ココのアインクラッドは円柱です。 (二郎刀)
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『HP』

プレイヤーの体力、所持重量、装備重量に関わるステータスです。この数値が高い程、戦闘等で死亡しにくくなります。また、プレイヤーが所有できる総量が多くなります。

 

『筋力』

プレイヤーの攻撃力、防御力に関わるステータスです。この数値が高い程、多くのダメージを敵に与えることができ、また敵の攻撃から身を守る事が出来ます。また、所持重量、装備重量にも補正が付きます。

 

『敏捷』

プレイヤーの速さに関わるステータスです。この数値が高い程、移動や回避等の動作が素早く行えます。また、攻撃への補正が付きます。

 

              【初期装備を選択して下さい】

 

                   【武器】

『片手剣』

癖がなく扱いやすい、多くの冒険者の標準となる武器です。筋力、敏捷の補正が付きます。この装備を選択した場合、盾が付属します。

 

『曲刀』

裂く事を得意とした武器です。柔らかい皮膚を持つ敵には効果的な反面、堅い甲殻等を持つ敵には不得手とする一面があります。筋力の補正を少量受け、敏捷の補正が多く付きます。この装備を選択した場合、盾が付属します。

 

『短刀』

リーチが短く、急所への攻撃に強い武器です。一撃のダメージが多くない代わりに、クリティカルポイントへのダメージ補正が付きます。筋力、敏捷の補正が付きます。この装備を選択した場合、小盾が付属します。

 

『槍』

リーチの長い武器です。突く他に薙ぎ払いや叩く打撃系攻撃もあり、敵によっては攻撃範囲外からの攻撃も出来る特徴があります。筋力、敏捷の補正が付きます。この装備を選択した場合、盾が付属します。

 

『斧』

攻撃力が高く、重量のある武器です。堅い甲殻等を持つ敵にも有効打を与えられます。筋力の補正を多く受け、敏捷の補正も少量付きます。

 

『選択しない』

己の武器が拳一つになります。筋力、敏捷の補正が付きます。また、部位に防具を装備する事により攻撃に補正が付きます。ナックル、クロウ系の武器を購入する事をお勧めします。

 

                   【防具】

『皮防具』

防御力が低い反面、身軽に動く事が出来ます。

 

『鉄防具』

防御力が高い反面、移動が遅くなり、装備重量、所持重量に負担がかかります。

 

『選択しない』

市民服Aを装備した状態で開始されます。防御力に期待できない反面、所持重量、装備重量の総量を気にしなくていい利点がありますが、早々に防具の装備をお勧めします。

 

                 【完了しますか?】

                 『はい』『いいえ』

 

                            アバターを作成します......

 

                                          完了

 

                 ゲームを開始します。

         ようこそ、剣と戦闘の世界、ソードアート・オンラインへ。

              ようこそ、浮遊城アインクラッドへ。

 

 

 



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第一話 はじまりの日

テンプレスタート。まずはこれを読んで今後読むに値するか判断願いたい所存。
まずは読めるかどうか、ですね。


 地に足が付いた瞬間、光の幕が剥がれていく。現れたのは瀟洒な石造りの街並みで、プレイヤーが最初に降り立つ事になる『はじまりの街』の広場だった。街並みに目を向けると、すでに多くのプレイヤーが店の陳列棚を興味深そうに眺めたり、装備を整えた冒険者達が大通りを行き交っている。広場ではさらにログインしてくるプレイヤーの光があちらこちらで出現し、さらに混雑してくることは予想できた。

 

「すげえ、公式の画像通りだ」

 

 自分の喉からびっくりするほどの嗄れた声が出た。キャラクター作成のボイスエフェクターで調整した声で、そうだったと思い出して咳払い。気を取り直して息を吸った。

 

「俺の名前は、アイガイオン」

 

 渋みのある声が出た。おお、と感嘆の気持ちを逸らせ、自分の躰を確認する。アバター名はアイガイオン。神話の巨人の名前だっだ。反して身長は低く、行き交う人々から見下ろされる形になっていて、それは新鮮な驚きだった。肌はやや浅黒くハリは失われていないが、それでも老齢を感じさせる肉感をしている。アバターのコンセプトは熟練老戦士だった。何故かそういうキャラクターが好きなのだ。顔にも幾つも皺と傷痕が刻まれているといった作り込みで、時間をかけた末に満足出来る完成度となっている。

 

「おっちゃん、良いキャラしてるよ!」

 

 長身の女性が声をかけ走り過ぎた。自分の事を褒められたのだ、とわかると自然に嬉しくなる。見ると、その女性は方々に声をかけながらどこかを目指して走っているようだ。間違いなく可愛いと言える女性アバターで、声をかけられた男性アバターも気恥ずかしそうに嬉しがっている。やはり可愛い子に声をかけられるのは嬉しい。男として。そういえば、と軒並み目に映るプレイヤーであろうアバターはほとんどが容姿端麗といった姿形をしている。ある意味、美醜の偏りが酷いのだが、折角だからと皆考えることは似たり寄ったりなのだろう。その中身は如何と考えるのは、ゲームを楽しむ事としていけない事なのだ。

 広場の中央に設置されている時計台を見ると、時刻は午後二時に差し掛かろうとしている。アバター作成に少々時間をかけ過ぎたかもしれない。サービス開始が午後一時で、ちょうどにログインしていたから一時間近くキャラ作りをしていたことになる。右手の人差指と中指を合わせて下に振る。チリンという効果音と共にメインメニュー・ウインドウが現れて、自身の装備を確認する。それを終えると、やはり自分の腕を試したくなる気持ちが出て来る。とりあえず、最初なのだから楽しめることをすればよいのだと思い、最初にすることはフィールドに出ることだと決めた。

 

 

                     ◇

 

 

 フィールドに出た途端、街で流れていたBGMが消えた。若干の静寂感に包まれながら、脚は草原を踏みしめている。草を踏む音が妙に心地を躍らせ、己の得物を握る手に力が入る。なだらかな丘を一つ越えると、視界にイノシシのようなモンスターが現れた。それに視点を合わせるとイノシシの上にカーソルと緑のライフバーが現れ、名称に≪フレンジーボア≫と言う表記が示される。この敵は非攻撃的モンスターに設定されており、こちらからちょっかいをかけない限り、襲われることはない。ちょうど良い練習相手を見つけた、と思い、草を食むイノシシには悪いが、と得物の槍と盾を構える。

 

「Charge!!」

 

 突撃。ガチャガチャと金属鎧が動く度に鳴り、こちらの雄叫びに反応したイノシシが顔を上げる。その横腹にぶつかり、槍が突き刺さると思いきや、毛皮に弾かれ体勢を崩し横転する。急いで立ち上がり、立て直した所にこちらを敵と認識したイノシシがお返しの体当たりをかましてきた。

 

「うおっ!」

 

 がんっ! という衝撃音。咄嗟に盾で防御したものの、意外な突進力に後退する。視界の左隅に表示される青いHPバーが、僅かに空白で埋まっていた。

 

「これがダメージ」

 

 仮想現実だからこそ体験できる初めての経験だった。現実の方では、そんな荒っぽい経験などほとんど無いのだ。これが戦闘。恐怖と高揚が身を包み、何故だかぼうっとしたような感覚が胸にある。イノシシを見ると、可視化されたHPバーが僅かに減っている。同じように、ダメージを与えたのだ。

 

「面白いなあ、これ。面白いなあ」

 

 イノシシの突進。紙一重で避け、後ろを見せた所に槍の穂先を合わせる。ログに示されるアドバイス表示に合わせ、足を一歩引き、腰を落とすと、切っ先が僅かな光に包まれた。

 

「ぜい、やあっ!」

 

 システムが躰をアシストし、自動的な動作で槍が突き出される。槍系統共通単発スキル≪スピア≫は振り向いたイノシシの首に突き刺さるとそのまま肉を貫いた。

 

「うあっ!?」

 

 ざくりと貫いた肉が動く感触が、槍を通して手に伝わってくる。気持ち悪い感触がそのまま背筋まで通り抜け、反射的に手を離そうとしたが、技発動後の硬直時間で動けないでいた。与えたダメージによりイノシシのHPバーは減退し、レッドゾーンになっていたが、その時は若干の恐慌状態に陥っていて気付かなかった。気付いたのは硬直が解けて、槍を手放した後だ。

 

「馬鹿やったなあ……」

 

 突き刺さった槍を振り払おうと暴れるイノシシを見やって呟いた。あと一撃入れれば、あのイノシシを倒せたのだ。イノシシのHPバーは今でも僅かずつ減衰している。槍が貫通している事で継続ダメージが入っている状態で、放っておけば勝手に死ぬだろう。少し痛々しい光景だが、肉を貫く言いようのないおぞましい感覚は御免こうむりたい。慣れなければゲームを楽しめないが。データのくせに、と悪態をついて見守っていると、ついにHPバーが消失した。パリンと破砕音。次いで青白く光った、と思ったらガラスのような欠片となり宙に霧散する。これで敵を倒したという事になる。目の前に紫色の文字で加算経験値とドロップアイテムが出現し、それを確認すると地に落ちた槍を拾いあげた。

 

「武器変えよっかな」

 

 初期装備で選んだ槍だが『はじまりの街』の武器屋に行けば違う装備が並んでいる。アドバイス表示によれば、初期装備用の武器は売却値と購入値が一緒なようだ。つまり、実質交換し放題で、それで自分に合う武器を見つけてくださいという事だろう。初期装備で選べた武器の他に、細剣やら片手棍やら違うカテゴリの武器も存在するようで、それらを試す楽しみもあるのだ。一先ずはこの片手槍をある程度使いこなす事を決め、練習に何回か振ってみたり、この仮想世界に於いて必殺技に位置するソードスキルも出してみて具合を確認する。

 

「うん」

 

 なかなか調子は良い。アドバイス表示の説明文やモーションに従うだけだが、難なく、とは言わないが使いこなせるような気はしてくる。先ほどのイノシシにも、ダメージを少し受けただけで勝てたのだ。間合いの取り方も、割と性に合ってるのかもしれない。そうして槍を使っていると――

 

「おじさん!」

 

――と元気な若者の声が聞こえた。間違いなく自分の事だろうな、とかけ離れた年齢の呼び名にこそばゆい感慨を抱きながら振り向く。

 

「見てたよ! よかったらなんだけど、ボクにも技の出し方とか教えてくれないかな?」

 

 何だこの作り込みは、と言いたくなるような貴公子然とした金髪の青年が、にこやかな笑みでこちらを見下ろしていた。

 

 

                     ◇

 

 

「そりゃ、β(ベータ)テスター以外は皆初めてのはずだよね。ええっと……」

 

「アイガイオンだ。で、お前さんも同じ初心者なんだな、チャーリー?」

 

「うん、そうだよ」

 

 自分のアバターは小さいので、必然的にこちらが見上げる形となる。ちょっとしたドワーフみたいな作りの自分のアバターに蓄えられた髭を撫でながら、チャーリーと名乗る貴公子の話を聞く。

 

「しかし、何も確認せずにいきなりフィールドに出るとはな」

 

「えへへっ、何だが止まらなくなっちゃってさ」

 

「わからないでもない」

 

 チャーリーの装備は片手剣、盾、皮防具というデフォルメだが、整い過ぎた容姿のせいでどこかアンバランスなイメージになっている。これで煌びやかな装飾が施された鎧でも着れば、聖騎士か王子のように着こなすのだろう。

 

「アドバイス表示をONにすれば、ログ画面に色々と説明が書かれるから、それを見るといい」

 

「アドバイス表示? どうやって出すの?」

 

「オプションからだ。まず、メインメニュー・ウインドウを出すんだ。こうやって」

 

 右手の人差指と中指を合わせて下に振って見せる。凛とした音と共に半透明の矩形、メインメニュー・ウインドウが現れた。同じ動作をしたチャーリーの前にも同様のウインドウが現れている。

 

「初期設定では、左側にメニューの項目、右側に自分の装備や状態を表すシルエットが表示される。左のメニューを下にスクロールしてみろ。オプションの項目があるはずだ」

 

「ええっと……あった。凄いね、同じ初心者のはずなのに、すっごい経験者みたい」

 

「年の功、と言えばロールプレイ出来るんだがな。アドバイス表示を呼んだだけだ」

 

 説明している間にメインメニュー・ウインドウのカスタマイズをしていく。メニュー項目を右側に持っていき、装備シルエットを左側に。アイテム等の頻繁に使いそうな項目を上から並べていったり、ログアウトボタンをショートカットに設定したり。

 

「アドバイス表示をオン!」

 

「元気だなあ、若者は」

 

「本当におじさんみたい。実際は幾つなの?」

 

「チャーリー。それはマナー違反だ。ネットなどでは、現実の事を聞いちゃいけない」

 

「そうなんだ。ごめんなさい」

 

 とは言うものの、チャーリーの年齢は大体見当が付いていた。おそらくまだ十代前半。年齢制限に届くか届かないか位だろう。プレイヤー同士が直接対面するこのVR世界では、話し方や、仕草、そういった挙動にどうしてもサインが現れてしまうようだ。仮に年齢制限を満たしていなくても、そう言った我慢しきれない子供が出てくるのは、しょうがない事なのだろう。もちろん、見当を付けたとしても口に出すことはしない。

 

「と言うわけで、ネットでのマナーは守るように」

 

「はーい。なんだかアイガイオン、教官みたい」

 

「訓練場にでも居そうだよな、俺みたいなの。いや、儂と言うべきかな?」

 

「あははっ、本物だ!」

 

 チャーリーは、見た目こそ貴公子然とした容姿だが、それが不自然じゃない懐っこさがあった。こいつとなら仲良くやれるかもしれない、と期待を抱きつつ、お互いにあれやこれやとアドバイスを確認しながら動作を確認する。

 

「へえ、ボーナスポイント、HPと筋力に振ったんだ」

 

「こういうのって性格が現れるのかな。いかにもって感じのが好きでね。レベルアップ時に選択できるのは筋力か敏捷だけらしいけど」

 

「あれ、HPは?」

 

「たぶん、どちらを選ぶかで上がりやすさみたいのがあるんだろう。あとは選択したスキルによって細分化されるらしいし。HPを選べるのは最初のあの時だけかも。まあ、これはステータスの差別化みたいなので、今のレベルじゃほとんど変わらないんじゃないかな」

 

「ふうん。あ、スキルスロットの二つ、何選択した? ボクは片手用直剣だけ選んで片方開けてるけど」

 

「片手槍と防御で埋めたよ、俺は。そういやチャーリー。そのアバター作るのどれくらい時間かかった? なんか凄い作り込みだけど」

 

「一時間くらいだったかな? 姉ちゃんがβテスターでね。その時のデータが使えたんだって」

 

「マジか。えっ、マジか。アレって確か当選人数が」

 

「限定千人だね。もうすっごい喜んでたよ。ボクも嬉しくなっちゃって、一緒に飛び跳ねたなあ」

 

「すげえな、お前の姉さん。じゃ、なんで今、えーっと……お前さんが?」

 

「最初の一時間は姉ちゃんがプレイしてたけど、用事があってね。帰ってくるまでやってていいよって、IDとパスワード教えてくれたんだ。始める時、ナーヴギアのキャリブレーションやり直したけど」

 

「へえ」

 

「βテスト時のアイテム引継ぎとかは出来なかったって言ってて、あっちの森にあるホルンカの村って場所に、重いけど使える片手剣があるんだって。余裕あったらそれ取っといてって言われたよ」

 

 当初のマナー違反はどこへやら。まあ聞き出そうとして聞き出した事じゃないし、と深く考え込まない事にする。自然な流れで聞いていたから、そこまで違反だと言ってもうるさいだけだし、と考えるのを止めた。

 

「ふうん、じゃあ手伝おう。邪魔じゃなかったらだけど。あんなこと言った後で色々聞いちゃったし、悪いな」

 

「ううん、構わないよ。ボクも話しちゃ駄目な事言っちゃったんだね。ごめんね」

 

 と現実との身長差に隔たりのあるアバターを動かしながら、気が付けば様々な事を話していた。動きも慣れた頃、マップのカーソルにアイコンが三つ現れた。色は敵である事を表す赤色だ。

 

「敵だな。こっちに向かって来る。行けるか?」

 

「うん。初めてだけど、頑張るよ」

 

 確認を取ると、緊張を滲ませた表情で、だが確かな力強さでチャーリーは頷いた。戦う前に、とメニューを操作し彼にメッセージを送る。

 

「パーティー申請?」

 

「嫌ならいいぞ」

 

「まさか」

 

 チャーリーがウインドウを押すと、視界左上。自分のHPバーの下に【Charlie】と表記が出現し、その横には青いHPバーが並んだ。パーティー申請が受理されましたのメッセージを消し、ログに表示されたアドバイスを流し読む。マップでは、チャーリーのアイコンカラーが非敵対の緑から、友好的、仲間を示す水色に変わっている。彼も同じで、視界左上に【Aigaion】と出ているはずだ。

 

「これでアイガイオンって読むんだね」

 

「古代ギリシア語で書いてやろうかとも思ったけど、それじゃ読めない人がほとんどだからな」

 

「古代ギリシア語? わかるの?」

 

「いや、ネットで調べてそれだけしか知らないけど。それに流石にそこまでネームバリューに対応はしてなかったよ。さて、俺が前衛かな」

 

「二人だけなのに、意味あるの、それ?」

 

「わからんが、やってみたいじゃない、こういうの」

 

「まあいいよ。どきどきしてきたなあ」

 

 視界に映る敵は≪ウルフ≫Lv.1は三体だ。チャーリーを背にする格好で一歩前へ出る。自分が戦士になったような気分で、落ち着かないというより不思議な高揚に変わっていた。

 

「ガウッ!」

 

 狼が一匹、突出して飛び掛かる。構えた盾を引き、裏拳のようにそれに合わせた。

 

「ぎゃんっ!」

 

 顔面に直撃し、血の代わりの赤いエフェクトが狼の口から僅かにこぼれる。狼は即座に体勢を立て直すと、撃退を警戒したのか、三匹で様子をうかがう様に回りを囲んだ。

 

「ど、どうしようっ!」

「慌てるなっ、とりあえず……っ!」

 

 一匹がチャーリーに飛び掛かる。躰が動いていた。槍系統共通単発スキル≪ホーン≫の上段突きが、宙にいた狼を突き飛ばす。

 

「やばっ……!」

 

 ソードスキルの硬直時間を忘れていた。すでに遅く、他の二匹が即座に躰に噛みついてきた。ずぶりと歯が鎧の露出された部分に食い込んでいる。システムのおかげで痛みを感じることはないが、不快な痺れが喰らい付かれた場所にあり、ダメージのエフェクトが噴き出ていた。

 

「離せぇっ!」

 

 青い光が。チャーリーのソードスキル≪ホリゾンタル≫が一匹を払い落とした。硬直が解け、脚に喰らい付いていた狼を槍の石突きで殴り振り払う。

 

「アイガイオン、HPが」

 

 言われた通りHPバーを見るとイエローゾーンに突入していた。しかし、それは狼の方も同じことだ。内一匹はレッドゾーンに入っている。

 

「後でいい。押し切るぞ」

 

「赤くなってる奴からだね。ボクがやるよ、敏捷あるし」

 

「二匹は俺が引きつけよう」

 

 盾を構えながら槍を突き出す。レベルが低く最初の階層だからだろうが、上手い具合に二匹だけが反応した。冷静に対応すれば、これ位はどうということはない。盾を構えて、牽制に槍で突こうとするだけで時間は稼げる。序盤はどれもこんなものなのかもしれない。気を抜かなければ、二匹も倒せるだろう。ばしゃんと砕けたポリゴンが一つ。最初の一匹をチャーリーがやったのだ。

 

「よし」

 

 負けてはいられない、ソードスキルは発動せずに、レッドゾーンにまで追い込んだ狼のHPを削りきる。それから即座にソードスキルを発動させ、もう一匹を貫いた。

 

「せいっ」

 

 狼を貫いた槍を頭上に掲げる。宙で静止した狼はやがてポリゴンとなり爆散し、破砕片がきらきらと降り注いだ。

 

「わっ、かっこいい」

 

 決まった。チャーリーが賞賛の声を上げた。それに満足した瞬間、とてつもない羞恥が襲った。何をやっているのだ、俺は。フルフェイスの兜が無性に欲しくなった。

 

「顔、赤っ」

 

「SAOは感情エフェクトが過剰なんだってさ。きっとそれのせいだな」

 

「恥ずかしかったんだ」

 

 その言葉に反応せず、アイテム欄から回復ポーションの小瓶を取り出す。物珍しそうな顔をしているチャーリーを横目に、栓を開け中の半透明の液体を一気に呷る。味はスポーツドリンクに近い。

 

「どんな味?」

 

「自分で確かめろ」

 

「意地悪だ」

 

「どうせ、今後嫌と言う程飲むことになるんだろうさ」

 

 体力の回復は緩慢だった。ポーション系はすべからく時間経過による回復らしい。結晶(クリスタル)による回復ならば一気に回復できるらしいが、今のレベルじゃ手を出せない程高価である結晶を使う気にはなれない。初期配布の所持品では、装備の他にこの世界の金≪コル≫と回復ポーションが幾らかに、その回復結晶と指定の場所にワープ出来ると言う転移結晶が一つずつだけだ。

 

「チャーリー。よかったら、後で街まで行かないか? アイテムの補充をしたい」

 

「いいよ。お金が貯まったらだね。このゲームじゃコルって言うんだっけ」

 

「さっきみたいにモンスター狩ってればそれなりに貯まるだろう。防具とかも揃えたいな」

 

「ボクは何を買おう? 楽しみだな」

 

 連携は、最初こそぎこちなかったものの段々と形になってきていた。こちらが引きつけている間にチャーリーが数を減らし、二人で蹴散らす。チャーリーより筋力に振っていたので、多少無茶な戦い方も可能だった。回復ポーションが底をついた頃、街には夕日がかかっていた。はじまりの街の外壁が遠くに見え、かなり離れていた場所で戦っていた事に今更気付く。

 

「うへえ、帰れるかな」

 

「死に戻りっていう手もあるけど」

 

「なにそれ?」

 

「そのままの意味だ。死ぬと、街の教会とかで復活するんだ。それを移動手段として使う方法だな」

 

「倒されるのは嫌だなあ」

 

「SAOでは死んだらペナルティとして経験値が引かれるらしい」

 

「駄目じゃん」

 

「お勧めはしないな」

 

「でも詳しいよね、アイガイオン。アドバイス表示じゃないでしょ、それ?」

 

 アドバイス表示は基本的に、ソードスキルのチャンスなどその状態になったら表示される。まだ実際にデスペナルティを体験したことはないが、これくらいは基本情報だった。

 

「発売までに、SAOの攻略サイトとか雑誌を毎日見てたからな。βテスト時の情報とかは公開されたものは多分ほとんどチェックしてる」

 

「うわ、凄いねそれ」

 

「割と多いと思うぞ、そういう人は」

 

 目にかかる夕焼けが眩しかった。こちらから見るチャーリーは背に夕日がかかる格好で、容姿と相成って完成された絵になっている。自分は、さしずめ従者だろう。そんな談笑をしながら街を目指していた。おそらく、自分たちが知っている遊びと言うのはそこまでだったのだ。

 

「ねえ、アイガイオン。友達にならない?」

 

「いいぞ。フレンド登録だな」

 

「そうじゃなくてさ、本当の友達。なれると思うんだ、ボクたち」

 

「……ふうん?」

 

「ね、いいでしょ?」

 

「まあ、フレンド登録だとまだ線引いてる感じなのかな。友達と言うならもうなってると思う」

 

「なってる?」

 

「俺は、友達というのは作るじゃなくて、なってるものだと思うんだ。作るとか、なろうと言われたからなるって聞くと、機械的に聞こえちゃってな。だから、俺たちはもう友達になってるって言いたい」

 

「なってる……か。確かにそうだね。うんっ、なんかいい感じ」

 

「ほら、申請出しといたぞ」

 

「また顔赤いよ?」

 

「気にしないでくれ。今は変なスイッチ入っちゃってる」

 

「あははっ」

 

 チャーリーが表示されたウインドウを押し、チャーリーとフレンドになりました、という文字が浮かんだ時だった。鐘が鳴った。あそこでしか、鐘は見ていない。始まりの街の広場の時計台を咄嗟に思い出した。そして青白い光に包まれる。ゲームが遊びだったのはそこまでだ。



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第二話 死亡遊戯

 暴動のようだ、とアイガイオンは思った。始まりの広場に集められた人々はすべからく声を張り上げ、一つの動きが伝播しては連鎖反応のように繰り返される。今はこの輪を抜けようとだけ思い、相棒の手を引いた。

 

「こっちだ、チャーリー」

 

 小さい手だった。掴んだ手からも震えが伝わってくるのがわかる。ぶつかってくる人を押しのけ、肩を抱いて早足で急ぎながら、力を入れ過ぎてないか、と場違いな事を考えた。これはゲームであって遊びではない。その言葉が頭の中に陰々と反響する。ゲームは遊びではなかったのか。人の群れをさらに押しのけ、ぶつかってきた人を振り払った。

 ログアウト不能。VRにおいて、それは欠陥でしかないだろう。それが本来の仕様だなどと、妄言や狂言の類ではないか。そしてたしかに、妄執や狂気の沙汰だ。茅場晶彦は確かにそれこそが本来の仕様であると言った。彼はただの天才的なプログラマーではなかったのか。これは明らかな犯罪だ。広場を抜け、路地の角を曲がり身を隠す様に壁に背を預ける。まだここでも広場の喧騒が聞こえるが、それでもマシにはなった。

 

「大丈夫か」

 

 声をかけるが返事はなく、蹲るように座り込んでいた。少女の姿に戻されたチャーリーに、貴公子然とした青年の面影は金の髪しか残されていない。これが現実の姿だ。茅場晶彦により、強制的に現実の姿に戻されたプレイヤー達は、この事件が本物であることを身を持って知った。メニューから手鏡を取り出し、自分の顔を写してみる。苦心して作った熟練老戦士の姿はなく、見慣れた自身の顔だった。元のアバターの名残として、肌の色や髭や髪のパーツはそのままだ。

 

「……本当なの、これ?」

 

 チャーリーが弱々しく呟く。手鏡の自分を睨みながら、本当だ、としか言えなかった。

 

「だって、おかしいよ。死んだら、本当に死ぬって」

 

 茅場の宣言。このゲームで死んだら、ナーヴギアが脳を焼く。今後如何なる蘇生手段はなく、ゲームオーバーになったら、死ぬ。それを本当に確かめる手段は、実際に体験するしかない。焼き殺すというのがえげつない言葉でさらに恐怖を植え付け、易々とやってみようという人物はいないだろう。

 

「じゃあ、死ななければいい」

 

「ずっとこの街に居る?」

 

「そうだな。それが一番安全だろう」

 

