【完結】暗殺教室 ―Twinkling of a star― (春風駘蕩)
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第1話 異変の時間

 ―――もし、たった一匹の蝶のはばたきが、明日の嵐と変わるのならば。

    人一人の小さな営みに、世界はどんな答えを返すのだろうか。

    冬の前のあの日。

    僕ら3年E組の全員が遭遇した、誰も覚えていないあの事件。

    そして僕が出会った、彼女のこと。

    僕があの日見た夢は、僕の今日という日にどんな嵐を吹かせるのか。

 

 

 空一面を、砂塵が舞う。

 黄土色に覆われた空の下には、延々と続く砂の海が広がっている。

 太陽すら陰る空の下、一つの陽炎が揺らいだ。フードを深くかぶった、小柄な人物が一人、砂漠を歩いていた。

 強い風にはためくフードの下で、蒼の瞳が片方光る。

 ふと、その足が止まった。

 見下ろした先にあったのは、小さなボロボロの人形だ。

 しゃがみ込み、それを拾う。すると、すぐにボロボロと崩れていく。わずかな残骸を手に、嘆息した。

「……また一つ、時計の針が進んだ」

 目を閉じ、マントを払って右腕を出し、人差し指を高く掲げた。

「おばあちゃんならこんな時、なんて言うんだろ」

 ビュオォォォ…。

 誰もいない砂の海で、独り言を零す。それは、自分自身に対して諭しているようにも聞こえた。

 ふぅっ、吐息を漏らし、砂の覆う天空を見上げた。

「…どこにいるんだ。この今を変える、鍵は」

 ぽつりと漏れた呟き。

 それは、渦巻く風にかき消されていった――――。

 

          ☨     ☨

 

 キーンコーンカーンコ――ン……

 始業のベルが鳴る、椚ヶ丘中学校旧校舎。

 頬杖をついていた水色の髪の少年は、ぼんやりと窓の外を眺めていた。その先に浮かんでいるのは、『三日月』。

 ―――椚ヶ丘中学校三年E組の僕らは今年の初め、3つ(・・)の事件に遭遇した。

    一つは、空の月が一夜にして、その体積の約70%を蒸発させ、

    永遠に三日月となったコトだ。

    世間は、世界の終りだの、どこかの国の超兵器の仕業だの、

    人類はもう満月を拝むことはできないだの、一時、大騒ぎになった。

    けど、その真相はと言えば……。

(なぎさ)くん」

 呆けていた渚の席の前に、そいつが近づいた。

「どうしたんですか? 珍しくボーっとして、何かありましたか?」

 黄色い球体の頭に、ちょこんと乗せた四角い帽子。黒い服の袖先から、ぬめる触手をうねらせながら、E組担任〝教師〟が尋ねた。

「あ、いや…。なんでもないよ、殺せんせー」

 慌てて渚は手を振り、苦笑する。

 殺せんせーは「そうですか?」と答え、次いで腰に触手を当てて、渚の顔を覗き込んだ。同時に、殺せんせーの顔が青くなり、×の字が浮かぶ。

「けれど、授業中によそ見をするのは感心しませんね。ヌルフフフ」

 特徴的に笑う担任に、渚は「すみません…」と謝りながら苦笑した。

 ―――こうして、僕らの担任をやっているこの人が、月を破壊した張本人だっていう事は、

    僕らE組と政府の最重要機密だ。

    僕らが遭遇した、二つ目の事件。

    つまり、殺せんせーがE組にやってきた日。

   『私が月を破壊した犯人です。来年には地球も()る予定です』

    この人は、呆然とする僕らにそう言った。

   『皆さんの担任をすることになったので、どうぞよろしく』

    まず5,6か所ツッコませろ!!

    …クラス全員でそう思ったのも、もう遠い思い出のようだ。

    こうして始まった、僕らは暗殺者(アサシン)

    暗殺対象(ターゲット)は先生という奇妙な学生生活は、

    様々な出会いと事件を経て、今に至った。

 

    そして、三つ目(・・・)の事件は。

 

 風が吹き、開いた窓辺に、一陣の砂塵を運ぶ。

 それを見て、渚やクラスメイトは微妙な表情で殺せんせーを見た。

「……殺せんせー。まさか地球を破壊する(やる)話前倒しにしたとかないよね」

「にゅやっ!? ヒドイですよ渚くん!! 濡れ衣にもほどがあります!!」

 殺せんせーは汗、というか粘液をまき散らして慌てる。基本笑顔なのに、動作や様子、皮膚の色で今どんな心境なのか実に分かりやすい。

「先生はね、約束を違えることは絶対にしません!! 人を裏切ったり、嘘をつくようなまねは、たとえ暗殺されようと決してしません!! まあ、できるような人なんていませんが……」

「けど殺せんせー。前に奥田さん言いくるめてだましたことあったよな」

「そーそー。毒薬でなんかパワーアップしてたし」

 自信満々で胸を張る殺せんせーに、クラスのイケメン・磯貝と前原が言うと、触手の動きがピタッと止まった。眼鏡女子の奥田がうんうんと頷いていると、だんだん殺せんせーの表皮に汗が浮かんできた。

「そーいえば殺せんせー。この間女子で分けてたスイーツ何個かチョロまかして勝手に食べてたよね。バレてないとでも思ってたの?」

「ウソ、そうなの!?」

「初耳だよ、そんなこと!!」

 便乗するように、サバサバ系女子の中村がカミングアウトすると、それに反応して立ち上がる食べ物好き女子二名、倉橋と茅野が目を見開いた。

「……殺せんせー」

 一気に疑いの目を向けられ、黄色い触手人間はだらだらと冷や汗を浮かべる。

 と、次の瞬間。

 ゴウッ!!

「!!」

 砂煙を巻き上げ、殺せんせーの姿が一瞬で消え失せる。かと思うと、彼はすでに教壇の向こうに立ち、大仰に触手を上げていた。

「おや、もうこんな時間です!! 皆さん、教科書を開いてください。授業を始めます」

 突然の展開に、全員の目が死んだ。

(逃げた!!)

 全員が疑惑の目を向けたまま、渋々教科書を開く。

 小さく抗議の声が聞こえる中、渚も従い、シャーペンを手にする。その際、机の上にざらりとした感触を受け、また苦い表情になる。

 ―――僕らは暗殺教室。

    暗殺対象(ターゲット)は、マッハ20で空を飛び、万能の触手を持つ超生物。

    期限(タイムリミット)は来年の三月。

 渚はため息をつき、窓の外の光景を見やる。

 砂塵の舞う、青空。

 かつて町があった場所。

 そこには、廃墟が並び、砂の海が広がる光景があった。

 

 ―――けれど僕らの地球は、僕らが暗殺を成功させ、卒業式を迎えるのを待つことなく。

    昔誰かが言った、終末(おわり)(とき)を迎えそうだ。



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第2話 終末の時間

お…、お久しぶりで、ございます。

長らくお待たせしてしまった方、全く待ってねぇよこのヤロー遅いんだよ‼︎ という方、っていうかお前生きてたんだという方、ようやく投稿再開でございます。リアルの都合で亀更新になったり、またストップしたりしてしまうかもしれませんが、どうか拙作に最後までお付き合いいただくよう、お願い申し上げます。


 ーーー7年前、太平洋に直径数キロメートルの隕石が落下したことが、全ての始まりだった。

    凄まじい熱と質量を持った隕石は、一瞬で地球上の水分のほとんどを蒸発させ、多くの命を奪っていった。地球上の生物は母なる海を奪われ、人口の約9割が亡くなった。

    地球は一夜のうちに、死の星へと変えられてしまったのだ。

    わずかに生き残ったものは、限られた資源を細々と食いつぶし、生き長らえる他に道をなくし、絶望を前にして歩むだけとなった。

 

    そして、僕たちも……。

 

 見上げれば、空は黄土色。砂を孕んだ風が吹き、天を覆う。三日月が失われる前から、人類はすでに青空をも失われていた。

 そんな世界で、六体の影が動いていた。ローブとゴーグル、防塵マスクで全身を覆った人影が、かつては活気ある街だった場所を足早に歩いていく。黄土色の風を見に受けながら、死の街(ゴーストタウン)を黙々と歩いていく。

「ーーー!」

「ーー、ーーーーー‼︎」

 道の端から、思わず首を縮めそうになる怒号が轟く。視線を向けてみれば、道路の端に止められた装甲車に何人もの人が詰めかけ、バケツやポリタンクといった容器を我先にと掲げていた。

「横入りすんじゃねぇ!」

「サッサとしてよ‼︎」

「どけっ、テメェ邪魔すんな!」

 蜘蛛の糸にすがるように、人々は装甲車の上にいる武装した男たちの仕事を催促する。装甲車の周りには銃を持った者たちが直立している姿もあり、詰め寄る人々が暴走しないように目を光らせているのが見えた。

 装甲車の上で陣取る男が、人々に配給しているもの、それは水。

 地表の全てが砂漠と化した地球において、水はどんな宝石や貨幣よりも貴重になっていた。汚染されていない真水はとにかく貴重で、政府から“販売”されるそれを得るために人々は必死だった。奪い合いは必須で、ひどい時には人死にまで出る始末だ。

 死を待つばかりの星で、わずかな希望にすがる亡者たちという、世紀末や地獄を体現したかのような世界を目にし、分厚い衣をまとった人影の一人の渚はもはや習慣となったため息をついた。

 その時、ひときわ強い風が吹き、渚たちや人々に大量の砂粒が襲いかかる。マスクに直撃を受け、渚の後ろを歩いていた同級生が背中を丸めて咳き込んだ。

 渚と他の同級生はへたり込んだ彼女を支え、風を遮る一時的な壁になる。背が高い同級生が親指を建物の方へと立て、渚たちはそれに従って建物の影へと身を寄せた。未だ人々の怒号が聞こえるのを尻目に、渚たちは風の遮られた空間に逃げ込み、フードとマスクを勢いよく取り払った。

「ッハァ‼︎ 死ぬかと思った‼︎」

「茅野! 大丈夫⁉︎」

 渚はあげしく咳き込む茅野の背を叩き、正常な呼吸になるまで待つ。野球少年”だった”杉野も荒い呼吸を繰り返しながら、咳き込む茅野の方を心配そうに見やる。不安げな表情の二人に、茅野は若干涙目になりながら、安心させるように笑いかけた。

「ゲホッ……大丈夫……咽せただけだから……」

「よ…、良かったです…!」

「でも、無理はしないでね?」

「登下校で死にかけるのはちょっと勘弁だねぇ」

 奥田とE組のマドンナ神崎が、茅野の症状が安定したことに安堵し、ほっと胸を撫で下ろす。吹き荒れる黄砂の嵐を見やりながらカルマが呟き、顔を引きつらせる。いつもいたずらっぽい表情の彼も、この時ばかりはさすがに心底うんざりした顔になっていた。

 その時、渚のケータイに着信音が響き、鈴を鳴らしたような女の子の声が届いた。

[念のため、カメラに茅野さんの喉を映していただけますか? 炎症を起こしている可能性があります]

「あ…、うん。分かった」

 自分のスマートフォンから聞こえた声に従い、渚は“彼女”を取り出す。スマートフォンの画面に映る紫色の髪の美少女・自律思考固定砲台(通称:律)に、カメラを通じて茅野の患部を診せると、渚は黄土色の空を見上げた。

 青い空などどこにもない。それが将来への不安を表しているようで、渚は本日数度目の憂鬱なため息をついた。

[…炎症は見られませんが、念のために構内の洗浄を行ったほうがいいでしょう。それと、防塵マスクの新調をオススメします]

「と言っても…この天気じゃなぁ」

 杉野が苦虫を噛み潰したような顔で呟く。水もそうだが物資もまた貴重なため、非常に高価だ。マスクやローブもいいものは高級で、渚たち庶民の手にできるものは粗悪な安物ばかり。品質の高低で、致命傷になりかねなかった。

「…と言ってても始まらないか」

「しょーがない。覚悟決めていきますか」

 カルマが嘆息すると、奥田と神崎、茅野も苦笑しながら頷き、ゴーグルとマスクをつけ直そうとまず砂つぶをはらい落とす。渚たち男子陣も嵐の中を見据えながら、ゴーグルを顔に取り付けた。

「その前にこのマスクと取り替えておきなさい。先ほどまで使っていたものはもう使い物にはならないでしょうから。ゴーグルもちゃんと拭き取った方がいいですよ」

「ああ、うん。ありがとう、殺せんせ…」

 顔のすぐ横に差し出された白いマスクを受け取った渚が、彫像のようにビシッと固まった。

 今、誰が言った?

 ごくごく至近距離から、聞いたことのある声がしなかったか?

 そして振り向いた渚は、六人の背後に立つ巨大な影に気づき、目を見開いて飛び退いた。

「わああああああ⁉︎」

 六人は同時に声をあげ、黒い影から慌てて距離を取る。全身を黒い布で多い、ひときわ大きなゴーグルをつけた影を前に、思わず学んだ護身術で身構える。が、それが自分たちの教師であるとわかった瞬間、渚は目を釣り上げた。

「何やってんのさ殺せんせー‼︎」

「脅かすなよ‼︎」

「先生特製の防塵マスクを配って回っていたんです。安物では心配なので……」

 殺せんせーはそう言って、茅野たちにもマスクを渡す。ニヤッといつもの笑みを浮かべているのあろうが、あいにく全身を分厚い布で覆っているためにシルエットしかわからなかった。

「やめてよ殺せんせー。その格好完全にアウトじゃない」

「…この砂嵐のせいで、先生の水分があっという間に持ってかれてヤバイんです。もはやこの気候まで先生を殺しに来ている感じです」

 全身を粘液で守っている超生物には、現在の気候はまさに相性最悪らしい。教え子に不審者扱いされたこともあってか、いつもより声のテンションが低めだった。

 しかし、ゴーグルとマスクを外した瞬間、気分を切り替えたのかくわっと気合が高まった。

「しかし‼︎ この先生特製粘液マスクさえあればもう安心‼︎ 粒子サイズのチリやホコリも完璧にブロックして口内を防御‼︎ さらにはこちらに交換用の粘液フィルターをおつけしてなんと驚きの……」

「通販か‼︎」

「おはようからおやすみまで先生は生徒たちの暮らしを見守っております‼︎」

「いきなりどうした⁉︎」

 某洗剤のCMのように宣伝し始めた教師にツッコむ教え子たち。殺せんせーは気にすることもなくゴーグルとマスクを付け直し、ビッと親指(?)を立てた。

「それでは先生はこれで失礼します。他の生徒たちにも配って回らなければなりませんのでヌルフフフ」

 すると殺せんせーは次の瞬間、爆風とともに姿を消した。バタバタと風に外套を煽られながら、渚たちはやれやれと肩をすくめ、殺せんせーが飛び去った方を見上げた。

「忙しいな、全く」

「そりゃこんなもんまで作ってればね。…ロゴマークまでデザインしてる…」

 手渡されたマスクに刺繍されてある、タコをデフォルメしたマークを見て苦笑する渚。相変わらず無駄に凝り性で、芸が細かいと半目で呆れる。

 カルマは早速渡されたマスクを身につけ、渚と茅野たちに同じように促した。

「それじゃ、お言葉に甘えてそろそろ行こうか。日が暮れたら寒くなるよ」

「そうだな。夜は夜で色々あぶねーし」

「行きましょう」

 杉野と神崎が頷き、先に砂嵐の中へと足を踏み入れたカルマを追う。

 渚もまたゴーグルとマスクを身につけ、他のものに続いて砂嵐の向こうを見据える。だが、その前にふと足を止め、殺せんせーが飛び去っていった空を再度見上げて考える。

 あの人はなぜ、荒廃したこの世界で教師になろうと思ったのだろう。

 未来など誰も夢見ないこの世界で、一体何を夢見たのだろう、と。

 

     †     †     †

 

「殺せんせーってさ、なんで先生なんかやってんだろうね?」

 中村がふと、メンバーとともに残った教室でそう呟いた。手には箒を持ち、床に貯まる砂を集めては塵取りに乗せていく。常日頃から砂つぶ混じりの風が衣服やカバンにまとわりつき、こまめに掃除をしないとすぐに教室が使えなくなるのだ。

「どう言う意味だ?」

「理由なんかわかんねーだろ」

 E組のすけべ代表・岡島とキノコヘアーがトレードマークの三村が尋ね返す。質問の意図が伝わらなかったのだと気付いた中村は、箒の先端に手を重ね、その上に顎を乗せて振り向いた。

「んー…そう言うんじゃなくてさ、どんな過去があってここにいるのかなー…って」

「生い立ちってこと?」

「まぁ、そんな感じ」

「確かに気にはなるけどよ…」

 クールでポーカーフェイスの速水と芸術が得意な菅谷も、中村の問いに手を止めて考え込んだ。それぞれ掃除の手を止め、訳のわからない教師との出会いを思い出す。世界中が砂漠化し、人類が滅びかけているこんな時に、月を破壊し地球を滅ぼすと宣言した超生物の過去を、自分たちなりに推理する。

「地球を滅ぼすったって、もう滅びかけてるのに何する気なんだろうな」

 岡島が思わず呟くと、そこへ長い前髪で顔の隠れたスナイパー・千葉とジャンプっ子の不破が、集めた砂を捨ててからにしたゴミ箱を持って戻ってきた。

「まぁ、いろいろ事情があるんじゃない? アニメ版と劇場版で設定が違うことってしょっちゅうあるし」

「やめろそういう話‼︎」

 物語が破綻しそうな不和の発言に、男子陣は目を剥いてツッコむ。時々電波を受信して、自身の存在が揺らぎそうなことを言う彼女に、内心戦々恐々とする男たちだった。

 だが、不破の前半の発言ももっともだ。ただの興味本位で人の過去を詮索すべきではない。それに尋ねたとしても、「どうせ地球を滅ぼすのだから聞いても無駄ですよ。ニュルフフフ」と憎たらしい顔で言われるのは目に見えている。

「……ま、聞いても教えてくれねーだろうけど」

「先生の言った期限が先か、地球の寿命が先かだもんな」

 今もなお、轟々と風音が響く空を見上げ、諦め顔で呟く。

 希望の見えない世界をリアルタイムで生きている彼らにとって、命の危機など日常茶飯事。日に日に迫る破滅の時が早く来ようが遅く来ようが、大した変りなどないのだった。

 と、そのとき。再び箒を動かしていた不破が、ハッとしたように振り向いた。

「あ、忘れてた。近々水の値段が上がるかもって、うちの親が言ってたよ」

「マジか⁉︎ またかよ‼︎」

「この時期にそりゃキッツイな〜」

 不破の報告に、全員が苦虫を噛み潰したように顔をしかめた。ただでさえ物資が不足しているというのに、その値段が高騰すれば家計に大ダメージだ。もうどこの家も火の車で、少年少女たちの小遣いなど雀の涙ほどでしかない。またそのうち下がるだろう。

「“ZECT(ゼクト)”もさすがにお手上げなんかね」

 菅谷が呟くと、中村たちの表情がウヘェ、とさらに歪む。

「勘弁してほしいよね。水確保してんのあそこだけだよ?」

「俺たちの小遣いが下がるかどうかは、あの人たちにかかってるんだからな」

 三村はそう言って、砂つぶのついた窓から街の方を眺める。道ばたに止められているであろう走行給水車の側面と、警備員の腕章には、「ZECT」のロゴマークが刻まれている。貴重な資源の一つを牛耳っている巨大な組織の存在は、絶望の中でも大きかった。

 中村は箒の上に顎を乗せながら、思わずくくっと苦笑した。

「…しょーがない。今のうちにポイント稼ぎでもしときますかね」

 

     †     †     †

 

 ごとんっ、と音を立てて、水の入ったポリバケツが地面に置かれ、その横に前原が腰を下ろした。

「ふぃ〜。つっかれたぁ」

「悪いな、手伝ってもらって」

「この借りは後で必ず返すわ」

 建物の陰でパタパタと手であおいで風を受ける前原に、磯貝とイケメグこと片岡が礼を言う。その横に倉橋と“元”体操部員の岡野、俊足で知られる木村、ポニーテールがトレードマークの矢田がポリタンクを下ろし、手を横に振った。

「イヤイヤ気にしなさんな」

「困ったときはお互い様だよ」

「こないだ、飯おごってもらったしな」

 前原はそう言って、どっこいしょと年寄りのような掛け声を上げて立ち上がり、ポリタンクをバンバンと叩く。普段女性関係で信用がないのが玉に瑕だが、こう言ったときの態度は本当にイケて見える。

「値段が上がる前に買い出ししとくのは節約の基本だけどさ、やっぱ考えることはみんな同じだよな」

「…ああ。正直もう二度と経験したくないよな。あの地獄は」

 遠い目で、木村が呟くと他のメンバーも顔に影を落として俯いた。ついさっき、この七人はまさに戦場にいたのだ。給水車に群がる主婦たちの間に突入し、限られた水を数の力で確保しようと懸命に戦い抜いた。戦果は、暗殺訓練の成果により上々だったが、もう味わいたくはないほどの恐怖が、彼らには刻まれていた。

「もう一度やれって言われてもゴメンだわ。あんなの」

「怖かったよぉ〜」

 白目でぼやく岡野と涙目で震える声を漏らす倉橋をなだめながら、磯貝は苦い顔で笑った。

「……まぁ、もっときつい奴らもいることだしな」

 

     †     †     †

 

「ヴェフッ‼︎ ゲッ、ゲホッ⁉︎」

「ヴェホッ‼︎ ゲッホゲッホ、ヴォェエエエ‼︎」

 今にも嘔吐してしまいそうなほどひどい咳を放ちながら、E組のガキ大将・寺坂、バイク好きのドレッドヘアー・吉田、ラーメン屋の息子・村松、毒舌工学系技師・糸成が引き戸を乱暴に開けて店の中に駆け込んだ。二重に改造された扉の空間に一旦身を寄せ、すぐにもう一枚の戸を開けて中に逃げ込む四人。その後を、E組のダークサイドたる狭間とE組の母・原、E組の爆発物処理係・竹林が続き、扉を完全に締め切った。

「ハーッ……ハーッ…………死ぬかと思った」

「今日は特に酷ぇな」

「先生のマスク無かったらやばかったよね」

 肩で息をする寺坂と吉田、糸成が汗をぬぐい、砂まみれのローブを脱いで二重扉の間の空間で払う。腹と村松の手には水の入ったポリタンクがあり、寺坂たちが砂を払っている間にそれを店内に運び入れた。

「悪りーな、わざわざうちの手伝いさせちまって」

「当たり前だ。割引券と引き換えでなければ絶対にしない」

「ハッキリ言うなやコンチクショウ‼︎」

 さらりと毒舌混じりの本音を語る糸成に突っ込みながら、回転イスに腰掛ける村松。

 物資の値段上昇によって最も被害を受ける者たち、飲食関連の店舗者がその一つだった。水を多く使い、大量の食料を使用する飲食店にとって、現状はまさに悲惨だった。

 買い出し一つでも、命がけだった。

「まぁ、とりあえず礼でもしねぇとな。メシ食ってけ」

 村松はニヤリと歯を見せて笑、ローブ一式を壁にかけると袖をまくって厨房に入る。糸成がまた味について文句を言うかと思ったが、意外におとなしくしている。不味さより空腹の方がまさったらしい。

「確かに腹減ったな……じゃあ俺醤油」

「俺、味噌で」

「豚骨だ」

「では先生は塩ラーメンを一つ」

「あいよ。……………って」

 各々の注文を受け取り、調理を始めようとした村松だったが、人数と注文の数が合わないことに気づき、その場でピタッと静止した。そして、椅子に座る六人のさらに隣に座る黄色い蝶生物の姿を目にし、菜箸を持ったまま飛び上がった。

「うおおっ⁉︎」

「んなっ……タコてめーいつの間に⁉︎」

「さっきです。粘液マスクを配るついでに寄りました。玄関先の掃除もしておいたので先生にも割引券いただけませんか? 今月、先生金欠でピンチなんです」

「セコイわ‼︎」

 いつの間にか椅子に座っていた殺せんせーは、そう懇願して涙を流す。値上がりの余波は、超生物の財布にも大打撃を与えていたらしい。

 村松はため息をつき、厨房に視線を戻した。

「…ったく、しゃーねぇな。こないだくれたレシピの分で勘弁してやるよ」

「すいませんねぇ、ヌルフフフ」

 涙を止めた殺せんせーは、いそいそと箸や七味を用意してラーメンの出来を待つ。

 その楽しげな横顔を、寺坂は呆れを孕んだ目で見ていた。

「…毎日毎日、何が楽しいんだテメーは」

「にゅ?」

 寺坂のつぶやきに、殺せんせーは律儀に反応した。寺坂は横目を向け、日頃から思っていた皮肉交じりの問いを口にする。

「誰も明日に夢だの希望だの持っちゃいねぇ。今この時間にもポックリ逝くかもしれねぇ。大抵の人間がもう生きることすら諦めてるってのに、てめーはなんでそこまで頑張るんだ?」

「…………」

「地球を壊すっていう脅しで俺らにハッパかけたところで、何かが変わんのかよ」

 頬杖をつき、愚痴るように呟く寺坂。同じことを思っていたのか、村松たちも虚空を見つめたまま黙り込む。終わりの迫る世界で子供達を導こうとしている黄色い超生物が何を見ているのか、彼らにはわからなかった。

 ややあってから、殺せんせーは振り向いた。

「……先生はね、ある人との約束を守るために、君たちの先生になりました」

 変わらない笑顔の中に、言い表せない感情をにじませた教師が答える。

「けど今は、この仕事に誇りを持っています。先の見えない将来に向かって歩く君たちを手伝うのが限りなく誇らしいのです。……たとえ未来が暗雲の中にあっても、決して諦めたくないのです」

 何も言わず、殺せんせーの告白を聞く寺坂たちに、彼は笑った。

「そういうかっこいい教師になることが、先生の目的なんですよ」

 地球を破壊する超生物は、そう言って優しく笑った。



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第3話 組織の時間

 カタカタと、高速でキーボードをタイピングする音が響く。暗い教員室に、手元を照らす照明だけが明るく輝く中、防衛省の烏間は一人、報告書をまとめていた。鋭く尖った刃のような彼の目はピクピクと痙攣するように左右に動き、指は目にも留まらぬ速さで動き続ける。

 しばらくして、手を止めた烏間は眉間をつまんで椅子に体を預ける。ふぅー吐息を吐き、眉間を揉みほぐす様から、相当疲労が溜まっていることが伺えた。

 そこへ、白く湯気を立ち昇らせるカップが一つ、ソーサーに乗せられて烏間の前に差し出された。

「お疲れのようね」

 烏間の方に手を置き、カップを差し入れした金髪の美女が、凛とした目で烏間を見下ろす。イリーナ・イェラビッチは同僚の肩にしなだれ掛かると、烏間はちらりと横目を向けた。

「ああ…、すまん。今日は冷えるな」

 カップに口をつけると、温かさがじんわりと体の奥底に染み渡る。日が沈んだ今、夜間の気温は昼に比べて格段に下がり、冬の日には氷点下にまで陥ることもあった。そんな時の温かい差し入れは、非常にありがたい、が。

「なんならアンタも私を温めてくれる? …ベッドのう・え・で」

 この女の色ボケさえなければだが。

「…………お前の中の大罪は色欲しかないのか」

「待って待ってお願い待って‼︎ 寒いのよ淋しいのよ構って欲しいのよ‼︎ せめて今だけでも‼︎」

 思わず席を立ちそうになるから烏間だったが、涙目になったイリーナに体を張って止められる。有能なのだが、肝心のところで欲に走るため、烏間の苛立ちを募らせていた。

 だが、今最も烏間を悩ませているのは、イリーナのことではない。

「…………」

 烏間はイリーナを片手であしらいながら、パソコンの報告書とは別の、あるファイルのアイコンに目をやり、静かに唸った。

 ーーー…ZECT(ゼクト)

    未曾有の大災害による混乱が収まらぬうちに水資源の確保に暗躍し、一大財力を有して政府への巨大な発言力をも手にした謎の多い組織。

    生物の命綱とも言える水を独占されたために、民衆からの反発も大きいと聞く。

 カップの残りを飲み干し、イリーナの誘惑を適当にあしらいながら思案する烏間の表情は固く、眼差しはどこか冷たい。気に入らないのだ。ZECTの手際の良さが。

 まるで、世界がこんな姿になることが、予見できていたかのように。

(それに、今ZECTでは内部で対立が起きているという噂も聞く。生徒たちが暗殺を成功させたとしても、のちに彼らが生きる世界が残っていなければ意味がない。影響が及ばないよう、注意しておかねば……)

 と、そこまで考えたところで、烏間の鋭い目がさらに釣りあがり、額に太い血管が浮き上がった。

「ところでそこで何をしている標的(ターゲット)……」

 プルプルと肩を震わせ、白目を剥く烏間は、教員室の引き戸の隙間から顔をわずかに覗かせ、はぁはぁと鼻息荒く手帳にペンを走らせる黄色い超生物に怒気の籠もった声をかける。

 隠密を見抜かれた殺せんせーは咎める目を気にもせず、荒い呼吸のまま烏間とイリーナを凝視した。

「いえいえお気になさらず。なんなら私は姿を消しますからお二人でゆっくりと……」

「黙れ」

 烏間の声が一層低くなり、浮き出る血管の数も増える。いたたまれなくなったイリーナは顔を赤くし、そそくさと烏間の傍から離れていった。

 殺せんせーは態とらしくため息をつくと、窓から外を眺めた。

「ノリが悪いですねぇ。もっとこう……『月が、綺麗ですね』ぐらい気の利いた言葉を言ってもらわないと」

「やめろ。名台詞を汚すな」

 一瞬だけ真顔になってダンディーな声を出した標的にツッコみ、烏間は椅子の背もたれに身を預ける。かの文豪も、自身の残した台詞をこんなくだらないことのために引用されたと知ったなら浮かばれまい。

 イリーナもゴシップ好きのころせんせーに好き勝手に覗かれることは面白くないため、唇を尖らせてそっぽを向く。が、何かを思い出したようにはっと表情を変え、ちらりと横目を殺せんせーと烏間に向けた。

「……ねぇ、知ってるかしら? 最近巷で噂になってる“はぐれ”のライダーの話」

「…………」

「ライダー、ですか。確かZECTが抱えている特殊武装兵士の名称でしたねぇ」

 イリーナの言葉に、烏間は黙って目を細め、逆に殺せんせーが強く反応する。ただ、表れている感情は興味というより、不信感に近いものに思える反応だった。

「……ZECT内部で起きている内乱も、そのライダーシステムの装着者が筆頭になっていると聞いている。その中の一人ではないのか?」

「それとは別件よ。まぁ…、そっちもそっちで厄介な件だとは思ってるけど。ただでさえ能力や性能がやばい連中が争っているわけだしね。…と、話が逸れたわね」

 冷や汗を流すイリーナが、咳払いをして話を戻す。

「私が言っているのは、ZECTにも反ZECTにも属さない完全な野良の方よ。身元も所属も不明。一時、ZECTの施設に侵入して大暴れしたって話があるとんでもないやつよ」

 イリーナは腕を組み、報告でもするかのように淡々と語る。ハニートラップや色仕掛けなど、女の武器を駆使した暗殺を得意とする彼女は、その技術を利用して政府の役人や要人を籠絡して重要情報を手に入れることも可能としていた。

 だが、その情報が及ぼすのは、何も政府“以外”というわけではなかった。

「烏間、アンタも気をつけなさいよ。上の命令がどんなものであろうと、今のZECTは危険よ。いつ破裂するかもわからない爆弾と、敵味方関係なく噛み付く野犬がいるんだから」

「…………」

 イリーナの言葉に、烏間は眉をわずかに潜め、自身のタイピングした報告書に目を向けた。

 イリーナはおそらく、既に知っているのだろう。烏間が今、何をしようとしているのかーー上層部から何を命令されているのかを。烏間はただ黙って、光を放つパソコンの画面を見下ろしていた。

「…烏間先生。防衛省の(・・・・)あなたに対しては、私も文句を言うつもりはありません」

 殺せんせーはそう言い、烏間の方をじっと見やる。ただし、いつもの黄色い顔色ではない、本気で怒る一歩手前の、赤黒い顔色でだ。

「ですが、生徒たちにもしものことがあれば、私は教師として(・・・・・)貴方を許しませんよ」

「……ああ、わかっている」

 烏間は短く頷き、パソコンの電源を落とす。立場がなんであろうと、彼もまたここでは一人の教師。その最たる任務は、生徒たちの安全を守ることなのだ。

 短く簡潔ながらも、望んでいた答えを受け取った殺せんせーの顔色が元に戻る。すると、今度はイリーナの方に視線を向けた。

「そういえばイリーナ先生。先ほどおっしゃっていたはぐれのライダーさんのことをなんですが、詳しい話を聞いてもよろしいですか?」

「ん…そうね。言っておいたほうがいいわね」

 タバコをくわえ、火をつけたイリーナが視線を返す。煙をくゆらせながら、彼女はサファイアのような瞳を月光に反射させ、二人の同僚を見つめた。

「どこの誰が使っているかは知らないけど、『何が』使われているのかは判明してる。数少ないライダーシステムの一つを使っていることから、“やつ”はこう呼ばれているわ」

 灰を落とし、イリーナはその名を呼んだ。

「コードネーム“カブト”」

 

     †     †     †

 

 ハァ…と吐き出した息が、すぐ目の前で白く染まる。ベランダ出た渚は、上着の襟を引き寄せて口元を覆うと、一切の光が消えた町並みを見下ろしていた。

 燃料資源節約のため、夜間の外出禁止令が出てからは、夜になると全く音が聞こえなくなり、蝋燭の明かりで勉強していても全く頭に入ってこないのだ。それにやはりわずかな明かりだけではやりづらく、気分転換がしたくなった。

「……さむ」

 寒さに頬を赤く染めながら、渚は静かな世界で一人佇む。そして、ふと天を見上げ、思わずほぅとため息を漏らした。

 そこに広がっているのは、満天の星空。街の明かりが一切なくなったために、星の光を遮るものがなく、辺境でしか見られなかった景色が風のない日には拝むことができた。

 不謹慎だが、人間は文明を失うことでこうして大切なものを取り戻したのではないだろうか、などとくだらないことを考えながら、渚は夜の絶景に見惚れていた。

 そんな時だった。日頃の訓練で鍛えられた感覚が、渚にある存在を気づかせた。

「…ん? あれ……人、かな?」

 渚の眼下、マンションのすぐ下の道を、黒い影が歩いていた。遠すぎてよく見えないが、おそらくローブと思わしきボロ布をまとい、真っ暗な星明かりしかない道を一人歩いている。

 それを見て、渚はわずかに首を傾げ、眉をひそめた。外出禁止令は、節約だけが目的ではなく、他にもっと重要な理由があるのだ。この令は随分前からあるもので、知らないものがいるはずがない。

 少し悩んだ渚は、ぐいと体に力を込め、思い切ってベランダの柵を飛び越える。そこからすぐそばの建物へ飛び移り、まるで軽業師のような動きでみるみるうちに地面に向かって降りていった。彼の事情を知らないものがいれば、おそらく自分の正気を疑うだろう。

 そしてものの数秒で、渚は目標の人影の元へとほとんど音もなく降り立っていた。わずかな足音で気付いたのか、黒衣もピタリと足を止め、ちらりと少しだけ視線を渚に向けた。

「…ハァ……ハァ……君、この時間は外にでちゃダメだってこと忘れてないかな……」

「…………」

 黒衣は面倒臭そうに渚を見やると、ふっとかすかに鼻で笑った。

「…それは、君も同じだと思うけど?」

「なっ……! それは君が外に出てるのを見たからで……」

 渚が抗議するように呟くと、黒衣は肩をすくめたように見えた。思わずしかめっ面になる渚を無視し、黒衣はまた前へと歩き出す。

「僕の行く道は僕が決める……じゃあね、お人好し」

「…………」

 取りつく島もなく置いていかれそうになった渚は、困ったように反目になって黒衣を睨みつける。ぽりぽりと頬を掻いてどうしようか考えていると、黒衣が再び渚の方に振り向いた。

「早く家に帰ったほうがいいよ。…抗争に巻き込まれないうちに」

「え?」

 思わず、渚が訊ね返した時だった。

 ドォン、という音がどこか遠くから響き渡り、渚と黒衣の足元を揺らした。

「うわっ⁉︎」

「…………‼︎」

 ふらつく渚をよそに、黒衣は足を止めて音のした方の空を見上げた。戸惑いながらも、渚も同じ方向を見上げて目を見張った。

 空が、僅かに明るく染まっている。夜明けにはまだ遠い時間であるはずなのに、ほのかに空が淡いオレンジ色に染まっては、時折点滅するように光を放っていた。少し遅れてから、ドォンドォンと言う空気が震えるような音が轟いてきていた。

「な…何が……?」

 静かな夜が突如破られ、混乱する渚。

 その前で、黒衣は淡く染まる空を見上げ、小さく舌打ちを零した。

「ッ……そこか」

 そう呟きが聞こえた瞬間、黒衣の姿が一瞬にして消え失せた。

「⁉︎ 速っ……!」

 目を見開く渚の前で、黒衣は軽々と跳躍して建物の凹凸へと飛び移り、みるみるうちに夜の闇へと姿を消してしまった。E組でも機動力に特化した木村や岡野にも匹敵するかもしれないスピードで、黒衣は音のする方へと消えた。

 呆然としていた渚は、ややあってから我に帰り、思い悩むように頭を掻く。そして、盛大に顔をしかめて「ああもうっ‼︎」と叫ぶと、黒衣が消えた方へと走り出した。

 お人好しという一言に、内心苦笑しながら。

 

「にゅや……困りましたねぇ。こんなところで戦争なんてされては」

 やや高い、半壊したビルの上で殺せんせーは腕を組んで眼下の混乱を眺めていた。

 黒いボディスーツに、機関銃から火を噴かせる蟻を模したような姿の武装兵たちとカラーリングの変えられた同型の武装兵たちが互いに睨み合い、文字通り火花を散らせている。それが巷で話題のZECTの武装兵とその反乱分子であると、殺せんせーは見切りをつけていた。

「暴れているのが住民のいない廃墟区であるのが幸いですが…近所迷惑には変わりありませんねぇ」

 わずかにひたいに血管を浮き立たせ、顔色を赤くした超生物は、何やら顎を撫でながらどうしようかと考え込む。手入れするのは簡単だが、下手に手を出して狙われるのは困るし、生徒たちにも迷惑がかかる。何より、よその問題に口を挟む必要などないだろう。

「ま、とりあえず様子見といきましょう」

 独りごちると、殺せんせーは屋上に腰を下ろし、懐から大量の紙書類の束を取り出すと、所々に赤ペンで○や×、もしくは一言を添えていく。抗争を見世物感覚で眺め、答案採点を同時にこなす時点で、この超生物も相当ドライになっているのかもしれない。

 だが、何が大事なのかなど比べるまでもない。一番大切なのは生徒たちなのだ。

「…にゅ?」

 そこで、殺せんせーは僅かに顔色を変えた。

 視界の端に、自分の生徒の姿が映った気がしたのだ。

 

 黒と白の武装集団がぶつかり合う戦場に、渚はいた。そこかしこで銃弾が跳ね、火花が散る中を、姿を見失った黒衣を探して激しい銃撃戦をくぐり抜けていく。

「……っ、あの人はどこに……⁉︎」

 轟音と破壊音が交わって、あちこちから耳に襲いかかってくる中、廃墟の陰に身を潜めた渚は必死に辺りを見渡す。常人とは思えない力で闇の中へと消えた黒衣は、すでに痕跡すら残しておらず、もうさっさと離脱したいと半ば心が折れかけていた。

「……大丈夫だよね。幾ら何でも、こんな所にいるはずが……」

 一般人がこんな戦場にいるはずがない。そんな命知らずがいるはずがない。

 そして何より、“あいつら”がはびこっている時間帯に外に迂闊に飛び出すものがいるはずがない。

 自分にも跳ね返ってきそうな言葉で、自分を納得させようとした渚が、くるりと踵を返そうとした時だった。

 渚のすぐ近くから、ぐるるるる…と低いうなり声が聞こえてきたのは。

「‼︎」

 目を見開き、顔を青ざめさせた渚がバッと振り向く。建物の陰から姿を現したのは、緑色の甲殻と鋭い爪を有した人形の異形。気色の悪い芋虫を無理やり人型にしたような、吐き気を催させる凶悪な存在が、ゆっくりと姿を現した。

「わ、ワーム……⁉︎」

 渚はとっさに姿勢を下げ、ワームの視界から自身を外す。

 巨大隕石は海を奪っただけではなく、全くありがたくないものを残していた。

 害蟲(ワーム)、人を襲う第一級危険生物の卵が隕石には貼り付いていて、大気圏を突入した際の摩擦熱で孵り、地球全体に蔓延してしまったのだ。基本的に夜行性であったのが幸いし、人々は遭遇を避けるために夜間の外出禁止令が出されていた。

 身を潜めた渚は、騒音に引き寄せられて現れたワームを見据え、静かに去ろうと腰を浮かす。

 だが、移動しようとした渚の背後で、ドゴンという激しい粉砕音が響き、ビクッと体をを震わせた。外で戦っていた武装兵の一人が、吹っ飛ばされて壁をぶち破ってきたのだ。

 渚は一気に青ざめた。破られた壁の穴から、また新たなワームが侵入し始めたのだ。ワームたちはかがんでいる渚に気づき、轟音に気付いた渚の目の前のワームも振り返り、怪しく目を光らせる。丸腰の渚は完全に包囲されてしまった。

「しまっ……うわああああ‼︎」

 思わず渚は、突如訪れた命の危機に悲鳴をあげてしまい、ワームを反応させてしまう。人間の悲鳴に興奮したワームたちは、グロテスクな口元の牙をカチカチと鳴らし、渚に一斉に襲い掛かった。

 周囲を鋭い牙と爪に囲まれた渚は、恐怖で石のように硬直する。

 死ぬ、直感的にそう思った瞬間だった。

 ぐいっ! と襟首が引っ張られ、渚の体が宙に浮いた。と思った瞬間、渚の軽い体が乱暴に放り投げられ、廃墟の壁に叩きつけられた。ワームたちの爪が標的を逃し、互いに体をぶつけ合うのをよそに、渚は混乱したままずるずると地面に落ちていく。

 そして渚は、見た。集まったワームたちの緑色の体に赤い閃光が走り、汚い体液をぶちまけ、緑色の炎を吹き上げて倒れていく姿を。

 黒衣の人物が、渚に背を向けて立っている姿を。

「……君は、本当にお人好しだね」



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第4話 仮面の時間

「き……君は……‼︎」

 渚は目を見開き、目の前で異形の群れを屠った黒衣の顔を見上げた。下から見上げているせいか、フードの下の妙に細い線の顔立ちがぼんやりと見えた。

「……もしかして、ボクを追ってきたの? こんな危険地帯まで? 飛んだお人好しだね」

 渚を見下ろし、肩をすくめる黒衣ーー碧い吊り目が印象的な少女が、尻餅をつく渚に呟く。深い海の色のような瞳は、心なしか呆れたように細められていた。

 とはいえ、目の前の少女にだけは渚も言われたくはなかった。

「そ…それは君も同じじゃ」

「シッ」

 渚が反論しかけると、少女は渚の口を片手で塞ぎ、もう片方の手の指を立て口元に当てて渚を制した。急に至近距離まで近づいた少女の顔にドギマギしながら、渚は小さく息を飲んで硬直する。

