間桐臓硯になりました。―ありえんから始まる聖杯戦争― (桜雁咲夜)
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終わりがはじまり

「……喉が……渇いたわ」

 

 どれくらい眠っていたのだろうか?

 

 病室の白い天井を見上げて、私はため息混じりに呟いた。

 眠ってしまう前に点滴投与してもらった痛み止め(モルヒネ)のおかげで、いつもなら私をさいなむ痛みを感じない。

 副作用の全身の倦怠感となんとも言えないぼんやりとした感じは取れないが、痛み止めがなければ安静に寝ていることすら出来ないのだ。

 

「目が覚めたのか。大丈夫か?」

 

 私の声に、ベッドの傍らの椅子に座り本を読んでいた夫が声をかけてくれた。

 

 白髪がかなり目立つようになった初老の彼の声は、いつ聞いてもやさしい。

 この声も、もうすぐ私は聞くことは出来なくなると思うと寂しさで胸が詰まる。

 

「痛み止めが効いているみたい。……水か白湯をくれない?」

 

 彼は頷いて、かたわらの棚においたポットから、湯のみにお湯を注ぎ、ベッドテーブルの上においた。

 それを見て無理に起き上がろうとする私を、夫はやんわりと止めるとベッドの足元にあるスイッチを操作して上半身を起こしてくれた。

 

「ありがとう、あなた」

 

「どういたしまして。こんなことでもないと役に立てないからな」

 

 照れ隠しの苦笑を浮かべて、彼はコートを手にした。

 

「ポットのお湯がなくなったみたいだから……下の売店で水を買ってくる。何かほかにほしいものはあるか?」

 

 その言葉に返事のかわりに、首を振ってほしいものはないことを私は伝える。

 

「そうか。じゃあ、すぐ戻るから」

 

 外に出て行った彼の背を見送り、ドアを見ながら白湯を飲む。

 

 膵臓ガン……それが私の病名だ。

 

 娘の結婚式の次の日に、私は耐え切れないほどの腹痛と腰痛に襲われ……搬送された病院でそれがわかった。

 腹痛と腰痛はいつものことだと、軽く見てずっと放置していたのが裏目に出た。

 すでに末期であり、周囲の臓器に転移しており、手の施しようがなかった。

 

 医師から宣告された寿命は、とうに過ぎた。

 いつ、死んでもおかしくはない。

 

 普通なら、痛みや死への恐怖から錯乱するらしいのだが……。

 幸いなことに自分の両親は既に鬼籍であるし、未練は残していく事になってしまう夫が心配なことくらいで、痛いことと苦しいことが無くなるのであれば死ぬことも怖くはない。

 

 普通のサラリーマン家庭に生まれ、中学でRPGにハマった。

 高校で同人に手を出し、周囲の友人たちがボーイズラブに染まっていく中、ただ一人男性向けのギャルゲーや18禁エロゲーに走った変わり者の私。

 大学、就職と進んでいっても表面上は一般人を気取る、隠れオタク。

 

 今思えば、あの頃が一番輝いていたのではないだろうか。

 

 そのおかげで、同人相方・コスプレ相方としての今の夫にも出会ったし、結婚もできた。

 子供が生まれてからは、同人から足を洗って子育てをして……年を経て、その娘も嫁に行った。

 

「まあ、いい人生……だったかな」

 

 自嘲気味につぶやく。

 

 ふと、夫が座っていた椅子に視線を向けると、先ほどまで読んでいた本の表紙が目に入った。

 

 ――Fate/zero

 

 二十数年前に出た小説。

 元々は、ゲームのFate/stay nightの前述譚として作られたものらしい。

 アニメ化もされたが、当時はまだ子供が小さかったためリアルタイムでは見なかったが、あとで見るためにとDVDは買ったっけ。

 そして最近になって、またアニメがリメイクされるらしい。

 おそらく、それで懐かしくなって彼はこの小説をまた買ったのだろう。

 

 娘もオタクの道に走ったのは、絶対こんな両親だからだと私は思う。

 

「それにしたって、病室で読む内容なのかしら、これ……?」

 

 思わず、苦笑がこぼれる。

 

 著者が鬱ゲーのシナリオライターとして有名な人で、実際の内容も期待にもれず陰鬱な内容だった。その中でも雁夜というキャラクターがあまりにも悲惨な最期を遂げていて、その扱いに納得できなかった私と夫はネット小説や同人誌にその救いを求めるくらいだった。

 

 そういえば、雁夜の刻印蟲の痛みに耐える様は、今の私とよく似ている。うん、娘がいたらまちがいなく「お父さんは、配慮とデリカシーと思いやりが足りない」と夫は怒られていただろう。

 

 でも、そんなうっかりのある夫だからこそ、私は好きなのだ。

 

 椅子の上に手を伸ばして、その本を取ろうとして……私の意識は無くなった。

 

 

 

 

 

 ……夫が駆け寄ってきて、私を抱きしめてナースコールをする声と、看護師や医師達が走り回る足音がどこか遠くから聞こえた気がした……

 

 

 

 

 

 56歳。

 それが私が死んだ年齢だった。



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そして賽は投げられた

 その日、珍しく季節はずれの雷雨が冬木をおおった日。

 間桐鶴野は応接間にて渡された数枚の見合い写真を見ながら軽くため息をついていた。

 

 名目だけの当主という屈辱も魔道に対する嫌悪も、間桐家の資産と何不自由ない暮らしの対価と考えれば悪い取引ではなかった。

 当主としての責務の一つに次代を担うと言う物がある。

 つまりは、政略結婚にあたるわけであるが……それだけであるなら、鶴野もため息はつきはしない。

 

「殺されるとわかっていて、選ばなければいけないというのはどうなんだろうな……」

 

 父の傀儡として、一生を生きねばならない自分には拒否権など無いのだ。

 

 せめて、妻は迎えずに居られれば良かったのだが、逆らえば父である臓硯に自分が殺される。

 母は、弟が生まれた後に用済みとばかりに、父により蟲蔵に入れられ……地下埋葬所には母親だったモノがあるはずだ。

 

 それを知った時の彼の絶望感は果てしなかった。

 

 そして、自分より才能に秀でていたのに逐電した弟に対しては、既に肉親の情は持つこともできない。

 

「まだ決めかねておるのか。さっさと選べばいいものを……」

 

 奥の書斎に居た矮躯の老人……臓硯が応接間へやって来ると、写真の前で悩む鶴野を忌ま忌ましげに見た。

 

 外の雷雨は、未だ鳴り止まずその激しさを増すばかりだった。

 

「どの娘でも、出身は三流とはいえなかなかの素質を持つゆえ、蟲蔵での調教で……」

 

 その時。

 屋敷のすぐ近くの木に雷が落ちた。

 

 凄まじい閃光と雷鳴の轟く音に、一瞬窓の外に気を取られた鶴野は、視線を父に戻した後、何が起きたのか理解できなくなった。

 

 

 ……父が。

 臓硯が、自分が見ている前でその姿を変えていったことに。

 

 

 

 

 

◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆

 

 

 

 

 

 気がつくと、自分はどこか……応接間のような場所にいた。

 眼の前のソファーには、テーブルの上に写真を広げ、こちらを見て呆けた表情のわかめ髪の青年。

 

 視線を自分の手や体に移してみれば、ミイラと見紛うほどに萎びて乾いた手足と男物の質と縫製はいいが地味な着物。

 そのまま、自分の顔に手を伸ばし……乾いた老人特有の皮膚に驚愕する。

 

「……あ……ありえん」

 

 思わず、そう呟いた自分をきっと誰も止められない。

 

 

 いや、それよりもここはどこか?

 そして、自分は一体誰なのか?

 目の前のわかめ髪の青年は?

 いったい、何が起きた?

 

 

 あまりのことに思考が停止する。

 

 自分は、病室で寝ていて……確か、夫が置いていったFate/zeroの小説に手を伸ばしたはずだ。

 その後はよく覚えていない。

 意識が遠くなって、ベッドから落ちたような記憶があるような、ないような……

 

 

 瞬間。

 知識が……膨大な知識が、一気に私を襲ってきた。

 それは、マキリ・ゾォルケンという人物のものらしい。

 正義に燃え、挫折し、不死を求め、外道禁呪に走り、500年の間に魂を磨耗させた人物……。

 

 

 マキリ・ゾォルケン……って、間桐臓硯!?

 

 

 ……気がつくと私は間桐臓硯になっていました。

 

 

 だが、しかしである。

 なぜよりにも妖怪爺なのか。

 

 私にどうしろというのか。

 

 これは死の間際が見せる泡沫の夢か。

 

 

 ……あー、あれだ。

 

 現状をちょっと整理してみよう。

 

 少なくとも、この体を動かしているのは私の意思であり、この身体も蟲の集合体による擬態であることは把握できた。今、擬態を崩せと言われればもちろんできるし、自分の本体が左胸の本来は心臓がある位置にいる蟲だということも、臓硯が持っていた知識でわかった。

 

 あれ?

 

 確か、臓硯は本体の魂を写している蟲が人の血肉を依り代として体を作っていたはず。

 その本体の蟲……いや、魂はどうしたんだろう?

 

 まさかとは思うが……知識を得た際に私が取り込んでしまったのだろうか。

 

「それこそ、ありえん」

 

 思わず呟いた声の音程が高い。さっき、呟いた時とは全く違う。

 元の自分の声に近い。

 

 ……いやいや、そんなまさか。

 自分が取り込んでしまった説が強くなってしまったではないか。

 

 

 

 

 

◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆

 

 

 

 

 

 それは、まるで昔のホラー映画かテレビで見た巻き戻しのワンシーンのようだった。

 臓硯のミイラのような枯れた皮膚が若干ではあるが生気を帯び、落ち窪み眼下の奥の光だけが恐ろしさを引き立てていたその眼には戸惑いが浮かんでいる。

 何かおかしい。

 化物である父が、このような表情を浮かべるはずがない。

 

 声をかける事もできず、鶴野は臓硯を見つめていた。

 

「それこそ、ありえん」

 

 臓硯が呟いた。

 しかし、その声も今までの声とは違う。

 

 今までの声よりも随分と高い……女のような声だったのだ。

 

「臓硯……じゃないのか?」

 

 やっとの思いで、そう声をかけると臓硯の姿をした何者かは鶴野を見やった。

 

「あー……えーと、鶴野さん? でしたっけ。そんな身構えなくて大丈夫」

 

 そのセリフで更に顔色を青くして鶴野は後ずさる。

 臓硯ではないようだと思っていても、長年の恐怖は変えることはできない。

 

「ざっくばらんに言えば、()()()()臓硯はたぶん消えました」

 

「は? 消えた……?」

 

 臓硯の言葉が理解できない。

 自分が消えたとはどういう意味なのか。

 

「あー、たぶんなので確定はまだできてないけど……。今眼の前にいる私は、臓硯であって臓硯じゃない」

 

「なんで、突然変わったんだ? それじゃあ、臓硯はどこに行ったんだ??」

 

「……たぶん魂を私が取り込んだ……?」

 

 臓硯であって、臓硯ではない?

 魂を取り込んだ?

 そんなバカな話などあるわけがない。

 

「まあ、とりあえずその辺のことは置いといて……これからは、好きに生きるといいですよ」

 

「意味がわからない」

 

「つまり……もう束縛はないのだから、結婚相手も自分で選べということ。自由に生きろと言うことですよ」

 

 テーブルの上に置かれていた写真を手に取り、臓硯は懐にしまう。

 

「家を出るなら止めはしないので。お金が必要なら金庫から持っていけばいいかと」

 

 それだけ言い放つと、臓硯は奥の書斎へと消えていった。

 

 

 

 

 

◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆

 

 

 

 

 

 あれから二週間たった。

 

 今、私は柔らかな太陽光が降り注ぐ芝生の上の野点傘(のだてがさ)の日陰の下、緋毛せんの上で一人、野点を楽しんでいる。

 生前と言うべきなのか今となってはわからないが、茶道を趣味の一環として習っており、一度こうやって野点を楽しんでみたかったので、ささやかな夢がかなった。

 自分の注文通りの野点用の茶碗を用意してくれた詠鳥庵の店主には礼を言わねば。

 ……茶道具を揃えるのにお金を使ってしまったが、価値あるものなのできっと問題はない。

 

 鶴野さんは、数日部屋に閉じこもったあと、一週間ほど前に出て行った。

 ここでの生活と臓硯への恐怖、そして今後の自由と新天地での不安を天秤にかけて悩んだ後の行動だと思う。

 現金500万と間桐家所有の新都にある立地条件の良いマンションの権利を要求されたので、それを渡して送り出した。マンションは一棟全てなので、オーナーとして家賃で暮らしていけるし、そうでなくても売れば土地代だけでもかなりの金額になる。

 おそらくは、今後起こるであろう聖杯戦争に巻き込まれることを恐れ、売ってお金に換えるのではないだろうか。

 

 これで、私はこの広い館に一人である。

 

 太陽の光を遮っていたうっそうと茂る木々や、屋敷に絡まるツタ、伸び放題だった芝生と生垣は、数日前にタウンページを調べ、一番近い植木屋とその手の何でも屋に連絡して、全て刈り込み手入れさせた。

 せっかくの庭なのに、手入れもせずに放置だなんて全くもったいない。

 屋敷自体も、昼間は家政婦さんが来るようになっていたのだが、いかんせん広すぎて掃除が行き届いていない。部屋数が多い上、使用されていない部屋や隠し部屋が多いのも原因だろう。

 外から見て、窓ガラスが割れている部屋もあるので、近いうちにハウスクリーニングの業者を呼ばなくては……。

 

 さて、なんとなく自分でもツッコミを入れたい箇所が多々あるが……どこからつっこむべきか。

 

 書斎に戻った後に、臓硯が残していた書物や知識を総動員して「臓硯の魂」を探したが、見つからなかった。

 彼の魂は文字通り腐っていたらしい。形作る肉体は必ず老人のモノとなり、魂の腐敗に引きづられるため、蟲が擬態する肉体も長持ちせず腐る。そして、彼の肉体は交換期に入っていたらしく、常に腐っていく苦痛を感じていたようだ。

 しかし、今の私には腐っていく感覚も痛みも感じない。蟲も私の影響か、直射日光でない限り太陽光は平気のようだ。

 これはやはり、私が臓硯に憑依したことによって、彼の魂は私に取り込まれ、魂が記憶する知識だけが私に受け継がれたと認識せざるを得ない。

 彼の意識や性格が私に影響を及ぼさなかったのは、本当に良かった。

 皮肉なものだ。死を喜び受け入れようとした者が、死を恐れて逃避しよう(本来の目的は違うが)とした者の場所を奪ってしまうとは。

 申し訳ないという思いと、これで数々の悲劇は防げると思うと複雑な心境になる。

 

 外見もここ二週間で完全に変わった。

 劇的○フォーアフター! ……何か違うが、実際そんな感じだ。

 禿げ上がっていた頭には群青がかった黒髪に白髪交じりの髪があり、顔に皺は刻まれてはいるが臓硯のそれとは違い少ないものだ。

 端的に言えば若返りをしている。

 見た目が臓硯の容姿(それ)から、元の私に近く……いや、そう言うのはおこがましい。美化120%くらいだろうか?

 これはおそらく、私の魂と臓硯の魂の両方にひっぱられたものと推察する。

 臓硯の若いころは精悍なイケメンだったらしいし、私もおばさんなのは認めるがお婆さんといわれるほどの歳ではなかったのだから。

 

 目下の問題は聖杯戦争と桜ちゃんの養子縁組。

 これは遠からず起こることで、どう対処していくべきか。

 私のこちらでの寿命はどれくらい残っているのかも、問題ではあるが……臓硯のように他人の命を奪ってまで生きたいとは思えない。

 全て終わる前に死んでしまったときは、仕方ない。

 

 気持ちの良いそよ風が吹く中、自分が点てた薄茶を味わいつつ、私は考えをまとめることにした。

 




※野点(のだて)
 茶道において戸外で茶を点てる(たてる)こと。
 屋内での作法よりも簡易で、お茶を楽しむことが重点。


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周囲の人々と私1

「こんにちはー! ヤマネコクロトですー」

 

 ヤマネコクロトの宅配便のドライバーが、いつものように詠鳥庵の入口をくぐった。

 新作の反物や、窯元などから届く品物を納めたり、客注品を預かったりと呉服と陶磁器を商いしているこの店でも割りと見かける光景である。

 そして、いつもなら応対するのは抑揚のある声の若い店主なのだが、今回出てきたのは店主の妻の方だった。

 

「いつもご苦労様です。今日の荷物はそこにある分だけかしら?」

 

「そうです。じゃ、受け取り印お願いしますねー」

 

 額の汗を拭きながら、ドライバーは受取証を渡した。

 

「夏用の反物と浴衣ね。あ、ちょっと待ってくださいな」

 

 奥に行った彼女は、盆の上に氷水の入ったグラスを持ってきた。

 

「今日は、夏日でしょう? そんなに汗かいてらっしゃるし、よろしければどうぞ」

 

 確かに、今日は日差しが強い。

 車で移動しているとはいえ、外に出ただけで汗が出るほどだった。

 

「あー……じゃあ、お言葉に甘えて頂きます」

 

 冷たい水が、乾いた喉に染みこむ。

 

「……は~、暑いですねえ……春を迎えたと思ったら、もう夏。ほんと季節がすぎるのは早い」

 

 ふと、仕立て上がりの着物やあつらえ用の反物を並べてある畳の方を見ると、店主が反物を広げて男性客と話をしていた。

 今時珍しい着物姿。群青がかった黒髪に白髪混じりのやや長めの髪。恐らく四十から五十代前後。若い頃はさぞやいい男だったであろう、優しそうな切れ長の眼をした男。

 この店この地区を担当になってから初めて見る客だ。

 

「あのお客さん、はじめてですか?」

 

 グラスを店主の妻に返却しながら、何の気なしに質問してみる。

 

「ああ、ほら。最近改修されて綺麗になった洋館があったでしょ? あそこの御主人よ」

 

「え、あのお化けやし……ごほん、あの洋館の?」

 

 内部は常に薄暗い。何年も花を咲かせない桜や、鬱蒼と茂った木々、無駄に丈が高くなった生垣に蔦だらけだった屋敷と、お化け屋敷以外の何物でもなかったあの洋館が綺麗になったのはここ数ヶ月のことだった。

 

「最近まで御病気だったんですって。今は、ウチをご贔屓にして下さってるお得意さまなのよ」

 

「へー……」

 

 商談が終わったらしく、軽く会釈をして大きめの日傘を手にして、男性客が立ち上がった。

 視線に気がついたのか、こちらを見て微笑んでから会釈をすると日傘を広げて外に出ていった。

 

「日傘ってことはまだ本調子じゃないのかな」

 

「直射日光がダメらしいわ。日陰とか屋内なら大丈夫らしいけど」

 

「なるほど。紫外線がダメなんですかね? たしかそんな病気が……」

 

「……って、そろそろ時間まずいんじゃ?」

 

 腕時計と壁にかけた時計を確認して、ドライバーは顔色を青くする。

 

「……ああっ、ヤバイ! じゃ、失礼します!」

 

 慌てて、ドライバーは外に止めた車に戻っていった。

 

 

 

 

 

◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆

 

 

 

 

 

 臓硯に憑依してから数ヶ月。季節はもうすぐ夏。

 

「それでは、雨ゴートを一枚とこちらの越後上布(えちごじょうふ)(ひとえ)の長着でよろしいでしょうか」

 

 店主は夏用の最高級と言われる越後上布の白地に繊細な模様のついた反物を広げている。

 

 着物は()()の体型差はカバーできるのだが、臓硯の本来の身長は145。現在の自分の身長はおそらく170弱。余りにも違いすぎる。

 幸いなことに、誰の物か定かではない古い着物の中に身幅・着丈の合う着物が何着もあったので困りはしなかったのだが、さすがにそのままでいるわけにも行かない。

 特に雨ゴートは梅雨の時期、着物で出歩くなら必須だ。

 

 洋服?レインコート?