 街の中は『圏内』となっていて、安全圏として約束されている。街から一歩も出なければ、死ぬことはあり得ないはずだ。しかしずっと待ち続けるというのは、苦痛に思える事でしかない。そこで、クリアすれば解放される、という言葉があるのだろう。浮遊城アインクラッド全百層を踏破せしめ、最上階のラスボスを撃破すれば全プレイヤーが解放される。物語としてはありがちな筋書きだろうが、どれほどの人数がそれに挑もうとするだろうか。

 

「宿を取ろう。待っていれば、助けが来るかもしれない」

 

 それが一番ありそうな事だろう、とアイガイオンは思った。これほどの事件なら、国が総出で動くだろう。チャーリーの手を引き、立ち上がらせる。元の姿に戻る前なら出来ない事だったが、今では身長差が逆転してしまっていた。チャーリーは女で、自分は男だ。友達云々としても、守ってやらねばならないと思っていた。

 宿は広場が見える所に取った。助けの知らせがあるなら、少しでも可能性の高い所にしたかったからだ。隣の部屋はチャーリーで、何かあったら知らせるという事だけ伝えて部屋に別れ、それからはずっと椅子に座り続けることしかしていない。窓から見える景色は、路地とその先の広場。あとは夕焼けの空くらいか。広場の騒ぎが煩いが、少しでも知らせを聞きつけるためには仕方なかった。

 夕焼けはすぐに暗くなった。それでも広場の人は消えず、騒ぐようではなくなったが、かわりにすすり泣く姿や呆然自失とした姿が増えていた。あそこに留まっていたら、同じような事をしていただろうか。広場を見ていても気が滅入るようなことしかなく、アイガイオンは蒼い夜天に目を移した。SAOでの時間は現実の方と同じらしい。今が夜という事は、現実の方でも夜ということだ。夜空には星が見えているが、あちらでも同じだろうか。もし、SAOがただのゲームであれば、今頃家族と夕食を囲み、話題のVRはどうだったなどの話で盛り上がっていただろう。そしてまたログインして、徹夜で楽しんでいただろう。どんどんと増えていくプレイヤーに先輩役として頼られたり、即席のパーティーを組んで攻略に勤しんだり、新しい装備ではしゃいでいただろう。そうだったら、どれだけ楽しいことか。今となっては、それはもしもの話だ。そんな夢想に浸っている頃、現実に引き戻す様に、コンコンとドアが鳴った。

 

「アイガイオン、いる?」

 

 チャーリーの声が聞こえてきた。この声もボイスエフェクタが停止して、貴公子の凛々しい響きは無くなっている。自分の声も、嗄れた声ではなくなっていた。

 

「開いてるよ」

 

 『入室を許可しますか?』と表示されたウインドウのYesを押す。扉を開け入ってきた少女の姿をみて、不意に胸を()かれた気分になった。

 

「……一人じゃ寂しくって。ここに居ていいかな?」

 

 昏い表情をしている。泣いていたのだろうか。声だけは明るくしようとしているが、弱々しさを隠しきれていない。

 

「構わないよ。適当に座るといい」

 

 チャーリーは礼を言い、向かい合うように椅子に腰かけた。それでも暫くは何も言わず、広場から聞こえる嗚咽などが漂っていた。

 

「気が滅入るよな。広場は、ずっとあんな感じだ」

 

 耐えられず、アイガイオンが先に口を開いた。もっと上手いことを言えればよかったが、思いついたのはそれだけだ。

 

「……アイガイオンは、これからどうするの?」

 

 僅かに視線を上げ、チャーリーが言った。言った事を考えたが、思いついているのは何もない。

 

「助けが来なかったら」

 

 口は開いたが、言葉に詰まった。考えたくないというより、考えていない事だった。そんなことはあり得ないという気持ちが働いているのだろう。アイガイオンは恥じるような気持になった。答えないでいると、チャーリーはまた俯いた。アイガイオンは窓のオプションを開き、外部からの音を消す。広場から聞こえる音は消え、部屋は静かな重みに包まれた。

 

「ふうん、音消せるんだね」

 

「少しでも寝ると良い。それだけでも気が楽になると思う」

 

「そうだね。でも、寝られないんだ。どうしても」

 

 時刻は十二時に差し掛かろうとしている。疲れはあるが、それでも眠気は一向に起きない。アイガイオンは揺らいだ気持ちを、目を瞑って抑えた。不安が、どうしようもなく襲ってくるのだ。こんな事になるなんて、誰もが今日の事を呪っているだろう。

 

「俺は、何も出来なかったなんてことはしたくない」

 

 アイガイオンは呟いて立ち上がった。

 

「俺は、ホラー映画が苦手でな」

 

 何を言っているのだろう、という表情のチャーリーを、アイガイオンは真剣な眼差しで見つめた。

 

「一番怖いのが、抵抗する手段がないという事だ。俺は、今の状況がとても恐ろしい。外からの助けを待つなんて、何時になるかわからないのに。すぐに助けが来て、笑い話になればそれでいい。だが、ずっと待ち続けるのは、俺には無理だ。だから俺は、試しに街の外に出てみようと思う」

 

「……死んじゃうよ!」

 

 一拍おいて、チャーリーが立ち上がり叫んだ。瞳からは、すぐに涙が溢れ出てきて頬を濡らしている。

 

「試しにだよ、チャーリー。俺は、この世界でどう抵抗すればいいかわからないから外に出る。もちろん、危なくなったら引き返してくるし、準備は万端にして行く」

 

 少しは安心させられることを言っただろうか。思いながらもすぐに行動に移すつもりで、アイテムの所持欄を開きを確認する。揃えるためのコルなら十分な事がありがたかった。

 

「それじゃあ、茅場の思う壺じゃんか」

 

「何もわからないでいるよりはずっと良い。だから、俺は行く」

 

「ボクは……」

 

 チャーリーが言いかけたので、少し待った。言い切った事は変えないつもりだ。それは悪い事ではないはずなのだ。

 

「きっと帰ってくる」

 

 少し待っても言葉が出てこなかったので、アイガイオンが先に口を開いた。そのまま返事を聞かず背を向け部屋を出る。待って、と聞こえたが、聞こえないふりをした。今は止まってはいけない衝動に動かされた。

 宿を出ると、寒々とした空気が身を包んだ。路地を抜け、広場に出るとまだ人が多く残っていたのに少なからず驚いた。寒くないのか、とは思ったが、動ける状態ではない者も少なくない。泣き疲れて、そのまま体を丸めて眠っている者もいた。広場を通り、揃えようと思っていた金属兜を購入し、消耗した装備を直して残ったコルすべてで回復薬を購入する。これくらいでいいだろう、と思い、門を抜けフィールドの草原を踏む。街のBGMは聞こえなくなり、飄々と吹く風の音のみが聞こえている。準備している時に気付いたが、同じくフィールドに出ようとしている者も意外な数いた。一人や、数人で小さくまとまっている者達で、パーティーを組めれば良かったが、互いに声をかけられる空気ではなく、何かお互いを牽制しあうような空気ですれ違うだけだった。

 狼の遠吠えが聞こえた。マップにはまだ敵のアイコンは現れていない。はじまりの街の周囲の敵なら、チャーリーと組んでいた時に戦っていたので、戦い方は大丈夫だろう。出るのは猪や狼、蜂などの小型の敵で、北の森に向かうとコボルトや植物型のモンスターが出て来るようになる。一先ずは様子を窺おうと、街の城壁の周囲を回る。マップに変化が現れたのはその時だ。敵を表す赤いアイコン。その前には、非敵対の緑のアイコンがある。おかしいのは、それらがこちらの方向へ向かって来るという事だ。向かって来るであろう方向に視線を動かすが、夜の暗闇のせいで見通しが悪い。何かが動いている、と思った時には走り出していた。

 

「逃げている!?」

 

 必死の形相を浮かべたプレイヤーが懸命に走っていて、その後ろには狼が一匹追随している。そのプレイヤーの頭上にあるHPバーは赤くなっていた。つまり、すでに死にかかっていた。

 

「こっちだ!」

 

 声を張り上げ、プレイヤーがこちらに気付き、進路を変えた。まずい。頭の中では、警告の鐘が鳴っている。あと一撃であのプレイヤーは死ぬ。そして、あの狼がその一撃を与えられる位置にいる。プレイヤーが転び、狼がそれを押さえつけるように乗りかかった。

 

「あっ」

 

 狼がプレイヤーの喉に噛み付いた。血を表す赤いエフェクトが飛び散り、押さえつけられたプレイヤーは青いポリゴンとなり――

 

「ああっ」

 

 爆散した。散ったポリゴンの欠片が、月の明るみを照り返しながらアイガイオンの体を通り過ぎ消えていった。振り返る。すでに何もない。そのプレイヤーがいた形跡は跡形もなくなった。どん、と衝撃が腕に走った。狼が噛み付いていた。次の獲物はお前だ。そう言っているのだ。

 

「死んだのか、あの人は?」

 

 呟くように、狼に声をかけた。返ってくるのは、敵意の唸り声だ。ダメージエフェクトが腕から噴き出ていて、狼の重みが体を傾けさせている。

 

「お前、殺したのか?」

 

 呆然と言った。ナーヴギアが過熱を始め、脳を焼いたのだろうか。それを見守る人たちは、どんな反応をしているのだろう。

 

「本当に、あの人は死んだのか?」

 

 どくん、と胸に何かが溜まった。自分のその姿を、脳を焼かれた顔を家族に晒したくないと思うと、それはさらに溜まっていった。

 

「なあ」

 

 それは黒々として、時折霞んで紅く光っている。ナーヴギアが過熱を始め、異変に気付いた家族が必死になって取り外そうとして、脳を焼き切られた息子の顔が出て来る。

 

「なあってば」

 

 どんな気分なのだろうかと想像すると、赤黒いものが一層強く蠢き、HPバーは黄色くなり、赤くなると溜まったものが爆発し始めた。

 

「お前が!」

 

 腕に噛み付いていた狼を殴り飛ばす。悲鳴を上げ、起き上がった所を蹴り飛ばし、槍で突き刺して地面に縫い付け、さらに殴りつける。何度も殴りつけ、やがて地面を殴っているという事に気付くと、立ち上がって声を張り上げた。

 目に光が入ってきた。それが朝日だ、と気付いて、朝まで地に拳を叩き付けていたと知った。それから、どこを歩いてきたのかは覚えていない。ただ、目の前にはドアがある。ここはどこだろう、と思い扉を開けた。中にはチャーリーがいて、自分の部屋なのだ、とわかった。帰ってきたよ、と言った。すぐにチャーリーが懐に飛び込んだ。それを抱きとめ、抱き締めてアイガイオンは()いた。涙は出ていなかった。疲れるまで哭き通し、いつの間にか目が覚めると、アイガイオンは成さねばならないことがわかっていた。



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第三話 負わされた責任

今回から独自要素が強くなってきます。また、この作品は一話あたり五千~一万字あたりを目指しています。


 アイガイオンは街から出るなと目に付いたプレイヤーに声を駆けまわった。そうすれば、少なくとも死は免れる。次にアイガイオンはフィールドへ駆けた。街の周辺でモンスターを狩ると、稼いだ(コル)で買ったパンと水を街のプレイヤーに配った。最後に、アイガイオンはチュートリアルを行い始めた。この世界で生きる為に必須の準備だった。

 

                     ◇

 

 まず、犠牲者を減らす事だ、とアイガイオンは思った。一夜を()いてから、頭の中が驚くほど明瞭になっている。

 

「人が集まりましたよ、アイガイオンさん」

 

「では、そろそろ始めましょうか」

 

 アインクラッドに閉じ込められてから三週間。外を出歩くのにも防寒が必要なくらい寒くなり、あと数日で十二月に入る。前向きにクリアを目指そうという少数のプレイヤー達の大半は街から離れ、別の場所を拠点として攻略に勤しんでいる。強くなるため、円滑なレベリングを行う為にはそうしなくてはならなかった。今のはじまりの街は、とにかく暗い。そういう場所に留まりたくないという気持ちも働いただろう。しかしアイガイオンは、はじまりの街を拠点とした活動を行っていた。最初の数日は、目も当てられない程人が死に過ぎた。その現状を知っても、何とかしようと動く人物が現れなかったのは、アイガイオンにとって驚くべきことだった。

 

「まずは、初動を意識しろ。相手は案山子(かかし)だ。いくらでも待っていてくれる」

 

 槍の穂先がオレンジのエフェクトを纏い、藁で編まれた案山子を貫いた。ソードスキルの発動。それが主なチュートリアルだった。事件初日、茅場晶彦の宣言から、プレイヤーを大いに助けてくれたアドバイス表示が使えなくなった。それだけでも、素人でも何とか繰り出す事が出来たソードスキルの発動は難しくなりすぎた。

 

「腕をもっと上げろ。恥ずかしがるな、死にたくなければな。初めは大袈裟なほどで良い」

 

 実際に武器を持って戦うということなど初めてだというのは当たり前だ。まずは、このゲームのシステムに慣れさせなければならない。ソードスキルさえ発動出来れば、はじまりの街周辺の敵を倒す事は難しくない。チュートリアルを希望する人には、訓練用の案山子にソードスキルを当てさせるのである。それだけの作業でも、慣れないうちは空振る人がほとんどだ。

 

「午前はここまで。午後からはフィールドに出る。希望する人は午後二時に広場に集合」

 

 チュートリアルは、午前と午後に分かれている。午前は武器の扱いや基本情報の伝達で、午後は実戦訓練となる。希望者の数には差があるが、それでも着実と前へ進もうというプレイヤー達は増えてきていた。さらにチュートリアルに協力してくれるという人物も現れるという、喜ばしい兆候も出始めた。

 

「アイガイオンさん。我々に協力してくれるβ(ベータ)テスターがいましたよ」

 

「よし。では、出来る限り情報を聞きましょう、シンカーさん」

 

 その中でも、真っ先に声をかけてくれたのがシンカーという小太りの男性プレイヤーだった。彼は、SAOに巻き込まれる前は攻略サイトの運営を行っていたという。実際にその手腕は見事なもので、彼のおかげで協力者も増え、今では組織の体を成し始めていた。はじまりの街で大きな組織はここだけだろう。今の所、教会を拠点として使っているが、さらに増えるなら別の建物も使わなければならない。

 βテスターなどの情報は積極的に集めていた。情報の価値は高い。有ると無いの差は雲泥だ。もちろん実際に確かめたりする手間もあるが、協力者が増えているので苦にはなっていない。協力者の中では、ソードスキルを発動させることが出来るプレイヤーは、他のプレイヤーに教える事が出来るし、モンスターと戦えるプレイヤーは当てる技術を知っている。発動させる事と当てる事にも違いがあり、後者のプレイヤーは実戦でも使えるので大いに助かっていた。

 βテスターの話を聞き終えると、緊急で話がしたいという女性プレイヤー二人に教会で会った。一人は俯いた女性プレイヤーで、もう一人は小柄だが恰幅の良い女性である。見た所、年齢に差があるので、親子だろうか、と席に付きながらアイガイオンは思った。

 

「あんたかい? ここいらの責任者は?」

 

 小柄な方が口を開き、責任者という響きに意表を突かれた様な気がした。そう言うものとは、一切関わりのない事だと思っていた。

 

「責任者というのは何のことでしょうか?」

 

「このでっかい集団の事さ。この子の事を言おうとしたら、あんたに聞けって皆言ってたよ」

 

 はじまりの街で真先に行動を起こした事を思うと、そう思われても不思議はないのかもしれない、とアイガイオンは思った。それについて深く考えることは後にした。

 

「俺は、アイガイオンと言います。この人はシンカー」

 

「あたしはショウコだよ。現実の方では、主婦をやってた。この子はあたしの娘じゃあないんだけど、放っておけなくてね」

 

「それで、何があったんですか?」

 

「男に襲われたんだとさ。そりゃ、システムがどうのってやつで何とかなったそうだけど」

 

 聞くと、長い話ではなかった。急に男に触られた、というだけだが、それでもこの女性プレイヤーから話を聞くのは時間がかかった。あのはじまりの日の騒動で、おかしくなってしまったプレイヤーは居ないわけではない。問題が起きるのはわかっていたが、それが自分に関わるとは考えていなかった。

 

「それで、その男は?」

 

「警告表示が出て、どこかに飛ばされたようです」

 

「たぶん、牢獄エリアでしょう。シンカーさん、確認をお願い出来ますか?」

 

「行ってきましょう。無理にとは言いませんが、確認の為ご本人様も付いてきてくれますか?」

 

 シンカーと女性プレイヤーが席を離れると、ショウコがまた話を切り出した。たぶん、これが本題だろう、とアイガイオンは思った。出された水を一杯飲み干し、ショウコが太い声で言った。

 

「あの子の保護をお願いしに来た。それだけじゃない。女の子たちを、助けてやってほしい。まだ年端もいかない子供たちもいるんだよ」

 

「すぐにやりましょう」

 

 あまり考えずに言ってしまっていた。今の状況だけでも大変なのに、労力は計り知れないが、やらなければならない事もわかっていた。

 

「こんな状況で済まないけど、頼むよ。あたしも、出来る限り協力するからさ」

 

「ありがとうございます。では早速ですが、出来る限り女性を集めていただきたい。同じ女性から声がかかった方が安心するでしょうから、ショウコさん自身にやってもらいます。それと、協力してくれている女性プレイヤーにも手伝わせます。掲示板などに書き込みもさせましょう」

 

「ありがとう。早速行って来るよ。この教会に集まらせればいいんだね?」

 

 ショウコが出ていくと、アイガイオンは協力してくれている女性プレイヤーにメッセージを飛ばした。了承のメッセージを受け取ると、チャーリーの事が頭によぎった。アイガイオンは活動の為、教会に部屋を取ったが、チャーリーの方は事件のあの日から宿を動いていない。一日に一回は会いに行き、その度に嬉しそうな表情を見せるが、暗い顔が晴れることはほとんどない。出来ることなら、この女性の集まりに参加させたい。同性なら、少なからず感じ得ることがあるかもしれない。それで少しでも前向きになってくれたら良い。本当なら、もっと明るい性格のはずなのだ。

 教会の部屋に戻ると、午後の実戦に向けての準備をした。すでに何度も下見を済ませた場所で、非敵対のイノシシしか出てこない場所なので実戦には適している。しかし、それでも一度敵対状態になると、取り乱してHPゲージを大きく減らすプレイヤーも少ないわけではない。明確に殺しにかかってくる敵が怖いのだ。睨み付ける双眸、武器を通さぬ毛皮。荒々しく尖った牙、迫りくる明確な質感を見ると、怯む気持ちもわかる。一度攻撃を喰らっただけで、衝撃にへたり込んでしまうプレイヤーもいるくらいだ。それには根気よく付き合わなければならない。

 

「そうだ。保護と言うなら、女性プレイヤーだけじゃ済まないな」

 

 アイガイオンは、自分の部屋に一人だと、独り言を言うようになった。現実でそういう癖があるわけじゃなかったが、独り言で頭の中を整理出来たりする事に気付いた。

 

「障害があるプレイヤーなどはどうだ。VR技術は、そういう治療にも使えると聞いたことがある。居ない訳じゃあ、ないだろうな。それに、ショウコさんは年端もいかぬ子供も居ると言っていた。これも、保護しなければならんだろう。それに、自国での発売を待てなかった外国人も少なからず居るだろう。アドバイス表示は使えなくなったが、翻訳機能はどうなのだ? SAOは日本語と英語しか対応してなかったはずだが。どちらにせよ、日本語を覚えさせなければならないのかな。外国の言葉を話せるプレイヤーも集めなければならない」

 

 初めのうちは、独り言する自分に戸惑い、呟いた自分が鬱陶しかったが、吐き出すと気が楽になる。いつしか独り言は呟きではなく、誰かに話しかけるようになっている。

 

「責任者とは何だ。何に対する責任だ?」

 

 内容は方々に飛び、思いついた内容をメモに残したりすることもしていた。それが役に立つこともあるだろう。

 

「俺はただ、少しでも死ぬ人が少なくなればいいと、少しでも手助けが出来ればいいというだけだ。それが何故」

 

 視線を上げると、姿見に長身の男の姿が映っていた。全身に金属鎧を装着し、頭髪はほとんど白で、数本灰色が混じっている。皺はないが、伸ばした白い髭が口元を覆っていて、スーツでも着れば、若々しさを失っていない紳士だろう。指導を行うにあたり、それらしい人物像を作れたはずだ、とアイガイオンは思った。口調もそれらしく心掛けている。

 プレイヤーに配られた手鏡から、造形や身長などは無理だが、顔のパーツなどや名前を変えたりする事が出来たのである。これは、異性としてプレイするつもりだったプレイヤー等への配慮なのだろう。出来るだけ手鏡は集め、そういったプレイヤーへ渡したりすることも行っていた。それを知って、協力を申し出てくれるプレイヤーもいるのだ。アイガイオン自身も、それを使って今の姿へと変貌したのである。ボイスエフェクタは停止したものの、元より声も低いために中身を疑われることには至っていない。

 

「そろそろ、時間だな」

 

 やらなければならない事は次第に増えていった。今では多忙を極め、余裕と言うものは見当たらない。はじまりの日の事件の混乱は一応は落ち着いたように見えるが、まだ恐々とした雰囲気は街から消えていなかった。恐怖に打ち震える日々はまだ続くだろう。英雄が必要だ、とアイガイオンは思った。層を踏破し、希望を持ち帰る英雄が。光を纏った木製の大盾がイノシシの体を打ち飛ばした。

 

「レベルを上げれば、こんな事も出来る。いいか。敵はさほど強くないのだ。慣れれば、楽に倒せるようになる」

 

 フィールド草原の地を蹴り、猛然と突進してきたイノシシを、アイガイオンは防御せずに受けた。衝撃が体を襲い、HPバーが削れる。見ているプレイヤーが声を上げたが、アイガイオンはすぐに立ち上がった。削れたのはほんの僅かだけで、何の支障もきたしていない事を表している。

 

「相手の攻撃も強くない。今慣れろとは言わん。ソードスキルをあいつに当ててみよう。それが今日の目標だ」

 

 牙で攻撃しようとして来るイノシシを大盾で受け止め、突き飛ばすと横っ面に大盾の面を打ち付けた。鳴き声を上げ、倒れ伏したイノシシのHPバーは、枠が黄色に点滅している。気絶。一定時間の行動不能。打撃系武器、攻撃を頭部などに受けると一定の確率で起こるバッドステータス。

 

「気絶したぞ。行動不能時間はさほど長くはないが、逃げるには十分だ。それに、剣技発動後の硬直時間もこいつ相手には気にしなくていい。一人目」

 

 行け、という合図と共に順番で決められたプレイヤーが飛び出した。焦点を合わせ、剣を担ぐようにしていると、刀身に光が集まり始めた。弾け、加速したプレイヤーがイノシシの横を通過すると、「ぴぎい!」という断末魔と共にイノシシがポリゴンとなり爆散した。

 

「グッドジョブ。よくやった」

 

 激励の言葉をかけ肩を叩くと、そのプレイヤーは強張った笑みを浮かべた。敵を倒せるというのがわかれば、恐慌に陥る事も少なくなる。次の目標のイノシシを攻撃し、HPを赤まで持っていくと次のプレイヤーに交代する。ソードスキルに慣れてくると、アイガイオンの手助けなしで相手をさせ、様々な技法の伝達も行うのだ。

 

「レベル1の敵なら、今のままでも一撃で倒せる方法がある。ソードスキルは発動すれば勝手に体が動いてくれるが、その動きを後押しするように、自分で動かしてみろ。そうすると勢いが乗り、威力が上がる。それで上手く弱点を突けば、一発で倒せる」

 

 他にも、ソードスキルの発動方法も様々だった。単発系の剣技にはあまり違いはないが、連続技などはモーションに違いが出て来る。例えば水平二連斬りの剣技では、右から左というのが通常のモーション設定だが、設定によって左から右へという動きにすることも出来る。右利き、左利きへの対応のみならず、逆手持ちすらある始末。個人で扱いやすさがあるから、自分で設定しろという事だ。

 日が傾いてくると、午後の訓練は終了し街で解散となる。アイガイオンにはその後、拠点の教会で協力者との打ち合わせが待っていた。教会の中は、いかにもという容貌で整っている。広間の磨き上げられた大理石の床には木製の長椅子が等間隔に列をなして並べられ、奥には一際高い教壇がある。石造りの壁には火が灯った松明が要所にあり、天井には光源となるシャンデリア。さらに、落ち着いた色の赤茶色の幕が等列に垂れている。こんな状況でなければ感心くらいはしていただろう。広間を通り教壇の奥にある大きめの、会議室と呼んでいる部屋に入ると、円卓を挟んで議論を重ねていた、協力者の中でも筆頭となるプレイヤー達が一斉に振り向いた。

 

「すまない、遅れたかな?」

 

 一言挨拶を言って、扉から正面奥の席に座る。席の順番はないつもりだが、何故かそこが定位置になっていた。他のプレイヤー達もいつもと同じ席に座っている。シンカーはアイガイオンとちょうど向かいとなる位置だ。

 

「チュートリアルの方は死亡者ゼロ。志願する人も増えてきてますし、協力者も増えてきてます。そちらの方は順調ですね」

 

「街の中の方は?」

 

「いつも通り、一人でフィールドに出ないように呼び掛けてはいます。宿を取っている場所から動かないプレイヤーも多いですが、現状を受け入れ始めたプレイヤーも増えてきていると思いますよ」

 

「コルがなくなってきたプレイヤーが、そろそろ動き始める頃合いだと思います、アイガイオンさん。僕の友達が、金が尽きたからってチュートリアルに参加しましたし。それでも全体に比べればごく僅かでしょうが」

 

「配膳の方はシンカーが中心にやってくれているので助かってますが、物資の量が圧倒的に足りてません。今日の配膳が終わった後に、自分は配られていないと文句を言うプレイヤーがいました」

 

「それにこいつ、貴様は何もしていないくせに文句を言うなって怒っちゃって」

 

「だってそいつ、何度も並んで配分を受け取ろうとするんですよ」

 

「間違った対応じゃないと思う。慈善事業というつもりでやっている訳じゃあないんだし。足りない物は配れないし、その分は我慢してもらうしかない。それで納得できないのなら、自分で稼げってんだ」

 

「こんな状況でもそういう奴が出て来るんだなあ」

 

「ギルドが必要だ。βテスターによると数層上に行けば作れるようになるらしい。そうすれば徴収出来るし、配分はずっと楽になる」

 

 議論の内容は各々が持ち寄ってくる。新たに問題が発生することは当たり前だし、解決策も一つと言う訳ではない。皆が皆、精一杯やっているが、それでも足りない所もある。それに目を瞑らなければならない事もあった。

 

「俺からいいか?」

 

 アイガイオンは手を上げた。視線が一気に集まり、皆に僅かな緊張が走った気がした。明確に意識をしようとは思っていないが、発言力みたいなものがあるのだ。

 

