東方文伝録【完結】 (秋月月日)
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東方文伝録
第一話 沙羅良夜の幻想入り


「あやー……最近、面白いネタが集まりませんどうしよう」

 

 肩のあたりで切りそろえられた黒髪を持つ少女が卓袱台に体をぐでーと投げ出すのを見て、その台詞は今月に入って十二回目だな、と彼女の向かいで本を読んでいた跳ねが多い銀髪の少年は苦笑いを浮かべる。

 少年の手の中にある本のタイトルは『妖恋記(ようれんき)』。名前からして恋愛小説のようだが、この少年には正直言って似合わない。

 だがしかし、やる気というものが根こそぎ奪われたようなダウナーな目つきの少年は、もくもくと小説を読み進めていく。

 そして最後まで読み終わったところで少年はをぱたんと本を閉じ、その本で少女の黒髪をぽすぽすと上から抑えるようにして軽めに叩く。

 

「らしくねーなー、(あや)。いつものお前なら、どんなつまらない事件も大袈裟に誇張して面白いネタに変えちまうだろうに」

 

 文と呼ばれた少女は頭に降り注ぐ少年の攻撃に抵抗することなく、卓袱台にくっつけていた顔を少年に見えるように横向きに動かし、

 

「私は嘘は吐きませんけど大袈裟な事実は作り出します。――ですが、流石にこうも平和だと誇張することもないんですよねー」

 

「…………キノコの食べ過ぎで腹痛により寝込んだ霧雨のことを、『霧雨魔法店の店主が毒キノコを食べて意識不明の重体』ってまさかの方向で特ダネにしたお前が言っていいセリフじゃねーと思うぜ――俺はな」

 

「いいんですよ。八割方事実ですし」

 

「せめて七割方にしとこうか。毒キノコでも意識不明の重体でもなかったわけだからっ」

 

「いたっ」

 

 未だに卓袱台の上でだらけ状態な文の額を少年は本の角で軽めに叩く。

 文は目尻に涙を浮かべて額を抑えながらむくりと起き上がり、ジト目で少年を睨みつける。少年は少年で読み終えていたはずの本を再び開き、涙目で睨まれても怖くねーなー、と呟きを漏らしてから読書を再開した。

 よく見てみると、少年が持つ本の表紙は決して新しいとは言えないほどに擦り切れている。今まで何度も何度も何度も何度も読み返したらこうなるのだろうか。普通ならばここまで本が古ぼけてしまったら買い替えるだろうに、少年はこの本を捨ててはいない。よっぽど愛着があるのだろう。

 と、そこで何を思ったのかジト目だった文の表情がにやり、といった妖しい笑顔へと変化した。そんな彼女を上目で見ていた少年は――ああ、こりゃなんか面倒事を押し付けられるな――と溜め息を吐く。

 文は少年がこっちを見てくれないので少年の手から本を取り上げ、

 

良夜(りょうや)、私はお腹が空きました!」

 

「あ、そう。いいから本を返してくれ。ちょうど今からヒロインが主人公に告白するシーンなんだ」

 

「お腹が空きました!」

 

「知らん。いいから早く本を返せ」

 

「ですが今日は冷蔵庫の中に食材が一つもありません。何故ならそれは――昨日の夕食が兎鍋だったからです!」

 

「兎の肉が安かったからな。…………オイ、まさか文、お前……」

 

 良夜と呼ばれた少年は何かに気づいたらしく、三秒と掛からずに顔を蒼白に染めていく。彼が着ている白のカッターシャツと黒いTシャツと黒のスラックスに、彼の顎からぽたぽたと大量の汗が降り注ぐ。背中に走る嫌な寒気は、どうやら気のせいではないらしい。

 この後の展開が嫌でも分かる、と露骨に嫌悪感を現した表情を浮かべる良夜に文はニコッと満面の笑みを向け、

 

「――――買い出し、たっのみましたよーっ!」

 

 

 

 

 

  ☆☆☆

 

 

 

 

 

 銀髪の少年こと沙羅良夜(さらりょうや)は幻想郷に来る前のことを何一つ覚えていない。

 いや、何一つというのには語弊があるだろう。正しく言うと、彼は自分の名前以外のことを全く覚えていない。いわゆる、記憶喪失というヤツだ。

 良夜が幻想郷に来たのは、今から一年前の月明かりが綺麗なとある秋の日だ。

 なにかの経緯で幻想郷に自らやって来たわけではなく、気がついたら幻想郷に自分はいた。覚醒した直後に、見知らぬ土地にいた。このとき良夜は、言い表しようもないほど強大な不安に心を支配されそうになっていた。

 見知らぬ土地にいきなりほっぽり出され、挙句の果てにはこの土地に来る以前の記憶がない。そんな状況に追い込まれてしまったら、人間だろうが妖怪だろうが不安になるのは当たり前だろう。それで通常通りでいられるのは、精神力がずば抜けて高いか楽観主義者な変わり者だけだ。

 見知らぬ土地――幻想郷にやって来てしまった良夜は、とりあえず人間を探すことにした。そのとき彼がいたのは木々が生い茂る山の中であり、右も左も文字通り真っ暗で見えないほど暗かった。木の上から聞こえる梟の鳴き声に、何回飛び上がったことだろう。

 良夜はびくびくと脅えながら草木をかき分け、ひたすら前へと足を進めた。早く得体の知れない山から脱出して人間に出会いたいというのもあったし、身体を動かしておかないと不安で心が押しつぶされそうだったというのもあったからだ。

 そして行けども行けども変わることのない並木に意気消沈しそうになった瞬間のことだった。

 

「あやや? 妖怪の山に、なんで人間がいるんですかねー?」

 

 鳥の羽音が聞こえたので空を見上げると、黒い翼を背中から生やした黒髪の少女が――良夜に向かってに降下してきていた。木々の間から漏れる月の光に照らされて、彼女の姿が良夜の目にはっきりと映った。

 肩越しで切りそろえられた黒髪の上に赤くて小さい帽子(世間一般では頭襟と呼ばれている)がちょこんと載っている。右が白で左が黄色の紅葉があしらわれている変わったデザインのシャツで、白いフリルがついた黒のミニスカートを着用している少女。しかもかなりの美少女だ。

 気づけば、良夜は少女に見惚れていた。――否、目を奪われていた。ココだけは譲れない。

 とにかく、空から降りてくる少女はそれぐらいに綺麗で可愛くて魅力的だった。

 

「ここはどこ? 俺は……多分、沙羅……良夜?」

 

「随分と自信なさげな自己紹介ですねー。その様子から察するに、あなたは外の人間ですか。あやや、本当に運がない人です。この決して広いとは言えない幻想郷の中で、最も危険度が高い妖怪の山に幻想入りしてしまうとは……結構、興味深いですね」

 

 少女は降り立つと同時に近くの木の幹に体重を預け、スカートのポケットから手帳を取り出す。

 そして、胸ポケットに入れていたペンを手にとってペン先を良夜の鼻先に突き付け、

 

「ここは天狗が仕切る妖怪の山です。悪いことは言いません、即刻立ち去りなさい。私はまだ穏便な鴉天狗ですが、他の天狗に見つかってしまったら――――殺されますよ?」

 

 これは脅しじゃないですよ、と付け加えて少女はペンを指で上へと弾く。宙へと待ったペンは綺麗な放物線を描き、彼女の胸ポケットへと吸い込まれるように入り込んだ。

 器用だな、と良夜は場にそぐわない感想を頭の中で呟く。

 話から察するに、この少女は鴉天狗なのか。良夜は少女をまじまじと見つめるが、少女は両手で肩を抱いて一歩後ろに下がり、

 

「な……なんですか。じろじろ見ないでください! 私の体に何かついてますか!?」

 

「しいて言うなら翼が生えてる。鴉天狗って言う割には、鼻が長くないんだな」

 

「それはあなたたち人間の勝手な思い込みです。というか、私の話聞いてました? この山から早く立ち去りなさい。実力行使で追い出してあげてもいいんですよ?」

 

「いや、それはそれで困るんだよな。俺どうやら記憶喪失みたいでさ、自分の名前以外のこと、なーんも覚えてねーんだわ」

 

「な――――」

 

 予想もしなかった良夜の言葉に、少女は絶句してしまう。持っていた手帳がするりと手から抜け落ち、やわらかい土の上にパサッと音を立てて着地した。

 目を見開いて自分を見つめてきている文に気づいているのかいないのか、良夜は顔の前でパァン! と勢いよく両手を合わせ、

 

「ンでお願いなんだが、お前の家に住まわせてくれねーか? この世界がお前の言うとおり妖怪が住む世界だってんなら、右も左もわからねーし記憶もねー俺が生きていけるとは到底思えねー。だけど、俺は死にたくないんだ。だから頼む! 俺を――アンタのところで住まわせてくれ!」

 

「え、あ、ちょっ……」

 

 良夜の怒涛のお願いラッシュに狼狽えてしまう少女。さっきまでの威勢はどこへやら、完全にペースを奪われてしまっている。

 普通に考えれば、正体のわからない良夜を少女が家に招き入れなければならない道理などどこにもない。ココで見捨ててしまっても誰にも責任問題を突きつけられることは無いだろうし、少女的にもそれが一番楽なのだ。

 だが、記憶を無くした外来人というイレギュラーな存在が、彼女の正常な判断力を奪ってしまっていた。ハッキリ言えば――可哀相だなと思ってしまった。

 いやでも、やっぱり断ろう。ハッキリと凛とした姿勢で、断ろう。少女はコホンと咳払いをし、形の整った胸を張っ――

 

「料理洗濯掃除に買い物、なんでもするからさ! いやホント、雑用だってなんでもやる! だから――どうかおねがいします!」

 

「………………………………………………………………………わかり、ました」

 

 ここまで憐れな少年を見捨てられるほど少女はできた心を持ち合わせてはいなかったので、頬をヒクつかせながら渋々と言った具合に首を縦に振った。

 もうここまできたら仕方がない。この少年の言うとおり、好きなようにこき使わせてもらおうじゃないか。少女は額に手を当てて、深い溜め息を吐く。

 そして良夜のほうを改めて向きなおし、

 

「私は鴉天狗の射命丸文(しゃめいまるあや)。巷では『伝統の幻想ブン屋』との愛称で親しまれている新聞記者です。これからあなたの体が壊れるまで全力でこき使ってあげますので、覚悟しておいてください」

 

「お、お手柔らかに……。さっきも名前は言ったと思うけど、俺は沙羅良夜。記憶喪失な人間だ。これから――よろしくおねがいします」

 

 少女――文はニヤリと妖しく笑い、良夜は冷や汗を流して苦笑する。

 

 これが、沙羅良夜の幻想入りだった。

 

 



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第二話 『文々。新聞』をよろしく

「いや別に買い物行くのは構わねーんだけど……『良夜の好きなもので良いです』ってのが一番困るんだよなー……」

 

 ――どうせ夕飯作るの、俺なのに。良夜は最後にそう付け加えながら自室のクローゼットから黒い詰襟を取り出し、腕を通していく。ボタンを下から順番に留めていき、第二ボタンまで辿りついたところで部屋の窓の近くにある机の方へと移動した。詰襟とカッターシャツの第一ボタンを留めずに着崩すのが良夜のスタイルなのだ。――格好つけだとか、言っちゃいけない。

 机に辿りついた良夜は引き出しを開け、中から鍵を取り出す。鍵には緑色のお守りがついているのだが、妙にボロボロだ。御利益の前に罰が当たりそうでなんか怖い。

 

「う――――――ん……焼きそばにするか……それとも工夫を凝らしてラーメンにするか……」

 

 どっちも麺類じゃねえか。

 ブツブツと呟きながら、良夜は自室を出て左に曲がる。良夜の部屋は玄関を入ってすぐ左の位置にある。理由は『よく外に出て行くから』らしい。雑用としてこの家に置いてもらっている以上、良夜に拒否権なんていうものは存在しないのだ。

 下駄箱から黒い運動靴を手に取り、紐を解かずにつま先をトントンと床に打ち付ける形で靴を履いていく。基本的に面倒くさがりやな良夜は、こういった動作を短縮しようとする癖がある。靴下を裏返したまま洗濯に出したり、寝癖を直さないまま外に出たり、と言った風にだ。どうせ後で苦労することになるというのに、良夜はその癖を直そうともしない。

 そして良夜が靴を履き終わって家の扉を開けようとしたところで突然文の声が奥から響き、

 

『良夜ぁー! ついでですから、この新聞を配達しといてくださーい!』

 

「あァ? ――へぶっ!」

 

 ――振り返った瞬間、顔面に大量の新聞が直撃してきた。

 顔面に当たって床へとドサドサ落ちていく新聞をぷるぷると小刻みに震えながら見つめる良夜。どうやらこの新聞たちは文が操った風によって運ばれてきたらしい。つまり、こいつ等には何の罪もない。悪いのはただ一人――あのへらへらした鴉天狗だ。

 だが忘れてはいけない。良夜はあくまでも居候で雑用で小間使いなのだ。よって、反抗する権利など与えられていない。

 なので良夜はあくまでもいつも通りに溜め息を吐き、あくまでもいつも通りに新聞を拾う。

 そしてまたまたあくまでも普通通りに扉を開け、

 

「行ってきまーす!」

 

『ふぁーい。いってらっしゃーい!』

 

 ――あくまでもいつも通りに、見送られるのだ。

 

 

 

 

 

  ☆☆☆

 

 

 

 

 

「……………………暗ぇなぁ」

 

 妖怪の山の中で唯一舗装(デッカイけもの道だと思ってくれればいい)された道を自転車で下りながら、良夜は小さく呟きを漏らす。

 この自転車は良夜が知り合いの店主から安値で買い取ったものだ。店主曰く、「バランスがとりにくくて誰も乗れないんだよ。だから君が乗れるというのなら――千円でどうだい?」とのこと。随分と得した買い物だったなぁ、と良夜は自分が乗っている自転車の乗り心地を堪能しながら感激する。表情の変化が乏しいが、これでも彼は喜んでいるのだ。

 良夜と文が住んでいる家は妖怪の山のかなり上の方にある。天狗が妖怪の山の支配者であることが大きな理由なのだが、良夜的には「文の好みなんじゃねーの?」とのこと。鴉は空が近い方が嬉しいからだろうか。真実は誰にもわからない。

 

「さぁーって、と。まずは最初の目的地に到着しましたーっと」

 

 山の中腹まで来たところでキキーッとブレーキをかけて停止する。

 彼の目の前には、かなり大きな神社が鎮座している。この幻想郷にはもう一つ有名な神社があるのだが、そちらの方はかなりの財政難なので比較にもならない。何でまだ潰れないのかが不思議なぐらいだ。

 普通ならばこの神社の圧倒的な風格に言葉を無くして立ち尽くしてしまうのだが、良夜はこの神社には何度も訪れているので今さら何も感じたりはしない。せいぜい「相変わらずでけーなぁ」ぐらいのものだ。

 なので良夜はあくまでも普通に自転車の籠から新聞を取り出して神社へと近づき、

 

「まっくろくろすけでっておーいで! でねーと賽銭ぶんどるぞー!」

 

 ――物騒なことを叫び散らした。

 

「あなたは新手の強盗かテロリストか犯罪者かっ!」

 

「いでっ」

 

 良夜の叫びの直後に神社の本殿の扉がバーン! と勢いよく開き、同時に奥から黒い物体が凄まじい速度で良夜の顔面に飛来して――直撃した。本日これで二度目のダメージ。

 イテテテと額を擦りながら自分の顔に当たって地面へと落下した物体に視線を向ける。

 

 『黒電話』

 

 よく死ななかったな俺、と良夜はだらだらと冷や汗を流し、右手に持っている新聞を自分に鈍器を投げつけた人物へズビシと向け、

 

「死ぬわ!」

 

「そっちから仕掛けてきておいて今さら何を言ってるんですか! それぐらいひゅひゅっと避けて下さい!」

 

「避けれねーよ! 不意打ちで飛んできた黒電話を避けれるほど、俺は人間やめてねーよ!」

 

「守矢神社に宣戦布告してきたくせに!」

 

 白を基調とした巫女服と青いスカートや白蛇の髪飾りが特徴的な緑色の髪の少女――東風谷早苗(こちやさなえ)は自分を睨みつけてくる良夜に怯むことなく怒りをぶつける。

 彼女はこの神社の巫女のような少女なのだが、幻想郷の住人たちが口を揃えて「威厳が無い」の一言で袈裟切りにしてしまうような可哀想な少女でもある。

 と、ここで良夜は自分の目的をやっと思い出したようで、本殿で自分を睨みつけてくる早苗の元へと歩み寄り、

 

「『文々。新聞』でーす。一か月の契約は五千円となっていますが、契約しますかしますよね毎度ー」

 

「押し売りにもほどがあります! 誰がそんな新聞受け取るか!」

 

「えー。せっかくここまで運んで来てやったのに……わざわざこんな時間にチャリこいで」

 

「何ですかその付け加え。別に同情なんてしませんよ? いいから早く帰ってください。私はこれから諏訪子様と神奈子様たちと一緒にお夕飯なんですから」

 

「ふ――――――ん……じゃあ、お邪魔しまーす」

 

「なんで!? いやいやちょっと待ってください!」

 

 玄関で仁王立ちしている早苗の横を通り過ぎていこうとした良夜の肩を慌てて掴み、早苗は髪を振り乱しながら全力で引き止めにかかる。

 

「ンだよ。夕飯作ってんだろ? だったら俺にも食わせてくれよ」

 

「あなた本格的に悪徳なセールスマンになってませんか!? どうせ家に上がり込んで神奈子様たちを説得するおつもりでしょう!?」

 

「ちげーよ。意気投合するだけだ」

 

「なんで!? いやいやホント、帰ってください! 私の至福の時を邪魔しないでください!」

 

「あれ、知らねーの? 俺ってさ――――お前の困り顔が大好きなんだぜ?」

 

「衝撃のカミングアウト!? なんか告白されちゃいましたけど、なんでこんなに嬉しくないんでしょうか! 不思議!」

 

 やっぱりコイツおもしれーな、と良夜は自分の肩を掴んだままわーぎゃーと騒ぐ早苗の評価をちょっとだけ上げる。良夜が幻想郷に来て一年ほど経つが、彼女と良夜のやり取りは「夫婦じゃない漫才」として有名になっている。

 早苗的にはいちいち自分をイジってくる良夜にイライラしているのだが、守矢神社の信仰の約三割が「この二人のやり取りが面白い」という理由なのだから、良夜のことを無下にできないのだ。この少年が来なくなったら、信仰が減ってしまうのだから!

 そして良夜は、そんな早苗の気持ちを知っている。だからこそ彼は――そこに付け込む術を身に着けてもいるのだ。

 そうと決まれば何とやら。良夜は騒ぐ早苗の肩をガッシィィ! と両手で抑えつけ、お互いの距離を一気に縮める。

 

「ひゃわっ!? な、なになに今度は何ですか!? しかも顔が近い! 近いですよ良夜くん!」

 

「早苗……この新聞を受け取らなかったら、もう俺はこの神社には近づかねーぜ?」

 

「なっ!? 良夜くん、それは卑怯ですよ……ッ!」

 

「この神社の信仰の一部は俺とお前の漫才的な会話が目的の奴らだ。つまり、俺がココに来なくなったら、信仰の量が減っちまうんだよなー?」

 

「うぐ…………」

 

「減っちまうんだよなー?」

 

「いや、その……えと」

 

「減っちまうん、だよなぁー?」

 

「………………………………………そう、ですぅ!」

 

 異性の顔が数センチ先にあったのと図星を突かれてしまったのとで、早苗はついに涙を滝のように流しながら良夜の言葉を肯定してしまった。実際、事実なのだから仕方がない。

 (ごめんなさい諏訪子様に神奈子様。早苗は弱い子です)ニヤリと妖しい笑みを浮かべる良夜を涙目で睨みつけながら、早苗は家族である二人の神様に心の中で謝罪する。

 そして早苗の心が折れたのを察知した良夜は持っていた新聞を早苗に差し出し、口を尖らせて頬を赤く染めてそっぽを向きながら彼女に告げる。

 

「べっ、別にお前のために持ってきてやったんじゃねーんだからな。お前がどうしても欲しいって言ってきたから、持ってきただけなんだからな!」

 

「心にも思ってないことを言わないでください! なんか腹立つ!」

 

「じゃあ料金は五百円な。ほら、さっさと払えよ契約者」

 

「うぅ……悪徳商法だし詐欺契約だし違法だし……」

 

「はい、毎度ありー」

 

 ぶつぶつと呟きながら新聞の料金を払う早苗。違法だと分かっていてもちゃんと支払いをするあたり、早苗はしっかりとした教育を受けてきたのだろう。……まぁ、違法な契約をしてしまっているからそうじゃないのかもしれないが。

 早苗から受け取った五百円をスラックスの後ろのポケットから取り出した長財布にしまい込み、良夜はトテテテと自転車の方へと戻っていく。

 そして自転車に跨ったところで本殿で一応見送りをしてくれている早苗の方へと振り返り、

 

「お前、やっぱりというかなんというか、色気ねーよな」

 

「余計なお世話だ!」

 

 顔を真っ赤にして再び黒電話を投げる早苗に苦笑しつつ、良夜は再び自転車をこぎだした。

 

 



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クリスマス特別編 サンタって知ってますか?

 まだクリスマスイブの前日ですが、クリスマス特別編行ってみよー!

 東方霊恋記との連動要素があります。

 そちらも読んでいただければ、百倍楽しめると思いますので、是非。




「良夜。あなたはサンタという妖怪を知っていますか!?」

 

「……………………Pardon?」

 

 突然の文の発言に思わず英語で返してしまった良夜だったが、今日がクリスマスイブだからかー、と家の壁にかけてあるカレンダーを哀愁に満ちた眼で見つめる。

 今彼は射命丸家に備え付けられた最強の暖房器具である『KOTATSU』に下半身を入れている。古き良き日本を再現したような幻想郷の冬は、油断してると凍死してしまうほどに寒いのだ。

 記憶喪失で幻想郷に来る前のエピソード記憶が全くない良夜だが、知識記憶は残っている。だからクリスマスイブというものがリア充たちの欲を満たす聖なる夜であるということも知ってるし、非リア充たちが号泣しながら壁を殴ったり寂しく集まったりする邪悪な夜であることも知っている。……お前本当に記憶喪失か。

 そして当たり前だが、『サンタ』と呼ばれる存在が妖怪ではないということも知っている。……いやまぁ、捉えようによっては妖怪みたいなものかもしれないが。

 そんな冷静な良夜に気づいたのか、文は頬をぷくーっと膨らませたかと思うと、

 

「テンション低いですよ良夜! せっかくのクリスマスなんだから、サンタとなってプレゼントを配りに行きましょうよ!」

 

「嫌だ寒い炬燵から出たくない。っつーかプレゼント配りに行きてーなら一人で逝って来い。そして二度と戻ってくるな」

 

「ここ私の家なんですけど!? そして行くじゃなくて逝くと聞こえたのは私の聞き間違いですか!?」

 

「うるせーな……妹紅が死ぬまで口を開くな。そして動くな」

 

「ミッションインポッシブル!?」

 

 どこで覚えてきたそんな言葉、と良夜はもはや癖になりつつある溜め息を吐く。

 そして良夜はそのままごろんと床に寝転がり、傍に置いていた本を顔の上に載せ、そのままゆっくりと目を閉じ――

 

「文ちゃんストップ入ります!」

 

「むぐぅ!」

 

 ――ようとしたところで口に新聞を突っ込まれた。

 口の中に次第に紙の味が侵食していき、同時に吐き気が込み上げてくる。早く新聞を口から抜かないと、黄色いキラキラが外にブチ撒かれてしまうのは火を見るよりも明らかだ。

 良夜は口に刺さっている新聞を一気に引き抜くと、普段はダウナーな目を釣り上げてギロリと文を睨みつける。……まぁ、涙目でケホケホ言ってる今の状況では、怖ろしさなど微塵も感じられないのだが。

 良夜は口直しとして炬燵の上に置いてある麦茶を一気飲みすると、額にビキリと青筋を浮かべながらもあくまでクールに対応する。

 

「人の口ン中に新聞突っ込むたぁ、いい度胸だなクソガラス……ッ!」

 

 ――訂正。もはや手遅れでした。

 

「だって良夜が話を聞こうとしないからぁ。もうっ、女の子の話を無視しちゃ、ダメなんですよ☆」

 

「わざわざ口で『ほし』とかいうヤツを俺は女の子だなんて思わねー。だから一発だけでいい。――本気で殴らせてくれ」

 

「あややっ、急に命の危機!? ごめんなさいでしたーッ!」

 

 炬燵の上に手をついて頭をグリグリとテーブルの部分に押し付ける文。高貴な鴉天狗としての威厳などどこにも感じられない彼女の行動に、良夜は「はぁぁ……許す」と振り上げていたコブシを降ろして緩める。こんな風だからツンデレだとか言われるんだよなぁ、と良夜は再び溜め息を吐いた。

 良夜に許されたことで再びテンションが高くなった文は、相変わらずのダウナー良夜に再び交渉を開始した。

 

「サンタになってみたいんです!」

 

「なればいーじゃんか。一人で」

 

「ぐぅ! ……こ、子供たちにプレゼントを送って感謝されたいんです!」

 

「どうせ新聞しか送らねーくせによく言うよな」

 

「ぁぐ! ……ひ、必要なのは物じゃなくて気持ちだと思います!」

 

「それはもはやプレゼントとは言わねーよな。っつーかクリスマスに気持ちを送るって、ウザいバカップルでもしねーよ」

 

「はぅ! ぷ、プレゼントはまた後で決めるとしてですね。わ、私と一緒に子供たちに感謝されましょうよ! 射命丸家、一大イベントですよ!?」

 

「『射命丸家、赤っ恥イベント』の間違いだろ」

 

「うぅ……わ、私と二人きりのクリスマスですよ!?」

 

「シチュエーションに問題があんだよ。っつーか、俺とお前が二人きりって、いつものことじゃん。――実際、今もそうだし」

 

「クリティカルヒッツ!」

 

 良夜の容赦のない言葉の数々に、文はその場に崩れ落ちる。背中に生えた黒い翼も、だらんと垂れ下がってしまっている始末。

 炬燵の上で涙を流しながら『クリスマスクリスマスクリスマスクリスマス二人きり二人きり二人きり……』と念仏のようで怨嗟のような呟きを漏らし続ける文に、良夜は苦笑してしまう。

 ふと横にある壁時計に目をやる。

 

『七時二十三分』

 

 夕飯には早いがおやつには遅い時間。微妙な時間の極みともいえる時間だ。

 

 

 クリスマスは楽しむものだ。

 

 

 一か月ほど前に買った小説にそう書かれていたのを思いだし、良夜は頭をガシガシと掻く。

 そして「あー分かった分かった」とその場に立ち上がり、

 

「出かけるぞ、文。――二人きりでな」

 

 恥ずかしさで顔が真っ赤になるのが、嫌でも分かってしまう。

 こんなことを言う自分がらしくないなんてこと、誰よりも分かっている。

 だけど――まぁ、

 

「本当ですか!? やったぁーっ!」

 

 本当に心の底から嬉しそうなこのバカを見てると、恥ずかしさなんてどうでもよくなっていたんだ。

 

 

 

 

 

  ☆☆☆

 

 

 

 

 

「……………………良夜」

 

「なんだ?」

 

「風のせいで足が寒いんですけど……」

 

「スカートなんて履いてるお前が悪い。自転車で二人乗りしたいなんて言ったお前が悪い。――だから、俺は悪くない」

 

「またそんな凄く聞き覚えのある発言を……あなたはどこぞの負完全か何かですか?」

 

「…………振り落とされてーのか?」

 

「黙っときますね」

 

 命の危険を感じ取った文はおずおずと顔をマフラーに隠す。

 現在、二人は妖怪の山を自転車で下っている最中だ。もちろん、良夜が運転して文が後ろに乗っている状態だ。いわゆる、二人乗りと呼ばれる乗車方法。

 良夜がどこに向かっているのかを文は教えられていない。だからこそ文は、良夜が自分をどこに連れて行ってくれるのかが楽しみで仕方がなかった。

 季節が冬であるせいか、後ろに乗っている文の体は小刻みに震えている。結構着込んできたのになぁ、と文は心の中で呟いた。

 そんな文に気づいたのか、良夜は少し顔を文の方へと向け、

 

「さみーなら俺にしっかりと抱き着いてろ。それで少しはあったかくなるだろ?」

 

「えぅ? …………あ、ありがとうございます……」

 

 思わぬ気遣いに文は顔を真っ赤に染めるが、寒さには勝てなかったようで、『力いっぱい』良夜の体に抱き着いた。

 

「痛い痛い痛い! 文、折れるって! 背骨が折れる肋骨が折れる内臓が潰れる!」

 

「あややややっ!? ご、ごめんなさい! ――って、うわぁ!」

 

 慌てて両手を離してしまったせいで、文の体勢が致命的なぐらいに傾いた。

 が、そこは射命丸家の配達人の沙羅良夜。片手でハンドルを握ったまま、倒れそうだった文の手を、もう片方の手でつかむ。

 

「大丈夫か? あんまり暴れると、大ケガするって」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 なんか私、らしくないなぁ。文は起き上がって再び良夜の体を抱きしめる。――今度は、ちょうどいいぐらいの力で。

 と、そこで文は一つのことに気が付いた。

 

(良夜の顔、真っ赤になっちゃってる……もしかして、意識しちゃってるんですかねぇ?)

 

 良夜の身長は女性の中では長身の文とそんなに変わらない。

 なので、文は後ろから良夜の顔を覗き込むことができる。まぁ、横顔ぐらいしか見えないのだが。

 頬が少しだけ朱に染まっている良夜に、文の心臓がトクンと脈打つ。

 嬉しい、恥ずかしい、やっぱり嬉しい。何度も何度も感情が交互に入れ替わり、文の体温を上げていく。

 

 この人の体を、いつまでも抱きしめていたい。

 

 この人の温度を、いつまでも感じていたい。

 

 この人の声を、いつまでも聞いていたい。

 

 この人の顔を、いつまでも見続けていたい。

 

 文の脳内をそんな欲求がぐるぐると渦巻き、文の正常な思考を奪っていく。

 

 私は妖怪で、彼は人間。

 

 それは始めから確定している現実で、覆しようのない現実だ。

 妖怪は人間に比べてはるかに長生きで、人間は妖怪に比べてはるかに短命だ。妖怪にとっての一瞬が、人間にとっての数十年だったなんてことは、全然珍しくもない。

 だからこの二人の別れも、文にとっては遠くなく、良夜にとっては遠い未来に待っている。

 

(いつまでもこんな時間が、続けばいいのに……)

 

 じわり、と文の目に涙が浮かぶ。

 やっぱり私らしくないですね、と呟きたくなる。

 だが、それはただの『逃げ』だ。確定している未来から目を逸らしているだけの、ただの現実逃避。

 

(……変なこと考えるのは、もうやめよう。今そんなことを考えても、どうにもならないですし)

 

 そうやっていつも通り自分を抑えた――直後。

 キキーッと、自転車が停止した。

 予想外のタイミングでの急ブレーキのせいで、「わぷっ」と文は良夜の背中に顔をぶつけてしまう。

 

「やっと着いたなーって、何やってんだお前?」

 

「な、なんれもないれふ……」

 

 別に怪我をしたわけではないが、気持ち的にダメージは受けた。天下の鴉天狗が急ブレーキごときで顔をぶつけるだなんて、笑い話にもならない。

 「こっからは歩くぞ。雪が積もっててチャリじゃ進めねーからな」そう文に告げると、良夜は文の手を取って雪の上を進んでいく。ザクザクという雪の音が、趣を感じさせる。

 いきなり連れてこられていきなり手を繋がれて、文は既にオーバーヒート寸前だった。油断したら、気絶する。いやもうホント、百パーセントの自信があった。

 良夜に手を引かれて進むこと体感時間で約三分。文たち二人は崖に辿りついていた。

 広くもないが狭くもない幻想郷の夜景が、余すことなく見ることができていた。妖怪の山にこんな場所があったなんて、と文は生まれて初めて見る絶景に心から感激する。

 そんな文に良夜は苦笑を浮かべ、

 

「この夜景を見せたかったのもあるが、まだ本番は始まっちゃいねーぞ?」

 

「本番? 今から何か、祭りでもあるんですか?」

 

 こくん、と可愛らしく首を傾げる文に思わずドキッとしてしまう良夜だが、すぐにいつもの捻くれたモードへと意識を切り替える。顔が朱いのは、ご愛嬌。

 

「幻想郷のみんなが知ってるような情報を知らねーなんて、新聞記者失格じゃね?」

 

「なぁっ! きょ、今日は一歩も外に出てないからしょうがないでしょう! どうせあなただって、配達の時に聞いただけでしょう!?」

 

「まぁな」

 

「ほら見ろ! だから偉そうにしないでください! 居候の癖に!」

 

「はいはい。ごめんなさいでしたー」

 

 うがー、と目を吊り上げて怒る文にポカポカ叩かれる良夜。これが射命丸家の上下関係というモノだ。

 と、そこで良夜が叩かれながらも左手に着けている腕時計を確認し、

 

「時間だな」

 

 と呟いた。

 良夜が何を待っているのかが全く分からない文はきょとんとしてしまうが――直後、それは突然に起こった。

 

 ひゅるるるる…………バァーン!

 

 家の明かりによって存在を示していた人里の中心部から、花火が打ち上げられたのだ。

 最初の一発を皮切りとして、次々と花火が打ち上げられていく。

 夜空に花が咲く度に、幻想郷が照らされる。

 しかし、それだけじゃない。

 

「雪が積もってて良かったな。まさに銀世界って感じ」

 

「……綺麗」

 

 雪に覆われた幻想郷が花火に照らされ、光り輝いていた。

 それは文が今まで見てきたどんな夜景よりも綺麗で、どんな花火よりも美しかった。数えきれないぐらいの年月を生きてきた文だが、こんな感動は初めてだった。

 言葉を失ってしまうほどに感動的な光景に魅入られていると、良夜が不意に恥ずかしそうに文に告げる。

 

「お前がクリスマスを楽しみにしてたのは前々から知ってたからさ、霧雨とか博麗とかレミリア様とかに頼んだんだわ。俺、弾幕使えねーからさ。だからあの花火を打ち上げてるのは、お祭り好きなバカどもだ」

 

「わざわざ……私の、為に?」

 

 そんな素振り、全然見せなかった。

 良夜の行動に変化には誰よりも早く気付くことができると自負している文だったが、今回は全然気づけなかった。

 策士ですね、と文は呟く。そーだろ? と良夜は返す。

 そしてそのあと何発何十発と花火が上がり、そして止んだ。

 突然の静寂に「え?」と思わず良夜を見る文。良夜はそんな文に「次が最後だ。最高にデカいのを打ち上げるらしいぜ」と笑顔で返す。

 そして良夜はくるり、と体ごと文の方を向き、

 

「――メリークリスマス、文。これが――俺からお前へのクリスマスプレゼントだ」

 

 幻想郷の空を包んでしまうんじゃないかと言うぐらいの大きさの花が夜空に咲き、幻想郷全体を照らす。

 良夜もまた同じように照らされ、「してやったり」という感情が込められた笑みを浮かべていた。

 

 大輪の花が咲く。

 

 私はいつまでも彼と一緒にはいられないけど、今この一瞬を全力で謳歌しよう。

 

 彼の命尽きるまで、私は『マイペースな新聞記者の射命丸文』で居続けよう。

 

 文の目から涙がこぼれる。

 

 しかし、それは悲しみの涙じゃなく、喜びの涙だ。

 

 だから文は――私は、笑顔でこう告げよう。

 

「メリークリスマス、良夜。来年も再来年もその来年も――一緒に過ごしてくださいね?」

 

 

 あなたはサンタって知ってますか?

 

 

 私は、ツンデレで天邪鬼で素直じゃなくて不器用で冷静でクールだけどダウナーなサンタを――――――一人だけ、知っています。

 

 

 



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第三話 似た境遇の銀髪少女

「――ふぅ。やっと人里に到着でーすっと」

 

 春の夜だったら自転車だとさみーなぁ、と呟きながら良夜は自転車に鍵をかける。

 昼だろうが夜だろうが毎日が祭りのように活気づいている人里は、相も変わらずにぎわっていた。そんないつも通りな人里の様子に、良夜は苦笑を浮かべる。

 良夜は妖怪と共に暮らしている特殊な人間だが、人里に住む人間たちはそんなことなど気にしない。銀髪に黒い詰襟と同色のスラックスという嫌でも目立つ格好の良夜が視界に入った瞬間に、彼らは声を張り上げる。

 

「おい配達屋! 今日は鶏肉が安いぞ! なんと一羽がたったの五百円だ!」

 

「鴉天狗の家にそんなもん持ちこんだら殺されるって! 射命丸家は鶏肉禁止で兎肉オーケーな食事事情なんだよ」

 

「そういやそうだったな。それじゃあ、兎を三羽、値段はなんと八百九十八円だ! はちきゅっぱだ!」

 

「おっさんが可愛らしく言っても腹が立つだけだが、その兎買うぜ。だけど、荷物になるから後で買いに来る。それまで他の奴には売らないでくださいよ?」

 

「がっはっは! 毎度ありだ配達屋!」

 

 人里だろうが妖怪の住処だろうが容赦なく入ってきて新聞を配達する良夜には、『配達屋』という二つ名がつけられている。

 凶暴な貧乏巫女の神社だろうが、魔法の森深くにある魔法店だろうが、ガラクタばかりがある道具屋だろうが、吸血鬼が家主の館だろうが、聖人が住む異界だろうが、幽霊が住む冥界だろうが、妖精たちが飛び回る湖の畔だろうが、閻魔大王がよく出没する三途の川付近だろうが、良夜はあくまで普段通りに新聞を配達する。

 だが、最近は新聞配達だけでは暇なので、郵便配達の仕事も始めた。どんな場所にでも絶対に配達してしまう良夜は、今ではすっかり幻想郷一の配達屋となっていた。交通手段は自転車と徒歩なのに、どこでも行けるというのは良夜クオリティだからこそ為せる技か。

 今日の夕飯も兎だな、と声に出さずに呟き、良夜は人里を回る。流石にウサギの肉だけの夕飯と言うのはキツイものがある。野菜や果物が欲しいところだ。

 と、そこで良夜の目に知り合いの姿が映り込んできた。良夜に背中を向けているせいか、まだ彼の存在には気づいていないようだ。

 ここで確認しておくが、良夜は変則的なダウナー野郎だ。

 自分に得になること以外には手を出さないし、自分が損になること以外には全力で巻き込まれに行く。

 そして良夜にとって、知り合いを驚かすという行為は――後者の方だ。

 足音を極力立てないように歩き、距離をどんどん縮めていく。右手にはいつの間にか『文々。新聞』が握られていて、まるでバトンのようだ。

 そして二人の距離が残り十センチと言ったところまで近づいた瞬間。

 

「――咲夜! 『文々。新聞』をよろしくおねがいしまーす!」

 

「わっきゃぁああああああああああああああああ!? ぁ痛っ!」

 

 あまりの驚きで三十センチほど飛び上がってしまった目標物の頭を、新聞で軽く叩く。

 良夜に叩かれたのは、良夜と同じような銀髪が特徴の少女だった。肩までの長さの銀髪とその身に纏うメイド服が特徴の、絶世の美少女だった。

 彼女の名は十六夜咲夜(いざよいさくや)。吸血鬼が住む館『紅魔館』で働いているメイドで、良夜が下の名前で呼ぶ数少ない友人の一人だ。

 咲夜は涙目のまま、ぐるん! と良夜の方を振り返り、

 

「判決、死刑!」

 

「いや突然すぎんだろ!」

 

 ――ナイフを良夜の首に付きつけた。

 一ミリでも動けば頸動脈が斬り裂かれてしまうという絶体絶命な状況に、良夜の背中を嫌な汗が流れ落ちる。手を出す相手を、間違えちまった……ッ!

