霞んだ英雄譚 (やさま)
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序章 -兄であるという事-

―――

―――――

――――――――

 

 

湿霧立ち込める、寂静とした山の中。

まだ朝日も昇り切らぬ早朝、俺は祖父と共にあてもなく歩いていた。

……ただ、祖父と一緒に山を歩く事自体はそう珍しい事でもない。

更に言えば、思い出になるほど大して面白くもない日常的なイベント事である。

だがその日の事だけは、幾月の月日が経とうと色褪せる事なく、俺の脳裏には鮮明に刻み込まれている。

 

本来なら俺の戦闘訓練に付き合い、数多のモンスターが現れるような道なき道を進む祖父。

しかしその日は何故か、モンスターの少ない安全な道を選び進んでいて。

普段は俺の前か後ろに立つ祖父が、その日は俺の隣で立っていた。

 

まるで背中を預けられる百戦錬磨の相棒であるかのように、あの日の俺は彼と同じ道を歩く。

俺にとっての、果てしなく遠い目標が叶ったその日。

片思いに胸を焦がす乙女のように、俺は女々しくも想い続ける。

それが仮初のモノで、明日には霧散霧消するようなモノであるとしても。

 

「本当にお前は、可愛げの無い奴だよな」

 

不満そうに―――そして、面白そうに。

純粋無垢なもう一人の孫と俺とを比較しながら告げる祖父。

その時俺は……確かこう、吐き捨てた。

 

「夢とか希望を抱ける程、“俺には”余裕なんかないから」

 

両親は知らない。

物心ついた時にはもう亡くなっていた。

今は祖父と弟の三人暮らし。

つまり、俺と弟、幼い二人の命を繋ぐ綱は祖父一人。

しかしどんな人も、いずれは年老いて、やがて死ぬ。

そして死ぬのは当然、俺達よりも祖父の方が早いだろう事は確かで。

―――限りなく闇に近い将来を楽観視できるほど、俺は祖父や弟のように強くはない。

 

いったい、いつ"その日"は来るのか。

そして"その日"が来た時、俺は弟に何をしてやれるのか。

刻一刻と迫りくる大きな不安から視線を逸らすかのように、俺は頭を垂れた。

そしてそんな俺に突き刺さる、痛い程の祖父の視線。

……そんな視線を振り払うかのように、俺は尚も言葉を続ける。

 

「それに、いいじゃないか。可愛げのある奴がもう居るんだし」

「ハッ。ベルが夢を見てる分、自分は現実を見るってか?」

 

そう、俺は兄だ。

両親を失ったベルの、唯一無二の兄である。

ゆえに庇護されるべきはアイツであり、庇護するべきは俺であって。

夢や希望はアイツの為にある言葉で、俺の為にある言葉ではない。

“残酷なまでの現実”こそが、俺のための言葉である。

 

「ま、せいぜい頑張れよ」

「……うん、頑張るよ」

 

一方は、楽しげに。

もう一方は、苦しげに。

それきり、俺と祖父の間で交わされる言葉は無く。

痛い程の静寂が俺達を包み込んでいたあの日の思い出を―――今でもはっきりと、覚えている。

 

 



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第一章 -迷宮都市オラリオ-
第一話 離別


 

 

 

俺達にとっての最愛の祖父。

快活に笑い、俺達に生きる力を与えてくれた頼もしい彼は―――もう居ない。

彼が亡くなったと知らされてからすぐに、俺は弟と共に生まれ故郷を抜け出し、馬車に揺られて新天地へと向かっていた。

 

「兄さん、まだ着かないのかな」

「あともう少しって所だよ。だからもう少しだけ、辛抱しな」

 

故郷から目的地まではやや遠い。

決して平らとは言えない道の凹みに車輪が嵌まる度に馬車は揺れ、僅かに浮いた体は堅い寝床へと落ち痛みを生じる。

居心地が良いとは、お世辞でも言えない。

そんなものに苛まれる苦痛は耐えがたいものだろうと、隣に座る綺麗な白髪の弟―――ベルを励ます事、5度目。

 

しかしその度に、ベルは俺の激励を否定するように首を振った。

 

「違うんだよ。僕は楽しみなんだ!冒険が……出会いがさ」

「出会い、ね。お前は正真正銘、お爺さんの孫なんだな」

「何言ってるんだ、兄さんだって孫じゃないか。兄さんは楽しみじゃないの?」

「……」

 

苦笑に苦笑を返され、俺は暫し返答に困った。

―――ここで俺は、彼になんと答えれば良いのだろうか。

祖父が居なくなった現在、その希望を否定し、待ち受けているであろう過酷な現実を諭させるべきか。

それとも、ぬるま湯の希望に同調し、待ち受けているであろう絶望から目を離させるべきか。

 

「―――そうだな。俺も、そう思うよ」

「ほら、やっぱり!兄さんも正真正銘お爺ちゃんの孫で、僕の兄だよ」

 

そう言って、楽しそうに笑うベル。

その笑顔を見て、俺は自分の選択が間違っていない事を確信した。

そして、俺は弟に甘すぎる事もまた、自覚した。

 

「だが冒険者になるにしても、お前は神の恩恵を受けなければモンスターには太刀打ちできない。それは分かっているよな?」

「分かってるよ。まずは、ファミリアに入れてくれる神様を見つけなきゃ、でしょ?」

「そうだ。死んでしまっては、出会いも何も無いからな」

 

期待に胸を膨らませる弟を後目に、俺はふと窓の外を眺めた。

すでに故郷の姿は見えず、望めるのは果てしない地平線のみ。

上空に広がる大きな青の空、鳥たちは舞うように飛び回っている。

絶望的なまでの美しい景色に、ここまで来てしまったのだと俺は改めて思い知らされた。

 

「……ふぅ」

 

本当に、出てきてしまってよかったのか。

重く暗い後悔を吐きだすように、深いため息を吐いた。

 

実のところ、俺は故郷を出ていくことに反対だった。

祖父が居なくなった今こそ、顔見知りの知人が居る地の方が生きやすいと考えていたから。

しかし、夢に目を輝かせ故郷を出ようとする弟を引き留める事は出来ず……ついに俺も故郷を飛び出した。

―――納得はしていないが、しかし仕方のない事なのかもしれない。

 

「一人になんか、出来ないしな」

 

俺は兄だ。

ベルは弟だ。

両親が亡くなり、そして祖父も亡くなった。

故郷を飛び出し、弟が向かうは助けなどありはしない新天地。

であれば、俺がするべきことはただ一つ。

押し寄せる現実から希望を……弟を守る、壁となる事。

待ち受けている得体のしれない不安に、俺は覚悟を決めた。

 

―――その時。

 

「うわぁっ!?」

 

大きな衝撃音と共に、馬車が揺れる。

目的地に着いた故の揺れとは到底思えないその異常事態に、弟の悲鳴が響き渡る。

 

「何事ですか!?」

「お客さん、モンスターです!モンスターの群れが、馬車を……!!」

「なっ……」

 

御者の焦燥に満ちた声に、俺は言葉を失った。

今進んでいる道は、それほど危険性の無い道の筈。

居たとしても群れを成す事は殆ど無く、多少戦闘の心得がある程度の俺にだって対処できる程弱い。

慌てて窓から身を乗り出し周囲を注視すると、すぐにソレは俺の眼に止まった。

 

「ウルフの群れ!?」

「今、仲間に応援を頼みました。ですが、少々離れており時間が掛かるようで……」

「……くっ」

 

本来、街間の馬車はこのような有事から客と自分の身を守るため、モンスター討伐の専門家を雇う事が多い。

そして馬車の代金には通常そういった専門家との契約金も含まれているため、長距離になればなるほど指数関数的に料金は増額していく。

だが、祖父の遺産は無きにひとしい俺達に、そのような料金を支払う能力は無い。

そんな俺達が、馬車に乗れている理由……それは。

 

「……俺が時間を稼ぎます。その間に、出来るだけ遠くへ逃げてください」

 

立てかけてあった得物―――両刃剣(ブロードソード)を手にして、更に俺は続ける。

 

「目的地まではそう遠くない。俺を降ろした後、可能な限り急げばあとはモンスターに襲われる事なく目的地に着く筈……そうでしょう、御者さん?」

「えぇ……ですが、それでは」

 

俺は、完全に置いてけぼりとなる。

つまり……囮だ。

そんな俺の提案に、隣でへたり込んでいたベルが目を見開いた。

 

「そんな!兄さん、だめだ!それじゃ……」

「ベル……仕方ないだろう。そういう"約束"なんだから」

 

有事の際の用心棒。

それを俺が引き受けたからこそ、俺達は馬車を借りる事が出来た。

そしてそのような契約である以上、俺には馬車を……弟を守る義務が発生する。

 

「御者さん、俺が外へ飛び出したら一目散にこの場から退散して下さい。出来るだけ早く……目的地へと、向かって下さい」

「っ……兄さん!」

「ベル、大丈夫だから。あの程度のモンスターなら、俺だってやれる。全てが終わったら、すぐに追いつくから……」

 

今にも泣きだしそうに涙を湛え、必死に引き留めようとするベルを必死に説得する。

どうせこのままだと、二人とも……いや、馬車もろとも果ててしまう。

それならば、一人でも多く助かる道を、俺は選びたい。

用心棒を引き受けたという義務ではなく、守りたいという己の意思からの、本心。

 

「ベル、俺はこんなところじゃやられない。お前の活躍を……そして、新しい英雄が生まれる瞬間を見なきゃならないんだからな」

「兄、さん……」

「じゃあな、ベル。お前ならきっと、英雄になれるさ」

 

新天地へ降り立つ弟を守れなくなるのは、ちょっと残念だけど。

変わらぬ俺の意思を悟ってか、おずおずと縋る手を放した弟に、俺は小さく感謝の意を呟いた。

 

―――そこからの行動は早かった。

弟へ別れを告げるなり、馬車の戸を蹴り破り外へと飛び出す。

揺れもあり、宙を不格好に二度三度反転する結果となったが、気にせず目線を後方へと向ける。

今まさに馬車へとりついている、ウルフの群れの一匹へ。

 

「―――ッふ!!」

 

重力を味方につけた、渾身の一撃。

ウルフの脳天へと突き刺さったソレによって、ウルフは絶叫を上げる間もなく絶命し、灰と化す。

予想だにしない奇襲を受けたウルフの群れは、その一匹の絶命によって一瞬動きが止まった。

 

「まだッ……!」

 

―――見逃すものかっ!

振り下ろしたブロードソードはそのまま円弧を描き、更に奥に居たウルフの胴体に赤い線が走る。

致命傷には至らなかったものの、一連の攻撃に激昂したウルフの群れはついに攻撃対象を馬車から変える。

 

「今だ、御者さん!!」

 

刹那、ウルフという重りから解放された馬車は急加速し戦線を離脱。

既に手の届かぬ場所まで逃げ切った彼らに安堵し、しっかりと剣の柄を掴みなおす。

 

「……さて」

 

目的は半分達成した。

あとはもう半分……時間稼ぎが出来れば、こちらのもの。

しかしふと周囲を見てみれば、右も左も前も後ろもウルフばかり。

 

(複数対一……形勢は圧倒的に不利、か)

 

『『『グォォォッ!!』』』

「っ……」

 

ウルフくらい、どうだってことないだろう。

これまで、一体どれだけの数を倒してきたと思っているんだ。

恐怖に震える己を誤魔化すように、俺はひたすら自分に言い聞かせ。

もう諦めよう、と折れそうになる膝を叱咤し、膝下で踏ん張りウルフを見据える。

 

―――先に動いたのは、ウルフ達だった。

 

「くっ!!」

 

高速で間合いを詰める、ウルフ達の稲妻の如き俊足。

内二匹のウルフが跳躍し、上空から二組の牙が明確な殺意をもって迫り来た。

 

(同時攻撃……!!)

 

真正面から受け止めるのは愚策。

横か、後ろか。

むしろ、ここは―――

 

「―――せいッ!」

 

跳躍したウルフの下部を潜りぬけるように前進。

すれ違いざまに高く振り上げられた剣先が、無防備な腹を深く切り払った。

 

『グゥッ!?』

「まず一匹ッ!」

 

切り払われたウルフは着地できずに地面へ墜落。

―――やれる!落ち着いてやれば、この数だって……!

確かな手ごたえを感じ安堵するも、後方から迫りくる気配に気づきすぐさま反転。

案の定、4匹のウルフが地を駆け面前へと迫っていた。

 

「チッ、一々連携良すぎなんだよお前ら……!!」

 

反転した勢いを乗せた回し蹴りでウルフ一匹の頭を粉砕。

同時にその衝撃で横へと跳躍。

着地には失敗し地面を転がってしまったが、しかし残り三匹からの攻撃は回避できた。

 

(地道にやっていくしかないか……)

 

一度に大勢のモンスターを討伐出来る程の人外な力は、俺にはない。

だから地道にウルフの数を減らし、そして避け続けるしかないのだ。

一発逆転など不可能―――そんな賭けにも等しい行為にでたその瞬間、俺の体は奴らの血肉となるだろう。

防具もまともにつけていない衣服を土色に汚しながら、俺は改めて剣を構え直した。

 

「さあ……来るなら来いよ、狼野郎」

 

―――だが、これなら勝てる。

今こそ、これまで祖父と共に行動する事で培ってきた経験を活かす時だ。

もはや震えも止まった膝下に、俺は口角が上がるのを感じた。

 

 

 



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第二話 ミアハ・ファミリア

 

そして、その夜。

冒険者の街でもある迷宮都市オラリオは、夜だというのに喧騒一色であった。

酒場は冒険者たちでにぎわいを見せ、大通りには頬を紅潮させながらヒューマンや亜人族が気分よく闊歩している。

ある者達は、今日の迷宮での出来高を称え合い。

またある物達は、反省会という名の失敗の押し付け合いをしたり、等々。

 

さながら祭りにも似た心地よい雰囲気が、街中には漂っていた。

 

「これで全部、かな」

 

そんな中。

一人の犬人(シアンスロープ)の女性が、浮ついた人々の間を縫うように歩いていた。

 

「調合用の素材を一つ買い忘れるなんて……ミアハ様もおっちょこちょいだなぁ」

 

右へ、左へと人を躱す度に、女性のスカートから伸びる尻尾が左右に揺れる。

時折賑やかな酒場へと目線を移すも、足取りは止まらない。

一歩、また一歩と進むたびに、喧騒は遠ざかり、酒の匂いも薄れゆく。

つまるところ―――彼女は街の中心とは反対方向、メインストリートを外れた裏通りへと向かっていた。

 

そんなこんなで歩くこと、数分。

 

「……着いた」

 

人体を模したエンブレムが飾られた、こじんまりとした一軒家。

小箱を右手に抱え、左手で戸を開けようとした所で……不意に、その女性は足を止めた。

 

(……?)

 

踏み出した足に感じた、石畳とは違う柔らかな感触。

何かを踏みつけたらしいと、女性はゆらりと足元を見た。

 

そこにあったのは、寝そべるように横たわる人形……ではなく、ヒューマンの青年。

身長は170C程度だろうか。

髪は”くすんだ白色”……行ってしまえば灰色。

苦悩の表情を浮かべ目を瞑る彼の隣には、得物と思しき銀の剣が無造作に打ち捨てられていた。

 

「……死体?」

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

主神・ミアハの下、こじんまりとした一軒家で道具屋を営んでいるミアハ・ファミリア。

そんな店の裏手にある、ファミリア専用のプライベートルーム。

テーブルを挟み向かい合う三人の姿が、そこにはあった。

 

「すみません……助かりました」

 

その内の一人……灰色の髪の青年が、恭しく頭を下げる。

犬人の女性―――ナァーザが“死体”と断定した青年である。

 

「それと、申し訳ありませんでした。あんな、お店の迷惑になるような場所で倒れるなんて……」

「気にする必要は無い。君にもやむに已まれぬ理由があったんだろう」

「……本当に、すみませんでした」

 

謝るばかりの青年に、人のよさそうな笑みを浮かべる美青年――――主神・ミアハも、流石に苦笑する。

それが神の前で萎縮してしまっている所為である事は、誰の眼にも明らかだった。

 

「私の店には滅多に客も来ないからな。君が寝ていた事で売り上げが落ちたなんて事もないから、安心するといい」

「ミアハ様……自虐してどうするんですか」

「ふははっ、これは失敬」

 

ジト目のナァーザに、ミアハは乾いた笑いで応える。

そんな二人を外野から見守る、灰色の髪の青年。

その視線がどこか物珍しさの色を持っている事に、ミアハは目敏く気付いた。

 

「どうした?」

「あ、いえ、神様に対する印象が、思っていたのと大きく違っていて驚いたというか……」

「それは……良い意味で、という事か?だとしたら、嬉しい限りだ」

 

もっと、厳かで、傲慢で、近寄り辛い。

人の事など省みず、己の為だけに行動する。

そのような存在だとばかり思い込んでいた青年は、ミアハとナァーザの友人のような語らいに驚いたのだ。

―――――もっとも、そんな心の中に抱いていた偏見など、神の前では到底言えたものではないが。

 

やがて、朗らかな雰囲気の中で語らう二人をナァーザが割り込んで、抑揚のない声で問うた。

 

「……ねぇ、灰色の髪の青年君。そろそろ君の事……教えてくれない?」

「俺の、事……?」

「話し辛いなら……名前だけでも。灰色の髪の青年君じゃ、ちょっと面倒だし。どう?」

 

そこでやっと、青年はまだ自分が自己紹介すらしていない事に気付いた。

 

「そうでした。俺はテクト・クラネルといいます。先ほどまでミアハ様の本拠地前で倒れていたのは、疲れが溜まっていたせいか気を失ってしまって……」

「疲労……。先ほど治療した時も、妙に裂傷が目立った。まさかとは思うが、テクト君は迷宮に潜ったのか?」

 

ミアハの、探るような視線が灰色の髪の青年……テクトを貫く。

しかしテクトはそれに狼狽えることなく、はっきりと首を横に振り否定した。

 

「いえ、そもそも私は今日オラリオに来たばかりでして。ここへ来る最中、ウルフの群れに襲われたんです」

「……へぇ。それは災難だったね」

 

モンスターの怖さは、元冒険者であるナァーザにはよく分かる。

テクトへ同情の念を抱いている彼女の隣で、ミアハは思案顔でじっとテクトを見つめていた。

 

「……しかし、テクト君。君は、神の恩恵(ファルナ)を授かっていないようだが」

「えぇ。私の故郷には授けてくれる神も居ませんでしたので」

 

倒れていたテクトを治療していた時、服がボロボロであった所為もありミアハは不可抗力で背中をみてしまっている。

しかしそこには、冒険者にはあるべき神の恩恵(ファルナ)の紋様が無かった。

故にミアハは、青年はてっきり冒険者に乱暴でも働かれた一般市民だと思っていた。

無論、本来そのような事はあってはならないのだが―――現実問題として、あっても決して不思議ではない。

その証左に、ファミリア内部の抗争に巻き込まれた花屋が損壊してしまった事もある。

 

ただ、仮にそうだとして、それを直接聞いてもファミリアの前では答えづらいだろうからと敢えて迷宮を話題に振ったのだが……テクトの返答は、ミアハの予想していたものとは大きく異なっていて。

嘘を言っているような片鱗も、そこには全く感じられなかった。

 

「では君は、神の恩恵(ファルナ)無しにモンスターを倒したというのか?」

「はい。ただ、これは何も不思議なことでは無いと思いますが……」

「む……まぁ、な」

 

神の恩恵が"子供達"に広まる以前は、子供達は独力でモンスターを倒す事もあった。

故に決して不可能な話でもなく、オラリオの外でそのような子供達が居てもおかしくは無い。

ただ、モンスターの群れを相手取り、見事単身生き残って見せた彼は、恐らくオラリオに住む冒険者の多くとそう遜色ない実力を有しているのではないか。

身体能力は抜きにしても、技や実力は恐らく負けない程度の力を持っているのではないか。

 

話を聞けば聞くほど、彼に対する大きな興味がミアハの中で頭をもたげてきた。

そしてそれは、ナァーザも同じである。

 

「それで、テクト君……君は、なんでこのオラリオに来たの?」

 

黙り込んでしまったミアハの代わりに、ナァーザが話題を引き継ぐ。

 

「……弟を、守る為です」

「弟……?」

「はい。弟が、オラリオにとても来たがっていて……そんな彼を守る為に、俺は彼についてきました……が」

 

だが、彼とは別れてしまった。

途中遭遇してしまったモンスターの群れから守るため、己を犠牲にし彼を守った。

あの時、死すら覚悟していた自分が生きていた事は、奇跡にも近い。

テクトはその奇跡に感謝し、群れを撃退した後も何度かモンスターに遭遇しながら、命からがらオラリオへやってきた。

 

それはもう、意地だった。

何が何でもオラリオへ辿り着いて、弟を一目見て、無事を知る。

ただそれだけが、オラリオへと向かうテクトの原動力となっていた。

 

「俺の弟は……たった一つの、宝なんです。両親が俺に残してくれた、唯一の贈物」

「……ふぅん」

 

大した兄弟愛だと、ナァーザはテクトを見遣った。

そしてそこまでテクトに言わせるその"弟"に、とても興味を持った。

 

「それで、テクト君の弟はオラリオに来てるの?」

「分かりません。探している最中に力尽きてしまって……」

「……あぁ、それであそこに倒れてたのか」

 

少し残念、とナァーザはひとりごちてミアハを見る。

先ほどまでずっと思案していたミアハは、ナァーザの視線には笑みだけを返し、そしてテクトに向き直り口を開いた。

 

「……ならば、今日は泊まっていくといい。明日、また弟君を探しに行くんだろう?」

「え、ミアハ様……!?」

 

驚愕に満ちた視線を、ナァーザはミアハに向けた。

―――――てっきりこの青年を、ファミリアに誘うと思ったのに。

モンスターの群れを前に、神の恩恵も無しに生き残ってみせた青年……これほどの逸材は、他にはいまい。

だがミアハは誘う事もせず、ただ温和な笑みを浮かべるだけ。

ただでさえ困窮しているミアハ・ファミリアにとって、これ以上ない救いの手になるかもしれない逸材を、何故……

 

「え、よろしいんですか……?」

「いいとも。これも何かの縁だ、今日はゆっくりしていくといい。それでは私はまだ仕事が残っているのでな、先に失礼するぞ」

 

そして、話は終わりとばかりに席を立ったミアハ。

仕事とは、恐らく調合の事だろう。

先ほど持ってきた小箱を手に、ミアハは私室へ戻っていった。

 

「……」

「……」

 

残された二人……ナァーザとテクトの間に、沈黙が走る。

両者ともしばし俯き、黙っていたが……最初に口を開いたのは、テクトだった。

 

「ミアハ様は、良い神様ですね」

「……!!」

 

その言葉に、バッとナァーザは頭を上げた。

 

「神様に対し、俺は少し偏見を持っていたかもしれません。こんな見ず知らずの俺に、ここまで尽くしてくれるなんて……」

「……」

「ナァーザさんも、ありがとうございました。俺を、助けてくれたみたいで」

 

テクトの感謝の言葉に、ナァーザは何ともいえない笑みで返す。

―――死体だと思っていただなんて、絶対に言えない。

 

「それで、ナァーザさん……一つ聞きたいんですが、いいでしょうか」

「……何?」

「神の恩恵とは、一体どういうものなんでしょうか。力を与えるものなんでしょうが、漠然としか知らなくて……」

 

――――なるほど、神の恩恵を受けていないというのは本当らしい

首を傾げて聞いてくるテクトに、ナァーザは一つ笑みをこぼし、話す。

 

「私も、神様から伝え聞いた事しか知らないけど―――――」

 

その者の経験を力の糧へと変換し、能力を向上させる神の御業。

そしてその能力は、数値と記号の指標で表される。

レベル、熟練度、アビリティ……

神の恩恵に関してだけでなく、様々な知識を披露するナァーザに、テクトは一つ一つ頷き聞き入っていた。

 

 

 

「―――と、いう事なんだけど……理解出来た?」

「えぇ、ありがとうございました。ナァーザさんは、教えるのが上手いんですね」

「……おだてたって何も出ないよ」

 

そうは言いつつも、ナァーザの尻尾は嬉しそうに振れていて。

テクトの笑みと、その視線の先にある己の尻尾に気付き、ナァーザが赤面するまで数秒。

 

今度はナァーザが、口を開いた。

 

「……敬語禁止」

「え……?」

「タメ口でいいよ。見た感じ、私とテクトってそんなに歳離れてないでしょ?」

 

仲良くなるために、ナァーザは一歩踏み出した。

テクトにはそう見えたが……しかし同時に、ナァーザには打算もある。

出来るだけ仲良くなって、ファミリアを懇意にしてもらえば……そう。

そうすればきっと、ファミリアに入ってくれるのではないか。

そして冒険家業を廃業してしまった私の代わりに、迷宮へ潜りお金を稼いでくれるかもしれないのではないか。

 

勿論、仲良くしたくないわけではない。

ただ―――折角見つけた逸材なのだ、ここで離すわけにはいかない。

ミアハ様の意図は分からない―――なんとなく察しもついたけど―――それでも、私は私でミアハ様に恩返しをしたいのだ。

 

ナァーザの申し出に、テクトは幾ばくか逡巡した後……笑って、告げた。

 

「……分かった、ナァーザ。これでいいか?」

 

底抜けに明るい、笑顔。

陰の無い、人の思惑など知らなそうな笑みに、ナァーザの胸がチクリと痛む。

 

「うん……よろしく、テクト」

「あぁ、よろしく。ナァーザ」

 

彼の弟も、きっと同じ笑顔を浮かべるんだろうな―――。

テクトの綺麗な朱の瞳を、ナァーザは暫く見つめていた。

 

 

 

 

 



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第三話 守る意味と、破滅の恐怖

 

 

「おはよう、テクト……」

 

翌朝。

冷たい朝日の光の中、俺の名を呼ぶのんびりとした声に、意識がゆっくりと覚醒する。

 

(……まさか、寝坊するとは)

 

これでも十分早いほうではあるが、しかし農民生活をしていた頃に比べれば大分遅い。

それだけ自分の中で疲労が溜まっていたのか。

改めて、休息の場をくれたミアハ様に感謝しなければ。

 

今しがた起きたばかりの俺を見下ろすナァーザの半眼は、酷く眠そうであった。

 

「私はこれから店番だけど……テクトはどうする?」

「店番?」

「そ。客はあんまり来ないけど、仮にも道具屋だからね……」

 

気怠そうで、抑揚のない声。

そんな彼女を唯一の構成員とする、ミアハ・ファミリア……道具屋を営んでいる、ミアハ様を主神とするファミリア。

ぐるりと部屋を見渡すと、天井には雨漏りのような黒いシミ。

客が少ないというのだから、困窮しているのだろう―――昨日の彼らにそこまで切迫した雰囲気は見受けられなかったが。

 

部屋を観察した後、最後に俺はナァーザの服を見た。

 

「……?」

 

小首をかしげるナァーザの、両腕。

具体的には、右腕の裾が長く、左腕の裾が短いという不思議な服に俺の眼は釘づけとなった。

 

「あぁ、これね……ホラ」

「ッ!?」

 

そんな俺の思惑を察したのか。

おもむろに彼女は右腕の袖を捲り……俺は、目を見開いた。

そこに暖かな肌色は無く、あったのは冷たい銀の色。

どこまでも精巧に作られた銀の義手(アガートラム)が、俺の視線を捉えて離さない。

 

「昔モンスターにやられてね。その時にこうなったの……」

「わ、悪い……」

「謝らないで。テクトにはいずれ見せようとも思ってたし……」

 

モンスターにやられて……か。

確かオラリオには、ダンジョンと呼ばれる地下迷宮が存在していた。

そこには数多くのモンスターが棲み、その数と強さは地上の比ではないという。

 

「ナァーザは、神の恩恵を受けているんだよな」

「……どうして?」

「あぁ、いや。気を悪くしたら申し訳ないんだが……神の恩恵を受けても、そういった被害を受けてしまうのかと不思議に思ってしまって」

 

神の恩恵について、俺は何も詳しくはない。

昨日教えてはもらったが、やはりただ聞いただけではその実態は把握しきれないのだ。

神の恩恵の能力上昇は、一体どういうレベルで作用するのか。

それを授けさえしてもらえれば、誰でもすぐに一線級の力を手にすることが出来るのか。

経験による能力成長のスピード、スキルの効力、魔法の力……数え上げればキリが無い。

 

ただ、きっと……神の恩恵はそれほど万能なモノでもないのだろうと、俺は再度彼女の右腕を見る。

もし万能で、誰でもすぐに強くなれるものなら、きっと彼女はこのような腕をしていない。

 

「……勿論、経験をたくさん積んで熟練度を上げて、途方もない力を手に入れている人も居る。けど、そんな人は一握り」

「そうなのか?」

「昨日、レベルの話はしたよね。レベルは1からで、現在の最高値は7だけど、オラリオの冒険者の半数はレベル1のままで停滞している……」

 

つまり、力が増すにしても多くの時間と努力を要する。

歴史のあるオラリオでレベル1の冒険者が多数を占めているという事は、レベル2へと上がるだけでも非常に苦労するのだろう。

 

「まぁ、レベル1でも恩恵の効果は馬鹿にできない。逆に言えば、そんな彼らでも苦戦する迷宮に、神の恩恵を受けてない人間が迷宮に潜るのは自殺行為……死ににいくようなものだよ」

「……」

 

―――彼女は察している……俺が何をしようとしているのか。

見下ろすナァーザの眼と見つめ合う事、数秒。

ふぅと嘆息し、俺は彼女から視線を逸らした。

 

「ファミリア……か」

 

恐らく……いや、確実にベルはこの街で神の恩恵を授かり、ダンジョンへと潜るだろう。

それが彼の目的であり、夢であったのだから。

そしてそんな彼を守るのであれば、俺もダンジョンへ潜るのは必然で。

だが地上のモンスターと、ダンジョンのモンスターの能力はけた違いだという。

そんな奴らに対抗するには、ウルフの群れ程度で苦戦する今の俺では確実に力不足だろう。

 

やはり、入らなければならない。

神に従わなければならないとしても……己の行動に制約が発生するとしても。

 

ベルも手間のかかる夢を持ってくれたものだと、心の中で愚痴をこぼす。

 

「あ、私そろそろ店番しなきゃ」

「あぁ、ごめん。引き留めてしまって」

「いいよ別に。君には、私も興味あるしね……」

 

部屋―――プライベートルームを出て行ったナァーザを見送り、俺はふと窓の外を眺めた。

 

「……」

 

あんなに朝日が見えていた空は、薄暗く淀んでいて。

すぐにでも雨が降りだしそうなほど、暗雲が立ち込めている。

―――天候は最悪……ベルを探すには不向き、か。

 

だが、何もせずには居られない。

そんな俺が思い浮かべるのは、助けてくれた神様と女性の顔。

 

「……よしっ」

 

恩義には報いるべきだ。

おれは立ち上がり、今しがたナァーザが出て行った部屋の戸へ振り向いた。

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

「……別に、そこまで気を遣わなくてもいいのに」

 

カウンターで突っ伏しながら、ナァーザは棚を見ていた。

具体的には、棚を整理しているテクトの姿を見つめていた。

 

「ナァーザ、そしてミアハ様には助けてくれた恩がある。それを返したいんだ」

 

黙々と棚の整理と掃除をする青年。

そんな彼にナァーザは暫く視線を注いでいたが、やがて飽きたように目線を下ろした。

体だけでなく、ついには視線すらもカウンターへと突っ伏した彼女の姿勢は、完全に寝に入っている。

 

