雪革命〜プラウダ高校の愉快なイワン達 (氷川蛍)
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二人の暴君

ガルパン二次二作目です。
原作のプラウダ高校の皆さんがすごく可愛かったので描いてみようと思いました。
日常パート的な話しになると思いますが、楽しくやっていこうと思います。
設定は原作に準じながらも、学校の中身に付いては創作の部分が多々あります。



 「同志KV-2、明日は存分に吠えるっぺや!!」

 

 その日、プラウダ高校学校艦戦車格納庫で作業着を着た四人は武勲を頂く機会に恵まれたことに気を上げていた。

四つ子のマトリョーシカ姉妹は自分達が担当し丹精込めて磨き上げた白亜の頭でっかちKV-2に頬ずりしていた。

氷結混じりの雪が、倉庫の隙間から舞い込む中で。

 明日は無名ながらもサンダースをやぶり、アンティオを撃破した大洗女子との試合。

持ち出し車両15両を聞いた時、このチャンスを逃す事ならずと、癖毛を引っ詰めてはみたが、短い過ぎるためにポニーテールというよりもコーギーの尻尾のようになっている黒髪、リンゴの頬と丸っこい愛嬌の良い顔の長女ベスナは出場車両発表の場で手を挙げていた。

 

「同志カチューシャ!! KV-2と我ら姉妹を隊列におくわいくだせぇ!!」

 

 標準語で頑張ろうとした口に舌が空を回り、百姓の直訴のような上申に対して、プラウダの暴君であるカチューシャは背丈低いながらも高く上げた顎先で「良し」と一声をくれていた。

 

「カチューシャ隊長の期待に応えるためにも、プラウダの栄誉のためにも頑張るべさ!!」

 

 姉の高く上がった拳に、妹三人も声を挙げて試合に出られる喜びを声高く叫んでいた。

 

 全国大会、三回戦。

プラウダ高校では大会出場選手はもとより車両にも勝利の栄光と勲章が与えられる。

去年は黒森峰女学園の連勝記録をぶった切って優勝した。

その時に活躍した隊員・戦車達総べてが勝利勲章を頂いた。

16カラットのプラチナを頂く勲章はプラウダ高校の名を大いに高めたという誉れの証であり、激戦の夜を駆け抜け明星を身に宿した勇士の魂そのものだった。

そのうえ出場が決まったメンバーには文化服飾科一の術達者カチューシャお手製のベストが貰える。

それだけでも手を上げたかいがあったというもの。

 

「おめーも、わたすらと一緒に煌星がごとく輝だわさー!!」

 

 気合いを溜めるのには可愛すぎる口をへの字に曲げたベスナは、隣に並ぶ同じ顔の妹達に号令していた。

 

「リエタ、オセニ、ジマー、武勲たってぺよ、勝利に貢献するぺよ!!」

 

 全員黒髪日本人だが、ロシア名。

ソビエト・ロシアに学ぶ学校艦を住処にした魂の名前で姉妹達を統率する春子事ベスナ。

その意気込みが思わぬ革命を巻き起こすなど、この時のマトリョーシカ四姉妹には思い浮かびもしなかった。

 

 

 

 

 

「頼れる同志の前に引きずり出したっていいのだから!!」

「頼ってぇぇぇぇくだっせぇ!!」

 

 吹雪の試合会場。

プラウダが得意とする引き込みに嵌った大洗は三時間の休戦の後、思わぬ反撃の爆進を開始していた。

前面分厚く展開させていた戦車群に真っ直ぐ突っ込んでくるという、恐れを知らぬ攻撃にプラウダ高校の戦車隊は一時的に隊列をくずしていた。

一旗駈けで二両に白旗を揚げさせた38tの後、献身的攻撃を追い風に窮地の場から逃げるため一気に罠の窪地から丘を這い上がった大洗。

それを追うカチューシャ隊長率いる本隊。

大洗女子との試合終盤戦。

逃げ回るフラッグ車の守護神として前にでたKV-2は力の入った一撃を空振りしていた。

カチューシャの大きな期待、最後の砦として大洗Ⅳ号と三号突撃砲を仕留めようとした砲弾はあっさり避けられていた。

それは気負った大リーガーのフルスイングへたり込みのようなあっけない停止。

そのうえ、冷徹な指示を守るように目の前の大砲に怯えることなく停車した二両の姿。

中で次弾装填に四苦八苦するマトリョーシカ姉妹の焦りは絶頂だった。

何せ弾が重い、この日のために姉妹そろってこれを装填する練習を続けてきたが、いざ目の前に敵戦車が二両も止まりトドメの一発を撃とうと動く砲塔を見れば焦って装填など進むわけもない。

 

「ぎゃあああああ、早く早くすっぺ!!!」

「そっち持って持って!!!」

「来てるよぉ、でかいー、来てるぅ!!」

「春姉ちゃん!! やばいよぉ!!」

「春姉言うな!!」

 

 声は出るが上がらない砲弾。

それ自体も重いが、装薬もまた重い、しかも砲塔の中が狭い。

姉妹揃ってダルマ落としにでもなったように転げ回った後に来たのは、車体命中の横揺れ、そして悲しくも上がった白旗と、通り過ぎていく大洗の戦車の姿。

車内に溢れる煙に慌てて開けたハッチ。

終焉の声を聞くのはそれから数分後の事だった。

 

「勝者大洗女子学園……」

 

 四姉妹の全国大会は終わった。

吹雪の中KV-2から湯気立つ顔を出したベスナはただ呆然としていた。

次女のリエタは同志KV-2をさすって泣き、三女のオセニはハッチを上げて中に篭もった煙を出していた。

末っ子のジマーは車内に座り込んで呟いていた。

 

「ははははは……シベリア送り決定だー」

 

 この日から続く25日間の極寒の補修授業に遠い目をしていた。

 

 

 

 

 

「……何度も言わさないでよ」

「同じ事を申し上げているのですから、しかたありませんよ」

 

 プラウダ高校、赤地に黄色の刺繍で彩られた校旗をタペストリーにした文化服飾科委員長室で、カチューシャは不機嫌な目をいつも以上に尖らせて、自分より少し背丈のある生徒会副会長マリーニャをきつく睨んでいる。

細い針金細工のような黒の丸めがね、その下の糸目に短く刈り込んだ赤色のショートボブ、不敵な物言いにカチューシャの青い眼は嫌気を覚えていた。

 

「プラウダ高校戦車道隊長にして風紀委員長カチューシャ、生徒会長カザリンは顔を合わせてお話し合いをしたいと所望しております。どうぞ気負わずに入らしてくださいませ」

「気負ってないわよ、試合の負けた事については書面で送ったわ。カザリンに会う必要はないでしょ」

「負けてしまったのですから、会わないといけないのでは?」

「負けについて後悔はないわ!!」

「そうは言われましてもこちらには色々と有りますので、無駄に大砲車両を持ち出したりとか……」

 

 負けた。

全国大会準決勝、まったく無名にしてノーマークだった高校、大洗女子にプラウダ高校は惜敗した。

負けた事についての気持ちの整理は、相手を認め決勝へ送った事をたたえるという形でカチューシャもプラウダ高校戦車道も悔しいながらも納得していた。

今年の全国大会はこれで終わったと。

たが納得しない者もいた。

それがプラウダ高校生徒会長カザリンだった。

 目の前の副会長であるマリーニャがこうして会見を促しに来たのは、試合から向こう今日で二回目だった。

会見督促の理由は、この大会にかかった費用の話しだ。

戦車道とは正直金のかかる嗜みだ。だが学生の内に履行しなければ社会人に成ってからではなかなか入る事の出来ない道でもある。

そういう経緯から戦車道を持つ学校には国からの補助がある。

勝てばなおさらにという機運は国際大会の名の元にさらなる補助が入るチャンスだった。

だがプラウダは負けた。

世界大会が近づく中で、去年王者となったのがマグレ扱いされるような試合の末に、無名校に負けた。

これは痛恨だった。

 プラウダは最初から最大の敵は黒森峰と決めて試合に臨んでいた。

だから王者の戦いになれば、そう決勝戦にいけば都合形として補助増額のラインに立てたのだが、望みどおりにはいかず。

準決勝敗退に。

そこまでにかかった費用は補助額を超えてしまっていた。

そして問題はそれだけではなかった。

 思い出す談判、積み重なった問題に頭を悩ませ、薄い金糸の髪を乱すカチューシャ。

 

「勝って倍にして返してやるわ!!」

 

 大会前、持ち出し15両の枠いっぱいの戦車の出動を認めさせるために、大口叩いて生徒会執行部に戦車道の予算増額を押し通した。

全て戦車にチャンスを与え、試合を楽しみたかったカチューシャの思いは、裏目に出ていた。

生徒会長が望む会見とその結論は、カチューシャの公的謝罪と……その責任における懲罰。

受け入れがたい事態に苦肉の策として親書で負けを詫びたのだが、カザリンはそれだけではお気に召さなかったようで現在その参謀ともいえる副会長マリーニャの柔らかくも喉を絞める言葉に責め立てられていた。

 

「どうか良い答えを……でないと……」

「今日はここまでにしてください。夜も近いですし」

 

 困り果てて喚きそうになったカチューシャの口を閉ざし、柔らかな笑みで間に入ったのはノンナだった。

黒髪に薄い青を埋め込んだ氷河の瞳が、糸目の副会長マリーニャの前に立っていた。

 

「これはこれは、同志ノンナ。もうそんな時間でしたか、それは失礼をいたしました。でも夜間戦闘も好む貴女達が、夜が早いなどと言われるとは……」

「私達戦車道を嗜む生徒は皆真面目なのです。ですから遅い時間までを部外者に入られるのは良く無い事と感じています、申し訳ありませんが今日はお引き取りください」

 

 頭二つ、マリーニャより身の丈を持つノンナの威圧は、静かにして冷たく分厚い氷の壁のようにカチューシャを守っていた。

 

「わかりました。真面目な生徒のいるところで夜を長く問答するのはよろしくありませんから……今日は引かせて頂きます」

 

 唇に浮かぶ薄い笑み、マリーニャは俯いたまま光らせた眼鏡でカチューシャに糸目を向けていた。

 

「真面目な生徒さん達の上に立つ者として、良い答えを出すことをお待ちしております」

 

 実に年期の入った口達者な嫌味を述べるとそのまま部屋を後にした。

 

 

「……はーああああ、遅いじゃないのノンナ!!」

「すいません、ご飯の仕度をしてましたので」

「……あったかいのがいいわ」

「ガルブツィーを作りました、早くお家に帰りましょう」

 自分の側近でもあり友であるノンナを怒鳴ったカチューシャだったが、すぐに気落ちした声で俯いた。

 