「どうぞ」

 

「昼間に女性から、男性に襲われたので保護してほしいという話を受けた。システムで守られたが、精神的ショックを受けたようでな。そういう事件を減らす為に、女性の保護を行おうと思う」

 

「また仕事が増えますね」

 

「苦労を掛けることになる。謝りもしない。だが、やらなければならない事だと思っている」

 

 アイガイオンは一度、円卓の全員を見回した。ここに集まっているプレイヤー達は、基本的に前向きに協力的なので、否定的な意見は強く出てこない。年齢もバラバラだが、若い方が多い。この状況で動こうとする者こそ今必要だった。皆に感謝の念を抱きつつ、反対意見も求めた。その事で想定できる事態も想像できるし、対策も出来る範囲で講じる。

 

「女性たちはこの教会に集まる事になっている」

 

「見てきましたよ。他にも人がいるので、場所がもう無くて外にも溢れてます。集まれる場所が必要ですね」

 

「もう夜だぞ。外は寒いし、どこか良い場所はあるのか?」

 

「次の拠点として押さえていた場所がありますのでそこに一先ず移しましょう。当面の集合場所はそこで、大勢が一ヶ所に寝泊まりできる施設を探しておきます」

 

「頼む、シンカーさん。あと、それだけじゃなく、子供、老人の保護、日本語を話せない外人のサポートも行いたい」

 

「うわっ、まだあるんですか」

 

「改めて多大な苦労を掛ける、皆」

 

 頭を下げた。各々がうんざりした顔で、反対意見も出たが、強硬な意見は出なかった。会議が終わった後、もう一度皆に頭を下げて頼んだ。

 

「我らははじまりの街で、おそらく最初に行動を起こしたプレイヤーだ。前代未聞の事件の最中で、例となるものが無い中で、我らは初めての前例となるだろう。俺は、解決に導く(すべ)を持っている訳ではない。すべてが、手探りから始まった。間違いだと言われ、後ろ指を指される事もあるだろう。それはすべて、後の事だ。いまはどれが間違いなのかはわからんし、我らはいまやらなければならん。だから、頼む、皆。いま、やってくれ。いま、助けてくれ」

 

 磨き上げられた円卓には、自分の姿の輪郭が影となり映った。自分の元の顔はすでになく、足した髭は老けて見せているだろう。今の俺は俺だろうか、と戸惑う事がある。やらなければならない、と強い念を抑え込めず、待つことが出来ずに動いてしまった男だ。愚かな事だっただろうか。そうだとしても、やめる事は出来ないし、考えたことはない。ぱん、と手を打った音がした。それはすぐに伝播し、部屋は十数人の拍手に包まれた。それが自分に向かっているというのは、ありがたいが申し訳ない気分になる。これを、きっと感謝と言うのだ。顔を上げると、拍手が止んだ。円卓の面々を見渡すと、アイガイオンは教壇に立つ為の扉を開けようとした。これから、集まった人々への通達が色々とある。ちょうどその時、部屋の扉が勢いよく開いた。第一層のボス部屋が見つかった、との報告が入った。



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第四話 負うもの

 ディアベル、と彼は名乗った。髪は鮮やかな蒼に染められていて、若干のウェーブがかかっている。武器は片手剣に盾という標準装備で、防具は皮の鎧をベースに金属製のプレートを所々に装備している。

 

「気持ち的には、『騎士(ナイト)』をやっています!」

 

 騎士という言葉を聞いたとき、なんとなく使えると思った。職業という意味ではなく、階級という意味でだ。今の集団では、そういったものは明確になっていない。要所に代表を決め、そこから伝達や指示を出すだけだ。今の集団は人が多すぎるのだ。組織として統率するには、細かな部署や役割を明確にしていかなくてはならないのかもしれない。

 

「俺はアイガイオンです。よろしく、騎士殿」

 

 挨拶と共に右手を差し出す。ディアベルもそれに応じ、力強い握手を交わした。この力強さに、レベル的なものも関係しているのだろうか、とアイガイオンは束の間思った。

 

「あなたには助けられてます。あなたの行いのおかげで、どれだけのプレイヤーが助かったことか」

 

「誰かがやらなければならなかった事です。それは俺じゃなくても良かったことで、たまたま俺になっただけでしょう」

 

「それでもや。ホンマ恩に着ます。ワイもあんさんのチュートリアルには助けられたんで。あ、自分はキバオウって言います」

 

 ディアベルのパーティーの、棘棘した髪型の男が関西弁で喋り、頭を下げた。チュートリアルを受けたと言ったが、キバオウの顔は思い出せない。別のプレイヤーが担当したのだろう。

 

「ホントならβテスターがやるべきことなのに、あいつら情報を独占しよって新参者を見捨てよった。攻略してる前線では、βテスターの連中は幅を利かせてやがる。自分たちだけが強くなって生き残ろうっちゅう、意地汚い根性が見えてるんや」

 

 キバオウが言うと、何人かが頷く気配を見せた。アイガイオンの集団は、前線まで足を運ぶ者がいないので、そこまでの事はわからない。そこまで行く実力のあるプレイヤーなら、さっさと集団を抜けて自力で生活している。それが、攻略者たちでもあるのだろう。

 

「ここでは、そういう口は慎んでもらう、キバオウさん。確かに、真っ先に我らを見捨てたのはβテスターでしょう。ですが、真っ先に助けてくれたのもβテスターなのです」

 

 言うと、キバオウは言葉に詰まり、バツの悪い顔をして小さく謝った。βテスターとの軋轢は耳に入っている。しかし、はじまりの街で聞くのは主に被害者としてだ。街に残っているβテスターは、戦闘が不得手なのにβテスターだからと前衛をやらされたり、βテスターだから自分で稼げるだろう、と報酬の山分けから外されたりという被害が出ている。組織の中でもそういう事が起きていて、頭の痛い問題にもなっていた。

 

「彼を許してください、アイガイオンさん。前線で少し問題になっていまして」

 

「アイガイオンでいいですよ。前線の事は、俺にはほとんどわかりませんが、俺なんかより苦労しているでしょう」

 

「いえ、この街で活動するあなたも、俺達とは違う苦労をしているのでしょうし。俺の事も、ディアベルと呼び捨ててください」

 

 円卓を半分空け、アイガイオンとディアベルの仲間が半数ずつ向かい合って座り、座りきれない者は後ろに控えるように立っている。ここの教会に応接室といった様な余裕のある部屋はなかったので、会議室まで入ってもらった。

 

「それで、ボス部屋が見つかったとか」

 

「はい。部屋にはまだ入っていないので、ボス本体はまだ見ていませんが」

 

「喜ぶべきことです。この世界に閉じ込められて、そろそろ一か月も過ぎます。何か進展があればと思っていたところです」

 

「前線で攻略者たちに呼びかけて、大型のパーティー、レイドを組んでボス討伐を目指します。きっと成功して、次の階層に向かう事が出来るでしょう。そうすれば、クリアを目指そうとするプレイヤーも多くなるはずです。そこで本題に入りたいのですが、アイガイオン。あなたにもボス攻略に参加してもらいたい」

 

 ディアベルが言うと、アイガイオン側のプレイヤーたちがざわついた。アイガイオン達は総じてレベルが高くない。街の外に出ると言っても、主に街の周辺で危険が少ない地域にしか出向かなかった。多少レベルの高いプレイヤーがもっと先に進むこともあるが、前線の攻略者たちに比べればまだ弱いと言うほかないだろう。アイガイオン達の集団は、街に残るというレベリングに適していない消極的な方法を選んだプレイヤーたちなのだ。

 

「俺が、ですか。何故です?」

 

「手助けがしたいのですよ、アイガイオン。あなたのチュートリアルを受け、前線にまで辿りつけたプレイヤーたちが、あなたの助けになる事ができないかと相談を持ち掛ける程になっています」

 

 嬉しい報告だった。自分の手助けで、そこまで行けたのなら喜ばしい事だ。そして彼らが恩を忘れていない。なるべく顔に出したくないので、無表情を貫いた。

 

「気持ちはありがたいのですがね。それが、何故俺が攻略者になることになるのです?」

 

「俺は、いち早くこの塔を攻略することこそが他のプレイヤーに希望を与えることになると信じています。はじまりの街に籠るプレイヤーたちも、攻略組の活躍を見て動き出す人も出てくるはずです。だから、挑戦するべきだと言いたい。今の一階層の空気は最悪だということはわかっているでしょう? 何かプレイヤーたちの希望を示さなければならないのです。そのための第一歩に俺はなりたいし、あなたにもなってもらいたい。あなたの組織は今のアインクラッドで最大でしょう。そのリーダーであるアイガイオン、あなたが先頭で戦えば、あなたに属するプレイヤーたちが付いてくる。そうなれば、百層攻略が現実のものとして近づきます。たとえ途方もなくとも、確かな一歩が」

 

 熱心な話し方だった。アイガイオンは、自分があまり熱心に聞くのは危険だと思った。希望はアイガイオン自身も渇望している。しかし、それをどうにかするだけの余裕も今はない。

 

「申し訳ありませんが、力は貸す事は難しい」

 

 言ったのはシンカーだった。立ち上がり、頭を下げている。シンカーも現状で手一杯で、疲労も酷い。配分の取決めや問題の解決など、一番苦労をしているプレイヤーだろう。

 

「アイガイオンさんは、今の集団の筆頭です。そして、稼ぎ頭でもあるのです、ディアベルさん。この街から外に出て、物資やコルを持ち帰る事がどれだけ難しいか、前線で活躍するあなた方には伝わりにくいかもしれません。ですが、今の状況でアイガイオンさんに抜けられると、配給や指導も滞る可能性があります。それでなくとも、今の状態はぎりぎりなのですから」

 

 シンカーは、この街から出ない外からの救援を待つ全プレイヤーにも出来る限り配給をしようと思っている。無論、今の状態では無理に等しいが、シンカーはそれを忘れる事をしなかった。

 

「アイガイオンさん。失礼ですが、今のレベルは?」

 

「三ですが」

 

 今日のチュートリアルで、やっと上がった数字だった。これでも集団ではレベルが高い方である。

 

「アイガイオンさん。今のあなたは精神的支柱になっている部分もある。あなたが姿を見せなければ、それだけ動揺も走る。それでも彼らに協力すると言うなら、あなたよりレベルが高いプレイヤーを選んで行ってもらいましょう」

 

 レベルの高いプレイヤーは、自分が得た物資を分け与える事を嫌がる素振りを見せる事がある。配給の為とはいえ、苦労して得たアイテムを無償でほぼ全て持っていかれるのであるから、当然と言えば当然だった。そういうプレイヤーは早々に集団から抜けるか、わざと少ない数を渡して懐を満たす。アイテム所持欄(ストレージ)を見せろと強要するわけにも行かないので、これの対処は難しい。前者は仕方ないとアイガイオンは思っているが、後者は謂わば裏切りだった。数が少ないことを祈るが、いることは確かである。もちろん全面的に協力してくれて、共に苦労を乗り越えようとしているプレイヤーもいるからこそ、裏切り行為が残念であるが、線引きが難しいという問題もあった。

 

「いや、これは第一歩だ。俺が行かなければいけない」

 

 しかしアイガイオンはそう言った。アイガイオンの役割と言えば、大まかに言えば、チュートリアルの指導役と、敵を倒して物資を持ち帰ることがほとんどだ。街の中でのことは殆どシンカーに任せているので、自分がさほど重要な位置にいるとは思っていない。自身がもっと良いアイテムを求めていたのかもしれないし、雑魚敵ばかりの相手も疲れていたのかもしれない。だが、ディアベルの言葉が響いたのも確かだったし、強くなりたいと思っていたことも確かだった。

 

「行く気ですか」

 

 シンカーが言った。何故かその時、アイガイオンは視界に入った燭台にある短くなった蝋燭が気になった。システムにより、蝋燭がなくなってしまうわけはない。炎が揺れているわけでもない。炎は一定の大きさで、変わるものはなかったはずだ。ただ何故か、その時はただ短い蝋燭が気になった。

 

「アイガイオンさん?」

 

「俺が、一人だけで行く。これはただの攻略ではない。この階層の主と戦うのだ。犠牲も出るかもしれない。だが、見返りも大きい。次の階層に行ければ、この階層よりアイテムも良いだろうし、装備も良いものが手に入る。曳いては、プレイヤーたちの質も底上げ出来る。無論、レベルアップに勤しまなければならないが、それは協力してくれるのでしょう、ディアベル?」

 

「それはもちろん、そのつもりで来ました。一週間後に最前線の攻略組プレイヤーたちで、ボス攻略会議を開く予定です。それまでに俺たちがバックアップをすれば、レベル的には十分通用するでしょう」

 

「なら、そちらに憂いはない。シンカーさん、あなたにこの集団を任せます。リーダーとして、取り仕切ってもらいたい。お願い出来ますか」

 

 シンカーは何かを言いかけて口を噤んだ。額に汗が滲んでいた。そこまで再現するシステムなのかと思うプレイヤーもいただろうが、アイガイオンはそこまで意識をしていなかった。この時、本物だとしか感じていなかった。見守っていると、シンカーは汗をかきながら笑みを浮かべた。

 

「……何を馬鹿な事を言いますか、アイガイオンさん。私は待っていますよ。正直言えばうんざりしていますが、こんな場所に囚われていても出来ることがあるはずです。それがこの集団をまとめる事なら、私はそれをやるしかない。一週間くらいなんとかしてみせます。だから、きっと帰ってくると約束してください。そうすれば、私だけでなく、多くのプレイヤーが待っていられる」

 

 瞬間、申し訳なくなり、頭を下げたくなった。そして謝りたくもなった。しかしそれだと、どこか心に引っ掛かった。目を閉じた。心の内で、様々な言葉が渦巻いた。目を開けた。言う言葉はこれだろう、と思った。

 

「ありがとう」

 

 伝えきれない言葉だ、とアイガイオンは思った。もっと上手く言えれば、とも思う。しかし、これ以上は必要がない気がした。仲間たちには、何度も同じ思いを抱かせられている。

 

「話はまとまりました、ディアベル。ボス攻略に参加させて頂きたい」

 

 アイガイオンが立つと、ディアベルも立った。お互いの仲間も一斉に起立し、その中で二人は固い握手を交わす。人の動きで、蝋燭が幾らか揺らいでいた。

 

「成功したら、何か見返りがしたい。今の状態では無理ですが、いつか必ず」

 

「期待します。我らは必ず勝利するのですから」

 

 行動は明日からになった。アイガイオンには、まだ今日の内はやるべきことが残っている。教会から溢れ返っている女性プレイヤーたちだ。日中にショウコや協力者たちにかき集めてもらっていて、これでも全部ではないだろう。しかし数少ないであろう女性プレイヤーがここまで一か所に集まると、ある意味では壮観かもしれない。アイガイオンが教壇の上に立つと、一斉に視線が集まった。話し声は止まないが、気にすることはないだろう。難しい事は伝えなかった。女性が襲われた事件とその対処法を伝え、一人での行動は慎むように。強制はしないが、出来るなら身を守る為に集団で生活してほしい。その場所に案内すると伝えただけだ。質問の声が挙がったが、それは無視した。協力者に指示を伝え、一斉に移動を始める。移動は遅々としていたが、アイガイオンが先頭で、それに何人かが続き始めると女性プレイヤーたちが移動し始めた。

 

「なあんだ、難しい事じゃなかったね」

 

 ショウコだった。横に並んで、太い躰を揺らしている。おしゃべりな性格なのだろう。歩きながらあれやこれやと口を動かした。

 

「簡単に伝えたのが良かった。早速やってくれて、あたしは嬉しいよ」

 

「しかし、それが不安と思う女性たちもいます。それは協力してくれる女性たちに後始末を頼みます。もちろんショウコさんにもですよ」

 

「わかっているさ。出来る事はやるよ。しかしあんた、集めた子たちに何をやらせようとかって言うんじゃないだろうね」

 

 不意にショウコの瞳が剣呑なものになった。何かしたらぶっとばす。その迫力に、アイガイオンは思わず苦笑して髭を撫でた。

 

「何も。ただ一か所に集まれば、被害は少なくなるはずです。残念ですが、今はそれしか出来ません。屈強な護衛をつけるとかは勘弁してください」

 

「ならいいんだよ。それだけでも充分にありがたい。あとは私がなんとかしてみるよ」

 

「ですが、これは出来ればでいいんですが、部屋代というものがありましてね。可能なら、ご自身で払っていただきたい。今はほとんど余裕がないですから。不可能であるなら、シンカーさんに掛け合ってくれればいい」

 

「それは安心しな、しっかり家賃は払わせるさ。女は強いもんでね。男なんかより、よっぽど戦える女もいるだろうさ」

 

 ショウコが大きな口を曲げて笑った。頼りにしてよさそうだ。それともう一つ、とアイガイオンは付け足した。

 

「ショウコさん。女性だけの組織を作ってほしいのです」

 

「そりゃあいいかもしれないけど、あんたのとこと一緒にしちゃあ駄目なのかい?」

 

「同性の方が安心するでしょうし、感じ入る事もあるでしょう。それに上手く言えませんが、肥大に過ぎる気がするのですよ。今の状態が落ち着いてくれば、女性目当てで悪意あるプレイヤーも当然出て来るでしょう。上からの命令なんかで、女性と言う意味で嫌な思いをさせる奴らが出てくるとも限りません。特に、今の混乱状態では。だから、いつでも離れられる位置というのか、距離を取っておいてほしいのです」

 

「ふうん。でも、そんな余裕があるのかい?」

 

「協力してくれるのなら助かりますが、今の状況ではなんとも。距離を取った立ち位置というのは、女性のみの組織が我らの力を借りず自立できればというのが前提ですが、これは女性の中から戦えるプレイヤーが協力してくれれば難しくないはずです。ですから、そうなったら我らの集団と対等の立場で協力すると言った体制を作りたい」

 

 シンカーと話し合って決めた事だ。悪い案ではないはずだが、どうなるかはこれからわかってくることだ。

 

「ま、それはおいおいやってみるさ。だけど、あんたみたいな男に頼んで良かった。攻略に協力しろとか無理強いするようだったら、あたしがぶっとばしてたよ」

 

 歯を見せて笑いながらショウコが言った。年配の女性は、知る限りではショウコ以上のプレイヤーはいない。女性では最年長かもしれない。

 案内が済むと、アイガイオンはそのまま宿に戻った。今ではほとんど寝る時にしか使っていない部屋だが、隣部屋にはチャーリーがいた。メッセージを飛ばしたが、集まりには来ていない。三週間の間、ほとんど部屋から出ていないのだ。そうやって塞ぎ込んで、集まりに来ないプレイヤーも多いだろう。

 アイガイオンは部屋に戻らず、そのままチャーリーの部屋の扉を叩いた。鍵が開いた音を確認し、扉を開ける。内装はどの部屋も一緒で、木製のクロゼット、窓際の花が飾ってあるテーブルに椅子が二つ、一人用のベッドが一つという簡素な作りだ。床も壁も味気ない木色で、アレンジとして壁紙やカーペットを調達さえすれば使用できるが、そこまで余裕のあるプレイヤーは見ない。アイガイオンの部屋と違う所は、壁に剣が立て掛けられていることだ。『アニールブレード』という代物で、北にあるホルンカの村で得られるクエストクリア報酬だ。チャーリーの姉が言っていたのはこの剣だろうと思い、少しでも慰めになればと持ってきたものだが、最初に立て掛けた位置から動いていない。肝心のチャーリーは、ベッドから体を起こして力のない笑みを見せた。

 

「座らせてもらうぞ、チャーリー。メッセージは見たか?」

 

「うん」

 

「気が向いたら覗いてくるといい。友人も出来るだろう。ショウコという年配の女性プレイヤーがいるから、言えば面倒を見てくれるはずだ」

 

「そうだね」

 

 チャーリーは、はじまりの日から装備がそのままだった。鮮やかな金髪に、初期装備の皮防具。武装は解除されてストレージに放り込まれているはずだ。作り込んだアバターの面影はそれだけで、今では痛々しい程無気力な少女でしかなかった。

 

「コルはまだあるか?」

 

「もうほとんどないよ」

 

「外に出なくても稼ぐ方法がある。街の中で受けられるクエストで食いつなぐことも出来る。クエスト掲示板を見ればわかりやすいはずだ」

 

 そう言うと、チャーリーはベッドに顔を埋めた。考えることが嫌になっている。この街から出ないプレイヤーはほとんどがそうだ。外部からの救助をひたすら信じ、嵐が過ぎるのを待つ様にじっと身を潜めている。今の内では、どうすればいいかはわかっていない。コルが尽きれば、広場で行われている配給に頼る事になるだろう。配給は朝に一回だけで、街で一番安いパンを二つと水だけである。ゲームであるから餓死することはないはずだが、これだけでは空腹に耐えなければいけないことも事実だ。配給のみに頼る生活をするプレイヤーは、食事の改善と住居の提示を求めているが、これは取り扱っていない。そこまで余裕があるはずもないので、そんなことを喚かれてもどうしようもないのだ。馬鹿な噂で、これの改善に署名活動をしていると聞いたが、それは嘘だと信じたい。

 アイガイオンは少しの間チャーリーと話すと部屋を後にした。少しの間会えなくなる。それだけの言葉が、結局喉に詰まったままだった。

 

「……死にに行くわけじゃあないんだ」

 

 呟いて気が紛れるわけでもない。言ってから、しまったと思った。これでは嘘を吐いてるようだ。思ってから、すでに自分を偽っていたと思い出した。

 アバターネームはアイガイオン。神話の巨人の名前である。姿形が戻された時、自分が名乗るには仰々しい程の名前だが、思い直せば手鏡を使って名前の変更も出来たはずなのに、それをそのまま使っている。何故なのかと言えば、多くの人の目に留まる様な、惹きつける様な存在になるためだ。人を死なせない為、犠牲を押さえる為、初めはそれだけだった。そして今では、はじまりの街最大規模の集団の長である。シンカーとのやり取りでそれは決まったも同然で、行動の果てに出た結果がそうならば、それは受け止めるしかないのだ。

 結局、次の日になってからチャーリーにメッセージだけ飛ばした。少しの間空ける。また帰ってくる。と短い文で、詳しい事を書こうとは思わなかった。下心で、もし自分を探してくれるなら、集団ないしショウコと顔を合わせるかもしれない、という期待もあった。そこで何か刺激を与えられれば、何か繋がりが出来れば良い。勝手な期待だとわかっていたが、今の状態のままではいけないはずだ。装備を確認し直して、かなり早い時間にはじまりの街の北門に向かう。ディアベルやキバオウたちが待っているはずだ。チャーリーの事を考えるのはやめにした。考えても、すでになるようにしかならない道を選んだのだ。




違和感を覚える方もいると思いますが、攻略会議前ですがキバオウとディアベルの面識はある設定です。


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第五話 三人の剣士

私の作品はテンポが悪い。課題だなぁ……。


 トールバーナと呼ばれる街の噴水広場。はじまりの街から離れたプレイヤーの中で、前線で攻略を進めようとするプレイヤーのほとんどがここにいる。比べれば規模こそ小さいものの、はじまりの街にはない活力がこの街にはあった。

 

「それでは、攻略会議を始めたいと思います!」

 

 大きな声でディアベルが言った。はじまりの街から離れて一週間が経つ。あれからトールバーナを拠点として、ディアベルたちにレベリングを随分と助けてもらったおかげでレベルは四つ上がり、現在のレベルは七に達した。アイガイオンよりレベルの高いディアベルたちが敵の体力を削り、ほとんど最後の一撃を譲ってもらうという形で強引にレベルアップを果たしたが、レベルが七に上がると極端に経験値が入りにくくなった。聞くところによると、一層ではこれ以上のレベルアップは難しいそうだ。一層ごとにそういった上限があるらしく、それに達することが出来たらしい。それでもパーティーリーダーのディアベルだけはレベル九に達していて、全プレイヤーの中でステータス的には一番強いはずだ。

 

「俺はディアベル! 気持ち的には『騎士(ナイト)』やってます!」

 

 胸を張ってディアベルが言った。「そんな職業ねえだろう」「無理すんな」と和やかな調子で野次が飛び、笑いが広がった。SAOの中にNPCを除けば職業というものはない。せいぜい生産系のスキルを取得したプレイヤーがそう呼ばれるか、あるいはディアベルのように自称するかだ。はじまりの街で同じことを言えば、冷めた目で見られ馬鹿にされるだけだ。その街で暮らしていたアイガイオンにとっては、皆の反応は新鮮な驚きであると共に、嬉しくなってしまう反応でもあった。

 

「攻略本は行き渡っているな? まずは――」

 

 攻略本というのは、β(ベータ)テスト時の情報を基に作られたものだ。はじまりの街でも配られていたが、主に攻略時の情報しか()っていなかったので、はじまりの街周辺でしか活動をしていなかったアイガイオンを含めたプレイヤーにとってはあまり意味の無いものだった。しかし、いざ街を出て攻略をし始めると、その内容の緻密さには驚かされた。敵の種類や攻撃パターン、ドロップするアイテム。クエストの発生条件やクリア報酬。点在する村や洞窟に、マップまで書いてある。

 ディアベルの指示に従いボスの項目を開く。≪イルファング・ザ・コボルド・ロード≫と名前が書かれたずんぐりとした図体の絵が目に入る。装備、攻撃パターン、取り巻きのコボルドたちはフィールドに出没する同種より多少強い位で、攻撃パターンは一緒なので油断しなければ十分に捌けるだろう。HPが減ると、武器を持ち替え、扱うスキルが変わる。難しい事は書いていないし、ややこしい事をしなければならない訳ではないようだ。

 

「そこでAからEまでの5つのグループを作り、ローテーションでボスに当たる! 早速皆で二人以上のパーティーを組んでくれ!」

 

 ディアベルが手を叩くと、プレイヤー達が動き出した。ディアベルのパーティーはすでにまとまっていて、アイガイオンはキバオウの元に集まった。後で聞いたことだが、ディアベルとキバオウは元々別々のパーティーで、しばらくはそれぞれのパーティーで行動するようだ。二人のリーダーは気が合っているようなので、ギルドが作れるようになったら合併でもされるかもしれない。キバオウの元には、筋力寄りの前衛斧戦士二人、敏捷型の棍使い一人にキバオウ含めたバランス型の片手剣士二人。そこに今回は、筋力型のアイガイオンが加わって六人になるはずだった。

 

「ほな早速パーティーを――」

 

「待ってくれ、キバオウ」

 

 アイガイオンはキバオウの言葉を遮ると、プレイヤー達に向かって大声で言い放った。

 

「この中で、ソロや人数の少ないパーティーは俺の元に来い! 共にパーティーを組もう!」

 

「んなっ――」

 

 ぽかんとした表情をキバオウがしていた。事前にアイガイオンはキバオウのグループに入る事になっていたので、驚くのは無理もない。

 

