「なんなの、コイツら……!」
東ドイツ、リヒテンベルク近郊。叛乱軍と対峙する国家保安省親衛戦術機大隊第3中隊に属する少女は驚愕の表情で叫んだ。敵は市街地を盾に一撃離脱を繰り返すことで、たった2機であるのにも関わらず自分たちと互角に渡り合っている。
少女を始めとする親衛戦術機大隊は新型のMiG-23を装備していた。東ドイツの国軍である国家人民軍や叛乱軍の主力戦術機であるMiG-21を圧倒する性能を持ち、更にこちらは中隊規模、12機の戦術機。機体を駆る衛士は国家保安省の基幹部隊たる親衛戦術機大隊に属するに相応しい力量を持つ。
数、性能、そして衛士の力量、全てにおいて自分たちが優勢だと思っていた。だが実際はどうだ、MiG-21と鹵獲したのであろうMiG-23からなるたった2機の敵は、倍以上の自分たちを相手に互角に渡り合うではないか。
栄えある国家保安省の、それも基幹部隊である親衛戦術機大隊に属する自分たちにこんなことが赦される筈がない。
『獣の数字……第666戦術機中隊の残党か!』
ヘッドセット越しに伝わる僚機の呟き。第666戦術機中隊、国家人民軍最強の部隊にして叛乱軍の切り札。愚かにも国家に、国家保安省に牙を剥く粛清すべき者たち。
「幾ら軍の最強部隊でも、倍の数の我らに勝てるはずがない!」
己に信じ込ませるように叫ぶが、数度の攻防で2機のMiG-23が撃墜されていた。市街地を盾にされていることもあり、MiG-23の機動力を活かし辛くもある。
機体の周囲に生じる弾着、それを巧みな回避運動で躱した少女はフットペダルを踏み込み、自身のMiG-23を一直線に吶喊させる。傍らでは同じように僚機が吶喊し、敵の背後に回り込んだ2機のMiG-23が牽制してくれる。
右腕の突撃砲を投棄、兵装担架から長刀を引き抜く。分が悪いと判断したのかMiG-21は突撃砲を応射しながら後退するが、そこには友軍機が回り込みーー。
『何だと!?』
僅かに届いた驚愕の声に続く爆音。敵のMiG-23が割って入り、短刀による近接戦闘で回り込んだMiG-23を撃墜したらしい。だがそれは自分たちにとっては好都合だった。吶喊してくる自分たちに敵のMiGー23は回避しようとするが間に合わない。2機のMiG-23からの挟撃、それもこの至近距離ならば確実に仕留めることができる。
散々手こずらせてくれた忌々しい叛逆者をこの手で粛清できることに少女は唇を湿らせる。
「っ!?」
直感的に跳躍ユニットを反転させ、機体を後退させる。傍らにいたはずの僚機は頭部から斬撃を受け沈黙する。網膜投影によって映し出された視界には長刀を保持するMiG-21。僅かな時間で支援に掛け戻ってきたらしい。
これで4機、一個小隊が撃破されたこととなる。たった2機の叛逆者によって。
「同志中尉、第2中隊の支援は見込めないのですか!」
指揮官機が先ほど撃墜されているのをデータリンクで確認している少女は、指揮を引き継いだ政治将校に叫ぶ。この2機は危険だと脳が警鐘を鳴らす。撃墜されるつもりは毛頭ないがこのままでは中隊の損害が増すことは必須、それに加えあの鹵獲されたMiG-23からは尋常でないモノを感じる。
『連中はヴァルテンベルクで倍の数のMiG-21を相手にしている! 今我らの来援に来れば背後から撃たれる!』
「ですが、このままでは国家保安省本部にコイツらが……っ、第1中隊は一体何を!」
『党の議員どもを監禁している議会がある、そこの守備を薄くするわけにはいかん!』
共和国宮殿に監禁した議員の守備があるため第1中隊は動けない。第2中隊も、叛乱軍戦術機部隊の本隊と思われる約二個中隊規模のMiG-21を相手にするので精一杯のようだ。
『同志少尉、そこまで焦る必要はない。幾ら奴らが手強いとたった2機ーー』