 少女は鋭く目を光らせると、渚の肩越しに向こう側を指差した。渚が振り向けば、いつの間にか黒い武装兵が白い武装兵を制圧し、残ったものを包囲していた。

 残った二人の男、タンクトップにバンダナ、ジャケットにシンプルな帽子という傭兵のような格好をした二人組に銃を向け、武装兵たちが隊列を組んでいる。二人組は歯を食いしばり、武装兵たちを鋭く睨みつけていた。

 と、その時だった。

「織田あああああーーーーー‼︎」

 ビリビリと轟く、獣のような芳香が響き渡り、渚はビクッと身を震わせた。

 二人組の男を包囲する黒い武装兵たちの列が左右に分かれ、現れた道を二人の軍服を纏った人物が通っていく。鋭い鷹のような眼光が、織田と呼んだ男を射抜いていた。

「…ようやく追い詰めたぞ。手間をかけさせやがって」

「……大和、矢車」

 追われていた織田ともう一人の男は、凄まじい威圧感を放つ大和という男を見据える。対して矢車と呼ばれた男は、まるで汚らわしい毒虫を見るような目で織田たちを睨みつけていた。

「この裏切り者どもが……‼︎ 自由だなんだと嘯いて我々ZECTに反旗を翻した挙句ZECTの精鋭を引き抜いて新たな軍を作るなど、恥を知れ‼︎」

「うるせぇ‼︎ てめーらのやり方にはうんざりしてたんだよ‼︎」

「風とは気まぐれなもの……彼らもそれに賛同しただけのことです」

 織田の片割れの男、風間が帽子のつばをつまんでそういうと、矢車は憤怒の表情をさらに険しくし、怒りのままに詰め寄ろうとする。だが、それを上司らしい大和が手で制し、自ら一歩織田たちの方に踏み出した。

「……織田、風間。たとえ裏切り者だとしても、お前達と仲間であったことは事実……」

 物陰に身を潜めている渚が思わず「修羅場……?」と呟く前で、大和は突如地面に膝をつき、深々と頭を下げた。その場にいた誰もがギョッと目を見開き、いきなりの土下座を敢行した大和を凝視した。

「この俺が土下座してまで頼むのは今までにないことだ。…戻ってきてはくれんか」

「…………」

 恥辱か憤怒か、思いを押し殺したかのような声で、大和は土下座をしたまま懇願する。ひたいを割れたアスファルトの上に擦り付け、部下達の目も憚らずに頭を下げ続ける。

 その様を、織田は冷めた目で見下ろしていた。

「……大和、今更俺が土下座なんざでうごかねぇことはてめーが一番よく知ってんだろ」

「…………」

 冷えた声でそう呟いた織田の前で、大和は無言のままゆっくりと立ち上がる。その顔に落胆はなく、答えを最初からわかっていたかのような諦観の表情があった。

「……ならば仕方ない。ZECTの敵は、この俺が排除する」

 ヤイバのごとく眼光を鋭くし、大和はその瞬間から臨戦態勢に入った。もう目の前にいるのはかつての同志ではなく、組織に仇なす排すべき敵だ。

 大和は片腕を上げ、手袋を外して軍服の袖から金属製のリストバンドを晒す。するとそこへ、虫の羽音を響かせて銅褐色の何かが飛来し、大和の手首にカチリと連結した。

 手首に張り付いた、複雑な形状の角を生やした昆虫・ケンタウロスオオカブトを模した金属製のガジェットを掲げると、大和は傾いたそれをひねり、呟いた。

「変身」

 そして、織田も同じく片腕のリストバンドを掲げ、どこからか飛来した銀灰色のヘラクレスオオカブト型のガジェットを装着し、同じように叫んだ。

「変身‼︎」

HENSHIN(ヘンシン)

 その瞬間、大和と織田の手首を中心に正六角形状のエネルギーの幕が形成され、蜂の巣のように二人の体を包んでいく。数秒で手首を中心に消滅していき、その下からは、ガジェットと同じ銅褐色と銀灰色の装甲を纏った戦士が姿を現した。

 片や、緑の双眼に、複雑に枝分かれした角を持つカブトムシの顔を模したヘルメット状の仮面を被り、ライダースーツにスマートな装甲を纏わせ、その下に中国の武官のような衣服を巻いた大和。

 片や、赤い目に、上下に長く伸びた特徴的な角を模した仮面を被る、大和と色が異なるものの全く同じ装甲を纏った織田。

 エネルギー膜が消滅した瞬間、両者の仮面の目が輝きを放った。

CHANGE BEETLE(チェンジ・ビートル)

 低い男性の電子音声が響き、両者は腰に下げたツールを手に持って構える。織田は戦斧を、大和は苦無を手に、目前の敵をまっすぐに見据え、そして。

「ーーーッシャァ‼︎」

「ハァッ‼︎」

 裂帛の咆哮とともに、同時に激突する。戦斧と苦無がぶつかって火花を散らし、男たちの逞しい筋肉がスーツの下で盛り上がる。鍔迫り合いなどではない、相手の急所を的確に狙い、確実に殺す技の応酬が繰り広げられていた。

 甲高い金属同士の衝突音が鳴り響き、それが残る二人を動かす合図となった。

 風間は懐から銃のグリップに似たツールを取り出し、矢車は左手のリストバンドを晒す。すると、織田たちと同様に鋼鉄の昆虫たちが飛来し、それぞれのツールへと自ら降り立った。

「変身」

HENSHIN(ヘンシン)

 風間の元へは青い蜻蛉の、矢車の元へは黄色の蜂のガジェットが姿を現し、六角形のエネルギー膜が二人の体を包んで強固な装甲を形成していく。

 矢車は装甲を纏うと、すぐさま風間の方へ左腕を掲げて駆け出した。同時に、リストバンドに装着した蜂の羽を全面へとひっくり返し、180度蜂を回転させた。

「キャストオフ‼︎」

CAST OFF(キャスト・オフ)

 途端に装甲が浮き上がり、無数のパーツに分かれてパージされていく。

 同時に、風間は蜻蛉とグリップを合わせて作った銃を掲げると、撃鉄にあたる部分を引いて銃口を天に掲げ、半身を引いて身構えた。

「キャストオフ」

CAST OFF(キャスト・オフ)

CHANGE WASP(チェンジ・ワスプ)

CHANGE DRAGON-FLY(チェンジ・ドラゴンフライ)

 風間の装甲もパージされ、両者の鎧はよりスマートな格好へと変わった。

 片や、黄色い蜂を模した格闘型のパワーファイター。羽を広げた蜂の体を模した鎧と、牙を模した目が光る凶悪な表情の仮面を纏う拳闘士(グラップラー)、ザビー。

 片や、青い蜻蛉に似た姿の銃撃者(ガンナー)。長い蜻蛉の羽は胸と右肩を覆うような形状の装甲と、四枚の羽の形の複眼を持つ仮面を纏った戦士、ドレイク。

 怒号と共に、矢車は風間に襲いかかる。風間は銃で牽制しながら、徐々に包囲網を狭めていく武装兵をも同時に狙い撃つ。銃撃を食らった兵士は胸から火花を散らせ、翻筋斗(もんどり)打って盛大に倒れ込んだ。

 別の場所では、織田と大和が激突し、建物に突っ込んで瓦礫を撒き散らせる。刃だけではなく、拳と蹴りの応酬が繰り広げられ、骨と骨、装甲と装甲がぶつかり合う鈍い音が辺りに反響していった。

 ワームの襲撃などとは比較にならないほどの迫力で、人間同士の戦闘が開始されてしまい、渚はすぐ近くで響く銃声や破壊音に身を固くする他になかった。

「……‼︎ なんでっ、…こんな……⁉︎」

 幾度となく考えてしまう。危険な夜の飛び出した不良少女を説得するだけのつもりだったというのに、何故ZECTの抗争などに巻き込まれなければならないのか。

 その横で件の元凶は、頭を抱え込んで嘆く渚をよそに激化する戦場をただじっと眺めていた。

「……君、名前は?」

 唐突に振られた問いに、渚は一瞬「えっ?」と惚けた声を上げて固まった。しかし、至近距離をかすった銃弾がチュインと弾ける音に正気に戻り、近くで起こった爆発音に首をすくめながら、急かされるように慌てて答えた。

「なっ……渚! 潮田渚だよ‼︎」

「…渚、か」

 少女は渚の名を反芻するようにつぶやくと、背を向けたまま口を開いた。

「……巻き込んでごめん、渚」

「…え?」

「…今からタイミングを計るから、合図したら全力で走って。いいね?」

 そう言われて、渚は困惑して眉をひそめた。先ほどまで厚顔不遜な態度を取っていた彼女が、心なしか落ち込んだような声で謝罪してきたことに、戸惑いを隠せなかった。

「で……でも、君は…………⁉︎」

 渚が迷っていると、少女はフードの下から鋭く睨みつけてきた。

「返事は⁉︎」

「は……うん‼︎」

 叱責され、渚は慌てて立ち上がった。

 少女は再び戦場に視線を戻し、ぶつかり合う二組の戦士達と武装兵の様子を伺う。どちらも目の前の敵を相手にすることしか頭にないようで、渚達がいることにすら気がついていない。

 鋭く目を走らせていた少女は、やがて銃弾の雨が途切れる瞬間を捉えた。

「今だ、走って‼︎」

 ぐいっと渚の方を掴み、少女が駆け出した。渚が「わっ‼︎」と小さく悲鳴をあげるのにもかまわず、少女は戦場をかいくぐって走っていく。気圧されかけた渚も、半ばヤケになりながらその後を追った。

 銃弾が風を切り、爆発音が鼓膜を震わせる中、渚は必死に姿勢を下げて、少女の背中を見失わないように走る。時折走る閃光のために、かろうじて夜間でもその背を見失う心配はなかった。

 やがて渚の視線の先に“道”が映った。自分が通り、ここへたどり着いた道だと瞬時に気づき渚の顔に安堵の表情が浮かんだ。

 ーーーあとちょっと……‼︎

 だが、その瞬間渚の視界は、白い閃光に包まれた。流れ弾が渚のすぐ近くに着弾し、炸裂して多少の爆発と衝撃を発生させて、渚の軽い体を吹き飛ばしたのだ。

「‼︎ 渚っ…‼︎」

 少女もまた爆風に煽られ、瓦礫の中に突っ込んでいく。

 渚は咄嗟に受け身を取るも完全には衝撃を殺せず、全身を強く打ち付けて悶絶する羽目となる。「あぐっ⁉︎」

 肺を圧迫されつい声を漏らしてしまい、激痛に地面を転げ回る渚。

 その時響いた声に、織田が気づき仮面の下の目を大きく見開いた。

「‼︎ なんで民間人がこんなところに……⁉︎」

 驚愕しながら、織田は渚を保護しようと駆け寄ろうとする。しかし、大和がそこへ割り込んで苦無を振りかざし、それを戦斧で受け止めた織田は足を止められた。

「邪魔するんじゃねぇ‼︎ 民間人のガキがいるんだぞ‼︎」

「なんだと……⁉︎」

 ガキンと刃を払いのけ織田が吠えると、さすがに大和も予想外だったのか言葉に詰まり、ちらりと渚のいる方向に目を向けた。そして、瓦礫の中で咳き込んでいる渚の姿を目にした瞬間、大和の放つ雰囲気が変わった。

「…………矢車、聞け」

 仮面に内蔵された通信機を起動させ、大和は風間と殴り合っている矢車を呼ぶ。風間を払いのけた矢車はその視線を大和の方に、そして渚の方に向け、同じように動きを止めて固まった。

「そいつらの事は後回しだ…………あの少年だ」

 その“命令”が発せられた瞬間、矢車が動いた。まだ咳き込み続け、涙目でうずくまる渚に向けて、苦無を持ったまま猛スピードで接近していく。渚が気配に気づいた時には、矢車は苦無の柄頭を振り上げ、渚の延髄に突きこもうとしているところだった。

「ーーー‼︎」

 渚がそれを回避することができたのは、日頃の訓練の成果とは言いがたく、むしろ相手が手加減し、速度を緩めたことが一番の要因だった。とっさに頭を引いた渚はバック転の要領で立ち上がり、すぐさま矢車の苦無から距離をとって身構えた。今のは明らかに、渚を仕留める一撃だった。

「チッ……ただの子供ではないということか」

「何してやがんだてめーは‼︎」

 舌打ちし、追撃を行おうとする矢車に織田の怒号が飛ぶ。それでも止まらず、渚に向かって疾走する矢車を追おうとするも、その前に大和が立ちはだかった。

「大和っ……邪魔すんじゃねぇ‼︎」

 斧で斬りかかるも、大和は苦無を滑らせて斬撃を防ぎ、織田を矢車の元へ行かせない。不穏な状況に気づいた風間が矢車を打とうとするが、残っていた武装兵たちが銃を乱射して道を阻む。織田は仮面の下で顔をしかめ、大和を睨みつけた。

「あんなガキを巻き込むなんざどういうつもりだ⁉︎」

「……答える必要はない」

 大和は織田の怒りの言葉を一蹴し、苦無の刃を振り抜いた。

 一方、矢車と相対する渚は、冷や汗を流しながら一歩も動けずにいた。先ほど昏倒させられかけたことで相手が害意を持っているのは明らかで、安易に動けばすぐに捕らえられてしまうであろうことは想像できた。

 なぜ自分が狙われているのかはわからないが、問答無用で襲いかかってくるような奴がまともな相手だとは思えない。なんとか隙をついて逃げ延びようと、渚は静かに機会を伺った。

 そんな渚を、矢車は肩をすくめて見つめる。

「そんなに身構えるな。大人しくしていれば危害は加えない」

「…………」

 胡散臭い。そんなことを言われても、渚は警戒を解くことはできなかった。たとえ仮面の下で浮かべているであろう笑顔を見せていたとしても、一度芽生えた不信感は拭うことはできない。汗が顔を伝うのを感じる中、渚はじっと矢車を見据え続けた。

 身構える渚の姿を見て、矢車は肩をすくめてため息をつく。

「……大人の言うことは、素直に聞くものだ」

 呟いた直後、矢車の放つ雰囲気が変わった。子供をたしなめる大人から、ただ命令をこなす一匹の猟犬のように獰猛な覇気を放ち、渚に迫った。

「‼︎」

 渚は目を見開き、繰り出された手刀をかろうじて避ける。前髪が何本か切り裂かれ、その危険さに改めて恐怖する。

 矢車の猛攻はそれだけでは終わらず、渚の急所を的確に狙って打撃を加えてくる。渚は必死にかわし続けるが、その様はどこか猫が遊びで獲物を弄ぶかのような雰囲気があり、その度に戦慄が渚の体を駆け抜けた。

 本気を出されれば命はない、その恐怖が渚の身を竦ませ、ついに矢車の薙ぎを顔面に受けてしまい渚はその場に倒れこんだ。すぐに立ち上がろうと体を起こすが、脳を揺らされたのかろくに動くこともできなかった。

「ぐっ……うっ………‼︎」

 もがく渚に、矢車の手が伸びる。朦朧とする意識の中、渚は徐々に近づいてくる黒い手を目にし、それが死の感覚であるかのように錯覚し始めた。

 しかしその刹那、両者の間で火花が散り、矢車の体が大きくのけぞった。

「ぐああっ⁉︎」

 顔面に衝撃を受けた矢車はたたらをふみ、強制的に渚から距離を取らされる。意識を保とうとするかのように頭を振ってから、矢車は目の前に乱入した人物を鋭く睨みつけた。

 渚もまた、自身を守るように背を向けて立つ目の前の人物に、目を奪われていた。そこにいたのは、先ほどの爆発で逸れた、黒衣をまとった少女だった。

「……‼︎ 君は…また助けて…」

「……そこにいて。すぐに終わるから」

 少女は渚を一瞥すると、ただ無言で矢車を見据える。

 フードの下から視線を向けられた矢車は、忿怒の気迫を全身から漂わせ、邪魔をした少女を鋭く睨みつける。苦無のヤイバを構え、用心深く少女を見据えた。

「貴様……何者だ」

「…………」

 少女は何も答えず、おもむろに黒衣を留める金具を外した。そして片腕で黒ローブを外すと、一気にそれを取り払い、己の姿をその場にいた全員に晒して見せた。

 美しい少女だった。青の瞳は星のように静かに煌き、まつ毛は長く凛としている。顔立ちは細部に至るまで完璧に整っていて、まるで理想的に造形された人形のようだった。

 ただ、後ろにいた渚が目にしたのは、まるで老人のように真っ白な髪のみ。三つ編みにされた長い髪は風に揺れ、月明かりを反射して眩しく輝いていた。

 しかし、矢車が息を飲んだのは、少女の容貌に対してではなかった。

 矢車が見ていたのは、少女の腰に巻かれたもの。銀色の無骨なベルト。

「まさか……その、ベルトは……‼︎」

「……おばあちゃんが言っていた」

 少女の腰に巻き付いた、一本のベルトを見て言葉を失う矢車。それに気づき、同じように硬直する大和達を余所に、少女は静かに片腕を上げ、天に向かって人差し指を突きつけ、高く掲げていく。

「ボクの名は……天の道を往き、世界に春の嵐を告げる鳥。天道ヒバリだと」

 傲岸不遜な態度で、独特な名乗りを上げた少女ーーヒバリの元に、一体の赤い影が飛来する。ヒバリはそれ、真紅のカブトムシ型のガジェットを片手で掴み、ゆっくりと目の前に下ろして見せつけた。

「変身」

HENSHIN(ヘンシン)

 ヒバリはガジェットをベルトに装着し、ガジェットもそれに応える。すると矢車たちと同じようにヒバリの体を六角形のエネルギー膜が包み、銀色の装甲を形成していく。青く光を放つ仮面をまとったヒバリは、ベルトに装着したカブトムシの角を叩き、僅かに浮き上がらせた。

 すると、重低音を響かせて銀色の装甲が浮き上がり、キュインキュインと待機音が辺りに鳴り響いた。装甲が無数のパーツに分かれると、ヒバリは静かに、あのワードを口にした。

「キャストオフ」

CAST OFF(キャスト・オフ)

 ヒバリがカブトムシの角を掴み、反対側へ180度ひっくり返す。カブトムシの胴体が前後に展開して電子音声が響いた瞬間、凄まじい勢いで装甲のパーツが弾け飛んだ。

 パージされた装甲のパーツは弾丸のように周囲に四散し、装甲の下からまた新たな装甲が姿を現す。

 真紅の鎧に、所々肌の見えるデザインのボディスーツ。鎧とスーツの間には、装甲と同じ真紅のチャイナドレス型の防護服を纏い、風にたなびかせる。仮面の形状も変化し、サングラスのようなスマートな形となっている。レンズの真下には赤いパーツがあり、それが起き上がってサングラスと一体化し、カブトムシの角と目を模した仮面となった。

CHANGE BEETLE(チェンジ・ビートル)

 青く光る仮面を被り、少女は機械の鎧を纏う。長い三つ編みを夜風に揺らすその少女・ヒバリの背中は、渚には鋭く研ぎ澄まされた一本の刃のように見えた。



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第5話 雲雀の時間

 深い海のような光を放つ瞳を輝かせ、銀糸のごとき長い三つ編みを風に揺らす絶世の美少女。思わずゾッとするほどの美しさを誇る謎の少女・ヒバリが纏うのは、真紅のカブトムシを模したデザインの鎧とチャイナドレス調の防護服。鋭い刃のような印象を与える彼女には、その格好は妙に似合っているように見えた。

「…………‼︎ 貴様、まさかっ……」

 ヒバリを指差し、矢車がわなわなと震える。ヒバリに向けられた仮面の下はおそらく、驚愕に表情を強張らせ、これ以上ないほど目を見開いていることだろう。

 ヒバリは矢車の狼狽に一切頓着せず、静かに目の前の“敵”に向かって足を踏み出す。硬い強化素材のブーツがカツカツと音を鳴らし、矢車の方へと近づいていく。

 呆然としていた矢車は我に返り、怒りを表すかのようにブルブルと拳を震わせ、ヒバリに向かって猛然と駆け出した。

「貴様が“カブト”か‼︎」

 手甲を構え、矢車がヒバリに襲いかかる。

 ヒバリは全く表情を変えることなく、ただ無言で腰に手を回すと、取り付けられていた金色の刃を持つ苦無を取り外し、矢車に向かって構えた。矢車が振り下ろした手首のガジェットの針がきらめき、ヒバリの苦無と激突する。

 ガキィィィン‼︎ と甲高い衝突音が辺りに走り、大気が振動して見えない波紋を作った。一瞬の拮抗の後、ヒバリが唐突に刃を傾ける。そのため矢車の手甲が刃の上を走り、矢車の体が大きく傾く。矢車は「くっ…!」と歯を食いしばって裏拳を放った。

 ヒバリは一瞥しただけでそれを避け、次々に繰り出される殴打を瞬時に見抜いてさばいていく。その速度は、渚を持ってしてもかろうじて視認できるほどの速さだった。

 応酬を繰り返すうち、矢車の息遣いが徐々に荒くなり始めた。少女一人に手こずっているという苛立ちとプレッシャーが彼のプライドを傷つけ、心を乱しているらしい。

「おらああああああ‼︎」

 怒号と共に、矢車が渾身の拳打を放った。

 だが、頭に血が上った男の拳は隙だらけで、ヒバリが目を細めた次の瞬間には矢車は腹に強烈なボディブローを食らっていた。

「ガハッ……⁉︎」

 みぞおちに正確な一撃をくらい、矢車は悶絶して膝をついた。ずるずると崩れ落ちる矢車を傍らに放り捨て、ヒバリがゆっくりと歩みを進めていく。その先にいるのは、風間だった。

「っ!」

 風間はヒバリの目に明らかな敵意を感じ取り、躊躇うことなく銃の引き金を引いて銃弾をお見舞いする。しかし、放った銃弾はまるであざ笑うかのように交わされ、ヒバリは徐々に距離を詰めていきながら視線を鋭くする。

 不意に、ドンッと地を蹴り、ヒバリが一気に加速した。ヒバリは目を見開く風間の目前に一瞬で接近すると、その速度を利用した膝蹴りを叩き込み、強化スーツに衝撃を与えた。

「グフゥッ……‼︎」

 少女の力とは思えない一撃に、風間は悶絶して体をくの字に折って膝をつく。

 ヒバリは風間を横にほうり、組み合う織田と大和の方へと歩みを進めていく。だが、周囲に散開していく無数の足音を耳にし、ピタリと動きを止めて見渡した。

 大和がいつの間に指示したのか、黒の武装兵士が隊列をなし、機関銃を構えてヒバリを包囲していたのだ。距離はすぐには到達できないよう大きく取られ、確実にヒバリを仕留め、なおかつ同士討ちにならない位置に配置されていた。

 ヒバリはそれを冷たく一瞥し、ゆっくりと苦無を下ろしていく。それを降伏の意と判断した大和は、緑の目を光らせて片腕を上げた。

「……残念だったな。なぜお前があの少年を救おうとしたのかは知らんが、我々は貴様も彼も逃がすつもりはない」

「…………」

「ZECTに仇なすものは誰一人容赦しない。……たとえ、女子供でもな」

 ヒバリは大和の脅しに何も答えず、じっと武装兵たちの方を睥睨する。両腕はおろしても、その手に握った苦無は離さず、猛禽類のごとき鋭い目で射抜いていた。

 敵意をまともに受けていない大和はそれに気づかず、包囲する武装兵たちに指示を出す。いたいけな少女を狩らんと、兵士たちに残酷な命令を下す。

「お前は危険だ。ここで死ーーー」

 その瞬間、ヒバリの右手がわずかに動き、腰のベルトの横にあるスイッチを軽く叩いた。

CLOCK UP(クロック・アップ)

「ねーーー⁉︎」

 すると、ベルトとガジェットの機能が発動し、ヒバリの体がまるで残像のようにブレる。視認することすらできない速度へ達した彼女の苦無が軌跡を描き、赤い影が空中に踊る。

 影は武装兵たちの元へとかけ、銃弾が放たれるよりも先に蹴りを無数に放ち、武装兵たちを仕留めては叩き潰していく。その仕草は淡々としていて、一切の容赦なく放たれていく。

 そして、大和が気づいた時には、味方の武装兵たちは強烈な襲撃により空中に放り上げられ、特殊装甲を半壊させて倒れ伏していた。

CLOCK OVER(クロック・オーバー)

 一呼吸置いて、金属が砕けて破片となり、砕け散る音が辺りに響き渡る。武装兵たちは声を上げる間も無く昏倒され、糸の切れた人形のようにバタバタと墜落していった。

「なっ……」

 大和は大きく目を見開き一瞬にして部下を屠った真紅の暗殺者を凝視した。

 特殊な能力を有するワーム殲滅のため生み出されたライダーシステム。その真髄は、空間を支配し時の流れに干渉することで、爆発的な加速を可能とするクロックアップシステムにあった。視認することすら不可能になるクロックアップシステムの利用により、ZECTはワームとようやく互角に渡り合っていた。

 しかしそれは離反した織田たちのライダーシステムにも搭載されており、当然はぐれ者の“カブト”ことヒバリのライダーシステムも搭載されている知っていた。故に、彼女にそれを使わせない(・・・・・)よう注意を払い、包囲をさせていたのだ。

 だが、ヒバリはまるで西部劇の早打ちのように大和や武装兵たちの意識の隙をつき、クロックアップを発動させていた。相手がシステムを発動させるよりも早く懐へと入り仕留めるという、神業のごときヒバリの戦闘能力を目にし、大和は知らぬ間に、ゴクリと唾を飲み込んでいた。

「……まさか、これほどとはな……」

 思わず呟く大和に、ヒバリは碧の瞳を向けて再び苦無を構える。海のような目は真っ直ぐに敵を見据え、金色の刃を戦火に照らし、輝かせていた。

 織田と風間もまた、相当の実力を備えた一人のライダーに、畏怖と驚嘆の眼差しを向けていた。

「…なんという」

「やるじゃねぇか……」

 ヒバリはそんな声に応えることなく、大和一人をじっと見据え、苦無を手に構え続ける。

 しかしその時、ボディブローを食らって膝をついていた矢車がうめき声とともにゆっくりと立ち上がろうとしていた。衝撃がかなり残っていたのか、その動きはかなりぎこちない。

「……‼︎ おのれ、逸れ者ごときが……だが」

 腹を抑えながら、矢車はちらりと視線を横に向ける。その鋭い蜂の牙の形をした双眸が映すのは、瓦礫の上で放心し、ヒバリと大和たちの戦いに目を奪われている、渚だった。

 矢車は荒い呼吸を繰り返しながら、ニヤリと仮面の下で笑みを浮かべた。

「俺は必ず……任務を遂行する」

 息を整え、痛みをこらえ、矢車は静かに両足で踏ん張って立つ。息を殺し、気配を極限まで消すと、矢車は渚を見据えたままそろそろとベルトの右側に手を伸ばす。

「‼︎」

 そして、ヒバリが気づいた瞬間、矢車はシステムを発動させた。

CLOCK UP(クロック・アップ)

 低い男性の電子音声がなり、矢車は渚に向かって一気に加速する。ヒバリが一歩遅れてベルトに手をかけるが、矢車はすでにクロックアップ空間を生成し、渚の目前に迫っていた。何が起きているのかもわからず、ただ呆然とヒバリの方を凝視している少年に、蜂の仮面騎士が捕獲のために手を伸ばす。

 あと数歩で届く。矢車の顔が、勝利への確信でさらに歪んだ。

 その刹那、彼の視界いっぱいに黒い何かが広がった。

「⁉︎」

 仮面の下で目を見開く矢車。急停止しようと焦るも、加速した体はすぐには止まらない。体勢が一瞬崩れた瞬間、矢車の体に無数の衝撃が襲い掛かった。

 ドパンッ‼︎ と大気が破裂するかのような轟音が響き、矢車の体がトラックにはね上げられたかのように宙に舞った。あまりの衝撃に声も出せず、矢車は再び瓦礫の上に投げ出され、無様に大和のすぐ前にまで転がっていった。

「………あれは」

 苦無を構えたまま硬直していたヒバリは、現れた“それ”を目にして目を見張った。

 巨大な体に黒い衣服と小さな帽子を纏い、三日月の刺繍の入ったネクタイを巻いた異形。顔は丸く大きく、袖と裾からはいくつもに別れた触手を生やし、炎の光で煌々と輝かせていた。

 その正体は、月を破壊し地球をも滅亡させようと企んでいるという、世界各国から暗殺指令が出されている超生物。なぜかある中学校で教師をしている、殺せんせーと呼ばれる怪物だった。

 だが、眩しいほどに黄色いと言われているその顔は真っ黒に染まり、小馬鹿にしているように三日月状に歪んだ笑みは、血管の浮きだった恐ろしげな風貌へと変わっていた。

「こ………殺せんせー!」

 渚はぎこちなく体を起こし、怒り狂う担任教師を見上げる。大きな背中は少年をすっぽりと覆うように守り、殺気は全て目前の狼藉者たちにだけ向けていた。

「…お前達……私の生徒に何をしている……‼︎」

 カフー…と蒸気のように息を漏らし、殺せんせーは矢車達を睨みつけた。怒りの気迫(オーラ)が蜃気楼のように大気を揺らがせ、震わせる。それこそ、大地が揺れ動くような効果音まで出しそうなほどの勢いで、超生物は煮えたぎるまでの怒りをあらわにしていた。

「あまりおイタが過ぎるようなら……この場で全員手入れさせていただきますよ……‼︎」

 ゆらゆらと触手を揺れ動かす異形を前にし、ようやく衝撃から立ち直った矢車が戦慄した様子で硬直する。大和もまた、怒れる異形に鋭い目を向けた。

「……そうか。アレが“奴”か」

 脳内の情報を探り、要注意人物リストの中の一人を見出した大和は、仮面の下で思案に耽る。無言で考え始めた彼は、頭に血を登らせて再び近づこうとした矢車の肩を掴んで止めた。

「…⁉︎ なんのつもりだ、止めるな」

「いや……、一旦退くぞ。アレが相手に加わるのは分が悪い」

 言われて矢車は、改めて戦況を見渡す。裏切り者の織田と風間とは戦力が拮抗し、部下の武装兵はすでに全滅して動ける状態ではない。そして目標である渚の身柄を確保するには超生物たる奴を突破せねばならず、現状それは不可能に近い。

 そして何より、この場には敵でも味方でもない完全な例外(イレギュラー)的存在“カブト”がいる。今まともにやり合えば、被害を被るのは大和たちの方だ。

「堪えろ……彼に“話”を通してもらう他にあるまい」

「……了解した」

 矢車は渋々頷き、大和の後ろに下がる。大和は部下の肩を叩くと、首だけを振り向かせ、裏切り者の二人を、はぐれ者のヒバリを睨みつける。そして、三人に向かって地の底から響くような声を発した。

「……貴様らはじきに片付ける……首を洗って待っていろ。それと…」

 大和は今度は体ごと振り向き、怯えるように顔を青くする渚に顔を向け、告げた。

「潮田渚……いずれまた、迎えに行く」

 思わず殺せんせーが一歩動きそうになるのを余所に、大和は無言で踵を返し、矢車を伴ってその場を後にする。遅れて矢車が付き随う際、じっと見つめてくるヒバリに射殺しそうな視線を向けていった。不穏な雰囲気と凄惨な惨状、そして尸を残しながら、二人の男は夜の闇の中に姿を消した。

 二つの足音が徐々に小さくなっていき、やがて完全な静寂が訪れる。日がパチパチと爆ぜる音を聞きながら、渚はようやく緊張を解き、長い長いため息をついた。

 すると。

「渚くんんんんんんんん‼︎」

 ガバァッと突然、黄色い無数の触手が伸びて渚に巻きついていく。丸い頭から涙なのか鼻水なのかよくわからない液体を流出させながら、殺せんせーは渚の肩を掴んで詰め寄った。もう原型をとどめていないほどにぐちゃぐちゃで、渚はそれ以上近づいて欲しくなかった。

「お怪我はァァァ⁉︎ 痛いところはありませんかァァァ⁉︎ 生徒にもしものことがあったら先生は……先生はァァァァァ‼︎」

「…………」

 暑苦しいほどに号泣しながら無事を喜ぶ教師の、あまりの必死さに若干引きながら渚は、ビチャビチャに汚れながら甘んじてその抱擁を受け入れた。突き放したら突き放したで後々面倒そうだったからだ。

 どう見ても異常な、少年が怪物に襲われているようにしか見えない教師と生徒の姿を目にしていた織田と風間は、バツが悪そうに頭をかいた。敵がいなくなったことで、ガジェットも二人から離れ、装甲が破片となって消滅していった。

「……あれが噂の化け物か。とんでもねーやつだな」

「ともかく……彼らに救われてしまいましたね」

 風間がやれやれといった風に肩をすくめ、織田も同意するように苦笑する。二人は怪物教師とその生徒に背を向けると、そのまま闇の中へとつま先を向けた。

「待ってください」

 だがそれを、渚から手を離した殺せんせーが唐突に引き留めた。織田と風間は訝しげな表情で振り返り、何やら顔色を赤きして睨んでくる怪物を見つめ返した。

「あなたたちがどこで何をしようと勝手ですが……私の生徒に危害を加えるようであれば、相応の対応をさせていただきますよ」

「……肝に命じておく。ていうか、そもそも俺たちが巻き込んだワケじゃねーし」

 織田は「おーコワ」とおどけて肩をすくめ、殺せんせーの殺気を受け流す。理不尽な言葉にも思えるが、巻き込んだのは確かだ。人智を超えた怪物に逆らってもメリットはあるまい。

「一応礼を言っとくぜ。……この借りはそのうち返してやるよ、先生サン」

「にゅや……」

 不満げに顔をしかめる殺せんせーに手を振り、織田は風間と共に夜の闇の中へと消えていく。二人が消えると、その場には渚と殺せんせー、そして先ほどから一言も喋らない、ヒバリの三人だけが残り、長い沈黙が降りた。

「……あの、先生。…ごめんなさい、迷惑かけて」

「いいえ……、君が無事で何よりです。それに君のことです。きっと、他の誰かを想ってのことなんでしょう。……褒められた行動ではありませんが、とても大切な気持ちです」

 ぽん、と渚の肩を叩き、殺せんせーは落ち込む生徒をなだめる。自らの価値を下に見て、捨て身の行動を取ってしまうのはこの少年の悪い癖だが、他者を助けようとするのは悪ではない。色々と危うい生徒の一人だが、教師は誇りに思っていた。

 殺せんせーは渚から視線を外すと、少し離れた場所で佇む、赤い鎧の少女に目を向けた。少女は殺せんせーに視線を向けることなく、ZECTの男たちが去って行った方をじっと睨みつけていた。

「……君が、カブトと呼ばれている子ですね」

「…………」

 少女は黙って頷き、フゥと息を吐く。一見無礼な態度に見えたが、殺せんせーは気に止めることもなく、帽子を外してぺこりと頭を下げた。

「私の生徒がお世話になりました。君がいなければ、渚くんがどうなっていたか……」

「……気にしなくていい。もともと、ボクのせいでもあるから」

「それでもです! …ですが、一つだけ聞かせてください」

 帽子をかぶりなおし、超生物は目を細めて少女を見つめた。

「君は、何が目的なんですか?」

「…………」

 ヒバリはちらりと横目を向け、疑念を向けてくる殺せんせーを見つめ返す。超生物のつぶらな瞳は、一切の悪意がない。生徒に危害が及ぶことへの心配だけではなく、少女自身をも気にかけているのがわかった。

「ZECTの施設を単独で襲撃し、組織の全てを敵に回す……そんな危険を冒してまで、何があなたをそこまで駆り立てるようとするのですか?」

「……一つだけ、教えてあげるよ」

 ヒバリはゆっくりと歩き始めると、突然ダンッと地を跳んで高く飛び上がる。スリットの入ったスカートを翻し、赤い鎧の少女は錆びた街灯の上に降り立った。

「ボクにとって、ZECTの奴らが何を考えているかは知らないし、興味もないし、どうでもいい。ボクが奴らの邪魔をするのは……僕の野望に奴らの存在が邪魔だからだ」

「……野望?」

 渚が思わず呟き、街灯の上で虚空を見つめるヒバリを見上げる。その視線に気づいたヒバリはくるりと器用に街灯の上で周り、長い銀の三つ編みを風に揺らす。そして、ぞっとするほど妖艶で冷たい微笑を浮かべて見せ、渚を見下ろす。

 凍りつく渚の頭上で、その形の整った桜色の唇を歪ませ、少女は嗤った。

 

 

「僕はね…………この世界を、ブッ壊しに来たんだ」



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第6話 疑惑の時間

 市内の比較的大きな病院を訪れた、数人の少年達がいた。焦るような足取りで扉をくぐった彼らは、雑にローブとゴーグルを外し、一纏めにして小脇に抱えると病院の中を見渡した。そして、目的の人物の姿を捉えると、ほっと安堵の表情を浮かべて側に近寄った。

「おーい、渚!」

 集団の先頭にいた少年、杉野がベンチに座った渚の元に駆け寄り、頭に貼られた大きな絆創膏を見て表情を歪ませる。ついで駆け寄ってきた茅野達も、所々についた渚の傷跡を痛々しそうに見つめて眉を寄せた。渚は苦笑し、照れくさそうに頭を掻いた。

「みんな…来てくれたんだ」

「大変だったなー。抗争に巻き込まれるなんてさ」

「渚くんって、意外とトラブル体質なのかもね〜」

 カルマがふざけて言うと、渚は半目で呆れる。だがカルマの言葉も最もで、よその争いごとに巻き込まれるなど、どこの漫画の主人公かと思ってしまったくらいだ。

 男子二人は割と気楽そうだが、茅野や奥田、神崎は不安気に渚を見つめていた。

「でも、怪我で済んで良かったよ。ワームにやられたりしてたら目も当てられないし…」

「ほ、本当に心配しました」

「病院の方からは、なんて?」

「軽い擦り傷と打撲だけだから、心配するなって。むしろ貧弱な方が心配だって」

 力なく笑うと、茅野たちも安心したようで、杉野たちと同じようにほっとした顔で息をついた。カルマと杉野も笑みを浮かべ、渚の方をバシバシと叩いて励ます。渚は痛い痛いと困り顔になりながら、彼らも彼らなりに心配してくれていたのだと気づいて胸を熱くするのだった。

 その時、ふと渚は近づいてくる足音に気づいた。カツカツと革靴の音を響かせ、やや速い速度で近づく難しい顔をしたその人物、烏間の姿を捉え、渚たちは口を閉ざした。

「…烏間、先生…」

 渚は近づいてくる烏間から目をそらし、思わずズボンを握りしめた。国家機密の暗殺に関わっているというのに、下手に騒動に関わって大きく目立ってしまったことに負い目を感じ、渚はいたたまれなくなった。

 烏間は無言で渚の前に立つと、鋭い目で渚をじっと見下ろす。カルマたちも息を呑んで、一言も発さずに佇む烏間と目をそらす渚を見つめ、展開を待つ。

 やがて烏間は唇を噛むと、渚に向かって深々と頭を下げ、口を開いた。

「……すまなかった、渚君」

「え……」

 てっきり叱られるものだとばかり思っていた渚は、拍子抜けした様子で烏間に目を戻した。烏間の表情はいつもより険しく、心の底から後悔しているような複雑なものだった。珍しい姿を晒しながら、烏間はじっと渚に頭を下げ続けた。

「今回の一件は、完全に俺の落ち度だ。…そのせいで君を危険な目に合わせたことを、心から謝罪する。…すまなかった」

「えっ…い、いや‼︎ あの時は僕が勝手に出て行ったせいで……」

「ちょっと待って渚くん。…先生、それはどういうこと?」

 謝罪も何も、危険な場所に行ってけがをしたのは自業自得ではないのかとうろたえる渚を制し、カルマが烏間に尋ねた。その目からはいつもの小馬鹿にした雰囲気は微塵もなく、烏間に対する疑念を孕んでいた。

 烏丸は頭を上げ、渚たちの目を見つめ返した。

「…実は、今回の一件が起こることよりも前から、ZECTからE組に対しての干渉があった。内容は……“潮田渚の身柄の確保と移送”というものだ」

「えっ……⁉︎」

「どういうことですか、烏間先生⁉︎」

 渚は目を見開き、杉野が烏間に食ってかかる。烏間は心苦しそうに眉を寄せ、不信気な表情を浮かべる渚たちを見下ろす。その表情に、激昂していた杉野の勢いも若干落ち着き、ざわついていた茅野たちにもある程度の余裕が生まれた。

「内容が内容だけに、俺も最初は断った。…だが今度は上層部からの圧力がかかり、そうこうしているうちに今回の一件が起こってしまってな。俺の方から抗議はしているんだが、なしのつぶてといった状況だ」

「……その内容が内容ってさぁ、先生が持ってるソレ(・・)に関係してる?」

 カルマが目を細め、烏間が手に提げているジュラルミン製のアタッシュケースに視線を向ける。茅野たちも視線を集め、黒い艶のあるケースを見つめると、烏間は静かに頷いてそれを持ち上げた。

 片手でケースを下から支え、器用にもう片方の手でロックを外す。パチンと小気味良い音を響かせると、烏間はケースの蓋をゆっくりと開いていった。

 徐々に露わになるケースの中身を目にし、カルマたちは訝しげに首を傾げ、反対に渚はこれ以上ないほどに大きく目を見開いた。渚は、それを見たことがあったからだ。

「…………‼︎ 烏間先生、これって…」

 ケースに収められた、大きな銀色のベルト。夜の闇の中、突如現れZECTとぶつかり合った少女が使用していたものと同じ形状のそれを指差す渚に、烏間は大きく頷いた。

「そうだ。ライダーシステムだ」

 

 暗い教室の中、暗幕で外の光を遮り、明かりを消した空間の中で起動したプロジェクターの光が、垂らされた白い幕に映像を映す。息を潜めてそれを見るE組の生徒たちの視線を受けながら、烏間は映像の前で解説を行なっていた。

「……知っているものもいると思うが、ライダーシステムとはZECTが開発した対ワーム殲滅用の特殊装甲のことだ。クロックアップと呼ばれる空間操作能力を用いることで、同じく加速できるワームに対抗できる兵器だ」

 プロジェクターが画像を切り替え、昆虫を模した装甲を纏った戦士の姿を映し出す。(ハチ)(トンボ)(サソリ)(バッタ)、そしてカブトムシとクワガタを模した形状の鎧をまとった、まるでテレビのヒーローのような戦士が戦う姿が、映し出され、E組の生徒たちの目を惹いていた。

