デート・ア・ブレイド (白い鴉)
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第一話 序章 四月九日

序章なので、少し短いです。原作を知らない人にも分かるように書いていますが、分かりづらい点などがありましたらご指摘お願いします。なお、伏線を張っているため答えられない質問もありますので、ご理解よろしくお願いします。


 

 

 

 

 

 陽光が降り注ぐ四月九日。世間では全国のほとんどの小中高の学校が翌日に入学式を控えた日でもある。大抵の学生は明日から始まる新学期のためにシャープペンシルや消しゴムを買ったするなど、新しい生活への準備を整えている事だろう。

 しかし、そんな平和と呼べる日にはあまり似合わない光景が、ある場所にあった。

 そこはとある海岸の砂浜だった。まだ夏でもないので、海を泳ぐ人の姿は全く見られない。他の海岸ではもしかしたら一足早く波を楽しむ季節外れのサーファーがいるかもしれないが、少なくともこの海岸にはそんな事をするサーファーもいなかった。

 そのかわり、奇妙なものが砂浜を走っていた。

 それはバイクだった。青色を基調にしたバイクで、市販されているバイクとはどこか違う印象を見る者に与えてくる。だが、問題はバイクではなく乗っている人間だった。

 乗っている人間の姿は、やや奇妙な姿をしていた。全身が青色のスーツと銀色の機械の鎧のようなものに包まれており、顔は仮面のようなものですっぽりと覆われている。胸部にはトランプのスペードのような紋章、腰にはベルトのようなものが巻かれている。目の位置には昆虫のような丸く赤い複眼があり、さらにカブトムシを連想させる角まである。

 その鎧をまとった人間がバイクを走らせていると、突然通信が入ってきた。

五河(いつか)君! そこから距離六キロ! もっと急いで!』

「分かってます!」

 入ってきた女性の通信にそう返したのは、意外にもまだ高校生ぐらいの少年の声だった。五河と呼ばれた機械の鎧をまとった少年――――通称『ブレイド』はさらに速度を上げて目的地を目指す。

 それから数分後、ブレイドが辿り着いたのは洞窟の前だった。ブレイドは洞窟を覗き込んで奥を見ようとするが、奥は真っ暗闇で何も見る事ができない。高感度暗視スコープを備えた真紅の複眼『オーガンスコープ』を使っても、生物らしきものの姿はなかった。

「何もいませんよ、広瀬(ひろせ)さん」

 ブレイドが通信の女性、広瀬に言うとこんな言葉が返ってきた。

『反応は間違いなくそこからよ。隠れてる可能性もあるわ。気を付けて進んで』

「分かりました」

 ブレイドはそう言うと、乗っているバイク『ブルースペイダー』のエンジンをかけて洞窟の中へと入って行く。

 洞窟には光など存在せず、唯一の光源はブルースペイダーのライトのみになっている。しばらく進んだ所でブレイドはバイクから降りると、辺りを警戒しながら進もうとする。

 その瞬間、異変が起こった。

「うわっ!?」

 どこからかコウモリの群れが飛んできて、ブレイドの視界を塞ぐ。それに思わずブレイドがコウモリ達を払おうと両手を振るった直後、ブレイドの胸部に衝撃が走った。

「がぁっ!!」

『五河君!』

 地面を転がったブレイドの耳に、広瀬の声が響く。ブレイドが立ち上がって真正面を見ると、そこには一体の異形が立っていた。

 まるでコウモリのような外見だが、普通の人間と同じように二本の足で地面に立っている。さらに両腕には、合わせると全長八メートルにも及ぶ巨大な翼。腰の辺りには、『UD』という文字と二本の輪になった蛇のような刻印があるバックルが付いている。その姿はどこからどう見ても人間には見えない。

「見つけたぜ、アンデッド!」

 ブレイドは左太腿に装着されている『ラウザーホルスター』に収納されている剣『醒剣(せいけん)ブレイラウザー』を引き抜くと、怪物――――『バットアンデッド』に突進する。

 そしてブレイラウザーをバットアンデッド目掛けて振るうが、バットアンデッドは次々と放たれるブレイラウザーの攻撃を簡単にかわしていく。さらにそのお返しと言わんばかりに、バットアンデッドはその巨大な羽をブレイドの胸部目掛けて振るった。

「ぐっ……!」

 胸部から火花が散り、ブレイドの口からうめき声が発せられる。倒れたブレイド目掛けてバットアンデッドが飛びかかりとどめを刺そうとするが、その前にブレイドがブレイラウザーをバッドアンデッドに投げる。ブレイドの手から放たれてブレイラウザーは見事バットアンデッドの胸部に直撃し、地面に叩き落す。

 ブレイドはすぐさまブレイラウザーを拾い上げると、ブレイラウザーに備え付けられているオープントレイを扇のように展開する。オープントレイには十二枚のカードがセットされており、ブレイドはそこからイノシシのような生物が描かれた一枚のカードを抜き取ると、ブレイラウザーのスラッシュリーダーでカードを読み取る。

『TACKLE』

 音声とピピピピピ……という電子音が鳴ると同時、ブレイラウザーに表示されていた数字が減り、青色の半透明のカードの絵柄が浮かび上がってブレイドの胸部に吸収される。ブレイドが剣を構えながら起き上がろうとしているバットアンデッドに体を向けると、ブレイドの体に凄まじいパワーが宿る。

「だぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 腰を低く落として力を溜めていたブレイドは、叫ぶと同時にバットアンデッドに向かって強烈な突進を放つ。そのまま当たれば間違いなく大ダメージを与えられる威力だろうが、バッドアンデッドは自分の両翼をまるで盾のように自分の前に構える。ブレイドの強力な突進がそのバッドアンデッドの両翼に直撃するが、バッドアンデッドにダメージの色はまったくない。それどころか、次の瞬間両翼を勢いよく広げてブレイドを弾き飛ばした。

「が……は……!」」

 ブレイドの肺から酸素が吐き出され、ブレイドは立ち上がる事ができなくなる。今度こそとどめを刺そうとバッドアンデッドが大量のコウモリ達と共にブレイドに襲いかかろうとした瞬間、ブレイドは再びオープントレイからカードを一枚抜き取りスラッシュリーダーで読み取る。

『SLASH』

 今度はブレイドの胸部ではなく、ブレイドが手にしていたブレイラウザーにカードの絵柄が吸収され、地球上のあらゆる固形物を斬り裂く刃『オリハルコン・エッジ』の切れ味をさらに高める。ブレイドはブレイラウザーを力強く握りしめると、すれ違いざまにバッドアンデッドの胴体を勢いよく斬り裂いた。

『ギャアアアアアアアアッ!!』

 バッドアンデッドは悲鳴のようなものを上げ、斬り裂かれた胸から緑色の血液を勢いよく噴き出しながら地面に激突する。ブレイドがよろよろと立ち上がると同時、バットアンデッドの腰にあるバックルがカシャン、という小気味良い音と共に二つに割れた。その下には良く見てみると、トランプのダイヤのような紋章と数字の八が刻まれている。

「ダイヤのカテゴリー(エイト)か……」

 そう呟きながらブレイドは鎖のような絵柄が描かれたカードを一枚オープントレイから取り出すと、それをバッドアンデッド目掛けて投げる。カードがくるくると回りながらバッドアンデッドの胸に突き刺さると、カードから緑色の光が発せられバッドアンデッドの体がカードに吸収されるように消えていく。

 やがて緑色の光とバットアンデッドの姿が完全に消えると、カードがブレイドの手元に戻って来た。元々は鎖が描かれていたはずのカードには今はコウモリのような絵柄と『SCOPE』という単語が描かれている。ブレイドがカードをしまってため息をつくと、それを待っていたかのように通信が入ってきた。

『お疲れ様。じゃあ、また後でね』

「はい」

 通信が切れると、ブレイドは自分の腰のベルトのサイドレバー『ターンアップハンドル』を引く。するとバックルの中央部『ラウズリーダー』が回転し、カブトムシのような生き物の描かれたカードの絵柄が見えるようになった。さらにラウズリーダーに装填されていたカードを引き抜くと、バックルから青白い光の壁『オリハルコンエレメント』が飛び出し、ブレイドの全身を通過する。オリハルコンエレメントを通過したその体は、高校生ぐらいの年齢に中性的な容姿の少年の姿へと変わっていた。

 少年――――特殊装備『ブレイドアーマー』の装着者、五河士道はんー、とうめき声を上げながら両腕を真上に伸ばしてから腰につけていたブレイバックルを懐にしまい、ブルースペイダーに乗り込んでヘルメットをかぶり、エンジンをかけて洞窟から去って行った。

 

 

 

 

 数十分後、士道はブルースペイダーに乗ったまま研究所のような場所の敷地内の前にいた。自動で開閉する門から中に入ってから専用の駐車場にブルースペイダーを駐車し、指紋認証・虹彩認証・さらにはもっている携帯電話の認証まで行ってからようやく研究所の中に入る。

(相変わらずセキュリティすげえな、ここ)

 あまりの設備に、士道は思わず舌を巻く。ここには何度も来ているとはいえ、やはり慣れるものではない。

 しかし、それも当然なのかもしれない。何せ、ここで自分の仲間達が研究しているのは|そこまでしなくてはならないほど危険な物なのだから。

 士道が入った研究所の中では白衣を着た男達が忙しなく動き、手には研究用の紙やボールペンなどが握られている。士道はいくつかの角を曲がってからようやく目的の部屋の前まで辿り着くと、コンコンと軽く扉をノックした。

「入ってくれ」

 中から聞こえてきたのは中年の男性の声だった。士道がドアノブを捻って中に入ると、中には一人の男性と一人の女性が立っていた。

 女性は活発そうなショートヘアの髪型をしており、その髪型のせいでもあってかどこか勝気そうな印象を抱かせる。男性の方は一見しただけではあまりこれといった特徴は見られないが、目には力強い光が宿っている。士道は男性の目の前まで歩み寄ると、着ている服のポケットから先ほど封印した『SCOPE』のカードを取り出して机に置く。

「これが今日封印したアンデッドです」

 士道はそう言いながら、今はカードに封印されているアンデッドに視線を落とす。封印されているアンデッドに意識があるのかどうかは分からないが、カードに描かれているコウモリの絵柄が今にも動きそうで士道は少し身震いした。

「良くやってくれた。これからも期待しているよ、五河」

 男性――――人類基盤史研究所、通称『BOARD(ボード)』所長、烏丸(からすま)(けい)は士道を見つめて言った。士道は照れくさそうに頭をくしゃくしゃと掻くと、ごまかすように別の話題を口にする。

「でも、最近アンデッドの動きが活発化してませんか? そもそもアンデッドっていうのは一体……」

「そんな事は気にしなくて良い。君はただ、アンデッドの封印に全力を尽くしてくれ」

 士道の言葉を遮るように、烏丸はぴしゃりと言う。烏丸のその険しい表情を見て、士道は自分が何か聞いてはならない事を聞こうとしたような感覚に陥り、思わず誤ってしまった。

「す、すいません……」

「いや、謝られるような事じゃない。そう言えば君は明日から新学期だったね?」

 そこで話題を切り替えるように、烏丸が笑顔を作りながら士道に尋ねてくる。それに士道が頷くと、そばにいた女性――――BOARDの研究員、広瀬(ひろせ)(しおり)が口を開く。

「五河君が明日から高校二年生って事は、琴里ちゃんは中学二年生かしら?」

 琴里というのは、士道の妹である五河琴里の事である。士道とは歳が二つ離れており、天真爛漫という言葉が似合う無邪気そのものの性格をしている。

 だが、何故か琴里の名前を聞いた士道の動きがビシリ、と固まった。しかも何故か額から冷や汗がダラダラと流れ出ている。そんな士道の様子に、思わず広瀬が尋ねた。

「ど、どうしたの五河君? 妹さんと何かあったの?」

「い、いいえ。特に何も……」

 そう言いながらも変わらずに冷や汗をダラダラと流し続ける士道を広瀬と烏丸が怪訝そうに見つめる。

 彼らは知らない。

 今日、士道が家を出る前にある理由で琴里の部屋に入った時に、中学生が読むには少し早い夜の街の楽しみ方を紹介する雑誌や、大人しか入ってはいけない愛のホテルのガイドブックを見つけてしまった事を。

 さらにそれだけではなく、女の子を口説くための本やナンパのための本を見つけてしまった事を。

 しかもそれだけでは飽き足らず、あらゆる縛り方を厳選した本や拷問術の方法を書いた本も士道が見てしまった事を。

 そして、終いにはSMクラブの女王様が愛用してそうな漆黒の鞭を発見してしまった事も……!

「うわあああああああああっ!!」

 その時の事を思い出して、士道は頭を抱えてシャウトした。今までずっと一緒に暮らしてきた妹が、あんな趣味を持っているとは思ってもいなかったのだ。どこかで妹との接し方を間違ってしまったのが原因なのかとも思ったが、士道にはそんな心当たりは全く無い。

 いや、と士道は心の中でその考えを否定した。まだそうだとは決まったわけではない。もしかしたら何かの間違いだという事も考えられる。家族である自分が琴里を信じてやれなくてどうするというのだ。とりあえず今日の夕飯は琴里の大好物で揃えてみよう、と士道は思った。

 それから立ち上がると、広瀬と烏丸が驚いた顔で自分を見ている事に気付いた。それに自分が大声を上げた事を思い出し、慌てて広瀬達に謝る。

「す、すいません! 別に本当に何でもないんで、気にしないでください。あはははは……」

「そ、そう……」

 士道が誤魔化すように笑うと、広瀬と烏丸は未だ怪訝な顔をしながらもそれ以上追及する事を避けてくれたので、士道はほっと息をついてから二人に言う。

「じゃあ、夕飯の準備とかありますから、俺はこれで帰ります」

「ええ、気を付けてね。アンデッドの件もあるけど、最近は空間震がやけに多くなってるから」

「はい」

 ぺこりと二人に向かって頷くと、士道は部屋の外へ出た。それから来た時と同じように網膜認証などの手続きを終えてから、ようやく研究所を出て駐輪場へと向かう。

 辿り着いた駐輪場で士道はポケットからバイクの鍵を取り出しながら、先ほどの空間地が多くなっているという広瀬の言葉を思い出す。

「……そう言えば、確かに最近多いよな。何でだ?」

 士道は眉をひそめながら、そんな独り言を呟いた。

 空間震。

 一般的に空間の地震と呼ばれる、広域振動現象の事である。

 しかも発生原因は不明、発生時期は不定期、被害規模は不確定という理不尽極まりない現象だ。

 この空間震と呼ばれる災害が初めて人類に認識されたのは、今から三十年前。

 ユーラシア大陸の中央部……当時のソ連や中国、モンゴルを含む一帯がくりぬかれるようにして消失した。

 士道達の世代の教科書にはその事が当たり前のように載っているし、写真もある。

 それは、その空間震の被害があまりにも大きい事を意味している。

 死傷者数およそ一億五千万人。過去の事例と比べてみても、有史始まって以来最大最悪の災害だ。

 しかもその後の半年間、規模はそれに比べたら小さいものの、世界各地で似たような現象が発生し始めた。

 士道の覚えている限りでは、その数はおよそ五十例。しかもそれは士道の覚えている限りなので、実際ではもっと多い可能性がある。

 そして、空間震が発生しているのは日本も同じだった。

 最大最悪の災害、ユーラシア大空災の六か月後に、東京都の南部から神奈川県北部にかけての一帯が円状に焦土と化したのだ。ちょうど今、士道達が住んでいる地域――――『天宮市(てんぐうし)』の辺りである。

 それからその大厄災――――南関東大空災を最後にして、空間震はしばらく確認されなくなった。

 しかし五年前、再開発された天宮市の一角で空間震が確認された。するとそれをきっかけにするかのように、再び空間震が確認された始めたのである。

 しかもどういう因果か、その多くは日本で起こっていた。

 が、人類も空間震が起こらなかった二十五年間、ただ何もせずのんびりとしていたわけではない。

 ここ天宮市をはじめ、三十年前から全国の地下シェルター普及率は爆発的とも言えるほどに上昇している。

 それに加え、空間震の兆候を事前に観測する事も可能になり、極め付けには自衛隊の災害復興部隊などというものもある。

 空間震が発生した被災地に向かい、崩壊した施設や道路などを再建する事を目的に組織された部隊であり、その仕事は魔法としか言いようがない。

 なにせめちゃくちゃに破壊された街を、わずかな期間の内に元あった状態にまで復元してしまうのだ。普通の人々からしてみれば、まるで手品でも見せられているような気分だろう。

 だが、BOARDという組織に所属している士道は知っている。自衛隊の災害復興部隊は、ある技術を用いる事で不可能を可能にしているのだ。

 顕現装置(リアライザ)。それが手品のタネともいえるものだ。

 三十年前、人類が手にした奇跡の技術。コンピュータ上の演算結果を物理法則を歪めて現実世界に再現する。

 簡単に言うと、制限付きではあるが想像を現実にする技術の事だ。科学的な手段を用い、『魔法』を再現するシステムと表現する事もできる。

 これらを用いる事で、人類は復興を成し遂げてきた。

 しかしどうやら、運命の神様とやらはよほど人類に理不尽を押し付ける事が好きらしい。

 今から五年前、ある生物がこの世に解き放たれてしまった。

 生物の特徴の一つは、地球上に住むあらゆる動植物の特徴を備えている事。今日士道が戦ったバットアンデッドはコウモリの性質を持っていたし、前に士道が戦ったボアアンデッドはイノシシの性質を持っている。

 そしてこれらの生物の何よりの特徴は、どういう手段を用いたとしても『殺す』事ができないという事だ。

 大きなダメージを与えたとしても、時間が経てばすぐに復活してしまうという厄介極まりない特性を持つ。

 元々生物達を研究していたBOARDは、この生物達を不死を意味する『undead』から取ってアンデッドと名付けた。

 街に与える被害は空間震の方が大きいかもしれないが、アンデッドは無差別に人を襲い、殺害するという下手をすれば空間震よりもタチが悪い生き物だった。

 だがアンデッドは、空間震とは違って世間には公表されていない。その理由は、アンデッドがこの世界に解き放たれてしまった理由に直接関わってくるからだ。

 元々アンデッドはカードに封印されていた生命体であり、何かの手違いでもない限り封印から解き放たれる事のない存在だった。

 それが五年前、何者かの手によって封印されていたほとんどのアンデッドがカードの封印から解放され、世界に解き放たれてしまった。

 アンデッドが解放された時の理事長、天王路(てんのうじ)博史(ひろし)はその時の責任を取って理事長を辞任したものの、それで全て終わったわけではない。

 全てのアンデッドを再封印するため、理事長を辞任する前に天王路はあるシステムを開発した。

 封印されたアンデッドの力を再現する能力を応用したシステム、通称『ライダーシステム』を。

 その後アンデッドを全て再封印する事を決定し、天王路は理事長を辞退し、新しく烏丸が所長に就任したというわけだ。

 それからBOARDはライダーシステムの装着者を捜し、ある理由から一般人である士道に白羽の矢が立った。なので士道は正確にはBOARD所属ではなく、あくまでアルバイトの学生という身分である。命を懸けてアンデッドと戦う事をアルバイトと呼んで良いものか判別に苦しみはするが。

 なお、ライダーシステム使用者である士道はたまにこう呼ばれている。

 怪物と戦うために、怪物と同化する者。

 ライダーシステムにはカテゴリーA(エース)と呼ばれる、他のアンデッドよりも強力なアンデッドが必要であり、装着者はそのアンデッドの力を使用する事で変身する事が可能となるのであながち間違いではないのだが、遠まわしに自分が怪物と呼ばれるようであまり良い気分はしない。

 ちなみに今士道が使っているライダーシステムは、ライダーシステム第二号『ブレイド』だ。元々第一号である『ギャレン』もあったのだが、ある事情で今は紛失してしまっている。

「ギャレンも今どこにあんのかな……。やっぱ一人だと、結構キツいんだよなぁ……」

 まだ戦闘に関しては素人である士道が一人でアンデッドと戦うのは危険を伴うし、何体もいるアンデッドを封印するという面に関しての効率も悪い。ライダーがもう一人いてくれれば士道も楽になるのだろうが、生憎新しいライダーシステムもまだできていない。

 無論その事を承知で士道もライダーシステムを使ってアンデッドと戦っているし、給料もアルバイトと呼ぶには少々高めなほどに振り込まれている。なので今の仕事にはそこそこ満足しているが、やはりアンデッドと戦う時など怖いものは怖い。

「っと、こんな事してないで早く帰らないとな。消しゴムとか買わなきゃいけないものもあるし……」

 士道は少し慌てながらブルースペイダーのエンジンをかけると、スーパーへと急ぐのだった。

 そして翌日の四月十日。

 その日をきっかけにして運命の歯車が回り出す事を、士道は未だ知らない。

 

 

 

 

 

 




この話では明かされなかった話などは、後々明かしていこうと思っています。では亀更新になると思いますが、よろしくお願いします。


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第二話 運命の歯車が回る時

今回、アニメデート・ア・ライブの予告的な事を書いてみます。c.vは三石琴乃さんを想像して聞いていただければ幸いです。



運命。
それは時に非情な真実を、時に残酷な試練を、人間達に与える。
人はそれをただ受け入れ続けるのか、それとも、絶対的な運命に逆らうのか?
少年よ、運命の切り札を掴み取れ!


 五河士道がバットアンデッドと戦い、無事に封印して仕事を完了させた翌日、四月十日。

 士道は自分の胸やら腹やらを踏まれまくる衝撃で目が覚めた。

 昨日はアンデットとの戦いに疲れていたのと、今日から始まる学校に備えて早く寝たのだが、いくらなんでも今日のような目覚め方はあんまりだと思う。

 衝撃が走る胴体に目をやってみると、そこには自分の妹が背を向けた状態で、まるでサンバでも踊るかのようにリズムを踏んでいた。そのようなリズムを踏むのはゲームセンターなどにあるリズムゲームとかにしてくれ、と士道は内心切実に思った。

「……おい。俺の可愛い妹、琴里さんよ」

「おおっ!?」

 士道からの声でようやく士道が起きた事に気付いたのか、妹――――五河琴里が士道に顔を向ける。ツインテールにまとめられた髪が揺れ、どんぐりのような丸い両目が士道の顔を見据える。

 なお、今の士道の位置からはパンツが丸見えであるが、彼女に恥ずかしがる様子などはまったくない。士道はその事でため息をつきそうになるが、当の琴里はそんな事など露知らずに無邪気な笑顔を士道に向けてくる。

「何だ!? 私の可愛いおにーちゃんよ!」

 士道の上に乗ったまま、琴里がそう尋ねてくる。妹から可愛いって言われてもなー……と士道は思いながら琴里に告げる。

「早くそこから降りてくれ。重いんだよ」

 すると、琴里は案外素直にベッドから飛び降りてくれた。

 その代わりと言わんばかりに、士道の腹にボディブローのような強烈な衝撃を残して。

「ぐふっ!」

「あははははっ! ぐふだって! 陸戦用だー! あははははっ!」

「誰がんな事を言えと言った……!」

 士道は呻きながらも布団を被りなおす。時計を見てみると、今はまだ五時半だ。いくらなんでも早すぎる。もう少し寝ていたってバチは当たらないはずだ。

「あー! こらー! 何でまた寝ようとするんだー!」

 声を張り上げながら士道をゆっさゆっさと揺すってくる。士道は眠気に襲われながらも、苦しげに口を開いた。

「に、逃げるんだ琴里……!」

「え?」

「今まで秘密にしていたんだが……、実は俺は『とりあえず、あと十分は眠らないと妹をくすぐりまくって笑い死にさせてしまうウイルス』、略してT-ウイルスに感染しているんだ……」

 もちろんこれは完璧な嘘である。こんな嘘を信じる人間などいないだろうが、どうやら純粋無垢な自分の妹はそんな嘘も信じてしまうらしい。彼女は丸い両目をさらに見開き、

「な、なんだってー!」

 と、そのタイミングを見計らった所で、士道は何となくアンデッドを意識しながら両手を勢いよく上げて布団の中から飛び出す。

「がー!」

「ギャー!!」

 それと同時に、琴里は悲鳴を上げて士道の部屋を飛び出して行った。士道は床に着地すると、再び心地よい眠りにつくために布団を被りなおす。しかしそこで、士道はある事に気が付いた。

 昨日から自分達の両親は仕事の事情で出張に行ってしまっており、家にいない。

 そのため、しばらくは士道が台所に立つ事になったのだが、朝中々起きる事ができない士道は琴里に目覚ましを依頼していたのだった。

「あー……」

 仕事や学校の準備で疲れていたととはいえ、少し悪い事をしてしまったかもしれないと思い、ベッドから体を起こす。それからあくびを噛み殺しながら階段を下りてリビングに入ると、そこには奇妙な景色が広がっていた。

 リビングの真ん中に置かれていたはずのテーブルが倒され、まるでバリケードのようになっている。その後ろでは、琴里のトレードマークのツインテールがプルプルと震えていた。どうやら先ほどの士道の悪ふざけが相当怖かったらしい。

 士道はそれに苦笑すると、琴里に気付かれないように足音を殺してテーブルの横側に回り込む。そこにはやはり、琴里が体育座りの状態で身を震わせていた。士道は先ほどと同じように、琴里の肩を掴んで力のこもっていない声を上げる。

「がー」

「ギャァァアアア!!」

 すると琴里はまるでゾンビ映画でゾンビに出くわしたような一般人Aのような絶叫を上げながら手足をばたつかせた。どんだけ怖かったんだよ、と内心思いながら琴里に言う。

「落ち着け落ち着け。いつものおにーちゃんだ」

「ぎゃー! ぎゃー……あ? お、おにーちゃん? 本当におにーちゃん?」

「本当本当」

「こ、怖くない?」

「怖くない怖くない。俺、琴里トモダーチ」

「お、おー」

 士道がどこかの星の宇宙人みたいに片言で言うと、琴里の顔から緊張が抜けていく。士道はそんな琴里の頭をくしゃくしゃと撫でてやりながら言った。

「悪い悪い。すぐ朝飯準備するからな」

 そして琴里の手を取って立ち上がらせ、テーブルの元に位置に戻すと士道はエプロンをかけて台所へと向かう。

 士道と琴里の両親は大手のエレクトロニクス企業に勤めており、一緒に家を空ける事がしばしばある。

 その際の食事当番は士道が担当しているので、もうすっかり手慣れたものである。士道自身、母よりも調理器具の扱いには自信があるほどである。

 なお、士道がブレイドとしてアンデッドと戦っている事は琴里も両親も知らない。アンデッド及びBOARDの事はトップシークレット扱いになっているので、ブレイドとしてアンデッドと戦っている士道でも家族にBOARD関連の事について話す事は許されていない。時々士道の口座に振り込まれている給料については、アルバイトの給料と誤魔化している。とは言ってもアルバイトの給料と言う割には少々高めに設定されているので、それを両親にいつか指摘されてしまう事が不安と言えば不安だが。

 士道が朝ごはんの準備をしていると、背後からテレビの音が聞こえてきた。どうやら先ほどの騒動から落ち着いた琴里が電源を入れたらしい。

 彼女の日課は毎朝星座占いと血液型占いを見る事なのだが、そういうコーナーは大体は番組の最後に放送されている。彼女は一通りチャンネルを変えると、仕方なくニュース番組を見始めた。

 そんな時だった。

『今日未明、天宮市近郊の……』

「ん?」

 アナウンサーの口から発せられた自分達の街の名前に、士道がカウンターテーブルに身を乗り出すようにして画面に視線を放ると、そこには滅茶苦茶に破壊された街の様子が映し出されていた。 

「ああ……空間震か」

 士道は呟きながら、うんざりと首を振った。昨日も確か起こったはずなのに、どうやらあれからまた起こったらしい。あまりの空間震の多さにため息をつきながら、士道は琴里に言った。

「一時は全然起こらなかったのに。どうしてまた増え始めたんだろうな」

「どうしてだろねー」

 琴里はテレビに視線をやったまま首をかしげる。琴里に言っても理由は分からない事は重々承知の上だったが、それでも言わずにはいられない。何せ昨日に続いて今日再び起こったのだ。いくらなんでも回数が多すぎる。下手をすると、アンデッドが発見される回数よりも多いのかもしれない。

「何か、ここら辺一帯って妙に空間震多くないか? 去年くらいから特に」

「んー、そーだねー。ちょっと予定より早いかなー」

「早い? 何がだよ」

「んー、あんでもあーい」

 その声に、士道は準備の手を止めた。

 琴里の言葉の内容も気になったが、何よりも彼女が発した声が後半から少しくぐもったからだ。士道は無言でカウンターテーブルを迂回すると、ソファにもたれかかった状態でテレビを見ている琴里のそばに歩いて行く。

 彼女もそれに気付いたのか、士道が近づくに合わせるかのように徐々に顔を背けていく。まるで、士道に顔を見られるのを恐れているかのように。

「おい琴里、ちょっとこっち向け」

「………」

 いつまでも黙った状態なので、士道は実力行使に出る事にした。妹の頭に手を置いて、無理矢理彼女の顔を自分の顔の正面に持ってこさせる。

 すると士道の予想通り、彼女の口元にはあるものが咥えられていた。

 それは、琴里の大好物であるチュッパチャプスだった。士道はやれやれを言うようにため息をついてから、少し怒ったような表情で言う。

「こら、飯の前にお菓子を食べるなって言っただろ」

「んー! んー!」

 雨を取り上げようと棒を引っ張るが、琴里は唇をすぼめて抵抗してくる。凄まじい間でのチュッパチャプスへの執着だった。士道はこれ以上続けても無駄という事を悟ると、チュッパチャプスの棒から手を放した。

「……ったく、ちゃんと飯も食うんだぞ?」

 そう言って琴里の頭をぐりぐりやってから、再び料理の準備をするために台所に戻る。

「おー! 愛しているぞおにーちゃん!」

 妹からの愛の言葉を、しかし士道は適当に手を振って流すと作業に再び入る。

「そう言えば、今日は中学校も始業式だったよな?」

「ん、そうだよー」

「じゃあ昼時には戻ってくるよな……。昼飯に何かリクエストはあるか?」

 その言葉を聞くなり、琴里は目を輝かせて士道に半ば叫ぶように言った。

「デラックスキッズプレート!」

「当店ではご用意できかねます。またのご来店をお待ちしております」

「即答!?」

 ガーン、と効果音が出そうなぐらい驚いた琴里は不満そうにキャンディの棒をピコピコと上下に動かす。それを見て士道ははぁと嘆息し、肩をすくめた。

「ったく、仕方ないな。折角だから昼は外で食うか」

「本当!?」

「おう。んじゃ、学校終ったらいつものファミレスで待ち合わせな」

 すると、琴里は興奮した様子で手をぶんぶんと振り始めた。

「絶対だぞ! 絶対約束だぞ! 地震が起きても火事が起きても空間震が起きてもファミレスがテロリストに占拠されても絶対だぞ!」

「いや、占拠されてたら飯食えねえだろ」

 まぁ、テロリストに占拠されている最中にアンデッドが乱入でもしてきたら、美味しくいただかれるのはテロリストの方かもしれないけど……と士道は小声で呟いてから、我ながら笑えないジョークだと内心思う。アンデッドが人間を食べたという事例は聞いた事が無いが、まだアンデッド達に関しては分からない事があるのでそういうアンデッドが例えいたとしてもおかしくはない。そんな士道の内心など知るはずもなく、琴里が声を上げてくる。

「絶対だぞー!」

「はいはい。分かった分かったから」

 そう言うと、琴里はおー! と手を上げた。

 少し甘いかもしれないなぁと思わなくもないが、今日は特別という事にしておこう。

 今晩からしばらくは台所に立たねばならないし、何よりは今日は二人共始業式だ。アンデッドと戦って貯めたお金もあるし、今日ぐらいは贅沢をしても良いだろう。

 とは言っても、七百八十円のお子様ランチが贅沢に当たるかどうかは微妙な所だが。

「……」

 士道は台所の子窓を開けて、晴れ渡っている空を見上げる。

 今日ぐらいはアンデッドが出てきませんように、と士道は心の中で本当にいるか分からない神様に拝んだ。

 

 

 

 

 士道は学校に着くと、廊下に張り出されているクラス表を確認してから一年間お世話になる教室へと向かった。ちなみに士道の新しいクラスは二年四組だった。

 三十年前の空間震が起こってから、空間震で更地になってしまった一帯は様々な最新技術のテスト都市として再開発が進められてきた。現在士道が通っている都立来禅高校もその例の一つである。

 都立高とは思えない充実した設備の上、数年前にできたばかりのため学校そのものの損傷もほとんどない。しかも旧被災地の高校のため、地下シェルターも最新のものだ。

 ちなみにそのためからか入試倍率は低くなく、ただ単に家が近いからという単純な理由で受験を決めた士道は少々苦労する事になった。

 士道は教室に入ると、何となく教室を見回してみた。

 まだホームルームまで少し時間があるが、結構な人数が揃っている。しかし、士道の知った顔はあまりいなかった。退屈なので士道が黒板に張り付けられている座席表の紙を確認しようとしたその時。

「五河士道」

 士道の後ろから、と唐突に静かな声がかけられた。

 ん? と聞き覚えのない声に士道が振り返ると、そこには細身の少女が一人立っていた。

 肩に触れるか触れないかくらいのショートカットの髪の毛に、人形のような顔が特徴的だ。

 人形のような、という形容はやや失礼かもしれないが、それ以外に少女の容姿を最もうまく言い表せる言葉が無いのも事実だった。

 美少女、と言える顔立ちであると同時に、彼女の顔には感情と呼べるものがまったく窺えないからだ。

「えっと……俺……だよな?」

 士道は自分を指さしながら恐る恐る尋ねる。

「そう」

 そんな馬鹿な行動にもまったく表情を変えず、少女は小さく頷いた。

「な、何で俺の名前を知ってるんだ……?」 

 目の前の少女とはまったく面識がない。なのにどうして自分の名前を知っているのか士道が怪訝に思っていると、何故か少女は不思議そうに首を傾げてきた。

「覚えてないの?」

「う……」

 士道は思わず黙り込んでしまった。この少女の口ぶりからすると、どうやら自分はこの少女と前にどこかで会った事があるらしい。しかし、それでも士道はまったく思いだす事ができなかった。するとその士道の反応を肯定とみなしたらしい。少女は特に落胆らしいものも見せずにそう、と短く言うと窓際の席に歩いて行った。

「……何なんだろう、あの子」

 士道が眉をひそめると、突然背中に衝撃が走った。士道はそれに驚きながら、振り返って背中を叩いた犯人を睨み付ける。

「ってぇ、何しやがる殿町!」

 こちらの犯人はすぐに分かった。士道の友人、殿町宏人だ。彼は何故かにやにやと笑いながら、

「おう、元気そうだなセクシャルビースト五河」

「誰が淫獣だよ」

 士道が言うと、殿町は肩をすくめて、

「お前だよお前。いつの間に鳶一と仲良くなったんだよ、ええ?」

 そう言いながら殿町が士道の首に腕を回し、ニヤニヤしながら聞いてきた。士道はその名前に心当たりはなかったが、ある事に気づいて友人に言う。

「鳶一……? あ、もしかしてさっきの女の子か?」

「正解だ」

 殿町はそう言って、窓際の席を示した。

 そこには先ほどの少女が座って、何やら分厚い技術書のような本を読んでいた。

 と、士道の視線に気づいたのか少女が目を本から外して、士道に目を向けてくる。士道は思わず息を詰まらせて、気まずそうに目を背ける。

 それに対して、殿町は馴れ馴れしく笑って手を振った。

「………」

 しかし少女は特に何も反応を示さず、手元の本に視線を戻した。

「ほら見ろ、あの調子だ。うちの女子の中でも最高難度。永久凍土とか米ソ連とかマヒャデドスとまで呼ばれてんだぞ。お前、一体どうやって取り入ったんだよ」

「はぁ……? 一体、何の話だよ」

「……え、もしかしてお前本当に知らないのか?」

「ん……。確か前のクラスにはいなかった気がするし……」

 すると、殿町は信じられないといった具合に両手を広げて驚いたような顔を作った。いちいち動作がオーバーな少年である。

「鳶一だよ、鳶一折紙。ウチの高校が誇る天才。知らないのか?」

「ああ、初めて聞くけど……すごいのか?」

「すごいなんてもんじゃねえよ。成績は常に学年主席、この前の模試にいたっちゃ全国トップとかいう頭のおかしい数字だ。クラス順位は常に一個下がる事を覚悟しといた方が良いぜ」

「別にそこまで気にしてないけどな……。ってか、なんでそんな奴が公立校にいるんだよ」

「さぁてね。家の都合とかじゃねえの?」

 大仰に肩をすくめながら、殿町がさらに続けてくる。

「しかもそれだけじゃなく、体育の成績もダントツ、ついでに美人ときてやがる。去年の『恋人にしたい女子ランキング・ベスト13』でも第三位だぜ? 見てなかったのか?」

「やってた事すら知らねえよ」

「ったく、お前って奴は……。っと、『恋人にしたい男子ランキング』での第二位は、あいつだ」

 そう言いながら殿町が前の方に顎をしゃくると、士道もその方向に視線を向ける。

 二人の視線の先には、一人の男子生徒が窓際に寄りかかって外を見ていた。同性の士道から見てもイケメンと思うほどの顔立ちだが、どこか冷たい雰囲気を漂わせているためか近づきがたい印象を見る者に与えてくる。こうして見ている今も、少年はつまらなそうな表情を浮かべていた。

相川(あいかわ)(はじめ)。鳶一ほどじゃないけど成績は常に上位にいるし、運動神経も抜群。しかもあの顔だから、女子からの人気はめちゃくちゃ高い」

「へぇ。だけど、どうして二位なんだ? 上にあいつ以上に人気のある奴がいるのか?」

「いや、顔は十分に一位に入ってもおかしくないレベルなんだが、どうもクールっていうか、無愛想な性格をしてるんだよ。前にラブレターを出した女子にも、『興味が無い』ってばっさりだったらしいぜ? まぁそのクールな性格も良いらしいんだけど、そのせいで二位止まりってわけだ」

「なるほどね……」

 しかしそれでも二位に入っているのだから大したものである、と士道は思う。そしてそこまで聞くと、自分が一体何位だったのか少し興味が湧いてくる。すると士道の考えを察したのか、殿町が口を開く。

「ああ、ちなみにお前は匿名希望さんから一票入ったから52位だ。安心しろ」

「微妙な数字だなー……」

「安心しろ。『腐女子が選んだ校内理想のベストカップル』では、その相川始とセットで見事一位だったぞ。何でも、『五河君が受けで相川君が責め』らしい。良かったじゃないか!」

「ふざけんな! どこをどう安心しろっていうんだよ!!」

 あんまりな言いように士道は思わず立ち上がって怒鳴った。

 するとそれと同時に、ホームルームの始まりを告げる予鈴が鳴った。まだ自分の席を確認していなかった士道は黒板に書かれた席順に従い、窓際から数えて二列目の席に鞄を置いた。

 そこである事に気付いた。士道の席は、鳶一折紙の隣だったのだ。なお、相川始の席は士道の左斜め前である。

 折紙は予鈴が鳴り終わる前に本を閉じ、机にしまい込むと視線を前に向けて美しい姿勢を取る。

 始は予鈴が鳴ると同時に自分の席に着くと、退屈そうに頬杖をついて視線を前に向けた。

「………」

 何故か二人を凝視している自分に気付いた士道は慌てて二人と同じように視線を黒板の方にやった。

 それと同時に、教室の扉が開かれると教室に眼鏡をかけた小柄な女性が現れ、教卓につく。士道の周りから、嬉しそうな声が聞こえてきた。

「タマちゃんだ」

「マジだ。やったー」

 生徒からそんな声を受けて、タマちゃんと呼ばれた女性は微笑むとクラスの生徒達に挨拶をする。

「はい、みなさんおはよぉございます。これから一年、皆さんの担任を務めさせていただきます岡峰珠恵です」

 そう言って頭を下げると、サイズが合っていないためか微妙に眼鏡がずり落ち、慌てて両手で押さえた。

 生徒と同年代に見える童顔と小柄な体、さらに口調からも分かる通りののんびりとした性格で生徒の間で絶大な人気を誇る先生である。まだ結婚相手はいないらしいが、士道としてはまだ結婚相手が見つかっていない事が不思議でしょうがなかった。

「………?」

 その時、士道は何故か横から強い視線のようなものを感じて顔を横に向けてみる。

 すると、士道の左隣に座っている折紙とばっちり目が合ってしまった。どうやら先ほどからの強い視線の正体は彼女が送っていたものだったらしい。士道は慌てて目を逸らすが、折紙の視線は変わらず士道の方を向いている。

 一瞬士道の先にあるものを見ているのではないかとも思ったが……違う。これは明らかに士道の顔をガン見している。

 何故自分をそんなに見ているのかと尋ねたかったが、ホームルーム中であるし、勘違いであったら恥ずかしいので、士道は額から汗を一筋垂らしながらホームルームを過ごした。

 

 

 

 そんな事が起こってから約三時間後。

「おい五河。どうせ暇なんだろ、飯いかね? 最近お前バイトとかで忙しそうだったけど、今日は大丈夫だろ?」

 始業式を終えて、士道が帰り支度を整えていると殿町が話しかけてきた。昼前に学校が終わるなどテスト期間以外ではそうないので、士道達以外にも友人とどこで昼食を食べるかを相談している集団の姿が見る事ができる。

 ちなみに殿町の言う『バイト』とは、もちろんアンデッド封印の仕事である。基本的にBOARDは士道の学校生活を考慮してくれているものの、学校が終わった放課後などにアンデッドが出現した場合は即出動が要請される。それ以外にもブレイドとしてアンデッドと戦うための戦闘訓練やトレーニングなどのために時間を割かれる事があるため、必然的に友人と遊ぶ時間が少なくなってくる。そしてそのトレーニングなどのせいか、最近の士道の体は前よりも鍛えられていた。

「悪い。今日は先約があるんだ」

「何? バイトじゃなくて先約? まさか女か?」

「あー、まぁ一応」

「何だと!」

 殿町はまたもや大げさに驚いた。普通にリアクションする事は出来ないのかお前は、と士道は内心ツッコミを入れる。

「一体昼休みに何があったっていうんだ! 鳶一と仲良くお話しするだけじゃ飽きたらず、女と昼飯の約束だと!? 誰だコノヤロー! まさかバイト先の先輩か!?」

「違う違う。琴里だよ」

 士道は手をひらひらと振りながら否定した。戦闘のサポートなどでお世話になっているものの、少なくとも自分の上司である広瀬とは一緒に食事に行くような関係ではない。それどころか、彼女は彼氏と食事に行く事すらした事が無いのだ。まぁ、それを言ってしまったら自分も琴里以外の女性と食事に言った事などまったくないのだが。

 士道が否定すると、殿町は安堵したように息を吐いた。

「んだよ、驚かすんじゃねえよ」

「お前が勝手に驚いたんだろ。俺のせいにするな」

「でも、琴里ちゃんなら問題ねえだろ。俺も一緒に行って良いか?」

「ん? ああ、別に大丈夫だと思うけど……」

 士道がそう言うと、殿町が士道の机に肘を載せて何故か声をひそめるように言ってくる。

「なあなあ、琴里ちゃんって中二だよな。もう彼氏とかいんの?」

「………多分いないと思うけど、何でだ?」

 一瞬昨日彼女の部屋で発見してしまった怪しげな雑誌の事を思い出してしまい遠い目になる士道だったが、すぐに我を取り戻して逆に問い返す。

「いや、別に他意はねえんだが、琴里ちゃん、三つくらい年上の男ってどうなのかなと」

「……やっぱ却下だ。お前来んな」

 半眼を作りながら、顔を近づけてきていた殿町を頬をぐいと押し返した。

「そんなお義兄様!」

「次お義兄様とか言ったらぶん殴るぞ」

 士道が睨みながら言うと、殿町は肩をすくめた。

「冗談だよ。俺も兄妹団欒をつっつくほど野暮じゃねえよ。条例に引っかかんねえ程度に仲良くしてきな」

「どうしていっつも一言余計なんだよ、お前は」

 士道がため息をつきながら立ち上がりかけたその瞬間。

 

 

 教室の窓ガラスをビリビリと揺らしながら、街中に不快なサイレン音が鳴り響いた。

 

 

「な、何だ?」

 殿町が窓を開けて外を見やる。教室に残っていた生徒達も、サイレンの音に会話をやめて目を丸くしていた。

 そして、サイレンに次いで機械越しの音声が響いてくる。

『――――これは訓練ではありません。これは訓練ではありません。前震が観測されました。空間震の発生が予想されます。近隣住民の皆さんは速やかに、最寄りのシェルターに避難してください』

 その声の内容を理解すると同時、今まで黙っていた生徒達が一斉に息を呑んだ。

 空間震警報。

 クラスに残っていた全員の予想が、確信に変わった。

「おいおい、マジかよ……」

 士道の横で、殿町が渇いた声を発した。

 しかし、士道や殿町を含め、教室にいた生徒達は緊張と不安が入り混じった表情を浮かべているものの、パニックなどにはなっていない。

 天宮市は三十年前の空間震によって深刻な被害を受けているため、士道達は幼稚園にいた時から嫌と言うほど避難訓練を繰り返している。それに加えて、ここは生徒が集まる高校だ。全校生徒を収容できる規模の地下シェルターが備え付けられている。

「シェルターはすぐそこだ。落ち着いて避難すれば問題ない」

「お、おう。そうだな」

 士道は殿町に言いながら、携帯電話を開いて画面をチェックする。

(アンデッドは……さすがに出てないみたいだな)

 アンデッドが出現した場合、反応を探知した広瀬が士道の携帯電話に連絡を入れる手はずになっている。空間震が起きている最中にアンデッドまで現れたら少し厄介な事になっていたが、どうやらアンデッドは出現していないらしい。それにほっとすると、携帯電話をポケットにしまって教室から出る。

 廊下にはすでに生徒達がシェルターに向かって列を作っていた。

 しかし、士道はある事に気付いた。

 一人だけ、列と逆方向……昇降口の方に走っている生徒がいたからだ。

「鳶一……」

 その人物は、士道の隣に座っていた少女、鳶一折紙だった。

「お、おい! 何してんだ! そっちには……」

「大丈夫」

 折紙は一瞬足を止めると、士道にそれだけ言ってから再び駆け出していく。

「大丈夫って、何がだよ……」

 首をひねりながらそう呟くと、士道は再び生徒の列に並ぶ。彼女の事は心配だが、もしかしたらただ単に忘れ物でもしたのかもしれない。警報が発令されたからと言ってもその後すぐ空間震が起こるというわけでもない。すぐに戻ってくれば大丈夫なはずである。

 士道は列に並びながら、ある事を思い出してさっき取り出した携帯電話を再び開く。

「ん、どうした?」

「いや、ちょっとな」

 言葉をかけてきた殿町に返しながら、士道は電話帳の中から『五河琴里』の名前を選んで電話をかける。

 だが、繋がらない。何回か試してみても、結果は同じだった。

「……駄目か」

 士道は繋がらない携帯電話の画面を見つめながら、小さく呟く。彼女がまだ中学校にいるならば安全のはずだ。しかし、すでに学校を出てファミレスに向かっていたら話は別になってくる。

 いや、と士道は首を横に振る。ファミレスの近くにもシェルターはあるし、普通に考えれば問題はないはずだ。

 だが……士道の胸から不安が消え去る事はなかった。警報が鳴っても、ずっと士道を待っている妹の姿が想像できてしまっていて。

「い、いや。あいつもさすがにそこまで馬鹿じゃないし……。そうだ。GPS……」

 琴里の携帯電話はGPS機能を用いた位置確認サービスに対応している。携帯電話を操作すると、街の地図と琴里の位置を指し示す赤いアイコンが表示された。

「……っ!!」

 その赤いアイコンを見て、士道は思わず息を呑む。

 そのアイコンは、約束のファミレスの前で停止していた。

「あの……馬鹿!!」

 毒づきながら携帯を閉じて、士道は生徒の列から飛び出して昇降口に向かう。

「お、おい! どこにいくんだ五河!」

「忘れものだ!」

 適当に言いながら、士道は全速力で走って行った。

 その士道の姿を、じっと見つめる人間がいた。

「………」

 それは、さっき士道と殿町の間で話題になっていた少年、相川始だった。

 彼は士道から視線を外すと、右手をポケットに突っ込みながら他の生徒達と同じようにシェルターに向かう。

 その右手には。

 アンデッドが封印されたカード――――ラウズカードが握られていた。

 

 

 

 

 学校を出た士道は学校前の坂道を全速力で駆け下りていた。ブルースペイダーを使えばもっと早く行けたのかもしれないが、残念ながらブルースペイダーは現在士道の家に置いてある。バイクが無い以上、走っていくしかない。

「こんな事になったら、普通避難するだろうが……!」

 士道の視界には不気味な光景が広がっていた。

 道路には車が通っておらず、街並には人影がまったくない。

 どんな時間帯でも誰か一人は必ずいるはずのコンビニでさえも、人はいなかった。

 大空災以来、神経質なほど空間震に対して敏感に再開発されたのがこの天宮市だ。公共施設の地下だけでなく、一般家庭のシェルター普及率も全国一位だという話をどこかで聞いた事がある。

 それに最近の空間震の頻発もあるのか、避難は迅速だった。

 なのに。

「何で馬鹿正直に残ってやがんだよ……!」

 全速力で走りながら、携帯を開いて現在の琴里の位置を確かめる。

 アイコンは、やはりファミレスの前から動いていない。

 士道は携帯電話をしまいながら、走り続ける。この時ほどBOARDが作成した、アンデッドとの戦いに備えてのトレーニングをしていた事を感謝した事はない。

 そうして走り続け、もうすぐファミレスに辿りつくと思われた時だった。

「……? 何だ、あれ?」

 視界の端に何か動く見えたものが見えた気がして、士道は思わず空を見上げる。

 数は三つか四つ。空に何やら人影のようなものが浮いている。

 まさか、アンデッドか……? と士道が懐に常備しているブレイバックルに手を伸ばしかけた瞬間。

 衝撃が、士道を襲った。

「うわっ!?」

 何が起こったのかよく分からなかった。ただ、突然進行方向の街並みが光に包まれた事だけは、何とか知覚する事が出来た。さらにそれに続いて、鼓膜を破るんじゃないかと思ってしまうほどの爆音と凄まじい衝撃波が士道を襲う。

 士道は吹き飛ばされ、地面に叩き付けられながら何とか受け身をとって衝撃を軽減する。それからゆっくりと立ち上がると、目の前の光景に思わず間抜けな声を発してしまっていた。

「はっ……?」

 街並みが、無くなっていた。

 比喩でもなんでもない。まるで地面が丸ごと消し飛ばされたかのように、街の風景が浅いすり鉢状に削り取られていたのだ。初めて目の前で見る空間震の力に、士道は自分の手が震えるのを感じる。

 そして士道は、ある事に気付いた。

 クレーターのようになった町の一角の中心地。

 そこに、何か金属の塊のようなものがそびえていたのだ。

「何だ……?」

 細かい形状までは読み取る事は出来ないが、その金属の塊がまるで玉座のような形をしているのはどうにか視認する事が出来た。

 しかし、重要なのは玉座ではない。

 その玉座の肘掛けの部分に足をかけるようにして、奇妙なドレスを纏った少女が立っていたのだ。

「あの子、どうしてあんな所に……」

 士道が怪訝な表情を浮かべながら呟くと、少女の視線が自分に向けられるのを感じた。

 すると、少女はゆらりとした動作で玉座の背もたれから生えた柄のようなものを握ると、それをゆっくりと引き抜いた。

 それは幅広の刃を持ち、不思議な光を放つ巨大な剣だった。

 その光は、士道が使うブレイラウザーの刃が放つような金属特有の冷たいものではない。虹のような、星のような幻想的な輝きだった。

 少女が剣を振りかぶり、その軌跡をぼんやりとした輝きが描いた次の瞬間。

 ゾワッ!!

「っ!?」

 士道の背中を突如寒気がはしり、士道は思わず頭を下げる。直後、少女が士道の方に向かって剣を横薙ぎに振るったのがかろうじて見えた。

 今まで士道の頭があった位置を、刃の軌跡が通り抜ける。当たり前のことだが、剣が直接届くような距離ではない。士道自身も、今の攻撃は空振りだと思った。

 だが、実際は違った。

「……嘘……だろ……!?」

 振り返って街の光景を見た士道は、かすれた声を喉から出していた。

 後方にあった家屋や店舗、さらには街路樹や道路標識などが一瞬のうちに全て同じ高さに切り揃えられていたからだ。遅れて、遠雷のような崩落の音が聞こえてくる。

 それを見ても、士道の頭の中は真っ白のままだった。 

 それからようやく理解できたのは――――さっきとっさに頭を下げていなければ、自分の頭は今頃輪切りにされていたという事だった。

「ま、ずい……!」

 士道自身、アンデッドとの戦闘経験はあるものの、これはいくらなんでも次元が違いすぎる。士道が何とか足を動かして逃げようとした時だった。

「お前も、か……」

「っ!?」

 ひどく疲れたような声が、頭の上から響いてくる。

 気が付くと、目の前にはさっきまで遠く離れていたはずの少女が立っていた。

「あ……」

 意図すらしていないのに、声が漏れる。

 年齢は大体士道と同じぐらいだろう。

 膝まであるのではないかと思うほどの黒い髪に、愛らしさと凛々しさの両方を備えた容姿。

 その中心には、まるで水晶のような瞳がある。

 彼女が身に纏っているのは、これまた奇妙な物だ。士道のブレイドアーマーが機械的な鎧ならば、ドレスのようなフォルムの彼女の鎧は布なのか金属なのかよく分からない素材で作られている、神秘的な鎧だ。その継ぎ目やインナー部分、スカードなどは不思議な光の膜で構成されている。

 さらにその手には、身の丈ほどはあろうかという巨大な剣。

 それらの衣装や現在の状況などは、どれも士道の目を引くには十分なものだった。

 だが士道の目は、ただ少女のみに引きつけられていた。

 それほどまでに、少女は暴力的なほどに――――美しかった。

「……君、は……」

 呆然と士道が声を発すると、少女がゆっくりと視線を下ろしてくる。

「……名、か」

 とても静かで、とても美しい声が士道の鼓膜を震わせる。

 だが少女は悲しげに、こう言った。

「そんなものは、ない」

 その時、士道と少女の目が初めて合った。

 すると少女が憂鬱そうにも、今にも泣きだしてしまいそうにも見える表情を浮かべながら、剣を握る。

「ま、待ってくれ!」

 さっきの攻撃の破壊力を思い出した士道は、必死で声を上げた。そんな士道の様子を不思議そうに見ながら、少女は士道に尋ねる。

「……何だ?」

「ど、どうする気だよ……!」

「……? もちろん、早めに殺しておこうと」

 当然だろう? と言いたそうな表情を浮かべている少女に、士道は顔を青くする。

 しかし……士道は何故か、自分の鎧と剣を呼び出す道具――――ブレイバックルに手を伸ばす気にはなれなかった。顔を青くしながらも、士道は必死に少女に語りかける。

「な、何でだよ……!」

「何で……? 当然ではないか」

 物憂げな顔を作りながら、少女はさらに続けてくる。

「だってお前も、私を殺しに来たんだろう?」

「え……?」

 あまりに予想外すぎる答えに、士道はぽかんと口を開けてしまう。

「……っ、そんなわけ、ないだろ」

「……何?」

 少女が士道に様々な感情が入り混じった目を向けてくる。

 が、少女はすぐに眉をひそめると、何故か士道から視線を外し空中に目を向けた。

 士道もつられて上を目をやると、そこには奇妙な格好をした人間が数名飛んでいた。

(何だ、あれ? ライダーシステム……じゃないよな?)

 人間達はみんな士道と同じように機械の鎧を身に纏っていたが、士道のブレイドアーマーとは異なる点がある。

 ブレイドアーマーが顔まで覆う全身鎧ならば、彼女達が身に纏っているのは体の各所を覆う軽鎧(けいがい)のようなものだ。その分防御力は低そうだが、機動力などは明らかにブレイドよりも上だろう。

 その人間達は手に持っていた武器を少女に向けると、士道と少女目掛けてミサイルをいくつも発射してきた。

「なっ……!」

 さすがに士道も本気で命の危機を感じ、ブレイバックルに手を伸ばす。

 しかしそのミサイルは、何故か少女の数メートル上空で突然制止した。

「……こんな物は無駄だと、何故学習しない」

 気だるげに息を吐きながら少女は呟くと、剣を握る手とは反対側の手を上にやってからぐっと握る。

 すると、何発ものミサイルが圧縮されるようにひしゃげて、その場で爆発する。爆発の規模も小さく、せいぜい爆風が彼女の髪を軽く揺らした程度だった。

 空を舞っている人間達は狼狽するものの、再びミサイルを次々と撃ち込んでくる。

「……ふん」

 少女は小さく息を吐くと、さっき士道に剣を向けようとした時と同じ表情を作った。

 まるで今にも泣きだしてしまいそうな、そんな顔を。

「――――――――」

 彼女が作ったその表情に、士道は自分の心臓が大きく鼓動を打つのを感じた。

 それは、普段アンデッドと戦っている士道から見ても、あまりに奇妙すぎる光景だった。

 少女が何者なのかは分からないし、上空にいる人間達が何者なのかも分からない。

 理解できるのは一つだけ。この少女が、上空に浮かぶ人間達よりも、アンデッドよりも、自分よりも強大な力を有している事だけだ。

 だが、だからこそ気になってしまう。

 どうして、それほどの最強者が。

 こんなに、悲しそうな顔をしているのだろう。

「……消えろ、消えろ。一切合財……消えてしまえ……っ!」

 その言葉と同時に、不思議な輝きを放つ剣が空に向けられる。

 凄まじい間での衝撃波が荒れ狂い、太刀筋の延長線上の空に斬撃が飛んで行く。

 上空を飛行していた人間達は慌てたように攻撃を回避してその場を離脱していくが、突然別の方向から少女目掛けて凄まじい出力の光線が放たれた。しかしその光線でも少女の体に傷をつける事は出来ず、上空で見えない壁にでも当たったかのように掻き消され、美しく弾け飛ぶ。

 さらにその光線に続くように、士道の後ろに何者かが舞い降りた。

「今度は何だよ……!」

 先ほどから続く異常事態に、士道はうんざりとした声を出しながら自分の背後に降りてきた人間を見る。

 その瞬間、士道は身体を硬直させた。

 降りてきた人間は、先ほど空に浮かんでいた人間達のように、体に機械の鎧とボディスーツを身に纏っている。

 背中には機動力を司る大きなスラスターがついており、手には剣の柄のようなものが握られている。

 士道が体を硬直させた理由は単純だった。その人間の……少女の顔に、見覚えがあったからだ。

「鳶一……折紙?」

 今朝、殿町から教えてもらった名前を呟く。

 機械の鎧を身に纏った少女――――――鳶一折紙は、ちらりと士道を一瞥した。

「五河士道……?」

 士道に対する返答のように折紙は士道の名前を呼ぶ。その声には、わずかに怪訝そうな色があった。

「お前、その格好は一体……」

 士道が問いかけるも、彼女はその問いに答えずドレスの少女に向き直る。同時に、少女がが折紙目掛けて剣を振り抜いた。折紙は地面を蹴って剣の太刀筋の延長線上から攻撃をかわすと、弾丸のような速度で少女に接近する。

 折紙の手にしていた剣の柄のような物体の先端には、いつの間にか光で構成された刃が出現していた。折紙はそれを少女目掛けて振りおろし、少女は微かに眉根を寄せながらも大剣で攻撃を受け止める。

 刹那。

 少女と折紙の剣がぶつかり合った箇所から凄まじい衝撃波が発せられ、士道は危うく吹き飛ばされそうになるもどうにかこらえる事に成功する。

 折紙が弾かれる形で二人は一旦距離を離し、武器を構えて互いを睨み合う。その眼には、互いに対する殺気しか存在しない。士道はそれにはさまれる形で立っているのだから、たまったものではない。

 士道は今すぐにでもここから早く離脱したかったが、こんな緊張感が満ちる戦場で動ける人間はそういないだろう。彼の足が微かに動き、じゃりっと音を鳴らす。

 その時、急にポケットの中の携帯電話が軽快な着信音を響かせた。

「「………っ!!」」

 それを合図にし、少女と折紙が同時に地面を蹴り、士道の真ん中で激突する。

(やっべ……!!)

 士道は先ほどと同じように衝撃をこらえようとするが時すでに遅く、圧倒的な風圧で吹き飛ばされ、彼は塀に強かに体を打ちつけて気を失った

    

 

 

 

 

 

 

 同時刻。BOARDの基地が存在する地下に、奇妙な物体があった。

 それは一見すると、何かの卵のようだった。てらてらと不気味に光り、今にも中から何かが飛び出してきそうである。

 そしてピシリッ、という何かが割れる音が地下に響き渡った。

 まるで、これから何か良くない事が起こる事を伝えるかのように。

 これから何か巨大な何かが動き出す事を、宣告するかのように。

 

 




仮面ライダー剣のblu-rayが欲しいけど中々高め。七月はデート・ア・ライブのゲームが出るし、中々厳しい事になりそうです……。


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第三話 真実と襲撃

今月のデアラの十二巻が楽しみすぎる。そろそろ士道の秘密とか明かされるのかな……。
そして今回話のチェックをしていて思った事が一つ。士道これ続けてたら過労死するんじゃ?


  

 

 

 ――――久しぶり。

 

 頭の中で、声がする。どこかで聞いた事のあるような、ないような。そんな不思議な声だ。

 

 ――――やっと、やっと会えたね、×××。

 

 まるで、懐かしむように、慈しむように。

 

 ――――嬉しいよ。でも、もう少し、もう少し待って。

 

 お前は誰だ、と問いかけても答えはない。声は、ただ自分に向かって語りかけてくる。

 

 ――――もう、絶対離さない。もう、絶対間違わない。だから、

 

 それを最後にして、不思議な声は途切れた。

 

 

 

 

 

「……ん」

 士道はうめき声を出しながら、目を覚ました。何やら不思議な夢を見ていた気がするが、夢の内容がなんだったのかよく思いだせない。それに、思い出す暇もなかった。

「うわっ!」

 と、士道は思わず叫んでしまった。

 何故なら、見た事も無い女性が士道の瞼を開いて、小さなペンライトのようなもので光を士道の目に当てていたのだから。

「……ん? 目覚めたね」

 その女性は、目元にくっきりと濃い隈を浮かべた女性だった。どうやら気絶した士道の眼球運動を見ていたらしく、妙に顔が近い。女性からわずかに漂ってくる良い香りに士道は自分の鼓動が高鳴るのを意識してしまいながら、女性に尋ねる。

「だ、だだだだ誰ですか?」

「……ああ」

 女性はぼーっとした様子のまま体を起こすと、垂れていた前髪を鬱陶しげにかき上げる。

 軍服らしき服を纏った二十歳ぐらいの女性である。無造作にまとめられた髪に、眠たそうな瞳、そして何故か軍服のポケットから顔を覗かせている傷だらけのクマのぬいぐるみが特徴的だった。

 士道は一瞬BOARDの関係者かと思ったが、すぐにその可能性を否定する。彼女のような人間は見た事も無いし、BOARDに軍服のような衣装は存在しない。

「……ここで解析官をしている、村雨(むらさめ)令音(れいね)だ。生憎医務官が席を外していてね。……まぁ安心してくれ。免許こそ持っていないが、簡単な看護くらいならできる」

 と女性――――令音はそんな事を言うが、士道はまったく安心できなかった。こんな場所で目を覚ましたかと思ったら、目の前には見知らぬ女性がいたのだ。これで安心する方がどうかしているだろう。

 そして、士道は令音の言葉に引っ掛かりを覚えた。

「……ここ?」

 言いながら周囲を見回す。

 士道は簡素なパイプベッドに寝かされていた。その周り取り囲むように、白いカーテンが仕切りを作っている。まるで学校の保健室を真似て作ったような部屋だった。

 唯一学校の保健室と違う点を挙げるならば、天井で剥き出しの状態になっている無骨な配管や配線だろう。どこをどう見てもBOARDの施設ではない。

 それを知った士道は、目の前の女性に警戒心を抱いた。秘密組織であるBOARDの存在を知る者はきわめて少ないものの、何らかの手段を用いてBOARDの秘密を知った誰かが自分をここに運び込んだという可能性がある。

 その目的は、士道の所有しているブレイドアーマーだろう。

 ブレイドアーマーにはアンデッドの力だけではなく、かなり高度の科学技術が使われている。どこかの組織がブレイドアーマーに目をつけて、それを所有する士道もろとも持ち去ろうと考えている可能性は無いとも言えない。そういう事は、ライダーになる際に広瀬や烏丸から耳にタコができるほど注意されている。士道はこっそりと懐に手をやると、指先にブレイバックルの固い感触が触れた。どうやらブレイバックルは奪われていないらしい。恐らくラウズカードも奪われていないだろう。これなら、いつでも逃げ出す事が可能になる。無論、ここがどこなのか分からなければ話にならないが。

 士道がこれからの事を考えていると、令音が無言で士道に背を向けた。

「ちょ、ちょっと……」

「……ついてきたまえ。君に紹介したい人がいる。……気になる事はいろいろあるだろうが、どうも私は説明下手でね。詳しい話はその人から聞くと良い」

 言いながら令音はカーテンを開けた。カーテンの外は少し広い空間になっていた。ベッドが六つほど並び、部屋の奥には見慣れない医療器具のようなものと妙な機械が置かれている。士道はそれを見て、かすかに眉をひそめた。

(これまさか……医療用の顕現装置(リアライザ)か?)

 士道自身は使った事はないが、前に烏丸に見せてもらった物に形が酷似している。するとじっと機械を見つめている士道に気付いていないのか、令音が部屋の出入り口らしい方向に向かって歩みを進める。

 だが、すぐに足をもつれさせると、ガンッ! という音を立てて頭を壁に打ちつけた。わりとシャレにならない音だったので、士道が慌てて声をかける。

「だ、大丈夫ですか!?」

「……むう」

 令音は壁にもたれかかるようにしながら呻く。どうやら無事のようらしい。

「……ああ、すまないね。少し寝不足なんだ」

「ど、どれくらい寝てないんですか?」

 士道が尋ねると、令音は少し考え込んでから指を三本立てた。

「三日もですか。そりゃ眠いですよ」

「……三十年、かな」

「それはもう寝不足ってレベルじゃない!」

 三週間くらいまでの答えだったら覚悟していた士道だったが、さすがに予想外の答え過ぎた。しかも明らかに彼女の外見年齢を超えている。冗談なのか、それとも見た目以上の年齢なのか気になるが、さすがに女性に年齢の事を尋ねるのは失礼だよなと士道は質問するのをやめる事にした。

「……まあ、最後に睡眠をとった日が思い出せないのは本当だ。どうも不眠症気味でね」

「どう考えても不眠症ってレベルをはるかに超えてると思いますけど……」

「……そうか?」

 きょとんとしているかのように、令音は首を傾げた。とは言っても無表情のままなので、本当に疑問に思っているかは士道には分からない。士道が顔をひきつらせていると、おもむろに令音が腕時計に視線を落とした。

「……ああ、すまない。薬の時間だ」

 言いながら懐を探ると、錠剤の入ったピルケースを取り出した。そしてピルケースの蓋を開け、ピルケースの逆さまにして中に入っていた錠剤を一気に口の中に放り込む。

「って待て待て待て待て!」

 ついに敬語すら忘れて士道が叫ぶ。彼女はかなりの量の錠剤をバリバリグシャグシャバキバキゴクゴクと中々凄まじい音を立てながら飲みこむと、士道に視線を向ける。

「……何だね、騒々しい」

「いや、それは悪いと思ってますけど! 何の薬ですかそれ!?」

「……全部睡眠導入剤だが」

「自殺志願者ですかあなたは!? さすがにシャレにならねえ!」

「……でも今一つ効きが悪くてね」

「マジですか!?」

「……まあでも甘くておいしいから良いんだがね」

「それラムネじゃねえの!?」

 叫んでから、士道ははぁはぁと息継ぎする。中々ツッコミ所の多い女性である。相手をしているこっちの方が先に力尽きそうだ。士道がようやく呼吸を落ち着かせると、令音が士道に言う。

「……さ、こっちだ。ついてきたまえ」

 令音は空になったピルケースを懐にしまい込むと、再び危なっかしい足取りで歩き始め、医務室の扉を開ける。士道は罠の可能性も考えたが、いつまでもここにいても仕方がない。仕方なく靴を履き、彼女の後を追って部屋の外に出る。

「……おいおい、何だよこれ……」

 部屋の外は狭い廊下のような作りになっていた。BOARDの内部や通路が研究所のような無機質な物なら、こちらはスペースオペラなどに出てくる宇宙戦艦の内部や潜水艦の通路を連想させる。その光景に戸惑いながらも、士道は令音の背中を追いかけていく。

 しばらく歩くと、令音が突然立ち止まった。

「……ここだ」

 二人が立ち止ったのは、横に小さな電子パネルが付いた扉の前だった。すると次の瞬間、電子パネルが軽快な音を鳴らして扉がスライドする。

「……さ、入りたまえ」

 令音が中に入ると、士道もそれに続くように部屋の中へと足を踏み入れる。

「……こりゃあ……」

 扉の向こうに広がっていた光景に、士道は思わず声を漏らした。

 一言で言うならば、船の艦橋のような場所だった。半楕円形の形に床が広がり、中心には艦長が座ると思われる椅子が設えられている。左右両側にはなだらかな階段が伸びており、そこから下りた下段には複雑そうなコンソールを操作するクルー達が見受けられる。全体的に薄暗いせいか、あちこちにあるモニタの光がいやに存在感を主張していた。

(おいおい……。これ、BOARD(うち)のレベルを越えてんじゃないか……?)

 士道がモニタなどを見て心の中で呟いていると、令音が頭をふらふらと揺らしながら誰かに言った。

「……連れてきたよ」

「ご苦労様です」

 礼をしながらそう言ったのは、艦長席の横に立った長身の男だった。ウェーブのかかった髪に、日本人離れした鼻梁をしている。一言で言ってしまえば、かなりのレベルの美青年だ。

「初めまして。私はここの副司令、神無月(かんなづき)恭平(きょうへい)と申します。以後お見知りおきを」

「は、はい……」

 士道は戸惑いながらも、小さく頭を下げる。

 士道は一瞬、令音がこの男に話しかけたのだと思った。

 だが、実際には違った。

「司令、村雨解析菅が戻りました」

 神無月が声をかけると、士道達に背を向けていた艦長席が低い唸りを上げながらゆっくりと回転した。

 それと同時に、士道に聞き覚えのある声がかけられた。

「――――歓迎するわ、士道。ようこそ、ラタトスクへ」

 可愛らしい声を響かせながら、真紅の軍服を肩掛けにした少女の姿が明らかになる。

 黒いリボンで二つにくくられた髪に、小柄な体躯。どんぐりのようなくりくりっとした丸い目に、口にはくわえたチュッパチャップス。

 その少女の姿を見て、士道は思わず眉をひそめながら、少女の名前を口にする。

「………琴里?」

 そう。いつもの姿と違いは結構あるが、艦長席に腰掛けている少女は紛れもなく士道の妹である五河琴里だった。

 

 

 

 

 

「で、これが精霊って呼ばれてる怪物で、こっちがAST。陸自の対精霊部隊よ。厄介な物に巻き込まれてくれたわね。私達が回収してなかったら、今頃二、三回ぐらい死んでたかもしれないわよ? で、次に行くけど――――」

「ちょ、ちょっと待て!」

 いきなり説明を始めた琴里を制するように、士道が声を上げた。

「何、どうしたのよ。折角司令官直々に説明してあげるっていうのに、もっと光栄に咽び泣いて見せなさいよ。今なら特別に、足の裏くらい舐めさせてあげるわよ?」

 軽く顎を上に向け、士道を見下すような視線を送りながら、いつもの無邪気な琴里とは思えないほどの暴言を吐いてくる。

「ほ、本当ですか!?」

 何故か琴里の横に立っていた神無月が喜びの声を上げると、琴里が「あんたじゃない」と言いながら彼の鳩尾に肘鉄を放つ。

「ぎゃぉふっ……!」

 苦しそうな声を出しながらも、何故か神無月は嬉しそうだった。ああ、この人ドMなんだな……と士道は半眼で神無月を見ながらそう思った。それから琴里に視線を戻して、改めて彼女に問う。

「……ってか、お前琴里だよな? 無事だったのか?」

「あら、妹の顔を忘れたの、士道。物覚えが悪いと思っていたけど、さすがにそこまでとは私も予想外だったわ。今から老人ホームを予約しておいた方が良いかしら」

 妹の毒舌に目を丸くしながらも、士道は後頭部を掻いて琴里に言う。

「……なんかもう意味が分からなすぎる。とりあえず一つ一つ説明してくれ」

「安心しなさい、言われなくても最初からそのつもりよ。じゃあまず、こっちから理解してもらうわ」

 言いながら琴里が艦橋のスクリーンを指さす。

 そこには、先刻士道が遭遇した黒髪の少女に、ブレイドアーマーとはまた違う機械の鎧を身に纏った人間達の姿が映し出された。

「確か、精霊って言ったっけ?」

 先ほど、琴里は彼女の事を説明する際にそう言っていた。

 不定期に世界に出現する、正体不明の怪物。

「そ。彼女は本来この世界には存在しないものであり、この世界に出現するだけで己の意志とは関係なく辺り一帯を吹き飛ばしちゃうの」

 ドーン! と琴里が両手を思いっきり広げて爆発を表現する。そこだけは何故か歳相応な気がして微笑ましいが、今の士道はそれだけではない。まだ琴里の話を完全に理解できていないのだ。

「……つまり、どういう事だ?」

 すると琴里が肩をすくめながら息を吐き、事実を告げる。

「つまり、空間震って呼ばれてる現象は、彼女みたいな精霊がこの世界に現れる時の余波なのよ」

「なっ……」

 士道は思わず声を出した。

 空間の地震。空間震。

 人類を、世界を破壊する理不尽極まる現象。

 その原因が、彼女だというのだろうか?

「ま、規模はまちまちだけどね。小さければ数メートル程度、大きければ……それこそ大陸に穴が開くくらい」

 それは、三十年前確認された最初であると同時に最悪の空間震、ユーラシア大空災の事を言っているのだろう。そして彼女の言葉は、それも精霊がこの世界に現れた事で発生したものだという事を暗に意味していた。

「運が良いわよ士道。もし今回の爆発規模がもっと大きかったら、あなた一緒に吹っ飛ばされてたかもしれないんだから」

「………っ」

 確かに妹の言うとおりだった。今思えば、あの時の状況は本当に空間震に巻き込まれてもおかしくないレベルである。運が悪ければ、士道の五体は今頃この世に存在してないだろう。そう思うと、士道は自分の体が震えるのを感じた。そんな士道を琴里は半眼で見つめ、

「大体、あなた何で警報発令中に外に出てたの? 馬鹿なの? アホなの? 死ぬの?」

「いや、だってお前……」

 ポケットから携帯電話を取り出し、琴里の位置情報を表情させる。やはり、琴里の位置を示す赤いアイコンはファミレスの前で停止していた。

「ん? ああ、それね」

 だが琴里はポケットからある物を取り出して士道に見せた。それは琴里の携帯電話だった。

「あれ? 何でお前、それ」

 士道は自分の携帯電話の画面に表示されている赤いアイコンと、目の前に掲げられている琴里の携帯電話を交互に見る。こんな所に琴里がいるので、てっきり士道はファミレス前に携帯電話を落としたのかと思っていたのだ。

 琴里は肩をすくめ、はあと嘆息した。

「何で警報発令中に外にいたのかと思ってたら、それが原因だったのね。私をどれだけ馬鹿だと思ってるのかしらこのアホ兄は。空間震警報が鳴ってるのに、外に出てると思ってるの?」

「じゃあ、このアイコンは……」

「簡単よ。ここがファミレスの前だからよ」

「……? どういう事だ?」

「そうね、百聞は一見に如かずって言うし……。一回フィルター切って」

 琴里がそう言うと、薄暗かった艦橋が一気に明るくなる。

 証明が点けられたわけではない。どちらかと言うと、天井にかけられていた暗幕を一気に取り払ったという表現の方が正しい。

 事実、辺りには青空が広がっていた。

「な、何だこりゃ……」

「騒がないでちょうだい。外の景色がそのまま見えてるだけよ」

「外の景色?」

「ええ。ここは天宮市一万五千メートル。位置的にはちょうど、待ち合わせしてたファミレスのあたりになるかしらね」

「一万……って、ここってまさか……!?」

「そう。このフラクシナスは空中艦よ」

 腕組みし、まるで誇るように琴里がふふんと鼻を鳴らす。一方、士道は愕然としていた。

 ありとあらゆる科学技術が集められたBOARDにいる士道でも、こんな規模の空中艦など見た事も聞いた事も無い。ラタトスクとやらの科学力は、本当にBOARDを超えているのかもしれない。

「ってか、何でお前が空中艦なんかに乗ってるんだよ」

「だから順を追って説明するって言ってるでしょう? 鶏だって三歩歩くまでは覚えるでしょうに」

「む……」

「でもケータイの位置確認で調べられちゃうなんて盲点だったわね。顕現装置(リアライザ)不可視迷彩(インビジブル)自動回避(アヴォイド)かけてたから油断してたわ。あとで対策打っておかないと」

 恐らく琴里は士道が話の内容を理解できないと思っているからこんな独り言を呟いているのだろうが、それを聞いていた士道はそう言えばBOARD(うち)は、特殊なジャミングを使ってGPSとかで位置を探られないようにしてるって前に聞いた事があるなー、と内心思っていた。

「ま、最近は精霊と同じぐらいに厄介な連中が出てきてるんだけどね」

「連中?」

「ええ。スクリーンに出して」

 琴里が言うと、スクリーンにまた別の映像が映し出された。

 そこに映し出されたのは、異形だった。とても人間とは思えない恐ろしい姿に、人間のように二本の足で地面に立っている。

 その怪物の姿を見て士道は凍りついた。その怪物の恐ろしさ、にではない。その怪物とは、何回も戦った事があったからだ。

(アンデッド……!?)

 その怪物の名前を心の中で呟きながら、士道はスクリーンを凝視する。そんな士道には気付いていないのか、琴里はさらに説明を続ける。

「最近になってよく出てきた怪物よ。発生原因とかはまだ分からないけど、分かってる事が二つあるわ。一つは精霊とは違って積極的に人を襲う事。もう一つは……どんな手段を用いてたとしても、『殺す』事ができない事」

「ASTが彼らを討伐しようと試みた事が何度もありますが、彼らを倒す手段は未だ見つかっていません。何回殺そうとしてもすぐに復活し、逃げられてしまっています」

 琴里の横にいた神無月が彼女に新しい飴を手渡しながら説明してくる。その説明を補足するように、今度は令音が口を開く。

「……私達は、この生物の事をアンデッドと呼んでいる。元々は、どこかの組織が名づけたらしいがね」

 どうやら、BOARDが名づけたアンデッドという名称はラタトスクの耳にも入っているらしい。しかし名前がバレているという事は組織の事もラタトスクに気付かれているのでは? と士道が思っていると、琴里が言った。

「噂だと、このアンデッド専門の組織があるらしいけど、詳細はまったくの不明。一体こんな怪物を、どうやって殺してるのかしら」

 殺してるんじゃなくて封印してるんだけどな、と士道は訂正するも口にはもちろん出さない。

 また、どうやら琴里達ラタトスクはBOARDという組織の事をまだ知らないらしい。精々、アンデッドを倒すための組織があるようだ、という程度だろう。これほどの科学力を誇るラタトスクがBOARDの事を知らないというのも奇妙な話だが、それも当然かもしれないと士道は思う。

 BOARDはライダーシステムの情報を守り続けるために、セキュリティを何重にもして情報が漏れるのを防いできた。あれほどの情報を守るシステムそのものが、BOARDの一つの武器なのだ。

「話を戻すわ。最後はこっちよ。AST。アンチ・スピリット・チームでAST。精霊専門の部隊よ」

 琴里はスクリーンを先ほどのものに戻すと、そこに映し出されている一団を指さす。

「精霊専門の部隊って……。まさか、殺す、とか?」

 士道が恐る恐ると言った状態で言うと琴里はあら、と意外そうな表情を浮かべた。

「よく分かったわね。その通りよ」

「………っ!」

 予想していた言葉ではあった。しかしいざそれを直接知らされると、士道は心臓が引き絞られるかのように感じた。

 別におかしな事ではない。自分だってアンデッドと戦い、彼らを封印している。彼女達ASTもきっと彼女達なりの信念と正義を胸にして、精霊を倒すために戦っているのだろう。

 しかし、そんな士道の頭にあの少女の顔が浮かんできた。

『だってお前も、私を殺しに来たんだろう?』

 少女があんな事を言った理由が、ようやく理解する事が出来た。

 そして彼女が浮かべていた、今にも泣きだしてしまいそうな顔の意味も。

「まあ、普通に考えれば死んでくれるのが一番でしょうね」

 特に何の感慨もなさそうに、琴里が言った。士道は拳を強く握りしめながら口を開く。

「なん……でだよ」

「なんで、ですって?」

 士道の言葉を聞いて、琴里が興味深そうに顎に手を当てながら言う。

「何もおかしい事はないでしょう? あれは怪物よ? この世界に現れるだけで空間震を起こす最凶最悪の猛毒よ?」

「で、でも空間震は精霊の意思とは関係なく起こるんだろ?」

「ええ。少なくとも現界時の爆発は、本人の意思とは関係ないっていうのが有力な見方よ。まあ、その後のASTとドンパチした破壊痕も空災被害に数えられるけどね」

「だってそれは、ASTの連中が攻撃するからじゃないのか?」

「そうかもしれないわね。でもそれはあくまで推測の話よ。もしかしたらASTが何もしなくても、精霊は大喜びで破壊活動を始めるかもしれない。今までたくさんの人間を襲ってきたアンデッドのようにね」

「………それは、ねえだろ」

 士道が俯きながら言うと、琴里が不思議そうに首を傾げる。

「根拠は?」

「……アンデッドの奴等みたいに好きこのんで街をぶっ壊すような奴は……あんな顔は、しねえよ」

 それは、根拠と呼ぶにはあまりに曖昧で薄弱すぎるものだった。しかし、何故か士道はそれを心の底から確信していた。一方、琴里は士道の言葉を聞くと眉をひそめて、

「……まるでアンデッドの事をよく知ってるみたいな口ぶりね。もしかして、何回か遭遇した事があるの?」

「……別に。何となく、そう思っただけだ。それよりも、暴れるのは精霊本人の意思じゃねえんだろ? それなのに……」

「随意か不随意かなんて、大した問題じゃないのよ。どっちにしろ精霊が空間震お起こす事に変わりはないんだから。士道の言い分も分からなくはないけど、かわいそうって理由だけで核弾頭レベルの危険生物を放置しておくことはできないわ。力の大きさだけ見てみれば、アンデッドよりも精霊の方が危険なんだから。今は小規模な爆発で済んでるけれど、いつユーラシア大陸級の大空災が起こるか分からないのよ?」

「でも……それでも殺すなんて……」

 士道が追いすがると、琴里はやれやれと言うように肩をすくめた。

「数分程度しか接点のない、しかも自分が殺されかけた相手だっていうのに、随分精霊の肩を持つじゃない。もしかして、惚れちゃった?」

「……っ、違ぇよ。ただ、殺す以外に方法があるんじゃねえかって思うだけだ」

「……方法、ね」

 士道の言葉を反芻すると、琴里はふうと息を吐いた。

「それじゃあ聞きたいんだけど、他にどんな方法があると思うの?」

「それは……」

 琴里に言われて、言葉が止まってしまう。

 頭では理解できてしまっているのだ。

 出現するだけで空間震を起こし、世界に深刻な爪痕を残す異常、精霊。

 そんなものは迅速に殺さねばならないのかもしれない。

 しかし、たった一瞬ではあるが士道は見た。

 あの少女の、今にも泣きだしてしまいそうな顔を。

 そして、聞いてしまった。

 あの少女の、今にも泣きだしてしまいそうな悲痛な声を。

「……とにかく」

 気が付けば、士道の口は自然と言葉を紡いでいた。

「一度、ちゃんと話をしてみないと……分かんねえだろ」

 確かにあの時の死の恐怖は未だ体に残っている。

 しかし、死の恐怖だけならばアンデッドとの戦いの中でも味わった事が何回もある。それに相手はアンデッドのように話が通じない訳でも、好き好んで人を襲っているわけでもない。

 それに士道には、あの少女をこのまま放ってはおけなかった。

 だって彼女は、士道と同じだったのだから。

 すると、その士道の言葉を待っていたかのように、琴里は笑みを浮かべた。

「そう。じゃあ手伝ってあげる」

「は……?」

 思いもよらなかった言葉に士道が思わず口をぽかんと開けると、琴里が両手をばっと広げた。

 まるで、令音を、神無月を、下段に広がるクルー達を、この空中艦『フラクシナス』を示すように。

「私達が、それを手伝ってあげるって言ったのよ。『ラタトスク機関』の総力をもって、士道をサポートしてあげるって」

 その言葉に、士道は戸惑いながらも声を発する。

「な、何だよそれ。意味が……」

 だが士道の言葉を遮るように、琴里が声を上げる。

「良い? 精霊の対処方法は、大きく分けて二つあるの。一つはASTのやり方。戦力をぶつけてこれを殲滅する方法」

「……じゃあ、もう一つは?」

 士道が尋ねると琴里は笑みを浮かべながら、

「もう一つは、精霊と対話する方法。私達は『ラタトスク』。対話によって、精霊を殺さず空間震を解決するために結成された組織よ」

 士道は眉をひそめた。何の目的でそんな組織が結成されたのかとか、琴里が何故その所属しているのとか、聞きたい事はたくさんある。しかし、今はそれよりも気になる事が一つある。

「……で、何でその組織が俺をサポートするって話になるんだよ」

「ていうか、前提が逆なのよ。そもそも『ラタトスク』っていうのは、士道のために作られた組織だから」

「は、はぁっ!?」

 士道は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。だがそれも当然である。 

 サポート自体ならBOARDも士道がアンデッドと戦う時にしてくれているが、それはあくまでもBOARDという組織全体のためであって士道個人のためではない。が、今の琴里の言葉通りなら、ラタトスクはその逆で士道個人のために作られたというのだ。これで驚くなという方が無理がある。

「ちょっと待て。俺のため?」

「ええ。まあ、士道を精霊との交渉役に据えて精霊問題を解決しようって組織って言った方が正しいのかもしれないけれど。どちらにせよ、士道がいなかったら始まらない組織なのよ」

「ま、待てって。どういう事なんだよ。ここにいる人達が、全部そんな事のために集められたって事か? ってか、何で俺なんだ?」

 士道が問うと、琴里はキャンディを口の中で転がしながら告げた。

「そうね……。一言で言えば、あなたが私達の『切り札』だからよ。士道」

「……切り札」

 士道は口の中でその言葉を繰り返した。自分が何故彼女達の切り札なのかは分からない。だが、琴里が発したその言葉には、どこか確信じみた響きがあった。士道が黙り込むと、琴里がさらに続けてくる。

「まあ、理由はその内分かるわ。良いじゃない、私達が全員、全技術を以て士道の行動を後押ししてあげるって言ってるのよ? それとも、また一人で何の用意もなく精霊とASTの間に立つつもり? 死ぬわよ、今度こそ」

 別に何の用意もないわけじゃないんだけどな、と士道は内心呟きながら懐のブレイバックルに触る。だが、極力これは使いたくなかった。もしもこれを使ってあの少女の前に立ってしまえば、話し合いも何もできないと思ったからだ。かと言って士道個人の力のみでは、あの少女と話をする事すらも難しい。

 とりあえず、琴里の話を聞くしかないと思い、士道は彼女に尋ねた。

「……で、その対話っていうのは具体的に何をするんだよ」

 すると琴里は再び小さく笑みを浮かべた。

「それはね」

 そして顎に手を置き、

「精霊に、恋をさせるの」

 ふふんと得意げに、そう言った。

「………」

 それを聞いた士道は一瞬聞き間違いかと思ったが、どうやら自分の鼓膜はいたって正常らしい。しばし魔を開けてから、

「………はい?」

 と、思わず間抜けな声を出してしまっていた。頬に汗を垂らしながら、眉をひそめる。

「……すまん、ちょっと意味が分からん」

「だから、精霊と仲良くお話してイチャイチャしてデートしてメロメロにさせるの」

「……ええと、それで何で空間震が解決するんだ?」

 琴里は指を一本顎に当てながら、んーと考えるようなしぐさを見せた後に口を開いた。

「武力以外で空間震を解決しようとしたら、要は精霊を説得しなきゃならない訳でしょ?」

「そうだな」

「そのためにはまず、精霊に世界を好きになってもらうのが手っ取り早いじゃない。世界がこんなに素晴らしいものなんだー、って分かれば精霊だってむやみやたらに暴れたりしないでしょうし」

「……まあ、そうだな」

「で、ほら、よく言うじゃない。恋をすると世界が美しく見えるって。――――というわけでデートして、精霊をデレさせなさい!」

「いや、意味が分からない」

 明らかに論理が飛躍しすぎている。だがここで駄々をこねれば、ではどういう手段を取れば良いのだという話になってくる。士道がうーんと悩んでいると、士道の考えを察したのか琴里が言ってくる。

「腹の底では全部に賛同してなくたって良いわ。でも、あなたが本当に精霊を殺したくないって言うのなら、手段は選んでいられないんじゃない?」

 言い終えると同時、琴里が悪そうな笑みを浮かべる。

 確かに彼女の言うとおりだった。自分にはライダーとしての力があるが、あの少女相手には使いたくない。高い科学技術を持つ組織と言ったらラタトスクの他にBOARDがあるが、BOARDはあくまでアンデッドを封印するための組織だ。精霊相手に動いてくれるとは考えにくい。

 かと言ってASTのやり方は論外だし、琴里達だって要は精霊を籠絡して良いように利用しようとしているようにしか思えない。

 だが、他に方法が無いのも事実だった。

「……分かったよ」

 士道が苦々しく頷くと、琴里は満面の笑みを作った。

「よろしい。今までのデータから見て、精霊が現界するのは最短でも一週間後。早速明日から訓練よ」

「……は? 訓練?」

 士道は、思わず呆然と呟いた。

 

 

 

 

「つ、疲れた……」

 その日の夜、士道は自宅のベッドにダイブしていた。

 琴里との話の後士道は別室に移され、ラタトスクの職員と思われる男性から事態の詳細な説明を延々と聞かされた後に、様々な書類にサインをさせられてようやく今帰宅する事が出来たのだ。置時計を見てみると、もう十一時を回っている。

「はぁ……。訓練って、何やるんだろ」

 琴里の言葉を思い出して士道はため息をついた。訓練など、ライダーになるための基礎体力作りやアンデッドとの戦闘に備えての戦闘訓練以来だ。あの妹が考える訓練の事を考えると今から気が滅入るのだがそうも言ってられない。訓練をしなければ、あの少女と話す事すらできないのだ。あの少女と話し合うためにも、頑張らなければならない。

 そして天井を見上げながら、ふと思った。

「……そう言えば、広瀬さん達は精霊の事を知ってるのか……?」

 今まで彼女達の口から精霊やASTの事を聞いた事はないが、彼女達は何か知っているのだろうか? もしも知らなくても、ラタトスクの事などを念のために報告しといた方が良いのかもしれない。烏丸や広瀬ならば、何か精霊と接触する上で何か貴重な助言をくれるかもしれないからだ。

 と、士道が携帯電話に手を伸ばした時だった。突然軽快な電子音が鳴り、驚いた士道は携帯電話を開いて相手が誰かを確認する。

「……ん? 広瀬さん?」

 電話をかけてきた相手は、今電話をしようと思った広瀬だった。士道は携帯電話の通話ボタンを押し、耳に当てる。

「あ、広瀬さん? どうしたんですか?」

 そして聞こえてきた広瀬の声は、かなり切羽詰まったものだった。

『五河君!? 大変よ、BOARDにアンデッドが!!』

「えっ!?」

 士道は思わずベッドから立ち上がり、目を見開いた。BOARDはあらゆるセキュリティで研究所がある場所を隠している。そこが、アンデッドに強襲された?