爆音と共に政治将校の通信が途絶える。網膜投影された視界の向こうには、上下に切断されたMiG-23の残骸を尻目に吶喊してくる敵のMiG-23。指揮官機に続き、政治将校まで撃墜されたこともあって中隊の衛士たちは俄かに動揺した気配を見せ、戦闘機動が散漫となる。その隙を逃す敵ではなく、更にもう1機のMiG-23が撃破された。
「こ、の、叛逆者如きが!」
雄叫びを上げ、フルスロットルで敵のMiG-23に斬り込む。
「お前たちは一体何がしたいんだ! 国家による強力な指導の下、国家保安省の統制とソ連からの支援がなければこの国は生きていけないのよ!」
国民を統制できる唯一の存在、それが自分たち国家保安省なのだ。国家保安省による国民の統制、ソ連からの支援、この二つがあってこそ国家は強い指導力を保持しえる。言い換えれば、自分たちこそが滅亡からこの国を、東ドイツを救えるというのに。
「お前たちはそれほどの腕を持ちながら何故この国のために、国家保安省のために働こうとしないんだ!? この時局で叛乱を起こすなど、自ら国家の寿命を縮めるようなものだぞ!」
叛乱などが起こらねば、苦境に立たされている前線にもっと兵力を送り込めた。ソ連からの支援や癪ではあるが西側の来援があるまでの犠牲を減らすこともできた、だというのにコイツらは叛乱を起こした。東ドイツという国家そのものに。
「東ドイツ人ならば、何故国家に忠誠を誓わない!? 何故社会主義の思想を信じない!? 私たち国家保安省を倒し、新たな体制でも作る気なの!? そのために国家へ叛逆し、国民を混乱に陥れようとするのか!」
少女は純粋にこの東ドイツという国を、社会主義の理想を信じていた。純潔のドイツ人でもなく、身寄りもない自分を受け入れてくれた国家保安省は教育を施し、学校にも入れてくれた。
滅亡の淵に瀕したこの国を救えるのは国家保安省だけと信じ、心から喜んで国家のために力を尽くそうとした。少女にとって叛乱軍とは、信じる国家に牙を剥く裏切り者、自らの居場所を奪おうとする害悪に他ならない。
「お前たちは国家を、東ドイツを滅亡に導くつもりか!」
敵のMiG-23との距離は僅か、少女は自身のMiG-23に左腕に保持する突撃砲を投棄させ、両手で長刀を構える。対する敵は二振りの短刀を左右に保持する。2機のMiG-23は刻々と距離を狭めーー。
「っ!」
右下段から斬り上げた長刀は虚しく空を斬るだけだった。脚部と跳躍ユニットを駆除して敵のMiG-23は急激な回避運動を行い、すれ違い様に短刀を深々と少女のMiG-23の管制ユニットに突き刺さす。魂が抜けたかのように落下を始めたMiG-23を尻目に、短刀を引き抜いた叛乱軍のMiG-23は別のMiG-23と交戦を始める。
短刀によって貫かれた管制ユニットの破片が強化装備越しに各所に食い込み、激痛が迸るが少女の意識は朦朧としていた。国家に忠誠を誓い、社会主義の理想を信じていた自分がまさか叛逆者に敗れるとは。
データリンクではヴァルテンブルクで叛乱軍戦術機部隊の主力と交戦していた第2中隊が撤退を開始していた。第3中隊の撤退も時間の問題だろう。
恐らく叛乱軍の戦術機部隊は進撃を続けるに違いない。国家保安省本部を抑えに行くか、はたまた欺瞞に満ちた英雄の奪還に動くか。どちらにせよ、その果てに絶望が果てに絶望が待ち受けているとは知らずに。
叛逆者に敗北したことは屈辱的だが、少女に課せられた任務を遂行することはできた。今ごろは人狼による狩りも終えた頃だろう。叛逆者どもが絶望に染まることを思い浮かべ、少女は嗜虐の微笑みを浮かべる。
「同志少佐、あとは、頼み……ます……」
この国は偉大な同志たちが救ってくれる、見事叛逆者どもを粛清し、少女が愛した東ドイツという国は人類の救世主となる筈だ。
少女がその瞳を閉じると同時にMiG-は爆散する。炎に包まれ、愛機と共に散って逝った少女の顔は嗜虐に満ちていたが、同時に一人の少女として穏やかな笑顔を見せていたーー。