いてみれば分かるでしょ!」

 

「自らに課せられた役割を果たさなかったばかりか、報告にも戻らず、そればかりか派閥の妨害にも関与する……これではさすがに庇えないよ、姉さん……」

 

 続いて、二人からは一歩下がったところにいた男が苦渋に滲んだ顔しながら言った。少なくとも彼に関しては他の二人のような完全な敵意を持っていないように見える。

 

「カシス……キール……」

 

 クラレットが妹を弟の名前を呟いた。だが、そんなことはお構いなしにソルが吐き捨てる。

 

「キール、もはや庇える庇えないの問題じゃない。それくらいわかっているだろう?」

 

「そうよ! それにあいつは父さまも見殺しにしたんだから、死んで当然よ!」

 

「……ああ、分かってる」

 

 ソルとカシスの言葉を受けてキールはそう答えるしかなかった。それ以外の回答など今の彼には許されてはいないのだ。

 

 三人そう言い合っていた時、これまで黙っていたハヤトが声を上げた。

 

「ちょっと待て、何でおまえら、オルドレイクのことを知ってるんだ!」

 

 三人がクラレットが以前話していた弟や妹だというのは話の流れからなんとなく察することができたし、最初の一撃以外は召喚術を使う素振りもなかったため、話し合いで解決できることを期待してクラレットに任せていたが、先ほどのカシスの言葉を聞いてもはや黙っていることはできなかった。

 

 あのオルドレイク・セルボルトが自らの召喚した悪魔に殺された瞬間を見た者の中に、無色の派閥の関係者はいなかった。にもかかわらず、なぜ彼女はその時のことを知っているように口にするのだろうか。

 

「はぐれ風情に話す義理などない」

 

「そうかよ。なら言っとけど、ああなったのは完全に自業自得だ。クラレットのせいじゃない」

 

 ソルの言葉にはハヤトも少しはカチンと来たようで、声を上げて反論するとクラレットも続いた。

 

「父は手を出してはいけないものに手を出してしまった。それがあの結果……でも、あなた達までそれに倣う必要はありません!」

 

「父上は間違ってなどいなかった! 悪魔の力こそ我らの理想を実現するに必要なものだ!」

 

「……どうしても、どうしても父と同じ道を歩むのなら、私はあなた達を止めて見せます!」

 

 大声で答えたソルの言葉を聞いてクラレットは決めた。それが姉としてこれまで何もしてあげられなかった弟と妹にできる唯一のことだと思ったのだ。

 

「クラレット、俺も手伝わせてくれ」

 

 ハヤトがそこに声を掛ける。今正面にいる三人はかつて派閥の価値観しか持たなかった頃のクラレットと同じような立場だ。だからこそ彼らはオルドレイクと同じ道を歩むしか選択肢がなかったのだろう。だからきっと、彼女と同じように変わることもできるはずなのだ。

 

 そう信じたからこそハヤトはクラレットと同じように倒すのではなく、止めることにしたのだった。

 

「ええ、もちろんです!」

 

 彼の言葉を聞いてクラレットは微笑んだ。

 

 その直後、この場にいる四人のセルボルトと誓約者(リンカー)は召喚術を行使した。

 

 

 

 

 

 

 

 




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第114話 赤き雷の襲撃者

「腐って死んじゃえ! メルヒ・ダリオ!」

 

「叩き潰せ! ディアボリック・バウンド!」

 

 最初に召喚術を発動したのはカシスとソルだった。

 

 カシスがハヤト達の目の前に呼び出したのは腐ったような悪臭を放つ毒沼であり、その中から毒沼を体現したような巨体を持つ悪魔が現れた。存在するだけでも毒気を放っている悪魔は単純な物理的な攻撃ではなく、その見るからに嫌悪感を催すような猛毒を用いるようだった。

 

 一方、ソルが召喚したのは、クラレットも召喚したことがある長大な戦槌を持った赤銅色の肌を持った悪魔だった。カシスの召喚した悪魔とは対照的に単純に戦槌を用いた攻撃を行うのだが、悪魔の持つ膂力は並みではなく生半可な防御結界など無意味なものとしてしまうだろう。

 

「悪魔を滅せよ! 聖鎧竜(スヴェルグ)!」

 

 対してハヤトが召喚したのは霊界サプレスの鎧に身を包んだ巨竜だった。だが、この竜は七人の大天使が悪魔と戦うためにその魂を聖鎧に封じ込めた姿であり、高位の悪魔を迎え撃つに相応しい召喚獣であった。

 

 そして激突する二体の悪魔と七位一体の天使。悪魔は聖鎧を腐食させるべく猛毒の息を吹きかけ、力ずくで打ち砕くため戦槌を振り上げた。対して聖鎧竜は真っ向から受けて立ち、両手を合わせて生み出した魔力球を悪魔に叩き付けた。

 

 その魔力の塊は猛毒の息吹を浄化し、戦槌を粉々に粉砕しただけでは終わらず、カシスとソルが召喚した悪魔さえも飲み込んだのだった。

 

「馬鹿な……ここまでとは……」

 

「な、なんなのよぉ……あいつぅ……」

 

 悪魔と聖鎧竜の激突によって生じた魔力は反動として敗者に逆流(フィードバック)される。その影響でソルもカシスも二本の足で立つのはできないほど消耗し、膝をついてしまったのだ。

 

 しかしこれほど一方的な展開になるとはさすがに二人は予想していなかった。こちらは高位の悪魔が二体。向こうの聖鎧竜の方が格上とはいえ、数の差を埋めるほどのものではない、そう判断していたのだが、ご覧の有様だった。

 

 ここまでの圧倒的な差を生んだのはハヤトが五つのエルゴの力をその身に宿す誓約者(リンカー)であったからだ。通常の強制的に使役する召喚術ではなく、双方の合意のもとで誓約を結んだ上で初めて成立する最初期の召喚術。それがハヤトの用いているものだった。

 

 どちらも魔力を持って真の名に干渉するという点では変わらないが、カシスやソルが使う一般的な召喚術は真の名を隷属のために使うのだが、ハヤトの使うものは召喚する者の潜在能力を引き出すことに用いているのである。

 

 格上である上、潜在能力まで引き出されたとあってはいくら高位の悪魔とはいえ、聖鎧竜に歯が立たなかったのは当然の帰結だった。

 

 そして、悪魔と聖鎧竜の戦いが終わった直後、残されたクラレットとキールが同時に召喚術を発動させた。

 

「姉さん……行くよ! パニッシュレイド!」

 

「力を貸して……魔天兵(ベルエル)!」

 

 キールが召喚した光を放つ二振りの剣を携え、白い甲冑を身に纏い、背には三対六枚の白き羽を持った天使がクラレットに向かう。それを迎え撃つのは天使のような右半身と悪魔のような左半身を持ち、罪深き者に裁きを下す断罪者だった。

 

 魔天兵が手にした弓から放たれる制裁の矢を天使の持つ剣が弾く。しかし、魔天兵の仮面に隠された顔からは一切の動揺は感じ取れない。代わりに新たな矢を弓につがえて撃ち放った。

 

 しかし天使も負けてはいない。再び放たれた矢を手にした剣で弾き飛ばすと一気に魔天兵との距離を詰める。

 

 そして三度矢をつがえた魔天兵と剣を振りかぶった天使が交錯したと思った直後、どちらともなくその姿は消えていく。どうやら戦いは相討ちにお終わったようで、それは召喚した二人を見ても明らかだった。

 

「くっ……」

 

「うっ……」

 

 魔力の逆流を受け、呻く二人だが、そのダメージはカシスやソルほどではない様子であり、クラレットはすぐに体勢を戻すと三人に声を掛けた。

 

「これ以上戦いを続ける理由はありません。一度話し合いましょう? そうすればきっと――」

 

 クラレット自身は多少消耗したものの、無傷のうえ余力を残したハヤトがいるが、キールの側には既に多大な消耗を強いられたソルとカシスしかいない。戦闘力まで喪失したわけではないが、もはや勝敗は決したと言ってよかった。

 

 だから話し合いの場に出るよう提案したのだが、彼女が全ての言い切る前に膝を着いていたソルが立ち上がりそれを遮った。

 

「相手を殺しもせず勝ったつもりか、セルボルト本流の血は随分と甘いものだ!」

 

「その状態で何ができる!? もう一度召喚術を使った所でさっきの二の舞になるだけだ!」

 

「……貴様は未だ知られていない世界から召喚された。そして今は同じ世界から呼ばれた同胞を探している、そうだな」

 

 ハヤトの忠告を無視した言葉にハヤトは訝しんだ視線を送った。こちらがやっていることが無色の派閥に筒抜けだったことは覚悟の上だったため、たいして驚きもしなかったが、次の瞬間、ソルは胸元のペンダントをおもむろにむしり取った。

 

「何をするつもりだ!?」

 

 ハヤトが声を上げた時にはカシスとキールも同じように首から下げていたペンダントを外していた。

 

「見せてやるよ、我らがなんのために貴様の世界の人間を召喚していたかをな!」

 

「まさか……!」

 

 ソルの言葉で彼らが何をしようとしているのかハヤトは悟った。その瞬間、三人は意識と魔力を集中させた。

 

「間違いありません! あの子たちあれに書いてあったことを……!」

 

 クラレットは弟たちが行おうとしている召喚術が霊界サプレスと名もなき世界の二つの世界の魔力を用いたものであったことを感じ取った。それは紛れもなく名もなき世界の依り代にしたサプレスの悪魔を召喚する証左であった。

 

「だけど……!」

 

 ハヤトは否定の言葉を口にした。やろうと思えば三人の召喚を止めることはできる。しかしそれをすれば相当に消耗していたソルとカシスの身が持たないかもしれない。だから彼は力を振るうことを躊躇ったのである。

 

 そしてその躊躇いは三人に召喚を許す時間を与える結果となった。三本の光の柱とともに轟音が周囲を包んだのである。

 

 

 

 光と轟音が去った場に新たに存在していたのは目を閉じている三人の男女、男が一人に、女が二人だ。見た目は普通の人間に変わりなかったが、それを見たハヤトは大きく目を見開いた。

 

「樋口……お前が……」

 

 そこにいたのは樋口綾、かつてのハヤトのクラスメイトだった。彼女も那岐宮市で行方不明になった人間だったのだが、やはり無色の派閥に召喚されていたということだろう。

 

 さらにいえば、他の二人も会ったことはないが顔と名前だけは知っていた。深崎藤矢と橋本夏美、どちらもアヤ(樋口綾)と共に行方不明として情報提供を求める文言とともに掲示板にポスターが貼りだされていた人物だ。二人ともハヤトとは違う高校に通っていたようだが、生年月日を見る限り同年代だった。

 

「あらあらぁ~、もしかして知り合いだったりするのぉ? 私のカワイイお人形さんと」

 

 ハヤトの狼狽えた顔を見て溜飲が下がったのか、カシスは先ほどの憎しみに満ちたような表情から一転、勝ち誇ったような顔をしながら黒と紫を基調とした人間界では人形な服を着せられたアヤに頬擦りした。

 

 彼女にとってアヤは言葉通りお気に入りの着せ替え人形のようなものなのだろう。

 

 そんなカシスと同じようにソルも不敵に笑った。

 

「先ほどの口振り……、こいつらの、魔人形(ディアマータ)のことを知っているなら話は早い。今度はこいつらを使って戦ってやるよ。先ほどと同じように跡形もなく消し飛ばしてみるがいい、できるのならな!」

 

 そう言うと、三人の魔人形(ディアマータ)は肌を白く変色させていく。さらに奇妙の呪印のような紋様も浮かび上がり、目も魔力を帯びて輝いている。

 

「この力……さっきの悪魔と同等かそれ以上か……」

 

「おそらく魔王、高位の悪魔の器にされているのでしょう。あの時の、バノッサのように……」

 

 餓竜スタルヴェイグの器となったバノッサとアヤ達三人は同じ立場にあった。あの時は彼を救うことはおろか、アバドンに喰われるのをただ見ているしかできなかった。

 

「助けるよ、絶対に」

 

 だからこそハヤトは今度こそは、と心で繋げる。

 

「はい、今度こそ解放してあげましょう」

 

 そしてクラレットもハヤト同様に同じ過ちは繰り返させないと誓った。それは彼女にとってはバノッサのようになったアヤ達を救い出すということだけでなく、無色の派閥という組織とセルボルトという家に縛られる弟と妹を解放するということも意味していた。

 

 彼女の決意を耳にして、ハヤトはサモンナイトソードを構え向き合う。そして次の瞬間、戦いの第二幕が切って落とされた。

 

 

 

「やれ、トウヤ!」

 

 ソルの合図とともに口火を切ったのは二振一対の刀「烈霜焦炎」を操る彼の護衛獣トウヤ(深崎藤矢)だった。それをサモナイトソード一本で受け止めたハヤトが軍服のような服を纏う彼の持つ刀の異質さに気付いた。

 

(冷気と熱を持つ刀か、さすがにただの武器を持たせるわけはないか……)

 

 霜のように白い刀からは凍えるような冷気が発せられ、炎のような緋色の刀からは燃え盛る劫火のような熱が発せられている。どちらも普通の武器ではありえない特性だ。恐らくは魔力を付与された上で鍛えられているのだろうが、そうした芸当ができる鍛冶師は限られているのだ。

 

 もっともトウヤが持っているものは使い手にまで影響を及ぼすため、普通に使ってはなまくらよりも劣る失敗作に過ぎない。しかし彼の場合は強大なサプレスの悪魔の力があるからその力を十全に扱えているようだった。

 

(だけどっ!)

 

 ハヤトが盾代わりにしていたサモナイトソードを振ってトウヤを刀ごと後方に弾き飛ばした。しかし今まで低温と高温に曝されていたというのにサモナイトソードは一切ダメージを負った様子はなかった。

 

 それもそのはず、トウヤの持つ烈霜焦炎も強力な力を持つ武器だが、ハヤトのサモナイトソードも稀代の名鍛冶師の生涯最高の傑作なのだ。この程度で撃ち負ける道理はなかったのだ。

 

「ッ……!」

 

 トウヤと距離をとったハヤトが一息つこうとした時、背後から僅かに魔力を感じたため、半ば反射的にサモナイトソードを振った。

 

 瞬間、金属同士がぶつかる音が響いた。サモナイトソードは空中に浮いた手が持っているナイフのようなものと交錯していたのである。その直後手とナイフが消えるのを確認したハヤトが振り返って三人の魔人形(ディアマータ)を見ると、その中の一人、ボロボロのセーラー服に腕は包帯を巻いたナツミ(橋本夏美)の周囲に無数の鏡が浮かんでいる。

 

 恐らくはそれを通じて先ほどのように背後から仕掛けてきたのだろうと、ハヤトはあたりをつけた。一対一なら対処することは問題ないだろうが、今のように複数を相手にした時にはいつ死角から攻撃を受けるとも限らないため、非常に厄介な能力だった。

 

「シャインセイバー!」

 

 そこでハヤトは再び光輝に満ちた剣を呼び出した。だが先のように攻撃に用いるわけではないようで、彼の周囲に浮かんでいるだけだった。

 

 しかし、その召喚の隙を的確に狙ったナツミが今度は左後方からナイフを突き出してきた。

 

「何度も同じ手を食うか!」

 

 ところがハヤトはそう叫ぶと軽く左の指を振ってシャインセイバーを動かし、その刺突を防いで見せた。彼が周囲に浮かぶ剣を呼んだのは防御に使うためだったようだ。

 

「じゃあ、この子の炎で燃えちゃいなよッ!」

 

 カシスの言葉に合わせて今度はアヤが主の手拍子に合わせるようにゆらりと舞った。そのスカートの裾が描く軌跡に沿って幽火(ウィスプ)と呼ばれる霊界サプレスの炎が生み出されている。見た目は綺麗でも触れたものを残さず燃やし尽くす炎だ。おまけにふわりと舞うスカートの軌道に沿ってくるため、その動きは至極読みづらい。

 

「くそっ……!」

 

 思わずハヤトが呻いた。生み出された幽火(ウィスプ)が次々とハヤトに襲い掛かってきて、サモナイトソードで斬り裂いたり地面にぶつかったりするたびに小さい爆発を起こすのである。ハヤト自身はサモナイトソードを介して自身の魔力を防御的に用い防いでいるものの、厄介なことに変わりはなかった。

 

 こうした手合いには元を叩くのが有効なのだが、今回に限っては攻撃を行っているアヤにも彼女に手拍子で命じているカシスにも、攻撃することは躊躇われたのだ。

 

 だがそこへクラレットがハヤトを援護するため半天使半悪魔の召喚獣を呼び出した。

 

「浄化して、ルニア!」

 

 クラレットの指示を受けたルニアがハヤトとアヤの周囲に雨を降らせた。もちろんただの雨ではない。聖なる力を宿した雨だ。数は多いとはいえそれほど強力ではない幽火(ウィスプ)はこの雨を受け次々と消滅していった。

 

「邪魔ばかりしてぇ……ほんとうにウザい!」

 

 自身の護衛獣の邪魔をされたカシスが憎悪の視線を腹違いの姉に向けた時、今度はソルとキールが召喚術を発動させた。先ほどまでトウヤとナツミにだけ攻撃させていて指示も援護もしなかったのは力を整えて再び召喚術を使うためだったようだ。

 

「どけ、カシス! 穿て、スパージガンナー!」

 

「ここで倒れてくれ、遠異、近異!」

 

 二人が召喚したのはこれまで使っていたサプレスの召喚術ではなかった。セルボルトの名を持つ者として英才教育を受けて来た彼らは、とうとう彼らの父のようにもう一つの属性の召喚術を行使できるようになったのである。

 

 そうしてソルが召喚したのは暗めの青灰色のボディーカラーを持ち、巨大な海生甲殻類を思わせる多脚の機体、機界ロレイラルの召喚獣だった。そしてキールが呼び出したのは鬼妖界シルターンの妖鬼の双子である遠異と近異だ。それぞれが氷と炎という相反する力を持っているが、共に召喚されることからも分かるように非常に仲が良く、それを生かした連携攻撃は非常に強力なのである。

 

幻歪の光機兵(ゼルギュノス)鬼龍(ミカズチ)!」

 

 それに対してハヤトが召喚したのも同じロレイラルとシルターンの召喚獣であった。彼らが魔人形(ディアマータ)を用いて優勢に立ったと思い込んでいるのだとしたら、それは幻想に過ぎないと突き立ててやろうというのだ。そうして向こうに戦う気を失わせてようやく、話し合いのスタートラインに立てるのである。

 

 そのために重大な役割を負った二体の召喚獣だったが、彼らは果たしてハヤトの機体に答えて見せた。幻歪の光機兵(ゼルギュノス)は両肩の砲身から発射した極太のビームが、スパージガンナーが放った針状の弾丸を機体ごと飲み込み、鬼龍(ミカズチ)はいくつもの竜巻を発生させ、双子の鬼の童子をそれぞれ巻き込んで吹き飛ばした。

 

 ようやく呼び出した召喚獣を再びあっさりと無力化されたソルは、魔力の逆流(フィードバック)を受けて息も絶え絶えの状態で、自らの護衛獣に命じた。

 

「何をしている! 早くやつを殺せ!」

 

 主の命令を受けたトウヤが烈霜焦炎を構え向かってくる。

 

 現在、一時的にとはいえソルとキールは戦闘力を喪失している。今が三人を救い出せる絶好のチャンスなのだ。それがわかっているからこそ、ハヤトもサモナイトソードを中段に迎え撃つ構えを見せた瞬間、ちょうどその間に赤い閃光と、ほんの一瞬遅れて轟音が響き渡った。

 

「今になってか……!」

 

 舞い上がる砂埃によって視界を遮られたハヤトだったが、それでも何が起こったのかを悟っていた。ここに来る原因となった雷に似た何かがとうとう姿を現したのだ。

 

「クラレット、一旦下がろう」

 

 視界も利かない現状ではまずいと判断したハヤトはクラレットとともに距離をとって、砂埃が晴れるのを待った。

 

 少しして砂埃が落ち着いたところにいたのはトカゲに似た皮膚を持つ二足の歩行の悪魔だ。腕には鋭く長い三本の爪が、頭部にも一本の長い角がそれぞれ生えていた。さらに胸部周辺と膝から大腿部にかけては見るからに頑丈そうな甲殻があった。

 

 さらに特筆すべきはその悪魔の周囲に時折電撃が走ることだ。

 

 それも、赤い電撃が。

 

 悪魔の名はブリッツ。だが今彼らの前に現れたのは赤い雷撃を操る変異体だった。

 

(強い……これまでに戦ったどんな悪魔よりも……!)

 

 最近こそめっきりなくなったが、数年前までハヤトは少なからぬ数の悪魔と戦ってきたのだ。それで培った経験が半ば本能的にハヤトにブリッツの力を悟らせたのだ。

 

 それでもハヤトはサモナイトソードを握る手に力を込め直した。既に逃げるという選択肢などない。そもそも電撃を操る悪魔から足で逃げることなどかなわないだろう。

 

 そんなハヤトの戦意を感じ取ったのか、ブリッツは威嚇するように吼えると体を電撃に変えてその場から姿を消した。

 

「っ!」

 

 悪魔特有の邪悪な魔力を感じ取ったハヤトが咄嗟に身を翻して前方に跳んだ直後、一瞬前までハヤトが立っていたところの真上からブリッツが腕の爪を振り下ろしながら現れた。

 

 すんでのところで回避できたもののブリッツの爪は固い地面に容易く突き刺さっており、もし避けられていなかったらハヤトの体が串刺しになっていただろう。

 

「喰らえっ!」

 

 転がるように避けたとはいえ、ハヤトも十分な場数を踏んできた戦士だ。先ほどの魔人形(ディアマータ)との戦いの時から召喚していたシャインセイバーをブリッツに叩き込んだ。

 

 だがシャインセイバーはブリッツに当たる寸前で弾かれてしまった。

 

(くそっ、電撃をシールド代わりに使ているいるのか……!)

 

 シャインセイバーが弾かれる瞬間に赤い電撃が見えたことで、ブリッツが電撃を防御手段として用いていることに気付いた。理屈としてはハヤトがサモナイトソードの魔力を用いて力場を発生させ、防御的に使っているのと同じようなものだ。

 

(なら、あの電撃を全部吹き飛ばすしかない!)

 

 それゆえ、対策もすぐに思いついた。ハヤトの力場も攻撃を受ければ徐々に力を削られていく。だから同じようにブリッツの電撃のシールドも何らかの攻撃を当てて全て削りきってしまおうと言うのである。

 

 だがそれは言うは易く行うは難しである。既にブリッツの姿は先の場所にはなくなっている。向こうの移動を視認できない以上、こちらの攻撃のチャンスは先ほどシャインセイバーを当てた時のように、向こうの攻撃を回避して即反撃しなければならないのだ。

 

 しかしブリッツも同じ攻撃ばかりしてくるような単調な悪魔ではなかった。不意にハヤトの正面に現れ、左腕を振ってきた。

 

「つぅっ……!」

 

 避けることこそ叶わなかったが、咄嗟にハヤトはサモナイトソードで爪の一撃を防ぐことはできた。しかし、ブリッツの爪とサモナイトソードが接触した瞬間、ハヤトの体に電撃が走った。向こうのシールドには防いだ攻撃に対して自動で反撃も行っていたのだ。

 

 おかげで反撃もままならず、おまけにブリッツは再び体を電撃に変え姿を消していた。

 

(ここまで速いんじゃ召喚術も使えない、結構厳しいな……)

 

 電撃で受けた傷を庇いつつ油断なく周囲に注意を払う。ブリッツの電撃のシールドを剥がす手段としては高位の召喚獣による攻撃は有効だろうが、相手の体を電撃に変える能力には相性が悪い。使えそうなのは自身のサポートをする召喚獣か、シャインセイバーのように呼び出してそのまま攻撃に使えるものくらいなのだ。

 

「ハヤト、また来ます! 気を付けて!」

 

 それはクラレットも理解しているようで、彼女がそう言いながらサプレスから聖精《リプシー》を召喚し、ハヤトが受けた傷を回復させた。

 

 その直後、ブリッツはハヤトから少し離れたところに現れ、両腕を広げて天を仰ぐと両の手と頭部の角に赤い雷撃が集まっているのが見えた。

 

(今なら……!)

 

 ハヤトは動きが止まったブリッツを見て、千載一遇の好機と判断した。防御の力場に回している魔力を全てサモナイトソードに集中する。今度は自分の魔力を防御ではなく攻撃に用いるのだ。

 

 そしてハヤトがサモナイトソードから莫大な魔力を放出したのと、ブリッツが両手と角に集めた赤い電撃を放ったのはほぼ同時だった。

 

 激突する魔力と電撃。轟音と共に赤い稲光と魔力光が周囲を包みこんだ。

 

「はぁ……はぁ……これならどうだ……!」

 

 サモナイトソードを両手で支えながらハヤトは呼吸を整えながらブリッツを見ると、先に電撃から発射位置から吹き飛ばされて倒れていた。自分に向けて放たれた電撃が来ていないということから引き分け以上の結果になったとは思っていたが、ようやく相当の打撃を与えられたということだろう。

 

 彼の後方にいたクラレットもそれを見て安堵の息を吐いたとき、ブリッツは素早く起き上がった。

 

「うそ……あれを受けて……」

 

「いや、向こうもだいぶ消耗しているはず……、もう一押しだ」

 

 いまだ電撃のシールドは健在だが、それでも最初と比べ感じる力は相当に落ちていた。もう今のような一撃を用いなくともシールドを剥がすことは可能だろう。

 

 そう判断したハヤトは反撃の手段として用いるためもう一度シャインセイバーを召喚するが、その瞬間、ハヤトは横合いから攻撃を受けた。

 

「こんな時に……っ!」

 

 攻撃をしてきたのはトウヤだ。さらに死角からはナツミのナイフが繰り出される。おまけにアヤまでこちらに向かって来ていた。

 

「っ、ごめん……!」

 

 一瞬の逡巡の後、ハヤトは決断してサモナイトソードを振るった。彼らの命までは奪わないように込める力には細心の注意を払ったおかげか、三人とも吹き飛ばされ、多少の傷は負ったものの命に関わるほどではなかった。

 

 だが、その判断はハヤトにとっては致命的だった。

 

「ハヤトっ!」

 

「え……?」

 

 クラレットの声でハヤトは自身に危機が迫っていることに気付いた。ブリッツが頭部の角を向けて目の前まで突っ込んできていたのである。

 

 対応しようにもはや手を動かす暇さえない距離。

 

 そしてハヤトが目を見開いた時、ブリッツの角が深々と彼の胸に突き刺さった。

 

「ぐ……あ……っ」

 

 呻き声を上げながらハヤトは口から大量の血を吐いた。体に突き刺さったブリッツの角は肺を貫通していたのだ。

 

 だがいまだ角はハヤトに刺さったままハヤトを持ち上げると、ブリッツは角に電撃を流した。

 

「がああああああああああ!」

 

「っ、ツヴァイレライ!」

 

 クラレットが召喚術を発動する。呼び出された混沌の騎士が主の命に従いブリッツに渾身の一撃を叩き込んだ。

 

 不意に攻撃を食らったブリッツは電撃のシールドも失い、ハヤトをその場に落として後退した。だがクラレットはそんことには目もくれずハヤトのもとに駆け寄った。

 

「ハヤトっ、ハヤト!」

 

 呼び掛けても返答はない。貫かれた胸の穴からは止まることなく血が流れており、ハヤトの服をそして彼を抱きかかえるクラレットの手を汚している。おまけに強烈な電撃を浴びたせいで全身に火傷も負っていた。

 

 一刻の猶予もない。そう悟ったクラレットはすぐさまサプレスの天使を召喚した。

 

「は、ははは……ちょうどいい! 二人まとめて消え去れ!」

 

 だが、同じタイミングでソルもまた機界の召喚獣を呼び出していたのだ。呼び出された大小合わせて六本の腕を持つヘキサアームズが得意の電磁網でハヤト達を一気に始末しようとした時、思わぬ邪魔が入った。

 

「なっ!?」

 

 ブリッツが飛びかかっていたのである。

 

 その原因はソルが犯した一つのミスにあった。ヘキサアームズの放とうとした攻撃の有効範囲内にブリッツが入っていたのである。かの悪魔が自身に攻撃を加えようとする原因を即座に排除しようとしたのは当然だった。

 

 そして悪魔と機械兵の勝負は一方的なものだった。もともと電気を操るブリッツを相手に同じく電気を操るヘキサアームズは相性が悪かったのである。

 

 シールドが剥がされ、ハヤトと戦った時のように体を雷に変えることはできなくなったものの、俊敏性は並みの獣を遥かに凌ぐのだ。おまけに悪魔の鋭利な爪は装甲すら意に介さない強度だったようで、大破したヘキサアームズは攻撃を行うことなくロレイラルへ送還されてしまったのだ。

 

「ひぃっ……!」

 

 機械兵を戦闘不能に追い込んだブリッツが地面に降り立った様子を見て、恐怖に顔を歪ませたカシスが小さな悲鳴を上げる。

 

 しかしブリッツは彼女達に興味を示さず、すぐにハヤト達の方に向き直り唸り声を上げながらゆっくり近づいていく。自身のシールドを破った以上、この悪魔も相応の警戒をしているということだろう。

 

 もちろんそれはクラレットも気付いていることだったが、それでも彼女はハヤトの傍を離れなかった。強力な回復の術の施したとはいえ、いまだハヤトの意識は戻らない。かといって逃げることはできず、迎撃するための魔力もない。

 

 万策尽きたのだ。

 

「ごめんなさい……」

 

 クラレットは涙を零しながら、横になって眠るハヤトに覆いかぶさるように抱き着いた。せめて最後は愛する男と一緒にいたかったのだ。

 

 そんな様子を見てもブリッツの様子は変わらない。ゆっくりと近づいていく。

 

 しかし、もう二人が目と鼻の先という距離まで近づいた時、ブリッツは不意に後方を振り向いた。その方向はエルゴの守護者であり、ハヤトの仲間でもある至竜ゲルニカがいる剣竜の峰が位置する方角でもあった。

 

 そして今はまだ豆粒ほどに小さいが、剣竜の峰から飛来する影が見える。唯一サイジェント近辺に残ったエルゴの守護者が誓約者(リンカー)の危機に動いていたのである。もし、ハヤトがあのブリッツの一撃を回避して戦いが長引いていたらゲルニカという援軍を得て、一気に勝利できたかもしれないが、もはや後の祭りだった。

 

 ブリッツは迫りくるゲルニカに向かって少しの間唸るような声を上げると、跳躍しその場から離脱した。電撃のシールドも失った今、あの増援と戦っても勝つ見込みは薄いという判断なのだろう。

 

 そして戦場には残されたのは、悪魔が来る前と同じ誓約者(リンカー)と四人のセルボルトの姓を持つ者、そして三人の魔人形(ディアマータ)であったが、状況は完全に逆転していた。

 

「……ここは退こう」

 

 キールは二人に言った。彼らにもここに近づいてくる大きな魔力は察知していた。消耗しているのは三人のみならず護衛獣の魔人形(ディアマータ)もである。あれだけ大きな魔力を持つ存在と一戦交えるだけの余力はないのである。

 

「分かったわよ。……だけど、あいつだけでも――」

 

 それはカシスにも分かっていたが、彼女は魔力と意識を手にした召喚石に集中した。目の前に戦える力をほぼ失った怨敵がいるのだ。この千載一遇の好機を見逃すという選択肢を選ぶことは彼女にはできなかった。

 

「っ、カシス!」

 

「え?」

 

 兄ソルの言葉が聞こえた瞬間、彼女の視界は一面空になっていた。その直後、背中に感じた衝撃と自身の胸元あたりに護衛獣の姿を見えた。カシスはアヤに押し倒された格好になっていたのだ。

 

 だが、何の意味もなく護衛獣がそんなことするはずがない。それどころかアヤはトウヤやナツミとは違い、カシスの指示に動くことはないはずなのだ。しかしカシスがその理由を問うことはなかった。

 

「っ、次から次へと……、トウヤ!」

 

 アヤの独断で行動できた理由はともかく、ソルが護衛獣に指示を送っていたことで、彼が声を上げ、カシスが押し倒されたた理由を悟った。この場に自分達の敵となる者が現れたのである。

 

 そしてカシスが身を起こした時、その存在はハヤトとクラレットのもとへ走って来ていた。

 

「シンゲンさん……」

 

「いやぁ、随分と探しましたよ。……とはいえ、あちらの方々はゆっくり話す時間はくれなさそうですね」

 

 クラレットに名前を呼ばれた数年前からフラットに居候しているシルターンの着物を着ている男が答えた。顔には柔和な笑顔を浮かべているが、周囲には油断なく注意を払っていた。

 

「気を付けろソル! 今のは居合だ!」

 

 キールはシルターンの召喚術を扱えるだけのことはあり、先ほどシンゲンがカシスに放った攻撃の正体を悟っていた。

 

「ご明察です。そちらの召喚師さんは随分とお詳しいご様子で」

 

「減らず口を……!」

 

「おっと、余計なことはやめてもらいましょうか。この距離なら自分の方が早い、あなたも自分の命は惜しいでしょう?」

 

 怒りを露にしたソルにシンゲンは刀を収め居合の構えを取りながら言った。事実、今から召喚術を放つには多少なりとも時間を要する。その前にシンゲンの居合が致命傷を与えることは十分可能だった。

 

「数はこちらが上だ。そんなことをしても無駄死に終わるだけだ!」

 

「相討ち大いに結構! それにこちらは味方も来ますから、抵抗が無駄に終わるのは、さて、どちらでしょうか」

 

 キールの言葉にシンゲンが言った。ハヤトとクラレットを探していたのはシンゲンだけではない。それにゲルニカまでここに近づいていることまで考えると、応援が来た時点で勝敗は決することになるだろう。

 

「ちっ……、二人とも引き上げるぞ」

 

 ここまで好き放題言われて下がるのはプライドが傷つくが、そんなものにこだわって拘束されるわけにはいかない。ソルはシンゲンにも聞こえる程舌打ちをすると、キールとカシスに声をかけた。

 

 するとカシスはメイトルパの飛竜を呼び出すと、全員それに乗ってこの場から飛び去って行く。

 

 それと入れ替わるように空からはゲルニカが降り立ち、ガゼルをはじめとした仲間達も到着した。これでようやくこの戦いは終結したのだが、ハヤトは一向に目を覚ます様子はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 




赤いブリッツは常時、通常種の死に際の暴走状態(オーバーチャージ)でいると考えてもらえば想像しやすいかもしれません。

次回は8月24日か25日に投稿を予定しています。

ご意見ご感想評価等お待ちしております。

ありがとうございました。


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第115話 赤き影の暗殺者

 聖王都ゼラムにある蒼の派閥本部に三人の召喚師が足を踏み入れたのは昼過ぎだった。

 

「ここに来るのもしばらくぶりだなぁ、ファミィさんのところにはこの前いったけど」

 

「マグナ、それは蒼の召喚師としてどうなんだ?」

 

 弟弟子の呆れた物言いにネスティが頭を抑えながら答えると、今度は妹弟子のトリスが口元の笑みを抑えながら口を開いた。

 

「そうよ、マグナ! 私はなんかちょっと前にも報告に来たんだから」

 

「僕に五回も直された報告書を持ってな」

 

 ネスティはトリスにも厳しい視線を送る。この妹弟子はもう何年も派閥の任務を受けているが、当然その報告書も書かせているのだが、一回で合格を出せるようなものは出せず、何度かネスティからの校正が入るのが常だった。

 

「た、大変だな……」

 

「まあ、トリスのことはいいとして、君の方はちゃんとやっているんだろうな?」

 

 他人事のように呟いたマグナにネスティが言う。トリスとは派閥の任務で共にいるから分かるが、マグナとはたまに同じ任務に任じられるかレルム村に行った時にしか会っておらず、あまり彼の近況は把握していないのだ。

 

「そりゃもちろん。学園の方も上手くいってるし、最近は悪魔も出ないから平和だしな」

 

「そういうことを聞いているんじゃない。いいか、村での君の立場は派閥の代表のようなものだ。いくら知り合いが多いとはいえ、あまり情けないところを見せては派閥の沽券にもかかわるんだ」

 

 マグナは普段アメルと共にレルム村に住んでいる。名目上は村に派遣された蒼の派閥の召喚師ということになっているため、ネスティの言葉も一理あった。いくら村長が共に暮らすアメルの祖父アグラバインであり、自警団の長も共に戦った仲間でもロッカであろうとそれは同じなのだ。

 

「わかってるって、ちゃんと定期的に報告もしてるよ」

 

 新しいレルム村は、はぐれ召喚獣達が集まる開拓村のようになっている。だが、そうなることができたのも金の派閥が出資しためであり、事実、村に集まった様々な種族の子供を預かる学園の長は金の派閥議長の家系に連なる者が就いていた。

 

 そのため外面だけ見るのなら金の派閥の影響が色濃い村と見なすことができ、蒼の派閥としては金の派閥への牽制と村への影響力確保という名目でマグナという召喚師を派遣した、という筋書きになっているのである。だからこそ、他の町に派遣された召喚師以上に定期的な報告が義務付けられているのだ。

 

 ただ、実際のところレルム村の再興に関しては両派閥のトップも合意した上でのことであるため、マグナの役目も名目上とは異なり、両派閥や村の面々との調整役が主なっているし、派閥から他の任務を受けることも少なくなかった。

 

「わかっているならいいが……、そうでなくとも君は――」

 

「まあまあネス、まずは報告を済ませちゃおうよ。あんまり遅くなるとアメル達だって困るしさ」

 

 お説教が長くなりそうだと思ったトリスがネスティの言葉を遮った。

 

 アメルは今、マグナとトリスの護衛獣と共に買い物に行っている。レルム村は再興したとはいえ、全てを自給自足で賄えるわけではない。時折、行商人は来るため日用品の類は買えるものの、今日のようにゼラムなど近場の都市に来た時は普段は中々見ることのできないものを買うのである。

 

 そうした経緯もあり意外と買う物は多くなるため、マグナとトリスの護衛獣は荷物持ちも兼ねてアメルに同行させていたのだ。

 

「……仕方ない、今はそういうことにしておこう」

 

 彼女とは付き合いが長いネスティはトリスの思惑に気付かないはずがなかったが、それでもその言葉には一理あったため説教ひとまず打ち切って指定された部屋に行くことにした。

 

 そうして数年前まではよく目にした本部の姿を見ながら三人は会議室に着いた。ドアを開けて中に入ると会議室の中には既に人がいた。蒼の派閥でも数少ない師範の称号を持ち、ネスティの義父でもラウル・バスクだった。

 

「すいません、遅くなりました」

 

「いやいや、まだ約束の時間にはなっていないよ。わしが早く来過ぎただけなんじゃ、気にすることはない」

 

 義父とはいえ、公私を厳格に分けるネスティが頭を下げると、ラウルは優しげな笑顔を浮かべて言ったが、やはり以前と比べると随分年を取ったようにも見える。数年前のエルバレスタ戦争で蒼の派閥も多くの有能な召喚師を失った。その影響でラウルもまた激務が続いているのかもしれない。こればかりは経験がものを言うため、若い召喚師を増やしたところで如何ともし難いのだ。

 

 そしてラウルは三人に席に着くと促すと口を開いた。

 

「それにしても二人とも、随分頑張っているようだの。君達の出した報告書はいつも目を通しておるよ」

 

 そうラウルに褒められたマグナとトリスは嬉しそうに笑った。ラウルはマグナやトリスにとっても父親のような存在なのだ。

 

「もちろんネスもじゃ。よくトリスのこと支えてやっているようじゃな」

 

「いえ、そんな……」

 

 あまり褒められることに慣れていないネスティが答える。しかしマグナとトリスの手前、すぐに話を戻すことにした。

 

「……それで、ラウル師範。今回はどのような話なんでしょう? 僕やトリスだけじゃなく、マグナまで呼ぶなんてしばらくなかったはずですが……」

 

 今回ネスティとトリスがマグナと共に来たのは派閥からの指示があったからだ。一応、これまでにマグナと共に任務を命じられたこともないわけではなかったが、それは派閥の任務を受けるようになって最初の頃だけのことだった。それはそうした任務に慣れていない二人に仕事を覚えさせるという意図があったもので、それから何年も経った今、同じことをする必要はないはずだ。

 

「それなのじゃが、実は帝国の方で怪しい動きがあっての」

 

「怪しい動き?」

 

「うむ、何年か前に帝都で悪魔を使った暗殺騒ぎがあったのは覚えておるか?」

 

 首を傾げるトリスにラウルが尋ねた。するとネスティが頷きながら言った。

 

「ええ、よく覚えています。当時の帝国摂政アレッガも犠牲になったという話ですね?」

 

 その話が彼の耳に聞こえてきたのは、ちょうどトリスとともにレナードをバージルのもとに送り届けて聖王国に帰ってきた頃だった。当時は聖王国でも悪魔が現れること自体かなり少なくなっていたため、その事件は悪魔の恐ろしさ再確認させながら国中を駆け巡ったものだった。

 

 余談ではあるが、一時は悪魔による被害が少なくなっていることから軍備の縮小を望む声が過半を占めていた聖王国上層部だったが、この事件がきっかけで、悪魔への有効な対抗手段である銀製の武器の騎士団への装備が進められることになったのである。それをバージルから聞いてきたネスティは思いがけず配備が進んだことに随分と驚いたものだった。

 

「そう、それじゃ。一時は落ち着いたと思っておったのじゃ、また帝都の方で何人もの貴族が殺されたという話が入ってな」

 

「それじゃあ、また悪魔が?」

 

 マグナの疑問にラウルは首を横に振って言った。

 

「そうとは限らん。無色の派閥も活動を活発化させているとも聞く。そちらの可能性もあるじゃろう」

 

「……なるほど、それを調べるのが今度の任務ということですか」

 

 義父の言葉を聞いてネスティは今回の仕事の内容を悟った。確かにこれなら自分達だけでなくマグナも呼んだことに納得がいった。調査が目的とはいえ、今回は戦いになる可能性も低くはない。いくらトリスやネスティが腕利きとはいえ、さすがに二人では限界があるのだ。

 

「危険な任務になるかもしれん。断ってもいいんじゃぞ」

 

 ラウルは師範としてではなく、父親として三人に言った。しかし既に三人の心は決まっていた。

 

「心配してくれてありがとうございます、ラウル師範。でも大丈夫です。やります」

 

「うん。それに、これでも荒事は慣れてるからね」

 

「そういうことです、義父さん。まさか二人だけに任せるわけにもいきませんからね、僕も行きます」

 

「そうか……。すまないな、三人とも」

 

 三人の返答を聞いたラウルがそう言うと、少し間を置いて、今度は師範の立場として口を開いた。

 

「……今回の任務には帝国軍のアズリア将軍に協力をもらうことになっている。帝都で落ち合い、情報を得た上で調査を行って欲しい」

 

 帝国軍のアズリアとは以前から無色の派閥に関して協力関係にある。これまでも相互に情報の提供や国内での便宜を図ってきた間柄なのだ。そのため今回も無色の派閥の関与が疑われるため、彼女に協力を要請したのである。

 

「アズリア将軍かぁ、確か先輩たちの結婚式にも来てましたよね?」

 

 ラウルが出した名前にマグナは覚えがあった。現在はラウルと同じ師範にあり派閥の幹部となっている二人の先輩、ギブソンとミモザの結婚式にも出席しており、多少なりとも話をしたことがあったのだ。一応、それ以前にも顔を見たことはあったが話はしておらず、この時に初めて会話をしたのである。

 

 帝国初の女将軍という肩書に負けない威厳と風格を備えていたが、それ以上に驚いたのはあのバージルと二十年来の知り合いだったことだ。やはり偉くなる人はやはり普通の人とは少し違うのだなあ、とマグナは思ったものだ。

 

「そのとおりじゃよ、マグナ。なにしろ将軍との協力関係の構築に尽力したのはあの二人じゃからな。当人たちも何度も帝国に足を運んでいたと聞いておるしの」

 

 話自体を提案したのはアズリアであり、聖王スフォルトも興味を示したものだったが、それを具体化させたのは、蒼の派閥から聖王国の行政機関へ出向していたギブソンとミモザだったのだ。

 

 結果的には最初にアズリアが提案したような新たな組織を作ることもできず、表向きは帝国軍と蒼の派閥と金の派閥の協力体制を構築する程度に留まったが、それでも長年政治的には対立が続いていた帝国との間で協力関係を構築することができただけでも大きな変革だと言ってよかった。

 

「すごいことしてたんだなぁ、先輩たち……」

 

 トリスがラウルの話を聞いて声を漏らした。今の彼女の立場はその先輩がかつていた立場と同じなのだが、自分が同じことを出来るかと聞かれると、なかなか頷くことはできないだろう。

 

「分かりました。……ところで派閥の準備はいつ頃に?」

 

 感心するマグナとトリスを尻目にネスティは実務上必要なことを尋ねた。派閥が命じた任務である以上、道中困らない程度の旅費は出るのだ。ただ、それでも組織である以上、勝手に金を支出するわけにもいかないためどうしても準備をするのに数日を要するのである。

 

「五日もあればできるじゃろう。それまではゆっくり英気を養ってくれ」

 

 ラウルから今後の見通しを伝えられると三人は頷き、その場を後にした。

 

 

 

 

 

 本部を出た三人はアメル達との待ち合わせ場所である導きの庭園に向かって歩いていると、不意にネスティが難しい顔をしながら二人に言った。

 

「しかし、今回の話には何か裏がありそうだな」

 

「どういうこと、ネス?」

 

 兄弟子の言葉の意味が分からずトリスが尋ねた。

 

「考えてもみろ、前の暗殺騒ぎの時は調査任務なんて誰もやっていなかっただろう。それなのに今回はその命令が下った。おまけにいくら無色の派閥に関しては協力関係にあるとはいえ、帝国軍もここまで表立って協力するという話になっているんだ。裏がないと考える方が不自然だ」

 

 確かに先の悪魔による暗殺騒ぎは当時の摂政、実質的な帝国の最高権力者が殺されたにもかかわらず、蒼の派閥はあくまで静観するだけに留まったのだ。摂政の殺害を防ぐことができなかった帝国軍がその矜持から派閥の調査を断ったと考えることもできるが、それならなぜ今回は協力のするのか、という疑問が生まれるのだ。

 

「それじゃあ、これが罠だって言いたいのか?」

 

「そうじゃない。だが、今回はいつものような任務とは思えないだけだ」

 

 否定的な口調で言ったマグナにネスティは首を振った。

 

「うーん、こんな時先輩はどうするかなぁ……」

 

「この前会った時の話じゃまだ城の方に行ってるみたいだし、今から会うのは無理かもなあ」

 

「いいじゃんマグナは。私なんかあの結婚式のあとに一回しか会ってないんだから!」

 

「結婚式か……」

 

 それを聞いたネスティが顎に手を当てた。何か思うところがあるようだった。

 

「あ、なにネスってば、自分も結婚したくなったーみたいなこと思ってたりするの?」

 

「君はバカか。そういう話じゃなくて、その時は確かアズリア将軍は来ていたことは覚えているか?」

 

 茶化すトリスの言葉を一刀両断すると、ネスティは今しがた考えていたことを口にした。彼の記憶では見たのは一度だけであり、話もしていなかったので、本当に来ていたか自信を持って言えなかったのである。

 

「ああ、それなら俺が覚えてるよ。少し話もしたから間違いない」

 

 その疑問にマグナが答えるとネスティが続けて疑問を口にした。

 

「あの時は確か、総帥やファミィ議長も来ていたはずだが、姿が見えなかった時がなかったか?」

 

「……あー、もしかしたらそうだったかもしれない……確か、その時はファミィさんを探してたけど、見つからなかったんだよな……、帰り際にはいたけどさ……」

 

 ネスティの言葉にマグナは額を抑えながらその時のことを思い出す。レルム村の復興には金の派閥の強力なバックアップ、とりわけファミィ議長にはいろいろと便宜を図ってもらっているため、改めてお礼を言おうと思い探していたのだ。ただ、彼女はなかなか見つからず、娘のミニスも居場所がわからないとのことだったので困り果てたが、帰り際にようやく見つけることができたのだ。

 

「たしかにそう言われればファミィさんも総帥も最初と最後くらいしか見てないや。なにしてたんだろう?」

 

「その三人が何か相談でもしていたとも考えられるが……」

 

 蒼の派閥の総帥と金の派閥の議長、さらに帝国軍の将軍が密談をしていたのであればきな臭い話になりそうだが、ネスティはどこか釈然としなかった。帝国とはいまだ政治的な対立は続いているが、無色の派閥絡みでは協力関係にあるため、そのあたりの理由をでっち上げればその三人が一堂に会するのは不可能ではないはず。あえてあの場で機会を設ける必要はないのだ。

 

「あ! そう言えばバージルさんが総帥と一緒にどこか行ったって先生が言ってたんだ!」

 

 トリスが声を上げた。珍しくバージルと一緒ではなかったアティに声をかけたとき、彼女がそう教えてくれていたことをようやく思い出したのだ。元々バージルとエクスは知り合いだと聞いていたため、特に気にもならず記憶の奥底に埋もれていたのである。

 

「っていうか結婚式に来るっていうイメージはないよなぁ、バージルさんって……」

 

「うんうん、むしろ『なぜ俺がそんなのに出なければならん』とか言いそう!」

 

 苦笑いしつつ言ったマグナの言葉に、トリスはバージルの口真似をしながら答えた。すると俯いて考え込みながら聞いていたネスティが何かに思い至ったように顔を上げた。

 

「……二人の言う通りかもしれない」

 

「どういうこと?」

 

「もともとあの人は結婚式に出るためじゃなく、話し合いを持つために来たのかもしれないってことだ」

 

 バージルは自分達やハヤト達はともかく、結婚式の主役たるギブソンやミモザとはほとんど接点がなかったはずだ。サイジェントで無色の派閥が乱を起こした一件で顔は合わせたらしいが、それでも結婚式に呼ぶほどの間柄とは到底言えない。

 

 だからこそネスティは、バージルが来た目的はアズリアとともにエクスやファミィとの話し合いを行うことにあるのではないか、と推測したのだ。

 

「仮にそうだったとしても何だって言うんだよ? どうせ話の中身は悪魔絡みだろうし、心配することもないだろ」

 