「しかしこのシステムは、誰もが使えるわけではない。適合者…つまりはライダーシステムを使うことのできる資質を持ったものでなければならない。…渚くんは偶然、それに該当したんだ」

「……えっと、それってつまり…」

 烏丸の説明の途中、前原がどこか遠慮がちに手を挙げた。

「渚はその…持ち主を選ぶ伝説の剣に選ばれた…みたいな感じですか?」

「…いや、そんな……」

 渚が前原の言葉に照れたように頭を掻くと、岡島や三村から「それじゃ渚が勇者かよ」「似合わねー!」などというからかいの声が上がる。決して嘲るような声ではないが、それを聞いた渚は居心地悪そうに目をそらし、身を縮めた。もともと自己評価の低い性分であるし、勇者などというたいそうな肩書きは似合わないと自負しているため、気恥ずかしくなったのだ。

 だが烏間は、盛り上がるE組一同に「いや…」と歯切れ悪そうに答え、眉間にしわを寄せて彼らをじっと見つめた。

「適合者という点ならば、このクラスには渚君の他にも数人いる。本校舎の生徒ともなれば、数十人は下らないだろう。…問題なのは適合したかどうかではなく、“何と”適合したかだ」

 烏丸は一旦言葉を切ると、プロジェクターの映像を切り替えさせる。次に映ったのは、金属でできた色とりどりで様々な形状の昆虫たちの画像だ。

「適合者がライダーシステムを起動するには、さらにゼクターと呼ばれる(コア)を操作する必要がある。ゼクターは人工知能を搭載した昆虫型ガジェットで、自立した思考とある程度の人格を有している。こいつに認められなければ、システムは起動しない」

「認められるには、どうしたら?」

 磯貝が尋ねると、今度は烏間に変わって殺せんせーが前に出た。

「ゼクターにも“好み”がありまして……そのお眼鏡にかなった者にしか力を貸してくれません。たとえどんなに優れていても、ゼクターの好みに合わなければシステムは起動しないんです」

「今回はたまたま、渚君がある特殊なゼクターと適合していると判明したため、ZECTが強硬手段を用いてでも身柄を確保しようとしたわけだ」

 不機嫌さを隠そうともせず、険しい表情の烏間が若干吐き捨てるように語る。その気迫に押されながらも、生徒たちは立場を超えて案じてくれている目の前の教師に感じ入り、安堵した。

 そこでふと、木村が気になっていた疑問をぶつけるため手を挙げた。

「それで先生。その……ZECTが躍起になるほどのゼクターって、一体どんなやつなんですか?」

「…………」

 木村の質問に、烏間も殺せんせーも、さらにはイリーナまでも急に言いづらそうに顔を背けた。そのただならぬ様子に不安がよぎった生徒たちは、互いに顔を見合わせてざわめく。この男たちがここまで表情を変えるとは、どれほど危険な存在がE組の小動物を見出してしまったのかと、皆が皆眼を細める。

 クラス全体に不穏な雰囲気が漂い始めた時、ようやく烏間が重い口を開いた。

「……そのゼクターの名は、“ガタック”。その強大な力により、『戦いの神』とまで称される最強の存在だ」

 ザワッ……‼︎

 と、烏間の言葉にクラス全体にどよめきが広がった。誰もが自分の耳を疑い、空耳か聞き間違いではないかと思いながら、それが他ならぬ烏間が発した台詞であることを思い出し、それでも動揺を隠すことができなかった。それだけ内容が衝撃的だったのだ。

 誰もが他の者と目を見合わせ、ささやき合い、ついで教室の前方の席に座っている渚の方を向いて凝視する。烏間の言った内容と目の前の気弱な少年が、どうしても結びつかなかった。

「…最強? 最強つった?」

「神って…」

「…………渚が?」

 クラスメイト全員の視線を受け、渚がさらにいたたまれなさそうに縮こまる。

 するとそこで、ふんと鼻を鳴らした寺坂が訝しげに烏丸の方を向いた。

「…んで先生よぉ、そいつの何が問題なんだ? 確かに中坊に持たせるにゃ危な過ぎる代物かも知んねーけど……渚がそいつを使って何かするタマじゃねーのは知ってんだろ」

 寺坂のもっともな意見に、クラス中の全員の意見も一致する。確かに渚は暗殺の才能がE組の中でもずば抜けているが、性格に難があるわけではない。むしろ温厚で人畜無害、喧嘩ではカマキリの威嚇すらも避けるほどの草食系男子なのだ。力を手に入れて調子に乗るようなそんな豹変性など持ち合わせているはずもない。

「そ…そうだぜ先生。渚に限ってそんな心配……」

「…問題があるのは、ガタックの方だ」

「確かに性能は素晴らしいのですが、好み、というか性格に少々難がありまして……」

 ヌルヌルと頭をかいた殺せんせーが呟くと、烏間の方が腕を組んで唸る。

「少々どころではない。適合者であろうとなかろうと御構い無しに人間に襲いかかる、正真正銘の暴れん坊だ。被害にあったものはもれなく、再起不能の重傷を負っている」

(聖剣どころか呪いの剣じゃねーか‼︎)

 二人の表情の理由を知ったE組一同は、心の中で叫びながら渚に詫びる。なんか羨ましそうなものに選ばれやがってという気持ちだった織田が、こんな危険なやつに選ばれるのはごめんだ、と激しく後悔する。それと同時に、そんな存在に選ばれるかもしれない渚に大いに同情と憐憫の視線を向けた。

 クラス全体が事の重大性を理解したことを察し、烏間はプロジェクターを切って照明を戻す。真剣な面持ちとなった彼らに、烏間もまっすぐに向き合った。

「当然、そんな危険なことに君たちを巻き込むつもりは毛頭ない。俺は俺で抗議を続けるが、もしかしたら君たちの方へZECTから強引な干渉があるかもしれない。その時は、俺を頼れ」

 烏間の注意に、E組一同は唾を飲んで首肯した。その時の緊張感たるや、初めて殺せんせーと対面して暗殺依頼を受けた時に勝るとも劣らず、自然と背筋が伸ばされる気分だった。

 すると、その中で一人、おずおずといった様子で渚が手を挙げた。

「…あの、烏間先生。僕から一つ聞きたいことがあるんですけど……」

 烏丸は渚の言いたいことを察し、厳しい表情のまま頷いた。

「そのことについても、君たちに伝えておかねばならない。先日、ZECTとその反抗勢力…通称NEO-ZECT(ネオ・ゼクト)の抗争に介入し、宣戦布告したはぐれライダーのことだ」

 烏間は懐から一枚の写真ーーーカブトの鎧を纏うヒバリの写真を取り出し、黒板にバンと乱暴に貼り付けて生徒たちに見えるようにした。ピントは若干ボケてはいるが顔立ちはどうにかわかり、彼女の持つ鋭い碧の瞳と銀糸の髪はしっかりと映っていて、男子たちの視線が一気に集まった。女子は半目になった。

「先日の参戦で、ようやく腰を上げたZECTが少しだけ情報を集めた。天道ヒバリ、16歳。父母と兄がいたがすでに故人で、数年前に取り壊された孤児院で育ったらしい。その後数年間行方知れずとなっていたが、ZECTの研究施設に押し入ってカブトゼクターと呼ばれる機体を盗み出し、ZECTに対するテロ活動を行うようになったそうだ」

「渚から……少しだけ聞きました。なんか、『ボクは世界を壊しに来たんだ』って言ってたって……」

 前原がいい、渚の方へ視線を向けると、渚も間違いないと言うように頷く。他の生徒たちも少女の発したと言う物騒なセリフにざわめき、顔を見合わせる。

 しかしそこで、妙にメガネを光らせた竹林がメガネをクイっと押し上げ、口を開いた。

「ボクっ娘か…趣深いね」

「そこ⁉︎」

「て言うか竹林‼︎ それお前の初ゼリフだぞ、いいのか⁉︎」

 着眼点が若干ずれているクラスメイトの発言により、他の男子たちが戦慄する。幸か不幸か、そのせいで肩肘の張る重苦しい緊張感は吹っ飛び、E組一同に落ち着きが戻ったため、烏間も頬を痙攣させながら黙認する。

 その流れに感化されたのか、他の男子たちも緊張を解き、写真に写る美少女の容姿に興味を抱き始め、小声で盛り上がり始めた。

「いやでも…、こんな可愛い子がテロって想像もつかないよな」

「パイオツはすでに凶器レベルだけどな!」

 岡島がそう言って締まりのない笑みを浮かべた瞬間、クラスの女子全員から吹雪のごとき冷たい目が向けられ、岡島はブルリと体を震わせた。命が惜しくば、それ以上言うべきではないと気づいたらしい。特に、渚の隣に座っている少女からの眼光が恐ろしすぎた。だが。

「みなさん、侮ってはいけませんよ」

 盛り上がる男子たちに、妙に真剣な殺せんせーから注意が飛んだ。

「確かに見た目は可憐ですが、綺麗な薔薇には棘があるものです。彼女はZECTの精鋭をたった一人で圧倒しただけではなく、生身でも大人数人を鎮圧できると言う軍人格闘術の達人(プロ)です。甘く見て安易に近づくともぎとられます(・・・・・・・)よ‼︎ ブドウのように‼︎」

「何を⁉︎」

 一瞬、なぜか絶叫する水色リーゼントの男の姿を幻視した男子たちは、自分でも気づかぬうちに机の下で足を内股にして戦慄していた。薔薇は薔薇でも、有刺鉄線のような殺傷能力のある棘が並んだ薔薇だとでも言うのだろうか。女子たちの呆れた目を受けながら男子たちがガタガタと震えるなか、烏間は態とらしく咳払いをして空気を変えさせる。

「……世界を壊すと言う言葉の真意は不明だが、彼女も危険人物には違いない。現に彼女はZECTにテロリストとして指名手配され、厳戒態勢が取られている。警戒するに越したことはない。十分に注意してくれ」

「は…はい」

「おう……」

 烏間の真剣な表情に気圧されながら、生徒たちはかろうじて頷きを返す。自体がかなりおおごとになってきたため、実感はまだわいてはいないのだが、とりあえずは頭に入れておいた。

 そんな中、渚は一人深く考え込んでいた。烏間の情報は断片的で、天道ヒバリという少女がどれほど危険なのかということぐらいしか伝わってこなかった。おそらく他のクラスメイトたちも、彼女をテロリストという認識以外には捉えていないのだろう。

 ーーー本当に、そうなのだろうか。

 けれど、渚は思い出す。

 思い浮かべるのは、最初に会った時の会話。人をお人好しといいつけ、自らZECTの抗争が起こる場へと向かった胆力と厚顔不遜さからは、テロリストのような危険性は感じられず、むしろZECTの諍いの邪魔をしていた印象があった。

 そして、戦場に迷い込んだ渚を救ってくれた時に零した、あの言葉。

 ーーー……巻き込んで、ゴメン。

 あの言葉は、少女の本心からのものに思えた。少なくとも、悪い子には見えなかった。

 難しい表情で渚が思案していると、そこへ何やら冷や汗を顔面中に垂らした担任教師が、身を乗り出すようにして顔を寄せてきていた。

「……ものは相談なんですが渚君。…もしガタックゼクターに適合してライダーになっても……、先生相手には使わないでいただけませんかね」

「…………」

 割とガチな顔で戦々恐々となる殺せんせーを思わずじっと見つめていると、ドスッとその顔面に向かって対先生用ナイフが突き立てられた。一瞬で躱した殺せんせーが消えると、渚の前には額に血管を浮き立たせ、目を釣り上げた烏間が立っていた。

「そうだな渚くん……もしそれが実現したなら……真っ先に奴の首を落としてくれ」

「にゅやーーーー‼︎ 勘弁してくださいよ烏間先生‼︎ クロックアップなんて裏技使われて速さでタメ張られたら私ガチでやばいんですけど⁉︎」

「いいぞ渚! やってやれ‼︎」

「俺たちの希望を託したぞ‼︎」

「アレ⁉︎ まさか私の方がアウェイ⁉︎ みなさんどうか御慈悲をっ……御慈悲をーーーー‼︎」

 本気で慌てて、生徒たちに向かって土下座まで敢行する超生物教師を見下ろして渚は、ああこれもう楽にしてあげた方が本人のためになるんじゃないかな、などと割と本気で思い始めていた。

 

     †     †     †

 

 鬱蒼と茂る木々の枝が、砂を含んだ風を受けて揺れる。世界のほとんどが砂漠と化した世界であっても、自然が全て失われたわけではなく、わずかな水源を栄養源としてまるでオアシスのように森や林は生きていた。

 E組の旧校舎が立つ裏山もそうで、生徒たちは生い茂る木々の下で鍛錬に励むこともあり、残された資源を様々なことに活用していた。しかしこのときその森の中にいたのは、E組の誰かではなく、初めて訪れる客人だった。

 一際太い木の根元で、黒いローブをまとった人物が目を細めた。幹に背を預け、根と根の間に腰を下ろした、フードを被った人物ーーヒバリは、耳につけたイヤホンから指を外し、深いため息をついた。同時に、多少のノイズが走る音源から聞こえた生徒たちのざわめきと喧騒に苦笑する。クソ真面目で義理堅い防衛省の教師の懇切丁寧な説明に、あの男は優秀だが苦労を重ねる生き方をしそうだ、と呆れると同時に感心も抱いた。

 だが、問題は説明の内容の方だ。教室に仕掛けておいた盗聴器が捉えた事実に、ヒバリの顔に険しさが混じりっていく。

「……ふーん、そういうことか」

 呟いたヒバリが、立ち上がろうとした時、イヤホンからガリガリという嫌なノイズが走り、ヒバリは「ぐっ⁉︎」と呻いてよろめく。咄嗟に外そうとした時、イヤホンから聞き覚えのある声が聞こえてきた。

『……天道さん、ですね? 盗聴とはあまりいい趣味とは言えませんねぇ』

「…………!」

 目を見開くヒバリに、殺せんせーはイヤホン越しに笑って告げた。

『君が何を目的としているのかは知りませんが……、できれば私は仲良くしたいと思っていますよ?』

 ヒバリはその言葉に数秒固まり、次いでフンと不機嫌そうに鼻で笑う。

 乱暴にイヤホンを外すと、機器の電源をブツッと切って一纏めにし、懐にしまいこんで歩き出す。お節介な超生物教師のいるE組の校舎に背を向け、形容しがたい表情になったヒバリはその場から姿を消した。



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第7話 陰謀の時間

 放課後、臨時のHRから解放された渚たちは、夕暮れの光に照らされながら砂の舞う通学路を歩いていた。今日は妙に風が弱く、突風にさえ気をつけていればゴーグルもマスクも必要ないほど良好な天気だった。

 うすら明るい太陽を見上げ、漂う砂塵に阻まれながらも降り注ぐ日差しに目を細める渚は、湧き出る汗を拭うカルマたちとともに、人通りの減った商店街の通りを黙々と歩いていた。横を見ればシャッターの閉まった店が多く、つい最近まで開いていた店まで潰れてしまっている。物悲しい気分で、渚は目をそらした。

「……渚はさ、その…どうするつもりだ? ZECTの奴らがまたやってきたら」

 杉野が汗を袖で拭い、烏間の話を思い出しながら尋ねた。ともに下校していたカルマたちも、同時に渚の方に視線を向けて彼の返答を待つが、当の渚はどこかぼんやりとしていて、ただ黙々と道を歩くだけだった。

「どうするって言われても……」

「ガタックってやつの装着者になって、ZECTのライダーになるのかとか…そういうのだよ」

「ろくなもんじゃなさそうだけどねぇ…いまのZECTって」

 カルマが平坦な声で呟くと、少し前を歩いていた渚の足がピタリと止まった。

「……どうするかな。わからないよ」

 力無い笑みを浮かべ、困ったように渚は頭を掻く。襲われるわ、訳のわからない機械の適合者だなどと言われるわ、正直手一杯な彼は、ちゃんとした答えを用意できないでいた。

「まだ本当に選ばれた訳じゃないし、もし選ばれたとしても、僕に何かできるとも思えない。ZECTがどんなに騒いだとしても、一緒に戦いたいとも思えないんだ」

「……そりゃ、あんなんに巻き込まれればね」

 納得したカルマが、自身にあきれるように呟く。誘拐まがいの真似をしてまで身柄を拘束されそうになった上、怪我まで負わされた相手をそうそう信用できるはずもない。ライダーという存在がいかに重要だったとしても、所詮自分たちは子供なのだ。

「悩む必要はないんじゃないかな」

「わ、私もクラスメイト一人に責任を押し付けるつもりはないです‼︎」

 神崎と奥田も、まだどこか迷っているそぶりを見せる渚をフォローする。朗らかに笑うクラスのマドンナとどもりながらも励ましてくれる理系女子に礼を言い、渚は微笑んだ。期待をかけられることに慣れていないため、どう反応したらいいか困っていたのだ。

「俺としては見てみたかったけどなー。リアル変身ヒーローなんてそうそう見れるもんじゃないじゃん。写メ撮りてー」

「……俺も、ちょっと羨ましいと思ってた」

「二人とも…面白がってない?」

 意地の悪い笑みを浮かべるカルマと、若干期待に目を輝かせる杉野。クラスの仲間が悩む問題ではあるが、彼らも男の子。そういった非日常的なワードには大いに興味があった。割と正直な二人に頬を痙攣させる渚に、女性陣は苦笑を隠せなかった。

 渋い顔になり、ため息をつく渚は肩をすくめる。自分が、ZECTの欲するに足る存在だとは思えない。それなのに一体なぜ、自分は狙われるのだろうか。

 その謎が、渚の頭からこびりついて、離れなかった。

 

     †     †     †

 

 同じ時、ヒバリは一人廃墟の街を歩いていた。風化が激しく、建築物がほとんど崩れかけたその場所には人一人おらず、風が唸る音だけが響いている、はずだった。

 しかし今、ローブをなびかせて歩くヒバリの前には武装した白い兵士達が何人も集い、銃を手に侵入者の前に立ちはだかっていた。シロアリを模したようなマスクがヒバリの姿を映し、黒光りする銃口がヒバリを寸分たがわず狙う。

 だが、無数の殺気のこもった包囲を受けながらも、ヒバリは平然としていた。銃など目にもくれていないかのように悠然と歩き、みるみるうちに距離を詰めていく。

「……手厚い歓迎だな」

 思わずニヤリと笑みを浮かべ、そう呟くヒバリ。

 すると、武装した兵士達が塞ぐ道の先の廃墟から、一つの影が姿を現した。

「よぅ、来ると思ってたぜ」

 くらい建物の入り口から姿を見せた織田は、片手で兵士たちを制して銃を降ろさせ、ヒバリに向かってニヤリと獰猛な獣のような笑みを浮かべて見せた。

 

 ローブを外したヒバリが、廃墟の中に置かれたボロボロの椅子にどっかりと乱暴に腰を下ろす。ギシギシと嫌な音が起こるがヒバリは気にせず、不遜な態度で足を組んだ。

「あのガキが適合者……なるほどな。ようやくいくつか合点がいった」

 ヒバリの話した内容に納得し、織田は何度も頷き顎を撫でた。以前の邂逅からずっと抱いていた疑問がようやく解け、胸のつっかえが少しだけ取れた気がした。

 だが、そばにいた風間はまだ険しい表情のままだった。腕を組み、くつろぐヒバリの方を見たまま口を固く引き結んでいた。

「……しかしなぜ、あそこまで執拗に?」

「それだけガタックの力が強大だからだよ。全ゼクターの内最大の出力を誇るゆえ、ZECTにとっては何としても確保したい。しかし同時に適合者も今じゃ貴重だからな。子供であっても関係がないんだろう」

「…なるほど」

 まだ疑問は残るが、風間もヒバリの話に一応納得したらしい。組んでいた腕をほどき、近くにあった台に腰を下ろした。

 ヒバリは足を組み替えると、頬杖をついて虚空を眺め始めた。碧の瞳が細められ、剣呑な光を放ちだし、彼女の持つ雰囲気も刺々しいものへと変わっていった。

「…問題は、何に使うためなのかということ。色々と施設を回ってみたけど、結局一人じゃ調べるには限界があった。拠点もボクにはないしね」

「それで、俺たちのところに来たわけか……なんでZECTに反抗するんだ?」

 この少女がZECTに反旗をひるがえすテロリストであるという話は聞いている。たった一人で一大組織を相手取るという無茶を犯す彼女の動機に興味を抱き、織田は尋ねた。

 ヒバリはしばらく黙っていたかと思うと、不意にふっと笑みを浮かべて振り向き、織田と風間の目をまっすぐに見つめ返し、口を開いた。

「……僕は、このクソッタレな世界をブッ壊したいんだ。そのためには、ZECT(あいつら)が邪魔なんだ。……だから僕は、カブトの力を手に入れた」

 少女の言葉に応えるように、真紅の甲虫・カブトゼクターが飛来して彼女に寄り添う。まるで忠犬のように付き従うゼクターの姿に、織田の笑みが深まった。

「……いいぜ。力を貸してやる。借りもあるしな……いいよな、風間」

「ええ。彼女が吹かせる風がどんな結果をもたらすのか、私も見てみたい」

「そう言ってくれると思ってたよ」

 よっ、と掛け声をあげ、ヒバリは椅子から腰をあげる。パタパタと尻についていた埃を払い、ヒバリは長い銀の三つ編みをなびかせて織田たちに背を向けると、そのまま出口に向かって歩き出した。

「…どこに行く?」

 織田が尋ねると、ヒバリはひらひらと手を振りつつ、足を止めずに進んで行く。

「ZECTの動向を見張んのに、ちょうどいい標的(ターゲット)がいるだろう?」

 一瞬だけ振り向き、ニッと笑みを見せたヒバリは、織田の元からさっていった。

 

     †     †     †

 

 うっすらと砂の混じった風を受けながら、烏間は大きく開かれた窓の前に立ち、淀んだ黄土色の空を眺めていた。古い校舎は風が吹くたびにガタガタと音を立て、不気味に骨組みを軋ませていて、通う者に不安を抱かせる。しかし、それが気にならないほど烏間の精神は乱れ、そして荒れ狂っていた。固く握り締められた拳が、それを顕著に表していた。

 荒ぶる内心を抑え込むこともままならない烏間の隣に、同じように不機嫌そうな表情のイリーナが音もなく立った。腕を組んだ彼女は、目を向けることもなく口を開いた。

「……その様子だと、アンタの訴えは却下されたみたいね」

「……ああ」

 ギシッと拳に込める力を強め、烏間は低い声で答える。下された判断への不満で、普段冷静な精神はかき乱され、かろうじて理性が当たり散らすことを止めていた。

 イリーナも相当な烏間の怒りを感じ取り、いつものちょっかいをかける様子もない。小さな声で「…そう」と返すだけで、それ以上の詮索はしなかった。

「愚痴ってもいいんじゃない? 私が付き合うわよ」

「…………」

 イリーナにそう言われると、烏間の表情がさらに険しくなる。ぎりぎりと歯を食いしばり、湧き上がる激情を押さえ込もうと必死にこらえる。烏間の怒りを察したイリーナも目をそらし、気まずそうに唇を尖らせた。

「……愚痴をこぼそうと、何も変わらん……!」

 数時間前の記憶に、烏間の血管は今にもブチギレそうになっていた。

 

「決定は覆らない。潮田渚の身柄は、ZECTが預かる」

 本部に戻り、ZECTの強引な干渉に対する抗議を行った烏間への返答は、あまりにも最低で、最悪のものであり、それを聞いた烏間の表情は思わず険しくなった。眉間のシワは深くなり、軽く殺気まで迸ったほどだ。

「……‼︎ お言葉ですが、一介の学生に対してこの責任は重すぎます‼︎ 我々に彼の人生を決定づける権限など……‼︎」

「ことは、個人の問題ではないのだよ」

 食ってかかる烏間を、冷酷な声が制した。まるで氷のような冷たい声に、沸騰しかけていた烏間の脳が一気に冷える。この声の主は、少年一人の命運など駒の一つとしか考えていないのだろう。そう思えるほど相手の声は冷めていて、烏間は反論を止めた。道徳など持ち出したとしても、この場では何の意味もないのだろう。

「ガタックゼクターの適合者……それだけでも貴重だというのに、彼はこれまでの被験者を上回る数値を表している。……彼にしか、今度のプロジェクトは成功させられない」

「…その、プロジェクトとは」

「君が知る必要はない」

 情報の開示さえ拒否され、烏間の表情がさらに歪む。声の主は凄まじい形相になっている烏間に気を止めることなく、爆発しかけない部下に釘を刺した。

「烏丸君……妙なことはしないほうがいい。我々の今後の邪魔をするというのなら、君にはあの教室から離れてもらう他にない」

「…………」

「それが嫌なら、大人しくしていることだな」

 声の主はそう命じ、烏間に退出するように指示した。

 

「…………」

 上層部との会話、いや、一歩的な命令を思い出した烏間は黙り込み、爪が皮を突き破らん限りまで拳を握り締める。自分は所詮従うしかないただの駒に過ぎず、上が決定した以上他に何もできることはないというのが、歯痒かった。

「……らしくないわね。言いなりなんて」

「俺が騒いでこの任を外されれば、俺の他の者が代わりに来るだけだ。……俺より動かしやすい、従順な犬をな。それだけは……避けなければならない」

 それだけが、烏間にできる唯一の抵抗だった。かつて送られてきた烏間の同期・鷹岡の時のようなことだけは絶対に回避しなければならない。生徒たちの危害を加えてまで暗殺任務を遂行しようとするものにE組を任せては、烏間は自分を許せなくなる。

 それを阻止するために、生徒たちを危機に晒すという矛盾に苦しみながらも、汚名をあえてかぶる覚悟を持って、烏間はこの場所に立っていた。

 悲痛な顔で佇む烏丸を、イリーナはじっと見つめてため息をつく。堅物とまで呼ばれるこの男は、どうしてここまで己の身一つに責を負おうとするのか。

 呆れた表情のイリーナは、視線をすっと下げると、烏間の足元を見下ろした。

「…それで、ソレ(・・)。どうするつもり?」

「…………渡すしかないだろう」

 ため息をついた烏丸は、重い気分でZECTのマークの入ったソレーーーベルトの入ったジュラルミンケースを持ち上げた。大した重さではないはずのそのケースが、今はやたらと、重く感じた。

 陰鬱な気持ちで一歩を踏み出した烏間は、キッと表情を改めて進む。せめて生徒たちには自分の弱いところを見せまい、と固く決めたE組の教師は校舎から歩き去って行った。

 その背を、もう一人の教師がじっと見つめる。その背がやがて見えなくなると、悲しげに顔をうつむかせて大きなため息をつくのだった。

「ままなりませんねぇ……にゅや?」

 そこでふと、殺せんせーは気づいた。今まで比較的穏やかだった風が徐々に強くなり、天にいくつもの暗雲が蠢き始めていることに。

「……嫌な風ですねぇ」

 その空が、何か不運を運んできそうな気がして、超生物教師は妙に心がざわつくのを感じ、小さな目を不機嫌そうに吊り上げ、天空を見上げていた。

 

     †     †     †

 

 ーーーZECTが渚を狙う理由はわかった。

    けどまだ情報が足りない。

 陽の光が減り、怪しげな風が吹き荒れ始めた街を、ヒバリは一人歩いていく。手にした情報と憶測をパズルのように頭の中で組み立てながら、深い深い思考の渦の中に入っていた。

 人口が減った現在、適合者が集中している椚ヶ丘中学校の存在は重要であり、その中でもさらに希少なガタックの適合者である渚が執着されるのも納得できる。しかし、それだけでは組織全体が動く理屈としては薄い。なぜ今なのか、なぜガタックが必要なのか、情報が足りず、全体を見渡すには穴が空きすぎていた。

 ーーーZECTの動きを見張り、先手を打つにはまだピースが足りない。万全の準備をしておかないと、アイツ(・・・)の餌食になるのは目に見えている。

 砂塵が吹き荒れる中を歩き続けるヒバリはやがて、廃れた時計の真下で足を止めた。隕石落下の影響で、時計の針は二度と動くことはない。だが、世界の時間は、終わりへのタイムリミットは着々と近づいてきているのは確かだ。

 ーーー急がなければ、けど…焦ってはいけない。

    アイツに、もう一度会うまでは。

 碧の瞳が、明確な殺意を持って輝く。己を極限まで鍛え上げ、刃を研ぎ澄ました若き暗殺者は、燃える感情に蓋をし、己の力を蓄え続けていた。

 そんな時だった。

 ぬるり、と。濃厚な“死”の気配を感じたのは。

「‼︎」

 瞬時に臨戦態勢に入ったヒバリは、全身の筋肉を活用させて右腕を振るっていた。背後に立ったその存在の首を狩らんと、全力を込めた裏拳を敵の首筋に打ち込もうとした。

 だがその一撃は、相手に直撃する寸前に急停止した。なぜならそこにいたのは敵などではなく、青い顔であわばばばと震え、若干涙目になって硬直している渚だったからだ。

「…………?」

「お前っ……渚っ、離れろ‼︎」

 一時離れていたらしい杉野とカルマたちが大急ぎで駆け寄り、固まったままの渚をヒバリの前から引き剥がす。ヒバリはただ、眼の前で何が起きているのか理解できないというような顔で目を見開き、呆然と渚を見つめていた。

 今のは確かに、殺気だった。まるで猛毒を持った巨大な蛇に全身を絡め取られ、自由を奪われたまま急所を取られたかのような強烈な死の気配を前に、ヒバリの体は本能的に動いてしまっていた。目の前で学友たちに守られている少年の潜在能力の高さを改めて感じさせられたヒバリは、動揺を無表情の仮面で隠し、渚たちに向き直った。

「……何の用? いきなり背後に立たないでくれないかな」

「…できれば俺も、会いたくはなかったんだけどさ。クラスメイトがピンチの今、事情に詳しい奴ってアンタ以外に知らないもんだからさ」

 笑みを浮かべながら、顎を引いてじっと見据えてくるカルマの目を、ヒバリもじっと見つめ返す。思考を読ませないこの少年の雰囲気は油断できないが、対処できないほどではない。構えを解いていたヒバリは、目を細めて深いため息をついた。

「…何が聞きたいの?」

「とりあえずは、アンタの持っている情報全部だ。俺たちはただ、渚を守る情報(ぶき)が欲しいだけだよ」

 杉野の答えに、ヒバリは呆れたようにため息をつく。甘いのだ、その考えは。その程度の心意気で相手にできるほど、ZECTは甘くない。足元をすくわれ、首根っこを押さえつけられ、利用されるだけだと、少年少女たちの真っ直ぐな目を見ていて彼女は思っていた。

 我ながらひねくれていると苦笑しながら、ヒバリは拒否の言葉を吐こうとした。

 だがそれよりも早く、ヒバリの体は動いていた。耳に届いた羽音(・・)が、彼女の体を瞬間的に動かし、渚たちの元へと突き動かし、走らせた。

 渚を守るために立っていた杉野とカルマを勢いよく突き飛ばし、渚ごと後方に押しのける。反動でヒバリもその場から後退し、直後に大きく跳躍した。

 その直後、渚たちとヒバリたちの間に、水色の人型の蟲が降り立った。

「‼︎ げっ、ワーム⁉︎」

「い…今お昼ですよ⁉︎」

 蜻蛉型の蟲の異形は唸り声をあげ、すぐ近くにいる渚たちに狙いを定める。逃げ出そうとした渚たちだったが、振り向いた方向にも何体ものワームが群がってきていることに気づき、戦慄に顔を強張らせた。

 ヒバリは徐々に集まってくるワームの群れに舌打ちし、忌々しそうに表情を歪めながら、懐から取り出したベルトを巻きつけ、片手を天に向かって掲げた。

「来い、カブトゼクター」

 真紅の甲虫は少女の手に収まり、少女はそれを腰に巻いたベルトし装着した。

「ここにきてとは、ボクも運に恵まれていないな……変身」

【HENSHIN】

 ベルトにゼクターを組み込み、ヒバリは群がってくるワームに猛然と立ち向かう。苦笑した暗殺者は、嫌悪感を沸き立たせる虫の異形の群れを前に、邪魔となる敵を殲滅するために勇ましく吠えた。



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第8話 害蟲の時間

 鋼の装甲で覆われた鉄拳が吸い込まれるようにワームの顔面に突き刺さり、汚らしい体液を撒き散らして吹き飛ばす。衝撃を受けて、顔面を陥没させたワームは他のワームを巻き込んで倒れこみ、同胞に踏み潰されて事切れた。

 カブトの装甲をまとったヒバリは、体に似合わぬほどの重装甲を武器として使い、ワラワラと群がってくる緑色の害蟲供を片っ端から叩き潰していく。背後には青い顔で固まる渚達の姿があり、ヒバリは彼らを背に庇い、近づいて来ようとするワームを次から次へと薙ぎ払っていった。

 少女の背後でその戦いを見ていることしかできない渚達は、息を呑んでその場に硬直していて、それに気づいたヒバリはギロリと鋭い目を向けて睨みつけた。

「ッ……ボケッとするな‼︎ さっさと逃げろ‼︎」

 雷のごとく放たれた怒号に、渚達はハッと我に返る。途端にワームの放つギチギチという嫌な音が耳に届き、渚達は頬を引きつらせながら慌てて路地裏に逃げ込んだ。

 ヒバリはワラワラと群がるワームたちを睨みつけると、渚達が駆け込んだ路地を背にかばうようにしてたち、寄ってくるワームの前に立ちはだかる。もっとも近くにいたワームの一体を蹴り飛ばすと、カブトゼクターの角を叩いて百八十度反転させた。

「キャストオフ‼︎」

【CAST OFF】

 一瞬でヒバリの纏う鎧の外側が弾け飛び、よりスマートな真紅の鎧が露わとなる。パージされた装甲は周囲に四散し、ワームたちに激突して火花を散らせると同時に、当たりどころの悪かったワームがその場で倒れ、絶命していった。

 軽装甲となったヒバリは腰に下げた苦無を取り外して持ち、柄頭に手を当てて構える。眼光は鋭く、蠢くワームたちを見据えて隙なく四肢に力を漲らせる。呼吸法を変え、殺気を走らせてワームたちを牽制すると、「はっ‼︎」と気迫を込めて吠え、ワームたちに斬りかかった。

 

 路地を走る渚達は、脇目も振らずに狭い道を進み、ワームの元から遠ざかる。背後の気配が気になるが、恐怖心に押しつぶされないように必死に前を向き続け、土煙を巻き上げて逃げ続ける。息が乱れるが、立ち止まる恐怖の方が疲労と不安を上回っていた。

 だが、走り続ける渚達の頭上で、低い羽音と共に黒い影が走った。目を見開いた渚達がつられて視線を上げた瞬間、杉野の背中に一体のワームが襲い掛かった。

「うっ…うわあああ‼︎」

「杉野‼︎」

 衝撃を背中に受け、悲鳴をあげた杉野が盛大に倒れこむ。杉野の背丈どころか、大人の背丈も軽く超える蜂の異形が、鋭い牙と爪を鳴らして杉野の外套をビリビリと引き裂いていく。杉野も抵抗するが、はるかに力が強く大柄なワームが相手ではどかすこともできなかった。

「くっ……離せっ、離せぇぇ‼︎」

「離れろこいつ‼︎」

「すっ……杉野さん‼︎」

 渚とカルマがワームの方に掴み掛かり、杉野から引き剥がそうと挑み掛かるも、筋力の差によって逆に振り払われる羽目になる。それでも杉野を救おうと争う渚たちに苛立ったのか、ワームは唸り声をあげて爪を振り回した。

 渚はワームの一撃を顔面にくらい、その場にドサッと倒れてしまう。標的を変えたのか、牙を剥いたワームが両腕を振り上げ、渚に襲い掛かった。

「うわっ‼︎」

 渚はとっさに転がり、ワームの爪の一撃を間一髪躱す。すぐに起き上がり、砂まみれになりながらワームから距離を取ると、渚はワームの恐ろしげな咆哮に身を竦めながらも、捕らわれるまいと油断なく身構える。だが同時に、カルマたちとも分断されてしまった。

「渚っ……‼︎」

 起き上がった杉野やカルマたちが駆け寄ろうとするが、さらに頭上から複数のワームたちが降り立ち、カルマたちの足を止めさせた。

 その光景を見た渚は、ちらりと自分の横に続く小道を盗み見て、声を張り上げた。

「カルマ君! 二手に分かれよう‼︎」

「⁉︎ 無茶じゃないかな、それ‼︎」

 渚の言葉に異を唱えようとするカルマだったが、徐々に迫ってくるワームたちを前にそれ以上の言葉を繋げなくなる。渚はゆっくりと横道に入りながら、カルマの方へと叫ぶ。

「僕なら大丈夫だから……このままだと全滅だよ‼︎」

「渚くん‼︎」

 カルマの返答を聞くことなく、渚は急いで横道へと身を踊らせ、狭い空間へと姿を消してしまった。カルマは悔しげに顔を歪ませながら、意を決したように舌打ちし、杉野や茅野たちを率いて別の道へと逃げ込んで行った。

 逃げた獲物を追い、数体のワームが双方向に蠢き出す。唸り声が片方は大きく、片方は小さくなっていくのを聞き、渚は自らの走る速度をぐんと上げた。

 せまく暗く、障害物の多い道をフリーランニングの要領で駆け抜け、ワームとの距離を必死に広げていく。暗殺技術の向上のために習得した技能だったが、道無き道を駆け抜ける能力は異形からの逃走のために大いに役に立っていた。以前のように複数であらゆる方向から襲われれば非常に厄介だが、一方向から一体ずつ向かってくるのであれば躱すことも容易だった。

 パニック映画のような結果になるまいと、思わず安堵しかけた渚だったが、次の瞬間はっと目を見開いてその場に立ち止まった。

「なっ……ヤバッ……‼︎」

 急ブレーキをかけ、目の前に広がる大きな穴に戦慄の表情を浮かべる。風化した街には時に、老朽化して崩れ落ちた場所があり、ぽっかりと大きく口を開けていることが多々あった。昔の地下鉄や下水道などの通路が崩れた影響か、穴は大きく傾斜は急で、いくら鍛えていたとしても降りることも越えることも困難な有様となっていた。周りの壁も崩れていて、左右の壁を足場に飛び越える方法も取れない。

 しかし、背後から迫るワームの足音と唸り声はどんどんと近づいてきている。歯を食いしばった渚は、意を決して断崖のような穴に向かって飛び降り、わずかな突起を足場に降下を始めた。

 瓦礫を、折れた水道管を掴み、踏んで、ほとんど垂直な壁を降りていく。徐々に頭上から差してくる光が闇に遮られて暗くなっていく。手元が暗くなっていくことに不安を覚えながら、渚は壁をスルスルと下っていき、やがて穴の最深へと辿り着いた。

 底へと足をついた渚は、頭上の光がまだかろうじて見えていることに安堵しながら、出口にまだワームがうろついていることを案じて息をひそめる。少し迷った渚が左右を見渡すと、横にまだ道が続いていることに気がついた。昔の下水路だろうか、水を通す道が掘られた少し広い道を見据えると、渚は持っていた携帯電話のライトを点灯し、暗い道を照らした。

 誰もが怖気付きそうなくらいの闇を前に息を飲みつつも、渚はきっと表情を改め、照明を頼りに下水路へと足を踏み入れていった。

 

     †     †     †

 

「何ですと⁉︎ 渚君が一人で⁉︎」

 携帯電話を片手に、顔色を変えた殺せんせーが叫んだ。その大声は烏間やイリーナにまで届いており、二人ともはっと目を見開いて殺せんせーの方を凝視する。

『悪りーねころせんせー…俺らも逃げ…だけで……い一杯でさ』

「無事ならば文句は言いません‼︎ それで、渚君の居場所はわかりますか⁉︎」

 再び砂嵐が吹き始めたせいか、ノイズが混じったカルマからの通話に四苦八苦しながら、超生物教師は生徒の安否を確認し、逃げ遅れた渚を案ずる。すると、カルマからは心底悔しげな声が届いた。

『はぐ…てからは分かん…いけど、最…に見たのはーーー』

「……わかりました。すぐに先生が迎えに行きます」

 カルマから場所を聞き、殺せんせーは話す間に出る準備を終わらせると、電話を持ったまま職員室の窓を開けて飛ぶ体勢に入る。

「皆さんはそのまま、安全な場所で待機していてください。いいですか、絶対にですよ‼︎」

 いうが早いか、殺せんせーは教室から一瞬で飛び立ち、マッハでカルマから聞いた場所へと急行していった。爆風が教室の中で吹き荒れ、烏間とイリーナは立ち上る砂煙を片手で防ぐ。

 残された二人は砂が舞う空を見つめ、肩を落とす。あの教師ならきっと何か起こる前に間に合うだろうが、それでも個人で動くには限界がある。最悪の場合を想定した烏間が、自分も出ようと扉に足を向けた時、彼の携帯電話に着信が入った。

「!」

 烏間が発信元を確認すると、その相手は懸念していた組織の一人からだった。しかめっ面になった烏間が通話に応えると、スピーカー越しに腹立たしい声が届いた。

『……先ほどぶりだね、烏間君。我々の手のものによると、件の生徒が大変な目に遭っているそうじゃないか。よければ、手を貸そうと思うのだがどうだ?』

「…………‼︎」

 ただでさえ切れる寸前の烏間の糸がさらに引き延ばされる感覚を感じる。どこまで把握しているのか、それとも全て把握していて放置していたのか、とあまりのタイミングの良さに烏間の中で疑念がさらに膨らんでいく。もしや、これもZECTが仕組んだことなのではないか、そう思えてきて、烏間は思わずギリギリと歯をくいしばる。

『どうかしたのか? 迷っている暇はないと思うが』

「……いや、協力感謝する」

 烏間は携帯電話を持つ手に力を込めながら、内心を押し殺して答える。やがて、プツンっという音とともに通話が途絶えてから、烏間はぶるぶると震える拳を掲げ、苛立ちをぶつけるかのようにそれを壁に叩きつけた。

「…………」

「…苛立ってる暇、ないんじゃない?」

 言いなりになるしかない烏間に、イリーナが問いかける。振り向いた烏間は、イリーナが指で車のキーを回して弄んでいるのを目にし、わずかに目を細めた。

「手伝いぐらいなら、してやるわよ」

「……ああ、頼む」

 強く頷く烏間に、イリーナは小さく微笑みを返した。

 

     †     †     †

 

 暗く、静かな道を、一筋の光明が照らし、カツンカツンと甲高い足音が反響する。電池の残量の少ない携帯電話のライトを頼りに進んでいた渚だったが、携帯同様に自身の体力も厳しくなっていることを感じていた。呼吸は荒くなり、汗はとどまることを知らない。