 ここで殺されるわけにはいかない良夜はゆっくりと両手を上に挙げる。無抵抗を咲夜に伝えて何とか生き延びようという魂胆だ。

 だが、相手は数多の異変を乗り越えてきた最強の戦士。そんな愚かな良夜の考えなど既にお見通しなようで、

 

「ここで私に斬り殺されるのと、紅魔館でお嬢様と妹様に干乾びるまで血を吸われるの、どっちがいい?」

 

「両方バッドエンドじゃねーか! せめてハッピーな選択肢を用意してくれ!」

 

「だったら――三途の川に石を括りつけたままダイブするってのは?」

 

「ただでさえ底なしな川にそんな装備で入水したら、五秒もせずに沈むわ! なんでこの歳で三途の川で入水自殺しなきゃいけねーんだ!? お前は鬼か、悪魔か!」

 

「その鬼か悪魔に手を出したあなたは、殺されても文句は言えないんじゃないかしら……ッ!」

 

「痛い痛い痛い! 鬼気迫る表情でナイフを首に斬り込ませんな! 止めろマジで死ぬ! 人里でメイドに殺されるなんて、笑い話にもならねーぞ!?」

 

「大丈夫。笑う前に殺してあげるから」

 

「結局はバッドエンドかよ!」

 

 真っ青な顔で抵抗を続ける良夜の顔面に本気のパンチをめり込ませ、咲夜は首に突きつけていたナイフをメイド服のポケットにしまう。こういうところが彼女の長所なのだが、良夜的には「ただのドSだろ!」と叫びたいぐらいの短所だと思っている。

 解放された直後に首に手を当てる良夜だったが、流血はしていないことに気づくとほっと胸を撫で下ろした。首から血が出るなんて、まさにホラーだと思う。

 咲夜は小さく溜め息を吐き、

 

「で、一体何の用? 私はこれから紅魔館に戻って夕食の準備をしなければならないのだけど」

 

「奇遇だな。俺も今から家に戻って夕食を作らなきゃいけねーんだ」

 

「…………居候って、忙しいなのね」

 

「…………メイドだって忙しいみてーだな」

 

『………………はぁぁぁ』

 

 類は友を呼ぶ、とはよく言ったもので、髪の色も日常の忙しさも似通っている二人の男女はお互いの顔を悲しそうな顔で見つめ、お互いの肩をポンポンと叩きあいながら溜め息を吐く。

 吸血鬼に逆らえないメイドと鴉天狗に逆らえない居候。

 命の危険はない安全な場所で暮らしている良夜と咲夜だが、これは夢だと本気で信じたくなるぐらい忙しい生活を送っている。家事をこなすのが大変だということを、この二人は幻想郷の誰よりも分かっているのだ。

 それから咲夜と良夜は、話の内容を近況報告へとシフトチェンジさせた。少しでも明るくなりたかったのだろう。……二人の目尻に光るものが浮かんでいるのは、きっと錯覚。

 

「お嬢様と妹様の喧嘩がもう激しくて激しくて……美鈴と私の二人がかりでも止められなかったから、パチュリー様にお願いして眠らせてもらったのよ。本当、鍛えてないのに体が日に日に引き締まっていくのは気のせいじゃないみたい」

 

「太ってるよりマシだからいいんじゃねーの? まぁ、俺も毎日の新聞配達で体は鍛えられてるみてーだけどな。あ、新聞どう?」

 

「貰っておくわ。私やお嬢様は興味ないけど、他の三人はこの新聞を楽しみにしているみたいだしね。――まぁ、妹様は新聞じゃなくて配達人のあなたを楽しみにしているようだけど」

 

「はぁ? フランが俺が来るのを楽しみにしてる? いや確かにフランは俺にとっての妹のよーな存在だけどさー、そんな楽しみに待たれるほど仲良かったか、俺とフラン? あ、一日分は五百円だから」

 

「知らないわよ。妹様の考えは、お嬢様とパチュリー様しか分からないんだから。千円しかないから、おつり貰える?」

 

「明日の分も一緒にってことじゃダメか?」

 

「刺し殺すわよ」

 

「おつりの五百円でーす」

 

 笑顔で構えられるナイフほど怖いもんはねーよな、と良夜は自分の鼻先にナイフを突きつけている咲夜に冷や汗を流しながらおつりを渡す。今日だけで絶対に寿命が二年は縮んだ。良夜は咲夜にばれないように溜め息を吐く。

 と、そこで咲夜が自分の首から下げている金色の懐中時計に目をやった直後、「あら、もうこんな時間?」と大して驚いていないような声色で言った。

 

「因みに聞くが、今って何時だ?」

 

「九時二十五分よ。かんっぜんにぶっちぎりに夕食の時間すぎちゃってるわね」

 

「九時二十五分!? やっべー文に殺される! 咲夜、時間止めて俺を家まで運んで!」

 

「嫌よ。そんなにあの鴉天狗が怖いなら、今すぐ帰宅すればいいじゃない。どうせあなたのことだから、食材ぐらいはちゃんと買ってるんでしょう?」

 

「後は肉屋で兎肉を受け取るだけだ! んじゃ咲夜、またなー!」

 

 良夜はそう言い残し、ぴゅーっ! と去って行った。どうせ今から妖怪の山に急いで戻ったとしても、十時は軽く越えるだろう。その時に良夜が文にどんな罰を与えられるかと思うと、口が緩むのを我慢できなかった。咲夜は良夜の友人だが、良夜の困る姿を見たい人間の一人でもあるのだ。

 咲夜は良夜が走り去っていった方を見つめ、

 

「…………本当、馬鹿なんだから」

 

 声が空気に溶けて消えるころには、咲夜の姿は既にそこにはなかった。

 

 

 

 

 

『………………良夜』

 

『はい』

 

『なんで夕飯が夜の十一時なんですか? あなたはバカなんですか?』

 

『いやホント、言い訳の使用がありません』

 

『判決を言い渡しますね。――「風流しの刑」に処します』

 

『風流し!? いやいや流石にそれは死ぬって! 絶対に空から俺を落として風に流すって処刑方法だろ!? 名前の割にエグイわ!』

 

『ほらさっさと立ちなさい良夜! 刑を執行しますよ! キビキビ歩け!』

 

『ごめんなさい許してごめんなさい許して! 俺まだ死にたくねーんだ!』

 

『…………死人に口なし』

 

『それどういう意味!? いやっ、ちょっ、待っ――』

 

 



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第四話 監視と盗撮の差は紙一重

「ふふ……ふふふ……」

 

 幻想郷で最も危険だと言われている妖怪の山。

 そしてさらにその山の中腹より少し上に建てられている一軒家。

 さらにさらにその一軒家の二階にある部屋にて、一人の黒髪の少女が小さなテレビの前で静かに静かに笑っていた。

 少女の名は射命丸文。一年ほど前から記憶喪失の銀髪少年と同居を始めた、清く正しい鴉天狗である。

 今現在、文は黄色や赤色の紅葉の模様が特徴的な寝間着姿でテレビの前に腰を下ろしている。周りに和菓子やお茶といった食料が置いてあるあたり、結構ガチな引きこもりスタイルと化している。

 いつもは新聞製作の為に幻想郷中を飛び回って取材に勤しんでいる文だが、今日はちょっと違うのだ。

 

「にとりから貰った小型隠しカメラを良夜の服の襟部分に装着しました。ええ、装着したんですよ! だから今から監視――み、見守るんですよ! 別にやましい気持ちなんてないんだからーッ!」

 

 一体誰に言い訳しているのだ、と見た人全員からツッコミを入れられそうな発言をしつつ、麦茶をグイッと飲む。ちょうどいい冷たさの麦茶がのどを潤し、高ぶっていた心が少し落ち着きを取り戻す。

 いつもは外出ばかりしている文が家にいる理由。

 それは先ほど彼女が言った通り、自分の同居人である沙羅良夜の監視……もとい見守るためだ。

 古き良き日本を再現したような幻想郷に小型隠しカメラなどという発明品は普通なら売っていないはずなのだが、文の友人である河童が発明した試作品らしいので、その常識は通用しない。

 いろいろと引っかかる点はあるが、とにかく今から良夜の一日密着映像が放送されるのだ。誰がどう言おうと、放送されるのだ。

 文はテレビから少し離れ、傍に置いていたリモコンを手に取る。

 

「えーっと、確かこのリモコンでテレビを操作するって話だったけど……あやや、操作方法が分からない……」

 

 まさか始まる前に詰むなんて、と文はさっと顔を青ざめさせる。最新技術は生活の質を向上させるが、使用者がそのレベルに追い付けていなかったら意味がない。

 だが、文は諦めの悪い鴉天狗。ネガティブな気持ちを頭から押しのけ、再びリモコンを弄りだす。

 

「これが再生ボタンで、これが電源ボタン……えーっと、入力切替のボタンは……」

 

「文さま、その青いボタンが入力切替です」

 

「あ、ありがとう椛。――ん? 椛?」

 

「やっぱり文さまだけじゃダメだったみたいだね。来て正解だったみたいだよ、椛」

 

「そうね、にとり。文さまは意外と抜けてるお方だから……」

 

「…………」

 

 口をポカンと開けて絶句する文に構わず、二人は続ける。

 

「あ。文さま、沙羅が人里を出ましたよ。新聞配達に出てから既に二時間は経過しているというのに、まだ人里とは……相変わらずのスロースターターですねぇ」

 

「いやいや椛。人間にしては速い方なんじゃない? 二時間で人里での配達を終えたんだよ? もっと褒めてあげるべき――」

 

「――ってオイ! なんであなた達が私の部屋にいるのよ! えっ? えっ? 私、あなたたちを家に上がらせた覚えないんですけど!?」

 

『鍵が開いてたので』

 

「椛! にとり! あなた達に社会の常識とかモラルとかいう常識はないの!?」

 

『鍵が開いてたので』

 

「理由になってない!」

 

 うがー! と身振り手振りで喚き散らす文に、白い髪と犬耳が特徴の少女――犬走椛(いぬばしりもみじ)と緑色の帽子と青いツインテールが特徴の少女――河城(かわしろ)にとりはニヤリと妖しく笑う。彼女ら二人は白狼天狗と河童のコンビで、文の部下でもあるのだ。

 今の状況が全く掴めなくて頭に大量の疑問符を浮かべる文を見かねたのか、椛は「いいですか、文さま」と人差し指を文の鼻先に突き付ける。上司に指を突きつけるのはどうかと思うが、文が気にしてないので問題ないのだ。

 

「文さまと沙羅が同居を始めて早七か月。いろいろなことがありましたね?」

 

「いろいろなことって……そんなに大したことは起こってない気がするのだけど……」

 

「ふざけるな!」

 

「タメ口!?」

 

 あれ? 椛ってこんなキャラだったっけ? と文は冷や汗を流すが、椛は構わず続ける。

 

「一緒に新聞配達したり一緒に人里でお買い物したり一緒に紅魔館に潜入したり一緒に雪合戦したり一緒に花見したり一緒に日の出を見に行ったり一緒に寝たり一緒に自転車に乗ったり一緒にお風呂入ったり一緒の布団で寝たり……」

 

「もぉ……みぃ、じぃ……ッ!」

 

「椛ストップ! 文さまの顔が凄いことになっちゃってるから! 椛の今後の生活に支障が出るぐらいの顔になっちゃってるから! 文さまも落ち着いて!」

 

 お前なんでそんなことまで知ってるんじゃゴルァ! と椛に掴みかかろうとする文を羽交い絞めにしつつ、にとりは必死に消火作業へと当たる。何でこの二人と私は知り合いなんだろう? と自分の過去を軽く後悔することも忘れない。

 にとりの活躍により怒りが収まった文は「ふぅ」と息を整え、乱れた寝間着からいつもの白いシャツと黒いスカートへと着替え、椛の頭にゲンコツを落とし、再び元の位置へと腰を下ろした。

 

「あ、文さま痛いです……」

 

「あァ!?」

 

「きゃうん! に、二発目はやばいです……そして睨まないでごめんなさい!」

 

 ドスの効いた目で睨みつけてくる文に全力で土下座をする椛。白い犬耳と尻尾が力なくへにゃっとなっているのを見て、にとりは「完全に飼い主と飼い犬の光景だよコレ……」と自分の親友を同情の視線で見下ろしていた。今この瞬間に三人の関係が少し変わってしまったのは、言うまでもない。

 このままだと日が暮れてしまう。そう悟ったにとりはテレビの音量を上げ、二人に改めてテレビの存在に気付かせる。

 

「み、密着映像鑑賞を再開しましょう! というか始めさせてください!」

 

 涙目で土下座する河童の姿に、鴉天狗と白狼天狗は狼狽しつつも謝罪した。

 

 

 

 

 

  ☆☆☆

 

 

 

 

 

『次の配達先は紅魔館か……美鈴の奴、どうせまた寝てるんだろーなぁ』

 

「なんだあの愛人に会いに行くような緩みまくった笑顔は……ッ!」

 

「文さま疑い深すぎだよ!? いつものダウナーな表情じゃん!」

 

「くくく……いけっ、沙羅! 致命的なぐらい寝取られてしまえ! そして文さまに嫌われなさい!」

 

「椛は椛でキャラ崩壊するぐらい悪党キャラになってるし! 今日のこの鑑賞会、心臓に悪すぎるよ!?」

 

 良夜の密着映像鑑賞会が始まってから一時間後。にとりはキャラ崩壊が著しい天狗たちのせいで、日ごろの百倍ぐらいのツッコミを強要されていた。

 原因は良夜の『美少女エンカウント率の異様な高さ』と文の『勘違いスキルの異様な高さ』、そして椛の『良夜への嫉妬感情の異様な濃さ』の三つだと、すでに涙目の河城にとりは確信している。好奇心に負けて参加するんじゃなかった。

 画面に映し出されているのは、良夜の前方に広がる光景だ。隠しカメラが良夜の学ランの襟に装着されているから当たり前なのだが、「後ろは!? 後ろから接近してくる奴はいないの!?」とか「気が抜け過ぎよ沙羅! 文さまは何でこんな奴にホの字なのか……ッ!」とか言う天狗たちは果たしてそのことをまだ覚えているのか、甚だ疑問である。

 そしてさらに三十分ほど天狗たちのオーバーなリアクションが続いた後、画面に古びた洋館が映し出された。そう、紅魔館である。

 

「やっと紅魔館だ……ホント、頼むよ沙羅っち……」

 

 これ以上私にツッコミをさせないでくれ、と付け加え、にとりはぐいっと麦茶を飲む。

 画面を食い入るように見つめる二人の天狗とやや顔がやつれてきている河童が見守る(?)中、良夜は紅魔館へと近づいて行く。

 

『あ、配達屋さんじゃないですか。こんにちはー』

 

『よーっす美鈴(メイリン)。今日は珍しく居眠りしてねーんだな』

 

『それを言わないでください~……本当、そのことで咲夜さんに何回何度何時間説教されたか……』

 

『まぁ、基本的に幻想郷は天気が安定してるからなー。眠気に負けちまっても、仕方ねーだろ。美鈴は頑張ってると俺は思うから、落ち込まなくていーと思うぜ?』

 

『配達屋さん……って、なに頭撫でてるんですかぁ! ちょっ、ひゃわっ!』

 

『あ、スマン。なんか髪質良さそうだったから、触ってみたくてさ。後悔はしてませんし反省もしてません』

 

『も、もう………………別に、触りたいなら言ってもらえれば……』

 

『え? もうちょっと大きな声で言ってくれよ』

 

『にゃ、にゃんでもないです!』

 

「はいフラグ立ちましたぁーっ! 沙羅が美鈴さんにフラグ建築しちゃいましたやったぁ―ッ!」

 

「あ、あんな笑顔で頭を撫でてる……良夜ぶっ飛ばす!」

 

「ダメだコイツら。早く何とかしないと……」

 

 私の身が持たないんですけど、とにとりは自分の左右で一喜一憂している友人と上司の様子を横目で眺め、溜め息を零す。

 そして画面が紅魔館の敷地内へと移り変わる。どうやら美鈴が良夜を中へと招き入れたようだ。瞬間的ににとりの左右が騒がしくなったのは、もう報告するまでもないだろう。

 そしてさらに五分後。良夜は美鈴に大広間へと案内される。

 

『お嬢様と咲夜さんと妹様を呼んできますので、ここでしばしお待ちください』

 

『別に新聞もってきただけだから出迎えなくていいのに……』

 

『遠慮しないでくださいよ~。お願いだから、勝手に出てったりしないでくださいね? 私が殺されちゃいますから』

 

『ンな馬鹿な』

 

『冗談で済めば私もここまで心配性にはなりませんよぅ』

 

 そう言い残し、美鈴が大広間から出ていった。一人残された良夜は出された紅茶を黙って飲みながら美鈴が戻ってくるのを待つ。

 良い調子だ、とにとりは思った。このまま普通にお茶して普通に配達に戻れば、ツッコミの量も減るだろう。にとりは二人にばれないように、小さくガッツポーズをする。

 

 ――が、異常事態は突然訪れた。

 

『屋敷の中だからかな。学ラン着てると暑ぃーな……』

 

「ええぇっ!?」「うそでしょう!?」「ちょっと沙羅っち!」

 

 椛、文、にとりの順で悲鳴のような声が上がる。

 理由は簡単。暑さに負けた良夜が上着を脱いだのだ。なにもおかしいところはない、普通の行動だ。

 だが、問題は小型隠しカメラが上着の襟に装着されているということ。上着を脱ぐことそれすなわち、カメラは永遠に暗闇を撮り続けてしまうということだ。

 画面が闇に包まれる。良夜が紅茶を飲む音だけが画面から聞こえ、三人の少女はただただ沈黙してしまっていた。

 と、なにを思ったのか、文と椛が突然その場に立ち上がった。嫌な予感がにとりの頭をよぎる。

 そして、

 

「……ちょっと取材に行ってきます」

 

「……今から訓練があるから」

 

「いいかげんにしろぉぉおおおおおおおおおおおおおーッ! もうココまで来たら監視するの諦めればいいじゃないかぁ! というかもうやめようよ二人とも! これ以上はプライバシーの侵害だよ!」

 

『ぅぐ……』

 

 ブチ切れたにとりにガミガミと一時間ほど説教され、文と椛は渋々監視の中止を受け入れた。

 

 




 次回は撮影中止後の良夜の続きです。


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第五話 紅魔館から出られない

 前回の続きです。

 お楽しみください。




「………………今日の分の配達、間に合う気がしねー」

 

 そう呟きを漏らした良夜は用意された紅茶でのどを潤し、再びぐでーっとソファの上でだらけモードに入る。

 美鈴が主人を始めとした紅魔館メンバーを呼びに行ってから三分ほどが経っているが、一向に帰ってくる様子はない。レミリア様にお仕置きでもされてんのかねー。紅魔館の主人にお仕置きをされる美鈴の姿を思い浮かべ、良夜は「くくくっ」と小さく笑う。

 今の時刻は午前十一時半。文には六時までに戻ると告げているが、良夜はもっと早めに帰宅するつもりでいる。あまり遅い時間に帰ると、文の機嫌が悪くなってしまうことを身を持って知っているからだ。とりあえず、三日は寝させてもらえない。

 

「今日中に博麗神社と香霖堂と永遠亭に行かなきゃなんねーんだけど、無理そうだなー」

 

 いやそれ普通でも間に合わねーよ、と誰かツッコミを入れて欲しい。特に永遠亭は迷いの竹林と呼ばれる最強の迷路の奥にひっそりと建っているので、一日二十四時間をフルに使ったとしても辿りつけないこともある。しかも香霖堂は魔法の森の奥、博麗神社は長い階段の上だ。空が飛べれば何の問題も無いのだが、良夜の移動経路は地上のみ。普通の人間が空を飛べるわけないのだから。

 ま、いっか。どーせ新情報なんか載ってねーしなー。簡単に予定を諦める辺り、良夜の面倒くさがり屋が顕著に表れている。それでいいのか配達屋。

 と。

 

「良夜お兄ちゃーん!」

 

「ごぎゅぶるがぁあ!」

 

 聞き覚えのある声が耳に届いた直後、良夜の腹に言葉では言い表せないほどの激痛が走った。

 普通ならば床でのた打ち回っても回復しないような痛みなのだが、その激痛を与えた張本人が抱き着く形で良夜を拘束しているため、身動き一つできないのだ。それなりに鍛えている良夜が簡単に引きはがせないほどの力を持つ存在が、良夜の体の自由を奪っている。

 良夜の銀髪とは対極に位置するような神々しい金髪をサイドテールにまとめていて、無邪気な笑顔で良夜を真っ直ぐと見つめる幼――少女。背中には宝石がちりばめられた翼が生えていて、この少女が人間でないことを顕著に表している。

 彼女の名はフランドール=スカーレット。この紅魔館の主であるレミリア=スカーレットの実妹で、姉と同様に吸血鬼でもある少女だ。

 いつも被ってる帽子はどーしたんだろう? と良夜は不思議に思うが、ああ室内だからか、と納得する。

 目じりに涙を浮かべて顔を真っ青に染める良夜に気づかないフランは頭をグリグリと良夜の腹に押し付ける。

 

「が、ァ……ッ!」

 

「三日ぶりだね良夜お兄ちゃん! またフランの為に遊びに来てくれたの?」

 

「ご、ふっ……」

 

 油汗をびっしりと顔に張り付けながらもこくこくこくっ! と激しく首を縦に振る良夜。純粋な少女の笑顔を守るためには、どんな激しい痛みでも耐えなければならないのだ。例え朝食どころか内臓を吐きだしそうになるぐらい強烈な痛みでも、だ。

 良夜の答えにフランは「わぁーっい! 今日は何して遊ぼうかなー」と嬉しそうに言うと、そのまま良夜の足の上に腰を下ろす。紅魔館に良夜が来ると毎度の様にフランが良夜の足の上に座る、というのが良夜in紅魔館の光景なのだ。……ロリコンだとか言ってはいけない。

 真っ青な顔の良夜と嬉しそうなフラン、というホラー映画のようなワンシーンが完成したところで、再び扉が開いて三人の少女が入室してきた。

 一人目は、中国風な服と長い炎髪が特徴の門番――紅美鈴(ホンメイリン)。美鈴は真っ青な良夜を見るなり「お、お薬を持ってきます!」と再び部屋から出て行ってしまった。その前に助けろよ、と良夜は心の中で呟く。

 

「妹様。良夜が動きにくそうですので、こちらの椅子に座ったらどうですか?」

 

「いーやー! 良夜の膝は私の特等席なの!」

 

「そうでございますか。……良夜、ファイト」

 

「お、おう……」

 

 二人目は、かつて人里で良夜から新聞を買ったり良夜を刺し殺そうとした銀髪メイドの十六夜咲夜。咲夜は苦しそうな良夜を見かねてフランを移動させようとするが呆気なく失敗し、良夜だけに聞こえるぐらいの音量の呟きでエールを送る。咲夜と良夜は似た境遇や似た容姿のせいか、かなり仲がいいのだ。アイコンタクト会話ぐらいなら、余裕でこなすぐらいに。

 そして三人目は、ふわっとした帽子の下から見える青と紫の中間ぐらいの色の髪が特徴の少女だ。背中からは悪魔のような翼が生えていて、彼女も人間ではないことを表している。

 そう。彼女こそがフランドール=スカーレットの実姉で紅魔館の主であるレミリア=スカーレットだ。顔に幼さがあるが、これでも八百年以上生きている吸血鬼なのだ。成長速度が年に追い付いてねーなー、と良夜はレミリアを見るたびに思っているというのはココだけの話。

 レミリアは良夜を見るなりフフン、と鼻を鳴らし、

 

「よく来たわね良夜。記憶探しは順調なの?」

 

「いやいや、全然ダメなんスよねー。レミリア様、記憶ってどうしたら戻るんですか? パチュリーとか知ってそうだけど、全然図書館から出てこねーみたいですし……」

 

「パチェは体が弱いから。図書館が家みたいなもんだからねぇ。貴方が図書館に行けば会えるんじゃないかしら?」

 

「そんな時間があったら配達に行くッスよ」

 

 「ま、気長に探しますけどねー」と良夜はさほど気にしていないように笑う。

 良夜にとって、失った記憶というものはさほど重要ではない。記憶を無くした状態でこの幻想郷にいたのだから、それより前の記憶など思い出しても意味がない。それが彼なりの考えで、それが彼が記憶喪失をあまり気にしていない大きな理由でもある。古い記憶を呼び覚ますことで今後の人生が変わってしまうのなら、思い出さない方がましだ。と言うのも彼の考えの一つだ。

 「あら、そう」レミリアは良夜の向かいのソファに腰を下ろす。

 

「咲夜」

 

「紅茶はもう用意しておりますわ」

 

「咲夜が淹れた紅茶は嫌いだっていつも言ってるのに……ワインが良いわ。ワインは素晴らしいもの。紅いし紅いし紅いしね」

 

「好き嫌いは許しません。高貴な吸血鬼である以上、紅茶ぐらいで音を上げてもらっては困ります。それに、ワインは良夜が飲めませんので却下です」

 

「うぅー……」

 

 頬をぷくーっと膨らませて咲夜を睨むレミリアだったが、咲夜は涼しい顔で良夜とレミリアとフランのカップに紅茶を注ぐ。香ばしい香りが部屋に漂い、良夜の鼻孔を刺激する。

 カップを手に取り、紅茶を口に含んでみる。

 

「相変わらず美味いな、咲夜の淹れる紅茶って」

 

「褒めても何も差し上げませんわよ?」

 

「別に何もいらねーよ」

 

 乱暴な良夜の物言いにも一切動じずに、咲夜は空になった良夜のカップに再び紅茶を注ぐ。この冷静さがあるからこそ、咲夜は紅魔館のメイド長を務められるのだ。紅魔館のメイド長が誰にでもできるような仕事じゃないということを、幻想郷の住民たちは知っている。

 と、良夜がレミリアとばかり話していたのが気に入らないのか、フランは「うぅー」と唸ったかと思うと、

 

「私もお兄ちゃんとお話ししたーい!」

 

「わぁーったわぁ-った。だから俺の上で暴れないでくれ頼むから。お前の能力が発動しちまったら、俺が死んじまうんだぜ?」

 

「うんっ、分かった!」

 

「がっふ!」

 

 体全体で頷いてしまったフランの頭が顎に直撃し、良夜の目に再び涙が浮かぶ。

 だが、フランのこの行動は全て悪気が無いので、良夜は怒ろうにも怒れない。俺って子供が生まれたら絶対に甘やかしそーだなー、と良夜はさほど遠く浅そうな未来をどうしても心配してしまう。親バカだけには、絶対にならないよーにしよー。良夜は改めてそう心に誓うのだった。

 機嫌が直ったフランは「ねぇ、お兄ちゃん」と邪気のない瞳で良夜を見上げ、

 

「お兄ちゃんの好きな女のタイプって、どういうのー?」

 

『なぁっ!?』

 

 質問された良夜、レミリアの空のカップにおかわりの紅茶を注いでいた咲夜、そして救急箱を抱えて戻ってきた美鈴の声が重なる。

 純粋な子供ほど怖いものはない、とはよく言ったもので、可愛らしく首をかしげるフランを前に良夜は「あ、え、ちょ」と冷や汗を流しながら狼狽するしかなくなっていた。

 と。

 

「い、妹様! 配達屋さんが困ってますので、違うお話をしませんか!? たっ、たとえばそうっ、最近楽しかったこととか!」

 

 空気が読める子である美鈴が良夜を救い出すべく、話題のシフトチェンジを試みる。決して自分の為ではない、と美鈴は心の中で言い訳を忘れない。

 が、相手は無邪気を地でいく生粋の箱入り娘フラン=スカーレット。そう簡単に手綱を握れるはずもなく、

 

「いやよ。私はお兄ちゃん好みの女性になるの。だから質問は変えてあげなーい」

 

『(この幼女がァ……ッ!)』

 

『(美鈴と咲夜から禍々しいオーラを感じるっ!』

 

 額にビキリと青筋を浮かべる咲夜と美鈴を見て、良夜とレミリアの二人はさっと顔を青ざめさせる。武闘派門番と黒幕系メイド長の笑っていない目がなんとも恐ろしい。どうやったらそんな笑顔が作れるんだ、と良夜とレミリアの二人は脅えながらもただただ紅茶をすする。手が震えているせいで、カップがかちゃかちゃと鳴る。

 と、ここで良夜は残りの配達のことを思いだし、頬をヒクつかせながらも何とか突破口を開こうと頑張ることにした。

 

「じゃ、じゃあ俺は残りの配達があるんでここら辺でお暇させてもら」

 

「お兄ちゃん、まだ話は終わってないよー?」

 

「そうですよ、配達屋さん。本番はココからじゃないですかぁ」

 

「そうよ良夜。遠慮しないで良いから、座りなさい」

 

「(美鈴と咲夜の目が怖いィィーッ!)」

 

 笑顔の圧力という新時代の恐怖を目の当たりにした良夜はだらだらと冷や汗を大量に流しながらも、「あ……はい。それじゃあ遠慮なく……」と静かにソファへと座りなおす。そしてフランが良夜の足の上にぽすんと腰を下ろした。途端に冷たくなる部屋の空気。

 なんだここは。南極か。良夜とレミリアは二人脅えた様子で顔を見合わせ、引き攣った笑顔を浮かべる。

 良夜は恐怖で押し潰されそうになりながらも左手に着けている腕時計を眺める。長い針と短い針が『一時二十三分』を示していて、今のこの状況が体内時計を狂わせていることを良夜にはっきりと伝えていた。

 (スマン文。今日は帰れそーにねー)良夜は小さく溜め息を吐き、心の中で自分の家主へ謝罪する。

 

 紅魔館から出られない。

 

 それは、良夜が言いたくても言えない、悲鳴のようなものだった。

 

 



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第六話 雪走威歓迎飲み会


 予定変更。

 今回は那家乃ふゆいさん作『東方霊恋記』で描かれた雪走威の歓迎会です。

 その話の良夜サイド、と言った感じでお楽しみください。

 まだ『東方霊恋記』を呼んでいない読者様は、先にそちらの『マイペースに宴会開始』から三話ほど読むことをお勧めします。

 では、第六話 雪走威歓迎会 スタート!




 

「『雪走威(ゆばしりたける)歓迎飲み会』ぃー?」

 

「はいっ! 楽しみですよね取材のチャンスですよねなので行きましょう!」

 

「早口で喋んな聞き取り辛ぇー……」

 

 夏。

 この間までの涼しさはどこへやら、といった風に太陽が幻想郷中を照りつける夏。

 体中から汗を流しながら記憶喪失の銀髪少年こと沙羅良夜はカッターシャツの第一ボタンを開け放ち、更に裾をだらしなくスラックスから出して卓袱台の上に体を投げ出していた。

 現在の気温は二十四度。

 この間までは十五度ぐらいだったじゃねーかクソッたれ、と良夜は開け放った窓から差し込む容赦のない太陽光線に焼かれながら怨嗟のような呟きを力なく漏らす。良夜は暑さと寒さに弱い、生粋のダメ人間なのだ。

 そんな生ける屍と化した良夜とは対照的にとても元気な鴉天狗こと射命丸文は半袖のシャツから延びる健康的な腕を上へと突き出し、

 

「よって我が射命丸家も参加しようと思っています!」

 

「あ、そー……いってらっしゃいませぇー」

 

「何言ってんですか。あなたも行くんですよ、良夜」

 

「………………マジ?」

 

「大マジです」

 

 我が射命丸家って言ったじゃないですか、と文は付け加える。良夜的には「なんでコイツこんなに元気なの? 暑さとか感じねー体質なの?」と声を大にして叫びたいぐらいだるいのだが、文がそんなことを言っても気にするような少女じゃないことを良夜はこの一年で悟っている。

 暑いから動きたくない。

 そんなネガティブ思考が良夜の頭の中で忙しなく動き回り、良夜の活力を奪っていく。さらに太陽からの攻撃までもが重なってしまっているのだから、良夜が動きたくない理由も頷ける。

 良夜は汗まみれで普段の百倍ぐらいダウナーになってしまった目で文を見上げ、

 

「地獄の八咫烏をぶっ殺したら、この暑さも和らぐのかねー……」

 

「いや、流石にお空さんは関係ないでしょう。って、そんなことはいいから準備してくださいよう。あと一時間ほどで始まっちゃいますよ? 歓迎会」

 

「だからお前一人で行ってきていいって……俺は今日一日家具となって過ごすからよー」

 

「はいはい、面白いですねー。というか、なんかもうシャツとかズボンとか着終わってるみたいなんで無理やり連れて行きますからね? はい、フライアウェイ!」

 

「どーせ家主の命令だとか言うんだろーが……」

 

 なにを言っても無駄だろーし、と良夜は渋々と言った風に家の外へと歩いていく。やっぱりツンデレですねー、と文はやれやれと言った感じで首を振る。

 そして文は良夜に背中から抱き着き、――勢いよく飛翔した。

 自分よりも体重が重い良夜を抱えていてもふらつくことも無く空を飛ぶ文。意外と力あるんだよなコイツ、と良夜は空気抵抗のせいで発生する風に耐えながら小さく呟く。

 文の飛行速度が速いせいか妖怪の山は数秒と経たないうちに小さくなり、目的地である博麗神社が凄まじい勢いで近づいてくる。

 ――っつーか。

 

「流石に速すぎるわ! ばっ、文っ! これ以上は体に深刻なダメージが出ちまうって!」

 

 今更だが、良夜はなんの変哲もない普通の人間だ。戦闘能力も皆無で身体もそこまで頑丈ではない。

 なので、鴉天狗の飛行速度に体が耐えられるはずもないのだ。

 だが、当の文は不思議そうな表情で良夜をキョトンと見つめ、

 

「なんか言いましたか? 風がうるさくて全然聞こえないんですけど」

 

「――――ッ!」

 

 向こうに着いたらとりあえずぶん殴ってやろう。

 これから自分を襲うことになる激痛に耐えるべく、涙目の良夜は必死に体に力を込める。

 

 

 

 

 

  ☆☆☆

 

 

 

 

 

『……ずいぶんな紹介だな。そんなに酷い扱いか? 俺。どうも、雪走です。可愛い娘と綺麗な女性はお友達になりましょう! モットーは『何事もマイペース』ですんで、そこんとこよろしくぅ!』

 

「…………なんだあの欲望のカタマリみてーな自己紹介は……」

 

 博麗神社に到着後、とりあえず文に本気のゲンコツを落とした良夜は現在、神社の鳥居の下に腰を下ろしている。彼のシャツが汗で湿っているのは、きっと文が悪いのだろう。

 良夜はいつの間にか文が持参していた麦茶をぐいっと飲み、今回の宴会の主役でもある少年の方へと視線を向ける。因みに、良夜は酒が飲めない。何度も文にトライさせられているのだが、嫌いなものは嫌いなのだから仕方がない。

 視線の先では自己紹介を終えた少年(確か、雪走とか言ったか)が特徴的な帽子をかぶった長髪の美女に酒を飲まされている光景が拡がっていた。

 上白沢先生、相変わらず飲んでんなー。良夜はぼーっと二人の様子を眺め、麦茶を喉へと流し込んだ。

 と。

 

「文さまの命令とはいえ、何故私が沙羅と一緒に飲まなくちゃいけないのよ……」

 

「登場して早々凄ぇ言い草だな、犬走。嫌なら河城のトコにでも行って来いよ」

 

「文さまの命令は私にとっての存在理由なの。それに違反するだなんてとんでもない」

 

「あ、そー」

 

 文の部下であり沙羅とは犬猿の仲の白狼天狗こと犬走椛は良夜を憎々しげに見下ろすと、その場に腰を下ろした。彼女の手には一升瓶が握られていて、彼女が今からここで長い時間過ごすことを顕著に表していた。

 椛は一升瓶を地面に置くと、もう片方の手に持っていた皿をその隣に置く。

 皿の上には川魚の刺身が所狭しと並べられていて、良夜は思わずゴクリ、と唾を飲み込んでいた。

 そんな良夜に気づいた椛はニィィと妖しげに笑い、

 

「なに、欲しいの? 私がわざわざ持ってきてあげたこの鮎のお刺身を食べたいの? 言っておくけど、これは私が文さまから貰った大事なお刺身なんだからね! あげないわよっ!?」

 

「かっわいくねーなぁテメェ! こんなにあるんだから一切れぐれー分けてくれてもいーんじゃねーの!?」

 

「欲しかったら土下座か靴舐めか文さまと別居のどれかを選びなさい」

 

「代償がもはやイジメ以外の何物でもねーじゃんか!」

 

 やっぱりコイツとは相容れねー! 良夜は嬉しそうに尻尾を振っている椛にドン引きしつつ、これまた文が持参していた兎肉をパクリと頬張る。あのカラス、四次元ポケットでも持ってんのか? 記憶喪失なのか記憶喪失じゃないのかギリギリな一言を心の中だけで呟く。

 と、そこで良夜は目の前の椛の目が自分が食べている兎肉に釘付けになっていることに気づいた。少し顔をずらして尻尾を見てみると、「それ以上振ったら千切れ飛ぶんじゃね?」級の大惨事と化していた。

 犬の尻尾は本人の感情を代弁する。つまり、椛は良夜が持っている兎肉を食べたいということだ。

 普通ならばここで「ほらよ、食いたいんだろ?」と渡すところだろう。そして椛の好感度が上がってフラグ建築、というのが普通だろう。……いや、普通ではないが。

 だが、彼は椛と犬猿の仲である沙羅良夜。犬猿の犬の方が椛なら、良夜はずるがしこい猿の方。

 なので良夜は相変わらずのダウナーな目つきで自身が持つ兎肉へと視線を落とし、

 

「いただきまーす」

 

 ――凄まじい勢いで食べ始めた。

 ガツガツムシャムシャーッ! と兎肉を貪る良夜を見て三秒ほど硬直していた椛だったがすぐに意識を覚醒させ、良夜の暴挙を止めるべく動き出す。

 

「ちょっ、流石にそれはないんじゃない!? 私にも食べさせてよ兎肉!」

 

「――っぷ。スマン、もう食い終わっちまった」

 

「いや流石に速すぎるでしょ! こんもりと積み重なっていた兎肉の山を数秒で食べきるって、お前本当に人間か!」

 

「だってお前が刺身食わせてくれねーから。恨むなら最初の自分の行動を恨めってんだ」

 

「ぐ……反論、できない……ッ!」

 

 悔しそうに顔を歪める椛に、良夜は「もはや芸術だよね」級のドヤ顔を見せつける。見る人十人に問えば十人全員が「殴りたい……ッ!」と拳を握りしめそうなほどの完璧なドヤ顔に、椛は青筋を額にビキリと浮かび上がらせた。やはりこの二人、仲がよろしくないようだ。

 「…………」なにを思ったのか無表情のまま椛は背後をガサゴソと漁り、

 

「れっつ、ぱーりぃ……ッ!」

 

 ――巨大な剣を取り出した。

 

「どっから取り出したんだよソレとか無力な人間にソレ向けんのかよとかツッコみどころは多種多様だが、とりあえず落ちつこーぜ犬走さん! 幻想郷に必要なのは暴力じゃなくて話し合いだと俺は思う!」

 

「大丈夫よ、沙羅。痛みは一瞬だって妹紅さんが言ってたから」

 

「あんな不老不死と一緒にすんな! 俺はノーマル! いたって普通の人間なんだってーの! 斬られたら当たり前だが死ぬんじゃボケェ!」

 

「大丈夫! 斬られてもきっと元に戻るから!」

 

「戻るかぁ! なに言ってんだお前! 不思議超常現象が服着て歩いてるよーなお前ら妖怪と一緒にすんな! 俺は斬られたらそのまま死んじまうんだって! だからその剣をしまえ! そして座れ! 兎肉の余りはまだあるから!」

 

「分かればいいのよ分かれば」

 

 やったぜ作戦成功~♪といった具合にほくほく顔の椛は剣を背後に置き、餌を待つ犬のように良夜に物欲しそうな顔を向ける。尻尾はもちろん、激しく踊り狂っていた。狂喜乱舞とはこれいかに。

 なんとか命の危機を脱した良夜は絶対に暑さのせいではないであろう冷や汗をびっしりと背中に浮かび上がらせつつも、あまりの兎肉を皿に載せて椛へと渡す。

 

「わー、ぱちぱちぱちー☆」

 

「…………なんだこの正直メンドくせー生き物は」

 

 妖怪もしくは白狼天狗です。

 さっきとは打って変わって笑顔で兎肉を頬張る椛をやる気のない眼で眺め、

 

「…………今日も幻想郷は平和だなー」

 

 ため息交じりに呟いた。

 

 



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第七話 配達屋の朝は早い


 新年一発目!

 今回も『東方霊恋記』との連動話です。

 『東方霊恋記』の「マイペースに射命丸家」を読み終わってからこちらを読んでいただくと、更に楽しんでもらえると思います。

 それでは、どーぞ!



 

 鴉天狗である射命丸文の家の居候こと沙羅良夜の朝は早い。

 ベッドの枕元に設置してある十個の目覚まし時計によって起床した良夜は欠伸をしながら部屋を出る。

 時刻は五時三十分。ウソみたいに平和な幻想郷で、こんな時間から活動しているのは良夜ぐらいのものだろう。あえて挙げるとするなら、紅魔館のメイド長ぐらいのものか。

 寝ぼけ眼の良夜が向かった先は洗面所。気を抜けば崩れ落ちてしまう意識に冷水によって喝を入れ、跳ねまくった寝癖頭もついでに元に戻す。鮮やかな銀髪に付着した水滴が光を反射し、キラキラと輝きを放つ。

 そして再び部屋へと戻り、普段着である白のカッターシャツと黒のスラックスに着替えを始める。寝間着として与えられた浴衣がパサリと、床へ落下した。

 着替え終わった良夜は同居人を起こさないように静かに家から出て、傍に停めている自転車の鍵を開ける。

 

「文の奴、本当にいつこの新聞作ってんだろーなぁ……ふぁぁ」

 

 何故か自転車の籠に入れてある新聞の束を欠伸交じりに見る。意外と真面目なんだよなアイツ、と家主への褒め言葉を呟いた良夜は、なんともだるそうに自転車に跨った。

 整備が行き届いたペダルに足をかけ、誇り一つないハンドルに手を置く。

 最後に自分が出てきた一軒家へと視線を向け、就寝中の家主を起こさないように小さな声で呟いた。

 

「…………いってきまーす」

 

 居候こと配達屋の沙羅良夜の朝は早い。

 

 

 

 

 

  ☆☆☆

 

 

 

 

 

 目的地である紅魔館へと到着した良夜を出迎えたのは、門に寄りかかって爆睡している灼髪ロングの中華少女――紅美鈴だった。

 

「………………」

 

 無言で美鈴を見下ろす良夜は横目で左手の腕時計で時間を確認する。

 六時三十分。

 ここまで一時間で来れるよーになったのって進歩かねー? と首を傾げる良夜。今までは二時間ほどかけて紅魔館にやって来ていたので結構進歩しているのだが、良夜にはピンとこないらしい。

 自転車を美鈴の傍に停め、籠から新聞を一束取り出す。防水の為にビニール袋に入れられていた新聞は、濡れることも無く元々の紙の質を保っている。

 再び美鈴へと視線を向ける。普段から真面目なのか不真面目なのかよく分からない門番は、幸せそうな寝顔を浮かべていた。涎を垂らして鼻提灯まで膨らませているところが笑いを誘う。

 

「あぅぅ……も、申し訳ございません、お嬢様……流石にカエルは食べれませんむにゃむにゃ……」

 

「夢の中の光景が鮮明に想像できるのはどーしてだろーか」

 

 現実でも夢でもひどい目に遭ってんなー、と良夜は同情を胸に嘆息する。

 だが、いつまでもこうしているわけにはいかない。良夜の仕事は新聞を目的地まで配達する事であり、絶賛爆睡中なドジッ娘門番を観察する事では断じてないのだ。まぁ、今日の配達は紅魔館だけなのだが。

 さてコイツの頭に載せてから帰宅しますかねー。良夜は美鈴の頭に載っている緑色の帽子の上に新聞を置き、バランス調節に入る。こっくんこっくんと舟を漕いでいる美鈴の頭に物を載せるという行為は、容易ではないのだ。

 と。

 

「朝早くから何をしているのかしら、このバカは……」

 

「あ、咲夜。はよ-っす」

 

 いつのまにか門の向こう側にいた咲夜がため息交じりに呟き、良夜が軽い調子であいさつをする。

 

「おはよう良夜。で、貴方は一体何をしているのかしら?」

 

「人は果たして眠りながらでもバランスをとれるのか?」

 

「なんで疑問形……」

 

 相変わらず意味が分からないですわ、と咲夜はやれやれと言った具合に首を横に振る。

 と、そこで良夜は咲夜が大きめなバスケットを持っていることに気づいた。今まで自分を出迎えに来たことはあっても何かを持ってきたことはない咲夜を知っている良夜は、不思議そうに彼女が持つバスケットに視線を集中させる。

 咲夜は門の隙間から手を伸ばして美鈴の頭上の新聞を取り、

 

「配達御苦労さま。ということで、これどうぞ」

 

「いやいやいやいや意味分かんない。ナニコレどんな風の吹き回し? 明日はチルノが吹き荒れるでしょうってか?」

 

「違うわよ。いつもわざわざ紅魔館まで新聞を届けに来てくれている貴方に、感謝の意を込めてプレゼントよ。いいから黙って受け取りなさいな」

 

 門を少し開けてバスケットを差し出す咲夜の威圧感にビクつきながらも、良夜は彼女の手からバスケットを受け取った。途端に香ばしい匂いが彼の鼻孔を刺激した。

 「えーっと、確かこの匂いは……」過去にこの匂いを嗅いだ覚えがある良夜はバスケットに被せられていたピンクの布を少し摘み上げ、中を確認する。

 

「パン……? しかも豪華詰め合わせセット……」

 

「因みに焼きたてだから。お調子者の新聞記者にでも食べさせてあげなさい。味の感想は明日の朝にでも伝えてくれればいいから」

 

「そーゆーとこ、お前の完璧主義っぷりが露呈してるよな」

 

「串刺しにして欲しいのかしら?」

 

「全力でごめんなさい」

 

 目にも止まらぬ速さで腰を九十度に折って首を垂れる良夜。メイド長がドン引きするぐらいに見事なお辞儀は、もはや芸術と言ってもいいぐらいに輝いていた。これが大会なら、満点は間違いないだろう。

 

「じゃあ、ありがたく貰っていくよ。サンキューな、咲夜」

 

「お礼なんて別にいいから、早く帰ったほうが良いんじゃない? もう七時回ってるわよ?」

 

「マジで!? うわマジでヤベェじゃあな咲夜ぁーっ!」

 

「…………本当、騒がしい人」

 

 顔を蒼白に染めてぴゅーっ! と妖怪の山の咆哮に消えていく良夜を見送り、咲夜は呆れる。

 そして良夜の絶叫を受けても起きない美鈴の襟首を掴んで屋敷の方へと歩いていく。この門番には本気のお仕置きをしてやろう。二度と居眠りができなくなるような、地獄のようなお仕置きを。

 と、屋敷の目の前で咲夜はぴたりと足を止め、門の方を顔だけ振り返った。

 

「…………美味しかったって感想、言ってくれるかな」

 

「あ、やっぱり咲夜さんってツンデレですね」

 

「め、めめめめめめめめめめ美鈴!?」

 

「ちょっやばいですってナイフ降ろし―――ぎゃぁああああああああああああああ!」

 

 いつの間にか起きていた門番を九割殺しにしてしまうぐらい、彼女は恥ずかしさでいっぱいだった。

 

 

 

 

 

  ☆☆☆

 

 

 

 

 

「今日はパンじゃなくてお茶漬けが良いって言ったじゃないですかぁーっ!」

 

「言われた覚えがねーし知らねーよ!」

 

 朝食の準備を終えて一息ついてたら、家主に理不尽な文句を言われた。

 体の限界を超えてなんとか七時半までに家に帰りついた良夜は、目の前で憤慨している家主こと射命丸文に向かって小さく溜め息を吐いた。パンとか茶漬けとか、話をした覚えもねーし。

 良夜はバン! と卓袱台に手をついて立ち上がり、パジャマ姿で仁王立ちしてる文に反論する。

 

「そんな話、初耳すぎて心当たりがなさすぎるわ! っつーかつべこべ言わずに黙って食え! 残しやがったら豊穣の神に突き出すからな!?」

 

「残念でしたぁ! 今は夏だから穣子さんはお休み中でーす!」

 

「揚げ足取りがうぜぇええええええええええええええええええ!」

 

 フフン、と鼻を鳴らして得意げな文に、良夜のストレスゲージが順調に溜まっていく。あと一つアクションが起きれば、爆発は避けられない。

 額に数えきれないぐらいの青筋を浮かべまくっている良夜に気づいていない文は渾身のドヤ顔を浮かべ、

 

「というか、朝はお茶漬けって幻想郷――いえ、世界の常識じゃないですかぁ?」

 

 ――――ブチィ! と良夜の大切な理性云々の何かが弾け飛んだ。

 

「いいから黙って食えやこのボケガラスがぁあああああああああああああああああああああ!」

 

「えええぇぇっ!? いやっ、あぶっ、危ないですって良夜! 家の中で暴れないでください!」

 

「うるせー! お前が文句言わなくなるまでこれを口に突っ込み続けてやる!」

 

「なんか表現が卑猥だからやめて! パンって言って下さい! ――――きゃあっ!」

 

「なぁっ!?」

 

 パンを持って迫ってくる良夜から逃げていた文が卓袱台に足を引っ掛け、良夜を巻き込むように転倒してしまった。奇跡的にも、卓袱台の上のパンは無事なようだ。

 

「イテテテ……あ、文、大丈夫――――ッ!?」

 

 起き上がろうとした良夜の顔の数センチ前に、文の顔があった。

 あまりにも予想外の展開に、良夜の口から言葉が消える。

 今の状況を詳しく説明すると、文が床に寝転がってその上から良夜が覆いかぶさっている状況だ。誰かに見られたら、勘違いされても言い訳はできない。

 

『…………』

 

 自分たちが置かれた状況を十二分に理解してしまった二人の顔が、一秒と掛からずに朱に染まる。

 互いの息が顔に当たり、更にお互いの心臓の音までもを感じ取ってしまう。良夜と文の理性という名の壁がぼろぼろと崩れ去っていく。

 

「あ、文……」

 

「りょ、良夜……」

 

 とろんとした表情で見つめあう二人。互いに息は荒く、無意識に手を繋ぎ合っていた。

 徐々に近づいて行く二人の顔。誰か止めてくれと二人は心の中で必死に叫ぶ。今だけは非常に、助けが欲しかった。

 そして良夜と文の唇の距離がゼロにな――――ろうとしたまさにその瞬間、

 

「ちょっとお邪魔するわよ――――――っ」

 

 ノックも無しに扉を開き、紅白の巫女服を着た少女――博麗霊夢(はくれいれいむ)が許可なく家に上がり込んできた。

 完全に不法侵入な霊夢は見た感じ十八禁な香りを漂わせる二人を見て、ぴしりと凍りついてしまっている。件の二人もまた、石像のように硬直してしまっていた。

 部屋の中の空気が完全に凍ってしまっているのを、その場にいる三人は確かに感じ取っていた。本気で助けて欲しいのだが、これ以上の救援は来ることはないだろう。

 そして先に硬直状態から解放された霊夢がいたたまれないように顔を二人から背け、そっと扉を閉めた。

 

『べ……弁解をさせてぇええええええええええええええええええええええええ!』

 

 朝の妖怪の山に、銀髪少年と黒髪少女の叫び声が響き渡った。

 

 



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第八話 本当の家族とは?