 マグナ首を傾げた。バージルが関わる以上、議題は彼が口を出せる悪魔に関することになることはマグナも理解していた。それだけに気にすることもないだろうと思ったのだ。

 

「別に危険性が上がるという話じゃない。……ただ、今回はそれ以来、初めての悪魔が絡んだ任務なんだ。いつも以上にしっかりと調査した方がいいだろう」

 

 ネスティもマグナ同様にエクスたちに疑念を抱いているわけではない。ただ、任務の特異性から考えてこれまで以上に詳細な報告を求められることにもなりかねない。それに対応できるように、これまで以上に入念な調査をしたほうがいいと思ったのだ。

 

 それに対しマグナとトリスが頷いた時、ちょうど三人は待ち合わせ場所の導きの庭園についたのだった。

 

 

 

 

 

 導きの庭園でアメルと四人の護衛獣と合流した三人はレルム村を目指してゼラムを出た。昼を少し過ぎたくらいに出たなら、十分に日が高いうちに村に到着するのが常だったが、今日に限っては大量の荷物を抱えているせいか、いつもりずっと時間がかかっていた。

 

「思ったより遅くなっちゃいましたね」

 

「でも、いっぱい買えたよ……」

 

 先頭を歩くアメルの言葉にハサハが答えた。意外と力仕事には慣れているアメルはともかく、ハサハも他の者より少ないながらも荷物を手にしていた。反対に多くのの荷物を持っているのは最後尾のレオルドだ。機械兵士だけに文句ひとつ言わずに黙々と運んでいた。

 

 そんな中両手に袋を下げアメルとハサハのすぐ後ろにいたトリスは息を荒げながら口を開いた。

 

「さすがに買い過ぎたんじゃないの……、ねぇ、レシィ、ちょっと持ってくれない……?」

 

「えぇ!? そんなこと無理ですよご主人様ぁ」

 

 話を振られたレシィが弱音を吐いた。とはいえ、彼も隣のトリスと同じように両手に荷物を持っている。いくら主の命令とはいえ、トリスの分まで村まで持っていけるわけがない。

 

「トリス、みんな持っているんだ。君だけ我儘言うんじゃない」

 

 彼女のすぐ後ろに位置するネスティは兄弟子らしくそう言うが、実のところこの中で最も体力がないのは彼なのだ。トリスの前だけに顔には出さないが、腕はだいぶ疲労していた。この分では明日は筋肉痛になるのは目に見えていた。

 

 そんな二人のやりとりを聞いていたマグナも一度立ち止まって、もう少し先にある村を見て呟いた。

 

「にしても日がある内に村に着けるのかな……」

 

「間モナク日没デス。現在ノ歩行速度デハ日没マデニ到着スルノハ難シイカト思ワレマス」

 

「いっとくが俺は今以上の速さで歩くつもりはねぇからな」

 

 マグナの疑問に彼に追いついたレオルドが答えると、今度は隣にいるバルレルがぴしゃりと言い放った。彼としては今以上の速度を出すつもりはないようだが、それは主であるマグナも同じことだった。

 

「分かってるって、俺だって早く歩くつもりはないよ」

 

 そう答えてマグナが歩き始めた時、一番前を歩いていたアメルが振り返った。

 

「マグナー、あんまり遅いと置いてっちゃいますよー!」

 

「あ、ごめんアメル、すぐ行くよ」

 

 少し遅れ気味のマグナ達を気にしたアメルがそう言うとマグナは首を振って謝るが、アメルは逆にそのままの姿勢で目をひそめた。

 

「あれ? どうかしたの?」

 

「い、いえ、なんでもないです」

 

 トリスに声を掛けられたアメルは首を振って心配無用だと伝えると、すぐに前を向いて歩き始めた。

 

 

 

 そのまましばらく歩くと、とうとう日が地面に落ちようとしていたが、まだレルム村までは距離があった。やはり日没までには到着できなかったのだ。

 

「雲も出てきたし、灯りを準備した方がいいかもしれないな」

 

「分かったよ、ネス。みんな、準備するからちょっと待ってくれ」

 

 ネスティの言葉を聞いたマグナが声を上げる。確かに空には雲が広がり始めており、月を覆い隠そうとしている。このままでは月明りもない中を歩くことになりかねないのだ。

 

「それじゃ少し休憩しよう、休憩!」

 

「ええ、そうしま――マグナ、後ろ!」

 

 両手の荷物を地面に置きながら言ったトリスの言葉にアメルが振り返って同意しようとしたとき、マグナの影に小さな赤い二つの点が浮いていることに気付いた。先ほど彼の方を見た時も一瞬見た気がしたのだが、気のせいではなかったようだ。

 

「え? うわっ!」

 

 アメルの言葉に反応してマグナが振り向いた瞬間、自身の影から鋭い槍のようなものが突き出された。

 

 幸い、直撃を受けることはなかったが、それでも太もものあたりを掠め、そこから血が流れ出ていた。そしてマグナの影にいる何者かは、すぐに槍のようなものを戻すと、彼の影から出ていき、その姿を変えていった。

 

 姿は豹のような四足の獣を思わせるものとなり、さらにこれまでのように地面に張り付く影ではなく、実体を持って現れたのである。

 

「こいつ……悪魔か……!」

 

 マグナは自身を襲った者の正体を本能的に悟った。

 

 シャドウ。それがこの悪魔の名前である。

 

 だが、シャドウの変化はそれだけに留まらなかった。名前の由来ともなった影を想起させる漆黒の体が赤く変色していったのだ。もちろんそれが、ただ体の色を変えただけと思うような愚か者はこの場にはいない。

 

「トリス、村に今の状況を伝えてくれ!」

 

 この悪魔がどれだけ強いかが分からない以上、自分達だけで戦うのは余りにも危険だと考えたネスティが声を上げると、トリスは隣にいる護衛獣に伝えた。

 

「うん! レシィ、お願い!」

 

「は、はいぃ!」

 

 トリスの命令を聞いたレシィが一目散に村に向かって走りだした。あまり戦闘が得意ではない彼にとっては、それが現状で主に貢献できる唯一のことなのだ。

 

「ハサハも一緒に行ってくれ!」

 

「わかった……」

 

 マグナもハサハに声をかけてレシィの後を追わせた。彼女はレシィほど戦闘が苦手ではないが、まだ幼い彼女を悪魔と戦わせるには抵抗があったのだ。

 

 その時、言葉を発したのを隙と見たのかシャドウは空中に跳躍すると、体を巨大な刃に変えて回転しながらマグナに向かって来た。

 

「くっ……!」

 

 足の痛みからか、回避が間に合わなかったマグナは悪魔の斬撃を剣で受け止めたが、想像以上にその一撃は重く、思わず苦悶の表情を浮かべた。

 

「こっちががら空きだぜっ!」

 

 だがそれを好機と見たバルレルがシャドウの横にまで接近すると、愛用の槍を悪魔に突き立てる。しかし、それがシャドウに直撃した時、光を放つ盾のようなものが現れ、槍を押し返すと同時に盾と同じような光を放つ矢を何本も放ってきた。

 

「チィっ……! クソッたれが……」

 

 バルレルが悪態をつきながら下がる。だが膂力よりは速さに優れているバルレルといえど、その全てを避けることはできなかった。致命傷こそ受けなかったが、一本は腹を貫き、その他にも何本もの矢が体を掠めたのだ。

 

「バルレルっ!」

 

「早く下がって! レオルド援護を!」

 

 護衛獣に駆け寄るマグナにトリスが声を上げた。負傷した状態であの悪魔とまともに戦うことは難しい。だから今は二人が離れられるよう時間を稼ぐ必要があったのだ。

 

「了解、あるじ殿」

 

 トリスの命を受けたレオルドが銃撃をシャドウに集中する。しかしそれは一発も悪魔に当たらない。軽く身を翻し、弾丸を回避してみせたのだ。本来レオルドは近接戦闘を主として開発された機械兵士だが、それでも射撃の狙いは正確なのだ。にもかかわらず銃撃を軽く避けるシャドウの俊敏さは極めて厄介だといえた。

 

「これならどうだ! コマンド・オン、ボルツテンペスト!」

 

 ネスティはシャドウの動きを見て、コンセントのプラグが角のように生え、指代わりにもなっている機界ロレイラルの召喚獣エレキメデスを呼び出した。呼び出されたエレキメデスは周囲に大量の電気を放出する。

 

 悪魔の動きが銃弾を避けるほど素早いなら避けられないほどの広範囲を攻撃しようというのがネスティの考えのようだ。

 

 さらにそこへトリスが追撃の召喚獣を呼び出した。

 

紅蓮の騎士(フレイムナイト)、全部燃やしちゃって!」

 

 呼び出した右腕に火炎放射器を装備した機体が放電のされている場所めがけ炎を浴びせる。その姿が見えなくなるほど強烈な電撃と猛火が悪魔を包みこんだ。

 

「じっとして! すぐ治しますから!」

 

 一方、何とか悪魔の近くから脱したマグナはアメルの力で、先にシャドウから受けた傷を癒していた。

 

「なかなか厄介だぜ、あの野郎……体中を変な呪文みたいので覆ってやがる」

 

 既にマグナから魔力を供給されて傷を癒していたバルレルが電撃と猛火に包まれている悪魔を見ながら言うと、アメルから傷を癒してもらっていたマグナが言葉を返す。

 

「なら、剣とか槍みたいな直接攻撃は効かないってことか」

 

「いや、そうでもねぇぜ。あれは守るためのものじゃなく、カウンターを狙うものだ。さっきの俺の一撃だって一応効いてるはずだ」

 

 バルレルがニヤリと笑いながら言った。先ほど攻撃を加えたときの感触から、確実にあの悪魔に打撃を与えたと確信している様子だ。

 

「なら、やりようはあるってことか」

 

 アメルによる治療を終えたマグナが立ち上がる。もう太ももからは痛みも違和感もない。最近は出番がなかったとはいえ、癒しの奇跡の力は衰えていないようだ。

 

「気を付けてくださいね」

 

「ああ、大丈夫さ」

 

 アメルの言葉に頷いたマグナは大剣を構え、バルレルとともにトリス達のもとへ戻って行った。

 

 同じ頃、猛撃に曝されていたシャドウも動きを見せた。最初の時のように影として地面に溶け込むと、二体のロレイラルの機体が放っている電撃と猛火を易々と掻い潜りトリスの傍まで接近したと思うと、今度は巨大な口のような姿に変わると、それを横に大きく開いてトリスに牙を剥いた。

 

「ヤラセハシナイ!」

 

 だが間にレオルドが入ると銃から換装していたドリルでシャドウの攻撃を阻止した。機械兵士だけに膂力は悪魔に負けておらず、そのままレオルドを噛み砕こうとしたシャドウと競り合っている。

 

 そこにバルレルとマグナが走り込んできた。

 

「喰らいな!」

 

 バルレルが先ほどと同じく三叉の槍をシャドウに打ち込むと、やはり先と同じように光の盾が現れ、そこから魔力作られた矢が放たれる。だが、バルレルは何も考えなしに攻撃したのではなかった。

 

「守れ、晶壁の聖霊(グリムゥ)!」

 

 マグナが召喚したサプレスの精霊がバルレルの前に現れ、魔力の矢を防ぐ。それ自体の威力はさほどではないせいか、あまりの高位の召喚獣を用いずとも防げたようだ。

 

 バルレルの攻撃を受けたシャドウは赤い体を翻しマグナから距離を取った。見た目の上ではダメージを与えたようには見えないが、同時にマグナ達もアメルのおかげもあり大きな傷はなかった。

 

「どうする? このまま一気に決めちゃおうか?」

 

「いや、それは応援が来てからだ」

 

 トリスの提案をネスティは断った。強力な召喚獣を呼び出すのであれば、やはりそれ相応の魔力と意識を集中させる必要がある。まだ、悪魔も余力を残しており、戦力も十分かどうかさえ分からない現状で、そんな隙を晒すようなことはしたくなかったのだ。

 

 それにレルム村にとの距離を考えれば、もう少し時間を稼げばレシィとハサハが自警団の者を連れてやってくるだろう。そうすれば多少リスクのある攻撃もしやすくなるという考えもあった。

 

「ならあたしの魔力を使って、ネス」

 

 それならば、とトリスは言う。先ほどのように手早く撃てる召喚術をトリスの魔力を使って強化するのである。この召喚支援(サモンアシスト)と呼ばれる簡易的な儀式を用いた召喚術は、これまでの任務でも何度か使用しており、二人にとっては普通の召喚術と何ら変わりなく使うことができるのだ。

 

「ああ、いくぞトリス! コマンド・オン、ギヤ・メタル!」

 

 召喚したのは彼が長年愛用するロレイラルの召喚獣裁断刃機(ベズソウ)だ。元は戦闘用の機体ではないのだが、トリスが供給した魔力が限界以上の能力を発揮させていた。

 

 装備された刃を回転させながら突進する。シャドウはそれを迎え撃った。体を巨大な口に変えて、回転する刃を打ち砕かんとしたのである。

 

「レオルド、援護して!」

 

 トリスはレオルドに命令する。一見、拮抗しているかのように見える裁断刃機(ベズソウ)とシャドウだが、いつまでも悪魔の力に耐えられる保証はないし、動きが止まっている今なら銃撃を当てられるだろうという思いもあった。

 

 そしてその目論見は当たった。レオルドの射撃は動きの止まったシャドウに面白いように当たり、裁断刃機(ベズソウ)の回転刃を押し留めていた牙を崩したのである。

 

 それにより遮るもののなくなった裁断刃機(ベズソウ)はシャドウを横一閃に斬りつけたのである。

 

「よしっ!」

 

 ようやく悪魔に与えたクリーンヒットを見てトリスは快哉を叫んだ。

 

 そして力なく倒れたシャドウにも大きな変化があった。

 

 これまでは赤い体を包み攻撃に対しカウンターを行っていた呪文のようなものが霧散したかと思うと、影のような体から魔力を放つ球体が現れたのだ。

 

(あれが奴の弱点か……!)

 

 マグナの考えは正解に近かった。あの球体こそシャドウのコア、いわば本体なのである。影のような体をいくら攻撃しても、コアさえ無事ならこの悪魔は死なないのだ。

 

 だが、そんな最重要部を無防備に露出させるなどこの悪魔がするはずがなかった。

 

「っ! トリス、ネス!」

 

 シャドウに攻撃を仕掛けようとしていたマグナは悪魔から出た小さくも赤い円形の影のようなものが二人に向かって行くのを見て、咄嗟に二人に飛びかかり強引に立っていた場所から動かした。

 

 その一瞬の後、先ほどまでトリスとネスティが立っていた場所に細長い赤い槍のようなものが突き立ててあった。あの円形の影から現れたものだとは考えなくとも分かる。影のような体を行動不能にしても、そう簡単に接近を許してくれそうになかった。

 

 そして当然のように悪魔の攻撃は先ほど銃撃を加えてきたレオルドにも及んだ。

 

「バルレル、レオルドを!」

 

「分かってる! さっさと動きやがれ、このデカブツ!」

 

 バルレルが声を荒げてレオルドを蹴り飛ばしたのと、槍が突き上がって来たのはほぼ同時だった。しかし完全に回避できたわけではなく、レオルドの脚部が槍に貫かれてしまった。機械兵士である以上、命に関わることはないが行動に支障をきたすのは明らかだ。

 

 だが、それ以上に問題なのは、この一連の攻撃だけでシャドウが影の体を元に戻していたことだ。それは先ほどまでの攻撃が全て無駄に終わったことを意味していた。

 

「せっかくチャンスっぽかったのにな……!」

 

 マグナが立ち上がって大剣を構える。好機を逃したことを悔やむのは後にして、今はこの悪魔をどうにかするのが先決だ。

 

「来ました! みんな来ましたよ!」

 

 そこにアメルが声を上げた。視線はレルム村の方角だ。十人を超える者がこちらに向かって来ているのが見える。

 

「やっと来た!」

 

「あとはもうちょい時間を稼げば……」

 

 待望の援軍が目に入り、希望が湧いてきたトリスとマグナが声を上げる。だが援軍を目にしたのは何も彼らだけではなかった。

 

「バカ野郎! 油断すんな!」

 

 レオルドと共にマグナ、トリス、ネスティからは少し離れたところにいたバルレルが、低い声で唸るように吼えたシャドウを見て叫んだ。

 

 だが、その一瞬の判断が命取りとなった。

 

 シャドウは地面を蹴ったかと思うと、これまで以上の速さで一気に三人との距離を詰めた。そして体を地面に沈めたかと思うと、一瞬で膨れ上がり正確に体を槍のように伸ばした。

 

「え……?」

 

 そしてマグナが意識を失う寸前に見たのは、自身とトリスの胸を貫く赤い槍だった。

 

 

 

 

 

 

 

 




赤いシャドウは前話のブリッツと同じく常時、死に際の暴走状態のようなものです。

さて、次回は9月7日か8日に投稿を予定しています。

ご意見ご感想評価等お待ちしております。

ありがとうございました。


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第116話 擾乱の那岐宮

「お疲れ様でした」

 

 那岐宮市に住む青年、望月命(ミコト)はそう言って会釈すると、少し早めのマフラーを巻いて先ほどまで働いていた店を後にした。昼を幾分か過ぎた時間帯だが、この後は特に仕事もないため、遅めの昼食を取って家に帰ろうと思った彼は、歩いて数分の距離にある牛丼のチェーン店に向かうことにした。

 

 だが、角を曲がれば目的の店に着くというところで、ミコトは角を曲がってきた男とぶつかってしまった。

 

「あっ、す、すいませ……」

 

 ミコトの謝罪の言葉は声が小さくなっていった。相手が日本人ではなく、大きな荷物を持った外国人だったからである。当然、日本語しか話せない彼はどうしたものか少し混乱してしまったのだ。

 

 だが、その外国人は想像以上に流暢な日本語を操って答えた。

 

「おっと、大丈夫か?」

 

「あ、いえ……」

 

 まさか日本語で答えてくるとは思ってなかったミコトは、ただそう言うことしかできなかった。しかし、外国人はたいして気にせずミコトに怪我ないことだけ確認して口を開いた。

 

「悪いが、先を急いでるんでな。キリエ、行こうぜ」

 

 そして外国人は連れと思われる女性を連れて去って行った。恋人か夫婦かはわからないが、大きな荷物を持っているところをみると、旅行でこの那岐宮市を訪れたらしい。

 

(何やってるんだろう……)

 

 思わずそんな考えが湧き上がる。誰とも分からぬあの外国人が楽しそうに歩いているのに、自分は目的も趣味もなく、ただ働いて食べて寝るだけの生活を送っている。何をするにしても身が入らないのだ。

 

 だが、その原因は彼自身も分かっていた。今いるこの場所が本当の居場所ではないような気がしてならないのが原因なのだ。そしてそんな想いを強く抱くようになったのはあることが原因だった。

 

(デュウ……シャリマさん……元気かな……)

 

 彼は数年前、この世界とは異なる世界、リィンバウムに行ったことがあった。そこで出会った最初の人物がデュウという少女で、彼女の保護者でありリィンバウム独自の技術である召喚術を用いて診療所を開いているのがシャリマだった。

 

 彼女達と会うことができた期間は僅かひと月のことだ。これまでこの那岐宮市で過ごしてきた百分の一の時間にも満たない。それでもリィンバウムでの出来事は、今でも詳細に思い出せる。それほどリィンバウムという世界は印象的だったのである。

 

 だが、彼女達との別れは唐突に訪れた。那岐宮市の高台の公園にあるリィンバウムへの(ゲート)が、いつもなら彼が望めば開くはずの異界への入り口は二度と開くことはなかったのである。ミコトは何度なく公園に足を運んだが、結局それ以降(ゲート)が現れることはなくなり、彼もいつからか公園に向かうのをやめたのだった。

 

 人が聞けば夢でも見ていたのではないかと一笑に付されるようなことではあるが、それが現実に起きたことだと彼の巻いたマフラーが証明してくれている。シャリマがくれたマフラーは霊界サプレスに由来する染料で染められており、独特の香りを放っている。ミコトにとっては異世界リィンバウムを思い出させてくれる唯一の品と言ってよかった。

 

 結局その後は、高校こそ卒業したが、普通に就職することもなく、いくつかのアルバイトを掛け持ちするフリーターのような生活を送り、今に至っている。

 

 家族は望月戒という叔父が一人おり、その叔父と公営住宅団地に住んでいるが、あまり仲がいいほうではない。むしろ叔父はどこか他人行儀で言いたいことも口にしていないように見えるのだ。

 

 そんな環境だけに、最近は余計に自分の本当の居場所はここではなく、デュウやシャリマのいるリィンバウムではないかと思ってしまっていた。

 

(はぁ……、本当、なにやってんだろうな)

 

 ミコトは一度空を見上げる。一面雲に覆われた空を見ると、一層彼の心は陰鬱になっていくのだった。

 

 

 

 心の中に鬱屈した感情を貯め込んだまま、ミコトはお染の昼食を食べ終えて牛丼屋を出た。そしてそのまま大通りから路地へ入った。彼の住む団地へ行くにはこうした狭い道を通った方が早いのである。

 

 そうして人通りの少ない道をいくつか通り抜けた先の山際に見えるのが彼の自宅のある団地棟なのだ。そして、そこから少し離れた高台の公園こそ、ほんの一時期だけ異世界への(ゲート)が存在した場所だった。

 

(久しぶりに行ってみようかな……)

 

 何の気なしにミコトは胸中で呟いた。行ったところで何があるわけでもないが、楽しかった日々のことでも思い出してこの陰鬱な気分を紛らわせたかったのだ。

 

 心の望むままミコトは公園に足を向ける。いつかまだ公園に(ゲート)が開いていたときは一歩ごとに軽くなっていった足取りは、今はずっと重いまま。まるで何もない道をただひたすら歩いているような感覚だった。

 

 それでもしばらくすると目的地の公園に着いた。子供はまだ学校や幼稚園等に行っている時間帯のせいか公園にはほとんど人はいなかった。それでも一角にある天使をかたどった彫像のそばには一人の女性が見える。

 

(あれって……!?) 

 

 ミコトはその女性に見覚えがあった。眼鏡に少しくせのある長い髪、まさしく彼の記憶の中にあるシャリマその人だった。

 

「シャリマさ……っ!」

 

 彼女の名を呼ぼうとした時、ミコトは背筋が凍りつくような感触を覚えた。

 

「ずぅっとあなたに会いたかったのよ……」

 

 こちらに気付いたシャリマが笑顔とともに放った言葉を聞いたからだ。言葉だけなら数年ぶりに会う友人に対するものと理解もできようが、それを放ったシャリマの雰囲気は以前の面影はほとんどなく、むしろ身の毛のよだつような妖艶さと闇の底を覗いたような気味の悪い何かがあった。

 

 正直ミコトには見た目だけが似た別人のように思えてならなかった。

 

「う……あ……」

 

 シャリマの獲物を目の前にして嗜虐心溢れる視線を受け、恐怖からまともの言葉も発せないミコトはじりじりと後ずさりした。

 

「冷たい反応ねぇ、私はいつまで経っても会いに来てくれないあなたを迎えに来たって言うのに……」

 

 彼の反応を心底楽しそうに見ながらシャリマが言う。確かに発した言葉は彼女の本心に違いないのだが、その目的が友好的なものでないことは、その声色を聞くだけでも十分に理解できる。

 

「うわああああああああ!」

 

「精々逃げるといいわ。ぜったいに逃がしはしないから」

 

 ついに耐えきれなくなったミコトが絶叫して走り去っていくのを、シャリマは薄く笑いながら見ていた。そして彼の姿が視界から消えた時、彼女の背後に巨大な魔法陣が現れ、そこから次々と悪魔が出現していき、そして最後にはクジラのように巨大な飛行する悪魔が那岐宮市の空へ放たれていった。

 

 そして悪魔達の向かう先にはいまだ多くの人が生活している那岐宮市の市街地があった。

 

 

 

 

 

 それとほぼ同時刻、ネロは恋人のキリエとともに那岐宮市の市街地の中心部にあるホテルにいた。二人は珍しく長い休みを取って数年ぶりにこの那岐宮市を訪れていたのである。これはキリエが希望したことでもあったが、ネロとしても大賛成だったのである。

 

「よかったわね、チェックインはできて」

 

 自分の分の荷物を置いたキリエが言った。本来のチェックインの時間には早かったが、幸い部屋の準備は整っていたためすぐにこの部屋に案内されたのだ。那岐宮市に滞在する数日間、この部屋が彼らの活動拠点になるというわけだ。

 

「だな。……さて、これからどうする? 飯でも食いに行くか?」

 

「ええ、そうしましょう」

 

 椅子に座って外を眺めていたキリエから同意の言葉を貰ったネロはベッドの中に放り投げていた部屋のカギに右手を伸ばす。

 

「あ……?」

 

 カギに手が届いた瞬間、ネロの右腕は疼きを覚え、思わず素っ頓狂な声が出た。

 

 右腕が疼くということはこの近くに悪魔がいるということだ。ネロはキリエの隣まで行くと窓から外の様子を伺う。このホテルは周辺の建物よりも高い上に、部屋自体も高層階にあるためかなり見晴らしいいのだ。

 

「どうしたの、ネロ?」

 

「いや……」

 

 突然の行動を不審がるキリエにネロは言葉を濁した。まだ確証がない以上、話すべきか迷っていたのだが、すぐにその迷いは消え失せた。突如正面に見える山際の辺りから巨大な悪魔リヴァイアサンが現れたのだ。

 

「やっぱり出やがったか!」

 

「ネロ、あれって……!」

 

 キリエが口元を抑えながら言う。あれほどの巨大な悪魔は世界でも有数の悪魔が出現する都市フォルトゥナに住む彼女でも見たことはなかった。

 

「悪いなキリエ。せっかくの休みなのに仕事が入っちまった」

 

 ネロは自分の荷物から分解してあるレッドクイーンとブルーローズを取り出して組み立て始めた。リヴァイアサンが現れた以上、他に悪魔がいないとは考えづらい。そうでなくともあの巨魔を放っておくわけにはいかないのだ。

 

「いいのよ。でも、気を付けてね」

 

「ああ、すぐに片付けて戻って来る。奴らは近づけないようにするからお前はここにいろよ」

 

 慣れた手つきで作業を進めながら、ネロはキリエに言った。あんなのが空を飛びまわっている以上、街中が大混乱を引き起こしていることは想像できた。しかし、その原因となっているものを取り除くのがデビルハンターの務めなのだ。

 

 ネロは途中までしか開かない窓を力ずくで開け放つとそのまま空中へと身を翻して行った。

 

 

 

 ホテルを飛び出したネロは市街地の大通り沿いに立ち並ぶ建物の屋根を進んでいた。下の大通りは混乱する人々でまともに進めるような状況ではないため、やむを得なかったのだ。

 

 それでもそのまましばらく進むと逃げる人々の最後尾が見えるのと同時に悲鳴や叫びが聞こえていた。おそらくは悪魔に追われているのだろう。ネロは建物の屋根を強く蹴って一気に飛び出す。

 

 そのまま人の波を跳び越すと同時に、追い立てている悪魔ヘル=エンヴィにブルーローズの銃弾を撃ち込んだ。さらにネロは排莢しながらクイックローダーをセットされた弾丸ごと放り投げ、そのまま空中で全弾を装填してみせた。

 

「そりゃ、これだけじゃ終わらないよな」

 

 舗装された道路に降りたネロが呟く。人々を追い立てていた悪魔は倒した今も、袖と厚手の手袋で隠れている彼の右腕の疼きは収まっていない。現在も空を我が物顔で飛ぶリヴァイアサン以外にも近くに悪魔はいるようだった。

 

「っと、そんなことを言ってる傍からご登場か」

 

 ネロの言葉に反応したように正面から先ほどと同じヘル=エンヴィの群れが迫って来ていたが、その中に別種の悪魔が混じっていることに気付いた。

 

「随分と懐かしいのもいるじゃねぇか」

 

 言葉とは裏腹に、ネロは視線を厳しくしながら言った。

 

 彼が見つけたヘル=エンヴィとは別種の悪魔というのは、「バジリスク」と呼ばれる炎に包まれた頭部と鉄のような皮膚を持った犬型の悪魔である。悪魔としてはとりわけ強力な種というわけはないが、ネロはこの悪魔とは因縁があるのだ。

 

 バジリスクはかつてフォルトゥナで教皇サンクトゥスが引き起こした事件において、教皇側に与した当時の技術局長アグナスが生み出した人造悪魔である。 魔力を宿した銃と猟犬を交配させて創造した悪魔で、犬のような身軽さを持ち、炎に包まれた頭部を銃弾のように撃って来る厄介な悪魔なのだ。

 

 ただ、バジリスクのようなアグナスに造られた悪魔の脅威はもはや存在しない、というのがこれまでの定説だった。悪魔自体はアグナス自らが生み出した疑似魔界と呼ばれる異空間にいまだ存在していると思われるが、そこから呼び出す手段がない以上、安全であるという理屈だ。

 

 それがどういうわけか、こうして那岐宮市に現れたのである。自然に現れたとは当然考えられない。人為的に呼び出されたに違いなかった。

 

「どこのどいつだ。余計なことをしやがったのは」

 

 ネロは誰とも知れない悪魔を呼び出した者に向かって吐き捨てるように言う。自らの故郷で起こった事件の副産物が今も尾を引いているのを知って、彼はだいぶイラついているらしい。

 

 ブルーローズをくるりと回転させてしまい込むと、右腕の袖をまくり、手袋を外した。既に周囲に生きている人の姿はない。もう悪魔の腕(デビルブリンガー)を隠す必要はなかった。

 

 そして露になった右腕の調子を確かめるように握ったり開いたりしていると、いつの間にか悪魔の群れはすぐ近くまで来ていた。だが、それでもネロは焦ってなどおらず、調子を確かめた手を握りしめながら口角を上げると、口を開いた。

 

「それじゃ、ゴミ掃除といくか」

 

 言葉と同時に背中のレッドクイーンを抜き放つと、悪魔の群れへと突っ込んでいった。

 

 

 

 とはいえ、戦闘自体はあっけなく終わった。ネロの歴戦のデビルハンターであり、相手が数では勝るとはいえヘル=エンヴィとバジリスクだけでは勝負にならなかったのだ。

 

「後は上の奴も片付けねぇとな」

 

 上空を飛ぶ巨魔を見ながら呟いた。リヴァイアサンは嫉妬を司る悪魔だ。まともな知能は持っていないが、戦闘力は大悪魔にも引けを取らない。先ほどまで戦っていたヘル=エンヴィやバジリスクとは別格なのだ。だからこそリヴァイアサンを倒さなければこの事態を解決することはできないのである。

 

「さて、どうやってぶっ潰すかな……」

 

 この巨大な悪魔を倒す方法としてネロが思いつくのは二つあった。一つはこれまでと何ら変わりなくレッドクイーンでも悪魔の腕(デビルブリンガー)でも使って外側から叩く方法と、体内に入り込んで心臓などの重要な部位を破壊する方法だった。

 

 彼としては外側から攻撃したのでは、リヴァイアサンもこちらに反撃してくることが予想される。それでは周囲の街の被害が大きくなりかねないため、体内に入り込む方に考えが傾いていると、そのリヴァイアサンに何者かが攻撃を加えようとしているのに気付いた。

 

「あれは……召喚術か? なんだってこんなところで……」

 

 ネロが見たのは浮遊する三基の砲身のような機械がリヴァイアサンに取り付き、ビームを放ったところだった。現在の人間界の技術でこうした物を作る技術はない。だが、機界ロレイラルなら話は別だ。ネロ自身、リシェルやゲックが召喚した召喚獣やグランバルドといった機械兵士を見ている。かの世界の技術ならこの世界においては空想にすぎない兵器も開発することができるだろう。

 

「随分おかしなことになってんな」

 

 悪魔に続き、機界ロレイラル由来の兵器を見たことでネロはその二つが繋がっているように感じたのだ。三基の浮遊機械がリヴァイアサンを攻撃した以上、手を組んでいるわけではなさそうだが、このまま攻撃を続けて怒ったリヴァイアサンに暴れられては厄介なことになる。もはや悠長に体内に入って倒すなどということは言っていられないのだ。

 

「はっ、要は何もさせず叩き潰しちまえばいいってことだ!」

 

 だからこそ、今為すべきはリヴァイアサンが暴れる前に仕留めることだった。そのための力もネロにはあった。

 

 魔力を集中する。彼の目が赤く輝く。

 

「Lights out!」

 

 言葉を発した瞬間、ネロの背後には青白い光を放つ悪魔がいた。

 

 そしてネロは背の悪魔と共にレッドクイーンを構え、リヴァイアサンに向かって跳躍した。

 

 

 

 

 

 ロレイラルの浮遊兵器を用いてリヴァイアサンに攻撃を仕掛けた男、望月戒(カイ)は自身の呼び出した召喚獣衛銃刃機(ブレイドガンナー)に新たな指示を与えようか思案していた時、彼に背後から声をかける者がいた。

 

「そんなんじゃ、あれに傷つけることなんかできないわよ」

 

「っ! シャマード・リッツァー……!」

 

 自身に声をかけた者を忌々しげに見つめると、当の本人は優越感を持った笑みを浮かべて口を開いた。

 

「あらあら怖い顔しちゃって、せっかく何年かぶりの再会なのに」

 

「お前がこんなことをしなければ会うことなどなかった! 会いたくはなかった!」

 

 カイはこの地獄絵図のような状況を生み出したのが目の前の女だということに気付いていた。

 

「あらそう。まあ、私は用事が済めばすぐ帰るわよ」

 

「用事……?」

 

「決まってるじゃない、あなたが取り上げた私の作品(むすこ)を返してもらいにきたのよ」

 

 言葉を繰り返すカイに彼女が事もなげに答えた時、脇道の方から二体のバジリスクに手を抑えられたミコトが連れられてきた。炎に包まれた口で咥えられているからか、彼の腕は火傷を負っているようだった。

 

「ミコト!」

 

 それを見たカイが声を上げると、それに気付いたミコトも痛みと熱を堪えながら口を開いた。

 

「カ、カイ叔父さん、何でここに……?」

 

「ミコト、私は……」

 

 ミコトの言葉にカイは意を決して、自らの知る全てを話そうと口を開いたが、その先の言葉に重なるように新しい声が発せられた。

 

「ああ、こんなところにいましたか。探しましたよ」

 

 声の主は長い白髪を持った優男、人の姿を取っているサプレスの悪魔メルギトスだった。彼の来た大方の目的を察したシャリマはバジリスクに抑えられているミコトを見ながら答えた。

 

「あら、わざわざ迎えに来るなんてご苦労なことじゃない。ちょうどこっちも目的を果たしたところよ」

 

「それはなにより。さあ、目的のものが手に入ったのなら――」

 

 シャリマと同じくミコトに視線を向けたメルギトスが発した言葉の途中で、突如轟音が響いた。その発生源はここから少し離れたところだ。しかし発生源はわざわざ調べるまでもなかった。誰でも一目で分かるほどはっきりしていたのだ。

 

「よう、お前らが元凶ってところか」

 

 そこにはあの巨大な悪魔リヴァイアサンの死体が横たわっており、その上で巨魔の血を浴びたネロがレッドクイーンを肩に担ぎ、凶悪な笑顔を浮かべながら立っていたのである。先ほどの轟音はネロの攻撃でこと切れたリヴァイアサンが落下した音だったようだ。

 

「洗いざらい全部喋ってもらうぜ。拒否権はなしだ」

 

 リヴァイアサンの上から飛び降りたネロが背に戻したレッドクイーンに代わり、ブルーローズを手にしながら言う。これだけの騒ぎを引き起こしただけでなく、リィンバウムも関わっていそうな状況だ。殺して終わりというわけにはいかない。

 

 そしてネロはブルーローズに引き金を二度引く。放たれた四発の弾丸は寸分違わずミコトを捕らえていたバジリスクに二発ずつ命中し、その命脈を断った。悪魔に捕らえられていた青年は黒幕らしい女と白い長髪の男とは一見関係なさそうに見えるが、バジリスクが殺さずにあえて捕らえていたことを考えると、全く無関係の人間とは言えないだろう。

 

(これは……まずい……)

 

 一歩一歩近づいて来るネロを見ながら、メルギトスは冷や汗を流した。あの男から感じる力は、かつて己を恐怖させたバージルと似ていた。さすがに本人に比べれば感じる力は小さいが、自分達が戦う相手としてはあまりに強すぎる相手だ。

 

 軽い気持ちでシャリマを迎えに来たというのに、バージルと同類の存在に出会ってしまうとは何たる不運。だが、不運が続いてもいずれは幸運も訪れる。それを証明するかのように、周囲一帯を魔力の爆発が呑み込んだ。

 

「チッ……!」

 

 一瞬のことではあったが、ネロは反射的にその場から飛び退いて近くの建物の屋上に移った。先ほどまでいた場所は爆発による閃光に包まれ、他の者がどうなったかはわからなかった。

 

 そして数秒の後、光が収まったとこには黒幕らしき二人組はおろか、巻き込まれたらしい青年やその近くにいた中年の男の姿は影も形もなく、その代わりに一体の竜が存在した。

 

「あぁ? 何でお前がいるんだよ」

 

 機嫌の悪さを隠そうともしないネロが尋ねた。その竜は彼にとっては知らない存在ではない、メイトルパの竜尋郷(ドライプグルフ)をまとめる至竜、コーラルだった。そのコーラルはネロの言葉に答えるべく、その姿を子供のものへと変えて口を開いた。

 

「あなたを迎えに来た」

 

「そうかい、それはご苦労なことだが、さっきの奴らはどこに行った?」

 

 なぜこのタイミングでコーラルが来たのか、気にならないわけがなかったが、今のネロにとって重要なのは悪魔を呼び出した者達がどこに行ったのかであった。

 

「……たぶん、リィンバウム」

 

 少し考えて幼い見た目ながらも齢を重ねた竜が答えた。コーラルが先ほどこの世界に来た時に感じた違和感から、その言葉を導いたようだ。

 

「は? あいつらが何かしたようには見えなかったが」

 

「魔力の共鳴が原因だと思う。たぶん意図的に起こしたものではない」

 

 コーラルがこの世界に来た時に発した魔力とここにいない四人の中の誰かの魔力が共鳴して爆発を起こし、その誰かと繋がり深いリィンバウムと人間界を繋ぐ(ゲート)を作り出した、というのがコーラルの考えだった。

 

 だがネロはその意見に懐疑的な見方を示した。

 

「そんな簡単に共鳴なんかしてりゃあ、そこらへんで爆発が起きてんだろ」

 

 事実ネロ自身、実の父と戦った時でさえ、魔力の爆発は起きなかった。それが今回は親子どころか血縁関係すらない間での話だ。ネロのように思うのは無理なかった。

 

「共鳴していたのは界の意志(エルゴ)の魔力」

 

 そう言ってコーラルは懐から魔力を放つ片手で持てるほどの欠片を取り出して続けた。

 

「これはメイトルパのエルゴの欠片、これを使ってここに来た」

 

 いくら至竜とはいえ、単体で結界を越え人間界に来ることはできない。それを可能にしたのがメイトルパの界の意志(エルゴ)が与えた欠片だった。コーラルはその欠片を用いて人間界までやって来たのである。

 

 そして、同じことはあの四人にも言えたことだった。

 

「きっとあなたが探している者の誰かも同じようなものを持っているはず。それとこの欠片が共鳴して(ゲート)が作り出されたんだと思う」

 

「……で、お前はどうして俺を迎えに来たんだよ。とうとう悪魔が現れたってのか?」

 

 話をしている内に少し落ち着いてきたらしい。以前コーラルとした話を思い出し、メイトルパに悪魔が現れたのかと思ったようだ。

 

「そうじゃない。界の意志(エルゴ)から頼まれただけ、あなたを連れてきてほしいと。……でも、今になってようやくその理由がわかった」

 

「理由、ね……」

 

 コーラルは今になってわかったというが、ネロは大方の想像はついていた。自分が必要とされる状況など、悪魔絡みしかありえない。

 

「今までこの世界で暴れていた悪魔はあなたが探している人たちが呼んだはず。今回はあなたがいたから何とかなったけど、向こうがそうとは限らない」

 

「だろうな」

 

 短く答えてネロが頷いた。最初に相手をしたヘル=エンヴィやバジリスクはともかく、リヴァイアサンを正面から倒せるような戦力は向こうではそう多くはないだろう。一応、バージルがいるが、そもそもあの男がこの事態でどう動くかはネロには読めなかった。

 

 だからこそ、ここでネロの考えも定まった。

 

「……いいさ、行ってやるよ。あいつらも追いかけなくちゃならねぇしな」

 

「ありがとう。それじゃあ今すぐ……」

 

「待った、こっちには連れがいるんでね」

 

 すぐに(ゲート)を開こうとしたコーラルを制してネロが言う。彼にはホテルに置いてきたキリエがいるのだ。また人間界から離れなければならない状況になったとはいえ、何も言わないわけにはいかない。キリエ本人の意思次第だが、彼としては混乱した那岐宮市に置いていくよりは一緒に連れて行った方がいいと考えていた。

 

「わかった。じゃあ飛んでいくから案内して」

 

 言うとコーラルは竜の姿に戻るとネロに背中に乗るよう促した。

 

(こりゃだいぶ目立ちそうだが、仕方ねぇか……)

 

 竜が空を飛んでいるとなればまたパニックになるのは目に見えている。悪魔こそ全て始末したとはいえ、それが分かっているのはネロだけなのだ。しかし徒歩で戻ってはどこかで足止めを食う可能性もある。

 

 ネロはそう納得すると、コーラルの背中に飛び乗りキリエの待つホテルに向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 




次回投稿は9月中は難しそうなので10月を予定しています。

ご意見ご感想評価等お待ちしております。

ありがとうございました。


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第117話 政変

 名もなき島の上空に巨大な城が浮遊していた。多くの場合、異界に身を隠している城は現在、白日の太陽の下に姿を晒していた。とはいえ、島の者達は特段の反応はない。バージルが城と共に島に戻って来て数年、少なくない回数ラウスブルグはその姿を現しており、住民にとってはそれほど珍しいことではなくなっていたのだ。

 

「それにしても一体なんだったのかしら? 御子さまも不在の今、どこかに出かけていたようですけれど……」

 

 大広間に向かうリビエルが隣を歩くアロエリに言った。この二人は先ほどまで島の集落にいたところをバージルに呼ばれたのだ。彼は昨夜、この城を使ってどこかに出かけていたようだが、あいにくと行き先はリビエルもアロエリも知らなかった。

 

「わからん。ここに残っていた兄者なら何か知っているだろうが……」

 

 いつもなら彼女達は、主であるミルリーフに付き従い城にいるのだが、現在その彼女がトレイユに遊びに行っているため、交代で島に出かけていたのである。今回の場合で言えば、リビエルとアロエリが出かけ、御使いの長であるクラウレが城に残っていた。

 

「ですわね。呼ばれたくらいだから理由くらいは教えてもらわないと」

 

 今ここで考えても答えの出ない疑問だ。だから考えるよりもさっさとバージルに会ってしまった方がよいと思ったようだ。

 

 そして足早に大広間に到着すると、そこには彼女達の長の他にも島の集落を束ねる四人の護人もいた。中心に大きなテーブルが置かれ、その上座にはこの城の主たるバージルが座っていた。

 

「ああ二人とも来たか。こっちに座ってくれ」

 

 クラウレがリビエルとアロエリに自分の隣に座るよう促すと、二人は状況がいまいち呑み込めないながらも、その言葉に従って椅子に腰を下ろした。

 

「なぁ、ちょうどここまでの話を聞いていない奴も来たことだし、ここらで一旦話を整理しようや」

 

「ええ、そうしましょう。構わないわよね?」

 

 二人の登場をこれ幸いと見たヤッファが提案すると、アルディラがそれに同意してバージルに確認を求めた。

 

「構わん、好きにしろ」

 

 その短い答えを聞いたキュウマは「それでは……」と前置きして言葉を続ける。

 

「事の発端はあなたに聖王国から連絡が入ったことでしたね」

 

「ああ、そうだ」

 

 連絡は蒼の派閥の総帥エクス・プリマス・ドラウニーからだった。以前にギブソンとミモザの結婚式に紛れて開催された会合の際に渡されたロレイラルの技術を使った無線連絡機を通じて連絡があったのである。

 

「それで聖王国まで行って重傷を負ったお知り合いを預かってきたというわけですよね」

 

 キュウマに続いてファリエルが言う。

 

 連絡の内容とは魔界の悪魔によってマグナ達が重傷を負ったからそちらで保護して欲しいというものだった。それを聞いた時、バージルは保護するかどうかはともかく悪魔の関与が疑われる以上、直接確認するためすぐ聖王国へ向かったのだ。

 

 そして行ってみると聖王都ゼラム近くの村でマグナとトリスが、サイジェントではハヤトが悪魔の襲撃に遭い重傷を負ったという話だった。現在サイジェントには蒼の派閥の召喚師はいないのだが、サイジェントに顧問召喚師を派遣している金の派閥から情報提供を受けたのだった。

 

 どちらも今のところ意識は戻っておらず、再度襲撃があった場合は非常に危険な状態となることは目に見えているため、バージルのもとで療養させてほしいということだった。

 

 同時期に非常に強力な力を持った者が悪魔に襲われたことに作為的なものを感じたバージルは、彼らから直接話を聞くためにもその三人の受け入れを決めたのである。

 

「正確には傷を負った者は三人、その付き添いに三人の計六人だ。それは俺も確認している」

 

 実際にラウスブルグに乗り込んできたところ確認しているクラウレが言う。付き添いの三名とはクラレット、アメル、ネスティのことだ。バージルとしても身の回り世話に人手がいることは理解していため、特に何も言うことはなく同行を認めていた。

 

「その方たちは大丈夫なんですの? なんでしたら私が治しますわよ」

 

「それは大丈夫よ。クノンにも確認してもらってるわ」

 

 重傷者と聞いて驚いて尋ねたリビエルにアルディラが答えた。もともとラウスブルグに来た時には意識は失っていたとはいえ、既に召喚術による治療は施されていたのだ。実際島に戻ってきた際、クノンにも診てもらっているが命に別条はないとの診断であった。

 

「むしろ問題はなぜ襲われたか、よね。あなたの言った通り私も作為的なものを感じるけど、あてはあるのかしら?」

 

 アルディラはリビエルに答えると今度は彼女自身がバージルに尋ねた。ハヤト達とマグナ達が悪魔に襲撃された理由、あるいは元凶についてバージルなら既にあたりはつけているのではないかと思ったのだ。

 

「さあな。アティとポムニットには話を聞いてもらっているが、少なくとも相手はこれまでのような雑魚とは違うようだ。大方奴らが邪魔な奴が送り込んだ刺客と言ったところか」

 

 この場にいない二人はクラレットやアメル達に協力しながら、悪魔と戦った時のことを聞いていたのである。この話し合いの前に確認した限りではハヤトやマグナ達とも互角以上に戦えた悪魔であるため、これまでこの世界に現れていたような下級悪魔でないことは確かだった。

 

「刺客ねぇ……、つってもあんたなら大丈夫なんだろ?」

 

 ヤッファが心配しているのは再度彼らを狙って悪魔が島に来ることだった。もっとも、この島にはバージルがいる以上、それほど心配はしていなかったが。

 

「当然だ」

 

 もちろんバージルもヤッファの期待通りの言葉を返した。これまでよりは強力な悪魔と言っても、島にいたバージルが気付かないほどの力しか持っていないのだ。大悪魔クラスではなくブリッツやノーバディ級だろうと予測を立てていた。

 

「では先ほどの話にもあったように、我々も警戒だけはしておきましょう」

 

「我らは城にいよう。御子さまも近い内に戻られるだろうしな」

 

 リビエルとアロエリが来る前に既にバージルから護人、御使いの双方にやるべきことは伝えられていた。もっともそれはバージル自身の発案ではなく、アティからの影響が強く出ていたものではあったが。

 

「城はしばらくこのままにしておく。何かあればここに来い」

 

 そしてバージルも当面の間はラウスブルグに留まるつもりでいた。今回のことに魔帝が絡んでいるかは不明だし、どこまで事が大きくなるかも分からない。どう転ぶにしても状況がはっきりするまでは現状を維持するつもりでいたのだ。

 

 そしてバージルの言葉に一同が頷くと今回はそれで散会となり、護人達は島へ御使いはクラウレのもとに集まっている。その様子を見ながらバージルは心中で呟いた。

 

(さて、そろそろネロがどんな選択をしたか、分かる頃か……)

 

 その言葉からも分かる通り、ネロのもとへコーラルが赴いたことについてはバージルも一枚噛んでいたらしい。それはつまり、これまで以上に彼が界の意志(エルゴ)との関わり深めている証左であった。

 

 

 

 

 

 リィンバウムにおける最も新しい国家、帝国の首都ウルゴーラにシャリマとメルギトスは戻っていた。あの場で魔力の爆発に巻き込まれた時はどうなるかと思っていたが、幸いにして帝国の領内に飛ばされただけに留まったのは幸運だった。

 

 そして彼らの主の下に戻ってきた二人だったが、彼らをまず迎えたのが立場上は対等であるはずのオルドレイクの怒声だった。

 

「今まで何をしていた! もはや一刻の猶予もないのだぞ!」

 

「少々予定外のトラブルに見舞われましてね」

 

 メルギトスがオルドレイクの睨みを受け流しながら答えた。まさかあの場にあんな男がいるとは虚言と奸計の大悪魔ですら予想できなかったのだ。

 

「そんな怒ってばかりいるとせっかく戻った髪がまたなくなっちゃうわよ」

 

 一方、シャリマは己の目的を達成できなかったことなど棚に上げ、しれっとオルドレイクの髪のことを口にした。今でこそ彼は若かりし全盛期の頃の姿をしているが、サイジェントの一件で一度命を失った時には五十に近い年齢で、頭髪もだいぶ寂しいことになっていたのだ。

 

 そんなシャリマの言葉にオルドレイクが眉間に青筋を立てた怒声を浴びせようとしたが、すんでのところでレイによって制された。

 

「もうよい、間もなく事を起こす。シャリマ、メルギトス、召喚兵器(ゲイル)をいつでも使えるようにしておけ。オルドレイク、兵を各所に配置しろ。我の合図ともに軍と貴族を抑える」