 が、ここで立ち止まるわけには行かず、どこか日常に通じる出口を見つけなければならない。悲鳴をあげる筋肉をなだめ、渚は目の前に続く道をただ黙々と歩き続けていた。

 そんな中、長い長い壁の途中に一箇所、大きくひび割れて崩れている部分を見つけ、渚は小走りでそこへと駆け寄っていった。

 そばによって確認すると、穴はどこかの施設の地下に通じているらしく、風が通じているようにヒュウヒュウと音が聞こえてきていた。どうやら地下で迷子になることは避けられたようだと安堵した渚は穴を乗り越え、施設の中へと足を踏み入れ、再び進んでいった。

 どうやら、すでに廃棄された場所らしく、朽ちたタービンや計器が放置されている。ホコリや砂が降り積もっていて、ずいぶん長い間このままらしい。見上げると、天井にも大きな亀裂が入っていて、夕暮れの光が渚のいる空間にも届いていた。携帯電話のバッテリー切れの心配もいらなさそうだ。

 外に一応は通じていることに安心しながら、渚は外に通じる通路はないかと辺りを見渡す。階段くらいはないものか、と歩き出そうとした時。

 唸り声が、聞こえた。

「ーーーッ‼︎」

 慌てて口を塞ぎ、渚は息を潜めて柱の陰に隠れる。じっと身を固め、徐々に近づいてくる異形の息づかいと足音のする方から身を隠す。歯がなりそうになるのを必死にこらえながら、渚は光の方へと近づく異形の方をちらりと見やった。

 複数の腕を持つ、蜘蛛形のワームだ。図鑑で見たことのある、地面の下に巣を作る種の蜘蛛に似た姿で、ギチギチと牙を鳴らして薄暗い中を歩いている。

 渚はわずかな呼吸すらも抑え、必死に音を殺す。心臓が強く鼓動し、脈動音が外まで聞こえそうなほど大きくなる。その音で居場所がバレはしないかと顔を青ざめさせ、渚はただただワームが立ち去っていくのを待ち続ける。

 やがて、ワームは辺りを見渡すのをやめ、踵を返して何処かへと歩き去っていく。牙の鳴る音と、足音が徐々に遠ざかっていくのをじっと聞き届け、ようやく渚は深く息をついた。

「……ここにも長くはいられないな。早く外に出ないと……」

 安堵のため息をついた渚だったが、ワームが近くにいるなら長居は無用と、移動することを決める。どこかにワームがいるかわからないため、先ほどよりも警戒を強めて道を探る。

 だが、一歩踏み出そうとした渚は気づいた。自分の立っている真上から、先ほど聞いた唸り声と同じ声が響き、ピタリとその場で凍りついてしまった。

 ギギギ、と壊れた人形のようにゆっくりと振り向いた渚の瞳に、それが映り込む。

 天井いっぱいに密集して張り付く、無数のワームの姿を。

「うっーーーうわああああ‼︎」

 

 夕日の照らす、ZECTのとある施設に向かって、一台のスポーツカーが走る。砂埃を巻き上げてドリフトしたスポーツカーは施設の前に停車し、運転席と助手席から二人の男女が扉を開けた。

 外套とサングラスを纏った烏間とイリーナは颯爽と車を降りると、ZECTに指定された、渚がいると思われる廃棄された施設の方へと歩き出した。烏間の手には、一つのジュラルミンケースが下げられており、烏間の手にずっしりとした重みを伝えている。鍵はかけられておらず、錆びた扉は軋んだ音を立てて開かれ、嫌々二人の訪問者を迎え入れた。

 烏間とイリーナは、万一の時のためにそれぞれ拳銃を構え、物音一つ立てずに施設内の廊下を進んでいく。烏間が先行し、先の様子を伺ってからイリーナを伴って進む。

 やがて地下に通じる階段の入り口を見つけ、手持ちのライトを照らして降り始める。カンカンとわずかに足音が響き、二人は素早く階段を降り、目的の場所へと急いだ。

 そして、最下層の階へとたどり着いた烏間とイリーナは、一つの重厚な扉の前に到着する。扉の左右に背中を預けた二人は拳銃を構え直し、互いに目配せし合う。頷いたイリーナに頷き返し、烏間は片方の扉をゆっくりと開けて中へと侵入した。

 銃口を前へと構えたまま、イリーナとともにタービンや計器の並んだ地下空間を進む。

 すると、烏間の耳が、少し離れた場所から誰かの叫ぶ声を捉えた。

「! 渚君‼︎」

 目的の少年の声だと気づいた烏間とイリーナは表情を変え、地下空間のさらに奥へと急ぐ。深い段差がある場所へたどり着いた烏間は、目の前に広がる光景に目を見開いた。

「……! これは……‼︎」

「まずいわね……」

 烏間たちの真下には、無数のワームが蠢き、ひしめき合っていた。何体ものワームが糸を張り巡らし、機材を破壊して自らの巣に作り変えていた。そしてすべてのワームがある一点に集まり、何かに向かって唸り声を上げている。

 その中心にいたのは、顔面を蒼白にした渚だった。

「! 渚くっ…」

 駆け寄ろうとした瞬間、烏間とイリーナに向かって何体もの蜘蛛型のワームが襲い掛かった。烏丸は舌打ちし、イリーナをかばって迫り来るワームに発砲する。ワームの表皮に火花が散り、それを受けたワームが激昂して鋭い咆哮をあげた。

「かっ…烏間先生‼︎ ビッチ先生‼︎」

 二人の姿に気づいた渚が声をあげると、その声に反応したワームたちが渚めがけて一斉に襲いかかってきた。はっとなった渚は身を屈めてそれをかわし、次々に迫ってくるワームの爪を必死にかいくぐっていく。

 だが数の暴力の前では、訓練を受けたものといえど中学生の力では太刀打ちできず、激しい鋭い爪の一撃を頭に受けて軽々と吹き飛ばされてしまう。がしゃんと壁に叩きつけられ、ずるずると膝をついた渚に向けて、さらに別のワームが迫った。

 振り上げられた爪を前に、思わず渚が目を瞑った、その時だった。

 ゴウゥッ‼︎

 旋風が吹き荒れ、渚に群がっていたワームがまとめて吹き飛ばされた。目を見開く渚の前で、何本もの黄色い触手と黒衣がはためき、渚を背にかばうように降り立った。

「こっ…殺せんせー‼︎」

「ヌルフフフ、間一髪でしたねぇ!」

 振り向いた殺せんせーが、いつも通りのニヤケ顔で答えた。

「ど、どうやってここが⁉︎」

「渚くんがカルマ君と別れた場所からわずかな匂いを頼りにして、ここへたどり着きました。風で薄れて大変でしたよ、本当に‼︎」

 いつの間にか、目のすぐそばに開いていた超生物の鼻の穴に目が向く。常に生徒の持つ菓子類にのみ発動する、警察犬をも凌ぐ嗅覚を用い、渚の居場所を探り当てたのだろう。

 殺せんせーはフンと荒く鼻を鳴らし、ワームの群れへと視線を戻す。

「さて…私の大切な生徒に手を出したのです。相応の覚悟があるのでしょうねぇ」

 殺せんせーの言葉に答えたのか、向かいくるワームが吠えた。殺せんせーはニヤリと笑みを深め、うねうねヌルヌルと触手を蠢かせてワームを挑発した。

「手入れをしてあげましょう……どこからでも、かかってきなさーーーふべっ⁉︎」

「えええええええ⁉︎」

 啖呵を切っている途中に顔面に衝撃を受け、あっさり吹き飛ばされた担任教師の情けない姿に渚が目を剥く。せっかく格好つけて登場したというのに、開始早々あっさり壁に叩きつけられ、いいところは微塵もなかった。

「……‼︎ あのバカタコが…!」

 舌打ちし、手に持っていたジュラルミンケースに烏間が目を向ける。

「…………」

 顔をしかめ、烏間はケースを睨みつける。近づいてくるワームに発砲して遠ざけ、ケースのロックを片手で外し、中のものを取り出す。ZECTから送られた、ライダーベルトを。

「渚君‼︎」

 烏間は叫び、渚に向けてベルトを投げ渡す。渚は慌てふためきながら、飛んできたベルトを受け取り、烏間の顔を見上げて眉を寄せた。

「せ、先生……」

「…すまない、渚君。君には本当は、それを使うか否かの自由があったはずなのに……。俺が不甲斐ないせいで、迷惑をかける……」

 悔しげな声を漏らす烏間は、渚に目を向ける。表情はただ固く険しいが、その内心は烏間の震える視線がはっきりと物語っていた。そして、握り締められた拳が。

 渚はじっと、渡されたベルトを見つめ、そして烏間の方を見つめる。

 彼から受ける眼差しは、渚にとっては馴染み深く、そして同時に他に見ないものだった。

 ーーー僕は、この人の目が好きだ。

    こんなにまっすぐ目を見て話してくれる人は、家族にもいない。

 手にずっしりとくる鋼鉄のベルトを持ち上げ、その重みにゴクリと唾を飲み込む。

 ーーー立場上、重圧に苦しむこともあるだろうし、どうして僕が選ばれたのかもわからない。

    僕に、本当にそんな力があるのかもわからない。

    …でも。

 目を閉じ、深く息を吸ってから、渚はベルトを腰に巻きつける。ガシャンと重い金属音が鳴り、渚の細い腰にぴったりと張り付くようにベルトが装着された。

 ーーーこの人の渡す(武器)なら、信用できる。

 渚は心を落ち着け、鼓動を鎮める。やり方は、手探りで見つけるしかない。とにかく落ち着いて、その存在がしっかりと応えるのを待つしかない。

 最良の精神状態で、渚は意識を集中させ、その名を呼ぶ。

 “神”とまで呼ばれた、最強の存在を。

「…………来い、ガタックゼクター」

 その瞬間。

 爆音とともに壁が吹き飛び、青い何かが飛来した。光沢のある青いそれは、空中に赤い閃光を走らせ、群がるワームたちを弾き飛ばし、吹き飛ばしていく。硬い表皮に火花を散らし、敵を粉砕したそれは、空中に軌跡を描き、渚の掲げた手の中に収まった。

 渚はソレーーー青く輝く、鋼鉄の鍬形虫(クワガタムシ)型ガジェット・ガタックゼクターを見つめると、キッと目を鋭くしてワームを睨みつけ、そして、叫んだ。

「変身‼︎」

【HENSHIN】

 ガタックゼクターが渚のベルトに収まり、低い男性の電子音声が鳴り響く。ベルトを中心に六角形状のエネルギー膜が展開し、渚の華奢な体を包んで、その上に装甲を形成していく。

 胸と肩、背を重そうな装甲が覆い、瑠璃色に輝く。肩には大口径のバルカン砲が装備され、渚の肩にずっしりとした重みを伝える。

 顔には真紅のバイザーが備わり、黒いラインがそれを彩る。

 現れた青海の戦士の姿を目にした烏間は、思わず目を奪われた。

「…………あれが、戦いの神・ガタック…………」

 烏丸の凝視する先で、渚が動く。肩に備えたバルカン砲の砲口をワームたちに向け、ガシャンとカートリッジを装填する。ざざっと両足を踏みしめ、渚は標的を見据えた。

 真紅のバイザーの下、力を手にした少年の目が光っていた。



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第9話 変身の時間

 黒光りする鋼鉄の砲身が動き、砲口が目前のワーム達に狙いを定める。機械音が響き、カートリッジが弾丸を飲み込んで装填する。全身を包む強化スーツの影響か、持ち上げるだけでも困難なはずの巨大な砲を二門肩に背負っていても、渚は二本足で立つことができていた。

 砲門が起動すると同時に、渚の目を覆う赤いバイザーもその表面に無数の情報を刻み、どよめくように渚を見つめてくるワーム達に照準のマークをつけ始めた。先ほどまで好戦的に渚に迫っていたワーム達も、明らかに様子の変わった獲物に対して警戒心をあらわにしていた。

 そのうちの一体を、バイザーがターゲットに指定してカーソルを表示する。ワームを見定めていた丸と四角の図形がやがて、ワームの中心に合わせて組み合わさった。

「っ‼︎」

 渚が両足を踏ん張ったその瞬間、両肩のバルカン砲が一斉に火を吹いた。強烈な熱波が周囲に走り、爆音が雷のように轟きわたって弾丸を吐き出す。鋼鉄の塊をも貫く威力の弾丸がワームに迫り、その表皮を破るために飛んでいく。

 しかし、その弾丸はワームの頭上をかすめ、群れを飛び越えるとその向こうの壁に着弾し、炸裂して大爆発を引き起こした。

「うわっ⁉︎」

 対して発砲した渚はその反動で仰向けにバランスを崩し、爆発の余波で後方に吹き飛ばされていた。バルカン砲の威力が予想を上回り、さらには不十分な構えだったためか、渚の体は鎧のことを含めてもあまりに軽かった。

 ワーム達は背後で起きた大爆発や、勝手に倒れた目の前の獲物に戸惑ったように辺りを見渡していたが、虚仮にされたと思ったのか凄まじい咆哮とともに、倒れる渚の方に襲い掛かった。

 渚は苦労して立ち上がり、向かってくるワーム達を前に拳を構える。若干屁っ放り腰になりながら、分厚い装甲をまとった腕を振り、手前に迫るワームの一体の顔を殴ってから逆の腕で追撃を加える。鈍く生々しい衝撃が走って勢いが落ちるが、構わず向かってくるワーム達に立ち向かう。

 だがどれだけ殴っても、ワームは止まらない。どれほど硬い拳をまとっていようとも、格闘の苦手な少年の殴打では異形の皮は突き破れなかった。純粋な暗殺者としての才能に恵まれた少年にとって、重く硬い鎧に格闘という形態(スタイル)は全く相性があっていなかった。

「あぐっ⁉︎」

 逆にワームの攻撃を受けて、無様に転がる始末。倒れても他のワームに掴みあげられ、まるでリンチされるように複数のワームから殴りつけられてしまう。強化スーツが幾分か衝撃を吸収するとはいえ、普通の人間に殴られるのと同等の威力であり、今の渚では打開する手がないに等しかった。

 ワームの一体に殴り飛ばされ、ガシャンと壁にぶつかって意識が飛びかける。装甲を壊そうとしているのか、ワームは執拗に渚を責め続け、内側の体をボロボロにしていく。装甲の頑丈さが仇となり、渚は長らくその拷問にさらされることとなった。

「くっ……‼︎ やはり無理だ、あの力を一介の学生が使いこなすなど……‼︎」

 渚が無数のワームによって蹂躙されている姿を目にし、烏間は自身の選択を激しく後悔する。身体能力が平均以下の生徒にライダーシステムを託すど、所詮は数値だけを見た無謀な賭けだったのか、数秒前の自分と上司を殴りたくなった。

 ギリギリと歯をくいしばる烏間に向かって、一体のワームが爪を振り上げて襲いかかった。

 だが、烏間はギラリと目を獣のように光らせると、流れるようにワームの斬撃をかわして背後に回り込み、肩上をつかんでひねり上げた。骨格の可動範囲を利用する逮捕術を利用し、強靭なワームを押さえ込んだ烏間は、なすすべなく膝をつくワームの頭に拳銃を押し付けた。

 ギイイイイ‼︎ と吠えるワームに、烏間は獰猛な笑みを浮かべたまま告げる。

「悪いな……お前達に構っている暇はない」

 ドン‼︎ ドン‼︎ ドン‼︎ ドン‼︎

 と、数発の銃弾がワームの頭蓋を砕き、肉を破って貫通する。頭に風穴を開けられたそのワームはビクンと大きく痙攣すると、傷穴から大量の緑色の血を吹き出して崩れ落ちた。

 烏丸はワームから手を離し、別の近づいてくる敵に向かう。硬い皮膚に攻撃を加えるようなことはせず、走ってくる個体の足をからめとって転ばせ、一本背負いの要領で投げ飛ばし、あくまで足を止めるだけにとどめる。そして、新たに装填した銃弾でワームの急所を連続して打ち抜き、確実に絶命させては屍を積み重ねていった。

 イリーナは細身の体を生かして障害物のある方に逃げ込み、襲いかかるワームの魔の手から逃げ回る。タービンや計器を盾に爪を避けながら、巧みにワームをかいくぐり、地下空間を縦横無尽に走り回る。

 かと思えば、逃げる途中でとっさに仕掛けたワイヤートラップにより倒れたワームに近寄り、その背中を踏みつけては何度も発砲してトドメを刺す。自身を囮にするというリスクの高い戦法によって、イリーナはかろうじて異形の群団を相手取っていた。

 だが、彼らが不利なことに違いはない。銃弾の数にも限りがある烏丸とイリーナは確実に追い詰められ、多数のワームに囲まれている渚には限界が近づいていた。

「クソッ…数が多すぎる‼︎」

 ワームの首をボギンとへし折りながら、切羽詰まった表情で烏間が毒づく。どれだけ倒してもワームの群れは暗闇の中から際限なく現れ、巣の中にいる獲物に襲いかかってくるのだ。地上に脱出しようとも、群れを突破することができず、それどころかさらに追い込まれている。

 烏間が表情を険しくしながら、状況の打開策を必死に考え続けていた時だった。

「アアアアアアアアア‼︎」

 凄まじい怒号と共に、天井に開いた亀裂から一つの赤い影が飛び込んできた。スリットの入ったスカートを翻し、施設に侵入したその影は、手に供えた苦無を振りかざし、群れるワームの間に降り立つ。そしてそこから、目にも留まらぬ早業で刃を振るい、急所を捉えたワーム達を次々に屠っては、排除していく。

 降り立った影、ヒバリは銀髪を振り乱し、渚に群がるワームをまとめて斬り飛ばしていく。渚を殴りつけていたワームの首を両断し、蹴り飛ばして横にどかすと、体勢を低く構えてカブトゼクターに備わった三つのボタンを順に押していった。

【1.2.3】

「ライダーキック……‼︎」

RIDER KICK(ライダー・キック)

 カブトゼクターの角を反転させ、もう一度反転させる。すると、カブトゼクターからエネルギーの放電が迸り、ヒバリの仮面の角に集まっていく。角に収束したエネルギーは今度はヒバリの右脚に集まり、力が漲ってバチバチと弾けていく。

 ヒバリは左足を軸にすると、放電する右足を振り上げ、渚の左右を押さえつけていたワーム二体に向かって強烈な回し蹴りを繰り出した。

「ハァァァァァァァ‼︎」

 必殺の襲撃が二体のワームの頭部を粉砕し、炸裂したエネルギーが弾けてワームの身体を粉々に爆散させる。一瞬で駆逐されたワームに解放された渚は、よろめきながらヒバリの方に力無く倒れ込んだ。ヒバリが受け止めるが、渚はもう自分一人では満足に立ち上がれないほどボロボロで、疲労しきっており、支えてやらねばならなかった。

「渚っ……何故、君がガタックを……‼︎」

「…ヒバリ……さ……」

 口元に血をにじませた渚を支えるヒバリは、その痛ましさに思わず唇を噛む。殴打され続けたにも関わらずその程度で済んでいるのは強化スーツの強靭さのためであろうが、それでも痛みが残るほど傷つけられていたのは確かだった。

 ヒバリは渚の体を壁にもたれ掛けさせると、周囲に散らばって様子を伺っているワームと、烏間が相手にしているワームを鋭く睨みつける。青い瞳は荒れ狂う海のように尖り、凄まじい殺気が人に仇なす害蟲を射抜いた。

「……図に乗るなよ、虫ケラども……クロックアップ‼︎」

【CLOCK UP】

 ベルトの右側を叩き、クロックアップを発動させたヒバリが、一瞬にして消え失せる。物理法則の一切を超えた速度を得た神速の戦士は、その場にいる全ての標的(ワーム)を視界に捉え、刃を手に疾走を始めた。

 スローモーションのワームの顔面を蹴り飛ばし、切り刻み、殴り飛ばし、一体一体を一撃で確実に仕留めていき、ヒバリはまるで風のように空間の中を駆けていく。ヒバリの瞳と仮面の目が空中に碧の軌跡を描く。

 階下のワームを全て狩り、屠ったヒバリは強靭な脚力で跳躍し、烏間たちに襲いかかるワーム達を殲滅していく。頭を切りとばし、踏み潰し、害たるものをかたっぱしから叩き潰していくヒバリの姿は、鬼神の如き気迫に満ちた禍々しいものだった。

【CLOCK OVER】

 制限時間を迎えた途端、切り裂かれたワーム達は傷跡から大量の緑色の体液を撒き散らした後、同じ色の炎を噴き上げて爆散していく。何体ものワームが灰に還り、爆音と衝撃が地下空間で激しく響き渡った。

「ぐっ……⁉︎」

「なっ……」

 目の前で突然爆ぜ散った異形の姿に、烏間とイリーナは目を置いながら目を見開く。そして、吹き上がる緑の炎の柱の中心に立つ、赤い鎧の少女の姿を目にし、言葉を失って立ちすくんだ。緑の血に濡れる刃を下ろし、屍の上に立つ少女の姿に。

 最強と呼ばれるゼクターを手にし、満足に動くこともできなかった少年と、盗み出したゼクターを用い、鬼神の如き暴れぶりを見せた少女を見比べてしまうほど、少女の戦闘能力の凄まじさに、それぞれが何も言葉を紡ぐことができなかった。

 しかし、最も衝撃を受けていたのは一人の少年だった。覚悟を決めて力を手にし、戦場に足を踏み入れたというのに、結果は散々痛めつけられた上、犯罪者と呼ばれている少女に命を救われ始末。情けないにもほどがあった。

(……やっぱり、僕にはできない……)

 わかっていた事実が、渚の胸に突き刺さって抉る。所詮は借り物の力、大した能力も才能もない自分なんかに、期待されるほどのことができるはずもなかったのだ。ただ珍しいだけで、貴重だというだけで、自分自身には何の価値もなかったのだ。

 ギリギリと拳を握りしめ、俯く渚。

 その時、渚の体に太い何かが巻きついた。

「……え?」

 目を見開いた渚が、呆然と自分の体を見下ろす。自身の右腕と胸を巻き込むように、白い糸が何本も巻きつき、何重にも重なって太い縄となって渚の体を縛り付けていたのだ。その糸が繋がっているのは、渚の頭上に開く巨大な亀裂、その上にとどまる、たった一匹生き残った蜘蛛型ワームの口だった。

「ーーーうわ⁉︎」

「⁉︎ 渚‼︎」

 気づいた時にはもう遅く、糸に囚われた渚は蜘蛛の糸によって軽々と引っ張り上げられ、瞬く間に亀裂を越えて外に放り出されていた。声を上げる間も無く、抵抗する間も無く、渚はすでに日が沈んで薄暗い空の下に引きずり出され、地面に向かって叩きつけられていた。

「ーーーがはっ⁉︎」

 背中からひび割れたアスファルトの上に叩きつけられ、肺の中の空気を全て吐き出させられた渚が目を剥く。衝撃は全身に走り、ただでさえ限界であった渚の意識を容赦なく刈り取って沈黙させ、バウンドしてのけぞった渚の口から多量の血が吐き出された。

 ピクピクと痙攣する渚は、アスファルトの上で大の字に倒れ、体を力無く投げ出す。一瞬飛んだ意識はぼんやりと引き戻されつつあったが、渚はもう動けずにいた。

 そのすぐそばに、渚を引きずり落とした蜘蛛型ワームがズシンと降り立った。かと思えば施設の陰からさらに多数のワームが出現し、力無く横たわる格好の獲物となっている渚の元へと近づき始めていった。硬い爪と牙で殻を突き破り、柔らかい人肉を貪ろうと、徐々に迫っていった。

 ーーーああ。

    やっぱりダメだった。

 迫る死の気配に、渚は虚ろな目をしたまま気づいた。自分の体はもう指一本動かせそうになく、意識も全く定まらない。動くこともままならない今の渚に、ライダーの鎧はただの枷だった。

 ーーー僕は、ヒーローにはなれない。

    カルマくんのように喧嘩が強いわけでも、寺坂くんのような力も、千葉くんのような射撃能力も、前原くんのようなナイフの腕もない。

    こんな僕じゃ、こいつらに勝つことなんてできない。

 虚ろな渚の目に、醜い異形の顔が映る。人を、獲物を食うことだけに執着し、殺戮を繰り返す異形の群れが何の取り柄もない子供を喰うために迫ってくる。奴らの目に映っているのはかるべき獲物ではなく、ただ目の前に転がっているだけの餌なのだろう。

 思わず、乾いた笑みがこぼれた。これが一歩踏み出した結果か、これが身の程を知らず戦場に出た報いか。ただ食われて終わるとは、何と滑稽なことであろうか。

 ーーーわかっていたはずだ、僕にそんなことはできないって。

    この地球(ほし)で、戦う力のないものは生き残れないんだ。

    彼女のような強い者が生き残り、僕のような弱い者は生き残れないんだ。

「渚君‼︎」

 烏間が亀裂を超え、渚の元に向かおうとしている姿が見えるが、おそらく辿り着く前に渚は喰われるだろう。おそらく、ヒバリであろうと間に合うまい、そもそもなぜ助けてくれるという保証があるのだろうか。ただ、偶然会っただけだというのに。

 ーーー…なんで僕、戦おうなんて思ったんだろう。

 牙が迫る中、渚はふと思う。戦う術など、自分にはほとんどないのに。

 力も劣る自分が戦士に選ばれること自体が奇妙なのに、なぜ自分は一度その力を受け入れたのだろうか。怪物を倒す勇者の役目など負えるはずもないのに、体は動いてベルトを手にし、ガタックを呼んで力を求めていた。なぜ、そうできると思ったのか。

 答えは、徐々に渚の中で形を成していった。

 ーーーああ、そうか。

    戦って勝たなくていい。

 

    殺せば 勝ちなんだ。

 

 いつしか渚は、仮面の下で微笑みを浮かべていた。死を前にしても、それが何の恐怖にも感じていないかのように。あるいは、まるで日常の一風景であるかのように。

 細い腕が、目の前のワームの顔に伸びていく。いっそ優しいその流れに、ワームは逆らうことも忘れて誘導され、ゆっくりと渚の手元に顔を寄せられていく。自然に、違和感なく。鎧をまとった少年は異形を迎え入れ、そっと抱き寄せていた。

 そして、ワームの額にコツンと何か硬いものが当たった。長く伸びた、黒光りするそれが額にぶつかりながらも、ワームは何も気にしていないかのように誘われるまま近づき、そして。

 炎とともに、頭部を肉片に変えて撒き散らした。

 ドォン‼︎

 渚の方のバルカン砲が一気に炸裂し、完全に戦意を失っていたワームの命を一瞬で奪った。頭部を失った異様は反動で跳ね上がり、大量の緑色の血を噴水のように巻き上げながらゆっくりと倒れていく。異形の血が雨のように同胞と渚の体を濡らし、我に返らせる。

 そこでようやく、ワーム達は気づいた。

 ゆっくりと体を起こす、まるで起床するかのようになんの殺気もなく立ち上がる目の前の存在は、同胞をなんの抵抗もさせずに屠った子の存在は、今までなんの害もないと思われていたこの存在は、もはや目の前に転がる餌でも獲物でもない。

 排除すべき、狩るべき“敵”であると。

 ワームの一体が吠え、同胞達を焚きつける。同胞を狩ったこの存在を殺せと、全力を持ってこの存在を排せと。でなければ、狩られるのは我々であると知らせる。

 しかしそれも、もう遅かった。ゆらりと立ち上がった渚は、おもむろにベルトのバックル部分に手を伸ばし、中心に収まったガタックゼクターの二本の牙を左右に弾いていた。

 途端に渚の纏う鎧にスパークが走り、薄汚れてしまった重装甲がいくつものパーツに分かれて浮き上がっていく。重く響く機械音が鎧から鳴り、渚は小さく、呟いた。

「…………キャスト、オフ」

 ガタックゼクターの牙がさらに開き、その目が赤く輝く。直後、凄まじい弾丸のような勢いで鎧がパージされ、周囲のワームたちに襲い掛かった。至近距離で鎧の直撃を受けたワームはその場から吹き飛ばされ、一部の個体は体の一部を衝撃で欠損させて絶命していく。

【CAST OFF】

 ワームたちを屍に変えた渚は、その中心で静かに佇む。すると、顔の左右に現れた二本の長いパーツが起き上がり、渚の側頭部と一体化してバイザーが輝く。無骨な仮面はいつの間にか、鍬形虫を思わせる青い仮面へと変貌を果たし、眩い光沢を放った。

CHANGE STAG-BEETLE(チェンジ・スタッグビートル)

 黄昏の空の下、青の鎧が佇む。二本の牙を生やした仮面を被り、黒いライダースーツの上に瑠璃色の装甲と黄色いラインの入った鎧を纏い、青色のスリットの入ったスカートをはためかせた、一人の戦士。

 “戦いの神”ガタックの、真の姿だ。

 ガタックの鎧を纏う渚は静かに振り向き、薄暗い闇の中に蠢くワーム達を見据える。先ほどの惨殺から学んだのか、必死に渚から距離を取りながら機をうかがっているワーム達からはもう格下と侮っている様子はない。破壊の力を完全に手にした渚を“的”と見定め、群れで狩る態勢に入っていた。

 一方で、渚の思考は非常に澄み渡っていた。背後のワームの気配さえ察知できるほど感覚は冴え、散らばっていた全身の力は一本の芯のように収束している。余計な思考は捨てられ、あるのはただ、目の前の敵を“狩る”“殺す”という意識だけ。奇しくも、両者の意志はその点において一致しており、拮抗していた。

 渚は穏やかな表情を浮かべたまま、自身の両肩に備わった刃に手を伸ばした。湾曲し、銀色の輝きを放つ二本の刃を外した渚はゆっくりとそれを目前におろし、切っ先をワームの群れに向けて見せた。まるで、遊びに誘うように。

 明らかな挑発に、ワームの一体が見事に反応し、それにつられるように全てのワームが動き出した。数を利用し、圧倒的な火力を用いて忌むべき敵を狩ろうと襲いかかっていく。

 しかし、彼らは気づいていなかった。

 今は襲うべきではなく、逃げるべきだったということに。

 スパッ、と渚の右手に持った刃がワームの一体の首筋めがけて、三日月状の軌跡を描く。鋭く尖った、牙を模した刃は滑るようにワームの首を狩り、豆腐でも切るかのように切断する。声すらあげる間も無く崩れ落ちたワームを打ち捨て、渚は通学路を行くような足取りで進んでいく。

 警戒と闘争心をあらわにした異形の集団を前に、渚の惨殺は一向に止まらなかった。クリアな思考と高まった感覚がワーム達の急所を確実に捉え、最低限の体運びで渚の体が動いていくのだ。刃は一本の線を辿るように走り、次々にワーム達に食らいついて噛み殺していく。

 渚自身の暗殺の才能とガタックの性能、そして刃の切れ味が全て合わさったが故に生じた相乗効果により、青鎧の暗殺者は見る間に異形の集団を狩り尽くして行った。

「グルルルル‼︎」

「キシャァァァァ‼︎」

 頭上から威嚇の咆哮とともに飛びかかった二体のワームが、二本の牙により切り捨てられて、虚しく地面に落ちて絶命する。すでに斬り殺された同胞の上に積み重なり、ドチャッと汚い緑色の血を吹き出す。

 無数のワームの体液を全身に浴び、鎧を汚しながらも渚の心は平静だった。忌むべき敵を倒した高揚も感慨もなく、ただ淡々と、黙々と敵を屠り続けていた。

 その姿を彼の担任教師は、ただ呆然と見つめている他になかった。あっけなく吹き飛ばされた彼が伸びている間に、彼の教え子はもう遠いどこかへ行ってしまったように見えた。

「…………渚くん…………」

 ただ呆然と、名を呼ぶことしかできなかった。

 目の前の一体を斬り捨てた渚の前には、最後の一体が残っていた。わずかに色が異なり、ひとまわり大きいその個体はワームの群れのボスだろうか、明らかな圧が異なっていた。

 同胞か子を駆逐されたワームのボスは怒りの咆哮を放ち、下手人である渚に向かって加速する。

 しかし、渚もボスが加速すると同時に、ベルトの右側を叩いていた。

【CLOCK UP】

 クロックアップ空間内で、唯一同じ速さの影が向かい合う。渚は襲いかかってくるボスに向けて歩を進めながら、ガタックゼクターのボタンを押し、牙を元の位置に戻した。

【1.2.3】

 すぐそばにまで迫る異形の巨大な爪を前にし、渚は静かに腰を落とし、そして高く跳躍した。宙に舞った青鎧の暗殺者は右足を高く上げ、スカートを翻して構えると、ガタックゼクターの牙を再び展開させた。

【RIDER KICK】

 ガタックゼクターから仮面の牙へ、そして右脚へ、青いスパークが収束していく。凄まじいエネルギーを宿した右脚を振るい、渚は必殺の襲撃をボスの首に叩き込んだ。

 ズガン‼︎ とスパークが周囲にほとばしり、強烈な回し蹴りがボス個体の首に炸裂して火を噴かせる。一瞬ビクンと痙攣したボスは首に打ち込まれたエネルギーを全身に流され、閃光を放って爆散し、轟音を辺りに響き渡らせた。

 四肢であったものが地に落ちて転がり、炭となって崩れる上に渚が静かに降り立つ。同時にガタックゼクターがベルトから離れ、渚の鎧はエネルギーの破片となって散っていき、渚が元の学生服の姿に戻っていった。

 だが、そこで何かの糸が切れたかのように、渚はぐらりと体を傾け、その場にばたりと倒れ伏してしまった。圧倒されていた烏間とイリーナ、殺せんせーは、その音にハッと我に返った。

「! 渚くん‼︎」

 慌てた烏間と殺せんせーが渚の元へと駆け寄ろうとする。しかし、それよりも先にどこからか黒装束の武装した兵士たちが姿を現し、渚を取り囲んでいった。足を止めた烏間たちの前で兵士たちは渚の体を抱え上げ、同時に止められた装甲車の中に収容していく。

 その兵士たちの姿に、烏間は目を見開く。そして、彼の前に立ちふさがるように現れた男を目にし、烏間は鬼のような形相に変わった。

「……ご苦労だったな、烏間くん」

「…………‼︎」

 今にも噛みつきそうな表情で睨みつけてくる烏間に、男ーーー矢車はフンといやらしい笑みを見せると、渚を取り囲むZECTの兵士たちに手を挙げて号令をかけた。

 

 ピクリとも動かない渚を、武装兵士達が担いで装甲車に乗せていく。

 その様子を、ヒバリは建物の陰からじっと見つめ、そして唇を噛む。ZECTが姿を現し、これ以上の介入は危険と判断し身を潜めていたのだが、思わぬ事態になってしまった。

 渚が戦闘を終えるのを見計らうように現れたタイミングの良さといい、明らかに尾行していたとしか思えない。それを理解しながらも、ヒバリは姿を現さず、じっと身を潜めていた。

 ZECTの真意を、探るために。



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第10話 招待の時間

 渚が目を覚ましたのは、医務室のように白一色の殺風景な部屋だった。窓はなく、空調のための換気扇のみが備えられた箱のような一室。その中心に置かれた真っ白なベッドの上に寝かされていた渚は、ガバッと毛布をはねのけて身を起こした。

 いつの間にか病院着のような格好に着替えさせられており、軽く狼狽する。見知らぬ、それどころか明らかに異質な空間に自分がいることが理解できず、渚は思わずキョロキョロと辺りを見渡す。ここはどこだ、一体なんだ。必死で頭を働かせていると、渚の正面にあったスライドドアが音もなく開いた。

「……目を覚ましたようだな」

 ドアの奥から姿を現したのは、きっちりとした軍服をまとった、それもかなり階級の高い雰囲気を放つ、中年の男だった。目は鷹のように鋭く、烏間や、イリーナの師であるロヴロのような近寄りがたい覇気を放っていた。

「体はどこか不調はないか」

「……ここは、どこですか?」

 男の質問に答えず、渚は尋ねた。とは言っても、半ば予想はできていたが。

「ZECTの本部だ。気を失っている君を、ここまで運ばせてもらった」

 男の答えに、渚の表情は険しくなる。前々から手荒な手段で接触してきていた組織の根城に、まんまと囚われてしまったのだ。しかも本部ということは、烏間先生でも迂闊には手を出すことはできないだろう。いわゆる詰んだ状態だ。

 そんな心境を読み取ったのか、軍人の男は呆れたようなため息をついた。

「……誤解があるようだが、君に危害を加えるつもりはない。ただ、我々のトップが君に直接頼みたいことがあったのだ。信用してほしい」

「…………」

 渚は、まっすぐ見つめてくる軍人の男を見つめ返し、じっと観察する。高岡のような嘘臭さや偽りは感じられず、職務をただ全うするという意思だけを感じる。烏丸とはまた違った堅物さだ。特には、こちらを害そうという気配はなかった。

「……わかりました」

 熟考の末、小さくうなづいた渚はベッドから足を下ろし、軍人の男がいる方へと歩き始めると、背を向けた彼の後をついていった。

 

 制服に着替えさせられ、身なりを整えた渚は、大きな扉のある部屋へと案内された。

 見るからに偉い人がいるとわかる一室の扉を叩き、軍人の男が入室する。促された渚はその後を追い、広いその部屋の奥へと足を踏み入れた。

 左右には、大量の本が収められた本棚。天井にはシャンデリア、奥には大きなデスクと、豪華さと壮大さを感じさせる広い部屋。その先に、一人の初老の男性が座っていた。

 一見柔和そうに見えるが、その目には確固たる意志の炎が宿っている。侮れない雰囲気を放つその男性を前にして、渚は静かに息を飲んだ。

「……手荒な歓迎をしてしまってすまないね。潮田渚くん、私はこのZECTを率いている最高責任者、加賀美だ」

 烏間のような身体的な気迫ではなく、知略・策略を働かせる知能的な気迫に圧されながらも、渚は自己紹介する老人、加賀美に小さく会釈する。なおも動けない少年に苦笑し、加賀美は姿勢を正して願力を緩めた。

「緊張しないでくれ。私たちはただ、君に力を貸して欲しいだけなんだ」

「……ガタックの力、ですか?」

「そう…、これから言うことは、ガタックの力を使える者……つまり、君にしかできないんだ」

 鏡の言葉に、渚はぎゅっと拳を握り締める。

「……それは、一体……?」

 思わず渚が尋ねる。これから分かるZECTの真意が、渚の今後を左右するのだ。組織を用いてでも、個人を欲するまでの動機がなんなのか、目の前にある答えに、渚のひたいを汗が伝った。

 そしてややあってから、加賀美は口を開いた。

「……この地球(ほし)に、海を取り戻すためだ」

「⁉︎」

 渚は今度こそ言葉を失った。放たれた言葉の意味を理解しきれず、放心してしまった。

 海を取り戻すとはどういうことか。隕石によって全て蒸発させられ、7年もの間失われてきた母なる海を、どうやって人間の力で取り戻すというのか。そんな神のような御技が、可能なのか。

 戸惑う渚に、加賀美はふっと笑って見せた。

「正しくは、大量の水を手に入れる、というべきか」

「ど、どうやって、そんなことを……」

 ようやく我に返った渚が、加賀美を凝視して呟く。

 加賀美は軍人の男に目配せし、男はそれに従って何やら機械を操作し始めた。すると、天井から白い幕と映写機が姿を見せ、自動的に点灯して映像を流し始めた。

「ZECTの研究者が、地球の近くを通る彗星を発見した。…驚くことにこの彗星は全て氷でできていて、不純な物質は何一つ含まれていないらしい。私たちはこれを、クロックアップシステムを利用して地球に墜落させるつもりだ」

「…………⁉︎」

 目をみはる渚に、加賀美は大きく頷いてみせる。

「クロックアップシステムは、空間を操作して使用者を一定の物理法則から分離し、爆発的な加速を得る力だ。これを利用し、宇宙空間において特殊な磁場を発生させ、彗星を誘導する“穴”を生成する」

 加賀美は立ち上がり、大きく手を広げて渚に自身の高揚を伝える。プロジェクターの放つ光により、加賀美にまるで後光が差しているように見えた。

「これが、ZECTの……『天空の梯子』計画だ」

 

     †     †     †

 

「天空の梯子……それが奴らの狙いか」

 朽ちた椅子の上で踏ん反り返るヒバリを前にして、織田が忌々しそうに呟いた。苛立ちをぶつけるように手のひらに拳をぶつけ、感情をあらわにしている。

「なるほど……大量の水を手にすることで、ZECTは世間からより多くの支持を受ける。そして、よりZECTの権力は強大化し、逆らう者はいなくなる……。やっかいですね」

 風間も自らの顎を撫で、ZECTの計画の重要性に感嘆し、表情を険しくさせる。この計画が成功すれば、織田達NEO-ZECTの力は削がれ、逆に力の増したZECTに問答無用で潰されてしまうことだろう。まさに、織田達にとって致命傷となる計画だ。

「しかしお前……よくこんな重要情報収穫できたな」

「……多分、ZECTはこの計画を公表するつもりだったんだろう。むしろ、ZECTの本部に忍び込む方が命懸けだった」

「そうか。ご苦労だったな」

 織田がしきりにヒバリに笑いかけると、ヒバリはふんと鼻で笑って見せた。どうということもないという強がりなのか、手のかかる奴らだというような嘲りなのか、はたまたその両方か。

 すると、苦笑していた織田が何かを思いついたように顔を上げ、風間の方に振り向いた。

「…なぁ、その計画……俺たちで乗っ取れないか?」

「…………?」

 訝しげに、頬杖をついていたヒバリが織田の方を見やった。少ししてからその言葉の意味を理解したのか、いらだたしげに目を細めて織田達を睨みつけた。

「……手柄を横取りし、逆にNEO-ZECTの賛同者を増やすつもりか?」

「ああ! ここらで奴らにも痛いしっぺ返しを食らわせてやりたかったところだ。ちょうどいいだろう」

「……そううまくいくのか?」

 織田の言いたいこともわからなくはないが、あまりに無謀で短絡的である。向こうは何年もかけて築き上げた計画であるだろうに、ついさっき計画を聞いたばかりのこちらが下手に介入すればろくな結果にはならないだろう。

 風間もヒバリと同意見なのか、それともZECTと真っ向からやりあうことに興味がないのか、やれやれと肩をすくめてため息をつくばかりだった。

 だが織田は、獰猛な獣のような笑みを浮かべ、ヒバリと風間を見渡した。

「俺はコソコソするのは性に合わん。それにヒバリ、お前はZECTを潰したいんだろう? そして俺は、自由を邪魔する奴らを潰したい。……利害は一致しているだろう?」

「……無様に命を散らせる気はないんだが……仕方がないか」

 ヒバリは呆れたようにため息をつき、織田を見つめ返した。

「……いいだろう。僕も付き合ってあげる」

「ならば私も……、その風に乗るとしましょうか」

 二人の同意に、織田は「決まりだ」と返して膝を叩く。

「それで、引き続きお前にはZECTの監視を頼みたい。…この計画には、どうあっても外すことができねぇ“要”があるからな」

「……わかってる」

 織田の言う“要”が何か理解し、ヒバリは険しい顔で頷く。天空の梯子計画を遂行するために、必ずいなければならない要素。ZECTが、外聞を捨ててでも手に入れようとした、最強の力を自在に使いこなすことができる、唯一の存在。