「俺も、仮にもリーダーをやっていたからな。人を見る目が養われているようだ。まあ、五人もいれば、まず大丈夫だろう」

 

 一週間の間にキバオウやディアベルとは、俺、お前で話す仲になっていた。アイガイオンの元には一人のフードを被ったプレイヤーと二人組のパーティー、計三人が集まっている。キバオウがそれを察すると、苦笑交じりに肩を竦めてみせた。

 

「なんや、相変わらず面倒見がいいなあ。よっしゃ、こっちは任せとき。あんさんらもバランスがちょうど良くなったろうしな」

 

 キバオウは早速打ち合わせに入るようで、パーティー内で熱心に話し込み始めた。

 

「良かったの、アイガイオンさん?」

 

 フードを被ったプレイヤーが傍に来て言った。顔こそ見えないものの、声は女のものだ。

 

「構わないさ。しかし、俺の名を知ってくれているんだな」

 

「チュートリアル受けたもの」

 

「それは何より。それじゃあ、早速パーティーを組もう」

 

 パーティーを組むと、視界の左上に名前とHPバーが三つ表示された。パーティーを組んだだけではレベルはわからないが、攻略会議に参加するという事は、実力の持ち主であることは間違いないだろう。

 

「アスナ、キリト、リーファでいいのかな。この中でパーティーリーダーをやりたい者は?」

 

 アイガイオンが聞くと、三人が首を振った。キリトとリーファは兄弟か、または姉妹のようだ。黒髪で顔立ちが似ていて、どちらも細い。リーファは胸のふくらみでわかるとして、キリトの方ははっきりとしない。中性的な顔立ちで、ナイーブそうな表情。身体つきや立ち姿は男に近いと思うが、リーファと並んでいるとよくわからなくなってくる。

 

「さて、では俺たちは四人パーティーになった。まず一番大事な事を聞こう。キリト、お前は男か女か?」

 

「…………男……です」

 

「……ぶふっ」

 

 キリトが潰れたような声で言った。噴き出したのはリーファだ。

 

「すまん。外見ではよくわからなくてな」

 

「いいんですよ、キリト君はよく間違われますから」

 

 リーファが言うと、不貞腐れた様子でキリトがそっぽを向いた。キリトとリーファは装備が一緒のようだ。違う点と言えば、キリトは背に剣を背負っているのに対し、リーファは腰に差している程度である。

 

「兄妹なんだな?」

 

「はい。あたしが妹のリーファです。よろしくお願いします、アイガイオンさん」

 

「……キリトです」

 

 妹の方が律儀なお辞儀をすると、兄はそれに続いて軽く頭を下げた。「……アスナ」と小さい声でフードの女性が言った。アイガイオンも名乗って前衛を申し出る。編成としては、アイガイオンとキリトで交代しながら前衛を担当し、リーファとアスナが仕留める役だ。

 

「ちょうど良く分かれたようだな! それでは班を振り分けよう!」

 

 ディアベルが言った。一番多い所はディアベルの六人パーティーが二組のA班。次いでキバオウの六人と五人で二組のB班だ。人数の多いこの二班が主にボスの相手をすることになり、アイガイオンたち四人は五人組のパーティーと共にC班となる。相手は主に取り巻きのコボルドだが、必要に応じてコボルドの主と応戦する。三人、四人組で計七人のD班、E班は取り巻きのみを狙うことになった。「俺たちもボスの相手をしたい」という主張があったが、初めてなので確実性を取りたいということで納得してくれた。

 

「それでは、明日は同じ時刻に集合だ! 解散!」

 

 ボス部屋前までマッピングされた地図を貰い、それぞれのパーティーが散って行った。アイガイオンはディアベルとキバオウに急な変更を詫びるメッセージを送ると、パーティーに向き直った。これから四人パーティーの連携を深めるための訓練を行う。急拵(きゅうごしら)えのレイドで連携をするのは難しいので、個々のパーティーの連携が重要になる。そう唱えたのはキリトで、その意見に従いフィールドに出ていた。頭上から木漏れ日が降り注ぎ、森林を明るく照らしている。樹木が乱立して見通しが悪いので、≪索敵≫スキルを取得しているキリトとリーファに敵の発見を任せ、アイガイオンとアスナは後方を付いていった。

 

「アイガイオンさんは、はじまりの街をまとめてるんですよね?」

 

 首だけ振り向けてリーファが言った。

 

「俺が一人でまとめているわけじゃない。意志あるプレイヤーたちが協力してくれている。その結果だと思うよ。それと、さん付けはいらないな。ただでさえ長い名前だから、ややこしくなる」

 

「年上ですから。そういう所はちゃんとしたいんです、あたし」

 

 アイガイオンは思わず感心して(ひげ)を撫でた。リーファは見た目通りの礼儀正しい性格のようだ。切り揃えられた黒髪に、芯の通った瞳。背筋もぴんとして、撫子だなという印象を一目見た時には受けた。

 

「……立派だと思います」

 

 ぼそっと言ったのはキリトだ。顔を正面に向けたままなので表情はわからない。

 

「……あなたは、はじまりの街で犠牲者を押さえる為にチュートリアルを開いていると聞きました。その中にクラインと言うプレイヤーは居ませんでしたか? 二十代の、装備を変えてなければ悪趣味なバンダナを――」

 

「すまんな、キリト。毎日何組にも分かれて、何十人と指導しているんだ。覚えているプレイヤーの方が少ない」

 

 アイガイオンが遮ってそう言うと「……そうですか」と暗い口調で言った。傍から見ても肩を落としたのがわかるくらいだ。リーファも目を伏せている。友人か知人であることは間違いなさそうだ。

 

「はじまりの街に居るのなら、探すのは難しいが掲示板に書き込みは出来る。伝言があるなら、それくらいはしてやれる」

 

「いえ、いいんです。……ありがとうございます」

 

「そう言えば、アスナもチュートリアルを受けたと言ってたな?」

 

「あなたにです」

 

「そうか。まいったなあ……女性は出来る限り覚えようとしてるんだが」

 

 どうにか雰囲気を明るくしようと言ってみたが、重たげな空気は変わらなかった。キリトは何かを抱えている様だし、リーファは兄を取り繕う事に必死だし、アスナはほとんど話さない。皆に余裕がないのだ。それはアイガイオンも同じだが、そこまで酷いものではない。

 

「敵を発見」

 

 幾らか強い口調でキリトが言った。表示されたマップには赤い点が三つ表示され、瞬時に皆の空気が変わった。一層では敵は最大で三体までしか徒党を組まないので、四人編成のパーティーで後れを取る事はないだろうが、下手をすれば死ぬのだ。警戒しつつ茂みを掻き分けると、コボルド三匹の姿を捉えることが出来た。敵はまだこちらに気付いていない。アイガイオンが≪隠蔽(ハイディング)≫スキルを使い、限界まで近づくとキリトが飛び出した。剣が蒼い光を纏い、すれ違い様にコボルドの首を()ね飛ばす。敵の意識がキリトに向くと、背後からアイガイオンが槍を突き出し、コボルドを貫通して引き摺り大樹に突き刺した。振り向くと、すでにポリゴン片となったものが降り注ぐ。その中にアスナとリーファが悠然と立っていた。「強いな」と口から洩れた言葉は聞こえていただろうか。鞘に仕舞う動作も、どこか堂に入っている。樹に突き刺さったコボルドも割れて消えた。それぞれの目の前に経験値と取得コルが表示された紫色の窓が表示され、一瞥するとキリトが多少苛立った様子で言った。

 

「すまないが、アイガイオン。あれくらいの敵は一撃で倒せるようになってほしい。ステータス的には、あんたが一番筋力が上なんだ」

 

「……ちょっと失礼じゃない、キリト君?」

 

「いや、キリトの言う通りだろうな。不意打ちだったんだ。致命(クリティカル)くらい狙うべきだ」

 

「……助かる」

 

 それだけ言うと、キリトはまた獲物を探し始めたようだ。リーファが目を盗んで小声で謝ってくれたが、余裕のないプレイヤーならキリトのような態度はおかしくない。次の戦闘は正面からだった。アイガイオンが二体を足止めし、その隙にキリトがすぐに一体を仕留め、隙を作ってアスナやリーファがソードスキルを叩き込む。連携は役割を守るだけで順調に行くようになった。急拵えのパーティーにしては上々だろう。キリトも口に出して注意することはなくなっていった。

 日が落ちる前に街に戻ると、明日はよろしくと言って解散となった。アイガイオンは一度宿に戻ってから街に出た。街を歩いていると、チュートリアルを受けた、というプレイヤーが意外な人数名乗り出てくれて歓迎してくれるのだ。明日ボスに挑む事を知って、激励の言葉を掛けてくれる。成功を祝って宴会を開こうとしてくれたプレイヤーもいる。アイガイオンは成功してからにしてくれと全てを固辞した。ディアベルやキバオウも同じ意見なのだ。

 

「アイガイオンさん」

 

 ふと弾むような声がした。反射的に声がした方に顔を向けると、暖かそうな毛皮のコートを羽織ったリーファがいた。フィールドに出ていた時とは違う装備だが、武器の片手剣は外していない。

 

「こんばんは。今日は、兄が失礼しました」

 

「そう律儀にならなくてもいい。キリトのようなプレイヤーは多いのだ。悪いのは彼じゃない」

 

「すみません。そう言ってもらえると助かります」

 

「その詫びという訳じゃないんだが、時間があるなら、少し飯に付き合ってくれないかな。一人だと寂しくて」

 

「私でよければ、喜んで」

 

 少しだけ歩いて、店の一つに入った。定食屋といった様な内装の店だ。テーブル席は五つ。その内三つはすでに客で埋まっていて、あとはカウンター席になる。カウンター席の奥には、NPCの割烹着を着た料理人が真剣な表情で大鍋を煮込んでいる。テーブル席に着くと、即座にNPCの店員が飛んでくる。リーファがピザに似たものを頼むと、アイガイオンはホワイトシチューを二つ頼んだ。

 

「美味いんだが、量が少ないんだ、この店は。それも、何故かシチューだけがな」

 

「この店、気に入ってるんですか?」

 

「街で食う時はここだな。そうだ、兄も呼んでみればどうだろう?」

 

「すいません、キリト君はいま街に居なくって……」

 

 店員が頼んだ物をテーブルに置いた。頼んでから待つ時間がないというのはゲームの利点だろう。

 

「さあ、食おう」

 

「いただきます」

 

 SAOで良い所はまず三つある。一つは痛みがない事だ。痛覚があれば、傷ついてまで攻略しようというプレイヤーはさらに減っていたはずだ。

 二つ目は、性欲がシャットダウンされている事だろう。三大欲求の食欲、睡眠欲が働いているのになぜそれだけが、と聞かれても、開発者にでも聞かない限りゲームの内側から知る術はない。しかし、混乱に乗じて女性を襲うプレイヤーもいない訳ではないのだ。死の間際に快楽を求めるのはおかしい事ではないだろう。しかし、行為にまで及べるという話は聞かないので、無理であろうという結論に至っている。これは一部の、主に男性プレイヤーたちを失望させた。

 三つめは飯が美味いことだ。当たりはずれは多い。だが少なくとも、この定食屋風の店は当たりだった。シチューがちゃんとシチューの味がする。それだけだが、見た目と味が食い違う等の奇妙な料理が多いこの浮遊城では、それだけで重宝する理由となる。

 二皿目のシチューに木製のスプーンを沈め、大口に切られた黄色い野菜を口に突っ込む。このシチューには、南エリアで育てられている牛型モンスターの乳を使って作られているそうだ。この店を三回以上利用すると食材調達のクエストが発生するが、アイガイオンは受けていない。クリア報酬は利用時の値段が安くなるというだけなので、旨みが少ないのだ。受ける時間がなかったというのも理由の一つになっている。

 

「キリトは、いまソロなのかな」

 

 シチューを掬いながらそれとなくアイガイオンが言うと、リーファの食べる手が止まった。悲しそうな眼を見ないようにして、アイガイオンはスプーンをすすった。髭にこぼしたシチューを(ぬぐ)い、水を(あお)る。一息を吐くと、リーファが口を開き始めた。

 

「……このデスゲームが始まってから……。いいえ、現実(リアル)に居た時からああいう所がありました」

 

 アイガイオンは、酷くもどかしい気分になった。聞いて助けられるわけでもない。何かをしてやりたいとも思ってしまうが、アイガイオン自身にもそこまで余裕はないのだ。

 

「場所を変えていいですか?」

 

 しかし、なぜ俺がそこまでしてやらなければならない? 心の中ではそう思ってしまった。キリトの余所余所しい態度が、僅かな棘となって刺さっている。仕返しをしたい、と感じているのだ。だが、とも思った。全てのプレイヤーが大なり小なり似たような状態なのだ。仮にも人を率いる身である。自分までそうなってどうするのだ。それに、相手はその妹である。ただの八つ当たりに過ぎない事くらい、わかっているだろう。心の中で何回か呟き、答える代りに席を立った。少し慌ててリーファが立ち、店を出ると適当な場所を見つけて座った。聞くだけなら聞いてやろう。思ったのはそれだった。

 

「現実で仲が悪いっていうわけじゃありませんでした。それでも、お兄ちゃんは距離を取っていたようで、私がSAOをやりたいって言うまでは、家の中でもほとんど口を利かない感じで……」

 

 アイガイオンは拳を握っていた。もう月が出ている時間で、寒々とした風も吹いている。言ってしまえば、夜風が少し堪えていた。デスゲームに囚われてから一か月。十二月に入っているのだ。寒いのは当たり前で、もう少し何かを着込んで来ればよかったと思い、話しに付き合ってしまったことにも多少の後悔を感じていた。

 

「小さい頃はよく一緒に遊んでたのに、いつの間にかそんな関係になっちゃって……。それで、昔みたいな、仲の良い兄妹に戻りたいって思って。それでSAOをやってみたいって言ったんです。あたしは普段ゲームなんかやらないので、最初は驚かれましたけど、少しずつ話しをするようになっていきました。その時は、本当にうれしかった……」

 

 泣くのではないか、とアイガイオンは危惧し始めた。女性の(なだ)め方などに気を使ったことはないので、そうなった時はどうすれば良いかはわからない。

 

「でもデスゲームが始まって、本当に死んじゃうんだって知った時に、お兄ちゃんは強くなろうって言いました。そうすれば死ぬことから遠ざかるから。あたしを守れるからって……。なのに、夜とかはあたしを街に置いて、一人でレベル上げをしてるんです。それを、本当はお兄ちゃんの足手まといになってるんじゃないかって、あたし思っちゃって……。あたしを守ろうと思ってくれてるのわかってるのに……せっかくまた昔みたいになれるって思ってたのに……ゲームなんてしなければよかったのかなって――」

 

 リーファが涙を拭ったようだ。アイガイオンはそれを見ないようにして背を向けていた。涙声と鼻をすする音が聞こえる。どんな表情をしているかなど考えたくなかった。

 

「……ごめんなさい。こんな事言うつもりじゃなかったんですけど……。キリト君には面と向かって言えないのに――」

 

 思いついたことはある。しかし、聞くだけにしておきたかった。余計にあれこれと言っても、本人が決めなければどうしようもない。背を押すにしても、今は無責任すぎる気がした。リーファが落ち着いてくると、身を縮めて腕を擦った。思えば、割と長い時間夜風に身を晒している。アイガイオンが立ち上がると、少し間をおいてリーファも立ち上がった。涙は流れていないようだ。

 

「寒いだろう。もう帰った方がいい」

 

「そうします。あの、色々聞いてくれてありがとうございました。少し楽になったような気がします」

 

「時間があれば、話しを聞くだけなら出来る。愚痴でもいい」

 

「ありがとうございます。それと、現実の事を喋っちゃったの秘密にしてくださいね。話すなって言われてるんです」

 

「わかっている。温かくして眠りなさい」

 

「なんだかお父さんみたいです。これ、お礼です。パンにつけて食べるとおいしいんですよ。それじゃあ、おやすみなさい」

 

 リーファは小瓶を押し付けると、軽く微笑んだようだった。アイガイオンが軽く手を振ると、お辞儀をして去っていった。背中を見送りながら、少し深入りをしたかもしれない、とアイガイオンは思った。父か、と口の中で呟く。この外見の事だ。食事の時など、髭など邪魔に思う時がある。それでも、最初に比べれば随分と慣れてきていた。その内に違和感を感じる事もなくなるのだろう。

 押し付けられた小瓶の中にはミルク色の液体が入っている。掌で転がし、土産にでも持って帰ろうとアイテムストレージに放り込む。アイガイオンはくしゃみをすると、宿に帰ろうと足を急がせた。明日は決戦である。風邪をひいたなどと馬鹿な事にはなりたくなかった。




ツッコミ
1.風邪なんてバッドステータスねーよ。
2.信じられるかい? まだボスまで行ってないんだぜ?

Q:キリトが苛立った理由。
A:(守る存在として)妹がいるから。
どうしよう。妹がいるということはキリトがソロじゃないということになる。キリト君の強さはソロであったという所からも来ていると思うので、これは由々しき事態である。
さらに一番の問題は、この時点でリーファがデスゲームに囚われているという事だ。成長期であるのに点滴しか栄養源がないという事はお胸様(現実)の成長に非常によろしくないはずである。
私はなんてことををしてしまったのか(懺悔)。


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第六話 一人の剣士

一万字超えた。読んでる途中でだれるかもしれないです。ごめんなさいです。
迷宮区の内装などその他諸々原作とは違う設定になっています。



 SAO初のボス攻略、大規模討伐戦闘である。ボス攻略を希望した四十六のプレイヤーが、それぞれのパーティーで固まって列をなしている。

 すでに迷宮区の中だが、広い空間に樹木が生い茂る、言ってしまえば森の中だった。迷宮区のフロアを縁取る壁は無機質に石を積んだものではなく、木々や張り巡らされた蔦、削り出された岩盤などで、イメージしていた――日の光の届かない中で僅かな光源を頼りに進んでいく石造りのダンジョンという――ものとは違っていた。

 道は大まかに枝分かれしている程度ではあるが、マッピングされていない道を歩けば迷ってしまうくらいには複雑である。本物の日差しではないものの、空を模した上部フロアもとい二層底部の放つ陽光は、頭上に広がる木々によって木漏れ日となって降り注いでいる。

 ボス部屋の大扉の前まで来ると、緊張は一際高まった。SAOのプレイヤーは死のにおいに敏感だ。大勢の“一般的な”プレイヤーは安全圏であるはじまりの街から一歩も出ていない。ならば、危険とわかっているのに攻略を進めようとしている“少数”のプレイヤーたちは何を求めているのだろうか。

 少なくともアイガイオンは希望を求めた。はじまりの街に待つ仲間たちがいる。それらの期待にも応えるためだ。ソロだったアスナや、キリト、リーファの兄妹は何を求めて挑むのだろうか。英雄という肩書きだろうか。ディアベルはそうだと言った。希望と言い換えただけで、アイガイオンもそうなりたいと渇望しているのかもしれない。強い装備、高価なアイテム。ただのゲームだと意識するなら、それだけで価値がある。キリトやアスナはそうなのだろうか。ただ絶対強者の位置を獲得したくてリスクに挑むのだろうか。

 

「俺たちはこれからボスに挑む!」

 

 ディアベルの一言で意識が覚醒する。考え込んでしまっていたようだ。アイガイオンは、自分の役割を頭の中で復唱した。主には敵を食い止めるための壁役である。突破されないだけの自信はあった。それぞれの班が役割を果たせば、攻略は難しくないはずだ。

 

「ここまで来て俺から言う事は一つ! 勝とうぜ!」

 

 力強い一声で鬨の声が上がった。ボス部屋の大扉が鈍い音を上げ開いていく。部屋は樹木に覆われたというより、大木の真下のような部屋だ。壁には蔓が無数に張っていて、木の根が不揃いに並んで支柱になっている。

 四十六人が入りきってもまだ奥行きに余裕がある部屋を中ほどまで進み、ディアベルから停止の声がかかる。大部屋の最後方にある玉座。そこだけ暗くなっていて、影の様なものが動き出した。

 

「総員――」

 

 ディアベルが剣を掲げて言う。アイガイオンは大盾を構え直した。防具は一層で最重量の全身金属鎧で、武器は木の根をそのまま引っこ抜いてきたような、耐久力の高い槍である。木製の大盾は一層で一種類しかなく、はじまりの街で買えるものだが性能は優秀だ。

 アイガイオンは大盾の裏で、影のような図体を待った。図体の姿が少しずつ明瞭になってくる。全長は三メートルに届くほどだろうか。丸々とした図体だが、腕や脚には筋肉が目立つ。赤茶色の皮膚にまともな防具らしいものはなく、モンスターや木の皮を剥いだものを垂れ下げている。左手に持つ大型の円盾は、粗削りの鉱石が中心から外側に広がる様に嵌め込まれ、右手に持つ武器は手斧と言えど、巨体が扱うそれは人を叩き潰すには十分な大きさだ。

 アイガイオンは、一歩だけ下がりたくなった。何人かのプレイヤーは後ずさりしている。さがるな、と小さく呟いた。≪イルファング・ザ・コボルド・ロード≫と表記がカーソルと共に出現する。次いで、それを守護するコボルドの衛兵たちが実体化した。

 

「オオォォォォォォッッ!!」

 

「――戦闘開始!」

 

 コボルドの主が()え、ディアベルの剣が振り下ろされる。四十六の精鋭とコボルドがぶつかり合った。

 

「手順通りだ! ステップ1!」

 

 アイガイオンは叫んで衛兵に突撃した。コボルドの持つ棍棒が光りを纏い、加速する。片手棍単発スキル≪テイクダウン≫。気絶効果を含む振り下ろし攻撃は、当たれば厄介だが、動きが単調なので対応は楽だ。アイガイオンは大盾に光を纏わせて打ち払った。

 

「ステップ2!」

 

「スイッチ!」

 

 体勢を崩したコボルドに、背後から飛び出たキリトの剣閃が通り過ぎ、即座にアスナのレイピアが貫いた。アイガイオンはすでに次のコボルドを足止めしていた。大盾を生かした戦い方で体勢を打ち崩し、仰け反ったコボルドにリーファの剣が吸い込まれる。ソードスキルの光芒が部屋を照らし、破砕された青い破片があちらこちらで四散する。

 コボルド・ロードの咆哮が部屋を震わせ、HPバーが一本分削りきれたのを確認した。ボスのHPバーは全部で四本だ。一本減るごとに攻撃パターンが追加され、残り一本になると武器を持ちかえてパターンが完全に変わる。

 

「C班! E班のバックアップに回れ!」

 

 ディアベルの指示に従い、コボルドを倒して移動する。新たな個体が再湧出(リポップ)するまえに、押され気味のE班に掛け声を掛け、戦闘を交代した。ディアベルは後方から全体の指揮を執り、戦線の崩壊を防いでいる。主力のA班、B班はボスにまとわりつくように囲んで戦い、それを鬱陶しがったのか、コボルドの主が息を大きく吸った。

 

「≪咆哮≫来るぞ!」

 

 大音声が轟いた。≪咆哮≫をくらえば数秒の怯みが発生し身動きが取れなくなる。しかし効果範囲は狭く、防御をすれば簡単に防げるし、動作が長いため隙が多い技だ。前もって対応していたA班、B班がソードスキルを次々に打ち込み、また一本ゲージを削られたコボルド・ロードが苦しげな唸り声を上げた。

 

「スイッチ!」

 

 掛け声で体力を回復したE班と交代する。後退してポーションを呷ると、イエローゾーンに突入していたHPが回復し始めた。

 ディアベルの指示は的確だ。戦線を注意深く観察し、押されている部分を援護しては、ボスの攻撃パターンに注意して指示を飛ばす。

 バーが緑色になるまで回復すると、アイガイオンはまた前衛で壁役に徹した。取り巻きのコボルドはその身を四散させては、また新たなる個体が復活する。攻略本では、敵が群れなすのは三体までと書いてあったが、ボス戦はその限りじゃない。一班二組なので捌く事は出来ているが、人数の少ないD、E班には時折C班の一組が援護に回っていた。特にE班は連携が上手く行っていないのか、たびたび押し込まれている。その度にディアベルが指示を飛ばして戦線の崩壊を防いでいた。

 A班B班はボスを囲んで、寄せては返すように目まぐるしく動き、HPがイエローゾーンに陥ったプレイヤーはディアベルの指示で後退し、回復してから戦線に復活する。HPを危険域であるレッドゾーンにまで減らしたプレイヤーはまだ出ていない。

 戦闘は順調だと言えた。しかし、アイガイオンは何か嫌な気配をおぼえた。順調なはずだ。油断はしているはずがない。コボルドの胸を突き、青い破片を浴びてもその気配が消えなかった。

 僅かな耳鳴りが聞こえた気がする。何か見落としている事はないか。急激な不安が身を襲った。いや、と呟く。戦線はどこも崩壊はしていない。押し込まれそうなところも上手く援護出来ている。大盾に身を隠し、攻撃を防ぐ。出来た隙にキリトの剣閃が吸い込まれ、またコボルドがポリゴンとなって四散する。

 

「キリト、何か見落としていることはないか」

 

 ただ近くにいたから聞いてみただけだ。答えを期待しているわけではない。しかし、キリトにも何か揺らぎの様なものをアイガイオンは感じた。

 

「戦闘中だ。今は集中しよう」

 

 キリトはそう言ったが、何かを感じている様だ。この世界はデータに過ぎず、気配などとは無縁のはずだろう。逡巡したが、キリトの言う事も正しい。

 

「ゲージ! ラスト一本や!」

 

 キバオウの声だった。幾多のソードスキルの閃きがコボルド・ロードを襲い、遂にボスのHPバーが赤く染まった。

 

「C、D、E班は戦闘を継続! A、B班は下がれ! 俺が出る!」

 

 ディアベルが指示を出して走り出す。その顔に焦燥が浮かんでいるのを認めた時、ぞくりと何かが体を打った。耳鳴りが、遠くの方で鳴っている。

 コボルド・ロードが大音声の吼え声を上げ、武器を左右に投げ捨てた。円盾は戦闘中のコボルドを壁側まで巻き込んで倒れ、斧は反対側の壁に突き刺さった。そして抜き放ったのは大振りの野太刀。

 

――――事前の情報と食い違っていた。

 

 ディアベルの剣は光を纏い、ソードスキルの発動を、停止不可能を示している。そしてボスのコボルド・ロードの野太刀も光を纏い、同じように動作の決定を示していた。

 その時だけ、アイガイオンの目にはすべての光景がゆっくりと見えていた。

 

「やめろ!」

 

 太刀筋が交差する。筋力、速度、威力、重力等様々なパラメータがシステムによって計算され、その決定がディアベルの剣を()し折った。そしてコボルド・ロードのソードスキルはまだ終わっていない。跳ね返る様に剣閃が返り、驚愕に目を見開くディアベルに迫っている。誰にでもわかるような、死の閃きだった。

 