「ナァーザ」

「何……」

 

突っ伏したまま答えたせいか、ナァーザの声はややくぐもっていた。

 

「もしよければ、ファミリアについて教えてくれないか」

「……」

 

顔を上げ、ナァーザはテクトを見つめる。

彼は未だ棚の整理に没頭しており、大きな背中がナァーザの視界に入った。

 

「ファミリアは、神の眷属……神が私達に神の恩恵を授け、私達は神に尽くす。多分これくらいは、テクトも知ってるだろうけど」

「俺が知りたいのは、その”“神に尽くす”という部分だ。具体的に、どういった事をしなければならなくて、俺達にはどういった制約が発生する?」

「……それは、ファミリア―――神様によって様々。たとえば、ファミリアには探索系や商業系、鍛治系とか色々あるけど、基本的にはそのファミリアの主神の方針に私達は従わなければならない」

 

授かった恩恵によって、神へ尽くす。

時に、ダンジョンへ潜り。

時に、武具を製作し。

神の為に眷属は働き、行動する。

 

「あと、中には神同士で対立しているファミリアもあってね……そんなファミリア同士の眷属は、あまり表だって協力し合えなくなったりする」

「神同士の、対立……」

「対立してなくても、違うファミリアだと色々と気を遣う事になるね。何か問題を起こしてしまったら、自分だけでなくファミリア全体、更に言えば神様にだって迷惑が掛かるし」

 

―――そしてこれが、ミアハ様がテクトをファミリアに誘わなかった理由。

推測ではあるが、しかしナァーザは確信していた。

例えば、弟を守りたいというテクトがミアハ・ファミリアに入ったとしよう。

だがその一方で、弟は別のファミリアに入ったとする。

ともすれば、彼らの行動には少なくとも何かしらの制限が入ってしまう可能性が高い。

 

……ましてや、そのファミリア同士が対立し合っていたとすれば、状況はもっと最悪だ。

テクトの“弟を守る”という目的すら達成できなくなる恐れがある。

―――もっとも、ミアハ様に対立しているような神様が居るなんて、聞いた事は無いけれど。

 

「大きいファミリアだけど、探索系ならロキ・ファミリアやフレイヤ・ファミリア。鍛治系はヘファイストス・ファミリアが有名だし、あとは―――」

「それくらいでいい、ナァーザ。数も多そうだし、あとは自分で調べるさ。教えてくれてありがとう」

「……ん」

 

それに、テクトにとってファミリアの大きさなどどうでもよかった。

テクトにとっては、弟を守れるか守れないかが肝要なのであり、規模は二の次。

規模が大きくなろうが神の恩恵に差は無い以上、そんな事を気にする必要はどこにもなかった。

 

話も終え、再び突っ伏したナァーザ。

その隣に、整理を終えたテクトが着席した。

 

「……ナァーザ」

「何」

 

「もし、貴方のファミリアに入れてください言ったら……ミアハ様は、それを許してくれるだろうか」

 

バッ、と。

再びナァーザは起き上がり、驚愕に満ちた目でテクトを見据えた。

 

「……駄目、だろうか」

 

―――そんなわけがない。

むしろ、諸手を挙げて喜ぶだろう。

ミアハも、ナァーザも、二つ返事で彼を歓迎するだろう。

 

だが、ナァーザは……喜びから紅潮しかけた頬を隠し、告げた。

 

「……恩義に報いる、とかいう理由でそう言ってるのなら、やめたほうがいいよ」

 

―――私が言えた義理でもないけれど。

右腕の銀の義手を眺めつつ、ナァーザはテクトへ忠告する。

ファミリアに入るという事の意味……そしてそれが、己の目的への障害となる可能性を。

 

「テクトは考えているの?ファミリアに入ったら、弟君は……」

「分かってるさ。アイツが俺と違うファミリアに入ってしまっていたら、きっと今までのようにはいかないだろう」

 

……けれど、とテクトは続ける。

 

「それもいいかな、と思ってしまっている自分がいるんだ」

「……え?」

 

それは決して、諦めからの言葉などではなく。

むしろテクトは、楽しそうに笑っていた。

 

「こうして弟と別れて、ナァーザやミアハ様と話していたら気付いたんだ……俺は弟に依存しすぎているって」

「……だから一度、距離を取るの?」

「アイツは俺の弟だし、俺はアイツを守る。それは変わらない。けど、離れていたって俺とアイツが兄弟である事は変わらないだろ」

 

どこまでも子供のように純粋な夢を抱いているベルは、テクトに近くで守られてばかりでいる事を望まないだろう。

英雄は守られる者ではなく、守る者、救う者であるのだから。

そしてそんなベルの夢を、テクトもまた応援したいと考えている。

彼の夢を阻害せず、且つ守り続ける手段。

それこそが、テクトにとってのミアハ・ファミリアであった。

 

「俺は影からアイツを支える。アイツは余計な事を考えず夢へ突き進み、ひた進む。それでいいんだ」

 

常に一緒に居てしまえば、何からも、どんな事からもテクトはベルを守ろうとするだろう。

しかしそれで、果たしてベルの為になるのか。

英雄に……誰かに好かれたいというベルを、ダメにしてしまわないだろうか。

 

己の行動によって、ベルを堕落させる事への不安。

“成長する機会”、それを兄である自分が潰す事への恐怖。

それを払拭する為、あえてテクトは自分に縛りをつけた。

常に一緒には居ないという、守る上で大きな弊害となる縛りを。

そうでもしなければ、自分は―――身を粉にし行動してしまうだろうから。

 

どこか寂しげに語るテクトだったが、不意に大きな影が差した。

 

「―――よく言った、テクト。そんな君を、私は歓迎しよう」

 

聞こえてきた声に、テクトは思い切り振り向く。

そこには、このファミリアの主神であるミアハが、調合した薬品を片手に穏やかな笑みを浮かべていた。

全て聞かれていた事を悟り、テクトの顔が羞恥で赤くなる。

 

「ミ、ミアハ様……まさか、聞いて……?」

「すまない。盗み聞きするつもりは無かったのだがな」

「ミアハ様もお人が悪い。私に全部任せるなんて……」

「ふははっ。だがナァーザ、助かった。きっと私が聞いても、彼はあのようには答えてくれなかっただろう」

 

―――さて。

未だ硬直しているテクトに、ミアハは今一度向き直った。

 

「テクト。今一度聞くが……君は本当に、“それで”良いのだな?」

「……」

 

瞼を閉じれば、思い出すのは幼いベルと、祖父との日々。

今はもう、手の届かない美しい思い出。

決別するかのようにテクトは目を開き、力強く告げる。

 

 

「はい。貴方のファミリアの一員とさせてください……ミアハ様」

 

 

 



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第四話 迷子の白兎

 

テクトの言葉を受け入れたミアハは、すぐさま彼を私室へと案内する。

やがて視界に入ってきた光景に、テクトは目を丸くした。

 

「これ、は……」

 

唖然と、テクトは周囲を見渡す。

部屋の壁面には調合に使う他種多様な素材が飾られ、おどろおどろしい様相を呈していた。

しかしそんな彼の様子など気にしないかのように、ミアハは告げる。

 

「さあ、テクト。その寝台に俯せになってくれ」

「あ、はい」

 

言われるがまま、成されるがままにテクトは寝台に俯せになる。

その傍ら、ミアハは調合に用いていたと思われる小振りのナイフを取り出した。

一体その刃物で何をする気なのかと、僅かにテクトの中で緊張が走る。

 

「あぁ、そう怖がる必要は無い。これで斬るのは、君ではないからな」

「は、はぁ……」

 

それでも、テクトから緊張が抜ける事はなく。

―――次から用意するのは針にした方がいいだろうか。

 

「さて、はじめる前に一つだけ私からいいか?」

「はい」

「君が私のファミリアに入りたいと言ってくれた事、私は嬉しく思っている。正直に言おう、私は君を誘いたくて仕方がなかった」

 

臆面もなく、ミアハはそう断言した。

そして、誘いたくても誘えなかった理由……それはテクトも、先ほどのナァーザからの話で何となく理解していた。

 

「君の意思は理解した。だが、まだ君には他のファミリアを探す時間が有り余っていた筈だ。それらを斬り捨て、即断即決した理由を問いたい」

 

まだ探せば他にもファミリアはいくらでもある。

だというのに何故テクトは、ミアハ・ファミリアを選んだのか。

あまりにも素早過ぎるその決断に隠された真意を、ミアハは問いかけた。

 

「……実は、昨日の疲労はモンスターによるものだけではないんです」

「なに?」

 

恐る恐るといった具合に、テクトはゆっくりと話し始めた。

 

「私、言いましたよね。弟を探していた、と」

「うむ」

「私は弟を探す為に、他にもいくつかのファミリアに伺っていたんですよ。5、6程度でしたが……しかしその全てで、共通していた事がありました」

「……それは?」

 

先を促すミアハ。

一呼吸おいて、テクトは続けた。

 

「……侮蔑の視線です」

 

辺境の地からやってきた、新参者。

モンスターに襲われましたといわんばかりの、ボロボロな服装。

その様相はさも“弱者”のようにしか映らなかっただろう。

そして眷属がそうする事を許している神様は、きっと“そういう存在”なんだろう。

 

悪意を持ったその視線に、テクトの神経はじりじりと焼け焦げ、消耗していく。

激しい戦闘の後だったこともあり、やがて諦めかけたテクト。

そんな彼の前に、ミアハは現れた。

 

「全てのファミリアがそうだとは思いません。が、過半数のファミリアはそうなんでしょう。そんな中、ミアハ様に……そしてナァーザさんに助けられ、私は本当に感謝しているんです」

「……」

「恩義に報いるという理由でファミリアに入るべきではない……ナァーザさんにはそう言われましたが、しかし私には選択肢が無いんです。私の神様は、神様(ミアハ様)しか居ない」

 

今この逸材(テクト)を逃したら、次は無い。

自分にはこの神様(ミアハ様)しか居ない。

ミアハもテクトも、多少異なるがしかし同じ事を考えていたのだ。

 

片思いが両想いであった事に気付かされ、ミアハは柄にもなく照れくさそうに笑う。

 

「……君が私の店の前で倒れていた事に、感謝せねばならないな」

「私も、ミアハ様の店の前で倒れていた事に、感謝しないといけません」

 

言葉尻だけ捉えれば、なんて無礼な言葉の応酬だろう。

しかしそれとは裏腹に、二人はただ静かに笑いあった。

 

「それでは、始めよう……神の恩恵の刻印を」

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

「っ……」

 

テクトへの神の恩恵の儀式を行い、現れた神聖文字(ヒエログリフ)

ミアハは息を呑んで、それらを読み解いた。

 

 

 

テクト・クラネル

Lv.3

力:(H)198

耐久:(H)101

器用:(I)21

敏捷:(H)145

魔力:(I)0

《魔法》

【】

《スキル》

思慕熱烈(ファミリア・ガードナー)

・能力値の倍加補正。

・縁者が存命している限り効果持続。

・縁者の生命力低下に伴い効果向上。

五里霧中(ブラインド・フューチャー)

・能力値の半減補正。

・縁者が存命している限り効果持続。

・縁者の生命力低下に伴い効果低下。

《発展アビリティ》

【耐異常】

 

 

 

――――いったい、これはどういう事だ

 

スキル欄が既に二つ埋まっている上に、レベルが3。

現在の能力値(アビリティ)自体は、それほど高くは無いが―――――

本当にこれで正しいのかと、ミアハは何度も神聖文字を読み直す。

 

「……テクト」

「は、はい」

 

真剣なミアハの言葉に、おのずとテクトも身構える。

 

「もう一度聞くが、君は昔ファミリアに所属していたわけでは無いのだな?」

「それは、間違いありません。物心ついた時から、私には神様なんて無縁の存在でした」

「……」

 

テクトの経験値(エクセリア)は実に膨大な量であった。

それこそ、3、4年で得られるようなものでは無い数の経験値が、既に彼にはあった。

もし仮にファミリアに所属していれば、このような量が蓄積するよりも前にステイタスが更新されているだろう。

それにむしろ、あの量は……

 

「テクト、君は一体いつからモンスターと……」

「確か……7、8歳の頃でしょうか。」

「……今、君は何歳だ?」

「今年で19になります」

 

約10年。

10年分の経験値の結果が―――――

 

「レベル3、か……」

 

この青年は、幼き日から数多くの危険と隣り合わせにモンスターと戦ってきていた。

偉業とも見なされるような強大な危機も幾つかあった。

――――― 一体、何が彼をそこまで駆り立てるのか……

 

そういえば、彼と同じ程度の年齢から迷宮に潜り続けている【剣姫】は今やレベル5である。

そう考えると、ミアハは少し惜しい気もした。

テクトがもし、地上でなくオラリオの地下迷宮で戦闘経験を積んでいれば、今頃彼女と同程度……少なくともレベル4にまでは上がっていたかもしれない。

無論、【剣姫】の場合は生来の才能も要因の一つではあるだろうが。

 

決してレベル3という数値は決して低く無い。

だがそれでも少しばかりの無念さに息を吐き、ミアハは視線を落とす。

その先には、紋様の刻まれた背中を露出し俯せになるテクト。

 

「……テクト。結果を説明しよう」

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

やがて、ステイタスを纏めた羊皮紙をミアハはテクトに手渡した。

そこに記されていたレベルと能力値にテクトもまた驚いたが、それよりも……

 

「……このスキル、相殺されてませんか?」

「うむ……」

 

思慕熱烈、効果は能力の倍加。

五里霧中、効果は能力の半減。

二倍の二分の一は、つまり変化なし。

ただ、いずれのスキルも“縁者”の存在がキーになっているようだった。

 

「縁者、つまり血縁者……ここでは君の弟だろう」

「では、思慕熱烈はアイツ―――ベルが弱る程効果が向上し、一方で五里霧中は効果が逆に低下していく……というわけですか」

 

第三者のダメージ状況に左右される、自身の能力増幅スキル。

いずれのスキルも元々の効力が同程度だと仮定するなら、ベルが無傷の状態では両者は相殺され、効果は消え失せる。

つまり、ベルが傷ついて初めて効果を発揮するという事だろう。

 

「しかし、デメリットしかないスキルか……」

 

五里霧中のスキルは、まさに百害あって一利なし。

確かにスキルは必ずしも良い効果ばかりではなく、中にはデメリットがあるスキルもあるだろう。

しかし何のメリットもなく、ただ己の能力を半減させるというのは―――――

 

「……ミアハ、様?」

 

沈黙し、思考の海に落ちたミアハを気遣うテクトの視線。

己の名を呼ぶその声に、ミアハはいつもの優しげな笑みで返した。

 

「あぁ、すまん。これで終わりだ、あとはギルドに行って登録を済ませてきてくれ」

「ギルド……?」

「この街を管理する存在だ。ダンジョンに入るにしても、そのギルドに自身を登録しておいた方がいい。場所は……ナァーザに聞くといい」

「はぁ……」

 

 

一方、その頃のナァーザとはいうと。

カウンターに肘をつきながら、腑抜けた目で開かぬ店の扉を眺めていた。

 

「今日は、ゼロかなぁ……」

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

「あのぉ……すみません」

 

昼下がり、薄暗い裏路地に一つの人影。

人影は恐る恐るといった風に、とある一軒家の戸口へと声を掛けていた。

 

「――――んだてめぇ」

 

少々遅れ、中から苛立たしそうな声が聞こえてくる。

その威圧感に、一瞬人影は肩を跳ねさせるも、しかし弱々しく話を続けた。

 

「あの、ファミリアを探してて……モンスターとまともに戦った事も無いんですが、よろしければ」

「アァ?知らねぇよ、他を当たってくれ。雑魚を構ってる余裕は無いんだ」

「あ、あの!話だけでも……」

「しつけぇんだよ!じゃあな!」

 

それきり、戸口からの反応は全くなく。

徹底的な拒絶、門前払い。

人影―――綺麗な白い髪の少年は、とぼとぼと来た道を引き返して行った。

 

 

 

 

 

「……あれ、もしかして」

 

それを影から見守っていた犬人……ナァーザ。

何かを確信したように、彼女は背後に控える人影……灰色の髪の青年、テクトを見た。

 

「あぁ、間違いない……あれはベルだ!」

 

ギルドへ向かう為、ナァーザの案内のもと大通りへと繰り出したのが、朝の出来事。

その時、視界の隅で動いた白い人影にテクトが気づき、それを追いかける為に裏路地へと入り。

そして今、テクトはその人影の正体を確認した。

 

「よかった……無事だったんだな」

 

歓喜に震え、テクトは白い髪の少年……ベルの後ろ姿を見遣る。

苦労したのだろう、馬車にいたときよりやや服が汚れているように見えた。

 

「あの様子だと、ファミリアを見つけるのは難しそう」

「……だろうな」

 

昨日の時点で分かってはいた。

多くのファミリアは、戦闘経験もない弱者など相手にもしない。

それにくわえ、ベルのような見るからにひ弱な少年では……非常に厳しいだろう。

 

「最悪、ミアハ様に相談するか」

「でも……いいの?」

「……仕方ないだろ。このままファミリアに入れなければ、ベルはこの街じゃ生きていけない。けど、まだ様子は見る……ミアハ様は、最後の手段だ」

 

とぼとぼと。

意気消沈した様子で、二人は裏路地をひた歩く。

その視線は、やや前を行く少年の背に向けられていた。

彼が二人に気づく様子は、まだない。

 

「いっそ、ロキ・ファミリアとかどう?大手だし、悪い噂もあまり聞かないけど」

「でも強いところは、色々と目立たないか?どこぞのファミリアとの争いもいずれ抱えそうだし」

「……まぁ、目立っている事は確かだろうね」

「それなら、小規模で目立たないファミリアの方が良い。ひっそりと、空気のように今を確実に生きられるファミリアで十分だ。主役でなくていい、それこそ舞台に立つ木の役とかでいいんだよ」

「なんか今、間接的にミアハ様を侮辱されたような……」

「褒め言葉だ。空気で何が悪い?木で何が悪い?今を生きて、健康に過ごせればそれでいいだろ」

 

だから俺はミアハ様を選んだのだ―――と。

話し合いつつ、彼らはまだ歩く。

手前の十字路で、少し前に少年は曲がってしまっていた事にも気づかずに。

想い思いの言葉を交換し、前も見ずに互いを見合い。

そして二人が次の一歩を踏み出した――――その時。

 

「むぎゅ」

「「……むぎゅ?」」

 

足から感じる妙な感触。

そして、蛙がつぶれたような声。

二人は恐る恐る、足元をみやった。

 

「……あっ」

 

そこには、大の字で横たわる黒髪ツインテールの少女。

二人の足は丁度腰と臀部を踏みつけ、少女の恨めしい視線が二人を見上げていた。

 

 

 

 

 

 

「まったく!神であるボクを足蹴にするとか、君達は一体何を考えているんだ!」

 

腕を組み、ぷんぷんと激昂する少女。

その前には、犬人とヒューマンが二人正座して鎮座していた。

 

「聞いているのかい!?」

「聞いていますよ。この度は神様を踏みつけるような真似をし、申し訳ございませんでした」

「――――んぐっ!?」

 

深々と、テクトは地面に手をつき頭を下げる。

……ついでに左手でナァーザの頭を地面に押し付けつつ。

 

「……そこまで言うなら、許してやらなくもないけど」

「ありがたき幸せ。このご恩、一生忘れません」

「お、おう……」

 

頭を上げることなく、ひたすら謝罪と感謝の弁を繰り返す青年。

その左手には、頭の手を離させようとあらん限り暴れる犬人。

少女は久々に子ども扱いされず神として敬われた事に悪い気分はしなかったが、しかし目の前に広がる異様な光景に一歩後ずさる。

 

「も、もう良いよ。良いから、頭を離してあげたら?」

「神様がそう仰られるのなら」

 

やがて解放され、頭を上げた犬人の怒ったような鋭い目がテクトに突き刺さる。

だがテクトの眼は、今なお仁王立ちで腕を組む少女へと向けられていた。

 

「……私はテクト・クラネルと申します。そしてこちらはナァーザ・エリスイス。失礼でなければ、貴方様の御名前を伺ってもよろしいでしょうか」

「ボク?ボクはヘスティアさ」

 

そう、ドヤ顔で名を名乗る少女に。

純粋無垢に、明るい笑顔で子供達を見下ろす神様に。

彼女に二つ目の”光”を見たテクトの顔には、知らず知らずの内に笑みが零れていた。

 

「……テクト君、どうしたんだい?」

「あぁいえ。あの、もしよろしければ、ヘスティア様のファミリアについて教えて頂けたりなんかは……」

「ファミリア!?君はファミリアを探しているの!?」

 

ずい、と。

身を乗り出し、テクトの両肩を掴んだ彼女は喜びを表すかのように大きく揺らす。

その度に揺れる大きな双丘には目を逸らし、テクトは言葉をつづけた。

 

「仮に、ですよ。モンスターを倒した事のない初心者が、ファミリアに入りたいと言ってきたら……ヘスティア様は、どうされますか」

「勿論、許可するよ」

 

即答だった。

満面の笑みで、ヘスティアは断言した。

 

「その子の人柄次第だけどね。でもその子が良い子なら、ボクはその子がどんなに弱くても受け入れるさ」

 

―――――見つけた。

 

「でしたら、是非ヘスティア様に紹介したい人が居ます」

 

神様(ヘスティア様)なら、預けられる。

ベルと同じ笑みを浮かべる、この少女のような神様なら。

きっと、ベルの夢を応援してくれるだろう。

 

「本当かい!?」

 

キラキラと、目を輝かせる可愛い神様。

―――――ミアハ様より魅力的かもしれない

 

「ちょっとテクト……?」

「冗談だ、冗談。ミアハ様の事はとても尊敬している」

 

あれほど出来た神様は、他にはいないだろう。

それは嘘ではない……本心からの、テクトの想い。

 

「それでは、ヘスティア様。“その子”のもとへご案内しても、よろしいでしょうか?」

「勿論だ!」

 

元気よく答えた神様に、テクトは笑い、恭しく手を差し伸べた。

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

「いい加減、しつけぇんだよ!!」

「っぁ……!」

 

吹き飛ぶ小柄な体。

盛大な音を立ててゴミの山に突っ込んだ少年の無様な姿に、大柄な男は唾を吐き捨て家中に消える。

山から臭う生ごみの腐乱臭に顔をゆがめ、少年……ベルはゆらりと幽鬼のように立ち上がった。

 

「……」

 

オラリオに着いてから、一日。

何度浴びせられたか分からない罵詈雑言に、心は限界寸前だった。

 

「……兄さん、お祖父ちゃん」

 

夢に見ていた英雄は、思っていたよりも遠かった。

こんな薄汚れた自分を見てくれる女の子(ヒト)など、いるはずがない。

 

けれど―――諦められるはずもない。

 

肩にこびり付いていた生ごみの欠片を払い、ベルは再び前を見る。

多くの夢を与え、見せてくれた祖父の為に。

過去、諦めそうになった英雄の夢を拾ってくれた兄の為に。

何より―――――自分の為に。

 

「そうすれば、きっと……」

 

馬車を……僕を群れから守ってくれた兄。

兄が受けただろうモンスター達からの攻撃に比べれば、これくらいどうって事は無い。

薄汚れた今の僕を見たら、心の中に生きる兄はきっとこう言うだろう。

 

「これまた盛大に汚したな……怪我はないか?」

「そう、こんな風に―――――」

 

―――――え?

 

「……意外。てっきり、弟君を突き飛ばしたあの男に報復するのかと思ったのに」

「争いは出来る限り避けるべき。そう言ったのはお前だろ」

「それはそうだけど……」

「テクト君!それで、この子が……!?」

「はい、神様。彼がベルです」

 

頭から犬耳の生えた女性と友人のように語らい、黒髪ツインテールの少女に期待に満ちた眼差しを向けられる、灰色の髪の人。

記憶の中の服とは違って黒い上等そうなローブを羽織ってはいるが、腰に差された銀の両刃剣(ブロードソード)には見覚えがある。

 

「兄、さん……?」

「あぁ。ベルは元気……では無かったようだが、まぁ生きててよかった」

 

もう二度と、会えないと思っていた。

すっかり死んでしまったものだと思っていた。

けれど……夕日のような綺麗な朱い瞳が、そこにあった。

いつもと変わらぬ色で、僕を見ていた。

 

「よく頑張ったな」

「―――――ッ」

 

その一言は、どんな傷でも治す特効薬よりも……疲れ切った体に沁みわたった。

 

 

 



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第五話 ギルド

 

 

 

ひとしきり再会を喜んだ後、テクトを始めその場に居る者達は場所を変えた。

なにより犬人のナァーザが生ごみの悪臭に鼻を歪めたため、移動せざるを得なくなったのだ。

 

道を引き返し、散落する枯葉の中を歩く事、数分。

ベンチの併設されている広場が、一行の前に現れた。

 

「―――ウルフの群れをやっつけたの!?」

「楽勝、とはいかなかったけどな……」

 

腰程の高さがある花壇に寄りかかりながら、テクトはあの日を思い出す。

 

「斬っては避け、蹴っては転がり、そしてまた斬って――――」

 

全てが終わった頃には陽も落ち始めていて。

そのうえ度重なるウルフの攻撃による出血も酷く、血の臭いが追い打ちとばかりにモンスターを呼び寄せる。

新たなモンスターが現れる度、震える手で両刃剣を握り締め、頭から滴る血と汗を拭った。

 

「あんな経験は、もう二度としたくないな」

 

カラカラと笑い、テクトは困り顔で視線を落とす。

腰で光る銀の剣を撫で、目を瞑った。

―――――折れずに共に戦ってくれた相棒には、感謝してもしきれない。

 

「……さて。そろそろいいかい?」

 

うずうずと、待ちきれない様子の少女(ヘスティア)

二人の間に割り込むように立ち、彼女はベルをじっと見つめた。

 

「君がベルか?」

「う、うん……そうだけど。兄さん、この子は……?」

 

兄が一緒に連れ歩いていた少女。

自身より年下のように見える彼女が、一体何の用があるというのか。

神を子ども扱いする弟に、テクトは目を見開き滝のような汗を流した。

 

「その子、っていうかその方は……!!」

「いいんだ、テクト君」

 

……だが、想像していたような事は起こらず。

呆けるテクトには背を向け。

少女は……神様(ヘスティア様)は笑い、ベルに告げた。

 

「ファミリアを、探しているようだね」

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 

「……さ、行こ。ギルドへ」

「あぁ」

 

その後、テクトとナァーザは当初の目的であるギルドへ向かう為、大通りにやってきた。

北西のメインストリートを歩く二人の間に会話は少なく。

通り過ぎる冒険者や住民の楽しげな会話が、二人を幾度となく撫でていく。

 

「テクト……ほんとによかったの?」

 

黙々と隣で歩く、ミアハ・ファミリアの新人。

見た目では何ともなさそうな彼に、ナァーザは視線だけを向け問いかけた。

それにテクトは、二つ返事で淀みなく応える。

 

「いいのさ」

 

―――――本当に、これでいいのか。

あの神様を、信じてよかったのか。

自身の手で導いてやった方がよかったのではないか。

何度自問自答しても、テクトの中で答えは出ない。

 

「ベルは、嬉しそうだったしな」

 

ヘスティアの、ファミリアへの勧誘をベルは喜んで受け入れた。

ヘスティアもまた、ベルの参加を誰よりも喜んだ。

喜び、喜ばれ、やがて歓喜のあまりベルを引き摺り去って行ったヘスティアを、テクトは見送る事しか出来なかった。

 

―――――引き留める事など、出来はしなかった。

 

「それに、二人を引き合わせたのは俺だ」

 

胸の中に込み上げる黒い感情。

故郷では縁などなかった、醜く惨めな想い。

あの時初めて、弟が―――――ベルが自分や祖父以外の誰かを頼った事への、嫉妬。

 

「ナァーザ」

「何……?」

「帰ったらミアハ様に話そう、ヘスティア・ファミリアの事。未熟な冒険者が入ったし、宣伝すれば売上に貢献できるぞ」

「未熟なのは、テクトも同じでしょ」

 

力ばかり強くても、ダンジョンの知識はからっきしである。

まずはダンジョンについて、少しずつテクトは学ばなければならない。

 

「はは……まぁ、な」

「……だから、パーティ組んだらいいんじゃない」

 

ぽつりと、呟く。

姿が見えてきたギルドを眺めつつ、ナァーザは。

 

「未熟な冒険者同士、お似合いのパーティよ」

 

ファミリアが違えど、パーティは組める。

争わなければいい。懇意にすればいい。

そうすれば何も、問題は起きない。

何よりテクトが一人でダンジョンに繰り出す事に、ミアハは良い顔をしないだろう。

 

「とはいえ、レベル1とレベル3では差が大きすぎる。あまり組みすぎると、あの子の成長を阻害しそう……」

「まぁ、ダンジョンに潜る最初の一回くらいはいいだろ。となると、問題は……」

 

通り過ぎて行った、冒険者の一団。

先ほどから見かける冒険者の殆ど……いや全てが、パーティを組んでいる事にテクトは気付く。

 

「俺が居ない時、ベルはしっかりパーティを組んでくれるかどうか、だ」

「大丈夫じゃない?ギルドの人も、その辺りの危険性はしっかり教えると思う……」

「……だと、いいんだけどな」

 

テクト自身、ダンジョンの危険性は未だ理解しきれていないが。

だがそれでも、モンスターの危険性は分かっている。

特に、群れられた時の危険性は……嫌というほど、身に染みている。

 

「何だったら、組まない日は弟を尾行でもすれば?」

「それもアリだな」

「……冗談で言ったんだけど」

 

こと弟に関しての冗談は、このヒューマンにはきっと通じない。

ナァーザが全てを理解した瞬間だった。

 

「ま、尾行はともかくとしてだ。ギルドの冒険者登録についてだが、必要なものは何もなかったのか?」

「所属のファミリアを分かってればそれでいいよ。後、テクトは外からの来訪者だし、戦闘経験とかも軽く聞かれるかもね」

「ステイタスは教えなくていいのか?」

「レベルくらいは聞かれるかもね。ただし詳しいステイタスは聞かれないと思う、その辺りは冒険者側に黙秘権があるから……そうそう、ミアハ様のサインは?」

「ここにある」

 

広げ、見せられた羊皮紙にナァーザは頷く。

その羊皮紙は、テクトが朝刻印を終え青の薬舗を出ようとしていた時、思い出したように手渡されていた物だった。

 

「それじゃ……行っておいで」

 

白い柱で作られた万神殿(パンテオン)

オラリオの運営を一手に引き受けているギルドの拠点が、二人の前に聳え立っていた。

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

「うっ……」

 

夕暮れ時であるにもかからわず、ギルドは冒険者でごった返していた。

いや、夕暮れ時であるからこそなのかもしれないが……。

いずれにせよ、ギルドは今大勢の人によって混雑していて。

 

そして、テクトは人混みが苦手だった。

 

「さすがオラリオ……故郷とは大違いだ」

 

―――――とにかく登録を済まさなければ。

偶然にも受付らしき場所には人が並んでおらず、人ごみをかき分け進んでいく。

人の合間を通り抜けるたび謝罪しながら、羊皮紙を片手に携え、息も絶え絶えで受付に辿り着いた。

 

「あ、あの……冒険者登録を済ませたいんですが」

「はい。お名前と、所属ファミリアを教えて頂けますか?」

「テクト・クラネル。所属は、ミアハ・ファミリアです」

 

そして、持ってきた羊皮紙を受付の女性へと渡す。

その女性は軽く確認だけした後、気持ちの良い笑顔で感謝を述べそれをテクトへと返した。

 

「それでは、詳しい事は担当の者が対応させて頂きます。現在やや混み合っておりまして、申し訳ないのですがあちらの席でお待ち頂けますか」

 

―――――ややどころじゃないだろう

突っ込みは心中に留め、受付の女性が指した先を見る。

そこには幾つかの丸いテーブルが置かれており、向かい合うように二つの椅子がセットで配置されている。

既に殆どの席は冒険者らしき者達で埋まっていたが、一つだけ空いているテーブルがあった。

 

「分かりました、よろしくお願いします」

 

何よりもまずは、第一印象。

面倒くさい奴だと思われないよう、テクトは精一杯の笑顔で答えた。

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

ごった返す人ごみに悲鳴を上げていたのは、何もテクトだけではない。

ギルドの職員もまた、対応に追われ悲鳴を上げていた。

 

「つーかーれーたー!」

 

桃色の髪を揺らし、思いきり伸びをしながら呻く女性。

黒い制服をきたギルドの職員、ミィシャ・フロットもまたその一人だった。

 

「大体なんで今日に限って一気に来ちゃうかな~。おかげで仕事増えちゃって全然片付かないよ~」

「仕方ないでしょ、そういう日もあるわよ」

 

一方で、鋭い耳をしたハーフエルフの同僚、エイナは次々とやってくる書類を着々と処理していく。

ろくに取り合ってくれない同僚にミィシャは口を尖らせ、ちょっかいを出そうとした……が。

 

「ミィシャ。新しい冒険者だ、お前が担当してくれ」

「うぇ!?」

「名前はテクト・クラネル。待合席で待たせているらしい、頼んだぞ」

 

言うだけいって、無駄な時間は掛けていられないとばかりにそそくさと上司は自席へと戻っていく。

残されたのは、書類という名の一枚の紙だけであった。

 

「……エイナ~」

「ほら、早く行きなさい。待たせているんでしょう」

 

ハーフエルフの同僚からの急かすような視線。

そして周りの同僚からの同情に満ちた視線に、ミィシャは嘆息し紙に目を通す。

 

「テクト・クラネル……ミアハ・ファミリア所属、か」

 

確か、道具屋を営んでいるファミリアだった気がする。

店番をさせるだけなら冒険者である必要はないし、調合も兼任させるのだろうか。

 

(怖くない人でありますように……!)