 

 それは邪道というモノ。臓硯は着物で過ごしていたのだから、せめてその名残は残しておきたい。

 

「もうすぐ梅雨入りですし、それまでには間に合わせますよ」

 

「ええ。急いではいませんが、それがないと夏場困るのでよろしくお願いしますよ」

 

 軽くお辞儀をして大振りの日傘を手に取って立ち上がる。

 視線を感じてそちらを見ると、入口近くの陶磁器を置いている棚前にヤマネコクロトのドライバーと店主の妻がいた。

 そちらにもお辞儀をしてから、店の外に出て私は日傘を開いた。

 

 よく晴れた空である。陽射しは強い。

 何か冷たい物が食べたい。

 商店街に寄って買い物して帰ろうか。

 

 

 

 

 商店街を歩きながら店を見ていると、かなり昔からあるという惣菜屋の前にかき氷機が置いてあった。

 ちょうど冷たいものが食べたかったので、これ幸いに注文することにする。

 

「イチゴを一つ」

 

「はいよー。今日は暑いねえ、間桐さん」

 

 最近よく買い物に来るので、顔見知りになった店員(恰幅のいいおばさん)が、懐かしい手回しのかき氷機を回す。シャリシャリと小気味良い音が聞こえ、やがて発泡スチロール製の器に白い山ができた。そして、手前に並んだシロップの中から、赤いイチゴシロップをその山にかけた。

 代金を支払ってから、それを受け取ると軒先の日陰にある簡素なベンチに座って私はそれを食べ始めた。

 

 口に入れると冷たいかき氷が溶け、甘ったるいイチゴシロップのチープな味が広がる。

 急いで食べると頭痛が起きるので、さすがにそのような食べ方はできない。

 傍目から見たら、初老の着物姿の男がかき氷を食べているのは、かなり珍しい絵面なのか、路上を行く人がこちらを見ていく。

 

 客寄せになったつもりはないのだが、やはりそばで誰かが食べていると食べたくなるのが常のようでちらほらとかき氷を買う客が増えてきた。

 梅雨もまだだというのに暑い日が続いているせいか、売れ行きも良さそうだ。

 

 ふと、六~七歳くらいの女の子が、子供用の補助輪付き自転車に乗ったまま、こちらをじっと見ている事に気がついた。

 

 いや、こちらというか……かき氷を凝視しているというべきか。

 

「……欲しいのかい?」

 

 そう声をかけると、ハッとした表情で真っ赤になって頭を左右にプルプルと振る。

 

 あー、欲しいけど我慢してるって感じかな?

 

 小さな子がこういう行動を取るのは、本当に微笑ましくて可愛い。

 買ってあげてもいいのだが、子供の教育上それは良くないだろう。

 それに、今の私は中身はおばさんとはいえ、外見はおじさんだ。下手に関わりになって、面倒を起こすのも自分の願うところではない。

 とりあえず、気にしない事にして残りのかき氷も食べ……ようとしたのだが、相変わらず子供の視線がかき氷に注がれている。

 

「はあ……」

 

 私はため息をついて苦笑した。

 

 タイミングがいいことに客も切れたので、残った氷を発泡スチロールの箱にしまおうとしていた店員に小銭を渡しながら小声で話しかけた。

 

「すみません。あの子にもかき氷を」

 

「おや……大河ちゃんじゃないか」

 

 私の視線を追って、女の子を見た店員はそう言った。

 顔見知りの子供だったらしい。

 

 あれ? 大河って……何か聞き覚えがあるような。

 

 まあ、余り大したことじゃないだろう。

 

「さっきから、かき氷を凝視しているから欲しいのかなとお節介ながらも思って」

 

「ああ、なるほど! あの子、食べることが好きだからねえ」

 

 くすくす笑いながら、店員は氷をセットした。

 

「ほら大河ちゃん、かき氷あげるからこっちおいで!」

 

 相変わらず、遠巻きでかき氷を凝視していた大河ちゃんは、店員に突然声をかけられてびっくりしつつ、かき氷機の側によってくる。

 

「おばちゃん、いいの?いいの? ブルーハワイがいいな!」

 

「はいはい。ちょっとまってねー」

 

 やがて、白い山になった氷に青いシロップをかけたかき氷ができると喜ぶ大河ちゃんに渡された。

 

「ありがとう、おばちゃん!」

 

「お礼なら、そこに座ってるおじちゃんに言うんだよ? 大河ちゃんの分のお金出してくれたんだからね?」

 

「うん! ありがとう、おじちゃん!!」

 

 ニコニコと笑って私にお礼を言うと、勢い良くかき氷を食べ始めた。

 このままでは、すぐに頭が痛いと泣く様子が幻視できてしまい、また私は苦笑を浮かべる。

 

「間桐さん、藤村さんとお知り合いなんです?」

 

「いや? 全く知らないけれど、子供には勝てないからねえ」

 

 すっかり、溶けてしまった残りのかき氷を飲むようにして空にすると立ち上がって、店に備え付けのゴミ箱に放り込む。

 

「それじゃ、ごちそうさま」

 

「またどうぞー」

 

 店員の挨拶と大河ちゃんの「あたまいたいー!」という言葉に送られて、私は屋敷に戻ることにした。

 

 

 

 

 帰宅後、あの女の子がタイガーこと藤村大河だということにやっと気がつき、飲んでいたお茶を吹き出したのはまた別の話である。




※雨ゴート
 和服用のレインコート。男性用は泥除けも兼ねているので着物の着丈よりも長い。
 お坊さんがよく雨の日のお葬式などで着ているのを見かけることができる。
 (最近は洋服で来て、葬祭会場で袈裟に着替えるお坊さんもいますが)
 市販品(仕立て上がり)だと丈が合わないため、必要な場合はあつらえたほうが良くなることも。


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そして動き出す

 私が臓硯になってから、三年の月日が流れた。

 

 

 家を出ていった鶴野さんが、小説家になっていた。しかも、結婚もしたらしい。

 ペンネームは『真透白夜(まとうびゃくや)』デビュー作品は『羽蟲の夏』という現代日本を舞台にした、オカルトの皮を被った推理モノの分厚い文庫本だった。

 

 続けて出した『淫蟲の箱』『死蟲の檻』も同じように分厚いもので、巷ではその読み応えがある内容はもちろんのこと、人が殺せそうなほど分厚い文庫本が話題になっている。

 その分厚さに、元の世界での小説家が二名ほど私の頭に浮かんだのだが、この世界には彼等は存在しないようなので、分厚い文庫本といえば鶴野さんが代名詞になりそうだ。

 

 たまたま見かけた雑誌に、話題の人物として鶴野さんの写真と記事が載っていなければ私は知らないままだったと思う。まあ、よく考えれば読みは全く一緒なのだから、いつかは気がついたかもしれないが……

 

 彼は彼なりに幸せになったようだ。

 このまま順調に子供(慎二)が生まれても、普通の家庭の子として育つだろうから、本人にとっても幸せだろう。

 

 

 タイガーこと、大河ちゃんには懐かれてしまったようで……マウント深山に買い物に行くと高確率で彼女がいる。

 私は「おやつをくれるおじちゃん」という認識が彼女の中ではできたようだ。

 ……あの傍若無人な性格の一端を自分が担ってしまったような気がしてならない。

 

 街の人たちからも、私は悠々自適の穏やかな人という印象を持って貰っているので関係もおおむね良好だ。

 

 屋敷に通ってきてもらっていた家政婦さんは随分前に辞めた。

 見た目で言えば、今の自分よりもはるかに歳をとっていたので、通いで続けるのが辛くなったらしい。

 新しい家政婦を雇うことも考えたけれど、別に家事はできるし、屋敷の掃除が面倒なだけなので、屋敷の掃除を業者に頼めばいいかという結論になってしまった。

 目下、空き部屋の解決方法が見つからずにいて、困っている。

 

 

 そんな日常だが……

 一番変わったことは、蟲蔵の中だろう。

 

 臓硯が飼っていた一部の蟲を最近やっと死滅させたのだ。

 

 死滅させたのは、淫蟲。

 蛭のような蟲で、男にたかれば脊髄を砕いて脳髄をすすり、女にたかれば肌をその粘液で刺し、肉ではなく快楽中枢を高揚、崩壊させて飢えを満たす。そして、脳神経を焼ききるほどの快楽を与えながら胎盤を食い尽くして心と体を完全に破壊する。

 餌も与えず、ずっと放置していたのになかなか死ななかったので本当にしぶとかった。

 

 私はこの蟲も臓硯に並ぶ諸悪の根源の一つだと思っている。

 だから、たとえ間桐の魔術に必須だろうと処分することは決めていた。

 

 それに、臓硯自身は蟲の使役に全ての魔力をつぎ込んでいたから、多少少なくなったほうがその分を別のことに回せる。

 

 そして、黙祷を捧げながら、一人でコツコツと蟲蔵である地下埋葬所に放置されている犠牲者達(成れの果て)を埋葬して供養していった。

 常人が見れば、恐らく発狂しかねない蟲の群れと成れの果てだが、私は臓硯としての予備知識もあるし、覚悟さえしていればさほど怖いものではなかった。

 ただ、こんなに落ち着いて物事ができるほど私の神経は図太かったのだろうかと、疑問にはなっていたが……。これも、臓硯の魂を取り込んだ副産物だと思うことにした。

 

 冷静に物事を進められるのは、いろいろな意味でアドバンテージとなるのだから。

 

 

 

「それにしても……変われば変わるもの」

 

 鶴野さんが書いた小説の最新作『蟲毒の夢』を読みながら思わず呟いた。

 こんな文才がある人とは思っていなかったので、感心しきりだ。

 

 変わるといえば、史実とはだいぶ変わってきてしまったが、未来はどうだろうか?

 自分の知る原作の未来と余りにもかけ離れてしまうと、その原作知識は生かせない。

 

 次の聖杯戦争には、今のままなら恐らく自分も出ることになるだろう。

 令呪が手に現れる気がするのだ。

 願わくば、聖杯を破壊したい。聖杯は穢されているのだから。

 

 ……何か、大事なことを忘れている気がする。

 

 小説を読み進めながら、何を忘れているのか思い出そうとするのだがわからない。

 ちなみにこの小説は、数日前に行方不明になった友人が蟲の群れに襲われる姿を、ある日主人公が夢の中で見ることから始まる、陰惨な犯行の連続殺人事件の話である。

 

 連続殺人事件……あ。

 

 雨生龍之介とキャスター!

 殺人鬼と狂人の組み合わせ!!

 

 なぜ、彼等のことを忘れていたのだろう。

 特に雨生龍之介は、あと数年のうちに姉を殺してシリアルキラーになる。

 それを止めなければ。

 

 

 私は、情報を集めることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 着慣れた着物にタスキがけをし、長く伸びた髪は邪魔にならないように後ろで一つにまとめ、臓硯の書斎で聖杯戦争に関する資料を漁る。

 

 かれこれ、半日が過ぎようとしているのだが見つからない。

 恐らく、この中に今必要としている情報の手がかりがあるはずなのに。

 

 雨生龍之介。

 道徳や倫理観が破綻した、ナチュラル・ボーン・キラー(生まれながらの殺人鬼)。

 声を当てていた人が超人気声優だったのもあって、ボーイズラブが好きな女子に人気が高かった。

 

 そんな友人たちが、キャスターとの組み合わせを嬉々として語っていたのを苦笑いしながら聞いていた覚えがある。

 

 私はというと申し訳ないけれど、あの鬱エンドが至上というシナリオライターが好きそうなキャラだなあという感想しか浮かばなかった。根本的にハッピーエンドが最良と思っている私にとっては、彼の主義は正反対に位置するのだ。別に彼のアンチというわけではないので、鬱シナリオ自体否定しているわけではないのだが……

 そんなわけで、あまり龍之介には興味がなく……いや。むしろ、犠牲者たちと同じくらいの子供を当時育てていた私は、さっさとキャスター陣いなくなれば良いのにと冷ややかにみていた。

 

 龍之介がシリアルキラーになる前に思い出して良かった。

 正確な年齢は小説には出ていなかったが、第4次聖杯戦争時に二十代前半くらいだったはず。

 仮に当時二十四歳と仮定しても……今はまだ高校生以下。親の庇護の元にいる年齢か。

 彼の居所と実家を探さなくては。

 折角未来を知る上に、止められるかもしれない手段を持っているのだから、将来の悲しみは防ぐべきなのだ。それによって、未来が変わるとしても。

 手がかりは、第二次聖杯戦争の手記を残している先祖がいて、元を正せば魔術師の家系だったこと。

 もしかすると参加者の一人か、関係者だったのかもしれない。

 聖杯戦争は、一次から三次まで臓硯はその全てに参加している。

 参加した際の「記憶」は曖昧でも、きっと「記録」を取ってあるはずなのだ。

 

 が……今、私の目の前には背丈以上に高い棚に積み上げられた資料が目を通すのはまだかと待っている。

 

 若いころに見た二次創作は、こんなことをしなくても欲しい情報がすぐに手に入る話ばかりだった。どうやって手に入れたのか過程を飛ばし結果しか見ないという風潮に、あまりにも納得がいかなかったのは私だけではないだろう。

 だからといって、このように労力と根気が必要なのもまた、どうなのか。

 手の届かない場所のものは、蟲を使い取って来させて、ため息をつきつつ、一冊一冊目を通していく。

 

 埃だらけになること更に三時間。

 ようやく、1866年・慶応二年という年号の書かれた魔術的鍵のかけられた本を発見した。

 既に、周囲は真っ暗になっていた。

 

 

 

 

 

 そして結果だけ言えば、その資料には「雨生」という人物は一切出て来なかったのである。

 

 まさにくたびれ儲け……と言いたいところだが、漢字は違うが「右龍」と呼ばれる東洋魔術師が第二次聖杯戦争に出て、死亡敗退したらしい。

 そもそも、この「右龍」という人物は、魔術師というか陰陽師だったようだ。

 彼の出身地についても、この資料には書かれている。

 もしかすると鶴野さんのペンネームではないが、読み方を変えて子孫は生きていったのかもしれない。魔術師として衰退したのも、当主が魔術刻印を子孫に残せずに亡くなったため……そう考えると、この人物があやしい。

 

 

 とりあえず、この出身地に行ってみよう。

 小旅行と言うには、距離があるのが難点だが。

 

 

 

 

 

 

 

 新幹線と電車を乗り継ぎ、五時間近くかけてたどり着いた関東にあるその街。

 

 東西をなだらかな山、北を霊山に囲まれ、江戸時代は宿場町として、また川の舟運により商人の町として賑わい、今なお川面に影を落として並ぶ蔵屋敷が残る静かな場所だ。清流と堀割に群れ遊ぶ鯉が目を楽しませてくれる。

 

 北関東の小京都とも呼ばれる地だが、観光地としては同県内の温泉地に客足は取られているので、余り有名ではないらしい。

 

 資料によれば、右龍と呼ばれる人物は、代々この街で唯一の御祓屋として暮らしていたらしい。

 当時は霊山から流れ出る川や、地をはしる地脈がこの地に霊力を運び、ここも一端(いっぱし)の霊地になっていたのだろう。しかし、今はその名残を若干感じる程度になってしまったのは、実に惜しい。

 おそらく、管理者がいなくなり、なおかつ内陸部の片田舎にあるため、新たな管理者が現れなかったせいもあるのだと思われる。

 こういう事を感じることができるのも、臓硯の知識によるものだが、昔の自分では考えもしなかったことだ。

 

「御祓屋……か」

 

 彼が、何を考えて冬木の地にまで来たのかはわからない。

 わかっているのは遠坂のつてで参加し、遠坂の手によって亡くなった。

 そして、召喚したクラスはキャスター……ということまで。

 

 時を超えて、子孫がまた同じキャスターを呼び出したというのも、あながち定められていたのかもしれない。

 

 とりあえず、手がかりである資料に記された右龍の家紋を頼りに、同じ家紋が彫られた扉のある土蔵を探すことにした。

 

 川縁で、ひとけがないことを確認してから、蚊よりも小さな羽蟲達を足元から放つ。

 この羽蟲達は使い魔だが、通常の虫とほぼ変わらない。

 だから、簡単な探査・調査目的くらいにしか使用できないのが、欠点ではあるが。

 

 この街に雨生龍之介がいるのであれば、小さな街であるし数日中には見つかるだろう。

 

 

 

 

◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆

 

 

 

 

 

「御免下さい」

 

 その家に、見かけない初老の男性が現れたのは梅雨時期の珍しい晴れ間のある日のことだった。

 

 羽織袴の和服姿に大ぶりの日傘を持ち、白髪交じりの長い髪を一つにまとめたその男はここまで歩いてきたようだ。

 

 この時点で、地元の人間ではない事がわかる。街外れでバスは通っていない、そして街道沿いとはいえ電車の駅からも遠いため、この辺の住人は、免許が取れれば一人一台が当たり前のように自家用車で行動するからだ。

 

「土蔵の中を見せて欲しい?」

 

 間桐と名乗った男は、お近づきの印にと地元の和菓子店の銘菓を対応に出てきた家の主人に渡した。

 たまたま今日は休日で、普段は教師の仕事をしている家主とその妻は在宅していた。

 地元の短大に通う娘と高校生の息子は、どちらも友人と出かけていて今は居ない。

 

「ええ。私、骨董品や古書を趣味で集めていまして、あちこち訪ねているんです。ガラクタしかないとおっしゃられますが、土蔵に意外なお宝が眠っていることが多いのです」

 

 そう言って、これまでに訪れたという地元の名士を数軒あげた。

 この家も昔はそれなりに名前は知られていたらしいが、代を重ねるごとに衰退したらしく、その名残は屋敷の立派な門構えと、裏庭の潰れかけた土蔵くらいのものだ。

 

「もちろん、見せていただくだけでも結構ですし、譲って頂く際もタダではなく、買い取らせていただきたいと思っています」

 

 悪くない条件だった。

 土蔵にある物は、ガラクタとして処分するのも面倒でそのまま放置していたモノである。

 売れるのであれば、売ってしまった方が片付くし、土蔵を処理する区切りにもなる。

 また、見せてもらうだけでいいというから、仮に価値の高い品物が出たとしても売らなくてもいいのだろう。

 

 そこまで考えた家主は、彼を土蔵へと案内した。

 

 

 

 

 

◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆

 

 

 

 

 

 結局、土蔵の中はガラクタばかりで、骨董品価値のある絵皿や茶碗が少量見つかったくらいだった。

 

 

「ここで間違い無いと思ったんだけど……」

 

 

 買い取った茶碗の入った木箱を手に、立派な門の前で振り返る。

 

 雨生という苗字、龍之介という名前の高校生の息子、そして家族構成。

 間違いないはずだった。しかし、土蔵にあるはずの古文書はなかった。

 

 ここではなかったというのだろうか?

 それとも……考えたくはないが、自分と同じように未来を知るイレギュラー的な何かが既にそれを手に入れているのだろうか?