――――次の瞬間、はじけるような光が飛んだ。

 

 飛来した光が野太刀を弾き、ずれた太刀筋がディアベルの腕を刎ね飛ばした。斬られた衝撃でディアベルがフロアの端までふっ飛ぶ。ディアベルのHPバーが一気に減少して、赤く染まったところで止まった。

 やめろと叫んでいたのはキリトだった。そして動いていたのはアイガイオンだった。咄嗟に投げ放った槍が野太刀を弾いていたのだ。

 

「回復急げ! まだ終わっていない!」

 

 アイガイオンは叫んだ。プレイヤーの視線がすべて自分に集まるのを感じる。見るのはこちらではない。怒鳴ってやりたかったが、データの塊である敵は待ってくれない。

 

「≪咆哮≫来るぞ!」

 

 叫んだ。囲んでいたA、B班のプレイヤーが反応しきれずにまともに受けてしまった。コボルド・ロードが唸りを上げて飛び上がり、着地と共に巨体が回転する。わかったのはそれが重範囲攻撃で、囲んでいた精鋭たちを斬り飛ばしたという事だけだ。

 斬り飛ばされたプレイヤーのHPゲージは赤くなり、何人かが気絶している。この気絶はステータスの気絶ではない。本当に意識がないのだ。

 このゲームに痛みはないが、衝撃は存在する。あまりに強大な一撃をくらうと意識が飛ぶ現象は起こり得るのだ。気の弱いプレイヤーなら≪フレンジーボア≫の突進でも同じことが起こる。はじまりの街でそういうプレイヤーを相手にしてきたアイガイオンは、それを知っていた。

 

「ディアベルは!?」

 

「気絶しています!」

 

 ディアベルを介抱しているプレイヤーが叫んだ。ディアベルとA、B班が戦闘不能になったことで、パーティーに動揺が走っている。

 くそがっ。畜生めがっ。心の内で悪態をついた。叫んではいけない。今乱れれば、収拾が付かなくなる。E班の一人の顔が恐怖に塗られている。そして何か取り出すような仕草を――

 

「これより俺が指揮を執る! C班がボスを相手する! D、E班はコボルドを止めろ! A、B班は回復を優先しろ! 回復結晶を残してる奴は気絶している奴に使え!」

 

 叫んで、アイガイオンはボスに突っ込んだ。あれは逃げ出す顔だった。初期配布である転移結晶を使い、戦線を離脱しようとしたのだ。させてはならない。今逃げてはいけないのだ。一人がやれば、必ず後に続くプレイヤーが出て来るだろう。そうなれば戦線は崩壊し、敵は残ったプレイヤーに殺到するだろう。逃げ切れないプレイヤーは殺され、この戦闘が敗北で終われば、浮遊城からの解放は絶望的になる。

 

「回復した者から戦線に復帰せよ!」

 

 指示を飛ばしながらボスの前に躍り出る。敵と認識したコボルドの主が吼え声を上げる。野太刀に光を纏わせ、アイガイオンも大盾を構えた。

 左からの剣撃。ほとんどしゃがむようにして避ける。右から返す刀。起き上がる動作と共に、光を纏った大盾で打ち上げた。ソードスキルの硬直と、パリィで出来た隙。精鋭がそれを見逃すはずはない。

 キリトの青い剣閃。リーファの翡翠の閃き。アスナの白い閃光がそれぞれ≪イルファング・ザ・コボルド・ロード≫に叩き込まれる。

 

「ヴオオォォォォォォォォッッッ!!」

 

 大音声の吼え声。フロアを揺るがすほどだった。コボルドの主は天井を見上げるような格好で吼えている。そして吼え声が途切れると、ゆっくりとアイガイオンに向き直った。

 

「――――くそがっ」

 

 呟いていた。HPゲージが赤く染まっているではないか。あともう少しではないか。何故倒れないのだ。ひどく緩慢な動作に見えた。野太刀が切り裂かんと迫っている。防御しなければ。大盾を構え、攻撃に備える。

 視界の端では、コボルドの相手をしているプレイヤーたちがいた。ボスの巨体の奥では、パーティーであるキリトたちがいた。それらがひどく遠くに見える。

 

「だめえ――――ッ!」

 

 野太刀と剣がぶつかり合った。何が、と思った。太刀筋がずれ、揺れた金の髪が目に入った瞬間、しばしの夢想から戦闘に引き戻される。

 軌道がずれた野太刀が地を抉り、衝撃がアバターの体を打つ。その状態から野太刀が光りを纏い始めるのに気付き、咄嗟に体を引き寄せ、天地が引っくり返るような衝撃と共に吹っ飛ばされた。土埃を上げ壁に激突したが、HPを確認し無事を確認すると、アイガイオンは抱き締めている体に懐かしい愛おしさを感じた。

 

「何故お前がここにいるのだ……チャーリー?」

 

「だって……」

 

 HPが零になるぎりぎりのレッドゾーン。運が良かったと言うほかない。ソードスキルで逸らす技術。偶然か、天性のものか。すんでの所で助けてくれた金髪の剣士チャーリーは、ほとんど泣きそうな顔をしていた。

 色々な事を時間かけて問いただしてやりたかったが、今はそれどころでもない。部屋の中央ではすべての班が懸命に応戦している。ボスの目標(ターゲット)から外れていることが今はありがたい。アイガイオンはチャーリーを立たせて言った。

 

「お前はポーションで回復しておけ。それと部屋の外で待っていろ」

 

「嫌だよそんなの。ここまで来たんだもん」

 

 金髪の剣士は即答だった。アイガイオンは兜の奥で、顔が笑ってしまっているのを感じていた。チャーリーならそう言うだろう、とどこかでわかっていた。

 

「レベルは」

 

「二だけど」

 

 驚くのはすべて後だ。ボスのHPはあとほんの僅かだが、最後の足掻きとばかりに奮戦し、C班はそれに攻めあぐねている。一刻も早く復帰せねばいけない。チャーリーが回復ポーションを飲み干すのを見届けてアイガイオンは言った。

 

「いないよりはいい。あと一撃だ」

 

「でも、武器が」

 

 チャーリーの事ではなく、アイガイオンの事だった。無理な体勢で防御したのが悪かったのか、木製の大盾は大きくひしゃげ、≪破損(ブレイク)≫と表示が出て使えない事を示していた。槍は投げたので手元にはないし、予備の槍は強化もしていないのであてにもならない。攻撃は他のプレイヤーに任せればいいだろう、とアイガイオンは思った。そして隙を作るのが防御の役目である。

 アイガイオンは木製の大盾を捨てると、近くの巨大な円盾に目を付けた。ボスが武器を変更する時に投げ捨てたものである。押し潰されるように巻き込まれたコボルドが悲鳴をあげて悶えている。HPはほとんど残っていなく、アイガイオンが踏みつけるだけであっけなく散った。

 これもドロップ品になるのだろうか。拾うと、重量オーバーの赤い表示が視界中央に現れた。この状態になると、急激に体が重くなり、ほとんど動けなくなる。確認すると、すんでの所で重量オーバーになっている。

 その為アイガイオンは兜を捨てた。これから英雄となるのだ。顔は晒さなければならないだろう、と思ったからだ。鉱石が散りばめられた円盾は予想に違わず超重量で、アイガイオンでも両手で持って何とか装備できるくらいだった。種類は大盾に分類されるらしく、筋力型で良かった、と感じずにはいられなかった。

 

「俺の後ろに」

 

「うん」

 

 地を蹴った。白い髭や髪が風に打たれるのを感じる。いかにもという容姿にするため、目の色さえ白くした。不気味がるプレイヤーもいたが、それでさらに歳を重ねたように見えた。

 ボスに向かう直線状にいるコボルドを大盾で突き飛ばし、叫び声をあげ、それに気付いたコボルドの主が振り向く。自分が目標になった、と感じるとアイガイオンは大盾に光を纏わせた。野太刀の剣閃が見たことのある軌道で迫りくる。これがソードスキルの欠点だろう。同じ太刀筋でしか剣技は発動しない。

 予想していたアイガイオンには、十分の覚悟があった。両手持ちの大盾を渾身の力で振り下ろす。激突し、野太刀の力の流れが地面に向き、剣技の光芒が弾け、床を抉って埋まる。

 

「やれ」

 

 後ろから飛び出したチャーリーの剣が閃く。その時初めてその剣がアニールブレードだった事に気付く。使ってくれたのだな。呟いたのは心の内でだ。ソードスキルが吸い込まれ、次いで幾つかの光りがボスに吸い込まれた。キリト、リーファ、アスナの姿。良いパーティーではないか。そう思った。

 ≪イルファング・ザ・コボルド・ロード≫が雄叫びを上げ、宙を見上げた状態で静止する。プレイヤーたちが見守る中、やがてあっけなく青いポリゴンとなり破片となって飛び散った。強い風圧が生まれ、それに薙ぎ払われるように取り巻きのコボルドたちも一斉に消え去っていく。

 

「――――勝ったのか……?」

 

 今起きたことが信じられないような呟きがプレイヤーたちの間に広がり、しばしの静寂の後、それは一斉に爆発したかのような歓声を上げた。

 

「勝った! 勝ったぞ!」

 

「俺たちはやったんだ!」

 

 次々にお互いの健闘を褒め称える言葉が飛び出し、手を叩き合う。中には肩を抱いて泣くプレイヤーもいた。勝利のBGMと共にレベルアップのファンファーレが鳴り響く。

 アイガイオンは喜び合うプレイヤーたちを見回した。チャーリー含め、全四十七人のプレイヤーに死亡者はいない。レッドゾーンに陥ったプレイヤーたちも回復している。そういえば、とアイガイオンはチャーリーに目を移した。チャーリーは急な登場だったので、パーティーには入っていないはずだ。

 

「なってるよ。キリトって人が申請してくれたんだ」

 

「ちゃっかりしてるな。ラストアタックもキリトが持って行ったぞ」

 

「うわっ、レベル一気に二つ上がってる」

 

 視界の左上には確かに【Charlie】という表記がある。喜ぶ姿はいかにも無邪気で、それが元々の性格なのだ。見守るような笑みを浮かべていると、それに気付いたチャーリーが思い出した様に拗ねた顔をそむけた。

 

「勝手に行っちゃったこと、これでも怒ってるんだからね!」

 

 アイガイオンは、そのレベルでここまで来てしまったことを叱り飛ばしてやりたかったから、お互い様だった。それは街に戻ってからでいいだろう。今は勝利したことを喜ぶべきだ。

 キリトたちC班が喜ぶプレイヤーたちに囲まれている。アイガイオンの元にもプレイヤーたちが集まっていた。万歳でも唱えてやろうかとも思ったが、今はとにかく疲れている。胸の鎧にこつんと何かが当たった。伸ばされた腕に、結晶が握られている。

 

「ヒール!」

 

 一瞬の光りと共に結晶が消え去ると、燐光の名残が体に巻き付くように浮かび上がっていた。HPバーが一瞬で安全圏の緑まで回復していて、そういえば危険域(レッドゾーン)だったという事に気が付く。アインクラッドにおける数少ない魔法的要素である回復結晶を使ってくれた相手はリーファだった。実直な顔に若々しい笑みを浮かべている。

 

「結晶は一つ何万とか、何十万コルすると聞いたのに」

 

「いいんです、あたしが使いたかったんだから。お祝いですよ、お祝い」

 

 さすがに抱きつかれたのには驚いたが、喜びたい気持ちもわかる。ハラスメント防止コードの警告が無粋に見えた。リーファを宥めると、次に近づいてくるプレイヤーがあった。腕を刎ね飛ばされたディアベルだ。

 なぜあの時指揮を放棄した。聞きたいことはあった。ディアベルも覚悟しているのか、顔を強張らせている。

 

「ディアベル」

 

 呼ぶと、一層の緊張に包まれたのがわかった。

 

「俺は……」

 

「言いたいことは全て後だ。今は勝利を喜ばねばならない。相応しい笑みを見せろ、騎士殿。我らはよく頑張ったじゃあないか」

 

 アイガイオンはおどけた口調で笑みを作った。ディアベルは何かを言おうとして、出てきた言葉が「……そうだな」という呟きと微笑みだった。

 ディアベルの行動が、ボスを仕留めたプレイヤーに贈られるアイテム、ラストアタックボーナスを狙ったという事はわかっている。それと同時に、英雄に必要なものだったということもわかっていた。魔王を倒すには、英雄の活躍が必要なのだ。それを求めるのはおかしい事ではない。

 

「借りは返せたな、ディアベル。腕の部位欠損はしばらくそのままにしておけ。英雄の証と認められるだろう」

 

 ディアベルに言って、プレイヤーたちの興奮が収まる前に、アイガイオンは大仰な動作で声を張り上げた。

 

「諸君! よくやった! 我らの勝利である! この快挙を、すべてのプレイヤーに示さねばならない! 百層の攻略は果てしないが、その第一歩が諸君らの活躍により始まった! 改めて感謝する! ありがとう! 我らはこれより、英雄として凱旋する!」

 

 

                     ◇

 

 

 そこから先も大変な騒ぎになった。第二層へ到達し、階層を繋ぐ転移門を有効化(アクティベート)すると、一層の踏破に気付いたプレイヤーたちは新たな階層に雪崩れ込んだ。ボス攻略パーティーを残して、喜ぶ暇もなくアイガイオンは協力者たちに頼み、二層の街の城門警備を頼んだ。新天地に浮かれてレベルが足りないまま外へ飛び出す輩もいるかもしれない。はじまりの街に籠るのに飽き飽きしていたプレイヤーは、新たな階層を喜び、街は一時の喝采に包まれるのだ。

 アイガイオンは二層でのディアベル、キバオウらの打ち上げパーティーに参加した。ボス討伐報酬のレアアイテムの見せ合いや、互いの健闘を称え、己の武勇伝などに話しは終始し、酒が入ってきてからは狂乱になった。キバオウと酒を飲むことは極力控えよう。アイガイオンは強くそれを思った。

 打ち上げを断って途中で抜け出すと、次ははじまりの街でも遅めの祝いの席が用意されていた。攻略組の打ち上げと比べればささやかと言っていい、主立ったプレイヤーのみのものだったが、喜ぶ気持ちは変わらない。こちらは短い時間で終わり、それぞれがまたやるべき仕事に戻って行った。アイガイオンもやると言ったが「休んでろ」と一蹴され部屋に押し込まれていた。

 すべてが終わった頃にはすっかり日が暮れて、時刻は午後十一時を回っている。アイガイオンは重装備を外すとインナーのみとなり、動きやすい服装に着替えた。飲んだ酒のせいか、いくらか浮いたような感覚がある。そのままベッドに倒れ込み、目を閉じた。今日の戦いが断片的に思い起こされる。また明日からは新たな仕事が用意されているはずだ。考えながら、睡魔の波に身をゆだねようとした時だった。

 

「イオン、いる?」

 

 扉がノックされ、声が聞こえてきた。イオンとはアイガイオンの略称である。長いからとその呼び方をするのは今の所一人しか知らない。

 

「開いてるよ」

 

 寝たままの体勢で『入室を許可しますか?』と表示されたウインドウのYesを押す。入ってきたのは、予想通りチャーリーだった。金髪の髪を揺らし、覚束ない足取りで「うあー」とアイガイオンの横に仰向けに倒れ込む。顔だけ向けて確認すると、チャーリーの顔はいくらか赤くなっていた。

 

「お前、酒を飲んだな。酔ってるだろう」

 

「酔ってないよう」

 

 ボス討伐記念パーティー、おそらくリーファがやると言っていたC班の打ち上げに参加したのだろう。現実(リアル)だったら確実に怒られている。しかし、酒を唯一の娯楽とするプレイヤーも多いのだ。ここは仮想空間だし、ましてや囚われている身なれば、数少ない娯楽を取り上げるのも酷である。アイガイオンもただ十分な注意を呼びかけるだけで、禁止にはしていない。

 

「まだ怒ってるんだからねー」

 

 気だるげに何を言ってやがる、とアイガイオンは思った。口調に覇気はなく、まったく怒気は感じられない。それを言うならアイガイオンにも聞きたいことはあった。

 

「チャーリー、なんであそこにいたんだよ?」

 

「イオンが悪い」

 

 一点張りだった。と言っても大体察しがついている。最初はメールからだ。アイガイオンのメッセージ受信箱には、ほとんど宛名がチャーリーのもので埋まっていた。はじまりの街を発って、心配してくれてメールを送ってくれるプレイヤーも多数いたが、一日に何十通も送りつけてきたプレイヤーはチャーリーだけだ。その全てにアイガイオンは返信しなかったのだ。それが心配で飛び出したのだろう。

 

「レベルが二になってたのは?」

 

「イオンが悪いのー」

 

 トールバーナの街までは、村から村へと辿れば到達は難しくない。それは安全な道を知っていればだ。それは攻略本に頼ったのだろうが、危険極まりない事は変わりない。

 しかし、レベル一でも敏捷に振っていれば何とか逃げ切れるのだ。足の速い狼などの敵は一層では少ないので、避けられない戦闘のみをこなして後は振り切ったのだろう。

 迷宮区のダンジョンは樹木が乱立していて、≪隠蔽(ハイディング)≫がしやすい。敵も同じだが、≪索敵≫スキルを取得していればそれらの発見は難しくない。難易度やボスはともかく、そういう所は初心者用の階層なのかもしれない。

 迷宮区のマッピングデータはすでに公開されているので、経験値やアイテムなどに目もくれず、到達のみを目標とするなら、無茶苦茶ではあるが不可能ではないだろう。その過程でレベルが二になった。「当たってるか?」と言ってのけると、チャーリーはつまらなそうな顔をした。当たりの様だ。それはもう暴挙と言っていい。

 

「わかった、俺が悪かったよ。そろそろ許してくれ」

 

 チャーリーはたっぷりと時間をかけ、拗ねた顔を崩してわざとらしく「しょうがないなあ」と言った。アイガイオンがメールの返信さえしていれば、こうはならなかっただろう。だが、あの時こうしていれば、という考えはあまり持たないようにしていた。深く考えてもどうしようもない事なのだ。

 

「ただ、ああいうのは今回限りにしてくれ。命がいくらあっても足りん」

 

「心配?」

 

「当たり前だろう」

 

 言うと、チャーリーは嬉しそうな顔をした。可愛らしい笑顔である。チャーリーが明るくなって良かった。そう感じずにはいられずに、頭を撫でた。チャーリーは少し驚きながらも、嫌な顔はしていない。アイガイオンはそろそろ睡魔に抗えなくなると手を止めた。

 

「俺は眠るぞ」

 

「待って。その前にやりたいことがあるんだ」

 

 チャーリーが体を起こし、右手の人差指と中指を合わせて振った。半透明の矩形のウインドウが現れ、何かアイテムを出したようだ。手に持っているのは手鏡。はじまりの日に、全プレイヤーに現実を突きつけたアイテムだ。

 

「ちょっと待ってて」

 

 チャーリーは立ち上がって手鏡を指でつつくと、青白い卵型の光に包まれた。転移結晶を使った際のワープエフェクトではない。アバターの容姿変更に使われるものだ。

 手鏡で変更できるのは、名前や髪型、眼鏡や髭などのアクセサリに色調などである。身長など体の造形は変更不可だが、それでも犯罪に使われる可能性もあるので、アイガイオンの集団では女性の名前を使った男性プレイヤーなど、よっぽど必要でない限り渡す事はしていない。それらは十分な呼びかけの後、一か月で破棄することになっている。

 卵型の光りが剥がれてきた。容姿変更が終わったのだ。チャーリーの姿が完全に露わになると、まず一番初めに目に付いたのが、金髪から艶やかな濡れ羽色に変更された長く伸びたストレートの髪だ。対比なのか肌は乳白色と言っていい。装備も変えたのだろうか、胸部分には黒紫の金属プレート。その下のチェニックと、ロングスカートは青紫である。身長は同年代でも低い方だろう。元より細いと思っていたが、それでも女性的な丸みを帯びた体躯である。小造りの顔に無邪気な笑顔を浮かべ、左手の指先でスカートを摘み、右手を胸の中央に当て、お芝居の様な礼をする。そしてチャーリーはネームプレートを表示した。表記は【Yuuki】と書いてある。

 

「えーっと、改めましてユウキです。よろしくね、イオン」

 

 ユウキという名前はおそらく現実のものだ。姿形が現実のものに戻されたため、名前も現実のものを使うというプレイヤーも少なくない。アイガイオンのように大仰な名前を使うプレイヤーは、馬鹿か自信家か冒険者か無頓着者である。

 チャーリー改めユウキが手を差し出した。アイガイオンはようやく体を起こし、その手を握り返す。体つきまで変わっているわけではないが、アイガイオンは新鮮な驚きのようなものを感じていた。のだが――

 

「それじゃあおやすみー」

 

――とベッドに再び倒れ込むユウキを見て、ああこいつは変わらないな、と慈しむ気持ちになった。これが自分のベッドで寝てくれれば尚更よかった。

 

「……今日くらいは良いか」

 

 今日の功労者であり、恩人でもある。備え付けのソファーに倒れ込み、ベッドを占領する幸せそうな少女の寝顔を見てから、ようやくアイガイオンは眠りについた。




意外! それはユウキッ!

……そんなに意外でもないかな。一応言っておくけど、なでポじゃないよ。
それとここの円柱の浮遊城では酒で酔います。ええ酔いますとも。

この話書き終わった時もうここで完結でいいんじゃねえかって思っちまいましたよええ。頑張ったもん。


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第七話 OLD MAN

前回から一週間以内に投稿するつもりだった。
遅筆な上にまた一万字超えた。ちくせう。


 第一層の攻略成功から、はじまりの街は目に見えて活気を取り戻し始めた。ディアベルが言っていた、希望を示すという目標は果たされたと言っていいだろう。

 一番嬉しい事柄は、βテスト時ではもっと先の話だった、ギルドの結成が二層で出来たことである。これで金の計算を手でやらなくて済む。シンカーは嬉しそうにそう言った。条件に、ギルドリーダーとなるプレイヤーがレベル十に達している事とあるが、ボス討伐に成功した時、アイガイオンはレベルが三つ上がってちょうど十に達していた。

 経験値配分は、そのプレイヤーがどれだけ活躍したかで決まるそうだ。レベルが低かったからか、アイガイオンを助けたのが評価されたからかはわからないが、最後の最後で参加し、ボスに一撃入れただけのユウキは、レベルが二つ上がって四になっている。

 作られたギルドの名前は≪MMO TODAY≫略して≪MTD≫となった。シンカーが現実(リアル)で運営していた攻略サイトの名前から取ってきたらしい。これで名実ともにアイガイオンはギルドリーダーになった。サブリーダーはもちろんシンカーである。リーダーになったことで、アイガイオンはシンカーに敬語を使うことをやめていた。ささやかなことだと思ったが、シンカーも同意してくれていた。

 

 ギルドを立ち上げた今、真先にやらなければならない事は偶像として立つ事だ。つまりは、攻略者として最前線に立ち続けるという事である。シンカーは自治や治安の維持に努めたいようで、アイガイオンは攻略を進めなければならない。そうした思惑の中で、自然と外はアイガイオン。内はシンカーという体勢に決まった。

 攻略担当のアイガイオンがまず初めに提案したのは、ボスの情報取得だ。攻略組には迷宮区攻略に専念してもらい、ボス部屋を見つけるまでにボスに関する情報を揃えておく。これに関しては、ディアベルが立ち上げたギルド≪聖竜連合≫が同意してくれている。

 二層は放牧的な階層だった。フィールドの大半が緑の丘陵で埋め尽くされている。『はじまりの街』は外壁がそびえ立っていたが、こちらではアイガイオンの身長よりいくらか高い柵が張られているだけである。敏捷を鍛えたプレイヤーなら飛び越えられそうだ。後で検証してもらおうと思いながら二層主街区『ウルバス』の調査を協力者に呼びかける。

 調査と言っても、初めのうちはクエストマークを探しながらNPCに話しかけたりするだけである。つまりは、自由な時間があるということだ。その時間を何に使うかは本人たちの自由で、真面目に聞き込みをするプレイヤーもいれば、そっちのけで露店を熱心に見物するプレイヤーもいる。アイガイオンはどっちかと言うと前者で、『ウルバス』以外の場所を探索していた。

 大きな街は『ウルバス』だけでなく、他に『ヨセル』と『カラパの領地』が判明している。他は小さな集落が幾つか点在し、『ヨセル』の街は『ウルバス』を出て、西方面の道筋を辿れば着くが、『カラパの領地』はフィールドの断崖を挟んだ向こう側である。さらに断崖では、向こう側を繋ぐ橋の前にフィールドボスが陣取っている。次層フロアへ続く迷宮区は向こう側にあるし、渡るにはその橋を使うしかないので、≪MTD≫を含める攻略者たちはフィールドボスの討伐を目下の目標としている。

 

「行くでえ、スイッチや!」

 

 キバオウの威勢の良い掛け声と共にユウキが突進系のソードスキルで飛び込んだ。草原を揺らし、青白い残光を曳いて闘牛型のモンスター≪カラパ・バイソン≫を通り過ぎ、体が急停止したと思うと振り向いて斬りおろし、跳躍し、宙で二連撃を繰り出して元の位置に着地した。計四回の剣撃を受けたカラパの牡牛は断末魔を残して砕け、戦闘報酬がそれぞれのウインドウに表示された。

 

「グッドジョブ。良いソードマンだ、ユウキ」

 

「へへっ、どんなもんだい!」

 

 自慢げにVサインを見せる少女は、一層ボス攻略に現れてから見違えるように明るくなった。以前名乗っていたチャーリーという姉が付けたアバターの姿は捨ててユウキと名乗っている。レベルこそ攻略組に及ばないものの、ボスドロップの装備品によって全身を紫紺の防具に揃えたユウキは、全プレイヤーの中でも上位の存在だろう。ボス討伐報酬のドロップアイテムは、それほどの能力を秘めている。次回からのボス攻略には、自信のあるプレイヤーたちが名乗りを上げるだろう。

 

「ワイは褒めてくれへんのか、アイガイオン?」

 

「なんだ、お前が拗ねてもかわいくないぞ、キバオウ」

 

 キバオウは、ディアベルが立ち上げた≪聖竜連合≫には加入せず、自身で≪アインクラッド解放隊≫なるギルドを立ち上げた。≪アインクラッド解放隊≫もといキバオウは、攻略よりも一般プレイヤーを協力して助けてやりたいそうだ。≪MTD≫に所属するプレイヤーは数こそ多いがまだ低レベルのプレイヤーが多いので、前線で戦う≪アインクラッド解放隊≫の助力は大いに助かっている。

 

「しかし強いですね、ユウキ君は」

 