 

 自らの言葉に配下の三人が頭を下げるのを見届けたレイは踵を返し、屋敷の奥の方に戻って行く。

 

 シャリマとメルギトスが不在の間にオルドレイクは無色の派閥と紅き手袋からありったけの兵をこの帝都に集めていた。この兵士でもって貴族街と軍の統合本部をはじめとする帝都各所の施設を制圧する手筈になっているのだ。さらにそれにはサイジェントから帰還していた彼の子供達や、彼らの護衛獣である魔人形(ディアマータ)も含まれており、数の上では劣勢でも総合的な戦闘力では十分に勝算があった。おまけに予備の戦力として召喚兵器(ゲイル)も控えさせておくことになっている。まさに万全に万全を期した布陣であった。

 

「とはいえ、大多数の者はあなたに従うでしょう。自分達を押さえつけていた者を一掃し、溜まっていた鬱憤を晴らしてくれたあなたにね」

 

「ひどい話ね。実際重税を課していたのも実際は私達なのに」

 

 そう言うシャリマだが、顔は薄い笑みを浮かべると、釣られるようにメルギトスも口元を歪めた。

 

「そんなことはありませんよ。彼らも悪役とはいえこの国のために死ねるのですから本望でしょう」

 

「下らん茶番だ。もう死んでいるではないか」

 

 付き合い切れぬとばかりにオルドレイクが言う。これまでの話から分かるように、既に帝国の政治は彼らの手の中にある。国家としての意思決定を行う者は皆、かつてのデグレアの元老院議員達のように殺され、その死体に低級の悪魔を憑依させた屍人となっており、事実上こちら側の傀儡にすぎない。

 

 それを私利私欲を満たすために帝国を利用した国賊と仕立てるのだから茶番以外の何者でもなかった。

 

「まあいいではないですか。それで愚かな民衆は我々を支持するでしょうから。それより問題は……」

 

「将軍アズリア・レヴィノスか……」

 

 メルギトスの言葉にオルドレイクが続いた。実際のところ帝都を抑え、そこに住む市民の支持を得ることはそれほど非現実的な話ではない。一番の問題はオルドレイクが口にしたように現在帝都に帝国初の女将軍であるアズリア・レヴィノスが滞在していることだった。

 

「随分優秀な人らしいわねぇ」

 

「エルバレスタ戦争では帝国内への悪魔の侵攻を抑えたことに加え、昨今の派閥への取り締まり強化でも名を上げている。そうした実績もあって失態続きの軍の中にあってなお、国民からは英雄と呼ばれていますからねぇ。逃げられては厄介なことになるかもしれません」

 

 今回のクーデターで中核をなすのは無色の派閥と紅き手袋の兵士だ。それだけにそうした組織に精通した彼女なら兵の動きを悟られる危険性があった。さすがにクーデター事態を頓挫させるまではいかなくとも、帝都から逃げられ彼女を中心に各地方の軍がまとまると厄介極まりないのだ。

 

「なら始末しちゃえばいいじゃない」

 

「そう簡単にはいかん。あの魔剣も奴らの手にあるのだ」

 

「ああ、確か昔あなたのもとにいた子が持っていたものだっけ」

 

 質問に答えたオルドレイクの言葉を聞いてシャリマは、かつてオルドレイクの下にいたというアズリアの弟のことを思い出した。無色の派閥のスパイとして帝国の特務軍人になったものの、派閥から離反し、軍人も辞めた今は立場上はレヴィノス家の長男として姉に協力しているのだ。

 

「うむ、かの魔剣を持っている以上、兵など相手にもならん。息子を一人つけるつもりではいるがどこまでやれるか……」

 

 オルドレイクが忌々しげに吐き捨てた。かつては自分の駒に過ぎないと思っていたイスラが、目障りな障害になっていることに苛立ち覚えているようだった。彼らへの対抗策として息子のキールをつけたのだが、それで戦力として十分とは限らない。むしろオルドレイクとしてはもう一人つけたかったのだが、最終的にレイがそれ以上つけないと判断したのである。

 

「かといって今回はあの悪魔を動かすつもりはないようですし、あなたのご子息に期待するほかありませんね」

 

「ええ、悪魔を利用しているなんて疑惑でも持たれるわけにはいかないでしょうしね」

 

 メルギトスとシャリマが言った。戦力としてはハヤトやマグナ達の襲撃に向かわせたブリッツやシャドウも健在ではある。しかし今回の場合は白昼堂々のクーデターだ。そんな場で悪魔を使うのは上策とは言えなかった。

 

「そんなこと分かっている。……貴様らもいつまでこんなところで油を売っているつもりだ。今回は召喚兵器(ゲイル)の出番はないとはいえ、すぐに使うのに変わりはないのだぞ」

 

 くだらぬことに時間を取り過ぎたと、オルドレイクが踵を返す。彼自身はこれから訪れるだろう兵の指揮官らに命令を下すためにここに留まる必要があるのだが、メルギトスとシャリマは違う。既に命令が下された以上、作戦の開始はもう数時間内に迫っているのだ。いつまでも話をしてここに留めておくわけにもいかないのだ。

 

「ええ、そうしましょう。……健闘を期待していますよ」

 

「そうね。今回は高みの見物とさせていただくわ」

 

 二人はそう言うと笑みを浮かべながら屋敷を出て行く。そんな二人をオルドレイクは気に喰わなそうに眺めていた。

 

 

 

 

 

 それからしばらくした頃、帝都ウルゴーラの中にネロはいた。人通りが多い繁華街を、右腕を長袖のコートで多い、手はポケットに突っ込んで隠しながら歩いていたのだった。

 

 右腕に若干の疼きを感じながらネロは周囲に気を配る。悪魔の気配自体は近くにないが、この帝都自体に戦いの前のような剣呑とした雰囲気が漂っているのを鋭敏に感じ取っていた。

 

(随分ときな臭いな。あいつらはおいて来て正解だったか……)

 

 これは以前フェアやリシェル達とともに帝都やシルターン自治区を訪れた時には感じなかったものだ。恐らく悪魔とは関係なしにウルゴーラで何かが起ころうとしているに違いない。

 

 そうしたことに共にリィンバウムに来ることを望んだキリエや、この世界への扉を開いたコーラルを巻き込まずに済んだのは不幸中の幸いと言えるかもしれない。

 

 当初、ネロが一人で帝都に来たのは、あくまで情報収集のためだった。キリエとコーラルと共に(ゲート)をくぐりリィンバウムに来たのはよかったが、こちらの世界で現れたのがシルターン自治区近くの山の中だったのだ。

 

 シルターン自治区のこの世界では珍しい建物のおかげで、自分達がどのあたりにいるのかを把握できたネロは、こちらの世界の簡単な情報収集を兼ねて帝都に行くことにしたのである。

 

 とはいえ、どんな状況かわからないところに安易にキリエを連れて行くわけにも行かなかったため、コーラルに彼女の護衛を頼みネロ一人で来ることになったというわけだ。

 

(ここで何が起こるのかなんて知ったことじゃないが、少なくともこの正体だけは確かめないとな)

 

 ポケットに隠した右手に視線を落とした。先ほど感じる右腕の疼きは収まる気配はない。つまりはこの帝都に悪魔かそれに関連する何かがある証拠に違いないのだ。

 

 それが那岐宮市の悪魔が現れた騒ぎに関与しているだろう眼鏡の女と白い長髪の男と関係があるかは不明だが、他になんの手がかりもない以上、調べてみる価値はあった。

 

 キリエとコーラルには日没までには戻ると約束しているため、太陽の傾き具合から考えて残された時間は数時間程度。何もなければ十分に余裕のある時間だったのだが、その()()があってしまった。

 

「あ?」

 

 不意に遠方から爆発音と何かが倒壊するような轟音が鳴り響く。ネロが反射的に音のした方を見ると、火災でも発生したのかどす黒い煙が立ち上ってきたのが目に入った。

 

「よりによって今かよ……」

 

 顔を顰めながらの呟きが漏れた。先ほどから感じていた帝都の雰囲気の原因が視線の先にあることをネロは本能的に悟ったようだった。拡大するか鎮静化するかは分からないが、いずれにしても多少なりとも帝都が混乱するのは明白だった。

 

 調査に多少余計な時間を食うことを覚悟しなければ、とネロが考えたとき、今度は黒煙を吹き飛ばすように紅い光が立ち昇った。何らかの召喚術によるものかははっきりとしないが、少なくとも鎮静化する方にはいかなそうだった。

 

「この際だ。ついでに確かめてやる」

 

 ネロは乗りかかった船だとばかりにこちらにも首を突っ込んでやると決めた。右腕の疼きの原因とは無関係かもしれないが、帝国にいる以上は無関係でもいられない。なら徹底的に調べてやると半ば開き直った形だった。

 

 そうと決めると、大通りから狭い路地裏の方に入り、一気に屋根まで駆け上がる。いくら混乱して混雑していようと屋根を伝って逃げる者はまずいない。それは人間界でもリィンバウムでも同じなのだ。

 

 軽快に屋根を飛び移りながらしばらく進むと、黒煙が上がっていた場所が見えた。先ほどの繁華街や住宅街とは異なる目的を持つだということは一目でわかった。広大で整然とした敷地に堅実な造りの建物。そこへ続く道には同じような服を着た者が何人も倒れていた。

 

「軍の施設に殴り込みってところか」

 

 倒れている者が来ている服はトレイユの駐在軍人をしていたグラッド同じものであるため、ここが軍の施設であるとすぐにわかった。そして攻めているのはかつてトレイユに来たばかりの頃に戦った兵士と同じような鎧を着た男達だった。

 

 また、建物や地面は破損したり窪んでおり、恐らく先の爆発音はここを攻める際に用いられた召喚術によるものであることがわかる。

 

 ただ戦闘自体はまだ続いているらしく、敷地内の各所で戦闘に伴う音が聞こえてきた。とはいえ戦況は帝国軍が劣勢らしく、彼らは少しずつ後退しているようだった。

 

「そして、さっきの光はあいつだな」

 

 ここに来るきっかけにもなった紅い光。それを放ったと思われる男をネロは見つけた。光と同じ紅い両刃の剣を持ち、長く白い髪と肌をしており、さらに鋭利な棘のような装飾がついた輪が翼のように背中についていた。それはアズリアの弟であるイスラが魔剣紅の暴君(キルスレス)を抜剣した状態だった。

 

 服装こそやはり軍服ではないものの、イスラは当然帝国軍の側に立っているようで、他の軍人達とともに戦っていたのだ。彼が相手にしている相手は帝国軍のとは違う軍服を着て二本の剣を操る男、オルドレイクの実子ソルの護衛獣であり魔人形(ディアマータ)でもあるトウヤだった。

 

 戦況は若干無尽蔵の魔力を誇るイスラの方が有利なように見えるが、トウヤもまた的確に攻撃を防いでおり、一対一ではすぐには決着は着きそうにはなかった。だが、そもそもこれはルールに則った試合ではなく、双方が入り乱れる実戦なのだ。

 

 それを証明するようにトウヤの背後から主であるソルがロレイラルから召喚獣を呼び出した。それを用いて形勢不利な護衛獣を援護しようというのだろうが、呼び出された召喚獣はソルの意思に反してまるで役目を果たした時のようにロレイラルに送還されていった。

 

 もちろんそんな現象が偶発的に起きたわけがない。人為的に引き起こされたものだった。

 

「おいおい、何であいつが一緒にいるんだ」

 

 それを見たネロが眉を顰めた。ソルが呼び出した召喚獣を送還した者は彼も知る人物だったのだ。そしてネロはその男が何故ここにいるのかを確かめるために、戦いの場へと飛び込んだ。

 

 ちょうどイスラとトウヤがつばせり合うところに降り立ったネロは、レッドクイーンを使って紅の暴君(キルスレス)と烈霜焦炎を弾き上げると、そのまま剣を地面に突き刺し、柄を捻ってイクシードを燃焼させると、かかってこいと言わんばかりの轟音と振動が響き渡った。

 

 思いがけない乱入者にイスラもトウヤも鋭い視線をネロに向けるが、その後の対応は対照的だった。トウヤは敵と判断して剣を向けるが、イスラはトウヤも警戒しながらもネロに向かって口を開いたのだった。

 

「そういうところ親にそっくりだね」

 

「は?」

 

 見知らぬ人物から声を掛けられたネロは思わず聞き返した。もしもイスラが抜剣していない姿だったら、かつてトレイユで会ったことがあることくらい思い出したかもしれない。だが、今のイスラは髪の色さえ変わっており同一人物と思える要素は全くなかったのだ。

 

「恐らく彼は、君が誰だか分かっていないんだ」

 

「そりゃそうだが、何でお前がこんなところいるんだよ、ギアン」

 

 イスラにネロの状態を伝えた男ギアンにネロが尋ねた。彼こそ先ほどソルの召喚獣を送還した男だが、そもそもギアンはトレイユでイスラとギャレオに逮捕されたはずなのだ。常識的に考えて自由に戦える身分のはずはなかった。

 

「説明したいところだけど、あいにくそんな時間はないよ」

 

 イスラがそう答えると、周囲に敵の兵士が集まってきた。数的に劣勢だったうえ、分散した状態での迎撃を強いられていたのだ。敵の兵士がこちらに集まってきたということは他の場所は既に制圧されたことだろう。

 

 しかし、全部が全部敵の兵士に敗北したわけではなかった。

 

「イスラ、道は確保した! 西から撤退するぞ!」

 

「了解、姉さん!」

 

 帝国軍の軍服を着た兵士を一人連れたアズリアが来ると、イスラが待っていたとばかりに声を上げた。あるいはここでイスラが戦っていたのは姉が撤退路を確保する時間を稼ぐ意図があったのかもしれない。

 

「逃がすかと思うか! やれ、トウヤ!」

 

 一人も逃がしはしないという決意のもと、ソルはトウヤに命じた。それを受けた忠実な魔人形(ディアマータ)は烈霜焦炎を構えてイスラへ走り込んできた。

 

 しかしその間にレッドクイーンを肩に担いだネロが割り込み、振り下ろしてきた二本の剣を紙一重で躱すと、カウンターの要領でトウヤの腹へ足裏をめり込ませた。

 

 走り込んできた勢いとも合わさってトウヤの体は空中へ浮き上がり、そのまま見事な放物線を描いて建物の方へ吹き飛んでいく。

 

 そして蹴り飛ばされた先で意識を失ったらしいトウヤにネロが声をかけた。

 

「そこでオネンネしてな」

 

「相変わらず無茶苦茶な奴だ……」

 

 先ほどまで魔剣を持つイスラとほぼ互角に渡り合っていたトウヤを蹴り一発で戦闘不能に陥れたネロを、ギアンはトウヤをかつての自分と重ね合わせでもしたのか、苦々しい表情で見ているとそこにイスラが声を掛けてきた。

 

「何にせよ引くなら今の内だ。行くよ」

 

 目下最大の脅威であるトウヤを排除できたため、撤退にはこれ以上ない状況だ。イスラはこの機を逃すことなく、ギアンを連れてアズリアのもとに走って行く。

 

 ソルや無色の兵士達は当然それを追おうとするが、ネロはそれを許さなかった。このまま彼らにギアン達を追跡させてはまともに話などできるはずがない。何としてもここで諦めてもらうしかなかった。

 

「悪いがここから先は立ち入り禁止でね。お帰り願おうか」

 

「何だ貴様は……! 何故邪魔をする……!?」

 

「名乗るなら自分からだってママに習わなかったかい、坊や?」

 

 苛立たし気に声を荒げたソルにネロはへらへらと笑いながら答えた。誰が聞いても挑発目的だと分かる言葉だ。それを聞いたソルはむしろ冷静さを取り戻したのかサモナイト石を取り出しながら口を開く。

 

「もういい、このまま死ね!」

 

「へぇ、どんなのを呼ぶんだよ? どうせならカッコイイ奴を呼んでくれよな」

 

 召喚術を使おうとするソルにネロは余裕の表情を崩さない。あまつさえどんな召喚獣を呼び出すか期待している始末だ。

 

「ならこれで潰れろ! ディアボリック・バウンド!」

 

 ソルが召喚した赤銅色のサプレスの巨大な悪魔が手にした巨大な戦槌で叩き潰さんと振り上げる。しかしネロはまるで期待外れだと言わんばかりに首を横に振って呟いた。

 

「やれやれ、俺はカッコイイ奴って言ったんだがな……」

 

 ソルが召喚したサプレスの悪魔は強そうではあるが、贔屓目に見ても格好いいとはいえなかった。そもそもネロが期待していたのは、かつて敵対していたゲックが召喚したようなロレイラルの召喚獣であったため、サプレスの召喚獣を呼び出した時点で期待に応えることはできなかったのだが。

 

 一方、残念がるネロのことなど気にせずに悪魔は振り上げた戦槌を渾身の力をこめて振り下ろした。局所的な地震を引き起こすほどの威力を持つ一撃が直撃しようとした瞬間、ネロは右腕を振り上げて槌を力任せにかち上げた。

 

 サプレスの悪魔以上の膂力をもって悪魔を仰け反らせたネロはそのまま飛び上がり、悪魔の腕(デビルブリンガー)を伸ばして戦槌の柄を掴んだ。

 

「だがコイツは気に入った! ちょっと借りるぜ!」

 

 再び力任せに悪魔から戦槌を奪うと、今度は先ほどとは逆に悪魔に向かって振り下ろす。

 

 頭部に当たったネロの一撃はそのまま悪魔を地面に叩き伏せた。その衝撃が周囲に伝わり、帝都全体を揺るがすような地震を引き起こした。それほどの威力であるため、地面からは大量の砂埃が舞い上がりネロやソル、派閥の兵士達を巻き込む。

 

「散開しろ! また来るぞ!」

 

 互いの姿が見えない状態とはいえ、密集した状態で先ほどのような攻撃を受けては全滅すると悟ったソルが兵士達に指示を出し、自らも先ほどネロに吹き飛ばされたトウヤの方に走った。サプレスの召喚獣を一蹴するネロを戦うにはやはり魔人形(ディアマータ)の力が必要なのだ。

 

「手間のかかる……!」

 

 いまだ意識の戻らないトウヤを、召喚術を用いて回復させているソルが悪態を突いた。いつネロの追撃があるかわからないため、彼自身だいぶ焦っているようだ。

 

 そしてようやくトウヤの意識が戻ったのと、砂埃が落ち着いてきたのはほぼ同時だった。辛うじて再び戦う準備を整えたソルがネロの方を向いても、もはやそこには誰もいない。

 

 そこまで来て、ようやくソルはネロの目的に気付いた。

 

「クソッ、時間稼ぎが目的だったのか……!」

 

 アズリアを殺すという目的を果たせなかったソルが歯噛みした。

 

 しかし彼は内心、ネロとこれ以上戦わずに済んだことに安堵しており、それが余計自身の不甲斐なさをより一層実感させた。それがさらに悔しさを増すことに繋がっており、彼はきつく拳を握りしめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




次回投稿は11月をになる見込みです。

ご意見ご感想評価等お待ちしております。

ありがとうございました。


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第118話 宣戦

 浮遊城ラウスブルグの広いバルコニーからバージルは眼下に水平線の彼方まで広がる海を眺めていた。背にはフォースエッジ、胸元には二つのアミュレットを身につけている。これは弟からその二つを受け取ってから変わらないことであった。

 

 その三つの親の形見が揃えばかつての父の力そのもの言える魔剣スパーダを手にすることもできるのだが、彼はあえてそうはせずに分かたれた姿のまま持ち続けていたのだ。

 

「あ、ここにいたんですね。探しました」

 

「どうした?」

 

 背後からアティに声を掛けられたバージルが振り向き尋ねた。「探しました」というだけに急ぎの要件なのだろう。だが、笑顔を浮かべている彼女の顔を見る限り、少なくとも悪い知らせではないようだ。

 

「たった今、ハヤト君が目を覚ましたんです!」

 

「そうか。クノンは呼んだか?」

 

 彼女の表情で話の内容はある程度察することができていたため、バージルはほとんど表情を変えなかったものの、クノンを呼んだか確認するなど一応の気遣いは感じさせた。

 

「ポムニットちゃんに呼びにいってもらっています。あとはマグナ君とトリスちゃんも起きてくれればいいんですけど……」

 

「最も重傷だった者も起きたんだ。時間の問題だろう」

 

 ハヤトも起きたのだから残る二人も、と期待をかけるアティにバージルも言外に賛成した。怪我を負っていた三人の中で最も大きな傷を負っていたのは、深い刺し傷と体の全身にまで及ぶ火傷を負っていたハヤトなのだ。その彼が目覚めたのだから残る二人もいつ目覚めてもおかしくはないだろう。

 

「ええ、きっとそうです! ハヤト君も後遺症はなさそうですから、しばらく休めばいつもの生活に戻れそうですね」

 

 三人が負っていた怪我自体はバージルもクラレットやネスティから聞いただけで、ラウスブルグに運び込まれた時は既に召喚術や治癒の奇跡によって外傷は治っていたのだ。そうした治療が功を奏して後遺症は残らなかったのだろう。この点では、人間が持つ自然治癒能力を活用した人間界の治療とは異なるところだ。

 

 一見すると外傷の治療においては召喚術等を用いた方が有用であるようにも思えるが、天使の奇跡などそうした際に使用されるものは魂へ直接働きかけるものであるため、どうしても魂そのものに負担がかかってしまうのである。今回ハヤトがなかなか目を覚まさなかったものもその影響がないとは言い切れないのだ。

 

「…………」

 

 それはバージルも分かっていたことだが、今回の彼が沈黙を守っていたのは別の理由からだ。仮にこのまま順調に回復したとしてもいつもの生活に戻れるとは限らない情報を、今の彼は持っていたのだ。

 

「あの……、どうかしたんですか?」

 

 もう二十年以上も共にいるアティには、バージルが話すべきどうか迷っていることが分かった。そのため彼女が遠回しに言葉にしてほしいと伝えると、バージルは一度息を吐いてから口を開いた。

 

「帝都にいるアズリアから無色の派閥の兵士がクーデターを起こしたとの連絡があった。本人も帝都から脱出するつもりでいるとのことだ」

 

 それはつい先ほど連絡を受けたことだった。アズリアもあくまで速報という意味で連絡したものであり、クーデターについても指導者や規模までは今でも不明のままなのだ。というより当のアズリアも攻撃の対象になっているらしく、軍の統合本部から撤退し、追手を断ち切ってからの連絡になったようだ。

 

 彼女は帝都を脱出してからあらためて連絡するとも話していたため、バージルは当初、無用な心配をかけないようにその連絡があってからアティに伝えるつもりでいたのだが、アティの言葉と彼自身彼女に話していないこともあって若干の引け目を感じており、今回については話そうと思ったのである。

 

「え……、アズリアは大丈夫なんですか!?」

 

「今のところはな。ただ、脱出するのは特に問題もあるまい。イスラもついていると言う話だ。……それにネロもいる」

 

 ネロについての情報は先の連絡でアズリアから聞いたものだ。もっとも彼女自身が会ったわけではなく、弟であるイスラからの伝聞という話だったが。

 

 ただ仮にネロがいなくとも、バージルの目から見てもアティと同じような魔剣を持つイスラがいれば、無色の派閥が相手ならばさほど苦労せずに帝都を脱出できると見ていた。その場合の唯一の不確定要素はハヤトやマグナ達を襲った悪魔が今回の帝都のクーデターを企図した者と繋がっており、かつ、その悪魔が出てきた場合なのだが、それもネロがいるという事実の前では無意味だろう。

 

「え? ネロ君って向こうにいたはずじゃあ……」

 

 バージルの言葉を聞いたアティがきょとんとした顔をする。イスラがアズリアと共に行動することはさしておかしくはないが、数年前に人間界に帰ったはずのネロがいるという話はかなりの驚きだった。

 

「エルゴからネロに協力を求めたいという話をしていたからな。あいつがいるということはその話を受けたということだろう」

 

 もっともバージルはこの段階では、界の意志(エルゴ)が直接ネロと話をしたものと思っていた。まさか間にコーラルが入っているとは想像もしていなかったのである。

 

「それなら大丈夫ですよね?」

 

 確認を求めるようにアティが尋ねる。バージルが何を言ったところで遠い帝都で起こっていることへの保証にはならないのだが、こと戦闘においては彼の目利きは極めて正確なのだ。アティが彼に確かめたくなるのも無理はなかった。

 

「ああ、問題ないだろう。それに、数日もすれば落ち着くだろうから向こうから連絡が来るはずだ」

 

 再度アズリアから連絡が来るのは、安全を確保してからになるだろうから、早ければ数時間後には連絡がくる可能性もあったのだが、変にアティを不安にさせることもないだろうと、想定の中で最も長期になる期日を伝えた。

 

 なにしろ彼女は、もともと何もかも背負い込もうとする性格だ。それだけに自分の手の届かないところで親友が危機に陥っている状況では気が気ではないはずだ。実際バージルの気遣いは功を奏したようで、彼女は彼の言葉を聞いてようやく安心した様子を見せた。

 

(雑魚共などさっさと片付けてしまえ)

 

 それを見ながらバージルは帝都にいるだろう自身の息子に言葉を投げかけた。その内容はひどく自分勝手なものだったが、一応彼なりにネロには期待しているらしかった。

 

 

 

 

 

 その頃、実の父親から至極勝手な要望を投げかけられたネロは、帝都ウルゴーラの歓楽街のメインストリートから少し離れた場所にある廃業した酒場にいた。店の中は椅子やテーブルこそそのまま残っているものの、どれも埃をかぶっていた。どうやらあの後、店の引き取り手もなく片付けだけされてそのままらしい。

 

 そんな空き家と化した建物が今は帝国の将軍アズリアの臨時司令部となっていた。もっとも、司令部とはいっても帝都内でアズリアが掌握している部下はこの場にいる者だけなのだが。

 

「イスラ、よくこんなところ知っていたな」

 

 机を並べ直しひとまず椅子に腰掛けたところでアズリアが口を開いた。彼女達をこの場所に案内したのはイスラだった。周囲の目を気にすることなく、話し合える場所を得られたことは望外の喜びだったが、それ以上にアズリアはイスラが営業すらしていない店の場所を知っていたことに感心していたのだ。

 

「僕は姉さんと違って時間があるからね。それにここは少し話題になったところだから余計に印象に残っていたんだよ。数年前に――」

 

「死体が見つかったんだろ、悪魔の」

 

 ネロがイスラの言葉を遮って答えた。ここは偶然にも数年前にネロがウルゴーラを訪れた時に悪魔を始末した場所でもあったのだ。それを聞いたイスラは呆れと納得が混じったような笑いを浮かべて口を開いた。

 

「なるほど。あれをやったのは君だったんだ」

 

「ああ、前にあんたと会った時からさらにちょっと前くらいの時だったぜ。……でよ、その時引き渡したギアンがなんでここにいやがるんだ?」

 

 先の軍の統合本部で会った時にはイスラが紅の暴君(キルスレス)を抜剣していたこともあり、誰だか分からなかったが、今はちゃんとイスラのことをトレイユでギアンを引き渡した男として認識できていた。それだけに逮捕されたはずのギアンが平然と彼らと同行していることが不思議でならなかった。

 

 ネロから視線を向けられたギアンはアズリアに目を向ける。自分で説明しても構わないか、と無言で尋ねていたのだが、アズリアは自分で説明するつもりでいた。

 

「それは私から話そう。単刀直入に言えば彼から無色の派閥の情報を得ているんだよ。その見返りにある程度の自由を与えている、まあ言ってしまえば取引のようなものだな」

 

「なるほどね、そういうことか」

 

 ネロが頷いた。ギアンに対してあまりいい印象を持っていないとは言っても、別段ネロは刑罰を求めていたわけではない。きちんとした理由を説明されれば何も言うことはなかったのだ。

 

 ただ、ネロは気にしていないが、これは明らかに帝国の法に対しては限らなく黒寄りのグレーなのである。アズリアが帝国軍内でも有数の功を上げた将軍であり、国民にも名の知れた存在であるから黙認しているに過ぎなかった。

 

「まあ、派閥への忠誠心なんかないから僕にとってはありがたい話だよ。もっともどこに行くにも監視付きだけどね」

 

「それは諦めた方がいいだろうね。取引こそしたとはいえ、君が無色の派閥であることは変わりないんだから」

 

 ギアンの皮肉を込めた言葉をイスラはばっさりと切る。多くの場合、ギアンの監視は不測の事態に備えて魔剣紅の暴君(キルスレス)を持つイスラが担当している。ただし、この場合の不測の事態というのは逃亡というよりは、派閥によるギアンの暗殺だった。

 

 無色の派閥は裏切り者には特に厳しい。かつては死を持って裏切りの罪を贖わせることなどよくあることだった。今でこそ勢力の衰えからそんな余裕はなくなっているが、裏切り者が派閥の有力家系であるクラストフ家の当主であれば話は別だ。なりふり構わず命を狙ってくる可能性があったのだ。

 

 幸いにして現在のところ、そのような事態には至っていないが。

 

「ともかく彼については納得してくれたようだし、この話はここまでだ。本題に入るとしよう」

 

 イスラの言葉にギアンが反論しようとしたところで、アズリアが止めに入った。ネロが納得した以上、余計な話をする余裕はないということだろう。アズリアは続けて控えていた軍服を着た男に言った。

 

「ウィル、状況の説明を」

 

「はい、将軍。……統合本部で最後に確認した情報によれば、帝都内の軍施設及び貴族街に無色の派閥と思われる集団が襲撃されているということです。ただ、もう数時間以上前の情報なので、実際は既に制圧されていると考えられます」

 

 アズリアに促され発言した軍人はウィル・レヴィノス。帝都の軍学校を首席で卒業した才子で、その後、陸戦隊に配属された後も優良な軍人であったため、アズリアの養子になったのである。もっとも当初は長男であるイスラの養子にという話になったそうだが、当のイスラが軍に籍をおいていない自分よりも姉の養子に、という話になったのだった。

 

「奪回は無理だね。とりあえず部隊に戻ることを第一に考えた方がいい」

 

「僕も同感だ。これだけの規模となると向こうも限界近くの戦力を投入しているはずだ。他の都市まで制圧する余裕はないだろう」

 

 ウィルの言葉を受けてイスラとギアンは即断した。今の彼らは個人の戦闘力は高いものの軍施設や貴族街を奪回し、それを維持するだけの数が絶対的に足りていないのだ。まずは帝都から少し離れたところに駐留するアズリア麾下の部隊「紫電」のもとに戻るべきだと主張したのだ。

 

「その方針で異論はない。問題はどうやってこの帝都を脱出するかだ」

 

「出入りできそうな場所は全部抑えられているはず。突破は可能かもしれないけど、応援を呼ばれるのがオチだろうね」

 

「それなら俺が陽動でもしてやるよ」

 

 ネロは今こそアズリア達と行動を共にしているものの、本来は別の目的を持っているのだ。それに彼女達は帝都近くの部隊のもとに行くというが、ネロは日没までにキリエとコーラルのもとに戻らねばならない。いつまでも一緒にいるわけにはいかなかった。

 

「陽動って何をするつもりなんだい? まさかどこかで大暴れするつもりじゃないだろうね」

 

「似たようなもんかもしれねぇな。要は向こうを混乱させてやればいいんだろ? それに俺にも確かめたいことがあるし、どっちにしろいずれは別行動になるしな」

 

 ギアンの質問に口角を上げて答えた。彼のことは納得したとしても、ネロにはもう一つ気になることがあった。陽動ついでにそっちも確認しようと考えていたようだ。

 

「別行動? なんだ、一緒には来ないのか?」

 

「まあな、連れもいるし」

 

 ネロの発した単語に反応したアズリアに言葉を返すと、彼女はすまなそうに謝罪の言葉を口にした。

 

「そうか……、変なことに巻き込んで申し訳なかった」

 

「いいって別に。一応こっちも借りみたいなもんもあるしよ」

 

 数年前、トレイユでイスラに場を取りなしてもらったおかげで無駄な戦いにならずに済んだのだ。ネロが陽動を申し出たのもその返礼も兼ねてのことだった。

 

「ここから出たらどこに行くつもりなんだい?」

 

「とりあえずはトレイユだ。後は何も決まってねぇけどな」

 

 ギアンの問いに答えながらネロは椅子から立ち上がった。

 

 キリエも連れている以上、このまま野宿を続けるわけにはいかない。そのため、一度トレイユのフェアのもとへ顔を出すつもりでいた。その後は帝都で起こった反乱の影響にもよるが、コーラルに付き合う必要もあるのではないかと考えてはいた。もっとも状況が流動的である以上、現段階で判断できることではなかった。

 

「そうか。……もし、エニシアに会ったら……いや、なんでもない」

 

 トレイユならばエニシアもいるのではないかと思いギアンは口を開いたが、途中で口を噤むと、それを見たネロが肩を竦めながら言葉を返した。

 

「伝言しなくて正解だぜ。言いたいことがあるなら自分の口で言えばいい」

 

 今のギアンはかつてトレイユでミルリーフを巡って戦ったときのように妄執に捕らわれているような印象は受けなかった。帝国軍に引き渡される前にエニシアと言葉を交わして何か思うところがあったのか、それともこの数年間帝国軍と行動をともにした視野が広がったのかは分からないが、今の彼ならエニシアともうまく話せるだろう。そう思ったからこそネロはそう返したのだった。

 

「……ああ、そうさせてもらうよ」

 

「おう。……それじゃあ、俺は行くから後は適当にここから逃げろよ」

 

 期待通りのギアンの返事に軽く笑みを浮かべたネロはそのまま彼に背を向けて酒場から出て行った。

 

 それを無言で見送ったアズリアは残った三人に向けて言った。

 

「……こちらも準備を整えておけ。動きがあったら行動を開始する」

 

「しかし、本当に一人で大丈夫なのでしょうか?」

 

 状況の説明をしてからずっと口を閉じていたウィルが尋ねた。ギアンはともかくこの場にいるのは自身の上官であり、義母でもあるアズリアとその弟であり叔父でもあるイスラであるため、口を挟むことに躊躇いがあったのである。

 

 そんなウィルの疑問にイスラが答えた。

 

「彼の強さはよく分かっているから、心配は無用だよ」

 

 イスラ自身ネロと戦ったわけではないが、先ほどの統合本部での戦いで紅の暴君(キルスレス)を弾かれた時に、バージルの息子というだけのことはある空恐ろしくなるほどの力を感じたのだ。

 

 そしてそれは実際に戦ったことのあるギアンもよく分かっていることだった。

 

「その通り。それに本人がやると言ってるのだから任せればいいのさ」

 

「二人もそう言っているし問題ないだろう。……しかし、そのあたりは父親譲りなんだな」

 

 イスラとギアンの意見を聞いたアズリアが苦笑しながら言った。

 

「彼の父親とお知り合いなんですか?」

 

「ああ、まだ私が海戦隊の指揮を執っていた頃からのな」

 

「それは……」

 

 アズリアが昔を懐かしむように答えると、ウィルは何とも言いにくそうな顔をして言葉を詰まらせた。軍学校を優秀な成績で卒業した義母が最初に配属されたのは現在所属する陸戦隊とは異なる海戦隊だった。そしてその後、海戦隊の任務で大きな失敗をし、陸戦隊の国境警備部隊の指揮官として異動させられたのはウィルも知るところだ。それだけに言葉によっては過去の失敗を揶揄してしまう恐れもあり、なんと言えばいいか考えあぐねているのだ。

 

「……随分と長い付き合いですね」

 

 やっと考え付いた言葉は苦しまぐれのありきたりの言葉だった。もっとも、気を遣って言葉を選んだことはアズリアにはお見通しであり、彼女はそんなウィルに笑いながら言った。

 

「そう気を遣わなくていい。失った代わりに得たものもある。人生何があるかわからないものさ」

 

 アズリアは魔剣の護送という任務を失敗し部下も失ったものの、代わりにアティやバージル、島の面々との繋がりを得た。

 

 彼女は国境警備隊へと異動となった時点でそれ以上の昇進は半ば諦めていたが、エルバレスタ戦争の折にバージルの応援もあり悪魔の侵攻を僅少の被害のみで退けることができた。その功績によって帝国軍初の女性将軍の座を手に入れたのだ。

 

 さらに昨今の無色の派閥及び紅き手袋の捜査においてはバージルから情報の提供があり、さらには彼の手引きでギアンという派閥幹部の協力者も得ることができたのだ。そんな波乱万丈な人生を歩んできたアズリアの言葉には不思議な説得力があった。

 

「……はい、肝に銘じます」

 

 ウィルが大きく頷いて答えた。このあたりの聞き分けの良さが彼の強みでもあるのだろう。アズリアは少し口角を上げるとあらためて命じた。

 

「よし、ならば準備を急げよ。ネロの方も動き始めるだろう」

 

 空き家の中で帝都脱出の準備を整える。そのため、外でこのクーデターの首謀者が帝国の緊急放送システムを使って世界に檄を発していたことなど知る由もなかったのである。

 

 

 

 

 

 廃業した酒場を出たネロは自身の右腕を頼りに大通りを進んでいた。武装蜂起した側は帝国の市民感情を考慮しているのか、襲撃したのは先ほどの軍施設のようなところだけだったらしく、いまだ繁華街は平時のように賑わっていた。もしかしたら軍施設での戦闘に伴う音も訓練か何かだと考えられているのかもしれない。

 

「おかげでこっちは楽だけどな……」

 

 誰にともしれずネロが呟いた。もし敵側が市中にも兵士を放っていたら身を隠しながら進むことになっていただろう。

 

 そんなことを考えながら、黙々と歩いていると不意に後方から凛とした声が聞こえてきた。

 

「帝国の人民よ、無より生じしこの世界の果てまで響き渡る我が声を聞くがよい!」

 

 振り返ると、すぐ近くのスピーカーのような伝声装置から聞こえてきた声だとわかった。さらに後方の広場のあたりでは映像を出力する装置もあったようで、空中に映像が出力されているようだった。もっとも、さすがに遠すぎてどんな人物が映っているかまでは分からなかったが。

 

「これからの支配者は自分だって意思表示かよ。気に喰わねぇな」

 

 音声はもともと設置されたスピーカーから流れて来るため、これはもともと帝国が作り上げたシステムを利用しているということだった。逆を言えば、それを可能にするだけの施設等を制圧したということであり、実質的に帝都内の実権は全て彼らが握ったという証左でもあった。

 

 実際、彼が語るのはいかにこれまでの摂政アレッガや彼の亡き後に政治を司った者達がいかに腐敗していたかということ、そして幼いとはいえそれを看過した皇帝マリアスにも責はあるとし、彼の帝位を剝奪すると宣言したのだ。

 

 ただ、それを聞いている者は「そうだ」「そのとおりだ」と声を上げる者もいた。声には出さずとも内心思っている者はさらに多いだろう。特に摂政アレッガの死後は税が増えるだけでなく、その取り立ても厳しくなっていたのだ。かといって生活がよくなるわけではない。むしろ税が増えたことによって生活は苦しさを増すばかり、不満も溜まっていく一方だったのだ。

 

「頭が変わったってよくなるとは限らないんだがな」

 

 そんな彼らをネロは若干冷めた目で見た。この国で暮らしていないため、彼らの苦しみは理解できないからこそ出た言葉ではあるが、同時に当事者から一歩引いた目線で見たからこその言葉でもあった。

 

「まあいいさ、まずはこっちだ」

 

 そう呟いたネロはポケットに突っ込んだ右手に意識を集中した。先に悪魔の力の原因を確かめ、その後アズリア達を逃がすための陽動を行うことにしていたのだ。

 

 もっとも、その二つが全く別な関係にあればの話なのだが。

 

 

 

 その場から離れたネロは、立ち止まり音声や映像に集中する聴衆を避けながら進み、貴族街に入る。そこは少し入ると先ほどまでの市街地とは異なり、帝国軍の軍服とは異なる鎧を着て武装した兵士達が巡回していた。ウィルの説明通りである。

 

(まだ先か……仕方ねぇ、大人しく進むとするか)

 

 ここで騒ぎを起こして敵に逃げられるなど御免だったネロは巡回の兵を避けながら進むことにした。幸い貴族街の建物はどれもネロの身長以上の塀で囲われているため、身を隠すところに困ることはなかった。さらにはここでは鬱陶しい演説が続いているため、足音を悟られる心配もない。

 

 さすがに真っすぐ進むことはできなかったものの、悪魔がいるとは思われる建物はかなり間近に迫って来ていた。

 

(随分とデカイところだな。場所からして議場みたいなところか……)

 

 その想像は当たっていた。右腕が感じる悪魔はあの帝国の政治の中心である議場から感じていたのである。

 

 ネロは議場の塀まで近づくとそれを跳び超えた。そして庭に着地すると同時にもう一度跳躍する。今度は議場の屋根の上に跳び移ったのである。フォルトゥナの大歌劇場の四倍以上の大きさがある議場を馬鹿正直に歩いて回るつもりはなかったのだ。

 

 もっとも、これ以上どこかを探す必要もない、目的の人物はすぐ近くにいたのである。

 

「大当たり、だな」

 

 ネロは近くにあった採光用の天窓から部屋の中を見て呟いた。中には豪奢な服を着た貴族らしき者が数人倒れており、最も奥には一人の黒髪の男が演台に立って熱弁を振るっていた。ここまで聞こえてくる声と唇の動きから見る限り、この男が伝声装置を用いて演説していた者に違いなかった。

 

 だが、それ以上にあの演説する男からは悪魔の力が感じられた。さらにその周囲からもいくつかの力を感じたのである。

 

「にしてもあの時の奴がこんな大それたことをするとはな」

 

 ネロはその男を見たことがあった。かつてフェア達とシルターン自治区まで旅行に行った時に、貴族街の屋敷で悪魔を始末した時に邂逅した男だ。その時は悪魔の力は感じなかったが、そもそも悪魔を暗殺に利用するする奴だ。何らかの魔具を手に入れたか、あるいはかつての魔剣教団の幹部のように悪魔の力をその身に宿したのかもしれない。

 

 いずれにせよ、ターゲットは目の前にいる。やらない理由はなかった。

 

 そしてネロは天窓を蹴破ると、室内に飛び込んで行った。

 

 

 

 その直前、室内では演説が佳境に差しかかり、映像を通して民衆の高揚が伝わってきたのか弁舌の熱さを増していた。そして男は最後に拳を胸の前で握りしめながら宣言した。

 

「我が名はレイ――歪んだこの世界を正すため造物主より力を授かった新たな王、真聖皇帝レイである! そして我が帝国はこれより世界をあるべき姿へ戻すため、リィンバウムの全ての国家に宣戦を布告する! なおも歪んだ世界に固執する者は力を持って我を打倒してみせよ! されど我は一切の容赦なく歯向かう者全てを打倒し、世界を掌握する!」

 

 新たな帝国皇帝が世界に宣戦を布告した瞬間、ガラスが割れる音が響き渡った。レイが注意を窓の方に向けようとした瞬間、彼の目の前にある演台にネロが降り立ち、ブルーローズを突き付ける。

 

 レイが目を見開くのと、ネロが引き金を引くのは同時だった。銃声が響き、二発の銃弾が皇帝の頭を貫いて血を噴き出させる。

 

 ほんの数瞬前までレイの演説を聞いていた帝国の市民にとっては何が起きているかわからなかった。ただ、これまで演説を中継していた映像には、次の瞬間、返り血で真っ赤に染めた顔で振り向いたネロの顔が映ったのだった。

 

 そして、新たな真聖皇帝レイの始めた戦争の公式に記録される最初の戦死者は、当の皇帝自身となったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




やめて!ネロのブルーローズで撃たれたらレイの魂まで消滅しちゃう!
お願い、耐えてレイ!あんたが今ここで消えたら、ミコトとの因縁はどうなっちゃうの?
ライフはまだ残ってる。ここを耐えれば、出番が増えるんだから!
次回「皇帝レイ死す」。デュエルスタンバイ!



……一度やってみたかったネタができて満足です。
さて、次回投稿は12月になります。

ご意見ご感想評価等お待ちしております。

ありがとうございました。


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第119話 余波

 望月命が意識を取り戻した時、最初に目に入ったのは天井だった。彼は見知らぬ部屋のベッドに寝かされていたのだ。

 

(ここは……? 確か、おかしな光に包まれた時に意識が遠のいて……)

 

 ぼんやりとした頭のまま、自身に起こったことを思い出そうとするが、どうしてもその先が分からない。なぜ自分が知らない部屋に寝かされているのか全く記憶がないのだ。

 

 ミコトはもっと集中して記憶を呼び起こそうとしたが、そこに横合いから掛けられた。

 

「おお、目が覚めたか」

 

「あ……えっと……」

 

「あ、悪い悪い。驚かせちまったか? 俺はグラッド。この宿場町トレイユで駐在軍人をやってるんだ」

 

 グラッドは戸惑う様子を見せたミコトに、まずは自分の名と所属を伝えた。それを聞いたミコトは少しいまだ混乱した様子ながらも、自分の名前を名乗った。

 

「あ、えっと、命です。望月命」

 

「そうか、ミコトだな。それにしてもどうしてあんなところに倒れていたんだ?」

 

 体を起こしたミコトの受け答えがはっきりしているのを確認したグラッドはそのまま事情を聴くことにした。もともと両腕に犬に噛まれたような傷あるのは確認していたが、はっきりと言葉を発することができていたため、簡単な事情を聴くくらいならできるだろうと思ったのだ。

 

「……あんなところ?」

 

「なんだ覚えてないのか? お前は郊外の星見の丘に倒れていたんだぞ」

 

 より正確に言えばミコトを見つけたのはグラッドではなかった。彼は人が倒れているという知らせを受けて彼をこの駐在所のグラッドの私室まで運んできたのだ。

 

「えっと……、すいません。全然覚えてないんです」

 

 ミコトは首を振って答えた。グラッドと話したことで、起きた時よりは意識もはっきりしていた。そのため星見の丘に倒れていた理由は察しがついたが、それを口にする気にはなれなかった。

 

 目を覚ます前に思い出せるのは、突然現れた化け物によってボロボロの廃墟同然になっていく那岐宮市の街並み、自身を捕らえた犬のような化け物、まるで別人のように豹変していたシャリマ、彼女と知り合いだったらしい育ての親である叔父カイロス、シャリマを迎えに来たらしい優男。そして最後に現れた大剣を背負った銀髪の男が現れ、手にした拳銃で両腕を抑えていた犬の化け物を殺したところで、極限まで達していた緊張が爆発したのだ。

 

 そして声なき叫びを上げると周囲が光に包まれ、意識を失ったのだ。

 

 ただ、実際に起こったことは思い出せるが、あの化け物たちがなんなのか、どうしてシャリマは変わってしまったのか、一体叔父は何者なのか、そういった疑問を考えようとは思わなかった。今でも頭の中で整理がつかないということもあるが、その疑問を考えてしまうと、否が応でも自分自身と向き合わなければならない気がして、無意識の内に拒否していたのだ。

 

「そうか……。まあ、まだ疲れてるだろうし、明日にでもまた話を聞かせてくれよ」

 

「はい……、ありがとうございます」

 

 ミコトが何か隠していることに気付いていたのかは分からないが、グラッドはそれ以上事情聴取を続けようとはせず、踵を返したところで何かを思い出したかのように振り返った

 

「あ、そういえば腹減ってるだろ? もうちょっとで飯が来るからな」

 

「でも俺……お金持っていませんし……」

 

 これまでのグラッドとの会話で、ミコトはここが那岐宮市や日本という国ではなく異世界であるということに確信を持っていた。そのため、財布に多少なりとも入っている日本の貨幣が使えないことも悟っていたのである。

 

「気にするなって。腹減ったままじゃ良くなるもんも良くならないぞ」

 

「す、すみません、あの、いただきます」

 

 時間的には昼食の牛丼を食べてから数時間しか経っていないはずだが、極度の緊張から解放されたせいか意外と腹には入りそうな感じだったため、グラッドの申し出をありがたく受けることにした。

 

 ミコトがそう答えたところで家の外から快活そうな女性の声が聞こえてきた。

 

「お兄ちゃーん、頼まれたもの持ってきたよー!」

 

「お、噂をすればなんとやらだ。それじゃ、少しここで待っててくれな」

 

 そう言うとグラッドは「今行く!」と声を張り上げながら部屋を出ていった。どうやら今しがた聞こえた声の持ち主が食事を持って来てくれたらしい。グラッドのことを兄と呼んでいたため、彼の妹なのかとミコトは思っていた。

 

 しかし、それもほんの僅かの間。グラッドが部屋から出て行き、一人になったことで不安に襲われた。

 

(……これからどうすればいいんだろう)

 

 異世界に来たという不安もあるが、それまで信じてきたものが音を立てて崩れ、拠って立つものがないという不安もあった。そしてそれらがしこりとなって胸の堆積し、言いようのない不快感を放っていた。

 

(わけがわからない……、どうせなら全部明らかになってくれればいいのに)

 

 ミコトは再びベッドに倒れ込んだ。この不快感を消してくれるならどんな真実が明らかになったって構わないと、半ば投げやりになっていた。

 

「ちょっ、何なの、あれ!?」

 

(何があったんだろう?)

 

 そんな時、先ほどの女性の声が聞こえてきた。なにか想定外のものを見たような声であり、外で何かあったことを想像させた。

 

 それを聞いたミコトも何があったのか当然疑問に思ったが、グラッドからここで待ってろと言われたこともあり、すぐに部屋を出ることには抵抗感があったのだ。

 

「我も……、……皇帝……正統な……なのだ!」

 

 外からは何かの放送でも行っているのか若い男のような声が聞こえてくる。とはいえ室内にいる以上、途切れ途切れにしか聞こえず、それがミコトの心を揺り動かしていたのだ。

 

(ああ、もう!)