 

 悪い方向に考えて気が滅入っていくが、まだ時間はあるのだ。

 たまたま、同姓同名の人物がいたというだけだと前向きに考えて、また一から探せばいい。

 

 頭を切り替えて、街に戻ることにした。

 土蔵を探しまわったので、日が長いとはいえ日は暮れはじめており、タクシーを呼んでくれるという家主の親切を断ったので徒歩である。

 

 田園風景が続く街道を歩いていると、前方から自転車が向かってきた。

 

 私は、思わず足を止めた。

 ……近づいてくるその自転車の乗り手は、羽蟲によってわかっている。

 

 あの家の息子、雨生龍之介だと。



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雨生龍之介

 高校の制服らしい白い半袖のワイシャツと黒のスラックスにローファー。

 染めていない黒髪に、無気力そうな表情を浮かべた顔。

 

 見た目だけで言えば、これで髪を染めれば間違いなく()()雨生龍之介で間違いないのだが……。

 

 日は落ちてはいるものの夜というにはまだ明るいせいか、自転車のライトはついていない。この時代のライトは周囲の暗さに反応する自動点灯型にまだなっていないのかもしれない。手動式であればペダルが重くなるので、それが面倒で付けたくない気持ちはわかる。

 

 私が立ち止まって彼を見ていることに向こうも気がついたようで、怪訝な表情を浮かべた。

 そして、だんだん近づいて来るに従い彼は驚愕の表情を浮かべながら、私に視線を向けたまま通り過ぎた。

 

 ……そう、視線を背後(こちら)に向けたまま走っていった自転車がどうなるか。

 

 前方を見ていない自転車が。

 街道とはいえ、田園風景が広がるのどかな田舎道である。

 

 真っ直ぐな道というわけではない。

 

「……あ」

 

「……のわぁぁぁぁぁっ!?」

 

 私の目の前で、そのまま丈の低いガードレールにぶち当たり、自転車はその勢いで前転し用水路へ落ち、ぶつかったショックでハンドルから手を離した彼は、まるでギャグマンガのごとく放物線を描いて水がはられている田圃の中に背中から落ちていった。

 

 バシャーンという、水飛沫と泥の跳ねる音を耳にしながら、あまりのことにマンガのような出来事も実際にあるのだなと感心してしまった。

 

 しかし、さすがにこれは放って置けない。

 打ち所が悪ければ、大怪我をしているだろう。

 

 驚いた表情を浮かべていたのも気にかかるが、とりあえず今は置いておくことにした。 元を正せば、私が不躾に彼を見ていたせいだ。

 

 慌てて、ガードレールに走りよって声をかける。

 

「だ、大丈夫ですか!?」

 

「……う~……いてて……」

 

 呻きながら、背中をさすりつつ彼は立ち上がる。

 立ち上がれるということは、打ち所が悪かったということはなさそうだ。

 水の量が膝くらいまで来ているところを見ると、水と泥がクッションになったのだろう。

 

「ふむ……怪我はなさそうですね」

 

「――――人事だと思って! 元はと言えば、あんたのせいだ!」

 

「おや、そうですか?」

 

「そこ動くな! コンチクショウ」

 

 怒りながら田圃から出ようとするのだが、泥に足を取られて転びなかなか前に行けない。靴を脱いで手に持ってようやく田圃から脱出した。

 

 しかし、かわいそうなくらい全身泥だらけで、その姿は申し訳ないが笑いがこみ上げてしまう。

 

 律儀に待っていた私も私だが、必死に道まで戻ってきた彼も彼である。

 肩で息をして、私の目の前の道端に座り込んだ。

 

「おい、おっさん。なんで俺を見てたんだよ! 気になって、コケちまったじゃねーか」

 

「……暗くなってきているのに、自転車の無灯火は危ないなと思っただけですが?」

 

 私は、いくつかある言い訳の中から、正論を返してみた。

 

「なんだよ……まだ明るいから大丈夫だと思ったんだよ」

 

「そうですか。では、今後は気をつけた方がいいですね。それに、よそ見はしないほうがよろしいかと。今みたいに危険な目にあいますから」

 

「う……」

 

 発言といい行動といい……見た目以外は雨生龍之介とは似ても似つかない。

 普通のどこにでもいる高校生にしか思えない。

 しかし、何か引っかかる。

 

 そう、こちらを見て、驚いた表情を浮かべていたこと。

 

「……ああ、一つだけよろしいですか?」

 

「なんだよ……」

 

「どうして、私を見てあんなに驚いた顔をされていたのでしょう。どなたかお知り合いの方に似ていましたか?」

 

 その言葉に、言いにくそうに彼は言いよどむ。

 

「…………知り合いに似てただけだ」

 

「ふむ……」

 

「もう、いいだろ? 俺帰って着替えたいし。おっさん呼び止めて悪かったよ」

 

 何かに怯えるように、慌ただしく立ち上がると彼は私に背を向けて家路へと着こうとした。

 

「……その知り合いとは……槍使い……いや蟲使い?ですかね。雨生龍之介くん」

 

 ビクンっと彼は背を震わせると、死刑宣告を受けたかのようにゆっくりとこちらに振り返った。

 

「……なんで俺の名前を知ってるんだ?」

 

「私の質問に答えていませんよ、龍之介くん。それとも、そのどちらにも似ていると言いたいのですかね?」

 

 無言の時間が続く。

 

 日は完全に暮れて、周囲はいよいよ暗くなっている。

 頼りない街灯ではさほど明るくは感じられない。

 やがて、彼が口を開いた。

 

「あんた……何なんだよ……? ディルムッド……じゃないだろうし、まさか蟲爺? いや、あれは……確かトラぶる花札道中記の若返りネタだしこんな中途半端に年食って……」

 

「ええ、私は間桐臓硯ですが」

 

「はぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 

 驚きのあまり固まった彼が動き出すのは、それからしばらく後のことだった。

 

 

 

 

 

 

「……つまり、三年前に龍之介に憑依してしまったと……そういうことですか」

 

 雨生龍之介は、やはり間違い無く彼だった。

 問題は中身が違ったことか。

 私と同じ時期に憑依してしまったらしい。

 

「そう! 龍之介が生きてきた十三年間の記憶もちゃんとあるんだけど、俺が俺として生きてきた二十八年間の記憶もあるんだよ。だから俺は龍之介であって龍之介じゃない」

 

 用水路の自転車を引き上げ、泥だらけの顔と服を水で流しながら龍之介は返事をした。 軽く自己紹介したついでに話をしてみると、彼は私よりもFateについて詳しく、ほとんどの関連ゲームやアニメを見ていたそうだ。

 

「おっさ……いや、中身はおっさんじゃないんだよな……なんて呼べばいいんだ。うーん……」

 

「おっさんで構わないですよ。元の名前は捨てましたし、もう慣れましたからね」

 

「じゃ、お言葉に甘えて。大体の経緯はおっさんと一緒だよ。まあ、年代が違う気がするけどね」

 

「土蔵の古文書は処分したんですか?」

 

「あれは、憑依してすぐに探して、シュレッダーにかけて処分したよ。聖杯戦争に出るつもりはないし……俺みたいに憑依したのが俺を殺しに来るとも限らないから」

 

 ちらりと、私に視線をあわせて龍之介は苦笑した。

 私も思わず苦笑するしか無い。

 

「俺さ、生前?高校教師してたんだよ。だから、将来は同じ教師になりたい。折角もう一度チャンスが来たからね。わざわざ死亡フラグ満載の聖杯戦争に出たいとも思えなくてさ」

 

「原作知識があるのに、活かさないんですか」

 

「だからこそ平穏に生きたいっていうのもあるかな。ま、原作のヒロインたちに会ってみたいっていうのはあるけど……所詮、俺は一般人でしか無いからさ」

 

 そう言って彼は、とても楽しそうで――それでいて悲しそうに見える笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 新幹線のグリーン席に座り、移り行く車窓の景色を見ながら、私は考えをまとめる。

 

 自分以外の憑依者がいる――――

 

 そんなことを全く考えなかったかといえば……少しは考えてはいた。

 しかし、その確率は低いと思っていたし、恐らく原作通りの展開になると私は思っていたのだ。

 

 だが実際に憑依者はいて、面識と繋がりを持つことになった。

 

 もし仮にあの時、古文書が自分の手に入り、龍之介が原作のままの人格だったとしたら私はどうしていたのだろうか?

 

 連続殺人、快楽殺人の犯人の考えは私には理解できない。倫理観がずれているのだから、理解しようとすることは深淵を覗くような事で……下手をすると私が私ではなくなる可能性もある。

 では、死を知りたいという彼の望みをかなえること――つまり、原作での彼の最期のように――で殺人を止めようと言うのならば、私は彼を殺す一歩手前まで持っていかねばならないだろう。

 

 果たして、それが私に出来たのだろうか?

 

 おそらく、躊躇した……と思う。

 覚悟は決めていても、思うこととやることは別だ。

 雨生龍之介が憑依者だったことは、幸いといえば幸いだったのだ。

 無駄な血も流れず、憂いは消えた。

 

 本当に……?

 

 

 ――――自分以外の憑依者がいる。

 

 

 つまりは、原作知識が通じなくなることがあるということだ。

 私の知識は果たしてどこまで通用するのだろう。

 助ける……というのはおこがましいかもしれないが、私の知る限りの悲劇は起こしたくないのだが……。

 

 これは、第四次に参戦していた他のマスターたちの動向を今から把握しておいたほうがよさそうだ。

 



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回る廻る1

 時計塔の地下、講師達の研究室の扉が並ぶ廊下を白い紙袋を抱えた十代前半の赤髪の少女が不機嫌そうに歩いていた。講師によっては地上付近の部屋に作る者もいるが、地下の方がマナが安定するため地下室を利用している者が多いのだ。

 目的の扉の前に立ちネームプレートを確認すると、ノックもせずに彼女は扉を勢い良く開けた。

 

「ソラウ……ドアはノックをして、返事を待ってから開けてくれといっているだろう」

 

 闇の中から、声だけが響いた。

 

 ソラウと呼ばれた少女は、室内の異様な暗さに当初面食らったもの、直ぐ目の前に置かれた丸い水晶玉のようなインテリアに手をかざした。

 すると覆っていた闇は払われて、昼間のような明るさに変わる。周囲の棚には色取り取りの液体の入った試験管や何かの原石が無造作に置かれている。

 

 奥の机で部屋の主である金髪の青年がため息をつきながら、書類を置いた。

 

「だって……折角、今日のお茶の時間は一緒に過ごそうって連絡しておいたのに、工房に篭りっきりっていうのは酷いんじゃないかしら、ケイネス?」

 

「仕事が立て込んでいた。それに、ここは危険だと言っておいたはずだが」

 

 ここは、彼――ケイネス・エルメロイ・アーチボルト――の魔術工房であり、関係者以外は立ち入ることはできない。

 許可無く立ち入ろうとすれば彼の仕掛けた霊的、魔術的罠が発動し命すら危ない。

 

 ケイネスは、九代続いた魔術師の家系・アーチボルト家の正式後継者であり、ロード=エルメロイと呼ばれる時計塔の降霊科を最年少で講師になった天才魔術師だ。

 先ほどソラウと呼ばれた少女は、ソラウ・ヌァザレ・ソフィアリ。ロンドン協会は時計塔、その降霊科学部長の地位を歴任するヌァザレ家の娘であり、ケイネスの婚約者である。

 歳はさほど離れてはいないはずなのだが、ケイネスが老けているのかソラウが幼く見えるのか……ロリコンと密かに彼は一部から呼ばれているのだが。

 

「あら。私には危害が加わらないようにしてくれてるの知ってるわよ?」

 

 危険であることはわかっているが、彼が自分も含めてターゲットから外していることを彼女は知っている。だから、安心してあのように扉を開くこともできるのだ。

 

 抱えていた白い紙袋を空いている棚に下ろし、中から紅茶の缶とスコーン、クロテッドクリーム、イチゴジャムを次々と取り出していく。

 

 ソラウがケイネスの下を訪れるようになったのは、ここ半年のことだ。

 政略結婚を前提としての婚約が成り立ったのもその頃だった。

 そして、こうやって二人で過ごす時間を取るようになってからケイネスはやっとソラウの本当の性格を知った。それまでは気難しく気位の高い我侭な性格だと思っていたのだが、実際は快活で素直であり政略結婚であるというのに純粋な好意をケイネスに向けてくれるのだ。

 子供の頃に一目惚れした彼からすれば、夢の様なことだろう。

 

「フォションのダージリンと最近出たばかりのウェッジ・ウッドの茶葉を持ってきたのだけど、どっちが良いかしら?」

 

「全く……まだ仕事は終わってないんだが」

 

「あら、休憩だって必要でしょ? よし、ウェッジ・ウッドにしよっと」

 

 勝手知ったる他人の家……もとい、研究室。

 ソラウは、アルコールランプに火を灯しお湯を沸かして手慣れた手つきで紅茶をいれる。

 それを横目に見ながら、ケイネスは苦笑しつつもティーセットが置ける場所を机に確保するために、書類を別の棚へと持っていった。

 

 その後ろ姿を見ながら、ソラウは小さな声でつぶやいた。

 

「絶対にあなたは死なせない。そのために私は彼女(わたし)になったんですもの」

 

 

 

 

 

◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆

 

 

 

 

 

 屋敷に戻ってから調べてみたが、表面的に手に入る程度の情報は原作から得ている知識とさほど代わりはなく――むしろ、これ以上調べることで藪蛇も考えられ、私は調査を一旦打ち切った。

 

 一つ気になったことは、ケイネスの情報を辿っている際に耳にした、婚約者のソラウ嬢との仲が大変良いと時計塔で噂になっていることだろうか。

 

 あのケイネスとソラウがである。

 政略結婚的な仲の良さとは違う結びつきがあるようだ。

 何かあったとしか思えないが、さすがに海外だ。

 確かめるためだけにイギリスまで行くわけにも行かない。

 

 とりあえず、現在進行形で簡単にできること……ということで、衛宮邸になる予定の武家屋敷と新都の冬木教会、そして遠坂家の付近には、調査のために例の羽蟲を重点的に飛ばしている。通常の虫と変わらない特性は魔術的罠や霊的探査にもかからないので、本当に便利だ。

 

 今は、様子を見るしか無いのだろう。

 

「本当、どうすればいいんだろうねえ……」

 

 思わず呟いてしまったが、最後のセリフ(聖杯戦争まで)はかろうじて口からは出なかった。

 

 一人で暮らしているせいか、独り言が増えた。

 「独り言は、寂しさを紛らわすためだ」と、生前あの人()が言っていた。

 一度死んだ自分ではあるが、寂しいものは寂しいらしい。

 

 そして不意に思い出した言葉に、あの人はどうしているのだろうかと心配がよぎる。

 同じように一人暮らしで、きっと独り言が増えているに違いないが。

 

「……あの人も元気で暮らしていればいいけど」

 

 そう願うしか、今の私には出来ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――早いもので、あれからまた三年の月日が流れた。

 私が臓硯となってから、もう六年余の時が過ぎたということか。

 

 その間に遠坂家には凛と桜が年子で生まれ、育っている。

 彼女たちの年齢から察するに、恐らく後一年もしないうちに、遠坂時臣と言峰綺礼の間に師弟としての繋がりが出来るだろう。

 

 鶴野さんは、雑誌だけでなくテレビでも最近は見かけるようになった。

 彼が数年前に書いた小説「蟲毒の夢」が映画化され、ヒットしているためだ。

 息子(慎二)も生まれ、順風満帆のようだ。

 

 雁夜さんは、凛ちゃんが生まれてから、ようやく時々この街で見かけるようになった。 まだ黒髪の彼になぜか少し安堵を覚える。

 彼も鶴野さんのように別の形で幸せを手に出来ればいいのに。フリーライターならば、鶴野さんのことを知っていてもおかしくはないと思うのだが。

 

 歳の離れた友人となった雨生龍之介は、無事に希望だった地元の国立大に現役で受かり、教員免許取得のために勉強を頑張っている。

 そんな彼は、聖杯戦争に出るつもりはなくとも、一度はその舞台を訪れてみたかったと、5月の連休を利用して初めて私の屋敷に遊びに来た。

 今の時期を逃すと、自由に来るのも難しいと思う……というのが彼の言い分だ。

 

「臓硯さん。桜ちゃんは、頼んででも養子にした方がいいっすよ」

 

 近況を話し、近い将来(聖杯戦争)のことを相談という形で、応接間にてお茶を飲んでいると彼が突然そう切り出した。

 かつては私のことをおっさん呼びし、口調もあまり敬っている感じてはなかった龍之介だが、さすがに気が咎めたのだろうか今では名前呼びで定着している。

 

「養子のことは私が言い出さなければ、精々他の魔術師のもとへ養子に行くだけでは?」

 

「そこが問題なんすよ」

 

 大学に入っても髪は染めず相変わらず黒いままだが、視力が悪くなったらしく最近かけている銀縁の眼鏡の位置を軽く直しながら、龍之介はこちらを見る。 

 

「桜ちゃんは、原作のままなら属性は『架空元素・虚数』という珍しい属性。だから、この資質のために遠坂の魔術見本として魔術協会にホルマリン漬けにされちゃう可能性があるっす。そして他の魔術師だったら、たぶん根源に行くために必要ならば、簡単に桜ちゃんを犠牲にして触媒がわりに使いかねない」

 

 臓硯さんのことだからその辺の考えが甘かったんじゃないすか?……と続けて、彼は茶請けの煎餅をかじった。

 

「きちんと助けたいなら養子にして目の届くところで、魔術師として育てるべきだと思うっす」

 

「間桐の魔術は継がせたくないんですがねえ……まあ、なんとかしてみましょう」

 

 お茶を湯のみからすすり、教えても問題なさそうな魔術はないか考える。

 

 間桐の属性とされるのは水。一族に伝わる魔術特性は吸収。この吸収という特性は他者を律する束縛、戒め、強制に通じるもので、間桐の魔術は必ず成果が自らの肉体に返る。

 差し障りない魔術といえば……使い魔の使役術か。

 蟲で調教しなくとも、逆に蟲を卵から育てさせてそれを使役できるようにすればいいだろう。

 

「ああそれから。俺、こっちの観光がしたいんで二日ほど泊めてもらっていいすか? 無理なら、新都の方でホテル探すので」

 

「ええ、別に構わないですよ。一人暮らしなので掃除が行き届いてないところもあるとは思いますが、気にしないで下さいね」

 

 椅子から立ち上がり、客間に案内することにする。

 

「余りあちこちの部屋を開けて覗かないようにして下さいね。危ない部屋は鍵はかけてあるとはいえ、罠をかけてある部屋もあるので」



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回る廻る2

 ひらひらと夜の空を青色の燐光をまとった蝶が舞い飛ぶ。それは見るものを魅了しそうなほど、はかなく美しい。

 だが、その姿は認識阻害の魔術をかけられているため、誰にも見られることはない。

 見ることが出来るのは、開かれた魔術回路を持つ人間くらいのものだろう。

 その蝶は一軒の邸宅の敷地に入り、何かを探すように窓辺を舞い……やがて一室の開け放たれた窓枠に羽を休めた。

 

「……当家に何用か? このような夜更けに」

 

 室内にいた男は机に向かったまま、窓の方を向いた気配はない。

 しかし、窓辺に蝶がいることはわかっており、それに向けての言葉のようだった。

 

「―――やはり、使い魔は感知されますか」

 

 蝶の燐光がきらめき、静かな声が響く。その声は、変声機を使用したかのような機械音声で元の声は判断できない。

 

「何を言うのやら。魔術感知させるようにわざわざ強めの魔術をその蝶にはかけてあるようだが?」

 

「はは、当主殿とのみ話がしたかったもので……出迎えて頂こうとしただけですよ、遠坂殿。何、そちらに取っても悪い話ではないはずですよ」

 

 明るい物言いに室内の男――遠坂時臣は、やっと視線を蝶に向け胡乱(うろん)げに目を細めた。

 

 

 

 

 

◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆

 

 

 

 

 

「ほんとすんません。昨日は寿司を奢ってもらった上に、朝飯用意して貰って」

 

 昨日は話し込んでしまい、時間も時間だったので夕食は出前の寿司を頼んだが、今朝の朝食は私が作ったのだ。

 彼は、憑依する前も今も朝はパン食だったそうで、和食であることに感激していたが、一見手が込んでいるように見えて、実は簡単な手抜き料理であることは言わないでおく。

 

「あの……おかわりいいっすか?」

 

「はいはい、構いませんよ」

 

 申し訳なさそうに言う龍之介の手から笑って茶碗を受け取り、五穀飯を盛って渡す。

 