 いくらか甲高い声でそう言ったのは、≪MTD≫に加入してくれたベンジャミンというプレイヤーだ。身長は長身のアイガイオンとさほど変わらず、ただし肥満体型の丸みを有している。彼は一層ボス攻略にも参加し、武器は抽選で勝ち取ったボスの馬鹿でかい斧を持っていた。巨斧の名前は≪獣剥ぎの手斧≫。手斧と言っても、プレイヤーが持つには両手用の武器となる。超威力の代わりに超重量で、少しでも動きやすくするためか、防具には重量の軽い布製のものを使っている。

 

「じゃあここらでもう一個教えてやろう」

 

 アイガイオンの装備も、一層の頃とは変わっていた。全身金属鎧は変わっていないが、片手槍習熟度百で現れた新たなスキル≪重槍≫スキルを取得した。武器は片手槍よりもいくらも太く重いが、その分威力も上がった。しかし何よりも目を引くのはボスドロップの巨大な円盾である。荒削りの鉱石が中心から外に広がるように散りばめられた大盾は、ベンジャミンの持つ≪獣剥ぎの手斧≫と同様恐ろしいとさえ言える能力を持っている。≪ロード・オブ・コバルト≫という名を冠する大盾は、高い筋力値を要求する代わりに絶大な防御力を誇る。もちろん超重量ではあるが、アイガイオンのステータスは敏捷にはびた一文も振っていない筋力極振りだ。普通に走るより突進系のソードスキルを使った方が速いという難点もあるが、割とこのステータスをアイガイオンは気に入っていた。

 

「ユウキ、ソードスキルの使用制限を知っているか?」

 

「使用制限? そんなものないはずだよ?」

 

「まあ、システム的には間違ってない。この世界はMPとかがあるわけじゃあないからな。しかし、この世界は画面越しに操作するゲームじゃないんだ。ソードスキルを発動させれば勝手に体が動くと言っても、それは自分の体だ。つまり、疲れるんだよ」

 

「疲れるって? データの体なのに?」

 

「時間が経てば腹は減るし、夜になれば眠くなる。動けば疲れることもまた然り。自分の疲労度が使用制限になっているのだ、このゲームは。疲れが溜まれば戦闘に集中出来なくなるし、ソードスキルも精度に欠けたものになる。このアインクラッドに命中率とか、オートアタックとか便利な機能はないから、デスゲームにおいては致命的だな」

 

「じゃあ、その限界を超えて使い続けたらどうなるの?」

 

「ぶっ倒れる。やはりデータだから肉体的な疲れはほとんど感じないから、一気に疲れが襲ってきて、意識を失う。無理してやってたプレイヤーがいきなり倒れて、パーティーの連携が出来なくなってな。一人死んだよ、そいつを庇って」

 

「…………」

 

「追いつめられていたんだろうな。ちなみに、庇って死んだ奴は普通のプレイヤーで、倒れたプレイヤーはβテスターだった」

 

「……ホンマかいな」

 

 黙って聞いていたキバオウが口を開いた。キバオウの短所として、デスゲーム開始直後に大勢のプレイヤーを見捨てたβテスターを目の仇にする傾向がある。それをアイガイオンは度々注意していた。

 アイガイオンはそもそも、βテスターをあまり当てにしていなかった。一層のボス攻略では、その情報で全滅しかけたのである。それにβテスト時の攻略階層は六層までで、いくらβテスト時の情報を駆使してスタートダッシュをしたと言っても、それ以降はただのプレイヤーと変わらないはずだ。むしろ、βテスターだからこそ陥ってしまう罠もあるはずなのである。それでも目の仇にしてしまうのは、端的に言ってしまえば、なにか憎しみをぶつけられる相手が欲しいからだ。本来ならばそれはデスゲームを宣言した茅場明彦に向けられるものだが、姿が見えない存在に不満を言っても虚しいだけだ。その矛先がβテスターに向けられたのは悲劇でもあった。アイガイオン自身も悔しいと思わないわけでもなかった。しかし、それで憎むのはやはり間違っているのである。

 

「いきなり暗い話で済まないが、覚えておいてくれ。いくらデータだと口で言っても、俺らの目には質量のある本物の世界にしか見えないんだ。仮想だからと侮るな。今の俺らには、現実がここしかないんだから」

 

 大事な事なので、チュートリアルではいつも同じことを言い聞かせてきた。仮想を現実だと受け入れられない者も多くいるのだ。なまじ経験がある分、油断をして窮地に陥ったβテスターも前線では多く見ている。

 

「さあ、暗い話はここまでだ。ディアベルたちがフィールドボスに挑戦する前に、できる限りの情報を集めなければ」

 

 手を叩き、沈みがちな空気に吹き飛ばす。現在進めようとしているクエストは【カラパの勇猛】というクエストだ。発生条件として、≪カラパ・バイソン≫を複数狩猟するというものがある。すでにアイガイオンたちは、主にユウキのレベル上げを兼ねて三時間で八体狩っていた。時間の割に数が少ないのは、標的がまとまった場所におらず、だだっ広い丘陵にランダムで点在しているからだ。

 情報の出所はNPCである。なんでも、橋のフィールドボス出現により、こちら側に取り残されたカラパの民がいるらしい。なぜそれがクエスト開始条件になっているのかは、情報が確かならすぐにわかるはずだ。

 

「なんかマップに白い反応が出たで」

 

 キバオウがウインドウを可視表示にして見せてくれた。マップでは、赤い点は敵、緑の点は非敵対対象、青い点は友好的な仲間又はNPCで、黄色い点はクエスト関連、そして白い点はオブジェクトや不明な相手を指す。これは実際に目で見て確認するしかない。白い点はまっすぐにこちらの方向に向かってきている。敵だった場合に備えて、一応の警戒を呼びかけた。

 やがて丘の向こうから現れた不明な相手は、深い皺を刻んだ男の集団だった。カーソルはNPCを表している。皆が濃い髭を生やし、白っぽい羽織を着込んでいた。武器はカトラスだろうか、湾曲した曲剣がそれぞれの腰に吊るされている。

 

「アイガイオン、奴ら黄色や。情報はアタリやな」

 

「会話を試みよう。念のため、奴らが緑か青になるまで警戒を解くなよ」

 

 アイガイオンは、頭上にクエスト開始マークを輝かせているNPCに近づいた。その男は体が一際大きく、顔にタトゥーを入れている。近づくほどに、その人間的な作り込みに目を(みは)った。筋肉や濃い体毛、視線や頬の動きなどの細かい動作さえ表現されている。

 

「止まれ、略奪者よ」

 

 リーダーらしき男が野太い声を放った。言われたとおりに止まり、少し待ってから返事を返した。

 

「略奪者とは何のことだ、カラパの部族よ」

 

「我らをカラパの遊牧民と知ってとぼけるか。貴様らが殺した牛のことだ。あの牛たちは脱走したとはいえ、我らのものには変わりない。もし貴様らが略奪者ではないと言うならば証明せよ」

 

 リーダーが言うと、クエストウインドウが現れた。≪カラパ・バイソンの肉≫を幾つ渡すか、という内容が書かれている。おそらく、渡した数によりクエストが進行するかどうか変わるのだろう。渡さないを選べば、あの集団は敵対するはずだ。迷わずに獲得したすべての肉をつぎ込んでYesを押す。すると、集団とアイガイオンの間に大きな袋が現れた。リーダーが仲間に合図し、指示された仲間が大袋を二人がかりで持った。アイガイオンの後ろでは、後で焼いて食おうと提案していたベンジャミンが残念そうな声をあげている。無視してクエストが進行したことを確認する。

 

「略奪者ではないということを信じよう。名は何と言う?」

 

「アイガイオン」

 

 伝えて、キバオウたちにも自己紹介させる。これでこのNPCのAIが個人名を覚えるらしい。今までは画面越しだったNPCに直接名前を呼ばれるのに気味悪がるプレイヤーもいるが、これでいつまでも「あなた」や「おまえ」などしか呼ばれない、不自然なやり取りから脱することができるのだ。

 

「私はイムカル。誇り高きカラパの民である」

 

 イムカルと名乗った遊牧民は、クエストの重要人物なのだろう。彼に従っていれば、クエスト進行に滞りはないはずだ。さっそく彼の口から次のクエストが発生した。

 

「君たちには、我らの野営地まで護衛してもらおう。無事辿り着けたなら、褒美を渡す」

 

「おい、イムカルとやら。自分NPCのくせに随分偉そうやんけ」

 

 イムカルの横柄な態度に、キバオウが怒り始めた。キバオウはどちらかというと短気な性格なのだ。仲間意識が強いが、揉め事も何回か起こしている。落ち着かせなければ周囲が見えないタイプだった。

 

「キバオウさん、相手はNPCですよ」

 

「ケッ、そんなもん言われんでもわかっとるわい。言わんと気が済まんだけや」

 

 ベンジャミンが宥めると、キバオウが面白くなさそうな顔で引き下がった。イムカルはNPCという言葉に反応しなかったようだ。少し安心して、アイガイオンはクエストを開始した。

 

「了承しよう、イムカル。護衛を引き受ける」

 

「よろしい。ならば野営地までしっかり頼むぞ」

 

 【カラパの勇猛】クエストが開始した。これは第一段階で、彼らを護衛し、無事野営地まで守り切れば次の段階に移行するようだ。一つのクエストで何回も依頼を受けるものは、手間がかかるが、その分報酬も良いものが多い。

 

「いきなりアイテム渡せの次は自分らを守れか。横柄な奴やな」

 

 移動しながらキバオウが口を開いた。キバオウは仲間を街の探索やクエストの進行に回し、協力していることを示す為に一人だけでアイガイオンのパーティーに参加してくれた。良い奴で、彼なりに心配してくれているのだ。

 

「クエスト進行のためですって、キバオウさん。NPCにそんなこと言っても無駄ですよ。それにしてもアイガイオンさん。さっきは随分と滑らかにイムカルと会話していましたね?」

 

「俺にさんは付けなくてもいい、ベンジャミン。奴らは簡単な受け答えしか出来ないNPCじゃなく、クエスト進行を妨げない為の高度なAIを持っているんだろうな。特定のキーワードに反応するようになっていて、俺との会話は、疑問や彼らの部族という言葉に反応したんだろう。キーワードさえ押さえておけば、先の会話みたいなことは出来る」

 

 ベンジャミンは、キバオウの口の減らない性格にうんざりしているようだった。アイガイオンに話題を逸らしたので、周囲を警戒しながらそれに答える。アイガイオンはまだ≪索敵≫スキルを取得していないので、主に目視に頼っていた。パーティーの利点は複数の視界があることで、≪索敵≫スキルの代わりで広範囲を見渡せる事だ。さらにパーティーを組むと、≪索敵≫や≪隠蔽≫等の能力値に、プレイヤーに応じたボーナスを得られる。経験値やアイテムの取得などは分散するが、その分の旨みもパーティーにはある。狩りの効率など、ソロよりパーティーの方が遥かに良いのだ。経験値効率を求めてソロで狩るβテスターもいるが、命知らずな危険行為は推奨出来ない。

 

「あれだ。あれが我らの野営地だ」

 

 一時間程丘陵を移動していると、イムカルが南の方角に見えてきた幕舎を指して言った。テントの大きさから、取り残された部族はさほど多くないようだ。丘陵の中にぽつんとある幕舎は周囲に柵を張っただけのこじんまりとしたものだった。

 イムカルは見張りの仲間に声をかけると、アイガイオンたちに幕舎の中に入るよう促した。促されるままに入場すると、意外な広さに驚いた。中心に一本の大黒柱が生えており、それに厚手の布を被せ、いくつかの支柱で支えて空間を保っている。大黒柱に攻撃系のスキルを使えば簡単に崩れてしまいそうだが、それは簡単に移動する為という遊牧民の特質なのだろう。幕舎の中には数人のNPCがいるだけで、良く言えば広々としていた。悪く言えば無駄に広い。アイガイオンたち四人のパーティーが入っても、まだ空間に余りがある。物もほとんどなく、奥に床几が車座になっているだけだ。ここからわかることは、イムカルたちはこの場所に長居をするつもりはないのだろう。

 

「護衛ご苦労だった。感謝をしよう、アイガイオン。約束の褒美だが、実はこの場所にないのだ。褒美を求めるなら、我らの領地まで来てもらうしかない」

 

「なんやとコラァ! 散々引っ張っておいて騙したんかい!」

 

 キレたキバオウはベンジャミンに任せ、アイガイオンはクエストログを確認した。【カラパの勇猛】クエストはまだ終わっていない。クエストリーダーはアイガイオンなので、キバオウが何を喚こうが、アイガイオンが決定を下さぬまでクエストが進行することはない。

 

「疑問がある、イムカル」

 

「向こうに帰れれば褒美の件は心配するな。それとも、別の事か?」

 

「橋の奴の事だ。帰るときに邪魔になるだろう」

 

「ではまず、事の始まりから教えねばならんな。お前たちは下の階層から登ってきたのだろう? それならば≪コボルド≫という獣人に会ったはずだ」

 

「なんやと――」

 

 キバオウが絶句したように、アイガイオンたちも絶句していた。『階層』とNPCが言ったのにも驚いたが、イムカルたちは一層のボスを知っていたという事になる。

 

「我らカラパの部族は、この土地で獣人共との領地争いを繰り広げていた。その頃はまだ人間たちも団結していなかった。我らは遊牧民であり、草がなければ、牛や羊も飼えん。獣人が跋扈し、草を()ませる事が出来なくなると、ようやく人間たちは団結した。その統率者がカラパ、ウルバス、ヨセルの三人だった。ウルバスとヨセルは断崖のこちら側で戦い、コボルド共を下の階層に押し込んだ。そして我らの祖先は断崖の向こう側で獣人共を指揮していた馬人と牛人を上の階層に押し込んだのだ」

 

「馬人と牛人って何だろう?」

 

「思いつくのはケンタウロスとミノタウロスですかね。おそらくですが、ボスでしょう」

 

 ユウキとベンジャミンが議論を交わしている。ベンジャミンの言う通り、それがフィールドボスの事だろう。橋のボスは馬に人の体が生えていたと確認されている。つまりは、ケンタウロスがフィールドボスで、ミノタウロスがこの階層のボスだろうか。

 

「それ以来、再びこの地に戻ってこないようにそれぞれが監視の任に着いた。カラパは三人の中で特に活躍したため、断崖の向こう側を領地にもらった。ウルバスとカラパはこちら側の領地でコボルドの監視に着いた。ウルバスは実力はあったが見栄を張りたがる人物だったらしく、あんな大きな街を築き、カラパはそれを悔しがったそうだよ。おっと話が逸れたな」

 

 イムカルが饒舌に話している姿を見ると、NPCだという認識が希薄になってくる。息遣いや微かな仕草が驚くほどの生々しさを持っているのだ。カーソルがなければ、プレイヤーであると錯覚しそうだった。

 

「残念なことに、その馬人が監視を掻い潜ったのだ。あれを野放しにしておけば、また獣人共が跋扈する日が来るかもしれん。そうなれば、我らの暮らしが脅かされる。我らカラパの部族に、昔日のような精強さは失われている。監視を掻い潜られたのが良い証拠だろう。ウルバスやヨセルの民も同じはずだ。そこで我らカラパの部族は、精強足りうる猛者を集めて奴を討伐しようとしたのだ。奮戦はしたが、結果は負けた。争いで三人が死に、我らはこちら側に取り残されてしまった」

 

「それでは、今は何をしているんだ? 逃げた牛を追っかけているだけじゃあないんだろう?」

 

「今は、力を蓄えている。『ウルバス』と『ヨセル』の街で兵を集め、もう一度奴に挑もうと思う」

 

 イムカルが聞き取ったのは前半だけだったようだ。後半の皮肉には反応を示さない。彼の目的はフィールドボスを倒すことのようだ。選択肢を間違えなければ、イムカルたちは協力してくれるのかもしれない。物語的には、こちらがイムカルに協力するという事になるのだろう。クエストログは彼らに協力しろと書いてある。アイガイオンは念のためにパーティーに確認を取った。

 

「聞いてくれ、皆。イムカルたちに協力しようと思う。異存はないか?」

 

「ボクはいいよ。助けてあげたいもん」

 

「同意します。早くクリアしてしまいましょう」

 

 ユウキとベンジャミンは賛成した。キバオウはやや口を曲げているが、クエストを進めることに異存はないようだ。

 

「協力したい、イムカル。我らも力になれないか?」

 

 イムカルは助力を喜ぶだろう。そう思ったが、アイガイオンが言うと困ったような顔を作った。

 

「聞いておきたいのだが、それは戦力としてという意味か?」

 

「そろそろ殴らせえや」

 

「待てだ、キバオウ。何か問題があるか、イムカル?」

 

「我らは精鋭を集めている言っただろう。つまりは――」

 

「実力を証明しろっちゅうことか。アイガイオン、ワイに任せてくれへんか」

 

 クエスト進行を確認すると、オプションで彼と戦って実力を示せとある。キバオウが早速食らいついたが、少し待てと指示を出した。

 

「彼と戦うのはオプションとなっている。戦わなくてもクエストが失敗することはないということだ。つまり、勝てば何らかの特典が手に入ると思っていいだろう。経験値かアイテムかはわからんが」

 

「それだったら、戦った方がいいんじゃない? 負けてもいいんでしょ?」

 

 ユウキが言った通り、やらないよりはやる方がいいだろう。ユウキは装備が一級品と言っても、レベルがまだ心許ない。キバオウは片手剣からボスドロップの強力な片手根に変更したが、ここにはそれより強力な武器を持つプレイヤーがいた。

 

「確実性を取るなら、俺か、ベンジャミンだろうな」

 

「なんでやっ!? なんでワイに任せてくれへんのや!?」

 

「勝利の可能性を追求しないならキバオウでもいいのだがな。出来れば勝利して、成功報酬が何か知りたい。俺たちは情報収集に来ているんだ。情報を求めて、公開しないといけない」

 

「成否の違いも後で調べるんでしょう? それならキバオウさんでもよいのでは?」

 

「理由はいくつかある。ベンジャミンの巨斧。俺の大盾。見てきた中で、この性能を超える武具は今のところない。キバオウの武器とユウキの防具も一級品だが、ステータス的には俺たちほど成功の可能性があるプレイヤーはいないはずだ」

 

 ベンジャミンの両手斧は、ソードスキルで大抵の敵を一発で沈められるほどの威力がある。アイガイオンの大盾で防げば、モンスターの攻撃はほとんど通らない。もう一つ言うならば、第一層ボスのラストアタックボーナスを勝ち取ったキリトの黒いコートも、相当の性能を秘めているだろう。

 

「二つ目の理由はカラパの部族のことだ。こいつらの祖先は、話しが本当ならこの階層を制覇しているということになる。その時の力は失われていると言っていたが、クエストログはリーダーのイムカルと戦えと言っている。どちらにせよ、実力があるに違いない」

 

「つまり勝ちたいってことでしょ? なんでイオンは難しくいうかなあ」

 

「出来るだけ可能性が高い方がいいだろう? 勝てる自信があるなら、キバオウに任せてもいい」

 

 ユウキが言ったことに苦笑して髭を撫でる。簡潔に言えばその通りだ。ただ、三つ目の理由で、アイガイオンとベンジャミン二人でパーティーを組むことを、今後あまりしたくないからだ。この二人は火力が高すぎる。ベンジャミンは加入した直後だったので、実力を見る意味で同じパーティーになったのだが、ボス攻略に参戦した実力は確認出来た。

 

「頭冷えたわ。そういう事なら引き下がる。騒がしくてスマン、性分なんや」

 

「退屈しないな、お前といると」

 

「それ褒めてるんか?」

 

「ではどうするか。ベンジャミンが行くか?」

 

「任せてくださいよ。ご老体はゆっくりしててください」

 

「そこまで老けちゃいねえぞ、俺は」

 

 アイガイオンはその外見から――若者が大多数を占めるSAOの中では――高齢だとしか思われていない。ユウキと一緒にいると、孫と祖父と茶化されたこともある。望んで選んだ外見だが、爺さんとまで言われる始末。せめてもの抵抗として、そこまで老いていないと常々言っていた。それがさらに誤解を深めているようだ。もっとも、それを狙っているところもある。

 

「イムカル。ベンジャミンが相手になる」

 

「よろしい。手並みを見せてもらおう」

 

 平原での決闘となった。イムカルは仲間に指図し武器を持ってこさせていた。腰に吊るした曲刀ではなく、手に取ったのはイムカルの身長程の両手棍である。武器の特徴として、スタンや遅延効果(ディレイ)などの阻害に特化している。対してベンジャミンの両手斧は、もちろん相手を叩き潰すことに意味を見出している。単純な火力のみを選ぶならば最適な武器だ。

 

「相手は人型だが、容赦はするなよ、ベンジャミン」

 

「デュエルの経験ならありますよ。デュエル形式は≪初撃決着モード≫のようですね。相手より先にソードスキルをヒットさせるか、相手のHPをイエローゾーンまで削るのが勝利条件です」

 

 ユウキは声援を送り、キバオウは野次を飛ばしている。それぞれの発破を受け、ベンジャミンは巨斧を上段に構えた。その姿勢から見て取れるのは振り下ろしの重撃だろう。ソードスキルを発動させれば、例え防ごうが看過できないダメージを与えることが出来るだろう。

 イムカルの構えは腰を落とし、棍を真横にして持っている。体勢的には受けの構えである。狙っているのはカウンター系のソードスキルだろうか、決まれば強いがリスクが高い技だ。〇、数秒の内に攻撃を受けないといけないし、それを逃せば数秒の硬直が強いられる。

 審判役のイムカルの仲間が手を上げる。手が振り下ろされれば、決闘が始まる。決着は一瞬で決まるだろう。巨斧の火力が決まればベンジャミンの勝ちだし、それが外れれば敗北である。

 ベンジャミンは構えても、迷っているような表情をしている。相手はNPCカーソルがなければ、ただのプレイヤーとの見分けが付かないほどの生々しい挙動をするのである。それに殺傷出来る凶器を突きつければ、怯みを見せてもなんらおかしくはない。

 相手をただのデータだと思い込むのも危険だった。思い込むと、相手の存在がぼやけて、危機感が薄れてしまう。

 審判が手を振り下ろす。両者の間に【DUEL!!】の文字が弾け、ベンジャミンの武器が先に光った。飛ぶような突進。イムカルの直前。棍が光り、直前で斧が地に刺さった。失敗したか。思った次の瞬間、斧が弧を描きイムカルの体を宙に舞い上げていた。

 

「両手斧用二連撃ソードスキル≪地怨≫です」

 

 ベンジャミンが強張った余裕を見せて言った。言い終わると同時にイムカルが地に打ち付けられ、デュエル終了のファンファーレが鳴った。

 

「っしゃあ!」

 

「やった!」

 

「やるじゃねえか、ベンジャミン」

 

 【WIN!】の金文字を頭上に輝かせ、ベンジャミンはユウキとキバオウと手を打ち鳴らした。

 

「なんや、あっけないやないかい。これならワイでも勝てたんちゃうか」

 

「良い経験になりましたよ。こいつら、NPCだからって油断していい相手じゃないです。信じられますかっ、俺の構えを見て上からの振り下ろし攻撃に警戒してたんですよ。受けようとしてる方向が上気味になっていたから、俺はフェイントを入れて斬り上げの攻撃で」

 

「わかった、落ち着け、ベンジャミン。お前はよくやったよ。彼から報酬を受け取ってくれ。お前が勝ち取ったものだ」

 

 興奮するベンジャミンを宥め、クエスト進行を促す。吹き飛ばされたイムカルの方はすでに立ち上がっていて、先ほどの決闘がなかったような振る舞いで声をかけてきた。

 

「見事だった。君たちの助力を受け入れよう。この角笛を渡しておく。仇名す者らと戦う時、その角笛を吹くがよい。この草原が続く限り、どこにいようが我らカラパの部族が駆け付けよう」

 

 ベンジャミンの手に勝利報酬の角笛が手渡された。興奮冷めやらぬ様子でベンジャミンが効果を読み上げる。名称は【勇猛の角笛】といい、フィールド上で吹けばカラパの部族のNPCが現れ、戦闘に協力してくれるそうだ。つまりはフィールドボスに挑む時に吹けという事だろう。ベンジャミンの超威力の一撃を受けても、HPがぎりぎりでイエローゾーンに陥っただけのイムカルが率いる部隊ならば、最低でも邪魔にはならないはずだ。

 

「あとでイムカルとの戦闘で感じたことをまとめてくれないか、ベンジャミン」

 

「もちろんです。こいつらは本当に強いんでしょう。NPCだからと油断するなと伝えなければなりませんね」

 

「しかし、お前の勝利は鮮やかだった。俺は今日、それを覚えておく」

 

 肩を叩くと、ベンジャミンが照れくさそうな顔をした。ベンジャミンには、このクエストが終了したら別のパーティーを率いてもらおうとアイガイオンは思っていた。全体的にレベルの低い≪MTD≫では貴重な存在である。ベンジャミンの力ならば、パーティーを任せても不安は少ないだろう。言わば≪隊長≫クラスで、アイガイオンは近々そう言った階級分けに似た事を行おうと思っていた。

 全百層踏破のために考えることは尽きない。しかし今は、貴重な情報取得と、勝利を称えるための賞賛の輪に加わろうとアイガイオンは思った。




感想お待ちしてます!←来ない。
この流れって完璧だと思います。

感想お待ちしてます!