「潮田渚。……奴こそが、われわれと奴らにとっての切り札(ジョーカー)だ」

 

     †     †     †

 

「君が了承さえしてくれれば計画はすぐにでも決行の準備を進められる。できることなら、この依頼を受けて欲しい」

 黙り込む渚に加賀美はまっすぐ見つめる。

 渚はうつむき、深く考え込む。ZECTが渚の身柄を是が非でも欲しがる理由もわかったし、ガタックでなければならない理由もおのずとわかる。計画を確実に成功させるためには、全ゼクター中最強の出力を誇るガタックを使用することがか確実となるのだろう。

 しかしそれでも、渚には納得できないでいた。

「……どうして、僕が」

「…………」

 思わず漏れた言葉に、加賀美は眉をひそめた。そして、彼の担任教師がまとめた資料の内容を思い出し、背筋を伸ばして考え込む。

 身体能力は平均以下、学力もかの学校においては特筆する点もない。いたって目立つ特徴もない、平凡な少年である彼がなぜ選ばれたのかは加賀美にもZECTの研究員にもわからなかったが、重要なのは適合者であるという点である。

「それこそ、神の采配というものだろう。だが、神は君こそがふさわしいと見込んだのだ。私は、そう思って君に頼んでいる」

「…………」

 たとえどんなに追われても、人の性格はすぐには変わらない。すぐに答えを出すことができずに立ち尽くす渚は、力無く地面に視線を落とし続けていた。

 加賀美は落胆する様子もなくため息をつき、渚から目をそらした。

「……これは、君の自由だ。戦うことを拒絶してもいい」

「えっ……」

 意外そうな顔で、渚は顔を上げた。散々聞かされた計画の重要性から、てっきり了承するまで帰らせてもらえないか、それどころか拘束されるものだと思っていたぶん拍子抜けだった。最初の邂逅の印象から、子供であろうと容赦などされないものだとばかり。

「部下の暴走のことは謝罪しよう。確かに計画は必ず成功させたいが、人権を無視してでも遂行させようとまでは考えていない。…我々は、独裁者ではないのだ」

「…………僕は」

「この勧誘に関しては、君の学校の理事長にも釘を刺されているのだ。『教育者として、生徒の自由を束縛することはできない』とね」

「…………‼︎」

 思わず、渚は言葉を失う。教育の鬼と呼べる浅野理事長は、E組という学校の底辺を明確にすることで生徒の向上意識を高め、敗北のない強い生徒を輩出させてきた傑物。そんな人が、E組の生徒の一人を庇うようなことを言ったのだ。裏があると勘繰りそうになる。

 だが、ある意味で選択の自由があるということは精神的な負担でもあった。

 もし断れば、渚は後悔することだろう。自分にしかできないことを蹴り、計画が失敗に終わるかもしれない。もしくは、他の誰かが責任を負うかもしれない。

 しかし受けたとしても、失敗のリスクが大きく感じる。自己評価の低い渚には、どうしても成功のイメージを持てず、計画の要たる自信を持てなかった。

「我々は、恥を忍んで君に頼むのだ。このままでは人類は、残り少ない資源を巡って醜い争いを続け、自ら滅びの道を選んでしまう」

「…………少し、考えさせてください」

 絞り出すような声で、渚はようやく答えた。

 もう、居心地の悪さが身の内で溢れ、正気でいられない。加賀美の視線すらもまともに受け止めきれず、渚の顔はずっと俯いたままだった。足元すらもおぼつかなく、自分がしっかりと立てているのかすらもわからず、グラグラと体が揺れ動いているような錯覚すら感じる。

 加賀美は目を細め、青い顔でうつむく渚をじっと見据える。

「君に、とても酷なことを言っているのはわかっている。君のような少年に、人類の運命を左右する選択をさせているのだからな」

 すると、加賀美は椅子から立ち上がり、黙り込む渚を見下ろす。それだけで、静かなプレッシャーが渚を襲い、呼吸までもが困難になる。心臓が大きく鼓動し、体の震えが止められなくなる。気のせいかもしれないが、少なくとも今の渚には、強すぎる毒だった。

「……だが、改めて頼もう」

 あえて加賀美は、何度も少年に頭をさげる。

 

「人類の未来を救う、英雄(ヒーロー)となってくれないか」



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第11話 迷走の時間

 ZECTから解放された渚は一人、薄暗い夜明け前の街を歩いていた。加賀美からは施設で泊まっていくことを勧められたが、あまり眠ることができなかった渚は早々に退出し、自宅へ戻る道をとぼとぼと歩き、深い思考の中に入っていた。

 頭の中で渦巻いているのは、昨晩加賀美に告げられた依頼についてのこと。天空の梯子計画という、自分ごときが背負えるとも思えない大それた話を突きつけられ、様々な感情に押しつぶされそうになっていた。

 人類を救うという名誉への期待と、失敗した時のリスクへの恐怖。

 ただの中学生男子に、その選択はあまりにも重すぎ、渚の胸の中にまるで鉛が入り込んだような重く苦しい気分をもたらしていた。

「…………僕は」

 立ち止まって、渚は自問する。そもそも、自分は何に悩んでいるのだろうか。

 失敗することが怖いのか、挑戦しないことに後悔すると思っているのか。もはや、自身が一体何に迷っているのかすらわからず、渚はただ悶々と考え続ける他になかった。

「…僕は、どうしたら…」

「一人で悩んでいては、出せる答えも出ませんよ?」

 背後からかけられた声に、渚はハッと目を見開いて振り返る。朝日すらまだ上がっていない薄暗い世界の中、渚の少し後ろに黄色い担任教師が立っているのが見えた。

「……殺せんせー」

「ヌルフフフ……ZECTの人たちも酷ですねぇ。生徒にそんな決断をさせるなんて」

 殺せんせーはいつも通りの笑顔に見えるが、その目には渚に対する気遣いに満ちている。生徒を見下ろしながら、超生物教師はうつむき気味の生徒の表情を案じていた。

「困った時は、誰かに愚痴を聞いてもらうのも手の一つですよ? 大人になれば、そうやってストレスを解消して問題を解決することもあります。一人で抱え込むと逆に体に毒です」

「…………」

 渚はぎゅっと拳を握りしめ、殺せんせーの視線を受ける。相談したいのは確かだが、頭の中がぐちゃぐちゃで何を言えばいいのかもわからないのだ。

 殺せんせーは急かすこともせず、悩み込む渚に向き合い続ける。触手の腕を組みながら、自分でも考え込むように天を仰ぎ、小さなため息をついた。

「……渚君、失敗することが怖いのは、誰もが思うことです。恥じることはありませんよ」

「え…………?」

「人は誰しも、大きな勝負を挑むことは何度もあります。それは時に、挑戦者を逃さず、決断を強いるものもあります。……ですがね、渚君」

 指を一本立て、殺せんせーは顔を上げた渚を見つめる。その顔は、何度も見た悪戯小僧のような、A組や理事長に勝負を挑んだ時に見せた、思わぬ抜け道や戦い方を伝授するときの表情だった。

「逃げられる勝負なら、逃げてもいいと先生は思うのです」

「……!」

 思わぬ答えに、渚は大きく目を見開いた。

「暗殺者は、正面切って戦いを挑みません。戦闘になる前に致命的な一撃を与え、一瞬のうちに結果を引き出す職業。勝てるかどうかわからない勝負には乗りません」

「……じゃあ、僕はどうしたら」

「道は一つではありません。すぐに決めることもないですよ?」

 殺せんせーに諭され、渚は再び考え込む。とはいえ、先ほどまで胸中で渦巻いていた重い何かが一つだけ減ったような気分で、渚は悩み込むまで陥ることはなかった。

“教師”と相談したことが理由か、少しだけ心が軽くなった気がした。

 そんな時だった。

「……いいこと言うね、殺せんせー」

 ビルの陰から、聞いたことのある声が届いた。

「! その声は……」

 殺せんせーが顔を上げ、声がした方を見る。渚もつられるように顔を向け、瞳に銀髪の美少女の姿を映して驚愕で言葉を失った。

「逃げるって、賢明な判断だと思うよ」

「……ヒバリさん」

 目を見開く渚の前で、建物の壁にもたれかかって腕を組んだヒバリが、横目を向けて渚にうっすらとした笑みを見せていた。傍らには赤い大型のバイクが止められていて、暗い中でも重厚な存在感を放っていた。

 ヒバリは笑みを浮かべたまま目を細め、呆然としている渚を見据えた。

「……ヒバリさん、どうしてここに」

「君に忠告をしに来たんだ。……これ以上、ZECTに関わらないように」

「……え?」

 ヒバリはもたれかけていた背を起こすと、カツカツと靴の踵を鳴らして二人の元へ近づいていく。渚はなぜか緊張しながら、近づいて来くる少女の目を見つめ返した。

「ど…どうして? 前に言ってた、世界を壊すってことのために……?」

「…………まぁ、そうかな」

 ヒバリはぐっと唇を引き結んで立ち止まると、すっと渚から目をそらして答えた。当たっているのか微妙な反応で、渚も殺せんせーも怪訝そうにヒバリを見つめる。

 ヒバリはその視線に鬱陶しそうに顔をしかめ、散らせるように鋭く睨みつける。それ以上聞くなとでもいうかのような鋭く冷たい眼力に、かなり気弱な渚と殺せんせーはヒッと声を漏らして、体を竦みあがらせた。

「天空の梯子については知ってる。君は計画への参加を辞退し、大人しくしていればいい。あとはボクが片をつけるから、……君はいつも通り学校にでも一定なよ」

「……! そんなこと言われても……」

「…わからないかな。邪魔するな(・・・・・)って言ってるの」

 反論しようとする渚の口が止まる。渚を見据えるヒバリの目はまるで凶悪な刃のように尖り、声は地獄の底から響くように低く恐ろしく聞こえる。目の前の可憐な少女からは、明らかな殺気が迸り、渚に突き刺さらんばかりだった。

「…………ッ‼︎」

「君さえ動かなければ、ZECTの計画は変更せざるを得ない。NEO–ZECTの奴らは乗っ取りなんて考えてるみたいだけど、ボクはZECTの奴らを潰せればそれでいい」

 優しさのかけらも、感情すらも感じさせない冷たい声で語るヒバリを、渚は信じられない気持ちで見つめていた。かつて助けられた時に聞いたものとは全く異なる冷酷な声音で、彼女がそんな風に言い放つとは思わなかった。

 勝手に裏切られた気分になった渚は、沸々と湧き上がってくる怒りに乗せられ、キッとヒバリを鋭く睨みつけてしまっていた。

「………どうしてそんなことが言えるの、ZECTは確かに乱暴だったかもしれないけど、聞いた計画では大勢の人を救えるはずなんだよ‼︎ それが…間違ってるっていうの⁉︎」

「……現実は、そう甘くない」

 渚の睨みなど、小動物のような取るに足らないもののようにあしらい、ヒバリは小さく吐き捨てる。しかしそれでも、渚の反論は止まらなかった。

「君が言ってた『世界を壊す』って、そういうことなの⁉︎ 大勢の人を見殺しにして、……そんなことをするのが君の望みだっていうーーー」

 感情のままに、言うべきではないことを口走ってしまう渚。だが、その瞬間。

「ーーー黙れよ、クソガキ」

 氷のような声と冷たい感触が、渚の暴言を半ばで止めた。押し寄せる激情を封じ込めたような声は至近距離からのもので、冷たい金属の感触を渚は自身の首筋に感じていた。

 そこで渚はようやく、自身の首に刃が突きつけられていることを理解した。一瞬で渚の懐に入り込み、少女は抜いた刃を渚の首筋に当ててみせたのだ。今や、渚の命は目の前に立って鋭い目を向ける少女に握られてしまっていた。

「たかが中坊が、でかい口を叩くもんだね。本気で自分が世界を……人類を救えるとでも思っているのかい? ……妄想も大概にしろよ、青臭いガキが」

「ッ………ヒバ、リ…さ……」

「ガキ一人に何かが救えるもんか。人間に人間が救えるものか。……できることと言ったら、邪魔になるもの全部をぶっ壊すことだけだ」

 凄まじい殺気とともに放たれてくる、ヒバリの燃え盛るような感情の波。激情を一瞬で削ぎ落とされた渚は、少女の恐ろしい眼差しを真正面から受け止めて気づく。

 これは、怒りだ。

 金縛りにあったように硬直する渚と、刃を手に怒るヒバリ。

 その近郊は、唐突に破られた。

「そこまでです」

「⁉︎」

「うわっ⁉︎」

 ヒバリが突きつけていたはずの刃がひょいと持ち上げられ、渚の体が宙に浮く。目を見開いたヒバリは、ずっと傍観していた超生物教師が彼女のナイフを取り上げ、渚の全身に触手を絡みつかせて拘束されている姿を目にした。彼とヒバリで明らかに扱いが違ったが、見た目が女顔の渚が全身をヌルヌルされている姿のインパクトが強すぎて気にする暇もなかった。

「殺せんせー⁉︎ なんで僕だけ⁉︎」

「女性にむやみにヌルヌルするわけにはいきませんし……それに今回の喧嘩は君が悪い」

 咎めるように言った教師は渚を下ろし、ヒバリにナイフを返して互いに向き合わせる。

 冷静になった渚は、ヒバリに対して非常に醜い一言を発したことを思い出す。ヒバリにその意思があるのかもわからないのに、ヒバリが人々の命を軽く見る冷酷な女であるかのように叫んでしまったのだ。

「……ごめん、なさい」

「…………」

 悲痛な顔で頭を下げる渚。ヒバリはさっと目をそらし、返されたナイフをしまって背を向けた。

「…………もういい。言いたいことは、僕も言った」

 表情を見せず、冷たい声でそう言ったヒバリの背を、渚は申し訳なさそうな顔で見つめる。

 肩を落としてしゅんとなる渚に罪悪感が湧いたのか、ヒバリは顔を盛大にしかめて振り向き、キッと鋭く睨みつけてから人差し指を突きつけた。

「と、とにかく! 君はもう関わるな。もしまたZECTの干渉があっても、絶対に断れ!」

「…………」

 必死な顔で、渚にそう命じるヒバリ。その顔は邪魔者を邪険に追い出そうとするような意地の悪いものではなく、どこか、不安げに渚の身を案じるような表情だった。

 奇しくも、それに気づいたのは一歩引いた場所に立つ、黄色い異形だけだった。

「……ヒバリさん、貴女はもしかして……」

 殺せんせーが僅かに目を見開き、言いかけたその時だった。

 

     †     †     †

 

 同じ時、E組のサバサバ系ギャル中村莉桜は、クラスでも仲のいいポニーテール巨乳・矢田桃花、生物好きの倉橋陽菜乃とともに買い出しに出ていた。他より安く日用品を購入するため、友人とともに少し遠出をしていたのだ。

「いやー、結構買っちゃったね」

「思ったより安かったもんね」

 両手に持った戦利品の袋を掲げ、中村が呟くと矢田と倉橋も同意しながら苦笑する。明らかに復路は内容量が限界で、女子たちの手には辛い重量となっていた。

 さらには日頃の訓練の賜か、一般的な女子では持ち上げるのも辛いはずの重さを支えているあたり、本人たちも複雑な感情を抱いているようだった。

「しかしこんだけで足りるかねぇ。……男どもへの差し入れは」

 袋を掲げる中村はつぶやき、ある一人の男子生徒のことを思い浮かべる。

「……渚の奴、大丈夫かねぇ」

 虚空を見上げ、思わず中村が言うと矢田と倉橋も表情を曇らせる。

 烏間先生から伝えられた話の後、渚の姿は見ていない。それどころか、帰宅途中にカルマたちとともにワームに襲われたと言う話を聞いている。その後、渚はZECTに身柄を預けられ、かろうじて無事であると知って安堵しているのだが。

「無事だと良いけどね……」

 どこにいるとも知れない渚のことを案じ、ため息をつく女子三人。

 と、その時中村の表情が一瞬で変わり、真剣な顔つきで辺りを見渡し始めた。その顔からはいつもの飄々とした様子は微塵も感じられなくなる。

(……何かいる………?)

 矢田と倉橋も異変に気づいたのか、あからさまに顔を強張らせて互いに身を寄せる。三人の女子は背を合わせ、異変の正体を見極めようと声を殺す。

 そして気づく。あたりから、無数の羽音とギチギチというきしむような音がしていることに。まるで何匹もの虫が詰め込まれた壺を開き、中を覗き込んだかのような気持ちの悪い音に、ようやくその正体に気づく。

 ハッと振り向いた中村が、その光景を目にして言葉を失う。

 ワームが大勢で群がる、悪夢の光景を。

 

     †     †     †

 

「‼︎」

 その声に、一斉に全員が振り向く。目のすぐ近くに耳の穴を開いた殺せんせーは、その声が自分の大事な生徒の一人のものであることに気づいた。そしてそのすぐ近くに、他にも生徒たちがいることも。

「この声は……倉橋さんと矢田さん⁉︎」

 血相を変えた殺せんせーが、マッハで飛ぶ体勢に入る。そして一瞬だけ渚に目を向けると、真剣な表情で少年に告げる。ヒバリもまた、状況を理解して表情を変えた。

「渚くんはここに‼︎ 動いてはいけませんよ‼︎」

「チッ……またワームか‼︎」

 舌打ちしたヒバリも懐からベルトを取り出し、腰に巻いて片手を天に掲げる。すぐさま飛来したカブトゼクターを掴み取ると、ヒバリはそれをベルトに装着し、角を反転させた。

「変身‼︎」

CHANGE BEETLE(チェンジ・ビートル)

 身にまとった瓶の装甲が弾け飛び、シンクの装甲が露わとなる。

CLOCK UP(クロック・アップ)

 そのままヒバリは、マッハで飛び出した殺せんせーを追うように加速し、一瞬で姿を消す。その間、一度も渚に目を向けることもなく、狩るべき獲物の元へと向かってしまった。

 ただ一人残された少年は呆然となり、うつむいたまま佇んでいた。

「…………僕は、何も…」

 目の前ではっきりと告げられた言葉に、渚は力なく肩を落とす。

 “何もするな”

 その言葉が深く、深く渚の胸に突き刺さる。元から世界を救うなんて大それたことを夢見たわけじゃないし、信じていたわけでもない。ただ、そんな夢物語が本当に叶うのならとわずかに期待し、惹かれてしまっていただけだ。

 それなのに、なぜか心が痛い。突き刺さった言葉が、心を貫く。

 そして同時に、どろりとした黒い感情が湧き上がるのを感じていた。

「……僕は、そんなにも弱い……⁉︎」

 ギリギリと歯を食いしばり、拳を爪が皮を突き破らんほどに握りしめてしまう。

 悔しい。そんな感情が渚の心を蝕み始めていた。

 実力があり、それを自覚し認めてもらえているものたちが目の前で戦っているというのに、自分だけが足手まといのように切り捨てられているという現状に、渚は唇を噛んだ。

 ーーー違う。

 激情が、渚の体の中を駆け巡った。

 ーーー僕は、英雄になりたいんじゃない。

    僕は、認めさせたいんじゃない。

 落とした視線が映すのは、昨日から腰に巻いたままのベルト。

 今の自分には、害悪を斃す力がある。圧倒的な力で全てをねじ伏せることのできる存在が、渚にしか使えない絶対的な力が、今渚の手の中にある。戦う力が、そこにある。

「僕は……‼︎」

 目に力がこもる。全身にみなぎる力が、瞳に炎を灯らせ、燃え上がらせる。

 もう渚は、先ほどまでの気弱な雰囲気を有していなかった。温厚な表情は引き締まり、優しい眼差しは釣りあがり、眉間には険しい皺がよる。流れに翻弄される少年の姿はもうそこにはなく、代わりに立っていたのは。

 “覚悟”を決めた、男の姿だった。

「変身……‼︎」

 渚の声に応え、どこからか青い金属の甲虫・ガタックゼクターが飛来し、渚のベルトに収まる。瞬時に六角形のエネルギー膜が形成され、その下に重厚な鎧が形成されていく。それとほぼ同時に、渚はガタックゼクターの牙を左右に開いていた。

CAST OFF(キャスト・オフ) CHANGE STAG-BEETLE(チェンジ・スタッグビートル)

 鎧が弾け飛び、その下から二本のヤイバと青い装甲、そして風にはためくチャイナドレスが現れる。クワガタを模した鎧と仮面を纏い、真紅のバイザーを輝かせ。

 渚は、ゆっくりと顔を上げた。

 

 風を切り、殺せんせーとヒバリは悲鳴の聞こえた方へと急ぐ。

 本来、ヒバリに誰かを助ける義理などなく、戦う必要などない。教師とともに向かっているのは、単に悲鳴を聞いて見殺しにすることが気に食わなかったためだ。

 だが、そのほかにも、渚との口論が胸に残っていることもあった。

「くっ……‼︎」

 自分らしくもない、と内心で舌打ちする。

 隣では焦った表情の殺せんせーが一心不乱に宙を飛び、生徒の安否を案じている。まさかこの怪物のせいで調子が狂っているのではないだろうな、と考え込み、今はそんな場合ではないと頭を振る。

 そして時期に、ワームに取り囲まれる少女たちの姿を目にする。じりじりと迫ってくる異形を前に、弱腰になりながらも棒切れを構えた中村たちが身構え、鋭く睨みつけながら後ずさっている。度胸は目を見張るものだが、さすがに絶望的に見えた。

「皆さん……‼︎ 今行きまーーー」

 殺せんせーが、さらに速度を上げようとした時。

 青く鋭い風が、二人の傍を駆け抜けた。

「ーーー⁉︎」

 目を見開く、超生物と赤い暗殺者。

 そして両者は、目撃する。少女たちに群がる異形の群れに向かって、閃光を走らせた青い風が刃を振るい、一瞬のうちに異形の体に食らいつき、切り裂き、バラバラにし、一撃で絶命させていく瞬間を。汚い緑色の肉片へと変わり果てた異形の肉片が膨れ上がり、爆散する瞬間を。

 淡々と、冷酷なまでに振るわれた死神のヤイバがワームたちの体を両断し、汚らしい体液を身に浴びて辺りに撒き散らす光景を。

 ドォン‼︎

 爆散し、緑色の炎を吹き上げる中で、中村は咄嗟に閉じていた目を開く。強い風で髪が揺らされる中、中村は自分たちを守るように立つ、青い鎧を纏った少女のような少年の姿を目にし、目を見張った。

「……な、渚……?」

 その声に、渚は答えなかった。

 ただじっと、吹き上がる炎を前に、立ち続けているばかりであった。

 

     †     †     †

 

 加賀美の部屋を、再び訪れる者がいた。その少年は異様な雰囲気を放ち、加賀美をじっと見つめていると、やがて小さく口を開いた。

「…………僕が、やります。やらせてください」



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第12話 相違の時間

「ーーー渚、例の話受けるってさ」

 E組の教室は、その話で持ちきりになった。水資源の確保のため、宇宙から巨大な彗星を呼び寄せるという荒唐無稽な計画に一人の少年が挑むという噂はすぐにクラス内に広まり、様々な感情を生徒たちに抱かせた。

「でも……、本当に成功すんのか? そんな計画…」

「ZECTの研究員がみんな関わってるって話だぜ? うまくいくんじゃないか?」

 E組の俊足・木村と菅谷が話すところに、三村も近寄って聞いてくる。

 別の場所では磯貝と前原が話す側に、仕事人気質の速水と千葉が寄り、腕を組んで渚の噂に耳を傾ける。誰もが、硬い表情で視線を落としていた。

「それに、うまくいったら大勢の人が助かるし、渚も真っ当な評価受けられんだろ?」

「英雄扱いか……想像もつかねーなぁ」

 木村と前原が前向きな気分にしようとしてか、明るい声を上げるも、周りの雰囲気はどこか沈んでいて、二人の言葉は空回りする結果となった。木村たちは気まずげに冷や汗を流して、黙り込んでしまった。

 クラス全体が静かになった時、杉野が小さく口を開いた。

「……渚の奴、戻ってくるよな」

「…………」

 最後に別れたクラスメイトたちが、不安げに目をそらして黙り込む。

 烏間から、ZECTの詳しい計画は聞かされた。だがその壮大さに誰もが想像さえつかず、気休めの言葉も口にできずにいた。不安げな顔の茅野も、不機嫌そうに鼻を鳴らす寺坂も、虚空を見上げる中村も、誰もが、何も言えなかった。

 結論から言うと、渚がE組に戻ってくることは、二度となかったのだった。

 

     †     †     †

 

 渚はその晩、たった一人で橋の上で佇んでいた。

 上空で強い風が吹いているのか、時折月の光が雲に覆われてはまた顔を出すというのを繰り返し、壊れた電燈のように渚を照らす。誰もいない橋の上は不気味なほど静かで、風のおどろおどろしい音が嫌によく聞こえていた。

 ふと、そんな静寂の中。渚の元へ近づいてくる足音があった。

 耳に届いた靴音の方へ、渚は振り向く。そこにいるのが誰か半ば予想していたらしく、姿を見せた訪問者を相手にしても、その表情は微塵も変わらなかった。

「……警告したよね、関わるなって」

 低い、怒りを込めた声で、ヒバリは渚に開口一番に言った。

 同時に、ナイフのように鋭く尖った殺意に似た眼差しが渚を射抜くが、少女の前に立つ少年はもう怯まなかった。それどころか、少女の顔とよく向き合おうと数歩近づき、真正面から視線を合わせた。

「…覚えてるよ。でも僕は覚悟を決めたんだ」

「考え直しなよ。君は今、力を手にして浮かれてるだけだ。君が思ってるようにうまくなんて行くはずがない。今すぐに断りに行ってこい」

 ヒバリの忠告に、渚は静かに首を振る。

「選択肢があるのなら、僕は勝負に出たい。……もう、逃げたくない」

「…………‼︎」

 渚の答えに、ヒバリはギリリと歯をくいしばる。

「いいから黙って引き下りなよ……‼︎ 邪魔すんなって言っただろうが……‼︎」

「そっちこそ。僕は僕の意思で決めたんだ!」

 次第に剣呑に立って行く両者の雰囲気。互いの殺気がぶつかってギシギシときしみをあげ、あたりの空気を重く沈めて行く。少年と少女の表情もまた、相手への苛立ちで歪み始めていた。

「…だったら、力尽くで言うことを聞かせてやるよ」

 スッと表情の消えたヒバリが、天に片腕を掲げる。その動作に応えるように、彼女の掲げた手の中にカブトゼクターが飛来し、掴み取られる。わずかな夜の明かりがゼクターの鋼の甲殻に反射し、赤い光を放った。

 渚は殺気をほとばしらせるヒバリを前に表情を歪め、悲痛な顔で声を荒げる。

「…! どうしてわかってくれないんだ⁉︎」

「それこそこっちのセリフだよ……情で人は救えないんだ。それがなんでわかんないの?」

 渚をじっと見つめるヒバリ。

 その剣呑な瞳に宿るのは、たとえ相手を押しのけ踏み潰してでも我を通そうという強い意志と、目的のためなら何を犠牲にしても構わないという容赦のない覚悟。

 そのまっすぐでブレない目を前にして、悔しげに顔を歪めた渚はスッと目を閉じ、フゥ……と息をついて心を落ち着かせていくと。

 覚悟を、決めた。

「なら僕も、押し通る」

 渚が前に差し出した手の上に、鋼鉄の甲虫ガタックゼクターが降り立つ。

 渚とヒバリはにらみ合ったまま、己の手にあるゼクターをゆっくりと掲げ、腰に巻いたベルトへと装着する。研ぎ澄まされた殺気と集中が、まるで示し合わせたかのように二人の動きを同調させた。

『変身‼︎』

HENSHIN(ヘンシン)

 渚とヒバリの体を、ゼクターを中心として発生した六角形状のエネルギー膜が多い、重厚な装甲を形成していく。防御に特化した銀色の鎧が、二人の呼吸に合わせて揺れ動き、わずかな金属音を鳴らす。一見すれば、遠距離武装を備えた渚の方が有利に見えた。

 だが二人は、同時にゼクターに手を伸ばし、自ら鎧を手放す機能を発動させていた。

「ああああああ‼︎」

「アアアアアア‼︎」

CAST OFF(キャスト・オフ)

 角と牙が展開し、ライダーの鎧が一瞬でパージされる。咆哮とともに駆け出した二人の装甲がまるで弾丸のように弾け飛び、互いにぶつかりあって威力を相殺していく。

 渚とヒバリはそれぞれの武器を掴み取り、裂帛の気合いとともに引き抜く。すでに見えているのはお互いだけで、他のものには一切の注意が向いていない。

 己の意地をかけた戦士は、甲高い衝突音とともに、激突した。

 

 闇の中で火花が散る光景を、超生物教師はただ黙って見下ろしていた。表情の読めないその顔は何を考えているのかはわからないが、放つ雰囲気からどこまでも真剣に考え込んでいることはわかった。

「……自分の意地を通すための喧嘩、大いに結構。ですが、見ているだけというのはもどかしいですねぇ」

 自分はもう、手は出さない。そう殺せんせーは決めていた。

 覚悟を決めた子供達の道に、もはや自分の言葉は不要。たとえその道がどこに繋がっているのかわからずとも、歩いていくその足を止めさせる真似はするまいと、そう決めていた。

 だが、だがもし、子供たちの手に負えない茨の道であったならばーーー自分は命をかけてでも、彼らの力になるだろう。それが、“先”を“生”きる者である、自分の使命だから。

 それまでは、ただ彼らを信じよう、そう思っていた。

 人一人いない夜の闇の中、青と赤の戦士が振るう刃が激突して火花が散る。オレンジ色の輝きは両者の装甲を照らし出し、憤怒の表情にゆがんだ二人の顔をも暗闇の中に浮かび上がらせる。歯を食いしばり、ギラリと激情に燃える瞳を光らせた少年と少女が相手の急所を狙って刃を振るい続けていた。

 

 ヒバリの持つ金色の刃の苦無が、渚の持つ白銀の刃の双剣が、宙に軌跡を描いては甲高い音を鳴らして風を切る。様々な形に構えられる苦無の斬撃と斬ることに特化した二本の曲刀が、まるで食い合う獣のように互いに襲いかかり喰らい付く。

 金属音が何度も大きく響き渡り、暗闇の中で長く木霊する。ギリギリと歯を食いしばった渚とヒバリは、互いに大きく振りかぶって刃を振り下ろした。

 ガキン‼︎ と大きな金属音が鳴り響き、あたりに波のように火花が弾けた。

「……絶対に、退かない‼︎」

「ガキが……‼︎」

 ギチギチと刃を噛み合わせながら渚が必死の形相で宣言すると、ヒバリは苛立たしげに眉間に皺を寄せて歯を食い縛る。戦闘能力や技術的にはヒバリの方がはるかに格上だったが、渚の底知れない暗殺能力やガタックの出力が底上げし、二人の戦況は拮抗していた。

「はぁぁぁぁ‼︎」

「うっ……‼︎」

 しかしとっさの不意をつき、懐に入り込んだヒバリが渚の腹を思い切り蹴り飛ばす。思わぬ反撃に渚が腹を抑えて後退すると、体勢の崩れた渚に向かってヒバリが怒涛の猛攻を加え始めた。

 苦無の斬撃に加え、長い足から繰りだす蹴撃が渚の装甲に突き刺さり、鈍い音と衝撃を与える。一撃が当たる度に渚は苦悶の声をあげ、体に走る衝撃にグラグラと体を揺らす。

 チッ、と舌打ちしたヒバリは左足を軸に回転し、渚の顔面に向けて回し蹴りを放つ。すでに猛攻を食らって満身創痍だった渚はろくな受け身も取れず、ヒバリによる本気の一撃をまともに受け止めてしまった。

「あぐっ……‼︎」

 渚はわずかな声をあげて背をそらし、そのままばたりと倒れた。

 ヒバリは多少息を乱しながらも気を抜かずに渚を見下ろし、やがてピクリとも動かないことを確認して近づいていく。苦無を持ったまま、力尽きた少年を拘束しようと手を伸ばす。

 小さな声で「……意地を張りさえしなければ、ここまでしなかったのに……」と思わずそう呟き、まずはガタックゼクターとライダーベルトを回収しようと膝をつく。打ち身だらけになった顔に少しだけ罪悪感を感じながら武装を解除させようとした時。

 失神していたはずの渚の手が静かに持ち上がり、少しだけ警戒を解いていたヒバリの前に掲げられていく。一瞬、ほんの一瞬惚けてしまったヒバリにできたわずかな間を狙って渚の手が動き、手のひら同士を打ち合わせた。

 

 パァン‼︎

 

 炸裂したそれは、傍から見ればただの虚仮威しの取るに足らないもの。だが暗殺者にとっては、人間の意識の波長が敏感になる瞬間に放たれた、音の爆弾。やり方はただの猫騙しだが、人の意識の波を視認するという驚異的な感覚を身につけた渚にとっては、ターゲットに確実に隙を作ることができる奥の手。

 その名を、“クラップスタナー”と言った。

「ーーーぐっ、ガッ…………⁉︎」

 その一撃は確かにヒバリにも届き、彼女の動きを一瞬とはいえ停止させていた。しかし完全ではなく、ヒバリはクラップスタナーが炸裂した瞬間咄嗟の判断で自らの舌を噛み、激痛を以って麻痺(スタン)を防いで渚を睨みつけた。

「……おっ、前………‼︎」

 まともに動かない体を無理やり動かすヒバリの横腹に、右肘を地面についた渚が蹴りを放つ。麻痺しかけていたヒバリはその衝撃で倒れ、渚は転がるようにして起き上がった。

「……ハァッ、ハァッ……‼︎」

 渚は荒い息を吐きながら、怒りをこらえるかのようにブルブルと体を痙攣させるヒバリを睨みつける。両者は先の攻防の最中にかそれぞれの得物を取り落としており、残る武器は己の肉体だけであった。

「それでも僕はやるんだ……‼︎ 少しの延命だとしても構わない……でもせめて、もう少しだけみんなと一緒に……‼︎」

 気を張っていた渚が、ほんの少しだけ本音を漏らす。

 少年が覚悟を決めたのは、そんなささやかな願いがあったから。エロくて器が小さくて、でも自分たちのことを真っ直ぐに見てくれる先生や絆で繋がった個性的なクラスメイト達と一緒に、勉強したり励ましあったりバカやったり、同じ時の中で喜びも悲しみも分かち合いたい。ただそれだけだった。

 そんな渚の叫びに、ヒバリは小さな声で答えた。

「……君達には、無理だ‼︎」

 冷たく、明らかな拒絶。その一言は、渚の中の最後の緒を完全に引き千切った。

「この分からずや‼︎」

「お人好しは引っ込んでろ‼︎」

 もはや二人は止まらない。罵り合いながら互いの持つゼクターのギミックに触れ、エネルギーを蓄えさせて構える。

RIDER KICK(ライダー・キック)

 稲妻が二人の纏う仮面の角と牙に流れ込み、凄まじいエネルギーを放って右脚に送り込んで行く。バチバチと帯電するする右脚を構えた渚とヒバリは、互いを睨みつけたままジリジリと体勢を低く落とし、備える。

「やぁぁぁぁぁぁぁぁ‼︎」

「ハァァァァァァァァ‼︎」

 バネのように足の筋肉を収縮させた渚が空中に跳び上がり、ヒバリに向けて右脚を鎌のように振るう。同時にヒバリも左足を軸にして右脚を掲げ、激突させて渚の一撃を真っ向から受け止める。

 ズン‼︎ と青い稲妻が爆発のように炸裂し、凄まじい衝撃と轟音が響き渡る。ぶつかり合ったエネルギーが弾け、まるで昼間のようにあたりを照らし出した。

 閃光がおさまった時、渚とヒバリは互いの背中を合わせるようにして立っていた。激突の余韻がまだ木霊のように残る中、二人のベルトにおさまっていたゼクターが離れて飛び立ち、装甲が破片となって崩れ落ちていく。

 一言も声を発さず、立ち尽くしていた二人だったが、ややあってからヒバリの方が肩を震わせ始めた。

「…………もういい」

 渚は背後を振り向き、顔を全く見せないヒバリの背中を見つめた。

「もういい‼︎ ……勝手にしろ」

 一瞬だけ声を荒げたヒバリは、それっきり振り返ることもせずに歩き去ってしまう。歩調は早く、もう二度と渚の声は聞くものかというような気迫が漏れていて、渚はそれ以上話しかけることもできず、同じように足早に去ることしかできなかった。

 

     †     †     †

 

 ヒバリは遠く離れた廃工場の地面の上で、仰向けに寝転がっていた。

 大きく崩れて穴の空いた屋根の下に寝転がり、目元を片手で覆って天を仰ぐその姿は、まるで小さな子供が必死になって泣く姿をだれかに見られないように隠しているように見えた。

 事実、ヒバリの心境は揺れに揺れていて、それ以上感情を表に出さずに済んでいるのは一度我を忘れて喚いた自分を恥じていたためだ。

 自分でもなぜ、あの年下の少年に対してだけ感情的になり、わざわざ手助けしたり自ら構うような真似をしているのかがわからなかった。そんな義理などないはずなのにリスクもデメリットも承知で関わろうとしているのかも、自ら危険に身を投じようとしている彼を案じているのかも、分からずにいた。

「……なんで、男の子ってみんなそうなのかな……」

 ふと漏れた言葉。

 その時の彼女の脳裏には、同じように自ら危険に関わって愚かな行為を行い、そして力尽きた男の最期の姿があった。

 

 ーーー今になって、情けない話だが……、

    こんなことになるなら、もう少しお前と話をしておくべきだったな……。

 その男は記憶の中で、土煙が舞う廃墟の壁に背を預け、荒い息をつきながら今よりずっと幼い少女ーーーヒバリにそう話しかけていた。左手で抑えている腹部からは真っ赤な命がダクダクと流れ出し、彼の足元をどす黒く染め上げている。

 恐怖のあまり涙をこぼす少女は、ぐったりとしている男の体を必死にゆさゆさと揺すって叫んでいた。

 ーーーイヤ…、イヤだよ、お兄ちゃん……‼︎

 お願いだからボクを……ボクを一人にしないでよ……‼︎

 ーーー……悪いな、ヒバリ。

    こんな不甲斐ない、兄で。

 少女の願いも虚しく、男の顔色は徐々に血の気を失っていき、呼吸も弱々しく薄れていく。生気を失っていく兄の体に縋り付く幼い頃のヒバリは、唯一の家族を失う恐怖に耐えきれず涙を止められずにいた。

 そんな妹を見つめ、苦笑した兄はただ泣きじゃくる妹の頭を撫で、ポンポンと叩いて落ち着かせて言う。

ーーー…おばあちゃんが言っていた。

    出会いには必ず別れがある。だが出逢って繋がれた(えにし)は、決して途切れることはない、ってな。

 兄の慰めに、少しだけ我を取り戻したヒバリは、満身創痍の体で微笑む兄を見つめ、その言葉にの意味を問うた。

 兄は答えず、妹の体を最期に強く抱きしめた。いつもの抱擁より弱々しいそれをヒバリはただ黙って受け止めた。

 ーーーヒバリ。

    あとのことは、他の仲間に頼れ。

    俺はここでお別れだが、決していなくなるわけじゃない。

    俺はいつでもお前の隣で、一緒にいる。

    ……約束だ。

 ーーー……うん。

 兄はそれだけ言うと、再び廃墟の壁に背を預けて目を閉じ、それっきり動かなくなった。

 ーーー……お兄ちゃん? …お兄ちゃん……‼︎

 二度と目覚めることのない眠りについた兄に縋り付いたまま、それが永久の別れだと理解できない……理解したくない妹はずっと兄の名を呼び、泣き続けていた。

 

 あれから、長い年月が過ぎた。

 兄の遺言に従い、兄の仲間を頼って過ごしてきたが、皆自ら戦いを挑んでは散っていき、二度と戻ってはこなかった。貴族だったという(サソリ)の剣士も、深い闇の世界にいながら強く生きた飛蝗(バッタ)の兄弟も、多くの仲間も、ヒバリ一人を残していなくなってしまった。

「…………もう、失う物なんかない。怖いものなんてない」

 天に伸ばした手を掴み、ヒバリは己に告げる。

「ZECTは、ボクが潰す」

 もうそこには、泣きじゃくっていた頃の弱い少女の姿はなかった。

 そこにいるのは、失った全てを小さく華奢な背中に背負い、復讐の刃を研ぎ澄ませた一人の暗殺者だけだった。



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第13話 決行の時間

「ーーー時は満ちた」

 白銀の空間の中、整列したZECTの兵士たちを前に、大和の厳かな声が響く。銃を構え、直立不動の姿勢でそれを聞く兵士たちは、堂々と立つ自分たちの上司を見上げる。

「これより我々は、世界を救う。細く脆い蜘蛛の糸を手繰り寄せ、多くの人間が笑える明日を手にするのだ。だがそのためには、諸君らの力が必要不可欠だ」

 大和の隣には矢車と、ZECTの制服をまとった渚の姿もあり、目の前で整列する兵士たちに緊張した表情を見せていた。だがその瞳にはおびえた様子はなく、むしろそれ以上に硬い意志と高揚を糧に、しっかりと両の足で立ち続けていた。

「われらに賛同し、一人の少年が立ち上がってくれた。その勇気に、我々も応えなければならない。彼と共に、我等も輝かしい成功を目指そう」

 大和の紹介で、渚の方に視線が集まった気がする。その中には期待だけでなく、年若い子供が重大な作戦に参加することへの疑心感や同情も混じっていて、様々な感情が渚に突き刺さっていく。

 だが、それらを全て受け入れ、渚はここに立っていた。

 最後に大和は、ニヤリと自信に満ちた笑みを見せつけ、兵士たちを見渡し告げた。

「諸君、健闘を祈る」

「ーーーハッ‼︎」

 

「ーーー時は満ちた」

 集まった反逆の同志たちに、瓦礫でできた玉座に腰掛けた織田が語りかける。兵士たちは堂々とした姿勢で、好きなように銃を構え、列も組まずに雑多に集まり、自分たちの頭領を見上げる。

「この戦いを持って、俺たちとZECTの戦いに一つの決着がつく。……その先に待っているのは、縛るものなど何もない真の自由だ。俺たちが待ち望んだ、輝かしい未来だ」

 織田の言葉に、兵士たちにどよめきが広がっていく。改めてそれを想像し、抑えきれぬ喜びの高揚が広がっていき、兵士たちは互いに顔を見合わせ、肩をたたき合い、感情を共有していく。

 ヒバリはその輪から離れ、遠い後方の壁に背を預けて腕を組みながら、反逆者たちの昂ぶっていく様を眺めていた。向けている視線にさしたる感情はなく、ざわめく男たちをただただ無表情でじっと見つめていた。

「欲しいなら自分の手で勝ち取れ‼︎ この戦いで生き残った奴が、勝者となる! てめーらの力で……自由と未来を掴み取れ‼︎」

「オオオオオ‼︎」

 男たちが勇ましく銃を掲げて吠える。低い雄叫びが重なり、ビリビリと大気を震わせる狂騒となって自身の心をさらに昂らせていく。覚悟を決めた戦士たちは死をも恐れず、固き意志を貫く一本の槍となっていくのだった。

「…………」

 ヒバリはそんな狂気じみた彼らから目をそらし、黄土色の空が広がる外を見やる。風はなくも不気味に濁り渦巻く空に言い知れぬ心のざわめきを自覚しながら、少女はそれを鋼の意思で塗りつぶして自分に言い聞かせる。

 ーーーボクは、ボクの望みを果たすだけ。

    他のことは、どうでもいい。

 だが何故だろう。これから赴く戦場にいるであろう、自分が冷たく突き放した少年の顔が脳裏に浮かび、自分の心をきゅっと締め付けるのは。

 

 

     †     †     †

 

 始まったか、と烏間は呟き生徒の一人がいるであろうZECTの本部がある方を見つめた。

 彼の目はいつも以上に険しく、ギシギシと握り締められた拳が、彼の心情を文字通り痛いほどにE組の生徒達に伝えている。ただ流されるほかになかった男の激情が、彼自身を痛めつけていた。

 そんな彼に、不安気な表情な茅野が近づく。

「先生……渚は、大丈夫なんですか……?」

「……分からん。俺も、何も聞かされていない」

 それしか答えることができず、茅野達の表情もだんだんと重く沈んだものになっていく。誰もが、寺坂までもが痛々しさを無理やり押さえ込んだような表情で、俯き気味に佇んでいた。

 何もできず知ってもいないなどそれでも教師かと自分自身を罵倒するも、状況は微塵たりとも好転したりしないことはわかっている。ただ遠くから見ていることしかできない状況と自分の不甲斐なさに、烏間は徐々に追い詰められていった。

 ーーーせめて、状況がわかりさえすれば……!