 大根と油揚げの味噌汁に五穀飯、里芋と鶏の煮物、海苔を巻き込んだ卵焼きに大根おろしを添えた小鉢とほうれん草の胡麻和え、そして大根と大根の葉を使った浅漬け。

 献立にやけに大根が多いのは、数日前に大根が安かったため、つい買いすぎたせいなのだが――それはそれとして。

 これが、本日の朝食だ。

 

 大根と油揚げは多少煮過ぎても味噌を入れる前であれば味は変わらない。

 里芋と鶏の煮物は圧力鍋を使い濃い目に味付けすれば、芋を煮る時間を短縮できる。

 卵焼きは少し油を多めにフライパンに敷けば、厄介な焦げ付きはしない。

 ほうれん草の胡麻和えは、市販のすりゴマとめんつゆがあれば楽。

 浅漬にいたっては大根を千切りにして、よく洗った大根の葉をみじん切りにしたものを塩で揉んでから塩昆布を和えて一晩冷蔵庫に置いただけ。

 

 元主婦なので手抜きでもそう取られない料理は心得ている……作ってる絵面はおっさんが作っている残念なものだとしても。

 

「そういえば、昨日はどの辺りを見てきたんですか?」

 

「新都のあたりっす」

 

 煮含めた鶏肉と五穀飯を食べ、余り噛まないうちに味噌汁で流すように龍之介は飲み込むとそう言った。

 文字通りの老婆心ながら、もう少し噛む習慣をつけた方がいいと思うのだが、さすがにそれは口にはしない。

 

「こっちついてから、とりあえずハイアットホテルの写真撮って、倉庫街見に行って。コペンハーゲンとアーネンエルベにも行ってみたくて探したけど見つからなくて諦めました。最後に言峰教会に行ったんですよ。いやー、教会行って驚いたけど、一般人にも開放されてて結婚式の申込できるんすね。受付してる神父さんがやたらマッチョなおっさんで……アレって、やっぱり言峰璃正神父っすよね? あまりにそのまま過ぎて笑いこらえるのが大変でした」

 

 その後タクシーを拾って、間桐邸まで来ましたと一気に語るとまた食事を続ける。

 

 あー……うん。

 コペンハーゲンとアーネンエルベって何?とか、冬木教会だって一応普通の教会としても機能してるんだから結婚式だって受け付けてるだろうとか言いたいことはたくさんあるのだが、一番心配になったことを聞いてみた。

 

「……龍之介くん。冬木教会……言峰教会で変なことはしてませんよね?」

 

「普通の観光客な行動してましたから大丈夫っす。写真ダメって言われないし、表示にもなかったので撮りまくってましたけど」

 

 一抹の不安を感じるが、羽蟲からの情報をかえりみても同じようなものなのだから恐らく大丈夫だろうとは思う。

 

「今日はどちらに行く予定です?」

 

「えーと……今日は遠坂邸と衛宮邸、それから柳洞寺、穂群原学園に行ってこようかなと。折角なので写真に納めてくるつもりっす」

 

 ポケットに入れていた手帳を開いて、龍之介は予定をチェックしている。

 

「じゃあ、あえて言っておきますが、遠坂邸は見るだけにして写真に撮るのはやめたほうがいいですね」

 

「写真撮るだけなのに、だめっすかね……?」

 

「普通の観光客なら問題はないでしょうが……貴方の立場は間桐の客人です。遠坂と間桐は不干渉の決まりですから、その行動は寝た子を起こすことになりかねませんよ」

 

 彼も一応は自分の立場を理解しているとは思うが、念を押しておくことにする。

 これで諍いが起きては困るのだから。

 

「く……宿代浮かそうと思って臓硯さんとこに泊まらなければ良かったのか……!」

 

 がっくりとうなだれた龍之介。後悔するくらいなら、最初からよく考えてから行動すればいいと思うのだが、私はあえてそれは言わないでおいた。

 

 

 

 

 

◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆

 

 

 

 

 

 ポニーテールをなびかせた真新しい半袖のセーラー服姿の少女が、竹刀袋と道場着をカゴに入れた自転車に乗り、商店街の人ごみを器用に避けて走っている。

 セーラー服はこの近くの公立中学の制服だ。同じように付近にある私立中学の制服は、学園と呼ばれる高等部と同一のブレザータイプのものだから、学校名がすぐわかる。

 

「あ」

 

 少し先の道に濃い灰色の日傘を差して歩く男性の後ろ姿を見かけると、少女は嬉しそうに声を上げて自転車を止めた。

 

「やほーっ!! 間桐のおじちゃんっ!」

 

 力いっぱい手を振り、大きな声で挨拶をする。

 その行動と声に気がついた男性が足を止めて振り返った。

 

「おや。こんにちは、大河ちゃん」

 

 彼女が間桐のおじちゃんと呼ぶ彼は、五十代前後のいつも着物を着て白髪混じりの長い髪を一つにまとめた一見芸術家のような男だ。実際の年齢は聞いたことはないが、自分の祖父ときっと同じくらいなんだろうと大河は思っている。

 この商店街から少し離れた所に大きな洋館の屋敷を構えており、時々この商店街に買物に現れ、同居の家族もいないせいか大河のことを実の孫のようにかわいがってくれている人だ。

 

「これから部活かい?」

 

「うん! おじちゃんは買物?」

 

 そして自転車を降りて近くによった大河は、彼のそばに見慣れない若い男性がいて、自分を見ていることにようやく気がついた。

 

「えっとぉ……?」

 

「こんにちは」

 

 ニコニコと青年は微笑んで、大河に挨拶をする。

 

「この人を案内してたんだ。紹介しよう、彼は雨生龍之介。大学生で休みを利用して観光に来たんだよ」

 

「よろしくな」

 

 握手を求めてか、青年は右手を差し出してきた。

 

 思わず大河はまじまじと相手を見た。

 

 歳の頃は十代後半から二十代になるかならないか。細い猫っ毛のようなサラサラの黒髪で、銀縁の眼鏡をかけていて、顔立ちは整っている。

 クラスメイトや友人達なら、カッコイイなどと騒ぐのだろうなと大河はぼんやりと思った。しかし大河から見れば、優男過ぎて龍之介は好みからは若干離れている。彼女の好みは年上なのはもちろん、どこか影があるような渋い人がいいと密かに思っているのだ。そんな相手は今の所映画やドラマの中でしか見たことはないけれど。

 とはいえ、いくら傍若無人な大河といえど、今は年頃の女の子。だから、少し挙動不審になってしまった。

 

「……藤村大河デス! よろしくね、おにーさん」

 

 さすがに自分の行動が少々恥ずかしかったのか、ほんのり頬を赤く染めて龍之介と握手をした。

 

 

 

 

 

◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆

 

 

 

 

 

 ……おかしい。

 なぜ、私はベンチに座って、たい焼きを食べているのだろう。

 

 確か当初の予定では、龍之介を商店街まで案内して、私は買い物してから屋敷に先に帰るという話だったはず。

 間違い無くこの原因になったポニーテールの少女を横目で見て私は少し遠い目になった。

 

 藤村大河。腹ペコ傍若無人娘の彼女も今年中学生になったが、相変わらずの欠食児ぶり――剣道部にも入ったせいかそれがさらに加速している気がする――で、今日も私を見かけると嬉しそうに声をかけて駆け寄ってきた。

 龍之介に彼女が中学生時代の藤村大河だと小声で教えると感嘆の声を上げていた。

 彼女にも龍之介はできるならば会いたかったらしい。

 

 そして、お腹が空いているという大河のお願いにより、屋台の江戸前屋でたこ焼き二箱とたい焼きを一つ購入し、今に至る。

 

 私の隣に座って美味しそうにたこ焼きを食べる大河と、龍之介は立ったまま楽しそうに何か会話をしていた。

 龍之介を見た大河が少し赤くなって挙動不審になっていたのを思い出すと、これは龍之介に少し脈があるのかもしれない。だが、あの大河だ。衛宮切嗣に一目惚れするはずだし、身近に居ないタイプだからちょっと恥ずかしいという所だろうか。

 

 それにしても、よく食べる二人である。

 確かに時刻は十時のおやつ時ではあるが、龍之介にいたっては朝は茶碗三杯もおかわりし、おかずまで追加したというのによくたこ焼きが入るものだ。

 

 そういえば、大河は部活に行く途中だと言っていたが、時間は大丈夫なのだろうか?

 

「大河ちゃん、時間は大丈夫なのかい?」

 

「んぐ……んんっ、問題ないよー。体育館の使用時間の都合で十一時集合だし!」

 

 ふと見れば、彼女の箱はもう空になろうとしていた。

 私はまだたい焼きを食べ終わってさえいないというのに。

 

「ふぅー……ごちそうさまでした! じゃ、部活頑張ってくるー」

 

 たこ焼きの箱をゴミ箱に放り込むと、大河は自転車のペダルに足をかけた。

 

「おう、がんばれ。一級試験受かるといいね」

 

「がんばる!」

 

 激励に嬉しそうに笑顔でピースをすると、そのまま大河は自転車で走り去っていった。

 

「……一級試験って大河ちゃんは何の試験を受けるんでしょう」

 

 私は大河との会話を龍之介に丸投げしていたため、全く内容を聞いていなかったのだ。

 

「ああ、来月に剣道の一級試験があるそうで」

 

 そう言って龍之介は剣道の段級位を取るためにかかる年数について教えてくれた。

 意外なことだったが、今の龍之介は剣道二段という段位を持ち、過去の教師時代には剣道部の顧問をしていたのだという。

 

「ま、大河は一発合格だと思うっす。将来(14年後)には五段持ちだから」

 

 肩をすくめて、カメラを片手に龍之介は笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――そんな"日常"の出来事。

 

 ……どうして、大丈夫だと思ったのだろう。

 zeroの物語は既にはじまっていたのに。

 

 

 商店街で龍之介とは別れ、予定通り買物を済ませて私は先に屋敷に帰った。

 別に彼を案内しても良かったのだが、下手に関わりあいになる姿を見せるよりはいいだろうと思ったのと若者の体力に自分がついていける自信がないのでそれはやめた。

 それに部屋の掃除や家事といった作業が私を待っている。

 

 お昼を軽く済ませて、読みかけだった小説を開いたのは午後二時を少し回ったくらいのことだった。

 

 玄関のチャイムが鳴った。

 龍之介は夕方には帰るとは言っていたが、それにしてはずいぶん早い。

 

 視点を使い魔の羽蟲のものにすると龍之介は玄関先で右手を抑えたまま、真っ青な顔色をして立っている。

 

 慌てて、扉を開けて彼を迎え入れた。

 

「どうしたんですか? どこか具合でも悪くなりましたか?」

 

 その言葉に、彼は(うつむ)いていた顔をあげ、かわいそうな程おびえて小刻みに震えながら口を開いた。

 

「臓硯さん……どうしよう……右手に令呪が……」

 

 ……どうして、大丈夫だと思ったのだろう。

 zeroの物語は既にはじまっていたのに。

 

 龍之介のその一言に私は打ちのめされることになった。



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選択肢は……

 応接室のソファーに龍之介を座らせ、落ち着かせるために鎮静効果のあるラベンダーのハーブティーをいれた。

 

 黙ったまま、うつむいている龍之介と対面に座り、先程入れたハーブティーを口にする。

 少し香りがきつすぎたかもしれないが、龍之介の分は薄めにいれてミントと蜂蜜を少し足したので、今飲んでいるものよりは香りは和らいだものになっているはずだ。

 和物が好きな私だが多趣味ゆえに、その一つとしてハーブティーの勉強もしていた。

 臓硯の書斎は手付かずにそのままになってはいるが、鶴野さんが使っていた部屋は私の趣味の書庫となっている。

 そのため、無秩序に趣味関連の資料や小説などで本棚を圧迫しているのは御愛嬌というものだ。

 

 まあ、それはそれとして……

 

「――とりあえず、手を見せて貰えますか?」

 

 黙ったまま、龍之介は右手をテーブルの上に乗せた。

 

 原作の龍之介いわく、三匹の蛇が絡みあった模様……だったか。

 歪な同心半円をモチーフにしたような令呪――この場合は、兆しの聖痕か?――がそこにはあった。

 令呪は聖杯がマスターの魔術回路に魔力を流し込んで形成される。

 つまり、令呪の形状はマスターの魔術回路の特性に依存する。

 

 形は、原作のものと同じ。

 つまり、龍之介の魔術回路は原作通りだということだ。

 

「龍之介くん。貴方ならわかっていると思いますが、貴方の取れる道はいくつかあります。

 一、見なかったことにし、逃亡する。

 二、令呪を摘出もしくは誰かに授与して破棄する。

 三、聖堂教会に保護してもらう。

 四、とりあえずサーヴァントを召喚し、すぐに令呪によって自害させる」

 

 どれもリスクがあり、一概にはなんとも言えない。

 

 一は、すでに間桐の客人として龍之介は見られているだろうし、実際には出来ないと思う。もし、それをして発覚した場合、間違い無く龍之介は殺される。

 二は、授与できる相手を探すことからしなければいけないし、摘出するなら私がやらねばならないが、いくら私が令呪を開発した臓硯の知識と技術を持っているとはいえ、令呪摘出経験は少ない。知識と技術があっても、ぶっつけ本番ではうまくいかないかもしれない。令呪は神経とも言える魔術回路にしっかりと癒着しているのだから。

 三は、それこそ論外だ。父親だけならともかく、綺礼が覚醒後は目も当てられない。

 

 消去法で、四だが……どちらにしても、危険度は余り変わらない。

 

「……『せっかく見逃してあげようと思ったのに、こんな時に来るから悪いんだよ?』」

 

 突然、龍之介が口を開いた。

 それは、棒読みでまるで聞いたセリフを反芻しているかのようだった。

 

「……柳洞寺で、聞こえた言葉です。それが聞こえた直後に右手に痛みが出て……気がついたら令呪が宿ってました」

 

 何と言えばいいのだろうか。

 聖杯の意思……アンリ・マユの意思にしては、随分と軽い。

 

「アレってなんだったんですかね。俺は、まるでカーニバル・ファンタズムで見た聖杯くんのように思えました」

 

 聖杯くん……あの子供の落書きのような着ぐるみっぽい何かか。

 かろうじて、カーニバル・ファンタズムは見たことがある。あの世界観ぶち壊しの明るい内容は面白かった。

 

「聞く者によって声が違うのかもしれませんね。龍之介くんには、あの声で聞こえたというだけかも」

 

 情報が少ない。

 実際に自分も柳洞寺に行き、地下の空洞に安置されている聖杯を確認してきたほうがいいのかもしれない。

 

「自分的には、1を選択したいんですが……それってきっと無理っすね。調子に乗った俺が馬鹿でした。本当、どうしよう……」

 

 頭を抱えて、龍之介はまたうつむく。

 聖杯に選ばれたのだから、仕方ないといえばそうだが……

 

「いっそ、私の弟子になって、聖杯戦争に参加しますか?」

 

「ええっ」

 

「危険は伴いますが……少なくとも何も知らないままでいるよりは、自力で身を守ることもできるでしょう。ただ、こちらに来るとなると、大学はどうにかしないとですね。新都にも大学がありますし、編入は確か三年からですが……最悪、来年再受験してはどうでしょう?」

 

 せっかく国立大学に現役合格したのに、留年して再受験するのはかわいそうだとは思うが、このまま放っておくわけにも行かない。

 

「こっちの親父とお袋泣かせそうっすね……でも、それしかないか……」

 

 ため息をついて、龍之介は苦笑を浮かべた。

 

「御両親の説得は、任せます。正直に話しても信じないでしょうから、言葉は選ぶように」

 

 恐らく、龍之介も弟子入りは考えていただろう。

 だが、確実にそれは危険に身を晒すことになる。魔術の道に踏み込んだら、一般人に戻ることなどできないのだ。

 

「……がんばるっす……」

 

「とりあえず、その手には包帯をしてきましょうか」

 

 私はそう言って、ついでに飲み終わったカップを片付けるために立ち上がった。

 

 化粧品のファンデーションがあれば令呪の上につけてごまかすこともできるが、おっさんの身になった私には無用のものなのでこの家にはない。

 しかし、家政婦さんを雇っていた頃に常備しておいておいた救急箱がキッチンにある。確かその中に包帯があったはずだ。

 

 これからのことを思うと気が重いが、できる限りのことをすることを私は心のなかで誓った。

 

 

 

 

 

◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆

 

 

 

 

 

 ――時計塔の地下、ロード・エルメロイの魔術工房。

 

「……ねえ、ケイネス。例の魔術戦争、本当に参加する気?」

 

 もはや、このケイネスの部屋に居ることが当たり前になってしまったソラウが、一枚の羊皮紙を見ながら呟いた。

 ソラウ自身、魔術刻印こそ無いものの、その資質は高く、助手としても有能だったためケイネスの無くてはならない片腕となっていた。

 

「何か不満でもあるのかね? そのためにアレキサンダー大王の聖遺物を用意しようとしているのだが?」

 

 生徒たちからのレポートの採点をしながら、ケイネスは返事を返した。

 

「例の御三家のうち……アインツベルンに魔術師殺しの衛宮切嗣が婿入りしているの。魔術師としての正々堂々とした戦いは、アレとはできないわ」

 

「ふむ……たしか、近代武器を主戦術として使い、魔術すらも道具として使う……魔術師としては忌むべき存在か」

 

「……私の調べた情報によれば、衛宮切嗣は『固有時制御』という「時間操作」の魔術と『起源弾』と言う恐ろしい礼装魔弾を使うわ」

 

 ソラウは自分が見ていた羊皮紙をケイネスに渡した。

 そこには、自動筆記で書かれた衛宮切嗣の情報が書かれている。

 彼の略歴から性格、協力者はもとより、能力、礼装といった、本来外に出ているはずがないもので、それを知る者は闇に葬られているはずのシロモノだ。

 

「本気で参加するなら、対応策を考えておくべきだと思うの。それにもう少しすれば、参加者はだいたい絞れるわ」

 

「……なるほど。私にとっては、天敵とも言える相手か」

 

 ざっと目を通した羊皮紙を机に置くと、ケイネスは腕を組み目を閉じる。

 

 衛宮切嗣の起源弾は、相手が魔術で干渉した際にその真価を発揮する。

 弾丸の効果は魔術回路にまで及び、魔術回路は切断され結合される。

 結果的に魔術回路に走っていた魔力が暴走し、術者自身を傷つける。

 

 機械や近代兵器を忌む、魔術師らしい魔術師であればあるほど、彼は強敵になるだろう。

 

「ソラウ。そこまで読んでいて、私に銃器の勉強もさせたのかね?」

 

「ええ。魔術師といえど、近代武器も知っておくべきなのよ。魔術が起こす神秘を科学で超えたものもあるのだから」

 

 ソラウは微笑みを浮かべて、ケイネスに抱きついた。



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責任と勘違いと

 思えば十年ぶりだろうか。

 開発の進む新都と違い、この辺りはまるで時が止まったかのように変化がない。

 記憶にあるままの閑静な町並みの中を彼は足早に自分の生家を目指していた。

 

「ふざけるなよ、妖怪め……!」

 

 黒いパーカー姿の彼……間桐雁夜は、高校卒業と同時に家を出奔し絶縁状態である。

 彼は出奔してからは、カメラマンの助手のバイトから始まり、とある著名なルポライターの取材を手伝いながら勉強を続け、数年前にようやくフリーのルポライターとして独り立ちした。

 

 そんな彼だが、月に一度は必ず冬木に戻る。その理由は幼馴染で初恋の相手である遠坂葵とその彼女の娘二人に会うためだ。

 別の相手の手を取り幸せそうに微笑んだ彼女。自分では幸せにできないと恋慕の情を隠し、託すような思いでその幸せが続くことを祈り、見守ることに幸せを見出していたのだ。

 

 いつもは長くとも三ヶ月程の取材が、ここ半年ほど国外の紛争地域での取材があったため、久しぶりの帰国だった。

 彼女の娘、凛と桜への土産にと空港で色違いの二組のガラスビーズのブレスレットを購入し、その喜ぶ顔を想いながら冬木へ訪れた雁夜にとって青天の霹靂な出来事があった。

 

 自分が日本を離れていた半年の間に、彼女の二人の娘のうち、次女の桜が間桐へと養女として貰われていったのだという。

 

「桜に会ったら、優しくしてあげて。あの子、雁夜くんには懐いてたから」

 

 魔術師の妻となったからには、非情にならねばならないこともある。

 魔導の血を受け継ぐ一族が、ごく当たり前の家庭の幸せなんて求めるのは間違いだったのだ。

 気丈にそう言った彼女の瞳には涙が浮かんでいた。

 

 

 間桐家の次男である雁夜は、長男である鶴野よりも魔術の才能に恵まれた。

 しかし、それはあくまでも鶴野よりは才能があるというだけだ。

 魔術師としての才能は中の下であり、跡を継ぐ事を(いと)い、魔術の道を嫌悪し、魔術師の世界に背を向けた。

 そして残された間桐には魔術の才がある者は居ない。

 才能ある子供を養子にしてでも、あの妖怪は跡を継がせたかったのだろう。

 あの時、逃げ出さずに後を継げば良かったのだろうか?