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第八話 新星

今更だけどスクワッド・ジャムにベンジャミンってキャラクター居たわ。


 進めていたクエストが一段落した時には日が暮れていた。上部フロアの底と言うべきなのか、見上げた上空には星と言うべき光が瞬いている。アイガイオンは、このままイムカルたちの幕舎に泊まるつもりだった。元々それを想定して作られているのか、アイガイオンたちのパーティーがいても空間にはかなりの余裕がある。

 

「なんだか遠足に来たみたい。ワクワクしちゃうよね」

 

 ユウキが濡れ羽色の髪を揺らしながら無邪気に言う。視界左上の【Yuuki】と書かれた表記の横にはギルドに所属していることを表すギルドマークが貼り付けられていた。≪MTD≫を表すギルドマークは羊皮紙に剣が置かれている紋章である。これはシンカーがリアルで運営していたサイトのシンボルで、知っている人には馴染み深いものでもある。ちなみにキバオウの≪アインクラッド解放隊≫は円柱の浮遊城の全景を意匠化したものを使っている。

 

「今日のクエスト進行はここまでにしよう。この幕舎を拠点にして、ユウキを中心に俺たちのレベリングを行いたい。その中で、先ほど手に入れた角笛の性能も試す。いいか、キバオウ?」

 

「かまへん。別ギルドだからって気ぃ遣わんでもええで、アイガイオン。ちなみに、ユウキのレベルは今どないやった?」

 

「七だよ。やっぱり一層より二層の方が経験値入るね」

 

「ここら辺のフィールドであれば、囲まれたりしなければ十分通用するレベルでしょう」

 

 フィールドに現れるモンスターは、基本的に迷宮区などダンジョンに出現するモンスターよりは手強くない設定になっている。そしてフィールド上のモンスターは森や沼地など特殊な環境でないかぎり密集することは少ない。この四人パーティーで一人だけレベルが低いユウキを守りながら戦うことは難しくないのだ。しかし、だからと言って油断は出来ない。時間帯によってモンスターの出現パターンは異なるし、体感では夜になると出てくるモンスターは日中の相手より手強い感触だった。

 暗がりの草原に出ると、アイガイオンはパーティーの先頭に立ち、敵の姿を求めた。アイガイオンは新しく入手したスキルスロットを≪聴覚≫スキルで埋めていた。

 ≪聴覚≫スキルは感覚系のスキルで――多少勝手が異なるが――≪索敵≫スキルの代わりに出来る。≪索敵≫スキルはマップ上で自分を中心とした円の中に敵の所在を明確に写し出すが、≪聴覚≫スキルの場合は自分を中心とした円の不定形な枠が波打つ。その波打ちは拾い取った音に反応していて、音が大きいほど、音源に近いほどその方角の枠が激しく波打つ仕様だ。拾える音は場所にもよるが≪索敵≫スキルより広範囲及ぶ。しかし、さりとて人気のスキルというわけではない。

 まず基本的に周囲の環境音に反応して絶えず微弱な振動で枠は震え続ける。それは問題ではないのだが、この枠が反応するのは音源の方角だけなのである。音源に近づけばようやくマップ上に点で表示されるが、それまでは相手が何なのか、何体いるかなどもわからない。音源に近づいてみれば滝の音で無駄足だったこともある。さらにアクティブになるまで動かない石造型モンスターなど≪隠蔽(ハイディング)≫している相手には効果が薄く、洞窟など音が反響しやすい場所などでは、全方位の枠が反応してしまうので効果が激減する。天候が雨の場合も最悪だし、作動するまで反応しないトラップに至っては反応すらしないものもある。スキルの習熟度を上げて改良していけば使い易くなっていくのだろうが、そんな苦労をするなら普通に≪索敵≫スキルを取った方が遥かに安全だし安心出来る。デスゲームであればその選択は当然で、≪聴覚≫スキルを好んで選ぶプレイヤーは少ない。人によっては見向きもしないスキルをアイガイオンが取得したのは、単純に≪聴覚≫スキルを取得するプレイヤーが少ないから自分がサンプルになろうとしてのことだった。

 視界右上に張り付けたサウンド・インジケーターの波打ちを頼りに足を進める。およその方角だけでも掴めれば、あとはパーティーの誰かが≪索敵≫スキルで敵の正確な位置を発見してくれるからパーティープレイの恩恵は良いものだ。早速キバオウが敵を発見し、戦闘態勢を作る。

 見えてきたのは馬の形をしたモンスターだった。馬の体型をモデルに、ゴツゴツとした紫の体躯の所々に不揃いな棘を生やし、四本の脚にそれぞれ一際大きな棘がある。月の光を浴びて蒼白に輝く剣山の如く容姿に、頭には捻じれた白角がひん曲がりつつ突き出してた。集まった情報では、夜にしか現れないモンスターだったはずだ。こちらに気付いた針山の馬が嘶きを上げ、疾駆の姿勢を取った。

 

「戦闘準備――」

 

 アイガイオンは前衛で大盾を構えた。相手の突撃を正面から受けることは『筋力』極振りタイプの得意とする所だ。大盾に激突すれば、その衝撃で気絶を与えられる確率もある。馬が棹立ちになり、しかしいざという所でその可能性は消え去った。

 針山の馬が、突如出現した黒い影のようなものに包まれた。まるで鎌鼬(かまいたち)の最中にいるように、その体に次々と光線とダメージエフェクトが切り刻まれていく。なんとか脱出しようともがく馬が悲鳴を上げたが、じわじわと減っていくHPを為す術なく散らした。ポリゴン消失の残滓の中、黒い影の動きが緩やかになっていく。やがて煌めきを放っていた残滓がパッと消え、その中に現れたのは二人のプレイヤーだった。

 

「≪風魔忍軍≫イスケ参上!」

 

「同じく≪風魔忍軍≫コタロー推参! 契約により助太刀に参った!」

 

「…………なんやねん、あいつら」

 

 唖然とこぼしたキバオウの呟きに応えるように、まるで(しのび)装束のような戦闘衣(バトル・クロス)を身に着けたイスケとコタローはシュバッ! とポーズを取った後、草を撫でるかのような滑らかさと風のような素早さでアイガイオンの膝元まで近寄ると、片膝をついて拳を地に下ろした。さながら、主君に忠誠を誓う忍者である。

 

「こちら、お求めのものでござる」

 

「――ご、ござるぅ!?」

 

 ユウキが素っ頓狂な声を上げて驚く。キバオウの早く説明しろという表情を受け、アイガイオンは口を開いた。

 

「彼らは≪風魔忍軍≫というギルドで、情報屋だ。この階層の情報を集めてもらうよう、俺が依頼したのだ」

 

「その通りでござる!」

 

「拙者らアイガイオン殿と主従の契りを交わした者! お見知りおきを願おう!」

 

 意を得たりと言わんばかりの言葉に苦笑しつつ、少しばかり説明を付け足した。ギルド≪風魔忍軍≫はβテスト時に結成された忍者軍団であるそうだ。ギルドメンバーは少数であるものの、アイガイオンとは真逆の『敏捷』極振りを生かしたスタイルで東西南北を奔走するらしい。実際、一切の反撃も許さずに敵を斬り刻んだ先程の戦闘は、闇夜に飲み込むように鮮やかだった。

 アイガイオンは彼らが集めた情報やマッピングデータを受け取り、報酬の(コル)を渡した。報酬金額は決して安くないが、≪MTD≫の人海戦術でも届かない、βテスターの強みである情報を素早く取得出来るのは大きな魅力だった。

 

「しからば御免!」

 

 情報を渡すと、すぐに忍者たちは消え去った。最後に煙幕をぶちまけて。

 

「うぇほっ!?」

 

 煙玉は主にモンスターからの逃走に使うアイテムである。地面に打ち付ければ煙幕が炸裂し、これを喰らうと一時的に一部の索敵系のスキルが使用不可になる。それと≪隠蔽≫スキルの組み合わせで戦線離脱を行うのが一般的な使い方である。決してこのように演出目的のためのジョークアイテムではない。徹底してまでの忍者の姿勢(ロールプレイ)を貫く彼らに感嘆しつつ、サウンド・インジケーターが反応している方向を見送った。≪聴覚≫や≪嗅覚≫スキルに煙玉の効果は薄い。モンスターの素材を使った音響玉や(にお)い袋を使われればひとたまりもないが、忍者が丘陵を夜風のように奔走している姿を捉えることが出来た。煙が晴れる頃、それらは丘の向こうに消えて行った。

 

「なんやったんや、あいつらは……」

 

「嵐のような人たちでしたね……」

 

「≪風魔忍軍≫は構成メンバーのほとんどが『敏捷』極振りのハイレベルプレイヤーという噂だ。キバオウもギルドを率いるリーダーなら、彼らの世話になることもあるだろう」

 

 デスゲームと化したSAOで、情報屋を名乗るプレイヤーは希少である。ゲームが始まり真っ先に技術職、生産職を選択したプレイヤーは少なく、その中でも情報を生業にしようとする冒険者はさらに少ないのだ。しかし、情報屋を営むプレイヤーは元βテスターがほとんどであり、βテスト時の経験を活かした情報網は鮮度の良いものを仕入れている。一般プレイヤーの情報屋もいるが、それらとはやはり一線を画していた。

 元βテスターはそれらを駆使して大幅なスタートダッシュを果たした。茅場の宣告から『はじまりの街』に残るプレイヤーを置き去りに、利己的な方針で攻略を進める彼らを多くのプレイヤーは歓迎していない。最近では、『βテスター』と『チート(ズル)』を行う『チーター』を合わせて、『ビーター』なる蔑称が一部で囁かれているらしい。

 

「ユウキ、彼らからの情報だ。もっと細くて軽い剣が作れるらしい。素材はさっきの馬から取れる針毛だそうだ」

 

「ほんと? じゃあ、皆のレベルアップも出来るし、角笛も試せるし、素材集めも出来て一石三鳥だね」

 

「なんや、その武器気に入っとらんのかいな。一層で手に入る武器では良いもんって聞いたんやけど」

 

「ボクにはちょっと大きくて、馴染まないんだよ」

 

 馴染む馴染まないの感覚は大事だ。己の身を預ける得物に、不具合があってはいけない。そのためプレイヤーたちは多くの武器を試し、自分に一番合ったものを選ぶ。ユウキはその中で初期から装備している片手剣を選んだ。

 片手武器の強みは、片方の手が空き、盾を装備出来ることだと言われている。実際多くのプレイヤーはそうしているが、それが最善というわけではない。盾を取ると、左右の手を意識しなくてはいけない為、武器を一本に絞った方が良いというプレイヤーも少なくない。以前パーティーを組んだキリト、リーファ、アスナの三人も片手武器を使っていたが、三人とも盾の類は一度も装備していなかった。

 ユウキの武器は『アニールブレード』という一層のクエストで獲得出来る武器だ。赤茶の鞘に、肉厚の直剣が収められているこの武器は、どちらかというと筋力型の武器である。ユウキのステータスは敏捷寄りで、武器の性能はともかく相性が良くないのだ。ユウキはこの武器を、柄を長くするカスタマイズをして両手で使用している。

 

「素材はさっきの馬の針毛と……これは昆虫系の素材だな。薄羽に天然系の鉱石、樹液――」

 

「ちょっと見せて? ……うーん、素材多いなー。一つの武器を作るのにも一苦労だ」

 

「まあ、SAOは剣が己を象徴する世界と謳われていたんだ。己の象徴を作ると思えば、これくらいの苦労は仕方ないかな」

 

 SAOの特徴的なシステムとして、武具の性能が挙げられる。従来のシステムであれば、より良い武具を手に入れたらそちらに乗り換えることが普通だったが、SAOでは武具の性能はプレイヤーのステータスに依存する。例に出して言えば、『はじまりの街』で買える安価な剣を装備しても、レベル一のプレイヤーとレベル十のプレイヤーでは、強化されたステータスによって算出された威力のみならず、武器そのものの威力が違うのだ。究極的に言えば、例え百層に到達しても初期装備の武器、防具で通用するという事である。

 装備は使い捨てではなく、自然と己に見合ったものになる。必然的に長く使い続けることで愛着も湧くだろう。数えきれないほどの武器種の中で、たった一つのものを選択し、磨き上げ、それはただ一人己だけの象徴として昇華される。その輝きに憧れ、君を追う者も現れるだろう。SAO発売前は、こういった情報が公開されるたびに狂喜乱舞したものだった。

 アイガイオンは制作に必要な素材をリストにしてユウキに渡すと、近い音源の方向に向かって進んだ。先程の戦闘で角笛を試そうとしたが、イスケとコタローに獲られた。というより盗られたのだ。忍者の登場の勢いでうやむやになってしまったが、本来であればパーティーの獲物を横から掻っ攫っていく行為はマナー違反である。助力を乞われるか、緊急事態でない限りは、そういった行為は控えるべきである。そこはデスゲームであっても変わらず、実感し、体感する仮想現実であるからこそ、そういった行為は根強い禍根を残す場合がある。

 

「敵、いたよ。数は三体。非敵対のモンスターだね」

 

 ユウキが敵を探知した。アイガイオンのマップ上では、パーティープレイによる索敵ボーナスがあっても、まだ敵を示すアイコンが出ていない。≪聴覚≫スキルが、≪索敵≫スキルの代わりとして役に立つようになるのは、まだ随分と先になるだろう。

 発見した非敵対モンスターは、全長一メートルほどある蝶型のモンスターだった。薄紅色の羽からきらきらと鱗粉が舞い、地上から離れた高い所で漂っている。

 昆虫型のモンスターは一層から見かけることが出来たが、多くのプレイヤー、とりわけ女性プレイヤーから受けが悪い。一層ではモンスターと言えるほどモンスターらしい変化はなく、昆虫をそのまま巨大化させ、そのくせ足の付け根や複眼や、甲殻の下の羽など細部までリアルに表現されているグロテスクさに逃げ出すプレイヤーは多くいた。運悪く昆虫型モンスターの巣に迷い込み、産み付けられた卵の孵化イベントを見つけてしまったパーティーには卒倒したプレイヤーも出たらしい。

 

「でかっ。きもちわるっ」

 

「胴体部分なんて蛾と変わらないですもんねえ」

 

 ユウキの素直な感想にベンジャミンが相槌を打つ。そんな評判の悪い昆虫系のモンスターだが、一個体は弱い。しかし厄介な特徴を多く含むモンスターだった。装備の耐久値を大きく削る酸性液を吐き出す芋虫(いもむし)型モンスターに、動きを阻害する糸を張る蜘蛛(くも)型、鎌による出血を狙う蟷螂(かまきり)型など、バッドステータス狙いのモンスターが一層ではよく見られた。あの蝶の鱗粉には、毒が含まれているかもしれない。

 確かめるため、蝶の真下に立ってみた。バッドステータスの蓄積値など視界には表示されないので、初見でこれを回避するなら感覚で推し量るしかない。念のため毒を解除する解毒草を実体化させ、数分その場に立っているとHPゲージが緑色に明滅した。毒のバッドステータスは、長時間の継続ダメージである。毒にも種類があり、これは遅延毒である。毒を受けてから発生までが時間があるが、その分持続時間が長い。放っておけば、馬鹿にならないダメージを喰らうことになる。

 

「やはり毒だ。蓄積する速度は遅い。普通に戦っていれば、まず毒は喰らわないだろう」

 

 気を付けるべきは連戦だった。意識していないうちに蓄積していき、回復アイテムが少ない時にバッドステータスが発動し、パーティーが壊滅しかかった話も聞いたことがある。アイガイオンはユウキたちに伝えると、実体化させていた解毒草を噛んだ。青臭い苦みを飲み込むと、緑の明滅とHPの減少がぴたりと止まる。

 

「次のステップに移る。ベンジャミン、角笛を吹け」

 

「相手はあの蝶でよいのですか? 地面にいる相手の方がやりやすいのでは?」

 

「空中の敵にどう対応するかも見たい。それにどれほどの仲間が来るのかも。非敵対の内に呼んでおく方がいい」

 

「わかりました」

 

 ベンジャミンがクエスト報酬の角笛を咥え、力いっぱい空気を送り込んだ。ラッパのような音が太く響き、夜風と共に草原を薙ぐ。少ししてマップ上に新たな光点が出現した。数は二つ。かなり速い速度でこちらに向かってくる。その方向の見通しの良い暗がりを見つめていると、何か近づいてくるのがわかった。近づくにつれ、姿が明瞭になっていく。

 

「あれは――」

 

 現れたのは馬に騎乗したNPCだった。少し前に戦ったイムカルと同じ、カラパの部族の羽織に曲刀を吊るし、手綱を咥えた馬を操っている。βテスターからの情報によれば、≪騎乗≫というスキルらしい。現状ではまだ獲得出来ないスキルであるが、それよりも驚くべきことは――

 

「――弓か!?」

 

 見間違いでない。木や動物の角など、幾つかの素材を用いた短い複合弓だ。SAOはVRを余さず体感出来る近接戦闘を旨としている。剣、槍、斧などの近接武器を選び、果てしない闘争で綴られる剣と戦闘の世界。それがSAOのキャッチコピーであったはずだ。唯一の例外として、遠距離での戦闘を可能とする投擲武器がある。それだけのはずだった。

 援軍の二人のNPCが「助太刀に来た」という口上をもってパーティーに加わり、視界端にHPバーも現れた。

 

「あんなものβテスターからの情報になかったで……」

 

「貴重な情報だが、いつまでも呆けているわけにはいかない。早速性能を見せてもらおう」

 

 アイガイオンの指示を受けて、ベンジャミンが「あれを狙え」と漂う蝶を指差した。認識した二人の遊牧民が指定されたカーソルに向かい馬を駆る。馬上で弓を引き絞り、放たれた矢が光の尾を引き、蝶の羽を鮮やかに破った。羽の力を失い墜落するモンスターに、近接武器に持ち替えたカラパたちが剣戟を叩き込む。元々体力の低いタイプのモンスターである。戦闘はものの数分も経たずに終わってしまった。

 

「ほえー……もう終わっちゃった」

 

 パーティーが呆然とする中、ユウキが一人感嘆の声を出す。手の届かない位置まで飛行するモンスターは投擲武器などを駆使してターゲットを取り、降りてきたところを攻撃するのがセオリーだ。その模範的な解答を示すような立ち回りはNPCだからといって馬鹿にできない鮮やかさだ。

 遠隔必中。βテスト時ではあり得なかった武器を見せつけられ、アイガイオンの胸中(きょうちゅう)には幾つかの驚嘆、幾多の波乱の予感が訪れた。

 

「あれをどう思う?」

 

 ある程度の検証を終え幕舎に戻ると、アイガイオンはキバオウに訊ねた。すでに夜は更け、イムカルたち幕舎のNPCは活動時間外に設定されているのか、大きなイビキをかいていた。ユウキとベンジャミンは先に寝かせ、二人とも床に布を敷いただけの簡素な寝場所で横になっている。この場で起きているのはアイガイオンとキバオウ、それに見張り役のNPCだけである。

 

「アイガイオンになら言うまでもないことやけど、戦闘を怖がるプレイヤーは相手と距離を置きたがる。そう言うプレイヤーは投剣とか長槍でとにかく相手の間合いの外から攻撃したがるやろ? そういうプレイヤーにとっちゃ『弓矢』なんてもんは神器やろな」

 

「俺も同意見だ。そういうプレイヤーは数多い。しかし、キバオウは気付いたか? あの武器――」

 

「わかっとる。あれは威力が見た目ほど大した事ない。すげえってはしゃげるの最初だけや」

 

 アイガイオンは頷きを返した。弓に限らず、投擲武器は威力が高くない。遠距離からの攻撃は魅力的ではあるものの、それを主装備にして戦うにはいささか心許なくなる攻撃力である。

 

「俺はこのクエストの報酬はエリアの解放だろうと思っている。もちろんクリア報酬でなにか貰えるだろうが、真の意味で、という意味だ。フィールドボスを倒して行けるようになった『カラパの領地』で≪弓≫スキルを取得出来るようになる。これはさっきイムカルが寝る前に聞いたな?」

 

「しっかりと聞いた。そうなりゃ希望者は殺到する。威力や自分に見合った武器かどうかは度外視してしまうやろな。こりゃあ危ういで」

 

 さすがに攻略の先頭を行くプレイヤーとして、キバオウは見る所は見ていた。自分のやり方に合うかどうか。デスゲームで生き残ることにおいて、これほど重要なものはない。検証した限りでは、矢の数には限りがあるのだ。

 そこから問題になると予想できるのは、その制限の中で勝利できるかどうかだった。敵が一、二体であるなら問題はないが、ただでさえ威力が低いので本数が必要だろう。しかしその本数に制限があるので、連戦を続けるなら苦しむことになるはずだ。レベリングのためなど長時間ダンジョンに滞在するなどには向かず、かといってボスのような体力の多い敵には不向きである。もしトラップなどにかかって閉鎖された空間に閉じ込められてしまったら絶望的である。

 

 この情報は今のうちに独占すべきだ、とアイガイオンは考えを巡らせた。悪意から来るものではなく、皆を思えばこそだった。アイガイオンのギルドに所属するプレイヤーはアインクラッド全体でも最大規模である。だからこそ間違った情報は出来るだけ排他し、吟味した上で、誤解の広まらぬよう浸透する。それが最大規模を誇るギルドの仕事だった。

 

「明日にでもなれば、このクエストを受けたプレイヤーが弓の存在を知り、考えなしに情報を拡散するだろう。そうすればキバオウの言った通り、希望者が殺到する恐れがある。しかし、だからと言って情報が流れるのを防ぐのは出来ない。だから、どうにかして誘導するしかない」

 

「誘導て、どうやってやるん?」

 

「まず、情報は俺らから流す。弓の存在は隠せないから、デメリットを誇張して伝える。威力が低い、矢数に制限がある。威力が低いなら敵を倒せないし、矢が無くなれば戦うことすら出来ない。この二つはデスゲームに置いて致命的だ、という具合に伝える」

 

「そんなことで誘導になるんか?」

 

「ギルドを利用して情報を流すだけなら簡単で手間はない。俺は焦った選択をする者を減らしたいだけだ。わずかなことでも、可能性があるならやってきた。情報を理解した上でそれを選ぶなら構わない」

 

「せやかて、あのスキルはあいつらの領地で取得出来るんやろ? つまり新しいエリアっちゅうことや。攻略もあることやし、新エリアに踏み込むのは止められん。どうするつもりや」

 

「俺は、封鎖しようと思っている」

 

 キバオウが言葉に詰まった。

 

「封鎖と言っても、エリア全域ではなく、スキルを教えるNPCを押さえるだけだ。それに、これは俺のギルドだけにする」

 

 アイガイオンは、それでも無茶を言っていることを自覚していた。多くのプレイヤーが求めるものを妨害しようとしているのだ。非難されることは覚悟の上である。

 

「自分のギルドだけいうても≪MTD≫はアインクラッドで一番多いやろ。そんだけの人数が殺到しようもんを止められるんか?」

 

「すべては無理だ。多少の数はどうにかしてすり抜けていくだろうが、それは無視していい。予定としては、志願者を募り、サンプルとしてデータを集める。ある程度の情報が集まったら、解禁すればいい。最長でも一週間。それまで我慢してくれればいいんだ。我慢させることは、まあ無理ではないだろう」

 

 しっかりとした理由があれば、ある程度は納得してくれるはずである。反発は必ず起こるが、順応と反発は当たり前なのだ。

 サンプルの数が多ければ情報量は多くなるし、多ければ多いほど質も確かになってくるはずだ。サンプルとなるプレイヤーをしっかりと選べば、情報が多くても取捨選択はあまり気を使わなくていい。ギルドリーダーとなって、人を見るという事がアイガイオンにはわかってきていた。サンプルとなるプレイヤーは自分が選ぶつもりでいる。

 

「まあ、全てはやってみてからという所もある。それはその時に考えよう」

 

「はあ。なんとなく、あんたが先を見て言うとるというのはわかるんやけど」

 

 自分が先を見ていると思ったことはない。ただ、ある程度までならわかる。それだけだった。そこから先を考えることはあまりしていない。考え込むと、下手な方向に行ってしまっている気がするからだ。

 

「俺が目を向けているのは攻略だよ、キバオウ。もしここで選択を誤るプレイヤーが続出すれば、攻略の遅延は免れないだろう。俺たちの努力でそれを避けられるならやるべきだ」

 

 人には言えないことで、アイガイオンは攻略を掌握しようとも思っていた。ディアベルの≪聖竜連合≫、キバオウの≪アインクラッド攻略隊≫、そしてアイガイオンの≪MTD≫。これらのギルドは第一層でも、名の無い集団であった時も良い働きをしたと思っている。ボス攻略時ではほとんどの主導権を握っていた。それを続けることが出来れば、攻略の流れを掴んだことになる。一回目は例外だったのかもしれない。それが二回目で通例となり、三回目からはそれが当たり前となる。そこまで行きつくのに、今が勝負時であるのだ。そのために初日からかなり深いところまで進んだ。イムカルの幕舎もそういう所にあり、まだ自分たちのパーティー以外にプレイヤーを見ていない。

 ふと、第一層ボス攻略時に組んだ三人を思い出した。キリト、リーファ、アスナ。三人とも良い腕をしていた。彼らがギルドでも入れば、戦力として期待できるだろう。アイガイオンは勿論勧誘した。そして三人共に断られた。何か強い忌避感がある。それを感じ取ると、強く言わずにいた。手応えがあったのはリーファくらいだが、兄妹がわざわざ離れるとは思えない。そこでアイガイオンは思考を打ち切り、アイテム欄から酒を出した。

 

「なんや、寝酒かいな。付き合わせてもらうで」

 

 キバオウが嬉しそうに言った。こちらの世界に来てから覚えた酒である。うまいと思ったことはないが、酔うのは楽しかった。アイガイオンは、キバオウが差し出した杯に注ぎ、自分のものにも手酌でやった。

 

「今のうちに言うが、酔っても騒ぐなよ。ユウキが起きたら可哀想だ」

 

「安心しい、酒は強い方やで。酔うと記憶なくなるんやけどな」

 

 押し殺した笑い方でキバオウは笑うと、一気に飲み干そうとしてから顔をしかめ呻いた。

 

「うがっ、なんや、これっ」

 

 蒸留酒である。度数の高い酒で、割らずに飲むのはきつい。しかしアイガイオンは、喉が焼けるような感覚が癖になっていた。一杯目で喉が焼けるので、二杯目からが楽になる。キバオウの杯にはかなりの量を注いでやったので、飲み干すとするならかなりの時間がかかる。

 

「すまん、無理や」

 

 キバオウが諦めて中身を捨てた。捨てられた酒が幕舎の中に染みを作ったが、ゲームの中なので数分で消えていく。

 

「なんだ、もったいない」

 

「悪いなあ、けどわざとやろ。割らずにあの量は死ねるで。てか、よう飲むな、アイガイオンは。強いんか?」

 

「わからん。人とはあまり飲まないんだ。寝酒に軽く酔う。その程度だ」

 

「水割りにしよう。アイガイオン、一杯くれ」

 

「もうねえよ。さっきお前が捨てちまったろうが」

 

 思惑通りだった。キバオウは酔うとうるさくなる。アイガイオンは自分の分を飲み干すと横になった。酔いが回ると、むしろ様々なことを考える。その交錯の中でまどろみ、いつの間にか眠ってしまっているのだ。




<弓>スキル登場。
ここで弓を登場させたのは近距離武器と遠距離武器がどうしても切り離せない位置にあると思ったからです。詳しくは本編で追い追い書くつもりですが、ゲーム版SAOの設定のようにユニークスキルではありません。


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第九話 shall we?