「ったく……イチャイチャシーン見せつけてんじゃないわよ」

 

「見せつけてねーよ! 事故だ事故! れっきとしたアクシデント!」

 

「そ、そうですよ霊夢さん! そもそも、私と良夜がそんな関係であるはずがありません!」

 

「お、なぁんだ朝食中なんだ。私もいただくわねゴチになりまぁーっす」

 

『まさかの空気ブレイク!』

 

 さっきまでの氷点下はどこへやら。霊夢はズカズカと卓袱台の傍まで移動し、卓袱台の上にあるパン(今朝、良夜が咲夜に貰ったもの)をもぎゅもぎゅと食べ始めた。

 が、当の二人はそんな霊夢を気にしている場合じゃないらしく、火花を散らしながら互いの言い分を喚きあう。

 

「どうするんですか良夜! 貴方のせいでまたいらぬ誤解が増えてしまいましたよ!?」

 

「俺のせいか!? どちらかっつーと物を投げ始めてかつ俺を引っ張った文が悪ぃーんじゃねーの?」

 

「なっ! 居候の癖に家主に向かってその物言い……表に出なさい馬鹿良夜! 今日こそ主の偉大さと言うものをその身に刻み付けて差し上げますよ!」

 

「弾幕使えねーパンピー捕まえて殺人予告だと!? 冗談抜きで死ぬわ!」

 

「……アンタ達、元気ねぇ」

 

 頬杖をつきながらパンを食べている霊夢は、夫婦漫才を繰り広げている良夜と文を見て呆れたように呟いた。因みに、二つ目のパンだ。

 流石にお腹が空いた二人はアイコンタクトで一時停戦協定を結び、卓袱台の傍に腰を下ろす。もちろん、良夜は霊夢を含めた三人分の紅茶を準備することを忘れない。

 

「あ、このパン意外といけますね」

 

「さっきまで文句言ってたやつのセリフとはとても思えねーんですけど。茶漬けがどうって話はどこ行った?」

 

「はて、何の話でしょうか」

 

 そんな何気ない会話を繰り広げつつ、朝食のパンを消化していく。パンは全部で十二種類あって、三人でも全部食べ終わるには結構な時間がかかってしまう。

 なので文はノルマである四つのパンのうち二つをこっそり良夜の前に移動させる。

 

「いやいや、こっそりどころか丸見えですけど。つべこべ言わずにノルマクリアしやがれ」

 

「あぅー。フランスパンなんて食べきれませんよぉー」

 

「選ぶのが遅かったお前が悪い。――ど、どうした博麗? 元気ねーみてーだけど……」

 

 と、今まで言葉一つ漏らさずに黙々とパンを食べていた霊夢に気づいた良夜が、おどおどとした様子で彼女に尋ねる。普段から明るく元気な霊夢が暗い表情で黙っている姿に、言い表しようもない恐怖心を覚えしまう。――こんな博麗、見たことねーよ。

 良夜につられる形で、文までもが霊夢の顔をまじまじと見つめる。霊夢と付き合いが長い文ですら、こんな霊夢は見たことがないようだ。

 そして霊夢は心配そうな二人に憔悴しきった顔を見せ、

 

「ねぇ二人とも。……本当の家族って、なんなのかな」

 

 予想もしていなかった霊夢の言葉に、二人は言葉を失った。もっと変なことが理由だと思っていたのに、開けてみたらかなり真面目な悩みだった。

 疑問をぶつけてすぐに顔を伏せてしまった霊夢に、二人は顔を見合わせる。やっぱり今日の霊夢はおかしいな、と。

 「本当の家族って、なんなのかな」霊夢が口にした疑問を前に、良夜と文は真剣な面持ちになる。

 霊夢が言う家族とは、最近幻想入りしてきた雪走威が関係しているのだろう。良夜が配達中に聞いた話では、どうやら威は霊界にある白玉楼(はくぎょくろう)で修業を行っているらしい。先日の歓迎会で行われた弾幕ごっこが原因だな、と射命丸家の二人は同じ結論に達した。

 霊夢の質問に早く答えてあげなければならないのだが、気安く答えられるような問題ではない。彼女を納得させることができるぐらいのしっかりとした答えが必要だろう。文は必死に頭を働かせる。

 と。

 

「なー博麗。俺が逆に聞かせてもらうけどさ、お前にとっての家族っていったいなんなんだ?」

 

「…………え?」

 

 予想もしなかった良夜の言葉に、霊夢は思わず彼の顔をまじまじと見つめた。何を言っているんだ、コイツは――と。

 そんな霊夢に構わず、良夜は続ける。

 

「家族がなんなのかなんて、誰にもわからねーと俺は思うぜ? 説明できないから、家族なんだと俺は思う」

 

「言ってる意味が、分からないんだけど」

 

「だからさー。俺は思う訳ですよ」

 

 良夜はガシガシと銀髪頭を掻き、霊夢の目を真っ直ぐと見つめて言い放つ。

 

「――どんな時でも自分の傍で支えてくれるのが、家族ってもんなんじゃねーの?」

 

「――――ッ」

 

「良夜……」

 

 ハッと驚いたように霊夢は良夜を見つめ、文はそれ以上に驚いた表情で彼の名を呟いた。二人の少女は一人の少年の言葉の意味を噛み締めるように、心の中でその言葉をもう一度反芻させた。

 良夜としては、「本当の家族とは何か」という質問をぶつけている時点で答えはほとんど見えている、と考えている。いつもは威に突っぱねるような態度をとっている霊夢だからこそ、そんなことに必死に頭を悩ませてしまっているのだから。

 良夜は続ける。

 

「素直じゃねーお前だって、もう気づいてるハズだろ? 大事なのは雪走がお前にとってどんな存在かじゃない。――お前が雪走のことをどう思ってるかなんじゃねーのか?」

 

「私が、どう思ってるのか……」

 

「その天邪鬼な心ともう一度よく話し合いしてみたらどーだ? 話し合って話し合って話し合って話し合って――お前自身が納得できる答えを見つければいーじゃんか。他人の答えなんて、普通は納得できねーもんなんだよ」

 

「私自身の、心」

 

 霊夢は自分の胸元をぎゅっと握りしめ、再び黙り込んでしまった。が、さっきと違って憔悴しきった表情ではない。自分を見つめなおそうと決意した表情だった。

 元々、霊夢という少女は頭よりも先に体が動くタイプの人間だ。考えるよりも行動。何かに悩むことなんて、あまりなかった。

 だが、彼女にとって大切だと思えるような存在ができてしまった。今まで誰も触れることができなかった彼女の心の奥に、その存在――威は触れることができてしまったのだ。

 好意を向けられることに慣れていない彼女は、当然のように悩みだした。自分は彼にどういう対応をしてあげればいいのか、分からなくなった。自分自身のことが、分からなくなった。

 

「…………ありがとね、沙羅。少しは前に進めそうよ」

 

「そいつは良かったな。少しでも力になれたってんなら、こっちも嬉しいぜ」

 

「ええ。それじゃあ、私はもうお暇させてもらうわね。――文の喘ぎ声は、外に漏れないようにしなさいよ?」

 

「は、はいぃぃぃ!?」

 

「ばっ、誰がそんなことするか! いきなり意味不明なテンションの落差見せつけてんじゃねーよ! さっさと神社に帰りやがれ、この腋巫女がぁーッ!」

 

 顔を限界まで真っ赤に染める文と、同じく顔を赤くしながら霊夢を家から追い出す良夜。霊夢はそんな二人に悪戯に成功した子供のような笑みを向け、自分の居場所へと飛んで行った。

 直後、残された二人になんとも言えない空気が漂いだす。霊夢が来る前のあの空気よりも重いのは、きっと気のせいじゃない。文と良夜が目を合わせていないのが、それを顕著に物語っている。

 と。

 

「……良夜にとって、私はどういう存在なんですか?」

 

「え?」

 

 ふいに飛び出した発言に、良夜は文の方を驚いたように振り向く。

 良夜が振り向いた先にいた文は、捨てられた子犬のように今にも泣きそうな表情を浮かべていた。自分は彼にとってどういう存在なのか、想像することができていないからだ。

 文にとって良夜は、世界で一番大切な人だ。いつもは恥ずかしくて言えないが、良夜と一緒に過ごすために妖怪の山から出て行けと言われたら、何の躊躇いも無く出ていくぐらいに大切だと思っている。彼を守るために死ねるなら本望だとも、思っている。

 そんな文がなによりも怖れていること。それは――良夜に嫌われてしまうことだ。

 別に自分の思いが伝わらなくてもいい。この恋が成就しなくたって構わない。

 だけど、だけど――沙羅良夜に嫌われてしまうのだけは嫌だ。そんな結末を迎えてしまうぐらいなら、死んだ方がましだ。

 

「良夜にとって、私はどんな存在なんですか?」

 

「文……」

 

「良夜に、とって、私は……どんな存在なんですか?」

 

「…………」

 

「りょうやに、とって……わたしは、どんな……えぐっ、そんざい、なんです……か?」

 

「あやぁ!」

 

 ぽろぽろと涙を流しながら何度も何度も同じ問いかけをしてくる文を、良夜は気づいた時には強く抱きしめていた。彼女の頭と体を引き寄せ、しっかりと抱きしめていた。

 泣き声が耳元で聞こえる。鼻をすする音が耳元で聞こえる。彼女の体温が、直で感じ取れる。彼女の震えが、直に伝わってくる。

 良夜は文を抱きしめたまま床に膝をつく。文もまた、彼と同様に膝をついた。

 良夜は文の頭を優しく撫でながら言う。

 

「文は、俺の大切な人だよ。俺の命を救ってくれた、恩人だから」

 

「うぅ……ぐすっ、えぐぅっ……おん、じん……?」

 

「ああ。お前と出会ってなかったら、多分俺はもう生きちゃいなかったと思う。この妖怪の山で、野垂れ死んでたと思う」

 

 記憶を無くして幻想入りした良夜は、妖怪の山で文と出会った。右も左もわからず、おまけに自分が誰かも分からなかった自分に救いの手を差し伸べてくれた文。自分の頼みを断らずに、居候までもを許してくれた文。そんな文を、良夜は世界一大切だと思っている。

 良夜は文の顔を正面から見つめる。文の顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。

 良夜は文の涙を指で拭う。

 

「俺はお前のことを家族だと思ってる。記憶喪失のせいで前の家族のことなんて全く覚えてない俺だけど、いや、だからこそ、俺は文のことを本当の家族って思ってる。さっき博麗にも言ったけどさ、いつも傍で支えてくれるのが家族なんだと俺は思ってる。だから文。俺にとってのお前は、大切な家族なんだ」

 

「うぅ……りょう、や……りょう、やぁ……」

 

「泣くんじゃねーよみっともねー。プライド高き鴉天狗の名が泣くぜ?」

 

「わ、たしぃ、心配だったの! いつも私は自分勝手だから、良夜に嫌われてるんじゃないかって!」

 

「バーカ。ンな小さいことで嫌うかよ。お前、気にしすぎなんだっての」

 

「りょうやぁ……りょうやぁ! りょうやぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

「ったく、しゃーねーなぁ。貸せるほど体はデカくねーんだけど、俺の腕の中で存分に泣けよ。泣いて泣いて泣いて、またいつもの清く正しい鴉天狗の射命丸文に戻ってくれ」

 

「う……うわぁあああああああああああああ! りょうやぁあああああああああああああああ!」

 

 子供のように泣き叫ぶ文の体を、良夜は優しく抱きしめる。震える肩を包むように、優しく抱きしめる。彼女を絶対に離さないように、強く優しく抱きしめる。

 その日は結局、文が泣き疲れて眠ってしまうまで、良夜は文を抱きしめ続けた。

 



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第九話 はたてちゃんの憂鬱

 

 未だに茹だるような暑さが続く、とある夏の日。

 

「それではっ、『第一回 文さまを泣かせた人間の処刑方法を考えよう選手権』の開幕です!」

 

「だから誤解だって言ってんだろ!? それに処刑方法を考えようっていろいろとすっ飛ばしすぎだろ! んでさらに、こんな意味不明な選手権の第二回があってたまるかぁあああああああああああああああああーッ!」

 

「死刑囚は黙ってろ!」

 

「ぶごふぁ!」

 

 妖怪の山の麓にて、射命丸家の居候こと沙羅良夜は縄で身体を縛られて地面に転がされていた。簀巻きのように縛られて。

 彼の周りには三人(人間じゃないから三体?)の妖怪たちがいる。

 一人は、先ほど良夜の顔面を盾でぶん殴った白狼天狗の犬走椛だ。真っ白な毛と犬耳と尻尾が特徴の彼女は、痛みでのた打ち回る良夜を恍惚の表情で見下ろしている。実は、生粋のサディストなのかもしれない。

 

「ちょ、ちょっとやめなよ椛! 白狼天狗の攻撃をまともに受けちゃったら、沙羅っち死んじゃうよ!?」

 

「別に構わない」

 

「アンタどこまで歪んじゃってんのさ!」

 

 最初からエンジン全開の椛にツッコミを入れているこの少女は河城にとり。緑色の帽子と服が特徴のツインテールな河童娘だ。因みに、趣味は発明。

 にとりは最近順調にキャラ崩壊を始めている椛に落胆やら絶望やらいろいろな負の感情を込めた溜め息を吐き、痛みに悶える良夜の救出に向かった。基本的に常識人なこの河童娘は、妖怪の中でもトップクラスに優しい心を持っているのだ。どこぞのメイド長にも見習ってほしい。

 そして三人目である茶髪ツインテールの少女はそんな三人を冷めた目で見つめ、

 

「…………ねぇ、アタシもう帰ってもいい?」

 

「はたてさまお願いだから帰らないで! 私だけじゃ椛の暴走を抑えきれないから!」

 

「えー」

 

 はたて、と呼ばれた少女は心底嫌そうな表情を浮かべる。なんでアタシ、こんな茶番に付き合っちゃったんだろう。

 ややウェーブの掛かった腰ほどまである栗色の髪を、紫のリボンでツインテールにまとめている。

 服は襟に紫のフリルが付いた短袖ブラウスに黒のスクエアタイだが、見事な大きさの柔らかそうな二つのカタマリのせいで見事に隆起していた。白狼天狗と河童が舌打ちをしたのは気のせいではあるまい。

 そして同色のハイソックスに包まれた足はすらりと長く、ミニスカートは黒と紫の市松模様。

 そんな紫色に染められた服を身に纏う少女の名は姫海棠(ひめかいどう)はたて。射命丸文と同じ鴉天狗で、ライバルでもある新聞記者だ。

 部下である椛に珍しく遊びに誘われたので来てみたのだが、まさかこんなとんでもないほどにどうでもいいことだったとは。自分の交友関係についてもう一度考え直そう、とはたては心に決める。

 

「ほら見ろ犬走! お前の意味不明な暴走のせーで一人の女の子の時間を奪っちまってんだぞ!?」

 

「一人じゃ何もできないヒモ男如きがはたてさまを女の子扱いするんじゃない!」

 

「ねぇ椛、それってどういう意味?」

 

「誰が一人じゃ何もできないヒモ男だ! 少なくとも、姫海棠よりは美味い料理を作れるっつーの!」

 

「あれ? なんでアタシが傷つけられてるの? なんでアタシはここまでアウェーなの?」

 

「本当にごめんなさい、はたてさまぁ……ッ!」

 

「そしてなんであの二人じゃなくて、にとりが謝るのよ」

 

 子供のような言い合いでヒートアップしながら無意識無自覚ではたての心をズタズタに引き裂いている二人に代わり、苦労河童のにとりが地面にずりずりと額を擦らせるように土下座した。全て自分が悪いのだとそろそろ自己嫌悪に入りそうなにとりに、はたては冷や汗を流しながら「何もしてないんだから、にとりは謝らなくてもいいわよ」と一応フォローを入れておいた。

 が、椛と良夜の二人の言い合いは留まることを知らないようで、

 

「っつーか、姫海棠に敬意を払ってるお前らって実は相当の馬鹿なんじゃねーの!?」

 

「き、貴様……はたてさまをバカにしたわね!? ひきこもりで出不精で友達が少なくていつも二番煎じで三流キャラのはたてさまを、バカにしたわね!?」

 

「そこまで言ってねーよ! 確かに姫海棠は家事もできなくて彼氏もいない干物女だが、そこまで酷いことは言ってねーよ!」

 

 一応フォローを入れておこう。椛と良夜の会話はある特定の人物を卑下しているように聞こえるが、二人は完全無欠に無自覚の会話をしているのだ! 無自覚で無意識で無邪気な会話の中で、凄くギリギリな内容が含まれてしまっているだけなのだ! 決して、悪口を言おうとしているのではない。

 が、そんなことは、現在進行形で罵倒されまくっている姫海棠はたてには分からなかったようで、彼女の額にはビキビキビキビキビキッ! と数えきれないぐらいの青筋が浮かんでいた。それを見たにとりは顔を真っ青に染めてズザザザーッ! とはたてから神速で距離を開ける。

 「アンタたち……」周りが見えていない二人にはたては幽鬼の如く近づき、二人の肩を勢いよく掴む。『ん? ――あ、えっと……』突然の奇襲によって自分たちが何をしでかしたかを一瞬で悟った二人は顔面蒼白で冷や汗を滝のように流しながら、必死に自分の命を失わないための言い訳を考え出した。このままじゃ、殺される……ッ!

 しかし、姫海棠はたての堪忍袋の緒は既に切れるどころか引き裂かれてしまっているので、

 

「――捏造記事書かれたくなかったら今すぐアタシに土下座しろォおおおおおおおおおおおおおおおーッ!」

 

『ご……ごめんなさいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃーッ!』

 

 体裁とか、考える余裕も無かった。

 

 

 

 

 

  ☆☆☆

 

 

 

 

 

「ったく……今日は酷い目にあったわ」

 

「あやや……ごめんなさいね、うちの居候がとんだ迷惑をかけてしまって……」

 

「まったくよ」

 

 あの後、はたては白狼天狗と配達屋を抱き合った状態で縄で縛り、永遠亭の庭に空からぽいっと投げ捨てた。あの時の二人の絶望しきった表情は傑作だったわね、とはたては向かいに座る鴉天狗――射命丸文に嬉しそうに言った。文はそんなはたてに苦笑を浮かべる。

 現在、はたては文の家で食事をとっている。時刻は既に午後七時を回ったところなので、今の食事の名前は夕食だ。

 アホ二人組を投げ捨てた後に家に帰るのが面倒くさくなったはたてがこの家に勝手にお邪魔した、というのが事の経緯なのだが、文的には一人の食事はさびしかったので別にはたてが来たことに関してはなんの問題もない。それどころか居候の不始末を許してくれるというのだから、断るわけにはいかないだろう。

 はたては味噌汁をすすり、

 

「んー? この味噌汁、意外と美味しいじゃない」

 

「良夜が作り置きしてたんですよ。『味噌汁王に俺はなる!』とか何とか言いながら作ってたので、自慢の一品なんだと思いますけど」

 

「ふ~ん」

 

「なにニヤニヤしてんですか。そんなに美味しかったんですか、良夜の味噌汁」

 

「い~え。配達屋のことを話してる時の文ってまるで恋する乙女みたいに目がキラキラしてるから、面白いなぁって思っただけ」

 

「バッ、ちょっ、こ、ここここ恋する乙女!? だ、だだだだだ誰が!?」

 

「今アタシの目の前で顔面を真っ赤に染めちゃってるアンタのことよ、文」

 

「あややややややややややややややややや!」

 

「それ何語?」

 

 まるでリンゴみたいね、とはたては目の前で頭から湯気を出している文を見て嘆息する。このブン屋、アイツと出会ってからマジ可愛くなってるわね。

 ニヤニヤと笑いながら鮎寿司(良夜作。かなり美味しい)をパクつきだしたはたてに向かって文は箸の先を向け、

 

「わ、私をからかうのは止めてください!」

 

「箸の先を人に向けちゃダメって、親から習わなかった?」

 

「人じゃないんでセーフです! って、話を逸らすな!」

 

「はいはーい、分かったわよ。――で、式はいつぐらいに挙げるわけ? ちょー気になるんですけど」

 

「だから話を聞けって言ってんだろ!?」

 

 テンパりすぎていつもの営業口調が崩れてきてしまっている文。というか、キャラがこの短時間で著しく崩壊しまくっているのは気のせいだろうか、いや気のせいじゃない。 

 「分かったわよ。いいから落ち着きなって」はたてはオーバーヒートを通り過ぎてすでにクラッシュ寸前の文の正気を取り戻させる。文との付き合いが長いはたては、文の手綱を容易に握ることができる数少ない存在なのだ。

 はたてによって元の自分を取り戻した文はコホンと咳払いをし、

 

「いいですか、はたて。私と良夜はで」

 

「できちゃった婚? いやー、そこまで進んでたとはねぇ」

 

「むっきゃぁああああああああああああああああーッ!」

 

 ――再び盛大にぶっ壊れた。

 

「お。今の文、ベストショットだわ」

 

「なに撮ってんですか! 消して、今すぐその写真を消してください!」

 

「だーめ。これを配達屋に高値で売るんだから。これは私の予想だけど、十万は軽く越えるんじゃないかしら?」

 

「そんなお金はウチにありません!」

 

「自分の写真を自分で買う。なんて素敵な循環なのかしら」

 

「あなたが手を加えた循環でしょう!?」

 

「えー。文ちゃんマジノリ悪いって感じー」

 

「んもぉおおおおおおおおおおおおおおおおーッ!」

 

 のらりくらりと文の言葉を避けてイジってくるはたてに、文は牛のような雄たけびを上げる。

 その日の夜、妖怪の山に「もう、勘弁してくださぁあああああああああい!」という悲鳴のような絶叫が響き渡ったという。

 

 

 

 

 余談だが、永遠亭にて。

 

 

『さぁって、と。ついにこの薬を試す時が来たようね!』

 

『やめて離して助けて文さまぁ!』

 

『ちょっ、八意さん!? そのドデカい注射器は一体ナニ!?』

 

『大丈夫大丈夫。痛みの後には快感が待っているのだから!』

 

『ち、因みに、その注射器の中身って、いったいどんな薬なんですか?』

 

『良い質問ね椛ちゃん。この薬はね――いえ、なんでもないわ』

 

『くっそ駄目だ嫌な予感しかしねー! おい犬走、協力して妖怪の山まで帰るぞ!』

 

『合点承知!』

 

『うふふ。逃がさないわよ? ――私の実験台になりなさぁあああああああああい!』

 

『たっ、助けて文ぁぁああああああああああああああああああ!』

 

 



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第十話 企業秘密です


 今回は短めです。



 

 良夜と文がなんとも言えない空気に包まれてしまってから二日目の朝。

 

「宅配便でーす。毎度ご愛読いただいている『文々。新聞』と嘘っぱち賢者なスキマ妖怪からの宅配便を持ってきましたーまる」

 

「自分でわざわざ『まる』とか言わなくていいですよね……?」

 

 ――良夜は冥界にある『白玉楼』へとやってきていた。もちろん、自転車で。

 外は夏だというのに、冥界の中はまるで春か秋のように涼しい空気が漂っている。生から解き放たれた幽霊たちが集まる霊界は、今日も今日とて通常運行のようだ。

 良夜の言葉にやんわりとツッコミを入れているのは、蚕糸のような白髪と腰に下げている双振りの日本刀が特徴の少女――魂魄妖夢(こんぱくようむ)だ。

 半人半霊である彼女の周りには一体の人魂がふよふよと忙しなく動いていて、その光景に慣れきっている良夜は「おはよーっす」と挨拶をする。

 

「長いこと幻想郷で暮らしていますけど、私の人魂にあいさつをしてくるのは配達屋さんだけですよ」

 

「人とか妖怪とかの区別がつけ辛い幻想郷で暮らしてると、どいつもこいつも同じに見えてくんだよ。だから、人も妖怪も幽霊も人魂も関係なく、俺は挨拶をするんだ」

 

「あ、判子はココでいいですか?」

 

「話を聞けよドジッ娘庭師!」

 

「酷い!」

 

 誰がドジッ娘だーッ! と刀に手を添える妖夢に、良夜は顔を真っ青に染めながら必死に謝罪する。忘れられているかもしれないが、沙羅良夜は至って普通の人間なのだ。霊力も妖力も無く、空も飛べず、不老不死でもない普通の人間。幻想郷で最も弱い存在だと言ってもいいかもしれない。

 最弱である良夜は、人や妖怪の弱さを知り尽くしている。

 自分が弱いことを誰よりもよく理解している良夜は、自分以外の強さを誰よりもよく理解している。

 「俺は幻想郷の誰よりも弱い。だから俺は幻想郷のみんなの弱点を知り尽くしてる。弱い奴は他人の弱さを知ることで、初めて本当に弱くなれるんだ」それは良夜が口癖のように言う自分の在り方だ。

 

 強さを求めず誇りを求めず威厳を求めず名誉を求めない最弱の少年。

 

 だから良夜は誰よりも虚勢を張り、

 だから良夜は誰よりも虚言を吐き、

 だから良夜は誰よりも虚心を抱く。

 どこまで行っても弱い良夜は、どこまで行っても『虚』である――と良夜自身は理解している。

 なので、そんな最弱な良夜は今日もいつも通りに身を守るために謝罪する。

 あまりにもいつも通りな良夜に妖夢は苦笑するが、すぐに意識を良夜の手の中にある小包へと向けた。

 

「配達屋さん。それが紫様からの御届け物ですか?」

 

「多分な」

 

「いや多分って……配達屋さんが頼まれた配達物なのでしょう?」

 

 顔を引き攣らせながら質問を投げかける妖夢に良夜は「うーん」と十秒ほど頭を抱え、

 

「朝起きたら部屋に置かれてただけだから分からねー」

 

「あの方も相変わらず平常運転ですね!」

 

「あの賢者さまはナマケモノだかんなー……自分で配達するのがめんどくさかっただけなんじゃねーの?」

 

「そんなアバウトな……」

 

 呆れながらそんな呟きを漏らす妖夢に、良夜は苦笑を浮かべる。お互い苦労人な立場であるせいか、この二人は妙なところで気が合うのだ。某吸血鬼のメイド長のように極端な好意を向けているわけではないが、同じような苦労を分かち合える友人程度の親しみはある。

 そんな「週に一回は料理のレシピを教え合っている主婦仲間」的な関係である良夜と妖夢は、最近幻想郷で噂となっている「雪走威の修行談」へと話の内容をチェンジさせた。

 

「博麗が寂しそうにしてるから、雪走を早く神社に戻してやった方がいーんじゃねーか? そろそろこの白玉楼、嫉妬とかその他もろもろで怒り狂った紅白巫女に壊されんじゃね?」

 

「それは凄く困りますけど、大丈夫なんじゃないですか? 霊夢って雪走くんのこと、本気で好きみたいですし」

 

「いやそれ意味分かんない。なんで好きだったら大丈夫なんだ?」

 

「好きな人の帰りを待つことは、あまり苦にならないってよく言いますから」

 

「そんなもんかね」

 

「そんなもんじゃないですか?」

 

 「俺にはよく分かんねーな」良夜は妖夢に小包と新聞を渡し、妖夢は受け取りながら小さく笑みを浮かべる。

 そんな感じで今日もグダグダな配達という任務を終えた良夜が白玉楼の門の傍に停めていた自転車に駆け寄ると、妖夢が後ろから呆れと驚きが混じった声を投げかけた。

 

「いつも思うんですけど、なんで自転車だけで冥界に来れるんですか?」

 

「根性と努力の賜物だと思います」

 

「それだけで納得できるわけないですよねぇ!?」

 

「ンなこと言われてもよー。毎度こうして自転車だけで配達に来てるわけだし、何も問題はねーだろーが。それとも何か? 魂魄妖夢さんは配達屋の仕事スタイルにケチをつけるような器の小さい庭師さんなんですかー?」

 

「別にケチをつけているわけじゃないですけど……やっぱり気になるじゃないですか。配達屋さんがどうやって幻想郷の隅から隅まで配達を行っているか――が」

 

「企業秘密です」

 

「うむぅ……いつもそうやってはぐらかされるんですよねぇ。少しぐらい教えてくれてもいいのに」

 

「駄目だな。これは文にすら教えてねえ企業秘密だから、尚更お前には教えてあげらんねーよ。どーしても知りたいってんなら、俺に負けてみろ」

 

「絶対に無理ですよね、それ」

 

 最弱な人間にかなりの強さを誇る半人半霊が負けられるわけないでしょう、と妖夢は最後にそう付け足した。

 良夜はそんな妖夢に苦笑を向け、自転車に乗る。まだまだ配達の仕事は残っているので、長居をしているわけにはいかないのだ。

 「んじゃ、またいつか」良夜はそう言い残し、ペダルに置いている足に体重をかけた。自転車はゆっくりと進み、ペダルもまたゆっくりと回る。

 涼しい冥界の空気が風となって良夜の身体を冷やしていくのを感じられるようになるぐらいに自転車をこいだ瞬間、良夜は誰にも聞こえないほど小さく小さく小さく小さく、

 

「…………記憶が戻っても、俺は今みてーに弱いままでいられるんだろーか」

 

 その呟きは冥界の空気に溶け、誰にも聞かれることなく静かに霧散した。

 

 



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第十一話 聖徳道士の突発的な行動

「今日はよく集まってくださいましたね。それでは、良夜に相応しい相手は誰なのかをそろそろ決めよう会議を始めます」

 

『ちょっと待て』

 

 未だに茹だるような暑さが続くとある夏の日、射命丸家にて。

 委員長のようにつつがなく会議を振興しようとしていた栗色頭の少女に制止の声をかける二人の少女の姿があった。鴉天狗の射命丸文とメイド長の十六夜咲夜だ。

 「なに?」と不思議そうに首をかしげる栗色頭の少女に苛立ちを覚えつつも、文と咲夜は全身全霊を持って抗議の声を張り上げる。

 

神子(みこ)さんいきなり何を言ってるんですか!? というか、初登場なのになんでそんなに偉そうな立ち位置を獲得してるんですかぁ!」

 

「何を当たり前のことを言ってるのよ。私はかの有名な聖徳太子様なのですよ? 私が偉い立場なのは、なにも今始まったことじゃないのだけど」

 

「そんなのどうでもいいわよ! とりあえずなんで貴女が良夜の処遇を決めるのかについて私たちは言及しますわ!」

 

「うるさいわねぇ……あーはい、分かりました。分かったからスペルカードを向けないでください!」

 

 鬼のような表情で迫ってくる文と咲夜に全力で静止を求めている少女の名は豊聡耳神子(とよさとみみのみこ)。とある事情により最近復活したばかりの聖人サマだ。

 猫の耳が生えたような形の栗色頭に紫色の耳当て。セーラー服と和服を合体させたような紫色を基調とした装束は何とも言えない高貴な香りを漂わせている。スタイルも良くかなりの美少女なのだが、実はこの少女こそが聖人君子こと聖徳太子なのだから驚きだ。やっぱり実在したんだね聖徳太子って。

 そんな太子様こと神子さんは目尻に涙を浮かべながら求められるままに言い訳を開始する。

 

「いや、その……射命丸文! 良夜を私にください! 絶対に幸せにしてみせますから!」

 

「意味が分からない!」

 

 言い訳どころか「娘さんをお嫁にしたいのだけどお父さんに許可貰わなくちゃいけないどうしよう」みたいな状況下で発生するイベントを何故か発生させてしまう神子。父親役を余儀なくされた文は予想もしなかった事態にただただ混乱するのみ。

 と、ここで重い腰を上げたのは我らがメイド長十六夜咲夜。最近ツンデレ疑惑が浮上している咲夜だが、こういう時に役に立つ頼れるお姉さんでもあるのだ!

 

「少し落ち着きましょうか、二人とも。紅茶でも飲んで高ぶった気を鎮めたら?」

 

『流石は咲夜さん! そこに痺れる憧れる!』

 

 咲夜がいつの間にか準備していた紅茶でとりあえず落ち着いた二人。

 そしていつの間にかカップを片付けていた咲夜は懐からナイフを取り出して最高にいい笑顔を浮かべ、

 

「それじゃあちゃんとした理由を聞かせてもらいますわよ? 返答次第じゃ殺すけど、まぁそこは気にしないでいきましょうか」

 

「殺害欲が! 咲夜さんから膨大な殺害欲が感じられる! ちょっ、暴力とか脅迫はダメだって! というか、私たちよりも君が落ち着くべきでしょう!」

 

「うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ」

 

「駄目だこの人もうどうしようもない!」

 

 イった目でナイフを構える咲夜に本気で脅える太子様。人の欲を感じ取る能力を持つ神子にとって、憎悪からくる欲こそこの世で最も恐ろしいのだ。というか、殺害欲ってなんだ。殺意じゃないのか。

 斬り裂き魔の如き殺意を放つ咲夜に神子はじりじりと壁際に追い込まれていく。平和的な会話をしに来たというのに何で私は殺されかかっているのだろう。いや、死なない体なのですけどなんか納得いかないのよね!

 そしてついに、神子の背中に硬い感触が走った。どうやら壁まで追い詰められてしまったようだ。

 というか。

 

「ちょっと文さぁん!? なんで助けてくれないのかなぁ!?」

 

「いえ、私にはあんま関係のないことみたいですので。良夜の写真を見て落ち着いてましたけど何か?」

 

「助けろよ助けなさいよ助けてください三段活用! なんでも言うこと聞きますからお願い助けて!」

 

 神子の必死の訴えに文は「しょうがないですね。約束は守ってくださいよ?」と咲夜の後ろに歩み寄る。

 神子は顔面に迫ってきているナイフを何とか防御しながら文を聖母でも降臨したかのような表情で見つめ、心の中で狂喜乱舞している真っ最中。よっしゃこれで死ななくて済みますね! 不死ですけど!

 咲夜は咲夜でナイフを神子に何度も何度も振り下ろしているのだが、その美貌に浮かぶ冷笑がものすごく怖かった。般若とかなまはげとか言う怪物を軽く凌ぐぐらいに怖かった。

 完全な無表情を極めると完璧な冷笑にランクアップするのかな、と神子はよよよと涙を流す。

 と。

 

「必殺! 文ちゃん卓袱台アタック!」

 

「へぶっ!」

 

 文が振り回した卓袱台がこめかみにクリーンヒットし、咲夜はその場に勢い良く崩れ落ちた。よっぽど痛かったのだろう。びくんびくんと体が痙攣を起こしている。

 可愛らしいネーミングの割にエグイ技だなぁ。目の前で半死半生状態になっている咲夜に同情の視線を送りつつ、神子はゆっくりと立ち上がる。

 

「ありがとうございます文さん。このご恩は十秒ほど忘れないわ」

 

「そうですかっ! それなら、今から十秒以内に貴女に命令させていただきますねっ!」

 

「へ?」

 

 神子は冗談のつもりで言った言葉を本気にされていることに気づくが、にっこりと笑っている文の威圧感に負けて何も言えなくなってしまった。

 このままじゃヤバい。なにがヤバイかはよく分かりませんが、文さんの中から感じられる膨大な欲がヤバイ気がします! 

 

「え、えーっと、お邪魔しまし」

 

「良夜の目の前で服を脱ぎながら踊ってきてくださいっ!」

 

「………………………………………………ひっ」

 

 直後、妖怪の山に一人の聖徳道士の絶叫が響き渡った。

 

 

 

 

 

  ☆☆☆

 

 

 

 

 

「あーくそ……チルノの相手してたらもーこんな時間かよ……あの氷妖精、次は絶対に蛙の口に放り込んでやる」

 

 聖徳道士の社会的な死が決定してから数時間後。

 本日の配達とかバカの相手を無事に終えた配達屋こと沙羅良夜はコキコキと自転車を運転していた。

 すでに太陽は沈んでいて、空は漆黒に染まっている。今日が新月なせいか、良夜の特徴的な銀髪も闇に呑まれて目立たない。自転車のライトが無かったら完全に迷子になっていただろう。

 良夜の勘的に言うと、現在位置は妖怪の山の麓付近。いつも通っている道を往復しただけだから間違ってはいないはずだ。

 と、何の前触れもなく突発的に、良夜の前方に白いふわっとした感じの帽子をかぶった金髪美女が現れた。

 

「夜分遅くまでご苦労様ですこと」

 

「いきなり出てくんな怖ぇーだろーが!」

 

 怖いものとか強いものが大の苦手な良夜は涙目ながらに激昂する。実は心臓がばっくんばっくん鳴っているのだが、そこを気にしてしまったらなんか負けな気がするのでスルーだ。

 良夜の自転車のライトに照らされ、美女の素顔が露わとなっていく。どこまでも『美女』という二文字が似合ってしまう目の前の女性は、何故か空間の割れ目の上に腰を下ろしている。

 どこまでも非常識で普通に異常な光景なのだが、幻想郷で一年ほど暮らしている良夜にとっては何にも珍しくはない。

 良夜は自転車から降りることなく目の前の女性にジト目を向け、

 

「っつーか(ゆかり)さん、一体俺に何用っすか? またなんか配達の仕事っすか?」

 

「いーえ、今回は別件よ。ちょっと長くなっちゃうけど、構わないかしら?」

 

「どーせ俺の意志は完全無視でしょーが」

 

「まぁねー」

 

 紫、と呼ばれた女性はくるくると手に持っている日傘を回す。太陽が出ているわけでもないのに、紫は日傘をさしている。理由なんてものは良夜には分からないが、そんな何気ない行動が紫の異常性を顕著に表していることだけは理解しているつもりだ。

 幻想郷の創始者――八雲紫(やくもゆかり)

 『境界を操る程度の能力』を持つ最強の妖怪――八雲紫。

 そんな無双な存在が、幻想郷で最弱な良夜に個人的な用がある。ただこれだけのことなのに、なんでこんなにも体の震えが止まらないのだろう。

 「そんなに怖がる必要はありませんわ」紫は優しい声色で言う。だが、その言葉の内に秘められている悍ましいほどにどろどろとした何かが、良夜に根拠のない恐怖を植え付ける。

 幻想郷に来てすでに一年が経過しているが、良夜はこの八雲紫という存在がなによりも恐ろしい。自分の存在を根底から覆してしまうようなこの妖怪が、なによりも恐ろしい。

 今日は家に帰れそーにねーな、と呟きながら良夜は自転車から降り、鍵をかける。良夜の他に貧乏神社の居候ぐらいしか運転することができないのだから鍵なんて必要ないのだが、保険というものは大切だ。もしもということがあるのだから。

 良夜がとった行動から準備完了の意を見て取った紫は妖しく口を歪め、どこまでも高貴に言い放つ。

 

「沙羅良夜くん。貴方、自分の記憶に興味はない?」

 

 その日、幻想郷から二つの存在が失踪した。

 一つは、毎度の如く好き勝手に結界を越えている八雲紫。

 そしてもう一つは、配達屋と呼ばれている沙羅良夜という一人の少年。

 失われた記憶を巡り、ついに物語は動きだす――。

 




 これでやっとプロローグが終了って感じですかね。

 次回から、良夜の記憶を巡って物語が動き出します。

 それでは、また次回。


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第十二話 沙羅良夜の現代入り


 すいません。更新遅れました!

 新キャラのキャラ設定に手間取ってしまいまして……本当に申し訳ございません!

 
 注意! 1.どんな変態が出てきても苦笑しながら受け入れること!
     2.新キャラに萌えてしまった人は病院へ直行をお勧め!
     3.羨ましいと思ってしまった人は既にどうしようもなく末期です!


