ダンジョンに潜るのは意外と楽しい (荒島)
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01

どうやら迷子になったらしい。


ねぇ少年、と声をかけられた時それがまさか自分の事だなんて思わなかった。

23歳の社会人を少年と呼ぶ人はまずいない。

何となくそっちに視線を向けたのも偶然だった。

だから、自分を見つめる大きな瞳と目があった時に固まってしまったのは無理ないことだろう。

 

「え?それ俺のこと言ってる?」

「そうとも!少年、ファミリアに興味はないかい?」

「……何だって?」

 

そこでようやく声をかけてきたのがまだ幼い少女だという事に気が付いた。

黒髪ツインテールに露出度の高い白のワンピースを着ている。

コスプレだろうか、と首を傾げながら珍妙な状況に辟易した。

 

「悪いけど、今それどころじゃないんだ。変な宗教の勧誘だったら、ごめんな無理です」

「へ、変な宗教とはひどい言い草だね!?そりゃあ新興ファミリアかもしれないけど……ボクだって立派な神様なんだよ!!」

「……神様?何が?」

「このボクだよ!神、ヘスティアさ」

 

変なのに引っかかったな、というのが素直な感想だった。

身の丈に合わない豊満な胸を張る彼女を見て乳神だとは思うけれど、言っていることはそういうことじゃないだろう。

 

「いや俺、神様とか信じてないんで」

「目の前にいるのに!?」

「あのさ、自称神様とか言ってると碌な大人になんないぞ、これ年上からの忠告な」

 

慈愛に満ちた表情でそう言えば、ヘスティアと名乗る少女はガーン!とショックを受けたように固まっていた。

 

「君、ボクが神様だって信じていないね!?」

「普通信じないだろ、酒池肉林でもくれたらそりゃあ崇めるけどさ」

「そ、それは無理だけど……そうだ少年!君は何か困りごとをしていたね、悩みを聞かせてはくれないかい?迷える子羊を助けるのも神の務めさ!!」

「遠慮します」

「即答!?そう言わないでおくれ。純粋に助けになれるかもしれないじゃないか」

 

宗教勧誘の一環じゃないだろうな、と疑いつつもヘスティアの気張る顔を見ているとそんな気も薄れてしまうのだから不思議だ。

言うだけならタダか、と1つため息を吐くと口を開いた。

 

「……迷子なんだ」

「本当かい?ちなみに人生の迷子だったらボクの手におえないよ?」

「違えし。東京を歩いてたつもりだったんだけど、いつの間にかこんな所来ちゃってさ……ここ何処?」

「トウキョウ?という場所は知らないけど、ここは迷宮都市オラリオだよ」

「……どこそれ?」

「だからこの街だよ!君もダンジョン攻略しに来た冒険者志望じゃないのかい。だからボクも声をかけたんだけど」

 

目をパチパチとさせて首を傾げるヘスティアだったが、パチパチしたいのはこっちの方だった。

次々と出てくる知らない単語に思わず眉間を抑える。

そもそも日本なのかここは、と思い至って辺りを注意深く観察してみる。

コスプレ集団、獣耳の生えた商人、知らない文字、ピンク髪の少女、本物にしか見えない剣を腰に下げた男性。

 

……本当に何処だ、ここ。

 

気付いてしまった。

日本どころか地球ですらない可能性に。

思わず思い切り頬を殴りつけるも、目の奥で散った火花が夢ではないことを伝えてくる。

……夢ならばよかったのに。

 

「ど、どうしたんだい!?いきなり自分を殴ったりなんかして!?」

「ごめん前言撤回する……俺、人生の迷子になった」

「本当にどうしたんだい!?」

「とりあえず職を探さねば俺は明日を迎えられない……」

「怖いよ!!」

 

フラフラとハロワを探しに行こうとすると、ヘスティアが腕を掴んで引き留めてくる。

 

「放せ!俺をニートにする気か!!」

「何だか錯乱しているし、君みたいな危うい子を行かせる訳にはいくもんか!」

 

ヘスティアとの力比べをしながら、ふと疑問に思う。

いくらなんでもこんなに小さな少女の腕力を成人男性が振りほどけないものだろうか、と。

ふと目を向けた窓に1人の少年が映っていた。

黒髪の中学生くらいに見える東洋人の少年だ。

少女に引っ張られながら抵抗している姿にどこか既視感を覚える。

特にその顔は幼き日の自分そっくりだ。

 

というか『俺』だった。

 

「……ぇ?」

「うん?何だか固まっちゃったみたいだけど……チャーンス」

 

あまりの光景に混乱してヘスティアの声が全く頭に入ってこない。

 

「あ!そこの君、ファミリアを探しているのかい?」

「え?あ、あの……」

「うちのファミリアにおいでよ!ついでにこの子を運ぶのを手伝っておくれ」

 

いつの間にか白髪の少年も加わり、どこかに運ばれている気もするが現実逃避した意識は戻らない。

 

「……え、ここ何処?」

「ようこそヘスティアファミリアへ!!」

 

結果として、気が付いた時にはヘスティアの根城たるボロ教会の中にいた。

得意げな笑みを前にしながら俺は自称神様の話をポカンと聞くのだった。

 




初めまして、よろしくお願いします。
処女作なので良かったらご意見、ご感想などお待ちしてます(*Ü*)ノ"


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02

お気に入り登録、本当にありがとうございますm(._.)m


「ベル・クラネルです!よろしくお願いします!!」

「金田……じゃないや、イット・カネダです。とりあえず拉致してくれやがってどうもありがとう」

「ぅえっ!?いやでもあれは神様が」

 

拉致から数刻経ったボロ教会にて。

投げた皮肉に慌てふためくベルの言い訳が部屋に響いていた。

世間知らずな少年2人とでも思ったのか、ヘスティアの迷宮都市オラリオとそれに関する説明を受けた所だ。

 

そして得たのはどうやら異世界的な所に来たのだという確信だった。

しかもゲームのようなファンタジー世界。

ダンジョン、ギルド、ステイタス、魔法、レベル、パーティの存在。

大筋の仕組みは見知ったものばかりで、昔やったRPGのシステムを思い出すような内容だった。

 

逆に自身についての情報はほとんどない。

分かっている事と言えば『中学生程度に若返っている事』『所持品ゼロ』『今晩の寝床なし』という最悪の3コンボだった。

 

「ファミリアに入ればいいじゃないか!」

 

馬鹿正直に自分の境遇をいう訳にもいかず、身寄りも金もない僻地から来た世間知らずと説明すれば、ヘスティアは満面の笑みでそう言った。

 

「そうは言うけどさぁ」

「ファミリアになる。つまりボクの眷族になってくれるなら、ボクが身寄りになってあげるよ!もし冒険者になるなら手助けだってしてあげられるしね!!」

「冒険者になれば稼ぎも入りますし、この街じゃそれで生活している人も沢山いますよ?」

 

先ほどファミリアになったベルもそう口を挟んでくる。

確かに身寄りのない人間が生活するには、どこかに身を寄せるしかない。

そういう点で言えば、ファミリアに入るという選択肢は『あり』だ。

 

……ただ、ベルの横でワクワクとこちらを見る自称神様に頼るのは非常に癪な話であった。

彼女が本物の神様だという事は、ベルの入信の儀式を見ていれば理解できる。

しかし、あのニマニマした少女の思い通りになることが……いや、しかし……

 

「ぐっ……よろしく、おねがいします……」

「そんなに嫌がる事ないじゃないか!?でもそう言ってくれてボクは嬉しいよ、イット君」

 

ファミリア2人目だよ!ベル君!と騒ぐ少女を見て、早まったかとも思ったが成るように成るのが運命だ。

ファミリアになって受けられる神の恩恵というものは、どこでも同じらしいので特にこだわりもない。

拾ってくれた恩を返すくらいの人間は出来ているつもりだった。

 

 

 

イット・カネダ

Lv.1

力:I…59

耐久:I…63

器用:I…51

敏捷:I…37

魔力:I…0

《魔法》

【】

《スキル》

【超超回復(カプレ・リナータ)】

・早く治る

・受けた傷以上に回復する

・傷が深いほど上昇値は大きい

 

 

 

「僕、才能ないのかなぁ……」

「いや、才能というか単に運じゃねえの?仕組み分かんねえけど」

 

落ち込む少年は面倒くさい。

俺と自分のステイタスの写しを見比べて肩を落とすベルを見て、俺は頭を掻いた。

背中に厳つい刺青みたいなものを入れ、神の恩恵を頂戴したものの、2つの示されたステイタスには大きな違いが1つあった。

 

スキル【超超回復(カプレ・リナータ)】

 

その文字を見つけ、羨ましがったり落ち込んだりする様子は面白かったが長引けば鬱陶しい。

文字が読めないからと、ベルに代読を頼んだのが良くなかったのかもしれない。

 

「ま!これからは『ツイてる男』とでも呼んでくれ、ベル君よ」

「しかもアビリティ数値も僕より高いし……」

「無視かい……まぁ多分俺の方が年上だし殴り合いすること多かったから、そこは気にしないでいいんじゃねえの?」

「な、殴り合いって……ここに来る前どんなことしてたの!!?」

「ま、色々とな」

 

思わせぶりにニヤリと笑う。

尤も、響きは悪いが学生時代にボクシング部で汗を流していただけだが。

ボクシングで通じるか不安だったからそう言ったが、格闘技の方が良かったかもしれない。

 

「しっかしラッキーだ」

 

あまり実感は湧かないが、スキル発現はレアなことらしい。

自分の中にそんなものが出来たと言われても奇妙な感じだが、不満はない。

貰えるものは貰う主義だし、レアという響きは大好きだ。

ヘスティアでない、幸運を与えてくれた神様に感謝すべきなのだろう……俺は無神論者だけども。

 

何よりも、元の世界に帰る為に役立つなら大歓迎に決まっている。

 

目を閉じて、ヘスティアとの会話を思い出す。

ベルと説明を受けている中で、1つの質問を投げかけたのだ。

 

『他の世界を渡る方法について?イット君は天界に興味があるのかい?』

『天界っていうか、また別の世界?単純な疑問なんだけどさ、下界に来れるなら別の世界も行けるんじゃないか?って』

『天界と下界を行き来することはどの神にも可能だよ。あ、他の世界となると特別な力を持った神じゃないと無理じゃないかな?』

『その神に聞きたい事あるんだけど、こっち来てっかな?』

『さぁ?ボクも面識なかったからよく分からないよ。でもこっちに来たのは暇神達だから、娯楽に飽きてないうちは天界にいるんじゃないかな?』

 

天界の神とコンタクトを取るにはどうすればいいのか?という問いに、ヘスティアはシンプルな答えを口にした。

 

――『名前』を高めればいい。向こうに見つけてもらうのさ。

 

「気になるところはあるけど、回復系スキルかな?良かったじゃないか!イット君!」

 

そんな嬉しそうな声に目を開ける。

ベルの横でニコニコと笑うヘスティアの顔がそこにはあった。

 

「日頃の行いが良かったからだな、きっと」

「ふふん、このボクに感謝してもいいんだぜ?」

「ヘスっち関係ないだろ」

「ぐぬぬ、あだ名呼びとは……神を神とも思わない言動許すまじ……!少しはベル君をみならったらどうなんだい!!」

「まぁまぁ神様」

 

頬を膨らませるヘスティアをベルがなだめる。

本当に神様なんだろうか、とその姿をジト目で見ながら俺は自分のスキルについて思い浮かべながら顎に手を当てる。

「超超回復」という名前から察するに、単なる回復系スキルじゃないだろう。

考えが正しいのならば……多分、俺は本当に幸運だ。

なんなら神様の頬にキスしてもいいくらいに。

 

「ヘスっち、ダンジョンって何処にあるっけ?」

「へ?外に見える高い塔の下だけど……どうしてだい?」

「ん。少し冷やかしに行こうと思って」

「……は?」

 

呆けるヘスティアにニヤリと笑う。

 

この世界で『名前』を高める一番シンプルな方法。

神様達がご執心な『冒険者』って奴らを少し見てくる事にしよう。

 

 

 

 

 

「神様?」

 

ベルは思わずと言ったように、声を掛けた。

軽装のまま歩き出したイットの背中を見て、ヘスティアは僅かな疑念の色を顔に滲ませている。

 

「さっきイット君のステイタス、勝手に動いた気がしたけど……気のせいだよね」

 

去っていく背中を見ながら、彼女はそう呟いた。

 



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03

冷たい空気、薄暗い世界。

時折、ボゥと発光するヒカリゴケを横目に粛々と歩を進める。

金属の擦れる音、岩肌を踏む足音。鋭敏になった耳は様々な音を拾い集める。

慣れない防具や剣に苦労する自分のため息も、当然耳に届いた。

 

「……おかしい」

 

どうしてこうなった?そう言わざるを得ない。

そこはダンジョン5階層という明らかに場違いな世界だった。

間違ってもダンジョン素人が潜ってもいい階層ではないのだが、これには深い訳がある。

それを要約するならば、原因はただ1つ。

前を歩く1人のおっさんにあった。

 

「おうおう!どうした坊主ぅ、へばってんのかぁ!?だらしねえ奴だな」

 

大斧を担いだドワーフ族のおっさん。

何の因果か、この階層まで引っ張ってきたおせっかい焼きの冒険者だ。

ギルトを冷やかしに来た俺の事を冒険者デビューの若者と勘違いし、大いに盛り上がった挙句、あれよあれよという間にここまで連れて来られていた。

冒険者登録も、ギルド支給の装備申請も、臨時パーティーもいつの間にか全部終えている早業に身動きが出来なかった。

 

自称、初心者に優しいドルフマン様。

何ともありがた迷惑なおっさんである。

酒の匂いがかすかにするのは気のせいだと思いたい……酔っ払いのとばっちりだなんて悲しすぎる。

 

「つーか、どこまで行く気っすか?俺、あんまり奥まで行きたくないんだけど」

「おうおう!何弱気なこと言ってんだ、坊主!冒険しないで何が冒険者だぁ!!今日は限界まで潜るぞ!!」

「いやいや、初心者なんだからもっとケアって!もうモンスター何匹も倒したし、手解き終了でいいんじゃない?というかありがとうございました!!」

「普段ワシは20階層まで潜っとる。この程度、屁でもないわ!!」

「おっさん基準で考えるな!言っとくけど、剣握るのすら初めてだかんな!!」

 

口ぶりから察するに結構、出来る冒険者なのかもしれない。

筋骨隆々といった肉体に、肩に担いだ大斧。

蓄えたひげも相まって、なかなかの貫録を見せつけている。

腕は確かなのかもしれない。しかしその分、相手を気遣う心配りは決定的に欠けているようだった。

 

「おう!そうかい。なら、坊主の得意なもん言ってみな。正直、お前さんに剣の才能これっぽっちもねえわい」

「……俺、頑張ってたのに……いま超ブルーになった」

「んあ?どこも青くなんかねえわい。何を意味分かんねえこと言っとるんだ。ほれ、とっとと言え」

「……武器なんて何も持ったことねえよ。戦った経験だって殴り合いしかねえし」

「ほほぉ、拳士だったか!ステゴロたぁ男じゃねえか!!」

 

ボクシングの話な。

ルールありの格闘技の話な。

間違ってもモンスター相手の話ではない。

しかし、何やらしきりにうなずくおっさんの様子に訂正の言葉を入れることが出来なかった。

 

「なら剣は邪魔だったな」

「は?」

 

思わず振り返るも、その顔は真剣そのものだった。

 

「……え、剣手放せとか馬鹿だろ。おっさん」

「男ってのは1つの獲物を使い続けて、磨かれてくもんだ!ワシの一存で汚しちまう訳にもいかねえ!!」

「嘘だろぉっ!!?」

 

文句を言う間もなく剣をぶん取られてしまう。

本気だろうか?地味に体にも傷、結構負ってるんだけれど……。

そう思いながらチラリと腕を見れば、防具の隙間には幾本かの傷が走っている。

モンスターとのやり取りで付けられた切り傷だ。剣で受けられなかった攻撃が、傷として体に刻まれているのだ。

 

しかし、それらの血はすべて止まっていた。

傷を負って10分もしないうちに血は止まり、薄っすらと薄皮が張り始めている。

スキル「超超回復」の恩恵だった。

自然治癒力の強化を行っているようだ。尋常ではない回復力に我ながら驚いたのは仕方ないだろう。

 

しかし、あくまで応急処置の域を出ない。回復量はあまり頼りになりそうにない事を俺はここに来るまでで察していた。

それに考えが正しければ、このスキルの本質はこれではない。

 

(まぁ、ここじゃそれも確認できないけれど……)

 

しかし、このスキルのせいでおっさんにまだ余裕があると思われているのは問題だった。

傷は治りつつあるとはいえ、簡単に傷は開くし、痛みで精神は疲弊していくのだ。

次の戦闘を終えたら、無理にでも帰った方がいいかもしてない。

そう心に決めた瞬間、目の前に1つの影が飛び出してくる。

 

コボルトだ。

犬頭のモンスターが進行方向を塞ぐように迫ってくる。

 

「危なくなったら助けてやる。とっとと男見せてこい!!」

 

おっさんはそう声を上げると、後ろに下がりながら顎でコボルトを指し示す。

やはり1人でやれとご所望のようだ……やるしかない、か。

 

空いた両手を握りしめて、口元に構える。

ガントレットの重みと軋む音は慣れないけれど、久しぶりに取るボクシングスタイルだった。

構えは万全とは言えないものの、時間の流れを感じさせないしっくりさを与えてくる。

しかし、その反面俺の胸中は不安でいっぱいだった。

 

目の前のモンスターに殺されること?いや、違う。

不安なのは自分のボクシングがなす術もなく、叩き潰されることだ。

俺の拳が剣たり得ないと否定される未来が俺は怖かったのだ。

 

コボルトが声を上げると同時に飛びかかってくる。

考える暇なく、体は自然と前に蹴りだされた。

 

「グガッ!?」

 

かい潜るように爪を躱すと、そのままボディに一発。

返す拳でもう一発叩き込むと、そのまま伸びるように拳を突き上げた。

 

「ぅらぁっっ!!!!」

 

パァンと弾けるようにコボルトの首から上が消える。

人間の筋力では捻りだせない衝撃が、拳から繰り出される。

予想外の威力に心底ビビりながら、俺はそのまま魔石を残して消える姿を見つめた。

そうして、安堵の息をゆっくりと吐く――

 

「坊主っ!!!」

 

――事は許されなかった。

 

「ふんっ!!!」

 

体を回して、腕を振るう。

バカンと固いものがぶつかり合う快音が辺りに響く。

岩陰から飛び出してきた別のコボルトに合わせる形でなんとか、拳を叩き込んだ。

カウンター気味に決まったストレートはそのまま犬頭を打ちぬくと、コボルトの姿を魔石に変えたのだった。

 

「あぶなっ」

 

何とか間に合ったけれど、冷や汗をかいてしまう。

荒い息が口から漏れる。

そのまま深呼吸するように大きく吸い込むと、満ち足りたような気持ちが俺を包んだ。

 

(拳でモンスターを倒せることが出来た)

 

その事が嬉しい。嬉しかった。

俺の拳は、鍛え上げたボクシングは身を守る剣になることが出来るのだと、証明できたのだから。

もちろんそれが神の恩恵あっての事だとは気付いている。

反射神経が間に合った時に、自分がステイタスによってどれほど身体能力が引き上げられているか気が付いた。

体は中学生程度まで戻っているというのに、現役時代より数段動きが良い。

 

このまま鍛え続けば超人的な能力を得てしまうのも夢ではないかもしれない。

その事を理解した俺は、思わずブルリと震えた。

明確すぎる強さの証。

その道筋が示されたことに元格闘家として武者震いが抑えられなかった。

 

(スゲエなぁ、まったく)

 

遠い昔、夢見ていたものがある。

漫画の中でしか見る事が出来なかった心踊る存在。

 

『最強の男』

 

昔の思いがむくむくと頭をもたげるのを感じる。

強くなろう、この世界で。

『名前』が天界まで届くように。

昔のような『後悔』を繰り返さないためにも。

そして『あの人』と果たせなかった約束を、この世界で叶えるために。

驚きで目を丸くしているおっさんに俺はもっと潜ろうと告げる為に口を開いた。



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04

お気に入り登録、感想本当にありがとうございます!


女神ヘスティアにとって本日は記念すべき日だった。

何せ念願のファミリアが2人も出来たのだから。

ベル・クラネルとイット・カネダ。愛すべき2人の眷族だ。

可愛げのない眷族もいたが、ヘスティアにとって初めてとなる大切な子供たちだった……のだが。

 

「わり、遅くなっちった」

 

頭を掻きながら、そう謝罪する黒髪の少年を前にヘスティアは怒っていた。

聞けばダンジョン素人のはずが、初日で7階層まで潜ったというのだから。

上位冒険者らしい者も同伴したとは言え、危険極まりない行為だ。

こめかみをヒクつかせながら、ヘスティアは愛すべき眷属に笑いかける。

 

「おかしいなぁ、ボクは潜らず少し様子を見てくるだけって聞いたんだけど?」

「いやぁ、成り行きでこんなことに。はっはっは、悪い!」

「成り行きで済ませようとしないでおくれ!ボクは怒っているんだ!こんなに傷だらけになって、どうしたらこんな風になるんだい?」

「……まぁ、成り行きで」

「イット君。ボクはね、怒っている以上に心配しているんだ。せっかく出来たファミリアを初日で失う羽目になるなんて真っ平ごめんだからね」

「……うん、調子に乗り過ぎた所があったのは認める。悪かったよ」

 

頭を下げるイットの頭をヘスティアはポンポンと叩いた。

 

「許すけど、次からは心配かけさせないでおくれよ?」

「善処します」

「イット君?」

「ヘスっち顔こわっ!?それよりステイタス更新頼んでいいか?少し気になる事があるんだ」

 

話を逸らされた気もするが、イットの言葉にヘスティアは首を傾げる。

神の恩恵を得た者は経験値を積むと、主神によるステイタス更新を経て、そのアビリティの熟練度を上昇させることが出来る。

まだ低階層で半日潜った程度の経験値で何が気になったのだろうと思いながら、ヘスティアはその提案を受けるのだった。

 

 

イット・カネダ

Lv.1

力:I59→I93

耐久:H63→G132

器用:I51→I61

敏捷:I37→I66

魔力:I0→I0

《魔法》

【】

《スキル》

【超超回復(カプレ・リナータ)】

・早く治る

・受けた傷以上に回復する

・傷が深いほど上昇値は大きい

 

 

目を疑った。『2つ』の意味で。

少なくとも冒険者初日に見る熟練度の上昇値ではない。

特に耐久の上昇値は飛び抜けている。ランクの低さから、熟練度が上がりやすい事を差し引いてもこの伸びは異常だった。

何をしたのか、とヘスティアが口を開く前にイットはニヤリと笑って見せた。

 

「どういう事だい?これ」

「その前にステイタス教えてくれよ」

 

催促されて、ヘスティアはステイタスを読み上げる。

イットは聞き進める中で少し訝しげな表情を滲ませた所もあったが、その顔は始終笑顔だ。

 

「スキルの恩恵だ。【超超回復】は多分、受けた傷とかに比例して熟練度が上がるスキルだ。」

 

ヘスティアにはさっぱり分からなかったが曰く、人間の体は鍛えられる時に超回復という現象が起きているらしい。

運動をして傷ついた筋繊維は治る時に勢いあまって『元の状態より太く強く』なる。

それが超回復と呼ばれる現象だとか。

 

「同じ事がアビリティで起きてるんだ、きっと。器用さは特性上、そんなに上がらないんだろうなぁ」

 

嬉しそうに言うイット対して、ヘスティアの表情は曇ったままだ。

 

「……ねぇ、イット君。君は今日、誰か他の神に会ったかい?」

「うん?いや、誰も。そもそも神様の見分け方すらよく分かんねえけど。何で?」

「いや、ちょっと気になっただけさ」

 

伝えるべきだろうか、とヘスティアは躊躇する。

イットのステイタスが『既に更新されていた』ことを。

数巡、考え込まれた頭はやがてゆっくり左右に振られた。

 

「もし誰か他のファミリアの神にいちゃもんつけられたら、真っ先にボクに言うんだよ?分かったね?」

「何だよ、急に?ヘスっち、俺のオカンか」

「いいから。分かったね、イット君?」

「んー。何だかよく分からないけど、分かった。神様関連の問題はヘスっちに言うよ」

「ならいいんだ!特にロキっていう無乳に喧嘩売られたらすぐ言うんだよ?ボクがギッタンギッタンにしてやるんだから!!」

「……ヘスっちさ実は名字、剛田っていうだろ?」

 

(もし他の神に目を付けられているのなら、ボクが守ってあげよう)

 

ファミリアになったからには自分が必ず子を守る。

 

自分にとって2人しかいない眷族にヘスティアはそう思う。

何か隠しているようだし、子供扱いしてくる困った子だけれども、ヘスティアにとってイットは大切な家族だ。

想いは強く、表情に表れる。

イットを見守る眼差しはまるで母のような慈愛に満ちた色を湛えていた。

 

「そういやベルはどこ行った?見かけないけど」

「ベル君には買い出しに行ってもらっているんだ。今晩のご飯買ってないからね」

「なるほどね、晩飯は何だろ?俺、肉料理食べてえなぁ」

「え゛……お、お肉かい?」

 

ヘスティアの変化は劇的だった。

キョドキョドとして、その目線はあちこちをぐるぐる回っている。

聖母のような雰囲気は既にかけらも存在していなかった。

その挙動不審さにツインテールがピョコピョコと揺れる様はかわいらしくもあったが、イットの目は疑わしげに細められた。

 

「……何でヘスっち冷や汗かいてんの?」

「い、いや何でもないとも!なななんでそんなこと聞くんだい!?」

「……そう言えば聞きたかったんだけど、何でこんなボロイ教会に住んでんの?神様ってくらいなんだから、もっといい所住んでると思っていたんだけどさ」

「そそそその質問がどうしたっていうんだい!!」

 

最高潮に慌てふためくヘスティアにイットはボソリと呟く。

 

「ヘスっちもしかして貧乏神か?」

「ぐっはぁーー!!!!」

 

吐血しながらヘスティアの体が崩れ落ちる。

貧乏神、まさに心を抉るような禁忌のワードであった。

違う違うんだぁ、とうわ言のように繰り替えすもイットの耳には届いていないようだ。

 

「何だか変だなとは思ってたんだ。住んでるとこはこんなんだし、物がなさすぎだし」

「うぅー!!下界じゃ神だってほとんど人と同じなんだ!貧しい神だっているともさ!」

「うわぁー。この駄神、開き直りやがった」

「駄神っていうんじゃない!君こそ、もし金持ちのファミリアだったらヒモみたいな生活を目論んでいたクチなんじゃないのかい!!」

「あ、それもいいな。俺タダ飯大好き人間だし、そんな生活も憧れるよなぁ」

「ボクのこと言えないじゃないか!!」

 

自分が友人の神の下でヒモ同然の生活をしていたことを棚に上げて、ヘスティアは叫ぶ。

ハハハと笑うイットにヘスティアは頬を膨らませて顔を赤くした。

気にしてなかったけれども主神に対してもっと敬う心を持って欲しい、と強く思う。

そう例えばベル君のような、とヘスティアが続けようとした時、元気な声が飛び込んできた。

 

「神様ぁー!!ただいま帰りました!!」

「ベル君!嗚呼、ボクの心の癒しよ!!」

「おい待て。何か当てつけ入ってねえ?」

「ど、どどどどうしたんですか一体!?」

 

ヘスティアに飛びつかれて顔を赤くしているベルに、イットは気にするなと手を振る。

そして、その視線をベルの手元の袋に向けると口を開いた。

 

「それ晩飯?」

「うん、市場のおかみさんがおまけしてくれたからいっぱいあるよ!」

 

嬉しそうに袋を漁るベルに釣られるようにイットの表情にも期待の色が浮かぶ。

しかし、その中身がお披露目されるとその表情は一転、落胆の色に染まった。

 

「ベル……なにそれ?」

「え、何ってジャガイモだけどイットは知らないの?」

「いや、ジャガイモは知ってるけどよ……それだけ?」

 

袋から出てくるのはジャガイモ一色。

タンパク質が圧倒的に足りない素材にイットの顔色もどんどん悪くなっていく。

ヘスティアの貧乏具合を見誤っていたことに気が付いたからである。

 

「蒸しイモにして食べましょう神様!塩も買ってきました!!」

「でかしたベル君!今日は2人の歓迎会も兼ねているからね、盛大にジャガイモパーティーだ!!」

「嬉しいです神様!!」

「……いや、何だよジャガイモパーティって」

 

一人ツッコむイットの声だけが空しく消えていく。

農民出身のベルはともかく、イットにとってその光景は違和感しかなかった。

豊かな食文化出身の人間には、その晩餐会はあまりといえばあまりなものなのだろう。

一人、外に出ようとするイットに目ざとくヘスティアが声を掛けた。

 

「うん?イット君、どこに行くんだい?ジャガイモパーティ先に始めちゃうぜ?」

「そうだよ、イットもジャガイモ蒸すの一緒にやろう?」

「あー、うん。えっとだな、ジャガイモパーティーはまた今度にして今日は外で食べないか?」

 

その提案にヘスティアは腕で大きくバツを作る。

 

「残念だけど、そんなお金はうちにはないのさ」

「やっぱ、入るファミリア間違えたかな……あーもうっ!今日は俺の奢りだ!野郎ども外に繰り出すぞ!!!」

「え、でもイット君昼に一文無しだって」

「ふふん、ひれ伏せ愚民ども」

「そ、それは……!!」

 

ドヤ顔で取り出された手に握られていたのは硬貨の入った皮袋、およそ2000ヴァリス。

3人が食って飲むには十分すぎる金額だった。

 

「ど、どうしたのそれ!?」

「ベルは知らなかったか、実は今日成り行きでダンジョンに潜ったんよ。その稼ぎ」

「えぇ!?そういえば何だか少しボロボロなような」

「ボクは良い眷族を持って幸せ者だよ!」

「熱い掌返しだな!だが許そう!ほら、外行くぞ」

 

パンパンと手を叩いくとイットは2人を教会の外に連れ出す。

わいわいと賑やかな声を残して、3人の新興ファミリアは夜の街へと消えていくのだった。



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05

日間加点ランキング入りしました!
皆様、どうもありがとうございます!


「よー『死にたがり』、元気か?」

 

ヘスティア・ファミリアに身を置いて、1週間が経過しようとしている。

生活はすっかりダンジョン中心に一変していた。

 

「のっけから皮肉っすか?そんな顔しないで下さいよ、綺麗な顔が台無しっすよ?」

「担当職員の忠告を再三無視するような不良冒険者にはこれでも甘いくらいだよ、馬鹿」

 

ギルドのカウンター越しに1人の女性職員が座っている。

キツイ目つきの妙齢の女性だ。

いや、眼つきだけでなく態度もキツイ。

一週間の付き合いになるものの、彼女の態度はずっとこんな感じだった。

 

「や、カリーヌさん。これには海よりも深い事情があるんですって」

「防具があるとはいえ、素手でダンジョンに潜る事情がどこにあるってんだ!アホか」

「まぁまぁ何だかんだ生きてるんだからいいじゃないっすか」

「ちなみに今、何階層だ?」

「8階層です」

「ただの自殺志願者だな、まったく……」

 

カリーヌさんは疲れたように頬杖をつく。

その姿に少し申し訳なく思うけれど、説明したところでこれまで以上に止められるだけだろう。

ははは、と頬を掻きながらも一応言い訳してみる。

 

「そっちの方が効率がいいんですって。ほら俺、武器の才能ないみたいだし」

「ドルフマンの奴もそうは言ってたがな、正直あいつの言う事は信用ならん。根拠が何一つないからな」

「おっさんは根性論大好きっすもんね」

「お・ま・えも大概だよ、カネダ」

 

こっちはちゃんと根拠あっての話だと言いたいけれど、向けられた怒りの眼差しに思わず黙る。

カリーヌさんは美人で人気のギルド職員だが、いかんせん怖い。

眼つきだけなら下手な冒険者では太刀打ちできない強さを彼女からはいつも感じるのだ。

 

「いいか?私はな、自分の担当した冒険者には死んで欲しくないんだ」

「それは承知してます」

「ならキチンとそれらしい行動をしろ。ギルド内で明日死ぬ奴No.1候補だってこと忘れるな?エイナじゃないが『冒険者は冒険するな』。勇敢と無謀の意味をはき違えるなよ」

「分かってますって。でも、ちゃんと理由があるんです。そのうちちゃんと話しますから」

「……お前はいつだってそうやって逃げる。ったく、今日はもういい。ベル坊も待ってんだろ?」

「うぃっす。じゃ失礼します」

「とっとと去れ、馬鹿」

 

また怒られてしまった、と頭を掻きながらギルドのカウンターを後にする。

適当に煙に巻いているけれど、正論なだけに耳が痛い。

何よりも本気で心配してくれるカリーヌさんに対して良心が痛かった。

 

しかし止めるつもりはない。

超インファイトで自分を危険に晒すことが【超超回復】を最大限に活用するスタイルだ。

ハイリスクハイリターン、という言葉が頭をよぎる。

しかしそれでも、自分はボクシングを止めるつもりはないのだ。

 

待っていたベルに駆け寄ると、彼は苦笑するように手を上げた。

 

「もう終わったの?またカリーヌさんに怒られてたみたいだけど」

「今日の所は解放してくれたよ……ま、悪いのこっちなんだけどさ」

 

誤魔化すように笑うと、ベルはため息交じりにこっちを見返してくる。

 

「イットも何か武器持てばいいのに。僕より筋力あるんだし、大剣なんてどう?」

「ロマンあるけど、やっぱり殴る方がいいや。耐久どんどん上がっていくし、何よりそっちのがロマンだ」

「やっぱり理由は熟練上げなんだね。いいなぁ、僕も何かスキルが発現すればいいのに」

「ベルってたまにスルーするよな……ま、ベルならすぐに発現するさ」

 

もし本当の意味での神様がいたとして、良い奴にはそれ相応の良いことをしてやるはずだ。

自分が神様だったなら、そうしている。

だから女の子好きでお人よしな彼にはきっといい事がある、とそう信じたい。

 

 

「あ、今日も潜るの付き合ってもらってありがとね」

「別に付き合ってるわけじゃないから気にすんな。俺もゴブリンのドロップアイテム集めなきゃいけないんだし」

「ゴブリンかぁ、最初は怖かったな」

「今大丈夫なら問題ないさ。とりあえず今日は2階層まで潜るぞ」

「うん」

 

頷くベルと共に、ダンジョンに向かう光景も見慣れたものになってきた。

ダンジョン中心に一変した生活を自分は案外、楽しんでいるのかもしれない。

 

 

 

 

イット・カネダ

Lv.1

力:I93→F312

耐久:H32→D546

器用:I61→H151

敏捷:I66→G240

魔力:I0→I0

《魔法》

【】

《スキル》

【超超回復(カプレ・リナータ)】

・早く治る

・受けた傷以上に回復する

・傷が深いほど上昇値は大きい

 

 

 

 

「超、アンバランス」

 

自分のステイタスを聞かされ、そう呟く。

耐久値と器用値の開きが400近いとは誰が想像できるだろうか。

言うまでもなく【超超回復】の影響だったが、それでも耐久値の伸びが凄まじい。

ゲーム的に考えるなら、立派なタンクとして活躍できるだろう。

 

「ま、それで十分ありがたいけどさぁ……ベルの方は大丈夫か?」

「すっかり寝ているよ。まだダンジョンに潜る事になれていないんだ、疲れたんだろうね」

 

ヘスティアはベルを膝枕しながら、髪を梳く。

可愛くて仕方ないのだろう、まるで子供のようにまっすぐで純粋なベルのことがヘスティアはお気に入りだった。

 

「今日はゴブリンの群れに襲われたからなぁ、ベルも頑張ってたよ」

「何だって!?ベル君はまだ冒険者5日目なんだから、気を付けてくれよイット君!!」

「俺も1週間目だし大丈夫大丈夫。3階層にちょっとだけ足踏み入れただけだよ」

「……2人揃ってボクは余計不安になったよ」

 

少しヒヤリとした場面もあったが、今日も何もなく切り抜けることが出来た。

ベル・クラネルという少年は順調に一歩一歩確実に成長している。

この分なら彼の夢を叶えることも、そのうち出来るだろう。

 

そう『ダンジョンで女の子を颯爽と助け、恋に落ちる』ことを。

 

「くくくっ」

「うん?何がおかしいんだい?」

「いや、思い出し笑い」

「うん?変なイット君だね」

 

怪訝な顔をするヘスティアには分かるまい。

ロマンを求めるのは男の性なのだ。

恋愛にしろ、地位にしろ、生き様にしろ。男は誰にでも何か1つにロマンを感じるものがあるのだ。

そういう意味で彼の夢には共感できるのが、正直なところだった。

 

「じゃ、ベル送り届けたしそろそろ行くわ」

「ドルフマンの所だね、晩御飯はいらないんだろう?」

「おう。おっさん、何か大切な話があるとか言うけど、何だろうな?」

「さぁ?なんだろうね……はっ!別のファミリアへの引き抜きだったら、断ってくれよイット君!!君はベル君のお目付け役としてまだまだ必要なんだ!!」

「ひどいなぁ、おい」

 

冗談だとは思うけれど、ベル関連だとあながち冗談だとは言い切れない部分がヘスティアの怖いところである。

……俺の存在意義、それだけじゃないよな?

 

「ともあれ大事な用件らしいし、行ってくる」

「気を付けて行ってくるんだよ」

「おう、行ってきます」

 




1週間経って進展したもの。


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閑話01

1週間で進展しなかったもの
シリアス風味


イット・カネダの居場所はここではない。

そんな事を思ってしまったのはいつだっただろうか?

まだ会って1週間しか経たないのに、記憶は少し朧げだ。

 

「神様?」

 

ハッとヘスティアは自分を呼ぶ声に我に返った。

視線を落とせば、ベルが薄目を開けてこちらを見上げている。

状況が理解できていないのだろう、ボンヤリとした眼差しは焦点を結ぶと大きく見開かれた。

 

「わっ!僕なんでこんな所に!?す、すみません神様」

「疲れていたみたいだからね。気にしないでおくれよ、ベル君」

「い、いえ!……?神様、なんか疲れてませんか?」

 

身を起こしたベルは神妙な顔でそう言う。

何を馬鹿な、と言おうとしてじっと見つめる赤い瞳に口を噤んでしまう。

 

「1週間で神様には本当によくしてもらいました。悩みがあるなら、僕にも相談してみて下さい。僕で良かったら助けになりたいんです」

「いや、ベル君に気を使ってもらうほどの事じゃ……」

「神様、イットに対して何か変ですよ」

 

ズバリ、懸念の種を言い当てられてしまいヘスティアは思わず目を瞬いた。

 

「イットが危ない事してるのに素っ気ないというか……本当は心配してるのに口に出せないでいるというか……」

 

そう見えてしまうのか、と困り顔で思わず頬を掻く。

自覚はあった。

イットに対して距離を取りあぐねている事に。

しかし悟らせぬように、明るく振舞っていたつもりだったのは自分だけなのかもしれない。

 

「そうかもしれないね……ボクはイット君とどう接していいのかよく分からないんだ」

「そうですか?神様ならそんな事ないと思ってました」

「ボクが怖がりだからっていうだけなんだけれどね。多分、あの子の家族になれないことがボクは怖いんだ」

 

意味が分からなかったのか、首を傾げるベルにヘスティアは微笑む。

彼には分からないだろう、と思う。

帰る場所もなく、1人でこの街にやって来たベルにとってヘスティア・ファミリアは『ホーム』だ。

ヘスティアはそれが嬉しくて、愛しくてたまらない。

自分が欲しかった『家族』に彼はなってくれたのだから。

 

しかし、イットは違う。

彼には帰る場所がある気がする。

そして、いつかこの場所を離れてしまうつもりなのだろう。

語ってくれないけれど、見ていれば分かる。

彼の『ホーム』はここではないのだ。

 

「イット君はね、頼ってくれないんだよ。心配してもヘラヘラして煙に巻くし。泣き言や愚痴をこぼさない。何でもできて当然って顔している……そんな人間いるはずないのにさ」

「神様……」

「多分、ボクは信じてもらえていないんだ」

 

初めて下界に降りてきて、初めてファミリアを得た。

安心できる場所が出来始めたけれど、同時に臆病になっている。

中途半端な繋がりを不安に思っている自分がいることにヘスティアは気が付いている。

自然と伏し目がちになってしまう。

 

「そんな事ないですよ!!」

 

だが、ベルの声はヘスティアの顔を自然と上げさせた。

 

「イットだって、神様のこと信じてるに決まってるじゃないですか!じゃなかったら1週間も神様と一緒にいるはずないですよ!!」

「……そうかな?」

「この前、神様がアルバイトを始めた時も大笑いながら凄い人だって言ってましたよ。仮にも不自由なく暮らしていた奴が簡単に出来ることじゃないって。頼りなくなんて思ってませんよ、僕もイットも!」

 

それは理由になっていないよ、と笑ってしまうけどその言葉は素直にありがたかった。

どこに眷族に背中を押してもらう神様がいるのだろうか、と自嘲しながらもヘスティアはこんな関係が嫌いじゃなかった。

 

そしてイットとも、イット・カネダという眷族とも、そういう関係になれたらいいと素直に思える。

 

「……うん、こんな情けない姿を見せていられないね!すまなかった、ベル君!!ボクはもう大丈夫だよ」

「いえ!でも、そうやって笑っている方がずっと神様らしいです」

 

少しごちゃごちゃ考えていたのかもしれない。

何を細々と考えていたのだろうか、自分に出来ることを最大限やっていくのがヘスティアと言う女神だったはずだ。

 

彼が頼りに来るのを待つんじゃない、頼らせてやるんだ。

それまでは彼の背中をずっと押し続けてあげよう……きっと彼は嫌がるだろうけれど。

 

そう思うと自然と笑みがこぼれる。

 

「ベル君!ちょっとイット君のことで相談があるんだけど、聞いてもらえないかい?」

「もちろんです!!」

 

満面の笑みでヘスティアはそう言う。

いつもの輝きを放つ眩しい神様にベルも大きく頷いてみせた。




甘えてくれる手のかかる子供は猫可愛がるけど、甘えてくれない手のかからない子供はどうしたらいいのか分からないヘスティア母さん。

p.s. 日間ランキング入りありがとうございます!