 

 

 

 

 

 

先に片付けなければならない仕事が少々あったミィシャは、新しい冒険者への面会より先に仕事を優先。

程なくして、上司からの書類を手に目的の場所へとやってきた。

書類に記された特徴には―――――灰色の髪で、瞳は朱。黒いローブを羽織っていて、腰には得物と思われる“抜き身”の両刃剣。

 

(抜き身って……あれ、もしかして危ない人?)

 

その剣、血で濡れたりしてはいないだろうか。

何となく気後れしつつも混雑する待合席を見渡すと、その人はすぐに見つける事が出来た。

恐らく出されたのであろう水を手に、その青年は細く鋭い眼で雑踏を眺めている。

まるで、誰かを探しているかのような……

 

(うわぁ……あれ絶対怒ってる!)

 

待たせ過ぎたのかな……。

仕方ないじゃない、緊急の書類が残ってたんだもの。

悪いのは私じゃない、大勢一気に押し寄せた冒険者!

 

考え得る限りの、自分の非を棚に上げる言い訳をたてならべ。

覚悟を決め、ミィシャは青年の着座するテーブルの前へ姿を現した。

 

「テクト・クラネルさん……ですか?」

「……?」

 

細められた朱の瞳が、ミィシャを貫く。

こころなしか、水の入ったグラスを掴む手の力も強まった気がする。

焦るミィシャの視線の先には、キラリと光る抜き身の銀の両刃剣。

まるで首筋に刃が当てられたかのように、冷や汗が流れるのを感じた。

 

「あなたの担当をさせて頂きます、ミィシャ・フロットと申します。あ、あの、遅れてすみませんでした……!」

 

先手必勝。

……勝ちたいわけでは無いけれど。

何か言われるより先に、頭を下げて陳謝したミィシャ。

周囲の冒険者からの視線が、ギルド職員の女性と青年へ突き刺さる。

 

「いや、あの……顔を上げてください。怒ってませんし、お忙しい事も分かってますから……」

「……へ?」

 

てっきり、糾弾するような声を浴びせられるとばかり思っていた。

しかし予想に反して、青年はむしろこちら(ギルド)の事を労わる様子さえ見せて。

ゆるゆると顔を上げると、青年の親しげな笑みがこちらを見ていた。

 

 

 

 

 

 

「……人混みが苦手?」

 

向かい合うように座ったミィシャに、青年は語った。

曰く、人混みが非常に苦手で。

曰く、目まぐるしく行きかう雑踏に酔いそうになっていた、と。

 

つまり、グラスを持つ手に力が入っていたのも、眼が細められていたのも、そういった酔いに耐えようとした結果で。

 

(よかった……結構いい人そう)

 

誠実そうな好青年―――――ミィシャの彼に対する第一印象は、そのようなものだった。

 

「冒険者登録、との事ですが~……過去、どこか別のファミリアに所属されていた事は?」

「いえ、ありません」

「そうですか~」

 

書類には、住民データ無しとある。

つまり、オラリオで昔から住んでいた人ではなく、外から来たという事。

 

「テクト・クラネルさんは、外から来た方ですよね?」

「外……オラリオの外、という事でしたらその通りです」

「ありがとうございます~。それでは、幾つか質問をさせてください―――――」

 

種族、生まれ故郷、経歴―――――

登録に際し必要となる事項を聞いていき、登録に必要な書類もおおよそ完成に近づいた頃。

ミィシャは、冒険者にとって必須でもあるステイタスについて、話を移した。

 

「最後に、ステイタスですが~……ご存じかもしれませんが、こちらにはテクトさんに黙秘権が与えられていますので詳しい事はお聞きしません」

「はい」

「ですが、どの程度の能力なのかは把握しておきたいので、今現在のレベルを教えていただけますか~?」

 

過去、所属していたファミリアは無し。

故郷での職業は農民。

オラリオへは、つい先日来たばかり。

まぁ多分、レベル1だと思うけど。

 

「ミアハ様が仰るには、レベル3との事でした」

「はい、レベル3……え?」

 

聞き間違えたのかな。

今、レベル3と聞こえたような―――――

 

「……えぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」

 

 

 

 

 

 

 

「し、失礼しました……」

 

案の定、ミィシャの叫びはギルド中に響き。

何事かと、冒険者たちが一斉に二人へと視線を向けた。

 

「いえ……レベルについては私も説明を受けてますし、お気持ちはわかります」

「そう言って頂けると助かります~……」

 

ただの農民が、レベル3。

一体何をどうしたらそうなるのか。

 

「あの、テクトさんは農民でいらしたんですよね……?」

「はい。あぁ、でも……7歳の頃から、祖父と共にモンスターの討伐をしていました」

「……え?」

「ミアハ様にも不思議がられたんですが、恐らくレベルに関して言えばそれが理由かと」

 

―――――それを早く言ってほしかった

新たな情報に苦笑しつつ、ミィシャは経歴の欄にそれを付け足した。

 

「何故、そのような幼い頃からモンスターを……?」

「……どうして、なんでしょう」

「……へ?」

 

言っている意味が分からなくて、公事の最中である事も忘れもう一度聞き返してしまった。

 

「弟の為、である事は間違いない。けど、それはもっと後の理由で、最初の理由は……」

 

首を傾げ、目の前の青年はぼそぼそと呟き始める。

ミィシャに聞こえたのは弟という言葉くらいで、それ以外はよく聞き取れないほど小さな呟きだった。

 

「テクトさん?」

「……あぁ、すみません。ちょっと混乱してて……タブン、弟の為だと思います」

「弟さんがいらっしゃるんですか」

「はい……。」

 

腑に落ちない。

そんなような顔をして、青年は自信なさそうに答えた。

―――――何やら色々あったのかもしれない。

これ以上の追及は避けるべきだろう。

 

「……これで以上です。質問にお答えいただき、ありがとうございました~」

「これで、ダンジョン……地下迷宮に潜れるんですか?」

「はい。あぁでも、防具くらいは身に着けたほうがいいですよ。もしお金が無いのでしたら、こちらから支給しますので~」

「そうですか……ありがとうございます」

 

(新米……ではないのかな?)

 

モンスターとの戦闘経験はあるみたいだし。

けれど大分毛色の違う人がやってきたな、と改めてミィシャは書類を眺めた。

テクト・クラネル。

初期レベル3の新米冒険者。

人当りの良い好青年で、過去約10年間にわたり―――――

 

 

 

 

 

 

―――――-

 

 

 

 

 

その後、登録を終えてギルドを出たテクトは、先ほどの話を思い出していた。

 

「……何故、俺はモンスターと戦い始めたんだ」

 

強くなるため?

弟を守るため?

祖父を見返すため?

 

―――恐らくそのどれもが、正しいのだろう。

ベルは昔モンスターに襲われた事があり、その影響で弟を守ろうという意識が強くなったのは事実だ。

ただ、それは途中から生まれた理由であって、モンスターとの戦闘を積極的に行おうと考え出した理由ではない。

第一、襲われた当時のベルは2歳などという若さではなかった。

もっと成長していた筈だし、その年で襲われていてはひとたまりもないだろう。

 

「―――――だめだ」

 

思い出せない。

7歳以前の記憶は、白い霧で霞んでいるようにおぼろげで。

掴めそうで掴めないじれったさに、髪を無茶苦茶にかきむしった。

 

(……まぁ、いいだろう)

 

始めた理由なんて、気にしたって仕方ない。

大事なのは今であり、これからだ。

そう自分に言い聞かせ、テクトは自分を納得させた。

 

「登録、終わったんだね……」

 

抑揚のない間延びした声に、テクトは顔を上げる。

夕食の食材らしき荷物を片手に、ナァーザがこちらへと歩いてきていた。

 

「どうしたの?なんか、ものすっごい疲れた顔してるけど……」

「ギルドが混んでていてな。どうにも人混みは苦手なんだ」

「へぇ、意外。平気そうな顔してるのに……」

「俺は元来人見知りなんだ。さぁいくぞナァーザ、ミアハ様へ報告だ」

「ちょっとー。帰り道が分からないだろうから、待っててあげてたのに……」

「道を覚えるのは得意なんだが、感謝するよ。ありがとな」

「……テクトって、礼儀正しくしてる時と垢抜けてる時の差が激しいよね」

 

さっさと歩き始めてしまったテクトを追うように、ナァーザも歩き始める。

既に陽は暮れ、空は夕日で赤く染まっていた。

 

 



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第六話 ご近所付き合いは大切に

 

 

朝。

ヘスティア・ファミリアの本拠地である、廃墟と化した教会。

その内部、祭壇の先にある隠し部屋こそが神様(ヘスティア)の住まう部屋。

昨日、唯一の眷属となったベルもまた、そこへ住まう事となっていた。

 

(本当に、よかったのかな……)

 

しかし、ベルは内心戸惑っていた。

自分みたいな人間が、厚かましくもヘスティア様と……それもまるっきり少女な彼女と、一夜を共に過ごした事に。

ただ、ベルに家は無く、その上この教会でも隠し部屋である地下室以外はどこも住めるような環境は見つからない。

神様との相部屋は避けられぬ事態ではあったのだが―――――。

 

「ふぁぁ……おはよう、ベル君」

「お、おはようございます……神様」

 

目が覚めた我が主神(ヘスティア様)に、どもりつつも挨拶を返す。

初々しい眷属に彼女は生暖かい視線を送りつつ、うんと伸びをした。

 

「そういやベル君。テクト君の事だけど……」

「兄さんが、どうかしましたか?」

「彼に、君との橋渡しをしてくれたお礼をしたいと思ってね」

 

こんなにも早く目的を達成出来たのは、他ならぬテクト……ベルの兄のおかげ。

出会いは最悪だったが、恩は返したい。

善は急げとばかりに、ベッドから飛び起き、立ち上がった。

 

「だから、ダンジョンに行ってみたいのは山々だろうけど少し付き合ってくれないかな」

「勿論、構いませんよ。けど……お礼って、勧誘するんですか?」

 

ベルの言葉には、少なからず期待の色が見え隠れしていた。

勿論、ヘスティアも彼を勧誘したいのは山々だ。

だが―――――

 

「……きっとテクト君は、すでに他のファミリアに入っているよ」

「え!?」

 

昨日の会話の中で聞こえた、“ミアハ様”という言葉。

ミアハは神の名であり、そして実際にミアハ・ファミリアは存在している。

これが意味している所は、既にテクトはミアハ・ファミリアの一員となっているという事。

 

誘えないのは残念だが、しかし言い換えればこれは他ファミリアとの繋がりを得る好機。

縁はしっかりと手繰り寄せ、今の内に繋いでおくべきだろう。

呆けるベルに、隠し部屋の戸を開けヘスティアは振り返り、笑った。

 

「さあ、行こう!ベル君」

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

一方その頃、ミアハ・ファミリアの本拠地、青の薬舗ではというと―――――

 

「テクト、起きるの早いね……」

 

たった今起きたばかりのナァーザは、眠たげに尾をゆらゆらと揺らし、欠伸をかみ殺しながらカウンターへ。

数時間前にはもう起きていたテクトは既に薬棚を整理し終え、今は床の掃除に勤しんでいる。

 

「お前が遅いんだ、ナァーザ。客が来たらどうするんだ」

「大丈夫大丈夫、客なんて来ないから。西のメインストリートって、ファミリアにも所属していない人ばっかりだし」

「……ミアハ様、何故こんな所に店を構えたんですか」

 

まるで計画性の無い店舗経営に頭を抱えつつ、テクトは尚も床を拭き続ける。

今まで殆ど掃除してきていなかったのだろう、頑固な汚れがそこかしこに点在していた。

 

「……何やってるの、テクト」

「汚い店に客は入りたくないだろ。掃除しているんだよ」

「食堂でもないのに……別にいいじゃん」

「食堂ではないが、ポーションは口に含む物なんだろ?なら、店が綺麗な方が客の気分もいい」

「……」

 

反論できずに黙り込む、眠たげな会計担当。

いそいそと床を拭き続ける熱心な新人店員に気怠げな視線を送る事、数分。

不意に、店の扉が開かれた。

 

「やあやあ!ミアハ・ファミリアのホームはここであってるかい?」

 

入って来たのは、いつぞやの少女(神様)だった。

思わぬ訪問者に、ナァーザもテクトも視線はヘスティアへ釘付けとなる。

 

「おぉテクト君!昨日は悪かったね、挨拶も無しに行ってしまって。そこのナァーザ君も」

「いえいえ、とんでもない。神様のお役に立てたようで何よりです」

 

雑巾を見えない所にしまいつつ、爽やかな笑顔で客を出迎える新人店員。

―――――出た、テクトの特技・猫かぶり(第二の顔)(ナァーザ命名)!

悪くは無いし、むしろ神様相手に粗雑な物言いは避けるべきだが、その大胆な変容振りはもはや芸術。

ただ、その特技の弱点は……

 

「そうそう、テクト君。君の弟も連れてきているんだ」

「ど、どうも……」

「ベル!お前も来ていたのか!?」

「テクト君。ミアハにも挨拶をしておきたいんだが、彼は今どこにいるんだい?」

「ミアハ様ならおそらく私室で調合している、いや、していますが……」

 

身内の前だと、化けの皮が剥がれてしまう……といったところか。

理由はよく分からないが、テクトはベルの前だと猫かぶりを失敗してしまうようだ。

神様と弟を前にてんやわんやしている新人店員を、ナァーザは面白そうに眺めていた。

 

 

 

 

 

その後、テクトにより呼ばれたミアハは、ヘスティアとベルをいつぞやのプライベートルームへと案内した。

まずは客人であるヘスティアとベルが座り、二人に向かい合うようにミアハが、そして彼の隣にテクトとナァーザが並んで着席。

それはちょうど、ミアハ・ファミリアとヘスティア・ファミリアが向かい合う恰好となった。

 

「ヘスティアもついにファミリアを持ったか……明日は槍でも降るかな?」

「ミアハ!それはどういう事だい!?」

「ははっ、そう怒るな。私はこれでも喜んでいるんだぞ」

 

机を叩き、届かぬ足を乱暴に揺らすヘスティア。

何がどうして“喜ぶ”に至っているのかは、テクトやナァーザ、そしてベルには定かではない。

ミアハもそれを話そうとはせず、ヘスティアも話させようとはしなかった。

 

「それで、今日は何が目的だ?」

「……ボクがファミリアを得るにあたり、キミの所の子供達に助けられてね。その事について、感謝を伝えにきたんだ」

 

一息つき、怒りを鎮めたヘスティアは灰色の髪の青年……テクトを見る。

彼からの弟の紹介が無ければ、ヘスティアがベルと出会う事は無かったかもしれない。

 

「いえ、そんな。俺は……私は、弟の為を思ってした事ですから」

「兄さん……」

 

割り切れた、と言えば嘘になる。

だが、テクトは一晩考えた結果、結局は己の直感を信じる事にした。

あの時の神様の笑顔に光を見た、あの直感を。

 

「私こそ、ヘスティア様がファミリアとしてベルを迎え入れてくださった事に、とても感謝しています」

「うう~……なんて君は良い子なんだ。話せば話す程、ファミリアに勧誘出来なかった事を歯がゆく思うよ」

「テクトは私のファミリアだ。ヘスティアには渡さんよ」

 

どこか自慢げなミアハに、ヘスティアは悔しさからか頬を膨らませる。

 

「フン!ベル君だって、すっごい良い子なんだからな!幾ら積まれたって絶対渡すものか!」

「か、神様……恥ずかしいですよ……」

「ミアハ様も、やめてください」

 

意外と子供っぽい所もある二柱の神様。

板挟みにあったテクトとベルは、困り果てたように互いを見合わせた。

 

「……コホン。ベル君から話は聞いた、君達は故郷からオラリオへ来たばかりなんだってね?」

「はい。まだ一週間も経っていないと思います」

「ふむふむ。それなら丁度いい!」

 

ドン、と。

ヘスティアはベルの肩を叩き、そしてテクトを見た。

 

「もしテクト君とベル君さえよければ、今日は私とオラリオ観光と洒落こむのはどうだい?オラリオと言えば地下迷宮だが、街の施設を確認するのも大事だろう?」

 

神様案内のもとの観光なんて中々体験できないぞ、と大きな胸を叩き、笑う小さな神様。

その提案は、テクトにとっても願ったり叶ったりだった。

今後生活の拠点となる街だ、少しでも街について知っておきたい。

ナァーザに頼るのもいいが、最近は彼女には世話になりっぱなしである事もあり、一日丸々使ってしまいかねない街案内のお願いは言い出し辛い。

 

「ふむ、いいんじゃないか?テクト、行ってきなさい」

「分かりました、ミアハ様。今日はお願いします、ヘスティア様」

「あの、私も……」

「ナァーザ、お前はホームに残っていてくれ。今日の調合は少々手古摺りそうでな……すまない」

「……分かり、ました」

 

申し訳なさそうにミアハに言われては、ナァーザも強くは言えない。

垂れる尾と伏せている耳からは、悲壮感が漂っている。

 

「……そんなに店番嫌なのか?」

「そうじゃないけど……」

 

それきり黙り込んだナァーザの真意を、テクトは察する事は出来ない。

ナァーザが意外とヤキモチ焼きである事を知っているミアハは、申し訳ないやら微笑ましいやら、複雑な表情で二人を眺めていた。

 

「それじゃ、早速出発しよう!あとボクはこう見えて金なんて無いから、食事をおごる事は出来ないぞ!」

 

ヘスティアの情けない宣言が、ミアハ・ファミリアのホームに響いた。

 

 

 

 



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第七話 オラリオ観光

ミアハ・ファミリアのホーム、青の薬舗。

道具屋でもあり、西のメインストリートの路地裏深くに居を構える店。

ただ、西には一般の労働者が多く住まい、それゆえに冒険者の客は殆どおらず、青の薬舗の看板商品でもあるポーションの需要は低い。

晴天に恵まれた空の下、物悲しく閑古鳥が鳴く神様の道具屋を、テクトは仰ぎ眺めていた。

 

「テクト君!行くよ!」

「……」

 

俺は、冒険者としての役割をミアハ様より授かった。

調合のための素材、あるいは資金の調達。

それが俺の役目であり、仕事。

店の掃除だとか、販売方法に関しては俺の仕事ではない、が―――

 

(出張販売でも考えたほうがいいのかもしれない……)

 

俺もミアハ・ファミリアの一員だ。

今日の夜にでも、ミアハ様に相談してみるか。

 

「兄さん……?」

「あぁ、悪い。今行く」

 

こちらに向かって大きく手をふるヘスティア様の隣、寄り添うように立つ(ベル)

我が家(青の薬舗)を背に、彼らのもとへ駆け出した。

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

ヘスティア様曰く、オラリオには八つのメインストリートがあるらしい。

地下迷宮への入り口が存在する中心部を起点に、メインストリートは東西南北を更に二分割した八つの方角へ延びている。

そのうち、ミアハ・ファミリアとヘスティア・ファミリアのホームがあるのが西。

こちらではナァーザの説明にもあった通り、ファミリアに所属していない一般の労働者が多く住んでいる。

ただ、冒険者の間で有名な酒場が一軒あるようで、夜などは冒険者で賑わう事もあるとの事。

一方、そこから北へ少しズレた北西のメインストリートにはギルドが存在している事もあり、西とは違い冒険者の往来が激しい。

武器屋や防具屋など、冒険者の為の店も軒を連ね、そこは冒険者の為のメインストリート―――通称、冒険者通りとも呼ばれているようだ。

 

「まず、八つの大通りが集束する中央……バベルに行こう」

「バベル……そこが、地下迷宮への入り口の名前ですか」

 

実は、昨日ギルドへ冒険者登録をしに行った際、その姿だけは間近で見ていた。

聳え立っていた天を衝く大きな白い巨塔に圧倒されたのを、よく覚えている。

 

「入り口というか、まぁあそこはいろんな施設の集合体なんだけどね。地下迷宮の他、冒険者専用の施設や、私達のような神達の居住区も上階にはあるんだ」

「神様が住んでいるんですか?」

「その通りだ、ベル君。ま、結構お高いから私みたいな貧乏な神には高嶺の花だけどね」

 

神様の為の家であるのだから、かなり高級な住宅なのだろう。

羨ましげに語るヘスティア様の隣で、ベルは何やら思案するように顎に手を寄せていた。

 

「……ベル」

「な、なに?兄さん」

「意気込むのは結構な事だが、焦る事だけは禁物だぞ」

 

その高級住宅とやらが、どれほどのお金を必要とするかは分からない。

しかし、レベル1の冒険者一人しかいないヘスティア・ファミリアの手が今すぐに届くような代物ではない事は確かだ。

物事には段階というものがあり、一つ一つ踏み越えていかなければならない。

二段飛ばし、三段飛ばしで飛躍していけるほど、この世界は甘くはない。

 

俺はそれを、約10年間の経験から学んだ。

 

「……うん、分かってるよ」

「ま、目標を持つのは良い事だけどな」

 

大きな目標を持てるというのは、俺には無いベルの大きな長所。

それを否定するつもりはないし、いずれは叶えてほしいとも思っている。

ただ、その為に無理をして、夢を叶える道のりから足を踏み外してほしくはなかった。

 

「テクト君は、ベル君の事をとても大切に思っているんだね」

 

微笑ましげに、ヘスティア様は母親のような慈愛に満ちた笑顔で俺を見ていた。

実際、彼ら神様からすれば、俺達人間など子供のようなものなのだろう。

 

「えぇ。ですからどうかよろしくお願いしますよ、ヘスティア様」

 

あの日、俺が弟とヘスティア様を引き合わせた、その意味。

神様を前に、おこがましい事は言えない。

オブラートにオブラートを重ね、偽りの仮面を被せて俺は告げた。

 

「勿論さ、テクト君!ボクはベル君を愛しているからね!」

「ちょ、ちょっと神様……!?」

「ベル……幾らなんでも手を付けるの早すぎないか」

 

俺の真意が、想いが伝わったかは定かではない。

だが笑いあい、そのように仲睦まじい姿を見せつけられては、俺も苦笑するしかない。

そしてミアハ・ファミリアへの所属を決めた時のように、ゆっくりと瞼を下ろした。

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

それから俺達は、ほどなくしてバベルに到着した。

天衝の巨塔はいつみても雄大で、初めて近場でみるベルはもとより既にみた筈の俺ですらも圧倒され、言葉を失った。

こんなものを作ろうとしたら、一体どれだけの時間がかかるかわからない。

己の背丈の何倍以上もある塔は、人の―――あるいは神の、叡智の結晶だろう。

 

また、行き交う冒険者の数も非常に多かった。

いかにも新人そうな貧相な装備に身を包む者も、高価そうな上等な装備に身を包む者も、全てが入り混じり一直線にダンジョンへと向かっていく。

 

「……凄いな」

「うん……!」

 

目を輝かせるベルの隣、じっと冒険者たちを観察していると、気付いた事がある。

それは、装備の優劣に差はあれど、いずれも“大真面目”であるという事。

皆一様に装備をそろえ、モンスターを倒す為に入念な準備をし、大真面目にダンジョンへと向かっている。

俺とはまるっきり意気込みが違う彼らに、尊敬の念を抱かずにはいられなかった。

 

そうして暫く彼らを眺めていると、装備のどこかしらに刻まれている紋様(エンブレム)が眼に止まった。

 

「ヘスティア様。彼らのエンブレムって……」

「ファミリアのエンブレムだよ。君のところにだってあるだろう?」

 

ボクのファミリアにはまだないけどね、とヘスティア様は俺の来ているローブ―――ミアハ様からお借りした服の肩付近を指差した。

確かにそこには、五体満足の人型のエンブレムが刻まれている。

 

「あのエンブレムを見れば、誰がどこのファミリアに所属しているのかが分かるんだ」

「……なるほど」

「神様、僕達のエンブレムはいつ作るんですか?」

「そうだなぁ……ベル君はどういうエンブレムがいい?」

 

エンブレム談義を始めた弟と神様を余所に、俺は他ファミリアのエンブレムの事が気になっていた。

ナァーザが言っていたが、違うファミリア同士での諍いは可能な限り避けなければならない。

そうした事を念頭に置いた時、自身の所属しているファミリアを周知させる事は非常に重要な事だろう。

 

(なら、主要なファミリアのエンブレムは一通り調べておいた方がよさそうだな……)

 

問題を起こすつもりはさらさらないが、争いに巻き込まれたり等、万が一にも何かが起こる可能性も捨てきれない。

ミアハ様に迷惑をかけない為にも、出来うる限りの手間は掛けておいて損は無いだろう。

 

(調べるなら……ギルドを頼ったほうがいいか)

 

脳裏に浮かぶのは、ギルドで登録をした際に担当してくれた桃色の髪の女性―――ミィシャ・フロット。

ミィシャに相談すれば、エンブレムくらいなら教えてくれるかもしれない。

 

「そうだ、そんなにダンジョンが気になるなら、次は北西のメインストリートへ行ってみるかい?」

「北西には何があるんでしたっけ……」

「主要な施設といえばギルドだ。他にも武器屋や防具屋、冒険者にとって必要な店なら一通りあるんだ」

 

いつのまにかエンブレム談義を終えていた二人は、次の目的地について相談していて。

そんなヘスティア様の提案に、俺は大人しく乗っかる事にした。

 

「冒険者通り、ですよね。私も丁度気になっていたんです」

「よし、じゃあ決まりだ!早速出発しよう、二人とも!」

 

―――防具の準備、道具類の調達、そしてエンブレムの調査か……

街について知れば知る程、やらなければならない事が増えていく。

 

「……この様子では、しばらく退屈する事もなさそうだ」

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

さて、俺達はヘスティア様に付き従い冒険者通りへと向かったわけだが。

当たり前の事だが、一文無しな自分達には買える物など無い。

そのため、武器屋や防具屋に訪れても何をどうしたって冷やかしにしかならない。

流石に店の邪魔になるのは御免被りたく、俺達は大人しく外からそれらを眺めるにとどめた。

 

ただ、展示されている装備品の数々は、そのどれもがこれまで見てきた物とは比べものにならなかった。

俺の相棒、銀の両刃剣(ブロードソード)は故郷へ来ていた行商人が商品としていたものだが、勿論それとは性能も値段も桁違い。

さすが強力なモンスターが徘徊している地下迷宮を有しているオラリオだけあって、ここには一級品のものばかりが揃っている。

これでは、しばらくの間はギルドからの支給を頼らざるを得ないだろう。

 

その後、一通り冒険者通りを満喫したのち、商店街が建ち並ぶ北のメインストリート、大きな闘技場が建立されている東のメインストリートを探索。

やはりいずれも金の無さゆえに“見るだけ”となったが、故郷より遥かに発展したこの街に興味が湧いた事は否めない。

俺も、そしてベルも、頻繁に周囲の景色に目移りしていたその様子は、住人からすればさぞ田舎者のように見えたことだろう。

 

やがて東のメインストリートから中央のバベルへと戻る頃には既に日も落ち始め、ひとまず今日の観光はここまでという事になった。

 

「今日はありがとうございました、ヘスティア様」

「ベル君と引き合わせてくれたお礼さ。これで借りは返した、今後は良き隣人としてボクのファミリアをよろしく頼むよ」

 

イタズラな笑顔で目配せする神様に、二つ返事で頷く。

 

「勿論。こちらこそ、今後ともよろしくお願いしますヘスティア様……そして、ベルもな」

「……これでやっと僕も、兄さんの隣に立てるんだね」

 

今までは、守られてばかりだった。

しかし神の恩恵という戦う力を手に入れ、兄と共に戦えるようになった事をベルは心の底から喜んだ。

 

「そうはいっても、お前と俺じゃ場数が違う。足手纏いにならないようにな?」

「大丈夫だよ、すぐに兄さんだって超えるから!だって……」

「英雄になるから、か?よくいうよ、泣き虫ベルのくせにな」

「に、兄さん!それは言わないでよ!」

 

笑い、からかい、また笑う。

これまで何度繰り返してきたか分からない、兄弟の会話。

そこに、異なるファミリアという壁は存在しない。

ファミリアを違えど、変わらぬモノが必ずある。

 

 

 

ただ―――――俺がそれを真に理解するには、まだ少し時間がかかりそうだった。

 

 



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第八話 目標

 

オラリオの地下に広がる広大な迷宮―――――通称、ダンジョン。

地表から地底へ、深度が深くなればなるほどダンジョンは広くなり、モンスターも強力になっていく。

ゆえに、新米の冒険者はダンジョン上層でまずは力を蓄え、少しずつ先へ進んでいくのが常套である。

己の力量も弁えず、身の丈に合わない階層に進もうものなら、冒険者はその命を呆気なく落とす事となるだろう。

 

一週間という期間、エイナというギルド職員からベルは多くのダンジョンとモンスターに関する知識を学び。

そしてこの日、遂にベルは初めてダンジョンへと潜る事を許された。

 

刃渡り20C程度の短刀を握り締めるベルの視線の先には、一匹のコボルト。

そんな彼の背後には、兄であるテクトの姿も見受けられた。

 

「……っ」

 

初めての戦闘。

初めての武器。

戦闘の空気が、武器の重量が、ベルの体へ重くのしかかる。

どうにも隙が見つけられずベルが攻めあぐねていると、不意にコボルトが動き出した。

 

「っぅあ!?」

「ベル!!」

 

ダンジョン上層に棲息するモンスター、犬頭の姿をしたコボルト。

その鋭い爪が、白髪の少年の体を浅く切り裂いた。

即座に灰髪の青年テクトが弟に近寄り、彼を庇うようにしてコボルトとの間に割り込む。

 

「―――ッ」

 

そして、青年は力を入れるように軽く腰を落とし。

目の前のコボルトを睨みつけ―――――風のように姿を消した。

 

『グォ……?』

 

 

敵の消失にコボルトは混乱。

事態を把握できずに動きが止まったその瞬間、コボルトの体に影が差す。

 

「……遅いッ!」

 

“跳躍していた”青年の握る両刃剣が、一直線にコボルトへと振り下ろされる。

それは銀の軌跡を描き、コボルトの体を縦に一刀両断した。

 

『ッ……!?』

 

それはまるで、豆腐に刃を入れるかの如く。

断末魔を上げる事すら叶わず、コボルトの体は綺麗に両断された魔石と共に灰と化した。

 

 

 

 

 

「大丈夫か、ベル?」

「うん……」

 

―――――強い……!