『早く来て! みんなが……きゃあああっ!!』

「広瀬さん!? 広瀬さん!!」

 しかし彼女の悲鳴を最後にして、通話は途切れた。

「くそっ!!」

 士道は舌打ちすると机の上に置いてあったブレイバックルを掴み、階段を下りて家を出る。すぐさまブルースペイダーに乗ってヘルメットをかぶりエンジンをかけると、BOARDへと向かった。

 

 

 

「士道? 訓練の事だけど、明日……」

 フラクシナスから帰ってきた琴里は士道の部屋を覗き込みながらそう言ったが、その瞬間彼女の表情が怪訝そうなものになった。

 部屋の電気はついているのに、肝心の士道の姿がない。ベッドが少し乱れており、恐らく寝転がった状態からすぐに立ち上がってどこかへ行ったのだが、家の中に姿は見えない。コンビニにでも行ったのだろうか?

「……まったく、体調管理だって大切なのに。やる気あるのかしら」

 ふんと鼻を鳴らしながら琴里はそう呟いた。

 彼女は知らない。

 自分が兄に自分の裏の顔を隠していたように、兄も裏の顔を隠していたのだという事を。

 そして、その兄は今は死地に向かっているのだという事を。

 彼女は、何も知らなかった。

 

 

 

 

 

「何だよ、これ……!」

 ようやくBOARDの研究所に辿り着いた士道は研究所の様子を見て絶句した。

 研究所からは警戒音がうるさいほどに鳴り響き、緊急時に作動する大型スポットライトが辺りを照らしている。そして、これほどの緊急事態だというのに辺りには人影が一つもない。普通なら逃げている人間が一人ぐらいはいても良いはずなのに、これは明らかに異常事態だった。

 士道が我を取り戻して研究所に向かおうとしたその時、士道に何かが襲いかかった。

「うわっ!?」

 驚いてその何かをかわすと、勢い余ったそれがスポットライトの下に出た。そのおかげで、その生物の全容が見て取れるようになる。

 イナゴのような姿に、背中には虫の羽。それに加えて凄まじい跳躍力を生み出すであろう強靭な脚。

 二足歩行で立つその姿は、紛れもなく士道の敵――――アンデッドだった。

「お前が……お前が広瀬さん達を!!」

 士道は声に怒りをのせながらブレイバックルを取り出し、ビートルアンデッドが封印されたラウズカードをブレイバックルのラウズリーダーに装填する。さらにブレイバックルを腰に押し当てると、バックルからカード状のベルト『シャッフルラップ』が自動的に伸びて士道の腰に装着される。

 そして右手の親指と人差し指を伸ばし、手の甲を前にした状態でゆっくりと前方に伸ばしてから一度動きを止めてから手首をくるりと回し、叫ぶ。

「変身!」

 それと同時、今度は左手を伸ばしてから右手でターンアップハンドルを引くと、ラウズリーダーが回転して露わになったスペードの紋章が青い輝きを帯びる。

『Turn Up』

 音声が鳴ると同時、ブレイバックルからオリハルコンエレメントが飛び出し、アンデッド――――ローカストアンデッドを弾き飛ばす。ローカストアンデッドが弾き飛ばされてから、士道はビートルアンデッドの紋章が浮かび上がっているオリハルコンエレメントに突進する。

 士道の体がオリハルコンエレメントを通過した瞬間、士道の体に青いスーツと銀色の機械の鎧、さらに頭部を覆う仮面が装着され、士道はブレイドへと瞬時に変身を遂げた。

「おおっ!!」

 ブレイドはローカストアンデッドの体に拳を数発叩き込んでから、ホルスターからブレイラウザーを引き抜き相手の体を斬り裂き、そのたびにローカストアンデッドの体から火花が散る。ローカストアンデッドが負けじと腕を横薙ぎに振るってくるが、ブレイドはその攻撃をかわして逆に強烈な蹴りを叩き込んでやる。

 ローカストアンデッドはその攻撃で一瞬怯んだもののすぐに体勢を立て直すと、自分の全身を無数のイナゴへと変えてブレイドに襲いかかる。ブレイドはブレイラウザーで全て斬り伏せようとするが、何せ小さく数も多いので中々攻撃を当てる事ができない。イナゴから攻撃を受けるたびに、ブレイドの全身から火花が散る。

「ぐああああっ!!」

 イナゴからの猛攻にブレイドはついに吹き飛ばされ、地面を転がる。そのブレイドにとどめを刺そうとしたのか無数のイナゴから元の状態に戻ったローカストアンデッドが、倒れているブレイドに腕を振り上げる。しかしブレイは起き上がるとブレイラウザーを逆手に持ち、カウンターと言わんばかりにローカストアンデッドを斬り裂く。さらにそのまま攻撃する暇すら与えず、次々に攻撃を加えていく。

『ガアアアアアッ!!』

 連撃に耐えきれず、ついにローカストアンデッドが地面に膝をついた。ブレイドはブレイラウザーのオープントレイを展開すると、カードを一枚引き抜きスラッシュリーダーで読み取る。

『TACKLE』

 その音声と同時にブレイドの胸部にカードの力が吸収され、ブレイドの全身に凄まじい突進の力を与える。ローカストアンデッドに突進する構えを取ると、次の瞬間一気に全速力で走り出す。

「はぁああああああっ!!」

 そして凄まじい突進がローカストアンデッドに直撃すると思われた瞬間、予想外の事が起きた。

 突然ローカストアンデッドが上空高く跳躍し、ブレイドの突進をかわしたのだ。

「何っ!?」

 凄まじい跳躍力に驚いたブレイドが思わず上空を見上げると、攻撃をかわしたローカストアンデッドが地上に降りてきた。

 良く見てみるとローカストアンデッドの脚が変形していた。まるでイナゴのような脚になっており、普段よりも高く跳躍できるように強化されている。

「そんな事もできるのかよ……!」

 大量のイナゴに分裂したり、脚を変形させる事ができたりと、もはや何でもありに近い。琴里は力は精霊の方が強いと言っていたが、技の多様性などはアンデッドも負けていないのではないかとブレイドは思う。

 と、ローカストアンデッドは背中の羽を羽ばたかせると、一気にブレイドとの距離を詰めると彼の体を掴んで空に舞い上がる。背後には研究所の壁があり、恐らくそこに叩き付ける気なのだろう。

「くそっ!」

 ブレイドはブレイラウザーのオープントレイを展開し、カードを一枚抜き取るとブレイラウザーでカードを読み取る。

『SLASH』

 オリハルコンエッジにカードの力が宿り、ブレイドはその刃を思いっきりローカストアンデッドの胸部に突き刺した。

『グアアアアアアアアアッ!!』

 ローカストアンデッドから悲鳴が放たれると同時、ブレイドの体が研究所の体に叩き付けられ全身を激痛が襲う。ブレイドとローカストアンデッドは真っ逆さまに落ち、地面に叩き付けられた。

「ぐっ……!」

 痛みで呻きながらブレイドがローカストアンデッドに目を向けると、倒れているローカストアンデッドのバックルが音を立てて二つに割れた。封印可能の合図だ。

 ブレイドはカードを一枚抜き取ると、ローカストアンデッドに向けて投げる。カードがローカストアンデッドに突き刺さると、ローカストアンデッドはカードに吸収されるように消え、カードがブレイドの手に戻ってくる。

 ローカストアンデッドを封印したカードにはイナゴのような絵にスペードの紋章、そして『KICK』という単語が並んでいた。

「ははっ……やっ……た……」

 呟きながらブレイドは地面に仰向けに倒れ込むと、震える手でターンアップハンドルを引いてラウズリーダーを回転させる。それからラウズリーダーに装填されているカードを抜き取るとオリハルコンエレメントが放たれ、ブレイドの全身が自動で下がってきたオリハルコンエレメントを通過すると、ブレイドは士道の姿に戻った。

(……烏丸所長、広瀬さん……)

 研究所にいるはずであろう二人の事を考えながら、士道は意識を失った。

 

 




平成仮面ライダーのDVDを見たいけど、中々時間が無くて辛い……。


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第四話 黒のライダー

タイトル通り、あのライダーが登場です。


「………く……ん! ……つか……君! 五河君!」

「……ん……?」

 どこからか自分を呼ぶ声で、士道は意識を覚醒させた。ゆっくりと目を見開くと、目の前に心配そうに自分の顔を覗き込んでいる広瀬の顔が見えた。

「広瀬さん……」

 士道がゆっくりと体を起こすと、広瀬はほっとしたような表情を浮かべた。

「無事で良かった……。アンデッドはもう封印したみたいね」

「あ、はい……」

 士道は自分の手に握られている、ローカストアンデッドが封印されたラウズカードに視線を向けながら言った。それから広瀬の顔に視線を戻すと、彼女に問いかける。

「一体、何があったんですか? 烏丸所長は?」

 すると、広瀬は唇をかみしめながら士道に答えた。

「説明するけど、まず研究所の中に入らせてちょうだい。BOARDの研究記録を放っておいたままにしておけないわ」

 それに士道は分かりました、と頷くと広瀬と共に研究所へと向かった。アンデッドとの戦いで大分ダメージを受けてしまったものの、動けないほどではない。

 研究室の中は無惨なものだった。パソコンやビーカーなどの備品は滅茶苦茶に破壊されて、電灯は点滅し、天井からは火花が降ってきている。廊下のあちこちには研究者達が変わり果てた姿で倒れており、士道は思わず目を背けたくなった。

 二人は研究室の一室に入ると、広瀬がそこにあったノートパソコンなどを回収していく。士道がその様子を見つめていると、広瀬が口を開いた。

「アンデッドは突然ここに現れたの。あいつは大量のイナゴに姿を変えてから、研究員達を次々と襲っていったわ。私も一刻も早くあなたに連絡したかったけれど、通信機器とかも全部壊されちゃって……。あのイナゴから逃げ回ってから、ようやくあなたの携帯電話に電話をかける事が出来たの。あとはずっと隠れてたってわけ」

「そうだったんですか……。無事で良かったです」

「私がそんなに簡単に死ぬわけないでしょ?」

 広瀬は笑顔を士道に向けたが、それが無理矢理作ったものだという事はすぐに分かってしまった。広瀬は笑顔を消すと、話を続ける。

「……烏丸所長の行方は分からないわ。私は最後までここに残るって言ってたんだけど、私が何とか説得してここから逃がしたの。所長さえ無事なら、まだアンデッドと戦っていく事が可能なはずだから」

「……広瀬さん以外に、生き残ってる人は……」

 士道が問うと、広瀬はふるふると首を横に振った。士道は奥歯を噛み締めると、一気に彼の体を疲れが襲いかかってきて思わず壁にもたれかかった。

 今日は色んな事がありすぎた。空間震を起こす存在である精霊に、妹が所属している組織ラタトスク。さらにはBOARDの崩壊。今すぐ家のベッドで眠りたい気分だが、そんなわけにもいかないだろう。士道が壁にもたれかかっていると、ノートパソコンとその機材を抱えた広瀬が士道の方に向き直った。

「さ、早くここを出ましょう五河君」

「……はい」

 二人は研究室から出ると、特に何も言わずに歩いていた。研究所から鳴っていた警報は、とっくに消えている。二人がしばらく歩いていると、士道がおもむろに口を開いた。

「……俺達、一体どうなるんでしょうね」

 すると広瀬ははっきりした声で士道に言った。

「BOARDは事実上崩壊しちゃったけど、アンデッドがいなくなったわけじゃないわ。とりあえず私達はこれからもアンデッドを封印し続けるしかない。人を護る事が、私達の仕事だからね」

 広瀬から言われて、士道は黙ってブレイバックルとラウズカードを取り出す。自分が持つアンデッドと戦う力。人々を護る事ができる自分の剣と鎧。

 ここでブレイドとしての役割を放り出す事は簡単だろう。だが、広瀬の言う通りアンデッドがいなくなったわけではない。放っておけば、アンデッドはこれからも何の罪もな人々を襲うだろう。

 そんなの、許容できるはずがない。

 士道はブレイバックルとラウズカードを握る手に力を込める。それからバックルとカードを懐にしまってから広瀬に尋ねた。

「広瀬さんはこれからどうするんですか?」

「とりあえず、前に借りてたアパートに戻るわ。研究所でのような事はできないけど、アンデッドを捜す事ぐらいの事は出来るはずだから。五河君は?」

「俺は変わらずアンデッド封印ですね……。そうだ、広瀬さん、ちょっと聞きたい事があるんですけど……」

「聞きたい事?」

「はい、少し長くなっちゃいますけど……」

 すると広瀬は少し考えるような表情になると、

「それなら、今日じゃなくても大丈夫? 色々あったし、後で落ち着いて話した方が良いでしょ?」

 士道としては少しでも早く精霊の事を広瀬に相談したかったが、確かに彼女の言う事にも一理ある。士道がコクリと頷くと、広瀬が続けて言う。

「じゃあ、後日また連絡するわね。気を付けて帰ってね、五河君」

 それから広瀬は士道に背を向けて、とことこと歩き去っていた。彼女が抱えている機材はそれなりの重さのはずだが、彼女に苦しそうな様子はまったく見られない。そう言えば彼女の趣味はダンベルトレーニングだったなと士道は今更ながらに思い出していた。

 彼女が歩き去るのを見送ると、士道も自宅に帰るために駐車場へと向かった。

 

 

 

 

 そして次の日。

「来て」

「へ?」

 突然士道は折紙に手を掴まれて、思わず素っ頓狂な声を出した。

「ちょ、ちょっと……」

 音を立てて椅子を倒し、士道は折紙に引っ張られる形で教室を出ていった。

 後方では殿町がポカンと口を開け、女子の集団が士道達を見て何やらキャーキャー騒いでいる。ちなみに始は一瞬士道達の方をちらりと見たものの、すぐに興味を失ったかのように帰りの支度を再開していた。

 今日は四月十一日、火曜日。

 士道が精霊とAST、ラタトスクという存在を知り、さらにBOARDが壊滅した日の翌日である。

 あの後広瀬と別れた士道はすぐに家に戻ると、風呂にも入らずにベッドにダイブしてしまった。よほど疲れていたのかかなり熟睡してしまい、おかげで今日学校に着いたのは遅刻ギリギリの時間だった。

 それから眠い目を擦りながらもどうにか授業に耐えて、帰りのホームルームが終わったと思った瞬間の出来事だった。

 折紙は無言で士道の手を握ったまま階段を上り、しっかり施錠された屋上への扉の前までやってくると、ようやく士道の手を離した。

 下校する生徒達の声が、やけに遠くに聞こえる。人がいる場所から十メートルも離れていないはずなのに、まるで隔絶されたかのような寂しさのある場所である。その点を考えてみると、内緒話などにはまさにもってこいだろう。

「え、ええと……俺に何か用か?」

 士道が頬を掻きながら尋ねると、折紙は逆に尋ね返してきた。

「昨日、何故あんな所にいたの?」

 彼女の尋ね方からすると、やはり昨日精霊と戦っていたのは見間違いでもなんでもなく彼女らしい。

「や、妹が警報発令中に街にいたみたいで、捜しに出てたんだ」

「そう。――――――見つかったの?」

 折紙はぴくりとも表情を変えず、士道の目を真っ直ぐ見つめたまま言った。

「あ、ああ……。おかげさまで……」

「そう。良かった」

 折紙はそう言ってからさらに唇を動かす。

「昨日、あなたは私を見た」

「あ、ああ……」

「誰にも口外しないで」

 士道が首肯するのと同時、折紙が有無を言わせぬ迫力で言ってきた。

 それも当然だろう、と士道は思う。彼女達が戦っていた精霊と彼女達ASTの存在は、明らかに表に知られてはならない情報だ。自分の持つブレイドアーマーの情報がそうであるように。

 士道がこくこくと首を前に倒すと、折紙が続けて言ってきた。

「それに、私の事以外も……。昨日見た事、聞いた事。全てを忘れた方が良い。それがあなたのため」

 それはきっと、精霊の事を言っているのだろう。そう考えた士道は折紙に尋ねてみた。

「それって、あの女の子の事か?」

「…………」

 すると今度は尋ね返すような事はせず、無言で士道を見つめてきた。

「な、なあ鳶一。あの女の子って……」

 精霊の事は一通りラタトスクから聞かされていたが、士道は尋ねていた。

 琴里達から聞かされた情報は、あくまで琴里達の組織の見解だ。実際に精霊と刃を交えている折紙達ASTなら、また違った考えを持っているかもしれないかと思ったからだ。

「あれは、精霊。私が倒さなければならないもの」

 そう折紙は短く答えた。それを聞いて、士道は再び質問を投げかけてみる事にした。

「そ、その精霊ってのは、悪い奴なのか……?」

 すると微かにだが、いつもは無表情の彼女が悲しそうに唇を噛み締めた……ような、気がした。

「――――私の両親は五年前、精霊のせいで死んだ」

「なっ………」

 予想外の言葉に、士道は言葉を詰まらせてしまった。

「私のような人間は、もう増やしたくない」

「……そ、うか……」

 士道は自分の胸に手を置いた。

 そうする事でやたらと激しくなる動悸を、何とか抑え込もうとしているかのように。

 しかし、そこで士道はある事に気付いた。未だ士道に向けて真っ直ぐな視線を送っている折紙に、士道は頬を掻きながら尋ねた。

「そう言えば鳶一……。精霊とか、そういう情報って言っちまって良いもんなのか? いや、そりゃ聞いたのは俺なんだけどよ……」

 折紙は士道の事を、昨日戦闘に巻き込まれただけのただの一般人としか思っていないはずだ。なのに、精霊のような重要機密を士道に話しても良いのだろうか? 士道の問いに折紙は一瞬黙ってから、士道に言う。

「問題ない」

「そ、そうなのか?」

「あなたが口外しなければ」

「もし話したら?」

「………」

 すると彼女はまた一瞬だけ言葉を止めた。

「困る」

「そ、そうか……。そりゃ大変だな」

 一瞬は彼女の手による拘束なども考えていた士道だが、予想よりもはるかに軽い答えだった。無論実際はそれ以上の事態に発展する危険もあるだろうが、士道自身そんな事を起こす気は全くない。

 なので士道は折紙の目を真っ直ぐ見つめてこう言った。

「約束するよ。誰にも言わない」

 こくり、と折紙は首肯した。

 その会話を最後に、折紙は士道から視線を外して階段を下りて行った。

「………はぁああああ……」

 士道は折紙の背中が見えなくなってから、壁に背をついてため息をついた。ただ話をしただけなのに、どっと疲れてしまった。もしかしたら、彼女の話の内容のせいなのかもしれない。

「……両親が、精霊のせいで死んだ、か……」

 壁に頭をつけながら、士道は小さく呟いた。

 世界を殺す災厄とさえ呼ばれる存在だ。そういう事もあるだろう。アンデッドが、罪もない人々の命を奪ってきたように。あの悲しそうな顔をした少女とアンデッドを同一視するのは否定したい所だが、彼女の言う通り精霊のせいで彼女の両親が死んだのは、紛れもない事実だろうからそういうわけにもいかない。

「やっぱり、俺が甘いだけなのかね……」

 折紙も、琴里も、方向は違うものの自分達の確固たる信念の下に動いている。

 そしてもちろんアンデッドと戦う士道自身にも自分なりの信念があるのだが、その信念が彼女達のような強いものかと問われると、答えに詰まってしまう。

 果たして、昨日琴里の目の前で切った啖呵を、折紙の前でも発する事ができるのだろうか。

「…………」

 士道はもう一度ため息をついた。自分の行動が間違いだとは思ってはいないが、複雑な気分だったのだ。

 壁から背中を離し、士道が階段を降りようとしたその時。

「きゃああああああああああああっ!!」

 廊下の方から、女子生徒の悲鳴が聞こえてきた。

「……っ!? 何だ!?」

 突然の悲鳴に、弾かれたように士道は階段を駆け下りた。さらに最悪の事態を予想して、懐に忍ばせてあるブレイバックルに手を伸ばす。

 悲鳴が起こったと思しき廊下にたどり着いてみると、そこに数名の生徒達が集まっているのが見えた。

 さらにその中心に、白衣を着た女性が一人うつ伏せで倒れていた。外傷らしきものが見当たらないので、どうやらアンデッド関連ではないらしい。士道は懐から手を出すと、目を見開いて女性を見つめている女子生徒に尋ねる。

「どうしたんだ?」

「し、新任の先生らしいんだけど……急に倒れて……」

 女子生徒はあたふたしながらもそう返してきた。士道はかがみこんでから、

「よく分かんねえけど、とにかく保健の先生を……」

 そう言いかけると、士道の足首を倒れていた女性ががしっと掴んだ。

「うわっ!?」

「……心配はいらない。ただ転んでしまっただけだ」

 聞こえてきた声に士道は思わず、ん? と眉をひそめた。その声を、つい最近聞いたような気がしたからだ。

 しかし女性はそんな士道の様子をまったく気にせずに、廊下にべったりとつけていた顔面をゆらりとあげた。

「あ、あなたは……!」

 士道は女性の顔を見て思わずそう言っていた。

 長い前髪に、分厚い隈。昨日とは違って眼鏡をかけていたが、その特徴的な顔は忘れられない。

「……ん? ああ、君は――――」

 女……ラタトスクの解析官、村雨令音がゆっくりとした動作で体を起こした。

「な、何してるんですかこんな所で……」

「……見て分からないかい? 教員として、しばらく世話になる事にしたんだ。教科は物理、君のクラスである二年四組の副担任も兼任する」

 そう言うと令音は自分の胸に付けられているネームプレートを指差した。見てみると、確かに彼女の名前がはっきりと書かれている。ちなみに、そのすぐ上の胸ポケットからは傷だらけのクマのぬいぐるみが覗いていた。

「きょ、教員って……。ええ……?」 

 予想外の事態に、士道は思わず自分の額を押さえかける。しかしそこで、自分と目の前の女性が周囲の視線を集めてしまっている事に気付き、周囲にいる生徒達に向かって慌てて言う。

「あ……こ、この人大丈夫みたいだから」

 それから令音に手を差し伸べ、令音を立ち上がらせる。彼女は相変わらず体を軽くフラフラとさせながら、

「……ん、悪いね」

「それは良いですけど、歩きながら話しましょう。ここで話すのもあれですし」

 周りを気にしながら、士道は言う。

 そのまま令音のペースに合わせて、のたのたと二人一緒に歩いて行く。

「ええと……村雨解析官?」

「……ああ、令音で構わないよ」

「あ、はい……」

「……それと、その代わりと言ってはなんだが、私も君を名前で呼ばせてもらおう。連携と協力は信頼から生まれるからね」

 令音は一人でうんうんと頷きながら、士道の顔を見る。

「ええと、君は………しんたろう、だったかな」

「ししか合ってねえ!」

 士道は思わずシャウトした。令音は首を傾げて、

「……しんこっちょう?」

「もはや人の名前ですらねえし!!」

 本日二回目のシャウト。わざとなのか、それとも天然なのか。後者だとしたらかなりの大物である。

「……まぁ良いか。さてシン、早速だが」

「スルーされた! 思いっきり華麗にスルーされた! っていうか何変な愛称までつけてるんですか!?」

 再び叫ぶが、令音は士道の言葉など聞いていない様子で続けてくる。

「……昨日琴里が言っていた教科訓練の準備が整った。君を捜していた所だ。ちょうど良い。このまま物理準備室に向かおう」

 士道はこの女性に何を言っても無駄だと悟り、ため息をつきながら問い返す。

「そう言えば、訓練って言うのは一体どんな事をするんですか? 令音さん」

「……うむ。琴里に聞いたが、シン、君は女の子と交際をした事が無いそうじゃないか」

「………」

 どうやら、士道の女性遍歴(ゼロ)は可愛い妹の口から令音に伝わっているらしい。何勝手に令音さんに言ってるんだよあいつ……、と士道は心の中で妹への恨み言を漏らしてから曖昧に頷いた。

「……別に責めてるわけじゃない。身持ちが堅いのは悪い事ではないしね。だが、精霊を口説くとなるとそうも言っていられないんだ」

「……むう」

 眉根を寄せながら士道が呻く。確かに令音の言う事には一理ある……ような気がした。

 そして、職員室の近くを通った時。

「……あ?」

 奇妙な物を目にして、士道は思わず立ち止まった。

「……どうかしたかね?」

「いや、あれってもしかして……」

 士道の視線の先には、担任のタマちゃん先生が歩いていた。しかしその後ろに見覚えのある、髪をツインテールにした小さな影がついて回っていた。

「あ!」

 士道の視線に気づいたのか、小さな影……琴里が表情を明るくした。

「おにーちゃぁぁああああん!!」

「おわあああああああああああっ!?」

 その瞬間、琴里が吸い込まれるように士道の腹に突撃してくる。腹に食らえば間違いなくダメージを食らうであろうその突進を、士道は全力でかわす。一方、かわされた琴里はリスのように両頬を膨らまして、

「あー! おにーちゃん、どうして避けるのー!?」

「避けない方がおかしいだろ!」

 士道が琴里に叫ぶと、琴里の後ろからタマちゃん先生がトテトテと歩いて生きた。

「あ、五河君。妹さんが来てたから、今校内放送で呼ぼうとしてたんですよぅ」

「は、はぁ……。ありがとうございます……」

 良く見てみると、琴里は来賓用のスリッパを履いて、中学の制服の胸に入国証をつけていた。どうやらきちんとした手続きを踏んで学校に入ったらしい。

「おー! 先生、ありがとー!」

「はぁい、どういたしましてぇ」

 元気よく手をぶんぶん振る琴里に、先生はにこやかにそう返した。

「やー、もう可愛い妹さんですねぇ」

「はぁ……」

 士道は苦笑しながら曖昧な返事を返すしかなかった。タマちゃん先生は琴里と笑顔でバイバイと手を振り合うと、職員室の方へと去って行った。彼女の背中を見送ってから、士道は琴里に言う。

「で、琴里」

「んー、なーに?」

 丸っこい目を見開きながら、琴里が首を傾げる。

 その仕草は、間違いなく士道のよく見知ったいつもの可愛い妹のものだった。

「訓練って何するんだ? てか、どんな訓練をしたら精霊と交渉なんて……」

「おにーちゃん、その話は後にしよーよ」

 口調はいつもと変わらなかったが、その声にはプレッシャーのようなものが込められていた。どうやら、ここで話すつもりはないという事らしい。士道が黙り込むと、琴里は能天気そうな笑顔のまま廊下を進み始めた。

「説明するから、おにーちゃん。早く行こ?」

 言いながら、琴里が士道の手を引く。

「っとと……。ちょ、分かったから走るなって」

 琴里に引っ張られるままに歩いて行くと、士道は目的地に到着した。

 そこは東校舎四階、物理準備室だった。

「さ。入ろー入ろー♪」

「はいはい……」

 士道は肩をすくめながらドアを開けて、中に入る。

 それと同時に、士道は思わず眉根を寄せて目を擦った。

「……ちょっとすいません」

「……何かね? シン」

 令音が首を傾げながら士道に尋ねる。相変わらず名前が間違ったままだったが、士道としてももうそれを指摘するのも面倒なので率直に疑問を口にする。

「何なんですか、この部屋」

 士道自身一度もこの部屋に入った事が無いが、そんな彼でも一つだけ分かる事が一つだけあった。

 ここは、物理準備室では決してないという事である。

 何故士道がそう思ったかというと、その部屋の中に置かれているものが物理準備室のイメージとはかけ離れていたからだ。いくつものコンピュータにディスプレイ、その他見た事も無い機械。まるでBOARDの研究室の内部のような有様だ。

「……部屋の備品さ?」

「どうして疑問形なのか、ここにいた先生がどこにいったのか突っ込みたい所は色々ありますけど、もう良いです」

 そう言うと士道は再び深いため息をついた。恐らく、ここにある機材はラタトスクの職員が運んだものなのだろう。ここにいた先生が気になるが、さすがに死ぬような事になっていないだろう。彼女達の事だから、何らかの手を打ったに違いない。ツッコミ疲れしてきた士道は、そう結論付ける事にした。

 一方令音は先に部屋に入ると、部屋の奥に置かれていた椅子に腰を掛けた。

 続いて、士道の脇から琴里が部屋に入っていく。

 それから慣れた様子で白いリボンでくくられていた髪を解き、ポケットから出した黒いリボンで髪をツインテールに結びなおす。

「……ふぅ」

 するといきなり、琴里の雰囲気が別人のように変わった。彼女は制服の首元を緩めると、令音の近くの椅子にどっかと座りこむ。まるでどこぞの社長のようである。

 さらに彼女は、持っていた鞄から小さなバインダーのようなものを取り出す。その中には様々な種類のチュッパチャップスが綺麗に並べられていた。どうやら飴玉専用のホルダーだったらしい。

 琴里はその中から一つを選んで口に入れると、部屋の入口に立ちつくしている士道に見下すような視線を向けてからこう言った。

「いつまで突っ立てるのよ、士道。もしかしてカカシ志望とか言うんじゃないでしょうね? やめときなさい。あなたの間抜け面じゃあカラスも追い払えないと思うわよ。馬鹿にされてくちばしで突っつかれるのがオチね。ああ、でもあまりの気持ち悪さに人間は寄ってこないかもしれないわね。精々あまりの気持ち悪さに処分されないように気を付ける事ね」

 一瞬のうちにSMクラブにいそうな女王様に変貌した妹を見て、士道は痛む頭を抑えるように手を置いた。こうして観察してみると、リボンを変えるのがマインドセットのスイッチにでもなっているのかもしれない。

「……なぁ琴里。お前一体どっちが本性なんだ……?」

「嫌な言い方をするわね。そんなんじゃ女の子にもてないわよ。ああ、だからまた童貞だったんだっけ。ごめんなさいね初歩的な事を指摘して」

「………」

 このまま言い返したらさらに毒舌がヒートアップしそうな気がしたので、士道はぐっと堪えてドアを閉めた。

「……さ、ともかくシン。訓練を始めるから、ここに座ってくれ」

 そう言って令音が、二人に挟まれる形で設えられた椅子を示した。

「……了解」

 士道が言われるままに椅子に腰掛けると、それを確認した琴里が口を開く。

「さ、じゃあ早速調きょ……ゲフンゲフン、訓練を始めましょう」

「お前今調教って言おうとしただろ」

「気のせいよ。令音」

「……ああ」

 琴里が言うと、令音が足を組み替えながら頷いた。

「……君の真意はどうあれ、我々の作戦に乗る以上は最低限クリアしておかねばならない事がある」

「何ですか? それ」

「……単純な話さ。女性への対応に慣れておいてもらわねばならないんだ」

「女性への対応……ですか」

「……ああ」

 令音が頷く。動作などを見ていると、そのまま眠ってしまいそうである。

「……対象の警戒を解くため、ひいては好感を持たせるためにはまず会話が不可欠だ。大体の行動や台詞は指示を出せるが……やはり何よりも君自身が緊張していては話にならない」

「女の子と会話って……さすがにそれぐらいなら」

 同年代の女子とそれとなく会話した事ぐらいはあるし、上司の広瀬もいる。それぐらいなら簡単だけど……、と士道が思っていると話を聞いていた琴里が鼻で笑った。

「本当かしら」

 そう言うと、琴里がいきなり士道の頭を令音の胸目掛けて押し付けた。

「…………っ!?」

「……ん?」

 かなり動揺している士道とは対照的に、令音は不思議そうな声を発した。士道はすぐさま琴里の手を退かすと、ばっと顔を上げる。

「………っ、な、なななななにしやがる………!!」

「はん、ダメダメね」

 動揺する兄を目の前にして、琴里は嘲るように肩をすくめた。

「分かったでしょ、こういう事。これくらいで心拍を乱してちゃ話にならないのよ」

「いや、明らかに例がおかしいだろ!?」

 士道が叫ぶが、琴里は聞く耳をもたずにやれやれと首を振った。

「ホント、悲しいまでのチェリーボーイね。可愛いとでも思ってるの?」

「う、うるせえ」

「……まぁ、良いじゃないか。だからこそ私達が今ここにいる」

 言いながら令音が腕組みをすると、彼女の見事なバストが腕に乗った。士道は気恥ずかしくて目を逸らしながら、二人に言う。

「そ、それよりも訓練って何するんだよ? 時間が惜しいんだから、早くしてくれ」

「……確かにそうだね。では早い所始めるとしよう」

 令音は眼鏡をくいと上げると、そばにあったモニタに電源を入れた。すると画面に可愛らしくデザインされた『ラタトスク』の文字が映る。

 続いて、ポップな曲と共に、ピンク、緑、青といったカラフルな髪の美少女達が画面に表示される。さらにその美少女達共に、『恋してマイ・リトル・シドー』という何かの悪ふざけかと言いたくなるようなタイトルロゴが踊った。

「こ、これって……」

「……うむ。恋愛シュミレーションゲームというやつだ」

「ギャルゲーかよ!」

 士道は悲鳴じみた声を上げた。訓練というから何が来るんだろうかと思っていたが、まさかギャルゲーとは思わなかった。士道は本当に痛くなってきた頭を抑えながら尋ねる。

「て、てか、こんなもんで訓練になるのかよ?」

 その問いに答えたのは令音だった。

「……まあそう言わないでくれ。これはあくまで訓練の第一段階さ。それに市販品ではなく、『ラタトスク』総監修によるものだ。現実に起こりうるシチュエーションをリアルに再現してある。心構えぐらいにはなるはずだ」

「心構え、ねぇ……」

 士道は呟きながら、コントローラーを手に握った。文句ばっかり言っても仕方ないし、ゲームをするだけならBOARDの訓練の方がまだ楽である。しかし妹と先生に見られながらギャルゲーとは、一体どんな罰ゲームだろうか。

 そんな事を想いながら士道は主人公モノローグを適当に斜め読みし、ゲームを進めていく。

 そして画面が一瞬暗転し、

『おはよう、お兄ちゃん! 今日も良い天気だね』

 そんな台詞と共に、画面に綺麗な美少女キャラクターが現れた。

 恐らく主人公の妹なのだろう。彼女は寝ている主人公を踏んづけていた。

 パンツ丸見えの状態で。

「いやねぇよ!!」

 士道はコントローラーを力強く握りしめて叫んだ。

「……どうしたねシン。何か問題でも?」

「ありまくりですよ!! 何ですかこの状況! こんなふざけた事が、現実に……起こる……わけが……」

 言いかけて、士道は額から汗を垂らした。

 ゲームととても似たような体験を、昨日の朝したような気がしたからだ。

「……すいません。取り乱しました」

「……いや、構わない。続けてくれ」

 そう言われながら、士道はゲームを再開する。なお、後ろで妹がやけにニヤニヤしていたのを、士道は知らない。

 テキストを進めていくと、画面の真ん中に何やら文字が現れた。

「ん……? 何だこれ」

「選択肢よ。その中から主人公の行動を一つ選ぶの。それによって好感度が上下するから注意しなさい」

 言いながら琴里が画面の右下を指差す。そこにはカーソルがついたメーターのようなものが表示されていた。

「ふーん……なるほどな。これのどれかを選べばいいんだな?」

 士道はどれを選ぶべきか……と選択肢の方に視線を移動させ、ゲームを続けた。

 

 

 

 

 数分後。

「やってられるか!!」

 士道は立ち上がりながらコントローラーをぶん投げたい衝動に駆られた。そんな士道を見ながら、琴里が口を開く。

「何よ。まだ始まって数分よ? ずいぶんな根性無しじゃない」

「うるせぇ! 何が面白くてこんな目に遭わなくちゃならないんだよ!!」

 士道はやや涙目になりながら琴里に猛抗議した。

 それにはある理由があった。

 このゲームには選択肢が存在し、それを選ぶ事でゲームを進めるのだが、その選択肢がどれもまともなのとは言い難いものだったのだ。

 例えば、こんな選択肢である。

 

 

 ②「起きたよ。ていうか思わずおっきしちゃったよ」妹をベッドに引きずり込む。

 

 

 誰がどう見ても犯罪者の台詞と行動である。もしもこんな台詞が画面に現れる時に親にでも見られたりしたら、家族会議間違いなしである。念のために士道はこの選択肢を選んでみたが、やはり結末はBAD ENDだった。むしろこれでHAPPY ENDだったら製作者の神経を疑うが。

 その後残りの二つの選択肢も選んでみたが、一つは好感度がかなり下がり、後一つはやはりBAD END。もはやクソゲーと言われても文句が無いレベルである。

 しかも悲劇はそれだけでは終わらなかった。なんと琴里は士道に緊張感をもってゲームをしてもらうために、士道が選択を間違えるたびに士道の恥ずかしい過去を何らかの形で暴露するというペナルティを課すと言い始めたのだ。なお、士道はこれまでに三回選択を間違っており、結果士道が中学時代にノートに描いた詩やら、士道が作ったオリジナルキャラの設定資料やらが学校の下駄箱に投げ込まれていた。

「うだうだうるさいわね。何でも良いから早くしなさい。言っとくけど、ここで投げ出したりなんかしたらもっと恥ずかしいやつを出すわよ。そうね……。昔士道が部屋でオリジナル必殺技の練習をしていた時の映像をネットに投稿する、なんてどうかしら?」

「………」

 士道はコントローラーを握りなおしながら、心の中でこんな事を思った。

(うう……。これじゃあ、BOARDの訓練の方がまだマシだった……)

 

 

  

 

 

 

 士道が訓練という名のギャルゲーを始める少し前、相川始は一人帰り道を歩いていた。時々彼と同年代ぐらいの少年少女達がコンビニに入ったり本屋に入る光景が見られるが、彼はそういった店にまったく目もくれず家路を急ぐ。それは道草を食うのが嫌だというかそういう理由ではなく、ただ単に興味が無いだけだ。

 やがて始は一軒の喫茶店の前にたどり着いた。住居と店が一体化しているためか構造が二階建てになっており、どこか牧歌的な雰囲気を漂わせている。始が店の入り口のドアを開けて店内に入ると、店の中にいた少女がぱっと表情を明るくして始に駆け寄ってきた。

「お帰りなさい、始さん!」

 少女が始に言うと、始は少女に向かって柔らかい笑顔を作った。

「ただいま、天音ちゃん」

 すると今度は、店のキッチンの中にいた女性が顔を出してきた。女性は始に気が付くと、天音と呼ばれた少女と同じように笑顔を始に向ける。

「お帰りなさい、始君。学校はどうだった?」

「まあまあって所です」

「何よそれ」

 始の言葉に、女性――――喫茶店『ハカランダ』店長であり、栗原天音の母親、栗原遙香は思わず苦笑を浮かべた。彼と一緒に生活してしばらく経つが、彼の口から学校が楽しいとかそういう趣旨の話を聞いた事は一度もない。それにどうやら、特定の友人がいるというわけでもないようだ。

 それが不満というわけでもないが、一人ぐらいは友人を作っても良いのではないかと、大きなお世話とは思うが遙香は考えている。

「ま、とりあえず着替えてきたら? それが終わったら、ちょっと手伝いお願いね」

「はい」

「あ、始さんあとで宿題教えて!」

 遙香に続いて天音が言うと、始は笑顔で頷きながら自分の部屋へと向かった。

 始の部屋は店の地下にあった。始は階段を下りて扉を開けると、部屋に入る。

 始が使っている部屋の中はかなり綺麗に整頓されていた。始は鞄を足元に置いてから、着ていたブレザーを脱ぐ。それからふと部屋の片隅にある小さなデスクに目を向けると、そこに置かれている写真立てが目に入った。

 写真立てに収められている写真には、三人の男女が映っていた。二人はさっき会った天音に遙香、もう一人は男性だった。恐らく天音の父親なのだろう。

「………」

 それを見た瞬間、始の脳裏にある映像がまるでフラッシュバックのように浮かび上がった。

 視界を埋め尽くすほど大量に降る雪。

 そして頭から血を流しながら、写真を自分に差し出している男性の姿。

「………」

 始は一瞬目を細めると、写真から視線を外して手早く私服に着替えると、階段を上って店へと戻った。

 

 

 

 

 

 

 

「えーと……。ここはこれか?」

 琴里達との特訓を終えた士道は、自宅の自分の部屋に戻っていた。しかし、今の彼に平安な休息など存在しない。冷酷なる妹に自らの黒歴史を暴露されないためにも、彼は好きでもないギャルゲーの特訓に勤しまなければならないのだ!

「あー! また違った……!」

 どうやら選んだ選択肢は外れだったらしく、キャラの好感度が下がるのを見て士道が悲痛な声を上げる。仕方なくセーブした地点からやり直そうとすると、士道の携帯電話に着信がかかってきた。携帯電話を開いてみると、画面には『広瀬さん』の文字が躍っていた。士道は通話ボタンを押してからハンズフリーモードにすると、自分の横に置いて声を発する。

「どうしたんですか、広瀬さん?」

『どうしたじゃないわよ。ようやくアパートに戻れたから、あなたに連絡を取ったのよ。確か私に話したい事があるんじゃなかったの?』

「あ……」

 それで士道は、広瀬に精霊の事などを話そうと思っていた事を思いだした。今まで琴里達との訓練の事で頭がいっぱいで、その事をすっかり忘れてしまっていたのだ。

「じゃあ、話して大丈夫ですか?」

『ええ、良いわよ』

 広瀬の了承を得て、士道は話し始めた。

 精霊の事、自分の妹が所属しているラタトスクの事、ASTの事。全てを話し終えたとき、広瀬はしばらく黙ったままだったが、やがて口を開いて言った。

『そう、そんな事があったのね……』

「信じてくれるんですか?」

『忘れてるかもしれないけど、私達が封印しているアンデッドも普通じゃ信じられない生き物よ? 精霊なんて存在がいても、不思議じゃないわ』

 それから電話の向こうの広瀬はふー、と息を吐いて、

『でも、まさか空間震の原因がそういう事だったとはね。ASTの連中も、随分頑張ってるのね』

「え、広瀬さんASTの事知ってるんですか?」

 士道が少し驚きながら尋ねると、広瀬はええと頷いたようだった。

『BOARDの研究記録の中に、ASTがアンデッドと何回か交戦したってデータが残ってたのよ。まさかその精霊ってのと戦う事が本職だとは思わなかったけど』

「どうして、ASTがアンデッドと?」

『調べてみたんだけど、ASTは通常の部隊では達成困難な作戦を遂行する事もあるの。ブレイドのシステムができるまでは、彼女達がアンデッドと交戦していたみたいよ。たぶんその際の戦闘データも参考にしてたんじゃないかしら』

 なるほど、と士道は納得した。そう言えば、琴里達もASTがアンデッドと戦ったような事を言っていた。だとすると、もしかしたら折紙もアンデッドと交戦した事があるのかもしれない。

『ま、アンデッドを封印できるのはBOARD(うち)だけだから、ASTもアンデッドには手を焼いてたみたいだけど。そういう情報を守る事に関しては、多分私達がトップクラスだったんじゃないかしら』

 それはただの自画自賛ではないだろう。現にBOARDよりも上の科学力を誇るラタトスクでさえ、BOARDの事は知らなかった。科学力では負けるが、情報を守る技術に関しては負けはしない。

『それと面白い情報があるわよ。何でもアンデッドの細胞には、ASTの随意領域(テリトリー)を無効化して破壊する力があるらしいわ』

「テリトリー?」

『あ、そっか。五河君にはまだ随意領域の事は話してなかったわね』

 聞きなれない単語に士道が首を傾げると、広瀬が気が付いたようにそう言ってから補足する。

戦術顕現装置搭載(コンバット・リアライザ)ユニットの事は知ってるわよね?』

「顕現装置を戦術的に運用するための装備の事ですよね?」

 士道自身使った事も無いし見た事も無いが、烏丸からそういうものがあるという話は聞いた事がある。

『それが発動する時に、装着者の周りに見えない領域と呼べるものが発生するの。それが随意領域(テリトリー)随意領域(テリトリー)はその文字通り、使用者の思い通りになる空間なのよ。そうする事で装着者は超人的な力とかを発揮する事ができるってわけ』

「ええ……良いなそれ……。ライダーシステムに取り付けなかったんですか?」

 士道が言うと、広瀬はため息をついた。

『それがダメだったのよ。何回か戦術顕現装置搭載(コンバット・リアライザ)ユニットをライダーシステムに組み込もうとしたんだけど、拒絶反応が出てるの』

「拒絶反応?」

『そう。たぶんアンデッドの特性のせいね。それでライダーシステムと顕現装置(リアライザ)の相性が悪いって事が分かって、ライダーシステムに顕現装置(リアライザ)を組み込む事ができなかったらしいわ。あとそのせいなのか、顕現装置(リアライザ)の適応率が高い人間……つまりASTのような人間は適応率が高ければ高いほど、それに反比例してライダーシステムとの相性が悪いってデータが出てる』

「じゃあ、ASTがライダーシステムを使っても……」

『変身できない。変身できたとしても、あなたほどの力は出せないと思う』

 へぇ、と士道は頷きながらある事に気づき、広瀬に尋ねる。

「あれ? アンデッドがそのテリトリーを無効化して壊せるって事は……」

『装着者に直接大きなダメージを与える事ができる。そしてそれはあなたのブレイドアーマーも可能なはずよ。ブレイドアーマーは、アンデッドの力を利用して造られたから』

 広瀬の言葉に士道は納得したが、それと同時にある疑問が胸に浮かぶ。

 ブレイドアーマーはあくまでアンデッドを封印するために作られたもののだはずだ。それなのに、どうしてそんな力が備わっているのだろうか。

 それにアンデッドの事も気になる。何故アンデッドに随意領域(テリトリー)を破壊するなどという力があるのか。

 士道がそう思っていると、広瀬の怪訝そうな声が士道の耳に届いてきた。

『ところで……さっきから何か音がするけど、五河君さっきから何してるの?』

 その問いに、士道は少し顔をひきつらせながら答えた。

「えっと……ギャルゲー、です」

『ええ? 五河君ってそういうの好きだったっけ?』

 広瀬の怪訝な声が聞こえてくるが、それも当然だと士道は思う。自分にそういう趣味はないし、広瀬や烏丸にギャルゲーが好きだという事を話した事も無い。

 仕方がないので、士道は何故自分がギャルゲーをしようと思ったのか、その理由を広瀬に話し始めた。

 すべて話し終えると、広瀬は何故か深いため息をついた。

『いくらなんでも理論が飛躍しすぎてない? そんなやり方で、本当に空間震を止める事ができるの?』

「……やっぱり、そう思います?」

 やはり広瀬でもラタトスクの理論は少し飛躍しすぎていると感じるらしい。士道はため息をつくと、烏丸の事を思いだして口を開く。

「そういえば、烏丸所長なら精霊の事も知ってるんですか?

『それは分からないけど……もしかしたら知ってるかもしれないわね。階級は私達の中で一番上だし、私達の誰もが知らない事を所長なら知っているって可能性はあるわ』

「……一体どこにいるんでしょうね、所長」

『分からない。だけどアンデッドを封印する事も大切よ。烏丸所長の事は調べとくから、あなたは……』

 広瀬がそう言った直後だった。

 

 

 突然、電話口の向こうでビー! ビー! というけたたましい音が鳴り響いた。

 

 

 その音を聞いて、士道は顔を険しくした。今自分の耳に響いている音は何回も聞いた事があるし、その音が何を意味するかも知っていた。その意味は、

「広瀬さん、これって……!」

『噂をすれば、ね。アンデッドよ。位置は北東十一キロ!』

「分かりました!

 士道はすぐさまゲームのセーブを完了させると、部屋を飛び出して家の外に出る。それから家の門のすぐそばに置かれていたブルースペイダーに乗りこむとヘルメットをかぶり、鍵を差してエンジンを起動させてアンデッドが出現した地点へと向かった。

 

 

 

 

 

 同じ頃、ハカランダで客が使ったテーブルを布巾で拭いていた始は急に顔を上げた。

突然、頭の中に唸り声のようなものが響いてきたのだ。それはまるで獣のようで、しかし獣とは別の生き物のような、奇妙な唸り声だった。

(………遠い。だが、放っておくとこっちに来るか………)

 始はテーブルを拭き終えると、布巾をカウンターに置いて遙香に言った。

「少し出かけてきます」

「え?」

 始の言葉にきょとんとした表情を浮かべる遙香だったが、気にしていてはいられない。始は店を出ると外に駐車している自分のバイクに乗り込み、ヘルメットをかぶるとエンジンをかけて発進させる。

 そして始がバイクに乗っている最中に、異変は起こった。

 突然始の腰に、中央にトランプのハートのような紋章があるベルトが浮かび上がるように出現し、腰に自動的に装着される。それから始はカマキリのような生物が描かれたラウズカードを素早く取り出しながら言った。

「変身!」

 取り出したラウズカードを、腰のベルト『カリスラウザー』のバックル部分『ラウザーユニット』で読み込むと同時、ベルトからブレイドのものとは違う音声が発せられる。

『Change』

 その瞬間再び異変が起こった。ベルトからまるで水の波紋のようなものが広がっていき、やがて波紋が始の全身を覆うと、次の瞬間勢いよく波紋が弾け飛ぶ。

 波紋が弾け飛んだ後、始の姿は変わっていた。

 全身を黒いスーツのようなものに覆われ、胸部には赤い模様が入った銀色の装甲。ハートを連想させる真紅の複眼は『インセクト・ファインダー』と呼ばれ、遠視・透視能力を持つ。その姿はまるでカマキリのようだった。

 さらに始の変身に呼応するかのように、乗っていたバイクも普通のバイクからブレイドのブルースペイダーをも凌ぐ出力を誇る『シャドーチェイサー』に変化する。

 始――――カマキリのアンデッド『マンティスアンデッド』の力を持つライダー、『カリス』はさらにバイクの出力を上げると、アンデッドが出現した現場へと向かった。

 

 

 

 

 

 現場に到着した士道はブルースペイダーから降りると、ヘルメットをすぐさま脱いでバイクを降りて辺りを見回す。

 アンデッドが現れた現場はあまり人気がいない丘だった。高さはそんなになく、子供の足でも数十分あれば頂上にたどり着く事ができるはずだ。士道はアンデッドを捜しながら、設置されている階段を駆け昇って行く。周囲には緑が生い茂っているが、生憎今は鑑賞している暇はない。全速力で走り、士道はようやく丘の頂上にたどり着いた。

 頂上は広場になっており、かなり広めである。地面は芝生が生え、さらに人が歩きやすいようにアスファルトで舗装された道もある。士道が辺りを警戒しながら歩いていたその時だった。

『シャアアアアアアアアアアッ!!』

「うわっ!?」

 突然背後から唸り声のようなものが聞こえ、士道は慌てて横に転がって回避する。士道は身を起こして、自分を襲ってきた生物を確認する。

 頭部からは角が扇状に伸びており、さらに両手には七股刀と呼ばれる刃物が握られている。生き物を殺す事に特化したその姿は、ヘラジカを連想させた。

 士道は立ち上がってブレイバックルを取り出すとラウズカードを装填して腰に装着するが、その最中にアンデッド――――ディアーアンデッドが士道に斬りかかってくる。士道は頭を下げて攻撃をかわすと、右腕を伸ばしてターンアップハンドルに左手をかけて叫ぶ。

「変身!」

『Turn Up』

 ターンアップハンドルを引くと同時にバックルから放たれたオリハルコンエレメントがディアーアンデッドを弾き飛ばし、さらに士道がオリハルコンエレメントを通過すると士道は瞬時にブレイドへと変身する。

 さすがに武器を持っている相手に丸腰で挑むわけにはいかない。ブレイドはホルスターからブレイラウザーを引き抜くと、ディアーアンデッドにブレイラウザーを素早く振り下ろす。

 しかしディアーアンデッドは片方の七股剣でブレイラウザーを防ぐと、もう一本の七股刀でブレイラウザーを斬り裂く。

「がぁっ!」

 装甲から火花が散り、士道はディアーアンデッドとの距離を放されてしまう。さらに追い打ちをかけるようにディアーアンデッドの角から雷が上空に向かって放たれると、次の瞬間ブレイドの体に向かって雷が落ちてきてブレイドの装甲から再び火花が散った。

「雷かよ……!」

 全身を走る痛みに仮面の下で顔をしかめながら、士道が呻く。その間にもディアーアンデッドは刀を振りかぶり、ブレイドに襲撃してくる。ブレイドはブレイラウザーで攻撃を防ぐが、ディアーアンデッドはブレイドの腹に鋭い蹴りを放ちブレイドを吹きとばす。

 地面を転がったブレイドのとどめを刺すためにディアーアンデッドが再び剣を振り上げてくるが、ブレイドはブレイラウザーを力強く握るとブレイラウザーを下からすくい上げるように操り、ディアーアンデッドの剣を弾く。

 さらにその際に生まれた隙を見逃さず、ブレイドは素早く立ち上がるとディアーアンデッドの角をブレイラウザーで斬り裂いた。

『ギャアアアアッ!!』

 ディアーアンデッドから悲鳴が上がり、地面を転がる。ブレイドはブレイラウザーのオープントレイを展開して、カードを一枚抜き取るとブレイラウザーで読み取る。

『KICK』

 音声と共にカードの絵柄がブレイドの胸部に吸収され、ブレイドの体に力が宿る。

「はぁぁぁぁぁぁぁ………はぁっ!」

 ブレイラウザーを逆手で持つとゆっくりとブレイラウザー真上に掲げ、最後に掛け声と同時に地面に突き刺す。そして空中高く跳び上がると、ようやく立ち上がったディアーアンデッドに向かって右足を突き出す。

「はぁああああああああっ!!」

 ローカストアンデッドが封印されたラウズカードを利用して放たれるキック『ローカストキック』がディア―アンデッドの胸部に直撃し、ディアーアンデッドは吹き飛ばされて地面に叩き付けられると同時に爆発を起こす。

 爆発によって起きた煙が晴れると、倒れているディアーアンデッドのバックルが二つに割れるのが見えた。ブレイドはラウズカードを取り出すと、ディアーアンデッドに向けてカードを投げる。カードが胸部に突き刺さると、ディアーアンデッドはカードに封印されてその姿を消した。

 ブレイドの手元に戻ってきたカードにはヘラジカのような生物の絵と数字の六にスペードの紋章、それに『THUNDER』という単語が並んでいた。

 ブレイドはカードをオープントレイにしまいブレイラウザーをホルスターに戻すと、変身を解除するためにターンアップハンドルに手をかけようとする。

 その時だった。

「ぐあっ!?」

 突如、首を何かで絞め付けられブレイドは思わず首に手をやる。それから自分の首に目をやると、どうやら今自分の首を絞めているのは何か植物のようなものらしい。ブレイドが背後に目をやると、そこにはもう一体異形がっていた。

 眼球はおろか口すらない顔に、右手は三つに分かれた蔦のような形をしている。ブレイドの首を絞めている植物は、そこから出ているようだった。

「もう一体いたのか……!」

 最初から二体がかりで襲ってこなかったのを見ると協力関係ではなかったらしいが、厄介な事に変わりはない。ブレイドはブレイラウザーを引き抜こうとするが、先ほどの戦闘のダメージもあり手がブレイラウザーに届かない。

 そうしている間にも、アンデッド――――プラントアンデッドは自分の蔦で捕まえたブレイドを自分の方へと引き寄せていく。ブレイドは蔦を外そうとするが、首にがっちりと食い込んでいて中々外す事ができない。

(……ま、ずい……呼吸が……)

 蔦で首を絞められているせいで、呼吸が行えなくなってきている。このままでは窒息死してしまうだろう。

 朦朧とする意識の中でブレイドは必死に蔦を外そうとするが、やはり蔦は外れない。少しずつブレイドの呼吸が浅くなっていき、手から力が抜けていく。

 まさに絶体絶命という言葉が似合う、その時だった。

『ガアッ!!』

 突然プラントアンデッドの体が吹き飛ばされ、地面を転がった。それに巻き込まれてブレイドも地面を転がるが、その際に蔦が緩んでブレイドはようやく新鮮な空気を肺に取り込む事に成功する。

「はぁ……はぁ……!」

 ブレイドは首を押さえながら、自分達が吹き飛ばされた方向とは正反対の方を見る。

 そこには、

「……ライ、ダー……?」

 黒いスーツに銀色の装甲を身に纏った、どこかライダーに似ている何かが立っていた。その何か――――カリスが士道に目もくれずにプラントアンデッドに視線を向けると、プラントアンデッドはカリスに視線を向けながら声を発する。

《カリス……! 何故貴様がここに!》

「え?」

 プラントアンデッドの声に、ブレイドは思わず怪訝な声を出した。

 それもそうだろう。今プラントアンデッドの声から発せられたのは、日本語どころか人間の言語ですらなかったのだ。しかしそんなブレイドを無視して、続いてカリスが口を開く。カリスの言語も、プラントアンデッドのように人間のものではなかった。

《そんな事はどうでも良い。それよりも封印させてもらうぞ。貴様のような奴は邪魔だからな》

《黙れ!》

 プラントアンデッドはカリスに向かって蔦を放つが、カリスは攻撃を見切って蔦を全てかわすと鋭い平手打ちをプラントアンデッドに放つ。プラントアンデッドの体から火花が散り、プラントアンデッドの体がふらつく。さらに鋭い回し蹴りを放ち、相手を吹き飛ばす。

 プラントアンデッドが地面を転がると、カリスの右手に両端に双刃を持つ弓のような武器『醒弓(せいきゅう)カリスアロー』が浮かび上がるように出現する。それをプラントアンデッドに向けると弓から光の矢が放たれ、プラントアンデッドの体に直撃しその体がよろめく。カリスが距離を詰めようとするとプラントアンデッドが左手から蔦を伸ばしてカリスを拘束しようとするが、カリスはカリスアローの刃の部分を素早く振るって蔦を切断する。

 そして素早く距離を詰め、カリスアローを何回も振るう。放たれる斬撃は鋭い上に重く、攻撃を受けたプラントアンデッドの体から火花がまるで血のように噴き出す。

 カリスはプラントアンデッドを蹴り飛ばすとカリスラウザーのバックル部分『ラウザーユニット』を取り外し、カリスアローに装着する。それからベルトの右側にあるケースを開けてカードを一枚抜き取り、ラウザーユニットでカードを読み取る。

『TORNADO』

 音声が発せられ、カードの絵柄がカリスアローに吸収される。カリスがカリスアローをプラントアンデッドに向けると、カリスアローから竜巻の力を付与された光の矢が放たれ、プラントアンデッドの直撃する。プラントアンデッドの体が硬直し、バックルが二つに分かれる。

 カリスは再びケースを開けてカードに手をかけると、カードをプラントアンデッド目掛けて素早く投げる。カードがプラントアンデッドの胸部に当たり、その体がカードに封印される。カリスの手元に戻って来たカードには、ハートの紋章に数字の七、さらに蔦のような絵に『BIO』の単語があった。

「すげえ……」

 カリスの戦いぶりを見ていたブレイドは思わず感嘆の声を上げた。

 別にあのライダーの力の大きさに感動したわけではない。破壊の規模だけなら、あの精霊の少女や折紙達ASTの方が大きいだろう。

 ただ、無駄がないのだ。

 敵の力を見切り、素早く敵を倒す。さらに繰り出す斬撃は鋭い上に重い。力そのものの大きさなら間違いなく精霊の方が上かもしれないが、戦い方などはほぼ互角………いや、もしかしたらカリスに軍配が上がるかもしれない。

 ブレイドが呆然としていると、カリスはカードをケースにしまってその場から立ち去ろうとしていた。

「ちょ、ちょっと待ってくれ!」

 ブレイドは思わずカリスのために立ちふさがると、カリスは何も言わずにブレイドの顔を見つめていた。

「な、なぁ。あんた一体誰なんだ? アンデッドを倒したって事は、俺達の味方なのか?」

「………」

 ブレイドの言葉に、カリスは何も言わない。

「もしそうなら……俺と一緒に戦ってくれ……」

 ブレイドの言葉は途中で途切れた。

 

 

 カリスのカリスアローが、ブレイドの胸部に直撃したからだ。

 

 

「ごっ……!?」

 カリスの攻撃に肺から呼吸が漏れ、ブレイドは吹き飛ばされて地面を転がる。ブレイドがふらふらと立ち上がらうと、カリスが敵意のこもった声でブレイドに言い放つ。

「……全てが俺の敵だ。貴様もな!」

 さらに追撃として、ブレイドにカリスアローの斬撃を放つ。攻撃の嵐にブレイドは抵抗する事ができず、ただ攻撃を受けるだけの状態になった。

 最後に強力な一撃を食らうと、ブレイドは地面を転がる。立ち上がろうにも体に走る激痛のせいで立ち上がる事ができない。カリスはそんなブレイドを見下ろしていたが、やがて視線を外してその場から立ち去った。

 ブレイドはようやく立ち上がれるほどまでに回復すると、ターンアップハンドルを引いてラウズカードを引き抜く。バックルからオリハルコンエレメントが飛び出し、ブレイドの体がオリハルコンエレメントを通過するとブレイドは士道の姿に戻る。士道はカリスが立ち去った方向を見ながら、険しい顔で呟いた。

「あいつ……一体何なんだ?}

 それからブレイバックルを懐にしまうと、まだダメージが体に残る体で丘を下りていった。

 

  




余談ですが、デアラの最新刊の見開き挿絵で腹筋が崩壊しました。


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第五話 実戦開始

映画仮面ライダードライブまであと約一ヶ月。デアラのゲームまで焼く十三日。この二つは絶対に外せない……!


『ライダーに会った!? 本当なのそれ!?』

「は、はい……」

 夜、夕食を終えて風呂に入った士道は、自分の部屋に戻った後広瀬に電話をかけていた。用件はもちろん、今日自分が出会った黒いライダーについてだ。ちなみに琴里から言い渡されたギャルゲーを用いた特訓はこの後すぐさまやる予定である。

『どういう事……? BOARDが開発したライダーシステムは、一号のギャレンと今あなたが使っている二号のブレイドだけのはずなのに……』

「他の組織が開発したって可能性はないんですか?」

『そんな事……。いえ、もしかしたらあるかもしれないわね……』

 広瀬の答えははっきりしないものだったが、それも当然かもしれないと士道は思った。自分だって今までライダーシステムの開発はBOARDだけしかできないと思っていたが、今日目の前に自分の知らないライダーが出現したのだ。そう考えてしまうのもおかしくない。

 それに何より、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 しかし、そうなると一体どこの組織がライダーシステムを開発したのかという話になる。ライダーシステムを開発するには、最低でもBOARDクラスの科学力が必要だ。昨日士道が接触したラタトスクという組織には負けるものの、BOARDの科学クラスも相当なものだ。あれほどの科学力を誇る組織など、そうはいない。

 士道がそう考えていると、電話口の向こうの広瀬が口を開いた。

『そのライダー、何か気になる事を言ってなかった?』

「いえ……でも、こんな事を言ってました。全てが俺の敵だ。貴様もなって……。それで俺に襲いかかって来たんです」

 そう言うと、その時の痛みを思い出して士道は顔をしかめながら自分の上着を軽くめくる。服の下の肌は、青みがかかった痣がついていた。

 いくらアンデッドの攻撃にも耐えるブレイドアーマーでも、強すぎる衝撃を受けてしまえばダメージは装着者の体に影響を及ぼす。この痣もいずれは消えると分かっていても、やはり痛いものは痛いのだ。

 士道の言葉を聞いて、広瀬は何かを考え込むように呟いた。

『全てが敵って……。どういう事? その言葉からすると、相手が何らかの組織に所属してるって事は考えづらいわね……。一体、何者なのかしらそのライダー……』

「さぁ……。でも、話し合いとかできそうな奴じゃなかったですけど……」

 何と言ったって、士道が俺と一緒に戦ってくれないかと言いかけたその時に攻撃を仕掛けてきたようなライダーである。正面から話し合いをしようとしても、恐らくまた攻撃を食らうに違いない。 

『そうね……。とりあえず、そのライダーの事はまた今度調べる事にしましょう。五河君は、アンデッドを封印する事に集中してちょうだい。あと、前言ってた精霊との会話にもね』

「あ、はい」

 どうやら、士道の精霊との対話についてもちゃんと考えてくれているらしい。士道が返事を返すと、広瀬は電話を切った。広瀬もBOARDが壊滅した上に烏丸所長が現在行方不明で大変だというのに、士道の身をちゃんと案じてくれている。士道はその事をありがたく思いながら、再びゲームでの特訓を始めるためにテレビの電源をつけてギャルゲーを始めた。

 

 

 

 

 

 

 十日後。

「あともう少し……あともう少しなんだ……!」

 学校の授業が終わった放課後、士道はそんな事を口走りながらよろよろと廊下を歩いていた。行き先はもちろん、令音と琴里が待つ物理準備室である。

 琴里と令音の放課後強化訓練が実地されてから休日を含めて十日。あれから士道はギャルゲーでの実力を上げて、もう少しでギャルゲーのハッピーエンドにたどり着くところまで来ていた。上手くいけば、今日の訓練で終わるはずである。

 ……それまでに、幾度か古傷を抉られたかはしたのだが。

 そういうわけで、古傷を抉られて心と体がボロボロになった士道が歩いていると、廊下の向こう側からある人物が歩いてきているのが見えた。

 どこか無愛想さを感じさせる整った顔立ちを持つその男子生徒は、士道のクラスメートの相川始だった。授業が終わるとすぐに真っ直ぐ帰る彼が校内にいるのは珍しいが、恐らく教師に呼ばれて残っていたのだろう。

 彼を見て、士道はある事を思いついた。殿町から聞いた所によると、彼は女子生徒からかなりの人気を誇るらしい。その彼ならば、もしかしたら女子とうまく話せる方法を知っているのかもしれない。その方法を知る事ができれば、あの精霊の少女と会話する方法が見つかる可能性がある。

 そんな事を思いながら、士道は始の正面に立って声をかけた。

「あ、相川。ちょっと良いか?」

「……お前は。確か、五河と言ったか」

 どうやら士道が自分のクラスメートだという事はさすがに知っているらしい。しかし突然話しかけてきた士道に警戒しているのか、彼の声はやや低く怪訝な表情を浮かべている。士道は頬を掻きながら、彼に尋ねる。

「噂で聞いたんだけど……。相川って、モテるんだよな?」

「良い迷惑だがな」

 恐る恐る言った士道の言葉を、始はばっさりと切り捨てた。中々予想以上に扱いづらそうな少年である。そして始は士道の目を真っ直ぐ見ながら尋ねてくる。

「それで、俺に何の用だ?」

「えーと……。そんなにモテるんだったら、何か女子とうまく話せる方法がないかなって思って……」

「女と話したいのか?」

「まぁ……そんな感じ」

 この前見たあの精霊は女の子だったので、あながち間違いではない。士道がそう答えると、始はふんとくだらなさそうに鼻を鳴らして言った。

「そんな方法は知らない。俺の場合は、ただ単にあいつらが寄ってくるだけだ。そんな事に興味はないし、持つ気もない。女と話すためにくだらん努力をする暇があるなら、勉強でもしていろ」

 そう言い捨てると、始は士道の横を通って歩き去って行ってしまった。その後ろ姿を見ながら、士道はぽつりと呟いた。

「……本当に、クールだな……」

 もう少し他に言い方がないのかと突っ込みたくなるような口調だった。殿町の言う通り、確かに無愛想である。もしかしたら、女子という存在そのものに興味が無いのかもしれない。

 だが士道自身、努力をやめるつもりはさらさらない。始はくだらん努力と言っていたが、士道の場合はそのくだらない努力をしなければあの精霊の少女と話す事ができない。あの少女との会話のためにも、士道は努力を諦める訳にはいかないのだ。

 そして士道は、今出会った少年が十日前に自分に襲いかかってきたライダーとは当然知る由もなく、再び足を動かして物理準備室へと向かった。

 

 

 

 

 そして数分後。

「どんなもんじゃーい!」

 士道は左手にコントローラーを握った状態で、右手をぐっと握って天高く突き上げた状態で歓声を上げた。目の前のテレビの画面には、ゲームのハッピーエンドの場面が映っている。

「……ん、まあ少し時間はかかったが、第一段階はクリアとしよう」

「ま、一応全CGはコンプしたみたいだし、とりあえずは及第点かしらね。とは言っても、あくまでも画面の女の子に対してだけど」

 背後からスタッフロールを眺めている令音と琴里が息を吐くのが士道の耳に入ってくる。

「で、次はどうするんだ? もうこれで終わりってわけじゃないんだろ?」

「そうね。じゃ、もう生身の女性にいきましょ。時間も押しちゃったし」

「……ふむ。しかし大丈夫かね」

「平気よ。もし失敗しても、失われるのは士道の社会的信用だけだから」

「………」

 最近妹の自分に対する扱いが酷すぎる、と士道は内心思った。そんな士道の内心に全く気付かず、琴里が士道に言ってくる。

「それで士道。次の訓練なんだけど」

「ああ。何をするんだ?」

「そうね……誰が良いかしら」

「あ?」

 琴里の意味不明の言葉に士道が首を傾げると、令音が手元のコンソールを操作し始めた。机の上に並べられたディスプレイに、学校内の映像がいくつも映し出された。どうやら学校のあちこちにカメラを設置し、その映像をこのディスプレイに映し出しているしい。いつの間にそんなもの設置したんだと士道は突っ込みたかったが、令によって無視されるだろうと思うのでやめておいた。

「……そうだね、まずは無難に彼女などどうだろう」

 そう言って、令音が画面の右端に映し出されていたタマちゃん先生を指差した。

 琴里は一瞬眉を跳ね上げると、次の瞬間邪悪な笑みを浮かべた。

「……ああ、なるほど。良いじゃない、それで行きましょう」

 それを聞いて、令音が士道に視線を向ける。

「……シン。次の訓練が決まった」

「ど、どんな訓練ですか?」

 士道が問うと、令音が首肯しながら返してくる。

「……ああ。本番、つまり精霊が出現したら、君は小型のインカムを耳に忍ばせてこちらの指示に従って対応してもらう事になる。一回、実戦を想定して訓練しておきたかったんだ」

 つまり、アンデッドと戦う時に広瀬のサポートを受けながら戦うのと同じような事をするらしい。

「じゃあ、俺は何をするんですか?」

「……とりあえず、岡峰珠恵教諭を口説いてきたまえ」

「はぁ!?」

 予想もしていなかった言葉に士道は思わず眉根を寄せて叫んだ。

「何か問題でもあるの?」

 琴里が士道の反応を楽しむようにニヤニヤと嫌な笑みを浮かべながら言ってくる。こいつ、間違いなく楽しんで矢がると士道は思いながら反抗するように言った。

「大有りだろうが! そんな事、できるわけが……!」

「本番ではもっと難物に挑まなきゃならないのよ?」

「――――っ。そりゃ、そうだけど……」

 あの凄まじい力を持つ少女の姿を思い出して、士道は思わず言葉を詰まらせる。すると令音がぽりぽりと頬を掻いて、

「……最初の相手としては適任かと思うがね。恐らく君が告白したとしても受け入れはしないと思うし、ぺらぺらと周りに言いふらしたりもしなさそうだ。……まあ、君がどうしても嫌だと言うのなら女子生徒に変えても良いが……どうする?」

 そう尋ねられた士道の脳裏に、士道に声をかけられた女子生徒が教室に戻るなり女友達を集めて告白された事を話し、それについて女子生徒達が笑いながら士道の事を酷評するという場面が浮かび上がった。もう、それだけで新たなトラウマが生まれてしまいそうである。

 それに対して、珠恵に関してはそういう場面がまったく思い浮かばない。若く見えると言っても相手は大人の女性なので、生徒の戯言と聞き流してくれるに違いない。

「で、どうするの? 本番での失敗はすなわち死を意味するから、どちらにせよ必ず一回は予行練習させるつもりだったけど」

「……分かった。先生で頼む」

 士道が内心やれやれと呟き、さらにため息をつきながら言った。

「……よし」

 士道の言葉に令音は小さく頷くと、机の引き出しから小さな機械を取り出して士道に手渡す。それに続いてマイクと、さらにヘッドフォン付きの受信機らしきものを机の上に置いた。

「何ですか、これ?」

「……耳に付けてみたまえ」

 令音に言われるままに、士道は機械を右耳に嵌めこむ。

 それを確認すると、令音はマイクを手に取って唇を動かした。

『……どうかね、聞こえるかな?』

「おおっ」

 突然耳元で令音の声が響き、士道は軽く声を上げる。

『……よし、ちゃんと通っているね。音量は大丈夫かい?』

「あ、はい」

 士道が答えると、令音はすぐさま机の上に置いてあるヘッドフォンを耳に当てた。

「……ん、こちらも問題ないな。拾えている」

「え、今の声拾えたんですか? こっちにはマイクみたいなのついてませんけど」

「……高感度の集音マイクが搭載されている。自動的にノイズを除去し、必要な音声だけをこちらに送ってくれる優れものだ」

「へぇ……」

 どうやら、広瀬のサポートを受けるためにブレイドに搭載されている通信システムと同じような原理らしい。一方、琴里は机の奥からもう一つ小さな機械部品のようなものを取り出して指で弾く。琴里の指に弾かれた機械部品は、そのまま虫のように羽ばたくと宙を舞った。

「今度はなんですか?」

「……見たまえ」

 そう言うと令音は、目の前のコンピュータを操作して画面を表示させる。そこには琴里と令音、さらに士道のいる物理準備室が映し出されていた。

「これって、もしかしてカメラですか?」

「……ああ。超小型の高感度カメラだ。これで君を追うから、虫と間違って潰さないようにしてくれ」

「あ、はい」

 士道が頷くと、琴里が声を上げた。

「ターゲットは今東校舎の三階廊下よ。もたもたしてないで早く行きなさい鈍亀」

「へいへい」

 士道が適当に返事をしながら、物理準備室の扉を開けて廊下に出る。

 そして階段を下りて左右に視線を巡らせると、廊下の先に自分の担任教諭である珠恵の背中が見えた。

 士道はその背中に向かって呼び声を上げようとしたが、ふとある事に気が付いて名前を呼ぶのをやめる。

 確かに大声を出せば届く距離ではあるが、まだ学校に残っている生徒や教師達の注目を集めてしまう可能性は高い。特訓とはいえ、これから教師を口説くためそういう事は避けたかった。

「……はぁ、仕方ねえ」

 士道はため息をつきながら、軽く駆け足になって珠恵を背を追う。

 しばらく進むと、士道の足音に気付いたのか珠恵が立ち止まって振り返ってきた。

「あれ? 五河君、どうしたんですかぁ?」

「あ、あの……」

 ほぼ毎日見ている顔だというのに、いざ口説く対象となると一気に緊張感が増す。士道は思わず口ごもってしまった。

『落ち着きなさいな。これは訓練よ。しくじったって死ぬわけじゃないわ。気楽にやりなさい』

 右耳から琴里の声が響いてくる。

 士道は目の前の珠恵に気付かれないように深呼吸を数回して、何とか自分を落ち着かせようとする。琴里の言う通り、これは訓練だ。失敗したって死ぬわけじゃない。それに、死ぬ危険性があるアンデッドと戦うよりもこちらの方が何倍もマシだと自分に言い聞かせる。

 すると、だんだんと呼吸が落ち着いてきて、士道はふうと息をついた。

 とりあえず、まずは無難に相手を褒めてみるかと思う。前に広瀬から聞いた話だと、女性の容姿を直接的に褒めるとどこか白々しく聞こえてしまうらしい。なのでまずは、相手の衣服やネックレスなどの装身具などを褒めて、間接的に女性のセンスを認める方が良いという話だ。

  士道は広瀬の言葉を思い出しながら、口を開く。

「ところでその服、可愛いですね」

「え? そ、そうですかぁ? やはは、なんか照れますねぇ」

 珠恵は嬉しそうに頬を染め、後頭部を掻きながら笑顔を作ってみせる。

 その反応に士道は小さく拳を握った。自分自身も年上である広瀬と何回も話した事があるためか、自分が思っていたよりも緊張していない。士道はさらに言葉を続ける。

「はい、先生にとても似合ってます」

「ふふ、ありがとぉございます。お気に入りなんですよぉ」

「その髪型もすごく良いですね」

「え、本当ですかぁ?」

「はい。すごく可愛らしいです」

「えへへ。可愛いだなんて、そんなぁ……」

 士道の言葉に、珠恵はてれてれと笑った。

『中々良い調子よ。そのまま攻め続けなさい』

「だけど、これ以上何を言えって言うんだ?」

 一応衣装などを褒めてみたものの、これが広瀬以外にあまり女性と面識がない士道の限界だった。しかしこのまま会話を続けようとしても、いずれボロが出そうで不安である。

 すると、士道の右耳に眠そうな声が聞こえてきた。令音だ。

『……仕方ないな。では私の台詞をそのまま言ってみたまえ』

 今の士道に、その令音の言葉はとても頼もしいものだった。士道は小さく首を前に倒し、了承を示す。

 そして何も考えずに、耳から聞こえてくる情報を口から発する。

「あの、先生」

「何ですか?」

「実は俺、最近学校に来るのがすごく楽しいんです」

「そぉなんですか? それは良い事ですねぇ」

「はい。……先生が、担任になってくれたから」

「え……?」

 士道が発した言葉に、珠恵が驚いたように目を見開く。

「な、何言ってるんですかもぅ。どうしたんです急に」

 口ではそう言いながらも、結構まんざらでもなさそうである。士道は続けて、令音から伝えられてくる言葉を言う。

「実は俺、前から先生の事が……」

「ぃやはは……駄目ですよぉ。気持ちは嬉しいですけど、私は先生なんですからぁ」

 出席簿をパタパタとやりながら、珠恵が口調する。

 やはり相手は教師にして大人の女性である。きちんといなすつもりのようだ。

『……ふむ。どう攻めるかな』

 絶え間なく台詞を紡いでいた令音が小さく息をついた。

『……確か彼女は、今年で二十九歳だったね。ではシン、こう言ってみたまえ』

 令音が次なる台詞を支持してくる。士道は何も考えずに、令音に言われたままに口を動かす。

「俺、本気なんです。本気で先生と……」

「えぇと……困りましたねぇ」

「本気で先生と、結婚したいと思ってるんです!」

 士道の口から『結婚』という単語が発せられた瞬間、珠恵の頬がピクリと微かに動いた。

 そしてしばらく黙った後、小さな声を響かせてくる。

「……本気ですか」

「え……。あ、はぁ……まぁ……」

 突然変わった雰囲気に士道がたじろぎならも返すと、珠恵は急に一歩足を踏み出して士道の袖を掴んでくる。予想外の行動に、士道は思わず体をびくりと震わせた。

「本当ですか? 五河君が結婚できる年齢になったら、私もう三十歳超えちゃうんですよ? それでも本当に良いんですか? 両親に挨拶しに来てくれるんですか? 婿養子とか大丈夫ですか? 高校卒業したらうちの実家継いでくれるんですか?」

 目を爛々と輝かせて、鼻息を荒くしながら珠恵が詰め寄ってくる。さっきまでは間延びしていた声が、今ではかなりはっきりしたものに変わっている。とんだビフォーアフターである。

「あ、あの、先生?」

『……ふむ、少し効きすぎたか』

 士道があまりの変貌ぶりに軽く顔をひきつらせていると、令音がため息をとtも二声を発してきた。

「ど、どういう事ですか?」

 珠恵に聞こえないように声を小さくしながら、令音に尋ねる。

『……いや、独身・女性・二十九歳にとっては結婚というのは必殺の呪文らしい。かつての同級生は次々と家族を気築き始め、両親からは早く孫の顔が見たいとせっつかれ、自分に関係ないと思っていた三十路の壁を今にも超えそうな不安定な状況だからね。……にしても、少々彼女は極端すぎるような気もするな』

 珍しく少し辟易した様子を声ににじませながら、令音が言ってくる。一方、その話を聞いていた士道は目の前の女性に未来の広瀬の姿が重なったような気がして身震いした。広瀬本人に言ったら殴られる事間違いなしの考えである。

「そ、それは良いんですけど、どうしろってんですかこれは……!」

「ねえ五河君、少し時間良いですか? まだ婚姻届を書ける年齢ではないので、とりあえず血判状を持っておきましょうか。美術室から彫刻刀でも借りてきましょうね。大丈夫ですよ、痛くないようにしますからね」

「すいません何を言ってるんですか!?」

 予想以上に珠恵の中の結婚という言葉が重くて、士道は思わず震えた。

『あー、必要以上に絡まれても面倒ね。目的は達したし、適当に謝って逃げなさい』

 士道は唾液を飲み込むと、意を決して口を開く。

「す、すいません! やっぱりそこまでの覚悟はありませんでした……! どうか、どうか無かった事にぃぃいいいいいい!!」

 必死に叫びながら、士道は珠恵から逃げ出した。

「あ、い、五河君!?」

 背中に珠恵の声を聞きながら、士道はBOARDの訓練で鍛えた足をただひたすら動かして逃げる。

『いやー、中々個性的な先生ね。悪いと思うけど笑わせてもらったわ』

 言葉の通り、呑気そうな琴里の声が聞こえてくる。士道は足を動かしながら妹に怒鳴った。

「ざっけんな! 何を呑気な事を……!」

 そう、言いかけた瞬間だった。

「うわっ……!?」

「…………!」

 インカムに注意がいってしまっていたせいで、士道は曲がり角の先から歩いてきた生徒とぶつかり、思いっきり転んでしまう。

「いてて……。す、すまん。大丈夫か?」

 そう言いながら身を起こすと、

「いっ……!?」

 目の前の光景に、士道は自分の心臓が引き絞られるのを感じた。何故なら、そこにいたのが鳶一折紙だったからだ。

 しかもそれだけではなく、転んだ拍子に尻餅をついてしまったせいか、ちょうど士道の方に向かってM字開脚をしていたのだ。ちなみに下着の色は白だった。

 それに思わず士道が目を背けると、折紙はさして慌てた様子もなく士道に言う。

「平気」

 そして、その言葉通り何事もなかったかのようにすっと立ち上がった。するとそれと同時に、イヤホン越しに琴里が士道に言ってくる。

『ちょうど良いわ、士道。彼女でも訓練しておきましょう』

「はぁっ!?」

 予想外すぎる提案に素っ頓狂な声を出す士道に、琴里がさらに続けてくる。

『やっぱり先生だけじゃなく、同年代のデータも欲しいしね。それに精霊とは言わないまでも彼女はAST隊員よ。中々参考になりそうじゃない。見る限り、彼女も周りに言いふらすタイプとも思えないしね』