 

 そこまで来てようやくミコトは意思を固めた。我ながら決断が遅いと自嘲しながらベッドから立ち上がって部屋を出る。彼が寝かされていたところは駐在所の奥の部屋とはいえ、駐在所自体がそれほど広くはないため、迷うことなく入り口の方に向かうことができた。

 

 そうして駐在所の入り口に辿り着くと、そこにいたのはグラッドと白い髪の少女、フェアがいた。グラッドが食事を頼んだのは彼女だったようだ。

 

 さらに二人が視線を向けているのは一人の男が移された浮遊する映像だった。その男は何やら演説のようなことを口にしているが、今しがた見たばかりのミコトには何の話をしているのかさっぱりだった。

 

「あ、あの……」

 

「ああ、すまん。ついこっちのことばかり気になってしまってな」

 

 ミコトに声をかけられて二人が振り返ると、グラッドが気まずそうに答えた。あの映像に気を取られてミコトのことはすっかり忘れていたらしい。

 

「えっと、これって……」

 

「知らないのか? 緊急放送システムだよ。もっとも実際に使われたのは初めてだけどな」

 

 グラッドの言葉を受けてミコトはあらためて空中に浮かぶ映像をまじまじと見つめる。それに映る男は大衆を熱狂させるような熱弁を振るっている。実際、グラッドやフェア以外に映像を見ている何人かは歓声や喝采を上げていた。

 

 そして男はこれが最も重要だと言わんばかりに、これまで以上に声を張り上げて言う。

 

「我が名はレイ――歪んだこの世界を正すため造物主より力を授かった新たな王、真聖皇帝レイである! そして我が帝国はこれより世界をあるべき姿へ戻すため、リィンバウムの全ての国家に宣戦を布告する! なおも歪んだ世界に固執する者は力を持って我を打倒してみせよ! されど我は一切の容赦なく歯向かう者全てを打倒し、世界を掌握する!」

 

 その言葉を言い放った瞬間、ガラスが割れたような音が響き渡ると、男の前の演台にコートを着た人が降り立った。

 

(あのコート……、どこかで……)

 

 それを見たミコトはコートに見覚えがあったのに気付いた。しかし、それがどこで見たのかを思い出す前に伝声装置を通じて周囲に銃声が響き渡った。

 

 その数瞬後に聞こえてきたのは、人が倒れたような音だ。それを聞いてようやくミコトは先ほどまで演説していた男が撃たれたのだということに思い至った。

 

「どうなってんだ……!」

 

 グラッドが思わず言葉を漏らした。彼としては先ほどまで演説していた男がこれまで政治を意のまま操っていた者達を処刑した上、皇帝マリアスを廃し、自身が新たに皇帝の座につくと宣言しただけでも重大事なのだが、さらに新皇帝まで撃たれたとあっては、そう口にしたくなるのも無理からぬことだった。

 

 さらに撃った者が振り向くと、真っ赤な返り血を浴びた顔が露になる。映像越しにそれを見た者は悲鳴を上げる者や口を抑えたりする者がいた。

 

 そしてフェアとミコトも同じタイミングで反応を示した。

 

「ネ、ネロ!?」

 

「あ、あの人は……!」

 

 どちらもその人物を知るような言葉。それゆえ互いの言葉が耳に入った二人は思わず相手の方に視線を向けた。そして疑問を口にしたのはフェアの方が先であった。

 

「な、なんであなたがネロのことを知ってるの……!?」

 

「え……え?」

 

 急に尋ねられたミコトは意味ある言葉を返せずにただ目を泳がせるしかなかった。フェアにしてみればこっちの世界でネロと面識がある者は基本的に自分とも面識が会って当然だという思いがあった。彼がリィンバウムにいたほぼ全て期間この町の忘れじの面影亭に滞在していたのだから当然だった。

 

 ただミコトにしてみれば、那岐宮市で会った男がこの世界では、突然演説している者を撃った。さらに彼と知り合いらしい少女から詰問までされては、落ち着いて答えることなど不可能だった。

 

「フェア、落ち着けって」

 

 グラッドがそう声をかけると、フェアは眉間に皺を寄せて納得していない様子を見せながらもそれ以上ミコトに何かを尋ねることはしなかった。しかしグラッドとしてもネロ知っているような反応を見せたミコトをそのままにしておくことはできなかった。

 

「ミコト、悪いけどさっきの男について詳しく話を聞かせてくれるか?」

 

「え……、ええ、はい。わかりました」

 

 ミコトは何が何だかわからないままだが、とりあえず正直に話してみようと思い、グラッドの言葉に頷いたのだった。

 

 

 

 

 

 そうして再びミコトとグラッドは駐在所の中で机を挟んで向かい合った。ミコトは最初、まるで警察の取り調べのようなものかもしれないと訝しんだが、実際はグラッドが威圧的な態度になったということはなく、間に机を置いたのもただ彼がメモを取りやすいからという理由だけだった。

 

 それを話しやすいよう気を遣っているのだと感じたミコトは、ネロと会い、そしてこの世界に召喚される経緯をグラッドに話せたたのだった。

 

「……なるほどね、じゃあネロと会ったのもその時ってことか」

 

 時折相槌を打ちながら話を聞いていたグラッドは、ミコトが話し終えると確認するように尋ねた。

 

「はい。……と言っても会話らしい会話は何もしていませんけど」

 

 あの場に居合わせたことはネロも記憶しているだろうが、彼の興味は那岐宮市をあのようにした元凶と思われるシャリマ達にあったように思える。あの場ではミコトを押さえつけていた犬の化け物を倒したものの、半ば脅しつけるように声をかけたのはシャリマ達だけだったのだ。

 

「ネロがこっちに来たのもその時かもしれないな」

 

 グラッドがミコトがこちらに来る原因となったと思われる光が広範囲に及んでいたと考えると、元の世界に帰ったはずのネロが帝都にいた理由も説明がつく。もっとも、世界に宣戦布告をしたあのレイと名乗る男を殺した理由は定かではないが。

 

「あの……俺を見つけた所に他に誰かいませんでしたか……?」

 

 グラッドが呟きながら手元の紙にメモするのを見たミコトが尋ねた。もし本当にネロという男が自分と同じ光に包まれてこの世界に来たのだとしたら、那岐宮市のあの場にいた他の者もこちらに来ているかもしれない。

 

「俺が星見の丘に着いた時はお前一人だったし、見つけた奴もお前一人のことしか言ってなかったな。ただ、誰かに見つけられる前に目が覚めてどこかに行った可能性もあるから断言はできないけど」

 

 グラッドはそう答えたが、もしミコトが倒れていたという星見の丘に、ミコトを捕らえに来たと思われるシャリマや彼女を迎えに来ていたメルギトスがいれば彼はここにいなかっただろう。もちろんそのことはグラッドも聞いていたため、実際彼が想定しているのは叔父のカイだけだろう。

 

「そう、ですか……」

 

 首を振ったグラッドにミコトは安心したような、残念だったような、どちらともとれる声色で答えた。カイの消息がいまだ不明なのは残念だが、同時に今彼に会わずに済んだことにほっとしていたのも事実であった。

 

「その人、たぶん召喚師なんだろう? なら元々はこっちの世界の人間なんだろうし、そんな心配することはないさ」

 

 ミコトの話から叔父のカイが召喚師だということは分かった。そのためグラッドは彼の叔父についてはたいして心配はしていなかった。なにしろ召喚師というのは、国の別を問わずエリートであることが非常に多いのだ。そのため、どこへ飛ばされたとしても生きて行くことはそれほど難しくはないと考えていたのだ。

 

「そう、思います」

 

「しかし……向こうにいたとすると、ネロとは逆にこっちから召喚されたってことだよな」

 

 グラッドが首を傾げた。召喚術というのはリィンバウムにおいてのみ存在する技術なのだ。ネロのように他の世界から召喚されるというのは少なからずありえるが、その逆にこちらの世界の者が他の世界に召喚されるというのは、グラッドの知る限り確認されたことはなかったのだ。

 

「あの、ところでネロっていう人と皆さんはどういう……?」

 

 考え事をしているグラッドにミコトが尋ねた。ネロと親しい間柄ではないが、なぜリィンバウムの人間でない彼がグラッドやフェアにその名を知られているのか気になったのである。

 

 それを聞いたグラッドは少し考えるように時間を置いた後、答えた。

 

「……数年前にあいつがこちらにいた時に知り合ってな。それでその頃に起こった事件でだいぶ助けられたんだよ。さっきのフェアも同じだし、ネロはあいつのところに泊まっていたから、余計に心配しているんだろう」

 

 先のミルリーフをめぐる一件はギアン達のことこそ軍にも知られているが、その騒動の原因となったのが、世界間を移動する船でもある浮遊城ラウスブルグとそれを起動させる鍵である至竜の幼体ミルリーフだったことは軍にも報告していないことなのだ。

 

 そのため馬鹿正直に答えるわけにもいかず、グラッドは当たり障りのない範囲で答えたのである。

 

「それってこっちに召喚されたってことですか?」

 

「ああ、そのはずだが、この町で召喚されたわけじゃないから俺達はそのあたりは詳しくないんだ」

 

 実際ネロは誰に召喚されたとも言ってなかったし、グラッドを含めた当時の仲間もそんなことは誰も気にしていなかったのだ。

 

「そうですか……」

 

 ミコトがそう答えたところでグラッドはフェアに持ってきてもらったものが、まだ後ろの机に置きっぱなしだったことを思い出した

 

「あ、フェアに持って来てもらったやつまだ食べてなかったな。……よし、とりあえず今日はここらへんで終わりにしよう。これを食べて今日は休んでくれ」

 

「え? グラッドさんは食べないんですか?」

 

 フェアが持ってきたのにはグラッドの分も含まれていたが、二人の間の机に置かれたのはミコトの分だけだったのだ。

 

「ああ、これから町の見回りに行かないといけないからな。まあ、終わってからゆっくり食べるさ」

 

 常日頃も夕暮れのこの時間に見回りしているのだが、今回は緊急放送システムを使った全世界への宣戦布告とそれ宣言した男の死亡という重大事が発生したこともあり、いつものところだけでなく町全体を見回るつもりでいた。他国がどう動くかは分からないが、軍から新たな命令がない以上、彼は駐在軍人としての職務を全うするつもりでいた。

 

 そしてグラッドはミコトの顔を見て少しばつの悪そうに口を開いた。

 

「それと悪いが、今日のところは出歩かないでくれ」

 

「あ、はい。わかりました」

 

 ミコトはグラッドの頼みにあっさりと答えた。

 

 あんなことがあったばかりで見知らぬ者が町の中を歩いていると住民にいらぬ不安を与えかねないというグラッドの考えは口にせずともミコトにも理解できた。もっとも、自由に出歩いていいと言われたところで出かける気力などなかったが。

 

 ミコトに返事に頷いたグラッドは「それじゃあ行ってくる」と言い残し、駐在所を出て行った。一人残されたミコトはフェアが持ってきたサンドイッチを食べ始めた。

 

 彼の人生でこれ以上ないくらい激動の一日であったが、その最後はひどく穏やかなものであった。

 

 

 

 

 

 ミコトが食事を食べ終わった頃、忘れじの面影亭は早めに夜の営業が終えたところだった。いつもならまだ客で混み合っている時間帯であり、まだまだ閉店の時間ではないが、数時間前の緊急放送システムによって起きた混乱による影響かいつもよりだいぶ客足も落ちていたため、今日のところは早めに店を閉めたのである。

 

 もっとも仮にいつものように行列ができるくらいの客が来てもそれはそれで困っただろう。

 

「フェア、外の掃除はしといたわよ。看板も片付けといたから」

 

「…………」

 

 なにしろ料理人であるフェアが、リシェルの声を無視して先ほどからただひたすらに皿を磨いている有様なのだ。一応、言えば料理を作ることは作るのだが、その手つきはいつもとは程遠い有様であった。

 

「ちょっとフェア、聞いてるの!?」

 

「え、あ……、ありがとう」

 

 さすがに無視されて腹が立ったリシェルが机を叩きながらうわの空のフェアに声をかけるとようやく反応を見せた。

 

「あんたねぇ……、ネロのことが心配なのは分かるけど、そんなんじゃ明日から店なんてできないわよ。」

 

 彼女の様子がおかしくなった原因がネロにあることはリシェルにも分かっていた。実際、彼女もネロがどうしてあんなことをしたのか不思議でしょうがなかったのだが、リシェルは頭の切り替えがしっかりできているようだった。

 

「エニシアを見習いなさいよ、あの子だってちゃんとしてるんだから」

 

 そう言ってリシェルが客席のテーブルを拭いているエニシアに視線を向ける。

 

 エニシアはバージル達とともにリィンバウムに戻ってきた後、フェアに誘われてこの忘れじの面影亭で給仕として住み込みで働いているのだ。エニシアとしては同じ半妖精という境遇でラウスブルグでの旅路で親しくなったフェアと共に働けるというのは非常にありがたい話だった。

 

 フェアとしても軍学校に進学するというルシアンと派閥の召喚師として本格的に勉強を始めるリシェルに代わる新たな働き手として期待できるうえ、人も召喚獣も区別なく接することができるエニシアは、自身が目指す誰でも入れる店を作るのにこれ以上ない人材だったのだ。

 

「で、でも私は直接それを見たわけじゃないから……」

 

 エニシアは遠慮がちに答えた。フェアはグラッドのもとへ頼まれた料理を持っていったため、その目で血に塗れたネロを目にすることになったが、あいにくこの忘れじの面影亭では音声こそ聞こえはしたものの、映像を見ることはできなかったのだ。おかげでエニシアはレイと名乗る男の演説の最後に銃声が聞こえたことは分かったものの、まさかそれがネロが発砲したものとはフェアに聞かされるまでは露程も思わなかったのである。

 

 そうした伝聞による情報のせいかエニシアはフェアほど大きな衝撃は受けていなかったのである。

 

「あたしはもう帰るけど、今日はしっかり休みなさいよ」

 

「うん……」

 

 いつもより元気がないフェアの返事を聞いたリシェルが心配そうに見ながらも踵を返して店から出て行った。できることならもう少し親友の傍にいてやりたかったが、リシェルにもやるべきことがあるのだ。

 

 リシェルは数年前から金の派閥の召喚師としての勉強を始めるとともに、父の監督のもとで召喚術を用いた野菜の栽培という事業を始めたのだ。これはトレイユ近郊にあるアルマンの農園のような召喚獣を使役して作物を栽培するようなものではなく、異世界の食用に適する作物を作るというものであった。

 

 当然のことながら世界が異なれば一方ではポピュラーな作物であっても、もう一方ではめったに見ることのできない貴重な作物になることもありえる。そうした作物を作り販売することで収益を上げるというある意味、基本に忠実な事業ではあった。

 

 もっともこれにはいくつか特筆すべき点がある。

 

 一つは畑の開墾から栽培までを行う人足にレンドラーを始めとした剣の軍団の面々が充てられたことだ。 レンドラーとしてはカサスがメイトルパへ帰り、ゲックも旅に出たためエニシアを守れるのは自分達だけという思いもあり、農夫として働くのもまんざらでもなく、リシェル本人も顔見知りである彼らが実作業をやってくれるのは歓迎していた。

 

 とはいえ、いくら街に直接的な被害はなかったとしても、剣の軍団は過去にギアンという無色の派閥の幹部のもとにいた者達だ。そうした事情を知る者は、リシェルの父であるテイラーが、よくそれを認めたものだ、と口々に言うのである。

 

 ただ、一説には上の方から口添えがあったとか、蒼の派閥からの要請があったと囁かれていたのは事実であった。

 

 閑話休題。リシェルの去った忘れじの面影亭の食堂には沈黙が訪れる。どうにも元気がないフェアと彼女を気遣うエニシアだけが取り残されたのだから当然だった。

 

 一応、上の階にはフェアの母のメリアージュと遊びに来ていたミルリーフがいるが、さきほどまで営業していたこともあり、食堂に降りてくる様子はなかった。

 

「げ、元気出して、フェア」

 

「あはは、ありがとうエニシア。さっさ片付けを終わらせちゃおう」

 

 自身を気遣うエニシアの言葉にフェアは乾いた笑いを浮かべながら返した。まだ空元気なのは否めないが、先ほどリシェルに発破をかけられたおかげで最初の時よりはマシなっていると言えなくもなかった。

 

 フェアの言葉を受けてエニシアは手際よく残りのテーブルを拭き終わると床の掃除を始めた。いまだ接客では不慣れな部分があるとはいえ、準備や後片付けはだいぶ慣れた様子だった。

 

 一方のフェアは慣れた様子で厨房の片付けと清掃を終わらせると明日の仕込みを始めた。このあたりの分担はエニシアが一人前の仕事をこなせるようになったからこそできるものなのだ。

 

 そうこうしていると、唐突に玄関のドアが開く音が聞こえた。厨房からは見えないが、もしかたら店に客かもしれない。既に外も日が落ちているため閉店中の看板が見えなかった可能性がある。そう思ったフェアは厨房の入り口あたりの床を掃いていたエニシアに声を掛けた。

 

「エニシア、悪いけどもう閉店したって伝えてくれる?

 

「うん」

 

 せっかく来てもらったとはいえ、もう後片付けまで済ませてしまった後だ。今からできるものといえばそれこそ客相手に出すのは憚られるような出来合いのものくらいなのだ。

 

 エニシアはフェアの言葉に頷き、玄関の方に向かって行く。

 

「あの、すみません。今日は……っ!」

 

 その彼女の言葉が途中で途切れたことは疑問に思ったがフェアが厨房から出てみると、そこにはつい数時間前映像で見た男の姿があった。

 

「よう。閉店中で悪いが三人分の食事がしたい。あと宿泊もな」

 

 フェアの姿を見たネロは挨拶代わりに片手を上げて言った。

 

 どうやらもう一波乱が起きそうな感じであった。

 

 

 

 

 

 

 

 




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第120話 長い日の終わり

 忘れじの面影亭では唐突に現れたネロを、フェアとエニシアの二人がここにいるはずのない存在を見たような顔で見ていた。

 

「それにしてももう閉店したのか? いつもならまだ営業している時間だろ。材料でも切らしちまったのか?」

 

 二人がそんな表情をしている理由を、元の世界に帰った自分が急に姿を見せたせいだと勝手に判断したネロが言うと、フェアが烈火のような勢いでネロに詰め寄りながら叫んだ。

 

「な、何言ってんのよ! ネロのせいでしょ!」

 

「は? なんでだよ」

 

「なんでじゃないでしょ! あんなことして!」

 

 そう言われてもネロは、まさか自分があの皇帝を自称する男を撃った瞬間の映像が全世界に向けて放送されていたなど知る由もなく、ただ首を傾げるだけだった。

 

「えっと……お兄ちゃんが人を撃ったところの映像を見て、フェアはずっと心配してたんだよ」

 

 そこへエニシアが助け舟を出した。それを聞いたネロはようやく自分の姿が放送されていたことを知った。

 

「ああ、なるほど。いつかのあのおっさんのようになったってわけか」

 

 ネロはその時の自分の姿を、かつてフォルトゥナの大歌劇場で当時の教皇サンクトゥスに銃弾を撃ち込んだダンテに重ね合わせた。さすが同じ血を引いていると言わんばかりの共通点の多さにネロは呆れたような笑みを浮かべた。

 

「ちょっ、どういう状況だか分かってんの!?」

 

「別にたいしたことはねぇって。詳しくは後で話してやるから飯でも作ってくれよ。こっちは腹が減ってるんだ。それに、お前らだってまだ食ってないんだろ?」

 

 久しぶりに那岐宮市を訪れたと思ったら悪魔絡みの事件に巻き込まれ、そのままリィンバウムまで来ることになり、挙句の果てに帝都のクーデターにも巻き込まれてしまったのだ。

 

 ネロの人生の中でも、魔剣教団が引き起こした一連の事件の時に次ぐような非常に濃密な一日であり、それに伴って腹も結構空いていたのだ。

 

 そんなネロの姿を見たフェアはそれまで勢いでまくし立てていた自分が馬鹿らしくなり、苦笑を浮かべながら口を開いた。

 

「もう、しょうがないなぁ。ちょっとそのあたりに座ってて」

 

 そうは言いつつもフェアは完全に元気を取り戻している。驚きはしたものの、やはりネロの無事と彼が変わっていなくて安心したのだろう。

 

「ごめんなさいね、フェアちゃん」

 

「ううん、いいの。さ、キリエさんも座って。すぐに作っちゃうから」

 

 ネロが無理を言ったことを謝るキリエにフェアが首を振って答えた時、階段から二人分の足音が聞こえた。一人は早足で降りる子供の足音、もう一人は落ち着いて足取りで降りてくる大人のものだ。

 

「あー、パパだ!」

 

「よう、ミルリーフ。お前もこっちに来てたのか」

 

 最初に降りてきたミルリーフを抱きとめながらネロが答える。彼女は御使い達とともにラウスブルグにいることになっていたため、トレイユには遊ぶに来ていたのだろうとは簡単に想像できた。

 

「うん、一人で来たんだよ。パパもママに会いに来たの?」

 

 姿も態度も最後に会った時とたいして変わっていないが、御使い達がミルリーフを一人で行かせても大丈夫と判断したところを見ると、中身の方は成長しているらしい。

 

「まあ、似たようなもんだ」

 

 ミルリーフの質問にネロは言葉をぼかしながら答えた。とはいえ、少なくともフェアに会いに来たのは事実なのである。もっとも、この世界でネロが立ち寄れるのはバージルのいるラウスブルグを除くと、このフェアのいるトレイユくらいしかないのだが。

 

「まあ! よかったじゃない、フェア。これはしっかりおいしいものを作らないきゃね」

 

 ネロの言葉を聞いて反応したのはミルリーフの後に降りてきたフェアの母であるメリアージュだ。彼女は娘が常々ネロのことを話していたことをしっかりと記憶していたのだ。もちろん彼女自身もフェアのことを色々と気に掛けていたネロのことを好意的に見ていた。

 

「わ、分かってるってば!」

 

 母の言葉に厨房で準備をしていたフェアは赤い顔を見せないよう料理に集中しているふりをしながら答えた。自分に会いに来たと、遠回しにでも言われたことは嬉しくもあったが、やはり気恥ずかしくもあったのだ。そしてそれを母親にからかわれる形となったので尚更だ。

 

「あれ? コーラルもパパと遊びに来たの?」

 

 その時、ネロにばかり目を奪われていたミルリーフは彼がメイトルパで会ったコーラルを連れていることに気付いた。

 

「どっちかと言うと連れて来られた。でも、ここに来ることができてよかった」

 

 そう答えたコーラルは視線をメリアージュに向ける。それは明らかに親しい者に向ける視線であった。

 

「そうね。まさかまた会えるなんて思ってなかったわ、コーラルちゃん」

 

 そしてメリアージュも至竜であり竜尋郷(ドライプグルフ)の束ね役でもあるコーラルに親しげな口調で返答すると、そこへエニシアがその場にいる者を代表したように尋ねた。

 

「お二人は知り合いなんですか?」

 

「そう。幼い頃よく遊んだ。姉のような人。ついでに言えば頭も上がらない」

 

 コーラルがくすりと笑いながら頷くと、それを聞いていたネロは呆れたように口を開いた。

 

「……お前らいくつだよ、一体」

 

 メリアージュはこの十年以上異空間に囚われていたことは知っている。さらには彼女がかつてラウスブルグを用いてメイトルパからリィンバウムに渡ってきた古き妖精であることも。

 

 コーラルにしても今の人に近い姿をしているときはミルリーフとさほど変わらないような年齢に見えるが、至竜にまでなっているということは、実際はもう人の寿命よりも遥かに長生きしていたとしてもおかしくはなかった。

 

 そのように考えればメリアージュとコーラルが二人で一緒に遊んでいた頃とは二十年や三十年前では到底きかない昔だろうことは想像できた。

 

「ネロ、そういうことは聞いちゃダメでしょ」

 

 デリカシーがなっていないとキリエが諫めるとネロは「悪い悪い」と手を上げて謝罪した。もちろん二人ともネロに悪意があって口にしたわけではないということは分かっていたため、それ以上追求することはなく、そのまま別な話題へと移っていった。

 

 

 

 それから少しして、フェアが作った夕食をみんなが同じテーブルで食べ始めた。メニューは最初にフェアが考えていた簡単なまかない料理よりも少し豪華になっており、味もまた格別だった。

 

「それにしてもうめぇな。また腕を上げたんじゃないのか?」

 

 野菜がたっぷり入ったシチューをぺろりと食べた終えたネロがフェアに言った。以前に食べていた彼女の料理も確かに料理屋をやっているだけのことはあると納得できるだけの味を持っていたが、今食べた料理はそれ以上だ。

 

 それだけフェアはこの数年の間に試行錯誤を重ね、自分の腕を磨いていたのだろう。

 

「ふふん、でしょ? あ、おかわりあるから持って来るね」

 

 ネロに褒められたフェアは気をよくしたようで、ネロの皿を持って厨房に行った。

 

「あの子も料理をおいしくする研究は熱心にしていたみたいだから。おかげでお店の方は繁盛しているし。もっとも、そのせいでエニシアちゃんには苦労させてるけど」

 

「そ、そんなことないです」

 

 メリアージュの言葉にエニシアが首を振ると、彼女の姿を見たネロが口を開いた。

 

「ああ、やっぱりここで働いていたのか。通りでフェアと同じ恰好してるわけだ」

 

 最初に会った時のようなお姫様然としたドレスを着ていた時は儚げな印象を受けたが、フェアと同じような服を着ている今では、儚さはだいぶ緩和されているのだ。それは活発なフェアが着ている服というイメージもあるが、エニシア自身が忘れじの面影亭で働くことで、少しずつ変わってきているのだろう。

 

「うん、フェアに誘われて……」

 

「繁盛しているんじゃ、お昼なんかは大変でしょう?」

 

 この忘れじの面影亭は実質的にフェアとエニシアの二人だけで経営されていると言っても過言ではない。人手とすればメリアージュもいることはいるのだが、彼女はこれまでオーナーであるテイラーに任せっきりだった経理関係などフェアでは手が回らないところを担当してもらっているため、彼女に手伝ってもらうことは難しいのが現状であった。

 

「そうですね、その時間帯が一番込みますから。でも、厨房に近いところはフェアも手伝ってくれますからなんとかなってます」

 

 キリエの問いにエニシアは正直に答えた。ここで働き始めた頃はそれこそ失敗ばかりだったが、まだリシェルやルシアンもいたため、二人のサポートを受けながら仕事を覚えていくことができたのだ。

 

 おかげで今はフェアの力を借りながらも、なんとか一人で接客をこなすことができていたのである。

 

「にしても、ここで働くなんてことをよくあのおっさんたちが許したもんだ。……っていうか、あいつらはなにしてんだ?」

 

 エニシアの話を聞いていたネロはレンドラーのことを口にすると、シチューのおかわりを持ってきたフェアが答える。

 

「あの人たちなら今は町の近くの農場で働いているよ」

 

 それを聞いたネロはレンドラーがあのいかつい鎧を脱いで、剣の代わりに鍬を持った姿を想像して笑いを堪えながら口を開いた。

 

「なんだ、あのおっさん農作業なんてやってるのか、似合わねぇな」

 

「そうそう、おまけに監督はリシェルがやってるんだから」

 

 笑いに釣られてフェアも口角を上げながら言うと、ネロは笑いに呆れを含ませながら言った。

 

「おいおい、そんなんで……。いや、案外気が合えばうまくいくかもしれないけどな」

 

 まだ年若いリシェルに任せて大丈夫なのかと、途中まで言って、リシェルとレンドラーという組み合わせが以外といけるかもしれないと思い始めた。二人とも遠慮のない性格をしているから、考えの相違は起こりにくいだろうし、負けず嫌いな点も似ている。それがいい方向に働けば相乗効果で期待以上の結果を見込めるかもしれない。

 

「そうそう、意外と結果は出てるってリシェルが自慢してた」

 

「うちで使っている野菜も足りない分はそこから調達してるものね」

 

 フェアに続いてメリアージュが言った。店を訪れる客が増えれば増えるほど必然的に必要な料理の材料も増えていく。そのためミントがこれまで作ってくれた量だけでは早晩足りなくなりそうだったのだ。ミントとしてはもっと作ってもいいと言ってくれたが、頼ってばかりの彼女にこれ以上、負担を掛けたくなかったフェアはそれを断ったのだ。

 

 その事情を知ったリシェルが持ってきた話が、レンドラー達が働く農場の野菜を割安で提供するというものだったのだ。実質的にその事業を取り仕切るテイラーも帝国屈指の新鋭料理人御用達という付加価値がつくことを考えれば安い投資であると考えたようで、特段の反対もなく認められたのだった。

 

「なるほどね。そういえばルシアンの奴はどうしてるんだ? リシェルと一緒なのか?」

 

 おかわりをしたシチューを頬張りながら尋ねる。リシェルとルシアンは姉弟ということもありネロとしては、二人をセットで考えていたのだが、これまでルシアンの話は一切出てこなかったため、あえて尋ねてみたのだった。

 

「軍学校に入ったよ。確か、帝、都の……」

 

 そこまで言ってフェアはルシアンが帝都の軍学校に入学したことを思い出した。今日クーデターが起こり、そしてネロがその首謀者であり、新皇帝を自称した男を殺害したあの都市の軍学校に、だ。

 

「軍学校か。どうなったのか俺は見てないが、向こうもそんな大勢じゃないからな」

 

 将来の軍のエリートを養成するところとはいえ、制圧目標としての優先順位はそれほど高くない。向こうがそれほど多くの兵を持っていない以上、帝都中心部の皇帝の居城と議場、貴族街、それにアズリア達がいた軍本部を抑えるだけで手一杯だろう。そんな希望的観測を滲ませながら言ったネロの言葉に気を持ち直したフェアが続く。

 

「ルシアンの学年だと外での演習も増えるらしいから、もしかしたら帝都にいないかもしれない」

 

「それにあの子の父親は金の派閥の召喚師なんだから下手なことはしないわよ」

 

 メリアージュも言葉を添えた。ルシアンだけではなく、帝都の軍学校には貴族や裕福な商人など各方面の子息が集まっている。もしそういった子息たちを殺してしまえば、親は非協力的になるだろうし、あるいは反抗を企てる者も出ないとは限らないのだ。ただ、逆にそういった子息を人質にとろうと考えた可能性は捨てきれないが。

 

「あいつの親父だって気にならないわけじゃないはずだからな。無事かどうかは確認するだろうよ。……それに、無事でさえいればなんとかなるしな」

 

 ネロは薄く口元を歪めながら言った。状況によっては再び帝都に乗り込むくらいのことはするつもりのようだ。

 

「……っていうか、そもそもなんでネロは帝都にいたのよ?」

 

 帝都の話になったフェアは再びネロに話を切り出した。もう腹も空いていないだろうし、フェアも食べ終わりそうだったため話を聞くにはちょうどよかった。

 

 それを受けた残りのシチューを胃にかき込み、水を一口飲んでから答えた。

 

「……まあ、一言で言えば情報収集のつもりだったんだよ、いきなりこっちに来ることになったからな。それで帝都にいたら巻き込まれたってわけだ」

 

「巻き込まれたって割に随分派手なことしていたじゃない」

 

 フェアはネロの血に染まった顔を今でもはっきり覚えていた。あんなことをしておいて、巻き込まれたとは言えないだろう。

 

「最初は軍の奴らを逃がすための陽動のつもりだったんだ。あの男が悪魔に絡んでいなければな」

 

「悪魔って……あのレイって人が?」

 

 レイという男の言葉が正しいとすれば、彼は庶子とはいえ帝国皇帝の血を引く人間だ。そんな人間が悪魔に関係しているなどにわかには信じられなかった。

 

「ああ。ほら、覚えてるだろ。前に一緒に帝都に行った時に見た人影。あれがあいつだ。……もっとも今じゃ人かどうかも怪しいもんだがな」

 

 レイから感じた悪魔の力。それは以前に邂逅したときには感じなかったものだ。元々奴自身が悪魔になったのを以前は巧妙に隠していたのか、あるいはこの数年の間に悪魔の力を得たのかは不明だが、いずれにしろサンクトゥスの例もある以上、放っておくことなどできなかったのだ。

 

「それは初耳。他にもいた?」

 

 料理を食べながらネロの言葉を聞いていたコーラルが尋ねた。

 

「いたが反撃はしてこなかったぜ。おかげで楽に逃げられた」

 

 レイの頭部を撃ち抜いた後、ネロは悪魔とは関わりのない周囲の兵には目もくれず天窓から逃亡したのだ。それでも悪魔なら十分追って来ることはできたはずであり、あわよくば追ってきた悪魔を始末する算段だったのだが、勝算の乏しさを悟ったのか悪魔は追跡してこなかったのである。

 

「それでその後、ここに来たってわけね」

 

 フェアが納得したように言うと、今度はメリアージュがコーラルに尋ねた。

 

「彼らをここまで連れてきたのはあなたかしら?」

 

「そう」

 

「確かに随分ときな臭いことになってるのは間違いねぇな。そう簡単には終わりそうもない」

 

 デビルハンターとして場数を踏んできたネロの直感はこれでレイを発端とする悪魔絡みの騒動が終わったわけではないと感じていた。むしろこれからが本番とさえ感じていたのである。もっとも事態がどう動くかまではネロにもわからないが。

 

「あ、そういえば今お兄ちゃんのところにネロのこと知ってる人がいるんだけど、心当たりある?」

 

 その時、フェアがグラッドのもとにいる青年のことを思い出して声を上げた。一応、明日になればグラッドが話をしてくれることになっているが、もしかしたらネロにも心当たりがあるかもしれないと尋ねたのである。

 

「心当たり? そんなもん……いや、一つあるな」

 

 ネロは否定しかけて、一転、肯定した。彼が口にした一つの心当たりとは、那岐宮市のあの場にいたバジリスクに捕まっていた青年と中年男性のことだった。あの場で消えた四人がどこに行ったのかは定かではないが、少なくとも眼鏡の女と白髪の男なら大人しく帝国軍に捕まっているとは思えないため、ネロはその二人に対象を絞ったのだった。

 

「一応、明日お兄ちゃんから話を聞くことにしてるんだけど、どうする?」

 

「……気になるな。俺も同席する」

 

 現状、何の展望も見えていないネロはフェアの提案を受けることにしたのだった。

 

 

 

 

 

 満月が夜空を彩っている時間帯、ラウスブルグの中のバージルとアティの私室に二人はいた。とは言っても、寝るには早い時間だ。二人が用があったのはこの部屋に置かれた機界ロレイラル製の無線機だった。

 

「さすがに思いがけないことなったのは事実だが、それでも私はネロに、お前の息子に感謝しているよ」

 

 無線機を通して伝わってくるのはアズリアの声。彼女はこの時間になってようやく自身の部隊と合流できたため、帝国で起こった政変の仔細を伝えるため、連絡をよこしたのだ。ただ、ある意味では最も重大事である帝国新皇帝レイの暗殺については、アズリア自身が見ていたわけではなく、彼女が合流したギャレオ率いる部隊の者が見ていたため、知ることができたのだった。

 

「皇帝暗殺、か……」

 

 バージルはネロが行ったことを呟いた。ロレイラル製とはいえ、無線機の仕組みは人間界のそれと変わりない。基本的に送信か受信のどちらかしか行えない。要は一方が話せばもう一方は聞くことしかできないのである。現在バージルの手元にある無線機は送信と受信をスイッチで切り替えるタイプのものであり、送信のスイッチを押し続けている間のみ声を送ることができるものだった。

 

 そして今で言えば、バージルは送信のスイッチを押していないため、その呟きは無線機の向こうにいる者には届かないのである。聞くことができたのは隣にいたアティだけだった。

 

「状況はわかった。……それで、お前達はどうするつもりだ」

 

 一息置いたバージルは、今度はスイッチを押して言葉を口にした。現状の帝国の政治はまさに混乱の只中にある。これまで政治の実権を握っていた者は既に殺害されており、それを為したレイもまた新たな皇帝に就いた直後に殺されたのだ。

 

 一応、残った者達が実権を握るべく動くかもしれないが、レイという皇帝の血筋を受け継ぐ者を戴くならともかく、それが亡き現状ではそう易々とはいかないだろう。

 

 特に帝国軍はウルゴーラの駐屯部隊と統合本部を失ったとはいえ、帝国各地に駐屯する部隊は丸々無傷なのだ。状況によってはその部隊とクーデターを起こした者達で戦いになる可能性も十分に考えられる。

 

 だからこそ、今後の動きを予測するためにも残存する帝国軍の中で最精鋭と目されるアズリア麾下の部隊がどう動くか知りたかったのだ。

 

「どうもこうもない。少なくとも現状では己の務めを果たすしかない」

 

 バージルに尋ねられたアズリアは即答した。帝国軍は帝国という国とそこに住む民を守るための組織だ。自身が拙速に動いて混乱を招き、守るべき民が被害を受ける結果になることだけは避けたかった。

 

 それにこの混乱に乗じて他国が軍事行動をする可能性もあった。帝国の新たな皇帝を名乗ったレイという男は全世界に宣戦を布告している。それを口実として国境を接しており、関係も劣悪な旧王国あたりが何か仕掛けてくるとも限らないのだ。

 

「少なくとも現状では、か……」

 

 バージルはスイッチを押さずにアズリアの言葉を繰り返した。それは状況如何では自身の持つ戦力を政治の安定に向けるという意味に他ならなかったが、生真面目な彼女のことだ。それも自身の野望を満たすためではなく、あくまで帝国の民のことを考えての決断となるだろう。

 

「理解した。……それとアティから話があるそうだ」

 

 自分が確認することがなくなったバージルはそうアズリアに伝えると無線機をアティに渡した。親友が無事だったことはこれまでの会話からでも十分に分かっただろうが、やはり直接言葉を交わした方がいいだろうと気を回したのである。

 

「俺はしばらく庭園の方に行っている」

 

 それを聞いてアティが頷くのを見たバージルは部屋から出て行く。これからは親友同士の会話だ。用もなく居座るつもりはなかった。

 

 そして残されたアティは嬉しそうに親友に無事を喜ぶ言葉をかけるのだった。

 

 

 

 ラウスブルグの空中庭園に移動したバージルは満月を見上げながら思考を進める。その中心にあるのはやはりネロのあの行動だった。

 

(なぜネロが皇帝を殺したのか、問題はそこだ)

 

 自分ならともかくネロは人を殺すのを避けている節がある。別にそれ自体は問題ではないのだが、今回気にかかるのは人を殺すのを忌避しているにもかかわらず皇帝を殺したことだ。

 

(やはり悪魔絡みというのが最も考えられるが……)

 

 最初に浮かんだのがネロに殺されたレイという男が悪魔を使役していた、あるいは彼自身が悪魔だったという可能性だ。これならばネロも殺すのに抵抗を持たないだろう。

 

 そこまで考えると連鎖的に思い出されることがあった。

 

(帝都では以前に悪魔を使った暗殺があった。それにネロも多少なりとも関わっているはずだ。それに皇帝が関わっているとすれば説明もつく)

 

 ネロが数年前に帝都ウルゴーラを訪れた際に、暗殺に使われていたと思われる悪魔を始末した話はバージルもネロ本人から聞いている。その悪魔を使役していたのが今回殺されたレイだとするとネロが殺したのも数年越しに仕事を果たしたと説明がつくのだ。

 

 おまけに悪魔を使って暗殺していたのも今回のクーデターのための下準備とすれば、レイが悪魔を使って帝国貴族を暗殺していた理由にも説明がついてしまうのだ。そして例の本に書いてあった名前も暗殺するつもりでいたのだとすると、それは帝国の皇帝として全世界相手の戦争をする上で、多少なりとも相手国を混乱、あるいは弱体化させておきたかったのかもしれない。

 

(そうすると背後にいるのはやはり……)

 

 オルドレイクが開発した従来の方法では自由に悪魔を呼び出すことさえできない現状で悪魔を使役していたとなると、やはりいつかの予想通り背後にいるのは魔界の支配者であり、バージルの倒すべき敵に違いない。

 

 しかし問題は人間を利用するという奴らしからぬ方法を取っているということだ。もちろん無策にただ攻めるという手法を取るとは思えないが、かといって少数の悪魔を用い、暗殺を繰り返したところで大きな影響はない。精々、来たるべき戦いにおいて人間の結束を妨害する程度の効果しか期待できないだろう。

 

 仮にその暗殺が今回のレイと名乗る男らのクーデターを成功させるためのものだったとして、さらにネロの妨害もなかったとすれば、帝国は世界を相手に戦争を始めていただろう。ただ、それでもやはりムンドゥスに利益がある結果を齎すとは思えない。一度魔帝を封印したダンテには全くの無関係で、同等の力を持つバージルにも与える影響はほぼないためだ。

 

 だが、この程度のことなど、あの狡猾な魔帝が想像しないはずはなかった。それはつまり、ムンドゥスは暗殺や戦争が齎す結果自体は望みではない、あるいは優先度が低いということを意味する。

 

(だとすれば奴の次の手は……)

 

 バージルの脳裏に一つの可能性が浮かび上がると同時に、ムンドゥスが次に打つだろう手が読めた。しかし、その舞台となるのは必ずしもリィンバウムとは限らない。それはつまり、バージルの力が及ばないところでの戦いとなる可能性もあるのだ。

 

 にもかかわらずバージルは口角を上げた。

 

 それは明らかにムンドゥスが打つ手への対抗手段があることを示していた。

 

 

 

 

 

 

 

 




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第121話 雲霞の悪魔

 忘れじの面影亭を訪れたネロ達は、当然のようにここに泊まることとなった。空いている部屋からベッドを持って来て即席で作られたのが、ネロとキリエの部屋だった。部屋の大きさ自体はかつて忘れじの面影亭に滞在していた時と変わりないため、ベッドが一つ増えた分狭く感じる。とはいえ、そこで寝泊まりするネロもキリエも文句はなかったのだが。

 

「……朝か」

 

 そんな部屋のベッドの中でネロは目を覚ました。昨日は那岐宮市での悪魔との戦った後に帝都ウルゴーラでの一波乱、そしてこのトレイユでのフェア達との再会と目まぐるしく状況が変化したせいか、存外、精神的に疲れていたようでだいぶ寝過ごしてしまったようだ。キリエは既に起き出したようで、隣のベッドは既に空だった。

 

 ネロは大きな欠伸をしながらベッドを降りると、いつものコートを着て部屋から出てとりあえず食堂に行くことにした。もう数年前のこととはいえ、数ヶ月滞在していた宿屋だ。ある程度生活のリズムはいまだ記憶していた。

 

「おはようネロ、ようやく起きたのね」

 

 先に起き出したキリエはネロの姿を見ると、食堂のテーブルを拭いていた手を止めて声を掛けた。

 

「ああ。そっちは随分早く起きたんだな」

 

「ネロ、おはよ。もうすぐご飯できるから待ってて」

 

 キリエに返答したネロの声を聞きつけたのか、厨房から顔を出したフェアが言うと、ネロは「はいよ」と答えるとキリエが拭き終えたテーブルに、ちょうど厨房の方が見えるように腰を下ろした。それを見る限り、どうやら彼には掃除を手伝うつもりはないらしい。

 

 そうして少しの間、待っていると玄関の掃除を終えたらしいエニシアが戻ってきた。

 

「あ、お兄ちゃんおはよう」

 

 エニシアはテーブルに座るネロを見つけると笑顔で言う。ネロも手を上げて返答すると、そこへキリエが近づきながら尋ねた。

 

「ここの掃除は終わったんだけど、掃除道具はどこに片づければいいのかしら?」

 

「あ、こっちです」

 

 尋ねられたエニシアはキリエを案内して、二人で庭の方に向かっていった。ネロはキリエがだいぶ馴染んでいる様子に心中で安堵の溜息を漏らすと視線を厨房の方に向けた。

 

 先ほどから食欲をそそる匂いが漂っているのだ。昨日の料理を見る限り今朝の朝食も期待していいだろう。

 

 そんなことを考えながら待っていると、不意に背後から玄関のドアが開く音が聞こえた。「こんな時間に客か?」と訝しみながらもネロが振り向くと、そこにいたのは見知った顔だった。

 

「おいおい爺さん、こんな時間にどうしたんだ?」

 

「……なぜ、お主がこんなところにおるのかはあえて聞かん。ワシらは少し頼みがあってきたのじゃ」

 

 昨晩のネロ達に続き、忘れじの面影亭を訪れたのは、かつてエニシアのもとにおり、レンドラーの同僚でもあった老召喚師のゲックだった。そして彼の背後には一人の男性を背負った知り合いの姿があった。

 

「ネロ君、すまないがフェア君はいるかい?」

 

 そこにいたセクターを見てネロは目を見開いた。ただ彼がゲックの旅に付き合っていること自体は、以前に聞いていたことを覚えていたため、驚くことではなかった。ネロが驚いたのは彼が背負っていた男のことだ。

 

「どこでそいつを……?」

 

 セクターが背負っているのは間違いなく那岐宮市で悪魔を呼んだ男女と対峙していた男だった。やはり彼もリィンバウムに来ていたようだった。

 

「こやつのことを知っておるのか?」

 

「……ああ。その言い方だとあんたも知ってるみたいだな」

 

 ゲックの質問に頷きつつ、ネロは暗に詳しく話せという意思を込めながら言葉を返した。

 

「事情は後で話すとするが、この男の名はカイロス・ウォルバング。かつてワシの部下であり弟子だった男じゃ」

 

 ゲックの言葉にネロはやはり、と思った。恐らく那岐宮市でリヴァイアサンへロレイラルの召喚獣で攻撃していたのはこの男なのだろう。同じロレイラルの召喚術を使用するゲックの弟子であるなら腑に落ちる。

 

 何にせよ、思いがけず巡り合えた貴重な情報を持つだろう男だ。ネロとしてもあの那岐宮市を悪魔が襲った一件について知るためにも、是が非でも情報を聞き出すつもりでいるようだった。

 

 

 

「あー! もう、あのバカ親父は!」

 

 ゲックからカイロスを拾った経緯を聞いた忘れじの面影亭にフェアの叫び声が響いた。

 

「フェア君、そう怒るものではないよ。きっと彼にも理由があるのだろうし……」

 

 セクターが彼女を宥めようとするが、それでもフェアの怒りは収まらないらしいが、ネロはそんことなど気にせずゲックに確認する。

 

「まあ、こいつのことは放っておくとして、だ。確認しとくと、あんた達が見つけたのはあの男一人なんだな」

 

「うむ。先ほども言ったようにワシら全員が見ておるし、その周囲も確認しておる。まず間違いはないじゃろうて」

 

 カイロスを見つけた時、ゲックとセクターは国境沿いの森林地帯で、フェアの父であり、メリアージュの夫であるケンタロウ一行と合流したところだった。フェアの妹のエリカの病を治す術を探して、エリカとメリアージュの親友である女召喚師ナイア・ノイマーノ、それに機械兵士のトライゼルドの四人で旅しているケンタロウ達とゲックはたびたび会うことがあったのである。

 

 もともとケンタロウはゲックがギアンの指揮の下、ラウスブルグを攻撃した際に交戦したことがあり顔見知りではあった。その後、セクターや子供同然のローレット達三姉妹、グランバルドと共に旅をしているとひょんなことから再会し、戦いの際も双方殺意があったわけでもなく、既に争う理由がなかった両者は和解していたのだった。

 

 その後は、エニシアと年も近いエリカのことをゲックも何かと気に掛けており、彼女の病を治す手がかりにでもなればと、会うたびに情報を提供していたのである。

 

 カイロスを見つけた時も、そうした情報提供と、何かと不器用なケンタロウから家族絡みのことを頼まれていた時のことだった。

 

 周囲が魔力によって大きく振動し始めたのである。それは上位の召喚獣を呼び出す大規模な儀式に似たものだった。次いで空に割れ目ができたのも束の間、そこから魔力による光が溢れ出したのである。そしてそれが収まった後に見つかったのが、カイロスだったのである。

 

「目視だけじゃなく、センサー類も使って念入りに確認したんだ。あの場に彼以外いなかったと断言していいだろう」

 

 ゲックの言葉にセクターが補足した。その場に大規模な召喚の儀式にも似た反応だったため、周囲の確認は彼らの安全にも関わることであり、細心の注意を払って確認していたのだ。間違えることなどありえないだろう。

 

「そこはいいけど、何でバカ親父はウチに連れて行けなんて言ったのよ! しかも本人はいないし!」

 

 再びフェアの声が上がる。倒れていたカイロスを忘れじの面影亭に連れて行くよう提案したのはケンタロウだった。それがフェアの怒りに火をつけた原因だったのである。

 

「彼は別な用事があるとかで町に入ったところで別れたんだ。たぶん用事が済めばこちらに来るんじゃないかな」

 

 彼には彼の事情があるのだとセクターは遠回しに伝えるが、それはフェアにとって逆効果だった。彼女にしてみれば、その用事の前に一言言いに来るのが筋だと思っているらしい。

 

「まあまあフェア、あの人も中々会い辛いのよ。分かってあげて」

 

 今度はメリアージュがフェアを宥めた。恐らくケンタロウがここに連れて来るように言った理由は彼女にあった。事実、運び込まれたカイロスは先ほどまでメリアージュによって治療を受け、今ではゲック達が旅の移動手段として使っているビルドキャリアーと呼ばれる車両で安静にしていた。

 

 彼女も天使の系譜に連なる妖精であるため、治癒の奇跡を使えるのだ。ただ、それ自体は彼女の力を色濃く受け継いだエリカも同様だが、病の原因がその受け継いだ力によるものであったため、エリカに治療させることには抵抗があったのだろう。

 

 メリアージュの言葉を聞いてもフェアの怒りは収まっていなかった。一応、彼女は人間界から帰ってきた後、ケンタロウとは顔を合わせている。メリアージュが閉鎖された異空間から解放されたことを知って戻ってきた時のことだ。フェアとしては、妹と何年ぶりかに再会できたことは喜ばしかったが、ラウスブルグの一件を自分に押し付けた格好になったことなど、父の身勝手な行動に対していろいろと口にした結果、口論となったのである。

 

 結局、エリカの病を治す術を見つけるため再びエリカと共に旅に出た今となってもその関係は改善していないのだった。

 

「……後はあいつが起き出してから話を聞くしかないか」

 

 フェアとメリアージュのやり取りを無視しながらネロは呟いた。身元が分かっただけでも進展したと言えるのかもしれないが、彼が目覚めないことにはこれ以上話が進みようもないことにもどかしさも感じていたのだ。

 

「ああ、そうするといい。あの状態なら今日にでも目を覚ますはずさ」

 

「うむ。目覚めたらあらためて連れてくるとしよう」

 

 セクターに続きゲックが言った。彼としてもかつての弟子が何故あの場にいたのかなど、聞きたいことは山ほどあった。ネロに聞いてもいいが、これまでの彼の反応を見る限り親しい間柄でもなさそうであったため、あえて話を聞かなかったのである。

 

 二人はそう言うと席を立った。元々あまり長居をするつもりはなかったらしい。

 

「さて、我々はここでお暇するよ。これから体のメンテナンスがあるんでね」

 

 数年前まではゲックを怨敵と見ていたセクターだったが、この旅の中でその関係はかなり良好のものとなっているようだ。

 

「最近はきな臭いからのう。……姫様も十分に気を付けてくだされ」

 

 本来、セクターの言ったメンテナンスは定期的なものではなく、今回のカイロスの件や昨日の帝都での政変を聞いて、不穏な空気を感じ取ったセクターとゲックの二人が急遽決めたものだった。まずはセクターから始め、次いで三姉妹やグランバルドにも行う予定となっていた。

 

「うん、ありがとう。教授も気を付けてね」

 

 自身を気に掛けてくれたゲックに、大人しく話を聞くだけにしていたエニシアが笑顔で答えると教授も目を細めて頷いた。

 

「帰ってきたらタダじゃ済まないんだから……!」

 

 二人を見送ってもなお怒りが収まらない様子のフェアをネロは苦笑しつつ見ていると、彼らと入れ替わりでまた見知った者がやってきた。

 

「ようフェア……って、ネロ!?」

 

「おう、久しぶりだな」

 

 玄関のドアを開けたグラッドがネロの姿を見て驚くが、当のネロはその反応はもう見飽きたとばかりに軽く手を上げて声を掛けた。

 

「お前どうしてこっちに……いや、そんなことよりお前のことを知ってる奴がな……」

 

「ああ、こいつから聞いてる」

 

 その者のことは既にフェアから聞いていたことを話した。

 

「なら話は早い! ちょっと待っててくれ、今連れてくるから」

 

 そう言ってグラッドは扉も閉めずに飛び出して行った。どうやら彼が来たのもその関係でフェアに話があったらしい。だが、当のネロ本人がいたため、直接連れてきて話をした方がよいと判断したようだ。ネロとしてもその人物から話を聞くつもりでいたため、なんら異論はなかった。

 

「もう、お兄ちゃんってばまだこんな時間なのに……」

 

 さすがにその話を聞かされたフェアはいつまでも怒っているわけにはいかなかったらしい。グラッドのことだから本当に言葉通りすぐに連れてくるだろうから、彼らの分まで朝食を作る必要があると考え、厨房に戻って行った。

 

「やれやれ、ようやく機嫌も……」

 

 ネロはようやく怒りが収まったらしいフェアを苦笑しながら開きっぱなしのドアを閉めようした時、そこから見える外の景色に違和感を持った。

 

(あれは雲、か……? いや……)

 

 トレイユから見て南東の方向、地平線より少し手前あたりから町に向かってくるのが見えた。最初は雷雲のような黒い雲に見えたが、雲にしては高度が低すぎるし、何より速度が速すぎる。そして目を凝らして見て、ようやくその正体が分かった。

 

(悪魔か……! 何だってこんなときに……!)