「このままじゃいつまでたっても、あの子達をシベリアから連れ戻せないじゃない……」

 

 誰かが責任をとる。

小難しくなった敗戦処理に頭を悩ますカチューシャ。

それを支えるように立つノンナ。

 

「あの子達は貴女の事をわかってくれています。大丈夫ですよ」

「わかってるわよ!! そんな事!!」

 

 そうは言っても、陽も届かない麦畑で罰を受ける四姉妹達の事は気になっている。

強気に言い飛ばしても、唇を噛むカチューシャをノンナは静かな目で見つめ、背中を守るように歩き出した。 

 

 

 

 

 

「マジ寒い……」

「シベリアマジ寒い……」

 

 マトリョーシカの四つ子姉妹達はプラウダ高校学校艦の下部層にある「シベリ屋」という実験農園で麦を踏んでいた。

ここには陽が届かないという事はないが、箱庭になった下層部分に太陽が顔を上げるのは昼間のほんの一瞬。

灰色鉄扉と鉄戸井で囲まれちょっとした懲罰房の気分は満点である。

ただ上は空が見えるように開いているため陽が少しでも入るのは良いのだが、この隙間から風が吹き込み閉鎖された空間で氷結の舞を踊るのがとてつもなく寒い。

 さすがに制服姿のミニスカートで生足出すのは自殺行為で、下にはジャージを重ね着し革の長靴に頭には校章入りのウシャンカを被った中で、姉妹達は白い息を魚のようにパクパク吐き続けていた。

 

「お姉ちゃん!! もっと早く踏んでよ!!」

 

先頭で麦踏みをしているベスナの背中を、末っ子のジマーが叩く。

念入りの踏み込みをするのが基本なので、大胆に動いて体を温めるというのも効かないこの作業にジマーは泣きそうだった。

自分の体を抱くように両手を組んで抗議するジマーに、ベスナはすっかり諦めた顔でこたえた。

 

「仕方ないべや、きちんとやんねーと、罰を軽んじてるて思われるさぁ、今度は粛正されちゃうよ。へなまずるいことしょたらどもこもならんべや」

「姉ちゃんめっちゃ方言でてるよ、はよなおさんと怒られるよ」

「いげね……なおさねーと」

 

 ここは学校艦では統一言語として一応標準語を使う事が推奨されている。

というか、プラウダは東北地方の子女にとって最上級の教育課程を持つ学舎にして、文化服飾科と建築工学科を持つ高校。

その名も高き真紅のプラウダ。

しかし南の方から入学や編入でしてくる生徒は少なく、基本的に北国の女の子達の頂点の学校である事から方言や訛りは普通に溢れている。

 

「田舎者と呼ばれるのはプラウダの恥」

 

 これは鉄の掟のようにしかれた指導の一つだった。

プラウダ高校は戦車道を持つ有名高でもある。

外に出て行くときに恥ずかしくないように標準語をロシア語と並んで深く学ぶことが義務付けられている。

それは解っていても姉妹だけの空間では、訛りもナチュラルに出てしまうというもの。

ベスナは口ビルを小さく感じ顔をしかめると、後ろに並んでいる二人の妹を見た。

 

「あんだ達といると緩む……つい方言でしゃべってまうわ」

「まだ出てるよ」

 

 姉のベスナと末っ子のジマーの後ろで麦踏みをしていた三女オセニは、同じ顔なのにこんなにも方言癖の抜けない姉を心配だと見つめていた。

三人は並んで麦踏みをする。

この敷地の隅にある古めかしいハーフテンバーの小屋では次女のリエタが鍋物を作っている。

食べ物は配給でやってくるから飢えることもないが、とにかく寒い一角で姉妹達は冬授業で半ドンになった生活を送っていた。

 

「あー、同志は治して貰えるのかな?」

 

 姉妹の中でも髪を長くしているオセニは、試合終了から向こうKV-2の姿を見ていなかった。

狭い空を見上げ、あの日の試合を思い出して鼻を啜った。

試合終了で引き上げの時、傷ついた同志を見た時は涙が溢れた。

大事に磨いてきた頭でっかちは首の根っこを焼かれるという可哀想な姿になっており、白色迷彩のボディーを黒く酷く焦がしていた。

 

「治してもらえないかもね……、入れ替えで売られちゃうかもしれんし……」

 

 先頭を踏み歩きしていたベスナは止まって足下の麦を見つめた。

今回試合に出たのは失敗だったのではという悔恨が彼女にはあった。

元々KV-2は戦車VS戦車という競技に向かない。

大洗を石造りの廃屋に押し込めたときに……あれを討ち崩す事が許されたのならばKV-2は大金星を上げただろうが、実際は逃げ回るフラッグ車との連携がうまく行かず、のろのろと俊足の敵の真ん前に現れてしまう形で討ち取られた。

機動力のない鈍足な同志。

機動力を使い攻撃を重ねるが今の戦車道の戦略トレンドからするとKV-2を入れるよりも、もう一両IS2を入れれば良かったかも知れない。

誰もが戻せない試合結果への後悔として口に上ぼらせた言い訳をベスナも白い息と共に零していた。

 

「やだよー、同志が捨てられるような事になったら私も学校辞める!!」

「自分達で治そうよ!! 同志を他の人に任せなきゃ良いんだよ!!」

 

 姉が小声で落とした落ちの声に、背中に張り付くジマーとオセニ。

同じ顔で同じ身長、髪の長さや引っ詰め方で違いを見せるだけの姉妹だから自分に抱きつかれているようでおかしな感覚のベスナは、それでもKV-2を思って涙ぐむ妹達の頭を撫でた。

KV-2は実家にいる大型トラクターに良く似ている。

大砲は勿論ないけれど、そんじょそこらの畑にいる子とは違う。

タワーのように高い運転席、父の膝の上四姉妹を乗せて小麦色の穂が揺れる畑を走ったその子が大好きでプラウダ入学で初めて北海道を離れたとき寂しくて泣いた。

その姉妹達の前に待っていたのがKV-2だった。

KV-2がいたからこそ戦車道に入ったといっても良い、過言ではない程の入れ込み、恋した同志だった。

 

「大丈夫さぁ、きっとカチューシャ隊長が良くしてくれるさ」

 

 ベスナは自分達と共にあった同志を思って俯いていた顔を上げた。

夜が近づき、星が良く見える箱庭に住む姉妹達を励まして、香ばしいスープの香りに走って行った。

授業以外の日をここで暮らすようになった四姉妹の心配は、まさに戦車道隊長であるカチューシャと、学校を代表する生徒会の間で火花を散らす原因にもなっていたが、そんな事は知りようもなかった。

 

 

 

 

 

 氷雪の風はEマイナー音色を幾重も巻いてプラウダ高校学校艦の上を踊っている。

北緯45°サハリンを少し離れた海の上。

一昨日までは本島に停泊していた学校艦は、氷山とさざ波の間を走り小クリル列島を横に北海道近海に向かって走っている。

 巨大過ぎる学校艦にあたる流氷の礫達が何度も押しては引くを繰り返す中に、身を切る寒さの風を生み出している。

その風は艦上に吹き上げると広がる町並みの中に滑り込む。

白壁に清浄の青を塗り飾った館の窓も、海から押し出される風に何度ものノックを受けていた。

寒々しい霜も美しく律した冬宮を飾るスターダストのごとく。

目の前に広がる巨大な庭園に草木は少ないが赤いレンガを細かく敷き詰めた大通りに面し、町への入り口を飾るにふさわしい建物と言える。

その一室、天井の高い琥珀の部屋と壁掛けのシャンデリアが映し出す黄昏色の光りの中で、肩を滑り降りる程きめ細かな銀色髪の少女は唇を噛んでいた。

淡く澄んだ瞳は、セリゲル湖の青に似て曇りの無い色だったが、心痛の濁色は白い頬を赤く染め、彼女が苛立ちの中にいる事を良く現していた。

 

「マリーニャ、良い返事はあったの?」

 

 窓を叩く風に唇を凍らされ、足を引いて執務のデスクに戻る。

すらりと伸びた長い手足に華奢な体、くんだ足に美しいラインが見える程の彼女にはイスは腰掛けると、自分の前に立つ小さな参謀である副会長マリーニャを睨んだ。

 

「明日明後日のうちにはいらっしゃると……お茶をいれましょうか?」

「そうして、熱いのをお願い」

 

 執務室の壁、琥珀の壁に添って立つ赤髪の少女マリーニャは、糸目の控えめな顔立ちで手際よく仕度を始めた。

オレンジに近い室内灯に照らされ湯気をくゆらす熱湯の中に、ジンジャーの少しの刺激。

デスクで指を突く少女の気配にマリーニャは口元を緩める。

 

「生徒会長カザリン、そんなにイライラなさらない方がいいですよ。眠れなくなってしまいます」

「ふんっ、そんな事がなくたって眠れないわ……カチューシャ、大口叩いておきながら無名の学校に負けるなんて……その事を直に報告しないなんて!! 非常識だわ!! わたくし間違った事言っている?」

 

 部屋の横、縦長の鉄枠までもが彫刻で彩られた窓の向こう、大通りを挟公園という一区画をまたいだ果てに見える校舎。

プラウダ高校生徒会がある建築工学科校舎の冬宮と、対成る形で作られた無骨な共産様式を持つ建物、プラウダ高校文化服飾科の校舎、優雅さのない縦縞形成のデザインその中央にそびえる聖四角形を重ね、天を打つ三角錐の塔に鎮座するだろうカチューシャをカザリンは睨んでいた。

 

 つい先日、太陽の見えない夜半を舞台に戦車道の全国大会準決勝が行われた。

舞台は我らプラウダにとって痛くも痒くもない極寒の大地。

慣れ親しんだ気候を味方に付けて決勝戦へと難なく進むはずだった。

そう勝つことは当然と思われていた試合を、事もあろうにプラウダは取りこぼし無名校大洗に敗北を喫したのだ。

 

「今年も優勝できる……そういったから戦車道に予算を割いて、風紀委員会の仕事を生徒会が肩代わりまでしたのに……おめおめと負けて帰って来るなんて……それをわたくしに直接報告にしにこないなんて!!」

 

 プラウダ高校生徒会長カザリンの苛立ち、それは生徒会と並ぶ組織しして学校艦を取り仕切る風紀委員会、その委員長であり戦車道隊長であるカチューシャの慇懃無礼な態度にあった。

 

「チビのくせに……」

 

 歯がみしてそういう、背丈ならば頭一つ大きくスタイルも並の高校生と比べられない美貌のカザリンは首を振った。

 