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06

街の西に伸びるメインストリート、そこに面した『豊穣の女主人』という酒場はいつも賑わっている。

扉を開ければ飛び込んで来るのは騒がしい声と、酒気、そして荒くれども達の姿だ。

 

「おうおう、坊主こっちだ!遅えから先に始めちまったぜ」

 

その中でも一際大きな体躯を揺すって、おっさんは杯を高々と掲げていた。

近付いてみればテーブルには既に空になった物が転がっており、肩を叩かれながら引き寄せられればその顔からは酒の匂いがした。

 

「うっわ、酒臭!おっさんどんだけ空けてんだよ」

「んっぷはぁ〜!ドワーフの男を舐めんな!こんくらいで潰れる程、ヤワじゃねえ!!姉ちゃん、もう一杯だ!!」

「飲み比べしてんじゃねえんだから、ゆっくり飲めばいいのに……」

 

席に着いて、ついでに自分の飲み物と料理を注文する。

キンキンに冷えたビールもあるかと思ったが、困ったような笑みと共に首を振られる。

……いや、分かってはいたけどね?

冷たい生ビールの味を恋しく思いながら、出された果実酒で喉を潤す。

 

「ていうか、大事な話があるから来たんだけどこんなんで大丈夫?」

「んあ?おうおう、そうじゃった!ちょっと待ってな、坊主に会わせたい奴がいっからよ」

 

どこかへ向かっていくおっさんの背中を目で追いながら、思わず首を傾げる。

この1週間で出来た交友関係はあまり広くない。

ヘスティア、ベル、おっさん、カリーヌさん、少し顔馴染みになった道具屋などの店員を合わせても10人行くかくらいだろう。

そんな奴に会わせたいとはどんな人間なのか、と行く末を見守っているとおっさんは1つのテーブルで足を止めた。

 

「レベッカ!やっぱりいたか、この不良娘。ちょっと紹介したい奴がおるからこっち来い!」

「はぁ!?何いきなり、っちょっと引っ張らないでよ!!」

 

見ている先で、むんずと細い腕を掴むと帰ってくる。

何だか1人の女の子を引きずっているようにも見えるが、きっと錯覚だろう。

しかし悲しかな、テーブルにおっさんが戻ってきた時には1人知らない顔が増えていた。

 

「……なぁ、おっさん。やっぱ酔ってるんだって、他の席の子に絡むなよ」

「ドワーフの戦士が酔っぱってたまるかぁ!!!」

「声でけえ!分かった!分かったよ、酔っぱらってないから、どうどう……で、この子はどちらさんで?」

 

問答無用で拉致られてきた外跳ねショートカットの少女は唸りながらおっさんを睨んでいる。

この体よりも少し年上に見える勝気そうなヒューマンだった。

年上といっても高校生くらいに見えるので、素の精神年齢的には可愛いものだ。

2人の接点が全く見えないけれど、顔見知りなのだろうか?と窺うようにおっさんの顔を見やる。

 

「義理の娘だ」

「あ、そうなんすね……え、義理の娘?」

「ほんっっと不本意だけどね」

「レベッカっつうんだ、こいつ。ほれ、挨拶せんか挨拶」

「勝手に話進めないでよ!!」

 

血の繋がりがないとは言え、本当に似ない2人である。

目尻を吊り上げる様はどちらかといえばカリーヌさんを思い出す。

 

……どこかにお淑やか女子はいないもんかね。

 

そんなことを思いながら、とりなすように右手を差し出す。

 

「まぁ、一応よろしく。俺、イット・カネダっていうんだ」

「レベッカよ。名前聞いた事あるわ、噂の『死にたがり』君でしょ?駆け出しの癖に武器なしで潜ってる命知らずがいるって」

「いやぁ、そっちの方がやり易くてさぁ」

「……アンタ、噂通りの考えなしみたいね」

 

握り返されず手持ち無沙汰な右手をプラプラさせる。

ツレない人だ。

しかし、名前は知られていたのは幸いだった。

どうやら、いい意味ではないようだけれども。

 

チラリとおっさんに目を向けて話を促す。

それに気が付くとおっさんは大きく頷きながら、樽のような杯を置いた。

 

「今日集まってもらったのは他でもねえ、坊主にレベッカについて頼みがあっからだ」

「え、俺?何でまた彼女が?」

「まだまだ駆け出しだが、こいつは鎧鍛冶師やっててな。専属鍛冶師じゃねえが、練習台になる奴探してんだ」

「へぇー」

 

一見、普通の女の子に見えるレベッカが鍛冶という力仕事をしているのは意外だった。

確かによく見れば、腕は細いながらも筋肉質なしまった腕をしておりアスリートのような雰囲気をしている。

そんな風に何となく見ていると、その不満げな目がこちらを向く。

 

「アタシ何も聞いてないんだけど……でもこの人、すぐ死ぬんじゃない?アタシ不安なんだけど?」

「安心しろ!今時珍しく男を見せるぞ、坊主は!!そう簡単にはくたばらねえ目をしてる!!!」

「相変わらずよく言ってる意味が分かんないけど……父さんが言うならまあ平気でしょ」

 

肩を竦めるレベッカだが、肩を竦めたいのはこっちの方だ。

あまりの物言いに本人が此処にいるのを忘れているのではないだろうかと一瞬錯覚してしまった。

 

「何?つまりテスター探してるってこと?」

「そうよ。アタシの試作の鎧を着て潜ってもらう代わりに格安で鎧作ってあげるわ。ギブアンドテイクよ」

「鎧か……フットワークが鈍るからあんま着けないんだよなぁ」

「何それ?モンスター殴るんだから接近戦でしょ?死ぬわよ、アンタ」

「諸事情があんだよ、色々と」

 

胡散臭げな眼差しに鼻を鳴らすと、それでも彼女は納得したようだった。

 

「ま、いいわ。どうせ部分ずつ試してもらうつもりだったし。それより何かリクエストある?前金代わりに割引で作ってあげてもいいわよ?」

「えー、俺が駆け出しで金ないの知ってんだろ」

「貧乏人。でもまぁツケでいいわ。テスター引き受けてもらったし」

「おぉ君いい奴だなぁ……頼むぜ、レベッカ」

 

稼ぎが少ないので、懐はいつだって寂しい。

しみじみと言えば、利子つきだからねと彼女は歯を見せて笑った。

 

「じゃあガントレットが欲しいかなぁ。今までみたいな薄いのじゃなくて、殴る為の分厚いやつ。なるべく握りは柔らかい感じで」

「今まで安物の薄い手甲で殴ってたのが驚きよ……どんな耐久してんの」

「耐久だけはそこそこあるぜ」

 

ステイタスを見せたらどんな顔するだろうか、なんて思いながら注文を口にする。

 

「おっけーよ。細かい調整は抜きにして、大体分かったわ」

「おう、本当助かる。ありがとな」

「ギブアンドテイクって言ったでしょ、立場は対等なの。遠慮はいらないわ」

「じゃあ出来るだけ割引しといてとかお願いするのは……」

「必要以上はビタ一文まけないから」

「ですよねぇ」

 

知ってた。言ってみただけだ。

肩を竦めると、呆れたような眼差しが返ってくる。

 

「ただ、アンタの戦い方知らないから一度みたいわね。素手で殴る事に特化した奴なんて中々いないし」

「じゃあ一緒に潜るか?歓迎するけど?」

「戦闘力ないから無理。どっかで素振りみせてくれるだけでいいわ」

「お安い御用だよ、それじゃあ……」

 

と、そこまで言った時だった。

 

「泥棒だ!てめっ、待て!!おいっ!!」

 

俄かに店内が騒がしくなる。

 

バタンと扉が開く音と共に逃げ出す人影が微かに見えた。

どうやら冒険者の荷物から何かを抜き取ってバレたらしい。

ついでに食い逃げもしたようだ。

店の女主人が青筋を立てるのを見ながら、俺は思い付いたとばかりにレベッカを振り向いた。

 

「素振りよりも、実際に戦ってるの見る方がいいだろ?」

「え?そりゃそうだけど……」

「あれ相手でもいいか?」

 

立ち上がりながら、扉の方を指差す。

 

「いいけど…….何する気?」

「ちょっとボコしてくる」

 

そう言うと、答えを聞く前に駆け出した。




なんか凄いランキング上がってて恐ろしい…
皆さん本当にありがとうございます


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07

 

「まだいるなっ」

 

外へは一番乗りだった。

 

大通りに飛び出した時、まだ遠くにない背中を見つけるとすぐさま腕を振りかぶる。

店の手近にあった空の杯をオーバースローで投擲すれば、吸い込まれるようにその後頭部に命中した。

 

「100点!!」

 

思わずガッツポーズを取りながら、そのまま駆けだす。

完全に不意打ちだったのだろうか、足をもつれさせて倒れ込む相手はまだ頭を抑えて動かない。

道行く人が何事かと視線を寄越してくるけれども、事情を説明するよりも早く手の中の包みをもぎ取り返した。

 

ほっ、と安堵の息を1つ。

 

「確かに返してもらったぞ」

 

ムクリと起き上がる影にそう声をかけると、思ったよりもその身長が小さいことに気が付いた。

何故気付かなかったのかと思うほど、今まで見た誰よりも小さい。

被っていたフードの下から睨みつけるような眼差しがこちらを射抜いた。

 

「返してください」

 

幼い、女の子の声だ。

ダークブラウンの瞳が、柔らかそうな髪の間から覗いている。

思わぬ犯人の正体に息を飲んでしまうが、そんな事は今は関係のないことだった。

 

「馬鹿言えよ。盗んだのそっちだろ?」

「……向こうが盗んだんです」

「本当かよ?疑わしいなぁ」

 

まぁ間違いなく嘘だろうな、と思いながら包みをもてあそぶ。

中身は金属の類のようだけれど、何だろうか?

ふと気になりながら感触を確かめていたが、その輪郭に少し眉をひそめた。

 

「何だこれ?」

 

短剣、だろうか?それにしては妙な形状をしている。

刃だけが大きい不格好さは斬るには全く向いていない。

しかし刃があり、柄がある感触は間違いなく短剣だった。

 

「こんなもん盗もうとするなんて危ない奴だな、まったく」

「っ!本当にアイツに巻き上げられたんです!今日、力づくで奪われて……!!」

 

軽口に返ってくる少女の必死な声に思わず目を瞬いた。

もし演技だったなら迫真ものだが、どこか悲痛な声に確信が揺らぐ気がする。

 

「冒険者なんかに……っ」

 

ポツリ、と食いしばるように呟かれた声が喧噪に紛れるように聞こえた。

どういう意味だろうか?

憎しみすら籠った言葉に問い返す前に、後ろから足音が近づいた。

 

「おい!俺の荷物はどこにある!!!」

 

荷物を盗まれた本人だろう、少し年配の冒険者が駆け寄ってくる。

こちらの手の中にある短剣らしき包みを見つけて、安堵の息を吐くところを見ると大事な物だったようだ。

しかし焦った顔のまま、乱暴に手を伸ばす彼に俺は思わず身を引いた。

 

ギロリ、と睨まれる。

 

「……何故、渡さねえ?テメエも盗みの片棒担いでたってことか?」

「いや?ただ、押しつけがましいようだけどさ。取り戻してあげたんだから礼くらい言ったってバチ当たんないと思うんすけど?」

「テメエの勝手な行動に何で礼を言わなきゃなんねえ?荷物が戻ってきて俺はラッキーだった、それだけの話だ」

 

あまりの言動に思わず頬がヒクリと動くのを禁じ得ない。

礼と謝罪の出来ない人間は好きではない……いや、むしろ嫌いだ。

それでも表情筋を抑えながら、比較的温和に言葉を紡いだ。

 

「何かさ、そこの子が自分の物だって言ってんだけど。俺はこれをアンタに返していいんだよな?」

「当たり前ぇだろうが!テメエは盗人の肩を持つのか!?」

 

男の怒鳴り声が通りに響く。

いつの間にか周りには野次馬が集まっていた。

 

(確かにそれが正論なんだけどさ……)

 

普通、盗んだ側が本当の持ち主だなんて事がある筈もない。

根拠なんてどこにもない、心象のみでの疑惑の念。

それに、この男が気の短い自己中心的な礼儀知らずなだけかもしれない。

 

しかし『理屈』じゃない。

この気分、何と言うか……

 

「……気に食わねえなぁ」

 

この男が何を焦っているのか?

何故、これに固執しているのか?

なんでこの子がこんなに悲痛そうなのか?

 

モヤモヤとした淡いいくつもの疑問は、胸の中でくすぶっている。

何だか怪しい、とただそう感じる。

 

「いいから早くそれを渡せ!!」

「分かったよ。ただ返す前に1つ質問いいか?」

「訳の分かんねえことをグダグダと、いいから渡せ!!」

「気になるんだ。間違ってたら土下座しながら返してやるから、答えてくれよ」

 

訝しげに眉間に皺を寄せる男に、口を開く。

 

「この短剣の銘を聞いていいか?」

「銘?」

「様子を見るにさぞかし素晴らしい剣なんだろう?知りたいんだよ、持ち主なら知ってるだろ?」

 

問いかけるように男を見るが、しばらく返事がない。

迷っているような、考えているような、渋い表情を浮かべている。

 

「……ただの安物だ、大層な銘なんてねえよ」

 

唸るように男が言った直後、背後から声が上がる。

 

「……知ってますよ。魔剣『ターフル・シュベット』、柄に銘が彫ってあります」

「なっ、黙れこのガキ!!」

 

少女の言葉を聞いた瞬間、手元の包みを解く。

白い布の隙間から剥き出しの赤い刀身が顔を覗かせた。

言われた柄に注視すれば『ターフル・シュベット』の文字……多分。

発音くらいなら何とか読めるようになった程度なので怪しいが、決定だろう。

 

1つ頷く。

 

「嬢ちゃん、返すわ」

「何してやがる、テメエ!!」

 

血相を変える男を無視して、少女に短剣を返す。

驚いた表情を浮かべる手に押し付けると、バツが悪くなって頬を掻いた。

 

「お前の言う通りだった。悪かったな、物投げつけちゃってさ」

「い、いえ……!?危ない!!」

 

少女の声に安心させるように笑みを返す。

 

分かっていたとも、警戒心だけはバリ3だったのだから。

風の流れを感じて、振り返り様に拳を繰り出す。

眼前に迫っていた男の一撃をカチ上げると、そのまま後ろに下がった。

 

「危ねえな、何すんだよ?」

「テメエふざけんな!何故盗人に俺の魔剣を渡す!?」

「アンタが知らなかった事を、彼女が知ってた。本当は持ち主がこっちだって思うのは理に適ってると思うけど?」

「生意気言ってんじゃねえ!返せ!!」

 

男が腰から棍棒を抜いた事で周りからどよめきが上がる。

何人かが取り押さえようと動き出すが、その前に待ったをかけた。

 

「悪いけど、俺に任せてくれよ。タイマンでケリつける……レベッカ!見てるか!!」

「大声上げないでよ、恥ずかしい……見てるわよ」

「ならよし。よく見とけ……これが俺の戦い方だ」

 

長く息を吐きながら、構えを取る。

 

『ピーカブースタイル』

時代遅れと言われ、流行らなくなってしまったが学生時代に最も愛用した構え。

世界を最高に熱くさせた男の構えだ。

口元を覆うように拳を置くと、隙アリとでもいうように男が動いた。

 

棍棒が風を引きちぎりながら、迫ってくる。

半身で避けて、そのままレバーに一発。

骨が軋んだ音が聞こえるが、男は呻くも意に介さない。冒険者のタフネスは尋常ではない。

刺突、振り下ろし、薙ぎ払い。変幻自在な棍棒捌きは、少し厄介だ。

速く、そして重い一撃を皮膚が削りながらも避け続ける。

 

「防戦!一方か!糞デカい口叩いた割に大したことねえじゃねえか!!」

「言ったな?見てろ、最高の一撃お見舞いしてやる」

 

肩を狙う棍棒をわざと受けて、首で押さえつける。

痛みで顔を歪めながら、驚く男にニヤリと笑いかけた。

 

筋肉が唸る。すくい上げるような一撃。

足腰、腕のしなり、伸ばしきった右腕の先で爆発する衝撃。

トラックがぶつかったような異音がした。

バカン!とおよそ人体が出さない音を上げて男の体が吹っ飛ぶ。

数メートルの滞空の後、地面を削って倒れ込んだ顎は恐らく割れただろう。

 

手に残る衝撃を振り払いながら、立ち上がらない男の姿を見つめた。

 

「どんなもんよ」

 

男からの答えはない。

代わりに、周りの観衆からはワッ!と声が上がった。

その中でもとりわけ大きく響く笑い声には聞き覚えがある……否、聞き覚えしかない。

野次馬の壁を割るようにぬっと顔を出したのは、予想通りおっさんだった。

 

「がっはっはっは!!いいもんを見た!男はやっぱりぶつかり合いの中で輝くもんだ!!」

「声デケェ……おっさんも見てたのか」

「面白そうなことやっとるからついつい見ちまったわい。あの男、Lv.1だが中々の腕だったらしいぞ。1週間で偉く腕を上げたもんだな、坊主!!」

「そりゃ、俺も頑張ってますから」

 

肩を叩かれながら、引きつった表情でそう答える。

おっさんは上機嫌に叩かれているだけかもしれないが肩がビリビリと痺れるのだ。

あまりの力に人をうっかり殺してないだろうか、と心配してしまうのも無理はない。

 

ドスンドスンと肩を叩かれ続けて苦笑いを浮かべていると、おっさんの陰に立つレベッカの呆れたような視線に気がついた。

 

「何だよ?ちゃんと勝ったぞ?」

「……アンタ、あれモンスター相手にもやってんの?防御姿勢も取らないで?本当、噂以上の馬鹿」

「いや、あれくらいだったら防がないでも大丈夫そうだったし」

「だからって実行するのが馬鹿だって言ってるの。相手のステイタスも分からないのに」

 

……確かに、と少し冷や汗をかく。

終わった後だったから良かったものの、少し不用意過ぎたと思う。

 

「ま、まぁ終わりよければ全てよしって言うし、次からは気を付けるからさ」

「本当?死なないでよ?アンタ、私のテスターなんだから」

「分かってるって……っと、そう言えば」

 

1人、忘れていた存在がいることにそこで気が付く。

小さい女の子を探して振り返れば、そこには誰もいなかった。

 

「……あれ?」

「あぁ、そこの子?何かさっき帰っちゃったわよ?」

「見てたなら言えよ!」

 

がっくりと肩を落とす。何だか拍子抜けだ。

短剣は持ち主に返ったようなのでいいとしても、尋ねたいこともあったのだが……

この街にいるのならまた会うかもしれないか、と思う他ないだろう。

 

「用件は済んだか!!すぐに坊主の健闘を祈って飲み直すぞぉ!!」

「おっさん飲みたいだけだろ!……そういや自分で殴っといてあれだけど、あの人どうしようか?医者呼んどく?」

「放っといていいんじゃない?喧嘩なんて日常茶飯事でしょ?勝手に何とかなるわよ」

「マジか……この街おっかないな……」

 

ガヤガヤと賑やかな通りを反転して、店へと向かう。

アルコールを飲んで動いたからか、背中がやけに熱かった。

冷たいものでも飲んで体を冷やしたい気分だ。

 

「あ」

 

そこで思い出す……正確には戸口でこっちを睨む女主人の姿を見て思い出した。

 

(そういやあの子、食い逃げもしてた気がする……)

 

逃がしたことに加えて、店の杯をダメにした俺への怒りの眼差しもその視線には含まれているだろう。

助けを求めるようにおっさんの方を向けば、静かに顔を逸らされた。

いつもの豪快さはどこへ行った!と叫びたいが、我慢してレベッカの方に顔を向ける。

 

「とりあえず、弁償はしときなさいよ?」

「……だよなぁ」

 

ロリだからって優しくするんじゃなかった、と後悔する。

次会った時は文句を言ってやろうと思いながら、懐から財布を取り出した。

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

光の届かない薄暗い路地裏、そこで小さな少女は荒く息を吐いた。

被っていたフードを取り払うと、変身魔法を解く。

そして、手の中の魔剣をしっかりと握りしめると苦い顔をして呟いた。

 

「冒険者なんか……嫌いです」

 




今回、少しオリジナル要素が多くなってしまいました。
少し強引にまとめましたが、いかがでしたか?不評でしたら直しとておきます。

『ピーカブースタイル』ははじめの一歩でお馴染みのスタイルです。マイク・タイソンで有名ですね。
マイク・タイソンの動画は血が熱くなること必至なので是非オススメしときます!

p.s.昨日ランキング1位に載ってしまいました…
ご感想、ご意見、評価も頂いて、皆さんに見てもらえて本当に嬉しいです。
ありがとうございます!


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08

肩を掠った刃が汗を飛ばした。

身を捻る中それを感じながら、ラッシュを叩き込む。

ジャブはほぼ必要ない、全て強打でぶつける事がこの場所でのボクシングの掟だ。

揺らぐ体にフックを入れると、ウォーシャドウは霧散するように弾け飛んだ。

 

「あ」

 

その散り様に少しだけ不満を覚えてしまう。

後続のパンチは出番を迎えることなく、静かに下ろされた。

 

ダンジョン6階。普段より幾分か深くに1人で潜ったのはこのモンスターに会いに来たからだった。

全身が黒い人型のモンスター、160cmほどの大きさで3本の指先に刃が生えている事を除けばほとんど人と変わりない姿だ。

 

ダンジョンで出会うのはほとんど小さいか、四足歩行のモンスターばかりだったので本来のボクシングの勘を忘れそうになってやって来たのだが……いかんせん、耐久力がない。

 

「また探さないとなぁ……」

 

どっかりと座り込んで、腰から水筒を取り出す。

ダンジョンの壁から生まれるというモンスターだが、その周期は不定期だ。

闇雲に動き回って体力を消耗するのも得策ではない。

何より最近、運動すると背中を中心に体が火照りやすいのだ……背中の刺青みたいな部分から菌入ったりしていないだろうか、と一瞬心配になる。

コンディション管理はボクサーの必須項目だし勘弁してほしい、と喉を潤しながら考える。

 

(しかし、そろそろ物足りなくなってきたな…)

 

ステイタス的に見ても多分、適正階層は次のステップに行けるだろう。

ベルには悪いがスキルの恩恵と言うものはかなり大きいらしい、つくづく自分は幸運だったのだと思う。

 

 

 

イット・カネダ

Lv.1

力:F312→D507

耐久:D546→C686

器用:H151→G260

敏捷:G240→E435

魔力:I0→I0

《魔法》

【】

《スキル》

【超超回復(カプレ・リナータ)】

・早く治る

・受けた傷以上に回復する

・傷が深いほど上昇値は大きい

 

 

相変わらず器用が飛びぬけて伸び悩んでいるが、ヘスティア曰くその器用さも普通より伸びは早い方らしい。

他の3項目、特に耐久が異常に突出している影響であまり目立っていないだけなのかもしれない。

一般的な冒険者のステイタスを知らないので、あまり詳しいことは分からないけれども……。

何故だか分からないが、最近ベルは自分のステイタス値を教えてくれなくなったのだ。

見せるほどのものでもないから、とわたわたしながら手を振っていたのを思い出す……ケチんぼめ。

 

「そろそろベル達に合流する時間だし、次で上がるかな」

 

水筒を仕舞い込みながら、そう呟く。

何やらベルとヘスティアでこそこそしているらしく、1人で潜った後は地上で合流する手はずになっている。

太陽の位置は分からないが、そろそろ昼になっている頃だった。

勢いをつけて立ち上がると体が固まってしまったのか、ポキポキと骨が鳴る音がした。

さて続きをしますか、と辺りを見渡すとゾロゾロとたくさんの冒険者が移動していく様が目に入った。

どこかのファミリアの遠征だろうか?あまり世情に詳しくないので、どこのファミリアかは知らないがかなりの規模を誇る所だろう。

 

その中にいる金髪の少女とふと目があった。

 

(あんな子までいるのか……)

 

明らかに細腕だが、神の恩恵を受けた人間は見た目にそぐわぬ戦闘力を有する。

もしかしたら彼女も凄い強者なのかもしれない。

一手ご教授お願いしたなら受けてくれるだろうか、とボンヤリと考えていると視界の隅で壁が盛り上がっているのを見つける。

 

「お、いたいた」

 

ウォーシャドウだ。

首を回しながら筋肉を解すと、向こうの体制が整うのを待ってから殴りかかった。

ファミリアの行進の事はすっかり頭から消えていた。

 

 

 

 

 

 

「イット君、君また勝手に潜っていたね!あんまり無茶し続けているとボクは柄にもなく落ち込んでしまうよ!」

「まぁまぁ神様、イットも多分本当に無茶はしないですって……しないよね?」

「……多分」

「イット!?」

 

ちょうど正午頃だろうか、アモールの広場で合流すると頬を膨らましたヘスティアがそこにいた。

行くところがある、とだけ伝えて出てきたことを怒っているのかもしれない。

ヘスティアは以前に比べて過保護になったというか……なんか絡み方がウザくなった。

 

『お帰りイット君!怪我はないかい?疲れただろう、横になって寛ぐといいよ!』

『件のレベッカという女は信用できるんだろうね?騙されてないかボクは不安だよ』

『そうだ、イット君!今日の晩御飯はジャガ丸くんを貰ってきたんだ!おっと心配しないでおくれ、塩嫌いなイット君の為にあんこ入りもあるぜ』

 

お前は構いたがりな母親か、と言いたい。

それに塩が嫌いなわけでなく質素過ぎる食事が耐えられないだけだ……あんこはまぁまぁ美味かったけれども。

何が彼女を変えたかはさっぱり見当もつかないが、誰かに何かを吹き込まれたのだろう。

とりあえず悪影響が出ている訳ではないので静観することにしている。

 

「それで?2人で何かこそこそやってたの教えてくれる気になったってこと?」

「え、ば、バレてたのかい?」

「そりゃあ、あれだけベルと内緒話してたら気付くだろうさ」

「す、すみません神様ぁ。僕がもっとしっかりしてれば……」

「いいんだベル君、君に落ち度はないよ……あるとしてば全ては神様たるボクの責任さ」

「いや、そういう寸劇いいから早く話進めろや」

 

もしかして天然だろうか?と思わなくもないがそれはさておき。

本筋を思い出したように手を打つとヘスティアは口を開いた。

 

「友達の神の店にイット君を連れて行こうと思うんだ。イット君、ポーションとか使った事ないだろう?」

「怪我は大体、寝れば治るし特に必要としてなかったかなぁ」

「いざっていう時の為にアイテムは必要さ。イット君も見ておくといいよ!」

「……何で3人で行くんだ?」

「そ、それは着いてからのお楽しみというかさ?ですよね、神様!」

「そ、そうだよイット君!着いてからのお楽しみっていうことさ!ささ、行くよ」

 

ヘスティアは俺とベルの間に身を割り込ませると、それぞれの手を引いて先導する。

正直、恥ずかしいのだが意気揚々と案内するヘスティアの手を振りほどくのも可哀そうなのでなされるがままだ。

顔を赤くして慌てるベルと共に、南西地区から西地区の方へ抜ける道に連れられる。

西地区の方は住宅街になっているのであまり足を運んだことはない。

見慣れない光景に辺りを見渡しながら歩いていると、やがて1つの建物の前で止まった。

『青の薬舗』と読むのだろうか?どうやら道具屋のようだ。

 

鈴の音と共に扉を開けると、1人の少女と背の高い男性の姿が見えた。

男性の方は柔らかい笑顔をこちらに向けてくる。

 

「いらっしゃいヘスティア、待っていたよ」

「お世話になるよ、ミアハ!」

「今後ご贔屓してくれるなら問題はないとも。それで、そっちの彼が?」

「ボクのファミリアのイット君だ!イット君、こっちはミアハ・ファミリアの主神、ミアハだよ!」

「あ、どうも初めまして」

 

軽く頭を下げながら目の前の男性を見つめる。

ヘスティア以外の神様を見るのは初めてだった。

普通の物腰柔らかそうな人にしか見えないけれど、これが神様という存在らしい。

やはりいまいちピンとこないけれど、どうやらいい人そうだ。

 

「イット君と言ったね、君のところのヘスティアから頼まれごとをしてね。今日はその為に君に来てもらったんだ」

「……というと?」

「ポーションの調合さ。君は傷の治りが早いそうだね、それを促進させるようなポーションを作って欲しいと頼まれたのさ」

「本当は何か武器でもって思ったんだけどね……レベッカとかいうのがしゃしゃり出なければ」

 

唇を噛んで悔しそうな顔をするヘスティアに思わずキョトンとしてしまう。

 

「何でそんな事してくれるのさ?いや、ありがたいけど」

「うん?不思議な事を言うね、君はボクの眷族で、ボクは君の主神だよ?家族を助けたいって思うのは不思議じゃないだろう?」

 

満面の笑みでそう言われると、少しだけ言葉を失ってしまった。

良き友人はこれまでもいたけれど、家族だといってここまで踏み込んでくる相手はほとんどいなかった。

それが戸惑いなのか、嬉しいのか……しかし悪い気分じゃない。

 

「……ありがとうな、ヘスっち」

「ベル君にも言ってあげておくれ。何が一番、君を助けてあげられるのか一緒に考えててくれたんだ」

「マジか、ベルもありがとな」

「ううん、僕なんて少しだけ一緒に考えただけだよ」

 

照れくさそうに頬を掻くベルに思わず頬がほころぶ。

案外、このファミリアに入った選択は間違っていなかったのだと思えた。

 

「(っていうかヘスっち、ヘスっち俺にステイタス情報……特にスキルは絶対に口外するなって言ってなかったっけ?バラして大丈夫なのか?)」

「(ミアハは信用できる友達だし、回復が少し早い事しか言ってないから大丈夫だよ)」

「?何2人でこそこそしてるんですか?」

「いや、何でもないベル。無問題だ」

 

不思議そうな顔をするベルにそう言うと、にこにこと笑うミアハに向きなおった。

 

「ミアハさんもありがとうございます。何か俺のためにお手数かけちゃって」

「いいんだ。これでご贔屓してもらえれば万々歳さ。それに噂の君も見れたしね」

「ははは、カリーヌさんに絞られる毎日っすよ」

 

今日も馬鹿か馬鹿なのかと言われたのを思い出して、少し顔が引きつった。

 

「とりあえず、君の体質がどの程度なのか分からないから体力ポーション飲んでみてくれるかい?」

「お安い御用っすよ。ちょうど、治りかけの傷もちょいちょいあるし」

 

手渡された少量のポーションを飲み干す。

飲みなれない苦味と微かな草の匂いが口の中に広がったが、変化は劇的だった。

薄っすらと靄を出しながら、治りかけていた傷痕がぐんぐん塞がっていく。

軽傷ではあったものの、十倍以上のスピードで傷が治るのはまるで夢を見ているようだった。

 

「ポーションって凄いんすね……」

「いや……普通はもっと効果は弱いんだ。君の体質と合った結果なんだろう。どうやら体力ポーションそのままの方が相性はいいのかもしれない。ちょっと待っていてくれるかい?」

 

そう言うとミアハは、奥の棚をごそごそと漁りだした。

何故か店番の少女の顔つきが厳しいものに変わる。

どうやら薬品が並んでいる棚のように見えるけれども、その体力ポーションが並んでいるのだろうか?

やがて、ミアハがお目当てのものを手にして戻ってくると隣にいたヘスティアの表情が一変した。

 

「み、ミアハ!?流石にハイポーションは受け取れないよ」

「何、もうすぐで使用期限が切れそうになる売れ残りだ。それでも君の眷族の大きな助けになるはずだから遠慮せず受け取って欲しい」

「……なぁ、ベルよ。そのハイポーションってやつは大体幾らくらいかね?」

「く、詳しくは分からないけど……数万ヴァリスくらいじゃないかな?」

 

今の一日の稼ぎが3000ヴァリスくらいなので、途方もない数字に感じる。

そんな高価な薬を飲んだらどうなってしまうのだろうか?と2人の応酬を見ながら考えてしまう。

遠慮するヘスティアに譲る気のなさそうなミアハ、平行線のまま話は進展していない。

どちらかが妥協しなければ押し問答になってしまうだろうと肩を竦めて、口を開いた。

 

「うん。ヘスっち、好意は遠慮しないで受け取ろう」

「イット君!?」

「好意には好意で報いるのが恩義ってやつだよ。ミアハさん、本当にありがとうございます。将来稼げるようになったらこの店でめっちゃ金落としときます」

「ふふふ、楽しみにしておくよ」

 

何でもないように笑っているが、実際そんな高価なものをポンと渡すのは大変な損害の筈だ。

その証拠に、店番の少女が人を殺しそうな目でこちらを睨んでいるのだけれど……気づかないふりをしておく。

本当にそのうちたくさん金を落とさなければいけないな、と思いながら深々とミアハに頭を下げた。

 

ダンジョンに潜り始めてそろそろ半月になる頃の事だった。




次回、ようやく原作へ

ちなみに裏でヘスティアが数日間ミアハの店で働く取り決めがありましたが、イットを立てる形でなくなりました←

p.s.たくさんの感想ありがとうございます!
ボクシングスタイルをここからどう扱っていくか、今から自分でもワクワクしてます!
イット君のダンまちライフ、宜しければしばしお付き合い下さい!


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09

原作開始


「今日は5階層まで潜ってみない?」

 

その日、そう提案してきたのは珍しくもベルの方からだった。

朝、レベッカから頼んでいたガントレットを頂戴して気分も良かった所にそう言ってきたのだ。

鼻歌を歌いながら次の4階層にでも行こうと思っていたが、それを飛ばしての提案に思わず面を喰らってしまう。

 

「いいけど……何でまた?」

「僕も3階層で余裕が出てきたけど、イットには物足りないじゃない?僕は大丈夫だから、どんどん先に進みたいんだ」

「んー……ま、大丈夫か」

 

パーティを組んでいる時はベルに合わせる形で、安全に進もうと思っていたが5階層くらいなら問題はないだろう。

ベルの担当職員のハーフエルフは良い顔をしないようだけれど、ベルも無茶したい年頃だ。

おっさんじゃないが多少、背伸びした方が男は成長するものだ。

自分なんて初日でそれくらい連れて行かれたし、大丈夫だろうと快く了承した。

 

 

――そんな風に楽観視していたのが良くなかったのかもしれない。

 

 

「「ぎゃあああああああああああ!!」」

 

牛頭の巨人が後ろから迫ってくる。

2m強もある身の丈は見上げるほどに大きく、その筋肉の密度は熱気と共に脈動している。

考えるまでもなく本能が訴えかけていた『勝てる相手じゃない』と。

 

「ベル!次の角、右曲がっぞ!!」

「わ、わわわわ分かった!!」

 

なりふり構わず、背を向けて駆けだす。

無茶だ無謀だと笑われる事の多い自分だが、死ぬ相手に特攻するほどの大馬鹿者ではない。

 

「「うぉおおおおあああああああああああ!!?」」

 

轟音と共に背後で砕けた岩壁の破片が降り注いでくる。

壁を拳でぶっ壊すってどういう背筋しているのだろうか。

追いかけてきながら、その拳で破壊をまき散らす姿に思わず頬が歪む。

幸いだったのは足がそこまで早くないこと、棍棒なんかをもっていないのでリーチが短い事だった。

そうでなければ、あっという間にあの暴撃の餌食になっていた所だろう。

 

ただ、逃げ切れるかと言われればそれは否と言わざるを得なかった。

 

「う、わぁっ!!!?」

 

まだ敏捷の高くないベルのリュックに拳が掠る。

それだけで軽いベルの体は軽々と宙を舞った。

思わず足を止めて振り返るも、壁に叩きつけられて呻く様子を見るにすぐには立ち上がれそうにない。

 

やばい、と考えるより早く足は動いていた。

 

「ブモォォオオオオオ!!!!」

 

荒く湿った息が顔に吹き付ける。

もの凄い悪臭に顔を顰めながら、口元を覆うように拳を構えた。

 

「い、イット!!?」

「ベル、立てるか!!」

「ご、ごめん!!こ、腰打って……あ、足が動かない!!」

「だよなぁ…………仕方ないか」

 

小刻みに上体を揺らしながら、相手を見据える。

相手のヘイトが前に飛び出してきた無謀なボクサーに向いているのは幸運だった。

 

「動けるようになったら、上に走って誰でもいいから救援頼む!!」

「イットは!!?」

「俺は……ちょっと足止めしとくわ!!!」

 

言葉を言い切った直後、ミノタウロスの右腕が振りかぶられる。

素人のような大振りなテレフォンパンチ、見切れない筈がない。

ただ、そのスピードは尋常でなかった。

全力で上体を傾けて避けるも、肩に攻撃の側面が擦り火傷したように熱い。

 

(足を全開で使わないと死ぬ……!!)

 

上体を傾けて避けるウィービングだけでは避けきれない。

集中がガンガン研ぎ澄まされて、アドレナリンが勢いよく噴出しているのを感じた。

恐らく拳を弾こうとしても腕を持って行かれてしまう……全部避けきるしかない。

 

「ふぅっ!!!」

 

暴風のような横薙ぎを身を沈ませて掻い潜る。

目の前にはがら空きの脇腹、絶好のチャンスにギリギリと右腕を引き絞る。

僅かに沈ませた膝のバネを使って、アッパー気味に拳を振りぬく。

 

「うぉあらぁああああ!!!!」

 

バコゥン!と最高の衝撃が拳を突き抜けた。

手応えあり……なのだろうか?

否、と直感が囁く。

信じられないほどに厚い筋肉の壁が、衝撃を安堵という脆い感情ごと呑み込んでしまった。

 

たまらず全力で飛びのいて距離を取ると、たった一撃入れただけで息が上がっている事に気がつく。

体力以上に精神的な疲労がどっと肩にのしかかっていた。

 

(やべぇ落ち着け……冷静になれ)

 

グングン高くなる体温とは逆に頭を冷静に回転させる。

 

ベルはまだ動くことが出来ていない。

退く選択肢は皆無……だが実力差は絶望的だ。

カリーヌさんから聞いたモンスター情報では、ミノタウロスはLv.2。

Lv.1の中堅じゃ逆立ちしても勝てない相手だ、まず攻撃が通らない。

 

ただ、生き物である以上どうしても鍛えられない『弱点』が存在する。

幾つかある中で、もし明確なダメージを与える事が出来る場所があるとするならば、それは脳を揺らすことが出来る……

 

「……顎しかないか」

 

頭1つ分高い位置にある牛頭の顎へのフック。

拳が届く範囲で一撃で最も影響を与えられるのはそこしかない。

ただ、その為にはミノタウロスの懐に飛び込まなければ拳をぶつける事すら出来ない。

 

『出来るのか?』と頭の片隅で理性が囁く。

『無理だ、やめておけ』と本能が引き留めた。

しかし心は、決して屈してなどいなかった。

超接近戦での殴り合いはボクサーの花形だ。

インファイターの見せ場に全身が燃えるように熱くなっていく。

 

無理無茶を通してこそ、勝機は見える!

 

「っ!!!」

 

雄叫びは上げなかった。

熱く燃えたぎる感情は全て拳でぶつける。

飛び込むのは右斜め下、振るわれる拳に沿うようにダッキングする。

一歩、踏み込んだだけでは距離が詰められない。

もう一歩、潜りこむように飛び込んだ瞬間――見上げた先でミノタウロスと目があった。

 

(見切られている……!!?)