「お前なぁ……。あまり適当な事を……」

『精霊と話したいんでしょ?』

「……む……」

 琴里の言葉に士道は一瞬そう声を出してから、下唇を噛んだ。

 覚悟を決めると、折紙の背中の声を投げかけた。

「と、鳶一」

「なに」

 まるで士道に声をかけられるのを待っていたかのように、折紙が素早い動きで振り向いた。

 士道はその反応に少し驚きながらも、呼吸を落ち着けて唇を開く。

「その服、可愛いな」

「制服」

「……ですよねー」

『なんで制服をチョイスしたのよこのウスバカゲロウ。髪型とか、他にもあったでしょ』

 おっしゃる通りです、と士道は心の中で頷いた。どうやら同年代を相手にするという事は、予想以上に緊張する事らしい。

『……手伝おうか?』

 士道の反応に焦れたのだろうか、先ほどのように令音が助け舟を出してくる。

 不安は残るものの、この精神状態で会話を続ける自身もない。士道は折紙に気付かれないように首肯した。

 右耳に聞こえてくる言葉に従って、声を出していく。

「あのさ、鳶一」

「なに」

「俺、実は……前から鳶一の事知ってたんだ」

「そう」

 声は相変わらずそっけないままだったが、信じられない事に折紙が言葉を続けてきた。

「私も、知っていた」

「…………っ!」

 内心驚きながらも、不自然に思われないように声を出すのだけはどうにか防いた。

「そうなんだ。嬉しいな。……それで、二年で同じクラスになれてすげえ嬉しくてさ。ここ一週間、授業中ずっとお前の事見てたんだ」

 口ではそう言いながらも、士道は内心我ながら気持ち悪いと思っていた。この告白はまるでストーカーのようであるからだ。

「そう」

 しかし折紙はそんな士道の言葉にもまったく動揺を見せずにこう言ってきた。

「私も見ていた」

「………っ」

 まっすぐ見つめられながら放たれた言葉に、士道は思わず唾液を飲み込んだ。実際の所、士道は気まずくて授業中に折紙の方など見られなかったのだが。

 脈打つ心臓を抑え込むように、耳に入ってくる言葉を士道はそのまま口から出していく。

「ほ、本当に? あ、でも実は俺それだけじゃなくて、放課後の教室で鳶一の体操着の匂いを嗅いだりしてるんだ」

「そう」

 さすがにこれはいくらなんでも引かれるだろうと思っていたが、士道の予想に反して折紙はまったく表情を雨後咲かなかった。

 しかも次の瞬間、彼女は士道の予想もしていなかった事を口にした。

「私も、やっている」

「………!?」

 折紙の言葉に、士道の表情が固まった。

 というよりも、折紙もそうだがさっきから琴里と令音の言葉がおかしいような気がする。

 しかし頭の中が混乱している今の士道に、今更自分の言葉で会話する事など不可能だった。

「そ、そっか。なんか俺達気が合うな」

「合う」

「それで、もし良かったらなんだけど、俺と付き合ってくれないかって急展開すぎるだろうがいくらなんでも!!」

 もう訓練とかどうでも良くなり、士道は後方を振り返って叫び声を上げた。

 折紙から見ると、勝手に告白して自分の発言に盛大なノリツッコミをしている頭のおかしい男である。

『……いや、まさか本当にそのまま言うとは』

「そのまま言えって言ったのあんただろうが!」

 士道は怒りを声に乗せて言ってから、ようやく我に返り折紙に向き直る。

 折紙はいつもと変わらない無表情ではあったが、気のせいだろうか、先ほどよりも少しだけ、本当にほんの少しだけだが、目を見開いているように見えた。

「あ、その、なんだ……すまん、今のは……」

「構わない」

「……………うぇ?」

 士道は折紙から発せられた言葉に、思わず間抜けな声を出してしまった。

 聞き間違いではないかを確認するために、折紙に尋ねる。

「な、なんて?」

「構わない、と言った」

「な、ななななななにが?」

 動揺のあまりどもってしまう士道だが、折紙はそれに構わずに続けてくる。

「付き合っても構わない」

「………!?」

 士道は驚きのあまり顔中に汗をぶわっと拭き出させた。額に手を当てて、落ち着け、落ち着けと必死に自分に言い聞かせる。

 どう考えてもありえないのだ。数えるくらいしか会話をかわした事も無い、しかも目の前でいきなり変態的な告白をした男にいきなり交際を迫られて、OKする女がいるのだろうか。

 恐らくいない事はいないのだろうが、折紙に関しては絶対にそんな答えを返してくるとは士道はまったく思わなかったのだ。

 いや待て、と士道はそこである事に気付く。もしかしたら折紙は、何か勘違いをしているのではないだろうか。

「あ、ああ………。どこかに出かけるのに付き合ってくれるって事だよな?」

「………?」

 しかしまたしても士道の予測に反して、折紙が小さく首を傾げる。

「そういう意味だったの?」

「あ、いや……ええと、鳶一はどういう意味だと思ったんだ……?」

「男女交際の事かと思った」

 その言葉を聞いた瞬間、士道は先日ディアーアンデッドの雷が直撃した時のように全身を震わせた。そんな士道を見て、折紙がさらに尋ねてくる。

「違うの?」

「い、いや。違わない……けど」

「そう」

 折紙が何事もなかったかのように首肯した。

 そして、士道が何故違わないなんて言ったんだと頭を抱えようとしたその瞬間。

 

 

 ウゥゥゥゥゥゥゥ――――――。

 

 

「っ!?」

 何の前触れもなく、周囲一帯に警報が響き渡った。

 それとほぼ同時に、折紙が軽く顔を上げた。

「……急用ができた。また」

 そう言うと、踵を返して廊下を走って行った。

「お、おい……」

 士道が声をかけるが、折紙は止まらずにその姿を消した。それと同時に、士道のインカムに妹の声が聞こえてくる。

『士道、空間震よ。一旦フラクシナスに移動するわ。戻りなさい』

「分かった。で、精霊はどこに来るんだ?」

 空間震が起こるという事は、あの少女がこの世界に顕現するという意味でもある。士道が尋ねると、琴里は一拍おいてから続けた。

『――――今私達がいる場所、来禅高校よ』

 

 

 

 

 十七時二十分。

 避難を始める生徒達の視線を避けながら、街の上空に浮遊しているフラクシナスに移動した三人はスクリーンに表示されている様々な情報に視線を送っていた。

 軍服に着替えた琴里と令音は時折言葉を交わしながら頷いていたが、士道には画面上の数値が何を意味しているかは分からなかった。

 唯一理解できるのは、画面右側に表示されているのが士道の高校を中心にした街の地図である事くらいだ。

「なるほど、ね」

 艦長席に座ってチュッパチャップスを舐めながら、クルーと何やら言葉を交わしていた琴里が小さく唇の端を上げる。

「士道」

「何だよ」

「早速働いてもらうわ。準備なさい」

「――――」

 その言葉に、士道は身体を硬直させる。

 予想はしていたし、覚悟もしていた。それにこういう事はアンデッドと戦うライダーの仕事で慣れたと思っていた。

 だがやはり、実際にその時が来てしまうと緊張を隠せそうになかった。

「もう彼を実践登用するのですか、司令」

 突然、艦長席の隣に立っていた神無月がスクリーンに目をやりながら不意に言った。

「相手は精霊。失敗はすなわち死を意味します。訓練は十分なのでしょげふっ」

 最後まで言い切る前に、彼の鳩尾に琴里の強烈な右ストレートがめり込んだ。

「私の判断にケチをつけるなんて、随分偉くなったものね神無月。罰として今から良いと言うまで豚語で喋りなさい豚」

「ぶ、ブヒィ」

 何故かかなり慣れた様子で神無月が返す。士道はもうそれにいちいち突っ込むのも面倒なので、黙っている事にした。すると琴里がキャンディの棒をピンと上向きにしてから、スクリーンを示す。

「士道、あなたかなりラッキーよ」

「え?」

 琴里の視線を追うように、スクリーンに目を向ける。

 さっきと変わらず意味が分からない数字が踊っていたが、右側の地図には先ほどと違った所があった。

 士道の高校には赤いアイコンが一つ、その周囲には小さな黄色いアイコンがいくつも表示されているのだ。

「赤いのが精霊、黄色いのがASTよ」

「それのどこがラッキーなんだ?」

「ASTを見て。さっきから動いてないでしょ?」

「ああ」

「精霊が外に出てくるのを待ってるのよ」

「何でだよ。突入しないのか?」

 士道が尋ねると、琴里が大仰に肩をすくめた。

「ちょっとは考えてものを言ってよね恥ずかしい。粘菌だってもう少し理知的よ」

「な、なにおう!」

「そもそもCR-ユニットは、狭い屋内での戦闘を目的として作られたものではないのよ。随意領域(テリトリー)があるとはいっても遮蔽物が多く、通路も狭い建造物の中じゃ確実に機動力が落ちるし、視界も遮られるわ」

「なるほど……」

 士道は妹の説明を聞いて納得した。ライダーシステムは屋内と屋外両方の戦闘を前提にして作られているし、遮蔽物が多くてもブレイドのオーガンスコープは透視機能も備えているので、遮蔽物が多いという点も大した問題にはならない。

 説明を終えてから琴里が指を鳴らすと、それに応じるようにスクリーンに表示されていた画像が、実際の高校の映像に変わる。校庭に浅いすり鉢状のくぼみができており、その周りの道路や校舎の一部も綺麗に削り取られている。先日、士道が見たのと同じ光景だ。

「校庭に出現後、半壊した校舎に入り込んだみたいね。こんなラッキー滅多にないわよ。ASTのちょっかいなしで精霊とコンタクトが取れるんだから」

「……なるほどな」

 理屈は分かったが、琴里の台詞に引っ掛かりを覚えた士道は琴里に半眼を向ける。

「だけど、精霊が普通に外に現れてたらどうやって俺を精霊と接触させるつもりだったんだ?」

「ASTが全滅するのを待つか、ドンパチしている最中に放り込んでたわね」

「………」

 士道は先ほどよりも深く、今の状況が本当にどれだけありがたいものかを思い知った。下手をすれば、この組織はBOARDよりもブラックである。

「じゃあ、早いところ行きましょうか。インカムは外してないわね?」

「ああ」

 答えながら士道はインカムが装着されている右耳に手を触れた。

「よろしい。カメラも一緒に送るから、困ったときはサインとして、インカムを二回小突いてちょうだい」

「ん、分かった。だけど……」

 士道は琴里と、艦橋下段で自分の持ち場についている令音に視線を送る。

 訓練の時の助言を思い出してみると、正直心細いサポートメンバーである。

 士道の表情から思考を察したのだろうか、琴里が不敵な笑みを浮かべる。

「安心しなさい、士道。フラクシナスのクルーには頼もしい人材がいっぱいよ」

「ほ、本当か?」

 士道が心配そうに尋ねると、琴里が上着をバサッと格好よく翻して立ち上がる。

「たとえば」

 言いながら、艦橋下段のクルーの一人をビシッと指差した。

「五度もの結婚を経験した恋愛マスター・『早すぎた倦怠期(バットマリッジ)』川越!」

「四回は離婚してんじゃねーか! 離婚マスターに改名しろ!!」

「夜のお店のフィリピーナに絶大な人気を誇る、『社長(シャチョサン)』幹本!」

「金目当てだろどうせ!!」

「恋のライバルに次々と不幸が! 午前二時の女・『藁人形(ネイルノッカー)』椎崎!」

「ウソだドンドコドーン!!」

「百人の嫁を持つ男・『次元を越える者(ディメンション・ブレイカー)』中津川!」

「現実見ろ現実!!」

「その愛の深さゆえに、今や法律で愛する彼の半径五百メートル以内に近づけなくなった女・『保護観察処分(ディープラブ)』箕輪!」

「誰も信用できねー!!」

 頭を抱えて士道は絶叫した。というよりも、誰も彼もが一癖も二癖もありすぎるし、一人は下手をすれば犯罪まで行きかけている。士道はラタトスクの人選が本当に心配になった。

「……皆、クルーとしての腕は確かなんだ」

 艦橋下段からまるでフォローするようにぼそぼそと令音の声が聞こえてきた。

「そ、そんな事言われても……」

「良いから早く行きなさい。精霊が外に出たらASTがあっという間に群がってくるわよ」

 令音に士道が苦情を発しかけるが、そんな士道の尻を琴里が勢いよく蹴った。

「痛って……、こ、このやろ……」

「心配しなくても大丈夫よ。士道は一回くらい死んだもすぐニューゲームできるわ」

「ざっけんな。俺は普通の人間だぞ」

「つべこべうるさいわね。妹の言う事を信じない兄は不幸になるわよ」

「兄の言う事を聞かねえ妹に言われたくねえよ」

 士道はため息混じりに言うが、そのまま大人しく艦橋のドアへと足を向ける。

「グッドラック」

「おう」

 ビッと親指を向けてくる琴里に、士道は軽く手を上げて返した。

 緊張が完全にほぐれたわけではないが、この機を逃すわけにはいかなかった。

 琴里達には悪いが、倒すとか、恋をさせるとか、世界を救うとか。士道はそんな大それた事はまったく考えていなかった。

 ただ。

 あの悲しそうな表情をした少女ともう一度話をしてみたい。

 それだけが、今の士道を突き動かしているのだった。

 

 




更新が中々できなくて辛い……。


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第六話 彼女の名前

ただいま、ようやく買えた凛緒カーネイションをプレイ中です。結構面白くて個人的には満足しています。


 琴里の話によると、フラクシナスの下部に設えられている顕現装置(リアライザ)を用いた転送機は、直線状に遮蔽物が無ければ一瞬で物質を転送・回収できる代物らしい。ちなみに士道はこの話を最初に聞いた時、本当にすごい科学技術で造られてるなと心の底から思った。

 最初は船に酔ったかのような気持ち悪さを感じたものの、数回目となるとさすがに慣れてきた。一瞬のうちに視界がフラクシナスから薄暗い高校の裏手に変わったのを確認してから、士道は酔いを醒ますかのように軽く頭を振るう。

「んじゃ、まずは校舎内に……」

 そう言いかけて、目の前の光景に言葉を止める。

 目の前にあるコンクリートでできた校舎の壁は冗談のようにごっそりと削り取られており、その内部を覗かせていた。アンデットと戦ってきた士道でも、こんな現象は見た事が無い。

「実際見てみるとやっぱすげぇな……」

「まあ、ちょうど良いからそこから入っちゃいなさい」

 右耳のインカムから、フラクシナスにいる琴里の声が聞こえてくる。

 士道は「了解……」と呟きながら校舎の中へと入っていく。のんびりしていたら精霊が外に出てしまうかもしれないし、それ以前に士道がASTに見つかってしまったら『保護』されてしまう可能性もある。

『さ、急ぎましょ。こっちからナビするわ。精霊の反応はそこから階段を上がって三階、手前から四番目の教室よ』

「分かった」

 士道は頷いて一度深呼吸をしてから、近くの階段を駆け上がっていく。

 すると一分とかからず、士道は指定された教室の前まで辿り着いた。

 扉が開いていないせいで、中の様子はうかがう事ができない。しかしこの教室の中に精霊がいると思うだけで、士道の心臓は自然と早鐘のように鳴った。

「って、ここって俺のクラスじゃねえか」

 教室の前の扉に掛かっている室名札を見て、士道が思わずそう口にするとインカムから聞こえてくる琴里の声が再び士道の鼓膜を揺らした。

『あら、そうなの。じゃあ好都合じゃない。地の利とまでは言わないけど、まったく知らない場所より良かったでしょ』

 そんな事を言われても、実際にはまだ進級してそう日が経っていないのでそこまで知っているというわけでもない。

 とにかく、精霊が気まぐれを起こす前に接触しなくてはならない。士道はごくりと唾を呑みこんだ。

「……やぁ、こんばんわ、どうしたの、こんな所で」

 小さな声で、精霊にかける言葉を何度か繰り返す。

 そして、士道は意を決して教室の扉を開けた。士道の目に、夕日で赤く染められた教室の姿が映り込んでくる。

「――――――」

 その、瞬間。

 頭の中で用意していた言葉が、一瞬で全て吹き飛んだ。

「あ………」

 前から四番目、窓際から二列目。ちょうど士道の机に、不思議な輝きを放つドレスを身に纏った黒髪の少女が、片膝を立てるようにして座っていた。

 幻想的な輝きを放つ水晶色の目を物憂げな半眼にして、どこかぼうっとした様子で黒板を眺めている。

 半身を夕日に照らされた少女は、見る者全ての思考能力を一瞬奪うほどに、ひどく神秘的だった。

 だが、その完璧に近い光景は、一瞬のうちに崩れる事になる。

「――――ぬ?」

 士道が教室に入って来た事に気付き、少女が目を完全に見開いてこちらを見てくる。

「や、やあ……」

 士道が心を落ち着けながら手を上げようとした瞬間、少女の目に敵意が宿るのを感じて、士道は思わず手を上げるのをやめて顔を素早く横に動かす。

 刹那。

 少女が無造作に手を振るい、士道の顔のすぐ近くを一条の黒い光線が通り抜けた。

 一瞬の後、士道が手を掛けていた教室の扉とその後ろにある廊下の窓ガラスが盛大な音を立てて砕け散る。

「………っ!」

 士道は驚きながらも、少女から視線を外さない。少女は鬱々とした表情を作りながら、腕を大きく振り上げた。掌の上には、丸く形作られた光の塊のようなものが危険な黒い輝きを放っている。

「ちょっ……」

 士道が叫びを上げるより早く、急いで壁の後ろに身を隠す。

 直後、先ほどまで士道がいた位置を光の奔流が通り抜け、校舎の外壁を容易く突き破り外へと伸びていった。

 その後も、士道を狙うかのように連続して黒い光が放たれる。

「ま、待ってくれ! 俺は敵じゃない!」

 随分と風通しのよくなった廊下から少女に向かって声を上げる。

 すると、士道の言葉が通じたのか、それきり光線は放たれなくなった。

「……入って、大丈夫なのか?」

『見たところ、迎撃準備はしてないわね。やろうと思えば、壁ごと士道を吹き飛ばすなんて容易いはずだし。逆に時間を空けて機嫌を損ねても良くないわ。行きましょう』

 独り言のような士道の呟きに琴里が答えた。恐らくカメラはもう教室に入っているのだろう。ブレイドのオーガンスコープを使えば、透視機能で教室の中を見る事ができるのだが、さすがにこの場で変身するわけにはいかない。

 唾液を飲んでから、士道は扉の無くなった教室の入り口に立った。

 そんな士道に、少女は無言でじとーっとした目を向けてきていた。一応攻撃はしてこないが、その視線は猜疑と警戒で満ちている。

「と、とりあえず落ち着い……」

 士道はとりあえず敵意が無い事を示すために両手を上げながら、教室に足を踏み入れた。

 が、

「――――止まれ」

 少女が凛とした声音を響かせると同時に、士道の足元の床を黒い光線が灼いた。その攻撃に、士道は慌てて体を硬直させた。

「………っ」

 少女が士道の頭頂から爪先までを舐めるように睨め回し、口を開く。

「お前は、何者だ」

「あ、ああ。俺は……」

「待ちなさい」

 士道が答えようとしたところで、何故か琴里からストップがかかった。

 

 

 

 

 現在フラクシナスの艦橋のスクリーンには、光のドレスを纏った精霊の少女がバストアップで映し出されていた。

 愛らしい顔を刺々しい視線で飾りながら、カメラの右側――――士道の方を睨んでいる。

 そしてその周りには『好感度』をはじめとした、各種パラメータが配置されている。令音が顕現装置(リアライザ)で解析・数値化した少女の精神状態が表示されているのだ。

 さらにフラクシナスに搭載されているAIが二人の会話をタイムラグ無しでテキストに起こし、画面の下部に表示させている。

 一見してみると、士道が訓練で使っていたギャルゲーのゲーム画面にそっくりだった。

 特大のスクリーンに表示されたギャルゲー画面に、選りすぐられたクルー達が至極真面目な顔をして向かい合っている。本人達は大真面目なのだろうが、傍から見るとシュールな光景この上ない。

 と、琴里がぴくりと眉を上げた。

『お前は、何者だ』

 精霊が士道に向かって言葉を発した瞬間、画面が明滅して艦橋にサイレンが鳴り響いたのだ。

「こ、これは……」

 クルーの誰かが狼狽に満ちた声を上げる中、画面の中央にウィンドウが現れた。

 ①「俺は五河士道。君を救いに来た!」

 ②「通りすがりの一般人ですやめて殺さないで」

 ③「人に名を訊ねる時は自分から名乗れ」

「選択肢……っ」

 琴里はキャンディの棒をピンと立てた。

 令音の操作する解析用顕現装置(リアライザ)と連動したフラクシナスのAIが、精霊の心拍や微弱な脳波などの変化を観測して、瞬時に対応パターンを画面に表示したのだ。

 これはいつでも表示されるわけではなく、精霊の精神状態が不安定である時にしか表示されない。

 つまり、正しい対応をすれば精霊に取り入る事ができる。

 だが、もしもこの選択肢を間違えれば――――。

 琴里はすぐさまマイクを口に近づけ、返事を仕掛けていた士道に制止をかける。

「待ちなさい」

『………?』

 士道の息を詰まらせるような音が、スピーカーから聞こえてくる。きっと琴里が言葉を止めさせた事に困惑しているのだろう。

 精霊をいつまでも待たせるわけにはいかない。琴里は目の前のクルー達に向かって叫んだ。

「これだと思う選択肢を選びなさい! 五秒以内!」

 するとすぐに、クルー達が一斉に手元のコンソールを操作する。その結果はすぐさま琴里の手元にあるデイスプレイに表示される。

 最も多いのは、③の選択肢だった。

「どうやらみんな、私と同意見みたいね」

 琴里が言うと、クルー達は一斉に頷いた。

「①は一見王道に見えますが、向こうがこちらを敵と疑っているこの場で言っても胡散臭いだけでしょう。それに少々鼻につく」

 直立不動のまま神無月が言うと、艦橋下段にいる令音もそれに続いて声を発する。

「……②は論外だね。万が一この場を逃れる事が出来たとしても、それで終わりだ。次に精霊と接触できる保証はない」

 その言葉に琴里は頷きながら、

「そうね。その点③は理に適っているし、うまくすれば会話の主導権を握る事もできるかもしれない」

 そして士道に選択肢を伝えるために、琴里は再びマイクを引き寄せた。

 

 

 

 

「お、おい。どうしたんだよ」

 少女の鋭い視線に晒されながら言葉を制止された士道は、気まずい空気の中そこに立ちつくしていた。さっきから琴里に声を小さくして話しかけているものの、インカムから声はまったく返ってこない。

「……もう一度聞く。お前は何者だ」

 少女は苛立たしげに言うと、目をさらに尖らせた。

 するとそれと同時に、ようやく右耳に琴里の声が届く。

『士道、聞こえる? 私の言う通りに答えなさい』

「お、おう」

『人に名を訊ねる時は自分から名乗れ』

「人に名を訊ねる時は自分から名乗れ。……っておい……! 何言わしてんだよ……!」

 琴里の言う通りに言ってから、士道は顔を青くした。いくらなんでもこれは相手に喧嘩を売っているようなものである。どうやってこれを話し合いのための会話だと解釈すれば良いのだ。

 そして案の定、士道の声を聞いた少女は途端に表情を不機嫌そうに歪め、今度は両手を振り上げて光の球を作り出した。士道は慌てて床を蹴り、右方に転がる。

 その瞬間、士道の経っていた場所に黒い光球が次々と放たれた。床に二階、一階まで貫通すような大穴が開く。いや、もしかしたら本当に貫通しているのかもしれない。

 士道はその時の衝撃波で教室の端まで吹き飛ばされたものの、すぐに受け身を取ってから素早く立ち上がる事に成功したために大きな怪我などは見当たらなかった。

『あれ、おかしいな』

「おかしいなじゃねえよ! 殺す気か!」

 心底不思議そうに言ってくる琴里に、士道はややこめかみをひくひくとさせながら返す。

 と、

「これが最後だ。答える気が無いのなら、敵と判断する」

 士道の机の上から、少女が敵意のこもった声で告げてくる。士道はごくりと唾を飲んでから口を開いた。

「お、俺は五河士道! ここの生徒だ! 敵意は無い!」

 降参を示すかのように士道が両手を上げながら言うと、少女は訝しげな目を作りながら士道の机の上から下りる。

「そのままでいろ。お前は今、私の攻撃可能圏内にいる。もしも少しでも妙な行動をしたら……殺す」

「………っ」

 少女の言葉は、当たり前の事かもしれないが冗談には聞こえない。士道は姿勢を保ったままこくこくと頷いた。

 少女が、ゆっくりとした足取りで士道の方に近寄ってくる。

「……む?」

 少女は少し首を傾げながら軽く腰を折ると、しばしの間士道の顔を凝視してから眉を下げた。

「……お前、前に一度会った事があるな……」

「あ、ああ。今月の……確か十日に。街中で」

「おお」

 少女は納得したかのように小さく手を打つと、姿勢を元に戻した。

「思い出したぞ。何やらおかしな事を言っていた奴だ」

 少女の目から微かに険しさが消えるのを感じて、一瞬士道の緊張が緩んだ。

 だが、

「ぐっ……!?」

 緊張が緩んだわずかな瞬間に、士道は前髪を掴まれて顔を無理矢理上向きにさせられた。

 少女が士道の目を覗き込むように顔を斜めにしながら、先ほどとまったく変わらない敵意のこもった視線を放ってくる。

「確か、私を殺すつもりはないと言っていたか? ふん、見え透いた手を。言え、何が狙いだ。油断させて後ろから襲うつもりか?」

「………っ」

 士道は小さく眉根を寄せて、奥歯を力強く噛んだ。

 少女への恐怖とか、死の恐ろしさとか、そんなものよりも先に。

 少女が士道の言葉……殺しに来たのではない、というその台詞を微塵も信じる事ができないのが。

 信じる事ができないような環境にずっと晒されていた、というのが。

 士道には気持ち悪くて、たまらなかった。

「……人間は……」

 思わず士道は、声を発していた。

「お前を殺そうとする奴らばかりじゃ……ないんだよっ……」

「………」

 士道のその言葉に少女は目を丸くして、彼の髪から手を離した。

 そしてしばらくの間、怪訝そうな瞳で士道の顔を見つめた後に、小さく唇を開いた。

「……そうなのか?」

「ああ、そうだ」

「私が会った人間達は、皆私は死なねばならないと言っていたぞ」

「そんなわけ、ないだろっ」

「……」

 少女は何も答えずに、手を後ろに回した。

 半眼を作ってから口を結び、まだ士道の言う事が完全に信じられないという顔を作る。

「……では聞くが、私を殺すつもりがないと言うのなら、お前は一体何をしに私の前に現れたのだ?」

「……っ。それは……」

『士道』

 士道が少女の問いに口ごもると同時に、琴里の声が再び右耳に響いてきた。

 

 

 

 

 

「……また選択肢ね」

 琴里は乾いた唇をぺろりと舐め、スクリーンの中央に再び表示された選択肢を見つめた。

 ①「それはもちろん、君に会うためさ」

 ②「なんでもいいだろ、そんなの」

 ③「偶然だよ、偶然」

 手元のディスプレイに、瞬時にクルー達の意見が集まってくる。見てみると、①が一番人気だ。

「士道。とりあえず無難に、君に会うためとでも言っておきなさい」

 琴里がマイクに向かって言うと、画面の中の士道が立ち上がりながら口を開く。

『き、君に会うためだ』

『……?』

 予想外の質問だったのか、少女がきょとんとした表情になる。

『私に? 一体何のために』

 少女が首を傾げてそう言うと、また画面に選択肢が表示された。

 ①「君に興味があるんだ」

 ②「君と、愛し合うために」

 ③「君に聞きたい事がある」

「んー……どうしたもんかしらねえ」

 琴里が悩んだ声を出しながら顎をさすっていると、手元のディスプレイにはクルー達の意見が集まっていた。今度は②の回答が一番多い。

「ここはストレートに言っておいた方が良いでしょう、司令。男気を見せないと!」

「はっきり言わないとこの手の娘は分からないですって!」

 琴里はふむと唸ってから足を組み替えた。

「まあ、良いでしょう。他の選択肢だとまた質問を返されるでしょうし。士道。君と、愛し合うために、よ」

 マイクに向かって指示を発すると、士道の肩がピクリと震えた。

 

 

 

 

「あー……。その、だな……」

 琴里からの指示を受けた士道は、ややうろたえて目を泳がせる。まぁ、あの指示でうろたえるなと言う方が無理かもしれないが。

「なんだ、言えないのか? お前は理由もなく私のもとに現れたと? それとも……」

 少女の目が、徐々に険しいものになっていく。士道は慌てて手を振りながら少女に答えた。

「き、君と愛し合うために……」

「………」

 その瞬間、少女は手を抜き手にして、横薙ぎに振り抜く。

 すると、士道の頭のすぐ上を風の刃が通り抜け、教室の壁を斬り裂いて外へと抜けていった。士道の髪が数本、中ほどで切られて風に舞う。あと数センチ下だったら、今頃士道の顔は真っ二つになっていた事だろう。

「………っ!!」

「……冗談はいらない。本当の事を言え」

 ひどく憂鬱そうな表情で、少女が呟いた。

「………」

 士道は唾液を飲み干した。

 一瞬で今まで感じていた恐怖が薄れていき、心臓が高鳴っていく。

 ――――ああ、そうだ、この顔だ。

 士道が大嫌いな、この顔だ。

 自分が愛されるなんて微塵も思っていないような、世界に絶望した表情。

 その表情を見て、士道は思わず声を発していた。

「俺は、お前と話をするために……ここに来た」

 すると、少女は言葉の意味が理解できないと言うように眉をひそめた。

「……どういう意味だ?」

「そのままだ。俺は、お前と話がしたいんだ。内容なんかなんだって良い。気に入らないなら無視してくれたって良い。でも、一つだけ分かってくれ。俺は……」

「士道、落ち着きなさい」

 琴里が諌めるように言ってくるが、士道は止まらない。

 今士道の目の前にいる少女には、手を差し伸べる人間が一人もいなかった。

 たった一言でも、殺意も敵意もない言葉があれば状況は違ったかもしれないのに、その一言をかけてやる人間が一人もいなかった。

 士道には、両親が、琴里がいてくれた。

 だが彼女には、誰もいなかった。

 だったら、士道が言うしかない。

「俺はお前を、否定しない」

 士道はだん! と足を強く踏みしめると、一言一言を区切るように言った。

「………っ」

 少女は眉根を寄せると、士道から初めて目を逸らした。

 そしてしばらく黙った後、ようやく唇を開いた。

「……シドー。シドーと言ったな」

「ああ」

「本当に、お前は私を否定しないのか?」

「本当だ」

「本当の本当か?」

「本当の本当だ」

「本当の本当の本当か?」

「本当の本当の本当だ」

 繰り返し行われる問いに、士道が迷わずに答え続けると少女は頭をくしゃくしゃと掻いた。それからずずっと鼻をすするかのような音を立ててから、顔の向きを戻す。

「……ふん」

 眉根を寄せて口のへの字に結んだままの表情で、腕組みをする。

「誰がそんな言葉に騙されるかばーかばーか」

 先ほどと比べてやや口調が子供っぽくなったが、この状況でそんな事を指摘するわけにもいかない。士道は慌てて、

「だから、俺は――――」

「……だがまあ、あれだな」

 少女は複雑そうな表情を作ったまま、話を続ける。

「どんな腹があるのから知らんが、まともに会話をしようと言う人間は初めてだからな。……この世界の情報を得るために少しだけ利用してやる」

 言ってから、もう一度ふんと息を吐いた。

「は、はぁ?」

「話くらいはしてやらん事も無いと言っているのだ。そう、情報を得るためだ。うむ、大事。情報超大事」

 口ではそう言いながらも士道の目には、ほんの少しではあるが少女の表情が和らいだように見えた。

「そ、そうか……」

 士道は頬をポリポリと掻きながら返した。

 よく分からないが、とりあえずファースト婚宅には成功したと考えても良いのかだろうか。

 士道が困った表情を浮かべていると、右耳に琴里の声が響いた。

『上出来よ。そのまま続けなさい』

「あ、ああ」

 すると、少女が大股で教室の外周をゆっくりと回り始めた。

「ただし、不審な行動をとってみろ。お前の体に風穴を開けてやるぞ」

「……分かった」

 士道の返答を聞きながら、少女がゆっくりと誰もいない教室に足音を響かせる。

「シドー」

「な、なんだ?」

「早速聞きたいのだが、ここは一体何だ? 初めて見る場所だ」

 そう言いながら、倒れていない机をぺたぺたと触り回る。もしかしたら、学校の机を見るのも初めてなのかもしれない。

「あ、ああ……。学校――――教室、まあ、簡単に言えば俺と同年代くらいの生徒達が勉強する場所だ。その席に座って、こう」

「なんと」

 すると少女は驚いたように目を丸くした。

「これに全て人間が収まるのか? 冗談を言うな。四十近くはあるぞ」

「いや、本当だよ」

 士道は頬を掻きながら、少女の言葉の意味に気付く。

 少女が現れる時は、街には避難警報が発令されていた。少女が見た事のある人間などASTぐらいのものなのだろう。人数もそこまで多くはあるまい。その事から考えてみると、少女のこの発言にも納得がいく。

「なあ……」

 少女の名を呼ぼうとした時、士道は思わず声を詰まらせた。

「ぬ?」

 士道の様子に気が付いたのか、少女が眉をひそめる。

 そしてしばらく考えを巡らせるように顎に手を置いた後、

「……ふむ、そうか。会話を交わす相手がいるのなら、必要なのだな」

 そう言って頷いてから、

「シドー。お前は、私を何と呼びたい?」

 手近にあった机に寄りかかりながら、そんな事を言ってきた。

「……は?」

 言っている意味が分からず、士道は少女に問い返した。

 少女はふんと鼻を鳴らして腕組みすると、尊大な調子で続けた。

「私に名をつけろ」

「………」

 少しの間沈黙した後で、

(お、重いっ!!!)

 いきなり自分に課せられた重大な責任に、士道は思わず心の中で絶叫した。

「お、俺がか!?」

「ああ。どうせお前以外と会話をする予定はない。問題あるまい」

 

 

 

 

 その頃、ラタトスク艦内。

「うっわ、これまたヘビーなの来たわね」

 自分の兄がかなり重い事を言われているのを見て、琴里は頬を掻いていた。

「……ふむ、どうしたものかな」

 艦橋下段で令音が琴里の言葉に応えるようにうなる。

 艦橋にはサイレンが鳴っているものの、スクリーンにはさっきのように選択肢が表示されていない。

 AIでランダムに名前を組むだけでは、パターンが多すぎて表示しきれないのだろう。

「落ち着きなさい士道。焦って変な名前を言うんじゃないわよ」

 インカム越しに士道にそう言ってから、琴里は立ち上がってクルー達に声を張り上げる。

「総員! 今すぐ彼女の名前を考えて私の端末に送りなさい!」

 言った直後、手元のディスプレイに視線を落とす。するとすでに何名かのクルーから名前案が送信されてきていた。そしてディスプレイの最初に表示されている名前を見ると琴里は顔をしかめて、

「……川越! 美佐子って別れた奥さんの名前でしょ!」

「す、すいません! 他に思いつかなかったもので……」

 司令室の下部から、すまなさそうな音の声が聞こえてきた。

「ったく、他は……麗鐘(うららかね)? 幹本、なんて読むのこれ」

麗鐘(くららべる)です!」

「あなたは生涯子供を持つ事を禁じるわ。変な名前付けられた子供の気持ちを考えなさい」

 琴里が冷たい口調で言うと同時に、ゴンゴンとくぐもった音が艦橋に響いた。恐らく士道がインカムを指で小突いたのだろう。

 スクリーンに視線を戻してみると、少女が腕組みをしながら待ちくたびれたように指で肘を叩いていた。

 琴里は再び画面をざっと見てみるが、ロクな名前はない。思わず、はぁと盛大にため息をついてしまう。

 まったくセンスのない部下達だと琴里はやれやれと首を振った。

 少女の美しい容貌を改めて見る。彼女にふさわしいのは、古式ゆしい優雅さだろう。そう、例えば、

「トメ」

『トメ! 君の名前はトメだ!』

 士道が馬鹿正直に琴里から発せられた名前を言った瞬間、司令室内に真っ赤なランプが灯り、けたたましい警戒音が鳴り響く。

「パターン青! 不機嫌です!」

 状況を見ていたクルーの一人が、慌てた様子で声を荒らげる。

 大画面に表示された好感度メーターが、一瞬のうちに急下落していたのだ。

 さらに画面内の士道の足元に、マシンガンのように小さな黒い光球が連続して降り注いでいた。

『うぉおおおおっ!!』

「……琴里?」

 不思議そうな令音の声が聞こえて、琴里は首を傾げた。

「あれ? おかしいな。古風で良い名前だと思ったんだけど」

 

 

 

 

 

「うぉおおおおっ!!」

 放たれる黒い光球をBOARDの戦闘訓練で身に着けた連続バク転で次々とかわしていくと、ようやく黒い光球の雨が終わった。

(訓練受けてて良かった訓練受けてて良かった訓練受けてて良かった訓練受けてて良かった訓練受けてて良かった!!)

 士道は若干涙目になりながら、心の底から本気でそう思った。一方、少女の方は額に血管を浮かべて、

「……何故か分からないが、無性に馬鹿にされた気がした」

「す、すまん……。ちょっと待ってくれ……」

 冷静に考えてみれば、トメはない。全国のトメさん達には失礼極まりないかもしれないが、少なくとも今どきの女性達につけるような名前ではないだろう。

 それにそもそも、出会い頭に名付け親になってくれと言われるとは、さすがに予想していなかった。先ほどからバクバクと高鳴る心臓をどうにか抑えながら、考えと視線を巡らせる。しかし、女性の名前など都合よくポンポン出てくるわけがない。士道の頭の中に、知っている女性の名前が浮かんでは消えていく。

 だが、あまり時間が無いのも事実だった。現に今も、少女の顔がどんどん不機嫌になっていく。

「……と、十香」

 と、困った士道の口から、そんな名前が発せられた。

「む?」

「ど、どうかな?」

「………」

 少女はしばらく考え込むように黙り込んでから、再び口を開く。

「……まあ、良い。トメよりはましだ」

 士道は見るからに余裕のない苦笑を浮かべながら、頭を掻いた。

 が、それよりも大きな後悔が後頭部にのしかかってくる。

 その名前の由来が、四月十日に初めて会ったからというのは、かなり安直な気がしたからだ。

「……何やってんだ、俺……」

「ん、何か言ったか?」

「あ、いや、なんでも……」

 士道が慌てて手を振る。少女は少し不思議そうな表情を浮かべながらも、深くは追及してこなかった。すぐに士道に近づいてくると、

「それで、トーカとは、どう書くのだ?」

「ああ、それは……」

 士道は黒板の方に歩くと、チョークを手に取って『十香』と黒板に書いた。

「ふむ」

 少女は小さくうなってから、士道の真似をするように指先で黒板をなぞる。すると少女の指が伝った跡が綺麗に削り取られ、下手くそな『十香』の二文字が記された。その光景を見て、便利なもんだなーと士道は若干場違いな事を思っていた。もしかしたらアンデッドや精霊といった非日常の連続に、徐々に感覚が麻痺してきているのかもしれない。

 少女はしばらく自分の書いた文字をじっと見つめてから、小さく頷いた。

「シドー」

「な、何だ?」

「十香」

「え?」

「十香。私の名だ。素敵だろう?」

「あ、ああ……」

 少し気恥ずかしくなって、士道は視線を逸らすようにして頬をポリポリと掻いた。

 しかし、少女……十香はもう一度同じように士道に言った。

「シドー」

 さすがにここまで来ると、士道にも少女の意図が分かった。若干の気恥ずかしさを覚えながらも、少女に向かって口を開く。

「と、十香……」

 士道がその名前を呼ぶと、十香は嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。

「………」

 その笑顔を見て、心臓がどくんと跳ねた。

 彼女の笑顔を見るのが、これが初めてだったからだ。

 しかし、その時。

「え?」

 突然、校舎を凄まじい爆音と振動が襲った。

 とっさに黒板に手をついて体を支えるも、何が起こったのかさっぱり分からない。

「な、何だ!?」

『士道、床に伏せなさい』

 突如インカムに琴里の声が響いてきて、士道はわけが分からないまま言われた通りに床にうつ伏せになる。

 すると次の瞬間、けたたましい音を立てて教室の窓ガラスが一斉に割れた。ついでに向かいの壁にいくつもの銃痕が刻まれていき、教室の中はまるでマフィアの抗争のような有様になった。

「な、何だよこれ!」

『外からの攻撃みたいね。精霊をいぶり出すためじゃないかしら。ああ、それとも校舎ごと潰して、精霊が隠れる場所を無くすつもりかも』

「はっ、随分と物騒な事をやるもんだな、ASTも……!」

 床にうつ伏せになりながら、士道はそう言った。

 仮に自分達の攻撃で校舎が全壊しようとも、ASTには顕現装置(リアライザ)がある。すぐに直せるので、一回くらいはぶっ壊しても大丈夫という考えだろう。精霊を倒すためとはいえ、中々手荒なやり方である。

 士道が十香に視線を向けると、彼女は先ほど士道に対していた時はまったく違う表情を浮かべて、窓の外に鋭い視線を放っていた。

 もちろん、十香には銃弾はおろか窓ガラスの破片すら触れていない。

 だがその顔は、ひどく痛ましく歪んでいた。

「十香!」

 思わず士道は、さっき自分が付けたその名前を呼んだ。

「………っ」

 そこで十香は、視線を外から士道に映す。

 未だ銃声は響いているが、二年四組の教室への攻撃は一旦止んでいた。だが、もう少し時間が経てばASTの十香への攻撃が再開されるに違いない。

 士道が外に気を張りながら身を起こすと、十香が悲しげに目を伏せた。

「……早く逃げろ、シドー。私と一緒にいては、同胞に討たれる事になるぞ」

「………」

 彼女の言う通り、確かにここは逃げなければならないびだろう。そうしなければ、巻き添えを食う可能性も高い。だが、

『選択肢は二つよ。逃げるか、とどまるか』

 耳元に琴里の毛尾が聞こえてくる。士道はしばらく考え込んだ後、

「……こんな所で、逃げられるかよ。せっかくこうして話す事が出来たってのに……!」

 もしもここで逃げ出したら、次はどこで会えるか分からない。この場で会えたチャンスを手放すわけにはいかない。それに修羅場ならば、アンデッドとの戦いで何回も味わってきた。だから、こんな所で逃げ出すわけにはいかないのだ。

 するとそんな士道の耳に、琴里の声が再び聞こえてきた。

『まったく、馬鹿ね』

「何とでも言え」

『褒めてるのよ。あと、素敵なアドバイスをあげるわ。死にたくなかったら、できるだけ精霊の近くにいなさい。そこなら攻撃は当たらないはずよ』

「……おう」

 士道は気を引き締めると、十香の足元に座り込んだ。

「は……?」

 十香が士道の突然の行動に、驚いて目を見開いた。

「何をしている? 早く……」

「知った事か……! 今は俺と話してるんだろ。あんなの、気にすんなよ。この世界の情報、欲しいんだろ? 俺に答えられる事なら何でも答えてやる

「……十香は一瞬驚いた後、士道の正面に座り込んだ。

 

 

 

 

「………」

 ワイヤリングスーツを身に纏った折紙は、両手に巨大なガトリング砲を握っていた。

 照準をセットして引き金を引き、大量の銃弾を校舎に放つ。

 随意領域(テリトリー)を展開しているため、重量も反動もほとんど感じないが、本来ならば戦艦に搭載されている大口径ガトリングである。実際、四方から銃弾を受けた校舎は文字通り蜂の巣になり、その体積を減らしていた。

 とは言っても、これは顕現装置(リアライザ)搭載の対精霊装備ではない。ただ単純に、校舎を破壊して精霊をあぶりだすためのものだ。この武器では校舎を破壊できても、精霊の霊装を破壊する事はできない。

『どう? 精霊は出てきた?』

 ヘッドセットに内蔵されているインカム越しに、AST隊長である日下部燎子の声が聞こえてきた。

 彼女は折紙のすぐそばにいるのだが、この銃声の中では肉声などほとんど届かない。

「まだ確認できない」

 攻撃の手を止めないまま答えながら、目を見開いて崩れゆく校舎を睨み付けた。

 通常であればまともに見取る事すらできない距離だが、随意領域(テリトリー)を展開させている今の折紙には、校舎脇の掲示板に張られた紙の文字を読む事も可能なのだ。

 そして、折紙は静かに目を細めた。

 折紙達の教室である二年四組の外壁が、折紙達の攻撃によって完全にくずれおち、殲滅対象である精霊の姿が見えたのだ。

 が、

『……ん? あれは……』

 燎子が訝しげな声を上げた。

 それも当然だろう。教室の中には、精霊の他にもう一人少年と思しき人間が確認できたのだ。一応空間震警報は発令していたはずなのだが、もしかしたら生徒が逃げ遅れたのかもしれない

「何あれ。精霊に襲われてるの……?」

 燎子が眉をひそめながら声を発するが、折紙はそれに反応する事無く教室を見つめ続ける。

 精霊と一緒にいる少年に、見覚えがある気がしたからだ。

「………っ!」

 その少年の姿を見て、目を見開いた。

 何故ならその少年は、折紙のクラスメートである五河士道だったからだ。

「折紙?」

 隣から、燎子が怪訝そうに話しかけてくる。

 しかし折紙はそれに答えず、ただ頭の中で指令を巡らせる。

 全身に纏っている顕現装置(リアライザ)へ、最速起動の指令を。

「ちょっと折紙!? 待ちなさい! 折紙!」

『危険です。独断専行は避けてください』

 さすがに異常に気付いたのだろうか、燎子と本部からの通信がほぼ同時に響く。

 だが折紙はその通信を無視し、両手に携えていたガトリング砲を捨てて、腰に構えていた近接戦闘用の対精霊レイザー・ブレイド『ノーペイン』を引き抜いて校舎へと向かっていった。

 

 

 

 銃弾が吹き荒れる教師で、女の子と向き合いながら話す。

 今までブレイドとしてアンデッド達と戦ってきた士道だが、これはさすがに生まれて初めての経験だった。

 十香の力のためか、凄まじい数の銃弾は二人を避けるように校舎を貫通していく。

 しかし、目の前を銃弾が通り過ぎているというのに、不思議と士道の心の中は冷静だった。

 確かに銃弾は怖いが、正直言って雷を出したり大量のイナゴに化けたり信じられないような現象を操るアンデッドと戦ってきたせいで、あまりこういった物事に動じなくなってきているのだ。……あまり嬉しくない慣れではあるが、そのおかげで身構えずに少女と会話する事ができるので士道としては色々と複雑だった。

 会話の内容自体は、なんて事のないものだった。

 十香が今まで誰にも聞けなかったような事を質問し、士道が答える。ただそれだけの繰り返しで、十香は満足そうに笑っている。

 どれくらい話した頃だろうか、士道の耳に琴里の声が聞こえてきた。

『数値が安定してきたわ。もし可能だったら、士道からも質問をしてみてちょうだい。精霊の情報が欲しいわ』

 そう言われて、少し考えてから士道は口を開いた。

「なあ、十香」

「何だ」

「お前って、結局どういう存在なんだ? どうしてこっちの世界に……?」

「む?」

 士道の質問に、十香は眉をひそめながらも答えた。

「知らん」

「知らん、て……」

「事実なのだ。仕方ないだろう。……どれくらい前か、私は急にそこに芽生えた。それだけだ。記憶は歪で曖昧。自分がどういう存在なのかなど、知りはしない」

「そ、そういうものなのか……?」

 士道がやや困った様子で呟くと、十香はふんと息を吐いて腕を組んだ。

「そういうものだ。突然この世に生まれ、その瞬間にはもう空にメカメカ団が舞っていた」

「メカメカ団……? ああ、ASTの事か」

 メカ、つまり機械の鎧を身に纏い空を飛ぶ人間達とくればASTしかない。あまりに単純とも言える単語に、士道は思わず苦笑した。

 すると、インカムから軽快な電子音が鳴った。突然の出来事に士道が思わず眉をひそめると、琴里の声が再び聞こえてくる。

『チャンスよ、士道』

「え? 何がだ?」

『精霊の機嫌メーターが七十を超えたわ。一歩踏み込むなら今よ』

「踏み込むって……何をすれば良いんだよ?」

『んー、そうね。とりあえず、デートにでも誘ってみれば?』

「はぁっ……!?」

 琴里から放たれた言葉に、士道は思わず大声を上げた。

「ん、どうしたシドー」

 士道の大声を聞かれたのか、十香が士道に目を向けてきた。

「い、いや……気にしないでくれ」

「………」

 慌てて取り繕うものの、十香は無言でジト目を士道に向けてきて、士道は思わず額に冷や汗を垂らした。

『さっさと誘っちゃいなさいよ。親密度を上げるためにはこういう事も必要だと思うけど?』

「でも、こいつが出てきた時にはASTが……」

『だからこそ、よ。今度現界した時、大きな建造物の中に逃げ込んでくれるよう頼んでおくの。水族館でも映画館でも、デパートでもなんでも良いわ。地下施設があるとさらに良いわね。それならASTも直接は入ってこられないでしょ。前にも言ったけど、ASTの装備は屋内戦に向いてないんだし』

「そ、それはそうだけど……」

 士道が言うと、その士道の様子を妖しく思ったのか十香が視線を鋭くして士道に尋ねる。

「さっきから何をブツブツ言っている。……やはり、私を殺す算段を!?」

「ち、違う違う! 誤解だ!」

「なら早く言え。今なんと言っていた」

 そう言いながら十香は指先に光球を出現させ、いつでも士道を狙い撃ちできる準備する。それに士道がたじろぐと、はやし立てるかのような声が右耳に響いてくる。

『ほら、観念しなさい。デート! デート!』

 そして艦橋内のクルーを煽動したのか、インカムの向こうから遠雷のようなデートコールが聞こえてくる。

『デ・エ・ト!』

『デ・エ・ト!』

『デ・エ・ト!』

 ……どうでも良い事だが、現在士道は命がかかっている状況である。なので、インカムの向こうから聞こえてくる大合唱が心なしか少し楽しそうに聞こえるのは気のせいだと思いたい。

「あーもう、分かったよ!」

 あまりの照れくささに頭をくしゃくしゃと掻いて、士道はそう叫んだ。そして十香の目を真っ直ぐ見て、

「なあ、十香」

「ん、何だ?」

「そ、そのだな……こ、今度俺と」

「ん」

「で、デートしないか?」

 すると十香は言葉の意味が分からなかったのか、不思議そうな表情で士道を見つめ返す。

「デェトとは何だ」

「そ、それは……」

 聞き返されると妙に気恥ずかしい気分になって、士道は視線を逸らした。

 その時、右耳に少し大きめの琴里の声が響いた。

『士道! ASTが動いたわ!』

「なっ!?」

 目前にいる十香にも聞こえてしまっているのだろうが、士道は構わずに声を発した。

 その瞬間、いつの間に接近していたのか、教室の外から突然折紙が現れた。

「っ!!」

 十香が一瞬のうちに表情を険しくすると、折紙に向かって手のひらを向ける。折紙はそれに構わずに手にしている機械から光の刃を出現させると、十香に斬りかかる。凄まじい火花が辺り一面に飛び散り、士道は眩しさのあまり思わず目を細める。

「くっ……!」

「――――――無粋!」

 十香は一喝するように叫び、魔力で形成された刃を折紙ごと振り払う。折紙は微かに歯を食いしばりながら後方へと吹き飛ばされるが、すぐに姿勢を整えて床に華麗に着地する。

「ち、また貴様か……」

 今まで光の刃を受け止めていた手を、調子を確かめるように軽く振りながら吐き捨てるように十香が言う。

 折紙は士道の方をちらりと見ると、安心したかのようにほっと小さく息をついた。きっと、士道が十香に襲われていると思っていたのだろう。

 そしてすぐに剣を構えなおし、十香に殺気が込められた冷たい視線を放つ。

「………」

 その様子を見た十香は士道を一瞬見てから、自分の足元の床に踵を勢いよく突き立てる。

塵殺公(サンダルフォン)!」

 十香がそう叫んだ瞬間、教室の床が隆起して、そこから士道が前に見た玉座が出現する。

「んな……っ!」

『士道、離脱よ! 一度フラクシナスで拾うから、できるだけ二人から離れて!』

 焦った調子で琴里が叫ぶが、周囲に逃れられる場所などどこにもない。その間にも十香が玉座の背もたれから剣を抜き、折紙に向かって振るった。

 その際の衝撃波で、士道の体は簡単に校舎の外に吹き飛ばされた。ちなみに、ここは三階である。この高さから地面に落ちれば、ブレイドに変身でもしていない限り地面に真っ赤な華が咲く事になる。

「やっべ……っ!」

 士道が思わず顔をひきつらせたが、その瞬間士道の体が無重力に包まれた。

 不思議な浮遊感を感じながら、士道はフラクシナスに回収されたのだった。

 

 

 

 

 

「………」

 自分の校舎が爆発する光景を、相川始はただ静かに見つめていた。

 現在は空間震警報が発令されており、周囲には彼以外の人間は一人もいない。彼は近くにあるシェルターから、こっそりと抜け出してきたのだ。

「……あの破壊力に、この霊力……やはり精霊か」

 と、始は一般人なら知らないであろう存在の名称を呟くと、ふと考え込むように目を細める。

(だが、このタイミングで精霊だと? いくらなんでも不自然すぎる……。一体、この世界で何が起きている?)

 と、しばらく考え込んでから、ふんと鼻を鳴らして校舎に視線を戻す。

(……まぁ良い。何が起こってるのかは知らんが、もしも彼女達を傷つける事になったら……消すまでだ)

 校舎にいるであろう精霊を鋭く睨むかのような視線を送ってから、始はその場から姿を消した。  

 




更新できるだけ早くしていきたい……だけど中々進まない……!


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第七話 届かなかった手

ちなみに今、折紙の変態度を原作よりも悪化させるかそのままにしておくか悩んでいます。どちらにせよ、士道の貞操が危ない……!


 

 

 

 

 

 

「……ま、普通に考えれば休校か……」

 士道は一人呟きながら、高校前から延びる坂道を下っていた。

 この日は士道が精霊に十香という名前を告げた次の日である。

 普通に登校した士道はぴたりと閉じられた校門と、瓦礫の山になった校舎を見て、自分の阿呆さにため息をついた。

 校舎が破壊されたその現場にいたわけだし、普通に考えれば休校になる事ぐらい分かっただろうが、昨日目の前で繰り広げられた非現実的な光景に、無意識化に自分の日常と切り離して認識していたのかもしれない。

 しかも、昨日の夜ずっと十香との会話ビデオを見せられながらその日の反省会をさせられていたため、寝不足で思考力が落ちていたというのもあるのかもしれない。

 不幸中の幸いというべきか、今日は広瀬からアンデッド出現の報告が来ていない。こんな状態でアンデッドと戦えば逆にこっちがやられる危険性が大きいので、その事については素直に喜ぶべき事かもしれない。

「はあ……これからどうするか。そうだ、広瀬さんに十香の事を報告しとくか。烏丸所長の件についても、何か分かったかもしれないし。あ、だけどその前に買い物だな……」

 そう呟いてから、家への帰路とは違う道に足を向ける。広瀬への報告も大事だが、卵と牛乳が切れていた事を思いだしたのだ。それらを買ってから家へと帰った後に、広瀬に報告をしても問題はないだろう。

 しかし、数分と経たない内に、士道は足を止める事になった。

 道に、立ち入り禁止を示す看板が立っていたからだ。

「おいおい、通行止めかよ……」

 しかしそのようなものが無くても、その道を通行できない事は簡単に知る事ができただろう。

 何しろアスファルトの地面は滅茶苦茶に掘り返され、ブロック塀は崩れ、雑居ビルまでもが崩落しているのだ。これではまるで戦争にでもあったかのような状況である。

「……ああ、そうか。ここは……」

 この場所には見覚えがある。初めて十香に出会った空間震現場の一角だ。

 まだ復興部隊が処理をしていないためか、十日前の惨状をそのまま残している。

「………」

 頭の中に少女の姿を思い浮かべながら、士道は細く息を吐く。

 十香。

 昨日まで士道に名をつけられるまで名を持たなかった、精霊と、災厄と呼ばれる少女。

 あの少女は確かに、普通では考えられない力を持っていた。国の機関が危険視するのも頷くほどに。

 現在士道の目の前に広がっている惨状がその証拠である。確かに、こんな現象を野放しにはしておけないだろう。

「……ドー」

 だがそれと同時に、彼女がその力をいたずらに振るう、アンデッドのような思慮も慈悲もない怪物だとは士道にはどうしても思えなかった。

「……い、……ドー」

 そんな彼女が、士道が大嫌いな鬱々とした表情を作っている。それが、士道にはどうしても許容できなかったのだ。

「おい、シドー」

 まぁ、そんな事を頭の中でぐるぐると巡らせていたから、気付いて当然の事態に思考が追い付かず、校門前まで歩く羽目になってしまったのだが。これでは琴里に間抜けと罵られても仕方がない。

「……無視をするな!」

「……え?」

 視界の奥……通行止めになっているエリアの向こう側から声が響いてきて、士道は思わず首を傾げた。

 凛と風を裂くような、美しい声。

 しかもその声は、気のせいでなければ昨日学校で聞いていた声だった。

「え、ええと……」

 士道は自分の記憶と今響いた声音を照合しながら、その方向に視線を集中する。

 そして、全身を硬直させた。

 士道の視線の先にある瓦礫の山の上に、明らかに街中に似つかわしくないドレスを纏った少女がちょこんと屈み込んでいたのだ。

「と、十香!?」

 士道は思わず驚いてその少女の名前を口にする。

 そう。その少女は昨日士道が出会い名づけた精霊、十香だった。

「ふん、ようやく気付いたか。ばーかばーか」

 美しい顔を不満げにしている少女は、子供のような悪口を言いながら瓦礫の山を蹴り、かろうじて原型を残しているアスファルトの上を辿って士道の方へと進んでくる。

「とう」

 と、通行の邪魔だったのだろうか、十香が立ち入り禁止の看板を蹴り倒して、士道の目の前へと着地する。

「な、何してるんだ、十香……」

「ぬ? 何とは何だ?」

「いや、何でこんな所にいるんだよ……」

 士道はそう言いながら、後方に視線を送る。立ち話をする女性達や、犬の散歩をする近所の住人などが見受けられた。

 誰もシェルターに避難していない。つまり、空間震警報は鳴っていない。

 要するに、精霊現界の際の前震を、ラタトスクもASTも感知できていないのだ。今士道の目の前に、精霊がいるのも関わらず、だ。

「なんでと言われてもな」

 そして当の本人はその異常事態をまるで気にしていないようだ。何故士道がそんな事を言っているのかが、本当に分からないと言った様子で腕組みなどをしている。

「お前から誘ったのだろう、シドー。そう、デェトとやらに」

「なっ……」

 こともなげに言い放った十香に、士道は肩を震わせた。

「お、覚えてたんだな……」

「む、それはどういう事だ? 私を馬鹿にしているのか?」

「い、いや、そういうわけじゃないんだが……」

「……ふん、まあ良い。それよりもシドー。早くデェトだ。デェトデェトデェトデェト」

 十香が彼女独特のイントネーションでデートと連呼する。士道は気恥ずかしくなってしまい、十香に言う。

「わ、分かった! 分かったからそのワードを連発するのは頼むからやめてくれ!」

「ぬ、何故だ? ……はっ、まさかシドー、お前私が意味を知らないのを良い事に、口に出すもおぞましい卑猥な言葉を教え込んだのか?」

 頬を赤く染め、十香が眉をひそめる。

「……! し、してねえしてねえ! 健全極まりない言葉だ!」

 そう言ってから、頬を掻いて心の中で十香に少し嘘をついた事を誤った。人によっては極めて不健全な事態になるかもしれない単語なのだが、十香を落ち着かせるためにはこう言うしかないだろう。

 と、士道は居心地の悪い視線に身をよじった。

 近所の奥様方がニヤニヤしながら、微笑ましいものを見るような目を士道達に向けてきているのだ。まあ一部、十香の奇妙な格好を訝しむような視線が混じっている気もするのだが。

「……ぬ?」

 すると十香もその視線に気づいたらしく、士道の陰に身を隠すようにしながら奥様方に向かって視線を鋭くする。

「………シドー、何だあいつらは。敵か? 殺すのか?」

「はぁ!?」

 何の前触れもなく物騒な事を言いだした十香に、士道は肩を震わせた。

「いやいやいや、何でそうなるんだよ。ただのおばちゃん達だぞ」

「シドーこそ何を言っている。あの爛々と輝く目……まるで獲物を狙う猛禽のようではないか。私を狙っているとしか思えない。……放置していてはあとあと厄介な事になりそうだ。早めに仕留めておくのが吉と思うが」

 確かに彼女達の目は爛々と輝いているが、それは主に新たな話の種を見つけた事に対してであり、獲物を狙っている事に対してでは決してない。

「安心しろよ。言っただろ? お前を襲う人間なんてそういないんだ」

「……むう」

 十香は未だ警戒を滲ませながらも、とりあえずは今にも飛びかかって行きそうな気勢を収めたので、士道はjほっと息をついた。

「まあ良い。それで、そのデェトとやらは……」

「っ、ちょ、ちょっと場所を移そう。な?」

 恥ずかしげもなく続けてくる十香にそう言ってから、士道は素早く歩き出した。

「ぬ。おいシドー、どこへ行く!」

 十香がすぐさま士道の後を追ってくる。そして士道の隣に並び歩きながら、不満そうな声を上げた。

 士道は十香を伴って、人気(ひとけ)のない路地裏に入ると、ようやく息をついた。

「やっと落ち着いたか。おかしな奴め、一体どうしたというのだ」

 十香が半眼を作りながら、やれやれといった風情で言ってくるが、そんな事は気にしていられない。士道は十香の顔を真剣な表情で見つめると、彼女に尋ねた。

「十香……お前、昨日あの後どうしたんだ?」

 士道が尋ねると、十香は少し憮然とした様子になりながら唇を動かした。

「別にいつも通りだ。通らぬ剣を振るわれ、当たらぬ砲を打たれ。最後は私の身が自然と消えておしまいだ」

「……消える? どういう事だ、それ」

 士道は疑問に首をひねる。琴里達もそんな表現をしていたような気がするが、どういう事なのかはよく分かっていない。

「この世界とは別の空間に移るだけだ」

「別の空間ね……。どんな所なんだ?」

「よく分からん」

「……?」

 士道が眉根を寄せると、十香がその疑問に答えるように言った。

「あちらに移った瞬間、自然と休眠状態に入ってしまうからな。辛うじて覚えているのは、暗い空間をふよふよと漂っている感覚だ。私にしてみれば眠りにつくようなものだな」

「んじゃあ、目覚めたらこの世界に来るのか?」

「少し違う」

 十香は士道の言葉を訂正してから、話を続ける。

「そもそも、いつもは私の意思とは関係なく、不定期に存在がこちらに引き寄せられ固着される。まあ、簡単に言うならば強制的にたたき起こされているような感覚だな」

「なっ………」

 士道は思わず息を詰まらせた。

 士道は、精霊がこの世界に現れようとする際に、空間震が起こるものと思っていた。

 だが、十香の話が本当ならば、この世界に現れる事すら自分の意思でないという事になる。

 ならば、空間震というのは本当に、事故のようなものではないか。

 ……理不尽だ、と士道は思う。

 彼女は自分の意思でこの世界に現れているわけではない。空間震も、自分の意思で起こしているわけではない。アンデッドのように誰かを積極的に傷つけているわけでもない。

 それなのに、ただ空間震を起こすからといって、その責任までも十香に問おうというのはあまりに理不尽すぎる。

 と、そこまで考えた所で士道の頭にもう一つ疑問がよぎった。

 今の十香の言葉に、少し引っかかる部分があったのだ。

「って、いつもは? 今日は違うのか?」

「………」

 十香は頬をぴくりと動かすと、口をへの字に曲げて視線を斜め上にやる。

「ふ、ふん。知るか」

「頼む、ちゃんと答えてくれ。もしかしたら大事な事かもしれないんだ」

 明らかに嘘と分かる十香の言葉に、士道は必死で追いすがった。

 もしも十香が今日、自分の意思で士道達の世界に来ていたとしたら、それが原因で空間震が起こっていないのかもしれないのだ。ここで十香から詳しい事情を聞きだす事がでれば、もしかしたら十香が空間震を起こさない方法を知る事ができるかもしれない。

 しかし十香は何故か頬を赤く染めながら、視線を険しくする。

「しつこいぞ。もうこの話は終いだ」

「いや、だけど……」

 士道がさらに言おうとすると、十香が強く片足を地面に叩き付けた。彼女の踏んだアスファルトが一瞬であるが発光し、そこから放射状に光の線が走る。

「うお……っ!?」

 その光が士道の靴に触れると、その瞬間バチッという危険な音と共に火花が散った。

「――――――良いから、早くデェトとやらの意味を教えろ」

 十香が急かすように言ってくる。

「………む」

 彼女の有無を言わせぬ調子に、仕方なく士道は黙り込んだ。これ以上追及したら、昨日のように光線を放たれてしまいそうだ。さすがに二日も連続で攻撃を食らうのはごめんである。

 士道はしばらくううむと唸ってから口を開いた。

「……男と女が、一緒に出掛けたり遊んだりする事……だと思う」

「それだけか?」

 拍子抜けしたように、十香が目を丸くした。

「あ、ああ……」

 士道としては、そう言われても困る。士道自身もデートなど一度もした事が無い。さすがにマンガやドラマなどの知識はあるが、それはあくまで知識止まりだ。だが十香は腕組みをして唸ると、

「……つまりなんだ。昨日シドーは、私と二人で遊びたいと言ったのか?」

「ま、まぁ……、そうなるのかな……」

 自分の言葉を噛み砕いて言われると、恥ずかしさが二割増しだった。気まずげに頬を掻きながらそう答える。

「そうか」

 十香は少し表情を明るくして頷くと、大股で裏路地から出ていこうとした。その彼女に士道が慌てて声をかける。

「お、おい十香」

「なんだシドー。遊びに行くのだろう?」

「……! い、良いのか?」

「お前が行きたいと言ったのではないか」

「いや、そりゃそうなんだが……」

「なら早く行くぞ」

 そう行ってから、十香が進行を再開しようとする。

 そしてそこで士道は彼女の致命的な事象に気付いた。

「と、十香! お前、その格好はまずい……!」

「何?」

 すると、彼女は意外そうに目を丸くした。

「私の霊装のどこがいけないのだ。これは我が鎧にして領地! 例えシドーでも侮辱は許さんぞ」

 彼女の言いたい事は分かるが、そういう問題ではない。士道はさらに言葉を続けた。

「その格好だと目立ちすぎるんだよ……! ASTにだって嗅ぎつけられるぞ!」

「ぬ……」

 さすがにそれは面倒だと思ったのだろう、十香が嫌そうな表情になる。

「ではどうしろと言うのだ」

「まあ、着替えなきゃいけないんだろうけど……」

 問題は、そこまでの道のりである。今ここに都合よく女性用の服などないし、店に連れて行くにもやはり彼女の霊装が人目を引く事になる。それに加えて、士道の財布もそこまで温かいというわけでもない。

 士道が悩んでいると、十香が焦れたように唇を開いた。

「どんな服ならば良いのだ? それだけ教えろ」

「え? あー……」

 どんな、と言われてもすぐに出てくるわけではない。

 そんな時、視界の端を見慣れた制服姿が過ぎった。

「あ……」

 眠そうな顔をした、見知らぬ女子生徒が道を歩いていた。恐らく士道と同じように休校情報を聞き逃してしまった生徒だろう。

「十香、あれだ。あんな服だったら大丈夫だ」

「ぬ?」

 十香が士道の示した方向に目をやり、考え込むように顎に手を当てた。

「ふむ、なるほど。あれならば良いんだな」

 そう言うと十香は右手の人差し指と中指をピンと立てた。すると指先に黒い光球が出現し、その指が女子生徒の方に向けられる。

「って、何するつもりだ!」

 士道が慌てて彼女の右腕をがっと掴んで光球の発射を防ぐ。十香は士道を不満そうに睨み、

「何をする」

「何をするじゃねえよ! こっちの台詞だそれは!」

「気絶させて服を剥ぎ取るだけだが……」

 それが何か? というように彼女が首を傾げる。士道は腹の底から大きなため息を吐き出し、額に左手を置いた。

「良いか、十香。人を攻撃するのは駄目だ。いけない事だ」

「何故だ?」

「お前だって、ASTに攻撃されたら嫌だろ? 人にされて嫌な事はしちゃいけないんだ」

「……むう」

 士道の言葉に、十香は不服そうに尖らせながらも、指先の光球を消滅させた。

 士道の言う事が了承できないと言うよりも、子供に言い聞かせるような士道の話し方に不満を持っていると言った方が正しい調子である。

「……分かった。覚えておく」

 そんな表情のまま、十香は首肯した。

 それに続いて、十香は何かを思い起こすように顔を軽く上げて、

「……仕方ない。では服は自前で何とかするか」

 そう言ってから、指をぱちんと鳴らす。

 すると、十香が身に纏っていたドレスが端から空気に溶けるかのように消えていく。

 さらに不可思議な現象はそれだけで治まらず、それと入れ替わるようにして周囲から光の粒子のようなものが十香の体にまとわりつき、別の服を形作っていく。

 数秒すると、そこには先ほど道を歩いていた女子生徒と同じ、来禅高校の制服を身に纏った十香が立っていた。

「な、なんだそりゃ……」

 その現象を目の当たりにした士道は思わず呆然としながら呟いた。自身も変身する時はブレイドアーマーが瞬時に自分の体に装着されるが、今十香が行ったのはそれとはまた違うような気がしたのだ。

「霊草を解除して、新しく服を拵えただけだ。視認情報だけだから細部は異なっているかもしれないが、これなら問題ないだろう」

 ふふんと腕組みをしながら、自慢げに胸を張ってくる。

「いや、そんな事できるなら最初からそっちにしろよ!」

 士道が叫ぶが、十香は分かった分かったと言うようにひらひらと手を振るだけでそれ以上言葉は返さなかった。

「そんな事より、どこへ行くのだ?」

「そ、それは……」

 士道は助けを求めるように右耳に手を当てるが、そこである事に気付く。昨日着けていたインカムを、今日士道はつけていないのだ。

 そして当然の事だが、周囲にカメラも飛んでいない。しかしそれは当然の事だ。何しろ琴里を始め、フラクシナスのクルーも全員十香がこちらの世界に来ている事に気づいていないのだから。

 つまり、完全な二人きりだ。

 その状況を再確認して、士道は軽い眩暈を感じた。プレッシャーで胃も痛くなってくる。ろくなアドバイスをしない琴里や令音ではあるが、それでもいるのといないのとでは大違いだという事を再認識する。

「どうした、シドー?」

「……いや、何でもない」

 士道は自分を落ち着かせるために何回か深呼吸すると、ぎこちない足取りで歩きはじめる。

 すると、ほどなくして十香が声をかけた。

「シドー。歩みが速い。少し速度を緩めろ」

「あ、ああ。悪い……」

 指摘されて、歩調を整える。

 そもそも歩幅が違うのだから、士道の方が先に進んでしまうのは当然の事なのだが、何故かは分からないが少し不思議な感覚だった。

 きっとこれが、二人で歩くという事なのだろう。

 今までほとんど女子と歩いた事が無い士道にとっては、新鮮な感覚である。なお、琴里はぴょんぴょんと跳ねて士道より先に行ってしまう事があるのであまり参考にはならない。

 そこまで考えて、士道はちらりと横を歩く十香を見る。

 そこにいるのは、剣の一振りで大地や空を斬り裂く怪物ではなく、どう見ても普通の女の子だった。

 と、路地を抜けて様々な店が軒を連ねる大通りに出た所で、十香が突然眉をひそめてキョロキョロと辺り御様子を窺い始めた。

「な、なんだこの人間の数は。総力戦か!?」

 先程までとは桁違いの人と車の量に驚いたらしく、全方位に注意を払いながら忌々しげな声を発する。

 ついでに両手の指先合計十本に、それぞれ小さな光球を出現させる。恐らくあの光球の一つ一つが、辺りの地形を簡単に変えるほどの威力を秘めているだろう。士道は慌てて十香を止めにかかった。

「いや、だから違うって! 誰もお前の命なんか狙ってねえから!」

「……本当か?」

「ああ、本当だ」

 士道がそう言うと、十香は油断なく辺りを見回しながらも、とりあえず言われた通りに光球を消した。

 と、不意に警戒に染まっていた十香の顔から力が抜けた。

「……? おいシドー、この香りは何だ」

「香り……?」

 目を閉じて辺りの匂いを嗅いでみると、確かに彼女の言うように香ばしい香りが漂っている事が分かった。

「ああ、多分あれだな」

 そう言ってから、右手にあるパン屋を指差す。この香りは恐らく焼きたてのパンのものだろう。

「ほほう」

 十香は短く言うと、その方向をじっと見つめ始めた。

「……十香?」

「ぬ、何だ?」

「入るか?」

 士道が問うと、十香は指先を動かしながら口をへの字に曲げた。ついでにかなり絶妙なタイミングで、きゅるるるると十香の腹が鳴り始めた。どうやら精霊も腹は空くようである。

「シドーが入りたいのなら、入ってやらん事も無い」

「……入りたい。ちょー入りたい」

「そうか。なら仕方ないな!」

 十香はやけに元気よくそう言うと、大手を振ってパン屋の扉を開ける。士道は苦笑しながらも、彼女に続いてパン屋の中へと入っていった。

 

 

 

「………」

 そんな二人を、塀の陰に隠れて観察していた影が一つあった。

 その影は、士道のクラスメートであり、AST隊員の鳶一折紙だった。

 実は彼女も士道と同じよう登校していたのだが、学校が休校だったために仕方なく帰路につこうとしていた。しかしその途中で、士道が女子生徒と歩いているのを発見したのだ。

 折紙にとって、それだけでも充分に由々しき事態だった。なので、彼女は()()()()()しっとりと尾行を開始したのだ。……少し表現がおかしい気がするが、気にしてはいけない。

 だが、もっと大きな問題があった。

 その少女の顔を、折紙は見た事があるのだ。

「……精霊」

 その名を、小さく呟く。

 そう。怪物。異常。世界を殺す災厄。

 折紙達が討滅すべき人ならざる者が、制服を着て士道の隣を歩いていたのだ。

 ちなみに、同じ人ならざる者にアンデッドが存在するが、折紙はあまりアンデッドに興味を抱いていない。

 自分達の邪魔をするならば排除するが、精霊ほどの憎しみや敵対心を彼女はアンデッドに抱いていなかった。

「………」

 折紙は憎しみがこもった瞳で、冷静に少女を見つめていた。

 目の前にいるのは精霊に間違いないのだが、冷静に考えればありえない事でもあった。

 精霊が出現する時には、予兆として平時では考えられないレベルの前震が観測される。それをASTの観測班が見逃すはずはない。

 しかし、それならば昨日のように空間震警報が鳴っているはずだし、折紙にも伝令が来ているはずだ。

 折紙は鞄から携帯電話を取り出すと、開いて画面を見てみる。何の連絡も入っていない。

 だとしたら、やはりあの少女は精霊などではなく、他人のそら似だとでもいうのだろうか。

「………そんなはずはない」

 静かに唇を動かす。過去に精霊によって両親を奪われた彼女が、精霊の顔を見間違えるはずが無かった。

「………」

 折紙は開いたままにしていた携帯電話のボタンを押して、アドレス帳から蛮行を選択して電話をかける。

 そして、

「……AST、鳶一折紙一槽。A-0613」

 自分の所属と識別コードを簡潔に述べて、本題に入った。

「観測機を一つ、回して」

 

 

 

 そして、士道と十香を見つめる影が、もう一つあった。

 その影は建物の陰に隠れている、黒のスーツ姿の男だった。その男は二人をじっと観察したまま携帯電話を取り出すと、ボタンを押して電話を耳に当てる。

 すると、ワンコール鳴った直後に相手の男が電話に出た。スーツ姿の男は、電話の向こうの男に無感情な声でこう言った。

「ライダーシステム二号、ブレイドを発見しました」

 男がそう言うと、電話の向こうの男が満足そうに言う。

『そうか。ではそのまま観察を続けてくれ』

「はい。それと、気になる事が……」

『気になる事?』

「はい。ブレイドの横に少女が一人いるのですが……。私の見間違いでなければ、精霊です」

 男の報告に、電話の相手から困惑したような気配が漂ってきた。それからすぐ後に、怪訝そうな声が返ってくる。

『精霊だと? 馬鹿な、空間震警報は鳴っていないはず……』

「やはり、私の見間違いでしょうか?」

『……いや、結論を急ぐのはまだ早い。あとで観測機を回す。調べてみてくれ』

「はい」

 男は頷くと、携帯電話の通話を切り懐にしまってから、二人の監視を続けた。

 

 

 

 そこは、一見してみると研究室のような場所だった。

 部屋の中では多数の白衣を着た人間が歩き回り、パソコンを使って何かのデータを観測していたり、手にしてペンで書類に何やら書き込んだりしている。士道や広瀬が見たら、崩壊したBOARDの研究室を思い出すかもしれない。

 その中に、奇妙な人物が椅子に座っていた。

 白衣の男達が歩く中で、その人物だけが黒い革製のコートを身に纏い、さらには部屋の中だというのにサングラスまでかけている。その人物は携帯電話をコートにしまうと、天井を仰いで一人呟いた。

「まさか、精霊まで出てくるとはな。これも運命のいたずらという奴か……。いや、もしかしたらこれも運命が望んだ事なのか……。……ふん、どちらにせよ、面白くなってきたな」

 そう言ってから、男は一人笑い出したが、研究員達は特に動揺する事も無く何かの研究を続けている。男は身体を軽く起こすと、そばにいる眼鏡をかけた中年の男に声をかけた。

「念のために、奴を出す準備をしておけ」

「分かりました、伊坂様」

 丸眼鏡の男はそう言うと、サングラスの男――――伊坂に深々と頭を下げた。

 

 

 

 

 

 

 

「あ、令音。それいらないならちょーだい」

「……ん、構わんよ。持って行きたまえ」

 琴里がフォークを伸ばして、令音の前に置いてあった皿のラズベリーを突き刺す。そのままゆっくりと口に運び、甘酸っぱい味を堪能する。

「んー、おーいし。なんで令音これ駄目なんだろねー」

「……すっぱいじゃないか」

 そう言ってから、令音は砂糖をたっぷり入れたアップルティーを一口すする。

 今二人がいるのは、天宮大通りのカフェだった。

 琴里は白いリボンに中学校の制服、令音は淡色のカットソーにデニム地のボトムスという格好だった。

 いつも通り中学校に登校した琴里だったのだが、昨日の空間震の余波で琴里の通う学校も多少の被害を受けてしまったらしく、休校になっていたのだ。

 そしてそのまま帰るのも癪だったので、電話で令音を呼び出しておやつタイムを楽しんでいたのだ。

「……そうだ、ちょうど良い機会だから聞いておこう」

 と、令音が思い出したように口を開いた。

「なーに?」

「……初歩的な事で悪いのだがね、琴里、何故彼が精霊との交渉役に選ばれたんだい?」

「んー」

 令音の問いに、琴里は一瞬迷ったように眉根を寄せてから、

「誰にも言わない?」

「……約束しよう」

 低い声音のまま、令音が頷いた。琴里はそれを確認してから首肯し返す。村雨令音は口にした事は必ず守る女だという事を、琴里は知っているからだ。

「実は私とおにーちゃんって、血が繋がっていないっていう超ギャルゲ設定なの」

「……ほう?」

 面白がるでもなく、かと言って驚くのでもなく、令音が小さく首を傾げた。ただ速やかに琴里の言葉を理解し、その事が今の話に何か関係が? と尋ねているような反応だった。

「だから私は令音の事好きなんだよねー」

「………?」

 琴里の言葉に、令音は不思議そうな表情を作った。

「気にしなーい。……で、続きだけど。何歳の頃だったかな、それこそ私がよく覚えてないくらいの時に、おにーちゃん、本当のお母さん捨てられたうちに引き取られたらしいんだ。私は物心つく前だったからよく覚えてないんだけどさ、引き取られた当初は相当参ってたみたい。それこそ、自殺でもするんじゃないかってくらいに」

「……」

 何故だろうか、令音がぴくりと眉を動かした。

「どしたの?」

「……いや、何でもない。続けてくれ」

「ん。ま、仕方ないと言えば仕方ないのかもしれないけどねー。年齢一桁の子供からしてみれば、母親っていうのは絶対的な存在だし、おにーちゃんにとっては自分の存在全てが否定されるような一大事だったと思う。まあ、一年くらいでその状態は治まったらしいんだけどねー」

 ふうと息を吐いてから、話を続ける。

「それからなのかなー。おにーちゃん、人の絶望に対して妙に敏感なんだ」

「………絶望に?」

「んー。みーんなから自分が全否定されるような……自分はぜーったい誰からも愛されないと思っているような。まあ要は当時の自分みたいなさ。そんな鬱々とした顔をした人がいると、全く知らないでも無遠慮に絡んでいくんだよね」

 だから、と目を伏せてから、

「もしかしたら、と思ったんだ。あの精霊に勇んで向かって行くようなの、おにーちゃんくらいしか思いつかなったからさー」

 琴里が話を終えると、令音は「……なるほど」と呟きながら目を伏せた。

「……だが、私が聞きたいのはそういう心情的な理由ではないね」

 令音のその言葉に、今度は琴里がぴくりと眉を動かした。

「っていうと?」

「……とぼけてもらっては困る。君が知らないとは思えない。――――彼は一体何者だね」

 令音はラタトスク最高の解析官だ。特注の顕現装置(リアライザ)を使って、物質の組成はおろか、体温の分布や脳波を計測して、人の感情の機微さえもおおよそ見取ってしまう。

 その人間に隠された、能力や特性すらも。

 琴里は息をつくと、

「ま、令音におにーちゃんを預けた時点でこうなるのは大体分かってたけどねー」

「……ああ、悪いが、少し解析させてもらったよ。……明確な理由もなく、一般人をこの作戦に従事させるなんておかしいと思ったのでね」

「ん、別に構わないぞー。どうせそのうち、みんなも知る事になるだろーし」

「………」

 令音は呑気そうな琴里の言葉を静かに見つめながら、しかし自分のもう一つの疑問は告げなかった。

 士道を解析した時、彼の制服の懐から、妙な反応が見受けられたのだ。

 反応は二つ。一つはラタトスクに所属する自分でも知らない技術で造られた何か。

 そしてもう一つは……、信じられない事だが、生物のような反応だった。

 どうしてただの一般人である士道がそんな物を持っていたのかは、さすがの令音も分からなかった。だから今の質問はその事も含んでいたのだが、琴里からはっきりとした答えは得られなかった。

 この事から考えられる可能性は二つ。

 琴里もその事を知っていてはぐらかしているという可能性。

 もう一つの可能性は、彼女の兄には、琴里すら知らない秘密がもう一つあるという事だ。

 それをはっきりさせるべく、令音は再び口を開いた。

「……琴里。君は……」

 と、それと同時に、カランカランという扉の音と来客を歓迎する店員の声が聞こえてきた。

 令音の言葉が聞こえなかったのか、琴里はさっきと変わらない様子で手元のコップにささっていたストローを咥えて、残っていたブルーベリージュースを一気に吸い込む。

 その瞬間。

「ぶっ!?」

 今店に入ってきたと思われるカップルが令音の後ろの席に腰掛けるのを見て、琴里が口の中に入っていたジュースを勢いよく吹き出した。

「………」 

 どうやら運よく後ろのカップルには気付かれなかったらしいが、琴里の目の前にいた令音はその被害を思いっきり受けていた。琴里が噴き出したジュースをモロに受けて、びしょ濡れの状態になっているのだ。

「ごめっ、令音……」

「……ん」

 声をひそめて琴里が謝ると、令音は何事もなかったかのようにポケットから出したハンカチで顔を拭っていた。

「……何かあったのかね、琴里」

「ん……ちょっと非科学的かつ非現実的な物を見た気がして……」

「……なんだね」

 令音の問いに答えるように、琴里は無言で令音の後ろを指差す。

「………?」

 令音は振り返り、ぴたりと動きを止めた。

 数秒の後、ゆっくりと首を元の位置に戻すと、手元のアップルティーを口に含む。

 それからぶー、と琴里に紅茶を吹き出した。

「……なまらびっくり」

 何故か分からないが北海道方言だった。もしかしたら彼女なりに動揺しているのかもしれない。

 だがそれは当然かもしれない。何故なら令音の後ろには、琴里の兄である士道が、女の子を連れて座っていたのだ。

 さらにそれだけではない。その女の子は、琴里達が災厄、もしくは精霊と呼ぶ、あの少女だったのだ。

「えええ……なにこれぇ」

 琴里は令音から手渡されたハンカチで顔を拭きながら、押し殺した声を発する。

 ちなみに令音のハンカチには、真ん中にクマさんがプリントされていた。ブルーベリージュースとアップルティーのシミのせいで、どこぞの特撮ヒーローみたいになっていたが。

 琴里はポケットを探って携帯電話を見てみるが、ラタトスクからの連絡は入っていなかった。つまり、精霊が出現する時の空間の揺らぎは感知されていないという事だ。

 だが、あれは確かに精霊・十香である。あんな美しい少女はこの世に何人もいるものではない。

「精霊には、私達に感知されずに現界する方法があるって事?」

「………ただのそっくりさんという可能性は?」

 令音の言葉に琴里はしばし考えを巡らせたが、すぐにその考えを否定するかのように首を横に振る。

「もしそうだとしたら、おにーちゃんが普通の女の子を連れてるって事になるぞー。精霊の静粛現界とどっちが非現実的かって言ったら……僅差で前者かなー」

「……なるほど」

 わりと酷い言葉だが、令音はすんなりと首肯した。

「……だがそうなると、シン一人で精霊に対応できるだろうか」

「うーん……」

 二人して口元に手を当てて唸っていると、令音の後方から二人の会話が聞こえてきた。

「ほう、この本の中から食べたい物を選べばいいのだな?」

「ああ」

「きなこパンは。きなこパンは無いのか?」

「さすがに無いだろ……。ってか、最初のパン屋で食いまくったじゃねえか」

「また食べたくなったのだ。一体何だあの粉は……。あの強烈な習慣性……あれが無闇に世に放たれれば大変な事になるぞ……。人々は禁断症状に震え、きなこを求めて戦が起こるに違いない」