「戦車道なんて……もっと予算削って縮小してやればよかったわ……」

「それは国の方から指導を受ける事になります、良い考えとはいえませんよ」

「わかってるわよ!!」

「ではご再考を、貴女は生徒会長です。自治権限の代表者ですから」

 

 鼈甲を引き延ばした平盆に、ティーカップを仕度したマリーニャの冷静な意見に、一度は声を荒げたカザリンだったが、ピークを越えた怒りのテンションはストンと落ちてある考えに至っていた。

戦車道の縮小は確かに学校運営の鬼門に成りかねない、上手く運営する事が必要。

長い銀色の睫毛がマリーニャの自治権限者という言葉に止まり、星の瞬きを感じたように跳ねて顔を上げる。

 

「そうね、敗北主義者に戦車道は任せられないわ。そうよね、わたくし間違ってた事いってる?」

「いいえ、そのとうりです生徒会長カザリン。まったくもっておっしゃる通りです」

 

 糸目のマリーニャはお湯を注いだポットを片手にカップを差し出した。

 

「カザリン、貴女の言う事は正しいに決まってます。どうか私にお任せを」

「よろしいわ、マリーニャ。戦車道を生徒会が統括してしまえばいいのよね、そうすればカチューシャに余計な負担がなくなるし……予算でもめる事もないわ」

 

 薫り高い刺激を楽しむ生徒会長、麗しの姿に薄く開いた糸目は唇をペロリと舐めた。

 

「良い答えです。そういたしましょう」

「そうね、そうしましょう。待ってなさいよ……カチューシャ……ドゥラーチカ・マヤー」

 

 策士は回り始めた思考の中で、自分の主に笑みが戻った事を喜んでいた。

これが雪革命の嵐を呼ぶことになるなど、この時は誰にもわからなかった。

 




11話を三ヶ月待つ間……どうやって暮らそうか。
今日BDが来るから色々楽しみにしつつこの小説を書きました。
前作みたいにダラダラ長くなってしまわないように、短く纏めて生きたいと思う。
北海道弁を友達に効いて勉強したけど間違っている所もあると思う、優しく許して欲しい。
生徒会長カザリンの最後の言葉はロシア語です。


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舞台裏の氷達

プラウダ高校のお勝手事情や成り立ちは100%の創作です。


 琥珀色で四方を囲ったカザリンの執務室は、白色の照明を使ってもその壁にかかる照り返しによって黄昏色を生み出し優雅な時を作る事に一役買っていた。

銅を使った照明台座は鋭角の光に丸みを与え、窓を叩く冷たい冬景色にとは違う区切られた暖かな世界を作り上げる。

その部屋の中、生徒会長カザリンは蜂蜜をなめたように艶やかな唇で笑みを見せていた。

 

「どう、新しいタイプ。こだわりはこのレースの部分かしらね、それとここ……」

 

 手に持った制服。

制服というには華美な装飾が付いている服を片手に、目の前荘厳で硬く閉められているドアを背にして立つ副会長マリーニャに意見を聞く。

 

「ええすばらしいです。レースの使い方が実によろしいと思います。ただ一つ……」

「色の事でしょ、今回は改修後の冬宮に合わせて……少々創造に任せた所も有るの、でも悪くはないでしょ」

「そうでしたか、悪くありません。雪に映えるカラーです」

 

 カザリンが嬉しそうに手にしているものは、次期プラウダ高校の制服候補。

今それを自分の目で選定している。

執務室の机の前、会議用のソファーの上。何着もの飾り立てた衣装が並べられている。

 古式ロシアの宮廷(サロン)を意識したデザインは、ちょっと間違うとゴスロリになってしまいそうな所もあるが、それを抑えるためにフリルではなくレースを小味に入れたジャケット&スカート。

下には通常カッターシャツとリボンにシルク、襟に学年別の装飾。

さらに季節で切り替えが可能なコートタイプのジャケット。

 

「私としては……うん、夏用にはソフトタイプでもいいからコルセットの導入をしたいのだけど、そこまで行ってしまうと懐古主義では言われるから。でもこのぐらいはいいわよね? どう、わたくし間違った事言ってる?」

「いいえ、よろしいと思います。選定会は今週末に仕度できております」

「新しい制服……やっぱり美しさと可憐さがあるものを」

 

 冬宮に生徒会を持つカザリンが今一番気に手がけているもの、それはプラウダ高校のイメージを一新したいという実に外向きな仕事だった。

夏の少ない学校。

プラウダ高校が規範とする地域がロシア・ソビエトという北の大地であるがため夏でも青森より下には学校艦が南下しない。

そのため有名高であるにも関わらず、南の方からの入学生は少ない。

帝政ロシアの音楽や文化・美術面にある一定の評価を持っている学校であるにも関わらず、関心を持たれても遠すぎるという理由で敬遠され続けた学校でもあった。

 カザリンは念入りにコンペで出された制服を見ていく。

細く、それでいてしっとりとした柔らかさを見せる白い指先には健康さを引き立てるクリーム・デラ・クレムリン。

輝きのベージュに、初々しさのピンクを合わせたネイルが走る。

 

「綺麗ですね……新しいカラーですか?」

 

 ドアの前に立ち、白銀の髪を纏めたカザリンの後ろ姿を見ていたマリーニャは、何も付けていない自分の手を隠して聞いた。

 

「そうよ、今年の冬に向けての新色よ。寒いと爪が割れてしまうでしょう。クリームに保湿、指先も綺麗にして置かないと北国の学校では爪も儘ならぬなどと口さがないことを言われてしまう。貴女も注意しなさい」

「はい」

 

 背中で答えるカザリンの声にお辞儀して答える。

糸目は眼鏡の奥から、背も高く踵のある靴をよどみなく歩ませる姿に頬を赤らめていた。

羨望の姿に唇を少し湿らせたマリーニャに、背中を向けていたカザリンは一変して棘のある声を挙げていた。

 

「……文化服飾科がもっと協力的であれば、慣れない仕事をわたくし達でしなくてもよかったのに、何から何までわたくし達が……」

 

 湖水の青を写す瞳は窓から向こうに見える角張った校舎を睨んでいた。

冬宮を学舎とする建築工学科より、モスクワ大学を模した学舎にいる本職、文化服飾科が手伝えば慣れない仕事をして制服の選定までしなくてもよかったはずという怒りで唇を尖らす。

 

「生徒会長カザリン、それさえも今回は私達を優位にする出来事であります。些少な事で顔を歪められるのは良くありません」

「そうね、新しい制服についてカチューシャに文句は言わさないわ。あんな地味で共産主義まる出しの制服……戦車道のユニホームとしては許しますけど、プラウダ高校の看板になっていただいては困るわ」

 

 見るのも嫌と窓から視線を外したカザリンはソファに戻ると深く腰掛けた。

 

「お茶を入れて頂戴、貴女の分も……。いちいち忌々しいは戦車道……」

「大丈夫です。それも手の中に入れてしまえば問題になりません」

「そうなって欲しいわ」

「そうなります、貴女の思うように……必ず」

 

 白磁に青でこまかく彩られたティーセットを恙なく仕度するマリーニャ。

額に手をそえ頭痛の種を口にしたカザリンのためにラベンダーを持って勧めた。

 

 実はプラウダ高校は過去に統廃合以外の理由で廃校になりそうになった事があった。

帝政ロシアに学ぶばかりだった文化推奨の学校だったが、前序のごとく北にあり過ぎるために生徒獲得が難しくなってしまったのだ。

その窮地を救ったのは戦車道だった。

帝政ロシアの幕を引き、ソビエトとなった世界には戦車があった。

戦車道を学校艦自治体が認めれば国からの補助が得られる。

遡ること十数年前、こうした経緯を経てプラウダ高校は戦車道を導入し、今に至る。

戦車道導入と共に入ってきたソビエト連邦教育と、元にから居座る帝政ロシア教育。

二つの相反する国家と主義を包括した学校として。

 それでも生い立ちのための反発、主義を反すると生徒達が啀み合う事はなかった。

互いに違う分野を持つ事になっただけで生徒が喧嘩するという事はなく、生徒が増えた事でそれまで予算の割を食ってきたロシア建築の骨であるキエフ・ルーシに始まり美術様式の高いモスク、そして現在建築科が校舎としているロシア・バロックの一代傑作冬宮の再現などは高い評価を得ることになり、学校艦でありながら観光地区を持つ程の技術力を見せる程になった。

そして戦車道は期待に応えるように強豪校として名を馳せていった。

 だが今はその戦車道が頭痛の種になっていた。

 

「カチューシャ……」

 

 ティーを一息、少しの味わいに短いため息。

去年プラウダ高校に錦の御旗を持ち帰った事は本当に喜ばしい事だったが、それとは別にカチューシャが起こしたある事件がプラウダ高校では一つの問題となっていた。

もちろん今回の予算の問題も多分にあったが、一番の問題は実は制服の事だった。

カチューシャが文化服飾科に入学したころ、当然カザリンもこの年同級生として入学しているのだが、この時までプラウダ高校は一つの制服を着ていた。

建築工学科が基本となった帝政ロシアの色を濃く残すロングドレスを模した可憐なものだったが、こともあろうにカチューシャはその制服を着ることなく、現在文化服飾科が着る共産様式の……ダークグリーンのジャケット&スカート、下に赤の詰め襟シャツという可愛さなど欠片もないような制服を自分で仕立てて登校したのだ。

戦車道を始め、活発な道科の履行が課されていた文化服飾科の生徒は一気にそちらに傾くとあっという間にプラウダ高校は二つの制服を持つ学校になってしまったのだ。

そして今現在、テレビなどに映る競技を多く持つ文化服飾科のせいでプラウダの制服は地味なものだと思われいた。

 

 僻地の学校には生徒獲得の色々な工夫が必要である。

その目玉として、伝統的にして優美である帝政ロシアを模した制服。

長い年月その代の生徒会が、新入学生確保のために重ねた努力を無にする行為にして、ないがしろにしたのは許し難いものだった。

そこから続く戦車道率いるカチューシャの増長も、カザリンは自分の代でどんな手を使ってもこの争いに終止符を打とうと苦労を重ねてきた。

 

「どうか私にお任せ下さい、生徒会長カザリン。必ずやカチューシャを跪かせ貴女の前に頭を垂れさせてご覧に入れます」

 

 主のため息にマリーニャは深くお辞儀をした。

輝かしいプラウダを取り戻すには、勝手気ままに予算を請求し学校指定の制服さえもかなぐり捨てた戦車道を、帝政ロシア建築工学科の側へ、掌に治める必要がある。

糸目の策士は自分の前に座る美しい生徒会長のために、仇敵を討ち取る計画を滾らせていた。

 

 

 

 

 