 

 いやせめて、遠坂時臣と彼女との結婚に反対していれば、また違う結果になったかもしれない。

 時臣もまた魔術師であることを葵の幸福そうな微笑みで忘れていた。

 今となっては、仮定にしかならないが……。

 

 それが、廻り回って今に繋がっているのだから。

 

 

 

 

 

 夕闇の迫る空の下、間桐雁夜はとある洋館の門の前にいた。

 ……確かに、この場所が生家のはずであるが、記憶とのあまりの落差に雁夜は門前から中に入ることができずにいた。

 

 伸び放題だった芝生や生垣、鬱蒼と茂っていた木々は綺麗に切り揃えられ、館全体を覆っていた蔦は無くなり、外壁は塗り直され、窓も壊れた箇所が修復されている。

 母屋から少し離れた場所には車庫が作られ、低燃費で最近CMでよく見る国産軽自動車が置かれていた。

 玄関付近には、ラティスで囲われたプランターが並べてあり、色とりどりの花を咲かせ見頃を迎えていた。

 

「――どういう……ことだ……?」

 

 もう一度念のため、門柱に取り付けてある表札を確認するが、どう見ても「間桐」と書いてあるので、間違いはない。

 

 困惑しつつも、雁夜は門を開けた。

 

 

 

 

 

◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆

 

 

 

 

 

 龍之介の右手に令呪が出てから、早くも3年になろうとしている。

 彼はあれからとんぼ返りで実家に戻り、両親を説得した結果、私の弟子になった。

 今は国立冬木大学の文学部に通い、教職課程を取っている。

 どのように説得したのかは、よく聞かなかったが元々優等生であったし、大学を辞めて別の大学を再受験したいという我侭も聞いて貰えたらしい。

 ただし、浪人中はもとより大学に受かっても仕送りはしないので生活費も学費も自分で稼げという、かなり厳しい処遇にはなったようだが、それについては同情はしない。

 なにしろ、住まいは私の屋敷に住めばいいし、食事も問題はない。

 学費や遊興費の分くらいはアルバイトして稼げとしか言えなかったが。

 

 桜ちゃんも、ごく最近正式に私の養子となった。

 小学校に入る直前に養子にするということで話を通しておいたおかげで、養子縁組はトントン拍子に進んだ。

 まだ、屋敷に来て一ヶ月もたっていないため、態度はぎこちないが何とか慣れてくれようとしているのがわかる。

 私としては遠坂と縁を切らせるつもりもなかったので、母である葵さんや凛ちゃんにもいつでも好きなように会って構わないとは伝えてある。しかし、どうもうまく伝わっていないようだ。

 本来ならば、年齢的にいって鶴野さんや雁夜さんを父とするべきなのだろうが、絶縁状態であり、探そうと思えば現住所を探すことはたやすいが、それをすることは躊躇(ためら)われた。結果として、歳の離れた娘ということになったのだ。

 

 原作では、数日で雁夜さんが桜ちゃんを養子にしたことを知り、屋敷に乗り込んできたはずだがいつになっても現れないため、ここでも齟齬が起きているらしい。

 いつ来るのかは分からないが、早めに来てほしいものなのだが……。

 

 ささいな違いといえば、藤村大河の年齢もそうだ。

 龍之介に言われるまで知らなかったが、本来の年齢は今よりも二つほど年下らしい。

 

 そして、何よりも違うのは、時世の流れだろうか。

 これも私は気がついては居なかったのだが、龍之介が弟子になった際に彼が作った簡易年表でようやく知った。

 原作では聖杯戦争が起きたのは1992年ないし1993年。

 しかし、その年は過ぎ去り、当時は既に1994年だった。

 どうやら五年から六年、ズレが生じている。

 

 最後に、"現実"と決定的に違った点がある。

 1995年の一月に、阪神・淡路大震災が起きなかった。

 確かに、神戸市という都市がなく、日本地図上では冬木市となっている大本の違いがあるが。

 

 原作では人殺しのシリアルキラーが、教師を目指してまじめに大学に通い、諸悪の権化の妖怪爺が、そこそこに人望のある好々爺になっているのだから、違うのもわかるといえばわかる……が、腑に落ちない。

 

 とはいえ、考えたところでそれらの理由は説明もつかず、バタフライ・エフェクトだと思う他はなかった。

 

 

 

 

 

「――桜ちゃーん」

 

「はーい。この匂いは……おじい様、今日はカレーですか?」

 

 私の呼ぶ声に、パタパタと桜は奥のリビングから走ってきた。

 圧力鍋の蓋を開けたところだったので、カレーの香りが台所に広がっている。

 

「そうですよ。桜ちゃんはカレーは嫌いですか?」

 

「ううん。大好きです」

 

「それは良かった。もうすぐ、龍之介くんも帰ってくるでしょうし、少し早めですが御飯にしましょうね」

 

 龍之介も今日はバイトが無いと言っていたので、そろそろ帰ってくるだろう。

 

「そこのサラダをテーブルに運んで貰えますか?」

 

「はい!」

 

 私の言葉に桜は良い返事で返すと、シーザーサラダの入った木製のボウルを食卓へと持っていく。

 白い皿に御飯を盛り、カレーをかけたところで玄関先が騒がしいことに気がついた。

 

「桜ちゃん、先に食べていて下さい。ちょっと見てきます」

 

「龍ちゃんじゃないんですか?」

 

「だと思うんですが……他にも人がいるみたいなので」

 

 視界を玄関先に配置してある使い魔の羽蟲に切り替えようとしたが応答がないため、私は割烹着を脱ぎ、椅子に掛けると玄関の方へと向かった。




ようやく雁夜おじさんと桜ちゃん登場。
今回、少し短いです……。


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理解と反発と

 カラーリングしていない黒髪に銀縁の眼鏡。これで服装センスが残念であれば残念なオタクに分類されそうなものだが、その部分は割とまともらしい。

 そんな雨生龍之介は、高等学校教諭を目指す大学生だ。

 

 本来の歴史ならば、"死"というものを知るためにシリアルキラーとして将来は名を馳せていたかもしれないが、あいにくとここの龍之介は別人である。

 例え、右手の甲に「令呪の兆し」と呼ばれる聖痕が現れ(普段は化粧品のコンシーラーとファンデーションで隠しているが)、それが原因で折角受かった地元の大学を蹴ることになり、学費と生活費のためにバイトに追われようと、歳の離れた友人だが胡散臭い魔術師の弟子になったとしても、夢は変わらない。

 

 そんな彼は、愛車であるマジェスティから降りてヘルメットを弄びながら、下宿先兼弟子入り先の家の玄関前にいる挙動不審な男にどう対応するべきか悩んでいた。

 その不審人物には、面識はなくとも彼が誰であるかという見当もついているのだが。

 

 やがて携帯を取り出して、何回か操作しながら画面を見つめ、頷くとそれをしまい込んでから不審人物に声をかけた。

 

「――あのー……なんか用すか?」

 

「うぇっ!?」

 

 龍之介がおずおずと背後から声をかけると、まるで鳥か蛙が潰れたような声を黒いパーカーを着た不審人物――間桐雁夜は上げた。

 

「……だ、誰だ!?」

 

「いやいや……それは、こっちのセリフでしょ。門の所の呼び鈴も、玄関前のチャイムすら押さずにさっきから何やってんすか?」

 

 彼の目的も、彼自身についても龍之介は知っているのだが、あえてそれは御首にも出さない。

 

「ここは……間桐家で間違いないんだよな? 俺は十年前にここを飛び出した次男の雁夜だ」

 

「あー……それじゃ、リフォームされてるからびっくりしたんすね。間桐さんで、間違い無いすよ。俺は雨生龍之介っス。この家で下宿させて貰ってます」

 

「は……下宿……? おい、どういうことだ!? 何を考えてるんだ、爺は?! お前も魔術師なのか!? おい!」

 

 雁夜は、龍之介の襟元を掴み怒鳴りつけた。

 

「ちょ!? 落ち着いて!」

 

 ああ、やっぱり、こうなるかー……と、龍之介は少し遠い目になりながら、現状を知らせるために師の使い魔の羽蟲を探した。しかし、蚊よりも小さなその蟲を咄嗟に探すのは困難であり、早々に諦めるはめになった。

 とはいえ、玄関先でこんなに騒いでいるのだから、恐らく気がついてそろそろあらわれるはずだ。

 

「とにかく! ……事情はよくわかりませんけど、何か用事があってきたんでしょ? 家の中(なか)に案内しますから」

 

 その言葉に雁夜の手の力が緩んだ。

 掴まれた襟元を直してから龍之介が玄関ドアに手を掛けると、同時に中から扉が開かれる。

 

「――全く、何を騒いでいるんですか?」

 

 年の頃なら50代前後の着物姿の男性……が、中から姿をあらわした。

 

「また知らない奴が……! おい、臓硯はどこだ?! 雁夜が帰って来たと伝えてくれ!」

 

 雁夜の影で、コッソリと手をあわせて首をすくめ、龍之介はその男性に謝る。

 その姿に男性――臓硯は、軽くため息をつくと、彼等を招き入れた。

 

 

 

 

 

◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆

 

 

 

 

 

 とりあえず、雁夜さんは龍之介とともに応接間に通した。

 夕飯時ではあったし、一緒に夕飯を……とも考えたのだが、雁夜さんの口から"臓硯"の所業が桜に伝わることは避けたかった。我侭だとは思うが「優しいおじい様」として見られている今を壊したくはなかったのだ。

 

 応接間から少し離れたダイニングへと戻ると、桜は床に足が届かない椅子に座ったまま足をブラブラとさせて、カレーにもサラダにも手を付けず、テーブルに伏せるようにして私のことを待っていたらしい。

 

 私に気がついて、はっとしたように飛び起きた。

 

「おじい様、お客さまですかっ?」

 

 少しお行儀は悪いが、その態度は微笑ましく私は思わず笑みを浮かべた。

 

「先に食べていてよかったのに、待っててくれたんですか」

 

「ひとりで食べるのはおいしくないし、みんな一緒がいいから」

 

「じゃあ、もう少し待たせてしまいますね……雁夜さんが来たので、これから少しお話してきますので……」

 

 手早く煎茶をいれて、茶請け用に煎餅を用意する。

 紅茶でも良かったのだが生憎とティーパックのものは切れていた。それならば、時間と手間を考えれば急須でいれた緑茶に勝るものはないだろう。

 

「え……雁夜おじさん……?」

 

「きっと、雁夜さんは桜ちゃんが心配で来たんでしょう」

 

 雁夜さんと聞いて桜は何やらソワソワしている。

 母親と姉と一緒に、会うことも多かったからそれを思い出しているのかもしれない。

 

「お話……終わったら、おじさんとお話したいです」

 

「じゃあ、難しいお話が終わったら、みんなで御飯を食べましょうか?」

 

 話にかかる時間によっては、折角圧力鍋も使ってじっくり煮込んで柔らかくなった牛スジカレーは冷めてしまうだろうが温め直せば良いし、サラダも冷蔵庫にしまって置けばいいだろう。

 ……さすがに、真夜中までかかることはないと思いたいが。

 

「はいっ! お腹へったけど……終わるの待ってます!」

 

 嬉しそうに桜は微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 応接間にて、ソファーに座る雁夜さんと龍之介、そして自分の前に茶碗を置き、茶請けをテーブル中央に置いた。

 雁夜さんは、私は使用人だと思っているのか、茶を置いた段階ではイライラした表情ではあったが会釈をしてくれた。龍之介はそんな私達の方を見ている。

 

「さて――――お待たせしてすみませんでしたね。話をお伺いしましょうか」

 

 当然、臓硯が座るべき場所に私が座ったため、雁夜さんは驚愕の表情を浮かべた。

 

 雁夜さんが覚えている臓硯は、おぞましい手段によって延齢に延齢を重ねてきた不死の魔術師であり、間桐の血脈の大本たる人物。何代にも渡り間桐家に君臨し、現代に生き残る正真正銘の妖怪という、禿頭で顔はおろか手足もしわだらけの矮躯な老人だろうが、今の私とはあまりにも見た目が違う。

 長く伸ばし、ゆるく一つに縛った白髪混じりの藍色がかった黒髪。穏やかそうな優しい顔だとよく言われる顔と、雁夜さんよりは低いが、あの臓硯よりも20センチ以上高い身長と割としっかりとした体格。

 これで同じ人物だと思うのはどう考えても難しいだろう。

 

「あんたが臓硯……だと……? 何の茶番だ!?」

 

 雁夜さんが怒りと驚きの余り、立ち上がった。その拍子に、テーブルに手を叩きつけるように置いたせいで、茶碗が不穏な音を立てた。

 

「それに、コイツまでここにいるのはどういうわけだ?!」

 

 龍之介を指さし、部外者はいらないとばかりに声を荒げる。

 

「あ、静かにしているから、気にしないで。この家の関係者として話を聞いてるだけなので」

 

 コイツ呼ばわりされた龍之介はサッと手を上げて、そう言ってから携帯を取り出してそちらを弄りだした。

 

 そういえば。携帯電話といえば、この世界で元の世界と変わっていることの一つだ。

 何故か一部の精密機械が異様に発達し、PCや携帯電話などはその恩恵を受けており、携帯電話なら世代で言えばスマートフォンが出る一歩手前。PCもネットブックのような小型で手軽に持ち運べるサイズが、かなり安い値段で店に並んでいる。

 ネット環境も同じ事で、これらに関して言えば十年は先を進んでいるだろう。

 

 実際の歴史を知る者として、私は何か気持ちが悪く、必要にかられて通話のために携帯は購入したものの他の物には手を出してはいない。

 龍之介は、若さもあるのか携帯だけではなく、ネットもPCも気軽に使用しているようではあるが。

 

「……彼は、私の弟子です。ですから、部外者ではありませんよ。

 そして、私に関してですが……簡単に言えば、臓硯であって臓硯ではない。

 私を構成するもの、一つ一つは臓硯で間違いないけれど魂は違う」

 

 雁夜さんの目を見ながら、私は言う。

 鶴野さんに説明した際も同じ事を言った記憶があるが、逃げ出すという選択をした彼とは違って雁夜さんにはもっと説明が必要だろう。

 

「……まあ、この事については、またにしましょう。今は、貴方がここに戻ってきた理由を聞くことからです。何か話があって来たのでしょう?」

 

 自分の茶碗を手に取り、茶をすする。

 雁夜さんが来た理由は原作知識もあるから理解しているが、聞かないことには始まらない。

 

「……噂を聞いた。間桐の家がとんでもなく恥さらしな真似をしている、とな」

 

 やはり桜のこと。

 時期はズレたが、行動自体もズレているわけではないようだ。

 

「遠坂の次女を養女として迎えたそうだな。まさかとは思うが、この"弟子"と結婚させて間桐の血筋に魔術師の因子を残すつもりか?」

 

 最初に言った"臓硯であって臓硯ではない"が引っかかっているのか口調自体は詰問というより、疑問という形態になっている。

 

「間桐臓硯、取引だ。俺は次の聖杯戦争で間桐に聖杯を持ち帰ろう。その対価に遠坂桜を解放しろ。新しい代の間桐が産まれなくとも、聖杯で不老不死を得て、あんた自身が生き続ければ済む話だろう」

 

 これで原作の臓硯ならば一笑に付して、刻印虫の話へと話が移るのだろう。

 

「……ねえ、俺も少し話してもいい? 臓硯さん」

 

 携帯を閉じた龍之介がおもむろに話を切り出した。

 

「構いませんよ、龍之介くん」

 

 私が許可を出すと、龍之介はホッとした様子で雁夜さんの方に顔を向けた。

 

「……雁夜さん。突然だけど、魔術属性と起源とか、封印指定って知ってる?」

 

「は……? 魔術などという忌むべき穢らわしい物の話など知るわけ無いだろう」

 

「うん、そう返してくると思った。でも、魔術が穢らわしいかそうじゃないかなんて、使い手と魔術の内容によるよ? ちなみに、俺の属性は「水」で起源は「伝達」ね。起源はともかく、俺の属性自体は珍しいものじゃない。この属性と起源っていうのは人それぞれなんだけど、稀に珍しい属性を持って生まれてくる人がいる」

 

「それが何だと言うんだ? 今までの話と何が関係すると言うんだ?」

 

「遠坂の次女――桜ちゃんは、稀な属性を持っているんだ。しかも、そんな属性を持っているのに自衛の手段もなく一般人として暮らしたら大変なことになる」

 

 そして、龍之介は私に話してくれたように、雁夜さんに対してそのままであった場合に起きえた危険性について話をしていった。

 その言葉に雁夜さんの表情は、驚愕と嫌悪の色に染まっていく。

 

「……少なくとも、ここなら両親に会いに行く事も、お姉さんに会うこともできる。それに、教えてるのは蟲を使う魔術じゃない。だから、雁夜さんが思うような――」

 

「お前に何がわかる!? 弟子のお前にそんな説明されても『はい、そうですか』などと納得なんてできるか!」

 

 龍之介の言葉を遮り、雁夜さんは激高し声を荒げた。

 無理もない。家に帰すことは、文字通り不可能だと言っているのだから。

 そして、憎悪の対象だった"臓硯"の弟子から説明されているのだから、頭で理解しても納得はできない。

 

「……私は本当に貴方の知る臓硯ではありません。だからこそ、自分の手の届く範囲は幸せにしたいと思っています」

 

「だから、それは茶番だろう!?」

 

「いいから聞きなさい! ……信じられないのはわかりますが、実際こんな目にあった私が一番信じられないのですから」

 

 そして、私は死した自分の身に起きた信じられない出来事を話し始めた。




やっと環境も整ったので投下です。
リアル引越し疲れたよ……orz


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回る廻る3

「――――つまり……お前の魂はその女だというのか?」

 

 雁夜さんを一喝してから話し始めたせいか、私の割と長い自分の身の上話を大人しく最後まで聞くと、そう呟いた。

 ちなみに、この部屋自体には霊体すら入れないように、元の臓硯が秘蔵していた結界用の魔術礼装の一つを用いた強固な遮音結界がかけてある。その上、盗聴器の類は毎日の掃除の際に確認しているので外部に話が漏れることもないはずだ。

 

「そういうことです。先程も言った通り、この世界はあちらでは創作物の世界でした。そのため、私はこの世界の今後起こりうる出来事を知っています。もちろん、その創作物で描写されていた範囲で……ですが」

 

「……到底信じられない。それなら、まだ『臓硯が転んで頭を打ち、おかしくなった』と言われた方が俺は信じられるくらいだ」

 

 話した私が信じられないのだから、疑心暗鬼状態の雁夜さんには余計信じられないだろう。しかし、信じてもらわないことには、今後の原作の怒涛の鬱展開をひっくり返せないとも思う。

 

「では、少し話を変えましょうか。――貴方の兄が今どうしているか御存知ですか?」

 

「兄貴? そういえば、ここに居ないが……」

 

「彼は貴方が出奔した際に当主の座におかれましたが、私が臓硯になった際に自由にすれば良いと言ってこの家から開放しました。そのため荷物をまとめて出ていき……しばらくして、小説家になったようです。

 数年前にヒットした『蟲毒の夢』という映画は御存知でしょう? その原作者で、最近TVや雑誌などのメディア出演の多いあの作家ですよ」

 

「なっ……確かに、その映画は知っているが、まさか兄貴が書いたものだと!」

 

 さすがに、小説は知らなくても映画は知っていたようだ。

 それにしても、フリーライターではなかったのだろうか? 私の記憶違いか?