 

 黒い雲のようなものは雲霞のように夥しい数の悪魔だった。まだ距離があるためその種別までは不明だが、飛行が可能で、かつ、体のほとんどを黒かそれに近い色で占めている悪魔はそう多くない。メフィスト系かシン・シザーズ系の悪魔のいずれか、ネロはそう判断していた。

 

 それでもこのタイミングで悪魔を発見できたことは僥倖であった。ネロの悪魔の右腕(デビルブリンガー)にも悪魔を感知する力はあるが、その範囲は広くはない。むしろその力は悪魔を探すことより、擬態や変装を見破ることの方が向いているのだ。

 

「どうしたのネロ。じっと外なんか見て」

 

 扉に手を掛けたまま動かないネロを不審に思ったキリエが背後から声を掛けた。

 

「どうやら昨日に引き続きまた仕事をしなくちゃならないみたいだ。……キリエはここにいろ。何があってもここから出るなよ」

 

 最初に軽口を叩いたネロだったが、後半の言葉はしっかり言い聞かせるように彼女の目を見て言った。そして足早にレッドクイーンとブルーローズを取りに部屋へと戻って行った。

 

 

 

 そして必要な物を取って食堂に戻ると、そこには先ほど者達に加え、誰かが呼びに行ったのかコーラルとミルリーフもいた。これで現在忘れじの面影亭にいる全員が揃ったことになる。

 

 皆戻ってきたネロに視線を向けるが、誰かが口を開く前にネロが言う。

 

「コーラル。悪いがまた乗せてくれ」

 

「……分かった」

 

 コーラルは一瞬考えるような仕草をしたが、すぐに頷いた。

 

 今回の相手は空を飛ぶ悪魔である。悪魔を足場代わりに戦うこともできなくはないが、それでもやはり味方に空を飛べる奴がいた方が心強いのは事実だった。

 

「ミルリーフも行くっ! ミルリーフだって至竜だもん!」

 

「分かってるって、だからここに残すんだ。万が一、ここに悪魔が来たらお前がみんなを守ってやるんだぞ」

 

 選ばれなかったミルリーフが頬を膨らませながら詰め寄られたネロは、彼女を選ばなかった理由を説明した。とは言っても、それは理由の半分に過ぎなかった。確かにミルリーフの戦闘力はネロの除いたこの中では、コーラルと並び最強であることは疑いようがない。そのため、いざという時の戦力として残したのは事実である。しかし、悪魔と戦闘経験どころか、まともに戦ったこともない彼女をいきなり悪魔との戦いに駆り出すことは憚られたため、今回はコーラルと共に行くことにしたのだった。

 

「うー、……分かった」

 

 一緒に行けないのは不満ながら頼られたのは嬉しいミルリーフがとりあえず納得したのを見て、ネロは微笑を浮かべて彼女の頭を撫でた。

 

「ネロ……」

 

「心配すんなよ、あれくらいどうってことないって」

 

 ミルリーフから手を放し離れた時キリエに名前を呼ばれたネロは、彼女の言わんとしていることを察して苦笑いを浮かべながら答えた。キリエは両親が悪魔に殺されたという過去があるせいか、こうした悪魔絡みに関しては心配性になるきらいがあった。ネロはそのたびに今のような言葉を口にしてきたのだ。もちろんそこには強がりなど一切ない。実際ネロはあの雲霞のような悪魔の群れを見ても自分が敗れる想像など全くしていなかった。仮にあの十倍の悪魔がいたとしても時間こそかかるだろうが、殲滅自体はたいして難しくはないだろう。

 

 そうしてキリエに声をかけたネロは宿屋から外へ出て行く。もう少し時間さえ許せばフェア達にも声をかけたかったところだが、今回は敵が迫っていることもあって省略するしかなかった。

 

「乗って」

 

「ああ。向こうの黒い雲みたいのが見える方向だ」

 

 竜の姿に戻ったコーラルの背に飛び乗ると、ネロは目指すべき方角を声と指で示した。

 

 コーラルは頷くと地面を強く蹴って空中へ飛び出した。一対の大きな翼で羽ばたいて悪魔の群れへ向かって行く。

 

 僅かの間にぐんぐん距離が縮まって来ると、ネロの右腕も疼きはじめ、悪魔も視認できるようになってきた。どうやら黒い雲のように見えていたのは悪魔がマントのように纏うガス状の物質だったようだ。悪魔の体自体は青く大きな目を持つ紅い頭にと鋭利な爪を備えたが細い腕、さらにガス状のマントの下からは赤く細い尻尾のようなものも見えた。

 

「メフィストか……」

 

「知ってるの?」

 

 悪魔の種別を見抜いたネロの呟きを聞いて尋ねた。コーラルは幻獣界にいた頃は悪魔と戦ったこともあったが、地上で動くタイプの悪魔がほとんどで今回のように空を飛べる悪魔を相手にするのは初めてのことだった。

 

「まあな。あの黒いガスみたいので浮いてるだけで本体は気色悪い虫だ。あのガスさえ吹き飛ばしちまえば大したことはない。……っつても爪には気を付けろ、油断してると串刺しになるぞ」

 

 対してネロはかつてのフォルトゥナの事件ではメフィストとその上位種であるファウストとは戦ったことがあった。黒いガスが鎧のような役割を果たしているため、そのままでは思うように攻撃が通らないが、逆にそれを剥がしてさえしまえば防御力だけでなく飛行能力も失ってしまうのだ。よくも悪くも黒いガスありきの悪魔といってよかった。

 

「わかった。気を付ける」

 

 そう言って前に進むのをやめてその場で羽ばたき始めた。眼下にはトレイユに続く街道が見える。ここで悪魔を迎撃するつもりなのだ。ネロとしてもトレイユ上空でないため異論はなかった。

 

「先手必勝」

 

 コーラルはそう言って口を開いてそこに魔力を集中させ、それを光線状にして撃ち出した。白い光を放つ魔力の光線を距離によって減衰することなく悪魔の群れに直撃し、悪魔を消し飛ばした。それで全体の一割程度の悪魔を消滅させることはできただろう。

 

「思ったよりすばやい……!」

 

 だが、それはコーラルが期待した戦果ではなかった。一部の悪魔は攻撃が直撃する前にその射線上から逃れていたのだ。相当の距離があったとはいえ、放った魔力の光線の速度は極めて速い。それだけに悪魔に回避行動を取られ、倒せると思っていた悪魔に逃げられたのは予想外だったのである。

 

「いや、十分だ。……お前はああいうのが撃てていいな」

 

 だが、ネロはこの距離からの攻撃であれだけの悪魔を減らしたのなら上々の戦果だと考えていた。メフィストという悪魔はゆらゆらと漂うように浮遊する姿からスピードには優れないと見られがちだが、実際は隙を伺っているに過ぎず、攻撃時における速さを相当なものなのだ。

 

 それだけにこの距離でメフィストに打撃を与える攻撃を放ったコーラルのことを評価していたのである。むしろブルーローズの有効射程のことを考えると、実質的には近距離での戦闘を強いられるネロからすれば、コーラルのような長距離攻撃の手段があることは羨ましくもあった。

 

「さて、俺もそろそろやるか」

 

 羨望の声を向けるのもそこそこにネロは左手にブルーローズを握って、悪魔の群れへと視線を向けた。コーラルの攻撃を回避しようとしたせいか悪魔は先ほどまでのように密集状態ではなくなり、移動のスピードも落ちていた。

 

 それを好機と捉えたネロは背中から跳躍すると悪魔の只中に飛び込んでいった。

 

 そして悪魔の群れに接近すると、手近なところにいたメフィストを悪魔の右腕(デビルブリンガー)で引き寄せた。ネロの右腕は黒いガスを突破した正確に悪魔の本体を掴んでいた。ネロはそれを即席の足場代わりにして踏みつけるのと同時にブルーローズで撃ち抜いた。さらにまた新たなメフィストを引き寄せるようにしながら次々と悪魔を屠っていった。

 

 時にはレッドクイーンを使って黒いガス上のマントごとメフィストを両断したり、悪魔の右腕(デビルブリンガー)を使って頭部ごと握り潰したりするようにして悪魔の数を減らしていった。

 

 また、ブルーローズの弾が切れるとクイックローダーを放り投げ、空中に跳んだままリロードをやってさえみせた。曲芸染みた芸当を戦闘の最中に容易くやってみせるあたり、まだまだ余裕があるのだろう。

 

「さすがに手慣れている……」

 

 ネロの戦う様を見たコーラルは舌を巻いた。名もなき世界で会った時も悪魔と戦っていたし、悪魔退治のプロフェッショナルというのも知っていたが、こうして実際に戦っているところをみると、あらためてその技量に驚かされたのだ。

 

 できるなら援護の一つでもしてやりたいと思っていたが、先ほどのような魔力による攻撃は巻き込んでしまう恐れがあるし、ネロ自身も誰かとの共闘できるような動きもしていないため接近戦は自重しており、結果として最初の一発以降は見るだけに留まっていた。

 

 しかしそれも束の間、ネロの姿が僅かな隙間にしか見えないほど、彼に群がっていた雲霞のようなメフィストの群れは、唐突にそこから四分の一ほどが分かれると最初に発見したのと同じようにトレイユがある方角に向けて移動を開始した。

 

 それは先ほどまでのネロとの戦いのように、それぞれの悪魔が勝手気ままに動いて攻撃をしていたのではなく、明らかに誰かに指揮されているかのような統制がとれた動きであった。

 

 とはいえ、トレイユの攻撃が目的なのならばその行動自体はおかしなことではない。ネロという大きな障害があるのであれば、一部でそれを抑えて残りで目的地に向かうというのは人間界でも航空戦なので当然に採られている作戦なのだ。

 

 だが、 上位種のファウストならこうした行動をとる可能性もあるのかもしれないが、相手は下級悪魔のメフィストである。このクラス悪魔は目の前の敵を放置することはまずないのである。したがって、少なくともこの行動は外部から意思によるものである可能性が極めて高かった。

 

(クソッ、マジかよ……!)

 

 そのせいか、ネロもメフィストが取った行動に内心で舌打ちをした。しかし、分かれた群れの方を追うことはしなかった。あちらを追っては今相手にしている方を自由にすることになり、次はそいつらがトレイユに向かう可能性もあったのだ。そのため、ネロに出来たことはブルーローズを用いて、離れて行く悪魔の何体かを撃ち殺すことだけであった。

 

 

「…………」

 

 コーラルが移動するメフィストを迎撃すべく動いた。全てを止めることはできなくとも時間を稼げれば、ネロも今戦っている悪魔を殲滅してこちらに来られるだろうし、トレイユに向かう悪魔が減ればそれだけ対抗しやすくもなる。

 

 その考えのもと、コーラルがメフィスト達と交戦を開始するのを見ていたネロの脳裏にいやな想像が浮かんできた。

 

(しかし、悪魔が来たのはここだけなのか……?)

 

 下級悪魔のメフィストが見せた統制のとれた動きに何者かの影を感じたネロは、事態はもっと大規模なものなのではないかと勘繰ったのである。

 

 そしてそのネロの予感が正しかったことを証明するように、ほぼ同時刻、リィンバウムの各地、各都市を悪魔が攻撃し始めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




次回投稿は3月の予定です。

ご意見ご感想評価等お待ちしております。

ありがとうございました。


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第122話 トレイユ防衛戦

 ネロがコーラルと飛び立った後、フェアは店を飛び出してグラッドに事態の説明をするために駐在所に走った。彼女の立場なら自分達の安全を最優先に考えて忘れじの面影亭に留まっていたとしても非難されるものではないが、フェアの性格上、何もしないなんてできなかったのだ。もしかしたらネロが彼女には何も言わなかったのは、こうなることが分かっていたのかもしれない。

 

「フェア!」

 

 駐在所が間近に見える距離まで近づいたところで、グラッドの方から声を掛けられた。彼の傍らには昨日顔を見た青年が控えていた。恐らく彼を連れてまた忘れじの面影亭に行こうとしていたところなのだろう。

 

「よかった! 実は……」

 

「分かってる、悪魔のことだろ? ネロが竜に乗って飛んでいくのが見えたんだ」

 

 フェアが状況を説明しようとするとグラッドがそれを遮った。ネロ達はあまり高度を上げずに飛行していたため、グラッドの目に入ったのだ。それに彼らが飛んでいく方向に目を向ければ、低高度に浮かんでいる黒い雲のようなものも見えたのだ。ネロに率先して向かうとすれば、その黒い雲の正体を悪魔と判断したのも無理からぬことだった。

 

「うん、だから……」

 

「俺はこれから町の方に行かなきゃならない。だから悪いがミコトのこと頼みたいんだ」

 

 グラッドは駐在軍人だ。このトレイユの住民を守る義務がある。だから住民にしばらくの間家にいるように伝えに行かなければならない。しかし同時に、保護したミコトの安全にも責任があるのだ。そのためグラッドは、まずミコトをトレイユの中で悪魔から最も離れたところにあるフェアのところに避難させようとしたのだ。

 

「わ、分かった。お兄ちゃんも気を付けてね」

 

「すまん、頼む」

 

 彼の言わんとしていることを悟ったフェアが頷くと、グラッドは街中に向かって走り出した。グラッドは一度悪魔と戦ったことはあり、その恐ろしさを身を以って知っているのだが、それでも帝国の民を守るという軍人の使命を果たすため、悪魔とも戦う覚悟はあった。

 

 しかし現状では、悪魔にネロが向かっていることもあり、グラッドはひとまずは彼に戦いを任せる気でいた。というより雲のように見える程の大量の悪魔と戦って勝つ自信などなく、ネロに頼るしかないのが実情なのだ。

 

 もし、ネロが仕留めきれなかった悪魔が来ることがあれば彼はいの一番に戦うつもりでもいたのだった。

 

「それじゃ、こっちも行こう。案内するからついてきて」

 

「は、はい、よろしくお願いします」

 

 グラッドを見送った後、フェアが声をかけるとミコトが返事をする。ミコトにしてみれば非常事態とはいえ、昨日いきなり詰め寄られた者に案内されるというのは、少し気後れするような状況だった。

 

 同様にフェアもグラッドに頼まれたとはいえ、まだ疑念の残っているミコトと話すのには気まずさがあったため、最初の言葉以外は無言のまま彼を先導していった。

 

 混乱しているかもしれない大通りを避けて裏道を通ってため池のところに来てもお互い無言のままだった。そしてため池の別れ道を右に曲がったところで、曲がった反対側の方にあるリシェルの家の方から甲高い機械のエンジン音が聞こえた。

 

 二人が振り返ると誰かが飛び立っているのが見えた。飛行しているのはコーラルのような巨体な竜ではなく、人間より少し大きなロレイラルの召喚獣だった。今も聞こえているエンジン音のもとはその召喚獣の発する推進機関だったようだ。

 

「あれって……」

 

 それを見たフェアには心当たりがあった。この位置からでは顔は見ることができず、距離もあったため細部まで見られなかったが、あの独特の服装は父であるケンタロウのものに間違いなかった。

 

 それに父が乗っているロレイラルの召喚獣らしき機械も、以前に家に帰って来た時に連れていた機械兵士のトライゼルドだろう。実際には見たことがなかったが、トライゼルドには飛行能力があることを父が自慢げに語っていたことが記憶にあった。

 

 セクターの話では用事があるという話だったが、おそらくその用事とはリシェルの父のテイラーと会うことだったのだろう。フェアにとっては店のオーナーであるテイラーは父と母の共通の友人であるらしい。もっともテイラー自身がそう言ったわけではなかったが。

 

「……行こう。もうすぐだから」

 

 少しの間、父が飛んで行った方を見たフェアはミコトに言った。恐らく父は事態を把握して戦いに行ったのだろう。それに対して思うところがなかったわけではないが、今はミコトを店に連れて行くことの方が先だと思ったらしい。

 

 そんなフェアの様子を不審に思いながらもミコトは頷くと彼女に続いた。

 

 そうして忘れじの面影亭への道を進んでいると、途中で店の方から走ってきたセクターと出会った。彼はフェアを見るとほっとしたような表情を見せて声をかけた。

 

「ああ、よかった。みんな心配していたよ。さあ戻ろう」

 

 セクターはフェアを探していたらしい。確かに普通に忘れじの面影亭と駐在所を往復するよりも時間はかかっていたのだろうから、残るメリアージュやエニシアが心配するのも理解できる。そうでなくとも今は非常時だ。待つ側にとってはいつも以上に時間は長く感じたことだろう。

 

「でも、先生はどうしてここに?」

 

 セクターも加え店への急ぎながらフェアは尋ねた。彼はほんの少し前に忘れじの面影亭を出たばかりだ。にもかかわらず、どうしてすぐに戻ってきたのか疑問に思ったのだ。

 

「ビルドキャリアーが異常を感知したとの連絡があってね。エニシア君を心配したゲックと戻ってみれば飛び出して行った君がなかなか戻って来ないと聞いて探しに来たんだよ」

 

 ビルドキャリアーには悪魔の出現を察知するような機器は設置されていないが、魔力を感知できる機器は備え付けられている。それが異常な値を示していたのだ。そのため、その報せを受けた時のゲックとセクターは異常の原因が悪魔であるとは分からなかったが、それでも何らかの不測の事態に陥ることは十分に想像できたため、忘れじの面影亭に戻ることにしたのだった。

 

「大通りはもしかしたら混乱しているかもしれないと思って遠回りしてきたの」

 

「……彼は?」

 

 フェアから遅れた理由を聞いたセクターは納得したように頷くと、彼女とともにいるミコトのことを尋ねた。

 

「昨日からグラッドお兄ちゃんが保護している人。それでお兄ちゃんから頼まれたの。預かってくれって」

 

「えっと、ミコトって言います」

 

 フェアがそう言うと、とりあえずミコトは名乗った。こういう場合日本では姓を名乗る方が一般的ではあるが、こちらの世界では全員が姓を持っているわけではないため、名前を名乗るのが一般的だった。

 

「よろしく」

 

 セクターは短く答えた。彼もかつては軍人であり、こういう状況で駐在軍人がどういう行動を取るかは知識として知っており、ミコトをフェアに預けたことを非難するつもりなかった。それでも元諜報員であり、状況が状況である以上、どうしても見知らぬミコトのことを無警戒で接することはできなかった。

 

 

 

 そのまま店まで戻ると、玄関の近くにはグランバルドが見張りをしていた。ローレット達三姉妹の姿が見えないところを見ると、恐らく庭や倉庫の方で見張りしているのだろう。

 

 そしてそれ以外のキリエやエニシア達に加えゲックも食堂にいた。そして彼の傍では今朝メリアージュから治療を受けたカイロスが座っていた。意識は取り戻したようだが、まだ完全に復調したとは言えないようで背もたれに体を預けて俯いている。その近くのテーブルには彼の私物らしい大きな荷物も置いてあった。

 

「ママ!」

 

「よかった、遅いから心配したんだよ」

 

 戻ってきたフェアを見つけたミルリーフとエニシアが駆け寄ってきた。何事もなかったフェアにしてみれば少し心配しすぎな気がしたが、それでも

 

「ごめんね、ちょっと頼まれたことがあって。実はこの人を預かることに……」

 

「お、叔父さん!」

 

 フェアがそう言って後ろにいたミコトを紹介しようとした時、その本人が大きな声を上げた。そしてその声に反応したのは、それまでずっと俯いたままのカイロスだった。

 

「……ミコトか?」

 

 その言葉を聞いてミコトはやはり座っていた男の正体が那岐宮市で一緒に暮らしていた叔父カイであると確信した。自分もいつの間にか日本からリィンバウムに移動しているのだから、あの時同じ場所にいた叔父も同じくこの世界に来ていたとしても不思議ではない。それでも、誰も知っている者がいない世界でようやく知っている者に出会えたのはとても嬉しかった。

 

「叔父さん、よかった……」

 

「ふむ、すまんがどういうことなのかワシらに説明してくれんか?」

 

「え、ええ、彼は私と共に住んでいた者です。名はミコトと――」

 

 かつての師であるゲックとは少し前に意識を取り戻した時、多少なりとも言葉を交わしていた。ただ、その時既に切迫した状況であったため、詳しい事情を話すことはできずにいた。だから当然、ミコトとの関係を訝しまれて当然だろう。

 

 そのため、簡単にでも関係を説明しようとしたカイロスだったが、その言葉を言い切る前に忘れじの面影亭の外で見張りをしていたグランバルドの大声によって遮られた。

 

「教授! ナニカ、向カッテキテル!」

 

 その言葉にいち早く反応したのはセクターだった。反射的に店を飛び出し、グランバルドの傍へ駆け寄った。そして彼が示す方向に目を向けると、確かに空中を浮遊する小さな黒い雲のようなものがいくつも町の中を飛び回っており、その中のいくつかがこちらに向かって来ていた。

 

「先生どうかした……って、あれってまさか、悪魔……!?」

 

 遅れて後を追ってきたフェアがセクターの見ている方にいた存在が悪魔だと本能的に察した。あの存在からはかつて帝都で見た悪魔と同じような感じがするのだ。

 

「私は悪魔と言う存在を実際に見たことがないが、少なくともこちらに害意を持っているのは間違いないだろうね」

 

 セクターは数年前までまともに悪魔が現れたことがないトレイユに住んでおり、この数年はリィンバウム全体で悪魔が現れなくなっていた時期だったため、彼が実際に悪魔を見たのは今回が初めてだった。いずれにせよ飛行能力を持つ相手との戦いは厳しいものになるだろうと考えていると、そこへ三姉妹の長女ローレットから通信が入った。彼らの間では連絡を密に行うため、短距離の簡易的な通信機を常に持っているのである。

 

「何かありましたの? 私達もそちらに行きますわ」

 

「だめだ、そこで見張りを続けるんだ。挟撃されるわけにはいかない」

 

 ローレットの言葉をにべも無く否定する。確かにここでローレット達三体の機械人形が戦力として加われば非常に頼もしいだろうが、それは同時に他方向への目を失うことになるのだ。それこそセクターが口にしたように挟撃でもされれば最悪である。それにもし新たな敵が来ないのであれば、万が一の際の逃走経路の確保にも繋がるという思惑もあり、ローレット達を忘れじの面影亭の各所に留めようとしたのである。

 

「ですが、それでは……!」

 

「ローレット、ワシもセクターと同意見じゃ。アプセットとミリネージも聞いておるな。お前達はその場で見張りを続けよ」

 

「……わかりましたわ」

 

 セクターだけでなくゲックにもそう言われたローレットは渋々ながらも了承すると、同じ通信を聞いていた次女アプセットと三女ミリネージからもそれぞれ「……了解」「ハーイ」と返答がきた。

 

 それと前後してフェアに続いて店を出ていたミルリーフが至竜の姿へと変わった。

 

「ミルリーフ、戦う! パパと約束したもん!」

 

 迫りくる悪魔への威嚇か、初めて悪魔と戦う自分を鼓舞するためか、ミルリーフが声を上げた。

 

「一緒に戦うよ、ミルリーフ!」

 

 それに呼応するかのようにフェアも武器を取り出して臨戦態勢をとった。母としてはミルリーフが戦うことがいいことだとは思えないが、それでも数多くの悪魔と戦わなければならない現状では、非常に頼りになる戦力なのは間違いなかった。

 

 そして悪魔が姿をはっきり視認できる距離まで来たところで、先手を打ったのはゲックに指示されたグランバルドだった。

 

「やれい! グランバルド!」

 

「アッタレェエ!」

 

 腕に装備された銃を一体の悪魔に向かって乱射する。お世辞にも高い命中率とは言えないが、それでも撃った弾丸の半分程度は悪魔の体の大半を構成するマントのような黒いガスに吸い込まれていった。ただ悪魔自体には効果がないのか、平然としていた。

 

「効イテナイノ!?」

 

「いや、違う……ゲック!」

 

 自分の銃撃が無効化されたと思ったグランバルドが声を上げるが、悪魔をつぶさに観察していたセクターがそれを否定して、自身に改造を施した召喚師の名を呼んだ。

 

「分かっておる! アセンブル!」

 

 ゲックもセクターと同じ結論に至っていたようで、名を呼ばれた時には既に召喚術を発動する準備は整っていたようだ。そして召喚術の発動キーを口にして現れたのが、強力な電気を操る機界ロレイラルの召喚獣エレキメデスだった。

 

 呼び出されたエレキメデスは主の命令に従い、悪魔に向けて嵐のような強力な電流を放った。決して燃費のいい召喚獣ではないため、長期戦に向いた機体ではないが、その電流の威力は折り紙つきだった。

 

 その証拠に電流の嵐に巻き込まれたメフィストは大きく仰け反るように後退し、その中心にいたグランバルドの銃撃を受けたメフィストに限っては、黒いガスが剥がされたかのように消失し、残された頭部は虫のような本来の姿を曝け出しながら落下を始めた。

 

「もらった!」

 

 だが、メフィストが地面に落ちる前に短剣を携えて跳躍したセクターによって切り裂かれた。セクターもゲックもあの黒いガスに銃撃が吸い込まれるたび、ガス自体が小さくなっていたことに気付いていたようだ。

 

 だが、悪魔もそのままで終わるはずがなかった。

 

 エレキメデスの電撃に巻き込まれなかったメフィストの一体がセクターに急速に接近してきたのだ。

 

「くっ……!」

 

 その時いまだ空中にいたセクターは自由に身動きを取ることはできなかった。融機強化兵として改造された彼は、先ほど倒したメフィストのところまで跳躍できるほどに身体能力を強化され、さらには偏光迷彩まで装備されてはいるものの、空中を自由に動き回るような機能までは付与されてはいないのだ。

 

 何とか体を動かして悪魔の攻撃を避けようとするものの、空中を自由に移動することができるメフィストがわざわざ止まって攻撃を仕掛けて来るはずがなかった。

 

 メフィストは標的の周囲を周りながら、弾丸のような速度で鋭い爪を伸ばしセクターを刺し貫こうした。

 

「させないんだから!」

 

 だがその直前、フェアが放った矢がメフィストの照準を狂わせた。さすがに攻撃を阻むまではできなかったものの、伸ばした爪はセクターの真横の空間を貫いたのだった。

 

「すまない、助かったよ」

 

「何とかなってよかったよ」

 

 若干体勢を崩しながらも地面に着地したセクターからの礼にフェア大きく息を吐きながら答えた。彼女は普通の剣のみならず槍や今のやったような弓、さらにはシルターンで多く使われている刀も扱えるなど、多種多様な武器を扱えるのだ。しかし、そんなフェアをもってしても今しがたやったようなメフィストの爪に矢を当てることは非常に難しかったらしい。

 

 メフィスト自体は普通の人間と同程度の大きさだが、当てなければならないのは爪の部分であり、時間的余裕もほとんどなかったのだ。正直なところ、今回当てられたのは運が良かったとしか言えないだろう。

 

「また来るよ!」

 

 ミルリーフが声を上げた。フェアに邪魔された悪魔は標的を追って向かって来ており、エレキメデスによって仰け反り後退させられた悪魔も既に体勢を立て直していた。状況が乱戦の様相を呈するのは時間の問題だろう。

 

「何とか店の方にいかないようにしないと……!」

 

 フェアは弓から剣に持ち替えてちらりと後方の忘れじの面影亭を見やった。そこにはエニシアやキリエのように戦う力を持たない者がいる。悪魔をここで食い止めなくては大惨事になることは目に見えていた。

 

 しかし、メフィストの数はこちらよりもだいぶ多い。かなり厳しい戦いになるのは明白で、その中で悪魔を全て引き付けられるかは疑問符がつくところだった。

 

 そうしたフェアの心配を感じ取ったのかは分からないが、忘れじの面影亭を包むように結界が張られた。その余波に接近しつつあった悪魔は動きを鈍らせ、警戒するようにこちらの動きを伺っていた。

 

「これ……母さん!?」

 

 結界から感じる力はいつか感じた母メリアージュの魔力だった。きっと彼女が戦う力を持たない者を守ろうと発生させたのだろう。

 

「うん、きっとそうだよ! ……でも、絶対に安全になったわけじゃなくて、何度も攻撃を受ければいつかは破られちゃうよ」

 

 結界を見たミルリーフが頷いた。しかし彼女の言う通りこれで忘れじの面影亭が安全になったわけではない。メフィスト程度の下級悪魔であってもその攻撃を何度も受ければ、結界を維持するメリアージュの魔力の方が先に尽きてしまうだろう。

 

 あくまで彼女が張った結界はフェア達が悪魔を倒すまでの時間稼ぎでしかないのである。

 

「なら、その前にあいつらを全部倒さなきゃいけないってことね!」

 

 心配事の一つがなくなったフェアは意気を上げる。同時に結界に対して警戒をしていた悪魔達も再度動き出した。

 

 そしてそれを迎え撃つべく、ミルリーフが大きく開けた口から放たれた魔力の光線によって戦いの火ぶたは切って落とされたのだった。

 

 

 

 

 

「私も……いかなければ……!」

 

 メリアージュによって結界が張られた忘れじの面影亭の中で、カイロスは渾身の力を足に込めて立ち上がった。外では戦いが始まろうとしており、もう老齢の師まで戦おうとしているのに、自分だけがこんなところにいるわけにはいかないのだ。

 

「だ、ダメだって叔父さん! 立ち上がるのもやっとじゃないか!」

 

 立ち上がりはすれども、見るからにふらふらなカイロスをミコトが宥める。これでは戦いなど到底できるわけがない。

 

「まだ無茶をしてはいけません。ここはあの子たちに任せましょう」

 

 結界の維持に意識を集中していたメリアージュが言った。カイロスに治癒の奇跡を施したためか、彼の状態の悪さはよく知っていたのだ。

 

 治癒の奇跡というのは肉体の不調さえ治せるが、その代わり魂に少なからず負荷をかけてしまうものなのだ。ただ、その負荷のことを考えても今のカイロスは消耗しすぎているように感じられた。メリアージュは当初、カイロスが召喚師だと聞いたため何らかの儀式によって消耗したのではないかと推測していたが、今はそれに加えて悪魔と戦ったせいではないかとも考えていた。

 

 忘れじの面影亭を襲っている悪魔から感じる禍々しく悪意と害意に満ちた魔力。こんなものを浴び続けていたら魂にも悪影響が出る可能性は否定できなかったのだ。

 

「座っていましょう? みんなならきっと大丈夫ですから」

 

 そこにキリエが声をかけた。自分のことより他人のことを気に掛ける彼女だ。無理をしようとするカイロスのことを放っておけなかったのだろう。

 

「そうだって、叔父さん。さあ、もう座って」

 

「あ、ああ……」

 

 自分よりも一回り以上年下の女性に言われ、さらにはミコトにまで言われたとあっては、さすがにそれ以上無茶を言い続けることはできなかった。そしてカイロスはミコトに押し切られる形で再び椅子に腰を下ろした。

 

 その時、ミコトはテーブルの上に置かれたものに目がいった。置かれた場所から考えて叔父の私物なのだろうが、気になったのはその大きさだった。共に暮らしていた時、この片手では持てないほど大きな物を叔父が持っていた記憶はなかった。

 

「叔父さん、これって……」

 

 ミコトはまるで何かに引かれるように紙で包装された荷物に触れながら尋ねた。その様子を見たカイロスは全てを悟ったように一度目を閉じてから口を開いた。

 

「開けてみるといい。……それは本来、お前のものだ」

 

 それを聞いたミコトは包装に使われている安っぽい茶色の紙を破いた。だが、中から出てきたのは泥が付着しているビニールで包まれていた物だ。紙で包んでいたのは単に泥を落とすのが面倒だったからだろう。

 

 そう思って手が汚れるのも厭わずミコトはビニールを剥がし、さらに中にあった油紙を取り除いて現れたのは右腕だけの籠手であった。それも肩のあたりまで覆う形の比較的大きな籠手だ。

 

「それの名はまだない。私たちは『制御籠手』と呼んでいた。……お前の力を完全に目覚めさせ、」

 

「俺の……力……?」

 

「そうだ。お前や俺がこちらに飛ばされたのも元はお前の力によるものだ」

 

「それじゃあ……」

 

 唐突に告げられた言葉にミコトは動揺する。それでも脳裏に浮かぶのは何年か前に訪れたこの世界のことだった。あれも自らに宿る力によるものだとすれば、説明がついてしまう。

 

「ぐうっ……!」

 

 だが、思考を遮るように呻き声が聞こえ、結界を突き抜けてテラス部分から食堂の中へセクターが吹き飛ばされてきた。幸い攻撃を受け止めきれずに飛ばされただけだったようで目立つ外傷はなく、すぐに起き上がると再び戦場の中に戻って行った。

 

 結界は悪魔のような魔力を遮断するものであるため、セクターがそれを突き抜けてきたとしてもいまだ健在ではあるが、外の戦いは決して楽観できる状況ではなかった。見張りについていたローレット達三人の姉妹も戦いに加わってなお、数で負けているせいで劣勢を覆すことはできないようだ。

 

「っ!」

 

 皆が苦戦しているのはまともに戦いを見たことのないミコトにもよくわかった。それゆえに反射的に机の上にあった制御籠手を手に取って腕につけようとしたが、すんでのところでカイロスに制された。

 

「それを着けたら最後、お前は否応なく戦いへと巻き込まれだろう。それでもいいのか?」

 

 それは警告するような言葉であったが、言葉の節々にはできるならミコトを戦いに巻き込みたくないというカイロスの想いも感じ取れた。しかし、それでもミコトは制御籠手を手に取った。

 

「……正直、まだ何がなんだかわからないよ。でも、みんなが困っていて、俺にはそれを助けられるかもしれない力があるのなら、俺は助けたい。もう、何もできずただ見ているだけなのは嫌なんだ」

 

 昨日の那岐宮市で悪魔に襲われたところから、ミコトは己の意思で何も為してはいなかった。あの自分を道具のように扱うシャリマにされたように、自分の意思の介在しないところで、自分の運命が決まっていくのはもう嫌だった。

 

 運命を切り拓くなど格好のいいことを言うつもりはないが、望まない運命に抗いたかったのだ。たとえそれには大きな困難が待っているとしても。

 

 そう言ってミコトは制御籠手を右腕に着けた。瞬間、制御籠手から駆動音が聞こえ、ミコトは自身の奥底に眠る何かが体の中を駆け巡ったのを感じた。そして本能的に自身の力がどういうものであるか、まるで失われた記憶を取り戻したかのように悟った。

 

「かそけき声よ……我が意に応え、その力を示せ!」

 

 言葉と共に右手を掲げる。すると籠手に覆われた右手から光が発せられ、それに応じるかのように籠手が稼働する。すると、制御籠手はミコトの体と完全に同調し、掲げた手の先にはまるで叫びのような声とともに光の槍が現れた。

 

 そして、ミコトはそれを掴んで結界の外へと走りだしていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




投稿が抜けていたことに気付かず誠に申し訳ありませんでした。

最新の第127話も同時投稿ですので、そちらもご覧いただければ幸いです。


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第123話 悪魔を覆滅せよ

 悪魔が襲来したのは聖王国、旧王国、帝国といった国家の区別なく、このリィンバウムに存在するある程度まとまって人間が暮らす都市や街などの集落を襲ったのだった。そういったところには騎士や軍人のような防衛戦力が存在していたため、必然的に悪魔との戦いが世界各地で始まっていた。

 

 そんな中、規模だけで判断すれば十分攻撃対象になるだろう忘れられた島には、ただ一体の悪魔すら姿を見せなかった。

 

 しかしそれは、そこにいる誰もが平穏に過ごせていることとイコールではなかった。

 

「嘘だろ……っ! どうして……」

 

 ラウスブルグの空中庭園で、バージルの口から聖王国も悪魔に襲われたという話を聞いたマグナが苦悶の表情を浮かべた。ハヤトとトリス、それに彼らの看病のためにいるネスティやアメル、クラレットも言葉にこそしていないが、同じように思っていることは表情から見て取れた。

 

「理由など知らん。俺も話に聞いただけだ」

 

 そもそもいくらバージルとて、この島にいて世界各地に現れた悪魔を把握することなど大悪魔でない限りできはしない。そのため、今回聖王国に悪魔が現れたということを知っているのは、聖王都ゼラムにいるエクスから無線機を介して話を聞いたからだ。

 

 そしてそれを意識を取り戻し、歩けるようにもなったハヤト達から現在の状況を聞かれたため話したのである。なお、この場にはハヤト達と付き添いの計六人の他に彼らをこの場まで案内したアティも後ろに控えていた。

 

「なら今すぐにでも戻って……!」

 

「駄目だ。今の君が行ったところで足手纏いにしかならない。ここで大人しくしているんだ」

 

 すぐにでも助けに行きたいトリスが発した言葉は言い終わる前にネスティによって遮られた。

 

 外傷自体はアメルの治癒の奇跡や召喚術を用いた治療により既に完治している。しかし、何にせよ即効性のある治療はその魂に大きな負担をかけるものだ。おまけに三人が受けた傷をつけたのは悪魔である。こちらもまたその一撃一撃が魂を削るものである。日常生活を送るなら問題はなくとも、戦うなど持ってのほかだ。そうでなくとも、事態がどう推移するのかも読めない現状では、ネスティの判断は正しかった。

 

「バージルさん……」

 

 その時、アティの呟きが耳に入り、彼女の言わんとしていることを悟ったバージルは大きく息を吐いた。アティはハヤト達ができないのならバージルが代わりに悪魔を倒してほしいということだ。

 

 それでも彼女が名を呼んだだけで、それを口にしなかったのはバージルの計画を知っているからだ。そしてバージルが大きく動くことの危険性も。

 

「……いいだろう。俺が行く」

 

 僅かの間思考したバージルはそう言った。確かに当初の己の計画に従えば、魔帝が大きく動かない現状、事態の静観に努めるべきだった。バージルが動いて万が一にでも、こちらにとって最悪の一手を使われるとも限らない。

 

 だが、あくまでも警戒すべきは魔帝の動きだけなのだ

 

 果たしてこのタイミングで悪魔を使い各地を襲わせたのがムンドゥスの意思によるものかはバージルも疑問に思っていたのだ。なにしろムンドゥスが今動く必要が何もないからだ。

 

 一応、帝国の新皇帝レイの一件が失敗に終わったことへの一手とも考えられるが、そもそも人間の一人や二人、容易く創り出してしまう力を持っている魔帝が手駒の一つをただ殺されたくらいで失敗を認めるとは思えない。

 

 だからこそ、バージルは今回の事態はムンドゥスではなく、魔帝配下の何者かの命令による可能性が高いと判断したのだった。

 

「ただし、俺は貴様らの代わりに動くだけだ」

 

 それでも万が一を考え、バージルは必要以上の行動をとるつもりはなかった。今回に関して言えばハヤトやマグナ、トリスの代わりに動く以上、彼らが住む場所以外を襲った悪魔を始末するつもりはなかったのである。

 

 そしてそれにハヤト達が頷く前にバージルは身を翻し、閻魔刀を抜刀した。この場から聖王国まで行くのにわざわざラウスブルグを動かす必要はない。

 

 抜き放った閻魔刀で目の前の空間を十字に切り裂くとその空間がひし形に割れた。これは次元すら断ち切る閻魔刀の力を応用し、場所と場所を繋ぐ技術だ。リィンバウムに来てからはほとんど使うことがなかったため、下手をすれば二十年ぶりくらいに使った計算になる。

 

 なにしろこの力で作り出した空間を移動することが普通の人間にとって悪影響を及ぼさないという保証もないし、魔界と人間界を繋ぐならともかく、リィンバウムと他の世界を繋ぐことはできいのだ。そのためアティやポムニットを連れていたバージルはわざわざ徒歩や現地の移動手段を用いていたし、人間界に行くにもラウスブルグを手に入れる必要があったのである。

 

 だが、今回のように自分一人が移動するのであれば何ら問題はなかったのである。

 

 

 

 

 

 バージルが動き始めた頃、トレイユにおける戦闘は戦場が街中にまで達しており、街は極度の混乱状態にあった。

 

「Damn it!」

 

 そんなトレイユの街中へようやく到着したネロは歯噛みしながら、近くにいた悪魔を悪魔の右腕(デビルブリンガー)で握り潰した。

 

 それだけでも分かるようにネロと下級悪魔の間には覆しようのない圧倒的な差がある。たとえ現れた悪魔の数が十倍であろうとも問題にならないほどだろう。だが、その力量差は戦闘に発展してこそ意味があるものなのだ。

 

 今回トレイユを襲ったメフィストの群れはまさしくその点を突いたものだった。

 

 広範囲に攻撃できる術を持たないネロは、どうあっても一度に相手取れる数に限界がある。悪魔にそこを突かれたネロは一部の悪魔を取り逃がしてしまったのだ。彼の近くにいたコーラルと、途中から現れた飛行する機械兵士らしきものに乗った男がネロから逃れた悪魔を迎え撃ったが、やはり全ての悪魔を迎え撃てるわけもなく、悪魔の一部を相手取るだけで精一杯だった。

 

 ネロが戦っていた悪魔を全て始末し終えた時には、取り逃がしたメフィストは既にトレイユを攻撃しており、急いで戻ってきたのだった。ちなみにあの場にいたコーラルともう一人の男はいまだ戦っていたが、それほど押されてもいないようだったため街中の優先したのである。

 

「ひでえ有様だ……」

 

 当初現れた悪魔の数からネロが始末した数とコーラル達が相手取った数を差し引くと、それほど多くの悪魔がトレイユを襲ったわけではないはずだ。にもかかわらず、大通りにはメフィストの鋭い爪で殺された思われる死体が散見している。中にはまだ幼い子供もおり、悪魔が無差別に殺戮を行ったことを伺わせた。

 

「あいつらは無事なんだろうな……」

 

 大通りの近くを浮遊していたメフィストに向けてブルーローズの引き金を引きながらネロが呟く。忘れじの面影亭にいるのはそこらの人間よりもずっと強い者ばかりだが、それでも心配するなという方が無理な話であった。

 

 そうこうしている間にまた視界に右端に悪魔が映った。しかしメフィストは周囲の建物より僅かに高い位置を移動していたため、通りを歩いていたネロからは建物のせいで視界に入ったのは一瞬だった。

 

 それでも見つけた以上は逃がすまいと、ネロは悪魔を追って建物の上まで跳び上がりそのまま悪魔を斬りつけた。

 

 悪魔を仕留めたネロは手近にあった建物に着地する。だが、悪魔を斬り捨ててもネロはレッドクイーンを背に戻さなかった。今度は少し離れたところで複数の悪魔が見えたからである。もうこの周囲から悪魔の存在は感じないが、いまだトレイユから一掃されたわけではないようだ。

 

「っ、急がねえとな……」

 

 舌を打ったネロは体重を預けている足元の屋根を強く蹴る。悪魔がいたあたりはミントの家があったあたりだ。召喚師である彼女は自衛の手段こそあるとはいえ、控えめに言っても戦い慣れているとは言い難い。

 

 一足で飛んだネロはぐんぐん悪魔と距離を詰める。やはり悪魔が集まっているのはミントの屋敷であるらしい。

 

「グラッドの奴もいるし、とりあえずは無事みたいだな」

 

 そこの庭あたりで悪魔相手に戦っていたのはミントとグラッドだった。屋敷の方にはトレイユの住人らしき者が数名いるところを見ると、二人は彼らを守るために戦っているのだろう。

 

 だが、戦況はいいとは言えなかった。同数の戦いなら勝機はあるかもしれないが、メフィストの数は倍や三倍ではきかない数だ。今のところなんとか凌げてはいるが、それもいつまで持つかだろう。

 

 状況を把握したネロは左手に持っていたレッドクイーンを逆手に持ち替え、一体のメフィスト目掛けて槍のように投げ放った。それと同時にちょうど真下にいたメフィストの頭部を右腕で掴むとそのまま体重をかけて地面に叩き落とした。

 

 ネロの体重に加え地面に激突する寸前、右腕で押し込まれたメフィストは肉が砕けるような音だけを残して圧死した。だが、もう一方のレッドクイーンを投げつけられたメフィストは黒いガスは失われ、虫のような本体も刃に貫かれ地面に磔のようになっているものの、まだ死んではいないようだった。

 

「ネロ、お前どうしてここに……?」

 

 いきなり現れたネロに肩で息をしながら尋ねるグラッドに、ネロは虫の息になっているメフィストのもとへ行き、その悪魔を貫いているレッドクイーンをさらに地面へねじ込みながら答えた。

 

「見りゃ分かんだろ。取り逃がしたこいつらの掃除だよ」

 

 レッドクイーンで貫かれているメフィストが甲高い断末魔を上げ、息絶えたのを確認したネロが得物を背に戻すと二人が駆け寄ってきた。

 

「にしても、よく二人だけで持ち堪えたもんだ」

 

 ネロはいまだ周りを囲むメフィストに視線を向けながら言うと、二人は安心したようにほっとしながら答えた。

 

「まあ戦ってそんなに経ってないからな。だけどあのままだったらヤバかったよ」

 

「うん。本当に助かったよ、ネロ君」

 

「まだ終わったわけじゃないが、後は任せろよ」

 

 ネロのような規格外の存在を除き、悪魔と戦うとなれば一度の判断ミスで命を失うこともあるため、これ以上二人に戦わせるつもりなかった。そうでなくともネロ自身一人で戦う方が性に合っているし、実際これまでもそうして戦ってきたため今回もそうするつもりでの言葉だった。

 

 そして二人の返答を聞かぬままネロは空中に飛び上がる。それとほぼ同時に残った悪魔が一斉にネロに襲いかかった。

 

 その内の三体をブルーローズで撃ち抜くと、ネロは得物をレッドクイーンに持ち替え、柄を限界まで捻りイクシードを燃焼させる。そのまま柄と平行に設置されているクラッチレバーを引いた。

 

 大量の噴射剤がレッドクイーンから噴射され、ロケットのようにネロの体ごと猛烈な勢いで悪魔へと向かう。魔剣教団が製作したレッドクイーンの原型とも言えるカリバーンではこうはいかない。制御が難しいという理由で噴射される推進剤の量が抑えられているが、ネロが自身で改造したレッドクイーンはその量を限界まで引き上げている。それがネロごと空中を移動できるほどの出力を生み出しているのだ。

 

 ネロは噴射生み出された勢いそのままにメフィスト三体をまとめて斬ると、その真下にいて唯一生き残っていた悪魔に向けて、両の手を使い逆手で振りかぶるようにレッドクイーンを持って突き刺した。

 

「Double Down!」

 

 まるで隕石のような速度で地面と衝突したがネロはまったくの無傷で平然としている反面、メフィストはあっけなく絶命した。先ほどレッドクイーンを投げた時は仕留めきれなかったが今度は仕留められたようだ。

 

 周囲の悪魔を一掃したネロがレッドクイーンを背負い、ブルーローズに銃弾を込め直していると二人が近寄ってきた。

 

「また助けられちゃったね」

 

「仕事みたいなもんだ、気にするなって」

 

 ブルーローズをくるりと回転させて腰に戻しながら言うとグラッドが口を挟んだ。

 

「礼くらいちゃんと言わせてくれよ、お前がいなかったら本当に厳しかったしさ」

 

 グラッドもネロが来る前の状況の悪さは理解していた。口にこそしなかったが、あのままネロが来なかったら正直自分もミントも召喚師である彼女を頼って避難してきた人も殺されていただろう。

 

「……ああ」

 