    俺は、なんと無力なんだ……‼︎

 神にも祈る気持ちで、烏間がそう思った時だった。

 ピコン、と軽い音が響き渡った。

『ZECTのサーバーに侵入成功しました♪』

「何ィ⁉︎」

 さらっととんでもないことをこともなげに言ってのけた黒い機械の塊に、どんよりしていた全員がババッと表情を変えて振り向いた。一大組織のコンピュータにさらっと侵入して見せた律は、「ふふっ」と自慢げに微笑んでいた。

 超高性能人工知能・律。E組に染まりきった彼女は生みの親に逆らったことをきっかけに、自分の信じる道を進むために多少のことはやらかす(・・・・)ようになり、E組にとっては非常に頼もしく、敵にとっては相手にしたくないほどに急成長していた。なっていた。

『ZECT本部における全ての映像・音声記録、計測結果、監視カメラ、その他諸々の情報をリアルタイムで閲覧できます♪』

「でかした律ぅぅぅ‼︎」

「ナイスだ萌え箱‼︎」

「おいよそからでかいモニター借りてこい‼︎ 理由はなんでもいいから‼︎」

 さっきまで鬱気味になっていた全員が見事な連携で動き始めた。委員長磯貝と片岡が筆頭として指揮をとり、寺坂、村松、吉田、糸成が機材を全速力で取りに行く。教室内の机と椅子を岡野、木村、不破、杉野、神崎、原、奥田、狭間の八人で全て運び出し、運ばれて来た機材を竹林と三村、菅谷で分担して繋ぎ、千葉と速水、岡島と前原がカーテンを閉めていく。茅野と矢田、倉橋が隠していた菓子をその上に広げるそばで、カルマと中村はなぜかスマホのカメラ機能をオンにした。

 いつも以上に完璧に取れたコンビネーションだった。思わず烏間とイリーナが言葉を失って呆けるほどに、全員がすぐさま自分の役割を見定めて動く見事な連携を見せていた。

が、この男はいつも通り何処かズレていた。

「あああ、寺坂くん達‼︎ 廊下は走らないでください‼︎ 杉野くんは机を引きずらないで‼︎ 茅野さん‼︎ お菓子は音の出ないものにしてください‼︎」

「映画鑑賞気分で国家機密を覗くな‼︎」

 明らかに注意する方向がおかしい超生物教師に突っ込む烏間だったが、くるりと振り向いた殺せんせーの表情に言葉を詰まらせた。彼は、小馬鹿にするときの緑のシマシマ模様ではなく、真剣な時に見せるいつもの顔色だった。

「…何はともあれ、これでようやく我々も当事者になれます。烏間先生も、必要以上にご自分を追い込む必要はありませんよ」

「…………」

 そう言われた烏間は一瞬言葉を失うも、気を遣われたと気づくとふっと笑い、モニターの前に集まった生徒達の方へと近づいていった。

「……場所を空けてくれるか? よく見えん」

 そう言って腰を下ろした同僚を、イリーナは仕方がない人だと肩をすくめて、殺せんせーは安心したように見つめていた。

 

     †     †     †

 

 戦況は、NEO-ZECT側が圧倒的に不利になっていた。

 襲撃を予測していたのか、ヒバリと織田たちが侵入した道にはすでに多数のZECT側の勢力が配置されており、ありえないスピードで包囲されていった。計算し尽くされた完全な待ち伏せの前に精鋭たちはみるみるうちに打ち取られ、数を減らしていった。

 チュンチュンとZECT勢の放った弾丸が足元で弾け、施設を盾に駆け回るヒバリと織田と風間を追い詰めていく。建造物のすぐそばの植え込みに駆け込んだ三人は身をかがめ、至近距離を突き抜けていく弾丸の軌跡を憎々しげに睨みつけた。

「これはっ……キリがないですね」

「クソ‼︎ やっぱ近づくのは至難だなァ‼︎」

「わかりきったことだろ‼︎ 舐めてんのか⁉︎」

 銃声の大きさに負けないように大声を出しているため、どうしても会話は罵り合うようになってしまっていたが、ヒバリもまた現状に苛立っていた。味方とはすでに分断され、目的の場所からどんどん引き離されている。

 チッ、と舌打ちして、どうにか突破口を開こうとベルトに手をかけた時。隣で荒い息をついていた織田がニッと笑いかけてきた。

「行けよ。ここは俺達が任される」

「!」

 思わず振り向いたヒバリは、自信に満ちた表情で見つめてくる織田達を何を言ってるんだとばかりに凝視する。

 ヒバリの視線に、織田は何もかも見通しているかのような小馬鹿にした顔を向け、ヒバリにニヤリと笑いかけた。

「アイツのところに行く気なんだろ。俺たちのことは気にせずに行けよ。若い二人の邪魔をするほど野暮じゃねぇし、させるほど劣っちゃいねぇよ」

「…………ん? あっ、ハァァァ⁉︎」

 一瞬だけ織田が何を言っているのかわからずに呆けるヒバリだったが、次第にその意味を理解し始めると同時に顔を赤くして大声をあげてしまった。事もあろうにこの男、自分があのガキに惚れているとでも言うつもりか。

「ふざけるな‼︎ そんなことあってたまるか、舐めるのも大概にしろ‼︎」

「いやいや…、じゃなきゃ女がこんなところまで命張りにきたりしねぇだろ。いや〜思わず俺も照れちゃうくらいにお熱いね〜」

「戦場にて熱く燃え上がる恋の炎……なかなか悪くありませんね」

「……っだからそれは……‼︎」

 慌ててそんな訳があるかと声を荒げるが、織田はニヤニヤと笑うだけでヒバリの反論をろくに聞きもしないし、唯一の常識人と思っていた風間までもが深く邪推してくる。頑なにこの男達は、 ヒバリが渚のために戦場に来たと思っているらしい。なんと言う迷惑な話だ。顔を真っ赤に染めたまま、ヒバリは内心で汚く毒舌を吐き続けた。

 とはいえ、このままこの場に固まっていても計画は止められないし、だれかが防衛陣を突破しなければならないのは確かだ。ヒバリは織田の意見に正当性を認めつつも、男女の仲を邪推してニヤニヤと笑うことをやめない男達の憎たらしさに苛立ちを隠せないでいた。

 だがふと、織田は真面目な顔でヒバリを見つめ、静かに語りかけた。

「……俺にとっちゃ、お前もアイツもただのガキだ。戦場なんかに来て、俺たち大人より先に死ぬなんざ認めねぇ」

「…………」

「こういう時くらい、カッコつけさせろ」

「風はただ来たりて去るだけ。これこそ私の生き方にふさわしい」

 押し黙ったヒバリの前で、織田と風間はそれぞれのライダーシステムのツールを取り出し、ゼクターを手元に呼び出して掲げる。その顔には、死を覚悟した戦士の表情が浮かんでいた。

その顔をしばし見つめ、やがてヒバリは目を背けた。

「……ボクにはボクのやることがあるだけだ。アイツは関係ない。……連れ戻すのは、ただのついでだ」

「素直じゃねぇ奴」

 最後まで邪推をやめない織田達にヒバリが背を向けると同時に、三人は一斉に別方向へ走り出した。ヒバリは細い建物の間を利用して駆け上がり、織田達は銃弾の飛び交う表へと決死の覚悟で飛び出して行く。その最中、織田は長く共に戦って来た戦友に笑いかけた。

「損な役回りをさせちまったか⁉︎ 恨んでもいいが頼むから化けて出てくるなよ‼︎」

「なんの、なかなか経験できませんよ。恋のキューピッド役なんて‼︎」

「そいつを聞けて安心したよ! 変身‼︎」

「変身‼︎」

CHANGE BEETLE(チェンジ・ビートル)

CHANGE DRAGON-FLY(チェンジ・ドラゴンフライ)

 相棒と共に、機械の鎧を纏った反逆者達は巨大な組織に牙を剥く。その手に自由を掴むために、そして淡い思いを抱きながら未だ自覚していない若い蕾を守るために。

 

     †     †     †

 

 ーーー何故だろう。

    この状況に恐ろしいほどに覚えがある気がする。

 筒状の装置に入れられ、その中で両手両足をがっちりと固定され、発射の時を今か今かと待っているこの状況に……渚は何故だか既視感を感じていた。隣にもう一人道連れがいないのが不思議に感じるぐらいだ。

 自分で言い出したのはそうだが、ろくな目に会う気がしない渚は早速自分の選択を誤った気がしていた。果たして、本当に自分は生きて帰ることができるのだろうか。

 内心で、尋常ではない量の冷や汗を流す渚、そこへ。

「…潮田 渚か」

 もう一つの装置の中に入り、決行の時を待っていた大和が不意に口を開いた。振り向いて顔を覗き込む渚をよそに、大和は虚空を眺めて口元を笑みに歪める。

「苗字も名も、我々にとってこれほど縁起のいいものはないな」

「…………!」

 渚は目を見開くと、面映ゆい心地で目をそらし微笑む。この男とは初対面で色々あったが、思えばこの作戦に並々ならぬ情熱と執念を燃やしていたのかも知れない。その反動だと思えば、あの時の傷は水に流せる気がした。

 そうだ、この作戦の成功の暁には、再び海を見ることができる。多くの人が、クラスメイトが救われ、明日とも知れない命の危機に怯えることもなくなることだろう。世界中にはびこるワームだって環境が変化すればおとなしくなるかも知れない、まさに大団円だ。

 もちろんそこまでうまくいくとは思っていない。土壌や生態系の回復、この先も止まらぬ資源の奪い合いと、その先には多くの困難が待っているはずだ。

 だがそれでも“希望”があるのなら、人はきっと前に進めるはずだ。

「…時間だ。衝撃に備えておけ」

「…はい」

 大和に促され、渚はもう一度気を引き締めた。

 その意気に応えるように、彼らのいる空間にアナウンスが響いた。

【Mission accepted. Countdown start】

 無機質なアナウンスが徐々に時を刻み、渚の心臓を強く脈動させていく。じっとりとした汗を背中に伝わせながらも、少年は表情を引き締め目的地であるはるか高い空を見上げた。

 

 時が、刻々と過ぎて行く。

 少年は仲間達との明るい未来を夢見て、それを掴むため。

 少女はかつて亡き兄と交わした約束を破ってでも、たった一人になってでも兄の仇を討つために。

 凄まじい勢いで施設の中を駆け抜けた少女は、あらかじめ隠し、一角に置いていたボロ布をつかんで一気に取り払い、その下に鎮座していた真紅のバイクを露わにさせる。同時にライダースーツと鎧を纏ったヒバリがカブト専用のバイクに跨り、アクセルを全開にして発進させた。

 重低音を聞きつけ、集まって隊列を組み始めたZECTの兵士達を前に、ヒバリはカブトゼクターの角を反転させ、表面の鎧をパージさせる。同時にバイクの装甲も前面が弾け飛び、弾丸のように飛んで兵士たちを一気に薙ぎ払っていった。

 真紅の装甲を纏ったヒバリは、部品を弾き飛ばして変形したバイクを駆り、ZECTの本部にある宇宙エレベーターへと向かっていく。邪魔をする組織の連中は躱し、雄叫びをあげた少女はただただまっすぐに目的の場所へと駆け抜けていく。

 全てを失い、全てを捨て、復讐に燃える少女が天高くそびえるその地へたどり着いた瞬間、無機質に時を刻んでいたカウントダウンが、0を指した。

 信号が配線を伝わり、渚と大和の乗るエレベーターを起動させると、渚の細い体に一瞬で何Gもの負荷をかけた。まるで大量の水を頭からかぶったかのような重量が一気に渚に襲いかかり、溺れたように呼吸が困難になる。

 渚は襲いかかるあまりの重圧に目を見張り、飛びそうになる意識を歯を食いしばって引き戻して耐え続ける。

 人類の技術を結集させた機械の船は慈悲もなく、少年に凄まじい苦痛を与えながら、遥か遠き宇宙(そら)の舞台へと連れていった。



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第14話 激突の時間

 地球の大気圏を越え、無数の星が瞬く広大な宇宙空間。

 そこに、ZECTが総力を挙げて設立したステーションはあった。巨大な四枚の太陽光発電パネルを羽のように広げ、昆虫のように広がったシルエットの純白の施設は、地上から伸びるエレベーターに縫いとめられる形で固定され、ZECTの本部を遥か上空から見下ろしていた。

 すると、ステーションとエレベーターの境目に光が灯った。登ってきた者が到着した証だ。

 チン、と普通のエレベーターと何も変わらない音とともに、銀色の扉が左右に開く。無機質な機械音を響かせた扉は中から二人の人間を吐き出し、再び閉じて沈黙した。中では重力を発生させる装置でも働いているのか、体が浮かぶようなことはなく地上と同じように動くことができていた。

 吐き出された二人のうち一人は、フラフラと疲労困憊といった様子で歩を進め、やがて限界に達したようにがくりと膝をついて項垂れた。固定されていたとはいえ強烈なGに耐え続けた四肢はプルプルと震え、呼吸は全力疾走した後のようになかなか治まらず、荒々しく咳き込む羽目になる。烏間先生の訓練がなければ途中で気絶していてもおかしくない、それほどの負担が渚に長い時間襲いかかっていた。

 しかしそんな渚とは真逆に、大和は汗さえ流さず呼吸一つ乱していなかった。軽い散歩の後のように涼しい顔でエレベーターから離れると、渚を待ってエレベータールームの出入り口で立ち止まった。

「……どうした。休憩でもしていくか」

「………いいえっ、だい、じょうぶです……‼︎」

 軽い挑発じみたハッパに渚は膝をついたまま首を横に降る。震える体に叱咤し、無理やりに体を起こして膝を立て、渾身の力で立ち上がる。

 細く華奢な体に似合わぬ根性と覚悟に感心したように、大和はニヤリと笑みを浮かべ、クイッと顎で行き先を示した。

「こっちだ。しっかりやり遂げるぞ」

 大和はもう振り向かず、渚は息を荒くしたままその後を黙ってついていく。足がすでに棒のようだが、じきに力を取り戻すだろう。暗殺教室で受けたハードな訓練は体を鍛えるだけではない、持久力・集中力を持続させるために体力を回復する呼吸法も学んでいるのだ。

 だがそれは、完全ではなかった。そして大和も、ある程度の疲労により注意力を欠いていたのかもしれない。

 彼らの乗ってきたエレベーターの横には、かの復讐に燃える少女が駆る、角の生えた真紅のバイクが停まっていたことに二人とも気づかなかったのだから。

 そのことに二人が気づいたのは、いくつかの扉を抜けてステーションの外側を通る通路に出た時だった。ようやく呼吸と心拍を正常に戻せてきた渚が改めて気合いを入れ直していると、先に扉の外に出ていた大和がピタリと動きを止め、進路方向に顔を向けて硬直していた。

「ーーーよう、遅かったな」

 その声に、訝しげに大和の背中を見つめていた渚は目を見開き、彼の傍から通路に飛び出して言葉を失った。

 渚達の行く道を遮るように、地上にいるはずのヒバリが壁に背を預けて佇んでいたのだ。小馬鹿にした不遜な顔で、冷ややかな笑みを浮かべたまま渚と大和を横目で見据え、通せんぼしていた。

「…………な、んで……」

 渚は混乱した。計画の邪魔であったNEO-ZECTは、遥か下の地上で待ち伏せしている精鋭部隊によって足止めされているはずである。たとえそれを突破したとしても、このステーションにたどり着く手段がエレベーターの他にあるはずがない。渚の知らない手段があったとしても、ZECTがそれを見逃すとはとても思えなかった。

 だが渚が考え込んでいる間にも、ヒバリは壁から離れてこちらへと近づいてきている。腰にはすでにベルトが巻かれていて、カブトゼクターもすぐ側に控えている。

 思わず身構える渚の前で、大和が横に手を伸ばして彼を制した。

「潮田渚……先に行け」

「! で、でも」

 ためらう渚の前で、大和は先ほどよりも好戦的で、獣のような獰猛な笑みをヒバリに向けた。

「この小娘は…………俺の獲物だ‼︎」

 吠えると同時に、大和は右腕を掲げてヒバリに突進していく。ヒバリは繰り出された拳を躱して後退すると、空中にいたカブトゼクターをつかんでベルトに装着し、すぐさま角を反転させる。大和のツールにもゼクターが張り付き、両者はそのまま互いの腕を激しく叩きつけた。

CHANGE BEETLE(チェンジ・ビートル)

 電子音声と共に、ヒバリと大和の右腕が徐々に装甲に包まれ、ライダースーツが全身を覆っていく。武具に似た名を持つ真紅の甲虫と半人半馬の怪物の名を持つ銅褐色の甲虫の戦士が起動し、青と緑の目がぎらりと光る。

「ああああああああ‼︎」

「ゼァァ‼︎」

 大気を揺らす怒号を発し搗ち合わせた腕を弾いて離れた両者は、凄まじい殺気を全身から噴き出して拳を構え、血に飢えた獣のように牙を剥く。貫手を放ち手刀を振り脚を薙ぎ、目の前の敵の首を狩らんと容赦なく急所を狙って何度も激突し、装甲同士をぶつけあわせて甲高い金属音を何度も響かせる。

 ヒバリと大和は猛攻の中幾度となく拳を合わせるが、ヒバリは決して下がることをせず通路の中央に留まり続け、渚達を背後の道へと抜けさせようとしなかった。宇宙空間にまでその身だけでたどり着き疲弊しているはずの少女のあまりの執念に、渚は動くことができずにいた。

「何をやってる⁉︎ 早く行けェ‼︎」

 だが、暴れるヒバリを押さえつけた大和が硬直する渚の方に振り返り、仮面の下から怒号を放つ。そのビリビリと震える声に、渚はハッと我に返った。

「…………‼︎ お願いします‼︎」

CHANGE STAG-BEETLE(チェンジ・スタッグビートル)

 叱責に背中を押され、表情を引き締めた渚がゼクターを手に掴んで走り出す。ベルトにガタックゼクターを装着し、装甲を纏う直前にガタックゼクターの牙を左右に展開すると、重装甲を省略して青い軽装甲の形態へと直接変身する。

 ヒバリは舌打ちすると大和を大外刈りの要領で押し倒し、壁に思い切り叩きつける。

「行かせるかァ‼︎」

 鬼のような形相で、横を通り抜けようとする渚に手を伸ばすヒバリだったが、伸ばしたその手は数ミリ先で空回る。

 ヒバリが渚の方を振り向き、その距離があと僅かになった瞬間。渚は両足をバネのようにしならせ、空中を軽々と飛んでヒバリの手を逃れていた。自身の頭上を乗り越えられ、流石に予想外だったヒバリの目が驚愕で見開かれる。

 しかしすぐさま我を取り戻し、背を向けて降り立った渚に追いつこうと背後に踏み出す。腰に下げたツールに手を伸ばすと苦無と組み合わせ、一丁の銃に変えて渚の足を狙った。

 だが、その手を大和が蹴り飛ばし、狙いのそれた銃弾は渚の横を抜けて壁に当たる。チュンと火花が散るのを横目に渚は振り向きもせずに通路を駆け抜けていった。

「くそッ‼︎」

 ヒバリは苛立ちに顔をしかめさせ、邪魔をした大和を鋭く睨みつける。向かってきた拳を大きく後ろに跳躍して躱すと、銃を手に外側の通路に背を預けて大和と相対する。

 ヤマトもまた苦無を手にすると、今度は先ほどとは逆にヒバリを奥へ行かせないように通路の中央に陣取って身構えた。

 すると、何かを考えたヒバリは目を細め、ニヤリと笑うといきなり銃を壁に向けて構えた。

 その意図を読み取ったヤマトは仮面の下で表情を変え、ヒバリが引き金を引くよりも先に内側の壁に駆け寄り、設置されていた非常用のボタンにガラスごと苦無の柄頭を叩きつける。それとほぼ同時に、ヒバリの銃が火を吹き、外ーーー宇宙空間につながる壁に無数の大きな穴を開けて見せた。

 内側と外側の気圧の差による気流が吹き抜け、まるで嵐の風のような勢いでヒバリと大和を引き摺り込む。たまらず二人は気流に飲み込まれ極寒の闇の中へと放り出されそうになりながら、かろうじて空いた穴の淵を掴んでステーションの表面にとどまる。

 ヒバリの赤い仮面が目の前に降り、機械の覆面が顔を覆っていく。ライダーシステムが呼吸機能を起動させるのを確認しながら軽く舌打ちする。本来外に放り出すのは大和ではなく渚のつもりだったのだが、意図に気づいた大和がステーションに備えられた非常用隔壁を作動させてしまったために、渚の元まで気流が起こらなかったのだ。

 それぞれで目の前の敵の頭脳の狡猾さをを忌々しく思いながらも、両者はベルトのスイッチを軽く叩いた。

CLOCK UP(クロックアップ)

 空間操作能力(クロックアップ)が発動し、無重力の中にいた二人をステーションの表面に縛り付ける。金属の板の上に降り立った二人は穴を挟んで互いに向かい合い、それぞれの武器を構え直した。

「…この際アイツは後回しでいい」

 壁に垂直に立ち、ヒバリは大和に銃を向けて口を開いた。大和は何も答えず、苦無を手に敵の一挙一動全てを見定める。

「お前を倒していけばいいんだからな」

 顔を完全に覆った仮面の下で獰猛に笑いながら、ヒバリは目の前の獲物を鋭く見据え、ダンッ!と引き金を引いた。

 

 通路を駆け抜けた渚は扉の開閉スイッチをバンッと叩くようにして押し、完全に開ききっていないうちに体を滑り込ませる。暗い部屋に入ると、事前に聞かされていた通りに施設内のスイッチやボタンを片っ端から起動させて行き、装置の目を覚まさせていく。

 そのうちの一つの通信機から、若い女性の声が届いた。

『ーーー潮田渚くんですね?』

「あっ……、ハイ!」

 突然声をかけられた渚は、そこにはいないとわかっていながらもついピンと背筋を伸ばして声のした方を向いてしまう。

 オペレーターらしき女性は小さく笑い声を漏らすと、緊張している少年に安心させるような穏やかな声をかける。

『落ち着いて……これから先は、私たちがあなたをサポートします。最終的な発動はあなたの役目ですが、座標やタイミングの指示は私たちが行います。安心して私たちを頼ってください』

「……ハイ」

 重低音を響かせる装置の中へ、渚は足を踏み入れていく。

 覚醒した装置の中は円筒型で、アンテナのような機械がびっしりと一面に生えており、渚が中央に立つと入ってきた扉が自動的に閉まり、渚を完全な密室の中へと閉じ込める。後に引くこともできなくなった渚はきっと表情を引き締め、目をスッと閉じると中央で仁王立ちして天井を仰ぐ。

 色とりどりの光が機械に入ったラインを走り、目を閉じた渚を照らし出した。

 渚の方からは見えないが、この時ステーションでは機材の一つが動き出し、宇宙空間のある一点に向けて照準を合わせていた。ガタックゼクターのクロックアップエネルギーを弾丸として射出し、宇宙空間に彗星を誘導する巨大な穴を開けるためだ。

地上からの操作で、この計画の重要な要たる存在を支えるための巨大な砲台が着々と動き始めていた。

「…………」

 渚は逸る気持ちを押さえつけ、腰のスイッチの上に手をおいて構える。

 チャンスは一回。クロックアップを最大限に発揮できる唯一のタイミングで発動しなければ、ZECTが長年かけてきた、そして人類を延命させる計画も全てが水泡に帰すのだ。この瞬間に、渚の一挙一動に全てがかかっているのだ。

 渚は深く深く呼吸を繰り返し、こわばった筋肉をゆっくりとほぐしていき、けれど緊張は解かぬまま、合図と共にいつでも手を当てることができる準備を整えておく。

 複雑すぎて意味もわからないほど高度な計器やモニターの数値が変動していく中、渚はじっとその瞬間を待ち続ける。

 そして、その時はきた。

 渚の目の前にあったランプが、強く赤色に点灯したのだ。

「ーーークロックアップ‼︎」

CLOCK UP(クロック・アップ)

 点灯した瞬間、渚はコンマ1秒のズレもなくベルトの右側を叩き、最強の出力を誇るゼクターの能力を発動させていた。空間を捻じ曲げ、あらゆる物理法則を無効化するシステムの力が、彗星の軌道を操るために凄まじいエネルギーとして放たれたのだ。

 その時だった。

 渚の体をドクンと強烈な鼓動が突き抜けて行くのを感じたのは。

「ぐっ…………ぅあああああああああああああああああああ⁉︎」

 バチバチと弾けていく雷撃の音と共に、ガタックの鎧を青い閃光が迸っていく。閃光は渚のいる装置全体に走り、展開しているアンテナの中へと吸い込まれるようにして装置に吸収されていく。

 すると同時に、エネルギーの渦が渚自身をも巻き込んで勢いを増し、ただでさえ疲弊していた少年はその苦痛に耐えきれず絶叫してガクガクと体を痙攣させた。装置はまるで渚自身からも力を吸い取るように出力を上げていき、みるみるうちに電撃による発光を強めていった。

 渚の悲鳴を混ぜながら、唸り声をあげた装置は吸い取ったエネルギーを蓄え、外部に展開した砲身へと集めていく。その砲口が、ゆっくりと眩い光を集めていった。

 渚は自分の指先から徐々に感覚が抜けていくのを感じ、薄れそうになる意識の中ででぼんやりと眩しい光を見つめていた。視界はぼやけ、もはや声すらもまともに出せない苦痛の中、なぜかそれははっきりと見えた。

 光の中で浮かぶ、自分がこれまで見てきた光景。クラスメイトたちと過ごした日々、困難や逆境に挑戦した思い出、達成した瞬間の記憶、そして、共に過ごした仲間の、みんなの顔。

 みんなが、渚を見つめていた。

「ーーーぁああああああああああああああああああああ‼︎」

 それら全てが、渚を完全に覚醒させた。

 咆哮を上げて痛みに耐える渚の脳裏に浮かぶのは、ただ一つの願い。

 ーーー帰りたい。

    みんなのもとに。

 その小さくも切なる願いに、最強の力を秘めた機械の甲虫は応えてみせた。放電の威力をさらに上げ、渚自身を青く発光させているかのように見せる。

 少年の気迫で勢いを増した凄まじいエネルギーを蓄え込んだ砲台は、次の瞬間設定したポイントに向けてクロックアップの力を撃ち放った。

 

ドォン‼︎

 

 エネルギーが何もない宇宙の一部に炸裂し、小さな穴を穿つ。だがそれは徐々に大きく育ち、ステーションをも飲み込みそうなほどの大きな空間の歪みとなって広がっていく。

 その歪みの奥から、淡く青い輝きが漏れた。穴の大きさに比べればとても小さく頼りないものの、十分に巨大な大きさを誇る氷の塊。

 待ち望んでいた彗星が、ゆっくりと道を通って地球に向かってきていた。

 その様を、ヒバリは大和と刃を交えながら目を見開いて凝視していた。

「…………遅かったか」

 するとヒバリは苦無を弾いて跳躍し、大和から距離をとった。肩から力を抜き、完全に戦意を解いて目の前の敵を見据える。

「……今回はボクの負けらしいな。潔く退くとしよう」

「…………」

 肩をすくめるヒバリに、大和は何も応えない。不気味に空間に空いた穴を見つめているのを訝しく思いながら、勝者の側である男を睨みつけた。

「でも今回で終わりじゃない。お前たちがどれほど強大になろうとも、必ずその首を落としに戻ってくる。そして忘れるな。この勝ちはお前たちじゃなく、アイツに譲ってやったんだ」

「…ああ、全くその通りだ」

 素直には負けを認めないヒバリに、大和がようやく口を開いた。だがその声に、ヒバリは何故かぞくりと寒気を覚えた。天を仰ぐ男の声が、どこか冷たいものを感じさせるものだった。

「本当に彼は……よくやってくれた」

 気味の悪い声で呟いたヤマトに嫌な予感を覚えたヒバリは、今もなお止まない悪寒の正体を探るため、彗星の方を見上げて観察する。

 そして気づいた。

 この男は、彗星など見ていなかったことに。

 

 任務を終えた渚は、ぐったりと装置の壁にもたれかかって荒く息をついていた。通信からは本部からの歓声が聞こえてきていて、大人たちが年甲斐もなくはしゃいでいるのがわかって笑が止まらなくなる。

 実際、渚も飛び上がって喜びたかったところだったが、長時間苦痛に耐え続けた体は言うことを聞かず、装置の中から出るだけで限界だった。

 しかしそれが苦にならないくらい、渚は達成感に満ち溢れていた。引きつった笑い声しか出なかったが、満足だった。

「……やったよ、殺せんせー。……また、勉強教えてくださいね……」

 師を思い、虚空につぶやく渚。あとはもう帰るだけだ。そうすればまた、賑やかで騒がしい学校生活が始まるのだ。

 最後の力を振り絞り、立ち上がろうとする渚だったが、そこでふと奇妙なものを感じた。先ほどまで聞こえていた歓声がいつの間にか止み、ドヨドヨと困惑したようなざわめきが通信機から漏れていた。

 訝しく思っていた渚が通信機の方へと近づいた時、彗星を映していたモニターがなんとなく視界に映った。

 彗星と空間の空いた穴を前面に移したモニターだが、ふと疑問に思う。この穴は一体いつ消えるのだろう、いつまでも開いたままでは別のよくないものまで入ってきてしまうのではないだろうか、そんなことを思いながら、渚はモニターから目を離せなかった。

 なぜか、冷や汗が止まらず、落ち着いたはずの動悸が激しくなりかけている。作戦は成功したはずなのに、なんなのだろうかこの嫌な予感は。

「…………え?」

 そこで渚は、ようやく気づいた。

 空間に穿たれた穴はもうとっくに消えていることも、見えていた穴のようなものは全く違うものであったことを。

「……なん、だ、これ……」

 それはあまりに巨大で黒く、そこの見えない穴と見間違わんばかりに圧倒的な存在感を放つ物体だった。それがようやく穴の中から全貌をあらわにして初めて、渚はそれの正体に気づいた。

 現れたのは、巨大な岩の塊。黒々とした歪な塊が、空間に空いた穴を通って地球の前に降臨し、ゆっくりと近づきつつあった。

 彗星を軽く超えるほどの、かつて恐ろしい予言を残した男を思い出させる、希望をたやすく塗り潰すほどの巨大な絶望が、地球を覆い尽くそうとしていた。



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第15話 絶望の時間

 そこには、絶望があった。

 空にぽっかりと穴が空いたのかと思えるほど真っ黒なそれは、青く輝く惑星に向けてゆっくりと距離を詰めてきていた。街一つ飲み込めるほどの巨大さで圧倒的な存在感を放ち、ゆっくりと降りてくる隕石は、まさに恐怖の大王と称するに相応しかった。

「…………なん、だ……これ………」

 思わずモニターにしがみつき、画面全体を覆うその塊を目の当たりにした渚が呆然と声を漏らす。

 何故こんなことになった? 何を間違えた?

 答えを求めようとも答えてくれるものはこの場には一人もいない。巨大隕石の出現によって通信機の向こう側も混乱し、誰一人として渚に注意を向けている余裕がなくなっていた。今渚は、広い宇宙の真ん中で完全な孤立無援となっていた。

「……僕の、せいなの……? 僕が……僕が……⁉︎」

 一人になってしまった渚の心にポツリと一つの考えが浮かび、墨を落としたようにじわりじわりと広がっていく。黒い考えは少年の未熟な心を汚し、味方のいない彼を自己嫌悪と罪悪感の渦の中に巻き込み、呑み込んでいく。

 カタカタと震える少年は頭を掻き毟り、髪が数本ぶちぶちと千切れるのにもかまわず自身を痛めつけていく。呼吸は定まらず、冷や汗がびっしょりと背中を濡らして汚していった。

 焦点の合わなくなってきた視界の中で、巨大隕石は彗星に徐々に追いつき、背後からその圧倒的な質量で押しつぶしていく。氷の塊が徐々に砕け、宇宙の闇の中に細かい粒となって消えていく様に、渚の精神はついに限界にたどり着いた。

「や……やめて……! やめてよ…………‼︎」

 渚の懇願に応えるはずもなく、巨大隕石は彗星をすり潰し、そして衝撃とともに飲み込んでしまった。

 すがるように伸ばされた渚の手を、残酷に振り払って。

「ぅあ………うあああああああ……‼︎」

 少年の意識は、それきりぷっつりと途切れた。

 

 彗星が弾けた波動は容赦なく周囲にも影響を及ぼし、ステーションの外に立っていたヒバリとヤマトにも強烈な衝撃波となって襲いかかった。

 ヒバリは我が身を吹き飛ばさんばかりの衝撃に、金属の板に苦無の刃を立てて耐え、同じくステーションの壁に捕まる大和にキッと鋭い視線を向けた。

「お前……‼︎ 何だあれは⁉︎ まさかあれもお前たちの望んだ結末なのか⁉︎」

 怒りを露わにし、何の狼狽も見せない大和に詰問すると、男は巨大隕石を見上げたまま仮面の下でククッと含み笑いをこぼした。

「彼は本当によくやってくれた……これ以上ないほど最高の結果を伴ってな‼︎」

「……本当に、これが狙いだって言うのか……‼︎」

 拳をブルブルと震わせ、ヒバリはついに激昂した。

「こんなことをさせるために、お前たちはアイツを利用したのか⁉︎ アイツに、引き金を引かせたのか……⁉︎」

 あまりにも残酷すぎる真の目的とそれに巻き込まれた渚を思い、ついにヒバリの感情が爆発する。もはや隠す気もない殺意と戦意を全身から迸らせ、満足げに、そして冷酷な笑みを浮かべている大和に苦無の切っ先を向けた。

「ふざけるな……‼︎」

 憤怒の形相に変わったヒバリが、崩壊しかけているステーションの上を疾走する。ヒバリに気づかないでいる大和に接近しながら、カブトゼクターの角を反転させて胴体のボタンを順に押し、再び角を反転させる。

【1,2,3. RIDER KICK(ライダー・キック)

「ハァァァァァァァ‼︎」

 右脚を鎌のように振るうヒバリの一撃が、隕石を見つめていた大和の首に断頭のように炸裂する。仮面を砕くほどの威力を誇る回し蹴りにより首の骨が一撃で砕かれ、ボギンッ‼︎ と嫌な感触がヒバリの足に伝わるが気にせず、脱力した大和の体をそのまま蹴り飛ばした。

 だが、必殺の一撃を受け、瀕死の重傷を受けてもなお、砕けた仮面の下で大和は、笑みを決してやめなかった。

「……我が身は……ZECTと、共にあり……、栄光あれ……‼︎」

 口から血を吐きながら組織への凄まじいまでの忠誠を述べて、大和は宙へと投げ出される。破損した装甲から火花が散って閃光が走り、ヒバリが背を向けて走り出した瞬間。

 大和は装甲ごと爆散し、崩れたステーションを真っ赤な光で照らし出した。命令を忠実に実行しきった男の、あまりにも潔すぎる最期だった。

 それを振り返ることなく足場の危ういステーションの上を走りながら、ヒバリはこの自体を防げなかった己の不甲斐なさを呪い、きつく歯をくいしばる。それでも自分をしっかりと持ち直し、内部のある場所を目指して駆け抜けた。

 すでにほとんどの機能が意味をなしていないステーションの通路を駆け抜けると、奥にある施設の中へと無理やり侵入する。そして、そこで両膝をついて項垂れている少年の姿を目にすると、すぐさま駆け寄って肩に掴みかかった。

「しっかりしろ‼︎ おい、渚‼︎」

 強く掴み、揺さぶるも渚は一言も応えない。ただ壊れた人形のようにグラグラと揺れ、ブツブツと小さな声で何かを呟くばかりだ。

 ヒバリは「くっ…!」と悔しげに声を漏らし、一言断ってから渚の体を肩に担ぐ。重すぎる罪を真っ向から背負ってしまい、限界を迎えた少年の姿はあまりにも脆く、少しの衝撃で壊れそうなほど儚げに感じた。

 少なくとも心の中では案じていた少年がそれほどまでに追い詰められていたことに、ヒバリは一人罪悪感に苛まれながら外へ、地上へと急ぐために愛機の待つエレベーターの方へと足を向けた。

 もうこの少年は傷つけさせない。歯をきつく食いしばったヒバリは、懐からイヤホン型のツールを取り出し、叩くようにして電源をつけた。

「織田ァァァァァァァァァァ‼︎」

 万が一にと用意していた通信機に、ヒバリは怒鳴りつけるように声を張り上げた。

 

     †     †     †

 

 織田の元にその通信が入ったのは、風間とともに乱闘を繰り広げ、多くの犠牲を出しながらも最後のZECTの兵士を斧の一閃で斬り捨てた直後だった。残るは目の前にいるザビーを纏った矢車のみ、そう思っていた時の不意のことだった。

 ザザッとノイズが走って耳によく知った声が届き、織田は矢車から注意をそらさぬまま通信機を口元に近づけた。

「どうした、ヒバリ。こっちは今取り込み中だぞ」

『ーーーだ‼︎ 今す…にそこからは……ろ‼︎ ZE………計画はし…ぱいした‼︎』

 だが、ノイズが酷すぎてうまくヒバリの声を聞き取れない。唯一、失敗という不穏な言葉だけが聞き取れたが、それ以外がノイズに邪魔されて不安が募るばかりだ。銃で牽制している風間も訝しげな目を向ける中、矢車はくつくつと笑い声を漏らしていた。

 仮面の下で眉をひそめた風間が、不審げに視線を向けた。

「……何がおかしいのですか?」

 質問を受け、矢車はゆっくりと顔を上げた。仮面で表情は見えないが、間違いなくその下では気味の悪い笑みを浮かべている、と感じさせる不穏な雰囲気を放っていた。

「なに、我々の任務が完了したのだとわかったもので、ついな」

「⁉︎」

 思わぬ答えに、風間と織田は目を見開いた。

 矢車はくつくつと笑い続けたまま、近くの柱にもたれかかるようにして背中を丸める。心底おかしくてたまらないといった様子で、ペラペラと口を開いて語り出した。

「我々はもともと彗星になど興味はない。人類救済という大義名分を使ってこの計画のための予算を確保し、真の計画を実行するための建前だったのだよ……‼︎」

「なん……ですって」

 箍が外れたように語り出した矢車の言葉に、嫌な予感がした風間が銃を持つ手に力を込める。しかしそれ以上に、斧を持つ織田の手がブルブルと大きく震えていた。

 それに気づかない矢車が、いよいよ二人を嘲るように見やった。

「あの少年もお前たちも見事に踊ってくれた……‼︎ 利用されているとも知らず、健気に配役を果たしてくれたよ、我々ZECTの思惑通りにね‼︎ …これこそが俺の望んだ結果……完全作戦(パーフェクトミッション)だ」

「てんめぇぇぇぇ‼︎」

「ぐぅっ⁉︎」

 織田は斧で矢車を押さえつけ、柱に背中から叩きつける。刃を首筋に押し付けたまま、雄叫びとともに渾身の力で押し抜く。

 ズバッと刃が一閃され、抵抗していた矢車が一瞬ビクンと痙攣する。ザビーの装甲が崩れ落ち、だらんと両手を下げた矢車はゴプッと血を吐くと、荒い息をつく織田の前で声もなく倒れ伏した。

「ハァッ……ハァッ……クソッ!」

 悪態をつきながら、天を仰ぐ。

 ヒバリが何を焦っていたのかはわからない。だが、予想外の事態が起こっているのは確かだ。

 事態が自分の知らないところで動いているのは、ZECTにいた頃を思い出させてどうにも気に入らない。忌々しげに舌打ちしながら、背後で佇んでいる風間に背を向けたまま促した。

「チッ……何が何だか分かんねぇが仕方ねぇ。風間、一旦ヒバリと合流するぞ」

「…………」

 しかし、風間から返事はなかった。

 銃を持った手をだらんと下ろしながら、織田の背後で突っ立ったまま動く気配すら見せなかった。

「…おい、風間?」

 不審に思い、振り向いた織田の前で、無言で佇んでいた風間のシルエットが不意に崩れ、青い蜻蛉の装甲が破片となって砕け散った。まるで風に溶けるように生身の姿に戻った風間はぐらりと体を傾け、糸の切れた人形のようにその場に倒れ伏した。

「なっ……」

 ピクリとも動かない風間の体からはどくどくと赤い血が流れ出し、織田の足元まで濡らしていく。織田はその光景に目を見開き、氷のように硬直して目の前の存在を凝視した。

 だがその視線が向いていたのは風間の亡骸でも、流れ出す夥しい量の血でもなく。

 その奥で一人佇む、見たことのないライダーだった。

 コーカサスオオカブトムシに似た仮面には左右にも大きな角が生えていて、輝くのは深海のような青い瞳。肩にも角のような装甲が装着されており、全体を汚れ一つない黄金色が飾っている。織田からは見えなかったが、その腰の左側には白い奇妙なゼクターが装着されていて、不穏な存在感を放っていた。

 気配すら感じさせずに現れたそのライダーは、織田を全く見ることなく手に持った青い薔薇を弄び、静かに佇んでいた。まるで獲物を仕留めた余韻を愉しむかのように、満足げに虚空と薔薇を眺めていた。