「いや、ねえよ」

「むう……。まあ良い。新たな味を開拓しようとしよう」

「へいへい。でも、金ねえから全部合わせて三千円までな」

「ぬ? 何だそれは」

「お前が買い食いしまくるから金が無くなったんだよ!」

「むう、世知辛いな。ならば仕方がない。少し待っていろ、私が金子を調達してこよう。それならば良いだろう」

「おい待て! どうやって金を調達する気だ!」

 そんな会話を聞いて、琴里は思わずため息をついた。

 さらにポケットから黒いリボンを取り出し、髪を結いなおす。

 これは、琴里なりのマインドりセットだった。リボンを替える事によって琴里は、士道の可愛い妹からフラクシナスの司令官へとトランスフォームするのだ。

 そして携帯電話を開くと、ラタトスクの回線につなぐ。

「……ああ、私よ。緊急事態が発生したわ。作戦コードF-08・オペレーション『天宮の休日』を発令。至急持ち場につきなさい」

 そう言うと、令音がピクリと頬を動かした。

 琴里が電話を終えるのを待ってから、声を発してくる。

「……やる気かね、琴里」

「ええ。指示が出せない状況だもの。仕方ないわ」

「……そうか。この状況からだと……ルートCというところか。……ふむ、では私も動くとしよう。早めに店に交渉してくるよ」

「お願い」

 そう言ってから琴里はポケットからチュッパチャップスを取り出し、口に咥えた。

 

 

 

「……よし、大丈夫だ」

 士道は手にした伝票に書かれている数字と、自分の財布の中身を交互に見ながら呟いた。ほとんど残らないが、辛うじて払いきれる金額である。

「ほら、行くぞ十香」

「ん、もうか?」

 十香が目を丸くしながら言った。士道は急かすように立ち上がった。これ以上ここにいては、皿洗いか食い逃げしか退路が残らなくなってしまうからだ。

 士道がレジに歩いて行くと、十香もそれについて来た。周囲の客にも、そこまで刺々しい敵意は放っていない。どうやら大分人のいる街に慣れてきたようだった。

 とりあえずは安堵して、レジに伝票と有り金の九割にあたる紙幣を三枚置いた。

「お会計お願いします」

 言ってから、士道はレジに立っていた店員に声をかけようとした。

「……っ!?」

 しかしその時、士道は盛大に眉をひそめて、思わず一歩後ずさった。

 何故ならそこに立っていたのは、

「……はい、お預かりします」

 見覚えのある、目の下に分厚い隈を拵えた、やたらと眠そうな女性だったからだ。

「な、ななな……」

「ん? どうしたシドー。……はっ。まさか敵か!?」

 この上なく分かりやすく狼狽えている士道に、十香が戦慄した顔を向けてきた。

「いや、違う違う……」

 士道は力なく彼女の言葉に否定を示した。

 すると、いやに可愛らしい店の制服を身に着け、肩にクマさんのぬいぐるみを乗せた令音が、その眠そうな両眼をギラリと輝かせて士道を睨み付けてきた。

 一瞬士道は彼女が自分に何らかの脅しをかけているのかと思ったが、すぐにそうではない事に気付いた。

「……こちら、お釣りとレシートでございます」

 士道が驚いている間に、手早く会計を済ませた令音が紙面をトントンと叩きながらレシートを渡してきた。

 そのレシートの下の方には、『サポートする。自然にデートを続けたまえ』という文字がしたためられていた。

 つまり今の視線は、士道が令音と知り合いである事を後ろの十香に知られる事なく、デートを続行しろという事なのだろう。どうして彼女がこの店にいるのかは分からないが、遅らく何らかの方法で十香が士道と一緒にいる事を突き止めたラタトスクが手を回したのだろうと士道は思った。

「い、いや、何でもない」

 士道はごまかすように言うと、レシートをポケットにねじ込んだ。

 令音が、研ぎ澄ましていた視線をいつもの眠たげなものに戻す。

 そしてレジ下の引き出しからカラフルな紙を一枚取り出し、士道に手渡してきた。

「……こちら、商店街の福引券となっております。この店から出て、右手道路沿いに行った場所に福引所がありますので、よろしければご利用ください」

 場所を詳しく説明した上に、後半をやけにはっきり言ってきた。よろしければではなく、必ず使えという意味なのだろう。しかし、もしかしたらそう念を押さなくても良かったのかもしれない。

「シドー。何だそれは」

 何故ならば、十香が福引券をかなり興味深そうに見つめていたからだ。

「行ってみるか?」

「シドーは行きたいのか?」

「……ああ、行きたくてたまんねえ」

「では行くか」

 十香が、大股で元気よく店を出ていく。

 士道はその様子に苦笑しながらも、令音に軽く頭を下げてからその後を追った。

 

 

 

「ご苦労様、令音」

 レジの陰に隠れて士道達の様子をうかがっていた琴里は、二人が店を出るのを確認してから立ち上がった。

「……慣れないね、どうも」

 令音がやたらとフリルの付いた制服の裾を持ち上げて、抑揚のない調子で言った。

 これが、作戦コードF-08、通称オペレーション『天宮の休日』である。

 ラタトスクにはありとあらゆる可能性を考慮し、細かく分ければ千以上の作戦コードが存在している。これはそのうちの一つだった。

 精霊がこちらの観測をすり抜け、士道と接触した場合、フラクシナスのクルーが街の住民に溶け込んで陰ながら士道をサポートするのだ。

 このためにクルーは、皆最低一ヶ月の劇団の演技演習を受けている。

「似合ってるわよ。可愛い可愛い」

 琴里は飴を舐めながらそう言うと、すぐに携帯電話を開いて電話を掛けた。

「ああ、私よ。今店を出たわ。……ええ、なるべく自然にね。失敗したら皮を剥ぐわよ」

 簡潔に用件とペナルティを伝え、電話を切った。ペナルティがやけに重すぎるような気もするが、それはもう気にしてはいけない事である。

「第二班のスタンバイは完了してるみたいね。……さて、私達はフラクシナスに戻りましょう。こちらの声は届かないにしても、映像だけは見ておかないとね」

「……ああ、そうしよう」

 令音が言ってくるのを背に聞きながら、琴里はにやりと唇の端を上げた。

「さあ――――――私達の戦争(デート)を始めましょう」

 

 

「えーと、福引所……。あ、あれか」

 士道と十香が店を出てから道なりに進んでいくと、赤いクロスを敷いた長机の上に大きな抽選器が置かれたスペースが見えてきた。ハッピを羽織った男が、抽選器のところに一人、商品渡し口に一人おり、その後方に商品と思われる自転車や米などが並べられていた。すでに数名、人が並んでいる。

「………」

 士道はその男達を見て、思わず頬を掻いた。

 うろ覚えではあるが、ハッピを着た男達はもちろんの事、並んでいる客の顔もまた、フラクシナス内部で見た事がある気がしたのだ。どうやらフラクシナスのクルー全員が、士道と十香のデートのために駆り出されているらしい。

「おお!」

 しかしそんなものは十香に関係あるはずがなく、士道から受け取った福引券を握りしめ、子供のように目を輝かせる。

「ほら、じゃあ並んで」

「ん」

 と十香が頷き、列の最後尾につく。

 前に並んだ客が抽選器を回すのを見ながら、首と目をめまぐるしく動かしている。

 するとすぐに、十香の番が来た。前の客にならって券を係員に手渡し、抽選器に手を掛ける。良く見てみると、係員は『早すぎた倦怠期(バッドマリッジ)』川越だった。

「これを回せばいいのだな?」

 そう言ってから、ぐるぐると抽選器を回し始める。数秒後、抽選器から赤いハズレ玉が飛び出した。

「っと、残念だったな。赤はポケットティッ……」

 そう士道が言いかけた時、川越が手に持っていた鐘をガランガランと高らかに鳴らした。

「大当たり!」

「おおっ!」

「……ええ?」

 士道は眉をひそめるが、川越の後ろで別の係員が後ろに貼ってあった賞品ボード『一位』の所に書いてある金色の玉を、赤いマジックペンで塗り潰しているのを目撃して、声を出すのを止めた。

「おめでとうございます! 一位はなんと、ドリームランド完全無料ペアチケット!」

「おお、なんだこれはシドー!」

「……テーマパークか? 聞いた事ない名前だけど………。どこにあるんだこれ」

 興奮した様子でチケットを受け取る十香の横で士道が訝しげな声で言うと、川越が士道にずずいと顔を寄せて、

「裏に地図が書いてありますので、是非! これからすぐにでも!」

「……は、はぁ……」

 気圧されるように一歩下がりながら、チケットの裏を見てみる。確かに地図が書いてあったが、かなり近い。その地図を見て、士道は首をひねって呟いた。

「こんな所にテーマパークなんてあったか……?」

 自分の記憶に間違いが無ければ、こんな名前のテーマパークなどなかったはずだ。

 しかし、ラタトスクの指示なので、きっと何かあるのだろう。ここは行ってみるしかない。

「……行ってみるか? 十香」

「うむ!」

 どうやら彼女も乗り気なようで、とりあえず足を運んでみる事にした。

 場所は本当に近かった。この福引所から路地に入って数百メートル。まだ両側には雑居ビルが並んでおり、とてもではないがテーマパークがあるとは思えない。 

 だが、

「おお! シドー! 城があるぞ! あそこに行くのか!?」

 そんな馬鹿なと思いつつチケットの裏面から視線を外して顔を前に向けた。

「………なっ」

 その瞬間、士道は思わずその場に凍りついた。

 確かに小さいながらも、西洋風の城だった。看板にきちんとドリームランドと書かれている。

 ついでにその下には『ご休憩・二時間四千円』などの文字も書かれていた。

 つまり、大人しか入ってはいけない愛のホテルだったのだ。

 この場所に自分達を案内して何がしたかったのか、士道は無性に自分の可愛い妹に問い詰めたい衝動に駆られた。

「も、戻るぞ十香! 俺ってばうっかりさんだから道を間違えた!」

「ぬ? あそこではないのか?」

「ああそうだ。ほ、ほら、早く戻るぞ」

「あそこにも寄っていかないか? 入ってみたいぞ」

「い、いやいやいや。今日の所はやめておこう! なっ!?」

「むう……。そうか。分かった」

 残念そうに言う彼女には悪かったが、さすがにあそこは無理である。士道は、恐らく上空から一部始終を楽しそうに見ている琴里に睨むような視線を送ってから、十香と一緒に道を戻っていった。

 

 

 

「まったく、あそこまで行っておいて普通引き返す? つくづくチキンね我が兄ながら」

 フラクシナスの艦長席に座っている琴里は、ため息まじりに肩をすくめた。

「……まあ、仕方がないだろう。いきなりあれは酷だ」

 艦橋下段に座って令音が、コンソールを操作しながらそう言った。

 彼女の解析によって画面に表示された数値は、昨日よりもずっと安定値を示していた。さすがに恋人までとはいかないが、それでも十香が士道を信頼のおける友人と思っている数値である。

 まあ、だからこそ少し思い切ったパターンを試してみたのだが。

「最後までいかなくても、キスくらいかましてくれれば詰みだったんだけどね」

 そう言ってキャンディの棒をピコピコさせると、鼻から息を吐いた。

「……次はどうするね」

「んー、そうね。次は……」

 

 

 

 

 

 

 それから数時間経ち、時刻は十八時になった。

 天宮駅前のビル群に、オレンジ色の夕日が染み渡る。

 そんな最高の絶景を一望できる高台の小さな公園を、士道と十香は歩いている。

 そして夕日に照らされながら歩く二人を、二つの人影が遠くから観察していた。

 その二人の内の片割れ……日下部燎子は十香を見ながら、目を細めて唇を舐めた。

「存在一致率九十八・五パーセント。さすがに偶然とかで説明できるレベルじゃないわね」

 精霊。

 世界を殺す災厄。

 三十年前にこの地を焦土に変え、五年前には大火を呼んだ最凶最悪の疫病神(カラミティ)と同種の少女。

「………」

 しかし、今燎子の目に映っているその姿は、ただの可愛い女の子だった。

「狙撃許可は」

 と、静かな……逆に言えば、底冷えするような声音が燎子の鼓膜を震わせた。

 振り向くまでもない。折紙だ。

 燎子と同じようにワイヤリングスーツにスラスターユニットを装備し、右手に自分の身長よりも長い対精霊ライフル『クライ・クライ・クライ』を構えている。

「……出てないわ。待機してろってさ。まだお偉方が協議中なんでしょ」

「そう」

 安堵した様子も、落胆した様子もなく折紙は頷いた。

 今精霊がいる公園の一キロ圏内には、燎子達AST要員が十人、二人一組の五班に分かれた状態で待機していた。

 二人がいるのもそのポイントの一つだ。

 公園よりもさらに都市部から離れた宅地開発中の台地だ。昼間はトラックやらクレーンやらの作業車が列を作っているものの、この時間になればもう静かなものである。

 数時間前、折紙が発見した少女に精霊の判定が出てからすぐにCR-ユニットの起動許可が下りた。

 だが、まだ防衛大臣やら幕僚長やらは対応を協議しているらしい。

 要は、攻撃を仕掛けるか、否かである。

 空間震を観測できない現界だっために、現在まで空間震警戒は鳴っていない。

 つまり住民は誰一人として避難しておらず、今精霊が暴れ出したら深刻な被害が出てしまうかもしれないのだ。

 だが、だからと言って今警報を鳴らして精霊を刺激してしまうのも上手い手とは言えない。なんとも嫌な状況である。

 しかし、

「これは好機」

 折紙はいつも通りの温度の無い口調で言った。

 確かに彼女の言うとおり、これはチャンスでもあるのだ。

 何故なら今、精霊はその身に霊装を顕現させていないのだ。

 燎子達の随意領域(テリトリー)と同じように、士道のブレイドアーマーと同じように、精霊を最強で究極で無敵の生命体たらしめている鎧を、今は纏っていない。

 今ならば、こちらの攻撃が届く可能性は十分にあった。

 ただしそれはあくまで可能性に過ぎない上に、確実に一撃で致命傷を与えなければならない。折紙が平常装備に含まれない対精霊ライフルを持っているのもそれが理由だった。

 使用者が悲鳴を上げ、弾道が軋み、目標が断末魔の声を上げる。

 三つのそれらが悲鳴を上げる事から、このライフルは『クライ・クライ・クライ』と名付けられた。

 随意領域(テリトリー)を展開させていなければ、反動で狙撃種の腕の骨が折れてしまう、撃つ人間よりも威力を重視した怪物である。

 だが燎子は、その銃を使うような事態になるとはあまり思っていなかった。

「……頭の中日和ってるお偉方達が、この状況で攻撃許可出すとは思えないけどねえ」

「出してもらわなければ困る」

 折紙の返事に燎子はため息をつきながら、

「ま、現場としちゃそうなんだけどさ。攻撃許可を出したけど一撃で仕留めきれなくて精霊が暴れ出しましたってのと、精霊が勝手に暴れたけど現界してたなんて知りませんでしたー、てのだと責任問題になった時に随分意味合いが違ってくるのよ」

「そんな理由で決められては困る」

「そうは言っても、人命よりも自分の地位が大事なお方が多いからねえ。ま、大概のお偉方はそういうのが多いのが現実なのよね……」

 そう言いながら、燎子は肩をすくめた。

 折紙の表情は微動だにしなかったが、どこか憮然としているような気がする。

 と、そこで燎子の耳にノイズ交じりの音声が入ってきた。

「はいはい。こちらポイントA(アルファ)。結局どうなっ……え?」

 燎子は自分の耳に入ってきた情報に、思わず目を丸くして驚きの声を出した。

「……了解」

 そう言ってから、通信を終了してから折紙に言う。

「……驚いた。狙撃許可が下りたわ」

 正直、少し意外だった。燎子は間違いなく待機命令が出ると思っていたのだ。

 しかし、よくよく考えてみれば昨日の校舎への攻撃命令も、今までではあまり考えられない強硬策だった。上層部で人事異動でもあったのだろうか。

 まあ、燎子は自分の仕事をするだけだ。具体的に言えば、ここにいる中でもっとも作戦の成功率が高いであろう隊員に引き金を預ける事だ。

「折紙。あんたが撃ちなさい。今いる面子の中では、あんたが一番適任よ。失敗は許されないわ。絶対に一撃で仕留める事」

 その、言葉に。

「了解」

 折紙は何の感慨も浮かべず、無表情のままそう答えた。

 

 

 

 

 

 同じ頃、伊坂は研究室でスクリーンに映し出されている映像を見ていた。その映像は、高台公園を二人の男女が歩いているものだった。二人の男女は言わずもがな、士道と十香である。デートの最初から二人を見張らせていた男にカメラを持たせ、映している映像をこの部屋のスクリーンに映し出しているのだ。

 研究室の中には伊坂の他にも研究員達が大勢おり、それぞれが自分達のパソコンを使って何かの数値を記録している。

 伊坂がスクリーンを見つめていると、眼鏡をかけた男が伊坂に駆け寄ってきた。

「結果が出ました。やはりあの少女は、精霊です」

「ふん。招かれざる客だが、まあ良い。準備の方はどうだ?」

「いつでも出せます。……しかし、大丈夫でしょうか? 現場にはASTの連中もいるようですし、もしも戦闘になったりしたら……」

 眼鏡の男がスクリーンを見ながら不安そうな声を出す。士道達が公園に入った時に念のために彼らの周囲を調べさせた所、ASTと思われる人間達がいるのを発見したのだ。彼女達に見つかるのを防ぐためにあまり長くは調べられなかったものの、もしかしたら彼女達の存在が自分達の実験の邪魔をするかもしれない。そうなったら、自分達の目的の達成に支障が出る恐れがある。

 しかし伊坂は、ASTなど眼中にないと言わんばかりの笑みを浮かべながら、

「別に構わん。いくら随意領域(テリトリー)を操るASTでも、アンデッドは殺せない。それが精霊であってもだ。アンデッドに対抗するためには、ライダーシステムの力が必要になる。……大体、精霊も殺せないような奴らが、アンデッドに対抗できるとも思わないさ。現に奴らは今まで何回か他のアンデッドと交戦しているようだが、全て逃がしている。別に放っておいても奴らは何もできないだろう」

 最後にそれだけ言うと、伊坂はすっと椅子から立ち上がった。

「奴の様子を見てくる。観察を続けていてくれ」

「分かりました」

 眼鏡の男が伊坂に向かって頭を下げると、伊坂は研究室の扉を開けて外に出た。

 部屋を出た伊坂は長い無人の廊下を一人靴音を立てながら歩いて行くと、ようやく見えた目的の部屋の前で立ち止まり扉を開ける。

 部屋の中はさっき彼がいた研究室のように大量のパソコンや研究員達の姿は無かったが、代わりに透明な箱のような形をした檻が一つだけ設置されていた。伊坂は部屋の中に入ると檻の前まで歩き、その檻の中にいる生物に声をかけた。

「そろそろお前にも、役に立ってもらうぞ」

 それだけ告げて、伊坂は踵を返して部屋を出た。

 そして檻の中にいた生物――――三葉虫の特徴を持つアンデッド、トリロバイトアンデッドはガン!! と左腕を檻に強く叩き付けた。

 

 

 

 

 

 夕日に染まった高台の公園には現在、士道と十香以外の人影は見受けられなかった。

 時々遠くから自動車の音や、カラスの鳴き声が聞こえてくるだけの、静かな空間に二人だけが存在していた。

「おお、絶景だな!」

 十香は先ほどから、落下防止用の柵から身を乗り出しながら、夕日の光で黄昏色に染まった天宮の街並みを眺めている。

 フラクシナスのクルー達による密かな誘導によって作られたルートを辿ってきたところ、ちょうど日が傾きかけた頃にこの見晴らしのいい公園にたどり着いたのだ。

 士道もここに来るのは初めてではない。というか、実は密かなお気に入りの場所である。

 終着点にここを選んだのは、きっと琴里だろう。

「シドー! あれはどう変形するのだ!?」

 十香が多くを走っている電車を指差しながら、目を輝かして言ってくる。

「残念ながら電車は変形しない」

「何? 合体タイプか?」

「まあ、連結くらいはするな」

「おお」

 実は変形するどころかミサイルなどをぶっ放して巨大な怪物を倒す事ができる時を超える電車があるのだが、そんな事はもちろん士道も十香も知らない。

 十香は士道の言う事に納得した調子で頷くと、くるりと体を回転させて手すりに体重を預けながら士道に向き直る。

 夕焼けを背景に佇む彼女はとても美して、まるで一枚の絵画のようであった。

「……それにしても」

 十香が話題を変えるかのように、んー、と伸びをした。

 そして、にぃっ、と唐突に屈託のない笑みを浮かべてきた。

「良いものだな、デェトというのは。実にその、なんだ、楽しい」

「………っ」

 突然放たれたその言葉に士道は不意を突かれた。自分では見えないが、頬は真っ赤に染まっているだろう。

「どうした、顔が赤いぞシドー」

「………夕日だ」

 そう言ってから、顔をうつむかせる。

「そうか?」

 すると十香が士道の元に寄り、見上げるようにして顔を覗き込んでくる。

「………っ」

「やはり赤いではないか。大丈夫か? まさか、何かの疾患か?」

 吐息が触れるくらいの距離で、十香がさらに言ってくる。

「や………ち、違うから……」

 視線を逸らしながらも、士道の頭の中にはデェトという言葉が渦巻いていた。

 漫画や映画の中の知識ではあるが。

 恐らく、恋人達がデートの終盤でこんな素敵な場所を訪れたなら、やっぱり……。

 自然に、士道の目が十香の柔らかそうな唇に向けられた。

「ぬ?」

「――――――っ!」

 別に十香は何も言っていないのだが、自分の(よこしま)な思考が見透かされたような気がして、再び目を逸らしながら体を離す。

「なんだ、忙しい奴だな」

「う、うるせ……」

 士道は額に滲んだ汗を袖で拭いながら、ちらりと十香の顔を見る。

 十日前、そして昨日、彼女の顔に浮かんでいた鬱々とした表情は随分と薄れていた。鼻から細く息を吐き、一歩足を引いて彼女に向き直る。

「どうだ? お前を殺そうとする奴なんていなかっただろ?」

「……ん、みんな優しかった。正直に言えば、まだ信じられないぐらいだ」

「あ……?」

 士道が首をひねると、十香は自嘲するように苦笑した。

「あんなにも多くの人間が、私を拒絶しないなんて。私を否定しないなんて。あのメカメカ団、ええと……なんと言ったか。エイ……?」

「ASTの事か?」

「そう、それだ。街の人間全てが奴らの手の者で、私を欺こうとしていたと言われた方がまだ真実味がある」

「おいおい……」

 さすがに発想が飛躍しすぎていたが、士道はそれを笑えなかった。

 何故なら彼女にとっては、それが普通だったのだ。

 否定されるのが、され続けるのが普通。

 それはあまりにも、悲しすぎる。

「……それじゃあ、俺もASTの手先って事になるのか?」

 士道がそう言うと、十香はぶんぶんと必死に否定するかのように首を横に振った、

「いや、シドーはあれだ。きっと親兄弟を人質に取られて脅されているのだ」

「何だよ、その役柄……」

「……お前が敵とか、そんな事は考えさせるな。考えたくもない……」

「え?」

「何でもない」

 彼女の呟きが聞き取れなかったので士道が問い返すと、今度は十香が顔を背けた。

 表情を無理矢理変えるように手で顔をごしごしとやってから、視線を士道に戻す。

「……でも本当に、今日はそれくらい有意義な一日だった。世界がこんなに優しいだなんて、こんなに楽しいだなんて、こんなに綺麗だなんて……思いもしなかった」

「そう、か……」

 士道は口元を綻ばせて息を吐いた。

 だが十香は、そんな士道に反するように眉を八の字に歪めて苦笑を浮かべた。

「あいつら……ASTとやらの考えも、少しだけ分かったしな」

「は……?」

 士道がその言葉に怪訝そうに眉根を寄せると、十香は少し悲しそうな顔を作った。

 士道が嫌いな鬱々とした表情とは少し違うが、見ているだけで胸が締め付けられてしまいそうな、悲壮感の漂う表情だった。

「私は………いつも現界するたびに、こんなにも素晴らしいものを壊していたんだな」

「………っ」

 士道は、息を詰まらせた。

「で、でもそれは、お前の意思とは関係ないんだろ……!?」

「……ん。現界も、その際の現象も、私にはどうにもならない」

「なら……」

「だがこの世界の住人達にしてみれば、破壊という結果は変わらない。ASTが私を殺そうとする道理が、ようやく知れた」

 士道は、すぐには言葉を発す事ができなかった。

 彼女の悲痛な面持ちに胸が引き絞られ、上手く呼吸ができなくなる。

「シドー。やはり私は、いない方が良いな」

 そう言って、十香は笑った。

 しかし、今日の昼間に覗かせた無邪気な笑顔ではない。

 まるで自分の死期を悟った病人のような……、弱弱しく、痛々しい笑顔だった。

 その表情に、士道は思わずごくりと唾を飲む。

 いつの間にか喉はカラカラに乾いていた。張り付いた喉に水分が滲みていくのを感じながら、どうにかして口を開く。

「そんな事……ない……っ」

 士道は声に力を込めるために、ぐっと拳を握った。

「だって、今日は空間震が起きてねえじゃねえか! きっといつもと何か違いがあるんだ! それさえ突き止めれば……!」

 だが十香は、士道の言葉を否定するかのように首を横に振った。

「例えその方法が確立したとしても、不定期に存在がこちらに固着するのは止められない。現界の数は減らないだろう」

「じゃあ……! もう向こうに帰らなければ良いだろうが!」

 士道が叫ぶと、十香は顔を上げて目を見開いた。

 まるで、そんな考えを全く持っていなかったと言うかのように。

「そんな事が……可能なはずは……」

「試したのか!? 一度でも!」

「………」

 士道の叫びに、十香は唇を噛んで黙りこんだ。

 士道は異様な動機を抑え込むように胸元を押さえながら、再び喉を唾液で濡らす。

 咄嗟に叫んだ言葉だったが、それが可能ならば空間震は起こらなくなるはずだ。確か琴里の説明では、精霊が異空間からこちらの世界に移動する際の余波が空間震となるという話だ。

 そして、十香が自分の意思とは関係なく不定期にこちらの世界に引っ張られてしまうというのなら、最初からずっとこちらの留まっていれば良いだけの話だ。

「で、でもあれだぞ。私は知らない事が多すぎるぞ?」

「そんなもん、俺が全部教えてやる!」

 十香が発してきた言葉に、士道は即座に答えた。

「寝床や、食べるものだって必要になる」

「それも……どうにかする!」

「予想外の事態が起こるかもしれない」

「そんなもん起きたら考えろ!」

 それはもしかしたら、子供の駄々のように聞こえるかもしれない。

 しかし、今の士道には迷いなどなかった。

 十香は少しの間黙り込んでから、小さく唇を開いてきた。

「……本当に、私は生きていても良いのか?」

「ああ!」

「この世界にいても良いのか?」

「当たり前だ!」

「……そんな事を言ってくれるのは、きっとシドーだけだぞ。ASTはもちろん、他の人間達だって、こんな危険な存在が自分達の生活空間にいたら嫌に決まっている」

「知った事かそんなもん……! ASTだぁ!? 他の人間だぁ!? そいつらが十香! お前を否定するなら! それを超えるくらい俺がお前を肯定する!!」

 そう叫んで、士道は十香に向かって手を伸ばした。

 すると目の前の十香の肩が、小さく震えた。

「握れ! 今はそれだけで良い……!」

 十香は顔を俯かせ、少しの間思案するように沈黙した後、ゆっくりと顔を上げて士道に手を伸ばしてきた。

「シドー……」

 そして。

 士道と十香の手と手が触れ合おうとした瞬間。

「………っ!」

 士道は、ぴくりと指先を動かした。

 何故かは分からないが、途方もない寒気がしたのだ。

 まるでざらざらの舌で全身を舐められるような、嫌な感触。

「十香!」

 士道の喉は、意識してもいないのにその名を呼んでいた。

 そして、士道の叫びに十香が答えるよりも早く、士道は両手で彼女を強く突き飛ばした。

 細身の十香は突然の衝撃に耐えられず、漫画みたいにごろんと後ろに転がった。

 それから、それと同時に。

「………あ」

 士道は、胸と腹の間くらいに、凄まじい衝撃を感じた。

「な、何をする!」

 砂まみれになった十香が非難の声を上げてくるが、それに返す事すら士道にはできなかった。

 息ができないどころか、意識と姿勢を保っている事も難しかった。

「……シドー?」

 十香の、呆然とした声が聞こえてくる。

 士道は原因を探るために、震える右手を脇腹に当てようとした。

 しかし、何故か何も手ごたえが無い。

 それを知覚した瞬間、士道は地面に倒れて意識を失った。

 こうして。

 五河士道は、死んだ。

 

 

 

 




次話ももしかしたらもうすこし少し早く投稿できるかもしれません。


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第八話 仮面ライダー

ようやく書けた………! 次回でようやく、原作第一巻の終了です。


 

 

「あ………」

 折紙は随意領域(テリトリー)で強化された視力で、崩れ落ちる士道の姿を見ながら、思わずそんな声を発していた。

 宅地開発のため平らに整備された地面に腹ばいになり、『C(クライ)C(クライ)C(クライ)』を構えた状態のまま、数瞬の間体を硬直させる。

 数秒前、折紙は、『C(クライ)C(クライ)C(クライ)』の顕現装置(リアライザ)を起動させると、装填された特殊弾頭に攻性結界を付与させ、完璧に狙いを定めてから引き金を引いた。

 外れる要素など微塵もなかった。

 士道が、精霊を突き飛ばさなければ。

 彼女の放った弾丸は、精霊の代わりに士道の身体を綺麗に削り取っていた。

「――――――」

 今度は声すら出なかった。

 自分の引き金を引いた指が、微かに震えているのが分かる。

 だって、今、自分は、士道を……。

「折紙!」

「………っ!」

 聞こえてきた燎子の声で、折紙は我に返った。

「悔いるのは後にしなさい! あとで死ぬほど責めるから! 今は……」

 そう言って燎子は、戦慄した様子で公園を睨み付けた。

「生き延びる事だけ、考えなさい……!」

 

 

 

 

「シドー……?」

 十香は呆然と士道の名前を呼ぶが、返事はない。

 その理由は明白だった。士道の胸には、十香の掌を広げたよりも大きな穴が開いている。

 頭が混乱して、意味が分からない。

「シ……、ドー……」

 十香は士道の頭の隣に膝を折ると、その頬をつついてみる。

 反応はない。

 さっきまで十香に差し伸べられていた手は、一部の隙間もなく真っ赤な血に濡れていた。

「う、あ、あ、あ……」

 数秒経ってから、ようやく頭が状況を理解し始める。

 辺りに立ちこめる焦げ臭さには覚えがあった。

 いつも十香を殺そうと襲ってくる一団……ASTのものだ。

 なんのためらいもない、研ぎ澄まされた一撃。恐らく、自分が何回も刃を交えたあの女。

 いくら十香でも、霊装を纏っていない状態であの一撃を受けたなら、無事ではすまなかっただろう。

 まして、何の防護もない士道がそんな攻撃を受けてしまったら。

「………」

 十香は途方もない眩暈を感じながらも、未だ空を眺めている士道の目に手を置いて、ゆっくりとまぶたを閉じさせてやった。こうして見ると、目の前にいる士道はまるで眠っているように見えた。

 それから、着ていた制服の上着を脱いで優しく士道の亡骸にかけてやる。

 そして十香はゆらりと立ち上がると、顔を空に向けた。

 一瞬、十香はこの世界で生きられるかもしれないと思った。

 士道がいてくれたなら、なんとかなるのかしれないと思った。

 とても大変で難しい事だろうけれど、士道がそばにいてくれたら、それもできるかもしれないと思った。

 だが、やはり駄目だった。

 この世界は、やはり十香を否定した。

 それも、彼女の考え得る限り、最も最低最悪な手段を以て。

「<神威霊装(アドナイ)十番(メレク)>……!」

 喉の奥からその名を絞り出す。それは、霊装。絶対にして最強の、十香の領地。

 その瞬間、世界が啼いた。

 周囲の景色がぐにゃりと歪み、十香の身体に絡みついて、荘厳な霊装の形を取る。

 そして光り輝く膜がその内部やスカートを彩り……災厄は、降臨した。

 ぎしぎし、ぎしぎしと空が軋む。

 まるで、突然霊装を顕現させた十香に、不満をさえずるかのように。

 十香は、視線を少し下げた。

 山が削り取られたかのように平らになった高台に、今士道を撃った人間がいる。

 殺すに足りてしまった人間がいる。

 十香は地面に踵を突き立てた。

 その瞬間、巨大な剣が収められた玉座が出現する。

 十香は軽く地を蹴ると、玉座の肘掛けに足をかけて背もたれから剣を引き抜く。

「よくも」

 自分の目が、湿る感覚がする。

「よくもよくもよくもよくもよくもよくもよくも」

 十香は剣を握る手に力を込めると、視線の先まで距離を殺した。

「なっ!?」

 瞬きほどの間も置かずに、十香は今し方見ていた高台に移動していた。

 目の前には、驚愕に目を見開く女と、無表情の少女がいる。

 憎くて憎くてたまらないその顔を見ると同時に、十香は吼えた。

「<塵殺公(サンダルフォン)>――――【最後の剣(ハルヴァンヘレブ)】!!」

 その瞬間、十香が足を置いていた玉座に亀裂が走り、バラバラに砕け散る。

 さらに玉座の破片が十香の握った剣に纏わりつき、そのシルエットをさらに巨大なものに変えていく。

 全長十メートルはあろうかという、長大にすぎる剣。

 しかし十香はその剣を木の枝でも操るように軽々と振りかぶると、二人の女に向かって振り下ろす。

 刀身の光が一層強いものになり、一瞬にして太刀筋の延長線上である地面を這っていく。

 次の瞬間、凄まじい爆発が辺りを襲った。

「なっ……!」

「………く」

 すんでの所で左右に逃れた二人が、戦慄に染まった声を上げた。

 それはそうだろう。十香は今の一撃で、広大な台地を縦に両断したのだから。

「この、化け物め……!」

 長身の女が叫び、剣のようなものを振るって十香に攻撃を仕掛けてくる。

 だがそんな攻撃が霊装を纏った十香に通じるはずもない。視線をそちらに向けるだけで、その攻撃は一瞬の内に霧散した。

「嘘……」

 女の顔が、絶望に染まる。

 だが十香はそんなものにはまったく興味を示さず、もう一人の少女に目を向けた。

「――――鳴呼(ああ)。貴様だな、貴様だな」

 静かに、唇を開く。

「我が友を、我が親友を、シドーを殺したのは貴様だな」

 十香がそう言うと、ほんの少しだけだが、少女が初めて表情を歪めた。

 しかし、そんな事はどうでも良かった。

 【最後の剣(ハルヴァンヘレブ)】を顕現させた十香を止められるものなど、この瀬化に存在しないのだから。

 絶望と憎しみ、そして殺意で真っ黒に淀んだ瞳で少女を見下ろしながら、十香は冷静に狂い始めた。

「殺して(ころ)して(ころ)し尽くす。死んで()んで()に尽くせ」

 

 

 

 

 

「………やはり精霊か」

 天使と霊装を顕現し暴れている十香を見てそう呟いたのは、黒いスーツを身に纏ったような姿とハートを連想させる赤い複眼が特徴的なライダー、カリスだった。

 カリス――――相川始はASTのようにここで士道達を待ち伏せしていたわけではない。ついさっきまでは彼はハカランダで遙香の手伝いをしていたのだが、そこに突然空間震警報が鳴り始めたのだ。

 それだけならば彼も彼女達と一緒にシェルターへ避難していただろうが、今回の場合は状況が違っていた。いつもなら空間震が起こった後に感じられるはずの霊力が、今回は空間震警報が鳴り始める前から微かに感じられたのだ。

 それに気づいた始は遙香と天音を近くにあるシェルターに送ってから、忘れ物があると嘘をついてからカリスに変身してここに来たのだ。

「………だが、何が起こったんだ?」

 前に学校に現れた彼女の霊力も凄まじいものだったが、今回はその時の霊力など比べ物にならないぐらいほど霊力が跳ね上がっている。ASTが応戦しようとしているが、これでは相手にならないだろう。

 一体、何が原因で彼女の力はここまで跳ね上がったのだろうか。

 と。

「………」

 カリスは天使を振るって暴れている十香の姿を見て、それに反応するかのように自分の本能が声を上げているのが分かった。

 戦え。

 壊せ。

 目の前にある世界全てを、破壊しつくせ――――――!!

「………ぐっ!」

 カリスは微かに後ずさりながら、自分の本能の声を黙らせようとする。

 本来ならばその声に従って戦いに行く所だが、目の前の精霊の力はこうして見ているだけでも凄まじいという事が分かる。今戦いに行けば不死である自分が勝つだろうが、きっと自分も深手を覆う。

 落ち着け、とカリスが自分に言い聞かせようとした時だった。

「………? あれは………」

 そこで、カリスの真紅の複眼があるものを捉えた。

 それは、地面に倒れている人間だった。その人間の体からは大量の血が流れており、恐らくもう息は無いだろう。だがカリスが気になったのは、微かに見える人間の顔だった。

 その人間の顔は、

「………五河?」

 自分と同じクラスにいる、五河士道という人間だった。

 カリスは士道と暴れている十香を交互に見ながら、ある考えを思いついて口にする。

「まさか、五河の死が原因であの精霊は……」

 そう呟いた直後、カリスの目にさらに信じられないものが映り込んだ。

「何……?」

 カリスはそれを見て思わず、驚いた声を出した。

 それは。

 

 

 

 

 

 

 

 

「司令……っ!」

「分かってるわよ。騒がないでちょうだい」

 琴里は口の中で雨を転がしながら、狼狽した様子の部下に言葉を返した。

 フラクシナス艦橋。正面モニタには現在、身体をごっそりと削り取られて倒れ伏した士道と、精霊・十香の戦闘映像が表示されていた。

 部下の動揺も分からなくはない。

 状況は、圧倒的に、絶対的に、破滅的に、絶望的だった。

 ようやく空間震警報が鳴り始めたようだが、住民の避難はほとんど終わっていない状態で、十香とASTの戦闘が始まってしまったのだ。

 人の住んでいない開発地というのが唯一の救いだが、精霊である十香の一撃は、そんな楽観を容易く打ち砕いた。

 今までの十香が可愛く見えるほどの、超越的な破壊力。

 たったの一撃で広大な開発地は二分され、中心に深淵を作ってしまっている。

 そして、ラタトスクの最終兵器であったはずの五河士道の突然の死。

 琴里達は、考え得る限り最悪の状況に立たされた格好になっていた。

 だが、

「ま、ちょっと優雅さが足りないけど、騎士(ナイト)としては及第点かしらね。今のでお姫様がやられてたら目も当てられなかったわ」

 琴里は、さほど深刻そうな調子も見せずにそう言ってから、いつものようにキャンディの棒を動かした。

 そんな琴里に、クルー達が戦慄したような視線を向けてくる。

 まあ、それは仕方あるまい。血が繋がっていないとはいえ、今まさに兄が死亡したばかりなのだから。

 だがそんな中になって、令音と神無月だけは違った反応を見せていた。

 令音は、相変わらず平然とした様子で十香の戦闘をモニタリングし、データを採取している。

 神無月の方は少し様子が違う。頬に朱が差し、口から唾液が漏れている。

 見るからに、もしも自分の体に士道のような穴が開いたらどうなるのかと興奮している顔である。

「とう」

「はうっ!?」

 琴里は興奮している神無月のすねを蹴り飛ばすと、その場に立ちあがった。

 そしてふんと鼻を鳴らしながら、半眼を作って令音と神無月以外のクルー全員に告げる。

「良いから自分の作業を続けなさい。士道が、これで終わりなわけがないでしょう?」

 そう。ここからが士道の本当の仕事なのだ。

「し、司令! あれは……!」

 と、艦橋下段の部下が画面左側――――公園が映っているものを見ながら、驚愕に満ちた声を発してきた。

「……来たわね」

 キャンディの位置を変えて、にやりと口元を歪ませる。

 画面の中には公園に横たわり、制服の上着を掛けられた士道が映っていたのだが、その士道に異変が起こっていた。

 彼にかけられていた制服の上着が、突然燃え始めたのだ。

 精霊の生成物が消失しているとか、太陽光によって火が付いたとか、そういう話ではない。

 何故なら、燃えていたのは制服では無かったのだ。

 制服が燃え落ち、綺麗にくり抜かれた士道の身体が露わになる。

 そこで、フラクシナスのクルー達は再び驚愕の声を上げた。

「き、傷が……」

 そう。ぽっかりと消失した欠損の断面が、燃えているのだ。

 その炎は士道の傷を見えなくするぐらいに燃え上がってから、徐々にその勢いを無くしていく。

 その炎が舐めとった後には、完全に再生された士道の身体が存在していた。

 そして、

『……ん』

 画面の中に横たわった士道が、

『ん…………ぉ熱っちゃぁぁぁぁぁぁっ!?』

 と、未だ腹にくすぶっていた火を見て跳ね起きた。

 慌てた様子でバンバンと腹を叩き、火を消し止めてから呟く。

『て……あ、あれ? 俺……なんで……』

 艦橋内が、完全に死んだ状態から蘇った士道を見て、騒然となる。

「な……し、司令、これは……」

「言ったでしょ。士道は一回くらい死んだって、すぐニューゲームできるって」

 琴里は唇を舐めながら部下にそれだけ返した。

 クルー達は一斉に訝しげな視線を琴里に向けるが、彼女はその視線を無視して次の指令を出す。

「すぐに回収して。彼女を止められるのは士道だけよ」

 

 

 

 

 

「伊坂様、あれは……!」

 どこかにある研究所で、眼鏡をかけた男はスクリーンに映っている士道を見て驚愕の声を出した。

 観察対象である士道が撃たれるのを見て、研究所内もかなり騒然としたのだが、今はすっかり静まり返っている。その理由は明白で、死んだはずの士道が生き返ったからだ。

 当然そんな事を予想すらしていなかった眼鏡の男は呆然とした表情でスクリーンの中の士道を見ていたのだが、横にいる伊坂は少し目を見開きながらも眼鏡の男ほど驚いてはいないようで、落ち着いた声を出した。

「ほう。さすがにこれは想定外だな。ただの人間だと思っていたが、あんな力も持っていたのか」

「すると奴も、精霊、なのでしょうか……?」

 眼鏡の男が伊坂に尋ねると、伊坂はそれを否定するように首を横に振った。

「それはないだろう。奴からは霊力が感じられない。もしも奴が精霊なら、かすかにでも霊力を感じるはずだ」

「では、奴は……」 

 眼鏡の男がさらに言葉を続けようとした時だった。

 自分達が観察していた少年が、突然その場から姿を消してしまったのだ。異変の連続に、眼鏡の男は再び驚いた声で伊坂に言った。

「今のは……? まさか、あれも……!」

「いや、あれは違うな。恐らく人間が作った転移装置によるものだろう」

「転移装置? しかし、一体そこの組織が……!?」

 そこで伊坂は何やら考え込むように顎に手を当ててから、眼鏡の男にこう尋ねた。

「確か、ブレイドを監視している最中、妙な人間達がいたと言っていたな?」

「ええ。何やら、ブレイドと精霊を誘導しているような動きをしていたそうですが……」

 すると伊坂はふっと口元に笑みを作り、

「なるほど。その組織が分かった」

「え?」

「恐らく、ラタトスク機関だ」

 ラタトスク機関。その名前を聞いて、眼鏡の男は目を見開いた。

 一応、精霊の事を調査する過程で、その組織の名前は聞いた事があった。

 武力で精霊を殲滅しようとするASTに対し、話し合いで精霊と和解しようとする組織。

 それが、ラタトスク機関。

 とは言っても、男を始め研究員達はほとんどその組織の事を信じていなかった。その組織の人間を見た事は一度もないし、何よりも精霊を救おうという考えが嘘くさかったからだ。

 だから彼らは、ラタトスク機関というのはどこかの誰かが流した噂話だと思っていた。

 伊坂はスクリーンを見つめながら、

「そう考えれば辻褄が合う。そもそもおかしいと思っていた。ブレイドはあくまでもアンデッドと戦う存在だ。それなのに、何故精霊と接触していたのか。しかもあの精霊の態度から推測すると、ブレイドと精霊は何回か会っている。よほど運が良ければそういう事もあるかもしれないが、そんな事はほぼありえない。とすると、何か巨大な組織の意思が働いていると思うのが自然だ」

「それが、ラタトスク機関?」

「だろうな」

 伊坂は頷くが、眼鏡の男は不安げな表情を変えないままさらに言葉を続けた。

「しかし、ASTに加えてラタトスク機関もこの件に関わっているとしたら厄介です。奴らもきっと、かなりの力を有しているはず。もしもそれで我々の計画が……」

 たった今使った転移装置を見れば分かるように、ラタトスクはかなり高度の科学技術を誇る組織なのだろう。ASTに加えてラタトスクまでもこの場に干渉するならば、本当に自分達の計画が潰されかねない。

 だが、その男の言葉を聞いても伊坂は余裕の笑みを浮かべたままだった。

「それについても心配はない。奴らの存在はこの私ですら噂程度でしか聞いた事が無かった。それはつまり、他の組織もラタトスク機関の事を深く知ってはいないという事だ。ASTなどはもしかしたら、存在自体知らないかもしれないな。……つまり、奴らは自分達の情報を外に漏れる事が無いように細心の注意を払っているという事だよ。そんな奴らがASTがいるあの場所で、自らの存在を知らしめるような事をしようとは思わないだろう」

「なるほど……。では、仮にアンデッドが現れたとしても、奴らが干渉する事は無いと?」

「可能性が無いとは言い切れないがな。だが、いかにラタトスクでもアンデッドは殺せない。最終的にはブレイドが戦うしかないのだよ」

 そう言うと、伊坂はついさっきまで士道がいた場所をじっと見つめながら言った。

「そう……ブレイドには戦ってもらわなければならない。全てを凌駕する、究極のライダーを造り出すためにな」

 それから、眼鏡の男に視線を向けて告げた。

「ブレイドが戻り次第始める。奴を出しておけ」

「はっ。……しかし、ブレイドは本当に戻ってくるのでしょうか?」

 すると伊坂ははっと鼻で笑いながら、断言するように言う。

「精霊と話し合いで和解しようという組織に協力するような酔狂な奴が、暴れている精霊をそのままにしておくとは思えん。……奴は必ず戻ってくる。扱いやすい駒だよ」

 

 

 

 

 

 意味が分からない、と士道は思った。

 士道は自分の腹を触りながら、盛大に眉の間にしわを寄せる。

 着ていたブレザーとワイシャツには綺麗な穴が開き、ネクタイは途中から千切れている。

 しかしそんな恰好も、今は気にならなかった。

 もっと気にかけなければならない事が、あったからだ。

「俺……なんで生きてんだ?」

 もう一度腹を触りながら、そう呟く。

 あの時とても嫌な予感がして、思わず十香を突き飛ばした。

 次の瞬間腹に穴が開いて……、意識が途絶えたのだ。

 実際服には穴が開いてるし、盛大な血の染みも残っている。ただの白昼夢では断じてないだろう。

 ちなみにブレイバックルは穴が開いている位置とは逆の懐に入れていたため無傷だった。

「そうだ、十香……!」

 あの攻撃は間違いなく十香を狙っていた。

 一体十香はどうなったのだろうか。その姿を探して辺りに目を向ける。

 そして、周囲の光景を目の当たりにして、絶句した。

 確かにさっきにはあったはずの、宅地開発中の現場や、三十年前に地形が変わって以来まだほとんど手を入れられていない山などが、まるで空襲を受けたかのように滅茶苦茶に崩壊していたのだ。

 否……少し違う。どちらかと言うと、巨大な剣で何度も何度も斬り裂かれたかのように、鋭利な断面をいくつも覗かせていたのだ。

「あれは……」

 と、士道が呆然と呟いた瞬間。

「うぁ……!」

 士道は、自分の体から重さが無くなるのを感じた。

 この感覚は初めてではない。フラクシナスの転移装置だ。

 士道がそれを認識した時にはもう、士道の視界は高台の公園ではなくフラクシナスの内部に変貌していた。

「こちらへ!」

 と、そこに控えていたフラクシナスのクルーが大声を上げてくる。少し混乱しながらも、士道は艦橋に引っ張られていった。

 そして艦橋に到着すると、

「お目覚めの気分はいかが、士道」

 艦橋上段の艦長席に腰掛け、チュッパチャップスの棒をピコピコやりながら、琴里が言ってきた。

 士道はきぃんと鳴る耳を軽く叩きながら、眉をひそめる。

「……ちょっと状況が分からん。一体どうなったんだ?」

「ん、士道がASTの攻撃でやられて、キレたお姫様がASTを殺しにかかってるわ」

 言いながら、ちょいちょいと艦橋の大スクリーンを指差す。

「んな……」

 そこには巨大な剣を振るって山を切り刻む十香と、応戦するASTの姿があった。

 いや、応戦なんて呼べるものではない。

 ASTは猛烈な勢いで攻撃を仕掛けているが、十香には微塵も届いていない。

 逆に十香の斬撃は、直撃せずともその余波だけで、随意領域(テリトリー)を無視してウィザード達の飛行を乱し、容易く吹き飛ばしている。

 ただただ一方的で圧倒的な、王者の行進。

「完全にキレてるわ。よっぽど士道を殺されたのが許せないのね」

 言ってから、琴里が肩をすくめる。

「……っ、何だよ、それ……! ていうかそうだよ! 俺は何で生きてんだ!?」

 士道が叫ぶと、琴里は明らかに何かを知っているようでニヤニヤと笑い始めた。

「ま、その話はあとにしましょ。今はもっと他にする事があるんだから」

 琴里が画面の十香に目を向けながらそう言った。

「他に、する事?」

「ええ。ウチとしても、精霊関係で人的被害が出るのは勘弁願いたいのよ」

「……っ、そんなの、当たり前だ!」

 士道が叫ぶと、琴里が楽しそうに目を細める。

「オーケイ、上出来よ騎士(ナイト)様。……じゃあ行くわよ。お姫様を止めにね」

 琴里は士道から視線を外すと、声を高らかに張り上げる。

「フラクシナス旋回! 戦闘ポイントに移動! 誤差は一メートル以内に収めなさい!」

『了解!』

 操舵手と思しき数名のクルーが、一斉に声を上げた。

 それに続いて、重苦しい音と共に微かにフラクシナスが震動した。

「だ、だけど琴里。十香を止めるって、そんな事できるのか?」

 スクリーンを見ての通り、今の十香は今まで士道が見た事が無いほど怒り狂っている。あの状態を止める策が、本当にあるのだろうか。

 しかし琴里は士道の言葉を聞いて、何言ってんだこいつと言いたそうな表情を浮かべると、

「できるのか、じゃなくてやるのよ。士道が」

 するとその言葉に、士道は思わず驚愕で目を限界まで見開いた。

「お、俺が!?」

「当たり前でしょ。いつまで日和ってんの。士道以外には不可能よ」

「でも、一体どうやって……」

 士道が額に汗を滲ませながら尋ねると、琴里は口からチュッパチャップスを引き抜き、怪しい笑みを浮かべた。

「知らない? 呪いのかかったお姫様を助ける方法なんて、一つしかないじゃない」

 それから、すぼめた唇でキャンディにチュッ、と口づけた。

 

 

 

 最悪とも言える状況だった。

 待機していたAST要員はすでに十名全員が参戦していたが、精霊に傷を負わせる事はおろか、接近する事すら叶わなかった。

 否……それ以前に、精霊は折紙以外の人間など意識の端にも入れてはいなかった。

 まるで、蟻を気にかけて歩く獅子がいないように。

「おあああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 まるで涙に濡れた鳴き声のような咆哮を上げて、精霊が巨大すぎる剣を振り下ろす。

「………っ」

 折紙はスラスターを駆動させ、身を捻って空に逃れる形でその一撃を避けた。

 だが、剣圧の巻き起こした衝撃波が折紙の随意領域(テリトリー)を侵して彼女の身体を打つ。

「く……」

 油断は一瞬だった。

「あああああああああああああっ!」

 精霊が、吼える。

 そして思い切り肩を回すと、風を切り空気を割りながら、再度剣を折紙目掛けて振るってきた。

『折紙!!』

 燎子が声を荒げてくるが、もう遅かった。

 折紙の随意領域(テリトリー)に精霊の剣が触れる。

 その、瞬間。

「――――――」

 折紙は、自分の判断が甘かったことを知った。

 剣圧の余波で、おおよその威力を推し量っていたつもりだったが、明らかに世界が違った。

 己と比べる事すら、攻略法を考える事すら冒瀆に思えてしまう、暴虐なる王の鉄槌。

 時間は恐らく二秒もかかっていないだろう。

 随意領域(テリトリー)が。

 絶対の力を誇るはずの折紙の城が。

 音もなく、声もなく、打ち砕かれた。

 それと同時に、その加護を失った折紙の身体が空から地面へと叩き付けられる。

「ぁ――――」

『折紙!』

 燎子の声が、どこか遠く感じられた。

 随意領域(テリトリー)が解除されたためか、脳の負担は幾分か和らいだが、その代わり全身が酷く痛んだ。骨折は一か所や二か所では済まないだろう。傷口がどこかすら分からない血がワイヤリングスーツの中に溢れ、気持ちの悪い感触を作っている。重力を思い出したかのように急激に重くなった首を、ほんの少しだけ動かす。

 かすむ視界の中で、空に立った精霊の姿だけがはっきりと見えた。ひどく悲しそうな顔をして剣を握る、とても小さな少女の姿が。

「………終われ」

 精霊が剣を振り上げ、そこで止める。

 彼女の周囲に黒い輝きを放つ光の粒のようなものがいくつも生まれ、剣の刃に吸い寄せられるように収束していく。

 何らかの説明が無くても、分かる。

 あれは、間違いなく精霊の渾身の力を込めた一撃だ。

 随意領域(テリトリー)が展開されていない今の状況であれをまともに食らえば、間違いなく死んでしまう。どうにかして早くここから逃げなければならない。

 しかし、自分の体はあまりの激痛に悲鳴を上げていて、まるで動こうとしてくれなかった。

 燎子を始めとした他のAST要員もすでに戦闘不能状態に陥っている。精霊を止める事ができるものは、もう存在しなかった。

 そして剣が闇色の輝きを帯びるのを待って、精霊が剣を握る手に力を込める。

 と、その時だった。

「十ぉぉぉ香ぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああっ!!」

 空から。

 精霊よりももっと上から、そんな叫び声が聞こえてきた。

「え………?」

 折紙は、命の危険が迫っているというのに、思わずそんな場違いな声を発していた。

 何故ならその悲鳴は、ついさっき折紙が撃ってしまった少年のものだったのだから。

 

 

 

 

 

「おい琴里。本当にここから飛び降りて大丈夫なのか?」

 士道は現在、艦隊下部に位置するハッチにいた。ハッチからは当然ながら、赤い夕焼けに染まった空が見える。

 琴里から『十香を止める方法』とやらを聞かせてもらった後に、ここに来るように言われたのだ。

 士道がそう言うと、右耳のインカムから琴里の声が聞こえてきた。

『お姫様は滞空中よ。だったらそこから直接飛び下りるしかないわ。安心しなさい、低空まで下りてるし、精霊に接近したらこっちから重力中和してあげるから』

「もしもその重力中和とやらがうまくいかなかったらどうなるんだ?」

『地面に綺麗な花が咲くわね。真っ赤な』

 その言葉に、士道ははぁとため息をついた。

「ったく、めちゃくちゃだな。まぁいいや。やるんだったらさっさと始めようぜ」

 すると士道の言葉に、琴里は意外そうな声を上げた後、

『ずいぶんあっさりしてるわね。結構ごねるかと思ってたのに』

「そりゃあ、俺だって怖いよ。だけど、これ以上時間がかかったら十香を止められなくなるかもしれないんだろ。そんなの嫌だからな。……それに、度胸ならアンデッドとの戦闘で嫌ってほどつけられたし」

『ん? 何か言った?』

「なんでもねぇよ」

 最後の一言を聞いた琴里が尋ねてくるが、士道はそれだけ返すとハッチの真下を覗き込んだ。ここからでは見えないが、恐らくこの真下に十香が……自分が救うべき少女がいるはずだった。

 士道はハッチの近くに立って深呼吸を一度すると、インカムを通して琴里に言う。

「んじゃ、行ってくる。もしも死んだら化けて出てやるから覚悟しとけよ」

『はいはい。覚悟しててあげるから行ってらっしゃい。……幸運を』

 最後のその一言に笑いながら、士道はハッチから空へと飛び降りた。

 凄まじい風が身に纏った制服や頬の肉をはためかせ、今まで感じた事が無いぐらいの浮遊感が士道を襲う。

 と、そんな状況の中で、士道は視界の中に一つの影を見つけた。

「――――!」

 手足を突っ張って姿勢を安定させ、ぶれまくる姿勢の中でその少女の姿を捉える。

 そして。

「十ぉぉぉ香ぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああっ!!」

 力の限り声を張り上げて、その名を呼んだ。

 それから一拍もおかずに、身体にかかっていたGと浮遊感が和らぐ。

 フラクシナスからのサポートだろう。まだ落下している事に変わりはないが、これならば地面に衝突する危険性は低くなる。

「――――」

 十香が、士道の声に気付いたからか、長大な剣を振りかぶったまま顔を上に向ける。

 頬と鼻の頭は真っ赤で、目は涙に濡れてぐしゃぐしゃだった。彼女には悪いかもしれないが、なんともみっともない有様だった。

 そんな十香と、目が合った。

「シ……ドー……?」

 まだ状況を理解できていない様子で、十香が呟く。

 だんだんと緩やかになっていく落下速度の中で、士道はそんな十香の両肩に手をかけた。空に立つ十香の助力を得るような格好で、その場にとどまる。

「よう、十香」

「シドー………ほ、本物、か……?」

「ああ……一応本物だと思う」

 士道が言うと、十香は唇をふるふると震わせた。

「シドー、シドー、シドー……!」

「ああ、なん………」

 と答えかけた所で、士道の視界の端に凄まじい闇色の光が満ちた。

 十香が振りかぶったまま空中に制止させていた剣が、あたりを夜闇に変えんばかりに真っ黒な輝きを放っているのだ。

「な、何だこりゃ……」

「………! しまった………! 力を――――」

 十顔が眉をひそめると同時、刃から光が雷のように漏れ出て、地面を穿っていく。

「と、十香……! 一体何が起こってるんだ!?」

「【最後の剣(ハルヴァンヘレヴ)】の制御を誤った……! どこかに放出するしかない……!」

「どこかってどこだ!?」

「…………」

 十香が無言で、ちらりと地面の方を見た。

 つられて士道も目をやると、そこには今にも死にそうな折紙が横たわっているのが見えた。

「いやいやいや! 駄目だからな!? 十香、あっちに撃っちゃ駄目だからな!?」

「で、ではどうしろと言うのだ! もう臨界状態なのだぞ!」

 言っている間にも、彼女の握る剣は辺りに黒い雷を撒き散らしていた。まるで機銃掃射のように、連続して辺りの地を抉っている。

 と、そこで士道は琴里の言葉を思い出した。

 十香を止め、その力を封印する唯一の方法。

「……十香。あ、あのだな。落ち着いて聞いてくれ」

「何だ! 今はそれどころでは……!」

「それを! 何とかできる……かもしれない可能性がある……んだよ!」

「何だと!? 一体どうするのだ!?」

「あ、ああ。その……」

 しかし士道は、すぐにはそれを口に出す事ができなかった。

 何故なら琴里の言ったその方法は、あまりに支離滅裂で、根拠に乏しくて、脈絡が無くて……。

「早くしろ!」

「………っ!」

 士道は腹を決めると、ようやくその口を開いた。

「そ、その、あれだ……! 十香! 俺と、キ………キスをしよう………!」

「何っ!?」

 十香が、眉根を寄せてくる。

 それはそうだろう、と士道は思った。この非常時にそんな事を言ったのだ。何かの悪ふざけと解釈されても仕方がない。

「す、すまん、忘れてくれ。やっぱり他に方法を……」

「キスとはなんだ!?」

「は……?」

「早く教えろ!」

「……キ、キスっていうのは、こう、唇と唇を合わせ……」

 と、士道の言葉の途中で。

 十香が何のためらいもなく、桜色の唇を士道の唇に押し付けてきた。

「――――――――っ!?」

 限界まで目を見開き、声にならない声を上げる。

 余談だが、十香とのキスはレモン味ではなく彼女が昼間食べていたパフェの味がした。

 そして、天にそびえていた十香の剣にヒビが入り、バラバラに霧散して空に溶け消える。

 さらに、彼女がその身に纏っていたドレスのインナーやスカートを構成する光の幕が弾けるように消失した。

「なっ……」

 十香が、狼狽に満ちた声を発する。

「…………!?」

 だが、どちらかというと驚いたのは士道の方だった。

 十香の剣や衣服が消失した事にではない。それは半信半疑ではあったものの、琴里から聞かされていたからだ。

 どちらかと言うと、キスをしたままの状態で十香が喋るので、接触していた唇が蠢き、士道の語彙力では表現しきれないカオスな状態になっていたのだ。

 十香の身体から力が抜け、地面に向かって落ちて行く。

 士道は朦朧とする意識の中で、逡巡しながらも、十香を離すまいと彼女の身体を強く握りしめた。とは言っても、かなり弱々しくだが。

 頭を下にしながら、唇と身体を合わせながら二人はそのまま下に落下していく。

 十香の霊装が光の粒子となり、その軌跡を残していく。

 それはもしかしたら、幻想的な光景だったのかもしれない。

 だが今の士道に、それを自覚できる程のゆとりは無かった。

 十香を支えながらゆっくりと落下していき、自分の体を下にして地面に着地する。

 そのまま少しの間重なり合ったままでいると、

「ぷは……!」

 まるで息継ぎでもするかのように、十香が唇を離して身体を起こした。

「す、すすすすまん十香! こうするしかないって言われて……!」

 士道は身体の上から十香が退くなり即座に跳ね起き、後方に飛び退くと同時に身体を丸めて鮮やかなジャンピング土下座を決めた。どれぐらい鮮やかと言うと、もしもオリンピックでこんな種目があったら金メダル受賞は間違いないレベルだ。

 だが何秒経っても、士道は頭を踏みつけられてもしなければ、罵倒されもしなかった。

「………?」

 不思議に思って士道が顔を上げてみると、十香はその場に座ったまま、不思議そうな顔をして唇に指を触れさせていた。

 いや、そんな事よりも、

「ぶはっ………!?」

 士道は目の前の光景に思わず顔を真っ赤にして硬直した。

 纏っていた霊装がボロボロに崩れた十香は、見事なまでの半裸状態になっていたのだ。

 士道の反応で十香もそれに気づいたらしく、慌てて胸元を隠す。

「み、見るな馬鹿者……!!」

「わ、悪い! とりあえず、これを着てくれ!」

 言いながら士道は顔を反対方向に向けながら、自分のブレザーを差し出した。十香はそれを瞬時に奪うと、さっと素早く身に着ける。さっき士道が狙撃された際に空いた穴がまだブレザーにあったら、それでも無いよりはマシだろう。

 気恥ずかしさで二人はしばらく黙っていたが、突然十香が消え入りそうな声を発してきた。

「……シドー」

「何だ?」

「また……デェトに連れて行ってくれるか?」

「ああ。そんなもん、いつだって行ってやる」

 士道はそう言いながら、力強く首肯した。士道の言葉に、十香は花のような笑顔になった。

 と、そこで士道はある事に気づき、こんな事を言った。

「そう言えば、折紙は大丈夫なのか? ずいぶん酷い怪我をしてたみたいだけど……」

 すると士道の口から出た名前に十香はむっとした表情を浮かべると、

「あんな奴、放っておけば良いではないか」

「そう言うなって……。まぁ医療用の顕現装置(リアライザ)を使えば大丈夫かもしれないけど……」

 士道がそう言った時だった。

 突然、ズボンのポケットに入っていた携帯電話が鳴り始め、士道は眉をひそめながら携帯電話を取り出した。画面には『広瀬』と表示されていた。

 一方、十香は初めて見る携帯電話を不思議そうに見つめながら士道に尋ねる。

「シドー。どうしたのだ?」

「ああ、ちょっとな……。少し待っててくれ」

 言いながら士道は電話の通話ボタンを押し、携帯電話を耳に当てた。

『五河君! 今大丈夫!?』

「は、はい。大丈夫と言えば大丈夫ですけど……どうしたんですか?」

『アンデッドよ!』

 広瀬から告げられた言葉に、士道は思わず目を見開いた。そしてインカム越しでこの会話を聞いているかもしれない琴里や、そばにいる十香の事を気にしながら士道は小声で広瀬に言う。

「場所は、どこですか?」

『ちょっと待って……。出た! 天宮市の高台公園!』

 広瀬の言葉を聞いて、士道は背筋に寒気が走るのを感じた。天宮市の高台公園と言ったら……今自分達がいるこの場所を置いて他にはない。士道は耳から携帯電話を離して、周囲を警戒する。

 と、自分を不思議そうに見つめている十香の背後から、彼女に何かが襲いかかるのが見えた。

「十香!」

「むっ……!?」

 十香の身体を抱えて地面に伏せると、その何かの攻撃は間一髪自分達をかすめた。それから士道と、彼に文句を言おうとして顔を上げた十香は襲撃者の姿を見た。

 全身を甲殻の鎧で多い、左肩部には二本の角、さらには左腕には鋭い二本爪、右腕には攻撃を防ぐ盾の役割を負うのであろう装甲がある。さらに半身の色が金色で、もう半身が黒色なのが特徴的だった。

 人を簡単に殺せる武器を持ち、明らかに人間ではなく、かと言って精霊にも見えないそれは……間違いなく士道が戦う人類の敵、アンデットだった。

「な、何だこいつは!?」

 初めてアンデッドの姿を見る十香が驚いた声を出す。士道は彼女を庇いながら、じりじりと後ろに下がった。

 そんな二人を見て、三葉虫の特性を持つアンデッド――――トリロバイトアンデッドは二本爪が生えた左腕を構えると、二人に襲いかかった。

 

 

 

 

 

 

「アンデッドですって!?」

 琴里は艦長席から思わず身体を起こしそうになりながら、正面モニタを凝視する。そこには現在、士道達に向かって鋭い二本の爪を振るっている怪物、トリロバイトアンデッドが映し出されていた。その姿を見て、琴里は思わずガリッと忌々しげにキャンディを噛み潰しそうになる。

 士道が十香の霊力を封印するまでは予想の範囲内だった。しかし、全てが終わった後でアンデッドが襲ってくるのはさすがの琴里も予想外だった。

「令音、今すぐ士道と十香を回収してちょうだい!」

 強力な力を持つ十香でも、今は士道に霊力を封印されたためアンデッドとまともに戦う事は出来ない。士道にいたってはただの一般人だ。そんな二人がアンデッドと戦っても、待っているのは最悪の結末しかない。そう考えて琴里は令音に言ったが、令音はフラクシナスに備え付けられているコンピュータを見ながら、

「……駄目だ。シン達とアンデッドの距離が近すぎる。このまま二人をフラクシナスに回収したら、アンデッドも一緒に連れてきてしまう事になる」

「………くっ!」

 連続する不運に琴里は歯噛みしながらも、次の一手を打つのを諦めなかった。

「……世界樹の葉(ユグド・フォリウム)を展開するわ! 準備をしておいて!」

 世界樹の葉(ユグド・フォリウム)。それぞれが随意領域(テリトリー)を展開する、フラクシナスの汎用独立ユニットだ。通常は通信中継などに使われるが、上手く使えば敵の動きを止める不可視の壁を発生させる事もできる。これならばアンデッドの動きを止められる上に、士道と十香を無事に回収する事ができる。

 実はフラクシナスにはもっと強力な兵器が存在するのだが、恐らくそれを使ってもアンデッドを殺す事は出来ないので今回は使う必要はない。死なないからこそ、あの生物達にはundead(アンデッド)という名称がつけられているのだから。

 問題はあの場にいるであろうASTだが、さすがに背に腹は代えられない。ASTに自分達の存在が知られるのはなるべく避けたい所だが、士道と十香を失ってしまったら本末転倒である。今は二人をフラクシナスに回収する事を優先して考えなければならない。

「……きっと何とかするから、もうちょっとだけ持ちこたえなさいよ、士道……」

 

 

 

 

 

 

 

 

「うおっ!」

 放たれるトリロバイトアンデッドの二本の爪をかわすと、二本の爪は十香の攻撃で軽く傾いていた鉄柵を易々と斬り裂いた。その威力に士道は冷や汗を垂らしながら、十香の手を引いてトリロバイトアンデッドから距離を取る。

 本来ならばすでに変身して戦っていても良いのだが、現在の士道は変身する事にためらいを覚えていた。

 その理由は、後ろにいる十香だった。

 士道は未だ十香に自分がブレイドという、アンデッドと戦う人間だという事を知らせていない。もしもそんな状態で、ブレイドに変身してアンデッドと戦えばどうなるだろうか。

 驚かれるだけならまだ良い。最悪なのは、自分が彼女の言うメカメカ団……精霊を殺す組織であるASTと同じ目的を持つ人間だと思われる事だ。

 そうなったら、彼女は裏切られたと思うかもしれない。心を許した相手が、自分を殺そうとする連中と同じ存在だと知り、また心を閉ざしてしまう可能性だってある。

 もしもそんな事になってしまったら、今までの自分の言葉が全て嘘だと思われるかもしれない。そうなったら、自分や自分と十香とのデートをサポートしてくれた琴里達の苦労も全て水の泡になる。そう思ったら、ブレイバックルに伸ばしている手が止まってしまっていた。

 士道は奥歯を噛み締めながらも、攻撃をかわしてトリロバイトアンデッドの腹に蹴りを入れてやる。しかし銃弾をも弾くであろう鎧にそんな攻撃が通じるはずもなく、カウンターだと言わんばかりに士道に二本の爪が放たれた。

「シドー!!」

 背後から悲鳴じみた十香の叫び声が響き、士道が思わず目を瞑りそうになったその時。

「――――――っ!」

 士道とトリロバイトアンデッドの間に何者かが割り込み、その攻撃を防いだ。

 士道はその人影の姿を見て、思わず目を見開きながらその人間の名前を口にする。

「鳶一……?」

 そう、その人影は、ついさっきまで倒れていた鳶一折紙だった。その手にはレイザーブレイド『ノーペイン』が握られている。

 しかし、調子は明らかに万全ではなさそうだった。頭から血が流れ、苦しそうな表情を浮かべている。こうして立っているだけでも激痛が走っているはずだ。

 それなのに。彼女は士道に顔を向けると、小さい声で告げた。

「……早く……逃げて……」

 そう言うと折紙はトリロバイトアンデッドの爪を弾き、トリロバイトアンデッドと交戦する。

 士道が呆然としていると、後ろの十香が士道に慌てたように尋ねてくる。

「シドー! あれは、一体何なのだ!? 何故私達を襲う!?」

 士道はその言葉に我を取り戻すと、十香に説明する。

「……あれは、アンデッドって生き物だ」

「あんでっど……?」

「ああ。不死身で、人を襲う怪物だ……」

「怪物………」

 士道の言葉で十香の声音が少し暗くなったが、士道はその事に気付かないまま話を続ける。

「このまま放っておいたら、また人を襲う。だから何とかしないといけないんだけど………。鳶一!」

 士道が叫んだ直後、トリロバイトアンデッドに吹き飛ばされた折紙が士道の前まで転がってきた。折紙は激痛で顔を険しくしながらも、士道の顔を見て言った。

「……士道……逃げて……」

「鳶一! しっかりしろ! おい!」

 士道が折紙の身体を両手で支え、彼女の名前を必死に呼んだその時だった。

 二人の横を十香が横切り、トリロバイトアンデッドの前に立った。

 まるで、自分が相手をするとでも言うかのように。

「……シドー。早くここから逃げろ。ここは私が足止めをする」

「なっ……。十香、お前、一体何を……」

「……それと、勘違いするな。貴様を助けるわけではない。ただ、貴様が死んだらシドーが悲しむからな。それだけだ」

 後半の台詞は恐らく、折紙に向かって言ったものだろう。その言葉に折紙は顔を上げて十香を睨み付けるが、士道はそれを無視して十香に叫ぶ。

「十香! お前、どうしてそんな事を言うんだよ! この世界で生きたいんじゃないのかよ!」

「………ああ。生きたい。だが、この怪物を放ってもおけない。私は、こいつと同じだからな」

「同じって……何言ってるんだよ?」

 士道が呆然とした調子で尋ねると、十香はどこか悲しげな調子で続けた。

「………こいつも私と同じ、辺りに破壊を撒き散らす怪物だ。だから、私が止めなければならない。殺せなくても、死ぬ覚悟で挑めば足止めぐらいはできるはずだ。……だからシドー、お前は早く逃げろ。人間のお前が、こんな事をする必要はない」

 そう言うと、十香は振り返って士道に顔を向けた。

 士道に向けられた顔は、まるで今にも泣き出しそうで、それなのに何故か笑みが浮かんでいて。

「怪物の相手は、怪物で充分だろう?」

 その言葉に、士道は思わず自分の呼吸が停止するのを感じた。

 さっきまで自分と一緒に笑い合っていた彼女が。この世界で生きていたいと思った彼女が。

 自分を生かすために。自分が生きたいと願ったこの世界を守るために。自分を怪物と断じて、目の前の怪物に立ち向かおうとしている。

 士道は奥歯が砕けんばかりに強く噛み締めると、十香の両肩を強く掴んで彼女の顔を無理矢理自分と向き合わせた。

「し、シドー?」

「この、大馬鹿野郎!!」

 怒りと共に放たれた叫びに、十香はビクリと親に叱られた子供のように体を震わせた。しかし士道はそれを無視して、彼女に叫び続ける。

「怪物だぁ!? そんなくだらねえ事もう一度言ってみろ! 絶対に許さねえぞ!」

「なっ………」

「良いか十香! お前は怪物なんかじゃない! あんな……人を襲ってもなんとも思わない、正真正銘の怪物のアンデットと同じなんかじゃない! お前は、この世界で生きていても良いんだよ! 何で分からねえんだよ!!」

 腹が立った。自分を簡単に怪物と言ってしまう目の目の少女に。

 何よりも、くだらない理屈を散々こねて戦おうとしない臆病者の自分に――――!

「な、ならばどうしろと言うのだ!? このままでは全員この場で奴に殺されてしまうぞ! だったら私が……!」

 十香の言葉は確かに間違ってはいない。このままでいたら、確実に全員殺されるだろう。

 戦えるのが十香一人だけだったら、の話だが。

 士道は十香の肩を掴む手に力を込めて彼女を無理矢理座らせると、今度は自分がトリロバイトアンデッドと向かい合った。

「良いから、ここで待ってろ。鳶一の事は頼んだぞ」

「し、シドー!」

「………士道……」

 心配そうに声を上げる十香の後ろで、折紙が顔を上げて自分を見つめていた。その眼は、自分に早く逃げて欲しいと訴えかけているようだった。だが士道は柔らかい笑顔を作ると、二人に言った。

「大丈夫だ。ここで待っててくれ」

 そう言うと、士道は表情を引き締めてトリロバイトアンデッドに向き直る。すると、不意にインカムから琴里の声が聞こえてきた。

『士道。何をやっているの? まさか、アンデッドと戦う気?』

「そうだって言ったら?」

 士道が答えると、一瞬の間を置いてから、

『危険よ。やめなさい』

「俺が止めたら、誰がアンデッドの相手をするんだよ」

 士道の言葉に苛立ったのか、琴里が口調を荒々しくして言ってくる。

『馬鹿な事を言わないで! 良い? 前にも言ったと思うけど、確かにアンデッドの力は精霊よりは弱いわ。だけどそれを差し引いてもアンデッドには不死身っていう厄介な体質があるし、何よりもあなたを何回も殺せる力だって……』

 しかしその言葉を遮るように、士道はインカム越しに琴里に言った。

「なぁ琴里。お前言ったよな。俺はお前らラタトスクの切り札だって」

『………? 言ったけど、それがどうしたのよ。それに、今はそんな事を言っている場合じゃ……』

「お前らの切り札は確かに俺かもしれない。………だけど、俺にだって切り札の一枚ぐらいあるんだよ」

 怪訝そうな声を出す琴里に士道はそう返すと、士道は懐からブレイバックルを取り出し、さらにラウズカードを取り出すとブレイバックルに勢いよく装填し腰に押し当てる。

 その瞬間、異変が起こった。ブレイバックルからシャッフルラップが飛び出すと同時、ブレイバックルが一人でに空中に浮かび上がり士道の周りを旋回し始めたのだ。

 まるで、この時を待っていたかのように。

 まるで、ようやく戦えると歓喜しているかのように。

 そしてブレイバックルが士道の腰に装着されると同時に、士道は右手の親指と人差し指を伸ばした状態でゆっくりと右腕を伸ばす。

 後ろの十香達だけでなく、インカム越しからも琴里の驚いたような気配が伝わってくるが、士道はそんな事をまったく気にしていない。ただ今までにないくらいに集中しているのが、自分でも分かった。

 そして手首をくるりと素早く回し、叫ぶ。

「変身!」

 それから左手を伸ばして右手でターンアップハンドルを引き、ラウズリーダーが回転すると音声が発せられた。

『Turn Up』

 するとブレイバックルから青色のオリハルコンエレメントが飛び出し、トリロバイトアンデッドの前で止まる。士道はオリハルコンエレメント目掛けて走り出すと、オリハルコンエレメントを潜り抜けると同時にトリロバイトアンデッドに強烈な右ストレートを放つ。

 その拳はトリロバイトアンデッドの顔面に直撃し、トリロバイトアンデッドは吹き飛ばされ地面を転がる。

 一方、オリハルコンエレメントを潜り抜けた士道の姿は、別の姿へと変わっていた。

 透視機能や高感度暗視機能を持つ真紅の複眼、オーガンスコープ。

 マイクロスーパーコンピュータ『ネクサス』を搭載する銀色の角のような部位、イデアランサー。

 全身の銀色の装甲は百二十トンの衝撃をも吸収するオリハルコンプラチナで造られている。

 左太腿のラウザーホルスターに収納されているのは、専用武器ブレイラウザー。

 それは人を襲う怪物、アンデッドと戦うために五河士道が変身する『(ブレイド)』の名を冠すライダー。

 ライダーシステム第二号、ブレイド。

 そしてブレイドの覚悟を示すかのように、額の『オプチカルビーコン』とオーガンスコープが輝いた。

 

 

 

 士道が変身した姿……ブレイドを見て、その姿を見た者達の反応はまさに様々と言えた。

 

 

 

 

「ブレイド、変身しました」

 眼鏡の男はそう言いながら、パソコンに表示されているブレイドの全身図を凝視している。伊坂はスクリーンに映っているブレイドからパソコンの画面に視線を移すと、眼鏡の男に尋ねる。

「融合係数はどうだ?」

「現在、五百六十四EHです」

「そうか……。見せてもらうぞ、ブレイド。お前の力をな……」

 そう呟きながら、伊坂は口元を微かに歪めた。

 

 

 

 

「………」

 士道達から離れた場所で士道がブレイドに変身するのを見ていたカリスは、自分のクラスメイトがライダーだった事に若干の驚きを感じながらも、戦いに参加するような事はせずこの場所でブレイドの戦いを見ている事にした。

 

 

 

 

「何ですって………?」

 フラクシナスの艦長席に座っている琴里は、正面モニタに映っていた自分の兄が自分の知識にない鎧を身に纏うのを見て、思わずそう呟いていた。

 開かれたその小さな口からキャンディが落ち、カツンという音を立てて床に落ちた。

 

 

 

 

「シ、シドー!?」

「………っ!」

 十香が驚いた声を上げ、折紙が目を見開くが、今のブレイドには説明する余裕などなかった。ラウザーホルスターに収納されているブレイラウザーを勢いよく引き抜くと、剣を構えた。

「来い!」

『キシャアアアアアアアアアア!!』

 まるで獣のような咆哮を上げながら、トリロバイトアンデッドがブレイドに向かって突進してくる。ブレイドのブレイラウザーとトリロバイトアンデッドの爪が激しくぶつかり合い、火花が散る。ブレイドがブレイラウザーを再び振るうとトリロバイトアンデッドが右腕の装甲で攻撃を防ぐが、ブレイドはがら空きになった腹部に蹴りを入れてトリロバイトアンデッドを怯ませる。

 その隙にブレイラウザーを振りかぶるが、その瞬間トリロバイトアンデッドの左肩部の二本の角がまるで手裏剣のように放たれ、ブレイドの胸部に直撃する。

「ぐあああっ!!」

 手裏剣を受けたブレイドの体勢が崩れると、トリロバイトアンデッドは一気に距離を詰めて左腕の爪を振るう。間一髪ブレイドはその攻撃をブレイラウザーで防ぐが、爪の威力に負けてブレイラウザーが地面に叩き落されてしまう。攻撃を受けたブレイドは鉄柵に寄りかかる形になったが、何の容赦もなくトリロバイトアンデッドはブレイドに爪による突きを放つ。

「うわっ!」

 ブレイドは横に転がってその攻撃を回避するが、その際に生じた隙を見逃すほどトリロバイトアンデッドも馬鹿ではない。ブレイドに向かって鋭い蹴りを放ち、攻撃をまともに受けたブレイドは吹き飛ばされ地面を転がった。

「シドー!!」

 倒れたブレイドに十香が悲鳴じみた叫びをあげ、トリロバイトアンデッドが立ち上がろうとしているブレイドにとどめを刺そうと飛びかかった。

 しかしその時、トリロバイトアンデッドの爪をブレイドが自らの右腕で防いだ。右腕から火花が散るが、ブレイドはまるでそれを無視するかのように立ち上がり、目の前の敵を睨み付ける。

「……もしもテメェらまで、十香を否定するって言うんなら……!」

 言いながら右腕でトリロバイトアンデッドの左腕を弾くと、左手の拳でトリロバイトアンデッドの腹を殴り、さらに右腕でその顔面を殴り飛ばす。ブレイドの拳を受けたトリロバイトアンデッドは吹き飛び、地面に身体を叩き付けた。

「十香は、俺が護る!」

 そう叫ぶとブレイドは地面に落ちていたブレイラウザーを拾い上げ、起き上がったトリロバイトアンデッドの身体を何回も斬り裂く。銃弾すら通さないはずのその身体から、まるで血のように火花が何回も噴き出した。

 

 

 

 

「六百EH……! 六百二十……! 六百五十……! 融合係数、まだ上がっています!」

「馬鹿な……一体、何が起こっているんだ?」

 眼鏡の男の報告に、伊坂は思わず困惑した声を出した。

 ついさっきまでブレイドはトリロバイトアンデッドの攻撃を受け、今にも倒されそうな状態になっていた。それを観察していた伊坂達も所詮これが人間の限界かと落胆していたのだが、ブレイドは立ち上がるなりカテゴリーA(エース)との融合係数を上げてトリロバイトアンデッドを圧倒している。

 しかも、融合係数の上がり方も異常だった。融合係数が上がると共に戦闘能力が向上するのは自分達の仮説通りだが、いくらなんでもブレイドの融合係数の上がり方は桁外れだ。さすがの伊坂もこんな事は予想外だった。

 伊坂達が驚いてる間にもブレイドの融合係数はさらに上昇していき、画面の中の数値はすでに九百にまで上がっていた。スクリーンに映し出されているブレイドも、ブレイラウザーを用いた凄まじい斬撃でトリロバイトアンデッドを攻撃している。

 その数値を見ながら、伊坂は思わず呟いていた。

「どういう事だ……。何が奴の力をここまで引き上げているんだ………?」

 

 

 

 

(……奴の力を引き上げているのは、奴の感情だ)

 一方、ブレイドとトリロバイトアンデッドの戦闘を見ているカリスも、ブレイドの異常なまでの融合係数の上がり方を感知すると同時に、その理由を看破していた。

(アンデッドに対する怒り。そして奴の精霊を想う心。それらが奴の融合係数を引き上げ、凄まじい力を引き出している………)

 そこまで考えた所で、抑え込んだはずの本能が再び声を上げようとしているのに気付いた。しかしカリスは再びその本能を抑え込むと、ブレイドとトリロバイトアンデッドの戦闘を観察し続けた。

 

 

 

 

 トリロバイトアンデッドと戦う中で、ようやくブレイドは自分の体が徐々に軽くなっている事に気付いた。しかし、今はそんな事はどうでも良かった。今は、自分の後ろにいる二人を護らなければならない。

 トリロバイトアンデッドが左腕の爪を振るってくるが、融合係数が上がり戦闘能力が向上している今のブレイドにはその動きがはっきりと見えた。ブレイドは爪による攻撃を後ろに下がってかわすと、カウンターと言わんばかりにトリロバイトアンデッドの顔面に鋭い蹴りを放つ。その攻撃を受けてトリロバイトアンデッドが怯むと、がら空きになったトリロバイトアンデッドの胸部を斬り裂く。

 トリロバイトアンデッドから火花が散ると、とどめに鋭い突きを胸部目掛けて放つ。

『ギャアアアアアアアアアッ!!』

 トリロバイトアンデッドが再び吹き飛ばされて地面を転がると、ブレイドは素早くブレイラウザーのオープントレイを展開してカードを引き抜く。

 今までは一枚のみ使っていたが、今回は、二枚。

 その二枚のカードをブレイラウザーのスラッシュリーダーで読み取り、カードに秘められた力を発動する。

『KICK』

『THUNDER』

 音声と共に二枚のカードの絵柄が宙に浮かび上がると、ブレイドの胸部に吸収された。ブレイドが右手に持ったブレイラウザーを逆手に持ち掲げると、ブレイドの顔とイデアランサーが赤く輝き、まるでスペードのような形になる。

 さらにブレイドがブレイラウザーを地面に勢いよく突き刺すと同時に、音声が発せられた。

『LIGHTNING BLAST』

 そしてブレイドはブレイラウザーから手を離すと、高くジャンプして空中で一回転し、カードの力によって強化された右足をトリロバイトアンデット目掛けて突き出す。

「はぁあああああああああああっ!!」

 すると迎え撃とうとしたのか、トリロバイトアンデッドは雄叫びを上げながらブレイド目掛けて走り出したが、その行為も空しくブレイドの『ライトニングブラスト』がトリロバイトアンデッドの胸部に直撃した。雷を纏った強烈な跳び蹴りを食らったトリロバイトアンデッドは後ろに吹き飛ばされ、地面を転がる。

 ブレイドが地面に着地すると、トリロバイトアンデッドの腰のバックルが二つに割れた。ブレイドは地面に突き刺したブレイラウザーを引き抜くと、オープントレイからカードを一枚取り出してトリロバイトアンデッドに投げる。カードがトリロバイトアンデッドの胸部に突き刺さると、トリロバイトアンデッドはカードに吸収され、アンデッドを封印したカードはブレイドの手元に戻って来た。

 戻って来たカードには三葉虫のような絵に数字の七、スペードの紋章に『METAL』という単語が並んでいた。

『カードに吸収された………?』

 インカムから琴里の困惑した声が聞こえてきて、ブレイドはそこでようやく自分の戦闘がフラクシナスの全員に見られていた事を思い出した。自分のこの姿の事やアンデッドの事など彼女達に説明しなくてはならない事がかなりあるが、とりあえずその事については今は考えない事にする。どうせ後で琴里から散々問い詰められるのだろうし。

 ブレイドがブレイバックルのターンアップハンドルを引くとラウズリーダーが回転してラウズカードが露わになる。ラウズリーダーからカードを引き抜くとオリハルコンエレメントが放出され、ブレイドの身体がオリハルコンエレメントを通過すると変身が解除され、ブレイドは士道の姿に戻った。

「シドー!」

 と、変身を解除した士道に声がかけられた。士道が声の聞こえてきた方向に目を向けると、予想通りと言うべきかそこには十香が自分に向かって駆け寄ってきていた。

 それを見て士道は思わず十香から距離を離そうとしたが、すぐに諦めた。十香からは恐らくあの姿は何なのかとか、お前もASTの仲間だったのかとか、私を騙していたのかなど色々と問い詰められるだろうが、もうこうなってしまったら覚悟するしかないだろう。下手をすれば一発殴られるかもしれないが、大事な事を黙っていた代償だと諦めるしかない。

 そんなわけで士道はそのままその場に棒立ちになり、いつ十香に殴られても良いように歯を食いしばっていたのだが、そんな士道の予想とは反対に十香は士道の目の前まで駆け寄ってくると、何故か士道の身体をぺたぺたと触り始めた。

「ぶ、無事かシドー! 怪我などは無いか!? さっきあのアンデッドとやらに思いっきり殴られていたが、大丈夫だったのか!?」

 おろおろとしながら士道の身体を触ってくる十香に、士道は戸惑いながらも十香に言う。

「ちょ、ちょっと待ってくれ十香! 俺は大丈夫だから、触るのはやめてくれ! くすぐったい!」

「む?」

 と、士道に言われて十香は士道の身体からすぐさま手を離した。士道はふーと息をつくと、十香に尋ねる。

「な、なぁ十香。お前は気にならないのか?」

「ん? 気にならないのかとは、何がだ?」

「いや、さっきの俺の姿だよ。あれが何なのか、気にならないのか?」

「ああ。その事か」

 そこでようやく合点がいったのか、十香は納得したように頷きながら士道に言う。

「確かにさっきのお前の姿には驚いたが、ASTとは違うと私は思ったぞ?」

「な、何でそう思ったんだ?」

 すると十香は、どうして士道がそんな事を尋ねるのか分からないというような顔をして、

「シドー。お前が本当にASTの仲間ならば、何故デェトの最中に私を殺そうとしなかった? あの時の私は隙だらけだったし、チャンスはいくらでもあったはずだ。それをしなかったという事は、シドーには私を殺す気が無かったという事だ」

「あ………」

 言われてみれば、確かにその通りだった。しかし、それだけの理由で彼女は自分が敵ではないと思ったのだろうか?