動きを追えなかった。

瞬く間に、コボルトが両断されていた。

気付いた時には終わっていた戦闘に、僕は呆然と眺める事しか出来なかった。

 

「包帯を持ってきていてよかった。ベル、少しじっとしていろ」

 

甲斐甲斐しく僕の手当をしてくれている兄。

先ほどまで両刃剣が握られていたその手には、今は白い包帯が握られている。

 

「あれ、ポーションは?確か持ってきていたよね?」

「あぁ、あるぞ。だがこの程度で一々ポーションなんて貴重品使ってたら、金なんてすぐ無くなる。痛いだろうが、我慢してくれな」

「う、うん……」

 

……動けなかった。

コボルトを前にして、僕は何も出来なかった。

いたずらに攻撃を受け、悲鳴を上げるしかできなかった。

もし兄が居なかったらどうなっていただろうか。

 

情けなさで一杯で―――――短刀を握る手に、思わず力が入る。

 

「ベル」

「……何?」

 

優しげな、兄の声。

気を使っているのだろうその優しさが、今は辛かった。

 

「攻撃を受けても、よく立っていられたな。お前は凄いよ」

「……え?」

「俺が初めてコボルトから攻撃を受けた時は、恐ろしくて尻餅ついてしまってな。随分と祖父さんにからかわれたものだよ」

 

想像出来ない。

あんな大立ち回りが出来る兄が、あまつさえあの一刀両断したコボルトから攻撃を受けるなんて。

そんな僕の心境を察したのか、包帯を巻き終えた兄は見上げるようにして僕と視線を合わせた。

 

「最初から何事も上手くいく奴なんていない。失敗して、覚えて、成長するんだ」

「……」

「大丈夫、お前なら強くなれる。あの攻撃を受けて立ち続けられたんだ……お前は、俺より強くなるよ」

 

兄は、断言した。

あんな一瞬で戦闘を終わらせられる兄が言うのだ……きっと間違いない。

 

「……うん!」

 

心強い兄の言葉。

目標へと向かう僕への激励。

それに応えるよう、大きく頷いて見せた。

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

その日の夜、弟とのダンジョン初探索を終えたテクトは青の薬舗に居た。

その一室に配置されたベッドに寝転がりながら、コボルトの上空へ跳躍したあの瞬間を思いだす。

 

「……凄いな、神の恩恵」

 

本当は、地を駆けてコボルトの目の前まで接近するつもりだった。

だが、自身にかけられていた神の恩恵の力が予想を超えていた結果、脚は地を離れ空を駆けてしまい。

急遽ダンジョンの天井を足場に減速し、何とか跳躍したという(てい)を保てていた、というのが真相だった。

 

「本当は少しずつ慣れていくもんなんだろうけど……初期レベルが高いっていうのも、なかなか面倒くさそうだ」

 

ミアハ様には悪いが……しばらく、一人でダンジョンに潜ってこの力(神の恩恵)に慣れるのを優先した方がいいかもしれない。

力が制御できず、パーティに傷を負わせてしまった時には、眼も当てられなくなる。

 

(……だけどアレ、本当に制御なんかできるのか?)

 

ほんのすこしだけ、力を入れたつもりだった。

だというのにアレ(飛翔)である……力加減がまったく分からない。

本当にパーティを組めるほどに制御できるようになるだろうかと、初めてのダンジョン探索は早速不安要素が露呈する結果となった。

 

「それに、問題は他にだって……」

 

仰向けにしていた体を横に傾けると、視線の先には束となっている羊皮紙。

それは、ダンジョンの探索終了後にギルド職員のミィシャに頼み、手に入れた資料。

そこには、オラリオの全ファミリアのエンブレムが記載されている。

 

(ファミリア、思った以上に多かったな……)

 

主要なファミリアだけでいいとは言ったのだが、結局ミィシャには全て手渡された。

軽くナァーザから説明を受けたロキ・ファミリアやヘファイストス・ファミリアのような大手ならともかく、それ以外は名前だけ聞いてもさっぱりだ。

とはいえ、折角の資料、大事に有効活用したい。

それに、あの資料はあくまでも借り物であるため、いずれは返す必要がある。

そうなる前に、可能な限り頭に叩き込まなければ。

 

束の内の一枚を手に取り、エンブレムをじっくりと眺める。

その下には、【ソーマ・ファミリア】という名が書かれていた。

―――――どこかで聞いた事があるような……

 

「……何やってるの?」

「ッ!?」

 

音もなく掛けられた声―――やや表現がおかしいが―――に驚き、思わず手放した羊皮紙が床に落ちる。

たった今部屋に入ってきたナァーザが、訝しげにそれを拾った。

 

「……ソーマ・ファミリアのエンブレム?」

「の、ノックくらいしろ!驚くだろうが」

「いいじゃない。ここ、私の部屋でもあるんだし」

 

拾った羊皮紙を俺に手渡しつつ、ナァーザはもう一つのベッドへと腰掛ける。

……そう、俺はナァーザと相部屋であった。

 

「やっぱり、俺、ミアハ様の部屋で寝たほうが……」

「ミアハ様の部屋、見たでしょ?調合用の素材や大切な機材が隙間なく置かれてるそんな所に、テクトみたいな素人置けるはずないじゃない……」

「だが……」

「じゃあ客間の床で寝たら?多分、一週間もすれば体が悲鳴上げだすだろうけど……」

 

話は終わりとばかりに、ナァーザはそのままベッドへ潜りこむ。

冒険者は体が資本、そうでなくても床でこれから毎日寝るのは御免だ。

これ以上は自滅を招きかねない事を察し、魔石灯を消灯してから俺もそそくさとベッドへ潜り込んだ。

柔らかなベッドが疲れ切った体を癒し、意識は次第に闇の中へ―――――

 

「……ソーマ・ファミリアの事、調べてるの?」

 

―――――落ちかけたが、ナァーザの声がそれを引き留めた。

 

「……知ってるのか?」

「質問に質問で返さないでくれる?……まぁいいけど」

 

呆れたように溜息を吐くナァーザの姿は、闇に紛れよく見えない。

恐らくベッドの中で呆れた顔をしているだろう事は、想像に難くないが。

 

「いい噂は聞かない。あそこの冒険者、やけに必死だからね……」

「必死……?」

「とにかく金を少しでも多く稼ごうとするの。その為に争いを起こす事も少なくない……」

「金、か」

 

貧乏なファミリアなのだろうか。

金の貧しさは、心をも貧しくさせるという事か。

 

「で、そんな事知ってどうするの……?」

「……どうもしない。ただの興味だ」

「……そ」

 

興味の無くなったらしいナァーザは、それきり口を開く事はなく。

やがて聞こえてきた小さな寝息に、なんとなくドギマギしつつも無理やり瞼を下ろす。

 

(……増築してもらうための金、頑張って稼ぐか)

 

俺はヒューマン、ナァーザは犬人(シアンスロープ)

種族は違うが、しかしお互い伴侶を持つ前の男女である。

この状況に、俺はともかくナァーザが良い思いをしていないのは明白。

 

―――――弟の大層な目標とは対象的に、自身の目標はどんなに矮小なのだろう。

 

そのちっぽけさに自嘲しつつ、明日の為に今度こそ俺は意識を落とした。

 

 



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第九話 10年の重み

 

それから、俺は幾度にもわたってダンジョンへと一人で潜り続けた。

自身の体に巡る、暴れ馬のような力を制御するために。

最初は走るという動作一つとっても中々上手く行かなかったが、繰り返していくうちに無駄な動きが少しずつ減少。

それに加え、モンスターの動きにも適応できるようになってきたら階層も進めていく。

そのような事を一週間も繰り返した頃には12階層にまで到達し、お金も大分溜まっていた。

―――――もっとも、ミアハ様やギルド職員のミィシャには危険であるとして良い顔をされなかったが。

 

そしてついに、俺は初めてオラリオで装備を買った。

バベル8階のテナントで購入した、下級鍛冶師が作ったと思われる黒い両刃の剣―――――銘は、アスタロン。

 

「ほう……」

 

すらりと伸びる、細幅の黒い刀身。

質実剛健で、飾り気は無いがシンプルでよく手になじむ柄。

刃渡りは銀の両刃剣(ブロードソード)よりやや短く、およそ50C程度といったところか。

ただその分軽量で、手に持っても何も違和感が無い。

 

思わず吐息を漏らす程、俺はその黒い両刃剣(アスタロン)に一目惚れしていた。

一つ残念な事があるとするなら、何故かこの剣だけ製作者の名が明記されていなかった事か。

このような武器を作れる人に会ってみたいが―――――名前が無い以上、それは叶いそうにもない。

 

予想以上に武器への出費が抑えられた事もあり、その後俺は茶褐色の軽装用防具とインナー用の黒の上下衣、銀の両刃剣用の鞘を購入。

そして最後に普段使い用のフード付きの麻色のローブも購入したところで、所持金は残り僅かとなった。

 

「さすがに奮発しすぎたか……?」

 

とはいえ、無駄な物を買ったつもりは一切ない。

防具は探索でやはり必要になるし、武器だって銀の両刃剣(ブロードソード)が万が一にも折れた時の為にもう一本欲しいと思っていたところだった。

丁度ベルくらいの年に購入したこの剣は、なんだかんだで5年来の付き合いなのである。

むしろ、今まで折れずにいてくれた事のほうが奇跡ではないだろうか。

ただ、愛着が湧いている事もあり手放すのも勿体なく、しばらくは二本持ち歩く事になるだろう。

 

(今までなら、絶対に二本も持とうとはしなかっただろうけどな)

 

銀の両刃剣の刃渡りは約60C、重さは1Kを僅かに超える。

常に1Kの重りを腰にぶら下げているようなものなのだ、その上もう一本両刃剣を所有するなどあり得ない。

それこそ―――――神の恩恵のような力が無ければ、考え付きはすれど実行はしないだろう。

 

「ほんとに……今までの俺の苦労はなんだったんだか」

 

剣一本構えるのに四苦八苦していた、幼き頃の自分。

ようやく構えが様になったのが、確か11歳の頃。

その一方で、ダンジョン初探索時のベルはどうだっただろうか。

ある程度体が出来ていて、短刀自体がそれほど重くないというのもあるが、中々どうして様になっていた。

成長した弟の姿を見れて嬉しかったが、それ以上に―――――

 

「―――やめよう」

 

一瞬湧いた、黒い感情。

一度考え出してしまえば、それは湯水のように湧き続け。

臭いものには蓋をするように首を振り、醜い感情を覆い隠した。

新しい地での生活にきっと疲れているのだ、自分にそう言い聞かせて。

 

(……今日はもうあがるか)

 

探索帰りにバベルへ寄った事もあり、既に陽は落ち夕暮れ時。

そうでなくとも、もう一度ダンジョンへ潜る気にはなりそうにない。

右手側に下げた黒い両刃剣の柄を握りしめ、朱く染まった空の下、どこへともなく歩き始める。

 

「たまにはいいだろ、こういうのも」

 

気が向くまま、思いがままに。

右へ左へ、直感に従ってオラリオを彷徨ってみよう。

そうすればきっと、この街の良さが分かるかもしれない。

 

 

そして……故郷を出たことへの後悔も、忘れられるかもしれない。

 

 

 

 

―――――

 

 

 

東と南東の大通りに挟まれるようにして存在する、ダイダロス通り。

貧困層が多く住まうその区画は、乱立した家々によって迷路のように入り組んでいて。

そんな迷路を縫うように、小柄な人影が走り続けていた。

 

「はぁ、はぁ……」

 

―――――荒い吐息が路地裏に響く。

薄暗い裏道を駆け続けて、一体どれだけの時間が経っただろうか。

走っても走っても、心臓の鼓動は落ち着く事なく激しく脈動し続ける。

今にも背後の闇から手が伸びてくるような気がして、胸中の不安は風船のように際限なく張りつめていく。

 

崩れかけた階段を、舗装が剥げた通りを、枯れ果てた花壇を越え、ただひたすらに逃げ続ける。

 

「あれは……!!」

 

壁面に描かれた矢印が眼に止まる。

アリアドネとも呼ばれているそれは、ダイダロス通りを出る際に住民が用いる出口への道筋。

さらに聞こえてきた喧騒に、小柄な人影は笑みを浮かべた。

―――――間違いない、ここを曲がれば大通りに出られる……!

 

人の多い大通りに出てしまえばこっちのもの。

森の中に木を隠すように、人混みに紛れて追手から逃げ切る事だってできるはず。

最後の力を振り絞り、疲れ切った足に力を込める。

闇に捕まるまえに。

 

早く、ハヤク―――――

 

「―――――見つけたぞ」

「ッ!?」

 

突如、目の前に現れた大柄な男。

丸太程の太さがある大きな腕が、気付けば目の前にまで迫っていて。

蜘蛛の糸(アリアドネ)へと飛んだ私の体は、呆気なく打ち落とされた。

 

「ぅあ……!!」

「やっと見つけたぞ盗人め!さあ、盗んだものを返してもらおうか」

 

―――――迂闊だった。

“こういう事”には疎そうに見えたのに、まさか気付かれてしまうなんて。

怒りに燃える男の眼光に、足が竦み体が震える。

 

立ち上がることすら忘れ、私は男を……背丈以上もある大剣を、懇願するように凝視する事しか出来なかった。

 

「さあ、もう観念しな」

 

もう逃がさないとばかりに、男は大きな剣を構え。

そして――――― 一気に、振りぬいた。

 

「―――ッ!!」

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

身を縮こませ、迫る衝撃に目を瞑る。

……けど、それだけだった。

振り抜かれた筈の大きな剣は、いつまでたっても私に直撃する事はなく。

張り裂けそうな程の心臓の音ばかりが、煩く耳に響いている。

 

「……誰だ?」

 

困惑しているような、男の声。

明らかに私へ向けられているものではないそれに、私は恐る恐る顔を上げた。

 

「英雄の兄、かな……予定だが」

 

さっきまでは居なかった、第三者……あるいは、部外者。

麻のローブを身に纏う男が、私の前に立っていて。

白い両刃剣を携え、大柄な男の大きな剣を片手で抑え込んでいた。

 

「ふざけてるのか?そこを退いてくれ、君には関係無いだろう」

「あぁ、そうだな。けど、きっとアイツは関係なくても女の子を守ろうとするだろう……だから」

 

甲高い音を立て、大剣が白い両刃剣によって弾かれる。

その呆気なさに、私だけでなく大柄な男も驚きに眼を見開く。

 

「なっ……レベル2だぞ、俺は!?それがどうして……」

「俺は、アイツの気持ちが知りたい。何故そこまで英雄に恋い焦がれるのか……」

「い、意味の分からない事を!!お前は何なんだ!?一体どこのファミリアの……っ!!」

 

若い男が一歩近づくたびに、男も一歩退く。

男の眼は、化け物でも見たかのように恐怖一色に染まっていた。

 

「なぁ……英雄ってのはそんなに凄いのか?」

「ひっ……」

「アイツを守るという俺の意思は……そんなものに劣る程、弱くてみすぼらしかったのか?」

「く……来るなぁぁぁぁ!!」

 

恐怖。

あるいは、畏れ。

抑揚のない彼の言葉は、まるで幽霊のように覇気がなく虚ろで。

落とした剣も拾わず走り去っていった男を、私は笑う事など出来なかった。

 

「なぁ、小人(パルゥム)さん。アンタはどう思う?」

「ッ……」

 

くるりと、若い男は麻のローブを翻し踵を返す。

白い両刃剣を抜いたまま、男は私を冷たく見下ろした。

―――――いや、これは冷たいというより……

 

「ま、他人に聞いてもどうしようもないよな」

「……?」

 

この時初めて、目の前の男の声に覇気が宿る。

苦笑しながら剣を納め、私に背を向けた。

 

「何があったか知らないけど、気を付けて帰れよ。盗人さん」

 

先ほどとは別人のような笑みを湛え、先ほど逃げた男の道筋を辿るように歩き出す。

ただ……その背中は、あの大剣を弾き飛ばした者とは思えない程に弱々しく見えた。

 

「……変な人」

 

なんで、盗人だと分かっていて助けたのか。

なんで―――――あんな、悲しそうな目をしていたのか。

あの男の真意が、私にはよく分からなかった。

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

結局、オラリオをぶらついていたテクトが青の薬舗に帰ったのは、月も昇りきった深夜であった。

 

「テクト、今日は遅かったじゃない」

「まぁな……」

 

返事もそこそこに、テクトは麻のローブを脱ぎ捨ててそのままベッドへとダイブする。

全身で疲れていますと主張する青年に、ナァーザは苦笑する。

 

「明日もまたダンジョン?」

「……明日は行かない」

 

億劫そうに答えたテクト。

本当に疲れているのだと察したナァーザは、それ以上の言葉を交わそうとはしなかった。

 

 

 

 

 

―――――そして翌日。

調子に乗って5階層まで降りたベルは、ロキ・ファミリアが取り逃したミノタウロスに襲われる事となる。



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第二章 -兄の心、弟知らず-
第十話 想い、想われ


ここから原作に入ります。
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「五階にミノタウロスゥゥゥゥ!?!?」

「……テクト、うるさい。黙って食事しなよ」

「これが黙っていられるか!!それにベルが襲われたって……!!」

 

翌日、昼食の場でナァーザより告げられた爆弾発言。

“五階層に現れたミノタウロスにベルが襲われた”は、寝起きのテクトの頭を殺人的な衝撃でもって目覚めさせた。

 

「どうしてすぐに俺を起こさなかった!?」

「……だってベルに怪我無かったし。必要なかったから」

 

そう、テクトは今日盛大に寝坊した。

いつもなら早朝には起きているはずが、すでに今は陽も昇り切った真昼間。

そしてそれが、昨晩のオラリオ探訪が原因である事は間違いないだろう。

全て自己責任である事を認めているのか、テクトはそれ以上の反論を口にする事は無かった。

 

「くっ……」

 

―――――もし時間を遡る事が出来るのなら、今すぐ昨日の俺をぶん殴りたい……!

何が嫉妬だ。

何が10年の重みだ。

そんなもので弟を失ったら、一体どう責任を取るというのだ。

一ヶ月も経たずしてこのザマでは―――――両親に見せる顔が無い!

 

「御馳走様でした!」

「テクト、食器は炊事場へ……」

「申し訳ありませんミアハ様、帰ってきたらやります!」

 

昼食を無理やり口へ押し込み、慌ててテクトは青の薬舗を飛び出した。

恐らくベルの様子を見る為に、ヘスティア・ファミリアのホームへ行ったのだろう。

 

「……ふっ。テクトは相変わらず弟思いなのだな」

「えぇ、ミアハ様……」

 

昨晩のテクトの眼を、ナァーザは思い出していた。

全てに対し絶望し濁り切っていた、あの眼。

あんなモノを見せられては……忘れる事など出来はしない。

 

「テクトに何があったのか、何を考えているのかはまだよく分からない。だが、恐らく彼は背負い込みすぎている」

「……弟であるベルを、ですか?」

 

ナァーザの言葉に、ミアハはゆっくりと首を横に振る。

 

「いいや。兄である事そのものにだ」

「兄である、事……」

「テクトは、ベルの兄である事に極端に固執している。まるで、そこにしか己の居場所が無いかのように」

 

それは同時に、まだ青の薬舗(ミアハ・ファミリア)を居場所として認めていない事でもある。

それでも彼はこれまで冒険者としてよくやってくれているし、調合の素材を商人から仕入れなくて良いというのは大きな利益を生んでいる。

―――――なんと不器用で、実直な青年なのだろう。

 

「だが、これは全て彼自身の問題だ。私達には見守る事しか出来まい」

「はい、ミアハ様」

 

優しき青年にとって、これは命がけの綱渡り。

一歩間違えれば、少し油断すれば、一気に奈落へ真っ逆さま。

想いと感情に蓋をし、理性だけで綱の上を歩き続けている。

―――だが昨日、青年は足を踏み外し落ちかけた。

そして今日、それを青年は決死の覚悟で掴み直し、その手を離さぬよう歯を食いしばっている。

 

「……気付きなよ、馬鹿」

 

その下では、私達(ミアハ・ファミリア)が手を広げて待っているのに。

いつでも彼を救う用意は出来ているというのに。

前しか見えない彼は、下には奈落しかないと思い込み、恐怖と戦い綱を握り続けている。

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

ヘスティア・ファミリアがホームとしている竈火の館。

西の大通りにあるその教会に、半ば蹴り破るようにして侵入。

そのままズカズカと祭壇の奥へ大股で歩き、主神とその眷属が居る隠し部屋の戸を開けた。

 

「ベル!!」

「兄さん!?ど、どうしたのこんな所まで!?」

 

思わぬ来訪者に目を丸くする我が弟。

その無事な姿を改めて確認し、安堵するように大きく嘆息する。

 

「まったく……ミノタウロスに襲われたんだってな」

「え、どうしてそれを……」

「ナァーザから聞いた。頼むから、こんな事はこれっきりにしてくれよ……?」

 

1から10までベルが悪いわけでは無い事は分かっている。

5階層へと調子に乗って乗り込んだその時、偶然にも本来は居る筈のないミノタウロスが5階に来ただけだ。

偶然に偶然が重なった事故……とはいえ、まったくベルに非が無いとも言いきれない。

頬を掻いて俯く弟に、俺はただただ呆れていた。

―――――果たして、安心して目を離せる日は来るのだろうか。

 

「絶対に、絶対にもう無理はするなよ!?」

「わ、分かったから!それはもうエイナさんにもこっぴどく怒られたから……」

「……そういえばベル、ヘスティア様の姿が見当たらないが」

「この時間はバイトに行ってるよ。多分今は、北のメインストリートの露店に居ると思うけど……」

「あぁいや、別に用事があったわけじゃない。気になっただけだ」

 

―――――神様さえもバイトするほど、生きるのに必死らしい。

確かに、レベル1の駆け出し冒険者が二人分の生活を支えるというのは厳しいものがあるか。

 

「……ま、お前の無事が確認できただけでも良かった。これからはくれぐれも無理をするなよ」

 

何度目か分からない念押しを口にし、踵を返す。

いつまでも他人様のファミリアのホームに、それも神様が居ないところで長居するのもよくはないだろう。

そのまま隠し部屋を出ようとしたところ、慌てたようにベルから引き留められた。

 

「ま、待って!ねぇ兄さん、アイズ・ヴァレンシュタインさん、って知ってる?」

「アイズ・ヴァレンシュタイン……剣姫、か?」

 

聞いた事はある。

ナァーザにロキ・ファミリアについて聞いた時、有名な人物の一人としてその名を教えてもらった。

【剣姫】と呼ばれる彼女の実力は相当高く、実力者集団のロキ・ファミリアでもその強さは上位に君臨する。

レベルも5である事から、俺なんかでは到底及びもしないのは確かだろう。

 

「ロキ・ファミリアのエースさんがどうかしたのか?」

「いや……何か知ってないかな、って」

「例えば?」

「……思い人の有無、とか」

 

恥ずかしそうに頬を紅潮させ、呟く。

それはまるで、片思い中の乙女のような。

その様子から何か只ならぬ感情を……例えば、“恋”なんていう感情を抱いている事を察した。

ベルが、【剣姫】に。

恋い焦がれ―――――隣に立つ事を、願う。

 

「―――――諦めろ」

「兄さん!?」

 

応援してくれると思っていたのだろうか。

非難めいた驚愕の声を上げたベルに、俺は。

 

「“逆”ならまだ分かるが、それは正直無理だ。今のお前じゃ、不釣合いにも程がある」

「で、でも……」

「諦めきれない、か?」

 

―――――そう、ベルはそういう人間だった。

想い始めたら一直線。

愚直なまでの一途さ、それこそベルの大きな長所なのである。

だから彼は、今に至るまで夢を捨てずに生きてきた。

 

兄からの言葉を肯定するように頷くベル。

そんな弟を、俺は結局なんだかんだで応援してしまうのだった。

 

「それなら、頑張れとしか俺は言えない。剣姫は俺より強い……アレの隣に立つのなら、俺を死ぬ気で超えてみせろ」

「……うん、分かった。僕、兄さんを越えるよ」

「ハッ、そんな簡単に断言されてしまっては俺も立つ瀬がない」

 

じゃあな、と今度こそ兄はヘスティア・ファミリアを後にする。

石畳を踏み、地上の教会への階段を登っていく音が部屋に優しくこだまする。

 

「―――――ありがとう、兄さん」

 

誰にも聞こえない声で、そう呟いた。

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

オラリオ北西のメインストリートに位置するギルド本部、万神殿(パンテオン)

いつものように書類に向かい、テキパキとそれらを処理していたエイナ・チュールは、先ほどの少年を思い出していた。

 

「……はぁ」

 

何故、あんな無茶をするのか。

全身血塗れで帰ってきた時には、本当に心臓が飛び出るかと思った。

ミノタウロスの出現自体は普通起こりえない事だし、ただただ不運であっただけだが……それでも。

 

「あ~終わらない~!!エイナぁ、手伝って~」

「サボってた自分の責任でしょ」

「う~、エイナ酷い……」

 

時刻は夕暮れ時。

いつぞやのような混雑は無く、ギルド内は閑散としていて冒険者の数は少ない。

それでもいつもと変わらず自身を頼ろうとする同僚に、エイナは苦笑する。

 

「そういえばミィシャ、テクトさんはどうなのよ?」

「あの人なら、まだ12階層止まりだよ~。ダンジョン上層から先へ進むつもりは無いみたい」

「……ベル君とは違って、テクトさんは堅実ね。それが一番なんだけれど」

 

レベルだけ見れば、彼なら上層などすぐに踏破できるし、中層でだって良い所まで行けるかもしれない。

ただ、やはり中層からは敵の動きも大きく変わるし、ダンジョンから生まれる数も桁違い。

行くにしたって、出来ればパーティを組んで行ってほしい。

何か不測の事態が起きた時、仲間の存在は大きな力となる。

 

「あの人が無茶したのは、12階まで一気に駆け降りた時くらいかな~」

「それでも、中層である13階以降には手を出さなかった。ベル君も、少しはお兄さんを見習ってほしいよ」

 

それからブツブツとベルに対する愚痴を零し始めたハーフエルフの同僚に、ミィシャがニヤリと笑う。

 

「あれあれ~、もしかしてエイナってベル君の事……」

「へ?……違う違う、心配なだけよ。私達が担当する冒険者の中には、そのまま帰らぬ人になってしまう事も多いし……」

「ふぅん」

 

納得したのか、それとも照れ隠しと判断したのか。

曖昧な返事で深く突っ込もうとはしなかったミィシャに、今度はエイナが反撃する。

 

「ミィシャだって、テクトさんの事どう思ってるの?」

「ん~……良いかなぁとは思ったけど、多分無理だね~あれは」

 

からからと笑い、溜まった仕事へ向かうミィシャ。

その言葉に少なからず寂しげな色が見え隠れしている事に、エイナは気付いた。

 

「頭の中は弟の事ばっかり。赤の他人が入り込めるような隙は無いよ~アレは」

「ミィシャ、もしかして本気で……」

「……ま、ちょっと弟君が羨ましいとは思ったかな」

 

弟の為、家族の為、身命を賭して行動する兄の姿。

富でもなく、栄誉でもなく、ただ家族を想っていた彼。

その姿を間近で見ていた彼女が、気付いた時には胸の中に芽生えていた感情。

表出する事なく潰えていた感情を、初めて同僚はエイナに吐露した。

 

「ミィシャ……」

「だからさ、エイナ!傷心の私のために、仕事手伝って~」

「それとこれとは別よ」

「ですよね~……」

 

厳しい言葉に意気消沈し、諦めて書類を読み始めた同僚。

その寂しげな姿が、なんとなく可哀そうで。

 

「今日は久々に飲もうか、ミィシャ」

「え、いいの~?エイナ、酒場ってあまり好きじゃなかったでしょ」

「う……い、いいよ、今日くらい。覚悟決めるわよ」

「おぉ~!それじゃあその覚悟でついでに奢っ……」

「割り勘ね」

 

野良猫に餌はやるな。

……訂正、同僚は甘やかすな。

 

 

 



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第十一話 居るべき場所、居たい場所

もう一人出す予定だったオリキャラがこの話より登場します。
少なくとも今この作品を読んでる方々は大丈夫だと思ってますが、念のため事前連絡。
なお、これ以上新たにオリキャラを増やす予定はありません。
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ミノタウロスに襲われたベルを見舞ったその日、結局俺はダンジョンに潜らず青の薬舗に戻った。

今まで毎日のように潜ってきたのだ。

たまには休息も必要であるという俺の判断を、ミアハ様は笑って尊重してくださった。

―――――つくづく思う。本当に、俺にとっては勿体ないくらいの神様だと。

 

 

そして、その翌日。

昨日稼げなかった分も稼ぐため、俺はダンジョン探索に没頭した。

モンスターを狩っては換金に戻り、そしてまた狩りに行き―――そのような事を何週も繰り返し、変わり映えしないダンジョンに見飽きてきた頃。

 

「……?」

 

背後に僅かに感じる気配。

何かが、じっとこちらを見つめている。

しかし何気なく後ろを顧みても、そこには誰も居らず。

己の通ってきた静かなまでのダンジョンが広がっているだけで、俺は首を傾げた。

 

(……まぁいいか)

 

神の恩恵は、聴覚や視覚など人間の五感を強化する。

その結果、俺は今までよりも更に気配に敏感になり、そのせいでありもしない敵に剣を振り下ろす事も何度かあった。

今回もその類いだろうと、俺は気にせず下へ伸びる階段を降りていった。

 

 

―――――

 

 

 

深い霧に包まれたダンジョン12階層。

いわゆる「上層」と呼ばれる区域の最深部となり、13階層以降は「中層」となる。

また、10階層以降は大型モンスターも出現し、人の背丈をゆうに超える巨大なモンスターを前に恐怖する冒険者も少なくない。

そのうえ10Mはあるだろう高い天井と広々としたルームを彼らモンスターが十二分に活用すれば、その脅威は計り知れないものになる。

 

そして―――――今まさに、テクトは12階層にてその大型モンスターの内の一体、オークと対峙していた。

 

「―――ふッ!!」

 

先手必勝。

大地を蹴り、黒い両刃剣(アスタロン)を右手に握り締めモンスターの懐へ駆ける。

左へすれ違い様に腹部へと突き立てたアスタロンは、血肉骨格もろとも体の半分を大きく切断。

オークの体の上半分が大きく横へと傾倒し、腹からはおびただしい量の血液が噴きだした。

 