「あっ、バカ姉妹だ」

「わいや事いいよな」

「お姉ちゃん方言でてるよー」

 

 試合のあった北緯50度よりはいくぶん下った海の上、それでも吐く息は白く教室のオイルヒーターに張り付いた女の子達。

日中は普通授業に上がって来たベスナを先頭とするマトリョーシカ姉妹に、教室の仲間達は何時もどおりの挨拶をしていた。

教室の中、窓際に設置された蛇腹のパイプ。

授業のない時間も付けっぱなしにされるオイルヒーターのおかげで20℃前後の温度はいつもたもたれており学業の時を寒さに凍える事はない。

手をこすり合わせて入ってきたベスナは、悪口に顔をしかめながらもいそいそとパイプに手を付ける。

触れても火傷をする事はない程度の熱に、シベリアから這い上がってきた姉妹の固まった筋が緩む。

 

「あーーー、やっぱり教室暖かいよー」

 

 手串で髪の間に入った寒気を逃がすリエタ。

四姉妹の中でリエタとオセニは長い黒髪を持っている。

末っ子のジマーはショートカットで、長女ベスナは延ばしかけの少々みっともない頭のため現在はコーギーの尻尾のような引っ詰めをしていた。

 

「そろそろ慣れたでしょ、シベリ屋」

「慣れねぇよ、むしろおめーも一緒に入れや」

「姉ちゃん方言!!」

 

 人ごとなので笑い話。

相変わらず抜けない方言のベスナの前で笑う短髪は試合の時フラッグ車に乗っていたカッペだ。

秋田県大舘から来た色白、口の悪さとは別の愛嬌の良い笑みにベスナは頬を膨らましていた。

 

「おめーが、もそっときちっと道教えとけば、こんな目にあわずにすんだのよ」

「隊長がちゃちゃと逃げて回ってたらいいって、命令どおりやったべー、ごしゃぐでねーよ」

 

 釣られる方言。

一人が口に出してしまえば普通にお国言葉が出てしまう緩い空間。

座っていた者達も笑う中でベスナは凍った指先をあぶる。

 

「ねえ、同志の修理は終わったの?」

「うぁん? KV-2は後々、T-34が修理待ちなんだからさー」

 

 背中を向けて手を温める姉ベスナの後ろから、鞄を机に引っかけたオセニが並んでオイルヒーターに張り付く戦車道の仲間に同志の現状を心配して聞くが、芳しくない答えが当然のように返された。

ある意味特殊車両であるKV-2が頭から修理に並ぶとは思っていなかったが、案の定自分達姉妹以外はKV-2を大切とは思っていない様子に眉を下げながら。

 

「そっか、じゃあ私らが戻って来てから治すからいいやね」

「ていうか、KV-2はもう治さずに売り払うかスクラップにするんじゃね?」

 

 緩い言葉と仄かな暖かさに溢れた部屋で、マトリョーシカ姉妹達に冷たい言葉の釘が刺さった。

固まってしまった妹三人の前で長女ベスナは目を剥いて相手を捕まえていた。

 

「あっあっあんただなんてことぬかすのさ!!!」

「えー、だってそういう噂だよー。持ち出し15両の中にKV-2は出す予定なかったらしいし、それを無理して出しちゃったから生徒会が予算のわりくったとかで……カザリンは超おかんむりだそうだべ」

「だっだっだけどさ、それだって大会のために」

「大会のためだったら余計にだよ、KV-2じゃなくてIS-2がいればさー……」

「そったらこと!!! 同志も活躍したでねーかよ」

「そうかな……」

 

「なしてそったら酷い事ぬかすよ!!! 同志だって……」

 

 捕まえた相手の前で顔を真っ赤にしたベスナより、着座で話しを聞いていたリエタが立ち上がっていた。

思わず方言で叫んでしまう勢い、唇を噛んだ涙をいっぱいに浮かべた目で。

 今日だけじゃない、負けた時からずっと陰に日向に小さく大きくみんなが言っていた事を自分の耳で直接聞いてしまうのは辛かった。

 

「うんな事いっでも……KV-2みたいに一発が大きくでも、空振りしたら次のねぇ車両で何が守れたんよ」

 

 ベスナに肩を掴まれた短髪は、悪いと思いつつもここで全てを吐き出すつもりで続けて本心を事を口にした。

 

「わっ……わたしらが……わたしらが悪いってか……」

「そしたなことは……」

 

 リエタは泣きながら走っていた。

自分のイスを蹴倒す勢いで堪えられない気持ちを抱えて。

負けたという真実の前では、最後の砦としてお役に立てなかった事実を覆す言葉がなかった。

姉の後を追ってすぐにオセニが走り、トボトボと歩いて末っ子のジマーが出て行った。

ベスナは掴んでいた肩から手を解くと、黙ったまま席に着いた。

妹達を追おうとはせず、微かに顰めた眉頭で白い息を細く吐くと俯いた。

さすがにそこまで四姉妹を責めるつもりはなかった、短髪の彼女は小さく左右に首を振ると、申し訳なさそうに小声で言った。

 

「ごめん……そしたらつもりはなかったよ……ただ」

「ええよ、負けたらだめさ、そうさわたしらが悪い……負けたらダメなんよ」

 

 敗者には語る言葉がない、何を言ってもいいわけにしかならない。

姉妹の中長女のベスタにはそれが突きつけられている事だけは理解していた。

泣いても泣いても、その事実は覆らない。

そしてもっとも大切な事、自分達姉妹だけが負けたのではないというのを良く知っていた。

敗因に自分達が大きく噛んでいたからシベリア送りになったのは理解しつつも、去年優勝校としての栄誉を逃したのは戦車道を履行する全ての生徒であり、全てが負けに辛苦を持っているという事を知っていた。

だから自分達だけが悲しいなど決して言わなかった。

下唇を前歯で噛んで頬を膨らませて一生懸命に後悔を心に落とし込んでいた。

四姉妹と戦車道履行の生徒達が言い合った場に流れる辛い空気。

強豪と仰がれようが、プラウダ高校だって負けたくなかった全国大会。

逸したチャンスに参加した生徒全てが辛みを心に閉じ込めていた。

 

 

 

 

 

「できたわ」

 

 カチューシャは実習室のミシンの前でコートを広げていた。

ハーフコートは灰鉄色のシンプルなもので、襟口に赤の返しとプラウダの校章が刺繍で縫い込まれ女らしさを見せる小技Aラインの仕立て。

トルソーに着せた新作を小さなカチューシャはクルクルと見回し袖口を治す。

忙しく調整のために動くカチューシャの後ろ、バックドアを開けたノンナは湯気の立つポットとジャムの乗ったティーセットを用意していた。

何時ものように静かな黒髪は姿勢正しくテーブルに仕度を済ませると、小さな服飾科委員長を呼んだ。

 

「お茶にしましょう」

「うん、ちょうど良かったわ」

 

 プラウダ高校文化服飾科の部屋は個別の教室よりもずっと広い。

部屋の作り事態は大差ないのだが、使用するミシンの大きさや用具立て不足のない作業場として、ここほど優れた被服室はどの学校にもないものだった。

下手すればどこかのブランドメーカーが持つファッション工房よりも大きなスタジオとも言える規模だ。

その中、各専用室に付く準備室の一つを個人の作業場としてカチューシャは占有していた。

 

「完璧だわ、後は実用レポートを上げるだけ」

「ではさっそくモニターに渡してきましょう」

「……シベリアに送ってちょうだい、あそこが一番良くわかるでしょ」

「はい」

 

 ノンナの目は優しくティーを注ぎながらも見ていた。

大きな作業テーブルに広げられた四着のコート、四姉妹のためにたった二日で作り上げたお手製の贈り物を。

敗軍の司令官の責を、今日も変わって受けている四人の事をカチューシャは忘れていなかった。

生徒会との衝突でなかなか罰直を解くことが出来ない事に心を痛めて、表向きは決して弱いところを見せないし口に出しての助け船は苦手という顔が頬を赤く染めている。

 

「いい、あそこが寒いからよ。この学校艦で一番寒い所だからこそのモニターに選んだのよ。このカチューシャお手製のコートなんだから光栄に思いなさいと……言っておいて」

「わかってます」

「そう」

 

 素っ気ないそぶり、作業場とはいえクッション多めのイスにどっかりと埋まるように座ったカチューシャはジャムを片手にティーを味わう。

口元の縁を甘味の赤で汚しながら。

 

「それにしても、今日は来ないわね……マリーニャのヤツ」

「生徒会は新規の制服作成とコンペで忙しいようですよ」

「はっ、新規。今のあのみっともないお姫様趣向の制服をさらにみっとなくするつもりなの」

「ああいうのが好きという子も多いですからね」

「機能的でないし、子供ぽいわ」

 

 この学校で高校生と呼ぶには幼すぎる容姿のカチューシャから子供ぽいと言われる制服。

ノンナは口元を少しだけ緩め笑みで答えた。

 

「建築工学科では好まれるのですよ、製図を書くにも現場にでるにも硬い作業が多いから……反動というやつですね」

 

 真逆の二つの教科。

建築工学科と文化服飾科。

本来ならば文化服飾科の方が帝政ロシアを模した制服を好みそうなものだが、実際そういう事はなかった。

作り手として存在する文化服飾科の生徒にとって機能美の欠片もない制服は魅力がなかったのだ。

新入学、戦車道の履行を目的としてプラウダに入ったカチューシャにとって一番邪魔な物として映ったのがその古めかしい伝統の制服だった。

 

「ふん、あんなのしがみついてるのはカザリンだけよ。だいたいあいつは趣味が悪い!! 何かというと人形に服着せるみたいな事考えて。ダージリンの所ぐらいにしておけばいいのに、やれリボンだのフリルだの、あいつレースの意味はき違えてない?」

「間違ってますね、でも今は薄手にそういうものを入れるのをレースとも言うみたいですよ」

「素人が見栄えばかりで物を考えるから余計にみっともないわ、私が作ったやつの方が断然良いに決まってる」

「ええとても」

 

 カチューシャが入学式に着ていった制服。

それが今現在文化服飾科の標準となり、戦車道ではそのままユニホームにもなる機能美において満点な服。

 

「呼び出しは選考会の事も兼ねているのでしょう。服飾科の第一人者である貴女にもコンペに加わって貰いたい、それで例の予算の件を帳消しにして下さるのならば安いものなのでは」

「冗談!! カザリンは私にあのヒラヒラを着せたがってるのよ」

「着て差し上げれば良いじゃないですか、そんな程度のこと」

「いやよ!! あんなの着たら生き恥も良い所よ」

 

 赤星をちりばめたクッションに足を上げて不機嫌を全体で現して見せるカチューシャ。

ノンナは手帳に書き物をしながら静かにしている。

沈黙の間で流れる冷気の風音

 