 士道がそう思っていると、十香は何故かもじもじと恥ずかしそうな表情を浮かべながら続ける。

「それに、シドー。お前は言ってくれたではないか。十香は俺が護る、と………」

「あ、ああ………」

「だから………」

 そこで一旦言葉を区切ると、十香は満面の笑みを浮かべて士道に告げた。

「シドー。私はシドーを信じる!」

 笑顔と共に放たれたその言葉に、今度は士道が赤面する番だった。確かに自分が言った言葉に嘘偽りは決してないが、こうして笑顔と一緒に面と向かって信じると言われると、中々照れくさいものがある。士道が思わず顔を背けると、何故か目をキラキラと輝かせた十香に士道にこんな事を尋ねてきた。

「そんな事よりシドー! さっきの姿は一体何と言うのだ!? ASTの奴らよりも恰好良かったぞ! どんな名前がついてるのだ!?」

「え、ええ……?」

 士道はその質問に戸惑い、そんな声を上げた。ASTよりも恰好良かったかはさておき、名前と言っても『ブレイド』としか言いようがない。しかし、それだけ言っても十香は納得しないような気がする。

 何て言えば良いんだ……と士道が悩みかけたその時、士道の頭にブルースペイダーに乗ったブレイド(自分)の姿が思い浮かんだ。

(バイクに乗る奴は、ライダーだよな……。そう言えばブレイドって、なんか仮面を被ってる感じがするし……。ライダー仮面……。いや違うな……。仮面の、ライダー……)

 そこまで考えて、ようやく士道は口を開いた。

「あ、あれはな、十香」

 そして彼は、告げた。

 自分がこれから先背負うであろう、その名前を。

 

 

「仮面ライダー、って言うんだ」

 

 

 するとその名前を聞いた十香は、きょとんとした表情を浮かべた。ダサかったか……? と士道は一瞬冷や汗を垂らしたが、次の瞬間十香は再び目をキラキラと輝かせた。

「仮面ライダーか! 良い名前だなシドー! シドーはその仮面ライダーとやらになって、さっきのアンデッドと戦うのだな!?」

「ま、まぁそうだな」

「では、シドーは正義の味方という奴なのだな!」

「せ、正義の味方ねぇ……」

 小さい子供のように興奮する十香に、士道はやや圧倒されながらも苦笑を浮かべた。

 そんな士道と十香のそんなやり取りを、重傷を負って倒れている折紙がじっと見つめていた。

 折紙は激痛で意識が朦朧とする中、アンデッドを封印する存在であり、自分の大切な少年が変身するその名前を、頭にしっかりと刻み付けていた。

(……仮面……ライダー……)

 そして折紙は瞼をゆっくりと閉じ、意識を失った。

 

 

 

 

 

 はしゃぐ十香と困ったような表情を浮かべている士道を、遠く離れた場所でカリスはじっと見つめていた。何が起こったのかは分からないが、今自分の目に映っている十香の霊力はほとんど失われている。放っておいても自分達の生活には危害は無いだろう。

 そう思ったカリスは早々にこの場から去る事にした。精霊が霊力を失い戦う事ができなくなった今、自分がここにいる理由は無い。彼女のあの様子を見てみても、再び暴れ出す可能性は低いだろう。彼女のそばにいる士道や、彼のバックにいる組織などは気になるが、正直言ってあまり興味は無かった。

 カリスは二人がいる高台に背を向けてその場から立ち去ろうとしたが、ふと足を止めて高台公園を振り返る。

 カリスの視線の先にいるのは十香ではなく、苦笑を浮かべている士道だった。彼のその顔を見ながら、カリスはついさっき十香を護ると決意した時の士道の力を思い出す。

「………奴の他人を想う気持ちが爆発した時、その力は全開する、か………」

 小さく呟くと、今度こそカリスはその場から姿を消した。

 

 

 

 

 

「封印されたから……。ふん、まぁ良い。ブレイドのデータは取れたか?」

 伊坂は鼻を鳴らすと、パソコンの画面を見ている眼鏡の男に尋ねた。自分達の手駒が無くなったのは痛いが、そもそもブレイドに封印させるつもりでブレイドの元に送ったので、トリロバイトアンデッドが封印された事についてはあまり気にしていなかった。

 眼鏡の男はパソコンの画面を見て満足げな笑みを浮かべると、伊坂に視線を向けて言った。

「ええ。これだけあれば十分です」

「そうか。ではブレイドのデータの解析を頼む。それが終わり次第、次の段階に入るとしよう」

「了解しました」

 眼鏡の男は頭を下げると、再びパソコンの画面に視線を戻した。伊坂はスクリーンを見ながら、小さく呟いた。

「……次は、バックルの製造とカテゴリーエースの封印だな。だがその前に、あの男の存在が必要になるか……」

 それから伊坂は早足で部屋の扉の前まで歩くと、扉を開けて研究室からそのまま去って行った。

 

 

 

 




そういえば、ついに仮面ライダードライブの本編が終わってしまいましたね………。あと一話でドライブも本当に終わりだと思うと寂しい限りです。


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第九話 彼女を肯定する世界

原作一巻のエピローグです。仮面ライダードライブ終わっちゃったぁぁぁぁぁ!!


 

 

 

 

「――――――以上です」

 司令である琴里しか立ち入る事の許されない、フラクシナス特別通信室。

 薄暗い部屋の中心に設えられた円卓の席につきながら、琴里はそう言って報告を締めくくった。

 精霊の攻略・回収に関連する報告と、アンデッドの出現と士道の変身についての報告を。

 円卓には、琴里を含めて五人分の息遣いが感じられた。

 しかし、実際にフラクシナスにいるのは琴里のみだった。あとのメンバーは、円卓の上に設えられたスピーカーを通してこの会議に参加している。

『………彼の力は本物だったというわけか』

 少しくぐもった声を発したのは、琴里の右手に座った不細工な猫のぬいぐるみだった。

 正確に言えば、ぬいぐるみのすぐ前にあるスピーカーから声が発せられているだけなのだが、琴里から見ればその猫が喋っているようにしか見えない。

 先方にはこちらの映像が見えていないはずなので、琴里が勝手に置いたものである。

 おかげでフラクシナスの最奥に位置するこの部屋は、妙にファンシーな空間になっていた。その光景はまるで、不思議の国のアリスのマッド・ティーパーティーのようである。

「だから言ったじゃないですか。士道ならやれるって」

 琴里が得意げに腕組みをすると、今度は左手に座った泣き顔のネズミが静かに声を発した。

『………君の説明だけでは信憑性が足りなかったのだよ。何しろ自己蘇生能力に……精霊の力を吸収する能力と言うんだ。にわかには信じられん』

 琴里は肩をすくめた。確かに、それは仕方ないのかもしれない。

 様々な観測装置を使って、士道の特異性を確かめるために要した時間は、およそ五年。

 とはいえ、その間にこのフラクシナスが建造され、士道をサポートするためのクルーが集められたのだ。タイミングとしてはちょうど良かったのだろう。

『精霊の状態は?』

 続いて声を発したのは、猫の隣に座った、涎をだらだらに垂らした間抜け極まるデザインのブルドッグだ。

「フラクシナスに収容後、経過を見ていますが、非常に安定しています。空間震や軋みも観測されません。どの程度力が残っているかは調べてみないと分かりませんが、少なくとも『いるだけで世界を殺す』とは言い難いレベルかと」

 琴里が言うと、円卓についた四匹のぬいぐるみのうち、三匹が一斉に息を詰まらせた。

『では、少なくとも現段階では、精霊がこの世界に存在していても問題ないと?』

 明らかに色めきたった様子で、不細工な猫が声を上げてくる。琴里は視線に嫌悪感を滲ませながらも、それを表に出さずただ穏やかに「ええ」と答えた。

「それどころか、自力では臨界に消失(ロスト)する事すら困難でしょう」

『では、彼の様態はどうなんだね。それほどまでに精霊の力を吸収したのだ。何か異常は起こっていないのかな?』

 今度は泣き顔をしたネズミが問いかけてくる。

「現段階では異常は見られません。士道にも、世界にも」

『なんと。世界を殺す災厄だぞ? その力を人間の身に封じて、何も異常が起こらないというのか』

 馬鹿面の犬がそう言ってくる。

「問題が起こらないと振んだから、彼の使用を承認したのでしょう?」

『……彼は一体、何者なのかね。そんな能力……まるで精霊ではないか』

 ぬいぐるみの顔だけでなく、本当に馬鹿だ。そう心の中で毒づきながらも、琴里は律儀に口を開いた。

「蘇生能力については、以前説明したとおりです。吸収能力の方は、現在調査中としか言えません。……そして、士道の所属する組織についても」

 その一言で、その場の空気が張り詰めたものになる。

『……しかし、驚いたよ。まさか君の兄がアンデッド対策組織の人間だったとは。その組織について、何か分かった事は?』

 泣き顔のネズミがそう尋ねてくると、琴里は顔を少し険しくしながら、

「……いいえ、まだ何も。ただ、ラタトスクでも士道がその組織に所属する事を掴めなかった事から考えると、その組織の規模は私達と同規模ではないかと」

 すると、三体のぬいぐるみは一斉にため息をついた。

『……まさか、そんな組織が本当に実在するとはね。だが困ったな。もしも彼を通じてラタトスクに関する情報がその組織に漏れていたら……』

『だが、これはチャンスでもないか? アンデッドの対策をしているという事は、その研究をしているという事でもあるだろう』

 馬鹿面の犬のその言葉に間違いはない。何かしらの生物と戦う時は、必ずその敵の解析をしなければならない。敵の情報を知らなければ、戦う事すらできないからだ。

 そして、琴里は彼らが次に何を言いだすかある程度の目星がついていた。

 その琴里の目星通りに、不細工な猫が言う。

『そうだな。もしも彼を通じて、アンデッドの不死に関する研究内容を手に入れる事ができれば………』

 その発言に、琴里は顔をしかめて奥歯を噛み締めた。

 そう。アンデッドの何よりの特徴は、どういう手段を用いても死ぬ事が無いという事。もしもその研究内容を自分達の手中に収める事ができれば、これほどの科学力を誇るラタトスクでも不可能と言われる技術――――不老不死に手が届くかもしれないのだ。

 正直言って琴里はそんなものにまったく興味がないが、ここにいる三匹にとってはまさに喉から手が出るほど欲しいものだろう。不老不死はあらゆる時代において、権力者達に常に求められてきたものだ。この三人が欲しがるのも、ある意味当然と言える。

 が、琴里はそれだけは避けなければならないと思っていた。士道達の組織はきっとこんな奴らのためにアンデッドを研究しているのではないし、何よりも自分達の私欲のために士道を利用しようと思っているこの三人に研究を渡したくないからだ。

 琴里は三匹のぬいぐるみに聞こえないようにため息をつくと、こう言った。

「とにかく、今は士道の所属する組織、そしてアンデッドについても調査段階です。今はまだ状況観察をしておいた方が良いかと」

 その言葉に、しばしぬいぐるみ達は黙った。さすがに彼らも、まだ完全に全貌が分かっていない組織とコンタクトをとるのは危険だと分かっているのだろう。

 とは言っても、BOARDは現在完全な壊滅状態にあるのでそんな心配はむしろ杞憂なのだが、琴里を含めた彼らはBOARDが壊滅状態になった事を知らない。

 そして数秒の後、今まで一言も喋っていなかった、クルミを抱えたリスのぬいぐるみが静かに声を発した。

『……とにかく、ご苦労だったね、五河司令。素晴らしい成果だ。これからも期待しているよ』

「はっ」

 琴里は初めて姿勢を正すと、相手に敬意を示すかのように手を胸元に置いた。

 

 

 

 

「………ふはあ」

 あの一件から土日を挟み、月曜日。

 復興部隊の手によって完璧に復元された校舎には、もう相当数の生徒が集まっている。

 そんな中士道は、気の抜けた息を吐きながら、教室の天井を眺めていた。

 あの日、アンデッドとの戦いを終えた士道はすぐにフラクシナスに回収され、入念なメディカルチェックを受けさせられた。なお、検査の際に十香と別々の部屋で検査を受けるために彼女とは一旦別れる事になったのだが、それ以来十香の姿を見ていない。十香と話をさせろと言っても、検査があるの一点張りで結局最後まで姿を見る事すら叶わなかった。

 さらに不思議な事に、自分がブレイドに変身してアンデッドを封印したにも関わらず、琴里はおろかフラクシナスの職員の誰からもそういった質問をまったく受けなかった。あれだけの戦闘をすれば絶対に根掘り葉掘り聞かれると思っていたので、正直拍子抜けした気分だった。

「………あー」

 十香に出会ってから、めまぐるしく過ぎていった十日間が嘘のように、ひたすらに何もない休日は、正直空虚さと無力感で死にたくなるくらいだった。しかもアンデッドも出現しなかったので、それらの感情はさらに強くなっていった。

 だが一つだけ、それ以上に士道の思考に引っかかったものがある。

 あの日、士道は確かに十香とキスを交わした。

 その瞬間、十香の纏っていた霊装が溶け消え、それと同時に何か自分の体の中に、温かいものが流れ込んでくるような感覚がしたのだ。

 ――――――あれは一体、何だったのだろうか。

 無言で、唇に触れてみる。

 もう三日も経つというのにまだ十香とキスした時の感触が残っているような気がして、士道は軽く赤面した。

「……本格的に気持ち悪いぞ。何やってんだ五河」

「……っ! と、殿町。いるなら気配発してろよ」

 急に話しかけられ、首の位置を元に戻す。

「普通にいたぞ。っていうか話しかけてたぞ。殿町さんは寂しいと死んじゃうんだぞ」

 そう言いながら、無人であった前の椅子に馬乗りになり、士道の机に肘をついてくる。

「いや、知らねえよ。お前はウサギか。さっさと自分の席に戻れ。もうすぐホームルームだぞ」

「だいじょーぶだって。どーせタマちゃん少し遅れるんだし」

「お前なぁ……一応担任だろ。そんな猫かアザラシみたいなあだ名はやめとけよ」

「はは、良いじゃん、可愛いし。歳は離れてるけど、俺全然ストライクゾーンだわ」

「あー……じゃあプロポーズしてやれよ。多分受けてくれるぞ」

「は? 何言っていたお前」

 そ、そこで教室のドアを開ける音がして、士道はぴくりと肩を揺らした。

 そして、一瞬教室がざわつく。

 それはそうだろう。何しろあの鳶一折紙が、額やら手足やらを包帯だらけにして登校してきたのだから。

 しかし、唯一一人………相川始だけは、そんな折紙の姿をちらりと見ただけですぐに読んでいた本に視線を戻した。ちなみに彼が読んでいる本はカメラや写真に関する専門書だった。

「………っ!」

 彼女のその姿に、さすがに士道も息を詰まらせた。

 顕現装置(リアライザ)を用いれば、大体の怪我はすぐに治る。三日経ったのにこれだけの包帯が残っているという事は、相当に酷い怪我だったのだろう。

 ――――それだけが怪我を負っていたのに、あの時彼女は自分を逃がすためにアンデッドと戦ったのだ。そう思うと、士道は申し訳ない気持ちになった。

「…………」

 折紙は教室の注目を一身に集めながら、頼りなげな足取りで士道の目の前まで歩いてきた。

「よ、よお鳶一。無事で何より……」

 気まずけに言いかけた所で、士道の視界から折紙がふっと消えた。

 一泊おいて、士道はようやく折紙が深々と頭を下げている事に気付いた。

「お、おい鳶一……!?」

 教室が騒然とし、士道と折紙に視線が集中する。

 だが折紙はまるで意に介していない様子で、言葉を続ける。

「……ごめんなさい。謝って済む問題ではないけれど」

 後で聞いた話だが、十香を狙ったあの一撃は、折紙が放ったものだったらしい。彼女の口ぶりからして、それを詫びているのだろう。

「な……五河、お前鳶一に何かしたのか……?」」

「しとらんわ! してたら俺が謝るだろ!」

 訝しげな視線を送ってくる殿町に返す。

 とはいえ、詳しい事情を説明できるはずもない。士道は折紙に向き直った。

「い、良いから、とりあえず頭を上げてくれ……」

 士道がそう言った瞬間。

 ぎゅっ。

「っ!?」

 士道は思わず声にならない叫びを上げた。

 それもそうだろう。何故なら、折紙が顔を上げた瞬間、素早い動きで士道に急接近すると士道の体を両腕で抱きしめてぴったりと自分の体と士道の体を密着させたのだ。

 これには士道だけではなく、始以外のクラス全員が凍りついたように動きを止めた。士道にいたっては、折紙の控えめながらも柔らかい感触や温かい体温に呼吸すらできなくなっていた。

 折紙は士道に抱き着いたまま、

「………ありがとう。あなたに助けてもらわなければ、私はきっと死んでいた」

 小声で放たれたその台詞は、アンデッドの事を言っているのだろう。確かにあの時士道がブレイドに変身して折紙を助けていなければ彼女は殺されていた可能性が高いが、だからと言って抱き着くのはどうなのだろうか。

 士道が何もできずに馬鹿みたいに突っ立ていると、ようやく折紙が士道から名残惜しそうに離れた。

 それにほっとした瞬間、折紙が士道のネクタイを根元から引っ張った。

「でも………」

「っ!?」

 折紙はそのひんやりとした表情を全く変えないまま、顔を近づけてくる。

「浮気は、駄目」

「…………は?」

 士道をはじめ、折紙の挙動に注目していたクラスの面々の目が点になる。

 と、それに合わせるようにホームルームの開始を告げるチャイムが鳴った。

 クラスの面々は興味深そうに折紙と士道の方を眺めながらも、自分の席に着いていく。始も読んでいた専門書をぱたんと閉じると、机の中にしまった。

 だが、折紙だけはそのまま士道の顔をじっと見つめ続けている。

 と、そこに救いの女神が現れた。

「はーい、皆さーん。ホームルーム始めますよぉー」

 扉を開けて、タマちゃん教諭が教室に入ってきたのだ。

「……? と、鳶一さん、何してるんですかぁ?」

「………」

 折紙は無言のまま珠恵を一瞥すると、士道のネクタイを離して自分の席に戻っていった。

 とは言っても、そこは士道のすぐ隣だ。安堵の息もつけない。

「は、はい。皆さん席に着きましたね?」

 教室の不穏な空気を感じ取ったのか、珠恵がやたらと元気な声を上げた。

 続いて、思い出したかのように手を打ち、うんうんと頷いた。

「そうそう、今日は出席を取る前にサプラーイズがあるの! 入ってきて!」

 そう言って、今し方自分が入ってきた扉に向かって声をかけた。

「ん」

 と、それに応えるようにそんな声がした。

「なっ………」

「――――――」

「………!」

 士道と折紙、さらには始の驚愕と共に。

「今日から厄介になる、夜刀神(やとがみ)十香だ。よろしく頼む」

 高校の制服を着た十香が、とても良い笑顔をしながら入ってきた。

 見ているだけで目が痛くなるほどの美しさに、クラス中が騒然となる。

 十香はそんな視線など気にせずにチョークを手に取ると、下手な字で黒板に『十香』とだけ書き、満足げに頷いた。どうやら士道の名づけた名前は、士道の予想以上に気に入ってくれたらしい。

「な、お前何で……」

「ぬ?」

 士道が言うと、十香が視線を向けてきた。すると彼女はぱっと笑顔を浮かべて、

「おお、シドー! 会いたかったぞ!」

 大声で士道の名前を呼び、ぴょんと跳びはねて士道の席の真横……ちょうど、ついさっきまで折紙が立っていた位置までやって来た。

 再び、士道はクラス中から注目を浴びた。辺りから二人の関係を邪推するような声や、先ほどの折紙との関連性を勘ぐるような声が聞こえてくる。

 士道が額に汗を浮かばせながら、生徒達に聞こえないように小さく十香に言った。

「と、十香? どうしてこんなとこにいるんだ?」

「ん、検査とやらが終わってな。どうやら私の体から、力が九割以上消失してしまったらしい」

 十香も士道の真似をしてか、小さな声で言ってくる。

「とはいえ、怪我の功名だ。私が存在してるだけでは、世界は啼かなくなったのだ。それでまあ、お前の妹が色々してくれた」

「じゃあ、夜刀神って名字は?」

「何と言ったかな。あの眠そうな女がつけてくれた」

「令音さんか………。でも、それにしたってあいつら………」

 士道は頭をくしゃくしゃとやりながら机に突っ伏す。

 十香を自由にしてくれたのはありがたいが、他にやりようというものは無かったのだろうか。

 だが十香は何食わぬ顔で、

「なんだ、シドー。元気がないな。……ああ、もしや私がいなかったので寂しかったのか?」

 そんな事を、冗談めかす調子もなく言ってきた。

 しかも、周りの皆に聞こえるくらいの声量で。

 クラスのざわめきが、最高潮に達する。

 士道はこの上ない居心地の悪さを感じながら、どうにか声を発する。

「お、お前……。変な事言うんじゃねえよ」

「なんだ、つれないな。あの時はあんなに荒々しく私を求めてくれたというのに」

 そう言って両手で頬を覆うと、恥ずかしそうな顔を作った。

 その彼女の仕草で、周囲の空気が変わるのが分かった。中には机の陰でメールを打っている者さえいる。これでは一瞬のうちに士道の名前が悪い意味で学校中に知れ渡ってしまうだろう。

 士道はあえて大きな声を張り上げると、

「ち、違うだろ十香! そんな言い方したら、みんなに誤解されちまうじゃねえか!」

「ぬ? 誤解などと言い張るのか? 私は初めてだったのに……」

 だが士道の努力も空しく、さらなる致命打が十香とか放たれた。恐らく、琴里や令音に余計な入れ知恵をされたのだろう。

 クラス中の面々が、岡峰教諭の制止も聞かずに騒ぎ出す。

 すると、何故か十香が士道に近づけていた顔を右に動かした。

「え?」

 呆気に取られる士道の目の前を、何かの物体が凄まじい速さで横切った。

 しかし、BOARDの訓練で鍛えられた士道の動体視力はその何かの正体を看破していた。

 それは、どこにでもあるようなシャープペンシルだった。だが、シャープペンシルが凄まじい速度で飛んだ理由が分からない。

 士道がその出所に視線を向けてみると、そこにはたった今ペンを放った格好のまま冷たい視線を十香に向けている折紙の姿があった。

「……ぬ?」

「………」

 十香と折紙。昨日まで殺しあっていた二人の視線がぶつかり合う。

「ぬ、何故貴様がここにいる?」

「それは、私の台詞」

 それはまさに、一触即発と言える状況だった。

 だが二人共、どうやらここで戦闘を始めようという気はないらしい。

 それはそうだろう。片や力のほとんどを失った状態、片や装備が無い上に怪我をした状態なのだ。

「は、はい! おしまい! おしまいにしましょう! 二人共、仲良くね!」

 岡峰教諭が慌てた様子で二人の間に割って入り、どうにかその場は水入りとなった。

 が。

「じゃあ、夜刀神さんの席は……」

 先生が十香の席を探し始めると同時に、

「無用だ。………退け」

 十香は、士道の隣――――――折紙の反対側に座っていた女生徒に、鋭い眼光を放った。

「ひ、ひぃぃぃっ!」

 十香の放つプレッシャーに圧倒され、女子生徒が椅子から転げ落ちる。

「ん、すまんな」

 そう言いながら十香は悠然とそこに腰掛けると、士道の方に視線を送ってきた。

 しかしそうなると、視線が混じるのは士道ではなく折紙になる。

 つまり、

「………」

「………」

 二人して、無言で睨み合う結果になる。

 それを見て、士道は思わず頭を抱えた。

 士道自身、十香がこちらの世界に居続ける事ができるようになったのは嬉しい。色々と手を回してくれた琴里達にも感謝はしている。

 それに折紙が生きていてくれた件に関しても、心の底から安堵している。

 これはきっと、最高の決着と言える状況なのだろう。

 だが、この左右両側から発せられる眼光は何とかならないものだろうか。正直言って、居心地悪い事この上ない。士道は頭を抱えながら、重いため息をついた。

 そして頭を抱える士道、互いを睨み合う十香と折紙の三人を見つめていた始は、呆れたような表情を浮かべてから視線を前に戻した。

 

 

 




次回からはもしかしたら原作のアンコールの話に移るかもしれません。更新がまた遅くなりますが、ご了承くださいますようお願いします。


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第十話 ラタトスクとBOARD

今回の話、自分が書いてきた中で最長の文字数かもしれない……。


「――――以上が、先日アンデッド出現の際に起こった事です」

 自衛隊天宮駐屯地にある一室で、AST隊長日下部燎子はそう言った。現在の彼女の服装は戦闘の際に着用するASTの戦闘服ではなく、基地内で普段着ている軍服だ。

 彼女の前には数名の男達が居並び、燎子の話を真剣に聞いている。

 そして、燎子の正面にいる男達の一人が手を組みながら険しい顔つきで呟いた。

「……まさか、本当に実在したのか。アンデッドを倒す事ができる組織が……」

 彼の信じられないと言うような口ぶりに、燎子は心の中でその男に同意しながらその日の事を思いだす。

 自分達ASTが精霊『プリンセス』と交戦し、徹底的に敗北したあの日、何故かアンデッドも精霊が出現した現場に現れたのだ。

 とは言っても、自分がアンデッドと戦ったわけではない。あの時自分はプリンセスの攻撃に叩きのめされて戦闘不能の状態に陥っており、移動する事も困難な状態にあった。その現場で、唯一アンデッドと交戦したのは、自分の部下である鳶一折紙だけだった。

 しかし、その時は折紙もプリンセスの一撃を食らい、とても満足に動ける状態ではなかった。いや、仮に自分達や彼女が万全の状態であったとしても、アンデッドを倒す事は出来なかっただろう。

 アンデッドはその名前が示す通り、どんな手段を用いても『殺す』事ができない。実際自分達がアンデッドと交戦した時に、どれだけ強力な攻撃を加えてもあの生物達を殺す事は出来なかった。

 そのため、もしもアンデッドが出現した場合は行動不能になるまでに攻撃し続けるのがASTの定説になっていた。上層部の中にはアンデッドを生け捕りにして研究し弱点を探れば良いのではないかという案もあったが、燎子としては冗談じゃないというのが正直な感想だった。

 理由は分からないが、アンデッドは自分達の随意領域(テリトリー)を無効化し、破壊する力がある。下手に生け捕りをしようとしたら手痛い反撃を食らう恐れがあるのだ。何よりも不死身という厄介な性質を持つ敵相手にそんな事を試みるのは、いくらなんでもリスキーすぎる。

 だから、アンデッドに対する最も有効な手は、アンデッド達が行動不能もしくは撤退するまで攻撃する事だと思われていた。

 だが、この前燎子はアンデッドと直接戦闘した折紙から耳を疑うような話を聞かされた。

 アンデットとの戦闘中に自分達とは異なるシステムの機械の鎧を身に纏った人間が突然現れ、アンデッドと戦闘し、しかも不死身であるはずのアンデッドを倒したというのだ。 

 生憎折紙も戦闘の後気絶してしまったらしく、その戦士がその後どうしたのかは彼女も分からないらしいが、不死身の存在であるアンデッドを倒す戦士というのは非常に貴重な情報だった。

 何故ならその戦士と接触を図る事で、今まで撤退させる事しかできなかったアンデッドに対する対抗策を得られるかもしれないし、運が良ければ自分達の本来の討伐目標である精霊を倒す手がかりをつかむ事ができるかもしれないからだ。

「……鳶一一曹の話によると、アンデッドを倒した何者かは自らの事を『仮面ライダー』と名乗っていたようです。無論、それが本当に何者かの名前かは分かりませんが、手がかりとしては役に立つのではないかと」

 燎子の報告に、男達は全員何かを考え込むような表情を浮かべた。それから燎子の真正面に座っている男、桐谷将校が燎子の顔を鋭く見据える。

「その者の正体や目的について、何か分かる事は?」

「……分かりません。アンデッド封印が目的だとは思いますが、それが個人の目的なのか、それともその仮面ライダーの所属している組織の目的なのかはまだ……」

 ふむ、と桐谷将校は何か考え込むように顎に手をやった。恐らくその仮面ライダーと仮面ライダーが所属している組織が、自分達と同じ人類の味方なのか、それとも自分達とは全く違う目的を持った組織なのか考えているのだろう。

 下手な考えは出せない。もしもここで安易な答えを出せば、それが後々厄介な展開に繋がる可能性が大きいからだ。それは桐谷将校以外の全員も分かっているのか、全員難しげな表情を浮かべたまま何も言わない。

 やがて、桐谷将校が手を組んだ状態で話を打ち切るように言った。

「……分かった。報告ご苦労だった。またその仮面ライダーについて分かった事があったら、報告しろ」

「了解しました。しかし、仮面ライダーへの今後の対処は……」

 燎子が尋ねると、桐谷将校は険しい表情のまま答える。

「我々に害を加えずにアンデッドを倒し続けるのならば、別に放っておいても良いだろう。だが、もしも我々にまで牙を剥くのであれば、排除するしかあるまい。」

 自分に向けられる威圧感に燎子は一瞬顔をしかめてから、失礼しますと一礼してその部屋を出た。そしてしばらく歩き続け、ようやくその部屋から遠ざかると、小さく疲れたような息を吐いた。

「ふぅ……」

 それから首をコキリと鳴らし、一人呟く。

「だけど、すごい緊張感だったわね……。息が詰まるかと思ったわ……」

 だが、それも仕方ないかもしれないと燎子は思った。

 ただでさえ精霊という厄介な相手に手を焼いているのに、そこに不死身という性質を持つアンデッド、さらにそのアンデッドを倒す事ができる仮面ライダーという鎧の戦士が現れたのだ。それらの出現に上層部もピリピリしているのだろう。

 燎子が再び歩き出そうとすると、彼女の背に声がかけられた。

「あれ? リョウコじゃないですかー」

 燎子が振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。

 作業服の上に大きめの白衣を羽織り、眼鏡をかけた金髪碧眼の少女だ。

 彼女の名前はミルドレッド・F・藤村二等陸曹、通称ミリィ。燎子達の使うCR-ユニットの整備士であり、折紙の数少ない友人でもある。彼女はどこか疲れたような燎子に歩み寄ると、のんびりした口調で尋ねた。

「一体どうしたんですか? もしかして、何か重大なミスでもやらかしちゃったとか?」

「違うわよ。この前のアンデッド出現の時の事を上に聞かれただけ」

「ああ。それって仮面ライダーの事もですかー?」

 ミリィの口から出た言葉に、燎子は思わず眉をひそめながら彼女の顔を見つめた。どうして整備士の彼女が、その名前を知っているのだろうか?

「あんた、どうしてその名前を?」

「いやー、駐屯地内じゃ最近その話題で盛り上がってますよー。謎の不死身生物アンデッドを倒す謎の鎧の戦士。そんなのが話題にならないはずがないじゃないですか」

「……まぁ、それはそうかもしれないけど」

 確かにミリィの言う通りかもしれないが、あまり噂が広がりすぎると誤った情報が広がる可能性があるので、仮面ライダーの話は極力しないように隊員達には言っておいたのだが……、どうやら人の口に戸は立てられないということわざは本当らしい。やれやれと燎子が歩きながら肩をすくめると、彼女に並んで歩いているミリィが再び尋ねた。

「で、仮面ライダーの正体は分かったんですか?」

「そんな簡単に分かるわけないでしょ。私達の前に現れたのも、その名前を知ったのも今回が初めてなんだから。しかもそれ以外はまったく分からないし、これで正体を探れっていうのが無理な話よ」

 さらに悪い事に、唯一姿を見た折紙も仮面ライダーがアンデッドと戦った後に気を失ってしまったので、仮面ライダーの足取りが途絶えてしまったのだ。これでは正体を探る所の話ではない。まずは、仮面ライダーとコンタクトを取る所から始めなくてはならない。

「……だけど、本当に何者なのかしらね、その仮面ライダーっていうのは」

 考え込むように顎に手をつけながら燎子が言うと、ミリィはきょとんとした表情を浮かべた。

「仮面ライダーが何者か、ですかー?」

「ええ。私達と同じように人を護るために戦ってるなら良いけど、もしもそうじゃないなら厄介な事になるわ。最悪、戦う事になるかもしれない。……それに、仮面ライダーが所属している組織が何を目的としているかも気になるし……」

「……? 仮面ライダーって、どこかの組織の人間なんですかー? 個人で動いているとかじゃなくて?」

「個人の力でアンデッドを倒せるとはとてもじゃないけど思えないわよ。それにあんたは知らないかもしれないけど、今までにもアンデッドは何回か現れてる。それなのに一度もアンデッドの存在が公になった事は無い。どこかの組織が情報を漏らさないようにしているとしか思えない」

 二人は知らないだろうが、それも当然BOARDの仕業である。彼らは仮面ライダーとアンデッドの情報が漏れないように、徹底した情報操作を行っていたのだ。

 無論それはBOARD単体の力だけではなく、凄まじい財力と権力を持っていた元BOARD理事長、天王寺博史の力も大きい。その二つがあったからこそ、BOARDは今まで世間やマスコミ、さらにはラタトスクやASTといった秘密機関から情報を守る事が出来たのだ。

 ミリィはうーんと少し考え込むと、

「ミリィにはそういうのはよく分からないですけど、もしかしたら意外な人が仮面ライダーかもしれませんねー」

「……? 意外な人って?」

「例えばオリガミと同じように、まだ高校生の人とかー」

「あはは、確かに意外と言えば意外ね」

 ミリィの言葉を聞いて、燎子は思わず笑ってしまった。それはあまりにその答えが馬鹿馬鹿しいからではなく、彼女の口から出た言葉が予想外すぎたからだ。

 そんな他愛もない雑談をしながら、燎子とミリィはそれぞれの職場へと戻っていった。

 

 

 

 

 そして。

 ASTの噂の中心である仮面ライダー、五河士道はと言うと。

「シドー! クッキィというものを作ったぞ!」

 腰まであろうかという夜色の髪に、水晶のような瞳をキラキラと輝かせた少女にそう言われ、やや困惑した表情を浮かべていた。彼女の両手には容器が握られており、中には先ほどの家庭科の実習で作られたと思われるクッキーが入っている。

 士道は気圧されるように身を反らしながら、少女の名前を呼ぶ。

「な、なぁ十香……」

「うむ、なんだ!?」

 背景に花が咲き乱れるかのような屈託のない笑みで、十香はそう言った。

「い、いや……」

 士道としては言いたい事は色々あったのだが、彼女のその眩しすぎる笑顔に、何も言えなくなってしまう。

 十香はそんな士道の様子を不思議そうに見てから、持っていた容器の蓋を開けた。

「そんな事よりもシドー、これを見てくれ!」

 容器の中には、形が歪だったり、ところどころ焦げていたりはするものの、辛うじてクッキーと称する事ができなくもない固形の物体が入っていた。

 士道と十香は同じクラスなのだが、何でも個々人の作業量が充実するようにとの理由で、実験的に調理実習を少人数に分けて行っていたのだ。つまり、今日は女子だけが調理実習の日だったのである。

「これは……」、

「うむ、皆に教えてもらいながら私がこねてみたのだ! 中でもこの形のクッキィは、シドーに一番食べてもらいたかったから頑張って作ったぞ!」

 そう言って十香が摘まんだクッキーの形は、歪ながらもトランプのスペードの形をしていた。恐らく士道が変身するブレイドにスペードの意匠があるからだろう。料理の初心者である十香がクッキーをこの形にするのは難しいと思うので、彼女の言葉通り頑張って作ったに違いない。

「さぁ、食べてみてくれシドー!」

 言いながら、十香がまたも満面の笑顔を作る。

「………」

 士道は、言い知れぬ寒気が背筋を走るのを感じた。

 別に幽霊がそばにいるとか、そんなオカルト的な話ではない。

 ただ単純に、教室中から士道に向かって男子達の怨嗟に満ちた視線が注がれたのだ。

 しかしそれも無理もないのかもしれない。

 ただでさえ女子の手作りクッキーをいただくというのは、彼女のいない男子達の嫉妬の的である。

 しかもそれが、転入直後から彼女にしたい女子ランキングを駆け上がったと噂の美少女、夜刀神十香のものだというのだ。

 一番近い所だと、すぐ近くにいた友人の殿町宏人までもがうつろな眼差しで何かブツブツと呟いていた。

 なお、彼にしたい男子ランキング第二位の少年、相川始だけは唯一士道と十香の二人に目もくれないで、手元の専門書に目を落としている。表紙からして、どうやらカメラや写真の専門書のようだ。

「……? どうしたシドー。食べないのか?」

「い、いや……その……」

 士道が頬をぴくつかせながら言うと、十香が少ししょんぼりと悲しそうに肩を落とした。

「むう……そうか……。シドーの方が料理は得意だからな……」

「そ、そういうわけじゃないって。も、もらうよ」

 士道は意を決すると、容器からスペードの形をしたクッキーを一枚取った。

 そしてそれをゆっくりと口に運ぼうとした瞬間だった。

「………っ!?」

 突然目の前を銀色の弾丸のようなものが、一直線に通り過ぎた。

 廊下の方から放たれたと思われるその銀色の塊は、士道が手に取ったクッキーを粉々に砕くと、そのまま壁に突き刺さった。

 そしてBOARDの訓練を受けた士道の動体視力は、その何かの正体をすでに見破っている。

「またフォークかよ……」

 壁に突き刺さったそれを見ながら、士道はうめき声を出した。

 壁にビィィィン……と突き刺さっていたのは、一見何の変哲もないフォークだった。きっと調理室の備品なのだろう。

「ぬ、誰だ! 危ないではないか!」

 十香が叫び、廊下に顔を向ける。士道は小さくため息をつくと、十香にならってそちらに視線を向けた。

「………」

 そこには、たった今何かを投擲したかのように、右手を真っ直ぐ伸ばした少女が無言で立っていた。

 肩口をくすぐるくらいの髪に、色素の薄い肌。顔立ちは非常に端整であるのに、そこに表情のようなものが一切見受けられないため、どこか人形のような無機的な印象がある少女だった。

「と、鳶一?」

「ぬ」

 士道は頬に汗を一筋垂らしながら少女の名を呼び、十香は不機嫌そうに眉根を寄せた。

 少女……鳶一折紙はそんな二人を見つめながら、ゆっくりと歩み寄ってきた。

 そして士道の前まで辿り着くと、左手に持っていた容器のふたを開けて、先ほどの十香と同じように士道に差し出してきた。

「夜刀神十香のそれを口にする必要はない。食べるならこれを」

 そこには工場のラインで製造されたかのように、完璧に規格の統一されたクッキーが綺麗に並んでいた。

「え、ええと……」

「邪魔をするな! シドーは私にクッキィを食べるのだ!」

 士道が反応に困っていると、十香が怒ったような声を上げる。しかし折紙はその剣幕に微塵も怯まず、それどころか表情をまったく動かさずに喉を震わせた。

「邪魔なのはあなた。すぐに立ち去るべき」

「何を言うか! あとから来ておいて偉そうに!」

「順番は関係ない。あなたのクッキーを彼に食べさせるわけにはいかない」

「な、何だと!? それはどういう意味だ!」

「あなたは手洗いが不十分だった。加えて調理中、舞い上がった小麦粉にむせ、くしゃみを三度している。これは非常に不衛生。そんな不潔なクッキーを、彼に食べさせるわけにはいかない」

「なっ……」

 虚を突かれたかのように、十香が目を丸くする。

 何故だろうか、折紙の体が発せられた瞬間、周囲の男子生徒達がざわっ……、と色めき立ち、視線が十香のクッキーに注がれた。

 だが十香はそんな事に気付く事なく、ぐぬぬと悔しそうに拳を握りしめる。

「し、シドーは強いからそれくらい大丈夫なのだ!」

「因果関係が不明瞭。……それに、あなたは材料の分量を間違っていた。レシピ通りの仕上がりになっているとは思えない」

「………!?」

 折紙がそう言うと、十香は眉をひそめながら自分と折紙のクッキーを交互に見た。

「な……っ、それなら何故その場で言わんのだ!」

「指摘する義理もなければ、指摘する義務もない。……ともあれ、私の方が彼を満足させる可能性が高い事は明白」

「う、うるさいうるさいうるさい! 貴様のクッキィなぞ、美味いはずがあるか!」

 十香はそう叫ぶと、目にも止まらぬ速度で折紙の容器からクッキーを一枚掠め取り、自分の口に放り込む。

 それからさくさくと咀嚼すると――――、

「ふぁ……」

 頬を桜色に染めて、恍惚とした表情を作った。どうやら、折紙のクッキーはそれほど美味しかったらしい。

 だが十香はすぐにはっとした様子で首を横にぶんふん振った。

「ふ、ふん、大した事は無いな! これなら私の方が美味いぞ!」

「そんな事はあり得ない。潔く負けを認めるべき」

「なんだと!?」

「なに」

「お、落ち着けって二人共」

 放っておいたら殴り合いに発展しかねないので、士道は二人の間に割って入ると距離を取らせた。

「ぬ……ではシドーは、どちらのクッキィが食べたいのだ?」

「……え?」

 十香から放たれた予想外の質問に、士道は思わず間の抜けた声を発した。

 十香と折紙が、左右から同時にクッキーの入った容器を差し出してくる。

「さあシドー」

「………」

 十香と折紙、二人の刺すような眼光に射すくめられた士道は、引きつった笑みを浮かべながら後ずさった。この状況では、どちらと食べても殺されるような気がして怖いのだ。

 士道は自らの生存本能の命ずるままに、両手で二つの容器からクッキーを取ると、同時に素早く口に放り込んだ。

「う、うん、美味いぞ二人共」

 十香と折紙はそんな士道の様子をじーっと見つめたのち、こう言った。

「うむ、私のクッキィを食べる方がほんのちょびっとだけ速かったな!」

「私の方が一秒速かった」

 それから、互いの顔を見合わせて相手を睨み付ける。

「……ええと……」

 この空気は、何も今日が初めてではない。

 士道は諦めにも似た気分で、再び二人の間に身を躍らせる。

 そしてその瞬間、予想通り二人から凄まじいスピードで相手の急所を狙って拳が放たれ、二人の間に入った士道の頭部と腹部に直撃し、士道は床をのた打ち回る事になった。

 

 

 

 

 

 

「はぁ……」

 その日の休み時間、士道は男子トイレから出ると首をコキコキと鳴らした。

 顔は疲労の色に染まり、目にかかるくらいの髪にも心なしかツヤがない。 

 歳はまだ十六歳なのだが、実際何歳か老けて見える。

 だが、それも無理からぬ事なのかもしれない。

「……はぁ」

 ため息をしながら、士道は先ほどの十香と折紙の喧嘩の事を思いだす。

 彼女達のあの喧嘩は、今日に始まった事ではない。

 つい最近十香が、士道の通う都立来禅高校に転入して来てからというもの、毎日のように二人の小競り合いは続いていたのだ。

 だが、それがただの女子高生達の口喧嘩程度であれば、士道の心労はここまで深刻なものにはなっていなかっただろう。

「………」

 士道は、この前まで目にしていた二人の姿を思い起こした。

 片や、世界を殺す災厄と呼ばれた『精霊』。

 片や、陸上自衛隊・対精霊部隊(アンチ・スピリット・チーム)魔術師(ウィザード)

 双方共、人間の領域を遥かに超えた、規格外の異能を有する少女達なのだ。

 そして、士道もただの人間ではない。

 時折世界に出現し、人を襲う不死身の怪物――――アンデッド。

 そのアンデッドを封印し、さらに封印されたアンデッドの力を利用する事でアンデッドと戦う戦士。

 それが五河士道――――ライダーシステム第二号、ブレイドだ。

 つまり、士道も規格外の異能の力で人ならざる者と戦う人間なのだ。

 しかし、そんな士道でもあの二人の相手をするのがまったく平気というわけではない。現に士道の肉体的疲労と精神的疲労の蓄積度は、かなりのものになっていた。

「ったく、あの二人少しは仲良くできねえのかよ……」

 言ってから、士道は自分の発言の阿呆さに思わず頭をくしゃくしゃと掻いた。

 ひと月前まで、あの二人は何の比喩でもなく命のやり取りをしていたのだ。

 今は十香に精霊の反応が認められないために折紙達ASTが表だって命を狙って来る事は無いと『司令』は言っていたが、そう簡単に仲良くなる事などできないのは当然と言えば当然だった。

 だが、さすがにこれが続くようでは士道の身が保たない。いくらアンデッドの戦闘やBOARDでかつて行っていたトレーニングのおかげで体が鍛えられているからと言っても、限界はあるのだ。

 何か良い手を思いつかないとな、と思いながら士道が教室に戻ろうとした時だった。

 突然廊下の陰から影が飛び出し、士道の腕を掴んだ。

「へっ?」

 士道は思わず間抜けな声を出すが、その影はまったく構わずに士道の腕を掴みながらある場所へと向かった。

 そこは、しっかりと施錠された屋上の扉の前だった。士道を連れてきた影は振り返って士道の顔を真っ直ぐ見る。そこでようやく士道は、自分が誰にここに連れて来られたのかを理解した。

 振り返ったその人物の顔を見ながら、その名前を呼ぶ。

「ど、どうしたんだよ。鳶一」

 そう、その影は先ほど十香と争っていた少女、鳶一折紙だったのだ。鳶一は士道の顔を見ながら、感情の起伏が感じられない口調で言う。

「単刀直入に聞く。あなたは、アンデッド対策組織の人間なの?」

 その質問を聞いて、士道は思わず息を詰まらせた。それから頭をわしゃわしゃと掻くと、正直に告げる。彼女に嘘をついてもきっとすぐに見抜かれてしまうだろうし、今すぐここから逃げたとしてもまた後で問い詰められる可能性が高いからだ。

「ああ、まぁな。一応そうなってる。アンデッドを倒して、封印する。それが俺の仕事だ」

「……封印?」

 と、折紙が首を傾げた。士道はこくりと頷いてから、

「そう。鳶一も知ってると思うけど、アンデッドは普通に攻撃しても死なない。だからアンデッドを倒して、封印する。このラウズカードにな」

 士道は言ってから、自分がいつも所持しているラウズカード――――ビートルアンデッドが封印されたラウズカードを取り出して折紙に見せた。折紙はカードをじっと観察するように見てから、士道に再び尋ねた。

「……封印するという事は、このカードにもアンデッドが封印されているの?」

「ああ。このカードに封印されてるのは、カテゴリーA(エース)って呼ばれてるアンデッド。で、こいつがこの前俺達を襲ってきたアンデッド」

 言いながら士道は、トリロバイトアンデッドが封印されたラウズカードを取り出して折紙に見せる。そして目の前にある二枚のラウズカードを見ている折紙に、士道は言った。

「あー……、それでだ、鳶一。一つ頼みたい事があるんだが、良いか?」

「なに」

 すると折紙は、素早くカードから士道に視線を移した。士道はラウズカードをしまいながら折紙に言う。

「今俺が話した事や、俺がその……アンデッド対策組織の人間だって事は、できれば誰にも言わないで欲しいんだ。無茶な事言ってるって事は分かってるんだけど、頼む」

 そう言ってから士道は頭を下げた。

 士道がここまで言うには、ある理由がある。

 士道が所属していたBOARDは今は崩壊してしまったとはいえ、元々はアンデッドやライダーに関する情報をあらゆる組織から守ってきた秘密組織である。もしも折紙の口からASTの上層部にその情報が伝えられてしまったら、BOARDが守ってきたもの全てが無駄になる可能性があるのだ。最悪、BOARDの情報を狙ってASTがライダーである士道を狙って来る可能性すらある。

 士道としては精霊を倒そうとするASTに協力しようとは思わないが、『人々を護る』という信念を持つASTとはなるべく戦いたくない。だから士道は折紙に、情報を漏らさないように頼みこんでいるのだ。

 無論それが難しい事だとは分かっている。相当の実力を持つとはいえ折紙もASTという組織の人間であるし、もしも上層部から情報の開示を迫られたらそれに従うしかないだろう。だが、無理な話だとしても今はそう頼みこむしか手はない。これからもアンデッドを封印し続けるためにも、アンデッドから十香を守り続けるためも。

 少しの間沈黙があったが、ついに折紙が静かにこう告げた。

「構わない」

「……え、良いのか?」

 士道は少し驚きながらも、頭を上げて折紙の顔を見た。自分から頼みこんだ事とはいえ、やけに返事があっさりしていたからだ。アンデッドの事などを誰にも言わないと言ってくれるのは正直言って非常に助かるが、そんなに簡単に言ってしまって良いものなのだろうか。

 士道がそう考えていると、折紙はコクリと頷きながら、

「あなたには二回命を助けてもらった恩がある。仮に上層部からあなたの正体について聞かれても、うまく誤魔化すから心配しなくて良い」

「ご、誤魔化すって……」

 折紙の言葉に思わず苦笑を浮かべる士道だったが、その直後に今の折紙の言葉の奇妙な部分に気付いた。

(ん? 二回……?)

 一回は、この前トリロバイトアンデッドが現れた時の事だろう。だが、それ以外の一回は何だろうか。

 士道が初めて折紙と顔を合わせたのは士道が初めて十香と初めて出会った日でもある四月十日だし、それ以前に折紙と出会った事など一度もない。もしかしたらアンデッドとの戦闘の際に彼女と会ったかもしれないが、この前ブレイドを見た時の彼女の反応は間違いなく未知のものに対する反応だった。だから、ブレイドが前に折紙と会ったという線も低い。

 いや、そもそも折紙は前から士道の事を知っているような素振りを見せていた。彼女の口ぶりからすると、自分と彼女は過去に一度会っているようなのだが、自分にそんな記憶はない。

 彼女は、どうして自分の事を知っていたのだろうか。

 士道がそう考えていると、唐突に折紙が口を開いた。

「……その代わり、条件がある」

「条件?」

 士道が聞き返すと、折紙は肯定を示すようにコクリと頷いた。もしかして、アンデッドの事やブレイドについての事を根掘り葉掘り聞かれるのだろうかと士道が思っていると、折紙は珍しく逡巡のような間を置いてから、小さな声で言った。

「あなたは夜刀神十香を十香と呼ぶ」

「……? あ、ああ。そうだな」

 士道は、小さく頷いた。確かにその通りだったからだ。

 そもそも、彼女に十香と名付けたのは士道なのだからそれは当然である。夜刀神という名字は、令音が戸籍を偽造する際に名づけたものだという話だ。

「けれどあなたは、私の事を鳶一という」

「あ、ああ……」

「これは非常に不平等」

 そう言ってから、折紙はぷいとまるで拗ねるように顔を背けた。

「……? や、ええと……」

 士道は折紙の意図が分からず、頭に疑問符を浮かべた。

「えっと……。つまり、十香との事を夜刀神って呼べってのか? なんか慣れねえな……」

 彼女に名前を付けた直後から、そう呼んできたのだ。急に変えるとなると、かなり違和感がある。それに十香を名字で呼んだりしたら、彼女の機嫌が一気に急落しそうで怖い。

「………」

 だが、黙っている士道に向けて折紙がじっと視線を向けてきた。その視線に圧力がこもっているように感じて、士道は思わず身震いした。それにもしもここで彼女の機嫌を損ねたりしたら、その瞬間即座にASTの隊長に自分の正体をばらすかもしれない。士道は困ったような表情を浮かべながら、

「じゃ、じゃあどうしろってんだよ……!?」

 折紙は視線に込められている圧力を弱めると、少し顔を背けながら言葉を発する。

「私の事を、折紙と呼んでほしい」

「え……?」

「だめ?」

 折紙が、首を微かに傾けながら言ってくる。

 それはいつも通り抑揚のない声音ではあったが、どこか不安そうな響きを孕んでいるように士道は感じた。

「いや……別に駄目ではないけど……」

「そう」

「………」

「………」

 しばらく二人の間に、沈黙が流れる。

 これはさすがに鈍感な士道にも分かった。こほんと一度咳払いをしてから、喉を震わせる。

「ええと……お、折紙」

「……………」

 士道がそう呼ぶと、折紙はその場で無表情のままぴょん、と跳びはねた。

「え………?」

 なんともシュールな光景に、士道は思わず目を丸くした。

 だが折紙は気にするそぶりもなく、小さく唇を開く。

「………士道」

「……!」

 そう言えば、折紙にそう呼ばれるの初めてだったかもしれない。いつも『五河士道』と呼ばれていたような気がする。……もしかしたらあれは、ただ単に士道を名前で呼ぶのが恥ずかしかったからかもしれない。

「お、おう」

 何かむずむずするものを感じながら返事をすると、折紙はもう一度その場でぴょんと跳ねた。無論、表情筋はぴくりとも動いていない。

 ……表情が動いていないので分かりにくいが、ひょっとして喜んでいるのだろうか。

 折紙はそのまま数秒の間、余韻に浸るように目を伏せたのち小さく息を吐く。

 そして、くるりと士道に背を向けると、振り返って言った。

「………あなたの事は誰にも言わない。約束する」

「あ、ああ……ありがとう」

 士道が戸惑いながら言うと、折紙は返事をしないまま士道の前から歩き去って行った。

 士道は頬を掻きながら、彼女の最後の表情を思い浮かべる。

 本当にわずかな変化だったため分かりにくかったが。

 たった今の彼女は、嬉しそうに笑っていたように見えた。

 

 

 

 

 

 

 その後放課後になり、帰路に着いた士道は自分の家まで辿り着いていた。ポケットから鍵を取り出して玄関に鍵を差し込むと、士道は小さく眉をひそめた。

 ドアノブを握り、そのまま引いてみる。

 予想通り、学校に行く時に鍵をかけていたはずの扉が、何の抵抗もなく開いた。

「琴里の奴、ようやく帰ってきやがったのか」

 息をついてから、士道は微かに表情を硬くする。

 士道の妹、五河琴里。近所の中学校に通う、十三歳の中学二年生。

 そしてそれと同時に、精霊を平和的手段によって無力化しようとする組織、『ラタトスク機関』の司令官でもある。

 十香を保護した事後処理に追われ、この前から一度も家に帰ってきていない妹の顔を思い浮かべて、士道は嘆息をついた。

 十香の件で忙しいのは分かるが、無断外泊は看過できない。一応学校には行っているようだったが、ここは兄として一言言わなければならないだろう。

「それに……」

 士道はごくりと生唾を飲みこんだ。

 士道には、琴里には聞かなければならない事が山ほどあったのだ。

 つい最近、士道が体験した、およそ現実とは思えない数々の事象。

 自分の妹はそれに、深く関わっていた。

「………」

 ただ妹と顔を合わせるだけだというのに、やたら動悸が激しくなる。

 士道は覚悟を決めるように頬を張ると、家の中に足を踏み入れた。

「……ただいま」

 小さく言いながら士道が廊下を歩いていくと、先からテレビの音が漏れ聞こえてきた。きっと、琴里がリビングにいるのだろう。士道がリビングの扉を開けると、ソファに座ってテレビを見ていたツインテールの少女が振り向き、どんぐりみたいな丸っこい目を士道に向けてくる。

「おー、おにーちゃん。おかえりー」

 少女――――五河琴里の言葉に士道が返事をしようとすると、台所の方からこんな声が聞こえてきた。

「――――いくらなんでも砂糖を入れすぎですって! 体壊しますよ!?」

「……む。そうかな」

 そして、声の主である二人の女性がリビングに入ってきた。その二人の女性の姿を見て、士道は驚愕で目を見開きながら二人の名前を叫んだ。

「令音さんに……広瀬さん!?」

 入ってきた二人の女性の内の一人は、ラタトスクの解析官兼士道のクラスの副担任である、村雨令音。

 もう一人は……士道のBOARD内での先輩であり、戦闘面で士道の戦闘をサポートする、広瀬栞だった。

 広瀬の姿を見て、士道の頭の中が混乱する。彼女は今はアパートで生活しているはずだ。なのに何故、士道の家に、しかも令音と一緒にいるのだろうか?

 士道が困惑した表情を浮かべていると、士道の言いたい事を察したのか広瀬がため息をつきながら口を開く。

「……呼び出されたのよ、あなたの妹さんに」

「呼び出された? どういう事ですか!?」

「そのままの意味よ。突然携帯電話に電話がかかってきて、出てみたら妹さんだったの。それで話し合いたい事があるから今すぐ家に来てって言われたから……。まったく、どうして私の電話番号知ってたのかしら……」

 ぶつぶつと呟いている所を見ると、どうやら彼女もまだ状況を理解できていないらしい。

 士道は広瀬から、砂糖をたっぷり入れたコーヒーを飲んでいる令音に視線を向けて尋ねた。

「これ、一体どういう事ですか令音さん」

 すると令音はコーヒーカップから唇を離すと、静かに返した。

「………君の今後の事について話し合う必要があると思ってね。アンデッド対策組織の人間である君がこれからも精霊の封印のために私達と行動するのだから、それくらいは当然だろう?」

 その言葉を聞いて、士道の表情が微かに強張った。今の令音の言葉に、聞き捨てならない単語が混ざっていたからだ。

「ちょ、ちょっと待ってください令音さん。その言い方だと、まるで十香以外にも精霊がいるように聞こえるんですけど……」

 十香の精霊としての力はすでに封印した。それにも関わらず、令音は精霊の封印と言った。

 しかしそれでは……まるで、十香以外にも精霊が複数存在していると言っているように士道には聞こえた。

 そしてどうやら、そんな士道の考えは見事的中していたらしい。

「……ああ、その通りだ。空間震を起こす特殊災害指定生物……通称、精霊は十香だけではない。現在の段階でも、彼女の他に数種が確認されている」

「なっ……」

 士道は、心臓が引き絞られるの感じた。

 緊張だろうか、戦慄だろうか、なんとも形容しがたい感情が胃の底でぐるぐると渦巻き、それが全身へと放出されて手足の指先を震わせる。

 だが令音は、硬直した士道に構わず、言葉を続けて言った。

「……シン。君には引き続き、精霊との会話役を任じてもらいたい」

「じょ、冗談じゃ……」

 と、士道が叫びを発しかけた瞬間。

「……ふうん?」

 先程から静かに話を聞いていた琴里が、小さな声を上げた。

 いつの間にか、紙を二つ結びにしていたリボンの色が白から黒に変わっている。

「………っ」

 その光景には、見覚えがある。今の琴里は、司令官モードだ。

「嫌なの? 士道。もう精霊とデートしてデレさせるのは、嫌だって言うの?」

 今までの調子とは違う、どこか大人びた雰囲気を漂わせながら、琴里が言ってくる。彼女の司令官としても表情を見るのは初めてなのか、広瀬が琴里を驚いた表情で見つめている。

「あ、当たり前だ!」

 士道が言うと、琴里は軽く体を反らして顎を上げながら唇を開いた。

「ふうん。……じゃあ、もうどうしようもないわね」

「あ……?」

「空間震によって世界がボロボロになっていくのを黙って眺めるか、それとも精霊がASTに殺されるなんて奇跡的なイベントを気長に待つか。どっちかになるでしょうね」

 言われて、士道は思わず息を詰まらせた。

 失念していたわけではない。しかし、改めてその事実を口に出されると、心臓がちくりと痛むのだ。

「精霊の力を封印できるだなんて規格外の能力、持っているのはこの世にあなた一人だけよ。そのあなたが嫌だというのだもの。もうどうしようもないでしょ?」

「……な、なんだよ……それ……」

 士道は、苦しげに呻いた。

 知らずに負わされた重責。そのあまりの重さに、胃が痛くなってくるを感じる。

 だが、そもそもの前提として。

 士道には、自分の妹に確かめておかなければならない事がいくつもあった。

「……琴里」

「何かしら?」

 質問の内容を推し量ったのだろうか、琴里が悠然と返してくる。

「……まず、聞かせてくれないか。ラタトスクってのは、一体何なんだ? お前はいつ、そんな組織に入ったんだ? それに……俺のこの力ってのは、一体何なんだ?」

 そう。士道がずっと聞こうとしていたのは、その事だったのだ。

 琴里がずっと家を空けていた故に、聞けなかった問い。

 さらに、黙って士道と琴里の話を聞いて広瀬も口を開く。

「そうね。私も聞きたいわ。あなた達の組織の目的、そして、どうしてそんな組織が作られるようになったのか。あなた達に呼ばれたんだから、それぐらいは別に良いでしょ?」

 広瀬の口調に少し棘があるのは、やはり急にここに呼び出された事をまだ根に持っているからだろう。

 二人に尋ねられ、琴里はふうと息を吐くと、ポケットから大好物のチュッパチャップスを取り出し、包装を解いて口にくわえてから話を始めた。

「……そうね。簡単に話しておこうかしらね。そもそも、その人を呼び出したのもそれが理由だったし」

 そう言ってから、後ろにあったクッションに背中を預ける。

「ラタトスクは、有志により結成された……まあ、言うなれば一種の自然保護団体みたいなものよ。もちろん、その存在はあなた達の組織同様公表されていないけれどね」

「保護団体、ねえ……」

 何か腑に落ちないものを感じたが、それで話の腰を折るのも躊躇われたので、先を促すように相槌を打つにとどめた。

「ええ。そして、ラタトスクの結成理由にして、最大の目的。それは……精霊を保護し、幸福な生活を送らせる事よ。……ま、最高幹部連である円卓会議(ラウンズ)の中には、精霊の巨大な力を得てどうこうしようって助平心を持ってる奴もいるみたいだけれど」

「……? あなた達の目的は、空間震を防ぐ事じゃないの?」

 琴里の話を聞いていた広瀬がそう尋ねると、琴里はコクリと頷きながら、

「それももちろんあるのだけれど。それはあくまで副次的なものよ。そこだけを見るなら、私達もASTも変わらないわ」

「……まあ、それもそうか。で……そういう組織があるとして、だ。お前はいつ、どうしてそこの司令官になんてなったんだよ。俺は全然知らなかったぞ」

 憮然とそう言う。

 隠し事をするなと言うつもりはないが、こんな重大な……それこそ、最悪命に関わるかもしれない事を秘密にされていたのは、兄としては少し不満だったのだ。……とは言っても、士道自身命に関わる事と秘密にしていた身なので、あまり人の事は言えないのであるが。

 そんな心境を察したのか、琴里がふうと鼻から息を吐く。

「私がラタトスク実戦部隊の司令官に着任したのは……大体五年くらい前の事よ」

「五年前……ね。……って、はぁ!?」

「五年前!? 嘘でしょ!?」

 士道と広瀬は琴里の言葉に、思わずそう叫んだ。

「ば、馬鹿言うなよ。五年前って、お前まだ八歳じゃねえかよ!」

 士道は信じられないと言うように顔を歪めた。広瀬も、目を見開いた状態で琴里を凝視している。 

 いくらラタトスクが自分達のBOARDと同じように普通の組織ではないとはいえ、小学三年生の少女を司令官にしようなど正気の沙汰ではない。すると琴里は肩をすくめながら、

「ま、数年の間はずっと研修みたいなものよ。実際に指揮を取り出したのはここ最近」

「い、いや、そういう事じゃねえだろ。そもそもそんな小さな女の子を……」

「まあなんていうの? ラタトスクが、私の溢れ出る知性に気付いてしまったのよね」

「納得できるかそんな答えで!」

「そんな事言われたって、事実なんだから仕方ないじゃない。もうちょっと素直に妹の言葉を信じなさいよ。人の言葉を疑えば頭が良く見えるだなんて思ってるの?」

 いつもの可愛い琴里とはまるで違う挙動に口調。士道は頬に汗を垂らしながら、

「……お前のその二重人格も、ラタトスクのせいなのか?」

「琴里ちゃん、あなたもしかして何か洗脳でもされたの?」

 どうやら琴里の口調は広瀬も気になっていたらしい。二人がそう言うと、琴里はふんと鼻を鳴らした。

「二人共、失礼かつ短絡的ね。もう少し考えてもものを言いなさい。第一これは……」

「これは?」

「………」

 琴里はなんとも微妙な表情で士道を見た後、その言葉を無視するように首を振った。

「……そんな話はどうでも良いのよ。今はラタトスクの話でしょ。同じく五年前、組織の転機となる、ある出来事が起こったの」

「ある出来事?」

 話をはぐらかした琴里を問い詰めようとした士道を目で制しながら広瀬が言うと、琴里はくわえていたチュッパチャップスの棒を指で挟みこんで士道に向けた。

接吻(キス)によって、精霊の力を封印する事の出来る少年が発見されたのよ。それによりラタトスクは、積極的に精霊を保護しようって方針にシフトしていった」

「なっ……」

 士道は、妹の口から告げられた話に思わず驚愕で眉を歪めた。

「そ、それが……俺だってのか?」

「ええ」

 琴里は頷き、再びチュッパチャップスを口に戻す。

 士道はと言えば、頭の中が混乱しっぱなしだった。一気にいろんな情報が与えられすぎて、処理しきれなくなっているのだ。

「ちょ、ちょっと待ってくれ。そもそも何で、俺にそんな力が備わってるんだ?」

「さあ?」

「さあって……。ここまで話してるんだから、勿体づける事ないでしょ?」

 広瀬がやや苛立ち交じりに言うが、琴里はまったく態度を変えずに続ける。

「勿体づけてなんていないわよ。本当に知らないだけ。『キスを介して、精霊から力を奪い取り、安全な状態にして自身に封印する』。そういう能力が士道に備わっているのを知っているだけで、何故士道にそんな能力があるのかは、少なくとも私は知らないわ」

「そ、それじゃあなんで俺にそんな力があるって事が分かったんだよ! その五年前に! 一体何があったってんだよ!」

 士道が頭をわしゃわしゃと掻きながら叫んだ瞬間だった。

 琴里が、ふっと視線を下の方に逸らした。

「………っ」

 いつもとは違う、少し憂いを帯びたような表情に、士道は思わずどきりとした。

 何か感慨に浸るような、悲しい思い出を思い起こすような。

 ……そして、取り返しのつかない過ちを悔いるような。

 そんな、表情だった。

「こ、琴里……?」

 士道が名前を呼ぶと、琴里ははっとした表情で小さく肩を震わせた。

「え、っと。……そう、ラタトスクの観測器でね、調べたの。それで分かったのよ。私に関しても、同じ」

 何か、司令官モードとは思えないような、歯切れの悪い調子で琴里が言う。広瀬も同じ違和感を感じているのか、怪訝な表情で琴里を見つめている。

 だが、何故だろうか。士道には、それ以上琴里を追及する事ができなかった。

「と、とにかく、よ

 琴里はコホンと咳払いをすると、士道にビシッと指を突きつけた。

「今必要な情報は、『士道には、精霊をなんとかする力がある』。それだけよ! その上で、選んでちょうだい。……これからも、精霊を口説き落としてくれるかどうかをね」

「…………」

 士道は苦々しく唇を引き結んだ。何とも意地の悪い設問である。

 一瞬広瀬の方に視線を送るが、彼女はふるふると首を横に振っただけだった。どうやらその辺の判断は、士道に任せるらしい。士道は広瀬から視線を外すと、拳をぎゅっと強く握りしめた。

 士道にしか精霊の力を封印する事は出来ない。

 士道がやらなかったら、精霊は……要は、士道が救いたいと思った十香と同じ境遇の存在達は、こちらの世界に出てくるたびにASTに襲いかかられてしまう。

 彼女達は、自分の意思で世界を壊しているわけではないのに。

 一方的に災厄と断じられ、命を狙われてしまう。

 それに、空間震の問題もある。

 精霊の力を封印しなければ、いつかまたユーラシア大空災レベルの大災害が起こる可能性だってあるのだ。

 士道は、大きな吐息と共に髪を掻きむしった。

「……少し、考えさせてくれ」

「――――ま、今はそれで良いわ」

 琴里はふうと息を吐いてからそう言うと、手にしたチュッパチャップスの棒を士道に突きつけた。

「じゃあ今度は私の番よ。士道。全部洗いざらい吐いてもらうわよ」

「はっ……? 全部って、何だよ」

 思わず士道がそう問い返すと、琴里は士道を鋭く睨みながら答えた。

「決まってるでしょ。あなた達の組織、組織の目的。どうしてアンデッドを封印する事ができるのか、……そして、あなたがいつその組織に入ったのか。そういった事をひっくるめて全部よ。言っとくけど、拒否権なんて無いわよ。わざわざこっちから情報開示したんだから、それぐらいの条件ぐらい呑みなさい」

「…………っ!」

 士道は琴里のその言葉に、思わず表情を険しくした。

 この前琴里達が見ている前で変身をした時から、きっと変身の事などを問い詰められると思っていたが、実際にその状況になってみるとピリピリとした緊張感が自分を襲っているの分かる。ブレイドに変身して十香達を助けた事に後悔はしていないが、琴里達に説明するための話を考えておいた方が良かったかもしれないと士道は内心思っていた。

 そして、何故琴里達が士道の先輩である広瀬をここに呼び出したかも分かった。彼女はいわば、士道が万が一組織の事を話さなかった時のために呼び出した人間なのだ。彼女ならば士道よりも組織の事は分かっているだろうし、こういった話し合いの進め方も熟知している。まさに情報を収集するためにはもってこいの人材だ。

 もちろん、簡単にBOARDの情報を話すわけにもいかない。だが琴里の言う通り、ラタトスクの人間である琴里自分達の情報を先に話してくれたというのに、こちらが何も話さないというのはフェアではない。

 士道が汗を垂らして悩んでいると、話を聞いていた広瀬がふうとため息をついて言った。

「……分かったわ。私達の組織の事を、全部話す」

「広瀬さん!?」

 予想外の広瀬の言葉に士道は目を見開いて驚くが、そんな士道とは対照的に広瀬は冷静な態度を保ったまま士道に言う。

「仕方ないわよ。ラタトスクが情報を話してくれたんだから、こっちが何も話さないっていうわけにはいかないでしょ? ……それに、ここで情報を共有しておけば、後々何かの役に立つかもしれないしね」

 広瀬の言う何かとは、きっと現在行方不明になっている烏丸所長の事だろう。確かにBOARDをも超える科学力を持つラタトスクの力を借りれば、もっと早く烏丸所長の居場所を探る事ができるかもしれない。

 しかしそれは、彼女達がずっと守っていたBOARDの情報を明け渡すという事だ。そしてそれは、士道が引き起こしたと言ってもあながち間違いではない。士道は思わず奥歯を噛み締めた。

 広瀬はそんな士道を見てふっと笑うと、彼の肩をぽんと叩いた。

「あなたがそんな顔をする事なんてないわよ。あなたはライダーとして正しい事をした。私はそれを誇りに思う。それにこれは私達の問題だから、あなたが気に病む必要はないわ」

「広瀬さん……」

 士道が広瀬の顔を見つめると、彼女はにっこりと笑ってから琴里に向き直った。それから表情を引き締めると、真剣な眼差しを広瀬に向けていた琴里が言った。

「……ありがとう。協力感謝するわ」

「どういたしまして。そうね……じゃあ、まずは私達の組織の成り立ちから話そうと思うんだけど、良いかしら?」

 広瀬が尋ねると、琴里と令音はこくりと頷いて肯定の意を露わした。広瀬はすうっと一度息を吸い込んでから、話し始めた。

「今から数年前、チベットの洞窟内である結晶が発見されたの。それを見つけた事が、全ての始まりだったわ……」

「ある結晶?」

「ええ。もちろん、ただの結晶じゃない。……不死生物、アンデッドが封印されたラウズカードを内包した結晶、ボードストーン。それが、私達の組織の前身が見つけたものだったわ」

「ラウズカード……?」

 広瀬から発せられた言葉に、琴里は訝しげな表情になった。それからはっとした表情を浮かべると、

「もしかして、アンデッドを吸収したカードの事?」

「そうよ。五河君」

「あ、はい」

 士道は懐から自分が持っている全てのラウズカードを取り出すと、広瀬に渡した。カードを受け取った広瀬は目の前のテーブルに士道の持っている全てのカード、さらに士道が今まで戦ってきたアンデッドが封印してきたラウズカードを全て並べた。どうやらBOARDから去る時に、ラウズカードも一緒に持ってきていたらしい。まぁラウズカードはBOARDのトップシークレットの一つなので、当然と言えば当然の処置だが。

 琴里がその内の一枚……士道が常備しているカード、ビートルアンデッドが封印されたラウズカードを一枚手に取ると、それを見ながら広瀬に言った。

「こうして見てみるとただのカードだけど……。本当にこの中に、アンデッドが封印されているのね」

「ええ。そしてそれを発見し、研究していた研究者達は、ある仮説を立てたの。その仮説が、私達の組織が作られるきっかけになった」

「……その仮説とは?」

 令音が尋ねると、広瀬は静かな声音で告げた。

「……『我々人類が地球を制した背景には、進化論で説明できない理由が存在する』」

「……? どういう意味?」

 琴里が眉をひそめながら言うと、

「そのままの意味よ。私達人類はあらゆる段階を得て進化し、この地球上を制した。……だけど、ある研究者は思ったの。もしもそれが、進化論で説明できない事によるものだとしたら? そう、それこそ……私達人間が神と呼ぶ存在によるものだとしたら?」

 広瀬の語る仮説に、琴里は目を見開き、令音もコーヒーカップを手にしたまま固まってしまった。無理もないだろう、と士道は思う。自分もその仮説を聞かされた時は、何か得体の知れない宗教団体にでも入ってしまったのだろうかと思ったのだから。

「そしてその理由を究明するために作られたのが人類基盤史研究所、通称『BOARD(ボード)』よ。だから私達はASTとは違って、戦うのが専門じゃなくてあくまで研究するのがメインなの」

 するとコーヒーカップを持っていた令音が、疑問を表すかのように首を傾げた。

「……しかし、ならば何故君達はシンを戦わせているんだい? ただの研究施設なら、そんなの必要ないだろう?」

「そうね。それに、気になる事もあるわ。あなたの話が本当だとすると、ラウズカードは全てあなた達の管轄にあったはずよ。なのに、どうしてそのラウズカードに封印されていたはずのアンデッドが人を襲っているの?」

 どうやら、琴里と令音の二人はもうその疑問にまで辿り着いてしまったらしい。広瀬はため息をつくと、その理由を話し始める。

「……今から五年前、ある事件が起こったのよ」

「五年前……?」

 その年数に、琴里が眉をピクリと動かした。奇しくもそれは、ラタトスクが士道の特異体質に気付いた時期と同じだからだろう。広瀬は頷きながら、話を続ける。

「何者かの手によって、BOARD内で管理されていたはずのラウズカードの封印が解けて、大量のアンデッドが世界に解き放たれたの。それがきっかけで当時理事長だった天王寺博史は退職し、代わりに烏丸啓が所長に就任した」

「……ふむ、天王寺博史か……。名前だけは聞いた事があるな」

「私もよ。途方もない財力と権力を持つ、超がつくほどの大物。随分前に姿を消したって噂が流れてたけど……まさか、その人がBOARDの創始者だったなんてね」

 そう言うと、琴里は腑に落ちたように言った。

「でも、これでようやく分かったわ。何故BOARDの存在が、私達ラタトスクにすら知られる事なくアンデッドを封印し続ける事が出来たのか。天王寺博史の財力と権力があったから、秘密を知られる事なく活動できたって事ね」

 その結論を聞いて、相変わらず理解が早い妹だと士道は内心舌を巻いた。

「そして、天王寺理事長は退職する前にあるシステムを作り上げたの。不死身であるアンデッドの力を再現し、利用する事でアンデッドを封印するシステム……それが五河君が使ってるライダーシステムよ」

 敵の力を用いて、敵を封印する。それを聞いた琴里は何故か少し不機嫌そうな表情を浮かべてから、ガリッとチュッパチャップスを噛んだ。

「……ふん、随分と面白いシステムを作り上げたものね。敵の力を利用するなんて、まだどこの組織も作ってないわよ。それじゃあ、それから士道がそのシステムの適合者に選ばれたってわけね?」

 しかし広瀬はため息をつくと、首を横に振った。

「……正確には、少し違うわ。五河君が使うライダーシステムは、第二号の『ブレイド』。私達が開発した第一号は『ギャレン』っていうコートネームなんだけど……。ギャレンは装着者が決まる前にある事情で無くなっているの」

「無くなっている?」

 するとそれを聞いた琴里は怪訝な声を発しながら、ピッとチュッパチャップスの棒を広瀬に突きつける。

「どういう事? 話を聞いている限りだと、そのライダーシステムはあなた達BOARDのトップシークレットなんでしょ? あなた達がそのライダーシステムをうっかりして無くしたなんて間抜けなミスを犯したなんて考えられないし、何か理由があるんじゃないかしら?」

 図星を突かれたのか、広瀬は少し怯んだような表情を浮かべた。それから何回か悩むようなそぶりを見せた後に、ようやくその口を開いた。

「……盗まれたのよ」

「盗まれた?」

 琴里の怪訝そうな言葉に、広瀬は黙ってうなずいた。

「……それは、本当に突然だったわ。何重ものセキュリティを突破して、何者かが完成したばかりのギャレンバックルとその変身に使われるラウズカードを奪って姿を消したの。もちろん、私達は犯人の痕跡を必死に探したわ。……だけど、痕跡が発見される事は無くて、結局ギャレンバックルは行方知らずになった……」

 話していくうちに、広瀬の口調がどんどん落ち込んだものになっていく。

 無理もないだろうと士道は思った。BOARDの研究員達が必死に研究を重ね、ようやくできたバックルが突然何者かに奪われたのだ。広瀬はまだその時はBOARDの正式な研究員達ではなかったらしいが、彼女の口ぶりから彼女がギャレンにどれだけの期待を抱いてたかがよく分かる。

 広瀬は表情を元のものに戻すと、再び口を開き始めた。

「でも幸い、ギャレンの元になったライダーシステムの設計自体は盗まれていなかった。それを元にして新たに開発されたのが、今五河君が使っているブレイドよ」

 広瀬が説明を終えると、琴里は何が不機嫌なのか表情を険しくしながらピコピコとチュッパチャップスの棒を上下に揺らしていた。やがてぴたりと棒の動きを止めると、広瀬に言った。

「……あなた達がどういった組織で、どうしてそんなシステムを作り上げたかは分かったわ。……だけど一つどうしても分からない事がある。……どうして士道なの?」

 彼女の不機嫌そうな口調に、広瀬はおろか話を黙って聞いていた士道も微かに表情をこわばらせた。それに気づいているのか気付いていないのかは分からないが、琴里がさらに続けてくる。

「別にアンデッドと戦うだけなら、高校生の士道じゃなくても良かったはずよ。……どうして、ただの一般人の士道が選ばれたの?」

 広瀬は一瞬黙り込んでから、はっきりと士道が選ばれた理由を口にした。

「……私達がスカウトした人達の中で、五河君が一番アンデッドとの融合係数が高かった。それが、五河君が選ばれた理由よ」

「……その融合係数とは?」

 聞きなれない単語を耳にして、令音が広瀬に尋ねる。

「ライダーシステムはただ単なる鎧じゃありません。あれはライダーシステムに組み込まれたアンデッドと一時的に融合する事で、アンデッドの力を引き出す事ができる。融合係数が大きければ大きいほどアンデッドの力を引き出す事ができるし、逆に低ければアンデッドの力を十分に引き出す事ができない。……ギャレンが盗まれたせいでアンデッド達による被害はどんどん増えていってたし、何よりまたライダーシステムを盗まれるわけにはいかなかったから、ブレイドの装着者を選ぶ事が急務になったの。そして不特定多数の人々を対象にして調査を行い、融合係数が高い人間を捜し続けた。そして、その中で最も融合係数が高かったのが……」

「士道、ってわけね」

 琴里が士道を軽く睨むと、自分に向けられる視線に思わず士道は軽く冷や汗を垂らした。

「士道、あなたがBOARDに入ったのはいつ頃?」

「えーと……大体一年前ぐらいだな。広瀬さん達にスカウトされてからはアンデッドの知識とか、基礎体力をつけるためのトレーニングや戦闘訓練をめちゃくちゃ叩き込まれた。実際にアンデッドと戦い始めたのはつい最近だな」

「そう……」

 琴里はふんと鼻を鳴らすと、士道から視線を外した。どうも先ほどから琴里の機嫌が悪いように見える。知らない内に、琴里の機嫌を損ねるような事をしてしまったのだろうか。

 士道がそんな事を考えていると、話をしていた広瀬がため息をついた。

「ようやくブレイドの装着者も決まって、あとはアンデッドを封印するだけだと私達全員思ってた。……だけどこの前、予想外すぎる事が起こったのよ」

「……予想外すぎる出来事?」

 令音の言葉に広瀬はええと頷きながら、衝撃的過ぎる言葉を口にした。

「BOARDの研究所が、アンデッドに襲われたの」

「何ですって?」

 それを聞いた琴里が驚きで目を見開き、いつもは無表情の令音の顔も微かにぴくりと動いた。広瀬は沈んだ声で、

「幸い五河君が来てくれたおかげでアンデッドは封印されたけど、生き残ったのは私と五河君、そして私達が研究所から逃がした烏丸所長だけ。……もう、BOARDは無い。完璧な壊滅状態に陥ってるわ」

 その言葉で、重い沈黙がリビングを満たした。広瀬の語るBOARDの壊滅という話が衝撃的過ぎて、誰も何も言う事ができない。

 無論それは士道も同じだった。一年間という広瀬に比べたら短い月日とはいえ、あの組織の中で士道は戦闘訓練やトレーニングを積み重ねてきたのだ。愛着もそれなりにあったし、今でも夢であってほしいと思っている。しかし、BOARDが壊滅したというのは紛れもない事実だった。

 しばらく全員が黙っていると、ふーと誰かが息をついて沈黙を破った。息をついたのは、琴里だった。

「なるほどね、大体事情は分かったわ。それにしても、BOARDが壊滅した、ねぇ……」

 琴里は口の中でぶつぶつと呟いた後、口を開く。

「ねぇ広瀬さん、一つ提案があるんだけど、構わないかしら」

「……? 提案って?」

 広瀬が怪訝な表情で尋ねると、琴里はにやりと唇の端を歪めながらこう告げた。

「私達と手を組まない?」

 広瀬はいっしゅんきょとんとした表情を浮かべてから、ようやく琴里の言った言葉の意味を理解したのか驚愕の表情を浮かべてから叫んだ。

「手を組むって……私達と、あなた達ラタトスクが!?」

「そうよ。私達があなた達に情報や顕現装置(リアライザ)とかの技術の提供をするから、あなた達は今までと同じようにアンデッドの封印を続けるのと同時に私達の手伝いをしてほしい。どう? 案外悪くない条件だと思うけど」

 確かに話の内容だけ聞いてみれば中々悪くないと言えるだろう。だが、突然の提案に警戒しているのか広瀬が琴里を鋭く見据えながら尋ねる。

「……どうして、いきなりそんな話を持ち出してきたの? 一体何が目的?」

 すると琴里は肩をすくめながら広瀬の質問に答えた。

「別に私としてはあなた達がアンデッドを封印する事に関しては口出しするつもりはないの。ただ、アンデッドを放っておけばこの前の十香の一件のように精霊の封印に支障をきたすかもしれない。それなら、あなた達に情報や技術を提供する代わりに私達の手伝いとアンデッドの封印をしてほしい。それだけよ」

「……でも、良いの? あなたやあなたの部下が良いとしても、最高幹部達はそうでもないんじゃないかしら」

 確かに広瀬の言う通りだった。琴里はラタトスクの中でも高い地位にいるかもしれないが、話を聞いている限り彼女のさらに上には円卓会議(ラウンズ)と呼ばれる幹部達が存在しているようだ。その幹部達には一体どう説明するつもりなのだろうか。

 と、その疑問を察したのか琴里が言った。

「分かってるわよ。でも、円卓会議(ラウンズ)にとってもあなた達と協力するのはメリットがあるのよ。アンデッドを研究していたあなた達と組めば、権力者なら誰もが欲しがる不老不死を手に入れる事ができるかもしれないんだから。たぶん、二つ返事でOKが来るわよ」