『グォォォ!!』

 

悶絶、咆哮。

体半分が切り開かれ、倒れ行くオーク。

だが、それでも絶命には至らなかったオークの持つ棍棒は未だ高く振り上げられていて。

オークより迫る死にもの狂いの一撃に、テクトは舌打ちした。

 

「っ……この、死にぞこないがッ!!」

 

腰に携えていたもう一本の銀の両刃剣(ブロードソード)を左手に握り締める。

急速接近により生じた力を殺すように左へ半回転し、大円を描くように切り払った。

神の恩恵により強化された腕力によって、オークの振り下ろした棍棒は甲高い音と共にブロードソードによって弾かれる。

そして間を置かずして黒い両刃剣が隙だらけのオークを猛襲、両断。

オークの体は、ついに灰と化し掻き消えた。

 

「……駄目だ」

 

懐へ潜り込んで、オークを斬りつけたまではよかった。

だがそれだけは致命傷にはならず、オークの攻撃を許すこととなった。

今回は一対一だったからよかったものの、対複数を考えるとこれはいただけない。

 

これより深く潜るなら、この程度は一撃で倒せなければならない。

たった一度の攻撃でも、敵の数が増えればそれだけ敵の攻撃の手は多くなり、戦闘が長引けば長引くほど危険度は増していく。

ゆえに無駄なく、そして正確に……攻撃の機会を与えることなく、一撃必殺でモンスターを撃破することが重要で。

群れとの戦闘では、手負いの獣を増やすような真似は出来るだけ避けたい。

 

そうして思考に耽っていたからだろう。

俺は、背後から近づく気配に気付かなかった。

 

「あの……凄いですね、お兄さん」

「!?」

 

間近から聞こえてきた、女性特有の柔らかなソプラノ声。

思わずアスタロンを抜き、振り向きざまに背後の気配へ剣を向けた。

 

「す、すみません驚かせてしまって!そういうつもりじゃなかったのですが……」

 

剣を向けられたにも関わらず、目の前の小柄な少女は微動だにせず俺を見ている。

空色の髪を覆い隠すような大きい群青の魔導帽子(ウィザードハット)、手には背丈以上はある歪んだ木の杖。

羽織っている青いローブの内側では、150C程度の小柄な細い体躯が見え隠れしている。

そして―――――俺は少女の細く鋭い耳に釘づけとなった。

 

「……エルフ?」

「あ、すみません。ハーフエルフです」

 

そして見せた彼女の笑顔は、おもわず紅潮してしまう程に可愛らしくて。

イタズラが成功したかのように、クスクスと笑っていた。

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

「……パーティを組みたかった?」

 

モンスターの襲撃に備え、入念に周囲を警戒しながら俺は少女の話を聞く事にした。

どうやらお喋り好きのようで、要件以外の世間話も多かったが……まとめると、彼女はパーティを組みたかったらしい。

それも、ソロで探索をおこなっている人と。

 

「なんでまたソロなんだ?というか、同じファミリアの仲間を頼ればいいだろう」

「えーっと、ソロの人を探していたのは、パーティよりソロの方のほうが仲良くなりやすいと思ったからです。パーティを組んでいると既にその方達の間で“輪”みたいなのが出来上がっていますし、そういう所に入り込むのはちょっと苦手で……」

「それなら、ファミリアの仲間は?」

 

その質問に、少女の気配が一瞬張りつめる。

 

「ちょっと怖くて……頼りたく、なくて」

 

途端、彼女の顔には影が差し、俯いた。

それに声はどこか震えていて、向けられた剣を前に悠然としていた少女とは到底思えない程に弱々しく。

一体どこのファミリアかと、彼女の来ている服にエンブレムを探し―――――気付いた。

 

「ソーマ、か」

 

肯定するように、彼女の肩がビクリと跳ねる。

確かに、ソーマ・ファミリアには良い噂を聞かないが……

 

「ならばなぜ、お前はそのようなファミリアに入っている?」

「母が所属していたんです。父は別ファミリアに所属していたんですが、母の妊娠中に亡くなっていて……」

「……なるほどな」

 

ようするに、二つのファミリア間で彼女は生まれた。

だが生まれるよりも先に父が亡くなってしまったことで、父方のファミリアとの縁が切れてしまい。

結果、物心ついた頃には既に母方の所属するファミリアに所属していたらしい。

 

「無責任な親だな」

 

パーティでさえ、二つのファミリア間であまり組む事は推奨されていないのだ。

それが子供を作るだなど、冗談ではない。

子を前に、苛立ちを隠す事もなく吐き捨てた。

……親の悪口を言われたというのに、何故か少女は安心したように笑っていたが。

 

「仲間を仲間と思えないファミリアなど居るだけ無駄だ。今すぐそんな所、抜けてしまえ」

「母がファミリアに借金をしていて、無理なんです。それに、あの子を見捨てる事は……」

「あの子?」

「幼馴染の小人(パルゥム)の少女で、その子とだけは仲が良いんです。ただ、その子には危険なダンジョンに潜ってる事隠してて……」

「……だから、俺を頼ったというわけか」

 

オラリオは繁栄している都市だが、それ以上に抱えている闇も深いらしい。

それに、先日庇ったあの……

 

「……小人(パルゥム)の少女?」

 

―――――まさか。

いや、しかしこのオラリオに小人(パルゥム)が一体どれだけいると言うんだ。

この少女の幼馴染を偶然俺があの時庇っていたなど、いくらなんでも出来すぎである。

……でも。

 

「その小人(パルゥム)の特徴は?」

「え?え、っと……赤毛でふわふわとした髪、でしょうか。とても柔らかくて、触り心地がいいんですよ」

「……!!」

 

ビンゴ。

あの時、月明かりの下で垣間見た彼女の特徴と一致している。

幼馴染の話を楽しげに語る少女の話が、声が、驚愕から耳に届かなくなる。

 

この少女の友人は、幼馴染は―――――盗人。

 

「……今すぐ俺の前から去れ」

「え?」

「しらばっくれるな。奴に、俺へ接近するよう頼まれたんだろう?しかし、恩を仇で返されるとはな……」

「え……え!?あの、お話を……!!」

「今回は見逃してやる。だが、アイツに伝えておけ。次会った時には容赦しないとな」

 

部外者の俺が、危険を冒してまで介入するべきではなかった。

あの時、一瞬でも英雄を憧れるなど……やはり間違っていた。

 

踵を返して、俺は先へと歩みを進めた。

 

「あの、ごめんなさい!本当に怪しいものじゃないんです!本当なんです、信じて下さい!!」

「黙れ!腹に一物抱えている者は皆そうやって……!」

 

威嚇の意味で、もう一度俺は剣を抜いて振り返る。

だが少女は、自身が潔白である事を証明したい一心で叫び続けていた。

向けられた敵意にも気にせず、杖を落とし俺へ駆け寄った。

 

「お願いします!貴方しか頼れないんです!!見ず知らずの貴方しか……ッ!!」

 

向けられた剣の刃を、縋るように両手で握り締めて。

 

「信じて……しんじてください!!」

 

丸く透き通った瞳に、涙を湛え。

 

「心細いのはもう、いやなんですッ!だから……ッ!!」

 

震える声で、泣き叫んだ。

 

「なんでも……貴方の為なら、なんだってしますから……ッ!!」

 

何がここまで彼女を駆り立てるのか。

なぜ今日あったばかりの俺に、そこまでの事を言えるのか。

未だ縋り、両の手から血を流し続ける彼女の顔は既に蒼白。

震える小柄な体は、一突きでもすれば容易く崩れ落ちるだろう。

 

(これは、罠なのか?だが、それにしては……)

 

ひっ迫する彼女の表情に、嘘をつける余裕があるなど到底思えなくて。

けどそれでも、俺の中の疑念には嘘をつけなくて。

これまでの状況と話を冷静に分析し、思案する。

 

―――――だから、気付けなかった。

 

『グォォォォ!!』

「ッ!?」

 

少女の背後にまで接近していたオーク。

小柄な少女の体躯を押し潰さんと、丸太のように太い腕は高く振り上げられていた。

 

「くそッ!!」

 

いつの間にか薄れていた警戒。

結果、奴に容易く接近を許した。

己の失態に舌打ちし、無我夢中で少女を抱き寄せ後方へと跳躍。

振り下ろされた緑の丸太は空振りし、少女が居た地面を深く抉り取った。

 

「ぇ……?」

 

そんな一連の行動に、少女は腕の中で唖然と俺を見上げ。

親に縋る子のように、血塗れの手で俺の服を掴んでいた。

もう二度とその手を離さないように。

全身を震わせ―――――笑いながら、泣いていた。

 

(なん、なんだよ……)

 

これでは、まるっきり俺が悪役じゃないか。

そんな顔をされたら、疑えないじゃないか。

これでは、お前を―――――

 

「―――守るしかないだろうがッ!!」

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 

「……ありがとう、ございます」

 

背中に感じる、人肌の温もり。

一歩進むたびに揺れる、腰の両側から伸びる細い足。

耳元に囁かれた、心からの感謝の言葉。

 

「言っておくが、信用したわけじゃない。目を離すより、手元に置いておいた方が安全だと……」

「それでも、いいです。絶対に、貴方を裏切りませんから」

「……」

 

オークを撃退した後、俺は彼女を背負い12階を後にした。

そんな俺の首を緩く抱きしめる少女の両手には、白い包帯が巻かれている。

少女の小さい体がずり落ちそうになるたびに体を揺らして支え直し、ひたすらに歩き続けた。

 

「一つだけ、いいか」

「……なんでしょうか」

「お前は一人で12階まで潜っていたのか」

「……一人で12階まで潜れた事はありませんでした」

 

曰く、彼女は魔法はそこそこ使えるものの、接近戦はさっぱりなのだという。

だから彼女は、自分の魔法でも一撃で倒せる小型のモンスターしか出ない階層までが精一杯だったらしい。

 

「12階層まで潜れたのは、貴方を追いかけていたからです。貴方が、進路上のモンスターを全て倒して進んでくれたから……」

「……可愛い顔して案外無茶をするんだな、お前」

「はは……昔はパーティを組んで潜ってた事もあったので、地形自体は知っていたんですけどね。あ、あと……」

 

何かを言いかけるも、少女はその先を言い淀む。

言っていいのか悩んでいる空気を、背中から感じた。

 

「……あと、なんだ?」

「えー、っと……」

「今さら隠し事をするつもりか?ここへお前を置いて行ってもいいんだぞ」

 

含みのあるその様子に、苛立ちながらその先を催促する。

それからややあって、ようやく少女は観念したように話し出した。

 

「一応、なんですけど……僕、男です」

「……」

 

―――――男?

 

「あの、よく間違えられるので……念のため。すみません、それだけです」

「……」

 

女だと思っていたコイツは……男?

俺は……男の笑顔に、紅潮したのか?

 

「えっと……どうしました?ッうわ!?」

 

突然地面へ落とされ、少女―――いや、少年が悲鳴を上げる。

だがそんな事はお構いなしに、少年の被る帽子を剥ぎ、無理やりにローブを剥いた。

 

男の笑顔に紅潮したなどという、自身の黒歴史を否定するかのように。

 

「あ、あの……何をッ!?」

「……」

 

露わになった体躯は女のように細い。

胸部は確かに平らだが、それが男だという証拠にはならないだろう。

丸く大きな目は、柔らかそうな頬は、何度見ても少女のようにしか見えない。

これが、男だというのか?

本当に、これが―――――

 

「気を悪くしたならごめんなさい!あ、謝りますからあまり痛い事は……!!」

「……」

 

これは男か?

男とはなんだ?

男とは女か?

女とはなんだ?

 

ウロボロスの如く終わりのない哲学のような何かが、袋小路に入った俺の頭を駆け巡り。

混乱に混乱を重ねた俺は自失するも、少年の声によって我に返った。

そして少年の両足の付け根へ手が伸びかけていた事に気付き、慌てて引き戻す。

 

――――― 一線は越えなかった。今は、その現実にただ感謝しよう。

 

「……あ、あれ?」

「はぁ……」

 

ハーフエルフとは、かくも恐ろしい種族だったのか。

何も理解していない少年の純粋無垢な瞳に、俺は罪悪感から頭を抱えた。

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

再び俺は、少年と共に出口へと向かって歩き出した。

ただし、今は少年を背負う事なく隣で歩かせているが。

何故かは分からないが、なんとなく少年を背負いたくなかったのだ。

 

―――――少年の体に触れれば触れるほど、禁忌に近づいているような気がして。

 

「……そういえば、お互い自己紹介してなかったな」

「そういえばそうですね。僕、すっかりした気でいました」

 

12階層から6階層に上がるまで、お互いの名を知らない事に俺も少年も気付いていなかったらしい。

クスクスと笑う少年に、しかし俺は眼を合わせず前を向いたまま歩き続ける。

あの少年の笑顔は、今の俺にとっては必殺の凶器そのものなのだから。

 

「僕、シオン・クレマって言います」

「……チッ」

「え、なんで今僕舌打ちされたんですか!?」

 

何故よりによってそんな中性的な名前なんだ。

いっそヴァンだとかレオだとかだったらまだ何とかなっただろうに。

勿論、それが理不尽な言いがかりである事は自覚しているが。

 

「俺はテクト・クラネルだ」

「テクトさん、ですね。これからよろしくお願いします」

「……これから、か」

 

これから苦労しそうだ、色々と―――――

 

「……ん?」

「テクトさん、どうしました?」

 

先までずっと続く、長い洞窟。

その一点に、人影のようなものが見えて俺は足を止めた。

 

「誰か、倒れている……」

「え……?」

 

神の恩恵により強化された視力を酷使し、その人影を確認しようと目を凝らす。

少しずつ朧げな人影は鮮明になっていき、やがてそれは子供のような人の形を成した。

ダンジョン内だというのにそれは防具一つ付けておらず、体中傷だらけで。

見覚えのある白い髪と服装に、俺は我が目を疑い―――――叫んだ。

 

 

「―――――ベルッ!?」

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

あの男の言葉は、何も間違っちゃいない。

だからこそ、その言葉は胸へと深く深く突き刺さり、僕の体をダンジョンへと駆り立てた。

立ち止まっていては駄目なのだ。

進み続けなければ駄目なのだ。

誰よりも早く、誰よりも懸命に。

そうでもしなければ、あの人に追いつく事なんて出来るはずがない。

 

防具の有無なんて気にしていられない。

この体と短刀があれば十分だ。

押し寄せる数多のモンスターも気にせず、僕は潜り続けた。

斬って、斬って、斬って、斬って。

血と汗が舞う中、僕はただただ進み続ける。

すべては、夢にまで見たあの人の隣に立つため―――――

 

 

 

「……?」

 

ゆっくりと、上下に揺れる体。

まるで揺りかごの中にいるようなそれに、意識がゆっくりと浮上する。

 

(……意識を失っていたのか)

 

無我夢中で6階層まで降りた僕を待っていたのは、黒い影の敵……ウォーシャドウ。

本来なら到底敵うはずもないその敵を幾度も打ち破り灰塵と散らせた後、僕は度重なる疲労で意識を失っていた。

 

「……起きたか、ベル」

「兄、さん……?」

 

耳に響く優しげな声。

何故ここに、と言いかけてやめた。

僕も兄さんも冒険者だ、ダンジョンに居るのは何も不思議な事じゃない。

 

「あれほど無理はするなと言っただろう」

「ごめん、なさい」

 

久方ぶりに感じた兄の背中の温もり。

瞳を閉じて、大きな兄の背に疲れ切った体を委ねた。

 

「地上まではおぶってやる」

「うん」

「そこからは自力で歩け。強くなるんだろう、お前は」

「……うん」

 

そう。

兄に頼りっきりでは駄目なのだ。

それでは強くなれないし、夢も叶わない。

己の足で立ち、歩き続けなければならない。

痛みに震え、縮こまっている暇など僕には無い。

けど―――――

 

「これで、最後だから。だから……」

「……分かってる」

 

兄に頼るのは、これで終わり。

けど、今まで己を守ってくれていたこの温もりは忘れたくない。

どこまでも大きな暖かさをかみしめながら、僕の意識は薄れていった。

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

「……また、寝てしまいましたね」

「疲れてるんだろ」

 

さっきまで自身が居た場所には、静かに寝入る白髪の少年。

そしてそれを背負うテクトを、シオンは笑いながら見守っていた。

 

「なんだ?」

「いえ。よかったな、って」

 

ダンジョン内で無防備に意識を失っていた彼。

偶然にも早く発見出来た事で、最悪の事態を免れた事に。

彼を背負う兄の隣で、自分が歩けている事に。

そして、なにより―――――

 

「テクトさんで良かった」

「……わけが分からん」

「ふふ」

 

どこまでもついていこう。

振り落とされても、命がけでしがみついていこう。

 

やっと見つけた、僕の居場所。

 

「そうだ、テクトさん。貴方のファミリアってどこですか?」

「エンブレムを見て分からないのか?ミアハ・ファミリアだ」

「ごめんなさい、見たことが無かったから」

「弱小で悪かったな」

 

今までは、地上より地下の方が居心地良かった。

どんなに孤独でも、そこなら嫌な人達を見る事もあまりなかったから。

だから、目の前の幅広で大きな螺旋階段を地下から見る時は、いつも憂鬱だった。

僕を地上へと……薄汚れたあの場所へと誘うこの階段を呪った事もあった。

 

「テクトさん」

「……今度はなんだ」

「たった今気付いたんですが、この階段―――――」

 

―――――こんなに、綺麗だったんですね!

 

 

 

 



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第十二話 パーティ結成/怪物祭前夜

夜。

冒険者達で賑わい、暖色の綺麗な光に包まれているオラリオ。

しかしそれとは裏腹に、空はどこまでも深い黒に包まれていて、月はすっかり姿を隠してしまっている。

あぁ、一体誰が月を隠してしまったのだろう。

それとも、月が自分で隠れてしまったのかな。

自分よりも明るく輝くオラリオに嫉妬して。

その身を黒く汚して、いつもと違う自分に皆が振り向いてくれるように―――――

 

「シオン。空なんか見上げてどうしたんですか?」

「……リリ」

 

仄暗い裏路地の小さな広場。

壊れかけて点滅をくりかえす街路魔石灯の下、たった一人の友人が僕を見おろし立っていた。

暗くてよくわからないけど、その顔はとても楽しそうにしているように見えた。

 

「また恥ずかしいポエムでも紡いでたんですか?」

「恥ずかしいって……」

「シオンはいつもそうですから。特に、空を見上げている時は」

 

―――――それは言外に、いつも恥ずかしい奴だとでも言いたいんだろうか。

けれど、どんなに僕が落ち込んでいても、いつも変わらぬ態度で接してくれるリリには感謝している。

そんな彼女は僕にとって大切な友人で、かけがえのない幼馴染。

 

……ただ、今の僕にはどうしても気になっている事があった。

 

「ねぇ、リリ」

「何?」

 

脳裏に蘇っていたのは、ダンジョンでのテクトさんの様子。

リリの特徴を告げた途端、彼は人が変わったように僕を敵とみなし、刃を向けてきた。

……まぁ、警戒されたせいでその前にも一度向けられてたけど。

しかし、何がそこまで彼を変貌させたのか。

 

凄く気になって、ダンジョンから出た時にテクトさんに話を聞いてみた。

けれど、あの人は僕にその事情を話そうとはしなかった。

というより、話したくないようだった。

しらばっくれるな、自分がよく分かってるんだろ―――――そんな言い訳染みた事を告げて、彼は立ち去ってしまった。

 

僕はしらばっくれてないし、何も分からない。

僕は何一つだって知らない。

ただ、確実な事は―――――

 

「リリ、危ない事してないよね」

「……危ない事?」

 

テクトさんはリリと一度会っていて。

テクトさんが敵意を示すくらいに、リリを嫌っている事。

そしてそんな事をするくらいなのだから、きっとテクトさんはリリに何かをされたんだろう。

あるいは、何かしているところを目撃したか―――――

 

「ねぇ、本当に何もしてないよね?」

「……どうしたんですか?今日のシオン、何か変ですよ」

 

訝しげに僕を見るリリは、本当に何のことか分からないというようで。

 

「そっか。それならいいんだ」

 

そんなリリに、僕は笑う。

きっと何かの間違いだろう……そんな、希望にも似た憶測を立てて。

 

「シオンこそ、危ない事してないですか?意外とシオンって、男の子な所がありますから」

「意外とって……意外も何も、僕は普通に男の子だよ」

「何言ってるんですか。シオンの髪と肌は、私が嫉妬するくらい柔らかくて綺麗なのに!」

「ははは……」

 

 

―――――僕個人としては、男として見て欲しかったんだけれど。

 

 

かつて抱いた淡い恋心も、今や僕の中には見る影もない。

幼馴染はどこまでいっても幼馴染。

変わらぬ関係に、モヤモヤとしたものを感じたこともあったけれど。

 

これでもいいかなと思い始めたのはいつだろう。

この緩やかで穏やかな空気に、満足したのはいつだろう。

 

「ねぇ、リリ」

「何ですか」

 

リリは大切な友人で、幼馴染。

この事実は、きっと未来永劫変わることはないだろう。

 

「僕、ソーマ・ファミリアには悪い思い出しか無いけど……ここに生まれてよかったと思える事が一つあるんだ」

「え……何ですか?」

「……今は内緒」

「えぇ!?自分から話振っておいてそれですか!?」

「ふふ……いつか話すよ」

 

僕が大人になって、リリも大人になって。

お互いに家族が出来て、年を取ったねと笑いあえる時が来たら。

かつての片思いを吐露するように、今日のような宵闇の下、僕はこう打ち明けよう。

 

―――――君と出会えて、よかった。

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

「本当に……よかったんですか?」

 

明くる朝。

今日も今日とてダンジョン探索に勤しむテクトの後ろには、空色の髪の少年シオンが付き添っていた。

その腕には新しい杖が大事そうに抱えられており、眉は申し訳なさそうに八の字を描いている。

 

「武器一本を買う余裕くらいはある。それとも、護身刀のほうがよかったか?」

「い、いえとんでもない!この杖を買って頂けた事には凄く感謝してます!刃物はちょっと苦手ですし……」

「……は?」

「それにこの杖、とても気に入りました。持ち手の部分はとても手触りがよくて、先端の魔石を模った金属の飾りもとても綺麗で……」

 

この少年は、刃物が苦手だという。

新しい物を買ってもらった子供のようにはしゃぐシオンを眺めつつ、誰にともなく嘆息した。

 

―――――こいつ、実は冒険者なんて向いていないんじゃないだろうか

 

「以前持っていた木の杖には愛着は無いのか?」

「あぁ、あれはそこら辺で拾った木の枝でしたので大丈夫ですよ」

「……は?」

 

少し訂正。

シオンは―――――絶対に冒険者なんて向いていない。

呆れて物も言えないようなジト目の視線に、シオンは恥ずかしそうに俯いた。

 

「あ、あはは……借金地獄で武器を買う余裕が無かったんです。あ、でも一応樹齢の多きな木を選んで」

「そういう問題じゃない!……ったく、お前はダンジョン探索を遊びか何かだと思っていたのか?」

「いえ、そんな事は!けど……そうするしかなかったんです。」

 

パーティを組んでも、年若く自己主張の少ないシオンは下を見られてあまり多く分け前を貰えなかった。

その結果、得たお金のほとんどは借金返済へと飛び。

日々を生きる事を考えれば、自由に使えるお金など皆無だった。

 

「お前の母親は戦えないのか?」

「昔、争いに巻き込まれて利き腕を怪我したらしくて。いつも腕をあまり動かせてませんでした」

「……?」

 

シオンの物言いに、妙な違和感を感じた。

ただそれは、矛盾などではなくて。

母を語るその言葉が、まるで過去の出来事を思い出すかのような……

 

「―――――まさか」

「……はい。母は、一年前に亡くなっています」

 

寂しげに、笑った。

 

「悪い」

「いえ。それとなくほのめかすような事を言ったのは僕ですから。……それより、来ますよ」

「あぁ、分かってる」

 

二人の目の前には、4匹のモンスターが行先を塞ぐように立っていた。

そのうち犬頭のコボルトが二匹、その他二匹がゴブリン。

数は不利だが、戦力的には圧倒的にこちらが有利。

現在は9階層であるため、1階で見る奴らよりも強いだろうが特に問題はないだろう。

 

「……丁度いい。ここで一度、お前の魔法を見せてもらっていいか」

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

「―――――丁度いい。ここで一度、お前の魔法を見せてもらっていいか」

 

テクトさんは目の前のモンスターを睨みながら、告げた。

 

「僕の魔法、ですか?」

「魔法が得意なんだろう?これから連携するうえで参考にしたいからな。敵はひきつける……頼んだぞ」

 

やがて言葉通り、テクトさんはいつもよりスローペースでモンスター達へ接近した。

自分の居場所を相手に見せつけるかのように、単調にまっすぐと。

剣も構えず、隙だらけで。

案の定、混成のモンスター達はその全てが突出した無防備なテクトさんへ。

 

「幾ら惹きつけたいからって、あんな無茶……!」

 

―――――早く撃退しなければ!

テクトさんから頂いた大きく綺麗な杖を構え、丁寧に魔力を紡いでいく。

己の中に流れるそれが、次第に二つの点へ集束していくのを感じた。

 

「【来れ―――仇を貫く凶冷の槍】」

 

白く明滅する杖を手に、手早く詠唱を終えたシオンはすぐさま魔法を行使する。

目標は―――――“二列”に並んだ4匹のモンスターへ。

 

「【フロスト・ランス】!!」

 

集束した魔力の“二つの点”が、シオンの前に出現。

その両方から、同時に青白く輝く細い光線が射出される。

計二本の光線は、一方は二匹のコボルトを、もう一方は二匹のゴブリンを、纏めて貫き、凍らせ―――――砕いた。

 

「ッ……凄いな、魔法は」

 

先ほどまでモンスターが居た場所を見つめ、唖然とするその声に。

僕はわざとらしく足音を鳴らし、ドタドタと駆け寄った。

 

「テクトさん!なんであんな無茶したんですか!」

「無茶……?俺は奴らの動きに関しては知り尽くしている。油断もしていないし、何も問題は」

「た し か にッ!テクトさんは強いですし、何も問題なかったかもしれませんが……それでも!」

 

テクトさんのあれは、まるで自分を餌にでもしているかのようで。

自分を犠牲とするような真似、例え嘘でもしてほしくなかった。

目を吊り上げて怒る僕に、テクトさんは―――笑った。

 

「テクトさん!?」

「あぁ、いや。そんな風に怒られたのは久しぶりでな……分かった、次から気を付けるよ」

「本当ですか……?」

「本当だ。それよりシオン、今の魔法は何だ?モンスターが凍りついたが」

 

(……話を逸らされた気がする)

 

「……フロスト・ランス。青い光線で敵を貫く氷属性の魔法です。ちなみに、他にもイグニート・ジャベリンやヴォルト・スピア等、炎や雷属性の魔法も使えます」

「へぇ……」

「僕の魔法は貫通性能が高いので、一列に並んだ敵には威力を発揮しますが―――――」

 

―――――いずれの魔法も一般的なハーフエルフやエルフの魔法と比べて詠唱も短く、総じて威力が低い。

それにいくら貫くといっても、敵が僕の望むとおりに並んでくれる事なんてそうそうなく、貫通性能を高めた光線は縦に強くても横には弱いので殲滅力は無きに等しい。

……要するに、僕の魔法の才能は、他のハーフエルフやエルフに比べて劣っている。

 

「―――ごめんなさい。魔法が得意とはいいましたが、あれも体術とか白兵戦に比べて得意なだけで、実際は……」

 

僕の唯一戦えそうな部分が、魔法であっただけ。

いずれも底辺な能力の中、唯一魔法だけがなんとか冒険者としてやっていけるレベルにあるだけ。

それでも少しは冒険者として独り立ちできるようにしようと、頑張って唯一の長所である魔法を磨き続けた。

その結果、レベル2に上がれた時はとても嬉しかった。

 

とはいえ、それでも魔法の才能が他人と比べると劣っている事だけは変わらなかったけれど。

 

「あの……幻滅、しましたか……?」

 

パーティ解消されたらどうしよう。

折角見つけた居場所、もう手放したくない。

痛いほどの沈黙が怖くて、じっと俯いていると―――――頭に、柔らかい感触。

 

「……へ?」

「才能なんて、自分で決めつけるな」

 

その言葉に、僕は視線を上げ。

微かに吹き抜けた風が、頬を優しく撫でた。

 

「俺は魔法が使えないから、魔法の優劣なんて判断できないし、お前の苦労は分からない」

「です、よね……」

「けど、お前があのモンスター達をまとめて凍りつかせた時……俺がお前の事を頼りに思ったのは本当だ」

「……っ!!」

 

頼りにされている。

魔法の才能なんてからっきしな自分が。

この人に、必要とされている。

その嬉しさに、有難さに、僕の視界は滲んでいき―――――

 

「だから、シオン。このまま12階層まで連携の確認も兼ねて進んで、問題なかったら……13階層へ潜るぞ」

 

―――――すぐに、鮮明に戻った

 

「……え?」

「俺もようやく神の恩恵に慣れてきた。お前の魔法も加わったし、何も問題は無い」

「僕の魔法……で、でも!!」

 

12階層と13階層ではモンスターの危険度は桁違いに異なっている。

そんな所へ僕がいけるのだろうか。

この人の足を、引っ張ってしまわないだろうか。

 

「大丈夫だ、今日明日の話ではない。それに、危険と判断したらすぐに撤退する」

「うー……」

「覚悟を決めろ。俺はお前に期待しているんだ。多少の無茶もしなければ……お前は成長しない」

 

これまでダンジョンに潜り続けて、テクトには気付いていた事があった。

それは、自身のレベルの適正とは程遠い階層に居ても、能力は殆ど上がらないという事。

自分より同等か強い敵と戦わなければ、ステイタスの向上には繋がらない。

 

金を稼ぐだけなら今のままでも良いとテクトは思っていたが、しかしシオンは違う。

より強くなる事を……より魔法の扱いが上達する事を、シオンは望んでいる。

今の自分にシオンは納得などしてはいない事を、テクトは察していた。

 

「さぁ、行くぞシオン。次は10階層、まだ上層だが油断はするなよ」

「はい……!」

 

―――――足を引っ張るのは怖い。

けど、向けられた期待には精一杯応えたい。

 

先を進むテクトさんに、僕は遅れないよう駆け寄った。

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

その後、シオンとのダンジョン探索を終えた俺は、バベル前で彼と別れた後に酒場へやってきた。

その酒場とは、オラリオ西のメインストリートに店を構えている【豊穣の女主人】。

元一級冒険者のミアという女性ドワーフが開いた酒場であり、その大きな特徴の一つに店員が女性ばかりというものがある。

ミアが引き取ったワケアリの亜人やヒューマンの少女達が給仕を務め、日々訪れる冒険者達の眼を潤しているのだ。

―――――無論、冒険者としての腕前も確かな女主人が目を光らせている為、怪しい事を少しでもすれば即退場となるが。

 

そんな酒場が存在している事を知ったきっかけは、ヘスティア様によるオラリオ観光。

あの日以降、ダンジョン探索を早く切り上げた日に限って俺は顔を出すようになった。

人混みは苦手だが、酒場の賑やかな空気というのは嫌いじゃない。

 