「ふん、くだらないわ。今日の昼ご飯は何?」

「今日はウハーですよ、料理科が実習ついでにたくさん作ってました」

「そう、……少しは晴れたらいいのに」

 

 窓を叩く風に、恨めしい尖り目。

ここではまだ雪が止むこともない気配にカチューシャはコートを指差した。

 

「おうちに帰る前に持っていって」

 

 昼なのに白い闇の中にあるプラウダ高校。

ノンナは作りたてのコートを綺麗に畳むと、昼食のためにドアを出て行くカチューシャの後を追った。

 

 

 

 

 

 結局、洋上にいる学校艦の天気は好転しなかった。

粉雪に混ざる針の風は、少しの隙間も逃さない勢いで学校艦の上にある建物の間を走り、ここ戦車を納める倉庫の中にも遠慮なく入り込んでいた。

倉庫の端、奥まった停車場にKV-2は試合跡の傷を残したまま座っていた。

その前にリエタの肩を抱いてオセニが共に座っている。

授業に出られる程に心の平安を取り戻す事の出来なかった二人の妹は、目の前に誰にも修理される事なく座っていたKV-2を先ほどまで一生懸命に磨き昼過ぎの時を過ごしていた。

工具の持ち出しが許可制なので被弾箇所に手を入れる事はできなかったが、焼け焦げていた首根っこのあたりは破壊された箇所が不自然に見える程綺麗に周りを磨き込んだ。

 

「……また姉ちゃんに迷惑かけちゃったね」

「うん、でもさ、こうやって少しでもさ……」

 

 少しでも綺麗にしておけば、捨てられたりしない。

姉妹のつたない願いだった。

それでもリエタの涙は止まらなかった。

四つ子の姉妹、誰が上でも下でも一緒。同じ年の同じ顔、自分の妹に当たるオセニに長い髪の下で泣くリエタは顔を肩に押しつけて言った。

 

「もし……もしさ、本当にダメだったらお父ちゃんに頼もう、お願いしよう、同志を買って貰おうよ。オセニも一緒に頼んで……」

「うん、うん、そうしよう。そうすれば心配無くなるもんね」

 

「そんな事は許可されませんよ」

 

 その声は倉庫の柱に軽くノックの音を響かせて二人の前に姿を見せた。

生徒会副会長マリーニャは、白と水色のステッチラインを入れたハーフコートを羽織って立っていた。

リエタもオセニも良く知っている存在は、眼鏡の袖を抑え糸目のままKV-2をチラリと見ると。

 

「これは学校のものですし、スクラップにするに事もそうですが、戦車道を履行する学校への譲渡は十分にあるわけです。一個人になど販売する事は決してありません」

 

 小さくとも尖った物言い。

意地の悪そうな薄い唇は片口を斜めに上げて笑って見せる。

 

「副会長……でも、こんな特殊な車両だし……」

 

 あまりの横やりに言葉を無くしてしまったリエタにかわりオセニは怖々口を開いた。

相手は文化服飾科と相対する形で組織を持つ建築工学科の生徒会。

予算の問題でもめている側の要職に、いきなり怒鳴ったりはしたくない。

 

「ええ特殊な車両なんでしょうね。ですから学校としてはキチンとした形で管理をしたいものですわ」

「管理……じゃあ捨てたりはしないって事ですか?」

「捨てる? そんな話しは出てませんよ」

 

 思わぬ希望だった。

生徒会側から持ち出し車両を目一杯使ったのに敗退した事を責められているという話。

その中でもKV-2は特に役に立つ事なく最後の砦として機能もしなかった事で、廃車または売り払いの危機にあると、今朝聞かされた二人は顔を見合わせた。

 

「副会長、じゃあ売ったりとかはしないんですか」

「しませんよ。戦車道は国家推奨の女子の嗜み。世界大会も近ずく中、これからもっと激励される道科です。それなのに戦車を売り払ってしまうなんて……そんな非常識な事を生徒会がするわけないじゃないですか」

 

 四方からの響く静かな責め立てに心を痛めていたリエタの顔は和らいだ。

同志はいなくならない、そんな事はないという生徒会副会長の言葉に嬉しくて涙がまたこぼれた。

 

「ありがとうございます。わたすぅ、心配で」

「良かったねリエタ」

 

 手をつなぎ喜ぶ二人、さっきまで吹き込む風に任せて心も体も凍り付かせていた二人は互いに肩を叩き飛んで喜んだ。

マリーニャの細い眼はそれを静かに見つめていたが、小さな咳払いをして歓喜を止めた。

手を平に少し静かに話をしたいというゼスチャーを見せると、二人に息の届く所まで近づいた。

 

「まあ、私達生徒会は自治権限者でもありますから全ての生徒に良い学校生活を送って頂きたいといつも願っています。戦車道もそうです……ですが、そう思っていない人もいるようでいささか困っています」

 

 息が届く事で曇るマリーニャの眼鏡、その奥に光る策士の瞳に二人は気が付く事はなかった。

悲しみの縁から喜びに舞い上がった心、そこから先が不安の空であって欲しくないという気持ちはマリーニャの懸念になんとか応じたいと思ってしまう程になっていた。

 

「こんな事は言いたくないのですが、生徒会を、いいえプラウダ高校を円滑に運営するためにも必要な事なので協力して頂きたいのです。今回の試合について勝ち負けは時の運というものもありますから仕方のない事ですが……その事についての明瞭な責任者報告が生徒会に届いていないのです。この先戦車道が対外試合や交流戦、各大会に参加するためにもこういう事ははっきりとしておき、今後に備えるのならば備えるべき点などを忌憚なく話し合いたいと思っているのですが、最高責任者であるカチューシャ隊長が生徒会長カザリンとの会話に来てくれないのです。これでは生徒会は、ひいてはプラウダ高校自治会はどうやって戦車道の予算を提出したらいいのかと、大変悩んでいるのです」

 

 長い説明だった。

リエタは冷静にそれを聞く準備がなかったため、思わず自分が理解した形で聞き返していた。

 

「つまり、生徒会長とカチューシャ隊長の話し合いが出来ていないから……この先の予算が割り振れないという事なんですか?」

「そう、簡単に言えばそういう事ですね。これは学校運営にも関係する事です。この戦車を治す費用がそんな簡単に出ていると思いますか?」

「いいえ、それは……」

 

 いざ考えると確かに途方もない金額が戦車維持にはかかっていると思い知らされる。

ましてや他に並ぶ車両に比べれば、少々特殊な戦車であるKV-2の修理費用など、今まではカチューシャ主導の元自由にやってきたから思い浮かばなかったが本当は万単位の費用がかかっている事など簡単に理解できた。

二人はめまぐるしくも悪い結果の方に頭を回転させていた。

 

「このままでは治せない戦車が出てしまう可能性も有るのです」

 

 二人の姿に叩き込むように言葉を送るマリーニャ。

深く考えさせてはならず、明確に意識させてもいけない、混乱の中で確実を思わせる言葉は、五里霧中にある先の見えないロープのようでなくてはならない。

確実に掴む事はできるが行き先はまったく見えないという愚者の導きを、マリーニャは巧みに使いこなしていた。

 

「正直な話しカチューシャ隊長が、きちんと負けを認め生徒会に報告さえしてくだされば、戦車道履行者である貴女達にこんな心配をさせる事はなかったのにと思います。本当にそういう意味でカチューシャさんは我が儘、その責を負わされている生徒を見るのは辛いですわ。この先これ以上にカチューシャさんが生徒会長カザリンとの会見を拒むようですと……修理が出来ないままで朽ちる車両もあるかもしれませんね」

 

 冷えた糸目の目線は二人に悪知恵をしっかりと植え込んでいた。

 

「生徒会はいつでも、どの科の生徒の来訪も待っています。どうか貴女達でカチューシャ隊長の後押しをしてあげてください」

 

 柔らかい微笑みの下に、冷徹な牙を持ってマリーニャは倉庫を後にした。

その姿を見送る二人と、迎えるノンナが立っていた。

 

 

 

 

 

 「立ち聞きしていらっしゃったので? 同志ノンナ」

 

 片手に手提げ、カチューシャから預かったコートを持ったノンナは自分より背の低いマリーニャと背中合わせで立っていた。

倉庫を出た校舎と繋がる渡り廊下の端で。

 

「いいえ、あの子達に新しいユニホームのモニターを頼もうと、学科の部屋からは教室よりこちらが近かったので」

 

 自分を立て帝政側にいるマリーニャが同志と呼ぶ事に笑みを漏らす。

余裕のある言葉には、威しも震えもない。淡々とした返事にマリーニャは、はっきりと本当の事を伝えた。

 

「何度も言っていますが、生徒会長カザリンはカチューシャさんとの直接会話を望んでいます。必要な事です。しかしこられないのならば戦車道を生徒会の旗下に置くことを検討しています。そんな事になるよりはカザリンの都合にお付き合いをした方がよろしいとおもいますが、そう少々の人形遊びに、敗北した責任がそれで済むのならば安い物でしょう」

「私もそうおもいますよ、マリーニャ。カチューシャはカザリンとのお付き合いをするべきだと。そう、望む衣装を着て差し上げれば良いと思いますよ」

 

 強く出た言葉に、ノンナの返しは柳のようだった。

スルリと抜けるように足を前に、会話は承ったという背中を見せていた。

 

「そう思うのならば早く説得してください。でないと大変な事になるかもしれませんよ」

 

 詰めを誤らぬ打ち手として歪んだ笑みを見せるマリーニャ。

モデルのように美しく、凹凸のくっきりとした影は少しだけ振り向くと静かに笑っていた。

 

「私にはそんな事どちらでも……どちらでもいいのですよ」と。

 




まるで説明回……そして陰謀は炸裂する。
ノンナさんとカチューシャ日記の友達になりたい。


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貴女のオフラーナ

 マリーニャはカチューシャへの嘆願を明日までに出すようにと、マトリョーシカ姉妹を焚きつける作戦演説をぶちまけた後、自分の学舎である冬宮に戻る帰路にいた。

学校艦は冬の海に停泊しているわけで、海上から来る風にとって唯一の遮蔽物である船には遠慮のない寒波を走らせている。

雪が石畳を走り舞踊るのを足下に見ながらの帰り道だった。

建築工学科が詰める冬宮に向かう道は、石造りで階層の高い店舗と、その上は学生寮として使われるアパートメントが並んでいる。

学校関連の建物は各々の主義の形に統一されており、文化服飾科が詰めるモスクワ様式の方は色気も装飾もない白目の石をパネルにしてはめ込んだ素っ気ないもの。縦へ伸びるラインに合わせた作りと、一つ落ちくぼんだラインに窓を着けるというレゴブロックのような建物。