「じょ……冗談じゃないわ!!」

 バン!! と広瀬が激昂して目の前のテーブルを思いっきり叩いた。その音に士道はびくりと体を震わせたが、琴里と令音は無表情を崩さずに広瀬の顔を真っ直ぐ見つめている。

「確かに私達はアンデッドの不死身の体質を研究していたわ。だけどそれは研究結果を権力者達の玩具にするためじゃない! 今この瞬間世界中で苦しんでいる人達を救う為に、私達は研究をしていたの! 悪いけど、それが目当てだって言うのなら協力なんてできないわ。こっちから願い下げよ!」

「落ち着いてちょうだい。私達だって、あなた達の研究成果を円卓会議(ラウンズ)に差し出す気なんてないわ」

 琴里の冷静かつ真剣な口調で冷静さを少し取り戻したのか、広瀬は息を少し荒くしながら琴里の顔を見つめた。

「研究成果は、あくまで表面上の理由よ。そうでなきゃ円卓会議(ラウンズ)が簡単に首を縦に振るわけがないわ。……正直、私が円卓会議(ラウンズ)の中で本当に信頼しているのは一人だけ。それ以外は精霊の巨大な力を自分の私欲のために使えないかって考えてる馬鹿ばっかり。そんな連中のために、あなた達の研究成果を渡すわけにはいかない。だけど、名目上だけでもそういう事にしておかないとならないのよ。……あなた達の活動をサポートしていくためにはね」

 琴里の刺々しい口調と先ほどの話から察するに、どうやらラタトスクも一枚岩というわけではないらしい。彼女の信じているのも、きっと彼女が言うように一人の人物だけなのだろう。

 琴里の言葉を聞いても広瀬はじっと何かを考え込んでいるようだった。彼女の言葉を本当に信じるべきかどうか判断に悩んでいるのだろう。ここで判断を間違えれば、自分達の今後に支障をきたす可能性があるのでそれも無理はないが。

 するとその雰囲気を察したのか、再び琴里が口を開いた。

「……無理な事を言っているのは十分分かっているわ。だけど、協力する以上私達も最大限の努力はする。だから、お願い。あなた達の力を、私達に貸してちょうだい」

 琴里の真摯な言葉に、広瀬はしばらく黙って彼女の顔を見つめていたが、やがてふぅと小さくため息をついた。

「まったく、そんな風に頼まれたら断るわけにはいかないじゃない。分かったわ、私達は、あなた達ラタトスクに協力する。……だけど、その代わり誓って。絶対に私達の研究結果を……先人達の努力の結晶を、自分の保身のためだけに考えている人達に渡さないって」

「誓うわ」

 一瞬のためらいもなく、琴里はそう答えた。彼女のその嘘偽りない態度を見て広瀬も琴里を信頼したのか、すっと右手を彼女に向かって差しだした。

「それを聞いて安心したわ。……私達BOARDは、あなた達ラタトスクに協力する。本来ならこういうのは烏丸所長の許可が必要なんだろうけど、私がどうにかして説得するわ。……これからよろしくね、琴里司令」

「普通に琴里ちゃんでも構わないわよ」

 軽口を叩きながら、琴里は自身も右手を出して広瀬の右手を握った。それから二人は手を離すと、真剣な表情に早変わりしてこれからの事を話し始める。

「早速なんだけど、あなた達の組織に高性能コンピュータはあるかしら? あれからBOARDのデータを探してみたんだけど、烏丸所長の残したものと思われるデータが見つかったの。それを解析すれば、アンデッドの事について何か分かるかもしれない。それにアンデッドサーチャーを使う以上、コンピュータは必要不可欠だから……」

「それに関しては何一つ心配ないわよ。フラクシナスには顕現装置(リアライザ)も、高性能のAIもある。それらにあなた達のアンデッドサーチャーを繋げば、アンデッドの反応をキャッチする事ができるはずよ」

「そう。……フラクシナス?」

 と、そんな二人の会話に割り込むように士道が言った。

「な、なぁ琴里」

「……何?」

 すると琴里はうって変わって不機嫌そうな視線を士道によこした。その視線に怯みながら、士道は琴里に言う。

「こんな事言うのは変かもしれないけど、これからよろしくな」

「ま、せいぜい死なないように気を付ける事ね。弱いんだから」

 そう言うとぷいっと士道から顔を背けた。その様子に、士道の困惑はますます深まっていく。

 自分はこれまでに彼女の機嫌を損ねるような事を言ったような覚えはない。それに彼女の機嫌が悪くなったのは自分達がBOARDの話をし始めてからだ。その話の間で、自分も広瀬も彼女を怒らせるような事は言っていない。彼女が怒る理由が全く分からない。

 そしてそんな二人の様子を、

「…………」

 広瀬がじっと、何かを探るような目で見ていた。

 

 

 

 

 数時間後、フラクシナスにある休憩室で広瀬はベンチに座って自動販売機で買った缶コーヒーを飲んでいた。広瀬は休憩室の天井を見上げながら、独り言を呟く。

「だけど、空中艦なんてね……。確かに五河君の言う通り、この組織の科学力はBOARDを超えてるかもしれないわね……」

 士道からフラクシナスの事を聞かされた後、琴里にこの空中艦に連れて来られてからは驚きの連続だった。自分達の組織を超える科学力に、高性能なAIシステム、そして良くも悪くも個性の強い構成員達。……何よりも際立っていたのは、あの神無月という青年だった。初めて見た時はかなりの美青年だと思ったのだが、彼と握手をした時に真面目な顔で、

『広瀬さん……良ければ今度、思いっきり殴ってはもらえないでしょうか?』

 と言われた時に思った。

 ああ、この人変態なんだなと。

 そして広瀬がしばらく黙ってベンチに座っていると、不意に人の気配を感じてその方向に視線を向けた。そこには、腕組みをして自分の方に向かって来ている琴里の姿が目に入った。

「お疲れ様。アンデッドサーチャーの方はどう?」

「接続はもう終わったわ。あとはアンデッドが出現した時にちゃんと動くかよ」

「そう」

 それだけ言うと、琴里は自動販売機に小銭を入れてボタンを押した。取り出し口から缶ジュースを取り出してプルタブを開けると、広瀬の横に座る。ちなみに彼女が買ったのはファンタのオレンジ味だ。

 琴里が無言でファンタの口をつけると、唐突に広瀬が琴里に尋ねた。

「ねえ琴里ちゃん。どうして五河君に怒ってるのか、当ててあげましょうか?」

 すると琴里の動きがぴたりと止まり、彼女の顔が険しくなる。どうやら今一番彼女が気にしている事に触れたらしい。琴里は怒ったような表情を浮かべたまま、口を開く。

「……別に怒ってなんかいないわよ」

「怒ってるでしょ。そしてその原因は……五河君がBOARDの人間だったって事を彼に秘密にされたから、じゃない?」

 図星を突かれたのか、琴里の顔がさらに険しいものになる。広瀬は目の前の金属質の壁をじっと見つめながら、

「まあ、実態も分からない謎の組織に入っていて、その上常に危険と隣り合わせの仕事をしてた事を内緒にされてた事に怒ってるっていうのは何となく分かるけど、それはおあいこじゃない? あなただってラタトスクに五年前から所属してたんでしょ? それに五河君にBOARDの事を秘密にしてもらっていたのはBOARD(わたしたち)の事情もあるの。五河君に怒るのはいくらなんでもお門違いだと思うわ」

「分かってるわよ。分かってる。だけど……」

 それでも、大好きな兄にそんな大事な事を内緒にされていたのが嫌だった――――という本音が、聞こえてくるような口調である。

 フラクシナスの司令官という肩書きを背負ってはいるが、どうやら中身はまだ十三歳の少女のようだ。本心を完全に隠しきれていないのが丸わかりである。

 広瀬はそんな彼女の姿に思わず笑みを漏らしてしまうが、こんな所を見られてしまったらまた彼女の機嫌が悪化するだろう。なので、広瀬は代わりにこんな事を言った。

「実はね、私達も最初は五河君をライダーにするつもりはあまり無かったの」

「………? どういう意味?」

 話の内容につられたのか、琴里が広瀬の顔を見る。広瀬はまるで遠い過去を思い出しているような表情をしながら、話を続けた。

「確かに五河君のアンデッドとの融合係数はとても高かったわ。他のライダーの候補者達とは、桁外れと言って良いぐらいに。……だけど、『それだけ』だった。融合係数は高いけど、体力や筋力は人並み、良くて素人に毛が生えた程度。正直言って、融合係数が五河君より低くても、体力や筋力が彼以上の人は結構いたわ」

「………」

「それに、五河君は高校生だから。ASTなんかはCR-ユニットの使用適性があれば高校生でも入れるらしいけど、研究機関の私達はそうもいかない。だから烏丸所長と私は五河君をライダーにするつもりはなかったの。………まぁ、ダイヤの原石を手放したくないっていうのが正直な本音だったけど」

「じゃあ、どうしてあなた達は士道をライダーに選んだの?」

 琴里が怪訝な表情で広瀬に尋ねると、広瀬は何やら意味ありげな笑みを浮かべた。

「……検査の後、彼を呼び出して私達の目的を話したの。それから彼に私達に協力してくれるか聞いたのよ。そしたら彼、何て言ったと思う?」

「そんな事、私が知るわけないじゃない」

 どこか不機嫌そうな琴里に、広瀬は士道が自分と烏丸に告げた言葉をそのまま告げた。

「『確かに戦うのは怖いですけど……。だけど、そいつらを放っておいたら俺の大切な人を襲うかもしれない。もしもそうなる可能性があるなら……俺は妹を、俺の大切な人達を護るために戦いたいです』って言ったのよ」

「…………」

「他の候補者達はどちらかというと、名誉やお金目的でアンデッドと戦おうとしてた人達ばかりだったわ。だけど、五河君だけが違った。彼だけは、彼の家族を……あなたを護るために戦うって言ったの。それが、彼がライダーに選ばれた理由よ」

 それを聞いてもなお、琴里は無言のままだった。広瀬は彼女の横顔を見つめて、訴えかけるように彼女に言った。

「忘れないで、琴里ちゃん。彼はあなたの事をちゃんと考えていた。じゃないと、そんな台詞出てこないでしょ? だから……五河君の事を許してあげて?」

 しばらく琴里は黙ったままだったが、やがて急に勢い良く立ち上がるとグイッとファンタを一気に飲み干した。それから空になった缶をゴミ箱に捨てると、無言のまま広瀬に背を向けて歩き去って行った。

 しかし、広瀬にはもう大丈夫だと分かっていた。

 何故なら、一瞬見えた琴里の表情が先ほどよりも柔らかくなっていたからだ。広瀬は遠ざかっていく彼女の背中を見ながら、ぽつりと呟く。

「……色んな事があると思うけど、家族は大事よ、琴里ちゃん。それを忘れないで……」

 言いながら、広瀬はジーンズのポケットから一枚の写真を取り出す。

 写真には高校の制服を身に纏った広瀬、そして一人の男性が写っていた。二人は高校の校門の正面に立っており、二人揃って幸せそうな表情を浮かべている。桜が風に舞っている事から、時期はきっと春だろう。

「………お父さん………」

 写真の自分の横に立つ男性を見ながら、広瀬は寂しそうに小さく呟いた。 

 

 

 

 

 

 翌日の朝、士道は自室のベッドでぐっすりと眠っていた。いつもの彼ならばとっくに起きている時間だが、今日の彼は未だに夢の世界に旅立っている。

 そして熟睡中の士道が寝返りをうとうとした瞬間。

 突然士道の腹をズドンッ!! という強い衝撃が襲った。

「ぐあああああああああっ!!?」

 その衝撃に士道は腹の底から叫び声を上げると、勢いよく起き上がって周囲を見渡してみる。すると、ベッドの横に立っていた犯人がようやく眠りから覚めた自分を呆れた様に見つめているのが目に入った。

 犯人……琴里はふんと鼻を鳴らして、

「いつまでも寝てるんじゃないわよ、このナマケモノ。さっさと起きて早く朝食を作りなさい」

「わ、分かってるっての! ってかお前、一体今何したんだよ……!?」

「別に? ただ単にあなたの腹に思いっきり跳び蹴りをかましてあげただけよ。本当ならその間抜け面を蹴り飛ばしてやろうかと思ったけど、ただでさえ残念な顔がさらに残念な事になると思ったからやめておいてあげたのよ。感謝しなさい」

「んな事で感謝できるか! いてて……」

 腹を押さえて顔を歪ませながら、士道はゆっくりと起き上がる。すると、琴里が唐突に口を開く。

「………ねぇ、士道」

「な、何だよ」

「………言うのが遅れて悪かったわ。アンデッドの封印、よろしくお願いね」

 それだけ言うと、琴里は最後に柔らかい笑みを兄に向けてさっさと士道の部屋から出ていってしまった。

 士道はしばらく昨日と今との琴里の態度の変化に思わず呆然としていたが、どうやら彼女の機嫌は治ったらしいという事を知ると、安堵の表情を浮かべた。彼女の態度の変化の理由が気になると言えば気になるが、それを無理に追及してまた彼女の機嫌を損ねてしまったら元も子もないので今は聞かない事にした。

 それに何よりも、可愛い妹の機嫌が治っただけで士道は大満足なのだ。だからまた彼女の機嫌を悪くするような事をする必要はない。

 そして士道は朝食を作るために素早く着替えると、自分の部屋を出てリビングへと向かった。

 

 

 

 

 




次回こそ、アンコールの話を書こうと思います。


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第十一話 二組のデート

長い間お待たせして申し訳ありません。第十一話目です。


「殿町、お前ケータイに何付けてるんだ?」

 広瀬と琴里による話し合いから二日後。

 帰りのホームルームも終わり、皆がばらばらと帰路に着き始めた頃、帰り支度を終えた士道は殿町に怪訝そうな声を投げた。

「ん? これか?」

 殿町はワックスで逆立てられた髪をポリポリと掻きながら、持っていた携帯電話を揺すってみせた。

 それに合わせて、携帯電話の端っこにくくりつけられたオットセイのストラップが一緒に揺れる。

「可愛いだろ。虹オットセイのオットーレだ」

「そうか……。猥褻物陳列罪にならないように注意しろよ」

「至極健全なキャラだっての! なんで俺が持ってると猥褻物陳列罪なんだよ!」

「え? だってお前という存在そのものが猥褻物じゃないか」

「俺はお前からどういう認識を受けてるんだ!?」

 士道がボケて、殿町をツッコミを入れるという非常に珍しい光景が展開された後、士道は苦笑しながら告げた。

「悪い悪い、冗談だよ」

 すると殿町は、ったくと肩をすくませた。

「余ってっけど、一個いるか? このシリーズ今人気らしくてよ。つけてっと女子のウケが良いぞ?」

 そう言いながら、殿町は制服のポケットから台紙とビニール包装で簡単にパッケージングされたストラップを取り出した。

「あ? 二つも買ったのか?」

「うんにゃ。ゲーセンの景品なんだよ。この前一気に二個取れたんだ」

「はー、すげえなそりゃ」

 殿町が取り出してきたそのストラップに視線を向けてみる。

 だが、目が妙にリアルで、正直言ってあまり可愛いとは思えない代物だった。

「……でもいいや。なんか気持ち悪いし」

「そうか? 可愛いと思うんだけどなぁ」

「あ、こっちの方が可愛いじゃねぇか」

 と、士道はストラップの台紙に印刷されていたシリーズ商品の中から、パンダのマスコットを指差した。そちらはまさにパンダがデフォルメされていたストラップで、士道の言う通り殿町が持っているオットセイよりも可愛らしい。

「あー、夢パンダのパンダローネだな。オットーレの友達で、玉乗りが得意らしい」

「いや、知らんけど。これなら欲しいかもな」

「残念ながらそっちは持ってねえや。何回か挑戦したんだけど、配置が滅茶苦茶シビアでよ。店員もロクに対応してくんねえし」

「ふーん。やっぱ人気があるのかねえ」

 士道がパンダローネを見ながら返したその時だった。

「何だと!?」

 突然、すぐ後ろからそんな叫び声が聞こえてきて、士道は思わず肩をビクッと震わせた。

「な、何だ……?」

 恐る恐る振り向くと、二人の女子生徒が口喧嘩をしている事が分かった。

「そ、そんなはずがあるか……! 貴様、適当な事を言うとタダでは済まさんぞ!」

「私は事実を言ったまで」

「うるさい! 誰が信じるか!」

「うるさいのはあなた。少し静かにして」

「何だとっ!?」

「なに」

 どちらも、一歩も譲らない。

 片方は十香。そしてもう片方は折紙だった。

「ど、どうしたってんだ、いきなり……」

 と、振り返ると、さっきまでいたはずの殿町の姿はすでに無くなっていた。

「あ、あの野郎……」

 どうやら厄介事の匂いを感じ取って一足早く逃げ出したらしい。

 士道ははぁと息をついた。

 喧嘩の原因は分からないが、二人を放っておくこともできない。恐る恐る二人に向かって唇を動かす。

「お、おーい……」

「何だ!?」

「何」

 士道が声をかけると、十香と折紙がまったく一緒のタイミングで視線を士道に向けてきた。

 二人の視線の鋭さに一瞬怯むが、どうにか言葉を続ける。

「お、落ちつけって。一体、何があったんだよ」

 士道が問うと、十香と折紙は再び視線をバチバチと交わらせた。

 正直言って、それだけで空気がビリビリと震えるような迫力である。

「……私は至極当然の事しか言っていない。夜刀神十香に理解力が無いだけ」

「何だと!? 元はと言えば貴様が……!」

「だから、落ちつけって。な?」

「……ふん」

 士道が二人の間に入ってそう言うと、十香はぷいと顔を背けて、自分の席に座り込んだ。

 折紙はと言えば、無言のまま教室を出て行った。

「はぁ……一体何だってんだ」

 と、そこで士道は眉を動かした。

 ポケットの中で、携帯電話が突然震えたのだ。

「……ん?」

 まさか、アンデッドが出たのかと思い携帯電話を取り出してみると、画面に表示されていたのは自分の妹である琴里の名前だった。彼女の名前が出るという事は、アンデッドの可能性は低い。もしもアンデッドが出現した場合は、士道の上司に当たる広瀬の名前が表示されるはずだからだ。

 士道は教室の隅に移動してから、通話ボタンを押した。

「もしもし。どうした、琴里」

『どうした、じゃないわよ。このウスラハゲ』

 通話ボタンを押すなりまさかの先制暴言である。士道はそれに思わず頬をぴくつかせた。

『今、十香の機嫌メーターが一気にストップ安状態まで急下落したのだけれど』

「は……?」

 士道が眉をひそめながら言うと、琴里が盛大なため息を吐いてから後を続けてきた。

『気を付けてと言ったはずよ。力の大部分を封印されているとはいえ、彼女は精霊。そこに居るだけで世界を殺すとさえ言われた災厄よ。精神状態が著しく不安定になると、封印されている力が逆流する恐れがあるわ』

「………っ」

 その言葉に、かつて十香が振るっていた巨大な力を思い出して、士道は思わず生唾を飲み込んだ。

『それで。いきなり精神状態が不安定になった理由を知りたいのだけれど。士道、あなた一体どんな変態行為に及んだの?』

「俺が何かした前提で話を進めんじゃねえよ。……折紙だよ。あいつとすげえ口喧嘩してた」

『折紙っていうと、ASTの鳶一折紙?』

「ああ」

 士道がついさっき教室から立ち去った折紙の姿を思い出しながら頷いた。あれから数日経つが、未だに彼女と十香の中は険悪である。まぁ、先日まで殺し合いをしていたので、仲良くしろと言う方が無理かもしれないが。

『ち、厄介な事をしてくれるわね。まぁ、起こってしまった事は仕方ないわ。士道、すに十香の機嫌を直してちょうだい』

「機嫌を、ねぇ……」

 呟きながら、十香に視線を向ける。

 気のせいか、周囲に負のオーラが漂っている。隣に観葉植物を置いたら一瞬で枯れてしまいそうなほどである。

「どうしろってんだよ……あれを」

『何言ってるのよこのフンコロガサレ。簡単な事じゃない。デートにでも誘っちゃいなさよ。そうね……ストレス発散にゲームセンターなんてどう? 安心なさい。私達がサポートしてあげる』

「なっ……」

『じゃ、準備しておくから、急ぎなさいよ』

 それに士道が返事をするよりも早く、琴里は勝手に話を進めて電話を切ってしまった。色々と言いたい事はあったが、こればかりは仕方ない。

 士道はため息を吐きながら携帯電話をしまうと、大きく深呼吸をしてから十香の方に歩いて行った。

「あ、あのだな、十香」

「……何だ?」

 士道が口を開くなり、十香が不機嫌そうな声を返してきた。

 一瞬その声に怯むが、士道はどうにか踏みとどまって言葉を続ける。

「……や、その……良かったら、なんだが。これからちょっと遊びに行かないか?」

「ぬ?」

 士道が言った瞬間、十香の周りにわだかまっていた不穏な空気が、ふっと薄まったような気がした。

「遊びに……つまり、シドーは私とデェトに行きたいと言っているのか?」

 十香が士道の様子を窺うように、少し上目遣いになりながら問いかけてくる。

 確かにその通りなのだが、改めて言われると結構照れる。士道は頬を掻きながら小さく首肯した。

「まぁ……そうなるな」

 すると、十香がぱぁっと顔を輝かせ、椅子から立ち上がった。

「おお……! 行く、行くぞ!」

「お、おう。そうか」

「それで、どこへ行くのだ?」

「ん……ゲームセンターなんてどうだ?」

「ゲェムセンター?」

 十香が不思議そうな顔をして首を傾げた。そう言えば十香はまだゲームセンターに言った事は無かったな、と思った士道は十香に説明をする。

「簡単に言うと、ゲームっていう楽しいものがいっぱいある所だ」

「ほう。楽しいのか」

「ああ。パンチングマシンやモグラ叩きなんかもあるからな。スカッとして気持ち良いぞ」

「楽しいだけでなく気持ち良いのか! 他には何があるのだ?」

「そうだな……。ってか、あれこれ説明するより実際に行った方が早いと思うぜ? 百聞は一見に如かずって言うしな?」

「む……なるほど。意味はよく分からんが、確かにその通りだな。では早く行こう、シドー!」

 十香は明るい笑顔を浮かべながら、士道の手を握って急かすように言ってくる。

 分かった分かったと相槌を打ちながら、士道はつい先日までの彼女を思い出す。あの人間不信の塊のようだった彼女が、今こうして自分と同じ時を過ごしているという事が、士道にはたまらなく嬉しく思えた。

 士道は十香の手を軽く握り返すと、彼女と一緒に廊下を走り抜けた。

 

 

 

 

 士道達がゲームセンターに向かう少し前、相川始は自分の住居である喫茶店『ハカランダ』で接客をしていた。彼はある事情でこの店に住んで高校に通っているのだが、特に予定が無い日などはこの店で接客業などの手伝いをしている。始自身この手伝いについては、一緒に住まわせてもらっている上に学校にまで通わせてもらっているのだから当然だと思っているし、学校側もその事は承知している。成績も上位に常にいるので、今の所はまったく無かった。

「ありがとうございましたー!」

 店に残っていた最後の一組の客が店を出て、その客達の背中に向かって店長である天音遙香が笑顔でそう言うのを聞きながら、始はその客達が使っていたテーブルを布巾で拭き始める。そんな始に向かって、遙香が声をかけた。

「ねぇ始君。この後、天音と一緒にどこかで遊んで来たら?」

「え?」

 彼女の言葉に思わず始が不思議そうな表情を浮かべると、そんな始の表情がよほど珍しかったのか遙香はくすくすと笑いながら続ける。

「あなた、最近どこへも行かないでお店の手伝いをしてくれるでしょ? それはありがたいんだけど、高校生なんだしたまにはどこかに遊びに行ってみたら? 天音も最近、あなたと一緒に遊べなくて少し寂しそうだったし」

 それを聞いて始は一瞬迷うような素振りを見せたが、すぐにその迷いを払って遙香に言う。

「だけど、この後もお客さんは来るだろうし……」

「大丈夫よ。この時間なら、お店に来るお客さんは少ないから。私一人でもどうにか回せるわよ。危ない所に連れて行ったりしなければ良いから、行って来なさい。ま、始さんがそんな所に天音を連れて行くとは思えないけどね」

 遙香の言葉に、始は小さく苦笑を浮かべた。別に遙香の提案が本当に嫌だったわけではない。確かに最近の自分は勉強と仕事ばかりだったので、それを心配してくれての提案なのだろう。正直言うとあまり気が進まないが、彼女の好意を無駄にするわけにもいかない。それに、最近天音とあまり遊んでいないのも事実だ。

 始はカウンター席に布巾を置くと、遙香に告げた。

「分かりました。じゃあ、天音ちゃんが帰ってきたら行こうかと思います。天音ちゃんは確か、今買い物に行ってるんですよね?」

「ええ。だから、もうそろそろ帰ってくるはずなんだけど……。あ、噂をしたら……」

 遙香の視線の先には、ハカランダの入口の扉に駆け寄ってきている天音の姿があった。彼女は両手で大きな荷物を抱えており、前が少し見づらそうである。現にようやく扉にたどり着いて片手を伸ばしていたが、下手をすれば荷物を落としてしまうかもしれないので扉を中々開ける事が出来ない。

 始は入口に向かうと、扉をそっと開けた。扉を開けたのだが誰かを知ると、天音はぱっと笑顔になって始に礼を言う。

「ありがとう、始さん!」

「どういたしまして」

 天音の笑顔に、始も笑みを天音に返す。天音がカウンターに駆け寄って抱えていた荷物をカウンターに置くと、遙香がカウンター越しに天音に言った。

「天音。今日は始さんと遊んできなさい。仕事はお母さんに任せて大丈夫だから」

「え、本当!?」

 遙香が言った瞬間、天音の顔がぱぁっと輝いた。娘のその様子に遙香はにこにこと笑いながら、

「本当よ。ね、始さん?」

「はい」

 それに始が頷くと、天音は嬉しそうな声を上げた。

「やったぁ! 今日は始さんとデートだ! じゃあ私、部屋で準備してくるから待っててね、始さん!」

「うん、待ってるよ」

 そう言うなり、天音はぱたぱたと足音を立てながら自分の部屋へと向かう。その様子を後ろから見ていた始は、どこか怪訝そうな表情で遙香に尋ねた。

「デート……なんですか?」

「まぁ、デートと言うには少し歳の差がありすぎるかもしれないわね」

 遙香はやや苦笑を浮かべながら、始にそう返した。

 それから数分後、準備を終えた天音がホールに戻って来た。彼女の服装は帰って来た時と違い、いかにもデートの時のために用意していたような服である。もしかしたら、着るのはこれが初めてなのかもしれない。

 天音はにこにこと笑顔を浮かべながら始の前に立つと、こう尋ねた。

「どう?」

「似合ってるよ、天音ちゃん」

 お決まりの言葉だが、どうやら彼女はそれで機嫌を良くしたらしく、えへへと照れくさそうな表情を浮かべる。 しかし、何故か始の服装を見て笑顔から不思議そうな顔に変わった。

「始さん、その服装で行くの?」

 彼女のその問いに、始は自分の服装を見直した。今彼が着ているのは、彼が日常着用している長袖のポロシャツにジーンズである。それを確認して、始は天音がどうしてそのような事を聞いたのか察した。今の自分の服装は、どう見ても女性と一緒にデートに行くような服装ではない。始は困ったような笑顔を浮かべながら、天音に言う。

「ごめんね。こういう服しか持ってないんだ」

 すると天音は、ぷくーと頬を膨らませて、

「もう! 駄目だよ始さん! 女の子とのデートにそんな服じゃ、相手の人に嫌われちゃうわよ!」

 怒っている天音に、始は苦笑を浮かべながらごめんごめんと謝る。実際に始はあまり服などに興味が無いし、服に金を使う事も滅多にないので、似たような服しか持っていないのだ。

 始と天音がそんなやり取りをしていると、その様子を眺めていた遙香が言った。

「じゃあ、今日は二人で始さんの着る服を見に行ってみたらどうかしら。始さん、お金は持ってる?」

「はい、大丈夫です」

 月に遙香からお小遣いとアルバイト代を兼ねた金はもらっているものの、始自身にこれといった趣味が無いため貯金は十分にある。人気のブランドの服などでない限り、金が一瞬にして吹き飛ぶという事はまずないだろう。

「じゃあ、財布を取ってくるから、ちょっと待っててね」

「うん! 早く来てね、始さん!」

 天音は満面の笑顔で首を縦に振った。始は彼女の笑顔に自分も自然に笑みを浮かべているのを感じながら、地下にある自分の部屋へと向かった。

 

 

 

 

 ちょうどその頃、士道と十香のデートはと言うと。

「鳶一折紙のォォ……あほたれぇぇぇっ!!」

 絶叫と同時に、目にも留まらぬ速さで拳がミットに吸い込まれた。

 次の瞬間には、ミットが支柱ごと吹き飛んで、前方の液晶画面をぶち抜いて壁に突き刺さる。

 一拍遅れて、千切れたコードからバチバチと火花が散り、壊れた画面からプスプスと煙が上がる。

「おいおい……マジかよ……」

 まさかの事態に、後ろでその様子を見ていた士道は限界まで目を見開いていた。

 二人がいるのは、天宮大通りにあるゲームセンターの一角だ。

 彼らの前にはボクシンググローブとミットの付いた筐体、いわゆるパンチングマシンが設置されている。

「……ん、少しすっきりした」

 十香はふうと息を吐きながらそう言うと、貫通してしまったグローブを外してその場にポイと捨てる。

 その光景を、周囲の客達が呆然とした表情で見つめていた。

 とは言っても、それも当然だろう。

 十香は十人とすれ違ったら十人が振り返るような、まさに世が世ならば国を傾かせたかもしれない美貌の少女である。

 そんな少女の目の前で、壊れたパンチングマシンがファンファーレをエンドレスで鳴らし続けているのだ。これで驚くなと言う方が無理である。

「そ、そうか……。そりゃ何よりだ……」

 士道は額に冷や汗を浮かべてそう言うと、周りの客達が自分達に視線を向けている事を感じ取りながら、十香と一緒にゆっくりとした足取りでゲームセンターの中を歩いて行く。

 これほどまでに注目を浴びてしまっている理由は分かりきっている。

 先程のパンチングマシーンが原因、ではない。実は十香はついさっきのパンチングマシンの前にも、モグラ叩きに腕相撲マシンなど、身体能力がモノを言うゲームをことごとくクリアしていたのだ。

 無論、この場合の『クリア』とは、文字通りの消去(クリア)の事である。注目を浴びてしまうのも無理からぬことであった。

 ちなみに、十香の最初の犠牲者であるモグラ叩きをクリアした際にゲームセンターの店員が慌てた表情で飛んできたのだが、その彼はラタトスクの機関員と思しき黒服の大男にどこかへと連れて行かれてしまった。今の士道にできる事は、彼の安全を祈る事だけである。

「うむ、面白いな、ゲェムとやらは!」

「そ、そうか……」

 士道は無邪気に笑う十香にそう返すと、力なく苦笑した。

 小声で、インカムに声を発する。

「……おい琴里。本当に大丈夫なんだろうな、これ」

『ええ。事後処理はラタトスクに任せてもらって構わないわ。注目を集めてしまうのはうまくないけど……今は十香のストレス発散が最優先よ』

「なら良いけどよ……」

「シドー?」

「……っ! な、なんだ?」

 急に十香に話しかけられて、士道はビクッと思わず肩を震わせてしまった。

 十香はそんな士道を不思議そうな顔で御手から、ゲームセンターの中をぐるりと見回した。

「次はどのゲェムで遊ぶのだ?」

「あ、ああ、何にするかな……」

 そう言いながら、士道が辺りを見やっていると、

『ん、ちょっと待ちなさい』

 インカムから、再び琴里の声が聞こえてきた。

 

 

 

「……さて、次は何にしようかしらね」

 天宮大通り上空一万五千メートルに浮遊する空中艦フラクシナスの艦橋で、琴里は椅子にふんぞり返りながら口に咥えたチュッパチャップスの棒をぴこぴこと動かした。

「令音。十香の機嫌はどんな具合?」

 琴里が問うと、艦橋下段でコンソールをいじっていた令音が目元の隈を擦りながら唇を開く。

「……ん。もう良好と言っても問題ないだろう。筐体は破壊されているものの、威力もだんだんと落ち着いてきている」

「え、あれでですか?」

 令音の座っている席から少し離れた席に座りながら画面を見ていた広瀬が、怪訝な表情を浮かべながら言った。彼女が座っている席は、つい最近ラタトスクに協力する事を決めた広瀬のために特別に作られた物である。

「……確かに破壊力は凄まじいが、あれでも最初よりもだいぶ抑えられている。彼女の機嫌が直ってきている証拠だよ」

「あれで、ねぇ……」

 中央スクリーンを見て頬杖を突きながら、広瀬が呟いた。

 現在艦橋の中央スクリーンには、十香の姿がバストアップ姿で映し出されている。

 そしてその周囲には、『機嫌』や『好感度』をはじめとする各種パラメータが並び、ご丁寧にテキストウインドウまで表示されていた。

「そう。それは何より」

「……ああ。ただ、一つ気になる事が」

「何?」

「……機嫌は良くなっているのだが、どうも不安感の数値が高くてね。何か心配事でもあるのかもしれないな」

「心配事、ね。……士道、何が心当たりは?」

 琴里がマイクに向かって言うと、すぐに士道の声が返ってきた。

『いや、ちょっと分からんが……』

「そう。役立たず」

『「………」』

 あんまりな言いように、士道だけではなく艦内にいる広瀬も士道と同じように思わず沈黙した。

「まあ良いわ。とりあえずもう少し遊ばせて様子を見ましょ。……それで広瀬さん、アンデッドの反応は?」

 琴里は中央スクリーンから広瀬に視線を移しながら尋ねた。十香の霊力を封印した日のように、また突然アンデッドが現れてデートが無茶苦茶になったりしたら困る。そうならないために、広瀬達BOARDが所有するアンデッドサーチャーには常に目を光らせてもらわなければならない。

 しかし広瀬は首を横に振って、

「反応は無いわ。今の所は大丈夫だと思うけど……油断はできないわね」

 すると、令音がその眠たそうな両眼を広瀬に向けて尋ねた。

「……前から気になっていたんだが、君達BOARDはどうやってアンデッドを探知していたんだい?」

 これほどの科学力を誇るラタトスクでも、アンデッドがいつどこに出現するかまでは分からなかった。それはこの組織があくまでも精霊と対話するために作られた組織であって、アンデッドを封印するために作られた組織ではない事もあるのだが、それでもいつ現れるか分からないアンデッドの出現をどうやって探知していたのかが気になるのだろう。

 広瀬もモニターから令音の顔に視線を移すと、彼女のその質問に答える。

「いくらアンデッドサーチャーでも、常にアンデッドの反応を探知できるわけじゃありません。だけど、人を襲ったりする事でアンデッドの攻撃バイオリズムが上昇するんです。そしてその攻撃バイオリズムが一定値を超える事で、ようやくアンデッドの反応がアンデッドサーチャーに引っかかるようにできてるんです」

 広瀬の説明に、チュッパチャップスの棒をピコピコと上下に揺らしながら琴里がふんと鼻を鳴らした。

「つまり、人が襲われてから初めてアンデッドの居場所が分かるって事ね。人が襲われる前にどうにかする事は出来ないの?」

「それを言われると耳が痛いわね。でも、いくらBOARDの技術でも隠れているアンデッドを探知する事は未だできていないの。それはあなたも十分よく分かっているでしょ?」 

 広瀬がため息まじりに言うと、琴里が何故かむっと黙り込んでしまった。

 その理由は、広瀬がこのフラクシナスにアンデッドサーチャーを持ち込んできた日にまで遡る。

 アンデッドサーチャーをフラクシナスの高性能AIに接続した広瀬と琴里は、一種の希望を胸に抱いていた。それは、フラクシナスのAIと接続したアンデッドサーチャーならば、今まで隠れていて姿を見せなかったアンデッドも発見できるのではないかというものである。もしもそれが可能になれば、アンデッドに襲われる人達の数を圧倒的に減らす事が出来るし、士道と精霊とのデートも円滑に進む。

 しかし、現実はそんなに上手くいかなかった。アンデッドサーチャーとAIを接続し、探索範囲が格段に広がった所までは良いものの、この世界のどこかに隠れているアンデッドを探知する事は出来なかった。どうやら、さすがのフラクシナスのAIでもどこかで息をひそめて隠れているアンデッドを見つける事は出来ないらしい。

 その時の事を思いだして、琴里は舐めている飴玉をガリッと噛んだ。

「結局、今はアンデッドが人を襲って姿を現すのを待つしかないって事ね」

「悔しいけど、それしか方法が無いのも一つの事実よ。それより、今は五河君と十香ちゃんのデートを上手く進める事が大事よ。次はどうする?」

 広瀬が琴里に尋ねると、琴里はふうと息を吐いてから口を開いた。

「そうね。じゃあとりあえず……」

 こうして、少年と精霊とのデートをサポートする作戦は、さらに続いていく。

 

 

 

 

一方その頃、始と天音は天宮大通りにある洋服屋から出てきていた。始の片手には彼が購入した洋服が入った紙袋が握られており、その紙袋と始の顔を交互に見ながら天音が嬉しそうに言った。

「カッコいいのがあって、良かったね! 始さん」

「うん、そうだね」

 その天音に笑顔を向けながら、始が相槌を打つ。

 天音とこの店に来てから一通り店内を見て回ったものの、始自身あまりファッションにあまり興味が無かったためにどの服が自分に似合うのかいまいちよく分からなかった。なので、天音にどの服が自分に似合いそうかアドバイスをもらいながら服を選んでもらったのだ。

 天音がまだ小学生とは思えないその観察眼で始に似合う服を選んでくれたおかげで、始は三着ほど自分の服を着る事が出来た。本当なら天音の服も買ってあげたかったのだが、天音から「これは始さんのための買い物だから良い!」ときっぱりと言い切られてしまったため、今回は買っていなかった。

 服を買った代償として自分の持ち金がだいぶ減ってしまったが、それでも派手に無駄遣いなどをしない限りは十分なほどの額は残っている。伊達に友人と遊びに行かずに、せっせと勉強とハカランダでのバイトに勤しんでいるわけではない(とは言っても、遊びに行く友人もいないというのが実際の理由なのだが)。

 始は自分の左手首に巻かれている腕時計を眺めながら、天音に聞いた。

「まだ早いけど、そろそろ帰ろうか?」

「えー、やだ! まだ始さんと一緒にデートがしたい!」

 天音がやや大きめの声でそんな事を言うと、周りの人達の視線が始に向けられる。中には、クスクスと笑っている人までいる。始はやれやれと肩をすくめながらも、天音の言葉に従おうとしている自分に気づき、目の前の少女に気付かれないほどの微かな驚きを覚えていた。

 これが別の人間だったら、自分はその人間をここに置き去りにしてさっさと帰っているだろう。それどころか、我が儘を言うなと冷たく突き放しているかもしれない。

(………何故だろうな)

 目の前の少女の愛くるしい顔を見つめながら、始は心の底からそう思う。今まで自分は人間に対して特に何の感情も抱いていなかったのに、この少女と彼女の母親に対してだけは自分でもよく分からない感情が芽生えてきているのが自分でも分かる。そしてその感情は、きっと彼女達と一緒に生活してきたからこそ生まれたのだという事も。

 そんな事を思いながら始が無表情で黙っていると、天音が何かを恐れているような表情と声音で始に尋ねた。

「あ……やっぱり、駄目?」

 どうやら、自分が我が儘を言ったせいで始が怒ったのではないかと思っているらしい。そんな天音の内心に気付き、始は表情を和らげると、天音の頭をゆっくりと撫でた。

「ううん、大丈夫。じゃあ、どこに行こうか?」

 するとその直後、天音の表情がまるで花が開くように輝いた。彼女は始の顔を嬉しそうに見上げながら、

「じゃあね、私ゲームセンターに行きたい! 始さん、良い?」

 それを聞いた始は、財布を取り出して残金を確認する。先ほどの服で結構使ってしまったものの、ゲームセンターで少し遊ぶ分には問題ないほどの金額はちゃんと残っている。始は天音に笑顔を向けながら言った。

「良いよ。だけどあまり遠くには行けないから、この通りのゲームセンターで良い?」

「うん!」

 天音は頷くと、笑顔で始の右腕に抱き着いた。そして二人は天宮通りにあるゲームセンターへと向かった。

 ゲームセンターは同じ通りにあるので、そこに行くのには五分とかからない。目的地が二人の視界に入ったその時、始の目にある人物の姿が映った。

(……鳶一、折紙? 何故奴がここに……)

 それは、自分のクラスメイトの少女であり、精霊を倒す部隊の一員でもある鳶一折紙だった。一瞬他人の空似かとも思ったが、肩をくすぐるぐらいの長さの白い髪に、クラス中の男子を惹きつけているあの容姿はそうそう間違える者でもない。何故こんな場所とは一番縁がなさそうな彼女が、この場にいるのだろうか。

 そんな事を思っている始の目の前で、彼女はゲームセンターの中をじっと見つめてから、店内へと静かに入っていく。

「どうしたの? 始さん」

「あ、いや、何でもないよ」

 黙って立ち止まっていた始を訝しげに思ったのか、天音がきょとんとした声音で始に尋ねる。始は天音にそう言いながらも、周りに彼女以外の自分のクラスメイトがいないか確認する。

 彼女は教室でも基本的に一人で行動しているので友人と来ている可能性は無いだろうが、この周辺に彼女以外の生徒がいないとも言い切れない。その生徒が天音と行動している自分を見かけたりしたら、あとで余計な噂を立てられる可能性はある。

 だが始の心配は杞憂に終わったようで、周囲に来禅高校の生徒の姿は無かった。その事に少し安心しながら、始は天音の手を引いて店内に入る。正直に言うとあまり入りたくは無かったが、ここで帰ると言いだすとかえって天音に怪しまれるかもしれないからだ。

「何しようかな~」

 自分の隣で天音が呑気な声を出しているのを聞きながら、始は折紙がどこに行ったのか周囲に視線を飛ばす。

 すると、ゲームセンターの一角で彼女がUFOキャッチャーの前にいるのを発見した。彼女は小銭を機械に投入すると、ボタンを押してアームを操作する。

 遠めなのでよく分からないが、どうやら中に入っているのはパンダのストラップのようだ。それを見て、始はますます困惑を深めた。あんな物を彼女が取ろうとする理由が、まったく思いつかなかったからだ。彼女は一体、何が目的でパンダのストラップを取ろうとしているのだろうか。

 ちょうどその時、二人組の男達が始と天音の横を通り過ぎた。男二人の会話が、自然と始の耳に入ってくる。

「おい知ってるか? 今パンチングマシンとか腕相撲マシンとか壊して回ってるカップルがいるらしいぞ」

「マジで?」

「何、彼氏ボクサーとか?」

「いや、壊してるのは彼女の方らしい」

「はぁ、何だそりゃ?」

「………」

 それを聞いて、始はぴくりと眉の端を動かした。

 ただの人間の女性が、ただの腕力でパンチングマシンと腕相撲マシンを壊すのはあり得ない。だとすると、その女性は恐らく自分のクラスに何故かいる精霊の少女に間違いないだろう。

(何故このタイミングで……)

 始は横にいる天音をちらりと横目で見ながら、心の中で舌打ちをした。するとその直後、始の腕をぐいぐいと引っ張りながら天音が言った。

「ねえねえ始さん! レースゲームしようよ一緒に!」

 その顔は始の心など全く知らない、無垢そのものの笑顔だった。彼女の浮かべている笑顔で、始は自分の中の苛立ちが即座に消え去っていくのを感じる。それを始自身不思議に思いながらも、柔らかい笑顔を浮かべて頷いてから車の運転席を模した筐体に向かった。

 

 

 

 

「……すまん」

「いや……こっちこそ、悪かった」

 フラクシナスのAIが導き出した選択肢でプリクラを撮る事になった士道と十香は、プリクラのエリアにいた。しかし何故かそのエリアにいる士道の頬は腫れており、十香は申し訳なさそうな顔をしながら士道に謝っていた。

 その原因は、ついさっき十香がプリクラの筐体で写真を撮った時に起こった。

 十香が筐体で写真を撮っている間、士道は十香が写真を撮り終えるのを待っていたのだが、機械の外部についている写真の取り出し口に出てきた十香のプリントシールを見た時、士道は思わず顔を真っ赤にして絶句した。

 何故ならば、その写真に写っていた十香の姿は全裸の状態だったのだ。

 それに慌てた士道が迂闊にも機械にかかっていたカーテンを開けると、そこには下着と膝まで上げた黒いニーソックス以外何も身に纏っていない十香がいた。そして次の瞬間、士道の顔面に十香の強烈な一撃が叩き込まれたというわけだ。

 何でも琴里の話によると、十香は基本的にラタトスクで保護した時に撮影したデータ用の写真ぐらいしか経験が無いらしく、しかもそのデータ用の写真は基本全裸での撮影であるとの事らしい。恐らく彼女がプリクラを撮るときに全裸の状態だったのは、写真を撮るときは裸にならなければならないと彼女が勘違いしたからだろう。

 士道はその時の一撃で腫れあがった頬をさすりながら、十香に言う。

「でも……まあ、覚えとけ。写真撮るときに服脱ぐ必要はねえから」

「……ん、覚えておく」

 十香がしょぼんとした様子で頷くと、士道の耳のインカムに琴里の呑気な声が聞こえてきた。

『あっはっは、まだ首が付いてるだなんて、運が良かったわね士道』

 すると彼女のその言葉に抗議するかのように、士道はインカムをコンコンと小突いた。

『ま、十香の機嫌がそこまで回復したって事よ。目標は達したわね。あとは不安感の数値さえ何とかなれば言う事なしなのだけれど』

「……不安感、ねえ」

 士道は十香に目を向けてから、思わず首を傾げた。

 十香がいつの間にか、右手にあるUFOキャッチャーに張り付いていたからだ。

「十香? どうした?」

「シドー、これはどうやって取るのだ?」

「ん、それはこのボタンを押してだな」

 士道は簡単に目の前の機械の操作を教えてやりながら、UFOキャッチャーの中に並んでいる景品をちらりと見てみる。

 中にはパンダローネストラップが、個別に包装されて散らばっていた。

「と、まあ、こんな感じだ」

「ふむ」

 十香はそう言うと、財布から百円玉を取り出して小銭の投入口に入れる。

 そして今し方士道が教えた様にボタンを操作して、アームを動かす。

 だが、アームはストラップにかすりもしなかった。

「むう、難しいな」

「ま、こういうのは慣れないと難しいしな。欲しいんなら取ってやろうか?」

 だが、十香は何故か首を横に振った。

「いや、それでは意味が無いのだ。私にやらせてくれ」

「そうか。……ああ、じゃああれを狙ってみたらどうだ? 一番取りやすそうだ」

「ぬ?」

 士道の指の先を十香が追うと、そこには白黒が逆転したパンダローネが絶妙な角度で立っていた。ビニール包装に上手くアームを引っ掛ける事ができれば、間違いなく取れるはずである。

「おお!」

 それを見て十香は目を輝かせると、再度百円玉を投入する。

 そしてボタンを操作して、アームがちょうどビニール包装の穴に引っかかった。

「おお、やったぞシドー! ああ、上手い上手い。良い位置だったっつっても、よく二回目で取れたな」

「うむ、ではこれを……」

 と、十香はそこで言葉を止めた。

 アームが取り出し口の上まで戻って来たにもかかわらず、景品が落ちてこないのだ。

「な、なんだこれは?」

「あー……取れなくなっちまってるな。ま、こういう場合は店員さんに言えば……」

「ふん!」

 士道の言葉の途中で、ばぎゃっ! という破壊音が鳴った。十香がパンチを繰り出して、UFOキャッチャーのプラスチック部分に穴をあけたのだ。

「……十香?」

「ん」

 十香は何事も無かったかのようにアームに引っかかっていたネガパンダローネを取ると、満足げに頷いた。

「うむ、帰るかシドー」

「あ、ああ。そうだな」

 そう言って二人は、ゲームセンターを出ていく。

 その一部始終を見ていた影が、一つあった。

「……馬鹿力が」

 それはアーケードゲームの筐体の陰に隠れている始だった。彼のすぐそばの筐体では天音がコントローラーを握って、きゃっきゃっと騒いでいる。

 彼らに見つからないかと内心冷や汗をかいていた始だったが、その心配は杞憂に終わった。彼らは隠れている始に気付く事なく、ゲームセンターを出て行った。二人の姿が無くなった事を確認した始は筐体の陰から出ようとするが、ついさっき見かけた人物がまたもや始の視界に入ってきた。

 その人物は、ついさっきまでUFOキャッチャーの前にいたはずの折紙である。

 折紙はUFOキャッチャーの前で足を止めると、目の前の筐体をじっと見つめている。何故か始の目には、今の彼女の身体から怒気のようなものが発せられているのが見えた。

 と、そんな時だった。

「はーい、ちょっとすいませんねー」

 そんな声と共にゲームセンター内に幾人もの作業員が入って来たかと思うと、見事な手際で壊れたUFOキャッチャーを運搬用の器具に固定し、店外に運び出した。さらにその直後、外から新品の機械が運び込まれてきた。

「はい、では失礼しまーす」

 作業員がコード類を全て繋ぎ終えて、景品を入れ直し、動作チェックを済ませる。

 わずか、十分強の間で行われた出来事だった。

 しかも作業員達はそれだけでは済まさずに、先ほどの謎のカップルに破壊されたという別の機械も、同じように新しい物に交換していく。

「………」

 始はその様子を見て、その作業員達の正体について考えていた。

 彼らの動きから見ている限り、彼らはこの店の人間ではないだろう。この店の人間と考えるには、あまりに手際が良すぎる。普通機械が破壊されたならば、まずはこの店の上司などに連絡をし、さらにはいくつもの手続きを得てからようやく機械が補充される。だが彼らの場合はそれらの過程をすっ飛ばしすぎている。いくら何でもあれは不自然すぎる。まるで、士道と十香の行動を手助けしているような……。

(……五河の背後にいる組織か?)

 顎に手をつきながら、始は心の中でそう思う。

 数日前、始は士道がアンデッドの力を利用して異なる姿に変身しているのを覚えていた。変身の際に士道が用いていたあのベルトは、きっと人間の組織が作り出したものだろう。だとするならば、今回の士道と十香のデートをサポートしているのは士道の背後にいる組織の可能性があると始は考えていた。

 しかし実際に士道のデートをサポートしているのは、士道が所属していたBOARDではなくラタトスク機関である。が、始がその事を知らなくても無理はない。始はどのような組織が存在するのか、そしてBOAROという組織が壊滅した事すらも知らないのだから。

(……まぁ、俺には関係のない事か)

 例え彼らがどんな組織であろうとも、自分や今敵キャラに負けて悔しそうな表情を浮かべている少女と彼女の母親にまで危害を加えなければ別に興味はない。仮に彼らが何らかの手段で彼女達に危害を加えようと言うのならば、その時は全力で排除するまでである。始は視線を鋭くしながら、そう思った。

 ちなみに、交換されたUFOキャッチーでようやく目当ての物を手に入れる事が出来たのか、折紙が無表情のまま軽くガッツポーズをしてスキップをしながらゲームセンターを出たが、そろそろ帰ろうと天音を促している始がそれに気づく事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ……」

 ようやくゲームセンターから出た士道は、天宮大通りにある自動販売機でジュースを買っていた。本来ならばとっくに家に帰っている時間なのだが、大通りに並んでいたクレープの屋台になどに十香が強い興味を抱いてしまい、今まで彼女の買い食いに付き合っていたのである。

 そして十香に付き合っている内に喉が少し乾いてしまったので、彼女を屋台の近くに待たせてジュースを買いに来たというわけである。

 自動販売機の取り出し口から缶ジュースを取り出した士道は十香の元に帰るために振り返るが、ちょうどその時自分の後ろに並んでいた少年と視線が合った。

 いや、視線が合うどころの話ではない。少年の顔を見た士道は、思わず少年の名前を口にしていた。

「あれ? お前、相川?」

 士道の後ろに並んでいたのは、クラスメイトである相川始だった。彼は士道に名前を呼ばれるなり、まるで苦虫でも噛み潰したような表情を浮かべている。どうやら、士道に気付かれた事が相当嫌だったようだ。

 露骨に嫌そうな表情を向けられた士道は、気まずさのあまり頬をぽりぽりと掻きながら言った。

「よ、よぉ相川。こんな所で会うなんて奇遇だな」

「俺はお前に会いたくなかったがな」

 始から放たれたのは、何の遠慮もない言葉だった。俺何かこいつに嫌われるような事したかな……と士道は思いながら、何とか場を和ませようとして始に尋ねる。

「もしかして、デートとかか?」

「……お前に話す義理は無い。分かったらさっさとそこをどけ」

 そう言うと、始は士道の体を片手で無理矢理どかすと自動販売機に小銭を入れるために財布を取り出した。これ以上ここにいても始の機嫌を悪くするだけだと悟った士道がジュースを持って立ち去ろうとしたその時だった。

「きゃあああああああっ!!」

 突然、どこからか少女の声が聞こえてきた。その声に士道は思わず顔を強張らせるが、財布を手に持っていた始はその悲鳴を聞いて目を大きく見開いていた。

「天音ちゃん……!?」

 そう呟くなり、始は声が聞こえてきた方向に向かって勢いよく駆けだして行く。それを見た士道も慌てて始の後を追いかけて行った。

 二人が悲鳴の聞こえてきた場所にたどり着くと、そこにいたある生物を見て士道は目を剥いて叫んだ。

「アンデッド!?」

 それは、百足によく似た姿を持つアンデッドだった。左腕から胸にかけてが赤く、逆に右半身は黒い。肩口には大百足、顔はマスクのような物で覆われており表情を窺う事が出来ない。腰にはアンデッド達の特徴であるバックルが装着されていた。

 アンデッド――――センチピードアンデッドの周りには、複数の人間が倒れていた。彼らの顔や体には、センチピードアンデッドのものと思われる緑色の液体がかかっている。

 そして、倒れている人達の中にいる少女を見て、士道と始は声を上げた。

「十香!!」

「天音ちゃん!!」

 その少女達は、今日士道と始と一緒に行動していた十香と天音だった。二人共緑色の液体を浴びて、ぐったりとした状態で横たわっている。十香の姿を見た士道の頭が怒りで一気に熱くなると同時に、士道の耳に装着されていたインカムから琴里の声が発せられる。

『士道! 分かってると思うけど、アンデッドよ!』

「見れば分かる!!」

 士道は怒鳴り返しながら、ブレイバックルとラウズカードを取り出してバックルにカードを装填する。そして腰にブレイバックルを装着すると、右手の人差し指と親指を立ててゆっくりと右腕を伸ばし、くるりと右手を回転させて叫ぶ。

「変身!!」

『Turn Up』

 勢いよくターンアップハンドルを引くと、ラウズリーダーが回転しそこから青色のオリハルコンエレメントが飛び出す。士道はオリハルコンエレメントを勢いよく通過してブレイドへと変身すると、ホルスターからブレイラウザーを引き抜いてセンチピードアンデッドに斬りかかる。その隙に、始は倒れている天音へと駆け寄った。

「テメェ、よくも十香を!! 」

 ブレイラウザーの斬撃を受けたセンチピードアンデッドの身体から火花が散り、その体が少しよろめく。さらにブレイドが追い打ちをかけようとするが、センチピードアンデッドは自らの武器である鎖鎌、ピードチェーンの鎖でブレイラウザーを握るブレイドの右腕を縛る。そのせいでブレイドの動きが止まってしまい、しかもセンチピードアンデッドが力強く鎖を引っ張る事で徐々にブレイドの身体がセンチピードアンデッドの方へと引き寄せられていく。このままでは間違いなく鎖と一体化している鎌の餌食になるだろう。

「くそ……なら……!」

 ブレイドは呻き声を上げながら、ブレイラウザーのオープントレイを展開してカードを一枚引き抜く。

 そしてついにブレイドとセンチピードアンデッドの距離が縮まり、センチピードアンデッドの鎌がブレイドを斬り裂こうとした瞬間、ブレイドは引き抜いたカードをブレイラウザーのスラッシュリーダーで読み込み、カードの力を発動する。

『METAL』

 音声と共にカードの絵柄がブレイドの胸部に吸収され、ブレイドの全身が銀色に輝く。直後、センチピードアンデッドの鎌がブレイドの体を斬り裂こうとするが、カードの力によって防御力が上がったブレイドの体はその攻撃をいとも容易く弾き返した。その結果、センチピードアンデッドの体がふらつき、ブレイドの右腕を戒めていた鎖の拘束も解ける。ブレイドは力強くブレイラウザーを握りしめると、まるですくい上げるようにセンチピードアンデッドの体を斬り裂いた。センチピードアンデッドの体が宙を舞い、地面を転がる。ブレイドはさらにオープントレイからカードを二枚取り出すと、スラッシュリーダーで読み込む。

『SLASH』

『THUNDER』

『LIGHTNING SLASH』

 ブレイラウザーから音声が発せられると、カードの絵柄がブレイラウザーに吸い込まれ、刃の切れ味が高まると同時に雷の力が宿る。ブレイドはゆっくりと剣を構えると、センチピードアンデッド目掛けて勢いよく走り出した。

「うおぉおおおおおっ!!」

 だが、それを見てた始ははっとした表情を浮かべると自らの腰にカリスラウザーを出現させ、ラウズカードを取り出すとブレイドへと勢いよく走り出す。

「変身!」

『Change』

 そしてラウズカードをラウザーユニットで読み込むと、ブレイドとは異なる音声が発せられ、始の姿は瞬時に黒いライダー――――カリスへと変異した。カリスは右手に専用武器であるカリスアローを出現させると、今まさにセンチピードアンデッドを斬り裂こうとするブレイドにカリスアローを振るった。

「ぐああああっ!?」

 不意打ちを受けたブレイドの胸部から火花が散り、ブレイドは大きく吹き飛ばされて地面を転がった。その上、ブレイバックルのラウズリーダーが自動的に回転して青色のオリハルコンエレメントが飛び出すと、それがブレイドの体を通過して変身が強制解除されてしまい、ブレイドは士道の姿に戻ってしまう。痛む体に鞭を打ちながら、士道は驚愕の眼差しをカリスに向ける。

「相川……お前が……あの黒いライダーだったのか……!?」

 自分のクラスメイトの正体を知って士道は愕然とした声を出したが、当のカリスは自分とは違う方向に視線を向けていた。士道も同じ方向に視線を向けると、センチピードアンデッドが素早い動きでその場から逃げて行ってしまった所だった。

「くそっ……!」

 カリスは毒づきながら、カードケースから一枚カードを抜き取るとラウザーユニットでカードを読み込む。

『Spirit』

 再び音声が発せられると、カリスの目の前に半透明の光の壁が出現し、カリスが壁を通過するとカリスは始の姿に戻った。士道は胸元を抑えながら立ち上がると、険しい表情を浮かべている始に詰め寄った。

「色々と聞きたい事はあるけど、それは後回しだ! お前、どういうつもりだよ!? どうしてアンデッドを護ったりしたんだ!!」

 すると始は士道の顔をギロリと睨み、

「奴を護ったつもりはない。大体あのまま奴を封印していたら、後悔していたのはお前の方だぞ」

「……!? それって、どういう……」

 士道がさらに質問をしようとした、その時だった。

「シ……ドー……」

 どこからか聞こえてきた自分を呼ぶ声に士道が振り向くと、そこにはうっすらと目を開けて自分を見ている十香の姿があった。

「十香!!」

 士道は倒れている十香に駆け寄ると、彼女の体を両手で持ち上げるようにして起こす。しかし彼女から伝わってくる熱に、士道は思わず目を見開いた。彼女の体温は、こうして触っているだけで異常と分かるほどの高熱を発していた。良く見てみると、彼女の顔が熱で紅潮しているのが分かる。こうしている今も、十香は死にそうなほど苦しいはずだ。

 なのに、彼女は士道の顔を見てにっこりと笑った。

「シドー……お前は、無事だったのだな……。良かった……。怪我とかは……していないか……?」

「お、俺よりお前の方がやばいだろ!! 待ってろ、すぐに救急車を呼んでるからな!!」

 必死に携帯電話を取り出そうとする士道を見て、十香は心配をかけまいとするかのようにうっすらと笑みを浮かべていたが、やがて高熱で意識を保つ事すらできなくなったのか両目を閉じてしまう。力の抜けた十香の体を信じられないと言うように見つめながら、士道は彼女の体を揺する。

「おい十香!! しっかりしろ!! おい、十香、十香ぁああああああああああああっ!!」

 夕日が照らす天宮大通りに、士道の血を吐くような叫び声が響き渡った。

 

 

 

 

 



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第十二話 青と黒の共闘

お久しぶりです。ようやく第十二話を投稿する事ができました。最近始まった仮面ライダーエグゼイド、自分的には結構楽しく見させていただいています。主人公がゲーマーなので、感情移入がしやすいんですよね。自分もゲーマーなので。いつか自分が書いている小説であの決め台詞を出してみたいなぁ……。


 ガラガラガラ!! と病院の廊下にストレッチャーのけたたましい音が鳴り響く。ストレッチャーの上には、口に酸素マスクを付けられた十香が苦しそうな表情で寝かせられている。

「十香! 十香!」

 そのストレッチャーに併走する形で、士道が必死に呼びかける。だが、そんな士道の呼びかけもむなしく十香は目を覚まさない。

 やがてストレッチャーはさらに速度を増して、真正面の開かれた大きな扉の中へと吸い込まれていった。そして呆然とした表情を浮かべながら足を止めた士道の前で、非情にも扉は閉じられてしまう。士道はふらふらと力のこもっていない足取りでそばにあったベンチに座り込むと、顔を下に向けてうなだれこんでしまった。しばらくそうしていると、真正面に人の気配を感じて士道は顔を上げた。するとそこには琴里と令音が、自分を見下ろしていた。令音はいつもと同じ無表情、琴理は険しい表情を浮かべていたが、どこか自分を心配しているような色がうかがえる。琴理は冷たいお茶が入った缶を士道に差し出しながら言った。

「これでも飲んで、少し落ち着きなさい。今焦っても、事態は何も変わらないわ」

 そう言われて、士道はのろのろとした動きで目の前の缶を受け取り、プルタブを開けてからすぐさまお茶を喉に流し込む。そのおかげか、先ほどよりも頭が冷えたような気がした。缶の飲み口から口ぶりを離すと、二人に尋ねる。

「十香と他の人達の容態は、どうなんだ?」

 その問いに答えたのは令音だった。

「……正直言って、良いとは言えない。アンデッドに襲われた全員、今も昏睡状態のままだ」

 センチピードアンデッドが逃走した後、十香を含め、センチピードアンデッドに襲われた人々はすぐに救急車で病院まで運ばれた。とは言っても精霊である十香をただの医者に任せるわけにもいかないので、彼女を治療するのは病院内に紛れ込んでいるラタトスクの機関員である。ついさっきストレッチャーを運んでいたのも、機関員の人々だ。 十香以外の患者達はこの病院の医者達が担当しているようだが、彼らも患者の治療にてこずっているらしい。士道はギリ……と奥歯を噛み締めると、血を吐くような声で言う。

「十香達を治す事はできないんですか?」

「……ついさっき届いた、アンデッドの毒を解析していた栞の報告で、アンデッドの毒はセロトニンとヒスタミン系の猛毒だという事だけは分かった。だが、アンデッドの毒であるせいか既存の解毒薬がまったく効かないようだ。それは治療用の顕現装置(リアライザ)を使っても同じらしい」

「じゃあ、このままじゃ十香は……!」

 士道が絶望的な声を上げると、琴里は顔をしかめて唇を噛み締め、令音もどこか険しい表情を浮かべている。二人の表情を見て、このままでは十香とたくさんの人々の命が危ない事を悟った士道は、頭を抱える。

(くそ……! 一体、どうしたら良いんだよ!)

 と、そんな時。士道の脳裏にある人物の姿が思い浮かんだ。

「そう言えば……相川は?」

 相川始。士道と十香のクラスメイトにして、前に正体不明の黒いライダーとして士道を襲った謎の少年。彼は確か士道がアンデッドを妨害した後、十香と同じように救急車に運ばれた付き添いの少女と一緒にこの病院に来たはずだが……その彼は一体どこにいるだろうか。

 その士道の問いに、琴理と令音は顔を見合わせてから、琴理が口を開く。

「相川始なら別の病室にいたけど、ついさっきどこかに行っちゃったわよ。たぶん下の駐輪場に行ったんだと思うけど……」

 それを聞くなり士道は立ち上がると、全速力で病院の廊下を走り出した。

「ちょ、ちょっと士道!?」

 驚いた琴理の声が士道の背中に放たれるが、士道はそれを無視して駐輪場へと走る。途中ですれ違った看護師から注意の声が士道に飛ぶが、それすらも無視した。

 士道の戦闘を妨害し、そのおかげでセンチピードアンデッドが逃げ去った後、始はこんな事を言っていた。

『奴を護ったつもりはない。大体あのまま奴を封印していたら、後悔していたのはお前の方だぞ』

 どうして始がアンデッドの事を知っていたのかは分からない。だが、彼のあの口ぶりからして始は何らかの意図をもって士道のアンデッド封印を妨害した可能性は非常に高い。でなければ、わざわざ自分の正体をさらしてまであんな事をする意味がない。

(あいつなら、十香や他の人達を助ける方法を知っているかもしれない……!)

 そう思いながら士道が病院の外に出て駐輪場の方を見ると、ちょうど自分のバイクに座った相川始がいた。士道は焦った表情で始のバイクのそばまで駆け寄ると、ヘルメットをかぶろうとしていた始が士道に視線を向けた。

「何の用だ」

「お前、あの時どうしてアンデッドを封印するのを邪魔したんだ!? もしかしてお前、あのアンデッドの事や、十香達を助ける方法を知ってるのか!? だったら、教えてくれ!」

 すると始はヘルメットをかぶりながら、

「奴の毒を完全に消す解毒薬を作るためには、奴の持っている抗体が必要になる」

「抗体?」

「ああ。それが無ければ、解毒薬を作る事は出来ない。このままなら、あの精霊は死ぬ」

 十香が、死ぬ。

 その言葉を聞いた直後、士道は自分の頭がハンマーか何かで殴られたような錯覚を覚えた。そんな士道を無視して始がバイクのエンジンを入れると、士道がかすれた声で言う。

「どこに行くんだ……?」

「奴から抗体を奪い取る」

 なっ、と士道は驚いた声を出してから、センチピードアンデッドに襲われた現場で始が一人の女の子の声を呼んでいた事に気づく。確かその少女も、センチピードアンデッドの毒で倒れていたはずだ。だとしたら、彼はきっとその少女を助けるために抗体を取りに行くのだろう。

 士道はバイクの前に飛び出すと、迷惑気な顔をしている始に言った。

「頼む! 俺も一緒に連れて行ってくれ!」

「……何?」

 始が士道の顔を訝しげに見ると、士道は俯きながら唇を噛んだ。

「十香が苦しんでるのに、俺だけ何もしないなんて耐えられないんだよ……! だから頼む! 俺も一緒に連れて行ってくれ!! 俺にできる事は何でもするから!!」

 叫びながら、士道は必死に想いで頭を下げた。始はしばらく士道の頭を見つめていたが、やがてはぁとため息をつくと士道に告げた。

「何でもする、とは本当だろうな」

「っ! ああ!」

 顔を上げた士道が頷くと、始は予備のヘルメットを取り出すと士道に無造作に放り投げた。それを了承の印だと受け取った士道は、急いでヘルメットをかぶると後ろの座席に乗り込む。

「って、二人乗りして大丈夫か?」

「免許を取ってから一年経った。余計な心配はいらん」

 そんな会話をかわしてから、二人を乗せたバイクは発進した。

 

 

 

 

 二人を乗せたバイクが走り始めてから数十分後、バイクの後ろの席に座っていた士道はある事に気づいて始に言った。

「なぁ、相川! だけどどうやってアンデッドを捜すんだ!? 闇雲に捜してたんじゃ、十香達が!!」

 慌ててバイクに乗ってしまったが、広瀬からの反応がない以上アンデッドの居場所は分からない。士道の言う通りこのまま闇雲に捜していたら、その前に十香やたくさんの人達の命の方が先に尽きる。

 しかし始はうるさそうに顔をしかめると、振り返る事なく声だけを士道に送る。

「余計な心配はいらん、と言ったはずだ。奴の居場所はすでに分かっている。……着いたぞ」

 え? と士道が間抜けな声を出すと同時に、始のバイクが止まった。

 そこは、天宮市からかなり離れた位置にある海岸だった。二人の目の前には砂浜が広がり、時期が時期なせいか人影はまったくない。しかしその代わりというべきか、砂浜に一体の異形が立っていた。

「あいつは、あの時の……!」

 バイクから降りてヘルメットを外しながら、士道は呻く。そこに立っていたのは間違いなく十香とたくさんの人達を襲ったアンデッド……センチピードアンデッドだった。士道が砂浜まで走ると、その後を追うようにヘルメットを外した始も走り出す。

 すると二人の存在に気づいたのか、センチピードアンデッドが唸り声のようなものを上げながら二人に視線を向けた。士道は立ち止まるとブレイバックルを取り出してラウズカードを装填し、腰に装着する。その横に始も並び立つと、彼の腰にカリスラウザーが何の前触れもなく出現する。そして士道は右手の人差し指と親指を伸ばしながら右腕を伸ばし、始はポケットからラウズカードを取り出してゆっくりとカードを持つ右手を上げてから、同時に叫ぶ。

「「変身!」」

『Turn Up』

『Change』

 士道がターンアップハンドルを引き、始がカードをラウザーユニットで読み取ると、ブレイバックルからオリハルコンエレメントが飛び出し、士道がゆっくりと歩いてオリハルコンエレメントを通過するとその体に瞬時にブレイドアーマーが装着され、士道はブレイドに変身する。一方の始もその体が一瞬水の波紋のようなものに包まれると、次の瞬間勢いよく波紋が弾け飛び、始はカリスへと変身を遂げる。

 ブレイドが左太腿のラウザーホルスターからブレイラウザーをゆっくりと引き抜くと、自分達に迫ってくるセンチピードアンデッドを睨みながらカリスに尋ねる。

「で、俺は何をすれば良いんだ?」

「奴と戦って、時間を稼げ」

「……? どうしてだ?」

 するとカリスは、その手にカリスアローを出現させながら冷静に告げた。

「奴の抗体は奴の体の一部にある。だがただ封印するのならまだしも、戦いながら抗体を見つけ出すのはさすがに難しい。お前は奴と戦って、俺が抗体を見つけ出すまでの時間を作れ」

「なるほど。分かった」

「だが、絶対に封印だけはするな。そんな事をすれば、奴から抗体を見つける事ができなくなる。あの精霊の命を助けたかったら、抗体を見つけるまで封印はするな」

「……了解」

 ブレイラウザーを握る手に力を込めながらブレイドは返事をする。そして目の前のセンチピードアンデッドを鋭い視線で見据えると、足を地面に叩きつけてセンチピードアンデッドへと突進した。

「おおおおおおおおおおっ!!」

 するとそれを迎え撃つかのように、センチピードアンデッドもブレイドに向かって走り出す。ブレイドは手にしたブレイラウザーを力強くセンチピードアンデッドに振るうが、センチピードアンデッドは自分の右肩の先端部分を掴むと、その先端部分が分離してまるで刃のようになる。その刃を持ってブレイラウザーの斬撃を受け止めると、反撃と言わんばかりに強力な左ストレートをブレイドの胸部に向かって放つ。

「がはっ!」

 ブレイドの肺から酸素が無理やり吐き出され、後ろにのけ反りながらもブレイドはセンチピードアンデッドとの距離を離そうとする。しかしセンチピードアンデッドは手に持った刃をブレイドに向かって投げると、刃はブレイドの胸部に見事命中してからブーメランのような軌道を描いてセンチピードアンデッドの手元に戻ってきた。

「くそ……近距離も遠距離もダメなのかよ……!」

 ブレイドは呻きながらも、ブレイラウザーを構えなおす。左手をブレイラウザーの峰に当てながら、背後にいるカリスに叫び声をあげる。

「まだ抗体は見つからないのか!?」

「そんな簡単に見つかるわけがないだろう。もう少し時間を稼げ」

 冷静なカリスの言葉だが、よく聞いてみると若干の焦りが混じっているのが分かる。やはり彼も、早く抗体を手に入れなければならないと考えているのだろう。ブレイドは時間稼ぎになるカードがないか思考を巡らせるが、今の自分の手元にそんなカードはない。ブレイドは奥歯を噛み締めると、再びブレイラウザーを握りしめてセンチピードアンデッドに突進する。

 案の定センチピードアンデッドから刃が飛んで来るが、ブレイドは飛んできた刃をぎりぎりかわすとセンチピードアンデッドに拳を放つ。拳は見事に顔面に直撃し、センチピードアンデッドがよろめく。追撃としてブレイドがブレイラウザーを振るうが、センチピードアンデッドはその攻撃をかわすと自分のもう一つの武器であるピードチェーンを取り出し、鎌の付いた鎖部分をひゅんひゅんと素早く回すとブレイドを攻撃する。

「ぐあああっ!!」

 ブレイドの鎧から火花が散り、その体が砂浜に投げ出される。その隙を見逃さずセンチピードアンデッドはブレイドに馬乗りになり、強力な腕力でブレイドの首を勢いよくしめる。

「ぐっ……!」

 息を詰まらせそうになりながらも、ブレイドはブレイラウザーのオープントレイを展開してカードを一枚引き抜くと、スラッシュリーダーで読み込んで刃をセンチピードアンデッドに当てる。

『THUNDER』

 音声と電子音性が鳴った直後、刀身に青白い雷撃が宿り、センチピードアンデッドを感電させる。

『ギャアアアアアッ!!』

 感電でセンチピードアンデッドが悲鳴を上げながら吹き飛び、砂浜にその体を叩きつける。ブレイドが絞められた首をさすりながら立ち上がると、センチピードアンデッドもすぐさま立ち上がった。これでひとまずは仕切り直しである。

 しかし、そう時間をかけてもいられない。こうしている今も、十香や他の人々の命は刻々と死に近づいているのだから。ブレイドは剣に左手を当てながら、低く意識を集中させると、再びセンチピードアンデットとの戦闘を開始した。

 一方、カリスアローを構えたカリスはじっとブレイドとセンチピードアンデッドの戦闘を観察していた。こうしている今も抗体がどこにあるのか捜している最中だが、未だ見つかっていない。

(どこだ……どこにある……!)