「―――とかいいつつ、ここ最近は毎日来てるにゃ。やっぱりオニイサンも、私達の美貌にもうメロメロですにゃ?」

「……アーニャさん。俺の考えている事に突っ込まないでください」

 

カウンター席で独り寂しく飲んでいた俺に話しかけてきたのは、猫人(キャットピープル)のウェイトレス―――アーニャ・フローメル。

俺が酒場に顔を出し始めてから、彼女はいつもこのように必ず一度は絡んでくる。

どうやら彼女には特に興味を持たれてしまっているようだった。

 

「けどオニイサン、いつも酒しか頼まにゃいにゃ。ミア母さんのご飯は嫌いなんですかにゃ?」

「そういうわけじゃありませんよ。ホームに戻れば食事が待ってるので、頼まないだけです」

「かーッ!これだから嫁持ちは困るにゃ!席を一つ潰すだけの不良債権にゃ!」

「ふ、不良債権って……それでもつまみくらいは頼みますよ。っていうか、嫁って誰ですか」

 

適当に受け答えしつつ、俺は青の薬舗に今も居るだろう犬人(シアンスロープ)の女性を思い浮かべていた。

いつも青の薬舗にいる彼女は、非常に鼻が効く。

それゆえ、俺が薬舗で酒を飲んだりすれば、その匂いは必ず彼女の鼻を刺激するだろう。

そんな彼女の前で酒を飲んでいいんだろうかと、散々悩んだ結果が―――この酒場。

 

ただ、ナァーザ本人からは特に何も言われてはいない。

そもそも酒を極端に嫌っているような話を聞いた事は無いし、ただの考えすぎかもしれない。

だからこれはある意味では俺の自己満足でもあり、そして酒場の空気を味わいたいというただの理由作りの一つなのかもしれない。

 

そうやって自分の世界に入りつつ、アーニャのブーイングをかわしていると―――――

 

「こぉらアーニャ!お客になんて口効いてるんだい!」

「んにゃっ!?」

 

女主人の堪忍袋が先に切れたようだった。

 

「親しき仲にも礼儀ありだよ!!アンタは裏で食器洗いでもしてきな!!」

「ご、ごめんなさいにゃー!!」

 

蜘蛛の子を散らすように去って行った彼女を見送りつつ、再び酒をあおる。

……が、既に(カラ)になっていたようで、口腔内には水滴が一滴たれただけ。

格好悪くもただ容器を傾けただけとなり、気恥ずかしさから頭を掻いていると、カウンター席の向こうから新しい酒が置かれた。

 

「ミアさん……?」

「アーニャが済まなかったね。それは迷惑代さ」

「あ、ありがとうございます……」

 

というか、アーニャのあれはいつもの事である。

迷惑とも思ってはいなかったのだが。

ただ出されたものは有難くいただこうと、新しい酒に口を付けようとした時。

 

ふと、周りの冒険者の会話が耳に入った。

 

『おい、明日は何層まで行く?そろそろ俺達、もう少し先に行けるんじゃね?』

『あ?それはいいけどよ、明日は怪物祭(モンスターフィリア)だぜ?』

『あぁ、そうだった!すっかり忘れてたぜ、危うく見逃すところだった』

 

「……モンスターフィリア?」

 

聞いた事の無い言葉。

話の流れから察するに、何かの見世物なのだろうか。

その未知の言葉をのみこむように反芻していると、調理に没頭していたミアさんが再び口を開いた。

 

「東の闘技場で開かれる祭りさ。結構大規模な祭りでね、その日は闘技場近辺に屋台も出るんだよ」

「へぇ……」

「興味があるなら明日行ってみな。良い気分転換になるだろうよ」

 

祭り。

興味が無いといえば嘘になる。

そういう楽しい事は嫌いではないし、怪物祭(モンスターフィリア)は是非とも一度見てみたい。

それに明日はシオンに用事があるらしく、彼と共にダンジョンへ潜る予定は無い。

 

つまり……行く暇は十分にある。

 

だが、大規模な祭りだというからには、人混みの酷さも過去類を見ないレベルにまで達する可能性が高いわけで。

その結果、精神のことごとくを雑踏に踏み荒らされる結果となりかねなくも……

 

「なんなら、同じ部屋で毎日寝てるファミリア仲間のお嬢ちゃんも連れてったらどうだい?」

「ミ、ミアさん!?」

「ハッハッハ、冗談さ」

 

―――――意味深な笑みを浮かべながら言われては、まったく冗談に聞こえません……ミアさん。

ちなみに、ナァーザと相室で暮らしている事を知っているのは何もミアさんだけではない。

先ほどのアーニャも含め、ほぼ全ての【豊穣の女主人】の関係者が知っている。

一体どこから情報を得ているのだろうか、この人達は。

そもそも、それほど面白い情報でも無いだろうに。

 

怪物祭(モンスターフィリア)、か……」

 

ミアさんの言う通り、明日ナァーザを誘って東の闘技場に行ってみるのもいいかもしれない。

なんだかんだで、これまで彼女にはとても世話になっているのだ。

屋台で飯でも奢って、受けた恩を少しでも返しておいた方がいいだろう。

命を助けられた恩に比べれば、とても些細な恩返しではあるけれど。

 

 

残り半分を切った酒をあおりつつ、俺は密かに明日の計画を組み立てていった。

 

 



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第十三話 怪物祭

怪物祭(モンスターフィリア)

ガネーシャ・ファミリアが闘技場で主催する、大規模な祭。

昨日その存在を知る事となった俺は、当初の予定通りナァーザを誘った。

やれ、恩返しだとか。

やれ、息抜きだとか。

色々理由を取り繕いつつ祭を一緒に回らないかと誘う俺に、彼女は二つ返事で了承してくれた。

まるで告白する前のような妙な緊張感に汗を流したのは記憶に新しい。

だがナァーザも、祭だという事で心なしか嬉しそうにしていたのが唯一の救いだった。

 

―――しかし、なんて大胆な事をしでかしたのだろうと今になって俺は思う。

 

あの時ナァーザに、デートへ誘われたのだと思われる可能性もあったのではないか。

普段から一緒に外食をするような事をしていたなら別だが、生憎彼女とはそういう事をまったくしていない。

彼女から誘われることもないし、俺から誘うこともなかった。

そんな俺からの突然の誘いに、ナァーザが何もない何かを勘ぐる可能性もあったのでは―――

 

「テクト、何をそんなに顔を赤くしているの?」

「……己の無計画さに自己嫌悪していただけだ」

「?」

 

ただ、俺がナァーザをそういう目で見ていないわけではない。

彼女とはただでさえ毎日同じ空気を吸って寝ているのだ。

よからぬ何かを、いつか祖父がベルや俺に言っていたような事を、男として妄想しなかったといえば嘘になる。

 

ただ、そういう事を妄想する度に、俺の中で自問自答するのだ。

俺は本当にナァーザという女性に対しそういう想いを抱いているのか、と。

 

女ならだれでもいいんじゃないか。

それは全く特別な思いでは無いんじゃないか。

そう、例えば、ギルド職員の友人達。

贔屓目に見ても綺麗で可愛い彼女達と同じ状況に陥った時、きっと俺は同じ思いを抱くのではないだろうか。

 

そのたびに、自分が彼女に抱いている想いがとても我儘で自己中心的な事に気付かされ。

一人で勝手に落ち込んで、彼女への申し訳なさから俺はいつも心に蓋をして……

 

(……って、俺は何を延々と言い訳を立て並べているんだ)

 

「はぁ……」

 

顔を顰めて。

俯いて。

嘆息して。

到底祭りを楽しみに来ている人間とは思えないテクトの様子に、ナァーザも眉をひそめる。

 

「もしかしてあまり楽しくないの?」

「い、いや!そんな事は無い」

「そ。じゃ、早く行こう」

 

そう言ってナァーザが指差した先は、東のメインストリート。

その先にこそ、怪物祭(モンスターフィリア)の舞台である闘技場が存在する。

―――だが今の俺には、それよりも気になる事があった。

 

「……なぁ、流石に人多すぎじゃないか?」

 

俺達は今、オラリオの中心であるバベルに居る。

八本のメインストリートの終着点であるバベルには、今現在多くの人間が流入し、そして東のメインストリートへと大挙している。

その様は、まるで―――人の川。

 

「当然でしょ、祭りだもの。ま、それでもいつもよりちょっと人多いかも」

 

にぎやかな雰囲気を前に浮足立っているナァーザの隣で、青ざめている男が一人。

 

「……こなくそッ!」

 

ここまで来たらもう退けない。

何が川だ、そんなもの土足で踏み込んで泳ぎ切って見せる。

意味の分からぬ覚悟を胸に、俺はナァーザと共に濁流(ひとごみ)へと飛び込んだ。

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

「っ……」

「テクト……そんなに人混み苦手だったんだね」

 

案の定、濁流を泳ぎ切れず溺れ流されてしまったテクトは、闘技場周辺の広場へ漂着。

顔が青を通り越して白くなっているテクトを、私はクレープを食べつつ呆れたように眺めていた。

 

「クレープ分けてあげようか?食べたら元気でるかも……」

「あ、甘い物だけはやめてくれ……というか視界にも入れてくれるな」

 

ぐるぐると廻る視界の中、呻くように告げる青年。

いつものどこか達観しているような余裕さなど、今の彼には欠片もない。

なんだかそれが、私にはとてもおかしくて―――――笑えてきた。

 

「ふふ……」

「人が切羽詰ってるってのに、よく笑えるな」

「人の不幸は蜜の味って言葉、知ってる?」

「……お前、ホームに戻ったら覚えてろよ」

 

恨めしげな彼の視線すら、今の私には蜜よりも魅力的な何かに見える。

いつもとは違う新鮮なテクトの姿を見れた事だけでも、祭の誘いに乗った甲斐があるというものだ。

 

「クレープが無理なら、クリームだけでも……」

「そういう問題じゃないッ!!」

 

看病をするでもなく、そうやって病人を弄り続けていると。

ふと、視界の隅でいつぞやの白髪頭の少年と黒髪ツインテールの少女が楽しげに歓談しているのが見えた。

 

「うっ、大声出したら余計眩暈が……」

「……テクト。場所、移動するよ」

「は?おい、ちょっと、待……」

「黙って」

 

なんとなく、その二人を邪魔してはいけない気がして。

クレープを口いっぱいに頬張って食べきり、気付かれないよう静かにその場を後にする事にした。

 

騒ごうとするテクトの口を手で塞いで、ズルズルと引き摺り。

先ほどの広場とはやや離れた、どこぞの裏路地へと顔の白い青年を連れ込んだ。

 

「……これ、普通は立場逆だよね」

「む……むぐっ!!」

「あ、ごめん」

 

思い出したように手を放すと、テクトは四つん這いになり肩で息を始めた。

そんなに苦しかったんだろうか。

そういえば、口だけでなく鼻も一緒に塞いでいた気もする。

―――――流石にちょっと、悪い事をしたかもしれない。

 

「ったく、いい加減にしろよ。というか、ここはどこだ」

「見て分からない?裏路地だよ」

「そういう事を言っているんじゃないッ!俺達は祭に来てるんだ、こんな所来たって仕方ないだろ」

「人混みが苦手なくせに……」

 

非難の声を上げるテクトは放置し、ちらりと周りを見渡す。

昼だと言うのに薄暗く、風通りが悪い為かどこか空気は湿っている。

ただ道自体はそれほど汚くはなく、人気もそれほど少ないわけでもない。

それどころかあちらこちらから感じる気配と、壁に記されている矢印の記号に気付き、理解した。

 

ここは、裏路地などではなく―――――

 

『『『ガアァァァァァァァ!!』』』

「「!?」」

 

突如として響き渡る咆哮。

ここ(オラリオ)ではまず聞く筈の無いその声に、私達は驚きから肩を跳ねさせた。

 

「モンスター……!?」

「何故オラリオに!!このオラリオは巨大な壁で守られているんじゃなかったのか!?」

「わ、分からない!こんなこと、私も初めて―――」

 

―――――まさか。

この時期、オラリオにモンスターが入り込む可能性が一つだけある。

ギルドの眼も掻い潜り、正規ルートでダンジョンから街にやって来る可能性、それは―――

 

怪物祭(モンスターフィリア)……!!」

「はぁ!?じゃあなんだ、これは怪物祭(モンスターフィリア)の催しだとでもいうのか!?」

「違う!怪物祭(モンスターフィリア)はモンスターを調教する様を見せる見世物。だから今、闘技場には調教対象のモンスターが保管されている……」

「それじゃ、そのモンスターが闘技場から逃げ出したってのか!!」

 

闘技場には、冒険者ではない一般市民も訪れている。

そんな彼らがモンスターに襲われでもしたら、ひとたまりもないのは火を見るより明らかだ。

それに、さっきの声からして逃げ出したモンスターは一匹や二匹どころの数では無いだろう。

 

おもむろに緊急時の為にと持ってきた弓を手に取ろうとした、その時。

 

「……ッ!!」

 

蘇る記憶。

血だらけの自分。

圧し折られたココロ。

 

―――気付けば、弓も満足に持てない程に手が震えていた。

 

銀の両刃剣(ブロードソード)だけでも持ってきていて正解だった。ナァーザ、お前は一度ホームへ戻れ」

「っ……ごめん」

 

今の私は足手纏い。

そんな私が彼の援護を願い出たところで、足を引っ張るのは目に見えている。

駆けて行ったテクトを、私は見送った。

 

「……ッ」

 

不甲斐ない自分。

情けない自分。

―――その悔しさに、私は歯を噛みしめた。

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

「ベル君!!」

「神様、しっかり掴まっていてくださいね……!!」

 

突如、僕達の前に現れた巨大な野猿のモンスター―――シルバーバック。

全身真っ白の体毛に覆われており、特に発達した腕は筋骨隆々としていて。

今の僕では到底敵わないようなそれに、僕達は現在進行形で狙われている。

 

『グガァァァァ!!』

 

駆ける僕の脇を掠めるように飛んできた巨大な拳。

地を砕き、外壁を破砕したその威力に、僕の背筋は凍りつく。

それでも走る事をやめなかった自分を褒めてやりたいくらいだ。

 

「神様!なんであのモンスター、神様を狙っているんですか!?」

「分からないよ!ボクだってあんな知り合いは居ないさ!」

「あんな知り合い居て欲しくないですし、居たら驚きます!でも、これは……!!」

 

行く先逃げる先、何処へ行こうとシルバーバックは僕達を……神様を付け狙い、追いかけまわす。

僕達以外には眼もくれず、一心不乱に走り続けるあの様子は、明らかに異常だ。

 

「とにかく、今はどうにか振り切らないと……!!」

 

今僕達が居る場所はダイダロス通り。

道の所々が狭く、そのうえ迷路のようなこの住宅街は振り切るにはうってつけだ。

ただ、迷路を完全に把握していない僕達からすれば、その迷路自体に翻弄される可能性も否めない。

背後から追われているこの状況で袋小路にでも迷い込んでしまえば、その瞬間絶体絶命に―――――

 

「ベ、ベル君!!」

「ッ!?」

 

神様を抱き、前へ前へと駆けていく。

長い一本道を抜けきった僕達の前に現れたのは、三軒の住宅に囲まれている開けた場所。

三方を壁に囲まれているその場所に、道はたった今僕達が通ってきた長い一本道しかない。

―――――恐れていた事態が起こってしまった。

 

今戻っても、あの白いモンスターと鉢合わせするだけだろう。

四角に切り取られた青い空が、今はいつもより果てしなく遠い存在のように思えた。

 

『ガアァッ!!』

 

恐らく屋根伝いに追っていたのだろう。

シルバーバックは上空から姿を現し、僕達の退路を―――唯一の道を塞ぐように降り立った。

 

「くっ……」

 

確実に迫っている死の恐怖に、思わず後ずさる。

だが後ろには神様が居る事に気付き、僕は再び前へと歩み出た。

 

―――誰かを救う、英雄になりたい。

その一心で、僕はオラリオに来たんじゃなかったのか。

―――あの時僕を救ってくれた、あの人に追いつきたい。

その一心で、僕はダンジョンに潜り続けていたんじゃなかったのか。

 

「……下がっていてください、神様」

「ベル君!?」

 

そして、何より僕は―――――

 

「神様は僕が守ります!だって僕は、僕の夢の為に―――」

 

―――――あの大きな兄さんの背から、降りたんだからッ!!

 

短刀を手に、一気に懐へと駆ける。

あのモンスターは図体はでかいが、だからこそ懐に入りさえすれば攻撃は届きにくい筈。

だから今の僕の最高速度で、奴の足元へ―――――

 

『ガァッ!!』

「っ!!」

 

僕の動きに呼応して、薙ぐように振り回された鉄鎖。

左から迫る巨大な鉄塊ともいうべき鎖を、伏せるようにして回避。

髪に触れる勢いで頭上を通り過ぎたソレを後目に、短刀を逆手に持ち直して跳躍した。

 

「どんな強大なモンスターでも、魔石さえ破壊すれば……!!」

 

モンスターの力の源は魔石で、それがあるから彼らは強い力を発揮できる。

しかし逆を言えば、彼らの体内にある魔石さえ破壊できれば、それだけで葬り去る事も可能だ。

いつか僕に教えてくれたエイナさんに感謝しながら、勢いを殺さずに一直線にモンスターへと短刀を振り翳す。

鉄鎖を振り回した直後の隙でシルバーバックは身動きが取れず、その刃は容易く白い毛皮へと到達した。

 

―――――だが。

 

「嘘……!?」

 

シルバーバックの白い毛皮を貫通するよりも先に、その短刀が瓦解。

刃が折れ、柄のみとなってしまったそれを見て、ついに僕は現実を理解した。

 

―――――やはり、勝てないッ!!

 

『グォォォ!!』

 

お返しだとばかりに放たれた巨大な拳。

宙を跳んでいた僕には回避する事すらかなわず、ただそれを待つ事しか出来ない。

脳裏に浮かぶのは、あの拳によって破砕された壁の無残な姿。

 

「ッ!!」

 

腕を交差し、衝撃に備えて身を固める。

恐怖を押し隠すように目を瞑った、その瞬間。

拳が到達するよりも先に、体に柔らかな衝撃が走った。

 

「ベル……無事か?」

 

次いで、耳元で囁かれた言葉。

その言葉に目を見開くと、宙に浮いていた筈の僕はいつの間にか地上に座り込んでいて。

そんな僕に背を向けるように、麻のローブを羽織る灰髪の男が立っていた。

いつも携えている筈の黒い両刃剣は見当たらなかったが、銀の両刃剣はしっかりと右手に握られている。

 

「兄さん!!」

「テクト君!!」

 

何故ここが分かったのか。

今なおシルバーバックと対峙する彼へ、驚愕に満ちた二人分の声が向けられた。

 

「まったく……さっきはナァーザを怒鳴ってしまったが、あいつには感謝しないといけないな」

「ナァーザさん、ってミアハ・ファミリアの?」

「あぁ。偶然ナァーザが俺をこの一帯にに……って、そんな事はどうでもいい。ベルと、そしてヘスティア様も少し隠れていて下さい」

 

あとは俺がやりますから、と背を向けて語る兄。

その大きな背が僕は頼もしかったが―――それと同時に、これでいいのかという思いも湧いた。

また守られてしまっていいのか。

こんな事では、僕の夢は夢のまま終わってしまうのではないか。

 

折れた短刀を握り締め、もう一度目を瞑る。

思案するように俯いていると、肩へ伝わる軽い衝撃。

 

「神様……?」

「ベル君。まだ諦めるには早いよ」

 

 

そう告げる神様の眼は、楽しげに笑っていた。

 



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第十四話 失くした蓋

ややあって、ベルとヘスティア様は離れた位置にある壁の背後へと退避。

そんな彼らを尻目に、今なお憤怒の表情で佇むシルバーバックに視線を向けた。

その二つの赤い眼は、獲物を前に妨害された事への苛立ちに塗れている。

 

「ふぅ……」

 

白い巨猿を前に、自身を落ち着かせるように息を吐く。

というのも、二人に恰好良い事を言いはしたが―――その実、今の俺には不安要素しか無かった。

 

『ガァッ!!』

「っと」

 

体を少し左へと逸らしたその瞬間、先ほどまで居た場所へ巨大な拳が振り下ろされる。

硬く舗装された地面が砕け、舞う破片が頬を掠る。

しかしそれにも構わず、隙だらけな腕を銀の刃で真一文字に斬り付けた。

 

『ッ!?』

 

打撃音と共に強靭な腕が打ち払われ、巨大な体躯が僅かに怯む。

自身の右腕を庇うように退くも、腕が無事だと分かるや否や再度咆哮。

激昂し、がむしゃらに振り回された鉄鎖が縦横無尽に乱雑な軌跡を描く。

 

そう―――銀の両刃剣(ブロードソード)では有効打となりえないのだ。

特に大型モンスターの出現する10階層以降は、黒の両刃剣(アスタロン)でなければモンスターには切り傷一つ入れられない。

これはブロードソードが、劣化したモンスター(地上の子孫)に向けて作られた武器であるがゆえに、地下迷宮に存在する強力なモンスター(地下の祖先)を相手にするには力不足であるためで。

特に11階層に現れるようなこのシルバーバックが相手では、精々白毛を刈り取る程度の事しか出来ない。

鉄鎖を、時に避け、時に払い――――自身へ向かってくる何度目かの鉄鎖を剣で払った、その時。

 

銀の両刃剣(ブロードソード)が、いつもより重い悲鳴を上げた。

 

「んなッ……!?」

 

感じた異変。

白い刀身上に走る黒い線。

限界に達しかけた相棒を前に、一瞬思考が止まった。

 

『グオアァァァッ!!』

 

その隙を見逃さんとばかりに、一際大きく横へ振り抜かれた鉄鎖が眼前へと迫る。

避ける事も出来ず左脇腹へと直撃する直前、衝撃を緩和するように自ら跳躍。

そして勢いに乗っている鉄鎖を、そのまま腕の中へ引き込んだ。

 

「こんのッ!!」

 

歯を食いしばり、足に力を込め、腰を回して鉄鎖を曳く。

弛む事なく極限まで伸びきった鉄鎖は、綱引きのようにシルバーバックを前方へと曳き倒す。

 

『ガッ!?』

 

鉄鎖の繋がれている左腕は不自然に前へと伸び、前のめりになった事で顔は地面間近まで降下。

―――――やるなら、今しかないッ!!

 

「ッ……!!」

 

温存した力の全てを使い、全力でシルバーバックの顔へ接近。

傷だらけの銀の相棒を手に、だらしなく開けられている白い巨猿の赤い口腔へそれを突き立てた。

 

「喰らえ――ッ!!」

 

硬い外皮は貫けない。

だが、柔らかい口腔ならまだ可能性がある。

両顎の隙間を縫い、差し込むように放たれた銀の一撃。

―――――だが、それは他ならぬ両顎によって阻止された。

 

「っ!?」

 

刃が喉に触れるか触れないかといった所で、強靭な顎が刃を捕捉。

既に限界を迎えかけていたブロードソードは呆気なく“咀嚼”され、砕け散った。

折れた刃の断面が閉じられた歯と衝突し、情けない音を立てる。

 

―――やはり、地上の武器では駄目なのか?

―――俺が培ってきた経験は、共に歩んできた相棒は……この程度の存在だったというのか?

 

「くっ……!!」

 

いや、今は絶望している時ではない。

次の攻撃に備え、即座にその場を離れようとするが――――

 

「―――兄さんッ!!」

「え……?」

 

不意に差した不可解な影。

突如として耳に届いた声。

頭上を覆うシルバーバックの背後を覗き見ると、そこにはいつの間にか跳躍していたベルの影。

頂点まで跳びきったベルの体は、今にも降下を始めようとしていて。

手には、黒い短刀が握り締められていた。

 

「そこから―――離れてッ!!」

 

初めて聞いた、ベルの叫び。

強い覚悟と信念に彩られたそれが、心に痛い程沁みわたる。

太陽の光を受け煌めく黒の短刀が、そしてそれを携えるベルが――――酷く、眩しい。

 

「はあぁぁぁぁッ!!」

 

俺がその場から離れると同時に、空を舞い、風を纏ったベルの一撃がシルバーバックへと直撃。

体勢を崩していたシルバーバックは避ける事も出来ず、ついに魔石は砕かれる。

消え去ったモンスターの黒い灰は、撃破したベルを祝福するように宙を踊り、彼方へと消え去った。

 

 

 

「ベル……」

 

そこに、今まで俺が守ってきた“弱い弟”は居なかった。

今目の前に居るのは、たった一人の神様を守るため戦った“一人の男”。

俺が守るべき存在は、すでに大きく成長していた事を思い知らされた。

 

「本当に……強くなったな」

 

きっと届くはないだろう、小さな呟き。

事を終え、やがて神様のもとへと駆けだしたベルを目だけで見送り。

俺は、守るべき存在を守り切った彼に背を向けて、静かにその場を後にした。

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

テクト達の居る袋小路から伸びる、唯一の道。

昼も過ぎ仄暗くなりはじめた一本道には、いつから居たのか二人の女性が佇んでいた。

 

「ほぇ~。なんや、アイツらも中々やるやん。ま、アイズたんには敵わんけど」

「ロキ……」

 

茶化すようなその物言いに、装備を身に纏う金髪の少女―――アイズ・ヴァレンシュタインが眉を顰める。

ただその変化自体は非常に僅かで、見る者が見なければ気付く事も無いだろう。

 

「そう怒るな、アイズたん。これでも褒めてるんや―――特に、あの灰髪の男にはな」

「……気になるんですか?」

 

小首を傾げ、問うた少女。

燃えるような赤い髪の女性―――ロキは、快活に笑って大きく頷いた。

 

「勿論や!これまでファミリアに所属した事が無かったにも関わらず、初期レベルが3という桁外れのバケモノ!気にならん方がおかしいやろ。ま、アイズたんの方が上やけどな」

 

一々己を引き合いに出す我が主神。

少女の眼は完全に呆れ返っていた。

 

「けど―――惜しいな。アレは良いモノを持ってるが、周りに縛られ過ぎてるわ」

「縛られてる……?」

「せやせや。変に周りに振り回されて、満足に成長しきれとらん……あぁ、惜しい!ミアハんとこにもう居るのが本当悔しいわぁ」

 

初期レベル3のテクト・クラネルは、オラリオでも一時期大きな噂になった。

特に神達の間では、既にファミリアに所属しているにも関わらず誰しもがこぞって勧誘しようとした程に有名だった。

ただ、テクト本人はミアハ・ファミリア以外考えられないようで、そのことごとくを振り切ったという。

 

「……てゆーか、アレはまだミアハんとこのファミリアに入って一年も経っとらん。誘うだけ無駄なんやけど、まぁそれほど神達も喉から手が出るほど欲しい奴ってこっちゃな」

「所属してから一年は改宗が行えない……」

「そゆこと。ミアハにとっちゃあ奪われる心配が無いわけやけど、レベル3を抱えるとなるとこれから大変やろなぁ」

 

今までは、弱小ファミリアとして眼も向けられていなかったミアハ・ファミリア。

だがレベル3のテクト・クラネルを見事眷属として迎えて見せたことで、目立つ存在となった事は間違いない。

 

そうやってロキと密談をしていた時、ふとアイズは気配が増えている事に気付いた。

モンスターが倒されたからであろう、隠れていた住民達が一挙に姿を現しはじめたのだ。

徐々に人がベル達のもとへと集まっていく中、何故かテクトの姿だけが見当たらず周囲を見渡す。

 

何となく気になって懸命に探っていたアイズだったが、テクトの姿は予想外にもすぐに見つける事が出来た。

 

「あ……」

「……」

 

思ったよりもテクトはすぐ近くに居た。

どうやら彼は、住民達の流れに逆らうように歩いてきたらしい。

アイズ達に気付き一目見るも、やがて何事もなかったかのようにその横を通り過ぎ去っていく。

腰から下げられた刃先の無い柄が、彼の動きとともに寂しげに揺れていた。

 

「……ロキ」

「あぁ、アイズたん。言わんでもええ」

 

通り過ぎる瞬間、かちあった視線。

何かを察したアイズに、ロキはテクトの背に視線を向けたまま頷いた。

 

 

「ほんと―――うちならあんな眼、させんのにな」

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

弟は―――いや、ベルはもう俺の助けなど必要としていない。

俺が守るべき存在は、既にこの世界には居ない。

俺の兄としての存在意義は、もはや消えたも同然だった。

本当は喜ぶべきなのに、どこか寂しくもあるのは―――きっと、俺がアイツに依存し過ぎていたのだろう。

 

ベルは俺の気付かぬうちに成長していた。

オラリオに来て、ヘスティア・ファミリアに所属したことで、ベルはすっかり変わっていた。

この一ヶ月にも満たない期間で―――ベルは、あんなにも巨大なモンスターを倒す事が出来るようになっていた。

 

「一ヶ月……か」

 

自嘲するように、その短すぎる年月を反芻する。

再び首をもたげたあの感情(黒い感情)は、いつにも増す大きな勢いで俺を呑み込んでいく。

 

―――――俺がモンスターを足止めしたから、なんていう言い訳をするつもりはない。

ベルの武器がブロードソードよりも優秀だったから、なんて言い訳もするつもりはない。

俺の振るった相棒(ブロードソード)は砕け、ベルの振るった武器(黒い短刀)はモンスターを貫き、撃破した。

事実は非常にシンプルで―――目を背けたくなるほどに過酷だった。

 

「……」

 

長年連れ添った相棒が砕け散った、あの時……きっと俺の心も、一緒に砕け散ったのだろう。

地上で費やしてきた長い年月が、まったく無碍なものであったかのように感じて。

地上での経験が、全て無駄で意味の無いものであったのだと、シルバーバックに宣告されたような気がして。

 

「ベル……」

 

―――――よく頑張った。

―――――俺はお前を誇りに思う。

―――――おめでとう、お前はもう一人前の男だ。

 

胸中での彼への賛辞を、俺は口にしなかった。

強くなったという、事実を改めて確認するような言葉しか出なかった。

俺はベルを、素直に褒める事が出来なかった。

 

だから俺は、アイツの前から逃げたんだ。

 

(ほんとに、心の狭い奴だよ俺は……)

 

天才的な成長速度。

無様な姿を晒した自分とは対照的に、眩しく見えたベルの姿。

―――――神様を守れて喜んでいたベルが、どこまでも憎らしくて。

 

「ごめんな、こんな兄貴で」

 

弟に嫉妬して。

才能に嫉妬して。

別行動を選んだ過去の俺の選択を悔やんで。

これまでの覚悟が、実体の伴わない半端なものだった事に気付かされて。

 

こんな俺が、英雄になるというお前に相応しいわけがない。

 

 

 

そうして思考に耽っていると、気付けば自身の足はバベルに辿り着いていて。

果てなく高い神の住む塔を、果てなく深い地下迷宮への入り口を、俺は無感情に眺めていた。

 

「ダンジョン、か」

 

きっとベルのような強さを持っていたなら、無我夢中でダンジョンの奥深くへと潜ろうとするのだろう。

弟の強さに叱咤され、激励され、モンスター相手に危険を冒してまで力を付けようとするのだろう。

―――――ここで踵を返してしまうのが、俺とアイツの決定的な差なのだろう。

 

「あれ……テクトさんじゃないですか」

 

そのまま帰ろうとするも、名を呼ぶ声に足が止まる。

振り返ると、そこにはいつもの青いローブに身を包んだシオンが長杖を手に立っていた。

 

「シオン?お前、なんで―――」

「あぁ、よかった。モンスターが暴れてたんですが、テクトさん無事だったんですね。心配したんですよ」

「……そうか。俺も、お前が無事でひとまず安心―――――」

「ところでテクトさん、これからお時間ありますか?」

 

こちらの言葉をことごとく遮り、嬉しそうに聞いてくるシオン。

その遠慮の無さに口端が引き攣るも、平常に努めてその意味を聞き返した。

 

「時間?あるにはあるが……」

「それなら、これから一緒にダンジョンに潜りませんか?僕、もっと強くなりたいんです!」

「はぁ……?」

 

いわく、先ほどシオンは街中で暴れていたモンスターを瞬殺した冒険者を見たらしい。

その強さに当てられ、もっと自分も強くなりたいと思ったのだ、とシオンは熱のこもった視線を向けて語ってきた。

 

「そんなの明日でも」

「今じゃなきゃ駄目なんです!ダメ、ですか……?」

「うっ……」

 

―――――そんな潤んだ目で切なげに訴えかけるのは卑怯だろうっ!