 グラッドの言葉にネロは頷いた。彼としては悪魔に逃げられたせいで起きた戦いという認識であるため、決して礼を言われるようなものとは思っていなかったが、さすがにこれ以上固辞するのも悪いと思い短く返答したのだった。

 

「そういやお前、店の方はいったのか? あっちの方にも悪魔が言ったみたいだけど……」

 

 グラッドはこの場での戦闘が始まる前、ここに来た悪魔と倍以上の数の悪魔が、忘れじの面影亭がある方角に向かうのを見ていたのだ。

 

「すぐに行ってみる」

 

 それを聞いたネロは即答した。あの場にはここよりも戦える者は多いが、それでも悪魔と戦って全員が無事に生き残れるとは限らない。そしてなによりあそこにはキリエがいる。今すぐに行かないわけにはいかなかった。

 

「私達もすぐに行くから!」

 

 飛び上がったネロの背にミントの声がかかる。しかしネロはそれに何も答えず、一心に忘れじの面影亭を目指した。

 

 

 

 

 

 一方、忘れじの面影亭ではミコトを戦列に加えたことで迫るメフィストの数を着実に減らすことができていた。そんな中、通算何度目かの召喚術を行使したゲックは、悪魔の突進を槍の代わりに出現させた盾を弾いたミコトの姿を見ていた。

 

 ミコトの力がどのような原理によるものかは分からないが、紛れもなく彼の持つ力は悪魔に十分通じるものだった。戦い慣れていないせいか、何度かセクターやフェアがフォローに回る場面もあったが、それでも間違いなく彼が戦いに加わってくれたことはゲック達にとってプラスだった。

 

 だが、この老召喚師は普段にも増して厳しい顔をせざるを得なかった。

 

(あの小僧のおかげで持ち直すことはできたが、このままでは彼奴らを殲滅するより前にこちらが……)

 

 悪魔との戦いが始まってまだたいして時間は経っていない。それでも戦いの始めから全力で動き続けていたフェアやセクターからは疲労の色が見え始めていた。この悪魔達は偶然か狙ってかは不明だが、二人を休みなく攻め立ててきたのだ。それに気付いたゲックがローレットに命じて支援させたり、ミルリーフも慣れぬ戦いの中で援護したりしていたが、やはり早々に疲労が出るのは防げなかったらしい。

 

 二人が戦闘不能になれば拮抗していた状況が一気に悪化することは目に見えている。そうでなくとも自分よりも若い者が命を散らす様など見たくはない。そう思うゲックだが、この場にいる誰もが悪魔の相手に手一杯で、二人の援護などできるはずもなかった。

 

(誰かに将軍を呼びに行かせるべきじゃったか……)

 

 胸中で先ほどの選択を後悔する。想像以上の悪魔の数を見て、忘れじの面影亭の周囲で監視をさせていたローレット達を戦闘に参加させたのはゲックだった。もしもその時、三姉妹の誰かにトレイユ近郊の農園で働いているというレンドラーと麾下の者達を呼んでくればこうはならなかったのではないか、そんな思いが頭を駆け巡る。

 

「今だ! やれ!」

 

 その時、セクターの声が響く。見ると上空でセクターの射撃を受けていた悪魔が黒いガスを剥がされ、貧弱な本体が露になり落下を始めていた。これまで戦った経験からあの高さから落下すると、地面に落ちる前に再度ガスを纏うのだが今回は違った。

 

「ッ!」

 

 セクターの声に合わせるようにミコトが歯を食いしばり、いつの間にか手にしていた槍を全力で放り投げた。それは狙いを違わず落下してくるメフィストを貫いた。

 

 これでまた一体悪魔の数が減ったことになる。

 

 だが、得物を投擲するという大きな隙を晒したミコトを悪魔が見逃すはずがなかった。一体のメフィストがマントのように纏うガスの一部を自らの周囲で高速回転させる。それによりメフィスト自体がコマのようにも見える。だが、これの恐ろしいところは高速回転している部分が爪以上の鋭利な刃となっているところである。人間の体はもちろん頑丈なロレイラルの召喚獣でもそれを防ぐ強固な装甲を持つ機体は少ないだろう。

 

 そんな一撃がミコトに迫る。彼は槍を投擲した際に体勢を崩しており、避けることは難しい状況であったが、そんな彼をフェアが救い出した。肩を抱え引っ張るという強引なやり方であった上に、メフィストの攻撃を避けることこそできたが、フェアもろとも倒れ込むように避けることになってしまい反撃することは叶わなかった。

 

 それでもすぐに身を起こし、二人の身を案じて駆け寄ってきたセクターとともにいまだ周囲を囲む悪魔に備えた。

 

 三人は数の面で不利なのを連携して補おうしている。一人で悪魔と戦ったのでは自分の弱点を補ったり失策を挽回したりできるのは自分自身しかいない。だが、他の者と共に戦えば必ずしも自分で何とかしなければならないわけでないのだ。きっと三人ともこれこそがこの場で生き残る唯一の手段だと本能的に悟っていたのだろう。

 

(あやつらはまだまだやる気じゃ……、なのにワシ一人諦めるわけにはいかぬな)

 

 三人の戦いぶりを見たゲックが口角を上げて自嘲気味に笑った。彼は召喚師という直接敵と刃を交えない立ち位置にあるため、戦況を把握しやすい立場だ。それは比較的冷静に物事を判断できることを意味するが、同時に仲間の士気の影響を受けにくくもあるのだ。

 

 今回の場合で言えばフェアやセクター達の士気が生き残るという目標もあって極めて高かったのにもかかわらず、彼我の戦力差を冷静に分析したゲックの士気は決して高いとは言えなかったのだ。

 

 直接敵を攻撃せずに呼び出した召喚獣に攻撃させる召喚師と言えど、士気の影響は少なからずある。高いと低いのではどうしてもパフォーマンスに差が出て来るものなのだ。

 

 そうした意味ではようやくゲックもフェア達と同じスタートラインに立ったと言えるだろう。

 

 それを証明するかのようにゲックは再び手にする召喚石に魔力を込めた。機械によって生き永らえていると言っても過言ではないゲックにとっては、召喚術の連続行使は大きな負担が行為だった。

 

「教授、何を……!? それ以上はおやめください!?」

 

 ゲックが召喚術を使おうとしたのを悟ったローレットが制止しようと声を上げる。しかしゲックは、もはやそんなことに構うつもりなどなかった。

 

「構わぬ! 今を生き延びねば先などありはしない! アセンブル!」

 

 そうして放ったのは限界近くまで魔力を注ぎ込んだ、それこそ下手をすれば召喚石が壊れてしまう暴走召喚一歩手前と言っても過言ではないものだった。当然、負担も相応のもので、ゲックは召喚術を放った直後に何度も咳をするなど呼吸器系に大きな負担がかかり酸欠状態になりかけていた。

 

 だが、それだけの代償と引き換えにゲックが呼び出したロレイラルの召喚獣「エレキメデス」は、本来のスペックを超える出力の電気を放出した。近くにいた二体のメフィストは黒いガスを剥がされ、それよりも距離を取っていた悪魔も仰け反り、さらに距離を離されることとなった。

 

「今じゃ、ローレット、グランバルド!」

 

 エレキメデスに放電により一時的に周囲から戦闘力を保持する悪魔が一掃された。この機を逃す手はないとゲックは銃を装備する二体に化けの皮が剥がされた悪魔を攻撃するよう命じた。

 

「教授の仰せのままに!」

 

「ハイ、教授!」

 

 答えたのとほぼ同時に二体の機械人形が装備した銃を悪魔めがけて発射する。ローレットは扱う銃こそ威力が高いものではないが正確な射撃で悪魔を撃ち抜き、グランバルドはそれと対照的に威力を重視した銃を装備しているが、電子頭脳が機械人形のものを使われているせいかあまり射撃の精度は高くなく、結果的にそれぞれが狙った悪魔が息絶えたのはほぼ同時だった。

 

 倒せたのは多数の悪魔の中のたった二体。それでもゲックは焼け石に水などとは思っていなかった。むしろこれ敵の攻撃の密度が下がれば、こちらの生存率が上がると冷静に判断しており、その胸中にはあった諦観はもはや完全に消え去っていた。

 

 

 

「ゲックめ、急にやる気を出したな」

 

 ゲックが召喚術で周囲の悪魔を吹き飛ばしたのを見て、近くにいたセクターがそう呟くのがミコトの耳に入った。顔は見えないが声色からどこか嬉しそうに感じているように思えた。

 

(やっぱり戦い慣れているんだな)

 

 そんなセクターを見てミコトが胸中で呟く。少なくとも自分なら、一時的に悪魔が引いたとはいえ、自分のことだけで手一杯で他人に目を向けることなどできはしないだろう。

 

 叔父が渡してくれた制御籠手を着けたためか、あるいはそれによって自身に眠る力が解放されたためか、ミコトの身体能力は以前とは別物と言えるほどまで向上している。先ほど落下する悪魔に槍を投擲して直撃させることができたのもそのおかげだった。それは感覚神経や運動神経も同様だった。しっかりメフィストの攻撃に反応することができているし、自分の体が考えた瞬間に動くようになったのである。

 

 ただ、いくらそうした肉体面の能力が向上したと言っても、それを扱うミコトの精神は何も変わっていない。生まれてからこれまで命をかけた戦いなどしたことはなかった彼が、いきなり悪魔との戦いに放り出されていつも通りでいられるわけはなかった。

 

 戦いが始まってからずっと気は張り詰めたままで視野は狭くなっていた。一対一ならともかく、多数の悪魔を相手にしなければならない今回の戦いでは、セクターやフェアの援護がなければとっくに殺されていてもおかしくはなかっただろう。

 

(だけど、俺は戦うことを選んだんだ……! 自分にできることをするだけだ!)

 

 ミコトは右手に槍を出現させる。どういう理屈かは叔父に聞かなければ分からないが、制御籠手をつけたことでミコトは死してなお取り残された亡魂を槍や盾に変質させることができるようになったのだ。それが悪魔にも効果があることは先ほどの投擲で証明されている。

 

「……えっ?」

 

 一度、強く槍を握り決意を新たにしたミコトの視界の端を赤い何かが通ったように見え、思わずその方向を凝視した。ただ、通ったと思われる場所もこの場から距離が近いとは言えず、しばらく間見ていても何も変わったところは見えなかった。

 

「また来るよ!」

 

 フェアの声でミコトは視線を戻した。ゲックの召喚したエレキメデスによって散らされていた悪魔が再び周囲に集まってきたのだ。当然槍を構えるが、ミコトはどうしても先ほどの赤い何かがのことを頭に引っかかっていた。それが隙となったのか、一体のメフィストが飛びかかってきた。

 

「っ!」

 

 思考が別のことに回っていたせいで判断が遅れた。やむを得ずミコトは回避を諦め防御するべく、槍を盾へと変え地に足を着けて構えた。だが、いつまで経っても悪魔と激突した衝撃はなく、かわりに銃声が響いた。

 

「ネロ!」

 

「ネロ君!」

 

 その銃声を発した者の名をフェアとセクターが呼ぶ。呼ばれた男ははミコトに襲いかかろうとしていた悪魔だけでなく、さらに二体のメフィストも空中で撃ち抜きながら地面に降りた。

 

「何とかなってたみたいだな。だが、後は俺がもらうぜ」

 

 手にした銃をしまい、背から取り出した大剣を肩に担ぎながら言う。

 

 だが、その時ネロの背後に先ほどミコトが見たのと同じ赤い何かが迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




最近リアルが忙しいので次回投稿はGWごろの予定です。

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第124話 掃滅

「っ!」

 

 ミコトは声を出す暇もなくただ見ているしかなかった。ネロの背後に迫る赤い影から、トカゲを二足歩行できるまで進化させたような悪魔が現れた。大きさは一般的な成人男性の二倍程度で悪魔としては巨体というわけではないが、赤黒い体表とそれ以上に赤く不気味に光る右腕の刃が決してただの下級悪魔ではないと想像させる。

 

 悪魔の名は「ヒューリー」。神速の捕食者とも言われる魔界の狩人だ。

 

 ネロを引き裂くべく右腕の刃を突き刺そうとした瞬間、悪魔は急に反転し大きくネロから飛び退いて距離を取った。

 

「そのまま向かってくるなら串刺しにしてやろうと思ったんだけどな」

 

 レッドクイーンに手をかけ、視線だけをヒューリーに向けていたネロは残念だと言いたげだった。もしも、そのまま突っ込んで来ていたら彼の言葉通りにレッドクイーンで刺し貫かれていただろう。

 

 それを悟った悪魔はすんでのところで回避したのだ。メフィストのような有象無象の下級悪魔でないことは明らかである。現に距離を取ったヒューリーは何の考えなしに再度攻撃を仕掛けて来るのではなく、距離は縮めず警戒するように構えるだけだったのだ。

 

「めんどくせぇ奴だな。トカゲみてぇなのはこんな奴ばっかりだ」

 

 ネロはぼやきながらブルーローズに弾丸を装填する。ヒューリーの速さは単純な身体能力のみならず、魔力を用いて空間に干渉した相乗効果により生み出されたものであり、体を雷に変えて移動するブリッツにも劣らない速度なのだ。人間が回避や防御できる速度ではない。そのためネロはあの悪魔に他の者が攻撃されないよう釘付けにしつつ、周囲に残ったメフィストを殲滅していかなくてはならなくなったのだ。

 

 こうした厄介な悪魔とネロは何度か戦ったことがある。フロストやアサルト、ブリッツといった種がそうだ。どれもかつて人間界侵攻を企んだ魔界の帝王によって創造された悪魔かそうした悪魔が変異した種であるため、ネロは爬虫類型の悪魔にはいい思い出がなかった。もっとも爬虫類の悪魔は多くの種類が存在しており、たまたまネロが戦ったことがあるのがそうした面倒な種だったというだけなのだが。

 

「先に周りの奴らから始末しとくか」

 

 今のところ赤い悪魔が動き出す気配はない。目を離すわけにはいかないが、わざわざ付き合ってこちらも構えているだけでは芸がない。そう考えたネロは視線を悪魔から逸らさずに、ブルーローズを周囲に漂うメフィストへ向け引き金を引いた。

 

 目による狙いもつけられるなら一度に発射する二発の銃弾で仕留められるが、さすがに目視せず相手の気配だけで狙いをつけたのでは、仕留めきることができず、黒いガスを剥がすに留まった。だが、この場にいるのはネロだけではない。それだけでも十分なのだ。

 

「落ちた奴の始末は任せる、頼んだぜミルリーフ」

 

 近くにいたミルリーフに声をかける。周囲にはフェア達もいるが、だいぶ消耗しているようで、彼女達に任せるよりはまだ余力を残しているミルリーフに任せた方がいいと判断したらしい。

 

 黒いガスを剥がされたメフィストに戦闘力はないと言っても過言ではない。それを考えればフェア達でも倒せそうなものだが、本体を現したメフィストは存外すばしっこく補足するのに時間がかかればまた黒いガスを纏ってしまう危険があり、あえて彼女達には声をかけなかったのだ。

 

「うん!」

 

 短くもしっかりと返事をしたミルリーフの声を聞いたネロは薄く笑いながら、再び残弾がなくなったブルーローズをリロードする。しかし、そのタイミングでヒューリーが今度は左腕から刃を伸ばした。もう様子見は終了のようだ。

 

「おい、残りは頼んだぞ」

 

 ネロは給弾を終えたブルーローズをしまい、レッドクイーンに手を掛けながらフェア達に声をかける。残るメフィストは先ほど撃ち落とした分を除くと四体。疲弊していても八人が戦闘可能なのだ。単純に考えてメフィスト一体に対して二人で当たれる計算になるため、ネロは任せても大丈夫だと判断したのだった。

 

 一応ネロ自身がどちらの相手もするという選択肢もあったが、ヒューリーとの戦闘経験がない以上、確実に相手取れるという保証もないため彼女らに任せることにしたのである。

 

「う、うん! 任せて!」

 

 フェアがそう答えた一瞬の後、ヒューリーの目が光り姿を消した。

 

「見え見えなんだよ!」

 

 声を上げたネロはすぐにレッドクイーンを抜くと、その場で切り上げる。刃がちょうど地面と水平になるあたりで言葉通り正面から水平に構えられたヒューリーの刃と衝突した。

 

 甲高い金属音が響くと同時に刃同士の勝敗は決した。レッドクイーンがヒューリーの刃を弾き、悪魔も本体も後方に飛ばされたのだ。ネロは切り上げたレッドクイーンを横に構えると、そのままヒューリーに向かって突進した。

 

 だが、剣が振られるより僅かに先に着地したヒューリーは姿勢を低くして斬撃を避けた。さらにそれだけでなく、今度は右腕の刃を伸ばしネロに反撃してきたのだ。

 

 とはいえ、ネロも歴戦のデビルハンターである。この程度の反撃に対応できないわけがなかった。

 

 屈んだ姿勢から足のバネを十分に使い矢のように刺し貫こうとするヒューリーの一撃を、ネロは半身を翻して回避する。これで双方の位置が逆になったが、ネロは仕切り直さずに再度攻撃を仕掛けた。

 

 今度は相手の足元を狙ってレッドクイーンを横に薙ぎ払う。しかしそれもヒューリーはその場で僅かに跳躍することで回避してしまった。そして返す刀で反撃するべく右腕の刃を振り下ろしてきた。

 

 だが、それこそがネロの狙いだった。ヒューリーの振り下ろしにかち合わせるようにレッドクイーンで袈裟懸けに斬る。双方の刃が再びぶつかる。勝敗は言うまでもなくネロに上がり悪魔は刃を破壊され大きく仰け反った。

 

「トロいんだよっ!」

 

 そこへ一歩踏み込んだネロが悪魔の右腕(デビルブリンガー)でヒューリーに強烈なアッパーカットを食らわせた。それを顎にまともに受けてはさしもの悪魔も意識を失ったのか、何の抵抗も見せないまま宙に打ち上げられた。

 

 重力に従い落下してくるヒューリーにネロはとどめと言わんばかりにレッドクイーンで突きを放った。棒立ちした状態からでも大悪魔の一撃と同等の威力を放つことができるネロの力を持ってすれば、まさに必殺の一撃である。

 

 死体となったヒューリーが吹き飛んでいくのを見届けたネロはついでメフィストと戦うフェア達に目を向ける。ネロがヒューリーと交戦した時間はごく短く、彼女達もまだメフィストと戦い始めたばかりのようだった。

 

「さて、思いのほか早く片付いたな。あとはあっちの掃除を終わらせれば終わりだ」

 

 そう言ってネロはブルーローズを取り出す。ようやくこの戦いの終わりが見えてきたのだった。

 

 

 

 

 

 トレイユで悪魔との戦いが終わる少し前、島を離れたバージルが最初に向かったのは、ハヤトが住んでいたサイジェントだった。そこで見たのは多数のメフィストがサイジェントになだれ込もうとしているところだった。

 

「メフィストか。妥当なところだな」

 

 その様を見たバージルは何の感慨もなく言葉を口にした。メフィストは飛行能力を有する悪魔の中では数が多い種だ。それ故、今回のような複数個所への同時攻撃という数が必要になる状況で用いられることは必然であり特段の驚きはなかったのだ。

 

 そしてバージルは城壁の上に立ちながら悪魔の魔力を確認する。いかに下級悪魔の弱い魔力とはいえ、一つの都市程度なら十分感知範囲内である。そして感知した悪魔の真上から幻影剣を降らせることくらいはバージルにとっては児戯にも等しきことだった。

 

(なるほど、別種も混じっていたか)

 

 あっという間に多数のメフィストを幻影剣で仕留めたバージルは、その中で仕留め損ねた悪魔がいることに気付いた。どうやらその悪魔は高速で移動するらしく、あまり高速で移動することのないメフィストなら十分に仕留められる攻撃でも回避されてしまったようだった。

 

 とはいえ、それさえ分かってしまえば幻影剣で十分仕留めることができる悪魔であることには変わりない。しかしバージルはそれを選択することはなかった。

 

(……いや、直接出向いて始末するか)

 

 多数のメフィストの中に紛れる一体の高速で動く悪魔。そこに何らかの意図があると考えるのは当然であった。その意図がいかなるものかを確かめるためにも、まずはその悪魔がどんな悪魔であるか確かめる必要があるのだ。

 

 そう判断したバージルは城壁の上から姿を消す。そして悪魔が移動する延長線上に位置するサイジェント中心部に位置する商店街あたりに移動した。既に正面からは悪魔が接近していることに気付いた。

 

(ヒューリーか)

 

 独特の移動を見てバージルは悪魔の名を心中で呟いた。魔力を用いた移動方法は独特のものだが、それ以外はこれといった特徴はなく、速度と下級悪魔としては優秀な身体能力で獲物を狩る悪魔だ。

 

 この時点でバージルはこの悪魔への興味は失せた。それに周囲にはまだ人の姿もあったため、さっさと始末することにした。

 

 ヒューリーもまた、正面にバージルが立ち塞がっているのを見て立ち止まりその姿を現した。しかし、すぐ腰を落として攻撃態勢を取って攻撃に移る。

 

 それを見たバージルはベリアルを抜いて、炎の壁で悪魔を閉じ込めるようにドームを作り移動を制限してしまった。炎獄剣ベリアルの生み出す炎は質量を持つのだ。おまけに元の悪魔が炎獄を支配した大悪魔であるため、いくら強いとはいえヒューリーに突破できる代物ではない。

 

 ヒューリーの強みである高速移動を封じたバージルはそのままドームを収縮し、悪魔を圧し潰して焼き尽くした。炎が消えた後にヒューリーが存在した痕跡は何一つ残っていなかった。

 

(しかし、奴はどこに向かっていた……?)

 

 手にしたベリアルを光に変えて収納しながらバージルは、ヒューリーの動きがメフィストとは異なり手近の人間を狙うのではなく、目的を持って移動していたのではないかと疑問を抱いた。

 

 最初にヒューリーを確認した周辺にも、そしてこの商店街にも人間はいる。にもかかわらずあの悪魔はどこかに向かって移動していた。

 

(恐らく奴が向かっていたのは……)

 

 最初にヒューリーを確認してからここに至るまでのルートと、その延長線上にあるものを、思考の中のサイジェントの地図に描く。そうして割り出した目標地点にバージルは視線を向けた。

 

 その目標地点とは領主や金の派閥から派遣されこの都市の実権を握る顧問召喚師、さらには騎士団までもが詰める城である。恐らくそこで誰かを殺すのがヒューリーの目的だったのだろう。

 

 とはいえ、誰を標的としていたのかは見当もつかない。ただ、領主であれ、顧問召喚師であれ、騎士団の幹部であれ、ヒューリーに攻撃を命じた何者かにとっては、標的として申し分ない相手に違いなかった。

 

(やはり命令者は人間、それもある程度悪魔を預けられていると考えた方がいいか)

 

 だが、バージルがヒューリーと会敵してしまったせいで、彼にある考えを持たせてしまった。

 

 それは今回の一連の命令を下した者は、まず城にいる誰かが死ねば得をする者ということだ。大悪魔であれば人間などいくら団結しようと歯牙にもかけない以上、命令者は人間かそれに近い存在である可能性が極めて高い。

 

 そして同時にその者は、これだけ大量の悪魔を手中にすることができ、命令を下せるということだ。通常の技術では悪魔を呼び出せない現状、やはりそこには魔帝の影があると考えるのが妥当だろう。

 

 ただ、バージルはそこまでは確信に近い考えを持っていたが、今回の悪魔による攻撃がムンドゥスの指示によるものであるか、あるいは悪魔を預けられた者の判断であるかは計りかねていた。

 

(ここで考えても答えなど出ないな。……ひとまず標的だけは確認しておくか)

 

 一旦思考を中断したバージルは、せめてヒューリーに何を攻撃させようとしているのかくらいは掴んでおこうと考え、ハヤト達から頼まれた次の目標であるレルムの村に向かうことにしたのだった。

 

 

 

「……まさか、ファナンにまで来ることになるとはな」

 

 水道橋から眼下に広がるファナンの街並み眺めながら息を吐いた。

 

 ここを訪れる直前、バージルはマグナとアメルが居を構えるレルムの村に赴いたのだが、村は悪魔の襲撃を受けていなかったのだ。

 

 確かにレルムの村は再興し、はぐれ召喚獣も受け入れている特異な村ではある。しかし、移住してきた召喚獣を含めても人口の絶対数が少ないのである。だからこそ攻撃対象から外されたのだろう。もしもレルムの村と同規模の集落も攻撃対象に含めるのなら、聖王国内に限っても必要な悪魔の数は十倍や二十倍ではきかないのだ。

 

 とはいえこの時点で、ハヤトとマグナ、トリスから頼まれたことの三分の二は終了した。後はトリスとネスティが本拠としているゼラムの悪魔を始末すれば、当初予定していた目的は全て達成したことになる。

 

 しかし、ゼラムはエクスからの報告であったため悪魔が襲撃したのは間違いないとしても、サイジェントと合わせて二箇所だけでは、さすがにヒューリーの攻撃目標を判断するのは難しい。

 

 そう思ったバージルは、ゼラムに行く前にファナンに行くことにしたのである。ファナンは人口や都市の規模から考えても攻撃対象になってしかるべき都市であり、バージルも滞在したことがあるため、閻魔刀で移動可能な場所であることが理由だった。

 

 そうして実際に来てみると、城壁の前後を主戦場に襲い来るメフィストと金の派閥の兵士達が戦闘を繰り広げていたが、一部街の中にも侵入を許してしまっているようだった。この点はサイジェントと同様であり、相手が空を飛べる悪魔であることを考慮すればどちらも健闘していると言っていいだろう。

 

「さて、奴はいるのか、それとも似たような悪魔が来るのか……」

 

 バージルは意識を集中し、悪魔の魔力を探る。人間と悪魔、あるいは召喚獣と悪魔の区別はつくものの、魔力だけでは下級や中級悪魔の種類まで判別することはできない。精々、力の大小で、ある程度あたりをつけるくらいが限界なのだ。

 

 ただ、そうであるにしても先ほどのヒューリーと同じく、誰かの殺害を狙っているのならそれに適した能力を持つ悪魔は限られる。

 

 最も分かりやすいのは移動速度に優れた悪魔だ。認識することすら難しい速度で襲いかかれば、人間が防ぐことは難しいだろう。そうしたヒューリーやブリッツを始めとする速度に秀でた悪魔は、同クラスの悪魔と比較しても極めて高い戦闘力を有していることが多く、単独あるいは少数で行動させるのにも適しているのだ。

 

「……あれだな」

 

 眼下に広がる街を見下ろしながら呟く。視線の先には一体の悪魔が街の中を高速で進んでいるのが見えた。周囲に人がいようと全く意に介さず進んでおり、明らかに目的地がある動きだ。

 

 当然手を出さない。悪魔の目的地、すなわち攻撃目標が判明するまでは生かしておかなければならない。

 

 そんなバージルに見られているとも知らず、悪魔は自らの死刑台を駆け上るようにファナンの街を中心部に向けて進む。進路の先にあるのは周囲と比しても一際大きく、目立つ建物だった。

 

(金の派閥の本部……まあ、そこくらいしか狙うところはないか)

 

 悪魔が狙っているものを知っても特段驚きはしなかった。ファナンは聖王国でも有数の都市であるが、悪魔が狙うようなところは一箇所を除き存在しない。それが金の派閥の本部なのである。

 

 ファナンは規模としては聖王国有数であるが、領主は存在しておらず。代わりに金の派閥が統治している。おまけに騎士団も駐留しておらず、現在悪魔と戦っているのも金の派閥の兵士だ。

 

 それらのことからも分かる通りファナンは金の派閥がありきの港町であり、その施政の中心にあるのが派閥の本部なのである。

 

 思考もほどほどに、悪魔の攻撃目標を悟ったバージルは既に水道橋の上から姿を消し、ちょうど金の派閥の本部の中庭まで侵入した悪魔の真上に現れた。

 

(またこいつか……)

 

 悪魔の姿を初めて視認したバージルが胸中で呟いた。彼の真下にいる悪魔はサイジェントにいた悪魔と同じヒューリーである。速度に秀でた悪魔の種は決して希少というわけではない。にもかかわらず、サイジェントに続きファナンでも同種がいたことには作為的なものを感じざるを得なかった。

 

 だが、それが悪魔へ手心を加える結果には決してならない。ヒューリーの真上に現れた時には、右腕にギルガメスを装着していたのだ。そして落下と同時に悪魔の後頭部を掴むとそのまま地面に叩きつけた。

 

 前のめりになった悪魔の頭部が地面にめり込み、よく整備された庭に亀裂が入り、芝生の緑で覆われた庭からは茶色の土が現れるほどだ。だが、被害はそれで終わったわけではなかった。

 

 ヒューリーが地面にめり込んだ瞬間、右腕のギルガメスから杭状の突起物がパイルバンカーのように解き放たれ、悪魔の頭部を突き刺さる。その衝撃はヒューリーの体だけでは受けきれず、撃ち込まれた箇所を中心に小さなクレーターができたうえに、もう整えられた美しい庭の姿はもはや影も形もなかった。

 

 当然、それだけの威力のある一撃を受けたヒューリーは反撃一つできず、その頭部は常人が見たら嫌悪感を引き出しそうな様相を呈していた。

 

 そんな悪魔の死体を興味なさげに一瞥したバージルは、最後の目的地である聖王都ゼラムに向かうべく閻魔刀を抜いた。

 

 

 

 

 

 聖王都ゼラムでは城壁を悠々と超えて内部に入り込もうとしている悪魔メフィストと騎士達が戦いを繰り広げていた。それは城壁周辺にとどまらず中心部にこそ及んでいないが、ゼラム内のいたるところで戦いが繰り広げられていたのだ。

 

 おまけに一部では悪魔による攻撃による極度の混乱のせいか、火事まで起きているようで数箇所からは黒煙が上がってさえいた。

 

 そんなゼラムの姿を、バージルは王城の背にある至源の泉から眺めていた。

 

 至源の泉はかつて四界との戦争で傷ついたリィンバウムを癒すため、エルゴの王が召喚したとされており、今ではそこから溢れる水が滝となりハルシェ湖へと注ぎ、ゼラムの人々の水源となっているのである。

 

 当然、そんな言い伝えが残されている至源の泉は一般人どころか王族以外の者の立ち入りが禁止されているのだが、バージルはそんなこと気にも留めず、堂々とゼラムを見下ろしていた。

 

「この分ではじきに片が付くな」

 

 バージルが呟く。繁華街にまで悪魔の侵入を許した騎士団であったが、それでもそこからはさらに内側に侵入を許してはいない。飛行能力を持つメフィストからすれば戦いを避けることもできるだろうが、さすがにただの人間を相手にそんなことをするつもりはなかったことも侵入を防げた一因だろう。

 

 とはいえ、騎士団が悪魔と戦いその数を着実に減らしているのは紛れもない事実である。メフィストの襲撃が奇襲ではなかったら、城壁周辺で悪魔を押し留められていたかもしれない。

 

 いずれにしても、時間こそかかりはするだろうが悪魔が殲滅されるのは間違いない。既に大勢は決したのだ。

 

「さすがにこの程度の悪魔に後れをとることはない、か……」

 

 ゼラムの騎士団はエルバレスタ戦争でベリアル率いる悪魔の軍勢と戦った騎士団である。あの時からだいぶ人員は入れ替わってこそいるが、悪魔との戦いで得た経験はいまだ彼らの中で息づいているのだ。

 

 ただ、他の都市の騎士団では悪魔に勝てないというわけではない。都市に常駐する騎士団であれば、被害の多寡にこそ違いはあれど、今回くらいの数ならば十分撃退できるだろう。

 

 バージルがこうして高みの見物に終始しているのもそれゆえだ。もしも、なすすべなく悪魔に殺されようものならハヤト達から依頼されている手前、動かざるを得なかっただろう。

 

(あとは、いつ、どこに来るか……だな)

 

 抜かりなく周囲に注意を向ける。これまでの法則からいって悪魔の狙いになりそうなところはゼラムに二箇所存在する。王城と蒼の派閥の本部である。

 

 一つは言うまでもなく、聖王国の中心であり、リィンバウムで最も尊ぶべきエルゴの王の直系である聖王スフォルト・エル・アフィニティス。そしてもう一つは、エルバレスタ戦争後より聖王国の事実上のかじ取りを担う青の派閥総帥エクス・プリマス・ドラウニー。

 

 聖王国の権威の失墜を狙うなら聖王狙うだろうし、実務上のダメージを狙うなら派閥の総帥を狙うはずだ。

 

 また、兵士達が悪魔との戦いに忙殺されている今が絶好の機会であることに疑いはない。遠からず悪魔は現れるはずだ。

 

「……来たか」

 

 そう考えていたのは間違いなかったようでバージルは新たな悪魔の存在を感じ取った。魔力の大きさと数が一体であることから十中八九バージルが待っていた悪魔だろう。

 

 悪魔が来た方角はメフィスト達が襲撃し、今は主たる戦場となっているゼラム南西側ではなく、ハルシェ湖がある南東の方角であった。そちらの方面にも多少なりとも兵士がいるはずだが、あの悪魔相手では接近すら気づかないだろう。

 

 現に悪魔は悠々と戦乱の渦の中にあるゼラムの街並みを進んでいく。建物を避けながら進行しているため、今のところ目的地は絞り切れていないが、それでも進行方向から察するにバージルの想定していた通り、王城や蒼の派閥の本部がある北西に進んでいた。

 

(さすがに速度のある悪魔相手では気付くこともままならんか)

 

 何の障害もなく進む悪魔の魔力を感じ取りながら、バージルは胸中で呟いた。メフィストクラスの悪魔であれば十分撃退できるだけの力を持つゼラムの騎士団も街中を進む悪魔の存在を認識することすらできていない。

 

 極めて優秀な召喚師であるエクスや強力な魔剣を持つ聖王でも、正面から相手取るならともかく、奇襲を防ぐことは難しいだろう。やはり自身が始末をつける必要がある。

 

 バージルがそう考えた時、ゼラム中心部に迫っていた悪魔は進路を北へと変えた。そこから先に重要な場所は一つしかない。バージルのいる至源の泉を背にする聖王の居城である。悪魔の標的は聖王スフォルトだったようだ。

 

 さらに遠目ながらも実際に目で見て悪魔の正体も確認することができた。王城に迫る悪魔は先にサイジェントとファナンに現れた悪魔と同じく、ヒューリーだったのだ。

 

 悪魔の目標と正体も明らかとなった今、あとは頼まれた仕事をこなすだけだった。

 

「……あとは仕留めるだけだ」

 

 そして言葉とともにバージルの姿が消えた。瞬間、先ほどから上空で待機させていた幻影剣がゼラム各所を襲うメフィストに降り注いていく。しかし、王城に迫るヒューリーはメフィストが全滅したことは全く気付かず、城門を乗り越えて庭にまで侵入した。

 

 そして、そのまま速度を落とさず城内に突入しようとしたとき、横合いからバージルが真一文字に斬撃を浴びせた。閻魔刀の恐るべき切れ味とバージルの高速の居合によって斬られた悪魔は絶命したものの、上下に分断された体はほとんどスピードが落ちることはなく吹き飛んでいった。

 

 最終的に上半身は城の内壁に激突して壁を破壊し、下半身は地面と何度も接触してようやく止まったのだった。

 

 それを引き起こしたバージルはあっけない終わりに鼻を鳴らしつつ、その場を後にしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




なんとかGW中に投稿することができました。

次回は来月中の投稿予定です。

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第125話 次なる戦いへの序曲

 昼を過ぎた時間帯、名もなき島の上空に浮かぶラウスブルグの中では、ハヤト達が昼食も食べずにバージルが聖王国へ向かった場所でその帰りを待っていた。自分たちよりもずっと強く、悪魔との戦いにも慣れているバージルなら問題なく悪魔を撃退してくれると信じていたが、それでもやはり本人の口から聞かないと安心できないのである。

 

「みんな、バージルさんが戻ってきたよ」

 

 そこへアティとともにバージルがやってきた。どうやら出発したところと同じところには戻ってこなかったらしい。アティは彼らがこの場所で待っていたことを知っていたはずだから、彼女に案内されてこの場に来たのだろう。

 

「頼まれた通り悪魔は全て始末した。……もっともレルム村には来なかったようだがな」

 

 開口一番バージルが彼らから依頼された結果を伝えた。

 

「ありがとう。……ところでみんなが無事だったかは分かる?」

 

「知らんな。だが、サイジェントの悪魔は戦闘が始まって間もなくに始末した。たいした被害もないだろう」

 

 ハヤトの疑問に淡々と答える。彼としてはサイジェントに住む仲間達の安否が確証をもって確かめられないことに一抹の不安を感じてはいたが、それでもバージルの言葉で納得はしていた。彼の言葉は簡潔ではあるが、要点を押さえていたためだ。それにバージルの見立てはこれまでも極めて正確であったこともハヤトを納得させた大きな要因だった。

 

「他はどうだったんですか?」

 

「ゼラムは俺が着いた時には既に戦闘が始まっていた。だが、兵士はともかく、住民へはそれほど大きな被害は受けていないだろう」

 

「ゼラムの騎士団は対悪魔用の装備が優先的に配備されていたはずだからな。そう簡単にはやられはしないはずだ」

 

 クラレットの質問にバージルが答えるとネスティが補足するように言った。彼が騎士団に対悪魔の装備が配備されていることを知っているのは、その装備の情報を提供した一人だからだ。

 

 数年前、ラウスブルグを用いて人間界に向かうバージルのもとへ、それに同行するレナードをトリスとともに送り届けた際に悪魔へ一定の効果が見込める銀を用いた武器のことをバージルから聞いていたのだ。元々それは派閥の任務でもあったため、報告書にまとめて提出したところ騎士団への配備が決定されたのだった。

 

「へぇー、そうだったんだ」

 

「……それは君も知っているはずだが」

 

 感心したように頷くトリスにネスティが眼鏡を抑えながら呟いた。銀の武器が騎士団に配備されたことは、共に任務に従事したトリスの耳にも入っていたはずだが、その様子を見る限りすっかり忘れてしまっていたらしい。

 

 一応、ネスティも彼女がまだ病み上がりであることは理解しているから、いつものように叱ることはしなかったが、それでもやはり怒りと呆れは覚えているようだった。

 

「……でも、なんでレルム村は無事だったんだろう? 単純に人が少なかったから?」

 

「その可能性が高いだろう。だが、詳しく知りたければエクスにでも聞くことだ」

 

 マグナの疑問に答えると同時にエクスの名前を出した。バージルはラウスブルグに戻ってくる前に状況の確認も兼ねてエクスに会っており、その際に事態が落ち着けば聖王国全体の被害を把握すると言っていたのだ。もっとも、有用な情報はそれくらいだったのだが。

 

「ってことは、そろそろ戻っても大丈夫ってことだよな」

 

 バージルの言い方から彼がもうラウスブルグにいる必要はないと判断していると思ったハヤトが確認するように尋ねる。今回の件でもそうだったが、ハヤトにしてもマグナやトリスにしても非常事態にもかかわらず、何もできずただ待っているというのはなかなか厳しいものだったのだ。

 

 できるなら仲間とともに何かしたい、というのが偽らざる本音であった。

 

 それを聞いたバージルは隣にいるアティに視線を向ける。ハヤト達のことは彼女に任せており、状態を確認するなら彼女に聞くのが一番なのだ。

 

 視線を受けたアティは、その意図を察して頷く。まだ万全でこそないが、傷自体は既に癒えている。これ以上、ラウスブルグに置いておかねばならない理由はなかった。

 

「……いいだろう、明日にでも聖王国に戻してやる」

 

 アティが頷いたのを見たバージルはそう決めた。もとより彼らを受け入れたのもエクスから頼まれてのことであり、怪我もほぼ治った現状ではバージル自身、必要以上に彼らを留めておく理由はないのだ。

 

「明日か……」

 

 その言葉を聞いたハヤトが言う。いざ戻れるとなると明日が待ち遠しかった。それはマグナやトリスも同じのようだった。

 

「さあ、いくら明日には戻れるからってご飯を抜くのはダメですからね」

 

 彼らが明日を楽しみにしているところに、アティが水を差すように口を開いた。ここにいる六人がまだ昼食を食べていないことは、ポムニットから聞いていた。いくら明日には帰るとはいっても、せっかく作った食事を無駄にしていい理由にはならないし、彼らにとっても食事を抜くことがいいわけではないのだ。

 

「はーい、安心したらお腹空いてきちゃった」

 

「俺もだよ。早く食べに行こうぜ」

 

 アティの言葉を聞いて空腹であることに気付いたトリスが声を上げると、マグナも続いた。残る者も遅い昼食を食べることに異論を持つ者はおらず、皆で揃って食堂に向かったのだった。

 

 

 

 

 

 一方、同じく悪魔を殲滅したトレイユでも昼時を迎えていた。悪魔との戦闘自体はもう少し前に終わったのだが、戦闘の影響で壊れたものの片付けなどに時間を取られ昼食の準備もままならなかったのだ。

 

「じゃあグラッドの奴はすぐにこっちには来られないってことか」

 

「うん。少なくとも今日明日は無理だと思う」

 

 そんな中、ネロは少し前に忘れじの面影亭にやってきたミントと話をしていた。彼女の家に避難してきていた町の人々はもうそれぞれの家に戻ったため、仲間がいるここに来たというわけだ。いくら召喚師とはいえ、一人で悪魔と戦うのは無謀だ。悪魔の攻撃がもうないとは言えない現状、他に誰もいない家で過ごすのは不安があったのだろう。

 

「やれやれ軍人も大変だな。……ん? なんだよ、そんなに人の腕じろじろ見て」

 

 軍人の務めとはいえ自分なら御免だとばかりに肩を透かせたが、自身の右腕に向けられる視線に気付いたネロはその視線の主であるコーラルに問いかかけた。確かにネロの右腕は初めて見たなら気になってもおかしくはないが、コーラルは既に何度も見ているはずで、今になって気にするのもおかしい話だった。

 

「あなたに武器を作ってあげようと思って」

 

「は?」

 

 全くもって意味がわからないと言わんばかりにネロの口から声が漏れた。

 

「あなたは広範囲に対する攻撃手段を持っていないみたいだから」

 

 その言葉を聞いてネロはメフィストと戦う直前のことを思い出した。

 

 先制の一撃としてコーラルが放った魔力の光線をネロは羨ましげに見たのだ。単純な魔力量であれば至竜であるコーラルすら上回るネロだが、魔力の使用方法としては単純にレッドクイーンの攻撃に込めたり、銃弾に込めて時間差で炸裂させたりする程度の極限られたことしかできないのである。当然コーラルがやって見せた光線として放つことなどできなかった。

 

「それでなんで腕なんか見てたんだよ」

 

 コーラルが武器を作ろうとした理由はとりあえず理解したが、それと自分の右腕が関連しているとはどうにも思えなかったのだ。

 

「籠手を作ろうと思う。普通の武器を作るより邪魔にならない」

 

「籠手? それでお前みたいなのができるのか?」

 

 ネロの知識で広範囲に攻撃できるような武器となれば一番に思い浮かぶのは、ダンテの知り合いのデビルハンターが持っているようなミサイルランチャーだ。ブルーローズを作る際には遠距離攻撃手段の一つとして考えたこともあったが、その攻撃範囲が当時のネロの役割には馴染まないといして採用を見送った経緯があった。

 

 いずれにせよ彼のイメージでは攻撃範囲が広いということは、それだけ武器が大きく重くなるという認識であったため、籠手を作るといったコーラルの言葉は半信半疑であった。

 

「大丈夫。それに武器と言っても、正確にはあなたの魔力を攻撃として撃ち出せるようにするだけ」

 

「なるほどね、弾はこっち持ちってことか。まあ、その方が都合がいいけどよ」

 

 ようやくコーラルの作り出そうとしているものの概要を理解できた。どちらかと言えば武器と言うより、新たな魔力の使い方を与えてくれる道具と言った方が正確かもしれない。それにネロ自身の魔力を使い撃ち出すということにも抵抗がなかった。むしろ補充用の弾を持たずに済むこと大きなメリットであると言っていいだろう。

 

「……にしても、そんなもん簡単に作れるもんなのか? 材料だってそこらに売ってるとは思えないけどよ」

 

 いくら籠手とはいえ、魔力を変換して攻撃に用いることができるようなものを構成するものだ。そこらで売っているような金属や布でいいとは思えない。おまけに悪魔に襲撃されたばかりの非常時だ。必要なものが何であれ入手することは難しいと思い尋ねると、コーラルは何の問題もないと微笑を浮かべながら答えた。

 

「大丈夫、あてはある……というより持ってるから」

 

「持ってる? ……まあそれならいいが。にしてもよく籠手なんて思いついたもんだ。それともお前のところじゃ割とよくあるのか?」

 

 子供と言っても差し支えない姿でいる今のコーラルが籠手の素材になりそうなものを持っているようには見えないが、相手は見た目こそ子供でも実際は自身の何倍も長生きしているだろう至竜だ。何らかの手段で持っていてもおかしくはないと考え、代わりに籠手を武器にするという発想に至った経緯について尋ねた。

 

 それに対し、コーラル首を横に振った。

 

「そうじゃない。彼のものを見て思いついた」

 

 そう言ってコーラルが示したのはミコトと彼の傍らに置かれた制御籠手だった。コーラルはその力が発揮されているところを見たわけではないが、後からその性能については説明されていたため、それがきっかけになったのだろう。

 

「……ふぅん」

 

 そう返してネロは制御籠手を見る。装飾なども施されておらず武骨な見た目だが奇怪な形状をしており、悪いとは思わないが少なくともネロのセンスに合うデザインとは言い難かった。

 

「あの、なにか……」

 

 ネロに視線を向けられているミコトが恐る恐るといった様子で口を開いた。先ほどまでのネロとコーラルの会話は、誰とも会話せずにいたミコトの耳にも入っており、それだけに急にこちらに視線を向けて逸らさないネロのことが気になったのだろう。

 

「なんでも……いや、そう言えば聞きたいことがあったんだ。確かお前、那岐宮であいつらに捕まってたよな。どういう関係だ?」

 

「あ……えっと……」

 

 ミコトはどう答えるべきか迷い、口ごもる。別にネロに隠したいことがあったわけではない。ただ「以前にリィンバウムを訪れた時はよくしてくれた人で、那岐宮で再会した時にはいきなり拘束されました」と素直に答えたところで困惑させるだけではないかと思い、どう話すべきか考えていたのだ。

 

「銀髪の方は誰か知らないが、女の方の名はシャマード。ミコトにはシャリマと名乗っていたらしいが」

 

「……ああ、そういえばあんたもいたな。……で、そのシャマードだがシャリマだかは何をやってるやつだ? 随分と悪魔に気に入られているみたいだが」

 

 ミコトに代わって答えたカイの言葉を聞いたネロはさらに尋ねた。リヴァイアサンはもちろんバジリスクも悪魔である以上、一朝一夕に操れる存在ではない。それを容易く手懐けていたのはなぜか、その手掛かりが彼女の過去にあるかもしれないと踏んだのだ。

 

「もう二十年近く前なら技術者じゃったよ。ワシやカイロスとともにベルゼンの軍の研究施設にいたのじゃ」

 

 当時のことを思い出すように口元をさすりながらゲックが口を挟んだ。

 

「二十年ね……」

 

 それを聞いたネロは年月を繰り返した。その時間があれば悪魔を操る術を開発できるか考えているようだった。

 

「あ、あの! 俺、何年か前にこっちの世界であの人に会いましたけど、召喚術は使っても優しい医者って感じでした」

 

 ミコトもネロが何やら思考しているのはわかっているが、それでも言わなければならないと声を上げる。それを聞いてネロは再び視線をミコトに向けて言った。

 

「じゃあその女は数年前に会ってるのに、今になってお前を捕まえようってしたってことか」

 

「たぶん……そうだと思います」

 

 ミコトの言葉が事実なら、シャリマはその数年の間にミコトを捕えなければならない理由ができたということだろう。そして悪魔を操る術もその数年の間に得たと考えた方が自然だろう。それ以前に手に入れていたのならわざわざ医者などしていないはずだからだ。

 

「しかし、なぜそんなことを?」

 

「俺が昨日帝都に行った時、あいつらがいたからだよ。例の新しい皇帝サマとやらの近くにな」

 

 セクターの問いにネロが鼻を鳴らしながら答えた。レイと名乗る男をブルーローズで撃ち抜いたあの場に、那岐宮市にもいた二人がいたことはネロも気付いていた。あの時はあくまで陽動が目的であり、追ってくるなら迎撃しようと考えていたため、率先して攻撃するつもりはなかったのだ。

 

「だが、彼は君が殺したのだろう? 今更気にしてもどうなるものでもないと思うが……」

 

 セクターが言う。たとえシャリマに何らかの重大な秘密があったとしても、彼女たちのボスだっただろうレイが死んだのだ。旗頭もなしに帝国の民の支持など得られるはずもないし、不法に議場を占拠している現状が続けば、帝都奪還を目指す軍の反撃を受ける可能性が高いだろう。むしろ彼女らの計画の肝であるはずのレイが死んだという状況であるため、下手をすれば既に内部分裂、あるいは組織が崩壊している可能性するあるだろう。

 

「殺した、か……。どうだかな、悪魔の力を利用するような奴ならあの程度じゃ死んでないかもな」

 

 実際、悪魔の力を取り込んだ者が銃で頭を撃ち抜かれても生きていた事例をネロは知っている。かつてフォルトゥナで魔剣教団の教皇の地位にあったサンクトゥスはダンテに頭を撃ち抜かれたはずなのに、平然と姿を現したことがあったのである。それと同じことがレイにも言えるのではないかとネロは考えていたようだ。

 

「恐るべきは悪魔の力か……頭を撃たれても死なないとは」

 

 その言葉を口にしたセクター自身もネロの言葉はにわかには信じ難いものだった。それでも彼がわざわざ嘘をつく理由もない以上、信じないわけにはいかなかったのだ。

 

「本当に生きているか確証があるわけじゃないけどな、わざわざ確認に行くわけにも行かないし」

 

 ネロが、レイが死んでいないのではと思ったのはただの勘に過ぎないため、あえてその言葉を口にした。それでも、こういう時の勘はいやに当たるものだとネロ自身がよく自覚していたのは間違いなかった。