 自分の中の焦りと戦いながらカリスは自らの真紅の瞳、インセクト・ファインダーに意識を集中させてセンチピードアンデッドの体の構造を見通す。そしてそのまま身じろぎ一つせずセンチピードアンデッドの体を見ていたカリスは、ついに自分達の目的の物を発見した。

「どけ、五河!」

 直後、カリスアローからエネルギーで構成された矢が放たれ、カリスの声を聞いたブレイドは慌てて横に転がってその攻撃をかわす。結果、矢は見事にセンチピードアンデッドの右肩に直撃し、その右肩から破片のようなものが吹き飛ばされてブレイドの目の前に落ちた。

「これが、抗体……」

 破片を拾い上げてブレイドが小さく呟くと、ブレイドのすぐそばまで近寄ってきていたカリスがそんなブレイドに声をかける。

「お前は早くそれを病院に持っていけ。奴は俺が封印する」

「分かった! ……ありがとうな、相川!」 

 ブレイドは礼を言うと、大事そうに破片を持ってその場から走り去って行った。カリスはふんと鼻を鳴らすと、カリスアローを構えて目の前のセンチピードアンデッドを睨み付ける。センチピードアンデッドは右肩を抑えながらカリスを睨み付けると、素早い動きで一気にカリスに肉薄する。しかしカリスはその動きはすでに見切ったと言わんばかりにセンチピードアンデッドを切り裂くと、その腹に強力な蹴りを放つ。

 センチピードアンデッドは腹を抑えながら最後の悪あがきのように右肩の先端部分の刃を切り離すと、カリスに向かって投げる。だがそれすらもカリスは意に介していないかのようにカリスアローで弾くと、エネルギーの矢を連続で発射する。矢が直撃したセンチピードアンデッドの体から火花が散って動きが止まると、ラウザーユニットを取り出してカリスアローに装着する。そしてベルトの右側にあるケースを開けてカードを一枚取り出すと、そのカードをラウザーユニットで読み込んだ。

『TORNADO』

 カードの名前が発せられ、絵柄がカリスアローに吸収されると、カリスは風の力が付与された強力な光の矢をセンチピードアンデッドに向けて放った。矢は見事にセンチピードアンデッドの胸部に吸い込まれ、センチピードアンデッドは吹き飛んで地面に背中から着地するとその体から爆発と炎を起こした。

 炎が収まると、センチピードアンデッドのバックルがカシャン、という小気味良い音を立てて二つに割れる。カリスは一枚のラウズカードをケースから取り出すとセンチピードアンデッドに投げて、カードに封印する。カリスの手元に戻ってきたラウズカードにはハートの紋章に数字の十、ムカデのような絵に『SHUFFLE』の単語が刻まれていた。

 そのカードをケースにしまい込むと、別のカードを取り出してラウザーユニットで読み込む。

『Spirit』

 すると音声と共に目の前に半透明の光の壁が出現し、カリスが壁を通過するとカリスは始の姿に戻った。

 始は険しい表情を浮かべながら自分のバイクの元に戻ると、天音と十香が入院している病院へと戻った。

 

 

 

 

 

 アンデッドから抗体を奪い取った士道はすぐさまフラクシナスに連絡を取った自分を回収してもらうと、病院まで駆け込んで医者に抗体を手渡した。医者は突然士道が抗体を持ってきた事に目を丸くしていたものの、患者を助ける事が最優先だと考えていたためか詳しい事情は聞かずにすぐに治療に取り掛かった。

 抗体は見事に十香達患者の体に効果を発揮したらしく、昏睡状態だった患者達の意識はすぐに戻った。しかも、早ければ明日にでもすぐに退院できるとの事らしい。それを聞いて、士道は自分の全身から力が抜け落ちていく気分だった。

 そして、命を救われた十香はというと、

「うむむ……。この病院食というのはあまり美味くないな、早くシドーの料理が食べたいぞ……」

「ははは、まぁ、病院食なんてそんなもんだろ」

 特別にあてがわれた個室で顔を少ししかめながら病院食を食べる十香を苦笑して見つめながら、士道はそう言った。士道は現在、意識が回復した十香の病室にお見舞いにやってきていた。ろくにお見舞いの品もないが、十香にとっては士道が来てくれただけで大満足らしい。

 それから士道は頭をガリガリと掻くと、申し訳なさそうに十香に言った。

「……それと、ごめんな。十香」

「む?」

「俺がデートに誘ったせいで、お前をこんな目に遭わせちまって……。本当に、ごめんな」

 そして士道は十香に頭を下げた。すると十香は何故か憤慨したような表情を浮かべると、

「まったく、お前は何を言っているのだシドー! 私はお前をこれっぽっちも恨んでなどいない!」

「え?」

 その言葉に士道が顔を上げると、十香は両頬をぷくっと膨らませながら、

「私がこんな目に遭ったのは、アンデッドのせいだろう。それなのにシドーを責めるというのはおかしいではないか。それに、シドーが謝る事などない。私はシドーとデェトができて、楽しかった。だからむしろ、私からお礼を言いたいぐらいだ。ありがとう、シドー」

 笑顔で礼を言われて、士道は思わず照れくさくなって十香から目を逸らした。さすがにこんな反応が返ってくるなど、士道にも予想外だったのだ。それから十香はあっと声を上げると、士道に言った。

「む、そうだ。お前に渡すものがあったのだ」

「え、俺に?」

「うむ」

 そう言うと十香は近くにあった小さい机の上に置かれているストラップを手に取ると、士道に差し出す。それに見覚えがあった士道は、思わず声を出した。

「あれ? これって……」

 それは、今日十香がゲームセンターで手に入れたネガパンダローネのストラップだったのだ。どうして俺に、と士道の頭に疑問符が浮かび上がると、それに答えるかのように十香が少し俯きながら言った。

「これは、お前にやる。だから……いや、だからというのも何だが、なんというか……」

 いつもはっきりと言う十香にしては、妙に歯切れが悪い。それに士道は首を傾げると十香に尋ねた。

「何だ?」

 すると十香は意を決するように唇をきゅっと噛んでから、言葉を続けてきた。

「私の事を……嫌いにならないでくれ」

「は……はぁ? な、何だそりゃ」

 士道が盛大に眉を顰めると、十香は少し黙ってから理由を言った。

「……シドー。今朝、私と鳶一折紙が口論をしていたのを覚えているか?」

「ああ……覚えてるよ」

 十香が、いじける子供のように唇を突き出しながら続ける。

「……その時にな、あいつが言ったのだ」

「なんて?」

 士道が問うと、十香が上目遣いになって士道の様子を窺うようにしながら、たどたどしく告げた。

「……精霊が、人間と共存なんてできるはずがない。そもそも、人間が世界を殺す精霊を許容できるはずがない。だから……」

 意を決するように唇を噛んでから、続ける。

「シドーも、精霊の事なんて、大嫌いだと」

「………あー、なるほど」

 士道は困ったように頬をポリポリと掻いた。

 別に馬鹿にしているわけではない。本人は深刻に悩んでいたのだろうし、こう言っては何なのだが……正直、脱力してしまった。

 十香の不安感の原因とは、そんな事だったのか、と

 もしかしたら、ゲームセンターで苦手な写真を撮ると言ったのも、士道に嫌われまいとしての事だったのかもしれなかった。

「……なあ、シドー。やはり、そうなのか? シドーも、私の事が……」

「そんな事、ねえよ」

「………本当、か?」

 不安そうに、十香が視線を向けて来る。

「本当だ」

「本当の本当か?」

「本当の本当だ」

「本当の本当の本当か?」

「………」

 士道は少し思案すると、言葉を続ける。

「少なくとも俺は、嫌い奴と、その……なんだ。デートしたいとは思わねえよ」

「あ………」

 士道が言うと、十香は目を丸くした。

「ん………、そう、だな………」

 十香はほんのり頬を染めると、口元を小さく綻ばせた。

 そんな十香に、士道はネガパンダローネを返してやった。

「だから、これはお前が持ってな。折角自分で取ったんだ。今日のゲートの記念に、な。まぁ、アンデッドに襲われたし、記念って言って良いのか分かんねえけど……」

「いや……例えアンデッドに襲われたとしても、シドーとデェトできたこの日は紛れもなく記念日だ。これは大切にする」

 そう言うと十香は嬉しそうに口をもごもごさせながら、ネガパンダローネを受け取ったのだった。

 

 

 

 

 

 それから十香に別れを言って病室から去ると、病室の一室から今日のアンデッドとの戦闘の最大の功労者とも言える少年、相川始が出てくるのが目に入った。士道がその病室を覗き込むと、中にはベッドの上で横たわっている少女と、彼女の頭を優しく撫でている彼女の母親らしき女性が椅子に座っているのが目に入った。少女はどこか不満そうに頬を膨らませながら、

「始さん、もう帰っちゃうなんて……もっといてくれればいいのに……」

「始君も明日学校があるし、仕方ないでしょ? それにあなたの体の事だってあるし……。退院できたらまたいつだって会えるんだから、我慢しなさい」

「はーい……」

 少女は渋々とした様子ながらも、母親の言葉に頷いた。士道は病室から離れると、病室を去って行った始の後とを追う。

 外はすでに夜の帳が降りていて、すっかり暗くなっていた。士道は駐輪場へ向かっている始を見つけると、その背中に声をかけた。

「おい、相川!」

「……何だ」

 始は振り返らないまま、不機嫌そうな声だけを士道に放つ。士道は少し何を言うべきか迷いながらも、はっきりと自分の想いを口にする。

「ありがとうな。十香を助ける事に協力してくれて。お前がいなかったら、もしかしたら十香は死んでたかもしれない。本当に、ありがとう」

「………言いたい事はそれだけか」

「ああ、いや。それだけじゃないんだ。ええっと……あのさ、これからも一緒に、俺と一緒に戦ってくれないか?」

 すると、ピクリと始の肩が動いた。士道はさらに説得のための言葉を続ける。

「俺はまだ全然弱いし……十香を護るためには、もっともっと強くならなくちゃならないんだ。それに俺一人で全てのアンデッドを封印するのはかなりの時間がかかる……。だから、一緒に戦ってくれる奴がいてくれると心強いって言うか……。だからさ、相川。俺と一緒に……」

「断る」

 しかし全てを言い切る前に、始はばっさりと切り捨てた。その言葉に愕然としながら士道が口を開こうとすると、始が告げた。

「俺が今日お前と一緒に戦ったのは、ただ単に利害が一致したからだ。そうでなければあんな事は決してしない。前にも言っただろう? 全てが俺の敵だと。それはお前が妙に入れ込んでいる精霊も例外じゃない」

 それから始は士道に向き直ると、士道の目の前まで近づいてから低い声で言い放った。

「そして、忘れるな。もしも貴様が俺の正体を周囲にばらすような事をしたり、今のようなふざけた事を抜かしたら……俺は貴様を殺す」

「……っ!」

「……分かったら、二度と俺には関わらないようにする事だな」

 そして始は士道に背を向けると、駐輪場へと去って行った。士道が呆然とその場で突っ立ていると、士道に声がかけられた。

「あまりあいつに心を許さない方が良いわよ」

 そこに顔を向けると、自分に近づいてきていたのは琴里と自分の上司である広瀬だった。琴里は飴を舐めながら、始が去って行った方向を睨むかのように見てから士道に言う。

「あいつには十香を助けてもらった恩はあるけど、まだ分からない事の方が多いわ。例えば、どうしてアンデッドの抗体の事を知っていたのか、とかね」

 確かにそうだ。何故ただの人間にしか見えない始が、アンデッドの事をあそこまで知っていたのか、士道にもまだよく分かっていない。すると琴里に続くかのように、広瀬も口を開く。

「それに何よりも、彼のあの変身も気になるわ。あの変身は明らかにBOARDのものとは異なる。彼が一体どこの誰で、どうしてアンデッドの事を知っているのか分からない以上、心を許さない方が良いと思う」

 広瀬と琴理の言葉を聞いて、士道は再び始が去って行った方を見る。だが、二人からどんな言葉を聞かせられても、何故かは分からないが士道には始が悪い人間にはどうしても思えなかった。

 

 

 

 

 

 翌日、登校した士道が廊下を歩いていると、丁字路の所で急に襟元を引っ張られ、がくんと姿勢を崩した。

「うごっ!? な、何だ!?」

 慌てながら自分の襟元を引っ張った人物に目を向けてみると、それは鳶一折紙だった。

「お、折紙?」

「これ」

 折紙は士道の襟から手を離すと、鞄から何かを取り出して士道に手渡した。

「え? これって……」

 それは夢パンダのパンダローネのストラップだった。ちなみに色は赤色である。

「あげる」

「え……いや、悪いよ」

「あげる」

「………ええと」

「あげる」

「……………ありがとうございます」

 半ば気圧される形で、士道はパンダローネを受け取った。

 すると折紙は鞄からパンダローネ(ノーマルカラー)のついた携帯電話を取り出すと、どこか嬉しそうに士道に見せた。

「お揃い」

「え……あ、ああ、そうだな……」

「………」

 士道が頷くと、折紙は携帯電話をしまって教室の方に歩いて行った。

「な、何だったんだ……?」

 士道が呆然としていると、今度は何者かがパタパタと走ってくる音が聞こえてきた。士道その方向に視線を向けてみると、そこには制服を身に纏った十香が元気そうに走ってきていた。

「シドー! おはようなのだ!」

「十香! もう大丈夫なのか?」

「うむ。一晩寝たらすっかり良くなった。琴里達はもう少し休んだら良いと言っていたのだが、シドーと一緒にいたいからどうにか退院させてもらったのだ」

 さすがは精霊。回復力も普通の人間よりも高いらしい。

 と、そこで何故か十香が「ん?」と怪訝な声を上げながら士道の手元に視線を送った。

 そこには無論、先ほど折紙にもらったパンダローネがある。

「おお!」

 十香はポケットを探ると、パンダローネ(ネガカラー)を取り出した。

「お揃いだな、シドー!」

「あ、ああ……」

 士道は頬を掻きながら答える。

 士道と十香と折紙。

 なんともまあ、奇妙なお揃いができてしまったと、士道は思うのだった。



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第十三話 一万年前の激闘

  

 

 

 

 

 士道と相川始がアンデッドを封印してから二日後。

 学校での授業を終えた士道は一人、家への帰路を歩いていた。今日も十香と折紙の壮絶な戦闘が教室で繰り広げられたが、最近は士道自身もう慣れてしまったのかあまり疲労を覚えない。こんな事には、できればあまり慣れたくないなぁ……と士道がため息をつこうとしたその時だった。

「ん……?」

 不意に顔を上にやる。

 突然、ぽつんと首筋に冷たい何かが垂れてきたような気がしたからだ。

「うわ、まさか……」

 呻くように言ってから、顔をしかめる。

 いつの間にか、空がどんよりと曇っていたのだ。先ほどまでは、快晴とはいかなくてもそれなりに晴れていたはずなのに。

「雨かよ。おいおい、天気予報じゃ晴れって言ってたじゃねぇか」

 そうは言うものの、天気予報とはあくまでも『予報』であり『予言』ではない。的中率が低いからと言って、気象予報士に恨み言を呟くのは筋違いだろう。

 と、士道が呟くのを見計らったかのようなタイミングで、ぽつ、ぽつと大粒の雫がアスファルトの道に染みを作り上げていく。

「っとと……」

 慌てて鞄を頭の上にやり、小走りで家へと急ぐ。

 しかし雨はそんな士道を嘲笑うように、みるみるうちに激しさを増していった。

「マジかよ……」

 制服に染みていく冷たい感触に、士道はうんざりと眉をひそめた。

 とは言っても、両親が出張中で家事を取り仕切っている士道としては、服が張り付いて気持ち悪いなぁとか風邪を引いたら嫌だなぁとかいう思考より先に、部屋干しで明日までにブレザーが乾くかなぁとかいう、少々所帯じみた心配が先に来たのだが。

 できるだけ服が濡れないように無駄な努力をしながらも、自宅への道を走る。

 だが、丁字路を右に曲がったところで。

「あ……」

 降りしきる雨の中で、士道はふと足を止めた。

 足が疲労に耐えかねたわけでも、もう濡れてもいいやと開き直ったわけでもない。

 ただ、前方に。

 空から落ちて来る水玉よりも、遥かに気になるものが現れたのだ。

「女の子……?」

 士道は唇はそんな言葉を紡いだ。

 そう。それは少女だった。

 可愛らしい意匠の施された外套に身を包んだ、小柄な影。

 顔は窺い知れない。というのも、ウサギの耳のような飾りに付いた大きなフードが彼女の頭をすっぽりと覆い隠していたからだ。

 そしてもっとも特徴的なのは、その左手だ。

 コミカルなウサギの形をした人形が、そこに装着されていたのだ。

 そんな少女が、人気の無くなった道路で、楽し気にぴょんぴょんと跳ねまわっている。

「なんだ……?」

 士道は眉をひそめてその少女を凝視した。

 頭の中を疑問符が通り抜ける。

 何故あの少女が傘も差さずに、雨の中飛び跳ねているのか、という当たり前のような疑問ではない。

 何故、自分はあの少女に、目を奪われたのだろうか。

 そんな、疑問。

 確かに目を引く格好ではある。

 だが、違う。そんな事は問題ですらない。

 上手く言語化するのが難しいが、士道の脳内は違和感で溢れていた。

 不思議な感覚。前にも、しかもつい最近どこかで感じた事がある気がしてならない。

「………」

 もう雨の冷たさも、濡れた服の不快感も気にならなくなっていた。

 ただ、冷たい雨のカーテンの中、軽やかに踊る少女に目を釘付けにされていた。

 しかし、次の瞬間。

 ずるべったぁぁぁぁぁぁぁん!! という音と共に、少女が派手にこけた。

「………は?」

 その光景に、士道は呆然と目を見開く。

 少女は顔面と腹を盛大に地面にぶち当て、辺りに水しぶきが派手に飛び散る。ついでに彼女の左手からパペットがすっぽ抜け、前方に飛んで行った。

 そしてうつぶせになったまま、動かなくなる。

「お、おい!」

 士道は慌てて駆け寄ると、その小さな体を抱きかかえるように仰向けにする。

「だ、大丈夫か、おい」

 そこで初めて、士道は少女の顔を見取るができた。

 年は琴里と同じぐらいだろうか。ふわふわの髪は海のような青であり、柔らかそうな唇は桜色。まるでフランス人形のような、少々大げさな表現をすれば人間離れした容姿を持つ、綺麗な少女だった。

「………!」

 と、そこで少女が目を見開いた。長いまつ毛に飾られた、まるでサファイアのような瞳が露になる。

「ああ………良かった。怪我はないか?」

 しかし少女は、顔を真っ青に染めて目の焦点をぐらぐらと揺らし、士道の手から逃れるようにぴょんと飛び上がる。

 そして少し距離を取ってから、全身小刻みにカタカタと震わせ、士道を怖がるような視線を送ってくる。

「……ええと」

 まぁ、確かに助け起こすためとはいえ急に体に触れてしまったのは軽率だったかもしれない。だが、それでもそのような反応を取られるの少しショックである。

「そ、そのだな。俺は……」

「………! こ、ない、で……ください……っ」

「え?」

 士道が足を前に踏み出すと、少女が怯えた様子で言った。

「いたく、しないで……ください……」

 続けて、少女はそんな言葉を吐いてくる。

 士道が自分に危害を加えるように見えるのだろうか、その様はまるで震える小動物のようである。

「ええと……」

 対応に困った士道は、そこで地面に落ちていたパペットに気が付いた。

 先ほど少女の手から抜けてしまったものだろう。ゆっくりと腰を折ってそれを拾い上げると、少女に分かるように示してやる。

「これ……君のか?」

「……!」

 すると少女は目を大きく見開き、士道の方に駆け寄って来ようとしたところで、足を止めた。

 パペットは取り返したいけれど、士道に近づくのは怖い、みたいな顔をしながら、じりじりと間合いを計っている。士道はそんな少女の様子に苦笑すると、パペットを持った手を少女に突き出す格好で、ゆっくりと距離を詰めていく。

「………!」

 少女がビクリと肩を揺らすが、士道の意図に気が付いたのだろう。あちらもゆっくりとすり足で近づいてきた。

 そして、士道の手からパペットを素早く奪い取るとそれを左手に装着する。

 すると突然少女が、パペットの口をパクパクと動かし始めた。

『やっほー、悪いねおにーさん。たーすかったよー』

 腹話術だろうか、ウサギの人形が妙に甲高い声を発してくる。

 首を傾げ、訝しげに少女の顔を見やるが……まるで士道と少女の間を遮るように、人形が言葉を続けて来る。

『――――ぅんでさー、起こした時に、よしのんのいろんなトコ触ってくれちゃったみたいだけど、どーだったん? 正直、どーだったん?』

「は、はぁ……?」

 パペットは笑いを表現するようにカラカラと体を揺らした。

『またまたぁー、とぼけちゃってこのラッキースケベぇ。……まぁ、一応は助け起こしてくれたわけだし、特別にサービスしといてア・ゲ・ルんっ』

「……あ、ああ、そう」

 苦笑しながら、パペットが言ってくるのにそう返す。

『ぅんじゃね。ありがとさん』

 と、パペットがそう言うと同時、少女が踵を返して走って行ってしまった。

「あ、おい」

 士道が声をかけるも、少女は反応を示さない。

 そのまま曲がり角を曲がり、すぐに姿が見えなくなってしまう。

「何だったんだ……ありゃあ」

 士道は奇妙な少女の後ろ姿を呆然と見送っていたが、ふと後ろに妙な気配を感じて振り返る。

「相川……?」

 するとそこには、士道のクラスメイトにして、謎のライダー・カリスに変身する少年、相川始が士道をじっと見ていた。やはりと言うべきか、彼も折り畳み傘は持ってきていなかったらしく、雨粒を受けてずぶ濡れの状態である。士道は始に近づき、彼に尋ねた。

「相川? 俺に何か用か?」

「……あの女は、お前の知り合いか?」

 しかし始は士道の質問を無視して、質問に質問で返した。それに士道は少しムッとしたが、彼のそのような態度は今に始まった事ではない。少女が去って行った曲がり角を見ながら、

「いや、今知り合ったばかりだ。それがどうしたんだよ」

「………」

 が、やはり始は質問に答えず、士道に背中を向けるとさっさと歩き去って行ってしまった。

「何だよ、あいつ……」

 士道は呟きながら、自分の今の状態に改めて気づく。

 体は余すところなくびしょ濡れであり、ついでに地面に膝をついたものだから、ズボンが盛大に汚れてしまっている。

 士道は陰鬱なため息をつくと、再び家へと歩き始めた。

「あー………びしょ濡れだよ」

 ぼやきながら歩いて、数分。

 ようやく自宅に辿り着いた士道は玄関に鍵を差し込むが、鍵は開いていた。恐らく琴里が先に帰ってきているのだろう。

 士道は家に入ると、まず先に風呂場へと向かった。

 濡れ鼠状態のままいるというのも体に悪いし、まずは体を拭いて服を着替えた方が良いと思ったからだ。

 士道は片手に鞄と靴下を持ちながら、脱衣所の扉を慣れた調子で開けた。

 と。

「――――っ!?」

 瞬間、士道は身を凍らせた。

 脱衣所に、ここにいるはずのない少女の姿があったからである。

 背を覆い隠す夜色の髪に、水晶の如き瞳。

 形容の頭に『絶世の』を十付けても、その美しさの一割も表しきれないほどの、圧倒的な存在感を放つ美少女。

 夜刀神十香が、そこにいた。 

 その身に、一矢すら纏わぬ姿で。

「と、十香……?」

 呆然と呟く。

 芸術的とさえ言える美しい肢体が、一瞬のうちに士道の網膜を、視神経を、脳細胞を、振動、発熱、最後に爆裂させる。

「………っ!?」

 そこでようやく、十香が肩をビクッと震わせ、顔をこちらに向けてきた。

「なっ……っ、し、シドー!?」

「あ、や、ち、違うんだ! これは……」

  何が違うのかは士道自身まったく分からないが、士道の口は無意識にそんな言葉を発していた。

「い、良いから出ていけ……!」

「うぐっ……!」

 見事すぎる右ストレートが彼女から放たれるが、士道が拳が鳩尾から少し離れた所に当たるように体を動かして調節した直後、拳が見事に士道の体に突き刺さる。しかし士道のささいな努力の結果か、威力は大きいが気絶するような事は無く、後ろによろめく程度で済んだ。

 そして間髪入れず、脱衣所の扉が閉められた。

「痛てて……。あんにゃろ、本気で殴りやがって……」

 せき込みながらそう言うが、それは違うと脳内で自分の理性が否定の声を上げる。

 もしも精霊である十香が本気で士道を殴っていたら、自分の体は上下に真っ二つになっていたとしても間違いないからだ。恐らく、彼女も彼女なりに手加減してくれたのだろう。

 士道が殴られた箇所を撫でていると、脱衣所の扉が少しだけ開かれ、頬を真っ赤にした十香が顔を覗かせてきた。

「……見たのか、シドー」

 士道はじとーっとした視線を送ってくる十香に、ぶんぶんと首を振った。

 実はちょっとだけ見てしまったのだが、馬鹿正直にそんな事を言ったら、今度こそ本気で体を吹っ飛ばされかねない。

 すると一応はそれで納得してくれたのか、十香が「むう……」と唸ってから、扉を全開にする。

 無論、十香はもう服を着ていた。

 しかしそれはいつもの制服ではない。琴里が貸し与えたのだろうか、士道が愛用している部屋着だった。

 一回りサイズが大きいため、襟元からかすかに鎖骨が覗いており、色気を感じさせる。そんな十香の姿に、少し目のやり場に困ってしまう士道だった。

 だが、今はそんな事を気にしている場合ではない。十香に指を突きつけて、叫ぶ。

「なっ……、なんでお前がうちにいるんだ、十香……!」

 しかし十香は、何を言っているのか分からないというような表情で首を傾げると、

「妹から聞いていないのか? なにやら、なんとか訓練だとかで、しばらくの間ここに厄介になれと言われたのだ」

 なんて事を、言い放った。

「く、訓練……?」

 士道は眉根を寄せると、視線を廊下の奥の方にやる。

 そしてそのまま立ち上がるとつかつかと歩いて良き、乱雑に扉をあけ放つ。

「琴里! どういう事だ!」

「おー?」

 すると、ソファに座りながらテレビを見ていたツインテールの少女が振り向き、そのどんぐりのような丸い目を士道に向けてきた。

「あ、お兄ちゃんおかえりー」

「お、おう、ただいま……じゃなくて!」

 思わず普通に返事をしてしまってから、首をぶんぶんと横に振る。

「お前が十香を連れて来たのか……? 訓練って、一体何の事だよ?」

「まーまー、落ち着いて落ち着いて」

「落ち着いていられるかっ! な、なんで十香がうちに……。今日も、いつもみたいに令音さんと一緒に帰ったじゃねぇか」

「え? んー、それなら……」

 琴里が指を一本ピンと立て、キッチンの方に向ける。

「あ……?」

 士道は、琴里の指が指し示す方向に目をやると、

「……ああ、邪魔しているよ」

 なんて事を言いながら、やたらと眠そうな顔をした令音が、ダイニングテーブルにつき、湯気を立てるカップに角砂糖をいくつも放り込んでいた。ちなみに彼女もいつもの軍服や白衣姿ではなく、士道の母のパジャマを着用し、首にタオルをかけていた。心なしか、髪も少ししっとりしているように見える。

「令音さんまで……。一体、何やってるんですか?」

「………ふむ?」

 令音は士道の問いにしばし考え込むようなしぐさを見せたのち、後頭部を掻いた。

「……ああ、済まない。砂糖を使いすぎたかな」

「違います。いや、気にならないと言ったら嘘になりますけど、今俺が聞いているのはそこじゃないです」

 そう言ってから士道は気分を落ち着かせるように深呼吸をすると、言葉を続けた。

「どういう事ですか? 十香は今、フラクシナスに住んでるんじゃ?」

 ラタトスクに保護された十香は今、フラクシナス内部の隔離エリアで生活しながら、学校に通っているという話だった。

 力を封印されているはいえ、かつては世界を殺す災厄とさえ言われた精霊である。

 万一の事があっても即座に対応できるように。また、効率的に定期検査を行うために、厳重な封印が施された隔離エリアに部屋が用意されているらしい。

 ゆえに、十香は学校が終わると令音とフラクシナスに戻っていたはずなのだが……。

「……ああ、そうだね。まず説明をしなければならないね」

 令音が、分厚い隈に彩られた目を擦りながら、声を発してくる。

「……しかし、だ。その前に」

「その前に……?」

「……着替えて来た方が良くはないかね? 床が濡れているよ」

 そう言われて、士道は自分の状態に改めて気が付き、「あ」と短く声を発した。

 

 

 

「……で? 一体どうして十香がうちにいるんだよ」

 部屋着に着替えた士道は、テーブルの向かいに座った琴里と令音に視線を向けた。

 今三人がいるのは、五河家二階に位置する、琴里の部屋だった。

 六畳くらいのスペースに、パステルカラーのタンスやベッドが配置され、そこかしこにファンシーな小物やぬいぐるみなどが所狭しと並んでいる。

 本当ならばリビングで話を続けたかったのだが、十香の耳に入れたくないという話もあるという事で、こちらに場所を移したのだ。

 ちなみに十香は今、リビングでテレビの再放送に夢中になっている。とりあえずあと二十分くらいは大人しくしているだろう。

「んーとね」

 と、琴里が指で頬をぷにっと持ち上げた。

「今日からしばらくの間、十香がうちに住む事になったのだ!」

 そして、えっへんと胸を反らすようにしながら、無邪気な笑顔を作った。

「だから、どうしてそうなったんだって聞いとるんじゃぁぁああああああああああああっ!!」

「………まぁ、落ち着いてくれ、シン」

 士道が叫んだ所で、令音が声を上げた。

 士道ははぁはぁと息をつきながら、どうにか呼吸を落ち着かせる。それからせめてここに自分の上司である広瀬がいてくれれば、もう少し話がスムーズに進むのに……と心の中で愚痴をこぼす。そう言えば、いつもならばこういった重要な場にいるはずの彼女の姿が今日に限って見えないが、一体どうしたのだろうか?

 しかしそんな士道の疑問をよそにして、令音が十香が家にいる理由を説明しはじめた。

「……理由は大きく分けて二つある。一つは、十香のアフターケアさ」

「アフターケア?」

「ああ。……シン。君は先月、口づけによって十香の力を封印したね?」

「……っ、は、はい……」

 士道は小さく首を前に倒した。

 それと同時に、唇にその時の感触が蘇ってきて、少し顔が赤くなる。

「あー、お兄ちゃん赤くなってるー。かーわーいいー」

「う、うるせ!」

 琴里が心底楽しそうに言ってくるので、士道は照れ隠しにそう言うと気まずげに視線を逸らした。

「……まあ、そこまでは良いのだが、一つ問題があってね。……今、シンと十香の間には見えない経路(パス)のようなものが通っている状態なんだ」

「パス? どういう事ですか?」

「……簡単に言うと、十香の精神状態が不安定になると、君の体に封印してある精霊の力が逆流してしまう恐れがあるという事さ」

「なっ……」

 士道は戦慄に身を凍らせた。

 封印された十香の精霊の力が、逆流する。

 それはつまり、剣の一振りで天を、地を裂く力を、再び十香が備えてしまうという事だろうか。

 もしそうだとしたら……考えるだけでも怖気を振るう事態だった。

「……君も知っての通り、十香は今、フラクシナスの隔離エリアで生活している」

 士道の狼狽を知ってか知らずか、令音が静かな調子で言葉を続ける。

「……十香の精神状態は常にモニタリングしているのだが……どうも、フラクシナスにいると、学校にいる時に比べて、ストレス値の蓄積が激しいんだ」

「そ、そうなんですか?」

「……ああ。それに、一日二階の定期検査もあまりお気に召さないようだ。今はまだ許容範囲内だが、このまま放置しておくのも好手とは言い難い。……そこで、だ」

 令音が、立てた指を顎に当てた。

「……検査の結果も安定してきたし、そろそろフラクシナス外部に、十香の住居を移そうという事になってね」

「はぁ……なるほど」

「……というわけで、精霊用の特設住居ができるまでの間、十香をこの家に住まわせる事になったんだ」

「……なんでうちなんですか?」

 士道が問うと、令音は小さく唸りを上げた。

「……まあ簡単に言うと、だ。君といる時が、一番十香の状態が安定するんだよ」

「え……」

 急にそんな事を言われ、思わず息を詰まらせる。

「……逆に言えば、君以外の人間はまだ十香の信頼を得ているとは言い難いのさ。私や琴里なんかは比較的顔を合わせる機会が多いが――――それでもね。……それにこの前アンデッドに襲われた事も関係している」

 令音が言っているのは、十香を含む大勢の人々がセンチピードアンデッドに襲撃され、その毒に冒された時の事だろう。士道と始によって毒の抗体が手に入り十香と人々を救う事ができたものの、一歩間違えれば十香はこの場にはいなかったかもしれない。そう考えると、今でも背筋が寒くなる。

「関係しているって……。まさか、後遺症とかが残ってるんですか!?」

「……いや、その心配はない。抗体のおかげで、彼女はすっかり完治した。ただこの前の一件で、彼女は『死』の恐怖と、君という大切な存在と一生出会えなくなるかもしれないという恐怖を味わった。……そのせいで、最近の彼女のストレス値は、アンデッドに襲われる前よりも大分蓄積が激しくなっているし、君と離れている時の精神状態も非常に悪い」

 令音から聞かされた予想外の言葉に、士道は思わず言葉を詰まらせた。

「そ、そうだったんですか? 俺にはそうは見えなかったんですけど……」

「……きっと君に心配を掛けまいと、その感情を隠していたんだろう。ああ見えて十香は、君の事を本当に大切に思っているからね」

 そう言われて、士道は思わず目を見開くと同時に、奥歯を強く噛み締めて拳を強く握りしめた。

 彼女は心の底から自分の事を考えていてくれたのに、自分は何一つ返せていない。十香は自分が護ると言ったくせに、これでは情けない事この上ないではないか。

 そんな士道の様子を黙って見ながら、令音は話を続ける。

「……だから、まずは少しでも安全性の高い場所で、十香がきちんと生活できるかどうかを試したい所なんだ。君がそばにいれば彼女も安心するだろうし、何よりもブレイドの君がいてくれれば有事の際にすぐに対処する事ができる」

「………」

 黙って聞いている限り、彼女からの説明には不可解な点などは見られない。

 だが、士道にはまだ気になる点が一つある。

「じゃあ……もう一つの理由って何ですか?」

「……ああ。これはもっと単純明快だ。……シン。君の訓練のためさ」

「……訓練?」

 士道の言葉に、令音はこくりと頷きながら、

「……前にも話した通り、君には引き続き精霊との会話役を任じてもらいたい。そのための訓練さ」

「でも、その事は考えさせてくれって……」

「……今はそれで構わない。ただ、こちらとしては準備は済ませておいた方がいざという時に素早く動く事ができる。だから訓練とは言っても、現段階では念のためのものと受け取ってもらって構わない。……無論、シンが今すぐ決断をしてくれるというのならば話は別だがね」

「………っ」

 そんな事を言われても、答えを今すぐ出せるというわけではない。自分も考えるべき事がたくさんあるのだ。

 アンデッド達の謎。消えた烏丸所長の行方。それらに加えて精霊の事も決断しなければならないというのは中々難しく、そして簡単に決められる事ではない。その事は令音も分かっているのか、静かな口調で士道に言った。

「……とは言っても、今すぐ答えを出してくれなくても構わない。君の組織の事もあるだろうから、じっくりと考えて、その上で答えを出してくれて構わない。……こちらとしては、準備はもうすでに終わっているしね」

「……ありがとうございます、令音さん。……ってちょっと待ってください。準備?」

 不甲斐ない自分に考える時間をくれる令音に礼を言う士道だったが、何やら聞き流してはならない言葉があったような気がして、思わず聞き返してしまった。令音はこくりと頷いて、

「……十香の部屋の準備さ。急で済まないが、二階の奥の客間を使わせてもらうよ」

「ちょっと! 考えさせてくれって言ったじゃないですか!」

「……ああ。だからこちらの事は気にせず、じっくりと考えてくれ」

「無茶言うんじゃねぇえええええっ!」

 士道が叫ぶと、すぐ近くでふんと鼻を鳴らす音が聞こえた。士道がそこに視線を向けると、そこにはいつの間にか白いリボンを黒いリボンに変えた琴里が士道をまるで虫を見るような目で見ていた。

「まったくうるさいわね。どっちにしろ、特設住宅ができるまでの間、十香にはここにいてもらうしかないの。それに、士道が決断してから訓練してたんじゃ遅すぎるしね」

「んな事言ったって……と、年頃の男女が同じ家に住むってのはどうかと思うぞ……」

 士道が顔を真っ赤にしながら言うと、琴里はハン、と鼻で笑った。

「士道に間違いを起こす甲斐性があれば、私達もあんなに苦労しなかったでしょうよ」

「ぐっ………」

 なんだか否定しきれない自分が悲しかった。

「だ、だからってだな……!」

 と、士道が食い下がっていると、士道の後方……琴里の部屋の出入り口にあたる扉が、ガチャリという音を立てて開いた。

「………!」

 扉をビクッと揺らして、振り向く。

 いつからそこにいたのか、廊下から十香が不安げな眼差しを送ってきていた。

「………シドー。やはり、駄目か? 私は……ここにいては」

「………っ」

 眉を八の字に、悲しそうな瞳で見つめて来る十香に、士道は声を詰まらせた。

 ……この状況で否と言える人間がいるのなら、お目にかかってみたいものである。

 士道は、それはもう深い深いため息をついた。

「……わ、分かったよ………」

 

 

 

 

 一旦話を終えた三人はその後、夕食の準備もあるのでリビングへと向かう事になった。なお、十香は夕食が終わってから客間に赴いていた。フラクシナスの隔離エリアの部屋にいた時に使っていた小物などが先ほど届いたので、荷解きをしているらしい。

「そうだ。なぁ琴里、広瀬さんは今日どうしたんだ?」

 その言葉に、何故か琴里は怪訝な表情を浮かべた。

「……? 士道、あなた聞いてないの?」

「えっ?」

 すると、その様子を見ていた令音が琴里に言う。

「………琴里。栞はあれからシンにも連絡を取っていないのだろう。何せ、ようやく手に入れた手がかりだからね」

「ああ、なるほどね」

「ちょ、ちょっと待てよ。手がかりって、どういう事だよ」

 さっぱり話の内容が見えず、士道が困惑した声を上げると、琴里の口から驚くべき言葉が発せられた。

「実は昨日、広瀬さんがBOARDから持ち帰ったパソコンの中に、妙なデータがあるのを見つけたの」

「妙なデータ?」

「ええ。かなり厳重にプロテクトが掛けられていたから、フラクシナスのAIとクルー、そして広瀬さんが今解析しているのよ。早ければ今日中には中のデータを見る事ができるはずだけれど……。士道に連絡が行ってない所を見ると、どうやらまだ解析している最中のようね」

「そうだったのか……」

 上司がそんな重要な事を部下にまったく話していないというのは問題かもしれないが、それも仕方ないかもしれないと士道は思う。広瀬は自分がBOARDという組織の一員である事に誇りを持っていたし、所長である烏丸の事も非常に尊敬していた。そのBOARDが壊滅状態に陥り、しかもそのパソコンから妙なデータが発見されたというのだ。彼女が士道に連絡するのも忘れて集中するのも無理は無いだろう。

 士道がそんな事を思っていると、令音が続けた。

「……まぁ、あとで私が様子を見に行く。その時に、データの解析がどの程度進んだか聞いて……」

 しかしその台詞を、突然鳴り響いた電子音が打ち消した。

 音がどこから聞こえて来ているのか探すために士道が辺りを見回した瞬間、令音が自分のズボンのポケットから携帯電話を取り出すと、通話ボタンを押して耳に当てた。どうやらこの電子音は彼女の携帯電話の着信音だったらしい。

「……私だ。どうしたんだい? …………解析が? ………ふむふむ。分かった。シンと琴里を連れてすぐに行く」

 令音が通話を切って携帯電話をポケットに突っ込むと、自分達の名前が出た事に何かが起こった事を察知したのか琴里が彼女に尋ねた。

「どうしたの?

「………妙なデータの解析が終わったからすぐに来て欲しいという事だ。ただ……」

「ただ?」

「……どうも様子がおかしかった。データを解析しただけで、あそこまで興奮するとは思えないほどに。何か予想外の事が起こったのかもしれない」

「予想外の事って、何ですか?」

「そんなの、行けば分かるでしょ。早く準備しない、フラクシナスに行くわよ」

 飴玉が無くなった棒をゴミ箱に放り投げて新たなチュッパチャップスを口の中に放り込んでから玄関へと向かう。士道は戸惑いながらも、表情を引き締めて琴里の後を追った。

 

 

 

 

 家を出た三人はすぐにフラクシナスに回収されると、艦橋へと早足で向かう。そして自動ドアがスライドし、中に三人が入ると声がかけられた。

「五河君!」

 その人物は、士道の上司である広瀬栞だった。彼女が真っ青な顔で三人の前に歩み寄ると、琴里が広瀬に言った。

「一体、何があったの?」

「見れば分かるわ。早くこっちに!」

 そう言って広瀬は琴里がいつも座る艦長席のすぐ前へと向かう。そして広瀬の後を追った三人が艦長席の前に辿り着いた直後、

「な、何だよこれ……!」

「………っ!」

「………これは」

 士道が驚愕の声を上げ、琴里が目を限界まで見開き、令音が声を漏らした。

 艦長席の前に、半透明の男の姿が映し出されていたのだ。男は仰向けに横たわっており、目はまるで眠っているかのように閉じられている。

 そしてその男の姿を、士道と広瀬は良く知っていた。その男の名は……

「――――烏丸所長!」 

 BOARDの研究所がアンデッドに襲撃された時、広瀬達の手によって辛くもその場を逃げ延びる事ができたBOARDの所長……烏丸啓だった。

 目の前の男の姿に驚いていた琴里だったが、すぐに冷静さを取り戻してフラクシナスのクルー達に言う。

「これは何?」

「はい。広瀬さんがBOARDより持ち込んできたデータを解析した結果、このデータはBOARD所長である烏丸さんの脳波だと分かりました。この映像は、その脳波を通じて映し出されているものだと推測されます」

「烏丸所長は大丈夫なんですか!?」

「脳波は正常だから、命には問題はないわ。この映像もあくまでイメージのようなものだから、実際にこうなっているわけじゃないと思う」

 クルーの一人である箕輪からそう言われて、士道は思わずほっとした。どうあれ、烏丸所長が無事だという事が分かっただけでも良かった。何せBOARDが壊滅した日以来、何の連絡も無かったのだから。

 と、士道が安心した直後だった。

『………誰か……聞こえているか?』

「「所長!」」

 聞こえてきた烏丸の声に、士道と広瀬が同時に声を上げる。二人の声を聞いて、横たわった烏丸は目を開く事も無ければ口も開かないまま、ただ声だけをどこからか発して二人とコンタクトを取る。

『その声は……五河と広瀬か……。二人共、無事だったんだな……』

 それに士道と広瀬が言葉を返そうとした時、琴里が三人の会話に割り込んだ。

「初めまして、烏丸啓」

『……? 君は……?』

 突然聞こえて来た少女の声に驚いたのか、烏丸が戸惑いの声を発する。琴里は迷いがない堂々とした口調で、自分の身分を明かした。

「私はラタトスク機関司令、五河琴里よ。名前の通り士道の妹でもあるわ」

 すると、烏丸の声に少し驚いたような声音が混じった。

『……ラタトスク機関……。確か、対話で精霊との和解を目指す組織だったか……。まさか、五河の妹がその組織の司令官だったとはな……』

 烏丸から出た予想外の言葉に士道はもちろん、琴里すら目を見開いていた。ただ前に烏丸ならば精霊の事を知っているかもしれないと言っていた広瀬だけは、やはり知っていたのかと言うような表情を浮かべていたが。

「……広瀬さんから話を聞いて、ASTの事は知っていると思っていたけれど、まさか私達や精霊の事まで知ってるなんてね」

『ラタトスク機関の事はあくまで噂程度だ。ASTはアンデッドとの交戦記録を密かに利用させてもらっていたから知っていて当然だし、精霊についてはASTの事を調べる過程で知っただけだ。まぁ、精霊の事を知っているのは私を含めたBOARD上層部だけだがね。……しかし何故、その機関が五河と広瀬と一緒にいる?』

 訝し気に烏丸が問うと、

「長くなるから今はその説明は省くわ。今言える事は、私達は士道の味方で、アンデッドの封印に協力してると同時に、士道に精霊の封印を協力してもらっているという事よ。短い説明で悪いけど、これで納得してもらえたかしら?」

 彼女の言う通り確かにざっくりとした説明だが、どうやらそれで烏丸は構わないらしい。彼は安心したような声で、

『ああ、十分だ。聞きたい事はいくつかあるが、少なくとも君が信頼できる人間だという事は分かった。……それと、これだけは言わせてくれ。五河と広瀬に協力してくれて、ありがとう』

「礼には及ばないわ。士道には苦労をかけさせられっぱなしだしね」

「おい」

 琴里がやれやれと言うような口調で手を振り、士道はそんな妹にジト目を向けるが、案の定彼女からは無視された。琴里に礼を言った烏丸は一旦言葉を区切ると、再び口を開いて真剣そのものの口調で言った。

『……さて、済まないが時間がない。だから用件だけ言う。本当ならば五河と広瀬以外にはあまり話したくないが、協力させているのに情報を共有しないというのはフェアではない。だから、ラタトスク機関にも話す事にする』

「分かったわ。で、その要件っていうのは?

『アンデッドがどこから来たかだ』

 その言葉に、場の雰囲気が張り詰めるのが分かった。今まで人間達を襲い、つい最近では精霊である十香にすら牙を向けてきたアンデッド。そのアンデッドのルーツを知るのだから、このような雰囲気になるのも仕方ないだろう。烏丸は重々しい口調で、語り始めた。

『全ては一万年前、53体のアンデッド達の闘いから始まった。彼らはある目的のために、壮絶な戦いを繰り広げたんだ』

「その目的って言うのは、何なんですか?」

『……自分達の種の繁栄だよ』

 種の繁栄という言葉に士道が眉をひそめると、それを説明するように烏丸が話を続ける。

『不思議に思わなかったか? 君が封印してきたアンデッド達が、何故地球上にいる生物に似た姿をしているのか。……その理由は、彼らがそれぞれの生物の始祖、つまり先祖であるからだ』

「アンデッドが……地球上の生物の先祖!?」

 士道は驚きのあまり大声で叫んでしまった。しかし、それもある意味当然だろう。今まで自分達を襲ってきた怪物の正体が、地球上にいる生物達の先祖だと言うのだ。これで驚くなという方が無理である。

『ああ。そしてアンデッド達はそれぞれの種の繁栄のために戦い、最終的には我々人類の始祖であるヒューマンアンデッドが戦いに勝利した。結果、ヒューマンアンデッド以外のアンデッド達は全てカードに封印される事になったのだ』

 するとここで、烏丸の話を聞いていた琴里が口を挟んだ。

「なるほど……。だから、アンデッドは倒されるとカードに封印されるってわけね。かつての敗者に対するプログラムって事かしら」

『そう考えてもらって構わない。……だが五年前、その封印が解かれた。彼らにとっては間違った方向に進化した人間の排除。それが目的で、アンデッドは人間を襲い始めた……』

「でも所長、どうして封印は解かれたんですか?」

 広瀬が険しい表情で烏丸に聞くと、烏丸は苦しそうな声音で話し始めた。

『……広瀬は知らないかもしれないが、五年前BOARDの施設は天宮市に存在していた』

「天宮市に!?」

『ああ。当時はまだアンデッドの研究も始まったばかりで、情報面のセキュリティも完璧ではなかった。君達は知っていると思うが、天宮市はかつて南関東大空災によって更地になった一帯を様々な最新技術の実験都市として再開発した街だ。その街ならば例え緊急事態が起きてもすぐに対処できると考えたBOARDは天宮市の住宅街の近くに小さな研究所を建てた。それが、最初の人類基盤史研究所だ。何事も無ければその数日後にそこから離れた所でセキュリティのしっかりした研究所を建て、そこに研究資料などを移す予定だった。だが、そんな時に事件が起きた』

「事件……?」

『五年前に、その天宮市南甲町の住宅街で大規模な火災が発生したのだ』

「え……?」

 烏丸の言葉に、士道は思わず眉をひそめた。士道も昔、そこに住んでいた事があったのだ。火事で家が燃えてしまったため、今の家に引っ越してきたのである。まさか、その近くにBOARDの研究所があったとは、奇妙な縁もあったのものである。

 だが、烏丸の言葉に、士道以上の反応を見せた人物が一人いた。

「………っ!」

 それは士道の妹の琴里だった。彼女は烏丸の話を聞いた瞬間、何故か目を大きく見開き、手はかすかに震えていた。まるで、とてつもなくショックを受けているような様子である。そんな妹の様子が気になり、士道は思わず尋ねた。

「ど、どうしたんだよ琴里」

「……っ。何でもないわ。それより、話を聞いていなさい。これはあなたにとっても重要な事柄よ」

 琴里の言葉を受けてかそうではないのかは分からないが、琴里がそう言った直後に烏丸が再び話を続けた。

『大規模な火災は研究所にまで届き、短い間ではあったが研究所は混乱状態になった。そしてそれに悲しいアクシデントが重なってしまった結果……ほとんどのアンデッド達の封印が解かれてしまった。……だが、結局は全て私の責任だ……ぐっ!』

 突然烏丸が苦しそうな声を上げた瞬間、まるでノイズがはしるかのように所長の映像が乱れた。乱れはますます大きくなり、今にも所長の姿をかき消してしまいそうである。

「所長!」

『……最後に……これだけは、覚えておいてくれ……。ライダーシステムはアンデッドに有効だ。このまま君達にはライダーシステムを活用して、アンデッドを封印して欲しい……。それが、私の願い……』

 その言葉を最後にして、烏丸の映像が消えてしまった。琴里は舐めていたキャンディをガリっと噛むと、クルーの一人である椎崎に言う。

「再アクセスは!?」

「駄目です! 脳波が弱すぎてアクセスできません! これじゃあ、烏丸所長居場所も分かりません……!」

「そんなっ……!」

 椎崎の言葉を聞いて、広瀬は悔しさからか奥歯を噛み締めて琴里の椅子を拳で叩く。そんな彼女に、士道が声を掛けようとしたその時だった。

 けたたましいアラーム音が鳴り響き、フラクシナスのモニターの一つに天宮市のマップが映し出される。はっと我を取り戻した広瀬は自分の席に急いで向かうと、コンソールをすさまじい勢いで叩いて目を見開く。

「――――アンデッドよ! 場所は、北西四キロ!」

「くそ、こんな時に!」

 士道は思わず歯噛みした。ようやく烏丸とのコンタクトを取る事ができたと思ったらすぐにそのコンタクトすらできなくなり、しかもそこにアンデッドまで現れた。これでは烏丸を捜す事すらできない。

 焦りで拳を強く握りしめると、席に座った広瀬が士道に言う。

「五河君、あなたは急いでアンデッド封印に向かって! 烏丸所長の事は私達でどうにかするから!」

「そんな、俺も一緒に……!」

 だが、そんな士道の言葉を広瀬は首を横に振る事で黙らせた。それから広瀬は強い力のこもった目で士道を見ると、静かな口調で士道に尋ねる。

「五河君。あなたの仕事は何?」

「………っ。アンデッドの、封印です……」

「そう。あなたが今アンデッドを封印しなかったら、またあなたが守るはずの十香ちゃんが襲われるかもしれない。そんな事、許せるはずがないでしょう? あなたはあなたがやるべき事をして。私も、私のやるべき事を全力でするから! だからこっちは私達に任せて、あなたは早くアンデッドを!」

 その言葉を聞いて、士道は思い知った。

 本来ならば、彼女も手を貸してもらいたいのだ。士道はただの高校生かもしれないが、それでも尊敬する所長を捜している今は猫の手も借りたいほどなのだから。

 だが今はそれよりも、士道の仕事を優先させなければならないと彼女は思っているのだろう。それはもちろん、烏丸の命が大切ではないと言っているわけではない。ただ彼女は、烏丸所長の意思を尊重しようとしているだけなのだ。

 烏丸所長の命も大事だが、その所長がアンデッド封印を望むというのならば、その意思に見事に応えてみせる。

 それがBOARDという組織の一員である、広瀬栞という人間のするべき事だから。

 士道は一瞬目を閉じて奥歯を噛み締めると、目を見開いて広瀬の目を真正面から見る。その顔には、もう迷いは消えていた。士道は力強く頷くと、琴里に叫んだ。

「琴里! 今すぐ俺を降ろしてくれ! ブルースペイダーで行く!」

「何言ってんのよ馬鹿兄! あんたが乗ってんのがなんなのか、忘れたの!? 今すぐフラクシナスの進路を北西に変えて! さっさとしなさい! ぐずぐずしてたら、人に被害が出る恐れがあるわ!」

「「「了解!!」」」

 琴里の命令を受けて、クルー達が力強い返事を返す。そしてそれを合図とするかのように、フラクシナスはアンデッド封印のため、アンデッドが現れた現場へと動き出すのだった。

 

 



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第十四話 疑惑

エグゼイドは終わってしまいましたが、ビルドも中々面白そうですね。これからの展開に期待です。


 士道達が烏丸から衝撃の事実を聞かされた数分前。

 相川始が住んでいるハカランダの一角で、天音がテーブル席に座りながら不機嫌そうな表情で新聞紙をじっと睨みつけていた。そして不満げに頬を膨らませると、納得がいかないような口調で言う。

「おかしい。絶対におかしい! どうしてこの前の怪物の事が新聞に載ってないの!? あれだけの人が襲われたなら、絶対に載ってるって思ったのに!」

 天音が言っているのは、この前のセンチピードアンデッドの時の騒ぎの事である。突然現れた謎の化け物にあれだけの人々が襲われたのだから新聞に載っていてもおかしくないと考えて先ほどから一面に目を通しているのだが、そのような記事はまったくと言って良いほど掲載されていなかった。まるで何者かが、意図的に情報を隠しているかのように。

 すると、そんな彼女の憤りを察した始がテーブルを拭きながら言った。

「そういうもんだよ人間って奴らは。理解できないものは認めたくない。闇に葬りたい。そうする事でしか、自分達を護る事ができないから理解できないものを排除しようとする」

 聞いてみると穏やかな口ぶりだが、その中にはかすかに棘が混じっている。それを感じたのか、天音は新聞紙から始に視線を移しながらこんな事を口にした。

「何だか始さん。人間じゃないみたい」

 それを聞いた始の手が止まった。始は持っていた布巾をテーブルに置いてから、顔を上げて天音を見る。その顔には、どこか悪戯を考える少年のような笑みが浮かんでいた。

「本当は人を襲うモンスターだったりして………。ガァー!」

 そんな事を言いながら、始は十本の指を折り曲げた状態にして両手を顔の高さまで上げた。ご丁寧に、牙を見せようとしているかのように口まで開けている。それは彼が栗原母娘にしか見せない表情だった。士道や琴里が見たら、間違いなく絶句する事間違いなしの行動である。

 すると天音はくすくすと笑い、

「全然怖くない! 始さんがモンスターでも、私平気。断然愛せちゃうなー」

 そんなませた事を言う天音に、思わず始も笑みがこぼれる。それから彼女は椅子から立ち上がると、小走りで店舗の地下にある始の部屋に続く階段に駆け寄りながら、始に言った。

「始さん、この前取った写真見せて!」

「良いよ。机の上に置いてあるから」

 はーい、と元気に返事をしてから天音は部屋へと向かった。そんな愛娘の後ろ姿を見送った遥香は苦笑を浮かべながら、

「ごめんね始君。天音の事を色々と任せちゃって」

「いいえ、このぐらい何でも無いですよ」

 謙遜ではなく、本心から始はそう言った。基本的にクラスの人間などには心を開かない始だが、この母娘に対してだけは心を開いていた。少なくとも、心からの笑顔を浮かべるほどには。

 すると、その言葉を聞いた遥香は柔らかな笑みを浮かべながら天音が降りて行った階段の方向に視線を向けた。

「でも本当に助かってるわ、あなたが来てから。あの子父親の事言わなくなった。天音、お父さんっ子だったから。亡くなった時の落ち込みようったらなかったわ」

 その瞬間、始の表情が変わった。

 階段の方に視線を向けている遥香は気づいていないが、始の表情はかすかに強張っていた。

 そして、彼の脳裏にある映像が映し出される。

 真っ白な雪が降り注ぐ山。そこで頭から血を流し、自分に向かって震える手で写真を差し出す男性。彼の命は明らかに風前の灯火であり、仮に治療を施したとしても長く生きられない事を始に感じさせた。

 彼の握る写真には、三人の男女が映っていた。

 恐らく家族なのだろう。写真には目の前の男と彼の妻と思しき女性が仲睦づに肩を寄せ合っており、そんな二人のすぐ前に二人の子供と思われる少女が映っていた。三人共、これ以上の幸せは無いと言っているかのような笑顔だった。 

 写真を始に差し出しながら、男は寒さで震える唇を懸命に動かした。

 そこから発せられた言葉を、始は一日たりとも忘れた事は無い。

 自分の死期が迫っている男は、始にこう言ったのだ。

『遥香を……天音を……頼む……』

 そう言い残し、男は――――。

「始君?」

 遥香からの呼びかけに、始ははっと我に返った。遥香の方を見てみると、彼女は心配そうな表情で始を見ていた。

「どうしたの? 突然ぼーっとしちゃって……。何か悩み事とかあるなら相談に乗るわよ?」

「いいえ、大丈夫です」

 そう言いながら、始がテーブルの掃除を再開しようとしたその時だった。

「始さん! お母さん!」

 突然地下から、天音の声が聞こえて来た。その声に不穏な物を感じ取ったのか、遥香が地下にいる天音にも聞こえるように叫ぶような大声で言う。

「天音! どうしたの!?」

「変なものが降ってるの! 早く来て!」

 始と遥香は一瞬顔を見合わせると、すぐに地下にある始の部屋へと駆け足で向かう。

 やがて始の部屋に辿り着いた二人は、そこで異様な光景を目にする事になった。

「何……これ……」

 それを目にした遥香が、呆然とした声を出す。

 始の部屋の天井から、何やら銀色のものが降り注いでいたのだ。一見してみると雪のように見えるが、雪のように冷たくないし、それに雪よりも細かく見える。始は部屋中に降り注ぐそれらを観察すると、すぐにその正体を看破する。

(……鱗粉か?)

 鱗粉。蝶や蛾などの体や羽を覆っている粉である。しかしこの場には蝶や蛾などの虫はいないし、何よりも室内であるこの部屋にどうして天井から降り注ぐ形で鱗粉が降ってきているのか、さすがの始も分からなかった。

 一同が訳の分からない異変に困惑している、その直後。

 部屋にある写真が急に赤い炎に包みこまれ、それを支えていた写真立てもあまりの高温にドロドロに溶けてしまった。

「きゃあっ!」

 突然天音が悲鳴を上げ、遥香も恐怖で顔を引きつらせながら天音を抱きしめる形でその場にうずくまる。始が二人を庇う形でその場にしゃがみんだ瞬間、彼の脳裏にある映像が映し出された。

 そこは天宮市にある高台公園だった。そこに、異形の怪物が宙に浮かび上がりなら遠くにいるはずの始に語り掛ける。

《来い、カリス……。俺と戦え……!》

 その声そのものはアンデッド独自の言語だったが、その意味ははっきりと始に分かっていた。そしてその声を聞いて、今起こっているこの異変が今のアンデッドが起こしているものだという事にも気づき、始は表情を険しくした。

 恐らく今のアンデッドがこのような事をしたのは、自分に対しての挑発なのだろう。こうする事で自分を怒らせて、戦い決着をつけようとしているのだ。

 改めて周囲の状況を見回してみると、鱗粉はすでに止まっていた。しかしドロドロに溶かされた写真と写真立ては、そのままである。始が立ち上がると、彼に護られるようにしゃがみこんでいた天音が小さな声で呟いた。

「何なの……今の……」

 そんな天音と彼女を安心させるように抱きしめている遥香に、始は優しい声で言った。

「大丈夫です。俺が何とかしますから」

 そう言うと始は自分の部屋を飛び出し、さらに走って店の外に出ると自分の愛車であるバイクに乗り込む。そしてヘルメットをかぶってエンジンを被ると、自分に挑発を仕掛けさらにはあの家族を驚かせたアンデッドを封印するために天宮市にある高台公園へと向かう。

 そこに、もう一人の仮面ライダーも向かっている事も知らずに。

 

 

 

 

 

 

 アンデッド出現を知ったフラクシナスはすぐさま天宮市の高台公園の上空へと向かうと、すぐに高台公園へ士道を直接転送する。士道は初めて十香とラタトスクの前でブレイドに変身した場所に降り立つと、辺りを警戒しながらゆっくりと歩きだす。しかし周囲にアンデッドの影は無く、士道はインカムを通してフラクシナスにいる広瀬に確認を取る。

「広瀬さん、本当にアンデッドはここにいるんですか?」

『間違いないわ。反応は間違いなくそこから……五河君、後ろ!』

 広瀬の声と同時に後ろから殺意と敵意を感じ、士道は振り返るよりも早く横に転がった。するとたった今まで士道のいた場所を、何かが高速で通り過ぎた。もしも反応があと少し遅ければ、間違いなくその無防備な背中に強烈な一撃を食らっていただろう。士道が立ち上がると、襲い掛かってきたその何かはふわりと地面に着地した。

 顔はまるでガスマスクのようであり、口の部分は長く伸びている。頭部はまるで羽のような触覚が伸びており、さらには背中、腕、脚には羽根が生えている。その姿を見て、士道は思わず顔をしかめながら呟く。

「こいつ……何のアンデッドだ?」

『……恐らく蛾だろう。名称を付けるならば、モスアンデッドがふさわしいのかもしれない』

 インカムを通して伝わってくる令音の言葉に、士道はなるほどと納得した。確かに目の前のアンデッドには、蛾の特徴などが見て取れる。令音の言う通り、蛾の始祖のアンデッドと認識して間違いはないだろう。

 士道はブレイバックルを取り出すと、ラウズカードを装填して腰に装着し、右腕を前に伸ばして叫ぶ。

「変身!」

『Turn Up』

 左腕を伸ばし、右手でターンアップハンドルを引くとラウズリーダーが回転しバックルからオリハルコンエレメントが飛び出す。そしてオリハルコンエレメントを走って通過すると、士道はブレイドへと変身を遂げた。

 走っている際にブレイラウザーをホルスターから引き抜き、挨拶代わりにブレイラウザーによる斬撃をモスアンデッドに食らわしてやる。斬撃が当たるたびにモスアンデッドの体から火花が散り、このまま押し切ろうとブレイドがさらに連撃をくわえようとするが、それは叶わなかった。モスアンデッドがブレイドのブレイラウザーを握る右腕を掴んで、連撃を止めさせたからだ。連撃が止まったその隙を狙って、モスアンデッドがブレイドの胸部に強烈な蹴りを放つ。

 蹴りを食らったブレイドは地面をゴロゴロと転がるが、すぐに立ち上がりブレイラウザーのオープントレイを展開、カードを一枚抜き出してスラッシュリーダーでカードを読み取る。

『THUNDER』

 音声が発せられ、カードの絵柄がブレイラウザーに吸収されるとブレイラウザーの切っ先から青白い雷撃が放たれ、モスアンデッドを襲う。

 しかしその時、モスアンデッドを護るような形で銀色の鱗粉が出現し、雷撃はその鱗粉に止められたばかりかその方向を変えて使用者であるブレイドを襲う。自身の放った雷撃を胸部に食らい、ブレイドの体から火花が散った。

「ぐああああっ!!」

『士道!!』

 雷撃を食らったブレイドは鎧から煙を上げながら、再び地面を転がる。胸を押さえて立ち上がりなら、目の前のモスアンデッドを睨み付ける。

「くそ……何だ、今の……」

『今解析したけど、あれは鱗粉よ。多分一種のバリアだと思うわ。だから、五河君の攻撃が跳ね返された』

『………しかし、ただの防御用の鱗粉でもないだろう。予想だが、今の鱗粉は攻撃にも使えるはずだ。シン、鱗粉にも十分注意してくれ』

「分かりました!」

 そう言った直後、モスアンデッドから鱗粉が放たれてブレイドへと襲い掛かる。ブレイドは慌てて横に転がって攻撃を回避するが、回避して立ち上がったブレイドを上空に浮かび上がったモスアンデッドの突進が襲い掛かる。今度は攻撃をかわす事も出来ず、ブレイドはその攻撃をまともに受けてしまった。

「がっ……!」

 思いっきり攻撃を食らい、ブレイドの肺から酸素が吐き出され、地面に体を強かに打ち付けてしまう。

 そしてモスアンデッドは、まるで自分の余裕を見せつけるかのように空中に浮かんでいた。その姿を睨み付けながら、ブレイドはよろよろと立ち上がる。

 正直言って、ブレイドとの相性は最悪である。相手は空中にいるものの、自分には空中を自在に動く敵を攻撃できるようなカードは持っていない。唯一の対抗策は自分の『THUNDER』のカードだが、それもモスアンデッドの持つ鱗粉の前では跳ね返されてしまう。このまま戦っても、勝つ確率は低いだろう。

 だが、

(だからって、退けるかよ……!)

 もしもここで退いたら、このアンデッドは街へと赴き人々を襲うかもしれない。そんな事、断じて許容できるはずがない。ブレイドはブレイラウザーの柄を握る手に力を込めると、モスアンデッドが襲い掛かってきてもすぐに切り捨てる事ができるように剣を構えて集中する。それを察知したモスアンデッドが、自身の最高速度でブレイドに突進しようと動き始めた、その時。

 バイクの音が両者の耳に入り、ブレイドとモスアンデッドは戦闘中という事も忘れて音の出所に目を向ける。するとそこには、バイクに乗ってこちらに突進してくる少年の姿があった。

「あのバイク……。まさか、あいつは……!」

『相川始……!』

 士道の呟きに続くように、琴里が驚くようにそう言った。バイクの少年――――始はブレイドとモスアンデッドが睨み合うちょうど中間の地点でバイクを止めると、バイクから下りてヘルメットを脱ぐ。それから後ろのブレイドには目もくれずカードを取り出し、腰にカリスラウザーを出現させると、静かに呟く。

「変身」

『Change』

 ラウザーユニットでカードを読み込むと、始の姿が水の波紋のようなものに覆われていき、やがて波紋が勢いよく弾け飛ぶと始はカリスへと変身を遂げていた。変身完了したカリスはその手にカリスアローを召喚すると、モスアンデッドとの戦闘を開始する。モスアンデッドもこれを待っていたかのように、カリスとの戦闘を始めた。

 モスアンデッドは右ストレートをカリスに放つが、カリスアローでその攻撃をさばくと逆にカリスアローで素早い斬撃を次々と繰り出していく。その攻撃にモスアンデッドは先ほどブレイドにしたように右腕を掴んで攻撃を止めようとするが、それすら読んでいたのかカリスはモスアンデッドの腕を切り払うと胸部を蹴り飛ばしさらに連撃を行う。相変わらず、凄まじいまでの戦闘能力だ。

 まずいと思ったのか、モスアンデッドは空中に浮かび上がりその場から逃れようとする。しかしカリスは特に慌てた様子を見せず、腰のラウザーユニットをカリスアローに装着、さらにケースからカードを一枚取り出すとラウザーユニットで読み込む。

『BIO』

 音声と共にカリスアローから何本もの蔦が空中を飛ぶモスアンデッドに放たれ、モスアンデッドの体を素早くからめとる。そのせいで空中を飛んでいたモスアンデッドは、動きを止めざるを得なくなった。それをフラクシナスで見ていた広瀬は、ブレイドに素早く指示を出した。

『五河君! 今よ!』

「はいっ!」

 ブレイドは勢いよく駆けだすと、オープントレイから新たにカードを二枚取り出してブレイラウザーで読み込む。

『SLASH』

『THUNDER』

『LIGHTNING SLASH』

 音声と同時にブレイラウザーの刃の斬れ味が高まり、さらに雷の力が宿る。ブレイドはブレイラウザーを強く握ると空中で動きを止めているモスアンデッド目掛けて高く跳躍する。

「はぁあああああっ!!」

 そして、気合と共にモスアンデッドを切り裂こうとした瞬間、最後の抵抗と言わんばかりにモスアンデッドが大きく体をよじらせた。そのせいで刃はモスアンデッドを縛り上げていた蔦を切り裂いてしまったが、その代わりに背中の羽根を切り裂いた。羽根を失ったモスアンデッドは地面へと落下し、地面に体を打ち付ける。決定打にはならなかったが、これで空を飛んで逃げられる可能性は無くなった。

「よし! これであとは……!」

「邪魔だ!」

「うわっ!」

 カリスはブレイドの背中を蹴り飛ばすと、とどめを刺すためにモスアンデッドへと駆け出していく。しかしモスアンデッドが鱗粉を前面に放出すると、カリスは舌打ちしてその動きを止めた。どうやら彼も、モスアンデッドの使う鱗粉の脅威を感じているようだ。

 そしてカリスが立ち止まった直後、モスアンデッドの口から何か鋭い針のような物がカリス目掛けて吐き出される。カリスがその針を回避すると、針はすぐそばにある鉄柵に突き刺さると、なんとその鉄柵をドロドロに溶かしてしまった。針の持つ威力を見て、ブレイドは背筋に寒気が走るのを感じながら言った。

「毒針かよ……!」

『……しかも鉄を溶かした所を見ると、強力な腐食溶解作用があるようだ。あの毒針には当たらない方が良い』

「そうは言っても……うおっ!」

 自分に放たれた毒針をブレイドは慌ててかわした。どうにか防御したい所だが、鉄すらも溶かすほどの強力な毒針だとすると、自分が使う『METAL』のカードすら通じない恐れがある。ここは令音の言う通り、あの毒針には当たらない方が良い。

 一方、カリスは毒針を回避しながらモスアンデッドの動きを観察していた。モスアンデッドは銀色の鱗粉で自分の身を護りながら、毒針でブレイドとカリスを攻撃している。一見してみると、モスアンデッドの方が有利に見えるだろう。

(……だが、その戦い方には弱点があるはずだ。もしもこの戦い方が本当に欠点のないものならば、奴はもっと早く使っているはず。だとすると、奴を観察していればその弱点はおのずと見えてくる……!)

 そうして攻撃をかわし続けていくうちに、ついにカリスは気づいた。

 鱗粉で身を護っているモスアンデッドが毒針で攻撃する瞬間、そこにわずかな隙間が生じるのだ。

 考えてみればそれは当然だ。いかに強力な毒でも、自分が形成する鱗粉に阻まれてしまえば意味がない。相手に確実に当てるために、モスアンデッドは攻撃する瞬間に自分の細長い口の周りの鱗粉にわずかな隙間を作り、そこから毒針を放っているのだ。

 その弱点が分かればあとは簡単だった。カリスはケースからカードを一枚取り出すと、カリスアローに組み込まれたラウザーユニットでカードを読み込む。

『TORNADO』

 ラウザーユニットから音声が発せられ、カードの絵柄がカリスアローに吸収されるとカリスはカリスアローを鱗粉のバリアを張っているモスアンデッドに向ける。そして次の瞬間カリスアローから竜巻の力を付与された光の矢が放たれ、矢はバリアの隙間を通って見事にモスアンデッドの顔面に命中した。強烈な一撃を食らったモスアンデッドは顔面から盛大な火花を散らしながら、地面に叩きつけられる。

 モスアンデッドのバックルがカシャンと小気味良い音を立てると、カリスはカードを一枚取り出してモスアンデッドへと投げる。カードがモスアンデッドに突き刺さると、その体はカードへと封印されカリスに戻る。カリスの手元に戻ってきたカードにはハートの紋章に数字の八、鏡のような羽を持つ蛾の柄に『REFLECT』という文字が刻まれていた。

「………」

「ちょ、ちょっと待ってくれよ相川!」

 カードをケースにしまってその場から無言で立ち去ろうとするカリスの前に、ブレイドが立ち塞がった。ブレイドは表情の伺えないカリスの顔をまっすぐ見つめながら、

「なぁ、前にも言ったけど、俺達に協力してくれないか? 正直、お前が何者なのかかはまったく分からない。でも前にアンデッドが現れた時、お前はあの女の子のためにアンデッドと戦った。そうだろ?」

「………」

「お前の事は分からないけど、それでもお前が誰かのために戦っているのは分かる。だから、これからは俺達と協力して一緒にアンデッドを……!」

 しかし、ブレイドの言葉は途中で途切れる事になった。

 カリスの振るったカリスアローの刃が、ブレイドの胸部の装甲を切り裂いたからだ。

「ぐああっ!!」

『士道!』

『五河君!』

 ブレイドの声に、琴里と広瀬が叫び声を上げる。さらにカリスが攻撃を加えようとするが、間一髪でブレイドがブレイラウザーでカリスアローの攻撃を防ぎつばぜり合いの状態になる。カリスは腕に力を込めながら、冷たい声音でブレイドに言う。

「貴様の主義主張などに興味はない。覚えていないのか? 言ったはずだ、全てが俺の敵だと。俺の前に立ち塞がる奴らは全て叩き潰す。それだけだ!」

 そしてついに均衡が崩れ、ブレイドは剣を弾き飛ばされ胸部に強烈な威力の攻撃を食らわされる。攻撃を食らうたびにブレイドの鎧から火花が散り、カードを使おうにもその隙すら無い。最後にカリスはブレイドを蹴り飛ばすと、吐き捨てるように告げた。

「今はアンデッドを封印しに来ただけだから、このぐらいにしておいてやる。だが、次は無いと思え……」

 そう言ったカリスの言葉を聞いて、ブレイドは思わず生唾を飲みこんだ。

 カリスは本気だ。もしも次に自分が彼の前に立ち塞がったら、本気で自分を殺そうとしている。彼の声音には、間違いなくそうすると感じさせるほどの感情がこもっていた。

 カリスはブレイドに背を向けると、シャドーチェイサーに乗ってその場から去っていた。

 ブレイドは痛みが残る体に鞭を打って立ち上がると、ターンアップハンドルを引いてカードを引き抜く。オリハルコンエレメントがバックルから放たれ、ブレイドが士道の姿に戻ると同時にインカムに通信が入った。

『無様にボコボコにされてたけどこれぐらいは言ってあげるわ。……お疲れ、士道。怪我とかは大丈夫?』

「ああ、大丈夫だ。心配してくれてありがとな、琴里」

『………っ。ふん。別に心配なんてしてないわよ。ただ士道があまりにも弱すぎるから、呆れてるだけ』

 聞こえてくるのは暴言だが、それが彼女の本心ではない事は士道は良く知っていた。彼女の声音には呆れの色などまったくなく、むしろ自分を心配しているような声だったからだ。士道が苦笑していると、今度は広瀬の声が聞こえて来た。

『お疲れなさい、五河君。早速で悪いんだけど、これからすぐにフラクシナスに回収するわ。回収されたら、すぐに怪我がないか身体のチェックを済ませてから、封印したアンデッドのカードを持ってきてね』

「はい、分かりました」

 士道はそう言って一旦通信を切ると、カリスが去って行った方向をじっと見つめてから、静かに呟いた。

「……お前が戦う理由はそれだけじゃないだろ、相川。だったら何であのムカデのアンデッドが出た時、お前は抗体を手に入れてあの子を助けようとしたんだよ」

 その呟きを聞いている人間は、士道以外その場には誰もいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 モスアンデッドを封印した後、ハカランダに戻ってきた始はもう大丈夫だという事を遥香と天音に伝えた。突然そんな事を言った始に二人共何かあったのか尋ねたそうだったが、信頼している始の言う事だからか最終的には二人共安心した表情を見せてくれた。それに加えて写真が燃えてからの異変もその後まったく起こらなかったので、それも彼女達が安心する理由の一つになったのだろう。

 その後いつもと同じように店の手伝いを閉店時間まで手伝った始は、遥香に一言断ってから自分の部屋へと戻った。部屋にあった、モスアンデッドによって燃やされた写真は遥香と天音が片づけてくれたのか、もう部屋にはない。始は険しい表情のままベッドに座り込むと、モスアンデッドの行動について考え始める。

 モスアンデッドは、確実に自分がここにいる事を知っていた。だからこそあのアンデッドは、あんな挑発まがいの事までして自分に戦いを挑んできたのだ。

 しかし問題は、アンデッドが自分に戦いを挑んできた事ではない。並大抵のアンデッドがいくらかかってこようが自分の敵ではない。かかってきたとしても、返り討ちにして封印してやれば良いだけの話だ。

 問題は、自分がここにいる事であの母娘に危害が及ぶ事だ。現に先日はセンチピードアンデッドによって天音の命が危険にさらされたし、今日だって一歩間違えれば彼女達は自分が戦う非日常へと足を踏み入れる所だった。

 このまま戦うとしても、何らかの対抗策を考えなければ、間違いなく天音はまた危険な目に遭い、遥香はそのたびに不安そうな表情を浮かべるだろう。それは、決して遭ってはならない事――――。

 と、そこまで考えた所で始はやや驚いたような表情を浮かべた。

 自分が、誰かの事を心配するような事を考えていた。いや、それは今に始まった事ではない。彼女達に出会ってから、そういう事を考えるのが増えるようになった。それも無意識のうちに、だ。彼女達と出会う前は、そんな事はまったく無かったのに。

 そして、

(……何故だ。何故特にあの子の事となると、俺は冷静さを失う……?)

 相川始が特に心を乱す事が多いのは、天音に危険が迫った時だ。センチピードアンデッドの時も、士道の前では冷静だったが、実際はかなりの焦りが始の心を支配していた。今日もそうだ。天音が恐怖する姿を見た瞬間、始の心にモスアンデッドに対する怒りが沸き上がってきた。

 だが、その理由が未だ彼には分からない。彼女を大事に思っているのは事実かもしれないが、どうしてそう考えるのか始には理由がまったく分からなかったのだ。人間など、自分が気にする必要もない生き物だと理解しているはずなのに。

 そこまで考えた所で、始の脳裏にある少年の顔が思い浮かんできた。

 五河士道。何故か精霊の力を封印する事ができる少年であり、自分と同じようにアンデッドを封印する力を持つライダー。彼ならば、その理由も分かるのだろうか?

(……馬鹿馬鹿しい)

 そこまで考えた所で、始はその考えを一蹴した。あんな甘い人間に、そんな事が分かるはずがない。それに知らずに彼について考えていた自分にも腹が立つ。あんな人間、気にする価値すらないというのに。

 しかし、それなのに。

 続いて始の頭に思い浮かびあがってきたのは、アンデッドを封印した時に彼が言った言葉だった。

『お前の事は分からないけど、それでもお前が誰かのために戦っているのは分かる。だから、これからは俺達と協力して一緒に……』

「………っ!」

 そこまで思い出した所で、始は思わず近くの壁を拳で思い切り殴りつけた。拳に痛みが伝わってくるが、今は五河士道という少年に対しての苛立ちが痛みを凌駕していた。気を付けなければ、明日以降の学校生活で彼の事を知らずに殺意のこもった目で睨み付けてしまうかもしれないと思うほどには。

(………貴様に、一体何が分かると言うんだ……!)

 始は拳を強く握りしめながら、何もない宙を睨み付ける。

 壁を殴った事で拳からかすかに滲み出ている彼の血の色は。

 明らかに人間のものではない、緑色をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 夜八時、広瀬は一人、フラクシナスのベンチに座って缶コーヒーを飲んでいた。半分ほど飲み干した所で、缶を置いて一息つくと、自分の横に誰かが座るのを気配で感じた。広瀬がその人物の方向に視線を向けようとすると、その前に座ったその人物が声をかけた。

「士道のメディカルチェック、お疲れ様。広瀬さん」

「あなたもお疲れ様、琴里ちゃん。こんな時間まで大変ね」

「仕方ないわ、これも司令官の仕事だもの」

 そう言いながらその人物……琴里はファンタの缶のプルタブを開けて中身を飲み始めた。

 広瀬がこのフラクシナスに来てから数日経ち、大分この艦のクルー達とも打ち解けはしてきたものの、やはり話す回数としては琴里が一番多かった。ブレイドアーマーの装着者である士道の妹という事もあるし、フラクシナスの司令官である彼女と精霊やアンデッドの情報交換をする事が多かったからだ。そのため、二人は徐々にではあるが良き友人関係を築きつつあった。

 と、二人がベンチに座って一休みしていると、そんな二人にある人物が歩み寄ってきた。その人物に、ファンタを飲んでいた琴里が声をかける。

「あら、令音。どうしたの? あなたも休憩?」

 近づいてきたのは軍服を着た令音だった。その軍服のポケットには、いつも通りというべきか傷だらけのクマが顔を覗かせている。

 令音は琴里だけではなく広瀬にも視線を向けると、静かに口を開いた。

「……君達を捜していたんだ。実は、相川始について気になる事があってね。……少し時間を取るが、構わないかな?」

 令音の言葉に琴里と広瀬は顔を見合わせると、すぐに令音の方を向いて頷いた。

 了承を得た令音は二人を連れてフラクシナスの一室に向かった。三人が向かった部屋は、ベッドの他には机の上にデスクトップパソコンが置かれているだけのやや殺風景な部屋だった。令音は机の前の椅子に座ると、パソコンを起動して操作をすると、画面に一時停止状態の動画を映し出す。それを見て、広瀬が声を上げた。

「これって……いつも五河君の周りを飛んでるカメラの映像?」

 フラクシナスは士道の精霊とのデートのサポートをする際、状況確認のために飛んで映像をフラクシナスに送る超小型のカメラを士道の周りに飛ばしている。さらに最近ではアンデッドとの状況を確認するために、アンデッドとの戦闘時でもカメラを戦闘の場に送って士道のサポートを行っている。

「……今日の戦闘を観察した結果、相川始の変身に奇妙な点があった」

「奇妙な点?」

「……ああ。そうだな、分かりやすいように、シンの変身を比較して説明するとしよう」

 そう言いながら令音はマウスを使うと、映像を士道が変身する時に早送りする。映像の中の士道は右腕を伸ばし、今まさに変身しようとしている所だった。

『変身!』

 士道がターンアップハンドルを引き、バックルからオリハルコンエレメントが飛び出してそれに向かって士道が走りオリハルコンエレメントを通過した瞬間、令音は映像を止めた。

「……ライダーシステムの変身は、アンデッドと一種の融合状態になる事で力を発揮する事ができる。しかし、融合状態とは言ってもあくまで鎧を纏った状態に過ぎない。だからシンの変身は『変身』というよりも『装着』に近い。……ここまでは良いかな?」

 令音が尋ねると、二人はこくりと頷いた。それを確認した令音はさらに早送りをし、やがて始がバイクで駆け付けた所で映像を止めた。

「……そして、これが相川始の変身だ」

『変身』

 その後ラウザーユニットの音声と共に始の体が水の波紋に包み込まれた瞬間に、令音は映像を停止した。さらに映像をまるでコマ送りのように流し、始の変身の過程がよく分かるようにする。映像の中の始がカリスに変わっていく様子を見ながら、令音は二人に説明する。

「……この変身を解析した結果、この状態の相川始の体の組織は人間のものからまったく別の物へと変わっている事が分かった」

「まったく別の物……?」

 琴里の訝し気な声に令音は頷きながら、

「……シンの変身はあくまで鎧を身に纏うようなものだ。だが相川始の場合は自分の体の組織を戦闘に特化した体に変えている。まさに『変身』だ」

「でもそんな事……普通の人間にできるんですか?」

 広瀬が驚きの混じった声で令音に尋ねる。令音の話を聞いた限りでは、そんな事はどう考えても人間業ではない。自分の体の組織をまるっきり別の物に変えるなど、そんな事が本当にできるというのだろうか。

 すると案の定、令香は首を横に振って、

「……普通ならできない。だが実際に相川始は誰の力も借りず、自分の能力だけで体の組織をまったく別の物に変えている。人間にできる事じゃない。つまり……」

「つまり……?」

 琴里が言い、広瀬が唾を飲みこむ。二人を顔を見ながら、令音はいつもと同じ冷静そのものの表情で、二人が考えている事をその口から告げた。

 

 

「……相川始は、人間ではないのかもしれない」

 

 

 



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第十五話 闘争の予兆

    

 

 

 

 

 

 

 

「……相変わらず、だな」

 士道がフラクシナスで烏丸のホログラムから驚愕の事実を知った日の翌日。士道は授業の合間の休み時間に机に突っ伏しながら、席に座って写真の専門書を見ている始を見てそう呟いた。昨日自分をボコボコにしておきながら、彼はまったく変わった様子を見せていない。感情を表に出さないと言えば聞こえは良いだろうが、彼の場合は人間そのものに興味を抱いていないと言った方が正確である。その証拠に、彼は今日授業が始まってから誰とも話をしていない。彼にとっては人間と話す時間は、無益な時間と等しいのだろう。

 士道が始を観察していると、パン! と士道の背中が誰かに勢いよく叩かれた。士道が後ろを見てみると、そこには悪友である殿町がにやにやと笑みを浮かべていた。

「よぉ、何見てんだよ五河。女子を見ているだけならまだしも相川を見てるなんて、お前まさかマジで男好きなのか?」

「んなわけねぇだろ! ……ほら、相川っていつも一人でいるだろ? 友達とか、そういう奴いないのかなって思っただけだよ」

 すると殿町は何故か手をひらひらと振りながら、

「あー、無理無理。俺も一年の時からあいつの噂を何回か聞いたけど、あいつが誰かと話している所を見た奴なんて一人もいないんだよ。冷たさなら、鳶一とタメを張れるって話題が出るぐらいだしな」

「そこまでなのか……」

 士道が呟くと、殿町は何故か士道にさらに顔を近づけた。

「何だよ、気色悪いから離れろよ」

「(うるせっ。……それに、正直あいつと関わり合いたくないって奴らもいるんだよ)」

 何故か小声で話す殿町の話に、士道は思わず眉をひそめて尋ねた。殿町の声に合わせてか、自然と士道の声も小さくなる。

「(関わり合いたくないって、何でだよ?)」

「(ありゃー確か去年の6月かそれぐらいの時か? 相川がモテるのに嫉妬した二年の先輩達が、相川に喧嘩を売りに行ったらしい)」

「(マジかよ!?)」

 殿町のその言葉に、士道は思わず目を見開いて驚いてしまった。モテるのに嫉妬して喧嘩を売りに行くというのも信じられないし、平和だと思っていた自分の高校にそんなトラブルがあった事も信じられなかったからだ。殿町は肩をすくめながら、

「(ま、実際の理由はそれだけじゃなかったみたいだけどな。あくまで噂だけど、その先輩が惚れてる女子の先輩が相川に告ったんだが、あえなく撃沈したらしい。それでその人がかなり落ち込んじまったらしくて、それに怒った先輩があいつに嫉妬してた友達を連れて相川に喧嘩を売りに行ったらしい)」

「(な、なるほど……)」

 喧嘩を売りに行くというのはあまり感心できない行動だが、落ち込んだ姿を見て始に喧嘩を売りに行ったという事は、その先輩はその女子生徒に強い好意を抱いていたのだろう。その愛情の強さだけは認めるべきかもしれない。……まぁ、誰も頼んでいないのに喧嘩を売りに行くというのは、見方を変えれば自己中心的な行動とも言えるが。琴里が聞いたら『自分に酔ってる反吐が出る行為』と切り捨てられそうである。

「(で、喧嘩の結果はどうなったんだよ?)」

「(そう慌てるなよ。先輩達としては、ただ相川を脅す程度だったらしい。実際、病院送りにしようとかそういう感じじゃなくて、ちょっと小突いてやろうってぐらいだったらしいしな。……だけど、相川には通じなかった。五、六人で囲んでもあいつはいつも通り平然としてたらしい。それに腹を立てた先輩が相川の肩を押して怒鳴ったら、先輩の鳩尾に相川の拳が飛んだんだとよ。それで周りの先輩達も相川に殴りかかったんだが、全員腹パンされて、地面に倒れてそれで終わりだったって話だ)」

「(……随分詳しいな)」

「(その時の現場をたまたま見てた奴がいてな。そいつが周りの奴らに広めたんだよ)」

 ふーん、と士道は頷くが、ある事に気づいて殿町に尋ねる。

「(でも、相川は大丈夫なのか? 喧嘩を売られたとはいえ、暴力を振るったんだろ? それが先生達に伝わったら大変な事になるんじゃ……)」

 すると殿町はやれやれと言うように首を振りながら、

「(生憎そうはいかなかった。ああ見えて相川は鳶一に次いで成績優秀な生徒だし、さっきの先輩との件だって理由はどうあれ言いがかりをつけてきたのはあっちだしな。あまり大きな騒ぎにはならなかったんだ。おまけに下級生にのされたなんて恥ずかしいって理由で、先輩達も事を荒立てなかったんだと)」

「(ふーん……)」

「(というわけで、あいつに関わろうとする奴はあまりいないってわけだ。……ま、女子の人気は相変わらず高いけどな。くそー! なんであんな不愛想な奴がモテて、俺はモテないんだよ!! やっぱり顔なのか!? 顔で男の価値が分かるわけがないだろうがー!!)」

 ぐあーっ!! と突然雄たけびを上げた殿町を、クラスメイト達が奇異な目で見つめた。その姿を半目で見ながら、いやお前がモテないのは顔のせいだけじゃないと思うぞ……と士道は思った。

 と、そんな時、士道の携帯電話にメールの着信が入った。士道が携帯電話を取り出して画面を見てみると、メールの送信相手は妹の琴里だった。着信ボックスを開いてメールを見てみると、こんな文が書かれていた。

『今日の夕食後、訓練を行うわよ。だから今日は早く帰ってくる事。言う事を聞かなければ、どうなるか分かってるわね?』

 メールを読み終えてると、士道は思わずため息をついた。どうやら前から彼女が言っていた訓練とやらを行うらしいが、どんな事をするのかさっぱり分からない。ただあの妹と組織が考えている訓練と言われると、嫌な予感しかしないというのが今の士道の本音である。

 携帯電話をしまい込みながら、士道はもう一度ため息をついた。

 

 

 

 

「……で、訓練ってのは何なんだ?  俺に一体何をやらせるつもりなんだよ」

 士道が琴里から言われた通りに自宅に早く帰ってきてから数時間後。

 夕食を終えた士道は、リビングのソファに腰かけた琴里に問いかけた。

 今五河家のリビングにいるのは、士道の琴里の二人だけである。

「別に、何もしなくて良いわよ」

 士道が問うと琴里は、チュッパチャップスを咥えながら唇を動かした。

「は……? どういう事だ? あれだけ訓練訓練言ってたのに」

「んー、正確に言うと、普段通りの生活を送る事が今回の課題……かしらね」

「あ?」

「基本的に士道の訓練は、身体能力を上げる事を目的としてBOARDの訓練とは違って、これから何人もの精霊とデートする事になった事を想定して女の子と緊張せずに話せるようになる事を目的としてるわけよ」

「………ああ、そう言えばそんな事言ってたな」

 先月やらされたギャルゲー訓練とナンパ訓練の事を思い起こし、頬をぴくつかせる。ある意味、あれよりはBOARDの戦闘訓練の方が何倍もマシだった。

「今回は、女の子と同居というイベントを生かした実戦訓練なの。要は、突然女の子胸キュン展開になっても、落ち着いて紳士的に振る舞えるようになって欲しいわけよ」

「………はあ」

「だから士道は、十香との同居期間中、どんなムフフイベントが起こっても、焦らずとちらず対応してくれればそれで良いわ」

「な……っ、なんだそりゃ……」

 士道は眉の間に盛大にしわを寄せて、呻いた。

 しかしそこで、脳裏にある疑問が浮かんだ。

「……ていうか、そもそもなんで精霊を口説き落とさなきゃならないんだ? 精霊の力はキスで封印できるんだろ? なら不意を突いて……」

「あらなに、士道ったら無理やりがお好み? 朝刊に載らないように気を付けてよね。身内から犯罪者が出るなんて私嫌だから」

「載るか!」

 士道が叫ぶと、琴里はやれやれと肩をすくめた。

「駄目よ。精霊が士道に心を開いていないと、完全には力が封印されないの」

「そ、そうなのか……?」

「ええ。そうね……アンデッドとの戦いをイメージしてもらえると分かりやすいかしら。アンデッドは強いダメージを負わせて、腰のバックルを開かせてからじゃないとラウズカードに封印できないでしょ? それと同じよ。精霊をの力を封印させるためには、士道に心を開かせないといけないの」

「なるほど……」

 琴里の説明を聞いて士道はそう呟く。確かに自分のしているアンデッドの封印をイメージすると、精霊の力の封印の原理が理解しやすかった。まぁ、外見が化け物そのものであるアンデッドを精霊と重ねて考えるのはまだ見ぬ精霊達にかなり失礼なような気もしたが……。

「でも、心を開かせるって具体的にはどのぐらいなら良いんだよ。まさか、ベタ惚れさせろって言うんじゃないだろうな?」

「さすがにそこまではいかないけれど、少なくともキスを拒まれないくらいには信頼されてないと厳しいわね。だから令音が逐一精霊の機嫌や好感度をモニタリングしてるのよ」

「へぇ……」

 しかし聞けば聞くほどわけの分からない能力である。もしも運命の神様とやらがこの世界にいるのなら、一体何を考えて自分にこんな力を授けたのだろうかと士道は思った。

「……ん?」

 と、士道はそこで首を捻った。

 琴里が、何やらぼそぼそと唇を動かし始めたのである。

「……そう、分かった。ん……じゃあ……」

 よくよく見ると、琴里の右耳には小型のインカムが装着されていた。

「琴里? 誰と話してるんだ?」

「――――ああ、何でもないわ。気にしないで。……それより、士道」

 そう言うと琴里はぴょん、とソファから立ち上がった。

「お手洗いに行きたいのだけれど」

「あ? 行けば良いだろ」

「さっき見た所、電球が切れていたのよ。先に交換してくれないかしら」

「……? ああ、別に良いけど……」

 士道は琴里の様子を不審に思いながらも、棚の引き出しから予備の電球を一つ取り出して作業用の丸椅子を持ってトイレに向かう。そして、椅子を床に置いてから扉を開けた直後。

「………っ!?」

 そのままの体勢でフリーズした。

 しかし、それも当然だった。何故ならば……電球が切れているはずのトイレには、先客がいたのだから。

「な……っ、シドー!?」

 十香が、パンツをひざ元まで下げた状態で、そこに座っていたのである。

「と、とととととととととと十香……!? なんでお前、こんなとこに……!」

 士道は心臓が急激に鼓動を速めていくのを感じながら、そんな声を絞り出した。

 おかしい、トイレの鍵は閉まっていなかったはずである。

 おまけに、琴里が切れていると言っていた電球は煌々と天井で明るく光っていた。ついでに、扉のわきに設えられているスイッチはオフになっている。

 こんなの、咄嗟に人が入っている事を見抜けという方が無茶である。

「こ、こっちの台詞だ! 早く閉めんか!」 

 頬をリンゴのように真っ赤にした十香が、部屋着の裾を片手で下に引っ張りながら、壁に設えられていたトイレットペーパーをむんずと掴み取り、力いっぱい士道の顔面に投げつけた。

「うおっ!?」

 間一髪、士道は投げつけられたトイレットペーパーをかわすと、トイレのドアを全力で閉めた。今のトイレットペーパーをかわしたのは、BOARDで行った訓練で身に着けた反射神経のおかげだろうが、まさかアンデッドの戦いとは一切関係ない生活で役に立つとはさすがの士道も予想できなかった。

「な、なんだってんだ……」

 士道が深呼吸をしながら呟くと、そこにタイミングよく琴里が現れた。

「情けないわね。焦らずとちらずって言ったばかりなのに」

「……琴里、お前の仕業か……」

 妹の方を向きながら士道が言うと、琴里はキャンディの棒をピンと立てて何故か楽し気に唇の端を上げる。

 ……要は十香がトイレに入ったのを見計らって、士道に突撃させたのだろう。しかもご丁寧に、鍵と電灯のスイッチに細工までして。

「士道の様子は常にフラクシナスでモニタリングされているわ。そこでクルーとAIが、士道の対応の合否を逐一判定するの。――――今回はもちろん、駄目」

 そう言って琴里は、背に隠していた物を士道に示した。

「あ……?」

 それは小型のラジオだった。

 琴里がそれの電源を入れて、周波数を合わせる。すると、

『――――この世界は欺瞞に満ちている。大人達は腐敗しきっている。俺達はそうなっちゃいけない。示せパワー。漲るワンダー。未来に向かう足を止めちゃいけない――――』

 どこかで聞いた事のあるような詩が、淡々と朗読されていた。

 そう。それは何を隠そう、士道が中学校の時分に書いたものである。

「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!?」

 士道は喉が潰れんばかりに大声を上げると、琴里の手からラジオを引ったくってすぐさま電源を落とした。

「そんな事をしても無駄よ。だって、もう電波に乗っちゃってるんだから」

「なっ……!?」

 士道は妹の言葉に、顔を真っ青に染めた。

「前回の発展型ペナルティよ。訓練だからって気楽にやられちゃ困るからね。ま、安心なさい。全部失敗でもしない限り、作者名を流すような事にはならないからね」

「それ全部失敗したら流すって言ってるようなもんだろうが!」

「だから、その前に慣れなさいって言ってるのよ。別にドキドキするなって言ってるわけじゃないの。どんなに緊張しようが、落ち着いた対応さえすればクリアにしてあげる」

「そ、そんな無茶な……っ」

 ゲームならまだしも、こういったイベントに免疫のない士道にとっては難易度の高すぎる訓練だった。

「って、ていうか、十香の精神状態を不安定にしてもいけないんじゃねえのかよ……!?」

「ああ、それは大丈夫。感情の揺らぎにもいろいろと種類があるのよ。こういったイベントで、精霊の力が逆流する可能性は低いわ」

「で、でもだからって……」

 士道が諦めずに反論しようとした時、背後から扉が開く音がした。

 士道が音のした方向に目を向けてみると、十香がトイレのドアを少しだけ開けて、真っ赤な顔を半分くらい覗かせていた。

「と、十香……?」

 つい今しがた、琴里のせいとはいえ覗きのような真似をしてしまった手前、顔を合わせづらい。士道は小さく視線を逸らしながら言った。

「す、すまん。わざとじゃなかったんだ。許してくれ……」

 すると十香は、恥ずかしそうに頬を染めながら、廊下に描かれたトイレットペーパーによる紙の白線を指差した。

「……許してやるから……その、なんだ……か、紙を取ってくれ」

「あ……」

 そう言えば、備蓄用のトイレットペーパーが切れていたような気がする。

 士道は廊下に転がったトイレットペーパーを手に取ると、くるくるとロールし直して十香に手渡した。

 こうして、士道の名誉と尊厳を懸けた、可愛い妹の悪意が混じった過酷な対精霊用の訓練が始まったのだった。

 

 

 

 

 

 そして、時刻が十一時を回った頃。

「さ、散々な目に遭った……」

 あの後、琴里の計略に嵌まって先に風呂に入浴した士道は、士道が入っているとは知らずに風呂場に突入してきた十香に見つかり、自分の裸を見られるのを恥ずかしがった彼女により風呂場に沈められ意識を失う事になった。

 そしてどうにか意識を取り戻し、風呂から上がった士道は流し台に溜まった皿を洗って、明日のご飯を用意してからようやくふらふらと自分の部屋に戻る事ができた。

 ちなみに良い子の十香と琴里は、すでに各々の部屋で眠りについている。

 健全な高校生男子としてはまだまだ宵の口なのだが、今日は色々あったせいで疲れ方が尋常ではない。

 さすがに今日はもう琴里もネタ切れだろうと思い、士道は部屋に入るなりベッドにダイブし、すぐに眠りに落ちて行った。

 

 

 

 

 翌日。

「ん……うぅん……」

 士道は小さな呻き声を発しながら、ベッドの上で軽く背筋を伸ばした。

 目には窓から差し込む朝日が、耳には琴里のさえずりが入り込んでくる。

「ん……もう朝か」

 あくびを一つこぼし、目をしばたたかせながら寝返りを打つ。

 と、そんな時だった。

「あ……? 何だ……?」

 頬に柔らかい物が触れた気がして、士道は小さく眉をひそめる。

 それの正体を探るために、ふと頭の上の方に目線を向けてみた。

 すると、そこには、

「ん……」

 なんて、可愛らしい声を上げながら眠りについている十香の顔があった。

「………っ!」

 士道は叫び出したい衝動を必死にこらえた。もしもここで叫んでしまえば間違いなく十香は目覚めてしまう。そうなったら自分は、容赦ない精霊の一撃を食らってしまうだろう。

 士道は一瞬息を止めると、状況把握のために思考を巡らせた。

 ちらと視界を巡らせる。目の前には当たり前だが十香が着ている薄手のフリース生地。そして天井には、士道の部屋の物とはタイプの違う電灯が見えた。

 つまりここは、いつも使っている士道の部屋ではない。

 部屋の内装から言って、普段あまり入る事のない二階奥の客間のようだった。

 だが、自分がどうしてこんな所にいるかが分からない。昨日自分は疲れていたとはいえ、間違いなく自分の部屋に入って就寝したはずだ。それからは熟睡したため、トイレに行った帰りに間違えてこの部屋に入った記憶もない。疲れていたので記憶がおぼろげになっている可能性もないわけではないが、それでもいつもはあまり来ないこの部屋に入る可能性は低いだろう。

 つまり、

(こ、琴里ぃいいいいいいいいいいいいっ!!) 