 

ドッと汗が噴き出す。

やばい、と考える暇すらなかった。

 

「グモォオオオオアアア!!!!」

「がっ……!!!!」

 

爆発と同時に目に見える物すべてがぐちゃぐちゃにかき乱された。

世界が崩壊したようだ。

圧倒的な痛みに意識が遠のいた次の瞬間、背中から突き抜ける衝撃に我に返る。

視界が戻った時には壁に半ばめり込んでいた。

 

「イットォ!!!!」

 

まだ動けてないのかよベル、と言ってやりたい。

しかし、そんな余裕はどこにもない。

 

まるで冗談のような光景だ。

壁にめり込むほどの力で殴り飛ばされたことも、それを受けて生きている自分も。

咄嗟にブロックしたガントレットがひしゃげているのを見て、あまりの馬鹿馬鹿しさに笑えてしまった。

 

(レベッカに怒られるなぁ……)

 

そんな事を考えられるくらいには余裕があるのかもしれない。

頭はクラクラするし、何本か骨にひびが入ったのか呼吸をするたび痛い、おまけに口の中は血の味がするのだから余裕などあるはずないのだが。

 

痛みからなのか興奮からなのか、自分が火になったのだと思うほどに体が熱かった。

ゆっくりと立ち上がると体は重いが、腕は上がるし足はちゃんと動いた。

 

まだまだ『やれる』。

何よりまだ1ダウンしかしていなのだ、KO負けには程遠い。

 

(2ラウンド目だ……!!)

 

ダッシュで距離を詰めると、不思議と足が軽くなっていく気がした。

アドレナリンを出し過ぎて、馬鹿になったのかもしれない。

でもそれでも良かった。

足の指で地面を掴みながら大振りの一撃をしっかりと避ける。

次の瞬間、トップギアに切り替えるように最速で一歩踏み込む。

 

(一歩目!)

 

丸太のような太い脚が蹴りだされるが、さらに内側に一歩踏み込む。

蹴りの太ももの付け根に僅かに体が当たるが、軸はブレない。

 

(2歩目!!)

 

フック気味に繰り出された拳をダッキングで避ける。

限界まで沈み込んだ体のすぐ上を衝撃が抜け、髪の毛が何本か持っていかれた。

 

(3歩目ぇ!!!)

 

全身の筋肉が脈動するーー時は来た。

大振りの勢いに流されたその巨体は隙だらけだ。

千載一遇のチャンスに呼応するように、心臓の音がうるさい。

限界まで引き絞った左腕が放たれるのを今か今かと待ち望んでいる。

それを思い切り伸び上がると同時に、全力でカチ上げた。

 

「ぐぬぉああああああ!!!!!!!」

 

『ガゼルパンチ』

一撃必殺のアッパー気味のフックはミノタウロスの顎を捉えた。

拳が砕けそうな衝撃が腕に走る。

しかし、それ以上の爆発力が拳からミノタウロスを襲う。

 

(手応え、あり、だぁ!!!)

 

跳ね上げられる牛の顔面に歓喜の声を上げる。

もうこれで駄目なら打つ手がないほどに最高の一撃だ。

これだけの攻撃を加えれば、ベルと一緒に逃げることだって……

 

 

 

 

 

「イットォ!!!避けてぇ!!!」

 

 

 

 

 

時が、止まる。

 

走馬灯のようにスローモーションに見えたのは左から命を刈りにくる重い蹴りだった。

分かってしまった。その足に秘められた破壊力の絶大さを。

 

( やべ ぇ)

 

着弾の瞬間。

異音が体の中から聞こえた。

一瞬にして意識がトぶ。

 

瞬きした次の瞬間、何十メートルも飛ばされた地面の上に転がっていた。

感覚が酷く鈍い……壮絶な痛みの筈なのに感じるのは尋常でない熱さだけだ。

 

遠くでミノタウロスがふらついているのが見えた。

ガゼルパンチは確かにダメージを与えたのだ、と薄っすらと笑う。

ただ『死』という文字がすぐそこまで忍び寄っているのを感じた。

このまま瞼を閉じてしまえば……きっともう二度と開くことが出来ない。

 

(死、んで……まるか……)

 

左腕をズリズリと動かして、腰のポーチに手を入れる。

絶対に割れないように、厳重に格納した容器を指先に引っ掛けると何とか外に引きずり出す。

口元で蓋を噛んで開けると、透明度の高い液体が少し零れた。

 

『ハイポーション』

ヘスティアとベルと、ミアハがくれた高位回復薬。

それを何とか口に含んで飲みこむ。

ゴクリと喉が鳴った瞬間、本来の壮絶な痛みが体を襲った。

 

「っ!?ぁああああああああ!!!!」

 

ジュワッと蒸気が体から溢れる。

熱した鉄板の上に水をぶちまけたような勢いで蒸気が体を包む。

『再生』していく、と感じていた。

破裂した内臓も、折れた骨も、切れた筋肉もすべてが逆再生のように治癒していく。

 

「はぁ……はぁ……」

 

何とか、生きてる。

しかし体力が空っぽになったようだった。

全て完治したことを確信しながらも、動くことが全くできない。

 

「イットォ!!!!!」

 

遠くからベルの叫び声が近づいてくるのを聞きながら「遅ぇよ」と力なく笑った。

現れたベルは頭からペンキでも被ったかのように真っ赤だったが、どこにも怪我はしていない。

しかし、その顔は涙でぐちゃぐちゃに濡れていた。

 

「っ!?イット!!」

「うっさい、ちゃんと、生きてるから……静かにしてくれ」

「だ、大丈夫なの?」

「傷一つ……ない……けど悪ぃ、起きらんねえ。あと頼んだ」

 

瞼が重くて堪らない。

起きたらちゃんと説明するから。

心の中でそう約束すると、俺は意識を失った。




イット初敗北。一矢報いることは出来たけど、レベルの壁はとても大きいのでしょう。

デンプシーロールを期待した方はすみません
書いてたら自然とガゼルパンチ繰り出してました←

p.s.
遅ばせながら、お気に入り2500件突破しました!
いつもご覧になって下さり、ありがとうございます!


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閑話02

ファミリア達の思い


死んでいるのではないか、とその姿を見た時ヘスティアは恐怖していた。

昼、血塗れで帰ってきたベルにも絶叫したが、それ以上にその背にいたボロボロのイットの姿は本当に死体のようだった。

装備は全て砕け、服も襤褸布が引っ掛かっているような有様を見て平常心でいられるはずもない。

あの時、その光景は自分の眷族が死んでしまったと錯覚するには十分だった。

 

「いやぁ、死ぬかと思った……三途の川見えたもんなぁ。参った参った」

 

だというのに何故、その本人はあっけらかんとジャガ丸くんを食べているのだろうか。

目が覚めた瞬間、『腹が減った』と教会中の食料を詰め込み始めたのを見た時にはベルと2人で拍子抜けしたのは記憶に新しい。

ベルはその様子に胸を撫で下ろしながら力なく笑うと、ギルドに換金に出掛けて行った。

残されたヘスティアはイットに何かないように見張っているのだが、何がおかしいのかケラケラ笑う姿は健康体そのもの。むしろ元気なようにも見える。

 

「ヘスっち達から貰った薬なかったら本当にポックリ逝ってたなぁ……本当に感謝しとかないと」

「感謝よりも、自分を大切にしておくれ。ボクはね、君が死んだんじゃないかって思って心臓が止まるかと思ったよ!」

「本当、心配かけて悪かったよ。あんなところで出くわすとは思わなかったからさ」

 

どこか軽い調子に本当に分かっているのだろうか、とヘスティアは眉を顰める。

通常、15階層にいる筈のミノタウロスが5階層に現れた不幸は既にベルから聞いている。

動けなくなったベルの為に、ミノタウロスと殴り合ったことも知っている。

その結果、どういう事か足元をふらつかせるだけの一撃を入れた事は幸運だったが、何よりも幸運だったのは生きて帰ってきたことなのだ。

 

「イット君、君がこのファミリアに来た日にボクが言った言葉を覚えているかい?」

「あぁ、もう半月も前になるのか……確かあの日も怒られてたんだっけ」

 

しみじみと呟くイットにヘスティアは頷く。

 

「そうだね。それで、ボクはこうも言ったんだ『ファミリアを失うなんて真っ平ごめんだ』ってね?」

「…………うん、悪い」

「思い上がりだって思うかもしれないけど、ボクは君以上に君のことを心配しているんだ……きっとベル君もね。戦うよりも逃げる事を本当は選んで欲しいんだ。それを忘れないでおくれよ?」

 

そう言えば、きつく口元を結んだイットはゆっくりと頷いた。

 

「……分かった、今度はちゃんと約束するよ。100%勝ち目のない戦いはしない、必ず生きて戻ってくるって、約束する」

 

真摯な眼差しはブレずにこちらを見つめている。

自分の子の力強い澄んだ瞳をヘスティアが信じられないなんてことある訳がなかった。

ならよし!と大きく頷くと一転、笑顔を浮かべる。

 

「じゃあ湿っぽい話はおしまいだ!ステイタス更新を済ませてしまおうじゃないか!ミノタウロスから生きて帰れるなんてなかなかない経験だからね、きっと伸びてるに違いないよ!」

「あ、あぁ……そうだな、結構傷だらけになったし。伸びてなかったらむしろ落ち込むわ」

「あんまり伸びてなかったとしても、今日はしっかりと休むんだよ?」

「流石に今日は休むって。これでも体調管理は気を使ってんだぜ?」

 

ヘスティアの忠告に苦笑いを浮かべながら、イットは上着に手をかけた。

 

 

 

イット・カネダ

Lv.1

力:D507→B717

耐久:C686→A886

器用:G260→E455

敏捷:E435→C605

魔力:I0→I0

《魔法》

【】

《スキル》

【超超回復(カプレ・リナータ)】

・早く治る

・受けた傷以上に回復する

・傷が深いほど上昇値は大きい

 

 

 

「……見間違い、かな?」

「何言ってるのんだい?イット君も少しは文字読めるようになったんだろう?それで合ってるとも」

「いや、だってこれ……伸びすぎじゃ?」

 

自分の識字能力を疑ってか、何度もステイタスの紙を凝視するイットはしきりに首を捻っているが、それは仕方のない事だろう。

およそ1日でここまで急成長したのだから。

しかし、数字は正直だ。

いくら見つめても変わらない値をそこに示し続けている。

 

トータル上昇値700オーバー。

激闘で得た物は確かにそこにあった。

 

「それだけ重傷だったってことじゃないのかい?スキルの効果は『傷が深いほど上昇値は大きい』んだろう?……もっとも、どのくらい重傷だったのかは君は語ってくれないけれどもね!」

「ははは、ヘスっち顔怖いぞ?」

 

頬を膨らませながら、ヘスティアはイットを軽く睨む。

ミノタウロス相手に殴り合った経験値を差し引いてもこれだけ上昇したということは、もしかすると致命傷になるほどの重傷を負っていたのではないだろうか?

ベルが蹴り飛ばされた後の姿を確認できなかった以上、真実はイットの胸の中だが……そうなると薬を譲ってくれたミアハには大きな恩が出来てしまったかもしれない。

むむむ、と難しい顔をするヘスティアにイットは首を傾げた。

 

「……何だか、ヘスっち平然としてんな。もしかして意外と普通の伸び方だったりする感じ?」

「そんな事は断じてないから安心しておくれイット君!それは大きな誤解だから!……ただね、別の考え事があるのさ」

「へぇ、何?」

「ふふん!女神の秘密ってやつさ!」

「えー何だよ、それ」

 

呆れたように服を着るイットの背中をヘスティアは横目でジィと見つめる。

 

以前、彼のステイタスが『勝手に更新されていた』ことがあった。

どこかの神がちょっかいを出してきたのかとも思ったが、その現象はこの半月の間ずっと続いていた。

大きな悩みの種だったそれは、本日ベルから話を聞く中で転機を迎えた。

 

『ミノタウロスと戦ってる時、服が破けて見えたイットのステイタス、動いてた気がするんですよね……』

 

神聖文字は読めないけれども、細かい象形文字が目まぐるしく変化していくことを見るのは難しいことではない。

加えて戦闘中にどんどん動きが良くなっていったという証言を聞いて、考えに辿り着いたヘスティアは思わず眉を寄せた。

 

ステイタスが『自動で更新されている』。

ベルの目が正しければ恐らく戦闘中でさえも、つまりはそういう事だろう。

 

ただでさえ、『超超回復』などというレアスキルを発現したイットだ。

この事がバレれば神共の玩具になることは想像するに容易い……否、確定事項だろう。

それだけは何としてでも阻止しなければ、というのがヘスティアの考えだった。

 

(ただイット君にまで秘密にするのは心苦しいけれどね……)

 

しかし、この事は絶対の秘密だ。

どこから漏れるか分からないのが世の真理だ。ベルにもきつく口止めしたヘスティアだったが、徹底的な情報規制をこの件についてはかけるつもりだ。

 

いや、それだけじゃないだろう?と自分の浅ましさに頭を振ってしまう。

本当は、それは単なる建前に過ぎない事にヘスティアは気付いていた。

 

自動更新されてしまうステイタスが本物ならば、イットという『冒険者』にヘスティアという『神』は必要なくなってしまう。

イットにそう思われてしまう事を心のどこかで恐れていた。

もちろんそんな事があるはずないと、彼がそんな薄情な人間でないことは分かっている。

けれども覚悟をしたはずなのに、彼がここから離れて行ってしまう未来を幻視すると寂しさで胸が苦しくなるのだ。

 

「ヘスっち?」

 

いつの間にか顔を覗き込んでくるイットに、ヘスティアは自分がしばらくボンヤリしていたことに気が付いた。

どれくらいこうしていたのだろう?不思議そうな彼の表情を見るに、数秒という事はない。

慌てて誤魔化しながら笑うと目の前の顔が何か思いついたようにクシャリと歪んだ

 

「あ。ヘスっち、寝てたんじゃねえのぉ?涎垂れてるぞ」

「えぇっ、どこだい!?」

 

慌てて口元を拭ったヘスティアが面白かったのか、イットの笑い声が教会に響く。

 

「ははは!冗談だよ、冗談」

 

一瞬、キョトンとするもからかわれたのだと気が付くと彼女の頬はすぐにパンパンになった。

 

「まったく、君は少しボクのことをからかいすぎじゃないのかい!!」

「他愛のないスキンシップだよ、ヘスっち」

 

カラカラと笑われながらも、ヘスティアはこんなやり取りに安らぎを感じる。

やっぱり、自分はこんな生活が大好きなのだと思う。

 

(ボクも、もうちょっと頑張らないといけないかな?)

 

自分に何が出来るだろう、とヘスティアは考える。

冒険者なんていう事をやっている子供たちに女神ヘスティアは何をしてあげられるのか。

答えが出るにはもう少しかかりそうだ。

 

 

 

 

 

 

同刻、ギルドを後にしたベルの足は軽かった。

世界が鮮やかに見えて仕方がない。

恋をするって凄い事なんだと今、実感している。

 

「アイズ・ヴァレンシュタインっ」

 

口の中でその名前を転がせば胸が弾んでしまう。自然と顔がほころんだ。

しかし可憐な金髪の少女の姿が浮かぶと同時に、血塗れで奮闘する少年の背中が脳裏を過った。

 

軽かった足が自然と止まってしまう。

 

(イットに、顔合わしづらいな……)

 

今日のダンジョン攻略において自分が余計な真似をし続けたのだという後悔がじんわりと肩を重くしてきていた。

無茶な提案をし、足を引っ張り、イットに怪我をさせてしまった。

教会に帰ってきた自分に彼はなんて言葉をかけるだろう?

 

(責めては……くれないだろうな。多分励ましてくれるか、無事で良かったって言ってくれる)

 

自分は無茶するくせに、他人には優しい少年なのだ。

悪いのは自分なのに、と思わず俯いてしまう。

同期のイットがどんどん強くなる姿に焦って、劣等感まで覚えて早く先に進みたいなんて思っていたベル・クラネルのせいなのに。弱い自分のせいなのに。

 

(僕はどうすればいいんだろう?)

 

謝り続けるべきだろうか?

それともイットの無事に安堵すべきだろうか?

いや、違うと首を振る。

やるべきなのはそんな事ではないはず。

冒険者ベル・クラネルがすべき恩返しはもっと別にあるはずだ。

 

助けられた恩は、助けて返す。

 

(次は、僕がイットを助けるんだ)

 

ポッと火がつくようにそんな思いが灯った。

彼と一緒に戦って、助け合って、対等な関係で改めてお礼を言いたい。

その為に強くなるんだ、という思いがベルの胸を焦がした。

強くなってイットとちゃんとしたパーティーを組もう。

 

(強くなるんだ!!)

 

拳を握り締める。

イット・カネダを助けられるようになる為に。

アイズ・ヴァレンシュタインに追いつく為に。

 

強くなる理由が増えたベルの足はまた進み始めた。




原作始まったのに話が進まなかったという…
次回はちゃんと話動かしてみせます


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10

「最低の気分だわ」

 

ミノタウロスにやられて一夜明けた、北東地区のある一室にて。

レベッカは俺が差し出したガントレットを見ると苦い顔でそう言った。

 

「ごめんな、壊しちゃって」

「別にアンタは悪くない。最低なのは自分に対してよ……鎧が簡単に壊れてしまうなんて鍛冶師の恥だわ」

 

ひしゃげ砕けた自分の作品を悔しそうに見るレベッカに慌てて口を開く。

あまりにショックだったのかその顔は赤く染まり、下手をすればそのまま泣き出してしまいそうだった。

 

「い、いや俺も助かっていたからそこまで自分を責めないでも……な?」

「絶っっ対無理!落とし前はちゃんとつけるわ!どんなモンスターにだって耐えられるものに打ち直して返してみせる!!」

「あ、熱くなんなよ……第一、俺ホントに金ないしあんまり払えないぞ?」

 

懐の寒さに冷や汗をかきながら、おずおずとそう言うとレベッカはキッとこちらを睨んだ。

 

「タダに決まってるでしょ!渡した初日に壊れるなんて鍛冶師の落ち度よ!どんな事があってもね!」

「え、マジか。ありがとう……でも本当に?」

「私たちはフェアな関係よ。遠慮はいらないっていったでしょ?私に非があるんだから、むしろやらせて頂戴」

「じゃ、じゃあ頼んだ」

「任せてっ」

 

あまりの気迫に思わず頷かされてしまった。

あれは気の強い女というより1人の鍛冶師の表情だったように思う。

あれが職人気質というものなのだろうか、と工房に引っ込む背中を見送っていると同じ部屋にいたおっさんが笑い声を堪えるのが聞こえた。

 

「……父親がそんな笑ってていいのかよ、おっさん」

「おうとも!こんなに嬉しいことはないからの!レベッカの奴、コテンパンにやられた顔しとった!!ぶわっはっはっは!!」

「酷えなぁ、おい」

「ん、酷い?何言っとるんだ、あいつの目に火がついとったのを見て俺が嬉しくない筈なかろうが」

 

不思議そうに首を傾げながら、おっさんは何でもないようにそう言う。

彼女がへこたれる女ではないことは分かっていたけれど、そんな事はおっさんには最初からお見通しだったようだ。

前に似てない親子だと言ったけれど、前言撤回だ。

やっぱりこの2人は親子なのだと、そう感じた。

 

「それはお前さんもだろう?坊主?」

「当ったり前だろ」

 

掛けられた言葉に食い気味に言い返す。

脳裏によぎるのは昨日の一方的なKO負けだ。

あのミノタウロスは助けに来た第三者に倒されてしまったようだが、網膜にはあの牛頭が焼き付いて離れなかった。

 

思わず拳を握り締めると、おっさんは面白そうに笑う。

 

「ふふん。男だな、坊主」

「男は生まれた時から負けず嫌いなんだよ」

「はっはっは!同感だぜ、坊主!……思いや俺ぁ、お前さんの拳を受けた事がねえ。一発よこしてみな、アドバイスしてやるぜ」

 

そんな突然の提案に目を瞬いてしまう。

 

「え、そりゃあ助言くれんなら願ったりだけど……おっさん大丈夫なのか?」

「ドワーフの耐久力分かっとらんな?Lv.1のひよっこにやられる程、ドワーフの男はヤワじゃねぇ」

「……言ったな?」

 

安い挑発だが、そうまで言うのなら乗ってやるのが礼儀だ。

スッと拳を構えると、腰を落として足を踏ん張る。

板張りの床が靴と擦れてギュギュと鳴った。

ベタ足で小刻みに体を振りながら、おっさんの差し出した掌を見据えると長く息を吐いた。

その余裕の笑み、驚かせてやる。

そんな思いと共に、右ストレートを振り抜く。

 

バコン!という音と共に拳にかつてないほどの重みが来た。

ステイタスが上がった影響か、歴代最高にパワーの乗ったストレートだ。

しかし、そんな俺の放てる最高のストレートはおっさんの掌にガッチリと掴まれていた。

思わず唖然としてしまう。

 

「なるほどのぉ、凄えじゃねえか」

「……マジか、完璧に抑え込まれるとか反則だろ」

「いんや。中々のもんだったぞ、坊主!Lv.1のパンチだとはとても思えん」

 

余裕そうにモジャモジャの髭を撫でながらそう言われても、全く嬉しくない。

ため息と共に拳を下ろすのを見ると、おっさんは腕を組んで口を開いた。

 

「鋭く重い拳だな。坊主、お前さんは偉く光るもんを持っとる。他の奴より階段抜かしで強くなっとるし、この街の誰よりも殴る事が上手い」

「……どうも」

「だが、どうもダンジョンでの戦い方を知らんな」

 

その言葉に口を噤む。

それは少し前から痛感していたことだった。

自分の戦い方は人型モンスターとは最高に相性が良い反面、人から外れた形のモンスターとの相性は悪い。

その上、ミノタウロスにはそもそも攻撃が効かなかった。

その事に何も感じなかった訳じゃない。

 

「でだ!ワシが少し鍛えてやろうか?」

「……おっさんが?」

「これでもLv.4だしの。何なら知り合いの奴を引っ張ってきてやってもいいが、どうだ?ん?」

 

願ってもない申し出だった。

思わず何度も頷いてしまう。

知り合いというのが誰を指すのかは知らないが、強者とスパーするだけでも得るものは大きい。

ただ、何故そんなに良くしてくれるのか不思議だった。

 

「んあ?そりゃあ、男の背中を押すのも良い男の条件だからなぁ!」

「何だよ、それ。おっさんらしいなぁ……嫌いじゃないけど」

 

くくくっ、と笑うとおっさんに右手を差し出す。

豪快な笑いと共に握り返された手はとても大きかった。

 

 

 

 

 

 

日が落ちて、街が薄暗闇に包まれた頃。

珍しくベルに『豊穣の女主人』に誘われて外に繰り出した。

酒場には気後れしていたのにどういう風の吹き回しかと思えば、何やら朝にあったらしい。

問いただせばしどろもどろになるベルを笑いながら、夜の街を闊歩する。

 

「目当ての女の子でも出来たか?」

「なっ!?そ、そんなんじゃないよ」

「へぇー、まぁいいや。行けば分かるし」

「ちょっと!?シルさんは違うからね!?」

 

相手はシルというのか、と心に書き留めながら慌てているベルを横目で見る。

何だか昨日を境に、ベルは変わった気がする。

今朝、「しばらく自分1人の力で挑戦したいんだ」と別行動する旨を告げてきた時には驚いてしまった。

ミノタウロスに遭遇したのが彼にどんな影響を与えたのかは分からない。

けれど、何だか覚悟を決めたような眼差しに少し楽しみになって頷いてしまった事だけは確かだ。

ベルも『男』だったという事なのだろう。

それに期待している自分がいる。

 

おっさんのこと言えないな、と思いながら思わずニヤけてしまった。

 

「さぁて、シルさんの顔を拝見するとしますか」

「ちょ、ちょっと待って!僕が先に入るから!」

 

『豊穣の女主人』は前来た時と同様、賑わっていた。

かわいらしい給仕の女の子の姿と、ガヤガヤとした喧騒はどこか心地よい。

その中で1人の女の子が駆け寄ってくると、ベルに向かって笑顔を向けた。

 

「ベルさんっ」

「……やってきました」

「はい、いらっしゃいませ」

 

見覚えのある顔だ。

ここに来た時に何度か彼女に配膳してもらった気もする。

ポニーテールが可愛らしい彼女が噂のシルさんなのだろうか?

 

「あら、前にドルフマンさんと一緒にいらした方ですよね?」

「ベルと同じファミリアのイットっす。どうぞよろしく」

「ご丁寧にありがとうございます。私はシル・フローヴァです、イットさん」

 

花の咲いたような笑顔は町娘という感じでとても魅力的だ。

ベルも引っ掛かる訳だ、と横目で見れば何だかオロオロとしていた。

良く見れば、口が「違いますよ」とパクパクしている。

まぁ彼がそう言うなら、そういうことにしておこう。

 

「お客様2名はいりまーす!!」

 

元気良い掛け声と、返ってくる返事に迎えられカウンター席に案内される。

目の前の女将さんに視線を向けられ、顔が引きつらせていると向こうもこっちを覚えていたようだ。

 

「そっちの子がシルのお客さんだね。黒髪の方は久しぶりじゃないか」

「どうも、女将さん……しばらくぶりっすね」

 

知り合いだったのかとベルは驚いているけれど、あまりその事は話したくないので適当に誤魔化す。

お店の品を弁償したとベルからヘスティアに話が伝わって、お説教されるのもごめんだった。

ついでに話蒸し返して女将さんにその話するの気まずいし、と元冒険者らしい彼女の太い腕を見ながらそう考える。

 

(にしても最近、冒険者がどれだけ強いかって何となく分かるようになってきた気がするな……)

 

適当に料理とエールを注文しながら、ふとそう思う。

今まで外見だけ判断していたものが、少しづつ肌で感じ取れるようになってきた気がするのだ。

例えば、そこら辺の冒険者の半分くらいは自分より弱い。

逆に女将さんは結構強いし、あっちにいるエルフの店員はめちゃくちゃ強い。

そんな風に観察出来るようになったのはステイタスが上がったからなのだろうか……未だにその仕組みはよく分からない。

 

ベルとシルが話し込んでいるので、そんな風に料理を食しながら周りを見ていると、にわかに店内がざわめいた。

また盗人でも出たのだろうか、と戸口の方を見てみると集団客が来たようだった。

種族様々な面相は見ていて面白いが、その力量を察して思わず視線が鋭くなる。

何でもないように振舞っているが、感じるオーラが別次元だった。

 

「ロキ・ファミリアさんはうちのお得意さんなんです」

 

隣からそんなシルの声を聞いてなるほど、と納得する。

名前だけは聞いたことがあった。

確かトップクラスの戦力を持つファミリアだったはずだ。

……いや名前を聞いたのはそれだけじゃなかったような、と隣のベルを見やれば必死に体を低くして隠れている。

 

「何してんだ、ベル……」

 

思わずボヤくも真っ赤な顔したベルから返事はなかった。

しかし、その劇的な反応から察するに確定的だろう。

 

【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン

 

あのミノタウロスをたった1人で討伐した少女がいるファミリアだ。

ベルはまだお礼を言えていないと言っていたので、思わず腰が引けたのかもしれない。

助けてもらった身として自分もお礼も言っていなかったなと腰を上げかけると、メンバーの1人が大きな声を上げ始めた。

 

「そうそう、アイズ! お前のあの話を聞かせてやれよ!5階層でミノタウロス始末した時にいたトマト野郎の話!」

 

ピタリと上げかけた腰が止まった。

隣のベルの肩もビクリと跳ね上がる。

 

「抱腹もんだったぜ、兎みたいに壁際へ追い込まれちまってよぉ!可哀相なくらい震えあがっちまって、顔を引き攣らせてやんの!」

 

テーブルで男の笑い声が上がるたびにベルの肩は震えていた。

散々、馬鹿にされるような内容にその震えはどんどん大きいものになっていく。

そして、締めととばかりにその男は嘲笑と共にその言葉を口にした。

 

「雑魚じゃあ、アイズ・ヴァレンシュタインには釣り合わねえ」

 

ポタリ、とカウンターに赤い滴が垂れた。

顔を上げずに震えているベルは、声を上げずに唇を噛み切っていた。

笑われた事にか、自分の無力さにか、恩人を引き合いに出された事にかは分からない。

しかし、その顔を塗りつぶしているのは『悔しさ』一色だった。

 

「……ごめんっ、イット先に帰るね……っ」

「おう。今日は奢っといてやるから、明日に備えとけ」

「……うん」

 

絞り出すような声を残して、彼はゆっくりと立ち上がる。

半ば駆けだすように店を出るベルにシルが声を上げるが、ベルは振り返る事もなくそのまま夜の闇に消えた。

カウンターの上の食べかけのスパゲッティーが少し寂しそうに残っている。

そのすぐ脇に点々と垂れた血を見ながら、思わず止めていた息をゆっくりと吐き出した。

そうでもしなければ、大声を上げながらキレてしまいそうだった。

 

「ねぇ、イットって言ったかい?アンタ、この店じゃ喧嘩はご法度だよ」

「……分かってるよ、女将さん。やるなら外でだろ?わきまえてるさ」

 

財布をカウンターの上に置くと、ゆっくりと立ち上がる。

食事代には少し高いが、迷惑料込みだ。

そのままロキ・ファミリアのテーブルに近づくと最初に気付いたのはベルをこき下ろしていた狼男だった。

 

「あ?何だ、テメエ?こっちは楽しく飲んでんだから部外者は入ってくんじゃねえよ!」

「アイズ・ヴァレンシュタインってのはアンタか?」

 

しかし、それを無視して金髪の少女に声を掛ける。

こちらに向けられた感情の薄い瞳は突然のことに少し驚いていたようだったが、コクリと頷かれた。

 

「礼を言わせてくれよ。昨日、アンタにミノタウロスから助けられたんだ……ありがとう、本当に助かった」

「?……私、白い髪の子しか助けてないけど?」

「その直前までミノタウロスとやり合ってたけど、やられちゃってな……アンタが来なかったら多分死んでた」

「そう……君があれをやってたんだ」

 

何か含むような視線を向けられるが、それを問う前に横から突然胸倉を掴まれる。

見れば顔を赤くした狼男がそこにはいた。

 

「おい、無視してんじゃねえよ雑魚!!ミノタウロスにやられたゴミに興味はねえんだよ、とっとと失せろ」

「……生憎だけど、俺はテメエに用があんだよ」

「何抜かしてんだ、あぁ?」

 

低くなる声色と共に睨みつけられるが、そんなこと全く気にならなかった。

激情が体の中をうねって仕方がない。

腸が煮えくり返っているというのはこういう事なのだろう。

体を構成する何もかもがマグマのように煮えたぎっている。

目を見開いて睨み返しながら、それでも感情を抑えて静かに口を開く。

 

「ベルを馬鹿にしたな」

「は?……あぁ、あのトマト野郎の知り合いかテメエ。雑魚は雑魚だ、真実だろうが」

「何も知らねえ奴に笑われるほど安い男じゃねえんだよ、あいつは」

 

言いながら、今朝の覚悟を決めたようなベルの顔が浮かんだ。

その姿が嬉しくて期待しているのは、誰でもない自分自身だ。

 

「はっ!!何だよ笑わせるじゃねえか、それで文句言いに来たってか?」

「馬鹿言え」

 

唸るように言えば、怪訝な表情が返ってきた。

そんな事も分からないのかと、怒りが体を支配する。

頭突きするかのように顔を寄せて歯を剥き出しにすると、俺は胸倉を掴み返した。

 

「表出ろ……ベルが殴れなかった分、一発殴ってやらねえと気が済まねえんだ……っ!」

 




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11

レベルの差はあまりにも大きい、とはカリーヌさんの言葉だ。

 

もしレベルが上のモンスターと出会ったらしっぽを巻いて逃げろ、と耳にタコが出来るほどに言われていたことを思い出す。

Lv.1とLv.2の差はとても大きい。

ならそれ以上の差は絶望的に大きいのだろう。

だが、それでも引けない場面というものは必ずある……それは正しく『今』だった。

 

「ベート止めなって!酔っぱらってんだよ」

「そこの雑魚が吹っかけてきた喧嘩だ!文句ならそっちに言え!」

 

いつの間にか野次馬で通りは埋まっていた。

前にやり合った喧嘩の時よりも、多くの視線を頬に感じる。

少し煩わしいものの、感覚は鋭く尖り目の前の敵への集中は途切れてはいない。

頭は煮え滾っても、コンディションは最高だった。

 

「そっちの君も止めときなって!こんなんでもベートはLv.5なんだから怪我じゃすまないよ?」

「粋がってるだけの軟弱野郎に本気なんて出さねえよ。何ならハンデつけてやってもいいぜ?俺は左しか使わねえぞ、どうだ?お?」

「ベート!煽らないの!!」

 

酒瓶を傾けながらニヤニヤと挑発したような笑みを浮かべる狼男は、自分の事を舐め切っている。

すでに拳を構えたこちらに対して、向こうは無防備もいい所だった。

足元は少し覚束ない上に、ダランと力の抜け切った体勢のままだ。

その光景にチリチリと身の内を焦がすような熱が吐く息すら焼く。

 

「……後悔すんなよ」

「は?する訳ねえだろ?ほれ、いつでもいいぜ?」

 

とことん馬鹿にした態度だ。舐められているのをヒシヒシと感じる。

なら、それでもいいさ。

俺を舐めたまま、そのニヤケ面歪ませてやる。

 

 

開始の合図なんて、どこにもなかった。

 

 

全開で、地を蹴る。

飛び込んだ瞬間、怒りでか全てがスローモーションのようにクッキリ見えた。

こちらの動きを眼で追う顔も、笑みを崩さない口元も。

それはこちらが右腕を引いたところでも変わる事はない。

せせ笑うような表情は語っていた。

所詮、雑魚のパンチだと。

 

(ふざけんな……っ)

 

ギュウと拳を握りしめる音が漏れる。

怒りをすべてそれに乗せるようにただ固く、固く。

拳は砲弾になる。

力んだ筋肉が軋みを上げながら、その爆発を待っている。

 

解放。その瞬間。

空気を穿った。

 

「なっ!?」

 

驚きの声が上がった。

何が起きたのか分からないという表情だ。

僅かに仰け反った鼻からはパタパタと鼻血が垂れる。

しかし、そんな狼男の反応に対して思わず顔を歪めてしまう。

 

(あの距離から避けやがった……!?)

 

狼男は拳を打ち出してから、着弾するまでに反応してみせた。

その間、約0.1秒。いや、ステイタスの恩恵がある今ならもっと早い。

試合なら一発KOだってあり得るほどの会心のタイミングだった。

だというのに、向こうのダメージは鼻を掠ったのみ。なんて割に合わないのか。

これがレベルの壁か、と思うと同時に1つ察したことがある。

 

アイツは『ボクシングのパンチ』を知らない。

 

「嘘っ!?油断してたっていってもベートが一撃貰った!」

「ざけんなっ、掠っただけだ!変な体術使うからって、調子乗んなよ雑魚が!!」

 

狼男が咆哮する。

怒りに目を赤く染めながら突進してくる姿はまさに獣。

酔っぱらっているとは言え、その速度は目で追うのがやっとだ。

 

生き物がそんな速度を出していいのか?と思うほどの身のこなし。

遅い自分の体が、酷く鈍重に思える。

先読みして身を捻ろうとするも、向こうの腕は既に振り抜かれていた。

 

「うらぁっ!!」

 

律儀に宣言を守るのか、振るわれる左拳が頬を擦り肩を打つ。

ギリギリで顔を逸らした瞬間、耳元を轟音が鳴ったかと思えば、肩が弾け飛んだような衝撃が襲った。

対人経験が少ないのか、大振りなテレフォンパンチ。

格闘技に必須のコンパクトさが全くないにも関わらず、コイツの拳はただただ『重く』そして『速い』。

 

あまりの衝撃に踏ん張りきれずに、足裏を削るように後退する。

だが、衝撃はミノタウロスの時ほどではない……それは自分が強くなったからではない、相手が手加減しているのだ。

嬲り殺しにして、せせ笑おうとしているのか。理由は分からない。

しかし、心は折れない。折ってやらない。

ベルの代わりに殴ると言った以上、一発も入れられない結末はあり得ないのだから。

 

とっくに『覚悟』は出来ている。

1つ、呼吸を整えるとまた突っ込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

「思い出したよ。彼、最近噂になってる『死にたがり』君だ」

「あー、身の程知らずって新人の?」

 

フィンの言葉にティオナはそう返すと、目の前の戦いに視線を向けた。

ベートとイットが殴り合う光景がそこには広がっている……いや、殴り合いと言えるのだろうか。

ベートの左腕によるラッシュに対してイットは防戦一方だ。

上体を揺らして避けるか、ガードするかで全く手が出ていない。

防ぎ損ねた攻撃が痣を作っていく様子は見ていて痛々しい。

先ほどのベートの鼻を掠めた一撃には驚いたものの、まぐれだったのかもしれないとティオナは息を吐く。

手加減しているとは言え、Lv.1とLv.5の喧嘩など成立するはずがなかったのだと思いながら、隣で神妙な顔をしている自分の団長に顔を向けた。

 

「そろそろ止めた方がいいんじゃない?下手したらあの子、死んじゃうよ?」

 

しかし、その言葉にフィンは返事をしない。

ただ、面白いものを見るようにじっと目の前の戦いを見つめ続けている。

 

「ちょっと、フィン!趣味が悪いんじゃない?」

 

嬲り殺しにされる様子を見つめるフィンに顔を顰めると、彼はゆっくりと頭を振った。

 

「いや、そうじゃないよ。親指がうずうずいってるんだ。きっとこの後、何か面白いことが起きるよ」

「えー、本当に?」

 

疑わしげに見るティオナにフィンは曖昧に笑うのみだ。

彼の親指はその予兆を伝えるのみで、未来を教えてくれる訳ではない。

何も答えることが出来ないフィンの代わりに口を開いたのはその隣で観戦していたアイズだった。

 

「あの子、何か狙ってる」

「狙ってる?何を?」

「分からない。けど、ミノタウロスに一撃与えた何か、かもしれない」

 

1人得心顔のアイズだが、ティオナはさっぱりだ。

ミノタウロスがどうしたというのだろうか、と首を傾げながらウムムと唸る。

しかし、アイズは答えることもなくその瞳を戦いから動かすこともせずにいる。

 

「それに、あの目……」

 

ガードの隙間から見える、燃えるような眼差し。

思わず目を奪われてしまうような輝きに魅せられながら、アイズは呟く。

 

「あの目、まだ死んでない」

 

 

 

 

 

上体を傾けて、飛んでくる拳を避ける。

火傷のような熱さが皮膚に走るが怯むわけにはいかない。

擦れた拳撃に意識を割くことなく、ただ前を見据えるのみ。

ジリジリと足が後ろにずれていくことに苛立ちを覚えながら、じっと機会を窺っていた。

 

(こんなの、俺の性分じゃねえんだけどな……っ)

 

何故だろうか、背中が異常に熱い。

まだか、まだかと体が急かすように疼いている。

前に出ろ!と本能が叫ぶのを懸命に抑えながら、ただガードを固める。

まさか無限にこのラッシュが続くというわけではないだろう。

集中か、体力か。それが途切れた時が反撃の機会だ。

 

一発叩き込むまで、倒れる訳にはいかない。

 

「糞っ!調子に乗りやがって、いい加減にしろっ!!」

 

狼男が吠える。

怒りに呼応するように、その拳のギアが1段階上がった。

速さと重みを増した拳がガードの隙間をこじ開けるように貫いてくる。悪寒が走った。

 

(やべぇ、弾かれる……っ)

 

パァン!と腕が飛ぶ。

同時に抜けた重い一撃が体を芯から揺さぶった。

まるで体の真ん中に穴が空いたようだ。声すら出ない。

嫌な音が体の中から響いた気がする。

自分のものでないように暴れまわる脚に、思わず膝は落ちかける。

 

「──もう止めとけ、雑魚が」

 

ふと、狼男が口を開いた。

痛みに呻きながら視線を向けると、こちらを見下ろす瞳と目が合う。

言葉は少なくとも込められた幾つもの意味は察することが出来た。

それが侮りなのか、優しさなのか。

感情のベクトルは正反対でも、受ける屈辱は同じくらいに身に堪えた

 

一方的にやられる悔しさもある。

雑魚と見下される怒りもある。

しかし自分の力量不足でベルの悔しさを無視されてしまうのが、何よりも許せない。

寝てなどいられない。

ギリっと歯を食いしばると、ガタつく足で地面を掴み直す。

ニィと笑ってみせると、そのままファイティングポーズを取った。

 

「馬鹿、言えよ」

「……はっ、そうかよ。粋がるだけの雑魚はここで沈んどけ」

 

その眦が吊り上る。

強者の気配が大きくなるのを肌が感じる。

来る、と思う前にトドメとばかりに大きく振りかぶる左腕が見えた。

 

野次馬のざわめきが耳から消える。

 

(ラッシュが止まった……!!)