 あれだけ有名になれば、出版社で名前を見かけるくらいありそうなものなのに。

 

「ああ、それから。蟲蔵の中にいた淫蟲は死滅させました。今の蟲蔵は改装済でキレイなものです」

 

「…………」

 

 死滅させたという言葉に、雁夜さんは目を見開く。

 あの淫蟲は、雁夜さんが知る間桐の魔術のためだけでなく、臓硯が生きるためにも必要不可欠なものだ。臓硯が身体を乗り換える際に、あの蟲を使っていたから。

 そして、私の今の身体を形作る蟲は刻印虫と同じ種類ではあるが、淫蟲ではない。

 

「もちろん、犠牲者の方々の成れの果ては、きちんと供養して埋葬しました。あの中に御両親もいたのでしょう……?

 臓硯の記憶は受け継いでいましたから覚悟はしていましたが……どれだけ外道な魔術師だったのか、良くわかりましたよ」

 

 ずっと話通しだったため、喉がカラカラだ。

 喉を潤すために湯のみを持ち、お茶を口に含む。

 

 雁夜さんの態度は、視線を少し泳がせ始めているから、半信半疑というところか。

 いや、半信半疑くらいになったのなら、少しは信用してくれたのだろうか。

 

「だから、貴方が私達を信用出来ないのは、良くわかります。かと言って、桜ちゃんを遠坂の家には戻せないのです。先程龍之介くんが説明してくれた通り、あの子の安全と将来のためにも……。

 雁夜さん。桜ちゃんを救うために、命を落としても構わないと、この家に来たというなら、今までの生活は既に捨てた後ですよね。でしたら、信用できるまで……納得できるまで、この家で貴方の目で確めてはいかがですか?」

 

 初恋を引きずっていることを指摘しても、現状では良い方向には向かない。

 だから、私は下手に説教地味たことは言わない。

 今の生活を見れば、感じれば、考えを変えてくれるはず。

 

「わかった。ただ……魔術を教える際には、俺も同席させろ。外道な真似をしたら、すぐにでもあの子を連れて出ていく」

 

 少なくとも、私が臓硯ではないことは信じてくれたらしい。

 臓硯が相手なら、こんな提案はしたくとも出来ないはずだ。

 

「ええ、構いません。むしろ、知識として貴方にも知っていて欲しいので同席をお願いするつもりでしたから」

 

 私は笑みを浮かべて、彼に手を差し伸べた。

 

 

 

 

 

◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆

 

 

 

 

 

 間桐臓硯と名乗った人物の話は、良く言えば出来過ぎたお伽話、悪く言えば戯言の作り話だ。だいたい、今自分がいる世界が創作物の世界だったなどと言われて、すぐに信用できる方がおかしい。

 しかし、真摯に話す態度を見ている限り、嘘や戯言と決めつけて片付ける事は雁夜にはできなかった。

 

 だから、話が終わった後に一緒に夕食をと誘われ断ろうとしたものの、食事や酒の席では本質を垣間見ることもできるので相伴にあがることにした。その後に良い笑顔で桜がお腹を空かせて待っていると聞かされ、何故それを先に言わなかったのかと一悶着があったことは置いておくとして……

 

「こんばんは、雁夜おじさん!」

 

 ダイニングに龍之介に案内され、室内に入ると桜が嬉しそうに雁夜の腰に抱きついた。

 

「ああ……桜ちゃん。こんばんは」

 

 髪の色も眼の色も、控えめだがクルクルとよく変わる表情さえも養子に来る前と全く変わらない。

 

「むぅ。桜ちゃん、俺にお帰りは言ってくれないの?」

 

 先ほどの会話中は携帯ばかり弄っていた"自称臓硯"の弟子の龍之介が、少し悲しそうに雁夜に抱きついたままの桜を覗きこんだ。

 

「あ、忘れてた。ごめんね、龍ちゃん。お帰りなさい!」

 

 龍之介を見上げてそう言うと、彼は満足したように人好きする笑みを浮かべて「ただいま、桜ちゃん」と返して、彼の席と決まっているのであろう場所に座る。

 

「えと、おじさんの席はこっち。私のとなりです!」

 

 笑顔の彼女に手を引かれるようにして食卓につかされ、桜がその隣りに座った。

 

 食卓に並ぶカレーとシーザーサラダ、きゅうりの漬物。桜が嬉しそうに説明してくれたが、全ておじい様――間桐臓硯と名乗った人物……もう面倒なので、雁夜はその名前にイラつきながらも臓硯と彼を呼ぶことにした――の手作りだそうである。

 

「……使用人はどうしたんだ? 確か通いの家政婦さんがいただろ?」

 

「随分前に歳になって通いはツライからと辞めましたよ。今は使用人は誰もいません」

 

 先にこちらに戻った臓硯が、真っ白な割烹着を身に着け、手には水出し緑茶か抹茶色の飲み物の入ったグラスが四つ並んだトレイと、ガラスポットを持って現れた。

 

 確かに、一連のこの行動からして別人である。これが()()臓硯なら料理など、まずしないし、人にかしずかれて暮らすことが当たり前なのに給仕のようなことなど絶対にするわけがない。魔術の研究や()()()()()()に時間を割いているはずだ。

 

 全員が揃ったところで「いただきます」と挨拶をして食事をはじめた。

 

 龍之介が今日一日の出来事を話し、桜が龍之介の失敗談で楽しそうに笑い、それにまるで母親のように臓硯が諭しつつも一緒になって笑う。どこにでも有りそうな(実際はありえないが)一般家庭の姿がそこにあった。

 雁夜は出されたカレーを少しは口にしたものの、手を止めてそれを見ていた。

 

「おじさん、カレー美味しくない?」

 

 食事が進まない雁夜を桜が見上げた。

 

「あ、いや……美味しいよ。コンビニの弁当やジャンクフードぱっかりだったから、こういう料理は久しぶりで」

 

「そうなの? ……あのね。もう少し大きくなったら、おじい様がお料理いっぱい教えてくれるって言ってたの。そしたら、おじさんに作ってあげる!」

 

 明るく、楽しそうに彼女はそう言った。臓硯や龍之介はそれを微笑んで見ている。

 

「……ありがとう、桜ちゃん」

 

 確かに桜はこの家に養子としてきているが、懸念していた酷い扱いはされていないし、何よりも臓硯は違う人物になっている。

 魔術に対しては嫌悪感しか抱けないが、桜に関することなのだから、もう少し詳しい話を落ち着いて聞いてもいいかもしれない。

 桜を家族……遠坂葵の元へ帰すことは諦めてはいない。

 しかし。それを想うあまり、肩に力が入りすぎていたかもしれない……と、雁夜は心のなかで呟き、苦笑した。

 そして、残りのカレーを雁夜はきれいに食べ、おかわりまでしたのだった。

 

 

 

 

 

◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆

 

 

 

 

 

「ケイネスには銃器の勉強もさせたし、起源弾の脅威は伝えた。後は、何か見落としているものがあるかしら……」

 

 燃えるような赤い髪の少女……いや女性、ソラウ・ヌァザレ・ソフィアリ。ここ数年で、少女から大人の女性へとその姿を変えた。

 彼女は魔術師としては珍しく現代の機器にも精通し、PCや携帯を使う。

 その影響か、彼女の婚約者のケイネスも携帯だけは使用するようになった。

 

 そんな彼女が視線を落としているのは、自室のPCのディスプレイだ。

 そこには東洋の島国の言語……日本語による、時間系列を並べた表のようなものがある。

 その表を見ながら、更に別のチェックシートに彼女はチェックを入れていく。

 

 戦争まで後、約一年。

 アレキサンダー大王……イスカンダルの聖遺物がなかなか見つからず、ケイネスは別の英雄の聖遺物も探し始めている。恐らく、それはあの輝く貌の騎士ディルムッド・オディナのものだ。

 もしそれを手に入れたのなら、召喚はこの英国で行うようにケイネスに伝えなくてはならない。

 サーヴァントは知名度補正を受ける。イスカンダルはともかく、ディルムッドでは知名度は日本では圧倒的に低く、こちらで召喚した場合と比べてステータスが一ランク以上下がるだろう。

 伝説では、彼は本来は剣と槍を同時に扱う騎士としてはかなり変則的な戦い方をする英雄だ。

 破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)の二本の槍と魔剣大いなる激情(モラ・ルタ)、名剣小さき怒り(ベガ・ルタ)の二本の剣。

 適正としてはランサーかセイバーしかないが、どちらで呼ばれたとしても剣と槍どちらかしか宝具とすることができず、両方が揃うということはない。

 

 ……だが、それはあくまでも"宝具"としてということだ。

 

 過去の英雄たちが使った武器は概念武装、魔術礼装としてのこの世に残っている可能性がある。

 小さき怒り(ベガ・ルタ)は、刃身は粉々に砕け柄の部分しか残されなかった。だが、大いなる激情(モラ・ルタ)は破損されたという伝説はない。

 

「まあ……勝つために必要なら探すしか無いわよね」

 

 資金は問題ない。暇潰しにやっていたオンライントレードで手に入れた資金は潤沢だ。 足りなくなれば、ケイネスにも話を持っていくだけだ。

 

「私の勝利条件はケイネスと一緒に生き残ってここに帰ってくること。その為ならなんでもするわ」

 

 クスクスと笑いながら、ソラウはキーボードを叩き続けていた。




モラ・ルタとベガ・ルタの日本語訳は何種類かあります。
原作では出てこないので、その内の一つを選び今回は表記しました。
大いなる怒りと小さき激情でも良かったんですけど、なんか違うと思ったんですよね……


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回路と属性

 間桐家に雁夜が戻った次の日。

 

 早朝、雁夜は以前使用していた部屋で――昔いた時よりも小奇麗に掃除された室内で――柔らかな布団で寝ていた所を桜に起こされた。

 

 昨夜は、驚きの連続だった。

 

 食事の後によくよく周囲を見れば、旧時代前とした屋敷は様変わりしていた。外だけでなく屋敷内もだ。

 ロウソクの燭台やシャンデリアが置かれていた場所にはLED電球が人工的な光を灯し、台所は使い勝手の良さそうなシステムキッチンにかわっている。

 リビングには大きな液晶テレビが置かれ、テレビ台の中にはDVDデッキと最近出たばかりのゲーム機がソフトと共に入っていた。

 そして薪で沸かす風呂も、追い焚き機能付きの某メーカーのシステムバス、トイレも最新のウォシュレット……と神秘の秘匿はどうしたのかと、魔術師ならば逆に問い詰めたくなる所行である。

 

 だから(くだん)の臓硯が昨日の夕飯時のように、朝食を――もちろん、和食の手の込んだものを――手早く用意していたり、テレビの朝のニュース番組を見ながらそれを食べることになったとしても、昨日よりは動揺していなかったはずだ。

 

 

 そんな雁夜も、朝食後に工房で魔術を教えるというので着いて行った先で驚きのあまり、足が止まった。

 

 

 屋敷の地下に作られていた蟲蔵は一見すると、地下への入り口が洞窟に繋がっているかのようだった。ここが工房なのだそうだ。

 雁夜がおぼろげに覚えている幼い頃に放り込まれた蟲蔵は暗く、湿気と得体の知れない腐臭が漂い、ギチギチと蠢く気味の悪い蟲達しかいない空間だった。

 しかし、今の蟲蔵は暗さと湿気はあまり変わらないまでも、水が流れるせせらぎのような小さな音と緑色の淡い光の中に浮かぶ泉があり、どこかに空気を循環させる換気口でも作られたのかまるで深い森の中のような空気を感じる。

 あの会談時に臓硯が言っていたように淫蟲はことごとく処分されたのだろう。

 

 そして、この泉はただの水が湛えられているわけではない。

 冬木の地脈より霊力を受けている地下水を組み上げ、その水によって人工的な泉を作っているのだ。この泉の水の魔力を養分として、暗所においてエメラルド色の幻想的な光を放つヒカリゴケを育て、それを蟲達の餌としているのだという。

 もちろん、一部の肉食の蟲には三ヶ月に一度、牛一頭分の肉を与えているのだと付け加えて。

 

「餌代がかかって仕方ありませんが、あの子達もいないと困るので仕方ないのです」

 

 人の血肉を餌としなくとも、魔力を含む植物や水でも代用できるのだと変わり果てた蟲蔵を入り口から呆けたように口を開けて見つめる雁夜に、桜と手を繋いで階段を先に降りた臓硯は言った。

 

「あの……雁夜さん、降りないならそこ退いて貰えないすか? さすがにこれ抱えて横はすり抜けられないんで……」

 

「――――あ。……悪い、すぐ降りる!」

 

 大きなファイルケースと道具箱のようなものを抱えるように持って、最後に地下に降りようとしていた龍之介に背後から声をかけられ、固まっていた雁夜は、はじけたように慌てて階段を走り降りた。

 

 

 

 

 

◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆

 

 

 

 

 

「さて。それでは今日から、雁夜さんが参加することになったので、復習を兼ねて魔術回路と属性についての話からしましょうか」

 

 私は龍之介が持ってきたファイルケースと道具箱を受け取り、奥に設えた大理石の机の上に置いた。

 雁夜さんは初めての、桜にとっては二度目の見るそれに視線があつまった。

 

「魔術回路とは、魔術師が体内に持つ擬似神経であり、生まれながらに持てる数が決まっていて、本来は増えることも減ることもない内臓です。ただ、内臓に例えるくらいですから、移植によって増やすことも減らすこともできなくはないのですが、あまり現実的ではありません。

 そのため魔術師の家系は一本でも魔術回路が多い後継ぎを誕生させようとします。それゆえ古い家系の魔術師ほど強力で一般の人間には魔術回路を持つ人間はいないのです」

 

 道具箱の中からキリル文字が刻まれた年代物のナイフを取り出し、ファイルケースの中身の書類を広げる。

 

「魔術回路を起動し使用すると肉体がそれを拒んで苦痛が現れます。そして、一度回路を開いてしまえば、その後は術者の意思で起動と待機の切り替えができるようになります」

 

「俺の場合は、自分の血を見ることが起動スイッチ。使用時は……例えるなら虫さされが超痛痒い感じ? アレが全身を駆け巡るからわりとツライ」

 

「わたしは、おく歯を思いっきりガチンってかむの。でも使ってる時は、龍ちゃんみたいに痛いってあんまり感じない……?」

 

 龍之介と桜が自分の回路の起動方法と使用時の感想を言葉にした。

 ちなみに私は、魔術の行使に全く痛みを感じない。これは、もう人を辞めてしまっているためだろうと愚考しているので誰にも話はしていない。

 

「そうですね、使用時の痛みも切り替えイメージも人によって様々です。雁夜さんは、一度魔術回路を起動させていますよね? その時を思いだすといいですよ。龍之介くんも桜ちゃんも初めて回路を開いた時の状態が起動スイッチになっています」

 

 龍之介の時は何をやっても回路が起動せず、冗談まじりに口にした『本物の龍之介は自分の赤が一番きれいだと思っていたのだから、いっそ自傷してみては?』を半ばヤケで行い、結果動いた。

 あの時は、本気でやるとは思っていなかったため、最初に教えるはずだった使い魔使役よりも先に治療魔術をまず教えることになった。

 

「切っ掛けはどうあれ、回路が起動できるなら問題はありません。できないようであれば起動方法から模索することになりますが……」

 

「開いた時……? 昔、蟲蔵に入れられた時だから……」

 

 雁夜さんはそう言いながら、思い出していたのかだんだんと顔色が悪くなっていった。

 もしや、トラウマスイッチを押してしまったのだろうか。

 

「次に属性ですが、これは魔術師がそれぞれ得意とする魔術の方向性を決定するものです。ちなみに私の属性は水と土の二重属性です。そのため、この属性についてなら問題なく教えることはできるのですが……それ以外である、桜ちゃんについては基礎と属性が関係しない魔術しか教えられないのが残念です」

 

 私は、自分を見上げてくる桜の頭をなでた。

 最低限度のことしか、本当に教えられない。それ以上は桜の魔力回路を弄ってしまうことになるし、間桐の外道魔術を教えるわけにも行かないのだ。

 

「わたしのぞくせいが珍しいから?」

 

「そうですね。前にも桜ちゃんに言った通り……架空元素・虚数は扱う人は殆どいない。だから、自分で自分を守れるようにならないと殺されちゃう可能性もあるんです。今は私や龍之介くん、虫さんたちもいるけど守り切れない可能性も出てくるからです」

 

 虫さんたち……これは桜に与え、育てさせた蟲だ。

 

 平時の姿は赤いトンボや青い蝶をしているが一旦命令を受ければ、それぞれがグロテスクな翅刃虫へ変わる。蜂はそのままオオスズメバチの一種に拙いながらも魔力を注いで育て使い魔にしたものだ。

 

「うん……だから、わたしは遠坂のお家に帰っちゃいけない……」

 

「桜ちゃん……!」

 

 雁夜さんが、寂しそうに呟いた桜を跪いて抱きしめた。

 

「…………わかった。すぐに、お母さんやお姉ちゃんのもとに送り届けてあげるよ。行こう!」

 

 そしてそのまま、桜を抱き上げて階段の方へと向かおうとする。

 

 ……何を聞いていたんだ、この人は。

 話を聞かない人だと思ってはいたが、さすがにこの行動はマズイ。

 

「――――だめ!」

 

 私と龍之介が声をかける前に、桜が雁夜さんを止めた。

 

「雁夜おじさん……わたしはもう間桐さん家の子なの。遠坂のお父さんは、私に生きてて欲しかったからおじい様にわたしたんだよ?」

 

「桜ちゃん……」

 

 泣きそうな……いや、泣いている桜が毅然として言った台詞に、雁夜さんは言葉を失った。

 

「雁夜さん、昨日龍之介くんが話したではありませんか。魔術師は一子相伝。次子以降は魔術は教えられないと。それでは、桜ちゃんは生きられないのです」

 

 昨日、龍之介がした話を再度私は口にした。

 封印指定と否応もなく今後来るであろう危険性を。

 

 桜にこれを話して理解して貰うことは本当に大変だった。

 

 突然親元から離された、たった五歳の女の子である。

 いくら、利発な子供とはいえ、理解力はただの子供と変わらないのだ。

 

 雁夜さんに説明しながら、私は桜を引きとったあの日のことを思い出していた。




お久しぶりでございます。
今回は少し短めかも。

次回は過去話で、桜ちゃんが間桐家に来た時のお話です。
今回よりは間を空けずに投稿できるかと思います。



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さくらとおじいさん 前編

 養子の話を遠坂家に持ちかけたのは、今から三年前――――それは、龍之介が初めて冬木に訪れた時のことだ。

 思い立ったが吉日と、秘密裏に飛ばした蝶の形をした使い魔の蟲を通し、遠坂邸の時臣の書斎にて私は話を切り出した。

 

 桜を養子として貰い受けたいと。

 