 それでは、スタート!



 

 

「そんなわけで外の世界までやって来たわけだけど、随分とご立腹のようですわね?」

 

 相変わらず日傘を差しながらとんでもないことをのたまいやがった紫に、良夜は青筋にビキリとドデカい青筋を浮かべながらこう答える。

 

「意味分かんねーし状況も掴めねーし何よりアンタの思惑が理解できねーんですけどー!? 俺の失った記憶についての話のはずなのにどーしてこーなった!?」

 

 そびえ立つ高層ビルによどんだ空気。自然と呼べるものは街路樹程度のもので、野生動物なんてカラスやスズメぐらいしかいない。

 言うならば、コンクリートジャングル。

 そんな名前で呼ばれている世界――現代にやって来……もとい連れてこられた良夜は紫を全力で睨みつけながら叫ぶように抗議を開始する。

 

「なんでまさかの現代入り!? こんなことで俺の記憶は本当に戻んのか!?」

 

「あら? もしかして私のことを信用していないのかしら?」

 

「信用もなにも第一段階で俺の期待を裏切られてんですけどーッ!? はぁぁぁ。幻想郷に帰りてーよ文に料理作りてーよ咲夜と一緒に掃除してーよ神子と一緒に将棋してーよ……」

 

「中年主婦もビックリの主夫っぷりですわね」

 

 毎日早起きして朝食を作って部屋掃除して……という主婦か家政婦のような生活を日常的に送ってきた良夜にとって、家事というものはもはや人生そのものと言っても過言ではないのだろうか。いきなり現代に連れてこられたというのに相変わらずの調子の良夜に、紫は苦笑を浮かべている。

 そんな感じで談話(良夜にとっては押し問答)すること五分後、「とりあえず移動しましょうか」紫は良夜の手を取ってスキマの中へと体を滑らせた。

 まだ夏の暑さが残る季節だというのに、スキマの中は心地いいぐらいの涼しさを保っていた。

 

「何度も何度も通ってるけど、全然慣れねーっすよ」

 

「私にとっての最高のくつろぎ空間なのだけど、お気に召さなかったかしら?」

 

「こんな空間を気に入っちまったら、人間として終わってる気がするって言ってんだよ!」

 

「いや流石にそこまで酷いこと言う!?」

 

 良夜の辛辣な言葉に紫は目尻に涙を浮かべ、露骨に落ち込んだふりをした。心の底から落ち込んでいるわけじゃないので良夜も慰める気はさらさらないようだ。

 紫のスキマの中を進むこと約一分後、良夜の周囲がだんだんと明るくなってきた。何度もこの隙間を通って来た良夜は分かる。これは出口が近づいている前兆だ。

 さらに奥へと進むと、良夜の視界にはっきりとした出口が見えてきた。大量の目が浮かぶスキマの中でもはっきりと存在を示す、明るい空間への入口とも言えるかもしれない。

 

「で、ここがアンタが俺を連れてきたかった場所ってことっすか?」

 

「正解ですわ」

 

 あからさまに無愛想な表情の良夜に紫は微笑を浮かべ、日傘をくるくると回す。その動作一つ一つが言葉では言い尽くせないほどに美しく、良夜は顔を赤くしてそっぽを向いてしまう。

 「可愛いは正義!」「うるせーよショタコン!」ニヤニヤしている紫に良夜は腹の底から咆哮するが、耳の先まで真っ赤になってしまっているせいで威厳もなにも感じられない状態だ。銀髪が赤色を目立たせているのも原因の一つか。

 良夜の怒号をのらりくらりと躱しつつ、紫は良夜の手を取ってスキマから身を乗り出す。心地よい柔らか味と温かさに右手を包まれた良夜は、再び顔を真っ赤に締めてしまった(赤面症の疑いあり)。

 スキマから出た直後、良夜はあまりの眩しさに「うっ……」と目を閉じてしまう。先ほどまで暗闇同然だったスキマにいたことが原因だ。

 しかしスキマの中にいた時間がそこまで長くなかったおかげか、良夜は数秒で元の視力を取り戻す。

 そして、何度も瞬きを繰り返した良夜の目に、紫に連れてこられた場所の全容が明らかになってきた。

 古びているのにどこか安心感を持てるような木製の柱。

 古くからの技術が形と現れている闇色の瓦屋根。

 周囲には豊かすぎるほどの自然が拡がっていて、空は雲一つない青空。

 そう、まさに、これは……――

 

「ド田舎に佇む、木造平屋……ッ!」

 

 なんともファミリー感漂う木造平屋との邂逅に、良夜はその場に凍りつく。幻想郷よりも科学が遥かに進歩しているハズの現代に来たはずが、向かった先には何故か古き良き文化の象徴――木造平屋。

 幻想郷でも見ねーよこんな家……、と良夜があからさまに落胆した――直後。

 

「今私の愛家に失礼な賛美を送ったのはどこの馬の骨じゃごるぁぁああああああああああああああーッ!」

 

 まさかの銀髪美女の登場だった。

 

 

 

 

 

  ☆☆☆

 

 

 

 

 

「と、いうわけで、この人が貴方のお母様ですわ♪」

 

「はいはい、久しぶりね良夜ぁー」

 

「誰か俺に新天地への適応力をください!」

 

 木造平屋から飛び出してきた銀髪美女にとりあえず一発ゲンコツをきめられた良夜は現在、例の木造平屋の居間で卓袱台を囲っていた。もちろん、良夜と銀髪美女と紫の三名で。

 明らかに自分だけ置いてけぼりな状況に頭を抱える良夜だったが、紫はそんなのお構いなしだと言わんばかりに話を進める。

 

「この人の名前は沙羅白夜(さらびゃくや)。貴方と血の繋がった、正式なお母様ですわ」

 

「もうっ、紫さまに『お母様』って呼ばれる日が来るなんてっ! 白夜感激っ!」

 

 まさかの若々しさを披露してくるキャピキャピ娘だった。

 腰のあたりまで伸びている銀髪、ぱっちりとした目の中で輝きを放つ翡翠色の瞳。ただその二つだけでも結構異様だというのに、それ以上に異様な存在感を放っている巨乳。良夜よりも身長が高くなかったらいわゆる『ロリ巨乳』と呼ばれる法律シカトな存在になっていたおそれがあるほどだ。

 そして更なる特徴を挙げるならば、お前その年で似合うってどうなんだよ級のゴスロリ。現代日本ではコスプレと呼ばれているハズなその装束を、白夜は普段着のように見事に着こなしてみせていた。……いや、実際に普段着なのだろう。

 未だ記憶が戻る気配はないが、この人が自分の母親だということは事実なのだろう。実際、今の壁に自分の幼少期と思われる写真が所狭しと貼られているし。飾るではなく、貼られている。画鋲で直接、壁に貼り付けられている。

 もはや壁紙=良夜の写真と化している居間に寒気を覚えていた良夜だったが、白夜のテンションが限りなくオーバードライブしていく様子に頭痛を覚えることとなる。

 

「一年ぶりかなぁっ、あんまし大きくなってないねっ。まぁっ、こんなに若い私が丹精込めて育てたわけだからっ、老化速度が速いわけないかぁっ!」

 

「あ、いえ、その」

 

「良夜の一年間は紫様に聞いてたよっ? まさかあの射命丸文に拾われるなんてねぇっ」

 

「え、なんで、文のことを知ってる風な」

 

「――あの鴉天狗、私の可愛い息子に色目使いやがってぇっ……ッ!」

 

 ピシッ、と空気が凍りついた。

 「え? え?」と大量の疑問符を頭上に浮かべる良夜に構うことなく、白夜のロケットブースターは加速を続ける。

 

「私より年上の癖に、あろうことか私の可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い――可愛すぎて食べちゃいたい良夜に、色目使うなんてねぇっ!」

 

「(怖ぇーぇえええええええええええええええええええええええええええええーッ!)」

 

 ドン引き以外の行動ができないほどのレイプ目で念仏のような長さの言葉を息継ぎも無しに言い放つ白夜。

 どうしようもない恐怖に襲われた良夜は隣の紫に助けを乞うべく視線を向けるが、

 

「……………ぐすっ」

 

「紫さん涙目ぇーぇえええええええええええええええええええええええーッ!」

 

 最強の妖怪が少女のように泣いていました。

 真の親バカがブチ切れると最強の妖怪すら超越するのか! というか、こんな母親に毎日のように俺の情報を運んで来ていた紫さんマジパネェ! 脅されたのかもしれないが、よく続けてこれたな! まさかのタイミングでの下剋上に良夜は驚きを超越して感嘆の声を心の中で上げていた。……いや、開き直ったというべきか?

 そして数秒後、もはや人間とか妖怪とかいう境界を超越していらっしゃる白夜さんにガッシィ! と両肩を掴まれてしまう良夜。涙目を通り越して全力号泣中な良夜に白夜は怖ろしいほど色っぽい笑みを向けながら――腰を奇妙にくねくねさせながら言う。

 

「良夜と会えない一年間は寂しかったなぁっ。毎日毎日毎日良夜のことを思い出しては自分を慰めてたしぃっ。あはっ、私っ、母親なのにっ、おかしいよねぇっ?」

 

「何を慰めていたのかについてとか今さら母親の在り方について意見する気はないですとかいろいろ言いたいことはあるけどとりあえず俺を解放してください!」

 

「あはっ、いやでぇっす」

 

「紫さぁ――――――――――ん!」

 

「ごめんなさい、沙羅くん。白夜は――私にも止められないの」

 

「紫さぁん!?」

 

 最強の妖怪によるまさかの降伏宣言だった。

 現在どころか未来まで絶望一色に染められてしまったことで反抗する気を失くしてしまった良夜は体から力が抜けてしまっていて、それを自分の良い方向へと盛大に勘違いしてしまうのが沙羅白夜というヤンデレ若乙女母なのだ。

 白夜はぐだーっと人形のようになってしまっている良夜を抱え上げ、今を勢いよく飛び出した。

 そして『あまりの色っぽさに世の男が全て忠誠を誓うんじゃね』級の笑みを浮かべつつ、良夜の顔を胸で圧迫しながら駆けていく。

 

「今日は久しぶりに一緒にお風呂に入ろうねっ! 大丈夫、私は別に恥ずかしくないものっ! だって母息子(おやこ)だしねっ!」

 

「ちょっと待って!? 俺、本当にアンタと一緒に風呂に入ってたの!? 記憶は微塵も残っちゃいねーけど、流石にそんな自殺行為はしてなかったと思うんだけど!?」

 

「あははっ、良夜を胸で洗ってあげるの久しぶりだなぁっ! えへへっ、嬉しすぎていろんな意味でスパークリンッ!」

 

「いやぁあああああああああああああああああああああああーッ! 助けて紫さぁ―――――――――――ん!」

 

 木造平屋全体に良夜の悲鳴と白夜の奇声(嬉声とも言う)が響き渡る中、紫は勝手に準備したお茶を優雅に飲み、

 

「平和ですわ…………私だけ」

 

 貞操だけは守ってほしいものですわ、と心の中で静かに合掌していた。

 





 変態ヤンデレ若乙女母に連れ去られた良夜の運命や如何にっ!?

 次回は文視点です。

 感想、お待ちしています!


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第十三話 沙羅良夜捜索夏の陣

 良夜が帰ってこない。

 豊聡耳神子(とよさとみみのみこ)十六夜咲夜(いざよいさくや)による騒動から一夜明けたわけだが、何故か良夜が射命丸家に帰ってこない。

 日が変わりそうな時間に帰ってきたことは何度かあったが(その度に体にじっくり理由を聞いていたけど気にしないでくださいね☆)、翌朝になっても帰ってこないのは初めてだ。

 そして現在、良夜の同棲相手でありほぼ公認カップルとされている鴉天狗の射命丸文(しゃめいまるあや)はというと……

 

「銀髪で黒装束で目つきが悪い人間を知りませんか!? どんな情報でもいいから、私に情報をください!」

 

 ――人里で本気の良夜探しを行っていた。

 過去に撮った良夜の顔写真を人々に見せ、そこから良夜の性格や好みなどを言う。ありとあらゆる手段をとって良夜に関する情報を得ようとしている。

 いつも笑顔な射命丸文にしては珍しく、焦燥に染まった渋い表情を浮かべている。どんなハプニングでも新聞の記事のネタにしてしまう自称『清く正しい射命丸文』は、現在においてはプライドも何もあったもんじゃなかった。

 しかし、文の質問に首を縦に振ったり有益な情報を伝えてくれる者は一人もいなかった。逆に、全員が全員「知らない」という始末だ。流石にこれはおかしすぎる。

 人が一人失踪しているのに誰もその姿を見ていない。神隠しが普通にあり得る幻想郷だが、流石に誰も姿を見ていないということはありえないだろう。

 情報をが集まらないことに更なる焦りを覚えてきた文だったが、そんな彼女の元に一人の女性が歩み寄ってきた。

 博麗霊夢(はくれいれいむ)

 最近居候に猛烈なアタックをしている、ツンデレな腋巫女サマだ。

 

「人里で鴉天狗がご乱心だって言われたから来てみたんだけど……これは一体何事かしら?」

 

「良夜が良夜が良夜がいないんですいなくなっちゃったんですどこにもいないんです!」

 

「お、落ち着きなさいって。プライドの高い鴉天狗がそんなんだと他の妖怪に示しがつかないわよ?」

 

「でも、良夜が!」

 

「沙羅がいなくなっちゃったことはもう十分に分かったから、とりあえず落ち着きなさい。そうね……とりあえず博麗神社でお茶でもしましょうか。――沙羅捜索についてはそれからねっ!」

 

「ぐふぅっ!」

 

 焦りのせいで油断していた文は霊夢から本気のボディブローを決められ、その場でガクリと意識を失った。

 

 

 

 

 

  ☆☆☆

 

 

 

 

 

「は? 沙羅が行方不明?」

 

 目をぐるぐると回して気絶した文を担いで博麗神社に帰ってきた霊夢は、とりあえず居候である黒髪の少年――雪走威(ゆばしりたける)に現状報告をすることにした。

 威は掃除機型の兵器――『恋力変換機』を磨いていた手を止め、露骨に驚いたような表情を浮かべる。

 あまりにも急すぎる展開に完全置いてけぼりな威の言葉に霊夢はずずーっと湯呑に入ったお茶を啜る。

 

「そ。多分っていうか絶対だろうけど、紫が原因でしょうね」

 

「それが分かってるならなんで私に早く言ってくれなかったんですかぁ!」

 

「分かったところで相手はあの紫よ? 外の世界にでも連れて行かれてたら手も足も出せないわ」

 

 基本的に幻想郷は外の世界と隔絶されている。妖怪は好きに行き来できるようだが、幻想郷で存在できていても外の世界では存在できない妖怪が多いためにあまり外の世界に出たという事例はないようだ。

 

 

 だが、『境界を操る程度の能力』を持つ八雲紫(やくもゆかり)は違う。

 

 

 外の世界と幻想郷を自由に行き来し、自分の好きなように行動する最強の妖怪。普段はぐーすか眠りについているというのに、どうしてかいつも誰もが求めもしないタイミングで行動を起こしてしまう。本当に傍迷惑な妖怪である。

 霊夢の正論に文はしゅんと落ち込んでしまう。一秒でも早く良夜を見つけたい文なのだが、流石に相手がスキマ妖怪だとどうすることもできない。良夜が帰ってくるまで待ち続けることしかないだろう。

 と。

 

「ねぇちょっと霊夢! 良夜のバカ見なかった!?」

 

 ――スパーン! と障子を勢いよく開き、ツンデレメイドがやって来た。

 良夜と似たような銀髪に端正な顔でメイド服というなんとも奇抜な服装の少女――十六夜咲夜は無断でズカズカと部屋に上がり込み、何故か威の襟首を掴んで叫ぶように言う。

 

「良夜が行方不明なのよ! どんな情報でもいいから私に寄越しなさいな!」

 

「ちょっ、ギブギブギブ! っつか俺、沙羅と会ったことないんですけど! 姿も見たことないから情報とか言われても知らねぇし!」

 

「はぁ!? あんまり調子に乗ってると千本ナイフの刑に処すわよ!?」

 

「無実なのに酷い仕打ち!」

 

「はぁぁぁぁぁぁ……配達屋関係の女は全員が全員めんどくさいわねゴルァアアアアアアアアアアアアアアアーッ!」

 

「あぎゅっ!」

 

 自分の旦那が殺されそうだったので霊夢はご乱心中の咲夜に渾身のゲンコツを落とす。ちょっと霊力が込められていたのか、なかなかに音がグロテスクだった。

 突然の激痛に冷静にはなったものの、頭がこの痛みを和らげるべきだという判断を下したと思われる咲夜はごろごろごろーっ! とその場でみっともなく転がりだした。

 

「あ痛ぁああああああああああああああーッ!」

 

「部屋の中で暴れないでよ。ホコリがたつじゃない」

 

「貴女は容赦というものを知らないの!? 下手したら今の死んでいましたわよ!?」

 

「は? それぐらい知ってますぅ。ざまぁ」

 

「この腋巫女ッッッ!」

 

「はいはい、そこまでだそこまでー」

 

 自機同士の本気喧嘩が始まりそうだったところで威が静止の声をかける。文はそんな三人など視界に入らないといった様子で絶賛絶望中だ。

 とりあえず霊夢と咲夜の間に威が入るという打開策でその場を鎮め、卓袱台を囲むように四人は腰を下ろした。

 目からハイライトが消えている文と咲夜を引き攣った表情で威は見るが、ちょっと怖かったので話を切り出すことにした。

 

「で、沙羅がいなくなったってどういうことなんだ? 紫さんが元凶だってのは霊夢から聞いたけど、それ以外は何も俺は知らないわけなんですけど?」

 

「私だって知らないわよ。紫のすることが分かる奴なんていないんじゃないかしら? まぁいたとしても、幽々子ぐらいのものかしらね」

 

「…………良夜ぁ、どこ行っちゃったんですかぁ」

 

「…………あのバカ、帰ってきたら私の代わりに紅魔館で家事をさせてあげますわ……ッ!」

 

「霊夢せんせーい。鴉天狗とメイド長が凄く怖いでーす」

 

「視界から外しなさい。目が合ったら殺されるわよ」

 

 『鬱&怒り』という名の負のオーラを放つ二人からちょっと距離を開ける博麗コンビ。周囲からは怖いものなしなコンビと思われているのだが、実際は『さわらぬ神に祟りなし』を地でやり抜くコンビでもある。簡単に言うと、面倒事が嫌いなコンビである。

 普段ならばここでメイドである咲夜が(家主じゃないのに)お茶を準備するのだが、今は絶賛マイワールドトリップ中なために威が人数分のお茶を用意することになった。もちろん、茶葉は使いまわしである。

 お茶の薄い味だとか夏の高い気温だとかが全く気にならなくなってしまっている絶望コンビに溜め息を吐く博麗コンビだったが、

 

「沙羅良夜がどこに行ったか知りませんか!? 何故か幻想郷に彼の欲が感じ取れないのですがっ!」

 

『もういい加減にしろやテメェら!』

 

 スパーン! と障子を勢いよく開いてやって来た聖徳道士に流石に怒りの咆哮を向けてしまった。

 

 

 

 

 

  ☆☆☆

 

 

 

 

 

 猫やら狐のような耳が生えているように見える栗色の髪を持ち、紫色を基調としたセーラー服のような装束を身に纏っている少女――豊聡耳神子をとりあえず卓袱台の傍に座らせ、威は彼女の分のお茶を素早く用意した――のが今から四時間前のことだ。

 いつまでたっても負のオーラ放出機な三人に霊夢と威は軽い頭痛を覚えるが、何とかこの三人を正常に戻すために立ち上がる。

 

「あ、あんまり気にしなくてもいいと思うけど? 紫さんのことだから、どうせすぐに沙羅を幻想郷に連れて帰ってくるって」

 

「…………スキマ妖怪ぶっ殺します」

 

「ほら、咲夜だって紅魔館での仕事があるでしょ? いつまでもこんなところで油売ってる訳にゃいかないでしょ?」

 

「…………スキマ妖怪ぶっ殺してあげますわ」

 

「っ……み、神子だって人里での相談室運営があるんだから、早く戻ったほうが良いわよ。布都と屠自古だけじゃ相談室運営は無理なんだから」

 

「…………スキマ妖怪ぶっ殺してあげる」

 

『もうどうしようもねぇなコイツら!』

 

 慰めるどころかさらに負のオーラの濃度を上げてしまった。

 障子の隙間から見える範囲でだが、もう日が完全に暮れてしまっている。かれこれ五時間以上もこの状況で過ごしているわけなのだが、そろそろ堪忍袋の緒がクラッシュしてしまう。

 というかそもそも、なんで紫は良夜を外の世界に連れて行ったのだろうか。いや、外の世界へ連れて行ったというのはあくまでも予測でしかないのだが、それにしても理由が分からない。

 と、そこで霊夢の頭に一つの考えが浮かび上がってきた。

 

「そっか……そういえば沙羅って、記憶喪失だったわね」

 

 忘れている人も多いだろうが、沙羅良夜はエピソード記憶を完全に失った記憶喪失者だ。幻想郷に来る以前のことを全く覚えておらず、自分の家族のことも分からない。右も左もわからない状態で文に拾われたのだ。

 そして霊夢の頭に浮かび上がってきた考えとは、『沙羅良夜の記憶を取り戻す為に外の世界に行ったのではないか』というものだった。

 彼の知識記憶とか服装から予想するに、沙羅良夜は外の世界の人間だ。何らかの理由があって幻想郷にやって来たか、なんらかのアクシデントで幻想郷に飛ばされてきたか。あんな濃いキャラが周囲の人間に存在を忘れ去られてしまうということはまずあり得ないだろうから、原因としてはその二つが挙げられるだろう。

 そんなことを考えていた霊夢だったが、不意に耳に触れた雑音に思考を中断してしまう。

 その雑音は、障子が開く音だった。

 そして、その障子の先には、

 

「あー……えぇーっと……ただいま?」

 

「初めましてぇっ! 良夜の母親の沙羅白夜ですっ! 好きなものは良夜で嫌いなものは良夜に危害を加える者っ! 今日から幻想郷に住むことになったので、どうぞよろしくっ!」

 

 ――とりあえずぶん殴りたくなるほどにイラつく銀髪な親子が立っていた。

 



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第十四話 良夜が語る過去話

 銀髪学ラン少年と銀髪ゴスロリ美人さんが博麗神社にやってきました。

 

「…………いや、そこまでは良いんだけど……流石にごった返しすぎでしょう」

 

 『ツンデレ配達屋とゴスロリ親御さんと純愛新聞記者とヤンデレメイドとヘタレ道士と愛しい居候』の六人を眺め、博麗霊夢は顔に手を当てて深い溜め息を吐く。

 ツンデレ配達屋こと沙羅良夜が母親同伴で博麗神社にやって来たのが今から三十分前のこと。最初は部屋にいる全員が『ぽかーん』とだらしなく口を開けて茫然としていたのだが、今はもう百八十度違う空気に包まれていた。――要するに、修羅場モードと言うヤツだ。

 あまりにも急すぎる展開に軽い頭痛を覚え始めた霊夢を見て、銀髪ロングでゴスロリの美人さんこと沙羅白夜は満面の笑みで霊夢の方をポンポンと叩く。

 

「まぁまぁっ、気にしちゃダメだよ霊夢ちゃんっ。みんな仲良くっ、ねっ☆」

 

「沙羅母は妙に若々しいし……」

 

 この人は本当に沙羅の母親なんだろうか、と霊夢は目の前の不可思議生物をジト目で見ながら頭の上に大量の疑問符を浮かべる。確かに幻想郷にも年齢と外見が全く釣り合っていない女性たちが大量にいる(というか、ほとんどがそう)が、彼女たちと比べてもこの人は若々しすぎる。不老不死の薬でも飲んでるんじゃないだろうか。

 霊夢がそんなことを考えていると、いつの間にか違うところに移動していた白夜が誰かと口論をしている様子が目に入ってきた。

 射命丸文。

 良夜の同棲相手で、周囲から『配達屋の正ヒロイン』と太鼓判を押されている最近絶賛キャラ崩壊中の鴉天狗だ。

 

「あらぁっ、久しぶりだね射命丸文っ」

 

「これはこれは、お久しぶりですね『十六夜』白夜さん」

 

 ………………………………………………………………………、ん?

 

『十六夜ィ!?』

 

 まさかのタイミングで飛び出してきた名字に、良夜と白夜と文を除いた四人が声をそろえて驚愕する。

 いやいや待てよどういうこと!? と意味不明な速度で進展している状況に困惑混乱挙句の果てには疑問符大量発生な四人だったが、妙にローテンションな良夜が懇切丁寧に説明を始めた。

 

「母さんは十六夜家の人間で、実は咲夜の叔母だったりするらしーんだ。今も十分に見た目は若ぇーけど、若いころは紫さんの世話係をやってたらしー。咲夜はレミリア様と一緒に幻想郷に来たらしーが、母さんはそれよりもずっと早く幻想郷に来てたんだよ。――で、いろいろあって外の世界に興味を持った母さんが紫さんに頼み込んでまさかの現代入り。そっから俺の父さん……あ、因みにもう他界してるらしーから。で、父さんと結婚して俺を生んだって訳」

 

 あまりにも壮絶すぎて茫然と言うか唖然するしかない蚊帳の外メンバーだったが、十六夜家の人間である咲夜が「ちょ、ちょっと待ちなさいな!」と少しの頭痛を覚えつつも食い下がる。

 

「ということはなに? 私と貴方は親戚同士ということなの!?」

 

「言い様ぉーによってはそーなるな。母さんとお前の母親は姉妹なわけだから、俺と咲夜は従姉弟ってことだ。あ、因みに俺は十八歳なわけだけど、咲夜って何歳? どっちが『姉』でどっちが『兄』なのかここははっきりさせた方がよくねーか?」

 

「させなくていいですわ! 親戚だろうがなんだろうが、私たちの関係はこれまで通り変わらないんですもの! というか、勝手に消えて勝手に帰ってきて調子乗んなよゴルァ!」

 

「あぎゅっ! ひ、久しぶりの咲夜の拳骨!」

 

 「あぅあぅ」と呻きながら脳天にできたたんこぶを両手で抑えながらその場にしゃがみ込む良夜。そんな良夜に咲夜は思わずサド気質な心を擽られてしまうが、自分の太ももをぎゅーっと摘まむことで何とかマイワールドトリップを回避した。

 と、咲夜が良夜にトドメを刺そうとしたところで、彼女たちの背筋にどうしようもないほどの悪寒が走った。

 部屋の隅の方で会話をしている、文と白夜が原因だった。

 

「私がいない間に可愛い息子に手ェ出すなんて、ちょっとお痛が過ぎるんじゃないかなぁっ? よりにもよって同棲? 親の許可はとったのかなぁっ?」

 

「は? 私が良夜をどう扱おうが、貴女には関係のないことでしょう? お・か・あ・さ・ま☆」

 

「うふふあらあら、私よりも年上の癖になにふざけたこと言ってるのかなぁっ」

 

「えへへあははは、恋に歳の差は関係ないんですよ? 親・御・さ・ん☆」

 

『(修羅場だ! 博麗神社に遂に修羅場がやって来た!)』

 

 うふふあははと笑い合いながらも目は絶対零度なゴスロリと鴉天狗に、傍観者と化している五人は静かに恐怖の絶叫を上げていた。人の欲を感じ取る神子に至っては、「やばいこの欲はヤバイ説明不能なところがかなりヤバい」と耳当てを両手で抑えて音を遮断するという荒業に出ている始末。耳が良過ぎるというのも考え物だ。

 普通ならばこの二人の会話に咲夜と神子も参戦するべきなのだろうが、残念ながら咲夜と神子にはそんな度胸は存在しなかった。あんなドロドロとした空間に放り込まれたが最後、まともな人格を保って帰還することは不可能だろう。今は傍観者として二人の行く末を見守るしかないのだ、と咲夜と神子は珍しく思考が一致する。

 昼ドラモードな二人に流石に恐怖を覚えた一人である良夜は顔を真っ青にしながらも、先ほどの説明の続きを話し始めた。

 

「え、えぇーっと、そんなこんなで俺を生んだ母さんは行き過ぎた愛情を俺に向けつつ俺を育ててくれたわけなんだが、とある理由により俺を手放さなきゃなんねー状況になっちまったんだ」

 

「手放さなくちゃならない状況?」

 

 小さく首を傾げる霊夢に「ま、俺もびっくりしたけどな」と軽く返し良夜は言う。

 

「俺の中に宿っていた能力が目覚めちまって、外の世界では生きれなくなっちまったんだ」

 

「能力……って君、能力使えたのですか!? そんな素振り、今まで全く見せなかったじゃない!」

 

「記憶失ってたんだから能力があること自体忘れてたに決まってんだろ」

 

 あまりにもぶっ飛んだ説明にポカーンとしている霊夢・威・咲夜・神子の四人に苦笑するが、「話を戻すぞ」と言って真剣な表情で良夜は続ける。

 

「能力が目覚めちまったせいでいろいろと面倒事を起こした俺は、どーやら人間不信になっちまってたみてーなんだ。外に出ることも無く人と関わることもなく、ただただ他人と接することを恐怖するよーにな」

 

「……それで、白夜さんは貴方の記憶を消して、幻想郷(ここ)に貴方を連れて来たってこと?」

 

「いや、記憶を消したのと俺を幻想郷に連れて来たのは紫さんだよ。苦しんでいた俺にどーすることもできなかった母さんが、最後の悪あがきとして紫さんに頼んだんだってさ。そん時の詳しい描写は省かせてもらうが、紫さんは母さんの要求を呑んで俺を幻想入りさせた。記憶を消したのは、俺に一からスタートして欲しかったからだそーだ。能力とか人間不信とかで苦しむことなく平和な日常を送れるよーにな。……そんなこんなで、今の俺がいるって訳。はい、俺の過去話しゅーりょー」

 

 良夜はあっけらかんとした態度で話を締めくくるが、話を聞いていた霊夢たちはどよーんとした負のオーラを放っていた。記憶を取り戻して過去の自分を受け入れた良夜とは違っていきなり重い話を聞かされてしまったことが原因だ。というか、誰だってこんな空気になるだろ今の。

 とりあえず空気を入れ替える必要があるのだが、どうしようもなく鬱な空気のせいで良夜は動くことができない。いつの間にか文と白夜の修羅場も沈静化している。良夜の話を実は聞いていて後半に差し掛かるにつれてどんどん闘志の炎が消えて行ってしまっていたのだ。良夜の過去話、恐るべし。

 良夜はどよーんとした皆を見て顔を引き攣らせ、

 

「お、お疲れ様でしたー!」

 

 ――ダッシュでその場を後にした。

 

 

 

 

 

  ☆☆☆

 

 

 

 

 

 良夜が場の空気に耐えきれず全速力で逃走した数十秒後、我に返った咲夜と神子がほぼ同時のタイミングで追跡を開始した。

 急遽始まった鬼ごっこに出遅れた文と白夜は慌てて神社から飛び出し、三人の後を追う。

 そんな中、ゴスロリだというのに妙に軽快な走りを見せている白夜が自分の隣を飛んでいる文に真剣な表情で声をかけた。

 

「文ちゃん。良夜は、幻想郷で楽しく過ごせてるっ?」

 

「なぁに今さらなこと言ってんですか白夜さん。良夜は毎日を全力で楽しく生きてますよ」

 

 先ほどは陰険な会話を繰り広げていたはずが、今はそんな空気など全くない。実はこの二人、付き合いが長いせいか結構仲良しさんなのだ。

 良夜を幻想郷に送ってから、白夜はずっと良夜のことを心配していた。一応は紫から良夜の現状報告を受けていたものの、やはり自分の目で確かめないと不安は取り除かれなかった。自分は間違っていたんじゃないか。いや、そもそも、私が外の世界に行きたい打とか言わなければ良夜が苦しむことも無かったんじゃないか――。

 だが、さっきの神社でのやり取りを見るに、自分の可愛い息子はかなり良い友達を持ったみたいだ。辛い表情など一瞬たりとも見せず、騒がしく楽しそうなやり取りをしていたじゃないか。

 白夜のペースに合わせて飛翔する文に、白夜は静かな笑みを向ける。

 それは、彼女にしては珍しい、母親としての笑みだった。たった一人の息子を心の底から愛する、一人の母親としての笑みだった。

 白夜は言う。

 

「良夜のこと、頼んでもいいかなっ? 私は立場上、紫さまの世話係に戻らなくちゃならないから、良夜と毎日会うことはできないんだっ」

 

「頼まれるもなにも、私は端から良夜と仲睦まじく暮らさせてもらってますよ。良夜の作るご飯は美味しいし、良夜はよく働いてくれます。まぁ、一級フラグ建築士なのはどうにかしてほしいですけどね」

 

「沙羅家は昔からモテモテの家系なんだよっ。良夜のお父さんの良樹(よしき)くんなんて、年齢層関係なくモッテモテだったんだからっ」

 

「あーはいはい、惚気話はまた今度にしてくださいねー。まったく興味がわきませんから」

 

「ひっどーい」

 

 文の軽口にケラケラと笑う白夜。だが文は見逃さなかった。楽しそうに笑う彼女が、実は涙を流しているということを。

 ずっと願っていた息子の幸せ。それが、この幻想郷で実現した。いろんな大切なモノを失ってしまったが、やっとここまで来れたのだ。良夜も白夜も誰も傷つかない、幸せな生活というゴールに。

 「私、ちゃんとゴールテープを切れたかなっ?」白夜は涙を流しながら言う。長い長い道のりだったが、自分はやり遂げることができたのだろうか? 白夜はただそれだけが心配で、昔からの友人である文に尋ねる。

 だが、文は首を横に振る。

 

「ゴールなんかじゃないですよ。貴女、外の世界での生活が長すぎてちょっと年寄りくさくなっちゃったんじゃないですか?」

 

 予想外の言葉にぽかーんと口をだらしなく開けて唖然とする白夜だったが、「ほら、見てくださいよ」という文の言葉に反応し、文が指差す方向に顔を向ける。

 そこ、には、

 

『や、やっと捕まえましたわよ良夜! 私を心配させた罰として、これから一週間紅魔館でみっちり働いてもらうわよ!?』

 

『む。じゃあその後は私の相談室でみっちり働いてもらうことにしましょうか。あと、ついでに我が家の掃除もお願いしますね。筋肉痛になっても解放してあげないんだからねっ!』

 

『鬼か! っつーか、俺に拒否権とかねーの!?』

 

『『あるわけねーだろそんなもん』』

 

『酷い! っつーか痛ぇ! 蹴るな踏むなマジで容赦ねーなお前ら!』

 

 ――二人の少女に蹴られながら縄できつく縛られているバカ息子の姿があった。

 蹴りを入れている二人の少女は怒りながらもどこか楽しそうで、バカ息子はぎゃーすか騒ぎたてている。

 どこからどう見ても楽しそうで騒がしい光景に白夜は「……え?」と目を見張るが、隣でニシシと愉快そうに笑っている文を見てますます困惑してしまう。

 そんな白夜に文は「いいですか? これから貴女を待っているのはゴールテープなんかじゃないです」と先生が生徒に言い聞かせる時のように人差し指を顔の前に立て、

 

「――幸せで楽しい生活の開始を知らせるピストルの音なんですよ」

 

 心の底から幸せそうに――笑った。

 




 次回から日常編再開です!


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第十五話 紅魔館生活開始

 そんなこんなで紅魔館生活一日目なのである。

 

「……いや、意味分かんねー」

 

 新聞記者である射命丸文の家に居候していて配達屋という職を持っている沙羅良夜は現在、紅魔館のキッチンで夕食(という名の朝食)を作っている。

 事の始まりは紅魔館のメイド長である十六夜咲夜の一言だった。

 

『私はこれから博麗神社でお泊り会だから。約束通り、私の代わりに紅魔館で働いてね。……お嬢様に何かあったら、その体をナイフで串刺しにさせてもらいますからね』

 

 本気で取り組もうと思った俺は悪くない。

 卵をフライパンの上で割り、菜箸で乱暴に掻き混ぜる。良夜特製『卵のぐちゃぐちゃ焼き』を作っているわけだが、果たしてこれは吸血鬼の口に合うのだろうか。というか、合ってくれないと咲夜に殺されるわけなんですが。

 良夜はこの俗にいう出張バイトについて一応は文に報告している。やはり文は家主なのだから、ホウ・レン・ソウは欠かしちゃいけないのだ。

 最初は反対されると思ったが、どうやら文も天狗の集会のせいで一週間ほど家を空けるらしい。「せっかく良夜を好きにできると思ったのに、何で最初が咲夜さんなんですかぁ……ッ!」と血の涙を流していたのは記憶に新しい。

 完成したぐちゃぐちゃ焼きを皿に載せ、まな板の上に置いていたキャベツを切る作業に移る。目標は『誰でも美味しく食べられるサラダ』だ。

 と。

 

「夜早くからご苦労様ね、良夜」

 

「なんか日本語が激しく間違ってる気がするんですけど。レミリア様、おはよーございまーす」

 

 桃色のナイトキャップに同色の服を着た青紫色の髪を持つ少女。背中には禍々しい悪魔の翼が生えていて、口の端から出ている八重歯が特徴的。

 レミリア=スカーレット。

 ここ、紅魔館の主である正真正銘の吸血鬼だ。

 レミリアはトテトテと良夜の傍まで歩み寄り、作業風景を眺めはじめた。もちろん、背が届かないので踏み台は用意した。……良夜が。

 

「とてつもなく馬鹿にされた気がするけれど、一応お礼は言っておくわ。ありがとう」

 

「いやいや、レミリア様の機嫌を損ねるわけにはいかねーんですよ」

 

「…………咲夜に脅されたのね」

 

「…………おっしゃる通りです……ッ!」

 

 「心の底から同情するわ」と背中を優しく叩いてくれるレミリアにちょっと心惹かれた良夜は絶対に悪くないと思う。年頃の男の子は優しい女性に惹かれるものなのだ。

 キャベツを切り終わったところできゅうりを素早く薄切りにする。そして予め皿に盛りつけていた洗い立ての水菜の上にそれらを盛り付け、トドメとばかりにトマトを二つずつ置いた。

 とりあえず夕食が完成したので良夜はふよふよと空中を漂っていた妖精メイドに声をかけ、食卓に夕食を運んでもらう。

 

「結構手馴れてるわね。まるで咲夜みたいだわ」

 

「ま、ここに来ることが結構多かったんで。妖精メイドたちとの仲は良好っすよ」

 

「咲夜との仲は?」

 

「どーしてこのタイミングでその質問が来るのか俺には分からない!」

 

 エプロンを外していつもの黒づくめ(まぁ、学生服はクローゼットにかけているので今の服装は白いカッターシャツと黒いスラックスなのだが。因みに、相変わらずカッターシャツはだらしなく裾を出している)でレミリアと共に食卓に向かう良夜は、顔を赤くしてそっぽを向いた。

 良夜だってバカじゃない。咲夜が自分にどんな感情を向けているかということぐらい、人並みには理解している。同じ感情を文と神子から向けられていることも、理解している。

 だが、良夜は小さく笑みを浮かべて言う。

 

「俺はまだ弱いから、あんな強い奴らには釣り合わねーっすよ。っつーか、文も咲夜も神子も大事ですからね。よく漫画とかラノベで見るヘタレ主人公って訳じゃないっすけど、やっぱり俺にゃ選べねーんすよ。全員が全員、俺にとって大事な人ですから」

 

 頬を掻きながら恥ずかしそうに言う良夜だったが、レミリアは素直に感心していた。

 自分がどういう立場にいるかを理解しながらも、その立場を崩したくないがために行動する最弱の少年。そういう優しいところが彼女たちを惹きつけている魅力なわけだが、果たしてこの少年がその事実に気づく日は来るのだろうか。

 だが、まぁ、レミリア=スカーレットは面白いことが大好きなので、全力で良夜をからかうことを心に決めた。

 そんなわけで。

 

「貴方、もしかして最近話題のハーレム狙いなわけ?」

 

「ぶふぅっ! ばっ、誰がそんなこと考えてるって!? ハーレムとか、全く考えてねーっすよ! 何だその極端理論!」

 

「いやほら、『誰も選べないー困ったなーそれじゃーみんな俺のものにしちゃおーZE☆』みたいな話がよくあるじゃない」

 

「それは二次元世界での話ですよ! 俺どんだけ嫌な奴なんだ! そこまで優柔不断じゃねーし!」

 

「じゃあ誰が本命なのよ。あ、言っておくけど、『みんな大事だから一番とかないっすよ!』とか言ったら一滴残さず血を吸い上げるから」

 

「沙羅良夜人生最大のピンチがココに!」

 

 顔面蒼白と顔真っ赤を繰り返す良夜は「なんだこの意味不明な過酷状況は……ッ!」と呻きながら頭を抱える。そんな良夜をレミリアはとても愉快そうに見ているわけだが、良夜はそれに気づかない。

 

 豊聡耳神子。

 

 彼女は自分にとてもよくしてくれるし、やはり聖徳道士ということもあってかかなり聖母的な性格をしている。弱き者を見捨てない偽善者と言ってしまえばそこまでなのだが、彼女は生粋の聖人だ。自分の損を顧みず、他人を助ける生粋のお人好し。

 

 十六夜咲夜。

 

 普段は高圧的な態度で自分を威圧してくるが、やはりそれほどまでに自分を大切に思ってくれているということだろう。時折見せてくれる笑顔も可愛いし、自分の悩みも親身になって聞いてくれる。ヤンデレとツンデレというまさかの両刀使いであることにはかなり驚いたが、まぁそういうギャップ的なところも魅力の一つだろう。

 

 だけど、まぁ、やっぱり。

 

「俺にとっての一番は、射命丸文。アイツのことは、心の底から愛してると言ってもいーっすね。咲夜と神子も好きだけど、文はそれ以上に愛してる。……やっぱ俺、優柔不断っすかね」

 

 頬を紅潮させながらそう言う良夜に、レミリアは小さく笑いながら「そうね」と返した。

 良夜が幻想郷に来て最初に出会った妖怪、射命丸文。その時から一年ほどかけて築かれた絆はどんなものよりも強固で深い。ちょっとやそっとじゃ崩れないほどに、二人は互いのことを想っている。

 楽しいときは一緒に騒いでくれ、悲しいときは隣で慰めてくれ、嬉しいときは一緒に笑顔を浮かべてくれ、泣きたいときは腕の中で泣かせてくれる。――射命丸文と沙羅良夜は、そんな互いを支え合う関係なのだ。

 (こんな調子じゃ、咲夜の恋が成就するのは果たしていつになるのかしらね)レミリアは博麗神社で騒いでいるであろう自分の従者に向けて心の中でそう呟いた。基本的にレミリアは中立的な立場なので個人を応援するということはないのだが、やはり自分の家族には頑張ってもらいたいものなのだ。美鈴とフランはかなり頑張らないと駄目かしらね、と付け加えることも忘れない。

 そんなことを考えているうちにどうやら食卓に着いたようで、レミリアは良夜が引いてくれた椅子に優雅に腰を下ろす。

 と。

 

「うみゅぅ……良夜お兄ちゃんにお姉様、おはよぅ……」

 

「は、はははは配達屋さん遅ようございます!」

 

「もっと本を読んでたかったわ……」

 

「パチュリー様、いい加減に本の虫なのは治しましょうよ……」

 