スターリンゴシックはそういう上に伸びる尊大さはあるが美しさも暖かさもない建物だった。

見た目のつまらなさにマリーニャはマフラーに隠した鼻をならした。

 

「装飾もアーンゲルもいないなんて……冷たい建物なんて……大嫌いよ」

 

 中国式に比べれば遊び心もある建物だが、やはり平面構造を重視した作りと、柱の頭飾りのワンスターを入れるお決まりなどは、冬宮の美しさやそれに準ずる東欧の町並みに似た味わい深い情景には程遠く、人間味を感じないとマリーニャは考えていた。

 時より吹雪く風、隠した暖かな呼吸が細かな細工を付けた眼鏡を曇らせる。

レンガの重なった台座に風溜まりがあり、そこを上がったところが建物の風よけになっている。

道をそれてしばしの足休めをしコートにかかった雪を払う。

内地に降る重い雪とも、積もり海の水気を帯びた雪とも違い、ダイヤモンドを織り込んだように輝くパウダースノーは手に付くことなく少しの風に飛ばされていく。

 

「……寒い……」

 

 街角の風よけ、そこから眺める屋根上。

星屑のように白い空の下に舞う雪達を、マリーニャは無理矢理細く俯く形で作っていた糸目を解き本来の愛嬌ある丸い瞳に戻して見ていた。

 

「カザリン……私、貴女のためだったら学校の半分を敵に回したてって平気よ」

 

 それは先ほどの回廊でノンナに言った言葉だった。

自分の忠告をはぐらかすように、静かに笑う黒髪のスノービューティー。

プラウダ高校全生徒の中で一番背の高い彼女は、小さなマリーニャの忠告に対して振り返ると翡翠の瞳を近づけて言った。

 

「真面目な生徒を追い詰めるものじゃないわ」

 

 曖昧な口元、仄かな笑みは敵対者である事を隠さないノンナらしい顔だった。

当然マリーニャも自分のしている事が文化服飾科に対しての敵対である事を知っていると答えた。

 

「学校の半分が敵になるから? それがどうしたと言うのですか。私は生徒会執行部の一人として生徒会長カザリンの意思を代行しているだけ」

「だとしたら貴女の中にある使命感はこんなに熱いのに、カザリンは酷く冷たい事をやらせようとしているのね」

「失礼を言わないで私が望んで行っているの、口に出さなくてもカザリンの心はわかるのよ」

「そう……ハートが燃えているのね」

「至って冷静よ。貴女はどうなの? カチューシャさんのために生徒会の、いいえ建築工学科の全生徒の前に立てるのかしら?」

 

 自分を物理的にも上から見る位置にいるノンナの視線に噛み付いた。

マリーニャの顔を確認するように静かに姿勢を正したノンナは背中を向けると。

 

「私は、そんな事を望まないわ」

 

 一言そう告げると隙間風から注ぐ粉雪の中を歩いて行った。

 

 

「知ったような事言わないでよね……ノンナ」

 

 三十分程度前の事だったが、マリーニャの心には背を向けたノンナの姿が忌々しく残っていた。

話し合えなかった事で自分の本心をはき出せなかった痛みがあった。

大きな声で言ってしまいたいといつも思っている事、言いたくても言ってはいけない気持ちを。

思い出し、それを告げたら学校に居られなくなってしまうと自分を諫めていた。

 言ってはいけない……自分の事などと。

吹雪く風の下、プラウダ高校に来るまでの道のりを思い出していた。

それはマリーニャと成った自分への回帰の記憶だった。

 

 

 

 

 

「拾子(ひろこ)……なんてどうです。旦那様」

「好きにしたらいい」

 

 その声を聞いたとき、背筋は凍えて本当に自分はいらない子だったのだと気が付かされた。

最北のここよりずっと南、九州の名家。

そこに、いないと言われ続けていた自分の父親がいると知ったのは、女手一つで自分を育ててくれた母がこの世を去ったその日の事だった。

唯一の遺品となった薬指のリングを抱いて泣いていた小さな肩を叩いた男が、母を捨てた父だったと知らされたときにあったのは救いではなく、希望を確実に見失う道の始まりだった。

 母一人子一人の家庭だったが不満はなかった。

優しい母が居てくれて、学業成績の良い自分は学校も奨学金で通える所を選んで負担にならずやっていけると……そう思っていた矢先だった。

母は名家の当主である父の……お手つきさんだった。本妻から追い立てられ仕事を失って岡山の山奥に、逃げるようにして流れてきた人だった。

そんな事を一つもしらなかった。母から何もしらされていなかった。

そんな過去がある事など、今際の時まで一言も告げなかった事だけが鮮明に思い出される程。

「何時も二人でがんばっていこうね」という言葉だけを残した人だった。

母は……自分を産んだことで宝を授かったと笑い励ましてくれる人だった。

父親なんか居なくて良かったのに……悔恨が心に影を落とし始めていた。

母の死と共にやってきた、父と名乗る男に引き取られた。

母しか身内がいなかった者としてそれは一理の救いだったが、同じく地獄の始まりでもあった。

それまで使っていた……母からもらった大切な名前を捨てさせられた。

「当主様の家に合う名前をあげます」

それが拾子だった。

鼻で笑う話しだった。

拾い子だから拾子、当主の妻はまだ健在だった。自分を拾ったのは一時的にでも夫の愛を奪った女への復讐のためだった。

毎日陰湿な虐めは続き、心は深い洞窟をくぐるように闇の中に沈んでいった。

 

「ここにいたら私は狂ってしまう」

 

 逃げなくては……母と同じように、負け犬のように逃げないと。

名家の子達は九州でも有名高である黒森峰に入学が決まっていた。

学力ではなく。名家の力での入学が。

義理の姉妹達と同じ学校に行くことを父は進めたが、そんな地獄には行けないと心に電撃を流すような、痺れる強い拒否反応を示した。

同じ学校に行ったら……姉と名乗る本妻の子達に手足のように使われて一生をダメにする。

そう考えた、まだ14才の時に。

幸いにも勤勉だった事は脱出のチャンスをもたらしていた。

九州からずっと遠い最果ての学校……プラウダ高校へと

家の姓を汚すことなく、そして自主独立と卒業後の仕事への布石も兼ねて奨学金まで用意されているプラウダ高校に、その年一番の成績で入学した。

逃げて最北に飛んだ。

父は、出て行く拾子の姿を悲しそうな目で見ていた、それが不可解で不愉快な記憶として残った。

 

 プラウダ高校に入った最初の印象は、この一言に過ぎた。

寒い……

最北の学校であるプラウダの気候は、資料を見て理解していたものを越えていた。

入学案内だけで肌を刺す寒さなど伝わるわけもなく、ただ呆然と白い闇に放り出された事を確信した時、天涯孤独の身となって逃げてきた心は急に蝕まれた。

 

「私……どうしてこんな所に来ちゃったの……」

 

 入学式を終えて一ヶ月。

暖かだった母を失い、居場所をなくし、名前も失った。

逃げてやってきた場所は孤独には辛すぎる凍てつく海の上だった。

なんの仕度もなしに来てしまったため、支給された制服はあるものの寒さを凌ぐにはまったくたりず、凍えて歩くうちに、唯一の拠り所だった母の指輪を雪の中に落としてしまった。

指先は針を刺されたように痺れ、雪に触れるだけで気を失いそうになる。

小さな指輪を探すには途方もなく深く痛い雪に、涙がこぼれた。

 

「お母さん……お母さん……お母さん……寂しいよぉ……」

 

 母に似ていたから何度も本妻に撲たれた。

それが怖くて目を伏せて糸目に見えるようにしたうえに、眼鏡で表情を隠した。

自分が生きる事で精一杯になって、母を亡くした事をじっくり考える時間がなかったが、こんな形で心は解放され溢れ出した思い出に膝から崩れて泣いていた。

 

「貴女……どうしたの?」

 

 その声はかかったと同時に、蹲っていた拾子の肩を抱きしめていた。

 

「具合が悪いの? 歩ける?」

 

 涙でボロボロになった顔を、プラチナブロンドも美しい青い眼が見つめていた。

今までならば弱い所を見せないようにしてきた自分に戻れたはずなのに、この時は戻れなかった。

自分を抱いた手の暖かさを実感してしまったから。

凍えた口は、声まで凍らせてしまったのか、青くなった唇から少しずつ答えた。

 

「……指輪、母の形見の……大切な指輪を落としてしまって……」

「どこに!! 探してあげる!!」

 

 そういうと彼女は、寒空の下でコートとジャケットを脱ぐとカッターシャツの袖をまくり上げて雪に手を突っ込んだ。

なんの躊躇もなく、自分の悲しみを掬いあげる手助けをしてくれた人。

それがカザリンだった。

その日、カザリンは指輪探しで中庭の雪を全部溶かすほど働いた。

途中から我に帰った拾子が、悴んだ手で弱々しくも諦めようと袖を引いたが聞かなかった。

 

「大切な指輪なんでしょ、ダメよ簡単に諦めちゃ。そうでしょ!! わたくし間違った事言ってる?」

「いいえ……お願いします……」

 

 今と変わらない強い意志を示すピンクの唇と真っ直ぐな視線は、弱気になっていた顔を頬を両手で掴んで励ました。

濛々と汗と熱気を滾らせた顔は自信満々で笑って見せると雪に触れすぎて、冷たくなった指先で涙の跡をなぞった。

 

「お母さんの指輪、絶対に見つかるから」

 

 そう言って日が暮れるまで雪を掘り、ついに指輪を探し出した。

 

 

 

 

 

 

「マリーニャ、どうこの名前は?」

 

 学校での道科の履行を選ばず拾子が望んだのは、生徒会の仕事だった。

プラウダ高校で科される授業外履行の道科は多くが畜産や農業、工業に水産その他多くの科業があったが何にも目をくれず生徒会を選んだ。

それは生徒会役員議士会にカザリンの名前があったからだ。

自分の心を救ってくれた彼女の近くにいたい、もっと彼女を知りたいという吸い付くような好奇心が芽生えたのは産まれて初めての事だった。

戸惑いながらも開いた生徒会室の重い扉の向こうに座っていたカザリン。

 その時までプラウダ高校で使う名前のなかった拾子に、特別な名前を用意してまっていた。

ロシア民謡から取られた名前は、母が授けた名前を包み込むステキなもの。

 

「はい……はい、マリーニャの名前、頂きます」

 

 あの日、拾子はカザリンのためにマリーニャとして生まれ変わった。

 

 

 

 

 