 

 

 

 

 

 周囲にはなだらかな丘陵がほとんどの大平原のただ中で、アズリアが指揮する帝国最強とも言われる精鋭部隊「紫電」が陣を張っていた。これは帝都を追われる身となったアズリアが麾下の部隊と合流した際に、敵と交戦した際に周囲への被害を防ぐため、都市や町から距離を置いた結果であった。

 

 とりあえずの拠点を確保した彼女は、ひとまず帝都以外の都市がどうなっているのか情報を得るため、各地の偵察を送り込んだのである。それが昨夜のことであった。

 

 それから夜が明けて、日も傾きかけた頃になってようやく各地から情報が入り始めた。帝国の領土は広大であり、徒歩で移動すると多大な時間がかかってしまうため、偵察兵には移動に長けた召喚獣を扱えるものが当てられていた。

 

 これも召喚術を一般開放した帝国ならではのことである。他国であれば召喚師以外が扱えない召喚術も帝国では一般の兵士も使えるのである。もっとも、攻撃に用いられるような強力な召喚術を扱うにはどうしても才能に頼らざるをえない面もあるため、戦闘におけるアドバンテージにはなりえないが、兵士の汎用性という意味では一歩勝っているとは言えるだろう。

 

「まさか悪魔とはね……」

 

 臨時司令部とした陣幕の中で、帝国全土を詳細に記した大きな地図を眺めていたイスラが呟く。地図上の帝国全土の都市の上には友軍を示す青い駒とそれと向かい合うように悪魔を示す赤い駒が複数個置かれている。そしてその近くには昨夜派遣した偵察兵を示す青い駒が置かれていた。

 

 そしてギャレオが黙々と報告書をもとに青と赤の駒を減らしていく。多くの都市で悪魔を撃退できたが、当然相応の損害を被ったことを示していた。

 

「ああ、ここまで大規模なものはこれまでなかったことだ。偶然とは思えん」

 

 アズリアが眉を潜めながら言った。声色こそ平常と変わらぬが、それでも内心では都市や町を離れて陣を張ったことを忸怩たる想いを抱いていた。。この場に陣を張ったことで紫電は悪魔との戦いを回避でき、戦力を温存することができた。しかし、帝国の民を守るという軍人の本分を果たすことができなかったのだ。

 

 だが、同時にそんな感傷に浸っている場合ではないという自覚もあった。今為さなければならないことはこの非常事態に対応することなのだ。それが今の彼女の態度に出ていた。

 

「帝国に向かった者達からの報告はまだありません」

 

 ギャレオが落ち着き払った声で言った。地図上においては帝都の上に多くの赤い駒が置かれているが、それは悪魔を示しているのではなく帝都を占領しているものの勢力を示したものだ。

 

 このことからも分かるように帝都制圧と悪魔による攻撃がほぼ間髪入れずに行われているのだ。アズリアはそれがどうにも関係しているように思えてならないらしい。

 

 だが、ギャレオが言う通り帝都に向かった者からの報告はまだない。既に情報が入ったところと比較し、帝都は距離もあるしなにより敵の勢力下というのが偵察を難しくしていることは想像に難くなかった。

 

「失礼します!」

 

 そう声を上げて入ってきた兵士がギャレオにメモを手渡した。それを一瞥したギャレオはアズリアに向かって口を開いた。

 

「帝都へ向かった者からの報告です。帝都はいまだ敵の勢力下にあり、警戒も厳重とのことです」

 

 報告にしては短いが、それだけ帝都の警戒が厳重で得られる情報が少なかったのだろう。偵察兵にとって重要なのはより多くの、あるいは重要な情報を得ることではなく、生きて戻り情報を伝えることなのだ。

 

「彼らが報告の送ったのはいつだ?」

 

「昼過ぎです」

 

 アズリアの質問にギャレオが答える。紫電という部隊の隊長はアズリアからギャレオに代わっているが、その上で指揮を執っているのがアズリアなのである。そのためか、ギャレオのアズリアへの口調もかつて何ら変わりなかった。

 

 当然アズリアは紫電以外にも指揮下の部隊は存在しており、本来であればその部隊の隊長もこの会議に出るはずなのだが、あいにく他の部隊とは合流できておらず、結果的に会議の出席者は三人となっていたのだ。

 

「……とすれば悪魔は帝都を襲わなかったということか」

 

 ギャレオの返答を聞いたアズリアがそれの意味するところを口にした。もし帝都も他の都市や町と同じように悪魔の襲撃を受けていたら、それを偵察兵が見逃すはずがない。

 

「露骨すぎるけど、まああいつらの帝都占拠と悪魔の攻撃が関係しているのはまず確定だろうね。目的は戦力の釘付けってとこかな」

 

 イスラが言う。会議自体に参加しているのは三人とはいえ、この場には会議の記録を残すための者もいる。そのため、一団の長であるアズリアが確たる証拠もなしに断言するような言い方をしたとなれば後々問題にもなりかねないのだ。特に彼女はその経歴から敵も多いため記録に残るような場合には、発言には特に注意を払っていたのである。

 

 だが、あくまでオブザーバーに準じた立場で参加しているイスラはそんなことを気にする必要はない。そうでなくとも今の彼の立場は傭兵であるとともに、軍の名門であるレヴィノス家の当主でもあるのだ。たとえこの発言が記録として残ったとしても、それだけでは彼の立場は揺るぎはしないだろう。

 

「仮に関係しているのが事実とすれば目的はそれで間違いないだろう。実際、他の部隊の合流は期待できないだろうしな」

 

 厳しい顔をしつつギャレオが言う。帝国各地に送り込んだ偵察兵に与えられた命令は単なる偵察と情報収集に限らなかった。帝国軍の部隊が駐留している都市にはアズリアからの要請を指揮官に伝えるように命令されていたのだ。

 

 帝都を奪還するには紫電だけで十分とは言えないため、いまだ健在であろう他の部隊へ増援の派遣を求めたのだ。

 

 平常時であれば帝都の危機に部隊を出さないわけはなかっただろう。たとえアズリアをよく思っていなかったとしても、帝都奪還という大義名分の前ではそんな理由で断るわけにはいかないだろう。

 

 だが、悪魔の襲来によってその目論見は脆くも崩れ去ったのだ。少なからず戦力を失った部隊からさらに兵士を減らすことはどんな指揮官でもしたくはないからだ。特に悪魔の再攻撃の可能性もないと言えない現状ではなおさらだ。

 

「ないものねだりをしても仕方がない。彼らには都市の防衛を果たしてくれることを祈ろう。帝都奪還は我らのみで行う」

 

 アズリアはそう宣言した。作戦を練り直し、もう少し時間をかけて戦力を整えてから帝都に攻め入るという選択肢もとれないわけではないが、いつまでも帝国の民を敵の手に委ねておくわけにもいかないのだ。

 

「問題は敵の戦力だね。悪魔を使ってくるとも限らないし、何か手でもあるの?」

 

 彼女の宣言に対してギャレオは賛意を示すように頷いたが、イスラも反対でこそないが、敵の保有する戦力に不安があるようだった。単純に昨日戦った無色の派閥を中心とした程度の敵であれば大した問題はないだろうが、敵と悪魔の関係が疑われる以上、悪魔と交戦する可能性は考慮しなければならず、そうなった場合非常に厳しい戦いとなるのは目に見えていた。

 

「あまり気は進まんが一応はな。……悪いが、この件は私に預けてくれないか」

 

 イスラの言ったことはアズリア十分考えていたことだった。そしてそれに対する対応策も考えてはあったが、少なくとも現時点でその方策を実施できるという確証もなかったため、こんな言い方となったのだ。

 

「自分は異論ありません」

 

 ギャレオが答えた。彼は何十年もアズリアに従い、彼女のもとで戦い生き残ってきた男だ。それだけに彼女が非凡な能力を持つ指揮官だということはよくわかっている。そんな彼女が「預けてほしい」と言うのなら異議を唱える理由などなかった。

 

「聞いたのは僕だからね、姉さんに任せることで文句はないよ」

 

 そしてイスラも文句はなしということで、悪魔への対策についてはアズリアに一任ということで一応の決着を見たため、この会議もここで終了となった。

 

 だが、一つの会議が終わり、日も暮れようとしているとはいえ、紫電が張る陣から喧噪が消えることはなかった。それは、帝都奪還という明確な目的が示されたことで、それに向けて動き出していたことの証左だった。

 

 

 

 

 

 

 

 




次回は7月下旬から8月上旬の投稿予定です。

ご意見ご感想評価等お待ちしております。

ありがとうございました。


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第126話 奸計

 リィンバウムの各地の一定規模以上の都市や町が悪魔による攻撃を受けた現状にあって、唯一攻撃を受けていなかった都市、帝都ウルゴーラ。だがそれは、偶然に攻撃の対象を免れたのではなく、アズリア達の想像通り、その首謀者が帝都にいるためだった。

 

「作戦の第一目標は達成、ですが、第二目標の成功率はおよそ二割です、陛下」

 

「二割か。やはりあの程度の悪魔ではな」

 

 恭しく頭を下げるオルドレイクに言葉を返したのは、昨日ネロによって頭を撃ち抜かれたはずのレイだった。以前と変わらぬ姿で玉座に腰かけ、階下にいる部下たちからの報告に耳を傾けていた。

 

「やむを得なきことかと。しかしながら、これで国内外のほぼ全ての勢力はしばしの間行動を封じられるでしょう」

 

 彼らが敵と認識する勢力の支配下の都市や町には全て悪魔を送り込んでいる。撃退されたとしても少なからず被害は受けているだろうし、再攻撃の可能性を考えればまず原因の究明ではなく、被害の復旧と防衛戦力の整備に努めるはずだ。つまりそれが整うまで彼はフリーハンドで行動できることを意味するである。

 

「ほぼ全て、か……。動くとすればどこの者だ?」

 

 だが、レイはオルドレイクの言った「ほぼ」という言葉が気になったようだ。昨日のような不覚を取らぬためにもあらゆる可能性を考慮したいのかもしれない。

 

「帝都を脱出したアズリア将軍の部隊でしょうね。既に本隊と合流していますし、各地へ伝令を飛ばしているようです」

 

 それに答えたのはメルギトスだった。オルドレイクが先の悪魔にリィンバウム全土一斉攻撃の戦果の分析を担当していたのに対し、彼は帝国各地の情報収集を任されていたのだ。そして残存する帝国軍の中で最も厄介と言えるアズリアと彼女の麾下の部隊については特に注意を払って動向の把握に努めていたのである。

 

 麾下部隊と合流したアズリアは速やかに帝国各地へ伝令を派遣し、事態の把握に努めているようだった。また、自身や部隊が攻撃の対象となっている可能性を考慮し、都市や町から離れたところに駐留したこともあって、悪魔の攻撃を受けることはなかった。結果として残存する帝国軍の中で唯一無傷の部隊となっているのだ。

 

「早ければ今日にも動き出すでしょうな。場合によっては先手を打たれる可能性もあります」

 

 オルドレイクは頭の中でアズリアに帝国内の情報が伝えられる時期をはじき出して言った。情報を得た結果、アズリアがどのような手を打つかは分からないが、もしも彼女が帝都奪取を計画した場合、こちらの次なる計画が達成する前に戦うことになりかねなかった。

 

「それはいけませんねぇ、私にお任せいただければいかようにもしてご覧に入れますが」

 

 メルギトスが薄ら笑いを浮かべながらレイに進言した。人間など容易く壊滅できると言わんばかりに自信があるのだろう。

 

「捨て置け。来るなら迎え撃てばよい。どうせあれを止めることなどできはしないのだからな」

 

 だが、レイはメルギトスの提案を受け容れなかった。たとえ彼女らが帝都に攻め寄せてくるとしても、彼らの次の計画の要たるものを傷つけることなどできはしないという自信があったからだ。

 

「メルギトスよ、あの小僧はどこにいるのだ?」

 

 レイが言葉を切ったところでオルドレイクが尋ねた。現時点における最大の脅威は、一度はレイを殺した男ネロである。それだけにその動向はアズリア以上に把握しておかなければならないのである。

 

「トレイユですよ。とはいえ、昨夜以降の動きは掴めていないので、もう後にしているかもしれませんね」

 

 ネロの動向を探る重要性はメルギトスにも十二分に承知していたが、それでも実際に動向を調べるのは彼が召喚したサプレスの悪魔が主であったため、どうしても限界はあった。特にネロの場合、監視しているのを悟られればそこから付け入られる危険もあったため、どうしても安全を重視したものにせざるを得ず、その結果動向の調査も不確実なものとなったのである。

 

「トレイユか、そこはあの小僧が数年程前に滞在していた場所のはずだ。仲間でもいたか……」

 

 オルドレイクが推測を口にする。数年前、トレイユを中心にした至竜をめぐる争いについては彼も把握している。もっとも、当時はまだこうして蘇っていなかったため、どうしても大雑把な情報しかなかったが。

 

「……使えるかもしれんな」

 

 部下の推論を耳にしたレイは呟いた。その時、彼の脳裏に浮かんでいたのは、数年前に帝都で自らの障害となる貴族達を、悪魔を用いて殺害していた時のこと、レイは一度ネロと鉢合わせしている。そして、その時のネロは窓から逃げたレイを追っては来なかったのだ。

 

 当初はなぜ追ってこなかったのか不思議に思っていたのだが、オルドレイクが仲間の話をしていたのを聞いて、あの場にはネロ以外にも二人いたことを思い出したことで、一本の線で繋がった。彼はその二人の安全を考えて追っては来なかったのだ。

 

 ネロは仲間の安全を優先する性格ならば、付け入る隙はある。

 

「メルギトス、トレイユへ向かい先の一件の関係者を生け捕りにせよ」

 

「なるほど、人質というわけですか。古典的ですが、意外と効果的かもしれませんね。……ただしそれは、あの男がいなければ、という条件の上でですね?」

 

 メルギトスは頭を下げつつも、確認をとることを忘れない。いくら以前より力は増したとはいえ、ネロと戦って勝てるとは思えなかった。にもかかわらずレイが攻撃をさせるつもりでいるならば、大人しく従うわけにもいかない。

 

「攻撃の判断は貴様に任せる」

 

 その言葉を聞いて口元に笑みを浮かべたメルギトスは頭を下げた。だがそれとは対照的にオルドレイクがレイに向かって口を開いた。

 

「しかし、それではここの戦力に不安が残りますが……」

 

 オルドレイクとてレイの作戦自体には不満はない。ネロを無力化できるなら多少リスクのある選択肢を選ぶのもやむを得ないことではあるが、一番問題なのはリスクを認識していないことなのだ。

 

 現在こちらが保有する戦力は、無色の派閥の兵士に加え、量産され始め一定の数がそろい始めた召喚兵器(ゲイル)、それに誓約者(リンカー)調律者(ロウラー)と戦ったブリッツやシャドウなどの悪魔が少数である。

 

 作戦の性質上、最も強力な戦力である悪魔を使うことはないにせよ、それでも兵士と一定数の召喚兵器(ゲイル)を引き抜かれるはずで、当然その分帝都の防衛戦力が不足することになるのだ。

 

 そうした理由があったからこそ、彼はあえて進言をしたのでだった。

 

「シャリマの悪魔を使う。まだ余裕があるはずだ」

 

「はっ」

 

 その言葉を聞いてオルドレイクは再度首を垂れる。シャリマの使役する悪魔は他の悪魔とは異なり、剣や銃の性質を持ったような人工的な悪魔である。また召喚するのも魔界からではなく、疑似魔界とでも言うべき異空間から呼び出すのである。

 

 それらを発見したシャリマによれば、悪魔も疑似魔界も人工的に作り出されたものだと言うことだが、なんにせよ悪魔が彼らの言う「神」からの供給に頼っている現状においては、貴重な戦力に変わりなかった。

 

「そういえばまだ彼女は戻られないのですね」

 

「放っておけ、あのような女狐なぞ」

 

 メルギトスはいまだ姿を現さないシャリマのことを口にすると、オルドレイクが嫌悪感を隠さないまま吐き捨てた。そこからも分かるように彼はシャリマにいい感情を持っていなかった。

 

 彼女が任された帝都内の治安維持を配下のバジリスクという猟犬のような悪魔に任せたのはいいとしても、許せないのはレイに対しても時折、品定めするような目線を向ける時があることだ。この世界をあるべき姿に戻す「神」の使徒に向けていい視線ではない。

 

「この場はここまでだ。シャリマには我から伝えよう。」

 

 そんなシャリマに対する悪感情がレイにも伝わったのか、この場は解散となった。そしてオルドレイクもメルギトスも自らの務めを果たすべく踵を返して戻って行った。

 

 

 

 

 

 バージルが聖王国で悪魔を殲滅した日の夜、彼はラウスブルグの自室で、アズリアからロレイラル製の無線機による連絡を受けていた。こうして彼女から連絡を受けるのは昨日に引き続き三度目であるが、バージルとしてもラウスブルグにいながら断片的とはいえ、帝国内の情報を入手できることはありがたかった。

 

「やはりそちらでも悪魔は現れたか」

 

 アズリアから帝国内の状況を聞いたバージルは納得したように頷いた。聖王国の複数の都市で悪魔の襲撃を受けていると知った時から、聖王国だけに留まらないのではないかと思っていたが、やはり想像の通りだったようだ。

 

「ああ、もっとも帝都だけは別だ。あそこには悪魔は一切現れなかったらしい」

 

「帝都か。クーデターの首謀者とかいう新皇帝はネロが殺したと聞いたが、まだ奴らに占領されているのか?」

 

 帝都でクーデターが起こったこと、その首謀者で新皇帝を名乗ったレイという男がネロに殺されたことは前回のアズリアから連絡があった時に聞いている。しかしその後、クーデターが起こった帝都がどうなったバージルには何の情報も入っていなかったのだ。

 

「……あの後どうなったかは不明だ。しかし、まだ占領下にあるのは確かだ」

 

 帝都の内情はアズリアも偵察からの報告でしか把握していない。その偵察兵も警戒が厳重な帝都から多くの情報は得られないでいるのが実情であり、悪魔がいる可能性もあることからアズリアも兵には無理をしないよう厳命していた。

 

 そのため、結局のところ確かなのは帝都がいまだクーデター側の支配下にあることくらいだった。

 

「ならば悪魔をけしかけたのはそいつらの仕業だ。恐らく首謀者もまだ生きているはずだ」

 

 アズリアの言葉を聞いたバージルが即答した。帝都がいまだクーデター側の支配下にあって、悪魔の攻撃を受けていないのならばまず間違いない。同時にいまだ魔帝ムンドゥスが表立って動いていないということは、今しばらくの間はクーデターを起こした組織に利用価値を見出しているために違いない。

 

「あれで生きているだと……、それも悪魔の力なのか?」

 

 断言したわけではないといえバージルが言う以上、レイが生きている可能性を認めないわけにはいかなかった。

 

「ああ、そうだ」

 

 短く返事を言った。より正確に言えばレイが生きていると言っても二つの可能性が考えられる。一つはもともと悪魔の力を宿していたことで、死を免れた可能性だ。これは単純に半ば悪魔と化しているから頭を撃ち抜かれた程度では死ななかったというわけだ。

 

 そしてもう一つは魔帝によって創造された可能性だ。魔帝の力ならば人間程度なら容姿も記憶も完全に同一のものを創り出すことができるのである。ただ、新たに創造されたのであれば「生きている」という表現は正しくないのかもしれないが、アズリアのように敵対している者からすれば同一人物と考えても何ら問題はないだろう。

 

「それは我々でも勝てるのか?」

 

「相手にもよるが、戦いようによっては勝てるだろう。もっとも、相手が一人で来るとは思えんがな」

 

 バージルが「勝てるだろう」と言ったのは、あくまでレイ一人と戦った場合の話だった。一人が相手ならたとえ相手が悪魔化していたとしても、召喚術やイスラの持つ魔剣の力を駆使すれば確かに勝てるかもしれない。だが、向こうが一人で向かってくるなど現実的な想定とは言えなかった。

 

「……やはりあいつに頼むより他ないか」

 

「ネロのことか」

 

 アズリアは個人名を言葉にしたわけではないが、この流れで出てくる名前とすればバージルかネロしかいないことは自明である。その上で彼女は、バージルが現在動くつもりはないことを知っている一人でもあるため、事実上ネロ一人に絞られるのである。

 

「反対なのか?」

 

「それはネロが決めることだ」

 

 ネロは実の息子とはいえ、数年前にトレイユで会うまでは一度も会ったことなどなかったし、そもそも、もう子供ではないのだ。いくら父親とはいえ、子の生き方に口を挟むべきではないだろう。バージル自身、己の好きなように生きてきたためなおさらだ。

 

 とはいえ、アズリアとはもう長い付き合いだ。さすがにそれだけで終わらせるのもあれなので、少しばかりネロの情報を伝えておくことにした。

 

「……ただ、トレイユには知り合いがいるようだ。ネロがそれを放ってお前達についていくかはわからんがな」

 

 今もトレイユもいると思われる者の中でバージルが言葉を交わしたことがあるのは、共に人間界に行ったフェアやエニシアとずっと前に蒼の派閥の依頼を受けた時に同行したミントくらいではあるが、それ以外に何人かの知り合いはいたはずだ。一応、トレイユには少し前からミルリーフも遊びに行っているが、彼女は普段はラウスブルグにいるため、バージルの認識としてはトレイユにいる者の中には入っていなかった。

 

 いずれにせよネロもそうした仲間がいたからこそ、帝都を離れてからトレイユに向かったのだろう。そして、そんな者がいるトレイユを離れてアズリアとともに帝都に向かうとは中々思えなかった。クーデター騒ぎと悪魔の襲撃で帝国中が騒然としている現状ではなおさらだ。

 

「だが、帝都には元凶がいるのだろう? それを倒すことは彼にとっても意味があるはずだ」

 

「その言葉はネロに言うことだな。決めるのはあいつだ」

 

 アズリアは反論するが、もとよりバージルは議論などするつもりはなかった。ネロが反対するならその時に聞かせてやればいいと言わんばかりに断じた。

 

「……そうだな。そうするとしよう。……だが、最後に一つ聞かせてくれ」

 

 これ以上は暖簾に腕押しと、アズリアは自身を納得させるしかなかった。だが、それでも、どうしても確認しておかなければならないことがあった。

 

「お前のやろうとしていることは本当に我々にも利することなのか?」

 

 バージルが何年も前から、この世界を狙う強大な悪魔を討つための計画に基づいて動いているのはアズリアも知っていた。だが、その詳細は彼女はおろかバージルと最も親しい仲であるはずのアティにすら伝えられていないのだ。

 

 彼からは「この世界の人間にとっても損な話ではない」と言われているが、バージルの思惑通りに進んでいるとして、少なからぬ人間が悪魔に殺されている現状が正しいとは思えなかったのだ。

 

「前にも言ったが、俺がやろうとしているのは十の犠牲を二か三に抑える程度のことだ。それ以上は知ったことではない」

 

 確かにバージルの言葉は間違いではない。この世界を狙っている魔帝ムンドゥスはバージルさえいなければ、もうこの世界を支配下に置いていてもおかしくはない力と勢力を持っているのだ。彼というたった一人の存在だけで、魔帝の制圧計画は大幅な変更を余儀なくされたと言っても過言ではないのである。

 

「『それ以上の犠牲を減らしたければ貴様らがやればいい』……前にもそう言われたのだったな」

 

 一、二年前、蒼の派閥の幹部の結婚式に出席するという名目で。バージルと蒼の派閥の総帥エクス、さらに金の派閥の議長ファミィまでもが集った場にアズリアもいたのである。

 

 その時に、バージルが彼の進めている計画の概要のみが伝えられたのである。そしてその時にも彼は今しがたと同じ言葉を言ったのだ。ここまでの悪魔による犠牲はバージルにとっては許容範囲内のことでしかないのである。

 

「そうだ。命が惜しければ逃げればいいともな」

 

 一見挑発の言葉のように聞こえるが、バージルにはそういう意図は一切ない。彼の計画通りに進めば、何の力もない人間でも三割の確率で生き残れるのだ。確率としては決して悪くはない。少なくとも悪魔との戦いの中に身を置くよりもずっと高い確率で生き残れるだろう。そのためバージルは逃げるという選択肢は合理的だと捉えており、アズリアに言ったのも、アティの友人である彼女を考えてのことだったのだ。

 

 そうしたバージルの考えはアズリアもよくわかっており、彼なりの分かりにくい配慮に苦笑しつつ答えた。

 

「……そうは言うがな、これでも軍人なんだ。今更逃げるわけにはいかない」

 

「ならばネロを説得できるように力を尽くすことだな」

 

 バージルの言った「十の犠牲を二か三に抑える」というのはあくまで彼一人の力で実行できる範囲だ。そこにネロが加わるのならもっと犠牲を少なくすることができるだろう。

 

「無論、そのつもりだ」

 

 それこそがアズリアの狙いであり、彼女は決意を新たに力強く答えたのだった。

 

 

 

 

 

 それからしばらくして、一応の平穏が保たれているトレイユで、ネロは庭のベンチに座りながらじっと何かを考えるように正面を見ていた。もちろん彼の考えているところはこれからのことだった。

 

(手がかりも何もなしじゃ動くに動けねぇ……いや、仮にあったとしても今の状況じゃあ……)

 

 目下ネロの当面の目的は今この世界で何が起きているのかを探ることだった。那岐宮市での悪魔の出現、帝都でのクーデター騒ぎ、そしてトレイユに現れた悪魔の群れ。それぞれが繋がっているという証拠はないが、それでも人間界やこの世界に何らかの重大な事態が起きていることは分かる。

 

 だが、それがわかっていても現状、ネロは動きようがなかった。手がかりがないというのも理由ではあったが、それ以上に大きいのは悪魔による再攻撃の危険があるからだった。

 

 先の戦いでは大きな被害こそ出なかったものの、それはネロが悪魔の大部分を相手取ることができたからだ。そうでなければいくらコーラルやミルリーフといった至竜がいたとしても被害をここまで抑えることはできなかっただろう。逆を言えば現状、トレイユの防衛はネロがいるからこそ成立するものでしかないのだ。

 

 その事実がネロをトレイユに縛り付けているのである。手がかりを探しにトレイユを離れたところに悪魔の再攻撃があったのれば最悪の結果を招きかねない。

 

 ネロのような者が代わりにとはいかなくとも、先に襲来した悪魔に抗する程度の戦力がいなくては、トレイユを離れることもままならないのだ。

 

 いつまで考えても答えの出ない問答を、心中で繰り返すネロのもとに一人の男がやってきた。

 

「よう、邪魔するぜ」

 

 そう言ってネロの隣に座ったのはフェアの父、ケンタロウだった。

 

「ああ」

 

 ネロは短く答える。もともとケンタロウに初めてあったのは、昨日の悪魔を撃退した後のことではあったが、実際に言葉を交わしたのは今が最初だった。

 

 一応彼がどんな人物であるかは娘のフェアや妻のメリアージュから聞いてはいた。もっともフェアは父親に対してあまりいい感情を抱いてはいなかったようなので、そうしたフェアの悪感情に由来するものを除けば、もう一人の娘であるエリカの病を治す手立てを探すためだけに、幼いフェアを残して出て行ったのだ。

 

 それを聞いてネロは、自身が赤子の頃に孤児院に預けられたことを思い出したが、フェアの境遇はそれよりも厳しいものだっただろうと思った。ネロは孤児院に預けられたとはいえ、物心ついたときにはそれが当然だったと思っていたのだ。それに同じ境遇の子供もいたし、叱られてばかりだったが院長であるシェスタもいた。そして何よりキリエやクレド、二人の家族がいてくれたのだ。

 

 対してフェアが一人残されたのは物心ついた後だ。一人になってもケンタロウなりに生活のことは考えていただろうし、リシェルやルシアンという友人もいて大丈夫だと判断したのだろうが、それでもまだ幼い子供を一人家に残すというのはネロも違和感を覚えた。もっともそれは、保守的な価値観を持っているフォルトゥナで生まれ育ったせいかもしれないが。

 

 なんにせよ、ネロはこのケンタロウに思うことこそあったものの、それは積極的に会話する理由はならなかった。

 

 だが、ネロにはなくても自らその隣に腰かけたケンタロウには話をする理由があったようだ。

 

「すまねぇ、メリアージュから聞いた。お前には面倒をかけさせちまった」

 

「……ああ、そのことか。ならやったのは俺の親父だ。頭を下げるならそっちにしてくれ」

 

 ケンタロウが頭を下げて礼を言ったことにネロは心当たりがなかったが、彼の言葉を改めて頭の中で反芻させてそれらしいことに思い至った。もっともそれは、自身がしたことではなかったが。

 

「いや、そうじゃねぇ。あいつの……フェアのことだ」

 

 その言葉を聞いてケンタロウの言わんとしていることがようやく理解できた。確かに以前の至竜の件は、親の視点から見れば子供を守ってもらっていたと考えてもおかしくはないかもしれない。

 

「別に面倒なんて思ったことはねぇよ。俺だって無関係じゃなかったんだ。……それに一番苦労していたのはあいつなんだ。あいつにも何か言ってやれよ」

 

 そこまで言うつもりはなかったが、思わず口に出てしまった。至竜の件で生活に係る一切を負担していたのはケンタロウの娘であるフェアなのだ。自分に言う前にまず彼女と話すのが筋だろうと思ったのである。

 

「いや……何つーか、話しづらくてな」

 

 ケンタロウが困ったように頭を掻く。自分のいない間に成長した娘は自分とは口をきこうとすらしなかったのだ。それが自業自得だとはわかっていてもどのように対応していいかわからなかった。

 

「めんどくせぇ奴だな」

 

 その思いが思わず口にでた。ネロ自身、実の父親と会ったのはほんの数年前だが、バージルはそんなことなど思いもよらなかっただろう。それに比べればどうしても優柔不断に見えてしまったのだ。

 

「まあ、話したくなら無理強いするつもりはないけどな」

 

 とはいえ、それはあくまでケンタロウとフェアの親子間の問題であり、他人が口出するようなことではない。それに生まれてから一度も会わなかった自分たち親子と単純に比較できるものでもないだろう。幼い頃までは一緒に暮らしていたからこそ、発生する軋轢もあるはずだ。事実フェアがケンタロウに対して言葉は、そうしたところから出たものだった。

 

「話したくないわけじゃ……」

 

 ケンタロウの言葉の途中、フェアから声をかけられた。

 

「あ、ネロ、ここにいたんだ」

 

 ちょうど話題となっていた彼女が店の方から呼びに来たのである。彼女はちらりと横にいる父親に視線を向けたが、何も言葉はかけなかった。彼女のこれまでの父親に対する言葉から考えれば憎まれ口の一つでも言いそうだが、先の悪魔が襲来した後に、父と再会して以来一度も会話をしていなかったのだ。

 

 フェアの性格から考えて、言いたいことはあるのだろうが、まだ落ち着いたとは言えない現状で自分の感情ばかりを優先することはできず、さりとて、母や妹と同様の態度をとることはできなかった結果が、この無視に近い態度だろう。

 

「どうした?」

 

「帝国軍の人がネロに会いに来たんだけど……」

 

 フェアが店の方に視線を向けながら答える。ここからでは誰が来たのかは分からないが、彼女の様子を見るに何故ネロを訪ねてきたのかと疑問に思っている様子だった。

 

「俺に会いに来た、ねぇ……」

 

 心当たりがないわけでもなかった。ネロが現在トレイユにいることを知っている帝国軍の軍人はアズリア達だけだ。そのため訪ねてきたのはアズリア自身か、彼女が派遣した使者である可能性が高いだろう。

 

 問題は理由であるが、ネロはそれについては深く考えず席を立った。あれこれ考えるよりここに来た者に聞いた方が早いだろう。

 

「わかった、ちょっと会ってくる。……ああ、そうだ」

 

 フェアに返答するのと同時に、ついさっき彼女の父親と話していたことが頭をよぎり、彼女ら親子に話をする機会を作ってやることにした。

 

「お前の親父が、話があるんだとよ。ちょうどいいからここで話ていけよ」

 

 ネロの言葉にフェアだけでなく、ケンタロウも目を見開いて互いの視線が交差するが、すぐに気まずくなって顔を逸らした。

 

 その様子に先が思いやられると思いつつも、フェアの肩をたたきながら声をかけた。

 

「周りのことなんか気にして腹の中に溜め込むよりは、全部吐き出しちまった方がいいぜ」

 

 ネロもフェアがケンタロウを露骨に無視していたことは気づいていたし、その理由も察しがついていた。とはいえ親子間のことだからと、先ほどケンタロウに言ったように口出しは控えていたのだ。ところが、ケンタロウも話すきっかけを探しているようだったので、そのお膳立てをしたのである。

 

「え、ええ!?」

 

 驚いてネロのことを見返すフェアを先ほどまで自分が座っていたところに移動させると、ネロは来客のところへ向かっていったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




次回は9月下旬の投稿予定です。

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第127話 奪還への道

投稿が抜けていた第122話も同時に投稿していますので、そちらをご覧いただいてからの閲覧を推奨いたします。



 ネロは忘れじの面影亭にまで自身を訪ねてきた軍人に会っていた。訪ねてきたのはアズリア本人ではないものの、先日帝都で顔を合わせた者であったため、見ず知らずの相手ではなかった。

 

「あー、確かウィルとか言ったか?」

 

 真面目そうな顔こそ覚えているが、帝都では互いに名乗りはしなかったため、名前の方はうろ覚えであり、彼がアズリアに呼ばれていた時のことを思い出しながら、名を確認した。

 

「ウィル・レヴィノスです」

 

 年の頃は同じくらいか、少しウィルの方が上だと思われるが、彼はあくまで敬語でネロと接していた。同じ軍人でもグラッドはフランクな態度で接していることから考えると、彼は相当に真面目な人間であることは間違いない。ネロは心の中で「仲良くなれなさそうなタイプだ」と呟くが、それは決して態度に出さず要件を訪ねることにした。

 

「……で、俺に何の用だ? 大方あんたの上からの命令なんだろ」

 

 帝都でのアズリアとのやり取りを見る限り、ウィルはアズリアの副官のような立場にあるのだろう。軍人としては優秀なのだろうが、階級はそれほど高くはない若手の将校といったところか。何にせよ彼のようなタイプは自身の権限と責任の及ぶ範囲でこそ独断で動くが、今回のように軍人ですらないネロのもとを訪れるのは明らかに一将校の権限を逸脱している以上、もっと指揮系統が上の者からの命令によって訪れた考えた方が自然だった。

 

「その通りです。アズリア将軍よりあなたをお連れするようにと命を受けています」

 

「連れていくってどこへだ?」

 

 少なくとも現状ではトレイユを離れるつもりのないネロが尋ねる。この町の近くならともかく、彼らが駐留する所までと言われれば、はいそうですかと頷くわけにはいかない。

 

「テイラー・ブロンクス氏の邸宅です」

 

「ブロンクス……? ああ、確かリシェルの……」

 

 聞いたことのない人物の名を聞いてネロは首を傾げたが、すぐリシェルの姓と同じであることに気付き、その人物が彼女の親にあたる者だと悟ると同時に、ウィルが連れて行こうしている場所がリシェルの自宅であるとも気付いた。

 

 そこは当然トレイユにあり、忘れじの面影亭からも近いため、彼の申し出を断る理由はなかった。

 

「そこなら行ってもいいさ。早く行こうぜ」

 

 そうと決まればここで立場話していても時間の無駄でしかないと、ウィルに言った時、庭の方からフェアとケンタロウの声が聞こえてきた。何を言っているかは判別できないがどうやら言い争いをしているのは間違いないようだ。何にせよ、ここまで聞こえてくるとなると相当に大きな声だ。

 

「行かなくていいんですか?」

 

 その声を聞いても中庭には行こうとしないネロにウィルが声をかける。

 

「冗談、親子の喧嘩に割って入るほど馬鹿じゃないさ」

 

 話し合いの場を設けさせたのはネロではあるが、家族の問題に深入りするつもりはさらさらなかった。それに仲裁するにしても赤の他人であるネロよりメリアージュなどの家族の方が適任だろうという考えもあった。

 

「はあ、そうですか」

 

 納得しきれない部分はあったが、ウィルも自分に任せられた役目があるため、それ以上深く追求することはせずネロを先導しながら忘れじの面影亭を出て行った。

 

 

 

 

 

 リシェルの父であるテイラー・ブロンクスは金の派閥から派遣された召喚師とはいえ、実質的なトレイユのまとめ役であることは疑いようがない。アズリアが彼のもとを訪れたのも、彼女の指揮する部隊がトレイユに駐留することへの理解を求めるためだった。数年前に帝国全土で無色の派閥の一斉摘発を行った際は、全土の都市や町に対してあらかじめ説明されていたためその必要はなかったが、今回はアズリア個人の判断で動いている以上、駐留する都市や町への説明と理解は必要なことであった。

 

 もっとも、これは帝国の法に基づいたものではなく、円滑に物事を進めるための慣例でしかないのだ。帝都でのクーデター、各地への悪魔の襲来という理由から非常事態と判断して、それを行わないことは簡単だが、それでもアズリアは可能な限り平時の慣例に基づいた対応に努めた。町へ駐留するとなればそこに住む住人の理解必要不可欠であることが分かっているからだ。

 

 ネロが連れて来られた時も、そんな説明を行っていた。

 

「将軍、お連れしました」

 

 使用人に案内された一室のドアをノックして開けたウィルがアズリアに向かって報告する。その場には彼女とテイラー以外にもグラッドがいた。恐らく駐留軍人として同席を求められたのだろう。

 

 だが、屋敷の中に彼ら以外の軍人はいない。外でこそアズリアの護衛と思われる者たちが十五名ほど待機していたものの、中にいる軍人はアズリア、グラッド、ウィルの三人だけだった。

 

「ご苦労。よく来てくれたな、ネロ」

 

 アズリアはウィルに労いの言葉をかけると、ついでネロに席につくよう促した。

 

 ウィルはそのまま部屋を退出し、ネロは彼女の言葉に従い、ちょうどアズリアとグラッドが並んで座っているところの向かい側の椅子に腰を下ろした。上座にはこの屋敷の主たるテイラーが怪訝な顔でネロに視線を向けている。

 

「……で、わざわざ俺を呼んだのはどうしてだ?」

 

 ネロは足を組みながらアズリアに尋ねる。向けられた視線が気にならないことはないが、今重要なのは、なぜこの場に呼ばれたかである。

 

「我々はこれから帝都の奪還に向かうつもりだ。お前にはそれに同行して、悪魔と戦ってもらいたい」

 

「二日前に行った時には悪魔はいなかったはずだ。状況でも変わったか?」

 

 ネロが二日前のクーデターに巻き込まれた時、帝都にいたのは普通の人間だけだった。無論、レイを撃った時に感じた悪魔の気配は別だが、それはアズリアにも伝えておらず、彼女は知らないはずだった。

 

「昨日、悪魔がこの町を襲ったことは聞いている。同様の事態は帝国の各都市のみならず世界各地にも起きていた」

 

「それで?」

 

 ネロは言葉の続きを促す。彼女の言葉を聞いてネロは驚きよりも納得の方が勝ったのが正直なところだった。なにしろ悪魔と戦っていた時も、本当に襲われたのがトレイユだけなのか疑問に思っていたのだから

 

「だが、帝国の都市で一箇所だけ悪魔に襲われなかったのが帝都ウルゴーラだ。そして、バージル……お前の父君にそのことを説明すると言ったよ。悪魔をけしかけたのはクーデターを起こし奴らで、お前が撃ったレイと名乗る男もまだ生きているとな」

 

「なるほど。親父の言ったことを信用してんのか」

 

 悪魔に関してはネロも父の判断を疑ってはいない。レイに関してはネロ自身生きているのではないかと思っていたのだから、なおさら納得しないわけにはいかない。だが、ネロの正面に座るアズリアは、軍の指揮官という公的な立場を持つ人間だ。無位無冠の父の言葉を信用するのはなぜか気になったのだ。

 

「その言葉を、というより言った本人の方だな、信用しているのは」

 

 悪魔に街々を襲わせた元凶というのはともかく、銃で頭を撃ち抜かれた人間が生きているというのはアズリアとて信じ難いことだ。それでも彼女が、レイが生きていることを前提として動いているのは、これまでバージルの言った言葉がことごとく真実であったということが大きい。いわば彼を信用していると言い換えても間違いはないだろう。

 

「信用、ね……」

 

「……それで、こちらの頼み、引き受けて貰えるのか?」

 

 ネロの呟きが耳に入ったかは定かでないが、アズリアはネロに回答を求めた。

 

「悪いが断らせてもらう」

 

「……理由を聞かせて貰っても?」

 

 アズリアはその言葉を予想していたように落ち着き払った声で尋ねた。

 

「また悪魔が来るかもしれねぇ、まともに戦える奴が少ないこの町じゃあ、俺が抜けるわけにはいかないんだよ」

 

 ネロの言葉は以前バージルから聞かされていたものと似たようなことだった。彼の言葉の裏には残される者への想いがあるのだということは、アズリアにも十分に分かっていた。

 

「確かにこの町には各都市とは違って駐留する部隊はいない。その状態で再び襲撃があれば今度は被害を免れないだろう。……だが、お前が我々と来てくれるなら、こちらの部隊の一部をこの町に残そう」

 

 だからこそアズリアは麾下の部隊の一部をトレイユに残留させることを提案した。すると、その言葉に彼女の隣にいたグラッドと上座で会話に耳を傾けていたテイラーが目を見開いた。まさかネロ一人の協力を得るために、ここまでのことを言うとは思ってもいなかったようだ。

 

「数を減らして制圧なんかできるのかよ」

 

 ネロの疑問はもっともなものだ。クーデターが起こった時も帝都内には多くの兵士が存在していたのだ。トレイユに戦力を割いた結果、数で負けて帝都を奪還できませんでした、では笑い話にもならない。

 

「奴らが導入できる戦力はおおよそ把握している。半数を割いても十分対抗は可能だ」

 

 アズリアは少し前まで帝国全土を対象とした無色の派閥の摘発を行っていたのだ。それで手に入れた情報とギアンから手に入れた情報を突き合せ、相当に確度の高い情報を入手していたのだ。

 

 そこから考えると帝都のクーデターに導入された無色の派閥と紅き手袋の兵士の総数は、アズリアが有する戦力の三分の一から四分の一程度しかないのだ。そのため、半数をトレイユ防衛に割いたとしても、まだ数的優位は確保できる状態にあったのだ。

 

 もちろん彼女がこれだけの戦力を動かせるのは、本来の任務である聖王国との国境防衛に兵力を割かなかったからに他ならない。当然聖王国との国境付近は無防備になるのだが、その聖王国も各都市が悪魔に襲われ他国に侵略する余力がないことは、蒼の派閥の総帥であるエクスとの無線連絡を通じて確認していた。

 

 当のエクスもアズリアと同じく数年前にバージルから彼の計画について聞かされた一人であり、これだけ大規模な悪魔による攻撃があったのであれば、不用意な動きをするとは考えにくかったが。

 

「…………」

 

 ネロは無言で思考する。断るための理由を探しているのではなく、純粋に悩んでいるようだった。

 

 確かにトレイユに残れば己の仲間や大切な人を自らの手で守ることができる。だが、向かってくる敵を撃退するだけでは対症療法の域を出ることはない。その元凶を叩く必要性はネロも感じていた。

 

「頼む、力を貸してくれ」

 

「……わかったよ」

 

 頭を下げてネロは観念したように頷いた。

 

 それを聞いたアズリアは大きく息を吐いてテイラーの方に向き直り口を開いた。

 

「……話は決まりました。明日以降も部隊の半数はここに残らせていただきます」

 

「うむ。……しかし、半数も残してよろしいのですかな? 私は軍事には素人ですが数は多いに越したことはないのでは?」

 

 テイラーは金の派閥から派遣された召喚師であり、アズリアのように実戦経験は決して多くはない。それでも戦場において勝敗を分ける最も大きな要素は兵力の多寡であることくらいは理解していた。それを考えればいくらネロが悪魔に対する強力な戦力とはいえ、協力を得る見返りに兵力の半数を手放すというのは、バランスを欠いた決定だと思ったのだ。

 

「お心遣い感謝する。しかし、兵の半数を割いても彼が加わった方が、総合的な戦力は上であると判断しています。それに、このトレイユに住む者たちも我々にとって守るべき民に他なりません。帝都奪還のみを考えて戦力を集中させるのは、軍人の本分にもとります」

 

 だが、アズリアにとっては兵力の半分をトレイユに残すだけでネロの協力を得られるのなら御の字であった。なにしろ彼女は、絶大な力を持つバージルが物量差を容易く覆すところを何度も見ている。一騎当千どころか、一振りで千の悪魔すら葬りかねない力を持っているのがあの男なのである。そして、帝都で確認した限り、その息子であるネロも彼に準じた力を持っているのだ。

 

 そこがアズリアとテイラーの判断が異なった理由だ。テイラーもネロの力については聞かされているが、それはあくまで人伝であり、その目で直接見たわけではない。それゆえ、どうしても彼の常識で判断してしまう部分ができてしまし、その結果、ネロの過小評価に繋がってしまったのである。

 

「……わかりました」

 

 アズリアからそう言われた今でもテイラーの認識は変わらない。それでも指揮官である彼女がそう判断している以上、異を唱えるつもりはなかった。それに、トレイユのことだけを考えれば、兵を半数駐留させるというアズリアの判断は歓迎すべきものである。

 

 従来、トレイユにいる軍人は駐在軍人であるグラッドだけであり、その他まともに戦えそうなのは自身や蒼の派閥の召喚師であるミント、忘れじの面影亭を任せているフェアとその父ケンタロウ、そして娘が監督を務める開墾した農地の人夫として雇い入れた元旧王国の騎士団の連中くらいしかいない。

 

 トレイユ程度の規模の町として考えるなら比較的充実した戦力といえるが、それでも帝国の各都市に駐留する帝国の部隊を比較すれば、どうしても見劣りしてしまう。それで悪魔と戦っても被害を少なく抑えるのは難しいと言わざるを得ないだろう。

 

「後の話はそっちでしてくれ。俺は戻らせてもらう」

 

 これ以上は自分が聞く話でもないだろうとネロが立ち上がった。アズリアの頼みは引き受けたとは言っても、まさかキリエ達に何も言わずに行くわけにはいかない。事情を説明するためにも忘れじの面影亭まで戻らねばならない。

 

「わかった。帝都に発つのは明日の昼だ。迎えをやるからそれまで準備を整えていてくれ」

 

「ああ」

 

 アズリアの言葉に頷き、ネロは部屋から退出した。

 

 そして、そのまま屋敷を出て行くと、後方から彼の名前を呼ぶ聞きなれたリシェルの声が聞こえた。

 

「ネロ! ちょっと待ってよ!」

 

「何だよ?」

 

 追いかけてきたリシェルは普段の彼女らしからぬ切羽詰まったような雰囲気が感じられた。しかし、彼女に呼び止められる理由など何も思い浮かばなかったネロは怪訝な顔を浮かべた。

 

「帝都に行くんでしょ? お願いがあるの」

 

「何だよ、さっきの話聞いてたのか……」

 

 アズリアと共に帝都ウルゴーラに向かうことはついさっき決断したことだ。ネロとアズリア以外でこのことを知っているのは、あの部屋にいたテイラーとグラッドのみのはずだが、恐らく隣の部屋から聞き耳を立てていたのだろう。

 

 テイラーの屋敷はその地位に相応しい立派な建物ではあり、部屋と部屋の間の壁も相応の厚みがある。ただ、それでも帝国の技術では防音に優れた建築材は使っていないだろうし、アズリアという帝国軍の高官が訪れているせいか、使用人達も物音一つたてていなかったのだ。この環境であれば隣の部屋から話を聞くことは難しくはないだろう。

 

 もっとも、それはアズリアも考えていただろうが、テイラーも知っている以上、屋敷の者に聞かれることは問題ないと判断したのだろう。

 

「勝手に聞いてたのは悪いと思ってるわよ……でも帝都にはママやルシアンがいるの! だから――」

 

「分かったよ。一番先にというわけにはいかないが、何とかする」

 

 リシェルの言葉を全て聞かなくとも、彼女が何を言わんとしているか理解できたネロが言った。家族を心配する彼女の気持ちは理解できるし、以前に世話になったリシェルの頼みを無下に断れるほどネロは薄情でもなかった。

 

 とはいえ、帝都について真っ先にその二人を探すというわけにもいかない。実際のところネロが自由に動けるのは、帝都にいるだろう悪魔を始末してから、ひいてはアズリア率いる帝国軍の勝利と帝都奪還がほぼ確実となってからだろう。

 

「うん……お願い」

 

「ああ、引き受けた。……ところでお前もフェアのところ行くのか」

 

 リシェルの頼みを受けたネロは話題を変えた。悪魔の襲撃以来、リシェルは忘れじの面影亭へ顔を出していない。そろそろ顔を出す頃ではないかと思ったのだ。

 

「ううん。パパの手伝いもあるから今日は行けないの。でもそれがひと段落すれば必ず行くから、フェアによろしくね」

 

「ああ、伝えとく」

 

 数年前に会ったときはまさに反抗期真っ盛りといった状態だったのに、変われば変わるものだと内心驚きながらも頷いたネロは、リシェルに別れを告げて忘れじの面影亭への道を戻って行った。

 

 

 

 

 

 翌日の昼前、ネロは帝都ウルゴーラを目指すべくアズリア率いる帝国軍とともにいた。ネロとの話し合いが妥結したのが昨日だから、これだけの規模の組織の行動としては相当に急いでいたことがわかる。

 

 そんな中、出立の準備を整えたアズリアはネロから、彼の同行者について話を聞いていた。

 

「……なるほど、話は分かった」

 

 簡単にネロから彼らの素性と連れて行きたい旨の話を聞き終えたアズリアはそう答えると、ネロの横にいる二人に視線を向けた。

 

 ミコトとカイ、この二人こそネロが連れてきた同行者だった。

 

 そもそも彼らをネロが連れてくることになったのは、昨日アズリアとの話し合いを終え戻ってきたネロが、アズリア達とともに帝都に行くことを皆に伝えた場でのことだった。

 