 金髪サイドテールで宝石が吊り下げられた翼をもつ少女――フランドール=スカーレット、緑を基調とした帽子とチャイナドレスを着た夕焼け色の髪を持つ少女――紅美鈴(ホンメイリン)、紫っぽいだぼっとした服を着た眠そうな目の少女――パチュリー=ノーレッジ、深紅の長髪と悪魔特有の羽と尻尾が特徴の少女――こあ(そう言う名前で呼ばれているだけ)の四人ががやがやと食卓に入ってきた。

 すると、良夜が用意した紅茶を飲んでゆっくりしているレミリアを見たパチュリーがジト目を向けながら言った。

 

「……レミィ貴女、紅茶は苦手なんじゃなかったの?」

 

「良夜の紅茶は何故か美味しいのよ。だからこれだけは特別なの。パチェも飲む?」

 

「だが断る。人間の血でも入っていたら嫌だもの」

 

「……私、そこまで血液好きじゃないんだけど」

 

 偏見だわー、とわざとらしく嘆くレミリアに傍に立っている良夜は苦笑を浮かべる。同じ光沢をもつ銀髪のせいで少しだけ咲夜に見えた、というのはパチュリーだけの秘密である。

 紅魔館メンバー全員が座ったところで良夜は全員分の飲み物を用意する。それぞれの好みに合わせたものを用意するので、少しだけ時間がかかっていた。

 準備を無事に終えた良夜は「あー……疲れたー」と美鈴の隣の椅子にだらしなく腰を下ろす。咲夜がいたらナイフに一本や二本投げられてしまうような態度だが、良夜に優しい彼女たちが怒ることはない。

 そんなこんなで食事が開始され、紅魔館メンバー+1はわいわいがやがやと会話しだした。

 そして食事が終了する頃には、会話の話題が『良夜の能力』にシフトしていた。

 

「沙羅。貴方、能力が使えるって本当なの?」

 

「パチュリー様ほど派手なもんじゃないっすよ。まぁ、なんつーか、見かけ倒しのガラクタ能力っすね」

 

 パチュリーの問いに良夜は皿とカップを妖精メイドに渡しながら答える。自分の能力にあまり自信を持っていない良夜は、「どーでもいい能力ですしね」と小さく溜め息を吐いていた。

 実はその能力が原因で幻想郷に来ることになったのだが、良夜はあえてそれを口にしない。別にこの場で言うことじゃないし、空気もどよーんとしたものになってしまうということが分かっているからだ。経験は今後の糧にしなくてはならないだろう。博麗神社の時と同じ轍を踏んではいけない。

 と、そこで何故かとても妖しい笑みを顔に張り付けていたレミリアが口を更にニィィと裂けてしまうのではないかというほどに吊り上げ、こう言った。

 

「それじゃあこうしましょう。私も良夜の能力には興味があるから、これから良夜に能力を披露してもらうわ。――但し、美鈴との決闘という形でね。もちろん、弾幕ごっこじゃなくて、組手形式だから」

 

『…………………………え゛』

 

 とても嫌そうな表情を浮かべる美鈴と良夜に、レミリアはただニコニコと満面の笑みを向ける。

 



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第十六話 VS紅美鈴①

 

 そんなこんなで組手開始なのである。

 

「……あれ? なんかこの出だし、激しくデジャビュなんですけどー?」

 

 相変わらずの学生ファッションで一応のファイティングポーズをとる沙羅良夜は、意味不明な一言を空に向かって言い放った。……もちろん、返事はない。

 夕食の場でレミリアから突然言われた『美鈴ちゃんとの決闘☆』が今から行われるわけだが、良夜は全く乗り気ではなかった。というか、現在進行形で家に帰りたい。

 「はぁぁぁぁぁ……」と地霊殿にまで聞こえそうなほど深い溜め息を吐く良夜に、紅魔館の家主ことレミリア=スカーレットは日陰で優雅に椅子に腰かけながら言う。

 

「何をブツクサ言ってるかは知らないけれど、いい加減に覚悟を決めたらどうかしら?」

 

「簡単に言わんといてください! 弾幕ごっこならまだしも組手って! 相手は美鈴なんすよ!? 人間である俺が組み手とかしたらぶっ殺されるじゃ済まねーよ!」

 

 紅魔館の門番である紅美鈴(ホン・メイリン)は格闘技という点において、幻想郷最強であると言っても過言ではないほどの強さを誇る妖怪だ。毎朝欠かさず太極拳の練習をし、紅魔館にやってくる妖怪との弾幕ごっこで体を鍛えてもいる。

 そんな格闘技をするためだけに生まれてきたような妖怪と自称最弱の人間である良夜が組み手をすればどうなるかは、考えるまでもないだろう。

 涙目でレミリアに咆哮する良夜。そんな彼に美鈴は苦笑しているのだが、至って平和なインドア組はというと。

 

「はいはい、沙羅さん枠が今なら相場が高いですよ! こっちに賭けて損はないです!」

 

「私は美鈴に五千円賭けるわ。私がけしかけといてなんだけど、良夜が美鈴に勝てるわけないもの」

 

「私は沙羅に三千円。個人的にはラッキースケベな展開が欲しいところね」

 

「私は良夜お兄ちゃんに六千円! 応援してるよっ、おにいちゃぁ~ん!」

 

 ――楽しそうに賭け事の真っ最中だった。

 

「オイコラァアアアアアアアアアアアアアアアーッ! こちとら命張ってんのにそっちは至極平和ですねぇ!? っつーか賭けんな! しかも額が高すぎんだろーが! このブルジョアどもが!」

 

「お、落ち着いてください配達屋さん! 殺さない程度に頑張りますから!」

 

「ケガしない程度までって言ってほしかった!」

 

 ケガはさせたくないけど決闘はしてみたい、となんか複雑な心境の戦闘民族紅美鈴。良夜に好意を向けている一人である彼女としてはここで彼を殺すわけにはいかないのだが、手加減なんてしたら主であるレミリアにお仕置きされてしまうのだ。いや、別に言われたわけではないけれど、いつもの流れから言って確定事項なのだ。

 わーぎゃー騒ぐ良夜にインドア組はニコニコと純粋な笑みを向ける。良夜のイライラ率、二十パーセント向上。

 そしてそんなノリが五分ほど続いたところでついに覚悟を決めた良夜が美鈴の前に立ち、素人臭丸だしなファイティングポーズをとった。美鈴は両手を握って腰の横につけ、閉足立ち直立の姿勢。

 これで準備は整ったと判断したレミリアはニィィと自己満足以外の感情が無い笑みを顔に張り付け、

 

「それじゃあ、――始めなさい!」

 

 戦いのゴングを打ち鳴らした。

 

 

 

 

 

  ☆☆☆

 

 

 

 

 

 先に動いたのは、美鈴だった。

 

「行きますっ!」

 

 良夜の懐まで一瞬で移動し、横向きを保ったまま両足を肩幅以上に開く。左手は頭上に構えられ、右手は前方に突き出されている。

 「ッ!?」良夜は持ち前の反射神経で少しだけ後方に跳躍するが、美鈴はそれを逃さないとでも言う風に両手を後方に振り上げて身を捻り、膝を少しだけ曲げる。俗にいう『バネ』を蓄えているのだ。

 そこからの美鈴の動きは迷いが無く、文字通り目にも止まらぬ速さだった。

 左足を先に浮かしてから右足で大地を蹴り、身を捻って飛び上がる。このとき要した時間、たった二秒。

 そして良夜の顔面の位置まで跳びあがったところで、思い切り横薙ぎに足を振るった。

 少林寺拳法の技の一つ――『旋風脚』だ。

 

「ぐっ――――らぁっ!」

 

 美鈴の鋭い蹴りを良夜は顔の前で十字に両手をクロスさせることでなんとかガードし、大地を思い切り踏みしめて吹き飛ばされることを避けることに成功した。

 だが、美鈴のコンボは終わらない。

 

「――ふっ!」

 

 左足で着地したと同時に地面をするように右足を前方に踏み出して左掌を上にはらい上げ、右鉤手(指先を曲げて揃えた手)を後方に振り上げる。

 左足を曲げて勢いよく跳躍しながら右手背で左掌を打ち、――上段前蹴り。良夜はこれを先ほどと同じ方法でガードするが、あまりの威力にガードが崩されてしまった。

 この隙を見逃す美鈴ではない。

 再び左足から着地した美鈴は、右足を捻りながら着地と同時に踏み切って三度跳躍。良夜のガードは未だ戻っておらず、完璧にがら空きだ。

 目を見開いて硬直している良夜の顔の前まで跳躍した美鈴は少しだけ楽しそうに笑みを浮かべ、空中で身を捻って――『旋風脚』。美鈴の足は良夜の脇腹に見事ヒットした。ゴギィィィという鈍い音が紅魔館の庭に響き渡る。

 『飛燕三連脚』が見事決まり、美鈴は勝利を確信する。流石にやりすぎたとも思っていないわけでもないが、今は決闘の場なのだ。そんなことを気にすることは相手の名を汚すことになる。

 美鈴の半ば本気の蹴りを受けて良夜は石ころのように右にぶっ飛んだ。飛来先には紅魔館の壁があり、普通の人間である良夜がぶつかったら一溜りも無いだろう。

 

 

 だが、そこでふっとばされていたはずの良夜が掻き消えた。

 

 

 「なっ……何事ですか!?」予想もしない事態に美鈴は驚愕するが、そこで更なる驚愕が彼女を襲うこととなる。

 

「隙――ありィイイイイイイイイイイイーッ!」

 

「ッ!?」

 

 突然背後から響き渡った咆哮に美鈴は素早く反応し、頭を刈り取るべく横薙ぎに振るわれていた右足を左手でガードした。毎日自転車で幻想郷を駆け回っている良夜が放った回し蹴りは、人間とは思えないほどに重い。日々の鍛錬がものを言うとはよく言うが、良夜の脚力は日々の配達で美鈴の想像以上に鍛えられていたのだ。

 「チッ!」蹴りをガードされてしまった良夜は吐き捨てるように舌を打ち、後ろに跳躍する。良夜の着地と共にズザザザーッ! と砂が宙に投げ出された。

 相変わらず横向きな構えで美鈴は冷や汗を流しながらたどたどしい口調で言う。

 

「い、今のって……」

 

「多分だが、お前が思ってるとーりだと思うぜ。これが俺の能力――『目にもの見せる程度の能力』だ」

 

 目にもの見せる程度の能力。

 簡単に言うと、『相手に勘違いさせる能力』ということだ。

 幻覚を見せることで視覚情報を勘違いさせ、幻覚に質量をもたせることで触覚情報を勘違いさせ、幻聴を発生させることで聴覚情報を勘違いさせる。

 『現実』ではなく『幻想』を操る能力であり、『虚』を操る能力でもある。

 強さも誇りも何も存在しない良夜だけの能力。

 『虚勢』を張り続け『虚言』を言い続け『虚心』を抱き続けた良夜が、その身に宿していた固有能力。

 良夜の説明に冷や汗を流している美鈴を見て良夜は苦笑しながら言う。

 

「ま、他にもう一つ『自転車に乗って境界を超える程度の能力』ってのがあるが、こっちは幻想郷に来てから発現した能力だから説明は省かせてもらう。っつーか、能力名だけでどんな能力かは判断つけれんだろ」

 

 …………もはや最弱じゃなくね? とその場にいる良夜以外の全員の思考が一致するが、別に戦闘能力が上がったりするわけではないので良夜は相変わらず最弱なのだ。というか、自分で最弱と思い続けることに意義があると良夜は思っている。

 良夜さんの能力説明会が終わり、良夜は少しだけ体を斜に向ける形で美鈴に向き合う。

 

「因みに聞くけど、ここで降参とかさせてもらえんの?」

 

「却下ですよ配達屋さん。こんなに楽しいのは久しぶりなんですから、もっと楽しみましょうよ」

 

「いや、俺は別に楽しいって訳じゃねーし」

 

 そんなことを言いながらもとても愉快そうな笑みを浮かべている良夜。ほぼ戦闘経験がない良夜だが、オトコノコなのでやっぱり戦い自体は好きなのだ。最弱だとかそう言うことを抜きにして、心の底から戦いを楽しみたい。

 こんなことが文に知れたら説教以上のお仕置きをされちまうかもな。良夜は愛しい同棲相手の顔を頭に思い浮かべて苦笑する。やっぱりこの男は清く正しい鴉天狗の少女のことが好きなのだ。

 だが、良夜はあえてそれを口にしない。というか、恥ずかしいので口に出したくない。因みに、先ほどレミリアに言ってたじゃんとかいうツッコミはしてはいけない。時と場合というものがあるのだ。

 そんなことを考えていると、観客席と化しているテラスからレミリアが怒鳴ってきた。

 

「こらぁーっ! ぼさっとしていないでさっさとバトル再開しなさい! 『目にもの見せる能力』だか何だか知らないけれど、美鈴がどうせ圧勝するんだから!」

 

「じゃー何で組手なんてさせてんすか! 勝敗が開始前から決定してんじゃん!」

 

「おもしろそうだったからに決まっているでしょう?」

 

「……次の食事は緑色一色で決定!」

 

「いやっ……いやぁああああああああああああああああーッ!」

 

 と、そんな感じの漫才も無事に終了し、良夜はやっと美鈴に向き直る。なんかもう緊迫して空気が台無しになっている気がするが、そこは二人のバトル次第なのだろう。激しいバトルを繰り広げれば繰り広げるだけ、空気は緊迫するのだから。

 良夜の動きを読むために神経を研ぎ澄ませている美鈴を見て、良夜はニィィィィと裂けそうなほど愉快そうに口を歪めて言う。

 

「――――俺の『最弱《さいきょう》』はちっとばっか響くぜ?」

 

 



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第十七話 VS紅美鈴②

 我らが配達屋こと沙羅良夜の中二病宣言が放たれてから数分後、

 

「ぐごぎゃぁぁあああああああああああああああああああーッ!?」

 

 ――紗羅良夜は盛大に紅魔館の壁に埋没していた。

 相手に勘違いさせる能力――『目にもの見せる程度の能力』と蹴り技を駆使して紅美鈴をギリギリのところまで追い込んだ良夜だったのだが、本気を出した美鈴の速度に追いつくことができず、脇腹直撃の回し蹴りでギャグ漫画のように蹴り飛ばされてしまったのだ。ゴギグシャメキボキィ! という効果音が鳴ってしまっていたが、果たして彼の骨は原形を保っているのか。甚だ疑問である。

 しゅぅぅぅぅ……と砂埃と煙を上げながら沈黙する良夜。体がぴくぴくと痙攣している点から察するにまだ何とか生きているようだが、骨の一本か二本は確実に持っていかれていることだろう。最弱だと自称するだけあって人外級に打たれ強い良夜だが、それでも無傷とはいかないのだ。

 完全に噛ませ犬と化している良夜が昇天直前まで追い込まれている中、良夜を蹴り飛ばしたまま凍りついていた美鈴はハッと気づいたように目をぱちくりさせ、

 

「あのー、えと……やりすぎちゃいました?」

 

 苦笑しながら今さらなことを言い放った。

 

 

 

 

 

  ☆☆☆

 

 

 

 

 

 加害者である美鈴によって寝室に運ばれた被害者良夜は現在、体中に包帯を巻きまくって高級そうなダブルベッドの上で絶賛療養中ということになっている。

 傷の具合をあえて言うならば、肋骨三本骨折、打撲傷多数、打ち身、内出血、右腕にヒビ、左足骨折……エトセトラエトセトラ。ぶっちゃけ重傷という言葉では片づけられないような有様と化していた。

 一応は応急処置の知識を持っている小悪魔に治療してもらったわけだが、流石に完全回復という訳にはいかなかった。美鈴自作の漢方薬も半ば無理矢理飲まされてしまったことで、良夜の顔色は青を通り越して紫色になってしまってもいる。

 結論。

 今の良夜はいつ死んでもおかしくないんじゃね?

 

「も、申し訳ありません配達屋さん! 流石にやりすぎましたぁーッ!」

 

「いや、別に謝る必要はねーって。正々堂々の勝負の下での結果なんだから、単純に俺の実力不足だよ」

 

 なにこの人イケメン……という評価を下されることもありそうな発言をしつつも苦笑を浮かべる良夜さん。仕事である配達の中で体を鍛えていなかったら確実に死んでしまっているであろう現実が怖ろしいのだが、そういうところが彼の悪運の強さの賜物だろう。家主である鴉天狗との日々は無駄ではなかったのだ。

 だが、ここで一つ問題が浮上する。

 良夜は紅魔館の専属メイドである十六夜咲夜から脅迫……もとい頼まれて一週間紅魔館で働くことになっていたわけなのだが、流石にこの状態では仕事を続行するのは不可能だろう。腕一本程度ならばなんとかなっていたかもしれないが、左足を負傷してしまっているのがなんとも痛い。松葉杖を使ったとしてもせいぜい料理をするぐらいが限界だろう。

 あまりにも突然すぎる展開をほぼ直接的に作り出してしまった張本人な美鈴はずぅぅぅぅぅぅんと絶賛絶望中で、良夜の目には確かに彼女の頭上に雨雲が形成されているのが見えている始末。あのまま放っておいたら最終的にキノコとかなめこが生えるんじゃないか? と嫌な予想をしてしまうほどだ。

 一応はレミリアの厚意で紅魔館の家事を妖精メイドと小悪魔に任せているので、今の良夜はハッキリ言って暇である。

 なので良夜ははぁぁと小さく嘆息してから美鈴に苦笑を向け、

 

「なんかお互いに責任感じちまってるみてーだからさ、今から二人で人里に気分転換でも行かねーか?」

 

 ――鴉天狗とメイド長と聖徳道士がブチギレそうな発言をした。

 

 

 

 

 

  ☆☆☆

 

 

 

 

 

 紅魔館の主であるレミリアに許可をとり、良夜と美鈴の二人は人里へとやって来た。

 通常では歩行すら不可能な良夜は紅魔館に何故か置いてあった車いすに乗り、美鈴に後ろから押してもらっている。良夜の重傷の原因である美鈴は断ることも無く車いすを押しているわけだが、彼女の本心としては、こういうところで鴉天狗とかメイド長とか聖徳道士とかに空けられてしまった差を埋めたいだけなのだ。良夜との絡みが極端に少ない彼女は、健気な自分を売り込むことに全てを賭ける。

 少しだけ頬を紅潮させている美鈴に車いすを押してもらいながら、良夜は言う。

 

「とりあえずどっかで飯でも食わねーか? もーそろそろ夕飯の時間だし、どっかの飯屋にでも入ろーぜ? 大丈夫、紅魔館組は小悪魔が料理作るらしーし、飯代に関しては俺が奢ってやるからさ」

 

「で、でも、流石に奢ってもらうのは悪いというかなんといいますか……配達屋さんにはいつもお世話になっていますので、こういう時ぐらいお役にたちたいというか……」

 

「なーに畏まってんだよ、美鈴。お前にゃ武術とか教えてもらったり寝顔を堪能させてもらったりしてんだから、おあいこだっての」

 

「ッッッ!? ちょっ、居眠りの話は止めてくださいよぉ!」

 

「あははっ、スマンスマン」

 

 がちゃがちゃと車いすを鳴らしながらも楽しそうに会話する二人。どこからどう見てもラブラブなカップルにしか見えないのだが、彼らは単なる友人同士なのだ。鴉天狗を始めとした三人の嫉妬狂が見たら修羅場確定な光景なのだが、二人に悪気があるわけじゃあないので奇襲は不可能だろう。というか、今この場に介入したら完全に悪役になってしまう。

 そんなこんなで二人は人里のほぼ中央に佇む居酒屋へと入っていく。

 店内は中年のオッチャン達でにぎわっていて、良夜と美鈴の存在はやけに浮いていた。まぁ、若い二人が中年のオッチャン達の中に紛れることなんて不可能だろう。逆に紛れ込めたら込めたで何か大切なモノを失ってしまったような気がするが。

 

「へいらっしゃい! って、おやおやぁ? 良夜オメェ、今日は違う女と来店かぁ? くぅーっ、隅に置けないねぇ」

 

「変な風に言うなっつーの! 別に他意はねーし疚しい気持ちもねーよ!」

 

「がっはっは! まぁまぁ、店主もそこらへんにしといてやれって。ほら配達屋に門番のお嬢さん、こっちに座った座った!」

 

「あ、はい。ありがとうございます」

 

 既に酒がまわって顔が赤くなっているオッチャン達に促され、良夜と美鈴は店内の中央にあるテーブル席に腰を下ろす。車いすの良夜は美鈴に体を抱えてもらい、ゆっくりとイスの上に座らせてもらっていた。まるで介護だなとか言っちゃいけない。

 普通ならばここで良夜の怪我について言及するのだろうが、空気が読めることに定評がある人里のオッチャン達は目くばせをしながら良夜と美鈴に日本酒を渡し、豪快な笑い声をあげる。

 

「がっはっはっは! この酒は俺たちからの奢りだ! じゃんじゃん飲んでくれ!」

 

「いやいや、俺は酒飲めねーんだって。店主さん、お冷持ってきてくれませんかー?」

 

「へいっ、水割り一丁!」

 

「お冷だって言ってんだろ!」

 

 メチャクチャいい笑顔で渡された水割り(何故か特大ジョッキ)を近くに座っていた八百屋の店主に渡し、良夜は改めてお冷を注文する。というか、お冷ぐらいサービスで渡せないのかこの店は。

 

「かっ! 十八にもなって酒が飲めねえたぁ、修行が足りねぇなぁ!」

 

「いやいや、外の世界じゃ未成年だから禁酒が当たり前なんですけどー? 酒が飲めなくて当たり前なんですけどー?」

 

「配達屋さん、お酒も飲んでみれば美味しいですよ?」

 

「いやいや、美鈴ぐらい俺の味方してくれよ。そして美鈴が賛同したからってそこのおっさんどもは盛り上がんな! ただでさえ暑いのに更に暑苦しくなるわ!」

 

『文ちゃんと同棲してるくせに他の女誑かしてるやつは黙ってろ!』

 

「だから誤解だっつってんだろ!」

 

『文ちゃんに言いつけるぞクソガキ』

 

「店主! 今日の支払いは俺が全額もちます!」

 

「へいっ、毎度ありー!」

 

「焼酎追加ねー」

 

「あ、じゃあこっちはたこわさび頼むわ」

 

「鳥皮二人前追加!」

 

「何て現金なんだこの人たち!」

 

 急激に増加した追加注文に財布の中身が心細くなりながらも、良夜は周囲のオッチャン達と盛り上がる。結構な頻度で人里に下りてくる良夜は何故かオッチャン達に好かれていて、いつもこんな感じでいじられているのだ。

 美鈴もフランドールの護衛として人里には時々来るが、流石にここまで歓迎されたことはない。今がちょうどテンションが上がる時間であるというのもあるのだろうが、美鈴がここまで歓迎されたのは良夜の存在のおかげだろう。

 コミュニケーション能力が高いわけじゃなく、人にただ好かれやすいだけ。

 そんな人柄が、美鈴に良夜を更に好きにさせるのだ。そんな良夜が、美鈴の心を更に惹きつけてしまうのだ。

 良夜に好意を抱き始めたのは、とても些細なことが理由だったかもしれない。文や咲夜や神子に比べれば、話題に挙げるようなことでもないのかもしれない。

 だが、それでも、美鈴は良夜のことが大好きだ。普段から受け身な美鈴だが、絶対にこの人を振り向かせてみせる、と確固たる意志を持っていたりもする。

 頭を使うことが苦手だから、恋の駆け引きなんてことは苦手だ。――それでも、絶対に諦めるわけにはいかない。

 普通の女子より不器用だから、自分を売り込むなんてことは苦手だ。――それでも、絶対に譲るわけにはいかない。

 良夜の想いが鴉天狗に向いていようが関係ない。一夫多妻制が認められている幻想郷なんて理由も関係ない。

 紅美鈴は己の全力を以って、沙羅良夜を惚れさせる。

 どう考えても難易度が高い目標かもしれないが、それでも絶対に実現してやる。私にも女としての意地があります!

 ――だが、まぁ、まずは。

 

「ほらほら飲め飲め飲めェェェェェェェェーッ!」

 

「一気! 一気! 一気!」

 

「げげごぼがばばばぼぼぼぼぼ!」

 

 ――酒に物理的に溺れている愛しい人の救出から始めますかねぇ。

 

「ちょっ、みなさぁん!? 急性アルコール中毒は流石にヤバイですって!」

 

 紅美鈴。

 紅魔館の門番にして、恋する乙女な妖怪。

 彼女は今日も、不器用ながらに人一倍努力しながら前に進んでいく。

 



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第十八話 豊聡耳神子


 第十八話です。

 そろそろこの作品も二十話を越えますね。

 東方霊恋記で行われているキャラ投票なる催しをこちらでもしたいなーとは思ってますが、流石にお気に入り登録千件以上のあの作品ほどの投票は期待できないかなーとも思っています。
 皆さんのリアクション次第でやろうかどうか決めたいと思いますので、ご一報よろしくお願いします。

 ※今回のお話はギャグ四割シリアス六割の構成となっております。

 それでは、第十八話――スタート!



 

 沙羅良夜は昨日、紅魔館の門番をしている紅美鈴と一緒に居酒屋に行った。――うん。そこまでは何ら問題はない。記憶もしっかり残っている。

 だが、その後のことがあまり思い出せない。原因としてはスコールのように飲まされた日本酒が考えられるだろうが、今はそんなことはどうでもいい。

 そう、今現在の目下の問題は――

 

『いらっしゃいませー! 『聖徳道士様のお悩み相談室』へようこそーッ!』

 

 ――遠くの方から聞こえる意味深なセリフについてだ。

 酒を(文字通り)浴びるように飲んだせいで頭がガンガンと痛むが、良夜はゆっくりと体を起こす。何故か良夜は見覚えのない和室で、見覚えのない布団の中で横になっていた。昨日負ったはずの傷は何故か完治していて、体のどこにも傷なんて残っちゃいない。

 「???」展開が急すぎて頭の上に無数の疑問符を浮かべつつも、良夜は布団から抜け出して声のする方へと歩いていく。何故かいつもの学生服ではなくて和服に着替えさせられていることに疑問を覚えるが、とりあえず今は考えないことにしよう。誰かに着替えさせてもらったとか言うオチだったら死にたくなるし。

 畳の上を歩き、真っ白な障子の前まで到達。外はもう朝を迎えているようで、障子の向こうから差し込む日光が良夜の目を刺激する。良夜は反射的に右手で目を覆った。

 そしてやっとのことで光に目が慣れたので、良夜は思い切り障子を開く。

 そこには――

 

「神子様ぁ! 次のお客さんを入れてもよろしいですかー?」

 

「オイ布都! まださっきのお客様を入れてから十秒も経っていないだろう! 少しは太子様の苦労も考えろ!」

 

「いえいえ、別に構わないわよ、屠自古。布都、次のお客様を連れてきてくれませんか?」

 

「あい分かった!」

 

 ――古代日本を彷彿とさせる三人の仙人の姿があった。

 

 

 

 

 

  ☆☆☆

 

 

 

 

 

 彼女たち三人が仕事を終えたので、良夜は異界にある巨大な屋敷へと連れて行かれ……もとい招かれた。

 屋敷の中は豪華な装飾と高級そうな家具が確かな存在感を放っていて、静かに良夜を圧倒していた。特にあのごつくてデカい武士鎧。あんなの一体どこで手に入れたんだろうか。

 屋敷の中でも客室に当たるのであろう大きめな部屋に連れてこられた良夜は現在、これまた高級そうなテーブルの上に頬杖を突いている。顔には既に困惑の表情が見て取れ、彼がいかに異様な状況に包まれているかを顕著に表している。

 そして、良夜とテーブルを挟んで正座している栗色で猫耳のような髪型の女性――豊聡耳神子(とよさとみみのみこ)はずずーっと緑茶を啜り、

 

「お久しぶりですね、沙羅良夜。三日ぶりぐらいかしら?」

 

「まず最初に状況説明から始めてくれませんかねぇ!?」

 

 額に青筋を浮かべながらテーブルをドン! と叩く良夜に少しだけびくっとしながらも、神子は平静を取り戻して良夜を鎮めるように言う。

 

「話は簡単なのですよ、良夜。君は咲夜さんの代わりに紅魔館で仕事をしていた。ですが、美鈴さんとの決闘で大ケガを負ってしまい、仕事の続行は不可能。ここまでは間違っていないかしら?」

 

「なんでそんな細かいことまで知ってるのかについては寛大な俺はスルーしてやる」

 

「ありがとうございます。それで、君は大ケガのせいで咲夜さんの代わりはできない。結局はただの足手まといになってしまうだけだもの、君は凄い罪悪感に囚われるでしょうね。そう思った私は君の傷を治療し、この屋敷まで連れて行きました」

 

 「そんなわけで」と付け加え、神子は満面の笑みで言う。

 

「次は私の番なのです」

 

「ごめん、神子。最後の言葉で分かりそーだった話が逆に分かんなくなっちまったんだ」

 

「今日はもう仕事もありませんし、一緒にお風呂なんてどう?」

 

「だから俺の話を聞いてくれませんかねぇ!? 展開が急すぎるって何度も言ってますからぁ! そして一緒に風呂はマズイ! 個人的にはメチャクチャ嬉しいが、これが文に知れたら絶対に殺されるって!」

 

 同棲相手であり家主でありある意味では両想いである鴉天狗の射命丸文の静かな怒りを経験したことがある良夜としては、文に怒られる要素をこれ以上増やすわけにはいかない。すでに美鈴関係で腕の一本は持っていかれる危険があるというのに、神子と一緒に風呂なんて入ってしまったら……首をもぎ取られるかもしれない。

 自分の首を病んだ笑顔でもぎ取る文を想像して全身に鳥肌を浮かべる良夜だったが、神子はそんな良夜を腕を掴んで思い切り引っ張った。

 

「さぁっ、行きましょう良夜! お風呂の準備は既にできてるわ!」

 

「俺の心の準備はできてねーけどな! ちょっ、マジで勘弁してください! せめて、せめて俺の心の準備ができるまでは待ってくれェええええええええええええええええええーッ!」

 

 五日後ぐらいに襲いくるであろう恐怖に良夜は身を震わせるが、そんなことなど知る由もない神子は彼を風呂場まで連行する。

 

 

 

 

 

  ☆☆☆

 

 

 

 

 

 ぶっちゃけた話、今の状況は幸せです。

 神子に風呂場まで連行された良夜は現在、銭湯かよと言わんばかりに広い湯船の中で温かいお湯に浸かっていた。――背後に神子が密着する形で。

 今も妖怪の山のてっぺんで鴉天狗の集会に出席している文に心の底から謝罪しつつも、背中から伝わってくる柔らかな感触に意識を持って行かれそうになっている。一般女性よりもスタイルが良い神子の形の整った双丘が自分の背中に押し潰されて形を変えているのが直に伝わってくるが、良夜は本能に負けないように必死に耐える。俺の理性、根性見せろ……ッ!

 

「ん? 君、心臓の鼓動が早くなっていますよ? もしかして、私の裸にドキドキしていたりするのかしら?」

 

「ン、ンなわけねーでしょう!? お、俺は別に、柔らかいなーとか良い感触だなーとかなんて思ってねーからな!?」

 

「はいはい、相変わらず素直じゃないわねぇ。人の欲が分かる私に、嘘なんて意味ないですよぉ?」

 

「バッ、さらに身体を押し付けんな!」

 

 むぎゅっという音と共に背中に当たっている双丘が押し潰され、良夜の理性をガリガリ削っていく。湯気のせいで頭がぼーっとしてきているので、これ以上はヤバイかもしれない。

 一方、良夜に抱き着いている神子はというと。

 

(は、恥ずかしいけど仕方がありません! 文さんと咲夜さんに比べて良夜との絡みが極端に少ない私は、お色気ポイントで距離を縮めるしかないッッッ!)

 

 結構必死だったりする。

 良夜に恋する聖徳道士は住んでいる場所と仕事の都合上、良夜に会える機会が少ない。なんとか暇を見つけて良夜のもとを訪ねてみたりはするのだが、そういう時に限って良夜が外出中なのだ。悪霊でもついてんのか私は! とか思いながら部下二人に泣きついたのは記憶に新しい。

 そんな不遇な彼女が良夜の好感度を上げるためにお色気作戦に出てしまうのは、まぁ責められることでもないだろう。神霊関係ならエキスパートな彼女も、悪霊が齎す災いには勝てなかったという訳だ。本当に悪霊がついているわけじゃあないが、そこはほら、言い訳だと思ってほしい。

 良夜の身体に背中から腕を回し、顔を彼の顔の真横まで移動させる。これで本当の意味で二人の距離はゼロになった。

 良夜は顔を真っ赤にしながら叫ぶように言う。

 

「分かった! お前の身体の感触が気持ち良くて俺が幸せなのは認めよう! だから頼む、とりあえずは俺を解放してくれ!」

 

「いやです。絶対に離さない」

 

「いやとか言われても! これ以上こんなことやってたら、文に怒られちま」

 

「文さんの気持ちだけじゃなくて、私の気持ちだって考えてよ!」

 

「ッ!?」

 

 悲鳴のような絶叫が浴場に響き渡る。

 神子の叫びに良夜は目を見開くが、反論するわけでもなくそのまま沈黙した。

 良夜が静かになったと同時に、神子は良夜を抱きしめながら言う。

 

「こんなに君が好きなのに! 君は文さんのことばかり! 分かってる、私のこの想いが一方通行な思いだってことぐらい、分かっているんです! 君が本気で文さんのことが好きだってことぐらい、分かっているのよ! ……でも、このまま何もせずに恋が終わってしまうだなんて、悲しすぎるじゃない!」

 

「…………」

 

 沈黙する良夜に構わず、神子は続ける。

 

「別に君に文さんを諦めろって言っているわけじゃない! 本当は私にその想いを全て向けて欲しいけど、それが叶わぬ願いだってことぐらい分かっています! でもっ! 私だって! 君と一緒にいたいのです……ッ!」

 

「神子……」

 

 彼女の顔は、涙でぐしゃぐしゃになっていた。目は真っ赤に腫れ上がり、大量の涙で瞳も潤んでいた。

 神子の気持ちには気づいている。それは、良夜が紅魔館でレミリアに言った言葉だ。神子が自分に好意を向けていることぐらい分かっているし、神子が自分に恋をしていることだって知っている。

 だが、沙羅良夜は射命丸文のことが好きだ。

 神子のことだって好きだし、咲夜のことだって好きだ。美鈴のことだって好きだし、フランドールのことだって好きだ。――だが、それ以上に、文のことが好きだ。

 自分が優柔不断なのは分かっている。――だが、ハーレムだなんてふざけたことは絶対にしないと心に決めている。

 だから、良夜は神子の想いには応えられない。もちろん、咲夜と美鈴とフランの想いにも応えられない。今の仲のいい友人という関係でストップさせないと、自分は最低の人間になってしまうから。

 良夜は自分を最弱の人間だと思っているが、最低の人間にはなりたくないと思っている。選べないからみんな好き、だなんて最低な行為は絶対にしないと決めている。

 だから、良夜はココで神子に言わなくてはならない。自分は文のことが好きだからお前の想いには答えられない、と。

 

「……神子、俺は」

 

「いいのです、分かっています。私は人の欲を読めるから、君が言いたいこともちゃんと理解しているわ」

 

 「だけど、これだけは言わせてほしいのです」今もなお涙を流し続けている神子は複雑な表情をしている良夜の顔を両手で抑え、

 

「――愛しています、良夜」

 

 自分と良夜の唇を重ねた。

 





 感想・批評お待ちしております。

 次回もお楽しみに!


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第十九話 最弱の少年は覚悟を決める

 ついに総じて二十話目です、やったー。

 ここまで続けてこれたのは皆様の熱いメッセージのおかげですね。

 この話で完結という訳じゃあないですが、彼なりのハッピーエンドを期待していただけると幸いです。

 果たして良夜はどんなハッピーエンドを選ぶのか。

 最弱と恋愛が交錯する時――物語は始まる!



 豊聡耳神子が沙羅良夜と出会ったのは、今から五か月ほど前のとある冬の日だ。

 幻想郷での立ち位置獲得のために奔走していた神子は、何日間も飲まず食わずで職探しを行っていた。低賃金でもなんでもいいから、とにかくこの幻想郷で居場所を作らなければならないと考えたからだ。

 だが、人間だった時ならいざ知らず、今の神子は尸解仙だ。例え容姿が人間そっくりだとしても、不老不死で仙術を使うことができるような存在を、そう簡単に雇ってくれる人などいるはずもない。

 結果、神子は睡眠不足と過労でぶっ倒れてしまった。二人の配下が待っている異界の家で倒れたのではなく、人里と妖怪の山を繋ぐ、雑草が生い茂った道のど真ん中で。

 暗闇の中から抜け出すように意識を取り戻した神子の前には、美しい銀色の髪を持つ目つきの悪い少年の姿があった。

 暖かな布団に横たわっている神子に少年は優しく笑みを向け、彼女の頭を撫でながら言った。

 

「大丈夫か? そんな綺麗な服着てあんなとこにぶっ倒れてたら、追い剥ぎとかに遭っても文句は言えねーぞ?」

 

 初めての経験だった。

 幻想郷に来て怖れられたり崇められたりされたことはあっても、優しく頭を撫でられて心配されることなんてなかった。自分は強いし死なないから、他人に心配されるなんて言う経験はしたことが無かった。

 そんな些細なことで少年に気を許してしまった神子は、自分の悩みを少年に話した。胸のもやもやを取り除くために、神子は自分を苦しめている悩みを全て話した。――その間、少年は真剣な表情で相槌を打ちながら神子の話を真剣に聞いてくれた。

 そして神子が話し終えると、少年は彼女の目を真っ直ぐ見ながらこう言った。

 

「人の欲を読むことができるってんなら、さ。人里で相談室を開いてみたらどーだ? 人の欲を聞いて解決して、自分の居場所にする。――お前にしかできねー、お前だけの仕事だと思わねーか?」

 

 その一言がきっかけで、神子はすぐに人里に相談室を設けた。配下である物部布都と藤原屠自古の協力の下、人里に住んでいる人間たちの悩みを必死に解決していった。

 最初は少なかった客足は、口コミのおかげか一週間もしないうちに大盛況と言って良いほどにまでに増加した。毎日が大変だったが、今までの生活よりも格段に充実していた。

 そんな生活が二か月ほど続いたころ、神子の中でこんな考えが芽生えてきていた。

 

 あの少年にお礼が言いたい。

 この生活を作り上げるきっかけをくれた、あの少年にお礼がしたい。

 

 思いついたら何とやら。神子は相談室の営業時間終了後、すぐに少年が住んでいる家へと向かった。道でぶっ倒れていたのを助けられて以来一度も行ったことはなかったが、神子は何とか彼の家までたどり着くことに成功した。

 胸が高鳴り、頬が自然と熱くなる。いつもみたいに冷静な判断ができず、心臓の鼓動が鼓膜を強く刺激する。

 思わず退散してしまいそうになるが、神子はそんな弱気な自分をぐっと抑えつけ、扉を数回ノックした。

 留守だったらどうしよう、というのはどうやら杞憂だったようで、「うぃーっす」という面倒くさそうな返事と共に扉がゆっくり開かれた。――中から出てきたのは、あの時の少年だった。

 二か月ぶりの再会に神子は混乱してしまいそうになるが、何とか声を絞り出して彼にお礼の言葉を告げた。君のおかげで私は変われた。ほんとうにありがとう――と。

 そう言って頭を下げる神子に少年は慌てた様子で彼女に頭を上げさせ、

 

「べ、別に礼なんていらねーよ。俺はただ、単純なアドバイスをしただけだしな。自分の居場所が作れたのは、お前自身の力なんだと思うけどな」

 

 その言葉は胸にゆっくりと溶け込み、神子の心を満たした。

 それと同時に胸の奥がかっと熱くなり、神子の中で一つの感情として再構築されていった。

 

 ――そっか。

 

 ――私、この人のことが好きなんだ。

 

 その日から、豊聡耳神子は、少年――沙羅良夜に恋をした。

 

 

 

 

 

  ☆☆☆

 

 

 

 

 

 恋愛、か。

 無数の星が瞬く夜空を見上げながら、沙羅良夜は小さな声で呟いた。

 風呂場で神子とあんなことがあった後、神子は顔を真っ赤にして良夜の前からいなくなった。夕飯の席にも姿を見せなかった。配下の二人の話によると、自室から一向に出てきてくれないらしい。

 現在、良夜は神子たちの屋敷がある異界の外――幻想郷のとある広場で横になっている。雑草が生い茂っていて、小さな虫たちが所狭しと飛び交っている。

 今の良夜の服装は意識を取り戻した時とは違い、普段の学生スタイルだ。だらしなく着崩した白のカッターシャツに黒い半袖シャツ。下には黒のスラックスと黒のスニーカーを着用している。

 そんな広場のど真ん中で横になっている良夜は物憂げな表情を浮かべ、頭をガシガシと掻く。

 

「流石にこのままじゃ、駄目だよなー……早く決着つけねーといかんのは分かってっけど、そー簡単に割り切れる問題じゃねーしなー……はぁぁぁ」

 

 彼が言っている問題というのは、良夜を中心とした恋愛劇のことだ。

 五人の女性から想いを寄せられている良夜は、自分に一番近い女性――射命丸文のことが好きだ。他の四人のことも好きなのだが、それ以上に文のことが好きだ。

 常識的に考えれば、さっさと文に告白して他の女性を切り捨てるべきなのだろう。いくら一夫多妻制が認められている幻想郷だと言っても、複数人の女性と同時に付き合うだなんてあまりにも節操なし過ぎる。それはいわゆる最低な人間と呼ばれてしまう結末だろう。 

 だが、今の良夜は悩んでいる。神子が自分に向けている感情について気づいていたとはいえ、まさかあんな積極的な行動に出るとは思いもしなかった。

 夜風によって冷たくなった指で、唇を軽く触る。未だに神子の唇の感触が残っていて、思わず頬が熱くなる。

 

「一応、ファーストキスなんだよな。記憶がねーから分からねーけど、あの母親が俺の恋愛を許してくれていたとは到底思えねーしなー……」

 

 自分にキスをした後の、今にも泣きだしそうだった神子の顔が忘れられない。顔を真っ赤にしながらも自分を恥じるように去って行った神子の姿が、忘れられない。

 文を選んで、神子を傷つける。

 文を選んで、咲夜を傷つける。

 文を選んで、美鈴を傷つける。

 文を選んで、フランを傷つける。

 その選択は一般的に考えれば正解なのかもしれない。一人の女性を選ぶために他の女性を切り捨てるのは、普通なのかもしれない。

 だが、本当にそうなのか?

 もっと良い方法があるんじゃないのか?

 誰も傷つかず、誰も傷つけず、皆が笑顔のハッピーエンドがあるんじゃないのか?

 今まで最低だと思っていた一つの選択肢が頭をかすめ、良夜はぐしゃっと前髪を右手で掻き上げる。

 

「ハーレム、とか、意味わかんねーよ……みんなが大好きだからみんな一緒に暮らそう、とか、最良の選択なんてあんのかよ……」

 

 夜風が頭を冷静にしてぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐると頭の回転を促すが、同時に良夜の心を締め付けていく。ズキズキと頭は痛み、胸は今にも潰れそうだ。

 そして、再び視線を夜空に戻す。無数の星たちが美しく瞬いている、夜空に戻す。

 

「空は、あんなに多くの星を受け入れてんだよな……一等星だけじゃなく、他の全ての星を……」

 

 歪んだ考えであえて問うが、ハーレムというのは星空のようなものなのか?