 

「……分かった。けどホームから武器を持ってくるから、それまで待っててくれるか?」

「はい!ありがとうございます」

 

潤んだ目はどこへやら、シオンは楽しげにそう告げた。

その純粋な笑顔に、俺は救われて。

まだ必要とされている事が、俺は嬉しくて。

 

 

―――けれど、やっぱりそれでは結局根本的な解決には至らないのだ。

逃げはどこまでいっても逃げでしかなくて。

生まれた黒い感情は、未だくすぶり続けている。

 

それを抑えるための“いつもの蓋”を、俺はすっかり失くしていた。

 



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第十五話 蝕む毒

この話目より、ご指摘のあった「地文における人称の統一」を図ります。
一人称にしろ、三人称にしろ、同一の話目中では人称を変えずに進めていきます。
ただ、話目が変わるとこれまで同様に人称が変化する事もございます、予めご理解ください。


―――――声が聞こえた。

幼い少年の慟哭。

助けを求める叫び声。

嗚咽交じりの泣哭(きゅうこく)が、必死に誰かを呼んでいた。

 

『おにいちゃん!!』

 

叫んでいたのは童子だった。

薄汚れている白髪。

涙で濡れている真っ赤な頬。

童子(幼いベル)は、必死に小さな兄(幼いテクト)を呼んでいた。

―――――そういえばアイツは、昔はこんな風に俺を呼んでいた。

 

「バカ、さっさと逃げろって言ってんだろ!」

『できない!できないよ!いっしょに逃げよう、おにいちゃ……!!』

「いいから逃げろよ!邪魔なんだよ、お前!!」

 

背後で泣き喚くばかりの幼いベル。

目と鼻の先まで迫ってきているモンスター達を前に、幼きテクトは苛立っていた。

恐怖で動けず、いつまでも逃げない弟に。

そして誰よりも、自分自身が一番恐怖している事に。

 

『でも、それじゃおにいちゃんがっ!!』

「オレは……いいんだよッ!!」

 

言う事を聞かぬ弟。

迫りくるモンスター達。

背後は断崖絶壁、逃げ場無し。

辛うじて右手側に獣道があったが、既にモンスター達が立ち塞がっている。

一点突破で無理やり道を開いたとして、肝心の弟が今この状況で逃げ切れる可能性は無きにひとしい。

 

「くそっ……」

 

絶対絶命、四面楚歌。

この状況を、“今の”テクトは記憶として覚えていた。

これは昔、弟と裏山へ遊びに行った帰りに起きた出来事。

小さな兄が見ている懐かしい世界と同じ光景を、テクトはどこか他人事のように眺めていた。

 

「ベル!!見えるか、あのでっかい木」

『木……?』

「そう、あの木だ。俺が合図したら、一気にそこまで走れ。その先に道があるから、あとは道なりに進めば家に着く」

 

―――――そしてその後、俺が奴らをひきつけていれば全て上手くいく。

 

そう、あの時のテクトはそうした。

そうするしかなかった。

己を囮にする方法しか、あの時は良い方法が思い浮かばなかったのだ。

 

だが、それを幼き弟が良しとする筈も無い事を、当時の小さな兄は理解してなかった。

 

『ダメ!ダメだよそれは!!』

「なんでだよ!!お前が助かるにはそれしかないんだ!!」

『それでもダメ!独りなんてイヤだよ!!』

「ッ……この分からず屋!!バカ!!アホ!!お前なんかもう知らねぇよ!!」

 

ベルへの稚拙な罵倒が、小さな口から吐き出される。

だが、テクトはそんな小さな兄を責める事など出来やしない。

必死だった事を、誰よりも自分自身がよく知っていたから。

モンスター達を前に恐怖と戦い続け、挫けそうな心を奮い立たせ。

無様を見せないために、震えながらも剣を握り続けていた事を―――憶えているから。

 

あの時の小さな兄は、自分の事で精一杯だったのだ。

 

「こうなったら……」

 

動こうとしない弟に業を煮やし、小さな兄は一歩踏み出す。

嫌らしい笑みを浮かべるゴブリンを前に、短刀を構えて腰を落とした。

 

「っ……」

 

焦燥が、不安が、恐怖が、第三者のテクトにまで伝わってくる。

ともすれば短刀を取り落としてしまいそうになりながらも、必死に握り締めて。

弟の為、自分の為、駆けようとした―――――その時。

 

『兄さんッ!!』

 

幼き弟の頼りなさげな声は、一転。

凛々しく、どこまでも頼もしい怒声が、兄を呼ぶ。

 

『下がってて!!』

「え……?」

 

素っ頓狂な声を上げたのは、果たしてテクトか、小さな兄か。

どこから取り出したかも分からない黒い短刀を手に、白髪の少年は誰よりも早く駆けだす。

断末魔すら上げさせる事なく、瞬く間に全てのモンスターを切り裂いた彼を、小さな兄は―――テクトは唖然と見つめていた。

 

「ベル……?」

 

小さな兄にとっては、見知らぬ少年。

けれど今のテクトにとっては、かけがえのない弟で。

“ヘスティア・ファミリアのベル”は、これまで見たことの無いような笑みでテクトを見た。

その笑みは、いつものものと違っていて―――どこか、嘲笑を秘めているような。

 

『ねぇ、兄さん』

 

その声が、テクトの心を揺さぶり。

その笑顔が、テクトの瞳を揺さぶる。

 

『僕、もう大丈夫だから』

 

その先を聞きたくない。

その先を知りたくない。

なぜならそれは、他ならぬ自分自身が知っている事だから。

 

呼吸をする事も忘れ、テクトはベルを凝視した。

祈るように―――懇願するように、見つめた。

 

『だから―――――もう、いいよ』

「ッ……!!」

 

一笑と共に告げられた“戦力外通告”。

ナイフの如き鋭い言葉が、胸へ深く突き刺さる。

失意と絶望の中、テクトは静かに瞼を下ろした。

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

「ぁあッ!!」

 

未だ誰も目覚めていない早朝。

テクトは目覚めるや否や、毛布を蹴飛ばしながら勢いよく上半身を起こした。

額には脂汗が滲み、寝起きだというのに心臓は酷く高鳴っている。

息苦しささえ感じるそれに思わず胸を押さえ、周囲を見渡す。

 

「ゆ、め?」

 

己を包囲していた筈のモンスター達はどこにも居ない。

幼いベルも、ヘスティア・ファミリアのベルの姿も見当たらない。

あるのは簡素な机と、天井で揺れている魔石灯。

そして、もう一つのベッドで寝ている同居者(ナァーザ)

 

(―――まさか、ここまで滅入っていたとは)

 

脳裏に鮮明に浮かぶ、ベルの嘲笑。

振り払うようにベッドを叩き、乱暴に音を立てながら立ち上がった。

 

早朝の静寂には不釣合いな騒音が、部屋に響き渡る。

 

「ん……」

「あ、やば」

 

不快そうにみじろぎした同居者。

だが起きる事はなく、再び緩やかに呼吸を繰り返しだした。

テクトは安堵したように息を吐き、今度は静かに足を進める。

 

(少し、頭冷やしてくるか)

 

夢は夢。

そんなものを気にしていては、ダンジョン探索に支障が出る。

一度気分を入れ替えようと、戸の取っ手を掴み外へ出ようとした―――その時。

 

「―――っ!?」

 

突如襲った、焼けるような胸の痛み。

呼吸すらできなくなるようなそれに、再び胸を抑えてしゃがみこむ。

 

「は……っ」

 

体中から汗がドッと溢れ、顔色はいつも以上に白い。

波のように押し寄せる嗚咽を堪え、取っ手に寄りかかるようにしがみつく。

が、ややもして耐えられなくなり、その手は取っ手からするりと抜け落ちた。

 

「ぐっ……!」

 

床に崩れ落ちる音が静寂を打ち破る。

その音に、不穏な気配に、動き出した影が一人。

 

「ん……?」

 

目を覚ましたナァーザが、虚な眼で部屋の戸を見る。

そして―――手足を投げ出すように横たわる青年を、見た。

 

「テクト……?」

 

寝間着のまま今なお苦しげに肩を上下させ、手が白くなるほど胸を押さえている灰髪の青年。

その明らかに異常な様に、ナァーザの虚ろな眼は驚愕に染まる。

やがて寝起きの半眼が、みるみるうちに丸くなっていった。

 

「……テクトッ!?」

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

その後、テクトは完全に意識を喪失。

ナァーザは慌ててミアハを呼び出し、事の自体を知らせた。

 

「……うーむ」

 

顔色を白くさせてベッドに横たわる青年を前に、ミアハは唸る。

 

「これまでの疲労が祟ったのか?ただの風邪にしては様子が変なのは確かだが……ここ(ミアハ・ファミリア)では無理そうだ」

「そんな、ミアハ様……!」

 

懇願するような眷属の眼。

しかしミアハは、どこか考え込むようにして、苦しげに呻く青年を見守り続けていた。

 

「そのための設備もなければノウハウも私達にはない。だから、そんな私達がしてやれる事は……」

 

告げるミアハの視線の先には、ナァーザの右腕。

銀の義手に注がれる視線に、事を察したナァーザはあからさまに眼をいからせた。

 

「だ、駄目!それだけは……ディアンケヒトの手を借りるのだけは!!」

「だが、テクトを放って置いていいわけでもあるまい?」

「それ、は……」

「お前が意地を張った結果、テクトに万が一の事が起きたらどうする?その時、誰よりも後悔するのはお前だろう」

 

それを言われてはナァーザも弱かった。

テクトに対して“ただの仲間”以上の感情が己の中に芽生えつつあることを、他ならぬナァーザ自身が自覚しているのだから。

それに、例えそうでなくとも―――――これまでファミリアの為にダンジョンに潜り続けていた彼を見捨てることなど、出来やしない。

 

(助けてくれた恩返しだ、とか言ってたけど……)

 

ファミリアの一員であるとはいえ、何故そこまでテクトはダンジョン探索に熱心になれるのだろうか。

いつか、ナァーザはテクトに聞いてみた事があった。

テクトにだって、自分のしたい事、守りたい人が居る筈で。

それを放ってまで、何故毎日のように朝早くから夜遅くまでダンジョン探索に明け暮れる事が出来るのか、と。

 

そんなナァーザの問いに、テクトは当然のように返した。

受けた恩を返すのは、人として当たり前の事だろう―――と。

 

 

実際問題、テクトの働きはミアハ・ファミリアに多大な影響を与えている。

その際たるものが、借金の取り立てである。

ダンジョン探索による利益を銀の義手の借金に充てることで、あの男神(ディアンケヒト)の悪どい顔がこのホームに乗り込んでくる機会が格段に減ったのだ。

そして借金に対する余裕が生まれたことで、道具の販売に対する姿勢がナァーザの中で変わった事もまた事実。

 

ただ―――――

 

「ほんと……馬鹿だよ、テクトは」

 

ベッドの上で静かに寝息を立て始めていた青年。

その手に、ナァーザの掌がそっと重なる。

汗ばんでいるのだろう、彼の皮膚は少し湿っていた。

 

 

―――――自分を犠牲にしてまで返されても、ちっとも嬉しくなんかないのに。

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

澄み渡る青い空も、すっかり夕焼けに染まった頃。

穏やかな時が流れる寝室に、可愛らしい寝息が一つ。

 

「すぅ……」

 

今日一日、テクトの看病につきっきりだった為だろう。

病人の眠るベッドに寄りかかるように、犬人(ナァーザ)はすっかり寝入ってしまっていた。

頭から生える耳はすっかり平伏し、呼吸に合わせて肩がゆっくりと上下している。

 

そんな少女を、ミアハは―――そしてついさっき目覚めたテクトも、優しげに見守っていた。

 

「心配……かけたようですね」

「うむ。あんな早朝に私を叩き起こすくらいだ、相当心配していたのだろう」

 

おかげで今日は寝不足だ、と笑うミアハに、テクトもつられて苦笑する。

 

「勿論、私も心配したんだぞ。これからは、体の不調を覚えたらすぐに伝えるようにな」

「はい……すみません」

「分かれば良い」

 

ミアハは満足げに頷き、やがて先ほどまで読んでいた本を片手に立ち上がった。

そのまま部屋を出ていこうとする主神に、テクトはベッド上で座ったまま頭を下げる。

 

「ご迷惑をおかけし、申し訳ございませんでした」

「……迷惑?」

 

テクトの言葉に、くるりとミアハが振り返る。

 

「心配はしたが、迷惑を掛けられた覚えは無い。それはナァーザも同じだろう」

「しかし……」

「テクト」

 

その先は言わせないとばかりの、ミアハの声。

それはどこか寂しげで―――――テクトは思わず息を呑み、言葉を失った。

 

「どんなに世話を焼こうと、どんなに気に掛けようと、それは決して迷惑などではないんだよ―――――なぜか分かるか?」

「っ……いえ」

 

絞り出すように、青年は答える。

まるで叱られている子供のように俯いて。

ミアハの視線から逃れるように、背を縮こませて。

 

「“家族”、だからだ。もっとも、お前はそうは思っていないのかもしれないがね」

「ッ!!」

 

―――そんな事は……!!

 

どこか皮肉が込められているミアハの言葉に、テクトは再び顔を上げる。

向けられた視線を真正面から受け止め、否定の言葉を口にしようとした―――――が、出来なかった。

ミアハの“神としての威厳”が、それをさせなかった。

 

“嘘”を、許さなかった。

 

「ふはは、少々意地悪だったかな。だがなテクト、お前が私と同じ想いを今すぐに抱く必要は無い。ただ、私の想いを―――願いを、知っておいて欲しかっただけなのだ」

 

ミアハは怒らなかった。

悲しみもせず、ただ笑っていた。

肯定もしなければ否定もしない子供(テクト)を、優しげに見下ろしていた。

 

「悩みがあるなら相談しなさい。どんな些細な事でもいい。それがお前を蝕む毒であるなら尚更、な」

「あ……」

 

言うだけ言って、今度こそミアハは部屋を退出した。

寝息しか聞こえない静かな部屋に、戸の閉まる音が響く。

主神へ伸びかけた青年の手は、何を掴むわけでもなくベッドへ降ろされた。

 

「蝕む毒、か……」

 

意識を失う直前に感じた、胸が焼かれるような痛み。

あの痛みに、テクトは覚えがあった。

あの“胸が焼かれる感覚”を、テクトは知っていた。

ただそれが、今までは“痛み”というはっきりとしたものでは無かっただけで。

 

未だ眠りこけているナァーザの頭に手を乗せつつ、テクトは自嘲気味に笑った。

 

「俺はお前が羨ましいよ……ナァーザ」

 

兄弟の居ないお前が。

誰にも縛られる事の無いお前が。

縛る必要のないお前が。

羨ましくて、妬ましくて。

眼を瞑っているナァーザの前で、テクトは初めて弱音を吐露した。

 

―――もう俺は、“良い兄”を続けられそうにない。

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 

その翌日。

すっかり本調子を取り戻したテクトは、いつもの茶褐色の装備を身に纏い、青の薬舗の玄関口に立っていた。

その腰には黒い両刃剣が携えられ、黒い鞘の光沢が朝日で黒光りしている。

 

「本当に行くの?今日くらい休んでも……」

「昨日休んでしまったしな。今日は昨日の分も取り返さないと」

 

ダンジョンへと向かおうとするテクトに、どこか不満げなナァーザ。

原因不明の病で倒れた人間が、昨日の今日で早速戦闘に向かうというのだ。

当然、快く送り出せるわけもない。

 

「私も行けたら良かったんだけど……」

 

あの日(怪物祭の日)、モンスターの叫び声にすら震え上がった体。

口にはすれど、行ける筈も無い事をナァーザは理解していた。

 

「お前はお前でやるべき事があるだろ。俺の居ない間、ミアハ様と店を頼んだぞ」

「うん……」

 

背中越しに手を振り、やがてバベルへと向かっていった青年。

その背がいつもより小さく見えて、ナァーザは昨晩の事を思い出した。

 

「……続けなくて、いいよ」

 

実はあの時、眼を瞑ってはいたもののナァーザは起きていた。

だからテクトが口にした弱音も、しっかり聞いて覚えている。

 

「何もかも完璧な人なんて……居ないんだから」

 

それは、人間としての弱みを初めて見せた青年への激励。

もはやそんな呟きなど聞こえない所まで、テクトは行ってしまったが。

それでもナァーザは、そう口にせざるを得なくて。

 

誰ともなしに呟かれたそれは、誰の耳にも届く事なく虚空へと掻き消えた。

 



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第三章 -策謀、謀略、詭計-
第十六話 本当の自分


ダンジョン13階層。

視界一面を岩盤が覆うこの階層からは、出現するモンスターの様相も一変する。

強さもそうだが、何より特殊なのは魔力を用いた遠距離攻撃を行うモンスターが現れるという事。

ヘルハウンドと呼ばれる黒い狼がまさにそれで、凶悪な口から吐き出される獄炎は多くの冒険者達を葬り去ってきた。

ただ―――――

 

(これ、僕の出る幕殆どないんじゃ……)

 

13階層に足を踏み入れてからというもの、モンスターの群れに出くわす事は確かにあった。

鋭い一角を額に有するウサギのアルミラージや、前述のヘルハウンドに囲まれた事もあった。

だが、それでもテクトさんは彼らの猛攻を一人で凌ぎ切り、魔石の欠片へと化けさせてしまったのだ。

特に集る(たかる)事を得意とする一角兎の攻撃は非常に厄介なのだが……モンスターの攻撃を最低限の動きで躱し、次々に斬り伏せていく彼の剣捌きは綺麗で、見ていて飽きない。

今もまた、アルミラージが突き出してきた鋭利な角を一歩横に動くだけで避けつつ、すれ違い様に袈裟斬りにしていた。

 

―――――これが……レベル3の力?

 

しかし、と僕は自分で自分に疑問を投げかける。

これはきっと、レベルだけの力ではない。

あのモンスター達とこれまで戦った事が無かったテクトさんが、あんな風に初見の攻撃に対し対処できているのは、レベルだけの問題ではない。

これまで培ってきただろう多くの場数と、蓄積された戦闘経験が、彼の卓越された状況判断とそれに対する適切な対処を可能としているのだろう。

 

その強さに、果たしなく大きな“差”に、僕は唖然とした。

同時に、見惚れた。

群れの真っ只中だというのに―――僕は呆けて、立ち止まっていた。

 

「……ッ!」

 

その時、何かに気付いたようにテクトさんの剣戟が止まる。

そして向けられた視線の先は―――――僕の背後。

 

「シオンッ!!」

 

その声に、視線に、ハッとして後ろを振り返る。

そして視界に入ったのは、土煙を上げて轟々と迫りくる二匹の鎧鼠―――ハード・アーマード。

双つ(ふたつ)の矛先が、ぼうっと突っ立っていた僕へと向けられていた。

 

「くっ……!!」

 

―――――テクトさんの足を引っ張るわけにはいかない!!

 

身の丈以上もある長杖を地に突き立て、魔力を練る。

ややもすれば、自身の目の前に“二つの魔力の点”が現れた。

それは、魔力を有する者にしか見えない力の凝縮点。

 

いうなれば、これは―――――起爆剤。

 

「【来れ―――】」

 

吹き飛ばされるのが先か、吹き飛ばすのが先か。

徐々に大きくなる轟音に冷や汗を流しながらも、冷静に努めて詠唱を紡ぐ。

 

「【―――仇を貫く轟雷の槍】」

 

鎧鼠の名の通り、ハード・アーマードは硬い鎧に覆われてはいるが、一点集中型の僕の魔法なら貫く事も出来るはず。

今か今かと待ち受ける“起爆剤”を手に、眼前へと迫るハードアーマード目掛け―――僕は引き金を引いた。

 

「【ヴォルト・スピア】!!」

 

起爆剤から放たれた、迸る二つの白い閃光。

文字通り光速のそれは、一直線に二匹の鎧鼠へと突き刺さる。

雷が落ちたかのような轟音とともに、閃光は鎧を砕いて柔肉を焼き、二匹の鎧鼠を灰塵と散らせた。

 

「……ふぅ」

 

比喩無しに、死ぬかと思った。

危機を前に切迫した胸へ手をあて、落ち着かせるように深呼吸する。

―――――この時ばかりは、短かった詠唱文に感謝しよう。

 

(上手くいってよかった……)

 

二つの魔力の点―――――

その正体は、僕のスキルである《多重魔法(マルチプル・バースト)》。

これは、発動魔法に対し余剰の魔力を注ぐ事によって、魔法を多重発動させる事が出来るスキル。

例を挙げると、以前使用したフロスト・ランス、そして今回のヴォルト・スピア、そのどれもが元々は一発の閃光を射出する魔法。

しかし僕の場合、魔力の点を出現させる事によって閃光を二本射出させる事が可能で、つまり一度の詠唱で二発の魔法を撃てる。

 

ただ、やはり余剰の魔力を使用するからいつもより疲労が激しい。

“魔力の点”の数に事実上制限は無いが、二つで既に精一杯な僕ではこれ以上魔力の点を増やす事は出来ないだろう。

特に最初の頃は一つの魔法を当てようとすればもう片方が外れ、酷い時にはパーティ仲間に当たりそうになった事もある。

最近はそういう事もあまりなくなったが、フレンドリー・ファイアの危険性は常に潜在し続けている。

だから《多重魔法(マルチプル・バースト)》を使う際は、いつも神経をすり減らす勢いで気を使っていた。

 

そういった意味では、《多重魔法(マルチプル・バースト)》はこういう命がけの場面ではあまり使いたくもなかったりする。

万が一集中が途切れて、外れたりすれば大惨事が待ち受けているなんて―――――そんなプレッシャーに何度も打ち勝てる程、僕は図太くなどないのだから。

 

「シオンッ!!何を呆けていたんだ、危ないだろう!!」

「ひっ……!!」

 

耳をつんざく怒声に、思わず体が硬直する。

壊れたロボットのように恐る恐る後ろを振り向くと、目と鼻の先には般若の如く眉を吊り上げ激怒しているテクトさんの顔。

その様相に驚いて後ずさると、呆れたように溜息を吐かれた。

 

「……やはり、お前にはまだ冒険者は早いか」

「えっ?」

「戻るぞ、シオン。パーティ解散だ、お前とはもうやっていけん」

「ッ!?」

 

言うが早いか、テクトさんはそそくさとこれまで来た道を戻ろうとし始める。

遠ざかり始めた背中に、“パーティ解散”という言葉に、思考が停止し―――――気付いた時には、僕の体はその背に縋っていた。

 

「ごめんなさいごめんなさいッ!!次から気を付けますから……!!」

「……」

「見捨てないでください……お願いしますッ!!」

 

我ながら、なんと女々しい言葉だろう。

可愛らしい少女に言われれば心躍るだろう言葉も、男の僕が言えばただ惨めなだけ。

―――――それでも、僕はそうするしかない。

以前のように、女々しくも惨めに縋るしかなかった。

この人にだけは見限られたくなかった。

 

見捨てられたく、無かった。

 

「……」

 

それでも、テクトさんは無言のまま。

何か答えるわけでもなく、じっと背を向けたまま立ち止まっていた。

その怖い程の静けさに、最悪の結果を想像し身が震えたが―――――不意に、テクトさんの大きな肩が震えている事に気付いた。

 

「テクト、さん……?」

「くくっ……」

 

洩れる吐息。

小刻みに震える肩。

何事かとその顔を覗き見ると―――笑っていた。

 

「ははッ、“見捨てないで”だって?お前は捨て猫かよ」

「へ?……へ!?」

「俺を見くびるな、たった一度の失敗で見捨てなどしないさ。こうすれば次からは気を付けるだろうと思ったんだが……どうやら、お前には刺激が強すぎたようだな?」

 

にやりと、嫌らしい笑みを浮かべながら告げられて。

青ざめていた顔が、羞恥で急激に熱を持ち始めた。

 

「テ、テクトさ……ッ!!」

「―――――とはいえ、だ」

 

非難を口にしようとするも、それを遮るようにぐいっと顔を近づけられ。

先ほどの笑みからは一転、テクトさんの真剣な眼差しに息が止まる。

 

「二度と群れの中で呆けるような真似はするな。次は本当に解散しかねないぞ―――お前が命を落とす事によってな」

「ッ……」

 

僕達は二人一組。

三人で組むパーティと比べれば、各々の負担も役割に対する責任も各段に大きい。

特に、テクトさんは完全な前衛型で、対して僕は後衛型だ。

テクトさんが群れに対処している時に僕が襲われでもすれば、先のように前衛のフォローが後衛へ間に合わない事もある。

だから僕は、自分の身は自分である程度守るか、あるいはそういった危険に陥らないよう立ち回らなければならない。

 

それを怠りなどすれば―――――僕だけでなく、テクトさんすらも危険に陥りかねない。

 

「……ごめんなさい。次からは、気を付けます」

「分かればいい。それと、泣き顔ご馳走様」

「はい……って、泣き顔!?」

 

慌てて頬に触れると、確かに濡れた跡のように湿っていた。

気付かぬうちに泣いていたのかと、頬が熱く火照りはじめる。

 

「それはそれとして、もう暫くモンスターを狩ったら一度戻るぞ」

「魔石の換金、ですか?」

「あぁ。二人じゃ、持てる量にも限りがあるからな。頻繁に往復しなければならないのは面倒だが……まぁ、いつものことだろ」

 

今日は群れに遭遇する事が多く、確かにテクトさんのバッグはもうパンパンだった。

僕も一応持ってはいるが、非力な為テクトさんほどあまり多くは持てない。

だいたいテクトさんの量の4分の一程度を持つと、歩くだけで疲れだすくらいには力が無い。

 

「すみません……」

「適材適所という奴だ。その分、お前が魔法でフォローしてくれ」

「はい、分かりました!!」

「っ……くく」

 

テクトさんから頼まれて、悪い気はしない。

その言葉に、僕はこれでもかと何度も頷いた。

必死さがツボに入ったのか、テクトさんはやがて笑いながら先を進み始める。

 

(あれ……テクトさんって、こんな人だったっけ?)

 

今までのテクトさんには、もっと違う印象を抱いていた。

寡黙で厳しい事も言うけど、時折安心させるように笑い、一歩離れた所から優しげに見守る人。

そんな風に思っていたが―――――

 

「心、開いてくれたのかな」

 

先ほどの“冗談”といい、案外冗談好きなのだろうか。

未だ肩を震わせ笑っているテクトさんだったが、それでも僕は咎める事も無く共に笑った。

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

それから、これ以上ないくらい魔石を集めた後。

今僕達は復路を歩き、上を目指していた。

持ってきていた地図の写しを手に、階層を上へ上へと昇っていく。

時折出現するモンスターはテクトさんが斬り捨てつつ、上層の半ばまで上がった頃。

僕達は、とある二人組の冒険者に遭遇した。

 

「あれ……兄さん?」

 

そう口にしたのは、その二人組の冒険者の一人である白髪の少年。

親しげにテクトさんへ向けて告げられたその言葉から察するに、彼とテクトさんは兄弟なのだろう。

実際、彼ら二人は背丈は違えど髪色も雰囲気もどこか似ていた。

 

「……ベルか」

 

白髪の少年に、テクトさんは優しげに応える。

なんとなくその声と彼の纏う雰囲気に違和感を感じたが、僕にはそんな事を考える余裕などとうに消え失せていた。

その原因は―――――少年の背後に居た少女。

 

「ベル様っ!この方が、ベル様がおっしゃっていたお兄様ですか?」

「あぁ、そうだよリリ。僕の尊敬する兄さんだ」

(リリっ……!?)

 

フードで頭を覆い隠しているが、ふんわりとした朱い前髪も、小柄な体躯も、見覚えがあった。

それに、唯一無二の幼馴染で友人の声を、この僕が忘れるはずもない。

 

(けど、なぜリリがここに!?あの大きなカバンは、まるでサポーターの……)

 

僕の幼馴染―――リリルカ・アーデ。

冒険者達に今まで痛い目を見てきたらしいリリは、冒険者が嫌いなはずだ。

そんなリリが、何故冒険者のサポーターなんてものをやっているんだ。

大体、今の時間は花屋でアルバイトをしているってリリが僕に言って―――――

 

「兄さん、紹介するよ。この子は、リリルカ・アーデ。僕のサポーターをやってくれているんだ」

「リリルカ・アーデ……」

 

その名を反芻するテクトさんの声には、どこか懐疑の色が宿っていた。

それもそうだ、確かテクトさんはリリに似た誰かに嫌悪を抱いている。

その誰かに似たリリに、フードから覗く朱い髪と丸い瞳に、疑惑の視線を向けるのも無理はないのかもしれない。

 

―――――大体、僕もそれで痛い目を見たし。

 

「初めまして、テクト様!お話は常々ベル様より伺っております」

「……」

「テクト、様……?」

 

テクトさんは、何か考え込んでいるようだった。

同時に、逡巡しているようにも見えたが―――やがて迷いを断ち切るかのように、つかつかと足早に歩みを進める。

そしてそのまま、ベルと呼んだ白髪の少年の横を通り過ぎ。

テクトさんは、リリの前で立ち止まった。

 

「あ、あの……?」

 

不審そうに見上げるリリ。

だがそれにも構わず、テクトさんは腕を振り上げ。

―――――そして次の瞬間、思いっきり彼女の被っていたフードを剥ぎ取った。

 

「きゃあ!?」

「に、兄さん!?いきなり何を……!!」

 

少年は慌てていたが、しかしテクトさんは―――――そして僕も、驚きで言葉を失った。

フードが取り払われた少女の頭に生えていた、二つの獣耳。

本来なら在る筈の無いそれに、僕の眼は釘付けになっていた。

 

「犬人……?」

「は、はい。リリは犬人ですが……どうかされましたか?」

 

恐る恐るといった様子の彼女に、テクトさんは無言。

ただ、フードをはぎ取った手は固まっており、傍から見ると困惑しているようにも見えた。

 

「……いや。突然悪かったな」

「本当だよ兄さん!女の子相手にそんな事を……」

「ベルも、悪かった。リリルカが、俺の知る人の特徴と似ていたものでな」

 

違うようで安心したよ、とテクトさんは再び僕の目の前に戻ってきた。

そんな兄の様子に少年は不審そうな目を向けていたが、その言葉に一応納得したようだった。

―――――どうやら、兄に対する信頼度はとても大きいらしい。

 

「ところで、兄さん。そこの人は、もしかしてパーティの仲間?」

「あぁ。こいつは……」

 

突き刺さる視線。

どうやら、挨拶をしろという事らしい。

三つ分の視線を前に、僕は今一度大きな帽子を目深に被り直し、口を開いた。

 

「……私はクレイ・シオ。よろしく」

 

声はいつもよりやや高めに。

顔は帽子で隠し、一人称は“僕”から“私”へ。

“僕”の行動にテクトさんからの疑念が痛いほど向けられたが、それでも“私”は“少女”を演じた。

こういう時、変声期を迎えていなくてよかったと常々思う。

 

「僕はベル・クラネル。多分察しがついてると思うけど、兄さん……テクト・クラネルの弟なんだ。よろしく、クレイさん!」

「リリルカ・アーデです。よろしくお願いします、クレイ様」

「……」

 

応える事が出来なかった。

まるで幼馴染にしか見えない犬人のリリルカ・アーデに、僕の頭は混乱していた。

―――――リリって実は、犬人だった?