 キリエやフェア、ミルリーフなどはネロが行くことを心配はしていても、帝都に行くこと自体は認めてもらうことができた。それ以外にもトレイユ近くの農場で働いている、かつて剣の軍団を指揮していた「将軍」レンドラーと彼の部下たちが当面の間、忘れじの面影亭付近に留まることになったことを聞いた。

 

 これは先に悪魔が襲来した時、レンドラーは達が守るべきエニシアの住む忘れじの面影亭へ来ることができなかったことに端を発する。

 

 彼らもトレイユの町が悪魔に襲われていることには気付いていたが、準備を整えトレイユに駆けつける前にネロの手で悪魔は殲滅されてしまい、出る幕がなかったのである。こればかりは普段レンドラー達がいる農場とトレイユの間に距離があるためどうしようもないことだが、どうにもレンドラーはそれでは納得することができず、万が一に備え留まることにしたのだった。

 

 自身が抜ける代りとは言えないもでも、戦力が増えること自体はネロにも歓迎すべきことだったため、文句はなかった。

 

 ミコトがネロに自分も帝都に行きたいと言い出したのはそんな時だったのだ。

 

「まあ、向こうに因縁の相手がいるらしいし、あんたらには面倒かけないようにするって話だ。それならいいだろ?」

 

「お、お願いします!」

 

 ネロに続き、ミコトが頭を下げる。無茶なお願いをしていることはミコト自身にも分かっていた。それでもなお、彼を動かしているのは、どうしてもシャリマの真意を問いただしたかったからだ。

 

 なぜ、自分を捕えようとしたのか。なぜ、以前にリィンバウムに来たときは捕えなかったのか。そんな疑問は今でも胸の中に渦巻いている。頭では分かっていても、正直なところ、まだ彼女を信じたいという想いもどこかに残っているのかもしれない。

 

「私は……ただ、責任を果たしたいだけだ……」

 

 カイはそう言うが、その「責任」が自分とシャリマの始めたことに対するものなのか、ミコトに対してのものなのか、あるいはそれとも違う何かに対してなのか、本人にもよく分かっていなかった。

 

 それでも彼がここに来たのは、ミコトが帝都に向かうにもかかわらず、己はただトレイユでじっとしているのにも我慢ならなかったからだ。強迫観念にも似たその意識に背中を押されるがまま、彼は同行を申し出たのだった。

 

「……ここで議論しても時間ばかり浪費されるだけだ。同行は認めよう。ただし、こちらの指示にはしたがってもらう。それが条件だ」

 

 彼らが同行することについてどうこう言うだけの時間はない。そのためアズリアは最低限の条件を付けて同行を認めることにした。

 

「ありがとうございます!」

 

 そうした判断に頭を下げて謝意を示したミコトにアズリアは手を振って無用であることを伝える。

 

「なら、そういうことで決まりだ」

 

 ネロもひとまず話がまとまったことに息を吐いた。彼とて、事前の話し合いもなしにいきなり二人を同行させてくれという頼みが非常識であることは理解していた。それだけにアズリアにこの話をすること自体、心苦しかったのだが、それでもミコトを連れていくことにどこか本能的な部分で意味を感じたため、こうして話をすることにしたのだった。

 

「……まもなくここを出発する。それまでもう少し待っていてくれ」

 

 アズリアは既に命令を発している。あとは各隊から準備完了の報告を待つばかりなのだ。

 

 今回部隊を二つに分けるにあたって、アズリアはトレイユに残る部隊の指揮をギャレオに任せ、残る半数を自身が直接指揮する形としていた。一般的な部隊であればアズリアの下に現隊長であるギャレオを置き、トレイユに残る部隊の指揮は副官などの次席の指揮官に委ねるというものだ。

 

 だが、今回に限っては帝都へ向かう隊はもちろんトレイユに残る隊も戦闘を行う可能性が高い。現在の隊の副官であるウィルを信用していないというわけではないのだが、それでもアズリアとしては実戦を多く経験しているギャレオに指揮を委ねたかったのだ。それに加えてこの判断には、年若い指揮官より歴戦の風格漂うギャレオの方がテイラーの信頼も得やすいだろうという計算もあった。

 

 そうした事情もあり、帝都に向かう主だった者は最高指揮官のアズリアとその弟のイスラで、トレイユに残るのは隊長ギャレオに副官のウィル、それにギアンもこちらに含まれることとなった。これまでギアンの監視はイスラが行っていたことも考えると、帝都に向かう隊に加えるという考えもできるが、さすがにそれだけの余裕はないだろうと判断されてのことだった。

 

(さて、あんまり時間もかけてられねぇ、さっさとケリつけて戻るか)

 

 トレイユには以前とは比較にならない戦力が駐留することになったものの、それでもやはり心配がないと言えば嘘になる。それだけにネロとしてもアズリアの仕事に時間をかけるつもりはなかった。

 

 だが、それは帝都にいる悪魔が先日訪れた時と同程度であることを前提としたものであり、今もそれから変わっていないという保証はどこにもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 




次回は10月中の投稿予定です。

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第128話 帝都奪還作戦 前編

 帝都ウルゴーラ近郊の森の中に陣を張ったアズリア率いる帝都奪還の部隊は、敵情の偵察に赴いたイスラから報告を受けていた。

 

「警戒はどこもかなり厳重だね。奇襲は望めないと思う」

 

「帝都の市民はどうだ?」

 

 そのイスラの報告はアズリアも覚悟していたことだった。ほんの数日前にこの場にいるアズリア、イスラ、ネロの三人は帝都から脱出したことがあるのである。特に帝国軍でも指折りの将軍であるアズリアを逃がしたことは、当然知っているだろうし、それが厳戒態勢を敷く理由としては十分だろう。

 

「外出は厳しく制限されているみたいだ。もっとも兵士は帝都周辺への警戒に回されていて、取り締まる兵士はかなり少ないみたいだけど」

 

「そうか、なら市街地への被害はなるべく少なくしなければならんな」

 

 アズリアは安堵したように息を吐きながら言った。相手は無色の派閥というだけでなく、悪魔の力も利用するような奴らだ。最悪の場合、既に大きな犠牲が出ていることも覚悟していたのだ。

 

 とはいえ、敵側もまだ帝都を制圧してから日も浅く、リィンバウム全土に対して宣戦布告したその時に、首謀者たるレイが頭を撃ち抜かれるという醜態を全世界に晒している。その際の混乱がそう簡単に収まったとは考えづらい。実態としては警戒を強化する以上の対応がとれず、市民に対しては余計なことをされないように外出を制限しているだけかもしれない。

 

「ただ、少し気になることがあってね。……兵士は少なかったけどそこらに犬のような生物がいたよ」

 

 そういってイスラは一枚の絵を取り出した。人間界のように写真が普及していないリィンバウムにおいては、やはりこうした絵に頼らざるを得ないのだろう。そうなると当然、正確性も問題になるが、少なくとも今回に限っては、着色もされており、細部まで描かれているためさほど問題ないだろう。

 

「あ……、これって……」

 

 その絵を見たミコトが声を漏らした。それと同時にネロが鼻を鳴らしながら口を開いた。

 

「ああ、お前が捕まった悪魔だ。名前は……バジリスクとか言ったか」

 

 記憶の中からかつてフォルトゥナで起きた事件で、首謀者である教皇に与した男が生み出した悪魔の名前を口にした。猟犬と魔力を持った銃を交配させて生み出した悪魔であり、ネロもフォルトゥナで何度か戦ったことがある。

 

「どんな悪魔だ?」

 

「一匹一匹は大したことはなねぇ、見た目通りの猟犬だ。ただ、頭を弾にして飛ばしてくるから気を付けた方がいいぜ」

 

 単純な戦闘力で言えば一つの個体である分スケアクロウよりは手強いかもしれないが、総合的に見て最下級の悪魔とほぼ同程度と考えて差し支えないだろう。だからこそ、数が多いのだろうが。

 

「なるほど、その点は気を付けるとして、奴らは何の目的でその悪魔を使っていると思う?」

 

「さあな。まあ、番犬代わりにでもしてるんじゃねぇか」

 

 アズリアの質問に適当に答えたネロだったが、意外と正鵠を射ていた。バジリスクは生まれからして人工の悪魔であるため、普通の悪魔より遥かに扱いやすい。魔界で生まれた最下級の悪魔が本能でしか行動しないのと異なり、ある程度の命令を実行できるだけの知能はあるのである。

 

「番犬……」

 

 ミコトが那岐宮市で捕らわれた時のことを思い出したのか、ネロの言葉を繰り返しながら呟くと、イスラがかぶりを振りながら続いた。

 

「それは、随分と息が詰まりそうな番犬だね」

 

「だからこそ、我々は一刻も早く帝都の市民を助けなければならないんだ」

 

「……で、どうすんだこの後。すぐにでも仕掛けりゃいいのか?」

 

 そうしたアズリアの意見には全く異論がないネロが今後の方針を尋ねた。彼としてもこれからすぐに行動を開始しても何ら問題はなかったのだが、依頼主が出したのは別な答えだった。

 

「いや、仕掛けるのは可能な限り人出の少ない時間帯にしたい。動くのは夜明け前だ」

 

 外出に制限がかけられているとはいえ、昼間は市民がいないとも限らない。戦闘に巻き込むのを避けるためには、できるだけ人の出ていない時間に行動を開始することが重要だった。

 

「了解、前に言われた通りなら俺は、悪魔をぶっ潰しながら城を目指せばいいってことだろ?」

 

 作戦開始後のそれぞれの役目は帝都に来るまでに簡単ながらも説明を受けている。その中でネロに与えられたのは悪魔の殲滅と陽動だった。敵情がある程度分かった現状で考えるなら、帝都内のバジリスクを引き付け討伐しながら敵の本拠地を目指すといったところだろう。

 

 ネロが本拠地に向かっているとなれば敵側はそれ相応の戦力を向けなければならない。それに加えバジリスクも減っているとなれば、必然的に他の制圧を担当する部隊に向けられる戦力は少なくなる。そうして戦力的に有利な状況を作り出すことで速やかに帝都の奪還を目指すというものだった。

 

「そうなるな。これが終わり次第、連絡用の無線機を渡そう」

 

「無線機? んなもんいらねぇよ、連携とって戦うわけじゃないんだ」

 

 ネロもアズリア率いる帝国軍も同じ作戦に参加するとはいえ、複雑な連携を求められる作戦を実施するわけではない。むしろそれぞれが与えられた役目を果たすだけの比較的シンプルな作戦なのだ。失敗したときなどの撤退の合図に用いるにしても、その程度の意思疎通であれば信号弾などで十分だろう。

 

「今回の作戦は相手が悪魔なのだ。用心には用心を重ねておくためにも情報は何よりも重要なんだ」

 

 戦場における情報の重要さはアズリアにもよく理解している。その相手が悪魔という人知の及ばぬ相手であったてもそれは変わりない。バージルとの通信で軍の情報を流しているのも、ギアンを情報源として使っているのも、彼女が情報を重視している現れなのだ。それだけにこの点はどうしても譲れないものだった。

 

 それを感じ取ったのか、ネロは早々に抗うことをやめて黙って話を聞いているカイの視線を向けながら答えた。

 

「わかった、わかった。……ならあんたが持っててくれ」

 

「わ、私が……?」

 

 いきなり声を掛けられて狼狽するカイを尻目にネロが続ける。彼とミコトはシャリマに用があるため、ネロについていくことが決まっていたのだ。

 

「あんた技術者なんだろ、なら無線機くらい扱えるよな」

 

 彼が技術者だったことはゲックから聞いている。二十年程前の話だったはずだが、それでも自分が預けられるよりはいいだろう。それに加え、戦闘時のネロの動きはかなり激しい。そもそも戦闘用に作られたレッドクイーンやブルーローズならともかく、ただの無線機がそれに耐えられるかはわからない。カイに任せたのはそれらを総合的に判断してのことだった。

 

「……こちらとしてはそれで構わない」

 

 最初は断っていたネロから譲歩を引き出せたのであれば、それでいいだろうとアズリアはネロの提案を呑んだ。

 

「んじゃ決まりだな、後で無線機も受け取っといてくれよ」

 

「……ああ、わかった」

 

 カイは不承不承といった様子で頷いた。了承したわけではないのに、話が勝手に進んでしまったことには納得しかねるが、同時に無理を言ってついてきたという立場でもあるため、拒否することができなかったのだ。

 

「さて、作戦開始まではまだ時間がある。それまで十分に体を休めていてくれ」

 

 作戦が始まってからでは休む時間はないぞ、との意味を言葉の端々に込めながら言ったアズリアの言葉に頷いたところで、この会合は終了となった。

 

 

 

 

 

 帝都奪還作戦の発動開始時刻の僅かに前、ネロはミコトとカイとともに帝都近くの岩場に隠れていた。まだ夜明け前であるとはいえ、天には月も出ているためさすがに堂々と姿を見せておくわけにはいかないのだ。

 

「始まるまで後どれくらいだ?」

 

「もうまもなくだ」

 

 ネロの問いにカイが時計を見ながら答える。少し前からこの場に潜んでいるため、ネロはだいぶ退屈そうだった。これが彼一人の仕事であれば、もう殴り込みをかけているところだが、今回はアズリアの指示に従うことも含めて仕事であるため、あくびをしながらも大人しくしていた。

 

「…………」

 

 一方、そんなネロとは対照的にミコトはずっと黙りっぱなしであった。トレイユを発ってから帝都に到着するまで口を開くことが少なかったが、今はそれにも増して一言も喋っていなかった。

 

「ミコト、大丈夫か?」

 

「え、あ、うん……」

 

 カイに声をかけられて一応返事こそするが、それでも普段通りとは言い難い。戦闘前であるため、恐らくは極度の緊張状態にあるのだろう。

 

「おいおい、そんな状態で大丈夫かよ。なんならここに残ってもいいんだぞ」

 

「だ、大丈夫です。いろいろ考えちゃってただけですから」

 

 ミコトが戦うのはこれが二回目だ。忘れじの面影亭で悪魔と戦った時は状況が切迫していたこともあり、余計な事など考える余裕もなかったのだが、今は戦いが始まるのを待っている状況なのだ。これまでは戦いや命の危険とは無縁の暮らしをしていたのだから、なおさら緊張しない方がおかしい。

 

「ならいいけどよ」

 

「ミコトは私が見ている。君はこちらのことは気にしないでいい」

 

「ああ、そうするよ」

 

 カイの言葉にネロはそう返すが、それでもその言葉通りミコトやカイを全く気にかけないということはないだろう。それが父であるバージルとは最も異なる点と言ってもいいかもしれない。

 

 キリのいいことで、ネロがその言葉を言い終わりカイが時計に目を落とすと、作戦開始時刻が目の前に迫っていた。

 

「話もここまでだ、まもなく時間になる。……10、9、8……」

 

 カイが秒針を読みながら二人に聞こえるくらいの小さな声で作戦開始のカウントダウンを始めた。

 

「とにかく、無茶はすんなよ。死んじまったら何の意味もねぇんだ、覚えとけ」

 

 ネロはそれだけは言い残して、一気にその場から跳躍した。作戦開始と同時に仕掛けようというのだろうが、残されたミコトとカイは啞然としたまま見送るしかなかった。

 

(バジリスクばかりか……、これだけの数をどこから用意したんだか)

 

 空中を移動しながらネロは視線を下に向ける。まだ夜明け前だというのに街中にはバジリスクが徘徊していた。眼下に見えるのが住宅街だということを差し引いても相当な数だ。だが問題は数より、これだけのバジリスクをどこから集めたのか、という点である。

 

 そもそもバジリスクという悪魔は、かつてフォルトゥナの魔剣教団技術局の長だったアグナスが作り上げた人工の悪魔である。当然、魔界の悪魔のように勝手に数を増やすようなことはできない。

 

 作成者のアグナスが死に、彼が作った悪魔はフォルトゥナの事件の後、全く姿を見なくなったとは言え安心はできない。彼の残した研究資料やバジリスクの素体となった猟犬などの購入記録を見る限り、バジリスクはまだ数百体は存在している可能性があるのだ。もちろんそれはバジリスクに限らすカットラスやグラディウスといった他の人工悪魔も同様ではあるが。

 

(自由に呼び出せるとなると厄介だが……)

 

 残りの人工悪魔はフォルトゥナの件でネロが知らないところで倒されたことは否定できないが、それでも多くは疑似魔界と呼ばれる異空間の中で生存しているだろう。アグナスは自身を悪魔化することで疑似魔界との繋がりを作ることができるため、そこに自らが作った悪魔を保管していたのだ。

 

 ネロがアグナスと戦った時も、幾度も悪魔を召喚されたのだった。

 

 もし、その疑似魔界に誰かがアクセスでき、自由に悪魔を呼び出せるとしたら相当厄介であることは間違いない。単純に考えて数百体分の悪魔を敵に回すことになり、想定した以上の被害が発生する可能性もあるのだ。

 

 とはいえ、既に作戦は始まってしまったのだ。あとは、その都度臨機応変に対応するしかないだろう。

 

 そう覚悟を決めたネロは、ホルスターからブルーローズを抜き取り、着地と同時に手近にいたバジリスクめがけて引き金を引いた。

 

「要は全部ブッ潰しちまえばいいってことだ!」

 

 奇しくもそれは、秒針が作戦開始時刻を示したのと同時であった。

 

 

 

 

 

 ネロが放った銃弾に端を発した帝都奪還を目指す軍の攻撃は、それから僅かな時を経て現在の帝都の主のもとへと届けられた。

 

「ここは兵力を温存し、城に籠るのが上策かと」

 

 レイのもとに集まったオルドレイクが早々に進言した。帝国軍との戦力差はオルドレイクも理解している。シャリマの悪魔を用いるとしても、さすがに正面から戦って戦力差を逆転できるほどではない。

 

 それゆえに攻め落とすのに三倍の戦力を要するとも言われる籠城戦を進言したのはオルドレイクとしても当然のことだった。

 

「ならぬ。全戦力をもって迎え撃ちこれを殲滅するのだ。帝都の民はただの一人も逃がしてはならぬ」

 

 オルドレイクの進言を言下に一蹴したレイにオルドレイクだけでなく、黙って聞いていたシャリマも目を見開いた。これまでのレイがこと戦術においては手堅い手段をとっていたため、今回のような投機性の高い方策を採ることは意外だったのだ。

 

「……承知いたしました。しかし、あの悪魔はこういった類の戦闘には向かないかと……」

 

 レイの言葉の強さから翻意させるのは不可能と判断したオルドレイクは頭を下げると同時に懸念を口にした。

 

 彼の言葉が指しているのは、誓約者(リンカー)調律者(ロウラー)に重傷を負わせたブリッツやシャドウのことだった。この悪魔はレイの命令にこそ従うが、多数対多数の戦闘には不向きだった。戦力としてあてにならないならまだしも、状況には味方であるはずのこちら側の兵士にも攻撃をしかねない危険性があるのだ。

 

「……いいだろう。オルドレイク、召喚兵器(ゲイル)を率いよ。シャリマ、悪魔を呼び出せ。他の者にも伝えよ。準備が整い次第、打って出る」

 

 レイはオルドレイクの言葉を容れ、次いで二人に指示を出した。召喚兵器(ゲイル)はトレイユに向かったメルギトスにおよそ半数を預けているものの、残りの半数を全て動員するつもりであった。

 

 また、城には帝都内の哨戒に出ていない無色の派閥の兵士とオルドレイクの子らが残っている。レイは守備兵力など残さずその全てを迎撃に用いるつもりでおり、その考えは確かにオルドレイクとシャリマに伝わったようで、二人とも足早にレイのもとを去って行った。

 

 それからおよそ一時間後、全ての準備が整った時には、帝都の状況はさらに変化していた。

 

 各所で帝国軍から攻撃を受けた兵士達が攻勢を防ぎきれず後退し始めていたのはまだいい。問題は既に敵の先鋒が近くまで迫っていることだ。それも守備する兵士やシャリマの悪魔など意に介さないほど強く、一度はレイの頭を撃ち抜いた男、ネロが。

 

(まさか、トレイユを離れるとは……見込みが甘かったか)

 

 先ほど聞いた報告を反芻したレイは、オルドレイクを伴いながら直率となる彼の子らとシャリマのもとへ向かいながら胸中で苦々しく呟いた。顔に出さぬように努めているが、それでもこぶしを強く握りしめるのを抑えることはできなかった。

 

 もちろん、レイとしてもネロという男を軽く見ていたわけではない。事実あの帝都から去った後の動向を探らせ、トレイユにいることまでは突き止めたのだ。しかし、そこにアズリア・レヴィノス率いる帝国軍最強部隊「紫電」が到着した直後、探らせていた者達からの連絡が途絶えてしまったのだ。

 

 彼らが帝国軍の手で逮捕あるいは殺害されたのは想像に難くないが、ネロの動向を探ることができなくなってしまったのは痛かった。当然代わりの者を派遣しようとしていたのだが、その前にこの帝都攻撃となってしまったのである。

 

「オルドレイク、貴様も共に来い。召喚兵器(ゲイル)には他の兵士達同様、帝国軍に当たらせろ」

 

 とはいえ、いつまでも嘆いていても仕方がない。こうなってはもはやネロとの戦いは不可避だと判断し、召喚兵器(ゲイル)を率いさせるつもりでいたオルドレイクを直率に加えることにした。

 

 これでレイの麾下には現状用意できる最高の戦力が揃ったことになる。数だけでいえば、召喚兵器(ゲイル)や既に応援に向かわせている兵士達も加えることができたが、一人相手に仕掛けられる人数には限りがある。まして相手がネロとなれば召喚兵器(ゲイル)や兵士達をいくらあてても何の意味もない。むしろ戦力を失う分、こちらにマイナスとなってしまうのである。

 

 それゆえに、対策として考えられるのは少数精鋭による攻撃だけなのが実情だった。

 

 

 

 

 

 同時刻、ネロはミコトとカイと共に帝都の中心部近くに位置する広場にいた。

 

「このあたりにもいないか」

 

 周囲を見回しながらネロが呟いた。右腕にも何の反応もなく、かといって人の気配もない。バジリスクのような悪魔も無色の派閥も兵士もいないようだが、平時なら周囲を賑わせているだろう帝都の市民の姿もなかった。夜が明けた今、戦闘が行われている音がたびたび聞こえてくる状況では家でじっとしているしかなかったのだろう。

 

「もともと帝都にいる敵の数は十分とはいえない数だと聞いている。戦力を配置する余裕がなかったのでは?」

 

 帝都を占領している敵の兵士の数は、今回動員したアズリア麾下の部隊と比べても劣っていることは既に知られている。その少ない数で侵入してきた帝国軍に応戦しようすれば相当の数を前線に張り付けなければならない。そのため、前線から離れたこのような場所に戦力を置くことはできなかったのだろう。

 

「なんだって構うかよ。こっちの目指すところは決まってるんだ」

 

 ネロは正面に見える城を見据えながらそう返すが、内心ではカイの言葉が真実だろうと考えていた。ここに来るまで人間の兵士と戦ったのは最初だけで、その後、何度も襲ってきたのは全てバジリスクだったのだ。恐らく前線を突破した者への対処はバジリスクが担っていたのだろう。そう考えれば執拗に何度も襲ってきたのにも説明がつく。同時にネロ達が倒してきたバジリスクの数から軍への援護の任も果たしたことになるだろう。

 

「……だが、そう簡単にもいかないようだ」

 

「それって、敵が来たってこと?」

 

 カイにミコトが尋ねる。今回の戦いにおいて主として戦闘を担っていたのはネロだった。これは事前に取り決めがあったわけではないが、圧倒的な戦闘力を誇るネロが戦う以上、二人が何かする前に決着がついてしまうのである。そのため自然とカイは周囲の偵察を主として担うようになり、ミコトはその護衛に徹するようになったのだ。

 

 即興の連携だったが、五月雨式に襲い掛かるバジリスクには実に効果的だった。召喚獣を用いて空から偵察を行い、敵の来る方向がわかってしまえば、ネロにとってはいいカモでしかないのだ。かといって召喚獣を操るカイを倒そうにも、護衛を務めるミコトも普通の兵士や数体の下級悪魔に倒されるほど弱くはない。事実、数回バジリスクと交戦したが、いずれもカイの援護も必要ないほど危なげなく勝利していた。

 

「ああ。城の方角からまっすぐにこちらに向かってきている。数は多くないが、用心するべきだろう」

 

 ミコトの言葉にカイは頷いた。少数でこちらに向かってきている以上、これまでのようにただ悪魔を向かわせているわけではないと思うが、こればかりは実際に戦ってみるまで分からない。

 

「なら、ここで出迎えてやるか」

 

 レッドクイーンを肩に乗せながら敵が来るだろう方向をネロが見る。この場所なら余計な建物もないため、派手に戦っても市民への被害は出ないだろう。

 

 そう思ったところで、正面に一体の巨大な悪魔が現れた。召喚獣だ。

 

「早速仕掛けてきたか」

 

 ネロは呟きながら召喚獣を見る。先に帝都を訪れた時にも見た、戦槌を持ったサプレスの悪魔だ。その時は手にした戦槌を奪い取って叩き潰してやったかが、また同じ手を使う手を使う気にはなれなかった。

 

「何度やっても無駄なんだよ!」

 

 ネロはその場から跳躍して悪魔の顔と同程度まで飛び上がると悪魔の腕(デビルブリンガー)を突き出した。そこから浮かび上がった異形の腕は瞬きする間もなく、巨大化し悪魔の頭を掴み上げた。

 

「Crash!」

 

 言葉と共に右手を握るとそれと連動して。サプレスの悪魔を掴み上げていた悪魔の腕(デビルブリンガー)が頭部をあっけなく握り潰した。そのまままるでゴミを捨てるように悪魔の巨体を放り投げた。

 

 ミコトとカイはその様子を呆気に取られたように見ていたが、早速戦闘が開始されたのを見て慌てて後を追いかけ始めた。それを尻目にネロはそのまま召喚獣を呼び出した集団の目の前に着地した。

 

 そしてその中で、守られるように一歩下がったところにいる男を見ると口を開いた。

 

「やっぱり生きていたやがったか……」

 

 その男はほんの数日前頭を撃ち抜いたはずのレイだ。やはりネロの予感は当たっていたのだ。

 

「っ……」

 

 対してネロに視線を向けられたレイは顔を歪めた。彼の規格外の強さは理解していたつもりだったが、こうしてはっきりと見せつけられては、見込みが甘かったと言わざるを得ないだろう。

 

「何をしている! 殺せ、殺すのだ!」

 

 レイ以外で一早く状況を理解したオルドレイクが己の子に叫ぶ。

 

(悪魔の力を感じるのはあいつらだけ……他はただの人間、おまけにやる気がない奴もいるか)

 

 父親の声に反応して傍に控えさせていた魔人形(ディアマータ)にネロに攻撃を命じた。だが、心中で呟いたようにキールは明らかに渋々といった様子であり、カシスはネロに対して恐怖を感じているようだ。唯一以前にもネロと交戦したことがあるソルのみがネロを睨みつけているが、それは勇気というより無知からくるものだろう。さらにネロが握り潰した悪魔を召喚したのは、やはり彼だったようで魔力の逆流(フィードバック)によって相当消耗している様子だった。

 

「邪魔なんだよ、お前ら」

 

 自分に向かってくる意思なき魔人形(ディアマータ)に向かって言うと、ネロは肩に担いでいたレッドクイーンをその場で体を回転させながら思い切り横に振った。ネロのダンテ以上とも評される膂力で振りぬいたレッドクイーンが発生させた衝撃波は、容易く三体の魔人形(ディアマータ)を吹き飛ばしただけでなく、後方で召喚術を使おうとしていた三人を大勢も大きく崩させた。

 

 そこにすかさずブルーローズを撃ち込む。狙いはネロに恐怖を抱いていたカシスだ。とはいえ、戦意もない相手を殺すほどネロは非道ではない。銃弾を撃ち込んだのは彼女の足元だった。

 

「ひっ……」

 

 初めて明確に命の危険を感じたカシスが声を上げる。もはや普段の彼女の強気な姿はどこにもなかった。

 

「そこで大人しくしてな。死にたくないならな」

 

 そう言って視線をカシスから離す。脅しはしたが、もはや彼女が立ち向かってくることはないということは分かり切ったことだ。そして再度レイとオルドレイク、そしてシャリマに目を向ける。強弱はあれど悪魔の力を感じたのはこの三人からだった。

 

「ネロさん!」

 

 そこへようやくミコトとカイが追いついてきた。そして二人は、ネロと相対している者の中に見知った顔があったことに気付いてその名を呼んだ。

 

「シャリマさん……」

 

「シャマード……!」

 

 一人は困惑したような視線を、もう一人は苦々しい感情を込めた視線を受けた当の毒婦は、ただ薄く笑うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




なんとか10月中の投稿ができました。

次回は5SEも出るということで、12月中の投稿を予定しています。

ご意見ご感想評価等お待ちしております。

ありがとうございました。


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第129話 帝都奪還作戦 中編

 ミコトとカイから、それぞれ異なった感情を含んだ視線を受けるシャリマは口角を上げながら口を開いた。

 

「やっぱり私のもとに戻ってきたのね。それに内なる力にも目覚めている……本当に素晴らしいわ!」

 

 喜び声を震わせるシャリマだが、その喜びはミコトに会えたことによるものではなく、自らの思想、技術が結実したことによる自画自賛や自己陶酔からくるものであることは、ほとんど面識のないネロにも容易く見て取れた。

 

「やれやれ、技術屋ってのはこんなのばかりなのかね……」

 

 周囲の状況より自らの関心事を優先するシャリマから、ネロはかつてのフォルトゥナ技術局の長のことを思い出して辟易した。言葉は通じているのに話が通じないこの手の輩は苦手なのだ。

 

 とはいえ、そんなことを呟いている間にも警戒は怠らない。まだ戦う力を残しているだろうレイやオルドレイク、シャリマは言うに及ばず、既に消耗しているソルや戦意を喪失していそうなカシスやキールに対しても同様だった。

 

「シャリマさん……どうして――」

 

「ミコト、悪いがゆっくり話はできそうにない」

 

 そんな中ミコトがシャリマに言葉をかけようとしたとき、それを遮るようにカイが彼を庇うように前に出た。シャリマにばかり意識が向いていたミコトは気付かなかったが、先ほどまで何も手にしていなかったレイの手に一振りの剣が握られていた。

 

「役立たず共め……」

 

 ネロに、かすり傷はおろか消耗させることもできなかったソルをはじめとするオルドレイクの息子たちをレイは忌々しげに睨んだ。この場にネロさえいなければ即刻斬り捨てていたに違いない。

 

「人のせいにしているようじゃ底が知れるな、あんた」

 

 レッドクイーンを肩に乗せながら言う。ネロ自身の実力は肌で知っていただろうに、ただ闇雲に攻撃を命じたのではこうなるのは火を見るより明らかだ。にもかかわらず責任転嫁するのは、指揮官として失格だろう。ほんの数時間前まで優秀な指揮官であるアズリアと行動をともにしていただけに余計にそう感じたのだ。

 

 そんなネロの言葉を挑発と受け取ったレイは怒りに顔を歪ませながら剣の柄をさらに強く握った。

 

 だがその時、周囲に轟音を響き渡りそれと同時に大きく地面が揺れだした。その揺れは普通の人間なら立っていられないほどであり、さほど頑丈ではない建物も倒壊して危険もあるだろう。おまけにどこから土埃まで舞い上がってくる始末、とても戦いどころではなかった。

 

「ちっ……」

 

 舌打ちをしたネロはレッドクイーンを背中にしまい込み、ミコトとカイを両腕に抱えて一跳びでこの場から離れた。

 

 ネロ自身はこの揺れの影響をほぼ受けず行動できたように、普通の人間でなければ現状でも問題なく戦闘を継続できるだろう。特にたった今相対していたやオルドレイク、シャリマは悪魔の力を感じさせる存在である以上、なおさらだ。それに対してミコトとカイはどちらかと言えば普通の人間に近い。ミコトは力に目覚めた言うものの、まだ日が浅く感覚としてはほぼ変わっていないだろう。

 

 こんな状態の上、土埃で満足な視界も確保できない状況では二人は自分の命を守ることも難しいだろう、そう判断してのことだった。無論、これまで話していたように二人のことなど気にせず戦うという選択肢もあったのだが、それを選べないのがネロという男なのだ。

 

 そうして二人を抱えたネロが着地したのは、先ほどまでいた場所から相当に距離が離れている建物の屋根の上だった。距離だけで言えばまだレイ達を目視できる場所だが、土埃によりその姿を確認することはできなかった。

 

「あ、ありがとうございます……」

 

「…………」

 

 揺れが収まっていく中で、ネロが自らをここまで運んだ理由を悟ったミコトが礼を言うが、ネロは言葉を返さない。レイ達のいたところとは異なる方向を見上げていたのだ。それもいつになく鋭く真剣な表情で。

 

「なんだよ……これ……」

 

 その反応を不思議に思ったミコトが彼の見ている方に視線を向けると、そこにはほんの少し前には影も形もなかった巨大な塔のような円筒型の建造物がそびえ立っていた。ミコトの育った那岐宮市には那岐宮スカイブレードという展望台がついた電波塔があるが、それよりも遥かに高く直径も大きい。

 

 辛うじて見える頂上のさらに直上の空はまるで渦潮のように荒れ狂い、その中心にはぽっかりと穴が開き、普段の空とは違う禍々しい空間が覗いていた。それはかつてリィンバウムと繋がっていたとされる、四界とは異なる世界であることは誰の目にも明らかだった。

 

「こ、これは……一体なんだというんだ……!」

 

 自分の常識範囲外のことが目の前で起きていることに思考が追いつかないカイは普段の彼らしくなく、頭に浮かんだことをそのまま口に出していた。だが、まだこの塔の出現に端を発した事象は終わってはいなかった。

 

 空に開いた穴から石像のような白い巨人が現れたのである。

 

「あれは……!」

 

 それを見たネロが顔を歪める。その姿はかつて魔剣教団が建造した「神」と称する巨大なスパーダ像とほぼ同じだったのである。違いとしては魔剣教団のものが頭部や胸部や手足に魔力を放つ青い宝石のようなものを何個も埋め込んでいたのに対し、今現れたものにはそういったものが一つとしてなかった。

 

「とんでもねえもんを作りやがって、どこのクソッタレの仕業だ……」

 

 目の前に現れた白い巨人は明らかにフォルトゥナの神を模して造られた悪魔に違いなかった。しかもその完成度は魔剣教団のものより上に思える。魔剣教団の神がいくつもの悪魔の細胞を培養して外殻を作り、魔心炉と呼ばれる心臓部から魔力を供給するという構造なのに対し、この神には魔心炉のような機関は存在していなかったのだ。

 

「悪いがお前らの面倒を見れるのはここまでだ。俺はあのデカブツの相手をするからさっさと逃げるんだな。あの将軍さんにもそう伝えてくれ」

 

 現れた神がゆっくりと降下してくるのを見ながらネロはミコトとカイに伝えた。ネロ自身この神に己が負けるとは思ってはいない。だが、同時にこれまで戦ってきた相手の中でも相当に手強い相手であるだろうし、あの巨体だ。短時間で勝負がつくとは思えなかった。それは当然周囲への被害も甚大なものとなることとイコールでもある。そうなればもはや帝都奪還どころではないのだ。

 

「……わかった、必ず伝えよう。ミコト、行こう」

 

「……うん」

 

 塔から降り立とうとして白い巨人の姿を見ればネロの言うことはもっともである。まだ帝都まで来た目的は達成していないが、ここネロの言葉に従うべきだと判断したようだ。

 

 そうして自分のもとから去っていく二人を見送ったネロは再度神に視線を向ける。相手もネロを敵と見定めたのかネロを見下ろすように空中で静止していた。

 

 相手の強さから考えて何も遠慮する必要はない。

 

「さあ、出し惜しみはなしだ!」

 

 言葉と共に力を解放したネロが神へ向かって跳んだ。

 

 

 

 

 

 強大な魔力を持つ神の出現は、帝都から遠く離れたラウスブルグにいるバージルにも容易にも感知できた。

 

「……動いたか」

 

 ラウスブルグの空中庭園、そのテラスからバージルは穏やかな海を眺めていた。水平線の彼方に位置する帝都から繋がっているだろう魔界に座して機を伺ってきただろう魔帝ムンドゥスが行動を起こした悟ったのだ。

 

 そしてバージルは踵を返し、空中庭園の中央にまで戻る。そこには数年前にダンテから託されたフォースエッジが浮かんでいた。

 

「…………」

 

 そして無言のまま、首にかけた己のアミュレットと懐にしまい込んでいたダンテのアミュレットを取り出した。この二つのアミュレットを一つにすることでフォースエッジに封じられた力を解放し、父の名を冠する魔剣スパーダへと変じさせるための鍵となるのである。

 

 バージルはまず、アミュレットを完全な姿、パーフェクトアミュレットにするべく――。

 

「……いや、まだだな」

 

 すんでのところでバージルは考えを変えた。魔剣スパーダは魔帝を二度に渡って封印した極めて強力な魔剣だ。だが、封印されたとうのムンドゥスにとっては忌むべき魔剣に他ならない。他に父スパーダが振るった魔剣はリベリオンと閻魔刀も存在するが、それらと比較しても段違いに警戒されるのは間違いない。

 

 それだけに今魔剣スパーダを復活させれば、ムンドゥスがどんな行動に出るか想像がつかない。現時点ではほぼバージルの想定通りに事が運んではいるが、魔剣スパーダを蘇らせてもそれが続くかは判断がつかないのだ。

 

 今しがたリィンバウムに送り込んだ悪魔を切り捨て、再び機を伺うならまだいい。バージルにとって最悪なのはムンドゥスが魔界からの侵攻を防ぐ結界を力ずくで完全に破壊し、無制限に悪魔を送り込んでくることだ。バージルがいる以上、最終的にはムンドゥスを含めた悪魔をすべて殲滅できるとしても、それまでにリィンバウムの人々が受ける被害は計り知れないだろう。そしてそれはアティも望みはしないだろう。

 

 もっとも、これはムンドゥスにとっても悪手だ。そんなことをすればいくら魔帝とはいえ相応に消耗するし、遮るものがなくなれば消耗から回復する前にバージルと戦闘になるのも避けられず、その結果、良くて再封印、最悪なら完全な消滅すらありえるからだ。

 

 無論バージルとて、それは理解している。だがそれでもムンドゥスがその手段をとらないという確証がない以上、慎重にならざるを得ない。

 

「…………」

 

 無言のまま二つのアミュレットをしまう。これを再び取り出すときこそ魔剣スパーダが復活する時だ。

 

 バージルはフォースエッジ眺めながら静かにその時を待っていた。

 

 

 

 

 

 帝都ウルゴーラから繋がった魔界の一角に現在、魔界を支配する悪魔、魔帝ムンドゥスが座していた。

 

(スパーダの血族か……忌々しい)

 

 自身が送り込んだ巨大な悪魔が、かつて自身を封印したスパーダの血族と戦っているのを、魔術を用いて眺めていた。送り込んだ悪魔は、かつて裏切った片腕であるスパーダを神と崇める人間達が造り上げた人造の悪魔をもとに作られたものだ。

 

 だが、悪魔の総本山魔界を支配するムンドゥスが造り上げただけあり、その完成度はオリジナルを遥かに超える。オリジナルの構造は、かつて魔帝が若き頃のダンテとバージルを殺すために生み出そうと試行錯誤を重ねていた「黒騎士」と呼ばれる悪魔と似ていた。

 

 しかし黒騎士が、ムンドゥスが作り出した悪魔を素体に、魔界の名工マキャヴェリが鍛え上げた鎧を纏ったものであるのに対し、神と称されたオリジナルは外殻という名の鎧を大量の魔力を用いて直接動かすという構造だったのだ。それは人間が操るためのやむを得ないものだとムンドゥスも理解していたが、それでも人間の矮小さを嘲笑せずにはいられなかった。

 

 唯一評価できる点はその姿が人の姿をとったスパーダに似ていたことだ。スパーダが守った人間を、スパーダを模した兵器を用いて支配しようとしたことは実に皮肉なもので、人間の愚かさを改めて理解したのだった。

 

 こうしてムンドゥスが造り出した新たな神は、「黒騎士」の拡大発展型のようなものとなった。一体の強大な大悪魔を素体とし、外殻も再生力を通常の悪魔とほぼ遜色がないまでに強化した。魔心炉がなくなったことにより、そこから体の各所へ魔力を中継し行き渡らせる機能を持った青い宝石状の機関はなくなったものの、外観は魔剣教団が造り出したものと同じだった。

 

 これは、オリジナルと同じく人間を守るために戦ったスパーダの姿を模した悪魔を、自らのために戦わせることで裏切ったスパーダへの皮肉としたかったからだ。

 

 完成した神は魔帝が作り上げた悪魔の中でも屈指の戦闘力を誇る傑作と言っていい出来だった。そしてその悪魔が今、ネロと言う名のスパーダの血族と戦っている。バージルの息子であるその男はムンドゥスの傑作とほぼ互角の戦いを繰り広げている。

 

 力ではネロが有利、防御力では圧倒的にこちらが上、機動性では小さく小回りが利くため向こうに分があるが、こちらの巨体から繰り出す攻撃で補うことは可能と言うところだ。ネロの攻撃は持ち前の強靭な外殻で受け止めてはいるものの、こちらの攻撃も全て躱されるか、同程度の威力を持つ攻撃で無効化されており、千日手の様相を呈していた。

 

 ここで問題なのはネロが、まだ完全に悪魔の力に覚醒しているとは言えないのにもかかわらずこの有様であるため、何かのきっかけで力に目覚めでもしたらこの均衡が崩れかねなかった。

 

 できることならこの場で殺してしまうべきだが、ムンドゥスが出向くわけにはいかない。そうなればあの世界で目を光らせているだろうバージルと戦うことになってしまうからだ。

 

 現時点において、ムンドゥスはバージル確実に勝てるとは思っていない。

 

 かつて一度だけバージルはリィンバウムで真の力を解放したことがある。それは魔界にいたムンドゥスにも感じ取ることができるほど巨大な力だった。その時でさえかつてのスパーダ以上ではないかと思えるほどの力だったのだ。今はさらに力も増しているだろうことは容易に想像できる以上、計画が成就するまでは直接戦闘は避けなければないのだ。

 

 ならば、と魔帝は考えを巡らせる。今とれる手段は大別して二つだ。一つは配下の大悪魔を加勢に向かわせること、もう一つはこのまま傍観に徹することだ。

 

 一つ目はムンドゥスの望みを叶えられそうな選択肢ではあるが、そもそも送り込める悪魔に限界がある。あの戦いに介入できるだけの戦闘力を有している悪魔は、魔帝ムンドゥスの配下といえども最高幹部クラスの四体しかいない。その上、彼らにはムンドゥス自らが命じた任務がある。それ一体でも欠ければ不確定要素を残すような性質の任務であるため、誰かを増援に動かすことには避けたいところだ。

 

 ならば傍観に徹するしかないのだが、それで送り込んだ悪魔どころか計画の要である、かの世界と魔界を繋げるテメンニグルを壊されるようなことになれば最悪だ。

 

 テメンニグルは維持さえできれば、何の制限もなく魔界から悪魔を送り込むことができる。かつては人間界で魔の力に魅入られた人間が作り上げたことがあり、最終的にはスパーダの手で封印されたのだ。ここで重要なのは人間の手で作ることができるという点だ。テメンニグルや地獄門をはじめとして魔界との繋がりを作ることができるものはいくつかある。だが、その中の多くは悪魔の力を用いなければならないものや魔界と人間界でそれぞれ準備が必要なものばかりである。

 

 そんな中テメンニグルは建造にこそ多大な労力がかかるが、魔界からのアプローチは不要であるため、今回のムンドゥスの計画に要として組み込まれることとなり、幾年も前から帝国の人間を操り密かに建造させてきたのである。そして支配下の中で最も強大な悪魔を送り込んだのもテメンニグルを守らせるためなのだ。

 

 とはいえ、現在のところはネロの目的も不明であるし、互角の攻防が続いているのであれば今少し状況を見ても問題はないだろうと判断し、ムンドゥスは両者の戦いに意識を集中させた。

 

 

 

 

 

 神が大きく振りかぶった拳を力に任せて振り下ろしてくるのを、ネロは同じく力をもって迎え撃った。

 

「Try this!」

 

 右腕の悪魔の腕(デビルブリンガー)から浮き上がるように現れた巨大な腕が、神が振り下ろした拳と激突する。瞬間、激突で生じたエネルギーが大きな衝撃波と轟音になり、周囲に拡散していった。

 

 そして神もその衝撃に耐えきれなかったのか、仰け反りながら後退する。体を損傷した様子はなく、まだ空中に浮かんでいるものの、大きな隙をさらけ出したのだ。

 

「Crash!」

 

 ネロはその隙を逃さず上空に飛び上がると、再び悪魔の腕(デビルブリンガー)で胸を殴りつける。その威力によって中空にあった神は、大きな地響きとともに地面に降り立つことを余儀なくされた。

 

 ネロも反動で神から少し離れた場所へ着地したものの、その顔はクリーンヒットを当てたにしては明るいものではなかった。

 

「それにしても頑丈な奴だ……」

 

 辟易した様子でネロが呟く。今ので悪魔の腕(デビルブリンガー)による攻撃は三度直撃させたことになるが、あの巨体にはいまだ大きなダメージが入ったようには見えない。今も地面に落としたとはいえ、倒れ伏したわけではないのだ。だが、悪魔の腕(デビルブリンガー)以外による攻撃では埒が明かないのは目に見えている。

 

 いかに改造を施したとはいえ、元がハンドガンのブルーローズではあの頑強な外殻を貫通させることは難しく、レッドクイーンの斬撃は一応通用するものの、相手があの巨体では効果は薄いと言わざるを得なかった。

 

「持久戦だな、こりゃ……」

 

 こちらの攻撃も有効打にならないものの、相手の攻撃もまたネロにとっては避けやすいものばかりだ。よほど油断していないかぎり直撃をもらうことはない。よって勝敗はネロが有効打を与える前に神が攻撃を当てることができるかにかかっているが、現状、どちらもすぐにできるとは言い難かった。

 

「だが、こうなりゃ徹底的にやってやるよ!」

 

「ネロ!」

 

 闘志を滾らせ飛び出そうとしたところに、ネロの名を呼ぶ声が聞こえた。声のする方へ振り返るとそこにいたのは魔剣紅の暴君(キルスレス)を抜剣したイスラだった。

 

「作戦は中止になった、君も急いで退くんだ!」

 

「見てわかんねぇのか! それどころじゃねぇんだよ!」

 

 彼もアズリアの命を受けてきているだけなのは分かってはいたが、ネロは叫んだ。あの巨大な悪魔を野放しにしてはどんな被害が出るか分かったものではない。

 

「帝都の住民も可能な限り共に逃がしている、ここに残っても意味はないんだ!」

 

「だったら追ってこれねぇように、ここで食い止めなきゃなんねぇだろ!」

 

 当初は帝都自体の制圧奪還が目標だったが、状況の変化を受けてアズリアが作戦を変更したようだ。そもそも帝都奪還作戦の目的が不当な扱いを受けている帝国の国民の解放なのだから目的の変更ではなく、方法の変更なのだろう。無論、ネロにも文句はないが、帝都の人々を連れて撤退する道を選んだ以上、悪魔の追撃は絶対に阻止しなければならない。

 

 だからこそ、最大の脅威であるあの白い巨人を足止めする必要があるのだ。

 

「だからって――!」

 

 だが、そういうネロの言い分に対し、イスラが言い返そうとしたとき、先ほど現れた巨大な塔の頂上付近が光を放った。驚いた二人がその方向に目を向けるとあの神がこちらに現れた魔界と接続点となる穴の周囲に、四つの円形の魔法陣が形成されていた。だが、穴が地面に対し水平に現れたのに対し、魔法陣は地面に対し垂直な形で穴の四方に配置されるように現れたのだ。

 

 そして、魔法陣はその中心点から変容していき、最初に現れた穴と同じように空とは異なる別な景色が見えてきた。おまけに四つの魔法陣それぞれが別の空間と繋がっているようでどれも魔界とは異なる景色が見えていた。

 

 そしてその魔法陣が変容しきったの合図に、最初に現れた魔界と繋がっている穴から四体の強大な力を持つ悪魔が現れ、それぞれ異なる魔法陣の先の空間へ入っていった。

 

「ちっ……!」

 

 ネロは反射的にブルーローズを構えるが、発砲する前に悪魔は姿を消していた。あの先の空間がどこに繋がっているのかはわからないが、その先に消えて行った悪魔は決して友好的な目的のために行ったのではないだろう。

 

 その悪魔達が消えたすぐ後、今度は下級悪魔の群れが雲霞の如く現れた。先にトレイユを襲ったメフィストのような飛行能力を持つ悪魔もいれば、フロストやアビスと言った飛行能力を持たない悪魔を多く含まれている。

 

「あっちは……まずい……!」

 

 悪魔の群れの動きを見ていたイスラが言葉を漏らした。現れた悪魔の八割ほどは先の大悪魔を追っていき、残りの二割が地上めがけて落下してきていた。大悪魔の向かった先とここで戦力を等分に分けたというところだろうが、ちょうど今しがた戦う力を持たない者達と共に帝都から撤退を始めたばかりなのだ。

 

 軍の部隊だけならまだ何とかなるかもしれないが、人々を守りながらではかなり厳しい戦いとなるだろう。

 

「仕方ねぇ、戻るぞ!」

 

 ネロも状況の深刻さは理解していたようで、あの神との戦いは放棄することにしたようだ。もっとも、相手が向かってくるなら戦わざるをえないだろうが。

 

 その言葉に頷き、イスラは彼と共に踵を返し部隊を指揮している姉のもとへと走る。そんな様子を白い巨人は何もせずに見送り、与えられたこの塔の防衛を果たすべく再び空中に戻って行った。

 

 こうしてアズリアの率いる帝国軍が始めた帝都ウルゴーラ奪回を目的とした作戦は、一部住民の救出することはできたものの肝心の帝都は奪還できぬまま撤退戦へ移行していくのだった。

 

 

 

 

 

 

 




なんとか今年中の投稿ができました。

最近は何かと忙しいので、次回は2~3月の投稿を予定しています。

ご意見ご感想評価等お待ちしております。

ありがとうございました。


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