 一つ一つが美しく輝く無数の星々をすべて受け入れ、その輝きを全く色褪せさせることなく存在させている。

 みんなが笑顔のハッピーエンド。

 まさにこの星空みてーだな、と良夜は呟く。自嘲気味に自虐気味に、小さな声で呟きを漏らす。

 空は存在が希薄――まさに『虚ろ』なものなのに、あんなにも多くのものを受け入れることができる。自分自体には価値なんてないのに、全てを受け入れることでその存在を濃くしていく。

 と、そこで良夜の頭に何かが引っ掛かった。

 

「『虚ろ』だからこそ、全てを受け入れられる……?」

 

 沙羅良夜は幻想郷で一番『虚ろ』な人間だ。

 自分を構築するはずの記憶が『無い』――『虚構』。

 自分の言葉に意志が宿ら『無い』――――『虚言』。

 自分の態度に意味が『無い』――――――『虚勢』。

 自分の心になにも存在し『無い』――――『虚心』。

 中身なんて無くて、意味なんて無くて、目的なんて無い。

 ただそこにいるだけの人間で、

 ただ生きているだけの人間で、

 ただ足掻いているだけの人間で、

 ただ動いているだけの人間で、

 ただ強がっているだけの人間で、

 ただ嘘を吐き続けているだけの人間で、

 ただ弱いだけの人間だ。

 

 ――そんな俺に、みんなを受け入れることができるのか?

 

 ――覚悟も無くて意志も弱い俺なんかに、あいつらを受け入れられるだけの価値があるのか?

 

「……いや、そーじゃねー。価値があるとかないとか、関係ねー」

 

 ゴスッという鈍い音が鳴った。

 それは、良夜が自分自身の顔を本気でぶん殴った音だった。

 

「っ……でも、これで、覚悟だけは手に入れた。十秒前よりも俺は一歩だけ、前に進めたはずだ」

 

 横たわっていた姿勢から、ジャンプして起き上がる。動きに合わせて揺らめく銀髪が月に照らされ、煌々と輝く。

 俺は誰よりも弱い人間だ。意志が弱くて心が弱くて――すべての点で劣っている、最弱の人間だ。

 だが、覚悟だけは手に入れた。

 

「文を幸せにしたい」

 

 清く正しい鴉天狗の顔が浮かぶ。

 

「咲夜を幸せにしたい」

 

 強く凛々しいメイドの顔が浮かぶ。

 

「神子を幸せにしたい」

 

 儚く優しい聖徳道士の顔が浮かぶ。

 

「美鈴を幸せにしたい」

 

 熱く勇ましい門番の顔が浮かぶ。

 

「フランを幸せにしたい」

 

 幼く狂おしい吸血鬼の顔が浮かぶ。

 

「……やってやる。やってやろーじゃねーか」

 

 ニヤリ、と良夜の口が三日月のように裂ける――だが、悪意なんてどこにもなかった。

 弱い自分に言い訳をしていたからこそ、自分の選択肢を自分が勝手に少なくしていただけだった。手を伸ばせば届くのに、あえて自分が避けているだけだった。

 良夜は一気に空気を吸う。幻想郷に満ち溢れている幸福を全て吸い取るかのように、深く深く深く深く深く深く深く――深呼吸をする。

 そして、大きく口を開け、

 

「ハーレムルートがどーした! 俺は――五人全員を幸せにしてやんよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーッ!」

 

 良夜の顔には、もう躊躇いなんて存在していなかった。

 良夜の心には、もう迷いなんて存在していなかった。

 自分の身体じゃないみたいに身体が軽い――いや、やっと自分の身体を取り戻したと言った方が正しいか。

 覚悟を決めて意志を以って決意を刻んだ沙羅良夜は、脇目も振らずに走り出す。

 目的地は――妖怪の山山頂。

 そこには、彼が最も大事とする鴉天狗の少女がいる。

 

「まずは文を説得して最高に最大に最強に幸せにする! 話はそれからだ!」

 

 沙羅良夜は走り出す。

 弱い自分を少しだけ成長させ、最愛の少女の元へと走り出す。

 

 物語は動きだす。

 最弱な少年が、最弱な選択をして、最弱なハッピーエンドを迎える。

 

 ――これは、そんな物語――

 




 感想・批評お待ちしております。

 次回もお楽しみに!


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第二十話 潜入! 鴉天狗の集会所!

 射命丸文に告白し、ハーレム構築を許してもらう。

 難易度ルナティックな茨道をあえて自分から選択した沙羅良夜が行うべき攻略法の第一段階は、文字で書いてみればとても簡単に思えるようなことだった。

 

「大丈夫、大丈夫だって。自分自身と文を信じれば、きっと状況は良い方向に回るはずなんだ……ッ!」

 

 たらり、と嫌な汗が顎を伝って地面へと落ちていく。

 現在、良夜は妖怪の山にこれでもかというばかりに生い茂っている木々の枝の間を飛び交っている。どう考えても人外生物が行うべき行動だが、良夜は『目にもの見せる能力』で『自分自身に「この距離ぐらい余裕」と思い込ませる』ことで、忍者顔負けの枝渡りを実現させているのだ。

 現在良夜が向かっているのは、妖怪の山山頂にある鴉天狗の集会所だ。そこでは今も鴉天狗の集会が行われている『はず』で、そこには今現在も射命丸文が滞在している『はず』なのだ。いや、確信が持てないのは仕方がない。だって携帯電話とかないんだし。

 太い枝を選んでぐんぐんと山頂に近づいて行く良夜。時折、木の根の方に鬼熊やら人面犬やらという『見つかったら絶対に殺されるよね』級の妖怪の姿が見えたり見えなかったりしていたが、良夜は恐怖心を頑張って押さえ込んでただがむしゃらに山頂へと突き進んでいく。

 

「文に何て言えばいーんだろーなぁ? ……『文、好きだ! 一緒にハーレムを作ろーぜ!』とか? いやいや、絶対に殺されるって」

 

 そして絶対に埋められる。

 イった目で扇を構える鴉天狗の姿を思い浮かべてしまったせいで顔面蒼白な良夜は、回転が悪くて鈍い頭を必死に働かせながら最善の一言を思考する。

 

『好きだ! 絶対に幸せにしてみせる! だからその、ハーレム構築を許してください!』

 

 ――駄目だ。『だからその』の辺りで首ちょんぱされる光景しか浮かばねー。

 

『覚悟はできてる! だから、俺のハーレムの一員になってください!』

 

 ――却下。もはや単純に性欲旺盛な最低男に成り下がっちまってる。

 

『ハーレム王に、俺はなる!』

 

 ――削除削除っと。

 

「………………ありゃ? さっきからバッドエンドしか選択出来てなくね?」

 

 頭が悪いせいなのか選んだルートが悪いせいなのか、とにもかくにも全ての発言がバッドエンド直行になってしまう良夜さん。ゲームのレビューだったら『クソゲー・オブザイヤーに選ばれてもおかしくない出来』とかなんとか言われてしまうかもしれない。――それぐらいに難しい茨道なのだ。

 流石は難易度ルナティックと言ったところか。もし文の同意を得られたとしても、他の四人の女性を説得しなければならないのだ。五人全員を幸せにするとか何とか覚悟を決めたのは良いのだが、それ以前に果たして良夜は自分の命を守ることができるのだろうか。刺されて死亡エンドとかにならなければいいのだが。

 そんな悪い未来しか考えられない良夜の目に、巨大なお寺のようで屋敷のようにも見える、とにかく馬鹿でかい建造物が見えてきた。

 鴉天狗の集会所。

 射命丸文の他に数百もの鴉天狗が集まっている、妖怪の山最大の建造物だ。

 

「…………っべー」

 

 有効打になり得る武器を選択できないまま、良夜の難易度ルナティックな文ルートが開幕した。

 

 

 

 

 

  ☆☆☆

 

 

 

 

 

 とにかく今は文の居場所を知る必要がある。

 そう判断した良夜は、コソ泥の様に姿を隠しながら集会所に侵入した。

 

「『アタシ』、この能力持っててホントに良かったわ。雪走みたいな能力だったら、侵入することすら不可能だっただろうしね」

 

 『目にもの見せる程度の能力』

 自分や相手の五感を勘違いさせるという能力なのだが、良夜はこれを使って『良夜の姿を視認できなくした』のだ。

 これだけだと分かりにくいと思うのであえて例を挙げてみると、『眼には見えているのに「別に気にするほどでもないや」と思い込んで見逃してしまう』ということだ。

 視界の隅にあるものに意識が行かないときの様に、見えているのに把握できないときの様に、集会所の中にいる鴉天狗たちは沙羅良夜という一人の人間の姿を無意識に見逃してしまっているのだ。

 侵入にはもってこいの能力だと思われるかもしれないが、実はこの能力には致命的とも言える大きな弱点がある。

 

 良夜をよく知る人間には通用しない。

 

 分かりやすく言うと、沙羅良夜という人間の顔を毎日のように見ている存在には効果が無い、ということだ。

 どれだけ視界の隅が見逃しやすいエリアだとしても、流石に自分がよく知る人物が通り過ぎれば誰だって気づいてしまう。思わずそっちを見てしまった、というだけで良夜の能力は効果を失くしてしまうのだ。

 しかも、良夜の能力はとても不安定なモノなので、良夜を知らない人物でも時折視認出来てしまったりする。能力の例外になる人物が現れる確率は、良夜自身にもわからないが、高くて二十パーセントと言ったところだろう。

 だが、良夜は既にその弱点をカバーすることに成功している。

 

「あ、おはようございます、姫海棠はたて様」

 

「うん、おはよー」

 

 侍女のような職に就いていると思われる鴉天狗の女性の挨拶に片手をひらひらと振り、なんともだるそうに挨拶を返す。

 そう、良夜が弱点をカバーするために行った工作。

 

 

 その名も――『怪人百面相作戦』!

 

 

 相手に勘違いをさせるという能力の性質上、『視認できなくする』よりも『誤認させる』方が圧倒的に成功率が高い。

 なので良夜は自分を『姫海棠はたて』だと勘違いさせることで、能力の対象外となった人物の目から逃れることに成功しているのだ! ……だったら始めからそれだけやってろよ、と言いたいかもしれないが、隠蔽は二重にも三重にもした方が安全に作業を進められるものなのだ。異論は認めない。

 頭に残っている『姫海棠はたて』の歩き方や癖、更には表情や口調までもを完璧にコピーしながら文を捜索していく。

 

「うーん……ここにもいない、か……ともすると、もしかしてもっと奥の方にいるのかしら?」

 

 勘違いしてもらっては困るのでもう一度言っておこう。

 これはあくまでも『姫海棠はたて』になりきった『沙羅良夜』なのであって、別に良夜がオカマだとかそう言うことじゃないのだ! 

 

「あーもー……無駄にだだっ広いわね、この屋敷。こんなんで文を見つけるだなんて、本当にできるのかしら?」

 

 ひょこ、っと顔だけ覗き込む形で部屋の一つ一つを確認していく良夜(外見:はたて)。そんな行動ばかりとっていたら流石に不自然なので、「トイレってどこだったっけー?」とか言ったり「あぁっくそっ……また微妙な写真を念写しちゃったわ」とか言ったりして、屋敷の奥へと突き進んでいく。

 と。

 

「はぁ……ったく、貴女のせいで酷い目にあったじゃあないですか」

 

「あははっ、ごめんごめん。沙羅関係のことで顔が真っ赤になっちゃう文を見てると、つい調子に乗っちゃうのよね」

 

「やっべー! ご本人どころか姫海棠までもが参上しやがった!?」

 

 遠くの方から仲良さげに歩いてくる鴉天狗コンビを発見した良夜は、すぐに勘違い対象の外見を『姫海棠はたて』から『犬走椛』へと変更する。

 本当に変更が完了したかどうかを確かめるためにそこら辺を歩いていた鴉天狗さんに「おはようございます」と挨拶をしてみると、「あれ? 何でこんなところに犬走さんがいるの? あっ、もしかして文に用事? お疲れ様ぁ」と何の問題も無しにスルーされた。――セーフ。

 腰のあたりで小さくガッツポーズをする良夜だったが、いつの間にか結構近づいてきていた文とはたてに声をかけられた。

 

「あやや? どうかしたんですか、椛? 白狼天狗は今回の集会の呼ばれていないはずでは?」

 

「あ、文さまがこちらにお泊りになられている間の沙羅良夜の状況について報告に」

 

「詳しく聞かせなさい!」

 

「はひぃぃぃ!」

 

 『沙羅良夜』という名前を出しただけで眼の色を変えて両肩をガッシィィィ! と掴んできた文に心底ビビる良夜(外見:椛)。なんでこのタイミングで椛が良夜について報告に来るのか、とか、良夜と仲が悪いハズの椛が報告に来たことに違和感は感じないのか、とかいろいろとツッコミどころがないわけでもないが、とりあえず安全な立場を獲得することに成功した良夜は冷や汗を流しながらも椛の口調を意識して告げる。

 

「沙羅は紅魔館で過ごしていましたが、紅美鈴との決闘中に大ケガを負ってしまい、戦闘不能に。何故かそのまま豊聡耳神子に連行されて治療され、今は異界の屋敷で過ごしていると思われます」

 

「オーケー分かった。全面戦争よ!」

 

「こらこら、ちょっとは冷静になりなさいよ、このバカラス天狗」

 

「誰がバカラス天狗ですか誰が!」

 

 どこからともなく扇と剣を取り出した文に良夜は心臓が止まりそうなほど驚愕するが、基本的に第三者的立場なはたてが至って冷静に文を宥めていた。はたての活躍により、聖徳道士と鴉天狗の不毛な戦争が始まるのだけは避けられた。

 そんなこんなである程度の報告を済ませ、良夜は今のこの状態でしか聞けないことを聞いてみることにした。

 

「ところで文さま、これは私の個人的な質問なのですが……」

 

「なに?」

 

「もし、もしですよ? 文さまを含めた、沙羅に好意を抱いている五人全員と沙羅が付き合うとか言ったら――どうします?」

 

 あえてオブラートに包むことも無く、ストレートに聞いてみた。この後の文の返答次第で、良夜の行動が決まってくるからだ。

 もしここで文が拒否的な反応を示せば、良夜は一旦撤退して作戦を考え直すこととなる。文を納得させるベストの方法をもう一度考え直し、自分に喝を入れながら再挑戦するまでだ。

 だが、もし、ここで文が肯定的な反応を示せば、一旦文の元から離れて能力を解き、文に自分の想いを伝えるまでだ。五人全員を幸せにしたいから、俺の要求を呑んでほしい――と。

 ゴクリ、と唾を飲み込む。『犬走椛』として今この場にいるので表面には出せないが、良夜の心臓は破裂しそうなぐらいに脈動している。射命丸文の発言次第で、沙羅良夜の取るべき行動が決まるのだから――。

 「なんでそんなこと聞くの?」という顔をしながらも十秒ほど思考し、文は苦笑を浮かべながら言った。

 

「個人的にはあまり歓迎できませんが、それが良夜が決めた道だというのなら私は従うだけですよ。まぁ、五人全員と付き合いたいって言う理由だけだったら却下しますが、五人全員を幸せにしたい、とかいう理由だったら私は喜んで協力します。……つまり、どんなエンドを迎えようとも、私は良夜の傍にいられればそれだけで大満足なんですよ。――だって、私は良夜を愛していますから」

 

 頬を紅潮させながら文が言った言葉に、良夜の思考は完全に停止した。

 




 次回もお楽しみに!


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第二十一話 文の本心


 なんか、評価が一気に下がっちゃいましたね。

 やっぱりハーレムルートを選択するとこういう目に遭うのか……いや、それでも更新は止めませんけどね!

 でもまぁ、少し執筆意欲が削がれてしまっていたのは事実です。やっぱり評価が下がっちゃうと落ち込んじゃいますよね、普通。

 ですが、なんとか持ち直しての更新です。

 良夜の難易度ルナティックルートはどうなっていくのか!

 第二十一話、スタートです。



 停止した思考が復活したら、縄で全身ぐるぐる巻きにされていた。

 意識を取り戻す前とは打って変わって最悪なまでに緊急事態な状況に沙羅良夜は顔を真っ青に染めるが、直後に「なんで俺、こんな状況になってんの?」と現在の情報整理を開始した。

 服装は集会所に潜入した時と同じ白のカッターシャツと黒のスラックスで、黒のスニーカーすら脱がされていない。良夜の身体を雁字搦めにしている縄はそう簡単には外れないほどに硬く縛られていて、口元にはご丁寧に猿轡が装着されている。

 どこかの廃屋にでも連れてこられたのかと思ったが、周りにある家具を見る限りここは文と良夜が住んでいる一軒家の中だ。――それも、良夜が文から与えられた一室だ。

 そして最後に――良夜に冷ややかな視線を向けている鴉天狗の姿を確認したところで、彼は今自分が人生史上ダントツに最悪な状況に足を踏み入れてしまっていることを悟った。

 顔色がすこぶる悪い良夜の顎に手を添えながら鴉天狗――射命丸文は病的な笑みを浮かべ、

 

「はろーですね良夜ぁ? わざわざご丁寧に椛に変装してまで私に会いに来て、随分と面白い提案をしてくれたじゃあないですかぁ?」

 

「(いやぁぁあああああああああああああああーッ! なんかいろいろとばれちまってるぅぅううううううううううううーッ!)」

 

 ニタァと悪魔のような笑みを浮かべる文に、良夜は「ヤンデレ」という属性を瞬時に思い浮かべてしまう。

 世間一般では『病んだデレ』と呼ばれるその属性は、対象に向けている愛情があまりにも重すぎるせいでその人のためならどんなに非道なことでも笑顔でやり遂げてしまう、という恋愛シュミレーションゲームないならば難易度ルナティックでは足りないほどの攻略難易度を誇っている。――つまるところのバッドエンド直行ルートと言うヤツだ。

 しかも最悪なことに、良夜が能力を使って変装していたことが確実にばれてしまっている。これが愛情の為せる業かと良夜は一瞬だけ感極まりそうになるが、このままでは自分の命の灯が消されるどころか踏み潰されてしまうと悟ったので文に必死の弁明を試みる。

 

「むーっ! むむむーっ!」

 

「あぁ、いいですねその必死具合。流石は私の良夜。他の方々なんかには絶対に渡しません……うふふっ」

 

 完全無欠なヤンデレがそこにいた。

 今まで彼が見てきた射命丸文とは百八十度違う射命丸文(ヤンデレVer.)に良夜は本当の意味での恐怖を覚える。

 先ほど言っていた言葉とは全く違うベクトルの発言が、今の文の異常さを表現しているようなものだった。文を裏切るような行為をした良夜がどこからどう考えても火を見るよりも明らかに完全無欠に百パーセント悪いのだが、今はそんなことなど気にしていられるような状況じゃない。この病みまくった文を何とか説得し、彼は明るい未来を切り開かなければならないのだ。

 そうと決まれば何とやら。良夜は身体を必死に動かすことで何とか猿轡を外し、自分の顔を愛おしげに見つめている文に叫ぶ。

 

「文っ! 頼む今だけでいーから俺の話を聞ぃーてくれ!」

 

「話を聞く? 私との明るい結婚生活についての話なら、喜んで全ての意識を向けて聞きましょう。……ですが、もしも先ほどのハーレムがどうこうとか言う話だった場合は――」

 

「……だった場合は?」

 

「――貴方の体内に火を放ちます」

 

「超斬新な制裁方法ッ!」

 

 いつもの彼女ならば冗談で済ませられるのだが、どす黒く濁った眼をしている今の文だとどうしても本気で言っているようにしか思えない。――いや、おそらく本気で言っているのだろう。

 思ってみれば、良夜の考えはとんでもなく浅はかなものだったのだ。

 『みんなを幸せにする』という覚悟がどれだけ固く強いものだとしても、それを実現させるだけの過程があまりにも穴だらけすぎる。もう少し冷静になっていれば文をこんな状態にすることなく迅速にハッピーエンドに向けて進んで行けたはずだ。

 だが、もうここまで来たからには後戻りなどできるはずもない。この恐怖に屈して自分の意志を曲げてしまっては、昨夜の覚悟が全て無駄になってしまう。

 故に良夜は意を決したように言葉を紡ぐ。病んだ表情で周囲に油を撒いている文に背筋に寒気を覚えながらも、良夜は紡ぐ。

 

「お前は何かとんでもねー勘違いをしてる! 俺は別に、自分の私利私欲を満たすためにハーレムをつくろーって考えてるわけじゃねーんだ! 誰も悲しまないでいーよーな本当のハッピーエンドを作るために、俺は五人全員を幸せにしたいだけなんだ! 我が儘で勝手な奴だと思われちまっても構わない! でも、お前を含めた五人全員を幸せにしたいっつー俺の意志は曲がらない!」

 

「五人全員? 幸せ? あややっ、貴方は一体何を言っているんですか? 恋愛だろうがなんだろうが、本当のハッピーエンドは何の犠牲無くしてあり得ないんですよ。他の方々がどう思っているかなんて私には関係ありません。貴方がどう思っているかなんて私には関係ありません。貴方は、沙羅良夜という人間は、『私のもの』なんです。私の所有物なんです。他の方々に奪われることなんて絶対に有り得てはならない――私だけの人間なんです」

 

 ぶれることのない文の言葉に心が折れそうになるが、良夜は雁字搦めにされている体をなんとか起こして文に叫ぶ。

 

「誰かが幸せになるために誰かが犠牲になるなんて間違ってる! 誰も傷つかない、誰も悲しまない本当の意味でのハッピーエンドがあるはずだ!」

 

「誰も犠牲にならないハッピーエンドなんて、それはもはやハッピーエンドではありません。貴方はただ単純に怖れているだけです。怖がっているだけです。恐怖しているだけです。誰かが傷つくことで後悔したくない――そんな弱さに臆してしまっているだけなのでは?」

 

「だとしても! 俺はその弱さを糧にみんなを幸せにして見せる! そもそも俺は幻想郷で最弱の存在だ。今更救いようもねー弱さに臆してしまったからと言って、今までの俺のスタンスが変わっちまうワケが無い! 俺はお前を幸せにして、他の奴らを幸せにする! どれだけ難易度が高かろーが関係ねーよ!」

 

 そこまで言って良夜は一旦言葉を止め、すぅぅぅっと一気に空気を吸い込みだした。まるで次の言葉が切り札だとでも言わんばかりに、良夜はその場の空気を全力で腹の中へと蓄積していく。

 文の言葉は何一つ間違っていない。一人の男性が一人の女性を愛することは当たり前のことであり、良夜が望むハーレムなんてものはごく一部のマイノリティな連中だからこそ成し遂げられるものなのだ。ごく普通の人間である良夜が抱いていいほど簡単な願いではない。

 だが、良夜はそれを望んだ。どれだけの批判を浴びることになろうが、良夜はその茨道を自ら進んで選択したのだ。たとえそれが人として誤った道だったとしても、沙羅良夜は諦めない。

 空気を吸い終わったのか口を静かに閉じた良夜に、文は感情が全く感じられない視線を向ける。良夜に愛情を向けていいのは世界で自分だけだと言わんばかりのその視線に、良夜の背筋に悪寒が走る。

 だが、良夜は屈しない。それどころか心を押し潰そうとする恐怖を跳ね除け、良夜は溜め込んだ空気と共に咆哮する。

 

「――好きです! 絶対に幸せにして見せるから、俺と結婚してください!」

 

 ずっと聞きたかった愛の告白に、文は思わず泣きそうになる。

 だが、文の心は良夜に屈しない。彼が言っていることの身勝手さを重々承知しているからこそ、文は彼には屈しない。

 この告白に文が首を縦に振れば、彼はまた次の女性に告白しに行くのだろう。その女性が首を縦に振れば、さらに次の女性へと告白しに行くのだろう。――文はそれが許せない。

 彼がどんな覚悟を以ってこの目標を抱いてしまったのかは分からないが、文はこの告白を受け入れるわけにはいかない。逆に、文がこの少年の心を折れさせなければならない。

 

「…………話をするだけ無駄ですね」

 

 最初になにをしてあげようか。

 こんなふざけたことを二度と口にできないように、喉仏を斬り裂いてあげようか。……いや、それでは彼の声を聴けなくなってしまう。鳥の囀りよりも数万倍も美しい彼の声が聴けなくなってしまうのは、あまりにも残念過ぎるじゃないか。

 それじゃあ、全身を縛り付けた状態で猿轡を着けさせて密室にでも閉じ込めよう。手錠で両手を拘束して、脱出できないように両脚には鉄球を着けてあげよう。首には首輪をつけて、彼が文の所有物であることを心に刻んで分からせてあげよう。

 そして薬でもなんでも使って、彼の心を根こそぎ掌握するのだ。媚薬で自分にメロメロにさせるのも捨てがたい。精力剤を使って毎夜自分を求めるようにさせるのもいいかもしれない。

 

「そんな言葉では私は屈しません。いい加減に諦めて、私だけを愛してください」

 

「文っ! だから、俺は誰も悲しませたくないんだ!」

 

 あぁっ、その声色で名前を呼ばないでほしい。――いや、もっと名前を叫んでください。

 他の女の名前なんかじゃなくて、私だけの名前を叫び続けて欲しい。私の体に優しく触れながら、私に優しく口づけしながら、私の身体に繋がりながら、ただ本能に従うままに私の名前を呼んで欲しい。

 彼との幸せな未来を想像するだけで、内股の辺りが熱くなる。体温は急激に上昇しているし、頬も明らかに紅潮してしまっている。鼻息も荒くなっているのではなかろうか。――とにかく、それほどまでに文は良夜が愛おしい。『狂愛』と言っても過言ではない。

 だが、彼はきっと文に屈しないだろう。彼と一年ほど過ごしたことで分かったが、彼の意志はそこらへんの人間よりも圧倒的に硬くて強靭だ。腕を削ぎ落とされようとも、彼は絶対に己の意志を曲げないだろう。

 それならば、今ここで彼と一緒に終わってしまえばいい。幸い、今この場には私たち二人以外は誰もいない。ついて来ようとしたはたては持ち前の速さで振り切ったし、椛やにとりも家の近くにはいないようだ。

 やるなら今しかない。今ここで彼にトドメを刺し、自分の命も終わらせる。彼の体温を感じたままこの幻想郷に別れを告げる。運が良ければ幽霊となって彼と永遠の時を過ごせるかもしれない。

 決断決行。全身雁字搦め状態ながらも立ち上がっている良夜の顔に両手を添え、文は良夜の唇に自らの唇を重ねる。

 

「んぐっ!?」

 

「んむぅ……んっ、むぅっ……」

 

 文の奇行に良夜は目を見開いて驚愕する。――だが、流石にこのままではいけないと悟ったのか、彼は必死に文から逃れようと体を動かす。

 しかし、彼の体は動かない。さっきまでは縛られた状態でも動けていたというのに、今の良夜は一ミリも身体を動かすことができていない。

 実のところ、文は良夜をこの部屋に連れ込んだ時に薬を打ち込んでいるのだ。一定時間身体の自由を奪う薬を、良夜の身体に打っているのだ。――良夜は今動けないのは、やっと薬が効きだしたからである。

 もはや喋ることもできなくなった良夜の口内を蹂躙するように、文は舌を挿入する。彼の身体に自らの身体を押し付けながら、文は沙羅良夜という人間の全てを堪能する。

 

「んちゅっ……れろっ……ぁ、はぁっ……らいひゅきれふ、ろうらぁ。んむっ、んっく……じゅるっ、れろ……」

 

 あまりにも色っぽい文の行動に、良夜の理性が見る見るうちに削がれていく。今ここで反抗しなければ自分の覚悟が無駄になってしまうことは分かっているのに、どうしても体が文を拒否しない。まるで文を受け入れているかのように、良夜は無意識に彼女と舌を絡め合ってしまっている。

 そして、とろんとした表情を浮かべる良夜に気づかれないように、文はスカートのポケットから果物ナイフを取り出した。互いの体温を味を声を顔を身体を感じ合っているこの状態のまま、自分と彼の命の灯を消し去るために。

 良夜の身体を抱きしめながら、ナイフを持った腕を彼の背中に回す。薬が回っているせいで視界の移動もままならないのか、良夜はそんな文の行動には全く気付いていない。

 つつーっと文の頬を涙が伝う。その涙には歓喜の感情が込められているように見えて、実は悲哀の感情も込められている。今ここで彼と過ごしてきた人生が終わってしまうことに対しての悲しみがあり、この人生が彼と一緒のタイミングで終わらせることができるという喜びがあるのだ。

 豊満な胸を良夜の胸板に押し付けながら、文は身体に力を込める。狙いを絶対に外すことが無いよう、右手で彼の心臓部にナイフの刃を突き立てる。

 (さようなら、良夜。貴方は誰にも渡しません)涙を流しながらも歓喜の感情によって裂けそうなほど口を釣りあがらせている文は右手に己の全ての力を注ぎこみ、良夜の心臓に向けて一気にナイフを突き刺――

 

「ストップですわ、文。流石に勝手が過ぎるんじゃない?」

 

 ――そうとしたところで、ナイフを遠くに蹴り飛ばされた。

 予想もしなかった形勢逆転に文は良夜を抱きしめて逃亡を図るが、気づいた時には全身を縄で雁字搦めに縛り付けられていた。もちろん、今の彼女の腕の中に良夜の姿はない。

 身動きが取れない文はこの状況を作り出した張本人に憤怒の視線を向ける。文に睨みつけられたその少女は少しも臆することなく優しく良夜を抱きしめながら、至ってクールに言う。

 

「ったく……せっかく霊夢たちと楽しい旅行中だったというのに、『良夜を助けて!』っていう神子からの突然の救援要請ですもの。――で、時間を止めまくってここにやって来たわけなのだけれど、この状況は一体全体どういうことなのかしら?」

 

「十六夜、咲夜……ッ!」

 

「ごめんあそばせ。紅魔館メイド長――十六夜咲夜が颯爽と登場しましたけれど、何か?」

 

 十六夜咲夜。

 吸血鬼が主である紅魔館でメイド長を務めている最強の人間であり、良夜の従姉でもあるツンデレメイドの登場だった。

 





 次回もお楽しみに!


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第二十二話 本当のヒロインとは

 更新に手間取っちゃいました。

というか、評価が低かったのは計算ミスだったみたいです。確認してもらえばわかるでしょうが、ちゃんと前の状態に戻っています(⌒-⌒; )

 いやー、更新が遅れたのは、別にFate stay/nightに嵌ってたわけじゃないですよ?(震え声)

 それでは、良夜は本当のハッピーエンドを掴むことができるのか。

 第二十二話、スタートです。



 その少女は、幻想郷の誰よりも凛々しかった。

 上昇した体温によって意識が朦朧としている良夜をしっかりと片手で抱きしめながら、良夜と同じ銀髪を持つ少女――十六夜咲夜はもう片方の手でナイフを構える。

 縄で雁字搦めに縛られている、鴉天狗の少女に向かって。

 

「大方、良夜の目標か何かに激昂してこんなバカなことをやらかしたとは思うけど……流石にやりすぎじゃないかしら?」

 

「私が私の良夜になにをしようと貴女には関係ないでしょう! 良夜は私のものなんです、私だけが愛することを許された人間なんです!」

 

「……はぁぁ。前々からヤンデレの気質はあったとは思っていたけど、まさかこれほどとはね……」

 

 流石に予想外ですわ。身体の力が抜けているせいでずるりと床に落ちていきそうだった良夜を抱えなおしながら、それでも鋭い眼光は射命丸文に向けたまま十六夜咲夜は肩を竦める。

 実を言うと、咲夜は良夜の目標のことを神子から聞かされている。良夜が『五人全員を幸せにする!』と誓ったとき、実は神子が彼の声を聴いていたのだ。良夜に不意打ち気味にキスをした後に耳当てを外していた彼女は、人の欲を聞き取ることができる能力によって良夜の言葉を聞いてしまっていたのだ。

 初めはかなり動揺した。自分の行動がきっかけで、彼の意志が変わってしまっていたから。文の為に他の女性を切り捨てると言っていたはずなのに、五人全員を幸せにするなどという夢物語を実現しようと自らを鼓舞していたから。

 だが、神子はそんな良夜について行くことにした。自分が望む幸せだけでなく、彼に好意を寄せている他の女性たちの幸せを実現したかったから。誰も傷つかなくていい本当の意味でのハッピーエンドが実現する瞬間を、この目でこの身でこの心で実感したいと思ってしまったから。

 そして彼女と同じく、咲夜も良夜の意思を尊重することにした。元々五人の中で唯一『ハーレムでも構わない』と想っていた彼女は、なんの嫌悪感も無しに彼の意志を尊重することができたのだ。

 メイドは主に仕える者。メイドは自らが主だと認めた者に従う者。良夜の伴侶になる覚悟が既にできていた咲夜にとって、良夜の望む未来を実現させるために尽力することなど全く持って難しいことじゃない。むしろ、他の女性を出し抜いて彼の心を奪うより圧倒的に簡単なことだ。

 咲夜は文を睨みつけながら、良夜の体温を感じながら――言う。

 

「貴女が良夜を独占したいと思う気持ちも分からないではないけど、そのために良夜の意志を切り捨てるのはいただけませんわ。愛する人の全てを受け入れ、愛する人に全てを授ける。愛する人に外も中も全て捧げることができて初めて――本当の妻と言えるのではなくて?」

 

「知った風な口をきかないでください! 良夜は私だけを愛してたのに、貴女達なんかがいたからこんなことになってしまったんです! 貴女達さえいなければ、私だけが良夜を愛することができたのに……ッ!」

 

 整った顔を怒りで歪めながら文は告げる。良夜と最も長く一緒にいた文だからこそ、自分が彼に抱いている期落ちの重さが一番重いのだと――ぽっと出のサブヒロインに怒りを向ける。

 だが、十六夜咲夜は否定する。

 

「否定する。私は貴女の言葉を否定する。私達がいなければとか、そんなあり得ない妄想をしていても話は始まりませんわ。事実、良夜は貴方を含めた五人の女性を愛している。射命丸文(しゃめいまるあや)十六夜咲夜(いざよいさくや)豊聡耳神子(とよさとみみのみこ)紅美鈴(ホンメイリン)、フランドール=スカーレット。――今挙げた五人全員を良夜は幸せにすると言っているのだから、別に反対する理由なんてないでしょう?」

 

「貴女はっ、貴女はどうしてそんな非常識を受け入れられるんですか! 愛する人を他の人に奪われたくない、自分以外の人を見て欲しくない――こう思うことは間違っているんですか!?」

 

「別に間違っていませんわ。愛する人を独占したいという気持ちは、年齢種族関係なく皆平等ですもの」

 

「だったら!」

 

「――だけれど、そんな身勝手が通るほど現実は甘くありませんわ」

 

「ッ!?」

 

 文の言葉を切り捨てるように放たれた残酷な一言に、文は思わず黙り込む。

 

「愛する人が複数の女性を愛しているのなら、他の女たちに負けないほどの愛情を彼に向ければいい。愛する人の意識が他の女に向いてしまっているのなら、色気を使ってでも自分に注目させればいい。恋とはズバリ、女たちの戦争なの。――勝ち目がないからってルール違反してんじゃないわよ、この負け犬が!」

 

 そう言って、咲夜は抱きかかえていた良夜に不意打ちの如くキスをする。朦朧としていた意識が完全に闇に飲まれてしまっているせいで良夜のリアクションはないが、咲夜は構わず彼の口内を舌で蹂躙する。喘ぎながら感じながら――泣きながら、咲夜は文に自分の本気を見せつける。

 正直、途中から分かっていた。――いや、分からされていた。

 自分が良夜に抱いている気持ちは本物なのに、その気持ちを自分の身勝手で潰してしまっていたことを。良夜の意志には大いに賛成なのに、自分の欲望が彼を独占しようと暴れてしまっていたことを。

 自分がしたことは絶対に許されないことだ。自分の愛を周りに知らしめるために良夜と心中しようとした自分の行いは、幻想郷だろうが外の世界だろうが、絶対に許されてはいけないことだ。

 だから、文はその罪を無かったことにはしない。この海よりも深い罪を一生背負ったまま、文はこれから生きていくと誓う。身勝手だと言われるかもしれない、都合が良すぎると嗤われるかもしれない――だからどうした奇をてらえ。

 そんなことを気にしていて、戦争に勝てるわけがない。恋は女の戦争だ。どれだけ業を背負おうが、私は良夜を世界一愛してやる!

 文は風で縄を切り、その場に立ち上がる。先ほどのような病んだ表情ではなく、いつもの『清く正しい射命丸文』としての何を考えているのか分からない笑顔を浮かべて――文は飄々と言う。

 

「誰が負け犬ですか誰が。私を誰だと思っているんですか? 幻想郷最速の女、沙羅良夜の本妻、清く正しい鴉天狗、恋するブン屋――射命丸文とは私のことです!」

 

 元の自分を取り戻した鴉天狗の少女に、メイド長の少女は微笑みを向ける。

 射命丸文はもう迷わない。

 射命丸文はもう過たない。

 沙羅良夜の本妻として――射命丸文は自分に絡みつく楔を蹴り飛ばす。

 

 

 

 

 

  ☆☆☆

 

 

 

 

 

 第一回、チキチキ告白大会! ポロリもあるよ☆

 

「いや、目が覚めたら紅魔館にてこんな置き書きとかさっぱり意味わかんねーし!」

 

 紅魔館の大広間にある赤のソファの上で目覚めた沙羅良夜は、無造作な銀髪に寝癖を浮かべながらも驚愕を叫びとして放出していた。

 咲夜が自分を助けてくれたところまでは覚えているのだが、その後の記憶が判然としない。こうして五体満足で紅魔館にいるのだからあの修羅場は無事に掻い潜ったとみて正解なのだろうが、それでもこの書置きの意味が分からない。

 テーブルの上に置いてある便箋を手に取り、もう一度確認する。

 と。

 

「ありゃ? なんか裏にも書いてあんぞ……?」

 

 あまりにも普通の便箋だったのでとりあえず裏返してみたわけだが、そこにはかなり丁寧な字で地味に長い文章が書き連ねられていた。この文字の形状から言って、書いた主は咲夜だろう。無駄にスペックが高いあの従姉は、硬筆のセンスもバカ高かったはずだ。

 ??? と頭上に大量の疑問符を浮かべながらも良夜はソファに座りなおし、便箋に書かれている文章に目を通していく。 

 そこには、こう書かれていた。

 

 

 文のヤンデレな修羅場を切り抜けた貴方は、見事無事に難易度ルナティックなハーレムルートをクリアしましたわ。

 なので、今から貴方には私を始めとした五人のヒロインたちを探しだし、そのヒロインたちから告白されてもらいます。貴方の気持ちは既に全員に伝わっているから、次はあなたが私たちの気持ちに応える番なのよ。

 制限時間は五時間。一人一時間と思ってくれればいいわ。私たち五人はこの紅魔館のどこかで貴方が来るのを待っているから、制限時間内に絶対に辿りつきなさい。

 ですが、流石にこの紅魔館で人を探すのは至難の業でしょう。私だって五時間で五人を見つけるのはキツイですもの。

 そこで、お嬢様とパチュリー様と小悪魔の御三方にアドバイザーとなってもらうことにしましたわ。お嬢様は寝室、パチュリー様は図書館、小悪魔は食堂で待機しています。もし私たち五人の居場所のヒントが欲しくなったら、彼女たちのところに行きなさい。……まぁ、ただでは教えてくれないでしょうけど、結果的には大事なヒントをくれるハズよ。

 誰の告白から受けるかは、全て良夜の選択次第。私たちは全員が全員最後に順番が回ってくるのを望んでいますけど、それが実現するかどうかはまさに神のみぞ知るって言ったところでしょうね。もちろん、私もその中の一人ですからね。

 五人全員を幸せにするというのが本気なら、絶対にこの試練をクリアしなさい。私達は貴方のことを信頼してる。絶対に制限時間内に自分の元にやって来て、自分の想いを受け入れてくれると信じてるわ。

 試練開始時刻は午後十二時ちょうど。繰り返し言うけど、試練終了時刻は午後五時ちょうど。

 私たちの愛する沙羅良夜――私たちの幸せを貴方に託しますわ。

 それじゃあ、健闘を祈ります。

 

 

「…………後、五分か」

 

 文章に目を通し終わると同時に大広間の掛け時計に目をやった良夜は、左手に装着している腕時計の時刻をしっかりと合わせた。

 まさかこんなことになるとは夢にも思わなかったが、これは望んでもいないチャンスだ。誰も傷つけず誰も傷つかず、みんなが幸せになる本当の意味でのハッピーエンド。こんな途方もない夢物語を現実にするための最終試験なんて――逆にこっちが幸せすぎる。

 五時間という長いような短いようなとにかく微妙な時間内で全てが決まる。自分が愛する少女たちの告白を受け止め、精一杯の答えを返す。相手に遠慮することなんて考えない。自分の意志に従い、自分の本心を相手にぶつけろ!

 テーブルの上に用意されていた飲み水を頭にぶっかけ、ぼさぼさになっていた銀髪を整える。いつもの無造作な銀髪に整えた後、鏡を見ながら普段通りの表情を取り戻す。――目つきの悪いダウナーな配達屋としての、沙羅良夜を取り戻す。

 白いカッターシャツの裾を黒のスラックスからだらしなく出し、腰の後ろのほうにあるポケットに入れている財布のチェーンをベルト付近にしっかりと留め、普段通りの姿を取り戻す。――よし、これで完全無欠にいつも通りだ。

 全ての準備が整ったところで良夜はソファから飛び上がるように立ち上がり、大広間から迷路のような廊下に続く扉へと移動する。

 この扉を開けた瞬間、沙羅良夜の最後の戦いが始まる。誰も実現したことが無いハッピーエンドを実現させるための、最後の戦いが幕を開ける。

 ――数秒後、良夜の腕時計のアラームが鳴った。

 十二時を知らせる、試合開始のゴングだった。

 

「よっし! 俺の本気で目にもの見せてやる! あまりにもかっこよすぎて、告白の言葉を忘れちまうぐらいになぁああああああああああああああああーッ!」

 

 選択ルート:ヒロイン全員幸せにしてあげましょう。

 

 選択ヒロイン:射命丸文。

        十六夜咲夜。

        豊聡耳神子。

        紅美鈴。

        フランドール=スカーレット。

 

 幻想郷史上最も小さな範囲での恋愛劇が――幕を開けた。

 




 次回もお楽しみに!


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第二十三話 沙羅良夜は恋をする①

 二話連続投稿です。


 まず最初に良夜がやって来たのは、紅魔館の巨大な門だった。

 漫画とかドラマにしか出てこないような豪邸である紅魔館の入り口としての機能を持つこの門の出入りは、基本的に居眠り癖のある一人の少女が管理している。『気を扱う程度の能力』を持つ、中華風な服を着た長い灼髪を持つ一人の少女が。

 

「あちゃー……やっぱり私が一番分かりやすかったみたいですね」

 

「まーな。美鈴と言ったら門番。門番と言ったら美鈴、っつっても過言じゃねーし」

 

「ま、いつも寝てばかりですけどね」

 

「自分で言うな自分で」

 

「あぅぅ……」

 

 良夜に額を指でグリグリと突かれ、紅美鈴は間抜けな声を零してしまう。

 良夜が最初に選択したのは、五人の中で最も居場所が分かりやすい美鈴だった。紅魔館の門番という役職に就いている美鈴は就寝時以外の全ての時間、この門の傍で過ごしている。時には居眠りをし、時には太極拳をし、時には幻想郷の住人と駄弁る。

 そんな『紅魔館の受付』と言われてもおかしくないような美鈴は、「えへへっ」と照れくさそうに頬を掻きながら良夜に言う。

 

「咲夜さんからルール説明はされてるわけですが、やっぱり面と向かってだと恥ずかしいですね……」

 

「バーカ。居眠り姿っつーどっからどー見ても醜態としか言いよーがねー超恥ずかしー姿を毎日のよーにさらしてんだから、今さら恥ずかしさなんて感じるわけねーだろ」

 

「配達屋さん酷い! 私そんなに居眠りばっかしてないですよぉ!」

 

「いやそれはない」

 

「即行即答大否定!?」

 

 あぅあぅと大袈裟に嘘泣きをする美鈴に良夜は苦笑を浮かべる。彼女を探すのにそう時間はかかっていないので、こうしてゆっくりする猶予がまだ存在するのだ。そういう点では、美鈴はある意味幸せな部類なのかもしれない。

 ある程度嘘泣きを演じ終わった美鈴は気持ちを落ち着かせるために深呼吸を十回ほど行い、良夜の方を改めて向き直る。どうやら無事に落ちつけたようだが、それでも彼女の頬は仄かに赤く染まっていた。やっぱり恥ずかしさは拭えないようだ。

 美鈴の準備ができたことを悟った良夜は彼女の目を正面から見据える。彼女の全てを受け入れるように、沙羅良夜は心の準備を一瞬で行う。

 普段の彼女だったらここで恥ずかしそうに眼を逸らすのだろうが、今日の彼女はここで引くわけにはいかない。今日が最後のチャンスなのだ。ここで立ち向かわなくてどうする!