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やめろ
と思う今日この頃。


 はじまりの街では、ついに雪が降り始めた。草原は雪原に変わり、北の村では雪かきをするNPCが現れ、南の湖は一夜にして氷が張り、人々を驚かせた。アインクラッドが現実に準拠しているのは時刻だけで、気候は階層によっては一定ではない。二層の放牧的な階層では、肌寒いとはいえ真冬の寒さとは程遠いのだ。

 アイガイオンははじまりの街に戻ると、この世界で初めて目にする雪を踏んだ。街の石畳は雪で覆われているが、人通りの激しい区域では端に寄せられて通りやすくなっている。人通りの少ない裏路地などは雪が積もったままで、足跡を残してもすぐに覆い隠されてしまうようだ。

 アイガイオンは拠点の教会を目指しながら、街の様子を見て回った。一層攻略前より主街区の人通りは確実に多くなってきている。はじまりの街に人が戻り始め、拠点として利用するプレイヤーが多くなっているのだ。街は活気付くが、人が増えれば問題も増えてくる。それに対処すべき人員も割かれるが、それだけプレイヤーが活気を取り戻しているということを考えれば、歓迎できることだった。

 

「寒いな」

 

 アイガイオンはぽつりと呟いた。本来なら第二層の攻略を進めていたはずだが、アイガイオンは週に一回は必ずはじまりの街に戻ることにしていた。

 緩やかに降る雪の中を進んでいると、方々から声をかけられ瞬く間に人混みが出来上がった。一層の、特にはじまりの街ではアイガイオンというプレイヤーを知らぬ者はいないだろう。一層のボス攻略に参加したプレイヤーはすべからく英雄扱いで、それは意図した情報流布の結果だった。攻略に励むプレイヤーが少ないうちでは、こういったことは必要である。

 方々からの挨拶に断りを入れ教会に辿り着いた。雪の被った建物が日の光を照り返し、今までとは違った趣を醸し出している。中に入ると、外の冷気が嘘のように暖かな空気に切り替わった。こういった風情のない切り替わりなどは、やはりゲームなのだとアイガイオンは意識した。

 教会の中では、≪MTD≫に所属する様々なプレイヤーが忙しなく奔走している。誰でも利用できる公共の施設であるにも関わらず、一般のプレイヤーの姿は一切なく≪MTD≫の独占状態である。一般のプレイヤーには悪いとは思いつつも、多少の寄与で借りられる大きな場所はありがたいのだ。それに代わる場所はいくつか検討は付けているが、全て購入を必要とする土地である。自分だけのマイホームを買うことは多くのプレイヤーにとって理想であるからという訳ではないが、ギルドの顔となるホームを設けることが、≪MTD≫の最優先の目標だった。

 

「皆、集まっているな。会議を始めよう」

 

 会議室と呼んでいる円卓のある部屋に着くと、アイガイオンは面々を見渡して言った。これが週に一回は第一層に戻っている理由である。協力者の中で筆頭となるプレイヤーたちがそれを皮切りに口々に意見を出し合い、席に着くとそれにアイガイオンは耳を傾けた。

 

「私たちのギルドが教会を独占しているという意見……いえ、苦情が出ています」

 

「配給の改善を要求する声が多いです。嘆願書まで製作して渡されました。提出します」

 

「独占ではない。俺たちのギルドのプレイヤーが多く利用して、あいつらが使おうとしていないだけだ」

 

「目標としている施設にNPCの交渉人が仲介しています。そのNPCに仲介料を払わなければなりませんが、当初の金額よりいくらかは安く済みます」

 

「それに関しては交渉スキルというものが発見された。取得したプレイヤーに依頼して、どちらが安く済むか試そう」

 

「配給の事は量を増やすより、何か品物を追加した方がいい。例えば……そうだな、パンとか同じものを増やす手もあるが、目新しい方が影響がある。安く済む食料には目を付けているから、リストにして渡すよ」

 

「恐ろしく強いプレイヤーがいると前線で噂になっています。どこのギルドも勧誘しているけど、どこにも靡かないんですって」

 

「フリーのプレイヤーには勧誘を続けろ。それが戦力になるようなら尚更だ」

 

 会議の場は、筆頭者がそれぞれの問題を口に出す。それぞれの意見に勝手に対応しあい、アイガイオンを通さずに決まっていくことも多々ある。自分が要らないのではないかという感覚に陥ることもあるが、それでもアイガイオンはリーダーである事を辞めなかった。リーダーの役目には意味があり、まとめ役であり、皆の重しのようなものだ。この役に自分が居るからこそ、皆が安心していられるのだ。リーダーとなって、明らかにそういう空気になったのをアイガイオンは肌で感じた。それを皆のほとんどは知らないだろう。

 

「フィールドボスについてですが――」

 

 筆頭者の一人がアイガイオンの耳に入った。アイガイオンが巨大ギルドのリーダーだからと言って遠慮するようなプレイヤーはこの円卓の中にはいない。皆が協力し合い、苦難の時をともに乗り越えた仲間たちなのだ。

 

「予定通り、明日にフィールドボスの攻略に入る。βテスターの情報では、フロアボスよりは手強くないはずだ」

 

「≪MTD≫、≪聖竜連合≫、≪アインクラッド解放隊≫による攻略会議の概要、編成です」

 

「助かる。受け取ろう」

 

「僕は納得出来ません。偵察戦を行うべきです。危なくなれば、何度だって撤退すればいい。偵察戦に当たったプレイヤーの半数をボス攻略に組み込めば、危険はずっと減るはずです」

 

「悠長すぎる。ボスの討伐報酬は膨大で、攻略者は俺たちだけじゃない。そして今はとにかく金が必要だ。これを逃す手はないし、一層の踏破で勢いづいている。その流れを止めたくない」

 

 アイガイオンが話している間もプレイヤーからプレイヤーへ、飛び交う意見が途切れることはなく、その全てをアイガイオンが聞き逃すまいとしていた。それぞれの筆頭者の能力を当てにする部分もあるが、今の所はそれで上手くいっている。中でも、サブリーダーであるシンカーには、ギルドの運営について大いに世話になっていた。

 

「二層の展開についてですが――」

 

「重要な部分だけ押さえ、すでに要員を送り込んである」

 

「ギルドの金を使って設備を整えましょう。生産系のスキルを取得しているプレイヤーに作らせます」

 

「≪MTD≫以外のプレイヤーにも声をかけて依頼しろ。装飾品がいい。見える所に飾れば、門戸を広く開けているということを知らせることになる。意識向上にもなるだろう。報酬も奮発してやれ。仕事をさせてくれと頼んでくるプレイヤーが出てくる」

 

「ギルドホームの購入予定金額ですが、安く済むなら交渉人に頼ります。金が浮けばその分だけ楽になります」

 

「新スキルの弓についてですが……」

 

 一言で一気に緊張が走った。二層で発見された弓スキルは、すでに全プレイヤーの話題の的になっている。アイガイオンはすでに噂を流布したが、危うげな空気を感じ取っていた。

 

「通達した通り、規制しようと思う。皆の意見は?」

 

「反対です。≪MTD≫がいくら巨大ギルドであろうとも、そこまでしていいものではないでしょう」

 

「俺は賛成します。情報を見た限り、危険が多いと思うからです」

 

「反対に一票。苦情が殺到」

 

「だから面倒だといいたいんだな? だとしても、危惧している攻略の遅延は避けたい。それに規制も一時的なものだし、苦情もそれまで我慢すればいいだろう」

 

「賛成か反対かは置いといて、新スキルを試してもいいというプレイヤーを一通り集めて選んでおいたのですが……」

 

「新しい武器の発見なんて、その度に話題殺到してきたが、これだけは別と考えた方が――」

 

 議題はしばらく続き、賛否はちょうど半々にわかれたようだ。リーダーのアイガイオンは賛成派で、シンカーは反対派である。理由はそれぞれ頷くことが出来るものだったが、決めがたい時はアイガイオンの一存で決まる。つまりは規制である。

 

「規制で決定する。これ以上議論はしない。フロアボス攻略と共に新エリアへ進出し、スキル取得のエリアを封鎖する。意見は?」

 

「敏捷度の高いプレイヤーを選出しておきます。まずは確保からですね」

 

「新スキルということでしたので、様々なステータスのプレイヤーを選びましょう。監督する者も置いた方がいいかもです」

 

「もしも、いわゆる『死に』スキルだった場合の対処考えなければ」

 

 こういった場合の皆の切り替えは驚くほど優秀だった。伊達に混乱期のプレイヤーを束ねていたわけではない。決まったことは、すでに決まったこととして意見を挟まない。賛成も反対も、どちらも納得できるのものなのだ。

 筆頭者たちの意見が少なくなってくると、頃合いを見計らって、アイガイオンが声をあげる。アイガイオン自身の意見は必ず最後で、会議の終了を意味している。それは自然とそうなったことで、それについては皆が暗黙として了解していた。

 

「彫金師に依頼していたものが届いた。我らのギルドに所属する者にしか着用は許されないものだ。今後はこれの着用を義務とする」

 

 羊皮紙に剣の紋章のギルドバッジだった。金製、銀製、銅製の三つがあり、筆頭者に渡したのは金製の徽章だ。金製のものはここにいる筆頭者のみが付けられる。銀製は筆頭者以外の主要なプレイヤーのみが付けることができ、銅製はそれ以外である。アイガイオンとシンカーのものは特別で、アイガイオンが剣、シンカーが羊皮紙のバッジだった。ギルドバッジを付けた筆頭者たちが興奮のどよめきをだしている。

 

「支給はシンカーに任せる。ほかに要件がなければ、会議は終了する」

 

 見渡し、意見が出ないのを確認してアイガイオンは席を立ち会議室を後にした。アイガイオンはこれから前線に戻るつもりだった。第二層攻略は一層の頃より格段に早く、三日目となる明日にはフロアボスの討伐に入る。そのための十全な準備をアイガイオンは二日目の今日にするつもりだった。

 会議室を出た足でそのまま転移門の方向へ。教会の広場を抜け、思案に明け暮れる。今日のパーティーはキバオウが抜け、ディアベルが加わるはずである。向かおうとした時に後ろから追いかけてくる声がかかった。

 

「アイガイオンさーん!」

 

 サブリーダーのシンカーである。小太りの体型だが、初期の頃より身が細るほどの苦労をしているのをアイガイオンは知っていた。ゲームでなければ、確実にやつれているはずである。

 

「時間があれば、会っていただきたいプレイヤーがいます」

 

 会議で言わなかったということは、個人的な要件であるということだろう。アイガイオンは興味を持ち、多少の余裕はあったので了承した。たとえ個人的な要件でも、シンカーが持ってくるものは重要なはずである。

 

「アイガイオンさんに会いたいというプレイヤーがいまして、一度会わせておきたいのです」

 

「珍しい事じゃないと思うが」

 

「珍しい事です。外人勢のプレイヤーがずっとあなたの名前を連呼しています」

 

 外国のプレイヤーは一ヶ所にまとめているが、出自は様々である。それぞれの国の言葉がわかるプレイヤーが付き添ってはいるものの、対応できないプレイヤーもいる。それだけSAOの技術が世界的に注目されていたということではあるが、今回に限っては災難というほかはない。外人プレイヤーには閉じ込められてから一か月の間、日本の言葉を教えて来たので、簡単な言葉ならほとんどの者が扱える。ただ、日本の文字だけは個人差が出ていた。

 

「なぜ俺の名前を呼んでいるのかは?」

 

「わかりません。アイガイオンとしか言わないのです。ですので、一度会わせてやりたいと。プレイヤーネームは“ユリシーズ”」

 

 外人勢のプレイヤーも例外なく、アイガイオンという名前は皆が知っているはずである。だが、外人プレイヤーにはそれぞれにギルドのプレイヤーが付き添っていて、普段はそちらに世話になっているはずだ。

 

「そいつの付き添いのプレイヤーはどうした?」

 

「逃げました。言葉がわからないのです。と言っても、原因はそれではないですけども……」

 

 シンカーの歯切れが悪くなっている。アイガイオンは頭を掻くシンカーを見た。

 

「ユリシーズは、女性なんです。それも、かなり美女の」

 

 SAOの男女率は遥かに傾いている。女性プレイヤーというだけで貴重な存在なのに加え、美人だというならば稀少性に拍車がかかる。

 

「彼女はドイツ人で、……ええと、ドイツ語がわかるプレイヤーはギルド内にはいませんでした。もちろんはじめは女性プレイヤーに世話をさせましたが、ええと、つまり……」

 

「知らなければならないことははっきりさせてくれ、シンカー。時間はあると言っても、そう多くはない」

 

「つまりですね、≪MTD≫以外のプレイヤーに任せたんです。ドイツ語がわかるという、男性プレイヤーに」

 

「それが原因か?」

 

「それ“も”原因なんです」

 

「――性的な問題か?」

 

 アイガイオンが言うと、シンカーがばつの悪い顔で頷いた。

 

「男女間でしたから、そういうことがあっても不思議ではないと思いました。ですが、人手不足にかまけてました。それに、人のよさそうな男でしたので……」

 

「前置きはいい。それで?」

 

「女性が不快に思う接触をして、不快に思ったユリシーズが彼を追い出しました。かなり激しいやり方で。代わりのプレイヤーを探したときに、またドイツ語がわかるというプレイヤーも見つけました。それも男性でしたが……」

 

「今度はそいつに任せたのか?」

 

「その時はそのプレイヤーを監視するプレイヤーを置きましたが、そのドイツ語がわかるという話自体が嘘だったんです。そのプレイヤーを追い出したら、また別のプレイヤーが……。それも嘘で、美人というのが災いしたとしか言いようがありません」

 

「女目当てに、男が群がったか」

 

「それから男性不信に陥ったようでして、部屋に(こも)りました。もっと早く対応すべきでした。今では、男性が部屋に入ると攻撃してきます」

 

「攻撃?」

 

「殴りかかってきますね。そのため女性プレイヤーが世話をしてますが、部屋から出ようとしないのです。それからはアイガイオンとばかり呼んでいます」

 

「つまり、最近の事ではないのか?」

 

「半月前くらいからでしょう。対応が遅れたのは、私のせいです」

 

 シンカーが目を伏せた。負い目を感じ、それに端から罪悪感を感じるのはシンカーの悪い癖である。アイガイオンはシンカーの背を叩いた。

 

「シンカー、お前のせいじゃない」

 

 あの時は出来る限りのことに全力を尽くした。すべてが完璧ではないが、これ以上どうしようもないと思うまで働いていた。そこからあの時こうしていればと邪推するなど、とても考えることはできなかった。

 

「皆がよくやった。たとえあの時に戻ったとしても、あの時以上に上手くやるのは不可能だ。皆が最善を尽くしたし、その中にお前も含まれる。それ以上を考えるのは良いが、最悪な現状に努力したお前以上によくやった者はいない」

 

「ですが、もっと早く――」

 

「それ以上は悩むな、シンカー。今はそのユリシーズの事を考えよう」

 

 話している間に、ユリシーズの部屋の前に着いていた。男性不信は、聞いた限りだとかなりひどい状態である。どうしようとは考えず、扉をたたいた。扉をたたいて数秒の内は部屋の中の音が聞こえるはずだが、音沙汰は何もない。

 

「アイガイオンだ。ユリシーズ、いるか?」

 

 しばらく呼びかけながら扉をたたいた。それでも部屋の中からは何も音は聞こえない。そこまで不信がひどいのか。

 

「普段は男性が声をかけても、絶対に応じることはないので女性に声をかけてもらっているのですが、今は誰もが忙しくて捕まりませんでした。本人ならと思いましたが、やはり女性を連れてくるしか――」

 

「ええい、まどろっこしい。入るぞ」

 

 アイガイオンは扉をタップしてオプションを開いた。外人勢のプレイヤーが泊まる部屋は個人ではなくギルド名義で払っている。その場合、個人以外にそのギルドのリーダーにも出入りする権限が与えられる。もちろん、常であればそういった行為は控えるべきだが、時間を取ったのを無駄にしたくはない。

 慌てるシンカーを無視し、部屋に押し入った。ベッド、タンス、テーブルに椅子。地味な色の壁にカーテンのない窓がはめられている、必要最低限の物しかない質素な空き部屋だった。そして肝心のユリシーズもいない。

 

「いないぞ。この部屋ではないのか?」

 

「ここに間違いないはずです。私だって、ここで殴られたんですから」

 

「ふむ」

 

 アイガイオンはもう一度部屋を見回し、いないことを確認すると早足で部屋を出た。向かう先はロビーである。教会のロビーは、現在≪MTD≫の受付の窓口として機能している。そこには人を常設しているので、外へ出ていたらわかるはずだ。

 

「ユリシーズさん? いえ、見てませんね。彼女は目立つから、対応が忙しくても、目に入るはずですし。それに彼女、最近は外へ出てきませんしね」

 

 受付の男性プレイヤーに聞くと、そう返ってきた。ユリシーズを担当するプレイヤーは決まった人物ではないらしく、時間が空いたプレイヤーが彼女の面倒を見ているようだ。それでもそれらしいプレイヤーも見ていないという。

 

「あ、でも、顔が確認出来ないプレイヤーはいます。アイガイオンさんみたいに全身金属鎧の人もいましたし、顔を隠すマスクを装備する人もいますしね。全身を隠すローブを装備している人もいました」

 

「なら、外から来たプレイヤー以外で、教会内から外へ出て行った者は?」

 

「すべて覚えているわけではないですけども、何人かいたことは確かです」

 

 外へ出て行った可能性は少なからずあるということだった。それが街の中だけなら≪安全圏≫を約束されているからまだいい。それが、街壁の外へ出て行ってしまったのなら問題は大きい。

 

「この教会内を全て調べろ、シンカー。尖塔から地下までだ。それに最後にユリシーズの世話をした者を探して話しを聞いておけ」

 

「すぐに取り掛かります。街の中も出来る限り探します」

 

「一層にいるギルドのプレイヤーにメッセージを飛ばす。お前は街の内側だな。俺は時間が許すまで、外を探してみる。何かわかったらメッセージを飛ばしてくれ」

 

 別れを告げて、一層にいる≪MTD≫のプレイヤーすべてにメッセージを一斉送信した後、アイガイオンは城門へ走った。いよいよ嫌な予感を感じ始めている。

 ユリシーズがどのようなプレイヤーなのかはわからない。もし、フィールドへ出たらどうするのだろうか。街から離れず周辺を散策するのか、それとも、どこか当たりを付けて進むのか。

 街の周辺なら≪MTD≫のプレイヤーが多いだろうから、アイガイオンは街から離れることにした。目的地は、二層へと延びる迷宮区の柱である。攻略を進めるプレイヤーなら、間違いなく迷宮区の方面へ行く。

 草原を駆け抜け、森林地帯に飛び込む。敏捷があればもっと速く進めるが、あいにくアイガイオンは筋力型である。それでも、出来る限り速く足を動かした。

 メッセージの着信音がなり、走りながら確認する。シンカーが集めた情報で、それらしいプレイヤーが外へ向かった可能性が高いとのことだ。予想では、茶色のカーテンをローブ代わりにしているらしい。部屋の窓にカーテンがなかったのはそういう事だったのか。

 だとすれば、無茶をするプレイヤーだろう。アイガイオンは道なりに走り続けた。予想が外れてくれればいい。実は街の中にいて、散策を楽しんでいたというならそれでいい。最低でも、街の周辺にいるならば、命の危険はまだ少ない方である。迷宮区に差し掛かろうと言う時に、索敵スキルが新しい音を拾った。かなり大きな音のパターンで、近くにそのような音を発するオブジェクトはないはずである。予想できるのはモンスターだが、一体ならここまで大きな音にはならない。つまりは、大群だろう。そしてそれは的中した。

 

「ええい、くそ……!」

 

 迷宮区の入り口が見えた。その前には森に生息するモンスターの群れである。一見すると群れが迷宮区に入ろうと殺到しているようだが、アイガイオンは群れの先に背を向けて逃げるパーティーを発見した。

 アイガイオンは舌打ちをして、光を纏うと一気に加速した。突進系スキル≪マイティ・チャージャー≫。群れを後ろから蹴散らし、突然の登場でモンスターたちの動きが止まった。スキル硬直が解けると、アイガイオンは群れの中心で大盾を地面に打ち付けた。大盾スキル≪打地鐘(うちがね)≫。地に打ち付けた衝撃で、敵を怯ませる技である。スキル硬直も短い優秀なスキルで、大盾使いには愛用されている技だ。モンスターが怯んでいる間に、アイガイオンは群れの前に躍り出た。パーティーを背にし、大盾を構える。

 

「とにかく防げ。俺がすべてを片付ける」

 

 返事を聞く前にアイガイオンは吼えた。挑発系のスキルである。モンスターの視線が一身に集まるのを感じ、攻撃が集中した。コボルドのソードスキルを力任せに押し返し、飛び掛かる蜂を突き落とし、牙を立てる狼に盾を打ち付け、蹴り上げた。怯んだ隙にスキルを発動し、突き飛ばしたモンスターがモンスターを巻き込んで、青い破片となって散って行く。圧力が弱くなると、前進して槍を振り回した。

 敵を蹴散らすことは、筋力型の本領である。一層の適正レベルを大きく超えた能力値で振るった矛先でモンスターは次々に霧散していった。残ったモンスターも散り散りに逃げて行くのを見送ると、構えを解き、戦闘の終了を告げる。

 背後のパーティーがどっと息をついた。尻もちをつき倒れ込むプレイヤーもいる。体力ゲージを半分ほど減らしたプレイヤーが多いものの、致死領域(レッドゾーン)まで減っているプレイヤーはいないようだ。

 

「よくやった。リーダーは誰だ?」

 

「わたしです。助けてもらって感謝します、アイガイオン」

 

 パーティーリーダーは長身の女性だった。SAOの中でも珍しい銀髪をポニーテールにまとめ、装備は中装の皮鎧に片手の剣と盾、副装に短槍を後ろ腰に吊るしている。オーソドックスな剣士だが、怜悧な容貌が印象的である。

 

「迷宮区に逃げ込まないのはよかった。入ってしまっていたら、全員は助けられなかったかもしれない。名前は?」

 

「ユリエールと言います。迷宮区には何回かチャレンジしていましたから、中の脅威は把握しているつもりです。でも、あなたが現れなかったら誰か死んでいたかもしれません」

 

「群れに襲われていた経緯を聞かせてくれないか」

 

「女性プレイヤーがいたのです。外国人の方でしたが。一人の様だったので、ついていくことにしました。彼女は嫌がったので無理やりでしたけど、独りになるよりはいいかと――」

 

 アイガイオンはユリエールから視線を外し、パーティーに目を配った。茶色のカーテンローブを被るプレイヤーはすぐに見つかり、近づくと一気に引き剥がした。カーテンは正式な装備ではないので簡単に引き剥がせる。現れたのは、情報通りのプレイヤーだった。鮮やかな金糸の髪を左右に垂らし、吸い込まれそうな碧眼。それでも気の強そうな(まなじり)だが、それが一層美貌を整えているようだ。背はユリエールよりは低いものの、女性としては長身な方である。体は豊満であり、引っ込むところは引っ込んでいる。かなりの美女とは聞いていたが、なるほどと頷ける容姿である。

 

「ユリシーズだな?」

 

「アイガイオン?」

 

 確認を取ると、ユリシーズは首を傾げた。外人らしい、聞き取りにくい話し方だが、アイガイオンが兜を外し顔を見せると、ユリシーズの顔が一気に綻んでいった。軽い衝撃と共に抱きつかれ、アイガイオンは受け止め、頭を撫でた。

 

「不安だっただろう。もう大丈夫だ」

 

 ユリエールのパーティーが唖然としている。アイガイオンは思わず苦笑した。

 

「メールはまだ見ていないのか。ともかく、移動しよう。ポーションがあるなら回復しておけ」

 

「彼女は、男が苦手だと思うんですが……」

 

「俺もそう思っていたよ。一番近い村を目指すぞ、先導してくれ。俺は、こいつの相手をしなければならんからな」

 

 

 

 ユリシーズは、パーティーの男性メンバーには強い忌避感を示していたようだった。そのため、ユリエールが付いていこうとしたが、ユリシーズがパーティーから逃げたらしい。追いかけていたため、遭遇(エンカウント)したモンスターを満足に退けることが出来ず、あのような大所帯になってしまった。村の宿屋で詳しい話しを聞くとそういう事の様だ。発見したという報告をシンカーに飛ばし、ひとまずは安心出来たと言っていいだろう。

 木造の宿は酒場も経営しており、一階は酒場、二階が宿部屋となっている。酒場の方はかなり広く、迷宮区に乗り込もうというプレイヤーが英気を養っていたり、ここを拠点としているプレイヤーが冒険話に花を咲かせていたり、外から入ってきたプレイヤーが暖を取ろうと暖炉の前で蜂蜜酒を呷っていたりとかなりの(にぎ)わいを見せている。そのため、男性プレイヤーを忌避するユリシーズのために、部屋を一室借りていた。ユリエールのパーティーは酒場に降りて休憩させているが、ユリエールだけは詳しい話を聞くために部屋に残している。

 

「命を救ったな、ユリエール。不謹慎かもしれないが、お前がアインクラッドにいてくれてよかったと思う」

 

 アイガイオンが言うと、ユリエールは顔をこわばらせて頭を軽く下げた。銅製のバッジを襟につけた彼女を、アイガイオンは覚えておこうと思った。今はまだ一層にいるものの、レベルが上がって追いついて来れば優秀なプレイヤーになるかもしれないのだ。

 

「さて、ユリシーズ」

 

 アイガイオンが呼びかけると、隣で退屈そうにしていたユリシーズの目が輝いた。ユリシーズは、何かと側に居たがっている。何故そこまで懐いているのか、聞こうとしても言葉がわからないので意味はない。それでも簡単な単語なら扱えるようだ。

 

「なぜ。わかるか? なぜ、だ。なぜ、このアイガイオンに、会いたかった?」

 

 アイガイオンは出来る限り区切って話した。ユリシーズを指差し、自分を指差しながら話す。外人と接するときは、なるべくジェスチャーを交えて話すようにしている。大抵の場合、それでなんとかなっていた。ユリシーズは首をかしげ、言葉を探しているようだ。

 

「ほしい」

 

 彼女の口から出た言葉はそれだった。ユリエールが、怜悧な容貌を崩して感極まったような声をあげる。アイガイオンはそれを無視して髭を撫でた。ユリシーズが探した中で、一番近い言葉がそれで、理由はやはりわからないのだ。

 

「説明しきれないのは仕方のない事だが、もどかしいな」

 

「ユリシーズ、アイガイオン、ほしい」

 

「アイガイオンは彼女についてなにか覚えていないのですか?」

 

 ユリエールが口を挟み、アイガイオンはそれについて考えてみた。デスゲームが始まってから忙しくない時はなく、一人のプレイヤーを覚えていることなど、よほどの事でもない限りはなかった。改めてユリシーズを見るものの、見覚えはほとんどないはずだ。

 

「やはり、ないな」

 

 アイガイオンは、真意を問うことを諦めた。攻略があるので、いつまでも訳の分からない事に囚われているわけにもいかない。

 

「ユリエール。彼女を街まで連れ戻してくれ」

 

「それは構いませんが、アイガイオンはどうされるのです?」

 

「前線に戻らなければいけない。もうかなり仲間を待たせている。街へ着いたら、シンカーを頼ってくれ。手筈は整えてあるはずだ」

 

「手筈、ですか?」

 

「男がいけないようだから、最近できた女性ギルドの方で保護する。後は任せた」

 

 酒場に降りると、休んでいたユリエールのパーティーが慌てたように立ち上がった。酒場を後にすると、ユリシーズが付いてこようとして慌て始めた。それをユリエールたちが引き止めようとしてちょっとした騒ぎになっているが、アイガイオンはすでに攻略の事で頭が一杯になっていた。



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