「お前……まさか、お前が……⁉︎」

 我に返った織田は、戦友を一切気取られぬ内に仕留めたライダーの姿に、一度聞いた話を思い出す。

 ZECTが秘密裏に“飼っている”という、黄金のゼクターを操るライダーがいると言う話。その御技はまさに刹那に終わり、当時最強と呼ばれた黒のライダーすら一太刀で屠ったと言われる脅威の存在。

「お前が黄金のライダーか‼︎」

CLOCK UP(クロック・アップ)

 所詮噂だと本気にもしていなかったその存在と目の前のライダーは、完全に特徴が一致していた。

 しかし、戦友を殺された織田に考える余裕はなかった。怒りで頭に血を昇らせた男は斧を振りかざし、友の仇に襲いかかる。加速を加えた斬撃が、余裕で佇む敵の首を両断せんと風を切る。

 はずだった。

「ーーー‼︎」

 斧を振るった織田の身体が、不自然に停止する。同時にその鎧からは激しい火花が咲いて装甲の破片が飛び散り、耳障りな金属の破砕音があたりに響き渡った。

「……なん、だと……⁉︎」

 刃の先に黄金のライダーの姿はなく、現れた時と同じように音もなく織田の背後に立ち、青い薔薇を弄んでいた。先ほどの風間と同じように、獲物を仕留めた余韻に浸るように。

 硬直した織田の手から斧がこぼれ、破壊された装甲が崩れていく。ゼクターまでもが衝撃で完全に破壊され、力を失って倒れた織田とともにぽとりと落ちた。

 血を吐きながら織田は天を見上げ、そこにいるであろう少女のことを思う。

「……悪ィ、ヒバリ……。後を……頼む……」

 決して届かない最後の言葉を残し、力尽きた織田はがくりと事切れる。

 物言わぬ骸となった男には、一輪の青い薔薇が手向けられた。



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第16話 真実の時間

 ZECTの本部は混乱の渦に落ちた。

 長い時間をかけて入念に練られ、何度も計算とシミュレーションを繰り返してきたはずの天空の梯子計画が、想像だにできない最悪の結果を導き出してしまったのだ。その混乱は、経験豊富なオペレーターたちを持ってしても持て余す衝撃を持っていた。

「巨大隕石、落下を確認‼︎」

「このままではあと数十分後に地表に接触します‼︎」

 表面上は落ち着いているが、内心では尋常ではないほど焦っているオペレーター達が忙しなく報告する傍で、幹部の一人である田所は険しい顔で本部を一瞥する。眉間にしわを寄せると、部下たちに向ける指示を脳内でピックアップしていった。

「隕石落下の正確な接触までの時間を算出しろ! 接触後の被害も測れ、急げ‼︎」

「りょ、了解‼︎」

 冷静に命令できる人間がいたおかげで、ZECTの本部はようやくまともに機能を再開した。田所の指示で各々がなすべきことを見出し、求める情報が整理されて冷静な雰囲気が形成されていく。

 だがその時、流れを断ち切る耳障りな金属音が鳴り響いた。

『ーーー全国民の皆様に、お話しさせていただきます。私はZECT総帥、加賀美陸です』

 自分たちの最高位の上官であり、実質上の人類の支配者である加賀美の声に、ZECTの面々は皆戸惑ったように顔を見合わせ、ざわざわとささやきあった。放送はZECTだけではなく、全国に向かって放たれたもののようだが、いったいこの非常時に何を伝えると言うのか。

『ZECTが進行していた天空の梯子計画は、残念ながら計算外の出来事により失敗しました。現在地球に、巨大な隕石が落下しようとしています』

 田所は目を見開いた。そんな情報を拡散しては、パニックになった人々が暴動を起こす可能性もある。ただでさえ不安定な世界にそんな爆弾のような言葉を投下すれば、とんでもない災害が起こるに違いないと言うのに、何故こんなことをするのか。

 しかし加賀美は一切声を乱すことなく、放送の向こうで穏やかなセリフを並べていた。

『ですがご安心ください。ZECT本部より発射するミサイルにより、巨大隕石を破壊します。破片が落下する可能性もありますので、皆様は落ち着いて、後ほど指示する場所へと避難してください』

「ミサイルだと………馬鹿な‼︎」

 田所は吐き捨てるように言い、拳をデスクにガンッと叩きつけた。オペレーターの女性は声を荒げる田所に怯えながら、恐る恐る尋ねる。

「……あ、あの、本当のことなんでしょうか? あんな巨大なものを破壊するだなんて……」

「…無理だ。今の人間の科学力で、あれを破壊するだけの兵器は生み出せるはずがない。……ハッタリじゃ済まされんぞ……‼︎」

 拳を握りしめて、総帥に怒りをたぎらせる田所。

 その側で、オペレーターの女性がハッとなったように口元を手で覆った。

「…まさか、全て計算のうちだった……のでしょうか?」

「…………」

 田所はその疑問に、答えることはできなかった。

 

     †     †     †

 

 ZECTの本部から遠く離れた廃工場、そこに二つの人影があった。人影の片割れである渚は膝を抱え込み、工場の隅の影の中でただ一人うずくまり、ピクリとも動かない。

 愛機でなんとか大気圏を越え、地上へと帰還したヒバリは根城にしていたそこへ渚を引っ張っていき、なんの反応も返さない彼を放置して距離を置いた。

 そしてイヤホンを手に取り、NEO-ZECTのメンバーに片っ端から通信を繋げようとする。しかしノイズが走るばかりで誰一人応答せず、苛立ったヒバリは「クソッ‼︎」と悪態をついてイヤホンを地面に叩きつけた。

 予想はしていた。本部から逃げる際も追撃に会うことはなかったし、味方にも遭遇しなかった。よくて相討ち、もしくは現状に反逆者どもに関わる余裕がないのだろう。好都合だが、どこかヒバリの心のすみには遺恨が残っていた。

「…ボクらはどうやら、あいつらにいいように使われたらしいね。大和のあの感じ、NEO-ZECTの連中もさしたる障害じゃなかったってわけか」

 ヒバリは恐らく真実に近い推測を述べるが、渚から反応はない。イライラし始めたヒバリは、じっと渚の方にきつい視線を向けた。

「…………いつまでそうやっているつもりかな」

 険しい表情のまま、ヒバリはうずくまったままの渚に問いかけた。苛立ちのせいで声には棘が目立ち、怯えたように渚はより小さく体を丸め、外からの干渉を拒絶した。

 ヒバリはキッと目を鋭く尖らせ、渚の襟元を掴んで引っ張り上げる。脱力したままの少年の顔を自分の目線の高さまで引き上げ、燃え上がった激情のままに虚ろな顔に怒鳴りつける。

「そうやって奴らに利用されたまま、泣き寝入りでもするつもりか⁉︎ 自分のやったことを後悔するだけで、このまま黙って死ぬのを待つつもりか⁉︎」

 ガクガクと揺らし、人形のようにいいようにされている渚にヒバリは怒りをぶちまける。自分で立つこともできずにいる少年の体を支えるのは確かな苦痛だったが、荒く息を吐いて興奮しているヒバリは気にも留めなかった。

 そんなヒバリは、聞こえてきたかすかな声に我に帰る。力なく揺らされる渚の頬を雫が伝い、力なく開いた口がわずかに動き、かすれた言葉が何度も何度も繰り返されていた。

「…………なさい……………ごめん……なさい…………」

 何もない空を見上げ、虚ろに開かれた目からはとめどなく涙をこぼし、痛々しく壊れた音楽再生機のように繰り返される自責と慚愧の言葉に、ヒバリは熱くなっていた自分の体が急激に冷えて行くのを感じた。思わず手から力が抜け、宙吊りにされていた渚がどさっと落ちる前で、ヒバリは自分の体を抱きしめるようにして後ずさっていく。

「違う……違うんだよ、渚……ボクは、ボクはそんな意味で言ったんじゃない……」

 じりじりと距離をとって行くヒバリ。だがどんなに間を開けても、渚が漏らす謝罪の言葉は途切れることなく、ヒバリの心に深々と突き刺さった。

 頭を横に振ったヒバリはふらふらとよろめきながらその場を離れ、廃工場の朽ちた扉から出て行く。芯を失ったように力なく歩み続けるヒバリは渚の前から自身を隠し、壁に背を預けてズルズルとうずくまる。

 顔を手の甲で覆ったヒバリはしゃくりあげるように引きつった呼吸を繰り返し、ワナワナと肩を震わせながら唇を噛む。血が滲むほどに握りしめた拳をガンッ‼︎ と壁に叩きつける。

「ぅあああ……‼︎ あああああああああああああああああ‼︎」

 己の不甲斐なさを呪うように、かつて兄を目の前で喪った時と何も変わらない弱い自分を嘆くように、少女はまるで獣の咆哮のような慟哭を響かせた。

 

     †     †     †

 

「…ヤコブは、天から地へと至る梯子を夢見た。……彼には悪いことをしたが、我々に残された道はこれしかないのだ」

 深く椅子に背中を預け、天井を仰いだ加賀美は誰に向かってかそう呟き、ハァと息を吐いた。騙すような形をとったが、彼は失敗することなく任された任務をやり遂げたのだ。本来の計画通り、これで全人類は救われる(・・・・)のだから。

「誰かが蹴落とされることもなく、犠牲になることもなく、平等に終わりが訪れる。……よき、終末が訪れんことを」

 加賀美は目を閉じ、枯れきった老木のような顔の前で指を組み、祈るようにこうべを垂れた。

 思い浮かべるのは、若き日の自分と息子の姿。まだ7年前の悲劇が起こる前の、幸せだった時の光景。

 世界が炎に包まれ、徐々に滅びへと向かっていく最中、我が子と妻は急激な環境の変化に耐えられず、たった一人家族を残して程なくこの世を去った。悲しみにくれる父は、大切なものを全て喪ってなお、生き残ってしまった。

 人々の暮らしを守ってきた父は後を追うことは選ばず、全ての人を救う道を探し、そして選んだのだ。

「……新。私も、もうすぐそっちに逝くぞ……」

 全てを喪った男は、遠い地にいる家族の姿を夢見るのだった。

 

     †     †     †

 

 ごうごうと不気味な風音を響かせる黄土色の空の下、ヒバリは崩れかけたビルの上に立っていた。

 いつもと変わらないこの汚い空の向こう側には、今まさに全ての命を奪いとる巨大な絶望が迫ってきている。人が到底抗うことのできないほど大きな災いが、ゆっくりと舞い降りようとしているのだ。

 街を見れば、人々が不安と混乱に騒ぎ始め、ワームの影が見え隠れする道の真ん中で右往左往している。ZECTの放送を信じられず、理不尽な災害の訪れに他人に当たり散らす者もいれば、意味もないのに地に跪き天に祈っているものまでいる。醜い人の本性の現れたまさに地獄のような有様だ。

 そんな者たちを冷ややかに見つめながら、ヒバリはため息をついて視線を再び上げる。

「……結局、こうなっちゃうのかな。うまくいかないよ、本当に」

 痛む胸を押し殺し、ヒバリはゴクリと唾を飲み込む。そして一歩踏み出そうとした時、背後からぬるりとした気配が近づいた。

「…………僕も、行く」

「……‼︎」

 形容しがたい、闇をまとったかのような不穏な気配を放った渚が、目を見開くヒバリの横に立った。俯いた顔は見えず、ただ前髪の隙間からギラギラとした目が覗いている。

 ヒバリは一瞬で察する。

 ーーーああ。

    この子は死ぬ気だ。

    命を投げ出してでも、最期まで刃を手放さない気だ。

「……そんなことをしても、誰も喜ばないよ。ただ死にに行って、苦しい思いをして、ただ死ぬだけだ」

「でも、君は行くんでしょ。あそこに」

 ヒバリはその言葉を否定しなかった。どんな理由があろうと、結果的には渚と同じことをやろうとしていたのだ。それを言われては、ヒバリに渚の覚悟を否定する術はなかった。

「君は、何も悪くないんだよ? 罪があるのは、みすみすあいつらを止められなかったボクの方だ。ボクは君を責めない……誰にも責めさせたりしない」

「…………そんなことは関係ない。僕は人を殺す引き金を引いた。それは変わらない……だから」

 どろりと濁った目を上げ渚は、自分の感情を捨てた修羅は、抑揚のない声で答えた。

「死ぬまで戦う。この身が滅ぶまで」

 もう、渚の心にヒバリの言葉は届きそうになかった。自身への罪の意識、贖罪の覚悟、そして傷ついた心はもう、以前のような純粋さを失っていた。

 ヒバリはそんな渚から、目を背ける他になかった。見続けていれば、自分の心までも傷ついてしまいそうで、そんな弱いままの自分から、目を背けるように。

「……なら、最後に一つだけ言わせて。死なないで、渚」

 ビルの上に二人並んで立ち、行くべき道を見つめる。互いの顔を見ないようにしていて良かったと思いながら、ベルトに手をかける。

 そして同時に思う。

 ーーーああ、本当にうまくいかないことばかりだ。

 そして二人は、考えることをやめた。

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ‼︎」

HENSHIN(ヘンシン)

 咆哮とともに、渚とヒバリはビルの上から飛び降り、壁を垂直に走りながら加速した。舞い降りたゼクターたちをベルトに装着し、機械の鎧を纏って着地し、大量の砂塵を巻き上げながら疾走する。

 肉体への負担など考えないただ全力の爆走で、悲鳴がこだまする世界を駆け抜けた。途中、ワームに襲われる人々を視界に入れ、渚が前に出た。

 鋼鉄の装甲でワームを殴りつけ、バルカン砲を発射して一掃し、襲いかかるワームを片っ端から潰して疾走する。容赦無く鉄腕を振るい、我が身に向かう反撃も物ともせず次々に敵を屠って行く。

CAST OFF(キャスト・オフ)

 ガタックゼクターの牙を左右に引き、重装甲を弾丸のように打ち出した後、肩に装備された双剣を掴んで風のように振るうと、ワームたちは急所を討たれて一撃で倒れて行く。

 いっそ慈悲深く、痛みなく屠って行く渚のその様は、まるで命を刈り取る死神のように見えた。

 ヒバリはその姿に危うさを感じながらも、自らも鎧をパージしてワームたちにぶつけ、苦無と銃を持ち替えて襲いかかる敵を返り討ちにしていった。

 その場にいたワームが全滅し、静かになったのはそれから程なくしてだった。人々は自分が生きていることを信じられないような気持ちで顔を見合わせ、そしてその奇跡を生み出した二人の少年少女を畏怖と恐怖の混じった目で見つめた。

 尻餅をついて倒れる、間一髪で命を救われた男は驚愕に目を見開き、髪を風になびかせるヒバリを見つめた。天使のように美しい顔立ちなのに、頬に付着したワームの体液が全てを台無しにしていた。

「お、お前ら……いったい……」

「…ただの、罪人だよ」

 無愛想に答え、先を急ごうと踵を返すヒバリ。ここへよったのはただのついで。道の途中で邪魔なワームがいたから、叩き潰してそこにいたものも助かっただけ。ただそれだけだ。

 これ以上関わる必要はないと、その場を後にしようとした時だった。周りから恐る恐る覗き込んでいた人々を押しのけ、一人のボロボロの格好の男が前に出て、渚に向かって震える指を突きつけた。

「こ…こいつだ! こいつが失敗したせいで、あの隕石が落ちてきたんだ‼︎」

 その男が発した言葉に、渚とヒバリを遠巻きに見つめていた者たちは表情を変え、一様に厳しい眼差しを向け始めた。

「なっ……」

 いきなりのことに、ヒバリは険しい表情で言葉を失い、渚はぎゅっと拳を握りしめて俯いた。

 見ればそう言った男が纏っているのは黒いコンバットスーツのような武装一式。ボロボロではあったがたしかにZECTの武装兵が纏っていたものに違いなかった。乱闘の中、かろうじて生き残ったもののたった一人なのだろう。

「天空の梯子計画の最後の最後で、こいつがしくじったんだ! こいつが失敗したせいで、俺たちはみんな死ぬんだ……全部こいつのせいなんだ‼︎ クソッタレ‼︎」

「お前……!」

 悪意のある醜い責任の押し付けをするZECTの生き残りに、ヒバリは黙らせようと苦無を手にずんずんと近寄って行く。元の原因は自分たちだというのに、巻き込まれた存在の渚を責めようという腐った心が許せなかった。

 だがその途中、周囲から覗き込む人々からヒソヒソと疑う声が聞こえ始めた。皆一様に渚を見つめ、ある者は恐ろしいものを見るように、ある者は憎い仇を見つけたかのような恐ろしい目を向けて行く。

 それは違うと弁明しようとしたヒバリだったが、口を開くよりも先に渚の頭にガツッと硬いものがぶつかった。

 よろめいた渚が振り向くと、そこには憤怒の表情を浮かべた人々が、片手にたくさんの石や瓦礫の塊を抱えて立っていた。若い娘や老人までもが渚を鋭く睨みつけていて、その突き刺さらんばかりの視線に渚は声を失った。

「この疫病神が‼︎」

「死んで詫びやがれクソガキ‼︎」

「みんなお前のせいだ‼︎」

「…………‼︎」

 人々は口々に怨嗟の声をあげ、渚に向かって抱えた石飛礫を投げてくる。震えるだけで反論もできない少年に、好き勝手に罵りながら醜い狼藉を働き続けた。

「やめろ、お前ら……‼︎」

 面と向かって放たれた憎悪に満ちた言葉に、渚は顔を一瞬で青ざめさせ、ガタガタと震えながら頭を抱えて後ずさった。抑え込んでいた罪の意識が渚の心を再び突き刺し始め、立ち上がった身体から前へ進む力を奪っていく。

 ヒバリは渚の体を抱え込み、その身で礫から守る。やめさせようと声を張り上げるも人々は止まらず、やられるままの渚たちに根拠なき憎しみをぶつけていく。事情も真実も知らない民衆の悪意は、ただでさえギリギリ保たれている渚の精神を容赦なく傷つけ、自身をも傷つけるより深い心の闇へと追いやっていった。

 だがそれは、不意に途切れることとなった。

「ぎゃあああああああああああああああああああ‼︎」

 背後から聞こえた断末魔の悲鳴に、石を投げていた人々が手を止めて振り向く。そして一斉に顔を青ざめさせ、礫を放り出してその場から蜘蛛の子を散らすように逃走し始めた。

「ワームだァァ‼︎」

「逃げろ‼︎ 食われちまう‼︎」

 口々に叫んで逃げ出していく人々だが、群れた騒がしい人間達はワームにとって格好の獲物にしか映らない。渚をかばうヒバリの目の前で次々に捕食され、鮮血を辺りに散らして恥肉を撒き散らしていった。

 ヒバリは息を呑み、燦々たる光景に唇を噛む。人が死んだことよりも、人間の醜く抗いのたうちまわる最後の姿に言葉を失っていた。

「……これが、ボクらの望んだ結末なのか? わかんないよ、お兄ちゃん……」

 渚をぎゅっと抱きしめ、ヒバリはここにいない兄に答えを求める。どんなに戦っても、決して認めようとしないものたちに、救う価値など本当にあるのだろうか。

 迷うヒバリ。そんな彼女たちに、人々を食い尽くして戻ってきたワームたちが近寄って行く。口元を赤黒く汚した異形たちは、ギチギチと歯を鳴らして徐々に距離を詰めていく。

 ヒバリは渚を背に庇い、苦無を手にワームたちを鋭く見据え、駆け出そうと身構えた。たとえ何をしても渚だけは守り抜く、そんな覚悟を決めたヒバリに、腹をすかせたワームたちが一斉に突進を開始した。

 その瞬間。

 ドゴォォォン‼︎

 と、ヒバリの目の前で爆音と閃光が炸裂し、群がっていたワームたちをまとめて吹き飛ばしてしまった。

「⁉︎」

 目を見開き、肉片に変わり果てたワームを凝視するヒバリ。俯いていた渚も突然の事態に我に帰り、黒煙の立ち上る目前を凝視した。

 立て続けに爆音が響き、渚たちの周りに集まっていたワームたちがまとめて吹き飛ばされ、二人の周囲にはみるみるうちに大きな空間が空いて行く。

「……これは、どういう……⁉︎」

 困惑し、目を瞬かせるヒバリ。

 その横で渚は、自分たちを取り囲む複数の気配に気づいた。

 爆炎によって立ち昇った土煙の中、黒い影が揺らめく。徐々にはっきりとしたシルエットを見せて行く影は二人、三人とその数を増やして行き、やがて二十九体にも至った。

 渚はその光景に目を疑った。視界に入るシルエットのどれもが、彼のよく知る者たちにそっくりの姿をしていたからだ。その中の一人、ひときわ大きな影が土煙の中からぬるっと足を踏み出し、渚とヒバリの前にその姿をあらわにした。

「ーーー大丈夫ですか、渚君」

 殺せんせーは、そう言っていつもと変わらない悪戯っ子のような笑みを見せた。



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第17話 仲間の時間

「……な、んで…………みんな……」

 目の前に広がっている光景が信じられず、思わずそう声を漏らす渚は目を見開いたまま硬直していた。

 黒煙の中から現れた、二十六人の少年少女たち。全員が特殊な衣服を身に纏い、銃火器で武装し、渚を安堵の表情で見つめている。中学生が武装しているだけでも異様な光景だというのに、渚にはそこにいるのがクラスメイトたちであるということが最も大きな衝撃だった。

 その視線に気づいたカルマが、

「いや〜、話には聞いてたけどほんとに特撮みたいな格好だねぇ」

「え……」

「チャイナとはまた新鮮だよね。なんならちょっとその場で片足チラッと見せてはくれんかい」

 困惑の表情で見つめている渚を、いやらしい笑みを浮かべたカルマと中村がニヤニヤと眺める。中村の視線に至ってはもはやエロオヤジのそれだ。

「チャイナドレスとはまた……エロいな」

「スリットとか……誰だよこれ作った奴。語り合いてぇ」

「「汚らわしい‼︎」」

 エロ筆頭岡島と前原がいやらしい目で見ていると、片岡と岡野がゴスッとその頭に拳骨を落とした。

「間に合って良かったぁぁぁぁ……」

「無事で何よりです」

「ま、こういう時は大体ギリギリ間に合うんだけどね」

「またそういうことを……」

 茅野が心底安堵した表情で、神崎がいつも通りおしとやかな笑顔で渚の無事を喜び、不穏なことをいう不破を矢田が呆れたように諌める。

 渚はそんな彼らを、声もなく見つめることしかできない。失敗した自分を嫌われたと思っていた、憎まれたと思っていた。なのにどうしてみんな、そんなにも優しい眼差しを向けてくるのだろうか。

 言葉も出ない渚と同じようにヒバリは目を見開き、中学生には明らかに似合わない重火器を凝視する。

「君たち……なんなんだこの武装は、どこから……?」

「…うちの理事長だよ」

 戸惑いながらも訪ねたヒバリに、磯貝が言いづらそうに答える。渚も「理事長が⁉︎」と本気で驚き、磯貝が真顔でこくんと頷く。

「俺たちが渚を助けに行こうと校舎を出た時、あの人が来たんだよ。『組織を相手に反逆を起こすつもりなら、これぐらいは持って行きなさい』ってさ」

「間違っちゃいないけどなんかもうちょっと言い方ないかと思うよな」

「反逆者とか不良の極みだもんな」

「いいえ、もう反逆者でも構いません」

 不満げに唇を尖らせる木村と三村だが、そこへ顔色を赤く染め、血管を浮き立たせた殺せんせーが口を挟んだ。

「私の生徒を利用し、これほどまでに心をボロボロにするような国は滅んでも構いません。私は君達を守るためなら、反逆者でもなんと呼ばれようと構いません」

 殺せんせーは顔色こそブチ切れる前だが、内心ではZECTを許す気はさらさらないようだった。しかし渚を見つめる目はまっすぐで、責めるような気配は全くない。

「彼も同じ気持ちなのでしょう。同じ教育者なのですから。我々大人にできるのは、君たち子供達が大きく育つのを見守り、背中を押し、同じ大人に邪魔をさせないことです。一人になど、させませんよ」

「その通りだ」

 殺せんせーの隣から、烏間が姿を現した。思わずビクッと体を揺らす渚の前に立ち、青白い顔を見下ろす。

 スゥ、と息を吸うと、烏間は生徒たち全員の前で深々と頭を下げた。

「君にばかり重荷を背負わせて、すまなかった」

「……烏間……先生……」

 烏間はふっと微笑み、渚をじっと見つめた。

「……君には、謝ってばかりだな。だが、俺はもう流されるつもりはない。この先に何が待っていようと、俺は全力で俺の生徒を守る」

「…………でも、僕にそんな資格は」

「さっきから胸クソ悪ぃ事ばっか言ってんじゃねーぞ」

 自分の罪の大きさに悩み続け、悲痛な顔で俯く渚。しかし不機嫌な顔で近づいて来た寺坂が、渚の襟首の装甲を掴んで引き寄せる。ぐいっと持ち上げて視線を合わせると、存外まっすぐな目で渚の不安に揺れていた目を見据えた。

「こうなったのはテメーだけの責任じゃねぇ。テメー一人に全部押し付けて離れて見てた、俺たち全員の責任なんだよ」

「…………‼︎」

 寺坂の言葉で、ひび割れていた渚の心に衝撃が走った。誰もが自分を悪く言い、味方が誰一人いなくなったと思って、自分を責め続ける他になかった渚の心が、厳しく乱暴ながらも想いのこもった言葉が包み、優しく癒していく。

「誰だって背負いきれないよそんなの」

「そういうのは私たちの手には負えないもんね〜」

「わ、私たちだって関係者なんです‼︎ 見殺しになんてしません‼︎」

 原が母の貫禄で宥め、倉橋が優しく、奥田がどもりながらもはっきりと肯定する。メガネを押し上げた竹林と拳を鳴らした吉田と村松が銃を担ぎ、やる気を露わにする。

「人間を撃つわけでもないし、害虫駆除だと思えば楽だと思うけど」

「掃除ぐらいてめーでやるってんだ」

「どこまでも付き合うぜ」

「みん……な……」

 震える渚の肩をポンと叩き、カルマがくしゃくしゃになった渚の顔を覗き込んで、ニヤッと笑いかけた。

「俺達を頼んなよ。……仲間でしょ?」

 渚はもう、そこまでが限界だった。込み上げてきた熱いものを抑えきれず、目尻から雫としてボロボロとこぼして頬を濡らす。

 たった一人で抱え込み続けてきた少年はようやく、ずっと心にのしかかり縛りつけていた自責から解き放たれたのだ。

「…………が、とう」

 震える渚の肩を叩き、カルマと杉野が笑いかける。そこにいた者たちは安心したように笑い、ある者は不機嫌そうにフンと鼻を鳴らし、またあるものは手間がかかるとばかりにため息をつき、それでも傷ついた仲間を優しく見つめていた。

 磯貝が仲間たちの方をを振り返り、硬く拳を握った片手を掲げると、皆は一斉に視線を集めた。

「みんな、こっから先は俺たちも一緒だ! 散々利用するだけ利用してくれた大人に、俺たちE組の力を見せてやろうぜ‼︎」

「おおおおおお‼︎」

 天に拳を掲げた磯貝に続き、仲間たちも雄叫びとともに拳を掲げる。

 なんの皮肉か、少年たちの心は逆境を糧により強く強固に育っていた。

 

 ヒバリはその光景を前に、動くことができなかった。

 年下の少年少女たちが変わらず持ち続けていられている繋がりの強さを、一人で戦い続けてきた自分が持ち得ていない強さを前に、目を離すことができなくなっていた。

 ヒバリが戦場から遠ざけようと思って冷たく接していた少年は、勝手に弱い存在だと決めつけていた少年は、ヒバリが今まで知らない強さを持っていた。

 その強さを育んだのは、同じような立場で足掻き続けてきた者達のいるオンボロ校舎での学校生活。落ちこぼれで個性もバラバラ、学校では最低限として扱われる彼らは、大勢の人々が腐っていく中でもしぶとく生き抜き、決して折れぬ力を手に入れていたのだ。

「……………そうか、これが暗殺教室か」

 そんな彼らを、ヒバリは心の底から羨ましいと思ってしまっていた。自分が弱さだと切り捨てたものを、強さとして繋いできた者たちが、どうしようもなく眩しかった。

 するとそこへ、ヒバリには聞き慣れた、E組の者にとっては奇妙な音が近づいてきた。

 地を跳ね、這い、空を飛んで姿を現したその小さな影ーーーゼクターは、一部の少年たちの元へと近寄り、肩に飛び乗って自分をアピールした。

「ん? うお⁉︎ なんだこいつら⁉︎」

 自分の方に乗って来た緑色のバッタ型のゼクターを目にして、仰天した寺坂が思わず飛び退る。その横で茶色いバッタ型のゼクターを肩に乗せた糸成が、興味深げにその姿を見る。

「…こいつらもしかして」

 肩に乗ったサソリ型のゼクターに目を向けたカルマが、不意にヒバリに目を向ける。同じように目を見開いていたヒバリは、ふっと微笑んだあと懐に手を伸ばし、寺坂と糸成、カルマに何かを投げ渡した。

 カルマたちは飛んできたそれを受け止め、目を見開く。

「……へぇ、ひょっとしてこれもライダーシステム? まだあったんだ」

「何ぃぃ⁉︎」

「……仲間の形見だ。大事に使ってよ」

 バックルのようなものを渡されてギョッとする寺坂とはまるで反対に、カルマは刀剣型のそれを面白そうに弄ぶ。ヒバリはふっと鼻で笑うと、烏間の方を見やって顔をしかめた。

「…どうやらあんた達も選ばれたみたいだね。尻軽な奴らだよ」

「……俺も、なのか」

「アンタに合ってんじゃない? ソイツ」

「資格のことはよくはわからんがな。まぁ、ありがたく使わせてもらうとしよう」

 手のひらの上に乗ったザビーゼクターを見下ろし、烏間は自嘲気味に笑う。速水に背中を押されている千葉も目の前に浮いているドレイクゼクターに目を奪われながら、自分の元にきた意味を察し冷や汗を流した。

 装着者を失った二機は、自らの判断でライダーシステムを運んで適合者の元へきたらしい。一機は一度敵として相対したことがあるために、ヒバリは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

 厚顔にもこいつらはこう言いたいらしい。

 戦え、と。

 寺坂は肩に乗ったバッタ型ゼクターをしばらく凝視したあと、真剣な表情でヒバリの方を向いて口をひらいた。

「…………いいんすか、マジで使っちゃっても」

「選ばれたんだから仕方ないだろ。…それともイヤか?」

「いや、滅相もないっす」

 キャラが若干崩壊するほど高揚しているのか、誰にも渡すかと言わんばかりにさっさとバックルを腰につける寺坂と糸成。二人に続くように、他の選ばれたもの達も着々とライダーシステムを身につけていった。

 サソリ型のゼクターを刀剣にはめ込んだカルマもまた、不敵な笑みを浮かべた。

「それじゃ、やってみますか…………変身」

「変身‼︎」

HENSHIN(ヘンシン)

 電子音声と共に、カルマたちの体を六角形場のエネルギー膜が覆って行く。カルマは紫の蠍を、烏間は黄色と黒に彩られた蜂を、千葉は青い蜻蛉を、寺坂と糸成は緑と褐色の飛蝗を模した装甲を纏い、ギラリと目を光らせる。

CHANGE WASP(チェンジ・ワスプ)

CHANGE DRAGON-FLY(チェンジ・ドラゴンフライ)

CHANGE SCORPION(チェンジ・スコーピオン)

CHANGE PUNCH-HOPPER(チェンジ・パンチホッパー)

CHANGE KICK-HOPPER(チェンジ・キックホッパー)

 瞬く間に、カルマたちは最新鋭の技術で作られた鎧を纏い、機械の戦士の姿へと変わった。

「うおおスッゲェ‼︎ バッタだ‼︎ 一号だ‼︎」

「頼む、一回でいいから代わってくれ‼︎」

「だが断る」

「こんなん一生ねーしな」

「似合ってんじゃん」

「…本気でそう思うか?」

 ヒーローに憧れる男子達の願いをあっさりと一蹴した糸成と寺坂、千葉とカルマは、同じく装甲を纏った烏間たちの元へと近づき、不敵に腕を組んで先に続く道を見据える。

 時間をかけすぎたか、ZECT本部へと続く道には再びワームが集まりつつあった。ギチギチと牙を鳴らす音がここまで届いていて、少女たちに嫌悪感を湧き立たせる。

 だが、一人として退く者はいなかった。

 決意の表情を浮かべて先を見据える生徒たちを眺めながら、烏間はヒバリに声をかける。

「…策はあるんだな」

「まあね……、博打に近いけど。ミサイルの発射に間に合いさえすればそれだけで確率は上がるさ」

『……ハッキングしたところ、ミサイルはあと一三時ジャスト…つまり、あと二十一分で発射される予定になっています』

「……そうか、抗う余地があるならそれだけで十分だ」

 自身の携帯電話から発された律の報告に烏間はふっと笑い、ついで表情を教官のものとして引き締めた。自分を見つめる生徒たちを見据え、大きう声を張り上げた。

「これより、緊急の任務を行う‼︎ ワームの壁を突破し、コードネーム・カブトとガタックをZECT本部へと送り届ける‼︎ タイムリミットは、ステーションからミサイルが発射される一三:〇〇だ‼︎」

 ビリビリと空気が震え、E組の誰もがピンと背筋を伸ばす。ここにいるのはただの中学生の集団ではない、ターゲットの命を狙い続け精進を欠かさなかった、そして何者にも砕けない絆で繋がった、暗殺教室(asassination classloom)だ。

「そして最後に一つだけ守れ。ーーー必ず生きて戻れ‼︎」

 烏間の命に、生徒たちは大きく「はい‼︎」と答え、ワームのはびこる道へとその身を踊らせたのだった。

 

「……私が求めるのは、何者にも屈しない強い生徒だけ。ズル賢い、偽りの強さしか持たない大人にはなんの興味もない」

 武装を手に、旧校舎を旅立ったE組の生徒達を見送った椚ヶ丘中学校理事長・浅野學峯は、もう姿も見えない少年たちの背中を思い浮かべる。

「加賀美さん、あなたの選んだ道は救済ではない。ただの諦めだ。そんな覚悟では、私の持つ理想とは相入れることはない」

 理事長は本人も気づかぬうちに期待していた。

 あの落ちこぼれ集団が、いつものように無理難題を乗り越え、優れた者たちを追い越して憎たらしくも勝利を手にする瞬間を。決して屈することのなかったあの者たちが、勝利する瞬間を。

「諦めた者に、真の強さなど得られるはずもない。……せいぜい頑張りたまえ。若者たちよ」

 

     †     †     †

 

 生きとしいける全ての命を貪りかねない凶悪な存在、ワーム。過酷な環境においても数多く生息できる強靭な怪生物は今、危機に瀕していた。

 四角い穴倉に閉じこもり、姿を見せなくなった人間(エサ)を求めて同胞とともに徘徊していたのに、いつの間にか同胞がみるみるうちに数を減らしていたのだ。全体においては微々たる数だが、強靭な自身らが狩られるというのは確かな脅威ではあった。

 狩を行なっているのは、エサであるはずの人間。それも柔らかく狙いやすい子供がよくわからない硬い殻や奇妙な牙と爪を用い、同胞を次々に屠っていくのだ。

 もちろんやられるだけではない。数の利を用いて食い殺してやろうと同胞を集めるも、いざその瞬間には獲物は姿を消し、気づかぬうちに命を狩り取られているのだ。しかも獲物は同胞を食らうこともなく通り過ぎ、屍だけが積み重なっていく。

 同胞を狩られて怒りの咆哮をあげ、襲いかかるワームの一体。しかし食らいついたと思った瞬間、ワームの首元に青と赤の閃光が走り、ワームは汚らしい体液をぶちまけて崩れ落ちていた。

 

「C班はそのまま突破‼︎ B班はA班のゴリ押しで通路を確保したのちに足止め‼︎ 突撃ぃぃ‼︎」

 磯貝の指示で三班に分かれたE組の生徒はそれぞれの役目を把握し、ZECT本部へと続く道にはびこる邪魔なワームを殲滅していく。重火器で武装した班員は直接的な戦闘は極力避け、気配を絶って物陰から狙い撃ち、渚とヒバリが行くために邪魔なワームを複数で対処して行った。

 そしてライダーシステムを纏った者たちは陽動となり、離れたところで派手に暴れる。

RIDER SHOOTING(ライダー・シューティング)

 千葉が天性の射撃でワームの頭を狙い撃ち、動ける固定砲台として速水がサポートに入る。仕事人の二人は淡々とワームを仕留め、仲間が行く道を邪魔する敵を次々に排除していく。

RIDER STING(ライダー・スティング)

 烏間が放つ殴撃がワームの急所を打ち抜き、ザビーゼクターの針が外殻を貫いて仕留める。彼の背にはイリーナが立ち、似合わない銃で近づくワームを次々に仕留めていく。

RIDER SLASH(ライダー・スラッシュ)

 カルマが操る剣がワームをやすやすと両断し、緑の体液を垂らした肉片をあたりに積み上げていく。

 そうして出来上がっていく道を渚とヒバリ、そしてその前を走る寺坂と糸成が駆け抜けていく。湧き出てくるワームを片っ端から殴り飛ばし蹴り飛ばし、二一分という僅かな時間をかけて渚とヒバリの道を先導していく。

 やがてあと数分という時に、ZECT本部のエレベーターの目前にまで辿り着くが、その前方に何体ものワームが集まりはじめた。寺坂は舌打ちしながらも走る速度を落とさず、強行突破しようと拳を握る。

 すると走り続ける渚たちの前に殺せんせーがズシンと降り立ち、全ての触手を体の前で束ね始めた。

 本来体を縮める時に収束するエネルギーを一本の触手に集めて放つ、殺せんせーの隠し球にて必殺技。それを高速で集め、ワームの壁に向かって一気に撃ち放つ。

 ズキュン‼︎

 閃光が走り、集まっていたワームが散らばって確かな通り道ができると同時に、ZECTの塔の壁にも大きな穴が空いた。殺せんせーはさっさと飛んで道をあけ、渚たちを促す。

 寺坂たちは開かれた穴をくぐり抜けて塔の中へ侵入し、中心に鎮座するエレベーターの入り口を目指す。だがいつの間にか入り込んでいたワームが姿を表し、渚たちに迫っていく。

 ワームを前にした寺坂と糸成はホッパーゼクターの足の部分を顔の方に倒し、再び戻してエネルギーを充填させる。そうして溜まったエネルギーをそれぞれ脚と拳に集め、寺坂と糸成はワームの集団の前に陣取った。

「渚ァァ‼︎ 行って来いやァァ‼︎」

RIDER KICK(ライダー・キック)

RIDER PUNCH(ライダー・パンチ)

 寺坂が振り抜いた蹴りと糸成が繰り出した拳がワームを吹き飛ばし、渚とヒバリの前に道ができる。開かれた希望の先を見据えた二人は一瞬だけ目配せを交わし、ベルトの右側を力強く叩いた。

CLOCK UP(クロック・アップ)

 身に纏ったライダーシステムの真の力が発動し、二人の暗殺者は物理法則を超えて加速する。寺坂たちの頭上を飛び越え、ワームも追いつかせず残像すらも残さない速度で道を駆け抜け、天高くそびえ立つ巨大な柱の壁を駆け上がっていく。

 本来はエレベーターが上がる空間を忍者のように蹴りつけながら登り、閉じかけた希望へと必死に手を伸ばす。カウントダウンは刻一刻と進み、コンマ数秒の遅れが致死となる中を二人はただ駆け抜けていく。

「ああああああああああああああああ‼︎」

 師と仲間に背中を押され、持てる全てを持って伸ばした二人の手は。

 

 確かに、届いた。




…はい、やらかしちゃいました。
本来は渚以外は変身させるつもりはなかったんですが、サソードやホッパーブラザーズの出番があまりにもなかったんで悩んだ末にこうなりました。
評価さえ気にしなければどんだけでも無茶できそうですけど、読者の皆さんとしては微妙かもしれませんね。
とりあえずE組ライダーの出番はここまでです。


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第18話 黄金の時間

 空に現れた巨大な塊に向けて、白い塔に似た物体が発射された。大きさは比べるべくもないが、人が数人乗れるほどの機械の船ーーーミサイルが、巨大隕石に向けて舵を切りロケット噴射で近づいていく。

 本来内部は無人のはずだが、この時ミサイルの中には二人の搭乗者がいた。

「……ハァッ…………ハァッ………」

「……ヒュー……ヒュー……」

 円筒形の個室のような空間に寝転がり、死にかけのような呼吸を繰り返す渚とヒバリ。宇宙エレベーターをクロックアップを用いて自力で登ってきた彼らは、なんとかミサイルの位置を特定し発射される前に内部に侵入するという荒技を成し遂げて見せたのだ。

 流石に疲労も凄まじく、たどり着いた瞬間倒れこんだ二人はしばらく動くことができなかった。さらに発射の重圧で疲弊した体をさらに押しつぶされ、鞭打たれる死人の気分で転がり続けていた。

「…何が最後の希望だ。ハリボテじゃないか」

 ゴロンと仰向けに寝転がり、ミサイルの内部を見渡すヒバリがボソッと呟く。入り込んだミサイルは渚とヒバリが入れることから見てもわかるようにがらんどう、爆薬など一つも積まれておらず、ハリボテと呼ぶにふさわしかった。あるとすれば弾頭部分の空間だろうが、これでは隕石を破壊するどころか罅さえ入るまい。

 いや、とそこまで考えてヒバリはハッとなる。

 最初から破壊が目的でないのなら、このミサイルはなんのために撃ったのか。

「ーーー‼︎」

 その時、強烈な殺気を感じ取った渚とヒバリは表情を変え、床を叩くようにして起き上がるとすぐさまその場から距離をとった。

 その直後、二人が転がっていた場所に真っ黒な外套とシルクハットを纏った大柄な男が着地し、渚とヒバリに回し蹴りを繰り出した。二人はそれぞれ跳躍して距離を取り、狭い壁に足をつけて体制を整えて襲撃者を睨みつける。

「……まだここまで動けるとは。楽しめそうで何よりですよ」

「来ると思ってたよ……ZECTの飼う最強の掃除人、黒崎!」

 ヒバリは眼光を鋭くしながらも、獲物を待ちわびた獣のような獰猛な笑みを浮かべて黒崎に拳を構える。

 黒崎と呼ばれた男は外套を翻し、ハットの下からどこか見下すような目をヒバリに向けていた。己以外を矮小で貧弱な存在と蔑むような濁った目に、渚は本能的な恐怖を感じて一筋の冷や汗を流した。

「こいつに乗り込んでるってことは、ZECTの真の目的を知ってるってことだよね。……あんたもみんなもまとめて死ぬんだよ」

「構いません。私は私が最強であればいい。身の程をわきまえず、私の前に立つ者は誰であろうと許しません。恨むならノコノコとここまでおびき出された愚かな自分たちを恨んでください」

 言葉遣いこそ丁寧だが自己の存在しか見ていない黒崎の言葉に、渚は思いっきり顔をしかめる。あまりにもこの男は歪で危険だ、人と繋がることを捨て、絶対的な強さだけを求めるこの男からは大切なものが欠けている。かつての糸成とも異なる存在に、渚はこれまで会ってきた大人の中で最大の嫌悪感を抱いた。