 美鈴は豊満な胸の上に左手を添え、良夜を真っ直ぐと見つめながら――

 

「『良夜』さん! 好きです! 超好きです! この身を捧げてもお釣りがくるぐらいに好きです! だから、私を生涯の伴侶にしてください!」

 

 ――叫ぶように告白した。

 いつもならば『配達屋さん』と言っているハズなのに、今回は『良夜さん』と言った。いつも一歩引いたところから彼に接していた自分を振り払い、少しでも彼に近づこうと努力した結果だった。

 ずっと伝えたかった気持ちを告げた美鈴は頬を朱く染めたまま良夜を見つめる。心配そうに泣きそうに不安そうに――美鈴は良夜を見つめている。

 ふぅ、と良夜は一瞬だけ間を置き、真剣な表情で彼女に問う。

 

「もう分かってるとは思うけど、俺はお前を含めた五人の女性を幸せにしたい。どれだけ困難な道だろーが、俺はもう、絶対にその意志を曲げたりはしない」

 

「……はい、分かってます」

 

「だから、俺はお前以外の女性のことも愛することになる。全員を等しく愛するなんて都合のいいことは言わねーが、俺は五人全員を全力で愛するつもりだ」

 

「……はい、分かってます」

 

「その上でもう一度問わせてくれ。――お前は、俺のことを愛してくれるか?」

 

 自分勝手だと罵られても構わない。我が儘だと酷評を浴びても構わない。

 だが、これだけは確認しておかなければならないのだ。本当に沙羅良夜を選んで幸せになれるのか、こんな優柔不断な最低男を選ぶことに、本当に迷いはないのか。

 良夜の問いに美鈴は一瞬だけ怯むが、すぐに彼に向き直って一歩踏み出す。

 一歩踏み出して踏み出して踏み出して、良夜の目の前へと移動した美鈴は――

 

「あむっ」

 

 ――良夜の唇に自分の唇を重ねた。

 不器用なりに唇を動かし、自分の覚悟を伝えていく。良夜の体温を感じながら良夜の味を感じながら、美鈴は唇を押し当てる。

 「――ぷはっ!」十秒ほど唇を押し当てたところで良夜から少しだけ離れ、美鈴は笑顔で返答する。目尻に涙を浮かべながらも、心の底から幸せそうに返答する。

 

「私は貴方を愛してます。貴方が自分をどれだけ卑下しようが、私は貴方を愛することをやめません! 私は貴方と幸せになりたいです! 私の全てを貴方に捧げるのも厭いません。――だからっ、私に貴方を愛させてください!」

 

「――喜んでっ!」

 

 そして門番と配達屋は笑い合い――再び唇を重ねた。

 

 

 

 

 

  ☆☆☆

 

 

 

 

 

 次に良夜がやって来たのは、紅魔館の地下室だった。

 地下室の中には大量のぬいぐるみが所狭しと置いてあり、そんなぬいぐるみに埋もれるように――金髪サイドテールの可愛らしい少女がぶすーっとむくれた表情で座っていた。

 

「うぅ……何で私を先に見つけちゃうの!?」

 

「だってフランがここにいるのはあらかじめ分かってたし」

 

「良夜お兄ちゃんの朴念仁! そこはあえて最後に回すところでしょーっ!? うにゃぁあああああああああーッ!」

 

「ちょっ、バカやめろコラ! ンな世界滅亡級のチカラをこんな狭ぇトコで振りかざすな!」

 

 ぽかぽかぽか! と両手で叩いてくるフランを宥めつつ、良夜は彼女の隣に腰を下ろす。体重をぬいぐるみに預けるように、良夜はフランドール=スカーレットの隣に座る。

 良夜が隣に座ったところでフランはすかさず彼の肩に頭を置き、そのままの流れで良夜の腕に思いきり抱き着いた。

 

「えへへ……良夜お兄ちゃんの身体、あったかーい」

 

「そりゃここまで全力疾走してきたかんな。体温が上がっちまってるのは当たり前だろ」

 

「むー……そういう意味じゃないんだけどなー」

 

 ま、いっか。フランは良夜の腕から離れて立ち上がり、トタタッと彼の前に移動する。

 その行為自体がフランの準備であったことを悟った良夜は人知れず両手を握り、フランがこれから発するであろう言葉の全てを受け入れるために彼女を見据える。

 そんな良夜に微笑みながら、フランドール=スカーレットはいつも通りの明るい口調で彼に告げる。

 

「私、良夜お兄ちゃんが大好き! 恋とか愛とか難しいことはまだよく分かんないけど、私は良夜お兄ちゃんのお嫁さんになりたいな。――大好きだよ、良夜お兄ちゃん!」

 

 言葉だけをとるならば、少しブラコンの気がある可愛い妹の戯言だと思うだろう。一番自分に近しい人間に好意を抱くのは当然のことであり、純粋な妹が実の兄に好意を抱くという事例も少なからずある。

 だが、フランが良夜に抱いている感情は、れっきとした恋心だ。フラン自身も気づいていないが、フランドール=スカーレットという吸血鬼は沙羅良夜という人間に恋をしている。

 今までは可愛い妹のような存在という認識だったが、これからはそれ以上の存在として受け入れなければならない。――だが、それは別にわざわざ意識することじゃない。

 良夜がフランをどう想うかではなく、フランが良夜をどう想うかが大切なのだ。フランが良夜のことを『お兄ちゃん』として意識するならそれで良し、先ほどの言葉通りに『夫』として意識するならば真っ直ぐにその想いを受け入れてあげればいい。

 良夜はフランの小さな体を抱き寄せる。いとも簡単に折れてしまいそうなフランの華奢な体を大切そうに抱きしめ、良夜は優しいながらに芯の通った口調で告げる。

 

「俺もお前のことが好きだ、フラン。女として妹として吸血鬼として、俺はフランドール=スカーレットが好きだ」

 

「うん、私も良夜お兄ちゃんが大好き。――それで、咲夜も美鈴も文も神子もみんなだーい好き! 私、みんなで仲良く一緒に暮らしたい! 毎日が楽しくて毎日が騒がしい、そんな日常をみんなで送りたい!」

 

「分かってる、それは俺も同じ気持ちだ。――だけど、俺はお前にばっかり構ってるわけにはいかない。フラン以外の奴らも幸せにするって誓ったから、俺はフランだけに構ってるわけにはいかないんだ」

 

 そこで一旦間を置き、「それでも、俺のことを好きでいてくれるか?」とフランの目を真っ直ぐと見つめながら良夜は言う。

 フランは良夜ににっこりと笑い返し、不意打ちの様に彼の唇に自分の唇を一瞬だけ触れさせ――

 

「私はずっと良夜お兄ちゃんが好き! 私だけに構ってくれないのは少し残念だけど、それでも! 私はお兄ちゃんと一緒にいられるなら我慢する! でも、ちゃんとご褒美くれないと私は良夜お兄ちゃんのことを怒っちゃうからね?」

 

「ったりめーだ。フランが我慢出来たときのご褒美として、俺がとびっきり美味ぇー料理を作ってやる! フランが好きな料理だけを厳選した、フランだけのフルコースをな!」

 

「うんっ!」

 

 フランは満面の笑みを良夜に向け、それに応えるように良夜も笑う。

 これで、二人の告白が終了した。

 沙羅良夜は二人の少女を幸せにした。

 だが、戦いはまだ前半戦。

 彼はこれから後三人の少女を幸せにしなければならない。

 そして、良夜はふと思う。フランに笑顔を向けながら地下室を出て、上へと続く階段を駆け上がりながらふと思う。

 

(……っべー。咲夜と神子と文の居場所、皆目見当もつかねーんですけどーッ!?)

 

 残り時間、三時間二十八分。

 残り人数、三人。

 




 次回もお楽しみに!


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第二十四話 沙羅良夜は恋をする②


 暇を見つけて投稿です!



 人にものを頼むときは土下座しなさいってけーね先生が言ってた。

 

「…………で、私は一体どういうリアクションを返せばよいのでしょう?」

 

「ヒントください! いやもーマジで詰んだ! 微塵も全く文と咲夜と神子の居場所がわかんねーんですたい!」

 

「どこの方言ですかソレ……」

 

 紅魔館の食堂にて。

 二時間以内に二人という中々のスタートを切った良夜だったが、ここにきてまさかの足止めをくらってしまっていた。

 残りの三人の居場所が全く持って予想できない。 

 美鈴とフランはいつもと同じ場所にいたから分かったものの、紅魔館のメイド長である咲夜はともかく紅魔館に関係がほとんどない文と神子の居場所が全く分からない。咲夜も咲夜で「咲夜と言ったら!」みたいな場所があるわけでも無し。……ぶっちゃけ手詰まりなのだ。

 そんなわけで良夜は近くにあった食堂にエスケープし、ヒントをくれるNPC役①こと小悪魔さんのところにやってきたのだ。彼女の姿を見つけた瞬間に、究極的にスタイリッシュなスライディング土下座を決めながら。

 あまりの勢いで額から煙を上げている良夜に苦笑を浮かべつつ、小悪魔はルールに従う形で良夜にヒントを与えだす。

 

「ヒント役である私たち三人は、それぞれ一人ずつの居場所の情報を所有しています。その情報に該当する人物について教えちゃうのは禁則事項ですが、どのような御方が待っているのかのヒントを与えることならオーケーです。ヒント役ですしね」

 

「おぉ、貴女が神か……ッ!」

 

「小悪魔です」

 

 あまりにも感極まって目をうるうるとする良夜に再び苦笑を浮かべるも、小悪魔はいつもの邪気のないスマイルを浮かべて自らの役目を全うする。

 

「少女は人の欲を聴き、欲が集まる場所にいる。欲は人から生まれるもので、人は欲によって生き永らえる。欲はあそこで発散され、あそこは欲が集う場所。はてさてはてさて、少女はどこにいるでしょう?」

 

 手鞠歌でも歌っているかのようにリズミカルに言葉を紡ぐ。

 欲を聴く少女。欲が集まる場所。――この二つのキーワードで、良夜はある程度の予想を立てることに成功する。欲が集まり欲を発散する場所と言えば、もはやあそこしかないではないか。

 沙羅良夜は踵を返す。

 自身の欲を隠すことなく。

 

 

 

 

 

  ☆☆☆

 

 

 

 

 

 良夜が五分ほどかけてやって来たのは――娯楽室だった。

 ビリヤードやダーツといった洋風な娯楽を始めとし、世界中の様々な娯楽を体験することができる紅魔館のアミューズメントパーク的な部屋である。この部屋の存在のせいで紅魔館の主ことレミリア=スカーレットの就寝時間が短くなってしまったという話があるが、それについてはまたの機会にしよう。

 いつもは騒がしいが今は完全な沈黙に包まれている娯楽室を進んでいく。ポケットに手を入れたまま格好つけながら、沙羅良夜は奥へ奥へと進んでいく。

 そして、その時はやってきた。

 娯楽室のビリヤード台に体重を預けるように立っている――栗色の髪を持つ一人の少女の姿があった。

 

「おいでませ娯楽室。人の欲が集まり、人の欲で溢れる唯一の空間です。――私のヒント、分かりやすかったかしら?」

 

「ヒント自体は全然難しくなかったよ。欲を聞き取る少女ってのは幻想郷の中でもお前ぐらいだし、欲が集まる場所って言えば俺とレミリア様が大金をスッちまったこの部屋しかねーよ。――にしても、お前ってホントこーゆー場所が似合うよな」

 

「それって褒め言葉ですか?」

 

「褒めちぎってんだよ」

 

「フフッ、やっぱり君は面白いわね」

 

 ニヤリ、と意地悪く笑う良夜に、豊聡耳神子は杓を口に当てながら清楚に笑う。普段の彼女とは少し違う、聖徳道士としての姿だった。

 神子はビリヤード台に体重を預けた状態のまま良夜に微笑みかけ、

 

「今になって思ってみれば、君がその道を選んだきっかけになったのは何を隠そうこの私でしたね。私のファーストキスによって、君はこの難易度ルナティックな人生を選択した」

 

「キスに関してはノーコメントでいかせてもらうが、お前にはホントに感謝してる。お前の行動が無かったら、今の俺は存在してなかっただろーしな。全員を幸せにするなんて考えることも無く、普通の人間として普通の幸せを掴んじまうところだったよ」

 

 良夜を結果的には後押しすることになった少女――豊聡耳神子。

 決して叶わない恋だと思っていたにもかかわらず、玉砕覚悟で良夜に自分の想いを伝えた。涙を流しながら唇を捧げ、自分の想いが本気であることを良夜に知らしめた。――思ってみれば、良夜に最初に告白したのもキスしたのも、この少女ではなかったか。

 ある意味では一番得したポジションを獲得していた神子は跳ねるようにビリヤード台から体を離し、良夜の方へと歩み寄る。背筋をしゃんと伸ばして一歩一歩を優雅に進め、皇族としての自分を百二十パーセント引き出していた。

 そして良夜の前方一メートルといったところで歩みを止め、聖徳道士は頬を朱く染めながら――

 

「あの時も言いましたが、ここであえてもう一度言わせてもらうわね。私は君のことを――沙羅良夜のことを心の底から愛しています。幻想郷の誰よりも美しい欲を持つ君のことが大好きで、私に生きる道を教えてくれた君のことが大好きです。私は自分の欲に従い、この言葉を君に捧げるわ。――私と結婚してください。絶対に幸せになってみせますから」

 

 『絶対に幸せにします』ではなく、『絶対に幸せになってみせます』と彼女は言う。

 それは、良夜が『五人全員を幸せにする』という覚悟を決めたことを誰よりも先に知った彼女なりの激励の言葉のようなものだ。君の夢を実現させるためにも、私は君に幸せにしてもらいます。沙羅良夜という最弱な人間を愛した聖徳道士は自分の欲を隠すことなく、ただ自分の欲にしたがって言葉を紡いだ。

 生きるための目標を失っていた自分を励まし、今の神子が生まれるきっかけを作った沙羅良夜。それは彼としては別にそこまで重要視するようなことではなかったのかもしれないが、神子にしてみれば命を救われたも同然だった。深い闇に囚われていた心に触れ、眩い光で照らしてくれたも同然だった。

 

「私は君の傍にいたい。文さんの傍にいたい。咲夜さんの傍にいたい。美鈴さんの傍にいたい。フランドールさんの傍にいたい。全員で一緒に幸せに暮らして――全員で幸せな家庭を築きたい。沙羅良夜という最弱な人間を中心に、私は幻想郷で一番幸せな女になってやるのよ!」

 

「大丈夫だ、安心していーぜ。お前らのことは俺がどんな手を使ってでも幸せにしてやっからさ。金銭面的都合は俺じゃ叶えらんねーけど、そのほかのことなら何でも俺が頑張って叶えてやる! 例えば…………こ、子供が欲しいとかっつー願いとかな!」

 

「こ、子供ォ!?」

 

 まさかの「子供」発言に二人して顔を真っ赤にする初心コンビ。しかも神子に至っては良夜の頭の中で渦巻いている欲がダイレクトに伝わって来るモノだから、なんかもう目も当てられないほどに顔が真っ赤に染まってしまっている。今なら顔で焼肉が出来るのではないだろうか。

 良夜は恥ずかしそうにそっぽを向きながら頬を掻いているのだが、神子は未だに止まらない良夜の欲(主に性関連)の嵐に頭から湯気を噴出してしまっている。いったいどんな欲が流れ込んできたのか、神子の頬は無自覚に緩んでしまっている。

 そんな感じで良夜の欲に支配されていた神子だったが、「ひゃ、ひゃう!」と何やら可愛らしい声と共に正気を取り戻した。

 

「あ、帰ってきた」

 

「き、きききききき君はなんてことを考えてるの!? 子供が欲しいとか胸でして欲しいとか舐めて欲しいとか……ッ!」

 

「わざわざ俺の欲を声に出すな恥ずかしい! わぁーってるよ俺だって流石に今のは妄想しすぎたって思ってるよ! でも、それぐれーに俺はお前のことが好きなんだ! お前と俺の二人の血が通った子供が欲しいって思うぐれー、俺は豊聡耳神子のことを愛してる! お前の告白に返答する感じでいかせてもらうが――俺と結婚してください! 絶対に幸せにしてみせるから!」

 

「良夜……」

 

 相変わらず互いに頬を朱くしているが、良夜と神子は互いの身体の感触を確かめるように抱き合った。相手の背中に両手を回し、五センチも無い距離で互いの目を真っ直ぐと見つめる。

 そしてゆっくりと顔を近づけあい、そのまま互いの唇を重ねた。最初は軽く唇を触れさせる程度で動かし、次に相手の唇を吸い上げる。ぴちゃぴちゃという水音が部屋の中に響き渡り、それが原因で二人の心は人知れずヒートアップしていく。

 神子は胸を良夜の胸板に押し付けるように近づきながら彼の口内に舌を挿入する。良夜はそれを拒むことなく受け入れ、自分の舌を神子の舌に器用に絡めた。息を荒くしながら互いの口内を蹂躙し、自分の唾液を塗りこませるように互いの舌を絡め合っていく。

 そんな状態が十分ほど続いたところで神子の方から舌を離し、良夜の顔を正面から見つめた。とろんとした目を浮かべながら、神子は良夜にとても色っぽい笑顔を浮かべる。

 

「君と一生添い遂げます。君の寿命が尽きた後も、私は君を愛し続ける。私は君だけを愛し、私は君のためだけに生きましょう。――最高のハッピーエンド、期待してるわよ?」

 

「任せとけ。お前が予想もできねーぐれーの最高で最強のハッピーエンドを実現してやるよ!」

 

 満面の笑みを浮かべながら良夜は言い、それに応えるように神子は静かに微笑みを返した。

 

 

 残り人数:二人。

 

 残り時間:一時間五十二分。

 

 本当の意味でのハッピーエンド実現まで、残り――――。

 




 次回もお楽しみに!


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第二十五話 沙羅良夜は恋をする③

 ついに四人目。

 ハッピーエンドまで、あと少し――。


 続いて良夜がやってきたのは、紅魔館の主ことレミリア=スカーレットの寝室だった。

 

「皆まで言わなくていいわ。あまりにも頭の回転が悪すぎて咲夜の居場所が分からないんでしょう? ええ、何も言わなくていいわ。私のカリスマにかかれば、貴方の考えていることを当てるぐらい造作もないことだから! ええ、教えてほしい? 教えてあげてもいいんだけどそれは貴方次第かしらね!」

 

「ヒント役のくせに押し付けがましい!」

 

 貧しい胸を張りながら『カリスマ』を後光と共に放つレミリアさん。その『カリスマ』はレミリアのうっかり度に比例してしまってもはや幻想郷の珍百景扱いされているのだが、悲しいかな、レミリア自身はその事実を全く持って聞かされていない。紅魔館のメイド長である十六夜咲夜の尽力の賜物であることはあえて言うまでもないだろう。

 このままレミリアのカリスマ披露に付き合う時間なんてない良夜はその場で腰を九十度近くまで折り曲げる作法――『THE・お願い』を実行に移す。

 

「ヒントをください、レミリア様!」

 

「えー、どーしよーかしらー」

 

 良夜が急いでいることを知っているのにあえて時間をつぶそうとするレミリアに、良夜はビキリと青筋を浮かび上がらせる。

 だが、ここで反抗の意志を示すわけにはいかない。できるだけ早急にレミリアからヒントを教えてもらい、一秒でも早くこの試練をクリアしなければならないのだから。

 沸々と心の底から噴き出してきそうな怒りを何とか押し留め、頬をひくひくと引き攣らせながら良夜はもう一度要求する。

 

「こ、この哀れなわたくしめに、ヒントを与えてくれないでしょうか?」

 

「そういえば私、メイドのほかに執事も欲しいって思ってたのよねー」

 

 ビキビキビキビキビキ! と良夜の顔がマスクメロンのように血管だらけになっていくが、良夜は何とか怒りを抑え込んでもう一度要求する。

 

「し、執事にでもなんでもなってあげますから、ヒントを教えてくれませんかね……ッ!?」

 

「条件があるわ」

 

「どんな条件でもいいから早く言えやロリババア!」

 

「殺してもいいかしら?」

 

「全力でごめんなさい」

 

 にっこりと笑いながらも凍てつく氷のような目で睨みつけてくるレミリアに、良夜はプライドも何もかもをかなぐり捨ててその場で土下座を決行する。小悪魔に見せたものとは少し違う、完璧にスタイリッシュな土下座だった。

 ちゃんと誠意を見せた良夜にレミリアは子供の様にニコニコと笑顔を浮かべながら、良夜の頭を靴で思い切り踏みにじりながら言葉を紡ぐ。

 

「私が求める条件は一つ。貴方がこの試練を無事にクリアして五人全員と結婚することになった場合、貴方は執事としてこの紅魔館で暮らしなさい。妖怪の山にあるあんなみすぼらしい一軒家で六人一緒に生活なんて不可能でしょう? だから、貴方達六人はこの紅魔館で暮らすこと。どうせ紅魔館に住んでいる者が多いんだから問題はないでしょう?」

 

「痛い痛い痛い痛い痛い痛い」

 

「私は咲夜の主だけれど、それと同時に咲夜のパートナーでもあるわけなのよね。パートナーの負担を少しでも減らすために私が尽力するのは、そんなにおかしいことじゃあないでしょう?」

 

「そ、そーっすね……」

 

 未だに頭をぐりぐりとふかふかのカーペットに向かって踏みつけられている良夜は苦しそうに呻きながらなんとか声を絞り出す。すでにこの押し問答だけで十分を無駄にしてしまっているわけだが、良夜は果たしてその事実に気づいているのだろうか。

 動きにくい頭を無理やり動かしてコクコクコクッ! とレミリアの言葉を肯定する良夜に気を良くしたのか、レミリアは恍惚とした表情を浮かべて舌なめずりをしつつ、

 

「いいわ、貴方の誠意は伝わった。――だから、私が貴方に最高のヒントを与えてあげる」

 

「マ、マジっすか!? さすがレミリア様そこに痺れる憧れるゥッ!」

 

「もっと褒め称えなさい!」

 

「レミリア様スゲー優しい! レミリア様のカリスマは幻想郷一!」

 

「もっと! もっとよ!」

 

「レミリア様は世界一ィイイイ――「いい加減にしろこのバカ良夜ァアアアアアアアアーッ!」――あぐべぇっ!」

 

 どこぞの野球部の応援団のごとき絶叫を披露していた良夜の後頭部に、革製のブーツの底が勢いよく食い込んできた。突然の衝撃に良夜はぐるりと白目を剥き、そのまま力なく崩れ落ちる。今確実に後頭部にブーツがめり込んでいた気がするが、果たして良夜はこの試練が終わるまでに目を覚ますことができるのだろうか。……いや、きっと大丈夫だろう。この世界には『ギャグ補正』という名の神のご加護が存在するのだから。

 突然現れて良夜の頭を踏みつぶしたメイド姿の少女にレミリアは苦笑を向けつつ、肩を竦めながら言い放つ。

 

「ヒントを教える前に気絶させちゃ意味ないでしょう……咲夜」

 

「あぁっ! あまりにも長いボケだったから思わず暴力言語でツッコミを入れてしまいましたわ!」

 

 「は、早く起きなさいバカ良夜ァアアアアアーッ!」十六夜咲夜は口から大量の泡を吹いて意識を失っている沙羅良夜の体を勢いよく前後に動かし、必死の蘇生を開始する。

 

 

 

 

 

  ☆☆☆

 

 

 

 

 

「……なんか意識を失う前の記憶が判然としねーんだが、なんか知ってたりするか?」

 

「知らない知りません知らないわ! ええ、決して私が原因だとかそういうことじゃあないですわ! 貴方とお嬢様の漫才が長すぎて思わず暴力言語でツッコんでしまったとか、そんなことは決して全くありません!」

 

「もはや答え言ってるよーなもんじゃねーか!」

 

 痛む後頭部を抑えながら咆哮する良夜だったが、咲夜は見事なタイミングでふいっと彼から顔を逸らす。

 先ほどのやり取り+良夜の意識が戻るまでの間におよそ二十分という膨大な時間を消費してしまったため、良夜が咲夜にかけられる時間はそこまで残っていない。多くて二十分、少なくて五分といったところか。

 「ま。別にいーけどさ」良夜は話を進めるために先ほどの暴挙を水に流――

 

「え……貴方まさか、マゾヒストの気があるんじゃ……」

 

 ――す前にどうやらやらなければならないことができたようだ。

 

「誰がマゾヒストだ! 人がせっかくお前を許してやろーとしてんのに、なんでお前はそんな思いを踏みにじるんですかねぇ!?」

 

「あ、今のってさっき頭を踏みにじられたのとかけてみましたの? おー、上手上手」

 

「別にそんな一芸持ってませんけど!? 今日のお前なんか面倒くせーぞ!? なんかあったんか!?」

 

 主に咲夜の頭の方を心配して叫ぶ良夜にとびっきりの笑顔を向け、十六夜咲夜は高らかに言い放つ。

 

「だって私はツンデレですもの!」

 

「自分で自分のことをツンデレとか言う奴がツンデレなわけねーだろ! 博麗に謝れ! あの幻想郷一ツンデレな腋巫女に全力で謝罪しろ!」

 

 ぜーっ! はーっ! と体を大きく上下させながら肩で息をする良夜さん。それほどまでに怒涛のツッコミを入れたということなのだろうが、それは咲夜のボケが同じぐらい濃かったということでもあるのだ。あまり時間が残されていないというのに、この銀髪コンビは一体何をやっているのだろうか。

 まぁぶっちゃけてみると、お互いにこれからのやり取りが恥ずかしいだけなのだ。良夜は緩和しているが、この二人は自他ともに認めるツンデレだ。自分の想いを相手に素直に伝えることが恥ずかしく、それで相手が動揺するのを見るのも恥ずかしい。

 だが、このままいつまでも無駄なやり取りを続けているわけにはいかない。良夜はまだあと一人、彼の全ての始まりとも言える少女を残してしまっている。清く正しい鴉天狗の少女が、この紅魔館のどこかで良夜が来るのを待っているのだ。――その少女の元に行けないまま時間切れになってしまうなんて、いくらなんでも最悪過ぎる。

 そんな良夜の気持ちを悟った咲夜は「あー……あーもーちくしょー恥ずかしいわねもうっ!」と美しい銀髪を片手で乱暴に掻きむしり――

 

「私は貴方のことが好きです! この紅魔館に初めて新聞を配達しに来た貴方と知り合ってから――ずっと貴方のことを愛しています! だから――私と結婚しなさい! 絶対に幸せにしてみせますわ!」

 

 ――あまりにも男らしい告白をぶちまけた。

 普通ならば男から女に言うべきであろう言葉の数々。だが、咲夜はあえてその言葉を選択した。女の子らしい自分を見せるのが恥ずかしいから、羞恥心を抑え込むためにあえて男らしい告白をしたのだ。……まぁ、顔は目も当てられないぐらいに真っ赤だしメイド服のスカートを両手で掴んでもじもじしているところとか、どこからどう見ても女の子なのだが。

 全く予想にもしなかった言葉の選択に良夜が戸惑う中、咲夜はさらに顔を赤くして彼を睨みつけながら咆哮する。

 

「べ、別に貴方を喜ばせるためにこんな言い方をしたわけじゃありませんからね!? ただ、私はこの幻想郷で最も貴方に近しく、貴方と同じぐらいの寿命を持った存在だから、私が貴方を幸せにしてあげなくちゃいけないって思っただけなんですからね!? か、勘違いしないでほしいものですわ!」

 

「――ッ」

 

 それは、良夜があえて考えないようにしていたことだった。

 彼が幸せにすると誓った五人の少女の内、四人が良夜とは違う種族――人外だ。彼女たちは良夜とは比べ物にならないほどの寿命を持ち、良夜とは比べ物にならないほどの生命力を持っている。――そんな少女たちを残して、良夜はこの世を去らなければならない。

 だからこそ、そんな良夜の苦悩を十六夜咲夜という存在が消し飛ばすのだ。五人全員が貴方と一緒に行けるわけではないけれど、せめて私ぐらいは貴方と同じ墓に同じタイミングで入りましょう。貴方と私は一心同体、死ぬときは絶対に一緒です。

 気づいた時には、良夜の目から涙が零れていた。咲夜の言葉があまりにも嬉しかったから、良夜はいつの間にか泣いてしまっていた。

 堰を切ったようにぽろぽろと涙を流す良夜を優しく抱き寄せ、咲夜は彼女らしい凛とした声色で彼に告げる。

 

「貴方と同じ時間を歩むことができる私は、この幻想郷で最も幸せな女なの。貴方の一分は私の一分、貴方の一年は私の一年。私は時を止めることができるけど、貴方と過ごす時だけはどう頑張っても止められない。というか、絶対に止めたくない。――私は貴方と同じだけ生きて、私は貴方と同じだけ幸せでいたいから」

 

「……同じだけ、幸せ……」

 

「貴方が私以外の方々より早く死んでしまうのは絶対に避けられない。蓬莱の薬でも飲めば話は別だけど、貴方はそんな裏技を使ってまでこの世に留まろうとは思わないはず」

 

 「だから」と咲夜はあえて間を置き、

 

「私が貴方を絶対に一人にさせない。現世だろうが冥界だろうが地獄だろうが天国だろうが、私は絶対に貴方の傍に居続けますわ。メイドは主の傍から離れない、というのは幻想郷だけでなく世界の常識ですからね」

 

「……ありがとう。本当に、ありがとう……ッ!」

 

 肩を震わせながら子供のように泣きじゃくる良夜の両肩に自らの両手を添え、咲夜は優しくキスをする。舌を絡めることも無く、ただ唇を触れさせるぐらいの軽めのキスを。

 そして良夜を思い切り抱きしめ、咲夜は言う。――自分が泣いていることを悟られないように、震える体に鞭打っていつも通りの「凛々しい十六夜咲夜」としての態度で告げる。

 

「私が貴方にできるのは、今はこれが精一杯。でも、この試練が終わったら、私は貴方に本気で甘えてあげますからね。――だから、早く御行きなさい。残り時間はあまり残されていないのだから、貴方はこんなところ油を売っている場合ではないでしょう? 絶対に貴方の想いを伝えなければならない人がいる。絶対に貴方が想いを聞かなければならない人がいる。――貴方に本心を伝えられただけで、今の私は満足ですわ」

 

 喋り終わると同時に咲夜は再び軽めのキスをし、良夜が気づいた時には既に目の前から消え失せていた。――時間を止めている間にどこか遠くへと移動したのだろう。

 彼女はそこで泣きじゃくっているんだろーか? さっきの俺みてーに、肩を震わせて子供のよーに泣きじゃくってるんだろーか。

 だとしたら、この試練の後に思い切り抱きしめてあげなければならない。彼女の涙を止めるために、俺は行動しなければならない。

 ――だが、今はこの先のことに集中しよう。咲夜が言っていた通り、俺は『アイツ』のところに行かなきゃなんねーんだ。

 

「ついにこの時が来たぜ――文!」

 

 沙羅良夜は走り出す。

 彼の全てが始まるきっかけをくれた鴉天狗の少女の元へと、持てる力の全てを使って走り出す。

 今回は、もうヒントなんていらない。パチュリーには悪いが、良夜は彼女の助け無しで鴉天狗の少女の元へとたどり着くことができる。

 紅魔館のシンボル――『鐘』。

 きっとそこに、あの少女はいるのだろう。

 沙羅良夜は駆けていく。

 射命丸文という清く正しい鴉天狗の元へ――風のように駆けていく。

 

 

 残り時間:一時間四分。

 

 残り人数:一人。

 

 本当の意味でのハッピーエンドまで、残り――。

 




 次回もお楽しみに!


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第二十六話 沙羅良夜は恋をする④

 ついにここまで来ちまった……ッ!



 鐘がある屋上に行こうとしたが何故か施錠されていた。

 

「それはもちろん、私が施錠したからに決まっているじゃない」

 

「アンタは鬼か!」

 

 紅魔館の図書館にて。

 残り時間一時間という結構ギリギリな制限時間と戦っていたはずの沙羅良夜は図書館の主――パチュリー=ノーレッジの襟首を掴みながらビキリと青筋を浮かべて咆哮していた。

 わざわざ屋上の入り口から図書館まで全力ダッシュしてきたせいで身体中から大量の汗が噴きだしていて、黒いシャツとカッターシャツに至ってはびっちりと肌に張り付いてしまっている。何故息が切れていないのか甚だ疑問なのだが、そこは毎日の配達で鍛え上げられたという理由で納得するしかないだろう。常識が通じない世界、それこそが幻想郷なのだから。

 襟首を掴まれているにもかかわらず相変わらずの無表情なパチュリーはジト目で良夜を見上げつつ、

 

「だって貴方、あのままだと私をスルーしたでしょう? せっかくの私の出番を、『メンドイし、別にいーや』ぐらいの理由で華麗にスルーしようとしたでしょう?」

 

「いやいや、こっちは誰の出番とかそんな次元で戦ってるわけじゃねーから! アンタの出番とか心底どーでもいーわ!」

 

「フフフ、そうやって旧キャラは消え去っていくのね」

 

「少しは現実見てくれませんかねぇ!? NO二次元! YES三次元!」

 

 顔に影を落としながら暗く微笑むパチュリーに、良夜は青筋の数を二倍に増やして咆哮を続ける。チラッと腕時計を確認してみると、残り時間は五十分を切ってしまっていた。

 このままこんなどうでもいい漫才を繰り広げているわけにはいかないのだが、パチュリーが屋上への鍵を渡してくれるまでは嫌でも彼女を説得し続けなければならないのだ。こんなところで挫けるわけにはいかない。

 良夜はすぅぅっと息を吸い、腰を折り曲げながら言い放つ!

 

「お願いしますパチュリーさん、屋上の鍵を渡してください!」

 

「うん、いいわよ?」

 

「……………………………………、え?」

 

 

 

 

 

  ☆☆☆

 

 

 

 

 

「くっそあの人意味分かんねー……渡すなら最初っから渡してくれりゃいーのに……」

 

 ぶつぶつと口を尖らせながら図書館の管理人兼引きこもりである魔法使いの少女の愚痴をこぼしつつ、良夜はガチャガチャと少しだけ錆びついている南京錠に鍵を差し込んで必死に開錠を試みていた。

 残り時間は四十二分。お世辞にも多いとは言えない時間だが、少ないとも言えない。意外とちょうどいい時間だろう。

 この扉を開けた先に、あの少女が待っている。沙羅良夜の記憶の中で一番古くから記録されている鴉天狗の少女が、この扉の先で自分を待っているのだ。……なんか柄にもなくドキドキしてきた。

 ガギン! というやけに鈍い音と共に南京錠が開錠する。良夜はふぅと溜め息を吐き、目の前の扉をゆっくりと押し開く。

 そこ、には――

 

「あやや? やぁっと来ましたね、良夜。四時間も私をこんなところに待たせるなんて、居候失格ですよ?」

 

 ――太陽のように明るい笑顔を浮かべる少女がいた。

 肩の辺りまでの長さの黒髪とぱっちりとした黒目が特徴で、頭の上には頭襟と呼ばれる鴉天狗特有の帽子をかぶっている。上半身は白と紅葉柄の二色から構成された半袖シャツに覆われていて、下にはフリルのついた黒いミニスカートを穿いていた。黒のストッキングを上から下まで眺めていくと、高下駄風の赤い靴を履いているのが把握できてしまう。――そして、背中に生えた堕天使のような漆黒の翼。

 

 

 射命丸文。

 

 

 ずっと想いを伝えたかった少女が、ずっと一緒に居たいと誓った少女が――今、目の前にいる。

 思わず感極まりそうになる良夜だったが、ぐっと目に力を込めていつも通りの『ツンデレ配達屋』として文に軽口をたたく。

 

「ははっ、あえて最後に回したんだっつーの。お前とは積もる話がたくさんあっからな」

 

「あやや? 奇遇ですね――私もです」

 

 瞬間、紅魔館の屋上に突風が吹いた。

 風によって紅魔館のシンボルである鐘が揺れ、幻想郷中にその存在を知らしめる。音量自体は大きいのに、その音色には何故か安心感が感じられる。

 そして六度目の鐘が鳴った瞬間――

 

『ごめんなさい!』

 

 ――配達屋と鴉天狗が同じタイミングで謝罪した。

 文は良夜が二の句を告げる前を見計らい、あらん限りの大声で謝罪の言葉を述べていく。

 

「この間は本当に申し訳なかったです! 突然のことで混乱していたとはいえ、貴方と無理心中しようとしてしまいました! 本当にごめんなさい!」

 

「その点についてはもー気にしてねーから大丈夫! それより、俺の方こそごめんなさい! お前にあらぬ誤解を生んでしまったり、お前に今までたくさん迷惑をかけちまった! 優しいお前に甘えて、俺は好き勝手に振舞っちまってた! 本当にごめんなさい!」

 

『――本当に、ごめんなさい!』

 

 二人分の大声が、鐘の音に混じりながら幻想郷に響き渡る。

 事の発端はいったいどれだったのだろう? 良夜が文と出会ったことか。良夜が文を泣かせた時か。文が良夜を監視した時か。良夜が文と笑った時か。――おそらく、全てが発端だ。

 その全ての発端を経験しているからこそ、今この二人は互いの非を認めて謝罪することができている。相手に甘えていた自分を顧みて、自分なりに反省しようとしているのだ。

 お互いに腰を九十度近くまで折り、お互いに相手の出方を待つ。こっちが謝罪した後は一体どういう流れが待っているのか分からない二人は、ただただ目を瞑ってその時を待ち続ける。

 一分、二分、三分……十分。お互いに頭を下げたままただただ時間が過ぎていく。このままではタイムオーバーとなってしまうのだが、それでも二人は動かない。

 そして十二分が経過した頃、良夜と文はほぼ同時のタイミングで顔を上げ――

 

『ぷぷっ……あはははははははは!』

 

 ――目に涙を浮かべながら大声で笑いだした。

 互いに腹を抑えて全力で笑い、幻想郷の空に笑い声を響き渡らせていく。鐘の音は既に止んでいて、紅魔館には良夜と文の笑い声だけがなんとも言えない存在感を放ちまくっている。先ほどから全く通常ではない二人を見守るように、太陽が少しだけ西の方へと傾いた。

 そんな状態が一分ほど続いたところで二人はぴたりと笑うのをやめ、一歩前へと踏み出した。――さらに一歩。――さらに二歩。二人は紅魔館の屋根の上をバランスを崩すことなく器用に進んでいく。互いの距離を踏みしめるように、二人はゆっくりと近づいて行く。――片や微笑みを浮かべ、片や無愛想な表情で。

 そして二人の距離がゼロになったところで、良夜と文は互いの身体を思い切り抱きしめた。

 右手で文を抱きしめ、左手で文の頭を優しく撫でながら――良夜は言う。

 ――文は答える。

 

「ずっとお前に伝えたかったことがある」

 

「はい、実は私も貴方にずっと伝えたかったことがあるんです」

 

「ははっ、そりゃ奇遇だな。やっぱ俺たちゃ似たもん同士ってことか?」

 

「なに意味不明なこと言ってんですか、このバカ良夜。私と貴方が似た者同士? 馬鹿も休み休み言いなさいって親から習わなかったんですか?」

 

「だって俺、完全無欠に記憶喪失だし。しかも母親はあのゴスロリ天然ボケウーマンだぜ? そんな真面目なこと習ってるわけねーだろ」

 

「あやや、それもそうですね」

 

 右手で良夜を抱きしめ、左手を良夜の左頬に添えながら――文は言う。

 ――良夜は答える。

 

「今までの中で一番真面目な言葉ですから、茶化さずに聞いてくださいよ?」

 

「そりゃこっちのセリフだっての。言っとくけど、俺よりお前の方が真剣みに欠けてっからな? 因みに、これは幻想郷の共通認識だから。別に俺の持論って訳じゃねーから」

 

「はぁ? 貴方みたいなツンデレよりも絶対に私の方が真剣ですぅー。清く正しい鴉天狗である私は、幻想郷で最も真剣な女ですよーだ」

 

「言ってろボケガラス」

 

「言いますよバカ良夜」

 

 そんな子供のようなやり取りをしながらも、二人は真剣な表情で互いの目を真っ直ぐと見つめていた。平静を装っているのかもしれないが、誰がどう見ても今の二人は緊張している。身体は小刻みに震えているし、互いの身体を抱いている右手は生き物のように忙しなく駆動してしまっている。これで緊張していないだなんて言ってしまったら、「うそつけ」という一言でバッサリと袈裟切りされてしまうことだろう。誰にとは言わない。だって誰でも言いそうだし。

 二人は頬を朱く染めながらも目を背けることはせず、ほぼ同時のタイミングで全く同じ言葉を言い放つ。

 

『――好きです。あまりにも好き過ぎるので、このまま結婚してください』

 

 長かった、と良夜は思う。

 こんな簡単な言葉を面と向かって言うことができるまでに、丸一年を要してしまった。ずっと彼女のことが好きだったのに、捻くれ者な性格のせいでずっと口にできなかった。いつも準備はできていたのに、良夜はこの言葉を彼女に伝えることが出来なかった。

 だが、ついにこの言葉を伝えることに成功した。最高の選択肢を経て、最高の展開を迎えることができたのだ。

 レミリアにはキレられてしまうかもしれないが、良夜は運命なんてものは微塵も信じちゃいない。全ては必然で偶然なんて存在しない――これが良夜の持論なのだ。

 だけど、身勝手な気持ちだと思われてしまうかもしれないけど――――

 

『好きです。超好きです。絶対に幸せにするから、俺(私)の全てを受け入れてください』

 

 長かった、と文は思う。

 鈍感な彼に想いを伝えることなんて容易いことだと思っていたにもかかわらず、無駄に一年を要してしまった。ずっと彼のことが好きだったのに、無駄にプライドが高いせいでずっと口にできなかった。いつも準備はできていたのに、文はこの言葉を彼に伝えることができなかった。

 だが、ついにその言葉を伝えることに成功した。最悪の展開を経て、最高の選択肢に巡り合うことができたのだ。

 レミリアは喜ぶかもしれないが、文は運命なんてものを全力で信じている。全ては偶然で必然なんて存在しない。――これが文の持論なのだ。

 だけど、身勝手な気持ちだと思われてしまうかもしれないけど――――

 

「絶対に幸せにしてやるよ――文」

 

「絶対に幸せになってやりますよ――良夜」

 

 そして二人は唇を重ねる。

 今まで経験してきた全てを集約するように、二人は互いの気持ちをキスという形で伝えていく。

 意識の外で試練終了のアラームが鳴っている気がするが、今の二人にはとてつもなくどうでもいいことだった。今は、今だけは、二人だけの時間を過ごさせてほしかったから。

 

 

 ところで、良夜と文の言葉の続き、貴方は聞きたくはないだろうか?