いや、それでも確かに彼女の頭にはあんな耳は無かった筈だ。

考えれば考える程、僕の思考は袋小路へと陥り、泥沼へと沈んでいく。

 

「ベル、お前は先へ進むのか?」

「うん。兄さんは帰り?」

「一度換金にな。俺達はもう行くが、くれぐれも油断するなよ」

「大丈夫です、テクト様!ベル様は私が責任を持ってサポート致します!」

「っとまぁ、こんな感じに頼もしい仲間も居るから。大丈夫だよ、兄さん」

 

“大丈夫”。

その言葉に、一瞬テクトさんが反応したような気がした。

 

「……そうだな。行くぞ、“クレイ”」

「ハイ……」

 

どこか冷徹さを帯びた言葉に首を傾げつつも、歩き出したテクトさんの後を追う。

途中、リリの横を通り過ぎ―――懐かしい匂いが、僕の鼻腔を擽った。

 

(やっぱり……リリだ)

 

何故、あんな耳をしているのかは知らないけれど。

でも幼馴染のリリルカ・アーデである以上、僕の事を知られるわけにはいかない。

 

 

僕が、リリの嫌いな冒険者である事を―――悟られるわけにはいかないのだ。

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

「……クレイ・シオ、か。咄嗟に思いついた割には、良い名前だな」

「やめてください。僕の名前をちょっともじっただけです」

 

その後、バベルの換金所へとやってきた僕達は、部屋の一角にあった座椅子に仲良く並んで座っていた。

ダンジョンに戻ることもなく、そうしていたわけは―――勿論、先ほどの件である。

 

「あの子は、僕の幼馴染なんです。けど、僕が冒険者をやっている事は伝えてなくて……」

「……だから、名前を偽ったわけか。ついでに、あの様子だと性別も女だと思われてるだろうな」

 

どこか楽しげに語るテクトさんを見て、僕はようやく理解した。

先ほどテクトさんがベルさんと話していた時に感じた、違和感の正体を。

 

「テクトさんって、いつも“ああ”なんですか?」

 

温和で、真面目で、頼もしい兄。

どこまでも弟一筋で、あんな兄を持つベルさんはとても恵まれている。

思わずそう思ってしまう程、あの時のテクトさんは―――僕にとっても、理想の兄だった。

 

人間味が感じられない程に、理想すぎていた。

 

「さて、な。果たして、どれが本当の“俺”なのやら……」

 

困ったように笑うテクトさんに、僕は何も言えなかった。

なんだか長い期間ずっと一緒に居たような気もしているけれど、実際は出会ってからそう長くもない。

お互い知らない事も多いし、むしろその点ではベルさんの方がテクトさんの事をよく知っているだろう。

僕の前だけで見せたテクトさんが、果たして“本当”なのかは分からない。

けれど―――――

 

「僕は、僕の前で見せてくれたテクトさんが好きです」

「……」

 

何を言うでもなく、テクトさんは黙って僕の話を聞いていた。

 

「僕に冗談を言って笑っていたテクトさんは、楽しそうでした。少なくとも――――ベルさんと話していた時よりは、ずっと人間らしかったです」

 

非常に失礼な事を言っている自覚はある。

僕は今、テクトさんだけでなくベルさんにも無礼な事を言ったのだ。

だってこれでは、ベルさんと居てテクトさんは楽しくないと言っているようなモノで。

 

「……そうか」

 

それでもテクトさんは、僕の言葉に頷くだけだった。

怒る事も悲しむ事もせず、無表情でただただ聞いていた。

 

―――――その無表情の裏で、一体何を考えているのだろう。

 

「テ、テクトさん……?」

「……」

 

返事は無い。

何となく居心地が悪くてみじろぎしていると、不意にテクトさんの眼が僕へと向けられた。

 

「ダンジョンに戻るか」

「え?」

 

―――――話は終わりなのだろうか。

テクトさんは何事も無かったかのように立ち上がり、僕を見下ろす。

ただ、その眼はベルさんに向けていたようなものではない。

 

優しさなんてものは鳴りを潜め、意地が悪そうで楽しげな眼をしていた。

 

「……はいっ」

 

―――もしかすると、だけど。

それが、テクトさんの答えなのかもしれない。

 

差し伸べられた大きな手を、僕は喜んで受け入れた。

 

 

 

 



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第十六話番外 私の大切な幼馴染

6/7:リリの一人称が「私」になっていたのを修正。
6/8:文章を加筆修正。リリの心情描写をより丁寧に。
2017/10/12:加筆修正


探索中、偶然遭遇した二人組の冒険者。

彼らとの邂逅を終えた後、この冒険者は目に見えて張り切って探索しだした。

その理由はきっと―――――

 

「ごめんね、リリ。兄さん、何か勘違いをしていたみたいでさ」

「いいえ、大丈夫ですよ」

 

このヒューマンの兄……テクト・クラネル。

弟同様に癖っ気のある灰髪の、長身の男性。

リリを見つめていた瞳は夕日のように朱く、綺麗で。

あの、弟を見る優しげな目を見たら、慕うのも無理はないと思ってしまった。

 

しかし―――――あの“初期レベル3の冒険者”が、まさか兄だったとは。確かに、同じクラネルだったけれど。

ちょっと、“差”がありすぎやしないだろうか―――――何が、とは言わないけれど。

 

「それに、“似た風貌をしていた”リリも悪いですから」

「そんな!リリは悪くない言うけれど。でも実際、悪いのは本当にリリ。

そしてフードを掴まれたあの時、焦った。

気付かれてしまったのかと、このヒューマンに全てバレるのかと、恐怖した。

思わず身が震えてしまった程に、あの男は―――殺気を込めて、リリを見ていた。

 

「っ……」

 

今までの冒険者達が見せてきたような侮蔑ではない。

あれは、徹底的なまでの“嫌悪”。

絶対的な殺意を、テクト・クラネルはぶつけていた。

 

「リリ?どうしたの?」

「あ、いえ。なんでもありません」

 

足取りが重くなっていたリリに、心配そうに視線を向けてくる。

あの冒険者の弟とは思えない程、優しい眼差しを向けてくる。

一見すれば本当に兄弟なのかと疑ってしまいかねない程、彼らが向ける視線は真逆だ。

 

(でも……やっぱり、兄弟なんですね)

 

身内には……信頼している人間には、とことん甘い。

この人が今リリに対しそうしているように、あの兄もまた弟に甘い。

リリには見せず、弟には見せていたあの眼を見れば、誰だって分かる。

 

あの人は―――――どうしようもなく、弟が大切なのだろう。

 

「リリ、ベル様がちょっと羨ましいです」

「え?」

 

あんな兄が居たら。

あんな風に見てくれる人が居たら。

リリを守ってくれる人が居たら、きっと今頃―――――

 

(……シオン)

 

ふと、幼馴染の顔が脳裏に浮かんだ。

空色のサラサラな髪を肩まで伸ばした、幼げなハーフエルフの少年。

 

でもあの子は、リリにとっての兄などではない。

どちらかというと、弟だ。

リリが居ないと何もできない、守らなければならない存在。

冒険者になれなければ、リリのように手を悪に染める事も出来ない、純粋無垢で弱い存在。

 

「あの子も、もう少しベル様のように頑張って欲しいものなのですが」

「あの子……?」

「幼馴染です。シオンっていうハーフエルフなんですが、どうしようもなくヘタレで……」

 

一度、あの子も冒険者になろうとしていた時期があった。

かなり前の話だから、非力な今よりも更に非力な、モンスター一匹殺せないんじゃないかと思うくらい当時は弱い子だった。

それでも、シオンはシオンなりに頑張ったようだったけれど、結局諦めてしまったようだった。

その証拠に、丁度リリがサポーター紛いの事をし始めてからは、めっきりその話を聞かなくなってしまった。

外から杖代わりの妙な木の棒を持ってきては、いつも懐かしげにそれを眺めている。

 

「でも、しょうがないんじゃないかな。誰にだって、出来る事出来ない事があるからね」

「……それでも、強くなって欲しかったんです、あの子には」

 

リリは冒険者が嫌い。

でも、シオンがその嫌いな冒険者になるという事自体に、嫌悪を抱く事はなかった。

むしろ嬉しかった。

あの子が、リリを守ろうとしてくれた事が。

 

(……でも、諦めてしまった)

 

彼はモンスターと直接やり合う事が出来る程身体能力は高く無かった。

つまり“盾”となるような助けが必要な彼は、いつもどこかのパーティに所属していた。

 

一人でダンジョンに潜れる程の能力は、彼には無かった。

 

けど同時に、自己主張が激しく血気盛んなそこら辺の冒険者達とは違って、シオンは純粋過ぎた。

裏を知らず、表しか知らなかった彼は、そのことごとくに裏切られ、金を騙し取られ、そして捨てられた。

そしていつか、ボロボロになって帰って来た時、あの子は言った。

 

冒険者が怖い―――――と。

 

「ベル様とあの子が会ってたら、もしかすると何か変わっていたかもしれませんね」

「僕が?そんな、買い被りすぎだよ。その子だって、僕みたいな弱い冒険者と一緒に冒険したくないよ、きっと」

 

そんな事は無い。

そう言い切れる程に、確信があった。

サポーターであるリリにすら、おかしいくらいに優しいこの人なら。

きっと、あの子を絶望させる事はなかっただろう。

 

―――()()()と出会えていたのがリリではなくシオンだったら、あの子は冒険者を辞めなかった。

 

(シオンのサポーターになら、喜んでなるのに……)

 

きっとリリはシオンのサポーターとして、ダンジョンに潜っていただろう。

一緒に苦労を経験して、一緒に命がけで頑張って。

苦しい事も辛い事も、シオンとなら一緒に乗り越える事が出来たかもしれない。

 

でも、それは全て泡沫の夢。

叶わぬ願いに胸を高鳴らせたところで、ただただ絶望するだけ。

諦めるように小さく嘆息して、ベル様を仰ぎ見ると―――――不意に、その隣に冒険者としてのシオンの幻を視た。

その幻は、楽しげに笑っていて。

その笑顔に、ベル様も笑い、リリも笑うのだ。

もしかしたら、あの兄も一緒に歩いていたかもしれない。

弟に向けるようなまなざしを、リリにも()()()()()()()()かもしれない。

 

―――そんな、希望に満ちた現在(いま)の幻想。

 

陰険なダンジョンには似つかないその眩しさに。

頬を、雫が伝った。

 

(……っ)

 

夢に押しつぶされそうになり、慌てて頭を振って幻想を振り払う。

―――どうせそんな幻想はあり得ない夢。

―――ベル様だって、その優しい笑顔の裏で何を考えているか分からない。

―――ベル様のお兄様はあんなに恐ろしい人間なのだ、その弟も腹に一物抱えているに違いない。

―――見ただろう、あの日の夜のテクト・クラネルの暗い眼を。

そんな風に自分に言い聞かせ、納得させて。

 

(冒険者は……やっぱり嫌いですっ)

 

リリをこんな目に遭わせる冒険者が。

そして、シオンの夢を壊した冒険者が。

リリを守ろうとしてくれた弱いけど頼もしいシオンを、“潰した”冒険者が。

リリとシオンの夢を壊した冒険者が。

 

 

 

リリは―――――大っ嫌いです

 



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第十七話 明日を想い、過去を憶う(おもう)

 

 

その後、ダンジョン探索を終えた僕達は換金の為にギルドへと向かった。

換金を済ませ、魔石の鑑定士から受け取ったヴァリスはいつもより多額で。

その多さと重さに、僕はもとよりテクトさんすらも驚愕していた。

恐らく初めての中層という事で、魔石の価値もいつもより上がっていたのだろう。

そしてあの様子から察するに、やはりテクトさんも僕同様中層以降に潜った事が無かったのは確実。

 

―――――ところで、テクトさんはレベル3だ。

適正階層だけ見れば、既にダンジョン下層へ片足を突っ込んでいる能力である。

そんな彼が中層へ潜っていないなど通常なら考えられない。

というか、上層だけでレベル3に上がれるのなら多くの冒険者もレベル1で留まっていたりしない。

僕自身、レベル2に上がるまで4年も費やしたのだから。

 

(やっぱり……)

 

やはり、テクトさんが“初期レベル3”だという噂は本当だったのだ。

そしてそれはつまり、地上のモンスターを相手に戦闘を重ねた結果、テクトさんはレベル3まで上がったわけで。

 

―――――けどそれって、上層だけでレベルを上げるより難しい気がする。

 

地上のモンスター達は、地上で繁殖するために体内の魔石を消耗し続けている。

その関係上、地下迷宮のモンスターより彼らは非常に弱体化しているのだ。

それこそ、ダンジョンではかなり奥深くに棲息するようなモンスターでもレベル2の冒険者ですら善戦できる程度には。

実際に戦った事はないけれど―――ダンジョンのモンスターに比べれば力など無きに等しいと、以前母さんからそんな話を聞いた。

 

(でも……テクトさんの“アレ”を見たら、納得もしちゃうんだよなぁ)

 

多くのモンスターを前にして見せたあの冷静さと、波のように絶え間なく押し寄せる攻撃を捌き切るあの戦闘技術。

神様からの恩恵だけでは決して得る事の出来ない、卓越した“技”。

レベルはともかく、技だけなら一級冒険者にも匹敵しているのではないだろうか。

戦闘中にも関わらず見惚れてしまった程、テクトさんの技術は高かった。

 

要するに、だ。

恐らくテクトさんは、ここオラリオでいう所の“一級冒険者並みの経験”を積んでいる。

ただ、今まで相手にしてきたモンスターが弱すぎた為に、レベルは3で止まっているわけで。

仮に神の恩恵を無しに考えた時、テクトさんの実力は結構上位にまで食い込むのではないだろうか。

―――――まぁ、仮定を考えたところで仕方ない事ではあるのだけれど。

 

「なんだ。俺の顔に何かついているのか?」

「い、いえ……」

 

怪訝そうに細められた彼の視線。

なんとなく眼を合わせ辛くて視線を逸らすと、手に麻袋を持たされた。

思わず手から落ちそうになるほどずっしりと重く、慌てて胸に抱きかかえる。

それは本当に重かった。

―――――今日の僕の働きに対して、まったく不釣り合いな程に。

 

「今日の報酬だ。明日もよろしく頼む、シオン」

「あ……」

 

お礼を言おうと顔を上げ、かち合う視線。

不敵に笑うテクトさんと目が合い、僕は思わず再び視線を逸らした。

 

「……」

 

―――――僕なんかとパーティを組ませてしまって、よかったのだろうか。

 

勿論、彼にパーティを迫ったのは僕だという事は分かっている。

突き離されかけた時には女々しくも縋る程、僕はテクトさんに依存している事も分かっている。

 

けれどその上で、やはり僕は考えてしまう。

厚顔無恥にも、罪悪感に苛まれてしまう。

どうしようもなく僕では力不足なのだと。

どんなに僕が頑張ったところで、僕の存在そのものがテクトさんの足枷となっているのだと。

 

(僕は足枷……でも、それでも僕は―――)

 

―――――けど、もうくよくよするのはやめにしよう。

今の僕が足手纏いなら、明日の僕が少しでもテクトさんの役に立てるようになればいい。

例えテクトさんが既に遠くへ走ってしまっていたのだとしても、少しずつ追いついていけばいい。

出来るだけ早く、けれど確実に一歩ずつ差を縮めよう。

見捨てやしない―――――テクトさんはそう僕に言ってくれたんだから。

 

新たな決意を胸に、俯いていた顔を上げ。

深呼吸するように大きく息を吸い込み、僕は宣言する。

 

「テクトさん!僕は―――」

「……シオン、この後時間あるか?」

「――――えっ?」

「ちょっと付き合って欲しいんだ」

 

だが、紡ごうとした言葉は呆気なく遮られ。

出鼻を挫かれた僕の心境などいざしらず、テクトさんの声はとても楽しげだった。

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

道中、テクトさんは僕に告げた。

曰く、紹介したい店がある、と。

テクトさんからの紹介とあっては、特に断るような理由も無い。

僕は二つ返事でそれを了承し、テクトさんに連れられるがまま西のメインストリートを歩く事数分。

 

僕の耳に、騒がしい音が聞こえてきた。

 

「……酒場?」

 

鼻腔を刺激するアルコール臭。

店は多くの冒険者による喧騒で賑わい、アルコール臭に紛れて漂う料理の美味しそうな匂いが僕の空腹を刺激する。

 

冒険者の為の酒場、【豊穣の女主人】。

金がない僕にとっては最も遠い存在だと思っていた店が、そこにはあった。

 

「あっ不良債権!いらっしゃいニャ!」

「……アーニャさん、そうやって俺を呼ぶのはやめてください」

 

店に入るや否や、猫人の娘が親しげにテクトさんへと駆け寄ってきた。

決して好意が向けられているとは思えない名で呼んではいるが、その一方でテクトさんが来た事には喜んでいる。

ゆらゆらと大げさに左右に揺れる尾は、まさしく彼女の心境を言い表していた。

―――――口ほど体は物を言う、という事か。

 

「アーニャさん、今日は二人なんですが……」

「二人ぃ?もしや、ウワサの嫁を―――――」

 

テクトさんの言葉に、アーニャという名の少女はイヤらしい笑みを浮かべ。

背後に隠れていた僕を覗き見るように、彼女は体を乗り出した。

 

「あ、どうも」

 

テクトさんより頭二つ分程背が小さい僕と、彼女の視線が交差する。

 

「……」

 

最初は唖然。

 

「……?」

 

次いで怪訝。

 

「……あぁ」

 

更に嘲笑。

そして最後に、したり顔でアーニャさんは言ってのけた。

 

「……オニイサンって、ロリコンだったのかニャ!?」

「ちょ、ちょっと待てアーニャッ!!」

 

爆弾発言。

その言葉に余程焦ったのだろう、テクトさんの敬語も抜けていた。

そしてそんな僕達の騒ぎに、周りの冒険者達からは好奇の視線が向けられていて。

 

努めて無関係を装い、僕はそっと後ずさった。

―――――僕は無関係、赤の他人です。

 

「だから俺には嫁など居ないと何度言ったら分かる!!大体、コイツは男だ!」

「んニャ!オニイサン、まさかショタコ」

「その先は言わせねぇよッ!!」

「むぐっ!?」

 

テクトさんの腕がアーニャさんの口へと伸び、無理やりに塞ぐ。

しかしアーニャさんも負けじとそれを振り払い、尚もテクトさんを嘲笑いながら言葉を続ける。

―――――というかテクトさん、女の子の口を無理やり塞ぐとか中々大胆ですね。

 

「ぷはッ!不良債権な上に犯罪者とか、オニイサンは罪深い男ニャ!!」

「はぁ?誰が犯罪者だダレが!!」

「オニイサン、お前はこの少年の可愛い顔に騙されてるだけニャ!雄と番う(つが)くらいにゃら雌の私と番う(つが)ニャ!!」

「だぁれがお前なんかと!!せいぜい野良猫相手に尻尾振ってろ!!」

「ニャアアアアアッ!?私みたいな可愛い子に言い寄られておきながらなんて言い草ニャ!!」

「自分を自分で可愛いなどと断言するようなナルシストに、まともな奴なんていねぇんだよ!!」

「ショタコンに言われたくないニャッ」

「だから違うと言ってるのが分からんのかッこのスットコドッコイ!!」

 

これではまるで子供同士の喧嘩。

そしてこれが、冒険者達にも聞かれているわけで。

―――――聞いているこっちが恥ずかしくなってくる。

 

そろそろ他人のフリも限界で、流石に止めに入ろうかと考えだした―――――その時。

顔を真っ赤にして白熱しているアーニャさんとテクトさんに、不意に影が差す。

 

「……アーニャ」

 

冷徹で、地の底を這うような声。

背筋が粟立つようなその冷たさに、僕達どころか周囲の冒険者達までが息を呑む。

そしてその空気に、猫人の少女もまた肩を跳ね上げて固まり。

硬直する彼女の背後には、いつの間にか淡い緑髪の女性が無表情で仁王立ちしていた。

 

「リュ、リュー……ッ!?」

「ミア母さんを怒らせたくなかったら仕事に戻りなさい。遊んでいる暇など無いのですから」

「い、いえっさー!!」

 

言われるが否や、少女はそそくさと退散してしまった。

その逃げ足の速さたるや、冒険者の僕も見習いたいくらいだ。

やがてリューと呼ばれた女性の手により事態も収束し、静まり返っていた店内も再び喧騒を取り戻す。

冒険者達の興味はすっかり酒へと戻り、先ほどまで好奇の禍中にあったテクトさんは疲れ切ったように深く嘆息した。

 

「はぁ……」

「貴方にはいつもご迷惑をおかけしてすみません。常々お兄さんに迷惑を掛けないよう言っているのですが、中々あの子も聞かなくて……」

「いえ、こちらこそ騒いでしまい申し訳ありません。もう少し静かにするべきでした」

 

眼光は鋭く、すらりと伸びた背筋とその立ち振る舞いから、彼女がとても礼儀正しい人なのだという事が分かる。

だがそれでいて近寄りがたいというわけでもなく、先ほどの冷徹さは今や見る影もない。

 

怒らせると怖いだけで、根は穏和なのかもしれない。

真面目で穏和な人ほど怒らせると怖いというけれど。

 

「貴方も、すみませんでした。アーニャには後できつく言っておきますので」

「あ、いや、別に僕は大丈夫ですから……」

 

それよりも、僕は彼女の耳に目が留まった。

細く尖ったその耳は、まさしくエルフ特有の特徴。

同族を前に隠すのも失礼だろうと、僕は深く被っていた帽子を脱いで改めてリューさんを仰ぎ見る。

覆いかぶさっていたものが無くなったことで、細く鋭い耳が外気に晒された。

 

「初めまして、ハーフエルフのシオン・クレマです。よろしくお願いします、リューさん」

 

別に今時、ハーフエルフなんて珍しくもないし隠すような事でもないのだけれど。

この幼い外見に苦労する事も多かった僕は、出来るだけ種族や外見が分からないようにしている。

ただ、リューさん相手にそんな事をする気にはなんとなくなれなくて。

 

空色の髪と細い耳は父親譲り。

海色の瞳としっとりとした髪質は母親譲り。

僕は確かにエルフとヒューマンの間に生まれたハーフエルフなのだと、見せつけるように笑って握手を求めた。

 

「……」

 

―――――だが。

その握手が返される事は、なかった。

 

(……あれ?)

 

先も言ったが、ハーフエルフは今時物珍しいものでもない。

特に多くの種族が混在して暮らすオラリオでは、そういう人達も一定数いる。

街を管理するギルド職員にだって居るくらいだ。

 

だが、リューさんの眼は違った。

その眼は驚愕からか、満月のように大きく見開かれていて。

微かに震える瞳は、決して僕から視線を逸らす事無く。

僕を凝視し、固まっている。

 

―――――何がなんだか分からない。

何故リューさんが、そんな眼で僕を見ているのだろう。

まるで幽霊でも見たかのような、狼狽入り混じるそんな瞳で……何故。

 

「えっと、リューさん……?僕、何か気に障る事でも言いました?」

 

とはいっても、僕は挨拶しただけである。

ただそれだけで気に障るというのも可笑しい話。

意味が分からず首を傾げ、未だ差し出したままの自分の右腕を見下ろした。

―――――そして、気付いた。

 

「……あっ」

 

エルフは、心を許した相手以外に接触を許さない。

僕自身そういう事をあまり気にしない質だったせいで、今の今まですっかり忘れていた。

なるほど、リューさんからすれば僕のような素性の知らぬ男の手など取りたくもないだろう。

慌てて差し出した腕を戻し、恥じらいを押し隠すように頭を掻いた。

 

「す、すみません。迷惑でしたよね」

「―――いや、こちらこそすみませんでした。空いている席にご案内します」

 

取り繕うような笑みの謝罪。

ただそれでもリューさんは困惑顔で、僕に背を向け歩き出してしまった。

 

(あー……やっちゃったかな)

 

ファースト・コンタクトは大事だというのに、これは大失敗したといっても間違いない。

リューさんの案内に従いつつ、己の失態に僕はテクトさんの後ろで頭を抱えた。

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

「はぁ……」

 

テーブルに肘をつき考え込む僕の視界の隅では、給仕の娘達が両手一杯に料理や酒を抱え、忙しなく動き回っている。

ヒューマンも、猫人も、エルフも、色んな種族が手を取り合って働いている。

店内に配置された席のほぼすべてには先客が居り、際限なく溢れ湧く注文はまさに嵐のよう。

だがそれを前にしても、主に調理を担当しているドワーフの女主人はまだ余裕を見せていた。

この数を捌ききれるのは、やはり一流冒険者であるからなのだろうか。

 

更に少し店内を見渡せば、先ほどの緑髪のエルフの姿も容易く見つかる。

しかし仕事に打ち込んでいるその姿は、先ほどの困惑顔など想像もつかない程凛としていて。

差し出してしまった右手を眺めつつ、脱力して机に突っ伏す。

 

押しのけられた料理の皿が、寂しげに音を立てた。

 

「やっちゃった……」

「シオン、そんなに落ち込む事もないだろ。たかがあんな事でリューさんも怒るわけがない」

「でも……」

 

あの時僕に見せたリューさんの眼。

あの目を見て、僕は確信した。

怒らせはしなくても、嫌われてしまったのは違いない、と。

ただでさえ綺麗な人だと思っていただけに、出会い頭で失敗したのは本当にマズかった。

僕も男だ、女性に嫌われるよりは好かれる方が良いに決まってる。

―――――別に、“そういう事”を期待はしていないけれど。

 

「それより、シオン。お前に今日付き合ってもらったのは、お前にリューさんを紹介するためじゃない。それは分かってるよな?」

「分かってますよ。何か話があるんでしょう?」

 

でも、不甲斐ない僕への忠告ならダンジョンの中で済ませている筈。

まさかまだ何か言い足りない事でもあるのだろうか。

それとも、その後の戦闘でまた何か気になる事でも―――――

 

「……ッ」

 

―――え、まさかやっぱりパーティ解消?

―――見捨てないと言ったがあれは嘘だとかいうそういう流れ?

考えれば考える程、頭をネガティブな思考が占めていく。

額からは滝のように嫌な汗が流れ落ち、緊張からか膝が激しい貧乏ゆすりを始めていた。

 

「……シオン」

「ひゃい!!」

 

緊張でガチガチに固まっていたためか、思わず舌を噛んでしまった。

激痛に悶え苦しむも、テクトさんはお構いなしにゆっくりと告げる。

 

「明日、俺は用事があって出られなくてな。すまんが、明日の探索は休みにする」

「へぁ、へぁあ……」

「だがシオン、お前はもっと経験を積みたいだろう。特に今は、やる気に満ち溢れているようだしな?」

「っ……」

 

どうやら気付かれていたらしい。

そう、僕は少しでもはやくテクトさんに追いつきたい。

けれど残念ながら、僕は独りではダンジョンに潜れない。

例え上層のモンスター相手でも、魔法が命綱な僕ではいつ燃料切れになって身動きが取れなくなるか―――――

 

「そこで、だ。明日はベル達と一緒に探索をするつもりはないか?」

「―――――え?」

 

ベルさん―――つまり、テクトさんの弟。

ダンジョンで出会った白髪の新米冒険者。

そしてまだまだ駆け出しの彼は、未だレベル1。

 

対して僕はレベル2だけど……しかしこの際、そんなレベル差は関係ないだろう。

重要なのは、僕は一人ではダンジョンに潜れなどしない事で。

そしてそんな中で無理して潜る度胸も力も、僕には無いという事。

 

「で、でも、ベルさんの気持ちはどうなんです?僕達だけで勝手に決めてはまずいのでは……」

「そこは俺がなんとかする。ベルの主神、ヘスティア様にも掛け合っておこう。後はお前の気持ち次第だ、シオン」

「僕の……」

 

―――――正直に言えば、願ったり叶ったりな申し出。

レベルが僕より低かろうが、仲間というのは居る事が重要なのだ。

それにベルさんは良い人そうだったし、個人的にも仲良くなりたい。

 

「―――――是非、僕からもお願いしたいです」

「よし。それなら明日、いつもの時間にバベル前でな」

「はいっ」

 

もし断られたらどうするんだろう―――――なんて事は考えもしなかった。

なんとなくだが、テクトさんなら何でもやってのけそうな気がするのだ。

それに兄をあんなに慕っているベルさんの事だ、話を聞きもせず突っぱねるなんて事はしないだろう。

 

(ベルさん、か)

 

もう、今すぐにでも帰って長杖の手入れでもしていたい。

ダンジョン探索がこれほどまでに楽しみなのは、一体いつぶりだろう。

期待に大きく高鳴る胸が、このままどうにかなってしまいそうで。

我ながら純心すぎるその思考に、僕は自嘲するように笑った。

 

―――――そう。

期待で盲目的になっていた僕は、まだ気付いていない。

リリとパーティを組んでいるベルさんと共に探索するという意味を。

 

僕の存在をもっとも知られたくない相手に知られる危険性など―――――この時の僕は考慮すらもしていなかった。

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 

シオンとテクトがそんな会話をしていた頃。

エルフの女性、リューは黙々と皿洗いに没頭していた。

 

「……」

 

手は常に動いているが、しかしその視線の向かう先は手元ではなく店内。

先ほど親しげに自己紹介してきたハーフエルフの少年が、今は灰髪の青年と楽しげに歓談している。

男ばかりの暑苦しい店内で、少年の空色の髪は眩しい程に目立っていた。

 

(……そっくりだった)

 

父のように、多くの事を教えてくれた人。

かつて師と仰ぎ、自分の目標だった人。

一緒に居た時間はそう長くなかったが、それでもその影はリューの記憶に鮮烈に刻まれている。

 

その大きな影と少年の影が、リューには重なって見えて。

見覚えのある空色の髪が、似ているようで似ていない懐かしい笑みが、酷く胸をざわつかせる。

 

「そういえばオルさん、恋人が居ると言っていましたね……」

 

恥じらいを隠すように頭を掻きながら、師はかつてリューに告げていた。

自分には愛する人がいるのだと。

今は無理だが、いずれ一緒になるつもりなのだと。

 

そしてその時は、君を―――――

 

「……ふぅ」

 

そこまで考えたところで、リューは思い出に縋る事をやめた。

もう十年以上も前を想ったところで、仕方がない。

守られる事のなかった口約束を惜しんだところで、後悔しか生まない。

どちらにせよ、リューの目標だった師はもう手など届かない所まで行ってしまったのだから。

 

―――――逝って、しまった。

 

「リューさん、大変そうですね。手伝いますよ」

「あぁ、シル。ありがとうございます」

 

優しいヒューマンの友人。

隣に立ち共に皿を洗い始めた彼女を横目に、リューの視線は少年から手元の皿へ。

諦めるように薄く笑い、止まっていた手を再び動かす。

 

だが皿を掴むその手には、無意識の内に力が込められていた。



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