 自分の可愛い妹、琴里が夜中に何らかの手を回して、自分をこの部屋に運び込んだのだろう。すっかり油断していた自分の馬鹿さ加減を呪いながらも、士道はどうにかしてこの部屋から抜け出せないかを考える。

 自分と十香は今は密着している状態ではあるが、不幸中の幸いと言うべきか十香が目覚める様子は見られない。気を付ければ、彼女が起きる事なくこの場から脱出する事は出来るだろう。

(よし、息をひそめてこっそりと抜け出せば何とかなる! 琴里、お兄ちゃんをあまり舐めるなよ!!)

 そんな事を考えながら、士道が動き出そうとしたその時。

「ぅ……」

 と、唐突に十香が小さな声を上げたので、士道は動きを止めた。まさか、起きたのか!? と士道が思った直後。

「シドー……どこだ……?」

 と、悲しそうな声で十香が言った。その声に士道が思わず十香の顔を見つめると、彼女はまるで悪夢にうなされているかのように目元に涙を浮かべながら続ける。

「シドー……。ここはどこなのだ……。真っ暗で、何も見えん……。お前はどこにいるのだ……? 嫌だ、一人は嫌だ……。助けてくれ、シドー……。私を、一人にしないでくれ……!」

「十香……」

 彼女の名前を呟いてから、士道は前に令音が十香について言っていた事を思い出す。

 彼女はこの前センチピードアンデッドに襲われて死の恐怖と、士道という大切な存在と二度と会えなくなるかもしれないという恐怖を味わった。それが原因で十香のストレス値はアンデッドに襲われる前よりも蓄積が激しくなってしまい、士道と離れている時の精神状態も非常に悪いのだと。

 自分の目の前でそんな様子は見せなかったために士道は気づかなかったが、令音によると自分に心配をかけさせないためにあえてその感情を感情を隠しているのだろうとの事だった。その言葉は今、目の前の彼女の姿で証明されたも同然だった。今の十香の心には、まだ死の恐怖と士道と離れ離れになる恐怖が刻み付けられているままなのだ。

 いつも天真爛漫な十香がそんな表情を浮かべているのは士道としても嫌だったので、どうにかしてその不安を払拭できないか考えた結果、ある方法が頭に思い浮かんだ。

(寝ている最中にこんな事をするのはあれだけど……やってみるしかない)

 ここで彼女が起きて殴られる可能性も覚悟して、士道は十香の両腕の下から腕を入れて彼女の体を静かに抱きしめた。それから小さな声で、彼女にゆっくりと語り掛ける。

「十香、大丈夫だ。俺はどこにも行かない。俺は十香のそばにいるよ」

 そう言ってしばらく、十香の体を抱きしめる。彼女の体からは熱とほのかにシャンプーの匂い、さらに自分の胸の辺りには彼女の胸の感触が伝わってきていた。

 いつもの士道ならばそれに赤面しているかもしれないが、今の士道には十香の状態の方が心配だったので、動揺も無かった。やがて十香の呻き声が聞こえなくなったので彼女の顔に目を向けてみると、目元に涙が残っていたものの、その顔には確かに柔らかい笑みが浮かんでいた。どうやら自分の覚悟を決めた抱擁は、十香の心を癒す事に成功したらしい。

 それから士道は彼女が起きないようにゆっくりと離れると、ベッドから降りてそっと部屋から出て行った。その直後、士道の耳にこんな電子音声が聞こえてきた。

『ゲームクリアー!』

 それと同時に、テレッテレッテレッテレー!! という効果音らしきものまで聞こえる。その方向に士道が視線を向けてみると、画面に『GAME CLEAR!』という表示が映し出されたタブレット端末を手にした令音とチュッパチャップスを口にした琴里が立っていた。

「……やっぱりお前の仕業かよ、琴里」

「あら、何の事かしら。士道が溢れ出る思春期の青い性衝動(リビドー)を抑えきれずに、十香の布団の潜り込んだだけでしょ。変な言いがかりはやめてちょうだい」

 士道本人を目の前にしてそんな事をいけしゃあしゃあと言うのだから、もはや呆れるのを通り越して感心すら覚えてしまう。それに士道がため息を吐くと、琴里はどこか柔らかい口調で言う。

「でも、不測の事態にも慌てずに対応したのは誉めてあげるわ。良かったわね? これで失敗したら、士道の詩をインターネットラジオで本格的に配信を開始してたから」

「………お前なぁ」

 普通ならばこの時点で声を荒げても良いのかもしれないが、悲しい事に士道はもうこういった事にはすっかり慣れてしまった。それにもう過ぎた事なので、怒る必要も無いだろう。

 士道はくしゃくしゃと髪を掻くと、琴里に告げた。

「まぁ良いや。俺下で朝飯作るからさ、もう少し時間が経ったら十香を起こしてやってくれ」

「ええ、分かったわ」

 そう言って士道が二人の脇を通り過ぎた時、それまで黙っていた令音が士道に言った。

「……機嫌が良さそうだね、シン」

「え? そうですか?」

「ああ。自分では気が付いていないかもしれないが……。今の君は、笑っているよ」

 その言葉に士道は自分の顔に手を当ててみるが、やはり自分ではどういう顔をしているかいまいち分からない。

 ただ、令音がそういうからにはきっと笑っているのだろうと士道は思った。

 そして、それから三十分後。トーストに目玉焼きに加えて、多めに皿に盛りつけられた肉汁滴るウインナーにポテトサラダといういつもよりも豪勢な朝ごはんに、悪夢から一転して幸せな夢を見ていた十香は目を輝かせるのだった。

 

 

 

 

「よっ、殿町」

「おう、五河か」

 互いにそんな挨拶をかわしながら士道が席に着くと、殿町は何やら漫画雑誌巻末のグラビアページを深刻そうに眺めながらこんな事を言った。

「っと、そうだ。なぁ五河。ちょっとお前に聞いておきたい事があるんだが……」

「何だよ?」

 士道が問い返すと、殿町はいつになく真剣な様子で言葉を続けてきた。

「ナースと巫女とメイド……どれが良いと思う?」

「……は?」

 予想外の言葉に、思わず士道の返事が間の抜けたものになる。

「読者投票で次号のグラビアのコスチュームが決まるんだが……悩むんだよなぁ」

「……ああ、そう」

 士道がため息交じりに返すも、殿町はまるで気にしない様子で雑誌を突きつけてきた。

「で、お前はどれが良いと思う!?」

「ええと……じゃあ……メイド……?」

 異様な希薄に気圧された士道が言った瞬間、殿町がピクリと眉を動かした。

「ど、どうした?」

「まさかお前がメイド好きだったとはな! 悪いが俺達の友情はここまでだ!」

「お前は一体何を言っているんだ」

 まったく意味の分からない殿町の狂言に士道は呆れ気味にそう返すと、自分の席に歩いていき鞄を机に置く。

 その際、すでに隣の席に着いて分厚い技術書を読んでいた折紙が、ちらと士道に目を向けてきた。

「………」

「お、おう……折紙、おはよう」

「おはよう」

 折紙は抑揚のない声でそう返すと、小さく首を傾げてきた。

「メイド?」

 どうやらさっきのやり取りを聞かれていたらしい。このままでは自分の性癖を誤解されそうなので、士道は否定するように慌てて手を横に振った。

「………っ、い、いや、気にしないでくれ」

「そう」

 折紙はそれだけ言うと、再び書面に視線を戻した。

「おはよー」

 と、次いで殿町が折紙に向かって手を振るが、彼女はピクリとも顔を動かさなかった。

 殿町は大仰に肩をすくめると、士道の脇腹をぐりぐりとわりと強めに押してくる。

「毎度の事だけど、なーんでお前だけ挨拶返してもらえんだよー。ってか、いつの間に鳶一の事名前で呼ぶようになったんだよ! 吐けこの野郎!」

「や、やめろよ、ったく……」

 鬱陶し気に殿町を振り払って席に着くと、教室の扉が開かれ一人の男子生徒が入ってきた。

 その男子生徒……相川始は誰とも挨拶をする事無く自分の席へと向かって行く。そんな始に、士道は手を上げて挨拶をした。

「よ、よぉ相川」

「………」

 しかし始はその挨拶に返事を返す事はせず、一度かすかに士道を一瞥してから、視線を士道から外して自分の席へと向かった。席に座って鞄を机に置く始を眺めながら、殿町が言った。

「あいつはいつも通りだな」

「みたいだな……」

 そんな事を二人で言っていると、再び教室の扉がガラッと開かれた。入ってきたのは、十香だった。

 無論十香は現在五河家に住んでいるわけだから通学路も全く同じわけなのだが、一緒に登校すると色々と勘繰られそうだっため家を出る時間をずらしたのだ。

 ただでさえ十香が転入時に発してくれた衝撃的なセリフが未だに尾を引いているのである。七十五日も経たない内に新たな燃料を投下されるわけにはいかなかった。十香は士道を見つけるなり、目を輝かせて士道の席に駆け寄ってきた。

「おはようなのだ、シドー!」

「あ、ああ。おはよう、十香」

 笑顔で挨拶をしてくる十香に、士道も挨拶を返す。

 本当ならば五河家にいる時に一度このやり取りはしているのだが、十香が五河家にいる事を隠すために二人は教室でこのやり取りをもう一度するという事を学校に来る前に話し合っていた。これならば、仲良しの男女が教室で朝の挨拶を交わしていると見られるはずである。

 だが、次に放たれた十香の言葉に教室の空気は一変した。

「そうだ! シドー、今日の昼餉は何なのだ!? シドーが昼餉を作っている所はよく見ていなかったから分からないのだが、私としては今日の朝餉に出てきたポテトサラダがまた食べたいぞ! あれはまさに絶品だったからな!」

 その言葉に、教室にいた始を除くクラスメイト達の視線が二人に集中した。視線を感じて、士道の額から冷や汗が流れる。

 だがクラスメイト達の疑問も当然である。あくまで士道のクラスメイトに過ぎないはずの十香が、何故士道に朝食に出てきたポテトサラダがまた食べたいなどと言うのだろうか。これではまるで、士道と十香が一緒の家に住んでいるようである。

「と、十香。その話にまた後にしないか……?」

「ぬ? 何故だ?」

 十香が首を傾げながら士道の方を向いて、ようやく皆の視線に気づいたらしかった。

「……っ」

 昨日の内に、士道と十香の同居は皆には絶対に秘密、と言い含められていた事を思い出したらしい。十香がハッと息を呑み、頬に汗を垂らした。

「ち、違うぞ皆。私とシドーは、一緒に住んでなどいないぞ!?」

『………っ!?』

 十香の言葉に、周囲のクラスメイト達が一斉に眉を寄せた。

「ば、馬鹿……」

 士道は口の中で小さく呟くと、頭をフル回転させて架空の話を即座に作り出し、わざと大仰に声を上げてその話をクラス中に聞こえるように言った。

「あ、ああ! そう言えば十香の親は今二人共仕事で出張してるんだったなぁ! それで折角だし、朝食とついでに昼の弁当を十香に作ってあげてるんだった! 大丈夫だ十香! 今日の弁当にもポテトサラダはちゃんと入ってるぞ!」

「む………? う、うむ! そうなのか! ならば問題ないぞ!」

 十香も士道の意図を察したのだろうか、苦しいながらも話を合わせてくる。

 士道の話し方がどことなく説明口調の上に、結構無理やりな話ではあったものの、そもそもクラスの男女が同棲するという事自体が現実味のない話だったためか、クラスメイト達は案外あっさりと納得して散らばっていった。

 が、それでも士道の左側から一名、背中が凍傷になってしまいそうな視線を浴びせて来る女子生徒はいたのだけれども。

「………」

 なんだか、すぐにボロが出そうな気がする。そう思いながら、士道は深くため息をついた。

 そして、その懸念は意外と早く的中してしまう事になる。

 

 

 

 四限目の状業の終了のチャイムが校舎中に鳴り響き、昼休みの開始が示される。

 それと同時に、

「シドー! 昼餉だ!」

「………」

 士道の机に右左からがっしゃーん! と机が勢いよくドッキングされた。

 無論、右は十香、左は折紙である。

「………ぬ、なんだ貴様。邪魔だぞ。……退()け」

「それはこちらの台詞」

 士道を挟んで、左右から鋭い視線が放たれる。

「ま、まあ落ち着けって。みんなで食えば良いだろ?」

 士道が言うと、渋々と言った様子で十香と折紙は大人しく席に着いた。そして二人共、自分の鞄から弁当箱を取り出す。士道もそれに倣うように弁当を机の上に出すと、二人と一緒に蓋を開けた。そして十香の弁当箱の中身を見て、折紙が目を少しだけ見開く。何故なら、十香の弁当箱の中身が士道の弁当箱の中身とまったく同じメニューだったからだ。

 とは言っても、中身がまったく同じ理由はついさっき士道が咄嗟に口走った嘘のおかげで一応の辻褄はあっているはずだ。彼女がここまで反応する理由が分からない。

「ぬ、な、何だ? そんな目で見てもやらんぞ?」

 ことの重大さに気づいていないのか、十香が自分の手元を覗き込んでくる折紙に、怪訝そうな眼差しを向ける。

「どういう、事?」

「いや、さっき言っただろ? 今十香の両親が出張だから……」

「嘘」

 ウェイ!? と士道が心の中で絶叫すると、折紙は裏返っていた十香の弁当箱の蓋を持ち上げた。

「これは今から百五十四日前、あなたが駅前のディスカウントショップにて千五百八十円でそっちの弁当箱と一緒に購入した物。それからあまり使用されていないけれど、これは紛れもなくあなたの家にある物。あなたがもし夜刀神十香の家で弁当を作ったのなら、この箱が彼女の家にあるはずがない」

「な、なんでそんな事知って……」

「それは今重要ではない」

 彼女は言葉通りあまり重要ではないように言うが、言うまでもなくかなり重要な問題である。しかし折紙の有無を言わせぬ調子に気圧され、士道は言葉を差し止められてしまう。

「むう、さっきから二人で何を話しているのだ! 仲間外れにするな!」

 横から、不満げに頬を膨らませた十香が声を上げて来る。

 そ、そんな時だった。

 

 

 

 ウウウウウゥゥゥゥゥ――――、というけたたましい警報が街中に鳴り響いた。

 

 

 

 瞬間、ざわついていた昼休みの教室が、水を打ったように静まり返る。

 空間震警報。

 およそ三十年前より人類を脅かす、最悪の災厄。空間震と称される、災害の予兆である。

「………」

 折紙は一瞬逡巡のようなものをみせながらも、即座に席を立って素早い動きで教室を出て行った。

「………ッ」

 士道は複雑な心境でその背を目で追うしかできなかった。……まぁ、不謹慎ながらも少しだけ、このタイミングで警報が鳴ってくれた助かったと思わなくもなかったのだが。

 と、そこで教室の入り口から、ぼうっとした様子の声が響いてきた。

「……皆、警報だ。すぐ地下シェルターに避難してくれ」

 白衣を纏った眼鏡の物理教師、令音が廊下の方に指を向ける。

 生徒達はごくりと唾液を飲み干した後、次々に廊下へと出て行った。

「ぬ? シドー、一体皆どこへ行くのだ?」

 十香がそんなクラスメート達の様子を見て首を傾げてくる。

「あ、ああ。シェルターだよ。学校の地下にあるんだ」

「シェルター?」

「ああ。とりあえず説明は後だ。俺達も行くぞ、十香」

「ぬ、ぬう」

 十香は手を付けていない弁当に名残惜しそうな視線を残しながらも、士道の詩時に従って立ち上がった。

 そして、ともにクラスメート達のあとについて廊下に出ようとした所で。

「……シン。君はこっちだ」

 士道は令音に首根っこを引っ掴まれた。

「れ、令音さん? こっちって……」

「……決まっているだろう、フラクシナスだ」

 士道が問うと、他の生徒に聞こえないよう声をひそめながら令音が言った。

「……今後の事については、まだ結論は出ていないかもしれない。だが……いや、だからこそ、君には見ておいて欲しい。精霊と、それを取り巻く状況を」

 士道は乾いたのどを唾液で湿らせると、小さく拳を握った。

「……分かりました。行きます」

 令音は眠たげな半眼のまま小さく首肯すると、生徒達が全員列に並ぶのを見てから、昇降口の方に顔を向けた。

「……さぁ、急ごう。空間震まで、もう間もない」

「は、はい。と……あ、令音さん。十香は、一緒に連れて行かなくて良いんですか?」

 ちらりと十香の方に目をやりながら、そう尋ねる。

 十香はと言えば、廊下にずらりと列を作りながら避難するクラスメート達に驚いたような視線を送っていた。

「……ああ、その事か。――――うむ、十香は皆と一緒にシェルターに避難させてしまおう」

「え? それで良いんですか?」

「……ああ、力を封印された状態の十香は人間とそう変わらない。それに、精霊とASTの戦いを見て、自分の時の事を思い出されても困ってしまう。言っただろう? ラタトスクとしては、できるだけ十香のストレスを蓄積させたくないんだ。もしも今回またアンデッドが出現したら、十香に悪い影響がでるかもしれないしね」

「………っ」

 確かに、令音の言う通りだった。ただの人間と変わらない十香を連れて行けば何が起こるか分からないし、それに今回も前回と同じようにアンデッドが出ないという保障もない。心配ではあるが、ここは十香にはシェルターに行ってもらった方が良いのかもしれない。

 そんな事を考えていると、廊下の奥の方から甲高い声が響いてきた。

「ほ、ほらっ、五河君に夜刀神さん、それに村雨先生まで! そっ、そこで立ち止まらないでください! 早く非難しないと危険が危ないですよ!」

 士道の担任である岡峰珠恵教諭・通称タマちゃんが小さな肩をいからせながら、焦ったような調子で言ってくる。そのためか、少し言葉の意味が支離滅裂の状態になっていた。

「……ん、捕まっても面倒だ。行こうか」

 令音がちらと目配せし、昇降口の方に足を向ける。

 まだ少々気がかりではあるが、仕方ない。士道は小さく唸って髪の毛をくしゃくしゃと掻くと、十香の手を取ってその手をタマちゃん教諭に預けた。

「先生、十香をよろしくお願いします!」

「ふぇ? え? あ、は、はい。それはもちろん」

 急に十香を託されたタマちゃんは、呆気に取られたように目を丸くしながら、「わ、私先生ですもの!」と頷いた。

「シドー……?」

 十香が、少し不安そうに眉を歪めてくる。

「十香。良いか? 先生と一緒にシェルターに避難しててくれ」

「シドーは、シドーはどうするのだ?」

「悪い、俺はちょっと大事な用があるんだ。先に行っててくれ。な?」

「あ、し、シドー!」

「五河君に、村雨先生まで!? 一体どこへ!?」

 心配そうな二人の声を背に聞きながら、士道と令音は校舎の外へと走って行った。

 

 

 

 

 一方、もう一人のライダーである相川始は列の後ろの方に並びながら他の生徒達と一緒に地下シェルターへと向かっていた。空間震警報が出たという事は精霊が出現したという事だが、はっきり言って自分には何の関係もない。唯一の懸念である天音と遥香はもうとっくに地下シェルターへと向かっているだろう。自分が戦う必要はどこにも無い。

 そう考えていた、その時だった。

『人間になりすましたつもりかカリス。いつからお前はそこまで堕落した』

「っ!?」

 突然頭の中に男の声が響き渡り、始は思わず目を見開く。それから周囲に警戒をするが、怪しげな人物の姿はどこにも見えない。ただ突然の始の行動に驚いたのか、列に並んだ生徒達が始に目を丸くしている。

『話をしよう。俺の所に来い、カリス』

 その言葉の直後、街のある方向から強い気配が発せられた。これほどの強い気配ならば、殺気や敵意に敏感な人間ならばすぐに気が付くかもしれないが、生憎ここにいるのはそういったものとは無縁の生徒達だ。おまけにその気配はご丁寧にも始だけが気づけるように彼自身にのみ向けられている。恐らく自分が学校にいる事を前から知っていたのだろう。そうでなければ、こんなピンポイントで自分の位置を知らせるような事は出来ない。

(……目的は分からないが、ここで叩き潰した方が良いか)

 こんな真似をただの人間ができるはずない。十中八九、アンデッドだろう。それも今までのアンデッド達とは一線を画す実力を持つアンデッドだ。このまま放っておくと、厄介な事になる確率が高い。

 始は素早く列から飛び出すと、驚く生徒達を横目にして昇降口へと走るのだった。

 

 

 

 



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第十六話 第二の精霊

遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。相変わらずの亀更新ですが、今年もデート・ア・ブレイドをよろしくお願いします。


 

 

 

「――――ああ、来たわね二人共。もうすぐ精霊が出現するわ。令音は用意をお願い」

 士道と令音がフラクシナス艦橋に着くなり、艦長席に座った琴里からそんな言葉が飛んできた。本来学校にいるはずの彼女がここにいるという事は、どうやら彼女も士道達と同じように学校からこっそりと抜け出してきたらしい。

「……ああ」

 令音が小さく頷き、白衣の裾を翻して艦橋下段にあるコンソールの前に座り込む。よく見てみると広瀬も、最近特別に作られたコンソールの前に座っていた。

「……さて」

 と、士道が無言でいると琴里が首を傾げるようにしながら問うてきた。

「あまり時間をあげられなくて悪いのだけれど。腹は決まったのかしら、士道」

「………っ」

 士道が思わず息を詰まらせると、突然艦橋内にけたたましいサイレンの音が鳴り響いた。

「な、何だっ? まさか、アンデッド?」

「違うわ、これは……」

「非常に強い霊波反応を確認! 来ます!」

 琴里の訂正する声に割り込むように、艦橋下段から男性クルーの叫び声が発せられる。

 それを聞くと、琴里はパチンと指を鳴らした。

「オーケイ。メインモニタを出現予測地点の映像に切り替えてちょうだい」

 琴里が指示を出すと、メインモニタに街の映像が俯瞰で映し出された。

 いくつもの店が建ち並ぶ大通りである。しかし当然の如く人の姿はなく、まるでゴーストタウンのような状態になっていた。

 そんな映像の中心が、ぐわんっ、とたわむ。

「え……?」

 一瞬、映像を映し出している画面の方に問題があるのではないかと思ったが、違う。

 何もないはずの空間に、水面に石を投じた時のような波紋ができていたのだ。そして士道の想いを代弁するかのように、コンソールに向かっていた広瀬から小さな声が発せられた。

「何よ、これ……」

「あら? 栞や士道は見るのは初めてだっけ?」

 琴里がそう言うのとほぼ同時に、空間の歪みがさらに大きくなる。

 画面に小さな光が生まれたかと思った瞬間、爆音と共に画面が真っ白になった。

「――――っ!」

 画面内の出来事であると分かっているはずなのに、思わず腕で顔を覆ってしまう。

 そして数秒の後、妙に激しくなった動悸を抑えながら目を開けると、画面には今までとは全く違う風景が映し出されていた。

 街に、穴が開いている。

 何を馬鹿なと思われるかもしれないが、そうとしか表現のしようがないのだ。

 今まで幾つもの建物が並んでいた通りの一部が、浅いすり鉢状に削り取られている。

 そこにあったはずの店や街灯や電柱、さらには道路の舗装に至るまで、全てが無くなってしまっていたのだ。

 そして爆発の余波のためだろうか、その周囲もまるで大型ハリケーンにでも襲われたかのような有様になっている。

 その様は、およそひと月前、十香に初めて会った場所に酷似していた。

 つまり、今のが。

「空間震……っ」

 士道が震える声で言うと、琴里がええ、と首肯した。

「精霊がこちらの世界に現界する際の空間の歪み。それが引き起こす突発性災害よ」

「………」 

 廃墟を見た事は何度もあったが、爆発が起こる瞬間を目撃したのは初めてだった。

 自分の掌が緊張と恐怖でじっとりと湿るのを、士道は感じた。

 頭では分かっていたつもりだった事象が、ようやく実感として理解できた気がした。

 街が、人々が生活している空間が、一瞬で全て壊れてしまう、その恐ろしさが。

 人の命を奪うアンデッドとは、また違う種類の恐怖が。

「ま、でも今回の爆発は小規模ね」

「そのようですね」

 と、琴里とその後ろに控えていた神無月が声を発する。するとそれを聞いていた広瀬が目を剥いて二人に叫んだ。

「ちょ、ちょっと待って! 小規模って、あれが!?」

「ええ。十香の時の空間震は今回のものよりももっと規模が大きいわ。ま、今回の精霊――――『ハーミット』ならこんなもんよ。あの精霊は、精霊の中でも気性の大人しいタイプだし」

 琴里の言葉を聞いて、士道は思わず言葉を失いかけたが、すぐに思いなおす。

 今の空間震の規模は十香の時とは違って爆発の範囲などがあまり大きくなく、精々数十メートル程度だ。彼らにしてみれば、比較的軽微なものなのだろう。

 無論、頭で理解できたからといって、心臓は静まってくれなかったのだが。

「……なぁ、琴里」

 と、士道は琴里達の会話に気になる点を見つけて、声を発した。

「『ハーミット』ってのは、一体何の事だ?」

「ああ、今現れた精霊のコードネームよ。ちょっと待ってて。画面拡大できる?」

 琴里が艦橋下段のクルーに指示を出す。

 するとすぐに映像がズームして、街の真ん中にできたクレーターに寄っていった。

 と、それに合わせて画面内に変化が訪れる。

「……雨?」

 士道は小さく頷いた。

 そう、ふっと画面が暗くなったかと思うと、ぽつ、ぽつと雨が降り始めたのだ。

 だが、そんな変化はすぐに気にしてはいられなくなった。

 クレーターのように抉り取られた地面の中心に、小さな少女の姿が確認できたからだ。

「……あれが、精霊。どんな外見をしてんのかと思ったら、普通の女の子じゃない」

 と、艦橋下段からそんな事を呟く広瀬の呟きが士道の耳に入ってきた。

 だが、

「……………っ!?」

 今の士道に、そんな呟きを聞いていられる余裕は微塵もなかった。

 その少女を目にした瞬間、心臓を鷲掴みにされるかのような衝撃が、全身を通り抜ける。

 拡大された画面の中心に佇む、一人の少女の姿。それに、見覚えがあったからだ。

「あ、れは………」

 ウサギの耳のような飾りのついたフードを被った、青い髪の少女だ。

 年齢は大体十三から十四ほど。大きめのコートに、不思議な材質のインナーを着ている。

 そしてその左手には、コミカルな衣装の施されたウサギの人形(パペット)を装着していた。

 士道の目と脳。いずれかに異常でもない限り、間違いない。

 あれは……士道が昨日学校から帰る途中に遭遇した少女だ。

「………? どうしたのよ、士道」

 士道の様子を不振がってか、琴里が怪訝そうな声を響かせてくる。すると琴里の声が聞こえたのか、広瀬も怪訝な表情で士道の方に視線を送っていた。

 士道はもう一度画面を注視し、自分の思い違いでない事を確認してから唇を開く。

「俺……あの子に会った事が、ある……」

「何ですって? 一体いつの話よ」

「つい昨日だ……っ、学校から帰る途中、急に雨が降ってきて……」

 士道が記憶を探りながら、昨日の出来事を簡潔に話した。

 ひとしきり士道の話を聞いた琴里は、艦橋下段のクルーに指示を飛ばした。

「昨日の一六〇〇から一七〇〇までの霊波数値を私の端末に送って。大至急!」

 そうしてから手元の画面に視線を落とし、苛立たしげに頭をがりがりと掻く。そしてコンソールを操作していた広瀬がそんな琴里を見て尋ねた。

「琴里ちゃん。精霊が空間震も無しにこっちに現界する事ってあるの?」

「普通なら無いわ。だけど主だった数値の乱れは認められない……。どうやら十香の時と同じように、本当に空間震無しにこっちに出てきたみたいね。士道、何で昨日の内に言わなかったの?」

「む、無茶言うなよ。会った時は精霊だなんて思わなかったんだ……!」

 すると、コンソールを操作していた広瀬が突然険しい表情を浮かべた。

「……二人共、口喧嘩はそこまでにしといた方が良いわ」

 そう言った直後、フラクシナス艦橋に設えられたスピーカーからけたたましい音が轟いてきた。

「……!? な、何だ、一体……」

「……精霊が現れたんだもの。仕事を始めるのは私達だけじゃあないでしょう。アンデッドが現れたらあなた達が出るように、精霊が出現したらそれの相手をするのはどこの誰? 士道」

 琴里の言葉に、士道は指先をぴくりと動かした。

「AST……か」

「ええ」

 画面に目をやると、今しがた少女――――ハーミットと呼ばれる少女がいた場所に煙が渦巻いていた。恐らくミサイルか何かを撃ち込まれたのだろう。

 そしてその周囲に、物々しい機械の鎧を纏った人間達が数名浮遊していた。

 陸上自衛隊・対精霊部隊(アンチ・スピリット・チーム)。通称AST。

 精霊との対話を以て空間震などの問題解決を目的とするラタトスクとは違い、武力で精霊をせん滅する事を目的とした特殊部隊である。

 と、煙の中から小さなシルエット――――ハーミットが飛び出した。

 彼女は左手のパペットを掲げるような格好のまま宙に舞うと、周囲を固めるAST隊員達の間を抜けるように身を捻り、空に踊った。

 だが、AST隊員達はすぐにそれをに反応すると一斉にハーミットを追跡する。

 そしてそのまま、体中に装着していた武器から夥しい量の弾薬を発射する。

「危ない!」

 反射的に士道が叫ぶが、画面越しの警告には何の力もなく、AST隊員の放った無数のミサイルや弾丸は、無慈悲に小さな少女の体に吸い込まれていった。

「あいつら……あんな女の子に……!」

 士道は目を見開き、奥歯をぎりと噛み締めた。

「……気持ちは分かるけど五河君。あれは仕方のない事よ」

「仕方のない事って……何を言ってるんですか広瀬さん!?」

 思わぬ言葉に士道が叫ぶと、広瀬は真剣な表情を士道に向けながら言う。

「十香ちゃんの時に学習したはずよ。ASTにとって精霊がどんな姿形をしているかだなんて関係ないのよ。例え私達には普通の女の子に見えても、普通の人にとっては彼女達は空間震という形で世界に破壊をまき散らす災害なの。ASTにあるのは世界を守る使命感と、人類にとって危険である存在を排斥しようという、生物として至極まっとうな生存本能、……そして誰かの幸せのために戦うっていう強い意志よ。やり方はどうあれ、その点で言えば彼女達はアンデッドと戦うあなたと何も変わらないわ」

「………っ!」

 広瀬の言葉に、士道は何も言えなくなってしまった。そう、ASTも悪意があって精霊を殺そうとしているわけではない。彼女達はただ単にこの世界と、自分の大切な人達を護るために戦っているに過ぎないのだ。……まるで、アンデッドと戦う士道のように。

 と、士道が固まっていると煙の中から再び少女が空に踊る。

 だが、ハーミットは反撃しようとはせずただ逃げ回るだけだった。

「あの子……反撃しないのか?」

「ええ。いつもの事よ。ハーミットは精霊の中でも極めて大人しいタイプだし」

「なら……!」

「ASTに助けを求めるなら無駄よ。――――彼女が、精霊である限り」

「…………っ」

 逃げもない答えに、士道は唇を噛んだ。

 いや……、言葉を重ねるまでもなく、自分でも分かっていたのだ。

 彼女の気性や性格だなんて、ASTには関係がない。

 彼らはただ、この世に害なす敵を討っているだけなのだから。

 それを覆す方法など、一つしかない。

 士道は血が出るのではないかと思えるほどに拳を握りしめ、静かに喉を震わせた。

「……琴里」

「何よ」

「……精霊の力さえ無くなれば、あの子がASTに狙われる事は無くなるんだな……?」

 士道が言うと、琴里は眉をピクリと動かして士道の方に目を向けてきた。

「ええ。――――その通りよ」

「空間震は……起きなくなるんだな?」

「ええ」

 士道は数瞬の間押し黙った後、大きく深呼吸をして次の言葉を発した。

「俺には、それができるんだな……?」

「十香の現状を見て信じられないのであれば、疑ってくれて構わないわ」

 士道は一度息を静かに吐くと、制服からブレイバックルを取り出す。

 自分が戦うための鎧であり、大切な人達を護るための力。

 そして自分に宿る、心を通わした精霊の霊力を封印するという未知の力。

 この二つの力があれば、あの小さな少女を救う事ができるかもしれない。

 ならば……やる価値は、ある。

 士道は目をゆっくりと上げると、決意を発する。

「手伝ってくれ、琴里。俺はあの子を、助けたい」

「――――ふふ」

 琴里はどこか嬉しそうに、キャンディの棒をピンと立てた。

「それでこそ――――私のおにーちゃんよ」

 そして体の向きを変え、艦橋下段のクルー達に向かって声を投げる。

「総員、第一級攻略準備!」

『はっ!』

 クルー達が一斉にコンソールを操作し始める。

 琴里はそんな光景を眺めながら、唇を眺めた。

「さぁ――――私達の戦争(デート)を始めましょう」

 

 

 

 

 

「ふぅ……ここで良いのか?」

 フラクシナス下部に設えられた転送装置で地上まで送られた士道は、右耳に装着した小型のインカムに向かって声を投げた。

『ええ。精霊も建物内に入ったわ。ファーストコンタクトを間違わないようにね』

「了解っと」

 士道はそう答えると、インカムから手を離した。

 士道は今、商店街の先にそびえる大型デパートの中にいた。

 琴里によると、ハーミットは比較的出現回数が多い精霊らしく、その行動パターンの統計と令音の思考解析を組み合わせれば、おおよその進路に目算がつくのだという。

 無論、ASTの出方によっては微妙に進路が変わってしまう可能性もあったが、その時はまた士道を回収して、次の予測地点に向かえば良いとの事だった。

 ASTの主要装備であるCR-ユニットは士道のライダーシステムとは違い、屋内での戦闘に不向きである。

 無論十香の時のように建物を破壊して精霊をいぶりだそうとしてくる可能性もあったが、とりあえずしばらくの間は、精霊が建物内から出てくるのを待つだろう。

 そしてその、数分とも数十分とも知れないわずかな間が、戦場において士道が精霊と会話をするための貴重な時間なのであった。

「………」

 辺りを警戒しながら、士道は四月中旬にこのインカムを着けてラタトスクの指示を仰ぎながら十香と会話を交わした時の事を思い出す。

 まさかそれからひと月しか経たない内に、再び精霊とのコンタクトを行う事になるとは思ってもみなかったが、仕方あるまい。

 何故かは分からないが、士道にはとんでもない力があって。

 その力を使えば空間震を止められ、精霊への攻撃もやめさせられると言われて。

 しかも、それを士道は望んでいるのだから。

「……まぁ、って言っても……」

 士道は小さく息を吐いた。その方法が精霊を口説いてキスをする事だというのだから、士道にはいささか難易度が高かった。……まぁ、それをする事とアンデッドを封印する事のどちらが難易度が高いんだと言われると、いささか判断に困ってしまうのも一つの事実ではあるのだが。

『――――士道。ハーミットの反応がフロア内に入ったわ』

「……! 分かった」

 不意に響いた琴里の声に、士道が体を微かに緊張させながら答えたその瞬間。

『――――君も、よしのんをいじめに来たのかなぁ……?』

「………っ!?」

 急に頭上からそんな声が響き、士道はバッと顔を上げた。

 そこには、件の少女であるハーミットが重力に逆らうような逆さの状態で浮遊していた。

『駄目だよー。よしのんが優しいからってあんまりオイタしちゃ。……って、んん?』

 と、少女は逆さになっていた体を空中でぐるんっと元に戻して、床に降り立った。

 そして、パクパクとパペットの口を動かす。

『ぉおやぁ? 誰かと思ったら、ラッキースケベのおにーさんじゃない』

 士道の顔をまじまじと見たのち、パペットが器用にぽんっと手を打ってきた。一体、片手でどうやって操作しているのだろうか。 

 だが今は、そんな疑問に時間を取られているような場合ではない。

 すぐに右耳に『待ちなさい』という琴里の声が聞こえてきた。その声が聞こえてきたという事は、今頃はフラクシナス達のクルー達が、メインモニタに表示された三つの選択肢の中から一番的確な答えを導き出している事だろう。

 そして数秒後、士道の耳に琴里からの指示がようやく飛んできた。

『士道、③よ』

 そう言うと琴里は、目の前の精霊に向かって何をするべきかと士道に話した。

「……っ、何だそりゃ……」

 妹からの言葉に、士道は床に尻をつけたまま小さく呟いた。

 耳に届いた彼女の行動指示が、あまりに突飛なものだったからだ。

『うぅん? どったの?』

 パペットが、器用に首を傾げながら軽い口調で聞いてくる。

 考えている暇はない。士道はその場にすっくと立ちあがると、近くに陳列されていた椅子に片足をかけ、

「ふっ………、そんな奴の事は知らないね。私は、通りすがりの風来坊さ……」

 なんてきざったらしく言ってから、髪をかき上げてみせた。

 誤解のないように言っておくが、いくら中学二年生のころに重篤な病気にかかっていたとは言っても、士道はナルシストではない。現に今も、顔から火が吹き出してしまいそうなほどの羞恥に襲われているのだから。

『………』

 ハーミットの操るパペットが、ぽかんと口を開けたまま黙った。

 そのまま、数秒が過ぎる。

「……お、おい琴里。どうしてくれんだこの空気……」

 と、士道が小声で琴里に不満をこぼした瞬間。

『ぷ………っ、は、ぁはははははっ!』

 パペットが、カラカラと頭を揺らして笑いだした。

『なぁーにぃ、おにーさん意外とひょーきん者? あっはっは、今どきそれは無いわー』

「は、はは……お気に召して何よりだ」

 士道はパペットに合わせるように苦笑する。今どき『ひょうき者』も無くね? と思ったが、それを口に出したら確実に機嫌を損ねる事になるのでここは黙っておくことにする。

『どーよ』

「……はいはい、悪かったよ」

 自慢げな琴里の声に小声で返し、士道はハーミットの方に向き直った。

 すると、それに合わせるようにパペットが士道の顔に視線を合わせてくる。

『やー、しかしラッキースケベのおにーさん。珍しい所で会うねー。ぁっはっは、おにーさんみたいなのは歓迎よー? どーもみんな、よしのんの事嫌いなみたいでさー。こっちに引っ張られて出てくると、すーぐチクチク攻撃してくるんだよねぇー』

 そう言って、パペットがまたもわははと愉快そうに笑った。

『随分とまぁ、陽気な精霊ね』

 右耳に、士道が思ったままの言葉が聞こえてくる。やはり、琴里もそう思ったらしい。

 と、ハーミットの言葉の中に気にある単語があった。それを確かめるために、小さく口を開く。

「なぁ……よしのんっていうのは?」 

 士道が問うと、パペットが驚きを表現するように口を大きく開けた。

『ああ、なんてみすていく! よしのんともあろう者が、自己紹介を忘れるだなんて! よしのんはよしのんのナ・マ・エ。可愛いっしょ? すごいでしょ? 天才でしょ?』

「あ、ああ……良い名前だな」

 耳をピン、と立てるハイテンションなパペットに気圧されるように頷く。

 すると、右耳に琴里の怪訝そうな声が聞こえてきた。

『よしのん、ね。ふうん、この精霊は十香と違って、名前の情報を持ってるのね』

「あ……」

 言われてみればその通りである。十香は自らの名前を持っていなかった。だから士道が『十香』という名前を考えて、彼女につけたのだ。

 だがパペットがずずいっ、と顔を寄せてきたため、その思案は中断させられた。

『ぅんで? おにーさんはお名前なんてーの?』

「あ、ああ。俺は士道、五河士道だ」

『士道君ねー。カッコいい名前じゃないの。ま、よしのんには勝てないけどねー』

「お、おう……ありがとう。ええと……よしのん?」

『はいはーい、何かなー? 今しがた覚えたばかりの名前を、軽妙に会話に織り込んでくる士道君のフロンティアスピリッツに、感心しきりのよしのんだよー』

 大仰な仕草で手を広げるパペットに苦笑で返してから、士道は言葉を続けた。

「いや、大した事じゃないんだが、ええと……よしのんって言うのは、このぱぺっとじゃなくて、君の名前なんだよな?」

 言って、パペットの奥……青い目をした少女の方に視線を向ける。

『………』

 すると、今まで容器に話を続けていたパペットが急に黙りこくった。その沈黙に、士道は何故か胸騒ぎを覚える。まるで自分が踏んではならない地雷を踏んでしまったような、そんな感覚に襲われたからだ。

 と、そんな士道の不安が的中したかのように、右耳のインカム越しにけたたましい警告音が響いてきた。

『――――っ、士道、機嫌の数値が一気に下がっているわ。あなた一体何を言ったの?』

「え? いや、俺はただ、なんでずっと腹話術でしか喋らないのかなあ……て」

 士道が疑問を口にすると、パペットがゆらりと顔を近づけてきた。

『士道君の言ってる事が分からないなぁ……。腹話術って何の事?』

 口調は穏やかなまま。ついでに、パペットなので顔の造作だって何も変わっていない。

 それなのに、何故か途轍もないプレッシャーを感じて、士道は後ずさった。

「い、いや……その……」

『士道、原因はあとげ考えれば良いわ。とにかく、今は精霊の機嫌を直すのよ』

 琴里から指示が飛ぶ。士道は目を泳がせながらも必死に唇を動かした。

「そ……っ、そうだよな! よしのんはよしのんだよな! いやー………はは……は」

 正直かなり怪しい演技だな、パペットはどうやらそれで満足したらしい。それまでの凄みを霧散させると、さっきのような甲高い声を響かせた。

『ぅうん、もー、士道君ったらお茶目さんなんだからー』

 機嫌が良くなったパペットを見ながら、士道はほっと安堵の息をつきながらも小さく呟く。

「……な、何だったんだ、今の」

『さあね……。まぁ、いくらフレンドリーとはいえ、相手は精霊。油断は禁物って事よ』

「りょ、了解だ。……で、俺はこれからどうすれば良いんだ?」

 するとインカムの向こうから、呆れたようなため息が聞こえて来た。

『まったく……とにかく、精霊に逃げられないようにして』

「ど、どうやってだ?」

『そんなの、決まり切ってるでしょ。折角大型デパートの内部にいるのよ? 時間あったらちょっとデートしよう、で良いのよ。良い? 「デートしない?」じゃなくて「デートしよう」っていうのがポイントよ。選択権を相手に渡さないで、一気に展開をこっちの望む方に進めるのよ』

「は、はぁ……」

 士道は少し気後れしながらも、よしのんに向き直った。

「な、なぁよしのん。時間があったら、ちょっとデートしよう」

 そして何の脈絡もなく、聞いたままの台詞を発してしまうのだった。

『………そのままって。もうちょっと柔軟に対応しなさいよ。ったく……』

 琴里がやれやれといった調子で言ってくる。

 が、よしのんの方はあまり気にしていないようだった。いや、むしろ最高だ! とでも言うように耳をピンと立てながら小さな手をバタバタさせる。

『ほっほ~! 良いねー。見かけによらず大胆に誘ってくれるじゃーないの。うふん、もちろんオーケイよん。ていうか、ようやくまともに話せる人に出会えたんだし、よしのんからお願いしたいくらいだよー』

 言って、カラカラと笑った。

「そ、そうか……」

『……ま、結果オーライにしといてあげる』

 琴里のため息交じりの声を聞きながら、士道はよしのんと共にデパートの中を歩いて行った。

 

 

 

 

 

 

 それからの二人はデパートの中を歩き回りながら、会話に花を咲かせていた。

 もちろん時折琴里から指示が飛ぶのだが、妙に笑いの沸点が低いらしいよしのんは、どんな些細な事にもカラカラと笑っていた。実際、彼女の精神状態をモニタリングしているフラクシナス艦橋でも、良い数値が出ているらしい。先ほどの豹変ぶりが何かの間違いに思えるほど、順調な展開だった。

『……ふむ、存外良い感じじゃない』

 琴里が、そんな事を言ってくる。

『そもそもが人懐っこい性格なのかしらね。好感度も上々よ。今すぐキスしようって言っても、拒まれはしないんじゃないの?』

「おいおい………」

 冗談なのか本気なのか分からない妹の発言に、士道は思わず頬を掻く。

 しかし、実際に士道も驚いていた。

 今でこそ十香も普通に会話できるようになってはいるが、最初会った時はこちらに現界するたびにASTから攻撃されていたために酷い人間不信に陥っていた。そのため、言葉を間違うたびに死にそうになったものである。

 だが。

『やっぱりお喋りするのはたーのしーいねー。どうもあの人達は無粋でさー』

「あはは……」

 パペットが口をパクパク開きながら言う事に、曖昧な調子で返す。

 何と言うか、やはり気になった。

 会話が弾むのは願ったり叶ったりであるし、数値的にも機嫌や好感度が上がっているのなら何も問題はない。……はず、なのだが。

「………」 

 士道は無言で、ちらとパペットを操っている少女の方を見やった。

 昨日会った時も、そして今日も。雄弁に喋るのはパペットの腹話術だけで、本人の口はピクリとも動いていないのだ。

 まるで……人形浄瑠璃の黒子みたいに。

『――――おぉ?』

「………っ!」

 と、不意にパペットがこちらを向くのを感じて、士道は肩を震わせた。

『すっごーい! 何かねありゃー!』

 パペットが興奮気味に手をばたつかせると、その場からとてとてと走って行く。まぁ、もちろん走るのは本人の足なのだが。

 よしのんが興味を持ったのは、玩具売り場の一角に組まれていた、お子様用の小さなジャングルジムらしかった。やたらカラフルな強化プラスチックのお城に、両足と右手だけで器用に上っていく。

 そして頂点に達すると、

『わーはは、どーよ士道君。カッコいい? よしのんカッコいい?』

 なんて、声を弾ませて聞いていた。

「お、おい、そんな所に立ってると危ないぞ」

 あくまで子供用の室内用ジャングルジム。そこまで大きくないとはいえ、頂点から落ちてしまったら怪我をしてしまうだろう。

 いや、彼女が空を飛べるというのは分かっているのだが、どうも士道の脳内には昨日の派手にすっころぶ少女のイメージが残っていたのだ。慌ててジャングルジムの元に駆け寄る。

 しかしよしのんは不満げにパペットの手を振った。

『んもう、カッコいいかどうかって訊いてるのにぃ――――っと、わ、わわ……!?』

「お、おい!」

 その動作でバランスを崩してしまったのだろうか、よしのんはジャングルジムの上で踊るように手を振ってから、士道の上に落下してきた。そのままよしのんに押しつぶされる形で、床に張り付けられる。

「っ………痛ぇ………」

 仰向けになりながら声を発する。何故か、前歯が痛かった。

 と、そこで違和感に気づく。

 何か、目の前に少女の青い髪と、端正な造作の貌があって。

 そしてちょうど唇の辺りに、妙に柔らかい感触があった。

「――――っ!?」

 数秒の後、今自分がどういった状況に置かれているのかを、脳が理解した。

『………わお。やるわね、士道』

『驚いたわ……五河君て、意外と大胆……』

 さすがに琴里と広瀬も予想外だったのだろう。インカムから二人の驚いたような声が聞こえてくる。

 それはそうだ。だって今士道は――――上から落ちてきた少女と、ばっちりと口づけを交わしてしまっていたのだから。

『………』

 無言のまま、よしのんが身を起こす。その際、ようやくくっついていた二人の唇が離れた。

 図らずも、キスをしてしまった。

 しかしこれで、よしのんの力は封印できたはずである。

 だが、それにしては奇妙だった。先月十香とキスした時のような、身体に温かいものが流れ込んでくるような感覚が感じられなかった。もしも力を封印できたと言うのならば、あの時と同じ感覚が無いというのはいささか奇妙である。

 と、そこで再びインカムの向こうからけたたましいサイレンが鳴り響いた。

「な………っ」

 一瞬力を封印できていなかったのか? と思った士道だったが、このサイレンの意味を思い出して体を強張らせる。この音は確か精霊の機嫌が崩れ、士道に危険が迫った時に鳴るものであったはずだ。

 と、いう事はよしのんは今……。

『あったたたぁー……ごめんごめん、士道君。不注意だったよー』

 しかしよしのんはパペットをぱくぱくと動かすと、平然とそんな声を発した。

「え……?」

 呆然と、目を見開く。目の前のよしのんに怒っているような様子は全く見られなかった。

 ならば、耳に届くこの警報は一体何を意味しているのだろうか。

『――――士道、緊急事態よ。……それもたぶん、最強最悪の』

 と、琴里がいつになく焦った様子で言ってくる。

「は……? 一体何が……」

 と、後方から足を踏みしめるような音がして、士道は肩を震わせた。

 恐る恐ると、首を後方へと向ける。

 するとそこには……意外に過ぎる、顔があった。

「と、十香……?」

 目を見開き、そこに立っていた少女の名前を呼ぶ。

 そう、そこにいたのは来禅広告の地下シェルターに避難しているはずの十香だったのだ。

 しかも雨に降られたのか、その前身はびしょ濡れで、ついでについ今し方全力疾走でもしてきたかのように、荒く肩で息をしている。

「――――シドー」

 士道の思考を遮るように、十香が体をゆらりっ、と揺らしながら声を発してくる。

 何故だろうか、ただ名前を呼ばれただけのはずなのに、背筋に寒気が走った。

「……今、何をしていた?」

「な、何って……」

 その問いに思わず唇に触れ、すぐに思いなおして手を背の後ろにしまう。

 だが、その仕草すら気に入らなかったのか、まるでぐずる子供のような表情を浮かべるとのどの奥から震える声を絞り出した。

「――――あ、あれだけ心配させておいて……」

「え……?」

「女とイチャコラしてるとは何事かぁあああああああああああああああああああああああっ!!」

 十香が叫び、ズドン! という轟音と共に足を打ち付けた瞬間、その位置を中心に床が陥没し、周囲に放射状の亀裂が走った。

「な、ななななな……」

 突然の自他に、士道は目を剥いて戦慄した。

 今の十香は精霊としての力を封印されており、そのため今の彼女には常識的な範囲内の身体能力しかないはずだった。しかし今の十香は、明らかに精霊としての力を取り戻しているように見える。

「ど、どういう事だ琴里……!」

 インカムに問うと、琴里がため息交じりに返してくる。

『だから前々から言ってたでしょ。士道と十香の間にはパスが通ってるから、十香の精神状態が不安定になると、力が少し逆流する恐れがあるって』

「つ、つまり今の十香の精神状態は不安定になってるって事か?」

『ええ。状態が悪化する前に、どうにかして十香の機嫌を直しなさい』

「そ、そんな事言ったってどうすりゃあ………」

 そんな事を言っている間に、十香は士道とよしのんの元に到達した。

 そして鋭い視線で二人を交互に見た後、むむむと唇を引き結んでから、士道にキッ! と視線を、よしのんにビッ! と指を向けた。

「……シドー。お前の言っていた大事な用とは、この娘と会う事だったのか?」

「あ、いや、それは……」

 確かに言葉の上ではその通りなのだが、ここでイエスと言って、こちらの真意が十香にきちんと伝わるかどうかは疑わしかった。下手をしたら、彼女の怒りの炎にガソリンを投入してしまう事になりかねない。

 と、そこで、

『……いやぁー、はやぁー……そぉーいうことねえ……』

 今の今まで十香の登場にきょとんとしていたよしのんが甲高い声を出した。

 一体どうやっているのか、ウサギの顔がいたずらっぽい顔になっている。

『おねーさん? ええと……』

「……十香だ」

 パペットに言われ、憮然とした様子で十香が返す。

『十香ちゃん。君には悪いんだけどぉ、士道君は君に飽きちゃったみたいなんだよねぇ』

「なっ……」

「………!?」

 十香と士道が、同時に息を詰まらせてパペットの方に向く。

『いやさぁ、なんていうの? 話を聞いてると、どうやら十香ちゃんとの約束すっぽかしてよしのんのとこに来ちゃったみたいじゃない? これってもう決定的じゃない?』

「………っ」

 十香が肩をぴくりと揺らし、今にも泣きだしてしまいそうな顔を作る。

「お、お前何言って……むぐっ!?」 

 士道がパペットの発言に声を上げるが、十香にガッと口を掴まれた。

「シドーは少し黙っていろ」

 有無を言わせぬ迫力を発しながら、万力のような力でギリギリと頬骨を締め付けてくる。

「………!」

 パペットはそんな様子が愉快で仕方ないと言うような調子で、言葉を続けた。

『やー、ねー、ごめんねぇ、これもよしのんが魅力的すぎるのがいけないのよねぇ』

「ぐ、ぐぐ……」

『別にと香ちゃんが悪いって言ってるわけじゃあないのよぅ? たぁだぁ、十香ちゃんを捨ててよしのんの元に走っちゃった士道君を責める事もできないって言うかさぁ』

「う……うがーっ!」

 しばしの間、士道の顔を掴みながら肩をぷるぷると震わせていた十香だったが、もう我慢の限界とばかりに叫びを上げた。

 ようやく、士道の顔から手が離される。

「う、うるさい! 黙れ黙れ黙れぇっ! 駄目なのだ! そんなのは駄目なのだ!」

『ええー、駄目って言われてもねぇ。ほらほらぁ、士道君もはっきり言ってあげなよぅ、十香ちゃんはもういらない子って』

「………っ!」

 その瞬間、十香はガバッとパペットの胸倉を勢い良く掴んだ。無論小さなパペットである。少女の手から容易く外れ、上空に持ち上げられてしまう。

「………!?」

 すると、それまで無表情だった少女が目を丸くした。

 次の瞬間には眼球がぐらぐらと揺れ、顔面が蒼白になり、顔中にびっしりと汗が浮かんだ。ついでに目に見えて呼吸も荒くなり、指先がぷるぷると震え始める。

「よ、よしのん……?」

 士道は未だ痛む頬をさすりながら、急な変化を見せたよしのんに怪訝そうな視線を送った。

 だが十香はそんなよしのんの様子に気づいていないようだった。両手で掴みあげたパペットに、ナイフのような鋭い視線を向けながら詰め寄っている。

「わ……、私は! いらない子などではない! シドーが……シドーが私に、ここにいて良いと言ってくれたのだ! 私を護ると言ってくれたのだ! それ以上の愚弄は許さんぞ! おい、何とか言ったらどうだ!?」

 パペットが声を発していたと思っているのだろうか、ウサギの首元を掴み上げながら、ぐらぐらと揺する。

「……! ……!」

 そんな様子に、よしのんが声にならない悲鳴を上げていた。

 先ほどまでの悠然とした調子が嘘のように、全身をチワワのように震わせている。

 そしてよしのんが視線を避けるようにフードを目深に被りなおしてから、おっかなびっくりといった調子で十香の服を引っ張った。

「ぬ。な、なんだ? 邪魔をするな。今私は、こやつと話をしておるのだ」

「――――かえ、して……くださ……っ」

 十香の両手で高々と吊り上げられたパペットを取ろうとしてか、よしのんがぴょんぴょんと飛び跳ねる。

 そう言えば、彼女の地声を聞いたのは昨日会った時以来初めてかもしれなかった。それからはパペットが彼女の代わりに話しているような状態だったし。

『何してるの士道。よしのんの精神状態まで揺らぎまくりよ。早く止めなさい!』

 と、右耳に琴里の声が響いてくる。

 士道は頬を掻きながら、恐る恐る喉を震わせた。

「な、なぁ十香。その……それ、その子に返してやってくれないか?」

「…………っ!」

 すると十香が、士道の言葉に愕然とした様子で目を見開いた。

「シドー……やはり……私よりもこの娘の方が……っ」

「は、はぁ? いや、そういう事じゃなく……」

 と、それとほぼ同時に。

「………っ、『氷結傀儡(ザドキエル)』………っ!」

 よしのんがバッと右手を勢いよく上げたかと思うと、それを真下に振り下ろした。

 瞬間、床を突き破るようにして、その場に巨大な人形が現れた。

「なっ……!?」

 全長三メートルはあろうかという、ずんぐりとしたぬいぐるみのようなフォルムの人形だった。体表は金属のように滑らかで、所々に白い文様が刻まれている。

 そしてその頭部とも思われる箇所には、長いウサギのような耳が見受けられた。よく観察してみると、その人形はまるでウサギを巨大化したような姿だった。

「に、人形……!?」

「な、これは――――!?」

 士道と十香が、同時に声を発する。

 よしのんは自分の足の下から出現した人形の背にピタリと張り付くと、その背に開いていた二つの穴に両手を差し入れた。

 次の瞬間、よしのんが両手を差し入れたのを合図としていたかのように、人形の目が赤く輝き、その鈍重そうな体躯を震わせながら、低い咆哮を上げた。それに合わせて人形の全身から、白い煙のようなものが吐き出される。

「冷た……っ!?」

 白い煙の冷たさに、士道は思わず足を引っ込めてしまう。冷たいと言っても、冬の寒さなどとはまるで比べ物にならない。言うなれば、まるで液体窒素から発せられているもののような冷気だった。もしもこれをまともに受ければ、凍死を冗談抜きで覚悟しなければいけないかもしれない。

『このタイミングで天使を顕現……!? 士道、まずいわ、逃げなさい!』

「ちょ、ちょっと待てよ! 天使って何だよ!」

 突然右耳に響いてきた琴里の焦ったような叫び声に、思わず大声を上げてしまう。

『目の前に現れたでしょう! 精霊を護る絶対の盾・霊装と対を成す最強の矛! 精霊を精霊たらしめる「形を持った奇跡」よ! 十香の「塵殺公(サンダルフォン)」を忘れたの!?』

 琴里の言い放ったその単語に、士道は眉をぴくりと動かした。

 それは、先月十香が精霊の力を有していた時に顕現させた、巨大な玉座と剣である。

 それが示す事象は、たった一つ。

 キスをしたのに、精霊の力が封印できていない。

 そしてその理由を考えている暇は今の士道には無かった。よしのんが小さく手を引いたかと思うと、人形――――氷結傀儡(ザドキエル)が低い咆哮と共に身を反らしたからだ。

 するとデパート側面部の窓ガラスが次々と我、フロア内部に雨が入ってくる。

 いや、正確に言うのならば少し違う。

 窓が割れて雨が入ってきたのではなく、まるで雨粒が凄まじい勢いで以て、外部から窓ガラスを叩き割ったかのような感じだったのだ。

「なっ……!」

 士道は驚愕に目を見開き、足を震わせながら前方にそびえる人形を見た。――――ギロリ、と十香の方に顔を向ける人形を。

「十香!」

 士道は言うが早いか十香の手を引き、その体を抱き込むようにして床に倒れ込んだ。

「な、シドー!?」

 十香の声が鼓膜を震わせる。と、それとほとんど同時に今まで十香の体があった位置を、夥しい弾丸のような物が通り抜けていった。それらは商品棚を派手に穿った後、透明な液体となって床に流れていく。

(雨……!? まさかこの天使、冷気だけじゃなくて水も自由自在に操れんのか!?)

 今まで自分が倒したアンデッドの中には雷を操れる個体もいたので、水を操る程度ではいちいち驚かない。ただ問題なのは、水の量だった。一つ一つがまるで銃弾のような速度と殺傷力を持つ雨粒が、文字通りほぼ無数にあるのだ。こうなってしまうと、ブレイドの『メタル』ぐらいしか対抗策が思い浮かばない。

 そう考えて士道がブレイバックルに手を伸ばしたその時、よしのんの駆る氷結傀儡が動いた。

「………っ」

 咄嗟に十香を護るように、体勢を低くして氷結傀儡と向き合う。

 だが、氷結傀儡は鈍重なシルエットに似合わぬ俊敏な軌道で地を蹴ると、先ほどまで十香がいた位置を取り抜け、そのまま割れた窓から屋外へと飛び出して行ってしまった。

 途中で、十香の手から床に落ちたパペットを口に当たる部分で咥えて。

「…………」

 士道はよしのんの背を視線で追ってから、小さく口を開く。

「助かった……のか?」

『……ええ。反応は完全に離脱したわ。中々無茶をするわね、士道』

「でも、何でいきなり……。って、十香! 大丈夫か!?」

 自分が庇っていた少女に視線を向けると、驚いたような表情を浮かべていた十香は何故かぷくっと頬を膨らませた。

「……ふん。別に私の事など心配しなくても良いだろう。お前は私よりも、あの娘の方が……」

「は、はぁ? お前、何言って……」

 その時だった。

 ビー! ビー! とインカムから何回も聞きなれたアラーム音が鳴り響き、それと同時に広瀬の声が士道の鼓膜を震わせた。

『嘘でしょ、このタイミングで……!? 五河君! アンデッドよ!』

 どうやらあまりにもタイミングの良すぎる出現に、広瀬も困惑しているらしい。焦ったような声で言う広瀬に、士道も驚きながらも返答をする

「なっ……! 場所は!?」

『ちょっと待って……! 何よこれ……! 何て速さ……!』

「広瀬さん!? どうしたんですか!?」

『あと数秒で今五河君がいるデパートに着く! 五……三……一、来る!』

 言葉と同時だった。

 突然、ズドォン!! という轟音と共に、先ほどよしのんが割った窓があった壁をぶち抜いてその怪物は侵入してきた。

 まるでジャガーのような姿に、左手の甲には巨大なカギ爪が装着されている。左腕はプロテクターで護られており、胸部と背中には強固な鎧が着けられていた。

「くそ、何でこんな時に……!」

 毒づきながらも士道は素早くブレイバックルを取り出してラウズカードを装填、腰に着けると右腕をゆっくりと伸ばす。すると士道が何かをしようとしているの察したのか、アンデッド――――ジャガーアンデッドが士道に襲い掛かるが、その前に早く士道が叫んだ。

「変身!」

『Turn Up』

 ターンアップハンドルと引くと同時にブレイバックルからオリハルコンエレメントが飛び出すと、襲い掛かったジャガーアンデッドは自分からオリハルコンエレメントに衝突し、その際の衝撃でジャガーアンデッドは後方へと吹き飛ばされた。その隙に士道はオリハルコンエレメントを走って通過し、ブレイドに変身する。

 そしてブレイラウザーを素早く引き抜くと、その刃を思いっきりジャガーアンデッドに叩きつけた。 

 が、ブレイドの手に返ってきたのはまるで金属を思いっきり切りつけたような固い手ごたえだった。それもそのはず、ブレイドが振るったブレイラウザーの刃はジャガーアンデッドのプロテクターで保護された二の腕によって防がれていたのだ。恐らくブレイドの攻撃を警戒したジャガーアンデッドが、咄嗟にプロテクターでブレイドの攻撃を防いだのだろう。

「何っ!?」

 それにブレイドが驚くが、まるでその隙を衝くかのようにジャガーアンデッドはブレイラウザーを弾くと左手に装着された巨大なカギ爪でブレイドの胸部に強烈な突きを放つ、

「がはっ……!」

 その威力にブレイドの胸部の鎧から火花が散り、肺から強制的に酸素が吐き出される。どうにか体勢を立て直してジャガーアンデッドに切りかかるが、その攻撃をジャガーアンデッドは高く跳躍してかわすと、攪乱のつもりなのか素早い動きでブレイドの周りを跳び回り始めた。

「なんて速さだ、こいつ……!」

 ジャガーアンデッドの速さに、ブレイドは思わず目を見開いた。必死にジャガーアンデッドの動きを目で追おうとしても、まったくその動きについていく事ができない。一瞬でも瞬きをしてしまったら、その瞬間背後に回り込まれ攻撃をされてしまうかもしれない。

「ならこれだ!」

 ブレイドはオープントレイを展開すると『METAL』のカードを取り出して、スラッシュリーダーで読み込みその力を発動させる。

『METAL』

 カードの絵柄がブレイドの胸部に吸い込まれると、ブレイドの体が銀色に輝き鋼鉄の防御力を得る。そして動きを止めたブレイドを仕留めようとしているかのように、ジャガーアンデッドがブレイドの背後に着地して左手のカギ爪を振るう。

 だが鋭い切れ味を誇るそのカギ爪も、ブレイドの硬化した全身の前では無意味だった。カギ爪はギィン! という音と共に弾かれ、ジャガーアンデッドの体がよろめく。ブレイドはそれを見逃さず、素早く振り返ると右手の拳を強く握りしめてその胴体に力強いストレートを放つ。ブレイドがMETALのカードを手に入れてから習得した、硬化した体を利用しての捨て身のカウンターである。

「おおおおおっ!!」

 気合と共に放たれたその拳は、ジャガーアンデッドの胸部の鎧に直撃した。

 しかし、その拳でもジャガーアンデッドの鎧にヒビを入れる事すらできなかった。ジャガーアンデッドは拳を撃ち込まれた状態のままカギ爪が装着された左手を下ろすと、そのまますくい上げる様な動きでブレイドの胸部を切り裂いた。

「ぐあああああああっ!!」

 ブレイドの胸部からまるで血のように火花が盛大に散り、ブレイドは火花を散らしながら後方へと吹き飛ばされる。そして地面に叩きつけられ、そのままごろごろと床を転がってからようやく停止すると、顔を上げて目の前の敵を睨み付ける。

「くそ、どうしろってんだよこいつ……!」

 ジャガーアンデッドの素早さも脅威だが、その体を護る鎧も厄介だった。約2.8tもの威力を誇る拳はおろか、地球上の固形物で斬れない物は無いとされるブレイラウザーの刃すら防いで見せた。恐らくあの鎧の上からいくら攻撃を打ち込んでも、全て防がれてしまうのがオチだろう。

 だが、

(だからと言って攻撃が通じないわけじゃない……! 鎧のせいで攻撃が通らないなら、鎧で護られていない箇所を攻撃すればいいだけの話だ……!)

 ジャガーアンデッドの鎧は確かに厄介だが、身体の全てがあの鎧で護られているわけではない。現に胸部と背中は鎧で護られてはいるが、右肩や腹部などは剥き出しである。どうにかしてその部分に一撃を加える事ができれば、ジャガーアンデッドを封印する事は可能のはずである。

 ブレイドはブレイラウザーを握る右手に静かに力を込めると、ジャガーアンデッドが自分の間合いに入るのを待つ。ジャガーアンデッドは自分にとどめを刺すつもりなのかゆっくりとこちらに近づいてきてはいるが、もしもここで焦ってしまえばあの瞬発力ですぐに間合いの外へと逃げられてしまう。この状況を覆すためには、ジャガーアンデッドが一気に襲い掛かってくるのを息をひそめて待たなければならない。

 そして――――、その時は来た。

 動かないブレイドにとどめを刺そうとして、ジャガーアンデッドが一気にブレイドに飛びかかる。その瞬間を待っていたブレイドはブレイラウザーを力強く握ると、カギ爪の攻撃をかわしてすれ違いざまにジャガーアンデッドの横腹を切り裂いた。

『ギャアアアアアアアアアアッ!!』

 ジャガーアンデッドの口から悲鳴が放たれ、横腹から緑色の血液が吹き出す。地面に倒れ込んで動きが鈍くなってはいるものの、バックルはまだ割れていない。という事は、まだ封印できる状態ではないという事だ。

 ならばとどめを刺すまでだ、とブレイドがオープントレイを展開してカードを二枚取り出そうとしたその時だった。ジャガーアンデッドの視線が、ブレイドの後方へと向けられた。

 その視線の方向を見て、ブレイドは顔を強張らせた。そこにいるのは、しゃがみ込んで戦闘を呆然とした様子で眺めていた十香だ。恐らくよしのんが逃げた所にアンデッドが突然現れたので、逃げ出すタイミングを失ってしまったのだろう。それに十香は前にセンチピードアンデッドの毒で生死を彷徨う状態に陥っていたので、その時の恐怖を思い出してしまっているのかもしれない。

 どうやらジャガーアンデッドはそんな十香に目を付けたらしい。ジャガーアンデッドが右腕を振るうと右腕からナイフが放たれ、それは一直線に十香へと向かって行く。

「十香!!」

 ブレイドはすぐさま十香の元へと向かうと彼女を庇うように抱きしめる。その瞬間脇腹に鋭い痛みが走り、ブレイドの口から呻き声が漏れた。

「ぐぁっ……!」

「シ、シドー!?」

 驚き半分心配半分の声を上げた十香の顔を見てみると、どうやらナイフは彼女には突き刺さらなかったらしい。それにほっと安心したのも束の間、ブレイドの注意が自分から逸れたのを確認したジャガーアンデッドは、凄まじい速度で走り出すと、自分が侵入してきた壁から外へと逃げ出していった。ブレイドはすぐに立ち上がって壁の外を見るが、そこにはもうジャガーアンデッドの姿は無かった。

「広瀬さん、アンデッドの反応は?」

『……駄目、反応がロストしたわ。こっちに向かってきた時の速度と今の逃げ足を考えると、かなり素早いアンデッドのようね』

「……ASTが追ってる、って可能性は無いですか?」

『それも無いと思うわ。さっきのよしのんって精霊との戦闘に夢中だったみたいだし、何よりもあの速度よ。ASTでも追いつけるか分からないわ』

「そうですか……。そうだ、十香!」

 ブレイドは通信を切ると、変身を解除して士道の姿に戻り十香の元に駆け寄る。

「十香、大丈夫か?」

「……っ! う、うるさい! 私に近寄るな!」

「うわっ!?」

 どん、と十香が士道の体を突き飛ばす。精霊の力はすでに無いとはいえ、不意を突かれた事で士道の体がふらつくと同時に、脇腹に痛みが走った。士道がシャツを捲って見てみると、そこには先ほどジャガーアンデッドのナイフから十香をかばった際にできた切り傷があった。いつもならば謎の癒しの炎によって治るはずだが、どうした事か炎は出現せず、そのせいで傷口から鮮血が流れている。

「あっ……」

 傷を見て十香がはっとした表情を浮かべたが、すぐに「むむむ……」と唸るとぷいと顔を背けてしまった。どうやら士道との話し合いは完全に拒否するつもりらしい。

 そんな彼女の姿を見て、士道は深いため息を吐くのだった。

 




次回は始視点で、今話の裏側のような物を投稿したいと思います。


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第十七話 第二の精霊・裏

今回は始視点のため、いつもより短いです。また今回はデート・ア・ライブの最新刊のネタバレが少し出ます。


 

 

 空間震警報で人気の無くなった街を、始は一人無言で歩いていた。空間震警報が鳴ったという事は精霊がこの世界に現界しているという事だが、どうやら精霊は今始が歩いている場所とは離れた所にあるデパートにいるらしい。精霊と討伐する機械の鎧を纏った部隊――――ASTがそのデパートの上空にいるのがその証拠だった。

 しかしそれは今の始にとっては好都合だった。これからの話は人に聞かれたくないし、こんな所に表向きは高校生の始がいるとASTに知られたら厄介な事になるかもしれないからだ。ASTがこの場にいないならば、それに越した事は無い。

 やがて始は自分に向けられる視線を感じて立ち止まると、冷たい声音で言った。

「言われた通り来てやったぞ。姿を現せ」

 すると自分の背後に突然気配が現れた。始がゆっくりと振り向くと、そこには先ほどまでいなかったはずの男の姿があった。サングラスと黒いコートを身に着けたその姿は、一見してみるとただの人間にしか見えない。

 ただ、始は気づいていた。その体からは、普通の人間にはない威圧感が放たれている事に。始は表情を険しくすると、いつ男が攻撃してきても良いように静かに身構えながら男に言う。

「……アンデッドか」

「ああ。一応こっちでは、伊坂と名乗っている。しかし妙だなカリス。お前とは前に一度会った事があるはずだ。………一万年前の、あの戦いで」

「…………」

「それに、どうやって人間に化けている? 人間に化ける事ができるのは俺達上級アンデッドだけのはずだ。いくらカテゴリーエースとはいえ、簡単に人間に化ける事はできないはずだが……」 

「その質問にわざわざ答えてやる必要はあるのか?」

 始が冷たく言うと、二人の二人の視線が交錯する。二人はしばらく何も言わず無言で相手を睨み合っていたが、先に視線を外したのは伊坂だった。ふんと鼻を鳴らしながら、

「まぁ良い。そんな事よりカリス。単刀直入に言おう。今はお前と戦うつもりはない。私と組まないか?」

 すると、何がおかしかったのか始はふっと冷たい笑みを浮かべた。

「組むだと? 笑わせるな。一万年前から俺達に組むなどと言う言葉は無かったはずだ」

「確かにな。だが今は状況が違う。そうだろ?」

 するとその言葉に心当たりがあったのか、始は笑みを消して伊坂を睨み付ける。伊坂はこの場からでも見える、精霊がいるデパートを見ながら話を続けた。

「お前も気づいているはずだ。今の状況が、一万年前とは違うという事を。アンデッドを封印するライダーシステム、アンデッドがアンデッドを倒しても封印する事ができないという異常事態、それに何よりの異常事態は……精霊だ」

「………」

「三十年前のユーラシア大空災、それから六ヵ月後に起こった南関東大空災、そして私達アンデッドが解放された五年前。これら全てに精霊が関わっている。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そう話す伊坂の言葉にも始は表情を変えないが、どうやら伊坂が何を言いたいかは察しがついているらしい。その上で彼は、あくまでもつまらなさそうな口調で言う。

「確かに精霊がいる事は厄介だ。おまけに今回は複数ときた。だがそれがどうした? わざわざ精霊を倒さなくても、奴らの力を封印しようとしているもの好きもいるはずだ。そいつらが精霊の力を全て封印するのを待ってから、本腰を入れれば良いだけの話だろう。俺を引き入れる理由が無い」

「確かに普通ならそうした方が危険は少ないだろうな。だがもう気づいているだろう? 五年前、私達が解放されたのがただの偶然ではないように、精霊が複数いる事も当然偶然ではないという事を。……この戦いには、複数の人間の思惑が混じり合っている」

「……複数の人間、だと?」

 そこで初めて始は表情を変えた。怪訝な表情を浮かべる始の顔を見て、伊坂は口元に微かに笑みを浮かべながら、拳を軽く前に突き出した。

「ああ。この戦いには最低でも三人の人間の思惑が絡んでいる。一つは、五年前私達アンデッドを解放した人間」

 そう言いながら伊坂は、人差し指を立てた。

「一つは、精霊がこの世界に出現するきっかけとも言えるユーラシア大空災を起こした人間」

 続いて中指を立てると、最後に薬指をピンと伸ばした。

「そして、五年前に天宮市で起こった火災を引き起こした精霊を生み出した人間だ」

「……? どういう事だ。五年前のあの火災が、精霊の仕業だとでも言うつもりか?」

「それに関してはほぼ間違いはない。最初は私も、あの火災は私達を解放するためにどこかの誰かが引き起こした事件だと思っていた。だがそうするにしてもあの火災はやりすぎた。下手をすれば、私達を解放する所ではなくなる。だから当時の事を少し調べたんだ。……あの火災は、何の前触れもなく起きている。火事が起こる要素など、あの時には一つも無かった。なのに火災は起き、アンデッドは解放される事になった。アンデッドが解放されていないのにそんな事をできるのは、精霊しかいないだろう?」

「……なるほどな」

 伊坂の話を聞いた始は静かに呟いた。確かにこうして聞いてみた限りでは伊坂の話におかしな所はない。そして自分達には精霊を生み出した人間というのにも心当たりがある。精霊を生み出す生み出した人間というのは、恐らく――――。

「まぁ、あいつもまさかあの火災が私達アンデッドを解放する事になるだなんて思っていなかっただろうな。あいつの思惑と、アンデッドを解放しようとする人間の思惑が偶然重なり合った結果あんな事になった。……全ての運命に偶然など無いとどこかの誰かが言っていたが、本当だとしたら運命というのはずいぶん残酷な物語が好みらしい」

「……何故奴はそこまでする。少なくとも、俺達が知っている奴はそんな事をするような奴ではなかったはずだ」

「さぁな。こちらに来て、心変わりでもしたんじゃないのか? 今のお前のようにな」

 伊坂はからかうような口調で言うと、始は殺意のこもった瞳を伊坂に向けた。それを見て伊坂は肩をすくめると、話を元に戻そうと言い、

「今言ったように、この戦いには三人の人間の思惑が絡んでいる。もしも下手な動きをすれば、そいつらに叩き潰されかねない。だからと言ってそいつらと戦うには、少し戦力不足だ。まずはこちらの戦力を整え、それから私達だけの戦いをすればいい。お前にとっても悪い話ではないだろう」

「……それで、俺と組もうというわけか」

「ああそうだ。私と組め、カリス」

 言いながら、伊坂はすっと右手の掌をまっすぐ始に突き出した。しかし始はその掌をつまらなさそうに一瞥してから、伊坂をギロリと睨み付けた。

「一つ教えていてやる。俺は誰とも組むつもりはない。人間共とも、お前達アンデッドとも。全てが俺の敵だ。もしも俺の前に立ち塞がるなら、まとめて叩き潰してやる」

 そして始が一歩踏み出すが、伊坂は再度の説得を試みるわけでもなく、ただやれやれと言うように首を振っただけだった。

「そうか……。だが、さすがに話が急すぎたというのもある。今日の所はここで退くが、近い内にまた会いに来る。考えがまとまったら、その時に聞かせてくれ」

「それは無理だな。貴様はここで封印する……!」

 そう言って始が伊坂目掛けて駆け出した瞬間、彼に何かが襲い掛かった。始はその何かの攻撃をかわすと、後ろに跳んで何かとの距離を取って襲撃者の姿を観察する。

 右腕は無数の棘が生えた槍のような腕となっており、頭は巻貝のようなもので覆われている。左手は普通の人間と同じように五指だが、五本の指が異常に長い上に緑色なのでどこか薄気味悪い。

 巻貝の始祖――――シェルアンデッドの姿を目にした始は、静かに伊坂に言った。

「洗脳しているのか」

「今まで会ったアンデッドは全てな。この戦いを勝ち抜くには、戦力は多い方が良い。……さてと、私は帰らせてもらう。邪魔は来ないから安心しろ。ASTは精霊との戦闘に必死の上に、ブレイドは精霊に引き寄せられた他のアンデッドとの戦闘に夢中になっているだろう。次会った時は、良い答えを期待している」

「待て!」

 始は彼に背を向けてその場から歩き去ろうとする伊坂の後を追おうとするが、その前にシェルアンデッドが立ち塞がった。無造作に振るわれた右腕による攻撃を舌打ちしながら回避すると、腹部にカリスラウザーを出現させて、ラウズカードを一枚取り出す。

「変身!」

『Change』

 ラウズカードをカリスラウザーで読み取ると、始の体が水の波紋のようなものに覆われ、それが一気に弾け飛ぶと始の姿はカリスへと変身を遂げていた。カリスは右手にカリスアローを召喚すると、シェルアンデッドの鋭い突きを回避して胴体にカリスアローの斬撃を放つ。

 しかし、カリスに返ってきたのは硬い手ごたえだった。動きが止まったカリスに向けてシェルアンデッドが右腕の槍を振り下ろすが、カリスは即座に距離を取って攻撃を回避する。

「硬いな……。だが、それがいつまでもつかな?」

 カリスは素早い動きでシェルアンデッドとの距離を一気に詰めると、再度胴体に斬りかかる。その攻撃も弾かれ、再びシェルアンデッドからの攻撃が繰り出されるが、カリスはその攻撃をかわすとその後連続して胴体に向けて鋭い斬撃を放つ。

 すると異変が起こった。先ほどまでは攻撃を受けつかなかったシェルアンデッドの胴体から、まるで血のように火花が散りだしたのだ。それを確認したカリスが再度右腕の攻撃をかわして胴体に強烈な一撃を繰り出すと、胴体から火花が派手に散った。さすがに今のは効いたのか、シェルアンデッドは地面を転がり、すぐに立ち上がろうとするもダメージが大きいのか、その動きは確かにふらついていた。

「貴様の体は確かに硬いが、何度も攻撃を受けていられるほどじゃない。何回か同じ箇所に攻撃を続ければ、その箇所は簡単に攻撃を通すようになる」

 言いながらも攻撃の手を休めるつもりはないらしく、カリスはカリスアローを握る手に力を込めるとシェルアンデッド目掛けて走り出す。自分に向かってくる敵を認識したシェルアンデッドは、左手を右肩辺りを掴む。そして左手を握ると、何かをカリスに向かって勢いよく投げつけた。

「何っ……!?」

 突然の行動にカリスが動揺すると、カリスの胸部から火花が散った。カリスの胸部を襲った何かが弾け飛び、自分のすぐ上を舞う。その物体の正体を見たカリスは、クソッと心の中で悪態を吐いた。

(S字型の、小型手裏剣……。くそ、奴の右肩部分にある突起は手裏剣になっているのか……!)

 油断していた自分に腹を立てながらも、カリスはすぐさま態勢を立て直そうとする。しかしシェルアンデッドはその隙を見逃さず、すかさず反撃にでた。まだ態勢を戻しきれていないカリスに向かって、シェルアンデッドは槍状の右腕による攻撃を放つ。槍はカリスの胸部に直撃し、胸部から先ほどのシェルアンデッドのような派手な火花が散る。

「ぐっ……!」

 胸部に走る激痛に奥歯を噛み締めたカリスに、シェルアンデッドは今度は左拳による攻撃を放つ。その攻撃をくらい、よろめいたカリスに更なる連撃が放たれようとするが、そんな簡単に倒されるほどカリスは甘くなかった。

「調子に乗るな……」

 苛立ちのこもった言葉を告げながらカリスがカリスアローをシェルアンデッドの突き付けると、カリスアローから光の矢が連続して放たれてシェルアンデッドの胸部に直撃する。そのせいでカリスとの距離が空けられるが、シェルアンデッドは先ほどのように左手を右肩にあてると、左手に握ったS字型手裏剣をカリス目掛けて投げた。しかしカリスは慌てる事無くベルト右側のカードケースからラウズカードを一枚取り出すと、ラウザーユニットをカリスアローに装着してカードを読み取る。

『REFLECT』

 カードの絵柄がカリスアローに吸い込まれ、カリスがカリスアローを突きだすとまるでカリスを護るように透明なバリアが展開される。バリアに当たったS字手裏剣はそのまま跳ね返り、放ったシェルアンデッドへと直撃した。自分の放った攻撃を跳ね返されたシェルアンデッドは体から火花を散らしながら、再び地面を転がる羽目になった。カリスは素早くケースから新たにカードを一枚取り出すと、カリスアローに装着されたバックルでカードを読み取る。

『CHOP』

 カードの絵柄がカリスの胸部に吸収されると、カリスは自分の右手を手刀の形にする。そしてカリスが起き上がろうとしているシェルアンデッド目掛けて走り出すと、その体にカードによって強化された手刀による突きを叩き込む。手刀を受けたシェルアンデッドは再び吹き飛ばされる羽目になり、地面を転がった。すると腰のバックルが、カシャンと小気味良い音を立てて割れる。

 それを確認したカリスはカードケースからカードを一枚取り出し、シェルアンデッド目掛けて投げるとカードはシェルアンデッドの胸に刺さった。シェルアンデッドは体から緑色の光を放ちながらカードに吸収され、カードは勢いよく回転しながらカリスの手に戻る。戻ってきたカードにはハートの紋章に数字の五、巻貝のような絵に『DRILL』という英語が刻まれていた。

 シェルアンデッドを封印したカードをカードケースに戻すと、カリスはカリスアローに装着されたバックルを腰に戻し、さらに別のカードを取り出してラウザーユニットで読み取る。

『Spirit』

 音声が鳴ると同時に始の目の前に半透明の光の壁が出現し、カリスがその壁を通過するとカリスは始の姿に戻る。それから先ほどASTがいたビルをちらりと見る。

 先ほどまでいたはずのASTは、いつの間にかその姿を消していた。恐らく逃げた精霊を追って、この場から離れたのだろう。自分達の戦闘を見られた可能性は否定できないが、この場にASTが一人も来ていない所を見ると精霊との戦闘に必死でこちらの戦闘には気づいていなかった可能性が高い。自分の身元がバレる恐れはないだろう。

 しかし、戦闘を終えたASTがこちらに戻ってくる可能性も否定はできない。その前に早くこの場から去ろうとした始だったが、さっきの伊坂との会話がふと頭をよぎって足を止めた。

(……今回の戦いには、複数の人間の思惑が絡み合っている。俺達を解放した人間の考えは何となくだが、恐らく俺達の不死という性質に興味を持ったんだろう)

 それならばまだ理解できる。不老不死を求める人間がいる事ぐらいは、解放されてから人間社会の中で生き続けてきた始も分かっている。とは言っても、始自身から言わせれば馬鹿げた事だとしか言えない。老いる事も死ぬ事もなく、永劫の時を一人で生き続けるという恐怖を知りもせずに不老不死を求めるという事は、始からしてみれば愚者の戯言にしか聞こえないからだ。

 だが、それなのに人間は不老不死を求める。その考え方が、始には理解できなかった。

 しかし、今はそんな事ではない。問題は残りの人間達だ。彼らは一体何を考えて、五年前に火災を引き起こしたのだろうか。そしてその中の一人は、一体どうして精霊を増やすような真似をしているのか。

 今の始には、何も分からなかった。

(……今は問題ないかもしれないが、もしかしたら調べる必要が出てくるかもしれないな)

 始はそう考えながら、自分の家であるハカランダへ帰るために足を再び速く動かし始めるのだった。



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