 ヒバリは表情を強張らせる渚をそれとなく背で庇い、黒崎に挑戦的な目を向けた。

「……黒崎、言っとくけどおびき寄せられたのはあんたの方だよ。ボクの目的は最初から……」

「存じていますとも。だからこそ…………」

 挑発するヒバリの言葉を遮り、黒崎が告げる。

 そして空手の型であるセイエンチンに似た型をとって床を踏みつけ、右腕とそこに巻かれたライダーシステムを晒す。そこへ黄金色のコーカサスオオカブトを模したゼクターが飛来し、勝手に装着された。

「あなた方をここで始末しにきたのですよ。変身」

HENSHIN(ヘンシン)

 途端に右手首を中心に六角形状のエネルギー膜が形成され、黒崎の体を覆い尽くして金色の装甲を生み出していく。カブトの鎧と似た胸の装甲に、右肩から生える角型の外装。大きな三本角の仮面が光沢を放ち、青い目がギラリと光る。

 記されしその名は、別の場ではギリシャ神話の賢者と同じ呼び方をされる最強の甲虫、コーカサス。

「ーーー‼︎ 渚、行くよ‼︎」

「はい‼︎」

CLOCK UP(クロック・アップ)

 これ以上の問答は不要と判断し、ヒバリは渚とともに駆け出した。クロックアップを即座に発動し、ただ真っ直ぐに黒崎の首を狙って刃を一閃する。本能が危険だと警告するが恐怖を精神力でねじ伏せ、同時に二方向から鋭い苦無と双剣を振りかざす。

 だが。

HYPER CLOCK UP(ハイパー・クロック・アップ)

 その音声が響いた瞬間、激しい衝撃とともにヒバリの体は宙に浮いていた。思考も追いつかない中、激痛が全身を襲うと同時にミサイル内の壁に思い切り叩きつけられる。べコンと凹んだ壁が衝撃の激しさを物語っていて、床に落ちたヒバリは声を出すこともできずに身悶え、痛む身体を抱きしめるように背を丸めた。

「ヒバリさっ……⁉︎」

 反応することもできなかった渚が我に帰った瞬間、彼自身も襲いかかってきた衝撃に吹き飛ばされ、壁に背中から突っ込んでいった。火花が散って倒れ込んだ渚の上に降りかかっていった。

 ヒバリは激しく咳き込みながらも体を起こし、先程から一歩たりとも動いていない黒崎を鋭く睨みつけた。男はバラを手で弄んだままヒバリと渚を見下ろしており、何かをした様子もない。いや、何かをしたように見えない。

 ーーー間違いない。

    これは、あの時の……‼︎

「クロックアップ‼︎」

「く……クロックアップ!」

 ベルトを叩き、再び加速して黒崎を迎え撃とうとする二人だったが、クロックアップ空間に入った瞬間黒崎の姿は消え、逆に渚とヒバリは再び衝撃により吹き飛ばされた。

「ぐあっ‼︎」

 壁に叩きつけられた渚がうめき声をあげ、困惑した表情で黒崎を凝視する。加速したはずなのに、なぜこうも敵の姿を見失い攻撃を食らわされているのか分からない、これではまるで、相手だけが加速している(・・・・・・・・・・・)ようではないか。

 するとズルズルと体を引きずって体を起こしたヒバリが、忌々しげに黒崎をーーー正確には黒崎のベルトの左側に装着されていた銀色の機械を睨みつけていた。

「ハイパークロックアップ……文字通り、クロックアップを超えたクロックアップ……やっぱり厄介だな。その力は……‼︎」

「……? 妙なことを言いますね。私が相対した者は、例外なくこの手で始末したはず。この力を知るものはいないはずなのですが…………‼︎」

 首を傾げた黒崎だったが、ややあってから何かを思い出したのか顔をあげヒバリを凝視し始めた。

「……ああ、そうでした。どこかで見た覚えがあると思えば、あなたはあの時の……天道総司とともにいた幼い娘でしたか」

 黒崎が何度も納得したように頷くのを、ヒバリはぎりっと歯を食いしばって睨みつける。黒崎は少女の見せる憤怒の表情など気づかぬように、反対にヒバリの顔をジロジロと良く観察し始めた。

「そうでしたか……君があの時の、私が引導を渡した彼の忘れ形見でしたか。髪の色が変わっていたので気づきませんでしたよ」

 黒崎の言葉に、渚はハッと目を見開いて振り向いた。引導を渡した、という言葉の意味を悟り悲痛さに眉を寄せると、ヒバリは憎々しげに黒崎を睨みつけた。

「…勘違いするな。ボクは別に仇をうちにきたんじゃない」

「ええ、わかっていますよ。……あなたの狙いは、こちらでしょう?」

 黒崎はそう言って、自身のベルトの左側に装着された銀色の機械に触れて見せた。赤いラインの入った、カブトムシを思わせる白銀の甲虫型のゼクターが妙な存在感を発して黒崎の懐に鎮座している。

 ヒバリはその輝きをじっと見据え、ついで黒崎を射殺すように睨みつけた。

「…やはりお前が持っていたのか。ハイパーゼクターを」

「あなたの目的がこれであることは最初から検討がついていましたよ。これがあれば、クロックアップを超えた最強の力が手に入る。大方アレも、この力でどうにかできると思ったんでしょう?」

 黒崎の嘲笑に応えることなく、ヒバリはその一挙一動から目を離さない。そして何より、ハイパーゼクターから目を離さなかった。

 黒崎はフンと鼻で笑い、ヒバリに向けて腰から抜いた苦無を突きつけた。

「兄を奪われ、仲間を奪われ、愛するものをことごとく奪われながら、なおも私に争いますか。全て失った悲しみに、艶やかだったあの黒髪もそれほど真っ白に染まるほど私を憎んで……哀れですね、天道ヒバリ」

「黙れえぇ‼︎」

 荒々しく吠えたヒバリは、苦無を手に黒崎に斬りかかる。金色の刃が空中に三日月状の軌跡を描いて何度も振るわれ、同時に装甲で守られた四肢が武器として振るわれる。しかし、その全てが軽々と躱されていった。

 目を狙った貫手は横から弾かれ、首を狙った苦無は同じ苦無で防がれ、胴を狙った回し蹴りは同じ技で止められ、繰り出されるヒバリの攻撃はことごとく黒崎の手で無効化されていく。ただでさえ体力を消費していたヒバリは徐々に勢いを落としていき、呼吸も荒く狙いも大雑把になっていった。

「くっ……あああああああああああ‼︎」

 苛立ち混じりの咆哮をあげたヒバリが、黒崎の顔面に向けてまっすぐに拳を突き出す。しかしそれは手のひらで難なく止められ、黒崎はその拳を払ってヒバリのバランスを崩させると、ふらついた彼女の首をガシッと掴んでギリギリと締め上げ始めた。

「うあっ⁉︎ あがっ……あ、ぐあああ‼︎」

「ヒバリさん‼︎」

 か細い悲鳴をあげるヒバリ。

 渚は双剣を構えて走り出し、ヒバリを捉えている黒崎の腕を狙う。だがそれも届かず、振り向きもしていない黒崎の蹴りにより顎を蹴り上げられる羽目になる。脳を揺らされた渚は双剣を取り落とし、ガクガクと膝を揺らして項垂れる。

 黒崎は一瞬だけ渚を一瞥し、無防備な腹に強烈な蹴撃を叩き込んで軽い体を大きく吹き飛ばした。

 渚は壁に激突し、今度は大きな穴を開けてミサイルの中を破壊する。幸い宇宙空間にまで開く穴はあかなかったが、壁の中の管や電子機器が露出し、バチバチと散った火花を倒れた渚に大量に振りかけた。

「……ぅ、あっ……ま、まだ……」

 ブルブルと震える体を叱咤し、捕らえられたヒバリを救おうと床に手をつく渚。しかし、渚は全く立ち上がることができなかった。それどころか全身に力が入らず激しい倦怠感が襲い、意識までもが少しずつ薄らいでいくのを感じていた。

 渚は戸惑いながら、ふと違和感のある腹部に触れ、そこでようやく気づく。

 砕けた壁の中のパイプが尖った鋭利な槍となって、渚の脇腹を貫いて床に縫い付けていることに。

 自分の腹を貫く金属の棒を呆然と見つめていた渚は、次の瞬間口からゴボリと大量のドス黒い血を吐き出し、僅かな呻き声を溢してうつ伏せに倒れた。ガシャンと装甲が音を立て、床に赤い液体が広がっていくのを、力の抜けた渚は虚ろな目で見るほかになかった。

「⁉︎ 渚ァァ‼︎」

「フン‼︎」

「あぐっ⁉︎」

 渚を案じるヒバリを殴り飛ばし、黒崎が苦無を持ち直す。そして咳き込むヒバリの両手を掴み、ひとまとめにすると彼女の背後の壁に苦無で縫い付けるように突き刺した。

「⁉︎ ぐっ……うっ……」

 磔にされたヒバリは激痛に悶えながら拘束から離れようともがくも、黒崎の力は強く振りほどけない。

 争う少女を見下ろしながら、黒崎は右腕を掲げてゆっくりと拳を握りしめていく。多くの血を吸ってきた装甲は、未だその輝きを失ってはいなかった。

「君も運がない。……あの世で兄と再会するといい」

 最後の宣告を残し、黒崎はベルトに装着されたハイパーゼクターに手をかけ、その角を掴んで縦に起こした。

MAXIMUM RIDER POWER(マキシマム・ライダー・パワー)

 ハイパーゼクターから紫電が発生し、コーカサスゼクターを通して仮面の角に、そして右拳へと集まっていく。放たれるのは覇道に仇なす賊への処刑の一撃、命を容赦なく狩る最強の男の死神の鎌。抗う術を全てもがれ、羽をむしられた虫けらのように慈悲もなく放たれる、絶対的強者の一撃。

 それを目の前で見せられている少女の目からは、徐々に抵抗の意思が消えていった。

 ーーーこれで、終わり……?

    ボクの、にいさんの遺志は、こんなところで終わるの……?

 心を絶望が占めていく。滅びゆく世界で巨大な組織を相手にたった一人で争い続け、荒地のような道を歩き続けてようやく辿り着いたのは、こんな最後を迎えるためだったのか。だとしたら。

 ーーーああ。

    なんて無様なんだ、ボクは……。

 もはやもがくこともやめた少女は、兄を殺した男が掲げる紫電を纏った拳を最後に見て、ゆっくりと目を閉じる。もう、疲れた。

 黒崎は死を受け入れた少女に、仮面の下で冷たい笑みを浮かべた。

「せめて痛みなく、眠りなさい」

 そして死神は、発光する拳を振りかざし。

 

 赤い花が、弾けた。

 

 だが、それは少女から発せられたものではなかった。

 肉と骨が裂ける音を耳にしながらも、腕を突き刺される以外の痛みを感じなかった少女は目を見開き、その光景を改めて目の当たりにする。頬を汚す血が流れ落ち、胸の装甲に垂れていくことにも気づかず、呆然と目の前の光景に目を奪われる。

 黒崎の放った拳がヒバリの寸前で止められ、血に濡れたそれが目の前でポタポタと赤い雫をこぼしている様を。

 背中から手を生やした、少年の姿を。

 

「渚ァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ‼︎」



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第19話 決戦の時間

 目を見開いたまま固まるヒバリの目の前を、鮮やかな紅色が彩る。わずかな光を受けて輝くそれは真珠のように透き通り、無数の粒となって宙を舞う。

 しかしそれは決して美しいものなどではなく、少女を庇った一人の少年の腹を貫き放たれた、生命の飛沫だった。

「渚ぁぁぁぁああああ‼︎」

 頬を鮮血で濡らしたヒバリの悲鳴が木霊し、その顔が悲痛で彩られる。腹部に大穴を開けられた渚は黒崎の腕を掴んだままうなだれ、ゴフッと大量の血反吐を吐く。

 ピクピクと痙攣する少年を見下ろし、黒崎はフンと冷笑する。

「……無駄なことを」

 しかし身を呈して味方を、それも女をかばうとは天晴れだ。まだ年端もいかない子供といえど侮れない覚悟を持ってなしたこと、せめてもの敬意を示し、これ以上苦痛が続かないようにとどめを刺して楽にしてやろうと再び拳を構えようとする、だが。

「…………何?」

 少年の胸を貫いた腕がどうしても引き抜けない。何かが引っかかっているかのように抵抗し、何度も力を込めてもそれ以上腕を動かすことができない。ハッとなった黒崎は、俯き気味になっている渚の顔に目を向け、戦慄した表情を浮かべた。

 渚は、笑っていた。口元をどす黒い血に濡らしながら、顔から血の気を失いながら、すれ違う隣人に会釈するかのような安らかな微笑みを浮かべ、黒崎を見上げていたのだ。片手に、銀色に光る双剣の片割れを掲げて。

 ようやくそこで、黒崎は気づく。この子供はただ少女を庇ったのではなく自らが枷となり、獲物の動きを完全に止めるために前へと出たのだ。その微笑みと雰囲気に、黒崎はまんまと闘志を忘れさせられていた。

「貴様ッ……‼︎」

 我に帰った時にはもう、遅かった。

 ザンッ‼︎

 黒崎が逆の手で殴り飛ばそうとするよりも早く、渚が掲げた刃が一閃され、黒崎の鎧とベルトの一部を破壊される。縦一文字に刻まれた跡からは鮮血が吹き出し、持ち上げられていた腕ががくりと下がる。

 そして破損したベルトからハイパーゼクターが解放され、黒崎の前から飛び立っていく。

「しまっ…………待ちなさい‼︎」

 慌てた黒崎が手を伸ばそうとするも、渚の手によって両腕は全く使い物にならず目で追うことしかできない。絶対の力を失った男はみっともなく声を張り上げ、拘束されたままもがく。

 しかしこの時、黒崎は気付くべきだった。

 目の前にいるもう一人の暗殺者の存在から、決して目を離してはいけなかったことを。

「ーーーぁああああああああああああああああああああああああ‼︎」

 金色の刃を掲げ、ヒバリが吠える。

 振り向く黒崎だがもう遅い、宙を走った苦無は金の軌跡を描いて黒崎の肩に食らいつき、同時に渚の体が取り返される。支えを失った渚を抱え、ヒバリは倒れていく黒崎にさらに接近する。

 カブトゼクターの角を反転させ、横のボタンを順に押して再び反転。途端に溢れ出すエネルギーを右足に纏い、バチバチと青く発光する蹴撃を黒崎に向けて放つ。

 脇腹に、鳩尾に、顎に、人体の急所に続けざまに放たれた怒りの乱舞は容赦無く黒崎に襲いかかり、両腕を潰されて抗うこともできない男の体は衝撃でガクガクと揺れる他にない。

「ハアアアアアアアアアアアア‼︎」

 咆哮とともに構えたヒバリが宙へと跳び上がり、最後に渾身の力を込めた回し蹴りが放たれる。まるで三日月のような軌跡を描いた蹴撃は黒崎の首に決まり、ゴキン、と鈍く嫌な音が響き渡った。

 黒崎は一瞬ビクンと大きく体を痙攣させると、糸の切れた人形のように全身から力を失いその場に膝をつく。その身体が倒れていくと同時に右腕のツールからコーカサスゼクターが離れ、黄金の装甲が六角形状のエネルギー膜となって崩れていった。

 うつ伏せに倒れた黒崎の屍からはダクダクと鮮血が流れ出し、床に広がってヒバリの足元に伝っていく。

 しかしすでに、ヒバリは長年追い求めていた仇には注意を向けず、腕の中でぐったりとしている血まみれの少年に向いていた。

「渚っ…………おい、渚‼︎ しっかりしろ、おい‼︎」

 青白い顔の少年の体をかき抱き、必死に呼びかけ続けるヒバリ。胸と腹を貫かれ、多くの血を失い、かすれた虫の息となっている渚の状態は誰がどう見ても手遅れだというほど酷い状態だった。

 それでもヒバリは渚の淀んだ瞳を見つめ、決して誰にも渡さないとばかりに強く抱きしめる。周りから見ればあまりにも痛々しく、目を背けたくなる光景だった。

「……お願いだから……渚……ボクを見てよ……ボクを…………ひとりにしないで…………‼︎」

 歯を食いしばり、悲痛な顔で懇願するヒバリ。

 その頬に、細く華奢な手が触れた。

「…………‼︎ 渚…………」

 目を見開くヒバリに、渚はふっと微笑みを浮かべる。

「……僕にできるのは……こんなことぐらいだから……」

 そう言って渚はヒバリに何かを差し出し、ヒバリは再び目を見開く。

 渚が持っていたのは銀色に輝くゼクター、黒崎がその力で最強の名をほしいままにし、ヒバリが最後まで求めた奇跡をつかむための最後の希望ーーーハイパーゼクターだった。

 差し出されたそれを見つめ、ヒバリはさらに悲痛げに顔を歪めて渚を凝視する。

「…………君は、これのために……?」

 ヒバリの問いに、渚は照れ臭そうに笑う。ヒバリの胸に溢れるのは、どうしようもないほどの呆れと激しい後悔の念だ。

「バカッ…………どう考えても釣り合わないだろ‼︎ それにっ……誰かを庇って自分が死ぬって、ボクが一番嫌いなパターンだよ⁉︎ 庇われる方の身にもなれよ‼︎」

「でもこれで…………みんな助かるん、でしょ?」

「ッ…………!」

 ヒバリの表情がくしゃくしゃに歪み、目尻に涙が滲んでいく。溢れ出す感情の雫を震える指でぬぐいとり、渚は微笑みをやめない。ヒクッ、ヒクッと嗚咽を漏らす少女を少年はただ穏やかな顔で見つめ続ける。

 痛いほどに体を抱きしめ、カタカタと震える少女に渚は口を開いた。

「もし……これに、本当に……世界、を……すく、う、力が…あるなら…………僕は、君を………………信じるよ」

 ヒバリの胸にハイパーゼクターを押し付けると、ヒバリはそれをぎゅっと握りしめる。

 手のひらに収まる小さな機械。こんなものに本当に世界を左右する力があると本当に信じてくれた、曖昧な少女の言葉を信じてここまで付き合い、命を懸けてくれた。その気持ちが、たまらなく嬉しい。そして、なぜか苦しい。

 胸が熱くなり、頬が真っ赤に染まっていく。それが涙のせいだけではないことを、ヒバリは心の何処かでわかっていた。

「僕じゃ…きっと、ダメだった……けど、こんなことしか、できないから……君を、守ることだけでも、やり遂げたかった……だから、ごめんなさい………」

 かすれる声が、か細く虚空に消えていく。わずかに聞こえていた荒い呼吸も少しずつ小さくなっていき、目の焦点も合わなくなっていく。鼓動が次第にゆっくりになっていき、視界がぼやけていく中、もうぼんやりとしか見えないが確かに目の前にいる少女に、渚は願う。

「……みんなを、助けて」

 その願いをこぼし、少年は最後に微笑む、そして。

 すとん、と。

 少年の手が床に落ちる。涙が一筋零れた目からは光が消え、虚ろとなった目は何も映さない。

 ヒバリは渚の顔をじっと見つめ、ぎゅっと抱きしめる。軽く華奢な体を、きつくきつく抱き続ける。

「……おばあちゃん、言ってたなぁ。男はみんなバカだから、常に見張っとけって。どこにもいかないように、ちゃんと見とけって。……その通り、だったよ」

 自分の命の価値を軽く見ていた少年は、最後まで自分ではなく誰かのために戦い続け、そして散った。なんと馬鹿な(ひと)なのだろう。そんなことをされても、喜ぶわけがないのに。

 皮肉げに笑ったヒバリは渚の体を支えて顔を覗き込み、そっと頬に手を添える。虚ろに開かれていた目を閉じると、顔にかかっていた髪を払いのけてゆっくりと自分の顔を近づけていく。

 そして、桜色の唇が、少年の血によごれたそれと重なった。

 長い、長い時間そうやっていた。時計を見れば数秒のことでも、ヒバリにとってはまるで永遠にも等しい感覚を過ごし、ヒバリはようやく渚から離れた。

 動かなくなった軽い体を横たえさせ、託された銀のゼクターを握りしめる。ヒバリはそれを、自身のベルトの左側に装着した。

「…………ごめん、渚。ボクは君の願いを叶えられない」

 ヒバリは目を閉じ、少しの間思いに耽る。

 最初の出会いは、良好とは確かに言えなかった。心配してついて来た年下の子を邪険に扱って、命に関わる危険な場所に巻き込んだ。あの時出会わなければ、彼がこんな目に会うことはなかったかもしれない。

 その後も最悪だった。大切なことは何も伝えず彼を縛りつけようとして、本当は言いたくないことを言って喧嘩をして、結局間に合わなくて彼に辛い思いをさせて、挙げ句の果てに犠牲にして……なんてひどい女なんだろう、自分は。

 でも、彼との出会いがなければ、自分はここまで来られなかっただろう。無謀に奴に挑み、無残に敗北して兄や仲間と同じように死んでいただろう。

 こんな思いを知ることも、無かっただろう。

「こんな世界に…………君のいない世界に、救う価値なんてないから。だから、ボクはーーー」

 装着したハイパーゼクターの角に手をかけ、レバーのように倒す。

HYPER CAST OFF(ハイパー・キャスト・オフ)

 ハイパーゼクターから野太い電子音声が響き、同時にヒバリの纏う装甲も姿を変えていく。

 仮面の角は先端がさらに二股に分かれ、鎧は銀色に変色して胸と肩、二の腕と脛の装甲には角を模した真紅の装甲が追加される。背中には甲虫の羽を模した装甲が生成され、光を反射して輝く。

CHANGE HYPER-BEETLE(チェンジ・ハイパービートル)

 そして、さらなる変化が起こる。体の各所についた真紅の装甲が展開し、青い粒子のような光を放出し始めたのだ。背中の羽が左右に開き、その粒子がまるで翼のように噴き出し広がる。

 その姿は、まるで天使のようだった。

「ーーーボクは、世界を壊すよ。君のいない……世界を」

 ヒバリの手が動き、ハイパーゼクターの上に移る。銀色に輝くその背を、ヒバリは軽く叩き呟いた。

「ハイパークロックアップ」

HYPER CLOCK UP(ハイパー・クロック・アップ)

 その瞬間、ヒバリの見る光景が一瞬にして変わる。

 時計の針が巻き戻るように、あるいはビデオの逆再生のようにあらゆるものが逆さまに動く。その中の一瞬にヒバリは介入し、片腕を前に突き出す。

 次の瞬間その手には目障りで憎たらしい黄金の装甲に覆われた腕が掴まれ、逆の手には小柄な人影が抱え込まれる。

 二人は一瞬何が起こっているのか理解できず、一方は仮面の下で大きく目を見開き、もう一方は呆けた表情で硬直する。だが黒崎は自身の手をギリギリとつかむ少女の顔を驚愕の表情で凝視し、ワナワナと体を震わせた。

「…………馬鹿な、なぜ貴様が⁉︎ それに……その姿はなんだ⁉︎」

「……………………」

 冷たい目で黒崎を睨むヒバリは、何も答えない。

 狼狽する黒崎の様子があまりにも滑稽で、矮小さに呆れ果てる。こんな男に、大切なものたちは奪われたのか、タネさえ分かり失ってしまえばもう、黄金の鎧もただの金メッキにしか見えない。

「……くだらない」

 そう吐き捨て、ヒバリは未だ喚き続けている黒崎の拳を払う。そして、再びハイパーゼクターの角を倒して今度はカブトゼクターのボタンを押し、真紅の角を反転させた。

MAXIMUM RIDER POWER(マキシマム・ライダー・パワー) 1.2.3】

 仮面の角に凄まじい、今までにないほどのエネルギーが収束していき、眩いまでの紫電が発生する。紫電はベルトを中継して右足に集まり、凄まじい破壊のエネルギーを蓄え込んでいく。

 黒崎はその光景に戦慄しながら、なおも現実を認められないように頭を抱え、ヒバリを激しい憎悪のこもった目で睨みつけた。

「私の力を……ハイパーゼクターをなぜ……⁉︎ まさか……時間を超え……⁉︎ み、認めん……許さんぞ‼︎ それは私のもの……私が最強のーーー」

「ーーーハイパーキック」

 喚く黒崎の声を耳障りとばかりに遮り、ヒバリはカブトゼクターの角を反転させる。一瞬のうちに溜め込まれたエネルギーが噴き出し、ヒバリはそれを黒崎に向かって勢いよく振るう。

 放たれた回し蹴りは黒崎の首に決まり、ゴギン‼︎ と以前聞いた時よりも凄まじい音を立てさせる。不自然に首を曲げた黒崎は断末魔の悲鳴すらあげることなく絶命し、ゆっくりとその身体が倒れていく。床に倒れた瞬間、手首から火花を上げるコーカサスゼクターが外れ、黒崎を元の黒衣の姿に戻した。

 ヒバリに抱えられたままの渚は安堵で微笑み、不意に襲ってきた激痛に背を丸める。

 ヒバリは力の抜けた渚の体をゆっくりとおろし、壁にもたれ掛けさせる。最後にぎゅっと華奢な体をきつく抱きしめ、渚と同じように安堵の表情を浮かべて頬をすり合わせた。

 すると急に立ち上がって歩き出し、倒れ伏している黒崎の元へと近づいていく。事切れた黒崎の黒衣を引き裂いて即席の包帯を作ると、渚の腹に刺さったままのパイプを動かないように巻きつけて固定していった。

「……一体、何が起こったの?」

「……聞かなくていいよ。もう君のやることは果たされたから」

「え……」

 ヒバリの言っている意味が分からず呆ける渚だが、ヒバリは再度渚を抱きしめてきてそれ以上答えようとしない。されるがままで戸惑う渚も、それ以上聞こうとはしなかった。

「……今度は、ボクの番だから」

 渚の耳元で囁いたヒバリは名残惜しそうに渚から離れて立ち上がり、背を向けてミサイル内の一部に近づいていく。そこにあるのは渚たちが入ってきたハッチであり、唯一外に通じる出口だった。

 何をするつもりなのか検討もつかない渚は、ただただ心配そうな表情でヒバリの背中をじっと見つめた。

「……戻って、くるよね?」

「…………おばあちゃんが言っていた」

 不安げな渚の雰囲気を感じ取り、ヒバリは不敵な笑みを浮かべて人差し指を天に向ける。いつものように兄の真似をして、天道家の祖母の語録を披露する。

 

「飯がよっぽどまずかった時なら、ちゃぶ台をひっくり返してもいい、ってさ」



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第20話 希望の時間

「一体状況はどうなっている⁉︎ 報告しろ‼︎」

 ノイズが走るモニターに向かって叫びながら、田所が部下たちに喚くように命じる。ZECTの本部は巨大隕石の出現からミサイルの発射までの間、ほとんどと言っていいほど情報を得られていなかった。

 その時、オペレーターの一人がハッとした表情で田所の方を振り向いた。

「……! 一機だけですが、ステーションの外部カメラと繋がりました‼︎」

「よし、すぐにその映像をーーー」

「ーーー我々にも見せていただこうか」

 田所は背後で聞こえた金属音に表情を変え、ゆっくりと視線を後ろに移していく。オペレーターたちも座席から腰を浮かしながら、田所の背後で拳銃を構えている一人の男ーーー烏間と特殊装備に身を包んだ少年少女たちを凝視した。

 衣服を緑色に染め、ボロボロにしたE組の面々は荒い息を吐き、あるいは互いに肩を支えあいながらZECTのメンバーを睨みつけている。戦いを乗り越えた彼らは傷だらけになりながらも、一人を除いた全員が再び揃っていた。

「……なぜ、あなた方が」

「無論、うちの生徒が最後まで諦めずにやり遂げようとしていることを、見届けるためだ。……その様子では、把握していないようだな」

 烏間の冷たい目に、田所は表情を険しくする。生徒を利用した組織の幹部は確かに憎いだろう、銃口を向けられても文句は言えない。

 だが、状況は人間の意思を超えたところまできてしまった。要求など聞いている暇などない。

「馬鹿な……子供一人に何ができる。渚くんやあなた方の気持ちも分かるが、もう手の出しようも……」

「それは……、あなたが決めることではありません」

 銃を突きつけられながら烏間の意思を認められずにいる田所に、もう一つの声がかけられる。

 E組の生徒達が道を開けると、黄色い顔の超生物がーーー衣服をボロボロにし、血を口元に残した殺せんせーが磯貝と片岡に肩を借りて現れる。その姿は普段からは考えられないほどに弱々しく、いまにも命の灯火がかき消されそうだった。

 だがそれでも、その丸く小さな目は揺らぐことなく田所たちを鋭く見据えていた。

「あなた方の言うただの子供は、今まさに命がけで戦っています。それを否定する資格は、あなた方にはありません」

「だ……だが」

「いいから黙っていなさい。……これは、彼らの戦いです」

 僅かな殺気を込め、田所を睨む殺せんせーと生徒たち。反論もできない田所が唸った時、オペレーターの一人がはっと顔をあげて振り向いた。

「……⁉︎ う、宇宙空間に、未確認の飛行物体が‼︎」

 田所はオペレーターの方を振り向き、驚愕の表情を浮かべる。

 まさか、さらなる脅威が迫ってきているのか。そうなったらもうお手上げだと歯を食い縛る田所だったが、その想像は全く外れていた。

「これは……………………カブトです‼︎」

 

     †     †     †

 

 蒼く輝く翼を羽ばたかせ、天を駆けるヒバリ。

 覚悟を背負った表情で一点を目指す少女は、みるみるうちに巨大な絶望へと距離を詰めていく。あまりに巨大な隕石を前にしても、その表情は微塵も恐れを抱いていなかった。

 ヒバリは隕石を目前にすると体を起こし、翼の推進力を逆にして急ブレーキをかけて停止する。岩石の塊の表面に降り立ったヒバリは膝をつき、恐怖の体現を睨みつける。7年前に落下した隕石にも匹敵する巨大さだ、人間の技術で破壊するのは確かに無理だろう。

「……思った通りだ。これなら簡単には壊れないだろう(・・・・・・・・・・・)

 意味深に笑い、そっと岩石に右手で触れる。そして、親の仇を捕らえるように決して離すまいと強く掴みかかり、自身を隕石に固定すると、左掌をハイパーゼクターの上に重ねる。

 だが、一瞬だけためらうように動きを止め、グッと唇を引き結ぶ。しかしそれもややあってからほぐれ、ヒバリの顔には微笑みが浮かんでいた。

「…………さよなら、渚。……ありがとう」

 そう小さく呟き、ヒバリは再びハイパーゼクターの背を強く叩いた。

「……ハイパークロックアップ」

HYPER CLOCK UP(ハイパー・クロック・アップ)

 超越者(ハイパー)の真の力が発動し、ヒバリは触れている物ごと刹那に消え去る。ヒバリの周りだけ時計の針が逆さまに回り出し、世界を滅ぼせるほどの巨大な絶望が一瞬にして時間移動に巻き込まれ、現在から消滅する。

 人はその光景を奇跡と呼んで喜ぶだろう。現にZECTにいたオペレーターたちやE組の何人かは隕石が消滅したことに歓声をあげていて、互いに抱き合って感情をあらわにするものたちもいた。

 だから考えなかった。ヒバリと隕石がどこに消えたのかなど、はしゃいでいる彼らには考える余裕などなかった。

 だが直ぐに我に帰り気づく者がいた。あれはどこに行ったのかと。

 ヒバリのこの力を知る者がいれば再び絶望することになるだろう。ハイパーゼクターの能力は“時間移動”、移動するのは時間だけであり、全く違う場所に転移するのではない。過去であろうと未来であろうと、隕石が地球に迫っていると言う事実は変わらないのだから。

 それをヒバリがわかっていないはずがなかった。

 それもそのはずだ、ヒバリはこの世界を救う気などないのだから(・・・・・・・・・・・・・・・・)

「ーーーやぁ、久しぶりだね」

 隕石を細腕で抱えながら、ヒバリは笑う。

 その目の前にあるのは、抱えている絶望と負けずとも劣らない巨大な絶望の塊。

 そしてヒバリが今いるのは、“七年前の始まりの日(ゼロデイ)”。

 地球を襲った二つの絶望が、邂逅を果たしていた。

 ヒバリは隕石の表面から飛び立ち、巨大な岩の塊をぐいと押していく。輝く翼が背中を押し、隕石の落下を徐々に押しとどめていく。それどころか、はるかに巨大な塊をもう一つの絶望に向けて押し返し始めた。

 ゆっくりと地球に近づいていく隕石と、ヒバリが押し出す隕石が徐々に距離を詰め、そして。

 ーーーズン。

 音の響かない真空の世界を、強烈な衝撃波が駆け抜けていく。巨大で硬質な隕石同士が互いを破壊し合い、バラバラと細かい岩の欠片へと変えていく。世界を滅ぼすはずだった絶望は、同じ絶望によって葬り去られていく。

 過去が、変わる。壊れていく。

 滅ぶはずの未来が、完膚なきまでにぶっ壊されていく。

 これが、ヒバリの見つけた“答え”だった。

 

「……これは」

 “それ”に気づいたのは、隕石が消失してすぐのことだった。

 烏間の掌の上にふわりと、明るく輝く何かが舞い落ちる。淡く光って静かに消えていくそれはどこか暖かい、桜の花びらに似たものだった。

 人が、建物が、空が、あらゆるものが淡い光に包まれ、輪郭を曖昧にさせていく。形あるものが崩れ、はじめからなかったかのように消えていく。

 ひらひらと舞い落ちていく光の花びらに手を伸ばし、浅野理事長は目を細める。手に触れることのできないそれが舞う光景は、まるで季節外れに咲いた桜を思わせた。

「世界が……終わる。…………なんと美しい、最後だ」

 この世のものとは思えない光景に、加賀美は安らかな笑みを浮かべて酔いしれる。そこに、絶望して疲れ切った老人の姿は、もうなかった。

 静かに、春に包まれて世界は壊れていく。

 痛みも悲しみもなく、荒んだ世界はリセットされていく。雲雀に呼ばれた春がようやく訪れ、人々を、命を誘っていく。

 幻想的な光景に、人々が浮かべるのは安堵の表情だ。狂ったように泣き喚いていた者も、縮こまっていた者も、諦めの表情を浮かべていた者も、すべての人々が安心しきった表情で天を仰ぎ、佇んでいた。

 怯える人は、誰一人としていなかった。

 E組の生徒たちもまた、肩の荷が降りたかのような安らかな顔でその場に腰をおろし、フゥと深いため息をつく。仲間と拳を合わせ、ハラハラと涙を流し、ここまで来れたと言わんばかりに互いを労わりあう。何が、とはもう聞かない。終わったのだ、と心のどこかで察していた。

 輝きに包まれながら、生徒たちに囲まれた殺せんせーは微笑を浮かべ、空の向こうにいる教え子たちを想った。

「…………渚君、ヒバリさん。そんなところにいないで、早く帰ってきてください。……皆さん、待ってますよ……?」

 教師はそう言って、光り輝く花吹雪の中で優しい笑みを浮かべた。

 

     †     †     †

 

 眩い光の桜吹雪の中、渚はいた。

 気だるさが全身を覆い、感覚も鈍って頭がぼんやりとしている。体が重くて辛くてまともな思考もできず、ただただ光の奔流に身を預ける他にない。

 だんだんと意識がうっすらと遠のいていくのを感じながら、これが死かと虚ろに考える。だが思っていたように寒くはないし痛みもない、随分楽なものだと考えながら、ふと一人でいることに寂しさを感じる。

 彼女は無事だろうか。自分をおいて先へ行ってしまったが、成し遂げたのだろうか。

 どうか、無事に生きていてほしいと、薄れゆく意識の中で思っていた。

「ーーー大丈夫だよ、渚」

 静かに沈もうとしていた渚の意識が、ほんの僅かに浮き上がる。

うっすらと目を開き、焦点の合わない視界の内にその声の主を捉える。全身を包むまばゆい光の中、渚はなぜかはっきりとその姿を目にしていた。

 そこには、天使がいた。

 白銀の髪を揺蕩わせ、青色の翼を大きく広げたこの世のものとは思えないほど美しい天使のような少女が、天空から渚に向かって手を伸ばしていた。

 ゆっくりと舞い降りてくるよく知る顔立ちをした天使を前に、渚はようやく安心したような微笑みを浮かべ、彼女に傷ついた身体を預けた。

 舞い降りた天使ーーーヒバリは傷だらけの渚の体を強く抱きしめ、胸に抱えて乾いた髪にそっと頬を擦り付ける。どす黒い血の滲んだ体を忌避することなく、まるで我が子を抱きしめるように慈しみ、そして、安らかな笑みを浮かべる頬に唇を落とす。

「ーーーボクが、そばにいる。ずっと……そばにいるから」

二人の姿が、光となって消えていく。

 青い美しい姿を取り戻していく母なる星の姿を背景に、天使と少年の姿が薄れて、輝きの中に混じっていく。

 

 ーーーまるで、星の最後の瞬きのように。




ラストシーンでは「EVERGREEN/moumoon」を聞きながら読んでみてください。


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第21話 輪廻の時間

「ーーーボクが、そばにいる。ずっと、そばにいるーーー」

 草原に寝転がり、手に持った絵本に書かれた文を朗読する一人の女性がいた。艶やかな黒髪(・・)で、もみあげの部分を三つ編みにした特徴的な髪型の、細身ながらグラマーと称するにふさわしい身体つきのその人は、ふっと微笑むと絵本を閉じる。

「よっ、と」

 パンパンと服を叩いて葉っぱを落とし、立ち上がった女性ーーー天道ヒバリは絵本を片手にぐんと背伸びをする。コキコキと肩を鳴らし、その後だらりと脱力する。

 居心地のいい場所だったがもう時間だ、そろそろ行かねば飛行機に間に合わなくなる。久々の休暇でようやく日本に戻ってこれたが、この分では次の休暇はいつになることやら。

「田所さんも加賀美さんも結構人使い荒いもんなぁ……、兄さんも無理してなきゃいいけど」

 いってからヒバリは小さく苦笑する。あの掴み所のない兄が無理をするところなどどうにも想像がつきにくい、きっと同僚達を相手(おもちゃ)にストレスを発散しながら気楽にやっているのだろう。

 ヒバリは容易に想像できるその光景に笑みを浮かべながら、昔からフレーズを好んで持ち歩いている絵本をしまい、荷物を肩に背負って踏み出す。サクサクと枯れ葉を踏み、愛用のバイクが停めてある麓へ向かって進み出した。

「ーーーくぉら、渚ァ‼︎ てめーが校外授業だって連れてきたんだろが‼︎」

「うわっ、と! ごっ、ごめん‼︎」

 すると、前方から学生達の集団が近づいてきていることに気づいた。制服を大きく着崩した高校生らしい青年達が、それぞれで騒ぎながら山道を登ってきている。

 引率しているのはかなり若い、というか小さい教師だった。

 背丈は中学生並みで不良達の間に完全に埋もれていて、中性的な顔立ちは髪が長ければ女性にも見える。どうにも頼りなく気弱な雰囲気を感じさせるが、何やら生徒たちもこの教師には一目置いているようにも見える。言葉では表し難い、確かな絆があるようだ。

 なんとも不思議なクラスだな、とヒバリは内心で苦笑しながら、賑やかな青年達を見送って集団の横を通り過ぎていく。

 

「ーーー?」

 ふと、すれ違いざまに違和感のようなものを覚えた。

 何も相手におかしなところなどはないが、なぜだろうかどこか出会ったことがあるような気がする。それどころかたった一目見ただけで、心の奥底でぽっと暖かい何かが灯ったような、不思議な感覚さえ覚えていた。

「…………?」

 不思議に思ったヒバリが振り返ると、若い教師もまた訝しげな顔でヒバリの方を振り返っていた。一瞬交わった視線は彼の教え子がじゃれついたことで途切れ、再び交わることはなかった。

 そうこうしているうちに、教師は教え子らしい不良たちと遠くまで進んでいってしまっていた。遥かに身長差のある数人に妙に馴れ馴れしく肩を叩かれているところから、クラスにおける彼の立ち位置がよくわかるようだ。

 そんな仲がいいのか舐められているのかよくわからない教師と教え子たちを眺めながら、ヒバリはなぜか安堵の表情を浮かべていることに気がついた。顔もロクに覚えていないのに、どうして彼のことがこんなにも気にかかっているのだろうか。自分はああいう男が趣味だっただろうか。

「…意外と、前世で関わりがあったりしてね」

 自分でもそんな馬鹿なと思える独り言をこぼし、ヒバリは教師に背を向ける。

「…でも、また会えるかな」

 次に日本に戻れるのはいつになるかわからないが、こんな思わぬ出会いがあるのならこの山にはまた立ち寄りたいものだ。おばあちゃんも言っていたように、袖が触れ合っただけでも縁は繋がっていることもあるのだから。

 穏やかな風に包まれながら、ヒバリは軽い足取りでその地を、そして日本を後にしたのだった。

 

 砕け、そして再び丸に戻りつつある三日月は、そんな若い命達の再会をずっと空から見守り続けていた。

 

 

FIN




投稿開始からかなり経ちましたが、ようやくの完結です。
キャラの掴みやら世界観の練度的に読者の皆様にとっては読みづらいものだったかもしれませんが、とにかく完結だけはさせられて何よりです。シナリオ的にはほとんど劇場版仮面ライダーカブト寄りでしたが、暗殺教室の世界観との融合が「ifだとこんな感じかな?」って感じで気に入っていただけたなら幸いです。
今後も精進したいと思います。

反省はこのくらいにして、ヒバリというヒロインについて。
ボクっ娘です。チャイナです。妹です。しかし年上キャラです。
盛りすぎだろと言われるかもしれませんが、いつの間にかこうなっちゃったんです。もともと仮面ライダーは平成2期からしか見てなかったんですが、このシリーズを書き始めてカブトのライダー少女なら名前どうすっかなと考えてカブトの映画をみていると、そこで初めてひよりさんが妹キャラだって知ったんです。
カブトの擬人化はもう忍者とか暗殺者っぽくと考えていたので、あとはもうスルスル降りてきました。その後に渚との関係性をどうしようかと思い、最終的に一個上のお姉さんになりました。

ラストシーンはカブトのあのシーンと暗殺教室の最後の話を混ぜ合わせた感じになっていますが、カブトのあれはどう行った世界観なんですかね?ワームもいない平和な世界線とかあそこからTV版につながるとか色々言われてるようですが、私としては幸せに生きているならそれが一番じゃないかと思います。
ちなみにうちのヒバリさんはラストシーンではある会社に就職しています。ふとし達がのちに立ち上げるであろう会社で荒事専門の役目を帯びています。基本は護衛とかSPとかのような仕事ですね。
この先、渚と関わるかどうかは不明ですが、一つだけ言えるのはヒバリはこの先も元気でやってるってことですかね。

長らくのお付き合い、誠にありがとうございました。


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