 

目を見開く。

待ちに待ったチャンスだ。

モタモタするな、と震える足を叱咤する。

『1秒でも早く踏み込め』と。

『痛みなんて気力でねじ伏せろ』と。

 

反撃の狼煙が今、確かに上がったのだ。

 

「おぉおおおお!!!!」

 

ダッキングしながらその懐に飛び込む。

やっと解き放たれたその動きは我ながらに最高にキレている。

放たれた相手の左拳は空を切るが、安心してなどいられない。

相手は拳を戻すのが早い。すぐに2撃目が来る。

更に深く体を沈め、拳を体に滑らすように避けた瞬間、自慢の右腕を唸らせる。

 

リバーブロー。叩きつけるような衝撃はしかし、相手の体を少しも揺らさなかった。

3撃目がくる。

考えるより早く、左腕が顎を打ち上げた。ダメージはなし、それも考慮済みだ。

しかし、動きが僅かに止まった瞬間にそのまま抜けるように体を離脱させる。

体が病気かと思うほど熱かった。汗がどっと吹き出す。

 

やはり、これでは駄目だ。

この戦況の差をひっくり返すパンチはただ1つ、それしか勝機はない。

 

「畜生が!いい気になんなぁっ!!」

 

一度に2回攻撃を入れられたことに怒り心頭で吠えられるが、怒り心頭なのは最初からこちらも同じだ。

酔いで赤い顔がますます赤くなるのを見ながら、これまで以上に大きく振りかぶられるストレートに向かって真っすぐ前に出た。

相手の驚くような顔が目に飛び込むが関係ない。

拳を構えながらも全神経は今、その放たれんとしている左拳に集中している。

 

多分、これまでのどんな攻撃よりも重い一撃に自ら突っ込む。

生き物としての本能が引き止めるように脳を焦がした。

走馬灯だろうか、不思議と周りがよく見える。

考えるな感じろ、と心の中で呟く。

相手のリズムを感じ取れ。

1、2とカウントした瞬間、その砲弾は放たれる。

一瞬で迫る拳は視界いっぱいに広がった。

目を思わず閉じそうになる。

だが、逃げるな。

 

(見ろ!!)

 

刹那、顔を屈める。

掠る左拳で頬がざっくり裂けるが、関係ない。

 

「うぉおおおおおおおお!!!!」

 

こちらの拳は既に放たれている。

燃えるような体の熱が口から雄叫びとなって上がる。

意識の隙間を縫うような一撃はここに完成した。

 

ズドンッ!と鈍く刺さる音が響き渡る。

 

『クロスカウンター』

パンチを紙一重で避け、突き刺さったカウンターが狼男の頬に食い込む。

相手の力を利用したことに加え、予想外の一撃は重く重く相手に突き刺さる。

弾き飛ばされるその体。

わっ!と歓声が沸く。

苦痛に顔を歪める狼男の顔を見て、思わず口元が歪んだ。

 

「やっと……重い一発入れてやれたぜ」

 

さぞかし重かろう。

俺とベル、2人分の一発だ。

 

だが、そう告げた瞬間。

目の前から何かが変わった気配がした。

思わず身構えるが、様子がおかしい。

怒髪天で殴りかかってくるかと思えば、何の反応も返ってこなかった。

 

「……?」

 

覇気がない。

足元をフラつかせながら、狼男は妙に静かに佇んでいた。

口元を切ったのか、血を垂らしながらこちらを睨んでいる。

その視線に何かを感じて緊張を解かないものの、正直膝が震えて仕方がない。

ダメージがかなり足にきているのを自覚しながら、拳を構えていると彼はポツリと口を開いた。

 

「……止めだ」

「は?」

 

今なんと言ったのか、聞き返す前に狼男はクルリと背中を向ける。

 

「な!待てよっ、まだケリついてねえだろ!」

「ボロボロの奴が何言ってんだ、糞が。これ以上付き合ってられっか」

 

薄気味悪さを感じながら、それでも追いすがろうとすると突然、目の前の側頭部に跳び蹴りが叩き込まれた。

これまでの苦労が何だったのかと言わんばかりに、狼男の体が軽々と吹き飛んでいく。

それを成したアマゾネスの少女は頬を膨らましながら、腕を組んで口を開いた。

 

「何言ってるの!格好悪くなって逃げたしただけじゃない、馬鹿ベート!」

 

そのままクルリと振り返ると、その瞳と目が合った。

 

「ごめんねー、うちの馬鹿が迷惑かけちゃって」

「誰が馬鹿だ、ティオナ!!」

「いえ……別に問題ないっす」

 

むしろ、横槍を入れられたことに文句を言いたかったがグッと我慢する。

自分の体がどうなっているか分からない訳じゃない。

 

「あちゃー、ボロボロだね。肩貸そうか?」

「いいっすよ、別に」

 

少しムスッとしながら、そう言う。

別に悪い人ではないのだろうが、タイミングが悪かった。

闘争心はまだまだ燃え尽きてはいない。

しかし、目的は達したのだから大人しく退くべきだ。

体は思った以上にボロボロだった。

 

「……仕方ねえか」

 

文句はあるが、気分は悪くない。

次に会った時にはケリつけてやる、と心に決める。

ジンジンと衝撃の余韻が残る右拳を見ながら、俺はゆっくりとその場を後にした。

 

 

 

 

 

「もー、ベート酔っ払いすぎ」

 

ティオナはベートを叩くとそう言った。

その足取りは先ほどに増してフラフラして、千鳥足も良いところだ。

いつにない醜態を恥ずかしく思いながら、ティオナはため息を吐く。

 

「……ちっ、酔いなんてもう覚めてるっての」

「うん?何か言った?」

「何でもねぇ!」

 

食ってかかるベートにティオナは首を傾げる。

憮然とした表情のまま黙ってしまった彼に肩を竦めて、店の方に歩き出す。

 

「面白い子だったねー、イット君って言うらしいよ。ベートが一発貰うとは思わなかった」

「黙っとけ、くそっ」

 

楽しげに言うティオナに対して、ベートは不機嫌になるばかりだ。

その笑みを深めながら、ティオナは口を開く。

 

「皆、大ウケだったよ。因果応報だって」

「黙らねえと、その口きけなくすんぞ」

「やれるもんならやってみなさいよ酔っ払い……あぁ、そうだ。戻ったらファミリアの皆でお仕置きだから覚悟しといてね」

 

突然の宣告に固まるベートに、ティオナはにっこりと笑う。

 

「あれだけ周りにもファミリアにも迷惑掛けたんだから、気絶で済むと思わないでね」

 

それは、まるで死刑宣告だった。

自分の未来に気が付いて、ベートの体はブルリと震える。

思わず後ずさるも、いつの間にか固められた後方には退路など存在していなかった。

顔が引き攣らせたその丁度、1分後。

夜のオラリオに狼の悲鳴が長く響いて、やがて消えた。




勝負に勝ったが、試合には負けた感じでしょうか。
どうしたもんか、と悩みましたがこういう形に落ち着きました。
特にベートの扱いは困ったもんでしたが、彼も根から極悪人ではないということで。

決め手はクロスカウンター。
宮田君はやっぱり偉大ですね。あと、矢吹丈も。



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12

朝の教会は珍しく騒がしかった。

 

夜通し帰ってこなかったベルがボロボロで帰ってきたのだから、ヘスティアの悲鳴が長々と響いていたのだ。

聞けば、防具もないままダンジョンに徹夜で潜っていたというのだから正気の沙汰ではない。

 

「ベルも無茶しすぎだろ」

「君がそれを言うんじゃないよ!どうするんだい!イット君の無茶がベル君に感染しちゃったじゃないか!!」

「病原菌みたいに言うなっ」

 

「強くなりたいです」と言い残し、倒れるように寝てしまったベルにヘスティアは嬉しいやら心配やらで複雑な表情を浮かべている。

多分、似たような表情を自分も浮かべているのだろうと思う。

落ち着いた大人しい奴だと思っていたけれど、もしかしたらベルの事をまだ分かっていなかったのかもしれない。

こんなに荒々しい部分を持っているとは思わなかった、というのが正直な感想だった。

 

「ただ外に食事しに行っただけなのに、なんで2人ともボロボロで帰ってくるかな……まったく!ボクの眷族には自分を大切にしない子しかいないのかい!!」

「いや、悪かったって。この通り反省してるからさ。カッとなって喧嘩になったのは軽率だったよ」

「本当に分かっているのかい?」

「もちろん」

 

そう答えると、ヘスティアは少し迷ったように顔を曇らせた。

 

「……本当は何も言わないでおこうかと思ったんだけど、1つだけお節介をしてもいいかい?お願いとも言ってもいいかな……ベル君の事をもっと見てあげて欲しいんだ」

 

神妙な顔をしてヘスティアは言う。

視線をベルの頬に落としてそう言う彼女に少し首を傾げてしまった。

見ているつもりだ、と自分では思っていた。

けれどそんな事を言われるからには、それは勘違いだったという事なのだろうか。

 

「どういうことさ?ベルの何を見ろって言うんだ?」

「それはボクは教えてあげられないな、イット君への宿題だよ。これは君自身に気付いて欲しいんだ。それをボクも、そしてきっとベル君も望んでる」

「……謎かけみたいなのは苦手なんだけどな」

 

そう口にするも霧は晴れない。

ベルの事を見ているつもりだったけれど、実際は全然見れていなかったのか。

考えが、モヤモヤと胸の中で燻っていく。

そんな唸る姿が琴線に触れたのか、微笑ましいものを見る目を向けるヘスティアは諭すように言った。

 

「いいかい、イット君。君は少しづつ変わっていってる。それがボクはとても嬉しいんだ。悩んで悩んで悩みぬいた先で得た答えはきっと君をまた変えてくれるよ、いい方向にね」

「……分かんねえなぁ、しばらく時間かかりそうだ」

「世の中なんて分からないことだらけだとも!ボクは何でイット君が無茶し続けるかが一番分かんないよ!」

「時に譲れないものがあんだよ、男の子には」

 

疑問の答えを教えてあげるも、その不満顔は変わらない。

『分からない』と顔にデカデカと書かれている姿を見ながら、肩を竦める。

こればっかりは女の子に口で理解してもらうのは難しい。

 

「……」

 

ヘスティアの言葉も同じようなことなのだろうか?

口で伝えられても意味がなく、自分で理解しなければいけないものなのだろうか?

唸るも、やっぱり分からなかった。

やはり少し時間がかかりそうだと思っていると、眠気とともに大きな欠伸が漏れた。

 

「ふわぁ。わり、瞼もう上がんないわ……そろそろ寝ようぜ」

「イット君も夜通しでずっとベル君探していたしね。今日はゆっくり休むといいよ」

「言われずともそうするさ」

 

何だか今日はとても疲れた。

とっとと横になって泥のように眠りたい。

そんな思いを胸にふらふらとソファーの方に足を向けると、急にクイっと袖口を引っ張られる。

何だ何だ、と顔を向けると少し楽しそうな笑みを浮かべたヘスティアがベルの寝ているベッドを指さしていた。

 

「どうだい?今日はベル君もいるし、3人で川の字で寝ようじゃないか!」

「狭えし、却下」

「即答!?イット君のケチ!」

「ケチで結構。寂しいならベルと2人で寝ればいいじゃん」

 

半眼でそう言えば、ヘスティアは急にキメ顔をしながら口を開いた。

 

「時に譲れないものがあるんだよ、神様にもね!」

「絶対ヤダ」

「冗談!冗談だよ、イット君!折角なんだし、皆で寝ようじゃないか!ね?」

 

まるで駄々っ子のように袖口を離さないヘスティアに思わずため息を吐く。

初めて会った時より格段に上がった腕力ならこの手を振り払うことも容易いだろう。

しかし、それをするのも格好悪いかと根負けするように頷いてしまう。

結果として、ヘスティア・ファミリアは一同狭いベッドでこんこんと眠りにつくことになったのだった。

 

「うぅん、アイズ……さん」

「むにゃむにゃ、ベル君、イット君……」

「……やっぱ狭え」

 

自分1人を除いて。

 

 

 

 

 

その日の昼下がり、寝苦しさのあまり2人の寝るベッドを抜け出ると書置きを残してギルドへと足を向けた。

ダンジョンには潜らないものの、カリーヌさんに呼び出しを受けていたことを思い出したからだ。

 

パルテノン神殿を思わせるギルドの入り口を潜ると、今日は何だかヒソヒソ話が耳についた。

睨みつけるような視線、面白がるような眼差しが自分に向くのを感じる。

何だろうか?と思うより早く一際強烈な視線が体を射抜いて思わず振り返る。

バッと顔を向けた先ではカリーヌさんが普段の2割増し怖い顔をしながらゆっくり手招きしていた。

気のせいだろうか、背後に鬼の顔が見える。

冷や汗交じりで示された椅子に座れば、牙を剥くような笑みで迎えられた。

 

「馬鹿だ馬鹿だとは思ってたが、大馬鹿者だったとはなぁカネダ」

「え、何すかいきなり?」

「胸に手を当てて考えてみろ」

 

記憶を探るも思い当たるフシしかないので曖昧に笑っておく。

その態度が気に食わなかったのか、一際睨みを利かせるとカリーヌさんは口を開いた。

 

「昨日、ロキ・ファミリアの奴と揉め事起こしたそうだな」

「あ、それっすか。カリーヌさん耳が早いなぁ」

「暢気に言うな。原因は知らんが、Lv.5に喧嘩を売るLv.1がどこにいる。血の気が多すぎて脳みそ溶けたんじゃないか、この馬鹿」

「酷え」

 

しかし、耳に痛いほど正論なのだから言い返す言葉もない。

ヘスティアにさえ、喧嘩を売った相手がLv.5だとは口にしていないのだ。

自分が馬鹿やった事は十分に理解しているつもりだった。

 

「だが、まぁそれについてはいい。馬鹿は死んでも治らんと言うし、私はもう諦めた」

「真顔で言われるとマジ凹みますよ、俺?」

「事実だろ。それよりもだ、昨日の一件でお前に変な噂が立っている」

「変な噂?」

 

はて何だろうか、と首を傾げてしまう。

『死にたがり』だと笑われていたこと以外に何かあるのだろうか?

 

「冒険者半月の新人にしては強すぎる。申請を誤魔化しているんじゃないか、だとさ」

「はぁ」

 

何だか気の抜けた返事をしてしまうが、何か問題あるのだろうか?

申請誤魔化したところで特にメリットもないような気がするので眉を寄せてしまう。

 

「やっかみを買ってるということだ。大半は昨日のラッキーパンチに面白がっているだけだが、そういう事もあるのだと覚えておけ」

「うぃっす」

「ちなみに私も疑っている」

「え、酷くないっすか!?」

 

あまりの物言いに思わず顔が引きつるのも無理はないだろう。

冒険者申請してからずっと担当職員だったカリーヌさんがこの件は一番よく分かっている筈なのだから。

 

「だが、そろそろ1人で10階層に行こうとしているんだろう?あそこの適正値がステイタス平均B,C以上なのは知ってるな?」

「もちろん」

「……即答するということは少なくとも平均Cはあるということか。本当の考えなしならとっくにくたばってるものな……まったく、どんな魔法使ってるんだか」

 

呆れたようにカリーヌさんは言うが、ステイタスを秘匿する側としては苦笑いするしかない。

ミノタウロスと戦った一件で、急激に成長したステイタスが異常だという事は流石に理解していた。

昨日、ボコボコされた影響でまた上がったし、と思いながら自分のステイタスを思い出す。

 

 

 

イット・カネダ

Lv.1

力:B717→B764

耐久:A886→S907

器用:E455→D511

敏捷:C605→C633

魔力:I0→I0

《魔法》

【】

《スキル》

【超超回復(カプレ・リナータ)】

・早く治る

・受けた傷以上に回復する

・傷が深いほど上昇値は大きい

 

 

 

(耐久、ついにSランクの大台に乗ってたな……)

 

逆に器用さは相変わらず伸び悩んだままだ。

昨日、上手くカウンターを入れられた影響か急に伸びたけれども、全体的に見ればまだまだ見劣りしてしまう。

器用さが技術力だとするならば、きっと自分に足りないのはそれなのだろう。

ダンジョンに潜るのではなく、トレーニングに本格的に取り組まなければいけないかもしれない。

 

おっさんがコーチしてくれるようだし、スパーの相手になってもらおうかと考えていると俄かにギルドがざわめいた。

ヒソヒソとこちらに向いていた視線が、ザワザワと入り口の方に向いている。

誰か有名人でも来たのだろうか、とそちらに顔を向けると入り口に立っていたのは金髪を靡かせる見覚えのある少女だった。

 

アイズ・ヴァレンシュタイン。

命の恩人でもあり、この街有数の強者である剣士は軽装のままギルドに足を踏み入れる。

換金でもないようだし、何の用だろうかと何となく見ているとふとその金色の瞳と目があった。

じぃと見つめられると居心地が悪い。

挨拶代りに小さく手を振ると、きょとんとした顔を返されてしまった……死にたい。

 

「おーおー、カネダ。剣姫にうつつ抜かすなんて私の話は聞くに値しないと?」

「えっ?いや、そんな訳ないじゃないっすか」

「10階層に行くっていうのに余裕だな」

「い、いやそんな事ないっすよ?おっさんにも鍛えてもらうつもりですし、万全の状態でいきますって」

「鍛えながら潜るのは万全の状態とは言わん!」

 

何でバレたんだろうか、と冷や汗を流す。

一喝するカリーヌさんにはははと乾いた笑いを投げかけると、不機嫌そうに舌打ちをした。

仮にも見目麗しい女性がする行為ではない。

しかし、それが様になってしまうのがカリーヌさんの怖いところだろう。

文字どおりの意味で。

 

と、その時だった。

 

「君、もう10階層に行くの?」

 

ふと、頭上からそんな声が降ってきた。

視界の隅に滑らかな金髪がさらりと揺れる。

目の前のカリーヌさんは怪訝そうな顔をしながらも、会話に入ってきた彼女に口を開かない。

任せる、ということだろうか?

代わりに視線を上げながら、俺はにこやかに笑った。

 

「あー、昨日はどうも。何か用でも?」

「??君が手招きしたから来たんだけど?」

 

それは手招きではなく、挨拶だろ。

そうツッコミたいのをグッと我慢する。

小首を傾げながら言われても、首傾げたくなるのはこっちだ。

天然なのか、ギャグなのか、不思議ちゃんなのか分からないが声を掛けてきたのは好都合だった。

少し、彼女には聞きたいことがあったのだ。

丁度1人でいるのだし、いい機会かもしれない。

 

「カリーヌさん、ごめん。ちょっと急用出来た」

「また突然だな……まぁ、良い。今日の呼び出しも、お前の10階層行きに釘を刺したかっただけだ。ほら、とっとと行け」

「うぃっす。また来ます、カリーヌさん」

 

半眼でしっしと追い払うような見送りを受けてカウンターを後にする。

何だかんだ口は悪いけれど、面倒見はいい人だ。

その事を再認識しながら、隣の少女に顔を向ける。

 

「少し聞きたいことがあんだけど、時間あるか?」

「いいよ。私も、貴方に聞きたいことがあった」

 

こちらの問いかけに頷くと、アイズ・ヴァレンシュタインは薄い表情でそう言った。




閲覧ありがとうございます!
最近、少し忙しくなってきたので更新ペース落ちますが、2、3日に一度の更新ペースで頑張りますのでよろしくお願いします!

いつもご感想やご評価ありがとうございます!


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13

隣の有名人のせいでギルドでは注目を集めてしまうので、少し歩いた場所にある広場に場所を変えた。

冒険者の少ない場所ならば多少、目があるものの煩わしさを感じるほどではない。

適当な場所に腰を下ろすと少し間を空けてアイズが隣に座る。

 

「聞きたい事って、何?」

 

意外な事に先に口を開いたのは彼女の方からだった。

考えていることが分かりづらいので、実は彼女の事は少し苦手だ。

浮世離れした少女との距離感を取りあぐねながら、その顔を見る。

 

「アンタ、この間の時ミノタウロス瞬殺したんだってな」

 

思い出されるミノタウロス。

リベンジを誓ったあの牛頭について尋ねると彼女は何でもないようにコクリと頷く。

 

「うん。中層のモンスターくらいなら、特に問題ない」

「くらいって……ロキファミリアってのは、何階まで潜ってる訳?」

「いま58階層。もう少ししたら、59階層開拓の遠征が始まる」

「59階層……差はデカいなぁ」

 

簡単に言われるが、59階層という数字に眩暈すら感じてしまう。

きっと彼女にとって15階層のミノタウロスは瞬殺して当たり前の存在なのだ。

冒険者の最前線はまだまだ遠い、と自分の立ち位置を認識しながら深いため息を吐いた。

首を傾げるアイズに苦笑いして肩を竦める。

 

「いや本当はさ、アンタにミノタウロス倒すアドバイスを聞きたかったんだ……でもこの分だとあんまり参考になんなそうだ」

「ミノタウロス?君は、まだLv.1だと思うけど……?」

「だからって引っ込んでる訳にもいかねえじゃん。リベンジしてやるよ、そのうち」

 

言いながら少し鼻息を荒くすれば、アイズは不思議なものを見るような目でこちらを見ていた。

ここでも女の子には理解してもらえないのか、とヘスティアの顔を思い出す。

どうにも男の子の意地っていう奴は、どこか奇妙なものに見えてしまうらしい。

 

「ま、しばらくかかりそうだけど……そっちは?俺に何か聞きたい事があったんだろ?」

 

そう口にすると、アイズはその目の色を僅かに変えた。

吸い込まれそうな金色の瞳に思わず目が向く。

 

「私が、ミノタウロスを倒した時、攻撃する前からダメージを負っていた……あれは君がやったの?」

 

もしかしてガゼルパンチを叩き込んだことを言っているのだろうか?

質問の内容に面を喰らいながらも首肯する。

 

「そうけど、少し脳みそ揺らしただけで別にダメージ自体は大して大きくなかった筈だぜ?」

「脳を、揺らす?昨日見せてくれたもの?」

 

小首を傾げられる。

もしかしたら、この世界って人体科学があまり発達していないのかもしれない。

立ち上がると拳を構える。フックをゆっくり放って見せると、アイズはそれを面白そうに眺めていた。

 

「こんな感じで顎を横から上手い感じに鋭く打ち抜くと、相手は目の前が真っ白になって足とかに力が入らなくなるんだ……脳みそが揺れるっていうのはそゆこと」

「……君は、面白い体術を使うんだね」

「ボクシングっていうんだ、名前覚えといて損ないぜ?」

 

ジャブ、ストレート、フック、アッパーを連続で放って見せる。

拳が走るたびに鋭い風切音が聞こえるが、彼女にとっては珍しくもない光景だろう。

それでもアイズの視線はじっと何かを観察するように拳を追っていた。

 

「それが君の……強さの秘訣?」

「なに皮肉?別に強くねえ、よっ!」

 

パンと伸びきったストレートを畳むと、彼女の方を振り返る。

Lv.5の人間に言われたところでお世辞にすら聞こえない。

しかし多分、純粋な意味で言ったのだろう。

向けられる真っ直ぐな視線に気づいてポリポリと頬を掻いた。

 

「でも、もし仮に強く見えるんだとしたら……多分、ハートでは負けてないつもりだからじゃねえかな?」

「ハート?」

「気持ちの強さっていうか、倒れない覚悟っていうか?ボクシングって不屈の精神が肝だし」

「不屈の精神……」

 

曖昧な言葉を1つ1つ確かめるようにアイズは復唱する。

その光景に、行き詰っていた部活の後輩にアドバイスしていた時の事がふと頭に浮かんだ。

いつも判定負けしてしまうような愚直で不器用な男だった。

もしかしたら……彼女は浮世離れしているというよりも、どこか幼く不器用なのが正しいのかもしれない。Lv.5の冒険者も戦闘力を除けば、普通の人間なのだ。

 

何だか拍子抜けした様に、自然と肩の力が抜けた。

自分はこんな女の子をどんな目で見ていたのかと思ってしまう。

 

「別にあんまり考え込まなくていいと思うぞ、自分でもよく分かんないまま言っただけだし」

 

そう口を開けば、騙されたと言わんばかりの色がその顔に滲む。

いや、他人の言葉を信じすぎだろ……詐欺とかに引っかかり易そうな気がする。

 

「アンタは考え込むより、直感的に生きた方がいい気するなぁ。なんとなくだけど」

「?どういう、こと?」

「迷ったら最初に心に浮かんだことをやればいいのさ。シンプルに生きた方が分かりやすいだろ?俺はいつもそうしてる」

 

お節介だとは思いつつも、気が付けばそんな事を口走っていた。

 

悩むことはいい事だけど、決断の時にそれを待ってくれる事は少ない。

そんな時、自分は直感と言うものを結構頼りにして生きてきた。

彼女も頭で色々と考えるよりも、まず行動するようなタイプのように見える。

そういう人間が考えすぎるとかえって遠回りになることがあるのは、実体験だ。

 

余計な思考が物を見えなくさせる。

何事にもリフレッシュは必要だ。

 

「……なぁ、一手だけ。俺と手合せしてもらえないか?」

 

そう言えば、彼女はきょとんと目を瞬かせた。

 

「君と?」

「そう。ちゃんとしたLv.5の奴とお願いしたかったんだ」

 

唐突なお願いに、アイズは少し考えてから頷いてくれた。

場の空気を変える為の申し出だったが、前から狙っていたことでもあった。

圧倒的強者との手合せ。この一戦の中で、きっと盗めるものはある。

どこからか棒を拾ってきたアイズ相手に拳を構えながらそう考える。

 

「……」

 

気が付けば幼さを感じさせた表情はなりを潜め、剣士の表情がこちらを見てきていた。

流石だ、と思いながらじんわり汗をかく。

棒を構える前から自分が分かるような隙などどこにもない。

そしてアイズがゆっくりとその棒を構えた瞬間、その右腕がブレた。

 

「っ!?」

 

瞬きの間に5発。

どこから打ってきているのか分からない角度から、体が激しく打ち据えられる。

全く、反応が出来ない。

 

絶妙に手加減された痛みに顔を歪めながら、必死で彼女の姿を見る。

アイズは思った以上にテクニカルな戦い方をしてきていた。

閃光より早い刺突は過去のどんな攻撃をも上回るスピードで、的確に体を打ちのめす。

 

手首、肩、腿、鳩尾。

 

反応するより早く、攻撃の起点となる部分は全て潰されるのは悪夢の様な光景だ。

『攻撃は最大の防御』を正しく体現した動き。

これがLv.5の真の強さか、と肌が粟立つのを感じる。

カッと体が熱くなった。

 

「上等ぉだっ!」

 

だが、それがいい。

 

一叫すると同時に前に出た。

速さは電光石火だが、倒す気のない手加減された攻撃は極めて軽い。

耐えられない重さではない。

 

ギュウと握り締めた拳を振り抜く。

女の子相手に手加減するなどと言うほどに自惚れてはいない。

肌にビリビリと感じる強さは圧倒的格上の実力を暴力的なまでに示している。

ならば、放つのは撃ち貫く勢いの渾身の右ストレート。

 

空気が穿たれる。

 

「……」

「…………参ったな、こりゃあ」

 

思わず、そう言って笑ってしまった。

 

目の前には眉間にピタリと止められた棒の先端。

そこから伸びるしなやかな右腕は刺突を放った姿勢のまま。その顔はじっとこちらを見つめている。

眼光は鋭い。間違いなく意識を刈り取る一撃だ。

 

空を切った右拳は、掠りすらせずに伸びきっていた。

 

「……完敗だ。くそっ。ここまで完封されるのは久しぶりだ」

 

当たり前ではあるものの、彼女に触れる事すら出来なかった。

まだ少女の域を出ない歳なのに、経験値の重さを感じる。

動きの1つ1つが長い年月に洗練されていた。

自分に足りないものが多すぎる。

だがそのお蔭で必要なものが見えた気がする、と思いながら拳を下ろした。

 

「悪いな、急なお願いに付き合ってくれて。お陰で何か掴めそうだ、本当にありがとう」

「……」

 

返事がない。

何故だろうか、じっと観察されているような視線がこちらに向けられている。

戸惑いながら首を傾げると、アイズはハッと我に返ったように目を瞬いた。

 

「別に、大したことじゃない……よ」

「?そう?そう言ってもらえるとありがたいけどさ……そうだ、この間のお礼も兼ねて何か奢ってやるよ。何がいい?」

「奢り……?」

「まぁ、軽食くらいだけどさ。小腹空いたろ?」

 

時刻は3時くらいになっていた。

軽い運動で空腹感を訴える胃に何か入れたくてしょうがない。

そうだろ?と視線を向ければ、コクリとその顔が頷かれた。

 

「じゃが丸くん、食べたい」

「……じゃが丸くん、かぁ」

 

チラリとヘスティアの顔が頭を過ったが、今日はシフト入っていなかったはずだ……多分きっと。

だったらベッドを抜けて置いていった事に小言を言われる心配もないだろう。

それに、何よりも値段が手頃だ。

グットチョイスに思わずサムズアップする。

 

「よし!何個でも食え食え。最近、懐が温かいし大盤振舞だ」

「うん、ありがとう……」

「こっちが礼してんだから、そっちはお礼言わなくていいって」

 

クククと笑いながらそう言う。

1個30ヴァリス程度なら別に何個でも痛くはない。

こんなもんで感謝してもらえるなら安いものだ。

そう思いながら北のメインストリートに足を向ける。

 

その考えが甘かったのだと察したのは、彼女が露店でビックリするほどの数を注文した時の事だった。

確かに何個でもいいとは言ったけど……まぁ、命の恩人にケチつけるほど器は狭くない。

その日の財布が軽くなったことは言うまでもなかった。

 

 

 

 

夕刻、アイズ・ヴァレンシュタインが自分のホームの戸を潜ったの日が沈みかけた頃だった。

お土産のジャガ丸くんを携えながら、帰宅したアイズにティオナが気が付く。

 

「あれ?アイズ遅かったねー、ギルドに顔出しただけじゃなかったの?」

「ただいま、ティオナ……ギルドには、ほとんどいなかったよ」

「用事あったんじゃないの?」

「ううん。大丈夫、だった」

 

首を傾げるティオナの前をそのまま通り過ぎる。

ジャガ丸くんを口にしながら、思い出すのは広場での手合せだった。

 

(あの子の動き……何か、変だった)

 

何だろう?

見慣れない動きに戸惑ったのだろうか、それとも予想外のタフさが意外だったのか。

他の誰かと戦っていた時には感じなかった違和感がアイズの胸に残っていた。

勘違いでなければ、戦いの中で少し、ほんの僅かだけ強くなっていた気がする。

それがハートで負けていないということなのだろうか?

いや、もっと別のことのような……

 

(……分からない)

 

口の中でジャガ丸くんの味が広がる。

疑問は解けない。悶々とする頭の中で、イットの言葉が浮かんだ。

 

「最初に浮かんだことを、やればいい……」

 

最初に浮かんだものは何だろう?

何故、彼の提案に頷いたのだったか?

そんな考えの中、ふとアイズの頭にあることが浮かんだ。

 

「あ。あの兎の子のこと……聞くの忘れてた」

 

考えはそこで停止してしまう。

ポツリと呟いた言葉は少し空しい響きをしていた。




恋愛フラグはまだ立ってませんが、別のフラグが立ちました←

p.s.お気に入り4000件ありがとうございます!皆さんに感謝です!


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閑話03

「今の君は理由ははっきりしないけど、恐ろしく成長が早い」

 

そう言って貰えた時、多分ベル・クラネルが感じたのは突き抜けるような喜びだった。

 

ダンジョンへの蛮勇交じりの特攻からほぼ1日が過ぎた。

ステイタス更新を行ったベルを待っていたのはトータル上昇値600という熟練度の上昇、そしてヘスティアの『君には才能があると思う』という言葉だった。

 

「ほ、本当ですか!?」

「なんだか嬉しそうだね、ベル君」

「はいっ!だって、僕これまであんまり冴えてなかったから何だか嬉しくて」

 

この街に来た時はそれこそ、どのファミリアでも弱そうだからと門前払いだったのを思い出す。

目の前の小さな神様に拾われて、遅々とした成長に歯噛みしながら過ごしていたからこそ、示された熟練値は自分のものでないようにキラキラと輝いて見えるのだ。

 

きっとこれならっ、と胸を膨らませながらベルは上機嫌でヘスティアに顔を向ける。

 

「あのっ!イットは、今どのくらいのステイタスなんですか!」

「えっ!?あ、えーっとだね」

 

返ってきたのは意外な反応だった。

何だろうか、とベルは思わぬ反応に首を傾げた。

どこか困ったように眉を寄せるヘスティアにベルは目を瞬かせる。

 

「……何か僕、マズいこと聞いちゃいました?」

「ううん。そういう訳じゃないんだけどね……うん、そうだね落ち着いて聞くんだよ、ベル君」

「?はい、何ですか?」

 

神妙な眼差しがベルをじぃと見つめる。

 

「イット君は耐久がSになった」

「え、S……ですか?」

「うん。でも、器用さとかはまだDなんだけどね」

 

そうおどけて言うようにヘスティアは言うけれど、まだどれもランクE未満のベルにとってはあまりにも遠い壁だった。

がっくり肩を落とすと、その肩をポンポンとヘスティアの小さな手が叩く。

 

「あの子にはスキルがあるんだから、あまり比べちゃダメだよベル君?」

「はい……【超超回復】かぁ。いいなぁ……僕もスキル発現しないかな」

「ハハハ、ソウダネ。ハツゲンスルトイイネ」

「神様、何で片言なんですか?」

 

挙動不審に目を逸らすヘスティアを疑問に思いながら、ベルは同じファミリアの少年を思い浮かべる。

 

(Sランクかぁ……)

 

ほとんどの冒険者が到達しないまま、レベルアップしてしまうという熟練度の極み。

自分と同じスタートを切ったはずの同期が1項目だけとはいえ、その領域に足を突っ込んだ事実はベルに地味にショックを与えていた。

 

「まったく……本当にベル君は、イット君のこと意識してばっかりだね」

「え!?」

「何驚いてるんだい?見てれば分かるさ、ボクの眷族なんだもの」

 

ふふん、と胸を張って得意げに言うヘスティアだったが、慌てるベルはそんな事には気が付かない。

 

「ど、どどどどうして」

「そりゃあベル君、君は何回ボクにイット君のステイタス聞いてきたと思ってるんだい?最近はご無沙汰だったけど、気付かない方がおかしいよ」

 

そんなに尋ねていただろうか、と思わず記憶を辿ってみる。

いつからだろうか……自分とイットのステイタスの差が恥ずかしくなって見せ合うのをやめてしまってからだったから、かなり長いことヘスティアに尋ねていた気がする。

 

「イットにはこの事……」

「大丈夫。言ってないし、多分気付いてないよ。敏いかと思えば、あの子は鈍い部分もあるしねっ」

「そう、ですか」

 

ホッとしたような、少し残念なような気持ちが胸の中を漂った。

 

「ベル君はイット君に勝ちたいのかい?」

「えっ、いや!?そんなんじゃないです……ただ、いつかイットの事助けられるようになれたらいいなって」

「?それだけかい?」

 

首を傾げるヘスティアに頷く。

ミノタウロスから庇ってもらって以来、イットへの感情はそのはずだった。

違うんですか?と口に出せば、ヘスティアはうーんと唸った。

 

「気付いてない?ベル君も優しい子だし、そういう考えにいかないのかも……」

「か、神様?」

「ん?おっと、ごめんよベル君。ちょっと考え事してたんだ」

「そう、なんですか?」

 

顎に手を当てながら、部屋をぐるぐるとヘスティアは回る。

身長の低さも相まって、なんだか小動物の徘徊のようにも見える。

ツインテールがクルクルと揺れるのを何となく目で追っていると、ポンとヘスティアは手を打った。

 

「ベル君!」

「は、はいっ!」

「もし勝てるとしたら、君はイット君に勝ちたいかい?」

 

パチクリとベルは目を瞬いた。

どういう意味だろうか、と一瞬理解が追い付かなくなる。

その意味が脳みそに染み込むとブンブンと顔を横に振った。

 

「いやいやいや!イットは勝つとかじゃなくて……ほら大切な家族ですしっ」

「どんなに仲が良くても、喧嘩くらいするものさ!」

「何言ってるんですか、神様!?」

 

そうベルは絶叫するが、ヘスティアはニコニコと笑みを崩さない。

 

「何かに気おくれしてるのか分からないけど、ボクが教えてあげる……ベル君はイット君に『ライバル心』を抱いてるんだ」

「ライバル心、ですか?」

「そう。追いつき追い越してやりたいって思える気持ちのことさ」

 

そんなものを持っているのだろうか、とベルは思わず胸に手を当てる。

しかし、そんな思考とは裏腹に心臓はドキドキと早鐘を打っていた。

そうだとも!と激しく同意するように……多分、ずっと前から心ではそれを理解していたのだ。

自分の中の熱い思いに戸惑いながらベルは口を開く。

 

「……神様」

「うん」

「僕……イットに負けたくないです」

 

そう言葉にすれば、ストンとそれは胸に落ちた。

収まるべきところに収まったように妙な居心地の良さを感じる。

顔つきが良くなったベルに満足するかのようにヘスティアはにこっと笑った。

 

「うん、そっちの方がよっぽどいい顔だね」

「そう、ですか?」

 

別段、変わった気のしないベルは自分の顔を触りながら首を傾げる。

そのまま鏡の前に立ってみるも、そこにいるのは幼い顔つきをしたいつものベル・クラネルだ。

分からないなぁ、と内心で呟いているとその背中に声が掛けられた。

 

「そうだベル君、僕は今日の夜……いやここ何日か部屋を留守にするよ。構わないかな?」

「えっ? あ、わかりました、バイトですか?」

「いや、行く気はなかったんだけど、友達の開くパーティーに顔を出そうかと思ってね。久しぶりにみんなの顔を見たくなったんだ」

 

1枚の招待状を持ちながら、ヘスティアは振り返る。

 

「イット君にもよろしく言っといてくれたまえ!」

 

そう言って彼女はパチンとウィンクして見せた。

 

 

 

 

 

 

 

「と、格好良く来たのはいいけど……ヘファイストスは何処なんだい、まったく」

 

ムグムグとヘスティアは口を動かしながら親友の神の姿を会場に探していた。

 

神の宴。

 

男神ガネーシャ主催による神達のパーティに彼女は出席していた。

一心不乱に食べ物を口にしながら、時折タッパーにその料理を詰めている様子はパーティの過ごし方として激しく間違っているものだったが……彼女の事を知っている神々は「ロリ巨乳パネェっすww」と温かく見守っている。

 

その中で近づく人影が1つ。

 

「なんやぁ、相変わらず偉く貧乏くさいことしるやないかドチビ」

「むっ!!」

 

とても嫌な声が聞こえた。

敵意を剥き出しにしながらヘスティアが振り返ると、細目の女性がニヤニヤとこちらを見ていた。

天界にいた時から犬猿の仲である相手が、ドレスに身を包んでそこにいた。

ヘスティアが思わず渋面になるのは仕方がないだろう。

 

「何の用だい、ロキ?」

「用がなかったら話しかけていかんやなんて、心狭っちい奴やなぁ?そんなんやから構成員2人の極貧ファミリアなんやねんで?」

「ふ、ふんっ!!少数精鋭と言ってくれたまえ!ボクの子たちは凄いからね!お山の大将気分は時間の問題なんじゃないのかい?」

 

2人の皮肉の応酬は見慣れた光景だ。

これがやがて罵倒へと変わり、取っ組み合いの喧嘩になるまでが一連の流れだったが、今日は少し様子が違った。

ぬぐぐ!と眉を吊り上げていたヘスティアの方がその怒気を引っ込めたのだ。

 

「……ふんっ!ちょうどよかったよ、ロキ。君のファミリアに所属しているヴァレン何某について聞きたかったんだ」

「うぅん? ドチビがうちに願い事なんて、明日は溶岩の雨でも降るんとちゃうか?……まぁ、うちもドチビに聞きたい事があったからええんやけどな」

 

珍しいことがあるものだ、とヘスティアも驚いた。

自分で尋ねておいてなんだが、彼女が質問をしてくるなんて天変地異の前触れの気さえした。

 

「まぁいい、聞くよ?君のところの【剣姫】には、付き合ってるような男や伴侶はいるのかい?」

「あほぅ、アイズはうちのお気に入りや。嫁には絶対出さんし、誰にもくれてやらん。うち以外があの子にちょっかい出してきたら、そいつは八つ裂きにする」

 

その答えに複雑そうな表情をヘスティアは浮かべた。

ベルの前途多難な恋路への心配か、アイズには恋人がいるとベルを諦めさせられなかった残念さか。

正直な話、ヘスティアもベルを婿には出したくなかった。

子離れするにはまだまだ時間が足りないのだ。

 

「質問はそれだけかドチビ?なら次はうちの番やな?」

 

何か尋ねられるようなことがあっただろうか、と思いながらも思わず身構えてしまう。

 

「ギルドでよく聞く『死にたがり』の拳闘士、ドチビんとこの子やってな」

 

その口から紡ぎだれたのはイットの事だった。

 

「あの少年、冒険初めて半月にしてはちょい強すぎや……ドチビ、まさか『力』使うたんやないやろな?」

 

その薄い目が睨みつけるように開かれる。

『力』を使う……下界では禁止されている神本来の力を行使して、イットを改造したのではないかと彼女は言っているのだ。

 

「そ、それは言いがかりじゃないかい!?イット君だって結構無茶してダンジョン攻略してるんだし、少しくらい早く成長するのは当然だと思うけれど?」

「……この間な、うちのとこのベートと喧嘩やりおうた所見とったけど、そんなもんで片づけられるようなもんやなかったで」

 

ベート……というと、ベート・ローガの事だろうか?