 もちろん、遠坂時臣からは返事は待ってほしいと告げられた。それに対しての私の返事は是。

 もとより、すぐに返事がもらえるとは思っていない。むしろ突き返されるのではないかと思っていたのだ。

 

 それから、更に一年ほど過ぎ……養子の件については了承の返答を貰った。

 他にも、数件養子にしたいと問い合わせがあったらしいのだが、桜の将来を考えて、後継者が定まっていない間桐が一番良かったらしい。

 しかし、まだ幼い凛が体調を崩して寝こむ事が多かったため、万が一の場合を考えて引き取るのは桜が小学校に入学する直前ということで話がついた。

 

 ゆえに、桜ちゃんとはその引き取りの日に初めて会うことになるのだろうなと私は思っていたのだが。

 ……世の中というものは、やはり私の思うとおりには進まないようである。

 

 

 

 ある日の夕方、私は買出しのために徒歩で商店街に向かっていた。

 龍之介はバイトが有るため、帰宅が遅くなるので夕飯はいらないと連絡をもらっていたので夕食については問題ない。

 そのため、明日の献立について考えながら、住宅街の中ほどにある公園の前を横切った。

 

 ふと、公園の中に目をやると、幼い少女が一人うつむいて地面を見たままブランコに乗っている。

 

 公園に一人で子供を放置するなんて……と思った後に、この時代では然程、珍しくなかったことを思い出した。公園に子供を一人で遊びに行けなくしたのは、後の時代に出てくる変質者たちだろう。

 とはいえ、他に子供がいるわけではないし、本当に一人でいるのならばそろそろ帰宅するべき時間である。

 

「お嬢ちゃん。そろそろ日が暮れるから、家族が心配するし帰ったほうがいいんじゃないかい?」

 

 私は、不審がられるのを承知で公園の中へ入り、声をかけた。

 これで、怖がって帰るならば問題ない。逆に、話しかけられたら話をしながら交番の駐在さんのところへ連れて行けばいい。

 

「……おとうさまもおかあさまも、おねえちゃんがしんぱいなんだもん。さくらはいなくたっていいの」

 

 顔を上げた少女から、予想外の言葉が帰ってきた。

 まだ幼いながらもしっかりした言葉使いで利発な受け答えをする、この少女こそ桜だったのである。

 

 

◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆

 

 

 遠坂桜にとって、その年老いた人は初めて見るタイプの人だった。

 父方の祖父母はすでにもう亡く、母方も祖母しかいない。

 だから、祖父と呼べる存在とは会ったこともない彼女は、こういう人のことをおじいさんと呼ぶのだろうかと考えた。

 父が着ている洋服とは違う、お正月にしか見たことがない着物を着たおじいさんは晴れているにもかかわらず傘を持ち、買い物の途中なのか大きなカゴバックを抱えていた。

 『知らない人に付いて行ってはいけません』と母親からは言われている。

 しかし、付いて行ってはいけないだけで、話をしてはいけないとは言われていない。

 

「桜ちゃん。お母さんもお父さんも桜ちゃんが要らないわけじゃないんだよ? だから、心配させるのは良くない。日が暮れる前にお帰りなさい」

 

 隣のブランコに腰掛けて、優しく間桐臓硯と名乗ったその人は言う。

 

「そんなことないもん。おねえちゃんはおとうさんにかまってもらえて、おしえてもらえてるのに、さくらはかまってもらえない」

 

 実際、桜が父と姉が何かしている所に近づいた時、酷い剣幕で母に怒られた。

 その後、父にも怒られ……なぜ怒られたのか、桜にはよくわからなかった。

 

「とはいえ……もう暗くなるんだよ?」

 

 桜の言葉に、おじいさんは困ったような表情を浮かべた。

 大人から見れば、ただの子供のワガママにしか過ぎない。

 

 しかし、子供にとっては重要なことなのだ。

 自分は愛されていないのか? 必要とされていないのか?

 

「おとうさんも、おかあさんもきらいっ」

 

 少女の足元から、砂埃が上に向かって舞い上がる。 

 臓硯は、それに対してハッとしたように 周囲を見回した。

 

「おねえちゃんはもっときらいっ! だから、おうちにはかえらないのっ」

 

 目から涙を流した桜は歯をぎゅっと噛み締め、その周りには黒い影のような"モヤ"が包んでいた。

 

 

 

◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆

 

 

 

 桜が影を操る――私の記憶ではステイナイトの大聖杯の接続下で"黒桜"にならなければ、使用できなかったはずだ。

 

 ……が、今の状況はどういうことだろう。

 

 子供ならではのワガママから、負の感情が激化して一時的に使用できるようになったのだろうか。

 いや、もしかすると、今この瞬間に魔力回路を初めて起動したのかもしれない。

 そして、幼い子供故に暴走したとも考えられる。

 

「桜ちゃん……」

 

 桜の周りには黒い影があり、桜の感情でその影は形を変えている。

 桜の属性の虚数から作られる魔術は、存在するが目に見えないもの。不確定を以って確定を拘束、実の世界から平面の世界へと飲み込む禁呪である――――と私の中の臓硯の知識は伝えている。

 

「おとうさまもおかあさまも、おねえちゃんもきらいだもん! みんなこまればいいの!」

 

 泣きながら桜は影に命じている。

 このままでは、桜は暴走したまま影を使用してしまう。

 

 私はため息をついた。

 本来ならば、こんなことはしたくなかったのだが……

 

「――――Поставьте.

 Она кладется чтобы спать」

 

 できるだけ、後遺症がないように加減した気絶の魔術を桜にかける。

 さすがに私の魔力に抵抗することは、難しかったらしくそのままブランコから落ちるようにして桜は眠りについた。

 慌てて私は彼女を抱き起こす。前のめりに落ちたため、砂場で窒息などしては危険だし、打ち所が悪いなどということがあっては困る。

 幸いなことに子供の柔軟性の高さか怪我らしい怪我もなくホッとした。

 

 とはいえ、子供に保護の使い魔もお守りの護符もつけていないとは、遠坂時臣はどこまでうっかりなのか。

 

 そんな益体もないことを考えながら、眠ってしまった桜をどうしたものかと思案する。

 

 遠坂邸に連れて行く……不可侵条約があるからそれはできない。

 交番に届ける……やはり、これしか無いようだ。

 

 抱いて移動するわけにも行かないので、常に自分とともにいる蟲たちを使って桜の向きを変え、背中に背負うと私は交番に向かって歩き出した。

 

 

 

◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆

 

 

 

 

 頭の痛みで目が覚めた時、桜は誰かに背負われていることに気がついた。

 大きくて広い背中だが、父親とは違う匂いがするし、高さも違う。

 ぼんやりする目に見えたのは白い髪と肩にかけた藤のカゴバックの紐で……先ほど公園であった臓硯というおじいさんだと桜は思った。

 彼は桜を背負ったまま、日本語ではなさそうな桜が知らない言葉の優しい唄を歌いながら歩いている。

 『知らない人についていってはいけない』という母の言葉を思い出したが、名前も知っているのだから知らない人ではない。だから問題はないはずだと桜は結論づけた。

 

「……ん……おじさん……」

 

 身じろぎして、背負われたまま桜は声をかけた。

 

「おや……もう起きたのかい? 交番まで寝たままだと思ったんだが……」

 

「こうばん……おまわりさんのところ?」

 

「そうだよ。お家に帰りたくないって言っても、一人であそこにおいておくわけにもいかないからね」

 

 まだ五分もたっていないはずなのに、術が弱すぎたか……と呟いた彼の声は桜には聞こえていない。

 

「……なんだか、さくら……あたまいたい……」

 

 我慢できない痛みではないのだが、全身の力が抜けたような気がする。

 

「さっき、額をぶつけたせいかな……桜ちゃん、立てるかい?」

 

 コクンと頷くと桜は彼の背中から、地面に降りる。

 そっと、桜の額を優しく撫でながら、彼は先ほどの歌と同じ桜の知らない言葉を紡ぐ。

 

「――さ。これで、もう痛くない」

 

 手に"温かい何か"が集まっていたのはわかった。

 それが何かか桜にはまだわからないが、たしかに痛みは消えた。

 

「すごい! おじさん、すごーい!! これ、さくらもできる?」

 

 キラキラと子供らしく目を輝かせて桜はまくし立てた。




 
すごく久々すぎてすみません……しかも前後編の上に、視点がコロコロ変わるので劣化もいいところです。

途中で出てくるキリル文字は、ロシア語の呪文です。
マキリ時代の正統魔術はきっとロシア語と言うか、スラヴ語だったと思うんだ…!
(´・ω・`)


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さくらとおじいさん 後編

 あ、あれ?

 

 意外すぎる反応に私は面食らった。

 もしかして、時臣はこういった治癒魔術も桜には見せていなかったのだろうか。

 確かに、跡継ぎでない者には魔術は秘匿するものではあるが……それにしても……

 

「……うん。桜ちゃんも出来ると思う」

 

「どうやればいいの? おしえて!!」

 

「でもね、桜ちゃん。それは今は教えられない」

 

「どうして?」

 

「これはね、使い方によっては人を傷つけることもできるんだよ。さっき、桜ちゃんは何をしようとしていた? 黒い何かにすごく嫌なことをお願いしていなかったかい?」

 

 ビクンッと桜は叱られたように黙り込んだ。

 

「お家に帰ったらその黒い何かのことと今日の出来事をちゃんとお父さんに話すんだよ。そうしたら、きっとお父さんはそれがどういうものか教えてくれるはずだから」

 

 話をうつむいて黙って聞いている桜は、家族から除け者にされているように感じて寂しかっただけなのに、いなくなってしまえばいい――などと思ってしまったことに反省しているようだった。

 

「おとうさん……ちゃんとおはなしきいてくれる?」

 

「大丈夫。もし聞いてくれないというのなら「マトウさんから聞いた」と言えばいい。きっと効果テキメンだよ」

 

 いたずらっぽい笑みを浮かべ、桜の頭を撫でる。

 

 時臣は父親であり、完璧な魔術師だ。

 さすがに、子供から「間桐」と魔術の話を聞かされて、きちんと説明しないなどということはないだろう。

 

 そして、私は桜と手を繋いで歩き、交番に預けて自宅に戻った。

 

 後日、その日のことについて遠坂時臣より、問い合わせが来たので見たままのことを知らせた。

 その上で、更に養子に出す際にどうして養子に出すのか、桜に説明をすることを求めた。

 それでも、言葉が足りるとは思わない。

 

 子供の寂しさは、子供と接する機会が少ない父親では気づきにくいのかもしれない。

 男女平等といわれるが、少なくとも子供の世話を母親に任せきりの家庭はまだ多いし、何よりも魔術の秘匿を完璧にしているのであれば、余計に桜と接する時間は少ないのだろう。

 

 

 

 ――それから。

 

 数年経ち、迎えに遠坂家にお邪魔した時、私と昔会ったことを桜本人は忘れているようだった。

 無理もない。物心がつくかつかないかという本当に幼い頃にたった一度だけ会っただけなのだから、完全に覚えているという方が難しい。

 

 龍之介が運転する車の中で、私は隣に座る桜に再度彼女が養子に出される理由を説明した。

 

 殺されたり、実験材料にされたくない。生きていてほしい。健やかに育ってほしい。

 そんな両親の想いがあるのだということを。

 

 そんな私を桜は見上げ、少し考え込んだ後に口を開いた。

 

「……おじい様。わたし、前におじい様と会ったことありませんか?」

 

「おや? どうしてそう思うんですか?」

 

「小さい頃……本当に小さかった頃に、はじめて魔術にさわらせてくれた人が、確かおじい様と同じ名前だったような……」

 

「ふふ……そうですか」

 

 ――完全に覚えては居なくとも、少しは覚えていてくれたようで。

 

 私は、苦笑とも微笑とも言いづらい笑みを口元に浮かべて、桜の頭をなでた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 回想を終えた私は、目線を桜に合わせるように屈む。

 

「……桜ちゃん。家に帰れなくても、いつでも家族と会ってもいいと言ってるじゃありませんか?」

 

 そして桜の頭を撫でて、微笑んだ。

 

「でも……会っちゃいけないって……」

 

「お母さんに言われたのですか?」

 

「うん……お父さんがダメって言ってるって、お母さんが……」

 

 と……時臣ぃぃぃぃぃぃ!!

 

 思わず、心の中で叫んだ私は悪くない。 

 桜に自分の真意が通じていないのではなく、父親が拒否しているのである。

 

 いや、確かに父親に会うのはさすがにアレだとは思うけどさ?

 母親や姉と会うくらいいいじゃないかと思うんだが。

 

 眉間にしわを寄せて、頭痛を抑えるように手でこめかみを抑えた。

 

「臓硯さん、あきらめたら? あの人、自分の考えを改めないだろうし。例の古い盟約があるからって言われたらそれまでだよ」

 

 龍之介がそう続けて、呆れたようにため息をつく。

 

「困ったものですね……話を聞かない、思い込みが激しいは間桐の十八番だと思っていましたが」

 

 こめかみを揉むように指先を動かしながら、桜のそばでオロオロとしている雁夜さんを見て私はつぶやいた。

 

「……それは、俺に対するあてつけか?」

 

「あてつけではありません。事実でしょう?」

 

 憤慨する雁夜さんに苦笑しつつ、何せ"前の間桐臓硯"がそうでしたから、血は争えないのだと思いますがと続けた。

 

「まあ、その件についてはまた別の機会にしましょう。さて、中断してしまいましたが、雁夜さんの属性を調べましょうか」

 

 そう言いながら、魔法陣の描かれた羊皮紙を広げた。

 

 

 

 

 ――――結論から言えば、雁夜さんの属性は水。

 

 間桐の血筋なら納得できるものだが、いじられた形跡がある。

 もしかすると、別の属性だったものを臓硯が間桐の魔術にあわせるためにいじったのかもしれない。そのせいか、開いている魔術回路の本数の割に魔力生成量は龍之介に比べても、お粗末なものだった。

 確かにこう言っては何だが、この程度の魔力量では元の臓硯もわざわざ探しだす価値もないと思ったのだろう。

 

「龍之介くんよりも魔力量が少ないとは思いませんでした。これは底上げが必要でしょうか……」

 

「底上げ? どうせ、蟲を寄生させるんだろう?」

 

 私の言葉に被せるように雁夜さんは、吐き捨てた。

 

「いえ。間桐の血で、おそらく吸収系の魔術と親和性が高いと思いますし、私が指定する蟲を今後教える魔術で吸収していってもらいます」

 

「寄生と吸収とどう違うんだ?」

 

「寄生は肉体に負担をかけますが、吸収は負担が少ないのですよ。時間はかかりますが、蟲は蟲と言う形ではなく肉体の補修という形で溶け込みます。回路数の割に生成量が少ないことから……恐らくこの方法を試せば、魔力量が現在よりも数割程度上昇するはずです」

 

 これは臓硯が若かりし頃に開発した魔力の増強に使用した手段だ。

 しかし、歳を経るにつれてこの手段を使用するよりも、刻印蟲を植え付けて相手を苦しませるという外道を好んでいった。

 

 魂が腐ると畜生道に落ちていくものなのだろうか?

 私も今は私という意志があるが、いつ臓硯のように腐っていくかわからない。

 できることなら、変わらないものでいたいものだが。

 

「その反応を見る限り、この方法については知らなかったのでしょう? もっとも、臓硯自身が雁夜さんにこのことを教えるはずが無いと思いますから当たり前でしょうが……」

 

 あの顔を思い出したのか、雁夜さんは渋い表情になり、更に不機嫌になった。

 

「はい、臓硯さん。俺も今知った! そんなお手軽魔力強化方法があるのに、なんで俺に教えてくれなかったんすか!?」

 

 龍之介が羊皮紙を片付ける手を止めて、まるで挙手するかのように手を挙げる。

 

「龍之介くんには無理なんですよ。これは開いている回路数の割に劣った魔力生産量の持ち主にしか意味がありません。そして、ゾォルケンの魔術的手段ですから"マキリ・ゾォルケン"の血を引いている者しかできません。それに、あなたは治療魔術が得意で他の魔術はさっぱりじゃないですか」

 

「う……そう言われると、何も言えないっす……」

 

 事実、龍之介は使い魔の使役は一匹か二匹を維持するのがやっとである。その上、他の魔術は伝達系の魔術以外は全くと言って使いものにならない。

 そのかわり、元の龍之介の影響なのか、人体の治療魔術においては私と肩を並べるかそれ以上の素質を持っているのだ。

 

「……わたしは?」

 

「桜ちゃんにはもっと必要ありませんよ。優秀な回路とそれに見合う魔力量がありますからね」

 

 心配そうに見上げる桜の頭を撫でてから私は台の上の物をまとめて、がっくりしている龍之介に押し付けた。

 

「さて、今回は、ここまでにしましょう。雁夜さん。今のままでも魔術は使用できますが、身体に負担が大きいです。負担を減らすならば、先ほど言った底上げが必要ですね」

 

 私の言葉に雁夜さんは無言だった。

 まあ、昨日今日で不信感が取れるわけではないし、あやしんでいる雁夜さんからすれば私の提案は胡散臭い事この上ないだろう。

 時間はあるのだから、慣れていってもらえばいいのだ。

 

 道具の片付けを龍之介に任せて、桜と手をつなぎ地上の部屋へと戻る階段を登る。

 

 今日はこの後はどうしようか。

 人数も増えたことだし、必要な物を新都の方へ買い出しに出かけるべきか。

 

 そんな取り留めもなく考えていた私に、先に手を引きながら階段を登っていた桜が声をかけてきた。

 

「あれ? おじい様、手……どうしたのですか?」

 

「ん? 手がどうかしましたか?」

 

 言われて桜の左手に繋がれた自分の右手の甲を見て、私は驚愕した。

 そこには、見たこともない文様が刻まれている。

 

 そして、私の知識が叫んでいる。

 

 これは、令呪の兆しとなる聖痕だと――――――――――。



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時計塔の策士

 知識と神秘の集まると名高い時計塔の講義室。

 ケイネスは担当である降霊術の講義を行っていた。

 

「――――であるから、降霊の際には霊格にあった触媒を用意したほうが成功率が高いという結果になる。さて、今回の講義はここまでとする」

 

 教卓の上で講義に使用した羊皮紙の書類を丁寧に丸めながら、ケイネスはさらに言葉を続ける。

 

「ああ、そうだ。以前言った通り、課題レポートの提出期限は今週末までなので忘れずに提出するように。もし間に合わない者がいるのならば、期限を延ばして個別に対応しても良いがその分減点し、採点を厳しくするつもりだ。その点を念頭に置いて行動するように」

 

 そして、まとめた書類を最近助手になったばかりの黒髪で白衣を着た眼鏡の男が片付ける。

 この男は、周囲から少し浮いていた。それは、魔術師としての技量やその家柄からというわけではなく、その美しい顔が原因だった。

 少し癖のある黒髪を整髪剤で撫で付け、かけている黒縁の眼鏡は何の変哲もないセルフレーム。ヨレヨレの白衣はまるで魔術士とは相反する科学者のようだが、ケイネスの研究室にある薬品や鉱物の扱いを考えれば白衣を着用したくなる理由は分かる。

 そんな一般的で地味な研究者のような格好をしているのに、対照的な眼鏡でも隠し切れない抜身の剣のような危うい美貌。近寄りがたい雰囲気が漂っているのだ。そのため、彼と口を利くものはわずかしかいない。

 

 それでも、その美貌に惹かれる恐れを知らない恋する乙女(中には漢女もいるようだが)は彼を誘おうと果敢に日々砕け散っているようではあった。

 

「……ねえ。先生って、ずいぶん丸くなったと思わない?」

 

 講義室を後にする師と助手を見ながら、女生徒の一人が隣にいる生徒へつぶやく。

 

「そうかな。相変わらずだと僕は思うけど?」

 

 話を振られた、女性と見間違えそうなほど華奢な黒髪のおかっぱの青年は、書きかけだったレポートの続きにペンを走らせながら、苦々しそうに答えた。

 