 

 二人はあえてぼかしていたが、実はちゃんと最後の分まで考えてあったのだ。

 

 それでは、お手を拝借してください。

 

 『身勝手な気持ちだと思われてしまうかもしれないけど――――』の続きを聴いたら、一斉に盛大な拍手を送ってあげるとしましょうか。

 

 それでは――せぇーのっ!

 

 

 

 ――運命なんて言葉じゃ言い表せないぐらい、貴方のことが大好きです。

 

 

 

 




 次回、最終回!


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エピローグ

 ついに最終回。

 二話連続投稿ですが、これが最終回です!

 それでは、東方文伝録エピローグ――スタート。


 沙羅良夜の試練終了から一か月後。

 博麗神社は今までにないほどの賑わいを見せていた。

 

「うっわー……流石にこれは派手すぎんだろ……」

 

「そんなことないよっ、良夜! これは貴方の晴れ舞台なんだからっ、これでも全然足りないぐらいだねっ!」

 

「これでも!? なんか出店まで出てきてんのに!? 八目鰻屋とか香霖堂なんか全力で出張営業してらっしゃいますけど!?」

 

 博麗神社の中から外の様子をうかがっていた良夜は、相変わらず病的に親バカなゴスロリ系マザーこと沙羅白夜に絶叫する。

 今の良夜はいつもの学生服ではなく、全体的に黒い着物に身を包んでいる。――紋付袴と呼ばれる、婚礼用の着物だ。外人のような銀髪を持つ良夜には怖ろしいほど似合っていないが、そこをツッコむのは野暮だろう。これは男女の契りを結ぶための儀式――結婚式なのだから。

 少しだけ開いていた襖をぴしゃりと閉じ、良夜は部屋の中央に移動する。

 

「うだー……やっぱこの着物イヤだ。いつもの学生服でいーんじゃねーの……?」

 

「それは許可できないねっ、良夜! 良夜の学生服姿なんて二百枚じゃ足りないぐらい保存してるからっ、やっぱり私は良夜の晴れ姿を写真に収めたいのだよっ! 別に良夜の普段着が嫌とかじゃないけどっ、やっぱり私は息子の洒落姿を写真にグヘヘヘヘ」

 

「完全無欠にアンタの欲求じゃねーか! 思考ダダ漏れだなマイマザー!」

 

 それでもやっぱり脱いじゃいけないことは分かっているのか、良夜はうろうろうろうろと部屋を歩き回ることで紋付袴を全力で体に馴染ませるための努力を開始する。そろそろ呼ばれる時間なのでいつまでもこのままでいるわけにはいかないが、それでも少しぐらいは自分の好きにさせて欲しいと良夜は思ったりする。

 そんな挙動不審な息子に生暖かい視線を向けながら、沙羅白夜はニヤニヤとした笑みを浮かべて指摘する。

 

「ぶっちゃけ恥ずかしいだけなんでしょっ?」

 

「な――ななななな何が誰で恥ずかしーって!?」

 

「いやっ、そんなこと言ってないし」

 

「確かにこれが結婚式だから少しだけ緊張していることは認めましょー! だ、だけど、それが恥ずかしーなんつー意味不明な解釈に繋がるのはどーなんでしょーかなんて俺は思う訳ですよ! た、たかが結婚式だぜ!? 別にこんなの屁じゃないね!」

 

「…………本音は?」

 

「ぶっちゃけ恥ずかしすぎて死にそーっす」

 

 うぎゃぁああああああああああーッ! と良夜は真っ赤に染まった顔を両手で覆いながら天に向かって絶叫する。この幻想郷に来て一番動揺してるんじゃねーの今の俺!? と自分でも今の自分の異常さが分かっている良夜は頭から湯気を噴きだしながらブツブツブツブツブツーッ! と怨嗟のような呟きを漏らす。

 

「嫌だすぐに帰りてーこんな恰好であいつ等の前になんか出れるわけねーよ何だよコレ真面目かよ真面目ちゃんなんですか? いやマジでこれはねーよ何張り切ってんだよ俺恥ずかしすぎて今すぐバンジージャンプできるよマジでこのままだと死んじゃいそーだからとりあえず紅魔館に戻って夕飯の準備でもしてきます!」

 

「逃がすとでも思ったっ?」

 

「いやぁああああああああああああああーッ! お願い離して帰らせてェええええええええええええーッ! 無理! 恥ずかしすぎて緊張しすぎてカッチコチになっちまう未来が見えまくってる! っつーかもはやその未来しか見えねー!」

 

「もうっ、いい加減に覚悟を決めたほうが良いよっ? 良夜のお嫁さんたちだってもう準備オーケーみたいなんだしっ」

 

「…………………………え?」

 

 つまり? と良夜は鬼を間近で見たような表情を浮かべ、そんな良夜にサムズアップしながら白夜は満面の笑みで言い放つ。

 

「出発の時間がやってきましたっ!」

 

「―――――――――――――はぅっ」

 

 緊張が限界突破して良夜は意識を失うが、白夜は鳩尾パンチで緊急蘇生を開始する。

 

 

 

 

 

  ☆☆☆

 

 

 

 

 

 良夜が目を覚ますと、目の前に白無垢姿の少女が五人いた。

 

「…………Pardon?」

 

「アンタが全然起きないから白夜さんに連れてきてもらったのよ。ったく、好意で神社を貸してやってんのに、何で主役であるはずのアンタが今更目ぇ覚ますのよ」

 

 いつもの露出の多い巫女服とは違い、白を基調とした上衣に赤袴という平平凡凡な巫女服を着た霊夢の言葉に、良夜の顔が一瞬でさぁーっと青くなる。

 そして顔を強張らせながら、恐る恐ると言った風に周囲を見渡してみる。

 そこ、には――

 

 八雲一家。

 地霊殿組。

 鬼コンビ。

 仙人と邪仙と尸解仙(二人)。

 守矢一家&博麗神社の居候。

 妖怪の山組。

 紅魔館メンバー。

 人里組。

 輝夜姫と愉快な仲間たち。

 白黒魔法使い。

 道具屋。

 八目鰻屋。

 人形遣い。

 フラワーマスター。

 虫使い。

 白玉楼組。――エトセトラエトセトラ。

 

 どうやってこの敷地に収まったんですか? というツッコミが逆に必要のないぐらいの大集合っぷりだった。

 基本的に彼女たちが暇なのは分かっているが、まさか自分の結婚式の日に限って全員集合するとは思いもしなかった。というか、八雲紫が起きていることに一番驚いている。アンタそろそろ冬眠の時期じゃありませんでしたっけ?

 まさかのサプライズに口をあんぐりと開けて硬直してしまう良夜さん。そんな良夜に白無垢姿の少女五人はクスクスと笑いを零す。

 「こ、こほん! それじゃあ主役が起きたことだし、ちゃちゃーっと済ませちゃいましょう」霊夢はわざとらしく咳き込むことで皆の意識を自分へと集中させ、彼女にしては珍しい真剣な表情で言葉を紡いでいく。

 

「紅美鈴。汝、この者に一生の忠誠を誓うか?」

 

「ちっ、誓います!」

 

「フランドール=スカーレット。汝、この者に一生の忠誠を誓うか?」

 

「うんっ、誓うよぉっ!」

 

「豊聡耳神子。汝、この者に一生の忠誠を誓うか?」

 

「ええ、誓います」

 

「十六夜咲夜。汝、この者に一生の忠誠を誓うか?」

 

「もちろん、誓いますわ」

 

「――射命丸文。汝、この者に一生の忠誠を誓うか?」

 

「はいっ、誓わせてもらおうじゃないですか!」

 

 彼女たちの顔には、迷いなんてどこにも存在していなかった。

 

 彼女たちの言葉には、躊躇いすら存在していなかった。

 

 そこに存在しているのは――『愛情』と『信頼』と『期待』の三つだけ。

 

 故に、五人の少女は銀髪の少年を真っ直ぐ見つめる。今までの願いを今この場で成就し、次のステップで一番の願いを成就するために。

 「その覚悟や良し。神は汝に絶対の幸福を授けるであろう」霊夢は少女たちに向かって微笑むが、すぐにくるっと良夜の方へ向き直った。

 思わず直立不動になってしまう良夜に呆れた表情を浮かべつつ、霊夢は言う。

 

「汝、この者たちに――――永遠の幸福を約束できるか?」

 

 そんなこと、今さら聞かれるまでも無い。

 

 そんなこと、今さら再確認するまでもない。

 

 沙羅良夜は――いや、俺はコイツらに誓ったんだ。

 

 愛に応えて信頼に応えて期待に応えるために――俺は最弱ながらに頑張るって。

 

 だから、答えなんて決まってる。

 

 俺は、コイツらを――――――

 

 

「――――――絶対幸せにしてみせる! 異論は認めねーッ!」

 

 

 そんな最弱の少年の言葉に、五人の少女は幸せそうな笑顔を浮かべた。

 

 

 

 

 

 ――――――東方文伝録、『完』。

 

 

 




 はい、これでこの作品は最終回となります。

 いや、まさか完結に半年以上かかるとは思いもしなかったです。

 普通の言葉かもしれないですが、この作品を完結まで続けることができたのは――確実に火を見るよりも明らかに読者の皆様方のおかげです。

 元気の出る感想、ハッチャケタ感想、真面目な感想――そんな全ての感想・評価がこの作品の糧となっています。

 本当に、ありがとうございました。


 ――――まぁ、終わるって言っても番外編があるんだけどね!


 だって本編では書けなかった話がたくさんありますし。まだ登場させられていないキャラがたくさんいますし。

 本編終了から二十年後――つまりは彼の子供たちの話も書きたいですし! 短編として!

 そんなこんなでなんともグダグダな後書きとなりましたが、本編に関しては一応この場で筆を降ろさせていただきたいと思います。いや、筆じゃなくてキーボードだけど。そこはツッコんじゃいけないのですよ。

 それでは、良夜のハッピーエンド成就を祝って――もう一度感謝の言葉を告げたいと思います。

 今までこの作品を見守って下さり、本当にありがとうございました。

 そして、番外編での良夜たちの幸せっぷりを楽しみに待っていてくだされば幸いです。

 それでは、次は番外編の前書きでお会いしましょう。

 ――本当に、ありがとうございました。


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After Story&番外編
二十年後の日常 沙羅明流の場合


 という訳で、番外編一発目は良夜の子供シリーズです。

 良夜の世代以上にキャラが濃い彼女たちの日常を、心行くまでご堪能ください。


 紅魔館の図書館にて。

 

「――はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」

 

 沙羅明流(さらめいる)は分厚い本に目を落としながら盛大に溜め息を吐いていた。

 ポニーテールにしているくすんだ銀髪とやる気のないダウナーな赤茶色の目、それと背中に生えた漆黒の翼が特徴である沙羅明流は自分の顔よりも圧倒的にデカい辞書のような本にもう一度目を落とし、落胆したように本日二度目の溜め息を吐く。

 そしてぼんやりとした表情で一言。

 

「どの本にも胸を大きくするための方法が載っていやがりませんねー……」

 

 赤色の頭襟がちょこんと乗っているくすんだ銀髪をガシガシと掻き、だぼっとした黒のローブを揺らしながら「あぁぁーっ!」と天に向かって咆哮する。

 今の流れで大体のことは把握できただろうが、要らぬ誤解を生んでもあれなので一応の補足説明をしておこうと思う。言っておくが、これは明流のためであり、別に面白そうだからとか言う理由ではないのだ。

 沙羅良夜と沙羅文(旧姓:射命丸)との間に生まれた沙羅明流は、それはもう満足としか言いようがないほどの容姿を授かった。やる気のない目つきながらに顔立ちは美少女と言っても過言ではないほどに整っているし、ローブの上からは分からないが彼女の手足はすらりと長い。外の世界だったら女優として何の問題も無く活躍できるだろう。

 だが、そんな彼女には致命的とも言える欠点があった。――――人それを、貧乳、と呼ぶ。

 この間計測したところで言うと、明流の胸のサイズはAAAカップ。もはやこれっぽっちも膨らみが無く、完全無欠な地平線がそこには拡がっている始末。

 母親の文がCカップだったというのに、何で自分はAAAカップなのか。別に顔はもっと可愛くなくて良かったから胸を増量しろやコラァーッ! と年頃の少女こと沙羅明流は毎日のように自らが抱えるコンプレックスと格闘しているのだった。

 そんなわけでこうして『胸を大きくする方法!』を一心不乱に捜索しているわけなのだが、これがなかなか見つからない。『身長を伸ばすための百の方法!』とか『これで貴女も不老不死!』とかいうぶっ飛んだベクトルの本は簡単に見つかるというのに、何故か胸関係の本だけはどこにも置いていなかった。

 明流はぼふぅっとローブの中の空気を押し潰しながら床に寝転がり、

 

「うぅーむ……パチェ師匠が貧乳じゃねーから置いてねーのですかねー……いやいや、それでもやっぱり一冊ぐれーはあるはずです!」

 

 諦めたらそこで試合終了ですよ? という言葉を残した偉人がいる。

 その名言が実は座右の銘だったりする沙羅明流は「よーっし! 頑張りますよーッ!」と自分を鼓舞し、本探しを再開した。

 

 

 

 

 

  ☆☆☆

 

 

 

 

 

 結局二時間探しても目的の本は見つかる兆しすら見せなかった。

 

「うっだぁー……まさかマジで置いてねーなんて思いもしなかったですよぅー……」

 

「だから置いてないってっ私はあれほど忠告したじゃない。それを貴女が『諦めたらそこで試合終了なんです! だから私は諦めねーです!』って私の制止を振り切って本探しを始めたんじゃない」

 

「だってマジで置いてねーなんて思わねーじゃないですかぁ!」

 

 ぱらり、と細い指で器用にページをめくる桃色のだぼっとした服を着た少女――パチュリー=ノーレッジのどぎつい一言に、沙羅明流はぎゃーっ! と頭を抱えながら叫び返す。

 明流がパチュリーの弟子になってから数年が経過しているのだが、それでも明流はこの師匠が若干苦手だったりする。自分の考えを見透かされているような雰囲気が原因だろうが、それ以上に全ての発言に皮肉が込められている感じが特に苦手なのだ。っつーかアンタ本当は何歳だ。私が生まれたときからほとんど外見変わってねーでしょう。

 「うぅ……夢の『ないすばでー』がぁ……ッ!」涙目で自分の胸をペタペタと触りながら落胆する明流に苦笑しつつ、パチュリーは相変わらずの無機質な目で彼女の方を見ながら。

 

「というか、別に胸のサイズなんて貴女にとってはどうでもいいことじゃない。貧乳を差し引いたとしても、貴女はかなり可愛い部類に入るわけだしね」

 

「気休めなんていらねーです! Cカップ以上あるパチェ師匠に言われてもただ虚しくなるだけです!」

 

「…………あ、そー」

 

 ダメだコイツ。もう何を言っても聞く耳持たねえ。あーあーと耳を塞ぎながら現実逃避をしている可愛い弟子に若干の苛立ちを覚えつつも、パチュリーは再び手元の本に目を落とし始めた。彼女が手にしている本の題名は『人体の神秘』という如何にも怪しいものである。

 そして、そんな如何にもな本を自分の師匠が読んでいることに気づいた絶壁少女沙羅明流はピカピカピカーッ! と両目に大量の星を浮かべながら、

 

「パチェ師匠! まさかその本に豊胸技術のイロハが載っていたり――」

 

「しないわよ」

 

「チッ!」

 

 露骨に不服そうな顔で吐き捨てるように舌打ちする絶壁娘。パチュリーは思わず熱いソウルが篭った拳をギュッと握ってしまうが、必死に怒りを鎮めることでその拳を振り回すのだけは何とか回避した。どれだけムカついてもこの鴉天狗は自分の可愛い弟子なのだ。まぁ実際は、半分人間で半分鴉天狗というまさかの『ハーフ鴉天狗』なのだが、そこは見逃してやらねばなるまい。この世にはツッコんではいけないタブーが星の数ほど存在するのだ。博麗神社の秘密とか、スキマ妖怪の実年齢とか。

 そんなことを考えているせいで全然本に集中できないパチュリーは「はぁぁぁ……」と盛大な溜め息を吐き、

 

「そういえば貴女、私が出した課題は無事に終えたの? 一応、期限は今日までだったハズなのだけど?」

 

「…………………………………あ゛」

 

「…………日符『ロイヤルフレ――」

 

「ストォーップ! やります! 今すぐにやりますからスペルカードだけは勘弁してくれですぅーっ!」

 

「………………チッ!」

 

「青筋浮かべて舌打ちとかマジでやめてください!」

 

 

 

 

 

  ☆☆☆

 

 

 

 

 

 そんなこんなで課題開始なのである。

 この課題には広い空間が必要なため、二人は図書館から紅魔館の無駄に広い庭まで移動している。もちろん、パチュリーの手元には数冊の本が置いてある。本が無い生活なんて考えられないとでも言いたげなパチュリーの表情に、明流は思わず苦笑する。

 そんなことなど露知らず、庭に予め設置してあるパラソルの下の丸テーブルの上にぐでーっと項垂れているパチュリーはジト目で明流を眺めつつ、

 

「因みに、失敗したら私が容赦なくスペルカードをぶっ放すから」

 

「それ流石にスパルタすぎやしま――「金符『シルバードラゴ――」――よーっし明流ちゃん頑張っちゃうぞーッ!」

 

 ニッコリ笑顔で核兵器よりも恐ろしいスペカを取り出すパチュリーにマジモンの恐怖を覚えた明流はドバーッと涙を流しつつ、ザッと両足を肩幅の広さまで広げる。高下駄風の赤い靴が地面を抉り、彼女の身体が完全に固定された。

 瞬間、明流の周囲に小規模の竜巻が何個も生成され出した。

 その竜巻は時間が経つごとに増加の一途を辿っていて、竜巻の規模も数に比例するようにだんだんと激しいものへと変化していく。明流が着ている黒のローブが風によって激しく波打ち、くすんだ銀髪は風の流れに沿う形で蛇のように脈打ちだす。

 そしていつの間にか目を閉じていた明流はすぅぅっと深呼吸をし、ギンッ! と目を開きながら懐からスペルカードを取り出し――

 

「旋風『ハーレム・タイフーン』!」

 

 ――ドガガガガッ! と紅魔館の庭を盛大に破壊した。

 「ちょ、何やっちゃってんのォおおおおおおおおおおおおおーっ!?」色々とツッコミどころがある明流のスペルカードに絶叫という形で驚きの感情を露わにしたパチュリーはガタタッ! とイスから立ち上がり、

 

「なんだ今の名前! そしてその意味不明な破壊力! そして弾幕作れって私は言ったのになんで貴女はこんな意味不明な破壊魔法を作り上げちゃってんのかしら!?」

 

 普段の彼女からは想像できないほど肩を怒らせて咆哮するパチュリーに「???」と小さく喰いを傾げつつも、すぐに満面の笑みで明流は無い胸を張りながら言い放つ!

 

「この名前はお父さんの『ハーレム』から引用させていただきました! 節操無しの私がたくさんの竜巻をハーレムとして扱う――これはとても素晴らしーことだと思わねーですか!?」

 

「駄目な部分を親から遺伝するんじゃないわよこのバカ天狗! そんな幻想郷史上最悪な名前をスペルカードに付けないで!」

 

 「そして次! なんだこの破壊力は!」もはやキャラが崩壊しまくっているパチュリーに明流はこれまた満面の笑みを向けつつ、

 

「魔理沙さんが『弾幕っつったらやっぱり破壊力なんだぜ!』って自信満々に言いやがってましたので、それを参考にさせていただきました!」

 

「またダメなところをそうやって引っ張ってくる! わざと!? もしかしてわざとなの!? しかも今度は違う家の人から駄目な部分を引き継いでるし!」

 

 うがぁああああーッ! と血の気が引いた顔で頭を抱えるお師匠さん。幼いころからぶっ飛んだ思想を持っているとは思っていたが、まさかここまでぶっ飛んでいるとは思わなかった。両親である良夜と文から駄目な部分だけを引き継いでいるこの少女は、幻想郷史上最悪な存在なのではなかろうか。

 だが、そんな最悪なトラブルメーカーもパチュリーにとっては可愛い愛弟子なのだ。こんなところで見捨てるわけにはいかない。というか、私が何とかしてこの少女を普通の女の子に更正してあげなければならない!

 ふぅ、とパチュリーは数秒足らずでいつもの冷静な自分を取り戻し、明流に向かってニッコリとほほ笑みながら――

 

「それで、どうして弾幕じゃなくてこんな災害を作り上げちゃったの?」

 

「え? 相手をどれだけ蹂躙できるかが重要なのが弾幕なんじゃねーんですか? 咲夜お母さんとレミリア様から私はそーゆー風に聞かされてきたんですけど……」

 

 分かった。残念なのはこの子じゃなくて周囲のバカ共だ。

 子供の成長には周囲の環境が影響するというのはよくある話だが、まさかここまで残念な方向に作用するとは夢にも思わなかった。というか、良夜と文はこの子をどういう風に育ててきたのだろう。配達屋と執事で忙しい良夜はともかく、新聞記者ながらにいつも家にいる文はもうちょっと常識的な方法でこの子を育てるべきではなかったのか。友人の子育て事情にパチュリーは思わず頭痛を覚える。

 とりあえずこのハーフ鴉天狗が非常識な存在であることは理解した。そして、存在とか思考とかが非常識である以上に、この子を取り巻く環境が致命的なまでに非常識であることも理解した。……とりあえず環境の方から改善していこう。どれぐらい時間がかかるのかは分からないが、できるだけ早急に取り組むべきだ。この子のためにも、紅魔館の未来のためにも。

 破壊され尽くした庭を見てきょとんとしている明流を見てパチュリーは密かに決意するのだが、数秒と経たずに現れた紅魔館のトラブルメーカーによってふたたび頭痛と眩暈を覚えることになる。

 「相変わらずですわね、明流!」それは、紅魔館の二階にあるテラスから聞こえてきた。イラつくぐらいのソプラノボイスで、その少女は突然現れた。

 「ま、まさかキミは!」いやお前知り合いっつーか姉妹だろうが、とパチュリーは眉間を抑えながらツッコミを入れるが、基本的にマイペースな明流はそんなことには気づかない。

 すでにイライラ指数がメーターを振り切っているパチュリーを蚊帳の外に追いやっていることなど露知らず、そのソプラノボイスの少女は「とぅ!」とテラスから思い切り跳躍し――

 

「あぐべぇl!」

 

 ――地面と熱いディープキスをかましていた。

 何とも言えない残念な光景を前に、パチュリーと明流は血の気が引いた顔で唖然とする。今物凄くヤバめな音がしたのだが、この少女は果たして大丈夫なのだろうか。

 だが、二人の心配なんて必要ないとばかりに件の少女は起き上がりこぼしのように勢いよく立ち上がり、

 

「おーっほっほっほっほ! 貴女という人は十七歳にもなって弾幕の一つも扱えないんですの? それでわたくしと同い年だなんて、最高に笑わせてくれますわ! やはり弾幕の上手さは胸の大きさに比例するというのは本当のようですのね! え、わたくし? 『Fカップ』であるわたくしは『AAAカップ』である貴女とは違って、既に華麗でスタイリッシュな弾幕を扱うことができていますの! おーっほっほっほっほ!」

 

 明流の対極にいるような――透き通った銀髪ツインテール。

 明流の対極にいるような――ぱっちりとした薄茶色の目。

 明流の対極にいるような――フリルのついた真っ赤でど派手なメイド服。

 明流の対極にいるような――無駄に形の整った巨大な胸。

 

 彼女の名は――沙羅咲良(さらさくら)

 

 配達屋である沙羅良夜と紅魔館のメイド長である十六夜咲夜との間に生まれた――超絶ポジティブお嬢様気質&超絶高飛車な――超絶トラブルメーカーである。

 




 次回もお楽しみに!


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二十年後の日常 沙羅咲良の場合

 ひっさしぶりに番外編更新しました!



 あえて言うまでもないが、沙羅咲良(さらさくら)は生粋のお嬢様キャラだ。

 ダウナーな沙羅良夜とクールな十六夜咲夜との間に生まれたにもかかわらず、咲良はその二人の長所を全く引き継いではいない。というか、貧乳の咲夜から巨乳の咲良が生まれてきた時点でどこか遺伝子の悪戯を感じてしまう。

 透き通った銀髪をツインテールにしていて、ぱっちりとした薄茶色の瞳が爛々と輝いている。スタイルの良さはもはや人外級で、胸に至ってはまさかのFカップ。とてもあの貧にゅ……もとい慎ましいお胸をお持ちの咲夜から生まれたとは思えない豊満さだ。

 身に着けているのは派手ながらにどこか高貴な印象を与える真っ赤なメイド服で、何故か胸元は大胆に開いている。どう考えても絶壁少女・明流へのあてつけと思われるが、実はただ単純に「胸が苦しいから」という明流が聞いたらブチ切れてしまうような理由だったりする。

 そんなどこまでも微妙に完璧で微妙に残念な少女・沙羅咲良は口元に手を添え、

 

「おーっほっほっほっほ! やはり無乳である貴女では爆乳であるわたくしには到底及びませんわね! む・にゅ・う! である貴女ではね!」

 

「わざわざ強調すんなぶっ殺しますよ!?」

 

「あらあら? 胸に回るはずのカルシウムが頭に回っているハズなのに、やけに気が短いですわね。――って、別に胸とカルシウムは関係なかったですわね! おーっほっほっほっほ!」

 

「………………ッ!」

 

「落ち着きなさい、バカ明流! あんな安い挑発に乗ってはダメよ!」

 

「離しやがってくださいパチェ師匠! そろそろ本気であのバカに私の本当の実力を思い知らせてやらねーと駄目なんです!」

 

 額にビキリと青筋を浮かべて怒り心頭な明流を羽交い絞めにするパチュリー。既に一世代前よりもかなりの労力を要求されているような気がする。あの時はあの時でいろいろと大変だったが、流石に今の世代に比べれば百倍はマシだった。というか、どんだけキャラが濃い子供しか生んでないんだあのバカ共は。

 インドア派なのにアウトドア派のような活動を必要とされている現実に頭を痛めるパチュリー。

 そんなパチュリーに拘束されている明流を超絶的なドヤ顔で眺めながら、咲良はわざわざ豊満な胸を上下に揺らし、

 

「あらあら、野蛮ですわねー明流? やはり胸が小さいと野蛮力が倍増してしまうのかしらぁ?」

 

「誰が野蛮だ! ちょっとこっち来やがりなさい咲良! その無駄な脂肪を今ここで削ぎ落としてやりますから!」

 

 どこから取り出したのか巨大なハサミをジョッキンジョッキンと弄ぶ明流に、咲良はヒクヒクと頬を引き攣らせる。どこまでもマイペースでお嬢様気質な咲良だが、流石にこのような非現実的な光景は受け入れられなかったりする。非現実的な幻想郷に住んでいるのに、だ。

 瞳の中に怒りの炎を燃やして一歩ずつこちらに迫ってくる明流に咲良は冷や汗を流しながら、

 

「あ、そーいえばわたくし、今から勉強をしなくてはならないんでしたわー!」

 

「に、逃げんなボケ巨乳ぅうううううううううッ!」

 

「これは逃げではありません! 明日へと続く第一歩なのですわ!」

 

 

 

 

 

  ☆☆☆

 

 

 

 

 

 全速力で紅魔館を走ること二十分。咲良はやっとのことで明流を撒くことに成功した。

 豊満な胸を抑えながら乱れた息を整える咲良。全身汗だくでツインテールの先からも大量に汗がしたたり落ちている。本当に漫画みたいだな、というツッコミがどこかから聞こえてくるような光景だった。

 それから五分ほどかけてやっと元の状態を取り戻した咲良は「ふぅ」と一息吐き、

 

「それにしても明流の奴、以前に比べてやけに弾幕の威力が上がってましたわね……うーむ。このままではわたくしの方が威力負けしてしまいますわ」

 

 実のところ、咲良は予想に反してかなりの努力家だったりする。

 沙羅良夜の子供の中で唯一ただの人間である咲良は、他の子供に比べるとかなり才能に恵まれていない。妖力なんてものは生まれつき持っていないし、魔力なんていうものも持ってはいない。――完全無欠の人間。そこら辺にいるような、普通の人間。それが沙羅咲良だ。

 だが、彼女は才能には恵まれていなかったが、家族の中で最も負けず嫌いな性格を持っていた。

 負けたくないから努力し、負けたくないから頑張る。負けたくないから見栄を張り、負けたくないから諦めない。

 そんな風に努力を重ねてきた結果、彼女は沙羅家の子供の中で一番の実力を持つまでに成長した。お嬢様キャラとか極度のドジッ娘属性のせいで凄く残念な娘のように思われている彼女は既に、この幻想郷でトップクラスだと胸を張れるほどの弾幕の実力を手にしている。――云わば、沙羅家のエースなのだ。

 「もっと魔力を凝縮させれば大丈夫なのかしら……?」と首を傾げながら、咲良は無駄に広い廊下を突き進む。

 と。

 

「あら、咲良じゃない。今日は一人なの?」

 

「あ、レミリア様。ご機嫌麗しゅう」

 

 アイスキャンディを咥えながら厨房の中から出てきた紅魔館の主である吸血鬼――レミリア=スカーレットに、咲良はぺこりと綺麗なお辞儀を披露する。相変わらず口調だけは無駄にお嬢様だが、まぁレミリアもなかなかのお嬢様なので問題はないだろう。立場的には逆なのだが、そこは本人たちのキャラクター性によるところが大きいのだから仕方がない。

 ペロペロと幸せそうにアイスキャンディを舐めるレミリアの隣を歩きながら、咲良はニコニコと笑顔を浮かべる。

 そして自分よりも背が低いレミリアの頭をガッシィィ! と鷲掴みにし、

 

「……アイスは一日二本まで、という決まりを平気で破る気持ちはどうですの?」

 

「ち、ちがっ……これには妖怪の山よりも高くて妖精の湖よりも深い理由があるのよ!」

 

「ほぅ? それではレミリア様。わたくしが納得できる且つわたくしの『お母様』がオーケーサインを出せるような言い訳を、今ここでしてもらっても構いませんわね?」

 

「貴女はともかく咲夜相手じゃ絶対に無理じゃない! もうこれ完全無欠に詰みゲーじゃない! お先真っ暗よ!」

 

「だったら端から約束を守ればいいのですわ。……このロリババア」

 

「この家の主になんて酷いことを! あ、貴女それでも咲夜の娘なの!?」

 

「はい♪ もちろんでございますわ(ニッコリ)」

 

「目が笑ってなぁあああああああああああああああああああああい!」

 

 笑顔を浮かべながらもレミリアの頭をしっかりと掴み上げている咲良に、レミリアは底知れない恐怖を覚えてしまう。こいつはキャラこそ咲夜とは正反対だが、その本質はどう考えても同じだ。このサディストな感じとか、レミリアに対して一切の容赦もないところとか。

 そんな訳で早く解放してもらわないと頭部がヒョウタンのようにチェンジゲッターしてしまうのだが、このバカ少女はレミリアがちゃんとした言い訳をするまで絶対にこの手を離さないだろう。というか、このまま咲夜のところまで連れて行かれてしまうかもしれない。それだけは絶対に回避しなければ!

 レミリアは必死に思考する。この最悪な状況を打破するために何をすればいいのか、レミリア=スカーレットは全力で思考する。

 そんな努力が実ったか、レミリアの明晰な頭脳に一つのアイディアが浮かんだ。というか、もはやこの方法しか残されてない。

 そうと決まれば何とやら。

 レミリア=スカーレットは空気を一気に吸い込み――

 

神夜(しんや)のバァアアアアアアアアアアカ!」

 

「誰に向かってそのような戯けた口を利いているか、このバカ主!」

 

 ――スパーン! と巨大なハリセンで勢いよく頭を叩かれた。

 どこからともなく現れた少年は、咲良や明流以上に異常な容姿の少年だった。

 無造作な髪は金色と銀色のツートンカラーで、切れ長の目の中では金と銀のオッドアイが太陽のような輝きを放っている。身長は百八十センチと長身で、身に纏っている黒の執事服が彼の完璧さを際立てている。あ、あと怖ろしいほどにイケメンだ。

 そんな金と銀に彩られた少年の名は、沙羅神夜(さらしんや)

 巨大なハリセンを常備していて――

 

「わざわざ神の如きオレを呼ぶためだけに悪口を言うか普通!? 少しは紅魔館の主としての自覚を持て! 神の如きオレの主ならば、いつでもどこでも完璧でないとな!」

 

 ――ツッコミキャラの癖に生粋のナルシストだったりする、色々と歪んだ少年だ。

 そして、彼の母親の名前は豊聡耳神子(とよさとみみのみこ)

 そんなわけで神夜は、日本の歴史で最も有名だとされている聖人君子の血を引いた、心の底から残念な少年なのである。

 




 感想・批評・評価など、お待ちしております。

 次回もお楽しみに!


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二十年後の日常 沙羅神夜の場合

「わざわざ神の如きオレを呼ぶためだけに悪口を言うか普通!? 少しは紅魔館の主としての自覚を持て! 神の如きオレの主ならば、いつでもどこでも完璧でないとな!」

 

 無造作な髪は金色と銀色のツートンカラーで、切れ長の目の中では金と銀のオッドアイが太陽のような輝きを放っている。身長は百八十センチと長身で、身に纏っている黒の執事服が彼の完璧さを際立てている。

 『神の如きオレ』とかいう痛さ抜群な一人称を披露しながら現れた少年――沙羅神夜(さらしんや)は巨大なハリセンを肩に担ぎながら、自分を召喚した主ことレミリア=スカーレットに渾身のアイアンクローをお見舞いする。

 

「それで? 神の如きオレをわざわざ呼び出した理由とは一体なんだ?」

 

「いだだだだだだだだっ! ぎゅーってしないで! ぎゅーって! 頭取れちゃう!」

 

「神の如きオレの質問に答えろと言っているんだ、主よ」

 

「こここここんな状態で返答できるわけないでしょう!? まずはこの手を離しなさい! これは主命令よ!」

 

「……ふむ。命令とあらば仕方がないな」

 

 大して不貞腐れた様子も無く、神夜はぺいっとレミリアを床に放り投げる。どこまでいっても主らしい扱いをされない自分自身に、レミリアは少しだけ涙目状態。

 実の主を人形のように放り捨てた神夜に溜め息を吐きながら、咲良は豊満な胸の下で腕を組み、

 

「……貴方、相変わらず傍若無人で唯我独尊なのですわね。レミリア様に向かってその暴挙。わたくしたち沙羅一族の暗黙のルールを忘れたとは言わせませんわよ?」

 

「え? 咲良も私にアイアンクロー決めていたわよね? そんな他人事みたいに言う資格、どこにもないわよね?」

 

「無論、ルールは忘れてはおらんさ。尊敬し得る姉上の言うとおり、我々沙羅一族は主の忠実な小間使いだ。偉大なる父上が紅魔館の執事長である以上、そのルールは覆らない。――だが、それとこれとは話が違う!」

 

 「別に違わないわよ!」と涙目で必死にツッコミレミリアをハリセンで物理的に黙らせ、神夜はオッドアイを物理的に光らせながら――

 

「神の如きオレは主を絶対に甘やかしはしない! 何といったって、主は神の如きオレの――妻となる女なのだからな!」

 

 ――とんでもないことを言い放った。

 突然の告白に口をあんぐりと開けるレミリア。普通ならばここで顔を赤らめて動揺するのだろうが、相手が相手だけにどうしようもなく困惑してしまっているようだ。

 だが、どうやらこのことを知っているらしい咲良は顔に手を当てて大きく溜め息を吐き、

 

「……貴方、まだレミリア様を諦めてなかったんですの?」

 

「当然であろう! 主殿の美貌は幻想郷の中でトップクラスだ! そして、神の如きオレは神の如き美しさを持っている! 美しい者同士が結ばれるのは、世界の理というものだ! つまりぃ! 神の如きオレと主は――一万年と二千年前から結ばれることが決められていたのだ!」

 

 ドッバーン! と漫画だったらそんな効果音が描かれていそうな面持ちで、神夜は何の臆面も無く言い放つ。というか、恥ずかしい以前の問題で、凄く当たり前のことを言っているぐらいにしか思っていないようだった。おそらくだが、自己紹介感覚で言っていると思われる。

 咲良は三度目の溜め息を神夜に向けつつ、

 

「……興が削がれましたわ。また今度しっかりと説教して差し上げますから、その時までに覚悟を決めておきなさい」

 

「ふん。わざわざそんなことを言われずとも、神の如きオレは既にすべてのことに対して覚悟を決めている」

 

「相変わらず可愛くない弟ですこと」

 

「尊敬し得る姉上は相変わらず可愛いがな」

 

 噛み合っているような噛み合っていないような会話を最後に、咲良は廊下の奥へと歩いて行った。おそらくだが、仕事の一つである図書館整理に向かったのだろう。彼女が歩いて行った方向には、パチュリー=ノーレッジが管理している大図書館があるはずだ。

 咲良の姿が見えなくなるまで律儀に見送った神夜は「……よし」と神妙な面持ちで頷き、

 

「それで、主よ。結婚式はやはり博麗神社で決まりでいいだろうか?」

 

「なんで私と貴方が結婚する体で話が進んでいるのかの説明を求めるわ!」

 

 キーッ! と全力で反論された。

 

 

 

 

 

  ☆☆☆

 

 

 

 

 

 結婚についての説明の後に顔を真っ赤にしたレミリアが消えてしまったので一人となった神夜は、紅魔館を飛び出して人里へとやってきていた。

 神夜の目的はただ一つ。夕食のための買い出しだ。

 まだ夕暮れにもなっていない時間のせいか、人里では幼い子供たちが元気そうに駆けまわっている。時折妖怪たちの姿が見えるが、別に彼女たちは子供を襲うことはないので心配することはない。上白沢慧音というワーハクタクがいる限り、彼女たちはあくまでも『寺子屋に通う生徒』という枠組みの中に拘束され続けているのだから。

 相変わらずの執事姿で順調に買い物を終わらせていく神夜。兎肉を買い、野菜を買い、酒を買う。無駄に顔が整っているおかげか、全ての店でサービスをしてもらっている。……特に、女性店員の時とか。酷い時は半額以下の値段にまでまけてもらっているようだった。

 そんな感じで無事にミッションをコンプリートした神夜は「さて、そろそろ帰るとするか」と紅魔館に向かって踵を返――

 

「シンヤシンヤ! いつものあれやってよ、あれ!」

 

「私もあれ見たい! シンヤのあれ、すっごくキレーだもん!」

 

 ――そうとした瞬間、子供たちに行く手を阻まれてしまった。

 いつの間に集まってきていたのか、子供たちは神夜の執事服に縋りつくように下から見上げてきている。超絶的なイケメンが子供たちに言い寄られている光景は、なんというかこう、凄く犯罪チックな光景だった。

 だが、ここで動揺しないのが我らがイケメン沙羅神夜。全てが完璧な完璧少年は完璧な笑顔を顔に張り付け、

 

「ほほう。そんなに神の如きオレのチカラを拝見したいとは……貴様ら、やはり神の如きオレの本当の素晴らしさが分かっていると見える。気に入った! 神の如きオレが貴様らに褒美を与えてやろう!」

 

「わーい、飴ちゃんだー!」

 

「あっ! こっちはお人形さんだー! シンヤ、ありがとう!」

 

「ふん。そんなもので歓喜されても嬉しくもなんともないわ。――メインステージは、ここからだ!」

 

 自分がばら撒いた褒美によって喜びはしゃいでいる子供たちに口を尖らせつつも、無駄に大袈裟な動きで彼らの注目を自分だけに集める。人里の中心で騒いでいることもあってか、神夜の周囲には人間妖怪問わず、多くの住民たちが集まってきていた。野次馬根性とはこのことを言うのだろう。

 だが、別に観衆が増えたところで、神夜のやるべきことは変わらない。

 神夜は近くにいた八百屋のオッチャンに買い物袋を預け、

 

「そこでよく見ているが良い、愚民共! 紅魔館の次期執事長にして、沙羅家の長男――沙羅神夜の種も仕掛けもあるマジックショーのお時間だ!」

 

 両手を広げてあけっぴろげに言い放つ神夜に、観客たちから歓声が上がる。人の注目を集める容姿を最大限に利用した、神夜だけのスキルの賜物だ。因みに、この口八丁は彼の師匠である妖怪――風見幽香から教えてもらったものの一つであるのだが、それはまた別のお話。

 近くに置いてあった木箱を二つほど並べ、簡易的なテーブルを作り出す。その上に余分に買っていたリンゴを二個ほど置き、その上に右手をかざす。

 そして神夜はニヤリと悪役のような笑みを浮かべ――

 

「『割れろ』!」

 

 ――触れもせずに、リンゴを八等分にして見せた。

 あまりにも非現実的すぎる光景を前に、観客たちがドッと沸く。今まで何回も見てきたマジックショーだというのに、人々は面白おかしい笑いに包まれていた。

 これが、沙羅神夜の能力。

 

 

『現実を幻想に屈服させる程度の能力』だ。

 

 

 この能力を簡単に説明すると、『神夜が思い浮かべた幻想を口に出すことで、現実がその幻想通りに歪んでしまう』といったもの。あまりにもチートすぎる性能のせいで両親から安易な使用を禁じられているのだが、そんなことは神夜にとって枷にすらならない。使いたいときに能力を使う。それが神夜クオリティ。

 因みにだが、沙羅家長女の沙羅明流の能力は『風魔法を扱う程度の能力』であり、更に次女の沙羅咲良の能力は『努力が報われる程度の能力』だ。咲良の方はすでに能力と呼べるものではないような気もするが、そんな彼女が沙羅家最強の弾幕使いだというのだから、既にそれは能力の一つだと数えられるだろう。

 その後も、『木箱を宙に浮かせる』マジックとか『即席で作り出した魔王を一撃で粉砕する』マジックやらを披露した神夜。既に陽は傾いてしまって空は鮮やかな緋色に染まってしまっているのだが、盛り上がっている神夜及び人間・妖怪たちはそんなことには気づかない。

 だが、そんな興奮状態を一瞬で冷ます、一人の乱入者が現れた。

 それは、青を基調とした道着を身に着けた、一人の少年だった。

 

「ふわぁぁ……おぉぅい、神夜兄ぃ。いつまでも遊んでないでぇ、さっさと帰ってきなさいってぇ、神子母様が言ってましたよぉ」

 

 無造作どころか寝癖のように跳ねまくった緋色の髪と眠たそうにとろんとした目が特徴で、身長は神夜よりも五センチほど低い。背中には赤塗りの棒が装備されていて、額には青の鉢巻が巻かれている。

 そんなアンバランスな舞踏家少年の名は、沙羅紅夜(さらこうや)

 三人いる紅魔館の門番の内の一人にして――

 

「まったくぅ。なぁんでボクが門番の時に限って神夜兄はそんな面倒事を起こすのですかねぇ。ふわわわぁぁぁ……あぁー眠い眠いぃ。今日頑張れば明日は美月(みつき)が門番の担当だからぁ、今度こそゆっくり眠れるんですかなぁ……ふわわぁぁぁ」

 

 ――紅魔館の居眠り門番こと紅美鈴(ホンメイリン)が生んだ双子の片割れでもある、睡眠至上主義のぽやっと門番である。

 




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