突然出てくるLv.5の『凶狼』の名前にヘスティアの目は真ん丸に見開かれた。

 

「い、イット君がLv.5に喧嘩売ったのかい!?」

「こっちに非が全くないとは言わんし、うちの子たちは文句ないらしいから喧嘩自体は水に流したる。けどな、初心者の域を出ないはずのLv.1がうちのLv.5に一発当てたんはどんなに悪条件があったとはいえ、見過ごせるような話やないで?」

 

ゴクリ、とヘスティアの喉が鳴る。

全くの予想外の話だった。

様々な幸運とイットの格闘技が上手く嵌った奇跡なのかもしれないけれど、注目してくれと言わんばかりの出来事だ。

スキル【超超回復】を隠しておきたいヘスティアとしては、気が気ではない。

 

自然と目が泳ぎそうになるのを堪えながら、ヘスティアはポーカーフェイスで余裕の笑みを浮かべて見せる。

 

「か、かかかか考え過ぎじゃないかな?Lv.2になった訳じゃあるまいし、すっ少し大げさすぎるよロキ」

 

……前言撤回。

ポーカーフェイスは全く機能せずに、ヘスティアは滝のような汗を流している。

疑わしそうなロキの眼差しを感じながら、それでも彼女はにっこりと笑った。

 

「……2人とも何やってんのよ」

 

ふと、そんなため息が聞こえた。

 

会場が遠巻きにその様子を眺めている中、1人の女神が近づいてくる。

赤髪に大きな眼帯をつけた麗人の登場はまさに天啓であり、その姿はヘスティアの探し求めていた親友のものだった。

 

「ヘファイストス!!」

「なんや、ファイたんか」

 

喜びにその顔が満開になるヘスティアはしかし、その後ろから近づいてくるもう1人の女神に笑顔を僅かに陰らせた。

 

「ふ、フレイヤっ。君も来てたんだね」

「あら?お邪魔だったかしらヘスティア?」

「そんなことはないけど……ボクは君が少し苦手なんだ」

「うふふ。貴方のそういうところ、私は好きよ?ロキも相変わらずね」

「フレイヤもこの間ぶりやな」

 

そう言いながら、問い詰める雰囲気でなくなった事にロキは疑わしそうな眼差しを引っ込めた。

彼女は身長の低いヘスティアの耳元に口を近づけると囁く。

 

「証拠もないし今回は退いたるけど、不正しとった時は……分かってるやろな?」

「もちろんだよっ。君の方こそ、今度はその節穴をちゃんと磨いておくんだね」

 

ぬかせ、と返してロキはクルリと背を向ける。

それで用は済んだとどっかに行ってしまうロキを目で追いながら、ヘスティアはため息を吐いた。

どうにか窮地は脱したようだ。

 

「まったく……2人の喧嘩はいつもの事だけど、今回は何が原因だったのよ?」

「あっ聞いておくれよ、ヘファイストス!ロキの奴、ボクの子にイチャモンつけてきたんだ!」

「あぁ……ベルとイットって言ったっけ?ロキと揉めたっていうと『死にたがり』君の方かしら?この間の喧嘩、うちの子達が教えてくれたわ」

「まったく!イット君ってば、喧嘩相手がロキのとことだなんて教えてくれなかったんだよ!」

 

信用がないんだろうか、と頬を膨らませて怒るヘスティアの様子にヘファイストスは肩を竦める。

 

「あまり感心しないけど、話題に尽きない子ね」

「無茶してばかりの子さ!ベル君もライバル心燃やしちゃって……はっ!?さっき焚き付けたからベル君の無茶が加速するかもしれない!?」

「落ち着きなさい、ヘスティア?」

 

あわあわと自分の子の心配をする姿はまるで親馬鹿だ。

ぐーたらとニートのような生活をしていた頃とは別人の様。

親友の変わりようにヘファイストスは嬉しいやら心配やらで複雑な表情だ。

 

「にしてもあんたがそんなに変わるとはね……白髪と黒髪のヒューマンだっけ?」

「うん!ボクにはもったいないくらいいい子達だよ!」

 

笑顔のヘスティアに苦笑するヘファイストスと……静かに微笑むフレイヤ。

彼女はコトリとグラスを置くとゆっくりと口を開いた。

 

「あまり話せないで悪いけれど、そろそろ失礼するわね」

「本当にあんた、喋ってないじゃない。急用?」

「えぇ、聞きたい事はもう聞けたし……ここの男達はみんな食べ飽きてしまったもの」

 

それじゃあ、と言い残し艶やかに手を振って去っていくフレイヤに、ヘスティアは顔を顰める。

流石は『美に魅せられた』神、その桁がハンパではない。

やはり美の神はだらしないのだ、とヘスティアは再認識した。

 

彼女にはファミリアの主神たる自覚が足りない。

ヘスティアはそう考えながら、覚悟を決めたように口を結んだ。

 

「……ヘファイストス……実は、君にお願いがあるんだ」

 

言った途端、親友の蔑んだような眼差しが顔に突き刺さった。

今まで散々迷惑を掛けて、脛をかじってまだ頼み事をするのは虫が良すぎる事は分かっている。

 

それでも、自分は子供達の為にしてあげられる事をしたい。

その為の覚悟を決めながら、ヘスティアはその口を開く。

 

それは怪物祭を近くに控えたある夜の事だった。




閲覧ありがとうございます!
相変わらず話が進まなくて申し訳ない…早くリリスケ登場させてやりたいです。

ベル君がアップを始めました←


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14

汗水垂らして、拳を振るっているとボクシングを始めてすぐの頃を思い出す。

 

腕が上がんなくなるまでミットを打って、倒れそうになるほど走り込んで、そうやって徐々に出来上っていく自分のパンチが何よりも楽しかったのを思い出す。

 

こうやって体を苛め抜くと、拳を研ぎ澄ませる事が好きだったことを思い出すのだ。

 

「おう坊主!へばってんのか!」

「誰、がっ!」

 

おっさんの声に弾かれるように前に飛び出した。

自分よりも2回りは大きなその巨体はまるで壁のように立ちはだかっている。

その前で構えられた両掌に鋭く拳を射抜くと、乾いた音が鳴った。

 

「ふぅっ!!」

 

レバー、テンプル(米神)、ジョー(顎)、そして心臓。

縦横無尽に位置を変えるその掌を乱打する。

ミットではない感触は拳にダイレクトに衝撃を伝えてきた。

未だに慣れない感触だが、一息吐く間は与えられない。

 

気を抜けばすぐにおっさんからの反撃が飛んでくるのだ。

 

「ぬんっ!」

 

瞬きした瞬間、おっさんの両掌が拳に形を変えて迫ってくる。

 

右、左右、右左左左右左右右左右──

上体を振って避けるも、その攻撃は早い。

先読みをしているにも関わらずチリチリと肌を掠める速さは流石の一言だ……と、そんな事を考えたのが悪かったのだろう。

 

「ほぅれ、足元がお留守だぜ」

 

一言、聞こえた瞬間には視界が回っていた。

遅れて膝付近から弾けるような痛みが伝播する。

ローキックされた、と気付いた時には背中から地面に叩き付けられていた。

 

「ぐがっ!?」

「んあ?太陽が高えの……そろそろ飯時だ!坊主、休憩だ!飯を食いに行くぞ!」

「唐、突過ぎんだろ、おっさん……ちょいタンマ」

 

荒い息を整えながら立ち上がる。

対して涼しげな顔しているおっさんを見ると、実力差を感じると共に無性に腹が立った。

だからこそ、こうして鍛えて貰っているんだが……と思いながらも何だか釈然としない。

 

「がっはは!情けないぞ、坊主!『ぼくしんぐ』とかいう体術が上手いのは分かっとるが、足元のお留守は直らんの」

「分かってんよ……これも、すぐに直して見せるさ」

 

口を尖らせながら言うも、課題は山積みだ。

習うべきこと、鍛えることは本当にたくさん存在する。

 

「……」

 

おっさんに鍛えてもらい始めて早数日が過ぎていた。

やっている事といえば、模擬戦、ミット打ちもどき、そしてダンジョン講座だけだが十分な血肉になっているのを感じる。

特にLv.4のおっさんの動きについていこうと感覚が鋭敏になっていくのは楽しい感覚だった。

 

……だが、それでは足りない。

これから目指そうとしている形に、それでは足りないのだ。

 

『正直の、坊主。お前さんの体術はダンジョン攻略に向かん』

 

鍛錬初日、おっさんが伝えたのはそんな言葉だった。

 

元々、ボクシングは様々なルールの中での格闘技だ。

ダンジョンという無法地帯で戦えるようには設計されていない。

このまま潜り続ければいずれ無理が出てくる。

 

戦い方の問題だ。

『ボクサー』か、『冒険者』か。

どちらかを選ぶことが求められていた。

 

『ダンジョンっつうのは中層以降まるで世界が変わっとる。もしどちらかに絞るなら今だぜ、坊主』

 

それは、おっさんらしくもない心配するような表情だった。

もしかしたら鍛錬をしてくれることになったのは、そんな懸念があったからかもしれない。

 

けれども、そんな覚悟はとっくの昔に決まっていたのだ。

 

『……愚問だよ、おっさん。アンタらしくもない』

『ぬ?』

『どっちもやるんだよ、ダンジョンでもボクシングを貫く。それだけの地力を付ければ無問題だろ?男見せてやるよ、おっさん』

 

おっさんが呆気にとられたような表情を浮かべた後、地鳴りがするほど大笑いしたのはちょっとした見ものだった。

レベッカが何事かと顔を見せたほどだったのだから、騒音も良いところだ。

けれど、おっさんのその大きな笑い声は「やってみろ」と励ましているようにも聞こえて、何だか嫌いじゃなかった。

 

そして、今。

 

「覚悟決めたんだけどな……足んねえなぁ」

 

まだまだ足りない地力に思わず歯噛みしてしまう。

ボクシングを基礎から徹底的にやり直すこと。

冒険者としての立ち回りを覚えて、ボクシングに活かすこと。

やる事はとてもシンプルだ、けれどそれ故に伸ばすことは難しい。

 

「まぁ腹が減っては戦も出来ぬと言う!通りへ繰り出すぞ、坊主!今日は怪物祭だ!美味いもんもたくさんあろうが!」

「?……怪物祭?」

「ガネーシャ・ファミリア主催の闘技場でモンスターとガチンコする見世物よ!相手を屈服させる!男のぶつかり合いは血が滾るわい!」

 

おっさんは実に愉快そうに体を揺するが、怪物祭については初耳だった。

世情に疎すぎるのだろうか、と思いながらも少しその内容にも興味が湧く。

おっさんの気に当てられてか、気分が高揚するのを感じながら闘技場のある方向に目を向けた。

 

「……ちょっと?それ、あたしを置いて行こうって訳じゃないわよね?」

 

不機嫌そうな声が耳朶を打った。

 

視界に割り込むように、細められたブラウンの瞳が現れる。

先ほどまで作業をしていたのか、その頬には薄っすらと汗が滲んでいるのがこの近距離だとよく見えた。

当然、その「忘れてないだろうな?」という言わんばかりの表情もだ。

 

……正直、彼女の事を忘れていたとは口が裂けても言えない。

 

「ぬ?おおっ、しまった!こやつの事を忘れとった!」

「そんな事だろうと思ったわよっ、ダメ親父!」

 

レベッカが怒りの蹴りを入れるも、本人はケロッと笑っているのは最早お約束の光景だ。

しかし、こんな人でも人望はあるというのだから世の中面白く出来ている。

 

そんな事を思っていると、ガチャリという音と共に目の前にガントレットが差し出された。

 

「試作8号よ、さっき完成したの。試して頂戴」

 

笑顔と共にレベッカから渡された鈍い鉄の輝きに、思わず目を奪われてしまう。

ミノタウロス戦からこれまで、彼女が打った7つの試作品も悪かった訳ではない。

しかし、このガントレットは傑作だと素人目にも感じる事が出来た。

 

「我ながらかなりの出来よ。アンタの馬鹿みたいな使い方にも今回はきっと耐えられると思うわ」

「これ……今、着けてみていいか?」

「当たり前でしょ?付け心地の感想聞かせてよ」

 

恐る恐る両手を通す。

腕に合わせて作られた曲線は吸いつくように腕に馴染んだ。

軽く拳を握るも、違和感はない。

数発シャドーしてみれば、小気味良い風切音が鳴った。

 

「うん、最高だ……これで駆け出しだっていうんだから凄えよ」

「たまたま鍛冶系スキル持ってるだけよ。私自身はまだまだ駆け出しなの。その子だってまだまだ発展途中よ」

 

一体、試作何号まで作るのかと思いながらも、その情熱には感謝の言葉しかない。

それを伝えればきっと彼女はいい顔をしないんだろうけれど、と思いながら笑って見せる。

 

「そりゃ楽しみだな」

「ええ、楽しみにして頂戴」

 

得意げな響きを滲ませて、彼女は歯を見せて笑う。

何が嬉しいのか大笑いをするおっさんの声を耳にしながら、怪物祭が行われる通りへ彼女を誘い出す。

別にデートじゃないんだしこのままで良い、と作業着のままなのは何ともレベッカらしい。

意気揚々と繰り出すおっさんについていく形で、賑やかな通りに足を向けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

闘技場付近に到着すれば、おっさんはその大きな手に小さなチケットを靡かせながら闘技場へ行ってしまった。

どうやら1人でチケットを予約していたらしい。

慌てて後を追って闘技場に駆け込めば当日券は売り切れだと言われ、やむなく肩を落としながら屋台を回っていた。

 

「ちょっと観たかった……」

「辛気臭いわね、大丈夫よ。来年になったら観れるわ」

「……来年、ねぇ」

 

それまで自分はここにいるのだろうか?

 

小さく呟いて、いか焼きのようなものを頬張る。

屋台と人であふれた光景は日本の祭りを思い出させ、少し懐かしさを覚えさせていた。

そんな郷愁の念を抱きながらレベッカと共に通りを練り歩く。

人の多さから普段よりも通りを狭く感じながら足を進めていると、ふと雑踏の中に見覚えのある後ろ姿を見つけた。

 

「おーアイズ。この間ぶり」

 

そう声を掛ければ長い金髪がふわりと広がった。

その向こうから覗かせる顔は少し驚いているようにも見える。

 

「この間ぶり、だね」

 

相変わらず表情薄いなぁ、と感じる。

この子満面の笑みとかするんだろうか、と何となく思っているとその脇に赤い髪の女性が立っている事に気が付いた。

 

アイズの知り合いだろうか?軽く会釈をするも、もの凄い形相でこちらを睨んでくる……はて、何かしただろうか。

記憶を探るもまったくその顔に覚えはない、完全な初対面の筈だった。

 

「えーっと、何か?」

 

恐る恐る尋ねれば、その細い目がカッと見開いた。

 

「『何か?』やて?うちのアイズたんにナンパするなんて、いい度胸やないかぁ!!!」

 

何故だろう、火山の噴火をその背景に幻視した。

これは妙な人に絡まれた、と察した時には最早手遅れだ。

口を挟む間も無く、ずずいと詰め寄られてしまう。

 

「よう見たらその顔、見覚えあるで!この間、うちのベートと喧嘩しとった少年やな!」

「あー……ロキ・ファミリアの人っすか?」

「せや!ウチがロキ・ファミリアの主神、ロキや!!」

 

その言葉に思わず、目の前の人物を二度見する。

 

この人がロキ・ファミリア主神、ロキ。

神様に会うのは3人目だが、ミアハを除いて変な奴しかいないのはどういう事だろうか。

助けを求めるように横を見れば、逃げの体勢を取ろうとしていたレベッカの腕を思わず掴まえた。

 

「ちょっ、放しなさいよ!?」

「頼むから、逃げようとすんな!あれ1人で相手すんのは嫌だぞ」

「知らないわよ。アンタの知り合いなんだから、アンタが対処すればいいじゃない」

「赤髪の方は初対面だよ!」

 

あーだこーだ、と小声で攻防戦を繰り広げていると不意にアイズが口を開いた。

 

「ロキ。彼に喧嘩売るのは、やめてください」

「アイズたん!?」

 

そのファインプレーに思わず親指を立てるが、口は挟まず大人しく成り行きを見守る。

さわらぬ神に祟りなしだ、文字通りの意味で。

 

「あの子は、知り合いです……この間、話したことがあって」

「へ、変なことされてあらへんよな?辛い事あったらすぐウチに言うんやで?」

「……アンタが初対面の癖に俺をどう思ってるのか、よーく分かりました」

 

まるで変質者扱いだ。

いや、過保護なだけだろうか?妙に既視感を覚える光景だった。

具体的に言えば、うちのロリ巨乳が似たようなことを良く口走っていたような気がする。

もしかしたら、どこのファミリアも眷族への接し方はあまり変わらないのかもしれない。

 

(家族ね……)

 

そんな風に2人を眺めていると、にわかに周りが騒がしくなった。心なしか、人の流れが激しい。

何事だろうか、と周りを見渡せば数人のギルド職員がギルドの方に駆けていくのが見えた。

 

「ギルドの方で何かあったのかしら?」

「っぽいな、ちょっと様子見てくる?」

 

そうレベッカに問えば、隣にいたアイズも口を開いた。

 

「私も、行く」

「アイズが行くんやったら、ウチも冷やかしに行こか!」

 

はいはーい!と軽いノリで挙手するロキに軽い苦手意識を感じながらも、ギルドの方へ足を向ける。幸い、場所は目と鼻の先だった。

その入り口に近づけば、ベルの担当職員のハーフエルフ、エイナの姿がそこにはあった。

やはり何か問題が発生したのか、少し険しそうな顔で他の職員と話をしている。

 

「何か、あったんですか?」

 

アイズはそう話しかければ、彼女の顔がパッとこちらを向いた。

その眼がアイズの姿を捉えると、その顔に僅かに安堵の表情が浮かぶ。

次いでエメラルドグリーンの瞳がこちらに向くと、その表情にほんの僅かに険が混じった。

 

その反応に苦笑いしてしまう。

自分の潜り方がベルに悪影響を与えているのではないか、と彼女には少しだけ嫌われてしまっているのだ。

 

「実は、怪物祭で調教するはずだったモンスターが数匹逃げ出してしまって……」

 

聞けば、ダンジョン10階層付近のモンスターが解き放たれてしまい、街は混乱しているのだという。

申し訳なさそうにアイズにモンスター討伐の依頼を出すエイナに、アイズはコクリと頷いた。

 

「分かり、ました」

 

Lv.5の剣姫が対処してくれるなら、心強い。

そんな雰囲気がギルド職員の間に流れる。

 

「あのぉ、1ついいっすか?」

 

そこに口を挟んだ。

 

発言した途端にこちらに向く視線は何を言い出す気なのか、と如実に語っている。

焦っているのか、正直あまり好意的ではない。

その中でも怪訝そうな表情をこちらに向けるエイナに向かって、ニッコリと笑って見せた。

 

「それ、俺も手伝っていい?」

 

エイナの瞳が驚きに見開かれた。




閲覧して頂き、ありがとうございます!

今回でアニメでは2話目くらいですかね…次で3話目を終えられますように…


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15

エイナ・チュールにとって、イット・カネダはあまり好きになれない冒険者だ。

 

彼の死に急ぐような無茶なダンジョン攻略が、自分の担当冒険者であるベルに悪影響を与えかねなかったからだ。

自分を危険に晒して、周りに心配ばかりかける彼の様にベルにはなって欲しくなかった。

イット・カネダという冒険者の事をエイナはあまり好きになれなかった。

 

「ふんっ!!」

 

バコォッ!と。

鈍い、打撃音が広場に響いた。

 

思わず見れば、歓楽街には似つかわしくない3mのオークの巨体が大きく揺らいでいる。

痛みに呻くように少し屈んだ瞬間、硬い音と共に弾けるようにその頭部が跳ね上がった。

目の錯覚だろうか、僅かにその巨体が浮き上がった気さえする重い一撃だった。

 

「初めて見たけど凄いねぇ、死にたがり君」

 

隣で暢気にそう漏らす同僚のミイシャの声を聞きながら、エイナは「ありえない」と小さく呟いた。

先ほど、モンスター討伐に参加する旨を告げられた時、エイナは最初猛反対していた。駆け出しの冒険者には危険すぎる、と。

一緒にいたアイズの一声がなければ、間違いなく止めていただろう。

 

先日、【凶狼】と喧嘩したという一件を耳にした時にも驚いたが、所詮噂だとその内容は信じていなかった。

どこかしらに尾ひれがついて膨れ上がった話なのだと、勝手に認識していたからだ。

普通、半月程度のルーキーであれば、どんなに優秀でもステイタスFがやっとだ。信じる方がおかしい。

 

ならば、そのルーキーがステイタスCは必要とされるオークを叩きのめしている光景は何なのだろうか。

 

「ありえない……」

 

小さくすぼめたような体が、縦横無尽に敵の攻撃を掻い潜り、爆発するような一撃を発射する。

拳のみにこだわる非効率極まりない戦い方が、何故か心を震わせた。

 

嗚呼、これは良くないとエイナは直感する。

ベルに悪影響を与えるかもしれない、と思っていたのが間違いだったと考える。

彼の戦う姿は『必ず』ベルに影響を与えていってしまうだろう。

一発ごとに周りから湧く歓声を耳にすれば、それは確信へと変わった。

 

(……やっぱり彼は)

 

と、考えていた時だった。

ゾワリ、とエイナの腕に鳥肌が粟立った。

 

「っ!?」

 

何だ?と考えるより早く、途切れない打撃音が聴覚の注意をすべて惹き付ける。

 

面白いようにイットの拳打がオークにヒットしていた……まるで自分から当たりに行っているように。

ちぐはぐなオークの行動の隙を貫くように突き刺さる拳。

それを行うルーキーの眼差しは獣のように鋭い。

何だ?何をしたのか?

自分に向けられている訳でもないのに、その闘気に背筋がざわついた。

 

「うぉらあっ!!!!」

 

膝が沈む。

直後に伸び上がる。

腰が捩じられ、固定された腕が振るわれる。

天に突き上げるように伸ばされた拳は快音を伴って、オークの頭部を消し飛ばした。

 

わっ!と観衆が色づく。

 

それは無傷の圧勝だった。

エイナの喉がゴクリと鳴った。

 

(やっぱり、彼は良くない)

 

胸のうちで、そう考えてしまう。

もし彼の行ってきた無茶がその強さを支えているのだとしたら、強くなりたいと言ったベルはどうするのだろうか。

同じファミリアでその姿を間近で見てきたベルのことをやはり心配せざるを得ない。

 

そして、自分がそんな影響を与えていると気付いていないイットにエイナは少しだけ腹を立てた。

 

(やっぱり、あんまり好きになれそうにないかな……)

 

ギルド職員として失格だと自覚しながらも、ベルに肩入れしている一個人としてはそう感じてしまった。

彼が悪い人でないことは分かっているのだけれど、と口にしてエイナはオークを倒したイットに職員として礼を言う為に足を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

硬い石畳を足音が跳ねる。

群衆の中を駆け抜けながら、少し乱れた息を吐き出した。

 

「東のメインストリートっていうと……こっちか」

 

シルバーバックという大猿のモンスターが東区の方に来たとギルド職員が伝えてきたのはつい先ほどの事だった。

証言によれば何かを追いかけるように移動していたが、あっという間に見失ってしまったという。

速い相手は少しだけ苦手なんだがと考えていると、遠くでモンスターの鳴き声が聞こえた。

 

ビンゴだ。

しかし、足を止めその方角に顔を向けると、広がっていた景色に思わず顔を歪めてしまった。

 

「よりにもよってダイダロス通りかぁ……」

 

目の前にある通りは、祭りにも関わらず人の気配が薄い。

この入り組んだ貧困層の住居区画は入ったが最後出て来れない、と噂されるほどに迷宮染みている。

だが、だからといって退くほどやわじゃない。

帰ってくるのは遅くなりそうだと苦笑いを浮かべて、その入り口に突入する。

 

「……」

 

その区画は、やはり人の影すらなかった。

どこも固く戸を閉ざしてしまったのは、例のモンスターがここを通ったからなのだろうか。

足跡を見つけられたのは僥倖だが、目撃証言も聞けないのは痛い。

どこかに歩いている人間でもいないかと辺りを見渡すと、地面に座り込んだ男の姿を見つけた。

 

「なぁ、あんた!こっちにモンスター来なかったか!猿みたいなやつ」

「あ、あぁ、見たとも……白い大きな猿だった」

 

青ざめた顔をした彼は腰を抜かしてしまったらしい。

これでよく襲われなかったものだと思っていると、彼はある方向を指さした。

 

「あ、あっちだ……白い髪のガキとツインテールの嬢ちゃんを追っていったよ」

「白い髪……ツインテール……?」

 

口の中で転がす単語に自然とベルとヘスティアの顔が浮かんだ。

確証はない……しかし嫌な予感がした。

男に礼もそこそこに走る中で、焦燥感が胸を燻るのを感じる。

 

シルバーバックは11階層のモンスターだ。

もし襲われているのがベル達だったとすれば、その相手はかなり厳しい。

嫌な予感が脳内で像を結ぶ。

歯を食いしばりながら、全力で石畳を蹴る。

 

狭い通りを右に、左に曲がるごとにモンスターの声はどんどん大きくなっていく。

この先にいる。

そう確信して通路を抜ければ家々に囲まれた開けた場所に出た。

途端に目を焼く日光に目を細めながら注視すれば、そこにいたのは白い大猿……そしてナイフを構えたベルの姿。

 

「ベル……っ!」

 

ここから見てもベルが傷を負っているのが見えた。

加勢しないと、と思わず駆け寄ろうとしたその手を誰かが掴んだ。

 

「ダメだよ、イット君」

「ヘスっち……?」

 

ゆらりとツインテールを揺らして、彼女はこちらを見ていた。

薄く微笑みを浮かべながら、落ち着いた瞳を向けてくる。

そのあまりに場違いな姿に一瞬混乱するも、上がるモンスターの声に我に返った。

 

「何だよ?ベルが危ねえんだ、用なら後にしてくれ!」

「ううん、ダメだよ。助けに行っちゃダメだって言ってるんだ、イット君」

「……は?」

 

一瞬、言っている意味が理解できなかった。

 

「俺にベルを見殺しにしろって……そう言ってんのか!?」

「違うよ。君はボクと一緒にここで見てておくれ……ベル君の力を信じてあげて欲しいんだ」

「そんなの、」

 

無茶だ、と続けようとした時。

ベルの雄叫びが上がった。

 

勢いよく顔を向けた先で、低く舐めるようにベルが疾走する姿が見えた。

その速度は最後に見た時とは比べ物にならないほどに、速い。

見覚えのない黒いナイフを逆手に構えながら、彼はシルバーバックに迫る。

 

そして、一閃。

足元をすれ違い様に斬りつける。

そのまま急停止して反転すると、飛びつくようにまた斬りかかる。

シルバーバックの手が掴まえようと伸ばされるが、まったく追い切れてなどいなかった。

刃が閃く度に、その白い体毛が赤く染まっていく。

誰がどう見てもベルの優勢だった。

 

「凄えな」

 

ポツリとそう呟けば、隣のヘスティアが誇らしそうな笑顔をこちらに向けた。

 

「そうさ!うちのベル君は凄い子なんだよ!」

「そう、だな……俺、どっかであいつの事ガキ扱いしてたかもしんない。守ってやらないと、って。でも、アイツにそんなの必要なかったんだな」

 

目を細めながら、戦いの光景を見る。

 

『男の背中を押すのも、良い男の条件』

おっさんのそんな言葉が頭を過ぎった。

男は勝手に無茶して勝手に育っていくものだ。

その背中を助けながら押してやることが、自分の本当にすべきことだったのかもしれない。

 

「うぉおあああああ!!!」

 

気が付けばシルバーバックはボロボロだった。

声を上げながら、矢のように飛び出したベルの刺突はその急所を確かに貫いた。

その足が地面に着いた瞬間、大猿の姿が霧散する。

後にはゴトリとシルバーバックの拘束具が落ちているだけだった。

 

「やった!やったよ!ベル君!!」

 

歓声を上げて飛び出していくヘスティアの背中をゆっくりと追いかける。

疲れたのか少しおぼつかない足元のベルの肩に手を回して支えると、彼は驚いたようにこちらに振り返った。

赤い瞳が大きく見開かれる。

 

「え、イット!?なんで、ここに!?」

「成り行きってやつだよ、ベル。それよりも」

 

言葉を待つベルに拳を突き出す。

 

「ナイスガッツだったぜ」

 

目を瞬かせたベルは次の瞬間、嬉しそうな顔をして笑った。

 

「うん!!」

 

コツンと拳をぶつけ合う。

嫌にニコニコとそれを見つめるヘスティアの視線が煩わしかったが、いい気分だ。

ベルの奮闘に当てられたのか、体を動かしたくて仕方がない。

 

(俺も頑張んないとな……)

 

喧騒が静まったことで顔を出す住民を横目に見ながら、ギュッと拳を握りしめた。




レベッカはイットの奮闘を観戦した後、多分飲み物でも飲みながら戻ってくるの待ってます←

いつもご感想、ご評価頂きありがとうございます!


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16

「はい、イット君!」

「え、ヘスっち……どうした、これ?」

 

ヘスティアが『ヘファイストス』と書かれた包みを差し出してきたのは、怪物祭が終わった夜の事だった。

 

『豊穣の女主人』2階の一室。

 

シルバーバックとの一戦の後、何故か疲労で倒れたヘスティアが運び込まれたのは何かと縁のあるこの酒場だった。

シルのご厚意によって提供されたベッドで昏々と眠り続けること数時間、つい先ほど暢気な声と共にヘスティアは目を覚ましたのだ。

ベルとシルが良い雰囲気になりかけていた所だったので、非常にタイミングが悪かったものの……彼女に何事もなくて胸を撫で下ろしている自分がいるのは確かだ。

 

そして今、ヘスティアは少し照れくさそうに包みをこちらに差し出していた。

 

「ベル君のナイフと同じく話をつけてきたんだっ!君への贈り物だよ!」

「え、俺にも?気にしないで良かったのに……でも、ありがとな。開けていいか?」

「もちろんだとも!……まぁ正確に言えば君宛てというのは少し間違いなんだけどね」

 

その言葉に首を傾げながら、包みの封を開く。

中から出てきたのは2つの鉄の塊だった。

一瞬、それが何か理解出来なかったが、じぃと凝視するとやがてそれが鉄の拳であることに気がつく。

 

「ガントレットのパーツ?」

「殴ることに特化した異色のガントレット、そのちょうど拳の部分だよ」

 

その言葉を聞きながら、魅せられたように手の中の輝きに目を落とす。

 

そのパーツは非常に美しかった。

緻密に設計された曲線美、そしてその中に感じる荒々しい輝きが見る者を魅了してくる。

鍛冶の神、ヘファイストスが打ったガントレットパーツ。

その響きだけでどれほどの値が付くか、考えるだけで恐ろしい。

きっと誰もが羨むプレゼントだろう。

 

「……ごめん。これは受け取れないわ」

 

だが、嬉しさよりも先にレベッカの顔が脳裏を過った。

思わず首を振ってしまう。

 

「俺、レベッカに沢山苦労かけてるからさ……ここでこれ受け取っちまうのは筋が通ってないっていうか。あいつが俺の為に苦労して打った物でダンジョン潜りたいんだ」

 

もちろん、このガントレットパーツが自分の強い力になってくれることは分かっている。

しかし、本当に土壇場になった時、力を貸してくれるのは出来が良いだけのものではない。

思い入れ深い物で戦うからこそ、踏ん張れる時もあるのだ……それはきっとレベッカの打った物だと、そう信じている。

 

悪い、と頭を下げると少し間を置いて小さな手が置かれる感触がした。

 

「うん。イット君ならそう言うと思ったよ」

 

そのままポンポンと軽く叩かれる。

思わず顔を上げれば、そこにあったのは軽く肩を竦めたヘスティアの姿だった。

 

「だからね、これはイット君宛てじゃないんだ。その鍛冶師君宛てさ」

「レベッカに……?」

「彼女、ヘファイストスの子なんだってね。ヘファイストスから聞いたよ!だから、それはヘファイストスから鍛冶師君への挑戦状なんだってさ!」

「……それは、また」

 

大変な事になりそうだな、と思った。

レベッカの元にこれを持っていったらどんな事になるだろうか。

恐らく、開発しているガントレットの完成形を目の前に突き付けられた彼女はきっと物凄い勢いで奮起するに違いない。

 

(あいつ、死ぬんじゃないかな……)

 

二徹三徹くらい平気でする子だ。

熱中のしすぎで鍛冶場で倒れられたら洒落にならない。

おっさんに釘刺すように口添えしないと、と心に決めながらヘスティアに頷いて見せる。

 

「そう言う事ならありがたく頂戴するよ。さんきゅな、ヘスっち」

「気にしないでおくれよ!イット君の分はヘファイストスも自分の子への授業料だって、安くしてくれたしね!」

「と、いう事はベルのは高いんだな……」

「おっと。ベル君には内緒だぜ、イット君」

 

大事そうに貰ったナイフを抱えて眠るベルを横目に見ながら、ヘスティアはしーっと指を立てた。

 

こんな逸品を2つ打ってもらう。

いくら友達の神相手でもタダという訳にはいかないだろう。

それ相応の対価を支払ったに違いない。

それでも満足そうな表情を浮かべるヘスティアの顔は晴れ晴れとしていた。

 

そういうところは敵わないなぁ、と思ってしまう。

ベルの寝顔を穏やかに眺めるヘスティアに、ふと昼の事を思い出して口を開いた。

 

「なぁヘスっち。この間さ、ベルのこともっと見てやれって言ってたよな?」

「うん。答えが分かったのかい、イット君?」

「んーつまり、ベルは弱い奴じゃないぞ、ってこと?」

 

昼の光景を思い出しながら、そう口にすればヘスティアはがっかりしたような表情を浮かべた。

 

「……なんだよ?」

「やれやれだよ。君は思ったより鈍感なんだね、イット君。当たらずとも遠からずってところかな?点数で言えば50点もいいとこさ」

「え、低っ」

 

的外れではないようだけど、まだ足りないらしい。

これ以上、ベルの何を見ろって言うのか。

ベッドで眠る彼の顔に視線を落とす。

 

弟分のようなベルの事は理解していたつもりなのだが……本当に理解出来るまでには、もう少しだけ時間がかかりそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

この世界に来て、良かったと思う事が3つある。

 

1つ目は曲がりなりにも、もう1度ボクシングをやる事が出来たという事。

2つ目に人間味あふれる気持ちの良い人達に出会うことが出来たという事。

3つ目が──

 

「ん、流石に重てえ……」

 

──馬鹿をやっても許される突飛なシステムがこの世界にあったことだ。

 

ロードワークに似つかわしくない、ガチャリという微かな金属音と共に足音が重く沈むように路地に響いた。

 

怪物祭を終えて数日が経過していた。

レベッカにヘファイストス印のガントレットパーツを渡してから、しばらく経つ。

 

その時の出来事は、何とも見物だった。

怪訝な顔をしたかと思えば、瞬きを繰り返し、凝視した後、おもむろに凄い勢いで弄りだしたのだ。

『目の色を変える瞬間』というものを初めて見た思いだった……若干、その目が血走っていた事には触れないでおくけれど、それを抜きにしても彼女の豹変は尋常ではなかった。

 

鍛冶師にしか分からない神業の結集があのガントレットパーツには込められているのだという。

必ず技術を盗んで見せる!と鼻息を荒くして宣言したレベッカの瞳には大きな炎がメラメラと燃えていた。

 

「ふぅ」

 

軽い息と共に金属音が鳴る。

 

そんな闘志を燃やす彼女に頼んで作ってもらったのが、この両手足につけた重りだった。

パワーリスト、アンクルよりも遥かに重量あるせいで一歩一歩が重い。

おおよそ自分の体重分くらいだろうか。日本でやったら体を壊す気かと頭を叩かれるような重量だ。

 

しかし、この世界では違う。

 

遥かに強靭な肉体と、筋トレ以外で強くなる方法がこの世界では存在する。

『経験値』などという曖昧なものに依存するシステムならば、枷を付けて鍛えることはより大きな『経験値』になる……筈だ。

 

もし、これで間違っていたら恥ずかしいなと思いながら荒く息を整えていると、トンと腰の辺りに軽い衝撃が来た。

 

「失礼」

 

小人族だろうか、ぶつかった小さな影に謝ろうと顔を向けた瞬間。

 

左手を鋭く抜き放つ。

その挙動に小人族が驚いた時には、左腕はすでに引き戻されていた。

 

「俺から財布盗もうなんていい度胸じゃねえか」

「くっ!?」

 

掲げて見せる左手は、しっかりと盗まれかけた財布を握りしめている。

パワーリストありでも、懐から抜き取られた財布を取り返す程度は造作もなかった。

フードの下で舌打ちをすると、ぶつかってきた小人族はパッと逃げ出した。

 

「あ、待てこらっ!」

 

枷付きで重い足を動かして、フードの小人族を追いかける。

まだ重りに慣れていないせいか、体が思った以上に重い。

路地を駆け抜ける小人族の姿はあっという間に見えなくなり、気が付けば完全に見失ってしまっていた。

 

盛大に舌打ちしながら、財布をポケットにしまう。

日本ほど治安の良くないオラリオではこういった軽犯罪の存在はそこまで珍しいものでもない。

しかし、だからといって見過ごせるかと言えば否だ。きっと自分の顔は大きく歪んでいるだろう。

 

「くっそ、あの小人族……今度見つけたら、一発拳骨喰らわして叱ってやる」

 

年齢の判断が付きにくい種族だが、ちらりと見えた顔は恐らく『男』だった。

その顔を覚えながら、がりがりと頭を掻いていると、ふと1人の少女の姿が頭に浮かぶ。

 

(……そういや、小人族といえば)

 

かなり前、『豊穣の女主人』での盗人騒動の時の少女を思い出す。

小人族と思わしき身長と、ダークブラウンの瞳がずっと印象に残っていた。

意味深な言葉を呟いた彼女の事は、あれ以来ずっと見かけていない。

 

(見かけたらその事聞きたかったんだがな……あと、食い逃げの代金払ってもらわねえと)

 

女将さんに理不尽にも立て替えさせられた彼女の食事代を思い出して、小さくため息を吐く。

 

しかし、これだけの間見かける事もなかったのだとしたら街を出ているかもしれない。

そんなことを考えながらロードワークを続けていると、ふと視界の端にヒラリと何かが翻った。

 

先程のスリの小人族のものに似たフードに思わず顔を向ければ、そこにいたのは背の低い狼人族の少女だ。

 

見覚えのある顔だった。

印象的なダークブラウンの瞳がこちらを見つめている。

 

あの盗人騒動の少女だった。

 

「いたぁっー!?」

 

思わず大声で指をさしてしまう。

ビクッと肩が大きく跳ねあがる彼女に駆けよれば、目を白黒させながら彼女は逃げ出そうとする。

そんなに怖がらせただろうかと思いながら、その肩に手を置くと反対の手を差し出しながら口を開いた。

 

「久しぶりの再会で悪いけど、俺が立て替えた金払ってもらうぞ」

「……ぇ?」

「なんだよ忘れたのか?結構前、『豊穣の女主人』ら辺で盗人扱いされてたの助けてやったじゃねえか」

 

あの後大変だったんだぞ、と付け加えれば少女は思い出したのかそのブラウンの瞳を大きく見開いた。

 

「あっ……あの時の冒険者様でしたか!」

「様づけはやめろよ、こそばゆい」

「いえ、癖のようなものなので……あの、立て替えたお金というのは?」

「お前、『豊穣の女主人』で金払わないでいなくなったろ。お前取り逃がしたって、女将さんに絞られたんだからな」

 

少し責めるような口調に、少女はしゅんと耳を伏せる。

身長の低さも相まって、幼い子供をいじめているような気分になって少し居心地が悪い。

頬を掻きながら、思わず視線を逸らす。

 

「ま、立て替えた分払ってくれりゃいいさ……そうだ、俺はイットっていうんだ。お前、名前は?」

 

話を変えるようにそう問えば、少女は少し迷ったような表情を浮かべた後、口を開いた。

何だか陰を感じさせる瞳がまっすぐに向けられる。

 

「リリ、と申します。よろしくお願いしますね、イット様」




さらっと出しましたが、レベッカはヘファイストス・ファミリア所属の鍛冶師です。
父親のドルフマンも同ファミリア所属になってます。

次回、リリスケ本格的に登場出来ます…長かった。


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17

 

早朝の空気はいつも少し張りつめたように澄んでいる。

そのせいだろうか、チャリと硬貨が手の中で擦れる音は良く響いた。

 

「お金、立て替えて頂いてありがどうございました。イット様」

「別にいいよ、返ってきたんだし。それに俺、そっちに聞きたい事あったんだ」

「?リリに聞きたいこと、ですか?」

 

場所は小さな広場に移っていた。

時間のせいか、人の少ないベンチに2人で腰を掛けている。

渡された代金を手の中で弄びながら、コテンと首を傾げた小さな狼人族の子供を見る。

 

「前に会った時にさ、『冒険者なんか』って言ってたよな?あれ、どういう意味だ?」

「……はて?リリはそんな事言ってましたか?イット様に会ったのもだいぶ前ですし、思い違いでは?」

 

とぼけるように言われるが、この記憶は鮮明だ。

どこか憎しみすら感じさせた言葉は今もはっきりと耳に残っている。

何か隠したい事なのか、本当に忘れているのか……真意は定かではないが、様子を見た方が良いのかもしれない。

 

「……まぁ、言いたくないなら別にいいけどさ。あぁ冒険者といえば、あの時魔剣なんて持ってたってことはリリも同業者か?」

「神の恩恵を受けているという意味ではそうです。でも、リリは役立たずのサポーターなのですよ」

「サポーター?」

 

初めて聞く単語に思わず首を傾げる。

サポーターと聞くとギルドの職員を思い出すが、彼女が言っているのはそれじゃないだろう。

 

「ダンジョンに潜る冒険者様についていく荷物持ちです。魔石の回収や冒険者様の武器、アイテムを代わりに持つ存在の事です」

「へぇ、そんなのあるなんて知らなかった。じゃあ、ダンジョン潜れる程度にはリリも強いんだな」

「いえ……」

 

伏し目がちになりながら、リリは言葉少なく首を振った。

頭の上の獣耳が合わせてユラユラと揺れる。

 

「サポーターは冒険者になるほどの才能がなかった落ちこぼれがなるものです……冒険者様に守ってもらわなければ、きっとすぐにやられてしまうでしょう」

「それはちょっと言い過ぎだろ」

「いいえ。誰もが才能あるという訳ではないのです」

 

何だか卑屈な言葉だったが、そんな職業があるとは意外だった。

戦闘スタイル上、荷物を持っていくことが少ないので無縁だったせいかもしれない。

たまに見かける大きなリュックを背負ってダンジョンに潜っている人間はそのサポーターだったのかと納得する。

 

「あんまり卑屈になんなよ。凄え大切な仕事じゃん」

「そんな事はありません。サポーターなど、ただのお荷物でしかないのですから」

 

おどけるように笑ってリリはそう口にするが、言葉の内容は卑屈そのものだ。

 

才能、という存在があることには同意する。

生まれ持ったもので明確な差が生まれてしまうのは、格闘技の世界では特に際立って現れるものだ。

しかし──

 

「お前さ、何でそんな自分のこと卑下してんの?」

 

気が付けばそう口にしていた。

背丈からもまだ10にも満ちていないだろう。

そんな歳で、「才能がない」とばかり口にする奴は無性にイライラする。

 

「事実ですから……ステイタスがほとんど伸びないリリは、落ちこぼれなんですよ」

「……あーっもうっ!イライラすんなぁ!なんでそんな後ろ向きな発言ばっかかな、お前は!!自分に自信って奴がないのかよ!!」

「でもですね……」

「でもも、案山子もあるかっ!」

 

唸りながら、ベンチから立ち上がる。

そのままリリの方を向き直ると、「よく見とけ」と口にして拳を構えた。

キョトンとした顔をするリリの前で、手の中にあった硬貨を放り投げる。

 

澄んだ音を響かせながら、クルクルと回る輝きは10個。

それに向かって連続で左ジャブを放つ。

鋭い風切音が、金属音に混じるように広場に鳴った。

 

「ほれ」

 

ぐいと差し出した左手を開けば、リリの目は大きく開かれる。

宙を舞っていた輝きは全て掌の上で光っていた。

 

「俺も天才じゃなかったけどな、このくらい出来る程度には少しの才能はあったんだぜ?」

「それが……どうしたっていうんですか、冒険者様のステイタスなら簡単な事でしょう?」

「身体能力じゃねえよ、これは技術だ。ボクシングの基礎だからな」

「ぼくしんぐ?」

 

首を傾げるリリは理解できていない様子だった。

 

「格闘技だ。それでこれが格闘技最速とまで言われたパンチ、ジャブだ」

「……つまり、何が言いたいんですか?」

「身体能力だけで諦めるには、早すぎるって言いたいのさ」

 

何をムキになっているのだろうか?