 翌日マトリョーシカ姉妹は、昨日ノンナに届けられたハーフコートを羽織り、頬を赤くした顔を並べて、シベリ屋からの階段を上がっていた。

姉を風よけに、背中に引っ付いて歩く姿は、どこから見ても滑稽で真新しいコートを着ていることで余計にその姿は強調されていた。

 

「いやー、ぬくいべやー」

「お姉ちゃん方言!!」

「気をつけてよー」

「ベスナ姉から方言は一生取れない気がしてきたよー」

 

 同じ顔を並べながらも、歓声に大きな違いを持つ四姉妹。

ポロリと要所で方言が出てしまうベスナは、後ろに並ぶ妹達に口を尖らせた。

 

「こんなにぬくいコートがあったらよ……気持ち緩むぅてもんでねか」

「気持ちじゃなくて口が緩んでるよぉ!! 脳みそから方言エキスだだ漏れだよ!!」

「試供品貰えて嬉しいのはわかるけどー、シベリ屋からの解放は遠いぞー」

「この試供品のせいでレポートという宿題も増えたのに……」

「なんのぉ、あんた達ねぇ、レポートとかそんなぞんざいな事を言ったらダメさ、このコートはホントは……」

「あれなに?」

 

 身振り手振りを交え大げさに話す歩みの遅い姉を追い越したジマーは、校舎入り口にたまる生徒の群れを指差した。

だが、ベスナはなんら気にする事なく先に進んでゆく。

 

「見てかないの?」

「行くとこ有るからいっぺよ、先に教室いきなよー」

 

 抜けない方言のまま、陽気な顔を膨らんだ餅のように赤くして走って行く姉の後ろ、残された姉妹達は掲示板にたまる声に不安を募らせていた。

 始業時間には早いが、暖のある教室へ向かわない姿に異様を感じ、声色が重い空気を作り出している事を敏感に察知していた。

 

「何かあった?」

「今期はグラジュダニーンの修理はしないって……春までドック待機にするって事らしいよ……」

「修理しない……なんで?」

 

 恐る恐る、直接掲示板を目に入れない位置で学友の肩を叩いたリエタの背には不安を激しく打ち付けるムチが走っていた。

 

「なして……なしてグラジュダーニンが……」

「やっぱり……うちら関係やからかな?」

 

 プラウダ高校が所有し北海道と内地を行き来する連絡船の一つ、グラジュダーニンは春先の流氷に削られ船底の修理が望まれていたが、戦車道の試合もあって修理自体が先送りされていた。

試合の終わった今、これから更に厳しくなる冬に向けての修理が急務であったにも関わらず、今期は修理しないという通達がされた事にオセニとリエタは震え上がった。

 内地と学校艦を繋いでいる連絡船はなにもグラジュダーニンだけではない、なにせ最北の巨大学校であるプラウダ高校、持っている連絡船は5隻あり他にも用意されているが余力のある連絡船の中で、名指しで修理をしない事には深い意味があった。

 グラジュダーニンは文化服飾科所属、その中でも戦車道を履行する生徒が占有している船、戦車の修理さえ予算編成の蚊帳の外とまことしやかな噂が流れ始めていた所にきて、きつい楔を心臓に打ち付けられた気持ちになり一瞬足下をふらつかせたリエタ。

心を凍えさせる告示に目眩を起こすオセニ。

二人の苦痛にかけられたのは静かで冷たい声だった。

 

「これら生徒会と自治会の決定です。無用に騒ぎ立てることなく、良く内容を理解してください」

 

 顔を見合わせる生徒達の前にいたのはマリーニャだった。

白のコート、青色のステッチを入れ、背に回るリボンを靡かせた小さな副会長は鈍い照明の下で眼鏡を輝かせて言った。

 

「生徒会は予算を平等に割り振るための努力をしております。今回はその精神に基づき決定された……一部の事例です」

「事例って何よ!! なんでグラジュダーニンの修理が後回しなのよ!!」

 

 噛み付いたのはジマーだった。

末っ子としておとなしくも、言いたい事は大砲の弾がごとくズドンと突き刺す態度でマリーニャの前に立つと。

 

「他の船があるとしても……こんなの狙い撃ちでやっているとしか思えないわ!! 戦車道履行の私達に対する嫌がらせ……」

「理由はご存じのハズでしょう」

「このまま戦車も治さないつもりなの!!」

「そうですね、一部の事例と言いましたから……そうなる可能性もありますね」

「信じられない……こんなの横暴すぎる……」

 

 衆群を前にしてマリーニャには一部の震えもなかった。

むしろ自信という刃を並ぶ生徒の喉もとに突きつける態度、斜に構えた首で冷徹一本気の薄い唇に強い意志を乗せて言葉を返した。

 

「横暴とは生徒会が時として振り上げねばならぬ絶対の力です。同じように断腸の思いでもあります。貴女達はいったい今まで何をしていたのですか? 自分達の責任者の言う事に右向け右では独裁政党と変わりませんわよ。きちんと筋を通さない独裁者が今の状況を招いた。何もせず従ってきた貴女達はそれを望んでいたと見られても仕方の無い事……私の言っている事、間違ってますか?」

 

 カザリンの言葉を真似てダメ押しをするマリーニャ。

集まっていた服飾科の生徒達は流氷の嘶きのごとく苦悶の深い顔を晒していた。

 戦車道、プラウダ高校代表カチューシャ。

隊長の言う事は絶対。いつの間にか出来上がった独裁を、戦車道を履行する文化服飾科が甘んじて受け入れ、それで今までやってきたと指摘する眼鏡の輝きに言い返せずに。

唇を光らせる策士の甘味は、今一度息を呑むと掲示板の前に並んだ生徒に渇を打ち据えた。

 

「貴女達の放置が招いた結果です。そしてこれは結果の一部にしかすぎません。予算には常に限りがあり、優先されるのはここプラウダ高校に誠実である者と決まっているのですから。貢献も少なく生徒会に恭順もしない道科に対して当たり前の答えを出したにすぎません」

 

 いてもたってもいられない事態だった。

雑木林を抜ける乱れた風のように、生徒達の声は困惑の息を流し、その灰色の森の中でリエタとオセニは真っ青になっていた。

マリーニャの言い分は間違って居ない、生徒会との話し合いにカチューシャが参加しなかった結果は悪い賽の目を出し、ここに現されたと直感していたからだ。

自分の前に立つジマーの姿にマリーニャの視線は絶対零度のままだった。

焦りで重々しい熱を纏う戦車道履行の生徒達の前で、リエタとオセニの顔を見つけて変わらぬ冷たさはトドメの楔を解き放った。

 

「行動は迅速に、それは全てのことに共通する……せっかく貴女に注意したのに残念だわ」

 

 先日、言えば12時間程度前にマリーニャは注意していた。

それはすぐにでもカチューシャの背中を押し、生徒会との会議に向かわせろという忠告。

親切心だったとでも言わんばかりの目は、糸目のままさらに顔を伏せると背を向けていた。

 

「今日の今日ならば……あるいわ……」

 

 背中を向けた小さな戯言。

粟立つ生徒達を尻目に出来る愉悦でマリーニャは自分の笑みを堪えていたが、唇には意地悪く歪んだラインがあり、隠しきれない勝ちの一手を浮かべている。

 一方で刺された楔のダメージが迅速にリエタの心を蝕んでいた。

仁王立ちのジマーの後ろで、飛び出しそうな心臓を抱いた体は、止まってなど居られないという想いで生徒の間を割って走っていた。

 

「いや!!! 絶対に嫌!! 同志をなおしてもらう!! 隊長に言わなきゃ!!」

 

 早い駆け足で弾丸のように飛んでいくリエタの後をオセニも顔を赤くして付いていく。

二人の姉を送ったジマーは幾分冷静な眼差しで、学舎の門を出て行くマリーニャを見送った。

最初に怒鳴った分だけ早く冷静になれたが、事態がのっぴきならぬ方向に動いたことだけを深く実感していた。

元を正せば自分達がフラッグ車を守れなかった事にまで行き着いてしまう諦観で。

 

「……同志、大丈夫……私が治すよ……」

 

 そう呟くとトボトボと教室とは別の車両倉庫に向かって歩いて行った。

 

 

 

 

 

 明るい鼻歌交じりでトルソーにイメージを膨らませていたカチューシャの機嫌は、断崖絶壁から突き落とされたように深く重く激しく不快感に蜷局を巻かせていた。

目の前には道科を共にする後輩のリエタとオセニが立っている。

占有する部屋のドアをたたき割らん勢いで入ってきた二人の言葉に、菱目はより細く尖がらせ怒りを鋭利に研ぎ上げていた。

 

「それで……私に生徒会に出頭しろと」

「出頭というか……話し合いに、じゃないと戦車が直せないという事に……、じっ……事実グラジュダーニンの修理が見送られました。これは……」

 

 勢いはあったが、小さな暴君を目の前にして二人は少しだけ正気に戻っていた。

焦りの気持ちだけを抱いて、予算の事をまくし立て、カチューシャの生徒会会議招集不参加で戦車道が不利益を被っているという事を遠巻きながらも小石を投げ込むように告げた。

詰まっていた辛みを吐き出しても空にした胸に不安の靄を渦巻かせている二人を、菱目の刺す視線でカチューシャは見つめていた。

 

「あの……このままだとKV-2は治されずに春まで……手つかずのままって事にも成りかねないです」

「だから? だったら春になってから治せばいいでしょ」

 

 鼻に小じわを詰め、不機嫌を晒した顔はプイと目線をそらして言い放った。

投げ捨てるような視線、自分達からそらされた顔にリエタとオセニの抱えていた不安は、はち切れていた。

自分達を見ない隊長、同じように同志も見ないという態度にも重なって、乗りだし作業机に両手を叩きつけていた。

 

「……待てないです!! カチューシャ隊長は今大会で退役だから、後の事なんかどうだっていいのかもしれませんが、同志(KV-2)にはまだこの先の試合だってあるんです!! わたすたち同志がこのままなんて……」

「あんたたちの同志じゃないし!! どうだっていいなんて思ってないわ!!」

「だったら!! どうすて……生徒会の会議に出てくれないんですか? 生徒会長は話し合いをしたいと……そういうの無視するのはなんのためですか?」

「……それは……カザリンは……」

 