「だって、レポートの期限延ばして個別対応とかありえない。しかも、提出期限を再度知らせるとかもありえない。一度言ったことは二度と言わないあの先生がだよ?」

 

「気分屋なんだろ。それに権威主義で家柄、血筋大事なのは変わんないじゃないか」

 

「えー。確かに偉そうなのは変わりないけど、少なくともソラウ女史が正式に助手になってからだっけ? うちらみたいに歴史の浅い家系にだって目をかけてくれるようになったし、家柄を笠に着ることはなくなったじゃん。さっきの()()()さんなんて、うちらより歴史薄いんだよ? それでも助手にしてるくらいじゃない。それに……ウェイバーの論文だって認めてくれたんでしょ?」

 

 その言葉に青年――ウェイバー・ベルベット――は手を止めた。

 

「……内容自体は散々こき下ろされた。現実を知らない机上の空論だってさ。しかも、同席してたソラウ女史にまで丁寧に一つ一つ実証されてツッコミを入れられて……完全に圧し折られたよ」

 

 しかし、貶されただけではなかった。認めてくれた部分だってあったのだ。

 推察と要点を整理する力、他者の能力への理解力。そして、自身(ウェイバー)の向上心を。

 

「家柄に拘る理由も、魔力回路にこだわる理由も、歴史による魔力刻印の大切さもそれでわかったけど……それでも、やっぱり僕はソラウ女史はともかく、ケイネスは大嫌いだ」

 

 プライドだけは高かった自分。

 それを叩き潰して矯正してくれたのはケイネスとソラウだが、天才であるケイネスには感謝の気持は抱けない。

 

「くそっ……凡才は頑張っても天才に勝てないなんて……バカにしやがってバカにしやがって……!」

 

「あー……でも仕方ないじゃん? 凡才が努力するより天才が努力するほうが遥かに伸びしろがあるのって」

 

 諦めの入ったその言葉にウェイバーは彼女自身が、天才と呼ばれる双子の『姉』のスペアとして育ったと聞いたことを思い出した。

 同じ努力をしても、生粋の天才には敵わない。回路がたとえ同じ数あったとしても、努力と研鑽を積んだとしても、元々の才能と歴史を刻んだ魔術刻印の有無によって更に差は広がる。

 精神論を否定はしたくないが、実体験として天才に差を付けられた彼女には重い事実なのだ。

 

 何か言わねばと言葉を探すうちに、時間を知らせる鐘の音が鳴り響く。

 

「いっけない、次の時間は錬金術じゃん!」

 

 慌てて彼女は鞄を持って、席を立つ。

 

「ま、凡才なりにさ、頑張ろうよ。天才には確かにかなわないけど、根源にたどり着くのは天才じゃなくて切り捨てられた凡才だと私は思ってる。それにね、私は凡才でよかったと思ってるよ。こうして、ウェイバーと出会えたからね?」

 

 満面の微笑みを浮かべて見つめてきた彼女に、ウェイバーは思わず顔を赤く染め言葉を失った。

 

 そして、手を振ってから部屋の外へと走る彼女の背を見ながらウェイバーはつぶやく。

 

「……不意打ちすぎる」

 

 その小さな声は、誰にも聞こえることがなく室内に溶けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ケイネス達が講義室から時計塔地下の講師陣の研究室の階層に戻り、自室の扉を開けると紅茶の香りが広がった。

 

「おつかれさま。お茶淹れておいたわ」

 

 工房の主人の帰還に、室内で待っていた女性が茶器を手に声をかける。

 

「ありがとう、ソラウ」

 

 ケイネスは滅多に見せない笑みを浮かべて上着を脱いでから、琥珀色の紅茶の満たされたカップを手に取った。

 側付きか使用人のようにケイネスに付き従っていた助手の白衣の男は、奥の書棚に手にしていた書類を片付け、ケイネスから受け取った上着をハンガーに掛ける。

 

「悪いわね、使用人のような真似をさせて。お茶、()()()()の分もあるから、どうぞ?」

 

「ソラウ殿……私には食事のようなものは不要です」

 

 そう言いながら彼は、眼鏡を外し、翡翠色の鱗粉光のような魔力をまとう。すると、白衣は特徴的な戦装束に変わった。

 

 彼はケイネスが呼び出したサーヴァント、ランサーである。

 結局、ケイネスが希望していたイスカンダルの聖遺物は、既に別の者が手にしており、手に入れることはかなわなかった。かわりに手に入ったものはケルト神話で名高いディルムッド・オディナの名剣小さき怒り(ベガ・ルタ)の破片であった。

 

 召喚場所は、エルメロイ家の地下であり、術を行う際にケイネスが()()()()を施したが、知名度も高いイギリスの地で彼をセイバーとして呼び出せれば、その剣技の能力が生かせると思っていた。

 しかし、結果はランサーだった。

 だが、それでも問題はない。

 ケイネスの婚約者であるソラウは、そうなると予想しており大金と伝手を駆使し、魔剣大いなる激情(モラ・ルタ)を密かに用意していたのだ。

 この行動は、ランサーとケイネスを喜ばせた。

 ケイネスには、勝利を確実とするために献身的な婚約者の贈り物として。ランサーには、もう二度と振ることができないと思っていた剣を主人のために振るうことができることを。

 

「あら? 食事からも魔力を補給することができると聞いているわ。私からの魔力供給が足りないということはないと思うけれど、戦いに備えて温存できるようにするのも戦士としての勤めではないかしら」

 

「確かに一理ありますが、それよりも私が霊体化したほうが……」

 

 サーヴァントは霊体化したほうが、魔力の消費も抑えられる。しかし、ランサーは現界したままの状態でいた。

 これは、ソラウの頼みからであった。

 ケイネスとランサーの相互理解を深めるために、ランサーには偽名と立場を用意しケイネスの助手としたのである。

 もっとも、これがうまく行っているのかは、ソラウにもわからなかったが。

 

「……それとも何かね? ソラウの淹れた茶は飲めないとでも?」

 

「いえ、そんなことはっ! 申し訳ありません、主よ」

 

 冷ややかな声で主と仰ぐケイネスにそう言われ、差し出されたカップをランサーは手にとった。

 

「ところで、その魔術礼装の効果はどう? ケイネスと一緒に開発したものだから、効果はあるはずだけど」

 

 机の上に置かれた眼鏡を見やり、ソラウは質問を投げた。

 

「効果はそれなりにあるようですが……完全ではないようです」

 

「まだ開発段階のものだから、仕方ないわね。もうすぐ、聖杯戦争のために日本へ行くから……それまでには完成させたいところだわ」

 

 ランサーの返答に、ソラウは自分のカップを机に置くと、眼鏡に手を伸ばして手に取るとしげしげと見つめてため息をつく。

 

「しかし、ソラウ。手伝った私が言うのも何だが、何故そんなものを作ろうとしているのだ? 君は魔貌の魅了には抵抗力があるだろう」

 

「ええ。抵抗力はあるから、魅了はされないけれど……現界させたまま日本に行く予定だし、辺り構わず魅了して人が寄って来られても困るわ。だから、魔力を封じて人と誤認させるようなものが作りたいのよ」

 

「さすがに霊体化して連れて行くつもりだったのだが……」

 

「完成しなかったら、それでいいわ。でも、完成したら現界したまま連れて行って欲しいの。だって、普段から人として行動していたら、ランサーがサーヴァントだなんて思われないでしょう? 情報戦は既に始まっているのだし」

 

 手にしていた眼鏡を机の上に戻すと、そのそばにあった書類にソラウは目線を落とす。

 

 そこには、ケイネスが欲してやまなかったイスカンダルの聖遺物を手に入れた相手の名前が――遠坂時臣であると書かれていた。




 
 Q.ウェイバーは聖杯戦争参加しないの?
 A.青春してればいいと思うよ!


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歯車の狂いはじめ

 その老人は氷雪の白い光に照らされたアインツベルン城の礼拝堂の祭壇前に佇み、己が招き入れた外来の魔術師――衛宮切嗣と"器"の守り手のホムンクルスであるアイリスフィールの来訪を待っていた。

 礼拝堂と名はつくものの、ここは神に祈るための神聖な場所ではなく、魔術儀式のための場所である。

 

 老人――ユーブスタクハイト・フォン・アインツベルンは、アインツベルン八代目当主の座をついでより『アハト』の通り名で知られる。彼は、その見た目に違わず二世紀近くの永きにわたって当主としてアインツベルンを総べて来た。

 

 アインツベルンが千年という悠久の昔より追い求めてきた聖杯の奇跡。その道は果てしなく、困難を極めた。

 数多の挫折と屈辱を味わって、独力での成就を諦め、外部の家門と協定を結んだのは二百年と少し前。その後始まった聖杯戦争でも、氷に護られた天然の要塞を居城とする研究者気質の錬金術師としての面が強いアインツベルンでは、死線を潜り研鑽を積んだ戦い慣れた者達にかなわなかった。

 

 第一次……つまり、聖杯『探求』が『戦争』へと転換した当時こそ知らない彼だが、第二次・第三次と一度ならずも二度という大敗を喫したことで、今回の三度目のチャンスに用意した切り札が、『魔術師殺し』として名を馳せていた衛宮切嗣だった。

 

 今回こそ、悲願である第三魔法、天の杯(ヘブンズフィール)を成就させねばならない。

 

 祭壇上には黒檀の長櫃が置かれ、その中には遠いコーンウォールから今朝方届いたばかりの聖遺物が安置されている。

 これを媒介とすれば、間違いなく剣の英霊として最強のサーヴァントを招来できるはずだ。

 それはマスターとの相性など問題ではなく、目当ての英霊が召喚に応じるだろう。

 

 巌しい表情を老人は浮かべつつも、少しの安堵を持って聖遺物を見つめる。

 そうしていると、二人の人物の足音が扉の外から響いてきた。

 おそらく、切嗣とアイリスフィールのものだ。

 

 そして、老魔術師は視線を礼拝堂の入り口へと移したのだった。

 

 

 

 

 

+ + +

 

 

 

 

 

「――――アインツベルンは、聖杯の中身には興味が無いのかね。手段が目的になっている」

 

 アハト翁の呪詛のような勅命を受けた切嗣は私室に戻るとソファーに座り込み、ため息とともに呟いた。

 

「だからこそ、貴方が完成した万能の釜を使用したとしても何の問題はないわ」

 

 苦笑を浮かべたアイリスフィールは背後から屈みこんで、切嗣を労るように長手袋に包まれたその手を彼の肩へと回す。

 

「それにしても、大お爺様も思い切ったものね。まさか、これを発掘してくるなんて」

 

 礼拝堂から切嗣が抱えてきた長櫃は、蓋を開けられてテーブルの上に置かれていた。

 内張りを施されたその中には、目が覚める程神々しく美しい剣の鞘が収められている。

 地金は黄金。それに青のホウロウで装飾を施し、中央には失われたはずの妖精文字の刻印という、武具というよりも美術品としてみても何ら遜色のない代物だ。

 

「ああ。これが千五百年も前のもので発掘品だとは、到底信じられない」

 

「これ自体が、魔法の領域にあるモノで一種の概念武装ですもの。物理的な劣化はないわ」

 

 伝説では、装備しているだけで、この鞘は持ち主の傷を癒し、老化を停滞させる。もちろん、本来の持ち主からの魔力供給が必要となるだろうが。

 

「つまり、マスターがこれを所持し、目的の英霊が呼び出せれば、これを"マスターの宝具"として使えるわけか」

 

「貴方らしいわね。道具はあくまでも道具だなんて」

 

 美しい聖遺物に対して、年月に対する感嘆する言葉は述べたものの、その後に続いた現実的な切嗣の道具発言にアイリスフィールは呆れたように呟いた。

 

「サーヴァントも道具のようなものさ。どんな英霊だろうとマスターにとってはね。それにしても、これだけ完璧の品だ。間違いなく目当ての英霊を召喚できるだろうよ」

 

「そうね。これがあれば、何も怖くない。大お爺様の贈り物は本当に素晴らしいわ」

 

 アイリスフィールは黄金の鞘を恭しく取り出すと、持ち上げてしばし見とれた。

 

「……僕が"マスターであったなら"おそらく相性が悪かっただろうな。正直、セイバーよりもキャスターやアサシンの方が僕には性に合っているから」

 

 その後、何かを耐えるように切嗣は押し黙り、俯いた。

 

「アイリ……すまない」

 

 やがて、血を吐くように放たれた言葉に、アイリスフィールは頭を振る。

 

「謝らないで。私は貴方に感謝しているのよ? ただの人形から、こうして貴方の理想と祈りを助けられる立場になったことを」

 

 そう言いながら、アイリスフィールは鞘を置き、そっと己の左腕から長手袋を外した。

 

 輝くように白い華奢な腕。その(ひじ)よりの内前腕部分に、刃の部分が幅広の儀礼剣を逆さにしたような令呪の兆しとなる聖痕が刻まれている。

 

 アインツベルンが開祖以来の伝統を破って外部の血を迎え入れたことを、聖杯は由としなかったらしい。その証拠に婿養子として迎えられた衛宮切嗣の手には令呪は配られず、ただの器の守り手であり、彼の伴侶、魔術実験の母胎でしかなかったはずのアイリスフィールにそれは現れた。

 

「まさか、私が令呪を授かるとは思ってはいなかった。けれど……ここでイリヤとともに貴方の帰りを待つしかなかった私が――令呪を授かったことで貴方とともに行ける。ともに戦うことができることが何よりも嬉しいのよ」

 

 手袋を足元へと落とし、アイリスフィールは切嗣へ倒れるように抱きついたのだった。

 

 

 

 

+ + +

 

 

 

 

 

「――――こんな単純な魔法陣でいいの?」

 

 アイリスフィールは、慎重に礼拝堂の床に水銀で魔法陣を描いていた。

 しかし、魔術儀式を実験として数多受けてきた彼女には、魔法陣自体も複雑なものに見えず、英霊を招来するものとしてはどこか簡素に見えたのだ。

 

「サーヴァントを招き寄せるのは術者ではなく聖杯だ。だから、単純なものでも問題ない。マスターは、現れた英霊をこちら側の世界に繋ぎ止めるだけの魔力を供給しさえすればいいのさ」

 

 切嗣は、彼女の描いた魔法陣に歪みや間違いがないことを確認し、心配はいらないと言外に伝える。

 

「召喚の呪文は覚えてきたかい?」

 

 祭壇に聖剣の鞘を切嗣は安置すると、振り返ってアイリスフィールに尋ねた。

 

「ええ。私、記憶力には自信があるのよ?」

 

 緊張をほぐすようにくすりと笑って軽口を叩くと、アイリスフィールは魔法陣の正面に立ってサーヴァント召喚の詠唱をはじめた。

 

 人に近い組成を持つとは言え、アイリスフィールはホムンクルスである。

 人ではないゆえに魔術回路は、並みの魔術師の()()よりも多い上に、大気より取り込んだマナから生み出す魔力量は段違いの質を誇る。

 

 その魔力回路が開放され、英霊を招霊するべく全身を魔力が走っていく。

 

 詠唱が進むほどに周囲の空気は彼女の魔力の動きにあわせるかのように巻き上げられ、閉じられた空間だというのに風が吹き荒れはじめた。

 

「……!? ダメだ、アイリ! それは……!」

 

 詠唱の途中の二節に、切嗣は思わず叫ぶ。

 しかし、アイリスフィールの詠唱は止まらない。

 

「――抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ――――!」

 

 やがて、最後の一節を高々と宣言すると、魔法陣から強烈な光が放たれた。

 その光は周囲に置かれた燭台の光と影を侵食し、完全な光の中へと誘った。

 光に視界を奪われたアイリスフィールは膝をつくが、咄嗟に目を腕で覆い視界を確保していた切嗣は、光の収まった魔法陣の中に何者かがいることを確認した。

 

 威厳、畏怖に溢れると言えば聞こえはいいが、その姿はとても伝説のアーサー王とは思えない。

 伝説の聖剣「約束された勝利の剣(エクスカリバー)」と思わしき剣も、神々しい物とは程遠く、どう見ても禍々しい気配しか感じることができない。

 しかし、濃密な魔力をまとっていることから、間違いなく召喚したサーヴァントであることは確かだろう。

 

 やがて、視界が回復したアイリスフィールが驚愕の表情で己のサーヴァントを見ると同時にそのサーヴァントは口を開いた。

 

「問おう――――貴様が我を招きしマスターか」

 

 それは黒いドレスの上に漆黒のブレストプレートを身につけ、堂々たる態度で佇んでいた。

 彼女の右手に持つ剣も黒色であり、刻まれた赤い装飾がまるで呼吸をするかのように緩やかに明滅を繰り返している。

 そして、血のように赤い葉脈状の紋様の入った目元のみを覆う仮面が更に異彩を放っていた。

 

「え……ええ、そうよ。私が貴女のマスターである、アイリスフィールよ」

 

「そうか。では、我が剣は、そなたと共にある。これで契約は相成った」

 

 召喚は成功した。

 

 アイリスフィールには、彼女のクラスとステータスが手に取るようにわかっているはずだが、マスターではない切嗣には生憎と判断がつかなかった。

 

 アインツベルンが狙っていたサーヴァントクラスはセイバー。

 

 しかし、アイリスフィールが詠唱した呪文は通常のサーヴァント召喚の呪文とは違った。それは、英霊に『狂化』を施す二節の詠唱が含まれていた。

 

 これは、アイリスフィールが呪文を間違えたことが原因であった。

 魔術儀式を幾度と無く繰り返し受けてきた彼女にとって、呪文の長さ……つまり、小節の長さは儀式の難易度と比例していた。

 そのため、サーヴァントの召喚は最高難易度であると認識していた彼女は迷うこと無く小節の長い詠唱を覚えてしまったのだ。

 

 『狂化』が挟まれたことにより、予測されるクラスはバーサーカー。

 だが、バーサーカーは『狂化』により理性が失われているはずだ。

 目の前のサーヴァントは、理性を失っているようには見えない。

 

「ところで、マスター。そちらの御仁は?」

 

 サーヴァントの仮面に隠された視線がアイリスフィールの背後の切嗣へと向けられた。

 

「彼は、私の夫の衛宮切嗣。今回の協力者の一人だから、安心して」

 

 強烈な威圧感をサーヴァントから感じるが、切嗣はそれを知られぬように涼しい顔で受け流す。

 

「切嗣、彼女のクラスはバーサーカーよ」

 

 わかっていたはずのその言葉に衝撃を受ける。

 

 バーサーカーは本来、弱い英霊を強化するために用意されたクラスであり、強い英霊を狂戦士化するなどありえない。

 過去の聖杯戦争では、バーサーカーの敗因は「魔力切れによる自滅」。

 弱い英霊を狂化させただけでも、その有り様なのである。それが、強い英霊となればその消費はいかほどのことか。

 

 いくら、魔力に優れたアイリスフィールとはいえ、その負担は計り知れない。

 

 戦いの行く末が更に見えなくなったことに切嗣は一抹の不安を覚えた。




 Q.あれ、アイリスフィールは聖杯なんじゃ?
 A.sn基準の"第四次まで聖杯は無機物だった"説採用。
  そのため、令呪が現れなければ、"冬の城に妻子をおいてきた"ということで、イリヤとともに留守番でした。

 Q.アイリの令呪の形って表現から察するに切嗣と似ているの?
 A.切嗣とは似ていない。イリヤの胴の部分の令呪に似ている。
  (アイリの令呪は原作設定にはないので、こちらでデザインしています)

 Q.バーサーカーの見た目ってセイバーオルタ?
 A.はい

 Q.なんでバーサーカーなのに理性あるんだよ
 A.狂化ランクが最低だから。
  ただ、狂化の影響で使えないスキルも有りますが、その点については後々。

 ※2/18 19:20 追記及び、誤字脱字表現等修正。


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