僅かに冷静な部分が困惑するようにそう問いかける。

普段ならもっと踏み込まないで流すのだけれど……今日は妙に気に触った。

 

何故だろうか?

じぃと見ている小さなリリの背丈に、幼い少年の影が重なる。

 

(……あぁ、そうか)

 

昔の自分を見ている気がしたのだ。

ボクシングを始める前の腐っていた頃の姿を、彼女にタブらせていたのだ。

 

そして、そんな自分を導いてくれたあの日の『あの人』の背中も、ふと思い出した。

 

「──なぁ、ちょっとここに拳打ってこいよ」

 

だからだろう。

気が付けば、『あの人』の真似事のようにリリの前に掌を構えて見せていた。

返ってきたのは何を言っているのかと言わんばかりの眼差しだった。

 

「はい?何をおっしゃってるんですか?頭おかしくなりました?」

「口悪いな、おい。俺が才能ないか確かめてやるって言ってんの」

 

ほら、と手を左右に振ってみるとリリは呆れたような表情を浮かべる。

 

「結構です。リリの事はリリが一番良く知っていますので」

「ツレないな……じゃあ分かった。景品用意するか。そうしたらやる気出るだろ?」

「ですから、そんな事は……」

「賞金5000ヴァリスでどうだ?」

 

ピクリ、とリリの耳が動いた。

向けられる目の色が変わる。

5000ヴァリスの金額は魅力的に映ったのだろう。

こちらは冒険者にしては経費が少ない身分なので、そこまで痛い出費ではない。

 

「その言葉……嘘じゃありませんね?」

「ああ、俺の誇りにかけて嘘はつかねえよ」

 

そう頷いてみせる。

その言葉はあまり信じられてはいないだろう。

しかし、やってみるだけタダということなのか。

リリは見様見真似で拳を構えてジリジリと近寄る。

 

一目で分かる素人の構え。

体は開いているし、こちらを注視しすぎてどこに打ちたいのか狙いは丸わかりだ。

そんな初心者の姿に懐かしさを覚えながら少し腰を落とした瞬間、リリが大きく左拳を引いた。

 

パシ、と軽い音が手の中で鳴る。

それは見た目通りの軽いパンチだった。

 

「……ほら、言ったでしょう?リリに才能がないってことくらい分かってましたよ」

 

微笑すら浮かべながらそう口にするリリ。

だが、こちらとしてはまだ終わらせるつもりはサラサラない。

 

「何ボサっとしてんだよ、次打ってこいよ。次はもっと力抜いて打って、当たる瞬間だけ力め」

「……はい?」

「まだゲームは続いてるぜ?降りるか?」

「……やりますよ」

 

少し怒ったような表情でリリは拳を放つ。

アドバイス通りの一発。

先ほどよりもインパクトの強い衝撃が手の中で弾ける。

 

「次。打った後、引くのを意識して打ってみな」

 

パン、と。

少し芯に残る重みが増す。

 

「次。もっと脇締めて打つんだ」

 

パンッ、と。

鋭さの増した拳が掌を打つ。

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

気が付けばリリの息は荒く、肩は大きく上下していた。

スタミナが足りねえな、と思いながら掌を構え直す。

 

「ほら、最後だ。打ってこいよ」

「くぅ……っっ!」

 

最短距離で飛び出す左拳。

コンパクトに纏められたフォームは鋭さを伴って、衝撃を届ける。

 

バシッ!といい音が広場に鳴った。

 

ジンと残る衝撃に思わず笑みを浮かべると、手を下す。

ステイタスの恩恵もあるかもしれない。

それでも、今日初めてボクシングに触れた奴が放てるとは思えないほどの気持ちの良い一発だった。

 

(これは……想像以上だな)

 

トレーナーの喜びというものが少しだけ分かった気がする。

荒い息を吐き続けるリリの前に行くと、ニヤリと歯を見せた。

 

「いいジャブ打つじゃねえか」

「はぁ、はぁ……ジャ、ブ?」

「最初に見せたボクシングの基本だ。この短時間で曲がりなりにも形にしたんだ。お前、間違いなく才能あるよ」

 

構え続ける両拳をそっと下ろさせてやると、汗に濡れるその顔は面を喰らったような色を浮かべていた。

 

「才能?リリに才能があるとでもいうんですか?」

「もちろん。お前は器用で飲み込みが早い、多分俺よりもな。このゲーム、お前の勝ちだ」

 

それは本心からの言葉だ。

実際、彼女の飲みこみはとても早かった。

自分を客観的に見れる視点を持ち、頭も良い。

これでもし身長があれば良いアウトボクサーになっただろう。

 

「賞金は次会った時に渡すよ。俺はイット・カネダ。もしそっちから来るんだったら、カリーヌさんっていうギルド職員に声かけておいて」

「え、あの……」

「あぁ、そうだ。そっちの名前もちゃんと教えてくれよ、じゃないと分からないからさ」

 

そう口にすれば、小さな肩が跳ねる。

何故か戸惑う表情を浮かべたリリは、疲れからか視線を逸らしながらその小さな口を開いた。

 

「……リリー・サンドリオンです。必ず頂きに行くので、覚えておいてくださいねイット様」

 

 

 

 

 

 

喧騒が耳を打つ。

ざわざわと冒険者の波が流れていく。

その流れに乗るように歩けば、バベルはすぐ目の前だ。

 

「よしっ」

 

ベル・クラネルは左腕で輝くプロテクターを見ながら、そう呟いた。

エイナからのプレゼントであるそれを見ると、気が引き締まる思いだった。

 

天気が良いせいか、今日は何だかよいことが起こりそうな気がする。

昨日、エイナに手伝ってもらいながら一新したライトアーマーも燦然と輝いているように思えた。

 

(今日から7階層か……)

 

バベルを見上げながら、新階層に挑戦するやる気を新たにする。

聞いた話ではイットはもう10階層に足を踏み入れているそうだった。

ソロなのに凄いなぁと思う反面、僅か3階層と言うにはあまりにも広い差に肩を落としそうになる。

 

(ボクも、頑張らないと……)

 

そう意気込んで一歩踏み出そうとした瞬間、幼い声が後ろからベルを呼び止めた。

 

「お兄さん、お兄さん。白い髪のお兄さん」

 

自分と思わしき呼び声に振り返れば、低い位置から自分を見上げるダークブラウンの瞳と目が合った。

思わずパチクリと目を瞬かせる。

 

「君は……」

「『初めまして』お兄さん。突然ですが、サポーターなんか探していたりしませんか?」

 

初めまして、を強調するように言うフードの少女にベルは見覚えがある気がした。

昨日、エイナと買い物に行った帰り何故か冒険者に襲われていた所を助けた小人族に似ていたからだ。

 

「君……昨日の……?」

「??お兄さん、リリと会ったことがあるんですか?リリは覚えていないのですが」

 

コテン、と首を傾げる少女に混乱しながら再度尋ねれば、フードの下か現れたのは可愛らしい2つの耳。

小人族の少女ではなく、犬人族の少女。

明確な別人の証拠に思わず狼狽えるも、これが他人の空似と言うものだろうと何とか納得する。

 

それでも軽く首を傾げるベルの姿がおかしいのか、少女はニッコリと笑った。

 

「混乱してるんですか? でも今の状況は簡単ですよ? 冒険者さんのお零れにあずかりたい貧乏なサポーターが、自分を売り込みに来ているのです。お兄さん、どうですか、サポーターはいりませんか?」

 

サポーター。

冒険者のダンジョン攻略をサポートしてくれる人員。

心のどこかで欲しいと思っていた存在の売り込みにベルは目を瞬かせる。

やはり今日は運がいいと思いながら、ベルはその提案に頷いて見せた。

 

「ええっと……で、できるなら、欲しいかな……?」

「本当ですかっ! なら、ダンジョンに連れていってくれませんか、お兄さん!」

 

身長の低さ相まって、無邪気にはしゃぐ姿はまるで子供のようだ。

その姿を微笑ましく眺めていたベルは、ふとその左腕の動きがぎこちないことに気が付いた。

 

「それはいいんだけど。君、何だか左腕怪我してない?動かし辛そうだけど……大丈夫?」

「いえいえ。これは筋肉痛というものですよ。らしくもなくリリが無茶してしまったのです。ダンジョン攻略には問題ないのでご心配なく」

「ええと、リリ?」

 

聞きなれない単語にベルがそう尋ねれば、少女はこれは失敬と前置きして丁寧にお辞儀をした。

 

「申し遅れました!リリの名前はリリルカ・アーデです。お兄さんの名前は何て言うんですか?」

 

フードの隙間からダークブラウンの瞳が覗く。

丸く大きなそれは少しだけ怪しい輝きを放っていた。

 




閲覧ありがとうございます。
アニメは終わってしまいましたが、本作はもうしばらく続きます。宜しければサポーター編もお付き合い下さい。


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18

(……リリは何をしているんでしょうか?)

 

バシン!と快音が耳朶を打った。

早朝の静けさのせいか、その音はとても良く響く気がした。

 

リリー・サンドリオン──本名、リリルカ・アーデはこの現状に再度問う。

 

何故、こんなことになったのか?と。

 

「腰もっと入れてみな、ほれ次」

「くっ!!」

 

バシン!と拳が掌に当たった衝撃を伝えてくる。

伸びきった右ストレートを息を乱しながら畳むと、イットはにんまりと笑って親指を立てた。

 

「今のストレートは良かったな。フォームは段々様になって来たし、もう一回同じ感じでやってみな」

「はぁ、はぁ……はい、です」

 

本当に何をしているのだろう、と思う。

 

早朝の街。

静けさが横たわる住宅地区の一角、その小さな広場にて。

リリはイットの掌に拳を打ち込んでいた。

 

何故こんなことになったのだったか、とリリは自問する。

 

先日の賞金を直接受け取りに来たのが悪かったのだろうか?

否、ギルドに行って彼の名前を出さなかったのは、出来る限り目立ちたくなかったからだ。

悪目立ちを避けたい自分が、毎朝走り込んでいるイットのランニングコースで待ち伏せしたのは当然の理だった。

 

しかしリリにとって意外だったのは、イットが驚いた表情を浮かべたもののすんなり金を渡してきたことだった。

正直、貰えるとは期待はしていなかったのだ……他の冒険者ならしらばっくれた挙句、嘲笑うくらいの事はしてくる。

それ程までにサポーターの地位は低い。

 

偽硬貨かとも怪しんだが、表面の細工は本物だった。

結果として、リリはまんまと5000ヴァリスを手に入れたのだ。

 

そこまでは良かった、と記憶を振り返りながらリリは思う。

事態が急変したのはそこからだった。

 

『よーし、今日もいいパンチ教えてやるよ』

 

彼はそんな事を言うと、昨日のように掌を構えてきたのだ。

まるで今日も鍛えてやると言わんばかりの姿勢だった。

思わず呆れた視線を向けてしまう。

誰がそんな茶番に乗るものか、とリリは思った。

 

何の対価もないのなら、無駄に疲れるだけではないか。

格闘技などという無駄なものに費やす時間はないのだ。

昼にはダンジョン攻略を控えている身なのに、そんな事に体力を使っている余裕はない。

用も済んだし踵を返して帰ろうと考えた瞬間──不意に、左拳が引き留めるように疼いた。

 

一瞬、昨日の徐々に鋭くなっていったこの拳が思い出される。

イットの指示の度に、成長していると実感できたあの光景が脳裏を過った。

驚くべきことに『向いている』のかもしれないと思うほどに、ピタリとハマるようなしっくりさをあの練習はリリに与えてきたのだ。

 

成長というものを忘れていたリリにとって、その感覚はとても──

 

(──とても、気持ちの良いものでした)

 

『お、やる気満々だな』

 

ハッ、とそんなイットの言葉にリリは思わず我に返った。

まさか!やる気などあるはずもない。何を言っているのかと文句を口にしようとして──そこで自分が軽く拳を上げている事に気が付いた。

 

(そんな、馬鹿な……)

 

体がいつの間にかその気になっていた事に驚きつつも、ニコニコと掌を構えるイットに断りの言葉が出てこない。

観念するように小さくため息を吐くと、リリは昨日教わった通りに拳を構えた。

 

(一発だけ、一発だけ付き合ったら今日は帰りましょう……)

 

……そう思ったのが、幾ばくか前の事。

 

何故こんなことをしているのか、と問い続けながらもリリは未だに拳を振り続けている。

 

「本当、飲みこみは早いなお前は。じゃあ組み合わせ打ってみっか」

 

こうするんだ、とジャブとストレートを組み合わせたコンビネーションをイットは見せてくる。

 

口にするのは癪だったが、その姿はとても美しかった。

無駄のない、破壊だけを目的とした動きはリリの心に未知の気持ちを抱かせる。

その動きを見ていると何だか荒々しくなるような、そんな気分になってくるのだ。

 

「これがワンツーだ。ほれ、打ってこいよ」

 

自分は何をしているんだろう、とリリは自問する。

 

その思考の間にも両腕は動き、足は踏み込み、拳はその掌を捉えている。

単純作業の繰り返しに何の意味があるのか?

しかし、その中で段々動きが磨かれていく感覚は悪い気分ではない。

少しずつ、自分の殻を打ち破っていくような成長の快感は、リリの中の何かを熱くさせた。

 

(もう少しだけ……あと一発だけ打ったら帰りますから……)

 

胸中で同じことを繰り返しながら、リリはいつの間にか夢中でパンチを打ち込んでいた。

 

──自分が拳を磨く虜になったのだと、彼女が自覚するのはまだまだ先の話だった。

 

 

 

 

 

 

 

11階層は霧が多く、見通しが悪い。

 

『上層』と呼ばれるLv.1が対応できるとされる階域も終わりに差し掛かっているせいか、ダンジョンはここら辺から徐々に本格的に牙を剥き始めるのだ。

悪くなっていくダンジョンの環境、大型モンスターの出現。

10階層~12階層は中層からの過酷さを如実に漂わせている。

 

「っと」

 

一呼吸の間に振り抜かれる拳を、足を使って大きく避けた。

その腕に生えた白い体毛を横目に見ながら、大きく跳び退く。

重りをガチャリと鳴らしながら顔を上げれば、大きな3つの影がそこには佇んでいた。

 

シルバーバック。

怪物祭の時にお目にかかった大猿のモンスターが3体。

荒く息を吐きながらこちらを見る瞳は、どれもこちらを捉えて離さない。

今までならその巨躯と相まって緊張が走る場面だったが、予想に反してこちらの胸中は穏やかなものだった。

 

長く息を吐きながら拳を構える。

弓を引き絞るように筋肉を収縮させ、相手を見据える。

 

次の瞬間。

燃え上がる闘争心に火を着けられた様に体は前に飛び出した。

 

(おっさんのプレッシャーに比べりゃ可愛いもんだよ……!!)

 

途端に飛んでくる振り下ろしを拳で弾くと、一歩詰め寄って鳩尾に一発。

深々と突き刺さった重り付きの拳は、そのまま抉り抜いたような衝撃をシルバーバックスに与える。

 

「グガァアアアアアアアア!!!」

 

断末魔のような悲鳴が上がるが、お構いなしに2発目を叩き込む。

 

「一匹目」

 

息を吐くと同時にその巨体は霧散する──残り2体。

どちらも仲間がやられて気が昂ったのか、ギラギラとした眼差しだ。

同時に襲い掛かってくる、と直感する。

 

こういう時、おっさんはどうしろと言っていたんだったか。

座学で教えてくれた冒険者の立ち回りを思い出す。

 

『おう!被弾覚悟で突っ込む!近づいたら全力でぶっ倒す!以上だ!』

 

思わず頭を振った。

脳筋根性論者を当てにした自分がアホだった。

 

(……いや待て、確かこうも言ってたな)

 

『いいか、坊主!モンスター相手にするのにこっちが人間相手と同じじゃあいけねえ!喰われる前に喰ってやるっつう飢えた勢いってのがいる!だからよ、お前さんは冒険者であると同時に──モンスターになれ』

 

脳裏に響く言葉にニヤリと笑う。

 

ボクシングでもそうだ。

綺麗に型を練習するだけじゃ、勝つには足りない。

時には『野性』が必要になる事がある。

つまりはそういう事なのだ。

 

「そっちは分かるぜ、おっさん……」

 

拳は熱く、頭はクールに──そして、心で野性の本能を爆発させるのだ。

 

カッ!と体が熱くなった。

眦を大きく見開きながら、咆哮を上げる。

 

「ヴォオオオオオオオオオオオオオ!!!!!」

 

ダンっ!と弾丸のようにステップイン。

迫る剛腕をダッキングで躱す、躱す、躱す。

2歩、3歩と詰める距離に比例するようにその拳撃は激しくなる。

 

「グゴォオオオオオオオオオオオオオ!!!!」

「だっしゃらぁっ!!!!」

 

ガゴン!!と右拳でその拳撃を迎え撃つ。

イケる!と確信するよりも早く、こちらの右腕が振り抜かれる。

砕かれるように腕を跳ね上げられたシルバーバックの顔に、怯えの表情が浮かんだ気がした。

 

「うぉあらあああああ!!!!」

 

ラッシュ!ラッシュ!ラッシュ!

息を吐かせない、怒涛の乱撃は強かにボディを打ち抜く。

一度、ビビった奴に攻撃を当てるのは容易い。

こいつは本能的にこちらに屈したのだ。

 

鈍い打撃音だけがダンジョンに木霊する。

 

やがて11階層に響く轟音が鳴りやんだ時には、思い出したような静寂だけが横たわっていた。

 

「合計、三匹っと」

 

体の熱を散らすに腕を振ると、目の前に落ちている3つの魔石を拾い上げる。

おっさんのトレーニングは無駄じゃなかったな、と考えながらそれらを仕舞い込んだ。

 

(相変わらず足元は弱いけどなぁ……)

 

最近は足を蹴ってもらい鍛えてはいるものの、意識の切り替えはもうしばらく時間がかかりそうだ。

小さくため息を吐くと、慰めるように腹の音がぐぅと音を立てた。

ダンジョン内では時間の感覚が狂ってきてしまうが、かなりの時間潜っていたらしい。

手持ちの魔石も荷物一杯になって来たし、そろそろ引き上げた方が良さそうだ。

 

(こういう時、サポーターってのがいたら楽なんだろうけど……)

 

今朝、嬉しそうにサポーターが出来たと報告していたベルの顔を思い出す。

ヘスティアが心配性を発揮して信用できる子なのか執拗に探りを入れていたが、

あの分なら大丈夫だろう。

 

名前をリリルカ・アーデという明るく無邪気な犬人族の女の子なのだとか。

 

(こっちのリリとは大違いだな)

 

口が悪く可愛げのない狼少女を思い出すと、早朝の練習の光景が目に浮かぶ。

リーチはないものの、的確にポイントを打ってくる良いパンチは受けていて気持ちの良いものだった。

 

かつてのどの後輩よりも筋が良い。

柄でもないが、自分は彼女の才能に惚れ込んだのだ。

思わず練習の申し出をしてしまうくらいにはその将来が楽しみになっている。

 

彼女の素質なら、あと10年もすれば身長も伸びて良いボクサーになるに違いない。

狼人族というのだから、筋力もあるだろうしファイターとして育てるべきだろうか。

いや、あの頭の良さを生かすのはアウトボクサーだろう。

 

勝手にそんな事を考えている自分に思わず苦笑してしまう。

 

「ったく、トレーナーでもあるまいし」

 

他人の事よりも、自分の心配の筈だ。

 

しかし気が付けば、明日の早朝はサンドバック替わりになるものを持っていこうかなどと考えてしまっていた。

 

あの可愛くない狼少女は明日も来るだろうか?

そう思いながら、ゆっくりと帰路につくのだった。




リリスケ、何だかんだ言いつつもボクシングに入門するの巻。

いつもご感想頂きありがとうございます!


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19

 

ふと、ベルが大慌てで通りを駆け抜けるのが見えた。

声を掛ける間もなく小さくなる背中を見送りながら、目を瞬かせる。

 

「なんだ、あいつ?」

 

まるで100万円落としたような必死な形相だった。

何があったが尋ねようにも、そのベルの姿は既にどこにもない。

こういう時、携帯電話がない事が不便に感じながら仕方なく肩を竦めた。

 

(まぁ、帰ってから聞けばいいか)

 

アナログ思考に染まりつつあるのを感じる。

通りの向こうに見えるギルドに意識を切り替えると、冒険者の波に流されるように再び足を向けた。

 

丁度、ダンジョンからの帰り道だった。

今日も今日とて11階層で拳をぶん回してきた昼下がり。

鞄につまった魔石を換金しようと、ギルドの入り口を潜る。

 

汗臭い同業者に揉まれながら、換金所に行こうとすると不意に強い視線を右頬に感じた。

カリーヌさんほどのメンチビームではないものの、ザクザクと突き刺さる視線……この感覚には覚えがあった。

視界の端で、カウンター越しにキラリと眼鏡が光る。

 

「カネダ氏、お話があります」

 

げんなりしながら見れば案の定、エイナが陰のある接客スマイルで手招きしていた。

用件が何かなど、言うまでもないだろう。

 

「ベル君が今日、8階層目に到達しました。これについてどう思いますか?」

 

ほらな、予感的中。

小さく呟くと、苦いものを食べたように少し顔が歪む。

ベルは愛されているなぁ、と現実逃避しながら曖昧に笑って見せた。

 

「あー……俺もウカウカしてらんねえな、と」

「違います!前も言いましたが、貴方の無茶がベル君に伝染していると言いたいんです!」

「人のこと病気菌みたいに言うの止めてもらえないっすかね……あれ、なんか既視感が」

 

ヘスティアと言い、オラリオでは人の事を菌みたいに扱うのが流行っているのだろうか。

 

眼鏡をくいっとして見せるハーフエルフを半眼で見ながら、やはり彼女のことは苦手だと感じた。

前のアイズのように距離を取りあぐねる感じではなく、完璧に向こうから敵視されているのだ。何だか教育ママのようだ。

ベルの破竹の快進撃が進めば進むほど、その眼鏡の陰が増している気がする。

 

……俺にどうしろ、と?

 

「無茶な攻略は控えて下さい。ベル君が貴方の影響を受けているなら、それで沈静化するはずです」

 

ピッと指を立ててそう言われるが、その内容には首を振らざるを得ない。

 

「そりゃあダメっすよ。足踏みしてる暇はあんまりないし」

「……貴方は今の11階層で何が不満なんですか?俄かには信じがたいくらいの攻略記録ですよ?」

「不満に決まってるじゃないっすか。男ってのはてっぺん取りたがる生き物なんだから……ひとまず目指すのはLv.2っすよ」

 

そう口にすれば、エイナは眼鏡の奥で目を細めた。

 

「Lv.2がどういうものか分かっての発言ですか?」

「もちろん」

 

『レベル』とは何か?

それは冒険者としての段階を示す絶対的な数値であり、その差はとても大きな壁となる。

ステイタスのアビリティ熟練度以上の能力上昇を与えるクラスチェンジ。

『自分の限界突破する経験』という難業によってのみ得られる新たなステージだ。

 

「いいですか?普通は何年もかかるものです。急いでも手に入るものではありませんよ」

「でもやらなきゃ、もっとかかるだろ?」

「あのヴァレンシュタイン氏でさえ、1年かかりました。これは現時点でのLv.2到達最短記録ですよ。貴方はこの無茶を1年以上続ける気ですか?」

 

腕を組んでそう言われるも、こちらの気持ちは変わらない。

 

無茶だとか、無謀だとかいう言葉は散々聞いてきた。

それはオラリオに来てからでなく、来る前からだって聞いてきたものだ。

 

『ボクサーで食ってくなんて無茶に決まってるだろう!』

 

元の世界に残してきた親父の顔が、チラリと瞼の裏に映った。

親父の事は嫌いじゃなかったが、その口から出てくる『無茶』の2文字は大っ嫌いだった。

何故、何も知らない人間が横から無茶だと決めつけるのか、と。

 

だからオラリオに来た時、例え無茶と言われようが自分の事は決して曲げてやらないと心に決めたのだ。

 

「……『無理が通れば道理は引っ込む』、俺の好きな言葉っすよ」

「そんなの全然論理的じゃないわ」

「でも、やらなきゃいけない目的があるんです」

 

忘れるなよ、と心の中で呟く。

 

元の世界に帰ること。

天界に届くくらいに名を高めること。

その為に無茶をしているんじゃなかったのか。

 

忘れかけていた事を再認識しながら、おどけるようにエイナに顔を向けた。

 

「大丈夫、本当の無理はしないってうちの神様と約束しちゃったんで安心してください。ベルにも変な影響は与えないっすよ」

「でもね……」

「それに本当は俺が止まったところでベルは進み続けるって、エイナさんも分かってんじゃないっすか?」

 

にんまりと笑いながらそう言えば、エイナの顔が若干強張った。

 

でなければ、ベルにプロテクターなど贈ったりはしないだろう。

本当に止めたいなら、心配しながらも背中を押すような真似は決してしない筈だ。

彼女の瞳と同じエメラルドグリーンの防具を思い出すと、エイナは少し言葉が詰まったように口を濁らせた。

 

「と、とにかく!自分が与えてる影響を考えて、ベル君にもっと気を配ってください!」

「それヘスっちにも言われたなぁ。気は配ってる方だと思ってたんだけど」

「貴方は鈍感そうに見えますけれどね。さっきだってベル君が大慌てしていた所だっていうのに貴方と来たら……」

「あぁ。さっきベル見かけたけど何かあったんすか?声かける前にどっか行っちゃったんすよね」

 

そう尋ねれば、エイナは小さくため息を吐いた。

 

「そんなに慌てて大丈夫かしら……あの子、自分のナイフ失くしたんです」

「……ん?ナイフって全部真っ黒のあのナイフ?」

「ヘスティア様から頂いたらしいそのナイフです」

 

瞬きを3回繰り返す。思った以上の一大事だった。

 

ベルが必死な顔で走り回る訳だと納得する。

落としたのは100万円どころの話ではないということなのだろう。

ヘスティアから貰ったナイフへのベルの思い入れは半端ない。

手に入れていた当初は枕元に置いていたほど大切にしていたのだ。

 

ベルは何をやってるんだか、と思いながらカウンターから一歩身を引く。

 

「俺、ナイフ探すの手伝ってきます」

「えぇ、お願いします。ベル君はダンジョンまでの道で落としたか探しに行きましたけれど……」

「けれど……何すか?」

「1つだけ、不安要素が……」

 

言いよどむ彼女に首を傾げれば、エイナは少し声を潜めて口を開いた。

引いた身を寄せて耳を傾ける。

 

「最近、複数の小人族による窃盗が報告されているんです。特に冒険者から」

「……初耳っすけど、ベルがそれにやられたって?」

「不確定要素ですし、こじつけでしかないのでベル君にも伝えてません。ですが、一応可能性という事で覚えておいてください」

 

そうは言うものの、その可能性は高いと感じた。

鍛冶の神ヘファイストスが直々に打ったナイフとなれば、その値打ちはかなりのものだ。

狙われない方が逆におかしいだろう。

 

(というか、小人族の窃盗って……)

 

ふと、先日の財布を盗まれた一件を思い出した。

もしかしたら、あれがそうだったのかもしれない。

小人族と思わしき男の姿を思い浮かべながら、そうであることを確信する。

 

人相は朧げでしかないが、張り込めば捕まえられるだろうか?

 

「じゃあ、俺はこれで!」

「はい。ベル君のことくれぐれもお願いしますね」

「分かってますって」

 

冒険者の波に逆らうように駆ける。

ダンジョンから帰ってくる時間帯だからか、人通りは多い。

 

あの小人族の身のこなしから一般人ということはないだろう。

必ず恩恵を受けているはずだ。

と、なれば向かうべき場所は冒険者が最も多いダンジョン前だ。

 

(ベルのナイフ盗もうとしたなら、落とし前つけてやらねえとな)

 

さざめくような怒りの波を感じながら、ぎゅっと口元を結ぶ。

確証はまったくない。

けれど、もし盗んだのだとしたなら。

よりにもよってあのナイフを盗もうとした事が何よりも腹立たしい。

 

(絶対に見つけてやる……)

 

そんな思いを胸に、ダンジョンを目指して駆け抜ける。

小人族の男を目を皿にしながら探すも、結局その日は見つける事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

「あら」

 

その美の女神は眼下を見下ろしながら、面白いものを見たとでも言うようにそう口にした。

 

ダンジョンに蓋をするように聳える塔、『バベル』

その最上階に住むのは1人の美に魅せられた女神だった。

 

まるで宝石のような彼女の瞳はバベル前の広場に向けられている。

冒険者、商人、鍛冶師。様々な人種が入り乱れるその場で、辺りをキョロキョロとしている人影が1つ。

小さな黒髪の少年の姿を見て、女神はその唇に指先を当てた。

 

「彼、確かあの子と一緒にいた……噂の面白い子」

 

お気に入りの白い髪の少年と彼が一緒にいた光景を思い出す。

 

曰く、冒険者の反面教師として有名な『死にたがり』冒険者。

普段は『あの子』に気を取られるせいで気にしていなかったが、彼の事をちゃんと見たのは初めてかもしれない。

じっとその姿を見つめながら、女神は自分の幸運に感謝した。

 

「彼、面白い魂の形をしているわ」

 

スッと瞳を細めながら、少年の姿を注視する。

長い睫毛が伏せられる、その隙間からどんな光景が見えているのかは彼女にしか分からない。

ただ、1つだけ言えることは彼女には『魂が見える』という事だけだった。

 

その眼が捉えたのはこれまでのどんな魂とも違う、異質の魂。

まるで『この世界のものでない魂』と言わんばかりの形状は女神の琴線をピンと弾いた。

ゆっくりとその艶やかな唇が弧を描く。

 

「じっくりとメインディッシュを育てるのも良いけれど、変わり種の一品というものも時には必要だわ」

 

初めて見る未知の魂に思わず好奇心が疼くのを感じる。

神としての性だ。知らない存在を前にした時、どうしてもちょっかいをかけたくなってしまう。

美に魅せられたとは言え、彼女もまた神。その道理には外れない。

 

「少し陰る部分もあるけど、立派な輝きを放っている……気に入ったわ」

 

メインディッシュはじっくりと育てようと決めた。

一番油の乗った時にいただくのが、最高においしい食べ方だ。

では、変わり種の一品はどう食べるのが良いだろうか。

 

くすくす、と誰もいない部屋に女神の笑う声が響く。

 

「貴方のファミリアの子は皆、飽きさせない子ばかりね」

 

細長い指が唇をなぞっていく。

 

「ヘスティアには悪いけどいただくわね、彼も」

 

その視線は黒髪の少年にピタリと定められていた。

 




ちなみにナイフは原作通り、即日でベルの手に戻りました。
イットは忘れかけていた目的を再認識。
相変わらずのんびり進みますが次回から、少し話を動かしていければと思ってます。

p.s.
お気に入り5000人本当にありがとうございます。本当に夢のようです。
皆様のご感想、ご評価、お気に入りいつも励みになっています!
これからも頑張りますので、もし宜しければどうぞお付き合いください。


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閑話04

 

「リリ、意外と力持ちなんだな……」

「ささやかなスキルの恩恵ですよ、そこまで言われるものでもありません」

「いや、一種のホラーだって」

 

ホラーとは何だろうかと思ったが、どうせ良い意味じゃないんだろうなとリリは思った。

 

大きめのクッション、砂の詰まった袋、綿の入った手袋、果てには丸太など。どこから調達してきたのか、イットが持ってきた器材の数々をリリは広場の隅に持っていく。

紐で結んであるとはいえ、身長の2倍はありそうな大きさだったが日頃持っているリュックに比べれば軽いものだ。

 

「これは荷物を持つ為だけのようなスキルです。特に光るものがあるわけでもない凡庸なものですよ」

「またお前はそういうこと言う。俺は十分凄えと思うけどなぁ」

「そうでしょうか?」

 

お世辞のような物言いにリリはそっけなく言う。

スキル持ち=凄いという思考をする白い髪の冒険者を思い出したが、イットもそうなのだろうか?だとしたら、おめでたい人である。

 

「別に攻撃できる筋力が上がる訳じゃありません、重い物を軽く持つことが出来るというだけですよ」

「へぇ、それって重力操作?」

「いえ、そんな上等なものでもありません。装備荷重時に能力に補正がかかるだけです」

 

ステイタス内容を話すのは本来ご法度だが、この程度秘密にせずとも何の問題もない。

スキル【縁下力持】は効力も希少性もその程度のものでしかないのだ。

それよりも秘密にしなければいけないのはリリの持つ『変身魔法』の存在だったが、イットがそれに気づくとはリリには到底思えなかった。

 

「ふーん、装備荷重時に能力に補正ね……」

 

そのイットはと言えば、リリの言った内容にひっかかるものがあったのか唸っている。

こういう時、彼は決まって突飛な事を言い出すのだ。最近、少しの付き合いを経てリリはイット・カネダという変わり者のことを分かってきた気がしていた。

何を言い出すのか、若干リリが身構えているとイットの顔がこちらに向いた。

 

「うん。リリに良いものをやろう」

 

そう言いながら彼は自分の鞄に手を入れる。

突然のプレゼントにリリが首を傾げていると、出てきたのはイットの手足にあるものと同じ物だった。

 

「……一体、何ですかこれは?」

「パワーリストだ。俺がもう使わなくなった軽めの奴だけど、お前にやる」

「リリはこれでも乙女なのでご遠慮したいのですが……」

 

見るからに無骨なデザインのそれは、お世辞にもお洒落とは言えない。

それでも有無を言わさずに渡してくるイットに根負けするように受け取ると、リリの眉間に皺が寄った。

軽くスキルが発動しているのを感じる。それだけの重みがこのパワーリストにはあった。

 

「……こんな重いもの巻いて生活しているんですか?ちょっとイット様の頭の心配をせざるを得ませんね」

「相変わらず口の悪い奴だな……いいから、着けてみろって」

「言っておきますけど、リリに鍛錬でのステイタス上昇は見込めませんよ?」

「いいから」

 

そう言われて渋々と、かなりの重さを誇るパワーリストを装備する。

その瞬間スキルの効果が完全に発動し、重さは苦にならなくなるが本来なら全く動けなくなるだろう。

両手首に不格好な重りが付いた事がリリは不満だったが、反対にイットは満足そうだった。

 

「うん、体もブレてなし足取りも重くないな。そのままシャドー出来るか?」

 

何を考えているんだろう?そんな疑念を持ちながら、リリは拳を構える。

脇を締め右拳は顎に、左拳は目線の高さに合わせたスタンダードなスタイル。

ピーカブ―スタイルのような変則的構えよりも基本を押さえるイットの意図をリリは正しく理解し、身につけていた。

 

軽くジャブを放つ。重りの存在を感じさせない左拳は良くキレた。

架空の相手の攻撃を避けながら、そのまま右ストレート。伸びきった腕が心地よく力を伝播させる。

この短期間、リリがイットから教わったのはジャブとストレートの2つのパンチのみだ。基礎を徹底的に鍛えたリリの動きはボクサーとして、十分様になるものに仕上がっていた。

 

一通りのコンビネーションを終えると、イットが声を掛ける。

軽く息を吐き出しながら、リリはその動きを止めると怪訝そうな顔をそちらに向けた。

 

「これで満足ですか?」

「あぁ、大満足だ。お前が凡庸だって言ったスキル、化けるぜきっと」

 

クククと笑うイットだったが、リリは訳が分からない。

 

「リリには何が何だかさっぱりです。どういう事ですか、イット様?」

「言うより見せた方が早い。ほら、全力で打ってきな」

 

言うなりスッと腰を落として、イットは手の平を構える。

 

その回りくどい言動に僅かな苛立ちを感じながら、リリは再び拳を構えた。

軽くステップを踏みながら、その手の平を注視する。

 

(よく分かりませんが……お望みとあらばリリの全力の一撃を叩き込んで見せましょう!)