 カチューシャは斜めに顔を背けたまま口を尖らせていた。

カザリンは苦手だ。

それは嫌悪する相手という意味ではなく、相対する者の出来不出来に関係なく上に立つ者的に相手に接する、その態度が苦手だった。

もっと言えばカザリンの前に生徒は平等であり悩める生徒の良き理解者として君臨する聖人君主ぶりがカチューシャの性格とはフィットしなかった。

 それにリエタやオセニより同級生として知っている分だけ相手の本当の要求はわかっていた。

おそらく呼び出ての公式な謝罪というのはお茶を飲んでの座談会で、懲罰とは新しいタイプの制服についての意見交換、または自分に着せてみたい程度の事。

それに付き合った後に、おまけとして予算の話しをするぐらいなのはわかっていた。

本当はそんな程度の話しで全てを水に流してしまうカザリン。

だから頃合いを見て、友達付き合いぐらいしてやろうと考えていたカチューシャだったが、今回に限ってここまで突っ込んだ行動で自分を呼び立てる事に苛立ちはマックスになっていた。

 手をついて作業台に地震を起こしたリエタに向かってT字定規の断罪が振り落とされる。

刀のように真っ直ぐに、机を叩いたその後、カチューシャは口から牙を剥いて怒鳴った。

 

「うるさいわね!! カザリンに会うぐらいがなんだってのよ!! 会わなきゃ生徒の要求がわからないようなら、そんな生徒会長なんか粛正してやるわ!!」

 

 突然の激高はリエタにもオセニにも、刃向かう言葉を発する時を与えていなかった。

高い作業台に添わせた階段型のイスから飛び降りると真っ直ぐ開かれたままになっていたドアに向かって歩く。

 

「今から!! 会ってやるわよ!!」

「しゅ……粛正するんですか……」

「粛正してやるわよ、あいつのねじ曲がった会見要求ごと全部!! ノンナ!! 行くわよ!!」

 

 素早い足で目の前を走って部屋を出るカチューシャの言葉に、リエタもオセニも震え上がっていた。

震えながらも必死の手がカチューシャの腕に縋っていた。

 

「お願いです、あの、粛正なんてしないで……話し合いをしてください……お願いです……」

「話し合いという粛正をするのよ!!」

「いえぁああ、その話し合いだけにはならないものでしょうか?」

「じゃあ話し合いを置いておいて、粛正だけにしてやるわ」

「置いておく方が違いますぅぅぅぅ!!!」

 

 雷帝の怒りは神速の行動に走っている。

手を伸ばし縋る二人を振り払い、ドアを飛び出していくカチューシャ。その後ろをいつの間にか控えていたノンナが付いていく。

 

「まっ待ってください!! あの……」

「コート、どう?」

 

 リエタとオセニは二人してドアに走って挟まっていた。

間抜けな事に二人してドアから飛び出そうとして。

冷静で居られない事態を巻き起こしたマリーニャの言葉に心は心棒の部分から振り回されて嵐のまっただ中にいたが、ここにはもっと大きな雷鳴を伴うストームが待っていた。

切り返して粛正に向かうと走るカチューシャの姿に、挟まったまま身動き出来ずに呆然としている顔にノンナはもう一度聞いた。

 

「コート、暖かい?」

「はい……暖かいです……」

「そう、良かった」

「……良かったって……あの……」

 

 切迫している二人の前で、クルービューティーは瞬きもしない目で小さく良しと頷くと、駈けていく主の後に従っていた。

残された二人はドアの前でへたり込んでいた。

事態はフル回転で周り過ぎて頭がついて行かなくなっていた。

ただ話し合いをして欲しいという嘆願をしただけなのに、まさか粛正に出かけられるなど思いもよらなかったし……どうしてそんな事になってしまったのかなど、今更考えようもなかった。

力無く項垂れた二人は顔を合わせると、下がった眉の同じ顔を見て余計に疲労を増し、そのまましな垂れどちらとも無く言った。

 

「教室……行こうか……」

 

 

 

 

 

 ノンナを従えて玄関を飛び出し、一直線に冬宮に向かうカチューシャを確認したマリーニャは大笑いをしていた。

ここまでを確認する必要があったのと。

ここまで自分の策が必中する愉快さに、戦車がある倉庫の影で笑っていた。

 

「やっぱりただのバカだわ、そうやって猪のごとく生徒会にたてつくがいいわ。礼儀知らずで、所作の道を理解しない粗暴である所を存分に見せてくれたらいいわ。そうして……私達生徒会に罰せられ、権限剥奪を受けるが良いわ」

 

 乗り付けてきた馬を横にマリーニャは自分の胸を抱えて誇らしく感じていた。

カチューシャが飛び出した所を確認できた今、急ぐ事はない。冬宮の側で簡単に入室できないようにする手は打ってある。

そこでさらにカチューシャが怒りをぶちまけてくれれば儲けものという話しだった。

無礼者には、その無礼に見合った罰を与えられると。

 白い息を弾ませた声、自分の張った策謀の糸が十分に張り詰めている事に紅潮する頬。

カザリンは優しすぎる。優しすぎるから口では予算を削るなどと言うが実行はしない。

今までどおりの支給が行われる事は決まっていた。

プラウダ高校に来た生徒が生き生きとした活動を続けられるのならば、多少の事には目をつむってしまう程の大きな器でもある。

そもそも今回の事も全国大会連覇という重荷を背負うカチューシャに、心身共に大きな負担がかかっているのではないかという心配に端を発していた。

大会に集中するためにも生徒会が上にたち、戦車道を統括する事でもっと自由に活動が出来る方が望ましいのではという程に……だから風紀委員の仕事を肩代わりし、持ち出し車両の採決を許した。

いつだって生徒の事を考えているカザリン。

小言に文句を言っても相手を知って許してしまうカザリンの心を、マリーニャは独自の理解を働かせていた。

相手の優しさを知っていて、無理難題を通し、なのに生徒会の要請を無視するカチューシャが許せなかった。

負けても結果報告をきちんとカザリンを前に……してほしかった。

だから、そんなカザリンの気持ちを徹底的に逆撫でするような行動をカチューシャが取れば……その時は心優しき生徒会長を慕う建築工学科の者は元より、全生徒の前で処断を下す事が出来ると、それにより問題の種である者を粛正でき生徒会運営をよりスムーズに出来る。

 

「権限剥奪ってなんですか?」

 

 一人悦に入り携帯で冬宮に状況確認をしていたマリーニャに声をかけたのはジマーだった。

姉妹達と別れ、作業着を着込んでKV-2の修理をしていた所でマリーニャを見つけたのだ。

 

「……カチューシャ隊長の不名誉除隊という事よ」

 

 マリーニャは真ん丸な目で自分を見ているスス汚れたジマーに、感情の通わない棒読みな返事をした。

 

「……どうしてそんな事をするんですか?」

 

 不名誉除隊。プラウダ高校戦車道歴代隊長の名に連ねる事を許さないという発言にジマーの眉をしかめた。

 

「無礼だからよ、あんた達全員。生徒会長に対して感謝の心もなく、大会に出て負けて帰って来て反省もしない。そんな無礼者には罰が必要でしょ」

「罰……罰って、じゃあグラジュダーニンの事も戦車の事もカチューシャ隊長を解任するための……そのための嫌がらせだったんですか!!」

「そうよ!!!」

 

 張り上げた声を突き刺すような甲高くも棘の硬い声。

マリーニャは大きく首を右に傾げると、罰に対して非難の顔を見せるジマーに詰め寄った。

 

「嫌がらせとはずいぶんな口の聞き方ね。あんた達はね、ちょっとばかりプラウダの名を挙げたという功績に鼻をかけ、生徒会長をないがしろにする無法者なのよ。指定以外のその制服も、あの戦車に付いている校章モドキも止めて欲しいのよ。あんた達だけの学校じゃないのよ!! 迷惑しているのよ。指示が聞けないような道科の分際で戦車が治したいから予算を出せ? 話し合いをしようとする手を引っぱたいて無視して、そういう隊長を頂いてそれを良しとしてダラダラ過ごしているあんた達が許せないのよ!!」

「ダラダラなんて……ちゃんと訓練してます。一生懸命やってます!!」

「はぁ? 金食い虫の我が儘道科……一生懸命の結果で負けたの? あんな無様な試合をしたの?」

 

 何時もは理詰めで話す冷静なマリーニャが、白い息を燃えるハートの熱を放射するように吐く姿にジマーは後づさりしてしまった。

何かを言い返せる雰囲気はまったくなくり、冷たい風に自分達の置かれた状況が、戦車道の仲間が思っている以上に悪くなっている事だけを理解した。

言葉の力でジマーを追い詰めるマリーニャ。ジマーの体は揺れて、倉庫の壁にもたれて唇を噛んだ。

 

「私達だって頑張ったけど勝てなくて……学校にも期待してくれた生徒会長さんや生徒のみんなにも申し訳無いと……でも私達だって……悔しい思いを……」

「悔しい? 悔しいのはこっちの方よ。戦車道のせいでプラウダ高校はまたも名を落としたわ、息抜きしてわざと負けたのでしょ」

 

 思わぬ良いように、下がり続けた体を起こしジマーは言い逆らった。

わざと負けるなんて、そんな事はあってはならない事。

そんな気概で戦車にのっていないと、口をへの字に曲げてマリーニャの鼻先に顔を合わせた。

 

「そっただこと、わざと負けるなんて!! そっただことしませんよ!!」

「いいえわざとよね、だってあんた達姉妹は大洗女子を閉じ込めた後、踊ってたでしょ。焚き火してコサックダンスして、余裕見せて、相手に逆手取られて……それで負けたのよ。あんた達は弱い犬のくせにカチューシャの威を借りて吠えただけ、ただの負け犬は生徒会のする事に口出しをしないでよね」

 

 自分より背の高い相手を、マリーニャの糸目はいつも以上に鋭く尖ったナイフにして斬り上げていた。

押し殺したジマーの声と感情を滅多刺しにして顎を上げた。

 

「黙ってなさいよ、愚か者」

 

 強い楔にジマーは立っていられず、水に濡れた段ボールのようにペタリと座り込んだ。

呆然と下を見て、落とした顔から流れる涙の粒をマリーニャは確認して、後に何も言葉をかけずにそのまま冬宮に向かって歩きだした。

 ジマーを言論で叩きのめした顔は少し暗く、薄い唇を噛んで心を抑えていたが風に煽られ乱れた髪を押さえると、帰路の元近づいてくる冬宮に忠誠を立てるように言った。

 

「私は女帝を護るオフラーナ、汚れ役ならいくらでも買う。貴女のために……貴女の無償の愛を踏みにじる者を許さない」

 

 そして残されたジマーは大泣きしていた。

 

「わたし達だって……勝ちたかったさ……わざとなんてそっただこと……絶対に負けたくなかったさ……」

 

 吹く風の下で、決裂の大きな亀裂は姿を現していた。

 




人物の過去は多少必要だけど、ちょっと長い気がするのです。
次回で終わりたいです、ドーンと終わりたいです。ただせっかく愉快なイワン達なので……別の話も作りたいとも思ったりしてます。


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