 

リズムに乗った体が飛び出すようにステップインする。

ギュムッと靴底が鳴るのを耳にしながら、リリは大きく拳を振りかぶる。

全身の力を乗せた今放てる最高のストレートだ。

小さな的目掛けて渾身の右拳が唸りを上げる。

 

その瞬間。

 

「くっ!!?」

 

とんでもない衝撃がリリの拳を襲った。

かつてないインパクトがイットの手の平を突き抜けていく。

普段はどんなに打ち込んでも微動だにしないその手は、衝撃に押し負けるように僅かに後ろに流されていた。

ビリビリと痺れる拳に少し顔を歪めながら、リリはその光景に目を丸くした。

 

「これって……」

「重りの分、拳の重さが増したんだよ」

 

プラプラと手を振りながら、イットがそう口を開く。

 

「軽いハンマーと重いハンマー、使う人間が同じで振るスピードがほぼ同じなら重い方が破壊力あるに決まってんだろ」

 

単純な話だ、とリリは頷いた。そういう話ならば、後者の方が強いに決まっている。

自分のパンチが生み出したかつてない衝撃にリリは軽い興奮を覚えていた。

 

(これでしたら、もしかしたら冒険者としてダンジョンに潜ることだって……)

 

しかしそんな思考は、イットの次の一言で霧散することになる。

 

「でも、これは止めておくか」

「な、何でですかイット様!?」

「ん?いや、だってリリの耐久力が持たないし」

 

指さされた先にあるリリの拳は自分の放ったパンチの衝撃で、細かく震えていた。

殴った対象が柔らかい手の平だったから良かったのものの、固い物を殴った時にどうなるかは想像に容易い。

 

「リリはまだ子供だ。期待させるような提案して悪かったけど、無理させ過ぎたら成長にも関わる……止めといた方が良い」

「っ……!!」

 

その言葉にリリは顔を歪める。

 

(そう、でしたね……)

 

今の自分はリリルカ・アーデという小人族ではなく、リリー・サンドリオンという狼人族の子供なのだ。

イットは自分の事を幼い狼人族の少女だと思っており、まさか自分と同世代の小人族だとは思ってもいないだろう。

変身魔法【シンダ―エラ】でこの姿に変身した事を、リリは後悔していた。

 

全てを打ち明けてしまおうか、という考えが頭を過る。

実はリリは小人族の15歳で、そんな配慮をする必要はないのだという事を。

 

(……無理、ですね)

 

そんな事は出来ない。

リリが希少な変身魔法を持っている事は最大級の秘密だった。

そのお蔭で様々な人物に変身できることがバレれば、どうなってしまうだろうか。

 

 

──この魔法を使って、小人族として盗みを働いている事もバレてしまうかもしれない。

 

 

「……」

 

それだけは絶対に回避しなければいけない……その筈なのに、リリの心は揺れてしまっていた。

これまでの弱い自分と区切りをつけられる可能性がリリを迷わせるのだ。

 

「ま、そういう訳だから。悪いんだけど、そのパワーリスト返して貰っていいか?」

「…………嫌です」

「……ん?なんだって?」

 

ポツリと呟いた言葉を、リリは今度ははっきりと繰り返す。

 

「リリは嫌です、と言ったんです」

 

強くなる可能性を手放したくない。

きっぱりと拒絶するリリの言葉に、イットは面を喰らったように言葉を失う。

 

「これはイット様がリリに下さったものなんですよね?それを取り上げるのは無粋じゃありませんか?」

「いや、まぁそりゃそうだけど……」

「でしたら!これはリリの物です!」

 

しっかりとパワーリストを握りしめるリリに、イットは困ったように頭を掻く。

どうしたもんか、と語るその顔からリリは目を逸らさない。

やがて、イットは観念するように息を吐くと肩を竦めた。

 

「分かった分かった、俺も男だし二言はない。ただボクシングで体を壊すような真似はして欲しくないんだ、分かるか?」

「ええ、分かります」

「なら良し。もし、どうしてもそれでサンドバック打ちたいってんなら、厳重に拳を保護しとけよな」

 

その言葉にリリはしっかりと頷く。自分の耐久力の低さは理解していた。

拳への衝撃を最大限減らす装備が必要だ、と考えていると不意にその頭にイットの手が置かれた。

 

「ま、強いパンチは打ってて気持ちいいもんな。分かるぞ、その気持ち」

「……気安く頭触らないでください、イット様」

 

そう言うも、こちらを理解してくれている事に嬉しさを感じる。

イット・カネダという冒険者もそういう強さには貪欲だ。

そう言う点では自分とこの人は似ているのかもしれない、と考えかけてリリは頭を振った。

 

そんな訳、あるはずがない。

 

「いっちょ前に照れやがって」と髪の毛をグシャグシャに掻き乱す粗暴な男と同じな訳がないのだから。

そう思いながらリリは何故かその手を払いのけることが出来なかった。

多分、そういう触れ合いに飢えていたのだとリリが気付くのはかなり経ってからの話だった。

 

 




すみません、話進めると言っておきながらリリスケ回でした。
独自解釈、拡大解釈を含みましたがご容赦ください……妄想が楽しかったもので←

閲覧ありがとうございます!


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20

 

「おう、坊主。今日はずっと唸り続けてどうした?」

 

その日、模擬戦を一通り終えるとおっさんは不思議そうにそう口にした。

そんな思わぬ言葉に、傷を癒そうと回復薬を飲みかけていた姿勢で固まってしまう。

 

「え……唸ってたか、俺?」

「集中は切れておらんが、ずっとブツブツ呟いとったぞ。なんかあったか、坊主?」

「んー、あったと言えばあったというか……」

 

そう返しながら、ゴクリと薬を飲み下す。

その原因に思い当たる節は確かにある。

スキルの効果により体から薄っすら立ち上る蒸気を見ながら、ポリポリと頭を掻いた。

 

「昨日さ、ベルが魔法習得したんだ」

「ほう!ベルというとお前さんとこのファミリアの奴か!そりゃあ目出度い!!」

「ん。でさ、そん時に魔法は『切り札』みたいな話を聞いて……」

 

言いながら、思わず眉間に皺を寄せる。

 

「……俺にはそれがねえなぁ、って」

 

その言葉は重石のように胸に残っていた。

魔法というものをまだ一度も見た事ないが、その力は所謂『必殺技』の意味合いが強いらしい。

膠着した場を動かすような起死回生の一手。

それが自分にあるか、と言われれば否と言わざるを得ない。

 

「お前さんには立派な拳があろうが」

「そりゃあそうだけど、一番破壊力があるガゼルパンチはミノタウロスをよろめかせることしか出来なかった……あれじゃ、まだ足りねえんだ」

 

別に魔法が欲しいわけではない。

ただ、5階層での死闘の時、ガゼルパンチがミノタウロスの尻餅すらつかせられなかったことは地味なショックとして心の中に残っていた。

 

あの頃よりも自分のステイタスは比べものにならないくらい高い。

もしかしたら、今ならばガゼルパンチはミノタウロスをKO出来るかもしれない。

 

しかし、もっと強い一手を持つ必要性を『魔法』という言葉は思い起こさせたのだ。

 

「それでずっとブツブツ探っとった訳か!合点が行ったわい!」

「別に手抜いてた訳じゃねえよ?そんな余力ねえし」

「そんなことは分かっとるわ!お前さんが頭を使っとるのに面食らっただけだ」

「失礼だなぁ、おい。俺だって考えることくらいあるさ」

 

少し口を尖らせながらそう言う。

ボクサーが脳みそ筋肉の生き物だというのは大きな間違いだ。

常にトレーナーと一緒に頭を悩ませながら、自分のスタイルを進化させていくのがボクサーという存在だ。

 

「……」

 

多分、自分はその『進化』に迫られつつあるのかもしれない。

その為には、ガゼルパンチを超える必殺技──『フィニッシュブロー』が必要だ。

 

1つ息を吐きながら、その事を噛み締める。

 

「……一応参考までに聞きたいんだけど、おっさんに必殺技ってある?」

「そんなもんはない!しいて言うなら、ワシの斧の一振り一振りが全て必殺技よ!」

 

おっさんは身の丈もあるような大斧を指さして髭を震わせるも、あまり参考になりそうな話ではなかった。

それはそれで正しいのだけれど、聞きたいのはそういう話ではない。

 

「んー違うんだよ、何と言うかこう……奥の手というか、頼みの綱というか…………あーっ!ダメだ分かんねえ!!」

「んむう、行き詰まってやがるのぉ坊主……こりゃあ、少し趣向を変えるのも良いかもしれんな」

 

頭を掻きむしるこちらの姿を見て、顎髭を撫でつけながらおっさんは不意にそう言った。

思わずその顔を見ると筋骨隆々の腕を目の前にずいと出してくる。

太い指が突きつけられる向こう側で、その顔がニッと笑った。

 

「お前さんの言っとった『りふれっしゅ』というやつだ!そろそろ別の奴を呼ぶとすっかの」

「別の奴、って?」

「ワシの知り合いを呼ぶ!」

「知り合い?」

 

その単語に思わず興味が湧く。筋骨隆々の巨漢ドワーフの知り合いだ。

酒場でジョッキをぶつけ合う髭面の大男の姿を幻視する。

どんな人なのかと思いながら、恐る恐る口を開く。

 

「そりゃあ願ったり叶ったりだけど、向こうの都合はいいのか?」

「おうとも!つい昨日遠征から帰ってきたらしいしな、少し時間はあるらしい。ワシが話は通しといてやろう」

「ありがてえ……本当に悪いな、おっさん」

「おう!礼などいらんわい!礼ならあ奴に言っておけい!きっと食い物で喜んで引き受けてくれるだろうぜ」

 

大食漢なのだろうか?豪快に肉を噛み千切る姿を思い浮かべてしまう。

まだ見ぬその相手に、想像がどんどん膨らんでいった。

 

「なぁ、ちなみにさどんな人?」

 

堪え切れず聞けば、おっさんはまるで自慢するかのようにニヤリと笑った。

 

「うちのファミリアと付き合いあるとこの奴だがな、ワシより腕が立つ!この間は階層主を1人で倒したと言っといたわ!」

「1人で?凄えな、その人……」

 

確かゲーム的に言えば、ダンジョンの一定階層ごとにいる中ボスモンスターだったはずだ。

普通は大人数で徒党を組んで倒すような存在を1人で討伐する強者……間違いなくLv.5はあると見ていい。

 

何て運が良いのだろう。

貰えるものは貰っとく主義とはいえ、棚から大きすぎる牡丹餅が降ってきたことに珍しく狼狽えていた。

 

「ぶわっはっは!気後れすることはない、ちいと無愛想だが真っ直ぐな気の良い奴だ!じゃが丸くん好きの可愛いやつだわい!」

「??じゃが丸くん?また、珍しい……」

 

思わず首を傾げる。

別に他人の趣向にケチをつける気はないが、おっさんと同レベルの大男が小さな軽食スナックを好んでいるのは想像しにくい光景だった。

そう言うものを食べるのはもっと子供か、女性とかが多い。

 

「……ん?」

 

そこで少し違和感を感じた。

いや、直感言うべきだろか?勘が囁いてくるのだ。

 

「あのさ、一応聞くけど……その人、男だよな?」

「んあ?おかしなことを聞くな、女だぞ」

「……どこのファミリアの人?」

「ふふん、良く聞けい!あのロキ・ファミリアの精鋭よ!期待しておけ、坊主!」

 

ロキ・ファミリア。女。じゃが丸くん。恐らくLv.5以上の強者。

それだけの単語が並べば、何となくオチが見える。

 

 

 

 

 

 

 

金髪がさらりと靡いた。

 

「よろしく」

「……なんかそんな気はしてた。わざわざありがとな、アイズ」

 

翌日、目の前に立つロキ・ファミリアの剣姫の姿がそこにはあった。

世間は狭いものである。そう思いながら、後ろで「ぬ!知り合いだったのか!」と声を上げるおっさんの方を振り返る。

 

「つか、何でここ接点があんの?2人の繋がりが見えねえんだけど」

「おう!ファミリア同士の付き合いもあったしの!ガレスの野郎繋がりで仲良くなったのよ」

「ガレス?誰?」

「私のファミリアの、最高幹部の1人……Lv.6のドワーフ族の戦士」

「へぇ。おっさん凄え人と知り合いなんだ、なるほどなぁ」

 

横からのアイズの一言に「うへぇ」と声が漏れた。

 

『Lv.6』。流石は攻略最前線のファミリアというべきだろうか。

出来ればその姿も見たかったが、そこまでのお偉いさんに付き合わせる訳にもいかない。

それに目の前にいる少女も圧倒的な強者。上等すぎるほどの相手であることに変わりはないのだ。

 

「ま、何にせよ今日はよろしく頼むぜ」

「……君、また強くなったね」

「この間よりも楽しませられりゃいいんだけどな」

 

先日、一手交えた時の惨敗を思い出しながら拳を構える。

 

「??この間と、構えが違う……?」

「ちょっと試行錯誤中なんで、少し付き合ってくれよ」

 

右拳を顎に、左拳を下げる独特の構え。

ゆらりゆらり、と直角に曲げられた左腕が振り子のように揺れる。

 

『ヒットマンスタイル』

本来アウトボクサーが取る構えだが、リフレッシュは何事にも必要だ。

何より、アイズの素早さに対抗するにはこの構えがいいだろう。あまり馴染みのない付け焼刃だが、手合せ程度なら十分だ。

 

トンっ、トンっと軽くステップを踏む。

 

「いつでも、いいよ」

「なら、遠慮なく……っ!!」

 

言い切るや否や、振り子運動が急に加速する。

ビュン!と左腕が鞭のようにしなった。

空気を切り裂くジャブは重く、鋭さを伴ってアイズに襲い掛かる。

 

腕全体をしならせて打つ、フリッカージャブと呼ばれるジャブは変幻自在な動きと特化した速さが武器だ。

スナップが効いた変則的な軌道は並のボクサーならば、まず見切る事が出来ない。

にもかかわらず、そのアイズの眼球の動きはしっかりと拳の走りを捉えている。

その細身の体を半身にして連撃を避けた瞬間──

 

「っ!!」

 

──アイズの腕がブレる。

閃光のような連撃が来ると察した瞬間、身を捻った。足の裏が地面を弾く。

多少は被弾するも、ブロックを固めながら構わずフリッカージャブを飛ばす。

 

変幻自在のジャブは少しの姿勢が崩れた程度で止められるものではない。

攻撃を回避しながら裏拳アッパー気味に繰り出されたジャブは空を切るも、アイズの攻撃を中断させるに至った。

 

足を止めて、軽く息を吐き出す。

 

「ふぅ」

 

やはり速い、と肌で感じる。

心臓のビートが早鐘のように胸を打った。

アイズの動きはパワータイプのおっさんよりも、その動きは鋭く尖っている。

尋常でないスピードに対抗するには、やはり自身のスピードをあげるしかないのだろうか?

 

(……否だ)

 

対抗なんて出来る筈がない。

スピードにスピードを当てるのはやはり得策ではない。

やはり自分の持ち味はタフネスとパワーなのだと実感させられる。

 

「くっ」

 

閃光。

飛んでくる刺突を何とかパーリングで弾くと、そのまま一歩詰め寄る。

必殺の右拳をギュウと握り締める。瞬間、冷静にこちらを見るアイズと目があった。

 

(構うかっ)

 

このまま、突っ込む!

更に体を押し込みながら、腕を引き絞れば回避するようにアイズの体が後ろに流れる。

スウェーバックで距離を取りながら、閃く細剣。

 

稲妻のように突き刺さる衝撃は以前の比ではない。

 

思わず足が止まり、大きく被弾する。

僅かに手加減を緩めたのか、一発一発が芯に響く。もつれかけた足を踏み直す。

崩れた体勢を立て直し様に大きく左フックを叩き込んだ。

 

「ふっ!!」

 

躱され、アイズの一閃が走る。

削られる皮膚を無視して、距離を詰めながら反動をつけての渾身の右フック。

瞬間、顔が歪んだ。

 

(大振りになり過ぎた……!!)

 

威力はあるが、間違いなく当たらない。

案の定、身を引いて躱されそうになった瞬間──何かに躓いたようにアイズの体が泳いだ。

 

驚いたような表情が目に入る。

すかさずガードを固めた体は、しかしこの拳の射程圏内だ。

チャンスだと思うより早く、握りしめられたフックが到達する。

ブロックの上から拳が沈み込み、アイズの体を浮かしていく。

 

ズグム!とめり込んだ拳は止まることを知らない。

 

「っ!?」

 

振り抜いた瞬間、アイズの体は勢いに飛ばされるように大きく吹き飛んだ。

 

「ぬぉ、っと!」

 

その方向にいたおっさんの手でアイズは受け止められる。

 

だが完璧にブロックされたようで、こちらを見返す表情は涼しいものだった。

全くダメージはない。Lv.5相手にそうそうダメージを入れられる訳がないと思いつつも、その結果に思わず辟易する。

 

「流石、だな」

 

かなりの手応えだと思ったのだが。

軽い足取りでこちらに歩み寄る姿を見ながら、長く息を吐いた。

 

「強くなったんだね……貰うとは、思わなかった」

「あれは、たまたまだろ……でも会心の手応えだったんだけどな。あわよくばガードの上から衝撃叩き込めればって思ったけど、甘かったか」

「並の冒険者なら、出来た……君のその拳の破壊力は、もうLv.1の域じゃない……」

 

アイズの視線がフックを放った右拳に向く。

 

「でもさっきの構え、あんまり君向きじゃないね……動きがぎこちない」

「本当は接近戦が得意だからな。距離を取るヒットマンスタイルはあんまり慣れてねえんだ」

「ヒットマン、スタイル?」

「そう、構え方の名前な。で、これが俺の得意なピーカブースタイル」

 

いつものように口元を拳で覆うと、納得したように頷かれた。

そもそも、ヒットマンスタイルは元々ジャブに特化した遠距離砲の構えであるため、その強みを活かすには高身長のボクサーが良いとされる。本来なら、縁のないものだ。

 

「ドルフマンから、話を聞いた……悩んでいるなら君は、破壊力を突き詰めた方がいいと思う……」

「それは分かるけど、それだけ大振りになるから隙がデケエんだ……」

「それは……避けながらじゃ、ダメ?」

「避けながら?」

 

先ほどの一戦、避けながら放ったフリッカージャブを思い出す。

あれがインファイトで出来れば、攻防一体の一撃が完成する……微かに、イメージが掴めた気がした。

 

「君は、足腰が強い。筋肉のバネを使えば、もっと動けると思う」

「なるほど、凄え参考になる……おっさんのアドバイスとは大違いだ」

「ぶわっはっはっは!アイズは凄い奴だからの!!女にしとくのが、勿体ないわい」

 

半眼で見るも、おっさんは皮肉に気付かず体を揺すって笑うのみだ。

アドバイスの8割が「気合いで耐える」だの「根性で動く」だの精神論では、参考にしようがない事に気が付いているのだろうか?

 

やれやれと思いながら、高くなった太陽を見上げる。

合わせるように腹の音が鳴った。

 

「少し早いけど、昼時だし休憩がてら飯食いに行こうぜ」

「うん」

「あ、ちゃんとじゃが丸くんも奢ってやるよ。引き受けてくれたお礼にな」

「……うんっ」

 

コクリと勢い良く頷き返される。

 

おっさんは?と声を掛ければ、少しレベッカに呼ばれているらしい。

土産を頼んだ!という声を背に街に2人で繰り出す。

どこか嬉しそうに歩くアイズを見て、ふとじゃが丸くんに個数制限つけるのを忘れていたことを思い出した。

 

(……まさか、前回の二の舞にならないだろうな?)

 

山のようにじゃが丸くんを注文していた光景が蘇る。

しかし、嬉しそうなアイズの姿に口出しする事は出来ず、自然と足取りは重くなるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「え?」

 

ベルは目の前の光景に思わずそう漏らした。

豊穣の女主人に魔導書を返しに行った帰り道、通りの向こうから信じられない光景が飛び込んできたからだった。

 

「イットと……ヴァレンシュタイン、さん……」

 

見間違えようがない。

黒髪の少年と、金髪の少女が2人でじゃが丸くんを食べている姿が見える。

親しい関係なのだろうか?どこか嬉しそうな表情を浮かべるアイズにベルの心がキシリと音を立てた。

 

(まさか……)

 

今まで見た事がない彼女の姿に、嫌な予感がじんわりと背中を包んだ。

昨日、彼女にダンジョンで精神疲弊で倒れた介抱してもらった失態のせいか。

その際、驚いて礼も言わずに逃げ出してしまった後悔の念からか。

ナイーブになったベルにその予感を拭い去ることが出来なかった。

 

「そんな……何で」

 

小さな呟きは通りの喧騒に掻き消されて、誰の耳にも届かない。

2人の背中は立ち尽くすベルを置いて行くように遠くなっていき、やがて見えなくなってしまったのだった。

 




閲覧ありがとうございます。

『フリッカージャブ』はよりリーチが長い相手には効果が薄いですが…手合せという事でご了承ください←
個人的に真似した事あるくらい格好良い技ですよね!


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21

 

そのベルの身に起きた変化に最初に気がついたのはヘスティアだった。

 

「これは……」

 

ステイタス更新の燐光に包まれながら、背中をなぞる指先が不意に止まる。

眉間に皺を寄せるヘスティアの様子に気がついたのか、うつ伏せのベルが僅かに身じろぎした。

 

「??神様、どうかしたんですか?」

「……ベル君、1つ聞いてもいいかい?」

「え、なんですか?」

 

首を傾げながら、身を起こすベルにヘスティアは目を向ける。

 

(ベル君がナイーブになっていたのは知ってたけれど……これは)

 

先日、『魔導書』という魔法を覚えるための使い捨て超レアアイテムをベルが間違って使ってしまった事があった。

幸い、持ち主不明の落し物が偶然ベルの元へやって来ただけだったので、咎められる事はなかったが……一瞬でおよそ数千ヴァリスを食い潰した事にショックを受けていたことをヘスティアは知っていた。

 

しかし、である。

この原因はそれではないだろう、と彼女は思った。

 

「ベル君。今日はあんまりダンジョンには潜らなかったのかい?」

「いえ?リリが休みだったので用心しながら潜りましたけど、それでも6階層までは潜りましたよ?」

「……うん、分かったよ。ほらベル君、これが今日のステイタスだよ」

 

ヘスティアの表情はあまり明るいものではない。

その事に一抹の不安を覚えながら、紙を受け取ったベルは紙の内容に視線を落とすと目を大きく見開いた。

 

「ステイタスが、あんまり伸びてない……?」

 

最近、毎回最低でもトータル上昇値100以上は入っていた成長が、トータル50程度しか伸びてなかった。

慌てて何度も見返すもベルの視界に並ぶ数字が変わる事はない。

 

「な、なんで……?」

 

確かに珍しく休暇でリリが抜けた穴を考えて、いつもより浅く潜ったのは事実だ。

しかし、ガクンと下がった成長率にベルは狼狽する事を抑えられなかった。

原因不明の不調に、不安が胸から溢れそうになる。

 

「え、えっ!何で!?」

「落ち着くんだ、ベル君。ほら、深く息を吸ってごらんよ?ゆっくりとだぜ?」

 

ヘスティアの小さな手が、ベルの背中をゆっくりと撫でた。

 

言われたように深呼吸を繰り返すと、気分は段々と落ち着いていく。

最後に長く息を吐き出すと、ベルは目を開けた。

 

「……すみません、神様……少し取り乱しちゃいました」

「ううん、仕方ないさ。ボクだってビックリしたんだから」

「でも……何が原因だったんでしょう?」

 

その言葉にヘスティアは思わず目を逸らした。

 

原因など分かりきっている。

【情憬一途】の効果が薄れている……ベルの爆発的成長を支えてきたスキルが弱まっているのだ。

それが意味する事は、ベルのアイズ・ヴァレンシュタインへの想いが揺らいでいるという事だった。

 

単純明快な話。

しかし、それはヘスティアだから分かる事だ。

 

ヘスティアの意図により、自身の持つレアスキルの存在を知らないベルがその答えに辿り着ける訳がない。

かといってレアスキルの存在を明かせば、情報が漏れてベルが娯楽に飢えた暇神どもの玩具にされる可能性が増えるだろう……それは出来るだけ避けなければいけない。

 

はぁ、とヘスティアは小さくため息を吐いた。

 

「……単刀直入に言うよ、ベル君。ヴァレン何某に何かあったのかい?」

「うぇ!?か、神様なに言うんですか!!?」

「ふんっ、ベル君は分かりやす過ぎるんだよ。君が落ち込む事の6割がヴァレン何某じゃないか!」

「そ、そんなに分かりやすいんですか!?……ちなみに、あとの4割は?」

「主にイット君関係だね」

 

うぐっ、とベルは思わず言葉を失う。

そのまま項垂れ様子を見て、ヘスティアはおや?と首を傾げた。

今のやりとりの中でベルが余計にダメージを受けたような気がしたからだ。

 

(うん?もしかして、何かボクは失言をしたかな……?)

 

いやいやそんな筈は、と焦るヘスティアの胸中とは裏腹に教会内に沈黙が広がった。

何だか嫌な空気だ。

思いもよらない展開にヘスティアの焦りは加速する。

 

しかし、それはポツリポツリと始まったベルの独白で破られた。

 

「……今日、ヴァレンシュタインさんと……イットが、一緒に歩いていたんです」

「な、何だってぇ!?」

 

爆弾発言。

思わぬ情報にヘスティアは大声を上げた。

ツインテールがピン!と逆立つが、いやいや話を聞くのが先だと身を引っ込める。

何食わぬ顔で咳払いを1つ。

 

「こほんっ……それで?」

「はい……2人でじゃが丸くんを、食べ歩いてたんです……ヴァレンシュタインさん、見た事ないくらい嬉しそうでじた……それが仲良さそうに見えて……ぐずっ、2人は、2人はもじかして、」

 

静寂の中でベルの喉が鳴る音が響く。

 

「つ、付き合ってる……んでじょうが……!!」

 

もはや、最後の方は涙声だった。

いつの間にかベルの顔は涙でクシャクシャになり、酷い有様だ。

ヘスティアは半分身を乗り出した体勢のまま、その顔を冷静に見つめた。

 

「…………え、それだけかい?」

「ふぇ?」

 

ベルの素っ頓狂な声が上がった。

 

その反応に、ヘスティアは拍子抜けしてしまう。

話に続きなどなく、本当にそれだけなのだと察したからだ。

 

「あのね、ベル君。男女が一緒に歩いていて付き合ってる事になるだなんて、君の早とちりもいいところさ!」

「そ、そうなんですか!?」

「君の話だとボクとベル君が一緒に出掛けたら、それだけで付き合ってることになるんじゃないかい?」

「そんな!か、神様とだなんて恐れ多いです」

「まぁ、それはそれで面白そうだけれどね」

 

冗談めかしてにんまりと笑いながら、ヘスティアはベルの泣き顔に指を突きつける。

 

「ヴァレン何某が嬉しそうだっていうのも、大方好きな食べ物が食べられただけに決まってるさ!なんてったってボクのバイト先の常連さんだからね!じゃが丸くんの大ファンなのさ」

「ゔ、ヴァレンタインさんはそんな単純な人じゃないと思います……!!」

「え……そう、かな?ボクには意外とそんな感じに見えたけれどね」

 

バイト中に見かけたアイズの姿を思い浮かべながら、ヘスティアは頬を掻く。

 

あずきクリーム味を嬉しそうに頬張る姿は年相応……いや、幼くさえ見えた。

ベルの目には彼女がどう映っているのか非常に気になる。

よほどの高嶺の花に映っているのか……恐らく、真実を『恋に盲目』状態のベルに告げたところで意味はないだろう。

 

「というか、もっと事実を知る単純な方法があるじゃないか!」

「……っていうと?」

「イット君に直接聞くのさ!『付き合ってるのか?』ってね」

「そ、それは……」

 

確かに、とベルは思った。

それは確証のない推論を重ねるよりもよっぽど確実な方法だった。

けれども、同時にすんなり真実が明るみに出ることがベルには恐ろしくもある。

 

(もしも……もしも、それでイットとヴァレンタインさんが本当に付き合っていたら?)

 

自分は立ち直れないかもしれない、とベルは思った。

ヘスティアはああ言うけれど、拭い切れない不安感がベルの胸の中にこびり付いていたのだ。

 

しかし、一歩踏み出さなければいけない瞬間が迫っていた。

でければ、ここでずっとウジウジしているままだ。

 

「分かり、ました……僕、イットに聞いてきます」

 

微かに震える拳を握り締める。

ゴクリと教会に唾を飲み込む音が妙に大きく響いた。

 

 

 

 

 

 

 

「イット!」

 

帰り道、不意に横から声を掛けられた。

聞き覚えのある声に振り向けば、そこにいたのは硬い表情のベルだ。

 

「おっ。こんな所で出くわすなんて珍しいな。ベルも今帰りか?」

「え、いや。僕はもう一回帰ったんだけど、もう一回出て来たんだ」

「へぇ、これから街に用事?」

「ううん……イットに、聞きたいことがあるんだ」

 

恐る恐るといったようにベルの口から言葉が紡がれる。

 

(聞きたいこと……?)

 

その内容に首を捻ってしまう……正直、思い当たる節が何もなかった。

ベルがダンジョン関係の助言を求めてきたことはなかったし、そもそもベルは自分で何とかしようとしがちな人間だった。

迷う素振りを見せるその口から出てくるのか……思わず固唾を飲む。

 

「その、ヴァレンシュタインさんの、事なんだけど……」

 

出て来た名前に目を瞬かせる。

 

「え、アイズの事?」

「!?な、名前で呼んでるんだね……」

「あー、最近仲良くしてもらっててさ……いや、その前からか」

 

どうもオラリオのフランクな風潮に染まりつつある気がする。

余程の年齢差がないと敬語を使っていないのは昔からだったが……反応を見るに、名前の呼び捨ては失礼なんだろうか。

思わず冷や汗を掻いていると、ベルもびっしょりと汗を掻いていた……何故?

 

「ななななな仲が良いんだ!?」

「どうした落ち着け?……って言っても少し話したり、一緒に飯食いに行ったりする程度で仲が良いって程でもないんだけどな」

「!?そ、そうなんだ!」

「……何だよ、急にニコニコして?」

「いや!何でもないよ!?」

 

先程とは一転、ベルがホッとしたように胸を撫で下ろす。

 

……何だろうか?先程からベルが挙動不審だ。

そこまで接点がある訳でもないアイズの話で何故、一喜一憂しているのか。

 

(っていうか、アイズとベルの接点といえば……)

 

思い至った結論に思わず手を叩く。

 

「分かった!ベル、お前まだアイズにお礼言えてねえんだろ?」

「えっ!?あ?う、うん……一応」

「怖い奴だって思ってんの?普通に良い奴だから、とりあえず話しかけてみりゃいいのに」

「それが出来れば苦労しないよ……って、そうじゃなくて」

 

挙動不審に顔を振るベルに首を傾げる。

話しかける踏ん切りがつかないのだろうか?

 

「あぁ、手土産持って行くならじゃが丸くんおすすめだぞ?特にあずきクリーム味は馬鹿みたいに食べる好物だし」

「そ、そうなんだ……」

「あいつ一見近寄りがたいけど、少し天然入ってるし普通の女の子と変わらないからさ気負う必要ないって」

「……」

「この間、飯食いに行った時もさ……」

「……」

 

身振り手振りで話を続ける中で──ふと違和感を覚える。

 

目の錯覚だろうか?ベルの表情が硬くなっていく気がする。

どんどん俯いていくその顔に引っかかるものを感じた。

 

「あ、そうだ。今度、アイズと会える場所セッティングしてやるよ。そのうちまた会うからさ、その時にベルの事紹介して……」

「……んな…………でいい……」

「??ベル、いま何か言ったか?」

 

俯いた顔が影になって見えない。

小声で何かを呟くベルにそう声をかけた瞬間、その顔が勢い良く上げられた。

 

「そんな事まで!気にしないでいいよ!!」

 

絶叫、とも取れる大声だった。

通りの視線が何事かと一斉にこちらを向く。

その中心にいるベルは肩で荒く息を吐くと、どこか睨む様な視線をこちらに向けた。

 

「それくらい……自分で出来る」

「あ、え……ベル?」

 

初めて向けられる強い眼差しに言葉が詰まる。

 

「ごめんね。僕、先に帰る」

「おいっ、ベル!!」

 

唖然とする間も無く、ベルが踵を返すように走り去る。

ざわめく野次馬の視線を受けながら、自分が混乱するのを感じていた。

 

(何だ?俺は、怒らせたのか……?あのベルを?)

 

今まで、ベルが怒った所を見た事がなかった。

温厚で素直な男の子。そんな風に感じていた彼があんな大声を上げて怒ってきた。

その事にショックを受けている自分がいる。

 

「やべ、追いかけないと……」

 

とりあえず話を聞かなければ何も分からない。

すでに見えなくなったベルの背中を探して、通りを駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

バタンと教会の扉が閉まると、ベルは荒い息を吐いて座り込んだ。

 

「何やってるんだろ、僕……」

 

小さく、そう呟く。

 

あんなに激昂したのは久しぶりだった。

それも親しい人間相手に怒鳴った事など、本当に数えるほどしかない。

ヘスティアがバイト先に出かけた教会に、ため息が長く長く響いた。

 

2人が付き合っているかどうか。

そんな些細な話から飛び出してきた筈なのに、何故こうなったのだろうか?

恐らく付き合っていないという確信は今さらどうでも良かった。

 

何がそんなに逆鱗に触れたのだろうか?

 

自分の知らないアイズを語られてその親密さに傷ついたから?──それもあるかも知れない。

憧れのアイズをただの普通の女の子だと言われて思わず反発したから?──それもあるかも知れない。

 

しかしそれ以上に嫌だったのは、イットに世話が必要な弱い存在だと思われていた事だった。

そんな、本当に些細な事が何よりも嫌だったのだ。

 

「面倒くさい奴だなぁ、僕」

 

フラフラと立ち上がりながら、ソファへと近付く。

そのまま倒れこみながら、ベルはゆっくりと目を閉じた。

 

(……僕は、イットと対等になりたかったんだなぁ)

 

今なら、分かる。

本当はヘスティアにライバル心を諭されるよりもずっと前……きっと、イットがロキ・ファミリアの1人と喧嘩したと聞いた時からそう思っていたのだ。

 

狼人族の冒険者に自分が馬鹿にされた事が原因で喧嘩になった。

その話を聞いた時、イットらしいと思った。彼ならそうするだろうな、と頼もしさすら感じたのだ。

 

しかし、同時にベルは傷付いていたのだ。

庇われる事しか出来なかった自分が……言い返す事も出来ずに逃げ出してしまった自分の弱さが際立って感じられたから。

浮き彫りにさせられたような自分の弱さを直視するのが嫌だった。

 

そんな自分を変えるためにイットと離れて潜る事を決意した──筈だった。

 

(だけど……変わってないんだ)

 

きっと、ずっとイットの中で自分は守ってやらなければいけない存在として見られていたのだろう、とベルは思った。

1人でダンジョンに潜り続けて成長しても、それは変わらなかったのだ。

 

その事実が、たまらなく悔しい。

 

「はぁ」

 

ゴロリと寝返りを打ったベルの指先に、カサリと何かが触れた。

ソファの下に何か紙が滑り込んでいたようだった。

誰かのメモが落ちたのだろうか、と思いながら紙を引っ張り出す。

 

仰向けになりながら、何となしに内容に目を通したベルは思わず目を見開いた。

文字列を追ううちに、自然と唇を噛み締めてしまう。

 

(そんな……そんな、ことって)

 

それはステイタスの写しだった。

 

クシャリ、と紙の端を握る手が強くなる。

記された名前は『イット・カネダ』

渦中の冒険者のステイタスがベルの目に飛び込んでくる。

 

 

 

イット・カネダ

Lv.1

力:B764→S946

耐久:S907→SS1075

器用:D511→B799

敏捷:C633→A823

魔力:I0→I0

《魔法》

【】

《スキル》

【超超回復(カプレ・リナータ)】

・早く治る

・受けた傷以上に回復する

・傷が深いほど上昇値は大きい

 

 

 

(アビリティ、ランクSS……っ)

 

前代未聞のランクだった。

Sランクがステイタスの限界と言われる中、SSランクなど冗談だと言われた方が信憑性がある。

しかし、紙に写された文字は冗談などではない。

これが意味するものは──冒険者としての『限界突破』

 

(差が縮まらない……)

 

堪えきれない感情が声となって僅かに漏れた。

 

通常、極限までランクを上げるよりもレベルアップした方が手取り早く強くなれる。

その点では、ベルが今レベルアップすればイットよりも強くなれる可能性は残されていた。

しかし、そうではない。そういうことではないのだ。

もはやこれは意地だ……近道をして勝った競争に意味などないのだ。

 

しかし原因不明で不調の今、ベルとイットの差は分かりすぎる程に大きい。

追いつくどころの話ではない。

 

(……離されていく)

 

イットの背中が遠くなる気がした。

手を伸ばしても、その背中はスルリと一歩先を行ってしまうのだ。

そうなればどうなる?

今の立ち位置のまま、イットに守られる存在のままこのまま彼と付き合っていくのだろうか?

 

(そんなのは嫌だっ!!!)

 

ガバリと体を起こす。手の中でグシャリと紙が握りつぶされた。

 

『ライバル心』だ、とヘスティアは言った。

 

『追いつき、追い越したいと思える心の事さ』と彼女の見守るような笑みが脳裏を過る。

正しくその通りだと心が叫んでいた。負けたくない。追いつきたい。追い越したい!

 

そして何よりも認めてもらいたいのだ。

彼に──イット・カネダという冒険者に。

 

(成長するまでなんて言ってられない)

 

それまで悶々と日々を過ごすなんて真っ平ごめんだった。

 

どうしたいのか、尋ねるまでもなく心は定まっていた。

先程までの激情は鳴りを潜め、静かな青白い炎が穏やかに──しかし熱く燃えている。

 

だからだろうか?

大きな音を立てて教会の扉が開き、その向こうから息を切らしたイットの姿が見えた時、ベルはいつにいなく落ち着いていた。

 

「はぁっはぁっ、ベル……」

「……イット」

 

呼吸を整える彼の名前をベルは静かに呼んだ。

 

「悪い。俺、何がお前を怒らせたのか分からねえんだ……少し、話さねえか?」

「ううん、いいいんだ。あれは僕が悪かったから……ごめんね、怒鳴ったりして」

「そう、なのか……?何かあるなら素直に言っていいんだぜ?」

「大丈夫。ただ、その代わりに1つお願い事があるんだ」

 

拳はもう震えていない。

まっすぐに見つめたイットの顔は珍しく困惑の色が滲んでいた。

 

「イット……僕と決闘しよう」

 

(勝てなくたっていい。今の精一杯をイットにぶつけて……僕の事を認めてもらうっ)

 

赤い瞳はかつてないほど力強く、イットの事を睨んでいた。

 




思春期ベル君14歳、灼熱の時。
修羅場解消からの別の修羅場(?)発生の巻でした。

少し強引だった気もしますが、ベル君の青臭い感じ出せてれば幸いです。
いつも閲覧、ご感想ありがとうございます!


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22

おまたせしました。少し長いです。


ひゅるり、と風が頬を撫でた。

遠くで木々がざわめいているのが見える。

何となしにそれをぼぅと眺めながら、小さく息を吐いた。

 

(ベルは、何であんなこと言い出したんだ……?)

 

その疑問に答える声はどこにもなく、モヤモヤした思いが胸の中で燻っている。

突然、『決闘』という強い言葉がベルの口から出た事に、動揺する自分がいるのを感じていた。

 

『ベル君のことをちゃんと見て欲しいんだ』と、前にヘスティアが言っていた事を思い出す。

もしかしたら、彼女はこの事に気付いていたんだろうか?

今となっては手遅れだが、その言葉が耳の中で反響するのを止められない。

 

(俺は、ベルの事をちゃんと理解してやれなかったのか……?)

 

肯定も否定もなく、ただ細く伸びた影法師が夕暮れの地面に2つあるだけだ。

その根元にあるのは自分と──ベルの姿のみ。

 

少し距離を空けて構える姿はダンジョンに潜る装備一式を身にまとっている。

ナイフこそ刃を見せず鞘に入ったままだが、それ以外は完全装備の臨戦態勢。

 

正真正銘の本気。

その瞳の中でチロリと燃える炎を幻視して、思わず長く息を吐いた。

 

(本当はあんまり乗り気じゃねえんだが……)

 

向こうがそれだけ戦いたがっているのなら応えてやるのが礼儀。

その背景にあるのが怒りなのか、それ以外なのか……気になる部分は多いが、1人のボクサーとして申し込まれた試合は断った事はない。

 

それに──拳を合わせないと分からない事もある。

 

「やるか」

 

ポツリと呟くと、ベルが僅かに反応した。

 

「……イットは、いつものガントレットつけないの?」

「お前がナイフ鞘に収めてんのに、俺がつける訳ねえだろ。決闘ったって殺し合いじゃねえし」

 

ギュッと厚手の革の手袋を握りながら、そう言う。

生憎、かなり格上でもない限り人間を鈍器で殴り付ける趣味はない。

 

それに、と続けるとベルの眉が僅かに跳ねた。

 

「ボクサーの拳はそれだけで凶器だ。甘く見ない方がいいぜ?」

 

答えはない。代わりにベルはただ低くナイフを構えなおした。

自然と対応するように、こちらも拳を口元で構える。

 

「ルールは……『参った』って言ったら負けにするか?」

「……」

「不満そうな顔だな。じゃあ、10秒立てなかったら負けだ……分かりやすくていいだろ?」

 

集中しているのか、返事はない。

しかし、ギラギラと光る瞳が何よりも如実に心情を語っている。

『戦いたい』と、ビシビシと伝わって来る。

 

その眼光に昔の試合を思い出しながら、ギュウと拳を握りしめた。

 

(やべえ、おかしいな……)

 

この状況に心配すべき筈なのに……これからの一戦にワクワクしてしまっている自分がいる。

病気だろうか?……いや、今更だろう。

こんな気概をぶつけられてワクワクしないボクサーなどいる訳がない。

ベルの気迫に当てられたのか、自然と気持ちが切り替わっていく。

 

風の音だけが耳に届いていた。ゴクリと唾を飲む音さえ良く響きそうだ。

 

「いつでもいいぜ……かかって来いよ」

 

そう告げた瞬間──

 

 

ダンッ、と。

 

 

──ベルの体が弾けた。

 

白い影が低く疾走する。

思った以上にその速度は、速い。

真っ直ぐに突っ込んでくる弾丸は、狙い澄ましたように鋭い刺突を繰り出す。

 

「阿呆」

 

が、それは首を傾けるだけで空を切った。

 

あっさり躱された事に驚くベルに拳を引き絞る。

確かに速いが、真っ直ぐ過ぎる。

その愚直さは嫌いじゃないが、駆け引きのない一撃をもらうほど甘くはない。

 

「ぐっ!!」

 

叩き込まれたボディにベルが顔を歪めた。

ライトアーマーがあるとはいえ、衝撃が消える訳じゃない。

 

飛び退って距離を取るベルに、思わず口を開く。

 

「それじゃダメだ、ベル」

「……な、何が?」

「速いけどよ、お前の攻撃は真っ直ぐ過ぎる……少しは考えねえと勝てねえよ」

 

考える事を無くして勝てるほど戦いは簡単ではない。

だからこそ、フェイントという駆け引きが生まれ、コンビネーションという技が発展していったのだ。

 

しかし、身体能力をぶつけるまでしかベルは出来ていない。

それでは体のスペックを振り回しているだけに過ぎないのだ。

 

「頭を使えよ、ベル。じゃねえと速攻で負けるぞ」

 

そう口にすると、その顔に僅かに焦りの色が滲んだ。

 

 

 

 

 

 

(凄いプレッシャーだ……)

 

ベルのナイフを握る手に思わず力が入った。

 

拳を構えた瞬間から、まるで大岩を相手にしているような威圧感が絶え間なく襲ってきている。

まるで隙が見えない……開幕直後の不意打ちも見切られた事はベルの心に焦りを生んでいた。

 

(どうする?考えろ……考えるんだ……)

 

イットに言われた言葉をベルは反芻する。

単純な攻め方では簡単に反撃される。

もっと意表を突くか、避けられない状況で一撃を与えるしかない。

 

(でも、どうやって……)

 

焦るベルは、ふと目の前が暗くなるのを感じた。

視界に影が落ちている──何故?

 

 

 

「素直なのはいいが、考えすぎだ馬鹿」

 

 

 

すぐ間近にイットの顔があった。

 

その右腕はすでに引き絞られている。

一気に背中が冷えるのを感じながら、ガードを固める。

 

次の瞬間──腹部が爆発した。

 

「ぐぅぅっっ!!?」

 

防具などないかのような重い衝撃が背中まで突き抜ける。

胃がシェイクされたようにかき乱された。

踏ん張りがきかず、ふわりと体が浮く。

 

焦る視界の中、イットの左腕が振りかぶられるのが見えた。

ゾクリと鳥肌が立つ。

第二波が、来る。来てしまう。

 

(ま、ずいっ)

 

本能に押されるように、咄嗟にイットの胸板を蹴り飛ばして距離を取った。

ブゥン!と空気の千切れる音がすぐ目の前を過ぎていく。

逃げ場のない空中に打ち上げられて、あの連撃を貰い続ければどうなるか……想像するのは容易い。

 

負ける──惨めに、負けてしまう。

認めさせる所の話ではない。

 

冗談ではない!まだ何も伝えられていないのに倒れる訳にはいかない。

ベルは奥歯を噛みしめると、上体を揺らしながらこちらを伺うイットを睨んだ。

 

(あの一発を貰うのはマズい……!!)

 

本能が警笛を鳴らしている。

先ほど見たイットのステイタスがチラついた。

 

力がSランク、耐久に至ってはSSランク……全く太刀打ち出来ない領域だ。

しかし、唯一対抗できそうな項目が一項目だけ存在していたことにベルは気づいていた。

 

『敏捷』Aランク。

奇しくもベルも到達していた唯一のAランクが敏捷だった。

ならば、速さだけであれば──負けない。

 

落ち着けば出来る筈だ。

自分を信じて、その拳撃を全て避けろ!

 

「ふぅっ!!!」

 

剛腕が唸る。

連続で飛んでくるストレートを細かいステップを踏みながら避ける。

避ける。避ける。避け続ける。

 

避ける事に集中すればイットの攻撃は避けれる。

けれどもその猛攻に押され、こちらの手が出ない──否、そうではない。

 

ベルの腹部が重い一撃を思い出すように疼いた。

 

「ビビってんのかっ?手出さなきゃ勝てねえぞっ!」

「くっ」

 

前髪が数本持って行かれる。

 

図星だ。あの拳の反撃をベルは恐れてしまっていた。

捕まったが最後、なすすべもなく終わってしまう様を否応もなく意識してしまうのだ。

 

(それだけは……絶対に、ダメだっ!!)

 

バッ!と空の右手を突き出す。

イットの表情に怪訝そうな色が滲むが、拳が届くよりもベルが口を開く方が早かった。

 

「ファイアボルト!!!」

 

閃光。そして、爆発。

 

「なっ!?」

 

イットの驚く声を耳にしながら、ベルは地面を蹴り出す。

粉塵舞い上がる中に突っ込むと影に向かって全力でナイフを突き出した。

 

しかし……手応えはない。

まるで靄を突いた様な感触に注視すれば、ナイフの先にあったのはイットの上着だけだった。

 

一体、どこに──

 

「あっぶねえ……やるな、それが習得した魔法ってやつか?」

 

──ベルの左耳を声が打った。

 

バッと振り返れば、少し汚れた姿のイットが頬を拭っている。

目眩ましで打ったとはいえ、狼狽えた様子もなく飄々とした姿を見てベルは唸った。

 

「いい隠し玉持ってんじゃん。持ってるもん全部使ってこいよ。決闘って言ったのはお前だろ、ベル?」

 

……言われるまでもない。

 

ベルが手に入れた速攻魔法『ファイアボルト』は威力こそ低いものの、一言の詠唱で敵を焼く炎の雷だ。

イットに魔法の存在がない今、『ファイアボルト』はベルの切り札だった。

 

「ファイアボルトォ!!」

 

駆け出しながら連続で詠唱する。

雨あられに降り注ぐ炎の矢の中を、しかしイットは掻い潜り続けているのが見えた。

何発か着弾しているが、耐久の高さに任せて強引に突破してくる。

 

思わず舌打ちしながらバックステップで身を引くと、拳がアーマーを掠った。

 

(??また、ボディ……?)

 

ふと、違和感を覚える。

 

思い返してみればイットは、開幕からずっとボディしか狙っていなかった。

何か理由があるのかと思ったが、防具の上から殴り続ける事に意味などあるはずがない。

 

「……イット」

 

口に出した声は自分のものでないように低かった。

動きを止めたベルにつられるように、イットの拳が止まる。

 

「なんだよ?」

「さっきから、ボディしか狙ってないよね……なんで手加減するの?」

「…………言ったろ?ボクサーの拳は凶器だ。それで頭でも打ち抜ち続けたら下手すりゃ死ぬぞ?」

 

死ぬ、という言葉に思わず体が強張る。

そんな経験をしたのはこの街で2度しかなかった。

1つは怪物祭でシルバーバックに追われていた時。

そしてもう1つは──ミノタウロスに襲われていた時だ。

 

「……」

 

金髪の少女と、血まみれの背中。

 

2つの映像がベルの頭にフラッシュバックする。

あの日、憧れた2つの姿。

そして、強くなる為の2つの目標。

 

(何を考えてたんだ、僕は)

 

臆病な自分が腹立たしい。

 

死ぬ事が怖かったなら冒険者を目指す事すらしていなかったはずだ。

今更こんな所で何を怯えているのか?

この街に来た時から覚悟は、出来ている。

ギリっと歯を食いしばると、ベルはイットを真っ直ぐに見た。

 

「構わないっ」

「…………ベル」

「全力で来てよ、イット!僕も全力で行くから!遠慮なんてしないで欲しいんだ!!」

 

思いを全て吐露するように、ベルは叫ぶ。

 

「……」

 

じっと考え込むようにその姿を見ていたイットは、やおら手足の重りを外すと宙に放った。

弧を描いて飛んでいく4つの重りは長い滞空時間の後──轟音と共に着弾する。

 

その重量と衝撃に、石畳に僅かに亀裂が入った。

 

「!!?」

「……ごめん、ベル。本当に悪かった。お前の覚悟、踏みにじるような真似してよ。自分の勘違いっぷりに自分で腹が立つぜ」

 

けど、と続く言葉と共にイットの眼光が鋭くなる。

 

「お前がそう言ったからには本気だ。気張れよ?」

 

ズン、とプレッシャーが増した。

ギラギラとした闘争本能がぶつかってくる。

まるで大型モンスターを相手にする様な濃厚な野性の気配がベルを包む。

 

(何だ、これ……)

 

冷や汗が頬を伝った瞬間──その雫が、弾けた。

 

衝撃。

 

視界が大きく跳ね上げられる。

横から殴られたのだ、と気がついた時には滞空していた体が地面に叩き付けられていた。

 

「ぐぅっ!!?」

 

ブレる視界の中で、ゆっくりを身を起こせば拳を振り抜いたイットの姿がそこにはあった。

その光景を見て、ベルは悟ってしまう。

イットがまだ全然本気ではなかったのだという事に。

 

「立てよ、ベル。寝るにゃまだ早いだろ?」

「そんな、の……当たり前だ!!」

 

ベルはフラつきながら立ち上がると、ナイフを再び構えなおした。

 

 

 

 

 

 

「男の子ってやつなのかな?子供達の成長は早いったらありゃしないよ」

 

ヘスティアは少し寂しそうに言うと、ぶつかり合う2人の眷族達を眺めていた。

 

いや、ぶつかり合うというのは語弊があるだろう……実際はイットのワンサイドゲームだ。

超重量から解き放たれた身体は、まるで別人の様に素早い。

ガードの隙間を縫うような拳打がベルの体に次々に突き刺さっている。

見る見るうちに痣だらけになっていくベルの姿に飛び出しそうになるが、ヘスティアはぐっと唇を噛み締めて留まった。

 

(駄目だ……これはボクがけしかけたのが原因でもあるんだ。手を出す事は許されないし、見届ける義務がある)

 

それが『ライバル心』などと口に出した自分の責務だ、とヘスティアは思った。

 

鈍い音と共にベルの体が宙を舞う。

もう何度目になるだろう?それでも立ち上がろうともがく姿は、とても美しく見えた。

 

身体はボロボロでも、その眼は死んでいない。

荒い息を吐きながら、立ち上がる姿にヘスティアは小さく呟いた。

 

「2人とも頑張れ」

 

ベルも、イットも。

ベルだけじゃない。きっとイットもこの戦いを通して、大きな事を知るだろう。

それはイット・カネダという冒険者を更なる高みに押し上げてくれるに違いない。

ぎゅっと手を握り締めながら、ヘスティアはそう確信する。

 

(イット君は、ちゃんと理解してくれるかな?)

 

出来ることなら無事に終わって欲しいのだけれど、と付け加えながらその眼差しは2人の大喧嘩に注がれていた。

 

 

 

 

 

 

地面に背中が叩きつけられる。

 

手足は鉛の様に重く、まるで水中にいるように息苦しい。

もう、何回殴り倒されただろうか?

軋む体で立ち上がりながらベルは考える。

腫れて狭くなった視界の中で彼はまだ戦っていた。

 

対してイットは軽く息を乱す程度で、ダメージらしいダメージはそこまで見受けられない。

ベルの魔法を基点とした有効打は幾つか入れられてたものの、SSランクという耐久力の前にダメージが深く通らないのだ。

それに加え、重りを外して以降は直撃する事さえほぼなくなっていた。

 

(やっぱり、すごいなぁ……)

 

ベルは口元を引き締める。

イット・カネダという冒険者がどれだけ強いのか、初めて身をもって体感できている。

これまでのどんな相手よりも強敵だ。

──そして、どんな相手よりも負けたくない冒険者であった。

 

(でも、もうミノタウロスに怯えるだけだった時の僕じゃない)

 

あれから半月と少し。

その中で得たものは沢山ある。

 

ソロでダンジョンで潜り続けた日々。

ヘスティアから貰ったナイフ。

エイナと買いに行ったライトアーマー。

シルがきっかけで手にした魔法。

 

成長は、きっとしている。

イットと離れていた間、沢山の人に支えられながら頑張ってきたのだ。

 

(全部、ぶつけるっ!!)

 

全力で地を蹴った。

絶好調とは言い難いが、凄まじい速さでイットに迫る。

振り上げられるナイフ、迎撃の構えが取られる。

 

 

その瞬間、ベルはナイフを手放した。

 

 

「っ!?」

 

意表を突かれたのか、イットの瞳が僅かにナイフの軌道を追ってしまう。

ベルが1歩……いや2歩詰めるには十分な隙だ。

 

超接近戦。

イットのフィールドに踏み込んだベルを襲ったのは圧倒的な恐怖だった。

次の瞬間にも拳が突き刺さってきそうだ。

逃げ出したい衝動を抑えながら、更に半歩踏み込む。

そして手を伸ばす刹那、イットの拳が握り込まれているのが見えた。

 

(来るっ!!)

 

だが、もう少しで届くのだ──逃げる訳にはいかない。

ギュウと奥歯を噛み締めると、ベルはイットの胸板に触れた。

 

ヒュッと息を吸う。

チリリと脳が焦がされた。

 

「ファイアボルトォァ!!!」

 

絶叫。ゼロ距離からの魔法発動。

妨げる物が何もない炎の雷は分散する事なく、100%の威力をダイレクトに届ける。

逃げ場のない熱風にベルの体が煽られた瞬間──メキリ、と硬いものが脇腹に喰い込んだ。

 

「──っっっ!!!」

 

声が、出ない。

嫌な音を立てた骨の悲鳴を感じながら、その体は簡単に宙を舞った。

相打ちと言うにはあまりに不条理な結果。

地面に叩きつけられたベルは息も絶え絶えの状態だった。

 

けれど、ベルは確かな手応えにほんの僅かに口角を上げる。

 

(届いた、かな……?)

 

これまでの成長の証はイットに届いただろうか?

守ってもらうだけの男じゃなくなったのだと、思ってもらえただろうか?

いや、と呻きながらベルは地面をのたうちまわる。

 

(まだ、だ……)

 

折れる膝を叱咤しながら立ち上がると、暗くなる視界の中で驚いた表情を向けてくるイットの姿が見えた。

流石にあれだけの一撃に、苦悶の表情を浮かべているものの足取りは揺るぎない。

 

カチャリ、と爆風で飛ばされてきたナイフを指に引っ掛け、ゆるゆると構えた。

 

(まだまだ、伝えたい事がたくさん、あるんだ……)

 

だから、まだ寝てなどいられない。

 

(僕は…………イット、に……ま……だ……)

 

まだ、寝てなど──

 

 

 

 

 

 

「……立ったまま気絶してやがる」

 

その構えられた右腕をゆっくり下ろしてやると、半開きの瞳を覗き込む。

腫れ上がってしまった瞼の奥で赤い眼は今も戦い続けていた。

 

気絶しても倒れないのだ。

この決闘、勝負は引き分けだった。

 

「まったく……お前って奴は」

 

もはや呆れる程の根性だ。

 

何がそこまでベルを駆り立てたのか?などという愚問はもうしない。

自分に置き換えれば分かることだ。もし同じことをされたなら多分、怒っていたかもしれない。

見えっ張りな性格なのだからだろうか、余計にそれを痛感する。

これまでの行動がどれだけベルに恥かかせてきたのか、何を必死になって伝えて来ようとしたのか。

その胸の中の思いが一合ごとに伝わってきた。

 

ベルも1人の『男』だった。

そんな簡単な事に、自分は気付いてやれなかったという事なのだ。

 

「イット君」

「……ヘスっち。見てたのか」

「ずっと見ていたとも。まったく……ボクの子達は無茶ばかりする」

 

肩を竦めてそういうヘスティアは、ベルに近づくとゆっくりとその体を抱きとめた。

 

「2人とも、お疲れ様」

 

そう呟いて髪を撫でる姿に、居辛さを感じた。

ベルをここまでボコボコにした罪悪感から、頬を掻きながら口を開く。

 

「ベルには、俺のポーション使ってくれ。買い込んでたのが山みたいにあるから、少しは効くだろ?」

「熱入って派手にやってくれたからね、たんまり使わせてもらうとも……イット君の方は?怪我は大丈夫かい?」

「何発かいいのもらったけど、この通りピンピンしてら」

「本当に良かったよ、無事に終わってくれて……ベル君はボロボロだけどもね。イット君も、その火傷治すんだろう?」

 

ヘスティアの視線が胸元の火傷に向けられる。

ベルからの最後の一撃、ゼロ距離からの魔法行使はかなり効いた。

現代日本じゃありえない光景だ。冒険者っていう生き物は、平気で無茶苦茶してくる。

 

炎と同時に感じてベル自身の熱さを思い出して、ヒリヒリする肌を指でなぞった。

 

「いや、これは自然に治るまで放っとく。今日の記念だ」

「……自分の眷族にこんな事は言いたくないけど、Mっぽいよイット君」

「何だ、ヘスっち?喧嘩売ってんのか、買うぞ?」

 

そんなんじゃない。

ただ、自分への戒めとベルの成長の証をすぐに消してしまいたくなかったのだ。

 

「それで?どうだった、ベル君と喧嘩してみて」

「ん。そうだな……すげえ強かったよ、ベルは」

 

そんな事、分かりきっているだろうに。ヘスティアは意地悪くこちらを見つめてくる。

実際、おっさんやアイズとの手合わせで速さに目が慣れてなければもっと重いものをもらっていたかもしれない。

この半月でベルは見違えるように強くなっていた。

 

髪をかき上げると、夕暮れの空がただただ広がっていた。

 

「まさか、ベルと喧嘩するなんて思いもしなかった」

「それだけイット君の存在がベル君の中で大きかったって事さ」

「そんな怒ってたって事か?」

「いいや?君に弱く思われたくなかったのさ、何だかんだでベル君は君に憧れてる節があるからね」

 

そんな憧れるような人間だろうか?と思ってしまう。

昔、自分が憧れた『あの人』はもっと大きな背中と、温かい笑顔で──そして何より強い人だった。

 

そんな存在に自分がなれるのだろうか?

風に靡く髪を払うと、長く息を吐いた。

 

「……顔合わせずれえなぁ」

「逃げちゃダメだよ、イット君」

「逃げねえよ、そんな期待されてるって言うなら余計にな…………ヘスっち。俺さ、13階層行くわ」

 

ダンジョン『中層』

Lv.1での適正範囲を超えた領域への侵攻宣言にヘスティアは驚いたような表情を浮かべるも、少しして納得した表情を浮かべた。

 

「ベル君のせいかい?」

「情けない姿は見せられないからさ。特訓はしてきたし、中層にもパーティ所属のLv.1は意外といる。やれない事はないだろ」

 

いつまでも足踏みしている訳にもいかない。

特に、すぐ後ろにベルが来ているというのだから余計にだ。

 

「ま、細かい話は後だ。ベルを治療するのが先だしさ。多分、肋骨に罅入ってるし早く運ぼうぜ」

 

そう口にすると、ヘスティアの顔がくわっとつり上がった。

 

「な、何だって!?まったくもう!熱くなりすぎだよ、イット君!すぐに運ぶからとっとと手伝うんだ!!」

「死ぬ怪我じゃねえから、慌てるな。それより揺らさねえでゆっくり運べよ」

 

慌てるヘスティアにそう宥めるように言うと、ベルの体がピクリと動く。

 

「うぅっ……うぅん……」

「あっ、イット君!ベル君が、ベル君が気がついたよ!!」

 

満面の笑みを浮かべるヘスティアに、曖昧に頷いた。

すぐに気が付いてくれたことは喜ばしいが、もう少し落ち着く時間が欲しかった。

どういう顔で接すれば良いのか、少し迷ってしまう。

 

(なんて声掛けようか……)

 

強くなったな?良い戦いだった?

まとまらない考えを携えながらも、ゆっくりとベルに近づくのだった。

 




一件落着?でしょうか。難しいかったですが、こういうまとめ方になりました。
イット君、中層への進出を決意。

少し多忙で間が空きましたが、お付き合い頂いてありがとうございます。
いつも閲覧、ご感想ありがとうございます。


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23

前話を改稿する中で

1.イットがベルに憧れられていることに気付く
2.それに背中を押され、イットが中層に挑戦することを決意する

というエピソードを追加しました。
それを踏まえた上で今回のお話をお楽しみ頂ければ幸いです。



「……イット様?いま、何と言ったんですか?」

 

表情が硬くなるのを感じながら、リリはそう口にした。

いつもの早朝トレーニングの最中、イットの発した言葉が信じられなかったのである。

 

「いや、だからリリには悪いけど次から少しの間この練習には来れなくなる」

「そ、それは……何故でしょうか?」

 

まさか、見切りを付けられたのではないか?

そんな不安感から恐る恐る尋ねれば、返って来たのはリリの予想に反した言葉だった。

 

「今度中層に行くんだ。少し無茶するからさ、準備はしっかりとしていかないとだし……付き合ってやれなくて悪いけど」

 

思わず胸を撫で下ろす。

見切られた訳じゃないことにホッとしながらも、リリは訝しげに眉を潜めた。

 

「失礼ですが、イット様はLv.1の冒険者様の筈では?」

「あれ?俺、リリに教えたっけ?」

「それくらい教えてもらわずとも分かります。リリも『死にたがり』冒険者様の噂くらいは聞いたことありますので」

「ははは。そんな有名だなんて光栄だな」

「悪名も良い所です」

 

オラリオ屈指の『死にたがり』冒険者。

ダンジョン攻略の反面教師。

 

いつまでその生還劇が続くか、という話題は一部の冒険者の鉄板ネタだった。

まさか、それが自分にボクシングを教える変人冒険者だとは思わなかったが、とリリは胸中で零しながら言葉を続ける。

 

「はっきり言わせてもらいますがイット様、今度こそ死にますよ?」

「お、心配してくれんのか?珍しいな、リリ」

「そういう話ではありませんっ」

 

茶化すイットにリリは眉間に力を込める。

その様子に肩を竦めると、イットは言い訳するように頬を掻いた。

 

「質も量も段違いなんだろ?知り合いに耳がタコになるほど聞かされたよ……でも、行けるはずだ。それだけの力がそろそろついてきた」

「??何おっしゃってるんですか、Lv.1でしょう?」

「んー……ま、それはオフレコで」

 

人差し指を口元に立てて笑うイット。

 

オフレコという言葉の意味は分からなかったが、秘密と言う事なのだろうとリリは思った。

誰かのパーティーにでも加えてもらうのだろうか?と考えながら、口を割る気のないイットに思わず唇を噛んでしまう。

まさかLv.1が中層にソロで潜るというほど馬鹿ではない……筈だ。

 

「そんな顔すんなよ、寂しいのか?ひと段落ついたらまた戻ってくるから心配すんな」

「……約束ですよ」

 

まだまだ教わりたい事があるのだ。勝手に死なれてもらっては困る。

自分が思った以上にこの時間に固執している事に気付かないで、リリは渋々頷いた。

 

「心配症だなぁ……あぁ、そうだ。練習最後だし模擬戦してみるか。ボクシングでは『スパーリング』って言うんだ。本当は防具とかいるんだけど……ないから変則ルールでな」

「変則ルール、ですか?」

「そう。リリは普通に俺に打ち込んで来い。んで、リリは俺になるべくタッチされないように避ける」

「……いいんですか?遠慮なく行きますが?」

「頑丈さが取り柄だからな、問題なし。思う存分打ってこい」

 

ほら、と手招きするイットに従ってリリはその側に近づいていく。

 

その場で軽くステップを踏みながら、彼はどのくらいの強さなのだろうか?とふと疑問に思った。

『死にたがり』などと呼ばれる無茶をさながら、今も生きながらえているイットの実力に少しだけ興味が湧いたのである。

自分では彼の本気を引き出せないだろうけれど、と思いながらも手袋をつけた拳を強く構える。

 

初めての模擬戦にリリの心は知らず知らずのうちに熱くなっていた。

 

「あぁ、そうだリリ。始める時にはな、拳合わせるんだ」

「??何故ですか?」

「挨拶だよ。あと、開始の合図だ」

「……見かけによらず律儀なんですね」

「紳士のスポーツってのは伊達じゃねえからな」

 

そんな話は初耳だったが、リリは差し出された右拳に合わせるように拳を押し当てた。

ギュっと強めの圧力のあと、ふっと拳が離れる。

 

スパーリング開始だ。

 

「よっと!!」

 

直後。

頭上からイットの左手が伸びてくる。

身長の低いリリにとって、おおよその攻撃とは基本的に上から来るものだ。

実際以上に大きい圧力を感じながらも、体を沈めて避けながら飛び込んでいく。

 

基本を押さえた忠実な動き。

 

リリがこれまで教わったことと言えば2種類のパンチと、いくつかのディフェンステクニックだけだ。

その中でリリが特に力を入れたのが、攻撃を受けない防御の動きだった。

 

上体を振って的を絞らせない『ウィービング』

身を引いて距離を開ける『スウェー』

頭に滑らすように打撃を避ける『ヘッドスリップ』

体を沈めて攻撃を躱す『ダッキング』

 

耐久の低いリリが目指したのが、攻撃を掠らせないディフェンス──それは徐々であるが、確かにリリの中で芽吹きつつあった。

 

「くっ!!」

 

こちらに伸びる手の平を避け続ける。

危うい場面も幾つかあるものの、連射されるその両手をリリは掻い潜ってみせる。

 

ディフェンスに必要なのは動体視力、反射神経、空間把握能力。

小人族特有の目の良さと、頭の回転の早さ、そして手の届きにくい低身長はディフェンスにおいて大きな武器となっていた。

 

「よくまぁ動けるようになったもんだよ、流石だなリリ」

「手加減っ、されながら言われても、嬉しくっ、ありません」

「まぁ、スタミナ足りねえのは相変わらずだけどな」

 

にやりと笑うイットに、リリは荒い息を吐きながら閉口する。

そんな事は自覚している。けれど、悔しさよりも喜びをリリは感じていた。

 

(リリにはまだまだ強くなれる余地が沢山残されているのですね……)

 

イットに出会う前には想像もしなかっただろう。

自分がこんな事をしながら汗水流している光景を。

そして、こんなにも動けるようになっている現状を。

 

確実に昔の自分とは変わっていっている。

その事実を再認識すると、思わず口角が上がった。

 

「やぁっ!!」

 

一步、踏み込む。

 

攻撃の終わり。イットの伸びきった左腕の外側に沿うようにステップインしたリリは右腕を引き絞った。

アッパー気味のフック。目の前のガラ空きの脇腹に叩きこむ。

 

バシン!と重さこそないものの衝撃音が辺りに響く。

確かな感触と共にリリの拳がじんと痺れた。

 

「良い感じに攻撃の死角に回り込んだな……立ち回り上手いじゃん」

「いえいえ、たまたまですよイット様」

「ったく、嬉しそうな顔しやがって。気抜くのはまだ早いぞ?」

 

構え直すイットにリリは思わずキョトンとした。

 

嬉しそうな顔をしている?自分が?

手合わせの最中であるにも関わらず、リリは思わず顔に手を当てそうになった。

変に意識してしまうせいか、何だかムズムズとする。

慌てて口を一文字に結び直すと、イットがため息を吐いた。

 

「素直じゃねえなぁ」

「何言ってるんですか、リリは自分に素直な狼人族の女の子です」

「ま、いいけどさ。んじゃ、調子乗ってる鼻折りにいきますか」

 

ラウンド2だ、とイットが口にした瞬間──そのスピードが上がった。

フットワークを使った動きが、リリの視界を縦横無尽に飛び回る。

まるでリズムが違った。

これまでとは全く異なるテンポに慌てて体勢を整える前に、リリはその姿を見失う。

 

(そんなっ、何処に!?)

 

左右にはいない、後ろ!と振り向くよりも早く。

ポンと頭に乗せられる手の重さを感じた。

 

「後ろ取られんなよ?視界はちゃんと確保しとけ」

「……イット様、ズルいです」

「ズルくねえよ?俺が手加減し続けると思ったリリが悪い」

 

でなきゃ模擬戦の意味ないしな、と口にするイットだったがリリは不満気だった。

 

「ですが、やっぱりズルいです。それはステイタス任せの動きではないですか?」

「かもな。でも、その差をある程度埋められるのが格闘技の技術と機転ってやつだよ」

「…………そう、ですね」

 

確かにそうだ、と頷く。

多分、今の攻防も落ち着いて距離を開ければ動きが見えたかもしれない。

動きの変化に動揺してしまったのは自分の落ち度だ、とリリは思った。

 

何よりもステイタスの差を埋めることが出来ないのなら、ボクシングという体術をイットから習う意味はないのだ。

その可能性を自分から否定しかけた事が、リリの心をチクリと刺した。

 

「とは言え、この短期間で本当にお前は良く伸びたよ。まさか一発貰うとは思わなかった」

「イット様は全然堪えてらっしゃらないようですけれど」

「そりゃあ、子供のパンチで倒れるほどヤワじゃないさ。頑丈さが取り柄なんでな」

 

そこまで頑丈さをアピールするのだから、耐久B……もしかしたらAランクという事もあるのかもしれない。

無茶なダンジョン攻略をこなせるのも偏にその頑丈さがあって成り立つのだろうな、とリリは思った。

 

 

 

しかし次の瞬間、そんな考えはどこかへ吹き飛んでしまった。

 

 

 

「でも、その立ち回りの良さベルも見習って欲しいもんだ……あいつ意外と猪突猛進気味な所あるし……」

 

(……え?)

 

ビクリ、とリリの体が跳ねた。

 

聞き間違いだろうか?この場で聞くはずのない名前が聞こえた気がして、恐る恐る顔を上げる。

 

「……イット様、いま何とおっしゃいました?」

 

僅かに唇が震えているのを感じた。

まさか、という思いがリリの胸の中で大きく震えている。

見上げた先でイットは怪訝そうな顔をしながら、その言葉を口にした。

 

「ベルにもリリの立ち回りの上手さを見習って欲しいって言ったんだ……あぁ、ベルってのは俺と同じファミリアの冒険者でな」

 

少し嬉しそうに説明し始めるイットの言葉はもうリリの耳には入って来なかった。

 

ベル・クラネル。

 

知っている。

白髪に赤い瞳のその少年の事をリリは知っているのだ。

何を隠そう今、自分が犬人族の少女『リリルカ・アーデ』として一緒にパーティを組んでいる冒険者なのだから。

 

 

 

彼の持つ『ヘスティア・ナイフ』を盗もうと画策している最中なのだから。

 

 

 

(……そんな)

 

イットの噂は耳にしていたものの。所属ファミリアの事までは知らなかった。

世間は狭いという言葉があるが、これはあんまりだ。

まさかこんな所で接点があるなんて、とリリは自分の不運を嘆いた。

 

(リリは、リリはどうすれば……)

 

ベルとイットの間に接点があると分かった今、身を隠さなければ盗人リリルカ・アーデの存在がバレてしまうかもしれない

しかし、鍛冶の神が打ったナイフは見逃すには惜しく、ボクシングという強くなる可能性は手放したくない。

 

2つに1つ、迫られる選択にリリの心は大きく取り乱されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

(何か、様子変だったけど大丈夫なのか、リリの奴?)

 

昼過ぎ。太陽が高くなっているのが窓から見える。

 

早朝のリリの様子がずっと気掛かりとして、引っかかっていた。

スパーの後、急に顔面蒼白になった姿が脳裏を過る。

調子が悪いのかと慌てて家まで送る事を提案するも、大丈夫ですからの一点張りと共に逃げるように走り去られてしまったのだ。

 

咄嗟に追い掛ける事が出来なかった事が、悶々と心の中に沈殿していた。

 

(大丈夫かな、あいつ……)

 

お見舞いに行こうにも住んでいる所も知らないので、心配することしか出来ない。

モヤモヤしながらため息を吐くと、ギロリとした眼差しがこちらに向けられた。

 

「人の話を聞きながらため息なんて、いい度胸じゃないかカネダ?」

「あ、いや少し心配事があったから気になって……すんません、カリーヌさん」

 

素直にそう謝れば、カリーヌさんは鼻を鳴らして椅子に深く座り直した。

 

ギルドのカウンター。

ここでカリーヌさんと対面している理由は言うまでもなく中層挑戦の件だ。

単刀直入に中層に挑戦したい旨を切り出せば、返って来たのは案の定『反対』の2文字だった。

 

「そもそも、私はLv.2になるまでは中層行きは禁じてた筈だが?」

「でも、Lv.2になるには『偉業』って呼ばれる『自分の限界を突破するような経験』が必要なんすよね?12階層に到達して慣れてきた今、中層で格上相手にしないとLv.2にはなれないっすよ」

 

口を尖らせてそう言えば、ギンと鋭い視線が飛んでくる……相変わらずおっかない人だ。

 

「普通はパーティーを組んで格上モンスターを討伐するものだ。だがな、お前はソロで中層に挑戦しようと言ってる。どれだけ無謀か分かるか、カネダ?」

「そりゃあ、もちろん。でも俺がベルを巻き込めないのはカリーヌさんも分かってますよね?」

「当たり前だ、馬鹿。ベル坊には荷が重すぎる……あまり気が進まないが、ドルフマンの奴とパーティー組めば良いだろう」

「おっさんがこういう時に、パーティー組んでくれると思います?」

「……思わないな」

 

実際、『男の挑戦の舞台にワシの出番はない!坊主、存分に拳を鍛えてこい!!』と大声で返されたのを思い出す。

男たるもの背水の陣で事に臨むべし、ということらしい。

 

「悪いっすけど、俺もう決めたんです。おっさんからもすぐに死ぬことはないだろうってお墨付きも貰いました……お願いします、カリーヌさん」

「……まったく、何で急にそんな事言い出した?この間は大人しく了承しただろう」

 

呆れたようにそう言われる。

全くをもってその通りだ。ほんの一週間前の取り決めをあっさりと覆せば、そう言われもするだろう。

 

だが、自分を抑えて足踏みしているような格好悪い姿は見せてはいられないのだ。

自分なんかに憧れる馬鹿がいるというのなら、尚更のこと。

 

「意地っすよ。多少無茶してでも、先に進まなきゃいけない理由があるんす……それに、意外と背負ってるもんが多いって、この間気付かされたんで」

 

だからお願いします、と頭を下げる。

カリーヌさんがどういう表情をしているのかは見えない。

その顔に滲むのは呆れか、苛立ちか。

 

しばらくギルドの喧騒だけが耳に届いてくる。

やがて、そのざわめきに掻き消えそうな小さなため息が頭の上で吐き出された。

 

「……何で私の担当冒険者って奴はこうも頭の悪い馬鹿ばっかりなのか」

 

下げた頭の上でカリーヌさんは、重ねてため息を吐くとカツカツと机を指で叩いた。

 

「顔を上げろ、カネダ。もしお前が中層に行ったら、ソロでの上層踏破最短記録になる……ぶっち切りでな。この意味が分かるか?」

「え、いや……全然分かんないっす」

「これでお前がおっ死んだら私は無能な担当ギルド職員になる、という事だ」

 

その瞳に射抜かれて、思わず体が硬くなった。

 

当然の話だ。

アドバイザーたる担当ギルド職員が無謀な挑戦を許可して、冒険者が死亡した場合、その判断には問題ありの烙印を押されることになる。

そんな事になれば、カリーヌさんの名前にも泥を塗る形になるのだ。

 

ゴクリと喉が鳴る。

「……俺は」と口を開きかけた瞬間、しかしカリーヌさんの右手がそれを止めた。

 

「だがな、もしお前が中層に挑戦した結果Lv.2になったなら……私は担当冒険者の才を見抜いて適切な判断を下した有能な担当ギルド職員になる」

 

意味が分からずポカンとしていると、その口が緩やかに弧を描いた。

 

「どうせなら、私を有能なギルド職員にしろカネダ。そうなれば、私の給料がもっと上がる」

「カリーヌ、さん」

「どうせ禁止してもこっそり潜るつもりだったんだろう、この馬鹿。なら精々、私の出世に貢献してもらうさ」

「……!!ありがとうございますっ!!」

 

勢い良く頭を下げる。

本当にありがたい事だ。感謝で、カリーヌさんから後光が差して見えそうだった。

つくづく自分は良い人達に恵まれたのだな、と実感する。

普通ならこんな無茶を飲んでくれる人などそうそういないだろう。

 

「私の知り合いがやっている店を紹介しといてやる。少し古いが、造りのしっかりとした火精霊の護布があったはずだ……中層に行くなら必須装備だ」

「本当ありがたいっす……今度、ちょっと高めのスイーツでも差し入れときますね」

「うんと甘い物を頼むぞ、デスクワークは頭を使うからな」

 

これで美人さんなのだから冒険者に人気な訳だ、と思いながらカリーヌさんから店の名前が書かれた紙を受け取る。

 

「分かってるとは思うが、中層はお前が思うより過酷な世界だ。退路は常に確保して慎重に進め、カネダ」

「うぃっす」

 

しっかりと頷きながら、紙に目を落とすと丁度リリと早朝トレーニングをやっていた場所から近いエリアだった。

 

同時に、それは自分が財布をスラれそうになった場所でもある。

未だ見つからない小人族の盗人の事を思い出して顔を顰めた。

 

「……あの、カリーヌさん。話変わるんすけど、小人族の窃盗ってまだ続いてるんすか?」

「うん?あぁ、お前が固執してるやつか……続いてはいるが、最近は前ほどは聞かないな。何か考えがあるのか、別の事に時間を割いているのかは分からんが……」

「そうっすか」

 

あれ以来、暇な時は探しているものの例の小人族の男の姿は見つける事が出来ていない。

もし、彼がベルのナイフを盗まれた事と関係あるのならよくよく言い聞かせておかなければならないのだ。

諸悪の根源から断たねば、ベルのナイフは何度でも狙われるだろう。

 

「あまり気を回すな。お前は冒険者であって治安を守る人間じゃない。それよりも集中しなければいけない事があるだろう、カネダ?」

「……うぃっす」

 

頷くも、心の片隅でブラブラと小人族の男の姿が揺れていた。

割り切るには少し時間が掛かりそうだ。

ベルとあんな事があったからだろうか、彼に少し気にかけ過ぎているのかもしれない。

 

カリーヌさんに再三礼を言いながら立ち上がると、後ろから不意に呼び止められた。

 

「スイーツの件、忘れるんじゃないぞカネダ?」

 

案外、カリーヌさんは甘党なのかもしれない。

そんな意外な一面に思わず笑うと、しっかりと頷いてみせた。




カリーヌさんお久しぶりですね。
個人的に好きなキャラですが、使い所が難しいです…

いつも閲覧、ご感想下さりありがとうございます!


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